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4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
1937年7月、東北6県を管轄する仙台逓信局では管内17社の代表を集めて合同案を提示した。この際に新潟電力が勧告されたのは福島県会津地方にある6つの小規模事業の統合である。新潟電力では翌1938年から1940年(昭和15年)にかけて、このうち5事業を次のように統合した。
[ "1937年", "東北地方", "新潟電力", "福島県", "会津", "1938年", "1940年", "昭和" ]
[ 1640, 595, 1398508, 183, 102051, 1641, 1644, 1115 ]
[ 2544, 1057, 4872673, 434, 216006, 2545, 2548, 1789 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
福島県側での事業統合の一方、新潟県側では県当局と同地の越佐電気協会が逓信当局の勧告を踏まえて県内事業再編の計画を立てた。その概略は、下越・中越地方の事業を新潟電力に、上越地方の事業を高田の中央電気に、佐渡島の事業を佐渡電灯にそれぞれ集約するというものである。福島県側での事業統合が終わると新潟電力では新潟県側での事業統合に動き村上水電の合併を決定、1940年8月5日の臨時株主総会にて合併を決議した。先に触れたように村上水電は岩船郡村上町にあった電力会社で、胎内川の第一発電所(出力610キロワット)と荒川の荒川発電所(出力2130キロワット)、内燃力発電所の村上発電所(出力760キロワット)の3発電所を擁して岩船郡内での供給にあたっていた。
[ "福島県", "新潟県", "中越地方", "新潟電力", "上越地方", "中央電気", "佐渡島", "1940年", "株主総会", "岩船郡", "胎内川", "ワット", "内燃力発電" ]
[ 183, 179, 131253, 1398508, 103328, 1337093, 11709, 1644, 5967, 30900, 297630, 41644, 9592 ]
[ 434, 424, 299527, 4872673, 219204, 4650225, 19514, 2548, 9636, 55858, 807366, 75586, 15851 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
村上水電の合併は1940年10月31日付で逓信省より認可された。同年11月25日、新潟電力で合併報告総会が開かれて合併手続きが完了している。合併時、村上水電の資本金は240万円であったが、合併に伴う新潟電力の資本金増加は216万円であり、合併後の資本金は3916万円となっている。以降、下越・中越地方には新潟電力と長岡市の北越水力電気が残るだけとなったが、その合同は実現していない。
[ "1940年", "10月31日", "逓信省", "新潟電力", "中越地方", "長岡市", "北越水力電気" ]
[ 1644, 331797, 52290, 1398508, 131253, 466170, 1392197 ]
[ 2548, 912406, 98029, 4872673, 299527, 1360495, 4849169 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
1939年に日本発送電設立という形で一旦落着した電力国家管理政策であったが、1940年代に入ると第二次近衛内閣の下で国家管理をより強化する方向へと再検討され始め、既存電気事業者の解体と日本発送電の体制強化・配電事業の国家統制にまで踏み込んだ「第二次電力国家管理」政策が急速に具体化されていく。そして1941年(昭和16年)4月に発送電管理強化のための電力管理法施行令改正が実行され、同年8月には配電事業統合を規定する「配電統制令」の施行に至った。
[ "1939年", "日本発送電", "1940年代", "第2次近衛内閣", "1941年", "配電統制令" ]
[ 1643, 68203, 1668, 134413, 1645, 733886 ]
[ 2547, 134039, 2582, 308751, 2550, 2305932 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
第二次電力国家管理における日本発送電への設備出資は1941年10月1日付の第一次出資と翌1942年(昭和17年)4月1日付の第二次出資に分割し実施された。今回の出資対象には従来対象外であった一部水力発電所(出力5000キロワット超の水力発電所とそれらに関連する水力発電所)も含まれており、新潟電力では第二次出資に関し1941年8月2日付で設備出資命令を受け取った。その出資対象設備は以下の通りである。
[ "日本発送電", "1941年", "10月1日", "1942年", "昭和", "4月1日", "水力発電", "ワット", "新潟電力" ]
[ 68203, 1645, 914, 1646, 1115, 1281, 9645, 41644, 1398508 ]
[ 134039, 2550, 1494, 2551, 1789, 2004, 15931, 75586, 4872673 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
配電事業統合に関しては、新潟県の配電事業は東北6県の事業とともに国策配電会社東北配電へと再編されることが決まり、1941年9月6日付で逓信大臣より新潟県および東北6県に立地する主要事業者13社に対し「東北配電株式会社設立命令書」が発出された。新潟電力もその受命者の一つであり(新潟県下では他に中央電気と北越水力電気が受命)、水力発電所12か所、火力発電所2か所、送電線38路線、変電所28か所、それに配電区域内にある配電設備・需要者屋内設備・営業設備の一切を東北配電へと出資するよう命ぜられた。受命直後の9月17日、東北配電の第1回設立委員会が開かれ、その席で新潟電力社長白勢量作(1936年6月松永安左エ門に代わり社長昇格)が東北配電設立委員長に選任された。
[ "新潟県", "東北地方", "東北電力", "1941年", "逓信省", "新潟電力", "中央電気", "北越水力電気", "水力発電", "変電所", "白勢量作", "1936年", "松永安左エ門" ]
[ 179, 595, 41008, 1645, 52290, 1398508, 1337093, 1392197, 9645, 9740, 1133797, 1638, 594692 ]
[ 424, 1057, 74383, 2550, 98029, 4872673, 4650225, 4849169, 15931, 16086, 3888200, 2542, 1815653 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
翌1942年1月15日、新潟電力では臨時株主総会を開いて東北配電設立委員が作成した書面を承認する手続きを済ませた。同年4月1日、日本発送電に対する設備出資(第二次出資)と東北配電の設立が実行に移される。日本発送電に対する出資設備の評価額は2181万7567円50銭とされ、出資の対価として新潟電力は日本発送電の株式43万6351株(払込総額2181万7550円)と端数分の現金17円50銭を受け取った。一方、東北配電に対する出資設備評価額は3653万9350円とされ、ここから東北配電へ引き継ぐ社債490万8000円を差し引いた金額(3163万3150円)を元に東北配電株式56万1927株(払込総額2809万6350円)と現金353万5000円を交付されている。東北配電初代社長には新潟電力から白勢量作が就いた。
[ "1942年", "新潟電力", "株主総会", "東北電力", "4月1日", "日本発送電", "社債", "白勢量作" ]
[ 1646, 1398508, 5967, 41008, 1281, 68203, 68948, 1133797 ]
[ 2551, 4872673, 9636, 74383, 2004, 134039, 135898, 3888200 ]
4,872,673
新潟電力
沿革:新潟電力時代
