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綾小路きみまろ
綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、1950年12月9日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。本名:假屋 美尋(かりや よしひろ)。 鹿児島県曽於郡松山町(現・志布志市)出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有(鍼灸師は保有していない)。現在の家族構成は本人、5歳年下の弟、妻、子供3人。父親は1997年、自身が40代後半の時に亡くなったが、生前は馬の種付けや農業をしていた傍ら、戦時中は徴兵されて戦地に出向いた事もある。 鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。 鈴々舎馬風一門として「落語協会」会員である(ブレイク以後、寄席に出演することはほとんどないが、籍を置き続けている)。また、歌謡ショーの司会者統括団体である『日本司会芸能協会』の理事も務めた。現在は顧問。 芸風は立川談志、上岡龍太郎、ビートたけし、毒蝮三太夫等によって確立された毒舌漫談というジャンルであるが、中高年世代が持つ人生の悲哀をユーモラスに語るのが特徴で、とりわけ中高年(メインは1940年代後半以降のいわゆる団塊世代。なお、きみまろ自身も1950年生まれの為、団塊世代にあたる)に人気が高いため「中高年のアイドル」とも言われる。しかし本人は「毒蝮三太夫さんの様に『クソババア』とは言えない」と述べている(漫談の基本スタイルやきみまろ自身がいつも口にしているセリフについては#きみまろの漫談スタイル・傾向を参照の事)。きみまろ自身、50歳を超えてようやくブレイクした事から、「遅咲き」と自負している。 山梨県南都留郡富士河口湖町に別荘「きみまろ亭」を持つ。別荘ではあるが、自身の自宅である。2003年に第一生命主催の「サラリーマン川柳」からの盗用を認め謝罪した。一時のブーム沈静化後にはテレビ出演する機会が減ったが、地方では1日に2回公演・3回公演と精力的に営業を行ない、2004年、山梨県の長者番付で2位となる。同年に清水國明とともに、富士河口湖町の特別町民の第1号として表彰された。 カツラを使用している事をマスメディアで自ら打ち明け、本人もカツラ(ヘアピース)を認めている。揉みあげは地毛で、あとは「ズッポリ」だという。また、髪を後ろで束ねている部分については、下半分が地毛で上半分がカツラの髪であると『SmaSTATION!!』で香取慎吾に明かしており、これは万が一のときにカツラが完全に取れてしまわないようにするためである。 痛風・高血圧・睡眠時無呼吸症候群の持病がある事も自身の著書で度々公開している。 趣味は農作業、草むしり、ジョギング、骨董品の収集。 なお20代の時に結婚していた前妻との息子は、灘中学校・高等学校から東大理IIIを卒業し、東京大学大学院医学系研究科に在籍している。 2007年11月現在、単行本47万部・文庫本94万部、総計141万部を販売 その他、2008年9月19日より『週刊ポスト』(小学館)誌上において、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』を連載中。人気を博している。
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綾小路 きみまろは、日本の漫談家、お笑いタレント。本名:假屋 美尋。
{{Infobox お笑い芸人 | 名前 = 綾小路きみまろ | 画像 = | キャプション = | 本名 = 假屋 美尋<ref name="nichigai" />(かりや よしひろ) | ニックネーム = まろ、まろ様、ウィリアム、中高年のアイドル | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1950|12|9}} | 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|yyyy|mm|dd|yyyy|mm|dd}} --> | 出身地 = {{JPN}}・[[鹿児島県]][[曽於郡]][[松山町 (鹿児島県)|松山町]]<br />(現・鹿児島県[[志布志市]]) | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]] | 身長 = 165[[センチメートル|cm]] | 方言 = | 最終学歴 = | 師匠 = 5代目[[鈴々舎馬風]] | 出身 = | コンビ名 = | トリオ名 = | グループ名 = | 相方 = | 芸風 = 毒舌漫談 | 立ち位置 = | 事務所 = | 活動時期 = 1979年 - | 同期 = | 現在の代表番組 = | 過去の代表番組 = | 作品 = | 他の活動 = 落語協会会員、日本司会芸能協会理事 | 配偶者 = 既婚 | 親族 = | 弟子 = | 公式サイト = | 受賞歴 = }} '''綾小路 きみまろ'''(あやのこうじ きみまろ、[[1950年]][[12月9日]]<ref name="nichigai">{{Cite book|和書|title=テレビ・タレント人名事典(第6版) |publisher=日外アソシエーツ |date=2004年6月 |page=53 |isbn=978-4-8169-1852-0}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫談]]家、[[お笑いタレント]]。本名:假屋 美尋(かりや よしひろ)<ref name="nichigai" />。 == 人物 == [[鹿児島県]][[曽於郡]][[松山町 (鹿児島県)|松山町]](現・[[志布志市]])出身。[[鈴々舎馬風|5代目鈴々舎馬風]]門下。[[あん摩マッサージ指圧師]]の国家資格を保有(鍼灸師は保有していない)<ref 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[[山梨県]][[南都留郡]][[富士河口湖町]]に別荘「きみまろ亭」を持つ。別荘ではあるが、自身の自宅である。2003年に[[第一生命保険|第一生命]]主催の「[[サラリーマン川柳]]」からの盗用を認め謝罪した。一時のブーム沈静化後にはテレビ出演する機会が減ったが、地方では1日に2回公演・3回公演と精力的に営業を行ない、2004年、山梨県の長者番付で2位となる。同年に[[清水國明]]とともに、富士河口湖町の特別町民の第1号として表彰された。 [[かつら (装身具)|カツラ]]を使用している事を[[マスメディア]]で自ら打ち明け、本人もカツラ(ヘアピース)を認めている。揉みあげは地毛で、あとは「ズッポリ」だという。また、髪を後ろで束ねている部分については、下半分が地毛で上半分がカツラの髪であると『[[SmaSTATION!!]]』で[[香取慎吾]]に明かしており、これは万が一のときにカツラが完全に取れてしまわないようにするためである。 痛風・高血圧・[[睡眠時無呼吸症候群]]の持病がある事も自身の著書で度々公開している。 趣味は農作業、草むしり、ジョギング、骨董品の収集。 {{要出典範囲|なお20代の時に結婚していた前妻との息子は、[[灘中学校・高等学校]]から[[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東大理Ⅲ]]を卒業し、東京大学大学院医学系研究科に在籍している。|date=2023年10月16日 (月) 07:08 (UTC)}} == 来歴 == * [[1969年]] ** 司会者を目指す為上京。父親からは餞別の1万円しか貰えず、その金で夜行列車に乗り上京したという。新聞販売店で働きながら1年浪人した後、[[1970年]]に[[拓殖大学]]に入学。たまたま配達先の病院に[[足立区]][[梅島 (足立区)|梅島]]で[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]を営む患者が入院しており、専属司会として雇われる。その後[[新宿区]]にあるキャバレーに移り、また同区[[四谷|四ッ谷]]にあるマッサージ師養成学校で資格をとる。同区[[歌舞伎町]]のキャバレーで、[[春日八郎]]、[[殿様キングス|殿さまキングス]]、[[ツービート]]、[[ディックミネ]]、[[淡谷のり子]]、[[ケーシー高峰]]と出会う。 * [[1979年]] ** 司会業を辞め、[[日本劇場|日劇]]より漫談家としてデビュー。同郷の[[森進一]]や、[[小林幸子]]、[[伍代夏子]]などの[[演奏会|コンサート]]の司会を務める。この頃から[[サービスエリア]]で休息中の[[観光バス]]に自作の漫談テープを配布しており、主に自宅を新築した[[山梨県]]内や[[静岡県]]の[[御殿場市]]周辺で配布していた。 ** 芸名は[[ポール牧]]がコントで使っていた架空の名前を無断で借用(後に牧本人から使用を許される)。長い下積み時代に1年間だけ「山本一貴」と芸名を変えた事があるが、彼自身はこの1年間を抹消したいとのこと。また、本名をもじった「狩屋きみまろ」と名乗った時期もある<ref group="注">この時期に『[[タモリ倶楽部]]』に取り上げられたが、その時点ではブレイクならず</ref>。 * [[1989年]] ** 『[[ザ・テレビ演芸]]』の「とびだせ笑いのニュースター・10週勝ち抜き戦」コーナーに「まろ」名義で出場するも、王者のお笑いコンビ・ARARAに2-3で敗れる。 * [[1993年]] ** 「きみまろ」名義で[[ワーナーミュージック・ジャパン]]より「ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜」(B面『なげきのブルース』)で[[コンパクトディスク|CD]]デビュー。漫談でありながら曲調は[[トランス (音楽)|トランス]]という斬新的な企画ではあったがこの時点ではまだ脚光を浴びる事は無かった(12年後の2005年に「きみまろトランス」で同じコンセプトのCDをリリースしている)。 * [[1994年]](狩屋きみまろ時代) ** 『[[はぐれ刑事純情派]]』part7(テレビ朝日)第18話「みちのく温泉郷白い手袋の女」(1994年8月3日放送、小林幸子がメインゲストの回)に、殺害された芸能プロダクション会社の社長役で出演。 * [[2002年]] ** 漫談CD・[[カセットテープ]]『爆笑スーパーライブ第1弾! 中高年に愛をこめて...』のリリースにより注目を浴びる。 ** 独演会の様子を書籍化。 * [[2003年]] ** 「[[サラリーマン川柳]]」からの盗用が発覚し、謝罪会見を行う。 ** 第17回[[日本ゴールドディスク大賞]]で企画・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** 各種[[DVD]]・書籍の発売。 ** 『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』に半年間レギュラー出演(隔週火曜日)。 ** [[第54回NHK紅白歌合戦]]に白組の応援ゲストとして出演。漫談を披露<ref group="注">当時のきみまろのファッションは赤毛のカツラに白の背広、そして[[日の丸]]マークの扇子。また、きみまろは当時、最後に赤毛のカツラを外すというオチで締めくくっていた(ただし、本人の性格に配慮して素の状態は頭に白い布を巻いていた)。</ref>。 * [[2004年]] ** 漫談『交通安全漫談』をリリース。第41回[[ゴールデン・アロー賞]]「話題賞」を受賞。 * [[2005年]] ** 『きみまろトランス』をリリース。[[第47回日本レコード大賞]]「企画賞」を受賞。 ** 「[[第56回NHK紅白歌合戦]]」にゲスト出演。 * [[2007年]] ** [[ニンテンドーDS]]ソフト『毎日が楽しい!綾小路きみまろのハッピー手帳』をリリース。 * [[2008年]] ** 『[[スタジオパークからこんにちは]]』にゲスト出演。 ** 9月19日発売『[[週刊ポスト]]』10/03日号([[小学館]])より、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』連載開始(現在も連載中) * [[2009年]] ** [[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]](2011年度からは[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])の『[[ごきげん歌謡笑劇団]]』にレギュラー出演。2012年3月まで番組進行を務めた。 * [[2010年]] ** 『[[第61回NHK紅白歌合戦]]』にゲスト出演(森進一、[[天童よしみ]]の曲紹介)。 * [[2012年]] ** [[テレビ朝日]]『笑わせます聴かせます [[まろまろ一笑懸命]]』を9月17日、[[2013年]]5月26日、[[2015年]]1月4日と、綾小路しんまろ([[香取慎吾]])との共同司会で番組進行をする。 * [[2014年]] ** [[テレビ大阪]]『[[綾小路きみまろの人生ひまつぶし]]』で初のレギュラー[[冠番組]]司会。 <!--== エピソード ・私生活 == {{出典の明記|section=1|date=2010年8月}} * 現在の家族構成は本人、母、5歳下の弟が一人、妻、子供3人。家族は一般人の為氏名は公表していない。なお、子供3人の内、一人は[[東京大学]][[医学部]]出身、妻は東京都内出身。 * 父([[1918年]]-[[1997年]]、故人)は馬の[[種付け]]の仕事をしており、戦時中は[[徴兵]]されて戦地に出向いた事もある<ref>父は[[日中戦争]]の時徴兵され、向かった戦地が[[中国]]だった。馬の種付けの仕事の他、一時期[[福岡県]]の[[小倉]]で兵器工場に勤務していた事があった。馬の種付けだけでは生活が成り立たない為、農業も同時に兼ねていた。</ref>。戦後も引き続き馬の種付けの仕事を続けていた中、[[自衛隊]]からスカウトが来たものの、スカウトを突っ撥ねた事がある。晩年も農作業等を続けていたが、1997年に耕耘機の事故の為死去。本人の父の生い立ちは2010年8月放送のNHK「[[ファミリーヒストリー]]」において全貌が公開されている。 * 幼少時代から[[司会]]者を志しており、毎日の様に[[ドラマ]]等の[[ナレーター]]や、[[市場]]の[[セリ]]等の[[物真似]]をやっていた。それに対して両親は「バカじゃないのか?」「頭がおかしいんじゃないか?」と疑っていた。 * 父が[[選挙]]の応援演説で熱弁を振るっていた影響から、高校時代、3年間連続弁論大会に出場していた。高校卒業後は「司会者を目指す為に上京する」と決めていたが、当時地元のスーパーや工場、郵便局等しか就職先が無い中で、現実的には「司会者になるには大学を出ていないとなれない」という事で1年[[浪人]]して[[拓殖大学]]に進学した。 * 高校卒業後、上京する際、父からは1万円しか貰えず、その1万円を持って夜行列車「[[高千穂]]」に乗って上京したという。 * [[拓殖大学]]在学中は未明の[[新聞配達]]と深夜の[[キャバレー]]のバイトを掛け持ちしていた。 * ブレイク前の1995年から1996年頃、[[高速道路]]の[[サービスエリア]]で自作のカセットテープを配っていたところ、サービスエリアの係員に「何やってんだお前は! お前勝手に物を売るな!」と怒られた事がある。それに対しきみまろは「いや、売ってるんじゃないんです。タダで(漫談のテープを)配ってるんです」と弁解していた。そのテープは妻が徹夜で録音していたものである。[[山梨県|きみまろが生活している地域]]では当時、[[オウム真理教]]のメンバーらによる[[オウム真理教事件|一連の事件]]で厳戒態勢が敷かれていた事もあってか、係員からは「[[宗教]]の勧誘テープでも配ってんじゃないのか」と奇異の目で見られた事もあり、時には係員に事務所まで連れて行かれて尋問された事もあった。その反面、サービスエリアの係員とは仲良くなった事もあったり、あるバスガイドからは「タダで貰ったテープをバス内で流した所、客からは大変好評を受けた」事がきっかけで本人のブレイクへと繋がっている。また、当時はカセットテープの販促葉書に「笑って転げて40分」のフレーズと共にきみまろの[[女形]]を掲載していた事もあった<ref>だが、販促葉書を配る事でマネージャーから「販促葉書を配るのは止めて欲しい」と諭された事もあった。</ref>。 * 下積み時代、地方での仕事が入った場合等、金が無い為にホテル等の宿泊料金が勿体無いという理由で市街地の路上で車中泊していて警察官から[[職務質問]]された事もあったと言う。その反面、職務質問の警察官と仲良くなって遣り取りを楽しんでいた事もあり、きみまろ自身も「売れない時代は警察官が友達の様な存在だった」と述懐している。 * キャバレーで司会をしていた時、きみまろ自身がキャバレーのホステス目当ての客に対し抗議が来ても仕方の無いフレーズを掛けた事から、[[カタギ]]では無い様な人物から脅されて[[白菜]]の[[漬物]]を投げ付けられ、背広に付いた跡形が暫く消えなかった事もあった。 * 学生時代は[[柔道]]をやっていて、[[段級位制#柔道|初段]]。 * 少年時代は実家が相当貧しかった為、習い事は何もしておらず、本人曰く「学校で習った[[算盤]]位」だったとの事。高校受験の願書に資格や特技を記入する欄に「算盤7級」と記入した所、担任の教師に呼び出されて「7級は資格の内に入らないから消去する」と言われた事もあった。 * 鹿児島の実家には母親が今でも暮らしており、その事についてきみまろは「鹿児島に母親を一人残しているのはとても不憫だから母親を東京に連れてきて一緒に住む」と言っているが母親は言う事を聞いておらず、鹿児島から出たくないと主張している。その母は挨拶に非常に厳しく、きみまろが帰省したと同時に「挨拶回りに行って来い」と、すぐ挨拶回りを強制し、「通りすがりの人にも挨拶しろ」と教育されていた事を自身の書籍等で公開しているが、きみまろはその事に関しては不服と感じている様で、「俺は挨拶回りの為に帰郷したのでは無い」等と、母親とケンカになる事もままある。 * 実家は[[携帯電話]]や[[テレビ]]放送の電波の受信もままならない程のかなりの[[過疎地]]にあり、本人曰く「私が故郷に住んでいた頃は3階以上の建物は見た事が無かった」との事。 * かなりの田舎町で育った為か、少年時代は家族が所有している畑で野菜を作って食べたり、きみまろ自身も川で魚やカニ等を釣ったり捕まえたりして食べたり、また、山地で父親が獲ってきた鳥獣類を食べたりする等、自給自足の食生活をしていた。 * ネタで使っている「父親が[[痛風]]、母親が糖尿のハーフ」というフレーズがあるが、自身も痛風の持病があり(本人によると45歳辺りから患っているとの事)、肉料理を食べられなくなり、旅先等で隠れて肉料理を食べるとすぐ足先がピリピリと痺れるという。本人曰く「皮肉な事に私の名が売れる様になってから痛風を患う様になり、肉料理が食べられなくなった」そうである。痛風を患っている為、食事も野菜料理が中心で、本人曰く「[[精進料理]]の様な生活を送っている」との事。 * 痛風のみならず、[[高血圧]]や[[睡眠時無呼吸症候群]]も患っており、その他、高校時代まで[[夜尿症]]を患っていた。高校時代まで続いていた夜尿症については、母親から毎朝蹴られたり、弟とケンカすると苛められたりしていた他、実家は布団一式を買う事も大変な程貧しかった為、濡れたままで臭いの漂う真綿の布団に寝せられていた<ref>2004年発行の自身の著書「きみまろ!―爆笑毒舌『ネタ帳』150連発!」より判明。掛け布団どころか、[[畳]]ですらも台無しにしてしまう程可也重症だったとの事で、本人もこの体験をした事を自身の原点だと述べている。</ref>。睡眠時無呼吸症候群については、きみまろ自身が昼間起きている時や自動車を運転している時に、目を開けたまま眠ってしまう事がある為である。また、高血圧についてもきみまろ自身、舞台ではずっと立ちっ放しという事もあってか、公演中によろけて意識が朦朧とする事がある為である。 * 趣味は農作業、[[骨董品]]の収集、[[草むしり]]、[[ジョギング]]。骨董品の収集は入手するまでの過程に魅力を感じている。ジョギングはきみまろが自分の健康維持の為にしている事で、本人曰く「本格的に運動するのは高校時代の柔道部以来」との事。その他、[[神社]]や[[寺]]を見物する事も好き。農作業に関しては、きみまろ曰く「年を重ねる毎に農作業の楽しさや喜びが分かる様になってきた」との事<ref>農作業の様子は自身の著書でその写真を掲載した事がある。</ref>。 * カツラを使用する様になったきっかけは1998年頃に開かれた中学校の同窓会で当時の担任から「君、私より髪の毛が少なくなったね」と言われショックだった事である。カツラについて「カツラは夏場は蒸れるんです。[[おしめ]]を被っている様です。」と述べている。また、客からカツラを取ってみてと言われると非常に機嫌が悪くなる。本人曰く「カツラを取って見せる位なら被らない。カツラを取る事はパンツを脱ぐより恥ずかしい」との事。また、きみまろは40代前半辺りから薄毛に悩まされており、人から「ツルツル」という言葉を聞いただけでも機嫌が悪くなる。 * 哲学は「人間なんておしめで始まっておしめで終わる」である。また、きみまろはネタの中でもこのフレーズを使っており、「人間なんておしめで始まりおしめで終わる、だからおしめえ(お終い)だ」と締めくくる。この哲学は、きみまろ自身が前述の夜尿症で苦しんでいた事から生まれた。 * 酒は[[芋焼酎]]を少し嗜む程度である。タバコは吸っていないが、30代の時数年間吸っていた事があった。 * 「綾小路きみまろ」という芸名の由来については2004年に11月27日のZAKZAK(産経新聞社)の取材に対し、[[ポール牧]]の持ちネタである「僕の名前、あやのこうじきみまろ〜」から盗用した事を告白しているが、「綾小路きみまろ」として活動してから数年後にポール牧本人に面談して許諾を得た。 * かつてきみまろは、漢字表記で「君麿」<ref>漢字表記だと読み間違えられる事が多い為、現在の芸名に改名した経緯がある。</ref>と名乗っていた事もあった他、「松山城二」と名乗っていた事もあった。「松山城二」の由来はきみまろの故郷にある[[松山城 (大隅国)|松山城]](現在は焼失)にあやかって名付けられていた。 * [[老人ホーム]]でライブをさせて貰った際、きみまろは「老人ホームのお年寄り達は凄いです。何を話しても、何を喋っても全く反応が無い」とコメントした事がある。 * マッサージ師の免許を取得したきっかけは、きみまろ自身、特に重要な資格を持っておらず、せめて何か手に職を付けようと考えた事である。一時期、マッサージ師の資格を生かして[[開業医]]を開きたいと思っていた事もあったが、現在も実現していない。 * 知人等に対する金の遣り取りは、「金は返さなくていいから、二度と自分の元に来ないで欲しい」と突き放す様な対応をしている。 * ある時、実家に行き来する際に利用している[[宮崎空港]]で見つけた「きみまろ」なる[[チーズ饅頭]]を購入した所、大変気に入り、自身がゲストとして招かれた[[テレビ]]番組や[[雑誌]]等でこれを紹介すると、注文が殺到した。「きみまろ」は自身が芸能界入りしていなかった頃から存在している[[土産物]]である。 * その他、きみまろは[[栗]]の果肉を包んだ[[ロールケーキ]]・「綾小路」と言う土産物をプロデュースした事もあり、本人曰く「東京・京都の名店のコラボ」との事。 * きみまろの自宅近くには「あ・うん亭」と言う鉄板焼きレストランを経営している。また、きみまろは「阿吽の呼吸 きみまろ」と言う名の[[焼酎]]をプロデュースしており、この商品は山梨県河口湖町にあるきみまろの関連商品を取り扱っている商店「るりびょうたん」で販売されている。この商店は、河口湖猿まわし劇場の向かいにあり、その他、「まろ漬け」なる[[漬物]]や、「シャトーまろろん」なる[[ワイン]]も販売している他、きみまろの絵柄が入っている[[Tシャツ]]や、勿論、きみまろの著書やCDも販売されている。また、設立当初、当のきみまろ本人は店名を「瑠璃瓢箪」と命名しようと検討した事もあったが、かな書きの方が馴染み易いと言う事でひらがな表記の「るりびょうたん」に落ち着いたと言う経緯がある。焼酎は自身の好きな[[芋焼酎]]であり、地元鹿児島県産の[[サツマイモ]]のみを原料としている。 * 故郷・鹿児島では[[吉永小百合]]ときみまろの2人で選挙演説張りで鹿児島市内を巡回した事もある。 * 鹿児島県出身と言う事で、本人曰く「[[西郷隆盛|九州鹿児島から浴衣を着て犬を一匹連れて上京して来た人間]]」との事。 * 富士山を好きになったきっかけは、きみまろが20歳頃の時、[[富士急ハイランド]]に[[スケート]]に行った時、初めて見る富士山の勇姿に感動した事であった。また、山梨県にある自宅は、1990年、きみまろが40歳の時に建てられた。自宅はここもやはり携帯電話やテレビの電波も受信出来無い様な山奥にある。きみまろ曰く「別荘は[[ローン]]を組んで建築した」との事だが、「もし自分自身がブレイクしていなければ今頃大変な事になっていただろう」とも発言している。 * 趣味の農作業できみまろが所有している[[耕耘機]]は[[ホンダ]]製<ref>きみまろが耕している作物は、当初は[[大根]]、[[葱]]、[[南瓜]]等を作っていたが、[[猿]]に作物を持っていかれたり食われたりする等の被害に遭った事から、[[茄子]]、[[ピーマン]]、[[唐辛子]]、[[獅子唐辛子]]に切り替えた経緯がある。そうした事で猿の被害を食い止める事が出来たという。</ref>。 * [[キクラゲ]]が嫌い。これについては、きみまろが幼少時代、近所の裏山にキクラゲが自生していて、毎日の様にそのキクラゲに乗っかって滑って遊んでいた為、本人がキクラゲが食用として料理(特に[[中華料理]])に良く出されている事を知っていないからである。また、父親が狩猟で捕獲した[[ウサギ]]や[[タヌキ]]の肉も癖がある為か、あまり好きでは無い様だ。 * [[ウナギ]]も今は全く食べていないと言うが、きみまろが幼少時代の時は[[ドジョウ]]と一緒に結構良く食べていた。 * 一時期、[[健康食品]]にも凝っていた事があったが、どれも長続きせず、本人も「健康食品は[[青汁]]は別だが、味がしないし、直ぐ飽きる、要するに薬と一緒」と自身の著書で記述している。この事は、きみまろ自身も漫談のネタとして取り上げた事もある。 * 将来の夢は「あの人は今の特番に出演する事」。 * 2010年初頭に発売されたきみまろの第0集のCD発売と当時に、きみまろの絵柄が描かれている[[ラジカセ]]、「きみまろDVDラジカセ」も発売されている。このラジカセはCD・カセット・ラジオ再生は勿論の事、AVケーブルを繋げてDVD再生や、マイクを繋げて[[カラオケ]]も楽しむ事が出来る。また、操作キーはここでもやはり中高年がほとんどである事に配慮して全て日本語表記となっている。このラジカセは、[[日本直販]]のテレビショッピングで放送された事があり、日本直販を経由して購入する事が出来る。価格は16,800円で、キャッチフレーズは「機械に弱い中高年に愛を」。また、このラジカセを買うときみまろのライブCDが漏れなく付いている。--> == きみまろの漫談スタイル・傾向 == * きみまろのステージ上のファッションはカツラと扇子、それに背広に燕尾服。 * 入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。また、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事もある。 * 『[[たけしの誰でもピカソ]]』に出演した際、[[ビートたけし]]もきみまろも全く売れない苦しい時期に同じ舞台に出演していた縁があり、楽屋では懐かしい感激の対面を果たした。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互い先の見えない苦しい時期を思い出したのか感極まって涙を流し合い肩を抱き合うほどだった。その後のネタを収録する時にも感情が高まり途中声が出なくなる場面があった。 * ライブの始まりでは、特に女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、「私は女性を見る目が無いのです」とオチをつける。 * きみまろを語る上で欠かせないのが、「'''あれから40年'''」のフレーズである。 * 老化現象、高齢化社会、物忘れ、アルツハイマー、痴呆症、カツラを引き合いにしたフレーズが多い。また、中高年以降の夫婦の確執をネタにする事もある。 * 内容が少し度を超えてしまった時は「私も人の事をどうこう言える顔ではありません」とフォローしている。本人によると、「毒舌と言っても言いっ放しでは客に迷惑を掛けてしまいかねない」との事。 * 「上になったり下になったりする」などの性的表現もある。 * また、きみまろのネタには前述の通り、「クソジジイ」「クソババア」と言うセリフは一切使用されていない。例外として、「自転車をこいでいた中高年の女性が、後ろから来たトラックの運転手に『コラー、クソババア!』と怒鳴られる」という小話があるが、これもきみまろから観客に向けられた言葉ではない。 * きみまろ自身、ライブの客は50代以上の中高年がほとんどである事から「ジジイ、ババアの養殖場」と形容している。また、客の事を「[[昭和枯れすすき]]の皆さん」と表現する事もある。きみまろのライブにはきみまろよりも遥かに年長の70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくなく、彼らに対しても情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。会場によっては「[[敬老の日]]よりも高齢者が多い」との事。また、きみまろのライブの客には90歳以上の所謂「超高齢者」が来る事もあり、ライブの音源の中できみまろが相当年老いた客に年齢を尋ねた所、「93歳」と回答された事もある。最近のパターンとしては40代後半や50代を「中高年予備軍」と形容する事がある。 * 実際の身長は165cmだが、ネタの中では「179cm」としている。 * ライブでは自分の事を「ウィリアム」と称している。また、「潜伏期間30年」のフレーズも多用している。自身が自称している潜伏期間とは1969年頃から1999年頃までの期間とする説や、1972年頃から2002年頃までとしている説がある{{要出典|date=2016年4月}}。 * ライブでの一人称は主に「私」であるが、時折「きみまろ」と言う事もある。 * きみまろにとって、「避けて通れない事」は2つあり、それは「呼ばれないと来られない事」「客を選べない事」。 * ライブは地方で行われる事が多い為、例えば、東北地方から最終の新幹線で東京に戻った後、東京駅前のホテルに泊まり、翌朝西日本方面に向かうというスケジュールも多い。しかしその一方、千葉・神奈川・静岡・茨城・埼玉等の関東近県のライブや東京キー局でテレビの収録があった時は日帰り出来る為、自宅で妻と食事をする事が出来ると言う。 * 新ネタの考案は夜寝る布団の中でする事が多く、ベッドの隅にはメモ帳(本人曰く「ネタ帳」)と筆記用具が据え置かれている<ref group="注">書く時の文章は[[縦書き]]がほとんどで、[[横書き]]するのは[[外国語]]以外一切無い。</ref>。また、自宅で趣味の農作業の合間にもネタの発声練習をする事もある。 * 最後は必ず「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」と締めくくる。 * きみまろの初代のCDでは、1トラックのみで約44分も収録されていたが、それ以降はいくつかのトラックに分割している。 * きみまろの漫談はCD・カセットの2セットで販売されている。また、CD・カセット共に「ライブでの公演を基に録音されていますので、聞き苦しい部分がある事をお許し下さい」の断りがある。収録時間は何れの作品も約40分。2010年元旦に発売されたCDではテープ音源のきみまろの漫談が約20分の2セットで収録されている。 * 「きみまろトランス」では、トランスの楽曲では珍しく、カセットも販売されている。 * ステージやホールのみならず、老人ホームや刑務所、果ては暴力団の事務所でライブをした事もある。 * きみまろの第1集のCDの演目「中高年に愛を込めて…」は2000年年末に東京・新宿にある新宿末広亭のホールで初披露され、翌年2001年初頭にある演芸場近くの鰻料理専門店にて師匠と面接して許可を得た事で落語家デビューしている<ref group="注">第1集のCDの発売は2002年ではあるが、実質的な発表時期は2001年。</ref>。 * CD販売に関しては当初、きみまろはあまり乗り気では無かったが、カセットテープに録音しただけでは本人の名前が歴史に残せない事、そしてきみまろの漫談は中高年がほとんどである事からCDで聴いている世代にも是非きみまろの漫談を聞いて欲しいといった事から、CD販売に踏み切った経緯がある。 * 「きみまろの漫談を聴いて年老いた家族の病気が良くなった」との評価を受けたこともアリ、きみまろの漫談は老化防止や病気の進行の歯止めには殊の外適しているとされている。 * 2007年頃に海外進出を果たし、第3集のCDのかなり後の部分で[[ニューヨーク]]で自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。 * 2008年初頭に発売された第3集のCDでは、きみまろの第1集のCDが160万枚と、予想以上の売れ行きを示した事を公表したフレーズが収録されている。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。 * 2010年元日に発売されたCDでは、きみまろが1990年代にサービスエリアで自作のテープを配布していた物の2セットをそのまま収録している。また、この作品は1990年代の音源をそのまま収録している事から、「痴呆症」等のフレーズは一切差し替えられていない。ジャケットの表紙裏にはきみまろのこれまでの半生と経歴、そしてきみまろのスナップ写真の数々が掲載されている。 * 2009年からバスツアーで漫談する機会が増え、観光する体力が無いという理由でバスツアー後はホテルへ直行し、ホテルの一室に籠もりつつ当日録音した自身の漫談を聴いては反省し改良・新ネタ作成を積み重ねている。 * 本人によると、「痛風の持病がある中でもスケジュールは数年先までぎっしり埋まっている」との事。前述の通り、痛風持ちの中でも痛み止め等の投薬治療をする事で痛風持ちの体にムチ打って乗り切っている。 * NHK『[[クローズアップ現代]]』で彼の漫談スタイルについて取り上げられた事もある。この時頻繁に取り上げるネタとして語られた事として「冷え切った夫婦関係(35%)」「容貌の衰え(32%)」「死や病気(28%)」があるが、その事を司会の[[国谷裕子]]が真面目な顔で語っている姿が話題を呼んだ。なお、この日の放送の後半では[[毒蝮三太夫]]とアナウンサーが対談している。 == 出演 == === バラエティ=== <!-- 単発のゲスト出演は記述不要。レギュラー番組・冠番組のみ記述をお願いします。「プロジェクト:芸能人」参照 --> ; 出演中 * [[綾小路きみまろTV]](月1回・[[チャンネルNECO]]) ; 過去 * [[タモリ倶楽部]](テレビ朝日) - 狩屋きみまろ名義 * [[森田一義アワー 笑っていいとも!]](フジテレビ) * [[綾小路きみまろの人生ひまつぶし]]([[テレビ大阪]]) * [[サルヂエ]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]) - サルの小路きみまろ名義で、問題VTRに出演 * [[いきなり!黄金伝説。]](テレビ朝日)不定期出演 * [[世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団]](テレビ朝日)番組プレゼンターとして出演 * 笑わせます聴かせます まろまろ一笑懸命(テレビ朝日、2012年9月17日・2013年5月26日・2015年1月4日) === CM === ==== テレビ ==== * [[稲葉製作所]] 「イナバ物置」(1980年、稲葉庄一社長と共演) * [[ユニデン]]「[[ハイビジョン]]対応液晶ワイドテレビ」 * [[大信販]]([[パーティー]]の司会者(声の出演)。参加者として[[藤谷美和子]]が出演) * [[はごろもフーズ]]「ぱぱっとライス」(きみまろ自身の似顔絵が付いた[[杓文字]]のアニメと声の出演) * [[キッコーマン]]「Pearl Soy Milk」(同社が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で販売している豆乳のCM。アメリカ国内の日本語チャンネルで放送) * [[パナソニック]]「[[LUMIX|ルミックス]]TZ3・TZ5」(2007年3月、[[長山藍子]]と共演) * [[味覚糖|UHA味覚糖]]「マルチビタミンのど飴」 * [[フジ日本精糖]]「キープ・フラワー」(2009年) * [[KDDI]]/[[沖縄セルラー電話]]「[[au (携帯電話)|au by KDDI]] [[簡単ケータイ|簡単ケータイシリーズ]]」(2009年) * [[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]「時代劇特集」 * [[森永製菓]]「甘酒 芸能人甘酒クラブ巡業中 ライブ編」([[小野真弓]]、[[ダンディ坂野]]と共演) * [[日本農産工業]]「ヨード卵・光」(2012年)声の出演<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/307884/cm/ |title=綾小路きみまろのCM出演情報 |access-date=2022-06-19 |publisher=オリコン |website=ORICON NEWS}}</ref> * [[東京ガス]] ** バリューリース(2013年9月 - 、[[綾野剛]]と共演<ref>{{Cite web|和書|url=https://home.tokyo-gas.co.jp/valuelease_sp/index.html |title=バリューリース スペシャルサイト |access-date=2023-03-08 |publisher=東京ガス |archive-date=2014-01-31 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140131002621/https://home.tokyo-gas.co.jp/valuelease_sp/index.html |deadlinkdate=2023-03-08 |url-status=unfit}}</ref>) ** ピピッとコンロ 「アヤノグリル」篇(2014年9月13日 - )<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-gas.co.jp/Press/20140912-02.html/ |title=最新テレビコマーシャルを9月13日(土)から放映 |access-date=2014-09-13 |publisher=東京ガス |deadlinkdate=2023-03-08}}</ref> * [[新進]]「きみまろの高菜漬」、「きみまろのつぼ漬け」(ともに2013年 - 2014年) * [[ユニリーバ・ジャパン]]「ドメスト」(2017年 - 2021年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.unilever.co.jp/news/press-releases/2017/domestos-cm-ayanokouji-kimimaro/ |title=奥様方のアイドル 綾小路きみまろがトイレ掃除を漫談風に指南! |access-date=2022-06-19 |publisher=ユニリーバ・ジャパン |archive-date=2022-05-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220519150112/https://www.unilever.co.jp/news/press-releases/2017/domestos-cm-ayanokouji-kimimaro/}}</ref> * [[東京スター銀行]]( - 2018年12月) * モノ・ループ(2020年9月 - 、[[東海3県]]・[[北陸地方|北陸]]ローカル)<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000065717.html |title=【綾小路きみまろ名誉鑑定士に就任!】モノ・ループ株式会社 テレビCMキャンペーン開始 |access-date=2023-03-08 |publisher=株式会社 PR TIMES |archive-url=https://web.archive.org/web/20220630164029/https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000065717.html |archive-date=2022-06-30 |date=2020-09-15 |editor=モノ・ループ株式会社}}</ref> * [[オリックス生命保険]]「医療保険 キュア・サポート・プラス」、「ファインセーブ」(ともに2022年) ==== ラジオ ==== * [[日立製作所]]「日立マーク5 見聞録『ラジオとテレビの違い』」(1978年) === ナレーション === * 映画『[[武士の家計簿]]』予告編 * [[ファンケル|株式会社ファンケルヘルスサイエンス]]「大人のカロリミット」(同窓会/乙女太め篇) == ディスコグラフィー == === シングル === {|class="wikitable" style=font-size:small |- !&nbsp; !発売日 !タイトル !規格品番 !style="width:31%"|収録曲 !備考 |- | |1993年 ! '''きみまろ ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜…''' | | |「狩屋きみまろ」名義 |- |1st |2004年11月24日 ! '''きみまろの「やってられなぁーい!?」''' |TECA-10661 | #きみまろの「やってられない!?」 #きみまろの「やってられない!?」(カラオケ・台詞なし) #きみまろの「やってられない!?」(カラオケ・歌なし) #きみまろの「やってられない!?」(カラオケ・台詞・歌なし) |「綾小路きみまろ Featuring マリア」名義<br />オリコン最高32位、登場回数64回 |- |2nd |2014年09月17日 ! '''きみまろのあれから40年''' |TECA-12550:CD<br />TECA-15556:CD+DVD | CD #きみまろのあれから40年 #ぴんぴんころりぴんころり #きみまろのあれから40年 (コーラス入りカラオケ) #ぴんぴんころりぴんころり (コーラス入りカラオケ) DVD #きみまろのあれから40年 (ミュージックビデオ) 【作詞:綾小路きみまろ/作曲編曲:伊戸のりお】 |オリコン最高115位、登場回数7回 |} === アルバム === {|class="wikitable" style=font-size:small |- !&nbsp; !発売日 !タイトル !規格品番 !備考 |- |1st |2002年09月30日<br />2012年12月12日(期間限定特別価格盤) ! '''[[綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛を込めて…]]''' |TECE-25350:CD<br />TETE-25350:カセット<br />TECE-3141:期間限定特別価格盤 |160万枚<ref name="sponichi">[https://web.archive.org/web/20090213151018/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/column/engei/KFullNormal20071102147.html きみまろ新ネタに自信「賞味期限なし」 ― スポニチ Sponichi Annex スポニチ演芸館] 2007年11月2日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref><br />[[ゴールドディスク]]ミリオン認定。<br />オリコン最高3位、登場回数284回 |- |2nd |2004年04月27日 ! '''交通安全漫談''' |TECE-10491 |オリコン最高14位、登場回数83回 |- |3rd |2005年07月21日 ! '''きみまろトランス''' |TECE-25580 |オリコン最高35位、登場回数28回 |- |4th |2006年01月25日<br />2012年12月12日(期間限定特別価格盤) ! '''[[綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第2集! ガンバッテいただきたいの…]]''' |TECE-25632:CD<br />TETE-25632:カセット<br />TECE-3142:期間限定特別価格盤 |60万枚<ref name="sponichi" /><br />オリコン最高4位、登場回数141回 |- |5th |2008年01月20日 ! '''[[綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第3集! 知らない人に笑われ続けて35年]]''' |TECE-30746:初回生産限定盤<br />TECE-28747:通常盤<br />TETE-28747:カセット |オリコン最高5位、登場回数117回 |- |6th |2010年01月01日 ! '''[[綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第0集!すべてはここから始まった]]''' |TECE-25902:CD<br />TETE-25902:カセット |※ゴールドディスク認定<br />オリコン最高47位、登場回数26回 |- |7th |2010年10月20日 ! '''[[綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第4集!〜拝啓 中高年&予備軍の皆様へ〜]]''' |TECE-28968 |オリコン最高29位、登場回数51回 |- |8th |2011年10月26日 ! '''爆笑漫談名演集!''' |TECE-30000 |オリコン最高50位、登場回数14回 |- |BOX |2011年12月14日 ! '''爆笑スーパーライブ 大全集!''' |00CE-1001 |オリコン圏外 |- |9th |2013年07月17日 ! '''爆笑スーパーライブ第5集! いろいろ言うけど、気にしてね!?''' |TECE-3157 |オリコン最高25位、登場回数27回 |} === ビデオソフト === {|class="wikitable" style=font-size:small |- !&nbsp; !発売日 !タイトル !規格品番 !備考 |- |1st |2003年06月11日<br />2012年12月12日 ! '''綾小路きみまろ 爆笑!エキサイトライブビデオ-最近、あなたは腹の底から笑ったことがありますか?''' |TEVE-32017:VHS<br />TEBE-32017:DVD<br />TEBE-26121:期間限定特別価格版 |25万本<ref name="sponichi" /><br />オリコン最高11位、登場回数93回 |- |2nd |2005年05月25日<br />2012年12月12日 ! '''爆笑! エキサイトライブビデオ 第2集''' |TEVE-32031:VHS<br />TEBE-32031:DVD<br />TEBE-26122:期間限定特別価格版 |20万本<ref name="sponichi" /><br />オリコン最高19位、登場回数142回 |- |3rd |2008年10月18日 ! '''〜芸能生活35周年記念〜爆笑! エキサイトライブビデオ 第3集 -中高年よ! 大志を抱け-''' |TEBE-38049 |オリコン最高3位、登場回数84回 |- |4th |2011年04月20日 ! '''爆笑!エキサイトライブビデオ 第4集 〜中高年よ!人生はこれからだ!〜''' |TEBE-38089 |オリコン最高36位、登場回数37回 |- |Best |2012年09月26日 ! '''綾小路きみまろ 爆笑!エキサイトライブビデオ大全集''' |00BE-1 |オリコン圏外 |- |5th |2013年03月20日 ! '''爆笑!最新ライブ名演集 〜きみまろさん、それは言いすぎです!〜''' |TEBE-35123 |オリコン最高127位、登場回数9回 |- |6th |2014年09月17日 ! '''爆笑!エキサイトライブビデオ 第5集 〜人生ないものねだり〜''' |TEBE-38167 |オリコン最高55位、登場回数16回 |- |7th |2015年03月18日 ! '''綾小路きみまろの人生ひまつぶし第1巻''' |TEBE-28184 |オリコン圏外 |- |8th |2015年03月18日 ! '''綾小路きみまろの人生ひまつぶし第2巻''' |TEBE-28185 |オリコン圏外 |- |9th |2015年07月22日 ! '''綾小路きみまろの人生ひまつぶし第3巻 愛媛・長野編''' |TEBE-28191 |オリコン圏外 |- |10th |2015年07月22日 ! '''綾小路きみまろの人生ひまつぶし第4巻 広島・茨城編''' |TEBE-28192 |オリコン圏外 |} === その他 === * 任天堂DSソフト「毎日が楽しい!綾小路きみまろのハッピー手帳」(2007年) * きみまろ DVDラジカセ・CDラジカセ(これには非売品の「綾小路きみまろ 爆笑!スーパーミニライブ体験版CD」が人数限定で付随する) == 著書 == *『有効期限の過ぎた亭主・賞味期限の切れた女房 綾小路きみまろ独演会』[[PHP研究所]], 2002.11 のち文庫 *『きみまろ流』PHP研究所, 2003.10 2005年に『こんな女房に誰がした? きみまろ人生劇場』と改題され文庫本化 *『きみまろ! 爆笑毒舌「ネタ帳」150連発!』[[ベストセラーズ]], 2004.8 *『こんな夫婦に誰がした? 謹んでお慶び申し上げます』PHP研究所, 2006.1 文庫、2007 *『失敗は、顔だけで十分です。 爆笑ネタ180連発!』([[PHP文庫]]) 2006.8 *『妻の口一度貼りたいガムテープ』PHP研究所, 2007.2 文庫、2009 *『一つ覚えて三つ忘れる中高年』PHP研究所, 2008.2 文庫、2010 *『私は名もない毛もないきみまろと申します 昭和ポップきみまろ!』[[荒木経惟]]写真. ベストセラーズ, 2008.6 *『あの顔その顔この顔で謹んでお慶び申し上げます』[[小学館]], 2008.9 文庫、2011 *『男も女も五十を過ぎたら内臓勝負です!』PHP研究所, 2009.2 文庫、2011 *『中高年、登りきってもいないのに下り坂』PHP研究所, 2010.3 文庫、2012 *『中高年、鼻で確かめる消費期限』PHP研究所, 2011.3 *『老婆は一日にして成らず』PHP研究所, 2012.4 *『綾小路きみまろのすべてがわかる公式ファンブック メジャーデビュー10周年謹んでお慶び申し上げます 秘蔵写真や初公開エピソードも満載』[[講談社]], 2013.4 *『きみまろ「夫婦川柳」傑作選』編 小学館, 2014.6 文庫、2016 *『きみまろ「夫婦川柳」傑作選 2 (奥様が笑う家には福来たる)』編 小学館, 2016.3 文庫、2017 *『しょせん幸せなんて、自己申告。』[[朝日新聞出版]], 2017.10 *『綾小路きみまろ爆笑フォーエバー 祝!メジャーデビュー15周年』[[文藝春秋]], 2017.7 *『書きとりきみまろ 1日1ネタ!40日間、読んで、笑って、なぞって、字も美しく!!』[[講談社]], 2017.8 *『きみまろ「夫婦川柳」傑作選 3』編. 小学館, 2019.6 文庫、2021 *『我が家は前からソーシャル・ディスタンス』マキノ出版, 2021.12 2007年11月現在、単行本47万部・文庫本94万部、総計141万部を販売<ref name="sponichi" /> その他、2008年9月19日より『[[週刊ポスト]]』([[小学館]])誌上において、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』を連載中。人気を博している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[毒舌]] * [[お笑いタレント]] * [[日本お笑い史]] * [[ピストン西沢]] - [[ディスクジョッキー|DJ]]。きみまろ[[トランス (音楽)|トランス]]のリミックスを手がけた。 * [[綾小路家]] * [[鹿児島県出身の人物一覧]] * [[森進一]] - きみまろ自身が専属司会者を務めた * [[小林幸子]] - 同上 * [[伍代夏子]] - 同上 == 外部リンク == * [http://www.kimimaro.com/ きみまろどっとこむ] - 綾小路きみまろ公式ウェブサイト * {{instagram|ayanokojikimimaro_official}} * {{youtube|c=UCGNUw8NawRrOGyBvE4ZPk5Q|綾小路きみまろ公式チャンネル}} * {{落語協会プロフィール|335}} * [https://www.teichiku.co.jp/artist/kimimaro/ 綾小路きみまろ / TEICHIKU RECORDS] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あやのこうし きみまろ}} [[Category:お笑い芸人]] [[Category:日本の司会者]] [[Category:日本のマッサージ師]] [[Category:テイチクエンタテインメントのアーティスト]] [[Category:過去のホリプロ所属者]] [[Category:拓殖大学出身の人物]] [[Category:鹿児島県出身の人物]] [[Category:1950年生]] [[Category:存命人物]]
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山本直純
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年(昭和7年)12月16日 - 2002年(平成14年)6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、小澤征爾、久山恵子、秋山和慶、飯守泰次郎、尾高忠明らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と山本から告げられたことがあった、と語っている。 1951年、東京芸術大学の入試に失敗し、父の弟子である渡辺浦人の元に預けられて渡辺の仕事の手伝いをする。一浪後、1952年に東京芸術大学作曲科に入学、池内友次郎に師事。芸大では1学年上級の打楽器科学生岩城宏之と知り合って意気投合し、岩城とともに本物のオーケストラを指揮したい一念で、学生たちに声をかけまくって学生オケをつくり、岩城と交代で指揮をするようになる。3年生終了後、指揮科へ転じ、渡邉曉雄に師事。1958年、長男出生の年に大学を卒業。指揮科卒業演奏の曲目はブラームス作曲「交響曲第1番」だった。 当初は山本も小澤らと同じように指揮者として世界で活躍することを夢見たこともあったようだが、大学指揮科在学中に眼を患い、視力の著しい低下や、弟や妹を養う必要もあり、大学在学中からテレビや映画の分野に積極的に進出し、ポピュラーからクラシックまで幅広く作曲活動を行うようになる。同時に、テレビなどを通したクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ。中でも最も知られているのは、1973年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやって来た」の企画・音楽監督・総合司会者として、クラシック初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説を展開したことで知られる。 また、1983年に落成した大阪城ホールのこけら落としとして、当時・毎日放送常務取締役の斎藤守慶営業本部長(後に社長・会長を歴任)とともに「サントリー1万人の第九」を企画する。当時・サントリーの佐治敬三社長の後押しもあり、83年スタート。98年の第16回まで連続して構成・総監督・指揮を務めてきた。このほか、NHKのFMラジオ番組「FMシンフォニー・コンサート」(番組そのものは2007年3月で一旦終了した後、2009年4月から2012年4月まで放送された)の指揮、司会なども務めていた。 1972年には小澤とともに新日本フィルハーモニー交響楽団を結成、指揮者団幹事となり、1972年から14年間にわたり、軽井沢プリンスホテルで『軽井沢音楽祭』を開催。同祭ではさだまさしとの共演が人気の演目となり、「親父の一番長い日」などは軽井沢音楽祭がきっかけとして生まれている。 1979年、1980年には2度にわたり、日本人として初めてボストン・ポップス・オーケストラを指揮している。 山本は人々の心に強く残る明快なメロディーを次々と生み出したが、いずれもシンプルでかつ基礎的技術の高さに裏打ちされている。代表的な作品として、童謡『歌えバンバン』『一年生になったら』、『こぶたぬきつねこ』、TV番組『マグマ大使』、『8時だョ!全員集合』、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』、『武田信玄』、映画「男はつらいよ」のテーマ曲ほか多数。TBSラジオの人気長寿番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のお囃子(劇中音楽)を担当し、テーマ曲と挿入曲を作曲したことでも知られる。「男はつらいよ」シリーズでは、テーマソング・映画内の音楽を一貫して担当してきたが、第47作「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」以降の3作品は、長男の山本純ノ介と共同で音楽を担当した。クラシック作品では、1974年ニューヨークでの国連デー・コンサートのための国連委嘱作品『天・地・人』のうち『人』を作曲、日本太鼓とオーケストラのためのこの作品は、小澤征爾の指揮で初演され圧倒的成功を収めた。他には『和楽器とオーケストラのためのカプリチオ』、『シンフォック・バラード』などがある。 1975年12月31日放送の「ゆく年くる年」(全民放局同時放送・幹事局は日本テレビ)と1987年3月31日放送の「国鉄最後の日」の関連特番(日本テレビ)では蒸気機関車の汽笛の音を用いて演奏する「蛍の光で指揮を務めた(後者では最後に蒸気機関車の汽笛の音に合わせて機関士一同が合唱を行った)。2回とも京都市にある梅小路機関区で行われた。 口ひげと黒縁メガネがトレードマークとして知られ、その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えていた。森永製菓「エールチョコレート」のCMソング『大きいことはいいことだ』、日本船舶振興会(当時)の『火の用心の歌』を手がけた際には、自らCMに出演したほか、NHKや民放の音楽番組やバラエティ番組にもゲストとして度々出演した。 音楽関係者の間では「日本の音楽普及に最も貢献したひとり」として高く評価されている。だが一方で、生前は周囲とのトラブルや、1978年8月6日に起こした交通違反スキャンダルなどでのマイナスイメージもあり、生前はその多大な功績に比して世間から必ずしも高い評価を得られない一面もあった。晩年はアマチュアオーケストラのジュニア・フィルハーモニック・オーケストラの指導にも特に力を注いだ。岩城宏之とは無二の親友であった。1999年には、妻の心臓発作を機にキリスト教(カトリック)に入信している。洗礼名はフランシスコといった。こどもさんびか改訂版に「せかいのこどもは」(作曲)を残している。 1998年に鹿児島県南種子町で開催された「トンミーフェスティバル」において作曲を手がけたことが縁となり、楽譜をはじめとした資料、楽器、生活家具などが同町へ寄贈され、南種子町郷土館内に「山本直純音楽記念室」が開設された。 2002年6月18日、急性心不全のため死去。享年69歳。墓所は品川区高福院。 父は作曲家で指揮者の山本直忠、弟はパーカッション奏者の山本直喜と ファゴット奏者の山本直親、妹はオルガン奏者の湯浅照子、妻は作曲家の山本正美、長男は作曲家の山本純ノ介、次男はチェリストの山本祐ノ介、その妻でピアニストの小山京子は山下洋輔の親戚という音楽一家である。祖父の山本直良は実業家で軽井沢にある国の重要文化財「旧三笠ホテル」の創業者であり、白樺派の小説家、有島武郎は大叔父に当たる。
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山本 直純は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。
{{出典の明記|date=2012-06|ソートキー=人2002年没}} {{Infobox Musician<!-- Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照 --> |名前 = 山本 直純 |画像 = [[画像:Iwaki and yamamoto.JPG|250px]] |画像説明 = [[東京藝術大学]]在学時代の山本直純(右)と[[岩城宏之]](左) |画像サイズ = 250px |画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> |背景色 = classic |出生名 = <!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> |別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません --> |出生 = {{生年月日|1932|12|16}}<br />[[東京都]][[品川区]] |出身地 = {{JPN}} |死没 = {{死亡年月日と没年齢|1932|12|16|2002|6|18}} |学歴 = [[東京芸術大学]]音楽学部指揮科 |ジャンル = [[クラシック音楽]]、大衆音楽 |職業 = [[作曲家]]、[[編曲家]]、[[指揮者]] |担当楽器 = 指揮 |活動期間 = |レーベル = |事務所 = |共同作業者 = |公式サイト = |著名使用楽器 = }} {{Portal クラシック音楽}} '''山本 直純'''(やまもと なおずみ、[[1932年]]([[昭和]]7年)[[12月16日]] - [[2002年]]([[平成]]14年)[[6月18日]])は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[指揮者]]。[[東京都]]出身。 == 人物・来歴 == [[東京都|東京]][[五反田]]の[[至誠病院]]に生まれ、[[中野区]]や[[大田区]]や[[豊島区]]などを転々として育つ。幼児期から父[[山本直忠]]、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、[[自由学園]]で[[羽仁協子]]や[[久山恵子]]、[[林光]]、[[三善晃]]などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に[[渡辺岳夫]]がいる。指揮は高校時代から[[自由学園]]を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で[[齋藤秀雄]]に師事。同時期の同門に、[[小澤征爾]]、久山恵子、[[秋山和慶]]、[[飯守泰次郎]]、[[尾高忠明]]らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と山本から告げられたことがあった、と語っている。 [[1951年]]、[[東京芸術大学]]の入試に失敗し、父の弟子である[[渡辺浦人]]の元に預けられて渡辺の仕事の手伝いをする。一浪後、[[1952年]]に[[東京芸術大学]]作曲科に入学、[[池内友次郎]]に師事。芸大では1学年上級の打楽器科学生[[岩城宏之]]と知り合って意気投合し、岩城とともに本物のオーケストラを指揮したい一念で、学生たちに声をかけまくって学生オケをつくり、岩城と交代で指揮をするようになる。3年生終了後、指揮科へ転じ、[[渡邊暁雄|渡邉曉雄]]に師事。[[1958年]]、長男出生の年に大学を卒業。指揮科卒業演奏の曲目は[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]作曲「[[交響曲第1番 (ブラームス)|交響曲第1番]]」だった。 当初は山本も小澤らと同じように指揮者として世界で活躍することを夢見たこともあったようだが、大学指揮科在学中に眼を患い、視力の著しい低下や、弟や妹を養う必要もあり、大学在学中からテレビや映画の分野に積極的に進出し、ポピュラーからクラシックまで幅広く作曲活動を行うようになる。同時に、テレビなどを通したクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ。中でも最も知られているのは、1973年から10年間放送された[[TBSテレビ|TBS]]のテレビ番組「[[オーケストラがやって来た]]」の企画・音楽監督・総合司会者として、クラシック初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説を展開したことで知られる。 また、1983年に落成した[[大阪城ホール]]のこけら落としとして、当時・[[毎日放送]]常務取締役の[[斎藤守慶]]営業本部長(後に社長・会長を歴任)とともに「[[サントリー1万人の第九]]」を企画する。当時・[[サントリー]]の[[佐治敬三]]社長の後押しもあり、83年スタート。98年の第16回まで連続して構成・総監督・指揮を務めてきた。このほか、[[日本放送協会|NHK]]のFMラジオ番組「[[FMシンフォニー・コンサート]]」(番組そのものは2007年3月で一旦終了した後、2009年4月から2012年4月まで放送された)の指揮、司会なども務めていた。 1972年には小澤とともに[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]を結成、指揮者団幹事となり、1972年から14年間にわたり、[[軽井沢プリンスホテル]]で『軽井沢音楽祭』を開催。同祭ではさだまさしとの共演が人気の演目となり、「[[親父の一番長い日]]」などは軽井沢音楽祭がきっかけとして生まれている。 1979年、1980年には2度にわたり、日本人として初めて[[ボストン・ポップス・オーケストラ]]を指揮している。 山本は人々の心に強く残る明快なメロディーを次々と生み出したが、いずれもシンプルでかつ基礎的技術の高さに裏打ちされている。代表的な作品として、童謡『[[歌えバンバン]]』『[[一年生になったら]]』、『こぶたぬきつねこ』、TV番組『[[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]]』、『[[8時だョ!全員集合|8時だョ!全員集合]]』、NHK大河ドラマ『[[風と雲と虹と]]』、『[[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]]』、映画「[[男はつらいよ]]」のテーマ曲<ref group="注">山本が書き上げた歌のメロディに、山本の弟子の[[玉木宏樹]]が前奏部とオーケストラ伴奏をつけて完成させたという。^ a b ウルトラマンAGE VOL.1(辰巳出版、2001年)P52-54 大塩一志『怪奇大作戦』の劇音楽〜玉木宏樹へのインタビューを交えて〜。</ref>ほか多数。[[TBSラジオ]]の人気長寿番組『[[小沢昭一の小沢昭一的こころ]]』のお囃子(劇中音楽)を担当し、テーマ曲と挿入曲を作曲したことでも知られる。「男はつらいよ」シリーズでは、テーマソング・映画内の音楽を一貫して担当してきたが、第47作「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」以降の3作品は、長男の[[山本純ノ介]]と共同で音楽を担当した。クラシック作品では、1974年ニューヨークでの国連デー・コンサートのための国連委嘱作品『天・地・人』のうち『人』を作曲、日本太鼓とオーケストラのためのこの作品は、小澤征爾の指揮で初演され圧倒的成功を収めた。他には『和楽器とオーケストラのためのカプリチオ』、『シンフォック・バラード』などがある。 1975年12月31日放送の「[[ゆく年くる年 (民間放送テレビ)|ゆく年くる年]]」(全民放局同時放送・幹事局は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])と1987年3月31日放送の「[[日本国有鉄道|国鉄]]最後の日」の関連特番(日本テレビ)では[[蒸気機関車]]の汽笛の音を用いて演奏する「[[蛍の光]]で指揮を務めた(後者では最後に蒸気機関車の汽笛の音に合わせて機関士一同が合唱を行った)。2回とも[[京都市]]にある[[梅小路機関区]]で行われた。 口ひげと黒縁メガネがトレードマークとして知られ、その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えていた。[[森永製菓]]「エールチョコレート」のCMソング『[[大きいことはいいことだ]]』、[[日本船舶振興会]](当時)の『火の用心の歌』を手がけた際には、自らCMに出演したほか、NHKや民放の音楽番組やバラエティ番組にもゲストとして度々出演した。 音楽関係者の間では「日本の音楽普及に最も貢献したひとり」として高く評価されている。だが一方で、生前は周囲とのトラブルや、[[1978年]][[8月6日]]に起こした交通違反スキャンダル<ref group="注">妻正美と共に[[銀座]]の映画館で『[[男はつらいよ]]』を観て帰宅する途中、最初は正美が自動車を運転していたが、途中で正美の気分が悪くなったので山本が[[運転免許証]]失効中にも関わらずハンドルを握ったところ、たまたま自動車の無灯火の取締りをしていた[[警視庁]][[三田警察署 (東京都)|三田警察署]]の[[警察官]]に[[職務質問]]を受けた。このとき山本が停車を拒んで逃げたため[[公務執行妨害]]罪と[[傷害罪]]に問われ、翌日に[[警視庁]][[丸の内警察署]]に出頭した事件。同年[[8月10日]]に[[書類送検]]されると共に謝罪会見を行った。逃げようとしたとき警察官を引きずったか否かが問題になったが、最終的に山本の自動車からは警察官の手の跡が発見できず公務執行妨害と傷害罪では[[不起訴]]となった。ただし無免許と無灯火による[[道路交通法|道交法]]違反では[[東京簡易裁判所|東京簡裁]]に[[略式起訴]]され、[[1978年]][[10月2日]]、[[罰金]]5万円の略式命令を受けた。この結果、『オーケストラがやって来た』は1年半の自粛を余儀なくされた。(『紅いタキシード』pp.148-151)</ref>などでのマイナスイメージもあり、生前はその多大な功績に比して世間から必ずしも高い評価を得られない一面もあった。晩年はアマチュアオーケストラの[[ジュニア・フィルハーモニック・オーケストラ]]の指導にも特に力を注いだ。岩城宏之とは無二の親友であった。[[1999年]]には、妻の心臓発作を機に[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])に入信している。洗礼名はフランシスコといった。こどもさんびか改訂版に「せかいのこどもは」(作曲)を残している。 1998年に[[鹿児島県]][[南種子町]]で開催された「トンミーフェスティバル」において作曲を手がけたことが縁となり、楽譜をはじめとした資料、楽器、生活家具などが同町へ寄贈され、南種子町郷土館内に「山本直純音楽記念室」が開設された<ref>{{Cite news |title=トンミー大使・山本直純さんの寄贈資料展示公開/南種子 |newspaper=[[南日本新聞]] |date=1999年1月11日 |url=http://www.minaminippon.co.jp/newsj/1999/01/newj_19990111.htm |accessdate=2015-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20001214022200/http://www.minaminippon.co.jp/newsj/1999/01/newj_19990111.htm |archivedate=2000-12-14}}</ref>。 [[2002年]][[6月18日]]、[[急性心不全]]のため死去。享年69歳。墓所は品川区[[高福院]]。 == 親族 == 父は作曲家で指揮者の[[山本直忠]]、弟は[[パーカッション]]奏者の[[山本直喜]]と [[ファゴット]]奏者の[[山本直親]]、妹はオルガン奏者の湯浅照子、妻は作曲家の[[山本正美 (作曲家)|山本正美]]、長男は作曲家の[[山本純ノ介]]、次男は[[チェリスト]]の山本祐ノ介<ref>[https://www.senzoku.ac.jp/music/teacher/yunosuke-yamamoto 教員・指導陣紹介]洗足学園音楽大学</ref>、その妻でピアニストの小山京子は[[山下洋輔]]の親戚<ref>『ドファララ門』山下洋輔、晶文社、2014、p.217</ref>という音楽一家である。祖父の[[山本直良]]は実業家で[[軽井沢町|軽井沢]]にある国の[[重要文化財]]「[[旧三笠ホテル]]」の創業者であり、[[白樺派]]の小説家、[[有島武郎]]は大叔父に当たる。 == 代表作品 == === 劇伴音楽 === ==== 映画 ==== * [[暗黒街の美女]](1958年) * [[打倒 (映画)|打倒]](1960年) * [[拳銃無頼帖シリーズ]](1960年) * [[霧笛が俺を呼んでいる (映画)|霧笛が俺を呼んでいる]](1960年) * [[恐怖の魔女]](1962年) * [[殺人鬼の誘惑]](1963年) * [[男嫌い (1964年の映画)|男嫌い]] (1964年) * [[肉体の門 (1964年の映画)|肉体の門]](1964年) * [[くノ一化粧]](1964年、東映) * [[雪国 (小説)|雪国]](1965年) * [[兵隊やくざ]](1965年) * [[クレージー映画]]シリーズ ** [[クレージー大作戦]](1966年)※[[萩原哲晶]]と共作 ** [[クレージーのぶちゃむくれ大発見]](1969年)※ラスト近くに大木広告社社長役で出演。クレージーのメンバーと共に「大きいことはいいことだ」を歌う。 ** [[日本一のヤクザ男]](1970年) ** [[日本一のワルノリ男]](1970年) * [[殺しの烙印]](1967年) * [[さそり (1967年の映画)|さそり]] (1967年、松竹) * [[関東も広うござんす]](1967年) * [[七人の野獣]]シリーズ(1967年) * [[黄金の野郎ども]] (1967年、日活) * [[赤道を駈ける男]] (1968年、日活) * [[男はつらいよ]]シリーズ(1969 - 1995年)※一部作品を[[山本純ノ介]]と共作 * [[ある兵士の賭け]](1970年) ※[[フォーリーブス]]が歌う劇中主題歌の作曲も担当。 * 喜劇 猪突猛進せよ!!(1971年<!--2.19-->) * [[どうぶつ宝島]](1971年<!--3.20-->)※ムッツリ役で特別出演 * 喜劇 女は男のふるさとヨ(1971年<!--5.19-->) * 喜劇 女売り出します(1972年) * [[百万人の大合唱]](1972年) * [[東京ド真ン中]](1974年) * [[二百三高地]](1980年)※音楽監督・指揮 * 原子力発電の夜明け * [[制覇]](1982年) * [[ビルマの竪琴]](1985年) ==== テレビドラマ ==== * [[マンモスタワー]](1958年、[[TBSテレビ|KR]]) * 青年の樹(1961年、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[七人の孫]](1964年 - 1966年、TBS) * [[東芝日曜劇場]]「栄光の旗」(1965年、TBS) * [[天下の学園]](1965年、[[フジテレビ]]) * [[氷点]](1966年、[[テレビ朝日|NET]]) * [[わが心のかもめ]](1966年、[[日本放送協会|NHK]]) * [[太陽の丘]](1966年 - 1967年、NHK) * [[嫌い!好き!!]](1966年 - 1967年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[男はつらいよ#テレビドラマ|男はつらいよ]](1968年 - 1969年、フジテレビ) * [[甘柿しぶ柿つるし柿]](1969年 - 1970年、TBS) * [[ハレンチ学園 (テレビドラマ)|ハレンチ学園]](1970年 - 1971年、[[テレビ東京|東京12チャンネル]]) * [[ワンパク番外地]](1971年、東京12チャンネル) * [[天下御免]](1971年 - 1972年、NHK) * [[天下堂々]](1973年 - 1974年、NHK) * [[あんたがたどこさ (テレビドラマ)|あんたがたどこさ]](1973年 - 1975年、TBS) * [[大河ドラマ]] (NHK) **[[風と雲と虹と]](1976年) ** [[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]](1988年)※交響組曲「武田信玄」としてコンサート用アレンジもあり *[[愛と死をみつめて]](1978年、TBS) * [[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]](1981年、TBS) * マリコ (1981年、NHK) * [[連環 (松本清張)#テレビドラマ|松本清張の連環]](1983年、[[テレビ朝日|ANB]]) * [[ロマンス (1984年のテレビドラマ)|ロマンス]](1984年、NHK) * [[ドラマ人間模様]] 「[[シャツの店]]」(1986年、NHK) * [[奇兵隊 (テレビドラマ)|奇兵隊]](1989年、日本テレビ) * [[野望の国|花燃える日日 -野望の国・第二部-]](1990年、日本テレビ) ==== 特撮 ==== * [[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]] * [[怪奇大作戦]] ==== アニメ ==== * [[もぐらのアバンチュール]](1958年、日本最古のTVカラーアニメ) * [[ゼロテスター]] * [[オバケのQ太郎 (アニメ)|新オバケのQ太郎]] * [[妖精フローレンス]] === テレビ・ラジオ番組用音楽 === ==== バラエティ ==== * [[8時だョ!全員集合]] * [[お笑い頭の体操]] * [[ミュージックフェア]] ==== ワイドショー ==== * [[3時のあなた]] ==== ドキュメンタリー ==== * [[日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行]] * [[トヨタ日曜ドキュメンタリー 知られざる世界]] ==== ラジオ ==== * [[小沢昭一の小沢昭一的こころ]] - テーマ曲、挿入曲(「お囃子」担当。[[1973年]][[1月8日]]の放送開始当初から長年使用された) * [[日立ミュージック・イン・ハイフォニック]] - テーマソング ※[[高田敏子 (詩人)|高田敏子]]の詩を付け、『白い船白い鳥』という曲名で[[やまがたすみこ]]が歌ったこともある。 * [[新日鐵アワー・音楽の森]] - 自らパーソナリティ(初代)を担当。 ==== CM ==== * ミユキの歌([[御幸毛織]]) * [[森永製菓|森永]]エールチョコレート(「大きいことはいいことだ!!」自らも出演。また、わずか2秒ほどの「森永」の[[サウンドロゴ]]([[口笛]]で奏される)も作曲。著作権料を得るため、全音符で書かれた) * 若さだよ、ヤマちゃん!([[サントリー]]) * ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー([[サッポロビール]]) * 火の用心のうた([[日本財団|日本船舶振興会]]/[[日本防火・防災協会|日本防火協会]]) ※月曜日から日曜日まで7バージョンある。山本自身も出演しており、子供たちや当時の[[笹川良一]]会長、[[高見山大五郎]]に混じって勢い良く[[纏]]を振っていた。 === 童謡など === * [[一年生になったら]] * [[歌えバンバン]] * こぶたぬきつねこ([[作詞]]も担当) * [[だれもしらない]] - NHK「[[歌はともだち]]」から生まれた楽曲 * [[さあ太陽を呼んでこい]] * やきいもグーチーパー * [[地球の子ども]] - 1971年 第38回[[NHK全国学校音楽コンクール]]小学校の部 課題曲 * おーい海! - 1979年 第46回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部 課題曲 * 12月だもん * 夕日が背中を押してくる * コックのポルカ === 歌謡曲 === * [[ハナ肇とクレージーキャッツ]]『学生節』作曲・編曲 * [[谷啓]]『あんた誰?』作曲・編曲 * 谷啓『プンプン野郎』作曲・編曲 * [[フォーリーブス]]『[[ある兵士の賭け (フォーリーブスの曲)|ある兵士の賭け]]』作曲 * [[さだまさし]]『[[親父の一番長い日]]』編曲 * [[モダンチョキチョキズ]]『THE 絶望行進曲』作曲・編曲 === クラシック === * 和楽器とオーケストラのためのカプリチオ(1963年、[[日本フィルハーモニー交響楽団]]の委嘱作品) * 白銀の栄光 - [[1972年札幌オリンピック]]入場行進曲 * オーケストラのための天・地・人(1974年)- 共作。山本担当は「人」部分。国連委嘱作品 * 歳時記(1982年) * シンフォニック・バラード(1983年、[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]の委嘱作品) * オーケストラのためのデモンストレーション(1983年) * お菓子な日記(1983年、独唱と管弦楽のための作品) * 組曲「歳月」(1983年) * 交響組曲「蒼き狼」(1983年) * 前奏曲「鷺娘」(1984年) * 物真似とオーケストラのための協奏曲「動物の四季」(1985年、独唱と管弦楽のための作品) * 交響詩「四日市」(1985年、混声合唱と管弦楽のための作品) * 合唱組曲 田園・わが愛(1962年) * 合唱のための”言葉”の結晶No.1(1964年) * 合唱幻想曲 友よ 大阪の夜明けを見よう(1984年) * おーい富士山(1986年) * 蔵王山上の歌 雲の中に立つ-混声合唱と打楽器のための(1999年) === ジョーク作品 === * 交響曲第45番 「宿命」 * ピアノ狂騒曲 「ヘンペラー」 * ヴァイオリン狂騒曲 「迷混」 :上記3作品は、コロムビアから「山本直純フォエヴァー ~歴史的パロディコンサート」という名前で、その初演がCD化されている。 === 団体歌 === * われら([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]党歌) * 社会党ファンファーレ * [[川崎市|川崎]]市民の歌「[[好きです かわさき 愛の街]]」 * 東京都中央区の[[区歌]]「[[中央区の歌 わがまち|わがまち]]」 * せとうち賛歌:[[テレビせとうち]]([[岡山県]][[香川県]]をエリアとする民間放送局)イメージソング * [[大手前大学]]学園歌 「アルママータ」 * [[松本歯科大学]]校歌「あゝ渺々の蒼穹に」 * [[三菱グループ]]「三菱讃歌」 * [[UCC上島珈琲|上島珈琲]]株式会社社歌「いざたたかわん」歌唱:[[尾崎紀世彦]] * [[三和銀行]]行歌 * [[ゴールドウイン]]社歌 * [[千代田区立お茶の水小学校]]校歌 * [[神戸星城高等学校]]校歌 * [[日本大学習志野高等学校]]校歌 * 桂川電機株式会社社歌 * [[れいめい中学校・高等学校]]校歌 *[[川崎重工業]]株式会社社歌「はばたけ川崎」 *[[専修大学松戸高等学校]]校歌 *大銀の旗の元に(大分銀行) *千代田区立佐久間幼稚園歌 *[[町田市立鶴川第三小学校]]校歌(谷川俊太郎作詞) *帝人徳山工場歌 *新日鉄讃歌 *東京工学院院歌(石川慎太郎作詞) *苫小牧マーガレット幼稚園歌 *中野スクールオブビジネス専門学校校歌 *日本電子工学院校歌 *練馬区立練馬第三小学校 *竹岸食肉専門学校校歌 *メイテック社歌 *本田技研「レッツゴーホンダ」 *[[藤村女子中学・高等学校]]校歌 === その他 === * 山本直純CD選集~人生即交響楽~CD8枚組(日本音声保存) == 書籍 == * ボクの名曲案内―オーケストラがやって来た(実業之日本社、1975年) * 音楽で鬱が吹っとぶ本―こんな名曲が気分を変える([[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]]、1984年1月)ISBN 9784584005453 * CLASSIC CLIMAX([[主婦の友社]] CDブックス、1988年8月)ISBN 9784079303903 * MARCH IN MARCH(主婦の友社 CDブックス、1991年2月)ISBN 9784079357135 * 紅いタキシード([[東京書籍]]、1999年12月)ISBN 9784487795260 * オーケストラがやってきた([[実業之日本社]]、2002年11月)ISBN 9784408395043 == 出演 == * 音楽の花ひらく([[日本テレビ放送網|NHK]]、1967年度) *[[NTV紅白歌のベストテン]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])- 白組総合司会 * [[東京警備指令 ザ・ガードマン|ザ・ガードマン]] 第316話「うるさい奥さんをうまく殺す方法」([[TBSテレビ|TBS]]、1971年)- 特別ゲスト * [[百万人の大合唱]]([[東宝]]、1972年)- 本人役 * [[夜のグランドショー]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1972年)- レギュラー * [[オーケストラがやってきた]]([[TBSテレビ|TBS]]、1972年~1983年) * FM東京系列「[[新日鐵アワー・音楽の森]]」の初代パーソナリティ(1976年~1978年) * [[ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空]](TBS、1978年)- ゲスト * 直純のぴあのふぉる亭(テレビ東京、1981年)- レギュラー * [[山本直純のミスターグッディ]]([[文化放送]]) * [[なかよしリズム]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]、1984年~1988年3月) * [[FMシンフォニー・コンサート]]の初代パーソナリティ([[NHK-FM放送|NHKFM]]、1985年~2002年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Jmdb name|0150830}} * {{allcinema name|118038}} * {{kinejun name|85871}} * {{imdb name|0945462}} {{男はつらいよ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:やまもと なおすみ}} [[Category:日本の男性作曲家]] [[Category:近現代の作曲家]] [[Category:日本の映画音楽の作曲家]] [[Category:日本の指揮者]] [[Category:日本の司会者]] [[Category:東京芸術大学出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1932年生]] [[Category:2002年没]] [[Category:山本直良家|なおすみ]]
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オーケストラがやって来た
『オーケストラがやって来た』(オーケストラがやってきた)は、1972年10月1日から1983年3月27日までTBS系列局で、10年半に渡り放送されていた音楽番組である。テレビマンユニオンとTBSの共同製作。全544回。1980年5月4日放送回からステレオ放送。 クラシック音楽を専門に取り扱っていた番組。日本各地で番組の中継録画を行ったり、会場に来ている観客を1分間指揮者コーナーなどに参加させたりと、さまざまな形でクラシックの普及に努めていた。 司会は、殆どの時期において企画原案・音楽監督担当者である山本直純が務めていた。1978年8月に山本が無免許運転騒動を起こし、TBSから番組降板を宣告されて一時番組を離れていた時期があったが(その間は主に石井眞木が代行)、1年後の1979年秋に復帰した。ただし復帰からの半年間は、石井と週交替で司会を務めていた。その後は、映画『大日本帝国』などの劇中音楽制作のために1982年4月から不定期出演となっていた時期を除き(その間は高島忠夫と交替で担当)、最終回までアグネス・チャンや大場久美子とともに司会を務めていた。 番組には数多くの著名な音楽家たちが出演した。番組特別企画のオーディションでデリック・イノウエと金洪才、そして当時東京芸術大学の学生であった大野和士の3人が専属指揮者に選ばれ、1980年から2年間ほど交替で指揮台に上がっていた。演奏は、主に新日本フィルハーモニー交響楽団が行っていた。番組の演出は、TBS出身の映画監督でオペラ演出やクラシック音楽関連のエッセイも多い実相寺昭雄がしばしば担当していた。 オープニングで演奏されていたテーマ音楽の原曲は、ヨハン・シュトラウス2世の「常動曲」(無窮動)。曲終盤のホルンが吹かれる箇所に入ると指揮者が客席の方を向き、観客と一斉になって『オ〜ケスト〜ラがやって来た〜』と合唱し、最後はスポンサーとの関係から、ステージ中央に置かれてベルが鳴り出す電話機の受話器を女性司会者が取り上げ、耳に当てるという演出がとられた。 スポンサーは、主に電電公社が務めていた。当初は同公社の一社提供で放送されていたが、途中から最終回まで富士重工(後のSUBARU)との二社提供であった。電電公社は、後番組のアニメ『ミームいろいろ夢の旅』でも引き続きスポンサーを務めていた。 いずれも日本標準時。 1979年4月22日と29日の2回にわたって放送される予定だった小沢征爾とボストン交響楽団の中国訪問のドキュメンタリーの放送が中止された。中止の理由についてTBS側は「テレビマンユニオンからの申し入れ」と述べ、テレビマンユニオン側は「内容にスポンサーが難色を示し、話し合いがつかなかったため」としている。 データは、テレビマンユニオンが公開している番組の動画「第92回 セイジ・スターンの『私は音楽家です』」(下記外部リンク節にリンクあり)からの参考。 特筆の無い場合は全て同時ネット。地方での収録時は、TBSと収録地のネット局(日本テレビ系列の山形放送・福井放送・四国放送・南海放送を含む)の共同制作となっていた。
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『オーケストラがやって来た』(オーケストラがやってきた)は、1972年10月1日から1983年3月27日までTBS系列局で、10年半に渡り放送されていた音楽番組である。テレビマンユニオンとTBSの共同製作。全544回。1980年5月4日放送回からステレオ放送。
{{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = オーケストラがやって来た | ジャンル = [[音楽番組]] | 企画 = [[山本直純]](企画原案・音楽監督) | 構成 = [[榛谷泰明]] | ディレクター = 黒木隆 大原れいこ | 司会者 = 山本直純<br />ほか | 出演者 = [[新日本フィルハーモニー交響楽団]]<br />ほか | OPテーマ = 原曲:「[[常動曲 (ヨハン・シュトラウス2世)|常動曲]]」 | EDテーマ = <!--「製作」ヘッダ--> | プロデューサー = <!--「プロデュース」も使用可-->[[萩元晴彦]]<br />新村もとを | 製作 = [[テレビマンユニオン]]<br />[[TBSテレビ|TBS]] <!--「放送」ヘッダ-->| ヘッダ = <!--既定値は「放送」-->放送 | 放送局 = [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]] | 映像形式 = | 音声形式 = [[モノラル放送]] → [[ステレオ放送]](1980年5月4日-)<ref name=asahi>朝日新聞 1980年4月27日のテレビ欄 及び1980年5月4日のテレビ欄 P.24(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref> | 放送国 = {{JPN}} <!--シリーズ番組ヘッダ-->| ヘッダ1 = 日曜午後時代 | 放送期間1 = 1972年10月1日 - 1978年3月26日 | 放送時間1 = 日曜 14:30 - 15:00 | 放送枠1 = | 放送分1 = 30 | 放送回数1 = | ヘッダ2 = 日曜午前時代 | 放送期間2 = 1978年4月2日 - 1983年3月27日 | 放送時間2 = 日曜 11:00 - 11:30 | 放送枠2 = | 放送分2 = 30 | 放送回数2 = <!--以下、数字は「20」まで--> }} {{Portal クラシック音楽}} 『'''オーケストラがやって来た'''』(オーケストラがやってきた)は、[[1972年]][[10月1日]]から[[1983年]][[3月27日]]まで[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列局]]で、10年半に渡り放送されていた[[音楽番組]]である。[[テレビマンユニオン]]と[[TBSテレビ|TBS]]の共同製作。全544回。1980年5月4日放送回からステレオ放送<ref name=asahi/>。 == 概要 == [[クラシック音楽]]を専門に取り扱っていた番組<ref>{{Cite book|和書|author=[[志賀信夫]]|title=テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで|publisher=[[日本放送出版協会]]|date=1984-08-01|pages=196 - 198|id={{NDLJP|12275392/102}}}}</ref>。日本各地で番組の中継録画を行ったり、会場に来ている観客を1分間指揮者コーナーなどに参加させたりと、さまざまな形でクラシックの普及に努めていた。 司会は、殆どの時期において企画原案・音楽監督担当者である[[山本直純]]が務めていた。1978年8月に山本が無免許運転騒動を起こし、TBSから番組降板を宣告されて<ref>山本直純が暴走 番組降ろすとTBSが決定『朝日新聞』1978年(昭和53年)8月10日夕刊、3版、11面</ref>一時番組を離れていた時期があったが(その間は主に[[石井眞木]]が代行)、1年後の1979年秋に復帰した。ただし復帰からの半年間は、石井と週交替で司会を務めていた。その後は、映画『[[大日本帝国_(映画)|大日本帝国]]』などの劇中音楽制作のために1982年4月から不定期出演となっていた時期を除き(その間は[[高島忠夫]]と交替で担当)、最終回まで[[アグネス・チャン]]や[[大場久美子]]とともに司会を務めていた。 番組には数多くの著名な音楽家たちが出演した。番組特別企画のオーディションで[[デリック・イノウエ]]と[[金洪才]]、そして当時[[東京芸術大学]]の学生であった[[大野和士]]の3人が専属指揮者に選ばれ、1980年から2年間ほど交替で指揮台に上がっていた。演奏は、主に[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]が行っていた。番組の演出は、TBS出身の映画監督でオペラ演出やクラシック音楽関連のエッセイも多い[[実相寺昭雄]]がしばしば担当していた。 オープニングで演奏されていたテーマ音楽の原曲は、[[ヨハン・シュトラウス2世]]の「[[常動曲 (ヨハン・シュトラウス2世)|常動曲]]」(無窮動)。曲終盤の[[ホルン]]が吹かれる箇所に入ると指揮者が客席の方を向き、観客と一斉になって『オ〜ケスト〜ラがやって来た〜』と合唱し、最後はスポンサーとの関係から、ステージ中央に置かれてベルが鳴り出す電話機の受話器を女性司会者が取り上げ、耳に当てるという演出がとられた。 スポンサーは、主に[[日本電信電話公社|電電公社]]が務めていた。当初は同公社の一社提供で放送されていたが<ref>{{Cite book |和書 |author=今野勉|authorlink=今野勉 |title=テレビの青春 |publisher=[[NTT出版]] |year=2009 |page=484}}</ref>、途中から最終回まで富士重工(後の[[SUBARU]])との二社提供であった。電電公社は、後番組のアニメ『[[ミームいろいろ夢の旅]]』でも引き続きスポンサーを務めていた<ref>最後の半年間(1985年4月-同年9月)は、電電公社の後身にあたる[[日本電信電話|NTT]]がスポンサーとなった。</ref>。 == 放送時間 == いずれも[[日本標準時]]。 * 日曜 14:30 - 15:00 (1972年10月1日 - 1978年3月26日) * 日曜 11:00 - 11:30 (1978年4月2日 - 1983年3月27日) - それまでこの時間帯に放送されていた『家族対抗クイズ合戦』(『[[クイズ100人に聞きました]]』の前身番組)との枠交換によって移動。 == 出演者 == === 男性司会 === * [[山本直純]] * [[石井眞木]] - 山本の謹慎期間中に出演。その間は番組で、石井自身が作曲したテーマ曲が使われていた。 * [[岩城宏之]] - 同上。 * [[大町陽一郎]](指揮者) - 同上。 * [[高島忠夫]] - スケジュールの都合により、1982年春から夏まで不定期出演となっていた山本の代役を務めていた。 === 女性司会 === * [[うつみ宮土理]] - 初代アシスタント。 * [[真理アンヌ]] * [[島田祐子]] * [[アグネス・チャン]] * [[マリ・クリスティーヌ]] * [[大場久美子]] ==放送中止== 1979年4月22日と29日の2回にわたって放送される予定だった[[小沢征爾]]とボストン交響楽団の中国訪問のドキュメンタリーの放送が中止された。中止の理由についてTBS側は「テレビマンユニオンからの申し入れ」と述べ、テレビマンユニオン側は「内容にスポンサーが難色を示し、話し合いがつかなかったため」としている。<ref>テレビ放送中止事件 岩波ブックレット</ref> == スタッフ == データは、テレビマンユニオンが公開している番組の動画「第92回 セイジ・スターンの『私は音楽家です』」(下記外部リンク節にリンクあり)からの参考。 * 中継技術:[[パビック|pavic]] * タイトルイラストレーション:[[山藤章二]] * 構成:[[榛谷泰明]] * ディレクター:黒木隆 * プロデューサー:[[萩元晴彦]]、新村もとを * 制作:テレビマンユニオン、TBS(地方での公開録画時は現地のネット局もクレジット) == 放送局 == {{節スタブ}} 特筆の無い場合は全て同時ネット。地方での収録時は、TBSと収録地のネット局([[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]の山形放送・福井放送・四国放送・南海放送を含む)の共同制作となっていた。 *TBS(制作局) *[[北海道放送]] *[[青森テレビ]] *[[東北放送]] *[[山形放送]] *[[福島テレビ]] *[[新潟放送]]:当初は同時ネット<ref name="ki">『[[北日本新聞]]』1975年3月30日付朝刊、テレビ欄。</ref>→金曜 17:00 - 17:30(1977年時点)<ref name="ho">『[[北國新聞]]』1977年2月11日付朝刊、テレビ欄。</ref> *[[信越放送]] *[[テレビ山梨]] *[[静岡放送]] *[[北陸放送]]<ref name="ki" /> *[[福井放送]]:金曜 17:00 - 17:30(1977年時点)<ref name="ho" />→日曜 10:30 - 11:00(1983年4月3日最終回時点)<ref>『北國新聞』1983年4月3日付朝刊、テレビ欄。</ref> *[[CBCテレビ|中部日本放送]]<ref name="ki" /> *[[朝日放送テレビ|朝日放送]](1975年3月30日まで) → [[毎日放送]](1975年4月6日から)<ref>1975年3月31日に朝日放送と毎日放送との間で[[ネットチェンジ]](いわゆる腸捻転の解消)が行われたため。</ref> *[[RSKテレビ|山陽放送]] *[[中国放送]] *[[山陰放送]] *[[四国放送]] *[[南海放送]] *[[RKB毎日放送]] *[[熊本放送]] *[[大分放送]] *[[南日本放送]] *[[琉球放送]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://tvuch.com/search/?q=オーケストラがやって来た 「オーケストラがやって来た」検索結果:テレビマンユニオン チャンネル | TV MAN UNION CHANNEL] - テレビマンユニオンが公開している番組の動画集。 * [https://www.tvu.co.jp/event/okekita/ イベント &#124; テレビマンユニオン &#124; TV MAN UNION] - テレビマンユニオン創立45周年記念コンサート「“オーケストラがやって来た”が帰って来た!」に関する告知。 * [https://web.archive.org/web/20060811031023/http://www003.upp.so-net.ne.jp/johakyu/naozumi.htm 山本直純のオーケストラがやって来た題名リスト:黛敏郎の音楽 日本の作曲家を聴く] - 放送リスト。個人サイトの1ページであるが、当時の[[朝日新聞]]縮刷版をもとにして書かれている。 {{前後番組 | 放送局 = [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]] | 放送枠 = 日曜14:30枠 | 番組名 = オーケストラがやって来た<br />(1972年10月1日 - 1978年3月26日) | 前番組 = [[東芝 歌うプレゼントショー]]<br />(1970年4月 - 1972年9月) | 次番組 = [[クイズ100人に聞きました|家族対抗クイズ合戦]]<br />(1978年4月2日 - 1979年3月25日) | 2放送局 = TBS系列 | 2放送枠 = 日曜11:00枠<br />(本番組から[[日本電信電話公社|電電公社]]一社提供枠) | 2番組名 = オーケストラがやって来た<br />(1978年4月2日 - 1983年3月27日) | 2前番組 = [[クイズ世界をあなたに]]<br />(1977年4月3日 - 1978年3月26日) | 2次番組 = [[ミームいろいろ夢の旅]]<br />(1983年4月3日 - 1985年9月29日) }} {{アグネス・チャン}} {{高島忠夫}} {{DEFAULTSORT:おおけすとらかやつてきた}} [[Category:1972年のテレビ番組 (日本)]] [[Category:クラシック音楽のテレビ番組]] [[Category:オーケストラ音楽の番組]] [[Category:TBSの音楽番組]] [[Category:TBSの番組の歴史]] [[Category:TBSの一社提供番組]] [[Category:NTTグループ単独提供番組]] [[Category:SUBARU|番おおけすとらかやつてきた]] [[Category:テレビマンユニオン]] [[Category:アグネス・チャン]]
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対称性
対称性(たいしょうせい、羅: symmetria, 希: συμμετρία, 独: Symmetrie, 英: symmetry)とは、ある変換(たとえば、左右反転や45°回転)に関して、変換を適用しても変わらない性質のことをいう。 一般に、「ある対象Mが、対称性S(S対称性)をもつ」とは、「S」で指定された操作をMに施しても Mが変わらないことをいう(なお、このような操作を「対称操作」とも呼び、また「変換」とも呼ぶ)。たとえば、「球は(が) 回転対称性をもつ」と言えば、球は、その中心を通る任意の直線を軸にしてどんな角だけ回転させても、もとの球とぴったり重なることを意味する。 芸術分野の用語としてシンメトリー、あるいはシンメトリとして用いられ、人や物の配置や向き、振り付けやポーズについて基準線(主にその場の中心)に対して左右鏡面対称とすることを意味する。これは平面的な対称性に対して用いられ、立体的な対称性については使われにくい。口語では省略され、シンメと呼称されることもある。芸術におけるシンメトリーは整列性を想起させて「美しい」と評されることもあれば、動物的でなくなるため無機質とされることもある。 並進対称性は、並進操作(平行移動)に対して対称であること。及びその性質。普通には方向を含めた空間軸、時間軸、あるいは大局性(局在性)に置いて変わらないこと、即ち斉一=均一であること。 連続的対称とは 並進操作においていかなる距離を取っても対称であること。離散的対称とは 並進操作において最小距離(の整数倍)において対称であること。 ある図形をある回転角で回転したときに、もとの図形に重なる場合、その図形は回転対称性を持っている。 あらゆる図形は1回転(360°)すると元の図形に重なるが、これは恒等変換にすぎない。 1/2回転(180°)回転して元の図形に重なるものは2回対称であるという。平面では点対称と同義である。1/3回転(120°)回転して元の図形に重なるものは3回対称であるという。以下同様に、1/n 回転して元の図形に重なるものは n 回対称であるという。 一般に回転対称は離散的対称である。任意の回転について対称、あるいは微小回転について対称であるものは等方的である。 ある図形のある鏡映面に関する鏡像が元の図形と一致するならば、その図形は鏡像対称であるという。例えば、平面上の図形が鏡像対称であるとは、線対称であることを意味する。 式の文字を入れ替えても元の式と変わらない式を対称式という。 例えば x 2 + x y + y 2 {\displaystyle x^{2}+xy+y^{2}\,} は x {\displaystyle x\,} と y {\displaystyle y\,} の入れ替えについて不変な対称式である。 結晶構造は並進対称性、回転対称性および鏡像対称性の組み合わせで表現することができる。それらは点群、空間群にまとめられる。 美術におけるシンメトリーとは、対象に中心線を引いて、その左右対称な様式美を指す。実際の人間においては完全に左右が対称になる事は無い。従ってシンメトリーにみられる様式美は憧れの想像美であると言える。
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対称性とは、ある変換(たとえば、左右反転や45°回転)に関して、変換を適用しても変わらない性質のことをいう。
{{Redirect|対称|[[文法]]における「対称」|二人称}} {{出典の明記|date=2016-09-17}} [[File:Asymmetric (PSF).svg|thumb|right|400px|図形が、鏡像対称性を持つ例(左)と、鏡像対称性を持たない例(右)。対称性を持たないものは{{仮リンク|非対称|en|Asymmetry}}と言う。]] '''対称性'''(たいしょうせい、{{Lang-la-short|symmetria}}, {{Lang-el-short|συμμετρία}}, {{Lang-de-short|Symmetrie}}, {{Lang-en-short|symmetry}})とは、ある[[変換 (数学)|変換]](たとえば、左右反転や45°回転)に関して、変換を適用しても変わらない性質のことをいう。 == 概説 == 一般に、「ある対象Mが、対称性S(S対称性)をもつ」とは、<u>「S」で指定された操作を</u>Mに<u>施しても</u> <u>Mが変わらないこと</u>をいう<ref name="nipponica">小学館『日本大百科全書』(ニッポニカ)、「対称性」。[[江沢洋]] 執筆記事。</ref>(なお、このような操作を「対称操作」とも呼び、また「変換」とも呼ぶ<ref name="nipponica" />)。たとえば、「球は(が) 回転対称性をもつ」と言えば、球は、その中心を通る[[任意#数学などにおける「任意」|任意]]の[[直線]]を軸にしてどんな[[角度|角]]だけ[[回転]]させても、もとの球とぴったり重なることを意味する<ref name="nipponica" />。 芸術分野の用語として'''シンメトリー'''、あるいは'''シンメトリ'''として用いられ、人や物の配置や向き、振り付けやポーズについて基準線(主にその場の中心)に対して左右鏡面対称とすることを意味する。これは平面的な対称性に対して用いられ、立体的な対称性については使われにくい。口語では省略され、'''シンメ'''と呼称されることもある。芸術におけるシンメトリーは整列性を想起させて「美しい」と評されることもあれば、動物的でなくなるため無機質とされることもある{{要出典|date=2021年10月}}。 == 空間の対称性 == === 並進対称性 === [[並進対称性]]は、[[並進操作]](平行移動<ref>{{Cite web|和書|title=並進対称(へいしんたいしょう)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A6%E9%80%B2%E5%AF%BE%E7%A7%B0-1410745|website=コトバンク|accessdate=2020-04-27|language=ja|last=世界大百科事典内言及}}</ref>)に対して対称であること。及びその性質。普通には方向を含めた空間軸、時間軸、あるいは[[大局性]]([[局在性]])に置いて変わらないこと、即ち斉一=[[均一]]であること。 [[連続的対称]]とは 並進操作においていかなる距離を取っても対称であること。離散的対称とは 並進操作において最小距離(の整数倍)において対称であること。 === 回転対称性 === ある図形をある回転角で[[回転]]したときに、もとの図形に重なる場合、その図形は[[回転対称性]]を持っている。 あらゆる図形は1回転(360°)すると元の図形に重なるが、これは恒等変換にすぎない。 1/2回転(180°)回転して元の図形に重なるものは2回対称であるという。平面では[[点対称]]と同義である。1/3回転(120°)回転して元の図形に重なるものは3回対称であるという。以下同様に、1/''n'' 回転して元の図形に重なるものは ''n'' 回対称であるという。 一般に[[回転対称]]は離散的対称である。任意の回転について対称、あるいは微小回転について対称であるものは[[等方的]]である。 === 鏡像対称性 === ある図形のある鏡映面に関する[[鏡像]]が元の図形と一致するならば、その図形は[[鏡像対称]]であるという。例えば、平面上の図形が鏡像対称であるとは、[[線対称]]であることを意味する。 == 対称式 == [[式]]の[[文字]]を入れ替えても元の式と変わらない式を[[対称式]]という。 例えば <math>x^2+xy+y^2\,</math> は <math>x\,</math> と <math>y\,</math> の入れ替えについて不変な対称式である。 == 応用 == === 物理 === {{see|対称性 (物理学)}} ==== 結晶 ==== [[結晶構造]]は並進対称性、回転対称性および鏡像対称性の[[組み合わせ]]で表現することができる。それらは[[点群]]、[[空間群]]にまとめられる。 === 美術 === [[美術]]におけるシンメトリーとは、対象に中心線を引いて、その[[左右]]対称な[[様式美]]を指す。実際の人間においては完全に左右が対称になる事は無い。従ってシンメトリーにみられる様式美は憧れの想像美であると言える。 <!-- 右の写真は[[古代エジプト]]における胸像であるが、シンメトリーによる様式美を保っている事が良く分かる。このような形式は古代エジプトのほかにも、[[古代ギリシア]]、[[古代ローマ]]にも見られる。また古代ギリシア、ローマ文明の復活をかけた[[ルネサンス]]においてもシンメトリーの様式美が復活する。ルネサンスにおいては次第にシンメトリーが捨てられ、[[解剖学]]に基づいた活動的な様式へと変化する。これが[[マニエリスム]]である。 --> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == {{Commons category|Symmetry}} * [[対称操作]] * [[反対称性]] * [[同一性]] * [[図形の相似]] - [[自己相似]] * [[相関]] - [[相関関係]] - [[相関概念]] * [[美学]] / [[美]] === 数学 === * [[群論]] * [[線対称]] * [[点対称]] === 物理学 === {{columns-list|column-width=25em| * [[ネーターの定理]] * [[物性物理学]] - [[結晶]] * [[第一原理バンド計算]] - [[周期的境界条件]] * [[CPT定理]] * [[対称性の破れ]] * [[超対称性]] * [[等方的と異方的]](連続的な[[回転対称性]]) * [[対称性 (物理学)#連続的対称性|均質]](連続的な[[並進対称性]]) * [[点群]] * [[空間]] - [[時間]] - [[時空]] * [[変形]] - [[変化]] }} === 経済学 === * [[互酬]] === 音楽 === * [[非可逆リズム]] == 外部リンク == * [http://mathsoc.jp/publication/tushin/1504/1504ito.pdf 鏡の国へ行ってみよう! ~対称性のはなし~]([https://mathsoc.jp/publication/tushin/index15-4.html 数学通信第15巻第4号]) *{{Kotobank}} {{C、PおよびT対称性}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たいしようせい}} [[Category:対称性|*]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:美学]]
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テノール
テノール、またはテナー(英: tenor、仏: ténor、独: Tenor、伊: tenore)は、高い声域の男声歌手(カウンターテナーほど高くはない)あるいはその声域のことである。 4声体和声、混声四部合唱においては、下から2番目に低い声部で、バスより高くソプラノおよびアルトの下にくる。テノールは概ねC3〜C5くらいの範囲の声域を持つ。これに対し、4声体和声や合唱ではC3〜A4くらいの音域である。音色は、透明感のある明るい声が特徴である。裏声(ファルセット)は通常使用しない(ファルセットを常用するのがカウンターテナーである)。混声四部合唱ではソプラノと合わせて高声、アルトと合わせて内声とよばれる。 声楽においては、テノールはト音記号のヴァイオリン記号を用いて記譜されることが多い。その場合は実音表記ではなく、1オクターブ下げて読む(そうであることを明確にするために、ト音記号の下に数字の8をつけることがある)。合唱の譜面において、バスと同じ五線上に書く時にはヘ音記号のバス記号が用いられる。また、現在では少ないものの、アルト記号が用いられることもある(近年の使用例として、ショスタコーヴィチ「忠誠」)。古くはテノール記号が使われていた。 しばしば楽器に用いて、同グループの異なる楽器との関係で音域を示すのに用いられる。一例としてはテナーサックス(テノール・サクソフォーン)がある。 「テノール」の呼び名は「保つ」を意味するラテン語のtenereからとられた。「(主旋律を)保つ者」の意で、元々グレゴリオ聖歌の長く延ばして歌う部分を指した。中世からルネッサンス期初頭のポリフォニー音楽においては、テノール声部は常に主旋律(定旋律、羅: cantus firmus、カントゥス・フィルムス)を与えられた。他の声部はテノールに対し和声あるいは対旋律を加えた。 4声の男声合唱を行うときは、テノールはさらにトップ・セカンドにわかれる。トップが主旋律を担当し、セカンドは対旋律を担当することが多い。 なお、近年のJ-POPにおいては高い音域を取り入れる楽曲が主流のため、テノールの音域もしくはこれより高い音域で歌われているものが大半を占めており、裏声を除けばA4付近を最高音とする楽曲が多い。 特にオペラ歌手の場合、テノールの声質を以下のように分類、形容することがある。上の方の声質は「軽い、柔かい、若々しい」印象を、下の方はより「重い、たくましい」印象を与える。 一人の歌手の声質が加齢とともに変化していくことも多く、殆どの場合それは「軽い→重い」の方向となる。 これとは別の概念として、ヴァーグナー作曲の歌劇・楽劇における英雄的な役どころを演じるのに適した声質をもつテノールのことを「ヘルデンテノール」(独: Heldentenorから)と称することもある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "テノール、またはテナー(英: tenor、仏: ténor、独: Tenor、伊: tenore)は、高い声域の男声歌手(カウンターテナーほど高くはない)あるいはその声域のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "4声体和声、混声四部合唱においては、下から2番目に低い声部で、バスより高くソプラノおよびアルトの下にくる。テノールは概ねC3〜C5くらいの範囲の声域を持つ。これに対し、4声体和声や合唱ではC3〜A4くらいの音域である。音色は、透明感のある明るい声が特徴である。裏声(ファルセット)は通常使用しない(ファルセットを常用するのがカウンターテナーである)。混声四部合唱ではソプラノと合わせて高声、アルトと合わせて内声とよばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "声楽においては、テノールはト音記号のヴァイオリン記号を用いて記譜されることが多い。その場合は実音表記ではなく、1オクターブ下げて読む(そうであることを明確にするために、ト音記号の下に数字の8をつけることがある)。合唱の譜面において、バスと同じ五線上に書く時にはヘ音記号のバス記号が用いられる。また、現在では少ないものの、アルト記号が用いられることもある(近年の使用例として、ショスタコーヴィチ「忠誠」)。古くはテノール記号が使われていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "しばしば楽器に用いて、同グループの異なる楽器との関係で音域を示すのに用いられる。一例としてはテナーサックス(テノール・サクソフォーン)がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「テノール」の呼び名は「保つ」を意味するラテン語のtenereからとられた。「(主旋律を)保つ者」の意で、元々グレゴリオ聖歌の長く延ばして歌う部分を指した。中世からルネッサンス期初頭のポリフォニー音楽においては、テノール声部は常に主旋律(定旋律、羅: cantus firmus、カントゥス・フィルムス)を与えられた。他の声部はテノールに対し和声あるいは対旋律を加えた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "4声の男声合唱を行うときは、テノールはさらにトップ・セカンドにわかれる。トップが主旋律を担当し、セカンドは対旋律を担当することが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、近年のJ-POPにおいては高い音域を取り入れる楽曲が主流のため、テノールの音域もしくはこれより高い音域で歌われているものが大半を占めており、裏声を除けばA4付近を最高音とする楽曲が多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "特にオペラ歌手の場合、テノールの声質を以下のように分類、形容することがある。上の方の声質は「軽い、柔かい、若々しい」印象を、下の方はより「重い、たくましい」印象を与える。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "一人の歌手の声質が加齢とともに変化していくことも多く、殆どの場合それは「軽い→重い」の方向となる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これとは別の概念として、ヴァーグナー作曲の歌劇・楽劇における英雄的な役どころを演じるのに適した声質をもつテノールのことを「ヘルデンテノール」(独: Heldentenorから)と称することもある。", "title": "分類" } ]
テノール、またはテナーは、高い声域の男声歌手(カウンターテナーほど高くはない)あるいはその声域のことである。
{{Portal クラシック音楽}} {{右| [[ファイル:Sopran.png|thumb|200px|none|[[ソプラノ]]]] [[ファイル:Range of alto voice marked on keyboard.svg|thumb|200px|none|[[アルト]]]] [[ファイル:Tenor.png|thumb|200px|none|'''テノール''']] [[ファイル:Range of bass voice marked on keyboard.png|thumb|200px|none|[[バス (声域)|バス]]]] }} '''テノール'''、または'''テナー'''({{lang-en-short|tenor}}、{{lang-fr-short|ténor}}、{{lang-de-short|Tenor}}、{{lang-it-short|tenore}})は、高い声域の男声歌手([[カウンターテナー]]ほど高くはない)あるいはその声域のことである。 == 概要 == [[和声#声部|4声体和声]]、混声四部合唱においては、下から2番目に低い声部で、[[バス (声域)|バス]]より高く[[ソプラノ]]および[[アルト]]の下にくる。テノールは概ね[[音名・階名表記#オクターヴ表記|C3]]〜[[音名・階名表記#オクターヴ表記|C5]]くらいの範囲の声域を持つ<ref>フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・ロッド=マーリング 『うたうこと 発声器官の肉体的特質』 須永義雄・大熊文子訳 音楽之友社、2000年、111頁。ISBN 4-276-14252-0</ref>。これに対し、4声体和声や[[合唱]]ではC3〜A4くらいの音域である。音色は、透明感のある明るい声が特徴である。[[裏声]](ファルセット)は通常使用しない(ファルセットを常用するのがカウンターテナーである)。混声四部合唱ではソプラノと合わせて高声、アルトと合わせて内声とよばれる。 声楽においては、テノールは[[ト音記号]]の[[ヴァイオリン記号]]を用いて記譜されることが多い。その場合は実音表記ではなく、1オクターブ下げて読む(そうであることを明確にするために、ト音記号の下に数字の8をつけることがある)。合唱の譜面において、[[バス (声域)|バス]]と同じ五線上に書く時には[[ヘ音記号]]の[[バス記号]]が用いられる。また、現在では少ないものの、[[アルト記号]]が用いられることもある(近年の使用例として、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]「忠誠」)。古くは[[テノール記号]]が使われていた。 しばしば[[楽器]]に用いて、同グループの異なる楽器との関係で音域を示すのに用いられる。一例としてはテナーサックス(テノール・[[サクソフォーン]])がある。 「テノール」の呼び名は「保つ」を意味するラテン語の''tenere''からとられた。「(主旋律を)保つ者」の意で、元々[[グレゴリオ聖歌]]の長く延ばして歌う部分を指した。[[中世西洋音楽|中世]]から[[ルネッサンス音楽|ルネッサンス期]]初頭の[[ポリフォニー]]音楽においては、テノール声部は常に主旋律([[定旋律]]、[[ラテン語|羅]]: cantus firmus、カントゥス・フィルムス)を与えられた。他の声部はテノールに対し和声あるいは対旋律を加えた。 4声の[[男声合唱]]を行うときは、テノールはさらにトップ・セカンドにわかれる。トップが主旋律を担当し、セカンドは対旋律を担当することが多い。 なお、近年の[[J-POP]]においては高い音域を取り入れる楽曲が主流のため、テノールの音域もしくはこれより高い音域で歌われているものが大半を占めており、裏声を除けば[[音名・階名表記#オクターヴ表記|A4]]付近を最高音とする楽曲が多い。 == 分類 == 特に[[オペラ]]歌手の場合、テノールの声質を以下のように分類、形容することがある。上の方の声質は「軽い、柔かい、若々しい」印象を、下の方はより「重い、たくましい」印象を与える。 * レッジェーロ * リリコ * リリコ・スピント * [[ドラマティコ]] 一人の歌手の声質が加齢とともに変化していくことも多く、殆どの場合それは「軽い→重い」の方向となる。 これとは別の概念として、[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]作曲の歌劇・楽劇における英雄的な役どころを演じるのに適した声質をもつテノールのことを「ヘルデンテノール」(独: Heldentenorから)と称することもある。 == 著名なテノール == === 日本国外=== ; あ行 * [[ヴラディーミル・アトラントフ]] * [[ウルス・ブーラー (Il Divo)]] * [[フランシスコ・アライサ]] * [[ジャコモ・アラガル]] * [[ロベルト・アラーニャ]] * [[ルイジ・アルヴァ]] * [[マルセロ・アルバレス]] * [[ジュゼッペ・アンセルミ]] * [[ペーター・アンダース]] * [[ジークフリート・イェルザレム]] * [[ラモン・ヴァルガス]] * [[チェーザレ・ヴァレッティ]] * [[アラン・ヴァンゾ]] * [[ジョン・ヴィッカーズ]] * [[ラモン・ヴィナイ]] * [[ヴォルフガング・ヴィントガッセン]] * [[フリッツ・ウール]] * [[フリッツ・ヴンダーリッヒ]] * [[クルト・エクウィルツ]] * [[ロタール・オディニウス]] ; か行 * [[ヨナス・カウフマン]] * [[ロベルト・ディ・カンディド]] * [[ウラジミール・ガルーシン]] * [[エンリコ・カルーソー]] * [[ホセ・カレーラス]] * [[ジェームズ・キング (声楽家)|ジェームス・キング]] * [[アルベルト・クピード]] * [[ホセ・クーラ]] * [[アルフレード・クラウス]] * [[アラン・グラスマン]] * [[リチャード・クルックス]] * [[エドモン・クレマン]] * [[グレゴリー・クンデ]] * [[ニコライ・ゲッダ]] * [[イワン・コズロフスキー]] * [[フランコ・コレッリ]] * [[ルネ・コロ]] ; さ行 * [[ジュゼッペ・サッバティーニ]] * [[レナート・ザネッリ]] * [[ジュゼッペ・ザンピエーリ]] * [[ベニャミーノ・ジーリ]] * [[ニール・シコフ]] * [[ジュゼッペ・ジャコミーニ]] * [[ヨーゼフ・シュミット]] * [[ペーター・シュライアー]] * [[ルドルフ・ショック]] * [[ラウル・ジョバン]] * [[エドワード・ジョンソン]] * [[アントニーノ・シラグーザ]] * [[ティート・スキーパ]] * [[ルートヴィヒ・ズートハウス]] * [[レオ・スレザーク]] * [[ブルース・スレッジ]] * [[ジョヴァンニ・ゼナテッロ]] * [[ミシェル・セネシャル]] ; た行 * [[リヒャルト・タウバー]] * [[リチャード・タッカー]] * [[アドルフ・ダッラポッツァ]] * [[フランチェスコ・タマーニョ]] * [[フェルッチョ・タリアヴィーニ]] * [[レナート・チオーニ]] * [[ハインツ・ツェドニク]] * [[イゴル・ツクロヴ]] * [[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]] * [[ジョルジュ・ティル]] * [[ピエロ・デ・パルマ]] * [[ベルナルド・デ・ムーロ]] * [[フェルナンド・デ・ルチア]] * [[アントン・デルモタ|アントン・デルモータ]] * [[マリオ・デル=モナコ]] * [[田大成]] * [[アルマンド・トカチャン]] * [[ジェス・トーマス]] * [[プラシド・ドミンゴ]] * [[ジャン・ド・レシュケ]] ; な行 ; は行 * [[ルチアーノ・パヴァロッティ]] * [[ジェリー・ハドレー]] * [[ダニエーレ・バリオーニ]] * [[ランド・バルトリーニ]] * [[スチュアート・バロウズ]] * [[ジャン・ピアース]] * [[ピーター・ピアーズ]] * [[ラウル・ヒメネス]] * [[ユッシ・ビョルリング]] * [[マリオ・フィリッペスキ]] * [[フランツ・フェルカー]] * [[クリストフ・プレガルディエン]] * [[シャルル・ブルレ]] * [[ブルーノ・プレヴェディ]] * [[ミゲル・フレータ]] * [[ファン・ディエゴ・フローレス]] * [[ウーゴ・ベネッリ]] * [[エルンスト・ヘフリガー]] * [[カルロ・ベルゴンツィ]] * [[アウレリアーノ・ペルティーレ]] * [[アンドレア・ボチェッリ]] * [[ハンス・ホップ]] * [[フランコ・ボニゾッリ]] * [[ペーター・ホフマン]] * [[アレッサンドロ・ボンチ]] ; ま行 * [[ジョン・マコーマック]] * [[ジェームス・マックラッケン]] * [[ウィリアム・マッテウッツィ]] * [[ニーノ・マルティーニ]] * [[ジョヴァンニ・マルティネッリ]] * [[ギィ・ド・メイ|ギ・ド・メ]] * [[クリス・メリット]] * [[ジェームズ・メルトン]] * [[ラウリッツ・メルヒオール]] * [[ニコラ・モンティ]] ; や行 * [[ヘルマン・ヤドロフケル]] ; ら行 * [[アントニー・ラチューラ]] * [[ジャンニ・ライモンディ]] * [[ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ]] * [[イポリト・ラサロ]] * [[フラヴィアーノ・ラボー]] * [[マリオ・ランツァ]] * [[アルベール・ランス]] * [[サルヴァトーレ・リチートラ]] * [[セルゲイ・レメシェフ]] * [[ヘルゲ・ロスヴェンゲ]] * [[アンジェロ・ロフォレーゼ]] * [[マックス・ローレンツ]] ; わ行 === 日本=== ; あ行 * [[相川冬也]] * [[相澤清]] * [[秋川雅史]] * [[新垣勉 (歌手)|新垣勉]] * [[五十嵐喜芳]] * [[市原多朗]] * [[井原義則]] * [[上原正敏]] * [[上本訓久]] * [[内本実]] * [[大岩透]] * [[大岩道也]] * [[大木秀一]] * [[大野徹也]] * [[岡崎正治]] * [[小笠原一規]] * [[奥田良三 (歌手)|奥田良三 ]] * [[小野弘晴]] * [[大島博]] ; 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天王寺駅
天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区悲田院町及び阿倍野区阿倍野筋一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)・阪堺電気軌道(阪堺電車)の駅である。 本項では阿倍野区阿倍野筋一丁目にある阪堺電気軌道(阪堺)の駅である天王寺駅前停留場(てんのうじえきまえていりゅうじょう)と廃止された南海電気鉄道(南海)の駅についても記述する。 大阪市南部のターミナル駅として、難波とともに大阪の南玄関としての機能を二分する役割をもつ。近鉄南大阪線の起点駅である大阪阿部野橋駅と隣接しており、駅周辺の繁華街は2大繁華街のキタ・ミナミに次ぐ規模を誇る。2014年には阿部野橋駅直上に日本一の高さを誇る「あべのハルカス」がオープンしたことで、以前にも増して賑わいを見せている。JR天王寺駅は第3回近畿の駅百選、阪堺の天王寺駅前停留場は第4回近畿の駅百選に選定されている。 駅名は東成郡天王寺村(当時)に最初に開業した駅であることによる。なお、「天王寺」は当駅北方に所在する四天王寺の転訛による地名で、「天王寺」という寺院は存在しない。ちなみに、四天王寺へはOsaka Metro谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅が最寄りである。大阪阿倍野橋駅が所在する駅の南側は行政上は阿倍野区であり、「阿倍野」と呼称される。 JRの駅はICOCA、Osaka Metroと阪堺の駅はPiTaPa、Osaka Metroの駅はさらに「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアに含まれている。 JR西日本の乗り入れている路線は、関西本線・大阪環状線・阪和線の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「大和路線」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線の西九条駅方面に直通し、阪和線日根野駅から関西空港線、阪和線の終点である和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。大阪環状線にはJR-O01、関西本線(大和路線)にはJR-Q20、阪和線にはJR-R20の駅番号が設定される。事務管コードは▲620831。 Osaka Metroは御堂筋線と谷町線の2路線が乗り入れ、御堂筋線にはM23、谷町線にはT27の駅番号が設定されている。 このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前停留場(駅番号はHN01)に上町線が乗り入れている。また、近接する近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の大阪阿部野橋駅(駅番号はF01)と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。 長らく国鉄→JR西日本における和歌山・紀伊半島方面へのターミナルとして機能してきたが、大阪環状線経由で新大阪駅(京都方面)・大阪駅・京橋駅への直通運転が一般化してからは、構造上櫛形ホームを残しつつも、同様の境遇を持つ上野駅と同様に途中駅の側面が強くなっている。 駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大和路線の平野駅と東部市場前駅、阪和線の美章園駅と南田辺駅を管轄している。 天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道が1889年(明治22年)5月14日にのちの関西本線に当たる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡の郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線に当たる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日に玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、天王寺が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年(大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。 この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。 ここにさらに昭和初期には阪和電気鉄道が乗り入れてこようとしていた。この段階で駅の南側には大阪鉄道の駅があり、これらの間に大阪市営地下鉄が建設される予定となっていた。一方、駅の北側には南大阪電気鉄道が駅を建設する予定となっており、既に天王寺駅に乗り入れる余地が残されていなかった。しかし1926年(大正15年)に南大阪電気鉄道は2代目の大阪鉄道に吸収合併されたことから、駅北側の用地は不要となり、この部分を阪和電気鉄道が手に入れて利用することになった。これにより、国鉄の駅の北側に隣接して1929年(昭和4年)7月18日に阪和天王寺駅が開業した。阪和天王寺駅へは、鉄筋コンクリート造の高架線で国鉄の線路を横断して西へ向きを変え、国鉄の貨物積卸場の北側に並んでプラットホームなどが建設された。上町台地の端で国鉄の掘割部分との関係もあり、西側は台地の地面上に直接建設されているが、その東側は盛土になっており、さらにその東側は高架橋となっている。 阪和天王寺駅の大きな特徴としては、資本系列を同じくする新京阪鉄道の天神橋駅や京阪電気鉄道の天満橋駅などと同様、完全に乗降分離されたプラットホームとなっていたことがある。開業時旅客は2面4線の構造であったが、いずれのホームも長い1本のプラットホームになっておらず、東側の降車専用プラットホームと西側の乗車専用プラットホームが区切られた構造になっていた。これにより、東側の降車専用プラットホームに到着した列車から乗客を降ろし、その後乗車専用プラットホームの位置まで移動して、乗客を乗せてから折り返すという運転を行っていた。東側の降車専用プラットホームの西の端には地下道へ降りる階段が設けられており、西側の乗車専用プラットホームの南側のホームの下にある地下道につながっていて、乗車客と完全に分離された形で西側の降車用の改札口へつながる構造であった。乗り場の番号としては、乗車専用が1番から7番の奇数が北から順に、降車専用が2番から8番の偶数が北から順に付番されていた。したがって、1番の乗車専用ホームと同じ線路になっているのは2番の降車専用ホームといった関係だった。また、紀勢本線方面へ直通する列車は編成が長かった関係で、特別に1番乗り場と2番乗り場をつなげた形で使っていた。これらの旅客設備より北側に貨物の留置線があり、旅客ホームより東側に貨物積卸場が設けられた。さらに高架上にある阪和天王寺駅から急勾配のスロープで降りて、国鉄の城東線と結ぶ貨物の受け渡し用の線路が設置され、天王寺駅構内専用の貨車受け渡し用としてロコ1100形電気機関車が製造された。1931年(昭和6年)にはこの受け渡し用の線路の途中から分岐して、高架上の貨物積卸場の下にも引き込み線を造り、2階建ての貨物積卸場となっている。さらに1938年(昭和13年)になると、利用の激増に対応して本来は降車専用であった4番・6番のホームから直接折り返しができるように設備が改造され、降車客用の地下通路は出入り口部分の三面を折りたたんで平面にすることが可能なようにして、混雑時のみこれを展開して利用するように改良された。 国鉄の天王寺駅も利用が急増しており、改良工事を始めることになった。城東線の北側にある貨物扱場からは西側に取り付け道路があって駅前を通っており、物資の搬出入をする車両が駅前の混雑に拍車をかけていることもあり、関西本線を1 kmほど東側に行った場所に貨物扱場を移転させることになった。1934年(昭和9年)に着工して1935年(昭和10年)から利用を開始した。これにより城東線北側の貨物扱場が空き、このスペースに新しい旅客設備を建設して線路を切り替え、順次南側に改良工事を進めていくという方法で旅客設備の改良が行われた。これによりそれまで3面しかなかったプラットホームが5面に増強され、北側から城東線用第1、城東線用第2、関西本線上り、関西本線下り、南海天王寺支線用にそれぞれ割り当てられた。駅の建屋も阪和天王寺駅側に建設した木造の仮駅舎に1937年(昭和12年)3月19日に移転して、その南側で旧駅設備を撤去の上で鉄筋コンクリート4階建ての駅舎の工事が始められた。この工事は基礎まで完成したが、戦争の影響でその後の建設工事が中止された。しかしこれらの一連の改良工事により、大阪環状線と関西本線の旅客設備は現在の姿をほぼ完成させた。 第二次世界大戦中には、1940年(昭和15年)12月1日に阪和電気鉄道は南海鉄道に合併されて阪和天王寺駅は南海天王寺駅となったが、1944年(昭和19年)5月1日には旧阪和電気鉄道に相当する路線が国鉄に買収されて国鉄阪和線となり、南海天王寺駅が国鉄の天王寺駅に統合された。 第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日に竜華操車場と杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。 また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社・日本食堂・都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。 1989年(平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の供用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺ミオ」としてオープンした。 上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。 旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は、北側から順に次の通り。 阪和線では1 - 9番のりばを使用している。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばが存在しない。ただし、大阪環状線からの直通列車と特急列車は、15・18番のりばを使っている。 1・2番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速やきのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて地平ホームの15・18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車(大阪環状線との直通打ち切りにおける関空快速の発着など)がよく見られる。 2007年(平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」(2011年廃止)が使い、3番のりばは未使用であった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻され、同時に3番のりばが有効長8両編成対応のホームに延伸された。 大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。有効長は8両編成分。ただし、大和路線・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。日中は、関空・紀州路快速は12・13番のりばで直接折り返し、大和路快速は14番のりば到着後に一旦引上げ線に入り11番のりばに入線する。周回列車は当駅で列車番号が変わり、また時間調整のため3分ほど停車する(2016年3月現在)。 内回りの始発には桜島線(JRゆめ咲線)直通、阪和線・関西空港線直通、大和路線直通列車など他路線直通列車も使用されるが、この際は電光掲示板や車両の行先表示器には誤乗防止のために「普通 大阪環状線」と表記されており、当駅発車後に表示が切り替えられ、隣の寺田町から本来の行き先が表示されるようになっている。 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として大阪環状線の各駅には「駅シンボルフラワー」が制定されており、当駅には阿倍野区の花でもある「ペチュニア」が割り当てられ、案内サイン類の意匠に取り入れられている。 関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。有効長は、一般電車は8両編成分、特急電車は9両編成分。15番のりばの特急電車の一番後ろの「はるか」の1号車、及び「くろしお」の9号車は、車掌室から客室部分にかけては柵でガード、柵の切れたところが最後の扉(最後の車両の前寄りの扉)である。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と大和路線を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。同じ改正より、阪和線は15・18番のりば、大和路線は16・17番のりば(一部は18番のりば)に発着している。なお、大和路線から大阪環状線へ直通する区間快速、阪和線から大阪環状線へ直通する直通快速の外回り列車は大阪環状線内は各駅に停車するため、当駅で種別を普通に変更する。 15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。 なお、当駅は毎日早朝に16番のりばから「大和路線奈良経由の京都行き」と全時間帯に18番のりばから「特急はるか 新大阪経由京都行き」の運転があるため、上下別々ののりばから経路が全く異なる「京都行き」の発着があるという珍しい駅でもある。 阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。 阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「麺家(旧:天王寺うどん)」の店舗がある。ジェイアール西日本フードサービスネットの管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。 2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営はジェイアール西日本デイリーサービスネット。 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から地元天王寺区出身で大阪を代表する歌手・和田アキ子の代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)の発車メロディとして使用されている。当駅近くの四天王寺の鐘に因んでいる。 御堂筋線のホームがJRの南側にあるあびこ筋の地下、谷町線のホームがJR駅の西側にある谷町筋の地下にあり、それぞれ地下通路で連絡している。両線のプラットホームはJR西日本天王寺駅をL字型で南北に挟んだ配置であるためやや離れており、乗り換えには徒歩5分程度を要する。 御堂筋線は単式ホーム(なかもず方面行き)と島式ホーム(新大阪・千里中央方面行き)の複合型で2面3線。当駅を始発・終着とする列車が多数設定されているため、なかもず寄りに留置線がある。当駅折返し列車は単式ホームで乗客を降ろした後、いったん留置線に引き上げてから島式の2番線に入り、客扱いを終えてから発車する。なかもず発の最終は当駅終着だが、こちらは留置線に入らず、夜間停泊のため大国町駅まで回送される。 谷町線は相対式ホーム2面2線。谷町線コンコース上にはあべちか(地下街)がある。 当駅は、御堂筋線部分が天王寺管区駅(副駅長駐在)に、谷町線部分が平野管区駅に所属している。 あべの筋の中央部(阿倍野区)に位置し、両側を車道で挟まれた位置にある。 相対式2面1線のホームを有する。東側のホームを乗車用、西側のホームを降車用として使っている。ホーム有効長は2両分であるが、普段は車止めから1両分を空けて停車し、そこで客扱いを行っている。初詣輸送時や貸切など臨時列車を運転する場合は臨時列車を車止めぎりぎりの位置に停め、その手前に定期便の列車が入って客扱いを行う。また、ラッシュ時などで渋滞などのためにダイヤが乱れ、先行列車と後続列車の間隔が詰まっている場合にも、稀に先行列車を車止めぎりぎりの位置に停めて、すぐ後に後続列車を入れて、それぞれ客扱いを行う場合がある。このとき折り返し列車は後続列車の車両が先発となり、車両の運行順序が入れ替わることとなる。 南海平野線が廃止になるまでは前部が我孫子道もしくは住吉公園行きの列車が、後部からは平野行きの列車が発着していた。窓口と改札口が設けられており、窓口では定期乗車券の購入や一日乗車券等の購入が可能で、改札口では午前7時から午後9時までは集札業務も実施している。 なお、当駅が開業する前にも「天王寺駅前駅」が存在した。当駅の0.1 km(営業キロで)北側で、あべの橋橋梁の上にあった。 ホームへ行くには歩道橋と地下からの2つのルートがある。以前、阿倍野歩道橋架替工事に伴い歩道橋からホームへ行くことが出来なくなり、2013年春の新歩道橋の完成時点では阪堺線のりばへの階段は設けられなかった。現在は上町線が通るあべの筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の西側への拡幅に伴い、駅が西側(拡幅後の道路の中心線付近)に移設され、歩道橋からの階段も新設された。なお、旧地下通路は改装の上で新駅への通路に転用された。 先述の通り、当駅および阿倍野停留所が線路移設のため2015年(平成27年)夏から駅舎の移設工事を行っている。2016年(平成28年)12月3日に移設された新軌道に切り替わり、同時に当駅も新駅舎に移設し、エレベーターの使用を開始した。なお新しい軌道敷には関西地区の路面電車としては初となる芝生による緑化が施されている。 1993年(平成5年)までは、現在の天王寺ミオが建っている部分に島式ホームの19・20番線があり、南海天王寺支線が天下茶屋駅までを結んでいた。 旅客列車はほとんど北側の19番線に発着し、かつては国鉄と貨物の連絡をしていたこともあったほか、上町線が南海による運営だった頃には、天王寺駅前停留場と本駅との間で徒歩連絡を実施しており、また戦時合併で近畿日本鉄道による運営だった際には、それに加えて南大阪線の大阪阿部野橋駅(天王寺駅前停留場⇔大阪阿部野橋駅間の徒歩連絡もされていた)とも徒歩連絡を行っていたが、前者とは分社化により1980年(昭和55年)に、後者とも会社分離により1947年(昭和22年)に徒歩連絡を解消した。 1984年(昭和59年)の天下茶屋駅 - 今池町駅部分廃止後は、阿倍野橋直下に単線の仮設ホームを作って発着していた。末期の頃は現在の天王寺ミオのプラザ館東出入り口付近にあったコインロッカーの奥の階段を降りた場所に駅の改札と事務所があった。地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸により、残りの天王寺駅 - 今池町駅間も1993年(平成5年)に廃止された。 仮設ホームからは営業中の1両がいない間に限り、側線を用いた検修用の車庫に留置されている別の1両を部分的に眺めることができた。全線廃止まで車庫が設けられていたのは、部分廃止で他の路線とレールが繋がらなくなったため、検修用の設備を確保する必要が生じたことによる。この検修用設備は全線廃止後、汐見橋駅に移築され、1995年8月に岸里玉出駅付近の汐見橋線高架化が完成するまで使用された。 南海はかつて、天王寺駅の駅ビル会社2社の株式を保有し、JR西日本に次ぐ第2位の株主となっていた。これは、天王寺ミオの敷地に南海天王寺支線の駅があった名残である。天王寺ミオ自体も、南海主導で計画されていたことから初期段階の仮称は「てんのうじCITY」だった。後にJR西日本が南海保有分を買い取ったことで、現在は株主から外れている。 天王寺ミオプラザ館にテナントとして入居しているサンマルクカフェ南海天王寺店は、南海の系列会社である南海商事がフランチャイジーとなっている。天王寺駅1Fコンコース南側にある551蓬萊、2007年(平成19年)9月4日に出店した南海そばも南海商事の経営である。南海電鉄の宣伝看板(みさき公園、高野山など)もコンコース南側の上に掲げられている。 2019年における大阪阿部野橋駅を含む各社合計の1日平均乗降客数は約74万人であり大阪府内では大阪・梅田駅、難波駅に次ぐ第3位の駅となる。 近年における1日乗車・乗降人員の推移は下表の通り。 当駅直結の駅ビル「天王寺ミオ」のほか、駅南側は近鉄が開発した大型商業施設が複数集積しており、繁華街としては大阪市内ではキタ・ミナミに次ぐ規模を誇る。大阪阿部野橋駅直結の「あべのハルカス」は日本一の高さの超高層複合商業ビルであり、大阪のランドマークでもある。JR天王寺駅のファッションビル「天王寺ミオ」と大阪阿部野橋駅直上の近鉄百貨店が道路を挟んで向かい合っている。近鉄百貨店阿倍野本店は「あべのハルカス近鉄本店」と名称を変更し、タワー館が2013年6月13日に先行オープン。2014年3月7日、グランドオープンした。近隣には国公私立問わず、中学校・高等学校・専門学校が多く所在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区悲田院町及び阿倍野区阿倍野筋一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)・阪堺電気軌道(阪堺電車)の駅である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "本項では阿倍野区阿倍野筋一丁目にある阪堺電気軌道(阪堺)の駅である天王寺駅前停留場(てんのうじえきまえていりゅうじょう)と廃止された南海電気鉄道(南海)の駅についても記述する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "大阪市南部のターミナル駅として、難波とともに大阪の南玄関としての機能を二分する役割をもつ。近鉄南大阪線の起点駅である大阪阿部野橋駅と隣接しており、駅周辺の繁華街は2大繁華街のキタ・ミナミに次ぐ規模を誇る。2014年には阿部野橋駅直上に日本一の高さを誇る「あべのハルカス」がオープンしたことで、以前にも増して賑わいを見せている。JR天王寺駅は第3回近畿の駅百選、阪堺の天王寺駅前停留場は第4回近畿の駅百選に選定されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "駅名は東成郡天王寺村(当時)に最初に開業した駅であることによる。なお、「天王寺」は当駅北方に所在する四天王寺の転訛による地名で、「天王寺」という寺院は存在しない。ちなみに、四天王寺へはOsaka Metro谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅が最寄りである。大阪阿倍野橋駅が所在する駅の南側は行政上は阿倍野区であり、「阿倍野」と呼称される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "JRの駅はICOCA、Osaka Metroと阪堺の駅はPiTaPa、Osaka Metroの駅はさらに「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアに含まれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "JR西日本の乗り入れている路線は、関西本線・大阪環状線・阪和線の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「大和路線」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線の西九条駅方面に直通し、阪和線日根野駅から関西空港線、阪和線の終点である和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。大阪環状線にはJR-O01、関西本線(大和路線)にはJR-Q20、阪和線にはJR-R20の駅番号が設定される。事務管コードは▲620831。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "Osaka Metroは御堂筋線と谷町線の2路線が乗り入れ、御堂筋線にはM23、谷町線にはT27の駅番号が設定されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前停留場(駅番号はHN01)に上町線が乗り入れている。また、近接する近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の大阪阿部野橋駅(駅番号はF01)と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "長らく国鉄→JR西日本における和歌山・紀伊半島方面へのターミナルとして機能してきたが、大阪環状線経由で新大阪駅(京都方面)・大阪駅・京橋駅への直通運転が一般化してからは、構造上櫛形ホームを残しつつも、同様の境遇を持つ上野駅と同様に途中駅の側面が強くなっている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大和路線の平野駅と東部市場前駅、阪和線の美章園駅と南田辺駅を管轄している。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道が1889年(明治22年)5月14日にのちの関西本線に当たる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡の郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線に当たる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日に玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、天王寺が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年(大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ここにさらに昭和初期には阪和電気鉄道が乗り入れてこようとしていた。この段階で駅の南側には大阪鉄道の駅があり、これらの間に大阪市営地下鉄が建設される予定となっていた。一方、駅の北側には南大阪電気鉄道が駅を建設する予定となっており、既に天王寺駅に乗り入れる余地が残されていなかった。しかし1926年(大正15年)に南大阪電気鉄道は2代目の大阪鉄道に吸収合併されたことから、駅北側の用地は不要となり、この部分を阪和電気鉄道が手に入れて利用することになった。これにより、国鉄の駅の北側に隣接して1929年(昭和4年)7月18日に阪和天王寺駅が開業した。阪和天王寺駅へは、鉄筋コンクリート造の高架線で国鉄の線路を横断して西へ向きを変え、国鉄の貨物積卸場の北側に並んでプラットホームなどが建設された。上町台地の端で国鉄の掘割部分との関係もあり、西側は台地の地面上に直接建設されているが、その東側は盛土になっており、さらにその東側は高架橋となっている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "阪和天王寺駅の大きな特徴としては、資本系列を同じくする新京阪鉄道の天神橋駅や京阪電気鉄道の天満橋駅などと同様、完全に乗降分離されたプラットホームとなっていたことがある。開業時旅客は2面4線の構造であったが、いずれのホームも長い1本のプラットホームになっておらず、東側の降車専用プラットホームと西側の乗車専用プラットホームが区切られた構造になっていた。これにより、東側の降車専用プラットホームに到着した列車から乗客を降ろし、その後乗車専用プラットホームの位置まで移動して、乗客を乗せてから折り返すという運転を行っていた。東側の降車専用プラットホームの西の端には地下道へ降りる階段が設けられており、西側の乗車専用プラットホームの南側のホームの下にある地下道につながっていて、乗車客と完全に分離された形で西側の降車用の改札口へつながる構造であった。乗り場の番号としては、乗車専用が1番から7番の奇数が北から順に、降車専用が2番から8番の偶数が北から順に付番されていた。したがって、1番の乗車専用ホームと同じ線路になっているのは2番の降車専用ホームといった関係だった。また、紀勢本線方面へ直通する列車は編成が長かった関係で、特別に1番乗り場と2番乗り場をつなげた形で使っていた。これらの旅客設備より北側に貨物の留置線があり、旅客ホームより東側に貨物積卸場が設けられた。さらに高架上にある阪和天王寺駅から急勾配のスロープで降りて、国鉄の城東線と結ぶ貨物の受け渡し用の線路が設置され、天王寺駅構内専用の貨車受け渡し用としてロコ1100形電気機関車が製造された。1931年(昭和6年)にはこの受け渡し用の線路の途中から分岐して、高架上の貨物積卸場の下にも引き込み線を造り、2階建ての貨物積卸場となっている。さらに1938年(昭和13年)になると、利用の激増に対応して本来は降車専用であった4番・6番のホームから直接折り返しができるように設備が改造され、降車客用の地下通路は出入り口部分の三面を折りたたんで平面にすることが可能なようにして、混雑時のみこれを展開して利用するように改良された。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "国鉄の天王寺駅も利用が急増しており、改良工事を始めることになった。城東線の北側にある貨物扱場からは西側に取り付け道路があって駅前を通っており、物資の搬出入をする車両が駅前の混雑に拍車をかけていることもあり、関西本線を1 kmほど東側に行った場所に貨物扱場を移転させることになった。1934年(昭和9年)に着工して1935年(昭和10年)から利用を開始した。これにより城東線北側の貨物扱場が空き、このスペースに新しい旅客設備を建設して線路を切り替え、順次南側に改良工事を進めていくという方法で旅客設備の改良が行われた。これによりそれまで3面しかなかったプラットホームが5面に増強され、北側から城東線用第1、城東線用第2、関西本線上り、関西本線下り、南海天王寺支線用にそれぞれ割り当てられた。駅の建屋も阪和天王寺駅側に建設した木造の仮駅舎に1937年(昭和12年)3月19日に移転して、その南側で旧駅設備を撤去の上で鉄筋コンクリート4階建ての駅舎の工事が始められた。この工事は基礎まで完成したが、戦争の影響でその後の建設工事が中止された。しかしこれらの一連の改良工事により、大阪環状線と関西本線の旅客設備は現在の姿をほぼ完成させた。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中には、1940年(昭和15年)12月1日に阪和電気鉄道は南海鉄道に合併されて阪和天王寺駅は南海天王寺駅となったが、1944年(昭和19年)5月1日には旧阪和電気鉄道に相当する路線が国鉄に買収されて国鉄阪和線となり、南海天王寺駅が国鉄の天王寺駅に統合された。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日に竜華操車場と杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社・日本食堂・都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1989年(平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の供用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺ミオ」としてオープンした。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は、北側から順に次の通り。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "阪和線では1 - 9番のりばを使用している。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばが存在しない。ただし、大阪環状線からの直通列車と特急列車は、15・18番のりばを使っている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1・2番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速やきのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて地平ホームの15・18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車(大阪環状線との直通打ち切りにおける関空快速の発着など)がよく見られる。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」(2011年廃止)が使い、3番のりばは未使用であった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻され、同時に3番のりばが有効長8両編成対応のホームに延伸された。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。有効長は8両編成分。ただし、大和路線・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。日中は、関空・紀州路快速は12・13番のりばで直接折り返し、大和路快速は14番のりば到着後に一旦引上げ線に入り11番のりばに入線する。周回列車は当駅で列車番号が変わり、また時間調整のため3分ほど停車する(2016年3月現在)。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "内回りの始発には桜島線(JRゆめ咲線)直通、阪和線・関西空港線直通、大和路線直通列車など他路線直通列車も使用されるが、この際は電光掲示板や車両の行先表示器には誤乗防止のために「普通 大阪環状線」と表記されており、当駅発車後に表示が切り替えられ、隣の寺田町から本来の行き先が表示されるようになっている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として大阪環状線の各駅には「駅シンボルフラワー」が制定されており、当駅には阿倍野区の花でもある「ペチュニア」が割り当てられ、案内サイン類の意匠に取り入れられている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。有効長は、一般電車は8両編成分、特急電車は9両編成分。15番のりばの特急電車の一番後ろの「はるか」の1号車、及び「くろしお」の9号車は、車掌室から客室部分にかけては柵でガード、柵の切れたところが最後の扉(最後の車両の前寄りの扉)である。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と大和路線を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。同じ改正より、阪和線は15・18番のりば、大和路線は16・17番のりば(一部は18番のりば)に発着している。なお、大和路線から大阪環状線へ直通する区間快速、阪和線から大阪環状線へ直通する直通快速の外回り列車は大阪環状線内は各駅に停車するため、当駅で種別を普通に変更する。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "なお、当駅は毎日早朝に16番のりばから「大和路線奈良経由の京都行き」と全時間帯に18番のりばから「特急はるか 新大阪経由京都行き」の運転があるため、上下別々ののりばから経路が全く異なる「京都行き」の発着があるという珍しい駅でもある。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「麺家(旧:天王寺うどん)」の店舗がある。ジェイアール西日本フードサービスネットの管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営はジェイアール西日本デイリーサービスネット。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から地元天王寺区出身で大阪を代表する歌手・和田アキ子の代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)の発車メロディとして使用されている。当駅近くの四天王寺の鐘に因んでいる。", "title": "JR西日本" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "御堂筋線のホームがJRの南側にあるあびこ筋の地下、谷町線のホームがJR駅の西側にある谷町筋の地下にあり、それぞれ地下通路で連絡している。両線のプラットホームはJR西日本天王寺駅をL字型で南北に挟んだ配置であるためやや離れており、乗り換えには徒歩5分程度を要する。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "御堂筋線は単式ホーム(なかもず方面行き)と島式ホーム(新大阪・千里中央方面行き)の複合型で2面3線。当駅を始発・終着とする列車が多数設定されているため、なかもず寄りに留置線がある。当駅折返し列車は単式ホームで乗客を降ろした後、いったん留置線に引き上げてから島式の2番線に入り、客扱いを終えてから発車する。なかもず発の最終は当駅終着だが、こちらは留置線に入らず、夜間停泊のため大国町駅まで回送される。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "谷町線は相対式ホーム2面2線。谷町線コンコース上にはあべちか(地下街)がある。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "当駅は、御堂筋線部分が天王寺管区駅(副駅長駐在)に、谷町線部分が平野管区駅に所属している。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "あべの筋の中央部(阿倍野区)に位置し、両側を車道で挟まれた位置にある。", "title": "阪堺電気軌道" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "相対式2面1線のホームを有する。東側のホームを乗車用、西側のホームを降車用として使っている。ホーム有効長は2両分であるが、普段は車止めから1両分を空けて停車し、そこで客扱いを行っている。初詣輸送時や貸切など臨時列車を運転する場合は臨時列車を車止めぎりぎりの位置に停め、その手前に定期便の列車が入って客扱いを行う。また、ラッシュ時などで渋滞などのためにダイヤが乱れ、先行列車と後続列車の間隔が詰まっている場合にも、稀に先行列車を車止めぎりぎりの位置に停めて、すぐ後に後続列車を入れて、それぞれ客扱いを行う場合がある。このとき折り返し列車は後続列車の車両が先発となり、車両の運行順序が入れ替わることとなる。", "title": "阪堺電気軌道" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "南海平野線が廃止になるまでは前部が我孫子道もしくは住吉公園行きの列車が、後部からは平野行きの列車が発着していた。窓口と改札口が設けられており、窓口では定期乗車券の購入や一日乗車券等の購入が可能で、改札口では午前7時から午後9時までは集札業務も実施している。 なお、当駅が開業する前にも「天王寺駅前駅」が存在した。当駅の0.1 km(営業キロで)北側で、あべの橋橋梁の上にあった。", "title": "阪堺電気軌道" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ホームへ行くには歩道橋と地下からの2つのルートがある。以前、阿倍野歩道橋架替工事に伴い歩道橋からホームへ行くことが出来なくなり、2013年春の新歩道橋の完成時点では阪堺線のりばへの階段は設けられなかった。現在は上町線が通るあべの筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の西側への拡幅に伴い、駅が西側(拡幅後の道路の中心線付近)に移設され、歩道橋からの階段も新設された。なお、旧地下通路は改装の上で新駅への通路に転用された。", "title": "阪堺電気軌道" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "先述の通り、当駅および阿倍野停留所が線路移設のため2015年(平成27年)夏から駅舎の移設工事を行っている。2016年(平成28年)12月3日に移設された新軌道に切り替わり、同時に当駅も新駅舎に移設し、エレベーターの使用を開始した。なお新しい軌道敷には関西地区の路面電車としては初となる芝生による緑化が施されている。", "title": "阪堺電気軌道" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1993年(平成5年)までは、現在の天王寺ミオが建っている部分に島式ホームの19・20番線があり、南海天王寺支線が天下茶屋駅までを結んでいた。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "旅客列車はほとんど北側の19番線に発着し、かつては国鉄と貨物の連絡をしていたこともあったほか、上町線が南海による運営だった頃には、天王寺駅前停留場と本駅との間で徒歩連絡を実施しており、また戦時合併で近畿日本鉄道による運営だった際には、それに加えて南大阪線の大阪阿部野橋駅(天王寺駅前停留場⇔大阪阿部野橋駅間の徒歩連絡もされていた)とも徒歩連絡を行っていたが、前者とは分社化により1980年(昭和55年)に、後者とも会社分離により1947年(昭和22年)に徒歩連絡を解消した。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1984年(昭和59年)の天下茶屋駅 - 今池町駅部分廃止後は、阿倍野橋直下に単線の仮設ホームを作って発着していた。末期の頃は現在の天王寺ミオのプラザ館東出入り口付近にあったコインロッカーの奥の階段を降りた場所に駅の改札と事務所があった。地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸により、残りの天王寺駅 - 今池町駅間も1993年(平成5年)に廃止された。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "仮設ホームからは営業中の1両がいない間に限り、側線を用いた検修用の車庫に留置されている別の1両を部分的に眺めることができた。全線廃止まで車庫が設けられていたのは、部分廃止で他の路線とレールが繋がらなくなったため、検修用の設備を確保する必要が生じたことによる。この検修用設備は全線廃止後、汐見橋駅に移築され、1995年8月に岸里玉出駅付近の汐見橋線高架化が完成するまで使用された。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "南海はかつて、天王寺駅の駅ビル会社2社の株式を保有し、JR西日本に次ぐ第2位の株主となっていた。これは、天王寺ミオの敷地に南海天王寺支線の駅があった名残である。天王寺ミオ自体も、南海主導で計画されていたことから初期段階の仮称は「てんのうじCITY」だった。後にJR西日本が南海保有分を買い取ったことで、現在は株主から外れている。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "天王寺ミオプラザ館にテナントとして入居しているサンマルクカフェ南海天王寺店は、南海の系列会社である南海商事がフランチャイジーとなっている。天王寺駅1Fコンコース南側にある551蓬萊、2007年(平成19年)9月4日に出店した南海そばも南海商事の経営である。南海電鉄の宣伝看板(みさき公園、高野山など)もコンコース南側の上に掲げられている。", "title": "南海電気鉄道(廃止)" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2019年における大阪阿部野橋駅を含む各社合計の1日平均乗降客数は約74万人であり大阪府内では大阪・梅田駅、難波駅に次ぐ第3位の駅となる。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "近年における1日乗車・乗降人員の推移は下表の通り。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "当駅直結の駅ビル「天王寺ミオ」のほか、駅南側は近鉄が開発した大型商業施設が複数集積しており、繁華街としては大阪市内ではキタ・ミナミに次ぐ規模を誇る。大阪阿部野橋駅直結の「あべのハルカス」は日本一の高さの超高層複合商業ビルであり、大阪のランドマークでもある。JR天王寺駅のファッションビル「天王寺ミオ」と大阪阿部野橋駅直上の近鉄百貨店が道路を挟んで向かい合っている。近鉄百貨店阿倍野本店は「あべのハルカス近鉄本店」と名称を変更し、タワー館が2013年6月13日に先行オープン。2014年3月7日、グランドオープンした。近隣には国公私立問わず、中学校・高等学校・専門学校が多く所在する。", "title": "駅周辺" } ]
天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区悲田院町及び阿倍野区阿倍野筋一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道・阪堺電気軌道(阪堺電車)の駅である。 本項では阿倍野区阿倍野筋一丁目にある阪堺電気軌道(阪堺)の駅である天王寺駅前停留場(てんのうじえきまえていりゅうじょう)と廃止された南海電気鉄道(南海)の駅についても記述する。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{画像改訂依頼|JR西日本の配線図|date=2020年7月|cat=鉄道}} {{出典の明記|date=2012年10月|ソートキー=駅}} {{駅情報 |社色 = |文字色 = |駅名 = 天王寺駅 |画像 =Tennoji Station 20221209140008.jpg |pxl = |画像説明 =2022年12月 |よみがな = てんのうじ |ローマ字 = Tennōji |地図={{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center |type=point|type2=point|type3=point|type4=point|type5=point |marker=rail|marker2=rail-metro|marker3=rail-metro|marker4=rail-light|marker5=rail |coord={{coord|34|38|50.36|N|135|30|50.18|E}}|marker-color=0072bc|title=JR 天王寺駅 |coord2={{coord|34|38|47.59|N|135|30|49.54|E}}|marker-color2=e5171f|title2=Osaka Metro御堂筋線 天王寺駅 |coord3={{coord|34|38|50.87|N|135|30|47.4|E}}|marker-color3=dd0077|title3=Osaka Metro谷町線 天王寺駅 |coord4={{coord|34|38|46.74|N|135|30|46.56|E}}|marker-color4=008040|title4=阪堺 天王寺駅前停留場 |coord5={{coord|34|38|44.29|N|135|30|50.06|E}}|marker-color5=cc0033|title5=大阪阿部野橋駅 |frame-latitude=34.646711|frame-longitude=135.513717}}一番下は乗換駅の[[大阪阿部野橋駅]]([[近鉄南大阪線]]) |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本・[[#JR西日本|駅詳細]])<br />[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro・[[#大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)|駅詳細]])<br />[[阪堺電気軌道]]([[#阪堺電気軌道|駅詳細]])<br />[[南海電気鉄道]](廃線・[[#南海電気鉄道(廃止)|駅詳細]]) |所在地 = [[大阪市]][[天王寺区]]・[[阿倍野区]] |乗換 = [[大阪阿部野橋駅]]([[近鉄南大阪線]]) |備考 = }}{{座標一覧}} [[ファイル:Tennoji Station seen from Abeno Harukas.jpg|thumb|天王寺駅周辺「あべのハルカスから撮影」(2018年6月)]] '''天王寺駅'''(てんのうじえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[天王寺区]][[悲田院町]]及び[[阿倍野区]][[阿倍野筋]]一丁目にある、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)・[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)・[[阪堺電気軌道]](阪堺電車)の[[鉄道駅|駅]]である。 本項では阿倍野区阿倍野筋一丁目にある[[阪堺電気軌道]](阪堺)の駅である'''[[#阪堺電気軌道|天王寺駅前停留場]]'''(てんのうじえきまえていりゅうじょう)と廃止された[[南海電気鉄道]](南海)の駅についても記述する。 == 概要 == 大阪市南部の[[ターミナル駅]]として、[[難波]]とともに大阪の南玄関としての機能を二分する役割をもつ。[[近鉄南大阪線]]の起点駅である[[大阪阿部野橋駅]]と隣接しており、駅周辺の[[繁華街]]は2大繁華街の[[キタ]]・[[ミナミ]]に次ぐ規模を誇る。[[2014年]]には阿部野橋駅直上に日本一の高さを誇る「'''[[あべのハルカス]]'''」がオープンしたことで、以前にも増して賑わいを見せている。JR天王寺駅は第3回[[近畿の駅百選]]、阪堺の天王寺駅前停留場は第4回近畿の駅百選に選定されている。 駅名は[[東成郡]][[天王寺村]](当時)に最初に開業した駅であることによる。なお、「[[天王寺]]」は当駅北方に所在する[[四天王寺]]の転訛による地名で、「天王寺」という寺院は存在しない。ちなみに、四天王寺へは[[Osaka Metro谷町線]]の[[四天王寺前夕陽ヶ丘駅]]が最寄りである。大阪阿倍野橋駅が所在する駅の南側は行政上は[[阿倍野区]]であり、「阿倍野」と呼称される。 JRの駅は[[ICOCA]]、Osaka Metroと阪堺の駅は[[PiTaPa]]、Osaka Metroの駅はさらに「[[スルッとKANSAI]]」対応各種カードの利用エリアに含まれている。 === 乗り入れ・接続路線 === JR西日本の乗り入れている路線は、[[関西本線]]・[[大阪環状線]]・[[阪和線]]の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「[[大和路線]]」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線の[[西九条駅]]方面に直通し、阪和線[[日根野駅]]から[[関西空港線]]、阪和線の終点である[[和歌山駅]]から[[紀勢本線]](きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。[[特定都区市内]]制度における「大阪市内」に属する駅である。大阪環状線には'''JR-O01'''、関西本線(大和路線)には'''JR-Q20'''、阪和線には'''JR-R20'''の[[駅ナンバリング|駅番号]]が設定される。[[事務管理コード|事務管コード]]は▲620831<ref>日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。</ref>。 Osaka Metroは[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]と[[Osaka Metro谷町線|谷町線]]の2路線が乗り入れ、御堂筋線には'''M23'''、谷町線には'''T27'''の駅番号が設定されている。 このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前停留場(駅番号は'''HN01''')に[[阪堺電気軌道上町線|上町線]]が乗り入れている。また、近接する[[近畿日本鉄道]](近鉄)[[近鉄南大阪線|南大阪線]]の[[大阪阿部野橋駅]](駅番号は'''F01''')と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。 == JR西日本 == {{駅情報 |社色 = #0072bc |文字色 = |駅名 = JR 天王寺駅 |画像 = TENNOJI MIO.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 天王寺駅ビル「[[天王寺ミオ]]」(2022年3月) |よみがな = てんのうじ |ローマ字 = Tennōji |電報略号 = テン |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) |所在地 = [[大阪市]][[天王寺区]]悲田院町10-45 |座標 = {{coord|34|38|50.36|N|135|30|50.18|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 天王寺駅}} |開業年月日 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[5月14日]] |廃止年月日 = |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 5面5線(頭端式)<br />4面7線(島式) |乗車人員 = 113,905 |乗降人員 = |統計年度 = 2021年 |乗入路線数 = 3 |所属路線1 = {{JR西路線記号|K|Q}} [[関西本線]]([[大和路線]])* |前の駅1 = JR-Q21 [[東部市場前駅|東部市場前]] |駅間A1 = 2.4 |駅間B1 = 1.0 |次の駅1 = [[新今宮駅|新今宮]] JR-Q19 |駅番号1 = {{Color box|white|JR-Q20}} |キロ程1 = 171.4&nbsp;km([[名古屋駅|名古屋]]起点)<br />[[加茂駅 (京都府)|加茂]]から50.5 |起点駅1 = |所属路線2 = {{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]]* |前の駅2 = JR-O19 [[新今宮駅|新今宮]] |駅間A2 = 1.0 |駅間B2 = 1.0 |次の駅2 = [[寺田町駅|寺田町]] JR-O02 |駅番号2 = {{駅番号s|black|white|JR-O01}} |キロ程2 = 0.0&nbsp;km(天王寺起点)<br />天王寺から1周で21.7 |起点駅2 = |所属路線3 = {{JR西路線記号|K|R}} [[阪和線]] |前の駅3 = **(新今宮) |駅間A3 = - |駅間B3 = 1.5 |次の駅3 = [[美章園駅|美章園]] JR-R21 |駅番号3 = {{Color box|white|JR-R20}} |キロ程3 = 0.0 |起点駅3 = 天王寺 |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])<br />[[みどりの窓口]] 有<ref name="jr-odekake-top?id=0620831" /><br />[[指定席券売機#アシストマルス|みどりの券売機プラス]]設置駅<ref name="jr-odekake-top?id=0620831">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0620831|title=天王寺駅|駅情報:JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2023-01-17}}</ref><br />[[File:JR area HAN.png|15px|阪]] [[特定都区市内|大阪市内]]駅 |備考全幅 = * [[今宮駅]] - 当駅間は両線の重複区間(当駅は関西本線所属)<br />** 一部列車は関西本線経由で大阪環状線へ直通 }} 長らく国鉄→JR西日本における[[和歌山県|和歌山]]・[[紀伊半島]]方面へのターミナルとして機能してきたが、大阪環状線経由で[[新大阪駅]](京都方面)・[[大阪駅]]・[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]への直通運転が一般化してからは、構造上[[頭端式ホーム|櫛形ホーム]]を残しつつも、同様の境遇を持つ[[上野駅]]と同様に途中駅の側面が強くなっている。 [[駅長]]が配置された[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]であり、[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]として大和路線の[[平野駅 (JR西日本)|平野駅]]と[[東部市場前駅]]、阪和線の[[美章園駅]]と[[南田辺駅]]を管轄している。 [[ファイル:Hanwa Tennoji station 1938.jpg|thumb|阪和天王寺駅(1938年10月頃)]] [[ファイル:Hanwa Tennoji Hanwa Platform.jpg|thumb|阪和天王寺駅プラットホームに停車する南紀直通列車(1938年頃)]] [[ファイル:Tennōji Station.19710509.jpg|thumb|天王寺駅周辺の白黒空中写真(1971年5月9日撮影)<br />{{国土航空写真}}]] === 開業時 === 天王寺駅の歴史は、初代の[[大阪鉄道 (初代)|大阪鉄道]]が[[1889年]]([[明治]]22年)[[5月14日]]にのちの関西本線に当たる路線の、湊町駅(現在の[[JR難波駅]]) - [[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]]間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って[[東成郡]]の[[郡制|郡役所]]が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線に当たる路線の建設を進め、[[1895年]](明治28年)[[5月28日]]に[[玉造駅]]まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。[[1900年]](明治33年)[[6月6日]]に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も[[1907年]](明治40年)[[10月1日]]には[[鉄道国有法]]により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)[[9月20日]]に、天王寺が[[10月27日]]に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに[[大阪市電]]も順次建設が進み、[[1923年]]([[大正]]12年)[[4月13日]]には2代目の[[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]]も後の[[近鉄南大阪線]]となる路線を開業した。 この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と[[貨物上屋]]が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する[[跨線橋]]が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。 === 阪和電気鉄道の開業による展開 === ここにさらに昭和初期には阪和電気鉄道が乗り入れてこようとしていた。この段階で駅の南側には大阪鉄道の駅があり、これらの間に大阪市営地下鉄が建設される予定となっていた。一方、駅の北側には南大阪電気鉄道が駅を建設する予定となっており、既に天王寺駅に乗り入れる余地が残されていなかった。しかし[[1926年]](大正15年)に南大阪電気鉄道は2代目の大阪鉄道に吸収合併されたことから、駅北側の用地は不要となり、この部分を阪和電気鉄道が手に入れて利用することになった。これにより、国鉄の駅の北側に隣接して[[1929年]]([[昭和]]4年)[[7月18日]]に阪和天王寺駅<ref group="注釈">建設計画段階では天王寺公園停車場と呼称されていたが、確認されている範囲では、1929年5月7日付の申請書類以降、阪和天王寺停車場に呼称が変更されている。</ref>が開業した。阪和天王寺駅へは、鉄筋コンクリート造の高架線で国鉄の線路を横断して西へ向きを変え、国鉄の貨物積卸場の北側に並んでプラットホームなどが建設された。上町台地の端で国鉄の掘割部分との関係もあり、西側は台地の地面上に直接建設されているが、その東側は[[盛土]]になっており、さらにその東側は高架橋となっている。 阪和天王寺駅の大きな特徴としては、資本系列を同じくする[[新京阪鉄道]]の[[天神橋筋六丁目駅|天神橋駅]]や[[京阪電気鉄道]]の[[天満橋駅]]などと同様、完全に乗降分離されたプラットホームとなっていたことがある。開業時旅客は2面4線の構造であったが、いずれのホームも長い1本のプラットホームになっておらず、東側の降車専用プラットホームと西側の乗車専用プラットホームが区切られた構造になっていた。これにより、東側の降車専用プラットホームに到着した列車から乗客を降ろし、その後乗車専用プラットホームの位置まで移動して、乗客を乗せてから折り返すという運転<ref group="注釈">この形態は前述の京阪電気鉄道天満橋駅と新京阪鉄道天神橋駅の他、[[大阪電気軌道]][[近鉄奈良駅|奈良駅]]でも実施されていた。</ref>を行っていた。東側の降車専用プラットホームの西の端には[[地下道]]へ降りる階段が設けられており、西側の乗車専用プラットホームの南側のホームの下にある地下道につながっていて、乗車客と完全に分離された形で西側の降車用の改札口へつながる構造<ref group="注釈">改札口まで完全に乗降分離とするのも、新京阪鉄道天神橋駅で既に実施されていた手法である。</ref>であった。乗り場の番号としては、乗車専用が1番から7番の奇数が北から順に、降車専用が2番から8番の偶数が北から順に付番されていた。したがって、1番の乗車専用ホームと同じ線路になっているのは2番の降車専用ホームといった関係だった。また、紀勢本線方面へ直通する列車は編成が長かった関係で、特別に1番乗り場と2番乗り場をつなげた形で使っていた。これらの旅客設備より北側に貨物の留置線があり、旅客ホームより東側に貨物積卸場が設けられた。さらに高架上にある阪和天王寺駅から急勾配のスロープで降りて、国鉄の城東線と結ぶ貨物の受け渡し用の線路が設置され<ref group="注釈">計画の初期段階では駅構内の手前で分岐し、直接国鉄の貨物積み卸し場へ連絡する支線の建設を予定していたが、これは国鉄の貨物積み卸し場が駅北側に位置していて関西線と城東線を横断せねば貨物受け渡しができなかったことと、当時大阪市電気局高速電気軌道1号線(現・御堂筋線)の具体的な建設計画が定まっておらず、これと干渉しない工事法が決定できなかったこと、それに阪和天王寺駅の敷地が駅北側に決定して高架線での建設が必要となり、財政面の問題から少しでも建設費用を節約する必要が生じたことなどから計画が変更された。</ref><ref>竹田辰男「発見された土木図面に寄せて 阪和天王寺停車場の考察」『鉄道史料 第65号』、鉄道史資料保存会、1992年。</ref>、天王寺駅構内専用の貨車受け渡し用として[[阪和電気鉄道の車両#ロコ1100形|ロコ1100形]][[電気機関車]]が製造された。[[1931年]](昭和6年)にはこの受け渡し用の線路の途中から分岐して、高架上の貨物積卸場の下にも引き込み線を造り、2階建ての貨物積卸場となっている。さらに[[1938年]](昭和13年)になると、利用の激増に対応して本来は降車専用であった4番・6番のホームから直接折り返しができるように設備が改造され、降車客用の地下通路は出入り口部分の三面を折りたたんで平面にすることが可能なようにして、混雑時のみこれを展開して利用するように改良された。 国鉄の天王寺駅も利用が急増しており、改良工事を始めることになった。城東線の北側にある貨物扱場からは西側に取り付け道路があって駅前を通っており、物資の搬出入をする車両が駅前の混雑に拍車をかけていることもあり、関西本線を1 kmほど東側に行った場所に貨物扱場を移転させることになった。[[1934年]](昭和9年)に着工して[[1935年]](昭和10年)から利用を開始した。これにより城東線北側の貨物扱場が空き、このスペースに新しい旅客設備を建設して線路を切り替え、順次南側に改良工事を進めていくという方法で旅客設備の改良が行われた。これによりそれまで3面しかなかったプラットホームが5面に増強され、北側から城東線用第1、城東線用第2、関西本線上り、関西本線下り、南海天王寺支線用にそれぞれ割り当てられた。駅の建屋も阪和天王寺駅側に建設した[[木構造 (建築)|木造]]の仮駅舎に[[1937年]](昭和12年)[[3月19日]]に移転して、その南側で旧駅設備を撤去の上で鉄筋コンクリート4階建ての駅舎の工事が始められた。この工事は基礎まで完成したが、戦争の影響でその後の建設工事が中止された。しかしこれらの一連の改良工事により、大阪環状線と関西本線の旅客設備は現在の姿をほぼ完成させた。 [[第二次世界大戦]]中には、[[1940年]](昭和15年)[[12月1日]]に阪和電気鉄道は南海鉄道に合併されて阪和天王寺駅は南海天王寺駅となったが、[[1944年]](昭和19年)[[5月1日]]には旧阪和電気鉄道に相当する路線が国鉄に買収されて国鉄阪和線となり、南海天王寺駅が国鉄の天王寺駅に統合された。 ===阪和線ホームの増強=== 第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の[[貨物列車]]は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、[[1952年]](昭和27年)[[9月1日]]に[[竜華操車場]]と[[杉本町駅]]を結ぶ[[阪和貨物線]]が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の[[機回し線]]を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。 また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「[[民衆駅]]」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・[[鉄道弘済会]]・南海電気鉄道・[[JTB|日本交通公社]]・[[日本食堂]]・[[都ホテル]]の各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、[[1960年]](昭和35年)[[7月11日]]に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。[[1962年]](昭和37年)[[9月20日]]に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。 [[1989年]]([[平成]]元年)[[7月22日]]には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の供用が開始された。[[2008年]](平成20年)[[3月15日]]にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、[[1993年]](平成5年)[[4月1日]]に廃止された<ref name="kotsu19930401">{{Cite news |title=南海天王寺支線 なにわの庶民の足 93年の歴史に幕 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-04-01 |page=3 }}</ref>。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、[[1985年]](昭和60年)[[4月5日]]に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、[[1992年]](平成4年)[[10月16日]]に起工、[[1995年]](平成7年)[[9月14日]]に「[[天王寺ミオ]]」としてオープンした。 === 年表 === * [[1889年]]([[明治]]22年)[[5月14日]]:大阪鉄道(初代)が湊町駅(現在の[[JR難波駅]])- [[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]]間(現在の[[関西本線]]の一部)を開通させた際に、同線の駅([[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]])として開業{{sfn|石野|1998|p=344}}。 * [[1895年]](明治28年)[[5月28日]]:大阪鉄道の天王寺駅 - [[玉造駅]]間(現在の[[大阪環状線]]の一部)が開通{{sfn|石野|1998|p=120}}。 * [[1900年]](明治33年)[[6月6日]]:大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。[[関西鉄道]]の駅となる。 * [[1907年]](明治40年)[[10月1日]]:関西鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{sfn|石野|1998|p=120}}{{sfn|石野|1998|p=344}}。[[帝国鉄道庁|官設鉄道]](国鉄)の駅となる。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[鉄道路線の名称|線路名称]]設定により、関西本線所属駅となる(玉造・大阪方面は城東線となり、その後[[1961年]]に大阪環状線に改称)。 * [[1929年]]([[昭和]]4年)[[7月18日]]:阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(はんわてんのうじえき)が開業<ref name="sone42">{{Cite book|和書 |author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟 |title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部 |publisher=[[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume=42号 阪和線・和歌山線・桜井線・湖西線・関西空港線 |date=2010-05-16 |pages=12-13}}</ref>。 * [[1931年]](昭和6年)[[6月3日]]:阪和天王寺駅全面竣工<ref>{{Cite book|和書|author=竹田辰男|year =1989|title = 阪和電気鉄道史|publisher =鉄道資料保存会|isbn = 978-4885400612|page=387}}</ref>。 * [[1933年]](昭和8年) ** [[9月1日]]:阪和天王寺駅の貨物積卸場増築届<ref name="HW76">{{Cite book|和書|author=竹田辰男|year =1989|title = 阪和電気鉄道史|publisher =鉄道資料保存会|isbn = 978-4885400612|page=76}}</ref>。 ** [[10月27日]]:阪和天王寺駅の貨物引上線延長届(翌1月19日認可)<ref name="HW76" />。 * [[1934年]](昭和9年) ** [[3月31日]]:阪和天王寺駅駅本館増築届<ref name="HW76" />。 ** [[4月]]:貨物積卸場を東側約1kmの地点へ移転する工事に着手。 ** (日付不詳):阪和マーケット営業開始<ref>{{Cite book|和書|author=竹田辰男|year =1989|title = 阪和電気鉄道史|publisher =鉄道資料保存会|isbn = 978-4885400612|page=389}}</ref>。 * [[1935年]](昭和10年):貨物積卸場使用開始。 * [[1937年]](昭和12年)[[3月19日]]:木造2階建ての仮駅舎に移転。 * [[1940年]](昭和15年)[[12月1日]]:阪和電気鉄道が南海鉄道に合併、路線は南海山手線となる<ref name="sone42" />。この時、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を開始。 * [[1941年]](昭和16年)[[8月1日]]:阪和天王寺駅が'''南海天王寺駅'''(なんかいてんのうじえき)に改称<ref>{{Cite journal|和書|author=竹田辰男|journal=鉄道史料|volume=108|title=南海鉄道山手線史の考察|publisher=鉄道史資料保存会|year=2003|page=28}}</ref>(天王寺支線の天王寺駅については山手線とは別改札かつ国鉄と同一敷地であったため、駅名を改称せずにそのままとなる)。 * [[1944年]](昭和19年)[[5月1日]]:南海山手線が[[戦時買収私鉄|国有化]]され、[[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]](後の[[日本国有鉄道]])阪和線となる<ref name="sone42" />。同時に南海天王寺駅を天王寺駅に統合し{{sfn|石野|1998|p=365}}、山手線の南海移管後も天王寺駅の駅名のままで残された、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を解消する一方、阪和線との連絡運輸を開始。 * [[1960年]](昭和35年) ** [[2月11日]]:天王寺ステーションビル株式会社設立認可。 ** [[7月11日]]:天王寺駅ビル鍬入れ式。 * [[1962年]](昭和37年) ** [[9月20日]]:天王寺駅ビル竣工式。 ** [[9月21日]]:天王寺駅ビル(天王寺民衆駅)完成。 * [[1963年]](昭和38年)10月1日:貨物営業を廃止([[鉄道駅#旅客駅|旅客駅]]となる){{sfn|石野|1998|p=344}}。ただし、南海天王寺支線との貨車受け渡しは存続{{sfn|石野|1998|p=344}}。 * [[1969年]](昭和44年)[[6月1日]]:[[自動券売機]]の使用を開始。 * [[1971年]](昭和46年)[[6月1日]]:旅行センター開業<ref>交通年鑑昭和47年度内「交通日誌」</ref><ref>{{Cite news |title=天王寺駅に“旅セン”  |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1971-05-29 |page=2 }}</ref>。 * [[1977年]](昭和52年)[[3月1日]]:南海天王寺支線との貨車受け渡しを廃止{{sfn|石野|1998|p=344}}。 * [[1981年]](昭和56年)[[4月1日]]:阪和線乗り場改良工事開始<ref name="pic828">{{Cite journal|和書 |author=竹田辰男 |year=2010 |month=1 |volume=828 |title=阪和の面影を残す天王寺駅 |journal=[[鉄道ピクトリアル]] |pages=pp.68 - 77 |publisher=[[電気車研究会]]}}</ref>。 * [[1982年]](昭和57年)[[1月29日]]:阪和線ホームで当駅終着の区間快速電車が[[車止め]]に衝突する事故が発生<ref name="sone42" />。 * [[1983年]](昭和58年)10月1日:阪和線ホーム改良工事完成、5面5線となる<ref name="pic828" />。また、阪和線から東口への跨線橋が使用開始される<ref>{{Cite news |title=阪和線ホームの東口跨線橋使用開始 天王寺駅 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1983-10-02 |page=1 }}</ref>。 * [[1985年]](昭和60年)[[4月5日]]:天王寺ターミナルビル株式会社設立。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の駅となる<ref name="sone42" />。 * [[1988年]](昭和63年)[[3月13日]]:路線愛称の制定により、関西本線で「[[大和路線]]」の愛称を使用開始。 * [[1989年]]([[平成]]元年) ** [[7月20日]]:駅構内の東側に阪和線と大和路線の短絡線が完成。7月22日に供用開始<ref name="sone42" />。 ** [[8月27日]]:14時18分ごろ、阪和線ホームで当駅終着の快速電車が[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#阪和線天王寺駅列車衝突事故|車止めに衝突する事故]]が発生<ref>{{Cite news |title=天王寺駅で電車衝突 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1989-08-29 |page=2 }}</ref>。 * [[1992年]](平成4年)[[10月16日]]:「[[天王寺ミオ]]」起工式が行われる。 * [[1993年]](平成5年) ** 4月1日:南海天王寺支線が廃止される{{R|kotsu19930401}}。 ** [[7月1日]]:阪和線に[[運行管理システム (JR西日本)#阪和線システム(初代)|阪和線運行管理システム(初代)]]導入。 * [[1995年]](平成7年)[[9月14日]]:駅ビルのリニューアル工事が完成し、「天王寺ミオ」オープン。 * [[1997年]](平成9年) ** [[9月27日]]:東口に[[自動改札機]]を設置し、供用開始<ref name="JRR1998">{{Cite book|和書 |date=1998-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '98年版 |chapter=JR年表 |page=185 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-119-8}}</ref>。 ** [[10月10日]]:中央口に自動改札機を設置し、供用開始{{R|JRR1998}}。 * [[2003年]](平成15年)[[11月1日]]:[[ICカード]]「[[ICOCA]]」の利用が可能となる<ref>[https://web.archive.org/web/20040803184954/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030820a.html 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜]([[インターネットアーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日</ref>。 * [[2008年]](平成20年)[[3月15日]]:阪和線と大和路線の短絡線が複線化。 * [[2009年]](平成21年)[[10月4日]]:大阪環状線・大和路線に[[運行管理システム (JR西日本)#大阪環状・大和路線システム|大阪環状・大和路線運行管理システム]]導入。 * [[2013年]](平成25年) ** [[5月2日]]:[[アーバンネットワーク#異常時情報提供ディスプレイ|異常時情報提供ディスプレイ]]の使用を開始。 ** [[8月7日]]:[[自動改札機]]を[[JR西日本テクシア]]製、AG50型に交換。 ** [[9月28日]]:[[運行管理システム (JR西日本)#阪和線システム(2代)|阪和線運行管理システム]]を2代目のものに更新。 * [[2015年]](平成27年)[[3月22日]]:大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)に[[発車メロディ]]を導入。曲は[[和田アキ子]]の「[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]」。 * [[2016年]](平成28年)[[7月16日]]:改札内に[[液晶ディスプレイ]]の案内板が設置される。 * [[2018年]](平成30年)[[3月17日]]:[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始する。 === 駅構造 === [[上町台地]]上に位置する地上部と、それを東西に貫通する[[切土|掘割]]部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて[[阪和電気鉄道]]が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて[[関西鉄道]]が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> Tennoji sta01s3872.jpg|阪和線ホーム(2007年) Platform of Tennoji Station (Osaka Loop Line).jpg|大阪環状線ホーム(2019年) Platform of Tennoji Station (Osaka Loop Line) 2.jpg|関西本線ホーム(2019年) JR-TennojiSta2.jpg|中央改札付近(2007年) JR Tennoji station east ticket gate.jpg|東改札(2018年) Tennouji tennyo.JPG|移動される前の中央改札付近の天女像(2009年) Hanna renraku-sen Fukusen DSC04159.jpg|2008年3月15日のダイヤ改正より使用を開始した大和路線と阪和線を結ぶ短絡線と短絡線を走行する[[JR西日本223系電車|223系]]。後方に見える高架道路は[[大阪府道28号大阪高石線|大阪府道28号]]線[[天王寺バイパス]] </gallery> === のりば === <!--方面表記は、JR西日本(JRおでかけネット)の「構内図」の記載に準拠--> {| class="wikitable" !のりば<!-- JR西日本は「○番のりば」と表現 -->!!路線!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/eki/premises?id=0620831|title=天王寺駅|構内図:JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2023-10-19}}</ref>!!備考 |- |colspan="4" style="background-color:#eee; border-top:solid 3px #ff8e1f;"|'''阪和線ホーム''' |- !1 |rowspan="9"|{{JR西路線記号|K|R}} [[阪和線]]・{{JR西路線記号|K|S}} [[関西空港線]] |rowspan="9"|[[鳳駅|鳳]]・[[和歌山駅|和歌山]]・[[関西空港駅|関西空港]]方面 |通勤帯の到着のみ |- !rowspan="2"|2・3 |2は降車専用 |- |rowspan="2"|当駅始発の快速系等 |- !rowspan="2"|4・5 |- |5は降車専用 |- !rowspan="2"|6・7 |6は降車専用 |- |rowspan="2"|当駅始発の普通列車 |- !rowspan="2"|8・9 |- |9は降車専用 |- |colspan="4" style="background-color:#eee; border-top:solid 3px #e80000;"|'''大阪環状線ホーム''' |- !11 |rowspan="3"|{{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]](内回り) |rowspan="3"|[[鶴橋駅|鶴橋]]・[[京橋駅 (大阪府)|京橋]]・[[大阪駅|大阪]]方面 |環状運転列車等 |- !rowspan="2"|12・13 |当駅始発列車 |- |13は降車専用 |- !14 |{{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線(外回り) |[[弁天町駅|弁天町]]・[[西九条駅|西九条]]・大阪方面 |環状運転列車 |- <!-- この間に4番線が存在する --> |colspan="4" style="background-color:#eee; border-top:solid 3px #00B17B;"|'''大和路線ホーム''' |- !rowspan="2"|15 |[[きのくに線]]・関西空港線 特急 | 和歌山・[[白浜駅|白浜]]・[[新宮駅|新宮]]・関西空港方面 |[[はるか (列車)|はるか]]・[[くろしお (列車)|くろしお]] |- |{{JR西路線記号|K|R}} 阪和線・{{JR西路線記号|K|S}} 関西空港線 |鳳・和歌山・関西空港方面 |[[関空・紀州路快速]]等 |- !16 |{{JR西路線記号|K|Q}} [[大和路線]]・{{JR西路線記号|K|T}} [[和歌山線]] |[[王寺駅|王寺]]・[[奈良駅|奈良]]・[[加茂駅 (京都府)|加茂]]・[[高田駅 (奈良県)|高田]]・[[五条駅 (奈良県)|五条]]方面 | rowspan="2"|大和路線の列車・<br/>[[大和路快速]]等 |- !17 |rowspan="2"|{{JR西路線記号|K|Q}} 大和路線・{{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 |rowspan="2"|[[JR難波駅|JR難波]]・弁天町・西九条・大阪方面 |- !rowspan="2"|18 |関空・紀州路快速等 |- |[[JR京都線]]・[[琵琶湖線]] 特急 |[[新大阪駅|新大阪]]・[[京都駅|京都]]方面 |はるか・くろしお |} 旅客案内上ののりばと運転取り扱い上の番線は、北側から順に次の通り。 * 1番のりば…阪和5番線 * 2・3番のりば…阪和4番線 * 4・5番のりば…阪和3番線 * 6・7番のりば…阪和2番線 * 8・9番のりば…阪和1番線 * 11番のりば…1番線 * 12・13番のりば…2番線 * 14番のりば…3番線 * ホームのない線路…4番線 * 15番のりば…5番線 * 16番のりば…6番線 * 17番のりば…7番線 * 18番のりば…8番線 ==== 阪和線ホーム ==== 阪和線では1 - 9番のりばを使用している。櫛形ホーム5面5線の[[地上駅]]。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばが存在しない。ただし、大阪環状線からの直通列車と特急列車は、15・18番のりばを使っている。 1・2番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の[[関空快速・紀州路快速|関空快速]]や[[紀勢本線|きのくに線]]に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて地平ホームの15・18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通[[臨時列車]]のみが発着する<ref group="注釈">2011年現在1番のりばから発車する特急列車は臨時の「くろしお81号」のみで、同ホームに到着する特急列車は設定されていない。</ref>。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車(大阪環状線との直通打ち切りにおける関空快速の発着など)がよく見られる。 [[2007年]](平成19年)の[[ダイヤ改正]]で1番のりばは[[ラッシュ時]]の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」(2011年廃止)が使い、3番のりばは未使用であった。しかし、[[2008年]](平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻され、同時に3番のりばが[[有効長]]8両編成対応のホームに延伸された。 ==== 大阪環状線ホーム ==== 大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。有効長は8両編成分。ただし、大和路線・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の[[島式ホーム]]2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。日中は、関空・紀州路快速は12・13番のりばで直接折り返し、大和路快速は14番のりば到着後に一旦引上げ線に入り11番のりばに入線する。周回列車は当駅で[[列車番号]]が変わり、また時間調整のため3分ほど停車する(2016年3月現在)。 内回りの始発には[[桜島線]](JRゆめ咲線)直通、[[阪和線]]・[[関西空港線]]直通、[[大和路線]]直通列車など他路線直通列車も使用されるが、この際は電光掲示板や車両の行先表示器には誤乗防止のために「普通 大阪環状線」と表記されており、当駅発車後に表示が切り替えられ、隣の[[寺田町駅|寺田町]]から本来の行き先が表示されるようになっている<ref group="注釈">始発の段階で表示するとそのまま阪和線や大和路線に入ると勘違いし、結果的に天王寺をもう一度通ることになり時間が大幅にかかってしまう。また、桜島線直通に関しても京橋・鶴橋方面で行くより外回りで西九条乗り換えの方が早く行けるためである。遠回りによって大幅に時間をかけないための対策とも言える。</ref>。 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として大阪環状線の各駅には「駅シンボルフラワー」が制定されており、当駅には[[阿倍野区]]の花でもある「[[ペチュニア]]」が割り当てられ、案内サイン類の意匠に取り入れられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/category8.php |title=全19駅にシンボルの花を定めました |accessdate=2017-03-23 |work=大阪環状線改造プロジェクト |publisher=西日本旅客鉄道}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/items/150914_00_symbolflower.pdf |title=大阪環状線 駅シンボルフラワー |accessdate=2017-03-23 |date=2015-09-14 |format=pdf |publisher=西日本旅客鉄道}}</ref>。 ==== 関西本線(大和路線)ホーム ==== 関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。有効長は、一般電車は8両編成分、特急電車は9両編成分。15番のりばの特急電車の一番後ろの「はるか」の1号車、及び「くろしお」の9号車は、車掌室から客室部分にかけては柵でガード、柵の切れたところが最後の扉(最後の車両の前寄りの扉)である。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、[[1989年]](平成元年)[[7月22日]]に阪和線と大和路線を結ぶ構内[[連絡線|短絡線]]が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初[[単線]]で関西本線(大和路線)と[[平面交差]]しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、[[ダイヤグラム|ダイヤ]]編成上の[[ボトルネック]]となっていたが、2008年(平成20年)[[3月15日]]より短絡線は[[複線]]化され、平面交差も解消された。同じ改正より、阪和線は15・18番のりば、大和路線は16・17番のりば(一部は18番のりば)に発着している。なお、大和路線から大阪環状線へ直通する区間快速、阪和線から大阪環状線へ直通する直通快速の外回り列車は大阪環状線内は各駅に停車するため、当駅で種別を普通に変更する。 15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。 なお、当駅は毎日早朝に16番のりばから「大和路線奈良経由の京都行き」と全時間帯に18番のりばから「特急はるか 新大阪経由京都行き」の運転があるため、上下別々ののりばから経路が全く異なる「京都行き」の発着があるという珍しい駅でもある。 ==== 引上線など ==== 阪和線のホームの東側には[[引き上げ線]]が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への[[回送]]や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。 ==== 構内店舗 ==== 阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「麺家(旧:天王寺うどん)」の店舗がある。[[ジェイアール西日本フードサービスネット]]の管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。 2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営は[[ジェイアール西日本デイリーサービスネット]]。 ==== 配線図 ==== <div class="NavFrame" style="background-color:#fff;border:solid 1px #0072bc;text-align:left;font-size:90%;float:left"> <div class="NavHead" style="background-color:#fff;text-align:left"> {{small| ※今宮駅から天王寺駅の鉄道配線図('''※注意 巨大画像・幅900px''')を表示するには、右の [表示] をクリックしてください。}}</div> <div class="NavContent"> {{駅配線図 |image = Rail Tracks map JR-W between Imamiya and Tennoji Station ja.svg |title = JR西日本 今宮駅 - 天王寺駅間 配線略図 |width = 900px |up = {{JR西路線記号|K|O}}[[大阪環状線]]<br />[[鶴橋駅|鶴橋]]・[[京橋駅 (大阪府)|京橋]]・[[大阪駅|大阪]]方面 |up-align = right |left = N:{{JR西路線記号|K|Q}}[[大和路線]]<br />([[関西本線]])<br />[[JR難波駅|JR難波]]<br /><br /><br />B:{{JR西路線記号|K|O}}大阪環状線<br />[[弁天町駅|弁天町]]・[[西九条駅|西九条]]・<br />大阪方面<br />← |left-valign = middle |right = {{JR西路線記号|K|Q}}大和路線<br />(関西本線)<br />[[王寺駅|王寺]]・[[奈良駅|奈良]]・<br />[[加茂駅 (京都府)|加茂]]方面 |right-valign = bottom |down = {{JR西路線記号|K|R}}[[阪和線]]<br />[[鳳駅|鳳]]・ [[関西空港駅|関西空港]]・[[和歌山駅|和歌山]]方面 |down-align = right |source = 以下を参考に作成。<br />* [[電気車研究会]]、「特集 - 大阪環状線」『[[鉄道ピクトリアル]]』通巻第819号 2009年6月、42頁。<br />* 「特集 JR短絡線ミステリー」、『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』 第37巻11号(通巻第439号) 1997年11月号、36頁、[[交友社]]、1997年。<br />* [[川島令三]]、「JR阪和線」、『[[全国鉄道事情大研究]] - 大阪南部・和歌山篇』ISBN 978-4-7942-0516-2、[[草思社]]、1993、17頁。<br />* [http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0620831 JR西日本公式ホームページ JRおでかけネット - 天王寺駅(大阪府)- 構内図] |note = ※ 赤{{Color|#e80000|■}}:大阪環状線、橙{{Color|#f60|■}}:阪和線、緑{{Color|#093|■}}:大和路線(関西本線)<br />数字大(灰色):天王寺駅の線路番号('''阪1'''から'''阪5'''は阪和1から5号線)、数字小:各駅ののりば番号<br />白線クロスハッチ:降車用[[プラットホーム]]、短絡線:'''C1'''は1989年供用開始、'''C2'''は2008年供用開始。<br />大阪環状線・関西本線の配線は2009年2月14日現在。<br />この図のうち、一ツ家踏切は2012年7月1日に廃止となっている<ref>{{Cite journal|和書 |author=徳野陽一 |title=大阪環状線唯一の踏切消える |journal=[[鉄道ピクトリアル]] |publisher=電気車研究会 |issue=866 |year=2012 |month=9 |pages=110}}</ref>。<br /> 今宮駅の2・3番線ホームは実際には同一平面上にある。<br />※周辺の他社線は省略。}} </div> </div> {{-}} === 発車メロディ === 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から地元天王寺区出身で大阪を代表する歌手・[[和田アキ子]]の代表曲「[[あの鐘を鳴らすのはあなた]]」が大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)の[[発車メロディ]]として使用されている<ref>{{Cite web|和書|title=『大阪環状線改造プロジェクト』進行中 大阪環状線発車メロディ全駅曲目決定! |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6940.html |website=西日本旅客鉄道 |access-date=2022-05-05 |date=2015-03-16}}</ref>。当駅近くの[[四天王寺]]の鐘に因んでいる。 == 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) == {{駅情報 |社色 = #33328b |文字色 = |駅名 = Osaka Metro 天王寺駅 |画像 = Osaka Subway Tennoji Station 001.JPG |pxl = 300 |画像説明 = 東改札(2008年4月) |よみがな = てんのうじ |ローマ字 = Tennoji |電報略号 = |所属事業者 = [[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) |所在地幅 = long |所在地 = [[大阪市]][[阿倍野区]]阿倍野筋一丁目1-48(御堂筋線)<br />{{coord|34|38|47.59|N|135|30|49.54|E|type:railwaystation_region:JP|name=御堂筋線 天王寺駅}}<br />大阪市[[天王寺区]]茶臼山町5-52(谷町線)<br />{{coord|34|38|50.87|N|135|30|47.4|E|type:railwaystation_region:JP|name=谷町線 天王寺駅}} |開業年月日 = [[1938年]]([[昭和]]13年)[[4月21日]] |廃止年月日 = |駅構造 = [[地下駅]] |ホーム = 2面3線(御堂筋線)<br />2面2線(谷町線) |乗車人員 = 115,552 |乗降人員 = 230,570 |統計年度 = 2022年 |乗入路線数 = 2 |所属路線1 = {{Color|#e5171f|●}}[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]] |前の駅1 = M22 [[動物園前駅|動物園前]] |駅間A1 = 1.0 |駅間B1 = 1.8 |次の駅1 = [[昭和町駅 (大阪府)|昭和町]] M24 |駅番号1 = {{駅番号s|#e5171f|white|M23}} |キロ程1 = 13.9&nbsp;km([[江坂駅|江坂]]起点)<br />[[千里中央駅|千里中央]]から19.8 |起点駅1 = |所属路線2 = {{Color|#522886|●}}[[Osaka Metro谷町線|谷町線]] |前の駅2 = T26 [[四天王寺前夕陽ヶ丘駅|四天王寺前夕陽ヶ丘]] |駅間A2 = 0.9 |駅間B2 = 0.6 |次の駅2 = [[阿倍野駅|阿倍野]] T28 |駅番号2 = {{駅番号s|#522886|white|T27}} |キロ程2 = 17.8 |起点駅2 = [[大日駅|大日]] |乗換 = |備考 = }} 御堂筋線のホームがJRの南側にある[[あびこ筋]]の地下、谷町線のホームがJR駅の西側にある[[谷町筋]]の地下にあり、それぞれ地下通路で連絡している。両線のプラットホームはJR西日本天王寺駅をL字型で南北に挟んだ配置であるためやや離れており、乗り換えには徒歩5分程度を要する。 === 歴史 === * [[1938年]]([[昭和]]13年)[[4月21日]]:1号線(現在の[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]])の[[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]] - 天王寺駅間延伸時に開業(開業当初は終着駅)。 * [[1951年]](昭和26年)[[12月20日]]:1号線が当駅から[[昭和町駅 (大阪府)|昭和町駅]]まで延伸、途中駅となる。 * [[1968年]](昭和43年)[[12月17日]]:2号線(現在の[[Osaka Metro谷町線|谷町線]])が[[谷町四丁目駅]]から当駅まで延伸。乗換駅となる。 * [[1980年]](昭和55年)[[11月27日]]:谷町線が当駅から[[八尾南駅]]まで延伸、途中駅となる。 * [[2010年]]([[平成]]22年)[[2月1日]]:朝ラッシュ時にホームが混雑していたため、[[エスカレーター]]の降り口で多くの利用客が立ち往生し、エスカレーターに乗っていた人が次々に将棋倒しになるという事故が発生した。この際、軽傷者も出ていたにもかかわらず、当初大阪市が公表せず問題となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100202-OYT1T00029.htm |title=地下鉄エスカレーターで転倒、数十人折り重なる |access-date=2022-05-05 |deadlinkdate=2011-08 |date=2010-02-02 |website=[[読売新聞]] |archive-date=2010-02-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100203114019/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100202-OYT1T00029.htm}}</ref>。 * [[2013年]](平成25年)[[4月18日]]:御堂筋線改札内外に[[駅ナカ]]施設『[[エキモ|'''ekimo天王寺''']]』が開業。 * [[2015年]](平成27年) ** [[2月1日]]:御堂筋線の2番線で[[ホームドア]]を稼働開始。御堂筋線で初めてのホームドア稼働駅となる。 ** [[2月8日]]:御堂筋線の3番線でホームドアを稼働開始。 ** [[2月14日]]:御堂筋線の1番線でホームドアを稼働開始。 * [[2018年]](平成30年)[[4月1日]]:[[大阪市交通局]]の民営化により、所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) に変更。 ===駅構造=== 御堂筋線は[[単式ホーム]](なかもず方面行き)と島式ホーム(新大阪・千里中央方面行き)の複合型で2面3線。当駅を始発・終着とする列車が多数設定されているため、なかもず寄りに留置線がある。当駅折返し列車は単式ホームで乗客を降ろした後、いったん留置線に引き上げてから島式の2番線に入り、客扱いを終えてから発車する。なかもず発の最終は当駅終着だが、こちらは留置線に入らず、夜間停泊のため[[大国町駅]]まで回送される。 谷町線は[[相対式ホーム]]2面2線。谷町線コンコース上には[[あべちか]](地下街)がある。 当駅は、御堂筋線部分が[[大阪市交通局天王寺管区駅|天王寺管区駅]](副駅長駐在)に、谷町線部分が[[大阪市交通局平野管区駅|平野管区駅]]に所属している。 ====のりば==== <!--方面表記は、Osaka Metroの「駅構内図」の記載に準拠--> {| class="wikitable" !番線<!-- 大阪市高速電気軌道は「○番線」と表現 -->!!路線!!行先!!備考 |- !colspan="4" style="text-align:center;"|御堂筋線ホーム |- !1 |rowspan="3"|[[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線 |[[我孫子駅 (大阪府)|あびこ]]・[[中百舌鳥駅|なかもず]]方面<ref name="M23">{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/M/m23/index.php |title=Osaka Metro|天王寺 |accessdate=2023-06-13 |website=大阪市高速電気軌道}}</ref> |&nbsp; |- !2 |[[難波駅 (Osaka Metro)|なんば]]・[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田]]・[[中津駅 (Osaka Metro)|中津]]・[[新大阪駅|新大阪]]方面<ref name="M23" /> |当駅始発 |- !3 |なんば・梅田・新大阪・[[千里中央駅|千里中央]]方面<ref name="M23" /> |なかもず方面から |- !colspan="4" style="text-align:center;"|谷町線ホーム |- !1 |rowspan="2"|[[File:Osaka Metro Tanimachi line symbol.svg|15px|T]] 谷町線 |[[八尾南駅|八尾南]]方面<ref name="T27">{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/T/t27/index.php |title=Osaka Metro|天王寺 |accessdate=2023-06-13 |website=大阪市高速電気軌道}}</ref> |&nbsp; |- !2 |[[東梅田駅|東梅田]]・[[都島駅|都島]]・[[大日駅|大日]]方面<ref name="T27" /> |&nbsp; |} <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> Osaka Subway Tennoji St (Midosuji Line).jpg|御堂筋線ホーム Tennoji Station Tanimachi line Platform.JPG|谷町線ホーム Ekimo Tennoji Osaka Japan01-r.jpg|駅ナカ施設「ekimo天王寺」 </gallery> == 阪堺電気軌道 == {{駅情報 |社色 = #008040 |文字色 = |駅名 = 阪堺 天王寺駅前停留場 |画像 = Hankai HN01new.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 新駅舎に停車中のあびこ道行きの電車 |よみがな = てんのうじえきまえ |ローマ字 = TENN&#332;JI-EKIMAE |前の駅 = |駅間A = |駅間B = 0.5 |次の駅 = [[阿倍野駅|阿倍野]] HN02 |電報略号 = |駅番号 = {{Color box|white|HN01}} |所属事業者 = [[阪堺電気軌道]] |所属路線 = {{Color|orange|■}}[[阪堺電気軌道上町線|上町線]] |キロ程 = 0.0 |起点駅 = 天王寺駅前 |所在地 = [[大阪市]][[阿倍野区]]阿倍野筋一丁目 |座標 = {{coord|34|38|46.74|N|135|30|46.56|E|type:railwaystation_region:JP|name=阪堺 天王寺駅前停留場}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 2面1線 |開業年月日 = [[1900年]]([[明治]]33年)[[9月20日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = |乗降人員 = 10,081 |統計年度 = 2020年 |乗換 = |備考 = }} [[あべの筋]]の中央部(阿倍野区)に位置し、両側を車道で挟まれた位置にある。 === 歴史 === * [[1900年]]([[明治]]33年)[[9月20日]]:大阪馬車鉄道、天王寺 - 東天下茶屋間の開業と同時に、公園東門駅(現在の天王寺駅前交差点付近にあった駅)として開業。 * [[1907年]](明治40年) ** [[3月29日]]:大阪馬車鉄道が大阪電車鉄道と改称し、大阪電車鉄道の駅となる。 ** [[10月29日]]:大阪電車鉄道が浪速電車軌道と改称し、浪速電車軌道の駅となる。 * [[1908年]](明治41年)[[2月1日]]:電化工事のため、一旦、廃止となる。 * [[1909年]](明治42年)[[12月24日]]:浪速電車軌道が南海鉄道に合併され、南海鉄道上町線の駅となる。これにより、南海鉄道が運営の天王寺支線の天王寺駅とは同一会社の運営となったため、徒歩連絡を開始した。 * [[1910年]](明治43年)[[10月1日]]:天王寺 - 住吉神社前間で電車による営業運転を開始したのと同時に旅客営業を再開。 * [[1921年]]([[大正]]10年)[[12月24日]]:大阪市の施策である「[[市営モンロー主義]]」に基づき、南海鉄道上町線の天王寺 - 公園東門間の路線が大阪市電気鉄道部に買収され、南海鉄道上町線の終着となる。 * 1921年(大正10年) - 1952年(昭和27年)の間: ** 駅名を天王寺駅前に改称。 ** 駅が現在地に移設される。 * [[1944年]]([[昭和]]19年)[[6月1日]]:関西急行鉄道と南海鉄道が合併、[[近畿日本鉄道]]の駅となる。同日従来の天王寺駅との他、新たに南大阪線の大阪阿部野橋駅とも徒歩連絡を開始する。 * [[1947年]](昭和22年)6月1日:路線譲渡により[[南海電気鉄道]]の駅となる。これにより同日南大阪線の大阪阿部野橋駅との徒歩連絡を解消。 * [[1969年]](昭和44年):[[大阪市営地下鉄]]1号線との地下連絡通路設置<ref>大阪市交通局「第1号線天王寺停留場南海上町線連絡通路受託工事」、昭和44年</ref>。 * [[1980年]](昭和55年)[[12月1日]]:路線譲渡により阪堺電気軌道の駅となる。これにより同日天王寺支線の天王寺駅との徒歩連絡を解消。 * [[2016年]]([[平成]]28年)[[12月3日]]:新駅舎に移設<ref name="kotsu20161125">{{Cite news |title=12月3日新線切り替え|newspaper=[[交通新聞]]|publisher=交通新聞社|date=2016-11-25|page=3}}</ref>。 === 駅構造 === 相対式2面1線のホームを有する。東側のホームを乗車用、西側のホームを降車用として使っている。ホーム有効長は2両分であるが、普段は車止めから1両分を空けて停車し、そこで客扱いを行っている。初詣輸送時や貸切など臨時列車を運転する場合は臨時列車を車止めぎりぎりの位置に停め、その手前に定期便の列車が入って客扱いを行う。また、ラッシュ時などで[[渋滞]]などのためにダイヤが乱れ、先行列車と後続列車の間隔が詰まっている場合にも、稀に先行列車を車止めぎりぎりの位置に停めて、すぐ後に後続列車を入れて、それぞれ客扱いを行う場合がある。このとき折り返し列車は後続列車の車両が先発となり、車両の運行順序が入れ替わることとなる。 [[ファイル:Nankai Uemachi Line Abeno Station.jpg|thumb|南海上町線「天王寺駅前」駅(1956年頃)]] [[南海平野線]]が廃止になるまでは前部が我孫子道もしくは住吉公園行きの列車が、後部からは平野行きの列車が発着していた。窓口と改札口が設けられており、窓口では[[定期乗車券]]の購入や[[一日乗車券]]等の購入が可能で、改札口では午前7時から午後9時までは集札業務も実施している。 なお、当駅が開業する前にも「天王寺駅前駅」が存在した。当駅の0.1 km(営業キロで)北側で、あべの橋橋梁の上にあった。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> Hankai Tramway Tennoji-Ekimae Station.jpg|現在の駅舎 Hankai-Tennojiekimae-st1.jpg|近鉄前交差点から見る旧駅舎 阪堺上町線天王寺駅前(旧).jpg|旧駅の改札からホームを見る </gallery> ホームへ行くには歩道橋と地下からの2つのルートがある。以前、阿倍野歩道橋架替工事に伴い歩道橋からホームへ行くことが出来なくなり、[[2013年]]春の新歩道橋の完成時点では阪堺線のりばへの階段は設けられなかった<ref>[http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000106655.html 阿倍野歩道橋架替工事について] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20130713100711/http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000106655.html |date=2013-07-13}}</ref>。現在は上町線が通る[[あべの筋]]([[大阪府道30号大阪和泉泉南線]])の西側への拡幅に伴い、駅が西側(拡幅後の道路の中心線付近)に移設され、歩道橋からの階段も新設された<ref>[http://www.abenoharukas-300.jp/about/history02.html 近鉄とあべのの歴史] - あべのハルカス公式サイト「あべのハルカスについて」</ref>。なお、旧地下通路は改装の上で新駅への通路に転用された。 先述の通り、当駅および[[阿倍野駅|阿倍野停留所]]が線路移設のため[[2015年]](平成27年)夏から駅舎の移設工事を行っている。[[2016年]](平成28年)[[12月3日]]に移設された新軌道に切り替わり、同時に当駅も新駅舎に移設し、エレベーターの使用を開始した<ref name="kotsu20161125" />。なお新しい軌道敷には[[近畿地方|関西地区]]の路面電車としては初となる[[芝|芝生]]による緑化が施されている<ref>{{Cite web|和書|title=阪堺電車、天王寺駅前~阿倍野間を12月に切り替え 関西初の芝生軌道に |url=https://abeno.keizai.biz/headline/2272/ |website=あべの経済新聞 |access-date=2016-09-11 |date=2016-09-08}}</ref>。 == 南海電気鉄道(廃止) == {{駅情報 |社色 = #ccc |文字色 = #000 |駅名 = 南海 天王寺駅 |画像 = 南海天王寺駅.jpg |pxl = 300 |画像説明 = |よみがな = てんのうじ |ローマ字 = TENN&#332;JI |前の駅 = [[飛田本通駅|飛田本通]]* |駅間A = 0.9 |駅間B = |次の駅 = |電報略号 = |駅番号 = |所属事業者 = [[南海電気鉄道]] |所属路線 = [[南海天王寺支線|天王寺支線]] |キロ程 = 1.3 km([[今池停留場|今池町]]**起点)<br />[[天下茶屋駅|天下茶屋]]から2.4 |起点駅 = |所在地 = [[大阪市]][[天王寺区]]悲田院町10-45 |駅構造 = [[地上駅]](掘割構造) |ホーム = 1面2線 |開業年月日 = [[1900年]]([[明治]]33年)[[10月26日]] |廃止年月日 = [[1993年]]([[平成]]5年)[[4月1日]]{{R|kotsu19930401}} |乗車人員 = |乗降人員 = |統計年度 = |乗換 = |備考全幅 = * 1949年までは[[大門通駅]]が隣駅、1984年までは今池町駅が隣駅。<br />** 1984年までは[[天下茶屋駅]]が起点。 }} [[1993年]](平成5年)までは、現在の[[天王寺ミオ]]が建っている部分に島式ホームの19・20番線があり、[[南海天王寺支線]]が[[天下茶屋駅]]までを結んでいた。 旅客列車はほとんど北側の19番線に発着し、かつては国鉄と貨物の連絡をしていたこともあったほか、上町線が南海による運営だった頃には、天王寺駅前停留場と本駅との間で徒歩連絡を実施しており、また戦時合併で近畿日本鉄道による運営だった際には、それに加えて南大阪線の大阪阿部野橋駅(天王寺駅前停留場⇔大阪阿部野橋駅間の徒歩連絡もされていた)とも徒歩連絡を行っていたが、前者とは分社化により1980年(昭和55年)に、後者とも会社分離により1947年(昭和22年)に徒歩連絡を解消した。 1984年(昭和59年)の天下茶屋駅 - [[今池停留場|今池町駅]]部分廃止後は、[[阿倍野橋]]直下に単線の仮設ホームを作って発着していた。末期の頃は現在の天王寺ミオのプラザ館東出入り口付近にあったコインロッカーの奥の階段を降りた場所に駅の改札と事務所があった。[[Osaka Metro堺筋線|地下鉄堺筋線]]の天下茶屋延伸により、残りの天王寺駅 - 今池町駅間も1993年(平成5年)に廃止された{{R|kotsu19930401}}。 仮設ホームからは営業中の1両がいない間に限り、[[停車場#側線|側線]]を用いた[[日本の鉄道車両検査|検修]]用の車庫に留置されている別の1両を部分的に眺めることができた。全線廃止まで車庫が設けられていたのは、部分廃止で他の路線とレールが繋がらなくなったため、検修用の設備を確保する必要が生じたことによる。この検修用設備は全線廃止後、[[汐見橋駅]]に移築され、1995年8月に[[岸里玉出駅]]付近の[[南海高野線|汐見橋線]]高架化が完成するまで使用された。 南海はかつて、天王寺駅の駅ビル会社2社の株式を保有し、JR西日本に次ぐ第2位の株主となっていた。これは、天王寺ミオの敷地に南海天王寺支線の駅があった名残である。天王寺ミオ自体も、南海主導で計画されていたことから初期段階の仮称は「'''てんのうじ[[CITY]]'''」だった。後にJR西日本が南海保有分を買い取ったことで、現在は株主から外れている。 [[天王寺ミオプラザ館]]にテナントとして入居している[[サンマルクホールディングス|サンマルクカフェ]]'''南海'''天王寺店は、南海の系列会社である南海商事が[[フランチャイズ|フランチャイジー]]となっている。天王寺駅1Fコンコース南側にある[[蓬萊 (飲食店)|551蓬萊]]、[[2007年]](平成19年)[[9月4日]]に出店した[[立ち食いそば・うどん店#駅そば|南海そば]]も南海商事の経営である。南海電鉄の宣伝看板([[みさき公園]]、[[高野山]]など)もコンコース南側の上に掲げられている。 === 歴史 === * [[1900年]]([[明治]]33年)[[10月26日]]:開業。 * [[1940年]](昭和15年)[[12月1日]]:阪和電気鉄道が南海鉄道に合併したため、同一会社での運営となった南海山手線南海天王寺駅との徒歩連絡を開始。ただし同一会社化後も山手線と天王寺支線とは別改札の状態となっていたことと、天王寺支線は山手線とは異なり、国鉄との共同使用駅状態を継続したため、天王寺支線側の駅名は冠名のない天王寺駅のままで変更せず)。 * [[1944年]](昭和19年)[[5月1日]]:南海山手線が国有化され別の鉄道事業者に移管。国鉄阪和線となった。これにより同日より山手線南海天王寺駅は天王寺駅に統合され、山手線南海天王寺駅との徒歩連絡を解消。一方で駅統合により阪和線とも連絡運輸を開始する。 * [[1977年]]([[昭和]]52年)[[3月1日]]:貨物の受け渡しを廃止。 * [[1993年]]([[平成]]5年)[[4月1日]]:廃止{{R|kotsu19930401}}。 == 利用状況 == * '''JR西日本''' - 2021年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]は'''113,905人'''である<ref group="統計 JR西日本" name="jrwesttoukei">[https://www.westjr.co.jp/fan/ranking/ なんでもランキング:JR西日本]</ref>。同社の駅では[[大阪駅]]、[[京都駅]]に次ぐ第3位。 * '''大阪市高速電気軌道''' - 2022年11月15日の1日[[乗降人員]]は'''230,570人'''(乗車人員:115,552人、降車人員:115,018人)である<ref group="統計 Osaka Metro" name="os-metrotoukei">{{PDFlink|[https://www.osakametro.co.jp/company/library/100331_research/20221115_subway_nt.pdf 路線別乗降人員(2022年11月15日 交通調査)]}} - Osaka Metro</ref>。同社の駅では[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]]、[[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]]に次ぐ第3位。 * '''阪堺電気軌道''' - 2020年度の1日乗降人員は'''10,081人'''(乗車人員:5,385人、降車人員:4,696人)である。 2019年における[[大阪阿部野橋駅]]を含む各社合計の1日平均乗降客数は約74万人であり大阪府内では[[梅田地区の鉄道駅|大阪・梅田駅]]、[[難波駅]]に次ぐ第3位の駅となる。 近年における1日乗車・乗降人員の推移は下表の通り。 * JRのデータは'''1日平均'''乗車人員である。 * 大阪市高速電気軌道、阪堺電気軌道のデータは交通量調査に基づいた'''特定の1日'''における乗降・乗車人員である。 {| class="wikitable" style="text-align:right" ! rowspan="2" |年度 ! colspan="2" |JR西日本 ! colspan="3" |大阪市高速電気軌道 ! colspan="2" |阪堺電気軌道 ! colspan="2" |南海電気鉄道 ! rowspan="2" |出典 |- !乗車人員!!増加率!!調査日!!乗降人員!!乗車人員!!乗降人員!!乗車人員!!乗降人員!!乗車人員 |- |1990年||174,471|| ||11月{{0}}6日||324,640||164,689|| colspan="2" style="text-align:center" |-||1,512||826 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H02">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088143/tn1991n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成3年)]}}</ref> |- |1991年||176,446||1.1%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |-||1,504||826 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H03">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088083/tn1992n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成4年)]}}</ref> |- |1992年||176,926||0.3%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |-||1,329||615 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H04">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085641/tn1993n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成5年)]}}</ref> |- |1993年||177,589||0.4%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |-|| colspan="2" rowspan="29" style="text-align:center" |廃止 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H05">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085625/tn1994n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成6年)]}}</ref> |- |1994年||176,236||&minus;0.8%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H06">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085578/tn1995n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成7年)]}}</ref> |- |1995年||178,382||1.2%||<ref group="注釈">1996年に行われた調査であるが、[[会計年度]]上は1995年度となる。</ref>2月15日||282,557||145,307|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H07">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085307/tn1996n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成8年)]}}</ref> |- |1996年||177,499||&minus;0.5%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H08">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084805/tn1997n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成9年)]}}</ref> |- |1997年||170,560||&minus;3.9%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H09">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1998年||163,962||&minus;3.9%||11月10日||279,606||137,485|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H10">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |1999年||158,421||&minus;3.4%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H11">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref> |- |2000年||157,552||&minus;0.5%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H12">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref> |- |2001年||155,365||&minus;1.4%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H13">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref> |- |2002年||149,738||&minus;3.6%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H14">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref> |- |2003年||148,303||&minus;1.0%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H15">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref> |- |2004年||145,135||&minus;2.1%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H16">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref> |- |2005年||143,336||&minus;1.2%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H17">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref> |- |2006年||143,615||0.2%|| colspan="3" style="text-align:center" |-|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H18">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref> |- |2007年||142,268||&minus;0.9%||11月13日||269,025||136,022|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H19">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref> |- |2008年||139,279||&minus;2.1%||11月11日||266,286||134,532|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H20">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref> |- |2009年||133,741||&minus;4.0%||11月10日||251,535||126,550||9,881||4,990 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H21">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref> |- |2010年||132,066||&minus;1.3%||11月{{0}}9日||246,491||123,932||10,164||5,336 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H22">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref> |- |2011年||134,728||2.0%||11月{{0}}8日||248,413||125,328||10,496||5,359 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H23">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref> |- |2012年||134,028||&minus;0.5%||11月13日||246,463||123,603|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H24">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref> |- |2013年||139,138||3.8%||11月19日||249,579||125,961||10,980||5,766 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H25">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref> |- |2014年||141,463||1.7%||11月11日||259,317||130,905|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H26">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref> |- |2015年||143,202||1.2%||11月17日||261,639||131,215||11,289||6,085 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H27">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref> |- |2016年||145,100||1.3%||11月{{0}}8日||256,959||128,829|| colspan="2" style="text-align:center" |- |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H28">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref> |- |2017年||148,254||2.1%||11月14日||269,620||135,598||11,343||6,125 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H29">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref> |- |2018年||147,871||&minus;0.3%||11月13日||265,276||133,341||12,106||6,228 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 H30">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref> |- |2019年||146,163||&minus;1.2%||11月12日||264,481||132,761||12,185||6,332 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref> |- |2020年||108,718||&minus;25.6%||11月10日||221,570||111,258||10,081||5,385 |<ref group="統計 大阪府" name="大阪府統計 R01">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00422997/n2021-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和3年)]}}</ref> |- |2021年|| 113,905|| 4.8%||11月16日||223,050||112,034|| || | |- |2022年 | | |11月15日 |230,570 |115,552 | | | | | |} == 駅周辺 == 当駅直結の[[駅ビル]]「[[天王寺ミオ]]」のほか、駅南側は近鉄が開発した大型商業施設が複数集積しており、[[繁華街]]としては大阪市内では[[キタ]]・[[ミナミ]]に次ぐ規模を誇る。[[大阪阿部野橋駅]]直結の「[[あべのハルカス]]」は日本一の高さの超高層複合商業ビルであり、大阪の[[ランドマーク]]でもある。JR天王寺駅の[[ファッションビル]]「天王寺ミオ」と大阪阿部野橋駅直上の[[近鉄百貨店]]が道路を挟んで向かい合っている。[[近鉄百貨店]]阿倍野本店は「[[あべのハルカス]]近鉄本店」と名称を変更し、タワー館が2013年6月13日に先行オープン。2014年3月7日、グランドオープンした。近隣には国公私立問わず、中学校・高等学校・専門学校が多く所在する。 === 主な商業施設 === ; (天王寺区) * [[天王寺ミオ|天王寺ミオ本館]] * [[天王寺ミオプラザ館]] * [[あべちか]] * 天王寺駅前商店街 ; (阿倍野区) * [[近鉄百貨店|あべのハルカス近鉄本店]]([[あべのハルカス#展望台「ハルカス300」|展望台]]) ** [[あべのHoop]] ** [[あべのand]] * [[新宿ごちそうビル]] * [[エキモ|ekimo天王寺]] * [[Gビル阿倍野01]](旧エコーアクロスビル) * [[アベノセンタービル]] * [[あべのnini]] * [[あべのアポロ]](きんえいアポロビル) * [[あべのルシアス]] * [[あべのキューズタウン]] ** [[109 (商業施設)|SHIBUYA109 ABENO]] ** [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]] ** [[ハンズ (小売業)|ハンズ]] ** [[ビックカメラ]] ** [[ABCクラフト]] ** [[ROCKTOWN]] * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]] あべの天王寺駅前店 * あべのマルシェ商店街 * [[あべのベルタ]] === 公園 === * [[天王寺公園]] ** [[大阪市天王寺動物園]] ** [[大阪市立美術館]] ** [[慶沢園]] ** 植物温室 ** 旧[[福岡藩|黒田藩]][[武家屋敷|屋敷]][[長屋門]] ** [[茶臼山古墳 (大阪市)|茶臼山古墳]] ** てんしばエリア === 郵便局・金融機関 === * [[日本郵便]](郵便局) ** 天王寺MiO郵便局 ** 天王寺茶臼山郵便局 ** 大阪四天王寺郵便局 ** 阿倍野旭町郵便局 ** 阿倍野松崎郵便局 ** あべのベルタ内郵便局 <!-- 浪速郵便局阿倍野橋分室は2012年3月廃止 --> * 銀行 ** [[三井住友銀行]] 天王寺駅前支店・阿倍野支店・平野支店 ** [[三井住友信託銀行]] あべの支店・阿部野橋支店 ** [[三菱UFJ銀行]] 阿倍野橋支店・阿部野橋西支店 ** [[三菱UFJ信託銀行]] 阿倍野支店 ** [[みずほ銀行]] 阿倍野橋支店 ** [[みずほ信託銀行]] 阿倍野橋駅前支店 ** [[りそな銀行]] 阿倍野橋支店 ** [[関西みらい銀行]] 天王寺支店 * 信金・信組・その他 ** [[日本政策金融公庫]] 阿倍野支店 ** [[近畿労働金庫]] 天王寺支店 ** [[大阪シティ信用金庫]] 阿倍野支店市大病院出張所 === 主な宿泊施設 === * [[大阪マリオット都ホテル]] * [[都シティ 大阪天王寺]] * ホテルトラスティ大阪阿倍野 * [[アパホテル]]天王寺駅前 * アーベイ天王寺ホテル * ホテルバリタワー大阪天王寺<!-- 天王寺東映ホテルは2011年閉鎖 --> * グリンヒルホテル天王寺 * [[スーパーホテル]]大阪・天王寺 === 文教施設 === * 大学 ** [[大阪公立大学]]医学部 ** [[大阪教育大学]]天王寺キャンパス ** [[阪南大学]]あべのハルカスキャンパス ** [[四天王寺大学]]サテライトキャンパス ** [[大阪芸術大学]]スカイキャンパス ** [[大阪大谷大学]]ハルカスキャンパス ** [[放送大学]]大阪学習センター <!-- LEC大学は2007年閉校 --> * 小・中・高校 ** [[大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎]] ** [[大阪教育大学附属天王寺中学校]] ** [[大阪教育大学附属天王寺小学校]] ** [[大阪府立天王寺高等学校]] ** [[大阪星光学院中学校・高等学校]] ** [[四天王寺中学校・高等学校]] ** [[大谷中学校・高等学校 (大阪府)|大谷中学校・高等学校]] ** [[あべの翔学高等学校]] <!-- 東大谷高等学校は泉ヶ丘に移転 --> ** [[YMCA学院高等学校]] <!-- 天王寺学館高等学校は平野に移転 --> * サポート校 ** [[トライ式高等学院]]天王寺駅前校 * 専門学校 ** [[辻調グループ校|辻調理師専門学校・辻製菓専門学校・エコール辻]] ** [[アイム・キンキ理容美容専門学校]] ** [[理容美容専門学校西日本ヘアメイクカレッジ]] ** [[関西きもの専門学校]]本校 <!-- 国家公務員共済組合連合会大手前看護専門学校は平成24年度で学生募集停止 --> ** [[関西外語専門学校]] ** [[天王寺経理専門学校]] ** [[大阪IT会計専門学校|大阪IT&プログラミング会計専門学校]]天王寺校 ** [[大阪法律専門学校|大阪法律・公務員専門学校]]天王寺校 ** 大阪動物専門学校天王寺校 ** [[大阪社体スポーツ専門学校]] ** [[大阪警察病院看護専門学校]] ** [[大阪府医師会看護専門学校]] * 予備校 ** [[河合塾]]天王寺校 ** [[夕陽丘予備校]] ** [[天王寺予備校]] * その他 ** [[キリスト教青年会|南YMCA]] === 医療機関 === * 大阪市保健所(あべのメディックス内) * [[大阪公立大学医学部附属病院]] * [[大阪鉄道病院]] * [[四天王寺病院]] * 西下胃腸病院 * 相原第二病院 === その他 === * [[公共職業安定所|ハローワーク阿倍野]](職業紹介コーナー、わかものハローワーク) * [[あべのハルカス|あべのハルカス美術館]] * [[四天王寺]] ** [[四天王寺本坊庭園]] ** 庚申堂(境外仏堂) * [[一心寺]] ** [[一心寺シアター倶楽]] * [[西光寺 (大阪市阿倍野区)|西光寺]] * [[庚申街道]] * [[西日本旅客鉄道大阪支社]] * [[飛田遊廓|飛田新地料理組合]] * [[日本年金機構]] 天王寺年金事務所 * [[住友生命保険|住友生命]] 大阪南支社 * [[大和証券]] 阿倍野支店 * 日本脳卒中協会 * 大阪市立阿倍野防災センター(あべのタスカル) : ※かつては「あべのプール」があった。 === バス路線 === {{main|天王寺駅・大阪阿部野橋駅バスのりば}} == 隣の駅 == ; 西日本旅客鉄道(JR西日本) * 特急「[[はるか (列車)|はるか]]」「[[くろしお (列車)|くろしお]]」停車駅 : {{JR西路線記号|K|Q}} 大和路線(関西本線)<!-- 関西本線の起点(名古屋)側を左にして記述 --> :: {{Color|#00a497|■}}大和路快速・{{Color|#00a497|■}}区間快速 ::: [[久宝寺駅]] (JR-Q24) - '''天王寺駅 (JR-Q20・JR-O01)''' - [[新今宮駅]] (JR-O19) :: {{Color|#f60|■}}快速 ::: 久宝寺駅 (JR-Q24) - '''天王寺駅 (JR-Q20)''' - 新今宮駅 (JR-Q19) :: {{Color|#999|■}}普通 ::: [[東部市場前駅]] (JR-Q21) - '''天王寺駅 (JR-Q20)''' - 新今宮駅 (JR-Q19) : {{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 :: {{Color|#999|■}}普通 ::: 新今宮駅 (JR-O19) - '''天王寺駅 (JR-O01)''' - [[寺田町駅]] (JR-O02) : {{JR西路線記号|K|R}} 阪和線 :: {{Color|#0072bc|■}}関空快速・{{Color|#f60|■}}紀州路快速・{{Color|#f60|■}}快速・{{Color|#476f8b|■}}直通快速 ::: 新今宮駅 (JR-O19)(大阪環状線) - '''天王寺駅 (JR-O01・JR-R20)''' - [[堺市駅]] (JR-R28) :: {{Color|#00a497|■}}区間快速 ::: '''天王寺駅 (JR-R20)''' - 堺市駅 (JR-R28) :: {{Color|#999|■}}普通 ::: '''天王寺駅 (JR-R20)''' - [[美章園駅]] (JR-R21) ; 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro) : [[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線 ::: [[動物園前駅]] (M22) - '''天王寺駅 (M23)''' - [[昭和町駅 (大阪府)|昭和町駅]] (M24) : [[File:Osaka Metro Tanimachi line symbol.svg|15px|T]] 谷町線 ::: [[四天王寺前夕陽ヶ丘駅]] (T26) - '''天王寺駅 (T27)''' - [[阿倍野駅]] (T28) ; 阪堺電気軌道 : {{Color|orange|■}}上町線 ::: '''天王寺駅前停留場 (HN01)''' - [[阿倍野駅|阿倍野停留場]] (HN02) === かつて存在した路線 === ; 南海電気鉄道 : 天王寺支線 ::: [[大門通駅]] - '''天王寺駅'''(1949年まで) ::: [[今池停留場|今池町駅]] - '''天王寺駅'''(部分廃止前) ::: [[飛田本通駅]] - '''天王寺駅'''(部分廃止後) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注釈"}} ==== 出典 ==== {{Reflist|2}} === 利用状況 === ; 西日本旅客鉄道(JR西日本) {{Reflist|group="統計 JR西日本"}} ; 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro) {{Reflist|group="統計 Osaka Metro"|3}} ; 大阪府統計 {{Reflist|group="統計 大阪府"|3}} == 参考文献 == * {{Cite journal|和書 |author=竹田辰男 |year=2010 |month=1 |volume=828 |title=阪和の面影を残す天王寺駅 |journal=[[鉄道ピクトリアル]] |pages=pp.68 - 77 |publisher=[[電気車研究会]]}} * {{Cite book|和書|editor=石野哲|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|ref = {{sfnref|石野|1998}} }} == 関連項目 == {{commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[阿倍野橋]] == 外部リンク == * {{外部リンク/JR西日本駅|0620831|天王寺}} * [https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/M/m23/index.php 天王寺駅(御堂筋線)] - Osaka Metro * [https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/T/t27/index.php 天王寺駅(谷町線)] - Osaka Metro * {{Wayback|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/kikaku/002/2.htm |title=ひと駅ひと物語 大阪環状線めぐり 天王寺駅(2) |date=20021014234858}} - [[読売新聞]] {{鉄道路線ヘッダー}} {{大阪環状線・桜島線}} {{大和路線}} {{阪和線}} {{大阪市高速電気軌道御堂筋線・北大阪急行電鉄南北線}} {{大阪市高速電気軌道谷町線}} {{阪堺電気軌道上町線}} {{南海天王寺支線}} {{鉄道路線フッター}} {{近畿の駅百選}} {{リダイレクトの所属カテゴリ|redirect1=阪和天王寺駅|1-1=日本の鉄道駅 は|1-2=阪和電気鉄道の鉄道駅|redirect2=南海天王寺駅|2-1=日本の鉄道駅 な|2-2=かつて南海電気鉄道に所属した鉄道駅|2-3=かつて近畿日本鉄道に所属した鉄道駅|redirect3 = 天王寺駅前駅|3-1 = 阪堺電気軌道の鉄道駅|3-2 = 1900年開業の鉄道駅|3-3=日本の鉄道駅 て|3-4=阿倍野区の鉄道駅|3-5=かつて近畿日本鉄道に所属した鉄道駅|3-6=かつて南海電気鉄道に所属した鉄道駅}} {{DEFAULTSORT:てんのうし}} [[Category:天王寺区の鉄道駅]] [[Category:阿倍野区の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 て|んのうし]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:関西鉄道の鉄道駅]] [[Category:大阪鉄道(初代)の鉄道駅]] [[Category:阪和線]] [[Category:関西本線]] [[Category:かつて南海電気鉄道に所属した鉄道駅]] [[Category:大阪市交通局の鉄道駅]] [[Category:1889年開業の鉄道駅]] [[Category:天王寺・阿倍野|てんのうしえき]] [[Category:大阪市高速電気軌道の鉄道駅]] [[Category:明治時代の大阪]]
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オアフ島
オアフ島(オアフとう、ハワイ語:O‘ahu、英語:Oahu)は、ハワイ諸島のうちの一つの島であり、3番目に大きい島である。ハワイ州ホノルル郡に属し、州都ホノルル市がある。愛称は集いの島 (The Gathering Place)。 人口はハワイ州最大で、州全体の8割の人がこの島に住んでいる。また、州庁もこの島にあり、政治・経済・観光の中心となっている。島の南岸東寄りのホノルルに主要施設は集中している。ダニエル・K・イノウエ国際空港や港湾もここにあり、ハワイ島ほかの隣島への乗り継ぎの拠点となっている。市の東部のワイキキにはホテル・コンドミニアムやショッピングセンターなどが林立し、世界有数のリゾート地帯となっている。 東岸は「ウィンドワード」(Windward、風上)と呼ばれる風光明媚な海岸である。北岸はノースショアと呼ばれ、冬季には高波が打ちつけるサーフィンの名所となっており世界各地からサーファーが訪れるとともに、大会なども開催される。西岸は「リーワード」(Leeward、風下)と呼ばれる。 総面積は国後島とほぼ同じ1,545.3km(596.7平方マイル)で、沖縄本島と韓国済州島の中間ほどの大きさである。最大部で島の長さは約71km(44マイル)、幅は約48km(30マイル)である。海岸線の長さは180km(112マイル)である。 楯状火山からなる山脈、ワイアナエ山脈(ハワイ語:Wai‘anae)およびコオラウ山脈(ハワイ語:Ko‘olau)が北西から南東方向にかけて走っており、オアフ島は両火山により形成された火山島である。最高峰は標高1,220m(4,003フィート)に達するワイアナエ山脈のカアラ山(ハワイ語:Ka‘ala)である。観光で著名なダイヤモンドヘッドもコオラウ山脈の南端に接する火山である。 両山脈の間には平原が広がっており、セントラル・オアフと呼ばれる。パール・ハーバー(真珠湾)もセントラル・オアフの南岸に位置する。 ハワイ州のビジネスと政治の中心地である。その海岸地区にはハワイ州の中で長年もっとも高いビルであったアロハタワーがある。現在もっとも高いビルはキングとビショップ通りにある高さ450フィート (137 m) のファースト・ハワイアン・センター (First Hawaiian Center) である。ダウンタウンの東側はハワイ王朝時代からの歴史的な中心地であるハワイ州政府庁舎、イオラニ宮殿、ホノルル市庁舎、カワイアハオ教会、およびカメハメハ大王像は多数の政府ビルと一緒にこの地域の中心的な目玉となっている。 10年過ぎれば大規模な再開発を行うダウンタウンとワイキキの間にある準工業地区である。ここではビクトリア・ワード (Victoria Ward) 社の運営によるワードウェアハウス (Ward Warehouse)、ワードセンター (Ward Centre)、およびワード・エンターテイメント・センター (Ward Entertainment Centre) が設置されている。いくつかの他の再開発プロジェクトはハワイ大学のメディカルスクールを含む形で計画されている。 アラワイ運河と太平洋の間にあるホノルルの観光地である。多数のホテルや店、そしてナイトライフはカラカウアとクヒオ通り沿いにある。世界的に有名なワイキキビーチは1000万人の訪問者を引きつけている。オアフ島の大多数のホテルはワイキキに位置している。 ワイキキの西側に位置する。世界最大のオープンエア・ショッピングセンターであるアラモアナセンターやウォルマートなどの大規模商業施設がある。 ダウンタウンとワイキキの内陸部に隣接する谷間に位置する居住地域である。マノアヴァレーにはハワイ大学のメインキャンパスがある。 ダイヤモンド・ヘッドから内陸に入った地域で、マノア (Mānoa) とマキキ (Makiki) の東に隣接する。 多くの豪邸があるダイヤモンド・ヘッドの東のふもとにある高級住宅街である。またこれらの近隣には有名なゴルフトーナメント(現名:ソニーオープン・イン・ハワイ)が開かれるワイアラエ・カントリー・クラブ (the Wai‘alae Country Club) と元カハラ・ヒルトンであったザ・カハラ・ホテル&リゾート (the Kāhala Hotel & Resort) がある。注釈:ゴルフトーナメントはスポンサーによって名称が変わる。 アイナハイナ (Āina Haina)、ニウ・ヴァレー (Niu Valley) の居住コミュニティーを含む。これらは中流階級以上の地域と考えられる。 ホノルルの東側に位置する住宅地で、ホノルルのベッドタウン的存在の一つである。近隣にハナウマ湾やマカプウビーチ、「シーライフパーク」などの観光地を擁する。 ダウンタウン・ホノルルの内陸部に位置する中流階級以上の居住地域である。国立太平洋記念墓地 (The National Memorial Cemetery of the Pacific) はここに位置している。 多くの政府の住居が開発された労働者階級の隣接地である。太平洋方向の Lower Kalihi は準工業地域である。 ダニエル・K・イノウエ国際空港から遠くなく、ホノルルの西方外れ地区である。tuff conesの消滅により建設された住居地域である。 ホノルルの西方外れにある谷と「Tripler Army Medical Center」の2つの地域である。 コオラウ山脈の北端部横に位置し、「ポリネシア・カルチャー・センター(英語版)」やモルモン教の大学である「ブリガム・ヤング大学」がある。 カメハメハ・ハイウェイ沿いにあり、クアロア・ビーチやクアロア牧場(英語版)などの観光地がある。 州間高速道路H-3号線の東の起点に位置し、オアフ島東部における最多の人口を持つ地域である。ウィンドワード短期大学や住宅地、また、カネオヘ湾に面して海兵隊の航空基地を擁する。2009年末から2010年にかけてバラク・オバマ大統領が訪問した際には、この地域に滞在した。 カネオヘの南部に位置し、ラニカイ・ビーチなど多数のビーチを持つ。また、ベロウズ空軍基地や複数のゴルフ場、ショッピングセンターがある。 ワイマナロ湾沿い、コオラウ山脈の南端に位置する。 ワイアナエ山脈の北部の海岸沿いに位置し、ファーリントン・ハイウェイ沿いにはヨコハマベイなどの地元民や観光客に人気がある著名なビーチがある。 マカハビーチやマカハヴァレー・カントリークラブなどの観光地がある。 近隣にビーチやヨットハーバーを擁し、内陸部には海軍の電波基地がある。明治時代後期にはワイアナエへの日本人移民も行われた。20世紀初頭のホノルルビーチ開発の際、ビーチ用の砂はオアフ鉄道でワイアナエからホノルルへ運搬され、ホノルルの廃棄物はワイアナエに廃棄された。 州間高速道路H-2号線の北の起点に位置し、海軍航空基地、陸軍基地のスコフィールドバラックスやそれに付随した住宅地、ウィルソン湖、さらに北部には広大なドール所有のパイナップル園がある。かつて「ワイアナエ・ウカ」と呼ばれた地域で、ワイアナエ・ウカ・アヴェニューという通りの名称が残っている。 中心部に州間高速道路H-2号線が通る、住宅地を中心とした地域である。 アメリカ海軍の基地がある天然港で、1941年(昭和16年)12月7日(日本時間:12月8日)の大日本帝国海軍による攻撃地(真珠湾攻撃)で、太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦を引き起こした地として有名になった。また海軍関係者の住宅も多い。 州間高速道路H-1号線の西の起点に位置し、海岸沿いを中心に大規模なリゾートホテルやコンドミニアム、ゴルフ場が多数存在する。 パールハーバーの西方に位置し、ホノルルのベッドタウンの一つである他、多数のゴルフクラブや、西方にはハーバーズポイント海軍航空基地がある。 パールハーバーの北方に位置し、州間高速道路H-1号線と州間高速道路H-2号線の分岐点にあるホノルル市のベッドタウンの1つである。地域住人や基地の軍従事者などを目的にした大規模なショッピングセンターがある。 北部のワイメア湾の西方に位置し、「ノースショア」と呼ばれるオアフ島北部海岸部において最大の人口を持つエリアである。オアフ島において最も波が強い場所として知られ、そのこともありサーフィンの名所としても世界的に有名である。 ハレイワの西方に位置し、ビーチパークやポロ・グラウンドがある。さらに西方にはディリンガム飛行場がある。なお西端のカエナ岬付近は自動車の立ち入りが禁止されている。 ワイメアの東方に位置し、近隣カメハメハ・ハイウェイ沿いには「サンセット・ビーチ」や「エフカイ・ビーチ」などの著名なビーチがある。 オアフ島の北端部、コオラウ山脈の北端に位置し、カメハメハ・ハイウェイ沿いに複数のリゾートホテルやゴルフコースがある。 北部東海岸沿いにあり、海老の養殖で有名である。カメハメハ・ハイウェイ沿いに複数のリゾートホテルやゴルフコース、多くのカフク海老のレストランが点在する。1916年、船橋市との間に日米初の無線電信回線が繋がれた地でもある(カフク電信局はのちにワヒアワに移転)。 鉄道系の公共交通が長期間存在しなかったこともあり島内の交通は主として自動車が使われ、地元住民は原則として自家用車か公営バスを利用する。また、ワイキキ周辺を中心にラジオタクシーもある。なお、ホノルル中心部を拠点として複数の州間高速道路が整備されている。 島内では慢性的な渋滞に悩まされており、ダニエル・K・イノウエ国際空港からホノルルの中心部までは10km程度の距離であるが、車では45分かかる状態である。2000年代からは環境保護と合わせて島内交通を鉄道へシフトする計画である。 乗合交通機関として最も著名なものは公営バスである「TheBus」であり、島全体に約4,200の停留所が存在する。週間で約22万人の乗降客数があり、市民に広く利用されているものの、路線がやや複雑であるため団体観光客などはあまり利用しない。 なお、団体観光客向けの公共交通手段として、観光客が集中するワイキキ周辺に観光会社や大型店舗などが出資しているオープン・デッキ型の「ワイキキ・トロリー」と呼ばれる大型バスが往来し、ショッピング・センターや観光スポットへの行程に使用されている。 多くの主要なアメリカの都市と同じく、ホノルルの大都市圏は特にアイエア (Aiea)、パールシティ (Pearl City)、ワイパフ (Waipahu) およびミリラニ (Mililani) の西方郊外から、ラッシュアワーの時間帯にかなりの交通渋滞が起こる。 1947年にサトウキビを運搬する鉄道が廃線となってからしばらくは鉄道が存在しなかったが、2023年6月30日に高速鉄道「スカイライン」のイースト・カポレイ〜アロハスタジアム間の15kmが開業し、約75年ぶりに鉄道が復活した。この路線は2031年には全線開通を目指して、延伸区間の建設が進んでいる。 ダニエル・K・イノウエ国際空港からは、アメリカ本土のほか、日本や中華民国、オーストラリアなどの環太平洋の都市、ハワイ諸島間の航空路があり、頻繁に運航されている。また、ホノルル港は外洋クルーズ船の寄航地としても知られる。
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オアフ島は、ハワイ諸島のうちの一つの島であり、3番目に大きい島である。ハワイ州ホノルル郡に属し、州都ホノルル市がある。愛称は集いの島。