設備出資を終えた新潟電力は、1942年5月11日、臨時株主総会を開いて解散を決議し、即日解散した。
[ "新潟電力", "1942年", "株主総会" ]
[ 1398508, 1646, 5967 ]
[ 4872673, 2551, 9636 ]
4,872,673
新潟電力
本社・支社・出張所所在地
解散前年、1941年(昭和16年)5月時点における新潟電力の本社・支社・出張所所在地は以下の通りであった。特記のない限り新潟県内である。
[ "1941年", "新潟電力" ]
[ 1645, 1398508 ]
[ 2550, 4872673 ]
4,872,673
新潟電力
本社・支社・出張所所在地
これらのうち新潟市上大川前通五番町の本社建物は鉄筋コンクリート構造の3階建てで、新潟水力電気時代の1927年11月に竣工した。新潟電力解散後、同地には東北配電新潟支店および後身の東北電力新潟支店が置かれている。
[ "新潟市", "上大川前通", "鉄筋コンクリート構造", "新潟電力", "1927年", "東北電力" ]
[ 11806, 741197, 24793, 1398508, 1628, 41008 ]
[ 19661, 2333493, 42893, 4872673, 2532, 74383 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
新潟水力電気時代、1915年(大正4年)6月末時点の供給区域は以下の通り。これには未開業の地域を含む。
[ "新潟電力", "1915年", "大正" ]
[ 1398508, 1618, 1128 ]
[ 4872673, 2520, 1805 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
新潟水力電気時代末期、1929年(昭和4年)6月末時点の供給区域は以下の通り。
[ "新潟電力", "1929年", "昭和" ]
[ 1398508, 1630, 1115 ]
[ 4872673, 2534, 1789 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
新潟電力時代、1938年(昭和13年)12月末時点の供給区域は以下の通り。
[ "新潟電力", "1938年", "昭和" ]
[ 1398508, 1641, 1115 ]
[ 4872673, 2545, 1789 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
1925年下期に古志郡中野俣村・半蔵金村および東蒲原郡西川村・東川村・上条村・小川村にて配電を開始したことで、この時点の許可済み供給区域内に未開業の区域はなくなった。これ以降に自社で供給区域拡張の許可を得て配電を始めた地域は次の4村である。
[ "1925年", "古志郡", "東蒲原郡" ]
[ 1626, 30889, 30898 ]
[ 2530, 55843, 55856 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
1938年に統合した伊南川水力電気・黒谷川水力電気・御蔵入電気の供給区域は次の通り(いずれも1937年末時点)。
[ "1938年", "伊南川", "1937年" ]
[ 1641, 300647, 1640 ]
[ 2545, 816830, 2544 ]
4,872,673
新潟電力
供給区域
新潟電力の供給区域が広がる新潟・福島両県は、1942年4月に配電統制により新潟電力その他を統合して設立された東北配電の配電区域に含まれる。太平洋戦争後、1951年(昭和26年)5月1日実施の電気事業再編成では東北配電区域をそのまま引き継いで東北電力が発足した。
[ "新潟電力", "1942年", "東北電力", "太平洋戦争", "1951年", "昭和", "電気事業再編成令" ]
[ 1398508, 1646, 41008, 672787, 1656, 1115, 1317330 ]
[ 4872673, 2551, 74383, 2084285, 2561, 1789, 4570639 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
新潟電力では、電力国家管理直前の時点で水力発電所20か所・火力発電所2か所、総出力6万7480キロワットを運転していた。以下、自社建設発電所を中心に、これら発電所の概要を記す。
[ "新潟電力", "水力発電", "ワット" ]
[ 1398508, 9645, 41644 ]
[ 4872673, 15931, 75586 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
新潟水力電気時代の最初の発電所が第一発電所である。所在地は移転前が新潟県中蒲原郡川内村大字小面谷字シマ(現・五泉市小面谷)、移転後が川内村大字松野(現・五泉市松野)。1907年(明治40年)8月に起工され、1909年(明治42年)3月4日付で逓信省の使用認可が下りた。
[ "新潟電力", "新潟県", "中蒲原郡", "大字", "五泉市", "1907年", "明治", "1909年", "逓信省" ]
[ 1398508, 179, 30895, 10969, 55753, 1608, 1126, 1610, 52290 ]
[ 4872673, 424, 55853, 18229, 105708, 2507, 1803, 2510, 98029 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
阿賀野川水系早出川に建設された発電所である。移転前の発電所出力は500キロワットで、発電設備はスイス製フランシス水車1台およびブラウン・ボベリ製三相交流発電機1台からなった。1921年(大正10年)11月、下流に移転の上改造され発電所出力が900キロワットに引き上げられる。移転後の発電設備はスイス・エッシャーウイス製フランシス水車1台と米国ウェスティングハウス・エレクトリック製1200キロボルトアンペア発電機1台である。発生電力の周波数は移転前・移転後とも50ヘルツに設定されている(他の発電所と共通)。送電線は五泉変電所へと繋がった(送電電圧11キロボルト)。
[ "阿賀野川", "水系", "早出川", "ワット", "フランシス水車", "発電機", "1921年", "大正", "ウェスティングハウス・エレクトリック", "ボルトアンペア", "変電所", "ボルト (単位)" ]
[ 45718, 67804, 1135076, 41644, 242773, 5977, 1622, 1128, 65125, 602413, 9740, 18457 ]
[ 83441, 133160, 3892637, 75586, 637397, 9648, 2526, 1805, 127234, 1842379, 16086, 30925 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1942年4月、配電統制で新潟電力から東北配電へと出資された。東北配電では「早出発電所」と称する。1951年5月の電気事業再編成では東北電力に継承されている。
[ "1942年", "新潟電力", "東北電力", "1951年", "電気事業再編成令" ]
[ 1646, 1398508, 41008, 1656, 1317330 ]
[ 2551, 4872673, 74383, 2561, 4570639 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
早出川の第一発電所に続く2番目の発電所が第二発電所である。所在地は中蒲原郡川内村大字下杉川字コイ上り(現・五泉市下杉川)。1911年(明治44年)4月に起工され、翌1912年(明治45年)5月24日付で使用認可が下りた。
[ "早出川", "中蒲原郡", "大字", "コイ", "五泉市", "1911年", "明治", "1912年" ]
[ 1135076, 30895, 10969, 4754, 55753, 1595, 1126, 1615 ]
[ 3892637, 55853, 18229, 7429, 105708, 2493, 1803, 2515 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
早出川支流の杉川に位置する。発電設備はエッシャーウイス製フランシス水車2台およびウェスティングハウス製235キロボルトアンペア発電機2台からなり、発電所出力は400キロワットであった。送電線は第一発電所へと繋がる(送電電圧11キロボルト)。
[ "早出川", "エッシャーウイス", "フランシス水車", "ボルトアンペア", "発電機", "ワット", "ボルト (単位)" ]
[ 1135076, 470315, 242773, 602413, 5977, 41644, 18457 ]
[ 3892637, 1378790, 637397, 1842379, 9648, 75586, 30925 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
第一発電所とともに1942年に東北配電へと出資された。東北配電では「杉川発電所」と称する。同じく1951年東北電力に引き継がれた。
[ "1942年", "東北電力", "1951年" ]
[ 1646, 41008, 1656 ]
[ 2551, 74383, 2561 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1920年代に阿賀野川水系実川にて相次いで建設された発電所のうち最初のものが小荒発電所である。所在地は新潟県東蒲原郡豊実村大字豊田(現・阿賀町豊実)。1921年6月に着工され、1923年(大正12年)4月19日付で使用認可が下りた。
[ "1920年代", "阿賀野川", "水系", "新潟県", "東蒲原郡", "大字", "1921年", "1923年", "大正" ]
[ 1670, 45718, 67804, 179, 30898, 10969, 1622, 1624, 1128 ]
[ 2584, 83441, 133160, 424, 55856, 18229, 2526, 2528, 1805 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
実川の最下流に位置する。発電設備は電業社製フランシス水車2台および芝浦製作所製2100キロボルトアンペア発電機2台。発電所出力は当初3300キロワット、1942年時点では3700キロワットである。送電線は下平発電所と五泉変電所・新潟変電所を繋ぐ実川線(送電電圧66キロボルト)が経由する。
[ "電業社機械製作所", "フランシス水車", "ボルトアンペア", "発電機", "ワット", "1942年", "変電所", "ボルト (単位)" ]
[ 361000, 242773, 602413, 5977, 41644, 1646, 9740, 18457 ]
[ 1000627, 637397, 1842379, 9648, 75586, 2551, 16086, 30925 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
小荒発電所は1942年4月電力国家管理のため新潟電力から日本発送電へと出資。次いで1951年5月の電気事業再編成で東北電力へと移管された。1999年(平成11年)になって老朽化のため東北電力グループの東星興業(現・東北自然エネルギー)による再開発工事が着手されると小荒発電所は廃止され、取水堰のみ転用・改良の上で約1.8キロメートル下流に代替となる新小荒発電所が新設されている。
[ "1942年", "新潟電力", "日本発送電", "1951年", "電気事業再編成令", "東北電力", "1999年", "平成" ]
[ 1646, 1398508, 68203, 1656, 1317330, 41008, 958, 1323885 ]
[ 2551, 4872673, 134039, 2561, 4570639, 74383, 1548, 4597053 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
阿賀野川水系実川には小荒発電所に続いて下平発電所と赤倉発電所が開発された。所在地はともに東蒲原郡豊実村大字実川(現・阿賀町豊実)。1924年(大正13年)11月にそろって起工され、1926年(大正15年)1月13日付でまず下平発電所の、次いで同年10月2日付で赤倉発電所の使用認可がそれぞれ下りた。
[ "阿賀野川", "水系", "東蒲原郡", "大字", "1924年", "大正", "1926年" ]
[ 45718, 67804, 30898, 10969, 1625, 1128, 1627 ]
[ 83441, 133160, 55856, 18229, 2529, 1805, 2531 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
実川の上流側に位置する。下平発電所は実川に取水堰を持つが、赤倉発電所は下平発電所の放水と支流裏川からの取水によって発電する仕組みである。発電設備は下平発電所が日立製作所製フランシス水車・2150キロボルトアンペア発電機各2台、赤倉発電所が電業社製フランシス水車2台・芝浦製作所製2800キロボルトアンペア発電機1台。発電所出力はそれぞれ3192キロワット(1942年時点では3830キロワット)と2237キロワット(同2510キロワット)である。両発電所は6.6キロボルト送電線で繋がる。
[ "裏川", "フランシス水車", "ボルトアンペア", "発電機", "電業社機械製作所", "ワット", "1942年", "ボルト (単位)" ]
[ 719688, 242773, 602413, 5977, 361000, 41644, 1646, 18457 ]
[ 2256322, 637397, 1842379, 9648, 1000627, 75586, 2551, 30925 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
両発電所は小荒発電所と同じく1942年より日本発送電、1951年より東北電力に属する。1999年に始まった東星興業による再開発工事では、下平発電所は導水路を延長する形で約600メートル下流へと移設され新下平発電所となった。一方、赤倉発電所はこの再開発で発電力が縮小されたものの東北電力の手で延命化工事が施され維持されている。
[ "1942年", "日本発送電", "1951年", "東北電力", "1999年" ]
[ 1646, 68203, 1656, 41008, 958 ]
[ 2551, 134039, 2561, 74383, 1548 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
新潟水力電気時代に合併で取得した発電所に金川発電所がある。所在地は福島県耶麻郡駒形村大字金橋(現・喜多方市塩川町金橋)で、社内最初の福島県側に位置する発電所でもある。東北電化株式会社という化学工業会社が自家用発電所として1919年(大正8年)10月に完成させたのが起源で、1923年に東北電化を合併したことで新潟水力電気が引き継いだ。
[ "新潟電力", "福島県", "耶麻郡", "大字", "喜多方市", "塩川町", "自家発電", "1919年", "大正", "1923年" ]
[ 1398508, 183, 21461, 10969, 39843, 85951, 641649, 465927, 1128, 1624 ]
[ 4872673, 434, 37152, 18229, 72361, 175612, 1977287, 1359273, 1805, 2528 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
阿賀野川水系日橋川にある発電所の一つで、東京電灯猪苗代第四発電所(1926年完成)のすぐ下流側に立地する。取水口や水路は狐堰用水という灌漑用水のものを利用している。発電設備は電業社製フランシス水車2台・芝浦製作所製750キロボルトアンペア発電機2台からなり、発電所出力は1200キロワットである。送電線は当初日橋変電所(後述)へと繋がったが、1931年(昭和6年)6月になって東京電灯猪苗代第四発電所との間に送電線が整備され、発生電力は東京電灯の送電線を介して送電される形となった。
[ "阿賀野川", "水系", "日橋川", "東京電燈", "1926年", "灌漑", "電業社機械製作所", "フランシス水車", "ボルトアンペア", "発電機", "ワット", "変電所", "1931年", "昭和" ]