{{出典の明記|date=2009年10月}} {{Infobox 島 |島名 = オアフ島 |画像 = [[File:Oahu (1).jpg|300px]] |画像説明 = |座標 = |緯度度 = 21 |緯度分 = 28 |緯度秒 = |経度度 = 157 |経度分 = 59|経度秒 = |E(東経)及びW(西経)=W |面積 = 1,545.3<ref name="LandAreaOfIslands2000">{{Cite web|url=http://hawaii.gov/dbedt/info/economic/databook/2008-individual/05/05/050808.pdf|title=Land Area of Islands: 2000|format=PDF|work=2008 State of Hawaii Data Book|publisher=ハワイ州産業経済開発観光局 (Department of Business, Economic Development & Tourism, State of Hawaii)|language=英語|accessdate=2010-06-27}}</ref> |周囲 = |標高 = 1,220<ref name="ElevationsOfMajorSummits">{{Cite web | url=http://hawaii.gov/dbedt/info/economic/databook/2008-individual/05/05/051108.pdf | title=Elevations of Major Summits | format=PDF | work=2008 State of Hawaii Data Book | publisher=ハワイ州産業経済開発観光局 | language=英語 | accessdate=2010-06-27}}</ref> |最高峰 = {{仮リンク|カアラ山|en|Kaʻala}} |最大都市 = [[ホノルル]] |人口 = 907,574<ref name="OtherIsland">ただし、これは[[ホノルル郡 (ハワイ州) | ホノルル郡]]の人口であり、[[フォード島]]、[[サンド島 (ハワイ州) | サンド島]]などのオアフ島周辺の小島、および[[北西ハワイ諸島]]の人口を含む。各島の人口については以下を参照。{{Cite web | url=http://hawaii.gov/dbedt/info/economic/databook/2008-individual/01/010508.pdf | title=Resident Population of Islands: 1950 to 2000 | format=PDF | work=2008 State of Hawaii Data Book | publisher=ハワイ州産業経済開発観光局 | language=英語 | accessdate=2010-06-27}}</ref> |諸島 = [[ハワイ諸島]] |海域 = [[太平洋]] |国 = [[アメリカ合衆国]] [[ハワイ州]] |地図 = {{location map | Hawaii#Pacific Ocean | width=300 |relief=1}} |地図2 = |OSMサイズ = |OSMズーム = 9 }} [[File:Hawaii-Oahu-TF.jpg|thumb|オアフ島の地形図<br />左がワイアナエ山脈で<br />右が[[コオラウ山脈]]<br />中央下が[[真珠湾]]]] '''オアフ島'''(オアフとう、[[ハワイ語]]:'''{{lang|haw|O‘ahu}}'''、[[英語]]:'''{{lang|en|Oahu}}''')は、[[ハワイ諸島]]のうちの一つの島であり、3番目に大きい島である。[[ハワイ州]][[ホノルル郡 (ハワイ州)|ホノルル郡]]に属し、州都[[ホノルル市]]がある。愛称は集いの島 (The Gathering Place)。 == 概要 == [[人口]]はハワイ州最大で、州全体の8割の人がこの島に住んでいる。また、州庁もこの島にあり、政治・経済・[[観光]]の中心となっている。島の南岸東寄りの[[ホノルル]]に主要施設は集中している。[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]や港湾もここにあり、[[ハワイ島]]ほかの隣島への乗り継ぎの拠点となっている。市の東部の[[ワイキキ]]にはホテル・[[コンドミニアム]]やショッピングセンターなどが林立し、世界有数の[[リゾート]]地帯となっている。 東岸は「ウィンドワード」(Windward、風上)と呼ばれる風光明媚な[[海岸]]である。北岸は[[ノースショア (オアフ島)|ノースショア]]と呼ばれ、冬季には高波が打ちつけるサーフィンの名所となっており世界各地から[[サーファー]]が訪れるとともに、大会なども開催される。西岸は「リーワード」(Leeward、風下)と呼ばれる。 == 地理 == 総面積は[[国後島]]とほぼ同じ1,545.3km{{sup|2}}(596.7平方マイル)で、[[沖縄本島]]と[[大韓民国|韓国]][[済州島]]の中間ほどの大きさである。最大部で島の長さは約71km(44マイル)、幅は約48km(30マイル)である。[[海岸|海岸線]]の長さは180km(112マイル)である<ref name="GeneralCoastlineAndTidalShoreline">{{Cite web |url=http://hawaii.gov/dbedt/info/economic/databook/2008-individual/05/05/050508.pdf |title=General Coastline and Tidal Shoreline of Counties and Islands |format=PDF |work=2008 State of Hawaii Data Book |publisher=ハワイ州産業経済開発観光局 |language=英語 |accessdate=2010-06-27 }}</ref>。<!-- 366km(227マイル)、というのはtidal shoreline(汀線?)の長さで、海岸線ではない。 --> [[楯状火山]]からなる山脈、[[ワイアナエ山脈]](ハワイ語:{{lang|haw|Wai‘anae}})および[[コオラウ山脈]](ハワイ語:{{lang|haw|Ko‘olau}})が北西から南東方向にかけて走っており、オアフ島は両火山により形成された[[火山島]]である。最高峰は標高1,220m(4,003フィート)に達するワイアナエ山脈の[[カアラ山]](ハワイ語:{{lang|haw|Ka‘ala}})である。観光で著名な[[ダイヤモンドヘッド]]もコオラウ山脈の南端に接する火山である。 両山脈の間には平原が広がっており、セントラル・オアフと呼ばれる<ref>{{Cite web|和書 |url=http://season.visit-oahu.jp/country.php |title=カントリー |work=タウンとカントリーが融合する島 ―自分に合ったオアフを見つける― |publisher=オアフ観光局 |language=日本語 |accessdate=2010-06-27 }}</ref>。パール・ハーバー([[真珠湾]])もセントラル・オアフの南岸に位置する。 == 地域 == === ホノルル市と近隣 === [[File:Honolulu01.JPG|thumb|right|200px|ダウンタウンとアロハタワー]] [[ファイル:1999 - Waikiki Beach Honolulu Hawaï.jpg|thumb|200px|[[ワイキキ]]から見た[[ダイヤモンドヘッド]]]] [[File:Ala Moana.JPG|thumb|200px|アラモアナセンター]] ==== ダウンタウン (Downtown) ==== [[ハワイ州]]のビジネスと政治の中心地である。その海岸地区にはハワイ州の中で長年もっとも高いビルであったアロハタワーがある。現在もっとも高いビルはキングとビショップ通りにある高さ450フィート (137 m) のファースト・ハワイアン・センター (First Hawaiian Center) である。ダウンタウンの東側は[[ハワイ王朝]]時代からの歴史的な中心地であるハワイ州政府庁舎、[[イオラニ宮殿]]、ホノルル市庁舎、[[カワイアハオ教会]]、および[[カメハメハ1世#大王像|カメハメハ大王像]]は多数の政府ビルと一緒にこの地域の中心的な目玉となっている。 ==== [[カカアコ]] (Kaka‘ako) ==== 10年過ぎれば大規模な再開発を行うダウンタウンとワイキキの間にある準工業地区である。ここではビクトリア・ワード (Victoria Ward) 社の運営によるワードウェアハウス (Ward Warehouse)、ワードセンター (Ward Centre)、およびワード・エンターテイメント・センター (Ward Entertainment Centre) が設置されている。いくつかの他の再開発プロジェクトは[[ハワイ大学]]のメディカルスクールを含む形で計画されている。 ==== [[ワイキキ]] (Waikiki) ==== アラワイ運河と[[太平洋]]の間にあるホノルルの観光地である。多数のホテルや店、そしてナイトライフは[[カラカウア]]とクヒオ通り沿いにある。世界的に有名な[[ワイキキビーチ]]は1000万人の訪問者を引きつけている。オアフ島の大多数のホテルはワイキキに位置している。 ==== [[アラモアナ]] (Ala Moana) ==== ワイキキの西側に位置する。世界最大のオープンエア・ショッピングセンターである[[アラモアナセンター]]や[[ウォルマート]]などの大規模商業施設がある。 ==== [[マノア]] (Mānoa) と[[マキキ]] (Makiki) ==== ダウンタウンとワイキキの内陸部に隣接する谷間に位置する居住地域である。マノアヴァレーにはハワイ大学のメインキャンパスがある。 ==== [[パロロ]] (Palolo) と[[カイムキ]] (Kaimukī) ==== [[ダイヤモンド・ヘッド]]から内陸に入った地域で、マノア ('''Mānoa''') とマキキ ('''Makiki''') の東に隣接する。 ==== ワイアラエ (Wai‘alae) とカハラ (Kāhala) ==== 多くの豪邸があるダイヤモンド・ヘッドの東のふもとにある高級住宅街である。またこれらの近隣には有名なゴルフトーナメント(現名:[[ソニーオープン・イン・ハワイ]])が開かれるワイアラエ・カントリー・クラブ (the Wai‘alae Country Club) と元カハラ・ヒルトンであった[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート]] (the Kāhala Hotel & Resort) がある。注釈:ゴルフトーナメントはスポンサーによって名称が変わる。 ==== 東ホノルル ==== [[アイナハイナ]] ('''Āina Haina''')、ニウ・ヴァレー ('''Niu Valley''') の居住コミュニティーを含む。{{要検証範囲|これらは中流階級以上の地域と考えられる|date=2023年6月21日 (水) 23:30 (UTC)}}。 ==== ハワイカイ (Hawai‘i Kai) ==== ホノルルの東側に位置する住宅地で、ホノルルのベッドタウン的存在の一つである。近隣に[[ハナウマ湾]]やマカプウビーチ、「シーライフパーク」などの観光地を擁する。 ==== ヌウアヌ (Nu‘uanu) とパウオア (Pauoa) ==== ダウンタウン・ホノルルの内陸部に位置する中流階級以上の居住地域である。国立太平洋記念墓地 (The National Memorial Cemetery of the Pacific) はここに位置している。 ==== カリヒ (Kalihi) とパラマ (Palama) ==== 多くの政府の住居が開発された労働者階級の隣接地である。太平洋方向の Lower Kalihi は準工業地域である。 ==== ソルトレイク (Salt Lake) とアリアマヌ (Āliamanu) ==== [[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]から遠くなく、ホノルルの西方外れ地区である。tuff conesの消滅により建設された住居地域である。 ==== モアナルア (Moanalua) ==== ホノルルの西方外れにある谷と「Tripler Army Medical Center」の2つの地域である。 === 東沿岸部 === [[File:Lanikai Beach.jpg|thumb|200px|right|ラニカイ・ビーチ]] [[File:Oahu-Kukaniloko-shape-of-Waianaes.JPG|200px|right|thumb|ワイアナエ山脈]] ==== ライエ (Laie) ==== [[コオラウ山脈]]の北端部横に位置し、「{{仮リンク|ポリネシア・カルチャー・センター|en|Polynesian Cultural Center}}」や[[モルモン教]]の[[大学]]である「[[ブリガム・ヤング大学]]」がある。 ==== ワイカネ (Waikane) ==== カメハメハ・ハイウェイ沿いにあり、クアロア・ビーチや{{仮リンク|クアロア牧場|en|Kualoa Ranch}}などの観光地がある。 ==== [[カネオヘ (ハワイ州)|カネオヘ]] (Kaneohe) ==== 州間高速道路H-3号線の東の起点に位置し、オアフ島東部における最多の人口を持つ地域である。ウィンドワード短期大学や住宅地、また、カネオヘ湾に面して[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]の航空基地を擁する。[[2009年]]末から[[2010年]]にかけて[[バラク・オバマ]]大統領が訪問した際には、この地域に滞在した。 ==== [[カイルア (ハワイ州ホノルル郡)|カイルア]] (Kailua) ==== カネオヘの南部に位置し、ラニカイ・ビーチなど多数のビーチを持つ。また、ベロウズ[[空軍]]基地や複数のゴルフ場、ショッピングセンターがある。 ==== ワイマナロ (Waimanalo) ==== ワイマナロ湾沿い、コオラウ山脈の南端に位置する。 === 西沿岸部 === ==== マクア (Makua) ==== ワイアナエ山脈の北部の海岸沿いに位置し、ファーリントン・ハイウェイ沿いにはヨコハマベイなどの地元民や観光客に人気がある著名なビーチがある。 ==== マカハ (Makaha) ==== マカハビーチやマカハヴァレー・カントリークラブなどの観光地がある。 ==== ワイアナエ (Wai‘anae) ==== 近隣にビーチやヨットハーバーを擁し、内陸部には海軍の電波基地がある。[[明治時代]]後期にはワイアナエへの[[ハワイにおける日本人移民|日本人移民]]も行われた。20世紀初頭のホノルルビーチ開発の際、ビーチ用の砂はオアフ鉄道でワイアナエからホノルルへ運搬され、ホノルルの廃棄物はワイアナエに廃棄された{{efn|{{仮リンク|オアフ鉄道地所|en|Oahu_Railway_and_Land_Company|preserve=1}}が経営した鉄道。}}。 === 中部 === ==== [[ワヒアワ]] (Wahiawā) ==== 州間高速道路H-2号線の北の起点に位置し、海軍航空基地、[[アメリカ陸軍|陸軍]]基地の[[スコフィールドバラックス]]やそれに付随した住宅地、ウィルソン湖、さらに北部には広大な[[ドール・フード・カンパニー|ドール]]所有の[[パイナップル]]園がある。かつて「ワイアナエ・ウカ」と呼ばれた地域で、ワイアナエ・ウカ・アヴェニューという通りの名称が残っている。 ==== ミリラニ (Mililani) ==== 中心部に州間高速道路H-2号線が通る、住宅地を中心とした地域である。 === 南沿岸部 === [[File:Aerial view of Pearl Harbor on 1 June 1986 (6422248).jpg|thumb|200px|パールハーバー]] ==== パールハーバー (Pearl Harbor) 日本語名:[[真珠湾]](しんじゅわん) ==== [[アメリカ海軍]]の基地がある天然港で、[[1941年]]([[昭和]]16年)[[12月7日]]([[日本標準時|日本時間]]:[[12月8日]])の[[大日本帝国海軍]]による攻撃地([[真珠湾攻撃]])で、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])の開戦を引き起こした地として有名になった。また海軍関係者の住宅も多い。 ==== コ・オリナ (Ko ‘Olina) ==== 州間高速道路H-1号線の西の起点に位置し、海岸沿いを中心に大規模なリゾートホテルやコンドミニアム、ゴルフ場が多数存在する。 ==== エワ (Ewa) ==== パールハーバーの西方に位置し、ホノルルのベッドタウンの一つである他、多数のゴルフクラブや、西方にはハーバーズポイント海軍航空基地がある。 ==== [[パールシティ (ハワイ州)|パールシティ]] (Pearl City) ==== パールハーバーの北方に位置し、州間高速道路H-1号線と州間高速道路H-2号線の分岐点にあるホノルル市のベッドタウンの1つである。地域住人や基地の軍従事者などを目的にした大規模なショッピングセンターがある。 === 北沿岸部 === [[File:Oahu North Shore surfing watchers.jpg|thumb|200px|「ノースショア」]] ==== ハレイワ (Haleiwa) ==== 北部の[[ワイメア湾]]の西方に位置し、「[[ノースショア]]」と呼ばれるオアフ島北部海岸部において最多の人口を持つエリアである。オアフ島において最も波が強い場所として知られ、そのこともあり[[サーフィン]]の名所としても世界的に有名である。 ==== モクレイア (Mokuleia) ==== ハレイワの西方に位置し、ビーチパークやポロ・グラウンドがある。さらに西方にはディリンガム飛行場がある。なお西端のカエナ岬付近は自動車の立ち入りが禁止されている。 ==== ププケア (Pupukea) ==== [[ワイメア]]の東方に位置し、近隣カメハメハ・ハイウェイ沿いには「サンセット・ビーチ」や「エフカイ・ビーチ」などの著名なビーチがある。 ==== ワイアレエ (Waiale‘e) ==== オアフ島の北端部、コオラウ山脈の北端に位置し、カメハメハ・ハイウェイ沿いに複数のリゾートホテルやゴルフコースがある。 ==== カフク (Kahuku) ==== 北部東海岸沿いにあり、[[海老]]の養殖で有名である。カメハメハ・ハイウェイ沿いに複数のリゾートホテルやゴルフコース、多くのカフク海老のレストランが点在する。[[1916年]]、[[海軍無線電信所船橋送信所|船橋市]]との間に日米初の無線電信回線が繋がれた地でもある(カフク電信局はのちにワヒアワに移転)。 == 交通 == === 島内交通 === [[File:Honolulu09.JPG|thumb|200px|right|州間高速道路H-1号線、右手前はダニエル・K・イノウエ国際空港]] [[鉄道]]系の公共交通が長期間存在しなかったこともあり島内の交通は主として自動車が使われ、地元住民は原則として自家用車か[[公営バス]]を利用する。また、ワイキキ周辺を中心にラジオ[[タクシー]]もある。なお、ホノルル中心部を拠点として複数の[[州間高速道路]]が整備されている。 島内では慢性的な渋滞に悩まされており、[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]からホノルルの中心部までは10km程度の距離であるが、車では45分かかる状態である<ref name="nhk210921">{{Cite web|和書|title=ハワイに75年ぶりの鉄道 その意味は|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210921/k10013269501000.html|website=NHKニュース|accessdate=2021-09-22|last=日本放送協会}}</ref>。2000年代からは環境保護と合わせて島内交通を鉄道へシフトする計画である<ref name="nhk210921" />。 ==== バス ==== 乗合交通機関として最も著名なものは[[公営バス]]である「[[TheBus]]」であり、島全体に約4,200の停留所が存在する。週間で約22万人の乗降客数があり、市民に広く利用されているものの、路線がやや複雑であるため団体観光客などはあまり利用しない。 なお、団体観光客向けの公共交通手段として、観光客が集中するワイキキ周辺に観光会社や大型店舗などが出資しているオープン・デッキ型の「ワイキキ・トロリー」と呼ばれる大型バスが往来し、ショッピング・センターや観光スポットへの行程に使用されている。 ==== おもな道路 ==== {{main|ハワイ州の道路一覧#オアフ島}} ===== 州間高速道路 ===== [[File:Interstate H-1.jpg|right|200px|thumb|州間高速道路H-1号線]] * '''[[州間高速道路ハワイ1号線|州間高速道路H-1号線]]''' - 西から都市を横切るこの高速道路は、ヒッカム空軍基地 (Hickam Air Force Base) とダニエル・K・イノウエ国際空港を通り、ダウンタウンの北を走りマキキ (''Makiki'') とカイムキ (''Kaimukī'') を通り東方に続き、ワイアラエ/カハラ (''Wai‘alae''/''Kāhala'') で終わる。この都市の西部地域、州間高速道路H-1号線がワヒアワ (''Wahiawā'') から州間高速道路H-2号線およびカネオヘ (''Kāne‘ohe'') から州間高速道路H-3号線に接続している。 * '''州間高速道路H-2号線''' * '''州間高速道路H-3号線''' ===== ハイウェー ===== * '''パリハイウェー''' - 州道61号線、コオラウ (''Ko‘olau'') の北で交差、ウィンドワードサイドのカイルア (''Kailua'') とカネオヘ (''Kāne‘ohe'') へ通じる。 * '''リキリキハイウェー''' - 州道63号線、コオラウ (''Ko‘olau'') を横断、カネオヘ (''Kāne‘ohe'') へ通じる。 * '''カラニアナオレハイウェー''' - 州道72号線、ワイアラエ (''Wai‘alae'')/カハラ (''Kāhala'') からハワイカイ (''Hawai‘i Kai'') へおよびワイマナロ・ビーチ (''Waimānalo Beach'') へ島の東側の縁付近から西方を走る。 * '''カメハメハ・ハイウェー''' - 州道99号線、州間高速道路H-1号線と平行にヒッカム空軍基地 (Hickam Air Force Base) 近くからアイエア (''Aiea'') とビヨンド (''beyond'') へ西方に走る。 多くの主要なアメリカの都市と同じく、ホノルルの大都市圏は特にアイエア (''Aiea'')、パールシティ (''Pearl City'')、ワイパフ (''Waipahu'') およびミリラニ (''Mililani'') の西方郊外から、ラッシュアワーの時間帯にかなりの交通渋滞が起こる。 === 鉄道 === 1947年にサトウキビを運搬する鉄道が廃線となってからしばらくは鉄道が存在しなかったが、[[2023年]]6月30日に高速鉄道「[[スカイライン (ホノルル)|スカイライン]]」のイースト・カポレイ〜アロハスタジアム間の15kmが開業し、約75年ぶりに鉄道が復活した<ref>{{Cite web|和書|title=ハワイ・オアフ島で約75年ぶり鉄道復活、日立が車両製造…渋滞解消に期待 |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230701-OYT1T50130/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-07-01 |access-date=2023-07-01 |language=ja}}</ref>。この路線は2031年には全線開通を目指して、延伸区間の建設が進んでいる<ref name="nhk210921" />。 {{main|スカイライン (ホノルル)}} === 島外交通 === [[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]からは、アメリカ本土のほか、[[日本]]や[[中華民国]]、[[オーストラリア]]などの環太平洋の都市、ハワイ諸島間の航空路があり、頻繁に運航されている。また、ホノルル港は外洋[[クルーズ船]]の寄航地としても知られる。 == 観光 == [[File:Honolulu05.JPG|thumb|200px|right|ワイキキビーチ]] [[ファイル:Nuuanupali.jpg|thumb|200px|right|ホノルルからウインドワード・コーストへ抜ける峠の[[ヌウアヌパリ・ルックアウト|ヌウアヌ・パリ]]からの眺望。カネオヘの町並みが見える]] * [[ワイキキビーチ]] ** [[デューク・カハナモク]]像 * ポリネシア文化センター * [[バーニス・P・ビショップ博物館|ビショップ博物館]] * [[ホノルル美術館]] * ハワイ・マリタイム・ミュージアム * [[ホノルルマラソン]] * [[ホノルル・センチュリーライド]] * [[ハナウマ湾]] (Hanauma Bay) * [[ヌウアヌパリ・ルックアウト]] * [[アラモアナセンター]] * [[真珠湾]] (Pearl Harbor) ** [[アリゾナ (戦艦)|アリゾナ記念館]] (USS Arizona Memorial) ** [[ミズーリ (戦艦)|戦艦ミズーリ]] (USS Missouri) * [[ダイヤモンドヘッド]] * [[ノースショア (オアフ島)|ノースショア]] ** [[マツモトシェイブアイス]] * アロハタワー * [[チャイナマンズ・ハット]] (Chinaman's Hat) * [[マカプウ岬]] :''参照'':[[ホノルル]] (Honolulu) * モロカイのダミアン・マリアンヌ記念館(名称はDamien and Marianne of Moloka'i Heritage Center):[[ダミアン]]聖人、マリアンヌ聖人の記念館。ワイキキビーチにある。 *[[モアナルア・ガーデン]] **[[日立の樹]] == その他 == *大相撲で[[曙太郎]]や[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]が活躍していた時期には、毎日のように「ハワイ、オアフ島出身、東関部屋」「ハワイ、オアフ島出身、高砂部屋」と放送されたので、[[ハワイ諸島]]の島々の中でも、とりわけオアフ島の知名度が上がった。 *PC、Xbox 360用ゲームソフト[[テストドライブ アンリミテッド]]とその続編である、[[テストドライブ アンリミテッド 2]]ではオアフ島を完全再現している。 *[[バラク・オバマ]]が来訪していた2008年12月26日の夕刻、落雷によって全島停電となり復旧に12時間掛かった。 == 著名な出身者 == *[[バラク・オバマ]](アメリカ合衆国大統領: Punahou School) *[[ダニエル・イノウエ]](上院議員) *[[ダニエル・K・アカカ]](上院議員) *[[ジェイク・シマブクロ]](ウクレレ奏者) *[[ブルース・シマブクロ]](ウクレレ奏者) *[[ベット・ミドラー]](女優) *[[ニコール・キッドマン]](女優) *[[曙太郎]](元大相撲) *[[小錦八十吉 (6代)|小錦]](元大相撲) *[[エディ・タウンゼント]](ボクシングトレーナー) *[[太陽ケア]](プロレスラー) *[[ヤンシー・メデイロス]](総合格闘家) *[[マーカス・マリオタ]] - アメリカンフットボール選手 *[[トゥア・タゴヴァイロア]] - アメリカンフットボール選手 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == {{commons&cat|Oahu}} * [https://www.gohawaii.jp/ ハワイ州観光局] * [https://www.allhawaii.jp/ allhawaii オールハワイ│ハワイ州観光局公式ポータルサイト] - ハワイ州観光局 日本オフィス {{ハワイ}} {{ハワイの火山活動}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おあふとう}} [[Category:ハワイ諸島]] [[Category:オアフ島|*]]
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通貨
通貨(つうか、英: currency)とは、流通貨幣の略称で、決済のための価値交換媒体。通貨は、現金通貨と預金通貨に大別され、前者は紙幣・硬貨(補助紙幣)であり、後者は普通預金・当座預金などの決済口座である。 モノやサービスとの交換に用いられる「お金(おかね)」を、経済用語では貨幣、または通貨と呼ぶ。通貨が無い時代の決済手段とされていた物々交換から、さらにモノやサービスの流動性を高めるために作られた経済形態である。政府は租税の算定に法定通貨を利用する。 モノやサービスの価値は、流動的である。出来立てのパンは数時間経ったパンよりも高価であるだろうし、家政婦や理美容等のサービス料金は十分な経験を積んだものとそうでないものとで差があるだろう。また、昔はほとんど価値がなかったものが、逆に骨董品として高い価で取引きされる場合もある。いわゆる「等価交換」に際して、それらの流動的なものを何らかの形で具現化したものが経済の仲介物であり、通貨(お金)となる。 貨幣が定着し流通しだすと、貨幣は通貨と位置づけられ、通貨制度として決まりごとをもつようになる。通貨制度は、各国のマクロ経済政策の運営・貿易・投資に対する規制に大きく関わっている。通貨の信用の裏付けは、国民が働いてモノやサービスを生産する能力に由来する。政府は国民の労働力(の可能性)を国債にして中央銀行で貨幣と交換している。 経済の仲介物としては、「貨幣史」や「通約的な正義としての流通貨幣」に示されるように、それを欲しがる他者が多数存在すれば通貨となりえる。日本のおとぎ話「わらしべ長者」では、様々なモノが交換の仲介物とされる様子が描かれている。政府は通貨を歳費の算定基礎に価値の尺度として用い、また中央銀行に発行や流通の権利を委ね保護し、国民も「唯一無二」の存在として信用することで、その価値が生じる。例えば、全ての国民が一万円札を紙くずだと思えば、その瞬間から一万円札は本当に紙切れとなる。 通貨として、どのような金融商品を含めるかについては、国・時代によって異なるため一義的な決まりはない。狭義には中央銀行などが発行する現金通貨のみを意味する。広義では、現金通貨に加えて、銀行などに預けられている普通預金・当座預金(手形・小切手)などの流動性の高い預金通貨、流動性がやや落ちる定期預金や外貨預金などの準通貨をも含む概念である。 古代より一部の場合を除いて、各国において発行される通貨は金や銀などの貴金属を用いて発行されることが多かった(本位貨幣、正貨)。しかし経済の拡大に伴い通貨を発行するだけの貴金属が不足するようになると、貨幣制度の根幹をなす貴金属の通貨を定め、その貴金属にいつでも兌換できることを保障した紙幣を発行することで通貨の流通量を確保するようになった。これが本位制度である。金によってこの本位制度が裏付けられている場合は金本位制、銀による場合は銀本位制とよばれる。この本位制度は1817年にイギリスにおいてソブリン金貨による金本位制が開始されたのが始まりであり、19世紀末には世界の主要国のほとんどが金または銀本位制に移行した。しかし第一次世界大戦がはじまるとほとんどの国でこの兌換は停止され、大戦終結後は各国とも復帰したものの、1929年に起きた世界恐慌によって再び金本位制は機能しなくなり、下記の管理通貨制度へと移行した。その後第二次世界大戦が終了するとブレトン・ウッズ協定によって金1オンスを35アメリカドルとし、世界各国がそのドルにペッグするという変則的な金本位制(金・ドル本位制)が成立したが、これも1971年8月15日にアメリカのリチャード・ニクソン大統領がアメリカ・ドルと金との兌換停止を発表した(ニクソン・ショック)ことで崩壊し、以後各国は完全に管理通貨制度へと移行した。 管理通貨制度とは、各国の政府や発券銀行が、経済を調整するために通貨の入出を管理する制度のことである。管理通貨制度では、その国の政治・経済状況が貨幣の価値を決める。つまり、その国の「信用」によって(国際金融や外貨準備と照らして)、その国の貨幣の価値は安定したり不安定になる。 日本の場合は、日本の中央銀行である日本銀行が通貨を管理している。紙幣発行権は日銀が有し、政府は硬貨だけを発行するという制度は、政府の通貨乱発を防ぐためのものである。中央銀行は通貨を保証しなければならず、通貨の価値を下げないよう、つまり物価を安定させなければならない。インフレーション(物価上昇)、デフレーション(物価下落)のどちらの現象も回避するため、中央銀行は通貨供給量の動きを監視し、市場に出回る通貨量が適量になるように調整する。 お金(通貨)が「心」や「気持ち」を数値化する尺度として用いられることがある。民法上の損害賠償では、物質としての損害額を超え、さらには債務者(加害者)の資産や収入可能性をも上回る額を算出することもある。たとえば交通事故では、加害者が無保険であった場合の被害者(遺族)への救済方法が行政施策として検討されたりする。 また「貴重な情報」や「秘密の情報」がお金としての価値を生み出す場合もある。日本の不正競争防止法において「営業秘密」に係る不正開示行為は損害賠償や処罰の対象となり、警視庁の捜査特別報奨金制度は事件の検挙に結び付く有力な情報を提供した者に対して報奨金を支払う制度であるが、それらの金額にも差が生じている。 通貨は長らく資産クラスとして認識されていなかった。その背景には債券・株式という古典的な資産クラスが、有価証券としての資金調達手段であるのに対し、通貨は投資家への収益が明確でなかったことがある。しかしながら、異なる通貨間市場(いわゆる外国為替市場)における金利差(キャリー)、購買力平価(バリュエーション)、基軸通貨ドルに対する直物市場のモメンタムの三要素を均等配分する形で通貨市場のβが創設されつつある。 為替は、その通貨に対する需要と供給で価格(為替レート)が決まる。為替レートが変化するのは、通貨を商品のように扱い、需要と供給の市場原理が働いているからである。為替レートは一刻一刻と変動し、通貨の価値が上下する。 マネー経済では、マネー自身が株などの有価証券として市場に流通し、その過程で利益をもたらす。つまり、モノ・サービスを介在せず、マネーが単独で市場を動いていく。円やドルを売買するように、通貨そのものは商品になる。変動相場制の下では商品を売買するのと同じように、自国通貨を売り(買い)、外国通貨を買う(売る)ことが行われる。 各国の通貨は、輸出入の代金の決済に使用されるが、資産としての性質も持っており、外国の通貨も資産となりうる。外国に投資するということは、その国の通貨建ての資産を持つということである。 2009年現在、ドイツ銀行の公表するDBCRとシティーバンクの公表する指数とでβ指数を争っている。両者の違いは新興国通貨を組み入れているか否かと、キャリー部分の配分が等配分か半分を占めるかというところにある。 国の経済力は、自国通貨ではなく外貨保有量ではかることができる。自国通貨を大量に所有していても、そのままでは他国で使えないただの紙切れだからである。経済活動がグローバル化してくると、輸出入・国際投資には他国の通貨が必要になってくる。 普通、通貨はその価値を保証する国の中だけで利用されるが、ユーロや米ドルのような国を超えて利用されている通貨を国際通貨という。 世界の金融取引・貿易取引で中心的に使用されている通貨を基軸通貨といい、2019年現在では米ドルがユーロや円などをはるかに超えて使用されている。19世紀頃は、英国ポンドが基軸通貨の地位を占めていたが、第二次大戦後は米ドルが基軸通貨となった。 地域通貨とは、法定通貨のように政府によって発行されている通貨ではないが、あるコミュニティにおいて通貨のような性質を認められたものである。 通貨危機とは、為替レートが、均衡為替レートの度合いをはるかに超えて下落することである。 通貨危機はある国の通貨価値が対外的な信用を失うことによって起きる。通貨が信用を喪失する原因は、累積債務の増大や固定相場制下での通貨の過大評価にある。 国の財政などが悪化し始めると、経済は停滞し、それと平行して通貨価値は下落していく。政治的・社会的・経済的に、ある国の信認が失われたときに通貨が暴落し、国内の信用収縮・銀行危機・所得の低下・輸入インフレが発生し、或いは予想され、更に通貨が暴落するという悪循環が「通貨危機」である。 国は、自国の通貨価値を支えようと外貨準備を投入し、自国の通貨を買い支えようとするが、資金が枯渇すると通貨危機となる。通貨危機に陥った場合、自国の通貨の切り下げなどを行い対応する。 自国の通貨の交換比率を、他国の通貨に対して相対的に上げることを「通貨の切り上げ」という。金融引き締め政策を行うと、自国通貨の増価が発生する。 また、自国の通貨と他国の通貨の交換比率を引き下げる政策を「通貨の切り下げ」という。基本的には、自国の経済の防衛のために、基軸通貨である米ドルとの交換比率を、通貨当局が低く定める。 通貨の切り下げは、あくまで緊急措置であり、国際経済では禁じ手とされている。通貨の価値はあくまでマーケットによって決定されるべきという大原則があるからである。 自国通貨を減価させれば、輸出増加・輸入減少圧力が働く。自国通貨の減価は、早い段階で輸入価格に転換され、輸入価格の上昇を招くという事実は、多くの実証モデルで示されている。 金利の低下は自国通貨の減価を招き、自国通貨の減価は経常赤字の縮小をもたらす。しかし、短期的には自国通貨の減価は経常収支の赤字をもたらさない。実際にJカーブ効果によって経常赤字の拡大を招く。投資家が経常赤字のファイナンスを続けなければ、通貨は際限なく減価する。 通貨の減価自体は資本流入に必要なインセンティブを生み出す。実際の通貨の減価幅は、投資家が要求するインセンティブによって決定される。 日本では、日本の貨幣史に示されるように、江戸幕府が通貨を統一し始めたものの、実際の生活では身分制度とあわせて年貢としての米による租税制度が維持されてきた。現代では、政府が国債を発行しつつ、通貨偽造の罪や利息制限法を設けて、通貨の信用を維持している。 明治時代の地租改正以降、通貨に兌換金券等としての機能はなくなっていった。 1930年1月11日に、日本は金本位制に復帰したが、1931年に金本位制から離脱した。 世界大戦に向かう情勢の中、紙幣においては国民に徴兵制等各種の義務を増やし国債との交換によって価値を維持していた。日本政府が相続税等の指針として使う路線価や厚生労働省が定める最低生活費や最低賃金といった形で数値化していることと表裏一体の関係になる。 1942年に日本は管理通貨制度に切り替わった。 日本銀行が民間銀行を通じて国債を購入している事実と、日本銀行が国債購入によって無から創造して負債に計上している日銀当座預金も日銀券も日本銀行には返済債務が無いので、日本銀行は国債の購入と保有を継続できるという事実と、日本銀行が政府に国庫納付金を納付する制度が存在しているという事実と、を組み合わせると、政府による国債発行は実質的には返済不要な通貨(日銀当座預金と日銀券)を発行する行為になっている事と、国債を税収では全額返済はできない事を、下記にて説明する。 1から6の過程では、政府の国債発行残高が増加し、企業などの預金が増加し、民間銀行の日銀当座預金は変化なしとなります。 ここで、7の過程によって日本銀行の保有する国債が増加し、民間銀行の日銀当座預金が増加します。これは、8の過程によって日本銀行券の発行額も増えるとともに、民間銀行はさらに多額の国債を購入できるようになることを意味します。そして、9~11の事実を考慮すると、政府は国債発行をすることで実質的に返済不要で税収では返済不能な日銀当座預金という通貨を発行して財政支出をしていることになります。この状況は、国債本位制ということもできます。 以下の表は、国際銀行間通信協会(SWIFT)による2012年から2015年までの通貨決済で最も用いられた15の通貨の推定値である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "通貨(つうか、英: currency)とは、流通貨幣の略称で、決済のための価値交換媒体。通貨は、現金通貨と預金通貨に大別され、前者は紙幣・硬貨(補助紙幣)であり、後者は普通預金・当座預金などの決済口座である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "モノやサービスとの交換に用いられる「お金(おかね)」を、経済用語では貨幣、または通貨と呼ぶ。通貨が無い時代の決済手段とされていた物々交換から、さらにモノやサービスの流動性を高めるために作られた経済形態である。政府は租税の算定に法定通貨を利用する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "モノやサービスの価値は、流動的である。出来立てのパンは数時間経ったパンよりも高価であるだろうし、家政婦や理美容等のサービス料金は十分な経験を積んだものとそうでないものとで差があるだろう。また、昔はほとんど価値がなかったものが、逆に骨董品として高い価で取引きされる場合もある。いわゆる「等価交換」に際して、それらの流動的なものを何らかの形で具現化したものが経済の仲介物であり、通貨(お金)となる。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "貨幣が定着し流通しだすと、貨幣は通貨と位置づけられ、通貨制度として決まりごとをもつようになる。通貨制度は、各国のマクロ経済政策の運営・貿易・投資に対する規制に大きく関わっている。通貨の信用の裏付けは、国民が働いてモノやサービスを生産する能力に由来する。政府は国民の労働力(の可能性)を国債にして中央銀行で貨幣と交換している。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "経済の仲介物としては、「貨幣史」や「通約的な正義としての流通貨幣」に示されるように、それを欲しがる他者が多数存在すれば通貨となりえる。日本のおとぎ話「わらしべ長者」では、様々なモノが交換の仲介物とされる様子が描かれている。政府は通貨を歳費の算定基礎に価値の尺度として用い、また中央銀行に発行や流通の権利を委ね保護し、国民も「唯一無二」の存在として信用することで、その価値が生じる。例えば、全ての国民が一万円札を紙くずだと思えば、その瞬間から一万円札は本当に紙切れとなる。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "通貨として、どのような金融商品を含めるかについては、国・時代によって異なるため一義的な決まりはない。狭義には中央銀行などが発行する現金通貨のみを意味する。広義では、現金通貨に加えて、銀行などに預けられている普通預金・当座預金(手形・小切手)などの流動性の高い預金通貨、流動性がやや落ちる定期預金や外貨預金などの準通貨をも含む概念である。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": 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通貨とは、流通貨幣の略称で、決済のための価値交換媒体。通貨は、現金通貨と預金通貨に大別され、前者は紙幣・硬貨(補助紙幣)であり、後者は普通預金・当座預金などの決済口座である。 モノやサービスとの交換に用いられる「お金(おかね)」を、経済用語では貨幣、または通貨と呼ぶ。通貨が無い時代の決済手段とされていた物々交換から、さらにモノやサービスの流動性を高めるために作られた経済形態である。政府は租税の算定に法定通貨を利用する。
{{otheruses||[[琉球列島高等弁務官]]が制定した布令『通貨』|通貨 (高等弁務官布令)}} '''通貨'''(つうか、{{lang-en-short|currency}})とは、'''流通貨幣'''の略称で、[[決済]]のための価値交換媒体。通貨は、現金通貨と預金通貨に大別され、前者は[[紙幣]]・[[硬貨]]([[補助紙幣]])であり、後者は[[普通預金]]・[[当座預金]]などの決済口座である<ref>野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、123頁。</ref>。 モノやサービスとの交換に用いられる「[[お金]]([[wikt:おかね|おかね]])」を、経済用語では[[貨幣]]、または通貨と呼ぶ<ref>岩田規久男 『国際金融入門』 岩波書店・新版〈岩波新書〉、2009年、8頁。</ref>。通貨が無い時代の決済手段とされていた[[物々交換]]から、さらにモノやサービスの流動性を高めるために作られた経済形態である<ref>[https://www.82bunka.or.jp/money/history1.php 「おかね」のはじまり 八十二文化財団]</ref>。[[政府]]は[[租税]]の算定に[[法定通貨]]を利用する。 == 解説 == モノやサービスの価値は、流動的である。出来立てのパンは数時間経ったパンよりも高価であるだろうし、家政婦や理美容等のサービス料金は十分な経験を積んだものとそうでないものとで差があるだろう。また、昔はほとんど価値がなかったものが、逆に骨董品として高い価で取引きされる場合もある。いわゆる「[[等価交換]]」に際して、それらの流動的なものを何らかの形で具現化したものが経済の仲介物であり、通貨(お金)となる。 貨幣が定着し流通しだすと、貨幣は通貨と位置づけられ、通貨制度として決まりごとをもつようになる<ref>野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、122頁。</ref>。通貨制度は、各国の[[マクロ経済政策]]の運営・貿易・投資に対する規制に大きく関わっている<ref>伊藤元重 『はじめての経済学〈下〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、169頁。</ref>。通貨の信用の裏付けは、国民が働いてモノやサービスを生産する能力に由来する<ref>僕たちの国家p43(三橋貴明【TAC出版】)</ref>。[[政府]]は国民の労働力(の可能性)を[[国債]]にして[[中央銀行]]で[[貨幣]]と交換している<ref>「知らないと損する 池上彰のお金の学校」一限目</ref>。 経済の仲介物としては、「[[貨幣史]]」や「[[ニコマコス倫理学#通約的な正義としての流通貨幣|通約的な正義としての流通貨幣]]」に示されるように、それを欲しがる他者が多数存在すれば通貨となりえる。日本のおとぎ話「[[わらしべ長者]]」では、様々なモノが交換の仲介物とされる様子が描かれている。政府は通貨を歳費の算定基礎に[[ユニット・オブ・アカウント|価値の尺度]]として用い、また[[中央銀行]]に発行や流通の権利を委ね保護し、国民も「唯一無二」の存在として信用することで、その価値が生じる。例えば、全ての国民が[[一万円紙幣|一万円札]]を紙くずだと思えば、その瞬間から一万円札は本当に紙切れとなる<ref>田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、216頁。</ref>。 {{see also|グレシャムの法則|貨幣数量説|通貨発行益}} 通貨として、どのような金融商品を含めるかについては、国・時代によって異なるため一義的な決まりはない<ref>神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、27頁。</ref>。狭義には中央銀行などが発行する現金通貨のみを意味する。広義では、現金通貨に加えて、[[銀行]]などに預けられている[[普通預金]]・[[当座預金]]([[手形]]・[[小切手]])などの流動性の高い'''預金通貨'''、流動性がやや落ちる[[定期預金]]や[[外貨預金]]などの'''[[準通貨]]'''をも含む概念である。 {{see also|マネーサプライ#統計の種類}} === 本位制度と管理通貨制度 === {{main|本位貨幣|管理通貨制度}} 古代より一部の場合を除いて、各国において発行される通貨は金や銀などの貴金属を用いて発行されることが多かった([[本位貨幣]]、正貨)。しかし経済の拡大に伴い通貨を発行するだけの貴金属が不足するようになると、貨幣制度の根幹をなす貴金属の通貨を定め、その貴金属にいつでも兌換できることを保障した[[紙幣]]を発行することで通貨の流通量を確保するようになった。これが本位制度である。金によってこの本位制度が裏付けられている場合は[[金本位制]]、銀による場合は[[銀本位制]]とよばれる。この本位制度は[[1817年]]に[[イギリス]]において[[ソブリン金貨]]による金本位制が開始されたのが始まりであり、[[19世紀]]末には世界の主要国のほとんどが金または銀本位制に移行した。しかし[[第一次世界大戦]]がはじまるとほとんどの国でこの兌換は停止され、大戦終結後は各国とも復帰したものの、[[1929年]]に起きた[[世界恐慌]]によって再び金本位制は機能しなくなり、下記の管理通貨制度へと移行した。その後[[第二次世界大戦]]が終了すると[[ブレトン・ウッズ協定]]によって金1[[オンス]]を35[[アメリカドル]]とし、世界各国がそのドルにペッグするという変則的な金本位制(金・ドル本位制)が成立したが、これも[[1971年]][[8月15日]]にアメリカの[[リチャード・ニクソン]]大統領がアメリカ・ドルと金との兌換停止を発表した([[ニクソン・ショック]])ことで崩壊し、以後各国は完全に管理通貨制度へと移行した。 '''[[管理通貨制度]]'''とは、各国の政府や発券銀行が、経済を調整するために通貨の入出を管理する制度のことである<ref name="keizainoshikumi123">野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、123頁。</ref><ref name="keizainoshikumi124">野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、124頁。</ref>。管理通貨制度では、その国の政治・経済状況が貨幣の価値を決める<ref name="manabow">[http://manabow.com/hayawakari/hayawakari2_2.html 早わかり経済入門 通貨のはじまりの巻 (2) 管理通貨制度]man@bowまなぼう</ref>。つまり、その国の「信用」によって([[国際金融]]や[[外貨準備]]と照らして)、その国の貨幣の価値は安定したり不安定になる<ref name="manabow" />。<!--政府・中央銀行は自国通貨を無限に市場に供給できる<ref>田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社新書〉、2004年、155頁。</ref> 。--> 日本の場合は、日本の中央銀行である[[日本銀行]]が通貨を管理している<ref name="keizainoshikumi124" />。紙幣発行権は日銀が有し、政府は硬貨だけを発行するという制度は、政府の通貨乱発を防ぐためのものである<ref>神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、162頁。</ref>。中央銀行は通貨を保証しなければならず、通貨の価値を下げないよう、つまり[[物価]]を安定させなければならない<ref>弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、120頁。</ref>。[[インフレーション]](物価上昇)、[[デフレーション]](物価下落)のどちらの現象も回避するため、中央銀行は[[通貨供給量]]の動きを監視し、市場に出回る通貨量が適量になるように調整する<ref>弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、122頁。</ref>。 == 心の尺度としてのお金 == {{節スタブ}} お金(通貨)が「心」や「気持ち」を数値化する尺度として用いられることがある。[[民法]]上の[[損害賠償]]では、物質としての損害額を超え、さらには債務者(加害者)の[[資産]]や[[収入]]可能性をも上回る額を算出することもある。たとえば[[交通事故]]では、加害者が無保険であった場合の被害者(遺族)への救済方法が行政施策として検討されたりする<ref>[https://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h23kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s2_7.html 道路交通安全施策の現況(内閣府交通安全対策HP)]</ref>。 また「貴重な情報」や「秘密の情報」がお金としての価値を生み出す場合もある。日本の[[不正競争防止法]]において「営業秘密」に係る不正開示行為は損害賠償や処罰の対象となり、[[警視庁]]の[[捜査特別報奨金制度]]は事件の検挙に結び付く有力な情報を提供した者に対して報奨金を支払う制度であるが、それらの金額にも差が生じている。 == 金融商品としての通貨 == [[ファイル:United States one dollar bill, obverse.jpg|thumb|240px|right|1米ドル紙幣]] 通貨は長らく[[アセットクラス|資産クラス]]として認識されていなかった。その背景には[[債券]]・[[株式]]という古典的な資産クラスが、[[有価証券]]としての資金調達手段であるのに対し、通貨は投資家への収益が明確でなかったことがある。しかしながら、異なる通貨間市場(いわゆる[[外国為替市場]])における[[金利平価説|金利差]](キャリー)、[[購買力平価]](バリュエーション)、[[基軸通貨]][[ドル]]に対する[[スポット市場|直物市場]]の[[モメンタム]]の三要素を均等配分する形で通貨市場の[[資本コスト|β]]が創設されつつある。 [[為替]]は、その通貨に対する[[需要]]と[[供給]]で[[価格]]([[為替レート]])が決まる<ref name="minna147">竹中平蔵 『竹中教授のみんなの経済学』 幻冬舎、2000年、147頁。</ref>。為替レートが変化するのは、通貨を商品のように扱い、需要と供給の[[市場原理]]が働いているからである<ref>弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、154頁。</ref>。為替レートは一刻一刻と変動し、通貨の価値が上下する<ref>弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、160頁。</ref>。 マネー経済では、マネー自身が株などの有価証券として市場に流通し、その過程で利益をもたらす<ref name="zukaiwakaru20">栗原昇・ダイヤモンド社 『図解 わかる!経済のしくみ[新版]』 ダイヤモンド社、2010年、20頁。</ref>。つまり、モノ・サービスを介在せず、マネーが単独で市場を動いていく<ref name="zukaiwakaru20" />。[[円 (通貨)|円]]や[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]を売買するように、通貨そのものは商品になる<ref name="zukaiwakaru20" />。[[変動相場制]]の下では商品を売買するのと同じように、自国通貨を売り(買い)、外国通貨を買う(売る)ことが行われる<ref>弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、152頁。</ref>。 各国の通貨は、輸出入の代金の決済に使用されるが、資産としての性質も持っており、外国の通貨も資産となりうる<ref>野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、68頁。</ref>。外国に投資するということは、その国の通貨建ての資産を持つということである<ref name="minna147" />。 [[2009年]]現在、[[ドイツ銀行]]の公表する[[DBCR]]と[[シティーバンク]]の公表する指数とでβ指数を争っている。両者の違いは[[新興国通貨]]<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYEA0N08D20140124|title=新興国通貨が軒並み下落、インドなど一部中銀は介入実施か|newspaper=ロイター|date=2014-01-25|accessdate=2014-01-25}}</ref>を組み入れているか否かと、キャリー部分の配分が等配分か半分を占めるかというところにある。 == 国際通貨 == {{see also|国際通貨|通貨の一覧|現行通貨の一覧}} {| class=wikitable style="float:right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px;" |+ '''外国為替市場における取引高の通貨分布'''<ref>{{cite web|title=World’s Most Traded Currencies By Value 2012|url=http://www.investopedia.com/articles/forex/08/top-8-currencies-to-know.asp/|publisher=investopedia.com|accessdate=2013-06-10}}</ref><ref name=BIS>{{cite web|title=Global foreign exchange market turnover in 2019|url=https://www.bis.org/statistics/rpfx19_fx.pdf#page=12|work=Triennial Central Bank Survey|publisher=[[Bank for International Settlements]]|accessdate=2019-09-16|location=[[バーゼル]], [[スイス]]|page=10|format=PDF|date=April 2019}}</ref> |- ! 順位 !! 通貨 !! [[ISO 4217]] コード<br />(通貨記号) !! 一日当たりシェア(%)<br />(2019年4月) |- | {{center|01}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|USA}} [[アメリカ合衆国ドル]] || {{center|USD ($)}} || style="text-align:right;" | 68.5%. |- | {{center|02}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|EUR}} [[ユーロ]] || {{center|EUR (€)}} || style="text-align:right;" | 31.5%. |- | {{center|03}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|GBR}} [[スターリング・ポンド|イギリス・ポンド]] || {{center|GBP (£)}} || style="text-align:right;" | 18.9% |- | {{center|04}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|AUS}} [[オーストラリア・ドル]] || {{center|AUD ($)}} || style="text-align:right;" | 10.1%. |- | {{center|05}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|JPN}} [[円 (通貨)|日本円]] ||{{center|JPY (¥)}} || style="text-align:right;" | 10.1%. |- | {{center|06}} || style="text-align:left;" |{{flagdeco|SUI}} [[スイス・フラン]] || {{center|CHF (Fr)}} || style="text-align:right;" | 10.0%. |- | {{center|07}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|CAN}} [[カナダドル|カナダ・ドル]] ||{{center|CAD ($)}} || style="text-align:right;" | 5.5%. |- | {{center|08}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|CHN}} [[中国人民元]] ||{{center|CNY (¥)}}|| style="text-align:right;" | 5.1%. |- | {{center|09}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|HKG}} [[香港ドル]] || {{center|HKD ($)}} || style="text-align:right;" | 3.5%. |- | {{center|10}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|SIN}} [[シンガポールドル|シンガポール・ドル]] ||{{center|SGD ($)}} || style="text-align:right;" | 2.0%. |- | {{center|11}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|KOR}} [[大韓民国ウォン|韓国ウォン]] || {{center|KRW (₩)}} || style="text-align:right;" | 2.0%. |- | {{center|12}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|NZL}} [[ニュージーランド・ドル]] || {{center|NZD ($)}} || style="text-align:right;" | 1.8%. |- | {{center|13}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|MEX}} [[メキシコ・ペソ]] || {{center|MXN ($)}} || style="text-align:right;" | 1.5%. |- | {{center|14}} || style="text-align:left;" |{{flagdeco|RUS}} [[ロシア・ルーブル]] || {{center|RUB (₽)}} || style="text-align:right;" | 1.1%. |- | {{center|15}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|MYS}} [[マレーシア・リンギット]]||{{center|MYR (RM)}} || style="text-align:right;" | 1.1%. |- | {{center|16}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|MAR}} [[モロッコ・ディルハム]] || {{center|MAD (DH)}} || style="text-align:right;" | 1.3% |- | {{center|17}} || style="text-align:left;" |{{flagdeco|TUR}} [[トルコリラ|トルコ・リラ]] ||{{center|TRY (₺)}} || style="text-align:right;" | 1.1%. |- | {{center|18}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|IND}} [[インド・ルピー]] || {{center|INR (₹)}} || style="text-align:right;" | 5.1%. |- | {{center|19}} || style="text-align:left;" |{{flagdeco|BRA}} [[レアル|ブラジル・レアル]] || {{center|BRL (R$)}} || style="text-align:right;" | 1.9%. |- | {{center|20}} || style="text-align:left;" |{{flagdeco|SAU}} [[サウジアラビア・リヤル]]||{{center|SAR (﷼)}} || style="text-align:right;" | 1.6%. |- | {{center|21}} || style="text-align:left;" | {{flagdeco|UAE}} [[UAEディルハム]] || {{center|AED (DH)}} || style="text-align:right;" | 1.5%. |- | colspan=3 style="text-align:right;" | その他通貨 || style="text-align:right;" | ''12.0%''.• |- | colspan=3 style="text-align:right;" |'''総計''' || style="text-align:right;" | '''200%'''..• |} 国の経済力は、自国通貨ではなく外貨保有量ではかることができる<ref name="chishiki168">弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、168頁。</ref>。自国通貨を大量に所有していても、そのままでは他国で使えないただの紙切れだからである<ref name="chishiki168" />。経済活動が[[グローバル化]]してくると、輸出入・国際投資には他国の通貨が必要になってくる<ref>野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、64頁。</ref>。 普通、通貨はその価値を保証する[[国家|国]]の中だけで利用されるが、[[ユーロ]]や米ドルのような国を超えて利用されている通貨を'''[[国際通貨]]'''という。 世界の金融取引・貿易取引で中心的に使用されている通貨を'''[[基軸通貨]]'''といい、2019年現在では米ドルがユーロや円などをはるかに超えて使用されている<ref name="omoshiroi190">神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、190頁。</ref>。19世紀頃は、英国[[ポンド (通貨)|ポンド]]が基軸通貨の地位を占めていたが、第二次大戦後は米ドルが基軸通貨となった<ref name="omoshiroi190" />。 === 地域通貨 === {{main|地域通貨}} 地域通貨とは、[[法定通貨]]のように政府によって発行されている通貨ではないが、あるコミュニティにおいて通貨のような性質を認められたものである。 == 通貨危機 == {{see also|金融危機}} 通貨危機とは、為替レートが、均衡為替レートの度合いをはるかに超えて下落することである<ref name="money149">日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、149頁。</ref>。 通貨危機はある国の通貨価値が対外的な信用を失うことによって起きる<ref name="sekai112">神樹兵輔 『面白いほどよくわかる世界経済-日本を取り巻く世界経済の現状とその問題点(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2010年、112頁。</ref>。通貨が信用を喪失する原因は、累積債務の増大や[[固定相場制]]下での通貨の過大評価にある<ref name="sekai112" />。 国の[[財政]]などが悪化し始めると、経済は停滞し、それと平行して通貨価値は下落していく<ref name="chishiki22">弘兼憲史・高木勝 『知識ゼロからの経済学入門』 幻冬舎、2008年、22頁。</ref>。政治的・社会的・経済的に、ある国の信認が失われたときに通貨が暴落し、国内の信用収縮・銀行危機・所得の低下・輸入[[インフレ]]が発生し、或いは予想され、更に通貨が暴落するという悪循環が「通貨危機」である<ref name="money149" />。 国は、自国の通貨価値を支えようと[[外貨準備]]を投入し、自国の通貨を買い支えようとするが、資金が枯渇すると通貨危機となる<ref name="chishiki22" />。通貨危機に陥った場合、自国の通貨の切り下げなどを行い対応する<ref name="chishiki22" />。 == 通貨の切り上げ・切り下げ == {{節スタブ}}<!--通貨の切り上げについて--> 自国の通貨の交換比率を、他国の通貨に対して相対的に上げることを「通貨の切り上げ」という。[[金融政策|金融引き締め]]政策を行うと、自国通貨の増価が発生する<ref>ポール・クルーグマン 『通貨政策の経済学-マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 東洋経済新報社、1998年、141頁。</ref>。 また、自国の通貨と他国の通貨の交換比率を引き下げる政策を「通貨の切り下げ」という<ref name="zukaiwakaru146">栗原昇・ダイヤモンド社 『図解 わかる!経済のしくみ[新版]』 ダイヤモンド社、2010年、146頁。</ref>。基本的には、自国の経済の防衛のために、基軸通貨である米ドルとの交換比率を、通貨当局が低く定める<ref name="zukaiwakaru146" />。 通貨の切り下げは、あくまで緊急措置であり、国際経済では禁じ手とされている<ref>栗原昇・ダイヤモンド社 『図解 わかる!経済のしくみ[新版]』 ダイヤモンド社、2010年、147頁。</ref>。通貨の価値はあくまでマーケットによって決定されるべきという大原則があるからである。 {{see also|通貨安競争|為替操作国}} 自国通貨を減価させれば、輸出増加・輸入減少圧力が働く<ref>ポール・クルーグマン 『通貨政策の経済学-マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 東洋経済新報社、1998年、75頁。</ref>。自国通貨の減価は、早い段階で輸入価格に転換され、輸入価格の上昇を招くという事実は、多くの実証モデルで示されている<ref>ポール・クルーグマン 『通貨政策の経済学-マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 東洋経済新報社、1998年、13頁。</ref>。 金利の低下は自国通貨の減価を招き、自国通貨の減価は経常赤字の縮小をもたらす<ref name="tsuka128">ポール・クルーグマン 『通貨政策の経済学-マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 東洋経済新報社、1998年、128頁。</ref>。しかし、短期的には自国通貨の減価は経常収支の赤字をもたらさない<ref name="tsuka128" />。実際に[[Jカーブ効果 (経済学)|Jカーブ効果]]によって経常赤字の拡大を招く<ref name="tsuka128" />。投資家が経常赤字のファイナンスを続けなければ、通貨は際限なく減価する<ref name="tsuka128" />。 通貨の減価自体は資本流入に必要な[[インセンティブ (経済学)|インセンティブ]]を生み出す<ref name="tsuka128" />。実際の通貨の減価幅は、投資家が要求するインセンティブによって決定される<ref>ポール・クルーグマン 『通貨政策の経済学-マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 東洋経済新報社、1998年、129頁。</ref>。 == 日本の通貨 == {{main|円切上げ|プラザ合意}} 日本では、[[日本の貨幣史]]に示されるように、[[江戸幕府]]が通貨を統一し始めたものの、実際の生活では身分制度とあわせて年貢としての米による[[租税]]制度が維持されてきた。現代では、[[政府]]が[[国債]]を発行しつつ、[[通貨偽造の罪]]や[[利息制限法]]を設けて、[[利子#利息の歴史|通貨の信用を維持]]している。 明治時代の[[地租改正]]以降、通貨に兌換金券等としての機能はなくなっていった。 1930年1月11日に、日本は[[金本位制]]に復帰したが<ref>上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、177頁。</ref>、1931年に金本位制から離脱した<ref>上念司 『デフレと円高の何が「悪」か』 光文社〈光文社新書〉、2010年、188頁。</ref>。 世界大戦に向かう情勢の中、紙幣においては国民に徴兵制等各種の義務を増やし[[国債]]との交換によって価値を維持していた。日本政府が[[相続税]]等の指針として使う[[路線価]]や[[厚生労働省]]が定める最低生活費や[[最低賃金]]といった形で数値化していることと表裏一体の関係になる。 1942年に日本は管理通貨制度に切り替わった<ref name="keizainoshikumi123" />。 == 国債と通貨発行の関係 == 日本銀行が民間銀行を通じて国債を購入している事実と、日本銀行が国債購入によって無から創造して負債に計上している日銀当座預金も日銀券も日本銀行には返済債務が無いので、日本銀行は国債の購入と保有を継続できるという事実と、日本銀行が政府に[https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/outline/a25.htm 国庫納付金]を納付する制度が存在しているという事実と、を組み合わせると、'''政府による国債発行は実質的には返済不要な通貨(日銀当座預金と日銀券)を発行する行為になっている事と、国債を税収では全額返済はできない事'''を、下記にて説明する。 #  政府が国債を発行し、民間銀行が国債を購入するときには、民間銀行が日銀に持っている「日銀当座預金」で国債を買います。<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/1011152/3/ |title=意外と知られていない銀行と国債のしくみ:中野剛志「奇跡の経済教室」最新講義第3回 |access-date=2023-1-8 |publisher=株式会社 ベストセラーズ(KKベストセラーズ)}}</ref> #  民間銀行が国債を購入すると、その民間銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金にその分の支払いが振り込まれます。<ref name=":1" />  #  振込を得た政府は、その分の公共事業を企業に発注して、政府小切手で支払います。<ref name=":1" />  #  企業は取引銀行に小切手を持ち込んで、代金の取立を依頼します。<ref name=":1" />  #  民間銀行は小切手相当額を企業の口座に記帳します。'''ここで新たな預金が生れます。'''この民間銀行は、同時に、日銀に代金の取立を依頼します。<ref name=":1" />  #  政府保有の日銀当座預金が、民間銀行の日銀当座預金勘定に振り替えられる。<ref name=":1" /> '''その後、政府が国債を発行したら、また1に戻ります。'''<ref name=":1" /> #  日本銀行が買いオペにより、民間銀行の保有する国債を買い入れれば、それだけ民間部門の国債は回収される。<ref>{{Cite web|和書|url=https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/gover-eco_141222.html |title=WASEDA ONLINE 国の借金は減っている アベノミクスに増税は必要ない |access-date=2023-1-8 |publisher=読売新聞}}</ref> 同時に、民間銀行の日銀当座預金が増加する。 #  日本銀行券は、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出し、銀行券を受け取ることによって、世の中に送り出されます。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/outline/index.htm |title=銀行券の発行・流通・管理 |access-date=2023-1-8 |publisher=日本銀行}}</ref> #  日銀が保有している国債を政府は実質的には返済しなくても良くなっています。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=YwZ2LmHr8m0&t=1389s |title=税のストックが減るから借換債(かりかえさい)【借り換え】)の自転車操業してるのか!?【国会中継】 |access-date=2023-1-9 |publisher=Youtube}}</ref> さらに言えば、日本銀行が国債購入によって無から創造して負債に計上している日銀当座預金も日銀券も日本銀行には返済債務が無い<ref>{{Cite book|和書 |title=メタバースと経済の未来 |date=2022-12-16 |year=2022 |publisher=文藝春秋 |page=151}}</ref>ので、日本銀行は国債の購入と保有を継続できます。 #  政府は国債を税収で全額返済する事は不可能です。なぜならば、税収で国債を全額返済したら民間経済から通貨がほとんどなくなって、経済が崩壊するからです。したがって、国債の償還は[https://www.ifinance.ne.jp/glossary/bond/bon233.html 借換債]で行なっています。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=uKzRbRYm8Hs |title=第43回 税金で国の借金は返せない!? 〜そもそも国債って何?〜【CGS 日本経済】 |access-date=2023-1-10 |publisher=Youtube}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=5HZxZzIT77E |title=【よくわかる国債償還】「国債償還を借換債でなく税収の範囲内で行ったらどうなるのか?経済がとんでもないことになります」西田昌司がズバッと答える一問一答【週刊西田】 |access-date=2023-1-10 |publisher=Youtube}}</ref> #  国債の償還問題を解決する他の方法には、国債の永久国債化によって国債償還の必要性を無くすというもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2017/0314/gijiyoushi.pdf |title=平成 29 年第3回経済財政諮問会議 議事要旨 |access-date=2023-1-10 |publisher=内閣府}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12256819916.html |title=スティグリッツ教授の「日本国債無効化論」 |access-date=2023-1-10 |publisher=株式会社サイバーエージェント}}</ref> と、巨額の政府貨幣発行益によって国債償還する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0292.html |title=100万円玉、1兆円玉で、デフレ克服、円高是正は可能か? |access-date=2023-1-10 |publisher=独立行政法人 経済産業研究所}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/tk0592929-forexforum-masashimurata-idJPTYE90G06O20130117 |title=コラム:アベノミクスに残る奇策は100兆円硬貨か=村田雅志氏 |access-date=2023-1-10 |publisher=ロイター}}</ref>というものがあります。<br /> 1から6の過程では、政府の国債発行残高が増加し、企業などの預金が増加し、民間銀行の日銀当座預金は変化なしとなります。 ここで、7の過程によって日本銀行の保有する国債が増加し、民間銀行の日銀当座預金が増加します。これは、8の過程によって日本銀行券の発行額も増えるとともに、民間銀行はさらに多額の国債を購入できるようになることを意味します。そして、9~11の事実を考慮すると、'''政府は国債発行をすることで実質的に返済不要で税収では返済不能な日銀当座預金という通貨を発行して財政支出をしている'''ことになります。この状況は、[[国債本位制]]ということもできます。 == 世界の主要な決済通貨の一覧 == 以下の表は、[[国際銀行間通信協会]](SWIFT)による2012年から2015年までの通貨決済で最も用いられた15の通貨の推定値である<ref>http://www.swift.com/about_swift/shownews?param_dcr=news.data/en/swift_com/2014/PR_RMB_Nov_Dec.xml RMB breaks into the top ten most-used currencies for payments</ref><ref>http://www.swift.com/about_swift/shownews?param_dcr=news.data/en/swift_com/2014/PR_RMB_Jan.xml Chinese Renminbi Overtakes the Swiss Franc as a World Payments Currency</ref><ref>http://www.swift.com/about_swift/shownews?param_dcr=news.data/en/swift_com/2014/PR_RMB_records_offshores.xml RMB reaches record levels of payments activity between offshore centres</ref><ref>https://www.swift.com/assets/swift_com/documents/products_services/RMB_tracker_November_2015_english.pdf</ref><ref>https://leaprate.com/2016/01/swift-chinese-yuan-gains-share-as-world-payments-currency-in-nov15/ </ref>。 {| class="wikitable sortable" style="text-align: right" |+ 国際通貨決済における上位15通貨 (世界総計に対する%) ! 順位 !! 通貨 !! 1月<br />2012!! 通貨 !! 1月<br />2013 !! 通貨 !! 1月<br />2014 !! 通貨 !! 1月<br />2015 !! 通貨 !! 11月<br />2015 |- | || align=left|'''''世界総計''''' || 100.00% || align=left|'''''世界総計''''' || 100.00% || align=left|'''''世界総計''''' || 100.00% || align=left|'''''世界総計''''' || 100.00% || align=left|'''''世界総計''''' || 100.00% |- | 1 || align=left|{{Flagicon|European Union}} [[ユーロ]] || 44.04% || align=left|{{Flagicon|European Union}} [[ユーロ]] || 40.17% || align=left|{{Flagicon|United States}} [[アメリカ合衆国ドル]] || 38.75% || align=left|{{Flagicon|United States}} [[アメリカ合衆国ドル]] || 43.41% || align=left|{{Flagicon|United States}} [[アメリカ合衆国ドル]] || 42.68% |- | 2 || align=left|{{Flagicon|United States}} [[アメリカ合衆国ドル]] || 29.73% || align=left|{{Flagicon|United States}} [[アメリカ合衆国ドル]] || 33.48% || align=left|{{Flagicon|European Union}} [[ユーロ]] || 33.52% || align=left|{{Flagicon|European Union}} [[ユーロ]] || 28.75% || align=left|{{Flagicon|European Union}} [[ユーロ]] || 29.50% |- | 3 || align=left|{{Flagicon|United Kingdom}} [[イギリス・ポンド]] || 9.00% || align=left|{{Flagicon|United Kingdom}} [[イギリス・ポンド]] || 8.55% || align=left|{{Flagicon|United Kingdom}} [[イギリス・ポンド]] || 9.37% || align=left|{{Flagicon|United Kingdom}} [[イギリス・ポンド]] || 8.24% || align=left|{{Flagicon|United Kingdom}} [[イギリス・ポンド]] || 8.88% |- | 4 || align=left|{{Flagicon|Japan}} [[日本円]] || 2.48% || align=left|{{Flagicon|Japan}} [[日本円]] || 2.56% || align=left|{{Flagicon|Japan}} [[日本円]] || 2.50% || align=left|{{Flagicon|Japan}} [[日本円]] || 2.79% || align=left|{{Flagicon|Japan}} [[日本円]] || 2.68% |- | 5 || align=left|{{Flagicon|Australia}} [[オーストラリア・ドル]] || 2.08% || align=left|{{Flagicon|Australia}} [[オーストラリア・ドル]] || 1.85% || align=left|{{Flagicon|Canada}} [[カナダ・ドル]] || 1.80% || align=left|{{Flagicon|China}} [[中国人民元]] || 2.06% || align=left|{{Flagicon|China}} [[中国人民元]] || 2.28% |- | 6 || align=left|{{Flagicon|Canada}} [[カナダ・ドル]] || 1.81% || align=left|{{Flagicon|Switzerland}} [[スイス・フラン]] || 1.83% || align=left|{{Flagicon|Australia}} [[オーストラリア・ドル]] || 1.75% || align=left|{{Flagicon|Canada}} [[カナダ・ドル]] || 1.91% || align=left|{{Flagicon|Australia}} [[オーストラリア・ドル]] || 1.77% |- | 7 || align=left|{{Flagicon|Switzerland}} [[スイス・フラン]] || 1.36% || align=left|{{Flagicon|Canada}} [[カナダ・ドル]] || 1.80% || align=left|{{Flagicon|China}} [[中国人民元]] || 1.39% || align=left|{{Flagicon|Switzerland}} [[スイス・フラン]] || 1.91% || align=left|{{Flagicon|Canada}} [[カナダ・ドル]] || 1.70% |- | 8 || align=left|{{Flagicon|Sweden}} [[スウェーデン・クローナ]] || 1.05% || align=left|{{Flagicon|Singapore}} [[シンガポール・ドル]] || 1.05% || align=left|{{Flagicon|Switzerland}} [[スイス・フラン]] || 1.38% || align=left|{{Flagicon|Australia}} [[オーストラリア・ドル]] || 1.74% || align=left|{{Flagicon|Switzerland}} [[スイス・フラン]] || 1.64% |- | 9 || align=left|{{Flagicon|Singapore}} [[シンガポール・ドル]] || 1.03% || align=left|{{Flagicon|Hong Kong}} [[香港ドル]] || 1.02% || align=left|{{Flagicon|Hong Kong}} [[香港ドル]] || 1.09% || align=left|{{Flagicon|Hong Kong}} [[香港ドル]] || 1.28% || align=left|{{Flagicon|Hong Kong}} [[香港ドル]] || 1.17% |- | 10 || align=left|{{Flagicon|Hong Kong}} [[香港ドル]] || 0.95% || align=left|{{Flagicon|Thailand}} [[タイ・バーツ]] || 0.97% || align=left|{{Flagicon|Thailand}} [[タイ・バーツ]] || 0.98% || align=left|{{Flagicon|Thailand}} [[タイ・バーツ]] || 0.98% || align=left|{{Flagicon|Thailand}} [[タイ・バーツ]] || 0.98% |- | 11 || align=left|{{Flagicon|Norway}} [[ノルウェー・クローネ]] || 0.93% || align=left|{{Flagicon|Sweden}} [[スウェーデン・クローナ]] || 0.96% || align=left|{{Flagicon|Sweden}} [[スウェーデン・クローナ]] || 0.97% || align=left|{{Flagicon|Singapore}} [[シンガポール・ドル]] || 0.89% || align=left|{{Flagicon|Singapore}} [[シンガポール・ドル]] || 0.92% |- | 12 || align=left|{{Flagicon|Thailand}} [[タイ・バーツ]] || 0.82% || align=left|{{Flagicon|Norway}} [[ノルウェー・クローネ]] || 0.80% || align=left|{{Flagicon|Singapore}} [[シンガポール・ドル]] || 0.88% || align=left|{{Flagicon|Sweden}} [[スウェーデン・クローナ]] || 0.80% || align=left|{{Flagicon|Sweden}} [[スウェーデン・クローナ]] || 0.86% |- | 13 || align=left|{{Flagicon|Denmark}} [[デンマーク・クローネ]] || 0.54% || align=left|{{Flagicon|China}} [[中国人民元]] || 0.63% || align=left|{{Flagicon|Norway}} [[ノルウェー・クローネ]] || 0.80% || align=left|{{Flagicon|Norway}} [[ノルウェー・クローネ]] || 0.68% || align=left|{{Flagicon|Norway}} [[ノルウェー・クローネ]] || 0.76% |- | 14 || align=left|{{Flagicon|Russia}} [[ロシア・ルーブル]] || 0.52% || align=left|{{Flagicon|Denmark}} [[デンマーク・クローネ]] || 0.58% || align=left|{{Flagicon|Denmark}} [[デンマーク・クローネ]] || 0.60% || align=left|{{Flagicon|Denmark}} [[デンマーク・クローネ]] || 0.56% || align=left|{{Flagicon|Poland}} [[ポーランド・ズウォティ]] || 0.50% |- | 15 || align=left|{{Flagicon|South Africa}} [[南アフリカ・ランド]] || 0.48% || align=left|{{Flagicon|Russia}} [[ロシア・ルーブル]] || 0.56% || align=left|{{Flagicon|Poland}} [[ポーランド・ズウォティ]] || 0.58% || align=left|{{Flagicon|Poland}} [[ポーランド・ズウォティ]] || 0.55% || align=left|{{Flagicon|Denmark}} [[デンマーク・クローネ]] || 0.47% |} ==通貨の輸送・携帯方法== [[File:ML - Geldbeutel.jpg|thumb|ローマ時代の通貨を入れた巾着レプリカ]] [[File:Schaffnertasche mit galoppwechsler.jpeg|thumb|[[両替商]]の{{ill2|マネーバッグ|en|Money bag}}]] * 銭緡(ぜにさし) - 江戸時代に、96文の錢に紐を通す緡銭(びんせん)の形で輸送された。この96文は100文として扱われた。この商慣行の理由は諸説あり、中国の[[短陌]]や、2・3・4で割れて扱いやすい、4文は手数料等がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000138690 |title=江戸時代に使われた銭緡(ぜにさし)で、百文(銭100枚)の銭緡は習慣的に九六文(96枚)であったと聞... |access-date=2022-12-24 |last=国立国会図書館 |website=レファレンス協同データベース |language=ja}}</ref>。室町時代には、97文が100文扱いであった<ref>{{Cite web|和書|url=https://cir.nii.ac.jp/crid/1050850788622794624 |title=中世日本の緡銭慣行 |access-date=2022-12-25 |last=稲吉 |first=昭彦 |date=2012-09-29 |website=鷹陵史学 |pages=67–90 |language=ja}}</ref>。 * [[財布]] ** がま口はヨーロッパ生まれで<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file267.html |title=file267「がま口」|NHK 鑑賞マニュアル 美の壺 |access-date=2022-12-24 |website=www.nhk.or.jp}}</ref>、明治期に海外での商いを行っていた[[山城屋和助]]によって日本に導入されたとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://tenki.jp/suppl/daaaaamegane/2020/03/11/29729.html |title=3月12日は『サイフの日』。意外と知らないサイフの歴史(季節・暮らしの話題 2020年03月11日) |access-date=2022-12-24 |website=tenki.jp |language=ja}}</ref>。 ** [[巾着]]、{{ill2|Coin purse|en|Coin purse}}、錢袋 ** 早道(はやみち) - 巾着の他に旅行中に腰紐に吊るして手軽に出せる小銭入れとして分けて使われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://serai.jp/hobby/1026685/2 |title=庶民が旅に持ち歩いた「早道」って何の道具? 江戸の旅道具クイズ4問【江戸クイズ】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - Part 2 |access-date=2022-12-24 |date=2021-05-26 |website=serai.jp |language=ja}}</ref>。 * 銭刀 - 脇差を加工して小銭入れとして、盗難避けとした<ref>{{kotobank|財布}}</ref>。 * {{ill2|Shell purse|en|Shell purse}} * マネークリップ([[:en:Money clip|en]]) * {{ill2|マネーベルト|en|Money belt}} ;梱包 * {{ill2|カレンシーパッキング|en|Currency packaging}} ** [[帯封]] ** {{ill2|コインラッパー|en|Coin wrapper}} ** [[千両箱]] * {{ill2|マネーバッグ|en|Money bag}} ;輸送 * [[現金輸送車]] * [[マネートレイン]] == 脚注 == {{reflist|2}} == 関連項目 == {{wiktionary|通貨}} {{Wikidata property|P38}} * [[現行通貨の一覧]] * [[外貨兌換券]] * [[通貨記号]] - [[ISO 4217]] * [[通貨単位]] - [[通貨の補助単位]] * [[通貨同盟]] * [[貝貨]]、[[デジタル通貨]]、[[電子マネー]]、[[仮想通貨]] * [[マネタリーベース]] - [[信用創造]] - [[マネーサプライ]] * [[部分準備銀行制度]] *[[国際金融市場]] *[[国際通貨基金]] *[[外国為替証拠金取引]] *[[政策金利]] *[[国別政策金利の一覧]] * {{ill2|Complementary currency|en|Complementary currency}} * {{ill2|紙幣収集|en|Notaphily}} * {{ill2|貨幣収集|en|Coin collecting}} == 外部リンク == * [https://www.mof.go.jp/policy/currency/ 通貨(貨幣・紙幣)] - [[財務省]] * [https://www.iima.or.jp/ 国際通貨研究所] * [https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kaigaizi/result/result_43/pdf/kuni.pdf 国別通貨換算表] - 経済産業省 * [https://www.boj.or.jp/statistics/money/ryutsu/index.htm 通貨流通高] - 日本銀行 * [https://www.tsuka-kansan.com/ 通貨換算] * [https://www.ups.com/worldshiphelp/WSA/JPN/AppHelp/mergedProjects/CORE/Codes/Country_Territory_and_Currency_Codes.htm 国または地域と通貨コード] * {{Kotobank}} {{経済学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:つうか}} [[Category:通貨|*]]
2003-03-15T15:59:26Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E8%B2%A8
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難波駅 (南海)
難波駅(なんばえき)は、大阪府大阪市中央区・浪速区にまたがる、南海電気鉄道の駅。駅番号はNK01。 南海電鉄の主要路線である南海本線と高野線の2路線が乗り入れ、同社の大阪市側のターミナル駅である。大阪の繁華街の一つ、ミナミの玄関口であり、大阪のメインストリートである御堂筋の南端付近に位置している。また関空特急「ラピート」が当駅を発着しており、外国人観光客(インバウンド)を含む多くの関西国際空港利用客の玄関口としての役割を果たす。駅ビルの南海ビルディングに髙島屋大阪店が入居しており、他にもスイスホテル南海大阪やなんばスカイオ、大型商業施設のなんばCITYやなんばパークスなどが駅と直結している。当駅以北には難波や道頓堀、千日前などのミナミの繁華街が広がっている。難波地区の駅の中で唯一の地上駅であり、9面8線の巨大なホームは行き止まり式の駅としては阪急大阪梅田駅に次ぐ国内2位の規模である(全私鉄駅の中でも2位)。 駅名は大坂城下の難波新地および西成郡難波村に由来する。大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の難波駅と同様、案内表示・駅名標などは「なんば駅」と平仮名表示に統一されているが、正式表記は漢字の「難波駅」であり、乗車券類などに表記されている。 関西の大手私鉄では梅田は「大阪梅田」と頭に「大阪」をつけてターミナル駅の案内をされることが多いが、当駅に関しては大阪を付けずに案内されている。また、他線の駅とは距離がある事もあり区別を付ける為に社名を冠して「南海なんば駅」と呼ばれる事もある。 難波新地(現・中央区難波)の南端に南海難波駅、ほぼ中央に大阪難波駅(近鉄・阪神)およびOsaka Metro千日前線ホーム、両者を結ぶようにOsaka Metro御堂筋線ホームが位置し、難波入堀川(現・阪神高速1号環状線北行き)を挟んで西側にOsaka Metro四つ橋線ホーム、さらに西側にJR難波駅が位置する。 線路名称上では、当駅を通る南海の路線は南海本線(当駅が起点)である。詳細は各路線の記事および鉄道路線の名称などを参照。 難波駅は、南海の大阪市側のターミナルである。元来は南海本線単独の駅であるが、複々線化により高野線列車も発着する。大阪都心部と、和歌山市・関西国際空港・大阪府南部の泉州方面(南海本線沿線)や高野山方面(高野線沿線)および泉北ニュータウン方面(高野線と直通運転を行う泉北高速鉄道沿線)と大阪都心部の往来に使われている。大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の地下鉄各線などとの乗り換えも容易で、大阪・梅田駅や天王寺駅などと並ぶ大阪の主要ターミナル駅の一つである。 以下の駅・路線とはなんばウォークやNAMBAなんなんといった地下街や地下道を通って乗り換えが可能である。 櫛形ホーム9面8線が3階に設置されている高架駅(規模は、阪急大阪梅田駅に次いで、私鉄ターミナルでは日本第2位)。当駅には南海本線の起点を示す0キロポストが設置されている。 駅正面に百貨店の髙島屋大阪店(南海ビルディング)があり、駅上にスイスホテル南海大阪やなんばスカイオがそびえ立っている。また南海の大型商業施設であるなんばCITYやなんばパークスとも直結している。 1階北出口方面から3階北改札口までの間は大階段で直通しており、その左右に4台のエスカレーター(上り2台、下り2台)が配置されている。他に、2階に中央改札口と南改札口がある。中央改札口と南改札口のラッチ(改札)内コンコースは、ホームを通ることなく連絡通路で行き来することも可能である。 1990年代半ばには、3階北改札口外西側(エレベーターと立喰いそば店の間)上部に、3色LED式の大型案内板「NANA」が設置され、沿線情報や新聞ニュース・占いなどが表示されていたことがあったが、数年で撤去された。 ホームは9番のりばまであり、1 - 4番のりばに高野線の列車が、5 - 9番のりばに南海本線の列車が発着する。基本的に9番のりばには南海本線・空港線の空港特急「ラピート」が発着する。8番のりばと9番のりばは同じ線路を共有しており、列車種別によって使用ホームを使い分けている。なお、9番のりばは8番のりばの降車ホームでもあり、関西国際空港の開港以来、現在の形となった。そのため、「ラピート」以外にも9番のりばに到着する列車が設定されている。行先案内表示機は、この9番のりばが整備されるまではブラウン管モニタ式(「先発」などの発順表示部分は行灯式)が用いられ、その後はフラップ・LED併用式のものが20年以上使用された。なお、この行先案内表示機は2016年2月から順次、4か国語(日本語・英語・中国語・韓国語)表示に対応したLCD式に交換された。 また、9番のりばへの通路の途中には中間改札ブースがあり、「ラピート」への乗車には必ずここを通ることになる。2階中央改札口中の3階9番ホームへのエスカレーターの乗降口付近にも中間改札ブースがある。「ラピート」運転開始当初はここでも乗車券・特急券のチェックが行われていたが、2000年代以降は車掌が常に特急券の発券状況をリアルタイムで把握するようになった(発券されていない座席に着席している者がいれば、その都度車内で車掌が検札する方式)ため改札はしなくなったが、案内業務があるために、係員はそのまま配置されている。 南海の特急は全車座席指定の「ラピート」「こうや」「りんかん」「泉北ライナー」と、座席指定車に加えて自由席車も連結した「サザン」があり、指定席への乗車には特急券(座席指定券)が必要になる。改札口には特急券発売窓口があるが、ホームやコンコースには発売窓口がないため、代わりに特急券自動券売機が設置されている。但し、自動券売機では直近の列車のみの発売であり、かつ発車20分前からの発売となっている(その時点で満席のときは発売されない)。 トイレは改札内に4か所(北改札口東西2か所・中央改札口コンコース内1か所・南改札口コンコース内1か所)ある。かつては北口改札外・中央口改札外・中央口改札内東側にもあったが、後述のリニューアル工事に伴って2008年(平成20年)2月・2009年(平成21年)1月・2009年(平成21年)9月にそれぞれ閉鎖され、跡地は改札外2か所については店舗スペースに、改札内は業務用スペースに転用された。 なお、コリント様式の駅ビルである南海ビルディングは、鉄道省初代建築課長でもあった建築家の久野節が設立した久野建築事務所の設計によるもので、1933年(昭和8年)に竣工。久野建築事務所が設計した昭和初期を代表する大型近代建築の一つに数えられる。 当駅は、管区長が配置され、今宮戎駅ー石津川駅、汐見橋駅ー西天下茶屋駅の各駅を管轄している。 第2回近畿の駅百選選定駅である。 2007年5月14日に南海電気鉄道は、総投資額は約150億円に上る南海難波駅周辺の再生計画を発表し、同年10月より約21億3,000万円を投入し、窓口・切符売り場の集約、トイレなどの施設の充実化を進めてきた。 また、隣接地への高島屋のTE館新設、南海ビルディングの外装タイルの補修、高島屋・なんばCITY・なんばパークスに接続する通路の新設・移設、耐震補強などの工事が行われ、2009年(平成21年)9月17日には、南海ビルディング(高島屋)の外装リニューアルが完成した。 同時に、なんばCITY北側のロケット広場の高さ33mのロケットのレプリカを撤去し、高さ30m、広さ1,200平方メートルの室内吹き抜け空間を設け、関西国際空港と直結する大阪の玄関口にふさわしい「なんばガレリア」として整備し、2009年10月16日に完成した。またホーム階においても細部の改良が行われ、耐震補強、案内サイン(ユニバーサルデザインのピクトグラム・中国語・韓国語対応)の更新、LED照明の導入なども行われた。 南海ビルディング上部のなんばガレリア側には、英文で駅の開設(1885年)、南海ビルディングの竣工(1932年)、リニューアル工事(2009年)の各年が刻まれている。 なお、髙島屋が増床部分を含め「新本館」として一体的な運営をするための全館改装を行い、2011年3月3日に同店がグランドオープンしたのに続き、なんばCITYを含めた南海難波駅のリニューアルが、同年4月26日に完成した。 南海電気鉄道は2011年2月に今宮戎駅北側の近接地に南海電鉄の新本社・コンサートホール・大阪府立大学のキャンパスを併せ持つ再開発ビルを建設し、南海電鉄本社が入居した「南海会館ビル」(愛称なんばスカイオ)を超高層ビルに改築する計画(2018年度完成予定)であることを発表し、2013年2月に南海電鉄本社は再開発ビルの「南海なんば第1ビル」へ移転した。 大和田建樹作詞の『鉄道唱歌』第5集(関西・参宮・南海篇)(1900年(明治33年)作詞)64番の歌詞にて当駅が歌われており、鉄道唱歌で最後に登場する駅である。 第1集の最初の駅である新橋駅が始発駅とすれば、当駅は終着駅ということになる。 2021年(令和3年)次の1日平均乗降人員は168,850人(乗車人員:85,098人、降車人員:83,752人)である。同社の駅(100駅)では第1位。最多時は1日平均乗降人員が40万人を越えていたが、御堂筋線の中百舌鳥駅延伸(1987年)、堺筋線の天下茶屋駅延伸(1993年)、関西国際空港開港(1994年)以降における阪和線の大阪環状線直通運転の増加、明石海峡大橋開業(1998年)による南海フェリーの需要の低下などの影響から、2002年度には30万人を割るに至った。阪神なんば線の大阪難波駅延伸(2009年)以降は25万人前後で下げ止まりの傾向にある。 各年次の1日乗車・乗降人員数の推移は下表の通り。 駅周辺はミナミの中核をなし、大阪市北部のキタ・梅田と並ぶ市内有数の繁華街を形成している。 大阪シティバスのなんば停留所がある。バスのりばは新歌舞伎座西側の阪神高速1号環状線高架下にある1 - 4番のりばと御堂筋南端の高島屋前にある5・6番のりばの2か所にあり、両方を合わせてなんばバスターミナルとしている。 平成エンタープライズおよび平成コミュニティバスが使用。 なんばパークス・パークスタワー向かいにある。 湊町リバープレイス・なんばHatch前。 高島屋前のりばから発車する。停留所名は大阪市営バスと同様、なんばである。なお、休日・大型連休・盆期間中・年末年始は運休となる(奈良交通は土曜日も運休)。 旧・イチエイ総合ビル前に「なんば」停留所がある。2021年9月より同ビル解体に伴い券売機は相鉄フレッサイン大阪なんば1Fのファミリーマート難波中北店内に移転している。
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難波駅(なんばえき)は、大阪府大阪市中央区・浪速区にまたがる、南海電気鉄道の駅。駅番号はNK01。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} {{駅情報 |社色 = #fe4d11 |文字色 = |駅名 = 難波駅* |画像 = Namba Station.JPG |pxl = 300px |画像説明 = 南海難波駅 外観 |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = なんば |ローマ字 = NAMBA |前の駅 = - |駅間A = - |駅間B = 0.9 |次の駅 = [[今宮戎駅|今宮戎]]*** NK02 |電報略号 = ナン |駅番号 = {{南海泉北駅番号|NK|01}} |所属事業者 = [[南海電気鉄道]] |乗入路線数 = 2 |所属路線1 = {{Color|#0065af|■}}[[南海本線]] |前の駅1 = |駅間A1 = |駅間B1 = 1.4 |次の駅1 = [[新今宮駅|新今宮]] NK03 |駅番号1 = |キロ程1 = 0.0 |起点駅1 = 難波 |所属路線2 = {{Color|#009a41|■}}[[南海高野線|高野線]]**<br />(線路名称上は南海本線) |前の駅2 = |駅間A2 = |駅間B2 = 0.9 |次の駅2 = [[今宮戎駅|今宮戎]]*** NK02 |所在地 = [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[難波]]五丁目1-60 |座標 = {{coord|34|39|48.28|N|135|30|6.88|E|type:railwaystation_region:JP|display=inline,title|name=南海難波駅}} |駅構造 = [[高架駅]] |ホーム = 9面8線 |開業年月日 = [[1885年]]([[明治]]18年)[[12月29日]] |廃止年月日 = |乗車人員n = 85,098<!--大阪府統計年鑑--> |乗降人員n = 168,850<!--大阪府統計年鑑--> |統計年次 = 2021年 |乗換 = [[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]] [[大阪市高速電気軌道|地下鉄]][[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]・[[Osaka Metro千日前線|千日前線]]・[[Osaka Metro四つ橋線|四つ橋線]]<br>[[大阪難波駅]] [[近鉄難波線]]([[近鉄奈良線|奈良線]])・[[阪神なんば線]]<br>[[JR難波駅]] {{JR西路線記号|K|Q}} [[関西本線]]([[大和路線]]) |備考全幅 = * 駅名標や路線図など営業案内では仮名書きの「なんば」表記が用いられる<br />** 高野線の起点は[[汐見橋駅|汐見橋]]<br />*** 南海本線の列車は今宮戎・萩ノ茶屋通過 }}{{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300 |type=point|type2=point|type3=point|type4=point|type5=point|type6=point |marker=rail|marker2=rail|marker3=rail-metro|marker4=rail-metro|marker5=rail-metro|marker6=rail |coord={{coord|34|39|59.1|N|135|29|43.2|E}}|marker-color=0072bc|title=JR難波駅 |coord2={{coord|34|39|48.28|N|135|30|6.88|E}}|marker-color2=fe4d11|title2=南海なんば駅 |coord3={{coord|34|39|58.74|N|135|30|1.13|E}}|marker-color3=e5171f|title3=Osaka Metro御堂筋線なんば駅 |coord4={{coord|34|39|55.4|N|135|29|52.53|E}}|marker-color4=0078ba|title4=Osaka Metro四つ橋線なんば駅 |coord5={{coord|34|40|1.69|N|135|30|1.03|E}}|marker-color5=e44d93|title5=Osaka Metro千日前線なんば駅 |coord6={{coord|34|40|1.61|N|135|29|56.91|E}}|marker-color6=c03|title6=大阪難波駅 |frame-latitude=34.665389|frame-longitude=135.497925|text=乗換駅の位置関係。駅名は右上の四角マークで地図を拡大しアイコンをクリックして表示される。}} '''難波駅'''(なんばえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]・[[浪速区]]にまたがる、[[南海電気鉄道]]の[[鉄道駅|駅]]。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''NK01'''。 == 概要 == 南海電鉄の主要路線である[[南海本線]]と[[南海高野線|高野線]]の2路線が乗り入れ、同社の大阪市側の[[ターミナル駅]]である。大阪の[[繁華街]]の一つ、[[ミナミ]]の玄関口であり、大阪のメインストリートである[[御堂筋]]の南端付近に位置している。また関空特急「[[ラピート]]」が当駅を発着しており、外国人観光客([[訪日外国人旅行|インバウンド]])を含む多くの[[関西国際空港]]利用客の玄関口としての役割を果たす。[[駅ビル]]の[[南海ビルディング]]に[[髙島屋#大阪店|髙島屋大阪店]]が入居しており、他にも[[スイスホテル南海大阪]]や[[なんばスカイオ]]、大型商業施設の[[なんばCITY]]や[[なんばパークス]]などが駅と直結している。当駅以北には[[難波]]や[[道頓堀]]、[[千日前]]などの[[ミナミ]]の[[繁華街]]が広がっている。難波地区の駅の中で唯一の地上駅であり、9面8線の巨大なホームは[[頭端式ホーム|行き止まり式の駅]]としては[[大阪梅田駅 (阪急)|阪急大阪梅田駅]]に次ぐ国内2位の規模である(全[[私鉄]]駅の中でも2位)。 駅名は[[大坂三郷|大坂城下]]の[[難波新地]]および[[西成郡]][[難波村 (大阪府)|難波村]]に由来する。[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)の[[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]]と同様、案内表示・[[駅名標]]などは「'''なんば'''駅」と[[平仮名]]表示に統一されているが<ref group="注">「難波」という漢字では「'''[[なにわ]]'''」とも読めるため。逆に、[[京阪中之島線]]の[[なにわ橋駅]]は、駅前に架かる橋梁の「[[難波橋]]」に由来するが、「なんば」と誤読されないよう「難波」をひらがなで表記している。</ref><ref>[http://www.nankai.co.jp/traffic/station/namba.html なんば駅] 南海電気鉄道ホームページ(2018年11月17日閲覧)。</ref>、正式表記は漢字の「'''難波'''駅」であり、[[乗車券]]類などに表記されている。 関西の[[大手私鉄]]では[[梅田]]は「[[大阪梅田駅|大阪梅田]]」と頭に「大阪」をつけてターミナル駅の案内をされることが多いが、当駅に関しては大阪を付けずに案内されている<ref group="注">[[近畿日本鉄道|近鉄]]と[[阪神電気鉄道|阪神]]に[[大阪難波駅]]があるため。</ref>。また、他線の駅とは距離がある事もあり区別を付ける為に社名を冠して「'''南海なんば駅'''」と呼ばれる事もある。 難波新地(現・中央区難波)の南端に南海難波駅、ほぼ中央に[[大阪難波駅]]([[近畿日本鉄道|近鉄]]・[[阪神電気鉄道|阪神]])および[[Osaka Metro千日前線]]ホーム、両者を結ぶように[[Osaka Metro御堂筋線]]ホームが位置し、[[難波入堀川]](現・[[阪神高速1号環状線]]北行き)を挟んで西側に[[Osaka Metro四つ橋線]]ホーム、さらに西側に[[JR難波駅]]が位置する。 === 利用可能な鉄道路線 === * 南海電気鉄道 ** [[File:Nankai mainline symbol.svg|15px]] [[南海本線]]([[File:Nankai airport line symbol.svg|15px]][[南海空港線|空港線]]) ** [[File:Nankai koya line simbole.svg|15px]] [[南海高野線|高野線]] 線路名称上では、当駅を通る南海の路線は南海本線(当駅が起点)である。詳細は各路線の記事および[[鉄道路線の名称]]などを参照。 難波駅は、南海の大阪市側のターミナルである<ref>[http://www.nankai.co.jp/traffic/railmap.html 路線図・停車駅] 南海電気鉄道ホームページ(2018年11月17日閲覧)。</ref>。元来は南海本線単独の駅であるが、[[複々線]]化により高野線列車も発着する。大阪都心部と、[[和歌山市]]・[[関西国際空港]]・大阪府南部の[[和泉|泉州]]方面(南海本線沿線)や[[高野山]]方面(高野線沿線)および[[泉北ニュータウン]]方面(高野線と[[直通運転]]を行う[[泉北高速鉄道]]沿線)と大阪都心部の往来に使われている。[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)の地下鉄各線などとの乗り換えも容易で、[[梅田地区の鉄道駅|大阪・梅田駅]]や[[天王寺駅]]などと並ぶ大阪の主要ターミナル駅の一つである。 以下の駅・路線とは[[なんばウォーク]]や[[NAMBAなんなん]]といった[[地下街]]や地下道を通って乗り換えが可能である。 * [[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) - [[難波駅 (Osaka Metro)|'''難波駅''']] ** [[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] [[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]] - [[駅ナンバリング|駅番号]]はM20 ** [[File:Osaka Metro Yotsubashi line symbol.svg|15px|Y]] [[Osaka Metro四つ橋線|四つ橋線]] - 駅番号はY15 ** [[File:Osaka Metro Sennichimae line symbol.svg|15px|S]] [[Osaka Metro千日前線|千日前線]] - 駅番号はS16 * [[近畿日本鉄道]](近鉄)・[[阪神電気鉄道]] (阪神)- '''[[大阪難波駅]]''' ** {{近鉄駅番号|A}} [[近鉄難波線]]([[近鉄奈良線|奈良線]])- 駅番号はA01 ** [[File:Number prefix Hanshin line.svg|21px|HS]][[阪神なんば線]] - 駅番号はHS 41 * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) - '''[[JR難波駅]]''' **{{JR西路線記号|K|Q}} [[関西本線]]([[大和路線]])- 駅番号はJR-Q17(乗り換えには徒歩12~15分程度の時間を要する。大和路線との乗り換えは2駅先の[[新今宮駅]]がメイン) == 歴史 == [[ファイル:Namba_Hankai.jpg|thumb|二代目駅舎(阪堺鉄道時代)]] [[ファイル:Namba Station 3rd.jpg|thumb|三代目駅舎(南海鉄道・大正時代)]] [[ファイル:南海難波駅と大阪球場(1953年).jpg|thumb|難波駅と[[大阪スタヂアム|大阪球場]](1953年)]] * [[1885年]]([[明治]]18年)[[12月29日]]:[[阪堺鉄道]]の駅として開業([[日本初]]の私鉄駅舎<ref>[[ごきげんライフスタイル よ〜いドン!]]2012年7月3日放送分</ref><ref group="注">官設鉄道以外の鉄道駅という意味では、1883年に開業した[[日本鉄道]][[上野駅]] - [[熊谷駅]]間の各駅の方が古い。</ref>)。 * [[1888年]](明治21年) ** [[2月4日]]:初代駅舎が[[火災]]で焼失<ref>[[大阪朝日新聞|朝日新聞(大阪)]] 1888年2月5日朝刊2面「難波停車場焼失す」より。『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』2009年10月号p.107で2月24日となっているのは誤り。</ref>。 ** [[9月15日]]:二代目駅舎完成<ref name="rf200910" />。 * [[1898年]](明治31年)[[10月1日]]:会社合併により南海鉄道の駅となる。 * [[1911年]](明治44年)[[10月]]:三代目駅舎完成<ref name="rf200910" />。 * [[1925年]]([[大正]]14年)[[3月15日]]:岸ノ里駅(現・[[岸里玉出駅]])の連絡線開通により、高野線への直通列車運転開始。 * [[1932年]]([[昭和]]7年)[[7月9日]]:四代目駅舎にあたる[[南海ビルディング]]([[登録有形文化財]])が完成。15日に[[髙島屋]]大阪店(同[[百貨店]]の本店)が開業。 * [[1937年]](昭和12年)[[11月1日]]:[[天下茶屋駅]]まで高架化。難波駅高架ホーム使用開始<ref name="rf200910">『鉄道ファン』2009年10月号、交友社、p.107 - 108</ref>。 * [[1938年]](昭和13年)[[9月10日]]:天下茶屋駅までの高架[[複々線]]完成<ref name="rf200910" />。 ** 高架複々線化完成後は、櫛形ホーム9面8線の高架駅となった。改札口は1階に、ホームは2階にあり、エスカレーターを設け、出口は2階にあった。1、2番のりばは高野線の列車が、3、4番のりばは[[住吉公園駅]]ゆき[[各駅停車]]が、5、6番のりばは[[住ノ江駅]]以南ゆき普通列車(「普通車」とも天下茶屋駅と住吉公園以南各駅に停車)が、7、8番のりばは[[和歌山市駅|和歌山市]]方面ゆきの[[急行列車]]が発着した。 * [[1944年]](昭和19年)[[6月1日]]:会社合併により[[近畿日本鉄道]](近鉄)の駅となる。 * [[1947年]](昭和22年)6月1日:路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。近鉄が難波に路線を再び持つようになったのは[[1970年]](昭和45年)となる。 * [[1972年]](昭和47年)[[5月26日]]:駅改良工事着工<ref>ハンドブック南海 2018年版 p116</ref>。 * [[1974年]](昭和49年)[[10月27日]]:第1期改良工事完成。南海本線新ホーム使用開始<ref name="colorbooks811">南海電気鉄道車両部・諸河久・岩堀春夫『日本の私鉄 南海』1991年 [[保育社]]〈[[カラーブックス]] 811〉pp.149 - 150</ref>。 * [[1976年]](昭和51年)[[11月21日]]:第2期改良工事完成。高野線新ホーム使用開始<ref name="colorbooks811" />。 * [[1980年]](昭和55年) ** 11月21日:駅改良工事により、起点を0.2km[[今宮戎駅]]寄りに変更。 ** [[11月23日]]:第3期改良工事完成<ref name="colorbooks811" />。 * [[1994年]]([[平成]]6年)[[6月9日]]:9月の[[関西国際空港]]開港に先立ち、8番線の降車ホームを9番線([[特別急行列車|特急]]「[[ラピート]]」専用ホーム)に改称する<ref name="交通1994-6">{{Cite news |title=難波駅の改修完成 南海、関空開港に対応 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1994-06-15 |page=1 }}</ref>。同時に中央口[[コンコース]]に航空機搭乗のチェックカウンター('''なんばCAT''':主に[[日本航空|JAL]]系がメイン)を設置する{{R|交通1994-6}}。(2001年に閉鎖) * [[2003年]](平成15年)[[11月7日]]:[[なんばパークス]](第一期分)開業により中央口を一部改装。 * [[2012年]](平成24年)[[4月1日]]:'''NK01'''の[[駅ナンバリング]]を導入<ref>{{Cite web|和書|title=南海 駅ナンバリング 導入 |url=https://www.tetsudo.com/event/5551/ |website=鉄道コム |date=2012-02-27 |access-date=2023-02-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230213212207/https://www.tetsudo.com/event/5551/ |archive-date=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |title=南海電鉄全駅に「駅ナンバリング」を導入します |access-date=2023-02-13 |publisher=南海電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028050622/https://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/120223_1.pdf |archive-date=2021-10-28}}</ref>。 * [[2016年]](平成28年)[[2月16日]]:[[発車標]]を[[反転フラップ式案内表示機|反転フラップ式(ソラリー式)]]から[[液晶ディスプレイ]] (LCD) のものへ更新開始。 * [[2018年]](平成30年):訪日外国人向けのチケットカウンター開設<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36554570W8A011C1LKA000/ 「訪日客向けのチケット窓口 南海、難波駅に」]『[[日経MJ]]』2018年10月29日(観光・インバウンド面)2018年11月17日閲覧。</ref>。 * [[2019年]](平成31年)[[3月16日]]:1番線の[[ホームドア]]の使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/190312.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190314014636/http://www.nankai.co.jp/library/company/news/pdf/190312.pdf|format=PDF|language=日本語|title=難波駅でのホームドア運用開始について 〜3月16日(土)初列車より 1番線にて「大開口ホーム柵」運用開始〜|publisher=南海電気鉄道|date=2019-03-12|accessdate=2020-12-10|archivedate=2019-03-14}}</ref>。 == 駅構造 == [[ファイル:南海難波駅_北出口_2022.jpg|thumb|1階北出口]] [[頭端式ホーム|櫛形ホーム]]9面8線が3階に設置されている[[高架駅]](規模は、[[阪急梅田駅|阪急大阪梅田駅]]に次いで、私鉄ターミナルでは日本第2位)。当駅には南海本線の起点を示す[[距離標|0キロポスト]]が設置されている。 駅正面に百貨店の髙島屋大阪店([[南海ビルディング]])があり、駅上に[[スイスホテル南海大阪]]や[[なんばスカイオ]]がそびえ立っている。また南海の大型商業施設である[[なんばCITY]]や[[なんばパークス]]とも直結している。 1階北出口方面から3階北改札口までの間は大階段で直通しており、その左右に4台の[[エスカレーター]](上り2台、下り2台)が配置されている。他に、2階に中央改札口と南改札口がある。中央改札口と南改札口のラッチ([[改札]])内コンコースは、ホームを通ることなく連絡通路で行き来することも可能である。 [[1990年代]]半ばには、3階北改札口外西側(エレベーターと立喰いそば店の間)上部に、3色[[発光ダイオード|LED]]式の大型案内板「'''NANA'''」が設置され、沿線情報や新聞ニュース・占いなどが表示されていたことがあったが、数年で撤去された。 ホームは9番のりばまであり、1 - 4番のりばに高野線の列車が、5 - 9番のりばに南海本線の列車が発着する。基本的に9番のりばには南海本線・[[南海空港線|空港線]]の空港特急「[[ラピート]]」が発着する。8番のりばと9番のりばは同じ線路を共有しており、列車種別によって使用ホームを使い分けている。なお、9番のりばは8番のりばの降車ホームでもあり、関西国際空港の開港以来、現在の形となった。そのため、「ラピート」以外にも9番のりばに到着する列車が設定されている。[[発車標|行先案内表示機]]は、この9番のりばが整備されるまでは[[ブラウン管]]モニタ式(「先発」などの発順表示部分は行灯式)が用いられ、その後は[[反転フラップ式案内表示機|フラップ]]・LED併用式のものが20年以上使用された。なお、この行先案内表示機は[[2016年]]2月から順次、4か国語([[日本語]]・[[英語]]・[[中国語]]・[[韓国語]])表示に対応した[[液晶ディスプレイ|LCD]]式に交換された。 また、9番のりばへの通路の途中には中間改札ブースがあり、「ラピート」への乗車には必ずここを通ることになる。2階中央改札口中の3階9番ホームへのエスカレーターの乗降口付近にも中間改札ブースがある。「ラピート」運転開始当初はここでも乗車券・特急券のチェックが行われていたが、2000年代以降は[[車掌]]が常に[[特別急行券|特急券]]の発券状況をリアルタイムで把握するようになった(発券されていない座席に着席している者がいれば、その都度車内で車掌が[[検札]]する方式)ため改札はしなくなったが、案内業務があるために、係員はそのまま配置されている。 南海の特急は全車[[座席指定席|座席指定]]の「ラピート」[[こうや|「こうや」「りんかん」]]「[[泉北ライナー]]」と、座席指定車に加えて[[自由席]]車も連結した「[[サザン (列車)|サザン]]」があり、指定席への乗車には特急券([[座席指定券]])が必要になる。改札口には特急券発売窓口があるが、ホームやコンコースには発売窓口がないため、代わりに特急券[[自動券売機]]が設置されている。但し、自動券売機では直近の列車のみの発売であり、かつ発車20分前からの発売となっている(その時点で満席のときは発売されない)。 [[便所|トイレ]]は改札内に4か所(北改札口東西2か所・中央改札口コンコース内1か所・南改札口コンコース内1か所)ある。かつては北口改札外・中央口改札外・中央口改札内東側にもあったが、後述のリニューアル工事に伴って[[2008年]]([[平成]]20年)2月・[[2009年]](平成21年)1月・2009年(平成21年)9月にそれぞれ閉鎖され、跡地は改札外2か所については店舗スペースに、改札内は業務用スペースに転用された。 なお、[[コリントス|コリント]]様式の[[駅ビル]]である南海ビルディングは、[[鉄道省]]初代建築課長でもあった[[建築家]]の[[久野節]]が設立した久野建築事務所の設計によるもので、[[1933年]]([[昭和]]8年)に竣工。久野建築事務所が設計した昭和初期を代表する大型[[近代建築]]の一つに数えられる。 当駅は、[[駅長|管区長]]が配置され、[[今宮戎駅]]ー[[石津川駅]]、[[汐見橋駅]]ー[[西天下茶屋駅]]の各駅を管轄している。 第2回[[近畿の駅百選]]選定駅である。 <gallery widths="150px" style="font-size:90%;"> 3階北改札口(2022).jpg|3階北改札口 2階中央改札口(2022).jpg|2階中央改札口 南海難波駅 2F南改札口(2022).jpg|2階南改札口 北改札口にある電光掲示板.jpg|北改札口で使用されている発車標 Nankai namba station02s3072.jpg|3階プラットホーム Nankai namba station01s2560.jpg|5・6番のりば 9番のりば 特急ラピート(2022).jpg|9番のりば 空港特急ラピート 難波駅_1番ホーム_2023.jpg|1番のりば </gallery> === のりば・配線図 === {|class="wikitable" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows" |+南海難波駅プラットホーム !ホーム!!主に発車する種別・備考(ホーム有効長に記載されていない場合は8両編成対応) |- ! colspan="2" |[[File:Nankai koya line simbole.svg|15px]] 高野線 [[高野山駅|高野山]]・[[泉北高速鉄道線|泉北高速線]]方面<ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.nankai.co.jp/library/traffic/jikoku/pdf/namba/k_01.pdf |title=高野線 なんば駅 時刻表 高野山・泉北高速線方面 |format=PDF |accessdate=2023-06-11}}</ref> |- !1 |ほぼ全ての各駅停車(ホーム有効長は6両) |- !2 |主に 日中は泉北高速線区間急行<br />朝ラッシュ時は一部の高野線急行、区間急行、泉北高速線準急行、区間急行<br />夕ラッシュ時は泉北高速線準急行<br />早朝・深夜は各駅停車も入線 |- !3 |主に 日中は快速急行、急行、区間急行<br />朝ラッシュ時は一部の特急、高野線快速急行、急行、区間急行、泉北高速線準急行、区間急行<br />夕ラッシュ時は一部の特急、快速急行、急行、区間急行<br />早朝・深夜は準急行、各駅停車も入線 |- !4 |主に 日中は特急、泉北高速線準急行<br />朝ラッシュ時は一部の特急、高野線快速急行、急行、区間急行、泉北高速線準急行、区間急行<br />夕ラッシュ時は一部の特急、急行、区間急行<br />早朝・深夜は準急行、各駅停車も入線 |- ! colspan="2" |[[File:Nankai mainline symbol.svg|15px]] 南海本線 [[和歌山市駅|和歌山市]]・[[関西空港駅|関西空港]]方面<ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.nankai.co.jp/library/traffic/jikoku/pdf/namba/n_01.pdf |title=南海線 なんば駅 和歌山市・関西空港方面時刻表 |format=PDF |accessdate=2023-06-11}}</ref> |- !5 |主に 特急「サザン」・急行・区間急行・空港急行 |- !6 |主に 特急「サザン」・急行・区間急行・空港急行 |- !7 |主に 普通車 |- !8 |一部の普通車が発着するが大半は「[[ラピート]]」用(ただし「ラピート」の乗車口は開かない) |- !9 |空港特急「ラピート」/8番のりばに到着する列車の降車用 |} * 1番のりばは他のホームよりも[[車止め]]の位置が約80m南(極楽橋寄り)にずれているため、3F北改札口からはやや距離がある。 * 1番のりばには4扉車用のホームドアが設置されているため、17m2扉車や特急型車両は入線できない。 * 1番・9番のりばを除く全ホームが10両編成対応の設計となっているが、10両編成が運行されない南海線ホーム(5番 - 8番のりば)は端の2両分が柵で閉鎖されている。なお、高野線も2012年に10両編成が廃止されたが、柵の設置は行われていない。 * 泉北高速線直通の特急「[[泉北ライナー]]」は2番のりば発着のみであったが、2017年8月の改正より「[[こうや]]」「[[りんかん]]」と共通の3・4番のりば発着に変更されている。 * 5番のりばの線路は、[[分岐器#形状による分類|渡り線]]で高野線と繋がっており、南海本線や各支線(汐見橋線を含む)の列車が[[南海電鉄千代田工場|千代田工場]]へ[[日本の鉄道車両検査|検査]]のため入出場する場合や、南海線所属の車両を高野線に貸し出す際および南海線に返却回送する場合、南海線所属の列車を利用して高野線方面へ臨時列車を運行する場合などに用いられることがある。 * [[今宮戎駅]]・[[萩ノ茶屋駅]]は(運行系統上の)高野線の各駅停車のみ停車する。 {{駅配線図 |title = 難波駅配線図 |image = Nankai Namba station track map.svg |right = 高野線・泉北高速線<br />極楽橋・和泉中央方面<br /><br />南海本線・空港線<br />和歌山市・関西空港方面 |source = [[鉄道ピクトリアル]] 2008年8月臨時増刊「南海電気鉄道」<br />のりば番号は構内図 [http://www.nankai.co.jp/traffic/station/namba/k_namba_h.html] による。 |legend = mono }} === 改札口・出口 === ; 北改札口 : 3階にある南海難波駅のメインなる改札口。3階で高島屋大阪店とスイスホテル南海大阪に直結していて、1階には北出口がある。地下鉄や近鉄、阪神との乗り換えや、[[道頓堀]]・[[千日前]]・[[心斎橋]]方面への最寄りの改札口となるため、終日賑わっている。東側と西側にそれぞれ十数台ずつ改札機が設置されていて、中央に[[自動券売機|券売機]]と特急券発売窓口が設置されている。 ; 中央改札口 : [[なんばCITY]]本館や高島屋大阪店に直結する2階にある改札口。1階には[[日本橋 (大阪市)|日本橋]]方面への東出口と、[[なんばパークス]]や[[大阪府立体育会館]](エディオンアリーナ大阪)の最寄りとなる西出口がある。北改札口と同様に東側と西側にそれぞれ数台ずつ改札機が設置されており、中央に券売機と駅サービスセンターが設置されている。[[定期乗車券|定期券]]の発売は当改札口の窓口と券売機のみである。関西国際空港が開港した当初は[[日本航空]]などのチェックインカウンターや手荷物扱い業務を行う「なんばCAT」も存在していた。 ; 南改札口 : なんばCITY南館やなんばパークスのキャニオンストリートに直結する2階にある改札口。他の改札口とは対照的に閑散としており、営業時間も7:00から23:30までとなっている。また、駅東側にある[[でんでんタウン]]や、駅西側にあるなんばパークス、[[ヤマダデンキ]]LABI1なんばなどへの最寄りの改札口にもなっている。 == リニューアル計画 == [[ファイル:Takashimaya osaka02 1920.jpg|thumb|改装前の難波駅(2007年5月)]] [[2007年]][[5月14日]]に南海電気鉄道は、総投資額は約150億円に上る南海難波駅周辺の再生計画を発表し、同年10月より約21億3,000万円を投入し、窓口・切符売り場の集約、トイレなどの施設の充実化を進めてきた。 また、隣接地への高島屋のTE館新設、南海ビルディングの外装タイルの補修、高島屋・なんばCITY・なんばパークスに接続する通路の新設・移設、耐震補強などの工事が行われ、2009年(平成21年)9月17日には、南海ビルディング(高島屋)の外装リニューアルが完成した。 同時に、なんばCITY北側のロケット広場の高さ33mの[[ロケット]]の[[レプリカ]]を撤去し、高さ30m、広さ1,200平方メートルの室内吹き抜け空間を設け、関西国際空港と直結する大阪の玄関口にふさわしい「'''なんばガレリア'''」として整備し、2009年10月16日に完成した。またホーム階においても細部の改良が行われ、耐震補強、案内サイン([[ユニバーサルデザイン]]の[[ピクトグラム]]・[[中国語]]・[[韓国語]]対応)の更新、LED照明の導入なども行われた。 南海ビルディング上部のなんばガレリア側には、英文で駅の開設([[1885年]])、南海ビルディングの竣工([[1932年]])、リニューアル工事(2009年)の各年が刻まれている。 なお、髙島屋が増床部分を含め「新本館」として一体的な運営をするための全館改装を行い、[[2011年]][[3月3日]]に同店がグランドオープンしたのに続き、なんばCITYを含めた南海難波駅のリニューアルが、同年4月26日に完成した。 南海電気鉄道は2011年2月に[[今宮戎駅]]北側の近接地に南海電鉄の新本社・コンサートホール・[[大阪府立大学]]のキャンパスを併せ持つ再開発ビルを建設し、南海電鉄本社が入居した「南海会館ビル」(愛称[[なんばスカイオ]])を超高層ビルに改築する計画([[2018年]]度完成予定)であることを発表し<ref>{{PDFlink|[http://www.nankai.co.jp/company/news/pdf/110224.pdf 新中期経営計画「凜進130計画」について]}} - 南海電気鉄道ニュースリリース(2011年2月24日)</ref>、[[2013年]][[2月]]に南海電鉄本社は再開発ビルの「南海なんば第1ビル」へ移転した。 == 鉄道唱歌 == [[大和田建樹]]作詞の『[[鉄道唱歌]]』第5集([[関西]]・[[参宮]]・南海篇)([[1900年]](明治33年)作詞)64番の歌詞にて当駅が歌われており、鉄道唱歌で最後に登場する駅である。 第1集の最初の駅である[[汐留駅 (国鉄)|新橋駅]]が始発駅とすれば、当駅は[[終着駅]]ということになる。 :''治まる御代の[[天下茶屋駅|天下茶屋]] さわがぬ波の難波駅 いさみて出づる旅人の 心はあとに残れども'' == 利用状況 == {{See also|難波駅 (Osaka Metro)#利用状況|大阪難波駅#利用状況|JR難波駅#利用状況}} [[2021年]](令和3年)次の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''168,850人'''(乗車人員:85,098人、降車人員:83,752人)である。同社の駅(100駅)では第1位。最多時は1日平均乗降人員が40万人を越えていたが、[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|御堂筋線]]の[[中百舌鳥駅]]延伸([[1987年]])、[[大阪市営地下鉄堺筋線|堺筋線]]の[[天下茶屋駅]]延伸([[1993年]])<ref group="注">延伸直後は南海側は普通車・各駅停車しか停車しなかったが、年を重ねるごとに停車する優等列車が増えていった。</ref>、[[関西国際空港]]開港([[1994年]])以降における[[阪和線]]の[[大阪環状線]]直通運転の増加、[[明石海峡大橋]]開業([[1998年]])による[[南海フェリー]]の需要の低下などの影響から、[[2002年]]度には30万人を割るに至った。[[阪神なんば線]]の[[大阪難波駅]]延伸([[2009年]])以降は25万人前後で下げ止まりの傾向にある。 各年次の1日乗車・乗降人員数の推移は下表の通り。 {|class="wikitable" style="text-align:right" |+年次別1日平均乗降・乗車人員<ref group="統計">[https://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/ 大阪府統計年鑑] - 大阪府</ref> !年次!!1日平均<br />乗降人員!!1日平均<br />乗車人員!!出典 |- |1985年(昭和60年)||414,396||206,985 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00119874/tn1986n110.pdf 大阪府統計年鑑(昭和61年)]}}</ref> |- |1986年(昭和61年)||424,085||211,558 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00119793/tn1987n110.pdf 大阪府統計年鑑(昭和62年)]}}</ref> |- |1987年(昭和62年)||390,023||198,337 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00119557/tn1988n110.pdf 大阪府統計年鑑(昭和63年)]}}</ref> |- |1988年(昭和63年)||391,762||196,852 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088443/tn1989n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成元年)]}}</ref> |- |1989年(平成元年)||391,272||197,182 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088438/tn1990n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成2年)]}}</ref> |- |1990年(平成{{0}}2年)||399,714||201,461 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088143/tn1991n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成3年)]}}</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年)||405,899||204,825 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088083/tn1992n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成4年)]}}</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年)||399,329||201,274 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085641/tn1993n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成5年)]}}</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年)||393,671||198,449 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085625/tn1994n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成6年)]}}</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年)||395,855||200,736 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085578/tn1995n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成7年)]}}</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年)||392,183||197,853 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085307/tn1996n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成8年)]}}</ref> |- | 1996年(平成{{0}}8年)||378,182||190,668 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084805/tn1997n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成9年)]}}</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年)||355,687||179,686 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1998年(平成10年)||339,506||170,931 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年)||326,478||163,540 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年)||314,860||157,560 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref> |- | 2001年(平成13年)||303,974||152,189 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref> |- | 2002年(平成14年)||289,323||144,986 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref> |- |2003年(平成15年)||279,072||140,525 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref> |- |2004年(平成16年)||272,146||136,835 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref> |- |2005年(平成17年)||268,803||135,210 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref> |- |2006年(平成18年)||265,383||133,918 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref> |- |2007年(平成19年)||266,179||134,585 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref> |- |2008年(平成20年)||260,984||132,024 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref> |- |2009年(平成21年)||253,625||128,502 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref> |- |2010年(平成22年)||250,981||127,553 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref> |- |2011年(平成23年)||246,028||125,084 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref> |- |2012年(平成24年)||246,475||125,422 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref> |- |2013年(平成25年)||248,963||126,653 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref> |- |2014年(平成26年)||244,045||124,159 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref> |- |2015年(平成27年)||251,546||127,996 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref> |- |2016年(平成28年)||252,567||128,751 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref> |- |2017年(平成29年)||254,696||129,811 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref> |- |2018年(平成30年)||255,598||129,675 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref> |- |2019年(令和元年)||250,899||126,833 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年)||168,396||84,690 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00422997/n2021-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和3年)]}}</ref> |- |2021年(令和{{0}}3年)||168,850||85,098 |<ref group="大阪府統計">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00447272/n2022-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和4年)]}}</ref> |} == 駅周辺 == {{See also|ミナミ|難波|千日前|道頓堀|日本橋 (大阪市)}} 駅周辺は[[ミナミ]]の中核をなし、大阪市北部の[[キタ]]・[[梅田]]と並ぶ市内有数の繁華街を形成している。 === 商業施設 === * [[南海ビルディング]] ** [[髙島屋]]大阪店 * [[スイスホテル南海大阪]] ** [[なんば高速バスターミナル]] * [[なんばCITY]] * [[なんばパークス]]([[大阪スタヂアム|大阪球場]]跡地の商業施設) ** [[ウインズ難波]]([[場外勝馬投票券発売所]]) * [[なんばスカイオ]](南海会館ビル) ** 大阪難波郵便局 * [[ヤマダデンキ]] LABI1 なんば * [[エスカールなんば]] ** [[ビックカメラ]] なんば店 * [[東宝南街ビル]] ** [[丸井|なんばマルイ]] ** [[TOHOシネマズ]]なんば本館 * 東宝敷島ビル ** [[TOHOシネマズなんば 別館]] * [[エディオン]]なんば本店 * [[戎橋筋商店街]] ** [[蓬萊 (飲食店)|蓬萊]]本店 ** [[リクロー|りくろーおじさんの店]]なんば本店 * [[千日前道具屋筋商店街|道具屋筋商店街]] * [[でんでんタウン]] * [[NAMBAなんなん]](旧ナンバなんなんタウン) * [[なんばウォーク]] * [[なんばグランド花月]] * YES-NAMBAビル ** [[大阪府立上方演芸資料館]](ワッハ上方) ** [[よしもと漫才劇場]](旧5upよしもと) ** [[NMB48劇場]] * [[味園ビル]] * [[光明興業|四海楼]]本店 === 学校 === * [[専門学校エール学園]] * [[高津理容美容専門学校]] * [[グラムール美容専門学校]] * [[東京リーガルマインド]]難波駅前本校 * [[長尾谷高等学校]]ナンバ校 * [[大阪市立難波元町小学校]] === 金融機関 === * [[三井住友銀行]]難波支店・大正区支店・難波外貨両替コーナー(なんばスカイオ内) ** ※[[2022年]][[3月7日]]より、大正区支店が移転し共同店舗となる。 * [[三井住友信託銀行]]難波支店(南海難波駅内) * [[三菱UFJ銀行]]難波支店([[MUFGプラザ]])・難波中央支店・日本一支店 * [[池田泉州銀行]]難波支店({{Color|#f00|■}}旧[[泉州銀行]]店舗) * [[りそな銀行]]難波支店 * [[みずほ銀行]]難波支店 === その他 === * [[大阪府立体育会館]](エディオンアリーナ大阪/旧ボディメーカーコロシアム) * [[オールボクシングジム]] * [[大乗坊 (大阪市)|大乗坊]] * [[瑞龍寺 (大阪市)|鉄眼寺]] * [[難波八阪神社]] * 大阪市浪速区役所 * [[浪速郵便局]] * [[南海辰村建設]] * [[フクホー]] * [[ハローハッピー]] <!-- [[大阪シティエアターミナル]] (OCAT) は南海駅から遠い --> <!-- [[新歌舞伎座 (大阪)|新歌舞伎座]](2009年6月閉館、2010年9月近鉄[[大阪上本町駅]]直結の[[上本町YUFURA]]内に移転) --> <!-- [[大阪松竹座]]は南海駅から遠い --> <!-- [[法善寺]]は南海駅から遠い --> <!-- [[湊町リバープレイス]] は南海駅から遠い--> <!-- [[四谷学院]]なんば校は南海駅から遠い --> <gallery> Namba parks04s3872.jpg|なんばパークス Namba Grand Kagetsu Mar. 2020.jpg|なんばグランド花月 Shin-kabukiza01s3200.jpg|新歌舞伎座(2009年6月閉館、2010年9月上本町に移転) 大阪松竹座.jpg|大阪松竹座 Namba Marui Osaka Japan02-r.jpg|なんばマルイ </gallery> == バス路線 == === 路線バス === [[ファイル:Namba-Bus Terminal01.jpg|thumb|大阪シティバスなんばバスターミナル<br />(1 - 4番のりば)]] [[大阪シティバス]]の'''なんば'''停留所がある。バスのりばは新歌舞伎座西側の[[阪神高速1号環状線]]高架下にある'''1 - 4番のりば'''と御堂筋南端の高島屋前にある'''5・6番のりば'''の2か所にあり、両方を合わせて'''なんばバスターミナル'''としている。 {|class="wikitable" !のりば!!系統!!行先!!経由地!!担当営業所 |- |1 |29 |[[住之江公園駅|地下鉄住之江公園]] |[[桜川駅 (大阪府)|地下鉄桜川]]・[[芦原橋駅|芦原橋駅前]]・鶴見橋通・南津守 |住之江 |- |rowspan="2"|2 |52 |[[天王寺駅・大阪阿部野橋駅バスのりば|あべの橋]] |中開三丁目・[[花園町駅|地下鉄花園町]]・[[今池停留場|今池駅前]] |酉島 |- |73 |[[出戸駅|出戸バスターミナル]] |[[大阪上本町駅|上本町六丁目]]・勝山四丁目・大池橋・杭全・[[平野駅 (Osaka Metro)|地下鉄平野]] |住之江 |- |3 |71 |[[大阪シティバス鶴町営業所|鶴町四丁目]] |[[大正橋 (大阪市)|大正橋]]・大正区役所前・大運橋通 |鶴町 |- |rowspan="2"|4 |75 |[[大阪駅周辺バスのりば|大阪駅前]] |西大橋・土佐堀一丁目・[[渡辺橋]] |中津・酉島 |- |87 |鶴町四丁目 |大正橋・新千歳・鶴町四丁目北 |鶴町 |- |rowspan="3"|5 |8 |大阪駅前 |[[四ツ橋駅|四ツ橋]]・信濃橋・渡辺橋 |中津 |- |84 |八幡屋三丁目 |西大橋・[[弁天町駅|弁天町駅前]]・[[朝潮橋駅|地下鉄朝潮橋]] |酉島 |- |85 |[[杭全]] |[[心斎橋]]・玉造・[[今里駅 (Osaka Metro)|地下鉄今里]]・大池橋 |住吉 |- |6 |60 |天保山 |大正橋・境川・夕凪・地下鉄朝潮橋 |鶴町・酉島 |} === 高速バス === ; なんば高速バスターミナル {{See|[[なんば高速バスターミナル]]}} ; 大阪シティエアターミナル (OCAT) {{See|[[大阪シティエアターミナル]]}} ; なんばVIPラウンジ [[平成エンタープライズ]]および平成コミュニティバスが使用。 : VIPライナー ‐ [[東京都]]・[[千葉県]]・[[埼玉県]]行き ; 難波(パークス通) [[なんばパークス]]・パークスタワー向かいにある。 : JAMJAMライナー([[ジャムジャムエクスプレス]]) - [[新宿]]行き/[[仙台市|仙台]]行き : ハートライナー([[神姫バス|神姫観光バス]]) - [[池袋]]・[[東京ディズニーランド|TDL]]行き : さくら高速バス([[桜交通]]) - [[桜木町 (横浜市)|横浜(桜木町)]]・新宿・[[二俣新町駅]]行き : どっとこむライナー([[昌栄高速運輸]]) - [[金山駅 (愛知県)|名古屋(金山)]]・[[長野駅]]・[[須坂長野東インターチェンジ|須坂]]行き ; なんばHatch [[湊町リバープレイス]]・なんばHatch前。 : ブルーライナー(広栄交通バス) - 東京・新宿・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]行き === 深夜急行バス === 高島屋前のりばから発車する。停留所名は大阪市営バスと同様、'''なんば'''である。なお、休日・大型連休・盆期間中・年末年始は運休となる(奈良交通は土曜日も運休)。 ; [[南海バス]] - [[深夜急行バス (南海バス)|南海深夜急行バス]] :: [[堺東駅|堺東]]・泉北ニュータウン・和泉方面 [[和泉府中駅|和泉府中駅前]] 行き :: [[金剛駅|金剛]]・[[河内長野駅|河内長野]]・林間田園都市方面 [[林間田園都市駅|林間田園都市駅前]] 行き ; [[奈良交通]] - [[深夜急行バス (奈良交通)|はんな号]] :: [[東生駒駅|東生駒]]・[[学園前駅 (奈良県)|学園前]]・[[近鉄奈良駅|奈良]]方面 白土町行き :: [[生駒駅|生駒]]・登美ケ丘・[[高の原駅|高の原]]方面 梅谷口行き :: [[五位堂駅|五位堂]]・[[大和八木駅|八木]]・[[桜井駅 (奈良県)|桜井]]方面 桜井駅北口行き === 空港リムジンバス === 旧・イチエイ総合ビル前{{refnest|group="注"|元プロ野球選手である[[一枝修平]]の実家が経営していた「ホテル一栄」の入るビル<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/25/kiji/20181225s00001173072000c.html 内田雅也が行く 猛虎の地(22)大阪・なんば「ホテル一栄」](『[[スポーツニッポン]]』[[2018年]][[12月25日]]付記事)</ref>。}}に「なんば」停留所がある。2021年9月より同ビル解体に伴い券売機は[[相鉄ホテルマネジメント#相鉄フレッサイン|相鉄フレッサイン]]大阪なんば1Fの[[ファミリーマート]]難波中北店内に移転している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.okkbus.co.jp/news/detail/252/ |title=【重要】なんば駅前バス停における券売機移転について |publisher=[[大阪空港交通]]|date=2021-09-08|accessdate=2021-11-23}} </ref>。 : [[阪急観光バス]] ‐ [[大阪国際空港]](伊丹)行き == 隣の駅 == <!--南海の特急はサザンを除き全車有料列車のため、サザン以外の特急は、停車駅を記載せず、列車の記事へのリンクのみにしておいて下さい。--> ;南海電気鉄道 :[[File:Nankai mainline symbol.svg|15px]]南海本線( [[File:Nankai airport line symbol.svg|15px]]空港線) :*{{Color|purple|■}}特急「[[ラピート]]」発着駅 ::{{Color|#f00|■}}特急「[[サザン (列車)|サザン]]」・{{Color|orangered|■}}急行・{{Color|orangered|■}}空港急行・{{Color|#093|■}}区間急行・{{Color|royalblue|■}}準急(到着列車のみ)・{{Color|gray|■}}普通 :::'''難波駅 (NK01)''' - [[新今宮駅]] (NK03) :[[File:Nankai koya line simbole.svg|15px]]高野線 :*{{Color|#D4AF37|■}}特急「[[泉北ライナー]]」・{{Color|#f03|■}}特急「[[こうや]]」·「[[こうや#りんかん|りんかん]]」発着駅 ::{{Color|orangered|■}}快速急行・{{Color|orangered|■}}急行・{{Color|#093|■}}区間急行・{{Color|royalblue|■}}準急 :::'''難波駅 (NK01)''' - 新今宮駅 (NK03) ::{{Color|gray|■}}各停 :::'''難波駅 (NK01)''' - [[今宮戎駅]] (NK02) :*() 内は駅番号を示す。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==== 利用状況の出典 ==== ; 私鉄の統計データ {{Reflist|group="統計"}} ; 大阪府統計年鑑 {{Reflist|group="大阪府統計"|22em}} == 関連項目 == {{Commons|Category:Namba Station|難波駅}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[なにわ筋線]] == 外部リンク == * [https://www.nankai.co.jp/traffic/station/namba.html なんば駅] - 南海電気鉄道 * {{Wayback|url=https://www.nankai.co.jp/nambanomikata/ |title=なんばのミカタ |date=20220827030037}} {{南海本線}} {{南海高野線りんかんサンライン}} {{近畿の駅百選}} {{デフォルトソート:なんは なんかい}} [[Category:日本の鉄道駅 な|んは なんかい]] [[Category:南海電気鉄道の鉄道駅]] [[Category:かつて近畿日本鉄道に所属した鉄道駅]] [[Category:1885年開業の鉄道駅]] [[Category:大阪市中央区の鉄道駅]] [[Category:浪速区の鉄道駅]] [[Category:難波|なんはえき なんかい]] [[Category:明治時代の大阪]]
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野田阪神駅
野田阪神駅(のだはんしんえき)は、大阪府大阪市福島区大開一丁目にある、大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) 千日前線の駅で、同線の始発駅である。駅番号はS11。 大阪環状線野田駅とは接続しておらず、隣駅である玉川駅が乗換駅である。 2面2線の相対式の地下駅。改札口は1番線ホームにつながる中東改札と、2番線ホームからの出口専用である中西改札の2箇所に設けられている。北改札と南改札があったが、2020年3月26日20時をもって閉鎖され、翌27日の初発から中西改札が供用開始した。 南巽行きの旅客列車は1番線から発車し、2番線は朝夕ラッシュ時の旅客列車のうち、当駅到着後に回送列車として森之宮検車場へ向かう列車のみ停車する。 2番線ホームにはコンコースへのエレベーターやエスカレーターは設置されていない。このため、2番線ホームに到着する列車は、阿波座駅発車後の車内放送にて、エスカレーター等を利用する乗客には玉川駅での後続列車への乗換を促している。2020年3月26日まで2番線ホームは北改札にしかつながっておらず、阿波座駅と玉川駅発車後の車内放送にて、進行方向前寄りからの降車を呼びかけていた。また、各駅の野田阪神行き時刻表には、当駅の2番線に到着する列車に印が記載されている。2番線ホームにはホームドアが設置されておらず、また側の柱には大阪市営地下鉄で1980年代まで使われていた、「ひげ文字」と呼ばれる独特の字体で書かれた駅名標が残っている(駅番号ステッカー貼付)。また、その駅名標におけるローマ字表記は現在のものと異なり「NODA-HANSHIN」となっている。 夜間滞泊の運用がある。 当駅は難波管区駅に所属し、駅長が配置されている。また、玉川駅を管轄している。 2020年11月10日の1日乗降人員は24,539人(乗車人員:12,585人、降車人員:11,954人)である。 周辺地域は通称「野田阪神」と呼ばれている。
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野田阪神駅(のだはんしんえき)は、大阪府大阪市福島区大開一丁目にある、大阪市高速電気軌道 千日前線の駅で、同線の始発駅である。駅番号はS11。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{otheruses|Osaka Metro千日前線の駅|仮称が「野田阪神」であったJR東西線の駅|海老江駅}} {{駅情報 |社色 = #33328b |文字色 = |駅名 = 野田阪神駅 |画像 = Osaka Metro Nodahanshin Station.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 駅入口 |よみがな = のだはんしん |ローマ字 = Nodahanshin |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail-metro}} |隣の駅 = |前の駅 = |駅間A = |駅間B = 0.6 |次の駅 = [[玉川駅 (大阪府)|玉川]] S12 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号s|#e44d93|#fff|S11}} |所属事業者 = [[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) |所属路線 = {{Color|#e44d93|●}}[[Osaka Metro千日前線|千日前線]] |キロ程 = 0.0 |起点駅 = 野田阪神 |所在地 = [[大阪市]][[福島区]][[大開 (大阪市)|大開]]一丁目14-18 |緯度度 = 34 |緯度分 = 41 |緯度秒 = 40.59 |経度度 = 135 |経度分 = 28 |経度秒 = 29.45 |駅構造 = [[地下駅]] |ホーム = 2面2線 |開業年月日 = [[1969年]]([[昭和]]44年)[[4月16日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 12,585 |乗降人員 = 24,539 |統計年度 = 2020年 |乗換 = [[野田駅 (阪神)|野田駅]]([[阪神本線]])<br />[[海老江駅]]([[JR東西線]]) |備考 = }} '''野田阪神駅'''(のだはんしんえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[福島区]][[大開 (大阪市)|大開]]一丁目にある、[[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) [[Osaka Metro千日前線|千日前線]]の駅で、同線の始発駅である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''S11'''。 == 接続する鉄道路線 == * [[阪神電気鉄道]] - [[野田駅 (阪神)|野田駅]] ({{駅番号c|blue|HS 03}}) ** [[阪神本線|本線]] * [[西日本旅客鉄道]] - [[海老江駅]] **{{JR西路線記号|K|H}} [[JR東西線]] [[大阪環状線]][[野田駅 (JR西日本)|野田駅]]とは接続しておらず、隣駅である[[玉川駅 (大阪府)|玉川駅]]が乗換駅である。 == 歴史 == * [[1969年]]([[昭和]]44年)[[4月16日]]:5号線(現在の千日前線)の当駅 - [[桜川駅 (大阪府)|桜川駅]]間開通と同時に開業。 * [[2014年]]([[平成]]26年)[[12月13日]]:[[ホームドア|可動式ホーム柵]]の使用を開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/barriar_free_top/barriar_free_info/platform__screen_doors.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150116035637/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/barriar_free_top/barriar_free_info/platform__screen_doors.html|language=日本語|title=平成26年12月13日千日前線全駅の可動式ホーム柵の設置が完了しました!|publisher=大阪市交通局|accessdate=2022-02-28|archivedate=2015-01-16|deadlinkdate=2022年2月}}</ref>。 * [[2018年]](平成30年)[[4月1日]]:[[大阪市交通局]]の民営化により、[[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) の駅となる。 * [[2020年]]([[令和]]2年)[[3月27日]]:北改札と南改札を閉鎖し、2番線ホームからの出口専用の中西改札の供用を開始<ref name="gate_change">{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news/other/20200302_nodahanshin_deiriguchi.php|title=千日前線野田阪神駅の改札口を一部変更します|accessdate=2020-03-14|publisher=Osaka Metro|date=2020-03-11|deadlinkdate=2021-04-17|language=ja}}</ref>。 == 駅構造 == [[ファイル:Platform_of_Noda-Hanshin_Station_2.jpg|thumb|プラットホーム]] [[ファイル:Nodahanshin-higemoji.jpg|thumb|2番線ホームにあるヒゲ文字の駅名標]] [[ファイル:Nodahanshin-b1.jpg|thumb|地下1階改札外コンコース]] 2面2線の相対式の[[地下駅]]。改札口は1番線ホームにつながる中東改札と、2番線ホームからの出口専用である中西改札の2箇所に設けられている。北改札と南改札があったが、2020年[[3月26日]]20時をもって閉鎖され、翌27日の初発から中西改札が供用開始した<ref name="gate_change" />。 南巽行きの旅客列車は1番線から発車し、2番線は朝夕ラッシュ時の旅客列車のうち、当駅到着後に回送列車として[[森之宮検車場]]へ向かう列車のみ停車する<ref group="注">かつての[[名古屋市営地下鉄]][[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]][[砂田橋駅]]もこの形態だった。</ref>。 2番線ホームにはコンコースへのエレベーターやエスカレーターは設置されていない。このため、2番線ホームに到着する列車は、[[阿波座駅]]発車後の車内放送にて、エスカレーター等を利用する乗客には玉川駅での後続列車への乗換を促している。[[2020年]]3月26日まで2番線ホームは北改札にしかつながっておらず、阿波座駅と玉川駅発車後の車内放送にて、進行方向前寄りからの降車を呼びかけていた。また、各駅の野田阪神行き時刻表には、当駅の2番線に到着する列車に印が記載されている。2番線ホームにはホームドアが設置されておらず、また側の柱には大阪市営地下鉄で1980年代まで使われていた、「ひげ文字」と呼ばれる独特の字体で書かれた駅名標が残っている(駅番号ステッカー貼付)。また、その駅名標におけるローマ字表記は現在のものと異なり「NODA-HANSHIN」となっている。 [[夜間滞泊]]の運用がある。 当駅は[[難波管区駅]]に所属し、[[駅長]]が配置されている。また、玉川駅を管轄している。 === のりば === <!--Osaka Metro公式サイトの駅構内図にある行き先を表記--> <!--Osaka Metroでは旅客案内に「上り」「下り」の表現は使用していない--> {|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows" class="wikitable" !番線!!路線!!行先 !備考 |- !1 |rowspan=2|[[File:Osaka Metro Sennichimae line symbol.svg|15px|S]] 千日前線 |[[阿波座駅|阿波座]]・[[難波駅 (Osaka Metro)|なんば]]・[[鶴橋駅|鶴橋]]・[[南巽駅|南巽]]方面<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/S/s11/index.php|title=野田阪神|accessdate=2021-04-17|publisher=Osaka Metro}}</ref> | |- !2 |降車専用ホーム<ref name=":0" /> |一部を除き、折返し森之宮検車場への回送となる列車のみ |} == 利用状況 == 2020年11月10日の1日[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''24,539人'''(乗車人員:12,585人、降車人員:11,954人)である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.osakametro.co.jp/company/library/100331_research/20201110_subway_nt.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210402111627/https://www.osakametro.co.jp/company/library/100331_research/20201110_subway_nt.pdf|title=路線別乗降人員(2020年11月10日 交通調査)|archivedate=2021-04-02|accessdate=2021-04-06|publisher=Osaka Metro|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 {|class="wikitable" style="text-align:right" |+年度別利用状況(大阪府統計年鑑より) !年度!!調査日!!乗車人員!!降車人員!!乗降人員 |- |1985年||11月12日 |12,344||11,347||23,691 |- |1987年||11月10日 |13,300||12,367||25,667 |- |1990年||11月{{0}}6日 |14,117||12,526||26,643 |- |1995年||<ref group="注">1996年に行われた調査であるが、[[会計年度]]上は1995年度となる。</ref>{{0}}2月15日 |13,292||12,071||25,363 |- |1998年||11月10日 |14,848||13,621||28,469 |- |2007年||11月13日 |13,470||13,001||26,471 |- |2008年||11月11日 |16,047||15,004||31,051 |- |2009年||11月10日 |13,470||13,001||26,471 |- |2010年||11月{{0}}9日 |13,095||12,526||25,621 |- |2011年||11月{{0}}8日 |13,234||12,559||25,793 |- |2012年||11月13日 |13,281||12,771||26,052 |- |2013年||11月19日 |13,314||12,492||25,806 |- |2014年||11月11日 |13,142||12,413||25,555 |- |2015年||11月17日 |13,118||12,597||25,715 |- |2016年||11月{{0}}8日 |12,906||12,255||25,161 |- |2017年||11月14日 |13,272||12,574||25,486 |- |2018年||11月13日 |13,338||12,521||25,859 |- |2019年||11月12日 |14,085||13,202||27,287 |- |2020年||11月10日 |12,585||11,954||24,539 |} == 駅周辺 == 周辺地域は通称「[[野田阪神]]」と呼ばれている。 * [[阪神電気鉄道]]本社 * [[ウイステ|野田阪神ウイステ]] ** [[イオン (店舗ブランド)|イオンスタイル]]野田阪神 * 福島区役所 * [[福島警察署 (大阪府)|福島警察署]] * [[大阪福島郵便局]] * 大阪大開郵便局 * [[大阪市立福島図書館]] * [[三井住友銀行]]西野田支店・四貫島支店・歌島橋支店(旧[[住友銀行]]) ** ※[[2021年]][[8月23日]]より、四貫島支店が移転し共同店舗となる。 ** ※2021年[[11月22日]]より、歌島橋支店が移転し共同店舗となる。 * [[ヤマダデンキ]]テックランド大阪野田店 * [[天下一品]]野田阪神店 * ケンタッキーフライドチキン 野田阪神店 * [[国道2号]] * [[ナリス化粧品]]本社 * [[孔官堂]]本社 * [http://www.haripura.com/ 野田阪神機械工具街](阪神本線高架下) * [[えびえ記念病院]](旧 松本病院) === バス路線 === * '''野田阪神前'''停留所 {{See|野田駅 (阪神)#バス路線}} == 隣の駅 == ; 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) : [[File:Osaka Metro Sennichimae line symbol.svg|15px|S]] 千日前線 :: '''野田阪神駅 (S11)''' - [[玉川駅 (大阪府)|玉川駅]] (S12) :* ( ) 内は駅番号を示す。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * 接続先の他社名が付く駅 ** [[三条京阪駅]] ** [[松山駅 (愛媛県)#伊予鉄道 2|JR松山駅前停留場]] ** [[京成千葉駅|国鉄千葉駅前駅]](1987年改称) ** [[川西国鉄前駅]](1981年廃止) ** [[南海和歌山軌道線|野上電車前停留場]](1971年廃止) == 外部リンク == * [https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/S/s11/index.php 野田阪神駅] - Osaka Metro {{大阪市営地下鉄千日前線}} {{デフォルトソート:のたはんしん}} [[Category:福島区の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 の|たはんしん]] [[Category:大阪市高速電気軌道の鉄道駅]] [[Category:大阪市交通局の鉄道駅]] [[Category:1969年開業の鉄道駅]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E9%98%AA%E7%A5%9E%E9%A7%85
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廃語
廃語(はいご)は、昔はよく使われたが、現在はまったく使用されなくなった語彙である。 死語(しご)とも言うが、その言語自体が母語として全く使用されなくなったものを意味する(死語 (言語)を参照)ことが多い。また、単に「○○は今は存在しない」という意味で(語彙としては現役でも)「○○は死語である」と言うこともある。 日常生活における廃語とは、かつて使われていた単語や言い回しで、今は使われなくなったものをいう。赤紙、銃後、女子挺身隊のような歴史的事象、永久就職のような時代にそぐわなくなった事象のほかにも、洗濯板や日光写真のような生活上の道具やおもちゃで今では見かけることのなくなった物品など、言葉が指し示すものが現在では使われなくなれば、言葉も使われなくなって廃れていくこともある。また、ある単語や言い回しが別の語に置き換わったために、元の単語が使われなくなっていく場合もあり、例えば写真機、幻灯機のようにカタカナ表記の外来語で置き換えられたものや、外来語でもエゲレス→(イギリス)など時代と共に表記が変わったものは廃語となっている。一部の意味が廃語となることもあり、歴史家の笠松宏至によると室町時代の「中央」という言葉には「猿楽の中央でお帰りになった」など「途中」という意味があったが、これは日本中世史が専門の笠松にとってすら当初は意味不明であったという。 また、語が意味するものは存在していても対義語に当たるものがほぼ消滅した(前述の通り廃語になった)ために、区別が不要となって廃語となった複合語もある。直通電話、ブロードバンド、マキシシングルなどがこの例といえる。 流行語は、時と共に廃れて廃語となりやすい。ただし、全く使われなくなるとは限らず、特に使用者の年代によっては未だ使われている語句もある。例えば一部の廃語と化した流行語(「ナウなヤングにバカウケ」など)は「場を盛り下げる危険な死語」として逆によく認知されており、その言葉が生きていた時間より廃語として語り継がれる時間の方が長い言葉も少なくない。故意にそれを用いてウケを狙うようなことも行われる。 一般に古い時代の言葉ほど若い世代の間での知名度は低くなるが、例外もあり、例えば戦時中等の言葉(防空壕、闇市、赤紙等)は、1980年代の「なめ猫」等よりも青年層の知名度は相対的に高い。これは戦時中がドラマや映画等の舞台になることが多く、劇中でこういった言葉が使われるからである。 小林信彦は『現代<死語>ノート』を著し、その中で、日本の近年の廃語を拾い集め、論評している。彼はそれを通じて時代を語り、そのような言葉について、以下のようにいっている。 「時代を生々しく実感させるのは、当時最も多く使われたこれらの言葉なのだから。」 科学分野などの専門用語にも、類例がある。その分野の進歩に伴って、概念が変化した、精密化した、あるいは理解が深まることで意味をなさなくなったなどにより、使われなくなった語がある。 たとえば生物の分類学は、当初は人間に近しい生物が主体であったため、動物では脊椎動物、植物では種子植物のみが詳しく、それ以外のものはその多様さにかかわらずひとまとめにされた。動物ではこれは無脊椎動物、植物では隠花植物という。いずれも現在の生物学的には意味をなさないものと考えられている。ただし前者はその便利さから現在も使われているのに対して、後者は使われる機会がほとんどなくなっている。 かつて唱えられたが、誤りであったことが判明した仮説や用語もある意味ではこれに類する存在である。それらは科学史の中で語られることしかなくなる。たとえばフロギストン説、天動説などはこれに当たる。逆に正しいことがわかっても、当たり前になってしまえば科学用語としては使われない。地動説や後成説はこれに近い。 「廃語」「死語」だと言う者がいても、実際は廃語または死語ではない語彙も少なくないため、注意を要する。また、流行語の多くは時間が経てば廃語になっていることが非常に多いので、「流行語」も参照のこと。
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廃語(はいご)は、昔はよく使われたが、現在はまったく使用されなくなった語彙である。 死語(しご)とも言うが、その言語自体が母語として全く使用されなくなったものを意味することが多い。また、単に「○○は今は存在しない」という意味で(語彙としては現役でも)「○○は死語である」と言うこともある。
{{Otheruses|使用されなくなった'''語彙'''|使用されなくなった'''言語'''|死語 (言語)}} '''廃語'''(はいご)は、昔はよく使われたが、現在はまったく使用されなくなった[[語彙]]である<ref name="yahoo_dic_haigo">{{Citation |contribution=はい‐ご【廃語】 |url=http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p={{urlencode:廃語}}&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0na |title=[[大辞泉]]([[Yahoo!辞書]]) |publisher=[[小学館]] |accessdate=2010-04-16 |isbn=978-4095012124 }}.</ref>。 '''死語'''(しご)とも言うが、その[[言語]]自体が[[母語]]として全く使用されなくなったものを意味する<ref>{{Citation |contribution=し‐ご【死語】 |url=http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p={{urlencode:死語}}&enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0na |title=[[大辞泉]]([[Yahoo!辞書]]) |publisher=[[小学館]] |accessdate=2010-04-16 |isbn=978-4095012124 }}.</ref>([[死語 (言語)]]を参照)ことが{{要出典範囲|多い|date=2022年5月}}。また、単に「○○は今は存在しない」という意味で(語彙としては現役でも)「○○は死語である」と言うこともある。 == 日常生活における意味 == 日常生活における'''廃語'''とは、かつて使われていた[[単語]]や言い回しで、今は使われなくなったものをいう<ref name="yahoo_dic_haigo" />。[[召集令状|赤紙]]、[[銃後]]、[[女子挺身隊]]のような歴史的事象、[[永久就職]]のような時代にそぐわなくなった事象のほかにも、[[洗濯板]]や[[青写真|日光写真]]のような生活上の道具やおもちゃで今では見かけることのなくなった物品など、言葉が指し示すものが現在では使われなくなれば、言葉も使われなくなって廃れていくこともある<ref name="yahoo_dic_haigo" />。また、ある単語や言い回しが別の語に置き換わったために、元の単語が使われなくなっていく場合もあり<ref name="yahoo_dic_haigo" />、例えば[[カメラ|写真機]]、[[幻灯機]]のようにカタカナ表記の外来語で置き換えられたものや、外来語でもエゲレス→([[イギリス]])など時代と共に表記が変わったものは廃語となっている。一部の意味が廃語となることもあり、歴史家の[[笠松宏至]]によると[[室町時代]]の「中央」という言葉には「[[猿楽]]の中央でお帰りになった」など「途中」という意味があったが、これは日本中世史が専門の笠松にとってすら当初は意味不明であったという<ref>笠松「法と言葉の中世史」平凡社ライブラリー、P57</ref>。 また、語が意味するものは存在していても対義語に当たるものがほぼ消滅した(前述の通り廃語になった)ために、区別が不要となって廃語となった複合語もある。[[直通電話]]、[[ブロードバンド]]、[[マキシシングル]]などがこの例といえる。 [[流行語]]は、時と共に廃れて廃語となりやすい。ただし、全く使われなくなるとは限らず、特に使用者の年代によっては未だ使われている語句もある。例えば一部の廃語と化した流行語(「ナウなヤングにバカウケ」など<ref name="死語研究会2006_pp10">{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|pp=10-11}}</ref>)は「場を盛り下げる危険な死語」として逆によく認知されており、その言葉が生きていた時間より廃語として語り継がれる時間の方が長い言葉も少なくない。故意にそれを用いてウケを狙うようなことも行われる<ref name="死語研究会2006_pp10" />。 一般に古い時代の言葉ほど若い世代の間での知名度は低くなるが、例外もあり、例えば[[第二次世界大戦|戦時中]]等の言葉([[防空壕]]、[[闇市]]、[[召集令状|赤紙]]等)は、1980年代の「[[なめ猫]]」<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=84}}</ref>等よりも青年層の知名度は相対的に高い。これは戦時中がドラマや映画等の舞台になることが多く、劇中でこういった言葉が使われるからである。 ===時代を表すものとして=== [[小林信彦]]は『現代<死語>ノート』を著し、その中で、日本の近年の廃語を拾い集め、論評している。彼はそれを通じて時代を語り、そのような言葉について、以下のようにいっている。 「時代を生々しく実感させるのは、当時最も多く使われたこれらの言葉なのだから。<ref>小林(1997)、p.v</ref>」 == 専門用語の場合 == {{出典の明記|date=2019年3月|section=1}} 科学分野などの専門用語にも、類例がある。その分野の進歩に伴って、概念が変化した、精密化した、あるいは理解が深まることで意味をなさなくなったなどにより、使われなくなった語がある。 たとえば生物の[[分類学]]は、当初は人間に近しい生物が主体であったため、動物では[[脊椎動物]]、植物では[[種子植物]]のみが詳しく、それ以外のものはその多様さにかかわらずひとまとめにされた。動物ではこれは[[無脊椎動物]]、植物では[[隠花植物]]という。いずれも現在の生物学的には意味をなさないものと考えられている。ただし前者はその便利さから現在も使われているのに対して、後者は使われる機会がほとんどなくなっている。 かつて唱えられたが、誤りであったことが判明した仮説や用語もある意味ではこれに類する存在である。それらは科学史の中で語られることしかなくなる。たとえば[[フロギストン説]]、[[天動説]]などはこれに当たる。逆に正しいことがわかっても、当たり前になってしまえば科学用語としては使われない。[[地動説]]や[[後成説]]はこれに近い。 == 廃語、死語とされる言葉の例 == 「廃語」「死語」だと言う者がいても、実際は廃語または死語ではない語彙も少なくないため、注意を要する。また、流行語の多くは時間が経てば廃語になっていることが非常に多いので、「'''[[流行語]]'''」も参照のこと。 === あ行 === * [[アベック]]<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=16}}</ref> - 現在は「[[カップル]]」、「[[ツーショット]]」と呼ばれることが多い。ただし「アベックホームラン」などの用語としてメディアではしばしば使用される。 * アミケット - アイドル・ミニコミ・マーケットの略称。[[アイドル]]の[[同人誌]]の展示即売会のこと。[[平成|平成時代]]初期にアイドルのファンの間で使われていた。 * [[オヤジギャル]](おやじギャル<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=122}}</ref>) === さ行 === *[[シュミーズ|シミーズ(シミズ)]]- もっぱら女性用の肌着。ワイシャツの元となった中服。 === た行 === * [[チョベリグ]] - 「超ベリー・グッド(very good)」の略。 * [[チョベリバ]] - 「超ベリー・バッド(very bad)」の略。 *[[チョンガー]] - 未婚男性のこと。元々は韓国語で侮蔑的なニュアンスもあり、平成の中期には既に廃れていた。 *[[痴呆]] - [[認知症]] * ツッパリ<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=14}}</ref> - [[不良行為少年]]のこと。今では通常[[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]]と呼ばれる。相撲用語としての「つっぱり」が現在も使用されているが、そもそも意味が異なる。 * [[トランジスターグラマー]] - 小柄で肉体的に魅力のある女性のこと。1960年代頃に使われていた。 * [[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=32}}</ref> - 現在では[[差別用語]]とされる。{{main|トルコ風呂 (性風俗)#名称問題と改名}} ===な行=== * [[ナウい]] - 1980年代によく使われていた。「現代的」「流行に乗っている」などを意味する[[俗語]] === は行 === * ハイソ - 英語で[[上流階級]]を意味する「ハイソサエティ」から。高級だったり品よく気取った様子を表現するために使用された。 ** [[ハイソカー]]<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=96}}</ref>- 代表的な車種に[[トヨタ・ソアラ]]、[[トヨタ・マークII]]、[[日産・レパード]]、[[マツダ・ルーチェ]]など。 * ハクい - 格好いいの意。“箔”から。 * [[ボイン (俗語)|ボイン]] - 乳房の大きな女性のことを指すが、現在は[[巨乳]]が一般的。一時期は「デカパイ」とも呼ばれたが、これも廃れた。 * [[婦女暴行]] - [[強姦]]の婉曲表現。現在は[[強姦]]、[[強制性交等罪|強制性交]]と直接的に表現することが一般的。 === ま行 === * メンゴ<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=104}}</ref> - 御免(ごめん)の字の順序を入れ替えたもの。まだ使われているときがある。 * [[モボ・モガ|モボ、モガ]] - 1920年代に流行っていた言葉で、それぞれ「モダンボーイ」「モダンガール」の略。西洋風の最先端の[[ファッション]]をした若者のことであるが、30年代の不穏な空気のもとで影を潜めた。 === や行 === * [[ヤッピー]] - 元々はアメリカで80年代から使われていた言葉。都市部若手の上級会社員のこと。日本では[[2000年代]]に入る前に廃れている。 * ヤング<ref>{{Harvnb|死語研究会|2006|Ref=CITE_死語研究会2006|p=58}}</ref> - 若者、若年層を指す言葉。ただし完全な廃語ではなく、現在でも雑誌名などでは数多く使われている。(例 : [[ヤングケアラー]]など) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2019年3月|section=1}} * {{Cite book|和書 |author=大塚明子 |title=新語死語流行語 こんな言葉を生きてきた |publisher=集英社 |year=2003 |isbn=4-08-720222-4 |ref=CITE_大塚2003 }} * {{Cite book|和書 |editor=死語研究会編 |title=死語大全 |edition=初版 |date=2006年11月10日 |publisher=彩国社 |isbn=4-88392-565-X |url=http://www.amazon.co.jp/gp/reader/488392565X/ |accessdate=2010-06-15 |ref=CITE_死語研究会2006 }} *小林信彦、『現代<死語>ノート』、(1997)、岩波書店(岩波新書) == 関連項目 == {{Wiktionary|死語}} *[[死語 (言語)]] *[[流行語]] *[[老人語]] *[[古語]] *[[女性語]] *[[役割語]] - 廃語とされる言い回しの中には、このカテゴリーで命脈を保つものがある。 *[[若者言葉]] == 外部リンク == * [http://www.orange.ne.jp/~kibita/dwd/dwdmain.html 死語辞典] {{日本語}} {{DEFAULTSORT:はいこ}} [[Category:古語|*]] [[Category:歴史言語学]] [[Category:言葉の文化]]
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2023-12-27T14:33:00Z
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E電
E電(イーでん)とは、1987年(昭和62年)の日本国有鉄道(国鉄)分割民営化に伴い、「国鉄(近郊区間の)電車」の略称である「国電」に代わるものとして、東日本旅客鉄道(JR東日本)が決めた愛称(造語)。英語表記の場合は「INTRA-CITY AND suburban TRAINS」(「都市近郊区間列車」の英訳)。 「E電」の「E」には「East(東、(JR)東日本)、Electric(電気、電車)、Enjoy(楽しむ)、Energy(エネルギー)などの意味が込められている」と説明された。 結局一般にこの愛称が定着することがなく、現在においても「死語」として有名な言葉の一つであるが、一方でJR東日本の社内用語としては残存している。 都市部の近距離電車について、国鉄時代は主に首都圏で「国電」という用語が広く使われていた。鉄道省時代は「省電」、それ以前の鉄道院時代は「院電」であった。中距離電車(中電)に対する概念であり、JR発足後の電車特定区間におおむね相当する。 国鉄分割民営化により「国鉄電車」でなくなったため、意味上のずれが生じることになった。そこで「国電」に代わる新たな愛称を、分割民営化直後の1987年4月20日から5月5日に一般公募した。その結果、59,642通(2,513案)の応募があった。応募では1位は「民電」5,311通となり、以下2位「首都電」2,863通、3位「東鉄」2,538通、4位「日電」2,281通、5位「民鉄」1,786通と続いた。 その中から小林亜星、沼田早苗、JR東日本副社長の山之内秀一郎はじめ同社役員6名による選考委員会により、2位の「首都電」、20位の「E電」の2つに絞り込まれた。なお、8位までは1,000通以上の応募があったが、20位の「E電」は390通に過ぎなかった。 5月13日には新愛称を「E電」と発表、翌14日には「E電」のヘッドマークを装着した列車も走り出した。 公募結果とかけ離れた選考・採用は不評を招いたが、他の候補が選ばれなかった理由はあり、1位の「民電」は「民営化されたことを示す名前で、その他の私鉄(民鉄)電車とも紛らわしく、長く定着するとは思えない」、2位の「首都電」は「『スト電』と揶揄(やゆ)される可能性があり、また言いにくい」、 3位の「東鉄」は「語感が堅く、国鉄時代の『東京鉄道管理局』の略称と同じで、新鮮味がない」などが挙げられた。また上位候補には「日電」「民鉄」「東電」「都電」「関電」などの応募もあったが、すでに他の企業・団体や路線の略称として使われていたために除外された。 こうして「国電」の代わりとして制定された「E電」であったが、そもそもどの範囲を「E電」とするか(電車特定区間か、東京近郊区間か、中距離電車を含めるか)が曖昧であった。 愛称については「関東と関西で統一する」という案もあったが、「分割民営化したのだから各社に任せるべきだ」との声から実現しなかった。関西ではその後、JR西日本により「アーバンネットワーク」という愛称が制定され(ただしこちらは電車特定区間以外の区間も含まれる)、それなりに知名度もあるのは対照的であった。しかし2000年代後半以降は「アーバンネットワーク」の愛称もほとんど使用されていない。 当時のJR各電車内の中吊り広告では、日本テレビ『ズームイン!!朝!』内のコーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」で知られたアントン・ウィッキーを登用し、「E電、いい言葉でしょ?」というフレーズで宣伝を行った。また、同時期に始まったドア上の横長広告スペースを利用した4コマ漫画型の自社広告「ひと駅マンガ」(漫画:安藤しげき)でも「E電」を宣伝した。 大々的にネーミングされた「E電」であったが、結局は普及せず、1990年代初頭までにはほとんど使われなくなった。「国鉄」の代替呼称である「JR」が、広く全国的に元の「国電」を含むものとして定着し、多くの人は「E電」という呼称を使用せず、「JR」または「JR線」を「国電」や「汽車」(地方では国鉄のことをこう呼んだ)の代わりに使用するか、路線名を直接呼ぶことで代替するようになった。不動産会社の広告でも「E電○○駅下車徒歩何分」といった表現はほとんど使われなかった。JR以外の私鉄などでの旅客案内においても、乗換案内や駅の表示では「JR線」とするか、路線名を直接案内している。 「E電」が定着しなかったことについては、ネーミングの失敗例としてしばしば取り上げられた。 不評だった原因の一例として、「E」は野球等でいう「エラー(Error)」を表すなど、「E」という文字にマイナスのイメージがあったことが挙げられる。読売新聞は発表翌日の1987年5月14日朝刊で「E電 イイ電? エラー電?」の見出しとともに、塩田丸男の「イースト、エンジョイのEといっても、エラーのEでありエロ(エロス、Ἔρως)のEでもある。ちょっと、どうかと思うねえ」とのコメントを載せた。実際に「E電」のヘッドマークを装着した列車が走り始めた14日には新川崎駅や新松戸駅で人身事故のためダイヤが乱れ、同日の毎日新聞夕刊は「E電は“エラー電”?!」の見出しで8段抜き社会面トップ記事にて報じた。 「E電」のネーミングに対しては、国語審議会でも「日本語を乱す」として問題視されたほか、当時の運輸大臣であった石原慎太郎も「無神経なネーミング」と批判した。なお、のちに石原は東京都知事に就任後、都営地下鉄12号線の路線名称公募で候補において1位であった「東京環状線」を批判して撤回させ「大江戸線」としている(詳細は「都営地下鉄大江戸線#路線名決定までの経緯」を参照)。 当時の日本ソフトバンクが発行していたパソコン雑誌『Oh!X』1987年12月号(40頁)に、『Oh!MZ』からの改題記念特別企画として掲載されていた記事「東京パソコン購入アドベンチャー」には「E電(なんて呼び名誰が使ってるのだろうか)秋葉原駅を降りると...」という記述がある。 また、1990年8月9日付『日本経済新聞』夕刊では「もはや死語」と書かれるなど、命名3年で早くも「死語」扱いされるほど定着しなかった。 選考委員であった小林亜星は、1994年に『読売新聞』の取材に対し、「私たちは選考過程を監視する立場だったが、妥当なものが少なく、これしかなかったというのが実情。それをマスコミ挙げての不協和音に恐れをなしたJRが、自信をもって使わなかったのだから、定着しないのも当然」とコメントしている。 2017年11月8日付『毎日新聞』掲載のコラム「ことば 賞味期限を探る「広辞苑」10年ぶり改訂 新語、流行語、そして死語」で、三省堂国語辞典編集者の飯間浩明は「横柄なイメージだった国鉄が民営化した途端に言い出したので、『何がE電だ』という反感が強かったのではないでしょうか。後に『Suica』が面白がられて定着したことを考えると、今なら受け入れられたかもしれない。」と指摘している。 こうして死語となってしまった「E電」は、旅客案内でもほぼ用いられなくなり、ほとんどの駅の案内表示からも姿を消した。しかし、JR東日本の社内用語としては現存しており、JR東日本管内の中央線を例に取ると、東京 - 高尾間を「快速線」「急行線」「E電線」とし、高尾以西を「列車線」「中央本線」と呼び分けている。 JRの公式時刻表である『JR時刻表』(交通新聞社発行)の「普通運賃の計算」ページにも「東京の電車特定区間(E電)」の表記が現存する。また現在でもJRのポスターやプレスリリースなどで「E電」の表記が使用されることがあり、一例として2010年代後半においても、2016年4月6日にJR東日本が発表した駅ナンバリング導入についてのプレスリリース中に「※電車特定区間(E電区間)の各駅に導入します。」という文言があった。このため「E電」という用語が現存していたことがインターネット上で話題となった。 このプレスリリースが話題となったことを受けて行われた取材に対し、JR東日本広報は同年「以前公募で決めた愛称で、今も使っています」「ご承知の通り、当社発足の際、公募により愛称として決定させて頂きました。その後、特にあえて使わなくするということもなく、場合に応じて使っております」「『まだ今も(E電という呼称を)使うんだ』という感覚では捉えていないです」と回答しており、JR東日本としては「E電」という用語は「死語ではない」とする認識を示している。 なお『JR時刻表』内でも、東京近郊路線の時刻表に添えられていた「東京地区(E電・標準時分)」の「E電」表記は1997年に抹消され、それ以降は「東京地区(標準時分)」となっている。続いて1998年には、欄外の「乗り換え(掲載ページ)」に記載された「E電各線」も「東京近郊各線」に変更されている。 社内での評価としては、JR東日本発足当時の副社長で「E電」選考にも関わった山之内秀一郎は、「結果は大失敗だった」とし、「日本語を乱すものとして強い批判を浴びたこともあるが、世の中の方々が全く使ってくださらなかった。結果としては『JR』が定着してしまった」「お客様にとっては国電と中電(中距離電車)の区別などどうでもよい。ほとんど全部の列車が(電気で走る)電車になってしまった現在ではもう『電車』の文字は不要なのだった」と著書の中で述べている。 山之内が言うように、国鉄時代は近距離電車である「国電」と中距離電車を区別しており(当時は「汽車」と呼ばれる、電気機関車牽引の普通客車列車もまだ残っていた。「電車線・列車線」も参照)、JR発足後に「国電」を「E電」に改称したものの、1980年代後半には都心へも郊外へも電車(通勤形電車)で行くようになり、一般乗客にとっては「国電/E電」と「中電」の区別はもはや意味がなくなっていた。そのため「E電」の語も定着せず、単に「JR」ないしは「JR線」と呼ばれることになった。「E電」が死語となった現在では、元の「国電」に対応する一般的な呼称はなくなっているが、そのことによる利用上・案内上の問題は特に生じていない。 そうした事情もあり、中距離電車が走る山梨県内では例外的に「E電」が定着し、東京方面から乗り入れる中央線快速を(中央本線の中距離電車と区別して)「E電」と呼ぶことがある。山梨県庁や大月市立大月短期大学の公式ウェブサイトにも「E電」の表記が現存する。また山梨県内の中央本線の路線図(駅ホームの柱に掛けられている縦長のもの)に「E電 Tokyo Area」の表記が見られるが、神奈川県境に近い上野原駅などでは、近年「E電」表記がない路線図に取り替えられた。 常磐快速線の駅ホーム路線図にあった駅・所要時間案内でも、山梨県内の中央本線と同様に、快速電車について「E電快速」と表記されていたが、中距離普通列車との停車駅統一に伴い、停車駅統一の2004年3月頃から呼称統一の10月頃までに、路線図が取り替えられ「E電」表記はなくなった。 かつては蒲田駅東口の案内表示に「E電・東京急行のりば」の表記が残っており、貴重な現存例として知られていたが、2007年から2008年にかけての駅リニューアルと駅ビル工事に伴い撤去された。しかもこの案内表示には「JR線きっぷうりば」の表記もあり、「E電」と「JR線」表記が混在していた。また「E電」と併記されていた「東京急行」の社名も、2019年の東急の会社再編により消滅している。 現在は、東京駅総武線地下ホーム階段上部の壁面に、その壁の前に吊り下がる案内標の後ろで見えにくい形ではあるが現存しており、「E電」と英語表記「INTRA-CITY&SUBURBAN TRAINS」が併記されている。 なお、E電および国電の範囲とはやや異なるが、運転指令業務分野において、線区の区分として山手線・京浜東北線・根岸線・埼京線などを管轄する「E電方面指令」という言葉が残っている。
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E電(イーでん)とは、1987年(昭和62年)の日本国有鉄道(国鉄)分割民営化に伴い、「国鉄(近郊区間の)電車」の略称である「国電」に代わるものとして、東日本旅客鉄道(JR東日本)が決めた愛称(造語)。英語表記の場合は「INTRA-CITY AND suburban TRAINS」(「都市近郊区間列車」の英訳)。 「E電」の「E」には「East(東、東日本)、Electric(電気、電車)、Enjoy(楽しむ)、Energy(エネルギー)などの意味が込められている」と説明された。 結局一般にこの愛称が定着することがなく、現在においても「死語」として有名な言葉の一つであるが、一方でJR東日本の社内用語としては残存している。
{{混同|いい電|x1=[[福島交通飯坂線]]の愛称}} [[ファイル:E-den-kamata-20050309.jpg|thumb|right|[[蒲田駅]]に残存していた「E電」表記(現在は撤去、2005年撮影)]] '''E電'''(イーでん)とは、[[1987年]]([[昭和]]62年)の[[日本国有鉄道]](国鉄)[[国鉄分割民営化|分割民営化]]に伴い、「国鉄(近郊区間の)電車」の略称である「[[国電]]」に代わるものとして、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が決めた[[愛称]]([[造語]])<ref name="RJ250">{{Cite journal|和書 |date = 1987-08 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 21 |issue = 10 |page = 121 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>。[[英語]]表記の場合は「INTRA-CITY AND suburban TRAINS」(「都市近郊区間列車」の英訳)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=「E電」看板、今も残る東京駅...命名約30年、JR東日本に「現状」聞いてみた - コラム|url=https://j-town.net/2016/06/04227093.html?p=all|website=Jタウンネット|date=2016-06-04|accessdate=2020-07-20|publisher=ジェイ・キャスト}}</ref>。 「E電」の「E」には「East(東、(JR)東日本)、Electric(電気、電車)、Enjoy(楽しむ)、Energy(エネルギー)などの意味が込められている」と説明された<ref name="asahi0514"/><ref name=":2">{{Cite web|和書|title=秋葉原はAKB、赤羽は… 駅ナンバリングの法則|url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO99871630Q6A420C1000000|website=NIKKEI STYLE|accessdate=2020-07-20|language=ja|last=|publisher=[[日経BP社]]|date=2016-04-22}}</ref>。 結局一般にこの愛称が定着することがなく{{sfn|川辺|2014|p=34}}、現在においても「[[廃語|死語]]」として有名な言葉の一つであるが<ref name=":2" /><ref name=":1" />、一方でJR東日本の社内用語としては残存している<ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref name=":1" />。 == 登場の経緯 == {{see also|国電|中距離電車|電車特定区間}} 都市部の近距離電車について、国鉄時代は主に[[首都圏 (日本)|首都圏]]で「国電」という用語が広く使われていた。[[鉄道省]]時代は「省電」、それ以前の[[鉄道省|鉄道院]]時代は「院電」であった。[[中距離電車]](中電)に対する概念であり、[[JR]]発足後の[[電車特定区間]]におおむね相当する。 [[国鉄分割民営化]]により「国鉄電車」でなくなったため、意味上のずれが生じることになった。そこで「国電」に代わる新たな愛称を、分割民営化直後の1987年[[4月20日]]から[[5月5日]]に一般公募した<ref name="RJ250" />。その結果、59,642通(2,513案)の応募があった。応募では1位は「民電」5,311通となり、以下2位「首都電」2,863通、3位「東鉄」2,538通<ref name=":2" />、4位「日電」2,281通、5位「民鉄」1,786通と続いた<ref name="asahi0514">{{Cite news |title=旧国電の新愛称、「E電」に決まる 20位から大抜てき |newspaper=[[朝日新聞]]朝刊 |date=1987-5-14 |page=27 }}</ref>。 その中から[[小林亜星]]、[[沼田早苗]]、JR東日本副社長の[[山之内秀一郎]]はじめ同社役員6名による選考委員会により<ref name="asahi0514" /><ref>{{Cite news |title=「E電」は“いい電”車?!|newspaper=[[毎日新聞]]朝刊 |date=1987-05-14 |page=27 }}</ref>、2位の「首都電」、20位の「E電」<ref name=":2" />の2つに絞り込まれた<ref name="asahi0514" />。なお、8位までは1,000通以上の応募があったが、20位の「E電」は390通に過ぎなかった<ref name="RJ250" />。 [[5月13日]]には新愛称を「E電」と発表<ref name="RJ250"/>、翌[[5月14日|14日]]には「E電」の[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]を装着した列車も走り出した。 公募結果とかけ離れた選考・採用は不評を招いたが<ref name=":2" />、他の候補が選ばれなかった理由はあり、1位の「民電」は「民営化されたことを示す名前で、その他の[[私鉄]](民鉄)電車とも紛らわしく、長く定着するとは思えない」、2位の「首都電」は「『[[ストライキ|スト]]電』と揶揄(やゆ)される可能性があり、また言いにくい」、 3位の「[[東鉄]]」は「語感が堅く、国鉄時代の『東京[[鉄道管理局]]』の略称と同じで、新鮮味がない」などが挙げられた。また上位候補には「[[日本電気|日電]]」「[[日本民営鉄道協会|民鉄]]」「[[東京電力|東電]]」「[[東京都電車|都電]]」「[[関西電力|関電]]」などの応募もあったが、すでに他の企業・団体や路線の略称として使われていたために除外された。 こうして「国電」の代わりとして制定された「E電」であったが、そもそもどの範囲を「E電」とするか([[電車特定区間]]か、[[東京近郊区間]]か、[[中距離電車]]を含めるか)が曖昧であった。 愛称については「[[関東地方|関東]]と[[近畿地方|関西]]で統一する」という案もあったが、「分割民営化したのだから各社に任せるべきだ」との声から実現しなかった。関西ではその後、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]により「[[アーバンネットワーク]]」という愛称が制定され(ただしこちらは[[電車特定区間]]以外の区間も含まれる)、それなりに知名度もあるのは対照的であった。しかし[[2000年代]]後半以降は「アーバンネットワーク」の愛称もほとんど使用されていない。 == 普及の失敗 == 当時のJR各電車内の中吊り広告では、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ズームイン!!朝!]]』内のコーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」で知られた[[アントン・ウィッキー]]を登用し、「E電、いい言葉でしょ?」というフレーズで宣伝を行った。また、同時期に始まったドア上の横長広告スペースを利用した[[4コマ漫画]]型の自社広告「ひと駅マンガ」(漫画:[[安藤しげき]])でも「E電」を宣伝した。 大々的にネーミングされた「E電」であったが、結局は普及せず、[[1990年代]]初頭までにはほとんど使われなくなった<ref name="railwaypressnet20210615">{{Cite web|和書| url = https://news.railway-pressnet.com/archives/25213 | title = 作曲家の小林亜星さん死去 JR東日本「E電」の選考委員 | website = 鉄道プレスネット | publisher = 鉄道プレスネットワーク | date = 2021-06-15 | accessdate = 2021-09-19 }}</ref>。「国鉄」の代替呼称である「'''[[JR]]'''」が、広く全国的に元の「国電」を含むものとして定着し、多くの人は「E電」という呼称を使用せず、「'''JR'''」または「'''[[JR線]]'''」を「国電」や「汽車」(地方では国鉄のことをこう呼んだ)の代わりに使用するか、路線名を直接呼ぶことで代替するようになった。[[不動産会社]]の[[広告]]でも「E電○○駅下車徒歩何分」といった表現はほとんど使われなかった。JR以外の[[私鉄]]などでの旅客案内においても、乗換案内や駅の表示では「JR線」とするか、路線名を直接案内している。 「E電」が定着しなかったことについては、ネーミングの失敗例としてしばしば取り上げられた。 不評だった原因の一例として、「[[E]]」は[[野球]]等でいう「[[失策|エラー(Error)]]」を表すなど、「E」という文字にマイナスのイメージがあったことが挙げられる。[[読売新聞]]は発表翌日の1987年5月14日朝刊で「E電 イイ電? エラー電?」の見出しとともに、[[塩田丸男]]の「イースト、エンジョイのEといっても、エラーのEであり[[エロス (曖昧さ回避)|エロ(エロス、Ἔρως)]]のEでもある。ちょっと、どうかと思うねえ」とのコメントを載せた<ref>{{Cite news|title=E電 イイ電? エラー電?|newspaper=[[読売新聞]]朝刊|date=1987-05-14|page=26}}</ref>。実際に「E電」のヘッドマークを装着した列車が走り始めた14日には[[新川崎駅]]や[[新松戸駅]]で人身事故のためダイヤが乱れ、同日の[[毎日新聞]]夕刊は「E電は“エラー電”?!」の見出しで8段抜き社会面トップ記事にて報じた<ref>{{Cite news|title=E電は“エラー電”?!|newspaper=[[毎日新聞]]夕刊 |date=1987-05-14|page=13}}</ref>。 「E電」のネーミングに対しては、[[国語審議会]]でも「日本語を乱す」として問題視されたほか<ref name=":0" /><ref name=":2" />、当時の[[運輸大臣]]であった[[石原慎太郎]]も「無神経なネーミング」と批判した<ref name=":2" />。なお、のちに石原は[[東京都知事]]に就任後、[[都営地下鉄]]12号線の路線名称公募で候補において1位であった「東京環状線」を批判して撤回させ「[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]」としている(詳細は「[[都営地下鉄大江戸線#路線名決定までの経緯]]」を参照)。 当時の[[ソフトバンクグループ|日本ソフトバンク]]が発行していた[[パソコン雑誌]]『[[Oh!X]]』1987年12月号(40頁)に、『Oh!MZ』からの改題記念特別企画として掲載されていた記事「東京パソコン購入アドベンチャー」には「E電(なんて呼び名誰が使ってるのだろうか)[[秋葉原駅]]を降りると…」という記述がある。 また、[[1990年]][[8月9日]]付『[[日本経済新聞]]』夕刊では「もはや死語」と書かれるなど、命名3年で早くも「死語」扱いされるほど定着しなかった<ref name=":2" />。 選考委員であった[[小林亜星]]は、1994年に『[[読売新聞]]{{efn|『[[読売新聞]]』[[読売新聞東京本社|東京]]夕刊(1994年8月30日付)<ref name="railwaypressnet20210615"/>}}』の取材に対し、「私たちは選考過程を監視する立場だったが、妥当なものが少なく、これしかなかったというのが実情。それをマスコミ挙げての不協和音に恐れをなしたJRが、自信をもって使わなかったのだから、定着しないのも当然」とコメントしている<ref name="railwaypressnet20210615"/>。 [[2017年]][[11月8日]]付『毎日新聞』掲載のコラム「ことば [[賞味期限]]を探る「[[広辞苑]]」10年ぶり改訂 [[造語|新語]]、[[流行語]]、そして死語」で、[[三省堂国語辞典]][[編集者]]の[[飯間浩明]]は「横柄なイメージだった国鉄が民営化した途端に言い出したので、『何がE電だ』という反感が強かったのではないでしょうか。後に『[[Suica]]』が面白がられて定着したことを考えると、今なら受け入れられたかもしれない。」と指摘している<ref>[https://mainichi.jp/sunday/articles/20171106/org/00m/040/003000d ことば 賞味期限を探る 「広辞苑」10年ぶり改訂 新語、流行語、そして死語]{{リンク切れ|date=2019年4月}} 毎日新聞、2017年11月8日</ref>。 == 現存する「E電」 == [[ファイル:E-den_on_an_information_board.jpg|thumb|[[勝沼ぶどう郷駅]]の「E電」表記(2007年)]] こうして[[廃語|死語]]となってしまった「E電」は、旅客案内でもほぼ用いられなくなり、ほとんどの駅の案内表示からも姿を消した。しかし、JR東日本の社内用語としては現存しており<ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref name=":1" />、JR東日本管内の[[中央本線|中央線]]を例に取ると、東京 - 高尾間を「快速線」「急行線」「E電線」とし、高尾以西を「列車線」「[[中央本線]]」と呼び分けている。 [[JR]]の公式[[時刻表]]である『[[JR時刻表]]』([[交通新聞社]]発行)の「普通[[運賃]]の計算」ページにも「'''東京の[[電車特定区間]](E電)'''」の表記が現存する<ref name=":0" /><ref>『JR時刻表』、交通新聞社、2016年4月号、930頁</ref>。また現在でもJRのポスターや[[プレスリリース]]などで「E電」の表記が使用されることがあり、一例として[[2010年代]]後半においても、[[2016年]][[4月6日]]にJR東日本が発表した[[駅ナンバリング]]導入についてのプレスリリース中に「※電車特定区間(E電区間)の各駅に導入します。」という文言があった<ref name=":2" /><ref name=":1" /><ref>{{Cite press release |和書 |title=首都圏エリアへ「駅ナンバリング」を導入します 2020年東京オリンピック・パラリンピックを見据え、よりわかりやすくご利用いただける駅を目指します|publisher=東日本旅客鉄道 |date=2016-04-06|url=http://www.jreast.co.jp/press/2016/20160402.pdf|format=pdf|accessdate=2016-06-08}}</ref>。このため「E電」という用語が現存していたことが[[インターネット]]上で話題となった<ref name=":2" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=JR東日本、「E電」まだ使ってた! 発表文に甦った「死語」に驚く人々 - ニュース|url=https://j-town.net/2016/04/08224232.html?p=all|website=Jタウンネット|date=2016-04-08|accessdate=2020-07-20|publisher=[[ジェイ・キャスト]]}}</ref>。 このプレスリリースが話題となったことを受けて行われた取材に対し、JR東日本[[広報]]は同年「以前公募で決めた愛称で、今も使っています」<ref name=":2" />「ご承知の通り、当社発足の際、公募により愛称として決定させて頂きました。その後、特にあえて使わなくするということもなく、場合に応じて使っております」「『まだ今も(E電という呼称を)使うんだ』という感覚では捉えていないです」<ref name=":0" />と回答しており、JR東日本としては「E電」という用語は「死語ではない」とする認識を示している<ref name=":0" /><ref name=":2" />。 なお『JR時刻表』内でも、東京近郊路線の時刻表に添えられていた「東京地区(E電・標準時分)」の「E電」表記は[[1997年]]に抹消され、それ以降は「東京地区(標準時分)」となっている<ref>『JR時刻表』、弘済出版社、1997年3月号、692 - 714頁には「E電」表記あり。同、1997年12月号、692 - 714頁には「E電」表記なし。</ref>。続いて[[1998年]]には、欄外の「乗り換え(掲載ページ)」に記載された「E電各線」も「東京近郊各線」に変更されている<ref>例えば『JR時刻表』、弘済出版社、1997年12月号、145頁欄外は「E電各線」、同、1998年12月号、146頁欄外は「東京近郊各線」。なお、大阪地区の同種の路線群は「各駅停車区間」。</ref>。 社内での評価としては、JR東日本発足当時の副社長で「E電」選考にも関わった[[山之内秀一郎]]は、「結果は大失敗だった」とし<ref name=":0" />、「日本語を乱すものとして強い批判を浴びたこともあるが、世の中の方々が全く使ってくださらなかった。結果としては『JR』が定着してしまった」「お客様にとっては[[国電]]と[[中距離電車|中電(中距離電車)]]の区別などどうでもよい。ほとんど全部の列車が(電気で走る)[[電車]]になってしまった現在ではもう『電車』の文字は不要なのだった」と著書の中で述べている<ref name=":0" /><ref>{{Cite book|和書|title=新幹線がなかったら|date=1998/12/1|year=|publisher=東京新聞出版局|isbn=4808306581|author=山之内秀一郎|authorlink=山之内秀一郎}}</ref>。 山之内が言うように、国鉄時代は近距離電車である「[[国電]]」と[[中距離電車]]を区別しており(当時は「汽車」と呼ばれる、[[電気機関車]]牽引の普通[[客車]]列車もまだ残っていた。「[[電車線・列車線]]」も参照)、JR発足後に「国電」を「E電」に改称したものの、[[1980年代]]後半には[[都心]]へも[[郊外]]へも[[電車]]([[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]])で行くようになり、一般乗客にとっては「国電/E電」と「中電」の区別はもはや意味がなくなっていた。そのため「E電」の語も定着せず、単に「[[JR]]」ないしは「[[JR線]]」と呼ばれることになった<ref name=":0" />。「E電」が死語となった現在では、元の「国電」に対応する一般的な呼称はなくなっているが、そのことによる利用上・案内上の問題は特に生じていない。 そうした事情もあり、中距離電車が走る[[山梨県]]内では例外的に「E電」が定着し<ref name=":0" />、[[東京駅|東京]]方面から乗り入れる[[中央線快速]]を([[中央本線]]の中距離電車と区別して)「E電」と呼ぶことがある<ref name=":0" />。[[山梨県庁]]<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.yamanashi.jp/kotsu-seisaku/koutsu/2014jrkousokuka.html|title=JR中央線の速達性・利便性の向上|publisher=[[山梨県]]|accessdate=2020-07-20|quote=要望事項(山梨県関連項目)普通列車の増発、通勤通学用快速列車(所謂E電)の甲府までの延伸}}</ref>や[[大月市]]立[[大月短期大学]]<ref>{{Cite web|和書|title=交通アクセス|url=http://www.ohtsuki.ac.jp/college/access|website=大月市立 [[大月短期大学]]|accessdate=2020-07-20|publisher=|quote=本学は、東京都、神奈川県と隣接する山梨県東部にあり、JR中央線の特急電車で[[大月駅|大月]]まで、[[新宿駅]]から約1時間、[[松本駅]]から約1時間30分の距離です。また、[[東京駅]]から直通のJR中央線「通称・E電」も乗り入れています。}}</ref>の公式[[ウェブサイト]]にも「E電」の表記が現存する<ref name=":0" />。また山梨県内の中央本線の[[路線図]](駅[[プラットホーム|ホーム]]の柱に掛けられている縦長のもの)に「E電 Tokyo Area」の表記が見られるが、[[神奈川県]]境に近い[[上野原駅]]などでは、近年「E電」表記がない路線図に取り替えられた。 [[常磐快速線]]の駅ホーム路線図にあった駅・所要時間案内でも、山梨県内の中央本線と同様に、[[快速列車|快速電車]]について「E電快速」と表記されていたが、[[中距離電車|中距離]][[普通列車]]との停車駅統一に伴い、停車駅統一の[[2004年]]3月頃から呼称統一の10月頃までに、路線図が取り替えられ「E電」表記はなくなった。 かつては[[蒲田駅]]東口の案内表示に「E電・[[東急電鉄|東京急行]]のりば」の表記が残っており、貴重な現存例として知られていたが<ref name=":0" />、[[2007年]]から[[2008年]]にかけての駅リニューアルと[[駅ビル]]工事に伴い撤去された<ref name=":0" />。しかもこの案内表示には「JR線きっぷうりば」の表記もあり、「E電」と「JR線」表記が混在していた<ref name=":0" />。また「E電」と併記されていた「東京急行」の社名も、[[2019年]]の[[東急]]の会社再編により消滅している。 現在は、[[東京駅]][[中央・総武緩行線|総武線]]地下ホーム階段上部の壁面に、その壁の前に吊り下がる案内標の後ろで見えにくい形ではあるが現存しており、「E電」と英語表記「INTRA-CITY&SUBURBAN TRAINS」が併記されている<ref name=":0" /><ref name=":2" />。 なお、E電および国電の範囲とはやや異なるが、[[運転指令所#業務|運転指令業務]]分野において、線区の区分として[[山手線]]・[[京浜東北線]]・[[根岸線]]・[[埼京線]]などを管轄する「[[東京圏輸送管理システム#ATOS導入済みの路線|E電方面指令]]」という言葉が残っている{{sfn|川辺|2014|pp=34-35}}。 == その他 == * JR東日本による定着せず終わった愛称の例としては、他に[[北陸新幹線]]の[[長野駅]]以東開業時における初期の愛称「長野行新幹線」があるが、これは[[北陸地方]]への配慮など様々な経緯が含まれている。詳しくは「[[長野新幹線#「長野新幹線」の呼称の変遷]]」を参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Citation|和書|last=川辺|first=謙一|year=2014|title=東京総合指令室―東京圏1400万人の足を支える指令員たち|series=交通新聞社新書|publisher=交通新聞社|isbn=9784330507149}} == 関連項目 == * [[制式名称]] * [[国電]] ** [[中距離電車]] * [[JR線]] -「E電」に代わり一般的・全国的に使われている言葉 * [[アーバンネットワーク]] - [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の「E電」に相当する愛称 * [[国鉄分割民営化]] * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) ** [[電車特定区間]] ** [[東京近郊区間]] ** [[大都市近郊区間 (JR)]] * [[シティ電車]] * [[造語]] / [[廃語]](いわゆる「死語」) {{デフォルトソート:いいてん}} [[Category:日本の鉄道]] [[Category:東日本旅客鉄道の列車|Eてん]] [[Category:鉄道関連の愛称]] [[Category:1987年の日本]]
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完全結晶
完全結晶(かんぜんけっしょう、英語: Perfect crystal )とは、格子欠陥や不純物のない完全な結晶のこと。 現実の結晶では、格子欠陥や不純物を完全に排除することは不可能である。例えば、格子欠陥の一つである点欠陥は、ある程度の数が存在する方が熱力学的に安定となるため、その数をゼロにする事は事実上不可能である。これに加え、実際の結晶には必ず端(結晶表面)が存在する。この様な理由から、実在の結晶では理想的状況(完全結晶)は存在しない。しかし、格子欠陥の一つである線欠陥(転位)はその数を減らすことが可能であり、実際に半導体製造に用いられるシリコンウェハーはCZ法で作られ、転位のほぼ存在しない結晶が工業的にも得られている。
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完全結晶とは、格子欠陥や不純物のない完全な結晶のこと。 現実の結晶では、格子欠陥や不純物を完全に排除することは不可能である。例えば、格子欠陥の一つである点欠陥は、ある程度の数が存在する方が熱力学的に安定となるため、その数をゼロにする事は事実上不可能である。これに加え、実際の結晶には必ず端(結晶表面)が存在する。この様な理由から、実在の結晶では理想的状況(完全結晶)は存在しない。しかし、格子欠陥の一つである線欠陥(転位)はその数を減らすことが可能であり、実際に半導体製造に用いられるシリコンウェハーはCZ法で作られ、転位のほぼ存在しない結晶が工業的にも得られている。
{{出典の明記 | date = 2016年10月 }} '''完全結晶'''(かんぜんけっしょう、{{lang-en|Perfect crystal}} )とは、[[格子欠陥]]や[[不純物]]のない完全な[[結晶]]のこと。 現実の結晶では、格子欠陥や不純物を完全に排除することは不可能である。例えば、格子欠陥の一つである[[点欠陥]]は、ある程度の数が存在する方が[[熱力学]]的に安定となるため、その数をゼロにする事は事実上不可能である。これに加え、実際の結晶には必ず端([[結晶表面]])が存在する。この様な理由から、実在の結晶では理想的状況(完全結晶)は存在しない。しかし、格子欠陥の一つである線欠陥([[転位]])はその数を減らすことが可能であり、実際に半導体製造に用いられる[[シリコンウェハー]]は[[CZ法]]で作られ、転位のほぼ存在しない結晶が工業的にも得られている。 == 関連項目 == * [[単結晶]] * [[多結晶]] * [[物性物理学]] {{Physics-stub}} {{DEFAULTSORT:かんせんけつしよう}} [[Category:結晶]] [[cs:Ideální krystal]]
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新大阪駅
新大阪駅(しんおおさかえき)は、大阪府大阪市淀川区西中島五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅。 大阪府内では唯一の新幹線停車駅である。東海道新幹線の終点および山陽新幹線の起点となっており、当駅を営業区間に含む全列車が停車するほか、当駅を始発終着とする列車が数多く設定されている。さらに、現在建設中の北陸新幹線とリニア中央新幹線も当駅が終点となる予定である(後述)。新幹線に接続して北陸や山陰、南紀(和歌山)・関西空港方面へのJR西日本在来線特急列車が発着し、北近畿ビッグXネットワークではその一端を担っている。大阪市北部の中心地である梅田(キタ)は淀川を挟んで当駅から南方へ約3kmの距離にあり、同地にあるJR大阪駅までは在来線の東海道本線(JR京都線)で1駅、Osaka Metro梅田駅までは地下鉄御堂筋線で3駅である。 JRの駅には、新幹線の東海道新幹線・山陽新幹線と在来線の東海道本線とおおさか東線が乗り入れている。Osaka Metroの駅には御堂筋線が乗り入れている。JRの在来線の駅の内、東海道本線には「JR-A46」、おおさか東線には「JR-F02」、御堂筋線の駅には「M13」の駅番号が与えられている。前述の通り、東海道新幹線は当駅が終点であり、山陽新幹線は当駅が起点となっている。この両新幹線の路線は当駅を介して相互直通運転が実施されており、総称として「東海道・山陽新幹線」の路線名称が使用されることがある。また2011年3月12日からは、全線開業した九州新幹線からの列車が当駅まで乗り入れを開始し、総称として「山陽・九州新幹線」の路線名称が使用されることがある。 1987年4月1日の国鉄分割民営化以降、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線と東海道本線がJR西日本の管轄となっている。新幹線は当駅がJR東海・JR西日本の境界駅となっているが、新幹線構内はJR東海が全面的に駅を管轄している。また東海道本線の当駅を含む京都駅 - 大阪駅間には「JR京都線」の愛称が設定されており、JR西日本の旅客案内では基本的にこの愛称が使用されている。 JR東海・JR西日本の駅は特定都区市内制度における「大阪市内」に属する。JR西日本(在来線)の駅はアーバンネットワークエリアに属しており、管理駅(駅長が配置された直営駅)として東淀川駅およびおおさか東線の南吹田駅、JR淡路駅を管理している。 JRの駅の事務管コードは、▲610155となっている。 JR西日本の駅はICOCA、Osaka Metroの駅はPiTaPaの各IC乗車カードの利用可能エリア内に含まれており、それぞれ相互利用可能なICカードにも対応している。新幹線ではEXサービス(EX予約・スマートEX)で予約を行い、交通系ICカードの登録を行えば利用可能。 1964年10月1日の東海道新幹線の開業に先立ち、大阪市営地下鉄御堂筋線(現Osaka Metro御堂筋線)の駅が同年9月24日に開業した。当時の駅は、用地買収の遅れから現在のホームの南半分(梅田側)のみ完成での開業で、さらに南側に木製の仮設ホームを継ぎ足してホーム長を確保していた。梅田側の上下線がホームの手前から大きく開いているのは、その仮設ホームがあった頃の名残である。当駅 - 江坂駅間が延伸開業した1970年2月24日に、未完成だったホーム北半分が完成して仮設ホームを撤去し、現在の御堂筋線の駅が完成した。 国鉄(現JR)の駅は、1964年の東京オリンピックの開催に合わせて建設された東海道新幹線の終点駅として、1963年10月に完成し、翌年の1964年10月1日に開業した(1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。新幹線の駅が大阪駅に併設されなかったのは、大阪駅(梅田地区)付近が阪急梅田駅や梅田貨物駅などの既存施設で埋め尽くされて再開発の余地がなかったことや、山陽方面への延伸が見込まれており、在来線のように淀川を二度も渡る曲線経路を避けたためである。また、在来線の駅も東海道新幹線開業と同時に営業を開始したため、1985年3月8日までは1番線ホームは在来線ではなく新幹線にあった。 なお、戦前の新幹線計画である「弾丸列車計画」では、1940年4月1日に現在の同駅の隣に設置された東淀川駅が同路線開通後に「新大阪駅」と改称される予定であったが、戦後東海道新幹線が建設される際に、「山陽方面への延伸の際は、北方貨物線の直上に建設した方が用地買収の手間がなくてよい」といった理由で大阪付近のルートが一部変更されたため、現在の位置に当駅が設置された。これにより、当駅との統合という形で東淀川駅の廃止計画を発表したが、地元住民の要望により存続することになった。東淀川駅と当駅の間の営業キロが0.7kmと短いのは、そういった理由によるものである。 当駅にはおおさか東線が乗り入れ、同線の起点駅となっている。計画当初は2006年開業を目指していたが、用地買収などで手間取り2009年度着工、2019年春に全線開業を迎えた。 1989年(平成元年)7月22日に天王寺駅構内の阪和短絡線が完成したことにより、くろしおや南紀方面行き快速が梅田貨物線経由で当駅に乗り入れる(後にはるかも運行開始する)ようになったが、それらの列車は、梅田貨物線から転線して11番のりば(東海道本線上り外側線。現在の1番のりば)で客扱いを行っていた。具体的には、下り(天王寺方面行き)の列車は梅田貨物線から当駅の北方で転線して11番のりばで客扱いを行った後、当駅の南方で再び梅田貨物線へと転線する一方、上り(京都方面行き)については、当駅の南方でまず梅田貨物線の下り線路に入り、さらに上り外側線へと転線、11番のりばで客扱いの後、そのまま上り外側線を走って京都方面へと向かっていた。上下とも11番のりばから発着していたため、誤った行先の列車に乗車してしまう事例があった。 このような複雑な客扱いは、上記の改良工事の過程で解消され、まず2016年2月1日には現在の3番のりば(ただし2016年から2018年までは11番と呼称していた。かつての13番のりば)に梅田貨物線の下りが直接乗り入れる構造に改められ(上り列車は下りに転線して客扱いの後、東海道本線上り外側線に転線)、2018年7月23日には梅田貨物線上りは1番のりば(かつての11番のりば)から発着するようになり、上りと下りが分離された。 駅周辺の都市再開発構想がある。日本プロジェクト産業協議会 (JAPIC) 関西委員会では、品川駅や名古屋駅と比べて、新大阪地区の都市機能や交通インフラは不十分であるとして、リニア中央新幹線や北陸新幹線の延伸を見据えて、都市機能の強化を検討してきた。 2018年3月、JAPICは「新大阪駅周辺エリアの都市機能強化の提言 関西の30年後を見据えた"新大阪創生プロジェクト"」をまとめ、国土交通省近畿地方整備局に提言書を手交した。想定事業費は合計で1.7兆円となり、大阪府の産業連関表を用いて経済波及効果を試算すると、建設工事による直接的な効果と建設工事雇用者により生じる副次的効果(商業、不動産、サービス等)を合わせて2.5兆円に達すると発表された。JAPICの再開発構想は次の3つの事業から成っている。 駅周辺の再開発(1.2兆円) 鉄道・バスターミナルと新御堂筋バイパスの整備(0.4兆円) 新淀川第二大橋の建設(0.1兆円) 2018年8月29日、内閣府は新大阪駅周辺を容積率の緩和などの優遇を受けられる都市再生緊急整備地域の「候補地域」として公表した。これを受けて、大阪府と大阪市は、年内にも官民で検討協議会を立ち上げ、2019年度を目途にまちづくりの方針を策定し、再開発構想の具体化を進めていく。候補地域には阪急の十三駅や淡路駅の周辺も含まれる。 ホームはJR西日本が管轄している部分は「のりば」、JR東海が管轄している部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。 3階に改札口とコンコース、2階に商店街と地下鉄への連絡通路がある。のりばは1 - 10番のりばが在来線ホーム(地平)、20 - 27番線が新幹線ホーム(4階)となっている。在来線・新幹線ホームとも改番を経た結果、27番線以外は各ホームの使用開始時と異なる番号を有する。 JR西日本の管轄で、島式ホーム5面10線(12両編成対応)を有する地上駅である。ホームはほぼ南北方向に延びており、新幹線ホームの東側と斜めに交差する。在来線と地下鉄とは距離があるため乗り換えの利便性はあまりよくない。 コンコース在来線部分の北側にはJR西日本の駅ナカ商業施設「エキマルシェ新大阪」があり、土産物、駅弁、軽食を主に扱っている他、飲食店も営業している。 当駅の大阪方には網干総合車両所宮原支所への連絡線があり、大阪駅発着列車の送り込み・送り出し回送列車が通行するが、この連絡線自体も当駅の構内に含まれており、当該回送列車の運転取り扱い上でも当駅を通過駅かつ採時駅として扱っている。 当駅に発着する在来線優等列車の詳細は後述する。 開業以来、当駅の在来線部分は、東海道本線4面8線に加え、西にはホームのない梅田貨物線が複線で並走しており、一方、東には島式ホーム1面2線分の空き地が広がっていた(これとは別にホームの空き地は梅田貨物線の上下線路間にも確保している)。この空き地は将来、大阪外環状線(仮称)を建設する際に専用のホームを増設するためのもので、直上のコンコースにおいても、増設されたホームへの階段を設置するためのスペースがあらかじめ確保されていた。大阪外環状線は、当初の計画では神崎川の北方から東海道本線の東側を並走し、そのままその増設ホームに乗り入れる予定だったからである。しかし2008年3月15日におおさか東線という名称で一部開業したこの新路線は、当駅まで延伸するにあたり、神崎川北方で東海道本線を高架で乗り越えて、西を並走する梅田貨物線へ合流する計画に変更され、その後も路線の起終点が新大阪駅から梅田貨物線上に新設される大阪駅までの計画に再び変更されている(詳しくはおおさか東線#建設の経緯を参照)。 それに伴い、その空き地に1面2線の島式ホームを新設して、既存の乗り場を東へ移し、最も西のホームを大阪外環状線専用とする(その結果おおさか東線の列車も発着できる。一方で梅田貨物線上下線路間の空き地のホーム設置は見送りとなった)5面10線構造へと改良することになった。工事は2012年から2018年にかけて施行され、おおむね一年ごとに乗り場を1面2線分だけ東へ移し、空いたホームの再整備(再舗装およびかさ上げ、上屋の延長、一部ホームの短縮など)を行って、一年後にまたそこに既存の乗り場を西から1面2線分だけ移すという方法が取られた。当駅開業以来、在来線部分の大規模改良はこれが初である。 新17・18番のりばは2012年12月16日に使用が開始され、使用が停止された旧17・18番のりばは約1年かけて改装され、2013年12月8日に新15・16番のりばとして使用が開始された。同様に11 - 16番のりばもホーム1本当たり約1年かけて順次改装され、旧11・12番のりばが2018年7月23日から京都方面行きの特急「はるか」「くろしお」用ホームとしての使用再開を以ってホーム増設工事は終了した。これにより、新大阪駅においての「はるか」と「くろしお」の発着線が事実上の複線に増設されることから、同駅でのすれ違いが可能となるため、ダイヤ設定上のボトルネックが解消されることとなった。なお、旧11・12番のりばの使用が再開されるのに先立って6月24日から在来線ののりば番号が3-10番のりばに変更され、旧11・12番ホームは1・2番のりばとなった。 JR東海とJR西日本の共同使用だがJR東海の管轄で、JR東海が管轄する駅では最西端となる。また、JR九州所属の車両が乗り入れる最東端の駅でもある。島式ホーム3面6線と単式ホーム2面2線、合計5面8線を有する高架駅。ホームはほぼ東西方向に延びている。博多方には上下本線の間に引上線(大阪仕業検査車両所新大阪支所)があるほか、25・26番線の博多方には保線用の横取り線がある。 案内サイン類や駅名標はJR東海のデザインのものであるが、東海道・山陽新幹線の境界駅のため、駅名標には「JR東海」の表示やオレンジ色のJRマークは入っていない。 東海道新幹線の開業当初の設計では島式ホーム3面6線のみ(開通時は2面3線のみで1974年12月7日に3面6線となった)で南北に1線ずつ留置線の路盤を準備していたが、その路盤に線路とホームを設置する形で1985年3月9日に20番線が、2013年3月16日に27番線が増設された。なお、27番線のホームは阪急新大阪連絡線として阪急電鉄が確保していた用地を利用して設置された。 山陽新幹線の「みずほ」・「さくら」・「ひかりレールスター」・「こだま」の多くは単式ホームの20番線に着発するため、東海道新幹線が主に発着するホームから遠く、コンコースと20番線を直接行き来するエレベーターも無いため、21・22番線用のエレベーターを利用して乗り換える必要がある。そのため、マルス端末やインターネットの乗換案内サービスなどにおいても、同一ホームで乗り換えが可能な隣駅の新神戸駅での乗り換えを推奨するケースが多い。2011年3月12日の山陽・九州新幹線直通運転にそなえ、20番線のエスカレーターの増設工事が行われた。 一部の「さくら」は21番ホームから発車する。 実際のJR東海とJR西日本の会社境界は駅西方2.8km先(東京起点518.2 km)の十三筋(大阪府道・兵庫県道41号大阪伊丹線)の第二三津屋架道橋を越えたすぐの地点にある。ここにはATCの上り第1場内進路と地上信号機が設置されている。20番線(一部は21 - 23番線)に到着する上り列車はここから下り線を走行することになるため、山陽新幹線のダイヤ構成上の制約が生じるが、反面22番線から27番線までと引き上げ線との間の入換では交差支障が発生せず、東海道新幹線の新大阪折り返し列車と山陽新幹線の新大阪折り返し列車は独立にダイヤ設定が可能である。また東海道新幹線側では同駅では一部相互発着という手法で列車を入線・出発させている。 2006年2月22日のJR東海社長定例会見で、新幹線ホームの改良に伴い、阪急新大阪連絡線の用地の一部を転用して、現在の26番線の北側に27番線を新たに設けることと、博多方にある2本の引上線を4本に増設することを明らかにしていたが、27番線は2013年3月16日のダイヤ改正から使用している。これにより、運転効率の向上ならびに更なる本数増強が可能になった。続いて、引上線の増設が2014年1月26日に完成した。 残る阪急電鉄の所有地は、当駅北側の玄関口として活用するとともに、新大阪連絡線のうち免許が維持されている当駅 - 十三駅間をOsaka Metro四つ橋線の十三延長(西梅田・十三連絡線(仮称))と合わせて一本の路線として、北ヤード・西梅田への接続路線として整備する意向であることを表明している。ただしこれらの計画についての着工・完成時期などは未定である。 また、新幹線コンコースはこれまでの中央入口(入場のみ)・中央出口(出場のみ)が、両者ともに入出場可能となる改良工事が行われた。これに伴い、前者は「中央口」、後者は「南口」と改称されている。 なお、2013年7月10日から新幹線ホームが全面禁煙化され、新たにコンコース内に喫煙ルームが設けられた。 新幹線ホームの直下の地上には北方貨物線が通る。ホーム部分は25・26番線ホームの直下、引上線部分は引上1・2番線(1966年10月1日に設置された当初からある引上線)の直下を通過している。 山陽新幹線側は地下ホームを建設し、北陸新幹線も乗り入れて直通運転する計画案がある。 日中時間帯は片道1時間あたりJR京都線が16本(新快速・快速がそれぞれ4本、普通電車が8本)、おおさか東線が4本(すべて普通)発着する。朝夕は本数が多くなり、おおさか東線の直通快速は朝夕のみ発着する。 北陸・北近畿・山陰・南紀系統の特急列車も当駅に停車し、新幹線との接続が図られている。 梅田貨物線を経由する大阪環状線・阪和線・きのくに線・関西空港線との直通列車は特急列車のみの運転で、1時間あたり関空方面が2本と南紀方面が1本運転されている。2018年3月16日までは、早朝・深夜時間帯には当駅発着の快速列車も運転されていた。 大阪駅と並んで在来線特急のターミナルとして機能しており、山陰方面への特急や、南紀方面への一部の特急は当駅始発として運転されている。 大阪市高速電気軌道御堂筋線は西側で東海道・山陽新幹線とほぼ直交し、新御堂筋の中央分離帯に位置する島式ホーム1面2線を有する高架駅となっている。高架駅ではあるが、線路を含めすべて屋根に覆われている。 江坂方にY形引き上げ線があり、終日に渡り天王寺方面からの折り返し列車が設定されている。日中は半数の列車が折り返す。かつては夜間の留置にのみ使用されていたが、1990年から中津行きを延長する形で日中にも多く運転されるようになった(当初は「国際花と緑の博覧会」期間中のみの予定であったが、好評だったため期間終了後もこの延長運転は続けられ、後に夜間時間帯にも拡大している)。 ホームの江坂方にトレインビュースポットが設置されており、自由に出入りが可能。 西中島南方駅とは駅間距離が僅か700mしか離れておらず、当駅ホームから西中島南方駅ホームやそこに停まっている電車が見える。 昇降設備は、北東・北西改札内にエスカレーターが上り1基・下り2基とエレベーターがあり、中改札内にエスカレーターが上り2基・下り1基とエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーター1基がある。 トイレは北東・北西改札内、中改札内、南改札内のそれぞれにあり、北東・北西改札内と中改札内にオストメイトに対応した多機能トイレがある。 尚、このトイレは、2015年に、日本トイレ大賞を受賞した。 自動改札機は東芝製が設置されている。JR線との連絡改札はなく、乗り換えの際は一旦改札を出る必要がある。 2010年1月6日、中改札口にファミリーマート地下鉄新大阪駅ナカ店が開店したが、2015年に閉店した(跡地に改札口南側にあった有人窓口を移設)。 2016年3月30日には駅北東・北西改札外に駅ナカ商業施設「新なにわ食堂街」がオープンした。 当駅は梅田管区駅に所属し、同副管区駅長が管轄している。 主な駅弁は下記の通り。 各年度の1日乗車・乗降人員数は下表の通り。 駅周辺は住宅地(高層マンション)、オフィスビル、ビジネスホテルなどが立ち並んでいる。梅田の中心地である大阪駅ほどではないが、駅構内は乗り換え客でで賑わっている。ただし、新幹線から中心市街地へ移動するための乗り換え駅としての役割が強いため、市内中心部の梅田(キタ)や難波(ミナミ)、天王寺などとと比較すると駅ナカを除いて商業施設はかなり少なく、繁華街としての性格はない。 1990年代以降再開発が進み、駅周辺には超高層ビルが建設されているが、いずれも高さ100m程度に抑えられており、梅田を抱える大阪駅周辺と比べるとかなり低い。これは駅上空が大阪国際空港(伊丹空港)に着陸する航空機の標準計器到着方式のコースに当たり、航空法により高さ制限が設定されているためである。 東淀川区に位置する東口は、駅中央部の商店街からは外れているため、人通りが少なく住宅地が広がっている。 駅構内は1階にレストラン街、2階に売店・カフェ、3階にエキマルシェなどの多数の土産物品店が入居している。 南側には、いずれも徒歩10分ぐらいで、阪急南方駅とOsaka Metro西中島南方駅があるほか、宿泊施設などが若干数所在する。 東側には教育機関のほか、宿泊施設などが所在する。阪急崇禅寺駅までは徒歩13分程度。阪急柴島駅までは徒歩18分程度。 正面口(南口)・北口・東口の3箇所にバス停留所が設置されている。なお、東口にあるバス停は地下鉄駅からかなり離れている。北口には阪急バスグループの高速バスターミナルが設けられている。 なお、中国ハイウェイバスは新御堂筋北行きの側道に停留所を設けている他、地下鉄の駅では新大阪駅北口バス停付近に設置されている「宮原四丁目」バス停を最寄りバス停として案内されている。 なお、湯快リゾートの送迎バスは正面口向かいの駐車場から発車する。 2012年10月31日までは新御堂筋の西側(御堂筋線の西側、山陽新幹線の高架北側)に所在したが、現在は新大阪阪急ビル1階へ移転し、JR・大阪市営地下鉄の両駅舎と直結して利便性が改善された。 ※ ()内は駅番号を示す。新幹線と特急・急行列車の停車駅は各列車記事を参照。
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"title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "国鉄(現JR)の駅は、1964年の東京オリンピックの開催に合わせて建設された東海道新幹線の終点駅として、1963年10月に完成し、翌年の1964年10月1日に開業した(1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。新幹線の駅が大阪駅に併設されなかったのは、大阪駅(梅田地区)付近が阪急梅田駅や梅田貨物駅などの既存施設で埋め尽くされて再開発の余地がなかったことや、山陽方面への延伸が見込まれており、在来線のように淀川を二度も渡る曲線経路を避けたためである。また、在来線の駅も東海道新幹線開業と同時に営業を開始したため、1985年3月8日までは1番線ホームは在来線ではなく新幹線にあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "なお、戦前の新幹線計画である「弾丸列車計画」では、1940年4月1日に現在の同駅の隣に設置された東淀川駅が同路線開通後に「新大阪駅」と改称される予定であったが、戦後東海道新幹線が建設される際に、「山陽方面への延伸の際は、北方貨物線の直上に建設した方が用地買収の手間がなくてよい」といった理由で大阪付近のルートが一部変更されたため、現在の位置に当駅が設置された。これにより、当駅との統合という形で東淀川駅の廃止計画を発表したが、地元住民の要望により存続することになった。東淀川駅と当駅の間の営業キロが0.7kmと短いのは、そういった理由によるものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当駅にはおおさか東線が乗り入れ、同線の起点駅となっている。計画当初は2006年開業を目指していたが、用地買収などで手間取り2009年度着工、2019年春に全線開業を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1989年(平成元年)7月22日に天王寺駅構内の阪和短絡線が完成したことにより、くろしおや南紀方面行き快速が梅田貨物線経由で当駅に乗り入れる(後にはるかも運行開始する)ようになったが、それらの列車は、梅田貨物線から転線して11番のりば(東海道本線上り外側線。現在の1番のりば)で客扱いを行っていた。具体的には、下り(天王寺方面行き)の列車は梅田貨物線から当駅の北方で転線して11番のりばで客扱いを行った後、当駅の南方で再び梅田貨物線へと転線する一方、上り(京都方面行き)については、当駅の南方でまず梅田貨物線の下り線路に入り、さらに上り外側線へと転線、11番のりばで客扱いの後、そのまま上り外側線を走って京都方面へと向かっていた。上下とも11番のりばから発着していたため、誤った行先の列車に乗車してしまう事例があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "このような複雑な客扱いは、上記の改良工事の過程で解消され、まず2016年2月1日には現在の3番のりば(ただし2016年から2018年までは11番と呼称していた。かつての13番のりば)に梅田貨物線の下りが直接乗り入れる構造に改められ(上り列車は下りに転線して客扱いの後、東海道本線上り外側線に転線)、2018年7月23日には梅田貨物線上りは1番のりば(かつての11番のりば)から発着するようになり、上りと下りが分離された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "駅周辺の都市再開発構想がある。日本プロジェクト産業協議会 (JAPIC) 関西委員会では、品川駅や名古屋駅と比べて、新大阪地区の都市機能や交通インフラは不十分であるとして、リニア中央新幹線や北陸新幹線の延伸を見据えて、都市機能の強化を検討してきた。", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2018年3月、JAPICは「新大阪駅周辺エリアの都市機能強化の提言 関西の30年後を見据えた\"新大阪創生プロジェクト\"」をまとめ、国土交通省近畿地方整備局に提言書を手交した。想定事業費は合計で1.7兆円となり、大阪府の産業連関表を用いて経済波及効果を試算すると、建設工事による直接的な効果と建設工事雇用者により生じる副次的効果(商業、不動産、サービス等)を合わせて2.5兆円に達すると発表された。JAPICの再開発構想は次の3つの事業から成っている。", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "駅周辺の再開発(1.2兆円)", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鉄道・バスターミナルと新御堂筋バイパスの整備(0.4兆円)", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "新淀川第二大橋の建設(0.1兆円)", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2018年8月29日、内閣府は新大阪駅周辺を容積率の緩和などの優遇を受けられる都市再生緊急整備地域の「候補地域」として公表した。これを受けて、大阪府と大阪市は、年内にも官民で検討協議会を立ち上げ、2019年度を目途にまちづくりの方針を策定し、再開発構想の具体化を進めていく。候補地域には阪急の十三駅や淡路駅の周辺も含まれる。", "title": "開発構想" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ホームはJR西日本が管轄している部分は「のりば」、JR東海が管轄している部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "3階に改札口とコンコース、2階に商店街と地下鉄への連絡通路がある。のりばは1 - 10番のりばが在来線ホーム(地平)、20 - 27番線が新幹線ホーム(4階)となっている。在来線・新幹線ホームとも改番を経た結果、27番線以外は各ホームの使用開始時と異なる番号を有する。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "JR西日本の管轄で、島式ホーム5面10線(12両編成対応)を有する地上駅である。ホームはほぼ南北方向に延びており、新幹線ホームの東側と斜めに交差する。在来線と地下鉄とは距離があるため乗り換えの利便性はあまりよくない。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "コンコース在来線部分の北側にはJR西日本の駅ナカ商業施設「エキマルシェ新大阪」があり、土産物、駅弁、軽食を主に扱っている他、飲食店も営業している。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "当駅の大阪方には網干総合車両所宮原支所への連絡線があり、大阪駅発着列車の送り込み・送り出し回送列車が通行するが、この連絡線自体も当駅の構内に含まれており、当該回送列車の運転取り扱い上でも当駅を通過駅かつ採時駅として扱っている。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "当駅に発着する在来線優等列車の詳細は後述する。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "開業以来、当駅の在来線部分は、東海道本線4面8線に加え、西にはホームのない梅田貨物線が複線で並走しており、一方、東には島式ホーム1面2線分の空き地が広がっていた(これとは別にホームの空き地は梅田貨物線の上下線路間にも確保している)。この空き地は将来、大阪外環状線(仮称)を建設する際に専用のホームを増設するためのもので、直上のコンコースにおいても、増設されたホームへの階段を設置するためのスペースがあらかじめ確保されていた。大阪外環状線は、当初の計画では神崎川の北方から東海道本線の東側を並走し、そのままその増設ホームに乗り入れる予定だったからである。しかし2008年3月15日におおさか東線という名称で一部開業したこの新路線は、当駅まで延伸するにあたり、神崎川北方で東海道本線を高架で乗り越えて、西を並走する梅田貨物線へ合流する計画に変更され、その後も路線の起終点が新大阪駅から梅田貨物線上に新設される大阪駅までの計画に再び変更されている(詳しくはおおさか東線#建設の経緯を参照)。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "それに伴い、その空き地に1面2線の島式ホームを新設して、既存の乗り場を東へ移し、最も西のホームを大阪外環状線専用とする(その結果おおさか東線の列車も発着できる。一方で梅田貨物線上下線路間の空き地のホーム設置は見送りとなった)5面10線構造へと改良することになった。工事は2012年から2018年にかけて施行され、おおむね一年ごとに乗り場を1面2線分だけ東へ移し、空いたホームの再整備(再舗装およびかさ上げ、上屋の延長、一部ホームの短縮など)を行って、一年後にまたそこに既存の乗り場を西から1面2線分だけ移すという方法が取られた。当駅開業以来、在来線部分の大規模改良はこれが初である。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "新17・18番のりばは2012年12月16日に使用が開始され、使用が停止された旧17・18番のりばは約1年かけて改装され、2013年12月8日に新15・16番のりばとして使用が開始された。同様に11 - 16番のりばもホーム1本当たり約1年かけて順次改装され、旧11・12番のりばが2018年7月23日から京都方面行きの特急「はるか」「くろしお」用ホームとしての使用再開を以ってホーム増設工事は終了した。これにより、新大阪駅においての「はるか」と「くろしお」の発着線が事実上の複線に増設されることから、同駅でのすれ違いが可能となるため、ダイヤ設定上のボトルネックが解消されることとなった。なお、旧11・12番のりばの使用が再開されるのに先立って6月24日から在来線ののりば番号が3-10番のりばに変更され、旧11・12番ホームは1・2番のりばとなった。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "JR東海とJR西日本の共同使用だがJR東海の管轄で、JR東海が管轄する駅では最西端となる。また、JR九州所属の車両が乗り入れる最東端の駅でもある。島式ホーム3面6線と単式ホーム2面2線、合計5面8線を有する高架駅。ホームはほぼ東西方向に延びている。博多方には上下本線の間に引上線(大阪仕業検査車両所新大阪支所)があるほか、25・26番線の博多方には保線用の横取り線がある。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "案内サイン類や駅名標はJR東海のデザインのものであるが、東海道・山陽新幹線の境界駅のため、駅名標には「JR東海」の表示やオレンジ色のJRマークは入っていない。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "東海道新幹線の開業当初の設計では島式ホーム3面6線のみ(開通時は2面3線のみで1974年12月7日に3面6線となった)で南北に1線ずつ留置線の路盤を準備していたが、その路盤に線路とホームを設置する形で1985年3月9日に20番線が、2013年3月16日に27番線が増設された。なお、27番線のホームは阪急新大阪連絡線として阪急電鉄が確保していた用地を利用して設置された。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "山陽新幹線の「みずほ」・「さくら」・「ひかりレールスター」・「こだま」の多くは単式ホームの20番線に着発するため、東海道新幹線が主に発着するホームから遠く、コンコースと20番線を直接行き来するエレベーターも無いため、21・22番線用のエレベーターを利用して乗り換える必要がある。そのため、マルス端末やインターネットの乗換案内サービスなどにおいても、同一ホームで乗り換えが可能な隣駅の新神戸駅での乗り換えを推奨するケースが多い。2011年3月12日の山陽・九州新幹線直通運転にそなえ、20番線のエスカレーターの増設工事が行われた。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一部の「さくら」は21番ホームから発車する。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "実際のJR東海とJR西日本の会社境界は駅西方2.8km先(東京起点518.2 km)の十三筋(大阪府道・兵庫県道41号大阪伊丹線)の第二三津屋架道橋を越えたすぐの地点にある。ここにはATCの上り第1場内進路と地上信号機が設置されている。20番線(一部は21 - 23番線)に到着する上り列車はここから下り線を走行することになるため、山陽新幹線のダイヤ構成上の制約が生じるが、反面22番線から27番線までと引き上げ線との間の入換では交差支障が発生せず、東海道新幹線の新大阪折り返し列車と山陽新幹線の新大阪折り返し列車は独立にダイヤ設定が可能である。また東海道新幹線側では同駅では一部相互発着という手法で列車を入線・出発させている。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2006年2月22日のJR東海社長定例会見で、新幹線ホームの改良に伴い、阪急新大阪連絡線の用地の一部を転用して、現在の26番線の北側に27番線を新たに設けることと、博多方にある2本の引上線を4本に増設することを明らかにしていたが、27番線は2013年3月16日のダイヤ改正から使用している。これにより、運転効率の向上ならびに更なる本数増強が可能になった。続いて、引上線の増設が2014年1月26日に完成した。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "残る阪急電鉄の所有地は、当駅北側の玄関口として活用するとともに、新大阪連絡線のうち免許が維持されている当駅 - 十三駅間をOsaka Metro四つ橋線の十三延長(西梅田・十三連絡線(仮称))と合わせて一本の路線として、北ヤード・西梅田への接続路線として整備する意向であることを表明している。ただしこれらの計画についての着工・完成時期などは未定である。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "また、新幹線コンコースはこれまでの中央入口(入場のみ)・中央出口(出場のみ)が、両者ともに入出場可能となる改良工事が行われた。これに伴い、前者は「中央口」、後者は「南口」と改称されている。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "なお、2013年7月10日から新幹線ホームが全面禁煙化され、新たにコンコース内に喫煙ルームが設けられた。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "新幹線ホームの直下の地上には北方貨物線が通る。ホーム部分は25・26番線ホームの直下、引上線部分は引上1・2番線(1966年10月1日に設置された当初からある引上線)の直下を通過している。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "山陽新幹線側は地下ホームを建設し、北陸新幹線も乗り入れて直通運転する計画案がある。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "日中時間帯は片道1時間あたりJR京都線が16本(新快速・快速がそれぞれ4本、普通電車が8本)、おおさか東線が4本(すべて普通)発着する。朝夕は本数が多くなり、おおさか東線の直通快速は朝夕のみ発着する。 北陸・北近畿・山陰・南紀系統の特急列車も当駅に停車し、新幹線との接続が図られている。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "梅田貨物線を経由する大阪環状線・阪和線・きのくに線・関西空港線との直通列車は特急列車のみの運転で、1時間あたり関空方面が2本と南紀方面が1本運転されている。2018年3月16日までは、早朝・深夜時間帯には当駅発着の快速列車も運転されていた。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "大阪駅と並んで在来線特急のターミナルとして機能しており、山陰方面への特急や、南紀方面への一部の特急は当駅始発として運転されている。", "title": "JR西日本・JR東海" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "大阪市高速電気軌道御堂筋線は西側で東海道・山陽新幹線とほぼ直交し、新御堂筋の中央分離帯に位置する島式ホーム1面2線を有する高架駅となっている。高架駅ではあるが、線路を含めすべて屋根に覆われている。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "江坂方にY形引き上げ線があり、終日に渡り天王寺方面からの折り返し列車が設定されている。日中は半数の列車が折り返す。かつては夜間の留置にのみ使用されていたが、1990年から中津行きを延長する形で日中にも多く運転されるようになった(当初は「国際花と緑の博覧会」期間中のみの予定であったが、好評だったため期間終了後もこの延長運転は続けられ、後に夜間時間帯にも拡大している)。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ホームの江坂方にトレインビュースポットが設置されており、自由に出入りが可能。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "西中島南方駅とは駅間距離が僅か700mしか離れておらず、当駅ホームから西中島南方駅ホームやそこに停まっている電車が見える。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "昇降設備は、北東・北西改札内にエスカレーターが上り1基・下り2基とエレベーターがあり、中改札内にエスカレーターが上り2基・下り1基とエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーター1基がある。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "トイレは北東・北西改札内、中改札内、南改札内のそれぞれにあり、北東・北西改札内と中改札内にオストメイトに対応した多機能トイレがある。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "尚、このトイレは、2015年に、日本トイレ大賞を受賞した。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "自動改札機は東芝製が設置されている。JR線との連絡改札はなく、乗り換えの際は一旦改札を出る必要がある。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2010年1月6日、中改札口にファミリーマート地下鉄新大阪駅ナカ店が開店したが、2015年に閉店した(跡地に改札口南側にあった有人窓口を移設)。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2016年3月30日には駅北東・北西改札外に駅ナカ商業施設「新なにわ食堂街」がオープンした。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "当駅は梅田管区駅に所属し、同副管区駅長が管轄している。", "title": "大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "主な駅弁は下記の通り。", "title": "駅弁" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "各年度の1日乗車・乗降人員数は下表の通り。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "駅周辺は住宅地(高層マンション)、オフィスビル、ビジネスホテルなどが立ち並んでいる。梅田の中心地である大阪駅ほどではないが、駅構内は乗り換え客でで賑わっている。ただし、新幹線から中心市街地へ移動するための乗り換え駅としての役割が強いため、市内中心部の梅田(キタ)や難波(ミナミ)、天王寺などとと比較すると駅ナカを除いて商業施設はかなり少なく、繁華街としての性格はない。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1990年代以降再開発が進み、駅周辺には超高層ビルが建設されているが、いずれも高さ100m程度に抑えられており、梅田を抱える大阪駅周辺と比べるとかなり低い。これは駅上空が大阪国際空港(伊丹空港)に着陸する航空機の標準計器到着方式のコースに当たり、航空法により高さ制限が設定されているためである。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "東淀川区に位置する東口は、駅中央部の商店街からは外れているため、人通りが少なく住宅地が広がっている。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "駅構内は1階にレストラン街、2階に売店・カフェ、3階にエキマルシェなどの多数の土産物品店が入居している。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "南側には、いずれも徒歩10分ぐらいで、阪急南方駅とOsaka Metro西中島南方駅があるほか、宿泊施設などが若干数所在する。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "東側には教育機関のほか、宿泊施設などが所在する。阪急崇禅寺駅までは徒歩13分程度。阪急柴島駅までは徒歩18分程度。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "正面口(南口)・北口・東口の3箇所にバス停留所が設置されている。なお、東口にあるバス停は地下鉄駅からかなり離れている。北口には阪急バスグループの高速バスターミナルが設けられている。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "なお、中国ハイウェイバスは新御堂筋北行きの側道に停留所を設けている他、地下鉄の駅では新大阪駅北口バス停付近に設置されている「宮原四丁目」バス停を最寄りバス停として案内されている。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "なお、湯快リゾートの送迎バスは正面口向かいの駐車場から発車する。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2012年10月31日までは新御堂筋の西側(御堂筋線の西側、山陽新幹線の高架北側)に所在したが、現在は新大阪阪急ビル1階へ移転し、JR・大阪市営地下鉄の両駅舎と直結して利便性が改善された。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "※ ()内は駅番号を示す。新幹線と特急・急行列車の停車駅は各列車記事を参照。", "title": "隣の駅" } ]