[ 45718, 67804, 204240, 165848, 1627, 135577, 361000, 242773, 602413, 5977, 41644, 9740, 1632, 1115 ]
[ 83441, 133160, 512819, 397168, 2531, 312089, 1000627, 637397, 1842379, 9648, 75586, 16086, 2536, 1789 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
金川発電所は1942年4月の電力国家管理で日本発送電へ移管された後、1951年5月の電気事業再編成で猪苗代湖周辺発電所の運営を一貫させる狙いから旧新潟電力の発電所としては唯一東京電力に継承された。
[ "1942年", "日本発送電", "1951年", "電気事業再編成令", "猪苗代湖", "新潟電力" ]
[ 1646, 68203, 1656, 1317330, 73426, 1398508 ]
[ 2551, 134039, 2561, 4570639, 145876, 4872673 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
新潟電力発足後に唯一新設された発電所として伊南川発電所がある。旧新潟電気が1921年10月に出力1万8000キロワットの計画で水利権を得た地点にあたり、1935年(昭和10年)9月になって発電所工事施行認可を取得の上着工された。3年後の1938年(昭和13年)10月12日付で使用認可があり、同日運転を開始している。所在地は福島県大沼郡横田村大字越川字四石田(現・金山町越川)。
[ "新潟電力", "伊南川", "新潟電気", "1921年", "ワット", "水利権", "1935年", "昭和", "1938年", "福島県", "大沼郡", "大字" ]
[ 1398508, 300647, 1396775, 1622, 41644, 45566, 1637, 1115, 1641, 183, 24456, 10969 ]
[ 4872673, 816830, 4865193, 2526, 75586, 83143, 2541, 1789, 2545, 434, 42310, 18229 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
阿賀野川水系只見川の支流伊南川から取水する。取水地点は南会津郡小梁村大字小林(現・只見町小林)で、ここには川に洪水吐付きの取水堰(小林ダム)を設ける。取水口から伸びる導水路は9.6キロメートルの長さがあり、伊南川沿いを離れて只見川岸(伊南川合流点よりも下流側)の発電所へと至る。特徴的な水路設備として、導水路の途中で合流する支水路の先に位置する調整池がある。この調整池は地形の都合上導水路水面より高い位置にあるため貯水にあたってはポンプ揚水を必要とする。これとは別に、上部水槽手前に副調整池も設けている。
[ "阿賀野川", "水系", "只見川", "伊南川", "南会津郡", "小梁村", "大字", "只見町", "調整池" ]
[ 45718, 67804, 114738, 300647, 21460, 826728, 10969, 96267, 140858 ]
[ 83441, 133160, 251968, 816830, 37151, 2654909, 18229, 201517, 326908 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
発電設備は日立製作所製の縦軸フランシス水車・1万キロボルトアンペア発電機各3台からなる。発電所出力は運転開始時2万1300キロワットであったが、その後1939年時点では2万1400キロワット、1942年時点では2万4000キロワットへとそれぞれ増強されている。送電線は伊南川線(送電電圧66キロボルト)が伊南川発電所を起点に伸びる。
[ "フランシス水車", "ボルトアンペア", "発電機", "ワット", "1939年", "1942年", "伊南川", "ボルト (単位)" ]
[ 242773, 602413, 5977, 41644, 1643, 1646, 300647, 18457 ]
[ 637397, 1842379, 9648, 75586, 2547, 2551, 816830, 30925 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
伊南川発電所は1942年より日本発送電、1951年より東北電力に属する。ただし只見川の本名ダム建設に伴い発電所建屋がダム湖に沈む位置にあったことから、1954年(昭和29年)5月、80メートル上流側の高台に移設された。移転に際し水車・発電機は各1台にまとめられており、新潟電力時代からの設備は転用されていない。
[ "伊南川", "1942年", "日本発送電", "1951年", "東北電力", "只見川", "本名ダム", "1954年", "発電機", "新潟電力" ]
[ 300647, 1646, 68203, 1656, 41008, 114738, 473243, 1468, 5977, 1398508 ]
[ 816830, 2551, 134039, 2561, 74383, 251968, 1391076, 2271, 9648, 4872673 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
自社建設の火力発電所として沼垂発電所が存在した。初代と2代目の2つがあり、どちらも新潟市内の旧沼垂町域に位置したが場所は異なる。
[]
[]
[]
4,872,673
新潟電力
発電所
初代沼垂発電所は新潟市流作場字沼原にあった。第一・第二両発電所に続いて1913年(大正2年)9月26日に竣工したが、3年後、1916年(大正5年)12月5日付で廃止されている。汽力発電設備としてボイラー2缶とウェスティングハウス製パーソンズ式蒸気タービン・発電機各1台を有し、発電所出力は500キロワットであった。
[ "新潟市", "1913年", "大正", "1916年", "汽力発電", "ボイラー", "蒸気タービン", "発電機", "ワット" ]
[ 11806, 1616, 1128, 1619, 9530, 9527, 9519, 5977, 41644 ]
[ 19661, 2517, 1805, 2521, 15752, 15745, 15729, 9648, 75586 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
2代目の沼垂発電所は新潟市山ノ下字古湊にあった。着工は1927年(昭和2年)8月、使用認可は1928年(昭和3年)5月18日である。渇水期の水力発電量低下を補うための補給用発電所として、また供給設備の故障発生時に応急的に稼働させる予備発電所として建設された。応急用としての機能を高めるべく、一般的な汽力発電設備のほかに建設費がかさむものの起動時間の短いディーゼルエンジンによる内燃力発電設備を併用する点が特徴。汽力発電設備はエッシャーウイス製ボイラー2缶(燃料は石炭)、同社製ツェリー式蒸気タービン1台、ドイツ・シーメンス製5000キロボルトアンペア発電機1台からなり、内燃力発電設備は新潟鐵工所製2サイクルエンジン1台と日立製作所製1500キロボルトアンペア発電機1台からなる。発電所出力は5000キロワット(汽力4000キロワット・内燃力1000キロワット)である。
[ "新潟市", "1927年", "昭和", "1928年", "水力発電", "汽力発電", "ディーゼルエンジン", "内燃力発電", "エッシャーウイス", "ボイラー", "石炭", "蒸気タービン", "ボルトアンペア", "発電機", "新潟鐵工所", "2ストローク機関", "ワット" ]
[ 11806, 1628, 1115, 1629, 9645, 9530, 7120, 9592, 470315, 9527, 22708, 9519, 602413, 5977, 57405, 7123, 41644 ]
[ 19661, 2532, 1789, 2533, 15931, 15752, 11752, 15851, 1378790, 15745, 39142, 15729, 1842379, 9648, 109481, 11755, 75586 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