新大阪駅(しんおおさかえき)は、大阪府大阪市淀川区西中島五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・大阪市高速電気軌道の駅。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2010-11}} <!-- 【地下鉄とJRの紹介順について】ノートでの議論により、(駅構造などで)紹介する順番は「JR→地下鉄」となっております。異論のある方は、ノートにおいて再提案をした上で編集をお願いいたします。 --> {{駅情報 |社色 = |文字色 = |駅名 = 新大阪駅 |画像 = Shin-Ōsaka Station.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 駅舎外観(2018年11月) |地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300|marker=rail|marker2=rail-metro|coord={{coord|34|44|0.54|N|135|30|0.41|E}}|title=JR 新大阪駅|coord2={{coord|34|44|0.51|N|135|29|54.73|E}}|title2=Osaka Metro 新大阪駅|marker-color=0072bc|marker-color2=33328b|frame-latitude=34.733339|frame-longitude=135.499356}} |よみがな = しんおおさか |ローマ字 = Shin-Ōsaka |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本・[[#JR西日本・JR東海 2|駅詳細]])<br />[[東海旅客鉄道]](JR東海・[[#JR西日本・JR東海 2|駅詳細]])<br />[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro・[[#大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) 2|駅詳細]]) |所在地 = [[大阪市]][[淀川区]][[西中島 (大阪市)|西中島]]五丁目 |乗換 = |備考 = }} [[ファイル:新大阪駅全景.jpg|thumb|横方向が新幹線。画面右側は東海道本線、左側の道路中央部が御堂筋線。(2020年3月)]]{{After float}} '''新大阪駅'''(しんおおさかえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[淀川区]][[西中島 (大阪市)|西中島]]五丁目にある、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)・[[東海旅客鉄道]](JR東海)・[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)の[[鉄道駅|駅]]。 == 概要 == [[ファイル:Shinosaka minami.jpg|thumb|JR新大阪駅の在来線[[プラットホーム|ホーム]](手前から奥へ)と新幹線ホーム(左右)。手前で上下すれ違うのは東海道本線([[JR京都線]])の[[新快速]]。また、新幹線駅前の道路は[[立体交差|立体]]化されてロータリーとなり、[[タクシー]]でひしめいている。(2008年8月)]] 大阪府内では唯一の[[新幹線]]停車[[鉄道駅|駅]]である。[[東海道新幹線]]の終点および[[山陽新幹線]]の起点となっており、当駅を営業区間に含む全列車が停車するほか、当駅を始発終着とする列車が数多く設定されている。さらに、現在建設中の[[北陸新幹線]]と[[中央新幹線|リニア中央新幹線]]も当駅が終点となる予定である([[#地方創生回廊中央駅構想|後述]])。新幹線に接続して[[北陸地方|北陸]]や[[山陰地方|山陰]]、[[南紀]]([[和歌山県|和歌山]])・[[関西国際空港|関西空港]]方面へのJR西日本在来線[[特別急行列車|特急列車]]が発着し、[[北近畿ビッグXネットワーク]]ではその一端を担っている。大阪市北部の中心地である[[梅田]]([[キタ]])は[[淀川]]を挟んで当駅から南方へ約3kmの距離にあり、同地にある[[大阪駅|JR大阪駅]]までは[[在来線]]の[[東海道本線]]([[JR京都線]])で1駅、[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]][[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]]までは[[Osaka Metro御堂筋線|地下鉄御堂筋線]]で3駅である。 === 乗り入れ路線 === [[JR]]の駅には、新幹線の[[東海道新幹線]]・[[山陽新幹線]]と在来線の[[東海道本線]]と[[おおさか東線]]が乗り入れている。[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]]の駅には[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]が乗り入れている。JRの在来線の駅の内、東海道本線には「'''JR-A46'''」、おおさか東線には「'''JR-F02'''」、御堂筋線の駅には「'''M13'''」の[[駅ナンバリング|駅番号]]が与えられている。前述の通り、東海道新幹線は当駅が終点であり、山陽新幹線は当駅が起点となっている。この両新幹線の路線は当駅を介して[[直通運転|相互直通運転]]が実施されており、総称として「[[東海道・山陽新幹線]]」の路線名称が使用されることがある。また[[2011年]][[3月12日]]からは、全線開業した[[九州新幹線]]からの列車が当駅まで乗り入れを開始し、総称として「山陽・九州新幹線」の路線名称が使用されることがある。 [[1987年]][[4月1日]]の[[国鉄分割民営化]]以降、東海道新幹線は[[東海旅客鉄道|JR東海]]、山陽新幹線と東海道本線が[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の管轄となっている。新幹線は当駅がJR東海・JR西日本の[[境界駅]]となっているが、新幹線構内はJR東海が全面的に駅を管轄している。また東海道本線の当駅を含む[[京都駅]] - [[大阪駅]]間には「[[JR京都線]]」の愛称が設定されており<ref group="注">但し、東海道新幹線の車内到着放送ではJR東海の方針に伴い、「東海道線」で案内される。一方、山陽新幹線の車内到着放送では、上りはJR京都線、下りは隣の大阪駅以西の愛称である「[[JR神戸線]]」で案内される。</ref>、JR西日本の旅客案内では基本的にこの愛称が使用されている。 JR東海・JR西日本の駅は[[特定都区市内]]制度における「大阪市内」に属する。JR西日本(在来線)の駅は[[アーバンネットワーク]]エリアに属しており、[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]](駅長が配置された[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]])として[[東淀川駅]]およびおおさか東線の[[南吹田駅]]、[[JR淡路駅]]を管理している。 JRの駅の[[事務管理コード|事務管コード]]は、▲610155となっている。 === 乗車カード対応 === JR西日本の駅は[[ICOCA]]、Osaka Metroの駅は[[PiTaPa]]の各[[IC乗車カード]]の利用可能エリア内に含まれており、それぞれ相互利用可能な[[ICカード]]にも対応している。新幹線ではEXサービス([[エクスプレス予約#EX-ICサービス|EX予約]]・[[エクスプレス予約#スマートEX|スマートEX]])で予約を行い、交通系ICカードの登録を行えば利用可能。 == 歴史 == [[ファイル:Shin-Ōsaka Station.1964.jpg|thumb|開業前の新大阪駅周辺の白黒空中写真(1964年5月撮影)<br />{{国土航空写真}}]] [[ファイル:Shinkansen departure mark 1960s.jpg|thumb|新幹線ホームのサボ式[[発車標]]<br />(1960年代末)]] [[ファイル:Hankyu Shin-Osaka line 3.jpg|thumb|御堂筋線ホーム屋根上に設けられた、[[阪急新大阪連絡線]]の準備施設]]{{After float}} [[1964年]][[10月1日]]の[[東海道新幹線]]の開業に先立ち、[[大阪市営地下鉄御堂筋線]](現[[Osaka Metro御堂筋線]])の駅が同年[[9月24日]]に開業した。当時の駅は、用地買収の遅れから現在のホームの南半分(梅田側)のみ完成での開業で、さらに南側に木製の仮設ホームを継ぎ足してホーム長を確保していた。[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田]]側の上下線がホームの手前から大きく開いているのは、その仮設ホームがあった頃の名残である。当駅 - [[江坂駅]]間が延伸開業した[[1970年]][[2月24日]]に、未完成だったホーム北半分が完成して仮設ホームを撤去し、現在の御堂筋線の駅が完成した。 [[日本国有鉄道|国鉄]](現JR)の駅は、[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の開催に合わせて建設された[[東海道新幹線]]の終点駅<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=Afu9clEUinQ&t=2573s 記録映画 東海道新幹線]</ref>として、[[1963年]][[10月]]に完成し、翌年の1964年10月1日に開業した([[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正]]も参照)。新幹線の駅が[[大阪駅]]に併設されなかったのは、[[大阪駅]]([[梅田]]地区)付近が[[大阪梅田駅 (阪急)|阪急梅田駅]]や[[梅田信号場#梅田貨物駅|梅田貨物駅]]などの既存施設で埋め尽くされて[[都市再開発|再開発]]の余地がなかったことや、[[山陽新幹線|山陽方面]]への延伸が見込まれており、在来線のように[[淀川 (近畿)|淀川]]を二度も渡る曲線経路を避けたためである。また、在来線の駅も東海道新幹線開業と同時に営業を開始したため、[[1985年]][[3月8日]]までは1番線ホームは在来線ではなく新幹線にあった。 なお、[[戦前]]の新幹線計画である「[[弾丸列車|弾丸列車計画]]」では、[[1940年]][[4月1日]]に現在の同駅の隣に設置された[[東淀川駅]]が同路線開通後に「新大阪駅」と改称される予定であったが、[[戦後]]東海道新幹線が建設される際に、「山陽方面への延伸の際は、[[北方貨物線]]の直上に建設した方が用地買収の手間がなくてよい」<ref group="注">弾丸列車計画にあたって買収した用地のうち新大阪駅以西は既に元の所有者に返還されていたため、山陽新幹線の建設にあたっては再び用地買収をし直す必要があった。[[弾丸列車#用地買収と新幹線計画|用地買収と新幹線計画]]も参照のこと。</ref>といった理由で大阪付近のルートが一部変更されたため、現在の位置に当駅が設置された。これにより、当駅との統合という形で東淀川駅の廃止計画を発表したが、地元住民の要望により存続することになった。東淀川駅と当駅の間の[[営業キロ]]が0.7kmと短いのは、そういった理由によるものである。 当駅には[[おおさか東線]]が乗り入れ、同線の起点駅となっている。計画当初は[[2006年]]開業を目指していたが、用地買収などで手間取り2009年度着工、2019年春に全線開業を迎えた。 === 梅田貨物線での客扱い ===<!--はるかの項目からここへリンクしています--> [[1989年]](平成元年)7月22日に[[天王寺駅]]構内の阪和短絡線が完成したことにより、[[くろしお (列車)|くろしお]]や南紀方面行き快速が梅田貨物線経由で当駅に乗り入れる(後に[[はるか (列車)|はるか]]も運行開始する)ようになったが、それらの列車は、梅田貨物線から転線して11番のりば(東海道本線上り外側線。現在の1番のりば)で客扱いを行っていた。具体的には、下り(天王寺方面行き)の列車は梅田貨物線から当駅の北方で転線して11番のりばで客扱いを行った後、当駅の南方で再び梅田貨物線へと転線する一方、上り(京都方面行き)については、当駅の南方でまず梅田貨物線の下り線路に入り、さらに上り外側線へと転線、11番のりばで客扱いの後、そのまま上り外側線を走って京都方面へと向かっていた。上下とも11番のりばから発着していたため、誤った行先の列車に乗車してしまう事例があった。 このような複雑な客扱いは、上記の改良工事の過程で解消され、まず2016年2月1日には現在の3番のりば(ただし2016年から2018年までは11番と呼称していた。かつての13番のりば)に梅田貨物線の下りが直接乗り入れる構造に改められ(上り列車は下りに転線して客扱いの後、東海道本線上り外側線に転線)、2018年7月23日には梅田貨物線上りは1番のりば(かつての11番のりば)から発着するようになり、上りと下りが分離された。 === JR西日本・JR東海 === * [[1964年]]([[昭和]]39年)[[10月1日]]:[[東海道新幹線]]の[[東京駅]] - 新大阪駅間が開業。新幹線・[[東海道本線]]の駅が開業。開業当初は新幹線ホームは2面3線(2 - 4番線。現:22 - 24番線)であった<ref name="rp201410">『線路配線から見た東海道新幹線』 - 祖田圭介、「鉄道ピクトリアル」2014年10月号(第895号)、25 - 26頁</ref>。 * [[1965年]](昭和40年)[[4月15日]]:新幹線ホーム1番線(現:21番線)の使用を開始<ref name="rp201410"/>。 * [[1966年]](昭和41年)10月1日:新幹線の引上検修線が2線設置される<ref name="rp201410"/>。 * [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]:[[山陽新幹線]]の当駅 - [[岡山駅]]間が開業。 * [[1974年]](昭和49年) ** [[7月22日]]:[[大阪市]]の分区に伴い、駅の所在地が[[東淀川区]]から[[淀川区]]となる。 ** [[12月7日]]:新幹線ホーム5・6番線(現:25・26番線)の使用を開始<ref name="rp201410"/>。 * [[1985年]](昭和60年) ** [[3月9日]]:新幹線ホーム20番線の使用を開始。1 - 6番線を21 - 26番線に改称<ref name="rp201410"/>。 ** [[3月14日]]:在来線を走行する[[新快速]]の停車駅となる。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東海道新幹線と新幹線改札内は[[東海旅客鉄道]](JR東海)の管轄に、山陽新幹線と在来線ならびに在来線改札内は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の管轄になり、両社の境界駅となる。 * [[1988年]](昭和63年)[[3月13日]]:路線愛称の制定により、東海道本線で「[[JR京都線]]」の愛称を使用開始。 * [[1989年]]([[平成]]元年)[[7月22日]]:「[[くろしお (列車)|くろしお、スーパーくろしお]]」の当駅へ乗り入れが開始される<ref>{{Cite journal|和書| author = 寺本光照|title=関西発の名列車 山陽最急行からトライライトエクスプレスまで|page=168|publisher=JTBパブリッシング}}</ref>。 * [[1992年]](平成4年)3月14日:東海道新幹線で「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]」が運行開始され、同列車の発着駅となる。 * [[1993年]](平成5年) ** [[3月18日]]:山陽新幹線でも「のぞみ」が運行開始される。 ** [[7月24日]]:「中央待合室」がリニューアルされ使用開始<ref>{{Cite news |title=中央待合室を一新 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-07-28 |page=3}}</ref>。 * [[1994年]](平成6年)[[7月20日]]:関西国際空港アクセス整備の一環として3階連絡コンコース部リニューアルが完成、新幹線乗り換え口付近増床による「アクセス待合室」や物販スペース「おみやげ街道」の設置、床面を磁器タイルから大理石への張り替え等を実施<ref>RAILWAY TOPICS「JR西日本 新大阪駅コンコースのリニューアル完成」 - 鉄道ジャーナル1994年10月号 p.100</ref>。 * [[1995年]](平成7年) ** [[1月17日]]:午前5時46分52秒に[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])が発生。新幹線ホームでは駅名を表示する看板と[[蛍光灯]]が落下、駅構内でもガラスが割れて散乱するなどの被害を受けた。新幹線は当駅を含む[[京都駅]] - [[姫路駅]]間が被災し不通となる。 ** [[1月20日]]:東海道新幹線の当駅 - 京都駅間が運行再開。 ** [[4月8日]]:山陽新幹線の当駅 - 姫路駅間が運行再開。これにより山陽新幹線は全線で運行再開となる。 * [[1997年]](平成9年)[[8月3日]]:在来線改札口に自動改札機を導入<ref>[[#JRR1998|『JR気動車客車編成表 98年版』 185頁]]</ref>。 * [[1998年]](平成10年)[[3月10日]]:新幹線改札口に自動改札機を導入<ref>[[#JRR1998|『JR気動車客車編成表 98年版』 184頁]]</ref>。 * [[2002年]](平成14年)[[7月29日]]:[[運行管理システム (JR西日本)#JR京都・神戸線システム|JR京都・神戸線運行管理システム]]導入。 * [[2003年]](平成15年)[[11月1日]]:JR西日本で[[ICカード]]「[[ICOCA]]」の利用が可能となる。 * [[2007年]](平成19年)3月18日:在来線で[[駅自動放送]]を更新。 * [[2011年]](平成23年)[[3月12日]]:[[九州新幹線]]の全線開業により、新設された「[[みずほ (列車)|みずほ]]」・「[[さくら (新幹線)|さくら]]」の発着駅となる。 * [[2012年]](平成24年)[[12月16日]]:在来線の新17・18番のりばが東側へ移設の上供用開始。旧17・18番のりばは使用停止。 * [[2013年]](平成25年) ** [[3月16日]]:新幹線の新ホーム27番線が供用開始<ref name="rp201410"/>。 ** [[12月8日]]:在来線の旧17・18番のりばの改良工事が終了し、新15・16番のりばとして供用開始。旧15・16番のりばは使用停止。 * [[2014年]](平成26年)[[1月26日]]:新幹線の引上線4線化により、27番線増設を含めた大規模改良工事が完成<ref name="jrc20131204">{{Cite press release|和書|title=東海道新幹線 新大阪駅大規模改良工事の完了について |publisher=東海旅客鉄道 |date=2013-12-04 |url=http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000020252.pdf |format=PDF |accessdate=2015-07-12<!-- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150428133120/http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000020252.pdf |archivedate=2015-04-28-->}}</ref>。 * [[2015年]](平成27年) ** [[1月18日]]:在来線の旧15・16番のりばの改良工事が終了し、新13・14番のりばとして供用開始。旧13・14番のりばは使用停止。 ** [[3月4日]]:在来線コンコース内に[[駅ナカ]]施設「[[エキマルシェ#エキマルシェ新大阪|エキマルシェ新大阪]]」が開業。 ** 3月12日:入線警告音の見直しに伴い、在来線ホームに[[接近メロディ]]導入<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6933.html 琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・大阪環状線の駅のホームで使用している「入線警告音」の音質を見直します]</ref>。 * [[2016年]](平成28年) ** [[2月1日]]:在来線の旧13・14番のりばの改良工事が終了し、新11・12番のりばとして供用開始。旧11・12番のりばは使用停止<ref name="westjr_page_8235">{{Cite press release|和書|title=新大阪駅の新11番・12番のりばを本日(2月1日)から使用開始しました |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2016-02-01 |url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/02/page_8235.html |accessdate=2016-02-03<!-- |archiveurl=https://archive.is/2016.02.03-114644/http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/02/page_8235.html |archivedate=2016-02-03-->}}</ref><ref name="交通新聞_160203">{{Cite news |title=JR西日本 新大阪駅ホーム切替え |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2016-02-03}}</ref>。11番のりばの線路は南側では東海道線上り外側線とは繋がらない構造となったため、事実上、11番のりばは梅田貨物線専用のりばとなった。 ** [[3月26日]]:[[ダイヤ改正]]に伴い、特急「[[しなの (列車)|しなの]]」の乗り入れが廃止される<ref>{{Cite press release|和書|title=平成28年春ダイヤ改正について ダイヤ改正日:平成28年3月26日(土曜日) |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2015-12-18 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/12/page_8083.html |accessdate=2017-05-20}}</ref>。 * [[2017年]](平成29年)3月4日:当駅を始発・終着とする臨時「みずほ」の運転が開始される<ref>{{Cite press release|和書|title=平成29年春ダイヤ改正について ダイヤ改正日:平成29年3月4日(土曜日) |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2016-12-16 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/12/page_9685.html |accessdate=2017-05-20}}</ref>。 * [[2018年]](平成30年) ** [[3月17日]]:在来線に[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始する。また、当駅から梅田貨物線を経由し、阪和線に直通する快速の乗り入れが廃止される。 ** [[6月24日]]:在来線ホームののりば番号を11-18番のりばから3-10番のりばに改番。 ** [[7月23日]]:在来線の旧11・12番のりばの改良工事が完了し、新1・2番のりばとして供用開始。また、はるか・くろしおの京都方面行きを一部列車で3番のりばから1番のりばに変更(その後同年10月28日のダイヤ修正でほとんどを1番のりば発着としたため、3番のりば発着はごく一部列車のみとなる)。これにより、在来線ホームの改修工事が全て完了し、これまでの4面8線から5面10線となる。 * [[2019年]](平成31年・[[令和]]元年) ** [[3月16日]]:[[おおさか東線]]の当駅 - [[放出駅]]間が開業(ただし、放出駅 - [[久宝寺駅]]間の区間は[[2008年]](平成20年)3月15日に先行部分が開業している<ref name="kouji"/>)。これにより、直通快速の発着駅が[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]から当駅に変更される。 ** [[12月5日]]:新幹線の26番線に[[ホームドア]]が設置され、供用開始<ref name="kotsu20191206">{{Cite news |title=「大開口可動柵」の使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2019-12-06 |page=1}}</ref>。 * [[2021年]](令和3年)[[3月15日]]:特急「[[らくラクはりま]]」が当駅発着となる<ref name="jrw_20201218">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_keihanshin.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218051527/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_keihanshin.pdf |format=PDF |title=2021年3月13日にダイヤ改正を実施します |publisher=西日本旅客鉄道近畿統括本部 |date=2020-12-18 |accessdate=2020-12-22 |archivedate=2020-12-18}}</ref>。 * [[2023年]](令和5年)3月18日:おおさか東線を運行する列車の大阪駅乗り入れに伴い、当駅の1番のりばから3番のりばに発着する列車が変更される。 === 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)=== * [[1964年]]([[昭和]]39年)[[9月24日]]:[[大阪市営地下鉄]][[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]の[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]] - 当駅間が開通し、御堂筋線の駅が開業。 * [[1970年]](昭和45年)[[2月24日]]:大阪市営地下鉄御堂筋線の当駅 - [[江坂駅]]間が開業。 * [[1974年]](昭和49年)[[7月22日]]:[[大阪市]]の分区に伴い、駅の所在地が[[東淀川区]]から[[淀川区]]となる。 * [[1990年]]([[平成]]2年)[[6月]]:御堂筋線ホームの有効長を180mから200mに延長し、10両編成対応ホームとなる。 * [[2006年]](平成18年)[[2月1日]]:[[ICカード]]「[[PiTaPa]]」の利用が可能となる。 * [[2013年]](平成25年)[[4月24日]]:中改札のトイレをリノベーション<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h25_all/20130418_sinosaka_toilet.html |title=地下鉄御堂筋線新大阪駅のトイレが生まれ変わります! |publisher=大阪市交通局 |date=2013-04-18|accessdate=2013-06-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130618212519/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h25_all/20130418_sinosaka_toilet.html|archivedate=2013-06-18}}</ref>。 * [[2015年]](平成27年)[[9月4日]]:中改札のトイレが「日本トイレ大賞」国土交通大臣賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h27_all/20150904_japan_toilet_award.html |title=御堂筋線新大阪駅のトイレが「日本トイレ大賞」の国土交通大臣賞を受賞しました! |publisher=大阪市交通局 |date=2015-09-04|accessdate=2015-09-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150906222253/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h27_all/20150904_japan_toilet_award.html|archivedate=2015-09-06}}</ref>。 * [[2016年]](平成28年)[[3月30日]]:駅ナカ施設「新なにわ大食堂」が開業<ref>{{Cite news |url=https://www.sankei.com/article/20160329-FNRLQ6JZHZILBAJWYFNBXOEDCY/ |title=くいだおれ名所がまたひとつ、「新なにわ大食堂」あすオープン 新大阪 |newspaper=産経新聞 |date=2016-03-29 |accessdate=2017-05-04}}</ref>。 * [[2018年]](平成30年)[[4月1日]]:[[大阪市交通局]]の[[民営化]]により、所属事業者・管轄が[[大阪市高速電気軌道|大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) ]]に変更。 * [[2020年]]([[令和]]2年) ** [[2月1日]]:ホームの北側([[江坂駅|江坂]]方)にトレインビュースポットを開設<ref>{{Cite press release|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news/subway/20200201_shinosaka_trainview.php |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210130113331/https://subway.osakametro.co.jp/news/news/subway/20200201_shinosaka_trainview.php |title=御堂筋線新大阪駅のホーム階に「トレインビュースポット」が出来ました |publisher=Osaka Metro|date=2020-01-31 |accessdate=2021-01-30 |archivedate=2021-01-30}}</ref>。 ** 4月:駅リニューアル完了。 ** [[12月26日]]:[[ホームドア|可動式ホーム柵]]の使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news/safety/20201221_shinosaka_homesaku_starat.php |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201221084017/https://subway.osakametro.co.jp/news/news/safety/20201221_shinosaka_homesaku_starat.php |title=御堂筋線新大阪駅の可動式ホーム柵の運用開始について |publisher=Osaka Metro|date=2020-12-21 |accessdate=2020-12-23 |archivedate=2020-12-21}}</ref>。 == 開発構想 == === 地方創生回廊中央駅構想 === * [[阪急新大阪連絡線]]([[大阪市営地下鉄四つ橋線|四つ橋線]]・[[西梅田・十三連絡線]](仮称)と直通)の乗り入れ構想がある。 : 当初[[阪急電鉄]]が「新大阪連絡線」([[淡路駅]] - 新大阪駅 - [[十三駅]]と新大阪駅 - [[神崎川駅]])として当駅乗り入れを計画し、[[1961年]]に事業免許を取得、一部用地買収や駅構内などの準備工事が行われていたが実現されていなかった。[[2003年]]に計画の一部を見直す(淡路駅 - 新大阪、新大阪 - 神崎川間の免許廃止を届出)などの動きがあったが、前述の通り、北ヤード関連の事業として整備する意向が表明された。なお、地元の強い要望もあり、[[2006年]]には[[特定非営利活動法人]]地域交通まちづくり協会が[[阪急バス]]に運行を委託する形で当駅前 - 淡路駅間のバス路線([[あいバス]])を開設した<ref>{{Cite press release|和書|title=新大阪・淡路地域をつなぐコミュニティバス 「あいバス」が5月13日に運行を開始します |publisher=阪急バス |date=2006-05-11 |url=http://bus.hankyu.co.jp/news_release/060511.pdf |format=PDF |accessdate=2017-05-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060709133408/http://bus.hankyu.co.jp/news_release/060511.pdf |archivedate=2006-07-09}}</ref>が、採算性の問題から[[2008年]][[3月31日]]をもって運行を終了している<ref>{{Cite press release|和書|title=新大阪・淡路コミュニティバス「あいバス」 路線廃止のお知らせ |publisher=阪急バス |date=2008-03-11 |url=http://bus.hankyu.co.jp/whats_new/080311.pdf |format=PDF |accessdate=2017-05-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090419213135/http://bus.hankyu.co.jp/whats_new/080311.pdf |archivedate=2009-04-19}}</ref>。また、新大阪駅 - [[十三駅]]については実現の意思はあるものの、400億円にも上る事業費の見通しが立っていない<ref>{{Cite news |author=中島嘉克 |date=2017-05-20 |url=http://www.asahi.com/articles/ASK5M5JQ2K5MPLFA00L.html |title=阪急、十三と新大阪を結ぶ連絡線 長期計画に盛り込む |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞]]デジタル |accessdate=2017-05-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170520014751/http://www.asahi.com/articles/ASK5M5JQ2K5MPLFA00L.html |archivedate=2017-05-20}}</ref>。 * [[なにわ筋線]]([[新今宮駅|南海新今宮駅]]・[[JR難波駅]] - 新大阪駅間)が乗り入れ予定。詳細については同項目を参照。 * [[中央新幹線|リニア中央新幹線]]の乗り入れ構想がある。2008年[[11月7日]]に、JR東海会長[[葛西敬之]]が講演会の中で「東京・名古屋・大阪では[[東海道・山陽新幹線|新幹線]]とリニアのどちらでも乗り換えが可能にしたい」とリニアの当駅乗り入れの意向を示したことがメディアにより報じられた<ref>{{Cite web|和書|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000222-jij-bus_all |title=リニア、新大阪駅乗り入れへ=「直線ルート」楽観視-JR東海会長 |publisher=時事通信 |date=2008-11-07|accessdate=2008-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081110180608/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000222-jij-bus_all|archivedate=2008-11-10}}</ref>。その後、[[2011年]][[5月27日]]に国土交通大臣によってリニアの建設指示がなされたが、その後の同年[[11月30日]]のJR東海の社長記者会見においても、新大阪駅に乗り入れる意向が示されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110530-OYT1T00931.htm |title=リニア中央新幹線、JR新大阪駅直結へ |publisher=読売新聞 |date=2011-05-30 |accessdate=2011-05-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110601021557/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110530-OYT1T00931.htm|archivedate=2011-06-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201105300416.html |title=JR東海社長「リニアを新大阪に」 開業前倒しにも意欲 |publisher=朝日新聞 |date=2011-05-30 |accessdate=2011-05-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110601054658/http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201105300416.html |archivedate=2011-06-01}}</ref>。 * [[北陸新幹線]]の乗り入れ構想がある。大阪府知事の[[松井一郎]]やJR西日本社長の[[真鍋精志]]は「終着駅は新大阪駅でなければならない」と主張していたことにより<ref>{{Cite news |url=http://www.sankei.com/west/news/160217/wst1602170061-n1.html |title=「天王寺より新大阪だ」大阪府の松井知事、北陸新幹線の新大阪接続を強調 |newspaper=産経新聞 |date=2016-02-17 |accessdate=2016-03-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160313201349/http://www.sankei.com/west/news/160217/wst1602170061-n1.html|archivedate=2016-03-13}}</ref>、正式な終着駅になる予定<ref>{{Cite news |url=http://www.sankei.com/politics/news/160426/plt1604260044-n1.html |title=北陸新幹線の終着駅、新大阪に絞る 与党検討委、学研都市経由案も |newspaper=産経ニュース(産経新聞) |publisher=産経新聞社 |date=2016-04-26 |accessdate=2016-04-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160429092556/http://www.sankei.com/politics/news/160426/plt1604260044-n1.html |archivedate=2016-04-26}}</ref><ref group="注">北陸新幹線の正式な起点駅は[[高崎駅]]である。ただし、列車自体は東京駅(一部の臨時列車は[[上野駅]])を起点駅にしている。</ref>。東海道新幹線は京都駅からノンストップだが、北陸新幹線では南へ大きく迂回したルートとなるため、京都府[[京田辺市]]と[[八幡市]]との境界線近くに中間駅([[松井山手駅]]またはその付近)の設置を決めている<ref>{{Cite news |url=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170307000013 |title=北陸新幹線新駅「松井山手」検討 京都-新大阪南回り案 |newspaper=京都新聞 |publisher=京都新聞社 |date=2017-03-07 |accessdate=2017-03-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170307023530/http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170307000013 |archivedate=2017-03-07}}</ref>。 *[[九州新幹線 (西九州ルート)|九州新幹線西九州ルート]]の乗り入れ構想がある。2018年3月30日、[[国土交通省]]鉄道局は、未着工区間([[新鳥栖駅]]-[[武雄温泉駅]])の整備のあり方について、与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム九州新幹線(西九州ルート)検討委員会に報告した<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001229421.pdf |title=九州新幹線(西九州ルート)の整備のあり方について (比較検討結果)|accessdate=2019-08-04 |publisher=国土交通省鉄道局}}</ref>。費用、[[費用便益比]] (B/C)、収支採算性、山陽新幹線への乗り入れ、安全性の確保、輸送の安定性、工事実施までの手続き・期間(詳細調査、[[環境アセスメント|環境影響評価]]等)、工事実施上の課題・工期、整備後の在来線ネットワークへの影響の可能性、[[並行在来線]]の取扱いについて、「[[軌間可変電車]]」「[[単線並列]]の[[ミニ新幹線]]」「複線三線軌のミニ新幹線」「フル規格」を比較検討した結果、フル規格の費用便益比が3.3、収支改善効果(年平均)が約88億円になると見込まれ、最も高くなると報告された<ref name=":1"/>。 *新幹線ホームの[[線路容量]]が既に逼迫しており、列車の増発や新規路線の乗入ができないため、山陽新幹線・九州新幹線・北陸新幹線とリニア中央新幹線の地下ホーム新設が検討されている<ref name=":1"/>。2018年5月29日、国土交通省は地下ホーム構想を「[[地方創生]]回廊中央駅構想&#x301C;新大阪が、日本の地方と地方をつなぐ&#x301C;」として「生産性革命プロジェクト」に追加し、[[東京駅]]と並ぶ新幹線ネットワークの[[交通結節点|ハブ]]として結節機能強化を目指す方針を打ち出した<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=国交省/生産性革命プロに指定/新大阪駅地下に新幹線乗り入れ新ホーム整備 |url=https://www.decn.co.jp/?p=99868 |website=日刊建設工業新聞 |accessdate=2018-09-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180918194225/https://www.decn.co.jp/?p=99868|archivedate=2018-09-18}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001300068.pdf |title=国土交通省生産性革命プロジェクト |accessdate=2019-08-04 |publisher=国土交通省}}</ref>。2019年度予算の概算要求で新大阪駅地下ホーム新設の調査費を計上しており、2019年度までに官民の関係者が民間プロジェクトの組成など効率的な事業スキームを話し合う会議の設置も検討している<ref name=":2"/><ref name=":3"/>。北陸新幹線の新大阪駅延伸開業までに地下ホームを新設し、北陸新幹線と山陽新幹線の[[直通運転|相互直通運転]]を視野に入れて<ref>{{Cite web|和書|title=新大阪駅地下に山陽新幹線のホームを 国交省検討 |url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00468037 |website=日刊工業新聞電子版 |accessdate=2021-09-12 |first=NIKKAN KOGYO |last=SHIMBUN,LTD}}</ref>、山陽新幹線との接続線(アプローチ線)を整備する<ref name=":3"/>。リニア中央新幹線や北陸新幹線の開業により、新大阪駅を中心とする新幹線ネットワークが形成され、大阪からの1時間交通圏が首都圏や北陸に拡大する<ref name=":4">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001269939.pdf |title=リニア中央新幹線開業を見据えた「新たな大阪」 |accessdate=2019-08-04 |publisher=大阪府}}</ref>。また、[[盛岡市]]、[[仙台市]]、[[山形市]]、[[福島市]]、[[新潟市]]、[[水戸市]]、[[甲府市]]が一日交通圏(4時間交通圏)に入り、大阪から鉄道を利用して片道4時間以内に到達できる[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]が33都市から40都市に増える<ref name=":4"/>。東京からは35都市、名古屋からは37都市が一日交通圏内となり、大阪の方が多くなる<ref name=":4"/>。このため、新大阪駅は日本の地方と地方をつなぐ中心的役割を果たす駅と位置付けられている<ref name=":4"/>。 === 都市再開発構想 === 駅周辺の[[都市再開発]]構想がある。[[日本プロジェクト産業協議会]] (JAPIC) 関西委員会では、[[品川駅]]や[[名古屋駅]]と比べて、新大阪地区の都市機能や交通インフラは不十分であるとして、リニア[[中央新幹線]]や[[北陸新幹線]]の延伸を見据えて、都市機能の強化を検討してきた<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://www.japic.org/information/20180313_11.pdf |title=新大阪駅周辺エリアの都市機能強化の提言 関西の30年後を見据えた"新大阪創生プロジェクト" |format=PDF |publisher=一般社団法人 日本プロジェクト産業協議会 |accessdate=2018-09-16}}</ref>。 {| class="wikitable" |+新大阪、品川、名古屋の比較<ref name=":0" /> ! ![[国土軸]]上の拠点度 !都市機能充実度 !都市基盤整備度 !広域交通の連携度 |- |新大阪 |国土軸上の西端を担い、西日本への玄関口となっている。 |品川や名古屋と比べて不十分である。 |[[都市再生緊急整備地域]]から外れ、大阪の顔として十分とは言えない。 |[[新御堂筋]]の渋滞、関西各都市や[[関西国際空港]]への鉄道アクセスが課題である。 |- |品川 |[[東京駅]]と並び、国土軸の東端に位置する首都圏の拠点となっている。 |[[品川インターシティ]]や[[高輪ゲートウェイ駅]]周辺の再開発が進んでいる。 |[[国家戦略特区]]に指定され、[[世界都市]]・東京の新たな顔となっている。 |[[東京国際空港|羽田空港]]への鉄道アクセスが強みである。 |- |名古屋 |国土軸上の中央部分を担う拠点となっている。 |業務・宿泊・商業などの都市機能が集積している。 |[[都市再生緊急整備地域|特定都市再生緊急整備地域]]に指定され、[[栄 (名古屋市)|栄地区]]に代わる名古屋の顔となっている。 |東名阪の中間部分に位置する地理的優位性と[[中部国際空港]]への鉄道アクセスが強みである。 |} 2018年3月、JAPICは「新大阪駅周辺エリアの都市機能強化の提言 関西の30年後を見据えた"新大阪創生プロジェクト"」をまとめ、[[国土交通省]][[近畿地方整備局]]に提言書を手交した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.japic.org/information/31330.html |title=3/13提言書「新大阪駅周辺エリアの都市機能強化の提言&#x301C;関西の30年後を見据えた"新大阪創生プロジェクト"&#x301C;を国土交通省近畿地方整備局池田局長に手交しました。 |accessdate=2018-09-16 |publisher=一般社団法人 日本プロジェクト産業協議会}}</ref><ref>{{Cite news|title=「新大阪駅の再開発を」企業団体が提言|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28063010T10C18A3LKA000/|accessdate=2018-09-18|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>。想定事業費は合計で1.7兆円となり、大阪府の[[産業連関表]]を用いて[[経済効果|経済波及効果]]を試算すると、建設工事による直接的な効果と建設工事雇用者により生じる副次的効果(商業、不動産、サービス等)を合わせて2.5兆円に達すると発表された<ref name=":0" />。JAPICの再開発構想は次の3つの事業から成っている。 '''駅周辺の再開発'''(1.2兆円)<ref name=":0" /> * 駅ターミナルビル・宿泊施設、[[MICE]]施設、オフィス・商業施設、住宅、[[国際機関]]・[[官庁]]など、関西・西日本の[[玄関|ゲートウェイ]]としての都市機能を強化する。 * [[新エネルギー]]を利用した最先端都市とする。 * 「超スマート社会」の到来を見据えた先端産業の拠点と位置付け、隣接する[[地下鉄御堂筋線]][[西中島南方駅]]周辺の「にしなかバレー」に[[ベンチャー企業]]を誘致する。 '''鉄道・バスターミナルと新御堂筋バイパスの整備'''(0.4兆円)<ref name=":0" /> * リニア中央新幹線・北陸新幹線・新大阪連絡線が乗り入れる地下駅を新設する。また、地下駅の下に[[バスターミナル]]を整備し、地下多層階構造の[[交通結節点]]とする。 * 新御堂筋の交通渋滞を解消するため、その地下に[[バイパス道路]]を整備し、バスターミナルに乗り入れる。 * 新御堂筋バイパスを[[阪神高速2号淀川左岸線]]・[[名神高速道路]]・[[中国自動車道]]・[[新名神高速道路]]などに接続し、関西の各都市への移動時間を短縮する。 '''新淀川第二大橋の建設'''(0.1兆円)<ref name=":0" /> *[[新淀川大橋]]の隣に新しい橋を架け、[[パーソナルモビリティ]]専用路と歩行路を設けて、[[淀川 (近畿)|淀川]]により分断されている新大阪地区と[[梅田北ヤード]](うめきた)地区を一体化する。 * [[舟運]]を活用した新たな[[観光資源]]を創出する。 * 河積阻害防止のためピアレスの[[斜張橋]]とし、[[景観]]にも配慮する。 2018年8月29日、[[内閣府]]は新大阪駅周辺を[[容積率]]の緩和などの優遇を受けられる都市再生緊急整備地域の「候補地域」として公表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chisou.go.jp/tiiki/toshisaisei/kouhotiiki/index.html |title=候補地域の取組み - 地方創生推進事務局 |accessdate=2018-09-18 |website=www.kantei.go.jp}}</ref>。これを受けて、大阪府と大阪市は、年内にも官民で検討協議会を立ち上げ、2019年度を目途にまちづくりの方針を策定し、再開発構想の具体化を進めていく<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/toshikeikaku/0000444991.html |title=新大阪駅周辺地域が都市再生緊急整備地域の候補となる地域として公表されました |date=2018-08-30 |accessdate=2018-09-18 |website=大阪市 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180918193643/http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/toshikeikaku/0000444991.html |archivedate=2018-09-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.osaka.lg.jp/daitoshimachi/shin-osaka/index.html |title=大阪府/新大阪・大阪エリア 新大阪駅周辺地域 |accessdate=2018-09-18 |website=www.pref.osaka.lg.jp}}</ref>。候補地域には阪急の[[十三駅]]や[[淡路駅]]の周辺も含まれる<ref>{{Cite news|title=新大阪再開発へ協議会発足へ 大阪市など官民 年内にも|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34788620Q8A830C1LKA000/?n_cid=SPTMG002|accessdate=2018-09-18|work=日本経済新聞 電子版}}</ref><ref>{{Cite news|title=大阪市「新大阪駅」周辺の再開発検討 協議会立ち上げへ <nowiki>|</nowiki> THE PAGE 大阪|author=柳曽文隆|url=https://thepage.jp/osaka/detail/20180831-00000003-wordleaf|accessdate=2018-09-18|work=THE PAGE|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180918193730/https://thepage.jp/osaka/detail/20180831-00000003-wordleaf|archivedate=2018-09-18}}</ref>。 == JR西日本・JR東海 == {{駅情報 |社色 = #0072bc |文字色 = |駅名= JR 新大阪駅 |画像 = JR Shin-Ōsaka Station Shinkansen Central Gate.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 新幹線中央口改札(2023年2月) |よみがな = しんおおさか |ローマ字 = Shin-Ōsaka |電報略号 = シオ |事務官コード = ▲610155 |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本){{Refnest|group="*"|name="management"|新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR西日本管理。}}<br />[[東海旅客鉄道]](JR東海)<ref group="*" name="management" /> |開業年月日 = [[1964年]]([[昭和]]39年)[[10月1日]] |駅構造 = [[高架駅]](新幹線)<br />[[地上駅]]([[橋上駅]])(在来線) |ホーム = 5面8線(新幹線)<br />5面10線(在来線) |廃止年月日 = |乗車人員 = {{small|(JR西日本)-2021年-}}<br />49,564人/日(降車客含まず)<hr />{{small|(JR東海)-2020年-}}<br />29,359 |乗降人員 = |統計年度 = |所在地 = [[大阪市]][[淀川区]][[西中島 (大阪市)|西中島]]五丁目16-1 |座標 = {{Coord|34|44|0.54|N|135|30|0.41|E|type:railwaystation_region:JP-27|display=inline,title|name=JR 新大阪駅}} |乗入路線数 = 5 |所属路線1 = {{Color|mediumblue|■}}[[東海道新幹線]]{{Refnest|group="*"|name="shinkansen"|両線で[[直通運転|相互直通運転]]実施。}} |前の駅1 = [[京都駅|京都]] |駅間A1 = 39.0 |駅間B1 = |次の駅1 = |駅番号1 = |キロ程1 = 552.6 |起点駅1 = [[東京駅|東京]] |所属路線2 = {{Color|mediumblue|■}}[[山陽新幹線]]<ref group="*" name="shinkansen" /> |前の駅2 = |駅間A2 = |駅間B2 = 36.9 |次の駅2 = [[新神戸駅|新神戸]] |駅番号2 = |キロ程2 = 0.0 |起点駅2 = 新大阪 |所属路線3 = {{JR西路線記号|K|A}} [[東海道本線]]([[JR京都線]]) |前の駅3 = JR-A45 [[東淀川駅|東淀川]] |駅間A3 = 0.7 |駅間B3 = 3.8 |次の駅3 = [[大阪駅|大阪]] JR-A47 |駅番号3 = '''JR-A46''' |キロ程3 = 552.6&nbsp;km(東京起点)<br />[[京都駅|京都]]から39.0 |起点駅3 = |所属路線4 = {{JR西路線記号|K|F}} [[おおさか東線]] |前の駅4 = {{Refnest|group="*"|全列車が梅田貨物線経由で大阪駅(地下ホーム)まで乗り入れ。}}JR-F01 大阪 |駅間A4 = 3.8 |駅間B4 = 2.0 |次の駅4 = [[南吹田駅|南吹田]] JR-F03 |駅番号4 = '''JR-F02''' |キロ程4 = 0.0&nbsp;km(新大阪起点)<br />大阪から3.8 |起点駅4 = |所属路線5 = 東海道本線貨物支線<br />([[梅田貨物線]]) |前の駅5 = [[吹田貨物ターミナル駅|吹田(タ)]] |駅間A5 = 5.3 |駅間B5 = 3.8 |次の駅5 = 大阪 |駅番号5 = |キロ程5 = 5.3 |起点駅5 = [[吹田貨物ターミナル駅|吹田(タ)]] |乗換 = |備考 = JR西日本:[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])<br />JR東海:[[日本の鉄道駅#直営駅|駅長配置駅]](管理駅)<br />[[みどりの窓口]] 有<br />[[File:JR area HAN.png|15px|阪]] [[特定都区市内|大阪市内]]駅 |備考全幅 = {{Reflist|group="*"}} }} {{After float}} [[プラットホーム|ホーム]]は[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]が管轄している部分は「のりば」、[[東海旅客鉄道|JR東海]]が管轄している部分は「番線」と表記・案内されるため、本項でもこれに従う。 3階に[[改札]]口と[[コンコース]]、2階に商店街と地下鉄への連絡通路がある。のりばは1 - 10番のりばが在来線ホーム(地平)、20 - 27番線が新幹線ホーム(4階)となっている。在来線・新幹線ホームとも改番を経た結果、27番線以外は各ホームの使用開始時と異なる番号を有する。 === 在来線ホーム === JR西日本の管轄で、[[島式ホーム]]5面10線(12両編成対応)を有する[[地上駅]]である。ホームはほぼ南北方向に延びており、新幹線ホームの東側と斜めに交差する。在来線と地下鉄とは距離があるため乗り換えの利便性はあまりよくない。 コンコース在来線部分の北側にはJR西日本の[[駅ナカ]]商業施設「[[エキマルシェ|エキマルシェ新大阪]]」があり、土産物、駅弁、軽食を主に扱っている他、飲食店も営業している。 当駅の[[大阪駅|大阪]]方には[[網干総合車両所|網干総合車両所宮原支所]]への連絡線があり、大阪駅発着列車の送り込み・送り出し回送列車が通行するが、この連絡線自体も当駅の構内に含まれており、当該回送列車の運転取り扱い上でも当駅を通過駅かつ採時駅として扱っている。 ==== のりば ==== <!--方面表記は、JR西日本のおでかけネットの「構内図」の記載に準拠(高山本線〔特急「ひだ」〕と東海道線・山陰線〔特急「スーパーはくと」〕を除く)--> 当駅に発着する在来線優等列車の詳細は[[#発着する在来線優等列車|後述]]する。 {|class="wikitable" style="font-size:90%;" !のりば<!-- 事業者側による呼称。JR西日本は「○番のりば」と呼称 -->!!路線!!行先!!備考 |- !rowspan="2"|1 |[[File:JRW kinki-A.svg|17px|A]] [[JR京都線]]([[東海道本線]])<br />特急([[関西空港線]]・[[きのくに線]]〔[[紀勢本線]]〕経由) |[[京都駅|京都]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/eki/premises?id=0610155|title=新大阪駅|構内図:JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2023-03-18}}</ref> |rowspan="3"|[[梅田貨物線]]経由 |- |[[File:JRW kinki-F.svg|17px|F]] [[おおさか東線]] |[[放出駅|放出]]・[[久宝寺駅|久宝寺]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |- !rowspan="3"|2 |[[File:JRW kinki-W.svg|17px|W]] きのくに線(紀勢本線)<br />特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」 |[[白浜駅|白浜]]・[[新宮駅|新宮]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |- |rowspan="2"|[[File:JRW kinki-F.svg|17px|F]] おおさか東線 |放出・久宝寺方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |一部列車のみ |- |[[大阪駅|大阪]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |梅田貨物線経由<br />一部列車のみ |- !rowspan="2"|3 |[[File:JRW kinki-S.svg|17px|S]] 関西空港線 <br />関空特急「[[はるか (列車)|はるか]]」 |[[関西空港駅|関西空港]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |rowspan="2"|梅田貨物線経由 |- |[[File:JRW kinki-F.svg|17px|F]] おおさか東線 |大阪方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |- !rowspan="2"|4 |[[File:JR Central Takayama Line.svg|17px|CG]] [[高山本線]]<br />特急「[[ひだ (列車)|ひだ]]」など(右記備考欄も参照) |[[岐阜駅|岐阜]]・[[下呂駅|下呂]]・[[高山駅|高山]]方面 |&nbsp;「[[ひだ (列車)|ひだ]]」の他、「[[スーパーはくと]]」など京都方面行き特急も停車する。 |- |{{Color|#999|■}} [[北陸本線]]<br />特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」 |[[福井駅 (福井県)|福井]]・[[金沢駅|金沢]]・[[富山駅|富山]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |&nbsp; |- !5・6 |[[File:JRW kinki-A.svg|17px|A]] JR京都線(東海道本線) |[[高槻駅|高槻]]・京都方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |一部4番のりば |- !rowspan="2"|7・8 |[[File:JRW kinki-A.svg|17px|A]] [[JR神戸線]](東海道本線) |大阪・[[三ノ宮駅|三ノ宮]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |一部9番のりば |- |[[File:JRW kinki-G.svg|17px|G]] JR宝塚線([[福知山線]]・普通) |[[宝塚駅|宝塚]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |主に7番のりば(快速は大阪で乗り換え) |- !rowspan="2"|9・10 |[[File:JRW kinki-G.svg|17px|G]] [[File:JRW kinki-E.svg|17px|E]] 福知山線・[[山陰本線|山陰線]]<br />特急「[[こうのとり (列車)|こうのとり]]」など(右記備考欄も参照) |[[福知山駅|福知山]]・[[城崎温泉駅|城崎温泉]]・[[天橋立駅|天橋立]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610155" /> |&nbsp;「[[こうのとり (列車)|こうのとり]]」の他、「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」など大阪方面行き特急も停車する。 |- |{{Color|#999|■}} 東海道本線・[[智頭急行線]]経由 [[File:JRW san-A.svg|17px|A]] 山陰線<br />特急「[[スーパーはくと]]」 |大阪・[[姫路駅|姫路]]・[[鳥取駅|鳥取]]・[[倉吉駅|倉吉]]方面 |&nbsp; |} * 上表の路線名は当駅における旅客案内上の名称(愛称)で記載している。当駅は「JR京都線」と呼ばれる区間の途中駅であるが、当駅では便宜上、高槻・京都方面行きのみ「JR京都線」と案内され、大阪・姫路方面行きは、直通先の路線愛称である「JR神戸線」「JR宝塚線」と案内されている。博多方面からの新幹線到着時の車内放送もこの形に準拠している(東京方面からの到着時の車内放送では「東海道線」と案内される)ほか、「JRおでかけネット」の駅構内図も同様である。 * 運転取り扱い上の番線は西から1番線から10番線と番線表記の通りである。3番線が梅田貨物線の下り本線で、1番線の西側にホームのない上り本線が存在する。JR京都線の本線は、外側線が4・9番線、内側線が6・7番線となる。 * 2018年6月24日から旧11 - 18番のりばを3 - 10番のりばに改番した上で7月23日から新1・2番のりばの使用を開始し<ref name="westjr_page_12396"/>、運転取り扱い上の番線と旅客案内上ののりば番号が統一された。 * 原則として、上りは新快速・快速が5番のりば、普通が6番のりば、下りは普通が7番のりば、新快速・快速は8番のりば、上り特急が4番のりば、下り特急が9・10番のりばを使用する。ただし、平日朝ラッシュ時は、上りの新快速・快速が4番のりば、普通が6番のりば、下りの普通が8番のりば、下り新快速・快速が9番のりばを使用する。また、土休日ダイヤで湖西線からの新快速大阪行きについても9番のりばを使用する。 * [[寝台列車|寝台特急]]「[[サンライズ瀬戸]]・[[サンライズ出雲]]」は当駅には停車しないが、ダイヤの乱れにより当駅で新幹線へ振替輸送するなどの理由で臨時停車する場合には、最大11両までしか入線できないため後ろ3両は[[ドアカット]]になる。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> JR Shin-Ōsaka Station East Gate.jpg|在来線東改札口(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station arde Shin-Ōsaka Gate.jpg|在来線アルデ新大阪改札口(2023年2月) EKI MARCHE SHIN-OSAKA 3.jpeg|エキマルシェ新大阪(2016年2月) JR-Shin-Osaka-STA Home1-2.jpg|在来線1・2番のりばホーム(2021年12月) JR-Shin-Osaka-STA Home3-4.jpg|在来線3・4番のりばホーム(2021年12月) JR-Shin-Osaka-STA Home5-6.jpg|在来線5・6番のりばホーム(2021年12月) JR-Shin-Osaka-STA Home7-8.jpg|在来線7・8番のりばホーム(2021年12月) JR-Shin-Osaka-STA Home9-10.jpg|在来線9・10番のりばホーム(2021年12月) </gallery> ==== おおさか東線延伸に伴うホーム増設とおおさか東線乗り入れに伴うホーム変化 ==== 開業以来、当駅の在来線部分は、東海道本線4面8線に加え、西にはホームのない[[梅田貨物線]]が複線で並走しており、一方、東には島式ホーム1面2線分の空き地が広がっていた(これとは別にホームの空き地は梅田貨物線の上下線路間にも確保している)。この空き地は将来、大阪外環状線(仮称)を建設する際に専用のホームを増設するためのもので、直上のコンコースにおいても、増設されたホームへの階段を設置するためのスペースがあらかじめ確保されていた。大阪外環状線は、当初の計画では[[神崎川 (大阪府・兵庫県)|神崎川]]の北方から東海道本線の東側を並走し、そのままその増設ホームに乗り入れる予定だったからである。しかし[[2008年]][[3月15日]]に[[おおさか東線]]という名称で一部開業したこの新路線は、当駅まで延伸するにあたり、神崎川北方で東海道本線を高架で乗り越えて、西を並走する梅田貨物線へ合流する計画に変更され、その後も路線の起終点が新大阪駅から梅田貨物線上に新設される[[北梅田駅|大阪駅]]までの計画に再び変更されている(詳しくは[[おおさか東線#建設の経緯]]を参照)。 それに伴い、その空き地に1面2線の島式ホームを新設して、既存の乗り場を東へ移し、最も西のホームを大阪外環状線専用とする(その結果おおさか東線の列車も発着できる。一方で梅田貨物線上下線路間の空き地のホーム設置は見送りとなった)5面10線構造へと改良することになった。工事は2012年から2018年にかけて施行され、おおむね一年ごとに乗り場を1面2線分だけ東へ移し、空いたホームの再整備(再舗装およびかさ上げ、上屋の延長、一部ホームの短縮など)を行って、一年後にまたそこに既存の乗り場を西から1面2線分だけ移すという方法が取られた。当駅開業以来、在来線部分の大規模改良はこれが初である。 新17・18番のりばは2012年[[12月16日]]に使用が開始され、使用が停止された旧17・18番のりばは約1年かけて改装され、[[2013年]][[12月8日]]に新15・16番のりばとして使用が開始された<ref name="kouji">{{Cite press release|和書|title=新大阪駅の15番・16番のりばの変更および工事に伴う一部列車の運休などについて |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2013-11-28 |url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/11/page_4873.html |accessdate=2017-05-20<!-- |archiveurl=https://archive.is/2013.11.29-081853/http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/11/page_4873.html |archivedate=2013-11-29-->}}</ref>。同様に11 - 16番のりばもホーム1本当たり約1年かけて順次改装され、旧11・12番のりばが[[2018年]][[7月23日]]から京都方面行きの特急「はるか」「くろしお」用ホームとしての使用再開を以ってホーム増設工事は終了した<ref name="westjr_page_12396">{{Cite web|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/05/page_12396.html |title=新大阪駅 在来線のりば番号変更および休止中ホームの使用再開のお知らせ |accessdate=2018-05-21 |date=2018-05-21 |publisher=西日本旅客鉄道}}</ref>。これにより、新大阪駅においての「はるか」と「くろしお」の発着線が事実上の複線に増設されることから、同駅でのすれ違いが可能となるため、ダイヤ設定上のボトルネックが解消されることとなった。なお、旧11・12番のりばの使用が再開されるのに先立って[[6月24日]]から在来線ののりば番号が3-10番のりばに変更され、旧11・12番ホームは1・2番のりばとなった<ref name="westjr_page_12396"/>。 {|class="wikitable" rules="all" style="border:1px solid #999;font-size:80%" |+のりば表記と各ホームの切替日 ! !!1号ホーム!!2号ホーム!!3号ホーム!!4号ホーム!!5号ホーム |- !改良工事前 |rowspan="4"|'''11'''<br />関西空港線・きのくに線発着特急<br />'''12'''<br />京都・北陸方面特急 |rowspan="3"|'''13・14'''<br />JR京都線(上り) |rowspan="2"|'''15・16'''<br />JR神戸線・JR宝塚線(下り) |'''17'''<br />大阪・山陰方面特急<br />'''18'''<br />福知山線特急(当駅始発) |{{Color|gray|未設置}} |- !2012年12月16日 |{{Color|gray|使用停止}} |rowspan="4"|'''17'''<br />大阪・山陰方面特急<br />'''18'''<br />福知山線特急(当駅始発) |- !2013年12月8日<ref name="kouji" /> |{{Color|gray|使用停止}} |rowspan="3"|'''15・16'''<br />JR神戸線・JR宝塚線(下り) |- !2015年1月18日<ref name="JRWpress_20141217">{{Cite press release|和書|title=1月18日(日曜日)から使用開始 新大阪駅の13番・14番のりばを新しくなった3号ホームに変更します |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2014-12-17 |url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/12/page_6562.html |accessdate=2015-01-09<!-- |archiveurl=https://archive.is/2014.12.17-223549/http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/12/page_6562.html |archivedate=2014-12-17-->}}</ref> |{{Color|gray|使用停止}} |rowspan="2"|'''13・14'''<br />JR京都線(上り) |- !2016年2月1日<ref name="westjr_page_8235"/><ref name="交通新聞_160203"/> |rowspan="2"|{{Color|gray|使用停止}} |'''11'''<br />関西空港線・きのくに線発着特急<br />'''12'''<br />京都・北陸方面特急 |- !2018年6月24日<ref name="westjr_page_12396"/> |'''3'''<br />関西空港線・きのくに線発着特急<br />'''4'''<br />京都・北陸方面特急 |rowspan="4"|'''5・6'''<br />JR京都線(上り) |rowspan="4"|'''7・8'''<br />JR神戸線・JR宝塚線(下り) |rowspan="4"|'''9'''<br />大阪・山陰方面特急<br />'''10'''<br />福知山線特急(当駅始発) |- !2018年7月23日<ref name="westjr_page_12396"/> |'''1'''<br />関西空港線・きのくに線経由京都方面特急<br />'''2'''<br />関西空港線・きのくに線経由特急(当駅止め)<ref>おでかけネット各駅時刻表より。</ref> |'''3'''<br />関西空港線・きのくに線方面特急<br />'''4'''<br />京都・北陸方面特急 |- !2019年3月16日 |'''1'''<br />関西空港線・きのくに線経由京都方面特急<br />'''2'''<br />きのくに線経由特急(当駅止め)<br />おおさか東線 |'''3'''<br />関西空港線・きのくに線方面特急<br />'''4'''<br />京都・北陸方面特急 |- !2023年3月18日 |'''1'''<br />関西空港線・きのくに線経由京都方面特急<br />おおさか東線下り<br />'''2'''<br />きのくに線方面特急 |'''3'''<br />関西空港線方面特急<br />おおさか東線上り(梅田貨物線)<br />'''4'''<br />京都・北陸方面特急 |} === 新幹線ホーム === <!--{{新大阪駅新幹線配線図}}--><!--情報源の提示なしに作成されているためコメントアウト--> {{After float}} JR東海とJR西日本の共同使用だがJR東海の管轄で、JR東海が管轄する駅では最西端となる<ref group="注">最東端は[[東京駅]]である。在来線においては最東端が[[御殿場線]]の[[下曽我駅]]、最南端および最西端は[[紀勢本線|紀勢線]]の[[鵜殿駅]]、最北端は[[高山本線|高山線]]の[[杉原駅]]である。</ref>。また、[[九州旅客鉄道|JR九州]]所属の車両が乗り入れる最東端の駅でもある<ref group="注">在来線の最東端は九州最東端の駅でもある[[浅海井駅]]である。最西端は[[佐世保駅]]、最南端は[[西大山駅]]、最北端は新幹線は[[姫路駅]]、在来線は[[門司港駅]]である。</ref>。島式ホーム3面6線と[[単式ホーム]]2面2線、合計5面8線を有する[[高架駅]]。ホームはほぼ東西方向に延びている。博多方には上下本線の間に引上線([[大阪仕業検査車両所]]新大阪支所)があるほか、25・26番線の博多方には保線用の横取り線がある。 案内サイン類や駅名標はJR東海のデザインのものであるが、[[東海道・山陽新幹線]]の境界駅のため、駅名標には「'''JR東海'''」の表示やオレンジ色のJRマークは入っていない。 [[東海道新幹線]]の開業当初の設計では島式ホーム3面6線のみ(開通時は2面3線のみで[[1974年]][[12月7日]]に3面6線となった)で南北に1線ずつ留置線の路盤を準備していたが<ref name="rp201410"/>、その路盤に線路とホームを設置する形で[[1985年]][[3月9日]]に20番線が、[[2013年]][[3月16日]]に27番線が増設された。なお、27番線のホームは[[阪急新大阪連絡線]]として[[阪急電鉄]]が確保していた用地を利用して設置された<ref name="hankyu20060222">{{PDFlink|[http://holdings.hankyu-hanshin.co.jp/ir/data/ER200602221N1.pdf 「新幹線新大阪駅改良計画」への対応および当社用地の活用について]}} 阪急電鉄、2006年2月22日</ref>。 [[山陽新幹線]]の「[[みずほ (列車)|みずほ]]」・「[[さくら (新幹線)|さくら]]」・「[[ひかりレールスター]]」・「[[こだま (列車)|こだま]]」の多くは単式ホームの20番線に着発するため、東海道新幹線が主に発着するホームから遠く、コンコースと20番線を直接行き来する[[エレベーター]]も無いため、21・22番線用のエレベーターを利用して乗り換える必要がある。そのため、[[マルス (システム)|マルス端末]]やインターネットの乗換案内サービスなどにおいても、同一ホームで乗り換えが可能な隣駅の[[新神戸駅]]での乗り換えを推奨するケースが多い。[[2011年]][[3月12日]]の山陽・[[九州新幹線]]直通運転にそなえ、20番線の[[エスカレーター]]の増設工事が行われた<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws000645.html 【社長会見】山陽・九州新幹線直通運転列車の乗り入れに向けた準備状況] 東海旅客鉄道プレスリリース、2010年12月8日</ref>。 一部の「さくら」は21番ホームから発車する。 実際のJR東海とJR西日本の会社境界は駅西方2.8km先([[東京駅|東京]]起点518.2 km)の[[十三筋]]([[大阪府道・兵庫県道41号大阪伊丹線]])の第二三津屋架道橋を越えたすぐの地点にある<ref name="tomosada 2007 76">『国鉄最後のダイヤ改正』進士友貞、交通新聞社、2007年、p.76</ref>。ここにはATCの上り第1場内進路と地上信号機が設置されている<ref name="tomosada 2007 76"/>。20番線(一部は21 - 23番線)に到着する上り列車はここから下り線を走行することになるため、山陽新幹線のダイヤ構成上の制約が生じるが、反面22番線から27番線までと引き上げ線との間の入換では交差支障が発生せず、東海道新幹線の新大阪折り返し列車と山陽新幹線の新大阪折り返し列車は独立にダイヤ設定が可能である。また東海道新幹線側では同駅では一部[[相互発着]]という手法で列車を入線・出発させている。 [[2006年]][[2月22日]]のJR東海社長定例会見で、新幹線ホームの改良に伴い、阪急新大阪連絡線の用地の一部を転用して、現在の26番線の北側に27番線を新たに設けることと、博多方にある2本の引上線を4本に増設することを明らかにしていたが、27番線は2013年3月16日のダイヤ改正から使用している。これにより、運転効率の向上ならびに更なる本数増強が可能になった。続いて、引上線の増設が[[2014年]][[1月26日]]に完成した<ref name="jrc20131204"/>。 残る阪急電鉄の所有地は、当駅北側の玄関口として活用する<ref name="hankyu20060222"/>とともに、新大阪連絡線のうち免許が維持されている当駅 - [[十三駅]]間を[[Osaka Metro四つ橋線]]の十三延長([[西梅田・十三連絡線]](仮称))と合わせて一本の路線として、[[大阪駅北地区|北ヤード]]・[[西梅田駅|西梅田]]への接続路線として整備する意向であることを表明している。ただしこれらの計画についての着工・完成時期などは未定である。 また、新幹線コンコースはこれまでの中央入口(入場のみ)・中央出口(出場のみ)が、両者ともに入出場可能となる改良工事が行われた。これに伴い、前者は「中央口」、後者は「南口」と改称されている<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws000911.html 【社長会見】新幹線新大阪駅 きっぷうりば及び改札口の使用開始等について] - JR東海ニュースリリース 2011年12月8日</ref>。 なお、2013年[[7月10日]]から新幹線ホームが[[交通機関の喫煙規制#駅施設など|全面禁煙化]]され、新たにコンコース内に喫煙ルームが設けられた。 新幹線ホームの直下の地上には[[北方貨物線]]が通る。ホーム部分は25・26番線ホームの直下、引上線部分は引上1・2番線([[1966年]][[10月1日]]に設置された当初からある引上線)の直下を通過している<ref>{{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2008/63-04/63-04-0256.pdf 東海道新幹線の輸送力増強に向けた新大阪駅ホーム等増設計画]}} - 公益社団法人土木学会、平成20年度土木学会全国大会 第63回年次学術講演会予稿、2008年9月10日 - 12日開催、2015年8月27日閲覧</ref>。 山陽新幹線側は地下ホームを建設し、北陸新幹線も乗り入れて直通運転する計画案がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/468037 |title=新大阪駅地下に山陽新幹線のホームを 国交省検討 |publisher=日刊工業新聞 |date=2018-04-02|accessdate=2022-06-23}}</ref>。 ==== のりば ==== <!--方面表記は、JR東海の「駅構内図」の記載に準拠(新幹線はJR東海の管轄であるため)--> {|class="wikitable" rules="rows" !番線<!-- 事業者側による呼称。JR東海は「○番線」と呼称 -->!!事業者!!路線!!行先!!備考 |- !20 - 22 |style="text-align:center;"|JR西日本 |[[File:Shinkansen jrw.svg|17px|■]] [[山陽新幹線]] |[[博多駅|博多]]方面<ref name="jrc-shin-osaka/map">{{Cite web|和書|url=https://railway.jr-central.co.jp/station-guide/shinkansen/shin-osaka/map.html|title=新大阪駅|JR東海|publisher=東海旅客鉄道|accessdate=2023-03-15}}</ref> |20番線は当駅始発のみ<br />早朝の1本のみ、23番線から発車 |- !23 - 27 |style="text-align:center;"|JR東海 |[[File:Shinkansen jrc.svg|17px|■]] [[東海道新幹線]] |[[東京駅|東京]]方面<ref name="jrc-shin-osaka/map" /> |23・24番線は原則として当駅始発のみ |} * [[2020年]][[3月14日]]の改正時点で、到着列車については、[[東海道新幹線]]方面からは21 - 27番線、[[山陽新幹線]]方面からは20・21・24 - 27番線に入線する<ref name="jikoku202003">『JR時刻表』(交通新聞社)2020年3月号、2 - 28頁(東海道・山陽新幹線時刻)。</ref>。なお、構造的には全てのホームで両方向の到着・発車に対応しているが、27番線には東海道新幹線車両向けの[[ホームドア]]が設置されているため、16両編成以外停車できない。 * [[2021年]][[3月13日]]の改正時点で、23番線を使用する当駅始発の山陽新幹線が早朝に1本のみ設定されている。 * 27番線については、[[2013年]][[3月16日]]の開設時は山陽新幹線方面から直通する列車も使用していたが、[[2014年]][[3月15日]]の改正時から原則として当駅始発の東海道新幹線列車([[2017年]][[3月4日]]改正前日まで、日中は「ひかり」・「こだま」が毎時1本ずつ<ref>『JR時刻表』(交通新聞社)2014年1月号39 - 50頁、2014年3月号15 - 26頁(いずれも東海道・山陽新幹線上りの時刻)</ref>、同改正以降は「のぞみ」2本(うち1本は臨時列車))が使用していた<ref>『JR時刻表』(交通新聞社)2017年3月号16 - 28頁(東海道・山陽新幹線上りの時刻)</ref>。[[2020年]][[3月14日]]の改正時から再び山陽新幹線からの直通列車も使用するようになった<ref name="jikoku202003"/>。 * 臨時列車がある場合、山陽新幹線博多方面の列車が、本来東京方面のホームである23番線から発車することもある<ref group="注">『JR時刻表』(交通新聞社)2010年3月号、34 - 45頁(東海道・山陽新幹線下りの時刻)。当時はそのような列車が、日中ほぼ毎時1本設定されていた。</ref>。 * 20番線については、[[1985年]][[3月9日]]の開設時から[[1990年]]頃までは、少数ながら東海道新幹線列車の発着にも使用されていた<ref group="注">『JR時刻表』(弘済出版社)1990年3月号、41 - 58頁(東海道・山陽新幹線の時刻)によると、東京発新大阪止まりの「ひかり227号」が20番線着である。</ref>。 * [[ホームドア]]は27番線のみ開設当初から設置された。27番線以外は2019年以降に設置を開始し<ref>{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000037887.pdf 【社長会見】東海道新幹線新大阪駅20&#x301C;26番線への可動柵設置について]}} - JR東海 2018年8月1日</ref>、2022年12月までに設置された。27番線は、他駅と同様16両編成に合わせたドア位置で設置されているが、27番線以外は16両編成の他に8両編成も停車する事から、両方の乗車位置に対応するため、開口部が大きい専用開発品を採用。材質は軽量化のため、FRP([[繊維強化プラスチック]])を採用する。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> JR Shin-Ōsaka Station Shinkansen South Gate.jpg|新幹線南口改札(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Transfer Gate.jpg|のりかえ口(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Platform 20.jpg|新幹線20番線ホーム(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Platform 21・22.jpg|新幹線21・22番線ホーム(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Platform 23・24.jpg|新幹線23・24番線ホーム(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Platform 25・26.jpg|新幹線25・26番線ホーム(2023年2月) JR Shin-Ōsaka Station Platform 27.jpg|新幹線27番線ホーム(2023年2月) Tokaido Shinkansen lead track on Shinosaka station 01.jpg|引上線(線路の先にある建物が引上線の覆屋)(2008年1月) Tokaido Shinkansen Shinosaka railway track maintenancea line.jpg|保線用の横取り線と保線車両(2008年1月) Shin-Osaka Station Sign (Tokaido Shinkansen, Sanyo Shinkansen).jpg|駅名標。他の東海道新幹線の駅と異なり、JR東海のロゴが入っていない。(2013年12月) </gallery> === ダイヤ === ==== 在来線 ==== 日中時間帯は片道1時間あたりJR京都線が16本([[新快速]]・[[京阪神快速|快速]]がそれぞれ4本、[[京阪神緩行線|普通電車]]が8本)、おおさか東線が4本(すべて普通)発着する。朝夕は本数が多くなり、おおさか東線の直通快速は朝夕のみ発着する。 北陸・北近畿・山陰・南紀系統の特急列車も当駅に停車し、新幹線との接続が図られている。 梅田貨物線を経由する[[大阪環状線]]・[[阪和線]]・[[きのくに線]]・[[関西空港線]]との直通列車は特急列車のみの運転で、1時間あたり関空方面が2本と南紀方面が1本運転されている。[[2018年]][[3月16日]]までは、早朝・深夜時間帯には当駅発着の[[阪和線#快速|快速列車]]も運転されていた。 {{節スタブ}} === 発着する在来線優等列車 === 大阪駅と並んで在来線特急のターミナルとして機能しており、山陰方面への特急や、南紀方面への一部の特急は当駅始発として運転されている。 * 福井・金沢方面 ** 特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」([[大阪駅]] - [[金沢駅]]・[[和倉温泉駅]]) * 岐阜・高山方面 ** 特急「[[ひだ (列車)|ひだ]]」(大阪駅 - [[高山駅]]) * 草津・米原方面 ** 特急「[[びわこエクスプレス]]」(大阪駅 - [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]]・[[米原駅]]) * 関西空港方面 ** 特急「[[はるか (列車)|はるか]]」(野洲駅・[[京都駅]] - [[関西空港駅]]) * 和歌山・白浜方面 ** 特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」(京都駅・新大阪駅 - [[和歌山駅]]・[[紀伊田辺駅]]・[[白浜駅]]・[[新宮駅]]) * 福知山・城崎温泉方面 ** 特急「[[こうのとり (列車)|こうのとり]]」(新大阪駅 - [[福知山駅]]・[[豊岡駅 (兵庫県)|豊岡駅]]・[[城崎温泉駅]]) * 鳥取方面 ** 特急「[[スーパーはくと]]」(京都駅・新大阪駅 - [[鳥取駅]]・[[倉吉駅]]) == 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) == <!-- 節リンクをしているため見出しを変更しないこと --> {{駅情報 |社色 = #33328b |文字色 = |駅名 = 大阪市高速電気軌道 新大阪駅 |画像 = Midosuji line Shin-Osaka station platform 1.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 御堂筋線ホーム(2020年6月) |よみがな = しんおおさか |ローマ字 = Shin-Osaka<!-- 地下鉄は長音記号なし --> |前の駅 = M12 [[東三国駅|東三国]] |駅間A = 0.9 |駅間B = 0.7 |次の駅 = [[西中島南方駅|西中島南方]] M14 |電報略号 =新大 |駅番号 = {{駅番号s|#e5171f|#fff|M13}} |所属事業者 = [[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro) |所属路線 = {{Color|#e5171f|●}}[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]] |キロ程 = 2.9 |起点駅 =[[江坂駅]] |駅構造 = [[高架駅]] |ホーム = 1面2線 |所在地 = [[大阪市]][[淀川区]][[西中島 (大阪市)|西中島]]五丁目15-5 |座標 = {{Coord|34|44|0.51|N|135|29|54.73|E|type:railwaystation_region:JP|name=Osaka Metro 新大阪駅}} |開業年月日 = [[1964年]]([[昭和]]39年)[[9月24日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 62,871 |乗降人員 = 125,819 |統計年度 = 2022年 |乗換 =新幹線・JR線 |備考 = }} 大阪市高速電気軌道[[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]は西側で[[東海道・山陽新幹線]]とほぼ直交し、[[新御堂筋]]の中央分離帯に位置する島式ホーム1面2線を有する[[高架駅]]となっている。高架駅ではあるが、線路を含めすべて屋根に覆われている。 [[江坂駅|江坂]]方にY形[[引き上げ線]]があり、終日に渡り[[天王寺駅|天王寺]]方面からの折り返し列車が設定されている。日中は半数の列車が折り返す。かつては夜間の留置にのみ使用されていたが、1990年から[[中津駅 (Osaka Metro)|中津]]行きを延長する形で日中にも多く運転されるようになった(当初は「[[国際花と緑の博覧会]]」期間中のみの予定であったが、好評だったため期間終了後もこの延長運転は続けられ、後に夜間時間帯にも拡大している)。 ホームの江坂方にトレインビュースポットが設置されており、自由に出入りが可能。 [[西中島南方駅]]とは駅間距離が僅か700mしか離れておらず、当駅ホームから西中島南方駅ホームやそこに停まっている電車が見える。 昇降設備は、北東・北西改札内にエスカレーターが上り1基・下り2基とエレベーターがあり、中改札内にエスカレーターが上り2基・下り1基とエレベーターがあり、南改札内に上りエスカレーター1基がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.osakametro.co.jp/library/station-guide/M/m13/pdf/joukou.pdf |title=乗降位置案内図 御堂筋線 |publisher=OsakaMetro|accessdate=2018-08-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180812083201/http://www.osakametro.co.jp/library/station-guide/M/m13/pdf/joukou.pdf|archivedate=2018-08-12}}</ref>。 トイレは北東・北西改札内、中改札内、南改札内のそれぞれにあり、北東・北西改札内と中改札内に[[オストメイト]]に対応した多機能トイレがある。 尚、このトイレは、2015年に、日本トイレ大賞を受賞した。 [[自動改札機]]は[[東芝]]製が設置されている。JR線との連絡改札はなく、乗り換えの際は一旦改札を出る必要がある。 2010年1月6日、中改札口に[[ファミリーマート]]地下鉄新大阪駅ナカ店が開店した<!-- ([[PiTaPa]]も利用可能、他駅のSABSTAからの転換と違いそれ以前からあるため「エキファミ」ではない) -->が、2015年に閉店した(跡地に改札口南側にあった有人窓口を移設)。 2016年3月30日には駅北東・北西改札外に駅ナカ商業施設「新なにわ食堂街」がオープンした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h27_all/shinnaniwadaishokudo.html |title=地下鉄御堂筋線新大阪駅に駅ナカ商業施設「新なにわ大食堂」が平成28年3月30日(水曜日)に開業します |publisher=大阪市交通局 |date=2016-01-29|accessdate=2016-07-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160718103928/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h27_all/shinnaniwadaishokudo.html|archivedate=2016-07-18}}</ref>。 当駅は[[大阪市営地下鉄梅田管区駅|梅田管区駅]]に所属し、同副管区駅長が管轄している。 === のりば === <!--方面表記は、Osaka Metroの「駅構内図」の記載に準拠--> <!--Osaka Metroでは旅客案内に「上り」「下り」の表現は使用していない--> {|class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称。Osaka Metroは「○番線」と呼称 -->!!路線!!行先 |- !1 |rowspan="2"|[[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線 |[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田]]・[[難波駅 (Osaka Metro)|なんば]]・[[中百舌鳥駅|なかもず]]方面<ref name="osakametro-m13">{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/M/m13/index.php|title=新大阪|Osaka Metro|publisher=Osaka Metro|accessdate=2023-03-15}}</ref> |- !2 |[[江坂駅|江坂]]・[[千里中央駅|千里中央]]方面<ref name="osakametro-m13" /> |} <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> Midosuji line Shin-Osaka station platform 2.jpg|ホーム(中程)(2020年6月) Shin-Osaka-Station-Midosuji-Line-Northeastgate.jpg|北東改札口(2018年1月) Shin-Osaka-Station-Midosuji-Line-Northwestgate.jpg|北西改札口(2018年1月) Shin-Osaka-Station-Midosuji-centralgate.jpg|中改札口(2018年10月) Shin-osaka train-view spot.jpg|トレインビュースポット(2020年2月) </gallery> == 駅弁 == 主な[[駅弁]]は下記の通り<ref>{{Cite journal|和書|year=2023|publisher=[[JTBパブリッシング]]|journal=JTB時刻表|issue=2023年3月号|page=48,186-187}}</ref>。 {{Div col||20em}} * 特製幕之内御膳 * 牛めし 近江 * 二段重 海~金目と鯖の煮魚 * 八角弁当 * 厚切りロースとんかつ弁当 * 二段重 山~鶏とだし巻き卵 * 牛カルビ焼肉重 * 品川貝づくし * 東海道新幹線弁当 * ひと手間かけた からあげ弁当 * 六甲山縦走弁当 * おむすび弁当 * なにわ満載 * ハローキティ新幹線弁当 * 肉めし * 八角弁当 * あっちっちかにめしとすきやき重 * 神戸のすきやきとステーキ弁当 * ひっぱりだこ飯 * パンダくろしお弁当 {{Div col end}} == 利用状況 == * '''JR西日本''' - 2021年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''49,564人'''である<ref group="利用客数">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2022_11.pdf データで見るJR西日本2022]}}</ref>。 ** JR西日本の駅で第11位。 * '''JR東海''' - 2020年度の1日平均'''乗車'''人員は'''29,359人'''である<ref group="利用客数">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2021_11.pdf データで見るJR西日本2021]}}</ref>。 ** JR東海の駅では[[名古屋駅]]、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]、[[静岡駅]]、[[東京駅]]([[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の数値は含まれていないことに注意)に次ぐ第5位。 * '''Osaka Metro''' - 2022年11月10日の1日[[乗降人員]]は'''125,819人'''(乗車人員:62,871人、降車人員:62,948人)である<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=https://www.osakametro.co.jp/company/statistics/research/100331_research.php |archiveurl= |title=路線別乗降人員(2022年11月15日 交通調査) |archivedate= |accessdate=2023-04-23 |publisher=Osaka Metro |format=PDF}}</ref>。 ** 同社の駅では第8位であり、御堂筋線では[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]]、[[難波駅 (Osaka Metro)|なんば駅]]、[[天王寺駅]]、[[本町駅]]、[[淀屋橋駅]]、[[心斎橋駅]]([[四ツ橋駅]]と合算)に次ぐ第7位である。 各年度の1日乗車・乗降人員数は下表の通り。 * JRのデータは'''1日平均'''乗車人員である。 * Osaka Metroのデータは交通量調査に基づいた'''特定の1日'''における乗降・乗車人員である。 {|class="wikitable" style="text-align:right" !rowspan="3"|年度 !style="text-align:center"|JR西日本 !style="text-align:center"|JR東海 !style="text-align:center" colspan="3"|Osaka Metro<ref group="注">2017年度までは大阪市営地下鉄。</ref> !rowspan="3"|出典 |- !style="text-align:center" colspan="2"|1日平均 !style="text-align:center" colspan="3"|特定日 |- !乗車人員!!乗車人員!!調査日!!乗降人員!!乗車人員 |- |1995年(平成{{0}}7年)||43,266||style="text-align:center"| -||<ref group="注">1996年に行われた調査であるが、[[会計年度]]上は1995年度となる。</ref>2月15日||111,312||54,111 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085307/tn1996n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成8年)]}}</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年)||43,880||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084805/tn1997n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成9年)]}}</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年)||43,052||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1998年(平成10年)||42,244||style="text-align:center"| -||11月10日||108,106||53,429 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年)||42,137||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年)||42,631||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref> |- |2001年(平成13年)||44,154||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref> |- |2002年(平成14年)||44,509||style="text-align:center"| -||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref> |- |2003年(平成15年)||44,919||<ref group="注">「都市交通年報 平成17年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。</ref>63,322||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref> |- |2004年(平成16年)||45,276||<ref group="注">「都市交通年報 平成18年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、366日で除して算出。</ref>62,702||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref> |- |2005年(平成17年)||45,218||<ref group="注">「都市交通年報 平成19年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。</ref>64,314||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref> |- |2006年(平成18年)||46,437||<ref group="注">「都市交通年報 平成20年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。</ref>65,467||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref> |- |2007年(平成19年)||46,855||style="text-align:center"| -||11月13日||132,576||65,622 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref> |- |2008年(平成20年)||47,365||style="text-align:center"| -||11月11日||127,267||62,684 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref> |- |2009年(平成21年)||46,187||style="text-align:center"| -||11月10日||122,131||60,883 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref> |- |2010年(平成22年)||47,674||63,000||11月{{0}}9日||122,734||60,756 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref> |- |2011年(平成23年)||48,407||66,000||11月{{0}}8日||122,270||60,640 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref> |- |2012年(平成24年)||49,839||69,000||11月13日||124,995||62,337 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref> |- |2013年(平成25年)||51,720||72,190||11月19日||128,441||63,579 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref> |- |2014年(平成26年)||53,150||74,000||11月11日||133,746||66,261 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref> |- |2015年(平成27年)|| 55,756||78,000||11月17日||143,021||70,602 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref> |- |2016年(平成28年)||58,487||79,000||11月{{0}}8日||139,241||69,491 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref> |- |2017年(平成29年)||60,751||81,863||11月14日||148,472||73,407 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref> |- |2018年(平成30年)||63,469||84,467||11月13日||151,478||75,238 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref> |- |2019年(令和元年)||69,089||79,514||11月12日||152,249||76,276 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年)||46,284||29,359||11月10日||106,617||53,632 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00422997/n2021-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和3年)]}}</ref> |- |2021年(令和{{0}}3年)||49,564||||11月16日||110,162||55,294 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00447272/n2022-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和4年)]}}</ref> |- |2022年(令和{{0}}4年) | | |11月15日 |125,819 |62,871 | |} == 駅周辺 == [[ファイル:Shin-Osaka Station east entrance.jpg|thumb|東口]]{{After float}} 駅周辺は住宅地(高層マンション)、[[オフィスビル]]、[[ホテル#ビジネスホテル|ビジネスホテル]]などが立ち並んでいる。[[梅田]]の中心地である[[大阪駅]]ほどではないが、駅構内は乗り換え客でで賑わっている。ただし、新幹線から中心市街地へ移動するための乗り換え駅としての役割が強いため、市内中心部の梅田([[キタ]])や[[難波]]([[ミナミ]])、[[天王寺駅|天王寺]]などとと比較すると[[駅ナカ]]を除いて[[商業施設]]はかなり少なく、[[繁華街]]としての性格はない。 [[1990年代]]以降再開発が進み、駅周辺には[[超高層建築物|超高層ビル]]が建設されているが、いずれも高さ100m程度に抑えられており、梅田を抱える[[大阪駅]]周辺と比べるとかなり低い。これは駅上空が[[大阪国際空港]](伊丹空港)に着陸する[[航空機]]の[[標準到着経路|標準計器到着方式]]のコースに当たり、[[航空法]]により高さ制限が設定されているためである。 [[東淀川区]]に位置する東口は、駅中央部の商店街からは外れているため、人通りが少なく住宅地が広がっている。 === 駅構内 === 駅構内は1階にレストラン街、2階に売店・カフェ<ref>{{Cite press release|和書|title=新大阪駅2階商業施設の第3期「グルメゾーン」などのリニューアルオープンおよび施設名称の変更について |publisher=新大阪ステーションストア |date=2015-05-26 |url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/05/page_7181.html |accessdate=2015-07-16}}</ref>、3階に[[エキマルシェ]]などの多数の土産物品店が入居している。 === 北側 === * [[新大阪阪急ビル]] * [[大阪回生病院]] * [[滋慶医療科学大学]] * [[SORA新大阪21]] * [[新大阪センイシティー]]<br />その他、北側には宿泊施設や教育機関が多く所在する。<!--[[ユニ・チャーム]]大阪支店は[[中之島 (大阪府)|中之島]]に移転、近畿支店として営業中--> === 南側 === 南側には、いずれも徒歩10分ぐらいで、阪急[[南方駅 (大阪府)|南方駅]]とOsaka Metro[[西中島南方駅]]があるほか、宿泊施設などが若干数所在する。 === 東側(愛称:日之出側) === 東側には教育機関のほか、宿泊施設などが所在する。阪急[[崇禅寺駅]]までは徒歩13分程度。阪急[[柴島駅]]までは徒歩18分程度。 === 西側(通称:宮原側) === * [[大阪新幹線運転所]] * [[大阪新幹線車掌所]] * 大阪仕業検査車両所新大阪支所 * [[新大阪センイシティー]] * [[北大阪病院]] * [[メルパルク大阪]] == バス路線 == 正面口(南口)・北口・東口の3箇所に[[バス停留所]]が設置されている。なお、東口にあるバス停は地下鉄駅からかなり離れている。北口には[[阪急バス]]グループの高速バスターミナルが設けられている。 なお、[[中国ハイウェイバス]]は[[新御堂筋]]北行きの側道に停留所を設けている他、地下鉄の駅では新大阪駅北口バス停付近に設置されている「宮原四丁目」バス停を最寄りバス停として案内されている。 === 正面口(南口) === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> ; [[阪急観光バス]] * 1番のりば ** [[大阪国際空港|大阪空港]] 行 ; [[西日本ジェイアールバス|西日本JRバス]]・[[神姫バス]] * 2番のりば ** [[中国ハイウェイバス]]:[[西脇市|西脇]]・[[加西市|北条]]・[[津山駅|津山]] 発('''降車のみ''') なお、[[湯快リゾート]]の送迎バスは正面口向かいの駐車場から発車する。 === 阪急高速バス新大阪ターミナル(北口) === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> [[ファイル:Hankyu Shinosaka Bus Terminal.jpg|thumb|阪急新大阪バスターミナル(2012年10月31日より営業開始)]]{{After float}} [[2012年]][[10月31日]]までは[[新御堂筋]]の西側([[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]]の西側、[[山陽新幹線]]の高架北側)に所在したが、現在は新大阪阪急ビル1階へ移転し、JR・大阪市営地下鉄の両駅舎と直結して利便性が改善された<ref>{{Cite web|和書|url=http://bus.hankyu.co.jp/news_release/121002s.pdf |title=阪急高速バス新大阪ターミナルが新大阪阪急ビル1階に移転します |publisher=阪急バス |date=2012-10-02|accessdate=2012-10-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121018143524/http://bus.hankyu.co.jp/news_release/121002s.pdf|archivedate=2012-10-18}}</ref>。 ; [[阪急バス]] * [[阪急バス千里営業所#阪北線|50系統(阪北線)]]:[[柴原阪大前駅]]([[市立豊中病院]]前)行 / [[箕面駅|箕面]] 行(平日18時10分発のみ) ; [[阪急観光バス]] * [[阪急バス豊中営業所#有馬急行線|有馬急行線]]:[[有馬温泉]] 行(うち1便は新御堂筋北行きの乗場から発車) * 高速バス(共同運行会社含む) ** [[有馬温泉]]、[[伊那バスターミナル|伊那市]]・[[伊那バス箕輪営業所|箕輪]]<ref group="注">2015年4月1日より、運行会社が阪急バス⇒阪急観光バスに変更となった。</ref>、[[福井駅 (福井県)|福井駅]]、[[和田山駅|和田山]]・[[湯村温泉 (兵庫県)|湯村温泉]]・[[浜坂駅]]、[[高知駅|高知]]、[[松山市駅|松山]]・[[八幡浜市|八幡浜]]、[[阿波池田バスターミナル|阿波池田]]・[[四国交通|井川]]、[[松江駅]]・[[出雲市駅]]、[[新見インターチェンジ|中国新見]]・[[三次バスセンター|三次]]、[[天橋立]]・[[宮津市|宮津]]、[[舞鶴市|舞鶴]]、[[金沢駅]]、[[富山駅]]、[[万代シテイ|新潟]]、[[松本バスターミナル|松本]] 各方面 ; [[阪神バス]] * 高速バス[[サラダエクスプレス]] ** [[愛南町|城辺]]・[[宇和島市|宇和島]] 発(夜行便'''到着のみ''') ; [[全但バス]] * 特急バス ** 和田山・[[城崎温泉]] 行 ** 和田山・[[湯村温泉 (兵庫県)|湯村温泉]] 行 ; [[日本交通 (鳥取県)|日本交通]] * [[山陰特急バス|高速バス]] ** [[倉吉バスセンター|倉吉]] 行 ; [[アルピコ交通]] * 高速バス 渋谷新宿池袋線・[[さわやか信州号]]・[[諏訪バス#岡谷・諏訪_-_大阪線(アルペン諏訪号)|アルペン諏訪号]]・[[アルペン長野号]] ** [[新宿高速バスターミナル|新宿]]・[[渋谷マークシティ|渋谷]]・[[池袋駅|池袋]]、[[上高地]]、[[上諏訪駅|上諏訪]]・[[茅野駅|茅野]]、[[長野駅|長野]] 各方面 ; [[しずてつジャストライン]] * 高速バス 静岡大阪線(京都大阪ライナー) ** [[新静岡駅|静岡]]・[[清水駅 (静岡県)|清水]] 行 ; [[京成バス]] * 高速バス ** [[横浜駅|横浜]]・[[東京駅|東京]]・[[東京ディズニーリゾート|TDR]]・[[千葉中央駅|千葉]] 行 === 新御堂筋北行副道上のりば === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> ; 西日本JRバス・神姫バス * [[中国ハイウェイバス]]:[[西脇市|西脇]]・[[加東市|社]]・[[加西市|北条]]・[[津山駅|津山]] 行(乗車のみ) ; 阪急バス * [[阪急バス豊中営業所#有馬急行線|有馬急行線]]:[[有馬温泉]] 行(1便のみ) === 北口(新大阪駅北口バス停) === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> ; [[大阪シティバス]] * [[大阪シティバス酉島営業所#39号系統|39号系統]]:[[野田駅 (阪神)|野田阪神前]] 行 ; [[大阪バス]] * [[大阪バス#新大阪駅 - 帝国ホテル大阪 - ホテルニューオータニ大阪線|新大阪駅 - 帝国ホテル大阪 - ホテルニューオータニ大阪線]]:[[ホテルニューオータニ大阪|大阪城・ホテルニューオータニ大阪]] 行<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.osakabus.jp/shinai/#n |title=市内路線バス「新大阪駅~帝国ホテル大阪~ホテルニューオータニ大阪線」 |access-date=2023/02/25 |publisher=大阪バス}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.newotani.co.jp/osaka/event/bus-terminal/ |title=大阪駅・新大阪駅・京都そしてユニバーサル・スタジオ・ジャパンへバス運行の案内 |access-date=2023年2月25日 |publisher=ホテルニューオータニ大阪}}</ref> ; [[神姫バス]] *(高速)関西学院大学 行 *(高速)ゆりのき台4丁目 行 *(高速)[[神戸三田プレミアム・アウトレット|神戸三田プレミアムアウトレット]] 行 *(関学エクスプレス)関西学院大学 行 *(直行)関西記念墓園 行 ; [[神姫バス|神姫観光バス]] * LimonBus:[[東京ディズニーランド]]・[[池袋]][[サンシャインシティ]] 行 ; [[平成エンタープライズ]] * VIPライナー:関東方面 行<ref>[http://vipliner.biz/map/place/index.php?Placename_alp=shinosaka VIPライナー新大阪バス停 停車場所]</ref> === 東口(新大阪駅東口バス停) === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> ; 大阪シティバス * [[大阪シティバス井高野営業所#11号系統|11号系統]]:東淀川区役所前 行 * [[大阪シティバス中津営業所#41号系統|41号系統]]:[[大阪駅周辺バスのりば#大阪駅前停留所(大阪シティバス)|大阪駅前]] 行/[[榎木橋]] 行 === 宮原四丁目バス停 === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> ; 大阪シティバス * 39号系統:野田阪神前 行 * 41号系統:大阪駅前 行/[[榎木橋]] 行 == エピソード == * 国鉄時代、[[特別急行列車|特急]]・[[急行列車|急行]]の一部と[[新快速]]は当駅を通過していたため、通過すると知らずに誤乗する乗客が多かった。その後、複々線区間での新快速の走行線路が内側線から外側線への変更で[[京都駅]] - [[大阪駅]]間の29分運転が維持できることにより、[[1985年]][[3月14日]]から「新快速」が当駅に停車するようになり、JR発足後は[[東海道・山陽新幹線]]との接続を重視して徐々に停車列車を増やし、在来線のほとんどの列車が停車するほか、当駅を始発・終着とする優等列車もある。 * JRで当駅から[[姫路駅]]以遠([[山陽本線]][[英賀保駅]]・[[姫新線]][[播磨高岡駅]]・[[播但線]][[京口駅]]方面)の駅までの運賃は、姫路駅を経由する場合に限り、大阪駅からの営業キロで計算する特例がある<ref>[[旅客営業規則]]第88条</ref>。当駅 - 大阪駅間の3.8kmは計算に入れず、乗車券上の表示も発駅の場合は[[特定都区市内|大阪市内]]発着となる場合を除き、「新大阪・大阪」、着駅の場合は「大阪・新大阪」となる。大阪駅から乗車する場合も、この乗車券で新大阪駅を経由して[[山陽新幹線]]に乗車することができる。 * [[西明石駅]]以西と大阪駅以南([[大阪環状線]]方面)の各駅相互間の[[定期乗車券]]は、新幹線は当駅まで乗車できるが、当駅では途中下車できない。 * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]・[[東海旅客鉄道|JR東海]]の駅は第4回[[近畿の駅百選]]に選定されている。 * 1日平均約3,600台の[[タクシー]]が集まるが、当駅と[[新御堂筋]]を結ぶ進入路は2車線のみである。そのため客待ちのタクシーが1列を、客を降ろすタクシーが1列を占有するため、[[終電]]間近になると進入路において慢性的な[[渋滞]]が発生する。この影響で、金曜日の終電間近にはせっかくタクシーで来たのに終電に乗り遅れる人や、それを避けるためにタクシーを降りて進入路を走っている人がよく見かけられる。これを受けて、[[国土交通省]][[近畿運輸局]]と大阪府内のタクシー協会では、[[2008年]][[6月5日]]から客待ちタクシーの乗り入れ規制を実施している。周辺の渋滞が激しい木曜日と金曜日に限り、奇数日は奇数ナンバー、偶数日は偶数ナンバーのタクシーに客待ちを限定している。ただし業界の自主規制であるため罰則はなく、運輸局が違反した事業者名と運転手名を公表するに留まる<ref name="kotsushimbun20080527">交通新聞2008年5月27日1面</ref>。初日である6月5日は、従来タクシーが客を乗せるまで1時間程度待っていたのが、5分から10分程度に短縮されるという効果があったという<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0605/OSK200806050055.html 新大阪駅、タクシー乗り入れ規制始まる] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20080607232150/http://www.asahi.com/national/update/0605/OSK200806050055.html |date=2008-06-07}}(2008年6月6日アクセス)</ref>。運輸局では、降車レーンを2車線に増設することも検討している<ref name="kotsushimbun20080527"/>。 * [[2005年]][[7月26日]]に身体に悪影響があるとして問題となっている[[石綿|アスベスト]]が3階のコンコースで使用されていたことが判明したが、[[2018年]]の駅改良工事完了の際に除去された。 == 隣の駅 == ※ ()内は駅番号を示す。新幹線と特急・急行列車の停車駅は各列車記事を参照。 ; '''東海旅客鉄道(JR東海)''' : [[File:Shinkansen jrc.svg|17px|■]] 東海道新幹線 :: [[京都駅]] - ([[鳥飼信号場]]) - '''新大阪駅''' - (山陽新幹線〈JR西日本〉) ; '''西日本旅客鉄道(JR西日本)''' : [[File:Shinkansen jrw.svg|17px|■]] 山陽新幹線 :: (東海道新幹線〈JR東海〉) - '''新大阪駅''' - [[新神戸駅]] : [[File:JRW kinki-A.svg|17px|A]] JR京都線(東海道本線) :* 特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」「[[はるか (列車)|はるか]]」「[[くろしお (列車)|くろしお]]」「[[スーパーはくと]]」「[[ひだ (列車)|ひだ]]」「[[びわこエクスプレス]]」停車駅 :* 特急「[[こうのとり (列車)|こうのとり]]」「[[らくラクはりま]]」発着駅 :: {{Color|#0072bc|■}}新快速 ::: [[高槻駅]] (JR-A38) - '''新大阪駅 (JR-A46)''' - [[大阪駅]] (JR-A47) :: {{Color|#f60|■}}快速 ::: [[茨木駅]] (JR-A41) - '''新大阪駅 (JR-A46)''' - 大阪駅 (JR-A47) :: {{Color|#999|■}}普通 ::: [[東淀川駅]] (JR-A45) - '''新大阪駅 (JR-A46)''' - 大阪駅 (JR-A47) : [[File:JRW kinki-F.svg|17px|F]] おおさか東線 :* 臨時特急「[[まほろば (列車)|まほろば]]」停車駅 :: {{Color|#476F8B|■}}直通快速 ::: 大阪駅(うめきたエリア)(JR-F01) - '''新大阪駅 (JR-F02)''' - [[JR淡路駅]] (JR-F04) :: {{Color|#999|■}}普通 ::: 大阪駅(うめきたエリア)(JR-F01) - '''新大阪駅 (JR-F02)''' - [[南吹田駅]] (JR-F03) : 東海道本線貨物支線(梅田貨物線、旅客列車は特急「[[はるか (列車)|はるか]]」「[[くろしお (列車)|くろしお]]」のみ経由) :: ([[貨物駅|貨]])[[吹田貨物ターミナル駅]] - '''新大阪駅 (JR-A46)''' - 大阪駅(うめきたエリア)(JR-A47・JR-O11) ; '''大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)''' : [[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線 :: [[東三国駅]] (M12) - '''新大阪駅 (M13)''' - [[西中島南方駅]] (M14) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|45em}} === 出典 === {{Reflist|2|25em}} ==== 統計資料 ==== ; JR・地下鉄の統計データ {{Reflist|group="利用客数"}} ; 大阪府統計年鑑 {{Reflist|group="*"|23em}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |date=1998-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '98年版 |chapter=JR年表 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-119-8|ref=JRR1998}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[新快速]] * [[エキマルシェ]] * [[西中島 (大阪市)]] * [[境界駅]] == 外部リンク == * {{外部リンク/JR西日本駅|0610155|新大阪}} * [https://railway.jr-central.co.jp/station-guide/shinkansen/shin-osaka/ 新大阪駅] - 東海旅客鉄道 * [https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/M/m13/index.php 新大阪駅] - Osaka Metro * [https://goo.gl/maps/BRTKBXWfUpTjyUQV7 新大阪駅] - [[Google マップ]] {{鉄道路線ヘッダー}} {{東海道新幹線}} {{山陽新幹線}} {{北陸新幹線}} {{JR京都線}} {{東海道本線 (大阪府内貨物支線)}} {{おおさか東線}} {{大阪市高速電気軌道御堂筋線・北大阪急行電鉄南北線}} {{鉄道路線フッター}} {{近畿の駅百選}} {{DEFAULTSORT:しんおおさか}} [[Category:新大阪駅|*]] [[Category:大阪市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 し|んおおさか]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:東海旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:大阪市交通局の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:JR京都線]] [[Category:東海道新幹線]] [[Category:山陽新幹線]] [[Category:阪急電鉄の鉄道駅|未しんおおさか]] [[Category:1964年開業の鉄道駅]] [[Category:淀川区の交通|しんおおさかえき]] [[Category:淀川区の建築物]] [[Category:大阪市高速電気軌道の鉄道駅]] [[Category:おおさか東線]] [[Category:日本におけるモダン・ムーブメントの建築選]]
2003-03-15T17:54:11Z
2023-11-22T20:55:18Z
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メシエ
メシエ (Messier, Messie)
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メシエ エリック・メシエ - NHLの元ディフェンス。 シャルル・メシエ - フランスの天文学者。 メシエ (クレーター) - シャルル・メシエにちなんで名づけられた月のクレーター。 メシエカタログ - シャルル・メシエが作成した星雲・星団・銀河のカタログ。 ジャン・マリー・メシエ - ヴィヴェンディ・ユニバーサルの前CEO。 ジョルジュ・メシエ - フランスの発明家。 メシエ (自動車) - ジョルジュ・メシエが設立し、1925年から1931年まで存在していたフランスの自動車メーカー。 マーク・メシエ - NHLの元フォワード。 マーク・メシエ (俳優) - ケベック出身の俳優。 ポール・メシエ (芸術修復家) - アメリカの芸術修復家。 メシエ星雲人 - 特撮テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』に登場する宇宙人。帰ってきたウルトラマンの登場怪獣#電磁波怪人 メシエ星雲人を参照。
'''メシエ''' (Messier, Messie) * {{仮リンク|エリック・メシエ|en|Éric Messier}} - [[ナショナルホッケーリーグ|NHL]]の元ディフェンス。 * [[シャルル・メシエ]] - フランスの天文学者。 ** {{仮リンク|メシエ (クレーター)|en|Messier (crater)}} - シャルル・メシエにちなんで名づけられた月のクレーター。 ** [[メシエカタログ]] - シャルル・メシエが作成した星雲・星団・銀河のカタログ。 * {{仮リンク|ジャン・マリー・メシエ|en|Jean-Marie Messier}} - [[ヴィヴェンディ・ユニバーサル]]の前CEO。 * {{仮リンク|ジョルジュ・メシエ|fr|George Messier}} - フランスの発明家。 ** {{仮リンク|メシエ (自動車)|en|Messier (automobile)}} - ジョルジュ・メシエが設立し、1925年から1931年まで存在していたフランスの自動車メーカー。 * [[マーク・メシエ]] - NHLの元フォワード。 * {{仮リンク|マーク・メシエ (俳優)|fr|Marc Messier}} - ケベック出身の俳優。 * {{仮リンク|ポール・メシエ (芸術修復家)|en|Paul Messier (art conservator)}} - アメリカの芸術修復家。 * メシエ星雲人 - 特撮テレビドラマ『[[帰ってきたウルトラマン]]』に登場する宇宙人。[[帰ってきたウルトラマンの登場怪獣#電磁波怪人 メシエ星雲人]]を参照。 {{aimai}} {{DEFAULTSORT:めしえ}} [[Category:フランス語の姓]]
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スピン軌道相互作用
スピン軌道相互作用(英: Spin orbit coupling、稀に英: Spin orbit interaction)とは電子のスピンと、電子の軌道角運動量との相互作用のこと。 相対論的に取り扱われるディラック方程式(相対論的量子力学)では自然に導入される概念である。スピン軌道相互作用により、縮退していた電子のエネルギー固有値が分裂する。 原子核に於いても電子と同様のモデルを核子に付いても用い、スピン軌道相互作用による準位の分裂を用いて魔法数を説明した殻模型の確立によりゲッパート=マイヤーとイェンセンはノーベル賞を受賞した。 原子の最外殻電子ではスピン軌道相互作用によりスピン・軌道角運動量の向きがそろうことがある。常温の範囲では分裂した準位(LS多重項という)の中で最低エネルギーをもつ準位に状態がある確率が高い。最低エネルギーの多重項を知るためにフントの規則とよばれる実験則が有効である。 水素原子内の電子は陽子のまわりを回転しているが、これを電子の上に乗っている人から見ると、電子のまわりを陽子が回転しているように見える。回転している陽子は円形電流とみなすことができ、ビオ・サバールの法則により、それは電子上に磁場 B {\displaystyle \mathbf {B} } を作る。その磁場が電子のスピンによる磁気双極子モーメント μ {\displaystyle \mathbf {\mu } } に作用する。この相互作用は B ⋅ μ {\displaystyle \mathbf {B} \cdot \mathbf {\mu } } に比例する。 μ {\displaystyle \mathbf {\mu } } はスピン角運動量 s {\displaystyle \mathbf {s} } に比例している。一方で陽子のつくる磁場 B {\displaystyle \mathbf {B} } は陽子の磁気双極子モーメント μ ( P ) {\displaystyle \mathbf {\mu ^{(P)}} } に比例し、その μ ( P ) {\displaystyle \mathbf {\mu ^{(P)}} } は陽子の軌道角運動量 L {\displaystyle \mathbf {L} } に比例している。したがってこの場合の電子-陽子間の相互作用エネルギーは s ⋅ L {\displaystyle \mathbf {s\cdot L} } に比例する。 球対称なポテンシャル中での一電子に関する、スピン軌道相互作用 HSO は、 l は軌道角運動量、s はスピン角運動量(共に、 ħ {\displaystyle \hbar } を単位とする)、 ħ = h / 2 π {\displaystyle \hbar =h/2\pi } で、h はプランク定数、e は素電荷、m は電子の質量、r は電子の位置座標、c は光速、g は g因子(真空中の自由電子の場合、g = 2)である。φ は球対称場での電場(E(r) とする)に対するスカラーポテンシャルで、 である。 ポテンシャルが非球対称の場合は、 となる。v は電子の速度、E(r) は球対称でない電場。 非相対論的なシュレーディンガー方程式に対し、最も影響の大きい相対論効果はスピン軌道相互作用の項なので、これを摂動項としてシュレーディンガー方程式に取り入れて解かれることがある。 (補足)上に挙げた電子以外に、原子核の核子(陽子や中性子)もスピンを持つので(核スピン)、これらに関してのスピン軌道相互作用が存在する。 スピン軌道相互作用HSO が一粒子ポテンシャルに付け加わる場合を摂動論で考える。 一体ハミルトニアンH0 = T + U(r) の固有値問題を解くことによって一粒子準位Enl と一粒子波動関数Rnl(r)Ylm(θ,φ)が求められているとする。粒子のスピンは1/2とする。 このような相互作用があると、スピン角運動量 s {\displaystyle \mathbf {s} } と軌道角運動量 l {\displaystyle \mathbf {l} } は別々に良い量子数になることができなくなり、全角運動量のみが良い量子数になる。 j {\displaystyle j} の値としては角運動量の合成則から l + ( 1 / 2 ) {\displaystyle l+(1/2)} と l − ( 1 / 2 ) {\displaystyle l-(1/2)} が可能である。 であるから、 s ⋅ l {\displaystyle \mathbf {s\cdot l} } の期待値は j = l + 1 / 2 {\displaystyle j=l+1/2} に対して l / 2 {\displaystyle l/2} 、 j = l − 1 / 2 {\displaystyle j=l-1/2} に対して − ( l + 1 ) / 2 {\displaystyle -(l+1)/2} と得られる。 動径積分を ξ n l {\displaystyle \xi _{nl}} とおくと、 j = l − 1 / 2 {\displaystyle j=l-1/2} の軌道と j = l + 1 / 2 {\displaystyle j=l+1/2} の軌道のエネルギー差は − { l + ( 1 / 2 ) } ξ n l {\displaystyle -\{l+(1/2)\}\xi _{nl}} となる。また ξ n l {\displaystyle \xi _{nl}} がn およびl によって余り変化しないものとすれば、スピン軌道分裂はlの値が大きいほど大きくなる。
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スピン軌道相互作用とは電子のスピンと、電子の軌道角運動量との相互作用のこと。 相対論的に取り扱われるディラック方程式(相対論的量子力学)では自然に導入される概念である。スピン軌道相互作用により、縮退していた電子のエネルギー固有値が分裂する。 原子核に於いても電子と同様のモデルを核子に付いても用い、スピン軌道相互作用による準位の分裂を用いて魔法数を説明した殻模型の確立によりゲッパート=マイヤーとイェンセンはノーベル賞を受賞した。 原子の最外殻電子ではスピン軌道相互作用によりスピン・軌道角運動量の向きがそろうことがある。常温の範囲では分裂した準位(LS多重項という)の中で最低エネルギーをもつ準位に状態がある確率が高い。最低エネルギーの多重項を知るためにフントの規則とよばれる実験則が有効である。
{{出典の明記| date = 2023-01}} '''スピン軌道相互作用'''({{Lang-en-short|Spin orbit coupling}}、稀に{{Lang-en-short|Spin orbit interaction}})とは[[電子]]の[[スピン角運動量|スピン]]と、電子の[[軌道角運動量]]との相互作用のこと。 相対論的に取り扱われる[[ディラック方程式]]([[相対論的量子力学]])では自然に導入される概念である。スピン軌道相互作用により、[[縮退]]していた電子の[[エネルギー固有値]]が分裂する。 [[マリア・ゲッパート=メイヤー|ゲッパート=マイヤー]]と[[ヨハネス・ハンス・イェンゼン|イェンセン]]は、原子核の問題について、スピン軌道相互作用を導入した[[殻模型]]を用いれば、その準位の分裂から、実験的に知られていた安定な核子数、[[魔法数]]を説明できることを発見し、[[ノーベル賞]]を受賞した。 原子の[[最外殻電子]]ではスピン軌道相互作用によりスピン・軌道角運動量の向きがそろうことがある。常温の範囲では分裂した準位(LS多重項という)の中で最低エネルギーをもつ準位に状態がある確率が高い。最低エネルギーの多重項を知るために[[フントの規則]]とよばれる実験則が有効である。 == 古典的な説明 == {{出典の明記| section = 1| date = 2023-01}} 水素原子内の電子は陽子のまわりを回転しているが、これを電子の上に乗っている人から見ると、電子のまわりを陽子が回転しているように見える。回転している陽子は円形電流とみなすことができ、[[ビオ・サバールの法則]]により、それは電子上に磁場<math>\mathbf{B}</math>を作る。その磁場が電子のスピンによる磁気双極子モーメント<math>\mathbf{\mu}</math>に作用する。この相互作用は<math>\mathbf{B}\cdot\mathbf{\mu}</math>に比例する。<math>\mathbf{\mu}</math>はスピン角運動量<math>\mathbf{s}</math>に比例している。一方で陽子のつくる磁場<math>\mathbf{B}</math>は陽子の磁気双極子モーメント<math>\mathbf{\mu^{(P)}}</math>に比例し、その<math>\mathbf{\mu^{(P)}}</math>は陽子の軌道角運動量<math>\mathbf{L}</math>に比例している。したがってこの場合の電子-陽子間の相互作用エネルギーは<math>\mathbf{s \cdot L}</math>に比例する<ref>{{Cite book|和書|author=砂川重信|year=1991|title=量子力学|publisher=[[岩波書店]]|id=ISBN 4000061399}}</ref>。 ==具体的な表式== {{出典の明記| section = 1| date = 2023-01}} 球対称な[[ポテンシャル]]中での一電子に関する、スピン軌道相互作用 ''H''<SUB>SO</SUB> は、 :<math> H_{\rm SO} = V(r)(\mathbf{l} \cdot \mathbf{s}) </math> :<math> V(r) = - (g - 1) \left( {e \hbar^2 \over {2 m^2 c^2} } \right) \left( {1 \over r} {d \phi (r) \over {dr} } \right) </math> '''l''' は[[軌道角運動量]]、'''s''' は[[スピン角運動量]](共に、<math>\hbar</math> を単位とする)、<math> \hbar = h / 2 \pi </math> で、''h'' は[[プランク定数]]、''e'' は[[素電荷]]、''m'' は電子の質量、''r'' は電子の位置座標、''c'' は[[光速]]、''g'' は [[g因子|''g''因子]](真空中の[[自由電子]]の場合、''g'' = 2)である。φ は球対称場での[[電場]]('''E'''(''r'') とする)に対する[[スカラーポテンシャル]]で、 :<math> \mathbf{E}(r) = - \mathrm{grad}\,\phi (r) = - \mathbf{r} \left( {1 \over r} {d \phi (r) \over {dr} } \right) </math> である。 ポテンシャルが非球対称の場合は、 :<math> H_{\rm SO} = (g - 1) \left( {e \hbar \over {2 m c^2} } \right) [ E(\mathbf{r}) \times \mathbf{v} ] \cdot \mathbf{s} </math> となる。'''v''' は電子の速度、''E''('''r''') は球対称でない[[電場]]。 非相対論的な[[シュレーディンガー方程式]]に対し、最も影響の大きい[[相対論効果]]はスピン軌道相互作用の項なので、これを[[摂動]]項としてシュレーディンガー方程式に取り入れて解かれることがある。 (補足)<br/>上に挙げた電子以外に、[[原子核]]の核子([[陽子]]や[[中性子]])もスピンを持つので(核スピン)、これらに関してのスピン軌道相互作用が存在する。 == スピン軌道分裂 == {{出典の明記| section = 1| date = 2023-01}} スピン軌道相互作用''H<sub>SO</sub>'' が一粒子ポテンシャルに付け加わる場合を摂動論で考える。 一体ハミルトニアン''H<sub>0</sub>'' = ''T'' + ''U(r)'' の固有値問題を解くことによって一粒子準位''E<sub>nl</sub>'' と一粒子波動関数''R<sub>nl</sub>''(''r'')''Y<sub>lm</sub>''(''θ,φ'')が求められているとする。粒子のスピンは1/2とする。 このような相互作用があると、スピン角運動量<math>\mathbf{s}</math>と軌道角運動量<math>\mathbf{l}</math>は別々に[[良い量子数]]になることができなくなり、全角運動量のみが良い量子数になる。<math>j</math>の値としては[[角運動量の合成]]則から<math>l+(1/2)</math>と<math>l-(1/2)</math>が可能である。 :<math>\mathbf{s\cdot l}=(1/2)(\mathbf{j}^2-\mathbf{s}^2-\mathbf{l}^2)</math> であるから、<math>\mathbf{s\cdot l}</math>の期待値は<math>j=l+1/2</math>に対して<math>l/2</math>、<math>j=l-1/2</math>に対して<math>-(l+1)/2</math>と得られる。 動径積分を<math>\xi_{nl}</math>とおくと、<math>j=l-1/2</math>の軌道と<math>j=l+1/2</math>の軌道のエネルギー差は<math>-\{l+(1/2)\}\xi_{nl}</math>となる。また<math>\xi_{nl}</math>が''n'' および''l'' によって余り変化しないものとすれば、スピン軌道分裂は''l''の値が大きいほど大きくなる。 == 関連項目 == *[[量子力学]] *[[物性物理学]] *[[微細構造 (原子物理学)|微細構造]] ==参考文献== <references/> [[Category:量子力学|すひんきとうそうこさよう]] [[Category:固体物理学|すひんきとうそうこさよう]] [[Category:電子|すひんきとうそうこさよう]]
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交換相関エネルギー
交換相関エネルギー(こうかんそうかんエネルギー、英: exchange–correlation energy)は、交換相互作用、相関相互作用(電子の相関)によるエネルギーのこと。
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交換相関エネルギーは、交換相互作用、相関相互作用(電子の相関)によるエネルギーのこと。
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光ディスク
光ディスク(ひかりディスク、英: Optical disc)とは、樹脂等で作られた厚さ数ミリ程度の円盤の表面に、微細な凹凸を形成する等の方法により、情報を記録するための記録媒体(ディスクメディア)である。光学ディスクとも呼ばれる。また光ディスクの情報を読み書きするための装置は光学ドライブと呼ばれる。 光を使って読み書きするので、埃や指紋の付着によるデータの読み出しに対する悪影響が磁気ディスクよりは少なく、磁気によるデータ損失の影響もない。こうした特性からリムーバブルメディアとしての利用に優れており、オーディオ・ビジュアル分野の機器で使用するための音楽や映像(動画)作品あるいはパーソナルコンピュータやゲーム機用のソフトウェア供給媒体(ディスクメディア)として幅広く利用されている。 しかし2000年代末期からブロードバンドインターネットを利用した配信(ダウンロード・ストリーミング)などが台頭、さらに物理的にディスクドライブが内蔵困難なスマートフォン・タブレット端末・軽量ノートパソコンが普及したことにより、利用は減少傾向にある。 最初に市場に登場した光ディスクは、1960年代から研究が進められ1980年に発売されたレーザーディスクである。レーザーディスクにはビデオ信号をアナログデータのまま記録されていて、デジタルデータを記録する後発の光ディスクとは性質が異なる。 現在では円盤状のメディアのみが存在するが、1980年代後半から1990年代前半にはキャッシュカードと同程度の幅85.6mm、高さ54.0mm、厚さ0.8mmの Write Once Read Many 方式の光学カードが存在し実用化検討が行われていたが実用化には至らなかった。 新世代の光ディスクが市場に登場する際は、ライセンス収入などをめぐって大手メーカー同士で激しい規格争いが生じる場合がある。第3世代(Blu-ray Disc 対 HD DVD)がその典型例である(両メディアに対応する再生機種もあった)。 光ディスクはディスクメディアとして、取り扱いの便利さ、大量生産の容易さ、製造コストの安さなど優れており、幅広い分野において従来の媒体を置き換える形で普及してきた。レコード→CD、カセットテープ→MD、ゲーム機のROMカセット→CD-ROM、VHS→DVD・Blu-ray Discなどがその例である。 しかし光ディスクの難しい特性により、1990年代から2000年代にかけて記録メディアを席巻した光ディスクは退潮傾向にある。 光ディスクには、保護層・記録層・反射層などそれぞれ役割の異なる複数の層がある。半導体レーザーの光をディスクに照射すると、レーザー光は保護層を貫通し、記録・反射層に到達する。記録層には、ピットと呼ばれる微細な構造(例えば、微細なくぼみ)が形成されており、記録・反射層において反射する光は、ピットの影響を受けて変化する。光ディスクドライブのピックアップには、反射光を計測するための光センサーが備え付けられており、反射光の強度によって、情報(「0」または「1」)を読み取る仕組みである。 光ディスクには、生産工場であらかじめ情報が書き込まれているもの(いわゆるプレス版、市販の音楽CDやDVD-VideoやBD-Videoなど)と、ユーザーが任意に情報を記録できるもの(記録型メディア)の大きく分けて2種類が存在する。また、プレス版ディスクと記録型ディスクでは記録層(情報を記録する面)に用いられる材質および記録方式に違いがある。(詳しくは#記録の可否による分類を参照) 材料として保護層や基盤にポリカーボネート、ポリメタクリル酸メチル、エポキシ樹脂、環状オレフィン樹脂、ポリ乳酸などが、反射層には銀やアルミニウムなどが主に用いられている。 光ディスクの寿命は製造時の品質にも左右されるが適切な取り扱いおよび保存行為をしていれば最長で100年、多少雑に取り扱っても劣化を進める要素(直射日光(紫外線)、高い温度、強い湿気など)に積極的に晒さなければ10〜30年は保存しておくことが可能とされている。ただし、規格や製造された時代によりディスクの素材が異なる場合があるので一概には言えない(寿命は使用する素材にも左右されるからである)。CD-Rなどの有機色素を利用した記録用メディアはその有機色素が紫外線の影響を受けやすいので、保存方法にもよるが前述の寿命より若干縮む傾向にある。 使用する素材を見直すことで、寿命を飛躍的に高めることができる。基板をガラス製にしたガラスCDや、記録・反射層に使用されている金属箔に金を使ったゴールドディスクなどがその代表例である。金銀反射膜の採用は生産コストの問題もあってあまり一般的ではないが近年記録媒体としてCD-RやDVD-RやBD-Rが一般化したことでその信頼性が問われるようになったため、金銀反射膜を採用して寿命が延びたことを宣伝文句とし差別化を図る商品も登場している。 音楽用CDが出回り始めた当時は半永久的に保存が可能とされていた事もあったが、前述の通り寿命は確実にある。しかしディスクを雑に扱わず、紫外線や高温多湿を避けて保存するなど細かい配慮をすることでその寿命は大きく延ばすことができる。 この一方、下記の石英を用いたディスクの場合保存期間は3億年と見込まれており、事実上、永久保存が可能となる。 光ディスクは数多くの規格が存在し、また規格の登場時期や特性により以下のような世代分けができる。 1980年代から1990年代にかけて登場し、記録・再生に赤外線半導体レーザーを使用する。12cmディスクの場合で最大700MB程度の容量がある。 1990年代から2000年代にかけて登場し、記録・再生に赤色半導体レーザーを使用する。片面1層の12cmディスクの場合で最大4.7GB程度の容量がある。映像記録用途では、SDTV画質に適する。 2000年代から2010年代にかけて登場し、記録・再生に青紫色半導体レーザーを使用する。片面1層の12cmディスクの場合で最大25GB程度の容量がある。映像記録用途では、HDTV画質に適する(UHD BDは4Kをサポート)。 第3世代でも使用された青紫色半導体レーザーを用いた大容量ディスク(アーカイバルディスク(英語版))は製品化されたが、ホログラム(光ディスクの記録面の多層化などではなく、立体的に記憶することにより記憶容量を増やす試み)や多次元化などの革新的技術による大容量化を模索した光ディスクは開発段階であり、いくつかは動画記録と再生に成功しているが、商用化には至っていない。 光ディスクには、生産工場であらかじめ情報が書き込まれたもの(読み込み専用のいわゆるプレス版)とユーザーが任意に情報を書き込むことができる記録型ディスクに大別できる(記録型ディスクもまた二種に大別することができる)。レーザー光の反射により記録された情報を読みこむ点ではどちらも共通してはいるが、その仕組みや構造は細部で異なる。 生産時において記録・反射層の薄い金属箔にピットと呼ばれる無数の小さい凹みを設け、このピットの並ぶパターンにより情報を記録したものである。ユーザーが任意に情報を消去したり改変したりすることはできないが、読み取りは可能である。著作権者による映像や音楽作品などの供給媒体として利用されている。CDでは市販のCD-ROMや音楽CD、DVDでは市販のDVD-ROMやDVD-Video、BDではBD-ROMやBD-Video、その他HD DVD-ROMなどがこれに当たる。 CDやDVDは、元来は読み込み専用メディアとして開発されたものである(記録型のCD-RやCD-RWなどは後から追加導入された)。BDやHD DVDは規格策定当初から記録型メディアを視野に入れて開発されたメディアであるが、このタイプが存在する。 記録型メディアには大きく分けてライトワンス(WORM)とリライタブルの2種類が存在する。 ライトワンスは一度しか書き込みができずその書き込んだ情報は消去も改変も不可(空き容量がある限りは追記が可能)なメディアで、人為的ミスや誤動作による情報の消去や改変といった事故は起こらない。ゆえに、長期に渡り改変予定のない情報を保存する用途に向く。CD-R、DDCD-R、DVD-R、DVD+R、BD-R、HD DVD-R、UDO WORMがこれに当たる。 ライトワンス型のメディアは金属箔に有機色素が塗布されており、これをレーザー照射によって化学変化させることで情報を記録している。 リライタブルは複数回に渡って書き込みができ、書き込んだ情報の消去も改変もできるメディアで、書き換え可能回数(メディアの規格や個体差、保管方法、使用方法によって上下する)を上回らない限りは再利用が効くので、ライトワンスメディアに書き込む前の試し書きや情報の一時保管メディアとしての利用など短期的に情報を記録しておく用途に向く。CD-RW、DDCD-RW、PD、DVD-RW、DVD-RAM、DVD+RW、MVDISC、BD-RE、HD DVD-RW、HD DVD-RAM、Professional Disc、UDO RWがこれに当たる。 リライタブル型メディアはアモルファス材を使っており、レーザー照射でアモルファス材を結晶化させることで情報を記録している(結晶化をレーザー照射で解くことにより、記録された情報は消去される)。この技術は相変化記録技術と言われる。 MOディスクをはじめとする光磁気ディスクは光を使って読み出す部分は光ディスクと共通だが、磁気を使って記録する点で異なる。音楽用途で使われるミニディスク(MD)は光磁気タイプの録音用ディスクが主に流通していたが、盤面の一部若しくは全部が再生専用の光ディスクとなっているものも存在する。 光ディスクはMO・PD・DVD-RAM・BD-RE Ver. 1.0などデータメディアの一部を除いてキャディ(カートリッジ)に収納されておらず、傷・指紋・ホコリを避けるためにケース(パッケージ)に入れて保管する必要がある。ケースは大半がプラスチック製で、本のように見開き型の形状となっている。 ジュエルケース・スリムケース・トールケースはサンワサプライ・エレコム・バッファローコクヨサプライなどのサプライ品メーカーからケース単体が家電量販店などで市販されているが、それ以外のケースは大半が市販されておらず小ロットでの入手は困難である。 廃棄の際はデータの扱いにも注意を要する。特にライトワンス規格の場合は消去不可なので、メディアが読み込める限りデータが残ってしまう。 記録されたデータを消去して廃棄する方法には以下の方法が適切である。 以下の方法でデータを消去することも不可能ではないが、極めて危険なので適切とは言えない。
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方式の光学カードが存在し実用化検討が行われていたが実用化には至らなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "新世代の光ディスクが市場に登場する際は、ライセンス収入などをめぐって大手メーカー同士で激しい規格争いが生じる場合がある。第3世代(Blu-ray Disc 対 HD DVD)がその典型例である(両メディアに対応する再生機種もあった)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "光ディスクはディスクメディアとして、取り扱いの便利さ、大量生産の容易さ、製造コストの安さなど優れており、幅広い分野において従来の媒体を置き換える形で普及してきた。レコード→CD、カセットテープ→MD、ゲーム機のROMカセット→CD-ROM、VHS→DVD・Blu-ray Discなどがその例である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "しかし光ディスクの難しい特性により、1990年代から2000年代にかけて記録メディアを席巻した光ディスクは退潮傾向にある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "光ディスクには、保護層・記録層・反射層などそれぞれ役割の異なる複数の層がある。半導体レーザーの光をディスクに照射すると、レーザー光は保護層を貫通し、記録・反射層に到達する。記録層には、ピットと呼ばれる微細な構造(例えば、微細なくぼみ)が形成されており、記録・反射層において反射する光は、ピットの影響を受けて変化する。光ディスクドライブのピックアップには、反射光を計測するための光センサーが備え付けられており、反射光の強度によって、情報(「0」または「1」)を読み取る仕組みである。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": 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光ディスクとは、樹脂等で作られた厚さ数ミリ程度の円盤の表面に、微細な凹凸を形成する等の方法により、情報を記録するための記録媒体(ディスクメディア)である。光学ディスクとも呼ばれる。また光ディスクの情報を読み書きするための装置は光学ドライブと呼ばれる。 光を使って読み書きするので、埃や指紋の付着によるデータの読み出しに対する悪影響が磁気ディスクよりは少なく、磁気によるデータ損失の影響もない。こうした特性からリムーバブルメディアとしての利用に優れており、オーディオ・ビジュアル分野の機器で使用するための音楽や映像(動画)作品あるいはパーソナルコンピュータやゲーム機用のソフトウェア供給媒体(ディスクメディア)として幅広く利用されている。 しかし2000年代末期からブロードバンドインターネットを利用した配信(ダウンロード・ストリーミング)などが台頭、さらに物理的にディスクドライブが内蔵困難なスマートフォン・タブレット端末・軽量ノートパソコンが普及したことにより、利用は減少傾向にある。
{{pathnavbox| {{pathnav|メディア (媒体)|記録媒体}} {{pathnav|ディスクメディア}} }} [[Image:CompactDisc.jpg|thumb|240px|光ディスクの一種『[[コンパクトディスク]]』。虹色に見えるのは、ディスク表面の構造が[[回折格子]]として機能するためである。]] '''光ディスク'''(ひかりディスク、{{Lang-en-short|Optical disc}})とは、樹脂等で作られた厚さ数ミリ程度の円盤の表面に、微細な凹凸を形成する等の方法により、情報を記録するための[[記録媒体]]([[ディスクメディア]])である<ref>{{Cite web|和書|title=光ディスクとは - IT用語辞典|url=http://e-words.jp/w/%E5%85%89%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AF.html|website=IT用語辞典 e-Words|accessdate=2020-10-10|language=ja}}</ref>。'''光学ディスク'''とも呼ばれる<ref>{{Cite Kotobank|word=光学ディスク|encyclopedia=パソコンで困ったときに開く本|accessdate=2022-01-08}}</ref>。また光ディスクの情報を読み書きするための装置は[[光学ドライブ]]と呼ばれる。 {{要出典範囲|光を使って読み書きするので、埃や指紋の付着によるデータの読み出しに対する悪影響が磁気ディスクよりは少なく、|date=2020年10月}}磁気によるデータ損失の影響もない。こうした特性から[[リムーバブルメディア]]としての利用に優れており、オーディオ・ビジュアル分野の機器で使用するための[[音楽]]や映像([[動画]])作品あるいは[[パーソナルコンピュータ]]や[[ゲーム機]]用の[[ソフトウェア]]供給媒体([[ディスクメディア]])として幅広く利用されている。 しかし2000年代末期から[[ブロードバンド]]インターネットを利用した配信([[ダウンロード]]・[[ストリーミング]])などが台頭、さらに物理的にディスクドライブが内蔵困難な[[スマートフォン]]・[[タブレット端末]]・軽量[[ノートパソコン]]が普及したことにより、利用は減少傾向にある。 == 歴史 == [[File:DREXLER LASER CARD-01.jpg|thumb|実用化に至らなかった光カード(レーザーカード)]] 最初に市場に登場した光ディスクは、[[1960年代]]から研究が進められ[[1980年]]に発売された[[レーザーディスク]]である。レーザーディスクには[[映像信号|ビデオ信号]]を[[アナログ]]データのまま記録されていて、[[デジタル]]データを記録する後発の光ディスクとは性質が異なる。 現在では円盤状のメディアのみが存在するが、1980年代後半から1990年代前半には[[キャッシュカード]]と同程度の幅85.6mm、高さ54.0mm、厚さ0.8mmの [[Write Once Read Many]] 方式の光学カードが存在し実用化検討が行われていた<ref>[http://jsmoc.umin.ac.jp/papers/1990002.htm 医療用光カードシステム] 第1回日本医療用光カード研究会論文集、19-20、1990年</ref>が実用化には至らなかった。 新世代の光ディスクが市場に登場する際は、[[ライセンス]]収入などをめぐって大手メーカー同士で激しい[[規格争い]]が生じる場合がある。[[第3世代光ディスク|第3世代]](Blu-ray Disc 対 HD DVD)がその典型例である(両メディアに対応する再生機種もあった<ref group="注">[[ユニバーサルプレーヤー]]を参照。</ref>)。 === 普及状況 === 光ディスクは[[ディスクメディア]]として、取り扱いの便利さ、[[大量生産]]の容易さ、[[製造]][[費用|コスト]]の安さなど優れており、幅広い分野において従来の媒体を置き換える形で普及してきた。[[レコード]]→[[コンパクトディスク|CD]]、[[コンパクトカセット|カセットテープ]]→[[ミニディスク|MD]]、[[ゲーム機]]の[[ロムカセット|ROMカセット]]→[[CD-ROM]]、[[VHS]]→[[DVD]]・[[Blu-ray Disc]]などがその例である。<!--もっとも、普及に弾みをつけるには決定的に魅力のある[[コンテンツ]](キラーコンテンツ)の存在が欠かせない。--> しかし光ディスクの難しい特性により、1990年代から2000年代にかけて記録メディアを席巻した光ディスクは退潮傾向にある。 * 光ディスクは大容量化が難しい。[[記録密度]]の限界が半導体レーザーの[[波長]]で決まるからである。[[Blu-ray Disc|ブルーレイディスク]]や[[HD DVD]]の世代で既に[[可視光線]]の中でも最も短い波長である青紫光の半導体レーザーを使用している。光ディスクの原理をそのままにさらに記録密度を高めるにはそれより短い波長光、すなわち[[紫外線]]を使うことになるが、現在の光ディスクの材質に使用している[[ポリカーボネート]]などでは紫外線を吸収し表面劣化を引き起こすため扱えない。記録面の多層化によりある程度の大容量化は実現でき、ブルーレイディスクでは最大で1枚200GB〜400GB程度まで引き上げることができるが、2019年現在、一般に入手できるのは片面4層の128GBまでである。こうしたことから、大規模な[[サーバ]]や汎用機用[[バックアップ]]装置では最大で数TBの容量を持つ[[磁気テープ]]([[Linear Tape-Open|LTO]]など)を置き換えるには至っていない。 * 光ディスクは書き込みが容易ではない。書き込みあるいは書き換え可能な光ディスクであっても一部の規格を除いて[[フロッピーディスク]]や[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]、[[光磁気ディスク|MO]]、[[USBフラッシュドライブ|USBメモリ]]などと同様の扱いでは書き込むことはできず消去もできない。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]でCD-RやCD-RWなどのブランクメディアに情報を書き込むためには書き込みに対応した[[光学ドライブ]]のほか、[[ライティングソフトウェア]]が別途必要になる。一度だけ記録可能なメディア(CD-RやDVD-Rなど)を使用した場合は書き込んだ内容を消去することはできず、書き換えを視野に入れる場合はCD-RWなどの書き換え可能なメディアを使用する必要がある。書換え可能なメディアを用意しかつ[[パケットライト]]方式で記録することによってハードディスクなどと同様の扱いができるようになるが多くのデメリット([[パケットライト#デメリット]])があり、パソコンの[[補助記憶装置]]や[[ビデオレコーダー]]では[[磁気ディスク]]である[[ハードディスク]]が主に用いられている。 * 光ディスクを含むディスク型記録媒体は機械的にディスクを回転させるので読み込みにおいて信頼性が低く時間がかかる。また光ディスクの主要な規格(12cmまたは8cmのディスク、あるいはMD)は機器小型化の足枷になる。消費電力を抑え、衝撃に強く小型化が要求される[[デジタルオーディオプレーヤー|ポータブル音楽プレーヤー]]や[[デジタルカメラ]]、[[携帯ゲーム機]]等には内蔵型あるいはカード型の[[フラッシュメモリ]]の方が相性がよく、こうした分野の一部(ポータブル音楽プレイヤーなど)では光ディスクからフラッシュメモリに主役が交代している。 == 構造 == 光ディスクには、保護層・記録層・反射層などそれぞれ役割の異なる複数の[[層]]がある。[[半導体レーザー]]の光をディスクに照射すると、レーザー光は保護層を貫通し、記録・反射層に到達する。記録層には、ピットと呼ばれる微細な構造(例えば、微細なくぼみ)が形成されており、記録・反射層において[[反射 (物理学)|反射]]する光は、ピットの影響を受けて変化する。光ディスクドライブのピックアップには、反射光を計測するための[[光センサー]]が備え付けられており、反射光の強度によって、情報(「0」または「1」)を読み取る仕組みである。 光ディスクには、生産工場であらかじめ情報が書き込まれているもの(いわゆるプレス版、市販の[[CD-DA|音楽CD]]や[[DVD-Video]]や[[Blu-ray Disc|BD-Video]]など)と、ユーザーが任意に情報を記録できるもの([[#記録型ディスク|記録型メディア]])の大きく分けて2種類が存在する。また、プレス版ディスクと記録型ディスクでは記録層(情報を記録する面)に用いられる材質および記録方式に違いがある。(詳しくは[[#記録の可否による分類]]を参照) 材料として保護層や基盤に[[ポリカーボネート]]、[[ポリメタクリル酸メチル]]、[[エポキシ樹脂]]、[[環状オレフィン樹脂]]、[[ポリ乳酸]]などが、反射層には[[銀]]や[[アルミニウム]]などが主に用いられている。 <gallery> ファイル:Optical disc system.png|レーザーの流れ(CD・DVD一体型機)<br />これは簡易的な図であり、実際はさらに多くの装置が介在する。 ファイル:Compact disk data layer 2d 3d.PNG|光ディスクの表面を[[原子間力顕微鏡]]によって観測した画像。均等に並んだ溝にそって、不規則な凹凸が形成されているのが確認できる。 </gallery> == 寿命 == 光ディスクの寿命は製造時の品質にも左右されるが適切な取り扱いおよび保存行為をしていれば最長で100年、多少雑に取り扱っても劣化を進める要素([[太陽光|直射日光]]([[紫外線]])、高い[[温度]]、強い[[湿気]]など)に積極的に晒さなければ10〜30年は保存しておくことが可能とされている。ただし、規格や製造された時代によりディスクの素材が異なる場合があるので一概には言えない(寿命は使用する素材にも左右されるからである)。CD-Rなどの有機色素を利用した記録用メディアはその有機色素が紫外線の影響を受けやすいので、保存方法にもよるが前述の寿命より若干縮む傾向にある。 使用する素材を見直すことで、寿命を飛躍的に高めることができる。基板を[[ガラス]]製にした[[ガラスCD]]や、記録・反射層に使用されている金属箔に[[金]]を使った[[GOLD CD|ゴールドディスク]]などがその代表例である。金銀反射膜の採用は生産コストの問題もあってあまり一般的ではないが近年記録媒体としてCD-RやDVD-RやBD-Rが一般化したことでその信頼性が問われるようになったため、金銀反射膜を採用して寿命が延びたことを宣伝文句とし差別化を図る商品も登場している<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0604/19/news051.html 300年データを保つゴールドディスク-ITmedia News]</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/28/news117.html 金の反射膜で寿命2倍 長期保存用DVD-R、三菱化学メディアが発売-ITmedia News]</ref>。 音楽用CDが出回り始めた当時は半永久的に保存が可能とされていた事もあったが、前述の通り寿命は確実にある。しかしディスクを雑に扱わず、紫外線や高温多湿を避けて保存するなど細かい配慮をすることでその寿命は大きく延ばすことができる<ref>[http://wired.jp/wv/archives/2004/05/14/cd%E3%82%84dvd%E3%81%AE%E5%AF%BF%E5%91%BD%E3%81%AF%E6%84%8F%E5%A4%96%E3%81%AB%E7%9F%AD%E3%81%84%EF%BC%9F/ CDやDVDの寿命は意外に短い?(WIRED.jp)]</ref>。 この一方、下記の石英を用いたディスクの場合保存期間は3億年と見込まれており、事実上、永久保存が可能となる。 == 種類 == === 規格による分類 === 光ディスクは数多くの規格が存在し、また規格の登場時期や特性により以下のような世代分けができる。 ==== 第1世代 ==== [[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて登場し、記録・再生に[[赤外線]][[半導体レーザー]]を使用する。12cmディスクの場合で最大700MB程度の容量がある。 * [[コンパクトディスク]](Compact Disc:CD) * [[レーザーディスク]](Laser Vision Disc:LD) * [[Phase-change Dual]](PD) * [[GD-ROM]] * [[DDCD]](Double Density CD) ==== 第2世代 ==== 1990年代から[[2000年代]]にかけて登場し、記録・再生に赤色[[半導体レーザー]]を使用する。片面1層の12cmディスクの場合で最大4.7GB程度の容量がある。映像記録用途では、[[標準画質映像|SDTV]]画質に適する。 * [[DVD]](Digital Versatile Disc) * [[Super Audio CD]](SACD) * [[MVDISC]](Multimedia Video DISC) - [[日本電気|NEC]]が発売したDVD-RAM/RW対抗の独自規格ディスク。全く普及せず。 * デジタルデータ用光ディスク(Optical Digital Data Disk:OD<sup>3</sup>) * [[ニンテンドーゲームキューブ]]用8cmディスク(名称はないが、「8cm光ディスクテクノロジー」と書かれる事がある) * [[Wii]]用12cmディスク(特に名称はなく、説明書では単に「ディスク」と書かれている) * [[ユニバーサル・メディア・ディスク|UMD]](Universal Media Disc) * [[EVD]](Enhanced Versatile Disc) - [[中華人民共和国|中国]]でDVDの特許料を回避するために開発されたDVD代替ディスク。 * [[DataPlay]] - 米データプレイ社が開発した超小型光ディスク。開発元が資金難に陥りほとんど普及せず。 * [[DTS-CD]] ==== 第3世代 ==== {{See also|第3世代光ディスク}} 2000年代から[[2010年代]]にかけて登場し、記録・再生に青紫色[[半導体レーザー]]を使用する。片面1層の12cmディスクの場合で最大25GB程度の容量がある。映像記録用途では、[[高精細度テレビジョン放送|HDTV]]画質に適する([[Ultra HD Blu-ray|UHD BD]]は[[4K UHD|4K]]をサポート)。 * [[Blu-ray Disc]](BD) ** [[BDXL]] - BDの拡張仕様。 * [[Ultra HD Blu-ray]](UHD BD) - BDの上位規格。 * [[HD DVD]](High-Definition Digital Versatile Disc) - [[東芝]]などが策定した光ディスク。生産終了。 * [[Professional Disc]](PFD) - [[ソニー]]の業務用光ディスク。BDに近い。 * [[CBHD]] - [[中華人民共和国]]独自の規格。HD DVDに近い。 * [[Red-ray Disc]] - 中華人民共和国独自の規格。赤色レーザーを使用。 * [[Ultra Density Optical]](UDO) * [[Wii U]]用12cmディスク(発表段階では「新ハード用12cm高密度光ディスク」とも) ==== 第4世代以降 ==== 第3世代でも使用された青紫色半導体レーザーを用いた大容量ディスク({{仮リンク|アーカイバルディスク|en|Archival Disc}})は製品化されたが、[[ホログラム]](光ディスクの記録面の多層化などではなく、立体的に記憶することにより記憶容量を増やす試み)や多次元化などの革新的技術による大容量化を模索した光ディスクは開発段階であり、いくつかは動画記録と再生に成功しているが、商用化には至っていない。 * 製品化 ** アーカイバルディスク - [[ソニー]]は[[東北大学]]との共同研究により、これまでの100倍となる高出力(100[[ワット (単位)|W]])の青紫色半導体レーザーの開発に成功したと発表。多層技術との併用により、「[[テラ]][[バイト (情報)|バイト]]級の記憶容量の実現も可能」としている<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100721_sony_tb_disc/ 「テラバイト級の光ディスク」を実現へ、ソニーなどが世界初の青紫色超短パルス半導体レーザーを開発] - GIGAZINE 2010年7月21日</ref>。その後ソニーと[[パナソニック]]が共同開発し、業務用次世代光ディスク規格(2014年3月策定)として、2017年時点で300GB(片面3層・両面6層)の記録が可能で、将来的には1TBの記録容量を目指すディスクを発表。両社により同ディスクを採用したデータアーカイブシステムが製品化されている<ref name="itmedia170821">[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1708/21/news038.html 日本発・次世代ディスク「Archival Disc」で進む中国のデジタルアーカイブ] - ITMedia 2017年8月21日</ref>。100年の長期保存が可能<ref name="itmedia170821"/>。 * 研究段階 ** 5次元光ディスク - [[スウィンバーン工科大学]]で研究中のDVDの最大2000倍記録できるディスク<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090522_5d_disc/ DVDの最大2000倍の大容量を実現する次世代光ディスク「5次元ディスク」が登場へ、Blu-rayなどを圧倒] - GIGAZINE 2009年5月22日</ref>。[[5次元光記録]]と呼ばれる記録方式を[[スウィンバーン工科大学]]や[[サウサンプトン大学]]などが研究し、500TBの容量を有する光ディスク<ref name=":0">{{Cite journal|last=Lei|first=Yuhao|last2=Sakakura|first2=Masaaki|last3=Wang|first3=Lei|last4=Yu|first4=Yanhao|last5=Wang|first5=Huijun|last6=Shayeganrad|first6=Gholamreza|last7=Kazansky|first7=Peter G.|date=2021-11-20|title=High speed ultrafast laser anisotropic nanostructuring by energy deposition control via near-field enhancement|url=https://www.osapublishing.org/optica/abstract.cfm?uri=optica-8-11-1365|journal=Optica|volume=8|issue=11|pages=1365–1371|language=EN|doi=10.1364/OPTICA.433765|issn=2334-2536}}</ref>を発表。 ** [[HVD]](Holographic Versatile Disc) - ホログラムを使用したディスク<ref>[https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0502/03/news087.html 日本発“ホログラムディスク”国際標準化へ―オプトウエアが説明会] - ITMedia 2005年2月3日</ref>。 ** [[ゼネラル・エレクトリック]]社で研究中の500 GB記録できる、ホログラムを使用したディスク<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090428_holographic_disc/ 容量はBlu-rayの20倍、ついに500GBの記録容量を実現した「ホログラフィックディスク」が登場] - GIGAZINE 2009年4月18日</ref>。 === 記録の可否による分類 === 光ディスクには、生産工場であらかじめ情報が書き込まれたもの(読み込み専用のいわゆるプレス版)とユーザーが任意に情報を書き込むことができる記録型ディスクに大別できる(記録型ディスクもまた二種に大別することができる)。レーザー光の反射により記録された情報を読みこむ点ではどちらも共通してはいるが、その仕組みや構造は細部で異なる。 ==== 読み込み専用ディスク ==== 生産時において記録・反射層の薄い金属箔にピットと呼ばれる無数の小さい凹みを設け、このピットの並ぶパターンにより情報を記録したものである。ユーザーが任意に情報を消去したり改変したりすることはできないが、読み取りは可能である。[[著作権者]]による映像や音楽作品などの供給媒体として利用されている。CDでは市販の[[CD-ROM]]や音楽CD、DVDでは市販の[[DVD#DVD-ROM|DVD-ROM]]や[[DVD-Video]]、BDでは[[Blu-ray Disc#BD-ROM|BD-ROM]]や[[BDMV|BD-Video]]、その他[[HD DVD#メディアの種類|HD DVD-ROM]]などがこれに当たる。 [[コンパクトディスク|CD]]や[[DVD]]は、元来は読み込み専用メディアとして開発されたものである(記録型のCD-RやCD-RWなどは後から追加導入された)。[[Blu-ray Disc|BD]]や[[HD DVD]]は規格策定当初から記録型メディアを視野に入れて開発されたメディアであるが、このタイプが存在する。 ==== 記録型ディスク ==== 記録型メディアには大きく分けて[[Write Once Read Many|ライトワンス]](WORM)とリライタブルの2種類が存在する。 ===== ライトワンス ===== ライトワンスは一度しか書き込みができずその書き込んだ情報は消去も改変も不可(空き容量がある限りは追記が可能)なメディアで、人為的ミスや誤動作による情報の消去や改変といった事故は起こらない。ゆえに、長期に渡り改変予定のない情報を保存する用途に向く。[[CD-R]]、[[DDCD|DDCD-R]]、[[DVD#DVD-R|DVD-R]]、[[DVD#DVD+R|DVD+R]]、[[Blu-ray Disc#BD-R|BD-R]]、[[HD DVD#メディアの種類|HD DVD-R]]、UDO WORMがこれに当たる。 ライトワンス型のメディアは金属箔に有機色素が塗布されており、これをレーザー照射によって化学変化させることで情報を記録している<ref group="注">ただし、BD-Rのように無機系の素材が利用されているものもある。</ref>。 ===== リライタブル ===== リライタブルは複数回に渡って書き込みができ、書き込んだ情報の消去も改変もできるメディアで、書き換え可能回数(メディアの規格や個体差、保管方法、使用方法によって上下する)を上回らない限りは再利用が効くので、ライトワンスメディアに書き込む前の試し書きや情報の一時保管メディアとしての利用など短期的に情報を記録しておく用途に向く。[[CD-RW]]、[[DDCD|DDCD-RW]]、[[Phase-change Dual|PD]]、[[DVD#DVD-RW|DVD-RW]]、[[DVD#DVD-RAM|DVD-RAM]]、[[DVD#DVD+RW|DVD+RW]]、MVDISC、[[Blu-ray Disc#BD-RE|BD-RE]]、[[HD DVD#メディアの種類|HD DVD-RW]]、[[HD DVD#メディアの種類|HD DVD-RAM]]、[[Professional Disc]]、UDO RWがこれに当たる。 リライタブル型メディアは[[アモルファス]]材を使っており、レーザー照射でアモルファス材を結晶化させることで情報を記録している(結晶化をレーザー照射で解くことにより、記録された情報は消去される)。この技術は[[相変化記録技術]]と言われる。 == 光磁気ディスク == {{Main|光磁気ディスク}} [[光磁気ディスク#ISO規格のMOディスク|MOディスク]]をはじめとする[[光磁気ディスク]]は光を使って読み出す部分は光ディスクと共通だが、[[磁気]]を使って記録する点で異なる。音楽用途で使われる[[ミニディスク]](MD)は光磁気タイプの録音用ディスクが主に流通していたが、盤面の一部若しくは全部が再生専用の光ディスクとなっているものも存在する。 == ケース == {{Anchors|光ディスクのケース}}光ディスクは[[光磁気ディスク|MO]]・[[Phase-change Dual|PD]]・[[DVD#DVD-RAM|DVD-RAM]]・[[Blu-ray Disc#BD-RE Ver. 1.0|BD-RE Ver. 1.0]]などデータメディアの一部を除いてキャディ(カートリッジ)に収納されておらず、傷・指紋・ホコリを避けるためにケース(パッケージ)に入れて保管する必要がある。ケースは大半がプラスチック製で、本のように[[見開き]]型の形状となっている。 ジュエルケース・スリムケース・トールケースは[[サンワサプライ]]・[[エレコム]]・[[バッファローコクヨサプライ]]などのサプライ品メーカーからケース単体が家電量販店などで市販されているが、それ以外のケースは大半が市販されておらず小ロットでの入手は困難である。 ; ジュエルケース{{Anchors|ジュエルケース}} : CDアルバムのパッケージで使われる一般的なケース。フタ(ジャケット収納部)・トレイ・ケース(背面)1枚ずつのプラスチックで構成されており、ケースに対して各部品を嵌め込む形で組み立てる。基本サイズはW124mm×H142mm×幅10mm。 : [[アプリケーションソフトウェア|PCソフト]]、[[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]・[[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]・[[メガCD]](『[[ソニック・ザ・ヘッジホッグCD]]』のみ採用)・[[ネオジオCD]]・[[3DO]]・[[PC-FX]]・[[セガサターン]](セガ自社のソフト)・[[ドリームキャスト]]などのテレビゲームソフト(1枚組)や、トールケースが普及する前の[[DVD-Video]]([[セルビデオ]])のケースにも汎用されている。 : 同じサイズでトレイを可動する両面型として2枚収納が可能な2CD型([[Microsoft Windows 2000|Windows 2000日本語版]]のリテール版やCD+DVD同梱のアルバムなどで採用)や、厚みのある[[ライナーノーツ]](CDアルバム等でビニール加工など特殊印刷を施したもの・ゲームソフトの取扱説明書など)の格納ができるようフタ部分をやや厚くしたワイドケース(幅12mm)もある。 : トレイの色は黒・白が基本だが、透明とすることでケースに入れたジャケットの裏面(両面印刷したもの)を背景とすることも出来る。 ; デュオケース{{Anchors|デュオケース}} : 主に2枚組のCDアルバム(CD2枚やCD+DVD)のパッケージで使われるケース。ジュエルケースのフタとケース(背面)にあたる部分の裏(内)側にトレイ(Bトレイ・Fトレイ)を嵌め込み、2枚格納を可能としたもの。W124mm×H140mm×幅18mm。 : テレビゲームソフトでは[[メガCD]]、セガサターン(サードパーティのソフト)、[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]の多くが、Bトレイが存在しない1枚収納のデュオケースを使用しており、ジュエルケースでは困難な厚みのある取扱説明書の同封が可能となっている。 ; マルチケース{{Anchors|マルチケース}} : 3 - 4枚組のCDで構成されるアルバム(主に[[サウンドトラック]]・[[クラシック音楽|クラシック]]・[[ベスト・アルバム]]・童謡関係など)やテレビゲームソフト・[[アプリケーションソフトウェア|PCソフト]]のパッケージで使われるケース。フタ・ケース(背面)・フタとケースに嵌め込むトレイ・表ケースの5パーツで構成されており、ジュエルケースを2枚連結したような形状で、トレイに1枚ずつ・フタとケースを繋ぐ役割をする表ケースに1 - 2枚(両面)収納する。W124mm×H152mm×幅24mm。 ; スリムケース{{Anchors|スリムケース}} : 主に[[シングル|マキシシングル]]や廉価版CD、市販品のブランクディスクに採用されている。ジャケット部1枚、トレイ部1枚のプラスチックで厚みはジュエルケースの約半分。 : 1980年代半ばにトレイ部が折れて(山折)、ディスクが取り出せるという[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]([[ソニーDADCジャパン]])独自のスリムケースも存在したが、程なくジュエルケースに戻された。 ; {{仮リンク|トールケース|en|Keep case}}{{Anchors|トールケース}} : 主に市販DVDに用いられる。VHS用ケースと形状が近い。AMARAY(アマレー)社のケースが[[PlayStation 2]](PS2)用ソフトのケースに採用されたことで[[デファクトスタンダード]]化している。サイズはW136mm×H190mm×幅14mm。アマレーケースとも。 : PS2の普及により、日本でのDVDビデオ([[セルビデオ]])パッケージはそれまでジュエルケースのものも存在していた([[ミュージック・ビデオ]]系統と[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|SPEJ]]が発売するDVDビデオなど)が、アマレーケースが一般的になった。他のゲームソフトでは[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]、[[Xbox 360]]、[[Wii]]、[[Wii U]]が採用している。横幅が5mm広い[[ワーナー・ブラザース|ワーナー]]サイズもある。 : [[レンタルビデオ|レンタルDVD]]ではやや厚みのあるケースを使用し<!--開発者不明-->、ディスクを収納したレンタルケースを上から投函する(差し込む)形状となっている。 ; [[デジパック]] :外装部は厚紙で内側にプラスチック製トレイを貼り付けたケース。主に音楽CDに用いられる。[[ディスクジャケット|紙ジャケット]]とはトレイの有無など構造が全く異なる。 ; [[ユニバーサル・メディア・ディスク|UMD]]用ケース : [[PlayStation Portable]]の発売に併せて流通されたPSPソフトやUMD Videoのディスクメディアである[[ユニバーサル・メディア・ディスク]]のパッケージに使われるケース。形状はアマレーケースに準じているがサイズはW105mm×H177mm×幅14mmと小ぶりである。 ; [[Blu-ray Disc]]用ケース([[HD DVD]]用ケース) : トールケースよりも低めのサイズで、上部にはそれぞれの規格のロゴが入っている。[[PlayStation 3]](PS3)ソフトも採用。映像ソフトは基本的にBlu-ray Disc(BDMV)が青系半透明、HD DVDが赤系半透明、PS3は半透明のケースとなっている。W135mm×H172mm×幅15mm。 ; [[マイクロソフト]]製のリテールパッケージケース : [[Microsoft Windows Vista]]・[[Microsoft Office|Microsoft Office 2007]]のリテールパッケージに採用された独特のケースで、[[本]]の「背」にあたる天面にある[[付箋]]状のツマミを引き、本の「[[本#冊子本の構造|小口]]」にあたる側面部分から横方向に90°倒すギミックでトレイが開閉する形状。トレイ部分に[[プロダクトキー]]のシールが貼付されている。 : 次バージョンとなる[[Microsoft Windows 7]]・[[Microsoft Office|Microsoft Office 2010]]では、このギミックが廃され、トールケースと同様の見開きで開閉する形態となった。 : 同ソフトで導入されているCD・DVDのホログラム加工と同様、[[海賊版]]対策の一環による特許技術とみられ、他社からは同様のケースは流通されていない。 == 廃棄方法 == {{See also|データの完全消去}} <!--パソコンの普及と共に、データを光ディスクやFDの形で保存する機会も増えたため、-->廃棄の際はデータの扱いにも注意を要する。特に[[#ライトワンス|ライトワンス]]規格の場合は消去不可なので、メディアが読み込める限りデータが残ってしまう。 === 適切な方法 === [[File:Alera_disc_shredder.JPG|thumb|200px|ディスクシュレッダー]] 記録されたデータを消去して廃棄する方法には以下の方法が適切である。 * ディスクシュレッダーを使う<ref name="jiima">{{PDFlink|[http://www.jiima.or.jp/pdf/disk_20110810.pdf 光ディスクの取扱い上の注意]}} - 日本記録メディア工業会</ref>。 * レーベル面をカッターなどで剥がす<ref name="RICOH">[http://www.ricoh.co.jp/drive/cd-r/support/faq/media/media_03.html よくあるご質問(CD-R/RWメディア) / DVD/CDドライブ / 製品 ] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131019120123/http://ricoh.co.jp/drive/cd-r/support/faq/media/media_03.html |date=2013-10-19}} - リコー</ref>。 * 記録面をサンドペーパー等で擦って白く曇らせる<ref name="RICOH"/>。 * 専門の業者に依頼する。 === 適切でない方法 === [[File:Zerstoerte DVD.jpg|thumb|200px|手で割ったとみられる光ディスクの例(写真はDVD+R)。手でディスクを割ることは極めて危険である。]] 以下の方法でデータを消去することも不可能ではないが、極めて危険なので適切とは言えない。 * 手で割る : ディスクの素材が[[防弾ガラス]]にも用いられる[[ポリカーボネート]]であり、素手で割るのはかなりの腕力が必要で、さらに切り口で怪我をする危険があり'''破片が飛び散ったり、手をけがする恐れがあるので極めて危険である'''。このため、市販のDVD-Rなどのブランクディスクメディアの使用上の注意には「'''手でディスクを割らないで下さい。破片が飛び散り、大変危険です。'''」などと記載されている場合があり、メーカーなどの業界でも注意を呼び掛けている<ref name="jiima"/><ref>[http://www.maxell.co.jp/jpn/consumer/rec_disc_dvd_minus_r/dvd_faq/other_faq/other_faq01.html ディスクを廃棄するときに注意することはどのようなことですか]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }} - 日立マクセル</ref>。 * [[電子レンジ]]で[[マイクロ波]]を照射し、記録面をショートさせる : この方法で読み取れなくすることも可能であるが、わずか数秒の照射で発火する危険がある。そもそも、メーカーでは食品の加熱・解凍以外に電子レンジを用いることは認めていない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === <div class="references-small"><references /></div> == 関連項目 == * [[光学]] * [[半導体レーザー]] * {{仮リンク|光ディスク用ケース一覧|en|Optical disc packaging}} {{光ディスク}} {{補助記憶装置}} {{ディスクイメージ}} {{新技術|topics=yes|infocom=yes}} {{DEFAULTSORT:ひかりていすく}} [[Category:光学]] [[Category:光学機器]] [[Category:光ディスク|*]] [[et:Optiline andmekandja]]
2003-03-16T02:39:10Z
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アラン・ケイ
アラン・カーティス・ケイ(Alan Curtis Kay, 1940年5月17日 - )は、アメリカ合衆国の計算機科学者、教育者、ジャズ演奏家。パーソナルコンピュータの父、と言われることもある。主に、オブジェクト指向プログラミングとユーザインタフェース設計に関する初期の功績で知られている。ピーター・ドラッカーの言葉“You cannot predict the future, but you can create it.” を引用し、“The Best Way to Predict the Future is to Create it.” 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と改変したことでも知られている。 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で計算機科学の准教授、ビューポインツ・リサーチ・インスティテュート(Viewpoints Research Institute)の経営者、TTI/Vanguard の諮問委員。2005年中ごろまで、HP研究所のシニアフェロー、京都大学の客員教授、マサチューセッツ工科大学の准教授を務めていた。 マイクロコンピュータ以前の時代に、個人の活動を支援する「パーソナルコンピュータ」という概念を提唱した。つまり1960年代当時、高価で大きく、複数人で“共有”するのが当たり前だったコンピュータに“個人向け”という利用状況を想定し、それに相応しいコンピュータ環境がどうあるべきかを考えた人物。自らがそう名付けた「ダイナブック構想」の提唱者。「コンピュータ・リテラシー」という言葉も彼が造った。 マサチューセッツ州のスプリングフィールド生まれ。3歳で文章を流暢に読み、早くから才能を見せていた。アメリカでの教育についてのインタビューで、「私は幸か不幸か、3歳のときに流暢に読めるようになっていた。だから1年生のころにはたぶん150冊ぐらいの本を読んでいた。そして、私はすでに先生が嘘を言っていることを知っていた」と述べている。 コロラド大学で数学と分子生物学の学士号を取得。同じ頃、彼はプロのジャズギタリストとしても活動している。コロラド大学に入る前、彼は士官候補生として空軍に入隊しており、自分にコンピュータ・プログラミングの才覚があることを知る。 1966年ユタ大学大学院工学部に進学し、修士号と博士号を取得している。そこでアイバン・サザランドの下で Sketchpad を含む先駆的グラフィックスアプリケーションを開発した。この経験がケイのオブジェクトとプログラミングについての観点を発展させることになった。ARPAの研究が忙しくなったため、プロのミュージシャンとしての経歴は途絶えた。 1968年シーモア・パパートと出会い、LISPを教育向けに最適化した方言であるLOGOプログラミング言語について学んだ。そこから発展して、ジャン・ピアジェ、ジェローム・ブルーナー、レフ・ヴィゴツキーらの業績や構成主義についても学び、それらからも強い影響を受けた。 1970年、ケイはゼロックス社のパロアルト研究所の設立に参加した。パロアルト研究所には1970年代を通じて在籍し、自ら提唱する理想端末「ダイナブック」を、当時利用可能な技術で具現化した暫定的ハードウエアである「Alto」と、エンドユーザーが自在にプログラミング可能で、それを全方面からサポートする機能を有する暫定的環境「Smalltalk」の開発において指導的立場をとった。このSmalltalk環境の動作するAlto(暫定ダイナブック)を見学する機会を得たスティーブ・ジョブズが、そのアイデアを大いに取り入れてLisa、続くMacintoshを開発した、というのは有名な話である。 ケイとパロアルト研究所の同僚は、オブジェクト指向プログラミングというアイデアの生みの親でもある(すでに言語機能としての「クラス」と「オブジェクト」を備えたノルウェーのオルヨハン・ダールとクリステン・ニガードのSimula 67があったが、これらの言語機能と自らのアイデアである「メッセージング」と組み合わせて「オブジェクト指向」と称したのはアラン・ケイが最初。なお「オブジェクト指向」は後にビャーン・ストラウストラップにより「カプセル化・継承・ポリモーフィズム」として再定義される)。彼の提唱した「ダイナブック構想」は、持ち運び可能な小型パーソナルコンピュータ(ノートパソコン、タブレット、電子書籍)の原型であり、ウィンドウ型グラフィカルユーザインターフェース(GUI)のさきがけとも言われている。ケイは、真上を向いていたマウスポインタを斜め45°でデザインし直した。ダイナブックは教育用プラットフォームとみなすこともできるため、ケイはMラーニングの初期の研究者の1人とされることがある。実際、ダイナブック構想の多くの特徴がケイも積極的に関与した教育用プラットフォーム One Laptop Per Child (OLPC) の設計に採用されている。 パロアルト研究所で10年すごした後、ケイは3年間アタリの主任科学者を務めた。 1984年から、ケイはApple Computerのフェローとなった(1997年に、スティーブ・ジョブズが研究部門Advanced Technology Groupを解散するまで。なお、ジョブスにピクサー買収を強く勧めたのも、彼である)。その後 Walt Disney Imagineering でフェローを務めた(ディズニーがフェロー制度をやめるまで)。2001年、子どもの教育と関連するソフトウェア開発を目的とする非営利組織 Viewpoints Research Institute を創設。 その後、Applied Minds(Walt Disney Imagineering の退職者が設立した会社)で働いた後、ヒューレット・パッカードにシニアフェローとして迎えられたが、2005年6月20日に Advanced Software Research Team が解散になると同時に退職した。現在は、Viewpoints Research Institute を主宰。 また2002年〜2005年、IPA未踏ソフトウェア創造事業のプロジェクトマネージャ。 2011年秋、ニューヨーク大学 Interactive Telecommunications Program (ITP) でITPの研究員である Nancy Hechinger と共に "Powerful Ideas: Useful Tools to Understand the World" と題したクラスを教えた。このクラスの目標は、伝統的な丸暗記的教育を廃し根本的かつ強力な概念に基づいた教育/学習の新形態を考案することだった。 1995年12月、Apple Computerに所属していたケイは、多数の協力者と共に Squeak をオープンソースプロジェクトとして立ち上げ、その後も継続して関わっている。Squeak は、Smalltalkを拡張し、当時非公開で限られた人間しか参加できなかった「ダイナブックプロジェクト」を、広く世界に人材を求める“開かれた”プロジェクトとして再開されたものだと考えることもできる。Squeak及びその上に実現された非開発者向けビジュアルスクリプティング環境「Squeak eToys (SqueakToys)」、次世代3D-GUIを模索する仮想コンピュータ環境「Croquet」の開発指導にあたる。 2001年、SqueakのeToysアーキテクチャにおいてインタフェース基盤の限界が見えてきた。ケイのHPでのグループで働いていた Andreas Raab は "script process" の定義を提案し、いくつかの一般的課題に対処するデフォルトのスケジューリング機構を考案した。その結果、Squeak のユーザインタフェースをさらに進化させた新たなユーザインタフェースが Tweak が誕生した。その基盤となるオブジェクトシステムはクラスベースだが、ユーザーがプログラミングする際にはプロトタイプベースのように動作する。 2005年11月に開催された世界情報社会サミットで、MITはアラン・ケイも開発に関与した新たな OLPC XO-1 を発表した(発表時は100ドルノートPCとして有名になった)。ケイのダイナブック構想に基づき、ケイの友人であるニコラス・ネグロポンテがプロジェクトを推進した。ケイもそのコンピュータの開発に関わり、主に Squeak と eToys を教育ソフトウェアとして搭載することに注力した。 ケイはしばしば、コンピュータ革命は非常に新しく、よいアイデアが全て一般に実装されているわけではないということを論じている。OOPSLA 1997 での講演やチューリング賞受賞記念講演(タイトルは "The Computer Revolution Hasn't Happened Yet")では、Sketchpad、Simula、Smalltalk での自身の経験や商用ソフトウェアの肥大化したコードについて論じている。 2006年8月31日、アメリカ国立科学財団 (NSF) への提案書が採用され、Viewpoints Research Institute に数年間資金が提供された。提案書のタイトルは "Steps Toward the Reinvention of Programming: A compact and Practical Model of Personal Computing as a Self-exploratorium"(プログラミング再発明へのステップ: Self-exploratorium としてのパーソナルコンピューティングのコンパクトで実用的なモデル)である。ケイがやろうとしていることの意味は、バークレーにあるインテルの研究所で行ったセミナーの要約からうかがい知ることができる。 今日では、商用ソフトウェアや多くのオープンソースのソフトウェアは数億行のソースコードの固まりでできている。その機能をカバーできる理解可能な最小の設計なら、どれだけのコード量にできるだろうか? 100万行? 20万行? 10万行? 2万行?」 史上初の本格的GUIを備えたとして知られるAltoだが、特に“Alto OS”と呼ばれる専用のGUI OSがあったわけではない。PARC内外ではAlto向けに、互いに見た目や操作の異なる多数のGUI環境・GUIアプリが開発されていた。その中で特に先行し、後続に多岐に渡る影響を及ぼしたのがケイらの暫定ダイナブック、すなわちSmalltalk環境で、実際、MacintoshやWindows、そしてUNIXのGUI環境の起源に関する記述でAltoが引き合いに出された場合、それは当時のSmalltalk環境を意味していることが多い。言及者がSmalltalkを単なるプログラミング言語として狭く捉えていたり、その誕生の歴史的経緯(コンセプトとしての「ダイナブック」、暫定環境としての「Smalltalk」、暫定ハードとしての「Alto」の相互関係)をよく調べずに書いたあいまいな記述が世に氾濫しているため、さも“Alto OS”のようなものが存在するかのような誤ったイメージが定着してしまった。 ケイはプログラミングもするが、主だってはアイデアパーソンである。Altoの製作にはチャック・サッカーという天才エンジニアの、Smalltalk開発にはダン・インガルス、アデル・ゴールドバーグを筆頭とした天才プログラマらの関与が不可欠であり、ケイがすべてを(短期間で)実現したかのような記述は原則として誤り。短期間であることがことさらに強調されることが多いのは、Alto初号機の製作期間が仲間うちの“賭け”の対象となっていて、実際それが約3か月強で成し遂げられたこと、あるいはケイの「オブジェクトへのメッセージ送信」というアイデアをダン・インガルスがわずか数日で実装してみせたこと(これが、Smalltalkのプロトタイプとなった。ちなみに、この時に使われたのはBASIC)を混同しているものと思われる。
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アラン・カーティス・ケイは、アメリカ合衆国の計算機科学者、教育者、ジャズ演奏家。パーソナルコンピュータの父、と言われることもある。主に、オブジェクト指向プログラミングとユーザインタフェース設計に関する初期の功績で知られている。ピーター・ドラッカーの言葉“You cannot predict the future, but you can create it.” を引用し、“The Best Way to Predict the Future is to Create it.” 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と改変したことでも知られている。 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で計算機科学の准教授、ビューポインツ・リサーチ・インスティテュートの経営者、TTI/Vanguard の諮問委員。2005年中ごろまで、HP研究所のシニアフェロー、京都大学の客員教授、マサチューセッツ工科大学の准教授を務めていた。 マイクロコンピュータ以前の時代に、個人の活動を支援する「パーソナルコンピュータ」という概念を提唱した。つまり1960年代当時、高価で大きく、複数人で“共有”するのが当たり前だったコンピュータに“個人向け”という利用状況を想定し、それに相応しいコンピュータ環境がどうあるべきかを考えた人物。自らがそう名付けた「ダイナブック構想」の提唱者。「コンピュータ・リテラシー」という言葉も彼が造った。
{{otheruses|コンピュータ科学者|日本の女優|安蘭けい}} {{Infobox Scientist |name = アラン・カーティス・ケイ |native_name = Alan Curtis Kay |image = Alan_Kay_(3097597186)_(cropped).jpg |image_size = |caption = 2008年 |birth_date = {{生年月日と年齢|1940|5|17}} |birth_place = {{USA}} [[マサチューセッツ州]][[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]] |death_date = |death_place = |citizenship = {{USA}} |fields = [[計算機科学]] |workplaces = [[パロアルト研究所]]<br/>[[スタンフォード大学]]<br/>[[アタリ (企業)|アタリ]]<br/>[[Apple]] [[:en:Advanced Technology Group|ATG]]<br/>[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]] [[:en:Walt Disney Imagineering|Imagineering]]<br/>[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]]<br/>[[京都大学]]<br/>[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]<br/>[[:en:Viewpoints Research Institute]]<br/>[[ヒューレット・パッカード]] |alma_mater = [[コロラド大学ボルダー校]]<br/>[[ユタ大学]] |known_for = [[ダイナブック]]<br/>[[オブジェクト指向プログラミング]]<br/>[[Smalltalk]]<br/>[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]と[[ウィンドウ]] |awards = ACM [[チューリング賞]](2002)<br/>[[京都賞先端技術部門]](2004)<br/>[[チャールズ・スターク・ドレイパー賞]](2004) |spouse = [[:en:Bonnie MacBird|Bonnie MacBird]] }} '''アラン・カーティス・ケイ'''('''Alan Curtis Kay''', [[1940年]][[5月17日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[計算機科学]]者、[[教育者]]、[[ジャズ]]演奏家。[[パーソナルコンピュータ]]の父、と言われることもある。主に、[[オブジェクト指向プログラミング]]と[[ユーザインタフェース]][[設計]]に関する初期の功績で知られている。[[ピーター・ドラッカー]]の言葉“''You cannot predict the future, but you can create it.''” を引用し、“''The Best Way to Predict the Future is to Create it.''” 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と改変したことでも知られている。 [[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]]([[UCLA]])で計算機科学の准教授、ビューポインツ・リサーチ・インスティテュート([[:en:Viewpoints Research Institute|Viewpoints Research Institute]])の経営者、[[:en:TTI/Vanguard|TTI/Vanguard]] の諮問委員。[[2005年]]中ごろまで、[[ヒューレット・パッカード|HP]]研究所のシニアフェロー、[[京都大学]]の[[客員教授]]、[[マサチューセッツ工科大学]]の准教授を務めていた。 <!--まだ大型の[[メインフレーム]]しか存在しなかった--><!-- ← 誤認。ミニコンピュータは既に存在した-->[[マイクロコンピュータ]]以前の時代に、個人の活動を支援する「[[パーソナルコンピュータ]]」という概念を提唱した。つまり1960年代当時、高価で大きく、複数人で“共有”するのが当たり前だったコンピュータに“個人向け”という利用状況を想定し、それに相応しいコンピュータ環境がどうあるべきかを考えた人物。自らがそう名付けた「[[ダイナブック]]構想」の提唱者。<!--「[[ワークステーション]]」←これは本当?ソースは?彼は Alto をむしろ「プレイステーション」にしたかったはず--><!-- ←「プレイステーション」ってのもかなり眉唾じゃないか?-->「[[コンピュータ・リテラシー]]」という言葉も彼が造った。 == パロアルト研究所時代まで == [[マサチューセッツ州]]の[[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]生まれ。3歳で文章を流暢に読み、早くから才能を見せていた。アメリカでの教育についてのインタビューで、「私は幸か不幸か、3歳のときに流暢に読めるようになっていた。だから1年生のころにはたぶん150冊ぐらいの本を読んでいた。そして、私はすでに先生が嘘を言っていることを知っていた」と述べている<ref>{{Cite web |url= http://vimeo.com/20673320 |title=Interview with Alan Kay on education |work=The Generational Divide |publisher=The Davis Group |accessdate=2011-03-05}}</ref>。 [[コロラド大学]]で[[数学]]と[[分子生物学]]の学士号を取得。同じ頃、彼はプロの[[ジャズ]]ギタリストとしても活動している。コロラド大学に入る前、彼は士官候補生として空軍に入隊しており、自分にコンピュータ・プログラミングの才覚があることを知る<ref name="tools-for-thought">{{Cite book|和書 | author= ハワード・ラインゴールド 著、栗田昭平 監訳、青木真美 訳 | title= 思考のための道具 異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか? | year=1988 | date=1988-8-10 | page= 328 | publisher=[[パーソナルメディア株式会社]]|isbn = 4-89362-035-5}}</ref>。 1966年[[ユタ大学]]大学院工学部に進学し、修士号と博士号を取得している。そこで[[アイバン・サザランド]]の下で [[Sketchpad]] を含む先駆的グラフィックスアプリケーションを開発した。この経験がケイのオブジェクトとプログラミングについての観点を発展させることになった。[[国防高等研究計画局|ARPA]]の研究が忙しくなったため、プロのミュージシャンとしての経歴は途絶えた。 1968年[[シーモア・パパート]]と出会い、[[LISP]]を[[教育]]向けに最適化した[[方言 (プログラミング言語)|方言]]である[[LOGO]][[プログラミング言語]]について学んだ。そこから発展して、[[ジャン・ピアジェ]]、[[ジェローム・ブルーナー]]、[[レフ・ヴィゴツキー]]らの業績や[[構成主義 (教育)|構成主義]]についても学び、それらからも強い影響を受けた。 1970年、ケイは[[ゼロックス]]社の[[パロアルト研究所]]の設立に参加した。パロアルト研究所には1970年代を通じて在籍し、自ら提唱する理想端末「[[ダイナブック]]」を、当時利用可能な技術で具現化した暫定的ハードウエアである「[[Alto]]」と、[[エンドユーザー]]が自在にプログラミング可能で、それを全方面からサポートする機能を有する暫定的環境「[[Smalltalk]]」の開発において指導的立場をとった。このSmalltalk環境の動作するAlto([[暫定ダイナブック]])を見学する機会を得た[[スティーブ・ジョブズ]]が、そのアイデアを大いに取り入れて[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]、続く[[Macintosh]]を開発した、というのは有名な話である。 ケイとパロアルト研究所の同僚は、オブジェクト指向プログラミングというアイデアの生みの親でもある(すでに言語機能としての「[[クラス (コンピュータ)|クラス]]」と「[[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]]」を備えた[[ノルウェー]]の[[オルヨハン・ダール]]と[[クリステン・ニガード]]の[[Simula|Simula 67]]があったが、これらの言語機能と自らのアイデアである「メッセージング」と組み合わせて「オブジェクト指向」と称したのはアラン・ケイが最初。なお「オブジェクト指向」は後に[[ビャーン・ストラウストラップ]]により「[[カプセル化]]・[[継承 (プログラミング)|継承]]・[[ポリモーフィズム]]」として再定義される)。彼の提唱した「[[ダイナブック]]構想」は、持ち運び可能な小型パーソナルコンピュータ([[ノートパソコン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]、[[電子書籍]])の原型であり、[[ウィンドウ]]型[[グラフィカルユーザインターフェース]](GUI)のさきがけとも言われている<ref>{{Cite book |last1=Bergin, Jr. |first1=Thomas J. |last2=Gibson, Jr. |first2=Richard G. |place=New York, NY |year=1996 |publisher=ACM Press, Addison-Wesley |title=History of Programming Languages II |url= http://portal.acm.org/citation.cfm?id=234286}}</ref>。ケイは、真上を向いていた[[マウスポインタ]]を斜め45°でデザインし直した。ダイナブックは教育用プラットフォームとみなすこともできるため、ケイは[[Mラーニング]]の初期の研究者の1人とされることがある。実際、ダイナブック構想の多くの特徴がケイも積極的に関与した教育用プラットフォーム [[OLPC|One Laptop Per Child]] (OLPC) の設計に採用されている。 パロアルト研究所で10年すごした後、ケイは3年間[[アタリ (企業)|アタリ]]の主任科学者を務めた。 == その後の経歴 == 1984年から、ケイは[[Apple|Apple Computer]]の[[フェロー]]となった(1997年に、[[スティーブ・ジョブズ]]が研究部門[[Apple Advanced Technology Group|Advanced Technology Group]]を解散するまで<ref>{{Cite web |url= http://www.i-programmer.info/history/8-people/438-alan-kay.html?start=1 |title=Alan Kay |date=13 November 2009 |work=I Programmer |accessdate=2012-08-31}}</ref>。なお、ジョブスに[[ピクサー]]買収を強く勧めたのも、彼である)。その後 [[:en:Walt Disney Imagineering|Walt Disney Imagineering]] でフェローを務めた(ディズニーがフェロー制度をやめるまで)。2001年、子どもの教育と関連するソフトウェア開発を目的とする非営利組織 [[:en:Viewpoints Research Institute|Viewpoints Research Institute]] を創設。 その後、[[:en:Applied Minds|Applied Minds]](Walt Disney Imagineering の退職者が設立した会社)で働いた後、[[ヒューレット・パッカード]]にシニアフェローとして迎えられたが、2005年6月20日に Advanced Software Research Team が解散になると同時に退職した。現在は、Viewpoints Research Institute を主宰。 また2002年〜2005年、[[情報処理推進機構#未踏ソフトウェア創造事業|IPA未踏ソフトウェア創造事業]]のプロジェクトマネージャ。 2011年秋、[[ニューヨーク大学]] Interactive Telecommunications Program (ITP) でITPの研究員である Nancy Hechinger と共に "Powerful Ideas: Useful Tools to Understand the World" と題したクラスを教えた。このクラスの目標は、伝統的な丸暗記的教育を廃し根本的かつ強力な概念に基づいた教育/学習の新形態を考案することだった<ref>{{Cite web |last=Kay| first=Alan| title=Powerful Ideas:Useful Tools to Understand the World |url= https://itp.nyu.edu/registration/CourseInfo.php?course_id=489 |date=2011-09-15 |accessdate=2011-09-15}}</ref>。 === Squeak と Croquet の開発 === 1995年12月、Apple Computerに所属していたケイは、多数の協力者と共に [[Squeak]] を[[オープンソース]]プロジェクトとして立ち上げ、その後も継続して関わっている。Squeak は、Smalltalkを拡張し、当時非公開で限られた人間しか参加できなかった「ダイナブックプロジェクト」を、広く世界に人材を求める“開かれた”プロジェクトとして再開されたものだと考えることもできる。Squeak及びその上に実現された非開発者向けビジュアルスクリプティング環境「Squeak [[Etoys|eToys]] (SqueakToys)」、次世代3D-GUIを模索する仮想コンピュータ環境「[[:en:Croquet Project|Croquet]]」の開発指導にあたる。 === Tweak === 2001年、SqueakのeToysアーキテクチャにおいてインタフェース基盤の限界が見えてきた。ケイのHPでのグループで働いていた Andreas Raab は "script process" の定義を提案し、いくつかの一般的課題に対処するデフォルトのスケジューリング機構を考案した<ref>{{Cite web |url= http://tweakproject.org/ABOUT/FAQ/OriginalTweakMemo/ |title=Events, Scripts & Multiple Processes |author=Andreas Raab |date=6 July 2001 |accessdate=2009-06-07}}{{リンク切れ|date=2012年8月}}</ref>。その結果、Squeak のユーザインタフェースをさらに進化させた新たなユーザインタフェースが [[:en:Tweak programming environment|Tweak]] が誕生した。その基盤となるオブジェクトシステムは[[クラス (コンピュータ)|クラス]]ベースだが、ユーザーがプログラミングする際には[[プロトタイプベース]]のように動作する。 === OLPC === 2005年11月に開催された[[世界情報社会サミット]]で、MITはアラン・ケイも開発に関与した新たな [[OLPC]] [[OLPC XO-1|XO-1]] を発表した(発表時は100ドルノートPCとして有名になった)。ケイの[[ダイナブック]]構想に基づき、ケイの友人である[[ニコラス・ネグロポンテ]]がプロジェクトを推進した。ケイもそのコンピュータの開発に関わり、主に Squeak と eToys を教育ソフトウェアとして搭載することに注力した。 === プログラミングの再発明 === ケイはしばしば、コンピュータ革命は非常に新しく、よいアイデアが全て一般に実装されているわけではないということを論じている。[[OOPSLA]] 1997 での講演や[[チューリング賞]]受賞記念講演(タイトルは "The Computer Revolution Hasn't Happened Yet")では、[[Sketchpad]]、[[Simula]]、[[Smalltalk]] での自身の経験や商用[[ソフトウェアの肥大化]]したコードについて論じている。 2006年8月31日、[[アメリカ国立科学財団]] (NSF) への提案書が採用され、Viewpoints Research Institute に数年間資金が提供された。提案書のタイトルは "Steps Toward the Reinvention of Programming: A compact and Practical Model of Personal Computing as a Self-exploratorium"(プログラミング再発明へのステップ: Self-exploratorium としてのパーソナルコンピューティングのコンパクトで実用的なモデル)である<ref>[http://irbseminars.intel-research.net/AlanKayNSF.pdf Proposal to NSF – Granted on August 31st 2006 - Steps Toward The Reinvention of Programming - A Compact And Practical Model of Personal Computing As A Self-Exploratorium]{{リンク切れ|date=2012年8月}} - Alan Kay, Dan Ingalls, Yoshiki Ohshima, Ian Piumarta, Andreas Raab</ref>。ケイがやろうとしていることの意味は、バークレーにあるインテルの研究所で行ったセミナーの要約からうかがい知ることができる。 <blockquote> 今日では、商用ソフトウェアや多くのオープンソースのソフトウェアは数億行のソースコードの固まりでできている。その機能をカバーできる理解可能な最小の設計なら、どれだけのコード量にできるだろうか? 100万行? 20万行? 10万行? 2万行?」<ref>{{Cite web|last=Kay| first=Alan| title=How Simply and Understandably Could The "Personal Computing Experience" Be Programmed? |url= http://www.intel-research.net/berkeley/viewseminarabstract.asp?index=605 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20070625105727/http://www.intel-research.net/berkeley/viewseminarabstract.asp?index=605 |archivedate=2007-06-25 |date=2006-11-27 |accessdate=2009-06-07}}</ref> </blockquote> === 受賞歴 === <!-- リンク先が読めないのだが、少なくともアラン・ケイの名はない * 2001年: [http://www.udk-berlin.de/doku/award.html UdK 01-Award] in [[Berlin]], [[Germany]] for pioneering the [[GUI]]. --> * 1999年 - [[コンピュータ歴史博物館]][[フェロー]]<ref>{{Cite web |url= http://www.computerhistory.org/fellowawards/hall/bios/Alan,Kay/ |title=Alan Kay: 1999 Fellow Awards Recipient |date= |publisher=Computer History Museum |accessdate=2012-08-31}}</ref> * 2001年 - [[C&C賞]] * 2003年 - [[チューリング賞]]。オブジェクト指向プログラミングに関する貢献に対して。 * 2004年 - [[京都賞先端技術部門]]。 * 2004年 - [[チャールズ・スターク・ドレイパー賞]]([[全米技術アカデミー]]の与える賞)。[[バトラー・ランプソン]]、[[ロバート・テイラー (情報工学者)|ロバート・テイラー]]、[[チャック・サッカー]]と共同受賞。<ref>{{Cite web |url= http://www.nae.edu/Activities/Projects/Awards/DraperPrize/PastWinners/page20048879.aspx |title=2004 Recipients of the Charles Stark Draper Prize |work=National Academy of Engineering |publisher=National Academy of Sciences |accessdate=2012-08-31}}</ref> * 2008年 - [[Association for Computing Machinery]] (ACM) [[フェロー]]<ref>{{Cite web |url= http://fellows.acm.org/homepage.cfm?alpha=K&srt=alpha |title=ACM Fellows |accessdate=2011-08-08| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110724224100/http://fellows.acm.org/homepage.cfm?alpha=K&srt=alpha| archivedate= 24 July 2011 | deadurl= no}}</ref> * 2011年 - Hasso-Plattner-Institut [[フェロー]]<ref>{{Cite web|url= http://tele-task.de/archive/video/flash/14029/ |title=Programming and Scaling |last1=Kay |first1=Alan |date=21 July 2011 |publisher=HPI Potsdam |location=Germany, Potsdam, Hasso-Plattner Institute |accessdate=2012-08-31}}</ref> === 名誉博士号 === * 2002年 - [[スウェーデン王立工科大学]]<ref>{{Cite web |url= http://www.kth.se/om/fame/hedersdoktorer/1.3974?l=en |title=Hedersdoktorer 2008-1995, inklusive ämnesområden |publisher=[[スウェーデン王立工科大学|KTH]] |language=Swedish |accessdate=2009-06-07}}</ref> * 2005年 - [[ジョージア工科大学]]<ref>{{Cite web |url= http://www.whistle.gatech.edu/archives/05/dec/19/dec19.pdf |title=Tech forms dual-degree program with Chinese university |date=19 December 2005 |work=The Whistle |publisher=Georgia Institute of Technology |accessdate=2012-08-31}}</ref> * 2005年 - [[:en:Columbia College Chicago|Columbia College Chicago]]<ref>{{Cite web |url= http://blogs.colum.edu/press-releases/2005/05/ |title=2005 Commencement Ceremonies: Columbia College Chicago Announces 2005 Commencement Ceremonies |author=Hunter, Priscilla |date=10 May 2005 |publisher=Columbia College Chicago |accessdate=2012-08-31}}</ref> * 2007年 - [[ピサ大学]] * 2009年 - [[ウォータールー大学]]<ref>{{Cite web |url= http://newsrelease.uwaterloo.ca/news.php?id=4973 |title=UW's convocation graduates 4,378 students, awards 10 honorary degrees |publisher=[[ウォータールー大学|University of Waterloo]] |date=2008-06-10 |accessdate=2009-06-07}}{{リンク切れ|date=2012年8月}}</ref> * 2009年 - [[京都大学]]<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news4/2008/090120_1.htm |title=アラン・ケイ氏京都大学名誉博士称号授与記念講演会及び祝賀会 |publisher=京都大学 |accessdate=2012-08-31}}</ref> * 2010年 - [[ムルシア大学]]<ref>{{Cite web|url= http://www.um.es/ |title=Universidad de Murcia |accessdate=2012-08-31}}</ref> == アラン・ケイやダイナブックにまつわる誤解 == 史上初の本格的GUIを備えたとして知られるAltoだが、特に“Alto OS”と呼ばれる専用のGUI [[オペレーティングシステム|OS]]があったわけではない。PARC内外ではAlto向けに、互いに見た目や操作の異なる多数のGUI環境・GUIアプリが開発されていた。その中で特に先行し、後続に多岐に渡る影響を及ぼしたのがケイらの暫定[[ダイナブック]]、すなわちSmalltalk環境で、実際、Macintoshや[[Microsoft Windows|Windows]]、そして[[UNIX]]のGUI環境の起源に関する記述でAltoが引き合いに出された場合、それは当時のSmalltalk環境を意味していることが多い。言及者がSmalltalkを単なるプログラミング言語として狭く捉えていたり、その誕生の歴史的経緯(コンセプトとしての「ダイナブック」、暫定環境としての「Smalltalk」、暫定ハードとしての「Alto」の相互関係)をよく調べずに書いたあいまいな記述が世に氾濫しているため、さも“Alto OS”のようなものが存在するかのような誤ったイメージが定着してしまった。 ケイはプログラミングもするが、主だってはアイデアパーソンである。Altoの製作にはチャック・サッカーという天才エンジニアの、Smalltalk開発にはダン・インガルス、アデル・ゴールドバーグを筆頭とした天才プログラマらの関与が不可欠であり、ケイがすべてを(短期間で)実現したかのような記述は原則として誤り。短期間であることがことさらに強調されることが多いのは、Alto初号機の製作期間が仲間うちの“賭け”の対象となっていて、実際それが約3か月強で成し遂げられたこと、あるいはケイの「オブジェクトへのメッセージ送信」というアイデアをダン・インガルスがわずか数日で実装してみせたこと(これが、Smalltalkのプロトタイプとなった。ちなみに、この時に使われたのは[[BASIC]])を混同しているものと思われる。 == 名言集 == ;最も有名な言葉 :「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」1971年、パロアルト研究所の研究内容の将来予測を再三に渡って求めるゼロックス本社に対する回答(経営陣と開発陣の軋轢や見解の相違を端的に表している)<ref>{{Cite web |url= http://www.smalltalk.org/alankay.html |title=The best way to predict the future is to invent it. |publisher=smalltalk.org |accessdate=2012-08-31}}</ref> 元々は物理学者[[ガーボル・デーネシュ]]の言葉から<ref>{{Cite book|和書|title=Inventing the Future|year=1964|publisher=Penguin Books|page=161|author=[[ガーボル・デーネシュ]]|quote=The future cannot be predicted, but futures can be invented.}}</ref> ;それについて本人が別の機会に補足した言葉 :「未来はただそこにあるのではない。未来は我々が決めるものであり、宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる」1984年 <ref>{{Cite web|url= http://www.cs.uni.edu/~wallingf/blog/archives/monthly/2004-11.html#e2004-11-06T21_03_42.htm |title=ALAN KAY'S TALKS AT OOPSLA |work=Knowing and Doing |accessdate=2012-08-31}}</ref> ;コンピュータ革命について :「わくわくするようなことが進行中だが、コンピュータ革命はまだ始まっていない。不完全なアイデアに基づいた貧弱な実装によるできの悪いデファクトスタンダードによって素朴な顧客から大量の金を巻き上げている連中に惑わされないように」<ref>{{Cite web |url= http://www.squeak.org/About |title=What is Cool about Squeak |publisher=squeak.org |accessdate=2012-08-31}}</ref> ;1980年代終盤の香港での記者会見での言葉 :「テクノロジーというのはあなたが生まれたときに存在しなかった全てのものだ」 ;[[C++]]について :「オブジェクト指向(Object-Oriented)という言葉は私が作った。そのとき、C++ を想定していなかったことは確かだ」<ref>{{Cite web |url= http://moryton.blogspot.com/2007/12/computer-revolution-hasnt-happened-yet.html |title=Transcript: The Computer Revolution Hasn't Happened Yet, OOPSLA 1997 |accessdate=2012-08-31}}</ref> ;[[LISP]]について :「これまでに設計された最も偉大なプログラミング言語」<ref>{{Cite web |url= http://openp2p.com/pub/a/p2p/2003/04/03/alan_kay.html |title=Daddy, Are We There Yet? A Discussion with Alan Kay |publisher=openp2p.com |accessdate=2012-08-31}}</ref> ;[[ソフトウェア]]と[[ハードウェア]]について :「People who are really serious about software should make their own hardware.」 :「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ。」<ref>{{Cite web |url= http://folklore.org/StoryView.py?project=Macintosh&story=Creative_Think.txt |title= Creative Think |publisher=Folklore.org |accessdate=2012-08-31}}</ref> == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == *"Computers, Networks and Education" - ''Scientific American Special Issue on Communications, Computers, and Networks'', September, 1991. == 外部リンク == {{Commonscat|Alan Kay}} * [http://ei.cs.vt.edu/~history/GASCH.KAY.HTML Alan Kay biography] * [http://www.mprove.de/diplom/referencesKay.html Detailed Alan Kay bibliography] * [http://www.newmediareader.com/book_samples/nmr-26-kay.pdf Personal Dynamic Media] &ndash; アラン・ケイ、アデル・ゴールドバーグ(共著) * [https://archive.org/search.php?query=alan%20kay Doing with Images Makes Symbols: Communicating with Computers] アラン・ケイによるビデオ講義。初期のグラフィカル・ユーザーインターフェイスが紹介されている。 * [http://www.educause.edu/LibraryDetailPage/666?ID=COM9802 The Computer "Revolution" Hasn't Happened Yet!] EDUCOM 1998 での講演(教育におけるコンピュータ利用について) * [http://www.ecotopia.com/webpress/futures.htm Predicting the Future] 1989年の Stanford Computer Forum に寄せた意見 * [http://acmqueue.com/modules.php?name=Content&pa=showpage&pid=273 A Conversation with Alan Kay] Smalltalkなどに関する長いインタビュー記事 * [http://thinkubator.ccsp.sfu.ca/Dynabook From Dynabook to Squeak - A Study in Survivals] アラン・ケイの構想の変化を追ったリンク集 * [http://www.smalltalk.org/downloads/papers/SmalltalkHistoryHOPL.pdf The Early History of Smalltalk] * [http://www.windley.com/archives/2006/02/alan_kay_is_com.shtml The Best Way to Predict the Future is to Prevent It] * [http://www.windley.com/archives/2006/02/alan_kay_the_10.shtml The $100 Laptop, Learners, and Powerful Ideas] * [[Association for Computing Machinery|ACM]] [http://portal.acm.org/citation.cfm?doid=950566.950580 Video Interview with Alan Kay] * [[チューリング賞]]講演: [http://awards.acm.org/images/awards/140/vstream/2003/AlanKay/AK768kFull.mov "The Computer Revolution Hasn't Happened Yet"](動画) * [http://www.diamondconsultants.com Diamond Management and Technology Consultants ], アラン・ケイが経営に参加していた企業 * [http://swikis.ddo.jp/abee/74 PCCAA清書2] * [http://www.ted.com/talks/view/id/228 TED Talks: Alan Kay shares a powerful idea about ideas] at [[TED (カンファレンス)|TED]] in 2007 * [http://www.viewpointsresearch.org/ Viewpoints Research Institute] * [http://blackandwhiteprogram.com/report/alan-kay%e2%80%99s-viewpoints Alan Kay's Viewpoints from Black and White Program] * [http://www.squeakland.org/resources/books/readingList.jsp Alan Kay's Reading List] {{チューリング賞}} {{典拠管理}} {{DEFAULTSORT:けい あらん}} [[Category:アラン・ケイ|*]] [[Category:アメリカ合衆国の計算機科学者]] [[Category:アメリカ合衆国のプログラミング言語設計者]] [[Category:アメリカ合衆国のプログラマ]] [[Category:計算機科学教育者]] [[Category:オブジェクト指向の人物]] [[Category:ACMソフトウェアシステムアワードの受賞者]]<!-- 1987年 --> [[Category:チューリング賞受賞者]]<!-- 2003年 --> [[Category:京都賞先端技術部門受賞者]]<!-- 2004年 --> [[Category:チャールズ・スターク・ドレイパー賞受賞者]]<!-- 2004年 --> [[Category:Apple Computerの人物]] [[Category:ヒューレット・パッカードの人物]] [[Category:カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教員]] [[Category:マサチューセッツ工科大学の教員]] [[Category:京都大学の教員]] [[Category:コンピュータ歴史博物館フェロー]] [[Category:アメリカ科学振興協会フェロー]] [[Category:パロアルト研究所の人物]] [[Category:ACMフェロー]] [[Category:マサチューセッツ州スプリングフィールド出身の人物]] [[Category:1940年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:アタリの人物]] [[Category:C&C賞の受賞者]]
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ISBN
ISBN(アイエスビーエヌ)は、International Standard Book Number の略称(頭字語)。図書(書籍)および資料の識別用に設けられた国際規格コード(番号システム)の一種。アラビア数字で表される。日本における漢訳名は「国際標準図書番号」。 開発されたのは1966年のイングランド、W・H・スミス社のプロジェクトによる (cf. )。 1965年にイギリスで、SBN (Standard Book Number) と呼ばれる書籍特定コードがトリニティ・カレッジ(ダブリン大学)のゴードン・フォスター(英語版)により開発された。コンピュータが普及し、統一的な管理番号が求められたことが背景にある。これは翌年にイギリス国内で利用され始めた。1967年、国際規格ISBNのアルゴリズムが考案された。ISBNは国際標準化機構 (ISO) で1970年に採用された (ISO 2108)。 なお、出版物(本)に関する国際標準化機構の国際規格は、ISBNの他に、逐次刊行物(雑誌)のシリーズごとに付与される国際標準逐次刊行物番号 (ISSN) がある。 ISBNは、各種の書籍(単行本、漫画など)の他、CD-ROM・カセットテープ・マイクロフィルムなど、出版社から刊行されて出版取次・書店で流通する出版物におおむね適用される。ただし、日本などでは、ムックを除く雑誌にはISBNではなく雑誌コードを使用する。また、ウェブサイト・広告物・ゲームなどは、国際的にもISBNの対象外である。 ISBNは、中身が同じでも出版形態が異なれば別の番号を割り振られる。例えば、ある小説が単行本・文庫本・電子書籍の3つの形態で発売されれば、それぞれ別の番号が付けられる。 絶版となった場合でも、ISBNを新刊に使い回すことはない。 ISBNは10桁のコードで表され、通常4つのパートからなった。なお、この、10桁であらわされる(旧規格)ISBNコードを、現行の13桁のISBNに対して ISBN-10 と呼ぶことがある。 ISBN-10は、 のように表示される。しかし、●、A、Bの各部分の割り当て桁数は決まっておらず、合計で9桁(必ず1桁のC部分を入れると10桁)となる範囲内で、それぞれの部分は増減する。 それぞれの部分の意味は、 旧規格のISBN (ISBN-10) のチェックディジットは、「モジュラス11 ウェイト10-2」という計算法にて算出される。(チェックディジットを除いた左側の桁から10、9、8...2を掛けてそれらの和を取る。和を11で割って出た余りを11から引く) ここで、例として ISBN4-10-109205-□ のチェックディジット(□部分)を求めてみる。 よって、このISBNのチェックディジットは2である。なお、計算結果が10になった場合、10の代わりにX(アルファベットの大文字)を用いる。また、11になった場合は、0となる。 ISBNは2006年までは10桁であったが、一部のグループ記号(英語圏)で、発番可能な出版者記号(前項例示のA部分)の枯渇が目前となったため、13桁ISBNの規格が制定され、2007年1月1日に完全施行された。それと同時に、過去に発番された10桁のISBNは無効となったが、書店での書籍検索・注文など、実際にISBNを利用する場面においては、過去の10桁ISBNも併用できるよう便宜が図られている場合がほとんどである。 2007年以降の新刊書には当初から13桁の新規格ISBNが付けられており、10桁ISBNは新たに発番しない。また、過去に発番された10桁ISBNについては、その頭に 978- を挿入し、チェックディジットを計算しなおした13桁のものを正規のISBNとして取り扱う。 例: (旧ISBN)4-00-310101-4 → (現行ISBN)978-4-00-310101-8(チェックディジットの計算法は後述) なお、現行規格によって表されるISBNを、旧規格のISBN (ISBN-10) に対してISBN-13と呼ぶことがある。 ISBNは13桁のコードで表され、通常5つのパートからなる。 ●、A、Bの各部分の桁数は決まっておらず、合計で9桁の範囲内でそれぞれの部分は増減する。 各パートの間は、ハイフン(またはスペース)で区切りを付けるのが正式な表示法である(区切りを付けなくても書籍を特定する上での問題はない)。 現行規格のISBN (ISBN-13) のチェックディジットは、JANコードと同じく、「モジュラス10 ウェイト3・1(モジュラス10 ウェイト3)」という計算法にて算出される。(チェックディジットを除いた一番左側の桁から順に1、3、1、3...を掛けてそれらの和を取る。和を10で割って出た余りを10から引く。ただし、10で割って出た余りの下1桁が0の場合はチェック数字を0とする。) ここで、例として ISBN 978-4-10-109205-□ のチェックディジット(□部分)を求めてみる。 よって、このISBNのチェックディジットは8である。 2022年現在、日本では、ISBN(国際標準図書番号)・分類記号・価格コードという3種類の情報で構成された「日本図書コード」が使用されている。 日本は1981年にISBNに関する国際的な枠組みに加盟した。その後、1988年にJIS X 0305としてJIS規格となっている。 日本におけるISBNの統括的な管理は、出版関連の団体によって設立された一般社団法人日本出版インフラセンターに所属する日本図書コード管理センターが独占的に担っている。ただし、出版活動上の便宜を考慮し、個別の書籍に対するISBNの付与は登録出版者が行う方式が取られている。
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ISBN(アイエスビーエヌ)は、International Standard Book Number の略称(頭字語)。図書(書籍)および資料の識別用に設けられた国際規格コード(番号システム)の一種。アラビア数字で表される。日本における漢訳名は「国際標準図書番号」。 開発されたのは1966年のイングランド、W・H・スミス社のプロジェクトによる。
{{WikipediaPage|ウィキペディア上でISBNを利用する際の情報については、[[Help:ISBNのリンク]]をご覧ください。}} {{出典の明記|date=2016年1月}} {{Infobox identifier | name = International Standard Book Number | image = EAN-13-ISBN-13.svg | image_caption = [[EANコード|13桁EANバーコード]]で表現された13桁ISBN番号である {{ISBNT|978-3-16-148410-0}}<ref>[[カール・ポパー]](Karl R. Popper)"Gesammelte Werke 3. Logik der Forschung"(2009)を示す。</ref> | acronym = ISBN | start_date = {{Start date and age|1970}} | organisation = 国際ISBN機関 | digits = 13桁 (かつては10桁) | check_digit = 加重和 | example = 978-3-16-148410-0 | website = {{URL|https://www.isbn-international.org/}} }} '''ISBN'''(アイエスビーエヌ)は、{{en|'''International Standard Book Number'''}} の[[略称]]([[頭字語]]){{r|kb_Brit|kb_Nipp}}{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。図書([[本|書籍]])および[[資料]]の識別用に設けられた[[国際規格]][[コード]]([[番号]]システム)の一種{{r|"kb_泉"|"kb_林"|kb_Brit|kb_Nipp|"kb_日国辞"}}。[[アラビア数字]]で表される<ref group="注">例外として、[[チェックディジット]]で [[X]] が数値 [[10]] の代わりに用いられる。</ref>。[[日本]]における[[漢訳]]名は「'''国際標準図書番号'''」{{r|"kb_MyPedia_国際標準図書番号"}}。 開発されたのは[[1966年]]の[[イングランド]]、[[W・H・スミス]]社のプロジェクトによる ([[W・H・スミス#ISBN書籍分類の発明|''cf.'' ]])。 == 歴史 == [[1965年]]に[[イギリス]]で、'''SBN''' ('''Standard Book Number''') と呼ばれる書籍特定コードが[[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ(ダブリン大学)]]の{{仮リンク|ゴードン・フォスター|en|Gordon Foster}}により開発された<ref>{{cite web |url=http://www.informaticsdevelopmentinstitute.net/isbn.html |title=INTERNATIONAL STANDARD BOOK NUMBERING (ISBN) SYSTEM original 1966 report |work=informaticsdevelopmentinstitute.net |date=1966 |accessdate=20 April 2014 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110430024722/http://www.informaticsdevelopmentinstitute.net/isbn.html |archivedate=30 April 2011 |url-status=dead |first=Gordon |last=Foster}}</ref><ref name=history>{{cite web |url=http://www.isbn.org/ISBN_history |title=ISBN History |work=isbn.org |date=20 April 2014 <!-- No date available; last modification date used. --> |accessdate=20 April 2014 |author=<!--Staff writer(s); no by-line.-->|archiveurl=//web.archive.org/web/20140420232459/http://www.isbn.org/ISBN_history |archivedate=20 April 2014 |url-status=live}}</ref>。[[コンピュータ]]が普及し、統一的な管理番号が求められたことが背景にある{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。これは翌年にイギリス国内で利用され始めた<ref name=history />。1967年、国際規格ISBNのアルゴリズムが考案された<ref>{{citation | format = PDF | url = http://www.niso.org/apps/group_public/download.php/6294/ISQ_vol8_no3_July1996.pdf | title = Information Standards Quarterly | date = July 1996 | page = 12 | number = 3 | volume = 8 | publisher = ISO}}</ref><ref>{{cite web|author=US ISBN Agency |url=http://commerce.bowker.com/standards/home/isbn/about_information_standards.asp |title=Bowker.com – Products |publisher=Commerce.bowker.com |date= |accessdate=2015-06-11}}</ref><ref>{{cite web|first=Daniel|last=Gregory |url=http://www.printrs.com/isbn.htm |title=ISBN |publisher=PrintRS |date= |accessdate=2015-06-11}}</ref>。ISBNは[[国際標準化機構]] (ISO) で[[1970年]]に採用された ('''ISO 2108''')<ref name=history />。 なお、出版物([[本]])に関する国際標準化機構の[[国際規格]]は、ISBNの他に、逐次刊行物([[雑誌]])のシリーズごとに付与される'''国際標準逐次刊行物番号''' ('''[[ISSN]]''') がある。 == 特徴 == ISBNは、各種の[[本|書籍]]([[単行本]]、[[漫画]]など)の他、[[CD-ROM]]・[[コンパクトカセット|カセットテープ]]・[[マイクロフィルム]]など、[[出版社]]から刊行されて[[出版取次]]・[[書店]]で[[流通]]する[[出版]]物におおむね適用される{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。ただし、日本などでは、[[ムック (出版)|ムック]]を除く[[雑誌]]にはISBNではなく'''[[雑誌コード]]'''を使用する。また、[[ウェブサイト]]・[[広告]]物・[[ゲーム]]などは、国際的にもISBNの対象外である。 ISBNは、中身が同じでも出版形態が異なれば別の番号を割り振られる{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。例えば、ある[[小説]]が[[単行本]]・[[文庫本]]・[[電子書籍]]の3つの形態で発売されれば、それぞれ別の番号が付けられる{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。 [[絶版]]となった場合でも、ISBNを新刊に使い回すことはない{{sfn|佐藤|2020|p=140}}。 === 旧規格(2006年12月31日まで) === ISBNは10桁のコードで表され、通常4つのパートからなった。なお、この、10桁であらわされる(旧規格)ISBNコードを、現行の13桁のISBNに対して '''ISBN-10''' と呼ぶことがある。 ISBN-10は、 * ISBN● - AAAA - BBBB - C のように表示される。しかし、●、A、Bの各部分の割り当て桁数は決まっておらず、合計で9桁(必ず1桁のC部分を入れると10桁)となる範囲内で、それぞれの部分は増減する。 それぞれの部分の意味は、 ; ●部分 - 「グループ記号」{{sfn|佐藤|2020|p=141}} : 出版物の[[出版]]された[[国家|国]]、地域、[[言語]]圏{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。桁数は、そのグループの出版点数によって異なる。最少は1桁、最大は5桁である{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。コード表は[[#現行規格(2007年以降)|現行規格]]を参照。 ; A部分 - 「出版者記号」{{sfn|佐藤|2020|p=141}} : 桁数は、出版者の出版点数などによって異なる{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。日本の場合は2桁から7桁となる{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。 ; B部分 - 「書名記号」{{sfn|佐藤|2020|p=141}} : 出版物に固有の番号。原則として図書の版ごとに付与。出版社ごとに決める{{sfn|佐藤|2020|p=142}}。グループ記号・出版社記号の残りの桁を割り当てるため、書名記号の桁数は各出版社の最大刊行可能点数を規定する{{sfn|佐藤|2020|p=142}}。書名記号が枯渇した出版社は、新たな出版社記号が付与される{{sfn|佐藤|2020|p=142}}。 ; C部分 - 「[[チェックディジット]]」 : 検査数字。入力した際に誤りがないか確かめるためのもの。0 - 9、Xが使用される。(Xは数値10をあらわす) ==== チェックディジット(2006年まで) ==== 旧規格のISBN (ISBN-10) の[[チェックディジット]]は、「モジュラス11 ウェイト10-2」という計算法にて算出される。(チェックディジットを除いた左側の桁から10、9、8…2を掛けてそれらの和を取る。和を11で割って出た余りを11から引く) ここで、例として ISBN4-10-109205-□ のチェックディジット(□部分)を求めてみる。 4×10 + 1×9 + 0×8 + 1×7 + 0×6 + 9×5 + 2×4 + 0×3 + 5×2 = 40 + 9 + 0 + 7 + 0 + 45 + 8 + 0 + 10 = 119 119 ÷ 11 = 10 あまり 9 11 - 9 = 2 よって、このISBNのチェックディジットは2である。なお、計算結果が10になった場合、10の代わりにX([[アルファベット]]の大文字)を用いる。また、11になった場合は、0となる。 === 現行規格(2007年以降) === ISBNは[[2006年]]までは10桁であったが、一部のグループ記号(英語圏)で、発番可能な出版者記号(前項例示のA部分)の枯渇が目前となったため、13桁ISBNの規格が制定され、[[2007年]]1月1日に完全施行された。それと同時に、過去に発番された10桁のISBNは無効となったが、書店での書籍検索・注文など、実際にISBNを利用する場面においては、過去の10桁ISBNも併用できるよう便宜が図られている場合がほとんどである。 2007年以降の新刊書には当初から13桁の新規格ISBNが付けられており、'''10桁ISBNは新たに発番しない'''。また、過去に発番された10桁ISBNについては、その頭に 978- を挿入し、チェックディジットを計算しなおした13桁のものを正規のISBNとして取り扱う。 例: (旧ISBN)4-00-310101-4 → (現行ISBN)978-4-00-310101-8(チェックディジットの計算法は後述) なお、現行規格によって表されるISBNを、旧規格のISBN (ISBN-10) に対して'''ISBN-13'''と呼ぶことがある。 ISBNは13桁のコードで表され、通常5つのパートからなる。 * ISBNnnn - ● - AAAA - BBBB - C ●、A、Bの各部分の桁数は決まっておらず、合計で9桁の範囲内でそれぞれの部分は増減する。 ; n部分 - 「接頭記号」 : nnn は 978 または 979 のいずれか(数字3桁)である。978は書籍出版業を意味し、978が枯渇した地域は979を使用する{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。2020年現在、日本国内で出版された書物等で979を割り振られた例はない{{sfn|佐藤|2020|p=141}}。 ; ●部分 - 「グループ記号」 : 旧規格と基本的に同じ。上記解説を参照。ただし、接頭記号が異なれば、グループ記号が同じでも異なる地域を指す可能性もある。 {|class="wikitable" style="font-size:small;margin-left:4em" !接頭<br />記号!!グループ記号!!地域 |- |rowspan="24"|978 |0および1||[[英語圏]](イギリス・アメリカなど) |- |2||[[フランス語圏]](フランス・モナコなど、フランスは979-10も使用) |- |3||[[ドイツ語圏]](ドイツ・オーストリアなど) |- |4||[[日本]] |- |5||[[ロシア]]・旧[[ソビエト連邦]](ロシア以外の国では他の記号も使用) |- |600から622(3桁)||その他の地域 |- |65||[[ブラジル]](85も使用) |- |7||[[中華人民共和国]]([[香港]]・[[マカオ]]・[[台湾]]は別記号) |- |80||[[チェコ]]・[[スロバキア]] |- |81||[[インド]](93も使用) |- |82||[[ノルウェー]] |- |83||[[ポーランド]] |- |84||[[スペイン]] |- |85||[[ブラジル]](65も使用) |- |86||[[セルビア]](共有) |- |87||[[デンマーク]] |- |88||[[イタリア]](979-12も使用) |- |89||[[大韓民国]](979-11も使用) |- |90||[[オランダ]](94も使用) |- |91||[[スウェーデン]] |- |92||国際[[NGO]]・[[欧州連合]] |- |93||[[インド]](81も使用) |- |94||[[オランダ]](90も使用) |- |950から989<br />9920から9989<br />99901から99981<br />(3桁から5桁)||その他の地域 |- |rowspan="3"|979 |10||[[フランス]](フランス語は978-2も使用) |- |11||[[大韓民国]](978-89も使用) |- |12||[[イタリア]](978-88も使用) |} ; A部分 - 「出版者記号」 : 旧規格と同じ。上記解説を参照。日本の出版社記号の例は次の通り{{sfn|佐藤|2020|pp=141-142}}。 <!--下表に書き加える場合はrowspanの数字の書き換えと出典の明記をお忘れなく--> {|class="wikitable" style="font-size:small;margin-left:4em" !接頭記号-グループ記号!!出版社記号!!出版社名 |- |rowspan="15"|978-4 |00||[[岩波書店]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |01||[[旺文社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |02||[[朝日新聞出版]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |03||[[偕成社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |04||[[KADOKAWA]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |05||[[学習研究社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |06||[[講談社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |07||[[主婦の友社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |08||[[集英社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |09||[[小学館]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |10||[[新潮社]]{{sfn|佐藤|2020|p=141}} |- |344||[[幻冬舎]]{{sfn|佐藤|2020|p=142}} |- |643||[[読売新聞社]]{{sfn|佐藤|2020|p=142}} |- |7660||[[暮しの手帖社]]{{sfn|佐藤|2020|p=142}} |- |87728||幻冬舎{{sfn|佐藤|2020|p=142}} |} ; B部分 - 「書名記号」 : 旧規格と同じ。上記解説を参照。 ; C部分 - 「チェックディジット」 : 0 - 9の数字1桁が入る。以前のISBNのチェックディジットとは計算法が異なり、10桁 → 13桁に変換する際は再計算が必要となる。 各パートの間は、ハイフン(またはスペース)で区切りを付けるのが正式な表示法である(区切りを付けなくても書籍を特定する上での問題はない)。 ==== チェックディジット(2007年以降) ==== 現行規格のISBN (ISBN-13) の[[チェックディジット]]は、[[JANコード]]と同じく、「モジュラス10 ウェイト3・1(モジュラス10 ウェイト3)」という計算法にて算出される。(チェックディジットを除いた一番左側の桁から順に1、3、1、3…を掛けてそれらの和を取る。和を10で割って出た余りを10から引く。ただし、10で割って出た余りの下1桁が0の場合はチェック数字を0とする。) ここで、例として ISBN 978-4-10-109205-□ のチェックディジット(□部分)を求めてみる。 9×1 + 7×3 + 8×1 + 4×3 + 1×1 + 0×3 + 1×1 + 0×3 + 9×1 + 2×3 + 0×1 + 5×3 = 9 + 21 + 8 + 12 + 1 + 0 + 1 + 0 + 9 + 6 + 0 + 15 = 82 82 ÷ 10 = 8 あまり 2 10 - 2 = 8 よって、このISBNのチェックディジットは8である。 == 各国におけるISBN == === 日本 === {{See also|日本図書コード}} 2022年現在、日本では、ISBN(国際標準図書番号)・分類記号・価格コードという3種類の情報で構成された「[[日本図書コード]]」が使用されている{{r|"kb_泉"|"kb_平百_日本図書コード"}}。 日本は[[1981年]]に{{sfn|佐藤|2020|p=140}}ISBNに関する国際的な枠組みに加盟した。その後、[[1988年]]に'''JIS X 0305'''として[[日本産業規格|JIS規格]]となっている。 日本におけるISBNの統括的な管理は、出版関連の団体によって設立された[[社団法人|一般社団法人]][[日本出版インフラセンター]]に所属する'''日本図書コード管理センター'''が独占的に担っている。ただし、出版活動上の便宜を考慮し、個別の書籍に対するISBNの付与は登録出版者が行う方式が取られている<ref>{{Cite web|和書|url=https://isbn.jpo.or.jp/index.php/fix__about/fix__about_|title=書籍出版流通とISBNの利便性|accessdate=2022-02-24|publisher=日本図書コード管理センター}}</ref>。 == 関連項目 == * [[ISSN]] * [[接頭符号]] * [[Amazon.com#ASIN|ASIN]] * [[EANコード]] * {{仮リンク|Bookland|en|Bookland}} - ISBN-13がEANに組み込まれた際、書籍用に定められたEAN国コード上の架空の国。EAN国コードは"978"または"979"<ref>{{Cite web|title=ISBN Information - Anatomy of a 13-digit ISBN|url=https://isbn-information.com/the-13-digit-isbn.html|website=isbn-information.com|accessdate=2019-04-14}}</ref>。 * [[特別:文献資料]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|refs= <ref name="kb_泉">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ISBN-418428 |title=ISBN |publisher=コトバンク |author=小学館『デジタル[[大辞泉]]』 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name="kb_林">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ISBN-418428 |title=ISBN |publisher=コトバンク |author=[[三省堂]]『[[大辞林]]』第3版 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name=kb_Brit>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ISBN-418428 |title=ISBN |publisher=[[コトバンク]] |author=『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name=kb_Nipp>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ISBN-418428 |title=ISBN |publisher=コトバンク |author=[[小学館]]『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name="kb_日国辞">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ISBN-418428 |title=ISBN |publisher=コトバンク |author=小学館『精選版 [[日本国語大辞典]]』 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name="kb_MyPedia_国際標準図書番号">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/国際標準図書番号-499356#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 |title=国際標準図書番号 |publisher=コトバンク |author=[[平凡社]]『[[百科事典マイペディア]]』 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> <ref name="kb_平百_日本図書コード">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/日本図書コード-858680 |title=日本図書コード |publisher=コトバンク |author=平凡社『[[世界大百科事典]]』第2版 |accessdate=2019-12-12 }}</ref> |2}} == 参考文献 == {{参照方法|section=1|date=2019年12月12日}}<!--※推奨されている出典の例:{{Sfn|湯浅|2005|p=ページ番号}}--> * {{Cite book|和書|author=佐藤健太郎|authorlink=佐藤健太郎 (フリーライター)|title=番号は謎|series=[[新潮新書]]873|publisher=[[新潮社]]|date=2020-08-20|isbn=978-4-10-610873-0|page=235|ref={{sfnref|佐藤|2020}}}} * {{Cite book |和書 |author=湯浅俊彦 |date=2005-10-07 |title=出版流通合理化構想の検証─ISBN導入の歴史的意義 |publisher=[[ポット出版]] |isbn=4-939015-80-7 |oclc=122815739 |ref={{SfnRef|湯浅|2005}}}} == 外部リンク == {{Wikidata property |1=P957 |2=ISBN-10 }} {{Wikidata property |1=P212 |2=ISBN-13 }} {{wiktionary}} * [https://www.isbn-international.org/ 国際ISBN機関](所在地は[[イギリス]]の[[ロンドン]]。[[2005年]]までは[[ドイツ]]の[[ベルリン]]) * [https://isbn.jpo.or.jp/ 日本図書コード管理センター - Japan ISBN Agency -] * {{cite jis|X|0305|1999|name=国際標準図書番号(ISBN)}} ** {{Wayback |url=http://www.isbn-center.jp/whatsnew/kikaku.html |title=ISBN(国際標準図書番号)規格改定等について お知らせ 2005年5月 |date=20050602233306}} * [https://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/bcodes.html#bookjan CyberLibrarian] * [https://www.barcoderobot.com/ ISBN-13のオンライン生成機] * [https://honno.info/category/reference/ccode_description.html Cコード分類明細表] - ほんの.いんふぉ * [https://web.archive.org/web/20060721043358/http://www.booklog.net/isbn/ ISBN 出版社リスト] {{国際標準番号}} {{ISO}} {{Normdaten}} [[Category:出版]] [[Category:出版用語]] [[Category:図書館情報学]] [[Category:書物]] [[Category:JIS]] [[Category:ISO標準]] [[Category:バーコード]] [[Category:識別子]] [[Category:1970年設立]]
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日本の漫画雑誌
日本の漫画雑誌(にほんのまんがざっし)では、日本の漫画雑誌について解説する。 漫画雑誌に限らず日本の雑誌は1つの雑誌コードにつき1つの増刊枠を持つことができる。 日本の漫画雑誌ではその増刊枠でタイトルの違う雑誌を実験的に創設し、ある程度様子を見た後、商業的に継続可能な場合新しい雑誌コードを取得し独立創刊させる方法が一般的になっている。 日本の漫画雑誌の多くは古紙を再生させた紙を使用している。その時、元の紙から印刷されたインクを取り除くことが困難なため再生紙に色をつけている。 雑誌はそのほとんどが初めて発表された作品で構成された雑誌だが、既に他で発表された作品を再収録することを目的とした雑誌も存在する。女性向け漫画誌には再録中心の雑誌も多く存在しており、全て初掲載の雑誌の表紙に「オール新作」を表示するのは再録中心の雑誌と区別するためである。今ではそのほとんどが初出作品である『月刊コロコロコミック』も創刊当初は小学館の学習雑誌で掲載された『ドラえもん』の再録・総集編的意味合いの濃い雑誌であった。 日本の漫画雑誌は1970年代までは針金を使った平綴じを中心に製本されていた。その後、製本技術の発展により針金を用いない無線綴じで製本されるようになった。ただ広義的・伝統的意味合いなどから今でも平綴じで製本されている、と表現されることがある。 日本の漫画雑誌は、過去には巻頭の4色カラーページと黒一色のページの間、巻末などに黒に赤を加えた二色刷りで書かれたページが多く存在していた。しかし2001年前後を境に減少傾向にある。 日本の漫画雑誌の販売額は、1995年の3357億円ピークに1996年以降下降している。 日本における漫画雑誌には、対象となる購読者の層にあわせて少年コミック誌・少女コミック誌・青年コミック誌(男性向けコミック誌)・女性コミック誌(レディースコミック誌)・成年向け漫画誌などに区別され、ジャンルごとにボーイズラブコミック誌などに区分される。 読者層の高齢化とジャンルの多様化によって年齢・性別では区別できない。 一般的には内容による判断以外では、 などによって判断される。 また、刊行頻度は週刊・隔週刊・月2回刊・月刊・隔月刊・季刊などに分かれる。 以下の一覧では ※日本のウェブコミック配信サイト一覧を参照
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日本の漫画雑誌(にほんのまんがざっし)では、日本の漫画雑誌について解説する。
{{出典の明記|date=2019-09}} {{Otheruseslist|刊行中の日本の漫画雑誌|休刊・廃刊・刊行終了した雑誌|かつて刊行された日本の漫画雑誌一覧}} [[ファイル:Convenience Store Comic Magazine Corner.jpg|thumb|200px|漫画雑誌が多く並べられている[[コンビニエンスストア]]の雑誌売場]] '''日本の漫画雑誌'''(にほんのまんがざっし)では、[[日本]]の[[漫画雑誌]]について解説する。 == 特徴 == === 増刊枠 === 漫画雑誌に限らず日本の雑誌は1つの[[雑誌コード]]につき1つの増刊枠を持つことができる。 日本の漫画雑誌ではその増刊枠でタイトルの違う雑誌を実験的に創設し、ある程度様子を見た後、商業的に継続可能な場合新しい雑誌コードを取得し独立創刊させる方法が一般的になっている。 === 再生紙 === 日本の漫画雑誌の多くは古紙を再生させた紙を使用している。その時、元の紙から印刷されたインクを取り除くことが困難なため[[紙リサイクル|再生紙]]に色をつけている。 === 再録雑誌 === 雑誌はそのほとんどが初めて発表された作品で構成された雑誌だが、既に他で発表された作品を再収録することを目的とした雑誌も存在する。女性向け漫画誌には再録中心の雑誌も多く存在しており、全て初掲載の雑誌の表紙に「オール新作」を表示するのは再録中心の雑誌と区別するためである。今ではそのほとんどが初出作品である『月刊コロコロコミック』も創刊当初は小学館の学習雑誌で掲載された『[[ドラえもん]]』の再録・総集編的意味合いの濃い雑誌であった。 == 歴史的変化 == === 平綴じから無線綴じへ === 日本の漫画雑誌は1970年代までは針金を使った[[平綴じ]]を中心に製本されていた。その後、製本技術の発展により針金を用いない[[無線綴じ]]で製本されるようになった。ただ広義的・伝統的意味合いなどから今でも平綴じで製本されている、と表現されることがある。 === 二色刷りの減少 === 日本の漫画雑誌は、過去には巻頭の4色カラーページと黒一色のページの間、巻末などに黒に赤を加えた[[二色刷り]]で書かれたページが多く存在していた。しかし2001年前後を境に<!--その彩色が独特である、個人での単行本化の際に扱いが困難になるなどの理由により-->減少傾向にある。 <!--という欄を書くとサイズ大きくなるから書きづらい。ノートの「分割提案」参照。--> === 販売額の減少 === 日本の漫画雑誌の販売額は、1995年の3357億円ピークに1996年以降下降している<ref>{{Cite web|和書|title=コミック販売額 |url=https://shuppankagaku.com/statistics/comic/ |website=出版科学研究所 |access-date=2023-04-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=マンガ文化とビジネス - NTTコム リサーチ 調査結果 |url=http://research.nttcoms.com/database/data/000597/ |website=NTTコム リサーチ:IT動向や消費行動などトレンドな結果結果を公開中 |access-date=2023-04-06 |language=ja}}</ref>。 == 区分 == [[日本]]における漫画雑誌には、対象となる購読者の層にあわせて[[少年漫画|少年コミック]]誌・[[少女漫画|少女コミック]]誌・[[青年漫画|青年コミック]]誌(男性向けコミック誌)・[[女性漫画|女性コミック]]誌([[レディースコミック]]誌)・[[成人向け漫画|成年向け漫画]]誌などに区別され、ジャンルごとに[[ボーイズラブ]]コミック誌などに区分される。 読者層の高齢化とジャンルの多様化によって年齢・性別では区別できない。 一般的には内容による判断以外では、 ; 雑誌タイトル ; 雑誌、および雑誌連載作品がまとめられた単行本のサイズ(少年・少女向けの場合、サイズが小さいものが多い)。 ; 平綴じ(無線綴じ)か[[中綴じ]]か(平綴じの雑誌は少年・少女・女性向けの場合が多い)。 ; 漢字に[[ルビ]]があるかどうか などによって判断される。 また、[[逐次刊行物#刊行頻度|刊行頻度]]は週刊・隔週刊・月2回刊・月刊・隔月刊・季刊などに分かれる。 以下の一覧では * 出版社が「&」で区切られて連続で2社記載されている場合は、前者が発行所で後者が発売元を示す。 * 記載方法は刊行開始順に明記するが、増刊枠で刊行している雑誌に関しては増刊元と併記。ただし、増刊元雑誌とジャンルが異なる場合は単独で表記する。 <!--刊行途中で発行元や発売元が変更した場合について。刊行中の該当雑誌についてはコメントアウトにて記載(同じ出版社の他雑誌が存在する場合には、一番上に記載してある雑誌のみに記載)。休廃刊の該当雑誌については通常通りに全て記載--> <!--正確には漫画雑誌ではない書籍扱いやコミックス形式のアンソロジー扱いの本でも、雑誌とあまり変わらない体裁(定期的に刊行、一次創作作品が中心、その本からコミックスが出ているetc...)であれば記載します。半情報誌は累計漫画作品掲載数が5作品以上、または全ページ数の半分以上が漫画ページの場合は記載します。--> == 少年向けコミック誌 == === 週刊誌およびその増刊誌 === * [[週刊少年マガジン]]([[講談社]] 1959- 毎週水曜日発売) * [[週刊少年サンデー]]([[小学館]] 1959- 毎週水曜日発売) ** [[週刊少年サンデーS]](2012- 毎月25日発売)<!--1995年に『週刊少年サンデー増刊号』から『週刊少年サンデー超』へと誌名変更し、2012年1月に現在の誌名へ--> * [[週刊少年ジャンプ]]([[集英社]] 1968- 毎週月曜日発売) ** [[週刊少年ジャンプの増刊号|ジャンプGIGA]](2016-)<!--2010年4月に『赤マルジャンプ』から『少年ジャンプNEXT!』へ誌名変更し、2014年3月に『少年ジャンプNEXT!!』へ変更と共に年4回刊から隔月へ移行、2016年7月に『ジャンプGIGA』へ変更と共に4ヶ月連続刊行、12月に『少年ジャンプクロス』に変更。2017年に再び『ジャンプGIGA』を誌名--> * [[週刊少年チャンピオン]]([[秋田書店]] 1969- 毎週木曜日発売) === 月刊・隔月刊誌およびその増刊誌 === * [[月刊少年マガジン]](講談社 1964- 毎月6日発売) * [[月刊少年チャンピオン]](秋田書店 1970- 毎月6日発売) * [[月刊コロコロコミック]](小学館 1977- 毎月15日発売) * [[別冊コロコロコミック|別冊コロコロコミックSpecial]](小学館 1981- 偶数月30日発売)隔月刊<!--独立創刊済み--> * [[月刊少年ガンガン]]([[スクウェア・エニックス]] 1991- 毎月12日発売)<!--2003年3月までは「エニックス」から刊行--> * [[月刊Gファンタジー]](スクウェア・エニックス 1993- 毎月18日発売) * [[月刊コミック電撃大王]]([[KADOKAWA]] 1994- 毎月27日発売) * [[月刊少年エース]](KADOKAWA 1994- 毎月26日発売)<!--2006年12月までは「角川書店」から刊行。2013年3月までは「角川書店」発行、「角川グループパブリッシング」発売。2013年5月までは同発行、「角川グループホールディングス」発売。2013年9月までは同発行、「KADOKAWA」発売。以下、旧角川書店発行の本はほぼ同様の経緯--> * [[月刊ドラゴンエイジ]](KADOKAWA 2003- 毎月9日発売)<!--2005年9月までは「角川書店」から刊行。2013年9月までは「富士見書房」から刊行。以下、旧富士見書房発行の本はほぼ同様の経緯--> ** ヤングドラゴンエイジ(2017- )<!-- 2019年12月に『別冊ドラゴンエイジ』から改名 --> * [[コロコロイチバン!]](小学館 2005- 毎月21日発売)<!--2011年4月に『月刊コロコロコミック』増刊扱いから独立創刊し、隔月刊から月刊へ--> * [[月刊ComicREX]]([[一迅社]]&講談社 2005- 毎月27日発売) * [[月刊少年シリウス]](講談社 2005- 毎月26日発売) * [[ジャンプスクエア]](集英社 2007- 毎月4日発売) ** [[ジャンプスクエア#増刊号|ジャンプSQ.RISE]](2018-)季刊 * [[別冊少年マガジン]](講談社 2009- 毎月9日発売) * [[ゲッサン]](小学館 2009- 毎月12日発売) * [[月刊ガンガンJOKER]](スクウェア・エニックス 2009- 毎月22日発売) * [[最強ジャンプ]](集英社 2010- 毎月4日発売)※[[週刊少年ジャンプ]]増刊<!--2011年12月に『週刊少年ジャンプ』増刊扱いから独立創刊して隔月刊から月刊へ移行したのち、2014年8月に再度隔月刊へ移行して同年10月より『週刊少年ジャンプ』増刊扱いへ再移行したのち、2021年8月に再度月刊へ移行--> *[[別冊少年チャンピオン]](秋田書店 2012- 毎月12日発売) *[[月刊ブシロード]]([[ブシロード]]&KADOKAWA 2013- 毎月8日発売)※半情報誌 *[[月刊コミックガーデン]]([[マッグガーデン]] 2014- 毎月5日発売) == 男性向けコミック誌 == === 週刊誌およびその増刊誌 === * [[週刊漫画TIMES]]([[芳文社]] 1956- 毎週金曜日発売) * [[週刊漫画ゴラク]]([[日本文芸社]] 1967- 毎週金曜日発売) ** [[コミックヘヴン]](2012- 偶数月9日発売) * [[週刊ヤングジャンプ]](集英社 1979- 毎週木曜日発売) <!--リニューアルのため休刊 [[ミラクルジャンプ]](2011-2013,2014-2017)--> * [[週刊ヤングマガジン]](講談社 1980- 毎週月曜日発売) ** [[月刊ヤングマガジン]](1999- 毎月20日発売)<!--2009年12月に『別冊ヤングマガジン』から誌名変更--> * [[ビッグコミックスピリッツ]](小学館 1980- 毎週月曜日発売) ** [[月刊!スピリッツ]](2009- 毎月27日発売) * [[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]](講談社 1982- 毎週木曜日発売) === 月2回刊誌およびその増刊誌 === * [[漫画アクション]]([[双葉社]] 1967-2003,2004- 毎月第1第3火曜日発売) * [[ビッグコミック]](小学館 1968- 毎月10日25日発売) ** [[ビッグコミック増刊号]](1997-)年5回刊 * [[ビッグコミックオリジナル]](小学館 1972- 毎月5日20日発売) ** [[ビッグコミックオリジナル増刊]](1997-)隔月刊 * [[ビッグコミックスペリオール]](小学館 1987- 毎月第2第4金曜日発売) * [[ヤングキング]]([[少年画報社]] 1987- 毎月第2第4月曜日発売) * [[ヤングチャンピオン]](秋田書店 1988- 毎月第2第4火曜日発売) ** [[ヤングチャンピオン烈]](2006- 毎月第3火曜日) ** [[別冊ヤングチャンピオン]](2014- 毎月第1火曜日) * [[ヤングアニマル]]([[白泉社]] 1992- 毎月第2第4金曜日発売) ** [[ヤングアニマルZERO]](2019-)隔月刊 * [[ヤングガンガン]](スクウェア・エニックス 2004- 毎月第1第3金曜日発売) ** [[月刊ビッグガンガン]](2007- 毎月25日発売)<!--2011年4月に『増刊ヤングガンガン』から『増刊ヤングガンガンビッグ』へ誌名変更し、2011年10月に現在の誌名へ--> * [[グランドジャンプ]](集英社 2011- 毎月第1第3水曜日発売) ** [[グランドジャンプめちゃ]](2017- 奇数月第4水曜日発売) ** [[グランドジャンプむちゃ]](2018- 偶数月第4水曜日発売) === 月刊誌およびその増刊誌 === * [[ヤングコミック]](少年画報社 1967-1988,1990- 毎月10日発売)<!--1983年に『ヤングコミック』から『まんが4DK ヤングコミック』へ誌名変更し、青年向け雑誌から4コマ漫画雑誌へ。1990年に『ヤングコミック』の誌名で成年向け雑誌として復刊。2013年5月に『ヤングコミック』から『ヤングコミック チェリー』へ誌名変更し、成年向け雑誌から青年向け雑誌へ新装刊。同年12月に前誌名へ再変更したが青年向け雑誌のまま継続--> * [[月刊アフタヌーン]](講談社 1987- 毎月25日発売) ** [[good!アフタヌーン]](2008- 毎月7日発売) * [[ヤングキングアワーズ]](少年画報社 1993- 毎月30日発売) * [[ウルトラジャンプ]](集英社 1995- 毎月19日発売) * [[コミックビーム]](KADOKAWA 1995- 毎月12日発売)<!--1997年までは「アスキー」から刊行。1997年から2000年までは「アスキー」発行、「アスペクト」発売。2009年8月までは「エンターブレイン」から刊行。2013年3月までは「エンターブレイン」発行、「角川グループパブリッシング」発売。2013年6月までは同発行、「角川グループホールディングス」発売。2013年9月までは同発行、「KADOKAWA」発売。以下、旧エンターブレイン発行の本はほぼ同様の経緯--> * [[コミックフラッパー]](KADOKAWA 1999- 毎月5日発売) ** コミックアルナ(2022- 毎月中旬頃発売) * [[月刊サンデージェネックス]](小学館 2000- 毎月19日発売) * [[チャンピオンRED]](秋田書店 2002- 毎月19日発売)<!--表紙に「青年コミック誌」の文字が記載--> * [[コミック百合姫]](一迅社&講談社 2005- 毎月18日発売)<!--2008年1月に独立創刊--> * [[電撃マオウ]](KADOKAWA 2005- 毎月27日発売)<!--2011年10月に「電撃「マ)王」から誌名変更--> * [[月刊コンプエース]](KADOKAWA 2005- 毎月26日発売)<!--2007年6月に独立創刊--> * [[月刊コミックアライブ]](KADOKAWA 2006- 毎月27日発売)<!--2013年9月までは「メディアファクトリー」から刊行。以下、旧メディアファクトリー発行の本は同様の経緯--> * [[まんがタイムきららフォワード]](芳文社 2006- 毎月24日発売) * [[月刊ヤングキングアワーズGH]](少年画報社 2006- 毎月16日発売)<!--独立創刊済み。2011年7月よりジャンル変更。2013年8月に『月刊ヤングキング』から誌名変更--> *[[ヤングエース]](KADOKAWA 2009- 毎月4日発売)<!--2010年4月に独立創刊--> * [[月刊コミックゼノン]]([[コアミックス]] 2010- 毎月25日発売) * [[月刊コミックバンチ]]([[新潮社]] 2011- 毎月21日発売) * [[月刊アクション]](双葉社 2013- 毎月25日発売) === パチンコ・パチスロ漫画誌 === * [[漫画パチンカー]]([[ガイドワークス]] 1989- 偶数月27日発売)<!--2012年3月までは「白夜書房」から刊行--> * [[パチスロパニック7|別冊パチスロパニック7]](ガイドワークス 2000- 奇数月26日発売) * [[パチスロパニック7|パニック7ゴールド]](ガイドワークス 2002- 偶数月17日発売) === 歴史・時代劇漫画誌 === * [[コミック乱]]([[リイド社]] 1998- 毎月27日発売) * [[コミック乱ツインズ]](リイド社 2001- 毎月13日発売)<!--2002年12月に『コミック乱』増刊扱いから独立創刊し、誌名が『増刊 コミック乱』から現在の誌名へ変更--> === 麻雀漫画誌 === * [[近代麻雀]](竹書房 1979- 毎月1日発売) === 釣り漫画誌 === * [[つりコミック]]([[辰巳出版]] 1996- 毎月12日発売) === ガンダム専門漫画誌 === * [[ガンダムエース]](KADOKAWA 2001- 毎月26日発売) === 劇画誌 === *劇漫スペシャル(竹書房 2004- 毎月14日発売) *[[漫画ボン|漫画ボンジュール]]([[大都社]] 2019- 偶数月25日発売) === ライトアダルトコミック誌 === *[[アクションピザッツ]](双葉社 1991-) *MEN'S GOLD([[リイド社]] 2003-)※2008年実話誌からリニューアル === 成年コミック誌 === *[[ペンギンクラブ]]([[辰巳出版]] 1986- 毎月30日発売) *[[COMIC快楽天]]([[ワニマガジン社]] 1994- 毎月29日発売) *[[COMIC快楽天BEAST]](ワニマガジン社 2005- 毎月14日発売) *[[COMIC阿呍|COMIC AUN(アウン)]]([[ヒット出版社]] 1996- 偶数月28日発売) *Masyo([[三和出版]] 1996- 毎月24日発売) *ANGEL倶楽部(エンジェルクラブ)([[エンジェル出版]] 1998- 毎月30日発売) *COMIC夢幻転生([[ティーアイネット]] 1999- 毎月5日発売)<!-- 2013年、COMIC MUJINからリニューアル --> *COMIC MILF(ティーアイネット 2011- 偶数月22日発売) *COMIC真激([[クロエ出版]] 2001- 毎月24日発売) * [[コミックエルオー|COMIC LO]]([[茜新社]] 2002年- 偶数月21日発売) ** 永遠娘(とわこ)(2016-)※増刊誌 * コミックアンリアル([[キルタイムコミュニケーション]] 2006- 奇数月12日発売) * [[コミックホットミルク|COMIC HOTMILK]](コアマガジン 2007- 毎月2日発売) * [[Comicアンスリウム]]([[ジーオーティー]] 2013年- 毎月13日発売) **[[COMIC E×E]]([[ジーオーティー]] 2016-)※増刊誌 *[[COMIC BAVEL]]([[文苑堂 (出版社)|文苑堂]] 2014年- 毎月22日発売) * コミック Mate L([[一水社]] 2014年- )※2019年6月に増刊扱いから独立創刊 * COMIC快艶(ジーウォーク 2023年- )※増刊誌 == 少女向けコミック誌 == === 月2回刊誌およびその増刊誌 === <!--単行本が新書判、漢字にふりがなあり--> * [[マーガレット (雑誌)|マーガレット]](集英社 1963- 毎月5日20日発売)月2回刊 * [[少女コミック|Sho-Comi]](小学館 1968- 毎月5日20日発売)月2回刊<!--旧『少女コミック』--> ** [[少女コミック#増刊・派生誌|Sho-Comi増刊]] 隔月刊 * [[花とゆめ]](白泉社 1974- 毎月5日20日発売)月2回刊 ** [[ザ花とゆめ]](1999-)季刊<!--2008年までは年5回刊、2010年までは隔月刊--> === 月刊誌およびその増刊誌 === <!--単行本が新書判、漢字にふりがなあり--> * [[なかよし]](講談社 1954- 毎月3日発売) * [[別冊フレンド]](講談社 1965- 毎月13日発売) * [[りぼん]](集英社 1955- 毎月3日発売) ** [[りぼん#増刊号・派生誌|りぼんスペシャル]](1990-) * [[別冊マーガレット]](集英社 1964- 毎月13日発売)<!--独立創刊済み--> * [[ベツコミ]](小学館 1970- 毎月13日発売)<!--旧『別冊少女コミック』--> ** [[ベツコミ#デラックスベツコミ|デラックスベツコミ]] 隔月刊 * [[ちゃお]](小学館 1972- 毎月3日発売)<!--1977年に『別冊少女コミック』増刊から独立創刊--> * [[月刊プリンセス]](秋田書店 1974- 毎月6日発売) * [[LaLa]](白泉社 1976- 毎月24日発売) * [[ミステリーボニータ]](秋田書店 1988- 毎月6日発売) * [[Cheese!]](小学館 1996- 毎月24日発売)<!--旧『少女コミックCheese!』--> ** [[Cheese!#増刊誌|プレミアCheese!]](2016-)隔月刊 * [[月刊コミックジーン]](KADOKAWA 2011- 毎月15日発売) ==== 隔月刊誌およびその増刊誌 ==== * [[LaLa DX]](白泉社 1983- 偶数月10日発売)隔月刊<!--独立創刊済み--> * [[ちゃおデラックス]](小学館 2014- 奇数月20日発売)隔月刊<!--2014年3月に独立創刊--> ** [[ちゃおデラックス#ちゃおデラックスホラー|ちゃおデラックスホラー]](2009-) * [[ASUKA (雑誌)|ASUKA]](KADOKAWA 1985- 奇数月24日発売)<!--2021年までは月刊--> == 女性向けコミック誌 == === 月2回刊誌およびその増刊誌 === * [[ハーレクイン (雑誌)|ハーレクイン]]([[ハーパーコリンズ|ハーパーコリンズ・ジャパン]] 2009- 毎月6日21日)月2回刊<!--2011年11月に『月刊ハーレクイン』から誌名変更し月2回刊へ--> ** [[別冊ハーレクイン]](2009-)隔月刊 ** [[増刊ハーレクイン]](2010-)隔月刊 === 月刊誌およびその増刊誌 === * [[プチコミック]](小学館 1977- 毎月8日発売) ** [[プチコミック#姉妹誌|プチコミック増刊号]](1978-)季刊 ** [[プチコミック#姉妹誌|姉系プチコミック]](2010-)隔月刊 * [[BE・LOVE]](講談社 1980-毎月1日発売) * [[Eleganceイブ]](秋田書店 1984- 毎月26日発売) ** [[恋愛LoveMAX]](ラブマックス)(秋田書店 1999- 奇数月6日発売)※[[Eleganceイブ]]増刊、隔月刊<!--2004年1月に『Comic miu』から『恋愛よみきりmax』へ誌名変更し、2006年10月に現在の誌名へ--> ** [[恋愛チェリーピンク]](秋田書店 2006- 偶数月6日発売)※[[Eleganceイブ]]増刊、隔月刊 * [[オフィスユー]]([[集英社クリエイティブ]]&集英社 1985- 毎月23日発売)<!--2012年9月までは「創美社」発行、「集英社」発売--> * [[JOUR (雑誌)|JOUR]](双葉社 1985- 毎月2日発売) ** ミステリーJour Special(双葉社 1986-)※[[JOURすてきな主婦たち]]増刊、不定期刊 * [[恋愛白書パステル]]([[宙出版]] 1985- 毎月24日発売)<!--1985年に『Lady's comic hi』として創刊、1993年に『Lady's comic恋愛白書』に誌名変更し、1998年に現在の誌名へ。1997年までは「宙出版」発行、「主婦と生活社」発売--> *[[フォアミセス]](秋田書店 1986- 毎月3日発売) *[[FEEL YOUNG]]([[祥伝社]] 1989- 毎月8日発売) *[[Cocohana]](集英社 1992- 毎月28日発売) *[[Kiss (雑誌)|Kiss]](講談社 1992- 毎月25日発売)<!--2013年3月25日に月2回刊から月刊へ--> * [[恐怖の快楽]]([[ぶんか社]] 1995- 毎月24日発売) * [[デザート (雑誌)|デザート]](講談社 1996- 毎月24日発売)<!--『デザート総集編スペシャル1000』は再録誌のため不記載--> * [[まんがグリム童話]](ぶんか社 2000- 毎月29日発売) * [[まんがグリム童話#波乱万丈の女たち|波瀾万丈の女たち]](ぶんか社 2001- 毎月17日発売) * [[家庭ミステリー]](ぶんか社 2001- 毎月7日発売) * [[ほんとうに泣ける話]](ぶんか社 2001- 毎月19日発売 ** [[ご近所の怖い噂]](ぶんか社 2003-)※ほんとうに泣ける話増刊 *15の愛情物語(メディアックス 2003-2007年内復刊- 毎月23日発売)<!--2007年までは「あおば出版」から刊行--> * [[月刊フラワーズ|月刊flowers]](小学館 2002- 毎月28日発売)<!--『プチフラワー』とは雑誌コードが違うので--> ** [[増刊flowers]](2012-)季刊 *[[コミックZERO-SUM]](一迅社&講談社 2002- 毎月28日発売)<!--2005年2月までは「一賽舎」から刊行--> * [[本当にあった主婦の体験]](ぶんか社 2004- 毎月10日発売) * [[無敵恋愛S*girl|無敵恋愛S*girl DX]](ぶんか社 2004- 奇数月29日発売)<!-- 2004年は増刊誌、2005年独立創刊、2023年隔月化と「無敵恋愛S*girl」から誌名変更。 --> * [[サクラミステリーデラックス]](メディアックス 2005-2007年内復刊- 毎月6日発売)<!--sakuraミステリーの増刊から2005年独立創刊 2007年8月までは「あおば出版」より発行--> * [[ミステリーサラ]]([[青泉社]] 2007- 毎月13日発売)<!--2009年3月までは「グリーンアロー出版社」より、そして2012年11月までは「Bbmfマガジン」より発行。2012年11月に月刊から隔月刊へ移行、2016年に再度月刊化--> * [[ミステリーブラン]](青泉社 2007- 毎月3日発売)<!--2008年9月に『ミステリーサラ』増刊扱いから独立創刊。2009年3月までは「グリーンアロー出版社」より、そして2012年12月までは「Bbmfマガジン」より発行--> * [[ハーレクインオリジナル]]([[ハーレクイン (出版社)|ハーパーコリンズ・ジャパン]] 2008- 毎月11日発売)<!--2009年5月に『HQ comic』から誌名変更。2015年7月に発行元名が「ハーレクイン」から商号変更、以下「ハーパーコリンズ・ジャパン」刊行の本は同様の経緯--> === 年10回刊誌 === *[[COMIC Be]]([[ふゅーじょんぷろだくと]] 2011-)年10回刊<!--同人誌情報誌『COMIC BOX Jr.』(1991年刊行開始)の新装刊--> === 隔月刊誌およびその増刊誌 === * [[ウィングス (雑誌)|ウィングス]]([[新書館]] 1982- 偶数月28日発売)隔月刊 * [[サクラ愛の物語]]([[メディアックス]] 1989-2007年内復刊- 奇数月11日発売)<!--1992年に『Lady's comic sakura』から『さくら』へ誌名変更、2002年に『さくら愛の物語』へ誌名変更し2008年に現在の誌名へ。1999年までは「スコラ」から刊行、2007年までは「あおば出版」から刊行--> * [[あなたが体験した怖い話]](ぶんか社 1995- 奇数月24日発売)隔月刊<!--2003年8月に『ホラーM』増刊から独立創刊--> * [[MELODY (雑誌)|MELODY]](白泉社 1996- 偶数月28日発売)隔月刊 * [[Cookie (雑誌)|Cookie]](集英社 1999- 奇数月26日発売)隔月刊 * ハニィロマンス(宙出版 2000- 奇数月21日発売)<!--2008年11月に『月刊ハーレクイン』から『ハーモニィRomance』に誌名変更、2020年に「ハーモニィRomance」から変更。--> ** 私たちの人生片づけ(宙出版 2015- )※ハニィロマンス増刊 * [[15の愛情物語スペシャル]](メディアックス 2004- 偶数月6日発売)隔月刊 * [[まんがこのミステリーが面白い!]](ぶんか社 2007- 偶数月24日発売)隔月刊<!--2014年8月に『波乱万丈の女たち』増刊扱いから独立創刊--> * [[実際にあった怖い話]]([[大都社]] 2007- 奇数月24日発売)隔月刊<!--2009年1月に独立創刊--> * [[別冊サクラミステリーデラックス]](メディアックス 2008- 偶数月21日発売)隔月刊<!--2009年4月に『サクラミステリーデラックス』増刊扱いから独立創刊--> * [[恋愛宣言Pinky]]([[秋水社]]&大都社 2010-)隔月刊<!-- 実際にあった怖い話の増刊から2019年4月に独立創刊。 --> ** [[petit Rose]](秋水社&大都社 2012-)※恋愛宣言Pinky増刊、隔月刊<!--2013年5月に年2回刊から移行--> * [[mini SUGAR]](秋水社&大都社 2009- 奇数月17日発売)隔月刊<!--2011年7月に『漫画ボン』増刊から独立創刊--> ** [[mini Berry]](秋水社&大都社 2011-)隔月刊<!--2012年4月に年3回刊から移行--> * [[ほんとにあった怖い話 (雑誌)|HONKOWA]](朝日新聞社&朝日新聞出版 2011-)隔月刊 * [[Nemuki+]](朝日新聞出版 2013-)隔月刊<!--2013年2月刊行の創刊準備号『HONKOWA』増刊『眠れぬ夜の奇妙な話』を経て2013年4月に独立創刊--> * [[ミステリーブラン|ミステリーブランセレクション]]([[青泉社]] 2013- 偶数月18日発売)隔月刊<!-- ミステリーブランの増刊から2019年独立創刊 --> * 50代からの私たち(メディアックス 2016- 、奇数月17日発売)隔月刊<!-- 2018年3月に『15の愛情物語』増刊扱いから独立創刊 --> * 涙・感動! 看護師ものがたり(メディアックス 2016- 、偶数月11日発売)※2020年4月に増刊扱いから独立創刊、2022年3月現在で雑誌コードを新規取得した最後の漫画雑誌 * ドラマチック愛と涙(メディアックス 2018-、奇数月29日発売)<!-- 2019年5月に増刊から独立創刊 --> ** [[魔夏の怪談]](メディアックス 2008-)※ドラマチック愛と涙増刊 === 季刊誌およびその増刊誌 === * [[絶対恋愛Sweet]]([[笠倉出版社]] 2001- )季刊 * 別冊家庭サスペンス([[笠倉出版社|セブン新社]] 2008- )季刊<!--2010年2月までは「黒田出版興文社」より発行--> === 官能系 === * [[危険な愛体験Special]]([[サニー出版]] 偶数月3日発売)※18禁扱い、隔月刊<!--2012年4月までは「バナジー出版」より刊行、2016年10月に月刊から隔月刊に移行。--> * [[官能愛体験DX]](ブレインハウス&メディアソフト 2015- )※18禁扱い、季刊<!--2016年5月に『裏め・き・らDVD』増刊扱いから独立創刊、2017年11月に隔月刊から季刊に移行。--> === ボーイズラブコミック誌 === <!--主にBL漫画を掲載---> * [[MAGAZINE BE×BOY]]([[リブレ (企業)|リブレ]] 1993-2006年内復刊- 毎月7日発売)<!--1997年までは「青磁ビブロス」から刊行。2006年までは「ビブロス」から刊行--> * [[麗人 (雑誌)|麗人]](竹書房 1993- 偶数月9日発売)隔月刊 * [[花音 (漫画雑誌)|花音]](芳文社 1994- 毎月14日発売) * [[Chara (雑誌)|Chara]](徳間書店 1994- 偶数月22日発売)隔月刊 * [[Chara Selection]](徳間書店 1995- 奇数月22日発売)隔月刊 * [[BE・BOY GOLD]](リブレ 1995-2006年内復刊- 偶数月28日発売)隔月刊 * [[ディアプラス]](新書館 1997- 毎月14日発売) * [[Daria]]([[フロンティアワークス]] 1997- 偶数月22日発売)隔月刊<!--1999年まではアンソロジーコミック、2003年8月までは「ムービック」から刊行--> * [[ルチル (雑誌)|ルチル]](幻冬舎コミックス&幻冬舎 1997- 奇数月22日発売)隔月刊<!--1999年まではアンソロジーコミック、2015年3月に『コミックバーズ』増刊扱いから独立創刊--> * [[drap]]([[コアマガジン]] 2000- 毎月末日発売) * [[GUSH (雑誌)|GUSH]]([[海王社]] 2003- 毎月7日発売) * [[ihr HertZ]]([[大洋図書]] 2003- 奇数月31日発売)隔月刊<!--2012年5月にアンソロジーコミックから雑誌へ移行すると同時に『HertZ』から誌名変更--> * [[gateau]](一迅社&講談社 2011- 毎月30日発売)<!--2013年7月まではアンソロジーコミックで11月より雑誌化すると同時に、隔月刊から月刊へ移行--> * [[シェリプラス]](新書館 2011- 奇数月30日発売)隔月刊<!--2013年1月に年3回刊から季刊へ刊行周期変更、2016年7月に『ディアプラス』増刊扱いから独立創刊とともに現在の刊行ペースへ--> * [[リンクス (雑誌)|リンクス]](幻冬舎コミックス&幻冬舎 2012- 偶数月9日発売)隔月刊<!--『小説リンクス』(2003年刊行開始)とその増刊の『Comic Magazine LYNX』が合併し月刊で新装刊。2013年2月に隔月化--> * [[エメラルド (雑誌)|エメラルド]](KADOKAWA 2014-)※ヤングエース増刊、年3回刊<!--書店では他のBL誌と共に配置されており[https://twitter.com/emeraldmarukawa/status/516924353628237824]、BL作品が表紙を飾る比率が高いので「ボーイズラブ漫画誌」の見出しに記述します[http://www.kadokawa.co.jp/emerald/contents/notice.php]--> == 4コマ漫画誌 == === 一般向け === * [[まんがタイム]](芳文社 1981- 毎月7日発売) * [[まんがタイムオリジナル]](芳文社 1982- 毎月27日発売) * [[まんがホーム]](芳文社 1987- 毎月2日発売) * [[まんがライフオリジナル]](竹書房 1988- 毎月11日発売) * [[本当にあった笑える話#主任がゆく!スペシャル|主任がゆく!スペシャル]](ぶんか社 2006- )※[[本当にあった笑える話]]増刊<!--2014年4月に『みこすり半劇場』増刊扱いから『ほんとうに泣ける話』へ移行し、同年5月に現在の状態へ--> === 男性向け萌え系 === <!-- 平綴じ4コマ漫画誌 --> * [[まんがタイムきらら]](芳文社 2002- 毎月9日発売) * [[まんがタイムきららキャラット]](芳文社 2003- 毎月28日発売)<!--2005年11月に独立創刊--> * [[まんがタイムきららMAX]](芳文社 2004- 毎月19日発売)<!--2004年9月に独立創刊--> * [[コミック電撃だいおうじ]](KADOKAWA 2013- 毎月27日頃発売)※[[月刊コミック電撃大王]]増刊 * [[コミックキューン]](KADOKAWA 2015- 毎月27日発売) === 実話系 === * [[本当にあった愉快な話]](竹書房 2000- 毎月30日発売)<!--2013年12月に『本当にあったゆかいな話』から誌名変更--> * [[増刊 本当にあった愉快な話]](竹書房)※本当にあった愉快な話増刊<!--2010年5月に隔月刊から月刊へ移行。2013年12月に『増刊 本当にあったゆかいな話』から誌名変更--> * [[本当にあった愉快な話芸能ズキュン!]](竹書房 2004- 毎月14日発売)<!--2006年9月に『本当にあった愉快な話 愛のイトナミスペシャル』から『本当にあったゆかいな話DX』へ、更に2009年9月に『本当にあった仰天スクープ まんがズキュン!』、2010年11月に『本当にあったゆかいな話芸能ズキュン!』へ誌名変更し、2014年1月に現在の誌名へ--> * [[本当にあった笑える話]](ぶんか社 2001- 毎月30日発売) == ムック == * 本当にあった愉快な話 芸能プレミアム(竹書房 2015-)※バンブームック、季刊 * COMIC陣([[ぶんか社]] 2017-)※RK MOOK * COMIC 必剣(ぶんか社 2019-)※RK MOOK * 漫画 大激闘(ぶんか社 2019-)※RK MOOK == アンソロジーコミック == === 青年向け漫画 === * [[ハルタ (漫画誌)|ハルタ]]([[KADOKAWA]] 2008-)※[[アンソロジーコミック]]、年10回刊 * [[青騎士 (漫画誌)|青騎士]](KADOKAWA 2021-)※アンソロジーコミック、隔月刊 === 女性向け漫画 === * [[楽園 Le Paradis]](白泉社 2009-)※アンソロジーコミック、年3回刊 === グルメ漫画 === * [[思い出食堂]]([[少年画報社]] 2010-)※アンソロジーコミック、隔月刊 * ひとりごはん(少年画報社 2014-)※アンソロジーコミック、隔月刊 * みんなの食卓(少年画報社 2016-)※アンソロジーコミック、隔月刊 * ときめきごはん(少年画報社 2014-)※アンソロジーコミック、隔月刊 * ごはん日和(ぶんか社 2016-)※アンソロジーコミック * 俺流!絶品めし(ぶんか社 2017-)※アンソロジーコミック === ボーイズラブ漫画 === * [[OPERA (アンソロジー)|OPERA]]([[茜新社]] 2005-)隔月刊 * [[Cab]]([[東京漫画社]] 2009-)隔月刊 * [[Canna (アンソロジー)|Canna]]([[フランス書院|プランタン出版]]&[[フランス書院]] 2010-)隔月刊<!--2011年12月に月刊から隔月刊へ--> * [[onBLUE]](祥伝社 2010-)隔月刊<!--2012年4月に年3回刊から季刊、2015年10月に隔月刊へ--> * [[BABY (アンソロジー)|BABY]]([[ふゅーじょんぷろだくと]] 2013-)隔月刊 * [[Qpano]](竹書房、2015-)※増刊誌からアンソロジーコミックへ移行、不定期<!--2004年に『麗人○○スペシャル』(○○にはスプリングやオータムなどが入る)から『麗人Bravo!』へ誌名変更し、2015年3月にQpanoへへ誌名変更--> === 動物漫画 === * [[ねことも]]([[秋水社]]&大都社 2009- 偶数月16日頃発売)隔月刊<!--2012年8月に『漫画ボン』増刊扱いから独立創刊--> * [[ねこぱんち]](少年画報社 2006-)※アンソロジーコミック === マニア向け漫画 === * [[アックス (雑誌)|アックス]]([[青林工藝舎]] 1998-)※アンソロジーコミック、隔月刊 * [[EYEMASK]]([[蒼天社]]&[[開発社]]<!--第2号は1990年に刊行-->)※アンソロジーコミック、年2回刊<!--2012年6月までは「蒼天社」発行、「文藝書房」発売--> * [[トビオ (アンソロジー)|トビオ]]([[太田出版]] 2008-)※アンソロジーコミック、不定期刊<!--神戸芸術工科大学メディア表現学科まんが・アニメーション専攻の教員及び学生による漫画誌。2010年12月に『TO▲BIO』から『TObiO』へ誌名変更し、2013年12月に現在の誌名へ--> == 電子コミック誌 == === 女性向けコミック誌 === * [[モバフラ]]([[小学館]] 2007- 毎月5,10,20,25日発売) * &FLOWER(小学館 2017-毎週金曜日配信) * 禁断Lovers([[ぶんか社]] 2011-) * 蜜恋ティアラ(ぶんか社 2015-) * ストーリーな女たち(ぶんか社 2015-) * 蜜恋ティアラMania(ぶんか社 2016-) * ストーリーな女たち ブラック(ぶんか社 2017-) * AmarE ([[インテルフィン]] 2018-) * 蜜恋ティアラ獣(ぶんか社 2018-) * ストーリーな女たち(ぶんか社 2015-) * 無敵恋愛S*girl Anette(ぶんか社 2016-)<!-- 2016年、禁断Loversマニアからリニューアル --> * [[Silky|Love Silky]]([[白泉社]] 2013- 毎月第3水曜日配信) * モバイル恋愛宣言([[秋水社]] 2014-) * アネ恋♀宣言(秋水社 2014-) * 極上ハニラブ([[BookLive]] 2014-)※月刊 * Love Jossie(白泉社 2015-不定期) *毒りんごcomic(双葉社 2016-) * ラブコフレ(大誠社 2015-) * Colorful!(アイエムエー 2016-) * 姉フレンド([[講談社]] 2016- 毎月1日配信) * [[プチプリンセス]](秋田書店 2016- 偶数月1日配信)※紙媒体から移行。 * comic Berry’s([[スターツ出版]] 2016-) * [[B's-LOG COMIC]](KADOKAWA 2017- )※紙媒体から移行。<!-- 2017年Vol.52よりアンソロジーコミックから電子書籍に移行。 --> * ショコラブ([[リブレ (企業)|リブレ]] 2017-) * Pinkchieri(CLAPコミックス 2017-) * ラブパルフェ([[オーバーラップ]] 2017-) * 花ゆめAi(白泉社 2018-<ref>{{Cite web|和書|title=新Webマンガ誌・花ゆめAiで山田南平、高尾滋、田中メカ、久世番子が新連載 |url=https://natalie.mu/comic/news/304503 |website=コミックナタリー |accessdate=2022-03-01 |language=ja}}</ref>) * comic tint(講談社 2018<ref>{{Cite web|和書|title=【恋に染まる、あなたに染まる】甘く刺激的なデジタルコミック誌「comic tint」4月6日(金)創刊 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001631.000001719.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>-) * 蜜恋ティアラ獣(ぶんか社 2018-) * ラブキス!More(ぶんか社 2018-) * comic RiSky(ぶんか社 2019-) * comicタント(ぶんか社 2019-) * noicomi([[スターツ出版]] 2019<ref>{{Cite web|和書|title=電子コミック誌『noicomi』 6/14(金)創刊! 創刊号は各電子書店にて無料で配信!! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001076.000000607.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>-) * Berry's Fantasy(スターツ出版 2019-<ref>{{Cite web|和書|title=電子コミック誌『Berry’s Fantasy』 9/27(金)創刊! 創刊号は各電子書店にて無料で配信!! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001116.000000607.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>) * ホラーシルキー(白泉社 2019-) * 少年ハナトユメ(白泉社 2020<ref>{{Cite web|和書|title=少女マンガ作家が少年マンガを描いてみた!白泉社の新電子雑誌・少年ハナトユメ(コメントあり) |url=https://natalie.mu/comic/news/399288 |website=コミックナタリー |accessdate=2022-03-01 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>-不定期) * [[恋愛天国]]([[竹書房]] 2020- )※紙媒体から移行。 * 黒蜜(白泉社 2020-<ref>{{Cite web|和書|title=女性の刺激的なドラマが満載! あたらしい電子コミック誌「黒蜜」創刊! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000367.000046848.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>) * Opa×Comi([[フランス書院|プランタン出版]] 2021-) * ダークネスな女たち(ぶんか社 2021-) * comic ヤミツキ(ぶんか社 2021-) * PRIMO(ぶんか社 2021-) * コミックNOAN(ぶんか社 2022-) * comic meltyKILL(ぶんか社 2022-) * コミックライドアイビー([[マイクロマガジン社]] 2023-) ==== BLコミック誌 ==== *麗人uno!(竹書房 2011-)※月刊 * Qpa(竹書房 2011-) * iHertZ([[大洋図書]] 2011-) * [[Chara (雑誌)|Char@]](徳間書店 2012-) * ルチルSWEET([[幻冬舎コミックス]] 2012-)※WEBコミックサイトの電子雑誌版 * [[CIEL (雑誌)|CIEL]](KADOKAWA 2017-) * drap milk([[コアマガジン]] 2012-)※月刊 * GUSHmaniaEX([[海王社]] 2013-)<!--2005年6月に『GUSH mania』から誌名変更--> * aQtto!(ジュリアンパブリッシング 2013-2017)→G-Lish(2017-)※月刊 * 花丸漫画(白泉社 2014-) * モバイルBL宣言([[秋水社]] 2014-) * Fig(東京漫画社 2014-) * enigma(オークラ出版 2015-) * .Bloom(ホーム社&集英社 2016-) * メロキス(ホーム社&集英社 2017-) * LiQulle([[オーバーラップ]] 2016-)※月刊 * Ficus box([[NTTソルマーレ|ソルマーレ編集部]] 2016-) * ハニーミルク([[講談社]] 2016- 毎月10日配信)※月刊 * equal([[笠倉出版社]] 2016-)※月刊 * comic marginal(双葉社 2017-) * B.Pilz(ブライト出版 2017-) * Charles Mag(メディアソフト 2017-) * カチCOMI([[秋田書店]] 2017-) * PriaL([[インテルフィン]] 2018-) * kyapi! (芳文社 2018-) * 君恋([[集英社]] 2018-)※3号まで紙媒体も移行 * Tulle(ブライト出版 2018-) * mimosa([[リイド社]] 2019<ref>{{Cite web|和書|title=橋本あおい、いちかわ壱、加藤スス等が執筆、リイド社初のBLウェブマガジン「mimosa」が2月28日(木)創刊! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000072.000035072.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>-) * Strada+([[サイゾー|道玄坂書房]] 2019-) * fRag(心交社 2019-)※隔月刊 * BOY'Sピアス([[マガジン・マガジン|ジュネット]] 2019- )※紙媒体から移行。 * Adam(ブレインハウス 2019-) * CRAFT([[大洋図書]] 2019-)※紙媒体から移行。 * Spicy Whip([[コスミック出版]] 2020-) * comic picn([[ジーオーティー]] 2020<ref>{{Cite web|和書|title=藤峰式新作も読める!!新BLレーベル「コミックpicn」5作品配信開始! |url=https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/22696/ |website=ちるちる |accessdate=2022-03-01 |language=ja}}</ref>-) * from RED (シュークリーム 2020-) * &.Emo([[海王社]] 2020-) * in-Pants(ブレインハウス 2021-) * エストロ(幻冬舎コミックス 2021-) * Chillche(双葉社 2023-)※comic marginal &hからリニューアル === 男性向けコミック誌 === * コミックヴァルキリーWeb版([[キルタイムコミュニケーション]] 2012<ref>{{Cite web|和書|title=ヴァルキリーがWEBで再スタート、大ボリュームを無料配信 |url=https://natalie.mu/comic/news/80656 |website=コミックナタリー |accessdate=2022-03-01 |language=ja}}</ref>-)※紙媒体から移行。後日WEBコミックサイトに再掲。 * コミックライド([[マイクロマガジン社]] 2016-)※後日WEBコミックサイトに再掲。 * [[ハレム (電子雑誌)|ハレム]](白泉社 2018-) * どこでもヤングチャンピオン([[秋田書店]] 2019-) * [[漫画ゴラクスペシャル]] ([[日本文芸社]] 2020-)※紙媒体から移行。 * コミックライドアドバンス(マイクロマガジン社 2020<ref>{{Cite web|和書|title=コミックライドアドバンスが今秋誕生“より刺激的でダイレクトな演出描写の作品”を連載 |url=https://natalie.mu/comic/news/394497 |website=コミックナタリー |accessdate=2022-03-16 |language=ja}}</ref>-) * comicグラスト([[スターツ出版]] 2021<ref>{{Cite web|和書|title=電子コミック誌『comicグラスト』 5月28日(金)創刊! 創刊号は各電子書店にて無料で配信!! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001358.000000607.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |accessdate=2022-03-01}}</ref>-) ==== アダルトコミック誌 ==== * コミックマグナム([[ジーオーティー]] 2009-) * WEB版コミック激ヤバ!([[メディアックス]] 2010-) * ガチコミ(forcs 2010-) * comicクリベロンDUMA([[リイド社]] 2012-) * コミックグレープ(ジーオーティー 2013-) * メンズ宣言([[秋水社]] 2014-) * アナンガ・ランガ([[BookLive]] 2015-) * Webコミックトウテツ([[一水社]] 2016-) * 月刊Web男の娘・れくしょんッ!S(一水社 2016-) * Web配信 月刊 隣の気になる奥さん ([[一水社]] 2017-) * COMICオルガ(一水社 2019-) * COMIC GEE(ブレインハウス 2019-) * ダスコミ(文苑堂 2019- ) * COMIC HOTMILK濃いめ(コアマガジン 2019- )※紙媒体から移行。 * [[COMIC失楽天]](ワニマガジン社 2020- )※紙媒体から完全移行。 * G-エッヂ(ゲネシス 2020- ) * COMICグーチョ(サイコロブックス 2021- ) * comic Trigger([[三和出版]] 2021- ) * コミック刺激的SQUIRT!!(一水社 2022- )※紙媒体から移行。 * サイベリアplus([[ぶんか社]] 2022-)<!-- 2022年マガジンサイベリアから変更 --> * コミックラクウ(ぶんか社 2022-) * [[COMIC X-EROS]](ワニマガジン社)※2023年紙媒体から完全移行。 == ウェブコミック誌 == ※[[日本のウェブコミック配信サイト一覧]]を参照 == 漫画を多く掲載している雑誌 == * [[ちゃぐりん]]([[家の光協会]] 1961-) === 女性向け雑誌 === <!--2008年11月に独立創刊--> * [[ぷっちぐみ]](小学館 2006- 毎月15日発売 対象年齢は5歳から10歳)※キャラクター雑誌<!--2008年11月に独立創刊--> * [[キャラぱふぇ]](KADOKAWA 2006- 偶数月1日発売)※ゲーム&キャラクター情報誌、隔月刊<!--2008年12月に『デンゲキニンテンドーDS』増刊扱いから独立創刊--> === 男性向け雑誌 === * [[コンプティーク]](KADOKAWA 1983-) ** [[TYPE-MOON#TYPE-MOONエース|TYPE-MOONエース]](2008-)不定期刊 * [[電撃G's magazine]](KADOKAWA 1993-) <!--* [[電撃萌王]](KADOKAWA 2002-2005,2006-)※イラスト雑誌、隔月刊2014年8月号から独立創刊--> * [[幽]](KADOKAWA 2004-)※怪談専門誌、ムック、年2回刊 * [[Vジャンプ]](集英社 1992-)※ゲーム・カード情報誌 * [[MC☆あくしず]]([[イカロス出版]] 2006-)※ミリタリー雑誌、季刊 == 関連項目 == * [[成人向け漫画雑誌の一覧]] * [[漫画情報誌]] * [[日本の出版社一覧]] * [[単行本]] * [[日本のウェブコミック配信サイト一覧]] * [[日本雑誌協会]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 外部リンク == * [https://iss.ndl.go.jp/ 国立国会図書館サーチ(NDL Search)] - [[国立国会図書館]]に所蔵されている雑誌・書籍の情報を閲覧可能 * [http://www.zakko.or.jp/ 一般社団法人日本雑誌広告協会] - 雑誌のジャンル・カテゴリ区分を行っている。 * [http://www.jpo.or.jp/magcode/index.html 雑誌コードセンター] {{DEFAULTSORT:にほんのまんかさつし}} [[Category:漫画雑誌|*にほん]] [[Category:日本の漫画|さつし]] [[Category:日本の漫画雑誌|*]] [[Category:漫画関連の一覧]] {{Manga-stub}}
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週刊ヤングマガジン
『週刊ヤングマガジン』(しゅうかんヤングマガジン、英: WEEKLY YOUNG MAGAZINE)は、講談社が発行する週刊の漫画雑誌。ジャンルは青年漫画。1980年6月23日創刊。略称は「ヤンマガ」、「週刊ヤンマガ」、「YM」、「週刊YM」。創刊時編集長は宮原照夫。発売日は毎週月曜日。掲載作品の単行本は、ヤングマガジン系列専用の総合レーベル「ヤンマガKC」より刊行されている。 姉妹誌として、『月刊ヤングマガジン』(隔月刊誌『別冊ヤングマガジン』より2009年にリニューアル)がある。現行の増刊誌として、2014年9月5日創刊の『ヤングマガジンサード』がある。過去に発行されていた増刊については「増刊号」節、姉妹誌については「姉妹誌」節、漫画アプリ及びWEBコミックサイトについては「漫画アプリ・WEB連載」節を参照。 1968年、『週刊少年マガジン』編集部の内田勝、宮原照夫らは講談社に青年漫画誌の創刊を提案していたが却下されていた。同年、小学館から『ビッグコミック』が創刊される。その後を追う形で講談社は1973年に『週刊現代』の増刊号として『劇画ゲンダイ』を創刊するが、一般週刊誌を作っていた『週刊現代』編集部に漫画制作のノウハウが無かったため、同年のうちに休刊する。 1978年、『週刊少年マガジン』の編集長を退任した宮原に、新しい青年漫画誌を創刊するよう辞令が出る。準備期間を経て1980年、『ヤングマガジン』が創刊。当初は月2回刊(第2・第4月曜日)だったが、1989年8号から週刊化された。 2015年1月5日には電子書籍版の配信が開始される。ただし、グラビアページなどは一部未収録となっており、紙版と同一の内容ではない。それゆえ、表紙の絵柄も紙版が巻頭グラビアを飾るグラドルや女性タレントが中心となっているのに対し、電子書籍版では巻頭カラーを飾る漫画作品が中心となっているが、後に紙版と同じ表紙となった。 2020年には創刊40週年を迎える。本誌で連載した漫画家達のサイン色紙や、それまで本誌で連載していた漫画家達の読み切り企画『我漫(わがまん)』を開催する。 発売前の2013年7号において、当時AKB48のメンバーの河西智美の写真に不適切な表現があったとして、2013年1月12日に発売予定だった同年7号の問題の写真部分のみを修正した上で翌週の1月21日に2013年8号として発売するという措置が取られたため、同年の7号は欠番となった。しかし、発売中止だった7号が一部流通してしまい、自主回収の措置を執った。問題の写真部分は児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律に抵触する恐れが指摘されていた。なお、立件は見送られている(詳細は河西の項目を参照)。 以下、2023年12月11日(2024年2・3合併号)現在連載中の作品。月1連載作品や不定期連載作品、短期集中連載作品も含む。 1980年代から1990年代には増刊号が不定期で発行されていた。 2000年代以降には、『ヤングマガジンアッパーズ』『月刊ヤングマガジン』などの姉妹誌が存在する為、『ヤングマガジンGT』など単発企画中心の増刊号が発行された。姉妹誌の『ヤングマガジンアッパーズ』との合同企画として「スポ増」「妹増」なども発行された。 2010年代に入ってからは、「GAG増刊」、『ヤングマガジンサード』が発行されている。 1986年から1995年頃まで不定期に刊行されていた増刊号。「海賊版」と銘打ってはいるが、講談社によって正規に発行された漫画雑誌である。第1号は1986年4月14日号。 1988年から1993年まで発行された増刊号。 1991年から不定期刊行された増刊号。2000年に「新増刊」として第1号からの通巻となっている。 1993年から1995年まで発行された増刊号。 1993年から不定期刊行された増刊号。 1995年から1999年まで発行されたまで不定期に刊行されていた増刊号。新人作家による短編読み切り作品を中心に掲載。 1998年から1999年まで発行された不定期に刊行されていた増刊号。新人作家による短編読み切り作品を中心に掲載。 2014年に創刊された増刊の月刊誌。 1998年創刊、2004年休刊。 1999年創刊、2009年休刊。リニューアル後継誌は『月刊ヤングマガジン』。 2009年創刊。『別冊ヤングマガジン』のリニューアル後継誌。 2015年12月18日に『ヤングマガジン海賊版』からリニューアル。エブリスタとの共同運営。略称は「eヤンマガ」。2021年3月31日にサービス終了。 五十音順、再掲載作品含む。 ヤングマガジンの公式サイト。 2020年にリニューアル。 2018年3月1日開設。講談社の漫画アプリ及び同名のウェブコミックサイト。 2022年3月10日には、テレビ朝日のバラエティ番組『アメトーーク!』の番組企画として「ヤングマガジン芸人」が放送された。ゲスト芸人はケンドーコバヤシ、バカリズム、麒麟川島明、サバンナ高橋茂雄、磁石永沢たかし、ムーディ勝山。放送終了後の2022年3月14日発売の15号にて、本誌の作品の作中に芸人たちが登場する。
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『週刊ヤングマガジン』は、講談社が発行する週刊の漫画雑誌。ジャンルは青年漫画。1980年6月23日創刊。略称は「ヤンマガ」、「週刊ヤンマガ」、「YM」、「週刊YM」。創刊時編集長は宮原照夫。発売日は毎週月曜日。掲載作品の単行本は、ヤングマガジン系列専用の総合レーベル「ヤンマガKC」より刊行されている。 姉妹誌として、『月刊ヤングマガジン』(隔月刊誌『別冊ヤングマガジン』より2009年にリニューアル)がある。現行の増刊誌として、2014年9月5日創刊の『ヤングマガジンサード』がある。過去に発行されていた増刊については「増刊号」節、姉妹誌については「姉妹誌」節、漫画アプリ及びWEBコミックサイトについては「漫画アプリ・WEB連載」節を参照。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Weekly Young Magazine logo.png | 画像サイズ = 200px | 誌名 = 週刊ヤングマガジン | 英文誌名 = WEEKLY YOUNG MAGAZINE | 誌名略称 = ヤンマガ、週刊ヤンマガ、YM、週刊YM | ジャンル = [[漫画雑誌]] | 読者対象 = 青年男性 | 刊行頻度 = 週刊(月曜日発売)<ref group="注">基本的に月曜日発売。ただし、月曜日が祝日の際は土曜日(2022年7月以降は金曜日)発売となる。</ref> | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 364円(税別) | 出版社 = [[講談社]] | 編集部名 = ヤングマガジン編集部 | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 鈴木一司<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/column/508611/page/2|title=あの話題作からマンガ賞受賞作まで!厳選チョイスの27作品|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-29|accessdate=2023-01-29}}</ref> | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = [[1980年]] - | 発行部数 = 18万8,667<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[ヤンマガKC]] | 姉妹誌 = [[月刊ヤングマガジン]] | ウェブサイト = [https://yanmaga.jp/ym/ 公式サイト] | 特記事項 = }} 『'''週刊ヤングマガジン'''』(しゅうかんヤングマガジン、{{lang-en-short|WEEKLY YOUNG MAGAZINE}})は、[[講談社]]が発行する[[逐次刊行物#週刊|週刊]]の[[漫画雑誌]]。ジャンルは[[青年漫画]]。[[1980年]][[6月23日]]創刊。略称は「'''ヤンマガ'''」<ref name=":0" />、「'''週刊ヤンマガ'''」、「'''YM'''」、「'''週刊YM'''」。創刊時編集長は宮原照夫。発売日は毎週[[月曜日]]。掲載作品の単行本は、ヤングマガジン系列専用の総合レーベル「[[ヤンマガKC]]」より刊行されている。 姉妹誌として、『[[月刊ヤングマガジン]]』(隔月刊誌『[[別冊ヤングマガジン]]』より[[2009年]]にリニューアル)がある。現行の増刊誌として、[[2014年]][[9月5日]]創刊の『[[ヤングマガジンサード]]』がある。過去に発行されていた増刊については「[[#増刊号|増刊号]]」節、姉妹誌については「[[#姉妹誌|姉妹誌]]」節、漫画アプリ及びWEBコミックサイトについては「[[#漫画アプリ・WEB連載|漫画アプリ・WEB連載]]」節を参照。 == 概要 == [[File:Weelky Young Magazine 2019 Vol.33 cover.jpg|thumb|2019年33号 表紙]] [[1968年]]、『[[週刊少年マガジン]]』編集部の[[内田勝]]、[[宮原照夫]]らは講談社に青年漫画誌の創刊を提案していたが却下されていた。同年、[[小学館]]から『[[ビッグコミック]]』が創刊される。その後を追う形で講談社は[[1973年]]に『[[週刊現代]]』の増刊号として『劇画ゲンダイ』を創刊するが、一般週刊誌を作っていた『週刊現代』編集部に漫画制作のノウハウが無かったため、同年のうちに休刊する。 [[1978年]]、『週刊少年マガジン』の編集長を退任した宮原に、新しい青年漫画誌を創刊するよう辞令が出る。準備期間を経て[[1980年]]、『ヤングマガジン』が創刊。当初は月2回刊(第2・第4月曜日)だったが、[[1989年]]8号から週刊化された。 [[2015年]]1月5日には[[電子書籍]]版の配信が開始される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1501/05/news049.html|title=講談社、全漫画雑誌を紙と同時に電子化へ 「ヤングマガジン」など3誌からスタート|publisher=[[ITmedia]] NEWS|date=2015-01-05|accessdate=2017-03-09}}</ref>。ただし、グラビアページなどは一部未収録となっており、紙版と同一の内容ではない。それゆえ、表紙の絵柄も紙版が巻頭[[グラビア雑誌#グラビア写真|グラビア]]を飾る[[グラビアアイドル|グラドル]]や女性[[タレント]]が中心となっているのに対し、電子書籍版では巻頭カラーを飾る漫画作品が中心となっているが、後に紙版と同じ表紙となった。 [[2020年]]には創刊40週年を迎える。本誌で連載した漫画家達のサイン色紙や、それまで本誌で連載していた漫画家達の読み切り企画『我漫(わがまん)』を開催する。 === 事件 === 発売前の[[2013年]]7号において、当時[[AKB48]]のメンバーの[[河西智美]]の写真に不適切な表現があったとして、2013年1月12日に発売予定だった同年7号の問題の写真部分のみを修正した上で翌週の1月21日に2013年8号として発売するという措置が取られたため、同年の7号は欠番となった<ref name=":0">{{Cite web|和書|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|website=natalie.mu/comic/news|url=https://natalie.mu/comic/news/82976|title=ヤンマガ最新号の発売が1月21日に延期、誌面修正のため|accessdate=2013-01-12|language=ja}}</ref>。しかし、発売中止だった7号が一部流通してしまい、自主回収の措置を執った<ref>{{Cite web|和書|title=発売中止となった『ヤングマガジン』7号を入手 お店の判断で店頭に置いてるとか (2013年1月17日)|url=https://www.excite.co.jp/news/article/Getnews_284429/|website=[[エキサイト#沿革|エキサイトニュース]]|accessdate=2020-06-15|language=ja}}</ref>。問題の写真部分は[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]に抵触する恐れが指摘されていた<ref>{{Cite web|和書|language=ja|website=www.zakzak.co.jp/smp|publisher=[[夕刊フジ#ネット事業|ZAKZAK]]|url=https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130111/enn1301111540011-n1.htm|title=AKB河西“手ブラヌード”で波紋!「ヤンマガ」発売延期、児童ポルノに抵触か|accessdate=2013-01-12}}</ref>。なお、立件は見送られている<ref>[https://www.cyzowoman.com/2013/10/post_10219_1.html 「児ポ法に触れる!」ビッグダディ三姉妹グラビア、教育委員会から厳重注意!?] サイゾーウーマン・2013年10月18日、2013年11月2日観覧</ref>(詳細は[[河西智美#出来事|河西]]の項目を参照)。 == 連載中の作品 == 以下、2023年12月25日(2024年4・5合併号)現在連載中の作品。月1連載作品や不定期連載作品、短期集中連載作品も含む。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> <!--予告等を元とした情報をコメントアウトで追加する行為は予告が変更されることもあり情報が不確定な上、無駄に編集回数を重ねる事となりますのでおやめください(Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす)。--> {| class="wikitable sortable" style="background: 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{{Display none|かのう まんたろう}}加納万太郎|| {{Display none|まなかみ ゆい}}マナカミユイ|| 2022年46号 || |- | {{Display none|わたしのありか}}[[私のアリカ]] || {{Display none|くまくす}}隈屑|| {{Display none|ふしさわ もやし}}[[藤沢もやし]] || 2023年2・3合併号 || |- | {{Display none|さつとう}}サツドウ|| {{Display none|なたい にし}}なだいにし|| {{Display none|ゆきなか ちつち}}雪永ちっち|| 2023年8号 || |- | {{Display none|みよおちやんせんせいはかくかたりき}}みょーちゃん先生はかく語りき|| {{Display none|むてき そおた}}無敵ソーダ|| {{Display none|かなり とくさく}}鹿成トクサク|| 2023年11号 || |- | {{Display none|ひしりくんはきよくいきたい}}[[聖くんは清く生きたい]]|| [[朝賀庵]]|| - || 2023年17号 || |- | {{Display none|やにねこ}}ヤニねこ|| {{Display none|にやんにやんふあくとりい}}にゃんにゃん<br />ファクトリー|| - || 2023年18号 || 2022年12号〜2022年14号<br />までは短期集中連載 |- | {{Display none|たれてもたけるきみかすき}}だれでも抱けるキミが好き|| {{Display none|たけた すうはあ}}武田スーパー|| - || 2023年20号 || |- | {{Display none|こおるてんとろつふ}}[[ゴールデンドロップ]] || {{Display none|かみつき りよう}}上月亮 || {{Display none|つは けいいち}}津覇圭一(ネーム原作) <br/> {{Display none|くさか しんや}}[[草下シンヤ]](監修) <br/> {{Display none|かみさと しゆんへい}}神里純平(監修) || 2023年25号 || |- | {{Display 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||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|けんかかきよう}}[[喧嘩商売|喧嘩稼業]] || {{Display none|きた やすあき}}[[木多康昭]] || - || 2014年2・3合併号 || 『喧嘩商売』の続編 |- | {{Display none|しいていいおおはらたいすろすと}}[[GTO (漫画)|GTO パラダイス・ロスト]] || {{Display none|ふしさわ とおる}}[[藤沢とおる]] || - || 2014年20号 || 『GTO』シリーズの続編<br/>第一部:通常連載<br/>第二部:隔週連載 → 通常連載 |- | {{Display none|しちにんのしえいくすひあのんさんすとろいくと}}[[7人のシェイクスピア|7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT]] || {{Display none|はろると さくいし}}[[ハロルド作石]] || - || 2017年2・3合併号 || 『7人のシェイクスピア』の続編 |- | {{Display none|なんてここにせんせいか}}[[なんでここに先生が!?]] || {{Display none|そほ ろう}}蘇募ロウ|| - || 2017年21号 || 「ゴールデンタイムズ」から改題 |- | {{Display none|とはくたてんろくかいしにしゆうよんおくたつしゆつへん}}[[賭博黙示録カイジ|賭博堕天録カイジ 24億脱出編]] || {{Display none|ふくもと のふゆき}}[[福本伸行]] || - || 2017年42号 || 『カイジ』シリーズの続編<br/>サイクル連載(3勤1休連載) |} <!-- 読み五十音順、【2021年50号/2021年11月8日発売】時点、連載作品の追加・削除をする際には「Template:週刊ヤングマガジン連載中」にも留意。 --> == 過去の連載作品 == === あ行 === * [[アーサーGARAGE]]([[たーし]]) ** アーサーGARAGE|熱血中古屋魂!! アーサーGARAGE * [[R-16 (漫画)|R-16]](原作:[[佐木飛朗斗]]、漫画:[[桑原真也]])※『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』より移籍 * [[R-中学生]]([[ゴトウユキコ]]) * [[愛斜堂]]([[岡本健太郎]]) * [[アウト・ロー]](原作:[[木内一雅]]、漫画:[[コウノコウジ]]) * [[アカイリンゴ]]([[ムラタコウジ]])※[[コミックDAYS]]連載作品だが、テレビドラマ化を記念し2023年7号 - 10号にかけて第39話 - 第42話を掲載 * [[AKIRA (漫画)|AKIRA]]([[大友克洋]]) * [[アゴなしゲンとオレ物語]]([[平本アキラ]]) * [[熱いぞ!猫ヶ谷!!]]([[克・亜樹]]) * [[Abaddon]]([[和久井健]]) * [[アバンギャルド夢子]]([[押見修造]]) * [[アルキメデスの大戦]]([[三田紀房]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2015年52号 - 2023年31号 --> * [[アンゴってル!]]([[川崎順平]]) * [[行け!稲中卓球部]]([[古谷実]]) * [[EASY (漫画)|EASY]]([[しんむらけーいちろー]]) * [[痛車でいこう!!]]([[山本マサユキ]]) * [[IKENAI!いんびテーション]]([[こしばてつや]]) * [[池袋スティングレイ]](原作:[[青山広美]]、漫画:[[別天荒人]]、企画:[[サミー|Sammy]]) * [[イッパツ危機娘]]([[原田重光]]) * [[犬と屑]]([[朝賀庵]])<!-- 2021年30号 - 2022年25号 --> * [[頭文字D]]([[しげの秀一]]) * [[妹は思春期]]([[氏家ト全]]) * [[ウイニング・チケット (漫画)|ウイニング・チケット]](原作:[[河村清明]]、漫画:[[小松大幹]]) ** ウイニング・チケット2 * [[ウッハ!ハーレム学生寮]]([[松浦まどか]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』より移籍 * [[エイト]]([[楠みちはる]]) * [[Sとの遭遇]]([[西渡槇]]) * [[エリートヤンキー三郎]]([[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]) ** エリートヤンキー三郎 第2部:風雲野望編 * [[エリちゃんとテルくん]]([[早坂ケイゴ]]) * 王の病室(原作:灰吹ジジ、漫画:中西淳)<!-- 2023年28号 - 2024年2・3合併号 --> * [[代紋TAKE2]](原作:[[木内一雅]]、漫画:[[渡辺潤]]) * [[大きくなったら結婚する!]]([[深冬ふみ]])<!-- 2019年38号 - 2020年8号 -->※『[[ヤングマガジンサード]]』に移籍 * [[OH!タカラヅカ]](原作:[[史村翔]]、漫画:[[小野新二]]) * [[おかか (漫画)|おかか]]([[まつだこうた]]) * [[オシメいつとれる]](原作:[[ウエイツトム]]、漫画:[[北見けんいち]]) * [[おたくの隣りはエルフですか?]]([[植野メグル]])※通常連載 → 隔週連載<!-- 2019年33号 - 2021年17号 --> * [[夫のちんぽが入らない]](原作:[[こだま (作家)|こだま]]、漫画:[[ゴトウユキコ]])※同エッセイのコミカライズ 通常連載 → 月1連載 * [[おっぱいジョッキー]](原作:[[チャーリー☆正]]、漫画:[[木山道明]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』より移籍 * [[お天気お姉さん (漫画)|お天気お姉さん]]([[安達哲]]) * [[侠飯〜おとこめし〜]](原作:[[福澤徹三]]、漫画:[[薩美佑]]) * [[オトノバ]]([[河上大志郎]]) * [[オペ看]](原作:[[人間まお]]、漫画:[[ミサヲ]])<!-- 2020年48号 - 2021年28号 --> * [[おやすみなさい。]]([[小田原ドラゴン]])※「[[おやすみ、幸せな夢が見られるように。]]」から改題して継続 * [[ORIGIN (漫画)|ORIGIN]]([[Boichi]]) * [[終わった漫画家]]([[福満しげゆき]]) === か行 === * [[カイタン]]([[木崎拓史]]) * [[ガキジャン]]([[佐々木昇平]]) * [[革命戦士 犬童貞男]]([[佐々木昇平]])※月1回連載 * [[ガタピシ車でいこう!!]]([[山本マサユキ]]) * [[カテキン (漫画)|カテキン]]([[オジロマコト]]) * [[彼女のエレジー]]([[遊園地迷子 (漫画家)|遊園地迷子]])<!-- 2023年9号 - 2023年32号 --> * [[神さまの恋人]](原作:[[樹林伸|伊賀大晃]]、漫画:[[月山可也]]) * 神殺-かみそぎ-(爾弥餡丸)<!-- 2023年12号 - 2023年42号 --> * [[カラコカコ〜ン]]([[コウノコウジ|こうのこうじ]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』より移籍 →『[[別冊ヤングマガジン]]』 * [[空手小公子物語]]([[馬場康誌]]) * [[空手小公子 小日向海流]]([[馬場康誌]]) * [[感じさせてBABY]]([[大島岳詩]]) * [[奇食ハンター]]([[山本マサユキ]]) * [[kiss×sis]]([[ぢたま(某)]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』より移籍、月1連載 → 『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[奇生列島]]([[江戸川エドガワ]])※通常連載 → 隔週連載<!-- 2020年14号 -- 2021年49号 --> * [[キッス (漫画)|キッス]]([[やまだないと]]) * [[キッズファイヤー・ドットコム]](原作:[[海猫沢めろん]]、漫画:[[川口幸範]])※同小説のコミカライズ * [[君が獣になる前に]]([[さの隆]])<!-- 2021年45号 - 2023年15号 --> * [[逆転裁判#漫画|逆転検事]](脚本:[[黒田研二]]、作画:[[前川かずお (漫画家)|前川かずお]]、監修:[[カプコン|CAPCOM]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[ギャルせん]]([[植野メグル]])※『[[ヤンマガWeb]]』に移籍<!-- 2021年42号 - 2022年41号 --> * [[ギャルと恐竜]](原作:[[森もり子]]、漫画:[[トミムラコタ]])※通常連載 → 隔週連載<!-- 2018年46号 - 2022年8号 --> * [[ぎゅわんぶらあ自己中心派]]([[片山まさゆき]]) * [[極東学園天国]]([[日本橋ヨヲコ]]) * [[KING BOTTOM]]([[樋野貴浩]])<!-- 2018年45号 - 2019年34号 --> * [[きんぼし]]([[明石英之]]) * [[クーデタークラブ]]([[松本光司 (漫画家)|松本光司]]) * くさっても猫なので(関口かんこ)※『[[ヤンマガWeb]]』に移籍<!--2022年42号 - 2023年29号--> * [[クダンノゴトシ]]([[渡辺潤]])※『[[eヤングマガジン]]』に移籍 * [[首を斬らねば分かるまい]](原作:[[門馬司]]、漫画:[[奏ヨシキ]])<!-- 2019年48号 - 2020年47号 --> * [[グラシュロス]](原作:[[金城宗幸]]、作画:[[藤村緋二]])<!-- 2017年31号 - 2018年38号 --> * [[グリーンヒル]]([[古谷実]]) * [[GREEN BLOOD]]([[柿崎正澄]]) * [[クロヒョウ 龍が如く新章]](原作:[[セガゲームス|SEGA]]、監修:[[名越稔洋]]、漫画:[[浅田有皆]]) * [[軍艦少年]]([[柳内大樹]]) * [[軍バリ!]](原作:[[イ・ヒョンソク]]、漫画:[[イ・ユジョン]]) * [[競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬]](原作:[[田原成貴]]、作画:[[土田世紀]])※『[[増刊エグザクタ|ヤングマガジン増刊エグザクタ]]』より移籍 * [[ゲシュタルト (漫画)|ゲシュタルト]]([[陽藤凛吾]])<!-- 2021年12号 - 2021年45号 --> * [[ケッチン]]([[きらたかし]]) * [[喧嘩商売]]([[木多康昭]]) * [[源さん刑事]]([[業田良家]]) * [[攻殻機動隊]]([[士郎正宗]]) * [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]]([[衣谷遊]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[工業哀歌バレーボーイズ]]([[村田ひろゆき]]) * [[高校の人達]]([[葛原兄]]) * [[甲子園へ行こう!]]([[三田紀房]]) * [[好色哀歌 元バレーボーイズ]]([[村田ひろゆき]]) * [[code:ノストラ]](原作:[[樹林伸|安藤夕馬]]、漫画:[[明石英之]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年4・5合併号 - 2022年30号 --> * [[ゲヘヘのヌベコ]]([[鈴木一世]]) * [[ケンシロウによろしく]]([[ジャスミン・ギュ]])<!-- 2020年16号 - 2023年47号 --> * [[ゴーストライター (漫画)|ゴーストライター]]([[御影夏]]) * [[ゴーダ君]]([[業田良家]]) * [[こぐまレンサ]]([[ロクニシコージ]]) * [[こじき姫ルンペネラ]]([[手塚治虫]]) * [[ココロの飼い方]]([[コタニヨーコ]]) * [[GOD OF DOG]]([[木村航 (漫画家)|木村航]])<!-- 2020年20号 - 2021年13号 --> * [[GOD SAVE THE すげこまくん!]]([[永野のりこ]]) * [[COPPELION]]([[井上智徳]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍。 * [[小林少年と不逞の怪人]](原作:[[江戸川乱歩]]、漫画:[[上条明峰]])※読切から連載化<!-- 2017年52号 - 2018年45号 --> * [[こはる はる!]]([[新井春巻]])<!-- 2020年21号 - 2021年35号 --> * [[COME!]](原作:[[日高トミ子]]、漫画:[[松本タカ]]) * [[コラソン サッカー魂]]([[塀内夏子]]) * [[ゴリラーマン]]([[ハロルド作石]]) ** ゴリラーマン40(ハロルド作石)※『ゴリラーマン』の続編<!-- 2022年17号 - 2022年38号 --> * [[殺さざる者、生くべからず]]([[中丸洋介]]) === さ行 === * [[サイコメトラーEIJI|サイコメトラー]](原作:[[樹林伸|安童夕馬]]、漫画:[[朝基まさし]])※『サイコメトラーEIJI』の続編<!-- 2011年21・22合併号 - 2014年38号 --> * [[さくらの唄 (漫画)|さくらの唄]]([[安達哲]]) * [[3×3 EYES]]([[高田裕三]]) * [[サタノファニ]]([[山田恵庸]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2017年15号 - 2023年34号 --> * [[さのばびっち]]([[みたにひつじ]]) * [[さばドル]](企画/原作:[[秋元康]]、漫画:[[中村あきひろ]]) * [[サバンナのハイエナ]]([[ハロルド作石]]) * [[ザ・ファブル]]([[南勝久]])<!-- 2014年49号 - 2019年51号 --> ** ザ・ファブル The second contact(南勝久)※『ザ・ファブル』の続編、通常連載 → サイクル連載(4勤1休連載)<!-- 2021年34号 - 2023年32号 --> * [[サルチネス]]([[古谷実]]) * [[猿ロック]]([[芹沢直樹]]) * [[三千年目の神対応]]([[加藤文孝]])<!-- 2021年4・5合併号 - 2021年52号 --> * [[しあわせ団地]]([[蓮古田二郎]]) * [[シガテラ (漫画)|シガテラ]]([[古谷実]]) * シキュウジ -高校球児に明日はない-(原作:大沼隆揮、漫画:ツルシマ)※『ヤンマガWeb』に移籍<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-11-27|title =シキュウジ -高校球児に明日はない- 異常激情野球大河…ヤンマガWebに移籍!!|journal =週刊ヤングマガジン |volume=2023年52号 |publisher = 講談社|page=356}}</ref><!-- 2023年30号 - 2023年52号 --> * [[至福の暴対レシピ]]([[西条真二]]) * [[シャコタン☆ブギ]]([[楠みちはる]]) * [[柔道部物語]]([[小林まこと]]) * [[終末の天気]](原作:[[作元健司]]、漫画:[[津覇圭一]]) * [[女子校のこひー先生]]([[荒井春巻]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年18号 - 2022年46号 --> * [[ヤンキー塾へ行く|塾生☆碇石くん]]([[荒木光]]) * [[少女不十分]](原作:[[西尾維新]]、漫画:[[はっとりみつる]]) * [[少年探究団]]([[新田たつお]]) * [[親愛なる僕へ殺意をこめて]](原作:[[井龍一]]、漫画:[[伊藤翔太]])※『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2018年23号 - 2019年36・37合併号 --> * [[新宿スワン]]([[和久井健]]) * [[新・信長公記〜ノブナガくんと私〜]]([[甲斐谷忍]])※『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2019年17号 - 2020年29号 --> * [[スイートプールサイド]]([[押見修造]]) * [[スキャンダル倶楽部]]([[いしかわじゅん]]) * [[スケアリー・キャンパス・カレッジ・ユニバーシティ]]([[永椎晃平]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年34号 - 2023年18号 --> * [[SUPERSTAR (漫画)|SUPERSTAR]]([[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]) * [[SUPER BASEBALL CLUB]]([[野中英次]]) * [[ストッパー毒島]]([[ハロルド作石]]) * [[ストロベリーナイト]] -見えない雨-(原作:[[誉田哲也]]、漫画:[[桑村千宏]]) * [[砂の栄冠]]([[三田紀房]]) * [[すべてに射矢ガール]]([[ロクニシコージ]]) * [[D.B.S|スモーキング]]([[岩城宏士]])※月1連載 * [[セーラーエース]]([[しげの秀一]]) * [[赤灯えれじい]]([[きらたかし]]) * [[セキセイインコ (漫画)|セキセイインコ]]([[和久井健]]) * [[セクシーDANSU☆GAI ユビキタス大和]]([[ルノアール兄弟]]) * [[Sex, Baseball & Rock'nroll]]([[高口里純]]) * [[絶品!らーめん娘]]([[友木一良]]) * [[セブン☆スター]]([[柳内大樹]]) ** SEVEN☆STAR MEN SOUL<!-- 2016年33号 - 2019年15号 --> ** セブン☆スターJT<!-- 2020年33号 - 2023年1号 --> * [[ゼロガク]]([[東元俊也]]) * [[戦渦のカノジョ]]([[冨澤浩気]]) * [[センゴク]]([[宮下英樹]]) ** センゴク 天正記 ** センゴク 一統記 ** センゴク権兵衛<!-- 2015年50号 - 2022年13号 --> * [[センパイ!わざとじゃないんです!]]([[saku (漫画家)|saku]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年26号 - 2023年6号 --> * [[双生遊戯]]([[岡田淳司]])<!-- 2021年22・23合併号 - 2022年16号 --> * [[ソウナンですか?]](原作:[[岡本健太郎]]、漫画:[[さがら梨々]])※通常連載 → 隔週連載<!-- 2017年6号 - 2022年14号 --> * [[ゾミア (漫画)|ゾミア]](原作:[[浅村壮平]]、作画:[[石田点]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年13号 - 2022年33号 --> === た行 === * [[大東京忍者伝 かげろうくん]]([[武井宏文]]) * [[ダイナマイト☆ビューティー!!]]([[松浦まどか]]) * [[高嶺の花 (漫画)|高嶺の花]]([[しげの秀一]]) * [[食べれません]]([[風間やんわり]]) * [[探偵の探偵]](原作:[[松岡圭祐]]、漫画:[[清原紘]]) * [[チェリーナイツ]]([[小田原ドラゴン]]) * [[チェリーナイツ|チェリーナイツR]](小田原ドラゴン) * [[契れないひと]]([[たかたけし]])<!-- 2019年29号 - 2020年32号 --> * [[ちこたん、こわれる]]([[今井ユウ]]) * [[中2の男子と第6感]]([[福満しげゆき]]) * [[酎ハイれもん]](原作:[[史村翔]]、漫画:[[しのはら勉]]) * [[超・学園法人スタア学園]]([[すぎむらしんいち]]) * [[ちょびっツ]]([[CLAMP]]) * [[チリアクタ|チリアクタ -THE YAKUZA AFTER STORY-]]([[木村航 (漫画家)|木村航]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年16号 - 2022年43号 --> * [[CHILL (漫画)|CHILL]](原作:[[木内一雅]]、漫画:[[夏元雅人]]) * [[つむじまがり×すぷりんぐ]]([[夢乃狸]])<!-- 2020年40号 - 2021年35号 --> * [[ツワモノガタリ]]([[細川忠孝]]、監修:[[山村竜也]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2021年53号 - 2022年51号 --> * [[Deep Love REAL]](原作:[[Yoshi]]、漫画:[[こしばてつや|Tetsu]]) * [[ディノ・サピエンス]](原作:[[安井ミイト]]、漫画:[[森よし]]) * [[デザート (漫画)|デザート]]([[吉沢潤一]]) * [[手品先輩]]([[アズ (漫画家)|アズ]])※通常連載 → 隔週連載<!-- 2016年13号 - 2021年12号 --> * [[デスペナ]](原作:[[押川雲太朗]])、作画:[[江戸川エドガワ]]) * [[テッペン〜那須川天心物語〜]]([[高橋伸輔]])<!-- 2019年41号 - 2020年15号 --> * [[デビルエクスタシー]]([[押見修造]]) * [[サイコメトラーEIJI|でぶせん]](原作:[[樹林伸|安童夕馬]]、漫画:[[朝基まさし]])※「[[サイコメトラーEIJI]]」のスピンオフ * [[DEMONS STAR]](原作:[[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]、漫画:[[ミクニシン]])<!-- 2021年49号 - 2022年29号 --> * [[DELETE (漫画)|DELETE]](原作:[[川上真司]]、漫画:[[永田諒]]) * [[でろでろ]]([[押切蓮介]]) ** でろでろ 2杯目 * [[天然華汁さやか]]([[佐能邦和]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[天然少女 萬]]([[こしばてつや]]) * [[TOKYOブローカー (楠みちはるの漫画)|TOKYOブローカー]]([[楠みちはる]]) * [[Dr.クマひげ]](原作:史村翔、作画:[[ながやす巧]]) * [[ドクター早乙女]]([[村田ひろゆき]]) * [[匿名の彼女たち]]([[五十嵐健三]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[永久×バレット|永久×バレット 新湊攻防戦]](原作:[[モリオン航空]]、漫画:[[藤村緋二]])※「永久×バレット」のコミカライズ<!-- 2020年45号 - 2021年44号 --> * [[常夏バンク]]([[高田裕三]]) * [[となりで聞くSEX]](原作:[[メルセデスまり子]]、作画:[[西尾ジュン]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[DO-P-KAN]]([[しげの秀一]]) * [[賭博黙示録カイジ]]([[福本伸行]]) ** 賭博破戒録カイジ ** 賭博堕天録カイジ ** 賭博堕天録カイジ 和也編 ** 賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編 * ドラQ(千代)<!-- 2023年15号 - 2023年46号 --> * [[ドラゴンヘッド]]([[望月峯太郎]]) * 虎鶫 <とらつぐみ>-TSUGUMI PROJECT-(ippatu)<!-- 2021年9号 - 2023年42号、2023年43号(エピローグ) --> * [[トラビスといっしょなら]]([[中田あも]]) * [[トロピカル侍]]([[そにしけんじ]])<!-- 2013年34号 - 2015年7号 --> === な行 === * [[謎解きよりも大変だ]]([[遠藤準]]、謎解き監修:[[TEAM・K]])<!-- 2021年17号 - 2021年49号 --> * [[ナックルナックル]]([[山岸汰誠]]) * [[ナニワトモアレ]]([[南勝久]]) ** なにわ友あれ * [[七匹の侍]]([[鈴木マサカズ]]) * [[肉の唄]]([[コウノコウジ]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[日直番長]]([[タイム涼介]]) * [[πニャン]]([[東和広 (漫画家)|東和広]]) * [[ネオンさん]]([[村田ひろゆき]]) * [[熱血番長鬼瓦椿]]([[横山了一]]) **{{マンガ図書館Z作品|3611|熱血番長鬼瓦椿}}(外部リンク) * [[ネメシスコール]](原作:[[にんじゃむ]]、作画:[[森田和彦]]) * [[NeuN]]([[髙橋ツトム]])※第1部完、読切<!-- 2017年7号・19号・20号 -->から連載化、当初は月1連載、2018年40号から隔週連載<!-- 2017年25号 - 2020年10号 --> * [[乃木坂の詩]](原作:[[秋元康]]、漫画:[[御池慧]]) === は行 === * 徘徊者(原作:鈴木ユウヘイ、作画:宝依図)※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年39号 - 2023年11号 --> * [[BIOMEGA]]([[弐瓶勉]])※『[[ウルトラジャンプ]]』([[集英社]])に移籍 * [[バウンスアウト]](原作:[[西条隆男]]、作画:[[東元俊也]]) * [[バカイチ]]([[ハロルド作石]]) * [[バカ姉弟]]([[安達哲]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍 * [[バカビリーバー]]([[市川マサ]]) * [[バカレイドッグス]](原作:[[矢樹純]]、作画:[[青木優]])<!-- 2017年44号 - 2018年24号 --> * [[莫逆家族]]([[田中宏 (漫画家)|田中宏]]) * [[白地図のライゼンデ]]([[パミラ]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年50号 - 2023年24号 --> * [[幕末喧嘩博徒諸刃の麒麟]](原作:[[村尾幸三]]、漫画:[[土屋多摩]]) * [[PACT]]([[久慈進之介]]) * [[ハゲしいな!桜井くん]]([[高倉あつこ]]) * [[桜花忍法帖 バジリスク新章|バジリスク 〜桜花忍法帖〜]](原作:[[山田正紀]]、キャラクター原案:[[せがわまさき]]、漫画:[[シヒラ竜也]])※『桜花忍法帖 バジリスク新章』のコミカライズ * [[Hasegawa長治]]([[柳内大樹]]) * [[バタアシ金魚]]([[望月峯太郎]]) * [[8♀1♂|8♀1♂ ハチイチ]]([[咲香里]])<!-- 2012年28号 - 2015年7号 --> * [[バッキバキのバッキバキ!]]([[築備経利]]) * [[Back Street Girls]]([[ジャスミン・ギュ]]) * [[破道の門]]([[東元俊也]])<!-- 2008年43号 - 2010年45号 --> * [[花とみつばち]]([[安野モヨコ]]) * [[ハナモモ]]([[松本剛 (漫画家)|松本剛]]) * [[パパと踊ろう]]([[地下沢中也]]) * [[ハレ婚。]]([[NON (漫画家)|NON]])※『[[eヤングマガジン]]』との並行連載 ** ハレ婚。おかわり!(NON)※『ハレ婚。』の続編、短期集中連載<!-- 2022年7号 - 2022年16号 --> * [[ハロー張りネズミ]]([[弘兼憲史]]) * [[BANKERS]]([[森遊作]]) * [[半獣]]([[渡邊ダイスケ]]) * [[ハンツー×トラッシュ]]([[こばやしひよこ]])※不定期連載<!-- 2012年34号 - 2020年6号 --> * [[P.S.元気です、俊平]]([[柴門ふみ]]) * [[ビー・バップ・ハイスクール]]([[きうちかずひろ]]) * [[彼岸島]]([[松本光司]]) ** 彼岸島 最後の47日間 * [[ピッチディーラー -蹴球賭場師-]](原作:[[昌子春]]、漫画:[[外本ケンセイ|外本健生]]) * [[ヒミズ (漫画)|ヒミズ]]([[古谷実]]) * [[ヒメアノ〜ル]]([[古谷実]]) * [[ファラ夫]]([[和田洋人]]) * [[ブクロキックス]]([[松木いっか]])※『[[マガジンポケット]]』に移籍<!-- 2020年18号 - 2020年45号 --> * [[不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか|不死身の特攻兵 生キトシ生ケル者タチヘ]](原作:[[鴻上尚史]]、漫画:[[東直輝]])※同小説のコミカライズ、『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2018年36・37合併号 - 2020年25号 --> * [[二瘤駱駝]](原作:[[雨中恭]]、作画:[[明石英之]]) * [[2人暮らし]]([[市川ヒロシ]]) * [[不沈アタッカー]]([[粂田晃宏]]) * [[プラスチック解体高校]]([[日本橋ヨヲコ]]) * [[BLACK BRAIN]]([[サガノヘルマー]]) * [[監獄学園|監獄学園 プリズンスクール]]([[平本アキラ]]) * [[フリンジマン]]([[青木U平]]) * [[青龍(ブルードラゴン)]](原作:[[木内一雅]]、作画:[[八坂考訓]])※『[[増刊エグザクタ]]』より移籍。 * [[フローズン (漫画)|フローズン]]([[山崎紗也夏|山崎さやか]]) * [[プロレスメン]]([[ジェントルメン中村]]) * ペイント(妹尾圭祐)※短期集中連載<ref>{{Cite web|和書|url=https://magazine.yanmaga.jp/ym/2023/2023-19.html|title=ヤングマガジン2023年19号|website=ヤングマガジン公式サイト|publisher講談社|accessdate=2023-04-17}}</ref><!-- 2023年19号 - 2023年21・22合併号 --> * [[変な知識に詳しい彼女 高床式草子さん]]([[おはなちゃん]]) * [[放課後ミンコフスキー]](原作:[[青柳碧人]]、作画:[[帯屋ミドリ]]) * [[暴想処女]]([[榎本ハイツ|酉川宇宙]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』より移籍 * [[ボーイズ・ラン・ザ・ライオット]]([[学慶人]])※『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2020年9号 - 2020年39号 --> * [[僕たちがやりました]](原作:[[金城宗幸]]、作画:[[荒木光]]) * [[僕といっしょ]]([[古谷実]]) * [[僕の唄は君の歌]]([[柴門ふみ]]) * [[僕の彼女はサイボーグ]](原案:[[クァク・ジェヨン]]、漫画:[[中村あきひろ]]) * [[僕はどこから]]([[市川マサ]]) * [[XXXHOLiC]]([[CLAMP]])※『[[別冊少年マガジン]]』に移籍 ** XXXHOLiC・戻<!-- 2013年14号 - 2016年32号 --> * [[本阿弥ストラット]]([[玉井雪雄]]) * [[本場ぢょしこうマニュアル]]([[有間しのぶ]]) * [[ポンチョ (漫画)|ポンチョ]]([[立沢克美]]) === ま行 === * [[万祝]]([[望月峯太郎]]) * [[MAGARA]]([[長田裕幸]]) * [[皆殺しのアーサー]]([[古閑裕一郎]])<!-- 2019年44号 - 2020年33号 --> * [[ミュージアム (漫画)|ミュージアム]]([[巴亮介]]) * [[みんな!エスパーだよ!]]([[若杉公徳]]) * [[ムムリン]](原作:[[岩井勇気]]、漫画:[[佐々木順一郎]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2021年36・37合併号 - 2022年36・37合併号 --> * [[女神の鬼]]([[田中宏 (漫画家)|田中宏]]) * [[も〜れつバンビ]]([[柏木ハルコ]]) * [[モンクロチョウ]]([[日暮キノコ]]) * [[モンタージュ (漫画)|モンタージュ]]([[渡辺潤]]) === や行 === * [[ヤキュガミ]](原作:[[クロマツテツロウ]]、漫画:[[次恒一]])※第1部完 * [[約束の大地]]([[いしかわじゅん]]) * [[野獣社員ツキシマ]]([[大和田秀樹]]) * [[ヤニねこ]]([[にゃんにゃんファクトリー]])※短期集中連載 * [[ヤマト猛る!]](宮下英樹) * [[ややBUSU]](原作:[[綾小路あや之]]、漫画:[[前川かずお (漫画家)|前川かずお]]) * [[やりすぎコンパニオンとアタシ物語]]([[平本アキラ]]) * [[ヤンキー塾へ行く]]([[荒木光]]) * [[憂鬱リサイタル]]([[てにおかひろし]])※短期集中連載<!-- 2020年52号 - 2021年13号 --> * [[遊撃少女遊美]](原作:[[小金丸大和]]、漫画:[[高橋伸輔]]) * [[ユウタイノヴァ]]([[押見修造]]) * [[雪女と蟹を食う]]([[Gino0808]]) ※『[[マガジンポケット]]』、『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2019年9号 - 2020年46号 --> ** 雪女と蟹を食う 沖縄編(Gino0808)※『雪女と蟹を食う』の続編、短期集中連載<!-- 2022年31号 - 2022年43号 --> * [[雪にツバサ]]([[高橋しん]])<!-- 2012年33号 - 2015年10号 --> * [[ユキポンのお仕事]]([[東和広 (漫画家)|東和広]]) * [[よしふみとからあげ]]([[関口かんこ]]) * [[シヨイエ童話]]([[業田良家]]) === ら行 === * [[らじかる好キャンティ]]([[山口かつみ]]) * [[ラストマン (漫画)|ラストマン]]([[江川達也]]) * [[LOVE GOD]]([[こしばてつや]]) * [[ラブ♥らっきぃ]]([[克・亜樹]]) * [[ラブリン・モンロー]]([[ジョージ秋山]]) * [[利口になるには青すぎる]](原作:[[大沼隆揮]]、漫画:[[内田裕人]])<!-- 2021年18号 - 2021年48号 --> * [[リモート]](原作:[[樹林伸|天樹征丸]]、漫画:[[こしばてつや]]) * [[RIN (新井英樹)|RIN]]([[新井英樹]])※『[[別冊ヤングマガジン]]』に移籍。 * [[令和雄王 相田宗二]]([[小川ショウマ]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2022年25号 - 2022年46号 --> * 令和☆陰陽師(吉田博嗣)※『ヤンマガWeb』に移籍<!--2023年21・22合併号 - 2023年28号--> * [[RED (村枝賢一)|RED]]([[村枝賢一]])※『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』より移籍。 * [[レッドカード (漫画)|レッドカード]]([[市川マサ]])※『[[マガジンポケット]]』に移籍<!-- 2019年52号 -- 2020年39号 --> * [[レモンエロウ]]([[古町 (漫画家)|古町]])※『ヤンマガWeb』に移籍<!-- 2020年29号 - 2020年38号 --> * [[錬金ブライカン]]([[宝依図]])<!-- 2020年27号 - 2021年26号 --> * [[RRR]]([[渡辺潤]]) * [[ロボニートみつお]]([[小田原ドラゴン]]) === わ行 === * [[Y十M 〜柳生忍法帖〜]](原作:[[山田風太郎]]、漫画:[[せがわまさき]]) * [[私の少年]]([[高野ひと深]])※『[[月刊アクション]]』([[双葉社]])より移籍、月1連載<!-- 2018年26号 - 2020年48号 --> * [[わにとかげぎす]]([[古谷実]]) * [[笑える子羊]]([[岡本健太郎]]) * [[湾岸ミッドナイト]]([[楠みちはる]])※『[[ビッグコミックスピリッツ]]』([[小学館]])より移籍 ** 湾岸ミッドナイト C1ランナー == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[行け!稲中卓球部]] |1995年 |[[グルーパープロダクション]] | |- | rowspan="5" |[[頭文字D]] |1998年(第1期) |[[スタジオコメット]]<br />[[スタジオぎゃろっぷ]] | rowspan="5" |OVA、映画あり |- |1999年-2000年(Second Stage) |パステル |- |2004年-2006年(Fourth Stage) |[[エー・シー・ジー・ティー|A.C.G.T]] |- |2012年-2013年(Fifth Stage) | rowspan="2" |[[シナジーSP]] |- |2014年(Final Stage) |- |[[パパと踊ろう]] |1999年 |[[スタジオディーン]] | |- |[[イッパツ危機娘]] |1999年 |[[グループ・タック]] | |- |[[ちょびっツ]] |2002年 |[[マッドハウス]] | |- | rowspan="2" |[[XXXHOLiC]] |2006年(第1期) | rowspan="2" |[[Production I.G]] | rowspan="2" |映画、OVAあり |- |2008年(第2期) |- |[[湾岸ミッドナイト]] |2007年-2008年 |A・C・G・T |[[ビッグコミックスピリッツ|ビックコミックスピリッツ]]でも連載 |- | rowspan="2" |[[賭博黙示録カイジ]] |2007年-2008年(第1期) | rowspan="2" |マッドハウス | rowspan="2" |スピンオフあり |- |2011年(第2期) |- | rowspan="4" |[[みなみけ]] |2007年(第1期) |[[童夢 (アニメ制作会社)|童夢]] | rowspan="4" |OVAあり |- |2008年(第2期) | rowspan="2" |[[アスリード|asread.]] |- |2009年(第3期) |- |2013年(第4期) |[[フィール (アニメ制作会社)|feel.]] |- |[[バカ姉弟]] |2009年-2010年 |[[シンエイ動画]] |OVAあり |- |[[kiss×sis]] |2010年 |feel. |OVAあり |- |[[監獄学園]] |2015年 |[[J.C.STAFF]] | |- |[[Back Street Girls]] |2018年 |J.C.STAFF | |- |[[1日外出録ハンチョウ]] |2018年 |マッドハウス |『[[賭博黙示録カイジ]]』の登場人物の1人・大槻太郎を主人公としたスピンオフ<br />『[[中間管理録トネガワ]]』の放送枠にて第14話より放送 |- |[[なんでここに先生が!?]] |2019年 |[[ティアスタジオ]] | |- |[[手品先輩]] |2019年 |[[ライデンフィルム]] | |- |[[ソウナンですか?]] |2019年 |Ezo'la | |- |[[ギャルと恐竜]] |2020年 |スペースネコカンパニー<br />[[神風動画]] | |- |[[パリピ孔明]] |2022年 |[[ピーエーワークス|P.A.WORKS]] | |- |[[マイホームヒーロー]] |2023年 |[[手塚プロダクション]] | |- | rowspan="2" |[[MFゴースト]] |2023年(第1期) | rowspan="2" |[[FelixFilm]] | rowspan="2" | |- |2024年(第2期) |- |[[アンダーニンジャ]] |2023年 |手塚プロダクション | |- |[[ザ・ファブル]] |2024年 |手塚プロダクション | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 劇場アニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[AKIRA (漫画)|AKIRA]] |1988年 |[[東京ムービー新社]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[酎ハイれもん LOVE30S|酎ハイれもん]] |1985年 |[[土田プロダクション]] | |- |[[ビー・バップ・ハイスクール]] |1990年-1998年 |[[東映動画]] | |- | rowspan="2" |[[3×3 EYES]] |1991年(第1シリーズ) |東映動画 | rowspan="2" | |- |1995年-1996年(第2シリーズ) |[[スタジオジュニオ]] |- |[[サムライダー]] |1991年 |エム・ティ・ヴィ | |- |[[シャコタン☆ブギ]] |1991年-1992年 |[[ぴえろ|スタジオぴえろ]] | |- |[[柔道部物語]] |1991年 ! | |- |[[ゴリラーマン]] |1992年 ! | |- |[[ハロー張りネズミ]] |1992年 ! | |- |[[代紋TAKE2]] |1993年-1995年 ! | |- |[[お天気お姉さん (漫画)|お天気お姉さん]] |1995年 ! | |- |[[工業哀歌バレーボーイズ]] |1997年 |J.C.STAFF・スタジオマーチ | |- |[[ハンツー×トラッシュ]] |2015年-2016年 |[[フッズエンタテインメント]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webアニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[彼岸島]] |2016年-2017年 |TETRA、Fever Creations | |} === ドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !備考 |- | rowspan="2" |ビー・バップ・ハイスクール |2004年(第1弾) | rowspan="2" |TBS、[[TBSテレビ|TBSエンタテインメント]] | rowspan="2" | |- |2005年(第2弾) |- |代紋TAKE2 |1993年-1997年 |{{N/A}} | |- |お天気お姉さん |1997年 |[[テレビ朝日]] | |- | rowspan="3" |ハロー張りネズミ |1996年(スペシャルドラマ) |TBS、[[テレパック]] | rowspan="3" | |- |2005年(偵探物語) |{{N/A}} |- |2017年(連続ドラマ) |[[オフィスクレッシェンド]]、TBS |- |彼岸島 |2013年 | rowspan="2" |エクセレントフィルムズ | |- |Back Street Girls |2019年 | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ ビデオドラマ !作品 !発売年 !制作 !備考 |- | rowspan="2" |ビー・バップ・ハイスクール |1996年-1997年(Vシネマ第1期) | rowspan="2" |[[東映ビデオ]] | rowspan="2" | |- |1997年-1998年(Vシネマ第2期) |- | rowspan="2" |工業哀歌バレーボーイズ |1992年(オリジナルビデオ版) |{{N/A}} | rowspan="2" | |- |2006年(オリジナルDVD版) |ナインマイルズ |- |お天気お姉さん |1995年-1996年(オリジナルビデオ) |[[東北新社]]、[[バンダイビジュアル]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webドラマ !作品 !配信年 !制作 !備考 |- |[[ケンシロウによろしく]] |2023年 |{{N/A}} | |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !年 !監督 !配給 !備考 |- | rowspan="4" |ビー・バップ・ハイスクール |1985年([[ビー・バップ・ハイスクール (1985年の映画)|第1作]]) | rowspan="4" |[[那須博之]] |[[東映洋画]] | rowspan="4" | |- |1986年([[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌|第2作]]) | rowspan="3" |[[東映]] |- |1987年([[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲|第3作]]、[[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲|第4作]]) |- |1988年([[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭|第5作]]、[[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇|第6作]]) |- |シャコタン☆ブギ |1987年 |[[中原俊]] ! | |- |工業哀歌バレーボーイズ |2008年 |[[高明]] |[[クロックワークス]] | |- | rowspan="4" |賭博黙示録カイジ |2009年([[カイジ 人生逆転ゲーム|第1作]]) | rowspan="2" |[[佐藤東弥]] | rowspan="2" |[[東宝]] | rowspan="4" | |- |2011年([[カイジ2 人生奪回ゲーム|第2作]]) |- |2018年(動物世界) |ハン・イエン |北京光線影業有限公司 |- |2020年([[カイジ ファイナルゲーム|第3作]]) |佐藤東弥 |東宝 |- | rowspan="2" |彼岸島 |2010年(第1作) |[[キム・テギュン (映画監督)|キム・テギュン]] |[[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]] | rowspan="2" | |- |2016年(第2作) |渡辺武 ! |- |Back Street Girls |2019年 |[[原桂之介]] |東映 | |- | rowspan="2" |ザ・ファブル |2019年(第1作) | rowspan="2" |[[江口カン]] | rowspan="2" |[[松竹]] | rowspan="2" | |- |2021年([[ザ・ファブル 殺さない殺し屋|第2作]]) |} == 発行部数 == * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,044,489部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/index.html 社団法人日本雑誌協会] JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,012,209部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 998,198部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 981,229部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 940,817部<ref name="jmpa" /> * 2011年(2010年10月 - 2011年9月) 725,235部(印刷証明付部数)<ref name="archive_2012-10-14">[https://web.archive.org/web/20121014131351/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/m6.html 社団法人 日本雑誌協会 - JMPAマガジンデータ - 男性 コミック] - [[一般社団法人]][[日本雑誌協会]](2012年10月14日時点のアーカイブ)</ref> * 2012年(2011年10月 - 2012年9月) 665,407部(印刷証明付部数)<ref name="archive_2013-06-15">[https://web.archive.org/web/20130615055917/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/m6.html 社団法人 日本雑誌協会 - JMPAマガジンデータ - 男性 コミック] - 一般社団法人日本雑誌協会(2013年6月15日時点のアーカイブ)</ref> * 2013年(2012年10月 - 2013年9月) 607,920部(印刷証明付部数)<ref name="archive_2014-02-07">[https://web.archive.org/web/20140207170827/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/m6.html 社団法人 日本雑誌協会 - JMPAマガジンデータ - 男性 コミック] - 一般社団法人日本雑誌協会(2014年2月7日時点のアーカイブ)</ref> {| class="wikitable" |+発行部数(2008年4月以降) [https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会] !!!1〜3月!!4〜6月!!7〜9月!!10〜12月 |- !2008年 ||| 937,500 部 || 914,584 部 || 881,667 部 |- !2009年 | 863,500 部 || 843,342 部 || 839,542 部 || 838,400 部 |- !2010年 | 820,334 部 || 793,834 部 || 778,917 部 || 762,455 部 |- !2011年 | 739,584 部 || 707,834 部 || 694,167 部 || 686,667 部 |- !2012年 | 677,500 部 || 657,625 部 || 639,834 部 || 634,584 部 |- !2013年 | 617,084 部 || 608,750 部 || 576,500 部 || 558,182 部 |- !2014年 | 545,077 部 || 533,334 部 || 512,917 部 || 475,455 部 |- !2015年 | 453,077 部 || 445,000 部 || 430,000 部 || 420,000 部 |- !2016年 | 420,000 部 || 415,000 部 || 407,367 部 || 406,943 部 |- !2017年 | 396,235 部 || 390,000 部 || 386,542 部 || 383,250 部 |- !2018年 | 367,542 部 || 353,208 部 || 343,783 部 || 337,500 部 |- !2019年 | 325,733 部 || 325,083 部 || 307,569 部 || 300,755 部 |- !2020年 | 276,746 部 || 265,125 部 || 257,708 部 || 250,455 部 |- !2021年 | 242,385 部 || 232,917 部 || 220,667 部 || 218,000 部 |- !2022年 | 210,000 部 || 210,000 部 || 204,333 部 || 200,000 部 |- !2023年 | 194,689 部 || 188,667 部 || 183,017 部 || |} {{節スタブ}} == 増刊号 == [[1980年代]]から[[1990年代]]には増刊号が不定期で発行されていた。 [[2000年代]]以降には、『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』『[[月刊ヤングマガジン]]』などの姉妹誌が存在する為、『ヤングマガジンGT』など単発企画中心の増刊号が発行された。姉妹誌の『ヤングマガジンアッパーズ』との合同企画として「スポ増」「妹増」なども発行された。 [[2010年代]]に入ってからは、「GAG増刊」<ref>[https://natalie.mu/comic/news/102367 コミックナタリー - ヤンマガGAG増刊にミサワら新作!押切蓮介「でろでろ」も] - [[コミックナタリー]](2014年6月12日閲覧)</ref><ref>[https://twitter.com/yanmaga_gag ヤンマガGAG増刊部 (yanmaga_gag)] - [[Twitter]]</ref>、『ヤングマガジンサード』が発行されている。 {{節スタブ}} <!--以下、増刊号の各節は創刊時期昇順で並んでいます。--> === ヤングマガジン海賊版 === [[1986年]]から[[1995年]]頃まで不定期に刊行されていた増刊号<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000061581-00 国立国会図書館サーチ - 書誌詳細 - 1988 - Young magazine 海賊版 (講談社)] - [[国立国会図書館]]サーチ(2014年6月10日閲覧)</ref>。「[[海賊版]]」と銘打ってはいるが、講談社によって正規に発行された漫画雑誌である。第1号は1986年[[4月14日]]号{{要出典|date=2014年6月}}。<!--国立国会図書館サーチでは「88-95年」になっていますが、87年以前にも刊行されています:『サムライダー』など掲載。--> ==== 海賊版の掲載作品 ==== * [[ビー・バップ海賊版|BE-BOP海賊版]]([[まんひるめめおか]]) * [[GOD SAVE THE すげこまくん!]]([[永野のりこ]])※『週刊ヤングマガジン』本誌に移籍 * [[SWEET三国志]]([[片山まさゆき]]) * [[サムライダー]]([[すぎむらしんいち]])※『週刊ヤングマガジン』本誌に移籍 * [[攻殻機動隊]]([[士郎正宗]])※『週刊ヤングマガジン』本誌に移籍 * [[ライトニング・ブリゲイド]]([[永福一成]]) * [[放課後戦隊ゴタッキー]]([[イワシタシゲユキ|そらみみくろすけ]]) <!--『海賊版』の掲載作品は連載作品が中心の為、現状では短編作品は列挙していません。--> === ヤングマガジン増刊黒ブタルーキー号 === [[1988年]]から[[1993年]]まで発行された増刊号<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000084530-00 国立国会図書館サーチ - 書誌詳細 - 1988 - Young magazine 黒ブタルーキー号 : ヤングマガジン増刊 (講談社)] - 国立国会図書館サーチ(2014年6月10日閲覧)</ref>。 ==== 黒ブタルーキー号の掲載作品 ==== * [[かたおかみさお]]「男と女のFriendly」<ref name="kmso_works">[http://homepage3.nifty.com/kmso/works.html かたおかみさお セミオフィシャル 作品一覧](2014年6月12日閲覧)</ref> ※デビュー作 * [[こしばてつや]]「IKENAI!いんびテーション」1988年7月31日増刊黒ブタルーキー号 ※デビュー作 * [[イワシタシゲユキ|そらみみくろすけ]]「SELF-SEEKERS」1991年'91春の黒豚ルーキー号 * [[松本剛 (漫画家)|松本剛]]「もんくのある気持ち」1990年 <!--渡辺潤のデビュー作のタイトルが判明次第追加します。--> === ヤングマガジンGT === [[1991年]]から不定期刊行された増刊号。[[2000年]]に「新増刊」として第1号からの通巻となっている。 ==== ヤングマガジンGTの掲載作品 ==== * [[鬼頭莫宏]]「[[AとR]]」 * [[しげの秀一]]「[[頭文字D|頭文字D番外編 ウエストゲート]]」2000年1号(2001年1月10日増刊号)、「[[頭文字D|頭文字D番外編 ウエストゲート2]]」(2001年9月1日増刊号)。 * [[新谷かおる]]「[[NAVI (漫画)|NAVI]]」2000年1号(2001年1月10日増刊号)、2001年2号・3号・4号、2002年5号・6号。 === ヤングマガジン増刊エグザクタ === [[1993年]]から1995年まで発行された増刊号<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000089669-00 国立国会図書館サーチ - 書誌詳細 - 1993 - エグザクタ (講談社)] - 国立国会図書館サーチ(2014年6月10日閲覧)</ref>。 {{See|増刊エグザクタ}} === ヤングマガジン増刊ダッシュ === 1993年から不定期刊行された増刊号。 ==== 増刊ダッシュの掲載作品 ==== * [[かたおかみさお]]「SISTER」<ref name="kmso_works"/>、「制服」<ref name="kmso_works"/>、「渡辺さん家の大事件」<ref name="kmso_works"/> * [[こいおみなと|恋緒みなと]]「めぐみ(火)白書」<!--1994年5月--> ※一般誌デビュー作 * [[島本和彦]]「[[炎の筆魂#『炎の筆魂』収録作品|アカデミー]]」1993年1号 * [[イワシタシゲユキ|そらみみくろすけ]]「黒BUTA旋風プリティープリティー」(全2回)<!--1994年--> * [[とり・みき]]「[[冷食捜査官|チャイナタウン]]」1993年2号、「[[冷食捜査官|笑う配達人]]」1994年3号、「[[冷食捜査官|マグロの出てきた日]]」1994年4号、「[[冷食捜査官|コオリの微笑]]」1994年5号、「[[冷食捜査官|寒い穴から帰ってきた捜査官]]」1995年6号。 * [[むとうひろし]]「幻想人類」<!--1995年--> ※デビュー作 * [[山崎紗也夏|沖さやか]]「群青」<!--1993年9月--> ※デビュー作 <!--上記、各作品の掲載号数の特定が完了した場合には、掲載号別の項目リストに変更も可能。「作品名五十音順」よりはマシかと思いますので。--> === ヤングマガジン増刊赤BUTA === 1995年から[[1999年]]まで発行されたまで不定期に刊行されていた増刊号。新人作家による短編読み切り作品を中心に掲載。 ==== 増刊赤BUTAの掲載作品 ==== * [[石川雅之]]「[[カタリベ]]」1998年 - 1999年<!--『赤BUTA』連載および期間は、記事『カタリベ』に準拠。記事『石川雅之』では『青BUTA』にも掲載と記述。リイド社版単行本は、収録作の掲載誌情報が一切ないため確認不能。少年画報社版単行本は見確認。--> * [[押切蓮介]]「[[ドヒー!おばけが僕をぺんぺん殴る!|4444]]」1998年20号 * [[小田原ドラゴン]]「[[僕はスノーボードに行きたいのか?]]」1997年13号 ※デビュー作、「[[おやすみ、幸せな夢が見られるように。]]」1997年14号・15号 ※『週刊ヤングマガジン』本誌に移籍。 * [[タイム涼介]]「[[新人日記]]」1996年 - 1999年 * [[日本橋ヨヲコ]]「[[バシズム|バング スタイル ア ゴー ゴー]]」1996年8号、「[[バシズム|インセクトソウル]]」1997年10号、「[[バシズム|Id [イド]]]」1997年11号、「[[バシズム|ギアボイス]]」1997年11号、「[[バシズム|ストライク シンデレラ アウト]]」1998年20号。 * [[福本伸行]]「[[賭博黙示録カイジ|カイジ外伝]]」1997年 * [[祭丘ヒデユキ|祭丘日出雪]]「[[マンマイマー]]」1998年 * [[ロクニシコージ]]「[[今ニャン時ニャン分ニャン秒]]」1996年 ※デビュー作 === ヤングマガジン増刊青BUTA === [[1998年]]から1999年まで発行された不定期に刊行されていた増刊号。新人作家による短編読み切り作品を中心に掲載。 ==== 増刊青BUTAの掲載作品 ==== * [[押切蓮介]]「[[ドヒー!おばけが僕をぺんぺん殴る!|恐怖!! 人喰いマンション]]」1999年7号 === ヤングマガジンサード === [[2014年]]に創刊された増刊の月刊誌<ref name="archive20140828">[https://web.archive.org/web/20140828124625/http://yanmaga.jp/3rd/ WEBヤンマガ - ヤングマガジン公式サイト - ヤングマガジン The 3rd] - データなし(2014年8月28日時点の[[インターネットアーカイブ]])</ref>。 {{See|ヤングマガジンサード}} == 姉妹誌 == === ヤングマガジンアッパーズ === 1998年創刊、2004年休刊。 {{Main|ヤングマガジンアッパーズ}} === 別冊ヤングマガジン === 1999年創刊、2009年休刊。リニューアル後継誌は『月刊ヤングマガジン』。 {{Main|月刊ヤングマガジン}} === 月刊ヤングマガジン === 2009年創刊。『別冊ヤングマガジン』のリニューアル後継誌。 {{Main|月刊ヤングマガジン}} == 漫画アプリ・WEB連載 == === eヤングマガジン === 2015年12月18日に『ヤングマガジン海賊版』からリニューアル。[[エブリスタ]]との共同運営。略称は「'''eヤンマガ'''」。2021年3月31日にサービス終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://estar.jp/announces/673 |title=「eヤングマガジン(エブリスタコミック)」のサービス終了について |date=2020-12-21 |website=eヤングマガジン |accessdate=2021-11-30}}</ref>。 ==== 連載作品(eヤンマガ) ==== 五十音順、再掲載作品含む。 * [[生贄投票]](原案:[[葛西竜哉]]、漫画:[[江戸川エドガワ]]) * [[火葬場のない町に鐘が鳴る時]](原案:[[碧海景]]、漫画:[[和夏弘雨]]) * [[機動戦士ガンダム Twilight AXIS]](協力:[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]、コンセプトアドバイザー:[[Ark Performance]]、原作:[[矢立肇]]・[[富野由悠季]]、漫画:[[蒔島梓]])※[[月刊ヤングマガジン]]との並行連載。 * [[キマイラの爪痕]](原案:[[村田屋]]、漫画:[[上西淳二]]) * [[CAPTAINアリス]]([[高田裕三]])※『[[イブニング]]』からの再掲。 * [[クダンノゴトシ]]([[渡辺潤]])※『週刊ヤングマガジン』からの再掲。 * [[校舎の天では悪魔が嗤っている]]([[小山鹿梨子|蜂屋あい et 小山鹿梨子]]) * [[3×3 EYES|3×3EYES 幻獣の森の遭難者]]([[高田裕三]]) ** [[3×3 EYES|3×3EYES 鬼籍の闇の契約者]]([[高田裕三]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』に移籍。 * [[少女支配]]([[筒井いつき]]) * [[食糧人類-Starving Anonymous-]](原案:[[水谷健吾]]、原作:[[蔵石ユウ]]、漫画:[[イナベカズ]]) * [[ゼウスの手]]([[花月仁]]) * [[トイレのテンコさん]](原案:[[不器用なヤン]]、漫画:[[しまこ美季]])<ref>https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000014996</ref>※ヤングマガジン海賊版 * [[猫はよみがえる]](原案:[[三石メガネ]]、漫画:[[高橋翔馬]]) * [[ハルシオン・ランチ]]([[沙村広明]])※『[[Good!アフタヌーン]]』からの再掲。 * [[ハレ婚。]]([[NON (漫画家)|NON]])※『週刊ヤングマガジン』との並行連載。 * [[パラレルパラダイス]]([[岡本倫]])※『週刊ヤングマガジン』との並行連載。 * [[祕十村]](原案:[[白輝蓮]]、漫画:[[宗方馨]]) * [[ふしだらな乙女たち (「ヤンデレvs.殺人鬼」より)]](原案:[[田原直樹]]、漫画:[[あたる]]) * [[HENTAI (漫画)|HENTAI]](原案:[[快紗瑠]]、漫画:[[うめ丸]]) * [[保険加入者に告ぐ。]](原案:[[田丸哲二]]、漫画:[[渡辺悠 (漫画家)|渡辺悠]]) * [[みだりにみだらな黒雪姫online]]([[うずめ&もこ]]) * [[よしふみとからあげ]]([[関口かんこ]])※『週刊ヤングマガジン』より移籍。 * [[Rule-消滅教室-]](原案:[[-104-]]、漫画:[[臼井ともみ]]) * [[レオくんは今日も優しい]]([[ひわきはる]]) * [[煉獄ゲーム]](原案:[[江崎双六]]、構成:[[北野弘務]]、作画:[[福原蓮士]]) === ヤンマガWeb === ヤングマガジンの公式サイト。 2020年にリニューアル。 ==== ヤンマガWebの連載中作品 ==== ===== 毎日 ===== ===== 月曜日 ===== * [[あらくれお嬢様はもんもんしている]]([[木下由一]]) * [[ギフテッド]]([[天樹征丸]]/[[雨宮理真]]) * [[ギャルせん]]([[植野メグル]]) * [[ギャルと恐竜]](フルカラー版)(原作:[[森もり子]]、漫画:[[トミムラコタ]]) * [[月曜日のたわわ]]([[比村奇石]])※同作品のコミカライズ。 * [[喧嘩商売|喧嘩稼業]]([[木多康昭]])※『喧嘩商売』の続編。不定期更新。 * [[グリーンバレット|グリーンバレット―殺し屋と6人の青二才―]](原作:[[阪元裕吾]]、漫画:[[小倉祐也]]、企画・構成:[[橋本カヱ]])※同映画のコミカライズ。隔週更新 * [[ケンシロウによろしく]]([[ジャスミン・ギュ]]) * [[攻殻機動隊 THE HUMAN ALGORITHM]]([[藤咲淳一]]、[[吉本祐樹]]、Based on [[攻殻機動隊|"THE GHOST IN THE SHELL"]] series) * [[code:ノストラ]](原作:[[樹林伸|安藤夕馬]]、漫画:[[明石英之]])※『週刊ヤングマガジン』より移籍。 * [[純猥談]]([[純猥談編集部]]/[[田川とまた]]) * [[神龍イデア]]([[連打一人]]) * [[スクールオブトレード]]([[海野ぴるん]]) * [[捨て猫に拾われた僕]]([[里中翔]]/[[梅田悟司]]) * [[税金で買った本]]([[ずいの]]/[[系山冏]]) * [[タダでは抱かれません]]([[檜原フキ]]) * [[彼岸島|彼岸島 48日後…]]([[松本光司 (漫画家)|松本光司]])※『彼岸島』シリーズの続編 * [[監獄学園|監獄学園 プリズンスクール]]([[平本アキラ]]) * [[ホームルーム (漫画)|ホームルーム]]([[千代 (漫画家)|千代]]) * [[マイホームヒーロー]](原作:[[山川直輝]]、漫画:[[朝基まさし]]) * [[ムムリン]]([[岩井勇気]]/[[佐々木順一郎]])※『週刊ヤングマガジン』より移籍。 ===== 火曜日 ===== * [[アカイリンゴ]]([[ムラタコウジ]])※当初は金曜日更新 * [[あの、一本イれていいですか?]]([[森口ジョー]]) * [[アンダードッグ]]([[冨田望]]) * [[アンダーニンジャ]]([[花沢健吾]]) * [[生贄投票]]([[江戸川エドガワ]]/[[葛西竜哉]]) * [[頭文字D]]([[しげの秀一]]) * [[SNS探偵オノノキツカサ]]([[カレーとネコ]]/[[馬酔髙]]) * [[MFゴースト]]([[しげの秀一]]) * [[片喰と黄金]]([[北野詠一]]) * [[グレイプニル (漫画)|グレイプニル]]([[武田すん]]) * [[ゴリせん 〜パニックもので真っ先に死ぬタイプの体育教師〜]]([[酒井大輔]]) * [[ザ・ファブル]]([[南勝久]]) ** [[ザ・ファブル|ザ・ファブル The second contact]]([[南勝久]]) * [[首都高SPL]]([[楠みちはる]]) * [[スケッチー]]([[マキヒロチ]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[吉祥寺だけが住みたい街ですか?|それでも吉祥寺だけが住みたい街ですか?]]([[マキヒロチ]]) * [[テンカイチ 日本最強武芸者決定戦]]([[中丸洋介]]/[[あずま京太郎]]) * [[何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが!?]](原作:[[井出圭亮]]、漫画:[[藤本けんし]]) * [[はたらく細胞|はたらく細胞イリーガル]]([[橋本カヱ]]/[[次恒一]]/[[清水茜]]) * [[パリピ孔明]](原作:[[四葉夕卜]]、漫画:[[小川亮]]) ※当初は木曜日更新 * [[女神のスプリンター]](原作:[[原田重光]]、漫画:[[かろちー]]) * [[私の恋で死んでくれ]]([[としき]]/[[山川まち]]) ===== 水曜日 ===== * [[雨と君と]]([[二階堂幸]]) * [[推しが辞めた]]([[オガワサラ]]) * [[踊るリスポーン]]([[三ヶ嶋犬太朗]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[クロウマン]]([[夜光虫]]) * [[ゴリラーマン|ゴリラーマン40]]([[ハロルド作石]])※『ゴリラーマン』の続編 * [[今夜は車内でおやすみなさい。]]([[小田原ドラゴン]]) * [[サタノファニ]]([[山田恵庸]]) * [[GTO (漫画)|GTO パラダイス・ロスト]]([[藤沢とおる]]) ※『GTO』シリーズの続編 * [[地球から来たエイリアン]]([[有馬慎太郎]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[賭博黙示録カイジ|賭博堕天録カイジ 24億脱出編]]([[福本伸行]])※『カイジ』シリーズの続編 * [[NIGHT HEAD|NIGHT HEAD 2041]]([[飯田譲治]]/[[NIGHT HEAD|NIGHT HEAD 2041 製作委員会]]/[[小川慧]]) * [[はらぺこサキュバスはいかせたいのに!]]([[たびれこ]]) * [[人妻の唇は缶チューハイの味がして]]([[チンジャオ娘]]/[[野上たま]]) * [[ぷにゅさんとマネ]]([[温泉川ワブ]]) * [[XXXHOLiC]]([[CLAMP]]) * [[魔女と野獣]]([[佐竹幸典]]) ===== 木曜日 ===== * [[明日のエサ キミだから]]([[若杉公徳]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[アダマスの魔女たち]]([[今井ユウ]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[アルキメデスの大戦]]([[三田紀房]])※『週刊ヤングマガジン』より移籍。 * [[犬と屑]]([[朝賀庵]]) * [[犬になったら好きな人に拾われた。]]([[古川五勢]]) * [[えちえちすぎる転生偉人美少女の性欲が強すぎてつらい]]([[ありしゃん]]) * [[彼女の友達]]([[じゅら]]) * [[カプエルちゃんは見てほしい]]([[ジュピターゼニガメ]]/[[悪食斎]]) * [[きみだけがほんとう]]([[やっそん義之]]) * [[今日はカノジョがいないから]]([[岩見樹代子]]) * [[機龍警察]]([[月村了衛]]/[[フクダイクミ]]/[[イナベカズ]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[ごくちゅう!]]([[こんぱる]]&[[ふじしまペポ]]、取材協力:[[草下シンヤ]]、[[雨宮]]) * [[死相学探偵]]([[西塚em]]/[[三津田信三]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[新宿スワン]]([[和久井健]]) * [[センパイ!わざとじゃないんです!]]([[saku (漫画家)|saku]]) * [[蓼食う君も好き好き]]([[当麻]]) * [[中間管理録トネガワ]](協力:[[福本伸行]]、原作:[[萩原天晴]]、漫画:[[三好智樹]]・[[橋本智広]])※カイジのスピンオフ * [[なんでここに先生が!?]](フルカラー版)([[蘇募ロウ]]) ※「ゴールデンタイムズ」から改題 * [[満州アヘンスクワッド]]([[鹿子]]/[[門馬司]]) * [[ミニマルズ〜ゲジまゆヒメ太とまんまるヤマネが春を行く〜]]([[東和広]]) * [[ヨモツヘグイ 死者の国の果実]]([[柿崎正澄]]) * [[ライドオン!]]([[水平線 (漫画家)|水平線]]) * [[渡くんの××が崩壊寸前]]([[鳴見なる]]) ===== 金曜日 ===== * [[亜童]]([[天野雀]]) * [[異世界帰りの大賢者様はそれでもこっそり暮らしているつもりです]]([[木野二九]]/[[岡崎純平]]/[[日下コウ]]) * [[異世界の歩き方 エルフと社畜のモンスターツアーズ]]([[redo]]) * [[異世界ひとっ娘動物園 僕は絶滅危惧種の飼育員になりました]]([[うめ丸]]/[[藤原休樹]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[1日外出録ハンチョウ]](協力:[[福本伸行]]、原作:[[萩原天晴]]、漫画:[[上原求]]&[[新井和也]])※『カイジ』シリーズのスピンオフ作品。 * [[Sランクパーティから解雇された【呪具師】〜『呪いのアイテム』しか作れませんが、その性能はアーティファクト級なり……!〜]]([[LA軍]]/[[小川錦]]) * [[解雇された暗黒兵士(30代)のスローなセカンドライフ]]([[岡沢六十四]]/[[るれくちぇ]]/[[sage・ジョー]]) * [[恋と千里眼と青二才]]([[御家かえる]]) * [[股間無双〜嫌われ勇者は魔族に愛される〜]]([[ジブロー]]/[[脇道それる]]) * [[技巧貸与のとりかえし〜トイチって最初に言ったよな?〜|技巧貸与<スキルレンダー>のとりかえし〜トイチって最初に言ったよな?〜]]([[黄波戸井ショウリ]]/[[小山ナオト]]) * [[セブン☆スター|セブン☆スターJT]]([[柳内大樹]])※『[[セブン☆スター]]』シリーズの続編 * [[センゴク|センゴク権兵衛]](}[[宮下英樹]])※『センゴク』シリーズ最終章 * [[その無能、実は世界最強の魔法使い 〜無能と蔑まれ、貴族家から追い出されたが、ギフト《転生者》が覚醒して前世の能力が蘇った〜]]([[蒼乃白兎]]/[[三川彡]]/[[緒方てい]]) * [[そんなヒロキも異世界へ]]([[岡本健太郎]]/[[さがら梨々]]) * [[タマロワ 〜100%金目当て 資産35億のイケメンを巡る訳アリ女達の玉の輿バトルロワイヤル〜]]([[山口ミコト]]/[[まりお (漫画家)|まりお]]) * [[追放された転生重騎士はゲーム知識で無双する]]([[猫子]]/[[武六甲理衣]]/[[じゃいあん]]) * [[底辺冒険者だけど魔法を極めてみることにした 〜無能スキルから神スキルに進化した【魔法創造】と【アイテム作成】で無双する〜]]([[蒼乃白兎]]/[[坂野杏梨]]/[[かわく]]) * [[転生貴族の万能開拓〜【拡大&縮小】スキルを使っていたら最強領地になりました〜]]([[錬金王]]/[[Kuron]]/[[るれくちぇ]]) * [[10DANCE]]([[井上佐藤]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。当初は日曜日更新 * [[ドラゴンヘッド]]([[望月峯太郎]]) * [[恥じらう君が見たいんだ]]([[甜米らくれ]]) * [[ハズレスキル「逃げる」で俺は極限低レベルのまま最強を目指す]]([[天宮暁]]/[[pupps]]/[[雪永ちっち]]/[[あずきこ]]) * [[パラレルパラダイス]]([[岡本倫]]) * [[美龍艶笑譚〜自己肯定感が激低なドラゴン級美少女魔王を、勇者がイチャラブで退治するお話〜]]([[ブラック木蓮]]/[[郊外の某]]) * [[ビンテイジ]]([[赤堀君]]) * [[辺境の老騎士 バルド・ローエン]]([[菊石森生]]/[[支援BIS]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍。 * [[みなみけ]]([[桜場コハル]]) * [[ミニマム (漫画)|ミニマム]]([[宮崎摩耶]]) * [[リトルホーン〜異世界勇者と村娘〜]]([[額縁あいこ]]) ===== 土曜日 ===== * [[愛しています、キョーコさん。]]([[藤村緋二]]/[[のざわたけし]])※『[[ヤングマガジンサード]]』より移籍 * [[雨夜の月]]([[くずしろ]]) * [[ウチキャバ 〜お家でキャバクラして兄ちゃんを女の子になれさせよう大作戦〜]]([[松元こみかん]]) * [[笑顔のたえない職場です。]]([[くずしろ]]) * [[火葬場のない町に鐘が鳴る時]](原案:[[碧海景]]、漫画:[[和夏弘雨]]) * [[カラミざかり ボクのほんとと君の嘘]]([[御池慧]]) * [[女子校のこひー先生]]([[新井春巻]]) * [[戦花]]([[わらいガため]]) * 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* [[虎鶫 とらつぐみ -TSUGUMI PROJECT-]]([[ippatu]]) * [[二度と自撮り送ってやんない!]]([[竹掛竹や]]) * [[初恋は血の味がする]]([[山田憂香]]) * [[僕は君たちを支配する]]([[千田大輔]]) * [[みんなのうた (漫画)|みんなのうた]]([[青野春秋]]) * [[令和雄王 相田宗二]]([[小川ショウマ]]) ==== ヤンマガWebの連載終了作品 ==== * [[アンサングヒーロー]]([[うらたにみずき]]/[[鯛噛]]) * [[利口になるには青すぎる]](原作:[[大沼隆揮]]、漫画:[[内田裕人]]) * [[アンダースピリット]]([[吉田博嗣]])※短期集中連載 * [[異世界帰りの大賢者様はそれでもこっそり暮らしているつもりです]]([[木野二九]]/[[岡崎純平]]/[[日下コウ]]) * [[英語××センセイ(仮)]]([[西渡槇]])※『[[月刊ヤングマガジン]]』より移籍 * [[英語BOYS〜英単語で一儲けするBOYSの略〜]]([[石川実]]) * [[影霧街]]([[大瀬戸陸]]) * [[おたくの隣りはエルフですか?]]([[植野メグル]]) * [[オペ看]](原作:[[人間まお]]、漫画:[[ミサヲ]]) * [[彼岸島|彼、岸島]](原作:[[松本光司 (漫画家)|松本光司]]、漫画:[[佐世保太郎]])※『[[彼岸島]]』シリーズのスピンオフ。『[[コミックDAYS]]』との並行連載。隔週更新。 * [[kiss×sis]]([[ぢたま(某)]]) * [[奇生列島]]([[江戸川エドガワ]]) * [[ギャルと恐竜]](モノクロ版)(原作:[[森もり子]]、漫画:[[トミムラコタ]]) * [[CANDY&CIGARETTES]]([[井上智徳]]) * [[兄弟ゾンビ]]([[外山竜耳]]) * [[金曜日のバカ飯先輩]]([[赤堀君]]/[[よしづきくみち]]) * [[グッドファザーボード]]([[大竹玲二]]/[[見ル野栄司]]) * [[ゲシュタルト (漫画)|ゲシュタルト]]([[陽藤凛吾]]) * [[攻殻機動隊]]([[士郎正宗]]) * [[校舎の天では悪魔が嗤っている]]([[蜂屋あいet小山鹿梨子]]) * 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news|url=https://natalie.mu/comic/news/469071|title=アメトーーク!“ヤンマガ芸人”が作品に登場、ケンコバ&ムーディ勝山が「ファブル」に|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-11|accessdate=2022-03-11}}</ref>。ゲスト芸人は[[ケンドーコバヤシ]]、[[バカリズム]]、[[麒麟 (お笑いコンビ)|麒麟]][[川島明]]、[[サバンナ (お笑いコンビ)|サバンナ]][[高橋茂雄]]、[[磁石 (お笑いコンビ)|磁石]][[永沢たかし]]、[[ムーディ勝山]]{{R|natalie20220311}}。放送終了後の2022年3月14日発売の15号にて、本誌の作品の作中に芸人たちが登場する{{R|natalie20220311}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[ミスマガジン]](グラビアアイドルのコンテスト) * [[黒BUTA農場]](記事ページ) * [[ヤングマガジン (曖昧さ回避)]] == 外部リンク == * [https://magazine.yanmaga.jp/ym/ ヤングマガジン 公式サイト] * {{Twitter|magazine_young|ヤングマガジン編集部}} * [https://yanmaga.jp/ ヤンマガWeb 公式サイト] * {{Twitter|yanmagaweb|ヤンマガWeb}} {{週刊ヤングマガジン連載中}} {{講談社}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1 = eヤングマガジン |1-1 = 週刊ヤングマガジン |1-2 = 講談社の歴史 |1-3 = かつて存在したウェブコミック配信サイト |1-4 = 2015年開設のウェブサイト |1-5 = 2021年廃止のウェブサイト |1-6 = 日本のウェブサイト |redirect2 = ヤンマガWeb |2-1 = 週刊ヤングマガジン |2-2 = ウェブコミック配信サイト |2-3 = 2020年開設のウェブサイト |2-4 = 日本のウェブサイト 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ビッグコミックスピリッツ
『週刊ビッグコミックスピリッツ』は、小学館が発行する日本の週刊青年漫画雑誌。1980年10月創刊。毎週月曜日発売。『ビッグスピリッツ』と略されることもある。 創刊編集長は白井勝也。創刊当初は月刊(毎月14日発売)だったが、1981年6月から15日と30日の月2回発売に。1986年4月からは週刊となっている。2021年6月時点での編集長は石田貴信。単行本はビッグコミックスレーベルで発売される。週刊誌のため、ビッグコミック4兄弟の中で発行頻度が最も多い。 ビッグコミック系の中では対象年齢がもっとも低く、『週刊少年サンデー』の青年誌版、『週刊ヤングジャンプ』『週刊ヤングマガジン』と競合するヤング誌として創刊された。初期は宮谷一彦や谷口ジローを起用するなど、劇画志向も強かったが、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』、高橋留美子『めぞん一刻』などのヒットから、少年誌系の絵柄で青年漫画を描く作品が増えた。 表紙には、1985年から2001年まで佐久間良一によるイラスト(果物や野菜の擬人化)、2002年から女性アイドル・女優・女性アナウンサーなどをモデルに起用したグラビアが用いられている。水着姿の映ったグラビア写真の使用は他誌より抑えられているが、B2サイズのピンナップが付くこともある。 青年向けの雑誌であるため、テレビアニメ化された作品は『YAWARA!』『F-エフ』『美味しんぼ』『クマのプー太郎』『バケツでごはん』『ギャラリーフェイク』など、ごく一部に留まっている。その一方で、『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』『東京大学物語』『いいひと。』『あさひなぐ』『土竜の唄』『アイアムアヒーロー』『トクサツガガガ』など、実写化された作品が多い。 漫画家の呼称は「先生」ではなく「氏」に統一し、単行本も完結していない作品は「巻」ではなく「集」表記に統一されているが、編集者により見解の相違があり、完結の有無を問わず「集」表記にする場合があったり、通常は「巻」表記であるコミックスも「集」表記にする場合がある。 分類上はビッグコミック系に属しているが、創刊の経緯から、人事面で『週刊少年サンデー』との関係が強く、高橋留美子、細野不二彦、六田登、藤田和日郎、藤木俊など、同誌で連載していた漫画家が本誌で連載することが多い。 装丁・デザインは長らく他の小学館の漫画雑誌と同様にベイブリッジ・スタジオが担当していたが、2003年以降は全体的にロケット・ボムへ変更され、さらに2008年41号以降はZASSOに変更された。しかし、漫画家がコズフィッシュなど他のデザイナーを指定する場合もある。 2008年9月より、『週刊ヤングサンデー』の休刊に伴い、同誌から連載漫画の半分ほどが移籍。それに合わせて新装刊を行い、タイトルロゴも一新した。新装刊当初はグラビアを減らす方針で、2010年までは連載作品が全面的に表紙を飾るケースもあった。合併後は作品数の増加などにより、連載作品の休載が多くなっている(毎号5作品以上の休載が常態化=2020年9月現在)。連載形態の複雑化もあってか、いくつかの作品の単行本化で雑誌連載時の話数、副題が異なる現象も発生している。 2023年11月27日(2023年52号)現在連載中の作品。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『週刊ビッグコミックスピリッツ』は、小学館が発行する日本の週刊青年漫画雑誌。1980年10月創刊。毎週月曜日発売。『ビッグスピリッツ』と略されることもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "創刊編集長は白井勝也。創刊当初は月刊(毎月14日発売)だったが、1981年6月から15日と30日の月2回発売に。1986年4月からは週刊となっている。2021年6月時点での編集長は石田貴信。単行本はビッグコミックスレーベルで発売される。週刊誌のため、ビッグコミック4兄弟の中で発行頻度が最も多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ビッグコミック系の中では対象年齢がもっとも低く、『週刊少年サンデー』の青年誌版、『週刊ヤングジャンプ』『週刊ヤングマガジン』と競合するヤング誌として創刊された。初期は宮谷一彦や谷口ジローを起用するなど、劇画志向も強かったが、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』、高橋留美子『めぞん一刻』などのヒットから、少年誌系の絵柄で青年漫画を描く作品が増えた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "表紙には、1985年から2001年まで佐久間良一によるイラスト(果物や野菜の擬人化)、2002年から女性アイドル・女優・女性アナウンサーなどをモデルに起用したグラビアが用いられている。水着姿の映ったグラビア写真の使用は他誌より抑えられているが、B2サイズのピンナップが付くこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "青年向けの雑誌であるため、テレビアニメ化された作品は『YAWARA!』『F-エフ』『美味しんぼ』『クマのプー太郎』『バケツでごはん』『ギャラリーフェイク』など、ごく一部に留まっている。その一方で、『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』『東京大学物語』『いいひと。』『あさひなぐ』『土竜の唄』『アイアムアヒーロー』『トクサツガガガ』など、実写化された作品が多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "漫画家の呼称は「先生」ではなく「氏」に統一し、単行本も完結していない作品は「巻」ではなく「集」表記に統一されているが、編集者により見解の相違があり、完結の有無を問わず「集」表記にする場合があったり、通常は「巻」表記であるコミックスも「集」表記にする場合がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "分類上はビッグコミック系に属しているが、創刊の経緯から、人事面で『週刊少年サンデー』との関係が強く、高橋留美子、細野不二彦、六田登、藤田和日郎、藤木俊など、同誌で連載していた漫画家が本誌で連載することが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "装丁・デザインは長らく他の小学館の漫画雑誌と同様にベイブリッジ・スタジオが担当していたが、2003年以降は全体的にロケット・ボムへ変更され、さらに2008年41号以降はZASSOに変更された。しかし、漫画家がコズフィッシュなど他のデザイナーを指定する場合もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2008年9月より、『週刊ヤングサンデー』の休刊に伴い、同誌から連載漫画の半分ほどが移籍。それに合わせて新装刊を行い、タイトルロゴも一新した。新装刊当初はグラビアを減らす方針で、2010年までは連載作品が全面的に表紙を飾るケースもあった。合併後は作品数の増加などにより、連載作品の休載が多くなっている(毎号5作品以上の休載が常態化=2020年9月現在)。連載形態の複雑化もあってか、いくつかの作品の単行本化で雑誌連載時の話数、副題が異なる現象も発生している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2023年11月27日(2023年52号)現在連載中の作品。", "title": "現在の連載" } ]
『週刊ビッグコミックスピリッツ』は、小学館が発行する日本の週刊青年漫画雑誌。1980年10月創刊。毎週月曜日発売。『ビッグスピリッツ』と略されることもある。 創刊編集長は白井勝也。創刊当初は月刊(毎月14日発売)だったが、1981年6月から15日と30日の月2回発売に。1986年4月からは週刊となっている。2021年6月時点での編集長は石田貴信。単行本はビッグコミックスレーベルで発売される。週刊誌のため、ビッグコミック4兄弟の中で発行頻度が最も多い。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 週刊ビッグコミックスピリッツ | 英文誌名 = | 誌名略称 = | ジャンル = [[青年漫画]] | 読者対象 = 青年 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#刊行頻度|月刊 → 隔週刊 → 週刊]](毎週月曜日<ref group="注釈">基本的に月曜日発売。ただし、月曜日が祝日の際はその翌日の火曜日発売(合併号の場合は休み。2022年3月までは土曜日発売だった。)となる。</ref>) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = | 出版社 = [[小学館]] | 編集部名 = | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 石田貴信{{R|realsound20210618}} | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = [[1980年]]10月 - | 発行部数 = 57,833<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[ビッグコミックス]] | 姉妹誌 = | ウェブサイト = [https://bigcomicbros.net/spirits/ 週刊スピリッツ] | 特記事項 = [[1986年]]4月より週刊化。 }} 『'''週刊ビッグコミックスピリッツ'''』は、[[小学館]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[青年漫画|青年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1980年]]10月創刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://adpocket.shogakukan.co.jp/detail.php?no=41 |title=ビッグコミックスピリッツ 創刊/1980年10月14日 |publisher=小学館AdPocket |accessdate=2020-10-12}}</ref>。毎週[[月曜日]]発売。『'''ビッグスピリッツ'''』と略されることもある<ref>{{Cite web|和書|title=ビッグスピリッツ {{!}} 雑誌 |url=https://www.shogakukan.co.jp/magazines/series/024000 |website=小学館 |access-date=2022-10-29 |language=ja}}</ref>。 創刊編集長は[[白井勝也]]。創刊当初は月刊(毎月14日発売)だったが、[[1981年]][[6月]]から15日と30日の月2回発売に。[[1986年]][[4月]]からは週刊となっている。2021年6月時点での編集長は石田貴信{{R|realsound20210618}}。単行本は[[ビッグコミックス]]レーベルで発売される。{{独自研究範囲|date=2023-08-28|週刊誌のため、[[ビッグコミック]]4兄弟の中で発行頻度が最も多い。}} == 概要 == {{出典の明記|date=2020年6月|section=1}} [[ビッグコミック]]系の中では対象年齢がもっとも低く、『[[週刊少年サンデー]]』の青年誌版、『[[週刊ヤングジャンプ]]』『[[週刊ヤングマガジン]]』と競合するヤング誌として創刊された。初期は[[宮谷一彦]]や[[谷口ジロー]]を起用するなど、[[劇画]]志向も強かったが、[[たがみよしひさ]]『[[軽井沢シンドローム]]』、[[高橋留美子]]『[[めぞん一刻]]』などのヒットから、少年誌系の絵柄で青年漫画を描く作品が増えた。 表紙には、1985年から2001年まで佐久間良一によるイラスト(果物や野菜の擬人化)、2002年から女性アイドル・女優・女性アナウンサーなどをモデルに起用した[[グラビア写真|グラビア]]が用いられている。水着姿の映ったグラビア写真の使用は他誌より抑えられているが、[[紙の寸法|B2サイズ]]のピンナップが付くこともある。 青年向けの雑誌であるため、テレビアニメ化された作品は『[[YAWARA!]]』『[[F (漫画)|F-エフ]]』『[[美味しんぼ]]』『[[クマのプー太郎]]』『[[バケツでごはん]]』『[[ギャラリーフェイク]]』など、ごく一部に留まっている。その一方で、『[[東京ラブストーリー]]』『[[あすなろ白書]]』『[[東京大学物語]]』『[[いいひと。]]』『[[あさひなぐ]]』『[[土竜の唄]]』『[[アイアムアヒーロー]]』『[[トクサツガガガ]]』など、実写化された作品が多い<ref group="注釈">『[[めぞん一刻]]』、『[[恋は雨上がりのように]]』はそれぞれアニメ化・実写化されている。</ref>。 漫画家の呼称は「先生」ではなく「氏」に統一し、単行本も完結していない作品は「巻」ではなく「集」表記に統一されているが、編集者により見解の相違があり、完結の有無を問わず「集」表記にする場合があったり、通常は「巻」表記であるコミックスも「集」表記にする場合がある。 分類上は[[ビッグコミック]]系に属しているが、創刊の経緯から、人事面で『[[週刊少年サンデー]]』との関係が強く、[[高橋留美子]]、[[細野不二彦]]、[[六田登]]、[[藤田和日郎]]、[[藤木俊]]など、同誌で連載していた[[漫画家]]が本誌で連載することが多い。 装丁・デザインは長らく他の小学館の漫画雑誌と同様にベイブリッジ・スタジオが担当していたが、2003年以降は全体的にロケット・ボムへ変更され、さらに2008年41号以降はZASSOに変更された。しかし、漫画家がコズフィッシュなど他のデザイナーを指定する場合もある。 2008年9月より、『[[週刊ヤングサンデー]]』の休刊に伴い、同誌から連載漫画の半分ほどが移籍。それに合わせて新装刊を行い、タイトルロゴも一新した。新装刊当初はグラビアを減らす方針で<ref>{{Cite news|author=まんたんウェブ|title=ビッグコミックスピリッツ:リニューアル号6日発売 「マンガ本位の時代へ」 編集長に聞く(まんたんウェブ) - 毎日jp(毎日新聞)|newspaper=毎日jp|date=2008-09-05|url=http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20080905mog00m200019000c.html|accessdate=2008-09-26|publisher=毎日新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080926113944/http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20080905mog00m200019000c.html|archivedate=2008-09-26}}</ref>、2010年までは連載作品が全面的に表紙を飾るケースもあった。合併後は作品数の増加などにより、連載作品の休載が多くなっている(毎号5作品以上の休載が常態化=2020年9月現在)。連載形態の複雑化もあってか、いくつかの作品の単行本化で雑誌連載時の話数、副題が異なる現象も発生している。 == 増刊・派生誌 == {{節スタブ}} ; ビッグコミックスピリッツ21 : 1993年頃発行された増刊。 ; [[月刊IKKI]] : 2000年11月から隔月で『スピリッツ増刊IKKI』として発行されたが、2003年2月に独立・リニューアル新創刊、また月刊化された。2014年9月で休刊となった。 ; [[ヒバナ (雑誌)|ヒバナ]] : 2015年3月に月刊の増刊として創刊された。『月刊IKKI』連載作品の一部が同誌で連載を再開している。2017年8月で刊行終了となった。 ; [[週刊ヤングサンデー#YSスペシャル|YSスペシャル]] : 新装刊前後の2008年9月から[[2009年]]1月にかけて月刊で発売された増刊。既存誌に移籍しなかった『週刊ヤングサンデー』連載作品を中心に掲載した(作品については『[[週刊ヤングサンデー]]』の項目を参照)。 ; [[月刊!スピリッツ]] : 2009年8月に『週刊ヤングサンデー』(や『YSスペシャル』)の実質的な後継誌として創刊された。本誌との間での作品の移籍が双方向で行われており、連載作品の単行本は本誌と同じく[[ビッグコミックス]](ビッグスピリッツコミックス)より発行される。 == 現在の連載 == 2023年12月25日(2023年4・5合併号)現在<!-- 日付は発売日毎にxx号の数値と共に更新してください -->連載中の作品。 <!-- ビッグコミックスピリッツ公式ホームページに掲載されている作品のみの記載です。 --> {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|きまくれこんせふと}}[[気まぐれコンセプト]] || {{Display none|ほいちよい ふろたくしよんす}}[[ホイチョイ・プロダクションズ|ホイチョイ<br />プロダクションズ]] || - || 1981年14号 || 掲載順は巻末に固定 |- | {{Display none|もくらのうた}}[[土竜の唄]]|| {{Display none|たかはし のほる}}[[高橋のぼる]] || - || 2008年41号 || 『[[週刊ヤングサンデー]]』<br />より移籍 |- | {{Display none|ほうきやくのさちこ}}[[忘却のサチコ]] || {{Display none|あへ しゆん}}[[阿部潤]] || - || 2014年37・38合併号 || 隔週連載 |- | {{Display none|あおあし}}[[アオアシ]] || {{Display none|こはやし ゆうこ}}[[小林有吾]] || {{Display none|うえの なおひこ}}[[上野直彦]]<br />{{Small|(取材・原案協力)}} || 2015年6号 || |- | {{Display none|たんすたんすたんすーる}}[[ダンス・ダンス・ダンスール]] || {{Display none|しよおし あさくら}}[[ジョージ朝倉]] || - || 2015年42・43合併号 || |- | {{Display none|ふうとたんてい}}[[風都探偵]] || {{Display none|さとう まさき}}[[佐藤まさき]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|いしのもり しようたろう}}[[石ノ森章太郎]]{{Small|(原作)}}<br />{{Display none|さんしよう りく}}[[三条陸]]{{Small|(脚本)}}<br />{{Display none|つかた ひてあき}}[[塚田英明]]{{Small|(監修)}}<br />{{Display none|てらた かつや}}[[寺田克也]]<br />{{Small|(クリーチャーデザイン)}} || 2017年36・37合併号 || 『仮面ライダーW』の続編<br />毎号連載 → 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-12-04|title=CONTENTS|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2024年1号|publisher = 小学館}}目次より。</ref> |- | {{Display none|にかつのしようしやせつたいこうかくのきようしつ}}[[二月の勝者-絶対合格の教室-]] || {{Display none|たかせ しほ}}[[高瀬志帆]] || - || 2018年1号 || |- | {{Display none|おわかれほすひたる}}お別れホスピタル || {{Display none|おきた はつか}}[[沖田×華]] || - || 2018年4・5合併号 || 月一連載 |- | {{Display none|くうねるまるたぬうほ}}[[くーねるまるた|くーねるまるた ぬーぼ]] || {{Display none|たかお しんく}}[[高尾じんぐ]] || - || 2018年13号 || 『くーねるまるた』の続編 |- | {{Display none|しんくろうはしる}}[[新九郎、奔る!]] || {{Display none|ゆうきまさみ}}[[ゆうきまさみ]] || - || 2020年7号 || 『[[月刊!スピリッツ]]』より移籍<br />隔週連載 |- | {{Display none|くしようのたいさい}}[[九条の大罪]] || {{Display none|まなへ しようへい}}[[真鍋昌平]] || - || 2020年46号 || |- | {{Display none|れせるはん}}[[レ・セルバン]] || {{Display none|はまた こうすけ}}[[濱田浩輔]] || - || 2022年6号 || |- | {{Display none|えきてんたんしふろしえくと}}[[駅伝男子プロジェクト]] || {{Display none|たかはし しん}}[[高橋しん]] || - || 2022年24号 || |- | {{Display none|へふんのてんひん}}ヘブンの天秤 || {{Display none|しようと るる}}浄土るる || - || 2022年30号 || 毎号連載 → 隔週連載<ref name="wbs20234.5">{{Cite journal|和書|date = 2022-12-26|journal =週刊ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年4・5合併号|publisher = 小学館|asin = B00J88IY4E}}目次より。</ref> |- | {{Display none|あかねのね}}[[アカネノネ]] || {{Display none|やた えりこ}}[[矢田恵梨子]] || - || 2022年34号 || 『月刊!スピリッツ』より移籍<ref>{{Cite journal|和書|date = 2022-07-25|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2022年34号|publisher = 小学館|asin = B0B5MPBRKW}}目次より。</ref> |- | {{Display none|しよくふつひようはあすのきみをねかう}}植物病は明日の君を願う || {{Display none|たけよし みのる}}[[竹良実]] || - || 2022年43号 || 月一連載 |- | {{Display none|はいはいようしみすいろ}}[[胚培養士ミズイロ]] || {{Display none|おかさき まり}}[[おかざき真里]] || - || 2022年44号 || 毎号連載 → 隔週連載{{R|wbs20234.5}} |- | {{Display none|まいほおむあふろたなか}}[[アフロ田中シリーズ|マイホームアフロ田中]] || {{Display none|のりつけ まさはる}}[[のりつけ雅春]] || - || 2022年47号 || 「アフロ田中」シリーズの続編 |- | {{Display none|すこしたけいきかえる}}すこしだけ生き返る || {{Display none|うすくら ふみ}}うすくらふみ || - || 2022年48号 || 毎号連載 → 隔週連載{{R|wbs20234.5}} |- | {{Display none|こめくらふうふのれしひちよう}}[[米蔵夫婦のレシピ帳]] || [[片山ユキオ]] || - || 2022年51号 || |- | {{Display none|むたのあるせいかつ}}無田のある生活 || {{Display none|あさひな しよう}}朝比奈ショウ || - || 2022年52号 || 毎号連載 → 隔週連載{{R|wbs20234.5}} |- | {{Display none|ろつへん}}ROPPEN-六篇- || {{Display none|みやした あきら}}宮下暁 || - || 2023年4・5合併号 || |- | {{Display none|はないけるかわきたこうこうかとうふ}}ハナイケル-川北高校華道部- || {{Display none|やまた はまち}}山田はまち || - || 2023年11号 || |- | {{Display none|うらないしほしこ}}占い師星子 || {{Display none|みさき みみこ}}岬ミミコ || - || 2023年19号 || 毎号連載 → 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-05-08|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年23号|publisher = 小学館|asin = B0C2W3Q7S8}}目次より。</ref> |- | {{Display none|このよはたたかうかちかある}}この世は戦う価値がある || {{Display none|こたま はつみ}}こだまはつみ || - || 2023年20号 || 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-04-24|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年21・22合併号|publisher = 小学館|asin = B0C24VG7RY}}目次より。</ref> |- | {{Display none|ゆめなしせんせいのしんろしとう}}[[夢なし先生の進路指導]] || {{Display none|かさはら まさき}}[[笠原真樹]] || - || 2023年21・22合併号 || |- | {{Display none|ろほうのふしいいたいなるほんしんからのたより}}路傍のフジイ<br />〜偉大なる凡人からの便り〜 || {{Display none|なへ くらお}}鍋倉夫 || - || 2023年24号 || 毎号連載 → 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-09-25|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年43号|publisher = 小学館|asin = B0CHN1ZKYJ}}目次より。</ref> |- | {{Display none|おれのりすく}}俺のリスク || {{Display none|いしい わたる}}イシイ渡 || {{Display none|とり とまと}}鳥トマト(原作) || 2023年36・37合併号 || 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-08-28|title=CONTENTS|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年39号|publisher = 小学館|asin = B0CF7VGH6P}}目次より。</ref> <!-- ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- |{{Display none|おいしんほ}}[[美味しんぼ]]||{{Display none|はなさき あきら}}[[花咲アキラ]]||{{Display none|かりや てつ}}[[雁屋哲]]||1983年20号|| |- | {{Display none|とらこんしやむ}}[[DRAGON JAM]] || {{Display none|ふしい いつなり}}[[藤井五成]] || - || 2011年23号 || 『[[月刊!スピリッツ]]』より移籍<br />2015年16号まで通常連載 |- | {{Display none|けんこうてふんかてきなさいていけんとのせいかつ}}[[健康で文化的な最低限度の生活]] || {{Display none|かしわき はるこ}}[[柏木ハルコ]] || - || 2014年18号 || 隔週連載<!-- 2015年1号 - 43号まで休載期間あり --> |- | {{Display none|あさとら}}[[あさドラ!]] || {{Display none|うらさわ なおき}}[[浦沢直樹]] || - || 2018年45号 || 隔週連載 → 毎号掲載 |- | {{Display none|こいとこつかい}}[[恋と国会]] || {{Display none|にし けいこ}}[[西炯子]] || - || 2018年49号 || |- | {{Display none|ひらやすみ}}ひらやすみ || {{Display none|しんそう けいこ}}[[真造圭伍]] || - || 2021年21・22合併号 || 隔週連載 |- | {{Display none|あおあしふらさあふつと}}[[アオアシ|アオアシ ブラザーフット]] || {{Display none|こはやし ゆうこ}}[[小林有吾]] || {{Display none|うえの なおひこ}}[[上野直彦]]<br />{{Small|(取材・原案協力)}} || 2021年32号 || 『アオアシ』のスピンオフ作品 |} == 歴代編集長 == <!-- {{節スタブ}} --> # [[白井勝也]](1980年 - 1990年) # [[亀井修]](1990年 - 1996年) # 久保田滋夫(1996年 - 1998年) # 片寄聰(1998年 - 1999年7月) # [[長崎尚志]](1999年8月 - 2001年7月) # 武藤伸之(2001年8月 - 2003年7月) # 立川義剛(2003年8月 - 2010年7月) # 堀靖樹(2010年8月 - 2013年5月) # 村山広(2013年6月 - 2016年5月) # 坪内崇<ref>{{Cite web|和書|url=https://jinji.shogakukan.co.jp/2018_teiki/staff/07.html |title=坪内 崇 第三コミック局『ビッグコミックスピリッツ』編集長 1994年入社 |accessdate=2019-8-21 |date=2017-2-1 |website=[[小学館]] 2018年度定期採用サイト}}</ref>(2016年5月 - ) # 石田貴信(2020年10月<ref name="realsound20210618">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/book/2021/06/post-794806.html|title=『スピリッツ』編集長が語る、“アンケート至上主義”ではない理由 「編集者がおもしろいと思ったものが人々の心を打てる」|website=リアルサウンド|publisher=blueprint|date=2021-06-18|accessdate=2021-12-10}}</ref> - ) == 過去の連載 == === あ行 === * [[アイアム ア ヒーロー]] - [[花沢健吾]]<!-- 2009年22・23合併号 - 2017年13号 --> * 相原コージのなにがオモロイの? - [[相原コージ]] * [[アイ・ラブ・ユー]] - [[盛田賢司]] * あおい万太郎氏当確です - まえだたかひろ * 青空 - [[原秀則]] * 青の戦士 - [[狩撫麻礼]] + [[谷口ジロー]] * 商人道<!--あきんロード--> - [[細野不二彦]] * [[アグネス仮面]] - [[ヒラマツ・ミノル]] * 悪魔のうたたね - [[喜国雅彦]] * [[あさってDANCE]] - [[山本直樹]] * [[あさひなぐ]] - [[こざき亜衣]]<!--2011年8号 - 2020年41号--> * [[明日にはあがります。]] - [[水口尚樹]] * [[明日のない空]] - [[塀内夏子]] * [[あすなろ白書]] - [[柴門ふみ]] * 新しい足で駆け抜けろ。 - みどりわたる<!-- 2019年48号 - 2020年51号 --> * [[あの月に向かって打て!]] - [[寒川一之]]<!-- 2020年6号 - 2021年29号 --> * [[赤い鳩]]<!--読みは「アピル」--> - [[小池一夫]] + [[池上遼一]] * [[アフロ田中シリーズ]] - [[のりつけ雅春]]<!-- 段分け分は発表順 --> ** 高校アフロ田中 ** 中退アフロ田中 ** 上京アフロ田中 ** さすらいアフロ田中 ** しあわせアフロ田中<!-- 2015年33号 - 2018年16号 --> ** 結婚アフロ田中<!-- 2018年22・23合併号 - 2021年15号 --> * [[ありがとう (漫画)|ありがとう]] - [[山本直樹]] * [[いいひと。]] - [[高橋しん]] * IWAMAL -岩丸動物診療譚- - [[玉井雪雄]] * [[イオナ (漫画)|イオナ]] - [[澤井健]] * [[イカロスの娘]] - [[御厨さと美]] * [[イキガミ]] - [[間瀬元朗]] ※『週刊ヤングサンデー』より転籍 * [[生きてるうちに推してくれ]] - [[丹羽庭]]<!-- 2022年39号 - 2023年51号 --> * 偉人住宅ツバキヒルズ - [[野田宏]]<!-- 「第一部完」と銘打たれたが再開予告が無いので終了扱いとする --> * 以蔵のキモチ - [[佐藤宏之 (漫画家)|佐藤宏之]] * [[1518!|1518! イチゴーイチハチ!]] - [[相田裕]] ※月1連載、2015年18号 - 46号まで休載期間あり<!-- 2014年37・38合併号 - 2019年15号 --> * [[愛しのアイリーン]] - [[新井英樹]] * [[ヴィルトゥス (漫画)|ヴィルトゥス]] - [[義凡]] + [[信濃川日出雄]] * [[うきわ、と風鈴。 -友達以上、不倫未満-]]([[野村宗弘]])<!--2021年24号 - 2022年15号--> * [[ウシハル]] - [[ゴトウユキコ]] ※『月刊!スピリッツ』より転籍 * [[伝染るんです。]] - [[吉田戦車]] * [[8 (漫画)|8]](エイト) - [[上條淳士]] * [[SP 警視庁警備部警護課第四係]] - [[金城一紀]] + [[灰原薬]] * 江戸前・あ・めーりかん - [[藤波俊彦]] * [[江戸むらさき特急]] - [[ほりのぶゆき]] * エバタのロック - [[室井大資]] * [[F (漫画)|F]] - [[六田登]] * [[エロゲの太陽]] - はまむらとしきり + [[村正みかど]] * [[王様達のヴァイキング]] - [[さだやす]] + [[深見真]]<!-- 2013年14号 - 2019年39号 --> * [[往生際の意味を知れ!]] - [[米代恭]]<!--2020年13号 - 2023年34号--> * オーミ先生の微熱 - [[河内遙]]<!-- 2010年30号 - 2010年38号まで毎号連載され「第1集」が刊行された後、長期間「休載中」の扱いになっていたが、2015年現在において公式サイト上も連載作品としては扱われていない。 --> * おかゆネコ - [[吉田戦車]]<!-- 2012年18号 - 2016年39号 --> * オケラのつばさ - [[のりつけ雅春]] * [[おごってジャンケン隊]] - [[現代洋子]] * おそとにでようよ雨やんだら - 夏花ナオト<!-- 2019年15号 - 2019年35号 --> * [[おたんこナース]] - [[小林光恵]] + [[佐々木倫子]] * [[男樹]](単行本2巻以降) - [[本宮ひろ志]] * おとなのずかん改訂版 - イトイ圭<!-- 2022年4・5合併号 - 2023年31号 --> * [[鬼虫]] - [[柏木ハルコ]] * オヤジ高校生 - [[川三番地]] * [[おやすみプンプン]] - [[浅野いにお]] ※『週刊ヤングサンデー』より転籍 * 俺の女たち - [[本宮ひろ志]] * [[オメガトライブ (漫画)|オメガトライブ]] - [[玉井雪雄]] ** オメガトライブ キングダム * [[俺節|俺節 -]] [[土田世紀]] * 女社長 - [[玖保キリコ]] === か行 === * 怪獣人生 - [[ほりのぶゆき]] * 格闘太陽伝ガチ - [[青山広美]] * [[風します?]] - [[小道迷子]] * 火線上のハテルマ - [[せきやてつじ]] * ガチャバイ - [[はるき悦巳]] * [[かなたかける]] - [[高橋しん]] * 壁ドン! - 佐久間力<!--2019年2・3合併号 - 2020年16号--> * [[神のちから]] - [[さくらももこ]] * [[神の左手悪魔の右手]] - [[楳図かずお]] * [[かもめ☆チャンス]] - [[玉井雪雄]] * カラブキ - [[中川いさみ]] * [[軽井沢シンドローム]] - [[たがみよしひさ]] * [[がんばりょんかぁ、マサコちゃん]] - [[宮崎まさる|宮崎克]] + [[魚戸おさむ]]<!-- 2022年8号 - 2023年46号 -->※毎号連載 → 隔週連載 * キクニの全県ラン 走りたおすぜJAPAN! - [[喜国雅彦]] * [[傷追い人]] - [[小池一夫]] + [[池上遼一]] * [[キスより簡単]] - [[石坂啓]] * キックのお姉さん - 稲井雄人 * [[機動戦士ガンダム バンディエラ]] - [[矢立肇]] + [[富野由悠季]] + [[加納梨衣]] ※隔週連載<!-- 2020年8号 - 2022年16号 --> * キミ!さいよー - [[石原まこちん]]<!-- 2013年50号 - 2014年26号 --> * [[君は放課後インソムニア]] - [[オジロマコト]]<!-- 2019年25号 - 2023年38号 --> * [[キャッチャー・イン・ザ・ライム]] - 背川昇 + [[般若 (ラッパー)|般若]] + [[R-指定 (ラッパー)|R-指定]]<!-- 2017年34号 - 2018年21・22合併号 --> * [[ギャラリーフェイク]] - [[細野不二彦]] * ギャル男VS宇宙人 - 𠮷沢潤一 * [[ギョ]] - [[伊藤潤二]] * [[教場]] - [[長岡弘樹]] + みどりわたる<!-- 2021年4・5合併号 - 2022年1号 --> * 強制ヒーロー - [[宮下裕樹]] ※『月刊!スピリッツ』へ転籍 * [[鬼龍院冴子探偵事務所]] - [[三上龍哉]] * [[湾岸ミッドナイト|銀灰のスピードスター]] - [[楠みちはる]]<!-- 2014年37・38合併号 - 2015年20号 「第二部完」。第三部に関する言及がないので終了扱いとする。--> * 禁ドン! -[[立沢直也]] * 勤労クレシェンド - [[小山愛子]] * [[くーねるまるた]] - [[高尾じんぐ]]<!-- 2012年36・37合併号 - 2018年7号 --> * [[クマのプー太郎]] - [[中川いさみ]] * [[クライング フリーマン]] - [[小池一夫]] + [[池上遼一]] * クリームソーダシティ - [[長尾謙一郎]] * ぐりこカミングスーン - 赤堀君<!-- 2016年16号 - 2016年50号 --> * 黒鉄ボブスレー - 土屋雄民 * 警眼 - 早坂ガブ<!-- 2019年31号 - 2021年27号 --> * ケダマメ CHAOS DAMN-AGE MAN X - [[玉井雪雄]] * [[月下の棋士]] - [[能條純一]] * [[結婚するって、本当ですか 365 Days To The Wedding]] - [[若木民喜]]<!-- 2020年16号 - 2023年28号 --> * [[月曜日の友達]] - [[阿部共実]] * 元気があってよろしいっ! - [[原律子]] * [[現在官僚系 もふ]] - 鍋田吉郎 + [[並木洋美]] * [[恋は雨上がりのように]] -[[眉月じゅん]] 『月刊!スピリッツ』より移籍<!-- 2016年8号 - 2018年16号 --> * GOGO!生活非安全課 - [[ロドリゲス井之介]] * [[GO!GO!HEAVEN!]] - [[小原信治]] + 海埜ゆうこ * [[高校球児ザワさん]] - [[三島衛里子]] * 合同ナイン - [[若狭たけし]] * [[コージ苑]] - [[相原コージ]] * 極道一直線 - [[三上龍哉]] * ココナッツピリオド -地球温暖化を止めるウサギ- - [[山田玲司]] * QUOJUZ-コジューツ- - [[柏木ハルコ]] * 56マイルの悪魔 - [[御厨さと美]] * [[このSを、見よ!]] - [[北崎拓]] * [[小光先生の次回作にご期待ください。]] - [[水口尚樹]] ※『明日にはあがります。』の続編 === さ行 === * サーティーガールズ - 北沢未也 + [[若狭たけし]] * [[最終兵器彼女]] - [[ 高橋しん]] * [[早乙女選手、ひたかくす]] - [[水口尚樹]]<!-- 2016年39号 - 2019年47号 --> * [[早乙女タイフーン]] - [[くじらいいく子]] * させよエロイカ - 高田サンコ<!-- 2015年22・23合併号 - 2016年21号 --> * [[サターンリターン]] - [[鳥飼茜]] ※隔週連載<!-- 2019年8号 - 2022年48号 --> * [[サユリ1号]] - [[村上かつら]] * サヨナラレフティ - 小倉和之+[[山本おさむ]] * [[サルでも描けるまんが教室]] - [[竹熊健太郎]] + [[相原コージ]] * [[THE3名様]] - [[石原まこちん]] * [[CAとお呼びっ!]] - [[花津ハナヨ]] * CB感。reborn - [[東本昌平]] * GTR -GREAT TARO REVOLUTION- - 椎名理央 + [[戸田尚伸]] * シェアバディ - 原作:[[吉田貴司]]、作画:高良百<!--2015年44号 - 2016年26号--> * J.BOY - [[能條純一]] * 四月八日のまえがきに - 松井信介 * [[7人のシェイクスピア]] - [[ハロルド作石]] * [[疾風迅雷]] -[[もりやまつる]] * [[しっぷうどとう]] - [[盛田賢司]] * [[じみへん]] - [[中崎タツヤ]] * [[ジャガーン]] - 原作:[[金城宗幸]] + 作画:にしだけんすけ<!-- 2017年10号 - 2021年49号 --> * [[邪眼は月輪に飛ぶ]] - [[藤田和日郎]] * 15分の少女たち-アイドルのつくりかた- - 原作:[[かっぴー]] + 作画:戸井理恵<!-- 2021年45号 -2023年20号 --> * [[シュトヘル]] - [[伊藤悠]] ※『月刊!スピリッツ』へ転籍 * [[ジョーカー・ゲーム]]シリーズ - 原作:[[柳広司]] + 作画:[[霜月かよ子]] <!--段分け分は発表順--> ** Dの魔王 ジョーカー・ゲーム ※『月刊!スピリッツ』へ転籍 ** ジョーカー・ゲーム * [[ショコラ (漫画)|ショコラ]] - [[窪之内英策]] * [[SHOP自分]] - [[柳沢きみお]] * [[クロサギ (漫画)|新クロサギ]] - 原案:[[夏原武]]、作家:[[黒丸 (漫画家)|黒丸]] ** [[クロサギ (漫画)|クロサギ再起動-18歳新成人詐欺犯罪編-]] - [[黒丸]] + [[夏原武]]<!-- 2022年43号 - 2022年49号 --> * [[人生がより散らかる!深刻お悩み相談室]] - [[カレー沢薫]]<!-- 2020年6号 - 2021年33号 --> * [[ブラックジャックによろしく|新ブラックジャックによろしく]] - [[佐藤秀峰]] * [[スイートルーム]] - 香川大八 * スキエンティア - [[戸田誠二]] ※『月刊!スピリッツ』へ転籍 * 水晶 日韓恋愛狂詩曲 - 原案:<!--江夏賢-->TK<sup>2</sup>、作家:[[猪熊しのぶ]] * [[進め!ギガグリーン]]- [[藤木俊]]<!--2018年34号 - 2019年32号--> * [[昴 (漫画)|昴(スバル)]] - [[曽田正人]] * スポーツポン - [[吉田戦車]] * [[スローニン]] - [[吉田聡]] * [[スローモーションをもう一度]] - [[加納梨衣]] * 寸前爆発 - 常盤雅幸 * 正義の味方モンキーズ - [[山本康人]] * [[世界はボクのもの]] - [[若杉公徳]]<!-- 2015年45号 - 2016年53号 --> * [[ゼブラーマン (漫画)|ゼブラーマン]] - [[宮藤官九郎]] + [[山田玲司]] * [[セルフ (漫画)|セルフ]] - [[朔ユキ蔵]] * [[センチメントの季節]] - [[榎本ナリコ]] * 村塾物語 - [[はしもといわお]] === た行 === * [[ダイヤモンド (青山広美の漫画)|ダイヤモンド]] - [[青山広美]] * [[たくなび]] - [[山口かつみ]] * [[竹光侍]] - [[永福一成]] + [[松本大洋]] * [[七夕の国]] - [[岩明均]] * 旅マン - [[ほりのぶゆき]] * 男魂!!インポッシブル - [[深海魚 (漫画家)|深海魚]] * [[団地ともお]] - [[小田扉]] * [[ちいさこべ#漫画『ちいさこべえ』|ちいさこべえ]] - [[山本周五郎]] + [[望月峯太郎|望月ミネタロウ]] * [[チ。-地球の運動について-]] - [[魚豊]]<!--2020年42・43合併号 - 2022年20号--> * [[地平線でダンス]] - [[柏木ハルコ]] * ちぽさんぽ - 竹本友二<!-- 2013年50号以降休載中であるが、単行本は1巻で完結の表記があるため終了扱いとする。--> * ちゃんどら - [[いしかわじゅん]] * [[チャンネルはそのまま!]] - [[佐々木倫子]] * [[駐禁ウォーズ!!]] - [[今井亮一]] + [[ウヒョ助]] * [[チューロウ]] - [[盛田賢司]] ※『[[ビッグコミックスピリッツ21]]』へ転籍 * [[超人ウタダ]] - [[山本康人]] * [[ちょんまげどん]] - [[ほりのぶゆき]] * [[妻をめとらば]] - [[柳沢きみお]] * [[つゆダク]] - [[朔ユキ蔵]] * [[ツルモク独身寮]] - [[窪之内英策]] * [[DINO (漫画)|DINO(ディーノ)]] - [[柳沢きみお]] * [[ティーンズブルース]] - [[コージィ城倉]] * [[帝王 (漫画)|帝王]] - [[倉科遼]] + [[関口太郎 (漫画家)|関口太郎]] * [[鉄コン筋クリート]] - [[松本大洋]] * [[デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション]] - [[浅野いにお]]<!-- 2014年22・23合併号 - 2022年13号 --> * [[鉄腕バーディー EVOLUTION]] - [[ゆうきまさみ]] * [[出直しといで!]] - [[一色まこと]] * てのひらにアイを! - [[ムラタコウジ]]<!-- 2016年36号 - 2017年47号 --> * デモクラティア - [[間瀬元朗]] * [[出るトコ出ましょ!]] - [[稲光伸二]] * [[テレキネシス 山手テレビキネマ室]] - [[芳崎せいむ]] + [[東周斎雅楽]] * 転校生 オレのあそこがあいつのアレで - [[古泉智浩]] * 天そぞろ - 原作:[[あかほりさとる|あかほり悟]]、作画:[[北崎拓]]、協力:[[堀口茉純]]<!-- 2015年24号 - 2016年36・37合併号 --> * [[テンプリズム]] - [[曽田正人]] + 瑞木奏加 ※『コミック小学館ブックス』へ転籍 * [[電光石火]] - [[盛田賢司]] * [[電波の城]] - [[細野不二彦]] * [[天を射る]] - 飛松良輔 + [[西荻弓絵]] * [[東京エイティーズ]] - [[樹林伸|安童夕馬]] + 大石知征 * [[東京大学物語]] - [[江川達也]] * [[東京ラブストーリー]] - [[柴門ふみ]] * 逃走鉄馬バイソン - カサギヒロシ * 遠い星から来たALICE - [[藤沢とおる]] * [[DAWN -陽はまた昇る-]] - [[倉科遼]] + [[ナカタニD.]] * [[トクサツガガガ]] - [[丹羽庭]]<!--2014年37・38合併号 - 2020年24・25合併号--> * とつぜんDr. - [[吾妻ひでお]] * [[とめはねっ! 鈴里高校書道部]] - [[河合克敏]] ※『週刊ヤングサンデー』より転籍 * トラキーヨ - [[吉田聡]] * 虎の娘 - [[宮谷一彦]] === な行 === * [[奈緒子]] - [[坂田信弘]] + [[中原裕]] * [[永沢君]] - [[さくらももこ]] * [[殴るぞ]] - [[吉田戦車]] * 茄子とアルタイル - [[大野ツトム]] * [[なぜか笑介]] - [[聖日出夫]] * にじこしいいんちょう - [[のぶみ]] * [[20世紀少年]] - [[浦沢直樹]] ** 21世紀少年 * [[日露戦争物語]] - [[江川達也]] * [[日曜、午後、六時半。]] - [[浅野いにお]] * 二匹のブル - [[瀬叩龍]] + [[いわしげ孝|岩重孝]] * [[日本沈没 (漫画)|日本沈没]] - [[小松左京]] + [[一色登希彦]] * [[忍風!肉とめし]] - [[吉田戦車]]<!-- 2017年33号 - 2019年26号 --> * 猫工船 - [[カレー沢薫]]<!-- 2015年52号 - 2019年36・37合併号 --> * [[猫のお寺の知恩さん]] - [[オジロマコト]] * [[のぼうの城]] - [[和田竜]] + [[花咲アキラ]] === は行 === * [[ハーフな分だけ]] - [[星里もちる]] * π<!--パイ--> - [[古屋兎丸]] * HIDEOUT - [[柿崎正澄]] * パギャル! - [[浜田ブリトニー]] * [[ハクバノ王子サマ]] - [[朔ユキ蔵]] * [[白暮のクロニクル]] - [[ゆうきまさみ]] * [[バケツでごはん]] - [[玖保キリコ]] * [[バジーノイズ]] - むつき潤<!-- 2018年24号 - 2020年6号 --> * [[ハスリンボーイ]] - [[本田優貴]] + [[草下シンヤ]]<!-- 2018年23号 - 2019年29号 --> * [[パッカ]] - [[今井大輔]]<!-- 2020年12号 - 2021年11号 --> * BACK TO THE 母さん - 降本孟 * [[ハッスル (漫画)|ハッスル]] - [[一色まこと]] * [[はっぱ64]] - [[山本直樹]] * [[Happy! (漫画)|Happy!]] - [[浦沢直樹]] * バドフライ - [[イワシタシゲユキ]] * [[バトルグラウンドワーカーズ]] - [[竹良実]]<!--2019年21・22合併号 - 2021年44号--> * [[花園メリーゴーランド]] - [[柏木ハルコ]] * [[花と奥たん]] - [[高橋しん]] ※事実上、並行連載していた『月刊!スピリッツ』へ転籍<!-- 2008年2号より不定期連載していたが2012年16号を最後に掲載がなく、2015年現在において公式サイト上も連載作品としては扱われていない。後に2019年29号にて連載終了。 --> * [[花もて語れ]] - [[片山ユキヲ]]、朗読協力・朗読原案:東百道 * [[パパがも一度恋をした]] - [[阿部潤]] * [[パパはニューギニア]] - [[高野聖ーナ]] * [[パパリンコ物語]] - [[江口寿史]] * [[パラダイス通信]] - [[神戸さくみ]] * [[はるちゃん]] - [[青柳裕介]] * バロンドリロンド - 北沢未也 + [[梶川卓郎]] * [[バンビ〜ノ!]] - [[せきやてつじ]] ** バンビ〜ノ! SECONDO * [[ピーチ・ミルク・クラウン]] - [[手原和憲]]<!-- 2018年8号 - 2019年11号 --> * 東伍郎とまろすけ - [[長月キュー]]<!-- 2014年4・5合併号 - 2015年9号 --> * ピカロ - 白瀬透 * ヒガンバナの女王 - 岡仁志太郎 * HIKARI-MAN - [[山本英夫]]<!-- 2015年2・3合併号 - 2020年30号 --> * 美大受験戦記 アリエネ - [[山田玲司]] ※『月刊!スピリッツ』へ転籍 * [[ひとりずもう (漫画)|(漫画版)ひとりずもう]] - [[さくらももこ]] ※不定期連載 * [[火花 (漫画)|火花]] - [[武富健治]] + [[又吉直樹]] ([[ピース (お笑いコンビ)|ピース]])<!-- 2016年53号 - 2017年39号 --> * [[100億の男]] - [[国友やすゆき]] * [[100万円の女たち]] - [[青野春秋]]<!-- 2015年51号 - 2016年41号 --> * ひらけ相合傘 - [[吉田戦車]] * [[ビリーバーズ]] - [[山本直樹]] * [[ピンポン (漫画)|ピンポン]] - [[松本大洋]] * fine. - [[信濃川日出雄]] * [[武士スタント逢坂くん!]] - ヨコヤマノブオ<!-- 2019年50号 - 2021年19号 --> * ふつつかなヨメですが! - [[ねむようこ]]<!-- 2015年37・38合併号 - 2016年50号 --> * [[プラタナスの実]] - [[東元俊哉]]<!-- 2020年45号 - 2023年24号 --> * ブラック&ホワイト - [[高橋春男]] ※『ブラックあんどホワイト』と表記されることもある * [[プラモ男子とプリチー女子-ミズオとイエナの1年戦争-]] - ゆきもり + ソラキスズ * [[ぷりぷり県]] - [[吉田戦車]] * ブルー・ジーン - [[くじらいいく子|くじらいいくこ]] * [[ブルーダー]] - 周防瞭 + [[盛田賢司]] * [[ふろがーる!]] - [[片山ユキヲ]]<!-- 2015年37・38合併号 - 2016年52号 --> * [[Heaven?]] - [[佐々木倫子]] * [[編集王]] - [[土田世紀]] * [[14歳 (漫画)|14歳(フォーティーン)]] - [[楳図かずお]] * [[ペット (漫画)|ペット]] - [[三宅乱丈]] * [[冒険してもいい頃]] - [[みやすのんき]] * [[ボーイズ・オン・ザ・ラン]] - [[花沢健吾]] * [[ケンとエリカ|BOXERケン]] - [[江口寿史]] * 僕BOKU - [[山本康人]] * 僕はコーヒーがのめない - 原作:福田幸江、作画:吉城モカ、監修:[[川島良彰]](コーヒーハンター)<!-- 2014年24号 - 2014年46号、2015年36号 - 2016年52号--> * ぼくらのフンカ祭 - [[真造圭伍]] * [[僕らはみんな生きている]] - [[一色伸幸]] + [[山本直樹]] * [[ぼくんち]] - [[西原理恵子]] * [[ポコあポコ]] - [[小道迷子]] * [[ぼっけもん]] - [[岩重孝]] * 保土ヶ谷最中速派セブン - 中野ハジメ * [[ボブとゆかいな仲間たち]] - [[パンチョ近藤]] * [[ホムンクルス (漫画)|ホムンクルス]] - [[山本英夫]] * [[ぽんこつポン子]] - 矢寺圭太 ※隔週連載<!-- 2019年17号 - 2021年25号 --> === ま行 === * [[魔王がずっと見ている]] - [[野田宏]] + ふくしま正保 <!-- 2022年12号 - 2023年45号 --> * 禍MAGA - [[若桑一人]] + [[石川賢 (漫画家)|石川賢]] * マガツクニ風土記 - [[あまやゆうき]] + 吉田史朗 * [[マドンナ (漫画)|マドンナ]] - [[くじらいいく子]] * マネームーン - [[石坂啓]] * [[マホロミ 時空建築幻視譚]] - [[冬目景]] * [[美咲ナンバーワン!!]] - [[藤崎了士|藤崎聖人]] * 店もん - [[ほりのぶゆき]] * [[みどりの星]] - [[真造圭伍]] * ミンゴ イタリア人がみんなモテると思うなよ - [[ペッペ (漫画家)|ペッペ]]<!-- 2019年46号 - 2020年36・37合併号 --> * みんな生きてる - [[原克玄]] * みんな元気か! - [[やまさき十三]] + [[引野真二|ひきの真二]] * [[昴 (漫画)|MOON -昴 ソリチュード スタンディング-]] - [[曽田正人]] * ムッチィにご用心!! - [[むつ利之]] * [[むねあつ]] - [[村岡ユウ]] * [[村上海賊の娘]] - 吉田史朗 + [[和田竜]] * 迷夢 - 村松さとる * 飯うま探偵うまし! - 夏花ナオト * [[めぞん一刻]] - [[高橋留美子]] * もしもし、てるみです。 - [[水沢悦子]]<!-- 2016年16号 - 2018年10号 ※最終回以外フルカラー --> * 無職の学校〜職業訓練校での200日間〜 - 清家孝春<!-- 2022年15号 - 2023年47号 -->※月一連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-02-27|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年13号|publisher = 小学館|asin = B0BVC34P84}}目次より。</ref> → 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-03-13|journal =ビッグコミックスピリッツ|volume=2023年15号|publisher = 小学館|asin = B0BWYZ8TTR}}目次より。</ref> * モッシュピット - 今野涼 * モッブ - [[滝沢解]] + [[池上遼一]] * もにもに - [[相原コージ]] * [[ももんち]] - [[冬目景]] === や行 === * [[やったろうじゃん!!]] - [[原秀則]] * [[闇金ウシジマくん]] - [[真鍋昌平]] * [[YAWARA!]] - [[浦沢直樹]] * [[夕空のクライフイズム]] - [[手原和憲]]<!-- 2014年2・3合併号 - 2016年22・23合併号 --> * [[雪花の虎]] - [[東村アキコ]] ※『[[ヒバナ (雑誌)|ヒバナ]]』より移籍、隔週連載<!-- 2018年7号 - 2020年48号 --> * 夢みるトマト - [[石坂啓]] * [[よいこ (漫画)|よいこ]] - [[石川優吾]] * [[横須賀こずえ]] - [[小田扉]]<!-- 2019年44号 - 2021年14号 --> * [[4分間のマリーゴールド]] - キリエ<!-- 2017年25号 - 2018年10号 --> === ら行 === * [[ラストイニング]] - [[神尾龍]] + [[中原裕]]、監修:加藤潔 * [[ラブレター (漫画)|ラブレター]] - じんのひろあき + [[若狭たけし]] * [[りびんぐゲーム]] - [[星里もちる]] * [[リボーンの棋士]] - 鍋倉夫<!-- 2018年25号 - 2020年38号 --> * [[両国花錦闘士]] - [[岡野玲子]] * るみちゃんの事象→ るみちゃんの恋鰹 - [[原克玄]]<!-- 2011年14号 - 2016年47号 --> * [[ルームメイト (今邑彩の小説)#漫画|ルームメイト]] - [[今邑彩]] + [[武富健治]] * [[瑠璃色ゼネレーション]] - [[柳沢きみお]] * [[RAINBOW-二舎六房の七人-]] - [[安部譲二]] + [[柿崎正澄]] * [[ロープボール]] - 川原裕聖 + [[波多野秀行]] * [[LOST MAN]] - [[草場道輝]] ※『週刊ヤングサンデー』より転籍 === わ行 === * [[WILD PITCH!!!]] - [[中原裕]]<!-- 2016年4・5合併号 - 2019年52号 --> * [[我が名は海師]] - 原作:[[小森陽一 (漫画原作者)|小森陽一]] + [[武村勇治]] * [[わさび (漫画)|わさび]] - [[一條裕子]] * 私たち、結婚しました - [[田中光 (漫画家)|田中光]]<!-- 2016年27号 - 2016年47号 --> * 私の息子が異世界転生したっぽい フルver. - かねもと + シバタヒカリ<!--2021年39号 - 2022年50号--> * [[わたしは真悟]] - [[楳図かずお]] * [[ワタナベ (漫画)|ワタナベ]] - [[窪之内英策]] * [[湾岸ミッドナイト]] - [[楠みちはる]] ※[[講談社]]の『[[週刊ヤングマガジン]]』へ転籍 * ONE&amp;ONLY - [[山田貴敏]] == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[めぞん一刻]]([[めぞん一刻 (アニメ)|アニメ]]) |1986年3月-1988年3月 |[[スタジオディーン]] | |- |[[F (漫画)|F]] |1988年3月-12月 |スタジオディーン | |- |[[美味しんぼ]] |1988年10月-1992年3月 |[[シンエイ動画]] | |- |[[YAWARA!]] |1989年10月-1992年9月 |[[マッドハウス]] | |- |[[クマのプー太郎]] |1995年4月-1996年3月 |スタジオディーン | |- |[[バケツでごはん]] |1996年1月-6月 |[[マジックバス]] | |- |[[よいこ (漫画)|よいこ]] |1998年11月-1999年3月 |[[ぴえろ]] | |- |[[最終兵器彼女]] |2002年7月-10月 |[[ゴンゾ|GONZO DIGIMATION]] | |- |[[ギャラリーフェイク]] |2005年1月-9月 |[[東京ムービー]](第1 - 25話)<br />[[東京キッズ]](第26話 - 最終回) | |- |[[湾岸ミッドナイト]] |2007年6月-2008年9月 |[[エー・シー・ジー・ティー|A・C・G・T]] |[[週刊ヤングマガジン]]でも連載 |- |[[RAINBOW-二舎六房の七人-]] |2010年4月-9月 |マッドハウス | |- |[[団地ともお]] |2013年4月-2015年2月 |[[小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント]] | |- |[[ピンポン (漫画)|ピンポン]] |2014年4月-6月 |[[タツノコプロ]] | |- |[[恋は雨上がりのように]] |2018年1月-3月 |[[ウィットスタジオ|WIT STUDIO]] | |- |[[ペット (漫画)|ペット]] |2020年1月-3月 |[[ジェノスタジオ]] | |- |[[ダンス・ダンス・ダンスール]] |2022年4月-6月 |[[MAPPA]] | |- |[[アオアシ]] |2022年4月-9月 |[[プロダクション・アイジー|Production I.G]] | |- |[[君は放課後インソムニア]] |2023年4月-7月 |[[ライデンフィルム]] | |- |[[うずまき (漫画)|うずまき]] |未発表 |[[ドライブ (企業)|Drive]] |[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アダルトスイム]]にて放送 |- |[[結婚するって、本当ですか]] |未発表 |未発表 | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 劇場アニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[鉄コン筋クリート]] |2006年 |[[STUDIO 4℃]] | |- |[[デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション]] |2024年 |[[プロダクション・プラスエイチ|Production +h.]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[軽井沢シンドローム]] |1985年 | | |- |[[傷追い人]] |1986年 |マッドハウス | |- |[[クライング フリーマン]] |1988年-1994年 | | |- |[[冒険してもいい頃]] |1989年-1990年 |[[ナック (アニメ制作会社)|ナック]] | |- |最終兵器彼女 |2005年 |[[スタジオ・ファンタジア]] | |- |[[東京大学物語]] |2004年 |ビデオメーカー | |- |[[ギョ]] |2012年 |[[ユーフォーテーブル|Ufotable]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webアニメ !作品 !配信年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[伝染るんです。]] |2009年 |[[ディー・エル・イー]]<br />[[東宝]] | |- |[[気まぐれコンセプト]] |2016年 |オッドジョブ | |- |[[風都探偵]] |2022年 |[[スタジオKAI]] | |} === ドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !備考 |- | rowspan="7" |[[はるちゃん]] |1987年(単発) |[[フジテレビジョン|フジテレビ]] | rowspan="7" | |- |1996年(パート1) | rowspan="3" |[[東海テレビ放送|東海テレビ]]<br />東宝 |- |1998年(パート2) |- |1999年(パート3) |- |2000年(パート4) | rowspan="3" |東海テレビ<br />[[国際放映]] |- |2001年(パート5) |- |2002年(パート6) |- |[[キスより簡単]] |1987年 |フジテレビ | |- |[[同・級・生]] |1989年 |フジテレビ | |- |[[東京ラブストーリー]] |1991年 |フジテレビ | |- |[[ワタナベ (漫画)|ワタナベ]] |1993年 |[[関西テレビ放送]]<br />[[宝塚映像]] | |- | rowspan="2" |[[あすなろ白書]] |1993年 |フジテレビ | rowspan="2" | |- |2002年(台湾版) | |- | rowspan="2" |美味しんぼ |1994年-1999年 | rowspan="2" |フジテレビ |「[[金曜エンタテイメント]]」で放送されたシリーズ |- |2007年-2009年 |「[[土曜プレミアム]]」で放送されたシリーズ |- |東京大学物語 |1994年 |[[テレビ朝日]] | |- |[[100億の男]] |1995年 |関西テレビ | |- |[[いいひと。]] |1997年 |関西テレビ<br />[[共同テレビジョン|共同テレビ]] | |- |[[お仕事です!]] |1998年 | | |- |[[センチメントの季節]] |1999年 | | |- |[[月下の棋士]] |2000年 |テレビ朝日<br />[[メディアミックス・ジャパン|MMJ]] | |- |[[編集王]] |2000年 |フジテレビ<br />共同テレビ | |- |[[九龍で会いましょう]] |2002年 |テレビ朝日<br />[[アズバーズ]] | |- | rowspan="2" |[[ショコラ (漫画)|ショコラ]] |2003年 |[[毎日放送]] | rowspan="2" | |- |2014年(台湾版) |可米国際影視<br />華策影視<br />羚邦集団 |- |[[CAとお呼びっ!]] |2006年 |[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] | |- |[[バンビ〜ノ!]] |2007年 |日本テレビ | |- |めぞん一刻 |2007年-2008年 |テレビ朝日<br />[[東北新社クリエイツ]] | |- |[[帝王 (漫画)|帝王]] |2009年 |毎日放送 | |- |[[とめはねっ! 鈴里高校書道部]] |2010年 |[[日本放送協会|NHK]] | |- | rowspan="3" |[[闇金ウシジマくん]]([[闇金ウシジマくん (テレビドラマ)|ドラマ]]) |2010年(Part1) | rowspan="3" |毎日放送 | rowspan="3" | |- |2014年(Part2) |- |2016年(Part3) |- |[[ハクバノ王子サマ]] |2013年 |[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]] | |- |[[ふたがしら]] |2015年 |[[WOWOW]] | |- |[[100万円の女たち]] |2017年 |テレビ東京<br />イメージフィールド | |- | rowspan="2" |[[忘却のサチコ]] |2018年(SP1、連続) | rowspan="2" |テレビ東京<br />[[ホリプロ]] | rowspan="2" | |- |2020年(SP2) |- |[[ドルメンX]] |2018年 |日本テレビ<br />[[アックスオン]] | |- |[[健康で文化的な最低限度の生活]] |2018年 |関西テレビ放送 | |- |[[トクサツガガガ]] |2019年 |[[NHK名古屋放送局]] | |- |[[Heaven?]] |2019年 |[[TBSテレビ]] | |- |[[高校アフロ田中]] |2019年 |[[ジャンゴフィルム]] | |- |[[4分間のマリーゴールド]] |2019年 |共同テレビジョン<br />TBSテレビ | |- |[[パパがも一度恋をした]] |2020年 |東海テレビ | |- |[[ふろがーる!]] |2020年 |共同テレビジョン | |- |[[武士スタント逢坂くん!]] |2021年 |日本テレビ<br />[[ジェイ・ストーム]]<br />ギークサイト | |- |[[うきわ (漫画)|うきわ]] |2021年 |[[テレビ東京]]<br />[[AOI Pro.]] | |- |[[二月の勝者-絶対合格の教室-]] |2021年 |日本テレビ | |- |[[往生際の意味を知れ!]] |2023年 |毎日放送 | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webドラマ !作品 !配信年 !制作 !備考 |- |伝染るんです。 |2009年 |株式会社オズ<br />[[電通テック]] | |- |東京ラブストーリー |2020年 |フジテレビ | |- |結婚するって、本当ですか |2022年 |[[The icon]] | |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !公開年 !監督 !配給 !備考 |- |めぞん一刻 |1986年 |[[澤井信一郎]] |[[東映]] | |- | rowspan="2" |キスより簡単 |1989年(第1弾) | rowspan="2" |[[若松孝二]] | rowspan="2" | | rowspan="2" | |- |1991年(第2弾) |- |YAWARA! |1989年 |吉田一夫 |東宝 | |- |[[ツルモク独身寮]] |1991年 |[[今関あきよし]] |[[アスミック・エース|アスミック]] | |- |[[江戸むらさき特急]] |1995年 |[[山城新伍]] | | |- |美味しんぼ |1996年 |[[森崎東]] |[[松竹]] | |- |[[友子の場合]] |1996年 |[[本広克行]] |東映 | |- |クライング フリーマン |1996年 |[[クリストフ・ガンズ]] |東映 | |- |うずまき |2000年 |[[Higuchinsky]] |東映 | |- |[[NAGISA (映画)|NAGISA]] |2000年 |[[小沼勝]] |フィルム・シティ | |- |ピンポン |2002年 |[[曽利文彦]] |アスミック・エース | |- |[[THE3名様]] |2005年-2009年 |[[福田雄一]] | |DVD |- |最終兵器彼女 |2006年 |[[須賀大観]] |東映 | |- |東京大学物語 |2006年 |江川達也 |スープレックス<br />エム・エフボックス | |- |[[奈緒子]] |2008年 |[[古厩智之]] |[[日活]] | |- |[[昴 (漫画)|昴]] |2009年 |リー・チーガイ |[[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]] | |- |高校アフロ田中 |2012年 |[[松居大悟]] |[[ショウゲート]] | |- | rowspan="3" |[[土竜の唄]] |2014年(第1作) | rowspan="3" |[[三池崇史]] | rowspan="3" |東宝 | rowspan="3" | |- |2016年(第2作) |- |2021年(第3作) |- |恋は雨上がりのように |2018年 |[[永井聡]] |東宝 | |- |ドルメンX |2018年 |小室直子 |[[KATSU-do]] | |- |君は放課後インソムニア |2023年 |[[池田千尋]] |[[ポニーキャニオン]] | |} === アニメ化予定(企画段階含) === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[チ。-地球の運動について-]] |2024年 |マッドハウス | |} == 発行部数 == * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 460,354部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会] JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数{{出典無効|date=2016年3月}}。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 416,625部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 394,042部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 373,500部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 355,062部<ref name="jmpa" /> {| class="wikitable" style="font-size:small" |+ 発行部数(2008年4月以降) [https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会] ! !! 1月 - 3月 !! 4月 - 6月 !! 7月 - 9月 !! 10月 - 12月 |- ! 2008年 | || 346,750 部 || 360,750 部 || 318,834 部 |- ! 2009年 | 308,750 部 || 299,167 部 || 288,917 部 || 275,417 部 |- ! 2010年 | 257,834 部 || 253,917 部 || 251,834 部 || 251,667 部 |- ! 2011年 | 248,250 部 || 244,000 部 || 241,834 部 || 241,417 部 |- ! 2012年 | 233,750 部 || 220,167 部 || 216,834 部 || 212,231 部 |- ! 2013年 | 208,182 部 || 205,417 部 || 201,847 部 || 196,819 部 |- ! 2014年 | 188,385 部 || 183,000 部 || 182,584 部 || 180,182 部 |- ! 2015年 | 174,770 部 || 168,250 部 || 171,000 部 || 165,334 部 |- ! 2016年 | 161,583 部 || 158,250 部 || 150,000 部 || 149,833 部 |- ! 2017年 | 150,000 部 || 145,833 部 || 145,000 部 || 143,833 部 |- ! 2018年 | 140,917 部 || 136,667 部 || 136,000 部 || 134,500 部 |- ! 2019年 | 129,167 部 || 125,000 部 || 122,500 部 || 118,636 部 |- ! 2020年 | 114,462 部 || 112,364 部 || 111,364 部 || 110,000 部 |- ! 2021年 | 108,500 部 || 104,333 部 || 97,273 部 || 91,000 部 |- ! 2022年 | 82,000 部 || 76,583 部 || 69,600 部 || 65,250 部 |- ! 2023年 | 61,833 部 || 57,833 部 || 54,909 部 || |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[やわらかスピリッツ]] * [[月刊!スピリッツ]] * [[JUNK]]([[TBSラジオ]]) * [[シンクロニシティーン]] - [[相対性理論 (バンド)|相対性理論]]のアルバム。収録曲「小学館」にスピリッツが登場する。 * [[日本国憲法]] - 2016年32号で日本国憲法全文を付録として綴じ込む。 == 外部リンク == * [https://bigcomicbros.net/spirits/ 週刊スピリッツ | ビッグコミックBROS.NET(ビッグコミックブロス)|小学館] * {{Twitter|spiritsofficial|スピリッツ編集部}} {{ビッグコミックスピリッツ連載中}} {{小学館}} {{DEFAULTSORT:ひつくこみつくすひりつつ}} [[Category:ビッグコミックスピリッツ|!]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]] [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:小学館の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:1980年創刊の雑誌]] [[Category:ビッグコミック|-すひりつつ]]
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漫画サンデー
『漫画サンデー』(まんがサンデー)は、実業之日本社が発行していた漫画雑誌である。第1・第3火曜日発売。1959年8月11日発売の8月25日号をもって創刊した。雑誌コード:20831。版型:B5判。定価:350円。創刊編集長は峯島正行。略称「漫サン」(まんさん)。単行本化したものにも全て「マンサンコミックス」の銘が入っている。 長らく週刊誌として『週刊漫画サンデー』の名称で刊行されており、2012年6月5日に発売したNo.23より隔週刊となり、誌名から「週刊」が外された。 2013年2月19日発売の3月5日号、No.5(通巻2795号)をもって休刊した。 かつてはナンセンス漫画(大人漫画)・小説・読み物を中心とした内容で、休刊前にはストーリー漫画・お色気4コマ漫画・コラムが中心となっていた。1970年代には、つげ義春に作品の発表の場を多く与えた。 派生誌として『漫画サンデーフォアマン』(月2回刊)が発行されていた。 五十音順。※は週刊誌時代からの連載
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『漫画サンデー』(まんがサンデー)は、実業之日本社が発行していた漫画雑誌である。第1・第3火曜日発売。1959年8月11日発売の8月25日号をもって創刊した。雑誌コード:20831。版型:B5判。定価:350円。創刊編集長は峯島正行。略称「漫サン」(まんさん)。単行本化したものにも全て「マンサンコミックス」の銘が入っている。 長らく週刊誌として『週刊漫画サンデー』の名称で刊行されており、2012年6月5日に発売したNo.23より隔週刊となり、誌名から「週刊」が外された。 2013年2月19日発売の3月5日号、No.5(通巻2795号)をもって休刊した。 かつてはナンセンス漫画(大人漫画)・小説・読み物を中心とした内容で、休刊前にはストーリー漫画・お色気4コマ漫画・コラムが中心となっていた。1970年代には、つげ義春に作品の発表の場を多く与えた。 派生誌として『漫画サンデーフォアマン』(月2回刊)が発行されていた。
{{混同|週刊少年サンデー|x1=小学館が発行している少年向け漫画雑誌}} [[File:Chunichi1959-08-10-2.jpg|thumb|250px|『週刊漫画サンデー』1959年8月25日号(創刊号)の新聞広告]] 『'''漫画サンデー'''』(まんがサンデー)は、[[実業之日本社]]が発行していた[[漫画雑誌]]である。第1・第3火曜日発売。[[1959年]][[8月11日]]発売の8月25日号をもって創刊した。[[雑誌コード]]:20831。版型:B5判。定価:350円。創刊編集長は[[峯島正行]]。略称「'''漫サン'''」(まんさん)。単行本化したものにも全て「マンサンコミックス」の銘が入っている。 長らく週刊誌として『'''週刊漫画サンデー'''』の名称で刊行されており、[[2012年]][[6月5日]]に発売したNo.23より隔週刊となり、誌名から「週刊」が外された<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/70527|title=漫画サンデー新装刊、新作6本&わたせせいぞう読み切り|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]| date=2012-06-05|accessdate=2012-06-15}}</ref>。 [[2013年]][[2月19日]]発売の3月5日号、No.5(通巻2795号)をもって休刊した<ref>[https://archive.is/20130501132803/http://mainichi.jp/mantan/news/20130218dyo00m200036000c.html 漫画サンデー:54年の歴史に幕 「湯けむりスナイパー」など完結](2013年5月1日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - [[毎日新聞]]2013年2月19日</ref>。 かつてはナンセンス漫画(大人漫画)・小説・読み物を中心とした内容で、休刊前にはストーリー漫画・お色気[[4コマ漫画]]・コラムが中心となっていた。[[1970年代]]には、[[つげ義春]]に作品の発表の場を多く与えた。 派生誌として『[[漫画サンデーフォアマン]]』(月2回刊)が発行されていた。 == 休刊当時連載されていた作品 == 五十音順。※は週刊誌時代からの連載 * 援護部長ウラマサ([[渡辺獏人]])※ * カナデのソラ(原作:[[狩野シロ]]、作画:[[紅林直]]、シナリオスーパーバイザー:[[吉田玲子]]) * 吉祥寺★パラダイス([[大谷じろう]]) * 女王の穴(クイーンズ・ホール)([[山口譲司]]) * しすとも([[稲光伸二]]) * シバのヨル([[松枝尚嗣]]) * シンクロ([[坂辺周一]]) * [[蒼太の包丁 銀座・板前修業日記|蒼太の包丁]](原作:[[末田雄一郎]]、作画:[[本庄敬]])※ * チャリング【自転車女子物語】([[やまさき拓味]])※ * [[トリガー (小説)|トリガー]](原作:[[板倉俊之]]、作画:[[武村勇治]])※ * 放課後の拳銃(原作:[[香川まさひと]]、作画:[[木村直巳]])※ * ほな、また明日!([[東元]]) * 本日は休診([[石川サブロウ]]、シリーズ連載) * ほんのり猫味([[いわみちさくら]])※ * [[湯けむりスナイパー]](原作:[[ひじかた憂峰]]、作画:[[松森正]])※(シリーズ連載) * をのころん(原作:[[ルノアール兄弟]]、作画:[[高本ヨネコ]]) == 過去の掲載作品 == === あ行 === * [[愛と復讐の挽歌]]([[倉科遼]]) * アギャキャーマン([[谷岡ヤスジ]]) * [[アトミックのおぼん]]([[杉浦幸雄]]) * あんたが悪いっ([[いがらしみきお]]) * イオナちゃん([[宍倉ユキオ]]) * イケガヤ・アフィオセミオン・ルーム([[内田春菊]]) * 石松ちゃん([[平ひさし]]) * [[一輝まんだら]]([[手塚治虫]]) * [[一杯いきますか!!]]([[石原まこちん]]) * [[上を下へのジレッタ]](手塚治虫) * [[艶恋師]](原作:[[倉科遼]]、作画:[[みね武]]) * 海猫亭へようこそ(原作:[[剣名舞]] 作画:[[村尾忠義]]) * SFもどき([[辰巳ヨシヒロ]]) * [[エスパイ]]([[小松左京]])※小説作品 * 江戸バルザック([[かわすみひろし]]) * エナジィ([[やまあき道屯]]) * おいらん姐さん([[鈴木あつむ]]) * おいしいパンを召しあがれ!(作画:[[田中つかさ]]、原案:[[大和田聡子]]) * お酒の神様に乾杯!!([[高倉あつこ]]) * Oh☆ジャリーズ!!([[秋竜山]]) * お天気ガール(原作:[[半井小絵]]、作画:田中つかさ) * オバー自慢の爆弾鍋(原作:[[天願大介]]・[[高津祥一郎]]、作画:[[こせきこうじ]]、原案:[[BEGIN (バンド)|BEGIN]]) * 面影の女(ひと)(杉浦幸雄) === か行 === * [[賭けゴロ]](原作:[[津流木詞朗]] 作画:[[地引かずや]]) * 賭ゴロの鉄(原作:[[梶川良]] 作画:[[政岡としや]]) * かさねの道(タオ)(原作:[[かわさき健]]、作画:[[今谷鉄柱]]) * 歌舞伎町弁護人 凛花(原作:[[松田康志]]、作画:花小路ゆみ) * 監禁探偵(原作:[[我孫子武丸]]、作画:[[西崎泰正]]) * [[監察医朝顔]](原作:[[香川まさひと]]、作画:[[木村直巳]]、監修:[[佐藤喜宣]]) * かっぱ十七([[清水崑]]) * カンバラコント([[神原則夫]]) * 感涙食堂([[吉開寛二]]) * キザッペ([[鈴木義司]]) * [[君たちに明日はない]](原作:[[垣根涼介]]、作画:[[笠原倫]]) * [[ギャートルズ]]([[園山俊二]]、テレビアニメ「はじめ人間ギャートルズ」の原作) * [[ギャンブル王]](原作:[[バーミー双六]] 作画:[[マーチン角屋]]) * 究極兵器 将太郎(原作:[[北芝健]]、作画:[[片山誠]]) * 女王の穴~クイーンズ・ホール~([[山口譲司]]) * 黒猫とピストル(原作:[[赤川次郎]] 作画:[[渡辺さだお]]) * [[劇画ヒットラー]]([[水木しげる]]) * [[ゲゲゲの鬼太郎#長期シリーズ化|ゲゲゲの鬼太郎挑戦シリーズ]](水木しげる) * [[ゲゲゲの鬼太郎#その後の動向|ゲゲゲの鬼太郎]](水木しげる、[[1997年]]に鬼太郎霊団の第2話を前後編に分けて掲載) * ケンカ駆け込み寺 用心坊(原作:[[今野敏]]、作画:[[土山しげる]]) * [[剛球少女]](原作:田中誠一、作画:[[千葉きよかず]]) * [[極道兵器]]([[石川賢 (漫画家)|石川賢]]、『[[コミックジャックポット]]』([[リイド社]])より転籍) * [[コケカキイキイ]](水木しげる) * [[コスプレ探偵]](原案:倉科遼、作画:[[宮崎摩耶]]) * この腕売ります([[鳴島生]]) * [[これで家族]](原作:[[西ゆうじ]]、作画:[[杉江雅巳]]) * 婚プレックス♥ジャーニー([[斉藤いくみ]]) === さ行 === * 最果てのサイクロプス([[鈴木マサカズ]]) * 裁判員の女神(原作:[[毛利甚八]]、作画:かわすみひろし、原案:[[井垣康弘]]) * [[百日紅 (漫画)|百日紅]]([[杉浦日向子]]) * 地獄の軍団(辰巳ヨシヒロ) * [[静かなるドン]]([[新田たつお]]) * シャケ(原作:津流木詞朗 作画:[[土山しげる]]) * ショージ君([[東海林さだお]]) * 商社マンは今日も踊る([[小田ビンチ]]) * [[庶民御宿]]([[つげ義春]]) * [[真実の男 大安吉日真太郎]]([[福本伸行]]) * 新まるごし刑事(原作:[[北芝健]] 作画:[[小林政王]]) * 刃蕾-JINRAI-([[一智和智]]) * 吸いたいもん([[沼よしのぶ]]) * [[ストロベリーナイト]](原作:[[誉田哲也]]、作画:[[堀口純男]]) * [[セツ (漫画)|セツ]]([[木葉功一]]) === た行 === * [[退屈な部屋]](つげ義春) * 体験妻([[村山一夫]]) * 卓上みだれ日記([[白木卓]]) * 武田みけん星([[倉科遼|司敬]]) * ちゅうじょ 中京女子大レスリング部物語(作画:[[中祥人]]、原作協力:[[星井博文]]) * [[天才バカボン|天才バカボンのおやじ]]([[赤塚不二夫]]・[[古谷三敏]]) * 独眼左近([[村野守美]]) * [[とせい|とせい 〜任侠書房〜]](原作:[[今野敏]]、作画:[[渡辺保裕]])※小説作品 * [[突撃としこ]]([[原としこ]]) * Dreams 〜ショーガールの夢〜(原作:倉科遼、作画:[[東克美]]) === な行 === * [[流れ板七人|流れ板竜二]](原作:[[牛次郎]] 作画:[[笠太郎]]) * [[流れ星五十三次]]([[石ノ森章太郎|石森章太郎]]) * 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漫画アクション
『漫画アクション』(まんがアクション、MANGA Action)は、双葉社が発行する日本の月2回刊青年漫画雑誌。発売日は毎月第1・第3火曜日。1967年7月7日に『週刊漫画アクション』として創刊された。創刊編集長は後に双葉社の社長となる清水文人。2003年に一時期休刊となったが、翌2004年に月2回刊で現在の誌名で復刊された。 『漫画アクション』は最初期の青年漫画誌であり、貸本劇画出身の漫画家を積極的に起用し、青年漫画ブームおよび劇画ブームの基盤となった。吉本浩二のノンフィクション漫画『ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~』は、『漫画アクション』の創刊時を描いている。 モンキー・パンチの『ルパン三世』、石ノ森章太郎の『009ノ1』、小池一夫・小島剛夕の『子連れ狼』、バロン吉元の『柔侠伝』シリーズ、大友克洋の『気分はもう戦争』、長谷川法世の『博多っ子純情』、はるき悦巳の『じゃりン子チエ』、いしいひさいちの『くるくるパーティー』、植田まさしの『かりあげクン』、相原コージの『かってにシロクマ』、臼井儀人の『クレヨンしんちゃん』、西岸良平の『鎌倉ものがたり』、太田垣康男の『一平』などのヒット作の初出誌としても知られる。 部数低迷による休刊が噂に上りだすたびに、『ルパン三世』『じゃりン子チエ』『クレヨンしんちゃん』といった国民的な大ヒット作が登場し、部数が持ち直すという現象が繰り返されたため、これを指して「アクションには神風が吹く」と評された。2013年から双葉社が開始した新人漫画賞「双葉社カミカゼ賞」の名称はこのフレーズに由来する。 一方、『クレヨンしんちゃん』の大ヒット以降はヒット作には恵まれず、部数は低迷する。同作をはじめとして『かりあげクン』『鎌倉ものがたり』は、2000年にファミリー向け4コマ漫画誌として創刊された『まんがタウン』へ移行、その他の作品も他誌への移籍が相次いだ。看板作がなくなったことへのテコ入れとして成人向け漫画出身の漫画家を積極的に起用し、成人向け漫画雑誌とほぼ変わらない誌面を構成した時期もあったが、逆に旧来の読者層の離脱を招き、部数はさらに減少していった。結局は新たな「神風」は吹くことなく、販売部数低迷のため2003年9月30日発売の号をもって一旦休刊されることとなった。この時は「しばしの休刊」と表現されており、休刊する雑誌としては珍しい「復刊を前提とした休刊」だった。 2004年4月20日に月2回刊行の雑誌として復刊する。復刊(再開)号の中吊り広告では「復刊」の文字が大々的に掲げられ、アニメ版『ルパン三世』のDVD付録や掲載作品のタイトルが告知されている。この号では、日本人拉致問題を主題とした『奪還』、少年犯罪の過程を描いた『17歳。』、戸梶圭太原作のコミカライズ作品『牛乳アンタッチャブル』、2008年に映画化された『コドモのコドモ』、2010年にテレビドラマ化された『モリのアサガオ』など、多くの社会派作品の連載が同時に開始されている。その後、表紙にグラビアアイドル写真の掲載を再開している(ただし不定期的に掲載作品の作画の表紙となる)。 『新・幸せの時間』『お願いサプリマン MyPureLady』『ポルノ・グラフティ』のような成人の性描写を大々的に含む長期連載作品もあるものの、2005年以降の『鈴木先生』『駅弁ひとり旅』『罪と罰 A Falsified Romance』『麻酔科医ハナ』『Odds GP!』『漂流ネットカフェ」などの連載により正統派の青年漫画誌として再起を図ると共に、公式サイト上で雑誌掲載作品の無料ウェブコミック「Web漫画アクション」開設など新規の読者開拓を図っている(なお、同様の試みは講談社の「モーニング・ツー」が追従している)。 北朝鮮による日本人拉致問題を連載作品で扱った最初の漫画雑誌でもあり、復刊時の『奪還』を皮切りに、「北朝鮮拉致ドキュメンタリー」として北朝鮮による拉致被害者家族連絡会に当時所属していた拉致被害者家族の解放に向けた活動を本そういちの作画で連載し、単行本化している。 単行本は原則的に専用レーベルとなる「アクションコミックス(AC)」より刊行される。 『漫画アクション』公式サイトのウェブコミック連載ページとして設けられていたが、2013年4月より、『WEBコミックハイ!』等を統合して『WEBコミックアクション』へとリニューアルした。 1980年代に「アクション・ジャーナル」という匿名コラムのコーナーがあり、毎週数本のコラムが掲載された。 主な執筆者は次のとおり。 2004年の復刊後に「アクション・ジャーナル」も復活していたが、2013年に終了。 1968年創刊。後に『別冊アクション』に改名された。第2・4金曜日発行の月2回刊漫画雑誌であったが、1985年に『COMICアクションキャラクター』に改題されリニューアルされた。『アクションキャラクター』は、1991年に成年向け漫画雑誌『アクションピザッツ』へとリニューアルされた。 1987年にミス・コンテスト「第1回ミスアクション」オーディションが開催され、初代ミスアクションとして彩木美来が選ばれている。 2012年6月には、25年振りにミスアクションを決めるオーディションが開催された。 2012年8月21日、ミスアクション2013公式サイトが設立された。 2013年4月21日に2013年のグランプリである森実咲と荒井つかさがお披露目された。 2017年を最後に開催されていない。
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『漫画アクション』は、双葉社が発行する日本の月2回刊青年漫画雑誌。発売日は毎月第1・第3火曜日。1967年7月7日に『週刊漫画アクション』として創刊された。創刊編集長は後に双葉社の社長となる清水文人。2003年に一時期休刊となったが、翌2004年に月2回刊で現在の誌名で復刊された。
{{出典の明記|date=2009年1月}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Weekly Manga Action logo.png | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 漫画アクション | 英文誌名 = MANGA ACTION | 誌名略称 = アクション | ジャンル = 青年[[漫画雑誌]] | 読者対象 = 30 - 50代の男性 | 刊行頻度 = 月2回発行 | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 400円+税 | 出版社 = [[双葉社]] | 編集部名 = | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 三田村優<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/column/508995|title=イケオジ、元戦闘工作員、天狗、ねこと個性豊かな主人公が登場する28作品|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-31|accessdate=2023-01-31}}</ref> | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = [[1967年]][[7月7日]] - [[2003年]][[9月30日]](旧・週刊漫画アクション)<br />[[2004年]][[4月8日]] - (新・漫画アクション) | 発行部数 = | 発行部数調査年月 = | 発行部数調査機関 = | レーベル = アクション・コミックス | 姉妹誌 = [[月刊アクション]]<br />アクションヒーロー(休刊)<br />[[アクションピザッツ]]<br />[[まんがタウン]] | ウェブサイト = https://manga-action.futabanet.jp/ | 特記事項 = }} 『'''漫画アクション'''』(まんがアクション、MANGA Action)は、[[双葉社]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#刊行頻度|月2回刊]][[青年漫画|青年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。発売日は毎月第1・第3火曜日。[[1967年]][[7月7日]]に『'''週刊漫画アクション'''』として創刊された。創刊編集長は後に双葉社の社長となる[[清水文人]]。[[2003年]]に一時期休刊となったが、翌[[2004年]]に月2回刊で現在の誌名で復刊された。 == 概要 == 『漫画アクション』は最初期の[[青年漫画]]誌であり、[[貸本劇画]]出身の[[漫画家]]を積極的に起用し、青年漫画ブームおよび[[劇画]]ブームの基盤となった。[[吉本浩二]]のノンフィクション漫画『ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~』は、『漫画アクション』の創刊時を描いている。 [[モンキー・パンチ]]の『[[ルパン三世]]』、[[石ノ森章太郎]]の『[[009ノ1]]』、[[小池一夫]]・[[小島剛夕]]の『[[子連れ狼]]』、[[バロン吉元]]の『[[柔侠伝シリーズ|柔侠伝]]』シリーズ、[[大友克洋]]の『[[気分はもう戦争]]』、[[長谷川法世]]の『[[博多っ子純情]]』、[[はるき悦巳]]の『[[じゃりン子チエ]]』、[[いしいひさいち]]の『[[がんばれ!!タブチくん!!|くるくるパーティー]]』、[[植田まさし]]の『[[かりあげクン]]』、[[相原コージ]]の『[[かってにシロクマ]]』、[[臼井儀人]]の『[[クレヨンしんちゃん]]』、[[西岸良平]]の『[[鎌倉ものがたり]]』、[[太田垣康男]]の『[[一平]]』などのヒット作の初出誌としても知られる。 <!--一時期は-->部数低迷による休刊が噂に上りだすたびに、『ルパン三世』『じゃりン子チエ』『クレヨンしんちゃん』といった国民的な大ヒット作が登場し、部数が持ち直すという現象が繰り返されたため、これを指して「'''アクションには[[神風]]が吹く'''」と評された<ref>{{Cite web|和書 |author=[[吉田豪]] |date=2004年5月30日 |url=http://book.asahi.com/reviews/column/2011072801526.html |title=漫画アクション 復刊3号(吉田豪さんのコミック教養講座) |work=[http://book.asahi.com/ BOOK asahi.com] |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2012年6月10日 }}</ref>。2013年から双葉社が開始した新人漫画賞「双葉社カミカゼ賞」の名称はこのフレーズに由来する。 一方、『クレヨンしんちゃん』の大ヒット以降はヒット作には恵まれず、部数は低迷する。同作をはじめとして『かりあげクン』『鎌倉ものがたり』は、[[2000年]]にファミリー向け[[4コマ漫画]]誌として創刊された『[[まんがタウン]]』へ移行、その他の作品も他誌への移籍が相次いだ。看板作がなくなったことへの[[テコ入れ]]として[[成人向け漫画]]出身の漫画家を積極的に起用し、成人向け漫画雑誌とほぼ変わらない誌面を構成した時期もあったが、逆に旧来の読者層の離脱を招き、部数はさらに減少していった。結局は新たな「神風」は吹くことなく、販売部数低迷のため2003年[[9月30日]]発売の号をもって一旦休刊されることとなった。この時は「しばしの休刊」と表現されており、休刊する雑誌としては珍しい「復刊を前提とした休刊」だった。 [[2004年]][[4月20日]]に月2回刊行の雑誌として復刊する。復刊(再開)号の[[吊り広告|中吊り広告]]では「復刊」の文字が大々的に掲げられ、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]版『ルパン三世』の[[DVD]][[おまけ#付録|付録]]や掲載作品のタイトルが告知されている。この号では、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]を主題とした『奪還』、[[少年犯罪]]の過程を描いた『[[17歳。]]』、[[戸梶圭太]]原作の[[コミカライズ]]作品『牛乳アンタッチャブル』、2008年に[[映画]]化された『[[コドモのコドモ]]』、2010年に[[テレビドラマ]]化された『[[モリのアサガオ]]』など、多くの社会派作品の連載が同時に開始されている。その後、表紙に[[グラビアアイドル]]写真の掲載を再開している(ただし不定期的に掲載作品の作画の表紙となる)。 『新・幸せの時間』『お願いサプリマン MyPureLady』『ポルノ・グラフティ』のような成人の[[性行為|性描写]]を大々的に含む<!--3年以上の-->長期連載作品もあるものの、2005年以降の『[[鈴木先生]]』『[[駅弁ひとり旅]]』『[[罪と罰 A Falsified Romance]]』『[[麻酔科医ハナ]]』『[[Odds GP!]]』『[[漂流ネットカフェ]]」などの連載により正統派の青年漫画誌として再起を図ると共に、公式サイト上で雑誌掲載作品の無料[[ウェブコミック]]「Web漫画アクション」開設など新規の読者開拓を図っている(なお、同様の試みは[[講談社]]の「[[モーニング・ツー]]」が追従している)。 [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]による[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]を連載作品で扱った最初の漫画雑誌でもあり、復刊時の『奪還』を皮切りに、「北朝鮮拉致ドキュメンタリー」として[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会]]に当時所属していた拉致被害者家族の解放に向けた活動を[[本そういち]]の作画で連載し、単行本化している。 :*[[蓮池薫]]を取り上げた[[蓮池透]]原作の『奪還』 :*[[横田めぐみ]]を取り上げた[[横田滋]]・[[横田早紀江|早紀江]]夫妻監修の『[[めぐみ (漫画)|めぐみ]]』 :*[[北朝鮮による日本人拉致問題#李恩恵(リ・ウネ)拉致事案|田口八重子]]を取り上げた飯塚耕一郎原作の『母が拉致された時 僕はまだ一歳だった』 単行本は原則的に専用レーベルとなる「[[#レーベル|'''アクションコミックス'''(''AC'')]]」より刊行される。 「クレヨンしんちゃん」に登場するアクション仮面は本誌にちなんだネーミングである。 == 漫画アクション(復刊後) == === 現在連載中の作品 === <!-- 作品名の50音順に並べています。--><!--この「現在連載中」は「2023年No.23(12月5日号、2023年11月21日発売)」に準拠しています。--> * アウトサイダーパラダイス([[涼川りん]])<!-- 2023年11号開始 - 終了--> * [[あなたがしてくれなくても]](ハルノ晴)<!-- 2017年13号開始 - 終了--> * いとなみいとなめず([[水瀬マユ]])<!-- 2018年20号開始 - --> * [[エイジング―80歳以上の若者が暮らす島―]](友野ヒロ)<!-- 2020年10号開始 - --> * きみは謎解きのマシェリ(糸なつみ)<!-- 2021年No.11 - --> * [[桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?]]([[ぽんとごたんだ]])<!-- 2018年8号開始 - -->※『[[月刊アクション]]』(同社刊)から移籍 * 死にたいと言ってください―保健所こころの支援係―(中原ろく、監修:[[松本俊彦]])<!-- 2022年9号開始 - --> * 島さん(川野ようぶんどう)<!-- 2020年9号開始 - --> * 邪神さんは隠したい!(坂本遊也)<!-- 2023年5号開始 - --> * [[少年アシベ|小3アシベ QQゴマちゃん]]([[森下裕美]])<!-- 2020年7号開始 - --> * [[駅弁ひとり旅|新・駅弁ひとり旅〜撮り鉄・菜々編〜]](作画:[[はやせ淳]]、監修:[[櫻井寛]])<!--2012年20号より休載中、2020年3号開始 - 終了--> * だらしないです 堀田先生!(なかだまお)<!-- 2022年7号開始 - 終了 --> * DOCTOR PRICE(作画:有柚まさき、原作:逆津ツカサ)<!-- 2022年22号開始 - 終了 --> * パリッコの都酒伝説ファイル(作画:[[ルノアール兄弟]]、原案:パリッコ)<!-- 2023年7号開始 - 終了 --> * ファッキンJAYのマイルド・スタイル(ファッキンJAY a.k.a. ファンキー社長)<!--2021年5号開始 - 終了--> * 放課後帰宅びより(松田舞)<!--2023年16号開始 - --> * 森野さんは五十貝くんの異世界行きを阻止したい(さかいあい)<!--2023年17号開始 - 終了--> * 夜者(河野那歩也)<!-- 2023年10号開始 - --> * [[ライジングサン (漫画)|ライジングサンR]]([[藤原さとし]])<!-- 2018年18号開始 - --> === 不定期連載 === <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * [[麻酔科医ハナ]](作画:なかお白亜、監修:[[松本克平 (医師)|松本克平]]) === 休載中の作品 === <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * [[殺し屋さん]](タマちく.) * [[シャーロッキアン!]]([[池田邦彦]])<!--2013年11号より休載中--> === web漫画アクション堂 === 『漫画アクション』公式サイトの[[ウェブコミック]]連載ページとして設けられていたが、[[2013年]]4月より、『[[WEBコミックハイ!]]』等を統合して『[[WEBコミックアクション]]』へとリニューアルした。 ==== リニューアル前の連載作品 ==== <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * [[飯田橋のふたばちゃん]](作画:[[加藤マユミ]]、原作:[[横山了一]])※第1・第3火曜日更新 * [[同人少女JB]]([[一本木蛮]])※第4火曜日更新 * まりかセヴン([[伊藤伸平]])※本誌不定期連載より移籍、第2・第4火曜日更新 ==== web休載中の作品 ==== <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * 霧の中のラプンツェル(あらい・まりこ) * クロノスヘイズ([[高野真之]])※『[[月刊コミック電撃大王]]』([[メディアワークス]])より移籍後、漫画アクション本誌から移籍 * 僕はなぜ!? なぜ結婚できたのか!! -モテない男の恋愛処世術-(福満しげゆき)※コラム === 連載終了の作品 === <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * あきたこまちにひとめぼれ(吉谷光平、監修:[[西島豊造]])<!-- 2017年9号開始 - 2018年20号終了 --> * 悪のボスと猫。([[ボマーン]])<!-- 2016年14号開始 - 2018年6号終了 --> * AGAINST嵐(作画:[[かざま鋭二]]、原作:堀井ひろし) * あしたのジロー(原作:[[森高夕次]]、漫画:荒木光)<!-- 2017年11号開始 - 2017年21号終了 最終話は『ヤングチャンピオン』に掲載 -->、『[[ヤングチャンピオン]]』([[秋田書店]])と合同連載(1話ずつ交互に掲載) * あしゅらみち -冤罪-([[郷田マモラ]])<!--2013年14号目次にて休載発表、作者の逮捕により同年19号目次にて連載終了発表--> * あねおと([[元町夏央]]) * [[アリエテ2057]]([[五十嵐浩一]]) * アミグダラ(永田一由)<!-- 2019年24号開始 - 2021年No.16終了--> * あんばらんすスク〜ルライフ([[むつきつとむ]])<!-- 2015年24号開始 - 2016年18号終了 --> * 愛しのアニマリア(岡田卓也)<!-- 2019年9号開始 - 2020年7号終了、『WEBアクションに移籍--> * 愛しのDUTCHOVENガール([[藤沢とおる]]、料理監修:[[影山のぞみ]])<!--作者と編集サイドとのトラブルにより連載終了 http://www.cyzo.com/2013/10/post_14699_2.html--> * 犬釘を撃て!(伊図透)<!-- 2020年No.18開始 - 2020年No.21終了 -->※短期集中連載、『化外の地』の続編 * [[イン・ザ・ヒーロー]](作画:細川忠孝、原作:[[水野敬也]]・[[李鳳宇]]) * ウォーキング・キャット(北岡朋)<!-- 2018年12号開始 - 2020年No.4終了--> * [[うちの妻ってどうでしょう?]]([[福満しげゆき]]) * うちゅうのようせいチルピル([[下村トモヒロ]])<!-- 2019年8号開始 - 2020年6号終了、『WEBアクションに移籍--> * 空日屋(うつろひや)([[とりのなん子]])<!-- 2019年23号開始 - 2021年12号終了--> * [[東京都北区赤羽|ウヒョッ! 東京都北区赤羽]]([[清野とおる]])<!-- 2013年9号開始 - 2017年12号終了、2018年21号開始 - 2019年No.2終了 --> * [[永遠の0#漫画|永遠の0]](作画:[[本そういち|須本壮一]]、原作:[[百田尚樹]]) * [[大阪ハムレット]](森下裕美) * オキテネムル([[連打一人]])<!-- 2014年3号開始 - 2018年14号終了 --> * おちけん([[川島よしお]]) * [[Odds GP!|Odds VERSUS!]]([[石渡治]])<!-- 2014年2号開始 - 2023年No.22終了 --> * おりんちゃん(川島よしお) * [[おるちゅばんエビちゅ|おるちゅばんエビちゅ ちゅ〜]]([[伊藤理佐]])<!-- 2018年16号開始 - 2022年19号終了 --> * おれたちのラブ・ウォーズ〜その後の昭和の中坊たち〜(作画:[[吉本浩二]]、原作:[[末田雄一郎]]) * おんさのひびき(伊図透) * 快男子SANIWA(作画:[[小幡文生|ふんわり]]、原作:[[土屋ガロン]]) * ガウちゃんといっしょ([[河上だいしろう]])<!-- 2017年18号開始 - 2018年23号終了 --> * [[居眠り磐音#漫画|陽炎の辻〜居眠り磐音〜]](作画:かざま鋭二、原作:[[佐伯泰英]]) * ガットショット([[佐藤まさき]]、監修:日本ポーカー協会)<!-- 2014年17号開始 - 2016年3号終了 --> * カリスマ(作画:[[西崎泰正]]、原作:[[新堂冬樹]]、構成:[[八潮路つとむ]]) * [[監禁嬢]](河野那歩也)<!-- 2016年9号開始 - 2020年1号終了--> * [[ガンパパ島の零戦少女]]([[本そういち]]) * [[君に愛されて痛かった]]([[知るかバカうどん]])<!-- 2017年12号開始 - 2017年21号連載中止-->※『[[まんが王国]]』([[ビーグリー]])に移籍。 * キャバ嬢ナガレ(作画:[[郷力也]]、原作:かわさき健) * ぎゃんぷりん([[押切蓮介]])<!-- 2016年16号開始 - 2018年5号終了 --> * [[球世主!!]](作画:はたのさとし、原作:[[ましま蒼樹]]) * 牛乳アンタッチャブル(作画:[[市川智茂]]、原作:[[戸梶圭太]]) * きょうのスー(マツダユカ)<!-- 2013年6号開始 - 2017年No.7 --> * [[きらきらひかる (漫画)|きらきらひかる最終章]](郷田マモラ) * ぎんなん([[村上たかし]]) * [[空拳乙女|空拳乙女(くうけんおとめ)]](湯浅ヒトシ) * くのいち一年生(作画:行徒妹、原作:[[河田雄志]]) * 化外の地(伊図透)<!-- 2019年No.18開始 - 2019年No.20終了 -->※短期集中連載 * [[けずり武士]](湯浅ヒトシ) * こいぐるみ([[たなかのか]])<!-- 2020年15号開始 - 2021年23号終了 --> * [[極道めし]](土山しげる)※隔号連載 * [[ここだけのふたり!!|ここだけのふたり!]](森下裕美) * [[古代戦士ハニワット]]([[武富健治]])<!-- 2018年14号開始 - 2022年No.21第二部完 --> * コタおいで([[村上たかし]])<!-- 2017年8号開始 - 2018年19号終了 --> * 古都こと -チヒロのこと-([[今井大輔]])<!-- 2015年6号開始 - 2016年9号終了 -->※『[[ヤングチャンピオン]]』([[秋田書店]])にて『古都こと -ユキチのこと-』を同時並行連載 * [[コドモのコドモ]]([[さそうあきら]]) * [[この世界の片隅に]]([[こうの史代]]) * [[サマヨイザクラ]](郷田マモラ) * さわれないのよ、さわこさん(松林佑)<!-- 2019年24号開始 - 2020年20号終了 --> * さんさん録(こうの史代) * ジェノサイド 真田十勇士VS里見八犬士(作画:[[小林拓己]]、原作:[[中島かずき]]) * 詩人てるゆき(よしかわゆたか) * ジジゴク(沖田次雄) * 失踪人ハンターエル(深山雪男) * しっぽ!エンハンスメント([[大野ツトム]]) * 〆(しめ)のグルメ([[土山しげる]])<!-- 2016年4号開始 - 2017年4号(最終掲載号)終了-->※作者死去により絶筆。 * 下ネタで考える学問([[相原コージ]]) * [[17歳。]](作画:[[鎌田洋次]]、原作:[[藤井誠二]]) * しょーがくせれぶ([[中村カンコ]])※隔号連載、2013年12号掲載分を最後に『まんがタウン』(双葉社)に移行。 * 昭和の中坊(作画:吉本浩二、原作:末田雄一郎) * 初老てるゆき(よしかわゆたか) * 銀(しろがね)のニーナ(イトカツ)<!-- 2012年9号開始 - 2019年16号終了、 2019年18号、2019年No.19に番外編掲載--> * [[新恐竜]](作画:[[小川隆章]] 原作:[[ドゥーガル・ディクソン]]) * [[幸せの時間|新・幸せの時間]]([[国友やすゆき]]) * スウィートピカレスク(平沢バレンティーノ)<!-- 2017年10号開始 - 2017年24号終了--> * スーパー・バッド・ファーザー犬伏(青井たつや)<!-- 2021年13号開始 - 2022年14号 --> * スカイくん([[そにしけんじ]]) * [[鈴木先生]]([[武富健治]]) ** 鈴木先生外典 * スターライトウーマン([[加納梨衣]]) * 成功すんのか!?ダイエット([[とみさわ千夏]]) * [[絶望の犯島-100人のブリーフ男と1人の改造ギャル-]]([[桜井トシフミ|櫻井稔文]]) * 先生、黒髪になっても気付いてくれる?(長谷川和志)<!-- 2016年5号開始 - 2016年23号終了 --> * [[センセイの鞄]](作画:[[谷口ジロー]]、原作:[[川上弘美]]) * [[走馬灯株式会社]]([[菅原敬太]]) * 俗物くん([[業田良家]]) * それより僕と妄恋しようよ(たなかときみ) * 奪還(作画:本そういち、原作:[[蓮池透]]) * [[達人伝-9万里を風に乗り-]]([[王欣太]])<!-- 2013年2号開始 - 2023年No.11終了 --> * 男子高校生とふれあう方法(地球のお魚ぽんちゃん)<!-- 2017年21号開始 - 2019年10号終了 --> * チボンカブリ(北岡朋)<!-- 2021年23号開始 - 2023年15号終了 --> * 中性風呂へようこそ!([[新井祥]]) * ちょっと不思議な小宇宙(小田扉) * 終のひと(清水俊)<!-- 2020年22号開始 - 2022年19号終了 --> * ­つなぐ 〜全日本大学駅伝物語〜([[井上正治]])<!-- 2015年16号 - 19号集中連載 --> * [[罪と罰 A Falsified Romance|罪と罰]]([[落合尚之]]) * ディアーナ&アルテミス([[太田垣康男]])<!-- 2020年1号開始 - 2020年14号終了--> * 鉄人マコちゃん(タカミ)<!-- 2020年2号開始 - 2021年No.21終了--> * デリワゴン(作画:伊野ナユタ、原作:阿部定治) * 天泣のキルロガー(作画:[[井上菜摘]]、原作:[[菅原敬太]])<!-- 2019年6号開始 - 2019年8号終了、2019年11号開始 - 2020年11号終了-->※短期集中連載から本連載に移行 * 闘飯(とうはん)(土山しげる) * 時をかける男(古泉智浩) * 突撃!永田町(中本哲哉) * 隣町のカタストロフ([[菅原敬太]])<!-- 2016年22号開始 - 2018年4号終了 --> * [[鳥獏先輩なに賭ける?]]([[くずしろ]])<!-- 2017年4号開始 - 掲載されなくなって数年が経過し、目次にも作品名が載らなくなったため終了扱いとします--> * トミとチエリ([[うさくん]])※隔号連載 * トモダチ×モンスター([[乾良彦]]) * [[トモちゃんはすごいブス]]([[森下裕美]]) * TRUST!-蒼空のたすき-([[井上正治 (漫画家)|井上正治]])<!--2015年1号で-->※「第1部完」 * 夜騎士物語(作画:早川ナオヤ、原作:[[新堂冬樹]]) * ナオゴーストレート -盲導犬歩行指導員-([[山本康人]]) * ナックルダウン([[磯見仁月]])<!-- 2016年18号開始 - 2017年19号終了 --> * なみじょ!!!!!!([[吉沢緑時]])<!-- 2018年22号開始 - 2020年10号終了 --> * 奈落の羊([[きづきあきら]]+[[サトウナンキ]])<!-- 2015年22号開始 - 2017年22号終了 --> * ニートめし!(まめきちまめこ)<!-- 2016年10号開始 - 2017年No.1終了 --> * [[日本をゆっくり走ってみたよ〜あの娘のために日本一周〜]](吉本浩二)<!-- 2010年24号開始 - 2011年17号終了 --> * [[忍者パパ]](山本康人) * 抜け忍転校生ハヤテ(青空大地) * ぬけぬけと男でいよう(作画:[[イワシタシゲユキ]]、原作:[[内田春菊]]) * [[迷走王 ボーダー|ネオ・ボーダー]](作画:[[たなか亜希夫]]、原作:[[狩撫麻礼|ひじかた憂峰]]) * 脳内格闘アキバシュート(本田真吾) * NO LONGER CHILDREN 子供失格(友利卓司) * [[BARレモン・ハート]]([[古谷三敏]])<!-- - 2021年22号終了(未完) -->※隔号連載 * [[ハイポジ (漫画)|ハイポジ]]([[きらたかし]])<!-- 2017年2号開始 - 2018年22号終了 --> * Bugsy 〜新宿リアルギャンブラー〜(森遊作) * 薄命少女(あらい・まりこ) * バスタブに乗った兄弟〜地球水没記〜([[桜井トシフミ|櫻井稔文]])<!-- 2018年3号開始 - 2020年3号終了 --> * 母が拉致された時僕はまだ1歳だった(作画:本そういち、原作・監修:飯塚耕一郎) * ピーチクアワビ(岩田ユキ)<!-- 2020年16号開始 - 2022年6号終了--> * ひかるイン・ザ・ライト!(松田舞)<!--2021年10号開始 - 2022年16号終了--> * [[飛行迷宮学園ダンゲロス]](作画:[[猫井ミィ|猫井ヤスユキ]]、原作:[[架神恭介]]) * ピノ:PINO([[村上たかし]])<!--2020年12号開始 - 2021年No.15終了--> * ヒノマルライズ〜伊藤博文立志伝〜(鈴木コイチ)<!--2022年4号開始 - 2023年6号終了--> * 秘命監察官ドン(原案・作画:郷力也、脚本:末田雄一郎) * [[姫さま狸の恋算用]]([[水瀬マユ]])<!-- 2013年21号開始 - 2016年24号終了 --> * [[ヒメタク]]([[細野不二彦]])※隔号連載<!-- 2014年15号開始 - 2016年5号終了 --> * [[漂流ネットカフェ]]([[押見修造]]) * ふくらみふくらむ([[水瀬マユ]])<!-- 2017年23号開始 - 2018年2号終了 -->※短期集中連載 * [[富士山さんは思春期|富士山(ふじやま)さんは思春期]]([[オジロマコト]])<!--2012年12月18日号開始--/2016年1号終了--> * [[フューチャー・イズ・ワイルド]](the FUTURE is WILD)(作画:小川隆章、ドゥーガル-ディクソン&ジョン-アダムス) * ふらら一人でできませんっ(渡邉ポポ)※『コミックハイ!』より移行<!-- 2015年23号開始 - 2017年No.2 --> * 僕は叶わぬ恋をする(岡野く仔)<!-- 2018年11号開始 - 2019年7号終了--> * [[ぼくは麻理のなか]]([[押見修造]])※当初は隔号連載。2014年14号より毎号連載化<!-- 2012年6号開始 - 2016年18号終了 --> * 僕はラブソングが歌えない(高井唯人)<!-- 2018年9号開始 - 2019年No.2終了 --> * ボクマン(作画:[[一色登希彦]]、原作:[[佐藤秀峰]]) * ボクらの強化部(ちゃんやつ)<!--2022年10号開始 - 2023年18号終了--> * 星屑の少年たちへ なにわの思春期外来奮戦記(郷田マモラ) * [[星守る犬]](村上たかし) * [[焔の眼|焔(ほむら)の眼]]([[押切蓮介]]) * ポルノ・グラフィティ(とみさわ千夏) * My Pure Lady お願いサプリマン(作画:[[八月薫]]、原作:とみさわ千夏) * [[マエストロ (漫画)|マエストロ]](さそうあきら) * 枕田さんの悪夢はしょうがない?(白田クロノスケ)<!-- 2018年5号開始 - 2019年4号終了 --> * マザリアン([[岡田索雲]])<!-- 2016年14号開始 - 2017年15号終了 --> * まぼろしまたね(糸なつみ)<!-- 2019年9号開始 - 2020年15号終了--> * [[マリマリゾンビ]]([[渡辺電機(株)]]) * [[まんがかぞく]]([[大島永遠]]) * みかづきマーチ([[山田はまち]])<!-- 2020年4号開始 - 2021年1号終了 --> * みつば君はあにヨメさんと。(イトカツ)<!-- 2020年8号開始 - 2022年7号終了 --> * ミツバチのキス(伊図透) * 耳かきお蝶(湯浅ヒトシ) * みんな自分ちのネコがいちばんカワイイと思ってるんでしょ?(むらさき まこと) * メイコの遊び場(岡田索雲)<!-- 2018年19号開始 - 2020年11号終了 --> * 名勝負数え唄(モンキー・チョップ) * [[めぐみ (漫画)|めぐみ]](作画:本そういち、原作・監修 [[横田滋]]、[[横田早紀江]]) * モテないのではない モテたくないのだ!!([[カラスヤサトシ]]) * モトカノ☆食堂([[大井昌和]])※隔号連載 * [[モリのアサガオ]](郷田マモラ) * ヤバマン サレ妻の秘密の離婚準備(作画:[[えりちん]]、原作:カンバラノリオ)<!-- 2022年13号開始 - 2023年No.22終了 --> * 闇鍵師(作画:[[赤名修]]、原作:中島かずき) * 夜、海へ還るバス(森下裕美) * ラーメン大百科([[やまだ浩一]]) * [[ライジングサン (漫画)|ライジングサン]]([[藤原さとし]])<!-- 2012年5号開始 - 2018年7号終了 --> * ライフ・イズ・デッド([[古泉智浩]]) * LOVE理論([[佐藤まさき]]、原案:[[水野敬也]]) * りとる・けいおす([[涼川りん]])<!--2015年7号まで。-->並行連載されていた[[ニコニコ静画]]内『[[ニコニコ静画#ニコニコ漫画|月刊のアクション]]』に統合 * [[リバーエンド・カフェ]]([[たなか亜希夫]])<!-- 2017年15号開始 - 2021年No.21終了--> * リベンジH([[仙道ますみ]])<!-- 2014年12号開始 - 2020年12号終了 --> * ルーザーズ〜日本初の週刊青年漫画誌の誕生〜([[吉本浩二]])<!-- 2017年14号開始 - 2019年No.11終了 --> * [[ルパン三世H|ルパン三世]](原作:モンキー・パンチ、監修:[[トムス・エンタテインメント]]、作画:早川ナオヤ)<!-- 2015年21号開始 - 2016年20号終了 --> * レイラの保護者はバンドマン!(灰音アサナ)<!-- 2022年3号開始 - 2023年17号終了 --> * 令和 優駿たちの蹄跡([[やまさき拓味]])<!-- 2021年24号開始 - 2023年16号終了 --> * 浪漫派寮生小島(末吉誠) * ワイルド・ナイツ(古泉智浩) * 私<del>みんな</del>の甲子園 (作画:鎌田洋次、原作:かわさき健) * [[若林くんが寝かせてくれない]]([[音井れこ丸]])<!-- 2015年8号開始 - 2018年2号終了 --> ==== web漫画アクション堂連載終了の作品 ==== <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * 原始バカ一族([[蓮古田二郎]]) * [[シートン (漫画)|シートン]](谷口ジロー) * [[真・異種格闘大戦]](相原コージ) * ホルス(よの・志郎) * [[ミュジコフィリア]](さそうあきら) == Weekly(週刊)漫画アクション == === 他誌へ移行した作品 === * [[鎌倉ものがたり]]([[西岸良平]])『[[まんがタウン]]』(双葉社)へ移行。 * [[かりあげクン]]([[植田まさし]])『まんがタウン』(双葉社)へ移行。 * [[ぎゃるかん]]([[倉上淳士]])『[[メンズヤング]]』(双葉社)へ移行。 * [[クレヨンしんちゃん]]([[臼井儀人]])『まんがタウン』(双葉社)へ移行。 * [[軍鶏 (漫画)|軍鶏]](原作:[[橋本以蔵]]、作画:[[たなか亜希夫]])『[[イブニング]]』([[講談社]])へ移行。 * [[女子高生 (漫画)|女子高生]]([[大島永遠]])『[[コミックハイ!]]』(双葉社)へ移行。 * [[キャラ者]]([[江口寿史]])『[[ぴあ (雑誌)|Weeklyぴあ]]』([[ぴあ]])へ移行。 * 漫歌([[相原コージ]])『[[ビッグコミックスペリオール]]』([[小学館]])へ移行。 * [[馬なり1ハロン劇場]]([[よしだみほ]])『[[双葉社Webマガジン]]』へ移行。 ===過去の連載作品=== <!-- 作品名の50音順に並べています。--> ==== あ行 ==== * [[嗚呼!!花の応援団]]([[どおくまん]]) * [[ア・ホーマンス]](原作:[[狩撫麻礼]]、作画:[[たなか亜希夫]]) * いごっそう甲子園(原作:吉田悠二郎、漫画:[[内山まもる]]) * [[江口寿史の爆発ディナーショー]]([[江口寿史]]) * [[S.O.S (漫画)|S.O.S]]([[細野不二彦]]) * [[おさなづま]](原作:[[コージィ城倉|森高夕次]]、漫画:あきやまひでき) * オシャカ坊主列伝([[小島功]]) * [[入院ボッキ物語 おだいじに!|おだいじに!]]([[おおつぼマキ]]) * 俺にはオレの唄がある([[柳沢きみお]]) * オレは強い([[一丸]]) *[[ルーズ戦記 オールドボーイ]](原作:[[土屋ガロン]]、作画:[[嶺岸信明]]) ==== か行 ==== * 学校の探偵(原作:[[小池一夫]]、作画:[[芳谷圭児]]) * [[かってにシロクマ]](相原コージ)[[1986年]] - [[1989年]] * [[河童千一夜|河童シリーズ]]([[水木しげる]]) * [[がんばれ!!タブチくん!!]]([[いしいひさいち]]) * [[汚い奴]]([[高口里純]]) * [[気分はもう戦争]](原作:[[矢作俊彦]]、作画:[[大友克洋]]) * ギャンブラーの詩(原作:[[阿佐田哲也]]、作画:[[北野英明]]) * 凶銃に生命を賭けろ([[佐藤まさあき]]) * 狂人関係([[上村一夫]])[[1973年]] - [[1975年]] * 共犯幻想(原作:[[斎藤次郎 (漫画原作者)|斎藤次郎]]、漫画:[[真崎守]])[[1972年]] - [[1973年]] * [[空拳乙女]](くうけんおとめ)([[湯浅ヒトシ]])[[2012年]] - [[2013年]] * [[クラッシュ!正宗]](原作:[[小林信也]]、作画:[[たなか亜希夫]]) * ケイの凄春(原作:小池一夫、漫画:[[小島剛夕]]) * 結作物語([[黒鉄ヒロシ]]) * ゲバゲバ時評([[はらたいら]]) * [[獣のように]]([[かわぐちかいじ]]) * [[恋子の毎日]]([[ジョージ秋山]])[[1985年]] - [[1992年]] * [[恋の街東京]]([[赤星たみこ]]) * [[高校生無頼控]](原作:小池一夫、作画:芳谷圭児) * 黒衣の女(原作:[[滝沢解]]、漫画:[[川崎三枝子]]) * [[子連れ狼]](原作:小池一夫、漫画:小島剛夕)[[1970年]] - [[1976年]] ==== さ行 ==== * サチコの幸(上村一夫)1975年 - 1976年 * さよならにっぽん([[大友克洋]])[[1977年]] - [[1978年]] * されどスクラム(原作:[[小堀洋]]、漫画:[[しのはら勉]]) * [[幸せの時間]]([[国友やすゆき]]) * シスターまりん([[高橋のぼる]]) * [[渋谷で会いましょう]](高口里純) * [[じゃりン子チエ]](はるき悦巳)1978年 - [[1997年]] * [[JUNK BOY]](ジャンク・ボーイ)(国友やすゆき)1985年 - 1989年 * 昭和猛者連(原作:小池一夫、漫画:[[佐多みさき]]) * [[蜃気郎]]([[西岸良平]]) * [[神童 (漫画)|神童]]([[さそうあきら]]) * [[天の鷹|天の鷹 SKY Hawk]]([[谷口ジロー]]) * [[青春奇談 赤い雲]](西岸良平) * [[青春奇談 可愛い悪魔]](西岸良平) * [[009ノ1]]([[石ノ森章太郎]])1967年 - 1970年 ==== た行 ==== * [[だらくやストア物語]]([[臼井儀人]]) * タンブリング([[鎌田洋次]]) * [[中年スーパーマン左江内氏]]([[藤子・F・不二雄]]) * 東京家族([[山崎紗也夏|山崎さやか]])[[2002年]] - [[2003年]] * 桃源郷の人々(原作:[[青木雄二]]、作画:[[佐藤量]])[[2003年]] * [[同棲時代]]([[上村一夫]])[[1972年]] - 1973年 * [[童夢 (漫画)|童夢]]([[大友克洋]]) * Dr.タイフーン<!--ドク・タイフーン-->(原作:[[高橋三千綱]]、漫画:[[かざま鋭二]]) * [[トトの世界]]([[さそうあきら]])[[1999年]] - [[2000年]] * [[翔んだカップル]]21([[柳沢きみお]]) * ででんがデンスケ ([[市川智茂]])1996年 - 1997年 ==== な行 ==== * [[日本の民話 (漫画)|日本の民話]]([[水木しげる]]) * [[野坂昭如]]原作 異色文芸シリーズ(水木しげる) ==== は行 ==== * バージン・ママ([[村生ミオ]]) * バーディ・バーディ(原作:[[やまさき十三]]、漫画:芳谷圭児) * ハード・オン(原作:[[矢作俊彦]]、漫画:[[平野仁]]) * ハートフル(村生ミオ) * [[博多っ子純情]]([[長谷川法世]]) * [[HAPPY MAN|HAPPY MAN 爆裂怒濤の桂小五郎]]([[石渡治]]) * バラの戦士([[望月三起也]]) * [[遥かなる甲子園]]([[山本おさむ]]、原作:戸部良也) * 光海岸で待つ([[長谷川法世]]) * ふるさと([[矢口高雄]]) * ぼくたちの疾走([[山本おさむ]])[[1980年]] - [[1981年]] * 「坊ちゃん」の時代(原作:[[関川夏央]]、漫画:[[谷口ジロー]])[[1987年]] - [[1996年]] * 星をまちがえた女([[上村一夫]]) * 風前の灯([[いとう耐]]) ==== ま行 ==== * [[迷走王 ボーダー]](原作:[[狩撫麻礼]]、作画:[[たなか亜希夫]]) ==== ら行 ==== * [[ルパン三世]]シリーズ([[モンキー・パンチ]])1967年 - [[1969年]](新・ルパン三世は1977年 - [[1981年]]) * [[ルパン三世Y]](原作・監修:モンキー・パンチ、作画:[[山上正月]]) ==== わ行 ==== * [[若者たち]]([[永島慎二]]) * [[別れたら好きな人 (漫画)|別れたら好きな人]]([[赤星たみこ]]) * 我ら九人の甲子園(原作:高橋三千綱、漫画:かざま鋭二) === 漫画以外の記事 === 1980年代に「アクション・ジャーナル」という匿名コラムのコーナーがあり、毎週数本のコラムが掲載された。 主な執筆者は次のとおり。 * [[阿奈井文彦]] * [[亀和田武]] * [[呉智英]] * [[関川夏央]] * [[堀井憲一郎]] * [[村上知彦]] * [[山口文憲]] 2004年の復刊後に「アクション・ジャーナル」も復活していたが、2013年に終了。 == 別冊漫画アクション == [[1968年]]創刊。後に『別冊アクション』に改名された。第2・4金曜日発行の[[逐次刊行物#月2回刊|月2回刊]]漫画雑誌であったが、[[1985年]]に『COMICアクションキャラクター』に改題されリニューアルされた。『アクションキャラクター』は、1991年に[[成年向け漫画|成年向け漫画雑誌]]『[[アクションピザッツ]]』へとリニューアルされた。 === 連載作品 === <!-- 作品名の50音順に並べています。--> * [[愛人 (漫画)|愛人]]([[柳沢きみお]])[[1983年]] - [[1991年]] * 蒼き狼の咆哮([[佐藤まさあき]])[[1970年]] * あさくさヨッコ([[能條純一]])[[1982年]] * アミ in TOKIO(てらおかみちお)1982年 * おたふく([[木村えいじ]])[[1980年]] - 1982年 * [[元祖大四畳半大物語|大四畳半大物語]]([[松本零士]])1970年 - [[1974年]] * ジローにぞっこん([[小野新二]])[[1984年]] * セニョール・パ(原作:高橋三千綱、漫画:かざま鋭二)1982年 - 1984年 * つり船物語([[みやはら啓一]])[[1979年]] * 仲間たち([[かまちよしろう]])1980年 - 1982年 * [[ビッグマグナム 黒岩先生]]([[新田たつお]])1982年 - 1984年 * ベロベーマン([[谷岡ヤスジ]])1974年 - [[1985年]] * ゆっくりダボさん(原作:小堀洋、漫画:古谷三敏)1982年 - 1984年 * 夢工場(原作:やまさき十三、漫画:[[弘兼憲史]])1980年 - 1984年 * 夢幻 (原作:西塔紅一、漫画:ふくしま政美)1978年 - 1979年 == レーベル == * 『漫画アクション』を母体誌とする専用レーベルの「アクションコミックス」より刊行。略称は「''AC''」。 * 刊行を開始したのは、1972年4月であり、初期はカタカナでアクションコミックスと表記されていた。1979年に英語表記「ACTION COMICS」と統一されている。有名な作品も多く輩出している為、関連レーベルである「'''パワァ・コミックス'''」にて刊行されていた作品も存在する。 * 1980年代から1990年代後半にはワイド版を刊行しており、特殊な装丁のもの(A5判変形で各菓子メーカーの板チョコレートのデザインを模した[[藤原カムイ]]『CHOCOLATE PANIC』など)や、他誌掲載作([[江口寿史]]『寿五郎ショー』など)を積極的に刊行していた。 * 2000年以降に増刊された『まんがタウン』に元から連載されていた作品は『「ACTION COMICS」まんがタウン』(特徴としては、楕円形に白抜きで表示)、ピザッツに関しては作品により揺らぎがあり、英語表記「ACTION COMICS PIZAZZ」がされる場合とされない場合がある。 * 2015年10月より[[NHN PlayArt|NHN comico]]が運営しているコミックサイトおよびコミックアプリである'''[[comico]]'''に連載されている作品で他社より刊行されている作品を除く作品は『「ACTION COMICS」comico BOOKS』シリーズとして刊行開始した。 == 姉妹誌 == * [[アクションピザッツ]] * [[月刊アクション]] * [[月刊アクションヒーロー]](廃刊、上述の月刊アクションとは別) * [[双葉社Webマガジン]] == 増刊誌 == * [[アクションデラックス]](1979年 - 1980年、休刊) * [[コミックハイ!]](休刊) ** [[COMICすもも]](休刊) * [[A-ZERO]](休刊) * [[まんがタウン]](独立創刊) == ミスアクション == 1987年に[[ミス・コンテスト]]「第1回[[ミスアクション]]」オーディションが開催され、初代ミスアクションとして[[彩木美来]]が選ばれている。 2012年6月には、25年振りにミスアクションを決めるオーディションが開催された。 2012年8月21日、[https://webaction.jp/action/missaction/ ミスアクション2013公式サイト]が設立された。 2013年4月21日に2013年のグランプリである[[森実咲]]と[[荒井つかさ]]がお披露目された<ref>{{Cite web|和書|title=ミスアクション2013グランプリ決定「森実咲&荒井つかさ」お披露目 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2023911/full/ |website=ORICON NEWS |date=2016-10-05 |access-date=2023-09-03}}</ref>。 2017年を最後に開催されていない。 ===グランプリ=== *1987年 **グランプリ:[[彩木美来]] *2013年 **グランプリ:[[森実咲]]、[[荒井つかさ]] *2014年 **グランプリ<ref>{{Cite web|和書|title=ミスアクション水月、胸はナンバー1/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/04/15/0006865806.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-09-03 |access-date=2023-09-03 |language=ja}}</ref>:[[木内くるみ]]、[[栗田恵美]]、[[水月桃子]] *2015年 **グランプリ:[[佐藤聖羅]]、[[古仲カナコ]]、[[南梓]] *2016年<ref>{{Cite web|和書|title=『ミスアクション2016』4人お披露目 GPはグラビア初心者 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2070343/full/ |website=ORICON NEWS |date=2018-10-31 |access-date=2023-09-03}}</ref> **グランプリ:[[桐生美希]] **準グランプリ:橋本祐里 **特別賞:木下美優、谷麻由里 *2017年前期 **グランプリ:[[金子智美]] **準グランプリ:斉藤みさき、佐山みさき、須藤美里、立川楓、徳永彩佳 **特別賞:[[須田理夏子]]、[[寺口智香]]、[[結城ちか]] *2017年後期 **グランプリ:[[山本成美 (タレント)|山本成美]] **準グランプリ:[[桜りん]]、戸澤さや、西島ミライ、吉倉明里、[[吉田実紀]] **特別賞:[[神谷澪]]、如月くるみ、夏目みき == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://manga-action.futabanet.jp/ 漫画アクションポータル] * {{Twitter|manga_action|漫画アクション編集部}} *{{Twitter|missaction2013|ミスアクション}} {{漫画アクション連載中}} {{Manga-stub}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=Weekly漫画アクション |1-1=週刊漫画雑誌 }} {{DEFAULTSORT:まんかあくしよん}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:双葉社の漫画雑誌]] [[Category:月2回刊漫画雑誌]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:1967年創刊の雑誌]] [[Category:Yahoo!コミック]] [[Category:漫画アクション|*]]
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週刊少年マガジン
『週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン、英: WEEKLY SHONEN MAGAZINE)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。 それまで月刊誌であった少年誌の週刊誌化に伴い、初代編集長の牧野武朗は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。後に本誌をホームグラウンドとして活躍する原作者の梶原一騎も当時「東京中日スポーツ」で『力道山物語』を連載し好評を得ていた事からマガジンでの漫画の原作を依頼した事がきっかけである。 1960年代中盤に人気であった『8マン』の連載終了と手塚治虫の『W3』の連載中断から「サンデー」へ移籍した事(W3事件)に伴い、マガジンとしては手塚漫画に対するアンチテーゼとして関西で勃興していた劇画に目をつけ、劇画路線の方針を打ち出す。そこに人間ドラマを取り入れた作品を発表し、『巨人の星』『無用ノ介』『あしたのジョー』『ワル』『空手バカ一代』『愛と誠』『釣りキチ三平』といった大ヒット作品を世に送り出す。 創刊当初はライバル誌であった「少年サンデー」に手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった通称『トキワ荘』組の有名漫画家たちの連載を先に取られた事から「マガジン」は原作付き漫画を余儀なくされた。そうしたなかでちばてつやが台頭し、川崎のぼる、さいとう・たかを、水木しげる、横山光輝、楳図かずお、ジョージ秋山、永井豪、松本零士、水島新司といった漫画家たち(先のトキワ荘組も含む)も参入し、1960~70年代の「マガジン」を盛り立てる事となる。 1970年後期には後発である「ジャンプ」「チャンピオン」が若手漫画家を中心に部数を伸ばしていたために「マガジン」でも先の大家からの方針転換として柳沢きみお、小林まこと、三浦みつる、もとはしまさひで、村生ミオ、楠みちはるといった新進気鋭の若手漫画家たちを起用し、新たな読者を獲得する事となる。 一方で大島やすいち、竜崎遼児、小林よしのりなど「マガジン」出身ではない漫画家を多く起用していた。1990年頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ(『月刊少年ガンガン』)、鈴木央(『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年チャンピオン』)、大久保篤(『月刊少年ガンガン』)、雷句誠(『週刊少年サンデー』)、大高忍(『ヤングガンガン』、『週刊少年サンデー』)などがいる。その他能條純一や板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。 女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲、大島司、さとうふみや、恵広史、山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里や吉河美希、西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀である(1982年46号)。 ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫や三ツ森あきら、現在は西本英雄や氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。 作家には3人ほどの担当者が付き、それぞれ意見を出すというシステムであり、赤松健は責任の所在が明らかでないなど公務員的だが、満遍なく意見が聞けるとしている。また、週刊少年ジャンプと同じく専属契約制度がある。 多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉や小倉優子など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2000年8号では男性バンドのL'Arc〜en〜Cielが、2015年42号では男女4人組バンドのSEKAI NO OWARIが出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号の藤圭子、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号の山口いづみ である。 読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切りとなることが多い。 掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末にギャグ漫画 を配置する」などである。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース も見られる(いわゆるしんがり漫画)。 人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL』や『月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「Dreams」や「ガチャガチャ」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「将太の寿司」や「生徒会役員共」などが前者から、「神さまの言うとおり」や「リアルアカウント」などが後者から移籍している。移籍しても同一タイトルとして話数を継続させるケースもあれば、移籍を機に改題して(「神さまの言うとおり」→「神さまの言うとおり弐」など)別シリーズとして始めるケースもある。また、「彼女とキスする50の方法」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「Dr.デュオ」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。 特異な例として、料理冒険漫画である「中華一番!」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!!」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「KAGETORA」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。 当誌におけるメディアミックスの代表作として『魔法先生ネギま!』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。エイベックスとのメディアミックスで『アソボット戦記五九』が連載。西尾維新プロジェクトとのメディアミックスで大暮維人による「化物語」のコミカライズ版が連載。小説家になろうからは不二涼介による「シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜」のコミカライズ版が連載。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたり、テレビ朝日のドキュメント番組『GET SPORTS』とのタイアップによる短編作品や女性アイドルグループ『AKB48』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜』の連載が行われている。さらに、パズル&ドラゴンズとのコラボイベントが行われていたり、『週刊少年ジャンプ』とのコラボレーションとして、専用アプリ『ジャンマガ学園』を配信している。創刊60周年記念として真島ヒロの作品「RAVE」、「FAIRY TAIL」、「EDENS ZERO」とのクロスオーバー漫画「HERO'S」が作者本人によって連載される。 作中の台詞表現において、句読点を原則として用いず、沈黙を表すリーダーも三点リーダー(...)ではなく二点リーダー(..)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIALや月刊少年マガジン、週刊ヤングマガジン等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニングとその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。 また、『スクールランブル』と『新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。 テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけては『あしたのジョー』や『巨人の星』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてはアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。 1990年代以降はラブコメや萌え路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると少子化の影響により全日枠での放映が縮小され、深夜枠での放映が多くなっている。 週刊少年ジャンプにおける『ONE PIECE』や週刊少年サンデーにおける『名探偵コナン』のような長期に渡って放送され続けている作品がないため、時期によっては全く本誌の作品のアニメが放送されないこともある。 2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版にOVAを同梱する販売形態も行っている。 一方、テレビドラマ・実写映画では1960年代に『無用ノ介』、70年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、80年代には『胸キュン刑事』(テレビドラマのみ)、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。 1967年7月20日に、キングレコードから当時の連載作品『巨人の星』『天才バカボン』『墓場の鬼太郎』『パットマンX』『でっかい奴』『ハリスの旋風』『丸出だめ夫』『幻魔大戦』『サイレントワールド』と読者ページ『パンパカ学園』のイメージソングを収録したLPレコード『少年マガジン マンガ大行進』(規格品番:SKK(H)-354)が発売された。同年10月には同LP収録の4曲が「巨人の星/天才バカボン」(規格品番:BS-722)と「墓場の鬼太郎/ハリスの旋風」(規格品番:BS-723)としてシングルカットされている。1978年には創刊1000号を記念してLPレコード『創刊1000号記念 少年マガジン』(規格品番:SKD(H)-470)が発売された。 以下、2023年11月22日(2023年51号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。 1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。 なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。 2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。 2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である。 創刊号以外は20号時点の値段。消費税導入以降は税込み価格。 単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称は少年マガジンコミックス(しょうねんマガジンコミックス)。コード番号はKCM406から振られているが、これは1 - 405の番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。 『週刊少年マガジン』本誌と雑誌コード、通巻ナンバーを共有する増刊号で、『別冊少年マガジン』としては1964年秋に季刊誌で創刊されているが、それ以前にも不定期で増刊号を刊行していた。 1967年頃には石森章太郎の『ミュータント・サブ』を掲載したり、白土三平作品の特集号が刊行されていた。1969年に季刊から月刊へ刊行頻度を変え『月刊別冊少年マガジン』となるが、1971年に休刊。元の増刊号枠に戻る。『月刊別冊少年マガジン』は1974年に復刊するが、『月刊少年マガジン』として増刊号枠から独立する形になった。 『月刊別冊少年マガジン』時代を除くと、基本的に本誌の連載作品を再録・特集する役割だったが、1981年には掲載誌『月刊少年ポピー』が休刊した『タイガーマスク二世』の連載を引き継ぐなど、次第に本誌を補完する形でいくつかの連載漫画や若手の読切作品が掲載されるようになった。 1983年には定期増刊『マガジンSPECIAL』の刊行が始まり、1990年代に入ると増刊枠では様々な形の特集増刊をコンスタントに発刊したが、2017年に『マガジンSPECIAL』が休刊。増刊号枠に該当する書籍も次第に講談社mookでの刊行へ移行したことから、増刊号としての刊行は途絶えている。 ここでは単発・シリーズなど様々な形で発行された増刊号を紹介。 『マガジンドラゴン』は、講談社が発行していた漫画雑誌である。『週刊少年マガジン』の増刊にあたる。第1号(週刊少年マガジン通算2927号)が2007年12月12日に、第2号(通算2999号)が2009年1月7日に発刊され、以後は続刊がない。 内容は新人の読み切り作品がメインであった。マガジン本誌の連載作品の番外編も掲載された。 「ドラゴンカップ」という名称で新人漫画家による読者参加型人気投票レースが行われた。読者投票で1位になった作家には、マガジン本誌での掲載権が与えられた。また、第2回では「ストーリー部門」と「ショートギャグ部門」といった2つの部門に分かれることとなった。 マガジンポケットは、2015年8月3日より講談社が配信するウェブコミック配信サイトおよび同名の漫画アプリ。略称は『マガポケ』。 セガネットワークスと共同で企画・運営・開発を取り組んだプロジェクトで、マガポケオリジナル作品の連載はもちろん、マガジンや別マガなど講談社各誌の連載中作品の並行連載、過去の人気作品の再掲などをしている。大半の再掲作品はマガジンの作品だが、一部青年誌からの再掲も含まれている。 大半の作品が毎週更新だが、一部月1更新・隔週更新の作品も存在する。 閲覧は各話とも原則有料(ポイント制)となっており、予め会員登録をした上で購入したポイントから各話とも初回のみ閲覧に必要なポイントが消費されることになっている(同じ話であれば2回目以降の閲覧は無料)。但し、各作品とも第1話(作品によっては第2話・第3話も)は無料で閲覧できるほか、最新話より2〜3話前については一定期間無料で、また作品によっては期間限定で最新話以外全てが無料で閲覧できることもある。 単行本のレーベルはマガポケオリジナル作品はマガジンポケットKCで発行されており、移籍作品は移籍元と同様のレーベルで継続されている。 『マガジン』紙版2018年32号が平成30年7月豪雨による影響で一部地域にて未発送となっていることから無料での公開が同年7月20日から31日まで実施された。 オリジナル作品、再掲作品含む、曜日別五十音順