2代目沼垂発電所は1942年より東北配電、1951年以降は東北電力に属したが、1959年(昭和34年)3月に廃止され山の下変電所へと格下げされた。
[ "1942年", "東北電力", "1951年", "1959年", "昭和", "変電所" ]
[ 1646, 41008, 1656, 1227, 1115, 9740 ]
[ 2551, 74383, 2561, 1935, 1789, 16086 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1930年1月の新潟電気合併により同社から引き継いだ発電所は水力9か所・火力1か所、総出力2万2299キロワットに及ぶ。ただしそのうち水力3か所(計948キロワット)は翌年までに廃止・譲渡されている。この3か所を除く旧新潟電気引継ぎの発電所一覧は以下の通り。
[ "1930年", "新潟電気", "ワット" ]
[ 1631, 1396775, 41644 ]
[ 2535, 4865193, 75586 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
旧新潟電気発電所のうち大川・奥川第一・奥川第二の3発電所は日本発送電へ、残る宮川・飯豊川第一・飯豊川第二・新潟火力の4発電所は東北配電へ出資された。いずれも1951年以降は東北電力に属する。
[ "新潟電気", "日本発送電", "東北電力", "1951年" ]
[ 1396775, 68203, 41008, 1656 ]
[ 4865193, 134039, 74383, 2561 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1938年から1940年にかけての事業統合で取得した発電所は以下の8か所である。
[ "1938年", "1940年" ]
[ 1641, 1644 ]
[ 2545, 2548 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
上記発電所のうち旧村上水電の村上発電所は1942年時点では存在しない。それ以外の7発電所は東北配電へと出資されたが、1942年末時点の発電所一覧からは黒谷川発電所が消えている。加えて1943年(昭和18年)7月に玉川発電所も廃止された。従って東北電力へと引き継がれたのは内川・大志・滝谷川・黒川・荒川の5発電所に限られる。
[ "1942年", "東北電力", "1943年", "昭和", "玉川ダム (秋田県)" ]
[ 1646, 41008, 1647, 1115, 186846 ]
[ 2551, 74383, 2552, 1789, 458542 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
新潟水力電気時代の1916年3月、猪苗代水力電気第一発電所(後の東京電灯猪苗代第一発電所)からの受電が開始された。この際に新設された送電線は、発電所から約150メートル離れた自社の日橋発電所(福島県河沼郡日橋村八田=現・会津若松市河東町八田)を起点に、新潟県中蒲原郡五泉町(現・五泉市)の五泉変電所へ至る路線である。日橋・五泉間の送電電圧は55キロボルトに設定された。小荒発電所からの送電線(津川変電所で日橋・五泉間送電線に接続)も建設当初は55キロボルトの送電電圧を用いている。1923年7月には五泉変電所から沼垂変電所(新潟市流作場)までの55キロボルト送電線も完成した。
[ "新潟電力", "1916年", "猪苗代水力電気", "東京電燈", "猪苗代第一発電所", "福島県", "河沼郡", "日橋村", "会津若松市", "河東町", "新潟県", "中蒲原郡", "五泉町", "五泉市", "変電所", "ボルト (単位)", "1923年", "新潟市" ]
[ 1398508, 1619, 1329148, 165848, 1192813, 183, 24580, 827717, 39844, 87551, 179, 30895, 782703, 55753, 9740, 18457, 1624, 11806 ]
[ 4872673, 2521, 4617686, 397168, 4094085, 434, 42534, 2658489, 72364, 179640, 424, 55853, 2488135, 105708, 16086, 30925, 2528, 19661 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1930年に新潟電気を合併したことで、大川発電所から新潟変電所(中蒲原郡石山村紫竹=現・新潟市)へと至る送電線「大川線」を引き継いだ。同線の途中、宝坂変電所(福島県河沼郡宝坂村宝坂=現・西会津町宝坂大字宝坂)では奥川発電所とを繋ぐ送電線が接続する。翌1931年6月、宝坂変電所の新潟寄り、東蒲原郡両鹿瀬村大字鹿瀬(現・阿賀町鹿瀬)に鹿瀬変電所が新設され、同所で大川線と下平・小荒発電所からの実川線(1932年11月66キロボルトに昇圧)が交差する形とされた。また鹿瀬変電所整備とともに約3キロメートル離れた東京電灯鹿瀬変電所とを繋ぐ「鹿瀬線」も建設された。東京電灯鹿瀬変電所は阿賀野川にある東信電気鹿瀬発電所構内に立地しており、猪苗代第四発電所とを結ぶ東京電灯阿賀野川線(送電電圧154キロボルト)の起点でもある。
[ "1930年", "新潟電気", "変電所", "中蒲原郡", "新潟市", "福島県", "河沼郡", "宝坂村", "西会津町", "大字", "1931年", "東蒲原郡", "両鹿瀬村", "1932年", "ボルト (単位)", "東京電燈", "阿賀野川", "東信電気", "鹿瀬ダム" ]
[ 1631, 1396775, 9740, 30895, 11806, 183, 24580, 827780, 39845, 10969, 1632, 30898, 784476, 1634, 18457, 165848, 45718, 993032, 290154 ]
[ 2535, 4865193, 16086, 55853, 19661, 434, 42534, 2658647, 72366, 18229, 2536, 55856, 2493631, 2538, 30925, 397168, 83441, 3330550, 783541 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
送電線整備の一方、1932年11月に日橋・鹿瀬間の送電線は廃止され猪苗代第一発電所への接続が切られた。1936年3月、伊南川発電所完成に先立ち同発電所と鹿瀬変電所を結ぶ66キロボルト線「伊南川線」が完成。さらに1938年4月には鹿瀬変電所から五泉変電所へ至る66キロボルト線「鹿五線」が実川線とは別途整備された。
[ "1932年", "猪苗代第一発電所", "1936年", "伊南川", "変電所", "ボルト (単位)", "1938年" ]
[ 1634, 1192813, 1638, 300647, 9740, 18457, 1641 ]
[ 2538, 4094085, 2542, 816830, 16086, 30925, 2545 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
その他の主要送電線として、五泉変電所と南蒲原郡見附町(現・見附市)の見附変電所を結ぶ「見附線」、同所と長岡市の東京電灯長岡変電所を結ぶ「長岡線」があった。前者は1927年2月55キロボルト線として整備されたのち1932年11月66キロボルトに昇圧。後者は1926年1月の建設時から66キロボルト線である。
[ "変電所", "南蒲原郡", "見附市", "長岡市", "東京電燈", "1927年", "ボルト (単位)", "1932年", "1926年" ]
[ 9740, 30885, 55828, 466170, 165848, 1628, 18457, 1634, 1627 ]
[ 16086, 55839, 105857, 1360495, 397168, 2532, 30925, 2538, 2531 ]
4,872,673
新潟電力
発電所