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン、英: WEEKLY SHONEN MAGAZINE)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "それまで月刊誌であった少年誌の週刊誌化に伴い、初代編集長の牧野武朗は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。後に本誌をホームグラウンドとして活躍する原作者の梶原一騎も当時「東京中日スポーツ」で『力道山物語』を連載し好評を得ていた事からマガジンでの漫画の原作を依頼した事がきっかけである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1960年代中盤に人気であった『8マン』の連載終了と手塚治虫の『W3』の連載中断から「サンデー」へ移籍した事(W3事件)に伴い、マガジンとしては手塚漫画に対するアンチテーゼとして関西で勃興していた劇画に目をつけ、劇画路線の方針を打ち出す。そこに人間ドラマを取り入れた作品を発表し、『巨人の星』『無用ノ介』『あしたのジョー』『ワル』『空手バカ一代』『愛と誠』『釣りキチ三平』といった大ヒット作品を世に送り出す。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "創刊当初はライバル誌であった「少年サンデー」に手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった通称『トキワ荘』組の有名漫画家たちの連載を先に取られた事から「マガジン」は原作付き漫画を余儀なくされた。そうしたなかでちばてつやが台頭し、川崎のぼる、さいとう・たかを、水木しげる、横山光輝、楳図かずお、ジョージ秋山、永井豪、松本零士、水島新司といった漫画家たち(先のトキワ荘組も含む)も参入し、1960~70年代の「マガジン」を盛り立てる事となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1970年後期には後発である「ジャンプ」「チャンピオン」が若手漫画家を中心に部数を伸ばしていたために「マガジン」でも先の大家からの方針転換として柳沢きみお、小林まこと、三浦みつる、もとはしまさひで、村生ミオ、楠みちはるといった新進気鋭の若手漫画家たちを起用し、新たな読者を獲得する事となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一方で大島やすいち、竜崎遼児、小林よしのりなど「マガジン」出身ではない漫画家を多く起用していた。1990年頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ(『月刊少年ガンガン』)、鈴木央(『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年チャンピオン』)、大久保篤(『月刊少年ガンガン』)、雷句誠(『週刊少年サンデー』)、大高忍(『ヤングガンガン』、『週刊少年サンデー』)などがいる。その他能條純一や板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲、大島司、さとうふみや、恵広史、山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里や吉河美希、西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀である(1982年46号)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫や三ツ森あきら、現在は西本英雄や氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "作家には3人ほどの担当者が付き、それぞれ意見を出すというシステムであり、赤松健は責任の所在が明らかでないなど公務員的だが、満遍なく意見が聞けるとしている。また、週刊少年ジャンプと同じく専属契約制度がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉や小倉優子など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2000年8号では男性バンドのL'Arc〜en〜Cielが、2015年42号では男女4人組バンドのSEKAI NO OWARIが出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号の藤圭子、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号の山口いづみ である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切りとなることが多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": 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"作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "一方、テレビドラマ・実写映画では1960年代に『無用ノ介』、70年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、80年代には『胸キュン刑事』(テレビドラマのみ)、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1967年7月20日に、キングレコードから当時の連載作品『巨人の星』『天才バカボン』『墓場の鬼太郎』『パットマンX』『でっかい奴』『ハリスの旋風』『丸出だめ夫』『幻魔大戦』『サイレントワールド』と読者ページ『パンパカ学園』のイメージソングを収録したLPレコード『少年マガジン マンガ大行進』(規格品番:SKK(H)-354)が発売された。同年10月には同LP収録の4曲が「巨人の星/天才バカボン」(規格品番:BS-722)と「墓場の鬼太郎/ハリスの旋風」(規格品番:BS-723)としてシングルカットされている。1978年には創刊1000号を記念してLPレコード『創刊1000号記念 少年マガジン』(規格品番:SKD(H)-470)が発売された。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "以下、2023年11月22日(2023年51号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。", "title": "読者コーナー" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。", "title": "読者コーナー" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。", "title": "読者コーナー" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である。", "title": "発行部数" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "創刊号以外は20号時点の値段。消費税導入以降は税込み価格。", "title": "価格の変遷" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称は少年マガジンコミックス(しょうねんマガジンコミックス)。コード番号はKCM406から振られているが、これは1 - 405の番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。", "title": "講談社コミックスマガジン" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『週刊少年マガジン』本誌と雑誌コード、通巻ナンバーを共有する増刊号で、『別冊少年マガジン』としては1964年秋に季刊誌で創刊されているが、それ以前にも不定期で増刊号を刊行していた。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1967年頃には石森章太郎の『ミュータント・サブ』を掲載したり、白土三平作品の特集号が刊行されていた。1969年に季刊から月刊へ刊行頻度を変え『月刊別冊少年マガジン』となるが、1971年に休刊。元の増刊号枠に戻る。『月刊別冊少年マガジン』は1974年に復刊するが、『月刊少年マガジン』として増刊号枠から独立する形になった。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "『月刊別冊少年マガジン』時代を除くと、基本的に本誌の連載作品を再録・特集する役割だったが、1981年には掲載誌『月刊少年ポピー』が休刊した『タイガーマスク二世』の連載を引き継ぐなど、次第に本誌を補完する形でいくつかの連載漫画や若手の読切作品が掲載されるようになった。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1983年には定期増刊『マガジンSPECIAL』の刊行が始まり、1990年代に入ると増刊枠では様々な形の特集増刊をコンスタントに発刊したが、2017年に『マガジンSPECIAL』が休刊。増刊号枠に該当する書籍も次第に講談社mookでの刊行へ移行したことから、増刊号としての刊行は途絶えている。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ここでは単発・シリーズなど様々な形で発行された増刊号を紹介。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『マガジンドラゴン』は、講談社が発行していた漫画雑誌である。『週刊少年マガジン』の増刊にあたる。第1号(週刊少年マガジン通算2927号)が2007年12月12日に、第2号(通算2999号)が2009年1月7日に発刊され、以後は続刊がない。", "title": "マガジンドラゴン" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "内容は新人の読み切り作品がメインであった。マガジン本誌の連載作品の番外編も掲載された。", "title": "マガジンドラゴン" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「ドラゴンカップ」という名称で新人漫画家による読者参加型人気投票レースが行われた。読者投票で1位になった作家には、マガジン本誌での掲載権が与えられた。また、第2回では「ストーリー部門」と「ショートギャグ部門」といった2つの部門に分かれることとなった。", "title": "マガジンドラゴン" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "マガジンポケットは、2015年8月3日より講談社が配信するウェブコミック配信サイトおよび同名の漫画アプリ。略称は『マガポケ』。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "セガネットワークスと共同で企画・運営・開発を取り組んだプロジェクトで、マガポケオリジナル作品の連載はもちろん、マガジンや別マガなど講談社各誌の連載中作品の並行連載、過去の人気作品の再掲などをしている。大半の再掲作品はマガジンの作品だが、一部青年誌からの再掲も含まれている。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "大半の作品が毎週更新だが、一部月1更新・隔週更新の作品も存在する。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "閲覧は各話とも原則有料(ポイント制)となっており、予め会員登録をした上で購入したポイントから各話とも初回のみ閲覧に必要なポイントが消費されることになっている(同じ話であれば2回目以降の閲覧は無料)。但し、各作品とも第1話(作品によっては第2話・第3話も)は無料で閲覧できるほか、最新話より2〜3話前については一定期間無料で、また作品によっては期間限定で最新話以外全てが無料で閲覧できることもある。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "単行本のレーベルはマガポケオリジナル作品はマガジンポケットKCで発行されており、移籍作品は移籍元と同様のレーベルで継続されている。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "『マガジン』紙版2018年32号が平成30年7月豪雨による影響で一部地域にて未発送となっていることから無料での公開が同年7月20日から31日まで実施された。", "title": "マガジンポケット" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "オリジナル作品、再掲作品含む、曜日別五十音順", "title": "マガジンポケット" } ]
『週刊少年マガジン』は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Weekly Shonen Magazine logo.png | 画像サイズ = 220px | 誌名 = 週刊少年マガジン | 英文誌名 = WEEKLY SHONEN MAGAZINE | 誌名略称 = マガジン・週マガ・WM | ジャンル = 少年向けコミック誌 | 読者対象 = 男性 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#週刊|週刊]](水曜日発売 ただし、水曜日が祝日の際は火曜日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 出版社 = [[講談社]] | 編集部名 = 少年マガジン編集部 | 発行人 = 栗田宏俊 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 =川窪慎太郎{{R|natalie20230129}} | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 065 | 刊行期間 = 1959年3月17日(1959年3月26日号) - | レーベル = [[講談社コミックス]](少年マガジンコミックス) | 発行部数 = 37万0,083<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | ウェブサイト = https://shonenmagazine.com/ | 特記事項 = }} 『'''週刊少年マガジン'''』(しゅうかんしょうねんマガジン、{{lang-en-short|WEEKLY SHONEN MAGAZINE}})は、[[講談社]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[少年漫画|少年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1959年]][[3月17日]]創刊。毎週[[水曜日]]発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。 == 特徴 == === 原作と漫画の分業制 === それまで月刊誌であった少年誌の[[週刊誌]]化に伴い、初代編集長の[[牧野武朗]]は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。後に本誌をホームグラウンドとして活躍する原作者の[[梶原一騎]]も当時「[[東京中日スポーツ]]」で『力道山物語<ref>{{Cite web|和書|title=力道山物語 怒涛の男 {{!}} 映画 |url=https://www.nikkatsu.com/movie/20075.html |website=日活 |access-date=2023-02-13 |language=ja}}</ref>』を連載し好評を得ていた事からマガジンでの漫画の原作を依頼した事がきっかけである。<ref name="名前なし-20230316133630">「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959ー2009 (星海社新書) </ref> === 劇画路線 === 1960年代中盤に人気であった『[[8マン]]』の連載終了と[[手塚治虫]]の『[[W3]]』の連載中断から「[[週刊少年サンデー|サンデー]]」へ移籍した事([[W3事件]])に伴い、マガジンとしては手塚漫画に対するアンチテーゼとして関西で勃興していた[[劇画]]に目をつけ、劇画路線の方針を打ち出す。そこに人間ドラマを取り入れた作品を発表し、『[[巨人の星]]』『[[無用ノ介]]』『[[あしたのジョー]]』『[[ワル (漫画)|ワル]]』『[[空手バカ一代]]』『[[愛と誠]]』『[[釣りキチ三平]]』といった大ヒット作品を世に送り出す。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 連載漫画家の特徴 ===  創刊当初はライバル誌であった「[[週刊少年サンデー|少年サンデー]]」に[[手塚治虫]]や[[藤子不二雄]]、[[石森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]といった通称『[[トキワ荘]]』組の有名漫画家たちの連載を先に取られた事から「マガジン」は原作付き漫画を余儀なくされた。そうしたなかで[[ちばてつや]]が台頭し、[[川崎のぼる]]、[[さいとう・たかを]]、[[水木しげる]]、[[横山光輝]]、[[楳図かずお]]、[[ジョージ秋山]]、[[永井豪]]、[[松本零士]]、[[水島新司]]といった漫画家たち(先のトキワ荘組も含む)も参入し、1960~70年代の「マガジン」を盛り立てる事となる。  1970年後期には後発である「[[週刊少年ジャンプ|ジャンプ]]」「[[週刊少年チャンピオン|チャンピオン]]」が若手漫画家を中心に部数を伸ばしていたために「マガジン」でも先の大家からの方針転換として[[柳沢きみお]]、[[小林まこと]]、[[三浦みつる]]、[[もとはしまさひで]]、[[村生ミオ]]、[[楠みちはる]]といった新進気鋭の若手漫画家たちを起用し、新たな読者を獲得する事となる。  一方で[[大島やすいち]]、[[竜崎遼児]]、[[小林よしのり]]など「マガジン」出身ではない漫画家を多く起用していた。[[1990年]]頃になるとその傾向は一旦低下するが、[[1999年]]頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者については[[CLAMP]](『[[なかよし]]』)や[[福本伸行]](『[[週刊ヤングマガジン]]』)が該当し、後者については[[大暮維人]](『[[ウルトラジャンプ]]』)や[[木多康昭]](『週刊少年ジャンプ』)、[[久米田康治]](『週刊少年サンデー』)、[[ヒロユキ]]<ref group="注">なお、ヒロユキの実姉は恵広史であり、現在二人揃って別の作品で連載を行なっている。</ref>(『[[月刊少年ガンガン]]』)、[[鈴木央]](『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『[[週刊少年チャンピオン]]』)、[[大久保篤]](『月刊少年ガンガン』)、[[雷句誠]](『週刊少年サンデー』)、[[大高忍]](『[[ヤングガンガン]]』、『週刊少年サンデー』)などがいる。その他[[能條純一]]や[[板垣恵介]]など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。 女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・[[塀内夏子]])、[[島崎譲]]、[[大島司]]、[[さとうふみや]]、[[恵広史]]、[[山本航暉]]などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした[[久保ミツロウ]]のケースもある。最近では[[咲香里]]や[[吉河美希]]、[[西山優里子]]など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は[[高橋美由紀 (漫画家)|高橋美由紀]]である(1982年46号)。 ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には[[斉藤富士夫]]や[[三ツ森あきら]]、現在は[[西本英雄]]や[[氏家ト全]]がそれに該当する。また[[島田英次郎]]のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。 作家には3人ほどの担当者が付き、それぞれ意見を出すというシステムであり、[[赤松健]]は責任の所在が明らかでないなど公務員的だが、満遍なく意見が聞けるとしている<ref name=":0" />。また、[[週刊少年ジャンプ]]と同じく専属契約制度がある<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=Jコミで扉を開けた男“漫画屋”赤松健――その現在、過去、未来(前編)|url=https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1012/08/news020.html|website=ITmedia eBook USER|accessdate=2022-01-07|language=ja}}</ref>。 === グラビア企画 === 多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画[[ミスマガジン]]を始め、[[グラビアアイドル]]や人気[[俳優|女優]]などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には[[乙葉]]や[[小倉優子]]など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント([[スザンヌ (タレント)|スザンヌ]]、[[南明奈]]など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2000年8号では男性バンドの[[L'Arc〜en〜Ciel]]が、2015年42号では男女4人組バンドの[[SEKAI NO OWARI]]が出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号<!--10月18日号-->の[[藤圭子]]<ref name=MAGAVIA>「MAGAVIA 50 週刊少年マガジンのトリビア50選」『週刊少年マガジン』2008年16号。</ref>、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号<!--8月6日号-->の[[山口いづみ (女優)|山口いづみ]]<ref name=MAGAVIA /> である。 === アンケートの扱い === 読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『[[週刊少年ジャンプ]]』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は[[打ち切り]]となることが多い。 掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末に[[ギャグ漫画]]<ref group="注">2004年からは『[[もう、しませんから。]]』→『[[ちょっと盛りました。]]』がそれにあたる。</ref> を配置する」などである<ref>[http://betsumaga.weblogs.jp/blog/2010/10/h-433f.html 『別マガ』班長は今日も困っている。 掲載順はいかにして決まるか(H本)]</ref>。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース<ref group="注">『[[神to戦国生徒会]]』などが挙げられる。</ref> も見られる(いわゆる[[殿 (軍事用語)|しんがり]]漫画)。 === 作品の転出および転入 === 人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『[[マガジンSPECIAL]]』や『[[月刊アフタヌーン]]』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「[[Dreams (漫画)|Dreams]]」や「[[ガチャガチャ]]」などが前者へ、「[[ヴィンランド・サガ]]」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『[[別冊少年マガジン]]』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「[[将太の寿司]]」や「[[生徒会役員共]]」などが前者から、「[[神さまの言うとおり]]」や「[[リアルアカウント]]」などが後者から移籍している。移籍しても同一タイトルとして話数を継続させるケースもあれば、移籍を機に改題して(「神さまの言うとおり」→「神さまの言うとおり'''弐'''」など)別シリーズとして始めるケースもある。また、「[[彼女とキスする50の方法]]」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「[[Dr.デュオ]]」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。 特異な例として、[[料理漫画|料理]]冒険漫画である「[[中華一番!]]」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「[[スミレ16歳!!]]」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「[[KAGETORA]]」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。 === コラボレーション・メディアミックスなど === 当誌における[[メディアミックス]]の代表作として『[[魔法先生ネギま!]]』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。[[エイベックス]]とのメディアミックスで『[[アソボット戦記五九]]』が連載。[[西尾維新]]プロジェクトとのメディアミックスで[[大暮維人]]による「[[化物語]]」のコミカライズ版が連載。[[小説家になろう]]からは[[不二涼介]]による「[[シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜]]」のコミカライズ版が連載。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたり、[[テレビ朝日]]のドキュメント番組『[[GET SPORTS]]』との[[タイアップ]]による短編作品や[[女性アイドルグループ]]『[[AKB48]]』公認漫画作品『[[AKB49〜恋愛禁止条例〜]]』の連載が行われている。さらに、[[パズル&ドラゴンズ]]とのコラボイベントが行われていたり、『[[週刊少年ジャンプ]]』とのコラボレーションとして、専用アプリ『[[ジャンマガ学園]]』を配信している。創刊60周年記念として[[真島ヒロ]]の作品「[[RAVE]]」、「[[FAIRY TAIL]]」、「[[EDENS ZERO]]」とのクロスオーバー漫画「[[HERO'S (漫画)|HERO'S]]」が作者本人によって連載される。 === 約物の使用 === 作中の台詞表現において、[[句読点]]を原則として用いず、沈黙を表す[[リーダー (記号)|リーダー]]も三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥)を用いるという特色がある。この特徴は、[[マガジンSPECIAL]]や[[月刊少年マガジン]]、[[週刊ヤングマガジン]]等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行の[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]とその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。 また、『[[スクールランブル]]』と『[[新約「巨人の星」花形]]』の三点リーダーや『[[さよなら絶望先生]]』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。 == 歴史 == {{出典の明記|section=1|date=2009年3月}} === 1959年 - 1960年 === : 1950年代に入りテレビ時代の到来によって人々の生活が月単位から週単位に変わり、雑誌の世界でも週刊誌が続々刊行された。それは少年誌の世界にも押し寄せ、[[小学館]]も月刊誌から週刊誌への移行に向けて着々と準備を進めていた。同じく『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ[[講談社]]も少年誌の週刊化に着手する。互いに創刊時期を予定日よりも早く繰り上げた結果、1959年3月17日に小学館の『週刊少年サンデー』とともに講談社で『'''週刊少年マガジン'''』が創刊した。 : 「サンデー」の創刊号表紙が大物ルーキーとして[[新人王]]に輝いた[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]の[[長嶋茂雄]]であった事に対し、「マガジン」は当時大人気だった大相撲の[[大関]]・[[朝潮太郎 (3代)|朝潮]](後に第46代横綱)を起用。当初は火曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていた。漫画は5本のみで、全体のページ数の6割以上は小説とニュース、スポーツ、科学などの読み物で占められ、教育的雰囲気が漂っていた<ref>『20世紀全記録 クロニック』[[小松左京]]、[[堺屋太一]]、[[立花隆]]企画委員。[[講談社]]、1987年9月21日、p.855。</ref>。 :  創刊当初はライバル誌である『[[週刊少年サンデー]]』がすでに[[手塚治虫]]を筆頭に[[寺田ヒロオ]]、[[藤子不二雄]]、[[石森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]など「[[トキワ荘]]」組の有名漫画家たちの連載を勝ち取り、「マガジン」は後れをとった。また、初代編集長の[[牧野武朗]]は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 1961年 - 1965年 === :  1961年に野球漫画『[[ちかいの魔球]]』の連載開始。後にマガジンの若きエースとして活躍する[[ちばてつや]]の本誌初連載(原作・[[福本和也]])となる。1962年には、プロレス漫画『[[チャンピオン太]]』の連載開始。後にマガジンにおいて数々のヒット作を生み出し[[スポ根]]ブームを巻き起こす原作者・[[梶原一騎]]の本誌における初めての連載(画・[[吉田竜夫]])となる。 :  1963年には『[[黒い秘密兵器]]』(原作:福本和也、漫画:[[一峰大二]])、『[[8マン]]』(原作:[[平井和正]]、漫画:[[桑田二郎|桑田次郎]])、『[[紫電改のタカ]]』(ちばてつや)、1964年に『[[丸出だめ夫]]』([[森田拳次]])のヒットにより後れをとっていたマガジンも軌道に乗り出す。 :  1965年、当時テレビアニメとなり人気の頂点にあった『[[8マン]]』だが、作者の桑田次郎が拳銃不法所持で逮捕された事で連載の打ち切りが決定。本誌初連載となる[[手塚治虫]]のSF漫画『[[W3]]』がわずか連載6回で突如中断し、「[[週刊少年サンデー|サンデー]]」に移籍するといった事件([[W3事件]])が相次ぎ、マガジンにとっても試練を迎える事となる。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 1966年 - 1967年 === :  この窮地に三代目編集長として抜擢された[[内田勝]]は手塚漫画のアンチテーゼとして関西で勃興していた[[劇画]]に着目する。劇画のリアルな表現手法と人間讃歌を描いた大河ドラマを企画していた事から小説家志望であった[[梶原一騎]]を原作者に起用。当時、物書きとして先行きに不安を感じ思い悩んでいた梶原だが「'''梶原さん、マガジンの[[佐藤紅緑]]<ref group="注">昭和初期に大活躍した少年熱血小説の大家であり、梶原も少年時代に大いに影響を受けた。</ref>になってほしいんです'''」と言った内田の一言から引き受ける決意をする。 :  1966年から始まった『[[巨人の星]]』(原作:梶原一騎、漫画:[[川崎のぼる]])は瞬く間に人気となって大ヒットし、テレビアニメとなり視聴率は常時30%台を記録。アニメとの相乗効果により社会現象となってそれまで大人たちから悪書としてみなされていた漫画の中で初めて市民権を得た作品となった。 :  『巨人の星』の空前のブームによりマガジンの快進撃が始まり、それ以前の『[[ハリスの旋風]]』(ちばてつや)、『[[悪魔くん]]』(水木しげる)を含めて『[[サイボーグ009]]』(石森章太郎)、『[[天才バカボン]]』(赤塚不二夫)、『[[無用ノ介]]』(さいとう・たかを)、『[[ゲゲゲの鬼太郎]]』(水木しげる)などのヒット作を生み出し、1967年1月にはついに100万部を突破した。また[[大伴昌司]]の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。[[円谷プロダクション|円谷プロ]]の怪獣物テレビ番組「[[ウルトラQ]]」の怪獣を表紙に採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 1968年 - 1971年 === [[File:Time Capsule of EXPO70.JPG|thumb|right|230px|[[日本万国博覧会]](大阪万博)を記念して制作された[[タイムカプセル]]。当時の少年雑誌の最高部数雑誌として1970年14号が納められた<ref name=MAGAVIA />。]] :  1968年に『[[あしたのジョー]]』(原作:[[高森朝雄]]、漫画:ちばてつや)の連載開始。『巨人の星』同様、人気が爆発し、テレビアニメになった。連載中に主人公の[[矢吹丈]]のライバルである[[力石徹]]が死亡した時は全国から1万通もの弔電が寄せられ、あまりの反響の大きさから東京・音羽の講談社講堂で現実の葬儀が行われ、全国から700名を超える弔問客が集まった。この時期、週刊少年マガジンは[[学生運動]]家からの支持を得ており<ref>[http://animestyle.jp/2012/07/30/1464/ TVアニメ50年史のための情報整理第8回 1970年(昭和45年)青春スポーツものの金字塔 学生運動の熱気背景にアニメ化される | WEBアニメスタイル]</ref>、当時発生した[[よど号ハイジャック事件|日航機「よど号」ハイジャック]]で犯人のリーダーである[[田宮高麿]]は「そして最後に確認しよう。'''われわれは[[あしたのジョー]]である'''」と言い残して北朝鮮へと旅立ち、ジョーの人気(社会現象)を象徴する事件であった。それまで子どもの読み物であった漫画が『あしたのジョー』などによって大学生も読むようになり、大学生の間で「右手に[[朝日ジャーナル|(朝日)ジャーナル]]左手にマガジン」と言われたこともあった。 : 『[[巨人の星]]』『[[あしたのジョー]]』の2大スポ根マンガでライバルであった「[[週刊少年サンデー]]」を引き離し一気に少年雑誌としての地位を不動のものとしたマガジンであったが、当時の青年の感性に合わせ、1969年に開始した『[[キッカイくん]]』(永井豪)ではエログロナンセンスが用いられ、1970年には『[[ワル (漫画)|ワル]]』(原作:[[真樹日佐夫]]、漫画:[[影丸譲也]])、『[[光る風]]』(山上たつひこ)、『[[メッタメタガキ道講座]]』([[谷岡ヤスジ]])、『[[アシュラ (漫画)|アシュラ]]』(ジョージ秋山)など多くの問題作が登場。それによって部数が急落し、ピーク時に150万部を超えていたマガジンが1971年4月には50万部台にまで落ち込んだ。<ref group="注">それら青年向け作品の質が低かったのではなく、列挙した各作品は後々まで残る優れた作品で各作者の評価も高かったが、マガジンの主要読者には難解で暗かったことや『巨人の星』が終盤の重々しい雰囲気にさしかかっていたことや、ちばてつやが体調を崩して『[[あしたのジョー]]』の休載が続いていた事も読者の購買意欲を削いだ要因となっている(『夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎』斎藤貴男)</ref><ref name="名前なし-20230316133630"/>。 === 1971年 - 1977年 === :  内田の後を継いだ四代目編集長・[[宮原照夫]]はアングラ化したマガジンを従来の少年誌へ戻す方向転換をし、『[[釘師サブやん]]』(原作:[[牛次郎]]、漫画:[[ビッグ錠]])、『[[男おいどん]]』(松本零士)、の新連載を始め、兄弟誌『ぼくらマガジン』の休刊に伴い、『[[仮面ライダー]]』(石森章太郎)、『[[タイガーマスク]]』(原作:梶原一騎、漫画:[[辻なおき]])を本誌に移籍<ref group="注">1971年に休刊した兄弟誌の『[[週刊ぼくらマガジン]]』を受け継ぐ形で「[[タイガーマスク]]」「[[仮面ライダー (漫画)|仮面ライダー]]」などの特撮・アニメヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの[[タケダアワー|空想特撮シリーズ]]の頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた『[[テレビマガジン]]』や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後その手の作品の掲載は控えられた。ただし、それらの中には「[[デビルマン]]」「[[ロボット刑事]]」「[[デロリンマン]]」などといった作品も存在している。</ref>、「別冊少年マガジン」で連載が内定していた『[[空手バカ一代]]』(原作:梶原一騎、漫画:[[つのだじろう]])を本誌に登場させ軌道修正を図った。 :  1973年には梶原一騎原作の青春純愛劇画『[[愛と誠]]』(画:[[ながやす巧]])の連載開始。この頃には百万部の大台を再び定着させ、軌道に乗り始め『[[釣りキチ三平]]』(矢口高雄)、『[[おれは鉄兵]]』(ちばてつや)、『[[うしろの百太郎]]』(つのだじろう)、『[[三つ目がとおる]]』(手塚治虫)、『[[野球狂の詩]]』(水島新司)がスタートする。 :  しかし、マガジン低迷期に後発であった「[[週刊少年ジャンプ|ジャンプ]]」「[[週刊少年チャンピオン|チャンピオン]]」が急速に部数を伸ばし、新たに[[篠山紀信]]によるアイドルのグラビア記事を導入するも1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行なった。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 1978年 - 1982年 === :  2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていた。その原因として他誌が若手漫画家を中心にしている時代にマガジンだけが大家となった漫画家たちをメインに据えていた事が挙げられる。 :  五代目編集長に就任した[[三樹創作]]は他誌に倣ってマガジンでも新進気鋭の若手漫画家たちに力を入れ、『[[翔んだカップル]]』(柳沢きみお)、『[[1・2の三四郎]]』(小林まこと)を連載させ、大ヒットとなる。特に『翔んだ』は[[ラブコメディ|ラブコメ]]ブームの火付け役となった。そこから『[[胸さわぎの放課後]]』(村生ミオ)、『[[あした天気になあれ]]』(ちばてつや)、『[[The・かぼちゃワイン|The♥かぼちゃワイン]]』(三浦みつる)、『[[あいつとララバイ]]』(楠みちはる)、『[[コータローまかりとおる!]]』(蛭田達也)といった新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。<ref name="名前なし-20230316133630"/> === 1982年 - 1988年 === : 1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」が開始され、同年26号からはイメージキャラクターの[[モグラ]]「ピモピモ」が登場する<ref name=MAGAVIA />。1983年には定期増刊『[[マガジンSPECIAL]]』の創刊とバイク漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒットとなる「[[バリバリ伝説]]」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。この時代には、『[[ミスター味っ子]]』(寺沢大介)「[[THE STAR (漫画)|THE STAR]]」(島崎譲)『[[オフサイド (漫画)|オフサイド]]』(塀内夏子)、「[[ブレイクショット]]」(前川たけし)「[[名門!第三野球部]]」(むつ利之)「[[スーパードクターK]]」(真船一雄)などが掲載された。 === 1989年 - 1994年 === : 平成時代の幕開けとなった1990年代前半は大ヒット作となる「[[金田一少年の事件簿]]」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い<ref group="注">(続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『[[コータローまかりとおる!]]』は除く)</ref>「[[はじめの一歩]]」を始めとする「[[シュート!]]」「[[オフサイド (漫画)|オフサイド]]」「[[風のシルフィード]]」などのスポーツ漫画や、「[[湘南純愛組!]]」「[[カメレオン (漫画)|カメレオン]]」「[[疾風伝説 特攻の拓]]」などの[[ヤンキー漫画]]の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。 : しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。 : 前述の作品と同時期には「[[MMR マガジンミステリー調査班|MMR]]」「[[BOYS BE…]]」「[[将太の寿司]]」「[[覇王伝説 驍]]」「[[ビバ!柔道愚連隊]]」「[[破壊王ノリタカ!]]」「[[キャプテンキッド]]」「[[LET'S ぬぷぬぷっ]]」「[[MAYA 真夜中の少女]]」などの作品も連載されていた。 : 1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていた[[ちばてつや]]が、「[[少年よラケットを抱け]]」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。 === 1995年 - 1999年 === : 「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「[[GTO (漫画)|GTO]]」「[[サイコメトラーEIJI]]」などの看板・主力作品のドラマ化・アニメ化といったメディアミックスが行われたことで、多くの読者を呼びこんだ。 : また、1998年から始まった「[[ラブひな]]」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「[[RAVE (漫画)|RAVE]]」「[[SAMURAI DEEPER KYO]]」「[[GetBackers-奪還屋-]]」などの[[ファンタジー漫画]]・アクション漫画が立て続けにヒット。他には、「[[へなちょこ大作戦Z]]」「[[中華一番!]]」「[[脳みそプルン!]]」「[[Dreams]]」「[[蒼き神話マルス]]」「[[哲也-雀聖と呼ばれた男]]」など、まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。 {| border="1" class="wikitable" style="background:#ffffff; font-size:smaller;" |- |+ 第2次黄金期の過渡期である2000年1号時点の連載作品 |- !作品名 !!作者 !!原作者!!備考 |- |[[はじめの一歩]]||[[森川ジョージ]]||||TVアニメ化 |- |[[カメレオン (漫画)|カメレオン]]||[[加瀬あつし]]||||OVAアニメ化 |- |[[シュート!]]||[[大島司]]||||実写映画、TVアニメ化 |- |[[BOYS BE…]]||[[玉越博幸]]||[[イタバシマサヒロ]]|||TVドラマ化 |- |[[金田一少年の事件簿]]||[[さとうふみや]]||[[樹林伸|天樹征丸]]|||TVドラマ、実写映画、TVアニメ化 |- |[[将太の寿司]]||[[寺沢大介]]|||||実写ドラマ、TVアニメ化 |- |[[Harlem Beat]]||[[西山優里子]]|||| |- |[[コータローまかりとおる!|新・コータローまかりとおる! 柔道編]]||[[蛭田達也]]||||「コータローまかりとおる!」 時代に実写映画化 |- |[[へなちょこ大作戦Z]]||[[西本英雄]]|||| |- |[[脳みそプルン!]]||[[川口憲吾]]|||| |- |[[サイコメトラーEIJI]]||[[朝基まさし]]||[[樹林伸|安童夕馬]]||TVドラマ化 |- |[[Dreams (漫画)|Dreams]]||[[川三番地]]||[[七三太朗]]|| |- |[[GTO (漫画)|GTO]]||[[藤沢とおる]]|||||TVドラマ、実写映画、TVアニメ化 |- |[[哲也-雀聖と呼ばれた男]]||[[星野泰視]]||[[さいふうめい]]||TVアニメ化 |- |[[ラブひな]]||[[赤松健]]||||TVアニメ化 |- |[[GetBackers-奪還屋-]]||[[綾峰欄人]]||[[樹林伸|青樹佑夜]]||TVアニメ化 |- |[[SAMURAI DEEPER KYO]]||[[上条明峰]]||||TVアニメ化 |- |[[RAVE]]||[[真島ヒロ]]||||TVアニメ化 |- |[[泣くようぐいす]]||[[木多康昭]]|||| |- |[[釣りに行こうぜ!!]]||[[森一生 (漫画家)|森一生]]|| || |- |[[テルミ×テルミ×テルミ]]||[[岡田鯛]]||[[佐木飛朗斗]]|| |- |[[スノードルフィン]]||[[大石知哉]]||[[樹林伸|有森丈時]]|| |- |} === 2000年 - 2005年 === : 2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年[[5月20日]]、副編集長が大麻所持で逮捕される事件が起きる。『マガジン』はこの1年で部数が急落し、[[8月]]には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。 : 2003年には[[CLAMP]]を[[少年誌]]の『マガジン』本誌に引き抜き、「[[ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-]]」を連載する。またこの年に「[[魔法先生ネギま!]]」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。2004年40号から作者目次コメントが開始される<ref name=MAGAVIA />。その直後より「[[スクールランブル]]」を始めとした[[萌え]]系や[[恋愛漫画]]などが多く誌面に見られるようになった。 : これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した[[久米田康治]]が「[[さよなら絶望先生]]」の連載を開始したり、巻末漫画として「[[もう、しませんから。]]」が定着するなど、[[ギャグ漫画]]の分野でも個性的なヒット作が登場した。その他にも、「[[魁!!クロマティ高校]]」「[[ゴッドハンド輝]]」「[[クニミツの政]]」「[[DRAGON VOICE]]」「[[探偵学園Q]]」「[[トッキュー!!]]」「[[15の夜 (漫画)|15の夜]]」などがこの時期に連載された。 === 2006年 - 2014年 === : 「[[あひるの空]]」「[[Over Drive (漫画)|Over Drive]]」「[[エリアの騎士]]」「[[ダイヤのA]]」「[[スマッシュ!]]」「[[ベイビーステップ]]」など[[スポーツ漫画]]の新連載が大量に始まる。「[[巨人の星]]」のリメイク漫画、「[[新約「巨人の星」花形]]」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、「[[FAIRY TAIL]]」や「ダイヤのA」等のヒットこそあったものの部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回る。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。「[[シバトラ]]」「[[BLOODY MONDAY]]」「[[賭博覇王伝 零]]」「[[CØDE:BREAKER]]」「[[生徒会役員共]]」「[[ゼロセン (漫画)|ゼロセン]]」などが連載開始。 : 2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。一方テレビドラマ化の乱発やGTOの続編にあたる「[[GTO (漫画)|GTO SHONAN 14 DAYS]]」を連載する。2001年に連載が終了し、以降短期集中連載を行なっていた「金田一少年の事件簿」の定期連載を2012年に再開し、その続編となる「金田一少年の事件簿R」として通常連載する。また、これまで『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』で連載を行っていた[[鈴木央]]が「[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]」の連載を開始し、現在出版されている週刊少年漫画四誌すべてで連載を開始することになった<ref group="注">生存している漫画家で「四大週刊少年漫画誌」だけに限ればつのだじろうと小林よしのり、永井豪が該当する。三人は現在休刊となっている『[[少年キング|週刊少年キング]]』でも連載を行っているが、つのだじろうは『ジャンプ』、小林は『サンデー』での定期連載を行っていない。永井のみ当時の5つの週刊連載誌全てに同時連載した記録を持つ。なお、『キング』を含めた「五大週刊少年漫画誌」すべてで連載を行った漫画家として手塚治虫や赤塚不二夫がいる。</ref>。この頃からスポーツ漫画の新連載が落ち着き、ジャンルが多種多彩になる。この時期には、「[[波打際のむろみさん]]」「[[我間乱〜GAMARAN〜]]」「[[だぶるじぇい]]」「[[GE〜グッドエンディング〜]]」「[[A-BOUT!]]」「[[アゲイン!!]]」「[[AKB49〜恋愛禁止条例〜]]」「[[探偵犬シャードック]]」などが連載開始。 : 2013年1号に「はじめの一歩」が週刊少年マガジン初となる連載1000回を達成し、同年には[[赤松健]]が「魔法先生ネギま!」の続編にあたる「[[UQ HOLDER!]]」の連載を開始、2014年には[[瀬尾公治]]が「[[涼風 (漫画)|涼風]]」の続編にあたる「[[風夏]]」の連載を開始するが、[[出版不況]]や「[[ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-]]」「[[ヤンキー君とメガネちゃん]]」「[[魔法先生ネギま!]]」「[[エア・ギア]]」「[[さよなら絶望先生]]」「[[エデンの檻]]」「[[君のいる町]]」などの人気作品の連載終了および打ち切り、さらに新連載の短期打ち切りなどが影響し発行部数は下がり続け、2014年には120万部を下回った。2002年から『マガジン』で連載を続けていた[[山田恵庸]]が、「[[CHARON]]」の打ち切りをもって『マガジン』から離れる。その他には、「[[山田くんと7人の魔女]]」「[[我妻さんは俺のヨメ]]」「[[アホガール]]」「[[聲の形]]」「[[ACMA:GAME]]」「[[りぶねす]]」「[[せっかち伯爵と時間どろぼう]]」などが連載開始。 === 2015年 - 2019年 === : 2015年1月7日、[[電子書籍|電子]]版の配信が開始されるが<ref>{{Cite web|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1501/05/news049.html|title=講談社、全漫画雑誌を紙と同時に電子化へ 「ヤングマガジン」など3誌からスタート|publisher=[[ITmedia]] NEWS|date=2015-01-05|accessdate=2017-03-09}}</ref>、森川ジョージの作品や紙版で表紙を飾る巻頭グラビアは非掲載のため、表紙の中心が巻頭カラーを飾る漫画作品となっている<ref group="注">『月刊少年マガジン』では[[川原正敏]]も同様の方針を取っている。</ref><ref group="注">ただし、紙版で「はじめの一歩」が巻頭カラーを飾る号では、センターカラーを飾る漫画作品が表紙の中心となる</ref>。同年8月3日にはウェブコミックサイト『[[マガジンポケット]]』(以下:'''マガポケ''')を開設。2016年は「[[聲の形]]」が映画化されたが、発行部数は引き続き下がり100万部を下回った。2017年には「エリアの騎士」「FAIRY TAIL」「金田一少年の事件簿」「ベイビーステップ」などの人気作品の連載が終了され、さらに90万部を下回った。2018年には[[瀬尾公治]]の作品「風夏」が連載終了となるが、同作者による「[[ヒットマン (漫画)|ヒットマン]]」、[[Twitter]]で大反響を起こした「[[男子高校生を養いたいお姉さんの話]]」、[[真島ヒロ]]による新作「[[EDENS ZERO]]」が連載される。 : 2019年にマガジンが創刊60周年を迎え、同年4・5合併号の紙版に「はじめの一歩」が連載30周年を迎えた。 : 他誌で活躍していた漫画家による連載もますます盛んに行われ、2015年には『[[週刊ヤングマガジン]]』で連載を行っていた[[和久井健]]が初の少年誌漫画となる「[[デザートイーグル (漫画)|デザートイーグル]]」、『月刊少年ガンガン』で連載を行っていた[[大久保篤]]が「[[炎炎ノ消防隊]]」、『ジャンプ』で連載していた[[甲斐谷忍]]が22年ぶりの週刊少年誌漫画「[[無敵の人 (甲斐谷忍の漫画)|無敵の人]]」、2016年には『サンデー』や『別冊少年マガジン』で連載していた[[雷句誠]]が「[[VECTOR BALL]]」、2018年には『[[ヤングガンガン]]』や『サンデー』で連載していた[[大高忍]]が「[[オリエント (漫画)|オリエント]]」、2019年には『[[ゲッサン]]』で連載していた[[山本崇一朗]]が「[[それでも歩は寄せてくる]]」の連載を開始している。 : 後に和久井は「[[東京卍リベンジャーズ]]」を連載する。「東京卍リベンジャーズ」はアニメ化や実写映画が大ヒットし、一躍人気作品となった。その他にも「[[DAYS (漫画)|DAYS]]」「[[ドメスティックな彼女]]」「[[リアルアカウント]]」「[[徒然チルドレン]]」「[[星野、目をつぶって。]]」「[[川柳少女]]」「[[不滅のあなたへ]]」「[[五等分の花嫁]]」「[[彼女、お借りします]]」「[[寄宿学校のジュリエット]]」「[[ランウェイで笑って]]」「[[ブルーロック]]」「[[化物語]]」などが連載している。 : 『マガジンポケット』と『[[少年ジャンプ+]]』との共同企画である『ジャンマガ学園』が2019年4月8日から同年6月10日の期間限定で、「週刊少年マガジン」と「週刊少年ジャンプ」等の連載作品約150タイトルを無料で読むことができるwebサイトを立ち上げ、史上初めて両誌による共同企画が実現した。 === 2020年 - === : 2020年5月下旬から7月上旬までは[[2019年新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]の影響で、紙版ではそれまで表紙の中心だった巻頭グラビアの代わりに、巻頭カラーを飾る漫画作品が表紙の中心になる傾向となった。 : 2020年には「山田くんと7人の魔女」を連載していた[[吉河美希]]が「[[カッコウの許嫁]]」、「アホガール」を連載していた[[ヒロユキ]]が「[[カノジョも彼女]]」を連載開始。2021年には「七つの大罪」を連載していた[[鈴木央]]が続編である「[[黙示録の四騎士 (漫画)|黙示録の四騎士]]」、「風夏」や「ヒットマン」などを連載していた[[瀬尾公治]]が「[[女神のカフェテラス]]」、「五等分の花嫁」を連載していた[[春場ねぎ]]が「[[戦隊大失格]]」、「エリアの騎士」を連載していた[[樹林伸|伊賀大晃]]・[[月山可也]]が「[[iコンタクト]]」、「DAYS」を連載していた[[安田剛士]]が「[[青のミブロ]]」の連載を開始しているなど連載経験作家が次々に新作を発表している。その他にも「[[シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜]]」「[[甘神さんちの縁結び]]」「[[黒岩メダカに私の可愛いが通じない]]」などが連載を開始した。 {{節スタブ}} == 作品のメディアミックス == === アニメ化 === [[テレビアニメ]]については[[1960年代]]から[[1970年代]]前半にかけては『[[あしたのジョー]]』や『[[巨人の星]]』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から[[1980年代]]にかけては[[アニメ化]]される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。 [[1990年代]]以降は[[ラブコメディ|ラブコメ]]や[[萌え]]路線など誌風の多様化により[[アニメ化]]される作品が多くなったが、[[2000年代]]になると[[少子化]]の影響により全日枠での放映が縮小され、[[深夜アニメ|深夜枠]]での放映が多くなっている。 週刊少年ジャンプにおける『[[ONE PIECE]]』や週刊少年サンデーにおける『[[名探偵コナン]]』のような長期に渡って放送され続けている作品がないため、時期によっては全く本誌の作品のアニメが放送されないこともある。 2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版に[[OVA]]を同梱する販売形態も行っている。 ==== 現在放送中の作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 2023年10月現在 |- !作品 !放送開始日 !アニメーション制作 !備考 |- |[[シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜]] |2023年10月1日 |[[C2C (アニメ制作会社)|C2C]] |漫画版原作 |- |[[東京卍リベンジャーズ|東京リベンジャーズ]] |2023年10月4日 |[[ライデンフィルム]] |第3期<br />原作の連載は既に終了。 |- |[[カノジョも彼女]] |2023年10月7日 |[[SynergySP]] |第2期<br />原作の連載は既に終了。 |- |[[黙示録の四騎士 (漫画)|黙示録の四騎士]] |2023年10月8日 |[[テレコム・アニメーションフィルム]] |『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』の続編<br />アニメタイトル:七つの大罪 黙示録の四騎士 |} ==== 放送予定の作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 2023年10月現在 |- !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[甘神さんちの縁結び]] |2024年 |[[ドライブ (企業)|ドライブ]] | |- |[[戦隊大失格]] |2024年 |[[Yostar Pictures]] | |- |[[女神のカフェテラス]] |2024年 |未発表 |第2期 |- |[[青のミブロ]] |2024年 |[[MAHO FILM]] | |- |[[炎炎ノ消防隊]] |未発表 |未発表 |第3期<br />原作の連載は既に終了。 |- |[[不滅のあなたへ]] |未発表 |未発表 |第3期 |- |[[ブルーロック]] |未発表 |未発表 |第2期 |} ==== 過去にアニメ化された作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[8マン]] |1963年11月-1964年12月 |[[エイケン (アニメ制作会社)|TCJ動画センター]] |アニメタイトル:エイトマン |- |[[W3]] |1965年6月-1966年6月 |[[虫プロダクション]] |[[週刊少年サンデー]]でも連載 |- |[[ハリスの旋風]] |1966年5月-1967年8月 |[[ピー・プロダクション]] | |- | rowspan="7" |[[ゲゲゲの鬼太郎]] |1968年1月-1969年3月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)|第1作]]) | rowspan="4" |東映動画 | rowspan="7" |映画あり |- |1971年10月-1972年9月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第2シリーズ)|第2作]]) |- |1985年10月-1988年3月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|第3作]]) |- |1996年1月-1998年3月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|第4作]]) |- |2007年4月-2009年3月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第5シリーズ)|第5作]]) | rowspan="3" |東映アニメーション |- |2008年1月-3月([[墓場鬼太郎 (テレビアニメ)|墓場鬼太郎]]) |- |2018年4月-2020年3月([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|第6作]]) |- | rowspan="3" |[[巨人の星]]([[巨人の星 (アニメ)|アニメ]]) |1968年3月-1971年9月(無印) | rowspan="3" |[[東京ムービー]] | rowspan="3" | |- |1977年10月-1978年9月(新・巨人の星) |- |1979年4月-9月(新・巨人の星II) |- | rowspan="3" |[[サイボーグ009]]([[サイボーグ009 (アニメ)|アニメ]]) |1968年4月-9月(第1作) |東映動画 | rowspan="3" |映画あり |- |1979年3月-1980年3月(第2作) |[[東映]]<br />[[日本サンライズ]] |- |2001年10月-2002年10月(THE CYBORG SOLDIER) |[[ジャパンヴィステック]] |- |[[タイガーマスク]] |1969年10月-1971年9月 |東映動画 | |- | rowspan="2" |[[あしたのジョー]] |1970年4月-1971年9月(第1期) |虫プロダクション | rowspan="2" | |- |1980年10月-1981年8月(第2期) |[[東京ムービー新社]] |- |[[珍豪ムチャ兵衛]] |1971年2月-3月 |東京ムービー | |- | rowspan="5" |[[天才バカボン]] |1971年9月-1972年6月([[天才バカボン (アニメ)|無印]]) | rowspan="2" |東京ムービー | rowspan="5" | |- |1975年10月-1977年9月([[元祖天才バカボン]]) |- |1990年1月-12月([[平成天才バカボン]]) | rowspan="2" |[[ぴえろ|スタジオぴえろ]] |- |1999年10月-2000年3月<br />([[レレレの天才バカボン]]) |- |2018年7月-9月([[深夜!天才バカボン]]) |[[スタジオ サインポスト|studioぴえろ+]] |- |[[デビルマン]] |1972年7月-1973年3月 |東映動画 |OVAあり |- |[[空手バカ一代]] |1973年10月-1974年9月 |東京ムービー |映画あり |- |[[となりのたまげ太くん]] |1974年4月-1975年6月 |[[スタジオ・ゼロ]] |アニメタイトル:たまげ太くん |- |[[おれは鉄兵]] |1977年9月-1978年3月 |[[日本アニメーション]]<br />[[シンエイ動画]] | |- |[[野球狂の詩]] |1977年12月-1979年3月 |日本アニメーション<br />[[土田プロダクション]] |映画あり |- |[[釣りキチ三平]] |1980年4月-1982年6月 |日本アニメーション<br />土田プロダクション |OVAあり |- |[[タイガーマスク二世]] |1981年4月-1982年1月 |東映動画 |『タイガーマスク』の続編 |- |[[The・かぼちゃワイン|The・かぼちゃワイン]] |1982年7月-1984年8月 |東映動画 |映画あり |- |[[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]] |1984年10月-1985年9月 |土田プロダクション | |- |[[コンポラキッド]] |1985年6月-12月 |東映動画 | |- |[[ミスター味っ子]] |1987年10月-1989年9月 |サンライズ | |- |[[名門!第三野球部]] |1988年10月-1989年9月 |[[日本アドシステムズ|NAS]] | |- |[[悪魔くん]] |1989年4月-1990年3月 |東映動画 |映画あり |- |[[三つ目がとおる]] |1990年10月-1991年9月 |手塚プロダクション | |- |[[丸出だめ夫]] |1991年11月-1992年9月 |スタジオぴえろ | |- | rowspan="2" |[[シュート!]] |1993年11月-1994年12月(第1作) |東映動画 |アニメタイトル:蒼き伝説 シュート! |- |2022年7月-9月(第2作) |[[EMTスクエアード]] |アニメタイトル:<br />シュート! Goal to the Future |- | rowspan="3" |[[金田一少年の事件簿]]([[金田一少年の事件簿 (アニメ)|アニメ]]) |1997年4月-2000年9月(無印) |東映動画 → 東映アニメーション | rowspan="3" |映画、OVAあり |- |2014年4月-9月(R・第1期) | rowspan="2" |東映アニメーション |- |2015年10月-2016年3月(R・第2期) |- | rowspan="3" |[[中華一番!]] |1997年4月-1998年9月(無印) |日本アニメーション<br />スタジオぴえろ | rowspan="3" | |- |2019年10月-12月(真・中華一番!・第1期) | rowspan="2" |NAS |- |2021年1月-3月(真・中華一番!・第2期) |- |[[LET'S ぬぷぬぷっ]] |1998年10月-11月 |[[グループ・タック]] | |- |[[GTO (漫画)|GTO]] |1999年6月-2000年9月 |スタジオぴえろ |総集編あり |- |[[将太の寿司]] |1999年10月 |[[スタジオコメット]] |アニメタイトル:<br />将太の寿司 心にひびくシャリの味 |- |[[BOYS BE…]] |2000年4月-7月 |[[ハルフィルムメーカー]] | |- |[[ラブひな]] |2000年4月-9月 |[[ジーベック (アニメ制作会社)|XEBEC]] |OVAあり |- | rowspan="3" |[[はじめの一歩]] |2000年10月-2002年3月(第1期) | rowspan="2" |[[マッドハウス]] | rowspan="3" |OVAあり |- |2009年1月-6月(第2期) |- |2013年10月-2014年3月(第3期) |マッドハウス<br />[[MAPPA]] |- |[[哲也-雀聖と呼ばれた男]] |2000年10月-2001年3月 |東映アニメーション |アニメタイトル:勝負師伝説 哲也 |- |[[オフサイド (漫画)|オフサイド]] |2001年5月-2002年1月 |[[葦プロダクション]] |OVAあり |- |[[RAVE (漫画)|RAVE]] |2001年10月-2002年9月 |[[スタジオディーン]] | |- |[[SAMURAI DEEPER KYO]] |2002年7月-12月 |スタジオディーン | |- |[[GetBackers-奪還屋-]] |2002年10月-2003年9月 |スタジオディーン | |- |[[アソボット戦記五九]] |2002年10月-2003年9月 |[[エッグ (アニメ制作会社)|エッグ]] |メディアミックス作品 |- |[[探偵学園Q]] |2003年4月-2004年3月 |ぴえろ | |- |[[魁!!クロマティ高校]] |2003年10月-2004年3月 |[[プロダクション・アイジー|Production I.G]] | |- | rowspan="2" |[[スクールランブル]]([[スクールランブル (アニメ)|アニメ]]) |2004年10月-2005年3月(第1期) | rowspan="2" |スタジオコメット | rowspan="2" |OVAあり |- |2006年4月-9月(第2期) |- |[[魔法先生ネギま!]]([[魔法先生ネギま! (アニメ)|アニメ]]) |2005年1月-6月 |XEBEC |OVAあり |- | rowspan="2" |[[ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-]] |2005年4月-10月(第1期) | rowspan="2" |[[ビィートレイン]] | rowspan="2" |アニメタイトル:ツバサ・クロニクル<br />映画、OVAあり |- |2006年4月-11月(第2期) |- |[[涼風 (漫画)|涼風]] |2005年7月-12月 |スタジオコメット | |- |[[エア・ギア]] |2006年4月-9月 |東映アニメーション |OVAあり |- |[[Over Drive (漫画)|Over Drive]] |2007年4月-9月 |XEBEC | |- |[[ケンコー全裸系水泳部 ウミショー]] |2007年7月-9月 |[[アートランド]] | |- | rowspan="3" |[[さよなら絶望先生]]([[さよなら絶望先生 (アニメ)|アニメ]]) |2007年7月-9月(第1期) | rowspan="3" |[[シャフト (アニメ制作会社)|シャフト]] | rowspan="3" |OVAあり |- |2008年1月-3月(第2期) |- |2009年7月-9月(第3期) |- | rowspan="3" |[[FAIRY TAIL]] |2009年10月-2013年3月(第1期) |[[A-1 Pictures]]<br />[[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]] | rowspan="3" |OVA、映画あり |- |2014年4月-2016年3月(第2期) |A-1 Pictures<br />[[ブリッジ (アニメ制作会社)|ブリッジ]] |- |2018年10月-2019年9月(第3期) |A-1 Pictures<br />ブリッジ<br />[[CloverWorks]] |- | rowspan="2" |[[生徒会役員共]] |2010年7月-9月(第1期) | rowspan="2" |[[GoHands]] | rowspan="2" |OVA、映画あり |- |2014年1月-3月(第2期) |- |[[だぶるじぇい]] |2011年6月-9月 |[[ディー・エル・イー|DLE]] | |- |[[エリアの騎士]] |2012年1月-9月 |シンエイ動画 | |- |[[CØDE:BREAKER]] |2012年10月-12月 |[[キネマシトラス|KINEMA CITRUS]] | |- |[[波打際のむろみさん]] |2013年4月-6月 |[[タツノコプロ]] |OVAあり |- |[[君のいる町]] |2013年7月-9月 |[[ゴンゾ|GONZO]] |OVAあり |- | rowspan="3" |[[ダイヤのA]] |2013年10月-2015年3月(第1期) | rowspan="2" |MADHOUSE<br />Production I.G | rowspan="2" | |- |2015年4月-2016年3月(第2期) |- |2019年4月-2020年3月(第3期) |MADHOUSE |アニメタイトル:ダイヤのA actII |- | rowspan="2" |[[ベイビーステップ]] |2014年4月-9月(第1期) | rowspan="2" |ぴえろ | rowspan="2" | |- |2015年4月-9月(第2期) |- | rowspan="5" |[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]] |2014年10月-2015年3月(第1期) | rowspan="3" |A-1 Pictures | rowspan="5" |映画あり |- |2016年8月-9月(TVSP) |- |2018年1月-6月(第2期) |- |2019年10月-2020年3月(第3期) | rowspan="2" |スタジオディーン |- |2021年1月-6月(第4期) |- |[[山田くんと7人の魔女]] |2015年4月-6月 |[[ライデンフィルム]] | |- |[[DAYS (漫画)|DAYS]] |2016年7月-12月 |MAPPA | |- |[[風夏]] |2017年1月-3月 |[[ディオメディア]] | |- |[[アホガール]] |2017年7月-9月 |ディオメディア | |- |[[徒然チルドレン]] |2017年7月-9月 |[[Studio五組]] | |- |[[UQ HOLDER!]] |2017年10月-12月 |[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] |『魔法先生ネギま!』の続編<br />アニメタイトル:<br />UQ HOLDER!〜魔法先生ネギま!2〜 |- |[[寄宿学校のジュリエット]] |2018年10月-12月 |ライデンフィルム | |- | rowspan="2" |[[五等分の花嫁]] |2019年1月-3月(第1期) |手塚プロダクション | rowspan="2" |映画あり |- |2021年1月-3月(第2期) |[[バイブリーアニメーションスタジオ]] |- |[[ドメスティックな彼女]] |2019年1月-3月 |ディオメディア | |- |[[川柳少女]] |2019年4月-6月 |[[SILVER LINK.|CONNECT]] | |- | rowspan="2" |[[炎炎ノ消防隊]] |2019年7月-12月(第1期) | rowspan="2" |[[デイヴィッドプロダクション|david production]] | rowspan="2" | |- |2020年7月-12月(第2期) |- |[[あひるの空]] |2019年10月-2020年9月 |ディオメディア | |- |[[ランウェイで笑って]] |2020年1月-3月 |Ezo'la | |- | rowspan="3" |[[彼女、お借りします]] |2020年7月-9月(第1期) | rowspan="3" |[[トムス・エンタテインメント]] | rowspan="3" | |- |2022年7月-9月(第2期) |- |2023年7月-9月(第3期) |- | rowspan="2" |[[東京卍リベンジャーズ]] |2021年4月-9月(第1期) | rowspan="2" |ライデンフィルム | rowspan="2" |アニメタイトル:東京リベンジャーズ |- |2023年1月-4月(第2期) |- | rowspan="2" |[[EDENS ZERO]] |2021年4月-10月(第1期) | rowspan="2" |J.C.STAFF | rowspan="2" | |- |2023年4月-10月(第2期) |- | rowspan="2" |[[不滅のあなたへ]] |2021年4月-8月(第1期) |[[ブレインズ・ベース]] | rowspan="2" | |- |2022年10月-2023年3月(第2期) |[[ドライブ (企業)|ドライブ]] |- |[[カノジョも彼女]] |2021年7月-9月(第1期) |手塚プロダクション | |- |[[テスラノート]] |2021年10月-12月 |ギャンビット | |- | rowspan="2" |[[オリエント (漫画)|オリエント]] |2022年1月-3月(安芸旅立ち編) |rowspan="2" |[[エー・シー・ジー・ティー|A・C・G・T]] |rowspan="2" | |- |2022年7月-9月(淡路島激闘編) |- |[[カッコウの許嫁]] |2022年4月-10月 |シンエイ動画<br />[[SynergySP]] | |- |[[それでも歩は寄せてくる]] |2022年7月-9月 |SILVER LINK. | |- |[[ブルーロック]] |2022年10月-2023年3月(第1期) |[[エイトビット]] |映画予定 |- |[[女神のカフェテラス]] |2023年4月-6月(第1期) |手塚プロダクション | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[バリバリ伝説]] |1986年 |スタジオぴえろ | |- |[[うしろの百太郎]] |1991年 |ぴえろプロジェクト | |- |[[カメレオン (漫画)|カメレオン]] |1992年-1996年 ! | |- |[[湘南純愛組!]] |1994年-1997年 |[[ライフワーク (アニメ制作会社)|ライフワーク]](1)<br />J.C.STAFF(2から) | |- |[[クイーン・エメラルダス]] |1998年-1999年 |[[オー・エル・エム|OLM TEAM WASAKI]](第1話、第2話)<br />マルチ・アクセス・カンパニー(第3話、第4話) | |} === ドラマ化 === 一方、[[テレビドラマ]]・実写映画では1960年代に『[[無用ノ介]]』、70年代に『[[愛と誠]]』、『[[野球狂の詩]]』、『[[翔んだカップル]]』を、80年代には『[[胸キュン刑事]]』(テレビドラマのみ)、90年代には『[[シュート!]]』(映画のみ)、『[[金田一少年の事件簿]]』、『[[GTO (漫画)|GTO]]』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。 {|class="wikitable" style="font-size: small;" |+ 過去にテレビドラマ化された平成期以降の作品 !作品名 !!キー局!!放送時期!!備考 |- |[[金田一少年の事件簿]]<br />([[金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|ドラマ版]])||[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]||[[金田一少年の事件簿 (堂本剛のテレビドラマ)|1995年7月15日 - 9月16日]]<br />1996年7月13日 - 9月14日<br />[[金田一少年の事件簿 (松本潤のテレビドラマ)|2001年7月14日 - 9月15日]]<br />[[金田一少年の事件簿 (山田涼介のテレビドラマ)|2014年7月19日 - 9月20日]]<br />[[金田一少年の事件簿 (道枝駿佑のテレビドラマ)|2022年4月24日 - 7月3日]]||連続ドラマの他、過去6回単発でスペシャル版を放送。<br />2014年版のタイトルは「金田一少年の事件簿N(neo)」。<br />1997年に映画化(ドラマ版項目を参照)。<br />1997年、2014年にアニメ化([[金田一少年の事件簿 (アニメ)|アニメ版]])<ref group="注">アニメ版の制作局は[[讀賣テレビ放送]]</ref>。 |- |[[MMR マガジンミステリー調査班]]<br />([[MMR未確認飛行物体|ドラマ版]])||rowspan="2"|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]||1996年4月18日 - 9月12日||タイトルは「MMR未確認飛行物体」。<br />[[木曜の怪談]]内にて[[オムニバス]]形式で放送。 |- |[[将太の寿司]]||1996年4月19日 - 9月20日||1999年10月に[[テレビ東京]]で単発アニメ化。 |- |[[サイコメトラーEIJI]]||日本テレビ系列||1997年1月11日 - 3月15日<br />1999年10月16日 - 12月18日||2000年にスペシャル版を放送。 |- |[[GTO (漫画)|GTO]]<br />([[GTO (1998年のテレビドラマ)|反町版]]…1998年)<br />([[GTO (2012年のテレビドラマ)|AKIRA版]]…2012年、2014年)||[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・フジテレビ系列||1998年7月7日 - 9月22日<br />2012年7月3日 - 9月11日<br />2014年7月8日 - 9月16日||反町版で1回、AKIRA版で3回スペシャル版を放送。<br />1999年に映画化(反町版の記事を参照)。<br />1999年にアニメ化(原作記事を参照)<ref group="注">アニメ版の制作局はフジテレビ</ref>。 |- |[[BOYS BE…]]||日本テレビ系列||1998年10月4日 - 12月27日||タイトルは「BOYS BE…Jr.」。<br />[[ジャニーズJr.]]によるオムニバス形式で放送。<br />2000年に[[WOWOW]]でアニメ化。 |- |[[MAYA 真夜中の少女]]||[[BS日本|BS日テレ]]||2003年3月8日||[[日テレジェニック]]2002卒業制作ドラマとして放送。<br />連載終了後のドラマ化。 |- |[[クニミツの政]]||関西テレビ・フジテレビ系列||2003年7月1日 - 9月9日|| |- |[[探偵学園Q]]||日本テレビ系列||2007年7月3日 - 9月11日||2003年に[[TBSテレビ|TBS]]でアニメ化。 |- |[[魔法先生ネギま!]]<br />([[MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!|ドラマ版]])||テレビ東京系列||2007年10月3日 - 2008年3月26日||タイトルは「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」。<br />2005年にアニメ化([[魔法先生ネギま! (アニメ)|アニメ版]])。<br />その他OVA化などされている。 |- |[[スミレ16歳!!]]||[[BSフジ]]||2008年4月13日 - 6月29日||『マガジンSPECIAL』へ移籍後のドラマ化。 |- |[[シバトラ]]||フジテレビ系列||2008年7月8日 - 9月16日||2009年、2010年にスペシャル版を放送。 |- |[[BLOODY MONDAY]]||rowspan="4"|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||2008年10月11日 - 12月20日<br />2010年1月23日 - 3月20日|| |- |[[ゴッドハンド輝]]||2009年4月11日 - 5月16日|| |- |[[ヤンキー君とメガネちゃん]]||2010年4月23日 - 6月25日|| |- |[[ハンマーセッション!]]||2010年7月10日 - 9月18日|| |- |[[山田くんと7人の魔女]]||フジテレビ系列||2013年8月10日 - 9月28日||2015年に[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]でアニメ化。 |- |[[アゲイン!!]]||[[毎日放送|MBS]]・TBS系列||2014年7月21日 - 9月22日 || |- |[[賭博覇王伝零]]<br/>([[ゼロ 一攫千金ゲーム|ドラマ版]])||日本テレビ系列||2018年7月15日 - 9月16日 ||タイトルは「ゼロ 一攫千金ゲーム」。 |- |[[彼女、お借りします]]||[[朝日放送テレビ|ABC]]・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]||2022年7月3日 - ||2020年、2022年にMBSでアニメ化。 |} === レコード化 === 1967年7月20日に、[[キングレコード]]から当時の連載作品『巨人の星』『天才バカボン』『墓場の鬼太郎<ref group="注">『墓場の鬼太郎』のイメージソングは、後に放送されたテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』において「ゲゲゲの鬼太郎」と改題して主題歌に起用された。</ref>』『[[パットマンX]]』『でっかい奴』『[[ハリスの旋風]]』『[[丸出だめ夫]]』『[[幻魔大戦]]』『サイレントワールド』と読者ページ『パンパカ学園』のイメージソングを収録したLPレコード『少年マガジン マンガ大行進』(規格品番:SKK(H)-354)が発売された。同年10月には同LP収録の4曲が「[[巨人の星#イメージソング|巨人の星]]/[[天才バカボン (曲)#1967年版|天才バカボン]]」(規格品番:BS-722)と「[[ゲゲゲの鬼太郎 (曲)|墓場の鬼太郎]]<ref group="注">テレビアニメ『[[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎]]』の放映開始後にプレスされた版では「ゲゲゲの鬼太郎」と改題</ref>/ハリスの旋風」(規格品番:BS-723)としてシングルカットされている。1978年には創刊1000号を記念してLPレコード『創刊1000号記念 少年マガジン』(規格品番:SKD(H)-470)が発売された。 == 連載作品 == <!--連載が終了した作品は一覧から削除する前に[[週刊少年マガジン連載作品の一覧]]に作品を追加してください。--> <!--予告等を元とした情報をコメントアウトで追加する行為は予告が変更されることもあり情報が不確定な上、無駄に編集回数を重ねる事となりますのでおやめください([[Wikipedia:検証可能性]]、[[Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす]])。--> {{Main2|過去の連載作品については[[週刊少年マガジン連載作品の一覧]]を}} 以下、2023年12月27日(2024年4・5合併号)現在<!--日付は発売日毎(毎週水曜日)にxx号の数値と共に更新してください。(休刊日や水曜日以外の日付にしないように。)-->連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|はしめのいつほ}}[[はじめの一歩]] || {{Display none|もりかわ しよおし}}[[森川ジョージ]] || - || 1989年43号 || |- | {{Display none|ふめつのあなたへ}}[[不滅のあなたへ]] || {{Display none|おおいま よしとき}}[[大今良時]] || - || 2016年50号 || |- | {{Display none|かのしよおかりします}}[[彼女、お借りします]] || {{Display none|みやしま れいし}}[[宮島礼吏]] || - || 2017年32号 || |- | {{Display none|えてんすせろ}}[[EDENS ZERO]] || {{Display none|ましま ひろ}}[[真島ヒロ]] || - || 2018年30号 || |- | {{Display none|ふるうろつく}}[[ブルーロック]] ||| {{Display none|のむら ゆうすけ}}[[ノ村優介]]{{Small|(漫画)}} || | {{Display none|かねしろ むねゆき}}[[金城宗幸]]{{Small|(原作)}} || 2018年35号 || |- | {{Display none|かつこうのいいなすけ}}[[カッコウの許嫁]] || {{Display none|よしかわ みき}}[[吉河美希]] || - || 2020年9号 || |- | {{Display none|しやんくりらふろんていあくそけえはんたあかみけえにいとまんとす}}[[シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜|シャングリラ・フロンティア<br/>〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜]] ||| {{Display none|ふし りようすけ}}不二涼介{{Small|(漫画)}} || | {{Display none|かた りな}}[[硬梨菜]]{{Small|(原作)}} || 2020年33号 || 同作品のコミカライズ |- | {{Display none|もくしろくのよんきし}}[[黙示録の四騎士 (漫画)|黙示録の四騎士]] || {{Display none|すすき なかは}}[[鈴木央]] || - || 2021年9号 || 「七つの大罪」の続編 |- | {{Display none|せんたいたいしつかく}}[[戦隊大失格]] || {{Display none|はるは ねき}}[[春場ねぎ]] || - || 2021年10号 || |- | {{Display none|めかみのかふえてらす}}[[女神のカフェテラス]] || {{Display none|せお こうし}}[[瀬尾公治]] || - || 2021年12号 || |- | {{Display none|あまかみさんちのえんむすひ}}[[甘神さんちの縁結び]] || {{Display none|ないとう まあしい}}[[内藤マーシー]] || - || 2021年21号 || |- | {{Display none|くろいわめたかにわたしのかわいいかつうしない}}[[黒岩メダカに私の可愛いが通じない]] || {{Display none|くせ らん}}[[久世蘭]] || - || 2021年26号 || |- | {{Display none|あおのみふろ}}[[青のミブロ]] || {{Display none|やすた つよし}}[[安田剛士]] || - || 2021年46号 || |- | {{Display none|かちあくた}}ガチアクタ || {{Display none|うらな けい}}裏那圭 || - || 2022年12号 || |- | {{Display none|せいとかいにもあなはある}}[[生徒会にも穴はある!]] || {{Display none|むちまろ}}むちまろ || - || 2022年22・23合併号 || |- | {{Display none|かなんさまはあくまてちよろい}}カナン様はあくまでチョロい || {{Display none|のんこ}}nonco || - || 2022年27号 || |- | {{Display none|あかはねほねこのほていかあと}}赤羽骨子のボディガード || {{Display none|にかつ まさみつ}}丹月正光 || - || 2022年43号 || |- | {{Display none|よわよわせんせい}}[[よわよわ先生]] || {{Display none|ふくち かみお}}[[福地カミオ]]|| - || 2022年51号 || |- | {{Display none|ふれいふへる}}BRAVE BELL ||| {{Display none|おかね}}小金{{Small|(漫画)}} || | {{Display none|めえふ}}メープ{{Small|(原作)}} || 2023年28号 || |- | {{Display none|まよなかはあとちゆうん}}[[真夜中ハートチューン]] || {{Display none|いからし まさくに}}[[五十嵐正邦]] || - || 2023年42号 || |- | {{Display none|もののけのらん}}もののけの乱 || {{Display none|たけた ようすけ}}竹田陽介 || - || 2023年45号 || |- | {{Display none|しゆうしんのかたな}}[[獣心のカタナ]] || {{Display none|かみしよう あきみね}}[[上条明峰]] || - || 2023年48号 || <!-- ※最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。 ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|あひるのそら}}[[あひるの空]] || {{Display none|ひなた たけし}}[[日向武史]] || - || 2004年2・3合併号 || |} == 表紙について == *創刊号の表紙を飾ったのは[[朝潮太郎 (3代)|朝汐太郎]]。 *初めて表紙を飾った連載漫画は『[[ちかいの魔球]]』(1961年39号)。 *初めて単体で表紙を飾った(人間以外の)[[動物]]は[[イルカ]](1961年47号)<ref name=MAGAVIA />。 *少年期の[[あおい輝彦]]が表紙モデルを務めた時期があった。 *1970年23号の表紙(『[[巨人の星]]』がメイン)は、マガジン史上唯一の[[モノクローム|白黒]]の表紙だった<ref name=MAGAVIA />(2015年現在)。 *1970年には、[[横尾忠則]]が表紙構成(デザイナー)を務めた号が存在する(前述の1970年23号の表紙デザイナーも横尾)<ref name="ootomo_109">『怪獣博士!大伴昌司「大図解」画報』[[河出書房新社]]、2012年、109-111頁。{{ISBN2|978-4-309-72796-7}}。</ref><ref>[http://sapporovin.blog90.fc2.com/blog-entry-1128.html 70年代の週刊少年マガジン、横尾忠則そして大伴昌司]、まんだらけ 札幌店 ヴィンテージ 毎日入荷情報、2012年10月30日 21:00:00。</ref>。横尾の起用を提案したのは[[大伴昌司]]であった<ref name=ootomo_109 />。 *『[[ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣]]』(1970年37号<ref>[https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=215614830 週刊少年マガジン 1970年9月6日 <第37号>]、日本の古本屋 - 2021年1月4日閲覧。</ref>)、『[[ターミネーター2]]』や『[[ジュラシック・パーク]]』(1993年30号)など、実写映画が表紙を飾ったことがある<ref name=sponichi030211>[https://web.archive.org/web/20031007035158/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/02/11/02.html 週刊少年マガジンの表紙に特別イラスト]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2003年2月11日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。2003年11号の表紙([[真島ヒロ]]画による『[[ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔]]』のイラスト)は、創刊以来初となる実写映画と人気漫画家の[[コラボレーション]]表紙となった<ref name=sponichi030211 />(2004年10号の表紙も真島ヒロ画による『[[ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還]]』のイラスト)。また寅さんこと[[渥美清]](1973年5・6号<ref>[https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=52752581 週刊少年マガジン 昭和48年5・6合併号 昭和48年1月28日号 表紙モデル・渥美清]、日本の古本屋 - 2021年1月4日閲覧。</ref>)や[[黒澤明]]監督(1970年45号<ref>[https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=276901990]、日本の古本屋 - 2021年1月4日閲覧。</ref>)が表紙を飾ったこともあった。 *2019年33号の表紙は、アニメ映画『[[天気の子]]』のキャラクターのイラストが表紙を飾った。アニメ映画のイラストが表紙を飾るのは、『[[もののけ姫]]』(1997年32号)以来22年ぶり<ref>[https://mantan-web.jp/article/20190716dog00m200054000c.html 天気の子:「マガジン」で22年ぶり劇場版アニメが表紙に 「もののけ姫」以来の大特集]、まんたんウェブ、2019年7月17日。</ref>。 == 読者コーナー == 1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「[[ジャンプ放送局]]」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「[[週刊少年サンデー|サンデー青春学園]]」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。 なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、[[鉄腕アトム]]みたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。 2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。 == 歴代編集長 == # [[牧野武朗]](1959年 - 1964年) # 井岡秀次(1964年 - 1965年) # [[内田勝]](1965年 - 1971年) # [[宮原照夫]](1971年 - 1978年) # 三樹創作(1978年 - 1986年) # [[五十嵐隆夫]](1986年 - 1997年) # 野内雅宏(1997年 - 2004年) # [[工富保]](2004年 - 2005年) # [[森田浩章]](2005年 - 2013年) # 菅原喜一郎(2013年 - 2017年) # 栗田宏俊(2017年 - 2022年) # 川窪慎太郎(2022年 - 在職中)<ref name="natalie20230129">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/column/508611|title=あの話題作からマンガ賞受賞作まで!厳選チョイスの27作品|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-29|accessdate=2023-01-29}}</ref> == 発行部数 == {{出典の明記|section=1|date=2009年3月}} * 1959年 20万5000部(創刊号)<ref name=MAGAVIA /> * 1963年 30万部余<ref>『[[朝日年鑑]] 1964年版』563頁。{{NDLJP|3006395/286}}</ref> * 1968年新年増大号 120万部<ref>『週刊少年マガジン』1968年14号。(週刊少年マガジン(編集)『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』講談社、2008年、59頁。{{ISBN2|978-4-06-364731-0}}。)</ref> * 1970年3号 150万部<ref>『週刊少年マガジン』1970年2号、3号。(『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』62-64頁)</ref> * 1991年6月 約250万部<ref>「“成長”止まらぬ少年ジャンプ」『日本経済新聞』1991年6月22日付朝刊、36頁。</ref> * 1996年新年号 436万部<ref name="asahi_960404">「王者『ジャンプ』失速 部数公表できぬ苦境」『朝日新聞』1996年4月4日付東京朝刊、19頁。</ref> * 1997年7月 約415万部<ref>「王者『ジャンプ』失速 『マガジン』と部数並ぶ 24年間の首位陰る」『朝日新聞』1997年7月28日付東京夕刊、1頁。</ref> * 1997年8月 440万部(実売推定413万部)<ref>西村繁男『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』(幻冬舎文庫版)360-361頁。{{ISBN2|4-87728-525-3}}。</ref> ** 『週刊少年ジャンプ』を実売推定部数で上回る。 * 1997年49号(1997年11月5日発売号) 415万部<ref>[https://web.archive.org/web/20160305021030/http://www.fujisan.co.jp/yomimono/articles/5113 少年マガジンクロニクル 第17回 24年ぶりの栄冠~第2次黄金時代~(1994~99年)]、Fujisan.co.jp。</ref><ref>「『マガジン』、『ジャンプ』を抜く」『[[毎日新聞]]』1997年10月29日付朝刊、30頁。</ref> ** 『週刊少年ジャンプ』を発行部数で上回る。 * 1998年新年号 445万部<ref>「『ジャンプ』と『ガロ』漫画界象徴する両極の異変」『朝日新聞』1998年1月19日付東京夕刊、5頁。</ref><ref>「週刊少年ジャンプ 鳥嶋和彦編集長に聞く(アニマゲDON)」『朝日新聞』2000年2月25日付夕刊、16頁。</ref> * 1998年 425万部 * 2000年 405万部 * 2001年 380万部 * 2002年 364万部 * 2003年 319万部 * 2004年 272万部 * 2005年 236万部 * 2006年 215万部 * 2007年 187万部 * 2008年 178万部 2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である<ref name=MAGAVIA />。 {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)[https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会] ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 1,755,000 部 || 1,720,000 部 || 1,691,667 部 |- ! 2009年 | 1,664,167 部 || 1,633,334 部 || 1,614,616 部 || 1,593,637 部 |- ! 2010年 | 1,571,231 部 || 1,565,000 部 || 1,556,250 部 || 1,551,819 部 |- ! 2011年 | 1,529,693 部 || 1,491,500 部 || 1,489,584 部 || 1,472,084 部 |- ! 2012年 | 1,447,500 部 || 1,436,017 部 || 1,412,584 部 || 1,404,834 部 |- ! 2013年 | 1,376,792 部 || 1,357,000 部 || 1,324,209 部 || 1,308,117 部 |- ! 2014年 | 1,277,500 部 || 1,245,417 部 || 1,211,750 部 || 1,192,267 部 |- ! 2015年 | 1,156,059 部 || 1,127,042 部 || 1,107,840 部 || 1,085,110 部 |- ! 2016年 | 1,038,450 部 || 1,015,659 部 || 995,017 部 || 986,017 部 |- ! 2017年 | 964,158 部 || 932,713 部 || 883,804 部 || 840,667 部 |- ! 2018年 | 815,458 部 || 791,833 部 || 760,917 部 || 744,583 部 |- ! 2019年 | 715,417 部 || 692,083 部 || 664,625 部 || 649,167 部 |- ! 2020年 | 627,533 部 || 593,917 部 || 575,000 部 || 559,545 部 |- ! 2021年 | 545,000 部 || 518,333 部 || 502,083 部 || 493,182 部 |- ! 2022年 | 480,000 部 || 462,500 部 || 445,750 部 || 441,000 部 |- ! 2023年 | 404,167 部 || 370,083 部 || 358,167 部 || |} == 価格の変遷 == 創刊号以外は20号時点の値段。[[消費税]]導入以降は税込み価格。 * 創刊号 40円 * 1960年 30円 * 1961年 - 1963年 40円 * 1964年 - 1966年 50円 * 1967年 - 1969年 60円 * 1970年 70円 * 1971年 80円 * 1972年 90円 * 1973年 100円 * 1974年 - 1975年 130円 * 1976年 150円 * 1977年 - 1980年 170円 * 1981年 - 1988年 180円 * 1989年 - 1990年 190円 * 1991年 - 1994年 200円 * 1995年 - 1997年 210円 * 1998年 220円 * 1999年 - 2004年 230円 * 2005年 - 2006年 240円 * 2007年 - 2008年 250円 * 2009年 - 2015年 260円 * 2016年 - 2017年 270円 * 2018年 - 300円 == 講談社コミックスマガジン == 単行本は[[講談社コミックス]]レーベルで発行される。通称は'''少年マガジンコミックス'''(しょうねんマガジンコミックス)。コード番号はKCM406から振られているが、これは1 - 405の番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。 *デザインの特徴は初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。 *1984年の2代目では現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているピモピモを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。 *1996年頃からデザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が作家によって自由に指定が出来る様になっている。現在も使用されている。 *2008年時点で累計約10億部が発行されている<ref name=MAGAVIA />。 *2008年時点で最大の発行部数の巻は、『[[金田一少年の事件簿]]』第1巻の約275万部<ref name=MAGAVIA />。 *節目の通番は以下の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |- ! 通番 !! 作品 !! 巻 |- | 1番(KC1) | [[ハリスの旋風]] | 1巻 |- | 406番(KCM406) | [[天才バカボン|別冊天才バカボン]] | 2巻 |- | 500番(KCM500) | [[多羅尾伴内|多羅尾伴内 七つの顔をもつ男]] | 1巻 |- | 1000番(KCM1000) | rowspan="2"|[[あした天気になあれ (漫画)|あした天気になあれ]] | 19巻 |- | 1500番(KCM1500) | 47巻 |- | 2000番(KCM2000) | rowspan="4"|欠番<ref name=MAGAVIA /> | |- | 2500番(KCM2500) | |- | 3000番(KCM3000) | |- | 3500番(KCM3500) | |} == 増刊号 == 『週刊少年マガジン』本誌と[[雑誌コード]]、通巻ナンバーを共有する増刊号で、『別冊少年マガジン』としては[[1964年]]秋に季刊誌で創刊されているが、それ以前にも不定期で増刊号を刊行していた。 1967年頃には[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]の『[[ミュータント・サブ]]』を掲載したり、[[白土三平]]作品の特集号が刊行されていた。[[1969年]]に季刊から月刊へ刊行頻度を変え『月刊別冊少年マガジン』となるが、[[1971年]]に休刊。元の増刊号枠に戻る。『月刊別冊少年マガジン』は1974年に復刊するが、『[[月刊少年マガジン]]』として増刊号枠から独立する形になった。 『月刊別冊少年マガジン』時代を除くと、基本的に本誌の連載作品を再録・特集する役割だったが、1981年には掲載誌『[[少年キング|月刊少年ポピー]]』が休刊した『[[タイガーマスク二世]]』の連載を引き継ぐなど、次第に本誌を補完する形でいくつかの連載漫画や若手の読切作品が掲載されるようになった。 [[1983年]]には定期増刊『[[マガジンSPECIAL]]』の刊行が始まり、[[1990年代]]に入ると増刊枠では様々な形の特集増刊をコンスタントに発刊したが、2017年に『マガジンSPECIAL』が休刊。増刊号枠に該当する書籍も次第に講談社mookでの刊行へ移行したことから、増刊号としての刊行は途絶えている。 === 通常の増刊・『SPECIAL』以外の増刊号 === ここでは単発・シリーズなど様々な形で発行された増刊号を紹介。 ==== コラボレーション企画用の作品 ==== ; 名探偵コナン&金田一少年の事件簿 : 『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])と『'''週刊少年マガジン'''』との創刊50周年記念のコラボ企画「[[コナン&金田一]]」の一環として2008年に発刊。12冊のうち偶数号がマガジンの増刊にあたる。 ==== マガジン単体 ==== ; はじめの一歩・総集編 : '''週刊少年マガジン特別編集'''として、2014年まで全36冊刊行。 ; はじめの一歩・アニメスペシャル : こちらはアニメ版第2シリーズのエピソードを収録しており、2009年4月まで全3冊刊行。 ; はじめの一歩・ベストバウト総集編 : 2017年まで全4冊刊行。 ; -勝負師伝説-哲也・総集編 : [[2001年]]から[[2005年]]まで全28冊刊行。文字通り『[[哲也-雀聖と呼ばれた男]]』の総集編である。 ; -勝負師伝説-哲也・BEST傑作選 : 同じく。『哲也-雀聖と呼ばれた男』から傑作エピソードをチョイスした内容。[[2002年]]から[[2004年]]まで全10冊刊行。 ; 釣りキチ三平・平成版 : [[矢口高雄]]の書き下ろし新作である『平成版・[[釣りキチ三平]]』の連載と矢口の別作品(「9で割れ!!」など旧作または書き下ろし作)および、矢口と著名人との対談インタビューなどを収録した、一冊丸ごと矢口高雄作品で占められたプライベートコミック誌。2001年9月に刊行開始。年1-2巻ペースで不定期発刊され、2009年12月までにvol.8まで刊行。 ; 釣りキチ三平CLASSIC : 『[[釣りキチ三平]](昭和版・読み切り版)』を選り抜いて掲載したものと、同作にまつわるコラム記事や著名人のインタビューなどを収録。[[アンソロジー]]に近いもので、2003年から2005年まで隅週刊で57巻まで刊行された。 ; 釣りキチ三平・平成版総集編 : 過去の『平成版・釣りキチ三平』エピソードを再収録したもので、2004年に3冊が刊行している。 ; マガジンドラゴン : 詳細は[[#マガジンドラゴン]]の項を参照。 ; イッキ読み! FAIRY TAIL : 2012年に全7冊が刊行している。第1巻のみ後に講談社mookでアンコール刊行された。 == マガジンドラゴン == {{混同|ドラゴンマガジン}} 『'''マガジンドラゴン'''』は、[[講談社]]が発行していた[[漫画雑誌]]である。『'''週刊少年マガジン'''』の増刊にあたる。第1号(週刊少年マガジン通算2927号)が[[2007年]][[12月12日]]に、第2号(通算2999号)が[[2009年]][[1月7日]]に発刊され、以後は続刊がない。 内容は新人の読み切り作品がメインであった。マガジン本誌の連載作品の番外編も掲載された。 「ドラゴンカップ」という名称で新人漫画家による読者参加型人気投票レースが行われた。読者投票で1位になった作家には、マガジン本誌での掲載権が与えられた。また、第2回では「ストーリー部門」と「ショートギャグ部門」といった2つの部門に分かれることとなった。 ; 第1回 エントリー作品 # 妖一夜([[片山あやか]]) # オハナ迷彩([[石沢庸介]]) # [[メガバカ]](豪村中) '''除外処分'''<ref group="注">[[トレース (製図)|トレース]]及びそれによる[[盗作]]・[[著作権侵害]]が発覚し、講談社が謝罪、同作品の選考除外処分が発表された。</ref> # アタシハ([[朝陽昇]]) # 青空配達人 かぜ屋([[高木聡 (漫画家)|高木聡]]) # 魂キス!([[村橋リョウ|佐武リョウ]]) '''優勝作品''' - 『週刊少年マガジン』[[2008年]]39号に同作者による読切『恋愛無双』が掲載 # 夏、がんばってます!([[向山知成]]) # 赤毛のサスケ(佐藤陽介) # なのはの秘密(坂本伊助) # 地球迷宮(北川やいち) ; 第2回 エントリー作品 ; ストーリー部門 # スマイルアンサー([[流石景]]) '''ストーリー部門優勝作品''' - 『週刊少年マガジン』2009年19号に同作者による読切『[[GE〜グッドエンディング〜]]』が掲載、同年38号より連載開始 # カズトノミカタ(千田灰司) # 探偵流儀([[高本ヨネコ]]) # LOVIN'(幡アサ子) # 桜町ブックマーク(栗田啓志) # ドールズ・ツー・メン(佐藤陽介) # プレミア([[下田将也]]) # ヤリすぎっ★アキナさん!!([[古閑裕一郎]]) # フルメタル バースト([[オカヤド|乾武丸]]) # 首狩り人形 キリコ([[黒谷宗史]]) # YSJ(川口毅) ; ショートギャグ部門 # 天拳([[鷹巣☆ヒロキ|鷹巣ひろき]]) # [[課長令嬢]]([[たかちひろなり|高地ひろなり]]) '''ショートギャグ部門優勝作品''' - 『週刊少年マガジン』2009年17、18号に同作品を掲載、同年37号より連載開始 # 時の野良犬([[佐藤将]]) # ライぱに!(浅嶋竜之介) # ネガティブ・スパイラル(石垣冬樹) == 派生誌およびウェブコミック誌 == === 本誌と同一の編集部 === * [[マガジンSPECIAL]](2017年に休刊) * [[別冊少年マガジン]] * マガジンワンダー(本誌増刊) === 本誌と別の編集部 === * [[月刊少年マガジン]] * [[週刊ヤングマガジン]] * [[月刊ヤングマガジン]] * [[週刊ぼくらマガジン]](1971年に廃刊) * [[ヒーローマガジン]](1990年に休刊) === マンガ雑誌アプリ === * [[マンガボックス]](本誌と同じ講談社コミックスレーベル。編集長は元本誌編集者の[[樹林伸]]。) * マガジンポケット(詳細は[[週刊少年マガジン#マガジンポケット|下記]]を参照。) == マガジンポケット == {{Infobox Website | name = マガジンポケット | logo = | logo_size = <!-- 既定値は250px --> | logo_alt = | logo_caption = | screenshot = | collapsible = <!-- "on"や "y"などと指定。指定しなかったら折りたたまれない。 --> | collapsetext = <!-- 折りたたまれる部分のタイトル (既定値は 「スクリーンショット」)。折りたたむ設定をしなかったら表示されない。 --> | background = <!-- 折りたたまれる部分のタイトルの背景色。既定値はグレー (gainsboro) --> | screenshot_size = <!-- 既定値は300px --> | screenshot_alt = | caption = | url = {{URL|https://pocket.shonenmagazine.com/}} | slogan = | commercial = <!-- 営利か非営利か何も入力しないか --> | advertising = <!-- 広告があるかないかか何も入力しないか --> | type = [[ウェブコミック配信サイト]]<br />漫画アプリ | genre = <!-- サイトコンテンツのジャンル --> | company type = <!-- 株式会社など --> | registration = 任意 | language = [[日本語]] | num_users = | content_license = | programming_language = | owner = [[講談社]] | author = <!-- サイト設立者 --> | editor = <!-- サイト編集者 --> | parent = <!-- サイト運営者の株主 --> | launch_date = {{start date and age|2015|8|3}} | founded = <!-- {{start date and age|YYYY|MM|DD}} --> | revenue = | ip = | issn = <!-- ISSNコード、例として1085-6706 (https://www.worldcat.org に自動リンク) --> | oclc = <!-- OCLC番号 (https://www.worldcat.org に自動リンク) --> | current_status = 運営中 | footnotes = }} '''マガジンポケット'''は、2015年8月3日より[[講談社]]が配信する[[ウェブコミック配信サイト]]および同名の漫画アプリ。略称は『'''マガポケ'''』。 [[セガ|セガネットワークス]]と共同で企画・運営・開発を取り組んだプロジェクトで<ref>{{Cite news|url=https://gamebiz.jp/news/147486|title=セガと講談社、マンガアプリ『マガジンポケット』の提供開始…「NoahPass」参加ゲームアプリと連携したプロモーションも実施へ|newspaper=gamebiz|publisher=ゲームビズ|date=2015-08-01|accessdate=2023-08-10}}</ref>、マガポケオリジナル作品の連載はもちろん、マガジンや[[別冊少年マガジン|別マガ]]など講談社各誌の連載中作品の並行連載、過去の人気作品の再掲などをしている。大半の再掲作品はマガジンの作品だが、一部青年誌からの再掲も含まれている。 大半の作品が毎週更新だが、一部月1更新・隔週更新の作品も存在する。 閲覧は各話とも原則有料(ポイント制)となっており、予め会員登録をした上で購入したポイントから各話とも初回のみ閲覧に必要なポイントが消費されることになっている(同じ話であれば2回目以降の閲覧は無料)。但し、各作品とも第1話(作品によっては第2話・第3話も)は無料で閲覧できるほか、最新話より2〜3話前については一定期間無料で、また作品によっては期間限定で最新話以外全てが無料で閲覧できることもある。 単行本のレーベルはマガポケオリジナル作品はマガジンポケットKCで発行されており、移籍作品は移籍元と同様のレーベルで継続されている。 『マガジン』紙版2018年32号が[[平成30年7月豪雨]]による影響で一部地域にて未発送となっていることから無料での公開が同年7月20日から31日まで実施された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/291764|title=週刊少年マガジン32号を特別無料公開へ、豪雨の影響で届けられずにいる地域のため|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|date=2018-07-19|accessdate=2018-07-23}}</ref>。 === マガジンポケットの連載作品一覧 === オリジナル作品、再掲作品含む、曜日別五十音順 ==== 月曜日 ==== * [[異常者の愛]]([[千田大輔]]) * [[EDENS ZERO]]([[真島ヒロ]]) * [[MFゴースト]]([[しげの秀一]]) * [[終わりのセラフ|終わりのセラフ 一瀬グレン、16歳の破滅]](原作:[[鏡貴也]]、漫画:[[浅見よう]])※月1連載 * [[怪物王女|怪物王女ナイトメア]]([[光永康則]])※怪物王女の続編、隔週連載 * [[君が僕らを悪魔と呼んだ頃]]([[さの隆]]) * [[五等分の花嫁]]([[春場ねぎ]]) * [[今夜は月が綺麗ですが、とりあえず死ね]](原作:[[要マジュロ]]、漫画:[[榊原宗々]])※月1連載 * [[ザ・キング・オブ・ファイターズ#THE KING OF FIGHTERS XIV|THE KING OF FIGHTERS〜A NEW BEGINNING〜]](原作:[[SNK (2001年設立の企業)|SNK]]、漫画:[[あずま京太郎]])※KOF XIVのコミカライズ、『[[月刊少年シリウス]]』との並行連載、隔週連載 * [[侍ナウ]]([[手前野陽大]]) * [[しずまれ! ヴィンセント]]([[かいれめく]])※隔週連載 * [[将棋の渡辺くん]]([[伊奈めぐみ]])※月1連載 * [[将来的に死んでくれ]]([[長門知大]])※月1連載 * [[進撃の巨人]]([[諫山創]])※月1連載 * [[ダイヤのA|ダイヤのA actII]]([[寺嶋裕二]]) * [[ヒロインは絶望しました。]]([[千田大輔]]) * [[ひかり!出発進行]]([[水井麻紀子]]) * [[復讐の教科書]](原作:[[廣瀬俊]]、漫画:[[河野慶]]) * [[不滅のあなたへ]]([[大今良時]]) * [[FREAKS FREAK COMPANY]]([[芝間スグル]]) * [[僕の彼女は最高です!]](原作:[[伊織 (漫画家)|伊織]]、漫画:[[髙田タカミ]])※月1連載 * [[まいこ負けまい]](原作:[[熊野敬史]]、漫画:[[宝依図]]) * [[マコさんは死んでも自立しない]]([[千田大輔]]) * [[YJKの異常な愛情]]([[高橋コウ]]) * [[陽子さん、すがりよる。]]([[スズモトコウ]]) * [[地獄の業火で焼かれ続けた少年。最強の炎使いとなって復活する。]](原作:[[さとう (漫画家)|さとう]]、漫画:[[宮城森成]]) ==== 火曜日 ==== * [[イジらないで、長瀞さん]]([[ナナシ (漫画家)|ナナシ]])※隔週連載 * [[怪物王女]]([[光永康則]])※隔週連載 * [[寄宿学校のジュリエット]]([[金田陽介]]) * [[櫛山石尾の凶器録]]([[下田将也]]) * [[倉本さんはどうして死体をつくるのか?]]([[高岡佳史]]) * [[クロハと虹介]](原作:[[成田良悟]]、漫画:[[白梅ナズナ]])※隔週連載 * [[決闘裁判]]([[宮下裕樹]]、企画協力:[[後藤一信]]) * [[JJM 女子柔道部物語]](脚色・構成・作画:[[小林まこと]]、原作:[[恵本裕子]]) * [[シバトラ]](原作:[[安童夕馬]]、漫画:[[朝基まさし]]) * [[信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!]](原作:[[明鏡シスイ]]、漫画:[[大前貴史]]) * [[ストーカー行為がバレて人生終了男]](原作:[[門馬司]]、漫画:[[芥瀬良せら]]) * [[ストーカー浄化団]](漫画:[[オオイシヒロト]]、原作:[[オオガヒロミチ]]) * [[創世のタイガ]]([[森恒二]]) * [[ダメな彼女は甘えたい]]([[よしだもろへ]])※月1連載 * [[トモダチゲーム]](原作:[[山口ミコト]]、漫画:[[佐藤友生]])※月1連載 * [[ひゃくえむ]]([[魚豊]]) * [[Fate/Grand Order|Fate/Grand Order -turas realta-]](原作:[[TYPE-MOON]]、漫画:[[カワグチタケシ]]) * [[Fate/Grand Order|Fate/Grand Order -Epic of Remnant- 亜種特異点III 屍山血河舞台 下総国 英霊剣豪七番勝負]](原作:[[TYPE-MOON]]、漫画:[[渡れい]]) * [[BLUE LOCK]](原作:[[金城宗幸]]、漫画:[[ノ村優介]]) * [[ポンコツンデレな幼馴染]]([[海月れおな]]) * [[魔女狩りの現代教典]]([[刀坂アキラ]])※隔週連載 * [[見上げると君は]]([[小堀真]])※隔週連載 * [[目黒さんは初めてじゃない]]([[9℃]]) * [[UQ HOLDER!]]([[赤松健]])※月1連載 * [[ランウェイで笑って]]([[猪ノ谷言葉]]) * [[花園さんちのふたごちゃん]]([[北島音奈]]) ==== 水曜日 ==== * [[アゲイン!!]]([[久保ミツロウ]]) * [[いぐのべる〜モテるための1000の科学〜]](原作:[[biki]]、作画:[[高田桂]])※月1連載 * [[異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術]](原作:[[むらさきゆきや]]、漫画:[[福田直叶]]、キャラクター原案:[[鶴崎貴大]])※隔週連載 * [[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]]([[にいさとる]]) * [[エア・ギア]]([[大暮維人]]) * [[お嬢様の僕]]([[田口ホシノ]])※隔週連載 * [[我間乱]]([[中丸洋介]]) * [[ギャンブラーズパレード]](原作:[[小高和剛]]、作画:[[中山敦支]]) * [[金田一少年の事件簿|金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿]](原作:[[天樹征丸]]・[[金成陽三郎]]・[[さとうふみや]] 漫画:[[船津紳平]])※『金田一少年の事件簿』のスピンオフ作品 * [[黒猫と魔女の教室]]([[金田陽介]]) * [[シチハゴジュウロク]](原作:[[工藤哲孝]]、漫画:[[笹古みとも]]) * [[世界か彼女か選べない]]([[内山敦司]])※月1連載 * [[絶望の楽園]](原作:[[tos]]、漫画:[[オギノユーヘイ]]) * [[男子高校生を養いたいお姉さんの話]]([[英貴]]) * [[テスラノート]](原作:[[西田征史]]・[[久保忠佳]]、漫画:[[三宮宏太]])※『週刊少年マガジン』より移籍 * [[とんずらごはん]]([[義元ゆういち]]) * [[29歳独身中堅冒険者の日常]]([[奈良一平]])※月1連載 * [[バトル・アリーナ]](企画・原案:[[栗原純也]]、漫画:[[皆本形介]]) * [[冰剣の魔術師が世界を統べる]](原作:[[御子柴奈々]]、キャラクター原案:[[梱枝りこ]]、作画:[[佐々木宣人]]) * [[女神のカフェテラス]]([[瀬尾公治]]) * [[Fairy gone]](原作:[[Five Fairy Scholars]]、漫画:[[不二涼介]])※月1連載 * [[FAIRY TAIL|FAIRY TAIL 100 YEARS QUEST]](ネーム原作:[[真島ヒロ]]、作画:[[上田敦夫]])※『FAIRY TAIL』の続編 * [[BLOODY MONDAY]](原作:[[龍門諒]]、漫画:[[恵広史]]) * [[万楽えねのV-tuberイってみようヤってみよう!]]([[万楽えね]])※隔週連載 * [[虫食少女伊南さん]]([[町田とし子]]) * [[「無能はいらない」と言われたから絶縁してやった ~最強の四天王に育てられた俺は、冒険者となり無双する~]](原作:[[鬱沢色素]]、キャラクター原案:[[pupps]]、作画:[[白土悠介]]) * [[欲鬼]]([[色原みたび]]) * [[りぶねす]]([[堂本裕貴]]) ==== 木曜日 ==== * [[あひるの空]]([[日向武史]]) * [[荒ぶる季節の乙女どもよ。]](原作:[[岡田麿里]]、漫画:[[絵本奈央]])※月1連載 * [[ガタガール|ガタガールsp. 阿比留中生物部活動レポート]]([[小原ヨシツグ]])※隔週連載 * [[かつて神だった獣たちへ]]([[めいびい]])※月1連載 * [[鎌倉キャノン]](作者・原作:[[クロマツテツロウ]]、漫画:[[鳴海聖二郎]]) * [[我間乱|我間乱 -修羅-]]([[中丸洋介]]) * [[剣帝学院の魔眼賢者]](作者・原作:[[ツカサ (作家)|ツカサ]]、漫画:[[雪あられ]]、キャラクター原案:[[きさらぎゆり]]) * [[生徒会役員共]]([[氏家ト全]]) * [[DAYS (漫画)|DAYS]]([[安田剛士]]) * [[デュアルマウンド]]([[水森崇史]]) * [[隣の黒木さんは飲むとヤバイ]]([[きつねこ]]) * [[兎にも角にも]]([[穐山きえ]]) * [[ナヴァグラハ (漫画)|ナヴァグラハ]](原作:[[小野大輔]]・[[近藤孝行]]、脚本:[[小林裕和 (漫画家)|小林裕和]]、作画:[[塩沢天人志]]) * [[化物語]](原作:[[西尾維新]]、漫画:[[大暮維人]]) * [[100万の命の上に俺は立っている]](原作:[[山川直輝]]、漫画:[[奈央晃徳]])※月1連載 * [[FAIRY TAIL|FAIRY TAIL ハッピーの大冒険]](原作:[[真島ヒロ]]、漫画:[[坂本憲司郎]])※『FAIRY TAIL』のスピンオフ作品 * [[まじもじるるも]]([[渡辺航]]) * [[放課後の拷問少女]]([[BOKU]]) * [[ヤンキー君とメガネちゃん]]([[吉河美希]]) * [[ワンダンス]]([[珈琲 (漫画家)|珈琲]]) * [[劣等人の魔剣使い スキルボードを駆使して最強に至る]](原作:[[萩鵜アキ]]、漫画:[[かのう寛人]]) ==== 金曜日 ==== * [[A-BOUT!]]([[市川マサ]]) * [[いじめるヤバイ奴]]([[中村なん]]) * [[インフェクション (漫画)|インフェクション]]([[及川徹]])※『週刊少年マガジン』より移籍 * [[怪病医ラムネ]]([[阿呆トロ]]) * [[ゴミ清掃員の日常]](原作・構成:[[滝沢秀一]]、漫画:[[滝沢友紀]]) * [[キスしてくれなきゃ死んじゃう]]([[西木田景志]]) * [[空挺ドラゴンズ]]([[桑原太矩]]) * [[GE〜グッドエンディング〜]]([[流石景]]) * [[紺田照の合法レシピ]]([[馬田イスケ]])※隔月連載 * [[純とかおる]]([[二駅ずい]])※月1連載 * [[川柳少女]]([[五十嵐正邦]]) * [[育てち魔おう!]]([[飯島浩介]]) * [[それでも歩は寄せてくる]]([[山本崇一朗]]) * [[中華一番!|中華一番!極]]([[小川悦司 (漫画家)|小川悦司]])※『中華一番!』の続編、隔週連載 * [[東京傭兵株式会社]]([[内田康平]])※月1連載 * [[ニノ国|二ノ国 〜光の後継者と猫の王子〜]](原作・監修:[[レベルファイブ]]、漫画:[[久世蘭]])※月1連載 * [[ハピネス]]([[押見修造]])※月1連載 * [[微妙に優しいいじめっ子]]([[もすこ]]) * [[FAIRY TAIL|FAIRY TAIL CITY HERO]](原作:[[真島ヒロ]]、漫画:[[安東汐]]) * [[よすがシナリオパレェド]](原作:[[三田誠]]、漫画:[[川﨑宙]])※隔週連載 * [[リアルアカウント]](原作:[[オクショウ]]、漫画:[[渡辺静]])※月1連載 * [[転生貴族、鑑定スキルで成り上がる 〜弱小領地を受け継いだので、優秀な人材を増やしていたら、最強領地になってた〜]](原作:[[未来人A]]、漫画:[[井上菜摘]]) ==== 土曜日 ==== * [[ありがタイツ!]]([[ぐらんで]]) * [[アルスラーン戦記]](原作:[[田中芳樹]]、漫画:[[荒川弘]]) * [[EAT-MAN|EAT-MAN COMPLETE EDITION]]([[吉富昭仁]]) * [[炎炎ノ消防隊]]([[大久保篤]]) * [[可愛いだけじゃない式守さん]]([[真木蛍五]]) * [[ゲソコン探偵]](原作:[[花林ソラ]]、作画:[[百井一途]])※月1連載 * [[魁!!クロマティ高校|クロマティ高校 職員室]](ネーム原作:[[野中英次]]、作画:[[井野壱番]])※隔週連載 * [[死なないで!明日川さん]]([[高畑弓]]) * [[シャーマンキング|SHAMAN KING FAUST8 永遠のエリザ]](原作:[[武井宏之]]、小説版原作:[[虎走かける]]、漫画:[[田中文]]) * [[白聖女と黒牧師]]([[和武はざの]])※隔月連載 * [[Social Survival Rabbits-ソーシャル・サバイバル・ラビッツ-]](原作:[[リコP]]、漫画:[[シンジョウタクヤ]]) * [[デスラバ|デスティニーラバーズ]](原作:[[カズタカ]]、漫画:[[智弘カイ]]) * [[デュアルな彼女の倒し方]]([[うかみ]]) * [[転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます]](原作:[[謙虚なサークル]]、キャラクター原案:[[メル。]]、作画:[[石沢庸介]]) * [[東京卍リベンジャーズ]]([[和久井健]]) * [[トッキュー!!]](原作:[[小森陽一 (作家)|小森陽一]]、漫画:[[久保ミツロウ]]) * [[奴隷姫]]([[やつき]]) * [[ピーチボーイリバーサイド]](原作:[[クール教信者]]、漫画:[[ヨハネ (漫画家)|ヨハネ]]) * [[Final Re:Quest ―ファイナルリクエスト―]](漫画:[[日下一郎]]、協力:[[株式会社ヒューガ]]) * [[フェチップル〜僕らの純粋な恋〜]]([[るり原ズラチー]]) * [[変身したらヤリ放題! -マニアック・ウルフ-]]([[中西やすひろ]]) * [[魔王さまの抜き打ちダンジョン視察]]([[館ノ川駿]])※月1連載 * [[水は海に向かって流れる]]([[田島列島]])※月1連載 ==== 日曜日 ==== * [[赫のグリモア]]([[A-10 (漫画家)|A-10]])※月1連載 * [[甘々シンデレラ]]([[おさじ]]) * [[イジメられ代行ロボ ヒカゲの日常]](原作:[[生口紺]]、漫画:[[マツオカヨシノリ]]) * [[オリエント (漫画)|オリエント]]([[大高忍]]) * [[彼女、お借りします]]([[宮島礼吏]]) * [[殺人猟団 ‐マッドメン‐]]([[長田龍伯]]) * [[サトラレ〜嘘つきたちの憂鬱〜]](原作:[[佐藤マコト]]、漫画:[[伊鳴優子]]) * [[自称! 平凡魔族の英雄ライフ 〜B級魔族なのにチートダンジョンを作ってしまった結果〜]](原作:[[あまうい白一]]、漫画:[[こねこねこ]]) * [[絶対秘密の機械少女]]([[稲葉誠]]) * [[ゾッとしない遠子内さん]]([[船野真帆]]) * [[Change! (漫画)|Change!]]([[曽田正人]])※月1連載 * [[テンジュの国]]([[泉一聞]])※月1連載 * [[東京ネオンスキャンダル]](原作:[[MITA]]、漫画:[[がしたに]]) * [[ドメスティックな彼女]]([[流石景]]) * [[ナリカワリ]](原作:[[長田トヒキ]]、漫画:[[オオイシヒロト]]) * [[兄ちゃんの弟]]([[桜場コハル]]) * [[ふらいんぐうぃっち]]([[石塚千尋]])※月1連載 * [[僕たちは繁殖をやめた]]([[さおとめやぎ]]) * [[マグナムリリィ]]([[阿部伶]])※作者体調不良のため、無期限休載 * [[ようかい居酒屋 のんべれケ。]]([[nonco]]) * [[エルディアス・ロード 女神にもらった絶対死なない究極スキルで七つのダンジョンを攻略する]](原作:[[澄守彩]]、漫画:[[髙田タカミ]]) === マガジンポケットの連載終了作品 === * [[赤ずきんの狼弟子]]([[茂木清香]])※月1連載 * [[あかまつ]]([[作井ルビ]])※月1連載 * [[雨下雫は汗がすき]]([[山口アキ]]) * [[あなたソレでいいんですか]]([[前田悠]])※隔週連載 * [[アリシアさんのダイエットクエスト]]([[藤原あおい]])※月1連載 * [[異世界支配のスキルテイカー ゼロから始める奴隷ハーレム]](原作:[[柑橘ゆすら]]、漫画:[[笠原巴]]、キャラクター原案:[[蔓木鋼音]])※隔週連載 * [[エデンの檻]]([[山田恵庸]]) * [[オークが犯してくれない!]]([[川中康嗣]]) * [[おくることば]]([[町田とし子]])※隔週連載 * [[おやすみ睡魔と夜ふかしJK]]([[城戸みつる]])※隔週連載 * [[落ちてるふたり]]([[西原梨花]])※隔週連載 * [[お姉さんは無精者]]([[多治見尚哉]])※隔週連載 * [[改造公務員リーパーズ]](原作:[[田中鹿輔]]、漫画:[[井上菜摘]]) * [[隠れオタクの恋愛戦略]]([[大場玲耶]])※隔週連載 * [[我楽多郷の借金ガール]]([[三枝えま]])※隔週連載 * [[キスアンドクライ (漫画)|キスアンドクライ]]([[日笠希望]]) * [[君が死ぬ夏に]]([[大柴健]])※月1連載 * [[ギャル☆クリ!]]([[ラムネ村シュワ太]]) * [[金田一少年の事件簿|金田一少年の事件簿R]](原作:[[天樹征丸]]、漫画:[[さとうふみや]]) * [[クラスに彼女が2人いる。]]([[永野マチ]]) * [[恋ニ非ズ]]([[佐藤友生]]) * [[小林少年と不逞の怪人]](原作:[[江戸川乱歩]]、漫画:[[上条明峰]]) * [[コンビニお嬢さま]]([[松本明澄]]) * [[殺人予告はあの頃]]([[伊藤イット]]) * [[じぇいけぇゆ]]([[中川沙樹]]) * [[進撃の巨人|進撃!巨人高校 〜青春!となりのマーレ学園〜]](原作:[[諫山創]] 漫画:[[中川沙樹]])※進撃の巨人のスピンオフ作品、月1連載 * [[丹沢すだちが此処にイル!]]([[額縁あいこ]])※月1連載 * [[青春奇人伝! 240学園]](原案:[[西尾維新]]、漫画:[[柴もち]])※月1連載 * [[先生、好きです。]]([[三浦糀]])※『週刊少年マガジン』より移籍 * [[たのしいたのししま]]([[大沖]])※月1連載 * [[超能力少女も手に負えない!]]([[中村力斗]])※月1連載 * [[徒然チルドレン]]([[若林稔弥]]) * [[This Man〜その顔を見た者には死を〜]](原作:[[花林ソラ]]、漫画:[[恵広史]]) * [[はじめしゃちょーのユーチューバーな日常]](漫画:[[桂シリマル]]、協力:[[はじめしゃちょー]]) * [[ハチ子とご主人様]]([[水井麻紀子]]) * [[非常勤勇者 裸の中年リーマン、異世界を救う]]([[チャン (漫画家)|チャン]]) * [[広瀬くんの真ん中で]]([[福原たかや]]) * [[FAIRY TAIL#スピンオフ作品|FAIRY TAIL外伝]](原作:[[真島ヒロ]]、漫画:[[芝野郷太]]) * [[プラスカノジョ+α]](原作:[[プラカノプロジェクト]]、漫画:[[須賀達郎]]) * [[暴虐のコケッコー]]([[須崎洋輔]])※隔週連載 * [[星野、目をつぶって。]]([[永椎晃平]]) * [[僕たちは元気です]]([[摺澤翔]]) * [[僕は殺人犯、生きる価値証明します]]([[すぎやま俊人]])※月1連載 * [[ボンボンTVのユーチューバーな日常]](漫画:[[桂シリマル]]、協力:[[ボンボンTV]]) * [[無敵の人 (甲斐谷忍の漫画)|無敵の人]]([[甲斐谷忍]])※『週刊少年マガジン』より移籍 * [[夜になると僕は]](原作:[[益子悠]]、漫画:[[一×]]) * [[ランカーズ・ハイ]]([[中島諒]])※週刊少年マガジンより移籍 * [[恋愛ハーレムゲーム終了のお知らせがくる頃に]](原作:[[竜騎士07]]、漫画:[[緋賀ゆかり]])※月1連載 * [[デスラバ]](原作:[[カズタカ]]、漫画:[[智弘カイ]]) === マガジンポケットの映像化作品一覧 === ==== アニメ化(マガポケ) ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- | rowspan="2" |[[イジらないで、長瀞さん]] |2021年(第1期) |[[テレコム・アニメーションフィルム]] | rowspan="2" | |- |2023年(第2期) |[[オー・エル・エム|OLM]] |- |[[可愛いだけじゃない式守さん]] |2022年 |[[動画工房]] | |- |[[犬になったら好きな人に拾われた。]] |2023年 |Quad | |- |[[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]] |2024年 |[[CloverWorks]] | |- |[[FAIRY TAIL 100 YEARS QUEST]] |未発表 |未発表 |『FAIRY TAIL』の続編 |} ==== ドラマ化(マガポケ) ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !備考 |- |[[なれの果ての僕ら]] |2023年 |[[テレビ東京]]<br />[[ファインエンターテイメント]] | |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|Weekly Shonen Magazine}} * [[週刊少年マガジン連載作品の一覧]] * [[別冊少年マガジン]] * [[週刊少年マガジン新人漫画賞]] * [[講談社スーパーキャラクターフェスティバル]](Kフェス)- 講談社主催のイベント * [[新少年快報]] 台湾で発売されている週刊少年漫画雑誌。少年マガジン連載作品を多く連載している。 == 関連文献 == * 大野茂:「サンデーとマガジン ー創刊と死闘の15年ー」、光文社新書、ISBN 978-4334035037(2009年4月17日)。 * 伊藤和弘:「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959ー2009、星海社新書、ISBN 978-4065287637(2022年7月21日). == 外部リンク == * [https://shonenmagazine.com/ 週刊少年マガジン公式サイト] * {{Twitter|shonenmagazine1|週刊少年マガジン公式}} * {{Instagram|shonenmagazine.kousiki|週刊少年マガジン公式}} * {{YouTube|c=UCmH9SgzzvDlxG6mpcYg2jJw|マガジンチャンネル}} * [https://pocket.shonenmagazine.com/ マガポケ] * {{Twitter|magapoke|講談社 マガジンポケット(マガポケ)公式}} * {{ニコニコ静画|magazine|magazine|ニコニコの少年マガジン}} * [https://news.yahoo.co.jp/articles/804af18e1a3a3651b80d354cafbee1486bace324 「マンガの神様・手塚治虫がブチ切れた…連載中止、電撃移籍につながった「衝撃事件」」、現代ビジネス、2022年7月21日配信] {{週刊少年マガジン}} {{週刊少年マガジン連載中}} {{講談社}} {{リダイレクトの所属カテゴリ | redirect1 = マガジンドラゴン | 1-1 = 講談社の漫画雑誌 (休廃刊) | 1-2 = 週刊少年マガジン | 1-3 = 2007年創刊の雑誌 | 1-4 = 2009年休廃刊の雑誌 | redirect2 = マガジンポケット | 2-1 = マガジンポケット | 2-2 = 講談社の漫画雑誌 | 2-3 = 週刊少年マガジン | 2-4 = ウェブコミック配信サイト }} {{デフォルトソート:しゆうかんしようねんまかしん}} [[Category:週刊少年マガジン|*]] [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:講談社の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌|しようねんまかしん]] [[Category:少年漫画雑誌]] [[Category:1959年創刊の雑誌]] [[Category:有害指定された雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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週刊少年サンデー
『週刊少年サンデー』(しゅうかんしょうねんサンデー)は、小学館が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年に創刊され、毎週水曜日に発売されている。 1959年(昭和34年)3月17日に、同年4月5日号として創刊。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長豊田きいちが考案した。当初は毎週火曜日の発売だったが、2023年現在は、毎週水曜日に発行されている。マスコットキャラクターはナマズで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している。 企画立ち上げ時のスタッフの中核が学年誌の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。1960年代半ばにはSFに力を入れ、当時気鋭の若手筒井康隆が小説の連載を行なっていたこともあった。 1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。1980年代初頭には「ラブコメ」や「パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『月刊少年キャプテン』(徳間書店)など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。 担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から1990年代初頭の島本和彦を中心としたグループ、1990年代半ばの藤田和日郎を中心としたグループが有名である。1985年に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。 伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。しかし、創刊時からの競合誌『週刊少年マガジン』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『週刊少年ジャンプ』『週刊少年チャンピオン』ほどに読者アンケート人気の結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がテコ入れによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。 2018年現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『週刊少年マガジン』(講談社)に続いて業界3位に位置する。 1958年、学年誌編集部の次長だった豊田亀市が、テレビ時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、漫画を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長の相賀徹夫に働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ講談社も週刊誌ブームを受けて『週刊少年マガジン』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。創刊号のラインアップは手塚治虫『スリル博士』、横山隆一『宇宙少年トンダー』、寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』、 藤子不二雄『海の王子』、益子かつみ『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙に読売巨人軍の長嶋茂雄を起用。巻末には児童心理学者の波多野勤子が祝辞を寄せている。 両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともに大日本印刷だったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的後だしジャンケンのような裏技を使っている。創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばにはW3事件(『W3』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『天才バカボン』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。 1960年代のヒット作には、横山光輝『伊賀の影丸』(1961年)、赤塚不二夫『おそ松くん』(1962年)、小沢さとる『サブマリン707』(1963年)、藤子不二雄『オバケのQ太郎』(1964年)、藤子・F・不二雄『パーマン』(1966年)、横山光輝『ジャイアントロボ』(1967年)、手塚治虫『どろろ』(1967年)、赤塚不二夫『もーれつア太郎』(1967年)、藤子・F・不二雄『21エモン』(1968年)、赤塚不二夫『天才バカボン』(1969年、マガジンより移籍)などがある。 1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層(戦後のベビーブーム世代)を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』(集英社)編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『ビッグコミック』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。集英社ではサンデーとの関係を考慮し、『週刊少年ジャンプ』には連載作品は存在せず「全作品が読み切り」という建前でスタートし、現在でも作品の最終ページでは「続く」ではなく「第○話・終わり」と表記している。 1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」の学生運動の時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。この時期、園田光慶の『あかつき戦闘隊』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。 『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間、広告製作プロダクションサン・アドに表紙の製作を発注。「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。この時期の主な連載に、佐々木守/水島新司『男どアホウ甲子園』(1970年)、ジョージ秋山『銭ゲバ』(1970年)、古谷三敏『ダメおやじ』(1970年)、赤塚不二夫『レッツラゴン』(1971年)、梶原一騎/貝塚ひろし『柔道讃歌』(1972年)、楳図かずお『漂流教室』(1972年)、小山ゆう『おれは直角』(1973年)などがある。それらが沈静化した1972年頃からは、『月光仮面』(1972年)、武内つなよし『赤胴鈴之助』(1972年)などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、石ノ森章太郎『人造人間キカイダー』(1972年)、石川賢『ウルトラマンタロウ』(1973年)、石森章太郎『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、永井豪/石川賢『ゲッターロボ』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。 しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『週刊少年ジャンプ』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。 当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月に単行本レーベルの「少年サンデーコミックス」(「漂流教室」などが第一弾として刊行)、8月に同じく児童向け単行本レーベルの「てんとう虫コミックス」(学年別学習雑誌に連載されていた「ドラえもん」が第一弾だが、サンデー連載の「ゲッターロボ」も刊行された)をそれぞれ創刊する。続いて、サンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『てれびくん』(1976年)、てんとう虫コミックスを母体に児童向けへ特化した『コロコロコミック』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『少年ビッグコミック』に改称)、新人作家育成のための『週刊少年サンデー増刊号』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。 この時期は『週刊少年チャンピオン』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。 1970年代中期から後期にかけては、藤子不二雄A『プロゴルファー猿』(1974年)、水島新司『一球さん』(1975年)、小山ゆう『がんばれ元気』(1976年)、楳図かずお『まことちゃん』(1976年)、村上もとか『赤いペガサス』(1977年)、あや秀夫『ヒット・エンド・ラン』(1978年)、石ノ森章太郎『サイボーグ009』(1979年)などがヒットしているが、雁屋哲/池上遼一『男組』(1974年)、さいとう・たかを『サバイバル』(1976年)、林律雄/大島やすいち『おやこ刑事』(1977年)など、好調だった『ビッグコミック』系の青年漫画誌へ通じる劇画系作品のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌と取られがちだった。しかし、1980年前後には、『がんばれ元気』や『まことちゃん』の好調継続や『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。 1980年代に入ると、劇画村塾出身の高橋留美子『うる星やつら』(1978年)、『少年ビッグコミック』で『みゆき』をヒットさせていたあだち充『タッチ』(1981年)のヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『北斗の拳』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。高橋とあだちはその後もサンデーに連載を続け、一時期を除くと、2018年3・4合併号まで「サンデーに両者あるいは一方の作品が連載されている」状態が続いた。この時期には、六田登『ダッシュ勝平』(1979年)、雁屋哲/池上遼一『男大空』(1980年)、梶原一騎/原田久仁信『プロレススーパースター列伝』(1980年)、原秀則『さよなら三角』、村上もとか『六三四の剣』(1981年)、細野不二彦『Gu-Guガンモ』(1982年)、みやたけし『はしれ走』(1982年)、石渡治『火の玉ボーイ』、(1983年)、原秀則『ジャストミート』(1984年)、吉田聡『ちょっとヨロシク!』(1985年)、村上もとか『風を抜け!』(1986年)、矢島正雄/尾瀬あきら『リュウ』(1986年)、竜崎遼児『闘翔ボーイ』(1986年)などが連載。 また、この時期から増刊組が台頭し、島本和彦『炎の転校生』(1983年)、ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』(1985年)といった、特撮・アニメパロディ系の作品が話題になり、いずれもヒットしている。なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断るみず谷なおきのような漫画家もいた。 1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、RCサクセションを筆頭にBARBEE BOYS、爆風スランプなどのロックバンド、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けた石渡治『B・B』(1985年)、上條淳士『To-y』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。 しかし、1985年中盤に新谷かおる『ふたり鷹』(1981年)が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子『らんま1/2』(1987年)、ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』(1988年)、青山剛昌『まじっく快斗』(1987年~、不定期連載)、青山剛昌『YAIBA』(1988年)などがヒットし、里見桂『スマイル for 美衣』(1987年)、森秀樹『青空しょって』(1987年)、松田隆智/藤原芳秀『拳児』(1988年)、なかいま強『うっちゃれ五所瓦』(1988年)、克・亜樹『星くずパラダイス』(1989年)などが連載するものの、続くヒット作はなかなか出ず、部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を抜かれている。 1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、石ノ森章太郎、楳図かずおら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、たま(1990年14号)やX(1990年35号)など、ロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、小山ゆう『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、柳沢きみお『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『仮面ライダーBlack』、楳図『まことちゃん(平成版)』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。 この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『ヤングサンデー』(1987年)としてリニューアル創刊された。 1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『帯をギュッとね!』(河合克敏、1989年)、『スプリガン』(原作:たかしげ宙・漫画:皆川亮二、1989年)、『健太やります!』(満田拓也、1989年、増刊号から移籍)、『虹色とうがらし』(あだち充、1990年)、『うしおととら』(藤田和日郎、1990年)、『今日から俺は!!』(西森博之、1990年、増刊号から移籍)、『行け!!南国アイスホッケー部』(久米田康治、1991年)、『GS美神 極楽大作戦!!』(椎名高志、1991年)などがヒット。 これらに加えて、『俺たちのフィールド』(村枝賢一、1992年)、『H2』(あだち充、1992年)、『ジーザス』(原作:七月鏡一・漫画:藤原芳秀、1992年)、『"LOVe"』(石渡治、1993年)、『名探偵コナン』(青山剛昌、1994年〜)、『ガンバ!Fly high』(原作:森末慎二・漫画:菊田洋之、1994年)、『MAJOR』(満田拓也、1994年)、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(ゆうきまさみ、1994年)、『DAN DOH!!』(原作:坂田信弘・漫画:万乗大智、1995年)、『烈火の炎』(安西信行、1995年)、『め組の大吾』(曽田正人、1995年)、『神聖モテモテ王国』(ながいけん、1996年)、『なぎさMe公認』(北崎拓、1996年)、『モンキーターン』(河合克敏、1996年)、『犬夜叉』(高橋留美子、1996年)、『ゲイン』(なかいま強、1997年)、『ファンシー雑技団』(黒葉潤一、1997年)、『タキシード銀』(松浦聡彦、1997年)、『ARMS』(皆川亮二、(原案協力:七月鏡一)、1997年)、『からくりサーカス』(藤田和日郎、1997年)、『デビデビ』(三好雄己、1997年)、『風の伝承者』(原作:若桑一人・作画:山本智、1998年)、『かってに改蔵』(久米田康治、1998年)、『SALAD DAYS』(猪熊しのぶ、1998年)、『ダイナマ伊藤!』(杉本ペロ、1999年)、『天使な小生意気』(西森博之、1999年)、『ファンタジスタ』(草場道輝、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『週刊少年サンデー超』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。 1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として嘉門達夫(サンデー創刊と同じ年の1959年生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に駄洒落的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。 この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『コミックGOTTA』(1999年)、メディアミックス誌『月刊サンデーGX』(2000年)が創刊された。 この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『リベロ革命!!』(田中モトユキ、2000年)、『トガリ』(夏目義徳、2000年)、『金色のガッシュ!!』(雷句誠、2001年)、『うえきの法則』(福地翼、2001年)、『KATSU!』(あだち充、2001年)、『焼きたて!!ジャぱん』(橋口たかし、2002年)、『史上最強の弟子ケンイチ』(松江名俊、2002年)、『美鳥の日々』(井上和郎、2002年)、『D-LIVE』(皆川亮二、2002年)、『ワイルドライフ』(藤崎聖人、2003年)、『MÄR』(安西信行、2003年)、『結界師』(田辺イエロウ、2003年)、『クロザクロ』(夏目義徳、2004年)、『ハヤテのごとく!』(畑健二郎、2004年)、『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ、2005年)、『ブリザードアクセル』(鈴木央、2005年)『クロスゲーム』(あだち充、2005年)、『絶対可憐チルドレン』(椎名高志、2005年)、『GOLDEN★AGE』(寒川一之、2006年)、『ダレン・シャン』(原作:ダレン・シャン・漫画:新井隆広、2006年)、『ギャンブルッ!』(鹿賀ミツル、2007年)、『お茶にごす。』(西森博之、2007年)、『魔王 JUVENILE REMIX』(原作:伊坂幸太郎・漫画:大須賀めぐみ、2007年)、『金剛番長』(鈴木央、2007年)、『最上の命医』(橋口たかし、2008年)、『月光条例』(藤田和日郎、2008年)、『オニデレ』(クリスタルな洋介、2008年)、『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜、2008年)、『MIXIM☆11』(安西信行、2008年)、『KING GOLF』(佐々木健、2008年)、『DEFENSE DEVIL』(作画:梁慶一・原作:尹仁完、2009年)などが連載されその中の作品からはヒット作品も誕生するが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、2008年、雷句誠がサンデー編集部での原稿紛失を巡って小学館に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。 2000年に創刊された『サンデーGX』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『少女コミック』・『ちゃお』と同時になされることが多くなった。 2008年3月から2009年3月にかけて『週刊少年マガジン』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売。2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄を松坂大輔に、手塚治虫の『スリル博士』のイラストを橋口たかしの『最上の命医』に置換)した。 50周年イベント終了後の2009年3月末からは、週刊少年誌としては初のウェブコミック配信サイト『クラブサンデー』を開設。さらに、月刊少年サンデーである『ゲッサン』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『週刊少年サンデーS』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。 また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えが激しくなった。 この前後から、『アラタカンガタリ〜革神語〜』(渡瀬悠宇、2008年~)、『マギ』(大高忍、2009年)、『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『コロコロコミック』関連作品との連動も図られるようになっており、『ペンギンの問題』の出張掲載や『機動戦士ガンダムAGE』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『ポケットモンスター』や『デュエル・マスターズ』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『戦国コレクション』や『ささみさん@がんばらない』、『キャプテン・アース』のコミカライズ作品を連載したりしている。 上記3作品以外では、『境界のRINNE』(高橋留美子、2009年)、『國崎出雲の事情』(ひらかわあや、2010年)、『最後は?ストレート!!』(寒川一之、2010年)、『今際の国のアリス』(麻生羽呂、2010年、サンデーSから移籍)、『常住戦陣!!ムシブギョー』(福田宏、2011年)、『BE BLUES!〜青になれ〜』(田中モトユキ、2011年~)、『BUYUDEN』(満田拓也、2011年)、『アナグルモール』(福地翼、2011年)、『電波教師』(東毅、2011年)、『BIRDMEN』(田辺イエロウ、2016年)、『湯神くんには友達がいない』(佐倉準、2013年)、『競女!!!!!!!!』(空詠大智、2013年)、『だがしかし』(コトヤマ、2014年)、『サイケまたしても』(福地翼、2014年)、『トキワ来たれり!!』(松江名俊、2015年)、『天使とアクト!!』(ひらかわあや、2015年)、『MAJOR 2nd』(満田拓也、2015年〜)、『アド アストラ ペル アスペラ』(畑健二郎、2015年〜、休載中)などがヒットする。 また、雑誌に付録として、クリアファイルやシール・栞・ソーシャルゲームの限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている。他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部アニメショップでイラストペーパーや栞などを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。 さらに、ウェブコミック関連では『クラブサンデー』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『裏サンデー』(後に『マンガワン』として独立)を2012年4月に開設し、『モブサイコ100』(ONE、2012年)や『ケンガンアシュラ』(原作:サンドロビッチ・ヤバ子・作画:だろめおん、2012年)などをヒットさせた。 その他にも、著名人である野島伸司や五味一男が原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様に出版不況などの影響で、発行部数は減少し続けた。 2015年7月、『ゲッサン』創刊編集長の市原武法が編集長として就任。新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった。宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、新人作家向けの漫画勉強会、編集部の意識改革、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『週刊少年サンデーS』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『サンデーうぇぶり』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『天野めぐみはスキだらけ!』(ねこぐち、2016年)、『魔王城でおやすみ』(熊之股鍵次、2016年〜)、『古見さんは、コミュ症です。』(オダトモヒト、2016年〜)、『保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜』(栗山ミヅキ、2017年)、『妖怪ギガ』(佐藤さつき、2017年)、『switch』(波切敦、2018年)、『ノケモノたちの夜』(星野真、2019年)などがヒット。サンデーうぇぶりでは、『死神坊ちゃんと黒メイド』(イノウエ、2017年)などがヒットした。 これらに加え、ベテラン・中堅作家による『双亡亭壊すべし』(藤田和日郎、2016年)、『あおざくら 防衛大学校物語』(二階堂ヒカル、2016年〜)、『舞妓さんちのまかないさん』(小山愛子、2017年〜)、『第九の波濤』(草場道輝、2017年〜)、『十勝ひとちぼっち農園』(横山裕二、2018年〜)、『蒼穹のアリアドネ』(八木教広、2018年〜)、『トニカクカワイイ』(畑健二郎、2018年〜)、『君は008』(松江名俊、2018年〜)、『ポンコツちゃん検証中』(福地翼、2019年)、『MAO』(高橋留美子、2019年〜)、『よふかしのうた』(コトヤマ、2019年〜)などがヒットし、サンデーの業績を500パーセント近く上昇させた。しかし、他の少年誌と比べるとヒットが小規模であり、アニメ化などのメディア展開が行われる作品も少なく、雑誌の発行部数も減少し続けている。 また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベント『サンデー文化祭』を開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として『名探偵コナン ゼロの日常』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2018年〜、不定期連載)、『名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2019年、不定期連載)を連載するなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。 2020年夏、新型コロナウイルスの影響で、作家への新型コロナ対策として、2020年27・28臨時合併号、31・32臨時合併号を発行すると発表した。 『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人・作画:アベツカサ、2020年〜)がヒット。マンガ大賞2021大賞、第25回手塚治虫文化賞新生賞などを受賞するなど一躍話題作になった。ほかには、『龍と苺』(柳本光晴、2020年〜)、『かけあうつきひ』(福井セイ、2021年〜)などが連載を始めた。 2022年7月、『週刊少年ジャンプ』と『週刊少年サンデー』 の共同企画として、『ONEPIECE』の尾田栄一郎と『名探偵コナン』の青山剛昌のスペシャル対談が行われ、これを記念としたコラボレーション企画として、同年発売の『週刊少年ジャンプ』34号の表紙に名探偵コナンの登場人物である安室透の、同じく同年発売の『週刊少年サンデー』35号の表紙にONE PIECEの登場人物であるロロノア・ゾロのイラストが掲載されている。 本誌の傾向としては、特にラブコメディと恋愛漫画にノウハウと強みを持っていることが挙げられる。特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。 他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や、一つの出来事・展開に数話分使うなど、過程を重視する作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある。 作品を打ち切りにする場合、『週刊少年ジャンプ』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。 高橋留美子と椎名高志はサンデーについて、「新人作家の作品に対して読者が優しい」「編集部からの扱いがいい」「少し難しい、考えさせられるマンガも載ってる」「サンデーらしさは品の良さ、優しさ」「週刊少年誌の中でサンデーが一番作家が好き勝手できる」と評価している。 少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。 漫画家では、あだち充・高橋留美子・青山剛昌・藤田和日郎・満田拓也・椎名高志・松江名俊・畑健二郎など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある。 週刊少年ジャンプや週刊少年マガジンと異なり専属契約制度は無いが、赤松健はあだち充や高橋留美子などブランド力のある作家がいることや、作家を縛り付けない方針のためではないかとしている。また短期間で配置替えがあることから、編集者と作家の結びつきも弱いとされる。 『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙にグラビア(『週刊少年マガジン』『週刊少年チャンピオン』なども同様)が付いている号がある。 1983年から目次に自画像と作者のコメントが登場したがそれ以前では柱に『モシモシ先生いますか?!』と言うコーナーがあった。作者のコメントは1994年から読者からの質問になっている。 その他、2001年よりアンケートや読者投稿コーナーがハガキ以外にもインターネット(ウェブサンデー)からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。読者コーナーの節やサンデー青春学園も参照のこと。 また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めてウェブコミック配信サイト「クラブサンデー」を、2012年からは「裏サンデー」を、2016年からは「サンデーうぇぶり」を開設した。 2023年11月8日(2023年50号)現在連載中の作品。不定期連載作品も含む。 2000年代中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。 1990年代半ばまではアニメ化される作品の大半がフジテレビ系列(FNS)で放送されていたが、2023年現在は読売テレビ制作・日本テレビ系列(NNN)、テレビ東京系列(TXN)、NHKなどのキー局を中心に幅広く放送されることが多い。その一方で、いわゆる「UHFアニメ」として放送されるものは少なく、2000年代には『美鳥の日々』が放送された程度であるが、深夜アニメの割合が増加した2010年代後半になると、独立局においても少しずつ新作を放送するようになっていった。 いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載 2022年3月現在。 特撮ドラマ化されたものや、メディアミックスとして漫画化された作品群。 1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品をテレビCM用にアニメ化して放送していた。これらはYOUTUBE公式プレイリストで、一部視聴することができる。そのため、このシリーズで製作されたことがある作品に関しては、独自のパイロット版を持たず、この作品がパイロット版と看做される作品となることが多い。『め組の大吾』などは、テレビアニメ化はされていないが、テレビドラマ化されている作品も存在する。 アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく!』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。また、『MAJOR』や『からくりサーカス』などのようにかなり遅れてアニメ化される作品も存在する。近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。 ※ただし日本作品が全て掲載されているわけではない。 「ジャンプ放送局」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の高井麻巳子、渡辺美奈代、吉沢秋絵などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったとんねるずが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。 現在の読者ページは2001年春に始まった。週刊の少年誌の中で「サンデー青春学園」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『週刊少年サンデー』(しゅうかんしょうねんサンデー)は、小学館が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年に創刊され、毎週水曜日に発売されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1959年(昭和34年)3月17日に、同年4月5日号として創刊。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長豊田きいちが考案した。当初は毎週火曜日の発売だったが、2023年現在は、毎週水曜日に発行されている。マスコットキャラクターはナマズで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "企画立ち上げ時のスタッフの中核が学年誌の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。1960年代半ばにはSFに力を入れ、当時気鋭の若手筒井康隆が小説の連載を行なっていたこともあった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。1980年代初頭には「ラブコメ」や「パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『月刊少年キャプテン』(徳間書店)など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から1990年代初頭の島本和彦を中心としたグループ、1990年代半ばの藤田和日郎を中心としたグループが有名である。1985年に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。しかし、創刊時からの競合誌『週刊少年マガジン』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『週刊少年ジャンプ』『週刊少年チャンピオン』ほどに読者アンケート人気の結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がテコ入れによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2018年現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『週刊少年マガジン』(講談社)に続いて業界3位に位置する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1958年、学年誌編集部の次長だった豊田亀市が、テレビ時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、漫画を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長の相賀徹夫に働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ講談社も週刊誌ブームを受けて『週刊少年マガジン』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。創刊号のラインアップは手塚治虫『スリル博士』、横山隆一『宇宙少年トンダー』、寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』、 藤子不二雄『海の王子』、益子かつみ『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙に読売巨人軍の長嶋茂雄を起用。巻末には児童心理学者の波多野勤子が祝辞を寄せている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともに大日本印刷だったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的後だしジャンケンのような裏技を使っている。創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばにはW3事件(『W3』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『天才バカボン』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1960年代のヒット作には、横山光輝『伊賀の影丸』(1961年)、赤塚不二夫『おそ松くん』(1962年)、小沢さとる『サブマリン707』(1963年)、藤子不二雄『オバケのQ太郎』(1964年)、藤子・F・不二雄『パーマン』(1966年)、横山光輝『ジャイアントロボ』(1967年)、手塚治虫『どろろ』(1967年)、赤塚不二夫『もーれつア太郎』(1967年)、藤子・F・不二雄『21エモン』(1968年)、赤塚不二夫『天才バカボン』(1969年、マガジンより移籍)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層(戦後のベビーブーム世代)を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』(集英社)編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『ビッグコミック』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。集英社ではサンデーとの関係を考慮し、『週刊少年ジャンプ』には連載作品は存在せず「全作品が読み切り」という建前でスタートし、現在でも作品の最終ページでは「続く」ではなく「第○話・終わり」と表記している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」の学生運動の時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。この時期、園田光慶の『あかつき戦闘隊』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間、広告製作プロダクションサン・アドに表紙の製作を発注。「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。この時期の主な連載に、佐々木守/水島新司『男どアホウ甲子園』(1970年)、ジョージ秋山『銭ゲバ』(1970年)、古谷三敏『ダメおやじ』(1970年)、赤塚不二夫『レッツラゴン』(1971年)、梶原一騎/貝塚ひろし『柔道讃歌』(1972年)、楳図かずお『漂流教室』(1972年)、小山ゆう『おれは直角』(1973年)などがある。それらが沈静化した1972年頃からは、『月光仮面』(1972年)、武内つなよし『赤胴鈴之助』(1972年)などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、石ノ森章太郎『人造人間キカイダー』(1972年)、石川賢『ウルトラマンタロウ』(1973年)、石森章太郎『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、永井豪/石川賢『ゲッターロボ』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『週刊少年ジャンプ』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月に単行本レーベルの「少年サンデーコミックス」(「漂流教室」などが第一弾として刊行)、8月に同じく児童向け単行本レーベルの「てんとう虫コミックス」(学年別学習雑誌に連載されていた「ドラえもん」が第一弾だが、サンデー連載の「ゲッターロボ」も刊行された)をそれぞれ創刊する。続いて、サンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『てれびくん』(1976年)、てんとう虫コミックスを母体に児童向けへ特化した『コロコロコミック』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『少年ビッグコミック』に改称)、新人作家育成のための『週刊少年サンデー増刊号』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この時期は『週刊少年チャンピオン』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1970年代中期から後期にかけては、藤子不二雄A『プロゴルファー猿』(1974年)、水島新司『一球さん』(1975年)、小山ゆう『がんばれ元気』(1976年)、楳図かずお『まことちゃん』(1976年)、村上もとか『赤いペガサス』(1977年)、あや秀夫『ヒット・エンド・ラン』(1978年)、石ノ森章太郎『サイボーグ009』(1979年)などがヒットしているが、雁屋哲/池上遼一『男組』(1974年)、さいとう・たかを『サバイバル』(1976年)、林律雄/大島やすいち『おやこ刑事』(1977年)など、好調だった『ビッグコミック』系の青年漫画誌へ通じる劇画系作品のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌と取られがちだった。しかし、1980年前後には、『がんばれ元気』や『まことちゃん』の好調継続や『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1980年代に入ると、劇画村塾出身の高橋留美子『うる星やつら』(1978年)、『少年ビッグコミック』で『みゆき』をヒットさせていたあだち充『タッチ』(1981年)のヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『北斗の拳』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。高橋とあだちはその後もサンデーに連載を続け、一時期を除くと、2018年3・4合併号まで「サンデーに両者あるいは一方の作品が連載されている」状態が続いた。この時期には、六田登『ダッシュ勝平』(1979年)、雁屋哲/池上遼一『男大空』(1980年)、梶原一騎/原田久仁信『プロレススーパースター列伝』(1980年)、原秀則『さよなら三角』、村上もとか『六三四の剣』(1981年)、細野不二彦『Gu-Guガンモ』(1982年)、みやたけし『はしれ走』(1982年)、石渡治『火の玉ボーイ』、(1983年)、原秀則『ジャストミート』(1984年)、吉田聡『ちょっとヨロシク!』(1985年)、村上もとか『風を抜け!』(1986年)、矢島正雄/尾瀬あきら『リュウ』(1986年)、竜崎遼児『闘翔ボーイ』(1986年)などが連載。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、この時期から増刊組が台頭し、島本和彦『炎の転校生』(1983年)、ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』(1985年)といった、特撮・アニメパロディ系の作品が話題になり、いずれもヒットしている。なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断るみず谷なおきのような漫画家もいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、RCサクセションを筆頭にBARBEE BOYS、爆風スランプなどのロックバンド、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けた石渡治『B・B』(1985年)、上條淳士『To-y』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "しかし、1985年中盤に新谷かおる『ふたり鷹』(1981年)が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子『らんま1/2』(1987年)、ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』(1988年)、青山剛昌『まじっく快斗』(1987年~、不定期連載)、青山剛昌『YAIBA』(1988年)などがヒットし、里見桂『スマイル for 美衣』(1987年)、森秀樹『青空しょって』(1987年)、松田隆智/藤原芳秀『拳児』(1988年)、なかいま強『うっちゃれ五所瓦』(1988年)、克・亜樹『星くずパラダイス』(1989年)などが連載するものの、続くヒット作はなかなか出ず、部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を抜かれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、石ノ森章太郎、楳図かずおら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、たま(1990年14号)やX(1990年35号)など、ロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、小山ゆう『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、柳沢きみお『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『仮面ライダーBlack』、楳図『まことちゃん(平成版)』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『ヤングサンデー』(1987年)としてリニューアル創刊された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『帯をギュッとね!』(河合克敏、1989年)、『スプリガン』(原作:たかしげ宙・漫画:皆川亮二、1989年)、『健太やります!』(満田拓也、1989年、増刊号から移籍)、『虹色とうがらし』(あだち充、1990年)、『うしおととら』(藤田和日郎、1990年)、『今日から俺は!!』(西森博之、1990年、増刊号から移籍)、『行け!!南国アイスホッケー部』(久米田康治、1991年)、『GS美神 極楽大作戦!!』(椎名高志、1991年)などがヒット。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "これらに加えて、『俺たちのフィールド』(村枝賢一、1992年)、『H2』(あだち充、1992年)、『ジーザス』(原作:七月鏡一・漫画:藤原芳秀、1992年)、『\"LOVe\"』(石渡治、1993年)、『名探偵コナン』(青山剛昌、1994年〜)、『ガンバ!Fly high』(原作:森末慎二・漫画:菊田洋之、1994年)、『MAJOR』(満田拓也、1994年)、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(ゆうきまさみ、1994年)、『DAN DOH!!』(原作:坂田信弘・漫画:万乗大智、1995年)、『烈火の炎』(安西信行、1995年)、『め組の大吾』(曽田正人、1995年)、『神聖モテモテ王国』(ながいけん、1996年)、『なぎさMe公認』(北崎拓、1996年)、『モンキーターン』(河合克敏、1996年)、『犬夜叉』(高橋留美子、1996年)、『ゲイン』(なかいま強、1997年)、『ファンシー雑技団』(黒葉潤一、1997年)、『タキシード銀』(松浦聡彦、1997年)、『ARMS』(皆川亮二、(原案協力:七月鏡一)、1997年)、『からくりサーカス』(藤田和日郎、1997年)、『デビデビ』(三好雄己、1997年)、『風の伝承者』(原作:若桑一人・作画:山本智、1998年)、『かってに改蔵』(久米田康治、1998年)、『SALAD DAYS』(猪熊しのぶ、1998年)、『ダイナマ伊藤!』(杉本ペロ、1999年)、『天使な小生意気』(西森博之、1999年)、『ファンタジスタ』(草場道輝、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『週刊少年サンデー超』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として嘉門達夫(サンデー創刊と同じ年の1959年生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に駄洒落的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『コミックGOTTA』(1999年)、メディアミックス誌『月刊サンデーGX』(2000年)が創刊された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『リベロ革命!!』(田中モトユキ、2000年)、『トガリ』(夏目義徳、2000年)、『金色のガッシュ!!』(雷句誠、2001年)、『うえきの法則』(福地翼、2001年)、『KATSU!』(あだち充、2001年)、『焼きたて!!ジャぱん』(橋口たかし、2002年)、『史上最強の弟子ケンイチ』(松江名俊、2002年)、『美鳥の日々』(井上和郎、2002年)、『D-LIVE』(皆川亮二、2002年)、『ワイルドライフ』(藤崎聖人、2003年)、『MÄR』(安西信行、2003年)、『結界師』(田辺イエロウ、2003年)、『クロザクロ』(夏目義徳、2004年)、『ハヤテのごとく!』(畑健二郎、2004年)、『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ、2005年)、『ブリザードアクセル』(鈴木央、2005年)『クロスゲーム』(あだち充、2005年)、『絶対可憐チルドレン』(椎名高志、2005年)、『GOLDEN★AGE』(寒川一之、2006年)、『ダレン・シャン』(原作:ダレン・シャン・漫画:新井隆広、2006年)、『ギャンブルッ!』(鹿賀ミツル、2007年)、『お茶にごす。』(西森博之、2007年)、『魔王 JUVENILE REMIX』(原作:伊坂幸太郎・漫画:大須賀めぐみ、2007年)、『金剛番長』(鈴木央、2007年)、『最上の命医』(橋口たかし、2008年)、『月光条例』(藤田和日郎、2008年)、『オニデレ』(クリスタルな洋介、2008年)、『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜、2008年)、『MIXIM☆11』(安西信行、2008年)、『KING GOLF』(佐々木健、2008年)、『DEFENSE DEVIL』(作画:梁慶一・原作:尹仁完、2009年)などが連載されその中の作品からはヒット作品も誕生するが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、2008年、雷句誠がサンデー編集部での原稿紛失を巡って小学館に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2000年に創刊された『サンデーGX』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『少女コミック』・『ちゃお』と同時になされることが多くなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2008年3月から2009年3月にかけて『週刊少年マガジン』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売。2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄を松坂大輔に、手塚治虫の『スリル博士』のイラストを橋口たかしの『最上の命医』に置換)した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "50周年イベント終了後の2009年3月末からは、週刊少年誌としては初のウェブコミック配信サイト『クラブサンデー』を開設。さらに、月刊少年サンデーである『ゲッサン』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『週刊少年サンデーS』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えが激しくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この前後から、『アラタカンガタリ〜革神語〜』(渡瀬悠宇、2008年~)、『マギ』(大高忍、2009年)、『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『コロコロコミック』関連作品との連動も図られるようになっており、『ペンギンの問題』の出張掲載や『機動戦士ガンダムAGE』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『ポケットモンスター』や『デュエル・マスターズ』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『戦国コレクション』や『ささみさん@がんばらない』、『キャプテン・アース』のコミカライズ作品を連載したりしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "上記3作品以外では、『境界のRINNE』(高橋留美子、2009年)、『國崎出雲の事情』(ひらかわあや、2010年)、『最後は?ストレート!!』(寒川一之、2010年)、『今際の国のアリス』(麻生羽呂、2010年、サンデーSから移籍)、『常住戦陣!!ムシブギョー』(福田宏、2011年)、『BE BLUES!〜青になれ〜』(田中モトユキ、2011年~)、『BUYUDEN』(満田拓也、2011年)、『アナグルモール』(福地翼、2011年)、『電波教師』(東毅、2011年)、『BIRDMEN』(田辺イエロウ、2016年)、『湯神くんには友達がいない』(佐倉準、2013年)、『競女!!!!!!!!』(空詠大智、2013年)、『だがしかし』(コトヤマ、2014年)、『サイケまたしても』(福地翼、2014年)、『トキワ来たれり!!』(松江名俊、2015年)、『天使とアクト!!』(ひらかわあや、2015年)、『MAJOR 2nd』(満田拓也、2015年〜)、『アド アストラ ペル アスペラ』(畑健二郎、2015年〜、休載中)などがヒットする。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、雑誌に付録として、クリアファイルやシール・栞・ソーシャルゲームの限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている。他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部アニメショップでイラストペーパーや栞などを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "さらに、ウェブコミック関連では『クラブサンデー』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『裏サンデー』(後に『マンガワン』として独立)を2012年4月に開設し、『モブサイコ100』(ONE、2012年)や『ケンガンアシュラ』(原作:サンドロビッチ・ヤバ子・作画:だろめおん、2012年)などをヒットさせた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "その他にも、著名人である野島伸司や五味一男が原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様に出版不況などの影響で、発行部数は減少し続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2015年7月、『ゲッサン』創刊編集長の市原武法が編集長として就任。新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった。宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、新人作家向けの漫画勉強会、編集部の意識改革、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『週刊少年サンデーS』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『サンデーうぇぶり』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『天野めぐみはスキだらけ!』(ねこぐち、2016年)、『魔王城でおやすみ』(熊之股鍵次、2016年〜)、『古見さんは、コミュ症です。』(オダトモヒト、2016年〜)、『保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜』(栗山ミヅキ、2017年)、『妖怪ギガ』(佐藤さつき、2017年)、『switch』(波切敦、2018年)、『ノケモノたちの夜』(星野真、2019年)などがヒット。サンデーうぇぶりでは、『死神坊ちゃんと黒メイド』(イノウエ、2017年)などがヒットした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "これらに加え、ベテラン・中堅作家による『双亡亭壊すべし』(藤田和日郎、2016年)、『あおざくら 防衛大学校物語』(二階堂ヒカル、2016年〜)、『舞妓さんちのまかないさん』(小山愛子、2017年〜)、『第九の波濤』(草場道輝、2017年〜)、『十勝ひとちぼっち農園』(横山裕二、2018年〜)、『蒼穹のアリアドネ』(八木教広、2018年〜)、『トニカクカワイイ』(畑健二郎、2018年〜)、『君は008』(松江名俊、2018年〜)、『ポンコツちゃん検証中』(福地翼、2019年)、『MAO』(高橋留美子、2019年〜)、『よふかしのうた』(コトヤマ、2019年〜)などがヒットし、サンデーの業績を500パーセント近く上昇させた。しかし、他の少年誌と比べるとヒットが小規模であり、アニメ化などのメディア展開が行われる作品も少なく、雑誌の発行部数も減少し続けている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベント『サンデー文化祭』を開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として『名探偵コナン ゼロの日常』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2018年〜、不定期連載)、『名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story』(原作:青山剛昌・作画:新井隆広、2019年、不定期連載)を連載するなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2020年夏、新型コロナウイルスの影響で、作家への新型コロナ対策として、2020年27・28臨時合併号、31・32臨時合併号を発行すると発表した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人・作画:アベツカサ、2020年〜)がヒット。マンガ大賞2021大賞、第25回手塚治虫文化賞新生賞などを受賞するなど一躍話題作になった。ほかには、『龍と苺』(柳本光晴、2020年〜)、『かけあうつきひ』(福井セイ、2021年〜)などが連載を始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2022年7月、『週刊少年ジャンプ』と『週刊少年サンデー』 の共同企画として、『ONEPIECE』の尾田栄一郎と『名探偵コナン』の青山剛昌のスペシャル対談が行われ、これを記念としたコラボレーション企画として、同年発売の『週刊少年ジャンプ』34号の表紙に名探偵コナンの登場人物である安室透の、同じく同年発売の『週刊少年サンデー』35号の表紙にONE PIECEの登場人物であるロロノア・ゾロのイラストが掲載されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "本誌の傾向としては、特にラブコメディと恋愛漫画にノウハウと強みを持っていることが挙げられる。特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や、一つの出来事・展開に数話分使うなど、過程を重視する作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "作品を打ち切りにする場合、『週刊少年ジャンプ』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "高橋留美子と椎名高志はサンデーについて、「新人作家の作品に対して読者が優しい」「編集部からの扱いがいい」「少し難しい、考えさせられるマンガも載ってる」「サンデーらしさは品の良さ、優しさ」「週刊少年誌の中でサンデーが一番作家が好き勝手できる」と評価している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "漫画家では、あだち充・高橋留美子・青山剛昌・藤田和日郎・満田拓也・椎名高志・松江名俊・畑健二郎など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "週刊少年ジャンプや週刊少年マガジンと異なり専属契約制度は無いが、赤松健はあだち充や高橋留美子などブランド力のある作家がいることや、作家を縛り付けない方針のためではないかとしている。また短期間で配置替えがあることから、編集者と作家の結びつきも弱いとされる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙にグラビア(『週刊少年マガジン』『週刊少年チャンピオン』なども同様)が付いている号がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1983年から目次に自画像と作者のコメントが登場したがそれ以前では柱に『モシモシ先生いますか?!』と言うコーナーがあった。作者のコメントは1994年から読者からの質問になっている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "その他、2001年よりアンケートや読者投稿コーナーがハガキ以外にもインターネット(ウェブサンデー)からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。読者コーナーの節やサンデー青春学園も参照のこと。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めてウェブコミック配信サイト「クラブサンデー」を、2012年からは「裏サンデー」を、2016年からは「サンデーうぇぶり」を開設した。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2023年11月8日(2023年50号)現在連載中の作品。不定期連載作品も含む。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2000年代中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1990年代半ばまではアニメ化される作品の大半がフジテレビ系列(FNS)で放送されていたが、2023年現在は読売テレビ制作・日本テレビ系列(NNN)、テレビ東京系列(TXN)、NHKなどのキー局を中心に幅広く放送されることが多い。その一方で、いわゆる「UHFアニメ」として放送されるものは少なく、2000年代には『美鳥の日々』が放送された程度であるが、深夜アニメの割合が増加した2010年代後半になると、独立局においても少しずつ新作を放送するようになっていった。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2022年3月現在。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "特撮ドラマ化されたものや、メディアミックスとして漫画化された作品群。", "title": "作品のメディアミックス" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品をテレビCM用にアニメ化して放送していた。これらはYOUTUBE公式プレイリストで、一部視聴することができる。そのため、このシリーズで製作されたことがある作品に関しては、独自のパイロット版を持たず、この作品がパイロット版と看做される作品となることが多い。『め組の大吾』などは、テレビアニメ化はされていないが、テレビドラマ化されている作品も存在する。", "title": "少年サンデーCM劇場" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく!』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。また、『MAJOR』や『からくりサーカス』などのようにかなり遅れてアニメ化される作品も存在する。近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。", "title": "少年サンデーCM劇場" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "※ただし日本作品が全て掲載されているわけではない。", "title": "海外提携誌" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "「ジャンプ放送局」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の高井麻巳子、渡辺美奈代、吉沢秋絵などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったとんねるずが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。", "title": "読者コーナー" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "現在の読者ページは2001年春に始まった。週刊の少年誌の中で「サンデー青春学園」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。", "title": "読者コーナー" } ]
『週刊少年サンデー』(しゅうかんしょうねんサンデー)は、小学館が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年に創刊され、毎週水曜日に発売されている。
{{Redirectlist|少年サンデー|'''別冊少年サンデー'''|別冊少年サンデー|'''月刊少年サンデー'''|ゲッサン}} {{出典の明記|date=2018年4月}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = 250px | 誌名 = 週刊少年サンデー | 英文誌名 = WEEKLY SHONEN SUNDAY | 誌名略称 = サンデー・WS | ジャンル = 少年向けコミック誌 | 読者対象 = 男性 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#週刊|週刊]](水曜日発売 ただし、水曜日が祝日の際は火曜日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 360円 | 特別定価 = 380円 | 出版社 = [[小学館]] | 編集部名 = 週刊少年サンデー編集部 | 発行人 = 佐上靖之 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = [[大嶋一範]] | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 066 | 刊行期間 = [[1959年]][[3月17日]](1959年4月5日号) - | レーベル = 少年サンデーコミックス | 発行部数 = 16万0,417<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = 日本雑誌協会 | ウェブサイト = {{URL|https://websunday.net/}} | 特記事項 = }} 『'''週刊少年サンデー'''』(しゅうかんしょうねんサンデー)は、[[小学館]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[少年漫画|少年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1959年]]に創刊され、毎週[[水曜日]]に発売されている。 == 概要 == [[1959年]](昭和34年)[[3月17日]]に、同年[[4月5日]]号として創刊。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長[[豊田きいち]]が考案した<ref> {{Cite book |author = 大野茂 |authorlink = 大野茂 (メディア学者) |year = 2009 |title = サンデーとマガジン |publisher = [[光文社]] |isbn = 4334035035 }}</ref>。当初は毎週[[火曜日]]の発売だったが、[[2023年]]現在{{いつ|date=2023年8月}}<!--いつから?-->は、毎週水曜日に発行されている。マスコットキャラクターは[[ナマズ]]で、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している<ref>[[芳崎せいむ]]『[[金魚屋古書店]]』第1巻、P.193<!--漫画出典でごめん、他の資料があったら差し替えて--></ref>。 企画立ち上げ時のスタッフの中核が[[小学館の学年別学習雑誌|学年誌]]の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり<ref group="注">同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『[[週刊少年マガジン]]』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。</ref>、読み物や付録などが充実していた。[[1960年代]]半ばには[[サイエンス・フィクション|SF]]に力を入れ、当時気鋭の若手[[筒井康隆]]が小説の連載を行なっていたこともあった。 1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「'''ギャグのサンデー'''」と呼ばれることになった。[[1980年代]]初頭には「'''ラブコメ'''」や「'''パロディ'''」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『[[月刊少年キャプテン]]』([[徳間書店]])など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。 担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から[[1990年代]]初頭の[[島本和彦]]を中心としたグループ、1990年代半ばの[[藤田和日郎]]を中心としたグループが有名である。[[1985年]]に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。 伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。しかし、創刊時からの競合誌『[[週刊少年マガジン]]』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『[[週刊少年ジャンプ]]』『[[週刊少年チャンピオン]]』ほどに[[週刊少年ジャンプ#アンケート至上主義と打ち切り|読者アンケート人気]]の結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性が[[テコ入れ]]によって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。 [[2018年]]現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])、『[[週刊少年マガジン]]』([[講談社]])に続いて業界3位に位置する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-magazine.or.jp/data_001/man_6.html#001 |title=JMPAマガジンデータ |accessdate=2007年12月18日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722121438/http://www.j-magazine.or.jp/data_001/man_6.html#001 |archivedate=2011年7月22日 |deadlinkdate=2019年4月 }}</ref>。 == 歴史 == === 創刊 - 1960年代 === 1958年、学年誌編集部の次長だった[[豊田亀市]]が、[[テレビ]]時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、[[漫画]]を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長の[[相賀徹夫]]に働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ[[講談社]]も週刊誌ブームを受けて『[[週刊少年マガジン]]』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。創刊号のラインアップは[[手塚治虫]]『スリル博士』、[[横山隆一]]『宇宙少年トンダー』、[[寺田ヒロオ]]『スポーツマン金太郎』、 [[藤子不二雄]]『[[海の王子]]』、[[益子かつみ]]『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙に[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]の[[長嶋茂雄]]を起用。巻末には[[児童]][[心理学者]]の[[波多野勤子]]が祝辞を寄せている。 両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともに[[大日本印刷]]だったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的[[あと出しじゃんけん|後だしジャンケン]]のような裏技を使っている。創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり<ref>『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、ISBN 4-334-03503-5)</ref>、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばには[[W3事件]](『[[W3]]』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『[[天才バカボン]]』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。 1960年代のヒット作には、[[横山光輝]]『[[伊賀の影丸]]』(1961年)、[[赤塚不二夫]]『[[おそ松くん]]』(1962年)、[[小沢さとる]]『[[サブマリン707]]』(1963年)、[[藤子不二雄]]『[[オバケのQ太郎]]』(1964年)、[[藤子・F・不二雄]]『[[パーマン]]』(1966年)、横山光輝『[[ジャイアントロボ]]』(1967年)、手塚治虫『[[どろろ]]』(1967年)、赤塚不二夫『[[もーれつア太郎]]』(1967年)、藤子・F・不二雄『[[21エモン]]』(1968年)、赤塚不二夫『[[天才バカボン]]』(1969年、マガジンより移籍)などがある。 1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層([[団塊の世代|戦後のベビーブーム世代]])を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』([[集英社]])編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『[[ビッグコミック]]』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。集英社ではサンデーとの関係を考慮し、『週刊少年ジャンプ』には連載作品は存在せず「全作品が読み切り」という建前でスタートし、現在でも作品の最終ページでは「続く」ではなく「第○話・終わり」と表記している。 1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」の[[学生運動]]の時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。この時期、[[園田光慶]]の『[[あかつき戦闘隊]]』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。 === 1970年代 === 『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間、広告製作プロダクション[[サン・アド]]に表紙の製作を発注。「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。この時期の主な連載に、[[佐々木守]]/[[水島新司]]『[[男どアホウ甲子園]]』(1970年)、[[ジョージ秋山]]『[[銭ゲバ]]』(1970年)、[[古谷三敏]]『[[ダメおやじ]]』(1970年)、赤塚不二夫『[[レッツラゴン]]』(1971年)、[[梶原一騎]]/[[貝塚ひろし]]『[[柔道讃歌]]』(1972年)、[[楳図かずお]]『[[漂流教室]]』(1972年)、[[小山ゆう]]『[[おれは直角]]』(1973年)などがある。それらが沈静化した1972年頃からは、『[[月光仮面]]』(1972年)、[[武内つなよし]]『[[赤胴鈴之助]]』(1972年)などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、[[石ノ森章太郎]]『[[人造人間キカイダー (漫画)|人造人間キカイダー]]』(1972年)、[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]『[[ウルトラマンタロウ]]』(1973年)、石森章太郎『[[がんばれ!!ロボコン]]』(1974年)、[[永井豪]]/石川賢『[[ゲッターロボ]]』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。 しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『[[週刊少年ジャンプ]]』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。 当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月に[[単行本]][[漫画レーベル一覧|レーベル]]の「少年サンデーコミックス」(「[[漂流教室]]」などが第一弾として刊行)、8月に同じく児童向け単行本レーベルの「[[てんとう虫コミックス]]」([[小学館の学年別学習雑誌|学年別学習雑誌]]に連載されていた「ドラえもん」が第一弾だが、サンデー連載の「ゲッターロボ」も刊行された)をそれぞれ創刊する。続いて、サンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『[[てれびくん]]』(1976年)、てんとう虫コミックスを母体に児童向けへ特化した『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『[[少年ビッグコミック]]』に改称)、新人作家育成のための『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。 この時期は『[[週刊少年チャンピオン]]』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。 1970年代中期から後期にかけては、[[藤子不二雄A]]『[[プロゴルファー猿]]』(1974年)、水島新司『[[一球さん]]』(1975年)、小山ゆう『[[がんばれ元気]]』(1976年)、楳図かずお『[[まことちゃん]]』(1976年)、[[村上もとか]]『[[赤いペガサス]]』(1977年)、[[あや秀夫]]『[[ヒット・エンド・ラン (漫画)|ヒット・エンド・ラン]]』(1978年)、石ノ森章太郎『[[サイボーグ009]]』(1979年)などがヒットしているが、[[雁屋哲]]/池上遼一『[[男組]]』(1974年)、[[さいとう・たかを]]『[[サバイバル (漫画)|サバイバル]]』(1976年)、[[林律雄]]/[[大島やすいち]]『[[おやこ刑事]]』(1977年)など、好調だった『[[ビッグコミック]]』系の青年漫画誌へ通じる劇画系作品のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌と取られがちだった。しかし、1980年前後には、『がんばれ元気』や『まことちゃん』の好調継続や『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。 === 1980年代 === 1980年代に入ると、[[劇画村塾]]出身の[[高橋留美子]]『[[うる星やつら]]』(1978年)、『少年ビッグコミック』で『[[みゆき (漫画)|みゆき]]』をヒットさせていた[[あだち充]]『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』(1981年)のヒットで[[ラブコメ]]ブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「[[友情・努力・勝利]]」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『[[北斗の拳]]』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。高橋とあだちはその後もサンデーに連載を続け、一時期<ref group="注">高橋の『うる星やつら』最終回(1987年8号)の後から、あだちの『[[ラフ (漫画)|ラフ]]』開始(同年17号)の前まで。</ref>を除くと、2018年3・4合併号まで「サンデーに両者あるいは一方の作品が連載されている」状態が続いた。この時期には、[[六田登]]『[[ダッシュ勝平]]』(1979年)、雁屋哲/池上遼一『[[男大空]]』(1980年)、梶原一騎/[[原田久仁信]]『[[プロレススーパースター列伝]]』(1980年)、[[原秀則]]『[[さよなら三角]]』、[[村上もとか]]『[[六三四の剣]]』(1981年)、[[細野不二彦]]『[[Gu-Guガンモ]]』(1982年)、[[みやたけし]]『[[はしれ走]]』(1982年)、[[石渡治]]『[[火の玉ボーイ]]』、(1983年)、原秀則『[[ジャストミート (漫画)|ジャストミート]]』(1984年)、[[吉田聡]]『[[ちょっとヨロシク!]]』(1985年)、[[村上もとか]]『[[風を抜け!]]』(1986年)、[[矢島正雄]]/[[尾瀬あきら]]『[[リュウ (漫画)|リュウ]]』(1986年)、[[竜崎遼児]]『[[闘翔ボーイ]]』(1986年)などが連載。 また、この時期から増刊組が台頭し、[[島本和彦]]『[[炎の転校生]]』(1983年)、[[ゆうきまさみ]]『[[究極超人あ〜る]]』(1985年)といった、特撮・アニメ[[パロディ]]系の作品が話題になり、いずれもヒットしている。なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断る[[みず谷なおき]]<ref>[[みず谷なおき]]『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント</ref>のような漫画家もいた。 1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、[[RCサクセション]]を筆頭に[[BARBEE BOYS]]、[[爆風スランプ]]などの[[バンド (音楽)|ロックバンド]]、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けた石渡治『[[B・B]]』(1985年)、[[上條淳士]]『[[To-y]]』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。 しかし、1985年中盤に[[新谷かおる]]『[[ふたり鷹]]』(1981年)が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子『[[らんま1/2]]』(1987年)、ゆうきまさみ『[[機動警察パトレイバー]]』(1988年)、[[青山剛昌]]『[[まじっく快斗]]』(1987年~、不定期連載)、[[青山剛昌]]『[[YAIBA]]』(1988年)などがヒットし、[[里見桂]]『[[スマイル for 美衣]]』(1987年)、[[森秀樹 (漫画家)|森秀樹]]『[[青空しょって]]』(1987年)、[[松田隆智]]/[[藤原芳秀]]『[[拳児]]』(1988年)、[[なかいま強]]『[[うっちゃれ五所瓦]]』(1988年)、[[克・亜樹]]『[[星くずパラダイス]]』(1989年)などが連載するものの、続くヒット作はなかなか出ず、部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を抜かれている。 1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、[[石ノ森章太郎]]、[[楳図かずお]]ら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、[[たま (バンド)|たま]](1990年14号)や[[X JAPAN|X]](1990年35号)など、ロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、[[小山ゆう]]『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、[[柳沢きみお]]『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『[[仮面ライダーBlack]]』、楳図『[[まことちゃん|まことちゃん(平成版)]]』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。 この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『[[週刊ヤングサンデー|ヤングサンデー]]』(1987年)としてリニューアル創刊された。 === 1990年代 === 1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『[[帯をギュッとね!]]』([[河合克敏]]、1989年)、『[[スプリガン (漫画)|スプリガン]]』(原作:[[たかしげ宙]]・漫画:[[皆川亮二]]、1989年)、『[[健太やります!]]』([[満田拓也]]、1989年、増刊号から移籍)、『[[虹色とうがらし]]』([[あだち充]]、1990年)、『[[うしおととら]]』([[藤田和日郎]]、1990年)、『[[今日から俺は!!]]』([[西森博之]]、1990年、増刊号から移籍)、『[[行け!!南国アイスホッケー部]]』([[久米田康治]]、1991年)、『[[GS美神 極楽大作戦!!]]』([[椎名高志]]、1991年)などがヒット。 これらに加えて、『[[俺たちのフィールド]]』([[村枝賢一]]、1992年)、『[[H2 (漫画)|H2]]』([[あだち充]]、1992年)、『[[ジーザス (漫画)|ジーザス]]』(原作:[[七月鏡一]]・漫画:[[藤原芳秀]]、1992年)、『[["LOVe"]]』([[石渡治]]、1993年)、『[[名探偵コナン]]』([[青山剛昌]]、1994年〜)、『[[ガンバ!Fly high]]』(原作:[[森末慎二]]・漫画:[[菊田洋之]]、1994年)、『[[MAJOR]]』([[満田拓也]]、1994年)、『[[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]]』([[ゆうきまさみ]]、1994年)、『[[DAN DOH!!]]』(原作:[[坂田信弘]]・漫画:[[万乗大智]]、1995年)、『[[烈火の炎]]』([[安西信行]]、1995年)、『[[め組の大吾]]』([[曽田正人]]、1995年)、『[[神聖モテモテ王国]]』([[ながいけん]]、1996年)、『[[なぎさMe公認]]』([[北崎拓]]、1996年)、『[[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]]』([[河合克敏]]、1996年)、『[[犬夜叉]]』([[高橋留美子]]、1996年)、『[[ゲイン (漫画)|ゲイン]]』([[なかいま強]]、1997年)、『[[ファンシー雑技団]]』([[黒葉潤一]]、1997年)、『[[タキシード銀]]』([[松浦聡彦]]、1997年)、『[[ARMS]]』([[皆川亮二]]、(原案協力:[[七月鏡一]])、1997年)、『[[からくりサーカス]]』([[藤田和日郎]]、1997年)、『[[デビデビ]]』([[三好雄己]]、1997年)、『[[風の伝承者]]』(原作:[[若桑一人]]・作画:[[山本サトシ|山本智]]、1998年)、『[[かってに改蔵]]』([[久米田康治]]、1998年)、『[[SALAD DAYS]]』([[猪熊しのぶ]]、1998年)、『[[ダイナマ伊藤!]]』([[杉本ペロ]]、1999年)、『[[天使な小生意気]]』([[西森博之]]、1999年)、『[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ]]』([[草場道輝]]、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『[[週刊少年サンデー超]]』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。 1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として[[嘉門タツオ|嘉門達夫]](サンデー創刊と同じ年の[[1959年]]生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に[[駄洒落]]的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。 この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『[[コミックGOTTA]]』(1999年)、メディアミックス誌『[[月刊サンデージェネックス|月刊サンデーGX]]』(2000年)が創刊された。 === 2000年代 === この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『[[リベロ革命!!]]』([[田中モトユキ]]、2000年)、『[[トガリ]]』([[夏目義徳]]、2000年)、『[[金色のガッシュ!!]]』([[雷句誠]]、2001年)、『[[うえきの法則]]』([[福地翼]]、2001年)、『[[KATSU!]]』([[あだち充]]、2001年)、『[[焼きたて!!ジャぱん]]』([[橋口たかし]]、2002年)、『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』([[松江名俊]]、2002年)、『[[美鳥の日々]]』([[井上和郎]]、2002年)、『[[D-LIVE]]』([[皆川亮二]]、2002年)、『[[ワイルドライフ (漫画)|ワイルドライフ]]』([[藤崎聖人]]、2003年)、『[[MÄR]]』([[安西信行]]、2003年)、『[[結界師]]』([[田辺イエロウ]]、2003年)、『[[クロザクロ]]』([[夏目義徳]]、2004年)、『[[ハヤテのごとく!]]』([[畑健二郎]]、2004年)、『[[最強!都立あおい坂高校野球部]]』([[田中モトユキ]]、2005年)、『[[ブリザードアクセル]]』([[鈴木央]]、2005年)『[[クロスゲーム]]』([[あだち充]]、2005年)、『[[絶対可憐チルドレン]]』([[椎名高志]]、2005年)、『[[GOLDEN★AGE]]』([[寒川一之]]、2006年)、『[[ダレン・シャン (小説)#漫画版|ダレン・シャン]]』(原作:[[ダレン・シャン]]・漫画:[[新井隆広]]、2006年)、『[[ギャンブルッ!]]』([[鹿賀ミツル]]、2007年)、『[[お茶にごす。]]』([[西森博之]]、2007年)、『[[魔王 JUVENILE REMIX]]』(原作:[[伊坂幸太郎]]・漫画:[[大須賀めぐみ]]、2007年)、『[[金剛番長]]』([[鈴木央]]、2007年)、『[[最上の命医]]』([[橋口たかし]]、2008年)、『[[月光条例]]』([[藤田和日郎]]、2008年)、『[[オニデレ]]』([[クリスタルな洋介]]、2008年)、『[[神のみぞ知るセカイ]]』([[若木民喜]]、2008年)、『[[MIXIM☆11]]』([[安西信行]]、2008年)、『[[KING GOLF]]』([[佐々木健 (漫画家)|佐々木健]]、2008年)、『[[DEFENSE DEVIL]]』(作画:[[梁慶一]]・原作:[[尹仁完]]、2009年)などが連載されその中の作品からはヒット作品も誕生するが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、[[2008年]]、[[雷句誠]]がサンデー編集部での原稿紛失を巡って[[小学館]]に対し損害賠償請求の[[民事訴訟]]を提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。 [[2000年]]に創刊された『[[サンデーGX]]』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『[[少女コミック]]』・『[[ちゃお]]』と同時になされることが多くなった。 2008年3月から2009年3月にかけて『[[週刊少年マガジン]]』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売。2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄を[[松坂大輔]]に、[[手塚治虫]]の『スリル博士』のイラストを[[橋口たかし]]の『[[最上の命医]]』に置換)した。 50周年イベント終了後の[[2009年]]3月末からは、週刊少年誌としては初の[[ウェブコミック配信サイト]]『[[クラブサンデー]]』を開設。さらに、月刊少年サンデーである『[[ゲッサン]]』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『[[週刊少年サンデーS]]』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。 また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えが激しくなった。 === 2010年代前半 === この前後から、『[[アラタカンガタリ〜革神語〜]]』([[渡瀬悠宇]]、2008年~)、『[[マギ (漫画)|マギ]]』([[大高忍]]、2009年)、『[[銀の匙 Silver Spoon]]』([[荒川弘]]、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『[[コロコロコミック]]』関連作品との連動も図られるようになっており、『[[ペンギンの問題]]』の出張掲載や『[[機動戦士ガンダムAGE]]』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『[[ポケットモンスター]]』や『[[デュエル・マスターズ]]』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『[[戦国コレクション]]』や『[[ささみさん@がんばらない]]』、『[[キャプテン・アース]]』のコミカライズ作品を連載したりしている。 上記3作品以外では、『[[境界のRINNE]]』([[高橋留美子]]、2009年)、『[[國崎出雲の事情]]』([[ひらかわあや]]、2010年)、『[[最後は?ストレート!!]]』([[寒川一之]]、2010年)、『[[今際の国のアリス]]』([[麻生羽呂]]、2010年、サンデーSから移籍)、『[[常住戦陣!!ムシブギョー]]』([[福田宏]]、2011年)、『[[BE BLUES!〜青になれ〜]]』([[田中モトユキ]]、2011年~)、『[[BUYUDEN]]』([[満田拓也]]、2011年)、『[[アナグルモール]]』([[福地翼]]、2011年)、『[[電波教師]]』([[東毅]]、2011年)、『[[BIRDMEN]]』([[田辺イエロウ]]、2016年)、『[[湯神くんには友達がいない]]』([[佐倉準]]、2013年)、『[[競女!!!!!!!!]]』([[空詠大智]]、2013年)、『[[だがしかし]]』([[コトヤマ]]、2014年)、『[[サイケまたしても]]』([[福地翼]]、2014年)、『[[トキワ来たれり!!]]』([[松江名俊]]、2015年)、『[[天使とアクト!!]]』([[ひらかわあや]]、2015年)、『[[MAJOR|MAJOR 2nd]]』([[満田拓也]]、2015年〜)、『[[アド アストラ ペル アスペラ]]』([[畑健二郎]]、2015年〜、休載中)などがヒットする。 また、雑誌に付録として、[[クリアファイル]]やシール・栞・[[ソーシャルゲーム]]の限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている<ref group="注">例として、『[[神のみぞ知るセカイ]]』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・[[DVD]]を同梱した初回限定版が発売されている。</ref>。他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部[[アニメショップ]]<ref group="注">作品にもよるが、主に[[アニメイト]]・[[ゲーマーズ]]・[[コミックとらのあな]]で実施されるケースが多い。漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。</ref>でイラストペーパーや[[栞]]などを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。 さらに、ウェブコミック関連では『[[クラブサンデー]]』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『[[裏サンデー]]』(後に『[[マンガワン]]』として独立)を2012年4月に開設し、『[[モブサイコ100]]』([[ONE (漫画家)|ONE]]、2012年)や『[[ケンガンアシュラ]]』(原作:[[サンドロビッチ・ヤバ子]]・作画:[[だろめおん]]、2012年)などをヒットさせた。 その他にも、著名人である[[野島伸司]]や[[五味一男]]が原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様に[[出版不況]]などの影響で、発行部数は減少し続けた。 === 2010年代後半 === 2015年7月、『[[ゲッサン]]』創刊編集長の[[市原武法]]が編集長として就任。新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった<ref name="gesan">週刊少年サンデー特集、新編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー https://natalie.mu/comic/pp/sunday02</ref>。宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、新人作家向けの漫画勉強会、編集部の意識改革、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『[[週刊少年サンデーS]]』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『[[サンデーうぇぶり]]』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『[[天野めぐみはスキだらけ!]]』([[ねこぐち]]、2016年)、『[[魔王城でおやすみ]]』([[熊之股鍵次]]、2016年〜)、『[[古見さんは、コミュ症です。]]』([[オダトモヒト]]、2016年〜)、『[[保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜]]』([[栗山ミヅキ]]、2017年)、『[[妖怪ギガ]]』(佐藤さつき、2017年)、『switch』([[波切敦]]、2018年)、『[[ノケモノたちの夜]]』([[星野真]]、2019年)などがヒット。サンデーうぇぶりでは、『[[死神坊ちゃんと黒メイド]]』([[イノウエ]]、2017年)などがヒットした。 これらに加え、ベテラン・中堅作家による『[[双亡亭壊すべし]]』([[藤田和日郎]]、2016年)、『[[あおざくら 防衛大学校物語]]』([[二階堂ヒカル]]、2016年〜)、『[[舞妓さんちのまかないさん]]』([[小山愛子]]、2017年〜)、『第九の波濤』([[草場道輝]]、2017年〜)、『十勝ひとちぼっち農園』([[横山裕二]]、2018年〜)、『[[蒼穹のアリアドネ]]』([[八木教広]]、2018年〜)、『[[トニカクカワイイ]]』([[畑健二郎]]、2018年〜)、『[[君は008]]』([[松江名俊]]、2018年〜)、『[[ポンコツちゃん検証中]]』([[福地翼]]、2019年)、『[[MAO (漫画)|MAO]]』([[高橋留美子]]、2019年〜)、『[[よふかしのうた (漫画)|よふかしのうた]]』([[コトヤマ]]、2019年〜)などがヒットし、サンデーの業績を500パーセント近く上昇させた<ref>週刊少年サンデー特集 編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/sunday03</ref>。しかし、他の少年誌と比べるとヒットが小規模であり、アニメ化などのメディア展開が行われる作品も少なく、雑誌の発行部数も減少し続けている。 また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベント『サンデー文化祭』を開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として『[[名探偵コナン ゼロの日常]]』(原作:[[青山剛昌]]・作画:[[新井隆広]]、2018年〜、不定期連載)、『[[名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story]]』(原作:[[青山剛昌]]・作画:[[新井隆広]]、2019年、不定期連載)を連載するなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。 === 2020年代 === 2020年夏、[[2019年新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]の影響で、作家への新型コロナ対策として、2020年27・28臨時合併号、31・32臨時合併号を発行すると発表した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2163127/ 『週刊少年サンデー』夏まで月1ペースで2度臨時合併号発行へ 作家への新型コロナ対策]</ref><ref>[https://natalie.mu/comic/news/380766 週刊少年サンデー、作家への新型コロナ対策のため2度の臨時合併号を発行]</ref>。 『[[葬送のフリーレン]]』(原作:[[山田鐘人]]・作画:[[アベツカサ]]、2020年〜)がヒット。[[マンガ大賞]]2021大賞、第25回[[手塚治虫文化賞]]新生賞などを受賞するなど一躍話題作になった。ほかには、『[[龍と苺]]』([[柳本光晴]]、2020年〜)、『[[かけあうつきひ]]』([[福井セイ]]、2021年〜)などが連載を始めた。 2022年7月、『[[週刊少年ジャンプ]]』と『週刊少年サンデー』 の共同企画として<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/486767|title=“つながる表紙”のジャンプで「ONE PIECE」最終章突入、「食戟のサンジ」最終話も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-25|accessdate=2022-07-27}}</ref>、『[[ONEPIECE]]』の[[尾田栄一郎]]と『[[名探偵コナン]]』の[[青山剛昌]]のスペシャル対談が行われ、これを記念とした[[コラボレーション]]企画として、同年発売の『週刊少年ジャンプ』34号の表紙に名探偵コナンの登場人物である[[安室透]]の、同じく同年発売の『週刊少年サンデー』35号の表紙にONE PIECEの登場人物である[[ロロノア・ゾロ]]のイラストが掲載されている<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/487068|title=新井隆広の読み切りが次号サンデーに、ONE PIECE×コナンの巨大パネルも登場|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-27|accessdate=2022-07-27}}</ref>。 == 特徴 == === 連載傾向と読者層 === 本誌の傾向としては、特に[[ラブコメディ]]と[[恋愛漫画]]にノウハウと強みを持っていることが挙げられる。特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。 他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や、一つの出来事・展開に数話分使うなど、過程を重視する作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある<ref group="注">例としては『[[銭ゲバ]]』や『[[男組]]』、『[[機動警察パトレイバー]]』、『[[魔王 JUVENILE REMIX]]』、『[[ちいさいひと 青葉児童相談所物語]]』など。</ref>。 作品を[[打ち切り]]にする場合、『[[週刊少年ジャンプ]]』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。 [[高橋留美子]]と[[椎名高志]]はサンデーについて、「新人作家の作品に対して読者が優しい」「編集部からの扱いがいい」「少し難しい、考えさせられるマンガも載ってる」「サンデーらしさは品の良さ、優しさ」「週刊少年誌の中でサンデーが一番作家が好き勝手できる」と評価している<ref>高橋留美子×椎名高志、相思相愛リスペクト対談「半妖の夜叉姫」コミカライズ1巻&「MAO」11巻発売記念 (2/2) - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/yashahime_mao/page/2</ref>。 少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている<ref>[http://www.j-magazine.or.jp/data_002/b_shoga_wsan.html JMPA読者構成データ]</ref>。ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。 === 作家 === 漫画家では、[[あだち充]]・[[高橋留美子]]・[[青山剛昌]]・[[藤田和日郎]]・[[満田拓也]]・[[椎名高志]]・[[松江名俊]]・[[畑健二郎]]など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある<ref name="gesan" />。 [[週刊少年ジャンプ]]や[[週刊少年マガジン]]と異なり専属契約制度は無いが、[[赤松健]]はあだち充や高橋留美子などブランド力のある作家がいることや、作家を縛り付けない方針のためではないかとしている<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=Jコミで扉を開けた男“漫画屋”赤松健――その現在、過去、未来(前編)|url=https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1012/08/news020.html|website=ITmedia eBook USER|accessdate=2022-01-07|language=ja}}</ref>。また短期間で配置替えがあることから、編集者と作家の結びつきも弱いとされる<ref name=":0" />。 === 各種コーナー === <!--名案が思い付きませんでした。より良い節名に改善を--> 『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙に[[グラビア写真|グラビア]](『週刊少年マガジン』『週刊少年チャンピオン』なども同様)が付いている号がある。 1983年から目次に自画像と作者のコメントが登場したがそれ以前では柱に『モシモシ先生いますか⁈』と言うコーナーがあった<ref>{{Cite book|和書|title=漫画家の自画像|date=2021-11-30|year=2021|publisher=左右社|page=139}}</ref>。作者のコメントは1994年から読者からの質問になっている。 その他、2001年よりアンケートや[[#読者コーナー|読者投稿コーナー]]がハガキ以外にも[[サンデー青春学園|インターネット]]([https://websunday.net/ ウェブサンデー])からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである<!--←読者コーナーの節を参照-->。[[#読者コーナー|読者コーナー]]の節や[[サンデー青春学園]]も参照のこと。 また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めて[[ウェブコミック配信サイト]]「[[クラブサンデー]]」を、2012年からは「[[裏サンデー]]」を、2016年からは「[[サンデーうぇぶり]]」を開設した。 == 週刊少年サンデー事件史 == * [[1968年]]、読者懸賞の軍装品に対して児童文学者らが賞品の撤回を求めて抗議を行った騒動。詳しくは[[あかつき戦闘隊#あかつき戦闘隊事件|あかつき戦闘隊事件]]を参照。 * [[1986年]]、[[新谷かおる]]が『[[バランサー (漫画)|バランサー]]』のクレームによる改題が発端で編集者との確執に至った<ref group="注">当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版が[[白泉社]]から発行されている。その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。</ref>。 * [[2008年]]、[[雷句誠]]がサンデー編集部での原稿紛失を巡って、小学館に対し損害賠償請求の[[民事訴訟]]を起こした。のちに小学館の謝罪と和解金255万円で和解が成立した。 == 歴代編集長 == # [[豊田亀市]](1959年 - 1960年) # 木下芳雄(1960年 - 1963年) # 堧水尾道雄(1963年 - 1965年) # 小西湧之助(1965年 - 1967年) # 高柳義也(1967年 - 1969年) # 木下賀雄(1969年 - 1970年43号) # 渡辺静夫(1970年44号 - 1972年3・4合併号) # 井上敬三(1972年5号 - 1977年46号) # 田中一喜(1976年47号 - 1984年29号) # 猪俣光一郎(1984年30号 - 1987年27号) # 熊谷玄典(1987年28号 - 1991年32号) # 平山隆(1991年33号 - 1994年33号) # 熊谷玄典(1994年34号 - 1996年33号) # 奥山豊彦(1996年34号 - 2000年16号) # [[都築伸一郎]](2000年17号 - 2001年34号) # [[三上信一]](2001年35号 - 2004年50・51合併号) # [[林正人]](2004年52号 - 2009年35号) # 縄田正樹(2009年36号 - 2012年33号) # 鳥光裕(2012年34号 - 2015年34号) # [[市原武法]](2015年35号 - 2021年46号) # [[大嶋一範]](2021年47号 - ) == 連載作品 == {{Main2|過去の連載作品については[[週刊少年サンデー連載作品の一覧]]を}} 2023年11月8日(2023年50号)現在<!--日付は発売日毎(毎週水曜日)にxx号の数値と共に更新してください。-->連載中の作品。不定期連載作品も含む。 <!-- 週刊少年サンデー公式ホームページに掲載されている作品のみの記載です。 --> <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> <!-- 予告等を元とした情報をコメントアウトで追加する行為は予告が変更されることもあり情報が不確定な上、無駄に編集回数を重ねる事となりますのでおやめください([[Wikipedia:検証可能性]]、[[Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす]])。 --> {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|めいたんていこなん}}[[名探偵コナン]] || {{Display none|あおやま こうしよう}}[[青山剛昌]] || - || 1994年5号 || 不定期連載 |- | {{Display none|めしやあせかんと}}[[MAJOR 2nd]] || {{Display none|みつた たくや}}[[満田拓也]] || - || 2015年15号 ||『[[MAJOR]]』の続編<br/>隔週連載 |- | {{Display none|あおさくらほうえいたいかつこうものかたり}}[[あおざくら 防衛大学校物語]] || {{Display none|にかいとう ひかる}}[[二階堂ヒカル]] || - || 2016年22・23合併号 || |- | {{Display none|まおうしようておやすみ}}[[魔王城でおやすみ]] || {{Display none|くまのまたかきし}}[[熊之股鍵次]] || - || 2016年24号 || |- | {{Display none|こみさんはこみゆしようてす}}[[古見さんは、コミュ症です。]] || {{Display none|おたともひと}}[[オダトモヒト]] || - || 2016年25号 || |- | {{Display none|まいこさんちのまかないさん}}[[舞妓さんちのまかないさん]] || {{Display none|こやま あいこ}}[[小山愛子]] || - || 2017年5・6合併号 || |- | {{Display none|とかちひとりほつちのうえん}}[[十勝ひとりぼっち農園]] || {{Display none|よこやま ゆうし}}[[横山裕二]] || - || 2018年1号 || 掲載順は巻末に固定 |- | {{Display none|とにかくかわいい}}[[トニカクカワイイ|トニカクカワイイ/FLY ME TO THE MOON]] || {{Display none|はた けんしろう}}[[畑健二郎]] || - || 2018年12号 || {{refnest|group="注"|「FLY ME TO THE MOON」はサブタイトル。新章を連載した2021年18号から同21号は、タイトルとサブタイトルが入れ替わった<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20210330dog00m200054000c.html|title=トニカクカワイイ:新章「FLY ME TO THE MOON」開幕 司の知られざる“壮絶な過去”描く|website=MANTANWEB|accessdate=2021-04-12}}</ref>。}} |- | {{Display none|きみはたふるおおえいと}}[[君は008]] || {{Display none|まつえな しゆん}}[[松江名俊]] || - || 2018年13号 || |- | {{Display none|まお}}[[MAO (漫画)|MAO]] || {{Display none|たかはし るみこ}}[[高橋留美子]] || - || 2019年23号 || |- | {{Display none|よふかしのうた}}[[よふかしのうた (漫画)|よふかしのうた]] || {{Display none|ことやま}}[[コトヤマ]] || - || 2019年39号 || |- | {{Display none|そうそうのふりいれん}}[[葬送のフリーレン]] || {{Display none|あへ つかさ}}[[アベツカサ]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|やまた かねと}}[[山田鐘人]]{{Small|(原作)}} || 2020年22・23合併号 || |- | {{Display none|りゆうといちこ}}[[龍と苺]] || {{Display none|やなもと みつはる}}[[柳本光晴]] || - || 2020年25号 || |- | {{Display none|しぶやにあふあみりい}}[[シブヤニアファミリー]] || {{Display none|くめたこうし}}[[久米田康治]] || - || 2021年48号 || |- | {{Display none|しろやまくんとみたさん}}白山と三田さん || {{Display none|くさかへ ゆうへい}}くさかべゆうへい|| - || 2022年2・3合併号 || |- | {{Display none|みかとのさんしまいはあんかいちよろい}}[[帝乃三姉妹は案外、チョロい。]] || {{Display none|ひらかわ あや}}[[ひらかわあや]] || - || 2022年4・5合併号 || |- | {{Display none|れつとふるう}}[[レッドブルー]] || {{Display none|なみきり あつし}}[[波切敦]] || - || 2022年7号 || |- | {{Display none|らすとかるてほうしゆういかくしやとうまけんしようのきおく}}ラストカルテ-法獣医学者 当麻健匠の記憶- || {{Display none|あさやま わかひ}}浅山わかび|| - || 2022年8号 || |- | {{Display none|きみとわるいことかしたい}}君と悪いことがしたい || {{Display none|ゆたか}}由田果|| - || 2022年47号 || |- | {{Display none|たたり}}タタリ || {{Display none|わたり}}彌|| - || 2023年20号 || |- | {{Display none|すうはあすとりんくいせかいけんふんろく}}[[スーパーストリング-異世界見聞録-]] || {{Display none|ぼういち}}[[Boichi]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|ゆん いなん}}[[尹仁完]]{{Small|(原作)}} || 2023年21号 || |- | {{Display none|てのけか}}テノゲカ || {{Display none|あらい あかひろ}}[[新井隆広]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|しいしひ}}詩石灯{{Small|(原作)}}<br />市原理司{{Small|(監修)}} || 2023年25号 || |- | {{Display none|しゆつせきはんこうせろはん}}出席番号0番 || {{Display none|おおた とおみ}}太田トオミ|| - || 2023年45号 || |- | {{Display none|おかみつみきときにちしよう}}尾守つみきと奇日常。 || {{Display none|もりした みゆ}}森下みゆ|| - || 2023年46号 || |- | {{Display none|みすほろ}}みずぽろ || {{Display none|みすくち なおき}}[[水口尚樹]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|いつしき みほ}}[[一色美穂]]{{Small|(原作)}} || 2023年50号 || <!-- ※最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。 ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 最新話掲載号 !! 備考 |- | {{Display none|ましつくかいと}}[[まじっく快斗]] || {{Display none|あおやま こうしよう}}[[青山剛昌]] || - || 1987年26号 || 2017年25号 || |- | {{Display none|あとあすとらへるあすへら}}[[アド アストラ ペル アスペラ]] || {{Display none|はた けんしろう}}[[畑健二郎]] || - || 2015年40号 || 2016年24号 || |} == 発行部数 == * 1959年 30万部(創刊号) * 1963年 40万部<ref>『[[朝日年鑑]] 1964年版』563頁。{{NDLJP|3006395/286}}</ref> * 1969年頃 125万部<ref>「ジャーナリズムと女性(4) まんが雑誌」『月刊婦人展望』1972年4月号、13頁。{{NDLJP|2274163/8}}</ref> * 1983年 228万部(本誌の最高発行部数) * 1989年 140万部 * 1995年 140万部 * 1998年 170万部 * 2001年 150万部 * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,160,913部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,068,265部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,003,708部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 935,729部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 873,438部<ref name="jmpa" /> * 2009年(2008年10月 - 2009年9月) 773,062部<ref name="jmpa" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 866,667 部 || 833,334 部 || 802,084 部 |- ! 2009年 | 781,667 部 || 765,000 部 || 745,770 部 || 717,728 部 |- ! 2010年 | 684,462 部 || 670,417 部 || 645,834 部 || 624,546 部 |- ! 2011年 | 630,770 部 || 605,000 部 || 583,750 部 || 565,584 部 |- ! 2012年 | 540,167 部 || 526,500 部 || 525,834 部 || 520,334 部 |- ! 2013年 | 502,000 部 || 494,000 部 || 532,667 部 || 490,334 部 |- ! 2014年 | 461,250 部 || 445,500 部 || 428,417 部 || 411,250 部 |- ! 2015年 | 393,417 部 || 388,417 部 || 369,231 部 || 356,584 部 |- ! 2016年 | 345,667 部 || 369,833 部 || 330,000 部 || 323,250 部 |- ! 2017年 | 319,667 部 || 315,750 部 || 311,167 部 || 306,000 部 |- ! 2018年 | 298,333 部 || 301,667 部 || 306,667 部 || 296,250 部 |- ! 2019年 | 277,500 部 || 263,333 部 || 252,500 部 || 242,083 部 |- ! 2020年 | 232,500 部 || 223,636 部 || 213,333 部 || 206,818 部 |- ! 2021年 | 200,000 部 || 196,667 部 || 191,250 部 || 188,182 部 |- ! 2022年 | 180,000 部 || 181,667 部 || 197,500 部 || 171,818 部 |- ! 2023年 | 164,231 部 || 160,417 部 || 153,333 部 || |} {{節スタブ|date=2008年8月}} == 増刊号・系列誌 == === 増刊号 === {{See also|週刊少年サンデーの増刊}} * [[週刊少年サンデーS|週刊少年サンデー増刊号→週刊少年サンデー超→週刊少年サンデーS]](1978年 - ) === 系列誌 === * [[ゲッサン]](月刊少年サンデー)(2009年 - ) * [[月刊サンデージェネックス|月刊サンデーGX]](月刊サンデージェネックス)(2000年 - ) * [[別冊少年サンデー]](1960年 - 1974年) * [[週刊ヤングサンデー|ヤングサンデー→週刊ヤングサンデー]] (1987年 - 2008年) ** 『[[ビッグコミック]]』系列誌だったものが改名によってサンデー系列となった。 === ウェブコミック === * [[裏サンデー]](2012年 - ) ** [[マンガワン]](2014年 - ) * [[サンデーうぇぶり]](2016年 - ) ** 週刊少年サンデー、週刊少年サンデーS、ゲッサン、月刊サンデーGXの合同漫画サイト。 == 作品のメディアミックス == === アニメ === <!--毎月1日になってからその月の1日現在に変更してください。なお、放送開始・放送終了があった場合は開始・終了後に開始・終了日現在に変更してください。--> <!--右は現在再放送されていない場合には削除せずコメントアウトしてください。''斜体''は地上波全国ネットでの[[再放送]]が行われている作品。--><!--[[ローカルセールス枠|ローカル枠]]での再放送についてはここでは省略。--> [[2000年代]]中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。 [[1990年代]]半ばまではアニメ化される作品の大半が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列([[フジネットワーク|FNS]])で放送されていたが、[[2023年]]現在は[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[日本ニュースネットワーク|NNN]])、[[テレビ東京]]系列([[TXNネットワーク|TXN]])、[[日本放送協会|NHK]]などのキー局を中心に幅広く放送されることが多い。その一方で、いわゆる「[[UHFアニメ]]」として放送されるものは少なく、2000年代には『[[美鳥の日々]]』が放送された程度であるが、[[深夜アニメ]]の割合が増加した2010年代後半になると、独立局においても少しずつ新作を放送するようになっていった。 ==== 現在放送中の作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 2023年10月現在 !作品 !放送開始日 !アニメーション制作 !備考 |- |[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]] |1996年1月8日 |[[東京ムービー]]→[[トムス・エンタテインメント]] | |- |[[葬送のフリーレン]] |2023年9月29日 |[[マッドハウス]] | |} ==== 放送予定の作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 2023年4月現在 !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |- |[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]] |2024年 |[[デイヴィッドプロダクション|david production]] |第2作第2期。<br />原作の連載は既に終了。 |} ==== 過去にアニメ化された作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[W3]] |1965年6月-1966年6月 |[[虫プロダクション]] |[[週刊少年マガジン]]でも連載 |- | rowspan="3" |[[オバケのQ太郎]]([[オバケのQ太郎 (アニメ)|アニメ]]) |1965年8月-1967年6月(第1作) | rowspan="2" |東京ムービー | rowspan="3" |劇場版あり |- |1971年9月-1972年12月(第2作) |- |1985年4月-1987年3月(第3作) |[[シンエイ動画]] |- | rowspan="2" |[[おそ松くん]] |1966年2月-1967年3月(第1作) |[[チルドレンズ・コーナー]]<br />[[スタジオ・ゼロ]] | rowspan="2" |映画あり |- |1988年2月-1989年12月(第2作) |[[ぴえろ|スタジオぴえろ]] |- | rowspan="2" |[[パーマン]] |1967年4月-1968年4月(第1作) |東京ムービー | rowspan="2" | |- |1983年4月-1985年7月(第2作) |シンエイ動画 |- |[[アニマル1]] |1968年4月-9月 |虫プロダクション | |- |[[サスケ (漫画)|サスケ]] |1968年9月-1969年3月 |[[エイケン (アニメ制作会社)|TCJ]] | |- |[[佐武と市捕物控]] |1968年10月-1969年9月 |虫プロダクション<br />東映動画<br />スタジオ・ゼロ | |- |[[ウメ星デンカ]] |1969年4月-9月 |東京ムービー<br />スタジオ・ゼロ | |- | rowspan="2" |[[もーれつア太郎]] |1969年4月-1970年12月(第1作) | rowspan="2" |[[東映動画]] | rowspan="2" | |- |1990年4月-12月(第2作) |- |[[カムイ外伝]] |1969年4月-9月 |TCJ動画センター |アニメタイトル:忍風カムイ外伝 |- | rowspan="2" |[[どろろ]]([[どろろ (アニメ)|アニメ]]) |1969年4月-9月(第1作) |虫プロダクション | rowspan="2" | |- |2019年1月-6月(第2作) |[[MAPPA]]<br />[[手塚プロダクション]] |- |[[紅三四郎]] |1969年4月-9月 |[[タツノコプロ]] | |- |[[男どアホウ甲子園]] |1970年9月-1971年3月 |[[日本テレビ動画|東京テレビ動画]] |アニメタイトル:男どアホウ!甲子園 |- |[[赤胴鈴之助]] |1972年4月-1973年3月 |東京ムービー | |- |[[ドロロンえん魔くん]] |1973年10月-1974年3月 |東映動画 | |- |[[ダメおやじ]] |1974年4月-10月 |[[ナック (アニメ制作会社)|ナック]] | |- |[[柔道讃歌]] |1974年4月-9月 |東京ムービー | |- |[[一球さん]] |1978年4月-10月 |[[日本アニメーション]]<br />シンエイ動画 | |- |[[ヒット・エンド・ラン (漫画)|ヒット・エンド・ラン]] |1979年2月 |日本アニメーション |アニメタイトル:がんばれ!ぼくらのヒット・エンド・ラン |- |[[がんばれ元気]] |1980年7月-1981年4月 |東映動画 | |- |[[ダッシュ勝平]] |1981年10月-1982年12月 |タツノコプロ | |- | rowspan="2" | [[うる星やつら]]([[うる星やつら (アニメ)|アニメ]]) |1981年10月-1986年3月(第1作) |スタジオぴえろ→[[スタジオディーン|ディーン]] |劇場アニメ、OVAあり |- |2022年10月-2023年3月(第2作第1期) |[[デイヴィッドプロダクション|david production]] | |- |[[さすがの猿飛]] |1982年10月-1984年3月 |[[土田プロダクション]] | |- |[[Gu-Guガンモ]] |1984年3月-1985年3月 |東映動画 | |- |[[ふたり鷹]] |1984年9月-1985年7月 |[[国際映画社]] | |- |[[タッチ (漫画)|タッチ]] |1985年3月-1987年3月 |[[グループ・タック]] |映画あり |- | rowspan="2" |[[プロゴルファー猿]] |1985年4月-1988年3月(第1期) | rowspan="2" |シンエイ動画 | rowspan="2" | |- |1988年4月-6月(第2期) |- |[[六三四の剣]] |1985年4月-1986年9月 |エイケン | |- |[[仮面の忍者 赤影]] |1987年10月-1988年3月 |東映動画<br />[[ライフワーク (アニメ制作会社)|ライフワーク]] | |- | rowspan="2" |[[らんま1/2]] |1989年4月-9月(無印) | rowspan="2" |スタジオ・ディーン | rowspan="2" | |- |1989年10月-1992年9月(熱闘編) |- |[[おれは直角]] |1991年1月-10月 |スタジオぴえろ | |- |[[21エモン]] |1991年5月-1992年3月 |シンエイ動画 | |- |[[YAIBA]] |1993年4月-1994年4月 |パステル |アニメタイトル:剣勇伝説YAIBA |- |[[GS美神 極楽大作戦!!]] |1993年4月-1994年3月 |東映動画 |アニメタイトル:GS美神 |- |[[H2 (漫画)|H2]] |1995年6月-1996年3月 |[[葦プロダクション]] | |- |[[ガンバ!Fly high]] |1996年7月-1997年3月 |サンライズ |アニメタイトル:ガンバリスト!駿 |- |[[烈火の炎]] |1997年7月-1998年7月 |ぴえろ | |- |[[どっきりドクター]] |1998年10月-1999年6月 |ぴえろ | |- | rowspan="2" |[[犬夜叉]]([[犬夜叉 (アニメ)|アニメ]]) |2000年10月-2004年9月(無印) | rowspan="2" |サンライズ | rowspan="2" |劇場版あり |- |2009年10月-2010年4月(完結編) |- |[[ARMS]] |2001年4月-2002年3月 |トムス・エンタテインメント |アニメタイトル:PROJECT ARMS |- |[[天使な小生意気]] |2002年4月-2003年3月 |トムス・エンタテインメント | |- |[[金色のガッシュ!!]] |2003年4月-2006年3月 |東映アニメーション |アニメタイトル:金色のガッシュベル!! |- |[[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]] |2004年1月-12月 |[[オー・エル・エム|OLM]] | |- |[[DAN DOH!!]] |2004年4月-9月 |[[東京キッズ]] | |- |[[美鳥の日々]] |2004年4月-6月 |studioぴえろ | |- |[[焼きたて!!ジャぱん]] |2004年10月-2006年3月 |サンライズ | |- | rowspan="6" |[[MAJOR]]([[メジャー (アニメ)|アニメ]]) |2004年11月-2005年5月(第1期) | rowspan="3" |[[スタジオ雲雀]] | rowspan="6" |アニメタイトル:メジャー |- |2005年12月-2006年6月(第2期) |- |2007年1月-6月(第3期) |- |2008年1月-6月(第4期) | rowspan="3" |[[SynergySP]] |- |2009年1月-6月(第5期) |- |2010年4月-9月(第6期) |- |[[MÄR - Märchen Awakens Romance]] |2005年4月-2007年3月 |SynergySP |アニメタイトル:メルヘヴン |- |[[うえきの法則]] |2005年4月-2006年3月 |スタジオディーン | |- |[[妖逆門]] |2006年4月-2007年3月 |[[ラディクスエースエンタテインメント]] | |- |[[史上最強の弟子ケンイチ]] |2006年10月-2007年9月 |トムス・エンタテインメント |OVAあり |- |[[結界師]]([[結界師 (アニメ)|アニメ]]) |2006年10月-2008年2月 |サンライズ | |- | rowspan="4" |[[ハヤテのごとく!]]([[ハヤテのごとく! (アニメ)|アニメ]]) |2007年4月-2008年3月(第1作) |SynergySP | rowspan="4" |劇場版、OVAあり |- |2009年4月-9月(第2作) |[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] |- |2012年10月-12月(第3作) | rowspan="2" |[[マングローブ (アニメ制作会社)|マングローブ]] |- |2013年4月-7月(第4作) |- |[[絶対可憐チルドレン (アニメ)|絶対可憐チルドレン]] |2008年4月-2009年3月 |SynergySP |スピンオフあり |- |[[クロスゲーム]] |2009年4月-2010年3月 |SynergySP | |- | rowspan="2" |[[まじっく快斗]] |2010年4月-2012年12月(不定期版) |TMS/V1Studio |『名探偵コナン』の枠にて不定期放送 |- |2014年10月-2015年3月(単独版) |[[A-1 Pictures]] |アニメタイトル:まじっく快斗1412 |- | rowspan="3" |[[神のみぞ知るセカイ]] |2010年10月-12月(第1期) | rowspan="3" |マングローブ | rowspan="3" | |- |2011年4月-6月(第2期) |- |2013年7月-9月(第3期) |- | rowspan="2" |[[マギ (漫画)|マギ]] |2012年10月-2013年3月(第1期) | rowspan="2" |A-1 Pictures | rowspan="2" |スピンオフあり |- |2013年10月-2014年3月(第2期) |- |[[アラタカンガタリ〜革神語〜]] |2013年4月-7月 |[[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]]<br />[[JM ANIMATION]] | |- |[[ムシブギョー]] |2013年4月-9月 |[[セブン・アークス・ピクチャーズ]] | |- | rowspan="2" |[[銀の匙 Silver Spoon]] |2013年7月-9月(第1期) | rowspan="2" |A-1 Pictures | rowspan="2" | |- |2014年1月-3月(第2期) |- | rowspan="3" |[[境界のRINNE]] |2015年4月-9月(第1期) | rowspan="3" |[[ブレインズ・ベース]] | rowspan="3" | |- |2016年4月-9月(第2期) |- |2017年4月-9月(第3期) |- |[[電波教師]] |2015年4月-9月 |A-1 Pictures | |- | rowspan="2" |[[うしおととら]] |2015年7月-12月(第1シーズン) | rowspan="2" |MAPPA<br />[[スタジオヴォルン|VOLN]] | rowspan="2" |OVAあり |- |2016年4月-6月(第2シーズン) |- | rowspan="2" |[[だがしかし]] |2016年1月-4月(第1期) |[[フィール (アニメ制作会社)|feel.]] | rowspan="2" | |- |2018年1月-3月(第2期) |手塚プロダクション |- |[[マギ (漫画)#マギ シンドバッドの冒険|マギ シンドバッドの冒険]] |2016年4月-7月 |[[Lay-duce]] |『マギ』のスピンオフ |- |[[競女!!!!!!!!]] |2016年10月-12月 |[[ジーベック (アニメ制作会社)|XEBEC]] | |- | rowspan="2" |[[MAJOR 2nd]] |2018年4月-9月(第1期) | rowspan="2" |オー・エル・エム | rowspan="2" |『MAJOR』の続編<br />アニメタイトル:メジャーセカンド |- |2020年4月-11月(第2期) |- |[[からくりサーカス]] |2018年10月-2019年6月 |スタジオヴォルン | |- | rowspan="2" |[[トニカクカワイイ]] |2020年10月-12月(第1期) | rowspan="2" |Seven Arcs | rowspan="2" |OVAあり |- |2023年4月-6月(第2期) |- |[[魔王城でおやすみ]] |2020年10月-12月 |[[動画工房]] | |- |[[舞妓さんちのまかないさん]] |2021年2月-2022年1月([[NHKワールドTV|NHKワールド JAPAN]])<br />2021年10月-2022年6月([[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) |J.C.STAFF | |- | rowspan="2" |[[古見さんは、コミュ症です。]] |2021年10月-12月(第1期) | rowspan="2" |OLM TEAM KOJIMA | rowspan="2" | |- |2022年4月-6月(第2期) |- |[[名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story]] |2021年12月-2023年3月 |トムス・エンタテインメント |『名探偵コナン』の枠にて不定期放送 |- |[[名探偵コナン ゼロの日常]] |2022年4月-5月 |TMS/第1スタジオ |『名探偵コナン』のスピンオフ |- |[[よふかしのうた (漫画)|よふかしのうた]] |2022年7月-9月 |[[ライデンフィルム]] | |- |[[ノケモノたちの夜]] |2023年1月-3月 |[[葦プロダクション]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 劇場アニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[まことちゃん]] |1980年 |東京ムービー新社 | |- |[[スプリガン (漫画)|スプリガン]] |1998年 |[[STUDIO 4℃]] | |- |[[め組の大吾]] |1999年 |サンライズ | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[ぶっちぎり]] |1989年-1991年 |日本アニメーション | |- |ヘヴィ |1990年 |{{N/A}} | |- |[[究極超人あ〜る]] |1991年 |スタジオこあ | |- |[[スローステップ]] |1991年 |パステル | |- |うしおととら |1992年-1993年 |PASTEL | |- |おいら女蛮 |1992年 |スタジオシグナル | |- |[[今日から俺は!!]] |1993年-1996年 |スタジオぴえろ | |- |[[青の6号]]([[青の6号 (アニメ)|アニメ]]) |1998年-2000年 |[[ゴンゾ|GONZO]] | |- |ハヤテのごとく! |2009年 |J.C.STAFF | |- |絶対可憐チルドレン |2010年 |SynergySP | |- |[[かってに改蔵]] |2011年 |[[シャフト (アニメ制作会社)|シャフト]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webアニメ !作品 !配信年 !アニメーション制作 !備考 |- |スプリガン |2022年 |[[david production]] |[[Netflix]]にて配信 |} ; コミックス限定版や応募者全員サービスとしてのOVA化 : ※印が付く作品は[[2015年]]10月 - 12月に『[[アニサン劇場]]』の枠内でテレビ放送された。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[青山剛昌短編集]] |1999年 |東京ムービー | |- |[[名探偵コナンのOVA一覧|名探偵コナン]] |2000年-2012年 |東京ムービー→TMS/V1Studio | |- |ハヤテのごとく! |2009年 |J.C.STAFF | |- |MAJOR |2010年 |{{N/A}} | |- |神のみぞ知るセカイ |2011年-2012年 |マングローブ |マジカル☆スター かのん100%:2013年 |- |[[技の旅人]] |2011年 |{{N/A}} | |- |史上最強の弟子ケンイチ |2012年-2014年 |ブレインズ・ベース | |- |ムシブギョー |2014年 |{{N/A}} | |- |マギ シンドバッドの冒険 |2014年-2015年 |[[Lay-duce]] | |- |[[ノゾ×キミ]] |2014年 |[[ゼクシズ|ZEXCS]] |※ |- |[[姉ログ 靄子姉さんの止まらないモノローグ]] |2014年 |ブレインズ・ベース |※ |- |[[今際の国のアリス]] |2014年 |[[SILVER LINK.]]<br />CONNECT |※ |- |[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ ステラ]] |2014年 |XEBEC |※ |} ==== タイアップ作品のアニメ化 ==== いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載 * [[スーパージェッター]] * [[冒険ガボテン島]] * [[おらぁグズラだど]] * [[ドカチン]] * [[ゲッターロボ]] * [[機動警察パトレイバー]] * [[戦国コレクション]] - 「サンデー」では『小悪魔王伝 戦コレ!』のタイトルで連載。 * [[ささみさん@がんばらない]] - [[ガガガ文庫]]原作。途中から「サンデーS」へ移籍し完結。 * [[キャプテン・アース]] - アニメオリジナル作品を原作として連載。途中から「クラブサンデー」へ移籍し完結。 === ドラマ === ==== 放送・配信予定の作品 ==== 2022年3月現在。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !年 !制作 !備考 |- |[[舞妓さんちのまかないさん]] |2022年 |STORY株式会社<br />株式会社分福 | |} ==== 過去にドラマ化された作品 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !年 !制作 !備考 |- |[[じんじんの仁]] |1974年 | | |- |天下一大物伝 |1976年 |大映映画株式会社<br />[[東京12チャンネル]] | |- |[[おやこ刑事]] |1979年 |[[東宝]] | |- |[[さよなら三角]] |1983年 |[[フジテレビジョン|フジテレビ]] | |- |なんか妖かい!? |1984年 |[[国際放映]]CX | |- |タッチ |1987年 |フジテレビ<br />[[アズバーズ]] | |- |め組の大吾 |2004年 |フジテレビ制作1部 |ドラマタイトル:FIRE BOYS 〜め組の大吾〜 |- |H2([[H2〜君といた日々|ドラマ]]) |2005年 |[[オフィスクレッシェンド]]<br />[[TBSテレビ|TBS]] |ドラマタイトル:H2〜君といた日々 |- | rowspan="5" |名探偵コナン([[名探偵コナン (テレビドラマ)|ドラマ]]) |2006年(SP第1作) | rowspan="5" |[[讀賣テレビ放送|ytv]] |ドラマタイトル:名探偵コナン10周年ドラマスペシャル 「工藤新一への挑戦状~さよならまでの序章(プロローグ)~」 |- |2007年(SP第2作) |ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一の復活! 〜黒の組織との対決〜 |- |2011年(SP第3作) |ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一への挑戦状〜怪鳥伝説の謎〜 |- |2011年(連続ドラマ) |ドラマタイトル:名探偵コナン 工藤新一への挑戦状 |- |2012年(SP第4作) |ドラマタイトル:名探偵コナンドラマスペシャル 工藤新一 京都新撰組殺人事件 |- |[[ワイルドライフ (漫画)|ワイルドライフ]] |2008年 |アジア・コンテンツ・センター |ドラマタイトル:ワイルドライフ〜国境なき獣医師団R.E.D.〜 |- |[[銭ゲバ]] |2009年 |[[日テレアックスオン|AXON]] | |- | rowspan="4" |[[最上の命医]] |2011年(第1作) | rowspan="4" |[[テレビ東京]]<br />東宝 | rowspan="4" | |- |2016年(第2作) |- |2017年(第3作) |- |2019年(第4作) |- |ハヤテのごとく! |2011年 | |[[台湾ドラマ]]、現地語タイトル:旋風管家 |- |らんま1/2 |2011年 |日テレアックスオン | |- |今日から俺は!!([[今日から俺は!! (テレビドラマ)|ドラマ]]) |2018年 |AX-ON | |- |[[あおざくら 防衛大学校物語]] |2019年 |[[ダブ (企業)|ダブ]] | |- |今際の国のアリス |2020年 |[[ロボット (企業)|ROBOT]] | |- |古見さんは、コミュ症です。 |2021年 |[[日本放送協会|NHK]] | |- |[[お茶にごす。]] |2021年 |テレビ東京<br />[[デジタル・フロンティア]] | |} {{節スタブ|date=2011年5月}} === 実写映画 === * [[カムイ外伝]] * [[今日から俺は!!]] * [[銀の匙 Silver Spoon]] * 高校さすらい派 * [[銭ゲバ]] * [[タッチ (漫画)|タッチ]] * [[ダメおやじ]] * [[どろろ]] * [[ラフ (漫画)|ラフ]] * [[機動警察パトレイバー]] === OV === * [[巨乳ハンター]] === 特撮関連 === [[特撮]]ドラマ化されたものや、[[メディアミックス]]として[[漫画化]]された作品群。 * [[伊賀の影丸]] * [[仮面の忍者 赤影]] * [[キャプテンウルトラ]] * [[ジャイアントロボ]] * [[人造人間キカイダー (漫画)|人造人間キカイダー]] * [[サンダーマスク]] * [[ウルトラマンタロウ]] * [[イナズマン (漫画)|イナズマン]] * [[がんばれ!!ロボコン]] * [[秘密戦隊ゴレンジャー]] * [[仮面ライダーBlack]] == 少年サンデーCM劇場 == [[1995年]]から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品を[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]用にアニメ化して放送していた。これらは[https://m.youtube.com/playlist?list=PLMYSH7b8MrAaA27JAYYL8VMyLj9emUu5k/ YOUTUBE公式プレイリスト]で、一部視聴することができる。そのため、このシリーズで[[製作]]されたことがある作品に関しては、独自の[[パイロット版]]を持たず、この作品がパイロット版と看做される作品となることが多い。『め組の大吾』などは、[[テレビアニメ]]化はされていないが、[[テレビドラマ]]化されている作品も存在する。 アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく!』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。また、『MAJOR』や『からくりサーカス』などのようにかなり遅れてアニメ化される作品も存在する。近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。 === サンデーCM劇場でアニメ化された作品 === <!--放映順。--> * [[名探偵コナン]] * [[MAJOR]] * [["LOVe"]]※ * [[H2 (漫画)|H2]] * [[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]]※ * [[ガンバ!Fly high]] * [[め組の大吾]]※ * [[犬夜叉]] * [[DAN DOH!!]] * [[からくりサーカス]] * [[ARMS]] * [[タキシード銀]]※ * [[デビデビ DEVIL&DEVIL 魔と天はパートナー!?|デビデビ]]※ * [[天使な小生意気]] * [[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]] * [[DAN DOH!!|DAN DOH!! Xi]] * [[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ]]※ * [[金色のガッシュ!!]] * [[焼きたて!!ジャぱん]] * [[うえきの法則]] * [[MÄR]] * [[史上最強の弟子ケンイチ]] * [[ワイルドライフ (漫画)|ワイルドライフ]]※ * [[結界師]] * [[ハヤテのごとく!]] * [[絶対可憐チルドレン]] * [[クロスゲーム]] * [[境界のRINNE]] * [[ムシブギョー|常住戦陣!!ムシブギョー]] * [[電波教師]] * [[BE BLUES!〜青になれ〜]] * [[今際の国のアリス]]※ * [[湯神くんには友達がいない]]※ * [[MAJOR 2nd]] * [[トキワ来たれり!!]]※ : ※が付くのは後に正式なテレビアニメ化がされなかった作品。近年はテレビアニメ化が決定している作品がCMに使われることがほとんどである。 == 海外提携誌 == * 元気少年(台湾・[[青文出版集団]]) * 龍漫少年星期天(中国・吉林美術出版社。編集は小学館の現地合弁法人「上海碧日咨詢事業有限公司」が担当) * BOOKING(韓国・鶴山文化社) * SHONEN STAR(インドネシア・ELEX MEDIA) ※ただし日本作品が全て掲載されているわけではない。 == 読者コーナー == 「[[ジャンプ放送局]]」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の[[高井麻巳子]]、[[渡辺美奈代]]、[[吉沢秋絵]]などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だった[[とんねるず]]が最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。 現在の読者ページは[[2001年]]春に始まった。週刊の少年誌の中で「[[サンデー青春学園]]」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 詩と批評 2014-03 特集*週刊少年サンデーの時代』 [[青土社]]、2014年 * 大野茂:「サンデーとマガジン ー創刊と死闘の15年ー」、光文社新書、ISBN 978-4334035037(2009年4月17日)。 * 伊藤和弘:「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959ー2009、星海社新書、ISBN 978-4065287637(2022年7月21日). ※ライバルの週刊少年サンデーに関する言及も多い。 == 関連項目 == * [[週刊少年サンデー連載作品の一覧]] - 過去の連載作品の一覧。 * [[ゲッサン]] - 月刊少年サンデー。 * [[週刊少年サンデーS]] - サンデーの増刊誌。 * [[月刊サンデージェネックス|月刊サンデーGX]] - サンデーのメディアミックス系漫画雑誌。 * [[クラブサンデー]] - サンデーのウェブコミック配信サイト。 * [[MangaONE]] - 小学館のコミックアプリ。 * [[裏サンデー]] - サンデーのウェブコミック配信サイト。 * [[サンデーうぇぶり]] - 小学館が配信するウェブコミック配信サイト。 * [[サンデー青春学園]] - 読者投稿コーナー。 * [[月刊コロコロコミック]] * [[別冊コロコロコミック]] * [[コロコロイチバン!]] * [[てれびくん]] * [[ビッグコミックスピリッツ]] - サンデーの青年誌版 * [[あつまれ!クイズショー]] == 外部リンク == * [https://websunday.net/ 少年サンデー公式サイト「WEBサンデー」] * {{Twitter|shonen_sunday|少年サンデー編集部}} * {{YouTube|user=clubsundayTV|週刊少年サンデーTV}} * [https://lifetunes-mall.jp/shop/c/c3010/ サンデープレミアムSHOP] {{週刊少年サンデー連載中}} {{小学館}} {{デフォルトソート:しゆうかんしようねんさんてえ}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:小学館の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌|しようねんさんてえ]] [[Category:少年漫画雑誌]] [[Category:週刊少年サンデー|*]] [[Category:1959年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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週刊少年チャンピオン
『週刊少年チャンピオン』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、秋田書店が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1969年7月15日創刊(創刊当初は隔週刊行で誌名も「少年チャンピオン」。1970年6月24日から誌名を「週刊少年チャンピオン」と改めて毎週刊行化)。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。 発行日および発売日は、毎週木曜日(北海道、九州など、一部地域は金曜日。2010年1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった(ただし、「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のままである))。定価は270円。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「少チャン」である(『月刊少年チャンピオン』も共通して使用している)。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、1991年度以降現行のものになっている(1995年度と2015年度、2023年度に「チ」の部分に若干のマイナーチェンジが加えられている)。 過去の掲載作品の変遷の影響により、他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されていると形容される。 チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、雑誌内での相対的な話題作がそのまま絶対的な売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の週刊少年誌の作品に比べて少ない。 新人作家のための増刊号が発行されていないが、その代わり読切や短期集中連載が多く、ほぼ毎週そのための枠が確保されている。それらの作品は、読者から好評と判断されれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。 不人気による打ち切りも他誌同様に存在する。打ち切られた作品でも極端に人気が少ないと判断された場合少年チャンピオン・コミックスが発刊されなかったり、単行本の売上が極端に悪いと判断された場合は最終巻まで発刊されない時もある。 実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合同上他誌と比較しても非常に少なく抑えられているのも特徴であり、その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。そのような作家で連載当初から人気のある作品は、初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となることもある。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。 週刊少年マガジンや週刊少年サンデーと比べるとグラビアが表紙を飾ることが多く、特に水着グラビアが比較的に多い。 月刊少年誌『冒険王』『まんが王』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句で『少年チャンピオン』の誌名で隔週刊(月二刊)誌として創刊。創刊号の表紙にはキックボクサーの沢村忠が起用された。 前年に創刊され、新人中心のラインアップで勝負を余儀なくされた集英社の『少年ジャンプ』と異なり、手塚治虫やさいとう・たかをなど有力作家を連載陣に揃えた。1970年6月24日発売号からの週刊化に伴い誌名は『週刊少年チャンピオン』に改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「サンデーコミックス」のヒットによるものと言われる。この時期の人気連載として、『夕やけ番長』(梶原一騎・荘司としお)、『あばしり一家』(永井豪)、『狂人軍』(藤子不二雄A)、『ガッツジュン』(神保史郎・小畑しゅんじ)、『宇宙猿人ゴリ』(うしおそうじ・一峰大二)、『太陽の恋人』(梶原一騎・かざま鋭二)、『原始少年リュウ』(石ノ森章太郎)、『バビル2世』(横山光輝)などがある。 1972年4月に壁村耐三が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。 劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線で躍進。シリーズとして発展した『ドカベン』(水島新司)やロングセラーとなった『ブラック・ジャック』(手塚治虫)を始め、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄A)、『マーズ』(横山光輝)、『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、作画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『らんぽう』(内崎まさとし)、『レース鳩0777』(飯森広一)、『青い空を、白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)など人気作品が数多く連載され、スポ根、学園もの、ホラー、お色気、ギャグといったほぼ全てのジャンルを網羅。 発行部数も『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破し、ついにトップに立った。しかし、1981年壁村は病魔に倒れ、いったん編集長を辞任する(後任は阿久津邦彦。1985年には復任し、1989年に退任)。1980年代に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争から脱落していく。 1980年代初頭には『るんるんカンパニー』・『クルクルくりん』(とり・みき)、『プラレス3四郎』(牛次郎・神矢みのる)、『すくらっぷ・ブック』・『ぶるうピーター』(小山田いく)、『気分はグルービー』(佐藤宏之)などライトな画風を持つ作品が人気作となったが、1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数が大きく落ち込んでいった。 1985年に壁村耐三が編集長に復帰。この時期には『Let'sダチ公』(積木爆・木村知夫)、『ドッ硬連』(松田一輝)などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『本気!』(立原あゆみ)は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。 この時期の代表作は他に、『大甲子園』・『おはようKジロー』(水島新司)、『4P田中くん』(七三太朗・川三番地)、『熱笑!! 花沢高校』・『怪人ヒイロ』(どおくまん)、『魔界都市ハンター』・『魔界学園』(菊地秀行・細馬信一)、『セパハン』・『原宿こぶし組』(服部かずみ)、『風のフィールド』(みやたけし)、『1と2』(吉田窓)、『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』(沼よしのぶ)、『その気にさせてよmyマイ舞』(山口譲司)などがある。 1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、このころ、『三四郎』(きくち正太)、『男旗』(石山東吉)、『シャカリキ!』(曽田正人)、『ウダウダやってるヒマはねェ!』(米原秀幸)、『覚悟のススメ』(山口貴由)など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年と1993年にそれぞれ連載開始した『グラップラー刃牙』(板垣恵介)と『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次)は続編を含めて20年以上に渡り『チャンピオン』の看板作品となった。 1994年、月刊少年チャンピオンやプレイコミックを担当していた大塚公平が編集長に就任。『優駿の門』(やまさき拓味)、『グルームパーティー』(川島よしお)、『学校怪談』(高橋葉介)、『鉄鍋のジャン!』(西条真二)、『ドカベン プロ野球編』(水島新司)、『京四郎』(樋田和彦)、『特攻天女』(みさき速)といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ (C2)』が長期間続き、以後2000年ごろまで安定した誌面構成が続いた。とりわけ『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。 その後も、冒険ファンタジー『フルアヘッド!ココ』(米原秀幸)・『悟空道』(山口貴由)、お色気学園もの『オヤマ! 菊之助』(瀬口たかひろ)、コメディ『おまかせ!ピース電器店』(能田達規)・うういずみ『2×2』、『ゲッチューまごころ便』(緋采俊樹)、ショートギャグ『おやつ』(おおひなたごう)・『がんばれ酢めし疑獄!!』(施川ユウキ)、不良もの『フジケン』(小沢としお)、スポーツ『満天の星』(楠本哲)など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。 2000 - 2001年ごろには『ななか6/17』(八神健)、『エイケン』(松山せいじ)といった「萌え系」と称される傾向の作品が開始し(両者はともにアニメ化された)、1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も、ブロッコリーとのタイアップにより同社のマスコットキャラクターである「デ・ジ・キャラット(でじこ)」をMCに据えた『でじこのチャンピオンカップ』へとリニューアルされた。 ストーリー漫画ではその後長期連載となる『ショー☆バン』(森高夕次・松島幸太朗)や、ラーメン漫画『虹色ラーメン』(馬場民雄)などの安定した作品、原作は電気グルーヴのメンバーで俳優のピエール瀧、作画は特異な作風で知られる漫$画太郎の『樹海少年ZOO1』やアニメとまったく違う展開を見せたコミカライズ作品『スクライド』などの挑戦的な作品も見られた。 2002年には大塚公平に代わり樋口茂が編集長に就任。1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了したが、それに代わる人気作が産まれなかったため、誌面は不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。 ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『アクメツ』(田畑由秋・余湖裕輝)・『いっぽん!』(佐藤タカヒロ)など2 - 3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『番長連合』(阿部秀司)や『ナンバMG5』(小沢としお)以外は軒並み低調に終わった。 それと前後して誌面におけるメディアミックス系コミカライズ作品も掲載されていたが、『カオシックルーン』(山本賢治)、や『舞-HiME』(矢立肇・キムラノボル・佐藤健悦)など)のコミカライズなどを例外として、どれも低調であった。 一方、ギャグ・コメディ漫画では『無敵看板娘』(佐渡川準)がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。 前述の読者投稿ページは『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1 - 2年足らずのスパンで変更され低迷していたが、2005年1月に開始した西口プロレスとタイアップした『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』は安定した人気を獲得し、2013年9号まで続いた。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、神楽つなを起用した『電遊日記』が開始し、2009年まで続いた。 2005年10月には編集長が沢考史に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。 2006年20号から2009年1号まで表紙に「これ楽しい!これ面白い!!」というキャッチコピーを用い、車田正美による『聖闘士星矢』の続編『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話』とその外伝的作品の連載『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(作画・手代木史織)を立ち上げた。その他、ギャグでは『みつどもえ』(桜井のりお)・『侵略!イカ娘』(安部真弘)・『木曜日のフルット』(石黒正数)、不良漫画では『クローバー』(平川哲弘)、スポーツ漫画では『ANGEL VOICE』(古谷野孝雄)・『弱虫ペダル』(渡辺航)・『バチバチ』シリーズ(佐藤タカヒロ)、その他では『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』(宮崎克・吉本浩二)など、各ジャンルで話題作を輩出している。いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出し、中でも『弱虫ペダル』は『チャンピオン』の看板作品となった。 また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。 2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「何でもありの無差別級まんが雑誌!」が選ばれ(同年40号発表)、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年ごろのものが使用された。 長らく『ドカベン』『浦安』『刃牙』に大きく依存していた週刊少年チャンピオン発の少年チャンピオン・コミックスの売上も、上記の連載作の登場によってその割合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビア(グラビアは『週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック』としてレーベル展開。2010年代前半はAKBグループ、坂道シリーズが独占していたが、2016年ごろよりハロー!プロジェクト・STARDUST PLANET・iDOL Street関連も登場するようになった)が多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。しかし、佐渡川準や佐藤タカヒロなど逝去した漫画家もおり、それに伴い絶筆となった作品もあり、特に佐藤タカヒロが最期に掲載した2018年33号は発売と同時に瞬く間に売り切れる店も少なくなかった。 2016年3月15日、電子版の配信が開始された。配信当初は木曜日に紙の雑誌で発売した内容を、翌週の火曜日に配信する形で行われたが、2017年7号から紙の雑誌が発売される同日に配信されるようになった。ただし、『ドカベン ドリームトーナメント編』と巻頭グラビア企画ページ『週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック』は未掲載。電子版限定として、佐藤タカヒロ追悼記念による『バチバチ』の復刻連載、『ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜』の連載開始記念に合わせて『囚人リク』本編の第1話と第2話を再掲している。 2017年6月、12年弱に渡って本誌を牽引した沢に替わって武川新吾が編集長に就任。 2018年6月、紙版31号にて中断期間を含めて46年間連載していた『ドカベン』シリーズが『ドリームトーナメント編』の最終回をもって完結。 2019年に創刊50周年を迎え、「必死こいて半世紀」というキャッチコピーを用い、名作や2019年時点の人気作のリバイバル再掲載を毎号掲載している。同年46号からはチャンピオンの歴代編集長の活躍を描く漫画『チャンピオンズ〜週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語〜』(魚乃目三太)を連載。また、『グラップラー刃牙』の第1話が板垣恵介本人によってセルフリメイクされた。 この時期の代表作は、ギャグでは『吸血鬼すぐ死ぬ』(盆ノ木至)・『あつまれ!ふしぎ研究部』(安部真弘)、コメディでは『魔入りました!入間くん』(西修)、恋愛漫画では『実は私は』(増田英二)、不良漫画では『シュガーレス』(細川雅巳)・『六道の悪女たち』(中村勇志)、スポーツ漫画では『ハリガネサービス』(荒達哉)・『もういっぽん!』(村岡ユウ)、その他では『囚人リク』(瀬口忍)・『BEASTARS』(板垣巴留)などがあり、いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出している。 他メディアと連動したコラボレーション連載も引き続き実施され、『バイオハザード』や『劇場霊』、『八月のシンデレラナイン』、『ルパン三世』のコミカライズ版を連載。また、スピンオフ作品の連載も行われ、『囚人リク』の外伝的作品である『ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜』(瀬口忍)や『WORST』の外伝的作品である『WORST外伝 グリコ』(高橋ヒロシ・鈴木リュータ)を立ち上げている。 2023年10月5日発売の45号より、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されている。 2023年12月7日(2024年1号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品や短期集中連載作品も含む。 これらの部数は公称値や推定値であり、実数ではないことに注意を要する。 以上は公称値による発表である。 以上の部数は全国出版協会発行の「出版指標 年報」掲載の推定値であり、公称値とは性質が異なる。 1970年に『月刊少年チャンピオン』が創刊したが、同社発行の『冒険王』から漫画部分を吸収する形で兄弟誌の立場になった。その後、新人作家の読切を主とした増刊号が刊行され、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。 現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『範馬刃牙』の総集編や、毎度!浦安鉄筋家族の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『毎度!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行されている。 2023年9月、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、追加料金不要の電子増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されることを発表。同年10月5日発売の『週刊少年チャンピオン』45号に付属し、創刊。電子版限定で新作のオリジナル作品やWEB小説のコミカライズ作品が掲載される。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『週刊少年チャンピオン』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、秋田書店が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1969年7月15日創刊(創刊当初は隔週刊行で誌名も「少年チャンピオン」。1970年6月24日から誌名を「週刊少年チャンピオン」と改めて毎週刊行化)。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "発行日および発売日は、毎週木曜日(北海道、九州など、一部地域は金曜日。2010年1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった(ただし、「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のままである))。定価は270円。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「少チャン」である(『月刊少年チャンピオン』も共通して使用している)。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、1991年度以降現行のものになっている(1995年度と2015年度、2023年度に「チ」の部分に若干のマイナーチェンジが加えられている)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "過去の掲載作品の変遷の影響により、他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されていると形容される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、雑誌内での相対的な話題作がそのまま絶対的な売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の週刊少年誌の作品に比べて少ない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "新人作家のための増刊号が発行されていないが、その代わり読切や短期集中連載が多く、ほぼ毎週そのための枠が確保されている。それらの作品は、読者から好評と判断されれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "不人気による打ち切りも他誌同様に存在する。打ち切られた作品でも極端に人気が少ないと判断された場合少年チャンピオン・コミックスが発刊されなかったり、単行本の売上が極端に悪いと判断された場合は最終巻まで発刊されない時もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合同上他誌と比較しても非常に少なく抑えられているのも特徴であり、その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。そのような作家で連載当初から人気のある作品は、初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となることもある。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "週刊少年マガジンや週刊少年サンデーと比べるとグラビアが表紙を飾ることが多く、特に水着グラビアが比較的に多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "月刊少年誌『冒険王』『まんが王』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句で『少年チャンピオン』の誌名で隔週刊(月二刊)誌として創刊。創刊号の表紙にはキックボクサーの沢村忠が起用された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "前年に創刊され、新人中心のラインアップで勝負を余儀なくされた集英社の『少年ジャンプ』と異なり、手塚治虫やさいとう・たかをなど有力作家を連載陣に揃えた。1970年6月24日発売号からの週刊化に伴い誌名は『週刊少年チャンピオン』に改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「サンデーコミックス」のヒットによるものと言われる。この時期の人気連載として、『夕やけ番長』(梶原一騎・荘司としお)、『あばしり一家』(永井豪)、『狂人軍』(藤子不二雄A)、『ガッツジュン』(神保史郎・小畑しゅんじ)、『宇宙猿人ゴリ』(うしおそうじ・一峰大二)、『太陽の恋人』(梶原一騎・かざま鋭二)、『原始少年リュウ』(石ノ森章太郎)、『バビル2世』(横山光輝)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1972年4月に壁村耐三が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線で躍進。シリーズとして発展した『ドカベン』(水島新司)やロングセラーとなった『ブラック・ジャック』(手塚治虫)を始め、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄A)、『マーズ』(横山光輝)、『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、作画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『らんぽう』(内崎まさとし)、『レース鳩0777』(飯森広一)、『青い空を、白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)など人気作品が数多く連載され、スポ根、学園もの、ホラー、お色気、ギャグといったほぼ全てのジャンルを網羅。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "発行部数も『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破し、ついにトップに立った。しかし、1981年壁村は病魔に倒れ、いったん編集長を辞任する(後任は阿久津邦彦。1985年には復任し、1989年に退任)。1980年代に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争から脱落していく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1980年代初頭には『るんるんカンパニー』・『クルクルくりん』(とり・みき)、『プラレス3四郎』(牛次郎・神矢みのる)、『すくらっぷ・ブック』・『ぶるうピーター』(小山田いく)、『気分はグルービー』(佐藤宏之)などライトな画風を持つ作品が人気作となったが、1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数が大きく落ち込んでいった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1985年に壁村耐三が編集長に復帰。この時期には『Let'sダチ公』(積木爆・木村知夫)、『ドッ硬連』(松田一輝)などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『本気!』(立原あゆみ)は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この時期の代表作は他に、『大甲子園』・『おはようKジロー』(水島新司)、『4P田中くん』(七三太朗・川三番地)、『熱笑!! 花沢高校』・『怪人ヒイロ』(どおくまん)、『魔界都市ハンター』・『魔界学園』(菊地秀行・細馬信一)、『セパハン』・『原宿こぶし組』(服部かずみ)、『風のフィールド』(みやたけし)、『1と2』(吉田窓)、『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』(沼よしのぶ)、『その気にさせてよmyマイ舞』(山口譲司)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、このころ、『三四郎』(きくち正太)、『男旗』(石山東吉)、『シャカリキ!』(曽田正人)、『ウダウダやってるヒマはねェ!』(米原秀幸)、『覚悟のススメ』(山口貴由)など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年と1993年にそれぞれ連載開始した『グラップラー刃牙』(板垣恵介)と『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次)は続編を含めて20年以上に渡り『チャンピオン』の看板作品となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1994年、月刊少年チャンピオンやプレイコミックを担当していた大塚公平が編集長に就任。『優駿の門』(やまさき拓味)、『グルームパーティー』(川島よしお)、『学校怪談』(高橋葉介)、『鉄鍋のジャン!』(西条真二)、『ドカベン プロ野球編』(水島新司)、『京四郎』(樋田和彦)、『特攻天女』(みさき速)といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ (C2)』が長期間続き、以後2000年ごろまで安定した誌面構成が続いた。とりわけ『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "その後も、冒険ファンタジー『フルアヘッド!ココ』(米原秀幸)・『悟空道』(山口貴由)、お色気学園もの『オヤマ! 菊之助』(瀬口たかひろ)、コメディ『おまかせ!ピース電器店』(能田達規)・うういずみ『2×2』、『ゲッチューまごころ便』(緋采俊樹)、ショートギャグ『おやつ』(おおひなたごう)・『がんばれ酢めし疑獄!!』(施川ユウキ)、不良もの『フジケン』(小沢としお)、スポーツ『満天の星』(楠本哲)など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2000 - 2001年ごろには『ななか6/17』(八神健)、『エイケン』(松山せいじ)といった「萌え系」と称される傾向の作品が開始し(両者はともにアニメ化された)、1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も、ブロッコリーとのタイアップにより同社のマスコットキャラクターである「デ・ジ・キャラット(でじこ)」をMCに据えた『でじこのチャンピオンカップ』へとリニューアルされた。 ストーリー漫画ではその後長期連載となる『ショー☆バン』(森高夕次・松島幸太朗)や、ラーメン漫画『虹色ラーメン』(馬場民雄)などの安定した作品、原作は電気グルーヴのメンバーで俳優のピエール瀧、作画は特異な作風で知られる漫$画太郎の『樹海少年ZOO1』やアニメとまったく違う展開を見せたコミカライズ作品『スクライド』などの挑戦的な作品も見られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2002年には大塚公平に代わり樋口茂が編集長に就任。1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了したが、それに代わる人気作が産まれなかったため、誌面は不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『アクメツ』(田畑由秋・余湖裕輝)・『いっぽん!』(佐藤タカヒロ)など2 - 3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『番長連合』(阿部秀司)や『ナンバMG5』(小沢としお)以外は軒並み低調に終わった。 それと前後して誌面におけるメディアミックス系コミカライズ作品も掲載されていたが、『カオシックルーン』(山本賢治)、や『舞-HiME』(矢立肇・キムラノボル・佐藤健悦)など)のコミカライズなどを例外として、どれも低調であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "一方、ギャグ・コメディ漫画では『無敵看板娘』(佐渡川準)がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "前述の読者投稿ページは『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1 - 2年足らずのスパンで変更され低迷していたが、2005年1月に開始した西口プロレスとタイアップした『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』は安定した人気を獲得し、2013年9号まで続いた。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、神楽つなを起用した『電遊日記』が開始し、2009年まで続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2005年10月には編集長が沢考史に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2006年20号から2009年1号まで表紙に「これ楽しい!これ面白い!!」というキャッチコピーを用い、車田正美による『聖闘士星矢』の続編『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話』とその外伝的作品の連載『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(作画・手代木史織)を立ち上げた。その他、ギャグでは『みつどもえ』(桜井のりお)・『侵略!イカ娘』(安部真弘)・『木曜日のフルット』(石黒正数)、不良漫画では『クローバー』(平川哲弘)、スポーツ漫画では『ANGEL VOICE』(古谷野孝雄)・『弱虫ペダル』(渡辺航)・『バチバチ』シリーズ(佐藤タカヒロ)、その他では『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』(宮崎克・吉本浩二)など、各ジャンルで話題作を輩出している。いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出し、中でも『弱虫ペダル』は『チャンピオン』の看板作品となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「何でもありの無差別級まんが雑誌!」が選ばれ(同年40号発表)、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年ごろのものが使用された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "長らく『ドカベン』『浦安』『刃牙』に大きく依存していた週刊少年チャンピオン発の少年チャンピオン・コミックスの売上も、上記の連載作の登場によってその割合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビア(グラビアは『週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック』としてレーベル展開。2010年代前半はAKBグループ、坂道シリーズが独占していたが、2016年ごろよりハロー!プロジェクト・STARDUST PLANET・iDOL Street関連も登場するようになった)が多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。しかし、佐渡川準や佐藤タカヒロなど逝去した漫画家もおり、それに伴い絶筆となった作品もあり、特に佐藤タカヒロが最期に掲載した2018年33号は発売と同時に瞬く間に売り切れる店も少なくなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2016年3月15日、電子版の配信が開始された。配信当初は木曜日に紙の雑誌で発売した内容を、翌週の火曜日に配信する形で行われたが、2017年7号から紙の雑誌が発売される同日に配信されるようになった。ただし、『ドカベン ドリームトーナメント編』と巻頭グラビア企画ページ『週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック』は未掲載。電子版限定として、佐藤タカヒロ追悼記念による『バチバチ』の復刻連載、『ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜』の連載開始記念に合わせて『囚人リク』本編の第1話と第2話を再掲している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2017年6月、12年弱に渡って本誌を牽引した沢に替わって武川新吾が編集長に就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2018年6月、紙版31号にて中断期間を含めて46年間連載していた『ドカベン』シリーズが『ドリームトーナメント編』の最終回をもって完結。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2019年に創刊50周年を迎え、「必死こいて半世紀」というキャッチコピーを用い、名作や2019年時点の人気作のリバイバル再掲載を毎号掲載している。同年46号からはチャンピオンの歴代編集長の活躍を描く漫画『チャンピオンズ〜週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語〜』(魚乃目三太)を連載。また、『グラップラー刃牙』の第1話が板垣恵介本人によってセルフリメイクされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この時期の代表作は、ギャグでは『吸血鬼すぐ死ぬ』(盆ノ木至)・『あつまれ!ふしぎ研究部』(安部真弘)、コメディでは『魔入りました!入間くん』(西修)、恋愛漫画では『実は私は』(増田英二)、不良漫画では『シュガーレス』(細川雅巳)・『六道の悪女たち』(中村勇志)、スポーツ漫画では『ハリガネサービス』(荒達哉)・『もういっぽん!』(村岡ユウ)、その他では『囚人リク』(瀬口忍)・『BEASTARS』(板垣巴留)などがあり、いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "他メディアと連動したコラボレーション連載も引き続き実施され、『バイオハザード』や『劇場霊』、『八月のシンデレラナイン』、『ルパン三世』のコミカライズ版を連載。また、スピンオフ作品の連載も行われ、『囚人リク』の外伝的作品である『ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜』(瀬口忍)や『WORST』の外伝的作品である『WORST外伝 グリコ』(高橋ヒロシ・鈴木リュータ)を立ち上げている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2023年10月5日発売の45号より、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2023年12月7日(2024年1号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品や短期集中連載作品も含む。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "これらの部数は公称値や推定値であり、実数ではないことに注意を要する。", "title": "発行部数" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "以上は公称値による発表である。", "title": "発行部数" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "以上の部数は全国出版協会発行の「出版指標 年報」掲載の推定値であり、公称値とは性質が異なる。", "title": "発行部数" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1970年に『月刊少年チャンピオン』が創刊したが、同社発行の『冒険王』から漫画部分を吸収する形で兄弟誌の立場になった。その後、新人作家の読切を主とした増刊号が刊行され、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『範馬刃牙』の総集編や、毎度!浦安鉄筋家族の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『毎度!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行されている。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2023年9月、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、追加料金不要の電子増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されることを発表。同年10月5日発売の『週刊少年チャンピオン』45号に付属し、創刊。電子版限定で新作のオリジナル作品やWEB小説のコミカライズ作品が掲載される。", "title": "増刊号" } ]
『週刊少年チャンピオン』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、秋田書店が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1969年7月15日創刊(創刊当初は隔週刊行で誌名も「少年チャンピオン」。1970年6月24日から誌名を「週刊少年チャンピオン」と改めて毎週刊行化)。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。
{{Redirect|少年チャンピオン|月刊少年チャンピオン|月刊少年チャンピオン|別冊少年チャンピオン|別冊少年チャンピオン}} {{加筆|2016年〜2017年の推定発行部数|date=2019年4月}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Weekly Shonen Champion.png | 画像説明 = | 誌名 = 週刊少年チャンピオン | 英文誌名 = WEEKLY SHŌNEN CHAMPION | 誌名略称 = チャンピオン・週チャン・WC | ジャンル = 少年向けコミック誌 | 読者対象 = 男性 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#刊行頻度|月2回刊 → 週刊]](木曜日発売 ただし、木曜日が祝日の際は水曜日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 320円(税込) | 出版社 = [[秋田書店]] | 編集部名 = 週刊少年チャンピオン編集部 | 発行人 = 樋口茂 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 松山英生<ref> {{Cite web|和書|title= Xユーザーの演劇ドラフトグランプリ【公式】さん: 「【お知らせ】 審査員としてご参加いただく秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集長につきまして、12月1日付での編集長交代に伴いまして、武川新吾様に代わり、新編集長に就任された松山英生様にご参加いただくこととなりました。 何卒ご了承ください。」 / X |url= https://x.com/engeki_draftgp/status/1730436564059136361?s=46&t=MEc5Liaj8VW10vbNE7Jd8Q |website=X|date=2023-12-01|accessdate=2023-12-20|language=ja}} </ref> | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 969 | 刊行期間 = [[1969年]][[7月15日]] - | レーベル = [[少年チャンピオン・コミックス]] | 発行部数 = 推定21万 | 発行部数調査年月 = 2015年1月 - 2015年12月 | 発行部数調査機関 = [[全国出版協会]] | ウェブサイト = [http://www.akitashoten.co.jp/magazine/w-champion 秋田書店HP内<br />「週刊少年チャンピオン詳細」]<br />{{Twitter|Weekly_Champion}} | 特記事項 = }} 『'''週刊少年チャンピオン'''』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、[[秋田書店]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[少年漫画|少年]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1969年]][[7月15日]]創刊(創刊当初は隔週刊行で誌名も「少年チャンピオン」。[[1970年]][[6月24日]]から誌名を「週刊少年チャンピオン」と改めて毎週刊行化)。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」<ref>{{Cite web|和書|title=週チャンで3号連続「入間くん」&「我々だ!」企画、悪魔学校の新入生も発表|url=https://natalie.mu/comic/news/394830|website=コミックナタリー|accessdate=2020-10-11|language=ja|publisher=株式会社ナターシャ}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「入間くん」「我々だ!」の使い魔ステッカーが週チャンに、「吸死」のジョンも参戦|url=https://news.mynavi.jp/article/20200917-1313215/|website=マイナビニュース|date=2020-09-17|accessdate=2020-10-11|language=ja}}</ref>など。 == 概要 == 発行日および発売日は、毎週[[木曜日]]([[北海道]]、[[九州]]など、一部地域は金曜日。[[2010年]]1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった(ただし、「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のままである))。定価は360[[円 (通貨)|円]]。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「'''少チャン'''」である(『[[月刊少年チャンピオン]]』も共通して使用している)。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、[[1991年]]度以降現行のものになっている([[1995年]]度と[[2015年]]度、[[2023年]]度に「チ」の部分に若干のマイナーチェンジが加えられている)。 過去の掲載作品の変遷の影響により、他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されていると形容される。 チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、雑誌内での相対的な話題作がそのまま絶対的な売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の週刊少年誌の作品に比べて少ない。 新人作家のための増刊号が発行されていないが、その代わり読切や短期集中連載が多く、ほぼ毎週そのための枠が確保されている。それらの作品は、読者から好評と判断されれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。 不人気による[[打ち切り]]も他誌同様に存在する。打ち切られた作品でも極端に人気が少ないと判断された場合[[少年チャンピオン・コミックス]]が発刊されなかったり、単行本の売上が極端に悪いと判断された場合は最終巻まで発刊されない時もある。 実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合同上他誌と比較しても非常に少なく抑えられているのも特徴であり、その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。そのような作家で連載当初から人気のある作品は、初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となることもある。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。 [[週刊少年マガジン]]や[[週刊少年サンデー]]と比べるとグラビアが表紙を飾ることが多く、特に水着グラビアが比較的に多い。 == 歴史 == === 創刊期 === 月刊少年誌『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』『[[まんが王]]』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句<ref>[[本間正夫]]『少年マンガ大戦争 「少年画報」編集長・金子一雄の築いた王国』([[2000年]]、蒼馬社)。</ref>で『少年チャンピオン』の誌名で隔週刊(月二刊)誌として創刊。創刊号の表紙には[[キックボクサー]]の[[沢村忠]]が起用された。 前年に創刊され、新人中心のラインアップで勝負を余儀なくされた集英社の『少年ジャンプ』と異なり、[[手塚治虫]]や[[さいとう・たかを]]など有力作家を連載陣に揃えた。[[1970年]][[6月24日]]発売号からの週刊化に伴い誌名は『週刊少年チャンピオン』に改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「[[サンデーコミックス]]」のヒットによるものと言われる<ref>[[竹熊健太郎]]『マンガ原稿料はなぜ安いのか? 竹熊漫談』(2004年、[[イースト・プレス]])。</ref>。この時期の人気連載として、『[[夕やけ番長]]』([[梶原一騎]]・[[荘司としお]])、『[[あばしり一家]]』([[永井豪]])、『[[狂人軍]]』([[藤子不二雄A|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}]])、『[[ガッツジュン]]』([[神保史郎]]・[[小畑しゅんじ]])、『[[スペクトルマン|宇宙猿人ゴリ]]』([[うしおそうじ]]・[[一峰大二]])、『[[太陽の恋人]]』(梶原一騎・[[かざま鋭二]])、『[[原始少年リュウ]]』([[石ノ森章太郎]])、『[[バビル2世]]』([[横山光輝]])などがある。 === 1970年代 === 1972年4月に[[壁村耐三]]が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。 [[劇画]]路線で青年誌化が進んでいた『[[週刊少年マガジン]]』『[[週刊少年サンデー]]』に対して王道的な少年誌路線<ref>[[米澤嘉博]]『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』([[2002年]]、[[平凡社]]・平凡社新書)。[[夏目房之介]]『マンガの力 成熟する戦後マンガ』(1999年、晶文社)。</ref>で躍進。シリーズとして発展した『[[ドカベン]]』([[水島新司]])やロングセラーとなった『[[ブラック・ジャック]]』([[手塚治虫]])を始め、『[[魔太郎がくる!!]]』([[藤子不二雄A|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}]])、『[[マーズ (漫画)|マーズ]]』([[横山光輝]])、『[[キューティーハニー]]』([[永井豪]])、『[[番長惑星]]』([[石ノ森章太郎]])、『[[恐怖新聞]]』([[つのだじろう]])、『[[ふたりと5人]]』([[吾妻ひでお]])、『[[百億の昼と千億の夜]]』(原作:[[光瀬龍]]、作画:[[萩尾望都]])、『[[がきデカ]]』([[山上たつひこ]])、『[[月とスッポン (漫画)|月とスッポン]]』([[柳沢きみお]])、『[[らんぽう]]』([[内崎まさとし]])、『[[レース鳩0777]]』([[飯森広一]])、『[[青い空を、白い雲がかけてった]]』([[あすなひろし]])、『[[750ライダー]]』([[石井いさみ]])、『[[エコエコアザラク]]』([[古賀新一]])、『[[ゆうひが丘の総理大臣]]』([[望月あきら]])、『[[マカロニほうれん荘]]』([[鴨川つばめ]])など人気作品が数多く連載され、[[スポ根]]、学園もの、ホラー、お色気、[[ギャグ漫画|ギャグ]]といったほぼ全てのジャンルを網羅。 発行部数も『[[週刊少年ジャンプ]]』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破し<ref name="名前なし-1">週刊少年チャンピオン1977年6・7号表紙</ref>、ついにトップに立った。しかし、1981年壁村は病魔に倒れ、いったん編集長を辞任する(後任は[[阿久津邦彦]]。1985年には復任し、1989年に退任)。[[1980年代]]に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争から脱落していく。 === 1980年代 === 1980年代初頭には『[[るんるんカンパニー]]』・『[[クルクルくりん]]』([[とり・みき]])、『[[プラレス3四郎]]』([[牛次郎]]・[[神矢みのる]])、『[[すくらっぷ・ブック]]』・『[[ぶるうピーター]]』([[小山田いく]])、『[[気分はグルービー]]』([[佐藤宏之 (漫画家)|佐藤宏之]])などライトな画風を持つ作品が人気作となったが、1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数が大きく落ち込んでいった。 1985年に壁村耐三が編集長に復帰。この時期には『[[Let'sダチ公]]』([[立原あゆみ|積木爆]]・[[木村知夫]])、『[[ドッ硬連]]』([[松田一輝 (漫画家)|松田一輝]])などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『[[本気!]]』([[立原あゆみ]])は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。 この時期の代表作は他に、『[[大甲子園]]』・『[[おはようKジロー]]』(水島新司)、『[[4P田中くん]]』([[七三太朗]]・[[川三番地]])、『[[熱笑!! 花沢高校]]』・『[[怪人ヒイロ]]』([[どおくまん]])、『[[魔界都市ハンター]]』・『[[魔界学園]]』([[菊地秀行]]・[[細馬信一]])、『[[セパハン (漫画)|セパハン]]』<ref>{{マンガ図書館Z作品|82751|セパハン}}(外部リンク)</ref>・『[[原宿こぶし組]]』<ref>{{マンガ図書館Z作品|121531|原宿こぶし組}}(外部リンク)</ref>([[服部かずみ]])、『[[風のフィールド]]』([[みやたけし]])、『[[1と2]]』([[吉田窓]])、『[[激闘!!荒鷲高校ゴルフ部]]』([[沼よしのぶ]])、『[[その気にさせてよmyマイ舞]]』([[山口譲司]])などがある。 === 1990年代 === 1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、このころ、『三四郎<sup>2</sup>』([[きくち正太]])、『[[男旗]]』<ref>{{マンガ図書館Z作品|70391|男旗}}(外部リンク)</ref>([[石山東吉]])、『[[シャカリキ!]]』([[曽田正人]])、『[[ウダウダやってるヒマはねェ!]]』([[米原秀幸]])、『[[覚悟のススメ]]』([[山口貴由]])など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年と1993年にそれぞれ連載開始した『[[グラップラー刃牙]]』([[板垣恵介]])と『[[浦安鉄筋家族]]』([[浜岡賢次]])は続編を含めて20年以上に渡り『チャンピオン』の看板作品となった。 1994年、[[月刊少年チャンピオン]]や[[プレイコミック]]を担当していた[[二階堂卓也|大塚公平]]が編集長に就任。『[[優駿の門]]』([[やまさき拓味]])、『[[グルームパーティー]]』([[川島よしお]])、『[[学校怪談 (高橋葉介の漫画)|学校怪談]]』([[高橋葉介]])、『[[鉄鍋のジャン!]]』([[西条真二]])、『[[ドカベン プロ野球編]]』(水島新司)、『[[京四郎]]』([[樋田和彦]])、『[[特攻天女]]』([[みさき速]])といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも[[1995年]]1号に開始した『チャンピオンカップ (C2)』が長期間続き、以後2000年ごろまで安定した誌面構成が続いた。とりわけ『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。 その後も、冒険ファンタジー『[[フルアヘッド!ココ]]』(米原秀幸)・『[[悟空道]]』(山口貴由)、お色気学園もの『[[オヤマ! 菊之助]]』([[瀬口たかひろ]])、コメディ『[[おまかせ!ピース電器店]]』([[能田達規]])・うういずみ『2×2』、『[[ゲッチューまごころ便]]』([[緋采俊樹]])、ショートギャグ『おやつ』([[おおひなたごう]])・『[[がんばれ酢めし疑獄!!]]』([[施川ユウキ]])、不良もの『[[フジケン (漫画)|フジケン]]』([[小沢としお]])、スポーツ『満天の星』([[楠本哲]])など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。 === 2000年代前半 === 2000 - 2001年ごろには『[[ななか6/17]]』([[八神健]])、『[[エイケン (漫画)|エイケン]]』([[松山せいじ]])といった「萌え系」と称される傾向の作品が開始し(両者はともにアニメ化された)、1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も、[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]]とのタイアップにより同社のマスコットキャラクターである「[[デ・ジ・キャラット]](でじこ)」をMCに据えた『[[でじこのチャンピオンカップ]]』へとリニューアルされた{{efn2|これらの路線を推し進めたチャンピオン編集者・伊藤純(2002 - 2005年は副編集長)らの異動により、現在コミカライズ作品や萌え系作品はほぼ全て『[[チャンピオンRED]]』へ移動している。}}。 ストーリー漫画ではその後長期連載となる『[[ショー☆バン]]』([[コージィ城倉|森高夕次]]・[[松島幸太朗 (漫画家)|松島幸太朗]])や、ラーメン漫画『[[虹色ラーメン]]』([[馬場民雄]])などの安定した作品、原作は[[電気グルーヴ]]のメンバーで[[俳優]]の[[ピエール瀧]]、作画は特異な作風で知られる[[漫☆画太郎|漫$画太郎]]の『[[樹海少年ZOO1]]』やアニメとまったく違う展開を見せたコミカライズ作品『[[スクライド (漫画)|スクライド]]』などの挑戦的な作品も見られた。 2002年には[[二階堂卓也|大塚公平]]に代わり樋口茂が編集長に就任。1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了したが、それに代わる人気作が産まれなかったため、誌面は不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。 ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『[[アクメツ]]』([[田畑由秋]]・[[余湖裕輝]])・『[[いっぽん!]]』([[佐藤タカヒロ]])など2 - 3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『[[番長連合]]』([[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]])や『[[ナンバMG5]]』(小沢としお)以外は軒並み低調に終わった。 それと前後して誌面におけるメディアミックス系コミカライズ作品も掲載されていたが、『[[カオシックルーン]]』([[山本賢治]]){{efn2|ただしメディアミックス計画(カードゲーム化)は連載途中で白紙となった。}}、や『[[舞-HiME]]』([[矢立肇]]・[[木村暢|キムラノボル]]・[[佐藤健悦]])など)のコミカライズなどを例外として、どれも低調であった。 一方、ギャグ・コメディ漫画では『[[無敵看板娘]]』([[佐渡川準]])がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。 前述の読者投稿ページは『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1 - 2年足らずのスパンで変更され低迷していたが、2005年1月に開始した[[西口プロレス]]とタイアップした『[[西口プロレス認定 チャンピオン投稿コロシアム|チャンピオン投稿コロシアム (CTC)]]』は安定した人気を獲得し、2013年9号まで続いた。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、[[神楽つな]]を起用した『電遊日記』が開始し、2009年{{efn2|2009年12月24日発売の2010年4・5合併号まで。}}まで続いた。 === 2000年代後半 === 2005年10月には編集長が[[沢考史]]に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。 2006年20号から2009年1号まで表紙に「'''これ楽しい!これ面白い!!'''」というキャッチコピーを用い、[[車田正美]]による『[[聖闘士星矢]]』の続編『[[聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話]]』とその外伝的作品の連載『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』(作画・[[手代木史織]])を立ち上げた。その他、ギャグでは『[[みつどもえ]]』([[桜井のりお]])・『[[侵略!イカ娘]]』([[安部真弘]])・『[[木曜日のフルット]]』([[石黒正数]])、不良漫画では『[[クローバー (平川哲弘の漫画)|クローバー]]』([[平川哲弘]])、[[スポーツ漫画]]では『[[ANGEL VOICE (漫画)|ANGEL VOICE]]』([[古谷野孝雄]])・『[[弱虫ペダル]]』([[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]])・『[[バチバチ]]』シリーズ(佐藤タカヒロ)、その他では『[[ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜]]』([[宮崎まさる|宮崎克]]・[[吉本浩二]])など、各ジャンルで話題作を輩出している。いくつかの作品は[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や[[テレビドラマ]]など他のメディアにも進出し、中でも『弱虫ペダル』は『チャンピオン』の看板作品となった。 また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。 2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「'''何でもありの無差別級まんが雑誌!'''」が選ばれ(同年40号発表)、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年ごろのものが使用された。 === 2010年代 === 長らく『ドカベン』『浦安』『刃牙』に大きく依存していた週刊少年チャンピオン発の[[少年チャンピオン・コミックス]]の売上も、上記の連載作の登場によってその割合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビア(グラビアは『'''週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック'''』としてレーベル展開。2010年代前半は[[AKBグループ]]、[[坂道シリーズ]]が独占していたが、2016年ごろより[[ハロー!プロジェクト]]・[[スターダストプロモーション#音楽アーティスト・アイドル|STARDUST PLANET]]・[[iDOL Street]]関連も登場するようになった)が多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。しかし、[[佐渡川準]]や[[佐藤タカヒロ]]など逝去した漫画家もおり、それに伴い[[絶筆]]となった作品もあり、特に佐藤タカヒロが最期に掲載した2018年33号は発売と同時に瞬く間に売り切れる店も少なくなかった。 2016年3月15日、[[電子書籍|電子]]版の配信が開始された。配信当初は木曜日に紙の雑誌で発売した内容を、翌週の火曜日に配信する形で行われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ3B4T4ZJ3BUCVL00G.html|title=「少年チャンピオン」電子版、15日から配信 秋田書店|publisher=[[朝日新聞]]|date=2016-03-10|accessdate=2017-03-09}}</ref>が、2017年7号から紙の雑誌が発売される同日に配信されるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/12/news083.html|title=「週刊少年チャンピオン」「別冊少年チャンピオン」の電子版が紙版と同時発売に ジャンプ・マガジン・サンデーに続き|publisher=[[ねとらぼ]]|date=2017-01-12|accessdate=2017-03-09}}</ref>。ただし、『[[ドカベン ドリームトーナメント編]]』と巻頭グラビア企画ページ『'''週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック'''』は未掲載。電子版限定として、[[佐藤タカヒロ]]追悼記念による『バチバチ』の復刻連載、『[[囚人リク|ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜]]』の連載開始記念に合わせて『[[囚人リク]]』本編の第1話と第2話を再掲している。 2017年6月、12年弱に渡って本誌を牽引した沢に替わって武川新吾が編集長に就任。 2018年6月、紙版31号にて中断期間を含めて46年間連載していた『ドカベン』シリーズが『ドリームトーナメント編』の最終回をもって完結<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/28/kiji/20180628s00041000127000c.html|title=「ドカベン」 28日発売号で完結 46年の歴史に幕|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2018-06-28|accessdate=2018-07-01}}</ref>。 2019年に創刊50周年を迎え、「'''必死こいて半世紀'''」というキャッチコピーを用い、名作や2019年時点の人気作のリバイバル再掲載を毎号掲載している。同年46号からはチャンピオンの歴代編集長の活躍を描く漫画『[[チャンピオンズ〜週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語〜]]』([[魚乃目三太]])を連載。また、『グラップラー刃牙』の第1話が[[板垣恵介]]本人によってセルフリメイクされた。 この時期の代表作は、ギャグでは『[[吸血鬼すぐ死ぬ]]』([[盆ノ木至]])・『[[あつまれ!ふしぎ研究部]]』([[安部真弘]])、コメディでは『[[魔入りました!入間くん]]』([[西修 (漫画家)|西修]])、恋愛漫画では『[[実は私は]]』([[増田英二]])、不良漫画では『[[シュガーレス (漫画)|シュガーレス]]』([[細川雅巳]])・『[[六道の悪女たち]]』([[中村勇志]])、[[スポーツ漫画]]では『[[ハリガネサービス]]』([[荒達哉]])・『[[もういっぽん!]]』([[村岡ユウ]])、その他では『[[囚人リク]]』([[瀬口忍]])・『[[BEASTARS]]』([[板垣巴留]])などがあり、いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出している。 他メディアと連動したコラボレーション連載も引き続き実施され、『[[バイオハザードシリーズ|バイオハザード]]』や『[[劇場霊]]』、『[[八月のシンデレラナイン]]』、『[[ルパン三世]]』のコミカライズ版を連載。また、スピンオフ作品の連載も行われ、『囚人リク』の外伝的作品である『[[囚人リク|ボスレノマ 〜囚人リク外伝〜]]』(瀬口忍)や『[[WORST (漫画)|WORST]]』の外伝的作品である『[[WORST (漫画)|WORST外伝 グリコ]]』([[高橋ヒロシ]]・[[鈴木リュータ]])を立ち上げている。 === 2020年代 === 2023年10月5日発売の45号より、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されている{{R|natalie20231005}}。 == 連載作品 == {{Main2|過去の連載作品については[[週刊少年チャンピオン連載作品の一覧]]を}} 2023年12月7日(2024年1号)現在<!--日付は発売日毎(毎週木曜日)にxx号の数値と共に更新してください(休刊日や木曜日以外の日付にしないように)。-->連載中の作品。休載中の不定期連載作品や短期集中連載作品も含む。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画・小説) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|よわむしへたる}}[[弱虫ペダル]] || {{Display none|わたなへ わたる}}[[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]] || - || 2008年12号 || |- | {{Display none|もくようひのふるつと}}[[木曜日のフルット]] || {{Display none|いしくろ まさかす}}[[石黒正数]] || - || 2009年6号 || 掲載順は巻末に固定 |- | {{Display none|あつまれふしきけんきゆうふ}}[[あつまれ!ふしぎ研究部]] || {{Display none|あんへ まさひろ}}[[安部真弘]] || - || 2016年44号 || |- | {{Display none|まいりましたいるまくん}}[[魔入りました!入間くん]] || {{Display none|にし おさむ}}[[西修 (漫画家)|西修]] || - || 2017年14号 || |- | {{Display none|あつはれうらやすてつきんかそく}}[[浦安鉄筋家族|あっぱれ!浦安鉄筋家族]] || {{Display none|はまおか けんし}}[[浜岡賢次]] || - || 2018年16号 || 「浦安鉄筋家族」シリーズの続編第4作 |- | {{Display none|わあすとかいてんくりこ}}[[WORST (漫画)|WORST外伝 グリコ]] || {{Display none|すすき りゆうた}}鈴木リュータ{{Small|(作画)}} || {{Display none|たかはし ひろし}}[[高橋ヒロシ]]{{Small|(原作)}} || 2019年7号 || 「WORST」のスピンオフ作品 |- | {{Display none|しやい}}[[SHY (漫画)|SHY]] || {{Display none|みき ふきみ}}[[実樹ぶきみ]] || - || 2019年35号 || |- | {{Display none|まかいのしゆやくはわれわれた}}[[魔界の主役は我々だ!]] || {{Display none|つたぬま あつし}}津田沼篤{{Small|(作画)}} || {{Display none|にし おさむ}}[[西修 (漫画家)|西修]]{{Small|(監修)}}<br/>{{Display none|こねしま}}コネシマ{{Small|(原作監修)}} || 2020年6号 || 「魔入りました!入間くん」<br />のスピンオフ作品 |- | {{Display none|こえかたせないしようしよはかのしよかやさしすきるとおもつている}}[[声がだせない少女は「彼女が優しすぎる」と思っている|声がだせない少女は「彼女が<br />優しすぎる」と思っている]]|| {{Display none|やむら いち}}矢村いち || - || 2020年11号 || |- | {{Display none|やんきいしええけえくすはなちやん}}[[ヤンキーJKクズハナちゃん]] || {{Display none|そかへ としのり}}[[宗我部としのり]] || - || 2020年16号 ||読み切りから連載化 |- | {{Display none|とうけんあんき}}[[桃源暗鬼]] || {{Display none|うるしはら ゆら}}[[漆原侑来]] || - || 2020年28号 || |- | {{Display 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none|へりやま}}[[縁山]] || - || 2023年29号 || |- | {{Display none|すいふやめたいはきのさん}}吹部やめたい萩野さん || {{Display none|ももはら}}桃原 || - || 2023年31号 || |- | {{Display none|すらいむむすめはしんしよくしたい}}スライム娘は侵食したい! || {{Display none|はしもと くらら}}橋本くらら || - || 2023年33号 || |- | {{Display none|ふえあうえいのこえをきかせて}}フェアウェイの声をきかせて || {{Display none|しいは ひろみ}}椎葉裕巳 || - || 2023年35号 || |- | {{Display none|はきらへん}}[[グラップラー刃牙|刃牙らへん]] || {{Display none|いたかき けいすけ}}[[板垣恵介]] || - || 2023年39号 || 「刃牙」シリーズの続編第6作 |- | {{Display none|ほうけつのろにい}}宝血のロニー || {{Display none|のた}}NODA || - || 2023年43号 || |- | {{Display none|はいいろのおんみようし}}灰色の陰陽師 || {{Display none|ねこの はちおき}}猫野八置 || - || 2023年53号 || |- | {{Display none|まいりましたいるまくん}}[[魔入りました!入間くん カルエゴ外伝]] || {{Display none|にし おさむ}}[[西修 (漫画家)|西修]] || - || 2024年1号 || 「魔入りました!入間くん」<br />のスピンオフ作品<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/539069|title=「入間くん」新スピンオフ2本始動、カルエゴの学生時代&マフィアになった入間の物語|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-08-31|accessdate=2023-12-07}}</ref> <!-- ※最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。 ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|せいんとせいやねくすとていめんしよんめいおうしんわ}}[[聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話]] || {{Display none|くるまた まさみ}}[[車田正美]] || - || 2006年36・37合併号 || シリーズ連載 |- | {{Display none|はきかいてんすかあふえいす}}[[グラップラー刃牙|バキ外伝 疵面-スカーフェイス-]] || {{Display none|やまうち ゆきなお}}山内雪奈生{{Small|(作画)}} || {{Display none|いたかき けいすけ}}[[板垣恵介]]{{Small|(原作)}} || 2009年7号 || 「刃牙」シリーズのスピンオフ作品 |- | {{Display none|きゆうけつきすくしぬ}}[[吸血鬼すぐ死ぬ]] || {{Display none|ほんのき いたる}}[[盆ノ木至]] || - || 2015年30号 || |} == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[夕やけ番長]] |1968年9月-1969年3月 |[[東京テレビ動画]] | |- |[[原始少年リュウ]] |1971年10月-1972年3月 |[[東映動画]] | |- | rowspan="2" |[[バビル2世]] |1973年1月-9月(第1作) |東映動画 | rowspan="2" |OVAあり |- |2001年10月-12月(第2作) |[[ベガエンタテイメント]] |- |[[ミクロイドS]] |1973年4月-10月 |東映動画 | |- | rowspan="3" |[[キューティーハニー]] |1973年10月-1974年3月(第1作) | rowspan="2" |東映動画 | rowspan="3" |OVAあり |- |1997年2月-1998年1月(第2作) |- |2018年4月-6月(第3作) |[[プロダクション リード]] |- |[[ドカベン]] |1976年10月-1979年12月 |[[日本アニメーション]]<br />[[土田プロダクション]] | |- |[[ドン・ドラキュラ]] |1982年4月 |じんプロダクション | |- |[[プラレス3四郎]] |1983年6月-1984年2月 |[[カナメプロダクション]] | |- |[[らんぽう]] |1984年4月-9月 |[[日本アドシステムズ|NAS]] | |- |[[がきデカ]] |1989年10月-1990年3月 |[[ぎゃろっぷ|スタジオぎゃろっぷ]] |OVAあり |- | rowspan="2" |[[浦安鉄筋家族]] |1998年6月-8月(第1期) | rowspan="2" |[[スタジオディーン]] | rowspan="2" | |- |2014年7月-12月(第2期) |- |[[グラップラー刃牙]] |2001年1月-12月 ||[[グループ・タック]] | |- |[[ハングリーハート WILD STRIKER]] |2002年9月-2003年9月 |日本アニメーション | |- |[[マーズ (漫画)|マーズ]] |2002年10月-2003年2月 |プラム<br />[[スタジオガッツ]] |OVAあり |- |[[ななか6/17]] |2003年1月-3月 |[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] | |- | rowspan="2" |[[ブラック・ジャック]]([[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|アニメ]]) |2004年10月-2006年3月(無印) | rowspan="2" |手塚プロダクション | rowspan="2" |OVAあり |- |2006年4月-9月([[ブラック・ジャック21|21]]) |- |[[無敵看板娘]] |2006年7月-9月 |テレコム・アニメーションフィルム | |- | rowspan="2" |[[みつどもえ]] |2010年7月-9月(第1期) | rowspan="2" |[[ブリッジ (アニメ制作会社)|ブリッジ]] | rowspan="2" |特別編1話(第1期)あり |- |2011年1月-2月(第2期) |- | rowspan="2" |[[侵略!イカ娘]] |2010年10月-12月(第1期) | rowspan="2" |[[ディオメディア]] | rowspan="2" | |- |2011年9月-12月(第2期) |- | rowspan="5" |[[弱虫ペダル]] |2013年10月-2014年6月(第1期) | rowspan="4" |[[トムス・エンタテインメント|TMS/8PAN]] | rowspan="5" |映画あり |- |2014年10月-2015年3月(第2期) |- |2017年1月-6月(第3期) |- |2018年1月-6月(第4期) |- |2022年10月-2023年3月(第5期) |TMS/Die4studio |- |[[実は私は]] |2015年7月-9月 |トムス・エンタテインメント/3xCube | |- |[[魔法少女サイト]] |2018年4月-6月 |production dóA | |- | rowspan="2" |[[グラップラー刃牙|バキ]] |2018年7月-12月(第1期) | rowspan="2" |TMS/だぶるいーぐる | rowspan="2" |『グラップラー刃牙』の続編 |- |2020年7月-9月(第2期) |- | rowspan="3" |[[魔入りました!入間くん]] |2019年10月-2020年3月(第1期) | rowspan="3" |[[バンダイナムコピクチャーズ|BNピクチャーズ]] | rowspan="3" | |- |2021年4月-9月(第2期) |- |2022年10月-2023年3月(第3期) |- | rowspan="2" |[[BEASTARS]] |2019年10月-12月(第1期) | rowspan="2" |[[オレンジ (アニメ制作会社)|オレンジ]] | rowspan="2" | |- |2021年1月-3月(第2期) |- | rowspan="2" |[[吸血鬼すぐ死ぬ]] |2021年10月-12月(第1期) |rowspan="2" |[[マッドハウス]] |rowspan="2" | |- |2023年1月-3月(第2期) |- |[[もういっぽん!]] |2023年1月-4月 |BAKKEN RECORD | |- | rowspan="2" |[[僕の心のヤバイやつ]] |2023年4月-6月(第1期) | rowspan="2" |[[シンエイ動画]] | rowspan="2" | |- |2024年1月-(第2期) |- |[[六道の悪女たち]] |2023年4月-6月 |[[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]] |- |[[AIの遺電子]] |2023年7月-9月 |マッドハウス | |- | rowspan="2" |[[SHY (漫画)|SHY]] |2023年10月-12月(第1期) | rowspan="2" |[[エイトビット]] | rowspan="2" | |- |{{TBA}}(第2期) |- |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[本気!]] |1990年 ! | |- |[[恐怖新聞]] |1991年 |[[ぴえろ|ぴえろプロジェクト]] | |- |[[あばしり一家]] |1992年 |スタジオぴえろ<br />[[東京キッズ]] | |- |[[その気にさせてよmyマイ舞]] |1993年 ! | |- |[[ウダウダやってるヒマはねェ!]] |1995年 ! | |- |[[覚悟のススメ]] |1996年 |[[葦プロダクション]] | |- |[[エイケン (漫画)|エイケン]] |2003年-2004年 |J.C.STAFF | |- | rowspan="2" |[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]] |2009年-2010年(第1章) | rowspan="2" |[[東京ムービー]] | rowspan="2" |[[週刊少年ジャンプ]]で連載された『[[聖闘士星矢]]』の外伝 |- |2011年(第2章) |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webアニメ !作品 !配信年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[ペンギン娘]] |2008年 |[[ピクチャーマジック]] | |- |[[グラップラー刃牙#第3作『範馬刃牙』|範馬刃牙]] |2021年(第1期) |トムス・エンタテインメント |『バキ』の続編 |} === テレビドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !放送年 !制作 !備考 |- | rowspan="2" |弱虫ペダル |2016年(第1期) | rowspan="2" |[[東宝映像事業部]] | rowspan="2" | |- |2017年(第2期) |- |恐怖新聞 |2020年 |[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[松竹]] | |- |浦安鉄筋家族 |2020年 |[[テレビ東京]]、[[メディアプルポ]] | |- |[[ナンバMG5]] |2022年 |[[フジテレビジョン|フジテレビ]]第一制作部 | |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !公開年 !監督 !配給 !備考 |- | rowspan="2" |本気! |1991年 |[[吉川一義 (テレビドラマ監督)|吉川一義]] |[[東映]] | |- |1994年-2004年 | colspan="2" | |[[オリジナルビデオ]] |- | rowspan="3" |恐怖新聞 |1996年(第1作) |[[石井てるよし]] | |オリジナルビデオ |- |2004年(予言) |[[鶴田法男]] |東宝 |[[Jホラーシアター]]シリーズ第1弾作品 |- |2011年(第2作) |[[大森研一]] | | |- |あばしり一家 |2009年 |石井てるよし | | |- |弱虫ペダル |2020年 |[[三木康一郎]] |松竹 | |} == 読者投稿ページ == * チャンピオンパック(1970年代) * ビッグスペース(1980年代) * シルクハットハウス(1980年代後半まで) * スクランブルニュース(1980年代後半 - 1990年代初頭) * チャンピオンベストステージ(1990年代初頭 - 1994年) * 寄席ばいいのに!(1994年) * チャンピオンカップ (C2)(1995年1号 - 2001年18号) * [[でじこのチャンピオンカップ]](2001年19号 - 2002年36号) * チャンピオンロード(2002年37+38号 - 2003年29号) * 黒チャンピオン党(2003年30号 - 2005年6号) * [[西口プロレス認定 チャンピオン投稿コロシアム]] (CTC)(2005年7号 - 2013年9号) * [[EXIT TUNESプレゼンツ 週刊3D 出口はドコだ!?]](週刊3D)(2013年10号 - 2014年24号) * [[週チャンひみつ基地局]](チャンみつ)(2014年28号 - 2018年33号) * 週刊少年チャンピオン50thアニバーサリー(2018年34号 - ) ** 週刊少年チャンピオンの歴代連載作品の紹介を主とするコーナー。 == 連載記事 == === ゲーム紹介 === ; K&amp;O Bros.の電気頭脳園(ケーオーブラザーズのでんきずのうえん) :(構成:[[笠井修]]・[[大崎悌造]](交代で担当)、本文カット:[[島村英康]]→[[仲田リズム]]→[[村瀬範行]](代替わりで担当))?年 - 2004年30号 :中間の仲田リズム担当時代は批評者に「担当編集者S」(イラストによると女性)が加わっていたので、「K&amp;O Bros.の」を外した「電気頭脳園」が正式名称だった。 ; エリス&amp;モリソン&amp;パチの電遊日記(-でんゆうにっき) :(構成・文:[[ブレインナビ]]・[[スタジオサバイヴ]]・Wyvern(ワイバーン)(担当は不規則。)、本文イラスト:[[神楽つな]])2004年31号 - 2010年4・5合併号 :パチは途中から登場したキャラクターなので、それ以前のタイトルは「エリス&amp;モリソンの電遊日記」だった。 ; ギャル番ゲーマー マリー :(構成・文:スタジオサバイヴ、本文イラスト:[[結路いさと]](ゆろ いさと))2010年6号 - 2011年52号 ; 週チャンゲーム板 :(構成・文:スタジオサバイヴ) :; VER.1 神と犬と山下の週チャンゲーム板 ::(本文イラスト:[[野呂俊介]])2012年1号 - 53号 :; VER.2 馬とスマホと橘の週チャンゲーム板 ::(本文イラスト:[[福井しゅん]])2013年1号 - 52号 :; VER.3 悪魔と僕と木口卓の週チャンゲーム板(あくまとしもべとキグタクの-) ::(本文イラスト:[[都尾琉]](みやお りゅう))2014年1号 - === 総合情報コーナー === * チャンピオンレーダー(1970年代 - 1980年) * 情報チャンネルあいどる組 * マイ・ワールド * 情報エクスプレス(アーティストインタビューやイベント情報、プレゼント情報のページ) ** チャンピオンCINEMAプレビュー(映画紹介記事。かつては独立したページを持った記事であったが、2006年に情報エクスプレスの一記事に格下げされた) == 歴代編集長 == {{節スタブ}} # 成田清美(1969年創刊号 - 1972年25号(1972年3月)) # [[壁村耐三]]('''第一次'''、1972年26号(1972年4月) - 1981年46号) # [[阿久津邦彦]](1981年47号 - 1983年9号) # 神永悦也(1983年10号 - 1985年16号) # 壁村耐三('''第二次'''、1985年17号 - 1989年31号) # 岡本三司(1989年32号 - 1994年37+38合併号) # [[二階堂卓也|大塚公平]](1994年39号 - 2002年4+5合併号(2001年12月)) - 映画評論家・二階堂卓也でもある(『[[ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜]]』3巻より) # 樋口茂(2002年6号(2002年1月) - 2005年47号(2005年10月)) # [[沢考史]](2005年48号(2005年10月) - 2017年26号(2017年5月)) # 武川新吾(2017年27号(2017年6月) - 2023年53号(2023年11月)) # 松山英生(2024年1号(2023年12月) - ) == 主催新人漫画賞 == * [[週刊少年チャンピオン新人まんが賞]](原則3月締切と9月締切の年2回募集) * 月例フレッシュまんが賞(原則月末締切の月例賞) == 発行部数 == {{節スタブ}} これらの部数は公称値や推定値であり、実数ではないことに注意を要する。 *1969年7月15日創刊号 21万部<ref name="busu">[https://web.archive.org/web/20090505183412/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090430bk05.htm 【マンガ50年】「王者」の伝説(3)部数「あり得ない」急伸]、読売新聞、2009年4月30日。</ref> *1972年7月3日号 39万部<ref name="busu"/> *1973年8月20日号 50万部<ref name="busu"/> *1974年9月9日号 100万部<ref name="busu"/> *1977年1月 200万部<ref name="名前なし-1"/> *1978年9月11日号 205万部<ref name="busu"/> *1979年1月22・29合併号 250万部<ref name="busu"/> <!-- *2001年 130万部 *2002年 115万部 *2003年 80万部 *2005年 50万部 *2006年 50万部 *2007年 50万部 *2008年 50万部 --> *2009年 55万部<ref name="busu"/> 以上は公称値による発表である。 {| class="wikitable" |+ 推定発行部数(全国出版協会) ! !! 部数 !! 出典 |- ! [[1989年]](平成元年) | 70万部 || 1990年版 出版指標年報 |- ! [[1990年]](平成2年) | 64万部 || 1991年版 出版指標年報 |- ! [[1991年]](平成3年) | 65万部 || 1992年版 出版指標年報 |- ! [[1992年]](平成4年) | 65万部 || 1993年版 出版指標年報 |- ! [[1993年]](平成5年) | 65万部 || 1994年版 出版指標年報 |- ! [[1994年]](平成6年) | 65万部 || 1995年版 出版指標年報 |- ! [[1995年]](平成7年) | 75万部 || 1996年版 出版指標年報 |- ! [[1996年]](平成8年) | 75万部 || 1997年版 出版指標年報 |- ! [[1997年]](平成9年) | 70万部 || 1998年版 出版指標年報 |- ! [[1998年]](平成10年) | 67万部 || 1999年版 出版指標年報 |- ! [[1999年]](平成11年) | 60万部 || 2000年版 出版指標年報 |- ! [[2000年]](平成12年) | 60万部 || 2001年版 出版指標年報 |- ! [[2003年]](平成15年) | 35万部 || 2004年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-1-5 |- ! [[2004年]](平成16年) | 30万部 || 2005年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-2-3 |- ! [[2005年]](平成17年) | 32万部 || 2006年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-3-1 |- ! [[2006年]](平成18年) | 32万部 || 2007年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-4-2 |- ! [[2007年]](平成19年) | 32万部 || 2008年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-5-9 |- ! [[2008年]](平成20年) | 30万部 || 2009年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-6-6 |- ! [[2009年]](平成21年) | 29万部 || 2010年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-7-3 |- ! [[2010年]](平成22年) | 27万部 || 2011年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-8-0 |- ! [[2011年]](平成23年) | 28万部 || 2012年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-9-7 |- ! [[2012年]](平成24年) | 26万部 || 2013年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-00-3 |- ! [[2013年]](平成25年) | 25万部 || 2014年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-01-0 |- ! [[2014年]](平成26年) | 24万部 || 2015年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-02-7 |- ! [[2015年]](平成27年) | 21万部 || 2016年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-03-4 |} 以上の部数は[[全国出版協会]]発行の「出版指標 年報」掲載の推定値であり、公称値とは性質が異なる。 == 増刊号 == 1970年に『月刊少年チャンピオン』が創刊したが、同社発行の『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』から漫画部分を吸収する形で兄弟誌の立場になった。その後、新人作家の読切を主とした増刊号が刊行され、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。 現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『[[グラップラー刃牙|範馬刃牙]]』の総集編や、[[浦安鉄筋家族|毎度!浦安鉄筋家族]]の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『毎度!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行されている。 === チャンピオンBUZZ === 2023年9月、毎月第1木曜配信の本誌の電子版にて、追加料金不要の電子増刊『チャンピオンBUZZ』(チャンピオンバズ)が付属されることを発表<ref name="wc202342">{{Cite journal|和書|date = 2023-09-14|title=誕生!週刊少年チャンピオン新電子増刊!!チャンピオンBUZZ|journal =週刊少年チャンピオン|volume=2023年42号(Kindle版)|publisher = 秋田書店|page=168}}</ref>。同年10月5日発売の『週刊少年チャンピオン』45号に付属し、創刊<ref name="natalie20231005">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/543899|title=週チャンの電子増刊・チャンピオンBUZZ始動、伯爵令嬢の復讐譚など新連載2本|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-10-05|accessdate=2023-10-05}}</ref>。電子版限定で新作のオリジナル作品やWEB小説のコミカライズ作品が掲載される{{R|wc202342}}。 ==== 連載作品 ==== * シーカーズ〜迷宮最強のおじさん、神配信者となる〜(原作:AteRa、漫画:ナカ村田):vol.1{{R|natalie20231005}} - * 復讐姫ローラ〜お姉様を生贄にしたこの国はもう要らない〜(原作:冬月光輝、漫画:野澤阿美乃):vol.1{{R|natalie20231005}} - == 派生誌 == * [[別冊少年チャンピオン]] * [[月刊少年チャンピオン]] * [[ファミコンチャンピオン]] * [[ヤングチャンピオン]] * [[チャンピオンRED]] ** [[チャンピオンRED いちご]] * [[少年チャンピオン・コミックス]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|2}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * 斎藤精一『雑誌大研究 出版戦国時代を探る』([[1979年]]、[[日本工業新聞社]]) * [[朝日新聞社]]学芸部編著『出版界の現実 出版界の内幕を徹底取材』([[1979年]]、日本ジャーナリスト専門学院出版部) * [[西村繁男]]『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』([[1994年]]、[[飛鳥新社]]) * [[岡田斗司夫]]『オタク学入門』([[太田出版]]、[[1996年]]) - 少年マンガ国盗物語。 * 『別冊宝島70年代マンガ大百科』([[宝島社]]、[[1996年]]) - 壁村耐三インタビュー。 * 西村繁男『まんが編集術』([[白夜書房]]、[[1999年]]) * 魚乃目三太(漫画):「チャンピオンズ~週刊少年チャンピオンを創った男たちの物語~」、秋田書店 (少年チャンピオン・コミックス)、ISBN:9784253252195(2020年4月8日)。 **[https://ddnavi.com/serial/621955/a/ チャンピオンズ(1)] (2020年5月26日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622023/a/ チャンピオンズ(2)](2020年5月27日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622025/a/ チャンピオンズ(3)](2020年5月28日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622027/a/ チャンピオンズ(4)](2020年5月29日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622029/a/ チャンピオンズ(5)](2020年5月30日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622031/a/ チャンピオンズ(6)](2020年5月31日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622033/a/ チャンピオンズ(7)](2020年6月1日)。 **[https://ddnavi.com/serial/622045/a/ チャンピオンズ(8)](2020年6月2日)。無料公開部分はここまで。 == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|ウィキポータル 漫画]]}} * [https://www.akitashoten.co.jp/w-champion 週刊少年チャンピオン] * {{Twitter|Weekly_Champion|週刊少年チャンピオン編集部}} * [http://pyuupa.flop.jp/ 週チャンアニマクス] 掲載作品等のデータベース {{週刊少年チャンピオン連載中}} {{秋田書店}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=少年チャンピオン |1-1=月2回刊漫画雑誌 }} {{DEFAULTSORT:しゆうかんしようねんちやんひおん}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:秋田書店の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌|しようねんちやんひおん]] [[Category:少年漫画雑誌]] [[Category:1969年創刊の雑誌]] [[Category:週刊少年チャンピオン|*]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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週刊ヤングジャンプ
『週刊ヤングジャンプ』(しゅうかんヤングジャンプ、WEEKLY YOUNG JUMP)は、集英社が発行する日本の週刊青年漫画雑誌。1979年(昭和54年)5月に月2回刊誌『ヤングジャンプ』として創刊し、1981年(昭和56年)の週刊化に伴い誌名を変更。毎週木曜日発売。略称は「ヤンジャン」、「YJ」。 本項では、ウェブコミック配信サイトである『となりのヤングジャンプ』『異世界ヤンジャン』および公式漫画アプリ『ヤンジャン!』についても合わせて触れる。 1979年5月に創刊。『週刊少年ジャンプ』の二代目編集長であった中野祐介が創刊編集長を務めた。現在刊行中の週刊青年漫画誌として最長の歴史を持つ。集英社は青年漫画誌として1969年(昭和44年)より『ジョーカー』を発行していたが同誌は半年で休刊となっており、10年振りとなる青年漫画誌であった。『ヤングジャンプ』の誌名の由来は、当時の週刊少年ジャンプの新人漫画賞の名称を流用したものである。 創刊時の編集方針は「(性を内包した)愛・暴力・権力(からの解放)」。これは『週刊少年ジャンプ』の三大方針である「友情・努力・勝利」を受け継ぎつつ、少年漫画の枠を取り払った自由度の高い青年誌において何を描くかという視点から生まれたものであり、いずれも想定読者層である10歳代後半から20歳代前半の頃に誰もがぶつかる壁でもあった。 週刊少年ジャンプとは同じジャンプ系列の雑誌であるが、編集部同士の交流はほとんどない。元・週刊少年ジャンプ編集長の西村繁男によると「週刊少年ジャンプと週刊ヤングジャンプは集英社内ではライバル関係であり、基本的に互いの編集方針や宣伝には関与しない」とのことである。 表紙は、創刊からしばらくは松下進によるMac Bearのイラストであったが、その後1980年代後半には掲載作品、1990年代前半より女性アイドルグラビアに変わり、以降2022年現在に至るまで原則としてグラビアが表紙を飾っている。2023年17号は、創刊以来初となるYouTuber(いけちゃん)の表紙となった。また、まれに表紙に男性が起用される場合もある(桑田佳祐(1990年38号、1993年1号)、ディエゴ・マラドーナ(1994年9号)、trf(1995年18号)、松坂大輔(2000年16号の第2表紙)、腐男塾の一員(2010年40号)、大谷翔平(2015年17号)、フェルナンド・トーレス(2018年47号)など)。2000年代に入り、掲載作品のカラーイラスト中心のデザインが用いられるようになった。『サラリーマン金太郎』(2001年35号)を皮切りに、『ローゼンメイデン』(2013年31号)、『All You Need Is Kill』(2014年15号)、『極黒のブリュンヒルデ』(2014年19号)、『東京喰種』(2017年35号)などがある。2015年16号の『ワンパンマン』と17号の大谷翔平など、グラビアアイドル以外の男性または漫画作品のイラストの表紙が2号連続ということもある。2000年代の合併号の表紙でグラビアアイドルでないのは2017年3,4号と、2019年21,22号で、共に『キングダム』の表紙で、2022年4,5号はウマ娘の表紙、22,23号は最終回を迎えた『ゴールデンカムイ』の表紙。 漫画だけでなく、グラビアや袋とじ、ミュージシャンなどへのインタビュー記事なども誌面に盛り込んでいる。また、広末涼子をデビュー直後からグラビアに掲載し、1996年頃から始まる「広末人気」を強く後押しした。その信頼関係から、1998年にマスコミが広末の進学先の大学名に関して取材に躍起になっていた時期に『ヤングジャンプ』のみが、広末自身の心境を吐露した記事を掲載した。 1990年代以降、他メディアで取り上げられる作品を多く輩出し、「サラリーマン金太郎」「スカイハイ」「ホットマン」「ミステリー民俗学者 八雲樹」「夜王」「LIAR GAME」「ハチワンダイバー」などの作品はドラマ化、「エルフェンリート」「カッパの飼い方」「GANTZ」「少年アシベ」「B型H系」「キングダム」「極黒のブリュンヒルデ」などの作品はアニメ化、「ALIVE」「スカイハイ」「GANTZ」などの作品は映画化された。 掲載作は「ヤングジャンプ コミックス」に収録される。 2018年3月29日発売の17号より電子版の配信を開始した。 2019年に創刊40周年を迎え、それを記念して同年10月19日にヤンジャン文化祭が開催された。 初代のMac Bearと2代目Buddy Bearがいる。いずれもクマをモチーフとして松下進がデザインを担当している。初代のデザイン時にモチーフがクマとなったのは、松下にデザインを依頼した角南攻副編集長(当時)の依頼に因る。 初代のMac Bearは松下にとって初めてとなるオリジナルキャラクターであり、創刊からよりしばらくは毎号の表紙を飾っていた。 1999年の『YJ』20周年を期に2代目のBuddy Bearに交代。表紙をグラビアが飾る2014年現在においても表紙と裏表紙に必ず描かれている。 以下、2023年12月14日(2024年2号)現在連載中の作品。月1連載作品や不定期連載作品も含む。 『YJ』は集英社における青年漫画誌の源流であり、同社の多くの青年漫画誌が『ヤングジャンプ増刊』として始まっている。このため派生誌の単行本もヤングジャンプ コミックスレーベル下からの発行となっている。 ただし、青年漫画誌の中でも『スーパージャンプ』は『YJ』創刊後に『週刊少年ジャンプ』の増刊号として始まっており、『YJ』からの派生誌ではない。このため単行本もヤングジャンプ コミックスからではなくジャンプ・コミックスからの発行となっている。 2011年1月13日、休刊した月刊ヤングジャンプに代わり、新たな兄弟誌『ミラクルジャンプ』が創刊された。 『webYJ(Web YOUNG JUMP)』は、ヤングジャンプ公式サイトの略称。かつて、サイト内で本誌連載作品の新エピソード連載が行なわれていたが、現在は『となりのヤングジャンプ』にウェブ上での新作発表の場を譲り、webYJの「オンラインマンガ」はもっぱら本誌作品の試し読みおよびMANGAグランプリ入賞作品発表の場として運用されている。 以下は『webYJ』で連載された漫画作品の一覧である。 『となりのヤングジャンプ』は、『ヤングジャンプ』のウェブコミック配信サイト。略称は「となジャン」。2012年6月14日に開設され、「毎日更新! 完全無料!! 登録不要!!!」をキャッチフレーズとして掲げている。また、掲載する作品は日刊、週刊、月刊、季刊と多様な連載ペースが想定されている。主に金曜更新のオリジナル連載、火曜更新の『異世界ヤンジャン』連載のほかに、公開期間限定でアプリ『ヤンジャン!』、雑誌(『ヤングジャンプ』など)の連載作品も配信されている。 出典のある作品を除き、連載開始の日付は公式サイトに基づく。 『異世界ヤンジャン』はニコニコ漫画とヤングジャンプ編集部が提供する、ライトノベル原作のファンタジー漫画作品などを配信するレーベルである。掲載作品は「ニコニコ漫画」と「となりのヤングジャンプ」での独占配信となる。 以下、公式サイト(ニコニコ漫画)で配信されている作品。開始・終了はニコニコ漫画版による。 『ヤンジャン!』は、集英社公式のヤングジャンプ系青年マンガ誌総合アプリである。2023年4月時点での総ダウンロード数は830万。 『YJ』本誌や『ヤンジャン!オリジナル』『となりのヤングジャンプ』『グランドジャンプ』『ウルトラジャンプ』『異世界ヤンジャン』『水曜日はまったりダッシュエックスコミック』の連載作品を読むことが出来る。 以下のような特徴がある。 以下、「ヤンジャン!」オリジナル連載作品。 2022年より「ドラマンガ大賞」を設けている。集英社青年コミック誌グループ、めちゃコミック、MBSドラマの3社合同選考で、TVドラマ化を目指すマンガを選ぶもの。 2022年7月より月例賞として「週刊ヤングジャンプ新人漫画大賞」を設けている。未発表のオリジナル日本語作品であれば応募可能である。 それ以前は2013年7月より「シンマン賞(ヤングジャンプ月例新人漫画賞)」があり、第108回2022年6月期で終了した。 それ以前は2001年7月より月例「MANGAグランプリ」があり、第144回2013年6月期で終了した。また不定期の「新原作大賞」があり、2011年末に締め切られた第6回の応募数は約500作。 2020年に、ヤングジャンプ創刊40周年記念として集英社青年コミック誌グループで「1億円40漫画賞」を開催した。 2023年に「となりのヤングジャンプ」10周年記念として「10漫画賞」を開催した。10部門のそれぞれに大賞を出した。
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『週刊ヤングジャンプ』は、集英社が発行する日本の週刊青年漫画雑誌。1979年(昭和54年)5月に月2回刊誌『ヤングジャンプ』として創刊し、1981年(昭和56年)の週刊化に伴い誌名を変更。毎週木曜日発売。略称は「ヤンジャン」、「YJ」。 本項では、ウェブコミック配信サイトである『となりのヤングジャンプ』『異世界ヤンジャン』および公式漫画アプリ『ヤンジャン!』についても合わせて触れる。
{{Redirect|ヤングジャンプ|増刊号である'''月刊ヤングジャンプ'''|月刊ヤングジャンプ}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Weekly Young Jump logo.png | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 週刊ヤングジャンプ | 英文誌名 = WEEKLY YOUNG JUMP | 誌名略称 = ヤンジャン、YJ | ジャンル = [[青年漫画]]雑誌 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#刊行頻度|月2回刊 → 週刊]](木曜日発売)<ref group="注釈">基本的に木曜日発売。ただし、木曜日が祝日の際は水曜日発売となる。</ref> | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 出版社 = [[集英社]] | 編集部名 = 週刊ヤングジャンプ編集部 | 発行人 = 嶋智之(2022年4月現在) | 編集人1役職 = 編集長 | 編集人1氏名 = 増澤吉和 | 刊行期間 = 1979年5月 - | 発行部数 = 27万1,667<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-11-16}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年7月 - 9月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[ヤングジャンプ コミックス]] | ウェブサイト = [https://youngjump.jp/ 公式サイト] | 特記事項 = 1981年に週刊化。 }} 『'''週刊ヤングジャンプ'''』(しゅうかんヤングジャンプ、WEEKLY YOUNG JUMP)は、[[集英社]]が発行する[[日本]]の[[逐次刊行物#週刊|週刊]][[青年漫画|青年]][[漫画雑誌]]。[[1979年]](昭和54年)5月に[[逐次刊行物#月2回刊|月2回刊]]誌『'''ヤングジャンプ'''』として創刊し、[[1981年]](昭和56年)の週刊化に伴い誌名を変更。毎週[[木曜日]]発売。略称は「'''ヤンジャン'''」、「'''YJ'''」。 本項では、[[ウェブコミック配信サイト]]である『'''となりのヤングジャンプ'''』『'''異世界ヤンジャン'''』および公式漫画アプリ『'''ヤンジャン!'''』についても合わせて触れる。 == 概要 == [[1979年]]5月に創刊。『[[週刊少年ジャンプ]]』の二代目編集長であった[[中野祐介]]が創刊編集長を務めた。現在刊行中の週刊青年漫画誌として最長の歴史を持つ。集英社は青年漫画誌として[[1969年]](昭和44年)より『ジョーカー』を発行していたが同誌は半年で休刊となっており、10年振りとなる青年漫画誌であった<ref name="30th2p">この段落は、[[角南攻]]「BEARS 30th LEGEND 週刊YJクロニクル 第2回」『週刊ヤングジャンプ』2009年7号(1月29日号、31巻5号、通巻1424号)集英社、434 - 435頁を参照。</ref>。『ヤングジャンプ』の誌名の由来は、当時の[[週刊少年ジャンプの新人漫画賞]]の名称を流用したものである。 創刊時の編集方針は「(性を内包した)[[愛]]・[[暴力]]・[[権力]](からの解放)」。これは『[[週刊少年ジャンプ]]』の三大方針である「[[友情・努力・勝利]]」を受け継ぎつつ、[[少年漫画]]の枠を取り払った自由度の高い青年誌において何を描くかという視点から生まれたものであり、いずれも想定読者層である10歳代後半から20歳代前半の頃に誰もがぶつかる壁でもあった<ref name="30th2p" />。 [[週刊少年ジャンプ]]とは同じジャンプ系列の雑誌であるが、編集部同士の交流はほとんどない。元・週刊少年ジャンプ編集長の[[西村繁男]]によると「週刊少年ジャンプと週刊ヤングジャンプは集英社内ではライバル関係であり、基本的に互いの編集方針や宣伝には関与しない」とのことである。 表紙は、創刊からしばらくは[[松下進]]による[[#トレードマークキャラ|Mac Bear]]の[[イラストレーション|イラスト]]であったが、その後1980年代後半には掲載作品、1990年代前半より女性アイドルグラビアに変わり、以降2022年現在に至るまで原則としてグラビアが表紙を飾っている<ref name="30th1p">この段落は、「BEARS 30th LEGEND 週刊YJクロニクル 第1回」『週刊ヤングジャンプ』2009年6号(1月22日号、31巻4号、通巻1423号)集英社、424 - 425頁を参照。</ref>。2023年17号は、創刊以来初となる[[YouTuber]](いけちゃん)の表紙となった<ref>[https://mdpr.jp/news/detail/3662142 YouTuberいけちゃん、水着姿で人生初表紙「ヤンジャン」初の快挙も]、モデルプレス、2023年3月23日。</ref>。また、まれに表紙に男性が起用される場合もある([[桑田佳祐]](1990年38号、1993年1号)、[[ディエゴ・マラドーナ]](1994年9号)、[[TRF|trf]](1995年18号)、[[松坂大輔]](2000年16号の第2表紙)、[[風男塾|腐男塾]]の一員(2010年40号)、[[大谷翔平]](2015年17号)、[[フェルナンド・トーレス]](2018年47号)など)。2000年代に入り、掲載作品のカラーイラスト中心のデザインが用いられるようになった。『[[サラリーマン金太郎]]』(2001年35号)を皮切りに、『[[ローゼンメイデン]]』(2013年31号)、『[[All You Need Is Kill]]』(2014年15号)、『[[極黒のブリュンヒルデ]]』(2014年19号)、『[[東京喰種]]』(2017年35号)などがある。2015年16号の『[[ワンパンマン]]』と17号の大谷翔平など、グラビアアイドル以外の男性または漫画作品のイラストの表紙が2号連続ということもある。2000年代の合併号の表紙でグラビアアイドルでないのは2017年3,4号と、2019年21,22号で、共に『キングダム』の表紙で、2022年4,5号はウマ娘の表紙、22,23号は最終回を迎えた『ゴールデンカムイ』の表紙。 漫画だけでなく、[[グラビアページ|グラビア]]や[[袋とじ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]などへのインタビュー記事なども誌面に盛り込んでいる。また、[[広末涼子]]をデビュー直後からグラビアに掲載し、[[1996年]]頃から始まる「広末人気」を強く後押しした。その信頼関係から、[[1998年]]に[[マスメディア|マスコミ]]が広末の進学先の大学名に関して取材に躍起になっていた時期に『ヤングジャンプ』のみが、広末自身の心境を吐露した記事を掲載した<ref>週刊ヤングジャンプ1998年10月29日46号「REAL 広末涼子ロングインタビュー」より</ref>。 1990年代以降、他メディアで取り上げられる作品を多く輩出し、「サラリーマン金太郎」「[[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]]」「[[ホットマン]]」「[[ミステリー民俗学者 八雲樹]]」「[[夜王]]」「[[LIAR GAME]]」「[[ハチワンダイバー]]」などの作品はドラマ化、「[[エルフェンリート]]」「[[カッパの飼い方]]」「[[GANTZ]]」「[[少年アシベ]]」「[[B型H系]]」「[[キングダム (漫画)|キングダム]]」「極黒のブリュンヒルデ」などの作品はアニメ化、「ALIVE」「スカイハイ」「GANTZ」などの作品は映画化された。 掲載作は「[[ヤングジャンプ コミックス]]」に収録される。 2018年3月29日発売の17号より電子版の配信を開始した<ref>{{Cite web|和書|date=2018-03-28 |url=https://natalie.mu/comic/news/275753 |title=ヤンジャン電子版の配信がスタート!今号表紙の逢田梨香子デジタル写真集も |work=コミックナタリー |accessdate=2018-04-21}}</ref>。 2019年に創刊40周年を迎え、それを記念して同年10月19日にヤンジャン文化祭が開催された<ref>[https://youngjump.jp/culturefestival/ YJ創刊40周年ヤンジャン文化祭]</ref><ref>[https://article.yahoo.co.jp/detail/26edc2ab33f20cc2908f180a377cf3c4a536ee6a BiSH、来栖りん等が<ヤンジャン文化祭>に出演!SPライブ&トーク披露]</ref>。 === トレードマークキャラ === 初代の'''Mac Bear'''と2代目'''Buddy Bear'''がいる。いずれも[[クマ]]をモチーフとして[[松下進]]がデザインを担当している。初代のデザイン時にモチーフがクマとなったのは、松下にデザインを依頼した[[角南攻]]副編集長(当時)の依頼に因る<ref name="30th1">「BEARS 30th LEGEND 週刊YJクロニクル 第1回」『週刊ヤングジャンプ』2009年6号(1月22日号、31巻4号、通巻1423号)集英社、424 - 425頁。</ref>。 初代の'''Mac Bear'''は松下にとって初めてとなるオリジナルキャラクターであり<ref name=SME>{{Cite web|和書 |author=ススム・マツシタ エンタープライズ |authorlink=松下進 |date=2004-02-10 |url=http://www.susumumatsushita.com/press/release/pr2004_02_a.html |title=『ヤングジャンプ』のカバーを飾り続けたMac Buddy Bearの軌跡! |work=[http://www.susumumatsushita.com/index.html Susumu Matsusita Enterprise] |language=日本語 |accessdate=2009-01-27 }}</ref>、創刊からよりしばらくは毎号の表紙を飾っていた。 1999年の『YJ』20周年を期に2代目の'''Buddy Bear'''に交代。表紙をグラビアが飾る2014年現在においても表紙と裏表紙に必ず描かれている。 == 歴代編集長 == {{節スタブ}} # [[中野祐介]](1979年1巻1号 - 1983年) # [[角南攻]]([[1984年]] - [[1992年]]) - 創刊スタッフの一人であり<ref name="30th2">[[角南攻]]「BEARS 30th LEGEND 週刊YJクロニクル 第2回」『週刊ヤングジャンプ』2009年7号(1月29日号、31巻5号、通巻1424号)集英社、434 - 435頁。</ref>、初代副編集長<ref name="30th1" />。 # 山路則隆(1992年 - 1995年) # 日野義則(1995年 - 2000年) # 古田秀樹(2000年 - 2004年<!--2002年48号、2004年29号で確認-->) # 田中純<!--[[田中純 (編集者)|田中純]]-->(2004年<!--2005年6・7合併で確認--> - 2009年29号) # 今井孝昭(2009年30号 - 2012年31号<!-- 2011年31号、同年32号で確認 -->) # [[嶋智之]](2012年32号 - 2013年47号) # [[中村泰造]](2013年48号<ref>[http://www.shinbunka.co.jp/news2013/10/131029-03.htm 「週刊 ヤングジャンプ」編集長に中村泰造氏、新文化、2013/10/29]</ref> - 2014年<!--ミラクルジャンプ(2014年6月30日増刊号)の編集人-->) # 嶋智之(2014年<!--9月22日の第2回「ジャンプ次世代マンガ賞」の発表時点では復帰済み(http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1409/22/news093.html)--> - 2019年) #板谷智崇(2019年 - 2021年) #増澤吉和(2021年- 現職) == 連載中の作品 == 以下、2023年12月14日(2024年2号)現在連載中の作品。月1連載作品や不定期連載作品も含む。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|りある}}[[リアル (漫画)|リアル]] || {{Display none|いのうえ たけひこ}}[[井上雄彦]] || - || 1999年48号 || シリーズ連載 |- | {{Display none|きんくたむ}}[[キングダム (漫画)|キングダム]] || {{Display none|はら やすひさ}}[[原泰久]] || - || 2006年9号 || |- | {{Display none|ふんこ}}[[BUNGO -ブンゴ-]] || {{Display none|にのみや ゆうし}}[[二宮裕次]] || - || 2015年3号 || |- | {{Display none|すなつくはすえ}}[[スナックバス江]] || {{Display none|ふおひとうん しふかわ}}[[フォビドゥン澁川]] || - || 2017年33号 || |- | {{Display none|しやとおはうす}}[[シャドーハウス]] || {{Display none|そうまとう}}ソウマトウ || - || 2018年40号 || |- | {{Display none|くうろんしえねりつくろまんす}}[[九龍ジェネリックロマンス]] || {{Display none|まゆつき しゆん}}[[眉月じゅん]] || - || 2019年49号 || 通常連載 → サイクル連載<br />(2勤1休連載) → 隔号連載 |- | {{Display none|きみのことかたいたいたいたいたいすきなひやくにんのかのしよ}}[[君のことが大大大大大好きな100人の彼女|君のことが大大大大大好きな<br />100人の彼女]] || {{Display none|のさわ ゆきこ}}[[野澤ゆき子]] || {{Display none|なかむら りきと}}[[中村力斗]]{{Small|(原作)}} || 2020年4・5合併号 || |- | {{Display none|しようねんのあひす}}[[少年のアビス]] || {{Display none|みねなみ りよう}}[[峰浪りょう]] || - || 2020年13号 || |- | {{Display none|おしのこ}}[[【推しの子】]] || {{Display none|よこやり めんこ}}[[横槍メンゴ]] || {{Display none|あかさか あか}}[[赤坂アカ]]{{Small|(原作)}} || 2020年21号 ||10話以降はサイクル連載<br />(4週連載1週休み)<ref>{{Twitter status|Yorimen|1329864754127466501}}</ref> |- | {{Display none|うまむすめしんてれらくれい}}[[ウマ娘 シンデレラグレイ]] || {{Display none|ひさすみ たいよう}}久住太陽 ||{{Display none|すきうら まさふみ}}[[杉浦理史]]・{{Display none|いとう しゆんのすけ}}[[伊藤隼之介]]<br />{{Small|(ストーリー)}}<br />{{Display none|さいけえむす}}[[Cygames]]{{Small|(原作)}} || 2020年28号 || 『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』<br />のコミカライズ版 |- | {{Display none|しやんけつとはんく}}[[ジャンケットバンク]] || {{Display none|たなか いつこう}}[[田中一行]] || - || 2020年35号 || |- | {{Display none|おうりつまほうかくえんのさいかせいすらむあかりのさいきようまほうしきそくたらけのかくえんてむそうする}}[[王立魔法学園の最下生〜貧困街上がりの最強魔法師、貴族だらけの学園で無双する〜|王立魔法学園の最下生〜<br />貧困街上がりの最強魔法師、<br />貴族だらけの学園で無双する〜]] || {{Display none|なかつき いく}}長月郁 || {{Display none|かんきつ ゆすら}}[[柑橘ゆすら]]{{Small|(原作)}} || 2021年9号 || [[ダッシュエックス文庫]]<br />から発売されている<br />同名小説のコミカライズ版 |- | {{Display none|はつはれ}}[[バツハレ]] || {{Display none|いなは みのり}}[[稲葉みのり]] || - || 2022年15号 || |- | {{Display none|いりおす}}イリオス || {{Display none|えんしようし まさき}}円城寺真己 || - || 2022年20号 || |- | {{Display none|しよゆうめし}}女優めし || {{Display none|うえの のの}}うえののの || {{Display none|ふしかわ よつは}}藤川よつ葉{{Small|(原作)}} || 2022年27号 || |- | {{Display none|かたきもとし}}カタギモドシ || {{Display none|したら きよと}}設楽清人 || - || 2022年32号 || |- | {{Display none|よんくんくんかつこかり}}4軍くん(仮) || {{Display none|すえひろ ひかる}}末広光 || {{Display none|もりたか ゆうし}}[[森高夕次]]{{Small|(原作)}} || 2022年36・37合併号 || |- | {{Display none|ひりおんれえさあ}}ビリオンレーサー || {{Display none|たた たいか}}多田大我 || - || 2022年44号 || |- | {{Display none|かてなちお}}[[カテナチオ (漫画)|カテナチオ]] || {{Display none|もりもと たいすけ}}森本大輔 || - || 2022年48号 || |- | {{Display none|しんのやすらきはこのよになくしんかめんらいたあしよつかあさいと}}[[シン・仮面ライダー#漫画|真の安らぎはこの世になく<br />-シン・仮面ライダー <br />SHOCKER SIDE-]] || {{Display none|ふしむら あけし}}藤村緋二{{Small|(作画)}}<br />{{Display none|やまた きゆうり}}[[山田胡瓜]]<br />{{Small|(漫画脚本)}} || {{Display none|いしのもり しようたろう えいか しんかめんらいたあ}}[[石ノ森章太郎]] 映画<br />『[[シン・仮面ライダー]]』<br />{{Small|(原作)}}<br />{{Display none|あんの ひてあき}}庵野秀明{{Small|(監督)}}<br />{{Display none|}}[[八手三郎]]{{Small|(監修)}} || 2023年4・5合併号 || 『[[シン・仮面ライダー]]』<br />を題材とした漫画<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/506050|title=「シン・仮面ライダー」山田胡瓜×藤村緋二がオリジナルストーリーで描く新連載がYJで|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-12-22|accessdate=2022-12-22}}</ref> |- | {{Display none|たいやもんとのこうさい}}ダイヤモンドの功罪 || {{Display none|ひらい おおはし}}平井大橋 || - || 2023年11号 || |- | {{Display none|このへやからとうきようたわあはえいえんにみえない}}この部屋から東京タワーは<br />永遠に見えない || {{Display none|かわの りん}}川野倫 || {{Display none|あさふ けいはしよう}}[[麻布競馬場]](原作) || 2023年18号 || シリーズ連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-04-20|title=この部屋から東京タワーは永遠に見えない|journal =週刊ヤングジャンプ|volume=2023年21号|publisher = 集英社|page=189|asin = B00D3YDU98}}</ref> |- | {{Display none|れんあいたいこう}}恋愛代行 || {{Display none|にしさわ こみり}}[[西沢5㍉]] || {{Display none|あかさか あか}}[[赤坂アカ]](原作) || 2023年22・23合併号 || |- | {{Display none|せえふせつくす}}セーフセックス || {{Display none|いわなみ れんし}}岩浪れんじ || {{Display none|もり もりこ}}森もり子(原作) || 2023年24号 || 隔週連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-06-15|title=セーフセックス episode.5|journal =週刊ヤングジャンプ|volume=2023年29号|publisher = 集英社|page=249|asin=B0C6YH97Z7}}</ref> |- | {{Display none|はつひいまりおねつと}}ハッピーマリオネット || {{Display none|みしま うきよう}}三島右京 || - || 2023年25号 || |- | {{Display none|しよせいせんよう}}女性専用。 || {{Display none|きさん}}箕山 || {{Display none|うちた ほなみ}}内田ほなみ(原作) || 2023年26号 || |- | {{Display none|のおまるかある}}ノーマルガール || {{Display none|やもり まこと}}家守真言 || - || 2023年27号 ||一時休載中<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-10-26|title=ノーマルガール ep.15_ あの日にかえりたい マザーズララバイ|journal =週刊ヤングジャンプ|volume=2023年48号|publisher = 集英社|page=|asin=B0CKZKZ4WF}}</ref> |- | {{Display none|のあせんはいはともたち}}のあ先輩はともだち。 || {{Display none|あきやま えんま}}あきやまえんま || - || 2023年32号 || |- | {{Display none|まるくんはたらくまるちいす}}まるくん <br />〜はたらくマルチーズ〜 || {{Display none|しいすりい いた}}G3井田 || - || 2023年33号 || |- | {{Display none|とつくすれつと}}ドッグスレッド || {{Display none|のた さとる}}[[野田サトル]] || - || 2023年35号 || |- | {{Display none|かすとうのらいぬたんていたん}}ガス灯野良犬探偵団 || {{Display none|まつはら としみつ}}[[松原利光]] || {{Display none|あおさき ゆうこ}}[[青崎有吾]](原作) || 2023年37・38合併号 || |- | {{Display none|あいあんふあみりあ}}アイアンファミリア || {{Display none|たつまる}}竜丸 || - || 2023年48号 || |- | {{Display none|あいせきいいてすか}}相席いいですか? || {{Display none|かわかみ たいしろう}}[[河上だいしろう]] || - || 2023年50号 || <!-- ※最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。 ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|てらふおおまあす}}[[テラフォーマーズ]] || {{Display none|たちはな けんいち}}[[橘賢一]]{{Small|(画)}} || {{Display none|さすか ゆう}}[[貴家悠]]{{Small|(作)}} || 2012年22・23合併号 || 『[[ミラクルジャンプ]]』より移籍 |- | {{Display none|しんくつとしよふ}}新グッドジョブ || {{Display none|もとみや ひろし}}[[本宮ひろ志]] || - || 2022年14号 || シリーズ連載 |} == 過去の連載作品 == <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">あ行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * あい。([[仙道ますみ]])2000年4・5合併号 - 2002年44号 * 哀愁荒野([[梶原一騎]]・[[松久由宇]])1979年2号 - 1981年1号 * 蒼き炎([[石川サブロウ]])1989年28号 - 1994年28号、月1連載 → 増刊『サーティー』に移籍 * [[妹-あかね-]]([[山花典之]])2000年17号 - 2003年21・22合併号 * AKECHI(イイヅカケイタ)2018年41号 - 2019年25号 * [[明日泥棒 (漫画)|明日泥棒]]([[外薗昌也]]・[[別天荒人]])2007年51号 - 2008年52号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * あっ! アシカがっ!!!(足利尊氏と高師直)2011年30号 - 2012年10号 * あなたのそばへ([[鈴木祐美子]])1994年43号 - 1995年9号 * anim.-アニマート-([[高嶋哲夫]]・八坂考訓)2006年10号 - 2007年19号 * 亜熱帯ナイン([[神崎裕也]])2005年35号 - 2006年16号 * 曝ク者!(波場章史)2020年14号 - 2020年43号 * [[AVない奴ら|AV(あぶ)ない奴ら]]([[みやすのんき]])2000年42号 - 2001年25号 * [[天野家四つ子は血液型が全員違う。]]([[空えぐみ]])2015年32号 - 2016年19号 * ALIVE([[髙橋ツトム]])1999年10号 - 1999年29号 * [[ALGO!]]([[荻野真]])1989年45号 - 1990年37号 * アルマ([[三都慎司]])2019年44号 - 2020年27号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * あるみちゃんの学習帳([[金田一蓮十郎]])2012年28号 - 2013年30号 ← 『[[アオハル]]』より移籍、月1連載<!-- 2012年41号 --> → 月3連載 * 安穏族([[石坂啓]])1984年 - 1987年 * アンファン・テリブル(相田公平・佐藤久文)2000年 - 2001年 * 以蔵の青春([[真里まさとし]])1996年38号 - 1998年50号 * いちごのA([[七瀬あゆむ]])1992年 * [[いつかのメイン]]([[水穂しゅうし]])1994年35号 - 1996年34号 * [[いっしょけんめいハジメくん]]([[コンタロウ]])1981年 - 1985年 * 一丁目のスナミちゃん([[とりいかずよし]])1979年1号 - 1980年20号 * [[いとしのエリー (漫画)|いとしのエリー]]([[高見まこ]])1984年 - 1987年52号 * [[犬のジュース屋さん]]([[おおひなたごう]])2002年11号 - 2002年23号 ** 犬のジュース屋さんZ、2007年21・22合併号 - 2009年2・3合併号 * [[イノサン]]([[坂本眞一 (漫画家)|坂本眞一]]・[[安達正勝]])2013年09号 - 2015年20号 → 『[[グランドジャンプ]]』に移籍 * [[いぬばか]]([[桜木雪弥]])2004年43号 - 2009年35号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * [[EVIL HEART]](武富智)2005年9号 - 2005年44号 * イビルヒーローズ(原作:[[光永康則]]、漫画:入鹿良光) 2021年26号 - 2022年16号 * 魚CRY(作:[[小池一夫]]、画:[[片山誠]])1995年15号 - 1997年11号 * [[嘘喰い]]([[迫稔雄]])2006年24号 - 2018年4・5合併号 ** 嘘喰い-立会人 夜行妃古壱-([[迫稔雄]])2021年45号 - 2021年52号 『嘘喰い』のスピンオフ作品 * うなじ([[江口寿史]])1998年36・37合併号 - 1999年2号、不定期連載 * うめモモさくら([[鈴木祐美子]])1990年21号 - 1992年30号 * 敬え!!留年センパイ(苦楽たくる)2015年40号 - 2015年49号 * [[うらたろう]]([[中山敦支]])2016年36号 - 2017年44号 * [[栄光なき天才たち]]([[伊藤智義]]・[[森田信吾]])1986年23号 - 1992年24号 ** [[新・栄光なき天才たち]]([[森田信吾]])1993年 - 1994年 ** 栄光なき天才たち2009([[森田信吾]]・原案:新山藍朗)2009年48号 - 2010年7号 ** 栄光なき天才たち2010([[森田信吾]])2010年8号 - 2010年40号 ** 栄光なき天才たち2011([[森田信吾]]・監修:鈴木一義、原案:矢吹明紀)2011年47号 - 2012年4・5合併号 * エ・ク・ボ・!([[山花典之]])1991年 - 1992年 * [[SMH - 始末署の星]]([[竹田エリ]])2002年26号 - 2003年6・7合併号 * [[87CLOCKERS]]([[二ノ宮知子]])2015年4・5合併号 - 2016年31号 ← 『[[ジャンプ改]]』より移籍、月1連載 * えっち([[仙道ますみ]])1996年9号 - 1999年29号 * [[エルフェンリート]]([[岡本倫]])2002年27号 - 2005年39号 * オーライ!(橋本スズヒラ)2020年15号 - 2020年49号 * [[All You Need Is Kill]](原作:[[桜坂洋]]、構成:[[竹内良輔]]、漫画:[[小畑健]]、キャラクター原案:[[安倍吉俊]])2014年06・07合併号 - 2014年26号 * オキザリスの旗 長宗我部元親外伝([[井出圭亮]])2011年22・23合併号 - 2011年43号、→『[[#webYJ|webYJ]]』に移籍 * [[おくさまは女子高生]]([[こばやしひよこ]])2003年17号 - 2007年08号 * [[押忍!!空手部]]([[高橋幸慈|高橋幸二]])1985年20号 - 1996年18号 * [[おっとり捜査]]([[小手川ゆあ]])1996年33号 - 1997年30号、 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * オットマン-OTTOMAN-(金沢真之助)2021年36・37合併号 - 2022年45号 * 男は天兵([[雁屋哲]]・[[井上紀良]])1981年 - 1983年 * [[乙女のホゾシタ]]([[マドカマチコ]])2010年19号 - 2011年25号 * おはにゅ〜 -女子アナパラダイス-([[小林拓己]])2010年43号 - 2010年45号 ← 『[[月刊ヤングジャンプ]]』より移籍 ** おはにゅ〜 -女子アナコレクション-([[小林拓己]])2011年3号 - 2012年29号、月1連載 * 俺がコーキだ!!([[片山誠]])1993年27号 - 1994年45号 * [[俺の空]]〈刑事編〉([[本宮ひろ志]])1979年1号 - 1981年18号 * [[俺の空]]〈三四郎編〉([[本宮ひろ志]])1992年21・22合併号 - 1993年52号 * [[俺の嫁はあいつの妻]]([[本宮ひろ志]])2011年21号 - 2011年46号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">か行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * ガード・ドック(STORY:浅倉涼、ART:[[くつぎけんいち]])1993年25号 - 1996年5・6合併号 * [[ガールフレンド (漫画)|ガールフレンド]]([[外薗昌也]]・[[別天荒人]])2003年52号 - 2007年17号、月1連載 * 海神記([[諸星大二郎]])1981年19号 - 1981年30号、 → 『月刊[[コミックトム]]』に移籍 * [[カイチュー!]]([[林佑樹]])2009年51号 - 2010年20号、 → 『[[#webYJ|webYJ]]』に移籍 * [[怪盗ロワイヤル#漫画|怪盗ロワイヤル〜ロザルタの秘宝を追え!!〜]](原作:[[たなかかなこ]]、作画:[[別天荒人]]、原案:[[ディー・エヌ・エー|DeNA]]/[[ワカマツカオリ]])2011年30号 - 2011年39号、第一部完 * ガウリンガール(藤井義也)2010年49号 - 2011年18・19合併号 * [[カウンタック (漫画)|カウンタック]]([[梅澤春人]])2004年41号 - 2012年41号 * [[カオリわーにんぐ!]](リコシェ号)2017年21号 - 2017年49号 * [[学園天国 (遊人の漫画)|学園天国]]([[遊人]])2003年47号 - 2005年52号 * [[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]]([[赤坂アカ]])2016年17号 - 2022年49号、『[[ミラクルジャンプ]]』より移籍 ** [[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜|かぐや様を語りたい]]([[赤坂アカ]]・G3井田)2018年34号 - 2022年49号、 『[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜|かぐや様は告らせたい]]』のスピンオフ作品 * [[かくりよものがたり]]([[藤崎竜]])2013年32号 - 2015年4・5合併号、第一部完 * [[カコとニセ探偵]]([[光永康則]])2015年2号 - 2015年43号 * [[カジテツ王子]]([[向浦宏和]])2006年42号 - 2010年12号 * [[風が強く吹いている]]([[三浦しをん]]・[[海野そら太]])2007年46号 - 2008年32号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * [[風の陣]]([[本宮ひろ志]])2007年35号 - 2008年48号 * かっとびハート([[山科けいすけ]])1985年 - 1988年 * [[カッパの飼い方]]([[石川優吾]])2003年10号 - 2010年33号 * 彼女の野性が手に負えない(末広光)2019年27号 - 2020年9号 * [[CUFFS 〜傷だらけの地図〜]]([[東條仁]])1996年52号 - 2005年18号 * [[神様のハナリ]](吉村拓也)2015年33号 - 2016年12号 * [[仮面ティーチャー]]([[藤沢とおる]])2006年39号 - 2007年47号 ** 仮面ティーチャーBLACK 2013年21・22合併号 - 2014年46号 * かるてっと([[山花典之]])1990年51号 - 1991年30号 * GULFの鷹(作:八代正幸、画:[[井上紀良]])1991年14号 - 1991年47号 * [[華麗なる食卓]]([[ふなつ一輝]])2001年7号 - 2013年2号 * [[可愛そうにね、元気くん]](古宮海)2019年14号 - 2021年4・5合併号 * [[GANTZ]]([[奥浩哉]])2000年4・5合併号 - 2013年29号、途中より隔週連載 * [[GANTZ:E]](作画:花月仁、原作:[[奥浩哉]])2020年6・7合併号 - 2024年1号、シリーズ連載 →『[[#ヤンジャン!|ヤンジャン!]]』に移籍 * がんばれ!和田ラヂヲ([[和田ラヂヲ]])2002年 * 北の土龍([[石川サブロウ]])1981年31号 - 1985年51号 * 君だけをみつめてる([[七瀬あゆむ]])1995年47号 - 1997年27号 * [[君と100回目の恋#コミカライズ|君と100回目の恋]](原作:Chocolate Records、構成:イナバセリ、漫画:[[よしづきくみち]])2016年22・23合併号 - 2017年10号 * [[ギミック!]]([[金成陽三郎]]・[[薮口黒子]])2005年24号 - 2007年14号 * [[君は淫らな僕の女王]](原作:[[岡本倫]]、作画、[[横槍メンゴ]])2013年50号 - 2017年40号 → 『[[ミラクルジャンプ]]』より移籍、不定期連載 * [[キャプテン翼#キャプテン翼 ROAD TO 2002|キャプテン翼 ROAD TO 2002]]([[高橋陽一]])2001年3・4合併号 - 2002年24号 ** キャプテン翼 GOLDEN-23 2005年45号 - 2008年21・22合併号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 ** キャプテン翼 海外激闘編 IN CALCIO 日いづる国のジョカトーレ 2009年23号 - 2009年47号 ** キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA 2010年11号 - 2011年21号 ** キャプテン翼 海外激闘編 EN LA LIGA 最終章 2012年16号 - 2012年19号 * キャラメラ(武富智)2001年 - 2002年 * ギャングスターアイランド(原作:吉瀬狂助、漫画:霧科拓徒)2012年46号 - 2013年15号 * キャンパスクロッキー([[八潮路つとむ]])1980年 - 1985年 * キュイジニエ(作:[[西村ミツル]]、画:[[中祥人]])2000年24号 - 2001年19号、→『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * [[KIRARA]]([[唯登詩樹]])1993年25号 - 1996年12号 ← 『ベアーズクラブ』より移籍、月1連載 → 増刊『サーティー』に移籍 * [[銀河英雄伝説#漫画版|銀河英雄伝説]](漫画:[[藤崎竜]]、原作:[[田中芳樹]])2015年45号 - 2020年8号 → 『[[ウルトラジャンプ]]』に移籍 * キントトハウス([[山科けいすけ]])1991年 - 1992年 * [[孔雀王]]([[荻野真]])1985年 - 1989年 ** 孔雀王 退魔聖伝 1990年 - 1992年 ** 孔雀王 曲神紀 2006年17号 - 2009年47号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * グッドジョブ(漫画:[[本宮ひろ志]]、原作:髙野洋)2018年29号、2020年33・34合併号、シリーズ連載 * [[国が燃える]]([[本宮ひろ志]])2002年49号 - 2005年9号 * [[クノイチノイチ!]](金沢真之介)2016年43号 - 2017年45号、第一部完 ** クノイチノイチ!ノ弐(金沢真之介、ストーリー協力:山本カズヨシ)2018年10号 - 2019年9号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[久保さんは僕を許さない]](雪森寧々)<!--2019年47号 - 2023年14号--> * Gドライブ([[坂田信弘]]・[[紅林直]])2002年41号 - 2003年18号 * グラスエイジ([[山花典之]])1992年 - 1993年 * [[グラビアトリ]](佐藤カケル)2015年41号 - 2016年31号 * [[GRAND SLAM]]([[河野慶]]、技術協力:廣戸聡一)2011年18・19合併号 - 2014年17号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * X〈クロス〉(story:[[梶研吾]]、art:[[井上紀良]])1996年3・4合併号 - 1997年39号 → 『ベアーズクラブ』に移籍 * [[十字架の魔術師]]([[岡崎圭]])2007年24号 - 2008年18号、→『月刊ヤングジャンプ』に移籍 * 黒鉄のヴァルハリアン([[松原利光]])2021年31号 - 2022年44号 * [[群青戦記|群青戦記 グンジョーセンキ]]([[笠原真樹]])2013年39号 - 2017年29号、第一部完 ** [[群青戦記|真・群青戦記]](原作:[[笠原真樹]]、漫画:[[アジチカ]])2021年6・7合併号 - 2022年16号 * [[潔癖男子!青山くん]]([[坂本拓]])2015年9号 - 2017年5・6合併号 ← 『[[ミラクルジャンプ]]』より移籍 * 外天の夏([[佐木飛朗斗]]・[[東直輝]])2008年21・22合併号 - 2009年19号 * 剣光妃 -日ノ国大帝國軍くれない一騎当千隊-([[野口友梨子|野口こゆり]])2014年18号 - 2014年36・37合併号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[拳銃神]]([[荻野真]])2000年26号 - 2003年18号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * [[高校鉄拳伝タフ]]([[猿渡哲也]])1993年33号 - 2003年29号→「TOUGH」に改題して継続 ** [[TOUGH (漫画)|TOUGH-タフ-]] 2003年35号 - 2012年34号 * [[合法都市]]([[東條仁]])2008年48号 - 2010年15号 * 興亡と夢([[三好徹]])1982年 - 1986年 * [[黄龍の耳#漫画版|黄龍の耳]](作:[[大沢在昌]]、画:[[井上紀良]]、脚本:M・A・T → 坂東前二)1992年52号 - 1996年1号 * [[ゴールデンカムイ]]([[野田サトル]]、アイヌ語監修:[[中川裕 (アイヌ語研究者)|中川裕]])2014年38号 - 2022年22・23合併号 * [[極黒のブリュンヒルデ]]([[岡本倫]])2012年09号 - 2016年18号 * GOKUSAI([[猿渡哲也]])2012年44号 - 2013年35号 * [[極道つぶし]]([[佐々木拓丸]])2004年23号 - 2005年25号 * [[孤高の人]](原案:[[新田次郎]]、原作:鍋田吉郎・高野洋、作画:[[坂本眞一 (漫画家)|坂本眞一]])2007年48号 - 2011年48号、最後の4話のみ月1連載 * こにくらぐれん隊([[山本康人|しまかおる]])1980年 - 1981年 * この恋は実らない(武富智)2007年09号 - 2007年44号、→『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * 国境を駆ける医師イコマ(高野洋)2004年1号 - 2005年24号 * ゴルドオ([[高橋幸慈]])2002年25号 -2003年13号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">さ行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[サイクロプス少女さいぷ〜]]([[寅ヤス]])2011年32号 - 2014年43号 * さくら よろしく([[八潮路つとむ]])1991年 - 1992年 * [[ザ・サムライ]]([[春日光広]])1983年28号 - 1987年28号 * サスケ([[佐々木崇]])2002年02号 - 2003年5・6合併号 * [["殺医"ドクター蘭丸]](Karte:[[梶研吾]]、Operateur:[[井上紀良]])1997年44号 - 2001年8号 * [[さつきちゃん]](漫画:さノ助、ストーリー協力:M)2018年30号 - 2019年8号 * [[殺人無罪]](漫画:[[上田宏]]、原作:[[熊谷純]])2018年45号 - 2019年34号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[サムライガン]](熊谷カズヒロ)1996年 - 2002年 * [[サムライソルジャー]]([[山本隆一郎]])2008年13号 - 2014年17号 * [[サラリーマン金太郎]]([[本宮ひろ志]]) 1994年30号 - 2002年9号 ** サラリーマン金太郎マネーウォーズ編 2005年49号 - 2006年37・38合併号 ** 新サラリーマン金太郎 2009年7号 - 2011年12号 ** サラリーマン金太郎 順不同 2010年18号 - 2011年1号 ** サラリーマン金太郎 五十歳 2015年20号 - 2016年11号 * SAN PIECE -サンピース-(トミナガノリユキ)2011年52号 - 2012年22・23合併号 * 三匹の貧乏人(二宮良三)1995年 - 1996年 * C([[きたがわ翔]])1994年13号 - 1996年52号 * シェイプシフター(岩井トーキ)2019年34号 - 2020年15号 * シカバナ -はな、したい、こと-(漫画:門里慧、原作:nojo)2019年26号 - 2020年4・5合併号 * 四季崎姉妹はあばかれたい(朝倉亮介)2022年1号 - 2023年19号 * [[死刑囚042]]([[小手川ゆあ]])2002年15号 - 2004年47号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * 69-sixtynine-([[村上龍]]・梅沢俊一)2004年29号 - 2004年33号 * 地獄の戦士([[諸星大二郎]])1979年 - 1981年 * [[シャドークロス]](スガワラエスコ)2020年50号 - 2021年39号 → 『[[ウルトラジャンプ]]』に移籍 * シャトルアイズ(濱原蓮)2019年17号 - 2020年9号 * 思春期サァカス(G3井田)2014年28号 - 2015年17号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[SIDOOH/士道]]([[髙橋ツトム]])2005年14号 - 2010年48号 ** 士道 サンライズ 2011年16号 - 2011年24号 * [[週刊はじめての初音ミク]](林健太郎)2010年40号 - 2013年34号 * 縮小チーム石田(亜太川ふみひろ)2005年27号 - 2008年8号 * ジュピタリア(梶山昊頌)2020年24号 - 2021年9号 * [[少年アシベ]]([[森下裕美]])1988年24号 - 1994年3・4合併号 ** COMAGOMA、2000年6号 - 2004年17号 * [[女子アナ魂―こはるON AIR―]](海野そら太)2005年26号 - 2006年24号 * 女子恋愛百科([[加藤マユミ]]) 2005年16号 - 2005年25号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * [[しらたまくん]]([[稲葉そーへー]])2014年35号 - 2017年33号 * [[白雪姫と7人の囚人]]([[薮口黒子]])2012年49号 - 2013年52号 * [[私立T女子学園]]([[竹田エリ]])1995年 - 2001年 * [[新サクラ大戦#漫画|新サクラ大戦 the Comic]](原作:[[広井王子]]、漫画:[[野口友梨子|野口こゆり]]、企画協力:[[セガゲームス]]、ストーリー構成・脚色:[[イシイジロウ]]、メインキャラクターデザイン:[[久保帯人]])2019年41号 - 2020年30号、『[[新サクラ大戦]]』のコミカライズ * 新説!さかもっちゃん([[柳内大樹]])2010年7号 - 2010年50号 * シンデレラ・エクスプレス([[弓月光]])1988年15号 - 1989年25号 * シンバ・ラ・ダ(原作:[[岡エリ]]、作画:[[塩塚誠]])2011年15号 - 2011年51号 * [[SINfinity]]([[佐々木拓丸]])2007年50号 - 2008年18号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * スーパーニコニコ(せいやこうじゅう)2005年16号 - 2005年38号 * [[スカイハイ (漫画)|スカイハイ]]シリーズ([[髙橋ツトム]]) ** スカイハイ、2001年16号 - 2002年19号 ** スカイハイ・カルマ、2003年08号 - 2003年30号 ** スカイハイ・新章、2003年36・37合併号 - 2004年50号 * スクール侍([[見ル野栄司]])2006年8号 - 2006年37・38合併号 * 少〜しみせちゃう([[弓月光]])1983年38号 - 1983年41号 * [[スタンドUPスタート]](福田秀、協力・監修:上野豪)2020年29号 - 2023年50号 全13巻 * [[スピナマラダ!]]([[野田サトル]])2011年33号 - 2012年49号 * [[世紀末研究所]]([[小林よしのり]])1979年創刊号 - 1980年4号 * 性職者(原作:光風治、作画:森永茉裕)1999年3号 - 2000年28号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』にも連載 * 性的人間(のぞむよしお)2004年42号 - 2005年19号 * [[青春ヒヒヒ]]([[清野とおる]])2001年51号 - 2002年20号 * 青年少女よ、春を貪れ。([[山田シロ彦]])2021年3号 - 2022年12号 * [[石影妖漫画譚]]([[河合孝典]])2010年32号 - 2011年1号 → 『[[#webYJ|webYJ]]』に移籍 * [[ZETMAN]]([[桂正和]])2002年48号 - 2014年34号、途中から月1連載、第一部完 * 7's -セブンズ-([[キドジロウ]])2017年53号 - 2018年42号 * [[01 ZERO ONE]]([[奥浩哉]])1999年21・22合併号 - 2000年17号 → 増刊『別冊ヤングジャンプ』に移籍 * [[SOUL (漫画)|SOUL]]([[猿渡哲也]])1985年21号 - 1986年1・2合併号 * それでいい。(佐藤久文)2002年28号 - 2003年6号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">た行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[ダイナー_(小説)#漫画|DINER ダイナー]](原作:[[平山夢明]]、漫画:[[河合孝典]])2017年36・37合併号 - 2019年2号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[打撃天使ルリ]]([[山本康人]])1998年43号 - 2000年45号、月1連載 * [[猛き箱舟#漫画|猛き箱舟]](画:[[柳澤一明]]、作:[[船戸与一]])1989年 - 1990年 * [[タトゥーン★マスター]]([[矢也晶久]])1994年 - 1997年 ← 『ベアーズクラブ』より移籍 * [[Wネーム]]([[葉月京]])2004年35号 - 2007年13号、月1連載 → 隔週連載 * [[WxY ダブリューエックスワイ]]([[マドカマチコ]])2012年30号 - 2014年12号 * [[TAMATA]](茅ヶ崎麻)2017年30号 - 2018年26号 * ダムド([[猿渡哲也]]、作・原案:門脇正法)1992年28号 - 1993年1・2合併号 * CHI・GU・HA・GU([[山花典之]])1987年51号 - 1990年27号 * [[ちさ×ポン]]([[中野純子]])2001年48号 - 2006年4・5合併号、月1連載 * 千夏のうた([[きたがわ翔]])2004年10号 - 2004年44号 * 小類人〈ちゃいるど〉([[荻野真]])1996年47号 - 2000年2号 * 超格闘伝説 あした輝け!([[高橋幸慈|高橋幸二]])1996年24号 - 1997年45号 * [[超人X]]([[石田スイ]])2021年46号 - 2022年10号、『となりのヤングジャンプ』より出張連載 * 長男の時代([[小池一夫]]・[[川崎のぼる]])1980年 - 1982年 * ちょっとごめんネコ([[鈴木祐美子]])1993年 - 1996年 * [[chinします?]]([[矢也晶久]])1991年 * [[珍入社員金太郎]]([[漫☆画太郎]])2005年8号 - 2005年11号 * [[つっぱり桃太郎]]([[漫☆画太郎]])2003年24号 - 2004年35号 * 剣の鳳凰([[戸田泰成]])1997年 - 1998年 * ツレちゃんのゆううつ([[三島たけし]])1990年 - 1994年 * TIENPO -ティエンポ-(飯野大祐)2018年36・37合併号 - 2019年46号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[デストロイ アンド レボリューション]]([[森恒二]])2010年47号 - 2016年48号、当初月1連載 → 途中から不定期連載 * てっぺん([[小成たか紀]])1993年30号 - 1996年43号 * [[Devils×Devil デビルズデビル -Kiryu in Paris]]([[猿渡哲也]])2012年37・38号 - 2012年40号(3週集中連載) * デュエット(原作:[[小池一夫]]、作画:[[井上紀良]])1983年 - 1985年27号 * [[デリバリーシンデレラ]]([[NON (漫画家)|NON]])2010年6号 - 2012年30号 * 天空の門([[菊池としを]])1995年 - 1998年 * 天国でポン([[村上たかし]])1991年 - 1992年 * 天国にいちばん近いフィールド(森田森魚・[[七瀬あゆむ]])1997年51号 - 1998年43号 * 天使のルージュ([[山花典之]])2003年48号 - 2004年10号 * [[東京喰種トーキョーグール]]([[石田スイ]])2011年41号 - 2014年42号 ** 東京喰種 トーキョーグール:re([[石田スイ]])2014年46号 - 2018年31号、「東京喰種 トーキョーグール」の続編 * 東京ナンパすとりーと([[みやすのんき]])2001年33号 - 2004年6・7合併号、月1連載 * 童子軍艦(小田世里奈)2019年2号 - 2019年46号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[東大一直線|東大快進撃]]([[小林よしのり]])1980年7号 - 1981年25号 * 毒舌桃平 強いか弱いか!?(原作:[[小池一夫]]、漫画:[[木村知夫|木村知生]])1982年 - 1983年 * ドクターゼロス〜スポーツ外科医・野並社の情熱〜(原作:[[石川秀幸]]、漫画:橋本スズヒラ)2021年33・34合併号 - 2023年36号 * [[どついたれ]]([[手塚治虫]])1979年1号 - 1980年22号 * [[どっかん!]](原作:滝直毅・作画:[[能田茂]])2001年24号 - 2002年45号 * 隣の悪女([[玉木ヴァネッサ千尋]])2018年16号 - 2019年2号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[トライAンジェル|トライA(ア)ンジェル]]([[加地君也]])2013年24号 - 2013年30号 * [[とりどりことり]]([[竹田エリ]])2008年18号 - 2010年17号 * [[ドロ刑]] (福田秀)2018年5・6合併号 -2019年30号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">な行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[NINETEEN 19]]([[きたがわ翔]])1988年19号 - 1990年42号 * 72 The Soul Of Bikes([[山口かつみ]])2005年38号 - 2007年09号 * 何も知らないけど、キミが好き。(きし晴護)2023年10号 - 2023年13号 → 『[[めちゃコミック]]』、『となりのヤングジャンプ』、『ヤンジャン!』、『マンガmee』に移籍{{R|yj202313}}、第1回ドラマンガ大賞準入選<ref name="drama1" />、本誌では先行連載<ref name="yj202313">{{Cite journal|和書|date = 2023-02-22|title=何も知らないけど、キミが好き。 四誌横断連載始動。|journal =週刊ヤングジャンプ|volume=2023年13号|page=283|publisher = 集英社}}</ref> * ナマケモノが見てた([[村上たかし]])1987年 - 1990年 ** ナマケモノがまた見てた、1993年 - 1996年 * 二次元JUMPIN'([[髙橋ツトム]]) 2014年43号 - 2015年21・22合併号 * 20XX年レベルアップ災害〜神から授かりし新たなる力〜(内田拓也)2022年18号 - 2023年20号 → 『となりのヤングジャンプ』に移籍<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-04-13|title=移籍連載のお知らせ 20XX年レベルアップ災害〜神から授かりし新たなる力〜|journal =週刊ヤングジャンプ|volume=2023年20号|publisher = 集英社|page=381|asin = B0C15FGLH6}}</ref> * 二丁目のドンキホーテ([[八潮路つとむ]])1989年 - 1991年 * [[ニポンゴ]]([[空えぐみ]])2012年31号 - 2014年15号 * にらぎ鬼王丸(原作:[[荒仁]]、漫画:[[坂本眞一 (漫画家)|坂本眞一]])2004年3号 - 2004年45号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * ネコじゃないモン!([[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]])1983年 - 1984年 * [[ねじまきカギュー]]([[中山敦支]])2011年13号 - 2014年28号 * [[のぞみウィッチィズ]]([[野部利雄]])1986年39号 - 1996年51号 * [[ノノノノ]]([[岡本倫]])2007年47号 - 2011年2号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">は行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * ハートボイルドパパ([[山口譲司]])1995年27号 - 1997年46号 * [[パープル式部]]([[フォビドゥン澁川]])2014年27号 - 2015年31号、連載前は不定期掲載シリーズ読切 * [[PERFECT TWIN]]([[きたがわ翔]])2000年51・52合併号 - 2001年51号 * 廃屋の住人(袈裟丸周造)2011年34号 - 2011年44号 * [[はいすくーる仁義]]([[水穂しゅうし]])1989年10号 - 1992年29号 * [[破戒王〜おれの牛若〜]]([[たなかかなこ]])2003年3号 - 2003年51号 * [[バカとボイン]]([[こばやしひよこ]])2009年1・2合併号 - 2010年4・5合併号 → 『[[月刊ヤングジャンプ]]』に移籍 * 馬鹿者のすべて([[村岡ユウ]])2010年23号 - 2011年15号 * [[幕末紅蓮隊]]([[本宮ひろ志]])2013年28号 - 2014年13号 * [[ぱじ]]([[村上たかし]])1999年45号 - 2005年2号 * [[バスルームのペペン]](川西ノブヒロ)2017年40号 - 2018年31号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[ハチワンダイバー]]([[柴田ヨクサル]])2006年41号 - 2014年33号 * はっちゃき先生([[石川サブロウ]])1980年2号 - 1980年13号 * ハッピーピープル([[釋英勝]])1983年10号 - 1988年10号 ** 新ハッピーピープル、1996年9号 - 2000年2号 ← 増刊『サーティー』 ←『ベアーズクラブ』より移籍 * バディ([[やまさき拓味]])1990年 - 1991年 * [[バトゥーキ]]([[迫稔雄]])2018年31号 - 2020年27号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * バトンの星(矢島光)2018年43号 - 2018年52号、第一部完 * [[花平バズーカ]]([[小池一夫]]・[[永井豪]])1979年1号 - 1982年14号 * 花待ついばら めぐる春(スガワラエスコ)2018年32号 - 2019年24号 * [[華と修羅]](原作:谷本和弘、漫画:[[井上紀良]])2010年29号 - 2011年31号、2011年33号に「特別編」掲載 * HONEY!([[きたがわ翔]])2002年10号 - 2002年40号 * [[パパのいうことを聞きなさい!|パパのいうことを聞きなさい!〜路上観察研究日誌〜]](原作:[[松智洋]]、漫画:宮乃ひろつぐ、キャラクター原案:[[なかじまゆか]])2011年48号 - 2012年30号 * HANDS(中野ユウスケ)2020年10号 - 2020年43号 * [[日々ロック]]([[榎屋克優]])2010年27号 - 2015年12号、不定期連載 * [[ハマトラ (アニメ)#漫画|ハマトラ]](シナリオ:[[北島行徳]]、漫画:[[小玉有起]])2013年51号 - 2015年2号、途中から月1連載 * 林宏(袈裟丸周造)2005年28号 - 2005年34号 * バラ餓鬼(壬生ロビン)2000年12号 - 2000年53号 * [[ハラハラドキドキ]]([[清野とおる]])2003年19号 -2003年48号 * 春ウララ([[石川優吾]])1983年41号 - 1986年6号 * [[バルセロナの太陽]]([[村上よしゆき (漫画家)|村上よしゆき]])2014年13号 - 2015年2号 * 晴れゆく空([[谷口ジロー]])2004年33号 - 2004年50号 * 犯撃少女 キリエ(菅原県)2011年13号 - 2011年34号 * パンピーパンピー([[カツピロ|田村カツピロ]])1992年 - * [[B型H系]]([[さんりようこ]])2004年20号 - 2011年10号 * [[B-SHOCK!]]([[中野純子]])1997年52号 - 2000年4・5合併号 * ビーストホイラー([[梅澤春人]])2013年13号 - 2013年21・22合併号<!-- 単巻で単行本化 --> * BEAT IT!([[八潮路つとむ]])1986年 * [[B.B.フィッシュ]]([[きたがわ翔]])1990年50号 - 1994年5・6合併号 * ヒトヒトリフタリ([[髙橋ツトム]])2011年49号 - 2013年35号 * [[ひみつ戦隊モモイダー]]([[藤沢とおる]])2003年27月 - 2006年38号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * ひみつのルージュ([[山花典之]])2004年11号 - 2004年31号 * [[干物妹!うまるちゃん]]([[サンカクヘッド]])2013年15号 - 2017年50号 ** 干物妹!うまるちゃんG 2017年53号 - 2018年20号 * 貧々福々ナズナさま!([[稲葉そーへー]])2019年42号 - 2021年20号 * [[ファインダー -京都女学院物語-]]([[秋本治]])2017年10号 - 2018年17号、不定期連載 * WHO I AM〜これが自分だ!という輝き〜(原作:[[WOWOW]]『WHO I AM』プロジェクト、漫画:[[冨澤浩気]])2018年47号 - 2021年36・37合併号、シリーズ連載 * [[ふしぎの国の波平さん]](原作:[[小森陽一 (作家)|小森陽一]]、漫画:畑優以)2017年44号 - 2018年29号 * ふたりの気持ち([[高見まこ]])1991年 - 1994年 * ふたりぼっちのオタサーの姫([[クール教信者]])2020年22・23合併号 - 2022年39号 * [[フットボールほど素敵な商売はない!!]](作:[[戸塚啓]]、画:[[岡村賢二]])2003年40号 - 2004年11号 * 無頼風([[黒咲一人]])1979年1号 - 1982年1号 * [[ブラックナイトパレード]]([[中村光 (漫画家)|中村光]])2016年49号 - 2019年34号、途中から月1連載 → 『[[ウルトラジャンプ]]』に移籍 * [[プリマックス]](作:[[柴田ヨクサル]]、画:[[蒼木雅彦]])2015年21・22合併号 - 2017年21号 * ブルーフォビア(鶴吉繪理)2018年1号 - 2018年23号 * ブルジョア刑事([[水穂しゅうし]])1998年33号 - 2000年15号 * [[フルドラム]]([[鹿子|箱石達]])2017年1号 - 2017年51号 * フルパワーMONKEY(亜太川ふみひろ)1997年 - 2001年 * Blood Lines([[東條仁]])2006年6・7合併号 - 2007年10号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * 平成少年ダン([[サンカクヘッド]])2021年49号 - 2023年15号 * [[へ〜せいポリスメン!!]]([[稲葉そーへー]])2010年8号 - 2014年6・7合併号 * [[べしゃり暮らし]]([[森田まさのり]])2007年7号 - 2015年28号 ← 『[[週刊少年ジャンプ]]』より移籍、途中から不定期連載、2019年31号から2019年41号まで短期集中連載 * [[ヘタコイ]]([[中野純子]])2007年8号 - 2011年46号、月一連載 * [[helvetica ヘルベチカ]](原作:津木波シズカ、漫画:染井紬希)2017年24号 - 2018年13号 * [[変 (漫画)|変[HEN]]]([[奥浩哉]])1991年 - 1995年 * [[BOING〜ぼいん〜]]([[山口譲司]])1999年20号 - 2001年3・4合併号 * [[封神演義 (漫画)|封神演義外伝]]([[藤崎竜]])2018年21・22合併号 - 2018年28号 * [[法の庭]](原作:[[田原成貴]]・作画:[[能田茂]])2004年30号 - 2005年24号 ← 『[[ビジネスジャンプ]]』より移籍 * [[暴力の都]](原作:[[戸田幸宏]]・作画:[[中祥人]])1996年36・37合併号 - 1999年51号 * [[僕、いますよ。]]([[本宮ひろ志]])2020年36・37合併号 - 2021年20号 * [[ボクガール]]([[杉戸アキラ]])2014年02号 - 2016年24号 * [[ぼくのマリー]]([[竹内桜]]、協力:[[三陽五郎]])1994年5・6合併号 - 1997年13号 * [[ボクらは魔法少年]]([[福島鉄平]])2018年13号 - 2019年14号、月1連載 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * ポチごっこ。([[アッチあい]])2019年24号 - 2019年45号 * HOT STUFF([[弓月光]])1989年36号 - 1990年16号 * [[ホットマン]]([[きたがわ翔]])1997年6・7合併号 - 2000年30号 ** ホットマン2003、2003年18号 - 2003年21・22合併号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">ま行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[マイホームみらの]]([[桜木雪弥]])1996年34号 - 2000年17号 * [[魔風が吹く]](円城寺真己)2018年19号 - 2019年12号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[まくむすび]]([[保谷伸]])2019年16号 - 2020年10号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[マジン・サーガ]]([[永井豪]])1990年 - 1992年 * [[益荒王]]([[坂本眞一 (漫画家)|坂本眞一]])2005年25号 - 2006年50号 * [[まだ、生きてる…]]([[本宮ひろ志]])2007年5・6合併号 - 2007年18号 * [[マッド★ブル34]](作:[[小池一夫]]、画:[[井上紀良]])1985年31号 - 1989年26号 → 『季刊ベアーズクラブ』に移籍 * 魔法を信じるかい?([[中島史雄]])1989年 - 1990年 * まりのシンドローム(宮代良行)1987年18号 - 1989年8号 * [[ミエリーノ柏木]](企画・原作:[[秋元康]]、演出・脚本:[[タカハタ秀太]]、漫画:大谷紀子、協力:『ミエリーノ柏木』製作委員会)2013年7号 - 2013年29号 * [[ミステリー民俗学者 八雲樹]]([[金成陽三郎]]・[[山口譲司]])2001年47号 - 2003年47号 →『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』 → 『[[ビジネスジャンプ]]』に移籍 * 未成年J(夏一青・[[井上紀良]])2001年12号 - 2001年46号 * [[緑山高校]]([[桑沢篤夫]])1984年21号 - 1987年50号 * 水無月ミレ子のとびだすな!青春(菅原県)2004年28号 - 2005年35号 * [[源君物語]]([[稲葉みのり]])2011年42号 - 2019年40号 * [[みんなあげちゃう|みんなあげちゃう&#9825;]]([[弓月光]])1982年49号 - 1987年33号 * メイド・イン・ひっこみゅ〜ず([[サンカクヘッド]])2018年50号 - 2020年49号、第一部完 * [[め〜てるの気持ち]]([[奥浩哉]])2006年40号 - 2007年27号 * [[メリーちゃんと羊]]([[竹田エリ]])2004年02号 - 2007年46号 * モーティヴ -原動機-([[一色登希彦]])2002年46号 - 2004年20号 * [[モートリ 妄想の砦]]([[葉月京]])2008年27号 - 2010年20号 * [[もぐささん]]([[大竹利朋]])2014年19号 - 2016年06・07合併号 ← 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』より移籍 ** もぐささんは食欲と闘う 2016年31号 - 2017年35号 * [[「もっと、生きたい…」]]([[Yoshi]]・[[中祥人]])2005年40号 - 2006年18号 * [[元ヤン]]([[山本隆一郎]])2015年23号 - 2018年36・37合併号 * [[Monacoの空へ]]([[野部利雄]])1999年37・38合併号 - 2005年10号 ** MONACOの空へ2 ALAS 〜輝ける翼〜 2005年11号 - 2007年45号 → 『[[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]』に移籍 * MoMo -the blood taker-([[杉戸アキラ]])2019年9号 - 2021年30号 * [[モングレル]]([[村瀬克俊]])2013年33号 - 2014年20号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">や行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[夜王]](原作:[[倉科遼]]、作画:井上紀良)2003年9号 - 2010年16号 * [[厄災仔寵]]([[みやすのんき]])1995年3・4合併号 - 1997年33号 * 夜叉鴉([[荻野真]])1993年20・21合併号 - 1996年8号 → 『[[ウルトラジャンプ]]』に移籍 * 野獣は眠らず([[高橋秀武]])2005年36・37合併号 - 2006年40号 * ヤスジのアニマルどー!!([[谷岡ヤスジ]])1979年 - 1980年 * ヤスジのド忠犬ハジ公(谷岡ヤスジ)1980年 - 1987年 * ヤスミンのDANCE!([[桜木雪弥]])2001年20号 - 2001年41号 * [[ヤナガオート]](梅澤功二朗)2009年49号 - 2010年31号 * [[山靴よ疾走れ!!]]([[紅林直]]※18話目より脚本・生田正)1999年30号 - 2001年28号 * [[ヤマタイカ|ヤマトの火]]([[星野之宣]])1983年38号 - 1983年51号 → 『月刊[[コミックトム]]』に移籍、[[ヤマタイカ]]と改題し完結 * [[弥生の大空]]([[野部利雄]])1984年22号 - 1986年32号 * ヤンキー!ブンブカブーン([[石原まこちん]])2005年10号 - 2005年23号 * [[結崎さんはなげる!]](鏡ユーマ)2016年32号 - 2017年52号 * 優良少女ファミリヤン(カワカミ)2018年11号 - 2018年47号 → 『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[ゆず文庫CLUB]]([[真里まさとし]])2001年31号 - 2005年20号 * [[夜明け後の静]]([[石川秀幸]])2018年09号 - 2018年42号 全3巻 以降は『静さまは初恋である、浪漫斯はまだない。』に改題して『[[#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[妖怪少女 -モンスガ-]]([[ふなつかずき]])2014年14号 - 2017年30号 * 陽キになりたい時雨さん(大浜カナタ)2021年27号 - 2022年30号 * YOUKIの直球([[野部利雄]])2010年34号 - 2011年3号 * [[妖女伝説]]([[星野之宣]])1979年 - 1980年 ※創刊時から[[諸星大二郎]]の読切作品と交互に隔刊連載 * 妖精大戦ノア([[野部利雄]])1997年 - 1999年 * [[傭兵ピエール]]([[佐藤賢一]]・[[野口賢]])2004年 - 2007年 * [[予告犯|予告犯 -THE COPYCAT-]](原案:[[筒井哲也]]、漫画:[[小幡文生]]、ストーリー協力:宝生仁海)2015年15号 - 2015年34号、『[[ジャンプ改]]』より移籍 * [[横浜線ドッペルゲンガー]]([[玉木ヴァネッサ千尋]])2014年11号 - 2015年1号 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">ら行・わ</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[LIAR GAME]]([[甲斐谷忍]])2005年12号 - 2015年8号、不定期連載 * [[ライカンスロープ冒険保険]]([[西義之]])2016年48号 - 2017年38号 → 『[[ヤングジャンプ#となりのヤングジャンプ|となりのヤングジャンプ]]』に移籍 * [[LINE (アプリケーション)#LINE OFFLINE ボクら図鑑|LINE OFFLINE ボクら図鑑]]([[金田一蓮十郎|Team.きんだいち]])2013年5・6合併号 - 2013年21・22合併号 * ラジオヘッズ([[向浦宏和]])2011年39号 - 2012年14号 * ラッキーストライク([[江口寿史]])1996年45号 - 1996年48号 * [[ラッキーセブンスター]]([[橘賢一]])2007年30号 - 2008年12号 * [[リクドウ]]([[松原利光]])2014年20号 - 2019年25号 * リトル ビッグ ママ([[弓月光]])1987年35号 - 1988年11号 * リビドーズ([[笠原真樹]])2018年49号 -2020年33・34合併号 * [[凛とチア。]]([[山田シロ彦]])2017年31号 - 2018年23号 * [[ルーキー野球団・東北楽天ゴールデンイーグルス物語]]([[会津泰成]]・[[飯星シンヤ]])2005年17号 - 2005年44号 * Rūnin([[猿渡哲也]])2015年8号 - 2015年28号 * [[レトルトパウチ!]]([[横槍メンゴ]])2017年26号 - 2019年3号 ← 『[[ミラクルジャンプ]]』より移籍、月1連載 * [[レモンエンジェル (漫画)|レモンエンジェル]]([[わたべ淳]])1987年51号 - 1990年9号 * [[ローゼンメイデン]]([[PEACH-PIT]])2008年20号 - 2014年8号 ← 『[[コミックバーズ]]』より移籍、月1連載 * ロンジコーン(吉村拓也)2012年15号 - 2012年33号→『[[#webYJ|webYJ]]』に移籍 * [[Y氏の隣人]]([[吉田ひろゆき]])1988年32号 - 2001年44号、月1連載 * [[わたしの沖田くん]]([[野部利雄]])1979年 - 1984年 * [[わたしはキャワワワ!!]]([[大亜門]])2012年51号 - 2013年13号、←『[[ミラクルジャンプ]]』2012年N°9掲載『わたしはキャワワワ&#x2661;』を改題 * 和田ラヂヲのここにいます([[和田ラヂヲ]])1994年 - 1998年 * 和田ラヂヲの嫁に来ないか?([[和田ラヂヲ]])2003年15号 - 2005年22・23合併号 * わっぱ烈伝 爆造([[高橋幸慈|高橋幸二]])1997年20号 - 2000年34号 * ワルG([[片山誠]])2000年 - 2001年 * [[ワルボロ#漫画|ワルボロ]](原作 :[[ゲッツ板谷]]・著者 :花岡暁生)2007年10号 - 2007年44号 * ONE ZERO NINE([[江川達也]])2001年21・22合併号 - 2002年28号 </div></div> == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- | rowspan="3" |[[少年アシベ]] |1991年(第1作第1期) | rowspan="2" |[[ライフワーク (アニメ制作会社)|ライフワーク]] |OVAあり |- |1992年-1993年(第1作第2期) | rowspan="2" | |- |2016年-2019年(第2作) |[[ブリッジ (アニメ制作会社)|ブリッジ]]<br />[[フウシオスタジオ]]<br />[[studioぱれっと]]<br />[[シンエイ動画]] |- |[[あずみマンマ・ミーア]] |1997年 |[[東映アニメーション|東映動画]] | |- |[[ふたり暮らし]] |1998年 |[[パブリック&ベーシック]] | |- |[[COLORFUL (漫画)|COLORFUL]] |1999年 |[[トライアングルスタッフ]] | |- |[[サラリーマン金太郎]] |2001年 |ジェイ・シー・エフ | |- |[[GANTZ]] |2004年(第1期・第2期) |[[ゴンゾ|GONZO]] |映画あり |- |[[エルフェンリート]] |2004年 |[[アームス]] |未放送1話あり |- |[[カッパの飼い方]] |2004年-2005年 |[[ピクチャーマジック]] | |- |[[サムライガン]] |2004年 |[[エッグ (アニメ制作会社)|エッグ]] | |- | rowspan="2" |[[ローゼンメイデン]] |2004年(第1作) |[[ノーマッド]] | rowspan="2" | |- |2013年(第2作) |[[スタジオディーン]] |- |[[おくさまは女子高生]] |2005年 |[[マッドハウス]] | |- |[[B型H系]] |2010年 |[[ハルフィルムメーカー]] | |- |[[ZETMAN]] |2012年 |[[トムス・エンタテインメント]] | |- | rowspan="5" |[[キングダム (漫画)|キングダム]]([[キングダム (アニメ)|アニメ]]) |2012年-2013年(第1シリーズ) | rowspan="2" |[[ぴえろ]] | rowspan="5" | |- |2013年-2014年(第2シリーズ) |- |2020年-2021年(第3シリーズ) | rowspan="3" |ぴえろ<br />[[スタジオ サインポスト]] |- |2022年(第4シリーズ) |- |2024年(第5シリーズ) |- |[[極黒のブリュンヒルデ]] |2014年 |アームス |OVAあり |- | rowspan="2" |[[テラフォーマーズ]] |2014年(第1期) |[[ライデンフィルム|LIDENFILMS]] | rowspan="2" | |- |2016年(第2期) |LIDENFILMS<br />[[TYOアニメーションズ]] |- | rowspan="3" |[[東京喰種トーキョーグール]] |2014年(第1期) | rowspan="3" |studioぴえろ | rowspan="3" |OVAあり |- |2015年(第2期) |- |2018年(第3期・第4期) |- | rowspan="2" |[[干物妹!うまるちゃん]] |2015年(第1期) | rowspan="2" |[[動画工房]] | rowspan="2" |OVA(第1期)あり |- |2017年(第2期) |- |[[潔癖男子!青山くん]] |2017年 |[[スタジオ雲雀]] | |- | rowspan="3" |[[ゴールデンカムイ]] |2018年(第一期・第二期) | rowspan="2" |[[ジェノスタジオ]] | rowspan="3" | |- |2020年(第三期) |- |2022年-2023年(第四期) |[[ブレインズ・ベース]] |- | rowspan="3" |[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]] |2019年(第1期) | rowspan="3" |[[A-1 Pictures]] | rowspan="3" |OVA(第2期)あり |- |2020年(第2期) |- |2022年(第3期) |- | rowspan="2" |[[シャドーハウス]] |2021年(第1期) | rowspan="2" |[[CloverWorks]] | rowspan="2" | |- |2022年(第2期) |- |[[久保さんは僕を許さない]] |2023年 |[[パインジャム|PINE JAM]] | |- | rowspan="2" |[[【推しの子】]]([[【推しの子】 (アニメ)|アニメ]]) |2023年(第1期) | rowspan="2" |動画工房 | rowspan="2" | |- |2024年(第2期) |- | rowspan="2" |[[君のことが大大大大大好きな100人の彼女]] |2023年(第1期) | rowspan="2" |[[バイブリーアニメーションスタジオ]] | rowspan="2" | |- |{{TBA}}(第2期) |- |[[スナックバス江]] |2024年 |[[スタジオぷYUKAI]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 劇場アニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 |- |[[みんなあげちゃう]] |1987年 |{{N/A}} |- |GANTZ |2016年 |[[デジタル・フロンティア]] |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webアニメ !作品 !配信年 |- |[[サイクロプス少女さいぷ〜]] |2013年 |- |[[へ〜せいポリスメン!!]] |2013年 |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 |- |[[ザ・サムライ]] |1987年 |銀河帝国 |- | rowspan="2" |[[孔雀王]] |1988年-1991年(第1作) |[[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]](第1話、第3話)<br />STUDIO SS(第2話) |- |1994年(第2作) |マッドハウス |- |[[NINETEEN 19]] |1990年 |マッドハウス |- |[[緑山高校]] |1990年 |バルク<br />[[エクラアニマル|あにまる屋]] |- |[[レモンエンジェル (漫画)|レモンエンジェル]] |1990年 |エムアイ |- |[[押忍!!空手部]] |1990年-1992年 |{{N/A}} |- |[[マッド★ブル34]] |1990年-1992年 |[[マジックバス]] |- |[[のぞみウィッチィズ]] |1992年 |[[グループ・タック]] |- |[[はいすくーる仁義]] |1992年 |[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] |- |[[花平バズーカ]] |1992年 |スタジオシグナル |- |[[B.B.フィッシュ]] |1994年 |[[プロダクション・アイジー]] |- |[[ぼくのマリー]] |1996年 |ぴえろ |- |[[タトゥーン★マスター]] |1996年 |AIC |- |[[変 (漫画)|変]] |1997年 |[[グループ・タック]] |- |[[厄災仔寵]] |1997年 |[[ダックスインターナショナル]] |- |[[KIRARA]] |2000年 |[[葦プロダクション]] |- | rowspan="2" |[[高校鉄拳伝タフ]] |2002年(第1巻、第3巻) | rowspan="2" |AIC |- |2004年(第3巻) |} === ドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !製作 |- |みんなあげちゃう |1987年 | colspan="2" {{N/A}} |- |ザ・サムライ |1986年 |{{N/A}} |[[円谷プロダクション]] |- |変 |1996年 |[[テレビ朝日]]<br />[[ドリマックス・テレビジョン|木下プロダクション]] |{{N/A}} |- | rowspan="2" |サラリーマン金太郎 |1999年-2004年([[サラリーマン金太郎 (高橋克典のテレビドラマ)|第1作]]) |{{N/A}} |[[ドリマックス・テレビジョン]]<br />[[TBSテレビ|TBS]] |- |2008年-2010年([[サラリーマン金太郎 (永井大のテレビドラマ)|第2作]]) |テレビ朝日<br />[[メディアミックス・ジャパン]] |{{N/A}} |- |[[少年のアビス]] |2022年 |[[ホリプロ]] |「少年のアビス」製作委員会<br />[[毎日放送]] |- |[[スタンドUPスタート]] |2023年 |[[ファインエンターテイメント]](協力) |[[フジテレビジョン|フジテレビ]] |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webドラマ !作品 !配信年 !制作 !製作 |- |テラフォーマーズ |2016年 |[[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]]<br />[[オー・エル・エム|OLM]] |[[BeeTV]] |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !公開年 !監督 !配給 !備考 |- |[[みんなあげちゃう]] |1985年 |[[金子修介]] |[[にっかつ|日活]] | |- |[[ザ・サムライ#映画|ザ・サムライ]] |1986年 |[[鈴木則文]] |[[東映]] | |- |[[押忍!!空手部#実写映画版|押忍!!空手部]] |1990年 |[[村川透]] |[[松竹]] | |- | rowspan="3" |[[はいすくーる仁義#実写作品|はいすくーる仁義]] |1991年(第1作) | rowspan="3" |[[小松隆志 (映画監督)|小松隆志]] | rowspan="3" |[[大映]] | rowspan="2" | |- |1992年(第2作) |- |1994年(外伝・第3作) |style="white-space:nowrap;"|外伝:オリジナルビデオ |- |[[厄災仔寵#実写版|厄災仔寵]] |style="white-space:nowrap;"|1997年(第1作・第2作) |style="white-space:nowrap;"|[[金澤克次]] |[[Softgarage]] |オリジナルビデオ |- |[[ALIVE (映画)|ALIVE]] |2003年 |[[北村龍平]] |[[クロックワークス]] | |- |[[スカイハイ (漫画)#映画|スカイハイ 劇場版]] |2003年 |北村龍平 |東映 | |- |[[GANTZ (映画)|GANTZ]] |2011年(前編・後編) |[[佐藤信介]] |[[東宝]] | |- |[[テラフォーマーズ#映画|テラフォーマーズ]] |2016年 |[[三池崇史]] |ワーナー・ブラザース映画 | |- | rowspan="3" |キングダム |2019年([[キングダム (映画)|第1作]]) | rowspan="3" |佐藤信介 | rowspan="3" |東宝<br />[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]] | rowspan="3" | |- |2022年([[キングダム2_遥かなる大地へ|第2作]]) |- |2023年([[キングダム_運命の炎|第3作]]) |- | rowspan="2" |[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜#実写映画|かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]] |2019年(第1作) | rowspan="2" |[[河合勇人]] | rowspan="2" |東宝 | rowspan="2" | |- |2021年(第2作) |- |[[ゴールデンカムイ#実写映画|ゴールデンカムイ]] |2024年 |[[久保茂昭]] |東宝 | |} == 発行部数 == * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,136,666部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,081,459部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,006,875部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 967,250部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 939,896部<ref name="jmpa" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 935,417 部 || 920,834 部 || 900,917 部 |- ! 2009年 | 851,667 部 || 838,334 部 || 820,834 部 || 805,834 部 |- ! 2010年 | 770,834 部 || 755,000 部 || 746,154 部 || 738,334 部 |- ! 2011年 | 723,084 部 || 675,637 部 || 682,084 部 || 675,834 部 |- ! 2012年 | 662,500 部 || 650,000 部 || 636,667 部 || 624,167 部 |- ! 2013年 | 611,667 部 || 602,500 部 || 599,167 部 || 598,462 部 |- ! 2014年 | 598,182 部 || 598,334 部 || 591,667 部 || 588,462 部 |- ! 2015年 | 577,273 部 || 574,167 部 || 564,167 部 || 563,462 部 |- ! 2016年 | 561,250 部 || 553,333 部 || 550,000 部 || 546,250 部 |- ! 2017年 | 535,000 部 || 532,500 部 || 534,167 部 || 530,833 部 |- ! 2018年 | 522,500 部 || 512,500 部 || 505,417 部 || 485,538 部 |- ! 2019年 | 467,209 部 || 466,075 部 || 449,000 部 || 433,077 部 |- ! 2020年 | 421,909 部 || 415,083 部 || 414,636 部 || 404,077 部 |- ! 2021年 | 376,364 部 || 354,167 部 || 340,000 部 || 328,750 部 |- ! 2022年 | 326,667 部 || 309,167 部 || 290,833 部 || 281,667 部 |- ! 2023年 | 277,500 部 || 274,167 部 || 271,667 部 || |} {{節スタブ}} == 派生誌・増刊号 == 『YJ』は集英社における青年漫画誌の源流であり、同社の多くの青年漫画誌が『ヤングジャンプ増刊』として始まっている。このため派生誌の単行本も[[ヤングジャンプ コミックス]]レーベル下からの発行となっている。 ただし、青年漫画誌の中でも『[[スーパージャンプ]]』は『YJ』創刊後に『[[週刊少年ジャンプ]]』の増刊号として始まっており、『YJ』からの派生誌ではない。このため単行本もヤングジャンプ コミックスからではなく[[ジャンプ・コミックス]]からの発行となっている。 [[2011年]]1月13日、休刊した月刊ヤングジャンプに代わり、新たな兄弟誌『[[ミラクルジャンプ]]』が創刊された。 === 増刊号 === * YJ面白増刊→YJおもしろブック→OMO * EXPRESS * YJ別冊 Green Note→制服コレクションYEAR BOOK * YJ1000P増刊→[[漫太郎]]→[[漫太郎#2008年度版|漫革ルーキーズ]] * YJコミックレット * ヤングジャンプ30→ヤングジャンプDX * [[月刊ヤングジャンプ#漫革|漫革]]→[[月刊ヤングジャンプ]]→[[ミラクルジャンプ]] * [[アオハル]] * ヤングジャンプバトル * ヤングジャンプラブ * ヤングジャンプヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/heroine3/|title=週刊ヤングジャンプ増刊「ヤングジャンプヒロイン3」|website=週刊ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-04-28}}</ref> * ヤングジャンプダイイチワ<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/dai1wa/|title=ダイイチワグランプリvol.2 「ネーム」&「完成原稿」大募集!!|website=週刊ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/info/dai1wa/|title=週刊ヤングジャンプ増刊「ヤングジャンプダイイチワ」|website=週刊ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-04-28}}</ref> === 派生誌 === * [[ビジネスジャンプ]]→[[グランドジャンプ]] * ベアーズクラブ(休刊) * [[ウルトラジャンプ]] * [[ジャンプ改]] == webYJ == 『webYJ(Web YOUNG JUMP)』は、ヤングジャンプ公式サイトの略称。かつて、サイト内で本誌連載作品の新エピソード連載が行なわれていたが、現在は『となりのヤングジャンプ』にウェブ上での新作発表の場を譲り、webYJの「オンラインマンガ」はもっぱら本誌作品の試し読みおよびMANGAグランプリ入賞作品発表の場として運用されている。 以下は『webYJ』で連載された漫画作品の一覧である。 * ロンジコーン(吉村拓也)2012年[[7月26日]] - 2012年[[10月18日]](木曜0時更新、隔週掲載)←『週刊ヤングジャンプ』より移籍 * オキザリスの旗 長宗我部元親外伝([[井出圭亮]])2011年[[9月29日]] - 2012年[[7月5日]] (木曜0時更新)←『週刊ヤングジャンプ』より移籍 * [[カイチュー!]]([[林佑樹]])2010年[[4月22日]] - 2012年[[8月2日]](木曜0時更新)←『週刊ヤングジャンプ』より移籍 * [[石影妖漫画譚]]([[河合孝典]])2010年[[12月9日]] - 2012年[[11月22日]](木曜0時更新)←『週刊ヤングジャンプ』より移籍 == となりのヤングジャンプ == {{Infobox Website | name = となりのヤングジャンプ | logo = | logo_size = <!-- 既定値は250px --> | logo_alt = | logo_caption = | screenshot = | collapsible = <!-- "on"や "y"などと指定。指定しなかったら折りたたまれない。 --> | collapsetext = <!-- 折りたたまれる部分のタイトル (既定値は 「スクリーンショット」)。折りたたむ設定をしなかったら表示されない。 --> | background = <!-- 折りたたまれる部分のタイトルの背景色。既定値はグレー (gainsboro) --> | screenshot_size = <!-- 既定値は300px --> | screenshot_alt = | caption = | url = {{URL|https://tonarinoyj.jp/}} | slogan = | commercial = <!-- 営利か非営利か何も入力しないか --> | advertising = <!-- 広告があるかないかか何も入力しないか --> | type = [[ウェブコミック配信サイト]] | genre = <!-- サイトコンテンツのジャンル --> | company type = <!-- 株式会社など --> | registration = 不要 | language = [[日本語]] | num_users = | content_license = | programming_language = | owner = 集英社 | author = <!-- サイト設立者 --> | editor = <!-- サイト編集者 --> | parent = <!-- サイト運営者の株主 --> | launch_date = {{start date and age|2012|6|14}} | founded = <!-- {{start date and age|YYYY|MM|DD}} --> | revenue = | ip = | issn = <!-- ISSNコード、例として1085-6706 (https://www.worldcat.org に自動リンク) --> | oclc = <!-- OCLC番号 (https://www.worldcat.org に自動リンク) --> | current_status = 運営中 | footnotes = }} 『'''となりのヤングジャンプ'''』<ref>[http://tonarinoyj.jp/ となりのヤングジャンプ]</ref>は、『ヤングジャンプ』の[[ウェブコミック配信サイト]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/tyj_history/|title=となりのヤングジャンプ&『ワンパンマン』年表|website=週刊ヤングジャンプ公式サイト|publisher=集英社|accessdate=2023-12-16}}</ref>。略称は「'''となジャン'''」<ref>モバイル版でのお気に入り追加時のアイコンを参照</ref>。2012年6月14日に開設され、「毎日更新! 完全無料!! 登録不要!!!」をキャッチフレーズとして掲げている<ref name="animeanime">{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2012/06/14/10493.html |title=週刊ヤングジャンプがウェブでマンガ誌創刊「となりのヤングジャンプ」配信開始 |publisher=[[イード (企業)#メディア事業|アニメ!アニメ!]] |date=2012-06-14 |accessdate=2023-03-04}}</ref>。また、掲載する作品は日刊、週刊、月刊、季刊と多様な連載ペースが想定されている<ref name="animeanime" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/71112 |title=YJ新WEBマンガサイトで村田雄介が「ワンパンマン」を描く |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |date=2012-06-14 |accessdate=2023-03-04}}</ref>。主に金曜更新のオリジナル連載、火曜更新の『[[#異世界ヤンジャン|異世界ヤンジャン]]』連載のほかに、公開期間限定でアプリ『[[#ヤンジャン!|ヤンジャン!]]』、雑誌(『ヤングジャンプ』など)の連載作品も配信されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://tonarinoyj.jp/series/ynjn|title=ヤンジャン!連載作品|website=となりのヤングジャンプ(集英社)|accessdate=2023-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tonarinoyj.jp/series/trial|title=雑誌掲載作品|website=となりのヤングジャンプ(集英社)|accessdate=2023-09-01}}</ref>。 === 連載作品(となジャン) === 出典のある作品を除き、連載開始の日付は公式サイトに基づく。 {| class="wikitable" style="text-align: left" |- ! style="width:15%" | 作品名 ! style="width:7%" | 作者(作画など) ! style="width:13%" | 原作など ! style="width:3%" | 開始 ! style="width:10%" | 備考 |- | [[ワンパンマン]] || [[村田雄介]]{{Small|(作画)}} || [[ONE (漫画家)|ONE]]{{Small|(原作)}} || 2012.6.14 || |- | [[憂鬱くんとサキュバスさん]] || さかめがね || || 2015.12.6 || 休載中 |- | [[明日ちゃんのセーラー服|明日(あけび)ちゃんのセーラー服]] || [[博]] || || 2016.8.2 || |- | 僕の未来は魔女の中 || なかだまお || || 2020.1.27 || 休載中 |- | 竜馬がくる || はなや{{Small|(作画)}}<br />8KEY{{Small|(コンテ)}} || [[春日みかげ]]{{Small|(原作)}}<br />[[森沢晴行]]{{Small|(キャラクター原案)}}<br />([[ダッシュエックス文庫]]刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://ln-news.com/articles/109012 |title=『竜馬がくる』のコミカライズが決定 坂本龍馬とナポレオンのタッグで歴史が動く冒険アクション |publisher=ラノベニュースオンライン |date=2020-06-30 |accessdate=2023-03-04}}</ref>) || 2020.7.17 || 休載中 |- | [[こういうのがいい]] || [[双龍 (漫画家)|双龍]] || || 2020.10.16<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/400970 |title=双龍が描く“観察型リアルシチュエーションストーリー”「こういうのがいい」 |publisher=コミックナタリー |date=2020-10-16 |accessdate=2023-03-04}}</ref> || |- | [[超人X]] || [[石田スイ]] || || 2021.5.10 || 本誌にも出張連載 |- | [[アクマノススメ]] || 甘酒縞 || || 2021.11.26 || |- | [[お役に立つので血をください]] || 十五夜 || || 2022.1.28 || |- | [[TIGER_%26_BUNNY#コミカライズ|TIGER & BUNNY 2 THE COMIC]] || [[上田宏]]{{Small|(作画)}} || 吉田恵里香{{Small|(作)}}<br />[[バンダイナムコピクチャーズ|BN Pictures]]{{Small|(企画・原作・制作)}}<br />[[西田征史]]{{Small|(シリーズ構成・脚本・ストーリーディレクター)}}<br />[[桂正和]]{{Small|(キャラクターデザイン・ヒーローデザイン)}} || 2022.4.15 || テレビアニメ「[[TIGER & BUNNY 2]]」のコミカライズ |- | [[エリオと電気人形]] || 黒イ森{{Small|(作画)}} || 島崎無印{{Small|(原作)}} || 2022.6.3 || |- | [[she is beautiful]] || [[凸ノ高秀]]{{Small|(作画)}} || 江坂純{{Small|(原作)}} || 2022.6.10 ||   |- | [[グループチャットオブザデッド]] || 村下玖臓{{Small|(作画)}} || 星乃司機{{Small|(原作)}} || 2022.6.17 || |- | [[きみと観たいレースがある]] || くわばらたもつ{{Small|(作画)}} || 渡辺零・駿馬京{{Small|(原作)}} || 2022.7.1 || |- | [[異世界ひろゆき]] || [[西出ケンゴロー]]{{Small|(作画)}} || {{Plainlist| * [[戸塚たくす]]{{Small|(原作)}} * [[ひろゆき]]{{Small|(監修)}} }} || 2022.07.08 || |- | [[つれないほど青くて あざといくらいに赤い]] || [[tomomi (漫画家)|tomomi]] || || 2022.8.11 || |- | [[ヤンキー君と科学ごはん]] || 岡叶 || || 2022.8.26 || |- | [[となりの百怪見聞録]] || 綿貫芳子 || || 2022.9.2 || |- | [[やまさん ~山小屋三姉妹~]] || 坂盛 || || 2022.9.16 || |- | [[OHMYGOD]] || 反田背骨 || || 2022.9.23 || |- | [[ちがう、宮原おまえじゃない!]] || 藤高つむり{{Small|(作画)}} || 帯屋ミドリ{{Small|(原作)}} || 2022.11.11 || |- | [[つばめアルペン]] || 南文夏 || || 2023.1.13 || |- | [[おじさんがなぜか可愛い。]] || 水谷みちる || || 2023.1.27 || |- | [[ちいさい友だち]] || ミナヅキアキラ || || 2023.2.10 || |- | [[さっちゃんとけんちゃんは今日もイってる]] || 葵日向 || || 2023.2.17 || |- | [[極東キメラティカ]] || 板橋大祐 || || 2023.2.24 || |- | [[ウマ娘 プリティーダービー#漫画版|ウマ娘 プリティーダービー スターブロッサム]] || [[保谷伸]]{{Small|(漫画)}} || [[Cygames]]{{Small|(原作)}}<br />文殊咲{{Small|(脚本)}} || 2023.4.10 || 『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』のコミカライズ |- | [[猫が如く]] || 澄田佑貴 || || 2023.4.28 || |- | [[聖母の断罪|聖母(マリア)の断罪]] || 亀島潤斗{{Small|(作画)}} || カズキ{{Small|(原作)}} || 2023.05.05 || |- | [[地球外少年少女#漫画|地球外少年少女]] || 谷垣岳{{Small|(漫画)}} || [[磯光雄]]{{Small|(原作)}} || 2023.05.12 || アニメ作品のコミカライズ |- | [[ゆぴ太の恋人]] || 谷ま乃ゆり || || 2023.05.19 || |- | [[モトカノミーツボーイ]] || 餅寄なな子 || || 2023.06.30 || |- | [[オカルトジャーニー【閲覧注意】]] || 駒魔子 || || 2023.09.01 || |- | [[清田さんは汚されたい!?]] || おーうち{{Small|(作画)}} || 古田朋大{{Small|(原作)}} || 2023.10.13 || |- | [[しれっとすげぇこと言ってるギャル。]]-私立パラの丸高校の日常- || おつじ{{Small|(漫画)}} || 松浦太一([[Plott]]){{Small|(原作)}} || 2023.11.15 || YouTubeチャンネル『[[Plott#運営しているチャンネル|私立パラの丸高校(@parako)]]』のスピンオフ |- | [[バカ女26時]] || 彩乃浦助{{Small|(作画)}} || 遠野めざ{{Small|(原作)}} || 2023.11.22 || |} === 本誌より移籍した作品 === *[[バトゥーキ]]([[迫稔雄]]) *[[殺人無罪]](作画/[[上田宏]]、原作/[[熊谷純]]) *[[ダイナー_(小説)#漫画|DINER ダイナー]](作画/[[河合孝典]]、原作/[[平山夢明]]) *[[ライカンスロープ冒険保険]]([[西義之]]) === 過去の連載作品(となジャン) === <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">あ行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[干物妹!うまるちゃん#スピンオフ作品|秋田妹!!えびなちゃん]] * 悪徳令嬢5000兆円無双 * アゼット * アナーキー・イン・ザ・JK * アルマ * [[嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい#スピンオフ|嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい]] 〜余はパンツが見たいぞ〜 * [[ヴァン・ヘルシング Darkness Blood]] * [[ウイナーズサークルへようこそ]] * 宇宙人プルカ * AIスピーカーと独身サラリーマン * 疫神(えきじん)のカルテ * 炎上ヒーローアコ * オークが女騎士を育成してみた * おかいこぐるみ * おじょうさんといっしょ </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">か行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[かぐや様は告らせたい|かぐや様は告らせたい 同人版]] * 彼女に合わせる顔が無い * ギークサークルクライシス 姫の恋路はバグだらけ * 聞いてくれますよね?先輩(ぺんたごん/漫画、すかいふぁーむ/原作)2022.04.22-2023.05.05 * きみ諦めることなかれ * [[テラフォーマーズ#その他のスピンオフ|今日のテラフォーマーズはお休みです。]] * [[KILLER☆KILLER GIRLS]] * 禁欲※テリトリー(Eduard Balust/作画、TK2/原作)2023.08.25-2023.09.22 * 空気人形と妹 * [[クノイチノイチ!|クノイチノイチ!ノ弐]] * グレイのグレ子さんは推しが尊い * [[黒 (漫画)|黒]] * 剣光妃 -日ノ国大帝國軍くれない一騎当千隊- * 黒鉄の太陽 * こっくりマジョ裁判 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">さ行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * 最高は俺のアヤカ 俺のアヤカは最高 * THE・GIRLS・SCHOOL * 悟りパパ * [[サマーゴースト#漫画|サマーゴースト]] * [[夜明け後の静|静さまは初恋である、浪漫斯はまだない。]]([[石川秀幸]])2019.01.11-2019.11.22 全2巻 YJ本誌連載『夜明け後の静』の続編 * [[死神!タヒーちゃん]] * [[灼熱の卓球娘]] * 社畜と幽霊 * 女子高生にムリヤリ恋させてみた * [[しらたまくん|白玉教授のしろねこ]] * しをちゃんとぼく * 信号さんはそこにあり * [[しんそつ七不思議]] * 生と死のキョウカイ * 絶対ハッピーエンドになる三角関係 * [[早朝始発の殺風景#漫画|早朝始発の殺風景]] </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">た行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * たちあがれ!オークさん * [[DOUBLE_DECKER!_ダグ%26キリル#漫画|DOUBLE DECKER! ダグ&キリル]] * たまてばこ * 民子とヴィジュアル系と。 * ツインドルの箱庭 * てあそび。(大竹利朋)2019.02.05-2019.11.12 全3巻 * TIEMPO-ティエンポ-(飯野大祐)2018.08.09-2023.09.15 全17巻 2019年11月YJ本誌から移籍 * 伝説のレベル1勇者(しゃど地蔵)2020.01.07-2021.05.21 全3巻 * 童子軍艦(小田世里奈)2018.12.13-2020.01.11 全4巻 YJ本誌より移籍 * 隣の悪女(玉木ヴァネッサ千尋)2018.12.20-2019.04.30 全5巻 YJ本誌より移籍 * 飛び降りようとしている女子高生を助けたらどうなるのか?(うるひこ/漫画、岸馬きらく/原作、らたん/キャラクター原案、[[角川スニーカー文庫]]刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000008309.000007006.html |title=異例の発売前重版!! ネコオカの人気動画をノベライズ『飛び降りようとしている女子高生を助けたらどうなるのか?』発売! |publisher=PR TIMES |date=2021-3-24 |accessdate=2023-03-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/451430 |title=「飛び降りようとしている女子高生を助けたらどうなるのか?」コミカライズ始動 |publisher=コミックナタリー |date=2021-10-29 |accessdate=2023-03-04}}</ref>)2021.10.29-2023.06.23 全4巻 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">な行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * 20XX年レベルアップ災害 ~神から授かりし新たなる力~(内田拓也)2023.05.18-2023.09.21 全5巻 YJ本誌より移籍 * ねこぐるい美奈子さん(青稀シン)2012.07.03-2013.06.20 全4巻 Webコミック『ねこぐるい』の続編 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">は行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * はじマン チャレンジ!はじめてのマンガ * [[バスルームのペペン]] * パワハラ美少女カンパニー * パンティトラップ * [[BNA_ビー・エヌ・エー#漫画|BNA ビー・エヌ・エー]] * [[干物妹!うまるちゃん#スピンオフ作品|ひもうと!うまるちゃんS]] * ひゃくにちかん!! * ふあんちゃん(横山キムチ)2022.09.09-2023.01.27 * 服福人々 * f人魚 * ほおじょく * 僕と宇宙人 * [[ボクらは魔法少年]] * ぽんしゅ部! </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">ま行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[魔界のオッサン]]([[ONE_(漫画家)|ONE]])2012.06.14-2013.06.15 * [[魔風が吹く]](円城寺真己)2019.05.11-2019.07.13 全5巻 YJ本誌より移籍 * [[まくむすび]]([[保谷伸]])2020.02.06-2021.02.26 全5巻 YJ本誌より移籍 * まもりママはお喚びじゃないの!? 〜異世界息子反抗記〜(リコシェ号)2019.11.06-2020.09.16 全3巻 * [[息子がかわいくて仕方がない魔族の母親]](十五夜)2016.05.25-2022.07.22 全9巻 * 文句のつけようがないラブコメ([[肋兵器]]/漫画、[[鈴木大輔_(作家)|鈴木大輔]]/原作)2014.11.14-2019.12.20 全4巻 小説作品のコミカライズ </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">や行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * 優良少女ファミリヤン(カワカミ)2018.02.22-2019.03.18 全3巻 * [[柚子川さんは、察して欲しい。]]([[茶菓山しん太]])2021.04.30-2022.11.04 全4巻 </div></div> <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">ら行</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> * [[ライフル・イズ・ビューティフル]](サルミアッキ)2015.04.09-2020.07.02 全6巻 * [[ラブオールプレー#漫画|ラブオールプレー]](宮田ダム/漫画、小瀬木麻美/原作、ラブオールプレー製作委員会/アニメ)2022.04.08-2022.10.28 全3巻 TVアニメ作品のコミカライズ * リビングデッドキッチン(黒田じっこ)2018.01.25-2019.12.19 全3巻 </div></div> === 映像化作品(となジャン) === ==== アニメ化(となジャン) ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- | rowspan="2" |[[ワンパンマン]] |2015年(第1期) |[[マッドハウス]] | rowspan="2" | |- |2019年(第2期) |[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] |- |[[ライフル・イズ・ビューティフル]] |2019年 - 2020年 |[[3Hz|Studio 3Hz]] | |- |[[明日ちゃんのセーラー服]] |2022年 |[[CloverWorks]] | |} ==== ドラマ化(となジャン) ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !放送年 !制作 !備考 |- |[[早朝始発の殺風景]] |2022年 |[[TBSスパークル]]、[[WOWOW]] | |- |[[こういうのがいい]] |2023年 |[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]] | |} == 異世界ヤンジャン == 『異世界ヤンジャン』<ref>{{Cite web|和書|url=https://seiga.nicovideo.jp/manga/official/isekaiyj/|title=公式 異世界ヤンジャン|website=ニコニコ静画|accessdate=2023-02-15}}</ref>は[[ニコニコ静画#ニコニコ漫画|ニコニコ漫画]]とヤングジャンプ編集部が提供する、ライトノベル原作のファンタジー漫画作品などを配信するレーベルである。掲載作品は「ニコニコ漫画」と「となりのヤングジャンプ」での独占配信となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://tonarinoyj.hatenablog.com/entry/isekai|title=ニコニコ静画新公式チャンネル「異世界ヤンジャン」オープン!!|website=となりのヤングジャンプ編集部ブログ|date=2022-04-26|accessdate=2023-02-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001145.000001227.html|title=ニコニコ漫画×ヤングジャンプ編集部の新レ-ベル『異世界ヤンジャン』がOPEN!|website=PR TIMES|date=2022-04-26|accessdate=2023-02-15}}</ref>。 以下、公式サイト(ニコニコ漫画)で配信されている作品。開始・終了はニコニコ漫画版による。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:small; background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始 !! 終了 !! 備考 |- | {{Display none|りゆうとゆうしやとはいたつにん}}[[竜と勇者と配達人]] || {{Display none|くれこりうすやまた}}[[グレゴリウス山田]] || - || 2017.07.07 || 2023.09.29 || 全9巻、『私家版』(個人出版)1巻<br />←『となりのヤングジャンプ』連載 |- | {{Display none|てんせいこふりんたけとしつもんある}}[[転生ゴブリンだけど質問ある?]] || {{Display none|あらきつかさ}}[[荒木宰]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|みきなすな}}[[三木なずな]]{{Small|(原作)}} || 2020.03.05 || - || ←『となりのヤングジャンプ』連載 |- | {{Display none|うあるはらおていんていんかん}}[[ヴァルハラ・オティンティン館]] || {{Display none|ゆに}}夕仁{{Small|(漫画)}} || {{Display none|くらし}}{{Plainlist| * 求嵐{{Small|(原作)}} * 萌木雄太{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[キルタイムコミュニケーション#小説|ビギニングノベルズ]]刊) }} || 2020.08.27 || - || ←『ウルトラジャンプ』連載 |- | {{Display none|まていきようしとしゆうそくしようしよのはいとくけいやく}}魔帝教師と従属少女の背徳契約 || {{Display none|かわすやそうた}}蛙屋蒼太{{Small|(漫画)}} || {{Display none|にしもときたろう}}{{Plainlist| * 虹元喜多朗{{Small|(原作)}} * ヨシモト{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[HJ文庫]]刊) }} || 2022.04.26 || 2023.02.28 || 全2巻 |- | {{Display none|さへえしふあんくおしようさま}}サベージファングお嬢様 史上最強の傭兵は史上最凶の暴虐令嬢となって二度目の世界を無双する || {{Display none|うまし}}午子(うまし){{Small|(漫画)}} || {{Display none|あかしかつかく}}{{Plainlist| * 赤石赫々(あかしかっかく){{Small|(原作)}} * かやはら{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[ファンタジア文庫]]刊) }} || 2022.04.26 || 2023.05.09 || 全3巻 |- | {{Display none|はたらけおしさんのもり}}はたらけ!おじさんの森 || {{Display none|なかはらかいへい}}中原開平{{Small|(漫画)}} || {{Display none|すしやくしんこ}}{{Plainlist| * 朱雀伸吾{{Small|(原作)}} * 深山フギン{{Small|(キャラクターデザイン)}} * ([[ヒーロー文庫]]刊) }} || 2022.04.26 || 2023.07.11 || 全3巻 |- | {{Display none|ねえもういつそつきあつちやう}}[[ねぇ、もういっそつき合っちゃう?]] 幼馴染の美少女に頼まれて、カモフラ彼氏はじめました || {{Display none|にししまれい}}西島黎{{Small|(漫画)}} || {{Display none|かなたきす}}{{Plainlist| * 叶田キズ{{Small|(原作)}} * 塩かずのこ{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[HJ文庫]]刊) }} || 2022.04.26 || - || |- | {{Display none|せいしよせれすていあのけいけんち}}聖女セレスティアの経験値 || {{Display none|ふししましんのすけ}}藤島真ノ介{{Small|(漫画)}} || {{Display none|やすたこうすけ}}[[安田剛助]]{{Small|(原作)}} || 2022.05.31 || 2023.03.28 || 全2巻<br />←となジャン短期集中『淫らな聖女様の経験値』(2022.01.06~)から連載化 |- | {{Display none|せかいさいきようのしつし}}[[【世界最強の執事】]] ブラック職場を追放された俺、氷の令嬢に拾われる || {{Display none|かむい}}kamui{{Small|(漫画)}} || {{Display none|ひるあんとん}}昼行燈{{Small|(原作)}} || 2022.06.14 || - || |- | {{Display none|いせかいひろゆき}}[[異世界ひろゆき]] || {{Display none|にしてけんころお}}[[西出ケンゴロー]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|とつかたくす}}{{Plainlist| * [[戸塚たくす]]{{Small|(原作)}} * [[ひろゆき]]{{Small|(監修)}} }} || 2022.07.19 || - || 『となりのヤングジャンプ』連載から再配信 |- | {{Display none|おれたけふくうすきるのいせかいしようかんはんきやくき}}[[俺だけ不遇スキルの異世界召喚叛逆記]] ~最弱スキル【吸収】が全てを飲み込むまで~ || {{Display none|たかはたりゅうせい}}高幡隆盛{{Small|(漫画)}} || {{Display none|すかいふああむ}}すかいふぁーむ{{Small|(原作)}} || 2022.09.06 || - || |- | {{Display none|しゆうさんはんめのてんせいしや}}[[十三番目の転生者]] ~俺だけ見捨てた女神をぶっ飛ばす!~ || {{Display none|こはやしきら}}小林煌{{Small|(漫画)}} || {{Display none|ひのかけそら}}[[日之影ソラ]]{{Small|(原作)}} || 2022.09.13 || - || |- | {{Display none|めしあ}}[[救世主《メシア》]] ~異世界を救った元勇者が魔物のあふれる現実世界を無双する~ || {{Display none|はらたえり}}原田絵理{{Small|(漫画)}} || {{Display none|へいせいおわり}}平成オワリ{{Small|(原作)}} || 2022.09.20 || - || |- | {{Display none|いせかいへんしゆうしや}}[[異世界編集者]] ~漫画で世界を救う事になりました~ || {{Display none|ほりえりゆう}}ホリエリュウ{{Small|(作画)}} || {{Display none|いなはそおへえ}}[[稲葉そーへー]]{{Small|(原作)}} || 2022.12.06 || - || |- | {{Display none|はあともおとなあくやくれいしようにてんせいしましたかいきのひてせかいをすくいます}}[[ハードモードな悪役令嬢に転生しましたが生き延びて世界を救います!]] || {{Display none|かわせなつな}}[[川瀬夏菜]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|あやとゆめ}}彩戸ゆめ{{Small|(原作)}} || 2022.12.13 || - || |- | {{Display none|せかいにひとりせんそくせいまほうのつかいて}}[[世界に一人、全属性魔法の使い手]] || {{Display none|やまたこたろ}}山田こたろ{{Small|(作画)}} || {{Display none|かたなかし}}{{Plainlist| * [[かたなかじ]]{{Small|(原作)}} * 萩織章仁{{Small|(構成)}} }} || 2022.12.20 || - || |- | {{Display none|くらんとわあふ}}[[グランドワーフ]] ~町工職人、匠の技で異世界無双~ || {{Display none|さいとうなおたけ}}[[斉藤尚武]] || - || 2023.02.14 || - || |- | {{Display none|あさひなさんのへんとうたへたい}}[[朝比奈さんの弁当食べたい]] || {{Display none|しめすようこ}}示よう子{{Small|(漫画)}} || {{Display none|ようしなおき}}{{Plainlist| * 羊思尚生{{Small|(原作)}} * [[U35]]{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[HJ文庫]]刊) }} || 2023.02.21 || - || |- | {{Display none|もんむすこ}}[[モンむすご!]] ~翻訳スキルで最強モン娘と異世界生活~ || {{Display none|ふくまあや}}ふくまーや{{Small|(漫画)}} || {{Display none|きみまろ}}kimimaro{{Small|(原作)}} || 2023.02.28 || - || |- | {{Display none|さいあくのあうあろん}}[[災悪のアヴァロン]] || {{Display none|さとうせろ}}佐藤ゼロ{{Small|(漫画)}} || {{Display none|なるさわあきと}}{{Plainlist| * 鳴沢明人{{Small|(原作)}} * KeG{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[HJノベルス]]刊) }} || 2023.03.14 || - || |- | {{Display none|ゆうしやいつこうのせんそくい}}[[勇者一行の専属医]] || {{Display none|なかむらたかとし}}[[中村尚儁]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|あおそらちよこ}}蒼空チョコ{{Small|(原作)}} || 2023.05.09 || - || |- | {{Display none|くうるかせかいをすくつた}}[[グールが世界を救ったことを私だけが知っている]] || {{Display none|ひうらあーる}}[[火浦R]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|かとうみょうじん}}{{Plainlist| * 下等妙人{{Small|(原作)}} * 米白粕{{Small|(キャラクター原案)}} * ([[ファンタジア文庫]]刊) }} || 2023.07.04 || - || |- | {{Display none|こうていのまこにてんせいするこうてい}}[[皇帝の孫に転生する皇帝]] || {{Display none|おおもりあめ}}おおもりあめ{{Small|(漫画)}} || {{Display none|みきなすな}}[[三木なずな]]{{Small|(原作)}} || 2023.10.10 || - || |- | {{Display none|たたのしえいけいいせかいてまおうになる}}[[ただのJK、異世界で魔王になる]] || {{Display none|みやたたむ}}宮田ダム{{Small|(漫画)}} || {{Display none|ひのかけそら}}[[日之影ソラ]]{{Small|(原作)}} || 2023.10.24 || - || |- | {{Display none|まりよくせつむのりゆうけんつかい}}[[魔力絶無の竜拳使い]]~魔力ゼロの竜王の息子、ぼっち故に、友達を作るために魔導学園で無双する~ || {{Display none|ますやりゆうたろう}}舛谷隆太郎{{Small|(漫画)}} || {{Display none|やさはしらつく}}八茶橋らっく{{Small|(原作)}} || 2023.12.05 || - || |- | {{Display none|すらいむせいしよ}}[[スライム聖女]] || {{Display none|うまし}}午子{{Small|(漫画)}} || {{Display none|やおあいら}}八緒あいら{{Small|(原作)}} || 2023.12.12 || - || <!-- ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - || yyyy.mm.dd || - || ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || yyyy.mm.dd || - || ※原作者等が複数の場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(作画)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}{{Plainlist| * [[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} * [[《構成者名》]]{{Small|(構成)}} * [[《監修者名》]]{{Small|(監修)}} * [[《キャラクター原案者名》]]{{Small|(キャラクター原案)}} * (《原作出版レーベル》刊) }} || yyyy.mm.dd || - || -->|} == ヤンジャン! == 『ヤンジャン!』<ref>{{Cite web|和書|url=https://ynjn.jp/|title=ヤンジャン!|website=ヤンジャン!【青年漫画アプリ】|publisher=[[集英社]]|date=|accessdate=2023-01-29}}</ref>は、集英社公式のヤングジャンプ系青年マンガ誌総合アプリである。2023年4月時点での総ダウンロード数は830万<ref>{{Cite web|和書|url=https://adnavi.shueisha.co.jp/news/20989/|title=集英社マンガアプリ4媒体の媒体資料を同時リリース!ユーザーインサイトも充実|website=SHUEISHA ADNAVI(集英社アドナビ)|date=2023-05-10|accessdate=2023-06-16}}</ref>。 *{{App Store Preview App|1351283922|ヤンジャン!}} *{{Google Play|filename=jp.co.shueisha.youngjump.android|name=ヤンジャン!}} 『YJ』本誌や『ヤンジャン!オリジナル』『となりのヤングジャンプ』『グランドジャンプ』『ウルトラジャンプ』『異世界ヤンジャン』『水曜日はまったりダッシュエックスコミック』の連載作品を読むことが出来る<ref>{{cite news|title=アプリ「ヤンジャン!」リリース、YJやとなジャン作品を最新話まで読める|newspaper=ナタリー|author=コミックナタリー編集部|url=https://natalie.mu/comic/news/277345|date=2018-04-09|accessdate=2023-01-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://andfactory.co.jp/news/post-3128/|title=【共同開発】「ヤンジャン!」アプリが使いやすく進化してリニューアル&キャンペーン開始!|website=and factory株式会社|date=2020-04-07|accessdate=2023-01-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mannavi.net/8694/|title=【前編】『週刊ヤングジャンプ』×『ヤンジャン!』編集長に聞く!|website=マンナビ|date=2020-04-23|accessdate=2023-02-15}}</ref>。 以下のような特徴がある。 * 「話単位」で連載の各話ごとにレンタル、または「巻単位」で刊行コミックス各巻ごとに購入できる。 * 『YJ』本誌も発売日に作品ごとの「話単位」でレンタル、または最新号デジタル版でまとめて購入できる。 * 作品により無料、または配布されるチケットで毎日1話無料で読めるものもある。またキャンペーン期間などで無料で読める作品もある。 * 「巻単位」では[[ジャンプ コミックス]]作品も購入できる。 以下、「ヤンジャン!」オリジナル連載作品。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:small; background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始 !! 終了 !! 備考 |- | {{Display none|にいていんくらいふ}}NEETING LIFE ニーティング・ライフ || {{Display none|つついてつや}}[[筒井哲也]] || - || 2021.12.07 || 2023.01.03 || 全2巻 |- | {{Display none|さいこのふりよう}}[[最後の不良]] || {{Display none|やまもとりゆういちろう}}[[山本隆一郎]] || - || 2021.12.07 || - || |- | {{Display none|しゆくせいのけとくし}}[[粛正の解毒師]] || {{Display none|くりはらしようしよう}}[[栗原正尚]] || - || 2021.12.07 || - || |- | {{Display none|とううむ}}[[DOOOOM]] ‐ドゥーム‐ || {{Display none|いちみやゆう}}一宮幽{{Small|(漫画)}} || {{Display none|あかほりさとる}}[[あかほりさとる]]{{Small|(原作)}} || 2022.02.22 || - || |- | {{Display none|きようかいのえんとふいいる}}[[境界のエンドフィール]] || {{Display none|あんとんしく}}[[アントンシク]]{{Small|(漫画)}} || {{Display none|こんとうたかし}}{{Plainlist| * 近藤たかし{{Small|(原作)}} * [[理学療法士]]/高橋哲也・藤野雄次([[順天堂大学]]){{Small|(監修)}} }} || 2022.03.15 || - || |- | {{Display none|みらいのむすこ}}[[未来のムスコ]] 〜恋人いない歴10年の私に息子が降ってきた! || {{Display none|くろむきはちめ}}黒麦はぢめ{{Small|(漫画)}} || {{Display none|あそうくみこ}}[[阿相クミコ]]{{Small|(原作)}} || 2022.04.26 || - || |- | {{Display none|なにもしらないけときみかすき}}何も知らないけど、キミが好き。 || {{Display none|きしせいこ}}きし晴護 || - || 2023.02.02 || - || 第1回ドラマンガ大賞準入選<ref name="drama1" />。週刊ヤングジャンプ本誌連載は第4話で終了。 |- | {{Display none|こおるてんえつく}}[[ゴールデンエッグ]] || {{Display none|すすきたいしろう}}鈴木大四郎{{Small|(漫画)}} || {{Display none|よこまくともひろ}}[[横幕智裕]]{{Small|(原作)}} || 2023.03.07 || - || |- | {{Display none|しつくす}}[[SIX-推しと私のディスタンス-]] || {{Display none|さかもとたく}}[[坂本拓]] || - || 2023.08.08 || - || カラー、縦読み <!-- ※新連載の追加方法・雛形は「異世界ヤンジャン」部分のコメントを参照してください。 -->|} == 漫画賞 == 2022年より「ドラマンガ大賞」を設けている<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/dramanga/|title=第2回ドラマンガ大賞|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref>。集英社青年コミック誌グループ、めちゃコミック、MBSドラマの3社合同選考で、TVドラマ化を目指すマンガを選ぶもの<ref name="drama1">{{Cite web|和書|url=http://grandjump.shueisha.co.jp/mangasho/dramanga/|title=ドラマンガ大賞 審査結果発表!!|website=グランドジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mechacomic.jp/events/gjmecha_award_01|title=集英社青年漫画誌三誌とめちゃコミック、MBSドラマが共同開催したドラマンガ大賞の結果を発表!|website=めちゃコミック|accessdate=2023-02-13}}</ref>。 2022年7月より月例賞として「週刊ヤングジャンプ新人漫画大賞」<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/comic_award/|title=週刊ヤングジャンプ新人漫画大賞|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref>を設けている。未発表のオリジナル日本語作品であれば応募可能である<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/comic_award/result/|title=結果発表一覧|週刊ヤングジャンプ新人漫画大賞|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref>。 それ以前は2013年7月より「シンマン賞(ヤングジャンプ月例新人漫画賞)」があり、第108回2022年6月期で終了した<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/shinman/result.html|title=新人賞(シンマン賞)#108 シンマン賞結果発表|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/shinman/special.html|title=新人賞(シンマン賞)特別企画|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/shinman/001_050.html#lg=1&slide=211|title=第1回 マンガ賞リニューアル|website=ヤングジャンプ公式サイト|date=2013-07-04|accessdate=2023-02-13}}</ref>。 それ以前は2001年7月より月例「[[MANGAグランプリ]]」があり、第144回2013年6月期で終了した。また不定期の「新原作大賞」があり、2011年末に締め切られた第6回の応募数は約500作<ref>『週刊ヤングジャンプ』2012年28号406頁より。</ref>。 2020年に、ヤングジャンプ創刊40周年記念として集英社青年コミック誌グループで「1億円40漫画賞」を開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://yj40comicaward.jp/|title=ヤングジャンプ40周年記念 賞金総額最大1億円40漫画賞|website=1億円40漫画賞公式サイト|archivedate=2021-01-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210113212831/https://yj40comicaward.jp/|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tonarinoyj.jp/episode/13933686331716417282|title=1億円40漫画賞受賞作発表|website=となりのヤングジャンプ|date=2020-12-03|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mannavi.net/8772/|title=【後編】『週刊ヤングジャンプ』×『ヤンジャン!』編集長に聞く!|website=マンナビ|date=2020-04-28|accessdate=2023-02-13}}</ref>。 2023年に「となりのヤングジャンプ」10周年記念として「10漫画賞」を開催した。10部門のそれぞれに大賞を出した<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/tyj10_award/|title=となりのヤングジャンプ10周年記念 10漫画賞|website=ヤングジャンプ公式サイト|accessdate=2023-02-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/tyj10_award/result1.html|title=審査結果(10P部門)|website=となりのヤングジャンプ10周年記念10漫画賞|accessdate=2023-04-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tonarinoyj.hatenablog.com/entry/2023/04/24/120000|title=となりのヤングジャンプ10周年記念10漫画賞 受賞作品公開!|website=となりのヤングジャンプ 編集部ブログ|accessdate=2023-04-30}}</ref>。 == グラビア賞 == *[[グラビアJAPAN]] - [[週刊プレイボーイ]]との共同の次世代アイドル発掘オーディション。 *[[全国女子高生制服コレクション]] - 1992年から開催されたコンテスト。高校生世代が対象。2001年から[[制コレ]]となった。 *[[サキドルエースSURVIVAL]] - グループアイドル所属者によるグラビアコンテスト。 *[[ゲンセキ (グラビア)|ゲンセキ]] - グラビアアイドル発掘プロジェクト。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[週刊少年ジャンプ]] * [[ミラクルジャンプ]] * [[グランドジャンプ]] * [[ウルトラジャンプ]] * [[ジャンプ改]] * [[南葛シューターズ]] == 外部リンク == * {{Official website|https://youngjump.jp/|週刊ヤングジャンプ}} * {{Official website|https://ynjn.jp/|ヤンジャン!【青年漫画アプリ】}} * [https://tonarinoyj.jp となりのヤングジャンプ] * {{Twitter|young_jump}} * {{Twitter|g_youngjump|ヤングジャンプ@グラビア}} * {{YouTube|channel=UCU_fSrQkYzBBe9jtep0EIIg}} * {{note.com|macbear}} {{週刊ヤングジャンプ連載中}} {{集英社}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1 = ヤングジャンプ |1-1 = 月2回刊漫画雑誌 |redirect2 = となりのヤングジャンプ |2-1 = となりのヤングジャンプ |2-2 = ウェブコミック配信サイト |2-3 = 2012年開設のウェブサイト |2-4 = 日本のウェブサイト }} {{DEFAULTSORT:しゆうかんやんくしやんふ}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:集英社の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌|やんくしやんふ]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:1979年創刊の雑誌]] [[Category:週刊ヤングジャンプ|*]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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モーニング (漫画雑誌)
『モーニング』は、講談社発行の週刊漫画雑誌。1982年9月9日号を創刊号として、隔週誌として創刊され(当初の誌名は『コミックモーニング』)、1986年4月から週刊化された。毎週木曜日発売。 創刊号の発行部数は80万部で、様々な媒体で広告を展開。『創刊号予告編』と称した無料PR誌も配布された。ポスターやテレビCMなどには舟木一夫、伊藤蘭といったタレントが出演していた。 創刊時はちばてつや、バロン吉元、川崎のぼる、永井豪、水島新司、谷口ジロー、成田アキラ、本宮ひろ志、ジョージ秋山、畑中純、さだやす圭、永松潔、能條純一、たかもちげん、わたせせいぞう、かわぐちかいじ、すがやみつる、尾瀬あきら、および池上遼一と六田登、いわしげ孝、山本おさむ、池沢さとし、大島やすいちや、現在も『モーニング』の連載陣の一翼を担っている弘兼憲史、うえやまとちといったベテラン執筆陣によって支えられた、いわゆる「大人漫画」の構成の特徴を持っていた。創刊以来、「読むと元気になる!」をキャッチフレーズとしている。 現在はストーリー漫画・4コマ漫画などを中心とする型破りな作風で話題を呼ぶ作品を輩出しており、ドラマの原作となる作品が多い。また成人が働く、さまざまな職業をありのままに描いた「職業漫画」が多いのも特徴の一つ。1990年代を通して、青年漫画のジャンルで漫画界をリードしている。 同時に『アフタヌーン』『イブニング』は本誌の増刊号から出発しており、それぞれの誌名の由来となっている。掲載作品がこれらの姉妹誌の間で移籍することも多い。かつては、『モーニングパーティー増刊』『モーニングカラフル増刊』『モーニングマグナム増刊』『モーニング新マグナム増刊(現・『イブニング』)』『別冊モーニング』という増刊号も存在した。現在は、『月刊モーニングtwo』を増刊号として発行中(前身の『モーニング2』1周年記念の際に小学館の『月刊IKKI』とコラボレーションを展開した)。 インターネット上での展開では、1997年にウェブコミック誌『MORNING ONLINE』が開設されている。内容は講談社の漫画雑誌に掲載された作品の再配信と描き下ろし作品で構成されており、企業が配信するウェブコミック誌のさきがけとなった。なお『MORNING ONLINE』は1999年に定期配信を終了するが、2000年に『e-manga』として再度定期配信を開始し、2008年まで更新されていた。その他、これとは別に『モーニング』公式サイト内でも2008年頃よりウェブコミックを配信している。 2013年5月30日、モーニング、月刊アフタヌーン、イブニングの合同公式サイト『モアイ』が公開された。ほぼすべての連載作品の第1話試し読みが掲載され、オリジナル作品の連載も行われた。2019年8月1日、モーニング公式サイトがリニューアルし、掲載作品はコミックDAYSに移行した。その後しばらくモアイは存続したが、2023年3月末ごろに公開終了した。 2023年11月16日(2023年51号)現在連載中の作品。 『モアイ』開設後に開始し終了した作品。 旧モーニング公式サイトより継続後に終了した作品。 『週刊Dモーニング』は、『モーニング』の電子版である。毎週木曜午前0時に配信。 サブスクリプション方式を取っており、利用には、有料会員登録、月額利用料500円(税込)を必要とする。 紙媒体の『モーニング』とは、一部内容が異なり、『バガボンド』などは掲載されていないが、『あせとせっけん』『MOGUMOGU食べ歩きくま』『テロール教授の怪しい授業』など本誌でしか読めない作品もある。 ”毎日連載”企画のマンガは、有料会員は公開中の話は読み放題となる。毎日午前0時配信。 モーニングKCは、『モーニング』『月刊モーニングtwo』に掲載された作品を主に収録する漫画単行本レーベル。1983年8月13日創刊、新刊は毎月23日頃発売。 『おかしな2人』(やまさき十三、さだやす圭)、『男たち』(ちばてつや)、『ブリキ細工のトタン屋根』(三山のぼる)、『雨ニモ負ケズ』(川崎のぼる)が最初に発行された。 コード番号は、モーニングKC○○という形で表記され、背表紙上部や奥付などに載せられる。創刊時にKC1で始まるタイプとKC1001から始まるタイプの2種類が用意され、それぞれが発行順番で1,2,3...、1001,1002,1003...というように割り振られていった。現在ではKC1で始まるタイプのものが1000まで達してしまい、両者の区別なく番号が割り振られている。