1942年4月の日本発送電に対する設備出資では関連する送電線も出資対象となった。範囲は鹿瀬以東で、大川線の一部(大川・鹿瀬間)や実川線の一部(下平・鹿瀬間)のほか鹿瀬変電所に集まる伊南川線・鹿瀬線、赤倉線(赤倉・下平間)、奥川発電所関連3路線、金川発電所関連1路線の9路線からなる。その他、宝坂変電所と鹿瀬変電所も出資された。
[ "1942年", "日本発送電", "変電所", "伊南川", "下平間 (川崎市)" ]
[ 1646, 68203, 9740, 300647, 1311492 ]
[ 2551, 134039, 16086, 816830, 4543157 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
新潟電力の関係会社には新潟電鉄・新潟電気工業・新潟電化の3社があった。
[ "新潟電力", "新潟電気" ]
[ 1398508, 1396775 ]
[ 4872673, 4865193 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
新潟電鉄株式会社は、新潟水力電気専務奥山亀蔵らの発起により中ノ口川沿いに新潟市内白山駅前と西蒲原郡燕町(現・燕市)を結ぶ電気鉄道を敷設すべく1929年6月30日に設立された。当初の社名は「中ノ口電気鉄道株式会社」(1932年6月新潟電鉄へ改称)、資本金は150万円である。設計変更で遅れたが1932年4月より着工し、翌1933年4月北側の東関屋 - 白根間で開業、8月には南側の白根 - 燕間でも開業した。
[ "新潟電力", "中ノ口川", "西蒲原郡", "燕市", "1929年", "6月30日", "1932年", "1933年" ]
[ 1398508, 726036, 30897, 55755, 1630, 3311, 1634, 1635 ]
[ 4872673, 2277535, 55855, 105713, 2534, 5106, 2538, 2539 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
工事中にあたる1931年6月、新潟電力から新潟市内での軌道敷設権を譲り受けた。これは旧新潟電気が新潟駅前と白山駅前を結ぶ路面電車建設のため許可を得ていたものである。敷設権譲渡は現物出資の形が採られており、中ノ口電気鉄道は40万円を増資して新潟電力に対し後配株を交付している。1933年7月、敷設権引継ぎ区間を一部含む県庁前 - 東関屋間が開通し、当初予定の県庁前 - 燕間の路線が全線完成した。その後萬代橋を挟む新潟駅前 - 県庁前間の路面電車敷設が予定されていたものの着工に至らなかった。
[ "1931年", "新潟電力", "新潟電気", "路面電車", "現物出資", "1933年", "新潟駅" ]
[ 1632, 1398508, 1396775, 7536, 17075, 1635, 23425 ]
[ 2536, 4872673, 4865193, 12583, 28449, 2539, 40470 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
新潟電力解散後の1943年12月、新潟電鉄はバス事業者の新潟合同自動車と合併し新潟交通株式会社となった。
[ "新潟電力", "1943年", "新潟交通" ]
[ 1398508, 1647, 54429 ]
[ 4872673, 2552, 102687 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
余剰電力消化を目的とする関係会社の一つに新潟電気工業株式会社がある。同社は1926年2月1日資本金2万5000円で設立され、新潟市沼垂字上王瀬に工場を設置の上、電気炉による炭化カルシウム(カーバイド)製造を行った。
[ "新潟電気", "1926年", "新潟市", "炭化カルシウム" ]
[ 1396775, 1627, 11806, 331888 ]
[ 4865193, 2531, 19661, 912670 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
1943年、瀬賀金次に株式を買収される。戦後は溶解アセチレンの製造にも進んだが1962年(昭和37年)にカーバイド用電気炉の一部をフェロアロイ(合金鉄)製造に転換する。しかし新潟地震とカーバイド需要減の影響で経営難に陥り、1966年(昭和41年)になって三井物産・第四銀行の支援を受けて新会社・株式会社新潟電工へと移行した。
[ "1943年", "1962年", "昭和", "フェロアロイ", "新潟地震", "1966年", "三井物産", "第四銀行" ]
[ 1647, 1224, 1115, 221953, 59699, 1220, 71837, 28930 ]
[ 2552, 1932, 1789, 567352, 114830, 1928, 142433, 51810 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
新潟電化株式会社も新潟電気工業同様の電力消化を目的とする関係会社であり、1933年11月13日、資本金10万円で設立された。工場を新潟市山ノ下に構え、電気炉によってフェロアロイ(フェロシリコン・フェロマンガン)の製造にあたった。
[ "新潟電気", "1933年", "新潟市", "フェロアロイ" ]
[ 1396775, 1635, 11806, 221953 ]
[ 4865193, 2539, 19661, 567352 ]
4,872,673
新潟電力
関係会社
1943年12月、新潟電化の事業は新潟市内でフェロアロイ工場(新潟電気製鉄所)を営む日本鋼管へと買収され、電気炉3基は同社工場へと移設された。
[ "1943年", "フェロアロイ", "新潟電気" ]
[ 1647, 221953, 1396775 ]
[ 2552, 567352, 4865193 ]
4,872,676
極楽寺 (大阪市福島区)
null
極楽寺(ごくらくじ)は、大阪府大阪市福島区玉川に位置する真宗大谷派の寺院である。山号は清浄山。本尊は阿弥陀如来。
[ "大阪府", "大阪市", "福島区", "真宗大谷派", "寺院", "山号", "本尊", "阿弥陀如来" ]
[ 160159, 185183, 23514, 25980, 7958, 159120, 60288, 6405 ]
[ 382164, 453369, 40592, 45573, 13275, 379034, 116184, 10425 ]
4,872,676
極楽寺 (大阪市福島区)
歴史
1674年(延宝2年)に本願寺が東西で分裂することになったため、円満寺から枝分かれして創建された。そのため真宗大谷派の「野田御坊」と呼ばれている。
[ "1674年", "延宝", "真宗大谷派" ]
[ 8434, 27704, 25980 ]
[ 14030, 49015, 45573 ]
4,872,676
極楽寺 (大阪市福島区)
歴史
境内にはかつて証如がこの地である野田村を訪れた際に敵方に狙われ、証如を守るために戦って命を落とした野田村の21人の墓である「21人討死之墓」が建立されている。また山門前には野田城址の碑が建立している。
[ "証如" ]
[ 68273 ]
[ 134261 ]
4,872,689
極楽寺 (徳島県美波町)
null
極楽寺(ごくらくじ)は、徳島県海部郡美波町に位置する高野山真言宗の寺院である。山号は海見山。本尊は大日如来。
[ "徳島県", "美波町", "高野山真言宗", "寺院", "山号", "本尊", "大日如来" ]
[ 174, 161443, 58346, 7958, 159120, 60288, 29432 ]
[ 411, 385733, 111582, 13275, 379034, 116184, 52720 ]
4,872,689
極楽寺 (徳島県美波町)
歴史
1680年(延宝8年)に宥増によって創建。明神山の麓である伊座利地区に位置し、目の前には太平洋が見渡せる。
[ "1680年", "延宝", "太平洋" ]
[ 7201, 27704, 3442 ]
[ 11939, 49015, 5330 ]
4,872,689
極楽寺 (徳島県美波町)
歴史
境内には樹齢が200年以上のソテツがあり、かつては8月13日に境内で盆踊りが催されていた。
[ "盆踊り" ]
[ 8521 ]
[ 14162 ]
4,872,698
ジャンヌの裁き
null