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『モーニング』は、講談社発行の週刊漫画雑誌。1982年9月9日号を創刊号として、隔週誌として創刊され(当初の誌名は『コミックモーニング』)、1986年4月から週刊化された。毎週木曜日発売。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = モーニング | 英文誌名 = | 誌名略称 = | ジャンル = [[漫画雑誌]] | 読者対象 = 高校生〜60代 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#週刊|週刊]](毎週木曜日)<ref group="注">基本的に木曜日発売。ただし、木曜日が祝日の際は水曜日発売となる。</ref> | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 400円 | 出版社 = [[講談社]] | 編集部名 = モーニング編集部 | 発行人 = 林田慎一郎 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 三浦敏宏<!-- 実名は奥付(背表紙)に記載してあります。 --> | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = 1982年([[1982年]][[9月9日]]号) - | 発行部数 = 85,542<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-11-16}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年7月 - 9月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = モーニングKC | 姉妹誌 = [[月刊モーニングtwo]] | ウェブサイト = [https://morning.kodansha.co.jp/ モーニング公式サイト] | 特記事項 = }} 『'''モーニング'''』は、[[講談社]]発行の週刊[[漫画雑誌]]。[[1982年]][[9月9日]]号を創刊号として、隔週誌として創刊され(当初の誌名は『'''コミックモーニング'''』)、[[1986年]]4月から週刊化された。毎週[[木曜日]]発売。 == 概要 == {{出典の明記|section=1|date=2022年12月}} 創刊号の発行部数は80万部で、様々な媒体で広告を展開。『創刊号予告編』と称した無料PR誌も配布された。ポスターやテレビCMなどには[[舟木一夫]]、[[伊藤蘭]]といったタレントが出演していた<ref name="年鑑広告キャンペーン">『年鑑広告キャンペーン 1983』202-203頁。{{NDLJP|12022603/104}}</ref>。 創刊時は[[ちばてつや]]、[[バロン吉元]]、[[川崎のぼる]]、[[永井豪]]、[[水島新司]]、[[谷口ジロー]]、[[成田アキラ]]、[[本宮ひろ志]]、[[ジョージ秋山]]、[[畑中純]]、[[さだやす圭]]、[[永松潔]]、[[能條純一]]、[[たかもちげん]]、[[わたせせいぞう]]、[[かわぐちかいじ]]、[[すがやみつる]]、[[尾瀬あきら]]、および[[池上遼一]]と[[六田登]]、[[いわしげ孝]]、[[山本おさむ]]、[[池沢早人師|池沢さとし]]、[[大島やすいち]]や、現在も『モーニング』の連載陣の一翼を担っている[[弘兼憲史]]、[[うえやまとち]]といったベテラン執筆陣によって支えられた、いわゆる「大人漫画」の構成の特徴を持っていた。創刊以来、「'''読むと元気になる!'''」をキャッチフレーズとしている<ref>{{Cite press release|和書|title=「週刊モーニング」創刊40周年!「ジョージア」とスペシャルコラボ決定!|publisher=講談社|date=2022年4月21日|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004077.000001719.html|access-date=2023-01-11}}</ref>。 現在は[[ストーリー漫画]]・[[4コマ漫画]]などを中心とする型破りな作風で話題を呼ぶ作品を輩出しており、ドラマの原作となる作品が多い。また成人が働く、さまざまな職業をありのままに描いた「職業漫画」が多いのも特徴の一つ。[[1990年代]]を通して、[[青年漫画]]のジャンルで漫画界をリードしている。 === 派生誌の誕生 === {{出典の明記|section=1|date=2022年12月}} 同時に『[[月刊アフタヌーン|アフタヌーン]]』『[[イブニング]]』は本誌の増刊号から出発しており、それぞれの誌名の由来となっている。掲載作品がこれらの姉妹誌の間で移籍することも多い。かつては、『モーニングパーティー増刊』『モーニングカラフル増刊』『[[モーニングマグナム増刊]]』『モーニング新マグナム増刊(現・『イブニング』)』『[[別冊モーニング]]』という増刊号も存在した。現在は、『[[月刊モーニングtwo]]』を増刊号として発行中(前身の『モーニング2』1周年記念の際に[[小学館]]の『[[月刊IKKI]]』とコラボレーションを展開した)。 === WEB展開 === {{出典の明記|section=1|date=2022年12月}} [[インターネット]]上での展開では、[[1997年]]に[[日本のウェブコミック配信サイト一覧|ウェブコミック誌]]『[[e-manga|MORNING ONLINE]]』が開設されている。内容は講談社の漫画雑誌に掲載された作品の再配信と描き下ろし作品で構成されており、企業が配信するウェブコミック誌のさきがけとなった。なお『MORNING ONLINE』は[[1999年]]に定期配信を終了するが、[[2000年]]に『e-manga』として再度定期配信を開始し、[[2008年]]まで更新されていた。その他、これとは別に『モーニング』公式サイト内でも2008年頃より[[ウェブコミック]]を配信している。 2013年5月30日、モーニング、月刊アフタヌーン、イブニングの合同公式サイト『'''モアイ'''』が公開された。ほぼすべての連載作品の第1話試し読みが掲載され、オリジナル作品の連載も行われた<ref>{{Cite web|和書|date=2013-5-30|url=https://natalie.mu/comic/news/91665|title=講談社の青年マンガを無料で大量公開!新サイト「モアイ」|publisher=コミックナタリー|accessdate=2023-03-25}}</ref>。2019年8月1日、モーニング公式サイトがリニューアルし、掲載作品は[[コミックDAYS]]に移行した<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-06|url=https://morning.kodansha.co.jp/news/5157.html|title=【重要】モーニング公式サイト移転・リニューアルのお知らせ|publisher=モーニング公式サイト|accessdate=2023-03-25}}</ref>。その後しばらくモアイは存続したが、2023年3月末ごろに公開終了した。 == 掲載作品 == 2023年12月28日(2024年4・5合併号)現在<!--日付は発売日毎(毎週木曜日)にxx号の数値と共に更新してください(休刊日や木曜日以外の日付にしないように)。-->連載中の作品。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> === 毎週連載 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|くつきんくはは}}[[クッキングパパ]] || {{Display none|うえやまとち}}[[うえやまとち]] || - || 1985年15号 || |- | {{Display none|とりはん}}[[とりぱん]] || {{Display none|とりのなんこ}}[[とりのなん子]] || - || 2005年21号 || |- | {{Display none|しやいあんときりんく}}[[GIANT KILLING]] || {{Display none|つちとも}}[[ツジトモ]] ||{{Display none|つなもと まさや}}[[綱本将也]]{{Small|(原案・取材協力)}}<!-- 当初の原作から変更 --> || 2007年6号 || |- | {{Display none|はとるすたていいす}}[[バトルスタディーズ]] || {{Display none|なきほくろ}}[[なきぼくろ (漫画家)|なきぼくろ]] || - || 2015年6号 || |- | {{Display none|ねこおく}}[[猫奥]] || {{Display none|やまむら ひかし}}山村東 || - || 2020年8号 || |- | {{Display none|りえそんことものこころしんりようしよ}}[[リエゾン -こどものこころ診療所-]] || {{Display none|よんちやん}}ヨンチャン || {{Display none|たけむら ゆうさく}}竹村優作{{Small|(原作)}}<br />{{Display none|すきやま としろう}}[[杉山登志郎]]{{Small|(取材協力)}} || 2020年14号 || |- | {{Display none|ほおるはあくてつかまえて}}[[ボールパークでつかまえて!]] || {{Display none|すか たつろう}}[[須賀達郎]] || - || 2020年40号 || |- | {{Display none|やいてるふたり}}[[焼いてるふたり]] || {{Display none|はなつか しおり}}ハナツカシオリ || - || 2020年43号 || |- | {{Display none|あんめつとあるのうけかいのにつき}}アンメット-ある脳外科医の日記- || {{Display none|おおつき かんと}}大槻閑人 || {{Display none|こしか ゆする}}子鹿ゆずる{{Small|(原作)}} || 2021年2・3合併号 || |- | {{Display none|ついすてつとしすたあす}}[[ツイステッド・シスターズ]] || {{Display none|やました かすみ}}[[山下和美]] || - || 2021年29号 || |- | {{Display none|かくやのとなくん}}楽屋のトナくん || {{Display none|やへ たろう}}[[矢部太郎]] || - || 2021年42号 || |- | {{Display none|かんたいのしえふ}}[[艦隊のシェフ]] || {{Display none|はきわら れいし}}[[萩原玲二]] || {{Display none|いけた くにひこ}}[[池田邦彦]]{{Small|(原作)}} <br /> {{Display none|ふした まさお}}[[藤田昌雄]]{{Small|(原作)}} || 2021年43号 || |- | {{Display none|おとれししとうけん}}踊れ獅子堂賢 || {{Display none|つねき ねたろう}}常木寝太郎 || - || 2022年16号 || |- | {{Display none|またきかんなあ}}マタギガンナー || {{Display none|ふあん あるはらん}}Juan Albarran || {{Display none|ふしもと しようし}}藤本正二{{Small|(原作)}} || 2022年24号 || |- | {{Display none|しくしりんかあのねこ}}シクジリンガーの猫 || {{Display none|てらおかけんしよう}}てらおか現象 || - || 2022年36・37合併号 || |- | {{Display none|へいわのくにのしまさきへ}}平和の国の島崎へ || {{Display none|せしも たけし}}瀬下猛 || {{Display none|はまた こうてん}}濱田轟天{{Small|(原作)}} || 2022年36・37合併号 || |- | {{Display none|きようもへらんたて}}今日もベランダで || {{Display none|いとかわ いつせい}}糸川一成 || - || 2022年42号 || |- | {{Display none|いくさかみ}}[[イクサガミ]] || {{Display none|たつさわ かつみ}}[[立沢克美]] || {{Display none|いまむら しようこ}}[[今村翔吾]]{{Small|(原作)}} || 2023年2・3合併号 || |- | {{Display none|あいたくてしまこうさく}}[[逢いたくて、島耕作]] || {{Display none|すわ ふうま}}諏訪符馬{{Small|(作)<!--クレジットでは作画ではなく作-->}} || {{Display none|ひろかね けんし}}[[弘兼憲史]]{{Small|(協力)}} || 2023年15号 || 『[[島耕作]]』シリーズ<br />のスピンオフ<ref>{{Cite web|和書|url=https://morning.kodansha.co.jp/news/5532.html|title=【新連載】 令和のZ世代就活生が、パワハラ渦巻く80年代の「島耕作」ワールドに転生! シリーズ40周年記念スピンオフ、衝撃の本家公認ギャグ『逢いたくて、島耕作』開幕|website=モーニング公式サイト|publisher=講談社|date=2023-03-09|accessdate=2023-03-09}}</ref> |- | {{Display none|はちかつさんしゆういちのろんくさまあ}}8月31日のロングサマー || {{Display none|いとう いつかと}}伊藤一角 || - || 2023年18号 || |- | {{Display none|たんとおん}}だんドーン || {{Display none|やす みこ}}[[泰三子]] || - || 2023年29号 || |- | {{Display none|はこにわもんすたあしようしよまんかかときときかみふくろ}}箱庭モンスター <br />〜少女漫画家、ときどき紙袋〜 || {{Display none|ちや とりこ}}[[稚野鳥子]] || - || 2023年34号 || |- | {{Display none|にかいとうしこくこるふ}}二階堂地獄ゴルフ || {{Display none|ふくもと のふゆき}}[[福本伸行]] || - || 2023年38号 || |- | {{Display none|さらりいまんせつと}}サラリーマンZ || {{Display none|いした てん}}石田点 || {{Display none|なんはあえいと}}NUMBER8{{Small|(原作)}} || 2023年40号 || |- | {{Display none|かみのしすくとうしえむ}}[[神の雫|神の雫 deuxième]] || {{Display none|おきもと しゆう}}[[オキモト・シュウ]] || {{Display none|あき たたし}}[[亜樹直]]{{Small|(原作)}} || 2023年43号 || 『[[神の雫]]』シリーズの続編<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20230920dog00m200041000c.html|title=神の雫:3年ぶり新作 続編「神の雫 deuxieme」が「モーニング」に 受け継がれるワインの血脈|website=MANTANWEB|publisher=MANTAN|date=2023-09-21|accessdate=2023-09-21}}</ref> <!-- ※最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。 ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 ※原作者なしの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || - ||《開始号をxxxx年xx号》 ※原作者ありの場合 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作画者をひらがな清音で》}}[[《作画者名》]]{{Small|(原作)}} || {{Display none|《原作者をひらがな清音で》}}[[《原作者名》]]{{Small|(原作)}} || - ||《開始号をxxxx年xx号》 -->|} === 隔週連載 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作など !! 開始号 !! 備考 |- | {{Display none|うちゆうきようたい}}[[宇宙兄弟]] || {{Display none|こやま ちゆうや}}[[小山宙哉]] || - || 2008年1号 || 当初は毎週連載 |- | {{Display none|てきんのもくら}}[[出禁のモグラ]] || {{Display none|えくち なつみ}}[[江口夏実]] || - || 2021年19号 || 当初は毎週連載 |- | {{Display none|しやかいとりしまりやくしまこうさく}}[[課長島耕作|社外取締役 島耕作]] || {{Display none|ひろかね けんし}}[[弘兼憲史]] || - || 2022年17号 || 『島耕作』シリーズの続編 |} === 月一連載 === * [[きのう何食べた?]]([[よしながふみ]]) * [[定額制夫の「こづかい万歳」〜月額2万千円の金欠ライフ〜]]([[吉本浩二]])2019年45号 - * [[惑わない星]]([[石川雅之]])2016年35号 - 、『[[月刊モーニングtwo]]』より移籍 === その他(不定期) === * いきものがたり([[松本ひで吉]])2023年21号 - 、『イブニング』から移籍<ref>{{Twitter status2|1=morningmanga|2=1648886202857148416|4=モーニング公式 2023年4月20日のツイート|5=2023-04-20}}</ref> * [[グラゼニ|グラゼニ 〜大リーグ編〜]](原作:[[コージィ城倉|森高夕次]]、漫画:[[足立金太郎]])<!--2022年2・3合併号 --> 『グラゼニ』シリーズの続編 * [[昭和のグラゼニ]]([[川 (漫画家)|川]] / 原作:[[コージィ城倉|森高夕次]])2021年45号 - 2022年1号(第1部)、2022年14号 - 2022年22・23合併号(第2部)、2022年36・37合併号 - 2022年46号(第3期)、2023年10号 - 2023年19号(第4期)、2023年33号 - 2023年43号(第5期)、2024年4・5合併号 - (第6期)、『[[グラゼニ]]』シリーズのスピンオフ作品 * [[サ道|マンガ サ道〜マンガで読むサウナ道〜]]([[タナカカツキ]]) 第1部 2015年7号 - 2006年1号まで月一連載 - 2017年28号、第2部 2019年24号 - 2019年46号、第3部 2020年41号 - 2020年50号 * そのモガリは熱を知らない(NICOMICHIHIRO)2021年26号 - * 鉄血キュッヒェ([[中島三千恒]] / 設定協力:白土晴一)2022年7号 - * [[BATMAN JUSTICE BUSTER]]([[清水栄一]]×[[下口智裕]])2021年4・5合併号 - * [[ひらばのひと]]([[久世番子]]、講談監修:[[神田伯山 (6代目)|神田伯山]])2023年8号 - 、『モーニング・ツー』から移籍<ref>{{Twitter status2|1=morningmanga|2=1615907426339028993|4=モーニング公式 2023年1月19日のツイート|5=2023-01-19}}</ref>、隔月連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-08-24|title=ひらばのひと 第16話|journal =モーニング|volume=2023年39号|publisher = 講談社|asin = B0CDXZXLTD}}扉ページより。</ref> * 望郷太郎([[山田芳裕]])2019年40号 - 、<!-- 2022年2月からに第7部が再開 -->当初は毎週連載 === モアイWebオリジナル連載作品 === * [[そんな奴ァいねぇ!!|大人のそんな奴ァいねえ!!]]([[駒井悠]])<!-- 2014年6月25日配信開始 -->『[[月刊アフタヌーン]]』で連載された『[[そんな奴ァいねえ!!]]』の続編 * [[夜廻り猫]]([[深谷かほる]])<!-- 2017年2月2日配信開始 --> === 休載中 === * [[OL進化論]]([[秋月りす]])<!-- 予告なし休載あり。「諸事情」による。『モーニング』本誌のみ。『Dモーニング』の予告は除く --> * [[絶賛セカイメシ 〜食べればこの世のすべてがわかる〜]]([[Boichi]])<!--2022年20号 - 2022年22・23合併号--> * [[天才柳沢教授の生活]]([[山下和美]])当初は毎週連載、隔週連載を経て、月1回連載 * [[バガボンド]]([[井上雄彦]] / [[吉川英治]])<!-- モアイ試し読みページに無し -->当初は毎週連載 * [[働きマン]]([[安野モヨコ]])<!-- 不定期掲載 -->当初は毎週連載 * [[不思議な少年 (漫画)|不思議な少年]]([[山下和美]]) - 『月刊モーニングtwo』に移籍後、2020年の42号に再掲載<!-- 公式サイトで『ツー』連載作品の欄にのみ配置されている --> * [[レディ・ロウと7日の森]]([[一色まこと]])<!--2020年24号 - -->当初は毎週連載 === 過去の連載作 === ==== あ行 ==== * [[ああ播磨灘]]([[さだやす圭]]) * 嗚呼!祐天寺家([[亜月裕]]) * アイアンバディ([[左藤真通]])<!-- 2016年35号 - 2017年18号 以降は番外編を短期集中連載 --> * あいしてる([[守村大]]) * [[Iターン (小説)|Iターン]]([[大月閑人]] / [[福沢徹三]])<!-- 2019年11号 - 2020年1号 --> * 愛の殺人者 渇きのセイ([[能條純一]]) * アイリウム([[小出もと貴]]) * アオダモソウル([[松崎真風]])- 短期集中連載<!-- 2014年11号 - 2014年14号 --> * [[赤いドレスの男]]([[高口里純]]) * アキオ紀行バリ([[深谷陽]]) * アキオ無宿ベトナム([[深谷陽]]) * [[アクター (漫画)|アクター]]([[かわぐちかいじ]]) * 浅倉家騒動記([[桝田道也]]) * 味満亭([[大野真志郎]]) * 明日美(あすみ現代編)([[三浦みつる]]) * [[あせとせっけん]]([[山田金鉄]]) - 『[[Dモーニング]]』より移籍<!-- 2019年44号 - 2021年6号 --> * あっぱらさいと([[英恵]]) * あっ晴れ([[吉川壽一]]) * アパートの鍵あいてます([[松苗あけみ]]) * [[雨ニモ負ケズ]]([[川崎のぼる]]) * [[アメリカなんて大きらい!]]([[高梨みどり]]) * [[アララギ特急]]([[かわぐちかいじ]]) * [[有賀リエ連作集 工場夜景]]([[有賀リエ]])<!-- 2022年13号 - 2022年20号 --> * アレルゲン([[仲佐佳郎]]) * アングリー・アングラー([[亘一茂]]) * [[U-31]]([[吉原基貴]] / [[綱本将也]]) * イカル([[谷口ジロー]] / [[ジャン・ジロー|メビウス]]) * イカロスの山([[塀内夏子]]) * 意気に感ず([[かわぐちかいじ]] / [[吉田悠二郎]]) * 李さんちの物語([[黄美那]]) * [[いちえふ 福島第一原子力発電所労働記|いちえふ 福島第一原子力発電所案内記]](竜田一人) - 第34回MANGA OPEN大賞受賞作 * [[イチケイのカラス]]([[浅見理都]])<!-- 2018年24号 - 2019年14号 --> * イナンナ([[岡野玲子]]) * 犬神もっこす([[西餅]]) - 「もーたま。」作品枠からの『劇研もっこす』を改題して正式連載昇格 * 威風堂々([[山本おさむ]]) * [[異法人]]([[山本松季]]) * いよっおみっちゃん([[山田芳裕]]) * [[インビンシブル (漫画)|インビンシブル]]([[瀬下猛]])<!-- 2021年10号 - 2022年20号 --> * [[インベスター]]([[三田紀房]])<!-- 2013年28号 - 2017年29号 --> * [[う (漫画)|う]]([[ラズウェル細木]]) * ウェンディ([[松本次郎]]) * [[ウォッカ・タイム]]([[片山まさゆき]]) * 牛のおっぱい([[菅原雅雪]]) * 宇宙探偵ピョートル([[青空大地]]) * 海の境目([[桃山アカネ]]) - 短期集中連載<!-- 2019年31号 - 2019年36・37合併号 --> * 営業の牧田です。([[かわすみひろし]]) * 80=18(岩淵竜子)<!-- 2022年40号 - 2023年45号 --> * 駅員ジョニー([[高橋のぼる]] / [[末田雄一郎]]) * [[駅前の歩き方]]([[森田信吾]]) * [[ES -Eternal Sabbath-]]([[惣領冬実]]) * 江戸恋もよう([[わたせせいぞう]]) * 江戸の告白([[昌原光一]]) * [[えの素]]([[榎本俊二]]) * [[エマージング]]([[外薗昌也]]) * エマは星の夢を見る([[高浜寛]] / [[エマニュエル・メゾンヌーヴ]]・[[ジュリア・パヴローヴィッチ]])※協力:㈱フランス著作権事務所<!-- 2017年18号 - 2017年27号 --> * エルフ甲子園([[若槻ヒカル]])→『[[コミックDAYS]]』・『[[Dモーニング]]』に移籍<!-- 2021年35号 - 2021年45号 --> * [[エレキング (漫画)|エレキング]]([[大橋ツヨシ]]) * 猿王([[仲能健児]]) * [[エンゼルバンク-ドラゴン桜外伝-]]([[三田紀房]]) * えんまさんちのケルベロス([[リベンセイ]]) - 『[[コミックDAYS]]』より移籍<!-- 2019年43号 - 2021年8号 --> * おいでませ鶴亀堂([[とりうみ詳子]]) * [[王狩]]([[青木幸子]]) * 黄金鳥 Shangri-La Bird([[ミヤマサンゴ]]) - 第67回[[ちばてつや賞]]一般部門ちばてつや大賞受賞作品を3号かけて掲載<!-- 2015年28号 - 2015年30号 --> * [[大いなる完]]([[本宮ひろ志]]) * [[大阪豆ゴハン]]([[サライネス|サラ・イイネス]]) * [[OH!MYコンブ|OH!MYコンブ ミドル]]([[かみやたかひろ]] / 監修:[[秋元康]])<!--2021年7号 - 2022年17号 ※月一連載-->『OH!MYコンブ』の続編 * [[おかしな2人 (漫画)|おかしな2人]]([[さだやす圭]] / [[やまさき十三]]) * おサルの親子だホイサッサ([[安井雄一]]) * [[おせん]]([[きくち正太]]) - 『[[イブニング]]』に移籍 * [[Order-Made]]([[高梨みどり]]) * オッドスピン(菅野カラン) - 『モーニング・ツー』に移籍<!-- 2023年27号 - 2023年36・37合併号 --> * [[おとこ女おんな男]]([[阿部秀司 (漫画家)|阿部秀司]]) * 男たち([[ちばてつや]]) * 男のいろは([[とがしやすたか]]) * 大人だね、山チー([[なめぞう]]) * オバケ([[畑中純]]) * [[オフィス北極星]]([[中山昌亮]] / [[真刈信二]]) * OPEN MIND([[芳崎せいむ]]) * 思い出してしまうこと([[イッセー尾形]] / [[太田博]]) * [[主に泣いてます|主(おも)に泣いてます]]([[東村アキコ]]) * お役所バイト物語([[中島いずみ]]) * お山の大将([[山崎匡佑|山崎享祐]]) * オリンピックの世紀([[鎌田洋次]] / [[春場州太夢]]) * オンサイト!([[尾瀬あきら]]) ==== か行 ==== * girl's-talk([[荒井瑞貴]])<!-- 休載した『OL進化論』の代行として掲載 --> * 快感温泉([[くらしな涼子]]) * [[会長島耕作|会長 島耕作]]([[弘兼憲史]]) * [[怪盗ルヴァン]]([[オキモト・シュウ]] / [[亜樹直]]) * 薫の秘話([[松田洋子]]) * ガカバッカ([[赤堀君]]) - 『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2017年48号 - 2018年15号 --> * ガキおやじ([[いがらしみきお]]) * 書きくけこ([[くさか里樹]] / 監修:[[吉川壽一]]) * ガクサン(佐原実波) - 『コミックDAYS』に移籍<!-- 2022年1号 - 2022年52号 --> * かぐや草紙([[あべこうじ]]) * ガケップチ・カッフェー([[大前田りん]]) * カザフスタン旅行団([[駒井悠]]) * 一生!([[太田垣康男]]) * [[カスハガの世界]]([[みうらじゅん]]) * 風と雷([[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]] / [[樹林伸]] / [[星野泰視]]) * [[風と剣]]([[内山まもる]] / [[高橋三千綱]]) * 風とマンダラ([[立川志加吾]]) * [[課長島耕作|課長 島耕作]]([[弘兼憲史]]) * カッチャマン([[若菜康弘]]) * 飼ってない猫([[関口かんこ]]) - 『コミックDAYS』と並行掲載 * [[カネが泣いている]]([[国友やすゆき]]) * カネもうけ最前線饅頭こわい([[すがやみつる]] / [[安田二郎]]) * [[カバチタレ!]]([[東風孝広]] / [[田島隆]]) * [[カバチタレ!|カバチ!!! -カバチタレ!3-]]([[東風孝広]] / [[田島隆]]) - 『カバチタレ!』シリーズの続編<!--2013年9号 - 2021年42号--> ※ * かぶく者([[たなか亜希夫]] / [[デビット・宮原]]) * 神の獣([[巴啓祐]]) * [[神の雫]]([[オキモト・シュウ]] / [[亜樹直]]) ** [[神の雫|マリアージュ 〜神の雫 最終章〜]]([[オキモト・シュウ]] / [[樹林伸|亜樹直]]) - 『神の雫』の続編<!-- 2015年26号 - 2020年46号 --> * 臥夢螺館([[福山庸治]]) * [[かめ!]]([[ながいさわこ]]) ** [[かめ2|かめ²]]<!--かめかめ--> * [[カレチ]]([[池田邦彦]]) * [[考える犬]]([[守村大]]) * 鑑定眼 もっとも高価な死に方([[後藤悠太]] / [[楠本寛樹]]) - 『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2021年35号 - 2022年14号 --> * {{要出典範囲|date=2022-01-13|紅<!--キタ-->の海域([[青柳裕介]] / 浅利龍平)}} * 北のライオン([[わたせせいぞう]]) * 喜の拒絶([[ザ・サラダクラブ]]) * [[気分は形而上]]([[須賀原洋行]]) * [[キマイラ (漫画)|キマイラ]]([[八坂考訓]] / [[戸田幸宏]]) * 奇妙なボーダーライン([[斉藤富士夫]]) * 喜郎([[ヴァレンヌ]]) * [[逆光の頃]]([[タナカカツキ]]) * [[ギャングース]]([[肥谷圭介]] / [[鈴木大介 (ルポライター)|鈴木大介]](ストーリー共同制作、原案:『[[家のない少年たち]]』[[太田出版]]刊)<!-- 2013年14号 - 2017年6号 --> * [[ギャンブルレーサー]]([[田中誠 (漫画家)|田中誠]]) * 給食漫談([[実川ジツコ]]) * 凶獣よ荒野へ([[滝直毅]] / [[湯浅ひとし]]) * [[暁星記]]([[菅原雅雪]]) * きょうだい沼([[友沢ミミヨ]]) * 今日は元気か([[永松潔]]) * KILLER APE([[河部真道]])<!-- 2018年48号 - 2019年48号 --> * [[キリコ (漫画)|キリコ]]([[木葉功一]]) * 銀座からまる百貨店 お客様相談室([[鈴木マサカズ]] / 原案協力:[[関根眞一]])<!-- 2015年39号 - 2016年36・37合併号 --> * 空室あります([[やまあき道屯]]) * グッドラックシティ([[谷口ジロー]] / [[関川夏央]]) * 熊野先生([[八樹裕]]) * 雲出づるところ([[土田世紀]]) * 雲にのる([[本宮ひろ志]]) * くらすっぞ([[くさのたかし]]) * [[グラゼニ]]([[足立金太郎|アダチケイジ]] / [[森高夕次]]) ** [[グラゼニ|グラゼニ 〜東京ドーム編〜]]<!-- 2014年43号 - 2018年11号、『グラゼニ 〜パ・リーグ編〜』2018年17号連載開始 --> ** [[グラゼニ|グラゼニ 〜パ・リーグ編〜]]<!--2018年17号 -2021年38号--> ([[足立金太郎]] / [[コージィ城倉|森高夕次]]) * [[グランドステーション]]([[池田邦彦]])<!--2015年48号 - 2016年41号 --> * [[GREGORY HORROR SHOW#漫画|GREGORY HORROR SHOW 〜Another World〜]]([[鈴木小波]] / [[イワタナオミ]]) * [[クレムリン (漫画)|クレムリン]]([[カレー沢薫]]) - 『[[月刊モーニングtwo]]』と並行連載していた時期あり * [[黒鉄|黒鉄&lt;KUROGANE&gt;]]([[冬目景]]) - 「黒鉄・改 KUROGANE-KAI」に改題して『[[グランドジャンプ]]』([[集英社]])に移籍<!-- モアイ試し読みページに無し --> * クロ號([[杉作]]) * Glaucos/グロコス([[たなか亜希夫]]) * [[黒博物館 スプリンガルド|黒博物館シリーズ]]([[藤田和日郎]]) ** 黒博物館 スプリンガルド ** 黒博物館ゴースト アンド レディ ** 黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ<!-- 2022年15号 - 2023年42号 --> * 黒騎士物語外伝([[小林源文]]) * クンツ([[アンドレアス・ディアッセン]]) * [[警察署長 (漫画)|警察署長]]([[たかもちげん]])(『[[こちら本池上署]]』の原案) * [[警察署長 (漫画)|警察署長]]([[やぶうちゆうき]] / [[高原泉]] / [[たかもちげん]]) - 『[[イブニング]]』に移籍 * 警視庁草紙 -風太郎明治劇場-([[東直輝]] /[[山田風太郎]])<!-- 2021年41号 - 2023年24号 --> - 『Dモーニング』と『コミックDAYS』に移籍<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-05-11|title=警視庁草紙 -風太郎明治劇場- 第76話|journal =モーニング|volume=2023年24号|publisher = 講談社|page=246頁(Kindle版)|asin=B0C4KZSB3M}}</ref> * 外科医花隈吾郎24時([[まるいミカ]]) - 『イブニング』に移籍 * ケシゴムライフ([[羽賀翔一]]) * [[決してマネしないでください。]]([[蛇蔵]]) - 2014年24号読切(「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠)を経て<!-- 2014年28号 - 2016年1号 --> * 結婚の研究([[神奈幸子]]) * 結婚星([[山本康人]]) * [[検察官キソガワ]]([[鈴木あつむ]]) * 憲史・くらたまのゴージャスめし([[弘兼憲史]]・[[倉田真由美]]) * [[ケンとメリー]]([[吉田聡]]) * 恋するもも([[高橋のぼる]]) * [[甲組の徹]]([[池田邦彦]]) - 2014年17号読切(「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠)を経て、不定期連載<!-- 2015年6号、15号、33号、34号、47号 --> * GoGo!イブニング([[倉田真由美]]) * [[コウノドリ]]([[鈴ノ木ユウ]])<!-- 2012年35号 - 2020年23号 --> ** [[コウノドリ|コウノドリ 新型コロナウイルス編]]([[鈴ノ木ユウ]])<!-- 2022年22・23合併号 - 2022年32号 --> * 古稀堂物語([[三山のぼる]] / [[佐和みずえ]]) * [[国民クイズ]]([[加藤伸吉]] / [[杉元伶一]]) * COCORO〈心〉([[かわぐちかいじ]]) * [[個人差あり〼]]([[日暮キノコ]])- 『[[コミックDAYS]]』・『[[現代ビジネス]]』に移籍<!-- 2018年51号 - 2019年49号 --> * 子育てデレデレ日記([[はるな檸檬]])『[[FRaU]]』とのコラボレーション * こたつむり伝説([[木村千歌]]) * こちらツカハラ探偵事務所([[塚原洋一]]) * [[コッコちゃん]]([[国友やすゆき]]) * 骨董屋優子([[三山のぼる]] / [[佐和みずえ]]) * [[子供はわかってあげない]]([[田島列島]]) * [[この女に賭けろ]]([[夢野一子]] / [[周良貨]]) * この会社に好きな人がいます(榎本あかまる)<!-- 2019年14号 - 2023年9号、2020年16号から毎号連載 --> * この度はご愁傷様です([[宮本福助]]) * [[GOLDEN LUCKY]]([[榎本俊二]]) * コロボックル([[花輪和一]]) * [[ゴン (漫画)|ゴン]]([[田中政志]]) * 昆虫探偵ヨシダヨシミ([[青空大地]]) * こんな女と暮らしてみたい([[内山まもる]] / [[高橋三千綱]]) * [[コンプレックス・エイジ]]([[佐久間結衣]]) - 第63回ちばてつや賞一般部門入選作品を連載化<!-- 2014年25号 - 2015年27号 --> ==== さ行 ==== * [[菜 (漫画)|菜シリーズ]]([[わたせせいぞう]]) * サイクリーマン([[原田尚]])<!-- 2019年25号 - 2020年8号 --> * 自転車野郎<!--サイクルヤロウ-->([[米田達郎]])<!-- 2015年26号 - 2015年33号掲載後、休載表示を経て、フェードアウト --> * [[サイコドクター]]([[的場健]] / [[亜樹直]]) * [[サイコドクター楷恭介]]([[オキモト・シュウ]] / [[亜樹直]]) * [[西遊妖猿伝]] 西域編([[諸星大二郎]]) - 『月刊モーニングtwo』に移籍 * [[サイレーン (漫画)|サイレーン]]([[山崎紗也夏]]) * [[サガラ 〜Sの同素体〜]]([[かわぐちかいじ]] / [[真刈信二]])<!-- 2018年36・37合併号 - 2021年11号 --> * ザカリフラワーズトーク([[もん]]) * SAKURA TABOO([[猫田ゆかり]]) - 第62回ちばてつや賞一般部門入選作『黒い紋章』(2014年7号掲載)を改題・連載化 * Sunny Sunny Ann!([[山本美希 (漫画家)|山本美希]]) * さばおり劇場([[いがらしみきお]]) * THE BIG BOSS([[末松正博]] / [[KOZO]]) * サングラスパパ([[ピオットゥル]]) * [[Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀]]([[佐久間結衣]] / [[虚淵玄]])<!-- 2016年34号 - 2017年19号 --> * 3年目の田中さん([[英恵]]) * 山遊亭海彦([[さだやす圭]] / [[立川談四楼]]) * [[G.I.D]]([[庄司陽子]]) * [[幸せであるように]]([[青木健(漫画家)|青木健]]) * JKさんちのサルトルさん([[さのさくら]] / [[大間九郎]])<!-- 2021年18号 - 2021年49号 --> * 仕掛暮らし([[山田芳裕]] / [[池波正太郎]]) - 短期集中連載<!-- 2018年41号 - 2018年43号 --> * [[私家版鳥類図譜]]([[諸星大二郎]]) * 始皇([[鄭問]]) * ジジジイ-GGG-([[小山宙哉]]) * [[獅子のごとく]]([[さだやす圭]] / [[大谷昭宏]]) * 市長への手紙([[アレックス・バルビエ]]) * [[CITY (漫画)|CITY]]([[あらゐけいいち]])<!--2016年44号 - 2021年10号--><ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/203590|title=あらゐけいいち、モーニングで週刊連載開始!南雲が駆け回るコメディ「CITY」|newspaper=コミックナタリー|date=2016-09-29|accessdate=2016-09-29}}</ref> * [[疾風の勇人]]([[大和田秀樹]])<!-- 2016年9号 - 2017年27号 --> * [[実録!関東昭和軍]]([[田中誠 (漫画家)|田中誠]]) * [[ジドリの女王 〜氏家真知子 最後の取材〜]]([[トウテムポール]])<!-- 2022年41号 - 2023年50号 -->→『コミックDAYS』・『Dモーニング』に移籍<ref>{{Twitter status2|1=jidori_machiko|2=1722458593583394888|4=『ジドリの女王〜氏家真知子 最後の取材〜』【モーニング公式】 2023年11月9日のポスト|5=2023-11-16}}</ref> * ジナス([[吉田聡]] / プロット共同制作:[[長崎尚志|ビッグ・オー]]) * 柴王([[布浦翼]]) * [[しばたベーカリー]]([[鵜飼りん]]) - 第33回[[MANGA OPEN]]森高夕次賞受賞作 * [[ジパング (漫画)|ジパング]]([[かわぐちかいじ]]) * [[ジパング 深蒼海流]]([[かわぐちかいじ]])<!-- 2013年1号 - 2017年51号 --> * [[島耕作|島耕作の優雅な1日]]([[弘兼憲史]]) * [[シマシマ (漫画)|シマシマ]]([[山崎紗也夏]]) * [[ジャイアント (漫画)|ジャイアント]]([[山田芳裕]]) * [[渺々]]([[小川隆章]]) * 社宅の人([[山本深雪]]) * [[課長島耕作|社長 島耕作]]([[弘兼憲史]]) * シャドウ&ライト([[松本剛 (漫画家)|松本剛]] / [[春場洲太夢]]) * シャトル・プリンセス([[咲香里]])<!-- 2012年32号 - 2012年33号、2013年39号 - 2013年42号 --> * ジャパンアズパンパカパン([[前川つかさ]]) * [[しゃぼてん]]([[野中英次]]) * 写・ラク([[永井豪]]) * ジャンゴ!([[せきやてつじ]] / [[アーヴィック]]([[木葉功一]])) * [[週刊石川雅之]]([[石川雅之]]) * [[終電ちゃん]]([[藤本正二]]) - 2015年32号に掲載された第67回ちばてつや賞一般部門入選作の連載化 → 『月刊モーニングtwo』に移籍<!-- 2015年40号 - 2019年41号 --> * 祝福王([[たかもちげん]]) * 重役秘書リナ([[楠木あると]] / [[今野いず美]]) * 純喫茶のこりび([[いとう耐]]) * SHO([[吉川壽一]]) * [[上京生活録イチジョウ]]([[福本伸行]] / 萩原天晴 / 三好智樹 / 瀬戸義明)<!-- 2021年8号 - 2023年7号 --> 『[[賭博黙示録カイジ|カイジ]]』シリーズのスピンオフ作品、途中から隔週連載 * 勝算([[本宮ひろ志]] / [[田原成貴]]) * [[翔丸]]([[能條純一]]) * 昭和の男([[入江喜和]]) * じょなめけ([[嘉納悠天]]) * [[ショムニ]]([[安田弘之]]) * 深海児([[伊藤寿規]]) - 短期集中連載<!--2014年45号 - 2014年48号--> * 新GoGo!イブニング([[風間やんわり]]) * 新釈 うああ哲学辞典([[須賀原洋行]]) * 新鉄人ガンマ([[山本康人]]) * 心配右衛門([[いがらしみきお]]) * [[新・野球狂の詩]]([[水島新司]]) * スイーツ本部長 一ノ瀬櫂([[佐々木善章]]) - 『Dモーニング』新人増刊2014年春号読切 → 『Dモーニング』オリジナル連載作品<!-- 2014年6月19日配信開始 -->および2014年38号特別出張(11話を『Dモーニング』と本誌に同時掲載)を経て<!-- 30話(『Dモーニング』で2015年1月15日配信開始開始、本誌で2015年7号掲載)より2015年20号まで --> * SWEET WHEELS([[田中むねよし]]) * [[スインギンドラゴンタイガーブギ]]([[灰田高鴻]])<!-- 2020年18号 - 2021年31号 --> * スカイウォーカーズ([[小椋冬美]]) * すき間にたくじくん([[大塚たくじ]]) * 数奇者やねん([[神江里見]] / [[尾家行展]]) * STRAY CAT([[松本太郎]]) * [[STRAIGHT (漫画)|STRAIGHT]]([[松本大洋]]) * 刷ったもんだ!([[染谷みのる]]) →『月刊モーニングtwo』に移籍<!-- 2020年7号 - 2021年39号 --> * ストロベリー([[サライネス]])<!-- 2018年46号 - 2020年4・5合併号 --> * 素直な体([[東野柚子]])<!-- 2018年18号 - 2018年24号 --> * スピナス([[楠あると]] / [[清水みなこ]]) * [[青春の門]]([[いわしげ孝]] / [[五木寛之]]) * [[セケンノハテマデ]]([[サライネス]])<!-- 2012年46号 - 2016年8号、2013年21・22合併号 - 2015年14号まで隔週連載 --> * 絶叫教師エディー([[高橋のぼる]] / [[末田雄一郎]]) * 絶対成功! ホリエモン式飲食店経営(漫画:[[MICOMICHIHIRO]] / 原作:[[三戸政和]] / 監修:[[堀江貴文]]) -『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』のスピンオフ作品<!-- 2018年51号 - 2019年7号 --> * 千客半来([[伊藤寿規]])<!-- モアイ試し読みページに無し --> * 葬儀屋の悪だくみ([[若林健次]] / 原案:[[二天恭兵]]) * [[草子ブックガイド]]([[玉川重機]]) - 『月刊モーニングtwo』より移籍<!-- 2014年8号にて『モーニング』掲載分終了、移籍先未定 --> * [[課長島耕作|相談役 島耕作]]([[弘兼憲史]])<!-- 2019年38号 - 2022年13号 --> * [[蒼天航路]]([[王欣太]] / [[李學仁]](死去後は「原案」クレジット)) * [[俗物王]]([[藤嵜ヒトシ]] / [[鶴屋次桜]]) * [[その「おこだわり」、俺にもくれよ!!]]([[清野とおる]]) * 染盛はまだか([[清田聡]]) * 空男ソラダン([[糸川一成]])<!-- 2017年44号 - 2018年32号 --> * 空飛ぶアオイ([[福島聡]]) * [[それはエノキダ!]]([[須賀原洋行]]) ==== た行 ==== * [[ダーウィンクラブ]]([[朱戸アオ]])<!-- 2021年30号 - 2022年28号 -->→『コミックDAYS』に移籍<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004696.000001719.html|title=分断された世界は、脅される。『ダーウィンクラブ』(朱戸アオ)が、コミックDAYSに移籍して11月27日より連載配信スタート!|website=PR TIMES|date=2022-11-27|accessdate=2023-01-16}}</ref> * DIRTY CHRIST SUPERSTAR([[西山優里子]]) - 短期集中連載<!-- 2013年45号 - 2013年48号 --> * [[大使閣下の料理人]]([[かわすみひろし]] / [[西村ミツル]]) * [[大正野郎]]([[山田芳裕]]) * [[代打屋トーゴー]]([[たかもちげん]]) * [[大東京ビンボー生活マニュアル]]([[前川つかさ]]) * 大と大([[本宮ひろ志]]) * DIVE MAN([[今谷鉄柱]]) * [[逮捕しちゃうぞ]]([[藤島康介]]) * 太陽のドロップキックと月のスープレックス([[落合裕介]] / [[ミスター高橋]]) * 大漁!まちこ船([[三宅乱丈]]) * 打撃マン([[山本康人]]) * たたかなアカン!([[青木雄二]]) * たぢからお([[吉開寛二]] / [[毛利甚八]]) * ダニ([[さだやす圭]]) * [[頼むから静かにしてくれ]]([[六田登]]) * 旅の途中([[本宮ひろ志]]) * 魂のカルテ([[ドクター・さいとう]]) * [[誰も寝てはならぬ (漫画)|誰も寝てはならぬ]]([[サライネス]]) * タロのいちんち([[菅原雅雪]]) * [[ダンダリン一〇一]]([[鈴木マサカズ]] / [[田島隆|とんたにたかし]]) * [[チーズスイートホーム]]([[こなみかなた]]) * [[チェーザレ 破壊の創造者]]([[惣領冬実]] / 監修:[[原基晶]])<!-- 2014年28号以後、月一掲載化を謳っていたが、実質的に集中連載方式継続中。2018年50号より月一連載で再開、2021年34号連載再開、同年52号連載終了 --> * [[地球氷解事紀]]([[谷口ジロー]]) * チクホー男子☆登校編([[美月うさぎ]]) - 『[[西日本新聞]]』筑豊版にて続編『チクホー家族』を連載 * チビチビ([[サダカネアイコ]]) * 鳥葬のバベル([[二宮志郎]])<!-- 2016年43号 - 2017年27号 --> * ちゃぶだいケンタ([[うめ (漫画家)|うめ]]) * ちょいとみやげを([[栞あじさい]]) - [[オムニバス]]作品 * 超愛の人([[成田アキラ]]) * 超人晴子([[ジョージ秋山]]) * チョコレット([[草乃葉子]]) * チンパー([[花沢健吾]]) * [[沈黙の艦隊]]([[かわぐちかいじ]]) * 月岡脳髄研究所([[目白花子]]) * つくりばなし Tsukuribana-City([[木下晋也]]) * 繋がる個体([[山本中学]]) - 『Dモーニング』新人増刊2014年冬号読切を経て<!-- 2015年15号 - 2015年52号 --> * 鶴ヶ島ハートブレイク([[木村喜一]]) * [[ツヨシしっかりしなさい]]([[永松潔]]) ** [[ツヨシしっかりしなさい|ツヨシしっかり²しなさい]]([[永松潔]]) * [[ディアスポリス 異邦警察]]([[すぎむらしんいち]] / 脚本:[[長崎尚志|リチャード・ウー]]) ** [[ディアスポリス 異邦警察#「999」篇|ディアスポリス -異邦警察- 999篇]](漫画:すぎむらしんいち / 脚本:リチャード・ウー)<!--2016年26号 - 2016年35号 --> * Day Dream Believer([[福島聡]]) * [[DINO2]]([[所十三]]) * [[刑事が一匹…]]([[きたがわ翔]]) * [[テセウスの船 (漫画)|テセウスの船]]([[東元俊哉]])<!-- 2017年30号 - 2019年30号 --> * 鉄魂道!([[安田弘之]]) * [[鉄人ガンマ]]([[山本康人]]) * 鉄腕ガール([[髙橋ツトム]]) * [[デビルマンレディー]]([[永井豪]]と[[ダイナミックプロ]]) * [[デラシネマ]]([[星野泰視]]) * telephone([[わたせせいぞう]])<!-- 2014年25号 - 2015年22・23合併号 --> * [[テレワァク与太話]]([[山田金鉄]])<!-- 2022年49号 - 2023年20号 --> * テロール教授の怪しい授業([[石田点]] / [[カルロ・ゼン]])<!-- 2018年46号 - 2020年15号 --> →『[[Dモーニング]]』に移籍 * 天空之狗([[永井豪]]) * 天狗のらくがき([[安井雄一]] / [[吉川壽一]]) * 天高く豊かなり([[遊人]] / [[七三太朗]]) * 天のテラス([[小椋冬美]]) * 東京エデン([[わたせせいぞう]]) * トゥイン☆クル([[白狐堂たまこ]]) * 東京怪童([[望月ミネタロウ]]) * 東京釣人<!--とうきょうつりじん-->([[亘一茂]]) - 『Dモーニング』新人増刊2014年冬号読切を経て短期集中連載<!-- 2015年11号 - 2015年14号 --> * [[東京トイボックス]]([[うめ (漫画家)|うめ]]) * 東京秘伝([[わたせせいぞう]]) * TOKYOブローカー([[伊藤ゆう]] / [[楠みちはる]]) * 東京 ヘビ女物語([[加藤ヒロシ]]) - 第30回MANGA OPEN大賞受賞作『ヘビ女物語』を連載化 * [[東周英雄伝]]([[鄭問]]) * どうだ貫一(さだやす圭 / [[真刈信二]]) * どうぶつ大好き本間くんシリーズ([[和田フミ江]]) * 豆腐屋桶川物語([[城としあき]]) * 土塊のミミズたち([[山中こうじ]]) * ときどきサンタ([[サンタママス&パパス]]) * [[カバチタレ!]]シリーズ 特上カバチ -カバチタレ! 2-([[東風孝広]] / [[田島隆]]) * Dr.愛助<!--あいすけ-->の孤独([[わたせせいぞう]]) * ドトウの笹口組([[若林健次]]) * 飛べファッキンバード([[フルヤヒロム]] / [[福田陽一郎]]) * 虎男さんのお気にいり([[永松潔]]) * [[ドラゴン桜]]([[三田紀房]]) ** [[ドラゴン桜|ドラゴン桜2]]([[三田紀房]]) - 『ドラゴン桜』の続編<!-- 2018年8号 - 2021年16号 --> * 虎の子がゆく!([[郷田マモラ]]) * 虎物語([[安壽吉]](アン・スギル)) * [[島耕作#取締役島耕作|取締役 島耕作]]([[弘兼憲史]]) * [[ドリーム職人]]([[野中英次]]) * ドリームラバーズ([[みやすのんき]]) * とんがらし([[桐村海丸]])<!-- 「もーたま。」枠掲載だったが単行本化 --> * ドン・ジョヴァンニ([[福山庸治]]) ==== な行 ==== * [[Ns'あおい]]([[こしのりょう]]) * ないしょのひみこさん([[魚戸おさむ]]) * 内線893([[山本康人]]) * [[なごみさん]]([[宮本福助]]) * [[夏子の酒]]([[尾瀬あきら]]) * [[奈津の蔵]]([[尾瀬あきら]]) * [[ナニワ金融道]]([[青木雄二]]) * なまずランプ([[たかぎ七彦]]) * 波の如く([[本宮ひろ志]]) * なるほどマイフレンド([[井浦秀夫]]) * [[なんじゃもんじゃ (漫画)|なんじゃもんじゃ]]([[伊藤静 (漫画家)|伊藤静]]) * なんでもツルカメ([[犬丸りん]]) * 二科てすらは推理しない([[PEACH-PIT]])短期集中連載<!-- 2017年29号 - 2017年36・37号 --> ** 二科てすらは見つからない - 短期集中連載<!-- 2018年17号 - 2018年25号 --> * [[ニース風サラダ]]([[ボードアン]]) * 日本奇病同盟([[佐多みさき]]) * N.Y.レポート([[ナンシー (漫画家)|ナンシー]]) * 人間入門([[石川聖]]) - 『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2019年12号 - 2019年17号 --> * NAKED 変體累ヶ淵([[米餅昭彦]] / [[杉元伶一]]) * ねこだらけ([[横山キムチ]]) * [[ねこロジカル]]([[高田三加]]) * 熱闘コンドルズ([[大島やすいち]]) * [[のんちゃんのり弁]]([[入江喜和]]) * のんびり物語([[谷岡ヤスジ]]) ==== は行 ==== * バージンによろしく([[守村大]] / [[史村翔]]) * [[ハーン -草と鉄と羊-]]([[瀬下猛]])<!-- 2018年2・3合併号 - 2020年12号 --> * 杯気分!肴姫([[入江喜和]]) * はいまん([[川端一生 (漫画家)|川端一生]]) * ハケンの麻生さん([[仲川麻子]]) - 『Dモーニング』新人増刊2014年夏号読切を経て、隔号連載<!--2015年2・3合併号 - 2015年26号 --> * VS.アゲイン([[中馬孝博]])<!-- 2017年40号 - 2018年25号 --> * はじめアルゴリズム([[三原和人]])<!-- 2017年41号 - 2019年50号 --> * 走れガバチョ!([[幸野武史]] / [[七三太朗]]) * 走れ!チコ([[戸川水城]])<!-- モアイ試し読みページに無し --> * [[ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜]]([[泰三子]])<!-- 2017年52号 - 2022年29号 --> * [[はたらく細胞BLACK]]([[初嘉屋一生]] / 原作:[[原田重光]] / 監修:[[清水茜]])『[[はたらく細胞]]』のスピンオフ作品<!-- 2018年27号から36・37合併号まで毎週連載、2018年45号から2019年36・37合併号まで隔週連載、2019年45号から2020年35号まで月1連載、2020年52号から2021年8号まで毎週連載--> * [[はたらく細胞|はたらく細胞BABY]]([[福田泰宏]] / 監修:[[清水茜]])<!--2019年46号 - 2021年45号 -->『[[はたらく細胞]]』のスピンオフ作品 * パチンコ・ドンキホーテ([[谷村ひとし]]) * [[ハツカネズミの時間]]([[冬目景]]) * [[ハートカクテル]]([[わたせせいぞう]]) * はな椿([[土屋瑞姫]]) * ハナドキロード([[わたせせいぞう]]) * 花のうた([[守村大]]) * 花村金銀鉄道([[仲佐佳郎]] / [[やまさき十三]]) * [[華和家の四姉妹]]([[柴門ふみ]]) * HaHa([[押切蓮介]])<!-- 2015年31号 - 2015年45号 --> * [[バーバーハーバー]]([[小池田マヤ]]) * はまりんこ([[かわすみひろし]]) * パラボラ・ニュース([[ジェイク杉]] / [[木谷高康]]) * [[はるか17]]([[山崎紗也夏|山崎さやか]]) * ハルジャン([[小山宙哉]]) * はるまげどん([[守村大]]) * [[ハルロック]]([[西餅]]) - 2014年8号読切(「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠)を経て<!-- 2014年19号 - 2015年16号 --> * [[POWER FOOL]]([[守村大]] / [[狩撫麻礼]]) * 犯罪心理学([[芳井一味]]) * 萬歳([[鄭問]]) * 万歳ハイウェイ([[守村大]] / [[大竹オサム|オサム]]) * [[半沢直樹シリーズ|半沢直樹]]([[フジモトシゲキ]] / [[池井戸潤]] / [[津覇圭一]])<!--2020年9号 - 2021年9号--> 同名小説のコミカライズ * [[バンデット -偽伝太平記-]]([[河部真道]])<!-- 2016年45号 - 2017年48号 --> * [[ピアノの森]]([[一色まこと]]) - 『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』より移籍 * [[BE FREE!]]([[江川達也]]) * [[へうげもの]]([[山田芳裕]])<!-- 2005年38号 - 2017年53号 --> * ヒグさん([[青空大地]])<!-- 2011年49号 - 2012年10号 --> * Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて([[林明輝]]) * ひつじが一匹([[志水辰夫]] / [[沖一]]) * ひどいよ! 沼二郎([[業田良家]]) * 人の気持ちも知らないで([[業田良家]]) * ひな([[新井英樹]]) * [[微熱少年]]([[大前田りん]] / [[松本隆]]) * ひまあり([[上野顕太郎]]) * [[美魔女の綾乃さん]]([[相原瑛人]]) - ショート漫画<!-- 2018年15号 - 2019年24号 --> * [[ひまわりっ 〜健一レジェンド〜]]([[東村アキコ]]) * ひみつの○グ印観光公司([[グレゴリ青山]]) * 百人物語([[業田良家]]) * 百八の恋([[畑中純]]) * [[渺々]]([[小川隆章]]) * 氷上のセイリオス([[ザザロン亞南]]) - 「もーたま。」枠より正式連載昇格 * [[ひらけ駒!]]([[南Q太]]) - 無料Web雑誌『ベビモフ』に移籍 * [[BILLY BAT]]([[浦沢直樹]] / [[長崎尚志]]プロット共同制作)隔週連載 → 集中連載方式<!-- 2008年46号 - 2016年38号 --> * ぶぅ([[ラズウェル細木]]) * [[風子のいる店]]([[岩明均]]) * 風介がゆく(大島やすいち / [[黒田修平]]) * [[山田風太郎|風太郎不戦日記]]([[勝田文]] / 原作:[[山田風太郎]])<!-- 2019年36・37合併号 - 2021年32号--> * 4D<!--フォーディー-->([[橘尚毅]] / [[汐里]])<!-- 2015年36・37合併号 - 2016年21号 --> * [[Forget-me-not]]([[鶴田謙二]]) * 蕗のお便り([[菅原雅雪]]) * [[福助 (漫画)|福助]]([[伊藤静 (漫画家)|伊藤静]]) * [[ぶっせん]]([[三宅乱丈]]) * ぶたいぬ([[さだやす圭]]) * [[島耕作#部長島耕作|部長 島耕作]]([[弘兼憲史]]) * ぷっぷちゃん([[永松潔]] / [[鶴屋次楼]]) * [[プラチナ (漫画)|プラチナ]]([[かわすみひろし]])<!--未完作品、フェードアウト化--> * [[プラネテス]]([[幸村誠]]) * [[ブラックジャックによろしく]]([[佐藤秀峰]]) * ふらり。([[谷口ジロー]]) * ブリキ細工のトタン屋根([[三山のぼる]]) * ブル([[水島新司]]) * [[ブル田さん]]([[きくち正太]] / [[高橋三千綱]]) * プロテン([[岡村篤]] / [[岡崎大五]]) * [[紛争でしたら八田まで]]([[田素弘]])『[[Dモーニング]]』に移籍<!--2019年51号 - 2021年42号--> * ぶんぶん([[滝直毅]] / [[峰岸とおる]]) * [[ブンむくれ!!]]([[曽根富美子]]) * [[さぼリーマン 飴谷甘太朗|平成甘味録 さぼリーマン]]([[アビディ井上]] / [[萩原天晴]]) - 『さぼリーマン 飴谷甘太朗』と改題して『[[月刊モーニングtwo]]』に移籍 * Hey!!ブルースマン([[山本おさむ]]) * BET([[押川雲太朗]]) * [[ベムハンター・ソード]]([[星野之宣]])- 不定期連載、『[[月刊アフタヌーン]]』へ移籍 * ペンとハウス([[家田明歩]])<!-- 2019年47号 - 2020年44号 --> * HOY([[安壽吉|安壽吉(アン・スギル)]]) * ほいくの王さま([[落合さより]] / 原案協力:[[石山ほろ|HY's]]) - 2014年30号「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠『ほいくのたまご』を経て<!-- 2015年32号 - 2016年47号 -->。※ 現在は『[[Palcy]]』で掲載。 * [[亡国のイージス]]([[福井晴敏]] / [[横山仁]]) * 帽子男シリーズ([[上野顕太郎]]) * [[鬼灯の冷徹]]([[江口夏実]])- 当初は毎週連載、2014年33号から隔週連載 <!-- 第57回[[ちばてつや賞]]一般部門佳作受賞作『非日常的な何気ない話』を「もーたま。」作品『地獄の沙汰とあれやこれ』と改題した後、更に改題して正式連載化。『Dモーニング』では33号時点で告知があったが、本誌では(34号を休載して)35号に告知された。--> * [[僕が私になるために]]([[平沢ゆうな]]) - 短期集中連載<!-- 2016年号15号 - 2016年21号 --> * [[僕の小規模な生活]]([[福満しげゆき]]) * [[ぼくの村の話]]([[尾瀬あきら]]) * [[僕はビートルズ]]([[かわぐちかいじ]] / [[藤井哲夫]]) * ボクラハナカヨシ([[田中誠 (漫画家)|田中誠]]) * ポチ ぽち 保知丸([[きたやまようこ]]) * ボッチャン([[河部真道]]) - 短期集中連載<!--2015年49号 - 2015年52号--> * [[ホテル・ハイビスカス]]([[仲宗根みいこ|谷上みい子]]) * ポテン生活([[木下晋也]]) - 『月刊モーニングtwo』の並行連載も同時終了、『モーニング』公式サイトで『ポテン生活週休2日』として継続 * [[ホワッツマイケル|What's Michael?]]([[小林まこと]]) * ポンズ百景([[ぽん竜太]]) * ほんとかな([[大山哲也]] / [[ジョージ・グラダー]]) ==== ま行 ==== * 麻雀カッパドキア([[海谷和秀]]) * マーミー([[大島やすいち]]) * まっすぐな道でさみしい([[いわしげ孝]]) * まどからマドカちゃん([[福田泰宏]]) - 2017年16号 - 2017年22・23合併号の臨時連載を経て<!-- 2017年32号 - 2018年45号 --> * [[マドモアゼル モーツァルト]]([[福山庸治]]) * マリー・アントワネット([[惣領冬実]] / 監修:[[ヴェルサイユ宮殿]])<!-- 2016年38号 - 2016年41号 --> * まるシカク!([[さかぐちまや]])<!-- 2015年20号 - 2015年34号 --> * [[マンガ家 夜食研究所]]([[村田雄介]])<!-- 2016年31号 - 2016年49号--> * まんが新白河原人 ウーパ!([[守村大]])<!--2015年14号 - 2018年51号 --> * マントルピースのお天気([[滝平加根]]) * まんなかのりっくん([[土塚理弘]])<!-- 2017年12号 - 2018年8号 --> * 万病マージャン([[山松ゆうきち]]) * miifa([[ひなきみわ]]) * 美緒ちゃん100連発([[みお(漫画家)|みお]]) * [[右曲がりのダンディー]]([[末松正博]]) * ミスターズ 〜私の町のおじさんたち〜([[飛田漱]])<!-- 2019年43号 - 2020年44号 --> * 水と銀([[吉田基已]]) * 水に犬([[村上もとか]]) * 水の国のアリラン([[呉世浩|呉世浩(オーセーホ)]]) * ミツナリズム([[鈴木コイチ]])<!-- 2020年10号 - 2021年28号 --> * 見つめていたい([[雨宮智子]]) * 水の色 銀の月([[吉田基已]]) * [[ミタライ 探偵御手洗潔の事件記録]]([[原点火]] / [[島田荘司]]) * [[宮本から君へ]]([[新井英樹]]) * 美童<!--みやらび-->物語([[比嘉慂]]) * [[ミリオンジョー]]([[市丸いろは]] / [[古屋雄作|十口了至]]) * [[ムーたち]]([[榎本俊二]]) * 眼鏡橋華子の見立て([[松本救助]]) - 『[[コミックDAYS]]』に移籍<!-- 2016年48号から2017年6号まで1シーズン完了 --> * メフィスト([[三山のぼる]]) * メロドラマ([[村上もとか]]) * メロポンだし!([[東村アキコ]]) * [[もう、俺ハエでいいや]]([[大ハシ正ヤ]]) * 妄想少女([[汐里]]) - 第64回ちばてつや賞一般部門大賞受賞作 * [[モーニングを作った漫画たち]]([[コージィ城倉]]) * 燃える秋([[三山のぼる]]) * モンスターフェイク([[伊藤静 (漫画家)|伊藤静]]) ==== や行 ==== * 八百森のエリー([[仔鹿リナ]]) - 当初は毎週連載、『[[漫画 on Web]]』に移籍<!-- 2017年43号 - 2018年38号 --> * 山本益博の東京1000円グランプリ([[山本益博]]) * [[やわらかい。 課長起田総司]]([[カレー沢薫]]) * 油断ちゃん([[吉田戦車]]) ** 油断ちゃんラグジュアリー([[吉田戦車]]) * ユニ([[黄美那]]) * 夢てふものは頼みそめてき Daydream Believers(灰田高鴻) - 『Dモーニング』と『コミックDAY』に移籍<ref>{{Twitter status2|1=swingindragon|2=1626163766026199040|4=【公式】夢てふものは頼みそめてき 2023年2月16日のツイート|5=2023-03-02}}</ref><!-- 2022年32号 - 2023年13号 --> * 夢みる玉子([[犬丸りん]] / [[野々山義高]]) * ゆらりうす色([[やまだ紫]]) * ユーリ([[イゴルト]]) * [[よしえサンち]]([[須賀原洋行]]) * 吉原プラトニック(藤川よつ葉 / [[オキモト・シュウ]])<!-- 2021年51号 - 2023年7号 --> * 呼出し一<!--はじめ-->([[中村明日美子]]) - 隔週連載<!-- モアイ試し読みページに無し --> * [[ヨリが跳ぶ]]([[ヒラマツ・ミノル]]) ==== ら行 ==== * LA CALACA([[澤井健]]) * ライカとオチンパン([[青空大地]])<!-- 休載した『OL進化論』の代行として掲載 --> * [[ライスショルダー]]([[なかいま強]]) * [[ラキア (漫画)|ラキア]]([[Boichi]] / [[矢島正雄]]) * ラッキーマイン([[鈴木マサカズ]]) * ラティーノ♥([[おおひなたごう]]) * Love Planet([[松本太郎]]) * ランド([[山下和美]])当初は不定期連載<!-- 2014年30号まで不定期連載扱いであるが、正式に月一連載開始となる34号の4号前に掲載されているので、実質的には30号から月一連載 --> * リーチマン([[米田達郎]]) * [[リーマンギャンブラーマウス]]([[高橋のぼる]]) * [[リヴィングストン (漫画)|リヴィングストン]]([[片岡人生]] / [[前川知大]]) * リズム([[山本康人]]) * リバーベッド(青井ぬぬ / 磯部涼)<!-- 2022年51号 - 2023年50号 --> * [[ReMember (漫画)|ReMember]]([[王欣太]]) * [[ルシフェルの右手]]([[芹沢直樹]]) * ルビー・ザ・キッド([[木葉功一]]) * 流浪青年シシオ([[加藤伸吉]]) * 瑠璃の波風・海江田四郎青春譜([[かわぐちかいじ]]) * [[REGGIE]](ヒラマツ・ミノル / [[ロバート・ホワイティング|GUY JEANS]]) * レジより愛をこめて 〜レジノ星子<!--スタコ-->〜([[曽根富美子]]) - 2014年27号読切(「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠)を経て<!--2014年40号 - 2015年6号、単行本に巻数表記なく本編に「おしまい」表記 --> * レッド([[萩原玲二]]) * レベレーション(啓示)([[山岸凉子]]) - 隔月連載<!-- 2015年4・5合併号 - 2020年48号 --> * [[レンアイ漫画家]]([[山崎紗也夏]] / 原案協力:[[西田大輔]]([[AND ENDLESS]])) * [[レンタルなんもしない人]]([[プクプク (漫画家)|プクプク]] / 原案:[[レンタルなんもしない人]])<!-- 2019年16号 - 2019年29号 --> * 連版画([[畑中純]]) * 老人賭博([[すぎむらしんいち]] / [[松尾スズキ]]) * ロサリオ([[マルドナド]]) ==== わ行、ん ==== * ワーク・イット・ブラック —独立行政法人サラリーマン保存委員会—([[若里実]]) - 短期集中連載<!-- 2014年42号 - 2014年44号 --> * ワールド イズ ダンシング([[三原和人]])<!-- 2021年17号 - 2022年48号 --> * わたしはあい([[外薗昌也]]) * [[ワニ男爵]]([[岡田卓也 (漫画家)|岡田卓也]])<!-- 2017年33号 - 2018年23号 --> * ワニの初恋([[福本伸行]]) * ONE EYED JACK([[アンソニー・ゼアハット]]) * ワンオペJOKER(後藤慶介 / 原作:[[宮川サトシ]])<!-- 2021年6号 - 2023年18号 --> * ンダスゲマイネ。 太宰治 蒼春篇([[楠木あると]]) ==== 漫画以外 ==== * 空白を満たしなさい([[平野啓一郎]]、イラスト:[[鎌谷悠希]]) - 小説 * [[くつしたがだるだるになっちゃうわけ 〜イマドキ妖怪図鑑〜|くつだる。+]]([[ゴトウマサフミ]]他による週替わりリレー執筆) - 架空の[[図鑑]]ふうの作品<!--2015年4・5合併号まで--> * 新白河原人([[守村大]]) - イラストコラム * 負ける技術([[カレー沢薫]]) - コラム。過去に『月刊モーニングtwo』でも連載 * [[モダンタイムス (小説)|モダンタイムス]]([[伊坂幸太郎]]、イラスト:[[花沢健吾]]) - 小説 ==== 更新が終了したモーニング公式サイト連載作品 ==== 『モアイ』開設後に開始し終了した作品。 * インドでキャバクラ始めました(笑)([[沼津マリー]])<!-- 2014年12月16日配信開始、2015年1月23日最終更新 --> * 西遊筋([[OTOSAMA]])<!-- 2015年8月10日配信開始、2017年6月23日最終更新 --> * 生活([[福満しげゆき]]) - 『アックス』(青林工藝舎)より移籍 * そのオムツ、俺が換えます Sサイズ([[宮川サトシ]]) - 『ベビモフ』と併行して掲載<!-- 2017年5月号 - 2019年5月号 --> * [[海賊とよばれた男|それゆけ!海賊くん]]([[猪乙くろ]])<!-- 2014年6月23日配信開始、2016年12月13日最終更新 --> - 『イブニング』連載『[[海賊とよばれた男]]』([[本そういち|須本壮一]] / [[百田尚樹]])の[[スピンオフ]][[4コマ漫画]] * 中川いさみのマンガ家再入門([[中川いさみ]])<!-- 2015年10月1日配信開始、2017年11月24日最終更新 --> * ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!([[たむらあやこ]])<!-- 2015年8月20日 - 10月22日にかけて本誌2015年31号、38 - 40号掲載分を時間差再掲、以後11月19日より新作配信開始 --> * ペン太のこと([[片倉真二]])<!-- 2014年1月28日配信開始、2017年9月11日最終更新 --> - 著者個人サイト上で発表された漫画のリメイク作品 * ボーイニートガール([[加藤寛之]]、イラスト:[[アゴアニキ]]) - [[ライトノベル]]作品 * ポテン生活([[木下晋也]])『モーニング』本誌・『月刊モーニングtwo』並行連載から単独連載を経て終了 * 毎日カラスヤサトシ([[カラスヤサトシ]]) * みつばのひと([[オカヤイヅミ]]) * 無限島([[中川悠京]]) * [[ヤミの乱破]]([[細野不二彦]]) - 『[[イブニング]]』より移籍<!-- 2014年1月14日、第25話より配信開始、2014年3月20日最終更新 --> 旧モーニング公式サイトより継続後に終了した作品。 * かたくり([[マイカタ]]) * ZUCCA×ZUCA([[はるな檸檬]]) * 独身OLのすべて([[まずりん]]) * 2DK([[竹内佐千子]]) * みかこさん([[今日マチ子]]) ==== 更新が終了したDモーニングオリジナル連載作品 ==== * [[仮面ライダーアマゾンズ#漫画|仮面ライダーアマゾンズ外伝 蛍火]]([[石ノ森章太郎]] / [[真じろう]] / [[小林靖子]])<!-- 2018年3月1日配信開始 - 2020年4月16日最終更新 --> * [[シドニアの騎士|シドニアの騎士 Rebirth]]([[弐瓶勉]])<!--2015年3月5日配信開始、2015年5月14日最終更新--> * [[就職難!! ゾンビ取りガール]]([[福満しげゆき]]) - 『日本のアルバイト』(『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[青林工藝舎]])33号 → 『モーニング』2011年44号 - 45号前後編読切)のリメイク作品、<!-- 2012年連載 -->本誌より移籍<!-- 2014年3月14日配信開始、2014年6月12日最終更新 --> * [[昭和元禄落語心中]]([[雲田はるこ]]) - 『[[ITAN]]』初出作品の再掲<!-- 2015年2月26日配信開始、2015年3月19日最終更新 --> * ファンタジウム([[杉本亜未]]) - 『月刊モーニングtwo』より移籍、月一更新<!-- 2014年5月29日配信開始、2014年12月25日最終更新 --> == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[ハートカクテル]] |1986年-1988年 |[[メルヘン社]] |OVAあり |- |[[ホワッツマイケル]] |1988年-1989年 |スタジオ古留美<br />[[アニメフレンド]]<br />[[きのプロダクション|きのプロ]]<br />[[スタジオジュニオ]]<br />スタジオエニィワン<br />[[童夢 (アニメ制作会社)|スタジオ童夢]]<br />[[シャフト (アニメ制作会社)|シャフト]]<br />ランダム<br />ACプロダクション |OVAあり |- |[[クッキングパパ]] |1992年-1995年 |[[エイケン (アニメ制作会社)|エイケン]]<br />[[サンシャインコーポレーション]] | |- |[[ああ播磨灘]] |1992年 |[[イージー・フイルム]] | |- |[[ツヨシしっかりしなさい]] |1992年 |[[スタジオコメット]] |映画あり |- |[[沈黙の艦隊]] |1996年 |[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] |OVAあり |- | rowspan="5" |[[逮捕しちゃうぞ (アニメ)|逮捕しちゃうぞ]] |1996年-1997年(第1期) | rowspan="5" |[[スタジオディーン]] | rowspan="5" |OVA、映画あり |- |1999年(特別編1) |- |2001年(第2期) |- |2002年(特別編2) |- |2007年-2008年(第3期) |- |[[デビルマンレディー]] |1998年-1999年 |[[キョクイチ東京ムービー]] | |- |[[プラネテス]] |2003年-2004年 |サンライズ | |- |[[ジパング (漫画)|ジパング]] |2004年-2005年 |スタジオディーン | |- |[[働きマン]] |2006年 |[[ぎゃろっぷ]] | |- |[[エレキング (漫画)|エレキング]] |2007年 |[[瑞鷹 (アニメ制作会社)|瑞鷹]] | |- | rowspan="4" |[[チーズスイートホーム]] |2008年(第1期) | rowspan="2" |[[マッドハウス]] | rowspan="4" | |- |2009年(第2期) |- |2016年-2017年(第3期) | rowspan="2" |[[マーザ・アニメーションプラネット]] |- |2018年(第4期) |- |[[蒼天航路]] |2009年 |マッドハウス | |- |[[GIANT KILLING]] |2010年 |スタジオディーン | |- |[[へうげもの]] |2011年-2012年 |[[ビィートレイン]] | |- |[[課長島耕作]] |2011年 |[[蛙男商会]]、[[ディー・エル・イー|DLE]] |『[[ユルアニ?]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])の1作として放送 |- |[[宇宙兄弟]] |2012年-2014年 |[[A-1 Pictures]] |映画あり |- | rowspan="2" |[[ゴン (漫画)|ゴン]] |2012年-2013年(第1期) | rowspan="2" |[[大元メディア]] | rowspan="2" | |- |2015年(第2期) |- | rowspan="2" |[[鬼灯の冷徹]] |2014年(第1期) |[[ウィットスタジオ|WIT STUDIO]] | rowspan="2" |OADあり |- |2017年-2018年(第2期) |スタジオディーン |- |[[くつしたがだるだるになっちゃうわけ 〜イマドキ妖怪図鑑〜]] |2014年-2015年 |[[エッグ (アニメ制作会社)|エッグ]] | |- |[[グラゼニ]] |2018年 |スタジオディーン | |- | rowspan="2" |[[ピアノの森]] |2018年(第1シリーズ) | rowspan="2" |[[ガイナ (アニメ制作会社)|ガイナ]] | rowspan="2" | |- |2019年(第2シリーズ) |- |[[はたらく細胞BLACK]] |2021年 |[[ライデンフィルム]] |『[[はたらく細胞]]』のスピンオフ |- |{{Display none|はこつめこうはんしよしのきやくしゆう}}[[ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜]] |2022年 |MADHOUSE | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 劇場アニメ !作品 !公開年 !アニメーション制作 !備考 |- |ピアノの森 |2007年 |マッドハウス | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[気分は形而上]] |1994年 |[[グループ・タック]] | |} === ドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !備考 |- |ツヨシしっかりしなさい |1989年 |[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] | |- | rowspan="3" |課長島耕作 |1993年-1998年(第1作) |[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[共同テレビジョン|共同テレビ]] | rowspan="3" | |- |2008年(第2作) |日本テレビ |- |2018年(第3作) |R.I.S Enterprise |- |[[夏子の酒]] |1994年 |フジテレビ | |- |[[ナニワ金融道]] |1996年-2015年 |フジテレビドラマ制作センター | |- | rowspan="2" |[[のんちゃんのり弁]] |1997年(第1シリーズ) | rowspan="2" |[[CBCテレビ|中部日本放送]] | rowspan="2" | |- |1998年(第2シリーズ) |- | rowspan="5" |[[ショムニ (テレビドラマ)|ショムニ]] |1998年(第1シリーズ・第1弾) | rowspan="5" |フジテレビジョン | rowspan="5" | |- |2000年(第2弾・第2シリーズ) |- |2002年(第3シリーズ) |- |2003年(第3弾) |- |2013年(第4シリーズ) |- | rowspan="2" |[[カバチタレ!]] |2001年(第1作) |フジテレビ | rowspan="2" | |- |2010年(第2作) |[[TBSテレビ]] |- |[[サイコドクター]] |2002年 |日本テレビ | |- |[[天才柳沢教授の生活]] |2002年 |フジテレビ | |- |逮捕しちゃうぞ |2002年 |[[テレビ朝日]]、[[アベクカンパニー|AVEC]] | |- |[[警察署長 (漫画)|警察署長]] |2002年-2005年 | |[[ナショナル劇場]]でテレビドラマ化 |- |[[ブラックジャックによろしく]] |2003年 |TBSエンタテインメント |スペシャルあり |- |[[はるか17]] |2005年 |テレビ朝日、[[ホリプロ]] | |- | rowspan="3" |[[ドラゴン桜 (テレビドラマ)|ドラゴン桜]] |2005年(第1シリーズ) |[[メディアミックス・ジャパン|MMJ]]、[[TBSテレビ|TBS]] | rowspan="3" | |- |2010年([[ドラゴン桜〈韓国版〉|韓国版]]) |DRAMA HOUSE |- |2021年(第2シリーズ) |TBS |- |[[Ns'あおい (テレビドラマ)|Ns'あおい]] |2006年 |フジテレビ、共同テレビ | |- |働きマン |2007年 |日テレ | |- |[[おせん]] |2008年 |[[オフィスクレッシェンド]] | |- |クッキングパパ |2008年 |[[テレビ西日本]] | |- |[[神の雫]] |2009年 |日本テレビ | |- |[[福助 (漫画)|福助]] |2010年 |[[東海テレビ放送]]、共同テレビジョン | |- |[[エンゼルバンク-ドラゴン桜外伝-]] |2010年 |[[テレビ朝日]]、MMJ | |- |[[シマシマ (漫画)|シマシマ]] |2011年 |TBS | |- |[[華和家の四姉妹]] |2011年 |TBSテレビ | |- |[[主に泣いてます]] |2012年 |フジテレビ | |- |[[ダンダリン一〇一]] |2013年 |日本テレビ | |- |[[東京トイボックス]] |2013年 |[[テレビ東京]] | |- |[[大使閣下の料理人]] |2015年 |フジテレビ | |- | rowspan="2" |[[コウノドリ]] |2015年(第1シリーズ) | rowspan="2" |TBSテレビ | rowspan="2" | |- |2017年(第2シリーズ) |- |[[サイレーン (漫画)|サイレーン]] |2015年 |[[関西テレビ放送]] | |- |[[ディアスポリス 異邦警察]] |2016年 |[[東京テアトル]] | |- |[[きのう何食べた?]] |2019年 |[[テレビ東京]]、[[松竹]] | |- | rowspan="2" |[[サ道|マンガ サ道〜マンガで読むサウナ道〜]] |2019年(シーズン1・年末SP) | rowspan="2" |テレビ東京、[[イースト・ファクトリー]] | rowspan="2" |2014年42号読切(「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠)<br />を経てテレビドラマ化 |- |2021年(冬SP・シーズン2) |- |[[ひまわりっ 〜健一レジェンド〜]] |2020年 |[[テレビ宮崎]]、ホリプロ | |- |[[イチケイのカラス]] |2021年 |フジテレビ第一制作室 | |- |ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜 |2021年 |[[日テレアックスオン]](協力) | |- |[[あせとせっけん#テレビドラマ|あせとせっけん]] |2022年 |[[毎日放送]] | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ Webドラマ !作品 !配信年 !制作 !備考 |- |神の雫 |2022年 |Hulu、レジェンダリー・テレビジョン、ダイナミック・テレビジョン、フランス・テレヴィジオン | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ タイアップ作品のテレビドラマ化 !作品 !放送年 !制作 !備考 |- | rowspan="2" |[[半沢直樹]] |2013年(第1作) | rowspan="2" |TBS | rowspan="2" | |- |2020年(第2作) |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !作品 !公開年 !監督 !配給 !備考 |- |[[BE FREE!]] |1986年 |[[中田新一]] |[[東映]] | |- |[[おかしな2人 (漫画)|おかしな2人]] |1988年 |[[大林宣彦]] |アートリンクス | |- |[[右曲がりのダンディー]] |1989年 |[[那須博之]] |東映 | |- |課長島耕作 |1992年 |[[根岸吉太郎]] |[[東宝]] | |- | rowspan="2" |ナニワ金融道 |2004年(第1作) | colspan="2" rowspan="2" | | rowspan="2" | |- |2005年(第2作) |- |宇宙兄弟 |2012年 |[[森義隆]] |東宝 | |- |ディアスポリス 異邦警察 |2016年 |[[熊切和嘉]] |東映 | |- |きのう何食べた? |2021年 |[[中江和仁]] |東宝 | |} == 発行部数 == * 1982年 創刊号:80万部<ref name="年鑑広告キャンペーン" /> * 2003年 66万部 * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 584,167部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 462,979部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 437,232部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 413,300部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 395,722部<ref name="jmpa" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 394,292 部 || 386,750 部 || 377,750 部 |- ! 2009年 | 368,667 部 || 359,925 部 || 351,250 部 || 345,770 部 |- ! 2010年 | 342,000 部 || 338,167 部 || 335,308 部 || 333,300 部 |- ! 2011年 | 329,385 部 || 317,084 部 || 313,250 部 || 311,000 部 |- ! 2012年 | 309,693 部 || 307,500 部 || 303,000 部 || 300,000 部 |- ! 2013年 | 299,000 部 || 297,817 部 || 291,050 部 || 286,020 部 |- ! 2014年 | 283,218 部 || 279,977 部 || 273,750 部 || 268,334 部 |- ! 2015年 | 262,667 部 || 257,125 部 || 250,692 部 || 247,025 部 |- ! 2016年 | 236,292 部 || 227,808 部 || 219,800 部 || 213,655 部 |- ! 2017年 | 210,777 部 || 208,358 部 || 206,650 部 || 201,525 部 |- ! 2018年 | 195,058 部 || 184,696 部 || 179,242 部 || 174,867 部 |- ! 2019年 | 171,300 部 || 168,575 部 || 164,592 部 || 161,700 部 |- ! 2020年 | 157,425 部 || 150,650 部 || 146,708 部 || 143,704 部 |- ! 2021年 | 140,867 部 || 139,913 部 || 135,965 部 || 126,045 部 |- ! 2022年 | 119,223 部 || 112,800 部 || 107,750 部 || 99,600 部 |- ! 2023年 | 95,846 部 || 90,000 部 || 85,542 部 || |} {{節スタブ}} == Dモーニング == 『'''週刊Dモーニング'''』は、『モーニング』の電子版である<ref name="d morning">[https://web.archive.org/web/20190830213713/http://d.morningmanga.jp:80/about/ Dモーニングとは]</ref>。毎週木曜午前0時に配信<ref name="d morning subscription">[https://web.archive.org/web/20190830212553/http://d.morningmanga.jp:80/subscription/ ご利用ガイド]</ref>。 [[サブスクリプション方式]]を取っており、利用には、有料会員登録、月額利用料500円(税込)を必要とする<ref name="d morning subscription"/>。 紙媒体の『モーニング』とは、一部内容が異なり、<!--『レベレーション(啓示)』、連載終了のため-->『[[バガボンド]]』などは掲載されていないが、『あせとせっけん』『[[自分ツッコミくま#MOGUMOGU食べ歩きくま|MOGUMOGU食べ歩きくま]]』『テロール教授の怪しい授業』<!--はじめは『モーニング』本誌に掲載された-->など本誌でしか読めない作品もある<ref name="d morning"/>。 ”毎日連載”企画のマンガは、有料会員は公開中の話は読み放題となる<ref name="d morning"/>。毎日午前0時配信<ref name="d morning subscription"/>。 == モーニングKC == '''モーニングKC'''は、『モーニング』『月刊モーニングtwo』に掲載された作品を主に収録する[[漫画レーベル|漫画単行本レーベル]]。[[1983年]][[8月13日]]創刊、新刊は毎月23日頃発売。 『おかしな2人』(やまさき十三、さだやす圭)、『男たち』(ちばてつや)、『ブリキ細工のトタン屋根』(三山のぼる)、『雨ニモ負ケズ』(川崎のぼる)が最初に発行された。 コード番号は、モーニングKC○○という形で表記され、背表紙上部や奥付などに載せられる。創刊時にKC1で始まるタイプとKC1001から始まるタイプの2種類が用意され、それぞれが発行順番で1,2,3…、1001,1002,1003…というように割り振られていった。現在ではKC1で始まるタイプのものが1000まで達してしまい、両者の区別なく番号が割り振られている。 === 関連レーベル === ; パーティーKC : 『モーニングパーティー増刊』掲載作品を主に収録。[[1987年]][[12月17日]]に『[[逮捕しちゃうぞ]]』([[藤島康介]])『[[東京バンパイヤ]]』([[目白花子]])が最初に発行された。モーニングパーティー増刊廃刊後も、『月刊アフタヌーン』に移籍された一部作品(『[[ワッハマン]]』([[あさりよしとお]])など)はパーティーKCとして継続して発行された。全64冊が発行され、1999年[[5月21日]]の『ワッハマン』最終巻発行に伴い廃止。 ; モーニングオープンKC : 『モーニングオープン増刊』掲載作品などを収録。[[1996年]][[5月23日]]に『[[重役秘書リナ]]』([[今野いず美]]、[[楠本あると]])『[[打撃マン]]』([[山本康人]])が最初に発行された。初期はオープンKCという名が使われた。全22冊が発行され、現在は廃止。 ; ワイドKCモーニング : 汎用レーベル'''ワイドKC'''のモーニング版。A5判の単行本。 ; モーニングKCDX : 汎用レーベル'''KCDX'''のモーニング版。特装単行本。 ; モーニング・オールカラー・コミックブック : モーニングKCのオールカラー版。 == 新人賞 == * [[ちばてつや賞]]「一般部門」 * [[MANGA OPEN]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === <references/> == 関連項目 == * [[月刊アフタヌーン]] * [[イブニング]] * [[月刊モーニングtwo]] * [[コミックDAYS]] * [[e-manga]] * [[工富保]] - 編集長経験者 == 外部リンク == * [https://morning.kodansha.co.jp/ モーニング] * {{Twitter|morningmanga|モーニング公式}} * {{Facebook|morning.manga|モーニング}} {{モーニング連載中}} {{講談社}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |collapse= |header= |redirect1=コミックモーニング |1-1=隔週刊漫画雑誌 |redirect2=モーニングKC |2-1=講談社 |2-2=漫画レーベル }} {{デフォルトソート:もおにんく}} [[Category:モーニング|*]] [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:講談社の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:1982年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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週刊ヤングサンデー
『週刊ヤングサンデー』(しゅうかんヤングサンデー、WEEKLY YOUNG SUNDAY)は、かつて小学館が発行していた日本の青年週刊漫画雑誌。『少年ビッグコミック』を青年誌にリニューアルする形で1987年に月2回刊誌の『ヤングサンデー』として創刊した。1995年に週刊化されて『週刊ヤングサンデー』に誌名を変更する。2008年に休刊するまで、通巻902号(増刊含む)が発行された。通称「ヤンサン」、「YS」。 『少年ビッグコミック』をリニューアルする形で1987年(昭和62年)3月27日(4月10日号)に創刊した。創刊当時は月2回刊で、雑誌名も単に『ヤングサンデー』であった。1995年(平成7年)23号(11月22日発売)より週刊化し『週刊ヤングサンデー』となる。前身の『少年ビッグコミック』も『マンガくん』(1977年(昭和52年)に創刊)から改名された雑誌(詳細は少年ビッグコミックを参照)であり、通巻号数は『マンガくん』からの継続で数えられていた。このため、『YS』創刊号は通巻261号として発行されている。 初期は前身の『少年ビッグコミック』から継続した『冬物語』が看板連載で、社内的には『ビッグコミックスピリッツ』と長く競合していたが、1990年代に入ると『ICHIGO 二都物語』『海猿』『バクネヤング』『ムジナ』『ザ・ワールド・イズ・マイン』『殺し屋1』など、小学館にしてはエログロバイオレンス要素が強い、不良性感度高めの作品が多く台頭した。2000年の奥山編集長時代に一度、これらの作品群は一掃され、『週刊少年サンデー』に準じたスポーツ&ラブコメ路線へ転換を図ったが、大ヒット作となった『Dr.コトー診療所』以外、目立った作品はなかった。そして、退任後に人気となったのは『RAINBOW-二舎六房の七人-』『クロサギ』『土竜の唄』など、やはり不良性感度高めの作品であった。 2008年5月19日、小学館は『ヤングサンデー』について将来的な経営判断に基づいて休刊を視野に入れていることを明らかにし、同年35号をもって休刊することを正式に発表した。そして7月31日発売の2008年35号(22巻33号、通巻1162号)を持って休刊。『マンガくん』時代から数えて31年に及ぶ歴史に幕を下ろした。連載作品の半数は『週刊ビッグコミックスピリッツ (BCSpi) 』に移籍し、残り半数を『BCSpi』の増刊号として発行される『YSスペシャル(YSSP)』に移籍させた。またアイドルグラビア写真の有料サイト『ヤングサンデービジュアルウェブ』は『ビジュアルウェブS』(2021年9月30日サービス終了)に改名された。 「創刊○○周年記念号」等の記念号は通常『ヤングサンデー』になってからの起算で発行されたが、上述の通り通巻は『マンガくん』から継続されているため「通巻○○号記念号」については『マンガくん』創刊からの起算で発行された。そのため、創刊記念号は『ヤングサンデー』の歴史しか振り返らないのに対し、通巻記念号は『マンガくん』や『少年ビッグコミック』時代の歴史も振り返ることがあった(大きな節目の場合に限る)。 『YSスペシャル』(ワイエススペシャル)は、『YS』の休刊に伴い、他誌へは移籍しない作品の受け皿として2008年9月25日に創刊された月刊誌。編集長は『YS』から引き続き、三上信一が務めており、ウェブサイトも『YS』のものを引き継いでいる。ただし、『週刊ビッグコミックスピリッツ (BCSpi) 』の臨時増刊号として発行されており、通巻号数などは『BCSpi』と共通となっている。毎月25日発売で税込定価500円、600ページ弱の平綴じ雑誌。Vol.1からVol.5まで5号が発行された。掲載作品には、『YSスペシャル』で完結したものの他、他誌への移籍までのつなぎで掲載されたものもある。VOL.3以降は、読切や『BCSpi』本誌あるいは別の増刊からの移籍作品も掲載されている。 太字は『少年ビッグコミック』から引き継いでの連載作。 太字は他誌へ移籍した作品。 ヤングサンデーコミックスは『週刊ヤングサンデー』に掲載された作品を主に収録する漫画単行本レーベル。1987年11月5日創刊。新刊は毎月5日頃発売。 『冬物語』(原秀則)、『お〜い!竜馬』(武田鉄矢、小山ゆう)、『TWIN』(六田登)が最初に発行された。 ロゴタイプは「YS」とその下に「COMICS」と書いたものを使用した。『少年ビッグコミック』から移籍して、少年ビッグコミックスレーベルより既に単行本が出されている作品(『東京探偵団』(細野不二彦)など)は、移籍後もヤングサンデーコミックスではなく少年ビッグコミックスでの発行となった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『週刊ヤングサンデー』(しゅうかんヤングサンデー、WEEKLY YOUNG SUNDAY)は、かつて小学館が発行していた日本の青年週刊漫画雑誌。『少年ビッグコミック』を青年誌にリニューアルする形で1987年に月2回刊誌の『ヤングサンデー』として創刊した。1995年に週刊化されて『週刊ヤングサンデー』に誌名を変更する。2008年に休刊するまで、通巻902号(増刊含む)が発行された。通称「ヤンサン」、「YS」。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『少年ビッグコミック』をリニューアルする形で1987年(昭和62年)3月27日(4月10日号)に創刊した。創刊当時は月2回刊で、雑誌名も単に『ヤングサンデー』であった。1995年(平成7年)23号(11月22日発売)より週刊化し『週刊ヤングサンデー』となる。前身の『少年ビッグコミック』も『マンガくん』(1977年(昭和52年)に創刊)から改名された雑誌(詳細は少年ビッグコミックを参照)であり、通巻号数は『マンガくん』からの継続で数えられていた。このため、『YS』創刊号は通巻261号として発行されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "初期は前身の『少年ビッグコミック』から継続した『冬物語』が看板連載で、社内的には『ビッグコミックスピリッツ』と長く競合していたが、1990年代に入ると『ICHIGO 二都物語』『海猿』『バクネヤング』『ムジナ』『ザ・ワールド・イズ・マイン』『殺し屋1』など、小学館にしてはエログロバイオレンス要素が強い、不良性感度高めの作品が多く台頭した。2000年の奥山編集長時代に一度、これらの作品群は一掃され、『週刊少年サンデー』に準じたスポーツ&ラブコメ路線へ転換を図ったが、大ヒット作となった『Dr.コトー診療所』以外、目立った作品はなかった。そして、退任後に人気となったのは『RAINBOW-二舎六房の七人-』『クロサギ』『土竜の唄』など、やはり不良性感度高めの作品であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2008年5月19日、小学館は『ヤングサンデー』について将来的な経営判断に基づいて休刊を視野に入れていることを明らかにし、同年35号をもって休刊することを正式に発表した。そして7月31日発売の2008年35号(22巻33号、通巻1162号)を持って休刊。『マンガくん』時代から数えて31年に及ぶ歴史に幕を下ろした。連載作品の半数は『週刊ビッグコミックスピリッツ (BCSpi) 』に移籍し、残り半数を『BCSpi』の増刊号として発行される『YSスペシャル(YSSP)』に移籍させた。またアイドルグラビア写真の有料サイト『ヤングサンデービジュアルウェブ』は『ビジュアルウェブS』(2021年9月30日サービス終了)に改名された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「創刊○○周年記念号」等の記念号は通常『ヤングサンデー』になってからの起算で発行されたが、上述の通り通巻は『マンガくん』から継続されているため「通巻○○号記念号」については『マンガくん』創刊からの起算で発行された。そのため、創刊記念号は『ヤングサンデー』の歴史しか振り返らないのに対し、通巻記念号は『マンガくん』や『少年ビッグコミック』時代の歴史も振り返ることがあった(大きな節目の場合に限る)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "『YSスペシャル』(ワイエススペシャル)は、『YS』の休刊に伴い、他誌へは移籍しない作品の受け皿として2008年9月25日に創刊された月刊誌。編集長は『YS』から引き続き、三上信一が務めており、ウェブサイトも『YS』のものを引き継いでいる。ただし、『週刊ビッグコミックスピリッツ (BCSpi) 』の臨時増刊号として発行されており、通巻号数などは『BCSpi』と共通となっている。毎月25日発売で税込定価500円、600ページ弱の平綴じ雑誌。Vol.1からVol.5まで5号が発行された。掲載作品には、『YSスペシャル』で完結したものの他、他誌への移籍までのつなぎで掲載されたものもある。VOL.3以降は、読切や『BCSpi』本誌あるいは別の増刊からの移籍作品も掲載されている。", "title": "YSスペシャル" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "太字は『少年ビッグコミック』から引き継いでの連載作。", "title": "創刊時の掲載作" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "太字は他誌へ移籍した作品。", "title": "連載されていた作品" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ヤングサンデーコミックスは『週刊ヤングサンデー』に掲載された作品を主に収録する漫画単行本レーベル。1987年11月5日創刊。新刊は毎月5日頃発売。", "title": "ヤングサンデーコミックス" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "『冬物語』(原秀則)、『お〜い!竜馬』(武田鉄矢、小山ゆう)、『TWIN』(六田登)が最初に発行された。", "title": "ヤングサンデーコミックス" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ロゴタイプは「YS」とその下に「COMICS」と書いたものを使用した。『少年ビッグコミック』から移籍して、少年ビッグコミックスレーベルより既に単行本が出されている作品(『東京探偵団』(細野不二彦)など)は、移籍後もヤングサンデーコミックスではなく少年ビッグコミックスでの発行となった。", "title": "ヤングサンデーコミックス" } ]
『週刊ヤングサンデー』は、かつて小学館が発行していた日本の青年週刊漫画雑誌。『少年ビッグコミック』を青年誌にリニューアルする形で1987年に月2回刊誌の『ヤングサンデー』として創刊した。1995年に週刊化されて『週刊ヤングサンデー』に誌名を変更する。2008年に休刊するまで、通巻902号(増刊含む)が発行された。通称「ヤンサン」、「YS」。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 週刊ヤングサンデー | 英文誌名 = WEEKLY YOUNG SUNDAY | 誌名略称 = | ジャンル = [[青年漫画]]雑誌 | 読者対象 = | 刊行頻度 = 月2回刊 → 週刊 | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = | 出版社 = [[小学館]] | 編集部名 = | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = 1987年 - 2008年 | 発行部数 = | 発行部数調査年月 = | 発行部数調査機関 = | レーベル = ヤングサンデーコミックス | 姉妹誌 = | ウェブサイト = | 特記事項 = }} {{JIS2004}} 『'''週刊ヤングサンデー'''』(しゅうかんヤングサンデー、WEEKLY YOUNG SUNDAY)は、かつて[[小学館]]が発行していた[[日本]]の[[青年漫画|青年]][[週刊]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。『[[少年ビッグコミック]]』を青年誌にリニューアルする形で[[1987年]]に[[月2回刊]]誌の『'''ヤングサンデー'''』として創刊した。[[1995年]]に[[週刊]]化されて『週刊ヤングサンデー』に誌名を変更する。[[2008年]]に[[休刊]]するまで、通巻902号(増刊含む)が発行された。通称「'''ヤンサン'''」、「'''YS'''」。 == 概要 == 『[[少年ビッグコミック]]』をリニューアルする形で[[1987年]](昭和62年)[[3月27日]]([[4月10日]]号)に創刊した。創刊当時は[[月2回刊]]で、雑誌名も単に『ヤングサンデー』であった。[[1995年]](平成7年)23号([[11月22日]]発売)より[[週刊]]化し『週刊ヤングサンデー』となる。前身の『少年ビッグコミック』も『マンガくん』([[1977年]](昭和52年)に創刊)から改名された雑誌(詳細は[[少年ビッグコミック]]を参照)であり、通巻号数は『マンガくん』からの継続で数えられていた。このため、『YS』創刊号は通巻261号として発行されている。 初期は前身の『少年ビッグコミック』から継続した『[[冬物語 (漫画)|冬物語]]'''』'''が看板連載で、社内的には『ビッグコミックスピリッツ』と長く競合していたが、1990年代に入ると『[[ICHIGO 二都物語]]』『[[海猿]]』『[[バクネヤング]]』『[[ムジナ (漫画)|ムジナ]]』『[[ザ・ワールド・イズ・マイン]]』『[[殺し屋1]]』など、小学館にしてはエログロバイオレンス要素が強い、不良性感度高めの作品が多く台頭した。2000年の奥山編集長時代に一度、これらの作品群は一掃され、『[[週刊少年サンデー]]』に準じたスポーツ&ラブコメ路線へ転換を図ったが、大ヒット作となった『[[Dr.コトー診療所]]'''』'''以外、目立った作品はなかった。そして、退任後に人気となったのは『[[RAINBOW-二舎六房の七人-]]』『[[クロサギ (漫画)|クロサギ]]』『[[土竜の唄]]』など、やはり不良性感度高めの作品であった。 [[2008年]][[5月19日]]、小学館は『ヤングサンデー』について将来的な経営判断に基づいて休刊を視野に入れていることを明らかにし、同年35号をもって休刊することを正式に発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.youngsunday.com/kyukan.html|title=小学館コミック -ヤングサンデー読者の皆様へ 休刊のお知らせ|publisher='''週刊ヤングサンデー'''|accessdate=2008年7月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080805123727/http://www.youngsunday.com/kyukan.html|archivedate=2008年8月5日|deadlinkdate=2019年4月}}</ref>。そして[[7月31日]]発売の2008年35号(22巻33号、通巻1162号)を持って休刊。『マンガくん』時代から数えて31年に及ぶ歴史に幕を下ろした。連載作品の半数は『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]] (BCSpi) 』に移籍し、残り半数を『BCSpi』の増刊号として発行される『[[#YSスペシャル|YSスペシャル]](YSSP)』に移籍させた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.youngsunday.com/sakuhin.html|title=小学館コミック -ヤングサンデー連載作品の今後について -|publisher='''週刊ヤングサンデー'''|accessdate=2008年7月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081217155731/http://www.youngsunday.com/sakuhin.html|archivedate=2008年12月17日|deadlinkdate=2019年4月}}</ref><ref name="ys200835">「「週刊ヤングサンデー」休刊のお知らせ」『週刊ヤングサンデー』2008年35号(8月14日号、22巻33号、通巻1162号)小学館、2008年7月31日発売、479 - 482頁</ref>。また[[アイドル]][[グラビアページ|グラビア写真]]の有料サイト『ヤングサンデービジュアルウェブ』は『ビジュアルウェブS』(2021年9月30日サービス終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://visualweb.youngsunday.com/ |title=ビジュアルウェブS |publisher=小学館 |accessdate=2021-10-09}}</ref>)に改名された。 「創刊○○周年記念号」等の記念号は通常『ヤングサンデー』になってからの起算で発行されたが、上述の通り通巻は『マンガくん』から継続されているため「通巻○○号記念号」については『マンガくん』創刊からの起算で発行された。そのため、創刊記念号は『ヤングサンデー』の歴史しか振り返らないのに対し、通巻記念号は『マンガくん』や『少年ビッグコミック』時代の歴史も振り返ることがあった(大きな節目の場合に限る)。 == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * [[亀井修]]:?年 - ?年 * 熊田正史:?年 - ?年 * [[都築伸一郎]]:1997年 - 2000年 * 奥山豊彦:2000年 - 2001年 * [[林正人]]:2001年 - 2004年 * [[三上信一]]:2005年 - 2008年35号(休刊号)→『YSSP』の編集長に継続 == YSスペシャル == 『'''YSスペシャル'''』(ワイエススペシャル)は、『YS』の休刊に伴い、他誌へは移籍しない作品の受け皿として2008年9月25日に創刊された[[月刊]]誌。編集長は『YS』から引き続き、[[三上信一]]が務めており、ウェブサイトも『YS』のものを引き継いでいる。ただし、『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]] (BCSpi) 』の臨時増刊号として発行されており、通巻号数などは『BCSpi』と共通となっている。毎月25日発売で税込定価500円、600ページ弱の[[平綴じ]]雑誌。Vol.1からVol.5まで5号が発行された。掲載作品には、『YSスペシャル』で完結したものの他、他誌への移籍までのつなぎで掲載されたものもある。VOL.3以降は、[[読切]]や『BCSpi』本誌あるいは別の増刊からの移籍作品も掲載されている。 # 2008年9月25日発売(BCSpi、2008年10月25日号、第29巻46号、通巻1374号) # 2008年10月25日発売(BCSpi、2008年11月25日号、第29巻52号、通巻1380号) # 2008年11月25日発売(BCSpi、2008年12月25日号、第29巻56号、通巻1384号) # 2008年12月25日発売(BCSpi、2009年1月25日号、第30巻5号、通巻1389号) # 2009年1月24日発売(BCSpi、2009年2月25日号、第30巻11号、通巻1395号) == 創刊時の掲載作 == 太字は『少年ビッグコミック』から引き継いでの連載作。 * [[ショート・プログラム (漫画)|ショート・プログラム]](あだち充) * '''[[お〜い!竜馬]]'''(原作:[[武田鉄矢]] 作画:[[小山ゆう]]) * 神を信じなさい([[江口寿史]]) * [[ヒーロー志願]](北崎拓) * '''[[TWIN (六田登の漫画)|TWIN]]'''([[六田登]]) * '''[[しあわせのゆくえ]]'''([[内田春菊]]) * メッセージ([[高橋留美子]]) * [[あたし★★★よ!]]([[あろひろし]])※★★★部分には主人公の少女が騙る女性名が付く。単行本にまとめられる際に「TRICK STER」のタイトルが付けられた。 * [[HOTDOG通信]]([[むつ利之]]) * [[眠れぬ夜のために (漫画)|眠れぬ夜のために]]([[山田玲司]]) * '''[[15 (漫画)|15]]'''([[南ヒロユキ]]) * [[六本木Dreamin']]([[一の瀬遊]]) * [[フユ子ちゃん]]([[夢野ワンダ]]) * '''[[冬物語 (漫画)|冬物語]]'''([[原秀則]]) * YSが出たって!?([[国友やすゆき]]) * [[UMO]]([[たかつき勇]]) * '''[[ミュウの伝説]]'''([[野部利雄]]) * すけべが読みたい([[江川達也]]) * [[県立鶴亀東高校]]([[うのせけんいち]]) * [[東方見聞録 (漫画)|東方見聞録]]([[岡崎京子]]) * '''[[東京探偵団]]'''([[細野不二彦]]) * [[傷だらけの天使たち]]([[喜国雅彦]]) == 連載されていた作品 == 太字は他誌へ移籍した作品。 === あ === * [[アイスマン (漫画)|アイスマン]]([[くじらいいく子]])[[1996年]]14号 - [[1997年]]10号 * [[愛Doll]]([[のでらゆき]]) * '''[[アイドルA]]'''([[あだち充]])2005年36・37合併号 - (不定期連載)→『[[ゲッサン]]』に移籍 * [[OUT-SIDER]]([[永福一成]]) * '''[[アオイホノオ]]'''([[島本和彦]])2007年15号 - YSSP VOL.2(YS、YSSPともに不定期連載)→『[[ゲッサン]]』に移籍 * [[闇のイージス|暁のイージス <small>闇のイージス 完結編</small>]](原作:[[七月鏡一]] 作画:[[藤原芳秀]])2007年42号 - YSSP VOL.5 * [[アガペイズ]]([[山田玲司]]) * [[アプサラス (漫画)|アプサラス]](原作:[[安部譲二]] 作画:[[深山雪男]]) * [[あんころ。 〜船橋若松1丁目は馬優先〜]]([[万乗大智]])2007年39号 - YSSP VOL.5 * '''[[イキガミ]]'''(不定期連載)([[間瀬元朗]]) 2005年9号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan">休刊号</ref>→『BCSpi』に移籍 * [[ICHIGO 二都物語]]([[六田登]]) * [[1ポンドの福音]](高橋留美子) * [[いつでも夢を (漫画)|いつでも夢を]]([[原秀則]]) * [[1分16秒08]]([[村生ミオ]]) * [[いらっしゃ〜せ]]([[よしだゆうすけ]]) * [[いぬ (漫画)|いぬ]]([[柏木ハルコ]]) * [[部屋においでよ]](原秀則) * [[海猿]]([[佐藤秀峰]]) * [[NG (漫画)|NG]](山田玲司) * [[ANGEL (漫画)|ANGEL]]([[遊人]]) * [[おカマ白書]]([[山本英夫]]) * [[おかわり飯蔵]](原作:[[魚柄仁之助]] 作画:[[大谷じろう]]) * [[おしゃれ手帖]]([[長尾謙一郎]]) * [[小田原ドラゴンくえすと!]]([[小田原ドラゴン]])2003年7・8合併号 - 2008年34号、後期には[[ケニー笹原]](元[[アシスタント (漫画)|アシスタント]])の「おまけマンガ」も掲載 * '''[[Odds -オッズ-]]'''([[石渡治]])第一部:2006年14号 - YSSP VOL.1、番外編:YSSP VOL.2 - VOL.5→『[[漫画アクション]]』にて『Odds GP!』のタイトルで続編を連載 * [[同じ月を見ている]]([[土田世紀]]) * [[オーバーレブ!]]([[山口かつみ]]) * '''[[おやすみプンプン]]'''([[浅野いにお]])2007年15号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『BCSpi』に移籍 * [[お笑いの神様]](原作:[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]] 作画:[[松浦聡彦]]) === か === * [[カケル (漫画)|カケル]]([[竹下けんじろう|竹下堅次朗]]) * [[CUT 〜活人〜]]([[むろなが供未]])2007年16号 - (不定期連載)※移籍先調整中<ref name="ys200835" />⇒実現せず * [[がんばれよ!西城君。]]([[太陽星太郎]]) * [[キャプテンどんかべ]]([[大石普人]]) * [[球魂]]([[岩田やすてる]]) * [[今日のだいちゃん]](太陽星太郎) * [[極リーマン]]([[岩田やすてる]]) * [[キングスウヰーツ]](大石普人 原案・取材:[[浅妻千映子]]) * [[クピドの悪戯 虹玉]]([[北崎拓]]) * '''[[クロサギ (漫画)|クロサギ]]'''([[黒丸 (漫画家)|黒丸]]・原案:[[夏原武]]) 2003年50号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→「新クロサギ」とタイトルを改め、『BCSpi』に移籍 * [[月光の囁き]]([[喜国雅彦]]) * [[月明星稀 - さよなら新選組]]([[盛田賢司]]) * [[ケンネル所沢]]([[おおつぼマキ]]) * [[GO-ON!]]([[秋重学]]) - YSSP VOL.5 * [[ゴールドパンサーズ]](山田玲司) * [[殺し屋1]](イチ)([[山本英夫]]) * [[ごんたくれ (漫画)|ごんたくれ]](原作:[[西田俊也]] 漫画:[[木山道明]]) * [[コンデ・コマ]](原作:[[鍋田吉郎]] 作画:[[藤原芳秀]]) === さ === * [[SURF SIDE HIGH-SCHOOL]]([[澤井健]]) * [[最強野球部リベンジャーズ]]([[平松真]]) * [[桜通信]]([[遊人]]) * [[さくらんぼシンドローム クピドの悪戯II]]([[北崎拓]])2006年34号 - YSSP VOL.5 * [[SOMEDAY (漫画)|SOMEDAY]](原秀則) * [[THE 山田家]]([[阿部潤]]) * [[ザ・ワールド・イズ・マイン]]([[新井英樹]]) * [[G (漫画)|G]](原作:[[武論尊]] 作画:原秀則) * [[シーソーゲーム (漫画)|シーソーゲーム]](原秀則) * [[資格救世主てつんど]]([[高橋のぼる]]) * [[事務員A子]]([[西森博之]])2006年14号 - (不定期連載) * [[下北GLORY DAYS]]([[大谷じろう]]) * [[純ブライド]]([[吉田聡]]) * [[JULIET]](遊人) * [[ショートカッツ]]([[古屋兎丸]]) * [[すくすく]]([[コージィ城倉|コージィ{{JIS2004フォント|&#9825;}}城倉]]) * [[Stopナデシコさん]]([[本多健志]]) * [[SPEED (小説)|SPEED]](原作:[[金城一紀]] 作画:[[秋重学]]) * [[青春くん]]([[とがしやすたか]])1989年11号 - 2006年53号 ** '''新 青春くん''' 2007年1号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→終了扱いながら『[[ビッグコミックスペリオール]]』で「'''大人の青春くん'''」が開始され実質的に移籍 * [[SIREN (漫画)|SIREN]](村上もとか) * [[せかいイチ!]](国友やすゆき) * [[SEX (漫画)|SEX]]([[上條淳士]]) * [[絶望に効くクスリ]](山田玲司)2003年38号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />:休刊に先駆け、『BCSpi』2008年34号より『[[ココナッツピリオド -地球温暖化を止めるウサギ-]]』の連載を開始。 * [[ソラニン (漫画)|ソラニン]]([[浅野いにお]]) === た === * [[ダービージョッキー]](原案:[[武豊]] 作画:[[一色登希彦]] 構成:[[工藤晋]]) * [[大生徒会]]([[取山忠治]]) **{{マンガ図書館Z作品|41821|大生徒会|r18=1}}(外部リンク) * [[タナトス 〜むしけらの拳〜]](原案:[[竹原慎二]] 作画:[[落合裕介]])2007年1号 - YSSP VOL.4 * [[ダメ恋。]]([[中山乃梨子]]) * [[ちくろ幼稚園]]([[西原理恵子]]) * [[チャイルド★プラネット]]([[竹熊健太郎]]・永福一成) * [[超無気力戦隊ジャパファイブ]]([[佐藤まさき]])2005年49号 - YSSP VOL.3 * [[デカスロン (漫画)|デカスロン]]([[山田芳裕]]) * [[鉄拳のカタルシス]]([[桑沢アツオ]]) * '''[[鉄腕バーディー]]'''([[ゆうきまさみ]]) 2003年4・5合併号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『BCSpi』に移籍 * [[電車男]](作画:原秀則 原作:[[中野独人]]) * [[動物性おつゆ]]([[岩谷テンホー]]) * '''[[逃亡弁護士 成田誠]]'''([[髙田優]]・原案:[[剛英城]])2007年20号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→「新・逃亡弁護士 成田誠」とタイトルを変え『[[月刊!スピリッツ]]』に移籍(当初は『BCSpi』に移籍、2008年42号から連載再開と発表されていた) * [[ときめきヒルズ高校白書]]([[サイクロン猿橋]]) * [[度胸星]](山田芳裕) * '''[[Dr.コトー診療所]]'''([[山田貴敏]])2000年29号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『[[ビッグコミックオリジナル]]』に移籍 * [[DOG LAW]](原案:[[武論尊]] 漫画:[[上條敦士]])YSSP VOL.4 - VOL.5 * '''[[とめはねっ! 鈴里高校書道部]]'''([[河合克敏]])2007年2号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『BCSpi』に移籍 * [[ドライブ・ア・ライブ]]([[中井邦彦]]) - YSSP VOL.5 * [[都立水商!]](原作:[[室積光]] 作画:[[猪熊しのぶ]])2003年21・22合併号 - YSSP VOL.5 === な === * [[なんてっ探偵アイドル|なんてっ探偵{{JIS2004フォント|♥}}アイドル]](作画:北崎拓 原案協力:[[井上敏樹]]) * [[日本一の男の魂]]([[喜国雅彦]])1997年26号 - 2007年25号 * [[日本フーリガン]]([[大石普人]]) * [[のぞき屋]](山本英夫) ** [[のぞき屋|新・のぞき屋]](山本英夫) === は === * [[BUGS -捕食者たちの夏-]](原作:[[七月鏡一]] 作画:[[藤原芳秀]])2006年47号 - 2007年18号 * [[バクネヤング]]([[松永豊和]]) * [[白兵武者]](原案:[[蝶野正洋]] 作画:石渡治)2002年50号 - 2005年49号 * [[バッテリー (かわぐちかいじの漫画)|バッテリー]]([[かわぐちかいじ]])1999年38号 - 2002年31号 * [[初蜜]]([[山田たけひこ]])2003年52号 - 2005年21号 * [[花の都]]([[近藤隆史]])2007年3・4合併号 - YSSP VOL.3 * [[花マル伝]]([[いわしげ孝]]) * [[葉弥-HAYA!!-|葉弥-HAYA!!- A fishing cute]]([[村川和宏]])2001年16号 - 2002年13号 * [[パラダイス (漫画)|パラダイス]]([[守村大]]) * [[PEACH!]](遊人) * '''[[ビーチスターズ]]'''([[森尾正博]])2007年14号 - YSSP VOL.4→『'''ザ!!ビーチスターズ'''』とタイトルを変え『[[ゲッサン]]』に移籍 * [[Bバージン]]([[山田玲司]]) * [[ひかりの空]](原作:[[坂田信弘]] 作画:[[かざま鋭二]]) *[[格闘美神 武龍]]([[石川優吾]]) * [[プライズハンターGON]]([[細野不二彦]])2001年52号 - (不定期連載) * [[フライ,ダディ,フライ]](原作:[[金城一紀]] 作画:[[秋重学]]) * [[ブラブラバンバン]]([[柏木ハルコ]]) * [[ほしのふるまち]](原秀則) * [[ホタルロード]](原作:[[七月鏡一]] 作画:[[西沢一岐]]) * [[紅狼]](原作:[[鷹匠政彦]]、作画:[[岡村賢二]]) === ま === * [[マイ・スウィーテスト・タブー]] -蒼の時代-([[山田たけひこ]])2005年9月20日増刊号、2006年8号 - 29号 * [[マイナス (漫画)|マイナス]]([[山崎紗也夏|沖さやか]]) * '''[[魔Qケン]]'''([[喜国雅彦]])2007年30号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→「'''魔Qケン乙'''」とタイトルを変え『[[月刊IKKI]]』に移籍。 * '''[[まつろはぬもの 〜鬼の渡る古道〜]]'''(原作:[[恒川光太郎]]『風の古道』 作画:[[木根ヲサム]])2007年21・22合併号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→携帯配信限定の漫画雑誌『[[モバMAN]]』に移籍 * [[マニュアル (漫画)|マニュアル]](原作:[[狩撫麻礼]] 作画:[[谷村ひとし]]) * [[ママ (漫画)|ママ]](細野不二彦) * [[Mr.シネマ]]([[おおつぼマキ]]) * [[美晴ライジング|美晴{{JIS2004フォント|♥}}ライジング]]([[大谷じろう]])2007年40号 - YSSP VOL.3 * [[ムジナ (漫画)|ムジナ]]([[相原コージ]]) * [[虫2タマガワ]]([[さそうあきら]]) * '''[[土竜の唄]]'''([[高橋のぼる]])2005年38号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『BCSpi』に移籍 * [[もののふ日記]]([[ほりのぶゆき]]) * [[モザイク (漫画)|モザイク]]([[山口かつみ]]) === や === * [[約束の日 (漫画)|約束の日]](原作:[[上代務|神尾龍]] 作画:[[大島岳詩]]) * [[闇のイージス]](原作:[[七月鏡一]] 作画:[[藤原芳秀]]) * [[YOUNG BLOOD]]([[永田トマト]]) * [[ユキオ]]([[石渡洋司]]) === ら === * [[愛米]]([[コージィ城倉]]) * [[ルートパラダイス]]([[久米田康治]]) * '''[[RAINBOW-二舎六房の七人-]]'''(原作:安部譲二 作画:[[柿崎正澄]])2002年51号 -2008年35号 →『BCSpi』に移籍 * [[レヴォリューションNo.3]](原作:[[金城一紀]] 作画:[[秋重学]]) * [[烈王 -レオ-]](原作:[[梶研吾]] 作画:[[岡村賢二]]) * [[レガッタ〜君といた永遠〜]](原秀則) * '''[[LOST MAN]]'''([[草場道輝]])2008年21・22合併号 - 2008年35号<ref group="注" name="kyukan" />→『BCSpi』に移籍 == 発行部数 == * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 245,417部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 230,479部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 214,878部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 202,541部<ref name="jmpa" /> == ヤングサンデーコミックス == '''ヤングサンデーコミックス'''は『週刊ヤングサンデー』に掲載された作品を主に収録する[[漫画単行本レーベル]]。[[1987年]][[11月5日]]創刊。新刊は毎月5日頃発売。 『[[冬物語 (漫画)|冬物語]]』(原秀則)、『[[お〜い!竜馬]]』(武田鉄矢、小山ゆう)、『TWIN』(六田登)が最初に発行された。 ロゴタイプは「YS」とその下に「COMICS」と書いたものを使用した。『少年ビッグコミック』から移籍して、'''少年ビッグコミックス'''レーベルより既に単行本が出されている作品(『東京探偵団』(細野不二彦)など)は、移籍後もヤングサンデーコミックスではなく少年ビッグコミックスでの発行となった。 === 関連レーベル === ; ヤングサンデーコミックススペシャル : ヤングサンデーコミックスの特装版。 ; ヤングサンデーコミックスワイド版 : ヤングサンデーコミックスのワイド版。 == 増刊号 == * ヤングサンデー増刊 大漫王 * 別冊ヤングサンデー * 週刊ヤングサンデー増刊号 猿 * 週刊ヤングサンデー増刊 == 脚注 == {{Reflist|group="注"}} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[YS乙女学院]] * [[ビッグコミックスピリッツ]] * [[月刊サンデージェネックス]] * [[月刊!スピリッツ]] - YSスペシャルの事実上の後継誌 * [[JUNK]] - TBSラジオの深夜放送の時間枠。長らくスポンサーだったが現在は降板し『週刊少年サンデー』に変更されている。また、発売の日にあたる水曜JUNK『[[コサキンDEワァオ!]]』と『[[雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!]]』ではヤングサンデーのコーナーがあった。また月曜JUNK『[[伊集院光 深夜の馬鹿力]]』では平成珍カルタというコーナーの絵札を掲載するなどした。 {{小学館}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=ヤングサンデー |1-1=月2回刊漫画雑誌 |redirect2=ヤングサンデーコミックス |2-1=漫画レーベル }} {{デフォルトソート:しゆうかんやんくさんてえ}} [[Category:週刊ヤングサンデー|*]] [[Category:小学館の漫画雑誌 (休廃刊)]] [[Category:週刊漫画雑誌|やんくさんてえ]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:1987年創刊の雑誌]] [[Category:2008年休廃刊の雑誌]]
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週刊コミックバンチ
『週刊コミックバンチ』(しゅうかんコミックバンチ)は、かつて新潮社が発行していた日本の週刊青年漫画雑誌。2001年5月創刊、2010年8月に休刊。『月刊コミック@バンチ』、『月刊コミックゼノン』の2誌が後継誌である。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の元編集長堀江信彦、同誌に連載を持っていた漫画家の原哲夫、北条司、次原隆二らが、新潮社をパートナーとして2000年に株式会社コアミックスを設立し、翌2001年5月15日に創刊。編集等はコアミックスが行っていた。 創刊号の前に、「準備号」として、北条や原らのインタビューと描き下ろしイラストを掲載した創刊0号が無料配布された。発売日は創刊当時は火曜日で、2002年24号から金曜日に変更された。 2010年6月25日、同年8月27日発売の2010年39号を以てコアミックスによる編集業務を終了し、一旦刊行を停止する旨を発表した。この時点では同年秋にコアミックスが新たな漫画誌を創刊、新潮社も同年内を目処に本誌のリニューアル創刊をそれぞれ予定していると発表した。 同年8月27日、第39号で予定通り休刊となった。新潮社は休刊号で、2011年1月21日に『月刊コミック@バンチ』を創刊すると発表した。一方コアミックスは同社公式サイトで、徳間書店を新たなパートナーとして2010年10月25日に新雑誌『月刊コミックゼノン』を創刊すると発表した。両誌とも予定通り創刊された。 原哲夫、北条司、次原隆二といった、かつての『週刊少年ジャンプ』黄金期を支えた作家らによる作品を主軸にし、その当時同誌の愛読者だった層をメインターゲットにしていた。また賞金総額1億円という漫画賞「世界漫画愛読者大賞」を2回行い、本誌での有力な連載作家を募集・発掘して購買層の拡大を狙った。 コアミックスは新潮社から刊行されている小説を漫画化する権利やノウハウを保持していることを謳っており、『眠狂四郎』『ブレイブ・ストーリー』等が連載された。 『サムライ刑事』『山下たろーくん〜うみとそらの物語〜』など、一部の作品は単行本が最終巻まで刊行されなかったが、電子書籍版では完結している。
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『週刊コミックバンチ』(しゅうかんコミックバンチ)は、かつて新潮社が発行していた日本の週刊青年漫画雑誌。2001年5月創刊、2010年8月に休刊。『月刊コミック@バンチ』、『月刊コミックゼノン』の2誌が後継誌である。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 週刊コミックバンチ | 英文誌名 = | 誌名略称 = バンチ、CB | ジャンル = 青年向けコミック誌 | 読者対象 = 青年 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#週刊|週刊]] | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = | 出版社 = [[新潮社]] | 編集部名 = | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = 2001年5月 - 2010年8月 | レーベル = バンチ・コミックス | 発行部数 = | 発行部数調査年月 = 2006年 | 発行部数調査機関 = | ウェブサイト = <!--すでに月刊--> | 特記事項 = }} 『'''週刊コミックバンチ'''』(しゅうかんコミックバンチ)は、かつて[[新潮社]]が発行していた日本の週刊青年[[漫画雑誌]]。2001年5月創刊、2010年8月に休刊。『[[月刊コミックバンチ|月刊コミック@バンチ]]』、『[[月刊コミックゼノン]]』の2誌が後継誌である。 == 沿革 == 『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])の元編集長[[堀江信彦]]、同誌に連載を持っていた漫画家の[[原哲夫]]、[[北条司]]、[[次原隆二]]らが、新潮社をパートナーとして[[2000年]]に株式会社[[コアミックス]]を設立し、翌2001年5月15日に創刊。編集等はコアミックスが行っていた。 創刊号の前に、「準備号」として、北条や原らのインタビューと描き下ろしイラストを掲載した創刊0号が無料配布された。発売日は創刊当時は火曜日で、[[2002年]]24号から金曜日に変更された。 === 刊行停止から新雑誌創刊へ === [[2010年]][[6月25日]]、同年[[8月27日]]発売の2010年39号を以てコアミックスによる編集業務を終了し、一旦刊行を停止する旨を発表した。この時点では同年秋にコアミックスが新たな漫画誌を創刊<ref>[http://www.coamix.co.jp/2010/06/comicbunch.html 読者のみなさまへ コアミックス ニュースアーカイブス 2010年6月25日]</ref>、新潮社も同年内を目処に本誌のリニューアル創刊をそれぞれ予定していると発表した<ref>[http://www.shinchosha.co.jp/info/emergency/comicbunch.html 「週刊コミックバンチ」に関する報道について 新潮社]</ref>。 同年8月27日、第39号で予定通り休刊となった。新潮社は休刊号で、[[2011年]]1月21日に『[[月刊コミックバンチ|月刊コミック@バンチ]]』を創刊すると発表した。一方コアミックスは同社公式サイトで、[[徳間書店]]を新たなパートナーとして2010年10月25日に新雑誌『[[月刊コミックゼノン]]』を創刊すると発表した<ref>[https://mantan-web.jp/article/20100826dog00m200060000c.html コミックバンチ:月刊2誌に分裂 発行元の新潮社と編集のコアミックスそれぞれ創刊へ - MANTANWEB]([[まんたんウェブ]])</ref>。両誌とも予定通り創刊された。 == 特徴 == 原哲夫、北条司、次原隆二といった、かつての『週刊少年ジャンプ』黄金期を支えた作家らによる作品を主軸にし、その当時同誌の愛読者だった層をメインターゲットにしていた。また賞金総額1億円という漫画賞「世界漫画愛読者大賞」を2回行い、本誌での有力な連載作家を募集・発掘して購買層の拡大を狙った。 コアミックスは[[新潮社]]から刊行されている小説を漫画化する権利やノウハウを保持していることを謳っており、『[[眠狂四郎]]』『[[ブレイブ・ストーリー]]』等が連載された。 『サムライ刑事』『山下たろーくん〜うみとそらの物語〜』など、一部の作品は単行本が最終巻まで刊行されなかったが、[[電子書籍]]版では完結している<ref>『山下たろーくん〜うみとそらの物語〜』は単行本での完結はしているものの、物語後半の野球とは関係のない話を単行本収録していないため、電子書籍で完全版としている。</ref>。 == 歴代編集長 == # [[堀江信彦]]:2001年1号(創刊号) - 2004年31号 # [[樫村行弘]]:2004年32号 - 2007年7号 # [[持田修一]]:2007年8号 - 2010年39号(休刊号) == 連載作品 == <small> * 凡例 ** 開始・終了号については年数と号数を「.」で区切り、合併号については「/」を使って示す。 *** 2001年1号 → 2001.01 *** 2001年13・14合併号 → 2001.13/14 ** 最終更新時に連載中の作品については'''太字'''で表記。 ** デフォルトでの表示順は連載開始順。開始号が同じものについては五十音順とした。<span style="display:none">なお、作品名などの冒頭にある平仮名はソートを正しく行なうための便宜的な物です。</span> ** 途中に長期休載を挟んだ「[[レストアガレージ251車屋夢次郎]]」と「[[アタック!!]]」については、休載前を1期・連載再開後を2期としてデータを二つに分けている。 ** 可視性向上のため、一部の長い名称については便宜的な略称を用い、備考欄に正式な名称を記載している。略称を用いたものについては※を記載。 ** 以下の作品検索用目次は、'''昇順ソート時にソート対象に対してのみ'''有効に機能する。デフォルトでは連載開始号順となっているため年順目次が「開始」にのみ有効であり、同じ年順ではあっても「終了」に対しては正しく機能しない。「終了」で昇順ソート時には、同じ目次が「終了』にのみ機能し、「開始」には機能しなくなる。なお、見出し行最左列の▲をクリックすると、作品検索用目次に戻ることができる。 </small> <span id="目次"></span> {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; margin-right:0px;" |+ 作品検索用目次 !種類!!目次リンク!!style="line-height:1.25em;"|使用前に<br />ソートする列!!ソート結果!!備考 |- |rowspan="2" style="text-align:right"|'''年順目次'''||rowspan="2"|[[#2001|2001]]・[[#2002|2002]]・[[#2003|2003]]・[[#2004|2004]]・[[#2005|2005]]<br />[[#2006|2006]]・[[#2007|2007]]・[[#2008|2008]]・[[#2009|2009]]・[[#2010|2010]]||style="white-space:nowrap;"|開始号(デフォルト)||style="text-align:left"|連載開始順。||rowspan="2"| |- |style="white-space:nowrap;"|終了号||style="text-align:left"|連載終了順。 |- |rowspan="3" style="text-align:right"|'''五十音順目次'''||rowspan="3"|[[#あ|あ]]・[[#か|か]]・[[#さ|さ]]・[[#た|た]]・[[#な|な]]<br />[[#は|は]]・[[#ま|ま]]・[[#や|や]]・[[#ら|ら]]・[[#わ|わ]]<br />[[#ア|オムニバス]]・[[#カ|原作などなし]]||作品名||rowspan="3" style="text-align:left"|いずれも五十音順||rowspan="3" style="text-align:left"|「オムニバス」は「作品名」でのソート時には無効。<br />「原作者などなし」は「原作者など」でのソート時専用。 |- |作者(作画) |- |原作者など |} {| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; margin-right:0px;" |-style="line-height:1.4em; white-space:nowrap;" ! !! タイトル !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 終了号 !! 連載形式 !! 備考 |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">000</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2001年<span id="2001">||<span style="display:none">2001</span>||<span style="display:none">2001</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !001 |<span style="display:none">え3</span>[[エンジェル・ハート]]||<span style="display:none">ほ1</span>[[北条司]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan">創刊号</ref>||2010.36/37||毎週<br />→ 隔週連載||→『[[月刊コミックゼノン]]』に移籍 |- !002 |<span style="display:none">そ2</span>[[蒼天の拳]]||<span style="display:none">は5</span>[[原哲夫]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2010.39<ref group="注" name="kyukan">休刊号</ref>||毎週<br />→ 隔週連載||style="text-align:center"|- |- !003 |<span style="display:none">ね3</span>[[眠狂四郎]]||<span style="display:none">や2</span>[[柳川ヨシヒロ|柳川喜弘]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">し1</span>[[柴田錬三郎]]{{Small|(原作)}}||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2003.43||||style="text-align:center"|- |- !004 |<span style="display:none">ひ3</span>[[貧民の食卓]]||<span style="display:none">お4</span>[[おおつぼマキ]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2003.04/05||||style="text-align:center"|- |- !005 |<span style="display:none">り4</span>[[リプレイJ]]||<span style="display:none">い7</span>[[今泉伸二]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2004.33||||style="text-align:center"|- |- !006 |<span style="display:none">れ1</span>[[レストアガレージ251車屋夢次郎]]<br />(1期)||<span style="display:none">つ2</span>[[次原隆二]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2009.14||||長期休載し『[[少年リーダム 〜友情・努力・勝利の詩〜|少年リーダム]]』を連載<br />2010.23より再開 |- !007 |<span style="display:none">わ2</span>[[ワイルドリーガー]]||<span style="display:none">わ2</span>[[渡辺保裕]]||style="text-align:center"|-||2001.01<ref group="注" name="sokan" />||2003.20||||style="text-align:center"|- |- !008 |<span style="display:none">か8</span>[[株式会社大山田出版仮編集部員山下たろーくん|株式会社大山田出版仮編集部員<br />山下たろーくん]]||<span style="display:none">こ2</span>[[こせきこうじ]]||style="text-align:center"|-||2001.02||2004.20||||style="text-align:center"|- |- !009 |<span style="display:none">た1</span>[[ターキージャンキー]]||<span style="display:none">に</span>[[にわのまこと]]||style="text-align:center"|-||2001.02||2002.07/08||||style="text-align:center"|- |- !010 |<span style="display:none">お5</span>[[男たちの好日]]||<span style="display:none">な3</span>[[ながいのりあき]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">し5</span>[[城山三郎]]{{Small|(漫画)}}||2001.03||2002.25||||style="text-align:center"|- |- !011 |<span style="display:none">か1</span>[[ガウガウわー太]]||<span style="display:none">う</span>[[梅川和実]]||style="text-align:center"|-||2001.03||2004.35||||→『[[月刊ComicREX]]』([[一迅社]])に移籍 |- !012 |<span style="display:none">ね2</span>[[熱血江湖]]||<span style="display:none">や4</span>[[梁載賢]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">し4</span>[[全克瑨]]{{Small|(原作)}}||2001.04||2002.01||||style="text-align:center"|- |- !013 |<span style="display:none">く1</span>[[屈辱er大河原上]]||<span style="display:none">さ3</span>[[坂本タクマ]]||style="text-align:center"|-||2001.08||2005.36||||style="text-align:center"|- |- !014 |<span style="display:none">こ02</span>[[公権力横領捜査官 中坊林太郎]]||<span style="display:none">は5</span>[[原哲夫]]||style="text-align:center"|-||2001.08||2002.30||||『[[BART (雑誌)|BART3230]]』連載作の再掲載 |- !015 |<span style="display:none">せ2</span>せんせい||<span style="display:none">き1</span>[[岸大武郎]]{{Small|(漫画)}}||[[オムニバス]]||2001.13/14||2002.02||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !016 |<span style="display:none">つ</span>[[痛快!! マイホーム]]||<span style="display:none">い1</span>[[池沢早人師|池沢さとし]]||style="text-align:center"|-||2001.13/14||2002.07/08||||style="text-align:center"|- |- !017 |<span style="display:none">は1</span>[[ハードボイルドRAN]]||<span style="display:none">ほ2</span>BOB.S. nad N.O.B. ※||style="text-align:center"|-||2001.13/14||2003.21/22||||※ BOB.SHIRAHATA nad N.O.B. |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">017</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2002年<span id="2002">||<span style="display:none">2002</span>||<span style="display:none">2002</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !018 |<span style="display:none">お2</span>[[黄金の明星]]||<span style="display:none">た2</span>[[武喜仁]]<span style="font-size:90%;">(漫画)</span>||<span style="display:none">や2</span>[[山本周五郎]]<span style="font-size:90%;">(原案)</span><br />[[二橋進吾]]<span style="font-size:90%;">(脚本)</span>||2002.03/04||2002.26||||style="text-align:center"|- |- !019 |<span style="display:none">ほ2</span>[[報復のムフロン]]||<span style="display:none">お6</span>[[小野洋一郎]]<span style="font-size:90%;">(漫画)</span>||<span style="display:none">う1</span>[[上之二郎]]<span style="font-size:90%;">(原作)</span>||2002.05/06||2003.21/22||||style="text-align:center"|- |- !020 |<span style="display:none">れ2</span>[[レムリア -海の黙示録-]]||<span style="display:none">き1</span>[[岸大武郎]]||style="text-align:center"|-||2002.24||2002.42||||style="text-align:center"|- |- !021 |<span style="display:none">ふ8</span>[[プルンギル -青の道-]]||<span style="display:none">く1</span>[[クォン・カヤ]]<span style="font-size:90%;">(作画)</span>||<span style="display:none">え1</span>[[江戸川啓視]]<span style="font-size:90%;">(原作)</span>||2002.25||2003.34||||style="text-align:center"|- |- !022 |<span style="display:none">か2</span>[[ガキんちょ強]]||<span style="display:none">ま3</span>[[松家幸治]]||style="text-align:center"|-||2002.26||2003.48||||style="text-align:center"|- |- !023 |<span style="display:none">ね1</span>[[熱血!!男盛り]]||<span style="display:none">み2</span>[[南寛樹]]||style="text-align:center"|-||2002.28||2004.06||||style="text-align:center"|- |- !024 |<span style="display:none">え2</span>[[エンカウンター〜遭遇〜]]||<span style="display:none">こ3</span>[[木ノ花さくや]]<span style="font-size:90%;">(漫画)</span>||<span style="display:none">こ2</span>[[小林ユウ]]<span style="font-size:90%;">(原作)</span>||2002.29||2003.47||||style="text-align:center"|- |- !025 |<span style="display:none">ま8</span>[[満腹ボクサー徳川。]]||<span style="display:none">ひ1</span>[[日高建男]]||style="text-align:center"|-||2002.36/37||2005.03||||style="text-align:center"|- |- !026 |<span style="display:none">ま7</span>[[ママめろん]]||<span style="display:none">み1</span>[[みたにひつじ]]||style="text-align:center"|-||2002.43||2007.43||||style="text-align:center"|- |- !027 |<span style="display:none">ひ1</span>[[ひもの道]]||<span style="display:none">や1</span>[[八潮路つとむ]]||style="text-align:center"|-||2002.48||2003.33||||style="text-align:center"|- |- !028 |<span style="display:none">さ4</span>[[サムライ刑事]]||<span style="display:none">か5</span>[[春日光広]]||style="text-align:center"|-||2002.49||2007.33||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">028</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2003年<span id="2003">||<span style="display:none">2003</span>||<span style="display:none">2003</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !029 |<span style="display:none">こ11</span>[[コンパイルL]]||<span style="display:none">き1</span>[[岸大武郎]]||style="text-align:center"|-||2003.03||2003.35||シリーズ連載||全3回(2003年21・22合併号) |- !030 |<span style="display:none">す2</span>[[スパイシー・カフェガール]]||<span style="display:none">ふ1</span>[[深谷陽]]||style="text-align:center"|-||2003.04/05||2003.07||||style="text-align:center"|{{マンガ図書館Z作品|47071|スパイシー・カフェガール}}<br />(外部リンク) |- !031 |<span style="display:none">ま4</span>[[まごころスーパー特別買い付け部!]]||<span style="display:none">ま2</span>[[ますだこうじ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">む</span>[[向笠千恵子]]{{Small|(原案)}}||2003.06||2003.21/22||||style="text-align:center"|- |- !032 |<span style="display:none">に1</span>[[逃げるな!!!駿平]]||<span style="display:none">の2</span>[[野田正規]]||style="text-align:center"|-||2003.23||2003.31||||style="text-align:center"|- |- !033 |<span style="display:none">に3</span>[[日本国大統領 桜坂満太郎]]||<span style="display:none">よ3</span>[[吉田健二]]{{Small|(作画)}}||<span style="display:none">ひ1</span>[[日高義樹]]{{Small|(監修)}}||2003.23||2006.34||||style="text-align:center"|- |- !034 |<span style="display:none">な</span>[[内閣権力犯罪強制取締官 財前丈太郎]]||<span style="display:none">わ2</span>[[渡辺保裕]]||style="text-align:center"|-||2003.24||2007.05/06||||style="text-align:center"|- |- !035 |<span style="display:none">と4</span>[[TRY!]]||<span style="display:none">さ2</span>[[さいとうしげき]]||style="text-align:center"|-||2003.25||2003.35||||style="text-align:center"|- |- !036 |<span style="display:none">も</span>[[萌えて咲くのが華]]||<span style="display:none">あ1</span>[[あおいみそら]]&N.O.S。※||style="text-align:center"|-||2003.27||2004.18||||※ あおいみそら&N.O.シスターズ。 |- !037 |<span style="display:none">ふ9</span>[[ブレイブ・ストーリー〜新説〜]]||<span style="display:none">お6</span>[[小野洋一郎]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">み</span>[[宮部みゆき]]{{Small|(原案)}}||2003.36/37||2008.15||||style="text-align:center"|- |- !038 |<span style="display:none">に2</span>[[虹色のウサギ]]||<span style="display:none">や3</span>[[山口育孝]]||style="text-align:center"|-||2003.38||2004.23||||style="text-align:center"|- |- !039 |<span style="display:none">お1</span>[[追い込み屋 銀次]]||<span style="display:none">さ7</span>[[佐藤良治]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">あ3</span>[[荒木秀一]]{{Small|(監修)}}<br />[[上之二郎]]{{Small|(構成)}}||2003.39||2004.16||||style="text-align:center"|- |- !040 |<span style="display:none">さ1</span>[[咲いて孫市]]||<span style="display:none">や2</span>[[柳川ヨシヒロ|柳川喜弘]]||style="text-align:center"|-||2003.49||2004.52||||style="text-align:center"|- |- !041 |<span style="display:none">は5</span>[[PAKA PAKA ブギ]]||<span style="display:none">さ2</span>[[さいとうしげき]]||style="text-align:center"|-||2003.50||2004.16||||style="text-align:center"|- |- !042 |<span style="display:none">せ1</span>[[青狼記]]||<span style="display:none">は2</span>[[長谷川哲也]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">に3</span>[[楡周平]]{{Small|(原作・脚本)}}||2003.51||2005.21||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">042</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2004年<span id="2004">||<span style="display:none">2004</span>||<span style="display:none">2004</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !043 |<span style="display:none">こ09</span>[[コンシェルジュ (漫画)|コンシェルジュ]]||<span style="display:none">と1</span>[[藤栄道彦]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">い1</span>[[いしぜきひでゆき]]<br />{{Small|(原作)}}||2004.04/05||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||シリーズ連載||→『[[月刊コミックゼノン]]』に移籍 |- !044 |<span style="display:none">こ08</span>[[殺し屋麺吉]]||<span style="display:none">と2</span>[[富沢順]]||style="text-align:center"|-||2004.14||2006.39||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !045 |<span style="display:none">は7</span>[[羽生生純のニンゲン標本函]]||<span style="display:none">は3</span>[[羽生生純]]||style="text-align:center"|-||2004.20||2006.48||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !046 |<span style="display:none">こ07</span>[[ゴッドサイダー|ゴッドサイダーセカンド]]||<span style="display:none">ま1</span>[[巻来功士]]||style="text-align:center"|-||2004.21/22||2008.09||||style="text-align:center"|- |- !047 |<span style="display:none">ふ6</span>[[P.I.P.]]||<span style="display:none">ふ1</span>[[深谷陽]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">さ2</span>[[沢井鯨]]{{Small|(原作)}}||2004.23||2004.40||||style="text-align:center"|- |- !048 |<span style="display:none">い1</span>[[伊賀忍法帖]]||<span style="display:none">く2</span>[[草壁ひろあき]]{{Small|(画)}}||<span style="display:none">や1</span>[[山田風太郎]]{{Small|(原作)}}<br />[[呉屋真]]{{Small|(脚本)}}||2004.24||2005.21||||style="text-align:center"|- |- !049 |<span style="display:none">は2</span>[[バウンティハンター (漫画)|バウンティハンター]]||<span style="display:none">な1</span>[[中祥人|中&#xFA1A;人]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">あ3</span>[[荒木秀一]]{{Small|(原作)}}||2004.25||2005.21||||style="text-align:center"|- |- !050 |<span style="display:none">め</span>[[名工のカタルシス]]||<span style="display:none">こ1</span>[[木暮峰]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">え2</span>[[江戸川乱歩]]{{Small|(原作)}}||2004.26||2004.35||||style="text-align:center"|- |- !051 |<span style="display:none">ふ1</span>[[ファウストの女神]]||<span style="display:none">み4</span>[[三山のぼる]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">し2</span>[[嶋本周]]{{Small|(原作)}}||2004.36/37||2005.41||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !052 |<span style="display:none">ま5</span>[[ますらお (斉藤けいのの漫画)|ますらお]]||<span style="display:none">さ1</span>[[斎藤けいの]]||style="text-align:center"|-||2004.38||2005.01/02||||style="text-align:center"|- |- !053 |<span style="display:none">や2</span>[[山下たろーくん〜うみとそらの物語〜]]||<span style="display:none">こ2</span>[[こせきこうじ]]||style="text-align:center"|-||2004.39||2006.35||||style="text-align:center"|- |- !054 |<span style="display:none">ま2</span>[[毎日がレディースデイ]]||<span style="display:none">お2</span>[[大崎充]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ひ4</span>[[広瀬隆一]]{{Small|(原作)}}||2004.40||2005.01/02||||style="text-align:center"|- |- !055 |<span style="display:none">き1</span>[[岸辺のサブロー]]||<span style="display:none">つ3</span>[[つの丸]]||style="text-align:center"|-||2004.46||2006.21||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">055</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2005年<span id="2005">||<span style="display:none">2005</span>||<span style="display:none">2005</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !056 |<span style="display:none">す3</span>[[スプラッシュ!!]]||<span style="display:none">ち1</span>[[千葉きよかず]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ま</span>[[松田康志]]{{Small|(原作)}}||2005.04/05||2006.12||||style="text-align:center"|- |- !057 |<span style="display:none">さ6</span>[[さらば!! 独身寮]]||<span style="display:none">ろ</span>[[ロドリゲス井之介]]||style="text-align:center"|-||2005.06||2005.40||||style="text-align:center"|- |- !058 |<span style="display:none">ひ2</span>[[100兆の男]]||<span style="display:none">さ7</span>[[佐藤良治]]||style="text-align:center"|-||2005.07||2005.52||||style="text-align:center"|- |- !059 |<span style="display:none">し2</span>[[週刊いとうタイムズ]]||<span style="display:none">い5</span>[[いとう耐]]||style="text-align:center"|-||2005.08||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||style="text-align:center"|- |- !060 |<span style="display:none">う1</span>[[ヴィクトリー (漫画)|ヴィクトリー]]||<span style="display:none">い7</span>[[今泉伸二]]||style="text-align:center"|-||2005.14||2006.12||||style="text-align:center"|- |- !061 |<span style="display:none">し6</span>[[バイオレンスジャック|新バイオレンスジャック]]||<span style="display:none">な2</span>[[永井豪]]とDプロ※||style="text-align:center"|-||2005.22/23||2008.17||||※ [[永井豪]]とダイナミック・プロ |- !062 |<span style="display:none">こ10</span>[[根心 KONSHIN -四国アイランドリーグ誕生物語-|根心 KONSHIN<br /> -四国アイランドリーグ誕生物語-]]||<span style="display:none">み3</span>[[みやびゆう]]||style="text-align:center"|-||2005.24||2005.32||||style="text-align:center"|- |- !063 |<span style="display:none">こ06</span>[[心に残るとっておきの話]]||<span style="display:none">ま3</span>[[松家幸治]]||style="text-align:center"|-||2005.25||2007.45||||style="text-align:center"|- |- !064 |<span style="display:none">は6</span>[[バス走る。]]||<span style="display:none">さ8</span>[[佐原ミズ]]||style="text-align:center"|-||2005.26||2005.28||||style="text-align:center"|- |- !065 |<span style="display:none">ほ3</span>[[ホテルココナッツ]]||<span style="display:none">へ</span>[[ペ・ジュンゴル]]||style="text-align:center"|-||2005.27||2005.36||||style="text-align:center"|- |- !066 |<span style="display:none">あ2</span>[[アキハバラ@DEEP]]||<span style="display:none">あ2</span>[[アカネマコト]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">い2</span>[[石田衣良]]{{Small|(原作)}}||2005.37/38||2007.21||||style="text-align:center"|- |- !067 |<span style="display:none">か3</span>[[火災調査官ナナセ]]||<span style="display:none">い3</span>[[市川智茂]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">は2</span>[[橋本以蔵]]{{Small|(原作)}}||2005.39||2007.17||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">076</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2006年<span id="2006">||<span style="display:none">2006</span>||<span style="display:none">2006</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !068 |<span style="display:none">わ1</span>[[Y氏の迷宮]]||<span style="display:none">よ4</span>[[吉田ひろゆき]]||style="text-align:center"|-||2006.01/02||2007.18||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !069 |<span style="display:none">ふ3</span>[[Foot!!]]||<span style="display:none">よ5</span>[[吉原基貴]]||style="text-align:center"|-||2006.03||2006.06||||style="text-align:center"|- |- !070 |<span style="display:none">え1</span>[[M.C.☆LAW]]||<span style="display:none">あ3</span>[[浅田有皆]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">つ3</span>[[剣名舞]]{{Small|(原作)}}||2006.06||2006.35||||style="text-align:center"|- |- !071 |<span style="display:none">て3</span>[[天の覇王 北斗の拳ラオウ外伝]]||<span style="display:none">お5</span>[[長田悠幸]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ふ1</span>[[武論尊]]・[[原哲夫]]<br />{{Small|(原作)}}||2006.15||2007.37/38||||style="text-align:center"|- |- !072 |<span style="display:none">こ04</span>[[ゴーゴー♪こちら私立華咲探偵事務所。|ゴーゴー♪<br />こちら私立華咲探偵事務所。]]||<span style="display:none">わ3</span>[[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]]||style="text-align:center"|-||2006.22/23||2007.16||||style="text-align:center"|- |- !073 |<span style="display:none">か7</span>[[彼女を守る51の方法]]||<span style="display:none">ふ2</span>[[古屋兎丸]]||style="text-align:center"|-||2006.24||2007.36||||style="text-align:center"|- |- !074 |<span style="display:none">ま1</span>[[マイガール (漫画)|マイガール]]||<span style="display:none">さ8</span>[[佐原ミズ]]||style="text-align:center"|-||2006.25||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !075 |<span style="display:none">こ03</span>[[紅嵐]]||<span style="display:none">み5</span>[[三山のぼる]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ひ3</span>[[柊野陽]]{{Small|(原作)}}||2006.36/37||2007.33||||style="text-align:center"|- |- !076 |<span style="display:none">く2</span>[[グ・ラ・メ! -大宰相の料理人-]]||<span style="display:none">お2</span>[[大崎充]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">に2</span>[[西村ミツル]]{{Small|(原作)}}||2006.40||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !077 |<span style="display:none">お3</span>[[オーレ!]]||<span style="display:none">の1</span>[[能田達規]]||style="text-align:center"|-||2006.41||2007.44||||style="text-align:center"|- |- !078 |<span style="display:none">と1</span>[[タネダミキオでございます。|(当)タネダミキオでございます。]]||<span style="display:none">つ1</span>[[ウヒョ助|塚脇永久]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">さ1</span>[[佐藤大吾]]{{Small|(監修協力)}}||2006.42||2007.26||||style="text-align:center"|- |- !079 |<span style="display:none">ふ7</span>[[プルコギ (漫画)|プルコギ]]||<span style="display:none">と2</span>[[富沢順]]||<span style="display:none">は1</span>[[ハーロマ]]{{Small|(原案)}}<br />[[具光然]]{{Small|(監修)}}||2006.43||2007.43||||style="text-align:center"|- |- !080 |<span style="display:none">ま6</span>[[またタビ]]||<span style="display:none">い4</span>[[市川ヒロシ]]||style="text-align:center"|-||2006.43||2009.01/02||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">080</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2007年<span id="2007">||<span style="display:none">2007</span>||<span style="display:none">2007</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !081 |<span style="display:none">あ4</span>[[アタック!!]](1期)||<span style="display:none">お3</span>[[大島司]]||style="text-align:center"|-||2007.03||2009.09||||長期休載後、2010.10より再開 |- !082 |<span style="display:none">や1</span>[[柳生非情剣 SAMON]]||<span style="display:none">よ1</span>[[余湖裕輝]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">り</span>[[隆慶一郎]]{{Small|(原作)}}<br />[[田畑由秋]]{{Small|(脚本)}}||2007.12||2009.27||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !083 |<span style="display:none">あ1</span>[[OUT PITCH]]||<span style="display:none">わ2</span>[[渡辺保裕]]||style="text-align:center"|-||2007.18||2008.23||||style="text-align:center"|- |- !084 |<span style="display:none">と5</span>[[トリッパ (漫画)|トリッパ]]||<span style="display:none">い2</span>[[石原まこちん]]||style="text-align:center"|-||2007.20||2008.34||||style="text-align:center"|- |- !085 |<span style="display:none">そ1</span>[[蒼黒の餓狼 -北斗の拳 レイ外伝-]]||<span style="display:none">ね</span>[[猫井ミィ|猫井ヤスユキ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ふ1</span>[[武論尊]]・[[原哲夫]]<br />{{Small|(原案)}}||2007.22/23||2009.33||隔週連載||style="text-align:center"|- |- !086 |<span style="display:none">し1</span>[[シールド・ファイル]]||<span style="display:none">よ3</span>[[吉田健二]]||style="text-align:center"|-||2007.24||2007.26||||style="text-align:center"|- |- !087 |<span style="display:none">た2</span>[[タカネの花]]||<span style="display:none">し3</span>[[新久千映]]||<span style="display:none">か3</span>[[金森重樹]]{{Small|(監修)}}||2007.25||2007.50||||style="text-align:center"|- |- !088 |<span style="display:none">さ3</span>[[サウザンドブルズ]]||<span style="display:none">か1</span>[[かいはせた]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ひ2</span>[[左慶太郎]]{{Small|(原作)}}||2007.26||2007.37/38||||style="text-align:center"|- |- !089 |<span style="display:none">あ3</span>[[悪忍 -加藤段蔵無頼伝-]]||<span style="display:none">い7</span>[[今泉伸二]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">か1</span>[[海道龍一朗]]{{Small|(原作)}}||2007.29||2007.14||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !090 |<span style="display:none">そ3</span>[[象の背中]]||<span style="display:none">く3</span>[[くじらいいく子]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">あ1</span>[[秋元康]]{{Small|(原作)}}||2007.30||2008.11||||style="text-align:center"|- |- !091 |<span style="display:none">て1</span>[[デブになってしまった男の話]]||<span style="display:none">た1</span>[[高倉あつこ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">す</span>[[鈴木剛介]]{{Small|(原作)}}||2007.33||2008.34||||style="text-align:center"|- |- !092 |<span style="display:none">し5</span>[[銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝]]||<span style="display:none">な5</span>[[ながてゆか]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ふ1</span>[[武論尊]]・[[原哲夫]]<br />{{Small|(原作)}}||2007.36||2008.52||||style="text-align:center"|- |- !093 |<span style="display:none">さ2</span>[[裁判長!ここは懲役4年でどうすか]]||<span style="display:none">ま4</span>[[松橋犬輔]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">き</span>[[北尾トロ]]{{Small|(原作)}}||2007.40||2010.35||||→『[[月刊コミックゼノン]]』に移籍<br />2010.38・39に番外編掲載 |- !094 |<span style="display:none">り1</span>[[離婚同居]]||<span style="display:none">か4</span>[[柏屋コッコ]]||style="text-align:center"|-||2007.43||2008.14||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">094</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2008年<span id="2008">||<span style="display:none">2008</span>||<span style="display:none">2008</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !095 |<span style="display:none">き2</span>[[奇跡のヒト]]||<span style="display:none">ち2</span>[[張慶二郎]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">つ1</span>[[土屋ガロン]]{{Small|(原作)}}||2008.01/02||2009.08||||style="text-align:center"|- |- !096 |<span style="display:none">し3</span>[[女王様がいっぱい]]||<span style="display:none">い8</span>[[イワシタシゲユキ]]||style="text-align:center"|-||2008.04/05||2009.10||||style="text-align:center"|- |- !097 |<span style="display:none">う2</span>[[ウッドストック (漫画)|ウッドストック]]||<span style="display:none">あ3</span>[[浅田有皆]]||style="text-align:center"|-||2008.13||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||→『[[月刊コミック@バンチ]]』に移籍 |- !098 |<span style="display:none">は4</span>[[博士と助手高生]]||<span style="display:none">わ1</span>[[若狭たけし]]||style="text-align:center"|-||2008.13||2009.06||||style="text-align:center"|- |- !099 |<span style="display:none">ら</span>[[RANJIN -三国志呂布異聞-]]||<span style="display:none">か6</span>[[川村一正]]||style="text-align:center"|-||2008.17||2009.11||||style="text-align:center"|- |- !100 |<span style="display:none">わ3</span>[[私たちの幸せな時間]]||<span style="display:none">さ8</span>[[佐原ミズ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">こ3</span>[[孔枝泳]]{{Small|(原作)}}<br />[[蓮池薫]]{{Small|(訳)}}||2008.17||2008.38||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !101 |<span style="display:none">す1</span>[[スナーク狩り]]||<span style="display:none">お1</span>[[大石普人|オオイシヒロト]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">み</span>[[宮部みゆき]]{{Small|(原案)}}||2008.18||2008.52||||style="text-align:center"|- |- !102 |<span style="display:none">と2</span>[[TOKYO23]]||<span style="display:none">え</span>[[榎本エイジ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">あ4</span>[[嵐田武]]{{Small|(原作)}}||2008.18||2009.04/05||||style="text-align:center"|- |- !103 |<span style="display:none">か4</span>[[風間亭やんわり]]||<span style="display:none">か3</span>[[風間やんわり]]||style="text-align:center"|-||2008.21/22||2010.12||||style="text-align:center"|- |- !104 |<span style="display:none">あ6</span>[[アルケブス]]||<span style="display:none">さ6</span>[[佐藤孝太]]||style="text-align:center"|-||2008.24||2008.33||||style="text-align:center"|- |- !105 |<span style="display:none">に4</span>[[ニューカマー 〜来るべき者達〜]]||<span style="display:none">ま1</span>[[巻来功士]]||style="text-align:center"|-||2008.25||2009.26||||style="text-align:center"|- |- !106 |<span style="display:none">か6</span>[[蟹工船]]||<span style="display:none">は4</span>[[原恵一郎]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">こ1</span>[[小林多喜二]]{{Small|(原作)}}||2008.38||2008.||||style="text-align:center"|- |- !107 |<span style="display:none">と6</span>[[トンスラ (小説)|トンスラ]]||<span style="display:none">し2</span>[[しりあがり寿]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">つ2</span>[[都築浩]]{{Small|(原案)}}||2008.40||2009.10||||style="text-align:center"|- |- !108 |<span style="display:none">き4</span>[[義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-]]||<span style="display:none">た3</span>[[武村勇治]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">は3</span>[[原哲夫]]・[[堀江信彦]]<br />{{Small|(原作)}}||2008.50||2010.38||||→『[[月刊コミックゼノン]]』に移籍 |- !109 |<span style="display:none">た4</span>[[谷底ライオン]]||<span style="display:none">な4</span>[[中川いさみ]]||style="text-align:center"|-||2008.51||2009.26||||style="text-align:center"|- |- !110 |<span style="display:none">く4</span>[[黒い報告書]]||<span style="display:none">わ2</span>[[渡辺保裕]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">し3</span>[[週刊新潮]]編集部<br />{{Small|(協力)}}||2008.52||2009.41||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">110</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2009年<span id="2009">||<span style="display:none">2009</span>||<span style="display:none">2009</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !111 |<span style="display:none">か5</span>[[片桐くん家に猫がいる]]||<span style="display:none">よ2</span>[[吉川景都]]||style="text-align:center"|-||2009.03||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||→『[[月刊コミック@バンチ]]』に移籍 |- !112 |<span style="display:none">こ01</span>[[恋物語れ]]||<span style="display:none">く4</span>[[楠桂]]||style="text-align:center"|-||2009.04/05||2009.15||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !113 |<span style="display:none">こ05</span>[[極悪ノ華 北斗の拳ジャギ外伝]]||<span style="display:none">ひ2</span>[[ヒロモト森一]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ふ1</span>[[武論尊]]・[[原哲夫]]<br />{{Small|(原作)}}||2009.04/05||2009.36/37||||style="text-align:center"|- |- !114 |<span style="display:none">に5</span>[[人間失格 (漫画)|人間失格]]||<span style="display:none">ふ2</span>[[古屋兎丸]]||<span style="display:none">た</span>[[太宰治]]{{Small|(原案)}}||2009.10||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||シリーズ連載||→『[[月刊コミック@バンチ]]』に移籍 |- !115 |<span style="display:none">い2</span>[[いぬ五]]||<span style="display:none">そ</span>[[そにしけんじ]]||style="text-align:center"|-||2009.11||2010.26||||style="text-align:center"|- |- !116 |<span style="display:none">り3</span>[[リトるふらん]]||<span style="display:none">も</span>[[元山浩二]]||style="text-align:center"|-||2009.11||2009.13||||style="text-align:center"|- |- !117 |<span style="display:none">う3</span>[[ウロボロス -警察ヲ裁クハ我ニアリ-]]||<span style="display:none">か7</span>[[神崎裕也]]||style="text-align:center"|-||2009.12||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||→『[[月刊コミック@バンチ]]』に移籍 |- !118 |<span style="display:none">り5</span>[[鱗粉女]]||<span style="display:none">か4</span>[[柏屋コッコ]]||style="text-align:center"|-||2009.15||2009.17||||style="text-align:center"|- |- !119 |<span style="display:none">あ7</span>[[Unな彼女]]||<span style="display:none">く4</span>[[楠桂]]||style="text-align:center"|-||2009.17||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !120 |<span style="display:none">ま3</span>[[魔境のシャナナ]]||<span style="display:none">た6</span>[[玉越博幸]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">や3</span>[[山本弘 (作家)|山本弘]]{{Small|(原作)}}||2009.19||2010.19||||style="text-align:center"|- |- !121 |<span style="display:none">せ3</span>[[全能のノア]]||<span style="display:none">お6</span>[[小野洋一郎]]||style="text-align:center"|-||2009.20||2010.04/05||||style="text-align:center"|- |- !122 |<span style="display:none">し4</span>[[少年リーダム 〜友情・努力・勝利の詩〜|少年リーダム<br />〜友情・努力・勝利の詩〜]]||<span style="display:none">つ2</span>[[次原隆二]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">に1</span>[[西村繁男]]{{Small|(原案)}}||2009.21/22||2010.16||||style="text-align:center"|- |- !123 |<span style="display:none">さ5</span>[[さよなら群青]]||<span style="display:none">さ5</span>[[さそうあきら]]||style="text-align:center"|-||2009.23||2010.15||||→『[[週刊モバイルバンチ]]』・<br />『[[ほぼ日刊イトイ新聞]]』に移籍 |- !124 |<span style="display:none">ふ2</span>[[フクコン!]]||<span style="display:none">な7</span>[[成田マナブ]]||style="text-align:center"|-||2009.26||2009.48||||style="text-align:center"|- |- !125 |<span style="display:none">お4</span>[[おすわり。]]||<span style="display:none">し1</span>[[篠原花那]]||<span style="display:none">あ2</span>[[荒井隆嘉]]{{Small|(監修)}}||2009.28||2009.30||||style="text-align:center"|- |- !126 |<span style="display:none">お6</span>[[おミソの花道 〜キャバクラに咲くどくだみ草〜|おミソの花道<br />〜キャバクラに咲くどくだみ草〜]]||<span style="display:none">さ4</span>[[桜小路あい]]||style="text-align:center"|-||2009.29||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||style="text-align:center"|- |- !127 |<span style="display:none">ふ4</span>[[BTOOOM!]]||<span style="display:none">い6</span>[[井上淳哉]]||style="text-align:center"|-||2009.29||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />|| シリーズ連載||→『[[月刊コミック@バンチ]]』に移籍 |- !128 |<span style="display:none">た5</span>[[旅人 TABI-TO]]||<span style="display:none">な6</span>[[中野ハジメ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">か2</span>[[片桐正博]]{{Small|(原作)}}||2009.30||2010.18||シリーズ連載||style="text-align:center"|- |- !129 |<span style="display:none">き3</span>[[北千住偉人荘]]||<span style="display:none">は6</span>[[原田はじめ]]||style="text-align:center"|-||2009.34||2009.42/43||||style="text-align:center"|- |- !130 |<span style="display:none">き5</span>[[99のなみだ]]||[[オムニバス]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">は4</span>[[バンダイナムコゲームス|B.N.G]]※{{Small|(原作)}}||2009.35||2010.17||シリーズ連載||※ [[バンダイナムコゲームス]] |- !131 |<span style="display:none">た3</span>[[伊達の鬼 軍師片倉小十郎]]||<span style="display:none">た5</span>[[田中克樹]]||style="text-align:center"|-||2009.38||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||→『[[月刊コミックゼノン]]』に移籍 |- !132 |<span style="display:none">て2</span>[[天翔の龍馬]]||<span style="display:none">は1</span>[[橋本エイジ]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">う2</span>[[梅村真也]]{{Small|(原作)}}||2009.42/43||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||style="text-align:center"|- |- !133 |<span style="display:none">み</span>[[ミキストリ (漫画)|ミキストリII -太陽の死神-]]||<span style="display:none">ま1</span>[[巻来功士]]||style="text-align:center"|-||2009.47||2010.38 ||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">133</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">ワ</span>||<span style="display:none">Z</span>2010年<span id="2010">||<span style="display:none">2010</span>||<span style="display:none">2010</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |- !134 |<span style="display:none">ほ1</span>[[彷徨の雲 -北斗の拳 ジュウザ外伝-]]||<span style="display:none">か2</span>[[加倉井ミサイル]]{{Small|(漫画)}}||<span style="display:none">ふ1</span>[[武論尊]]・[[原哲夫]]<br />{{Small|(原案)}}||2010.06||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||隔週連載||style="text-align:center"|- |- !135 |<span style="display:none">あ4</span>[[アタック!!]](2期)||<span style="display:none">お3</span>[[大島司]]||style="text-align:center"|-||2010.10||2010.13||||長期休載後の再開、休載中に休刊 |- !136 |<span style="display:none">と3</span>[[とほほん]]||<span style="display:none">か4</span>[[柏屋コッコ]]||style="text-align:center"|-||2010.10||2010.12||||style="text-align:center"|- |- !137 |<span style="display:none">り2</span>[[離婚同居|離婚同居 2nd Season]]||<span style="display:none">か4</span>[[柏屋コッコ]]||style="text-align:center"|-||2010.13||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||style="text-align:center"|- |- !138 |<span style="display:none">く3</span>[[紅蓮の花 真田幸村]]||<span style="display:none">た4</span>[[竹谷州史]]<span style="font-size:90%;">(漫画)</span>||<span style="display:none">な</span>[[仲路さとる]]<span style="font-size:90%;">(原作)</span>||2010.15||2010.38 ||||style="text-align:center"|- |- !139 |<span style="display:none">ふ5</span>[[フライバイ (漫画)|フライバイ]]||<span style="display:none">さ6</span>[[佐藤孝太]]||style="text-align:center"|-||2010.16||2010.18||||style="text-align:center"|- |- !140 |<span style="display:none">ち</span>[[蝶獣戯譚]]||<span style="display:none">な5</span>[[ながてゆか]]||style="text-align:center"|-||2010.21/22||2010.39<ref group="注" name="kyukan" />||||→『[[コミック乱]]』([[リイド社]])に移籍 |- !141 |<span style="display:none">れ1</span>[[レストアガレージ251車屋夢次郎]]<br />(2期)||<span style="display:none">つ2</span>[[次原隆二]]||style="text-align:center"|-||2010.23||2010.33||||長期休載後の再開<br />休載中は『[[少年リーダム 〜友情・努力・勝利の詩〜|少年リーダム]]』を連載 |- !142 |<span style="display:none">は3</span>[[バカ職人☆マスミ]]||<span style="display:none">と3</span>[[とんだばやしロンゲ]]||style="text-align:center"|-||2010.27||2010.36/37||||style="text-align:center"|- |- !143 |<span style="display:none">あ5</span>[[あなたのおもちゃ -少女M-]]||<span style="display:none">ま5</span>[[松本ななこ]]||style="text-align:center"|-||2010.34||2010.36/37||||style="text-align:center"|- |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">999</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">あ/</span>||<span style="display:none">あ/</span>||<span style="display:none">あ/</span>あ行<span id="あ">||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">999</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">か/</span>||<span style="display:none">か/</span>||<span style="display:none">か/</span>か行<span id="か">||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">999</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">さ/</span>||<span style="display:none">さ/</span>||<span style="display:none">さ/</span>さ行<span id="さ">||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |-style="text-align:center; background-color:#aaa" |<span style="display:none">999</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">た/</span>||<span style="display:none">た/</span>||<span 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style="display:none">999</span>[[#目次|▲]]||<span style="display:none">ワ/</span>||<span style="display:none">ワ/</span>||<span style="display:none">カ/</span>原作などなし<span id="カ">||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">3000</span>||<span style="display:none">Z</span>||<span style="display:none">ワ</span> |-style="text-align:center" |style="border-right:none"|<span style="display:none">Z</span>||style="border-left:none; border-right:none"|<span style="display:none">Z</span>||style="border-left:none; border-right:none" | <span style="display:none">Z</span>||style="border-left:none; border-right:none" | <span style="display:none">わ</span>なし||style="border-left:none; border-right:none" | <span style="display:none">9999</span>||style="border-left:none; border-right:none" | <span style="display:none">2001.00</span>||style="border-left:none; border-right:none"|<span style="display:none">Z</span>||style="border-left:none"|<span style="display:none">ワ</span> |} == 発行部数 == * 創刊号の印刷部数は72万部で、実売率は80パーセントに達した<ref name="ns_040317">「600万部の男(11)元少年ジャンプ編集長堀江信彦氏(仕事人秘録)」『[[日経産業新聞]]』2004年3月17日付、26頁。</ref>。創刊後1年間、50万部の部数を保った<ref name="ns_040317" />。 * 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 259,271部<ref name="jmpa">[http://www.j-magazine.or.jp/ 社団法人日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。</ref> * 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 238,568部<ref name="jmpa" /> * 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 214,190部<ref name="jmpa" /> * 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 201,989部<ref name="jmpa" /> * 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 182,672部<ref name="jmpa" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list 社団法人日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 182,704 部 || 177,284 部 || 173,513 部 |- ! 2009年 | 171,038 部 || 163,605 部 || 157,791 部 || 151,309 部 |- ! 2010年 | 147,359 部 || 140,113 部 || || |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[RAIJIN COMICS]] * 後継誌 ** [[月刊コミックバンチ|月刊コミック@バンチ]] - [[新潮社]]発行の後継誌 ** [[月刊コミックゼノン]] - [[コアミックス]]編集の後継誌 == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://www.comicbunch.com/ |title=週刊コミックバンチ |date=20051013060445}} {{新潮社}} {{DEFAULTSORT:しゆうかんこみつくはんち}} [[Category:週刊コミックバンチ|*]] [[Category:日本の漫画雑誌 (休廃刊)]] [[Category:新潮社の雑誌 (休廃刊)]] [[Category:コアミックス]] [[Category:週刊漫画雑誌|こみつくはんち]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:2001年創刊の雑誌]] [[Category:2010年休廃刊の雑誌]]
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週刊漫画ゴラク
『週刊漫画ゴラク』(しゅうかんまんがゴラク)は、日本文芸社発行の男性向け週刊漫画雑誌である。 ゴラクWeb(公式ホームページ)で「本物の漢たちに贈るエンターテイメント!」をキャッチコピーにしている。日本文芸社では毎週金曜日を発売日としている。 読者層は30代〜50代の男性が主で、これは同じ大人向け漫画雑誌の『週刊漫画TIMES』(芳文社)と共通する。 編集方針として、他誌でリニューアルや編集部、読者と意識がズレてしまった等の理由で活躍の場が無くなった作家、作品を積極的に引き受けている。暴力事件やスキャンダルでどの出版社からも門前払いされていた梶原一騎の漫画原作者引退作品となるはずであった連載、「男の星座」を掲載した。また、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された「銀牙 -流れ星 銀-」の続編「銀牙伝説WEED」は、発行数2000万部を超える、1-39巻までの合計発行部数は1500万部を超えるヒット作となった。 1964年1月に隔週刊誌『漫画娯楽読本』(まんがごらくどくほん)として創刊。その後『漫画ゴラク dokuhon』(まんがゴラク ドクホン)の表記を経て、1971年8月から『週刊漫画ゴラク』表記となり、現在のスタイルに定着した。 初期の代表的連載作品として松本零士の『セクサロイド』、『大海賊ハーロック』、『ミステリー・イブ』、小島剛夕の『斬殺者』、『若い貴族たち』(原作・梶原一騎/画・佐藤まさあき)などがある。 1990年代に連載をスタートした作品の中には20年以上続いている長寿作品が多く見られ、1992年に連載を開始した『ミナミの帝王』(原作・天王寺大/画・郷力也)を筆頭に、1994年連載開始の『酒のほそ道』、1999年連載開始の『江戸前の旬』と『麻雀飛龍伝説 天牌』も、通算1000話を超える長期連載作品となっている。 2006年2月24日号で創刊2000号を達成。 2014年、週刊漫画ゴラク創刊50周年Twitterを開始。創刊50周年記念"超巨弾新連載"と称して宮下あきらの『男塾』シリーズの最終章『極!!男塾』を2409号から連載開始。 本誌の掲載作品は不定期連載も多く独特な構成のため、参考として2011年7月1日号から9月30日号までの各作品の掲載状況を表形式にして示す。 2011年各号の掲載作品数は17前後で、そのうち約半数強が毎号掲載されている。それ以外の作品のうちには、隔号掲載と明記されたものもあるが、休載サイクルの明記がないものや、掲載時の最終頁に次回掲載予定の記載されぬものなども多い。 これらの部数は全国出版協会発行の「出版指標 年報」掲載の推定値であり、実数ではないので注意が必要である。
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『週刊漫画ゴラク』(しゅうかんまんがゴラク)は、日本文芸社発行の男性向け週刊漫画雑誌である。
{{redirect4|漫画ゴラク|派生誌各誌|別冊漫画ゴラク|漫画ゴラクネクスター|コミックヘヴン}} {{加筆|2016年〜2017年の推定発行部数|date=2019年4月}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = 週刊漫画ゴラク | 英文誌名 = | 誌名略称 = | ジャンル = [[青年漫画|男性向け漫画雑誌]] | 読者対象 = 30代 - 50代の男性 | 刊行頻度 = 週刊(毎週金曜日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 340円(税込み) | 出版社 = [[日本文芸社]] | 編集部名 = | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = | 刊行期間 = 1964年1月 - | 発行部数 = 推定28万 | 発行部数調査年月 = 2015年1月 - 2015年12月 | 発行部数調査機関 = [[全国出版協会]] | レーベル = ニチブンコミックス | 姉妹誌 = [[別冊漫画ゴラク|漫画ゴラクスペシャル]] | ウェブサイト = https://www.nihonbungeisha.co.jp/goraku/goraku/ | 特記事項 = 創刊当初の誌名は「週刊漫画娯楽読本」。 }} {{JIS2004}} 『'''週刊漫画ゴラク'''』(しゅうかんまんがゴラク)は、[[日本文芸社]]発行の男性向け週刊[[漫画雑誌]]である。 == 概要 == ゴラクWeb(公式ホームページ)で「'''本物の漢たちに贈るエンターテイメント!'''」を[[キャッチコピー]]にしている<ref name="goraku">[http://www.nihonbungeisha.co.jp/goraku/ ゴラクWeb] - 週刊漫画ゴラク公式サイトTOPページ、2012年7月7日閲覧。</ref>。日本文芸社では毎週金曜日を発売日としている<ref name="goraku" />。 読者層は30代〜50代の男性が主で、これは同じ大人向け漫画雑誌の『[[週刊漫画TIMES]]』([[芳文社]])と共通する。 編集方針として、他誌でリニューアルや編集部、読者と意識がズレてしまった等の理由で活躍の場が無くなった作家、作品を積極的に引き受けている。暴力事件やスキャンダルでどの出版社からも門前払いされていた[[梶原一騎]]の漫画原作者引退作品となるはずであった連載、「[[男の星座]]」を掲載した。また、『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])で連載された「[[銀牙 -流れ星 銀-]]」の続編「[[銀牙伝説WEED]]」は、発行数2000万部を超える<ref>[https://www.nihonbungeisha.co.jp/book/b328217.html 『ニチブンコミックス「銀牙伝説WEEDオリオン」紹介ページより』](2016年[[9月16日]][[閲覧]])</ref>、1-39巻までの合計発行部数は1500万部を超える<ref>[https://www.amazon.co.jp/%E9%8A%80%E7%89%99%E4%BC%9D%E8%AA%ACWEED-DVD-BOX-%E5%A3%B0-%E5%9C%8B%E7%AB%8B%E5%B9%B8/dp/B001AXNZW6/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1474115587&sr=1-1&keywords=%E9%8A%80%E7%89%99%E4%BC%9D%E8%AA%ACweed 『アマゾン「銀牙伝説WEED DVD-BOX」紹介ページより』](2016年9月16日閲覧)</ref>ヒット作となった。 == 歴史 == [[1964年]]1月に隔週刊誌『'''漫画娯楽読本'''』(まんがごらくどくほん)として創刊<ref name="news"><!--[https://www.bunkanews.jp/news/news.php?id=880&PHPSESSID=598be1c58459321647ed980e79247a64 日本文芸社、「漫画ゴラク」2000号 2006.02.16]-->日本文芸社、「漫画ゴラク」2000号 - 文化通信、2006.02.16</ref>。その後『'''漫画ゴラク dokuhon'''』(まんがゴラク ドクホン)の表記を経て、[[1971年]]8月から『'''週刊漫画ゴラク'''』表記となり、現在のスタイルに定着した<ref name="news" />。 初期の代表的連載作品として[[松本零士]]の『セクサロイド』<ref group="注">『漫画ゴラク dokuhon』1968年4月~1970年11月連載。</ref>、『大海賊ハーロック』<ref group="注">『漫画ゴラク dokuhon』1970年4月掲載。</ref>、『ミステリー・イブ』<ref group="注">『漫画ゴラク dokuhon』1970年11月~1971年8月連載。</ref>、[[小島剛夕]]の『斬殺者』<ref group="注">『週刊漫画ゴラク』1971年8月~1972年9月連載。 </ref>、『若い貴族たち』(原作・[[梶原一騎]]/画・[[佐藤まさあき]])<ref group="注">『週刊漫画ゴラク』1974年10月~1977年1月連載。</ref>などがある。 1990年代に連載をスタートした作品の中には20年以上続いている長寿作品が多く見られ、[[1992年]]に連載を開始した『[[ミナミの帝王]]』(原作・[[天王寺大]]/画・[[郷力也]])を筆頭に、[[1994年]]連載開始の『[[酒のほそ道]]』、[[1999年]]連載開始の『[[江戸前の旬]]』と『[[天牌|麻雀飛龍伝説 天牌]]』も、通算1000話を超える長期連載作品となっている。 [[2006年]]2月24日号で創刊2000号を達成<ref name="news" />。 [[2014年]]、週刊漫画ゴラク創刊50周年[[Twitter]]を開始。創刊50周年記念"超巨弾新連載"と称して[[宮下あきら]]の『[[魁!!男塾|男塾]]』シリーズの最終章『[[極!!男塾]]』を2409号から連載開始<ref>[https://natalie.mu/comic/news/113768 「男塾」最終章が開幕!あの塾生たちが宇宙規模の戦いへ] - コミックナタリー2014年04月04日、2014年4月6日閲覧。</ref><ref>[https://mantan-web.jp/article/20140403dog00m200064000c.html 男塾 : 最終章「極」連載スタート 懐かしのキャラや民明書房も] - MANTANWEB(毎日新聞デジタル)2014年04月04日、2014年4月6日閲覧。</ref>。 == 連載作品(五十音順) == * 鶯谷デッドゾーン(作画:三日閉両、原作:井深みつ)  * [[江戸前の旬]](作画:[[さとう輝]] / 原作:九十九森)※掲載順は主に巻末近くに固定 * オーラス-裏道の柳-(作画:[[嶺岸信明]] / 原作:[[押川雲太朗]])  * 鬼ゴロシ([[河部真道]]) * 家電のデンさん([[神保あつし]]) * [[警部補ダイマジン]](作画:[[コウノコウジ]] / 原作:[[リチャード・ウー]]) * [[酒のほそ道]]([[ラズウェル細木]]) * スマイリー(服部未定) * するりのベント酒(作画:[[こしのりょう]] / 原作:[[久住昌之]])※電子版限定 * [[高嶺のハナさん]]([[ムラタコウジ]]) * バクチグイ(作画:吉田史朗 / 原作:野﨑花一) * [[白竜 (漫画)|白竜HADOU]](作画:[[渡辺みちお]] / 原作:天王寺大)※掲載順は主に巻頭近くに固定 * ピエロマン(原作:[[本田真吾 (漫画家)|本田真吾]] / 作画:高橋伸輔) * [[秘匿夫婦〜クピドの悪戯〜]]([[北崎拓]]) * [[ミナミの帝王]](作画:[[郷力也]] / 原作:[[天王寺大]])※掲載順は主に巻末に固定 * ラクガキ〜呪いの館〜(作画:粂田晃宏 / 原作:[[志名坂高次]]) * [[レッドリスト〜警視庁組対三課PO〜]]([[神崎裕也]]) == 隔号・月1・シリーズ連載作品(五十音順)== * 蒼の不倫([[佐野タカシ]]) * あにまるぅちん(カエデミノル) * あやと私、まいにちみそ汁(五郎丸えみ) * 一級建築士矩子の設計思考([[鬼ノ仁]]) * 駅弁時間(六月柿光) * 首をまつる([[雨瀬シオリ]]) * 黒懺悔([[洋介犬]]) * 寺生まれ猫のタマさん([[春輝]]) * 時先生は着替えたい([[高山としのり]]) * 戸村助教授のアソビ(作画:[[富田童子]] / 原作:都伊カオル) * にんぷとくいいじ([[松本救助]]) * 病棟夫婦([[宮川サトシ]]) * 夫婦はじめました。(でも) * ほたるロードマップ(安堂ミキオ) * レトロの片隅で(昌原光一) == 休載作品(五十音順) == * ゴールデン・ガイ([[渡辺潤]]) == 連載終了作品(五十音順) == === あ行 === * [[嗚呼どす恋ジゴロ]](平松伸二) * [[愛す男〜ICEMAN〜]]([[村生ミオ]]) * [[哀夫人―華は乱れて]](作画:[[花小路ゆみ]] / 原作:[[浅倉達彦]]) * [[アウトロー日本昔話]]([[島崎康行]]) * [[赤と鉄]](作画:[[あだちつよし]] / シナリオ:[[鍋島雅治]]) * [[あかね便り]]([[関口シュン]]) * [[痣丸 -AZAMARU-]](作画:[[黒咲一人]] / 原作:[[桜小路むつみ]]) * [[アシスタントの桃栗さん]]([[早野旬太郎]]) ※漫画ゴラクスペシャルから移籍 * [[アシダカ -闇マネー狩り-]](作画:[[嶋田ひろあき]] / 原作:[[俵家宗弖一]])※短期集中連載 * [[あしたも通販]](高倉あつこ) * [[天沢さんを推してます。]]([[ウラモトユウコ]]) * [[蟻地獄 (小説)|蟻地獄]](作画:[[武村勇治]] / 原作:[[板倉俊之]]) * [[歩き巫女 九尾]]([[大杉ゆきひろ]]) ** 歩き巫女 九尾 千代女外伝 * [[アンダープリズン]]([[宮尾行巳]]) * [[アンとノン]]([[よだひでき]]) * [[いきものがすきだから]]([[カレー沢薫]]) * [[異世界三冠王]]([[渡辺保裕]]) ※第1部完 * [[壱六のシチ!]](作画:[[ひきの真二]] / 原作:[[やまざきみき]]) * [[いのち屋エンマ]]([[富沢順]]) * [[癒されたい男]]([[月島冬二]]) * [[ウタ★マロ〜愛の旅人〜]]([[国友やすゆき]]) * [[うっかりOLうかつちゃん]]([[こいずみまり]]) * [[占師サダム]]([[加藤唯史]]) * [[うるはしの美魔女さん]]([[さいだ一明]]) * [[うれしはずかし物語]]([[ジョージ秋山]]) * [[ADボーイ]]([[にわのまこと]]) * [[SとM]](村生ミオ) ※漫画ゴラクスペシャルへ移籍。 ** [[SとM|SとM エクスタシー]]([[村生ミオ]]) * [[演歌の拳]]([[木村シュウジ]]) * [[ANGEL (漫画)|ANGEL〜恋愛奉仕人・熱海康介]]([[遊人]]) * [[大江戸国芳よしづくし]]([[崗田屋愉一]]) * [[大江戸ジゴロ]](作画:檜垣憲朗 / 原作:鍋島雅治) * [[大食い甲子園]]([[土山しげる]]) * [[OKバディ!!]]([[金井たつお]]) * [[奥さまは女スパイ]]([[山口譲司]]) * [[オジバディ]](作画:[[はやせ淳]] / 原作:[[末田雄一郎]]) * [[鳳 (漫画)|鳳]](作画:渡辺みちお / 原作:[[神尾龍]]) * [[オタッキー伝説]]([[こしばしげる]]) * [[おとこ旅 野風呂天国]]([[沖圭一郎]]) * [[男!日本海]]([[玄太郎]]) * [[男の作法]](作画:[[なかじまもりお]] / 原作:[[池波正太郎]]) * [[男の星座]](作画:[[原田久仁信]] / 原作:[[梶原一騎]]) * [[男の流儀]]([[塚原洋一]]) * [[おちこぼれ]]([[たーし]]) * [[お主もワルよのぉ]](作画:[[横川直史]] / 原作:[[村田青]]) * [[HONESTY (漫画)|HONESTY]]([[きたがわ翔]]) * [[オバハンSOUL]]([[もりやまつる]]) * [[おやぢ猫の心配事]]([[猫原ねんず]]) * [[おれはシェフ]](神保あつし) * [[女の解体新書]]([[シモダアサミ]]) ※ゴラクエッグへ移籍。 * [[隠密包丁〜本日も憂いなし〜]](作画:[[本庄敬]] / 原作:[[花形怜]]) === か行 === * [[GIRLS BE…]]([[玉越博幸]]) * [[顔のない悪魔]](作画:花小路ゆみ / 原作:浅倉達彦) * [[鍵師ロック]](作画:[[飯星シンヤ]] / 原作:[[宮崎まさる|高田信]]) * [[係長ブルース]]([[ロドリゲス井之介]]) * [[火災調査官 (漫画)|火災調査官]](作画:[[田中つかさ]] / 原作:鍋島雅治) * [[カジノグイ]](作画:[[吉田史朗]] / 原作:[[野﨑花一]]) * [[かぞく]]([[土田世紀]]) ※[[絶筆]] * [[カタログ☆おねいさん]]([[葉月京]] / 原案:[[華麗るう]]) * [[鰹みだれうち]]([[関達也 (漫画家)|関達也]]) * [[金色フィッシング]](作画:[[江口賢一]] / 原作:[[桜小路むつみ]]) * [[神様はサウスポー ダイアモンド]]([[今泉伸二]]) * [[カミ憑き我慢を決壊す]]([[洋介犬]]) * [[唐獅子教師]](作画:[[地引かずや]] / 原作:[[牛次郎]]) * [[監禁婚〜カンキンコン〜]]([[近藤しぐれ]]) ※ ゴラクエッグへ移籍。 * ガングライフ〜オレとオモチャと家族と離婚〜([[烏山英司]])※短期集中連載 * [[ガンニバル]]([[二宮正明]]) * [[亀甲商店街・未亡人八百屋 桃谷つゆ子]](こいずみまり) * [[ギフト±]]([[ながてゆか|ナガテユカ]]) * [[キャット・ウォーカー]]([[細野不二彦]]) * [[ぎゃるYOMEeee!]]([[玉越博幸]]) * [[給料日のグルメ]]([[楠本哲]]) * [[今日からヒットマン]]([[むとうひろし]]) * [[凶獣イーグル]](作画:[[山口正人]] / 原作:[[西塔紅一]]) * [[狂乱横丁]]([[どおくまん|どおくまんプロ]]) * [[恐竜荘物語]]([[松本零士]]) * [[切子 殺]]([[本田真吾 (漫画家)|本田真吾]]) ※ 旧題は「切子」。 * [[霧島嵐児]]([[かざま鋭二]]) * [[銀牙少年伝説ドッグデイズ]]([[高橋よしひろ]]) * [[銀牙伝説WEEDオリオン]]([[高橋よしひろ]]) ** [[銀牙伝説 赤目]] ** [[銀牙〜THE LAST WARS〜]] ** [[銀牙伝説ノア]] * [[銀幕ボンバー]]([[六田登]]) * [[喰いしん坊!]](土山しげる) * [[くっとろい奴]](作画:[[ビッグ錠]] / 原作:牛次郎) * [[クマトラ クレイジートラックストーリー]](六田登) * [[廓ノ幻]](作画:[[今野直樹]] / 原作:[[市原剛]]) * [[紅の戦艦]]([[関達也 (漫画家)|関達也]]) * [[クローバー・シンデレラ]]([[明石英之]])※短期集中連載 * [[黒い傷痕の男]]([[佐藤まさあき]]) * [[クロエの流儀]]([[今井大輔]])※ ゴラクエッグへ移籍。 * [[クロカン (漫画)|クロカン]]([[三田紀房]]) * [[クロコーチ]](作画:[[コウノコウジ]] / 原作:[[リチャード・ウー]]) * [[芸能交渉人K]](作画:[[近藤和寿]] / 原作:[[柳心月]]) * [[競輪王ゼロ]]([[山本康人]]) * [[激愛〜極道を愛した女〜]](作画:[[阿宮美亜]] / 原作:[[石原伸司]]) * [[撃覇]](作画:渡辺みちお / 原作:天王寺大) * [[激マン!]]([[永井豪]]) * [[外道坊]](平松伸二) ** 外道坊&amp;マーダーライセンス牙(『外道坊』から改題)(平松伸二) * [[喧嘩ラーメン]](土山しげる) * [[拳闘士]]([[倉科遼|司敬]]) * [[荒野のグルメ]](作画:[[土山しげる]] / 原作:[[久住昌之]]) ※ 漫画ゴラクスペシャルへ移籍。 * [[5月の正しい使い方]]([[風間やんわり]]) * [[極!!男塾]]([[宮下あきら]]) ** [[真!!男塾]](宮下あきら) * [[ごくつま刑事]](作画:[[和気一作]] / 原作:[[香川まさひと]]) * [[極道運動会]]([[渡辺保裕]]) * [[五十五歳の地図]](黒咲一人) * [[こじやこはる日和]]([[田島ハル]]) * [[コックマン]]([[土山しげる]]) * [[ごっつあんです]](岡村賢二) * [[GJ ゴッド・ジョブ]](作画:[[叶精作]] / 原作:[[伊月慶悟]]) * [[コトブキ荘の食卓]]([[魚乃目三太]]) * [[このゆびとまれ]]([[大澄剛]]) ※ ゴラクエッグへ移籍。 * [[悪党収集員-西園寺の流儀-|悪党(ゴミ)収集員-西園寺の流儀-]]([[佐藤啓 (漫画家)|佐藤啓]]) * [[ころがし涼太]]([[村田ひろゆき]]) * [[こんな私がいたなんて]]([[小谷真倫]]) === さ行 === * [[最強ゴルフ]]([[いけうち誠一]]) * 埼食主義の女(なかじまもりお) * [[酒とにくきゅうー]]([[猫原ねんず]]) * [[ザ・シェフ]](作画:加藤唯史 / 原作:[[剣名舞]]) * [[サムライガール21]](作画:金井たつお / 原作:桜小路むつみ) * [[サンキュウ辰]]([[さだやす圭]]) * [[斬殺者]](作画:[[小島剛夕]] / 原作:梶原一騎) * [[Gの蹄音]]([[やまさき拓味]]) * [[しぃちゃん、あのね]]([[東裏友希]]) * [[事件屋稼業 (漫画)|新・事件屋稼業]](作画:[[谷口ジロー]] / 原作:[[関川夏央]]) * [[じこまん 〜自己漫]]([[玉井雪雄]]) ※ [[別冊漫画ゴラク]]を経て、ゴラクエッグへ移籍。 * [[士魂燃ゆ]](作画:[[司敬]] / 原作:[[杉浦要之介]]) * [[死星マリア|死星(シスター)マリア]](作画:叶精作 / 原作:[[梶研吾]]) * [[シニザマ]](作画:[[細川忠孝]] / 原作:[[宮崎克]]) * [[忍歌]]([[かわのいちろう]]) * [[仕沫屋 萬]](作画:地引かずや / 原作:[[狩野梓]]) * [[邪道 (漫画)|邪道]]([[土山しげる]]) * [[謝男]]([[板垣恵介]]) * [[重太郎フォーリンラブ]]([[東海林秀明]]) * [[樹海マン]](作画:[[ふくしま政美]] / 原作:西塔紅一) * [[粛清新選組]](作画:和夏弘雨 / 原作:荒木俊明) * [[修羅がゆく]](作画:山口正人 / 原作:[[天王寺大|川辺優]]) * [[錠前ロック!!]]([[上農ヒロ昭]]) * [[食キング]](土山しげる) * [[食の軍師]]([[泉昌之]])※月1連載 * [[処刑道]]([[楠本哲]]) * [[女帝花舞]](作画:和気一作 / 原作:[[倉科遼]]) * [[私立極道高校]]2011([[宮下あきら]]) * [[新宿セブン]](作画:[[奥谷通教|奥道則]] / 原作:[[宮崎まさる|観月昴]]) ※漫画ゴラクスペシャルへ移籍。 * [[新宿BOX]](作画:[[奥谷通教|奥道則]] / 原作:[[宮崎まさる|観月昴]]) * [[陣内流柔術流浪伝 真島、爆ぜる!!]]([[にわのまこと]]) ※ 別冊漫画ゴラクを経て、ゴラクエッグへ移籍。 * [[ずうふる]]([[棚下照生]]) * [[ゼウス -神々の王-]](作画:[[秋重学]]・原作:[[天王寺大]]) * [[セーラー服怨歌]](作画:[[中野喜雄]] / 原作:[[東史朗]]) * [[戦国えっち]]([[荒木俊明]]) * [[戦国SANADA紅蓮隊]]([[平松伸二]]) * [[戦国のドン]]([[岡村賢二]]) * [[千夜鬼抄バンパイア]]([[郷力也]]) * [[戦野の一服]]([[清澄炯一]]) * [[そう言やのカナ]]([[野村宗弘]]) * [[ゾク議員]]([[古沢優]]) * [[ソコナシイチズ]]([[保松侘助]])※短期集中連載 * [[葬流者]](作画:[[ケン月影]] / 原作:[[小池一夫|小池一雄]]) === た行 === * [[堕悪-DARK-]](作画:叶精作 / 原作:伊月慶悟) * [[DIRTY〜ダーティー〜]](作画:[[富沢順]] / 原作:[[天王寺大]]) * [[大紀の女はお固いのがお好き]]([[山崎匡佑|山崎大紀]]) * [[太閤えっち]]([[荒木俊明]]) * [[鯛と鯖]]([[月島冬二]]) * [[代表取締役総長東郷西吉]](古沢優) * [[大陸博徒]](作画:[[北野英明]] / 原作:李映伝([[梶川良]])) * [[闘う執事]]([[東條仁]]) * [[駄馬コマンコスキー]]([[野口アキラ]]) * [[Wスティール]]([[早坂ガブ]]) * [[ダブル 〜背徳の隣人〜]]([[国友やすゆき]]) * [[玉屋一代 花火心中]]([[関達也 (漫画家)|関達也]]) * [[たらし君]]([[平ひさし]]) * [[男知る祭〜ダンジルマツリ〜]]([[桜木さゆみ]]) * [[地下のチカ]]([[松本勇祐]]) * [[中年番長ノブナガ]]([[沖田龍児]]) * [[弱虫(チンピラ)]](立原あゆみ) * [[終のすみか (漫画)|終のすみか]]([[村生ミオ]]) * [[月夜の交差点]]([[佐野タカシ]]) * [[定食ハニー]]([[ナカタニD.]]) * [[ディーラー8]]([[檜垣憲朗]]) * [[天災一家!!モモヤマダ]]([[沖田龍児]]) * [[でんしゃ通り一丁目]]([[池田邦彦]]) * [[天呆銭]]([[神田たけ志]]) * [[TOKYO女神'S|TOKYO女神'S(ヴィーナス)]](作:[[赤羽シュン]] / 画:[[早川ナオヤ]]) * [[東京カルメン]](作画:花小路ゆみ / 原作:鍋島雅治) * [[東京シャッターガール]]([[桐木憲一]]) * [[東京メルヘン (漫画)|東京メルヘン]]([[笠太郎]]) * [[道玄坂アリス]]([[イワシタシゲユキ]]) * [[闘龍伝]](作画:[[谷村ひとし]] / 原作:[[塙鉄人]]) * [[とおせんぼう]]([[野部優美]]) * [[ドMな極妻姐さん]]([[小池田マヤ]]) * [[ドカコック]]([[渡辺保裕]]) ** [[ドカせん]](渡辺保裕)※ドカコックから通常連載化 * [[ドカバン社長]](神保あつし) * [[Dr.アシュラ]]([[こしのりょう]]) * [[Dr.沖のパチンコ教室]]([[沖圭一郎]] ) * [[Dr.刑事まどか]](作画:金井たつお / 原作:伊月慶吾) * [[特命キャバ嬢 只野仁美]]([[柳沢きみお]]) * [[どげせん]](企画・全面協力:[[板垣恵介]] / 作・画:[[笠原倫|RIN]]) * [[トコR55]]([[イワシタシゲユキ]]) * [[特攻会社員]](古沢優) * [[となりの林檎]]([[山崎紗也夏]]) * [[DrivingDoctor 黒咲]](作画:[[ユウダイ]] / 原作:[[神尾龍]])※第1部完 * [[ドロロンえん魔くん#どろろとえん魔くん|どろろとえん魔くん]]([[永井豪]]vs[[手塚治虫]]) === な行 === * [[ナイチンゲールによろしく]](作画:金井たつお / 原作:末田雄一郎) * [[撫子アンジェラ]]([[成田マナブ]]) * [[ニセガク無宿]](作画:[[高橋わたる|高橋亘]] / 原作:[[神保史郎]]) * [[ニッポン職人列伝]]([[本庄敬]]) * [[にゃん組長]]([[杉作]]) * [[猫とヤモメ]]([[杉作]]) * [[ねこまんま (漫画)|ねこまんま]]([[魚乃目三太]]) * [[の・ぞ・く保健教師]]([[遊人]]) * [[ノブナガ先生]]([[大和田秀樹]]) === は行 === * [[バイオレンスジャック]]([[永井豪]]) * [[売王]](作画:土山しげる / 原作:梶研悟) * [[HIGHER GROUND (漫画)|HIGHER GROUND]]([[小幡文生|小幡フミオ]]) * [[爆風三国志 我王の乱]](作画:山口正人 / 原作:川辺優) * [[ばくめし!]](土山しげる) * [[白竜 (漫画)|白竜]](作画:[[渡辺みちお]] / 原作:天王寺大) ** [[白竜LEGEND]](作画:[[渡辺みちお]] / 原作:天王寺大) * [[ばっどまん -悪男-]]([[玉井雪雄]]) * [[つるピカハゲ丸|ハゲ田ハゲ蔵]]([[のむらしんぼ]]) * [[パチっ子慕情]](作画:[[永松潔]] / 原作:牛次郎) * [[パチプロ探偵ナナ]](谷村ひとし) * [[パチンカー人別帳]](作画:[[左近士諒]] / 原作:牛次郎) * [[花とおじさん]](作画:[[太田正樹]] / 原作:[[森高夕次]]) * [[パラダイス監獄]]([[有賀照人]]) * [[ハルの肴 両国居酒屋物語]](作画:[[本庄敬]] / 原作:[[末田雄一郎]]) * [[番台猫のタマさん]]([[春輝]]) ** [[女子寮猫のタマさん]] * [[半勃ち日記]]([[とがしやすたか]]) * [[ぴーかん!]]([[玉越博幸]]) * [[美悪の華]](作画:檜垣憲朗 / 原作:倉科遼) * [[氷川凛子のぐだりんこ酒]]([[七龜アンノ]]) * [[ヒゲ猫のお宿]]([[杉作]]) * [[ヒトデナシ〜大江戸畜生稼業〜]](作画:[[忠見周]] / 原作:[[村田燕昇]])※短期集中連載 * [[秘書のカガミ]]([[堀戸けい]]) * [[ビターコネクト]]([[今井大輔]]) * [[ぴっかり職業訓練中]]([[野村宗弘]]) * [[ひみつの林檎]]([[山崎紗也夏]]) * [[百一 hyakuichi]]([[こうの史代]]) * [[漂流の街]](作画:山口正人 / 原作:[[宮崎信二]]) * [[ピンクのカーテン]]([[ジョージ秋山]]) * [[ピンサロスナイパー]]([[たべ・こーじ]]) * [[ファーストレディ (漫画)|ファーストレディ]](作画:[[藤原芳秀]] / 原作:[[宮崎克]]) * [[フィッシュ・ラーゲ]](ジョージ秋山) * [[フィーバー課長]](神保あつし) * [[ふうどる劇場]]([[のだじろー]]) * [[風流温泉ひとり旅]]([[ぼおりゅう・りき|ぼおりゅう{{JIS2004フォント|&#9825;}}りき]]) * [[フェイス〜背徳の囁き〜]](作画:[[サカワキヒロ太]] / 原作:[[村生ミオ]]) * [[フシダラ〜妻が不倫をする理由〜]]([[LINDA]]) * [[武士のフトコロ]]([[岡村賢二]]) * [[二人ぼっち]]([[南ひろこ]]) * [[不動 (漫画)|不動]](作画:渡辺みちお / 原作:天王寺大) * [[ブルーシートブルース]]([[北村永吾]]) * [[ベタ道]]([[ザビエル山田]]) * [[ヘルハウンド-保険調査員怪譚-]](作画:[[安藤慈朗]] / 原作:[[大沢俊太郎]]) * [[放課後ナナ]](地引かずや) * [[ぽか・べん|ぽか{{JIS2004フォント|&#9825;}}べん]]([[たかまつやよい]]) * [[誇り〜プライド〜]]([[高橋陽一]]) * [[ボタボタ]]([[板垣巴留]])※短期集中連載 * [[ぽちゃこい]]([[ムラタコウジ]]) * [[ポリ公]]([[立原あゆみ]]) * [[ホルスの手]]([[関達也 (漫画家)|関達也]]) * [[ボン蔵]]([[もりやまつる]]) * [[本当にあったムフフな話]]([[桜木さゆみ]]) === ま行 === * [[天牌|麻雀飛龍伝説 天牌]](作画:[[嶺岸信明]] / 原作:[[来賀友志]])※原作の来賀死去による事実上の未完 * [[マイティマザーズ]]([[烏山英司]]) * [[マインドハック]](作画:[[あだちつよし]] / 原作:[[宮崎まさる|宮崎克]])※短期集中連載 * [[マギー's犬Jr.]](原案:[[小池一夫]] / 作画:叶精作 / 原作:梶研悟) * [[親玉'S]]<マスターズ>([[かざま鋭二]]) * [[またまたインドへ馬鹿がやってきた]]([[山松ゆうきち]]) * [[真知子]]([[向後つぐお]]) * [[マトリズム]]([[鈴木マサカズ]]) * [[まぼろしキャバレー]]([[池田邦彦]]) * [[ママはスポーツドクター]]([[芹沢直樹]]) * [[ママやん!]]([[細井ちえ]]) * [[○泌のナース]]([[高倉あつこ]])※「○泌」は、○の中に「泌」の文字 * [[真夜中の熱帯魚]](作画:[[東克美]] / 原作:倉科遼) * [[マル暴鑑識官]](作画:田中つかさ / 原作[[黒沢哲哉]]) * [[ミスター赤玉]]([[田村信]]) * ミッシングコード([[岡村星]] / 脚色:[[沙村広明]])※短期集中連載 * [[密林記]](作画:[[広岡裕英]] / 原作:[[草川隆]]) * [[ミナミの帝王|ミナミの帝王 ヤング編]](作画:郷力也 / 原作:天王寺大) * [[結ばる焼け跡]]([[雨瀬シオリ]]) * [[冥土IN極道]]([[片山誠|かたやままこと]]) * [[女神さまのいうとおり]]([[艶々|廣瀬良多]]) * [[土竜の剣]](作画:かわのいちろう / 原作:[[狩野梓]]) * [[モトショップ大五郎]](作画:[[吉本浩二]] / 原作:[[黒沢哲哉]]) * [[ももえのひっぷ]]([[コージィ城倉]]) * [[もろびとこぞりて (漫画)|もろびとこぞりて]]([[ウチヤマユージ]])※短期集中連載 * [[モンキーピーク]](作画:[[粂田晃宏]] / 原作:[[志名坂高次]]) ** モンキーピーク the Rock(作画:粂田晃宏 / 原作:志名坂高次) * [[悶悶サラリーMAN]]([[中崎タツヤ]]) * [[モンローちゃん]]([[はらたいら]]) === や行 === * [[八百屋のベジ太くん]]([[大原なち]]) * [[ヤスジのドッチラケ節]]([[谷岡ヤスジ]]) * [[野望の王国]](作画:[[由起賢二]] / 原作:[[雁屋哲]]) * [[山手線ものがたり]]([[池田邦彦]]) * [[優駿物語]](やまさき拓味) * [[柳都物語]](作画:和気一作 / 原作:倉科遼) * [[やわらか]]([[村岡ユウ]]) * [[湯探歩]](ぶん:[[山崎一夫 (賭博)|山崎一夫]] / え:[[西原理恵子]]) * よのなかの獣(保松侘助)※短期集中連載 * [[44歳の彼女]]([[ホリユウスケ]]) === ら行 === * [[りもこんマン]](平ひさし) * [[Re:ロード]]([[佐々木拓丸]]) * [[理尽の不思議な野球]](漫画:[[かわぐちかいじ]] / 原作:[[四角丸]])※未完 * [[リバースエッジ 大川端探偵社]](作画:[[たなか亜希夫]] / 原作:[[ひじかた憂峰]]) * [[LOSERS (漫画)|LOSERS]]([[山本隆一郎]]) * [[歴女ガイドねね]]([[そらあすか]]) * [[LV41才の勇者]](作画:[[ナンジョウヨシミ]] / 原作:[[宮川サトシ]])※月1連載・第1部完 * [[恋愛の神様]]([[鈴木マサカズ]]) * [[69デナシ]]([[山本康人]]) * [[六本木特命刑事COOL]](作画:檜垣憲朗 / 原作:鍋島雅治) === わ行 === * [[若い貴族たち]](作画:佐藤まさあき / 原作:梶原一騎) * [[わし流小田舎ぐらし]]([[ぼおりゅう・りき|ぼおりゅう{{JIS2004フォント|&#9825;}}りき]]) * わたしの死に方([[湖西晶]]) * [[笑う殺し屋]]([[長谷川哲也]]) * [[ワリキリ姉妹]]([[高遠るい]]) == 備考 == 本誌の掲載作品は不定期連載も多く独特な構成のため、参考として2011年7月1日号から9月30日号までの各作品の掲載状況を表形式にして示す。 2011年各号の掲載作品数は17前後で、そのうち約半数強が毎号掲載されている。それ以外の作品のうちには、隔号掲載と明記されたものもあるが、休載サイクルの明記がないものや、掲載時の最終頁に次回掲載予定の記載されぬものなども多い。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:70%" |+ 週刊漫画ゴラク 2011年7月から9月まで各号の掲載作品 !月日号<br />No.<br />発売日!!頁<br />数 !7/1<br />2268<br />6/17!!7/8<br />2269<br />6/24!!7/15<br />2270<br />7/1!!7/23<br />2271<br />7/8!!7/29<br />2272<br />7/15 !8/5<br />2273<br />7/22!!8/12<br />2274<br />7/29!!8/19<br />2275<br />8/5!!8/26<br />2276<br />8/12 !9/2<br />2277<br />8/19!!9/9<br />2278<br />8/26!!9/16<br />2279<br />9/2!!9/23<br />2280<br />9/9!!9/30<br />2281<br />9/16 |- !SとM!!22 |第201話||-||第202話||第203話||第204話||-||第205話||第206話||第207話||-||第208話||第209話||第210話||- |- 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[[1989年]](平成元年) | 30万部 || 1990年版 出版指標年報 |- ! [[1990年]](平成2年) | 34万部 || 1991年版 出版指標年報 |- ! [[1991年]](平成3年) | 34万部 || 1992年版 出版指標年報 |- ! [[1992年]](平成4年) | 30万部 || 1993年版 出版指標年報 |- ! [[1993年]](平成5年) | 30万部 || 1994年版 出版指標年報 |- ! [[1994年]](平成6年) | 32万部 || 1995年版 出版指標年報 |- ! [[1995年]](平成7年) | 32万部 || 1996年版 出版指標年報 |- ! [[1996年]](平成8年) | 32万部 || 1997年版 出版指標年報 |- ! [[1997年]](平成9年) | 32万部 || 1998年版 出版指標年報 |- ! [[1998年]](平成10年) | 31万部 || 1999年版 出版指標年報 |- ! [[1999年]](平成11年) | 33万部 || 2000年版 出版指標年報 |- ! [[2000年]](平成12年) | 38万部 || 2001年版 出版指標年報 |- ! [[2003年]](平成15年) | 35万部 || 2004年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-1-5 |- ! [[2004年]](平成16年) | 36万部 || 2005年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-2-3 |- ! [[2005年]](平成17年) | 32万部 || 2006年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-3-1 |- ! [[2006年]](平成18年) | 31万部 || 2007年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-4-2 |- ! [[2007年]](平成19年) | 39万部 || 2008年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-5-9 |- ! [[2008年]](平成20年) | 33万部 || 2009年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-6-6 |- ! [[2009年]](平成21年) | 30万部 || 2010年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-7-3 |- ! [[2010年]](平成22年) | 29万部 || 2011年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-8-0 |- ! [[2011年]](平成23年) | 34万部 || 2012年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-9-7 |- ! [[2012年]](平成24年) | 33万部 || 2013年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-00-3 |- ! [[2013年]](平成25年) | 31万部 || 2014年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-01-0 |- ! [[2014年]](平成26年) | 32万部 || 2015年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-02-7 |- ! [[2015年]](平成27年) | 28万部 || 2016年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-03-4 |} == 主な増刊 == * [[別冊漫画ゴラク]] * [[漫画ゴラクネクスター]] * [[麻雀ゴラク]] * [[ヤングゴラク]] * [[漫画ゴラクカーニバル]] → [[コミックBREAK]] * [[漫画ゴラク 漫画パチンコ大連勝]] * [[さくらハーツ]] → [[コミックヘヴン]] * [[食漫]] * [[Hacker (雑誌)|月刊ハッカー]]([[ハッカーインターナショナル]]編集・発行) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == *[[週刊漫画TIMES]] *[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]] == 外部リンク == * [https://www.nihonbungeisha.co.jp/goraku/goraku/ 週刊漫画ゴラク公式サイト] * [https://www.nihonbungeisha.co.jp/goraku/ WEBゴラク] * {{Twitter|betsugoraku|漫画ゴラク編集部公式}} * {{ニコニコ静画|magazine|goraku|ゴラク魂}} {{週刊漫画ゴラク連載中}} {{Manga-stub}} {{DEFAULTSORT:しゆうかんまんかこらく}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:週刊漫画雑誌|しゆうかんまんかこらく]] [[Category:青年漫画雑誌]] [[Category:漫画ゴラク|*]] [[Category:日本文芸社]] [[Category:1964年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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少女コミック
『Sho-Comi』は、小学館発行の日本の少女向け漫画雑誌。1968年4月創刊。2007年の時点では、女子中学生と女子高校生が対象。旧誌名は『少女コミック』。略称も少コミからショウコミに変わっている。 1968年(昭和43年)に月刊誌として創刊。1969年(昭和44年)に月2回刊誌に、1970年(昭和45年)には、週刊化し、誌名の頭に『週刊』が付く。その後1978年(昭和53年)に現在の月2回刊に戻り、1991年(平成3年)より、誌名より『週刊』が取れ、再び『少女コミック』となる。そして2008年(平成20年)1号からは、表紙に長年使用してきた「少女コミック」の題字ではなく、略称「少コミ」のローマ字・英語併用表記の「Sho-Comi」に題字を改めている。 1970年代は既に他社で執筆していた『24年組』の萩尾望都や竹宮恵子(後「惠子」に改名)が起用されていた。 1980年代には「陽あたり良好!」(あだち充)、「ジョージィ!」(井沢満+いがらしゆみこ)、「ライジング!」(藤田和子)、『イズァローン伝説』(竹宮惠子)などの作品が連載されていた。また、北川みゆき、すぎ恵美子といった1990年代から2000年代初頭の少女コミックのスタイルを決定づける作家が本誌からデビューした。 1998年10号にて、創刊1000号を迎えた。 「闇のパープル・アイ」(篠原千絵)、「ふしぎ遊戯」、「妖しのセレス」(いずれも渡瀬悠宇)などのファンタジー作品も生み出していく一方で、具体的な性描写や性的暴行シーンが描かれた作品が問題視された。茨城県では茨城県青少年の健全育成等に関する条例に基づいて有害図書に指定したことがある。さらに2007年には、日本PTA全国協議会による「子どもとメディアに関する意識調査」の中で、「子どもに読ませたくない雑誌」の第1位になった。近年はその影響で性描写は抑えられつつある。 また、2010年に『ChuChu』の休刊を含む小学館の少女漫画雑誌全体の再編成が行われた影響で、小学校高学年の読者も本誌に取り入れる形となったため、年齢層がやや低下した。 2008年4月からはYahoo!コミックでウェブコミックとして一部掲載作品の配信を開始している(無料、毎月5・20日更新)。 また、2008年4月には40周年を記念してチャリティオークションを行い、その落札代金をユニセフへの寄付金とする活動を行った。 2020年1号からページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『週刊少年サンデー』や、その競合誌である『週刊少年マガジン』(講談社)でも採用されており、少女漫画雑誌では『なかよし』(講談社)や、本誌の競合誌『マーガレット』(集英社)でも採用されている。 以下、2023年12月5日(2024年1号)現在連載中の作品。休載中作品を含む。 本誌とは別に増刊が奇数月15日ごろに発売されている。『Sho-Comi増刊』という誌名で刊行。2019年11月15日発売の同年12月15日号から『Sho-ComiX』に誌名を変更し、リニューアルされている。誌面内容は読みきりが中心だが、本誌の連載作品の番外編が掲載されることもある。判型は本誌と同じB5判。定価は640円。 2023年12月15日号(2023年11月15日発売)現在。 2018年に創刊50周年を迎えるためビッグプロジェクトとして展開する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『Sho-Comi』は、小学館発行の日本の少女向け漫画雑誌。1968年4月創刊。2007年の時点では、女子中学生と女子高校生が対象。旧誌名は『少女コミック』。略称も少コミからショウコミに変わっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1968年(昭和43年)に月刊誌として創刊。1969年(昭和44年)に月2回刊誌に、1970年(昭和45年)には、週刊化し、誌名の頭に『週刊』が付く。その後1978年(昭和53年)に現在の月2回刊に戻り、1991年(平成3年)より、誌名より『週刊』が取れ、再び『少女コミック』となる。そして2008年(平成20年)1号からは、表紙に長年使用してきた「少女コミック」の題字ではなく、略称「少コミ」のローマ字・英語併用表記の「Sho-Comi」に題字を改めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1970年代は既に他社で執筆していた『24年組』の萩尾望都や竹宮恵子(後「惠子」に改名)が起用されていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1980年代には「陽あたり良好!」(あだち充)、「ジョージィ!」(井沢満+いがらしゆみこ)、「ライジング!」(藤田和子)、『イズァローン伝説』(竹宮惠子)などの作品が連載されていた。また、北川みゆき、すぎ恵美子といった1990年代から2000年代初頭の少女コミックのスタイルを決定づける作家が本誌からデビューした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1998年10号にて、創刊1000号を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「闇のパープル・アイ」(篠原千絵)、「ふしぎ遊戯」、「妖しのセレス」(いずれも渡瀬悠宇)などのファンタジー作品も生み出していく一方で、具体的な性描写や性的暴行シーンが描かれた作品が問題視された。茨城県では茨城県青少年の健全育成等に関する条例に基づいて有害図書に指定したことがある。さらに2007年には、日本PTA全国協議会による「子どもとメディアに関する意識調査」の中で、「子どもに読ませたくない雑誌」の第1位になった。近年はその影響で性描写は抑えられつつある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、2010年に『ChuChu』の休刊を含む小学館の少女漫画雑誌全体の再編成が行われた影響で、小学校高学年の読者も本誌に取り入れる形となったため、年齢層がやや低下した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2008年4月からはYahoo!コミックでウェブコミックとして一部掲載作品の配信を開始している(無料、毎月5・20日更新)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、2008年4月には40周年を記念してチャリティオークションを行い、その落札代金をユニセフへの寄付金とする活動を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2020年1号からページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『週刊少年サンデー』や、その競合誌である『週刊少年マガジン』(講談社)でも採用されており、少女漫画雑誌では『なかよし』(講談社)や、本誌の競合誌『マーガレット』(集英社)でも採用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "以下、2023年12月5日(2024年1号)現在連載中の作品。休載中作品を含む。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "本誌とは別に増刊が奇数月15日ごろに発売されている。『Sho-Comi増刊』という誌名で刊行。2019年11月15日発売の同年12月15日号から『Sho-ComiX』に誌名を変更し、リニューアルされている。誌面内容は読みきりが中心だが、本誌の連載作品の番外編が掲載されることもある。判型は本誌と同じB5判。定価は640円。", "title": "増刊・派生誌" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2023年12月15日号(2023年11月15日発売)現在。", "title": "増刊・派生誌" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2018年に創刊50周年を迎えるためビッグプロジェクトとして展開する。", "title": "創刊50周年プロジェクト" } ]
『Sho-Comi』は、小学館発行の日本の少女向け漫画雑誌。1968年4月創刊。2007年の時点では、女子中学生と女子高校生が対象。旧誌名は『少女コミック』。略称も少コミからショウコミに変わっている。
{{Otheruses|小学館から刊行されている少女漫画雑誌|漫画のジャンルとしての少女コミック|少女漫画}} {{特殊文字}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Shojo Comic logo.png | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = Sho-Comi | 英文誌名 = | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]]<ref name="f1">[https://adpocket.shogakukan.co.jp/media/sho-comi/ Sho-Comi - 小学館AdPocket] [[小学館]]</ref> | 読者対象 = 女子中学生〜女子高校生<ref name="shogakukan2007">[https://web.archive.org/web/20070505150048/http://adpocket.shogakukan.co.jp/53/index.html 小学館広告局 AD Pocket - 仕様・料金表 - 少女コミック (2007年時点のアーカイブ)] [[小学館]]</ref> | 刊行頻度 = 毎月5日、20日 | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 400円 | 出版社 = [[小学館]] | 編集部名 = | 発行人 = 吉田憲生 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 中田健一{{R|shogakukanADPOCKET20230421}}{{R|natalie20230130}} | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 25031 | 刊行期間 = 1968年4月 - | 発行部数 = 16,500<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-11-06}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年7月 - 2023年9月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[フラワーコミックス]] | 姉妹誌 = [[ベツコミ]]、[[ベツコミ#関連誌|デラックスベツコミ]] | ウェブサイト = [https://sho-comi.com/ 公式サイト] | 特記事項 = }} 『'''Sho-Comi'''』は、[[小学館]]発行の[[日本]]の少女向け[[漫画雑誌]]。[[1968年]]4月創刊。2007年の時点では、女子中学生と女子高校生が対象{{R|shogakukan2007}}。旧誌名は『'''少女コミック'''』。略称も'''少コミ'''から'''ショウコミ'''に変わっている。 == 歴史 == [[1968年]](昭和43年)に月刊誌として創刊。[[1969年]](昭和44年)に月2回刊誌に、[[1970年]](昭和45年)には、週刊化し、誌名の頭に『週刊』が付く。その後[[1978年]](昭和53年)に現在の月2回刊に戻り、[[1991年]](平成3年)より、誌名より『週刊』が取れ、再び『少女コミック』となる。そして[[2008年]](平成20年)1号からは、表紙に長年使用してきた「少女コミック」の題字ではなく、略称「少コミ」のローマ字・英語併用表記の「'''Sho-Comi'''」に題字を改めている<ref group="注">題字変更からしばらくは「少女コミック」表記も「ho-」の上部分に小さく併記されていた。その後、該当部分にQRコードが挿入されたため、その表記は表紙の向かって右端付近に移動している。</ref>。 [[1970年代]]は既に他社で執筆していた『[[24年組]]』の[[萩尾望都]]や[[竹宮惠子|竹宮恵子]](後「惠子」に改名)が起用されていた。 [[1980年代]]には「[[陽あたり良好!]]」([[あだち充]])、「[[ジョージィ!]]」([[井沢満]]+[[いがらしゆみこ]])、「[[ライジング!]]」([[藤田和子]])、『[[イズァローン伝説]]』(竹宮惠子)などの作品が連載されていた。{{独自研究範囲|date=2023-07-20|また、[[北川みゆき]]、[[すぎ恵美子]]といった[[1990年代]]から[[2000年代]]初頭の少女コミックのスタイルを決定づける作家が本誌からデビューした。}} [[1998年]]10号にて、創刊1000号を迎えた<ref>[https://natalie.mu/comic/pp/sho-comi50th Sho-Comi50周年特集、50年の歩みを年表で振り返る]、コミックナタリー、2018年6月5日。[https://ogre.natalie.mu/media/pp/static/comic/sho-comi50th/cover1998.jpg 画像リンク]</ref>。 「[[闇のパープル・アイ]]」([[篠原千絵]])、「[[ふしぎ遊戯]]」、「[[妖しのセレス]]」(いずれも[[渡瀬悠宇]])などのファンタジー作品も生み出していく一方で、具体的な性描写や[[悪戯|性的暴行]]シーンが描かれた作品<ref group="注">「[[快感・フレーズ|快感♥フレーズ]]」([[新條まゆ]])、「[[レンアイ至上主義]]」([[水波風南]])、「[[僕は妹に恋をする]]」([[青木琴美 (漫画家)|青木琴美]])などの例がある。</ref>が問題視された。[[茨城県]]では[[青少年保護育成条例|茨城県青少年の健全育成等に関する条例]]に基づいて[[有害図書]]に指定したことがある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/bugai/josei/syonen/pdf/jyourei_shiori.pdf |title=茨城県青少年の健全育成等に関する条例のしおり 4頁 |accessdate=2012-11-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120420130517/http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/bugai/josei/syonen/pdf/jyourei_shiori.pdf |archivedate=2012-04-20}}</ref>。さらに[[2007年]]には、[[日本PTA全国協議会]]による「子どもとメディアに関する意識調査」の中で、「子どもに読ませたくない雑誌」の第1位になった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/10_houkoku.pdf |title=子どもとメディアに関する意識調査 調査結果報告書 65-66頁 |accessdate=2012-11-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111102062708/http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/10_houkoku.pdf |archivedate=2011-11-02}}</ref>。{{独自研究範囲|date=2023-07-20|近年はその影響で性描写は抑えられつつある。}} {{独自研究範囲|date=2023-07-20|また、[[2010年]]に『[[ChuChu]]』<ref group="注">2000年に本誌と『ちゃお』編集部が共同で制作し、年2回刊(のちに季刊)で発行していた小学校高学年向け少女雑誌。2006年に月刊誌として独立創刊するものの、売り上げ不振により2009年12月(2010年2月号)に休刊。</ref>の休刊を含む小学館の少女漫画雑誌全体の再編成が行われた影響で、小学校高学年の読者も本誌に取り入れる形となったため、年齢層がやや低下した。}} [[2008年]]4月からは[[Yahoo!コミック]]で[[ウェブコミック]]として一部掲載作品の配信を開始している(無料、毎月5・20日更新)。 また、2008年4月には40周年を記念してチャリティオークションを行い、その落札代金を[[国際連合児童基金|ユニセフ]]への寄付金とする活動を行った。 {{独自研究範囲|date=2023-07-20|2020年1号からページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『[[週刊少年サンデー]]』や、その競合誌である『[[週刊少年マガジン]]』([[講談社]])でも採用されており、少女漫画雑誌では『[[なかよし]]』(講談社)や、本誌の競合誌『[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]』([[集英社]])でも採用されている。}} == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * 1988年 - 1992年 辻本吉昭<ref>{{Cite web|和書|title=私の少女漫画史 辻本吉昭 - 電子書籍はeBookJapan |url=https://web.archive.org/web/20130612045936/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_35.asp |website=web.archive.org |date=2013-06-12 |accessdate=2022-02-19}}</ref> * 2009年 - 2012年 細川祐司<ref>{{Cite web|和書|title=人気少女コミックの世界観満載! 小学館「Sho-Comi」×ミニストップのコラボパフェ新発売 {{!}} 企業情報 {{!}} ミニストップ |url=https://www.ministop.co.jp/corporate/release/detail011824.html |website=www.ministop.co.jp |access-date=2022-11-25}}</ref> * 2012年 - 2016年 萩原綾乃<ref>{{Cite web|和書|title=気になるマンガ業界の裏側、聞いてみました!『Sho-Comi』編集部座談会【前編】|url=https://www.clipstudio.net/oekaki/archives/150713 |website=イラスト・マンガ描き方ナビ |accessdate=2021-03-16 |language=ja}}</ref> * 2016年 - 2019年 井上拓生<ref>{{Cite web|和書|title=マンナビ マンガ賞/持ち込みポータルサイト|ちゃお井上拓生編集長①「ちゃおは例えるならディズニーランド」|url=https://mannavi.net/1629/ |website=マンナビ|マンガ賞/持ち込みポータルサイト |date=2015-12-06 |accessdate=2021-03-16}}</ref> * 2019年 - 2022年 畑中雅美<ref>{{Cite web|和書|title=生きづらさを無視したくない。ヒットを連発する少女マンガ編集者、畑中雅美のまなざし {{!}} キャリアハック(CAREER HACK)|url=http://careerhack.en-japan.com/report/detail/1266 |website=キャリアハック |accessdate=2021-03-16 |language=ja}}</ref> * 2022年 - 中田健一<ref name="shogakukanADPOCKET20230421">{{Cite web|和書|title=漫画にからめたタイアップは単発企画でも連載でのコラボも可能なので、まずは気軽にご相談ください。 『Sho-Comi』中田健一編集長インタビュー |url=https://adpocket.shogakukan.co.jp/adnews/4074/ |website=小学館AD POCKET |access-date=2023-06-07 |language=ja}}</ref><ref name="natalie20230130">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/column/508637/page/2|title=「天まで昇る読後感」「脳バグ体験をぜひ!」くせ者揃いの28タイトル|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-30|accessdate=2023-01-30}}</ref> == 連載作品 == {{Main2|過去の連載作品については[[少女コミック連載作品の一覧]]を}} 以下、2023年12月20日(2024年2号)現在連載中の作品。休載中作品を含む。 {| class="wikitable sortable" ! 作品名 !! 作者 !! 開始号 |- |{{Display none|しんきなきむことり}}仁義なき婿取り||[[佐野愛莉]]{{Display none|さの あいり}}||2020年03/04合併号 |- |{{Display none|せいしゆんへひいろおてえしよん}}青春ヘビーローテーション||{{Display none|みなせ あい}}[[水瀬藍]]||2020年05号 |- |{{Display none|きゆうそのちきりいつわりのおめか}}[[窮鼠の契り-偽りのΩ-]]||{{Display none|しらいし ゆき}}[[白石ユキ]]||2020年06号 |- |{{Display none|つきはいいよねせんはい}}[[次はいいよね、先輩]]||{{Display none|うめさわ まりな}}[[梅澤麻里奈]]||2021年15号 |- |{{Display none|まるまるこおきい}}まるまるコーギー||{{Display none|つし なつみ}}つじなつみ||2022年07号 |- |{{Display none|こんやかれのあにと}}今夜、彼の兄と||{{Display none|ゆうき みつる}}結貴みつる||2022年13号 |- |{{Display none|りようそくはこいにあましけんしゆうしよたんしりようにつき}}寮則は恋に甘し〜現住所、男子寮につき〜||{{Display none|はるみや あん}}春宮アン||2022年17号 |- |{{Display none|ねえちやんのこほうひふつかけちようみりよう}}ネエちゃんのご褒美ぶっかけ調味料||{{Display none|まんし とら}}万路とら||2022年21号<!-- - 2023年1号、2023年13号 - --> |- |{{Display none|しようねんふらいとたんそうれいしようとくろしよせい}}少年ブラヰド ー男装令嬢と黒書生ー||{{Display none|みつき みこ}}[[蜜樹みこ]]||2023年07号<!-- - 2023年12号、2023年16号 - 2023年20号、2023年24号 - --> |- |{{Display none|やんきいにこいといくしはむすすきる}}ヤンキーに恋と育児はムズすぎる||{{Display none|あたちはら ひかり}}足立原ひかり<br />小野ゆりえ||2023年08号 |- |{{Display none|ほほしつろくけんかいおたくたいかくせいのにちしよう}}ほぼ実録!限界オタク大学生の日常||{{Display none|みすほ かえる}}水帆かえる||2023年13号 |- |{{Display none|たかなしけのいもうとははなよめになりたい}}小鳥遊家の妹は花嫁になりたいっ!!||{{Display none|いけやまた こう}}[[池山田剛]]||2023年17号 |- |{{Display none|せんはいそつちにいつてもいいてすか}}先輩、そっちに行ってもいいですか?||{{Display none|あまね なこ}}雨音奈子||2023年19号<!-- - 2023年21号、2024年2号 - --> |- |{{Display none|まねかあいとるにおされてえんしようふかひてす}}マネがアイドルに推されて炎上不可避です!?||{{Display none|はなもと あさみ}}花本麻実||2023年21号 |- |{{Display none|とうきようしんろう}}東京§神狼||{{Display none|くまかい きようこ}}[[くまがい杏子]]||2023年23号 |} == 増刊・派生誌 == 本誌とは別に増刊が奇数月15日ごろに発売されている<ref>{{Cite journal|和書|date = 2022-01-15|journal =Sho-ComiX|volume=2022年2月14日号|publisher = 小学館|asin = B09NTCVL9N}}表紙より。</ref>。『Sho-Comi増刊』という誌名で刊行{{R|natalie20191115}}。2019年11月15日発売の同年12月15日号から『Sho-ComiX』に誌名を変更し、リニューアルされている<ref name="natalie20191115">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/355634|title=Sho-Comi増刊号がリニューアル!「兄こま」夜神里奈の新連載や水瀬藍読み切り|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-11-15|accessdate=2022-01-15}}</ref>。{{独自研究範囲|date=2022-01-15|誌面内容は読みきりが中心だが、本誌の連載作品の番外編が掲載されることもある。}}[[判型]]は本誌と同じB5判{{R|natalie20191115}}。定価は640円{{R|natalie20191115}}<ref>{{Cite journal|和書|date = 2019-11-15|journal =Sho-ComiX|volume=2019年12月15日号|publisher = 小学館|asin = B07ZLKVQMC}}表紙より。</ref>。 === 『Sho-ComiX』の連載作品 === ==== 連載中作品 ==== 2023年12月15日号(2023年11月15日発売)現在。 * おとなの初恋([[星森柚稀も]]):2021年2月14日号<ref name="natalie20200515">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/379148|title=「帝都初恋心中」最終章がSho-ComiXで開幕、同時連載「少年ブラヰド」も始動|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-05-15|accessdate=2022-01-15}}</ref> - * 文豪に捧げる乙女(甘宮ちか):2021年10月15日号<ref name="natalie20210915">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/445344|title=書店員とミステリー作家の溺愛ラブ「文豪に捧げる乙女」Sho-ComiXで移籍連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-15|accessdate=2022-01-15}}</ref> - ←『&フラワー』から移籍{{R|natalie20210915}} * オタクの城(朝黄ひかる):2022年2月14日号<ref name="natalie20220115">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/461733|title=「クズとケモ耳」Sho-ComiXで移籍連載スタート、オタク女子と御曹司の同居ラブも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-01-15|accessdate=2022-01-15}}</ref> - * クズとケモ耳([[杉しっぽ]]):2022年2月14日号{{R|natalie20220115}} - ←『&フラワー』から移籍{{R|natalie20220115}} * あざとい君を落としたい!(真村ミオ):2022年6月15日号 - * キスシーンはアドリブです!(ましい柚茉):2022年10月15日号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/493821|title=イケメン演技派俳優と夢見る崖っぷち脚本家のラブストーリー、Sho-ComiX新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-15|accessdate=2022-09-15}}</ref> - * おひとりさま少女漫画家のお気楽ぼっち生活([[華夜]]):2023年6月15日号<ref name="natalie20230515">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/524602|title=食べることに全力な女子がイケメンシェフに出会う新連載、Sho-ComiXで開幕|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-05-15|accessdate=2023-05-15}}</ref> - * 三つ星彼氏のフルコース([[森猫まりり]]):2023年6月15日号{{R|natalie20230515}} - * 望木くんのご奉仕は実は甘い。(秋梨いと):2023年10月15日号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-09-15|title=Contents|journal =Sho-ComiX|volume=2023年10月15日号|publisher = 小学館|asin = B0CH8X8CKS}}表紙より。</ref> - * ねことチワワ(長谷川さわ):2023年12月15日号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-11-15|title=Contents|journal =Sho-ComiX|volume=2023年12月15日号|publisher = 小学館|asin = B0CMDJ3LB6}}表紙より。</ref> - ==== 過去の連載作品 ==== * イケメンパンダ(ナオダツボコ): - 2020年6月15日号{{R|natalie20200515}} ※『Sho-Comi増刊』から連載 * 99%男女交際([[清水まみ]]): - 2021年4月15日号 ※『Sho-Comi』平行連載 * 新婚中で、溺愛で。([[真村ミオ]]): - 2020年2月14日号 ※『Sho-Comi増刊』から連載 * Sフレコンプレックス([[市川ショウ]]):2019年12月15日号{{R|natalie20191115}} - 2020年4月15日号 * キミに溺れる心臓([[夜神里奈]]):2019年12月15日号{{R|natalie20191115}} - 2021年6月15日号→『モバフラ』へ移籍 * 抱きしめておやすみ(甘宮ちか):2019年12月15日号{{R|natalie20191115}} - 2020年4月15日号 * 月とメープルシロップ -先生との恋は蜜の味-([[華夜]]):2019年12月15日号{{R|natalie20191115}} - 2023年2月14日号 * 不埒な蕾([[真村ミオ]]):2019年12月15日号{{R|natalie20191115}} - 2022年4月15日号 * 花の散るらん -吉原遊郭恋がたり-([[森猫まりり]]):2020年2月14日号 - 2022年12月15日号 * ワンルームスイートライフ(朝黄ひかる):2020年2月14日号 - 2021年8月15日号 * 推しと結婚するまでの300days(ましい柚茉):2020年4月15日号 - 2022年8月15日号 * 猫のいもうと(奈々島ユカ):2020年4月15日号 - 2021年2月14日号{{R|natalie20210115}} * 私の可愛い店長(まちだ紫織):2020年4月15日号 - 2021年2月14日号{{R|natalie20210115}} * 少年ブラヰド ー男装令嬢と黒書生ー([[蜜樹みこ]]):2020年6月15日号<ref name="natalie20210115">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/412532|title=「ういらぶ。」星森柚稀もの新連載が開幕、少年ブラヰド&花の散るらんの付録も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-01-15|accessdate=2022-01-15}}</ref> - 2023年2月14日号 ※読み切りから連載化{{R|natalie20200515}} * 俺のこと飼ってみない?(まちだ紫織):2021年4月15日号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/420199|title=年下男子に翻弄される孤独なバリキャリ女子、まちだ紫織の新連載がSho-ComiXで|publisher=ナターシャ|date=2021-03-15|accessdate=2022-01-15}}</ref> - 2023年8月15日号<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-07-14|title=Contents|journal =Sho-ComiX|volume=2023年8月15日号|publisher = 小学館|asin = B0CB4WHSLG}}表紙より。</ref> * 帝都初恋心中([[蜜樹みこ]]):2020年6月15日号 - 2020年12月15日号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/404588|title=伯爵×少女の大正ラブロマンス「帝都初恋心中」完結、作者サイン会&トークイベも決定|publisher=ナターシャ|date=2020-11-13|accessdate=2022-01-15}}</ref> ※『Sho-Comi増刊』から連載 == 発行部数 == * 1981年9月、公称30万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1982年版』</ref> * 1982年12月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1983年版』</ref> * 1984年4月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1984年版』</ref> * 1985年3月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1985年版』</ref> * 1986年3月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1986年版』</ref> * 1987年3月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1987年版』</ref> * 1988年3月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』</ref> * 1989年2月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1989年版』</ref> * 1990年2月、公称300,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1990年版』</ref> * 1991年2月、公称350,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1991年版』</ref> * 1991年4月 - 1992年3月、公称500,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1992年版』</ref> * 1992年4月 - 1993年3月、公称500,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1993年版』</ref> * 1993年1月 - 12月、推定52万部<ref>『1994年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1993年4月 - 1994年3月、公称475,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1994年版』</ref> * 1994年1月 - 12月、推定45万部<ref>『1995年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年1月 - 12月、推定47万部<ref>『1996年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1996年1月 - 12月、推定44万部<ref>『1997年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1998年1月 - 12月、推定43万部<ref>『1999年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1999年1月 - 12月、推定40万部<ref>『2000年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2000年1月 - 12月、推定38万部<ref>『2001年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、301,956部<ref name="data">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる1号当たり平均部数。</ref> * 2004年9月 - 2005年8月、299,565部<ref name="data" /> * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、260,218部<ref name="data" /> * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、226,826部<ref name="data" /> * 2007年10月1日 - 2008年9月30日、197,273部<ref name="data" /> * 2008年10月1日 - 2009年9月30日、168,000部<ref name="data" /> * 2009年10月1日 - 2010年9月30日、162,609部<ref name="data" /> * 2010年10月1日 - 2011年9月30日、165,740部<ref name="data" /> * 2011年10月1日 - 2012年9月30日、160,392部<ref name="data" /> * 2012年10月1日 - 2013年9月30日、152,696部<ref name="data" /> * 2013年10月1日 - 2014年9月30日、138,479部<ref name="data" /> * 2014年10月1日 - 2015年9月30日、118,000部<ref name="data" /> * 2015年10月1日 - 2016年9月30日、105,783部<ref name="data" /> * 2016年10月1日 - 2017年9月30日、101,000部<ref name="data" /> * 2017年10月1日 - 2018年9月30日、92,913部<ref name="data" /> * 2018年10月1日 - 2019年9月30日、69,348部<ref name="data" /> * 2019年10月1日 - 2020年9月30日、49,826部<ref name="data" /> * 2020年10月1日 - 2021年9月30日、38,565部<ref name="data" /> * 2021年10月1日 - 2022年9月30日、27,130部<ref name="data" /> * 2022年10月1日 - 2023年9月30日、18,409部<ref name="data" /> == 創刊50周年プロジェクト == [[2018年]]に創刊50周年を迎えるため'''ビッグプロジェクト'''として展開する。 * 実写化作品 ** [[未成年だけどコドモじゃない]]・[[あのコの、トリコ。]]・[[ういらぶ。]]・[[4月の君、スピカ。]] - 実写映画化 ** [[花にけだもの|花にけだもの1・花にけだもの2]] - 配信限定ドラマ化 ** [[僕の初恋をキミに捧ぐ]] - テレビドラマ化 * 舞台化作品 ** [[天は赤い河のほとり]] - [[宝塚歌劇団]]によりミュージカル化 * [[プリパラ]] - '''WITH'''視点でコミカライズ * [[サンリオ男子]] - ヒロイン視点でコミカライズ([[MangaONE]]ではサンリオ男子視点でコミカライズ) == 関連項目 == * [[ベツコミ]] * [[ちゃお]] * [[Cheese!]] * [[ポシェット (雑誌)|ポシェット]] * [[MangaONE]] * [[フラワーコミックス]] * [[山本順也]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.sho-comi.com/ 少コミねっと] {{小学館}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=週刊少女コミック |1-1=週刊漫画雑誌 }} {{DEFAULTSORT:しようこみ}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:小学館の漫画雑誌]] [[Category:月2回刊漫画雑誌]] [[Category:月刊漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:Yahoo!コミック]] [[Category:有害指定された雑誌]] [[Category:少女コミック|*]] [[Category:1968年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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花とゆめ