『ジャンヌの裁き』(ジャンヌのさばき)は、2024年1月12日からテレビ東京系「ドラマ8」枠にて放送予定のテレビドラマ。主演は玉木宏。
[ "ジャンヌの裁き", "2024年", "テレビ東京", "テレビドラマ", "玉木宏" ]
[ 1398512, 7870, 1310157, 15607, 887654 ]
[ 4872698, 13132, 4537714, 25910, 2885714 ]
4,872,700
実相寺 (徳島市)
null
実相寺(じっそうじ)は、徳島県徳島市城南町にある浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。
[ "徳島県", "徳島市", "浄土宗", "寺院", "本尊", "阿弥陀如来" ]
[ 174, 259995, 7287, 7958, 60288, 6405 ]
[ 411, 691347, 12102, 13275, 116184, 10425 ]
4,872,700
実相寺 (徳島市)
歴史
創建年は不詳。眉山の麓にあり、東側の勢見山の麓にはかつては末寺の無縁寺があった。現在は無縁寺は焼香庵となっており、徳島県に妖怪伝説として伝わるオッパショ石が存在する。
[ "勢見山", "焼香庵", "徳島県", "妖怪" ]
[ 754345, 1077761, 174, 31153 ]
[ 2381466, 3687286, 411, 56299 ]
4,872,700
実相寺 (徳島市)
歴史
また実相寺の境内には書家の富永眉峰と画家の井川鳴門の墓がある。
[ "画家" ]
[ 2649 ]
[ 4194 ]
4,872,701
イスタンブール運河
null
イスタンブール運河はトルコで建設中の運河である。ボスポラス海峡と並行して、イスタンブールのヨーロッパ側を2分する形で運河を建設して黒海とマルマラ海を結ぶ。延長約45km、幅275メートル、深さ20.75メートル。2021年6月に、エルドアン大統領が列席して運河に掛かる橋の起工式が行われた。
[ "イスタンブール", "ボスポラス海峡", "ヨーロッパ", "マルマラ海", "2021年", "レジェップ・タイイップ・エルドアン" ]
[ 11715, 28657, 7, 11724, 7868, 71662 ]
[ 19527, 51240, 32, 19542, 13130, 142040 ]
4,872,705
水上篤
null
水上 篤(みずかみ あつし、1978年〈昭和53年〉6月8日 - )は、日本の実業家・著作家(書籍・動画)・投資家・発明家・農業経営者。山梨県山梨市出身。
[ "1978年", "昭和", "日本", "実業家", "発明家", "山梨県", "山梨市" ]
[ 641550, 1115, 1384029, 40206, 82072, 187, 76697 ]
[ 1976938, 1789, 4821051, 72975, 166099, 448, 153137 ]
4,872,705
水上篤
略歴
大学を卒業し、C+A(Coelacanth and Associates)での勤務を経て、26歳でアメリカのニューヨークに渡る。そこで[Rafael Viñoly Architectsという著名な建築設計事務所での経験を積みつつ、2007年には自らのビジョンを追求するために自身の会社を立ち上げる。 ニューヨークでの生活は自分自身の考え方や哲学に深い影響を与え、リトリートでワークバランスや人生の時間の使い方の大切さを再認識。お金だけでは幸せになれないと気づき、ヒントは生まれ故郷での「農業」にあると思い日本へと帰国。 帰国当初は、耕作放棄地などを少しずつ買い、いろいろな農作物を作るところから始める。そして、2009年にぶどう観光農園をリニューアルスタートさせ、更なる飛躍を目指して2010年に農業生産法人株式会社hototoを設立。 関東で最大の週末農業スクールhototoもスタートさせ、卒業生は既に750名以上。 無農薬野菜の育て方や加工品、そして建築の指導にも尽力し、多くの人々に健康で豊かな生活を提案している。 その後も、2014年には郷土料理店「完熟屋」、2015年には子供たちの創造性を育む造形教室「きりんぐみ」をオープン。 そして、2021年にはその多岐にわたる活動が認められ、山梨県立大学の特任教授に就任。 現在、自分と同じように、経済的にも精神的にも自由な生活を手に入れることができる「農FIRE」を多くの人にも実現して欲しいという思いから「農FIREスクール」を開講している。 その他に、日本テレビ、NHK、テレビ朝日、山梨放送などのメディア出演や、全国での講演、高校や市町村での授業もおこなっている。
[ "建築設計事務所", "2007年", "日本", "耕作放棄地", "2009年", "観光農園", "2010年", "農業法人", "農薬", "野菜", "2014年", "郷土料理", "2015年", "2021年", "山梨県立大学", "教授", "日本テレビ放送網", "テレビ朝日", "山梨放送" ]
[ 165203, 382272, 1384029, 643367, 1215, 237558, 663972, 591618, 23690, 1870, 6812, 381545, 7882, 7868, 103119, 407405, 1852, 416797, 25202 ]
[ 395558, 1069779, 4821051, 1982981, 1917, 619790, 2053712, 1804774, 40852, 2915, 11183, 1067444, 13144, 13130, 218709, 1153243, 2882, 1187903, 43764 ]
4,872,711
在ジャマイカ日本国大使館
null
在ジャマイカ日本国大使館(英語: Embassy of Japan in Jamaica)は、ジャマイカの首都キングストンにある日本の大使館。
[ "在ジャマイカ日本国大使館", "日本" ]
[ 1398516, 1384029 ]
[ 4872711, 4821051 ]
4,872,711
在ジャマイカ日本国大使館
null
ジャマイカに加えて、バハマとベリーズも兼轄している。
[ "バハマ" ]
[ 22365 ]
[ 38579 ]
4,872,711
在ジャマイカ日本国大使館
住所
NCB Towers, North Tower, 6th Floor, 2 Oxford Road, Kingston 5
[]
[]
[]
4,872,719
キム・ジョンヒョク
null
キム・ジョンヒョク(朝鮮語: 김종혁、英語: KIM Jong-Hyeok、1983年3月31日 - )は韓国のサッカー審判員。2009年から国際サッカー連盟 (FIFA) に国際審判員として登録されている。
[ "朝鮮語", "1983年", "3月31日", "審判員 (サッカー)", "2009年", "国際サッカー連盟" ]
[ 4857, 628111, 3012, 102910, 1215, 7394 ]
[ 7630, 1931420, 4725, 218145, 1917, 12306 ]
4,872,719
キム・ジョンヒョク
来歴
学生時代はサッカー選手として活動していたが、前十字靭帯断裂の大怪我を負ったことで選手生活を断念、審判の道へと進む。
[]
[]
[]
4,872,719
キム・ジョンヒョク
来歴
2009年からKリーグで専任審判員となると共に、大韓サッカー協会 (KFA) によりFIFA国際審判員リストに登録。東アジアサッカー選手権2010にて国際大会デビューを果たす。2013年からはAFCチャンピオンズリーグでも主審を務めており、2015年大会の決勝では1stレグで主審を務めた。
[ "2009年", "大韓サッカー協会", "FIFA国際審判員リスト", "東アジアサッカー選手権2010", "2013年", "AFCチャンピオンズリーグ" ]
[ 1215, 167016, 1276800, 605940, 7824, 30348 ]
[ 1917, 401202, 4420467, 1854566, 13068, 54485 ]
4,872,719
キム・ジョンヒョク
来歴
韓国では最も評価の高い主審の一人で2018 FIFAワールドカップの審判団の有力候補だったが、健康状態の悪化に伴い派遣が見送られた。
[ "2018 FIFAワールドカップ" ]
[ 231483 ]
[ 599360 ]
4,872,748
N.Y.の弁慶
null
『N.Y.の弁慶』(にゅーよーくのべんけい)は、毛利甚八の原作を谷口ジローが作画した日本の漫画作品である。
[ "毛利甚八", "谷口ジロー", "日本", "漫画" ]
[ 593644, 65059, 1384029, 571599 ]
[ 1812089, 127070, 4821051, 1737920 ]
4,872,748
N.Y.の弁慶
概説
谷口ジローによる最後のハードボイルド作品とされている。物語の舞台となった米国で、高く評価されている。その米国では、先ず雑誌で連載され、その後に単行本が発行された。
[ "谷口ジロー" ]
[ 65059 ]
[ 127070 ]
4,872,748
N.Y.の弁慶
あらすじ
ニューヨークを舞台に「弁慶」と呼ばれる謎の東洋人が仇討ち代行人として暗躍する。
[]
[]
[]
4,872,748
N.Y.の弁慶
初出
『ビッグコミックオリジナル』第18巻第24号(1991年10月28日増刊(10)号)から第19巻第15号(1992年6月28日増刊(6)号)までの各号に掲載された。
[ "ビッグコミックオリジナル", "1991年", "1992年" ]
[ 20295, 454937, 463599 ]
[ 35278, 1318700, 1349811 ]
4,872,748
N.Y.の弁慶
単行本
英語のほか、中国語、ドイツ語及びフランス語に翻訳された。
[ "中国語", "ドイツ語", "フランス語" ]
[ 3662, 2451, 35 ]
[ 5698, 3870, 90 ]
4,872,770
捜索者 (漫画)
null
『捜索者』(そうさくしゃ)は、日本国の漫画家、 谷口ジローの漫画作品である。
[ "捜索者", "日本", "漫画家", "谷口ジロー", "漫画" ]
[ 516173, 1384029, 441064, 65059, 571599 ]
[ 1557550, 4821051, 1270848, 127070, 1737920 ]
4,872,770
捜索者 (漫画)
あらすじ
志賀岳史は、亡き親友の娘が失踪したという連絡を受け、親友との約束を守るため東京へ向かった。
[]
[]
[]
4,872,770
捜索者 (漫画)
初出
『ビッグコミック』第32巻第11号(1999年5月10日(9)号)から第31巻第27号(1999年11月10日(21)号)までの各号に掲載された。
[ "ビッグコミック", "1999年" ]
[ 21234, 958 ]
[ 36804, 1548 ]
4,872,770
捜索者 (漫画)
単行本
中国語のほか、スペイン語、ドイツ語、英語、ポーランド語、ポーランド語及びフランス語に翻訳された。
[ "中国語", "スペイン語", "ドイツ語", "ポーランド語", "フランス語" ]
[ 3662, 37, 2451, 15119, 35 ]
[ 5698, 92, 3870, 25175, 90 ]
4,872,781
ピーテル・ポッテル
null
ピーテル・シモンスゾーン・ポッテル(Pieter Symonsz. Potter、1597年4月18日頃 - 1652年10月4日)は、オランダの画家、版画家、ステンドグラス作家、工芸家である。
[ "1597年", "1652年", "画家", "版画家", "ステンドグラス" ]
[ 2849, 8660, 2649, 87752, 68796 ]
[ 4473, 14395, 4194, 180133, 135580 ]
4,872,781
ピーテル・ポッテル
略歴
オランダ西部、エンクホイゼンでガラス工芸家の息子に生まれた。
[ "エンクホイゼン", "ガラス工芸" ]
[ 708751, 257770 ]
[ 2217645, 684021 ]
4,872,781
ピーテル・ポッテル
略歴
父親から技術を学び、ステンドグラス制作者としてエンクホイゼンで働くようになった。ウィレム・バルツィウス(Willem Bartsius: 1612-1657)というエンクホイゼンの画家の姉と結婚し、1925年に画家になった息子のパウルス・ポッテル(1625-1654)が生まれた。1628年から1631年の間はライデンで、職人組合に入会し、1629年には組合長を務めた。静物画家のヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘームと親しくなり、その息子のコルネリス・デ・ヘーム(c.1631-1695)の洗礼式の立会人を務めている。1631年にアムステルダムに移り、その後も家族とデルフトなどいろいろな町で働き、息子のパウルス・ポッテルは1647年にデン・ハーグの聖ルカ組合の会員になっている。
[ "ステンドグラス", "エンクホイゼン", "画家", "1925年", "パウルス・ポッテル", "1628年", "1631年", "1629年", "ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム", "デルフト", "1647年", "デン・ハーグ", "聖ルカ組合" ]
[ 68796, 708751, 2649, 1626, 488228, 8262, 8622, 7663, 780242, 45857, 19648, 82062, 590710 ]
[ 135580, 2217645, 4194, 2530, 1452201, 13778, 14298, 12804, 2478961, 83695, 33987, 166079, 1801700 ]
4,872,781
ピーテル・ポッテル
略歴
風俗画を描いたアムステルダムの画家アントニー・パラメデスゾーン(1602-1673)やレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)と同時代の画家で、同じような雰囲気の風俗画を描いたことで知られている。
[ "風俗画", "画家", "アントニー・パラメデスゾーン", "レンブラント・ファン・レイン" ]
[ 496503, 2649, 1366009, 1456 ]
[ 1484691, 4194, 4757050, 2249 ]
4,872,781
ピーテル・ポッテル
略歴
1652年にアムステルダムで亡くなった。息子のパウルス・ポッテル以外に弟子がいたかどうかは知られていない。
[ "1652年", "パウルス・ポッテル" ]
[ 8660, 488228 ]
[ 14395, 1452201 ]
4,872,784
メディアウィズ
null
株式会社メディアウィズ(Media With, inc.)は、オウンドメディアの運営・運営代行や投資家向け支援ツールの開発・提供および広告関連事業を行っている企業。
[ "オウンドメディア" ]
[ 1055448 ]
[ 3583620 ]
4,872,784
メディアウィズ
null
代表取締役も投資家であることから自社メディア、開発ツールなどは主に投資家向けである。
[ "代表取締役" ]
[ 76570 ]
[ 152918 ]
4,872,784
メディアウィズ
主な開発・提供サービス
海外FXジャーナル - 海外FX専門の情報サイト
[]
[]
[]
4,872,784
メディアウィズ
主な開発・提供サービス
税金計算ツール - 国内FX・海外FX対応の税金計算シミュレーションツール
[]
[]
[]
4,872,784
メディアウィズ
関連企業
株式会社グローバル・ファイナンス
[]
[]
[]
4,872,786
童浦村
null
童浦村(どうほむら)は、愛知県渥美郡にあった村。現在の田原市の一部にあたる。
[ "童浦村", "愛知県", "渥美郡", "田原市" ]
[ 1398522, 338859, 21562, 8156 ]
[ 4872786, 934064, 37331, 13595 ]
4,872,786
童浦村
地理
汐川河口の左岸に位置していた。
[]
[]
[]
4,872,786
童浦村
歴史
平安時代に付近の入江が童(わらべ)の浦と称され、それが変形したもの。
[ "平安時代" ]
[ 450414 ]
[ 1302925 ]
4,872,790
エルンスト・フォン・アスター
null
エルンスト・フォン・アスター(Ernst Von Aster、1880年2月18日 - 1948年10月22日)は、ドイツの哲学者である。ベルリン出身。
[ "1880年", "1948年", "ベルリン" ]
[ 2961, 1652, 640974 ]
[ 4653, 2557, 1974854 ]