『花とゆめ』(はなとゆめ)は、白泉社が発行する漫画雑誌。掲載作品は、誌名をとった「花とゆめコミックス」として刊行されている。 1974年5月、月刊誌として集英社から創刊。創刊号の表紙は「こやのかずこ」のイラストで、価格は280円だった。1975年1月より月2回発行に変わり、2013年1月現在も毎月5日・20日に発行している。月2回発行少女漫画雑誌で唯一(2011年1月時点で)、年末年始の発行休止(合併号)を行ったことがない。これは『マーガレット』(集英社)も同様だが、2008年度の発行・発売分に関しては年末(1・2号)と年始(3・4号)がいずれも合併号になった。また、『Sho-Comi』(小学館)は2001年から年始発行・発売分(3・4号)が合併号になっている。 誌名の由来は、白泉社創立のメンバーの一人で、初代代表取締役社長の梅村義直によると、国電の車内吊り広告で、飯田深雪の展覧会宣伝広告のテーマ「花とロマン」を見て思いつき、「と」で名詞をつなぐドロ臭さが今までの雑誌名にはなく、新鮮に見えたと回想している。 創刊当初は、『別冊マーガレット』(集英社)を中心に執筆していた作家が活動した。この創刊初期を支え、その後も執筆の場を他誌に移して活動を続けている漫画家は多い。また、1970年代にそれまでにないジャンルの作品が描かれ、少女漫画の世界が一気に広がったが、当時本誌で執筆していた男性作家たちはその一翼を担っていた(少女漫画#歴史参照)。 2021年1月 - 3月時点の発行部数は86,267部(日本雑誌協会による発表値)。これは月2回刊少女漫画雑誌の発行部数トップである。 2020年5月20日発売の12・13合併号から、紙の雑誌と電子版が同日に発売するようになっている。 『LaLa』(白泉社)は、創刊時の漫画家ラインナップが『花とゆめ』と重複している部分が大きいが、同誌の増刊として創刊され、その後独立したものではなく、新創刊されたものである。 競合誌に当たる『マーガレット』の広告が掲載されることがある。また、2002年3月発売の号までは、やはり競合誌の『少女コミック』(現在は誌名を『Sho-Comi』に変更)の広告が掲載されていた。これは元々『花とゆめ』が集英社から刊行されていたのと、両誌が同じ一ツ橋グループに属する出版社(集英社および小学館)が刊行している雑誌だからである。 ※2024年1号現在。 「花とむし」とは、当誌の読者コーナーのタイトル。略称「花むし」。編集者と漫画家がこのコーナーを担当するが、どちらかの担当者が交代すれば、コーナーのテーマと一部内容が変更になる。なお、2010年11号時点でのテーマは「喫茶店」。また、テーマに沿った4コマ漫画も掲載されている。 コーナーの内容は以下の通り。なお、特に掲載号の記載がないものは毎号掲載。いずれも2010年11号時点のもの。
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『花とゆめ』(はなとゆめ)は、白泉社が発行する漫画雑誌。掲載作品は、誌名をとった「花とゆめコミックス」として刊行されている。
{{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = | 誌名 = 花とゆめ | 英文誌名 = Hana to Yume | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 読者対象 = 少女 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#月2回刊|月2回刊]](毎月5日、20日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本]] | 定価 = | 出版社 = [[集英社]] → [[白泉社]] | 編集部名 = 花とゆめ編集部 | 発行人 = 髙田英之 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 長谷川貴広{{R|prtimes20210721}} | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 21231 | 刊行期間 = [[1974年]][[5月]] - | 発行部数 = 47,500<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-11-06}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年7月 - 2023年9月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[花とゆめコミックス]] | 姉妹誌 = | ウェブサイト = [http://www.hanayume.com/hanayume/index.html 白泉社:花とゆめ.com【トップページ】] | 特記事項 = }} 『'''花とゆめ'''』(はなとゆめ)は、[[白泉社]]が発行する[[漫画雑誌]]。掲載作品は、誌名をとった「[[花とゆめコミックス]]」として刊行されている。 == 概要 == [[1974年]]5月、月刊誌として集英社から創刊<ref>『りぼん』1975年5月号の広告より。</ref>。創刊号の表紙は「こやのかずこ」のイラストで、価格は280円だった。[[1975年]]1月より月2回発行に変わり、2013年1月現在も毎月5日・20日に発行している。月2回発行少女漫画雑誌で唯一(2011年1月時点で)、年末年始の発行休止(合併号)を行ったことがない。これは『[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]』([[集英社]])も同様だが、2008年度の発行・発売分に関しては年末(1・2号)と年始(3・4号)がいずれも合併号になった。また、『[[少女コミック|Sho-Comi]]』([[小学館]])は[[2001年]]から年始発行・発売分(3・4号)が合併号になっている<ref>{{Cite web|和書|title=Sho-Comi50周年特集、50年の歩みを年表で振り返る - コミックナタリー 特集・インタビュー|url=https://natalie.mu/comic/pp/sho-comi50th |website=コミックナタリー |accessdate=2020-02-24 |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|株式会社ナターシャ]]}}</ref>。 誌名の由来は、白泉社創立のメンバーの一人で、初代[[代表取締役]]社長の梅村義直によると、[[国電]]の車内[[吊り広告]]で、[[飯田深雪]]の[[展覧会]]宣伝広告のテーマ「花とロマン<ref>これは、1973年11月第9回[[京王百貨店|京王]]展でのテーマである([http://www.miyuki-st.co.jp/miyuki/history.html 外部リンク参照])。</ref>」を見て思いつき、「と」で名詞をつなぐドロ臭さが今までの雑誌名にはなく、新鮮に見えたと回想している<ref>『白泉社30年の歩み 1973-2003』二冊セット(非売品)、2003年、15頁。</ref>。 {{独自研究範囲|date=2023-11-20|創刊当初は、『[[別冊マーガレット]]』(集英社)を中心に執筆していた作家が活動した。この創刊初期を支え、その後も執筆の場を他誌に移して活動を続けている[[漫画家]]は多い。また、1970年代にそれまでにないジャンルの作品が描かれ、少女漫画の世界が一気に広がったが、当時本誌で執筆していた男性作家たちはその一翼を担っていた([[少女漫画#歴史]]参照)。}} 2021年1月 - 3月時点の発行部数は86,267部([http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会]による発表値)。これは月2回刊少女[[漫画雑誌]]の発行部数トップである<ref>なお『Sho-Comi』は40,000部、『マーガレット』は17,500部。いずれも2021年1月 - 3月時点での、日本雑誌協会による発表値。</ref>。 2020年5月20日発売の12・13合併号から、紙の雑誌と電子版が同日に発売するようになっている{{R|natalie20200520}}。 『[[LaLa]]』(白泉社)は、{{独自研究範囲|date=2023-11-20|創刊時の漫画家ラインナップが『花とゆめ』と重複している部分が大きいが、}}同誌の増刊として創刊され、その後独立したものではなく、新創刊されたものである。 {{独自研究範囲|date=2023-11-20|競合誌に当たる『マーガレット』の広告が掲載されることがある。また、2002年3月発売の号までは、やはり競合誌の『少女コミック』(現在は誌名を『Sho-Comi』に変更)の広告が掲載されていた。これは元々『花とゆめ』が集英社から刊行されていたのと、両誌が同じ[[一ツ橋グループ]]に属する出版社(集英社および小学館)が刊行している雑誌だからである。}} == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * 鈴木浩介<!--2017年時点--> * 佐藤一哉(<!--2018年ごろ--> - 2021年<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |url=https://natalie.mu/comic/column/416418 |title=マンガ誌編集長が選ぶ、2020年のイチオシ作品|date=2021-03-05 |accessdate=2021-05-08}}</ref>) * 長谷川貴広(2021年<ref name="prtimes20210721">{{Cite news|newspaper=PR TIMES |publisher=[[PR TIMES|株式会社PR TIMES]] |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000568.000046848.html |title=白泉社全誌合同マンガ投稿サイト「マンガラボ!」2周年記念6月期MVP決定&続々ブログ更新!|date=2021-07-21 |accessdate=2021-07-21}}</ref> - ) == 主な連載作品 == === 現在連載中の作品 === <!-- タイトル50音順 -->  ※2024年1号現在。 * [[暁のヨナ]]([[草凪みずほ]]):2009年17号<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000383.000046848.html|title=「暁のヨナ」連載200回記念検定実施&表紙に登場!! 『花とゆめ』1号12月4日発売!!|website=PR TIMES|date=2020-12-04|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * うちの黒魔導士がかわいすぎる!(たきどん):2023年17号 - 2023年19号、2023年24号 - * 推しに甘噛み([[鈴木ジュリエッタ]]):2022年23号<ref name="natalie20221105">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/500248|title=鈴木ジュリエッタの新連載「推しに甘噛み」、アニオタ吸血鬼×毒舌隣人のラブコメディ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-11-05|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * 鬼の花嫁は喰べられたい(サカノ景子):2020年12・13合併号{{R|natalie20200520}} - 2020年16号{{R|natalie20200720}}、2020年20号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/397222|title=「俺様ティーチャー」真冬&早坂のその後を描く番外編が花ゆめに、ドラマCDも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-09-19|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * 顔だけじゃ好きになりません([[安斎かりん]]):2020年16号{{R|natalie20200720}} - * 神さま学校の落ちこぼれ([[赤瓦もどむ]]、原作:[[日向夏 (小説家)|日向夏]]):2021年17号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/439686|title=「薬屋のひとりごと」日向夏×「兄友」赤瓦もどむがタッグ!花ゆめで超能力新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-08-05|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * 琥春くんの細胞を(浅葉さつき):2024年1号 - * ザーフィラ陛下と黒と白(もといも):2023年3号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/507665|title=「暁のヨナ」ヨナとハクの描き下ろしクリアスタンドが花ゆめに|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-04|accessdate=2023-11-20}}</ref> - 2023年5号、2023年9号 - * [[スキップ・ビート!]]([[仲村佳樹]]):2002年3号 - * 多聞くん今どっち!?(師走ゆき):2021年22号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/450149|title=「高嶺と花」の師走ゆきがドルオタ少女と推し描く新連載「多聞くん今どっち!?」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-10-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * [[墜落JKと廃人教師]](sora):2017年16号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/241600|title=無表情攻め年下男子との恋「なまいきざかり。」10巻、限定版にドラマCD|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2017-07-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> - 2017年18号、2017年22号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/253499|title=福山リョウコと中条あやみが涙ぐむ、「覆面系ノイズ」対談が花ゆめに|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2017-10-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> - 2017年24号、2018年6号 - * [[贄姫と獣の王|〜贄姫と獣の王 スピンオフ〜 白兎と獣の王子]]([[友藤結]]):2022年18号 - * [[ぬこづけ!]](柚木色) * ネコまね!〜宇宙ネコ擬態する〜(此花高見) * 春の嵐とモンスター(ミユキ蜜蜂):2022年15号 - * 引きこもり姫と毒舌騎士様(酒井ゆかり):2023年8号 - * ピチカートの眠る森([[幸村アルト]]):2022年21号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/496378|title=幸村アルト「ピチカートの眠る森」が花ゆめで開幕、「暁のヨナ」チャーム付録も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-10-05|accessdate=2023-11-20}}</ref> - * ペンギンカフェへようこそ(星埜かなた):<!-- 連載は -->2023年13号 - === 中断している連載作品 === * ネイビー☆NATS!([[古都和子]]) * [[ベリーベリー]]([[日高万里]]) * [[闇の末裔]]([[松下容子]]) * [[リーゼロッテと魔女の森]]([[高屋奈月]]) * [[アンのマゴマゴ図書之国]]([[樋口橘]]) === 過去の掲載作品 === ==== あ行 ==== * [[愛は地球を救う]]([[武藤啓]]) * アイラブユーで燃やしてみせて(チキン):2023年6号 - 2023年13号 * [[紅い牙]]・ブルーソネット([[柴田昌弘]]) * 赤いピアノ線([[高口里純]]) * 赤ずきんに狼男は懐かない(ナツミ) * [[赤ちゃんと僕]]([[羅川真里茂]]) * 悪魔と箱の管理人(朝海いるか):2022年24号 - 2023年2号 * [[秋吉家シリーズ]]([[日高万里]]) * 朝からピカ☆ピカ([[山口美由紀]]) * 熱くなるまでまって([[高口里純]]) * [[兄友]]([[赤瓦もどむ]]) * 兄ワールド([[加藤四季]]) * あめのち晴れ([[杉原涼子]]) * あやかし、あまやかし(黒兎ももか) * [[アラクレ]]([[藤原規代]]) * [[アラベスク (漫画)|アラベスク]]([[山岸凉子]]) * [[アロイス]]([[萩尾望都]]) * [[アンドロイドはミスティー・ブルーの夢を見るか?]]([[川原泉]]) * アンは反抗期([[磁ロックス]]) * いきテル(此花高見) * [[いつでもお天気気分]]([[羅川真里茂]])→『[[別冊花とゆめ]]』に移籍 * [[いっぱしマン]]([[高口里純]]) * [[いっしょにねようよ]]([[高尾滋]]) * [[ヴァンデミエール 葡萄月の反動]]([[川原泉]]) * [[ヴィーナス綺想曲]]([[西形まい]]) * 宇宙の果てからこんにちは([[望月ぱすた]]) * うちの不敵なギャングスター(酒井ゆかり) * [[EXIT (漫画)|EXIT]]([[藤田貴美]]) * [[NGライフ]]([[草凪みずほ]]) * [[MとNの肖像]]([[樋口橘]]) * [[美雪&一堂シリーズ|MVPは譲れない!]]([[仲村佳樹]]) * エンドロールは君と(まめ魚):2021年19号 - 2021年21号、2022年4号 - 2022年12号 * 狼くんとマジョさん(此花高見) * [[オトナになる方法]]([[山田南平]]) * 乙女ゲーに転生したけど筋肉で解決します(ダル子):2022年6号 - 2022年18号 * [[お星様にお願いっ!]]([[藤崎真緒]]) * [[親指からロマンス]]([[椿いづみ]]) * [[俺様ティーチャー]]([[椿いづみ]]) ==== か行 ==== * [[怪盗アマリリス]]([[和田慎二]]) * 輝ける星([[椎名橙]])<!-- 2023年2号 - 2023年5号 --> * [[学園アリス]]([[樋口橘]]) * [[風の城砦]]([[河惣益巳]]) * 風呼びのマカナ(柴宮幸):2023年6号 - 2023年8号、2023年18号 - 2023年20号 * [[カタリアツメベ探訪談]]([[天原ふおん]]) * 学校ホテル([[モリエサトシ]]) * 蒲田ギュウ乳販売店(此花高見) * かみさまとふたりきり(朝海いるか) * [[神様はじめました]]([[鈴木ジュリエッタ]]) * [[火輪]]([[河惣益巳]]) * 虹色JOKER(みなみ佐智) * [[カラクリオデット]]([[鈴木ジュリエッタ]]) * [[ガラスの仮面]]([[美内すずえ]]) ※1997年以降中断。2008年7月から『別冊花とゆめ』に移籍 * [[空の帝国]]([[喜多尚江]]) * [[カレーの王子さま (漫画)|カレーの王子さま]]([[川原泉]]) * 木下兄妹は止まらない!(チキン):2022年14号 - 2022年16号、2022年22号 - 2023年1号 * [[奇妙な果実達]]([[山下友美]]) * [[CAPTAIN RED]]([[藤田貴美]]) * きょうだいごっこ([[安斎かりん]]):2018年9号{{R|natalie20180405}} - * [[今日も明日も。]]([[絵夢羅]]) * [[キラメキ☆銀河町商店街]]([[ふじもとゆうき]]) * [[綺麗展覧会]]([[喜多尚江]]) * [[銀のロマンティック…わはは]]([[川原泉]]):1986年3号 - 1986年7号 * ぐ-様に明日が来るように(森野ひびこ):2023年5号 - 2023年7号 * [[愚者の楽園]]([[川原泉]]) * [[黒伯爵は星を愛でる]]([[音久無]]): - 2018年9号<ref name="natalie20180405">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/276802|title=「黒伯爵は星を愛でる」がフィナーレ、半吸血鬼と吸血鬼ハンターの恋|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-04-05|accessdate=2023-11-20}}</ref> * [[GLOBAL GARDEN]]([[日渡早紀]]) * 月刊なかとば([[山口舞子]]) * [[月光 (漫画)|月光]]([[那州雪絵]]) * [[ゲートボール殺人事件]]([[川原泉]]) * [[ゲーム×ラッシュ]]([[草凪みずほ]]) * [[恋に無駄口]]([[福山リョウコ]]):2019年19号 - 2023年15号 * 恋は人の外([[南マキ]]) * 恋をしてでもバズりたい!(たかみね) * [[甲子園の空に笑え!]]([[川原泉]]) * [[紅茶王子]]([[山田南平]]) * [[ゴールデン・デイズ]]([[高尾滋]]) * [[極楽同盟]]([[絵夢羅]]) * [[ここはグリーン・ウッド]]([[那州雪絵]]) * [[ココロに花を!!]]([[菅野文]]) * こちら夢喰い 悪夢、頂戴致します。(輝):2022年19号 - 2022年22号 * [[小春びより]] ([[神坂智子]]) * [[コレットは死ぬことにした]]([[幸村アルト]]) * 婚約者を雇ってみましたが(楠木薫) ==== さ行 ==== * [[サクラ大戦奏組]](島田ちえ、原作:チームかなで、(C)[[セガ]]、(C)[[レッド・エンタテインメント|RED]]、(C)[[白泉社]]) * [[サディスティック・19]](立花晶) * [[サラディナーサ]]([[河惣益巳]]) * 3年Z組ポチ先生([[磁ロックス]]) * 聖巫女の守護者([[友藤結]]): - 2022年10・11合併号 * [[幸福喫茶3丁目]]([[松月滉]]) * [[時間屋]]([[日高万里]]) * シークエンス-勇気の奏でる魔法-([[冴凪亮]]) * 執事・黒星は傅かない([[音久無]]):2019年9号 - 2022年23号{{R|natalie20221105}} * [[SHIMAVARA]]([[藤田貴美]]) * [[借金王キャッシュ]]([[河内美雪]]) * [[しゃにむにGO]]([[羅川真里茂]]) * シュガープリンセス([[中条比紗也]]) * Jupiter 〜The IDOLM@STER〜(ミユキ蜜蜂、(C)[[バンダイナムコエンターテインメント|NBGI]]) * [[少女鮫]]([[和田慎二]]) * 女王様の白兎([[音久無]]) * [[シルクロード・シリーズ (漫画)|シルクロード・シリーズ]]([[神坂智子]]) * 神祇の守り人(さくまれん) * 人狼乙女ゲームに転生したので生き残りエンドを目指します(サザメ漬け):2022年13号{{R|natalie20220603}} - 2022年15号、2022年19号 - 2023年1号 * [[スイッチ (漫画)|スイッチ]]([[望月花梨]]) * [[スイートブラック]]([[西形まい]]) * [[スケバン刑事]]([[和田慎二]]) * [[S・A]]([[南マキ]]) * [[スロップマンションにお帰り]]([[高尾滋]]) * スワンレイク([[樋口橘]]) * 青春アウェー([[コータ]]) * [[声優かっ!]]([[南マキ]]) * [[世界でいちばん大嫌い]]([[日高万里]]) * ゼロカウント([[武藤啓]]) * 先生のススメ([[冴凪亮]]) * その問には答えられません!(くりゅう):2023年21号 - 2023年23号 * [[空の食欲魔人]]([[川原泉]]) * そりゃないぜBABY([[立野真琴]]) * [[それでも世界は美しい]]([[椎名橙]]): - 2020年12・13合併号<ref name="natalie20200520">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/379793|title=「それでも世界は美しい」花ゆめで完結!「フラレガール」ボイスドラマも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-05-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> ==== た行 ==== * 大正恋愛活動(千歳四季) * [[高嶺と花]](師走ゆき): - 2020年16号<ref name="natalie20200720">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/388423|title=「高嶺と花」ついにフィナーレ!女子高生と残念御曹司の年の差ラブコメ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-07-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> * [[たじろぎの因数分解]]([[川原泉]]) * ただし恋に限る。(穂嶺灯):2023年10・11合併号 - 2023年13号 * [[Wジュリエット]]([[絵夢羅]]) * ダンゲキ!(かめみずとら) * ダンシグラシ([[西形まい]]) * 小さなお茶会([[猫十字社]]) * [[地球の王様]]([[喜多尚江]]) * [[中国の壺]]([[川原泉]]) * [[超少女明日香]]([[和田慎二]]) * [[翼を持つ者]]([[高屋奈月]]) * [[ツーリング・エクスプレス]]([[河惣益巳]]) * [[ディア マイン]]([[高尾滋]]) * [[DJシリーズ]]([[山下友美]]) * [[てるてる×少年]]([[高尾滋]]) * [[天使禁猟区]]([[由貴香織里]]) * [[天使1/2方程式]]([[日高万里]]) * 天上の愛 地上の恋([[加藤知子 (漫画家)|加藤知子]]) * 転生したら姫だったので男装女子極めて最強魔法使い目指すわ。(輝、『少年ハナトユメ』に移籍) * [[東京クレイジーパラダイス]]([[仲村佳樹]])   * [[動物のお医者さん]]([[佐々木倫子]])  * [[となりのメガネ君。]]([[ふじもとゆうき]]) ==== な行 ==== * [[ナデシコクラブ]]([[サカモトミク]]) * [[なまいきざかり。]](ミユキ蜜蜂): - 2022年2号 * [[なんて素敵にジャパネスク]]([[山内直実]]、原作:[[氷室冴子]]、『別冊花とゆめ』に移籍) * [[贄姫と獣の王]]([[友藤結]]) * [[ニューヨーク・ニューヨーク]]([[羅川真里茂]]) * 忍恋([[鈴木ジュリエッタ]]): - 2020年12・13合併号{{R|natalie20200520}} * [[忍者飛翔]]([[和田慎二]]) * ぬらりひょんの花嫁(吉田真翔): - 2022年6号 * [[ネバギバ!]]([[武藤啓]]) * [[悩殺ジャンキー]]([[福山リョウコ]]) * のばらに口づけ(夏菜つな) * 呪い子の召使い(柴宮幸):2020年7号 - 2022年24号 * 呪われた夜の太陽(酒井ゆかり) ==== は行 ==== * ハートの国でお茶会([[古都和子]]) * [[パーフェクト・デイ]]([[高口里純]]) * [[伯爵カインシリーズ]]([[由貴香織里]]) * はじまりのにいな([[水森暦]]) * [[パタリロ!]]([[魔夜峰央]]、『別冊花とゆめ』に移籍) * [[パセリを摘みに]]([[川原泉]]) * [[花ざかりの君たちへ]]([[中条比紗也]]) * [[花と悪魔]]([[音久無]]) * 花時をかける(青海瑠依):2023年16号 - 2023年20号 * [[花の騎士]]([[西形まい]]) * [[バビロンまで何マイル?]]([[川原泉]]) * [[はみだしっ子]]([[三原順]]) * 春の日ぐらし(朝ひおり):2022年15号 - 2022年17号、2022年22号 - 2023年2号 * はれ食堂(綾かおり) * パンと懐剣([[神坂智子]]) * [[ピアノの恋人]]([[喜多尚江]]) * [[緋桜白拍子]]([[藤丞めぐる]]) * [[ピグマリオ]]([[和田慎二]]) * [[ピーターとマリア]]([[山下友美]]) * [[ひつじの涙]]([[日高万里]]) * 瞳・元気 KINGDOM([[藤崎真緒]]) * ひなた120%([[藤崎真緒]]) * [[V-K☆カンパニー]]([[山口美由紀]]) * [[美貌の果実]]([[川原泉]]) * ひみつの海藤家([[加藤知子 (漫画家)|加藤知子]]) * [[妖精標本]]([[由貴香織里]]) * [[女子妄想症候群]]([[イチハ]]) * [[覆面系ノイズ]]([[福山リョウコ]]) * ブラックハートスター([[中村世子]]) * [[フラレガール]](堤翔):2018年7号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/272158|title=ハクや成瀬にあんな衣装やこんなポーズを…花ゆめ連載作の扉絵リクエスト企画|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-03-05|accessdate=2023-11-20}}</ref> - 2018年9号{{R|natalie20180405}}、2018年16号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/291920|title=「半分、青い。」鈴愛作の「一瞬に咲け」が花ゆめに!次号鈴木ジュリエッタ新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-07-20|accessdate=2023-11-20}}</ref> - 、 - 2022年13号<ref name="natalie20220603">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/480157|title=「フラレガール」4年の連載に幕!花ゆめ付録は草凪みずほ描き下ろしのヨナ付箋|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-06-03|accessdate=2023-11-20}}</ref> * ブリキの缶づめ(みなみ佐智) * [[フルーツ果汁100%]](岡野史佳) * [[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]](高屋奈月) * [[フルハウスキス]](佑羽栞) * [[フロイト1/2]]([[川原泉]]) * ペテン師は涙をこぼさない(浅葉さつき) * HELP!!([[藤原規代]]) * [[V・B・ローズ]]([[日高万里]]) * [[星空のカラス]]([[モリエサトシ]]) * [[忘却の首と姫]](惣司ろう) * [[ぼくの地球を守って]]([[日渡早紀]]) * ぼくらはバラの子([[水森暦]]) * [[星は歌う]]([[高屋奈月]]) * 星降るまきば!([[友藤結]]) * ぽちゃまに(平間要、『[[別冊花とゆめ]]』で移籍連載<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/158135 |title=「ぽちゃまに」別花に移籍、水森暦が農業女子描く新連載もスタート|work=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2015-08-26 |accessdate=2015-08-26}}</ref>) ==== ま行 ==== * マオの寄宿學校(安斎かりん) * 魔女っ子モモカ([[磁ロックス]]) * [[まなびや三人吉三]]([[山田南平]]) * [[マリオネット]]([[愛田真夕美]]) * みすけん!(さかたき新) * 道端の天使([[絵夢羅]]) * 未来のうてな([[日渡早紀]]) * [[夢幻スパイラル]]([[草凪みずほ]]) * [[無敵ハピネス]](みなみ佐智) * [[ムーン・ライティング]]シリーズ([[三原順]]) * 名探偵 耕子は憂鬱([[鈴木ジュリエッタ]]): - 2022年13号{{R|natalie20220603}} * [[メイプル戦記]]([[川原泉]]) * [[メタモルフォシス伝]]([[山岸凉子]]) * [[メビウス同盟]](みなみ佐智) * メリト×あいきゅうごっど(原作:津山冬、漫画:酒井ゆかり):2022年7号 - 2022年20号 * [[もうすこしがんばりましょう]]([[山口舞子]]) * 元殺し屋メイドは坊ちゃんを守りたい(春風マルチーズ):2023年20号 - 2023年22号 * [[モノクロ少年少女]]([[福山リョウコ]]) * [[森には真理が落ちている]]([[川原泉]]) ==== や行 ==== * [[妖精王]] ([[山岸凉子]]) * [[よろず屋東海道本舗]]([[冴凪亮]]) ==== ら行 ==== * [[ラブシック (漫画)|ラブシック]]([[モリエサトシ]]) * [[LOVE SO LIFE]]([[こうち楓]]) * [[LOVE SO LIFE|LIFE SO HAPPY]]([[こうち楓]]) * [[ラブ・ミー・ぽんぽこ!]]([[赤瓦もどむ]]) * リバース×アクト!(サザメ漬け):2023年14号 - 2023年16号 * [[星野架名#作品|緑野原学園シリーズ]] ([[星野架名]]) * ルチルの錬金術(さくまれん) * [[冷蔵庫物語]]([[ぷろとん]]) * ろっぱん!([[トビナトウヤ]]、原作:ハラダカケル) * [[ロング アゴー]](三原順) ==== わ行 ==== * [[和菓子のアン]](作画:猪狩そよ子、原作:[[坂木司]]、『花とゆめ 文系少女』より移籍) * [[笑う大天使]]([[川原泉]]) * ワルツの似合うころ([[高口里純]]) == 花とむし == 「花とむし」とは、当誌の読者コーナーのタイトル。略称「花むし」。編集者と漫画家がこのコーナーを担当するが、どちらかの担当者が交代すれば、コーナーのテーマと一部内容が変更になる。なお、2010年11号時点でのテーマは「喫茶店」。また、テーマに沿った4コマ漫画も掲載されている。 コーナーの内容は以下の通り。なお、特に掲載号の記載がないものは毎号掲載。いずれも2010年11号時点のもの。 * 花むしスーパークラブ:奇数号に掲載。作家陣に対するイラストやメッセージを募るコーナー。 * ファンルーム:掲載された漫画に対するイラストを描いたり、感想を寄せてもらうコーナー。 * かきたいほーだい:オリジナルキャラクターを描いてもらうフリーイラストコーナー。 * コスプレギャラリー:テーマに沿って本誌登場キャラクターの[[コスプレ]]イラストを描いてもらうイラストコーナー。 * 花むしまんが家通信:このコーナーは読者からの公募ではなく、作家陣に話を訊くもの。奇数号では、毎回違ったテーマに沿った回答を行う。一方、偶数号は常に近況報告となっている。また、偶数号に最終回が掲載された作家が、終了御礼のメッセージをここに寄せることがある。 * オリキャラ男子祭:奇数号に掲載。読者が考えたオリジナルの男性キャラクターを披露する企画。最優秀作は4コマ漫画に登場する。 * ふきだしチェンジ:偶数号に掲載。テーマに掲げられた、漫画のワンシーンのセリフを、いかに笑えるものにするかを、読者から募る企画。 == メディアミックスについて == * メディア展開は[[1982年]]の『[[パタリロ!]]』の[[テレビアニメ]]化が初である。特に『[[ガラスの仮面]]』については、2度テレビアニメ化、1度[[OVA]]化、そして1度[[テレビドラマ|ドラマ]]化された。 * テレビアニメ作品は『パタリロ!』以降、『[[赤ちゃんと僕]]』([[1996年]])、『[[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]]』([[2001年]])『[[学園アリス]]』([[2004年]])などがテレビアニメ化された。 * [[1988年]]から[[1993年]]までOVAでアニメ作品が数作製作された。特に『[[ここはグリーン・ウッド]]』([[1991年]])と『[[ぼくの地球を守って]]』([[1993年]])がヒットしシリーズ化された。そして2000年には『[[天使禁猟区]]』がOVA化された。 * 実写ドラマは『[[スケバン刑事]]』([[1985年]] - [[1986年]])が初であり、以降『[[動物のお医者さん]]』([[2003年]])『[[花ざかりの君たちへ]]』([[2007年]]および[[2011年]])(ドラマ化のタイトルは『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』)が製作された。 * 深夜ドラマとしては、『[[夜型愛人専門店-ブラッドハウンド-]]』が『ヴァンパイアホスト -夜型愛人専門店-』([[2004年]])としてドラマ化された。また、『ここはグリーン・ウッド』もアニメ化から17年を経て『ここはグリーン・ウッド 〜青春男子寮日誌〜』([[2008年]])としてドラマ化された。 * [[2006年]]に『[[笑う大天使]]』が実写映画化された。 *映像化こそされなかったものの、ドラマCD化された作品が多数存在する(例:『[[世界でいちばん大嫌い]]』『[[てるてる×少年]]』)。 * 『[[フルハウスキス]]』はテレビゲームを[[コミカライズ]]したものである。また、『[[なんて素敵にジャパネスク]]』がドラマ化されたが、これは漫画ではなく(原作)小説のドラマ化である。 * ラジオ番組にも進出している。子安武人をパーソナリティに[[文化放送]]にて『子安武人の花ゆめ気分でLaLaパーティー』を2001年3月まで放送した他、子安武人と[[私市淳]]をパーソナリティに文化放送にて『子安☆私市の花ゆめチックにLaLaしましょ』を2002年3月まで放送<ref>{{Cite web|和書|title=番組公式ホームページ|url=https://web.archive.org/web/20020215012922/http://www.marine-e.co.jp/radio/hana/index.htm |website=マリン・ラジオページ |accessdate=2022-01-08 }}</ref>、また、 [[下野紘]]と[[島﨑信長]]をパーソナリティにネットラジオの[[音泉]]にて『花とゆめ 男子会!?らじお』を2012年7月より放送している。 {{前後番組| 放送局 = [[文化放送]]| 放送枠 = 月曜25:30~26:00枠| 番組名 = 子安武人の花ゆめ気分でLaLaパーティー<br />(2000年4月~9月)| 前番組 = [[アニメトピア|アニメトピアR]]<br />(1998年10月5日~2000年3月)| 次番組 = 加藤由佳&フレンズのRAPping Street<br />(2000年10月~12月)| 2放送局=文化放送| 2放送枠=土曜25:30枠| 2番組名=子安武人の花ゆめ気分でLaLaパーティー<br>(2000年10月~)<br>↓<br>子安武人の花ゆめ気分でLaLa Party| 2前番組=[[ゲートキーパーズ|眞一郎と綾子のミッドナイトキーパーズ]]| 2次番組=[[RADIOアニメロミックス|一樹・巧のヤオメロミックス]]| }} == 映像化作品 == === アニメ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |+ テレビアニメ !作品 !放送年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[パタリロ!]] |1982年-1983年 |[[東映動画]] |映画あり |- | rowspan="2" |[[ガラスの仮面]] |1984年(第1作) |[[エイケン (アニメ制作会社)|エイケン]] | rowspan="2" | |- |2005年-2006年(第2作) |[[東京ムービー]] |- |[[ピグマリオ]] |1990年-1991年 |[[日本アニメーション]] | |- |[[赤ちゃんと僕]] |1996年-1997年 |[[ぴえろ]] | |- |[[闇の末裔]] |2000年 |[[J.C.STAFF]] | |- | rowspan="4" |[[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]] |2001年(第1作) |[[スタジオディーン]] | |- |2019年(第2作・第1期) | rowspan="3" |[[トムス・エンタテインメント|TMS/8PAN]] | rowspan="3" |OVAあり |- |2020年(第2作・第2期) |- |2021年(第2作・第3期) |- |[[学園アリス]] |2004年-2005年 |[[グループ・タック]] | |- |[[S・A]] |2008年 |[[ゴンゾ|GONZO]]<br />[[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]] | |- |[[スキップ・ビート!]] |2008年-2009年 |[[ハルフィルムメーカー]] | |- | rowspan="2" |[[神様はじめました]] |2012年(第1期) | rowspan="2" |トムス・エンタテインメント | rowspan="2" | |- |2015年(第2期) |- |[[それでも世界は美しい]] |2014年 |studioぴえろ | |- |[[暁のヨナ]] |2014年-2015年 |studioぴえろ | |- |[[覆面系ノイズ]] |2017年 |[[ブレインズ・ベース]] | |- |[[贄姫と獣の王]] |2023年 |J.C.STAFF | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |+ OVA !作品 !発売年 !アニメーション制作 !備考 |- |[[スケバン刑事]] |1991年 |シド・リミテッド | |- |[[ここはグリーン・ウッド]] |1991年-1993年 |スタジオぴえろ | |- |[[ぼくの地球を守って]] |1993年-1994年 |[[プロダクション・アイジー|Production I.G]] |- |[[天使禁猟区]] |2000年 |[[ハルフィルムメーカー]] | |} === ドラマ化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |+ テレビドラマ !作品 !放送年 !制作 !備考 |- | rowspan="3" |スケバン刑事 |1985年([[スケバン刑事 (ドラマ第1作)|第1作]]) | rowspan="3" |[[フジテレビジョン|フジテレビ]]<br />[[東映]] | rowspan="3" | |- |1985年-1986年([[スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説|第2作]]) |- |1986年-1987年([[スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇|第3作]]) |- |[[なんて素敵にジャパネスク#テレビドラマ|なんて素敵にジャパネスク]] |1986年 |[[日本テレビ]] |原作小説のドラマ化 |- |[[動物のお医者さん#テレビドラマ|動物のお医者さん]] |2003年 |[[テレビ朝日]] | |- |[[夜型愛人専門店-ブラッドハウンド-#テレビドラマ|夜型愛人専門店-ブラッドハウンド-]] |2004年 |[[テレビ東京]]<br />[[東宝]] |番組名:『'''ヴァンパイアホスト〜夜型愛人専門店〜'''』 |- | rowspan="4" |花ざかりの君たちへ |2006年-2007年([[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ(台湾ドラマ版)|台湾ドラマ版]]) |[[八大電視]] | |- |2007年([[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ(2007年版)|国内ドラマ版第1作]]) |フジテレビ<br />[[共同テレビジョン|共同テレビ]] | 番組名:『'''花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜'''』 |- |2011年([[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ(2011年版)|国内ドラマ版第2作]]) |フジテレビ |番組名:『'''花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜2011'''』 |- |2012年([[花ざかりの君たちへ (テレビドラマ)#花ざかりの君たちへ(韓国ドラマ版)|韓国ドラマ版]]) |[[ソウル放送|SBS]] | |- |[[ここはグリーン・ウッド#テレビドラマ|ここはグリーン・ウッド]] |2008年 |[[ゼネラル・エンタテイメント]] |番組名:『'''ここはグリーン・ウッド 〜青春男子寮日誌〜'''』 |- |[[兄友#テレビドラマ|兄友]] |2018年 |[[毎日放送]] | |- |[[恋に無駄口]] |2022年 |[[朝日放送テレビ]]<br />[[ホリプロ]] | |- |[[墜落JKと廃人教師#テレビドラマ|墜落JKと廃人教師]] |2023年 |毎日放送 | |} {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |+ Webドラマ !作品 !配信年 !配信先 |- |[[高嶺と花#配信ドラマ|高嶺と花]] |2019年 |[[フジテレビオンデマンド|FOD]] |} === 実写映画化 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" !作品 !公開年 !監督 !配給 !備考 |- |[[笑う大天使]] |2006年 |[[小田一生]] |[[アルバトロス (映画配給会社)|アルバトロス・フィルム]] | |} == 発行部数 == * 1978年6月、公称38万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1979年版』</ref> * 1979年7月、公称38万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1980年版』</ref> * 1980年7月、公称38万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1981年版』</ref> * 1981年9月、公称38万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1982年版』</ref> * 1982年12月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1983年版』</ref> * 1984年4月、公称500,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1984年版』</ref> * 1985年3月、公称500,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1985年版』</ref> * 1986年3月、公称420,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1986年版』</ref> * 1987年3月、公称420,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1987年版』</ref> * 1988年3月、公称420,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』</ref> * 1989年2月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1989年版』</ref> * 1990年2月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1990年版』</ref> * 1991年2月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1991年版』</ref> * 1991年4月 - 1992年3月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1992年版』</ref> * 1992年4月 - 1993年3月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1993年版』</ref> * 1993年1月 - 12月、推定31万部<ref>『1994年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1993年4月 - 1994年3月、公称450,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1994年版』</ref> * 1994年1月 - 12月、推定30万部<ref>『1995年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年1月 - 12月、推定25万部<ref>『1996年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1996年1月 - 12月、推定26万部<ref>『1997年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1997年1月 - 12月、推定28万部<ref>『1998年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1998年1月 - 12月、推定32万部<ref>『1999年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1999年1月 - 12月、推定36万部<ref>『2000年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2000年1月 - 12月、推定40万部<ref>『2001年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、300,416部<ref name="data">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会]マガジンデータによる1号当たり平均発行部数。</ref> * 2004年9月 - 2005年8月、295,208部<ref name="data" /> * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、289,375部<ref name="data" /> * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、283,541部<ref name="data" /> * 2007年10月1日 - 2008年9月30日、261,500部<ref name="data" /> * 2008年10月1日 - 2009年9月30日、226,542部<ref name="data" /> * 2009年10月1日 - 2010年9月30日、203,959部<ref name="data" /> * 2010年10月1日 - 2011年9月30日、189,113部<ref name="data" /> * 2011年10月1日 - 2012年9月30日、173,250部<ref name="data" /> * 2012年10月1日 - 2013年9月30日、159,242部<ref name="data" /> * 2013年10月1日 - 2014年9月30日、146,875部<ref name="data" /> * 2014年10月1日 - 2015年9月30日、137,167部<ref name="data" /> * 2015年10月1日 - 2016年9月30日、130,375部<ref name="data" /> * 2016年10月1日 - 2017年9月30日、124,679部<ref name="data" /> * 2017年10月1日 - 2018年9月30日、114,833部<ref name="data" /> * 2018年10月1日 - 2019年9月30日、106,913部<ref name="data" /> * 2019年10月1日 - 2020年9月30日、94,381部<ref name="data" /> * 2020年10月1日 - 2021年9月30日、84,787部<ref name="data" /> * 2021年10月1日 - 2022年9月30日、70,130部<ref name="data" /> * 2022年10月1日 - 2023年9月30日、53,283部<ref name="data" /> == 関連項目 == * [[花とゆめコミックス]] * [[白泉社アテナ新人大賞]] * [[ザ花とゆめ]] * [[別冊花とゆめ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/283877 |title=別冊花とゆめが休刊で約40年の歴史に幕、今秋に新Webマンガ誌創刊|work=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2018-05-26 |accessdate=2020-07}}</ref> * [[花とゆめ 文系少女]] * 花とゆめONLINE-無料[[オンラインコミック]]サイト。後に『LaLaメロディonline』と合体し『'''花LaLa online'''』にリニューアル。それも後に『ヤングアニマルDensi』とともに『[[マンガPark]]』に併合された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.hanayume.com/hanayume/index.html 公式ホームページ] * {{Twitter|hanayume|花とゆめ編集部}} {{花とゆめ連載中}} {{DEFAULTSORT:はなとゆめ}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:白泉社の漫画雑誌]] [[Category:月2回刊漫画雑誌]] [[Category:月刊漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:花とゆめ|*]] [[Category:1974年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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マーガレット (雑誌)
『マーガレット』 (Margaret) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。1963年創刊。毎月5日・20日発売。 1963年、同年に休刊した『少女ブック』に代わる総合少女週刊誌『週刊マーガレット』として創刊された。漫画のほか、ファッションや人気歌手の記事なども掲載。前年(1962年)に講談社が創刊した『少女フレンド』に対抗する目的もあり、PR版56万部が無料配布される。1968年には『アタックNo.1』(浦野千賀子)の連載が開始され、テレビアニメ化もされている。1970年代にも『ベルサイユのばら』(池田理代子)、『エースをねらえ!』(山本鈴美香)などの人気作品が連載され、『少女フレンド』・『少女コミック』(小学館)とともに、少女漫画ブームを築く週刊誌となった。 1988年に月2回刊となり、誌名表記も『Margaret』に変更された。2007年には、12月発売号を初めて合併号として発行した。その後、2008年1月発売号、2009年2月発売号、2012年1月発売号も合併号として発行した。 2013年4月20日発売の10号で創刊50周年を迎えたが、同誌が早々に売り切れたことから、5月2日から6月4日までインターネットでの無料配信を行なった。 ※ 2023年12月5日(2024年1号)現在。作品名五十音順。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『マーガレット』 (Margaret) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。1963年創刊。毎月5日・20日発売。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1963年、同年に休刊した『少女ブック』に代わる総合少女週刊誌『週刊マーガレット』として創刊された。漫画のほか、ファッションや人気歌手の記事なども掲載。前年(1962年)に講談社が創刊した『少女フレンド』に対抗する目的もあり、PR版56万部が無料配布される。1968年には『アタックNo.1』(浦野千賀子)の連載が開始され、テレビアニメ化もされている。1970年代にも『ベルサイユのばら』(池田理代子)、『エースをねらえ!』(山本鈴美香)などの人気作品が連載され、『少女フレンド』・『少女コミック』(小学館)とともに、少女漫画ブームを築く週刊誌となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1988年に月2回刊となり、誌名表記も『Margaret』に変更された。2007年には、12月発売号を初めて合併号として発行した。その後、2008年1月発売号、2009年2月発売号、2012年1月発売号も合併号として発行した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2013年4月20日発売の10号で創刊50周年を迎えたが、同誌が早々に売り切れたことから、5月2日から6月4日までインターネットでの無料配信を行なった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "※ 2023年12月5日(2024年1号)現在。作品名五十音順。", "title": "現在連載中の作品" } ]
『マーガレット』 (Margaret) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。1963年創刊。毎月5日・20日発売。
{{特殊文字}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = Magaretto magazine logo 2016.png | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = | 誌名 = マーガレット | 英文誌名 = Margaret | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 読者対象 = [[少女]] | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#刊行頻度|週刊 → 月2回刊]] | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 定価 = 420円 | 出版社 = [[集英社]] | 編集部名 = マーガレット編集部 | 発行人 = 今井孝昭 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 勅使川原崇 | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 20423 | 刊行期間 = [[1963年]] - | 発行部数 = 11,000<ref name="data">{{Cite web|和書|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index |title=1号あたりの平均印刷部数|work=印刷部数公表 |publisher=[[一般社団法人]] [[日本雑誌協会]] |accessdate=2023-11-06}}</ref> | 発行部数調査年月 = 2023年7月 - 9月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[マーガレットコミックス]] | 姉妹誌 = [[別冊マーガレット]]<br />[[ザ マーガレット]] | ウェブサイト = [http://margaret.shueisha.co.jp/index.html マーガレット 公式サイト] | 特記事項 = }} 『'''マーガレット'''』 (Margaret) は、[[集英社]]が発行する[[日本]]の[[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1963年]]創刊。毎月5日・20日発売。 == 概要 == [[1963年]]、同年に休刊した『[[少女ブック]]』に代わる総合少女週刊誌『'''週刊マーガレット'''』として創刊された。漫画のほか、ファッションや人気歌手の記事なども掲載。前年([[1962年]])に[[講談社]]が創刊した『[[少女フレンド]]』に対抗する目的もあり、PR版56万部が無料配布される。[[1968年]]には『[[アタックNo.1]]』([[浦野千賀子]])の連載が開始され、[[テレビアニメ]]化もされている。[[1970年代]]にも『[[ベルサイユのばら]]』([[池田理代子]])、『[[エースをねらえ!]]』([[山本鈴美香]])などの人気作品が連載され、『少女フレンド』・『[[少女コミック]]』([[小学館]])とともに、[[少女漫画]]ブームを築く週刊誌となった。 [[1988年]]に月2回刊となり、誌名表記も『Margaret』に変更された。[[2007年]]には、12月発売号を初めて合併号として発行した。その後、2008年1月発売号、2009年2月発売号、2012年1月発売号も合併号として発行した。<!--なお、『Sho-Comi』は毎年1月発売号を合併号とし、『花とゆめ』2019年4月20日発売分を10・11合併号とした。--> [[2013年]]4月20日発売の10号で創刊50周年を迎えたが、同誌が早々に売り切れたことから、5月2日から6月4日までインターネットでの無料配信を行なった<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/shueisha-margaret/entry-11522459123.html |title=マーガレット10号無料配信及び「ベルサイユのばら エピソード」再掲載のお知らせ|work=集英社 マーガレット編集部ブログ |date=2013-05-02 |accessdate=2022-05-30}}</ref>。 == 略歴 == * [[1963年]] - 総合少女[[週刊誌]]『'''週刊マーガレット'''』として創刊。 * [[1964年]] - 別冊として少女漫画誌『[[別冊マーガレット]]』創刊。 * [[1967年]] ** 少女漫画誌『[[デラックスマーガレット]]』創刊。コミックスレーベル「[[マーガレットコミックス]]」刊行開始。 ** お姉さん雑誌として総合雑誌『[[週刊セブンティーン]]』創刊。 * [[1976年]] - 少女漫画誌『[[プチ・マーガレット]]』創刊。 * [[1978年]] - 『マーガレット』の妹誌『プチ・マーガレット』と『[[りぼん]]』の妹誌『りぼんDX』を廃刊。両誌を母体に、少女漫画雑誌『[[ぶ〜け]]』創刊。 * [[1982年]] - 『別冊マーガレット』と共同編集で、少女漫画誌『[[ザ マーガレット]]』創刊。 * [[1988年]] - 週刊から月2回刊(5日・20日発売)へリニューアル。誌名表記を『'''Margaret'''』に変更。 * [[1990年]] - 『'''Margaret'''』から『'''マーガレット'''』に再変更。 * [[2016年]] - 『'''マーガレット'''』(1号)から『'''マ&#10160;ガレット'''』に変更<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/shueisha-margaret/entry-12102688830.html |title=マーガレット1特大号、本日発売です!!|work=集英社 マーガレット編集部ブログ |date=2015-12-04 |accessdate=2021-08-05}}</ref>。 == 現在連載中の作品 == ※ 2023年12月20日(2024年2号)現在。作品名五十音順。 <!-- 最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> * あにまる荘202(森月あめ):2019年8号 - * あまくしびれて息もできない(花都ゆう):2024年2号 - ※短期集中連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-12-20|journal =マーガレット|volume=2024年2号|publisher = 集英社}}表紙より。</ref> * 神推し!イケメンソウ(川又宙子):2022年2号 - * 鴨巣くんのお悩み相談室(しまあかね):2023年19号 - * さすがにムリだよ亜門くん([[竹内文香]]):2023年8号 - 2024年2号 * センチメンタル キス([[小森みっこ]]):2020年10・11合併号 - * 全力警察24時!(まあやん):2021年5号 - * 月と太陽のラブゲーム(めもこ):2022年17号 - * どうせ泣くなら恋がいい([[日下あき]]):2023年2号 - * 二度目の恋は、早水くんと([[藍川さき]]):2023年13号 - * ピンクとハバネロ([[里中実華]]):2021年21号 - * 不可抗力のI LOVE YOU([[ほしの瑞希]]):2023年17号 - * 四畳半のいばら姫(原作:[[佐藤ざくり]]、作画:吉田夢美):2023年6号 - === 不定期連載 === * あざらし七変化(にとりささみ):2015年5号 - 2017年16号<!-- 2017年11号から15号まで休載。 -->、22号、2018年1号 - '''不定期連載'''<ref>2018年10号より。</ref> * 叶恋どうぶつえん(森月あめ):2016年3・4合併号 - '''不定期連載'''<ref>2017年8号より。</ref> === 休載中 === * きみとバラ色の日々([[ひろちひろ]]):2023年12号 - 2023年19号、'''休載中'''<ref>{{Twitter status2|1=hutakoi_mg|2=1708751019503763913|4=ひろちひろ(&担当編集) 2023年10月2日のツイート|5=2023-11-04}}</ref> * Piyocolate([[ひなきみわ]]):2012年8号 - '''休載中'''<ref>2015年5号より。</ref> * 未来型恋愛男子46([[桜田あおい]]):2015年21号 - '''休載中'''<ref>2016年2号より。</ref> == 過去の主な掲載作一覧 == === あ行 === * [[愛が死ぬのは君のせい]]([[桃森ミヨシ]]×[[鉄骨サロ]]):2018年5号 - <!--2019年13号から18号まで休載。 -->2019年24号 * 愛したがりのメゾン([[里中実華]]):2019年18号 - 2021年13号 * あいしてない、かも。([[花野リサ]]):2016年13号 - 2016年19号 * 愛!私立カップル学園&#9825;([[九間ハート]]):2015年22号 - 2015年23号、2016年3・4合併号 - 2016年14号 * アイス ハピネス([[岩ちか]]):2014年11号 - 14号 * I Love you Baby([[小森みっこ]]):2014年3・4合併号 - 2015年9号 * [[赤い爪あと]]([[菊川近子]]):1979年37号 - 1980年6号 * [[赤い屋根のポプラ荘]]([[富塚真弓]]):1981年5号 - 1981年43号 * あかるい家族計画([[吉川新]]) * あくまでふたりはビジネスです([[小村あゆみ]]):2020年9号 - 2020年22号 * [[悪魔とラブソング]]([[桃森ミヨシ]]):2007年2号 - 2011年9号 * [[悪魔とラブソング|悪魔とラブソング アンコール]](桃森ミヨシ):2021年10・11合併号 - 2021年15号 * 悪魔にChic×Hack([[種村有菜]]):2016年8号 - 2016年21号 * 明日さよならの花が咲く(今井とまと):2021年13号 - 2022年2号 * 明日見凛には惑わされない(紅雨ぐみ):2020年23号 - 2021年10・11合併号 * [[アタックNo.1|アタック&#8470;1]]([[浦野千賀子]]) * アナグラアメリ([[佐藤ざくり]]):2016年5号 - <!-- 2017年18号 - 23号まで休載。-->2019年15号 * アナログドロップ([[あいだ夏波]]):2017年19号 - 2018年10号 * 兄が彼氏で、ごめん。(細堀ゆかり):2020年16号 - 2021年19号 * あの子に恋する 山田に恋した(細堀ゆかり):2016年21号 - 2017年10号 * あまし あま色 あま恋路(須田かのん):2016年15号 - 2016年18号 * 雨ふりラプソディ。(碧井ハル):2017年3・4合併号 - 12号 * [[あやかし恋絵巻]]([[新條まゆ]]) * あやかしさんと異眼の花嫁(鹿乃まこと):2019年17号 - 2020年10・11合併号 * [[あるいとう]]([[ななじ眺]]):2011年9号 - 2015年21号 * アンクールデッド(緒川あお):2019年15号 - 2021年18号 * A.&#12304;アンサー&#12305;([[星川ハチ]]):2015年15号 - 2016年2号 * いけないこと、しよ?(碧井ハル):2018年8号 - 2019年6号 * イジワル方程式([[ひない菜月]]):2014年8号 - 14号 * [[1月にはChristmas]]([[岩館真理子]]):1983年2・3合併号、4・5合併号 * 苺シンドローム(柚月こむぎ):2019年9号 - 2020年1号 * うしろにS子さん([[森ゆきえ]]):2017年19号 - 2019年6号 * 嘘つきミラージュ(上原世奈):2017年15号 - 2017年18号 * [[うそつきリリィ]](小村あゆみ):2009年23号 - 2014年11号 * 嘘ドロップ(椛のぞみ):2015年11号 - 2015年15号 * 浦島竜宮絵巻(大谷紀子) * [[エースをねらえ!]]([[山本鈴美香]]):1973年2・3合併号 - 1975年5号、1978年4・5合併号 - 1980年8号 * [[エリート狂走曲]]([[弓月光]]):1977年31号 - 1978年45号 * おいしい男のつくり方([[一条ゆかり]]):1988年7号 - 1989年13号 * 王子様の下僕になりまして(めもこ):2020年14号 - 2022年10・11合併号 * [[お江戸はねむれない!]]([[本田恵子]]):1991年3号 - 1992年12号 * [[お嬢様はお嫁様。]]([[葉月めぐみ]]):2007年16号 - 2013年7号 * otona・pink|otona&#9829;pink(佐藤ざくり):2007年13号 - 24号 * 乙女の放課後(安理由香):2018年9号 - 2019年6号 * [[おにいさまへ…]]([[池田理代子]]):1974年12号 - 39号 * お願いミスターアイドル([[森倉チロル]]):2022年18号 - 2023年6号 * おやすみリバイバル(みやの真琴):2019年19号 - 2020年3・4合併号 * [[オルフェウスの窓]](池田理代子)第1部のみ:1975年4・5合併号 - 1976年32号 * 俺がつきあってやるよ([[ほしの瑞希]]):2016年16号 - 2016年19号 === か行 === * カクカイのプリンス(如月あい):2017年11号 - 2017年16号 * [[覚悟はいいかそこの女子。]]([[椎葉ナナ]]):2014年5号 - 16号 * 影虎さんと呼ばないで。([[桜田あおい]]):2014年23号 - 2015年6号 * [[学校のおじかん]]([[田島みみ]]):2003年19号 - 2008年24号 * カテメン([[竹内文香]]):2012年19号 - 2013年2号、2013年10号→『[[ザ マーガレット]]』に移籍。 * カトちゃんケンちゃん([[田辺真由美]]) * 彼女が可愛すぎて奪えない(吉田夢美):2019年17号 - 2022年7号 * 彼氏サマにはあらがえない(須賀千夏):2017年23号 - 2018年13号 * [[彼まで♥km|彼まで&#9829;(ラブ)km]]([[原田妙子]]):2000年7号 - 2003年9号 * 神様が恋をしろと言っている!(花松あやか):2020年10・11合併号 - 2021年18号 * 神様のえこひいき(小村あゆみ):2017年8号 - 2018年11号 * [[ガラスの城 (漫画)|ガラスの城]]([[わたなべまさこ]]):1969年3号 - 1970年49号 * 絡む想いのからまわり(竹内文香):2021年20号 - 2022年12号 * [[KISSxxxx]]([[楠本まき]]):1988年13号 - 1991年19号 * キスで誓約([[虹乃有禾]]):2014年13号 - 2015年1号 * [[キッシ〜ズ]]([[山田也]]) * 君じゃなきゃダメなんだ。(田島みみ) * 君繋ぎホタル([[南谷郁]]):2014年16号 - 22号 * キミとの時間(真白すず):2017年11号 - 12号 * きみはこわれた王子くん([[雪森さくら]]):2017年21号 - 2018年11号 * 君はなにも知らない(花野リサ):2015年5号 - 2015年19号 * 君をダメにするキス(遠山あちは):2021年14号 - 2022年6号 * キミん家、あの星のトナリ?(仲咲細魚):2016年22号 - 2017年5号 * 今日、先輩に告白します(足立原光莉×小野友里恵):2015年16号 - 20号 * [[希林館通り]]([[塩森恵子]]) * [[銀の鬼]]([[茶木ひろみ]]) * [[銀盤カレイドスコープ]]([[原作]]:[[海原零]]、作画:[[長谷川潤 (漫画家)|長谷川潤]]) * 空想スピンフラワー([[藤宮あゆ]]):2013年17号 - 2014年17号 * ケダモノ彼氏([[藍川さき]]):2012年23号 - 2016年11号 * 圏外バケーション([[ゆず未来]]):2022年15号 - 2023年2号 * [[圏外プリンセス]](あいだ夏波):2014年14号 - 2016年12号 * [[こいきな奴ら|こいきな奴らPart&#8545;]](一条ゆかり):1986年37号 - 48号 * 恋々こい(しちみ):2021年23号 - 2023年9号 * 恋する僕ら太陽系(川又宙子):2019年1号 - 2019年3・4合併号、6号 * 恋の隣には悪魔がいる(吉田夢美):2017年17号 - 2018年2号 * 恋煩いシークエンス(菜々川さらり):2019年18号 - 2020年1号 * コズミック・レンズ(桜田あおい):2014年7号 - 12号 * 小波ちゃんのささくれ(あいだ夏波):2016年18号 - 2017年15号 * この男、不可視議につき。(須賀千夏):<!-- 2018年16号に読み切りが掲載された後、連載開始。-->2018年21号 - 2019年5号 * この教師、絶対わざと。(ゆず未来):2020年20号 - 2022年10・11合併号 * この世界で生きにくい君へ([[三上骨丸]]):2014年6号 - 2015年6号 * 小松原が恋人になりたそうにこちらをみている!(かわにし萌):2017年5号 - 2017年23号 * GOMIX([[星川ハチ]]):2016年23号 - 2017年8号 * [[コメットさん]]([[横山光輝]]):1967年28号 - 50号 * これは、本当にあった話です。([[亜月亮]]) * [[婚約生]]([[岩ちか]]):2015年13号 - 2016年8号 === さ行 === * さいはてのポラリス(ゆきら):2019年6号 - 2019年17号 * サクラブリッツ(南谷郁):2017年13号 - 2017年16号、19号 - 20号 * [[さるとびエッちゃん]]([[石森章太郎]]):1965年47号 - 1966年8号 * Jewelry-はねと小鳥の素晴らしき日々-(岩ちか):2017年18号 - 2018年7号 * シュガーボールダイアリー -坂高野球部恋愛日誌-(斎藤ジュリア):2016年20号 - 2017年1号、2017年6号 - 2017年11号 * シュシュ恋(岩ちか):2016年18号 - 2017年8号 * 瞬間グラデーション([[ひろちひろ]]):2017年10号 - 2018年15号 * ショートケーキケーキ([[森下suu]]):2015年23号 - 2019年7号 * [[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]]([[亜月裕]]):1985年17・18合併号 - 1987年 * 女子会・オブ・ザ・デッド(川又宙子):2020年5号 - 2021年3・4合併号 * 白百合さんは思春期(星井うみ):2020年8号 - 2020年19号 * [[アタックNo.1|新アタックNo.1(リメイク版)]](原作:[[浦野千賀子]]、作画:[[小沢花音]]):2004年23号 - 2005年22号 * 神宮寺の密約(須田かのん):2018年6号 - 2018年13号 * 森子物語([[岩館真理子]]) * [[スイッチガール!!]](あいだ夏波):2006年18号 - 2014年2号 * 酸いも甘いもキミとなら!(はなぶさかえ):2022年23号 - 2023年5号 * ストレンジオレンジ([[朝比奈ゆうや]]) * [[スマッシュをきめろ!]]([[志賀公江]]):1969年33号 - 1970年36号 * 聖なる夜に×××(遠山あちは):2020年1号 - 2020年13号 * セイフクの女王様(花松あやか):2018年3・4合併号 - 2018年17号 * [[絶愛-1989-]]([[尾崎南]]) * [[SWAN (漫画)|SWAN]]([[有吉京子]]) * 青春コミッション!([[あだち (漫画家)|あだち]]):2014年5号 - 18号 * ソドムの花にキラ星(碧井ハル):2020年1号 - 2020年2号 * 空色レモンと迷い猫(里中実華):2017年20号 - 2019年13号 * そんなことより今すぐあそぼ!(雨花深衣):2022年15号 - 2023年3・4合併号 === た行 === * たいがー&どらごん〜幼馴染3人のおたわむれ日和〜([[ほしの瑞希]]):2022年5号 - 2023年8号 * 橙くんはひとりで寝られない(安理由香):2019年21号 - 2021年12号 * たいへんよくできました。(佐藤ざくり):2014年17号 - 2015年23号 * 食べ部にイイネ!(足立原光莉×小野友里恵):2016年7号 - 2016年10号、12号 - 13号 * [[ダメ出し。]]([[筒井旭]]):2006年4号 - 19号 * タルトはいかが?([[あきたにまさみ]]) * 探偵ミステイク(森ゆきえ):2013年16号 - 22号 * チャイルド・キャッスル([[夕希実久]]):2007年7号 - 19号 * Challenge Up!(鈴木手毬):2016年9号 - 2016年20号 * チョロなと先パイ(杏野まこ):2023年7号 - 2023年13号 * [[月のしっぽ]]([[上田倫子]]) * CICA CICA BOOM(山本景子) * 蝶よ美しく舞え!(菊川近子) * つね子、どうした。(しまあかね):2015年9号 - 2015年16号 * 椿町ロンリープラネット([[やまもり三香]]):2015年12号 - 2019年8号 * 円谷さん家(あだち):<!-- 2012年17号、20号 - 21号、24号 - 2013年7号、17号 - 23号-->2015年18号 - 2022年24号 * つまさきだちのアリス(吉田夢美):2018年9号 - 2019年7号 * [[つる姫じゃ〜っ!]]([[土田よしこ]]):1973年17号 - 1979年35号 * てのひらシャーベット(藤宮あゆ):2015年14号 - 2016年10号 * 天使は二度、嘘をつく(望月深冬):2019年3・4合併号 - 2019年17号 * トーキョー同居許可局(山田柚子):2022年22号 - 2023年3・4合併号 * 東京パレット(堀舞):2016年6号 - 2016年10号 * トーキョーパンダ(桜美雪) * 東京LACKs(碧井ハル):2020年13号 - 2020年14号 * ときめいちゃってゴメンね?(椎葉ナナ):2015年10号 - 2015年16号 * 年下の男の子(ひろちひろ):2015年12号 - 2016年7号 * 友達ごっこ(竹内文香):2007年19号 - 2011年9号 * 土曜日の絵本([[川崎苑子]]) === な行 === * 内緒のかわい子ちゃん(小坂奈津希):2023年5号 - 2023年17号 * [[菜の花の彼-ナノカノカレ-]](桃森ミヨシ×鉄骨サロ):2014年1号 - 2017年18号 * 虹と真珠たちへ(本田恵子) * 虹野原で恋はできない(緒川あお):2023年3・4合併号 - 2023年16号 * 日曜日は一緒に(一条ゆかり) * にゃんころりん([[ところはつえ]]) * 夏の烙印(夏生ひばり) * [[猫と私の金曜日]]([[種村有菜]]):2013年5号 - 2015年24号 * 濃密ハニーブラッド(ひない菜月):2020年6号 - 2020年18号 === は行 === * バイバイ蜜針(里中実華):2014年15号 - 18号 * バツイチJK(足立原光莉×小野友里恵):2018年6号 - 2018年18号 * [[ハツカレ]](桃森ミヨシ):2003年11号 - 2006年23号 * 白球を叩け!([[柿崎普美]]) * ハツコイメイズ(柚木こむぎ):2021年1号 - 2022年14号 * はじめての鮫島くん([[日下あき]]):2019年20号 - 2020年10・11合併号 * 初恋ピエロ(みやの真琴):2017年9号 - 12号 * 花になれっ!([[宮城理子]]) * はなむすび(南谷郁):2014年6号 - 11号 * [[花より男子]]([[神尾葉子]]):1992年7号 - 2003年17号 * [[パフェちっく!]](ななじ眺):2000年9号 - 2007年13号 * はやくしたいふたり(日下あき):2020年12号 - <!-- 2022年14号より15号まで休載。 -->2022年24号 * [[春は短し恋せよ男子。]](椎葉ナナ):2018年7号 - 2019年10・11合併号 * [[光の伝説]]([[麻生いずみ]]) * [[美人はいかが?]]([[忠津陽子]]) * [[雛鳥のワルツ]](里中実華):2015年2号 - 2017年10号 * [[日々蝶々]](森下suu):2012年6号 - 2015年13号 * [[ぴよぴよファミリア]]([[愛田クレア]]) * [[ひるなかの流星]](やまもり三香):2011年12号 - 2014年23号 * Boo Boo([[よしまさこ]]) * 復讐の王子と盟約の妃(伊佐ミナキ):2019年22号 - 2020年14号 * ふたりで恋をする理由(ひろちひろ):2018年24号 - 2023年1号 * ふつうの恋子ちゃん(ななじ眺):2016年1号 - 2020年2号 * 黒婚-ブラマリ-([[藍川さき]]):2020年7号 - 2023年7号 * 振り返れば彼がいる〜距離の近さは心の近さ〜(九間ハート):2015年9号 - 2015年14号 * Full Dozer(小村あゆみ):2015年1号 - 2015年18号 * [[ブレイク・カフェ]](森ゆきえ) - 『ザ マーガレット』に移籍。 * ぺこはぴ(足立原ひかり×小野ゆりえ):2019年14号 - 2019年24号 * [[ベルサイユのばら]](池田理代子) * [[ベルサイユのばら|ベルサイユのばら エピソード編]](池田理代子):2013年13号 - 2018年5号 * [[ペルシャがすき!]]([[青沼貴子]]) * 放課後シアター(岩ちか):2014年20号 - 2015年2号 * 僕だって、キスしたい。(細堀ゆかり):2018年11号 - 2019年14号 * [[僕に花のメランコリー]](小森みっこ):2015年17号 - 2020年1号 * 僕の彼女は男前〜おかしな2人〜(九間ハート):2014年15号 - 18号、21号 - 2015年3・4号 * [[僕らはいつも]](藤宮あゆ):2007年23号 - 2013年5号 * 僕らの源氏姫(ひない菜月):2015年3・4合併号 - 2015年10号 * ほれたはれたで(ほしの瑞希):2016年24号 - 2017年9号 * ほねまる劇場(三上骨丸):2012年11号 - 2013年20号 === ま行 === * マーガレットちゃん([[よこたとくお]]) * マーくんとモモちゃん(しまあかね):2013年24号 - 2015年6号 * [[マイルノビッチ]](佐藤ざくり):2011年2号 - 2014年10号 * まじめに!男女交際([[桃伊いづみ]]) * [[まみあな四重奏団]]([[槇村さとる]]) * [[メイちゃんの執事|真夜中の執事たち −メイちゃんの執事 side B−]](宮城理子):2019年24号 - 2020年23号 * 真夜中のステラリウム(花野リサ):2017年12号 - 2017年24号 * [[マリア様がみてる]](原作:[[今野緒雪]]、作画:長沢智):2003年21号 - 2005年22号 * まりんとゆうれい(里中実華):<!-- 2012年9号別冊ふろく『新連載を決めるのは、君だ!!』に読み切りが掲載された後、連載開始。-->2012年14号 - 2013年13号 * まんかい!花男子(川又宙子):2019年9号 - 2019年17号 * ミカド&#9734;ボーイ(宮城理子):2013年9号 - 2014年15号 * ミックスベジタブル(小村あゆみ) * 碧川くん、かして。(あだち):2014年23号 - 2015年8号 * みにあまる彼氏(ほしの瑞希):2018年10号 - 2021年23号 * 無法少女さっちゃん(貝ノ瀬遊海):2016年15号 - 2016年24号 * [[名探偵保健室のオバさん]]([[宮脇明子]]) * [[メイちゃんの執事]](宮城理子):2006年11号 - 2013年3・4合併号 * [[メイちゃんの執事|メイちゃんの執事DX]]([[宮城理子]]):2014年19号 - 2023年13号<!-- 2019年22号より2021年2号まで休載。 --> * メメントモリ(伊佐ミナキ):2018年18号 - 2018年19号 * モジコイネネコイ(佐藤ざくり):2019年23号 - 2022年15号 * [[「もっと、生きたい…」]](原作:[[Yoshi]]、作画:[[安藤ゆき]]) * モトサヤ(ほしの瑞希):2017年16号 - 2018年5号 * モバカレ(小村あゆみ):2019年7号 - 2019年18号 * 森のたくまさん(小村あゆみ):2015年22号 - 2016年23号 === や行 === * 矢神くんは、今日もイジワル。(藍川さき):2016年17号 - 2019年19号 * やっと君とめぐり逢えたんだ(雨花深衣):2020年5号 - 2020年23号 * [[ゆきの国から]](柴田飛鳥):2006年5・6号合併号 - 2008年3・4合併号 * 由良くんの10&#37;には秘密がある(吉田夢美):2016年11号 - 2016年24号 === ら行 === * ラブハンターにご用心!(小暮ヨウ):2019年19号 - 2021年10・11合併号 * [[ラブ・モンスター|ラブ&#9829;モンスター]](宮城理子) * ラブラック(朝比奈ゆうや) * ラリーゲーム(菜々川さらり):2020年20号 - 2022年9号 * 檸檬プラネット(葉月めぐみ) * [[リョウ]](上田倫子):1995年13号 - 1999年17号 * [[凛!]](竹内文香):2011年17号 - 2012年12号 * [[レモネード]](田中美菜子) === わ行 === * ワニのナミダ(星川ハチ):2014年21号 - 24号 * 悪い子でもいいの(花野リサ):2018年22号 - 2019年19号 * ワンショットロマンス(雨花深衣):2023年14号 - 2023年24号<!-- 月1連載 --> == 姉妹誌 == * [[別冊マーガレット]] * [[デラックスマーガレット]] * プチマーガレット - [[1976年]]、同年秋の号が発売され創刊。季刊。[[1978年]]、同年夏の号を最後に休刊。 * [[ぶ〜け]] * [[ザ マーガレット]]<ref>誌名は、表紙と[http://margaret.shueisha.co.jp/the/index.html 『マーガレット』公式サイト]では『ザ マーガレット』、[http://betsuma.shueisha.co.jp/content/the.html 『別冊マーガレット』公式サイト]では『ザ・マーガレット』と表記。</ref> - [[1982年]]2月に創刊。当初は不定期刊。[[1989年]]から隔月刊(奇数月刊)誌となるが、偶数月は増刊を発行し、実質的に月刊となる。[[1997年]]から正式に月刊となったが、[[2011年]]より隔月刊(偶数月刊)誌に戻した。その後、[[2020年]]より季刊誌化(3月(春号)、6月(夏号)、9月(秋号)、12月(冬号))された。24日発売(日曜、祝日の場合はその前日)。『マーガレット』、『別冊マーガレット』、『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]』、『[[Cocohana]]』、『[[YOU (雑誌)|YOU]]』、『[[りぼん]]』で活躍する漫画家の長編[[読み切り]]が主であるが、シリーズ作品や連載作品も掲載されている。 * にこいちマーガレット<ref>{{Cite web|和書|date=2015-08-01 |url=https://natalie.mu/comic/news/155681 |title=マーガレット2号分が“にこいち”になった電子版、本日より配信|work=コミックナタリー |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|株式会社ナターシャ]] |accessdate=2015-08-23}}</ref> - [[2015年]][[8月1日]]創刊。配信日の前月5日・20日に発売された紙版のマーガレット2号分をまとめて収録し、翌月1日に配信される[[電子書籍]](編集上の都合により、紙版に掲載されている作品・記事が掲載されていない場合がある。)。「にこいち」とは「2号で1冊」という意味である<ref>『マーガレット』2015年16号32頁。</ref>。 * デジタルマーガレット<ref>{{Cite web|和書|url=https://digitalmargaret.jp/ |title=デジタルマーガレットHP|work=デジタルマーガレット |publisher=[[集英社]] |accessdate=2020-12-19}}</ref> - WEB雑誌。略称『デジマ』。毎週火金更新。オリジナル作品や[[集英社オレンジ文庫]]を始めとしたコミカライズ(大人向け作品を含む)を多く扱っている。 * 異世界マーガレット<ref>{{Cite web|和書|url=https://seiga.nicovideo.jp/manga/official/isekai_margaret/|title=公式 異世界マーガレット|website=ニコニコ漫画|accessdate=2023-07-17}}</ref> - WEBマンガ誌。ニコニコ漫画サイトで『デジタルマーガレット』の異世界&ファンタジーのマンガを連載する。<ref>{{Cite web|和書|url=https://info.nicomanga.jp/entry/2022/12/05/110500|title=『異世界マーガレット』公式OPEN!!!|website=ニコニコ漫画|date=2022-12-05|accessdate=2023-07-17}}</ref> == 印刷証明付き発行部数 == * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、209,565部 * 2004年9月 - 2005年8月、173,913部 * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、162,826部 * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、137,292部 * 2007年10月1日 - 2008年3月、125,910部 * 2008年4月 - 6月、125,000部<ref name="data" /> * 2008年7月 - 9月、120,000部<ref name="data" /> * 2008年10月 - 12月、118,334部<ref name="data" /> * 2009年1月 - 3月、115,000部<ref name="data" /> * 2009年4月 - 6月、110,000部<ref name="data" /> * 2009年7月 - 9月、108,334部<ref name="data" /> * 2009年10月 - 12月、104,500部<ref name="data" /> * 2010年1月 - 3月、97,000部<ref name="data" /> * 2010年4月 - 6月、91,000部<ref name="data" /> * 2010年7月 - 9月、88,000部<ref name="data" /> * 2010年10月 - 12月、88,000部<ref name="data" /> * 2011年1月 - 3月、89,400部<ref name="data" /> * 2011年4月 - 6月、76,500部<ref name="data" /> * 2011年7月 - 9月、76,000部<ref name="data" /> * 2011年10月 - 12月、75,000部<ref name="data" /> * 2012年1月 - 3月、73,200部<ref name="data" /> * 2012年4月 - 6月、72,000部<ref name="data" /> * 2012年7月 - 9月、70,667部<ref name="data" /> * 2012年10月 - 12月、66,667部<ref name="data" /> * 2013年1月 - 3月、60,000部<ref name="data" /> * 2013年4月 - 6月、60,834部<ref name="data" /> * 2013年7月 - 9月、59,000部<ref name="data" /> * 2013年10月 - 12月、58,000部<ref name="data" /> * 2014年1月 - 3月、56,200部<ref name="data" /> * 2014年4月 - 6月、54,000部<ref name="data" /> * 2014年7月 - 9月、53,667部<ref name="data" /> * 2014年10月 - 12月、53,667部<ref name="data" /> * 2015年1月 - 3月、52,600部<ref name="data" /> * 2015年4月 - 6月、51,167部<ref name="data" /> * 2015年7月 - 9月、49,000部<ref name="data" /> * 2015年10月 - 12月、48,000部<ref name="data" /> * 2016年1月 - 3月、49,200部<ref name="data" /> * 2016年4月 - 6月、48,167部<ref name="data" /> * 2016年7月 - 9月、46,500部<ref name="data" /> * 2016年10月 - 12月、44,333部<ref name="data" /> * 2017年1月 - 3月、44,000部<ref name="data" /> * 2017年4月 - 6月、42,333部<ref name="data" /> * 2017年7月 - 9月、42,000部<ref name="data" /> * 2017年10月 - 12月、42,000部<ref name="data" /> * 2018年1月 - 3月、40,400部<ref name="data" /> * 2018年4月 - 6月、39,667部<ref name="data" /> * 2018年7月 - 9月、38,000部<ref name="data" /> * 2018年10月 - 12月、35,083部<ref name="data" /> * 2019年1月 - 3月、32,800部<ref name="data" /> * 2019年4月 - 6月、30,800部<ref name="data" /> * 2019年7月 - 9月、28,667部<ref name="data" /> * 2019年10月 - 12月、27,500部<ref name="data" /> * 2020年1月 - 3月、23,200部<ref name="data" /> * 2020年4月 - 6月、20,000部<ref name="data" /> * 2020年7月 - 9月、20,000部<ref name="data" /> * 2020年10月 - 12月、23,333部<ref name="data" /> * 2021年1月 - 3月、17,500部<ref name="data" /> * 2021年4月 - 6月、17,500部<ref name="data" /> * 2021年7月 - 9月、15,833部<ref name="data" /> * 2021年10月 - 12月、15,917部<ref name="data" /> * 2022年1月 - 3月、14,700部<ref name="data" /> * 2022年4月 - 6月、14,100部<ref name="data" /> * 2022年7月 - 9月、11,833部<ref name="data" /> * 2022年10月 - 12月、11,000部<ref name="data" /> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://margaret.shueisha.co.jp/index.html マーガレット 公式サイト] * {{Twitter|Margaret_shuei}} * {{Twitter|mg_mochikomi}} * {{Twitter|margaret_zemi|マーガレット まんがゼミナール}} * {{Instagram|margaret_shuei}} * [https://www.shueisha.co.jp/history/ 集英社小史] {{マーガレット連載中}} {{集英社}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=週刊マーガレット |1-1=週刊漫画雑誌 }} {{DEFAULTSORT:まあかれつと}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:集英社の漫画雑誌]] [[Category:月2回刊漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:マーガレット|*]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
2003-03-16T03:29:26Z
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なかよし
『なかよし』は、講談社が発行する日本の月刊漫画雑誌。1954年12月創刊(1955年1月号)。 『ちゃお』(小学館発行)・『りぼん』(集英社発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。 刊行中の漫画雑誌としては日本最古の存在であり、さらに過去に刊行されていた漫画雑誌を含めても1997年4月に『大阪パック』(1906年11月 - 1950年3月、43年4か月)の記録を抜いて日本最長寿記録を更新している。また現存する講談社発行の幼児および子供向けまたは少年・少女向け雑誌の中でも最古の歴史を持ち、数々の名作や著名な漫画家を輩出している。2004年12月に創刊50周年、2014年12月に創刊60周年を迎えた。 ページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『週刊少年マガジン』や、その競合誌である『週刊少年サンデー』(小学館)でも採用されており、少女漫画雑誌では『Sho-Comi』(小学館)が2020年1号から採用している。 1954年(昭和29年)12月に創刊(1955年1月号)。創刊当初は漫画を含めた少女向け総合読み物雑誌であり、絵物語・グラフ・漫画の3つの柱を軸にしていた。創刊号の価格は110円。付録は創刊号から付いており、名作まんが物語 家なきおどり子、歌の花かご(歌集)、なかよしカレンダー、うらないブック、しおりなどが最初に付いた付録であった。創刊してからしばらくは綴じ込み付録の種類も豊富で、人気スターのブロマイド、香りシール、あぶりだしカードなどの様々な付録が付いていた。初期は漫画のイラストではなく、当時の人気子役が表紙を飾っていた(当時の他の少女誌も同様)。その後、1958年頃から漫画をメインとする誌面となる。表紙はそれまでの写真から1969年10月号から1971年7月号まで田村セツ子のイラストが使われ、1971年8月号から漫画家が表紙イラストを描いている。 『キャンディ♥キャンディ』、『おはよう!スパンク』等が連載されていた1970年代後半には部数において競合誌に差をつけていた。特に『キャンディ♥キャンディ』が大ヒットしたこともあって本誌の部数は180万部 を突破した。1980年代以降も部数は100万部台をキープしていた。 1989年から13年間、編集長を務めた入江祥雄によると、彼が配属された頃には1980年代後半にも100万部台もあった部数が78万部まで低下していた。この状況を打開する為に、当時の『りぼん』と『なかよし』は恋愛漫画が中心だった為、児童文学の部署に配属されていた経験のある同氏は本誌をファンタジー路線を中心に切り替え、『りぼん』よりもやや低年齢向けの誌面にして差別化を図った。1990年代初頭はギャグ物の『きんぎょ注意報!』、バトルヒロイン物の『美少女戦士セーラームーン』、超能力物の『ミラクル☆ガールズ』など、従来の恋愛要素を排除しないで残しつつも多彩なファンタジー要素のある漫画が連載された。特に『美少女戦士セーラームーン』は本誌では初期の段階から反響が大きく、アニメ版も徐々にヒットしていって大ブームとなり、1993年9月号には一度だけアニメのイラストが表紙を飾ったこともある。1992年末には売上率98パーセントでほぼ完売。1993年には本誌の発行部数が205万部を突破し、再び、一時期はりぼんよりも部数が上になった。 その他にも1990年代には『あずきちゃん』、『魔法騎士レイアース』、『怪盗セイント・テール』、『カードキャプターさくら』、『だぁ!だぁ!だぁ!』などがヒットしていたが、部数は徐々に減少。1999年には70万部台に低下したことで『ちゃお』に抜かれて三大小中学生向け少女漫画誌でのシェアは3位に下がったが、2006年度には『りぼん』の部数が『なかよし』以上に落ち込んだため、シェアは2位に再浮上した。2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は19.8万部 とピーク時の1/10以下にまでなり、『りぼん』より部数が低下した(ただし、2010年の年間平均部数は『りぼん』より上である)。 2001年12月号では付録としてモーニング娘。の後藤真希のフィギュアを付けた。これは日本の少女漫画雑誌として初めて立体フィギュアを付録にしたものであった。 2008年12月発売の2009年1月号には創刊55周年を記念し、歴代作家の色紙イラストが読者プレゼントされる。同時に歴代34作品のキャラクターが登場するゲームソフト『なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル』が発売となった。 2014年12月発売の2015年1月号で漫画雑誌初の創刊60周年を達成、これに先立つ2014年8月6日に60周年記念ホームページを開設し、過去から現在に至る作品の情報や企画を展開するほか、同じく20周年となった『美少女戦士セーラームーン』の記念プロジェクト、CLAMPデビュー25周年を記念しての『カードキャプターさくら』の新作グッズ展開や原画展の開催、10周年となった『プリキュアシリーズ』漫画版の単行本発行、過去の作品の単行本復刊人気投票など、様々な記念施策を展開している。その一環として、2015年6月発売の2015年7月号から電子版の配信が開始された。 2019年11月6日、第1回野間出版文化賞を受賞。 以下、2023年10月3日(2023年11月号)現在連載中の作品。 増刊号はオリジナルの話もあれば、本誌の番外編も掲載されていた。2023年現在、増刊号は刊行されていない。 なお、本誌の漫画だけではなく、現地の漫画家の作品も掲載されている。 なかよし ザ・ネクストは、なかよしで2000年から2002年にかけて年1回開催されたコンペ企画である。別冊付録に若手作家の読み切りを3本掲載し、読者投票で1位になった作品は本誌連載が約束された。 ☆は連載化獲得作 1990年代以降、メディアミックスをはじめとしてさまざまなタイアップを模索し続けている。以下、ここにそれを記す。 『なかよし』の看板を背負った作品の多くがテレビアニメ化されている。主に少女誌であるので全日帯に放送されることが大半だが(ゴールデンタイムで放送された作品も多い)、中には『まもって!ロリポップ』、『地獄少女』(アニメ中心のタイアップ)、『ゴーストハント』、『さばげぶっ!』など、深夜枠で放送された作品もある(前者2作は深夜枠以外でも放送された)。 (NET→)テレビ朝日とは関係が深く、土曜19時台前半および日曜8時台後半で多くの作品が放送された。 土曜19時台前半 には1981年から1983年にかけて『おはよう!スパンク』(1981年 - 1982年)→『とんでモン・ペ』(1982年 - 1983年)が、1991年から1997年にかけては『きんぎょ注意報!』(1991年 - 1992年)→『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(『セーラームーン』)が、それぞれ放送された。製作は、1980年代の2作はトムス・エンタテインメント、1990年代の2作は東映アニメーションが手掛けている。なお、1980年代の2作に関しては、関西地区の系列局である朝日放送が製作ホスト局を務めている。さらに、『とんでモン・ペ』はアニメのコミカライズだったのに対し、これ以外の3作品は漫画のアニメ化である。 日曜8時台後半では、1997年以降、該当時間帯で放送されているアニメ作品の漫画化を担当(連載)している。なお、全作品、制作は東映アニメーション・製作ホスト局は朝日放送が担当している。その変遷は以下の通り。 『夢のクレヨン王国』(漫画:片岡みちる、1997年 - 1998年)→『おジャ魔女どれみ』シリーズ(漫画:たかなししずえ、1998年 - 2003年、全5作)→『明日のナージャ』(漫画:あゆみゆい、2003年 - 2004年)→『プリキュアシリーズ』(漫画:上北ふたご、2004年 - ) この2つの放送枠以外では、漫画のアニメ化作品としては金曜19時台前半 の『キャンディ♥キャンディ』(1976年 - 1979年、東映アニメーション製作)、木曜19時台後半の『怪盗セイント・テール』(1995年 - 1996年、トムス・エンタテインメント製作、製作ホスト局は朝日放送)、アニメのコミカライズの連載ではローカルセールス枠の『ムーぽん』(1999年 - 2001年)がある。 なお、『キャンディ♥キャンディ』と『セーラームーン』に関しては日本国内ばかりか海外でも高い評価を受けた。 NHK衛星第2テレビジョンの衛星アニメ劇場・火曜日前半(18:00 - 18:25)に、1994年から2002年にかけて、計4作品を送り込んだ。 第1弾の『超くせになりそう』のアニメ化こそ約1年で終了したが、その後の『あずきちゃん』は約3年、『カードキャプターさくら』(以下『CCさくら』)と『だぁ!だぁ!だぁ!』は約2年にわたって放送された。 また、『CCさくら』については2004年から(中断期間を挟んでではあるが)2006年にかけてNHK教育テレビジョンで(NHK BS2の放送からみての)再々放送が行われた(土曜18時30分-→一時中断→木曜19時25分-)際にバンダイおよびショウワノートから玩具・文具などの関連商品が再リリースされ、本放送並みの待遇を受けた。 タイアップではNHK教育テレビジョンの「天てれアニメ」内で『探偵チームKZ事件ノート』のアニメ版が放送された。 テレビ東京と組んだ例としては、1984年から1985年にかけて放送された『アタッカーYOU!』と1999年に放送された『スーパードール★リカちゃん』があるが、いずれも該当作品のみで関係が途絶えた。 その後2002年の『東京ミュウミュウ』(土曜8時台前半、製作ホスト局はテレビ愛知)から関係が復活した。以後の作品をここに記す。 『ふぉうちゅんドッグす』(木曜18時台後半→ローカルセールス枠)→『マーメイドメロディぴちぴちピッチ』シリーズ(土曜8時台前半、製作ホスト局はテレビ愛知)→『シュガシュガルーン』(ローカルセールス枠)→『ゴーストハント』(深夜アニメ)→『かみちゃまかりん』(金曜17時台後半)→『しゅごキャラ!』シリーズ(ローカルセールス枠) UHFアニメの第1号は、本誌発祥の『わんころべえ』である。それから長い年月を経て『まもって!ロリポップ』がアニメ化され、『地獄少女』の原作アニメ版も放送された。 もっとも、これらの作品は、全て独立局以外のテレビ局でも放送されている。 なお、後述する『よばれてとびでて!アクビちゃん』についても、独立局の一部で放送されたがゆえに、UHFアニメに含めることがある。 これまであげた所以外の地上波テレビ局と組んだ例としては、フジテレビと組んだ『リボンの騎士』(1968年 - 1969年)、『あんみつ姫』(1986年 - 1987年)、『ひみつのアッコちゃん(第2作)』(1988年 - 1989年)、日本テレビと組んだ『ミラクル☆ガールズ』(1993年)と『魔法騎士レイアース』(1994年 - 1995年、製作ホスト局はよみうりテレビ)がアニメ化された。また、コミカライズとしてはTBSと組んだ『アキハバラ電脳組』(漫画版のタイトルは『アキハバラ電脳組 パタPi!』、1998年)と『スウィート・ヴァレリアン』(製作ホスト局は毎日放送、バラエティ番組の『ブリンぶりん家」→「フューチャービーンズ~みらい豆」内で放送、2004年)がある。 2014年にはTOKYO MXを中心に『さばげぶっ!』がアニメ化されている。また、『美少女戦士セーラームーン』の新作アニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal』の2期までがネットの動画サイトにアニメが先行配信され、後にテレビ放送された(TOKYO MXなどで放送)。3期は最初からテレビ放送に切り替えている。 アニメの放送が中心のCSテレビ局と組んだ例としては、2001年から2002年にかけて、キッズステーションと組んだ『よばれてとびでて!アクビちゃん』が存在する。ただこの作品は、キッズステーションだけではなく、一部の地上波テレビ局でも放送された実績がある。 また、先にあげたUHFアニメについても、キッズステーションでも地上波と同時に放送されたことがある。さらに、テレビ東京(および系列局)と組んだ作品に関しては、ごく一部の作品がアニメシアターXでも地上波と同時放送された。 『魔法騎士レイアース』と『カードキャプターさくら』がOVA化されている。前者はテレビアニメ終了後に製作・リリースされた。後者は映像ソフトの購入特典映像として収録されている。 1964年に『てなもんや三度笠』(TBS系列および一部の日本テレビ系列、製作ホスト局は朝日放送)がテレビドラマからの漫画化作品として連載されていた が、以後2000年代まで関わりを持つことはなかった。 2000年代になり、『美少女戦士セーラームーン』(2003年 - 2004年、CBC・TBS系列で放送)がテレビドラマ化された。テレビアニメが原作の『地獄少女』(2006年 - 2007年、日本テレビおよび静岡第一テレビで放送)もテレビドラマ化されている。一方、テレビドラマの漫画化は2010年5月号から同年7月号まで連載された『タンブリング』(TBS系列で放送)がある。 また、『美少女戦士セーラームーン』と『コードネームはセーラーV』がオリジナルビデオ(Vシネマ)化されている(なお、「コードネームはセーラーV」は「セーラーV」がセーラー万年筆によって商標登録されていたため、『美少女戦士セーラームーン Act.ZERO』というタイトルになっている)。 『なかよし』の版元である講談社は、少女向け小説レーベルとして講談社X文庫を設けているが、これと『なかよし』が組んだ例としては、1990年代前半に「月下美人」(芳村杏、原作はひうらさとる)と「あこがれ冒険者」(あさぎり夕)のノベライズ版のリリースがある。 講談社X文庫ティーンズハートからは1994年に武内直子の『ま・り・あ』が、2001年には小林深雪の脚本をもとに白沢まりもが漫画化した「夢をかなえる夏休み」をベースに小林が大幅に加筆し、タイトルを改めた小説『願えばきっとかなう』がリリースされた。また、小野不由美がホワイトハートで発表し続けた『悪霊シリーズ』をベースに、いなだ詩穂が「ゴーストハント」というタイトルで漫画化している。ただ、「夢をかなえる夏休み」は、増刊枠の読みきりでしかなく、「ゴーストハント」については、もともとは『Amie』の連載だったものを、該当誌が休刊に追い込まれたがゆえに『なかよし』が引き継いだものだった。 その一方で、2008年3月には本誌で連載された漫画のノベライズを目的とした「なかよし文庫」が立ち上げられた。詳細は該当項目参照。 ほかにも青い鳥文庫(こちらも講談社)作品から、『若おかみは小学生!』と『名探偵夢水清志郎事件ノート』を漫画化したことがあるが、これらは本誌連載ではなく、本誌の別冊付録という形で発表された。なお、同じ青い鳥文庫作品の『クレヨン王国』シリーズをベースにした『夢のクレヨン王国』は、小説の漫画化ではなく、小説をもとにしたテレビアニメの漫画化である。 池田美代子作のサスペンス小説『妖界ナビ・ルナ』の漫画版が連載された(原作の版元は岩崎書店であったが、2009年6月に刊行された新作以降に関しては青い鳥文庫からリリースされている)。『探偵チームKZ事件ノート』を(原作:藤本ひとみ、住滝良)も漫画化された。 また、2015年に講談社KK文庫にてなかよしのホラーアンソロジーコミック『絶叫ライブラリー』を小説化した『小説なかよしホラー 絶叫ライブラリー』シリーズや、『小学生のヒミツ』が刊行されたこともあった。 1990年代初頭から2000年代初頭まではバンダイとのタイアップが多かった。しかし1998年から1999年まで放映された『スーパードール★リカちゃん』以降はタカラ →タカラトミーとのタイアップも増えており、2018年現在ではバンダイとのタイアップは「朝日放送テレビ・東映アニメ制作日曜朝8時半のアニメ」関連のみである。 その他の玩具会社とのタイアップしたものには、エンスカイから発売された液晶ゲーム『ちゃまもり』の4コマ漫画が、2006年8月号から2007年5月号まで連載されていた。 1993年と1994年に本誌の掲載作品を題材にしたゲームソフトが製作・発売されたことがある。この時期は『美少女戦士セーラームーン』が大ヒットするなど本誌の最盛期であった。 その後はしばらく発売されていなかったが、2008年12月にニンテンドーDS用ソフト『なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル』が発売されている。 ファミリーコンピュータ用ソフト。1993年、ユタカ(バンダイの関連会社)からリリースされた。 ジャンルはロールプレイングゲーム。当時の連載作品の世界を冒険するという設定になっており、一部の登場人物には専用のグラフィックも用意されている。また、各作品の作者である漫画家にもそれぞれ顔グラフィックが用意されている。 本誌の本来の購買層である低年齢層の女の子に配慮してか、ゲームシステムは一般的なロールプレイングゲームとはかなり異なり、簡略化されている部分がある(経験値や装備品の概念がない)。全体のボリュームも、最初から通してプレイしても数時間で終わらせることができる程度である。戦闘はコマンド入力方式ではなく、スロットマシンのように回転する絵柄を止めて、揃った絵によって行動が決まるという独特のものである。 登場する作品は、順に『きんぎょ注意報!』、『ポケット・パーク』、『ミンミン!』、『太陽にスマッシュ!』、『くるみと七人のこびとたち』、『美少女戦士セーラームーン』となっている。 ゲームボーイ用ソフト。1994年3月3日にバンダイからリリースされた。 位置付けとしては『なかよしといっしょ』のゲームボーイ版ではあったが、題材になった作品は『なかよしといっしょ』と多少異なっており、『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『ポケット・パーク』・『熱烈台風娘』・『うしうしわーるど』の5作品となっている。 スーパーファミコン用ソフト。1994年11月18日に、バンダイからリリースされた。 これは、本誌連載作かつアニメ化の実績のある『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『きんぎょ注意報!』の3作品に加え、アニメ化されたことのない『くるみと七人のこびとたち』のキャラクターが登場するアクションゲームである。 ニンテンドーDS用ソフト。2008年12月18日にクリエイティヴ・コアから発売された。 「なかよし創刊55周年記念企画」作品であり、当時連載中の作品に限らず、過去の作品のキャラクター含めて合計70人(ただし人間ではないキャラクターも含む)登場している。主人公キャラクターに関しては、PEACH-PITやこげどんぼ*をはじめとする本誌執筆陣から6人がキャラクターデザインを担当している。また、主人公の衣装も、キャラクターデザイン担当者がデザインしている。 2006年9月号からはブランド子供服で知られるアパレルメーカーのナルミヤ・インターナショナルと提携し、「なかよし学園ファッション部」なるプロジェクトを立ち上げており、「エンジェルブルー」ブランドを題材にした漫画『夢みるエンジェルブルー』を発表した事がある(似た企画として、『ちゃお』が2002年 - 2004年にナルミヤ・インターナショナルとタイアップした作品を立ち上げたことがある。こちらは「mezzo piano」ブランドのみ使われた)。 ハロー!プロジェクトとのタイアップとして2001年5月号からモーニング娘。を題材とした『娘。物語-モーニング娘。オフィシャルストーリー』が連載された。また、モー娘。メンバーが出演した映画『仔犬ダンの物語』の漫画版が掲載されたことがある。さらに、テレビ番組『ティンティンTOWN!』(日本テレビほか)の一部コーナーの漫画版が掲載されたり、さらに松浦亜弥とサンリオとのコラボレーションキャラ「アヤンキー」とのタイアップ作も掲載されたりした。その後、『娘。物語ミラクル』が2006年3月号(2006年2月3日発売)が発表された。 その後、2014年から現役グループによるコラムが連載されており、2016年5月号まではJuice=Juiceによる『めざせ!クラス☆スター計画!』が連載され、2016年6月号から2018年8月号まではカントリー・ガールズによる『カントリー・ガールズ♡これで人気ナンバーワン!かわいくなれる1テク講座』が連載され、2018年9月号から2020年4月号まではアンジュルムの上國料萌衣・船木結による『アンジュルムかみこ&ふなっきといっしょに!放課後ガールズトーク!!』が連載され、2020年5月号から2022年9月号はBEYOOOOONDSによる『BEYOOOOONDSの胸キュン4コマ』が連載され、2022年10月号からは江端妃咲(Juice=Juice)・豫風瑠乃(つばきファクトリー)による『ハロプロメンバー 激推しマンガトーク』が連載されている。 版元の講談社はディズニーと関係が深い。それを生かして小鷹ナヲを起用し、ディズニーとのタイアップ作品『きらら☆プリンセス』と、ディズニーがリリースしているトレーディングカードゲーム「マジカルダンス」を題材にした『Disney’s マジカルダンス!!』を連載した。 この2つの連載作以外では、『プリンセスと魔法のキス』のコミカライズも本誌に掲載されたことがあり、こちらも小鷹ナヲが手掛けた。さらに、増刊枠『なかよしラブリー』でも、明日賀じゅんが『Disney Fairies 小さな妖精プティの日記』というタイトルの作品を連載した時期がある。 『セーラームーン』、『ようこそ!微笑寮へ』、『カードキャプターさくら』、『わたしに××しなさい!』がドラマCD化されたことがある。コミカライズでは『夢のクレヨン王国』、『おジャ魔女どれみ』、『明日のナージャ』『プリキュアシリーズ』はアニメ側の企画でCDドラマが存在する。 なお、『わたしに××しなさい!』については、単行本の特装版の付録という形でリリースされた。 また、2006年1月号には漫画のセリフに声を入れた「デジタルコミック」という形で、『王子様のつくりかた』が、付録のCD-ROMのプログラムのひとつとして収録されている。 キャラクター物ではないが、実在のスポーツチーム(ナショナルチーム)とタイアップした作品も存在する。 2004年8月号・9月号・11月号に女子バレーボールアテネオリンピック日本代表とのタイアップ作品「アタック!」を発表した。その後、サッカー日本女子代表とのタイアップ作品『なでしこシュート!』が2008年8月号に掲載された。 ちなみにこの2作品は、いずれもモーニング娘。とのタイアップ作品の多くを執筆した神崎裕が手がけている。 ファミリーレストラン・ガストが『デリシャス!』の作中で登場するレシピを実際のメニューとして提供したことがある。さらに、『キッチンのお姫さま』では、本誌2007年2月号掲載分で、明治製菓とのタイアップ広告を掲載しており、作中に同社の製品(のラベル)を登場させた。さらに2009年12月号から2010年12月号まで、料理研究家の岡田史織をアドバイザーに迎えた、デコレーション弁当をモチーフとした作品『初恋ランチボックス』が連載された。 ポストペットを題材にした作品『ポストペットスクール』を、2006年2月号から2008年2月号まで連載していた(作者はかなしろにゃんこ)。もともとは探偵物だったが、後に学園物にスイッチしている。また、サンリオのキャラクターのひとつ『てのりくま』のコミカライズを、2007年6月号から2008年12月号まで連載された。 1958年から1959年にかけて『ペスよおをふれ』がラジオ東京の手でラジオドラマ化されたことがある。 ハロー!プロジェクト以外の芸能人タイアップ作品としては、2010年4月号から同年7月号にかけてタレントの中川翔子の生涯を取り上げたセミドキュメンタリー作品『中川翔子物語〜空色デイズ〜』が連載された。また、2012年2月号から2013年12月号まで、AKB48をベースとしたテレビアニメ「AKB0048」の漫画版が連載されている。 「テレビアニメ化作品のミュージカル化」以外では、ひうらさとるの『月下美人』が青山劇場でミュージカル化されたことがある。また、「テレビアニメ化作品の映画化」以外では、『コクリコ坂から』がスタジオジブリ製作で劇場版アニメ化された。 2015年12月2日、創刊60周年を記念したコンピレーションアルバム「Twinkle Songs」が発売。「なかよし」掲載作品を原作としたテレビアニメおよびテレビドラマの主題歌36曲を収録。 1990年代に連載をしていたことのある柴田亜美も当時、ゲームソフトを買うために午前秋葉原組と午後秋葉原組の2組に分かれていたことやアーケードゲームを、基板ごと買っていたことを漫画にしている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『なかよし』は、講談社が発行する日本の月刊漫画雑誌。1954年12月創刊(1955年1月号)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『ちゃお』(小学館発行)・『りぼん』(集英社発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "刊行中の漫画雑誌としては日本最古の存在であり、さらに過去に刊行されていた漫画雑誌を含めても1997年4月に『大阪パック』(1906年11月 - 1950年3月、43年4か月)の記録を抜いて日本最長寿記録を更新している。また現存する講談社発行の幼児および子供向けまたは少年・少女向け雑誌の中でも最古の歴史を持ち、数々の名作や著名な漫画家を輩出している。2004年12月に創刊50周年、2014年12月に創刊60周年を迎えた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『週刊少年マガジン』や、その競合誌である『週刊少年サンデー』(小学館)でも採用されており、少女漫画雑誌では『Sho-Comi』(小学館)が2020年1号から採用している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1954年(昭和29年)12月に創刊(1955年1月号)。創刊当初は漫画を含めた少女向け総合読み物雑誌であり、絵物語・グラフ・漫画の3つの柱を軸にしていた。創刊号の価格は110円。付録は創刊号から付いており、名作まんが物語 家なきおどり子、歌の花かご(歌集)、なかよしカレンダー、うらないブック、しおりなどが最初に付いた付録であった。創刊してからしばらくは綴じ込み付録の種類も豊富で、人気スターのブロマイド、香りシール、あぶりだしカードなどの様々な付録が付いていた。初期は漫画のイラストではなく、当時の人気子役が表紙を飾っていた(当時の他の少女誌も同様)。その後、1958年頃から漫画をメインとする誌面となる。表紙はそれまでの写真から1969年10月号から1971年7月号まで田村セツ子のイラストが使われ、1971年8月号から漫画家が表紙イラストを描いている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "『キャンディ♥キャンディ』、『おはよう!スパンク』等が連載されていた1970年代後半には部数において競合誌に差をつけていた。特に『キャンディ♥キャンディ』が大ヒットしたこともあって本誌の部数は180万部 を突破した。1980年代以降も部数は100万部台をキープしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1989年から13年間、編集長を務めた入江祥雄によると、彼が配属された頃には1980年代後半にも100万部台もあった部数が78万部まで低下していた。この状況を打開する為に、当時の『りぼん』と『なかよし』は恋愛漫画が中心だった為、児童文学の部署に配属されていた経験のある同氏は本誌をファンタジー路線を中心に切り替え、『りぼん』よりもやや低年齢向けの誌面にして差別化を図った。1990年代初頭はギャグ物の『きんぎょ注意報!』、バトルヒロイン物の『美少女戦士セーラームーン』、超能力物の『ミラクル☆ガールズ』など、従来の恋愛要素を排除しないで残しつつも多彩なファンタジー要素のある漫画が連載された。特に『美少女戦士セーラームーン』は本誌では初期の段階から反響が大きく、アニメ版も徐々にヒットしていって大ブームとなり、1993年9月号には一度だけアニメのイラストが表紙を飾ったこともある。1992年末には売上率98パーセントでほぼ完売。1993年には本誌の発行部数が205万部を突破し、再び、一時期はりぼんよりも部数が上になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その他にも1990年代には『あずきちゃん』、『魔法騎士レイアース』、『怪盗セイント・テール』、『カードキャプターさくら』、『だぁ!だぁ!だぁ!』などがヒットしていたが、部数は徐々に減少。1999年には70万部台に低下したことで『ちゃお』に抜かれて三大小中学生向け少女漫画誌でのシェアは3位に下がったが、2006年度には『りぼん』の部数が『なかよし』以上に落ち込んだため、シェアは2位に再浮上した。2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は19.8万部 とピーク時の1/10以下にまでなり、『りぼん』より部数が低下した(ただし、2010年の年間平均部数は『りぼん』より上である)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2001年12月号では付録としてモーニング娘。の後藤真希のフィギュアを付けた。これは日本の少女漫画雑誌として初めて立体フィギュアを付録にしたものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2008年12月発売の2009年1月号には創刊55周年を記念し、歴代作家の色紙イラストが読者プレゼントされる。同時に歴代34作品のキャラクターが登場するゲームソフト『なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル』が発売となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2014年12月発売の2015年1月号で漫画雑誌初の創刊60周年を達成、これに先立つ2014年8月6日に60周年記念ホームページを開設し、過去から現在に至る作品の情報や企画を展開するほか、同じく20周年となった『美少女戦士セーラームーン』の記念プロジェクト、CLAMPデビュー25周年を記念しての『カードキャプターさくら』の新作グッズ展開や原画展の開催、10周年となった『プリキュアシリーズ』漫画版の単行本発行、過去の作品の単行本復刊人気投票など、様々な記念施策を展開している。その一環として、2015年6月発売の2015年7月号から電子版の配信が開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2019年11月6日、第1回野間出版文化賞を受賞。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "以下、2023年10月3日(2023年11月号)現在連載中の作品。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "増刊号はオリジナルの話もあれば、本誌の番外編も掲載されていた。2023年現在、増刊号は刊行されていない。", "title": "増刊号" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、本誌の漫画だけではなく、現地の漫画家の作品も掲載されている。", "title": "外版提携誌" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なかよし ザ・ネクストは、なかよしで2000年から2002年にかけて年1回開催されたコンペ企画である。別冊付録に若手作家の読み切りを3本掲載し、読者投票で1位になった作品は本誌連載が約束された。", "title": "なかよし ザ・ネクスト" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "☆は連載化獲得作", "title": "なかよし ザ・ネクスト" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1990年代以降、メディアミックスをはじめとしてさまざまなタイアップを模索し続けている。以下、ここにそれを記す。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "『なかよし』の看板を背負った作品の多くがテレビアニメ化されている。主に少女誌であるので全日帯に放送されることが大半だが(ゴールデンタイムで放送された作品も多い)、中には『まもって!ロリポップ』、『地獄少女』(アニメ中心のタイアップ)、『ゴーストハント』、『さばげぶっ!』など、深夜枠で放送された作品もある(前者2作は深夜枠以外でも放送された)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "(NET→)テレビ朝日とは関係が深く、土曜19時台前半および日曜8時台後半で多くの作品が放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "土曜19時台前半 には1981年から1983年にかけて『おはよう!スパンク』(1981年 - 1982年)→『とんでモン・ペ』(1982年 - 1983年)が、1991年から1997年にかけては『きんぎょ注意報!』(1991年 - 1992年)→『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(『セーラームーン』)が、それぞれ放送された。製作は、1980年代の2作はトムス・エンタテインメント、1990年代の2作は東映アニメーションが手掛けている。なお、1980年代の2作に関しては、関西地区の系列局である朝日放送が製作ホスト局を務めている。さらに、『とんでモン・ペ』はアニメのコミカライズだったのに対し、これ以外の3作品は漫画のアニメ化である。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "日曜8時台後半では、1997年以降、該当時間帯で放送されているアニメ作品の漫画化を担当(連載)している。なお、全作品、制作は東映アニメーション・製作ホスト局は朝日放送が担当している。その変遷は以下の通り。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『夢のクレヨン王国』(漫画:片岡みちる、1997年 - 1998年)→『おジャ魔女どれみ』シリーズ(漫画:たかなししずえ、1998年 - 2003年、全5作)→『明日のナージャ』(漫画:あゆみゆい、2003年 - 2004年)→『プリキュアシリーズ』(漫画:上北ふたご、2004年 - )", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この2つの放送枠以外では、漫画のアニメ化作品としては金曜19時台前半 の『キャンディ♥キャンディ』(1976年 - 1979年、東映アニメーション製作)、木曜19時台後半の『怪盗セイント・テール』(1995年 - 1996年、トムス・エンタテインメント製作、製作ホスト局は朝日放送)、アニメのコミカライズの連載ではローカルセールス枠の『ムーぽん』(1999年 - 2001年)がある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "なお、『キャンディ♥キャンディ』と『セーラームーン』に関しては日本国内ばかりか海外でも高い評価を受けた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "NHK衛星第2テレビジョンの衛星アニメ劇場・火曜日前半(18:00 - 18:25)に、1994年から2002年にかけて、計4作品を送り込んだ。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "第1弾の『超くせになりそう』のアニメ化こそ約1年で終了したが、その後の『あずきちゃん』は約3年、『カードキャプターさくら』(以下『CCさくら』)と『だぁ!だぁ!だぁ!』は約2年にわたって放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、『CCさくら』については2004年から(中断期間を挟んでではあるが)2006年にかけてNHK教育テレビジョンで(NHK BS2の放送からみての)再々放送が行われた(土曜18時30分-→一時中断→木曜19時25分-)際にバンダイおよびショウワノートから玩具・文具などの関連商品が再リリースされ、本放送並みの待遇を受けた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "タイアップではNHK教育テレビジョンの「天てれアニメ」内で『探偵チームKZ事件ノート』のアニメ版が放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "テレビ東京と組んだ例としては、1984年から1985年にかけて放送された『アタッカーYOU!』と1999年に放送された『スーパードール★リカちゃん』があるが、いずれも該当作品のみで関係が途絶えた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "その後2002年の『東京ミュウミュウ』(土曜8時台前半、製作ホスト局はテレビ愛知)から関係が復活した。以後の作品をここに記す。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "『ふぉうちゅんドッグす』(木曜18時台後半→ローカルセールス枠)→『マーメイドメロディぴちぴちピッチ』シリーズ(土曜8時台前半、製作ホスト局はテレビ愛知)→『シュガシュガルーン』(ローカルセールス枠)→『ゴーストハント』(深夜アニメ)→『かみちゃまかりん』(金曜17時台後半)→『しゅごキャラ!』シリーズ(ローカルセールス枠)", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "UHFアニメの第1号は、本誌発祥の『わんころべえ』である。それから長い年月を経て『まもって!ロリポップ』がアニメ化され、『地獄少女』の原作アニメ版も放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "もっとも、これらの作品は、全て独立局以外のテレビ局でも放送されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "なお、後述する『よばれてとびでて!アクビちゃん』についても、独立局の一部で放送されたがゆえに、UHFアニメに含めることがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "これまであげた所以外の地上波テレビ局と組んだ例としては、フジテレビと組んだ『リボンの騎士』(1968年 - 1969年)、『あんみつ姫』(1986年 - 1987年)、『ひみつのアッコちゃん(第2作)』(1988年 - 1989年)、日本テレビと組んだ『ミラクル☆ガールズ』(1993年)と『魔法騎士レイアース』(1994年 - 1995年、製作ホスト局はよみうりテレビ)がアニメ化された。また、コミカライズとしてはTBSと組んだ『アキハバラ電脳組』(漫画版のタイトルは『アキハバラ電脳組 パタPi!』、1998年)と『スウィート・ヴァレリアン』(製作ホスト局は毎日放送、バラエティ番組の『ブリンぶりん家」→「フューチャービーンズ~みらい豆」内で放送、2004年)がある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2014年にはTOKYO MXを中心に『さばげぶっ!』がアニメ化されている。また、『美少女戦士セーラームーン』の新作アニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal』の2期までがネットの動画サイトにアニメが先行配信され、後にテレビ放送された(TOKYO MXなどで放送)。3期は最初からテレビ放送に切り替えている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "アニメの放送が中心のCSテレビ局と組んだ例としては、2001年から2002年にかけて、キッズステーションと組んだ『よばれてとびでて!アクビちゃん』が存在する。ただこの作品は、キッズステーションだけではなく、一部の地上波テレビ局でも放送された実績がある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、先にあげたUHFアニメについても、キッズステーションでも地上波と同時に放送されたことがある。さらに、テレビ東京(および系列局)と組んだ作品に関しては、ごく一部の作品がアニメシアターXでも地上波と同時放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "『魔法騎士レイアース』と『カードキャプターさくら』がOVA化されている。前者はテレビアニメ終了後に製作・リリースされた。後者は映像ソフトの購入特典映像として収録されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1964年に『てなもんや三度笠』(TBS系列および一部の日本テレビ系列、製作ホスト局は朝日放送)がテレビドラマからの漫画化作品として連載されていた が、以後2000年代まで関わりを持つことはなかった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2000年代になり、『美少女戦士セーラームーン』(2003年 - 2004年、CBC・TBS系列で放送)がテレビドラマ化された。テレビアニメが原作の『地獄少女』(2006年 - 2007年、日本テレビおよび静岡第一テレビで放送)もテレビドラマ化されている。一方、テレビドラマの漫画化は2010年5月号から同年7月号まで連載された『タンブリング』(TBS系列で放送)がある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また、『美少女戦士セーラームーン』と『コードネームはセーラーV』がオリジナルビデオ(Vシネマ)化されている(なお、「コードネームはセーラーV」は「セーラーV」がセーラー万年筆によって商標登録されていたため、『美少女戦士セーラームーン Act.ZERO』というタイトルになっている)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "『なかよし』の版元である講談社は、少女向け小説レーベルとして講談社X文庫を設けているが、これと『なかよし』が組んだ例としては、1990年代前半に「月下美人」(芳村杏、原作はひうらさとる)と「あこがれ冒険者」(あさぎり夕)のノベライズ版のリリースがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "講談社X文庫ティーンズハートからは1994年に武内直子の『ま・り・あ』が、2001年には小林深雪の脚本をもとに白沢まりもが漫画化した「夢をかなえる夏休み」をベースに小林が大幅に加筆し、タイトルを改めた小説『願えばきっとかなう』がリリースされた。また、小野不由美がホワイトハートで発表し続けた『悪霊シリーズ』をベースに、いなだ詩穂が「ゴーストハント」というタイトルで漫画化している。ただ、「夢をかなえる夏休み」は、増刊枠の読みきりでしかなく、「ゴーストハント」については、もともとは『Amie』の連載だったものを、該当誌が休刊に追い込まれたがゆえに『なかよし』が引き継いだものだった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "その一方で、2008年3月には本誌で連載された漫画のノベライズを目的とした「なかよし文庫」が立ち上げられた。詳細は該当項目参照。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ほかにも青い鳥文庫(こちらも講談社)作品から、『若おかみは小学生!』と『名探偵夢水清志郎事件ノート』を漫画化したことがあるが、これらは本誌連載ではなく、本誌の別冊付録という形で発表された。なお、同じ青い鳥文庫作品の『クレヨン王国』シリーズをベースにした『夢のクレヨン王国』は、小説の漫画化ではなく、小説をもとにしたテレビアニメの漫画化である。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "池田美代子作のサスペンス小説『妖界ナビ・ルナ』の漫画版が連載された(原作の版元は岩崎書店であったが、2009年6月に刊行された新作以降に関しては青い鳥文庫からリリースされている)。『探偵チームKZ事件ノート』を(原作:藤本ひとみ、住滝良)も漫画化された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、2015年に講談社KK文庫にてなかよしのホラーアンソロジーコミック『絶叫ライブラリー』を小説化した『小説なかよしホラー 絶叫ライブラリー』シリーズや、『小学生のヒミツ』が刊行されたこともあった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1990年代初頭から2000年代初頭まではバンダイとのタイアップが多かった。しかし1998年から1999年まで放映された『スーパードール★リカちゃん』以降はタカラ →タカラトミーとのタイアップも増えており、2018年現在ではバンダイとのタイアップは「朝日放送テレビ・東映アニメ制作日曜朝8時半のアニメ」関連のみである。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "その他の玩具会社とのタイアップしたものには、エンスカイから発売された液晶ゲーム『ちゃまもり』の4コマ漫画が、2006年8月号から2007年5月号まで連載されていた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1993年と1994年に本誌の掲載作品を題材にしたゲームソフトが製作・発売されたことがある。この時期は『美少女戦士セーラームーン』が大ヒットするなど本誌の最盛期であった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "その後はしばらく発売されていなかったが、2008年12月にニンテンドーDS用ソフト『なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル』が発売されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ファミリーコンピュータ用ソフト。1993年、ユタカ(バンダイの関連会社)からリリースされた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ジャンルはロールプレイングゲーム。当時の連載作品の世界を冒険するという設定になっており、一部の登場人物には専用のグラフィックも用意されている。また、各作品の作者である漫画家にもそれぞれ顔グラフィックが用意されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "本誌の本来の購買層である低年齢層の女の子に配慮してか、ゲームシステムは一般的なロールプレイングゲームとはかなり異なり、簡略化されている部分がある(経験値や装備品の概念がない)。全体のボリュームも、最初から通してプレイしても数時間で終わらせることができる程度である。戦闘はコマンド入力方式ではなく、スロットマシンのように回転する絵柄を止めて、揃った絵によって行動が決まるという独特のものである。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "登場する作品は、順に『きんぎょ注意報!』、『ポケット・パーク』、『ミンミン!』、『太陽にスマッシュ!』、『くるみと七人のこびとたち』、『美少女戦士セーラームーン』となっている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "ゲームボーイ用ソフト。1994年3月3日にバンダイからリリースされた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "位置付けとしては『なかよしといっしょ』のゲームボーイ版ではあったが、題材になった作品は『なかよしといっしょ』と多少異なっており、『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『ポケット・パーク』・『熱烈台風娘』・『うしうしわーるど』の5作品となっている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "スーパーファミコン用ソフト。1994年11月18日に、バンダイからリリースされた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "これは、本誌連載作かつアニメ化の実績のある『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『きんぎょ注意報!』の3作品に加え、アニメ化されたことのない『くるみと七人のこびとたち』のキャラクターが登場するアクションゲームである。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ニンテンドーDS用ソフト。2008年12月18日にクリエイティヴ・コアから発売された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "「なかよし創刊55周年記念企画」作品であり、当時連載中の作品に限らず、過去の作品のキャラクター含めて合計70人(ただし人間ではないキャラクターも含む)登場している。主人公キャラクターに関しては、PEACH-PITやこげどんぼ*をはじめとする本誌執筆陣から6人がキャラクターデザインを担当している。また、主人公の衣装も、キャラクターデザイン担当者がデザインしている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2006年9月号からはブランド子供服で知られるアパレルメーカーのナルミヤ・インターナショナルと提携し、「なかよし学園ファッション部」なるプロジェクトを立ち上げており、「エンジェルブルー」ブランドを題材にした漫画『夢みるエンジェルブルー』を発表した事がある(似た企画として、『ちゃお』が2002年 - 2004年にナルミヤ・インターナショナルとタイアップした作品を立ち上げたことがある。こちらは「mezzo piano」ブランドのみ使われた)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ハロー!プロジェクトとのタイアップとして2001年5月号からモーニング娘。を題材とした『娘。物語-モーニング娘。オフィシャルストーリー』が連載された。また、モー娘。メンバーが出演した映画『仔犬ダンの物語』の漫画版が掲載されたことがある。さらに、テレビ番組『ティンティンTOWN!』(日本テレビほか)の一部コーナーの漫画版が掲載されたり、さらに松浦亜弥とサンリオとのコラボレーションキャラ「アヤンキー」とのタイアップ作も掲載されたりした。その後、『娘。物語ミラクル』が2006年3月号(2006年2月3日発売)が発表された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "その後、2014年から現役グループによるコラムが連載されており、2016年5月号まではJuice=Juiceによる『めざせ!クラス☆スター計画!』が連載され、2016年6月号から2018年8月号まではカントリー・ガールズによる『カントリー・ガールズ♡これで人気ナンバーワン!かわいくなれる1テク講座』が連載され、2018年9月号から2020年4月号まではアンジュルムの上國料萌衣・船木結による『アンジュルムかみこ&ふなっきといっしょに!放課後ガールズトーク!!』が連載され、2020年5月号から2022年9月号はBEYOOOOONDSによる『BEYOOOOONDSの胸キュン4コマ』が連載され、2022年10月号からは江端妃咲(Juice=Juice)・豫風瑠乃(つばきファクトリー)による『ハロプロメンバー 激推しマンガトーク』が連載されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "版元の講談社はディズニーと関係が深い。それを生かして小鷹ナヲを起用し、ディズニーとのタイアップ作品『きらら☆プリンセス』と、ディズニーがリリースしているトレーディングカードゲーム「マジカルダンス」を題材にした『Disney’s マジカルダンス!!』を連載した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "この2つの連載作以外では、『プリンセスと魔法のキス』のコミカライズも本誌に掲載されたことがあり、こちらも小鷹ナヲが手掛けた。さらに、増刊枠『なかよしラブリー』でも、明日賀じゅんが『Disney Fairies 小さな妖精プティの日記』というタイトルの作品を連載した時期がある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "『セーラームーン』、『ようこそ!微笑寮へ』、『カードキャプターさくら』、『わたしに××しなさい!』がドラマCD化されたことがある。コミカライズでは『夢のクレヨン王国』、『おジャ魔女どれみ』、『明日のナージャ』『プリキュアシリーズ』はアニメ側の企画でCDドラマが存在する。 なお、『わたしに××しなさい!』については、単行本の特装版の付録という形でリリースされた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "また、2006年1月号には漫画のセリフに声を入れた「デジタルコミック」という形で、『王子様のつくりかた』が、付録のCD-ROMのプログラムのひとつとして収録されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "キャラクター物ではないが、実在のスポーツチーム(ナショナルチーム)とタイアップした作品も存在する。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2004年8月号・9月号・11月号に女子バレーボールアテネオリンピック日本代表とのタイアップ作品「アタック!」を発表した。その後、サッカー日本女子代表とのタイアップ作品『なでしこシュート!』が2008年8月号に掲載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ちなみにこの2作品は、いずれもモーニング娘。とのタイアップ作品の多くを執筆した神崎裕が手がけている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ファミリーレストラン・ガストが『デリシャス!』の作中で登場するレシピを実際のメニューとして提供したことがある。さらに、『キッチンのお姫さま』では、本誌2007年2月号掲載分で、明治製菓とのタイアップ広告を掲載しており、作中に同社の製品(のラベル)を登場させた。さらに2009年12月号から2010年12月号まで、料理研究家の岡田史織をアドバイザーに迎えた、デコレーション弁当をモチーフとした作品『初恋ランチボックス』が連載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ポストペットを題材にした作品『ポストペットスクール』を、2006年2月号から2008年2月号まで連載していた(作者はかなしろにゃんこ)。もともとは探偵物だったが、後に学園物にスイッチしている。また、サンリオのキャラクターのひとつ『てのりくま』のコミカライズを、2007年6月号から2008年12月号まで連載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1958年から1959年にかけて『ペスよおをふれ』がラジオ東京の手でラジオドラマ化されたことがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ハロー!プロジェクト以外の芸能人タイアップ作品としては、2010年4月号から同年7月号にかけてタレントの中川翔子の生涯を取り上げたセミドキュメンタリー作品『中川翔子物語〜空色デイズ〜』が連載された。また、2012年2月号から2013年12月号まで、AKB48をベースとしたテレビアニメ「AKB0048」の漫画版が連載されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "「テレビアニメ化作品のミュージカル化」以外では、ひうらさとるの『月下美人』が青山劇場でミュージカル化されたことがある。また、「テレビアニメ化作品の映画化」以外では、『コクリコ坂から』がスタジオジブリ製作で劇場版アニメ化された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2015年12月2日、創刊60周年を記念したコンピレーションアルバム「Twinkle Songs」が発売。「なかよし」掲載作品を原作としたテレビアニメおよびテレビドラマの主題歌36曲を収録。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "1990年代に連載をしていたことのある柴田亜美も当時、ゲームソフトを買うために午前秋葉原組と午後秋葉原組の2組に分かれていたことやアーケードゲームを、基板ごと買っていたことを漫画にしている。", "title": "タイアップ" } ]
『なかよし』は、講談社が発行する日本の月刊漫画雑誌。1954年12月創刊(1955年1月号)。
{{Otheruses|少女漫画雑誌}} {{出典の明記|date=2011年1月}} {{特殊文字}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = NAKAYOSHIi1954年12月創刊号(1955年1月号).jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = 1955年1月創刊号 | 誌名 = なかよし | 英文誌名 = NAKAYOSI<ref group="注">ローマ字では「Nakayoshi」と表記されることが多いが、正式な表記は「Nakayosi」(hがない[[訓令式]][[ローマ字]])である。</ref> | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 読者対象 = 小中学生の少女 | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#月刊|月刊]](毎月3日ごろ発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本]] | 定価 = 620円 | 出版社 = [[講談社]] | 編集部名 = なかよし編集部 | 発行人 = | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 01033 | 刊行期間 = [[1955年]][[1月25日]] - | 発行部数 = 43,000<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[講談社コミックスなかよし]] | 姉妹誌 = | ウェブサイト = [http://kc.kodansha.co.jp/magazine/index.php/01033 デジなか] | 特記事項 = }} 『'''なかよし'''』は、[[講談社]]が発行する日本の[[逐次刊行物#月刊|月刊]][[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]。[[1954年]]12月創刊(1955年1月号)。 == 概要 == 『[[ちゃお]]』([[小学館]]発行)・『[[りぼん]]』([[集英社]]発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。 刊行中の[[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]としては日本最古の存在であり、さらに過去に刊行されていた漫画雑誌を含めても1997年4月に『[[大阪パック]]』(1906年11月 - 1950年3月、43年4か月)の記録を抜いて日本最長寿記録を更新している。また現存する講談社発行の幼児および子供向けまたは少年・少女向け雑誌の中でも最古の歴史を持ち<ref group="注">次に長いのは『[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]』で、以下『[[週刊少年マガジン]]』、『[[別冊フレンド]]』と続いている。</ref>、数々の名作や著名な[[漫画家]]を輩出している。2004年12月に創刊50周年、2014年12月に創刊60周年<ref>{{Cite web|和書|title=『なかよし』創刊60周年 日本漫画誌史上一番乗り|url=https://www.oricon.co.jp/news/2045258/full/|website=ORICON NEWS|accessdate=2021-02-01}}</ref>を迎えた。 ページ最後の目次には、毎回特定の質問が各作品の作者に対して投げかけられ(季節柄に関することが多い)、ページ表示欄に一言程度の回答が書かれている。このスタイルは、同じ版元の『[[週刊少年マガジン]]』や、その競合誌である『[[週刊少年サンデー]]』(小学館)でも採用されており、少女漫画雑誌では『[[少女コミック|Sho-Comi]]』(小学館)が2020年1号から採用している。 == 歴史 == [[1954年]](昭和29年)12月に創刊(1955年1月号)。創刊当初は[[漫画]]を含めた少女向け総合読み物雑誌であり、[[絵物語]]・グラフ・漫画の3つの柱を軸にしていた。創刊号の価格は110円。付録は創刊号から付いており、名作まんが物語 家なきおどり子、歌の花かご(歌集)、なかよしカレンダー、うらないブック、しおりなどが最初に付いた付録であった<ref name="example">[https://www.fashionsnap.com/article/2011-08-25/nakayoshi-100/ 『日本最長寿少女まんが誌「なかよし」が表紙100展、お宝ふろくも』] 2011年08月25日 ''[[Fashionsnap.com]]''</ref>。創刊してからしばらくは綴じ込み付録の種類も豊富で、人気スターの[[ブロマイド]]、香りシール、[[あぶりだし]]カードなどの様々な付録が付いていた<ref name="example"/>。初期は漫画のイラストではなく、当時の人気[[子役]]が表紙を飾っていた<ref group="注">[[吉永小百合]]、[[松島トモ子]]、[[鷲津名都江|小鳩くるみ]]など</ref>(当時の他の少女誌も同様)。その後、1958年頃から漫画をメインとする誌面となる<ref group="注">1958年11月号の時点で全体の誌面の半分が漫画になっていた。なお、この変化はライバル誌『りぼん』にもほぼ同時に起きた。白泉社『季刊 プータオ春の号』2000年、「女の子のためのアニメ&ゲーム300」より</ref>。表紙はそれまでの写真から1969年10月号から1971年7月号まで[[田村セツコ|田村セツ子]]のイラストが使われ、1971年8月号から漫画家が表紙イラストを描いている。 『[[キャンディ・キャンディ|キャンディ♥キャンディ]]』、『[[おはよう!スパンク]]』等が連載されていた[[1970年代]]後半には部数において競合誌に差をつけていた。特に『キャンディ♥キャンディ』が大ヒットしたこともあって本誌の部数は180万部<ref name="pen2013 N.o337より">pen2013 N.o337より</ref> を突破した。1980年代以降も部数は100万部台をキープしていた。 1989年から13年間、編集長を務めた入江祥雄によると、彼が配属された頃には1980年代後半にも100万部台もあった部数が78万部まで低下していた。この状況を打開する為に、当時の『りぼん』と『なかよし』は恋愛漫画が中心だった為、児童文学の部署に配属されていた経験のある同氏は本誌を[[ファンタジー]]路線を中心に切り替え、『りぼん』よりもやや低年齢向けの誌面にして差別化を図った。1990年代初頭はギャグ物の『[[きんぎょ注意報!]]』、バトルヒロイン物の『[[美少女戦士セーラームーン]]』、超能力物の『[[ミラクル☆ガールズ]]』など、従来の恋愛要素を排除しないで残しつつも多彩なファンタジー要素のある漫画が連載された。特に『美少女戦士セーラームーン』は本誌では初期の段階から反響が大きく、アニメ版も徐々にヒットしていって大ブームとなり、1993年9月号には一度だけアニメのイラストが表紙を飾ったこともある<ref group="注">[[原画]]を原作者の[[武内直子]]が担当し、アニメを手掛けていた東映動画(現・[[東映アニメーション]])のスタッフが彩色した。</ref>。1992年末には売上率98パーセントでほぼ完売。1993年には本誌の発行部数が205万部を突破し、再び、一時期はりぼんよりも部数が上になった<ref name="pen2013 N.o337より" />。 その他にも1990年代には『[[あずきちゃん]]』、『[[魔法騎士レイアース]]』、『[[怪盗セイント・テール]]』、『[[カードキャプターさくら]]』、『[[だぁ!だぁ!だぁ!]]』などがヒットしていたが、部数は徐々に減少。1999年には70万部台{{要出典|date=2011年2月}}<!--いつ頃?-->に低下したことで『ちゃお』に抜かれて三大小中学生向け少女漫画誌でのシェアは3位に下がったが、2006年度には『りぼん』の部数が『なかよし』以上に落ち込んだため、シェアは2位に再浮上した<ref group="注">[[日本雑誌協会]]の調べによると、2006年度は『なかよし』42万部に対し『りぼん』は40万部、2007年度は『なかよし』が40万部であった。<!--いつ頃?--></ref>。2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は19.8万部<ref group="注">日本雑誌協会が発表した印刷部数。</ref> とピーク時の1/10以下にまでなり、『りぼん』より部数が低下した<ref group="注">『りぼん』の2010年10月から2011年9月の発行部数は、20.9万部(日本雑誌協会調べ)。</ref>(ただし、2010年の年間平均部数は『りぼん』より上である<ref name="出版指標年報2011より">出版指標年報2011より</ref>)。 2001年12月号では付録として[[モーニング娘。]]の[[後藤真希]]のフィギュアを付けた。これは日本の少女漫画雑誌として初めて立体フィギュアを付録にしたものであった<ref>[https://web.archive.org/web/20021001223105/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2001/11/03/03.html 漫画誌付録、モー娘フィギュア]、スポニチアネックス、2001年11月3日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。 2008年12月発売の2009年1月号には創刊55周年を記念し、歴代作家の色紙イラストが読者プレゼントされる。同時に歴代34作品のキャラクターが登場するゲームソフト『[[なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル]]』が発売となった。 2014年12月発売の2015年1月号で漫画雑誌初の創刊60周年を達成、これに先立つ2014年8月6日に60周年記念ホームページを開設し、過去から現在に至る作品の情報や企画を展開するほか<ref>[http://nakayosi60.com/news/6.html 「なかよし60周年記念ホームページ」開設!],なかよし60周年記念ホームページ,2014年8月6日</ref>、同じく20周年となった『美少女戦士セーラームーン』の記念プロジェクト、[[CLAMP]]デビュー25周年を記念しての『カードキャプターさくら』の新作グッズ展開や原画展の開催、10周年となった『[[プリキュアシリーズ]]』漫画版の単行本発行、過去の作品の単行本復刊人気投票など、様々な記念施策を展開している。その一環として、2015年6月発売の2015年7月号から[[電子書籍|電子版]]の配信が開始された<ref>{{Cite web|和書|date=2015-6-3|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|url=https://natalie.mu/comic/news/149283|title=なかよし電子版が配信開始、「きん注」「ミラクル☆ガールズ」の第1話も収録|accessdate=2015-7-27}}</ref>。 <!-- 2010年以降は発行部数の節に記述されているし、あまり書きすぎると重複になるので転機となった年以外はいいのでは? --> 2019年11月6日、第1回[[野間出版文化賞]]を受賞<ref>[https://www.kodansha.co.jp/award/noma_s.html 第1回 野間出版文化賞が2019年11月6日に決定いたしました!] 講談社公式ウェブサイト</ref>。 == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * [[鈴木松雄]]<ref name="ayunda-50nen">『講談社の歩んだ五十年〈昭和編〉』 講談社 1959年</ref> * [[佐藤勝也]]<ref name="ayunda-50nen"/> * [[東浦彰]] * [[入江祥雄]] * [[中里郁子]] * [[須田淑子]]<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/column/416418|title=マンガ誌編集長が選ぶ、2020年のイチオシ作品|date=2021-03-05|accessdate=2021-05-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=あの話題作からマンガ賞受賞作まで!厳選チョイスの27作品 {{!}} マンガ誌編集長が選ぶ、2022年のイチオシ作品 Vol.2 |url=https://natalie.mu/comic/column/508611/page/2 |website=コミックナタリー |access-date=2023-02-23 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref> == 発行部数 == * 1955年 - 22万部<ref>『国語年鑑 昭和31年版』秀英出版、1956年、52頁。{{NDLJP|2473012/32}}</ref> * 1956年 - 35万部<ref>『年鑑こどもの図書館 1958年版』、36頁。{{NDLJP|2997219/25}}</ref> * 1978年6月、公称160万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1979年版』</ref> * 1979年7月、公称180万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1980年版』</ref> * 1980年7月、公称170万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1981年版』</ref> * 1981年9月、公称140万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1982年版』</ref> * 1982年12月、公称1,200,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1983年版』</ref> * 1984年4月、公称1,250,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1984年版』</ref> * 1985年3月、公称1,250,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1985年版』</ref> * 1986年3月、公称1,250,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1986年版』</ref> * 1987年3月、公称1,250,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1987年版』</ref> * 1988年3月、公称1,350,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』</ref> * 1989年2月、公称1,350,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1989年版』</ref> * 1990年2月、公称1,200,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1990年版』</ref> * 1991年2月、公称1,200,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1991年版』</ref> * 1991年4月 - 1992年3月、公称1,200,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1992年版』</ref> * 1992年4月 - 1993年3月、公称1,400,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1993年版』</ref> * 1993年1月 - 12月、推定175万部<ref>『1994年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1993年 -205万部 * 1993年4月 - 1994年3月、公称2,100,000部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1994年版』</ref> * 1994年1月 - 12月、推定175万部<ref>『1995年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年1月 - 12月、推定150万部<ref>『1996年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1996年1月 - 12月、推定110万部<ref>『1997年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1997年1月 - 12月、推定78万部<ref>『1998年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1998年1月 - 12月、推定53万部<ref>『1999年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1999年1月 - 12月、推定50万部<ref>『2000年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2000年1月 - 12月、推定50万部<ref>『2001年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、457,083部<ref name="data">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会] JMPAマガジンデータによる1号当たり平均部数</ref> * 2004年9月 - 2005年8月、457,500部<ref name="data" /> * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、418,500部<ref name="data" /> * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、400,000部<ref name="data" /> * 2007年10月1日 - 2008年9月30日、343,750部<ref name="data" /> * 2008年10月1日 - 2009年9月30日、306,667部<ref name="data" /> * 2009年10月1日 - 2010年9月30日、252,084部<ref name="data" /> * 2010年 -25万部(年間平均)<ref name="出版指標年報2011より"/> * 2010年10月1日 - 2011年9月30日、198,910部<ref name="data" /> * 2011年10月1日 - 2012年9月30日、170,834部<ref name="data" /> * 2012年10月1日 - 2013年9月30日、152,667部<ref name="data" /> * 2013年10月1日 - 2014年9月30日、137,500部<ref name="data" /> * 2018年10月1日 - 2019年9月30日、75,321部<ref name="data" /> * 2019年10月1日 - 2020年9月30日、64,754部<ref name="data" /> * 2020年10月1日 - 2021年9月30日、56,958部<ref name="data" /> * 2021年10月1日 - 2022年9月30日、46,708部<ref name="data" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 331,667 部 || 333,334 部 || 316,250 部 |- ! 2009年 | 315,000 部 || 300,000 部 || 295,000 部 || 278,750 部 |- ! 2010年 | 250,000 部 || 236,667 部 || 233,334 部 || 228,334 部 |- ! 2011年 | 200,000 部 || 188,334 部 || 179,334 部 || 175,000 部 |- ! 2012年 | 175,000 部 || 170,000 部 || 163,334 部 || 158,000 部 |- ! 2013年 | 145,000 部 || 140,000 部 || 163,334 部 || 140,000 部 |- ! 2014年 | 137,500 部 || 138,334 部 || 133,334 部 || 127,750 部 |- ! 2015年 | 119,000 部 || 119,334 部 || 129,167 部 || 106,250 部 |- ! 2016年 | 105,500 部 || 101,000 部 || 103,333 部 || {{0}}98,700 部 |- ! 2017年 | {{0}}96,000 部 || {{0}}96,000 部 || {{0}}94,833 部 || {{0}}90,250 部 |- ! 2018年 | {{0}}88,000 部 || {{0}}87,203 部 || {{0}}85,830 部 || {{0}}80,875 部 |- ! 2019年 | {{0}}77,700 部 || {{0}}72,817 部 || {{0}}68,833 部 || {{0}}66,925 部 |- ! 2020年 | {{0}}65,875 部 || {{0}}63,400 部 || {{0}}62,467 部 || {{0}}61,000 部 |- ! 2021年 | {{0}}58,500 部 || {{0}}54,667 部 || {{0}}52,833 部 || {{0}}48,500 部 |- ! 2022年 | {{0}}47,500 部 || {{0}}47,167 部 || {{0}}43,333 部 || {{0}}44,500 部 |- ! 2023年 | {{0}}43,000 部 || {{0}}43,000 部 || {{0}}42,333 部 || |} == 連載作品 == {{Main2|過去の連載作品については[[なかよし連載作品の一覧]]を}} 以下、2023年12月28日(2024年2月号)現在連載中の作品。 <!--連載終了の場合は、連載終了号の次号の公式発売日まで消さないようお願いします。--> {| class="wikitable sortable" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|わんころへえ}}[[わんころべえ]] || {{Display none|あへ ゆりこ}}[[あべゆりこ]] || — || 1976年01月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|ふりきゆあ}}[[プリキュアシリーズ]] || {{Display none|かみきた ふたこ}}[[上北ふたご]] || {{Display none|とうとう いつみ}}[[東堂いづみ]]{{Small|(原作)}} || 2004年03月号 || タイアップ || 2023年3月号より<br />『[[ひろがるスカイ!プリキュア]]』 |- | {{Display none|うあんはいあとみとりい}}[[ヴァンパイア男子寮]] || {{Display none|とおやま えま}}[[遠山えま]] || — || 2018年12月号 || || |- | {{Display none|ちひろくんはあたしほりつく}}千紘くんは、あたし中毒。 || {{Display none|いとう さと}}伊藤里 || — || 2019年07月号 || || |- | {{Display none|しんこんたけとかたおもい}}[[新婚だけど片想い]] || {{Display none|ゆきもり さくら}}[[雪森さくら]] || — || 2020年08月号 || || |- | {{Display none|とうせこいしてしまうんた}}どうせ、恋してしまうんだ。 || {{Display none|みつい はるか}}[[満井春香]] || — || 2020年12月号 || || |- | {{Display none|まあめえとめろていいひちひちひつちあくあ}}[[ぴちぴちピッチ|マーメイドメロディー <br />ぴちぴちピッチ aqua]] || {{Display none|はなもり ひんく}}[[花森ぴんく]] || — || 2021年09月号 || ||『[[ぴちぴちピッチ]]』の新章 |- | {{Display none|もふもふたんしあるかわはかのすけくん}}もふもふ男子 アル川パカ之助くん || {{Display none|いちはし いすな}}市橋イズナ || — || 2021年10月号 || || 不定期連載<ref>{{Twitter status2|1=izuna011|2=1554061168066838530|4=市橋イズナ 2022年8月1日のツイート|5=2023-04-03}}</ref> |- | {{Display none|へんきんたち}}ペンギンたち。 || {{Display none|ありむら もは}}アリムラモハ || — || 2021年12月号 || || |- | {{Display none|きふてつと}}[[ギフテッド (漫画)|ギフテッド]] || {{Display none|あまみや りま}}雨宮理真 || {{Display none|あまき せいまる}}[[天樹征丸]]{{Small|(原作)}} || 2022年01月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|おしねこ}}おじねこ || {{Display none|うえつき えみり}}植月えみり || — || 2022年11月号 || || |- | {{Display none|ましよめいとはしよおうのひみつをしつている}}魔女メイドは女王の秘密を知っている || {{Display none|とおやま えま}}遠山えま || — || 2023年01月号 || || |- | {{Display none|おれともういちとふああすとらふ}}俺ともう一度、初恋 || {{Display none|はせかき なるみ}}長谷垣なるみ || — || 2023年02月号 || || |- | {{Display none|おかねのこんはす}}お金のコンパス || {{Display none|いとう みんこ}}伊藤みんご || — || 2023年03月号 || || |- | {{Display none|へんけんのはんこ}}変幻の半狐 || {{Display none|いくた はな}}いくたはな || — || 2023年06月号 || || |- | {{Display none|ほんのみち}}[[ぽんのみち]] || {{Display none|うのはな つかさ}}[[卯花つかさ]] || {{Display none|}}IIS-P{{Small|(原作)}}<br />[[春場ねぎ]]<br />{{Small|(キャラクター原案)}} || 2023年10月号 || タイアップ || |-- | {{Display none|おとなりさんはきすよりあまい}}おとなりさんはキスより甘い || {{Display none|さくら かな}}咲良香那 || — || 2023年11月号 || || <!-- ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 原作者のいない場合の雛形 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || — || 《開始号をxxxx年xx号》 || 原作者などがいる場合の雛形 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]](漫画)|| {{Display none|《原作者の読みをひらがな清音で》}}[[《原作者》]](原作) || 《開始号をxxxx年xx号》 || --> |} == 読者投稿コーナー == === 歴代タイトル === * なかよし新聞(イラスト担当:最終担当:田村セツ子) * なかよしジョッキー(イラスト担当:はやしえい子、写真出演:[[キャロライン洋子]](1971年1月号 - 1980年前半)、トマト(1980年前半 - 1985年3月号)、ユキ(1985年4月号 - 12月号)) * ちゃめっこクラブ(イラスト担当:[[片岡みちる]]) * スーパーちゃめっこクラブ(イラスト担当:片岡みちる(途中から[[桜井明子]]がイラスト担当となり、キャラクターも変更になった))<!-- 片岡みちる版の最終号は1998年5月号--> * みんな集まれ! なかよしっこパラダイス(イラスト担当:桜井明子) * GO→GO→なかよしチャンネル(イラスト担当:[[ナフタレン水嶋]]、[[ゆみみ (漫画家)|ゆみみ]]) * なかよしスタジオ(イラスト担当:[[ナフタレン水嶋]]) * なかよし学園(イラスト担当:[[ハタノヒヨコ]]) * なかよしステーション(イラスト担当:紺のんこ) * なかよしレボリューション(イラスト担当:佐藤みなみ) * なかともライン(イラスト担当:伊藤みんご) === 歴代キャラクター === * なかよし新聞/なか子(創刊時から1970年12月号の終了時まで、名前な不変でイラストは時々の担当者が自由に書いていた) * なかよしジョッキー/ダメラ(1971年11月号 - 1985年12月号)キャラ化した洋子、トマト、ユキ(ダメラ登場まで男性編集員が洋子の相手だった) * ちゃめっこクラブ/ハナコ、タロウ(途中から登場)、みーたん、すごい技だマン、ちゃっぴー、すごい技だニャン(読者投稿により名前決定) * スーパーちゃめっこクラブ ** (片岡みちる版)/「ちゃめっこクラブ」と同じ。 ** (桜井明子版)/星野ナナ、銀次朗(読者投稿により名前決定)、高木とものすけ<ref group="注">この名前は[[高木ブー]]の本名とほぼ同じ(「友之助」が平仮名になっているのみ)である。そのため、一時期高木ブー本人担当の[[ダジャレ]]投稿コーナー「'''高木ブーのシャレにならん!'''」が存在していた。</ref>、アル美(アルミニウム姫) * みんな集まれ! なかよしっこパラダイス/桜井明子版「スーパーちゃめっこクラブ」と同じだが、銀次朗が元の姿(弓かおる(読者投稿により元の姿と名前決定))になった。 * GO→GO→なかよしチャンネル/むうす、セイヤ、ぜりー、さぶじい * なかよしスタジオ/ハル、アキ、ナツオ、フユミ、タカコ、さぶじい(「GO→GO→なかよしチャンネル」から引き続き参加)、[[福田沙紀|サキ]]<ref group="注">サキはミニエッセイコーナー「サキのBlog」担当だが、タイトルイラストにも顔を出すことがあった。なお、「サキのBlog」自体は「GO→GO→なかよしチャンネル」時代から掲載されており、「なかよし学園」でも2010年3月号付けまで掲載された。</ref> * なかよし学園/マミ、みらの、リュウセイ、ワタル、先生、つるりん(読者投稿により名前決定)、コマツナ(途中参加、読者投稿によりあだな決定) * なかよしステーション/アンナ、テツジ、マコト、エミ、冬子 * なかよしレボリューシション/ささみ、がいあ、ふたば、ういろう、じじい(途中参加) * なかともライン/花梨、桃、英、伊吹、ユズ == 増刊号 == 増刊号はオリジナルの話もあれば、本誌の番外編も掲載されていた。2023年現在、増刊号は刊行されていない。 * [[なかよしラブリー]] 年4-5回 2003年夏の号より刊行。2011年秋の号まで続いた。 * なかよし○○やすみランド(○○のなかには「はる」「なつ」「ふゆ」が入った)年3回 1997年より。2003年の「はるやすみランド」が最終。 * なかよし増刊なかぞう 年3-4回 1993年~1996年 * なかよしデラックス 1978年12月号が創刊号。1992年初冬の号が最終号。 * なかよし増刊るんるん 1991年より→「[[るんるん (講談社)|るんるん]]」として独立創刊。1998年1月号が最終。 * なかよし増刊 1977年~1986年は確認。 * 増刊なかよし 1975年~1978年は確認。 * 別冊なかよし 1971年創刊。1976年までは確認。 == 派生誌 == * 『[[るんるん (講談社)|るんるん]]』 * 『[[amie]]』 * 『[[Chu♥Girl]]』 == 外版提携誌 == * [[:zh:美少女月刊|美少女月刊]]([[台湾]]・[[:zh:長鴻出版社|長鴻出版社]]) * [[:zh:COMiC FANS|COMiC FANS]]([[香港]]・[[:zh:天下出版社|天下出版社]]) なお、本誌の漫画だけではなく、現地の漫画家の作品も掲載されている。 == なかよし ザ・ネクスト == '''なかよし ザ・ネクスト'''は、なかよしで2000年から2002年にかけて年1回開催された[[コンペ]]企画である。別冊付録に若手作家の読み切りを3本掲載し、読者投票で1位になった作品は本誌連載が約束された。 === 参加作品 === ☆は連載化獲得作 * 2000年11月号 ** [[ODAIBAラブサバイバル]]([[白沢まりも]]・原作:[[小林深雪]])☆ ** きららSOS([[かなしろにゃんこ]]) ** 少女人魚([[永遠幸]]) * 2001年11月号 ** セレブレイト!(永遠幸) ** [[学園天国 (原明日美の漫画)|学園天国]]([[原明日美]])☆ ** まじかる♥ラボ(岡村香穂) * 2002年11月号 ** 1/100のキモチ(水月りゅん) ** [[まもって!ロリポップ]]([[菊田みちよ]])☆ ** ラブゲッちゅ 〜沢木堂骨董店四代目〜(ハットリユカコ) == タイアップ == 1990年代以降、メディアミックスをはじめとしてさまざまなタイアップを模索し続けている。以下、ここにそれを記す。 === テレビアニメ === 『なかよし』の看板を背負った作品の多くがテレビアニメ化されている。主に少女誌であるので[[全日]]帯に放送されることが大半だが([[ゴールデンタイム]]で放送された作品も多い)、中には『[[まもって!ロリポップ]]』、『[[地獄少女]]』(アニメ中心のタイアップ)、『[[悪霊シリーズ|ゴーストハント]]』、『[[さばげぶっ!]]』など、深夜枠で放送された作品もある(前者2作は深夜枠以外でも放送された)。 ==== テレビ朝日 ==== [[テレビ朝日|(NET→)テレビ朝日]]とは関係が深く、土曜19時台前半および[[朝日放送制作日曜朝8時30分枠のアニメ|日曜8時台後半]]で多くの作品が放送された。 土曜19時台前半<ref group="注" name="ANN">テレビ朝日系列局が少なかった頃は、TBSテレビ・日本テレビ・フジテレビ系列局での[[遅れネット]]も相当数行われていた。</ref> には1981年から1983年にかけて『[[おはよう!スパンク]]』(1981年 - 1982年)→『[[とんでモン・ペ]]』(1982年 - 1983年)が、1991年から1997年にかけては『[[きんぎょ注意報!]]』(1991年 - 1992年)→『[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン]]』シリーズ(『セーラームーン』)が、それぞれ放送された。製作は、1980年代の2作は[[トムス・エンタテインメント]]、1990年代の2作は[[東映アニメーション]]が手掛けている。なお、1980年代の2作に関しては、[[近畿地方|関西地区]]の系列局である[[朝日放送テレビ|朝日放送]]が製作ホスト局を務めている。さらに、『とんでモン・ペ』はアニメの[[コミカライズ]]だったのに対し、これ以外の3作品は漫画のアニメ化である。 日曜8時台後半では<ref group="注" name="ANN" />、1997年以降、該当時間帯で放送されているアニメ作品の[[漫画化]]を担当(連載)している<ref group="注">『夢のクレヨン王国』は本誌と同じく講談社が版元となっている小説『[[クレヨン王国]]』シリーズからアニメ化し、さらにそれを元として漫画化する形態となっている。</ref>。なお、全作品、制作は東映アニメーション・製作ホスト局は朝日放送が担当している<ref group="注">ホスト局の朝日放送のみ、『[[全国高校野球選手権大会中継]]』のため後日に臨時枠移動し、その他系列局では通常の時間帯に[[裏送り]]による[[先行ネット]]で放送されることがある。</ref>。その変遷は以下の通り。 『[[夢のクレヨン王国]]』(漫画:[[片岡みちる]]、1997年 - 1998年)→『[[おジャ魔女どれみ]]』シリーズ(漫画:[[たかなししずえ]]、1998年 - 2003年、全5作)→『[[明日のナージャ]]』(漫画:[[あゆみゆい]]、2003年 - 2004年)→『[[プリキュアシリーズ]]』(漫画:[[上北ふたご]]、2004年 - ) この2つの放送枠以外では、漫画のアニメ化作品としては金曜19時台前半<ref group="注" name="ANN" /> の『[[キャンディ・キャンディ|キャンディ♥キャンディ]]』(1976年 - 1979年、東映アニメーション製作)、木曜19時台後半の『[[怪盗セイント・テール]]』(1995年 - 1996年、トムス・エンタテインメント製作、製作ホスト局は朝日放送)<ref group="注">基本的にネット局は全て同時ネットだったが、[[広島ホームテレビ]]のみ[[日本プロ野球|プロ野球]][[広島東洋カープ]]主催試合の[[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|中継]]のため散発的に遅れネットとなることがあった。</ref>、アニメのコミカライズの連載ではローカルセールス枠の『[[ムーぽん]]』<ref group="注">ネット局は東日本・九州地区が大半で近畿・中四国では広島ホームテレビのみの放送だった。</ref>(1999年 - 2001年)がある。 なお、『キャンディ♥キャンディ』と『セーラームーン』に関しては日本国内ばかりか海外でも高い評価を受けた。 ==== NHK衛星第2テレビジョン・NHK教育テレビジョン ==== [[NHK衛星第2テレビジョン]]の[[衛星アニメ劇場]]・火曜日前半(18:00 - 18:25)に、1994年から2002年にかけて、計4作品を送り込んだ。 第1弾の『[[超くせになりそう]]』のアニメ化こそ約1年で終了したが、その後の『[[あずきちゃん]]』は約3年、『[[カードキャプターさくら]]』(以下『CCさくら』)と『[[だぁ!だぁ!だぁ!]]』は約2年にわたって放送された。 また、『CCさくら』については2004年から(中断期間を挟んでではあるが)2006年にかけて[[NHK教育テレビジョン]]で(NHK BS2の放送からみての)再々放送が行われた(土曜18時30分-→一時中断→木曜19時25分-)際に[[バンダイ]]および[[ショウワノート]]から玩具・文具などの関連商品が再リリースされ、本放送並みの待遇を受けた。 タイアップではNHK教育テレビジョンの「[[天才てれびくん|天てれアニメ]]」内で『[[探偵チームKZ事件ノート]]』のアニメ版が放送された。 ==== テレビ東京 ==== [[テレビ東京]]と組んだ例としては、1984年から1985年にかけて放送された『[[アタッカーYOU!]]』と1999年に放送された『[[スーパードール★リカちゃん]]』があるが、いずれも該当作品のみで関係が途絶えた。 その後2002年の『[[東京ミュウミュウ]]』(土曜8時台前半、製作ホスト局は[[テレビ愛知]])から関係が復活した。以後の作品をここに記す。 『[[ふぉうちゅんドッグす]]』(木曜18時台後半→ローカルセールス枠)→『[[ぴちぴちピッチ|マーメイドメロディぴちぴちピッチ]]』シリーズ(土曜8時台前半、製作ホスト局はテレビ愛知)→『[[シュガシュガルーン]]』(ローカルセールス枠)→『[[悪霊シリーズ|ゴーストハント]]』([[深夜アニメ]])→『[[かみちゃまかりん]]』(金曜17時台後半)→『[[しゅごキャラ!]]』シリーズ(ローカルセールス枠) ==== UHFアニメ ==== [[UHFアニメ]]の第1号は、本誌発祥の『[[わんころべえ]]』である。それから長い年月を経て『[[まもって!ロリポップ]]』がアニメ化され、『[[地獄少女]]』の原作アニメ版も放送された。 もっとも、これらの作品は、全て[[全国独立放送協議会|独立局]]以外のテレビ局でも放送されている<ref group="注">例えば『わんころべえ』はTBS系列の[[CBCテレビ|中部日本放送]]、『[[地獄少女]]』はTBS系列の[[毎日放送]]、そして『まもって!ロリポップ』はテレビ朝日系列の[[熊本朝日放送]]でも、それぞれ放送されている。これら以外の独立局以外のネット局は、それぞれの項目を参照。</ref>。 なお、後述する『[[よばれてとびでて!アクビちゃん]]』についても、独立局の一部で放送されたがゆえに、UHFアニメに含めることがある。 ==== その他のテレビ局 ==== これまであげた所以外の地上波テレビ局と組んだ例としては、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]と組んだ『[[リボンの騎士]]』(1968年 - 1969年)、『[[あんみつ姫]]』(1986年 - 1987年)、『[[ひみつのアッコちゃん|ひみつのアッコちゃん(第2作)]]』(1988年 - 1989年)、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と組んだ『[[ミラクル☆ガールズ]]』(1993年)と『[[魔法騎士レイアース]]』(1994年 - 1995年、製作ホスト局は[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]])がアニメ化された。また、コミカライズとしては[[TBSテレビ|TBS]]と組んだ『[[アキハバラ電脳組]]』(漫画版のタイトルは『アキハバラ電脳組 パタPi!』、1998年)と『[[スウィート・ヴァレリアン]]』(製作ホスト局は[[毎日放送]]、バラエティ番組の『[[ブリンぶりん家]]」→「[[フューチャービーンズ~みらい豆]]」内で放送、2004年)がある。 2014年には[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]を中心に『[[さばげぶっ!]]』がアニメ化されている。また、『美少女戦士セーラームーン』の新作アニメ『[[美少女戦士セーラームーンCrystal]]』の2期までがネットの動画サイトにアニメが先行配信され、後にテレビ放送された(TOKYO MXなどで放送)。3期は最初からテレビ放送に切り替えている。 ==== CSテレビ局 ==== アニメの放送が中心のCSテレビ局と組んだ例としては、2001年から2002年にかけて、[[キッズステーション]]と組んだ『[[よばれてとびでて!アクビちゃん]]』が存在する。ただこの作品は、キッズステーションだけではなく、一部の地上波テレビ局でも放送された実績がある。 また、先にあげたUHFアニメについても、キッズステーションでも地上波と同時に放送されたことがある。さらに、テレビ東京(および系列局)と組んだ作品に関しては、ごく一部の作品が[[アニメシアターX]]でも地上波と同時放送された。 === OVA === 『[[魔法騎士レイアース]]』と『[[カードキャプターさくら]]』が[[OVA]]化されている。前者はテレビアニメ終了後に製作・リリースされた。後者は映像ソフトの購入特典映像として収録されている。 === テレビドラマ・オリジナルビデオ === 1964年に『[[てなもんや三度笠]]』(TBS系列および一部の日本テレビ系列<ref group="注">1964年当時の多くの地域のテレビ局は1局のみで、しかもTBS系列か日本テレビ系列のどちらかだった。ゆえにテレビ局が日本テレビ系列局だけだった地域では、当該局への個別スポンサードネット扱いで放送してもらっていた(フジテレビは1970年代のUHF大量免許時に、テレビ朝日は1970年代後半から平成初期にかけて系列局を増加させた)。</ref>、製作ホスト局は朝日放送<ref group="注">1975年3月30日まではTBS系列局(逆に毎日放送がNETテレビ〈現:テレビ朝日〉系列局)だった。</ref>)がテレビドラマからの漫画化作品として連載されていた<ref group="注">この作品は同年に『りぼん』にもコミカライズが掲載されていた。</ref> が、以後2000年代まで関わりを持つことはなかった。 2000年代になり、『[[美少女戦士セーラームーン (テレビドラマ)|美少女戦士セーラームーン]]』(2003年 - 2004年、[[CBCテレビ|CBC]]・TBS系列で放送<ref group="注">ただし、地域によっては放送時期・形態が異なる。[[美少女戦士セーラームーン (テレビドラマ)#放送局|ネット局に関するこぼれ話]]も参照。</ref>)がテレビドラマ化された。テレビアニメが原作の『[[地獄少女 (テレビドラマ)|地獄少女]]』(2006年 - 2007年、日本テレビおよび[[静岡第一テレビ]]で放送)もテレビドラマ化されている。一方、テレビドラマの漫画化は2010年5月号から同年7月号まで連載された『[[タンブリング]]』(TBS系列で放送)がある。 また、『美少女戦士セーラームーン』と『[[コードネームはセーラーV]]』が[[オリジナルビデオ]](Vシネマ)化されている(なお、「コードネームはセーラーV」は「セーラーV」が[[セーラー万年筆]]によって[[商標登録]]されていたため、『美少女戦士セーラームーン Act.ZERO』というタイトルになっている)。 === 小説 === 『なかよし』の版元である講談社は、少女向け小説レーベルとして[[講談社X文庫]]を設けているが、これと『なかよし』が組んだ例としては、1990年代前半に「[[月下美人 (漫画)|月下美人]]」(芳村杏、原作は[[ひうらさとる]])と「あこがれ冒険者」([[あさぎり夕]])のノベライズ版のリリースがある。'' [[講談社X文庫ティーンズハート]]からは1994年に武内直子の『[[ま・り・あ]]』が、2001年には[[小林深雪]]の脚本をもとに[[白沢まりも]]が漫画化した「夢をかなえる夏休み」をベースに小林が大幅に加筆し、タイトルを改めた小説『願えばきっとかなう』がリリースされた。また、[[小野不由美]]が[[講談社X文庫ホワイトハート|ホワイトハート]]で発表し続けた『[[悪霊シリーズ]]』をベースに、[[いなだ詩穂]]が「[[悪霊シリーズ#漫画|ゴーストハント]]」というタイトルで[[漫画化]]している。ただ、「夢をかなえる夏休み」は、増刊枠の読みきりでしかなく、「ゴーストハント」については、もともとは『[[Amie]]』の連載だったものを、該当誌が休刊に追い込まれたがゆえに『なかよし』が引き継いだものだった。 その一方で、2008年3月には本誌で連載された漫画の[[小説化|ノベライズ]]を目的とした「[[なかよし文庫]]」が立ち上げられた。詳細は該当項目参照。 ほかにも[[青い鳥文庫]](こちらも講談社)作品から、『[[若おかみは小学生!]]』と『[[名探偵夢水清志郎事件ノート]]』を漫画化したことがあるが、これらは本誌連載ではなく、本誌の別冊付録という形で発表された。なお、同じ青い鳥文庫作品の『[[クレヨン王国]]』シリーズをベースにした『[[夢のクレヨン王国]]』は、小説の漫画化ではなく、小説をもとにしたテレビアニメの漫画化である。 [[池田美代子]]作のサスペンス小説『[[妖界ナビ・ルナ]]』の[[漫画化|漫画版]]が連載された(原作の版元は[[岩崎書店]]であったが、2009年6月に刊行された新作以降に関しては青い鳥文庫からリリースされている)。『探偵チームKZ事件ノート』を(原作:藤本ひとみ、住滝良)も漫画化された。 また、2015年に講談社KK文庫にてなかよしのホラーアンソロジーコミック『[[絶叫ライブラリー]]』を小説化した『小説なかよしホラー 絶叫ライブラリー』シリーズや、『[[小学生のヒミツ]]』が刊行されたこともあった。 === 玩具 === 1990年代初頭から2000年代初頭までは[[バンダイ]]とのタイアップが多かった。しかし1998年から1999年まで放映された『[[スーパードール★リカちゃん]]』以降は[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]] →[[タカラトミー]]とのタイアップも増えており、2018年現在ではバンダイとのタイアップは「朝日放送テレビ・東映アニメ制作日曜朝8時半のアニメ」関連のみである。 その他の玩具会社とのタイアップしたものには、[[エンスカイ]]から発売された液晶ゲーム『ちゃまもり』の4コマ漫画が、2006年8月号から2007年5月号まで連載されていた。 === ゲームソフト === 1993年と1994年に本誌の掲載作品を題材にした[[ゲームソフト]]が製作・発売されたことがある。この時期は『美少女戦士セーラームーン』が大ヒットするなど本誌の最盛期であった。 その後はしばらく発売されていなかったが、2008年12月に[[ニンテンドーDS]]用ソフト『なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル』が発売されている<ref>[http://games.nakayosi-net.com/joho/index10.html デジなか-なかよしDS情報] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081005055331/http://games.nakayosi-net.com/joho/index10.html |date=2008年10月5日 }}</ref>。 ==== なかよしといっしょ ==== [[ファミリーコンピュータ]]用ソフト。1993年、[[ポピー (玩具メーカー)|ユタカ]]([[バンダイ]]の関連会社)からリリースされた。 ジャンルは[[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]。当時の連載作品の世界を冒険するという設定になっており、一部の登場人物には専用のグラフィックも用意されている。また、各作品の作者である漫画家にもそれぞれ顔グラフィックが用意されている。 本誌の本来の購買層である低年齢層の女の子に配慮してか、ゲームシステムは一般的なロールプレイングゲームとはかなり異なり、簡略化されている部分がある(経験値や装備品の概念がない)。全体のボリュームも、最初から通してプレイしても数時間で終わらせることができる程度である。[[戦闘 (コンピュータゲーム)|戦闘]]はコマンド入力方式ではなく、[[スロットマシン]]のように回転する絵柄を止めて、揃った絵によって行動が決まるという独特のものである。 登場する作品は、順に『[[きんぎょ注意報!]]』、『[[ポケット・パーク]]』、『[[ミンミン!]]』、『[[太陽にスマッシュ!]]』、『[[くるみと七人のこびとたち]]』、『美少女戦士セーラームーン』となっている。 ==== ウェルカムなかよしパーク ==== [[ゲームボーイ]]用ソフト。1994年3月3日にバンダイからリリースされた。 位置付けとしては『なかよしといっしょ』のゲームボーイ版ではあったが、題材になった作品は『なかよしといっしょ』と多少異なっており、『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『ポケット・パーク』・『[[熱烈台風娘]]』・『[[うしうしわーるど]]』の5作品となっている。 ==== PANIC IN なかよしワールド ==== [[スーパーファミコン]]用ソフト。1994年11月18日に、バンダイからリリースされた。 これは、本誌連載作かつアニメ化の実績のある『美少女戦士セーラームーン』・『超くせになりそう』・『きんぎょ注意報!』の3作品に加え、アニメ化されたことのない『くるみと七人のこびとたち』のキャラクターが登場するアクションゲームである。 ==== なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル ==== {{Main|なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル}} ニンテンドーDS用ソフト。2008年12月18日に[[クリエイティヴ・コア]]から発売された。 「'''なかよし創刊55周年記念企画'''」作品であり、当時連載中の作品に限らず、過去の作品のキャラクター含めて合計70人(ただし人間ではないキャラクターも含む)登場している。主人公キャラクターに関しては、[[PEACH-PIT]]や[[こげどんぼ*]]をはじめとする本誌執筆陣から6人がキャラクターデザインを担当している。また、主人公の衣装も、キャラクターデザイン担当者がデザインしている。 === ファッション === 2006年9月号からはブランド子供服で知られるアパレルメーカーの[[ナルミヤ・インターナショナル]]と提携し、「なかよし学園ファッション部」なるプロジェクトを立ち上げており、「エンジェルブルー」ブランドを題材にした漫画『[[夢みるエンジェルブルー]]』を発表した事がある(似た企画として、『ちゃお』が2002年 - 2004年にナルミヤ・インターナショナルとタイアップした[[今井康絵|作品]]を立ち上げたことがある。こちらは「mezzo piano」ブランドのみ使われた)。 === ハロー!プロジェクト === [[ハロー!プロジェクト]]とのタイアップとして2001年5月号からモーニング娘。を題材とした『娘。物語-モーニング娘。オフィシャルストーリー』が連載された。また、モー娘。メンバーが出演した映画『[[仔犬ダンの物語]]』の漫画版が掲載されたことがある。さらに、テレビ番組『[[ティンティンTOWN!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]ほか)の一部コーナーの漫画版が掲載されたり、さらに[[松浦亜弥]]と[[サンリオ]]とのコラボレーションキャラ「アヤンキー」とのタイアップ作も掲載されたりした。その後、『娘。物語ミラクル』が2006年3月号(2006年2月3日発売)が発表された。 その後、2014年から現役グループによるコラムが連載されており、<!--何年何月号に連載開始したかわかりません。-->2016年5月号までは[[Juice=Juice]]による『めざせ!クラス☆スター計画!』が連載され、2016年6月号から2018年8月号までは[[カントリー・ガールズ]]による『カントリー・ガールズ♡これで人気ナンバーワン!かわいくなれる1テク講座<ref group="注">2017年8月号から現タイトル。同年7月号までは『ももち先生に教えてもらお♡カントリー・ガールズ♡生活向上委員会』だった。</ref>』が連載され、2018年9月号から2020年4月号までは[[アンジュルム]]の[[上國料萌衣]]・[[船木結]]による『アンジュルムかみこ&ふなっきといっしょに!放課後ガールズトーク!!』が連載され<ref>[http://www.helloproject.com/news/8895/ 8/3(金)発売の「なかよし」9月号より、アンジュルム上國料と船木による連載スタート!]</ref>、2020年5月号から2022年9月号は[[BEYOOOOONDS]]による『BEYOOOOONDSの胸キュン4コマ』が連載され、2022年10月号からは[[江端妃咲]](Juice=Juice)・[[豫風瑠乃]]([[つばきファクトリー]])による『ハロプロメンバー 激推しマンガトーク』が連載されている。 === ディズニー === 版元の講談社は[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]と関係が深い<ref group="注">少し前までは出版権もほぼ独占状態にあったが、現在は『小学館発行の幼児誌・[[小学館の学年別学習雑誌|学習雑誌]]』なども出版権を獲得している。また、ディズニーが手掛けたミュージカル映画『[[ハイスクール・ミュージカル]]』の[[漫画化|漫画版]]は、競合誌の『りぼん』(集英社)に掲載された。</ref>。それを生かして小鷹ナヲを起用し、ディズニーとのタイアップ作品『[[きらら☆プリンセス]]』と、ディズニーがリリースしている[[トレーディングカードゲーム]]「マジカルダンス」を題材にした『Disney’s マジカルダンス!!』を連載した。 この2つの連載作以外では、『[[プリンセスと魔法のキス]]』のコミカライズも本誌に掲載されたことがあり、こちらも小鷹ナヲが手掛けた。さらに、増刊枠『[[なかよしラブリー]]』でも、[[明日賀じゅん]]が『Disney Fairies 小さな妖精プティの日記』というタイトルの作品を連載した時期がある。 === ドラマCD === 『セーラームーン』、『[[ようこそ!微笑寮へ]]』、『カードキャプターさくら』、『わたしに××しなさい!』が[[ドラマCD]]化されたことがある。コミカライズでは『夢のクレヨン王国』、『おジャ魔女どれみ』、『明日のナージャ』『プリキュアシリーズ』はアニメ側の企画でCDドラマが存在する。 なお、『わたしに××しなさい!』については、[[講談社コミックスなかよし|単行本]]の特装版の付録という形でリリースされた。 また、2006年1月号には漫画のセリフに声を入れた「デジタルコミック」という形で、『[[王子様のつくりかた]]』が、付録のCD-ROMのプログラムのひとつとして収録されている。 === スポーツ === キャラクター物ではないが、実在のスポーツチーム(ナショナルチーム)とタイアップした作品も存在する。 2004年8月号・9月号・11月号に女子[[バレーボール]][[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]日本代表とのタイアップ作品「アタック!」を発表した。その後、[[サッカー日本女子代表]]とのタイアップ作品『[[なでしこシュート!]]』が2008年8月号に掲載された<ref group="注">本作は本来は増刊枠の『[[なかよしラブリー]]』での連載作。2008年4月増刊から同年8月増刊まで連載された。</ref>。 ちなみにこの2作品は、いずれも[[モーニング娘。]]とのタイアップ作品の多くを執筆した[[神崎裕]]が手がけている。 === 食品関係 === ファミリーレストラン・[[ガスト (ファミリーレストラン)|ガスト]]が『[[デリシャス!]]』の作中で登場するレシピを実際のメニューとして提供したことがある。さらに、『[[キッチンのお姫さま]]』では、本誌2007年2月号掲載分で、[[明治製菓]]とのタイアップ広告を掲載しており、作中に同社の製品(のラベル)を登場させた。さらに2009年12月号から2010年12月号まで、料理研究家の[[岡田史織]]をアドバイザーに迎えた、デコレーション弁当をモチーフとした作品『[[初恋ランチボックス]]』が連載された。 === キャラクター === [[PostPet|ポストペット]]を題材にした作品『ポストペットスクール』を、2006年2月号から2008年2月号まで連載していた(作者は[[かなしろにゃんこ]])。もともとは探偵物だったが、後に学園物にスイッチしている。また、サンリオのキャラクターのひとつ『[[てのりくま]]』の[[てのりくま#コミカライズ|コミカライズ]]を、2007年6月号から2008年12月号まで連載された。 === その他 === 1958年から1959年にかけて『[[ペスよおをふれ]]』が[[TBSラジオ|ラジオ東京]]の手でラジオドラマ化されたことがある。 ハロー!プロジェクト以外の芸能人タイアップ作品としては、2010年4月号から同年7月号にかけてタレントの[[中川翔子]]の生涯を取り上げたセミドキュメンタリー作品『中川翔子物語〜空色デイズ〜』が連載された。また、2012年2月号から2013年12月号まで、[[AKB48]]をベースとしたテレビアニメ「[[AKB0048]]」の漫画版が連載されている。 「テレビアニメ化作品のミュージカル化」以外では、[[ひうらさとる]]の『[[月下美人 (漫画)|月下美人]]』が[[青山劇場]]でミュージカル化されたことがある。また、「テレビアニメ化作品の映画化」以外では、『[[コクリコ坂から]]』が[[スタジオジブリ]]製作で[[劇場版アニメ]]化された。 2015年12月2日、創刊60周年を記念したコンピレーションアルバム「[[Twinkle Songs]]」が発売。「なかよし」掲載作品を原作としたテレビアニメおよびテレビドラマの主題歌36曲を収録<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/164517|title=リボンの騎士、セラムン、プリキュア「なかよし」アニメ主題歌集CD|publisher=音楽ナタリー|date=2015-10-30|accessdate=2015-10-30}}</ref>。 1990年代に連載をしていたことのある[[柴田亜美]]も当時、ゲームソフトを買うために午前秋葉原組と午後秋葉原組の2組に分かれていたことやアーケードゲームを、基板ごと買っていたことを漫画にしている<ref>『[[ジャングル少年ジャン番外編ドッキンばぐばぐアニマル]]』1巻</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[なかよし新人まんが賞]] * [[講談社スーパーキャラクターフェスティバル]](Kフェス) - 講談社主催のイベント。 * [[講談社コミックスなかよし]] - 本誌の[[漫画単行本レーベル|単行本レーベル]]。特装版などは他のレーベルで出る場合もある。 * [[なかよし文庫]] * [[ちゃお]] - [[小学館]]で発売される月刊少女漫画雑誌。 * [[りぼん]] - [[集英社]]で発売される月刊少女漫画雑誌。 == 外部リンク == {{Commons|Category:Nakayoshi (Manga magazine)}} * [http://nakayosi.kodansha.co.jp/ なかよし公式サイト(「講談社コミックプラス」内)] * {{Twitter|nakayosi_manga|なかよし編集部}} * {{YouTube|channel = UC5j1c4E2OK-Fwu85uFV-Eqw|なかよしTV}} * [http://nakayosi60.com/ なかよし60周年記念ホームページ] * [https://web.archive.org/web/20050311080242/http://www.maboroshi-ch.com/cha/kat_02.htm 『りぼん』『なかよし』が生まれた時代] - まぼろしチャンネル' * [https://web.archive.org/web/20081205044517/http://www.core-games.com/nakayoshi/ クリエイティブ・コア「なかよしオールスターズ めざせ学園アイドル」公式サイト] {{なかよし連載中}} {{講談社}} {{Pretty Cure}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:講談社の漫画雑誌]] [[Category:月刊漫画雑誌]] [[Category:児童・幼年漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:1954年創刊の雑誌]] [[Category:なかよし|*]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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ちゃお
『ちゃお』は、小学館発行の日本の月刊漫画雑誌。1977年9月3日創刊。 『なかよし』(講談社発行)・『りぼん』(集英社発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つと言われる。三誌の中では、本誌が最も後発である。誌名の由来は、親しい人との間で「こんにちは」「さようなら」として使われるイタリアのくだけた挨拶言葉「チャオ (ciào)」。 2002年頃以降、最も発行部数の多い少女漫画雑誌である。また、過去には100万部以上を発行していたが、2006年以降他の少女漫画雑誌とともに相対的に部数は落ち込んでいる(歴史を参照)。 創刊当初から1980年代頃までは小中学生向け雑誌ではありつつも、上記の競合誌と比べて大人びた誌面であり、女子高校生をターゲットにしていた時期もあった。1980年代中盤はアニメ作品とのタイアップ漫画を積極的に載せ、低年齢層の取り込みを図った時期もあったが、1988年に創刊した『ぴょんぴょん』 がその路線を継いだ。しかし1992年10月の『ぴょんぴょん』との統合で同誌の人気連載を引き継ぐなど幼年漫画的な作品を再び増やし、同時に付録の強化も行った。 2006年に主に中学生前後の少女向けに『ChuChu』を独立創刊した直後にあたる、当時の日本雑誌協会のデータでは小学生(主に中学年・高学年)の女子児童が主な対象読者となっている。例えば競合誌の『りぼん』よりやや低く、定期刊行されている少女漫画雑誌全体でも同年に創刊した『ぷっちぐみ』 に次いで2番目に低いとされる。しかし別の調査では女子高校生でも『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『りぼん』、『別冊マーガレット』(集英社)の次に読まれている漫画雑誌というデータも存在する。 前身は1972年、『別冊少女コミック』(ベツコミ)の増刊として発行された『別冊少女コミック増刊 ちゃお』。1977年9月3日に『ちゃお』10月号として独立創刊される。創刊号では巻頭カラー付き作品を上原きみこが担ったが、表紙イラストは河野やす子が描いた。その後創刊からしばらくの間、当時『少女コミック』で売り出し中だった河野やす子が引き続き表紙を担当していた。創刊から『ぴょんぴょん』と統合する1992年までのメディアミックス展開は、創刊初期の1978年に『若草のシャルロット』(原作:雪室俊一、漫画:時松早苗)の漫画版を本誌に掲載、本誌原作作品は『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』(赤石路代)『魔法のスターマジカルエミ』(あらいきよこ)『魔法のアイドルパステルユーミ』(あらいきよこ)がアニメ化された。また、『セーラー服通り』(つづき春)『痛快!OL通り』(野坂由紀子)がドラマ化された。部数は長らく低迷が続き、1990年代中盤までは最大50万部台 で頭打ちであり、1992年頃には10万部台以下に落ち、『なかよし』及び『りぼん』と比べてマイナー感が拭えなかった。 1992年秋には、本誌と同様に部数の低迷に陥っていた『ぴょんぴょん』と統合し、誌名は『ちゃお』を残したが、『ぴょんぴょん』の恋愛物が少なくギャグやショートストーリーの漫画が中心だった路線を取り入れ、『みい子で〜す!』→『こっちむいて!みい子』(おのえりこ)などを引き継いだ。その一方で『水色時代』(やぶうち優)や『アリスにおまかせ!』(あらいきよこ)など合併前からの人気連載を継続させ、『ワン・モア・ジャンプ』(赤石路代)など有力作家による新作を投入し、低学年にも中学生にも読みやすい誌面構成にした。また『りぼん』や『なかよし』を追撃するために付録の強化を推し進めたが、当時は『りぼん』の部数が250万部、『なかよし』が同じく200万部を超えて最盛期を迎えていた中、20万部程度しか売れていなかった 本誌がそれに食い入ることは難しかった。 そのため、アニメ化や漫画化などのメディアミックス展開は厳しい状況であったが、いがらしゆみこ や日本アニメーションとの協力で1993年には『ムカムカパラダイス』(原作:芝風美子、漫画:いがらしゆみこ)を投入することにこぎ着け、それがヒットしたことで、翌1994年には『とんでぶーりん』(原案:森真理、原作・漫画:池田多恵子)と続けてテレビアニメを投入した。当時、大流行した変身バトルヒロインブーム にあやかって『愛天使伝説ウェディングピーチ』(原作:富田祐弘、漫画:谷沢直、企画:テンユウ)にも参加した。アニメ化重視の戦略を推し進めることによって低年齢層の読者を積極的に獲得し、依然『りぼん』や『なかよし』には及ばないものの、部数は伸び始めた。 1990年代後半は沖縄アクターズスクールを題材として安室奈美恵やSPEEDブームに乗った『はじけてB.B』(今井康絵)、男児に大ヒットした『ポケットモンスター』の主人公を女の子にして漫画化した『ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー』(漫画:月梨野ゆみ)などのタイアップ作品がヒット。本誌原作作品でも『エンジェルリップ』(あらいきよこ)などが人気を集めていた。その頃から部数が低下し始めた『りぼん』・『なかよし』に対して本誌の部数は伸び続け、1999年から2000年にかけて月刊少女漫画雑誌のシェアで『なかよし』を追い抜いて、『りぼん』に次ぐ2位に上昇した。だが、1990年代までの本誌は、本誌連載の漫画をテレビアニメ化した作品が当時の『りぼん』や『なかよし』と比べて大幅に少なく、読者の熱狂的な支持を得るまでには至らず、このことは本誌の読者の定着やコミックス(単行本)の売上面、そして小学館における『ちゃお』事業そのものの収支に大きく影響するため 、本誌で連載された原作漫画のアニメ化は長年の課題だった。『愛天使伝説ウェディングピーチ』でアサツー ディ・ケイ(ADK)との関係ができたことをきっかけに、1996年に『水色時代』(やぶうち優)、2001年には『Dr.リンにきいてみて!』(あらいきよこ)と、ADKとの協力で本誌原作作品がテレビアニメ化された。 2000年前半は本誌の部数が大幅に躍進した。『ミルモでポン!』(篠塚ひろむ)は2001年夏に連載が開始されて間もなかったが、小学館プロダクション(当時)の手で抜擢され『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』のタイトルでアニメ化され、小学校低学年を中心にヒットし本誌を代表する看板作となった。同年には本誌の発行部数が100万部を突破、遂に『りぼん』も抜いて少女漫画雑誌のトップに躍り出た。2000年代後半も『きらりん☆レボリューション』(中原杏)が2006年にアニメ化されて同様にヒットし、玩具やトレーディングカードなどの商業展開などにも成功した。2006年1月号をもって増刊時代から数えて30周年を、2007年10月号をもって独立創刊から30周年を迎えた。 しかし、2005年になると発行部数の伸びが止まり、2006年以降は部数が低下し始め、2007年度(2006年10月 - 2007年9月集計)には98万部 と100万部台を割り込んだ。その後も低下が続き、2013年度(2012年10月 - 2013年9月集計)には55万部 まで落ち込み、2016年度以降は再び50万部を割っている。 2007年5月に発表された、日本PTA全国協議会主催の2006年度「子供とメディアに関する意識調査」で、「親が子どもに読ませたくない雑誌」の第2位にランクイン。なぜ本誌がランクインされたか定かではないが、第1位の『少女コミック』(当時)と並び、小学館の少女漫画雑誌が上位2つを占める結果となった。 2017年10月号をもって独立創刊から40周年を迎え、「創刊40周年プロジェクト」と銘打った記念企画が行われている。(詳細後述) 2020年1〜3月期にかけては数ある少女向けコミック誌の中で印刷証明付き部数が1位と発表されている。 2021年8月10日に『ちゃお』の連載作品を無料で読むことができるサイト「ちゃおコミ」が開始される。『ミルモでポン!』や『極上!!めちゃモテ委員長』などの過去の作品のほか、オリジナル作品も配信。 2023年9月号(2023年8月3日発売)では同日発売の『りぼん』2023年9月号とコラボし、『ちゃお』は『シャイニング!』(まいた菜穂)、『りぼん』は『ハニーレモンソーダ』(村田真優)のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日にパシフィコ横浜にて『りぼん』との合同イベント『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細はちゃおフェスを参照)が開かれることを記念したもの。 以下、2024年2月号現在連載中の作品。 創刊当初はあまりタイアップには熱心ではなかったが、1992年に『ぴょんぴょん』と統合し、その内容を引き継いでからは一転して積極的にタイアップを行うようになり、今ではむしろ本誌を語る上で欠かせない要素となっている。 掲載漫画を原作としたアニメ化もあるが、アニメの漫画化やアニメ・グッズ製作を前提としての先行掲載などのタイアップ物も多く、他の少女漫画誌に比べてその比率が高い。本誌で最初にアニメと絡んだ作品も本誌の原作のアニメ化ではなく、1977年10月に放映されたタイアップ物の『若草のシャルロット』(制作:日本アニメーション)であった。本誌原作の作品が初めてテレビアニメ化されたのは1985年4月の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』(製作:タツノコプロ)である。タイアップされるアニメ作品はその時点での読者の平均年齢と同等かそれを下回る作品が多いが、『少女革命ウテナ』・『デ・ジ・キャラットにょ』・『魔法少女隊アルス』・『電脳コイル』など、対象年齢が比較的高いアニメ作品とのタイアップを行ったこともある。本誌に掲載されたオリジナル作品を原作としたアニメ映画はまだ一作も製作されていないが、外部版権を用いて本誌で漫画化された作品の映画は「ちゃお創刊20周年記念事業」という名目で「'97夏東映アニメフェア」内で上映された『キューティーハニーF』が該当する。 1985年4月に放映された『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』は当時連載中だった『アルペンローゼ』をテレビアニメ化したもの。ただし放送局のフジテレビは土曜日の野球中継の時間を拡大し、18:30開始にした影響で、本作も1年間の放映予定が6ヶ月に短縮という形で打ち切りとなった。 1985年7月から1986年8月にかけてスタジオぴえろ製作のぴえろ魔法少女シリーズのうちの『魔法のスターマジカルエミ』と『魔法のアイドルパステルユーミ』の漫画版 を掲載したことがあったが、『パステルユーミ』を最後に、本誌が絡むテレビアニメは一旦途絶えた。 再びテレビアニメを積極的に展開するようになったのは、『ぴょんぴょん』統合後の1993年に日本アニメーション・毎日放送(TBS系列)と組んで製作した『ムカムカパラダイス』の漫画版 を本誌に掲載したことがきっかけだった。 『ムカムカパラダイス』の次番組である『とんでぶーりん』(1994年)の漫画版 も本誌に掲載された。これは、姉妹誌で読み切り作品主体のちゃおデラックス1993年秋号に掲載された作品の『ビビデ・バビデ・ぶーりん!!』を原作としたメディアミックス作品であり、それ故に原作を執筆した池田多恵子が自ら漫画版も担当し、連載時期もアニメ版の放送時期と一致していた。そのため、原作作品も漫画版の単行本に収録されている。 1995年は『愛天使伝説ウェディングピーチ』(原案・制作:ケイエスエス)を製作、テレビ東京系列で放送され、漫画版 の連載が行われた。 1996年は11年ぶりに本誌原作の『水色時代』(制作:スタジオコメット)がテレビ東京系列ほかでアニメ化、され、当初の放送期間は9ヶ月の予定だったが「思い出アルバム」編が追加され2ヶ月間延長された。 1997年は『キューティーハニーF』(製作:東映動画、テレビ朝日系列で放送)と『少女革命ウテナ』(J.C.STAFF製作、テレビ東京系列で放送)の2つがアニメ化、本誌に漫画版 が連載されたが、前者は原画担当の飯坂友佳子が直接漫画作品を担当したものの、アニメ・漫画版いずれも前番組 と比べて成功したとは言えない結果に終わり、後者もアニメの方は青少年男性を中心にヒットした が、漫画版は年齢層や画風が本誌の他作品と大幅に異なることも影響し本誌では人気が出ず、続編の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』では「別冊少女コミックSpecial」で連載し、続々編は「月刊フラワーズ」にて掲載した。 1998年2月にアニメコンプレックス番組『アニメ週刊DX!みいファぷー』(製作:東映動画→東映アニメーション、テレビ朝日系列で放送)が『キューティーハニーF』の次番組として放送され、本誌原作作品からは「こっちむいて!みい子」と「ヘリタコぷーちゃん」の2作品がアニメ化された。なお、この番組のメイン作品である『ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー』も漫画版が本誌に掲載された。 この年からNHK教育(当時、現在のNHK Eテレ)とタイアップを行うようになり、『おじゃる丸』の4コマ漫画版 が、翌1999年には『コレクター・ユイ』と『スージーちゃんとマービー』の漫画版 が連載された。それ以降も2001年に『カスミン』の漫画版、2004年に『魔法少女隊アルス』も2ページ漫画として漫画版 が連載され、2007年には別冊付録に『電脳コイル』の漫画版 が掲載された。なお、これらの作品のうち、『コレクター・ユイ』と『電脳コイル』の2作が単行本化されている。 2000年7月に学習雑誌掲載作品の『とっとこハム太郎』がテレビ東京系列でアニメ化され、2001年から2002年まで本誌でも1ページ連載として取り上げられた。 2001年は『Dr.リンにきいてみて!』(制作:スタジオコメット)がテレビ東京系列でアニメ化された。 2002年は4月にテレビ東京が新設した土曜の朝のアニメ枠で『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』シリーズ(制作:スタジオ雲雀)を含む女児向けアニメ3作品 を並べてアニメ化された。当初の放送期間は3作品とも1年間の予定であったが、本作のみ視聴率が好調であったため延長を繰り返し、2005年9月まで3年6ヶ月間に亘って放送された。他にも、2002年には『ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット』(アニマックスほかで放映)の漫画版 が連載された。 2003年は『デ・ジ・キャラットにょ』(原案:ブロッコリー、制作:マッドハウス)がテレビ大阪(テレビ東京系列)で放送され、本誌で漫画化 されたが、それまで男性向けアニメであったコンテンツを女児向けアニメに改変して鳴り物入りで始めたものの、ターゲット層の視聴率および商業成績共々不振に終わり、テレビ東京系列外ネット局の多くは放送途中で打ち切りとなった。 2005年は『ふしぎ星の☆ふたご姫』(原案:バースデイ、制作:ハルフィルムメーカー)がテレビ東京系列で放送され、本誌で漫画化 された。アニメそのものは続編の『ふしぎ星の☆ふたご姫 Gyu!』が作られるほど人気が高かったが、漫画版は原作が本誌の主要読者よりも低い世代(主に未就学児にあたる女児)向けに作られたアニメ を漫画化した関係もあってか、本誌での人気が不調に終わり、アニメが続編になる前に本誌ともタイアップが終了した。続編のタイアップは放送開始から間隔が少し開いているものの、事実上『ぷっちぐみ(2006年7月創刊)』が引き継いだ。 2006年は『きらりん☆レボリューション』シリーズ(制作:シナジーSP、途中まではG&G Entertainmentも制作参加)がアニメ化され、商業的には2020年現在においても本誌最大のヒット作となった。2008年にはアニメ版のタイトルが『きらりん☆レボリューション STAGE3』に改題され、翌2009年まで合計3年間に亘って放送された。 2007年は『はぴはぴクローバー』(制作・グループ・タック)がアニメ化されキッズステーションほかで放映された。 2009年は『極上!!めちゃモテ委員長』(制作:小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント)がアニメ化され、1年延長し2011年3月まで放映された。 2011年は10月から2014年2月までNHK Eテレで放送中のバラエティ番組「大!天才てれびくん」の番組内アニメという形で『ちび☆デビ!』(制作:シナジーSP)が放送された。 2016年は『12歳。』が『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』(制作:シナジーSP)というタイトルでアニメ化され、AT-Xと全国独立放送協議会に加盟するサンテレビ・TOKYO MXほかで同年4月から6月まで第1期が、同年10月から12月まで第2期が放送された。 2017年には『プリプリちぃちゃん!!』(制作:OLM TEAM SAKURAI)がMBS制作・TBS系列の『アニメサタデー630』枠内で『100%パスカル先生』(月刊コロコロコミック連載)と枠を分け合う形で放送された。 同社の少年漫画雑誌『週刊少年サンデー』に連載されていた『金色のガッシュ!!』が、フジテレビで『金色のガッシュベル!!』というタイトルでアニメ化された際、牧原若菜による4コマ漫画版が2004年3月号から2005年4月号まで連載されている。本誌に連載される前にアニメ化されていた作品としては学習雑誌の人気作で、ぴょんぴょんから移籍という形で短期間連載していた「あさりちゃん」がある(1982年にテレビ朝日系でアニメ化)。 掲載作品を原作としたセル・レンタル市場向けOVA作品としては、1991年の『スローステップ』(制作:パステル)が該当し、製作に関与し、初アニメ化作品である『ナイン』からあだち充漫画のアニメ製作権を独占的に持つ東宝から単発販売された。 『ぴょんぴょん』併合前の1986年に、TBS系列で放送された『セーラー服通り』とのタイアップ作品が掲載され、ドラマでも本誌や漫画版の原稿などが出てきた。しかしこれは『ちゃお』原作作品ではなく、漫画の内容もあまりシンクロしていない。 その後も実写ドラマ化された本誌発祥の作品は長らく存在しなかったが、2005年以降、テレビ東京系列および関西地方の一部の独立UHF局で放送されている朝の子供向けバラエティ番組『おはスタ』のミニドラマに、何らかの形で関わっている。以下、それをここに記す。 『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、2010年4月から2011年4月に放送されたアニメ第2期において、1カ月に1度『MMTV』と称した実写ドラマとオシャレ情報を放送する回でもミニドラマが放送された。 2013年から翌年にかけて『ドーリィ♪カノン』が本誌の付録DVDに収録という形でドラマ化(OV扱い)された。 2017年にはタカラトミーとLDH JAPAN、ぷっちぐみと共同で「ガールズ×戦士シリーズ」の第1弾となる『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』が放送され、本格的なドラマとのタイアップは初であり、『おはスタ』でも関連コーナーが設けられた。以後は2018年度の『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』、2019年4月から2020年6月まで放送された『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』、2020年7月から2021年6月まで放送された『ポリス×戦士 ラブパトリーナ!』、2021年7月から2022年6月まで放送された『ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!』でもタイアップが行われていた。 本誌作品のアニメ化や、アニメ作品の本誌内でタイアップで、玩具メーカーやテレビ東京などのテレビ局などと積極的に連携してきたことが実り、男児向けの『月刊コロコロコミック』と同様、ホビーの要素を漫画雑誌に取り入れることに成功している。 タカラトミーとは合併前の旧トミー・旧タカラ時代から縁が深く、掲載漫画のアニメ化ではいずれかがメインスポンサーになることが多く、旧トミーは『愛天使伝説ウェディングピーチ』・『Dr.リンにきいてみて!』・『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』、旧タカラは『水色時代』のメインスポンサーだった。両社の合併後も変わらず、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』 に参入した。その後2011年4月号から2012年3月号までタカラトミー・シンソフィア共同開発のアーケードゲーム「プリティーリズム」とのタイアップ作品が連載されたが、小学館が製作委員会に参加していたアニメ化作品『プリティーリズム・オーロラドリーム』のテレビ放送開始に先行する形での連載開始だったため「アーケードゲームの漫画化」というより「テレビアニメの漫画化」という色合いが強かった。2014年からは後継作品『プリパラ』、2018年の『キラッとプリ☆チャン』タイアップ漫画を展開している。 コナミとも関係が深く、こちらは連載作品がテレビゲーム化されることが多く、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』や『きらりん☆レボリューション』のゲームソフト全てを発売しており、『極上!めちゃモテ委員長』ではゲームソフトのみならず、カードゲームにも参入した。 対してバンダイは1990年代に競合誌の『なかよし』・『りぼん』原作漫画のアニメのスポンサーに就くことが多く、本誌関連のアニメ作品では『とんでぶーりん』、『キューティーハニーF』、『アニメ週刊DX!みいファぷー』のスポンサーとなったが、『ぶーりん』以外は商業的に不振であった。その一方で大ヒットした携帯ペットゲーム機「たまごっち」のタイアップを手がけた(後述)。2001年から2002年にかけてプリモプエルというぬいぐるみのタイアップ作を連載、こちらもまた不振に終わった。その後2004年に「たまごっち」が再発売され、成功したのをきっかけに再び関係を深めるようになった。2005年には「ちゃおスタイル」(別途後述)を立ち上げ、これと同時期にフコウモリとのタイアップも行われた。2009年から2011年にかけて『極上!!めちゃモテ委員長』のスポンサーに就いた。2013年から2016年までは『アイカツ!』、2016年からはそれの後継作品『アイカツスターズ!』のタイアップ漫画を展開している。 任天堂とは、『ポケットモンスター』(ポケモン)の漫画で関わり合うようになった。『ポケモン』漫画終了後は、『どうぶつの森』シリーズとのタイアップ作品の「おいでよ どうぶつの森 〜しあわせ通信〜」(2006年10月号 - 2007年12月号)→「街へいこうよ どうぶつの森 〜たんぽぽ村だより〜」(2009年1月号 - 2010年3月号)を掲載した。なお、「どうぶつの森」シリーズとのタイアップ作品に関しては、いずれも森江真子が手掛けている。「ポケットモンスター」についての詳細は後述。 セガトイズ(セガホールディングスの子会社)とは、『ぷっちぐみ』で発祥した『リルぷりっ』のタイアップ漫画が、キャラクターデザインを担当した陣名まいの執筆で2010年5月号から2011年3月号まで掲載されていた。同社とサンリオで共同開発したキャラクター「ジュエルペット」も2009年のテレビアニメ化を経て本誌でも2010年にタイアップ作が連載されたが、こちらは同年2月号から9月号までと短命に終わった。その他に2002年に「ココロボ」(ロボット型玩具)のタイアップ作を連載したがわずか半年で終了した。 玩具の中でも、任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター」(ポケモン)と本誌は深い関係にあった。1997年7月号から連載が始まった『ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー』は、折からのポケモンブームに乗ってヒット、本誌の奇跡の大躍進に大きく貢献した。その後ポケモンとのタイアップ漫画は、2006年9月号まで連載された『ポケットモンスター チャモチャモ☆ぷりてぃ♪』まで続いた。 バンダイが発売している『たまごっち』も本誌と深いかかわりがある。1996年版では漫画「ゆでたてたまごっち」(漫画担当は「りっち」こと河井りつ子)を展開していたが、1999年6月号で終了した。ちょうど1996年版のブーム終焉が取りざたされていたころの出来事だった。 その後2004年版では『あっちこっち たまごっちタウン』シリーズ(「あっちこっち たまごっちタウン」→「あっちこっち たまごっちタウン はいぱー」)が2005年4月号から2009年3月号まで、本誌に連載された。その後2010年3月号から2011年12月号まで「あっちこっち たまごっち!カーニバル」というタイトルで再び本誌でタイアップ漫画が連載された。なお、これらの作品は、いずれもかがり淳子が手掛けている。 さらにかがりが降板後のタイアップ漫画はあさだみほによる『みんなでハッピー☆たまごっち!』が2012年3月号から2014年7月号まで連載され、その後加藤みのりによる『ドレみふぁ♪たまごっちーず』が2014年8月号から2016年3月号まで連載され同作を最後に本誌とのタイアップを終了している(以降も原作となる玩具の展開は続いている)。 なお、1996年版たまごっちに関しては競合誌の『なかよし』や『たのしい幼稚園』などの講談社の子供向け雑誌でもタイアップ作品が掲載されていたが、2004年版以降はタイアップ先が小学館のみに絞り込まれ、本誌と『(小学館の)幼稚園』、『小学館の学年別学習雑誌』など小学館の子供向け雑誌のみの掲載となった。 『ポケットモンスター』と『ジュエルペット』に関しては、タイアップ漫画の終了後も、(2010年10月号現在)情報ページが本誌に掲載(連載)されている。また、「ポケットモンスター」については、後述の「ちゃおスタイル」とのコラボレーション商品が発売されたことがある。 テレビアニメやOVA化こそされなかったが、市販のドラマCD化された作品として『ビューティー・ポップ』(皆川純子主演)がある。また、イメージCDのプログラムのひとつとしてドラマCD化された作品には『ちゃーみんぐ』(久川綾主演)や『I LOVE YOU』(白鳥由里主演)などがある。 近年は、掲載作品単独のみならず、本誌名をブランドとして展開、玩具・文具・アクセサリー・ゲームソフトなどのグッズをタカラトミー・バンダイ・エポック社といった複数の玩具メーカーと共同で展開している。ただし、アニメ化され、放送している作品ではスポンサーの兼ね合いから、キャラクターがグッズから省かれることがある。実例としては、旧トミーがスポンサーをしていた『Dr.リンにきいてみて!』、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』のキャラクターは、旧タカラやバンダイから発売された「ちゃお」ブランドの玩具商品には使用されなかった。また、『きらりん☆レボリューション』もタカラトミーが関わっていたため、バンダイ及びエポック社から発売されている商品には使用されていなかった。さらに『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、バンダイから発売されている商品のみに使用されているが、アニメ化以前はタカラトミーやエポック社からもキャラクターを使用した玩具が発売されていた。 2009年から2011年にかけてセガ(後のセガ・インタラクティブ)から「ちゃお」ブランドとしては初のアーケードゲームである『ちゃおまんがステーション』が稼動していた。 なお、「ちゃお」ブランドのゲームソフトは以下の2本が発売中である。カッコ内は左から機種/発売元/発売日/ジャンル/税別価格の順。 また、「ちゃお」ブランドのアーケードゲームは以下の1本が稼動していた。カッコ内は左から発売元/稼動開始日・稼働終了日/ジャンル/プレイ料金の順。 ファッションに関しては、2002年から2005年にかけて、子供向けアパレルメーカーの代表的な企業であるナルミヤ・インターナショナルと連携、同社の代表格的なブランドである「mezzo piano junior」(メゾピアノ ジュニア) を取り上げた『シンデレラコレクション』(今井康絵)というタイアップ作品を連載した。 2015年から2016年にかけては同社の「mezzo piano」(メゾピアノ) と、同業で当時はリトルアンデルセンのブランドであった「EARTHMAGIC」(アースマジック)、ジェニィのブランドである「SISTER JENNI」(シスタージェニィ)、RONI WORLDのブランドであった「RONI」(ロニィ) と共にタイアップし、ローティーン向けファッションをテーマにした漫画『探偵ミーミのおしゃれ事件簿』(ふじたはずみ)を連載した。 なお、『シンデレラコレクション』の終了後に本誌側が「ちゃおスタイル」(後述)を立ちあげ、価格帯はやや異なるがナルミヤ・インターナショナルと競合していた時期もあった。 2005年12月に「ちゃおスタイル」というトータルコーディネートブランドを立ち上げた。商品のラインナップは文房具や小物だけでなく、アパレルや携帯電話もあり、広範にわたっていた。 2006年8月25日からは本州・四国内のマイカル(2011年にイオンリテールに吸収合併)運営のサティ(現在のイオン)14店舗および、京都市の北大路ビブレ(2022年6月にイオンモール北大路に改称)に小規模な販売コーナーが設置された。さらに2006年9月以降もサティの新規出店店舗に大規模な販売コーナーが順次設置され、従来の店舗も改装に合わせてコーナーを大規模化した店舗もあったが、一方でアパレル製品を取り扱わなかった店舗もあった。 さらに2007年7月には原宿、2008年3月には心斎橋、2008年8月には名古屋市栄に単独の店舗を開設した。一方でマイカルでの販売は段階的に縮小、北大路ビブレの販売コーナーが先に廃止され、さらに2008年度までにサティ全店で展開終了となった。なお北海道内にはこの当時はサティはなく、イオン九州運営の九州内のサティでは取り扱わず、沖縄県にはもともとサティは存在しなかった。 近くに店舗のない地域でも、公式サイトから通販で購入できた。さらに本誌2009年4月号では綴じ込みで通信販売カタログが付いた。 アパレル製品に関しては、新潮社のローティーン向けファッション雑誌『ニコラ』2009年9月号で紹介された。この号では小学館の少女漫画雑誌とのコラボレーションが行われており、ほかに『sho-comi』とのコラボレーション漫画も別冊付録で付いていた。小学館と該当誌の版元の新潮社は一部競合関係にあり、小学館も2009年から2010年にかけて『ニコラ』・『ニコ☆プチ』の競合誌『DiaDaisy』を発刊していたため、このようなコラボレーションは異例であった。なお2011年2月に心斎橋店が閉店した。 2011年7月1日に、これまでの「ちゃおスタイル」のほか、ヘアーアクセサリーの「カールシーガール」と、後述のDVDと連携したグッズブランド「ちゃおちゃおTV!」を加えた上で「ちゃおガールセレクト」としてリニューアルした。これに伴い、原宿と栄のちゃおスタイルショップは同年7月23日にちゃおガールセレクトショップにリニューアルされ、さらに2011年7月23日に梅田の阪急三番街に店舗を開店した。2013年11月24日に栄店を閉店し、2013年12月20日に千葉市幕張のイオンモール幕張新都心に開店した。 しかし、2014年9月23日には原宿本店を閉店し、「ちゃおガールセレクト」の展開終了にともない2015年5月24日に梅田店と幕張店を閉店、バンダイグループの通販サイト「プレミアムバンダイ」での販売も終了した。 ハロー!プロジェクト公認のショート漫画を計3作品、2001年7月号から2006年1月号にかけて連載していた。対象年齢を考慮し、幼年層向けのグループが題材になっている。 さらに、ハロー!プロジェクトの中心グループであるモーニング娘。の一員で、『きらりん☆レボリューション』シリーズで、主人公・月島きらりの声をあてた久住小春をとりあげたセミドキュメンタリーコミックが、本誌2009年7月号に掲載された。 テレビ東京系列および関西地方の一部の独立UHF局で1997年から放送され、小学館がメインスポンサーを務めている朝の子供向けバラエティ番組『おはスタ』では、2000年から本誌ともタイアップが組まれている。 最初の作品は『Dr.リンにきいてみて!』が題材にしていた風水を取り上げた企画であった。さらに2003年から2005年頃にかけて本誌の執筆陣が出演する企画が存在した。放映日は基本的に毎月最終金曜日だった。 本誌でも『おはスタ』の情報を取り扱うページが毎月1ページ設けられていたほか、番組マスコットの「おはガール」を取り上げた漫画として『未来♥Pureボイス』(五十嵐かおる)と『すてきに!ドリームステージ』(清水真澄)が連載されていた。 本誌の漫画作品からは2005年に『ふしぎ少女探偵 キャラ&メル』、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』、2009年から2011年まで『極上!!めちゃモテ委員長』が短編のミニドラマとして実写化され、『おはスタ』内で放送された。 新潮社の情報雑誌『ニコ☆プチ』と連携した企画を行った事がある。該当項目を参照。なお、先述の通り、小学館と新潮社は競合関係にある。逆にちゃお作家である葵みちるが『ニコ☆プチ』でイラストを手がけていたこともある。 1997年から1999年にかけて、沖縄アクターズスクールを題材とした作品シリーズ「B.Bシリーズ」(今井康絵)が、2000年には、北海道で活動していたローカルタレントコンビ「雪ん子」を題材にした前後編作品「雪ん子!!」(五十嵐かおる)が掲載されたことがあり、同時期に「電波少年シリーズ」を題材にした作品「恋はオン・エア!」(篠塚ひろむ)が短期集中連載されたことがある。そして2009年2月号から2016年6月号にかけて、ジャニーズ事務所とのタイアップ作品「わいわいっ☆Hey! Say! JUMP」(能登山けいこ)が連載されている。 2009年1月には、「まんがみたいな恋したいっ!」(八神千歳)が小説化されている。こちらは別途後述。 本誌でまんが家デビューを目指す人のための作品投稿コーナー。 入賞者には担当者がついたり賞金などがもらえるほか、「ちゃお銀賞」以上を獲得するとデビューが決定する。また、上半期・下半期それぞれの半年間の中で「ナイス賞」「ちゃお銅賞」を獲得した作品の中から一番優秀な作品が「ベスト賞」に選ばれ、デビューすることができる。 なお、本誌でのデビューは、小学館新人コミック大賞の少女・女性部門からも可能である。 急激な成長や、少女漫画誌発行部数トップということもあってか、このところ、小中学生向け少女漫画雑誌でのデビューを目指す投稿者が、投稿先を『なかよし』・『りぼん』から本誌へ変更する例が続出している。その一例として、最初『なかよし』でデビューしたが辞め、『ちゃお』で再デビューを果たしたまいた菜穂が挙げられる。 ただそのせいか、他誌に一度投稿したものを『ちゃおまんがスクール』に使い回しする二重投稿がしばしば見られるようになり問題化。2007年1月号以降、柱に「二重投稿は厳禁です」という趣旨の警告文が書かれている。 また2007年1月号では、「著作権」について採り上げている。 オリジナルアニメやオリジナルドラマ他関連情報を収録した本誌付録DVD。 主にちゃおのCMメインのYouTubeチャンネルで、ちゃおガールが紹介する動画が多い。付録の実演をしたり、「新学期!私立ちゃお学園」という企画で色々なことにチャレンジしている。 他にも漫画家への直撃電話や、『ちゃお』とタイアップした映画やゲームなどの宣伝だったり、ちゃおちゃおTV!からアニメや実写ドラマの一部内容を配信したり、連載作品から第1話のボイスコミック化や『人間回収車』のアニメ、『ちゃお』本誌のコーナーに登場した芸能人も出演するなどした。 また、オリジナルコンテンツとして恋愛ドラマバラエティー動画『突然ヒロイン~少女まんがみたいな恋、しよっ!~』が始動し、台本なしの少女まんがみたいなドラマをアドリブで演じるという内容で、エピソード1から4までがそれぞれ4話構成で配信された。MCは3時のヒロイン、キャストはエピソードごとに違い、主題歌は「ヒロイン願望 暴走中」(歌:まいきち、作詞・作曲:前山田健一、編曲:板垣祐介)。 ちゃおコミとは2021年8月10日に公開されたちゃお公式Web漫画サイト。ちゃお公式ホームページ「ちゃおランド」サイト内にて無料公開中。 過去にちゃお本誌、ちゃおデラックスで連載された過去の作品やその続編、ちゃおオリジナルノベライズ、ちゅちゅで連載された作品、ちゃおコミオリジナル連載、読み切りが無料公開されている。本項目はちゃおコミ内で連載されているオリジナル作品のみを掲載する。特筆しない限りは毎週連載である。なお、ちゃおコミックスの略称ではない。 定期刊行の増刊として、隔月刊で『ちゃおデラックス』が発行されている。 『ちゃお』に掲載された作品を主に収録する漫画単行本レーベルのことを、「ちゃおコミックス」と名付けている。2004年に「フラワーコミックス」から独立する形で発足した。新刊は毎月2日頃発売だったが、2021年7月から『Sho-Comi』『Cheese!』『ベツコミ』のフラワーコミックスと同じ26日頃発売に変更された。 『ちゃお』や『ちゃおDX』に掲載された作品を主として収録しているが、『ぴょんぴょん』の併合によって『ちゃお』に移籍連載された作品は「てんとう虫コミックス」に収録されている。この他『ちゃお』増刊時代の『ChuChu』掲載作品も収録されている。また例外として、主に『小学五年生』で発表された『ないしょのつぼみ』(やぶうち優) および読売KODOMO新聞(読売新聞東京本社)に連載されている『いろはにほへと新聞部』(春日あかね) の単行本も本レーベルからの発行となっている。 2012年9月からは独立創刊以後の『ChuChu』に掲載かつ、過去に「ちゅちゅコミックス」で発売され、現在『ちゃお』に所属している作家(やぶうち優・八神千歳など)の単行本も、重版発行の際にちゃおコミックスとして、表紙や記事の一部を改稿した新装版が発売されている。 元々はフラワーコミックスのサブレーベルとして「ちゃおフラワーコミックス」の名称で刊行されていたが、2004年にフラワーコミックスから独立、さらに同じ年にホラー作品のみを扱う「ちゃおホラーコミックス」も立ち上げている。背表紙のワンポイントは、ちゃおコミックスはピンク地に、「CIAO」が中に書かれているハートと「COMICS」の文字があしらわれ、ちゃおホラーコミックスは黒地にお化けの絵が描かれている。 ちゃおフラワーコミックス時代は『少女コミック』(現在は『Sho-Comi』と名乗っている)や『別冊少女コミック』(現在の『ベツコミ』)のフラワーコミックスと同じ26日頃発売で、背表紙のワンポイントの地も、他のフラワーコミックスと同じ赤色だった。2001年からワンポイントの地をピンクに変え、他のフラワーコミックスとの差別化を図ったものの、結局フラワーコミックスから分離、という形を取った。書店や通販では、フラワーコミックス扱いで、販売されているケースが多い。 なかよしKCや少年サンデーコミックスの人気作品において積極的に発売されている、コミックスに付録を付けて値段を上げた豪華版(プレミアム版・特装版・限定版)の発売に関しては、2011年度までは『ボクのプラチナレディー』(八神千歳)1巻 のみと消極的な姿勢であったが、2012年度以降からは人気作でDVDなどの付録が付いた限定版が積極的にリリースされ、『ちびデビ!』(篠塚ひろむ)7巻から9巻、『オレ様キングダム』(八神千歳)7巻から9巻・10巻・12巻、『ドーリィ♪カノン』(やぶうち優)4巻及び5巻、『にじいろ☆プリズムガール』(中原杏)7巻 で発売されている。 2006年11月に新刊として発売されたもの以降からは、小学館新人コミック大賞の募集要項が掲載されている。 2008年8月に立ち上げられた本誌発の小説レーベルのこと。その第1弾は、女の友情をテーマにしたオリジナル作品「ウチらのキズナ」だった。この作品は、2007年から2008年にかけて、散発的に掲載された散文シリーズ「ココロ・あみーご」をベースにしたもの。栖川マキが手掛けた。 上記作品以外のラインナップは次の通り(2009年3月3日現在)。 本誌には公式ファンクラブが存在していた。毎年4月号に付録のひとつとしてメンバーズカードが封入されており、それには会員番号なる数字が書かれていた。そしてその数字の組み合わせによって、プレゼントがもらえる、という特典があった。 また、下記の「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」や、「次世代ワールドホビーフェア○○ Winter」(○○には年号が入る)にメンバーズカードを持参すると、来場記念品がもらえたことがある。 さらに、公式サイトの中に、ファンクラブ会員専用のコーナーが設けられていた。 公式ファンクラブの名称は、年によって変わっていた。その変遷は以下の通り(いずれも4月号 - 翌年3月号)。 2009年度の「ちゃおスタークラブ」を最後に、この公式ファンクラブは廃止されたが2016年2月号にメンバーズカードが封入することが決定した。 毎年夏休み期間中の7月下旬から8月下旬に、『ちゃお』編集部が読者の女の子を対象に本イベントを開催している。具体的には連載作家のサイン会(事前抽選制)、ステージイベント、オリジナルグッズやサイン入りコミックスの販売などが催される。『Sho-Comi(旧:少女コミック)』編集部と共同開催し、さらに2010年以降は『ぷっちぐみ』編集部も加わっている。2006年から2009年までは『ChuChu』編集部と共同開催(この間は『Sho-Comi』関連の出展はなし)し、「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」と名乗っていた。 このイベントは『ちゃお』・『ぷっちぐみ』・旧『ChuChu』掲載作品に関してはあくまで中学生以下の女の子を対象とした漫画雑誌のイベントのため、無料のアトラクションやイベントに関しては高校生以上の女性と全ての男性は参加できないようになっており(ただし『Sho-Comi』関連は高校生以上の女性も参加できる。)、イベントによっては幼児の女の子も参加できないことがある。ステージイベントに関しても子供以外は保護者のみ入場ができる場合が多い(外から観覧するのは可)。また、下敷きやうちわ、玩具のサンプル品など無料で配布されるグッズも『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連のものは基本的には中学生以下の女の子にしか配られない。 なお、イベント全体に参加制限があるわけではなく、女の子の保護者などの関係がない成人でも入場はでき、『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連の有料商品(オリジナルグッズやサイン入りコミックスなど)の購入もできる。 2013年からちゃおサマフェスをコンパクトにし、全国のショッピングモールを巡回する『ちゃおツアー』として毎年秋に開催している。 2020・21年は中止し、代わりにYouTubeちゃおチャンネルにて「ちゃおフェスLIVEオンライン」を開催していたが、2022年に3年ぶりとなるリアルイベントを開催。2023年は競合少女漫画誌『りぼん』との合同フェス「ガールズコミックフェス」として例年「ちゃおサマフェス」の会場となっていたパシフィコ横浜で4年ぶりに開催。 この他にも毎年1 - 2月に開催されていた「次世代ワールドホビーフェア(年号) Winter」(毎年東京(千葉)、大阪、名古屋、隔年ごとに札幌と福岡との交互開催)でも『ちゃお』ブースを出展し、関連のイベントを開催していた。一方で毎年7月頃に開催される「-Summer」(例年は幕張メッセで開催)では本イベントとの兼ね合いから『ちゃお』に関する出展はなく、タカラトミー・バンダイなどの玩具メーカーが『ガールズアーケード』と称した女の子向けのブースを出展している程度である。 2017年に創刊40周年を迎えるにあたり、創刊40周年記念プロジェクトを展開している。 依ノ宮アリサ(よのみや アリサ)は、2019年12月19日よりYouTubeちゃお公式チャンネルでデビューした朗読系バーチャルYouTuber。キャラクターデザインはあるや、イラストは上倉エクが担当。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『ちゃお』は、小学館発行の日本の月刊漫画雑誌。1977年9月3日創刊。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『なかよし』(講談社発行)・『りぼん』(集英社発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つと言われる。三誌の中では、本誌が最も後発である。誌名の由来は、親しい人との間で「こんにちは」「さようなら」として使われるイタリアのくだけた挨拶言葉「チャオ (ciào)」。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2002年頃以降、最も発行部数の多い少女漫画雑誌である。また、過去には100万部以上を発行していたが、2006年以降他の少女漫画雑誌とともに相対的に部数は落ち込んでいる(歴史を参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "創刊当初から1980年代頃までは小中学生向け雑誌ではありつつも、上記の競合誌と比べて大人びた誌面であり、女子高校生をターゲットにしていた時期もあった。1980年代中盤はアニメ作品とのタイアップ漫画を積極的に載せ、低年齢層の取り込みを図った時期もあったが、1988年に創刊した『ぴょんぴょん』 がその路線を継いだ。しかし1992年10月の『ぴょんぴょん』との統合で同誌の人気連載を引き継ぐなど幼年漫画的な作品を再び増やし、同時に付録の強化も行った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2006年に主に中学生前後の少女向けに『ChuChu』を独立創刊した直後にあたる、当時の日本雑誌協会のデータでは小学生(主に中学年・高学年)の女子児童が主な対象読者となっている。例えば競合誌の『りぼん』よりやや低く、定期刊行されている少女漫画雑誌全体でも同年に創刊した『ぷっちぐみ』 に次いで2番目に低いとされる。しかし別の調査では女子高校生でも『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『りぼん』、『別冊マーガレット』(集英社)の次に読まれている漫画雑誌というデータも存在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "前身は1972年、『別冊少女コミック』(ベツコミ)の増刊として発行された『別冊少女コミック増刊 ちゃお』。1977年9月3日に『ちゃお』10月号として独立創刊される。創刊号では巻頭カラー付き作品を上原きみこが担ったが、表紙イラストは河野やす子が描いた。その後創刊からしばらくの間、当時『少女コミック』で売り出し中だった河野やす子が引き続き表紙を担当していた。創刊から『ぴょんぴょん』と統合する1992年までのメディアミックス展開は、創刊初期の1978年に『若草のシャルロット』(原作:雪室俊一、漫画:時松早苗)の漫画版を本誌に掲載、本誌原作作品は『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』(赤石路代)『魔法のスターマジカルエミ』(あらいきよこ)『魔法のアイドルパステルユーミ』(あらいきよこ)がアニメ化された。また、『セーラー服通り』(つづき春)『痛快!OL通り』(野坂由紀子)がドラマ化された。部数は長らく低迷が続き、1990年代中盤までは最大50万部台 で頭打ちであり、1992年頃には10万部台以下に落ち、『なかよし』及び『りぼん』と比べてマイナー感が拭えなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1992年秋には、本誌と同様に部数の低迷に陥っていた『ぴょんぴょん』と統合し、誌名は『ちゃお』を残したが、『ぴょんぴょん』の恋愛物が少なくギャグやショートストーリーの漫画が中心だった路線を取り入れ、『みい子で〜す!』→『こっちむいて!みい子』(おのえりこ)などを引き継いだ。その一方で『水色時代』(やぶうち優)や『アリスにおまかせ!』(あらいきよこ)など合併前からの人気連載を継続させ、『ワン・モア・ジャンプ』(赤石路代)など有力作家による新作を投入し、低学年にも中学生にも読みやすい誌面構成にした。また『りぼん』や『なかよし』を追撃するために付録の強化を推し進めたが、当時は『りぼん』の部数が250万部、『なかよし』が同じく200万部を超えて最盛期を迎えていた中、20万部程度しか売れていなかった 本誌がそれに食い入ることは難しかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "そのため、アニメ化や漫画化などのメディアミックス展開は厳しい状況であったが、いがらしゆみこ や日本アニメーションとの協力で1993年には『ムカムカパラダイス』(原作:芝風美子、漫画:いがらしゆみこ)を投入することにこぎ着け、それがヒットしたことで、翌1994年には『とんでぶーりん』(原案:森真理、原作・漫画:池田多恵子)と続けてテレビアニメを投入した。当時、大流行した変身バトルヒロインブーム にあやかって『愛天使伝説ウェディングピーチ』(原作:富田祐弘、漫画:谷沢直、企画:テンユウ)にも参加した。アニメ化重視の戦略を推し進めることによって低年齢層の読者を積極的に獲得し、依然『りぼん』や『なかよし』には及ばないものの、部数は伸び始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1990年代後半は沖縄アクターズスクールを題材として安室奈美恵やSPEEDブームに乗った『はじけてB.B』(今井康絵)、男児に大ヒットした『ポケットモンスター』の主人公を女の子にして漫画化した『ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー』(漫画:月梨野ゆみ)などのタイアップ作品がヒット。本誌原作作品でも『エンジェルリップ』(あらいきよこ)などが人気を集めていた。その頃から部数が低下し始めた『りぼん』・『なかよし』に対して本誌の部数は伸び続け、1999年から2000年にかけて月刊少女漫画雑誌のシェアで『なかよし』を追い抜いて、『りぼん』に次ぐ2位に上昇した。だが、1990年代までの本誌は、本誌連載の漫画をテレビアニメ化した作品が当時の『りぼん』や『なかよし』と比べて大幅に少なく、読者の熱狂的な支持を得るまでには至らず、このことは本誌の読者の定着やコミックス(単行本)の売上面、そして小学館における『ちゃお』事業そのものの収支に大きく影響するため 、本誌で連載された原作漫画のアニメ化は長年の課題だった。『愛天使伝説ウェディングピーチ』でアサツー ディ・ケイ(ADK)との関係ができたことをきっかけに、1996年に『水色時代』(やぶうち優)、2001年には『Dr.リンにきいてみて!』(あらいきよこ)と、ADKとの協力で本誌原作作品がテレビアニメ化された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2000年前半は本誌の部数が大幅に躍進した。『ミルモでポン!』(篠塚ひろむ)は2001年夏に連載が開始されて間もなかったが、小学館プロダクション(当時)の手で抜擢され『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』のタイトルでアニメ化され、小学校低学年を中心にヒットし本誌を代表する看板作となった。同年には本誌の発行部数が100万部を突破、遂に『りぼん』も抜いて少女漫画雑誌のトップに躍り出た。2000年代後半も『きらりん☆レボリューション』(中原杏)が2006年にアニメ化されて同様にヒットし、玩具やトレーディングカードなどの商業展開などにも成功した。2006年1月号をもって増刊時代から数えて30周年を、2007年10月号をもって独立創刊から30周年を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "しかし、2005年になると発行部数の伸びが止まり、2006年以降は部数が低下し始め、2007年度(2006年10月 - 2007年9月集計)には98万部 と100万部台を割り込んだ。その後も低下が続き、2013年度(2012年10月 - 2013年9月集計)には55万部 まで落ち込み、2016年度以降は再び50万部を割っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2007年5月に発表された、日本PTA全国協議会主催の2006年度「子供とメディアに関する意識調査」で、「親が子どもに読ませたくない雑誌」の第2位にランクイン。なぜ本誌がランクインされたか定かではないが、第1位の『少女コミック』(当時)と並び、小学館の少女漫画雑誌が上位2つを占める結果となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2017年10月号をもって独立創刊から40周年を迎え、「創刊40周年プロジェクト」と銘打った記念企画が行われている。(詳細後述)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2020年1〜3月期にかけては数ある少女向けコミック誌の中で印刷証明付き部数が1位と発表されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2021年8月10日に『ちゃお』の連載作品を無料で読むことができるサイト「ちゃおコミ」が開始される。『ミルモでポン!』や『極上!!めちゃモテ委員長』などの過去の作品のほか、オリジナル作品も配信。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2023年9月号(2023年8月3日発売)では同日発売の『りぼん』2023年9月号とコラボし、『ちゃお』は『シャイニング!』(まいた菜穂)、『りぼん』は『ハニーレモンソーダ』(村田真優)のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日にパシフィコ横浜にて『りぼん』との合同イベント『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細はちゃおフェスを参照)が開かれることを記念したもの。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "以下、2024年2月号現在連載中の作品。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "創刊当初はあまりタイアップには熱心ではなかったが、1992年に『ぴょんぴょん』と統合し、その内容を引き継いでからは一転して積極的にタイアップを行うようになり、今ではむしろ本誌を語る上で欠かせない要素となっている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "掲載漫画を原作としたアニメ化もあるが、アニメの漫画化やアニメ・グッズ製作を前提としての先行掲載などのタイアップ物も多く、他の少女漫画誌に比べてその比率が高い。本誌で最初にアニメと絡んだ作品も本誌の原作のアニメ化ではなく、1977年10月に放映されたタイアップ物の『若草のシャルロット』(制作:日本アニメーション)であった。本誌原作の作品が初めてテレビアニメ化されたのは1985年4月の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』(製作:タツノコプロ)である。タイアップされるアニメ作品はその時点での読者の平均年齢と同等かそれを下回る作品が多いが、『少女革命ウテナ』・『デ・ジ・キャラットにょ』・『魔法少女隊アルス』・『電脳コイル』など、対象年齢が比較的高いアニメ作品とのタイアップを行ったこともある。本誌に掲載されたオリジナル作品を原作としたアニメ映画はまだ一作も製作されていないが、外部版権を用いて本誌で漫画化された作品の映画は「ちゃお創刊20周年記念事業」という名目で「'97夏東映アニメフェア」内で上映された『キューティーハニーF』が該当する。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1985年4月に放映された『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』は当時連載中だった『アルペンローゼ』をテレビアニメ化したもの。ただし放送局のフジテレビは土曜日の野球中継の時間を拡大し、18:30開始にした影響で、本作も1年間の放映予定が6ヶ月に短縮という形で打ち切りとなった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1985年7月から1986年8月にかけてスタジオぴえろ製作のぴえろ魔法少女シリーズのうちの『魔法のスターマジカルエミ』と『魔法のアイドルパステルユーミ』の漫画版 を掲載したことがあったが、『パステルユーミ』を最後に、本誌が絡むテレビアニメは一旦途絶えた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "再びテレビアニメを積極的に展開するようになったのは、『ぴょんぴょん』統合後の1993年に日本アニメーション・毎日放送(TBS系列)と組んで製作した『ムカムカパラダイス』の漫画版 を本誌に掲載したことがきっかけだった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『ムカムカパラダイス』の次番組である『とんでぶーりん』(1994年)の漫画版 も本誌に掲載された。これは、姉妹誌で読み切り作品主体のちゃおデラックス1993年秋号に掲載された作品の『ビビデ・バビデ・ぶーりん!!』を原作としたメディアミックス作品であり、それ故に原作を執筆した池田多恵子が自ら漫画版も担当し、連載時期もアニメ版の放送時期と一致していた。そのため、原作作品も漫画版の単行本に収録されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1995年は『愛天使伝説ウェディングピーチ』(原案・制作:ケイエスエス)を製作、テレビ東京系列で放送され、漫画版 の連載が行われた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1996年は11年ぶりに本誌原作の『水色時代』(制作:スタジオコメット)がテレビ東京系列ほかでアニメ化、され、当初の放送期間は9ヶ月の予定だったが「思い出アルバム」編が追加され2ヶ月間延長された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1997年は『キューティーハニーF』(製作:東映動画、テレビ朝日系列で放送)と『少女革命ウテナ』(J.C.STAFF製作、テレビ東京系列で放送)の2つがアニメ化、本誌に漫画版 が連載されたが、前者は原画担当の飯坂友佳子が直接漫画作品を担当したものの、アニメ・漫画版いずれも前番組 と比べて成功したとは言えない結果に終わり、後者もアニメの方は青少年男性を中心にヒットした が、漫画版は年齢層や画風が本誌の他作品と大幅に異なることも影響し本誌では人気が出ず、続編の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』では「別冊少女コミックSpecial」で連載し、続々編は「月刊フラワーズ」にて掲載した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1998年2月にアニメコンプレックス番組『アニメ週刊DX!みいファぷー』(製作:東映動画→東映アニメーション、テレビ朝日系列で放送)が『キューティーハニーF』の次番組として放送され、本誌原作作品からは「こっちむいて!みい子」と「ヘリタコぷーちゃん」の2作品がアニメ化された。なお、この番組のメイン作品である『ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー』も漫画版が本誌に掲載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この年からNHK教育(当時、現在のNHK Eテレ)とタイアップを行うようになり、『おじゃる丸』の4コマ漫画版 が、翌1999年には『コレクター・ユイ』と『スージーちゃんとマービー』の漫画版 が連載された。それ以降も2001年に『カスミン』の漫画版、2004年に『魔法少女隊アルス』も2ページ漫画として漫画版 が連載され、2007年には別冊付録に『電脳コイル』の漫画版 が掲載された。なお、これらの作品のうち、『コレクター・ユイ』と『電脳コイル』の2作が単行本化されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2000年7月に学習雑誌掲載作品の『とっとこハム太郎』がテレビ東京系列でアニメ化され、2001年から2002年まで本誌でも1ページ連載として取り上げられた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2001年は『Dr.リンにきいてみて!』(制作:スタジオコメット)がテレビ東京系列でアニメ化された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2002年は4月にテレビ東京が新設した土曜の朝のアニメ枠で『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』シリーズ(制作:スタジオ雲雀)を含む女児向けアニメ3作品 を並べてアニメ化された。当初の放送期間は3作品とも1年間の予定であったが、本作のみ視聴率が好調であったため延長を繰り返し、2005年9月まで3年6ヶ月間に亘って放送された。他にも、2002年には『ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット』(アニマックスほかで放映)の漫画版 が連載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2003年は『デ・ジ・キャラットにょ』(原案:ブロッコリー、制作:マッドハウス)がテレビ大阪(テレビ東京系列)で放送され、本誌で漫画化 されたが、それまで男性向けアニメであったコンテンツを女児向けアニメに改変して鳴り物入りで始めたものの、ターゲット層の視聴率および商業成績共々不振に終わり、テレビ東京系列外ネット局の多くは放送途中で打ち切りとなった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2005年は『ふしぎ星の☆ふたご姫』(原案:バースデイ、制作:ハルフィルムメーカー)がテレビ東京系列で放送され、本誌で漫画化 された。アニメそのものは続編の『ふしぎ星の☆ふたご姫 Gyu!』が作られるほど人気が高かったが、漫画版は原作が本誌の主要読者よりも低い世代(主に未就学児にあたる女児)向けに作られたアニメ を漫画化した関係もあってか、本誌での人気が不調に終わり、アニメが続編になる前に本誌ともタイアップが終了した。続編のタイアップは放送開始から間隔が少し開いているものの、事実上『ぷっちぐみ(2006年7月創刊)』が引き継いだ。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2006年は『きらりん☆レボリューション』シリーズ(制作:シナジーSP、途中まではG&G Entertainmentも制作参加)がアニメ化され、商業的には2020年現在においても本誌最大のヒット作となった。2008年にはアニメ版のタイトルが『きらりん☆レボリューション STAGE3』に改題され、翌2009年まで合計3年間に亘って放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2007年は『はぴはぴクローバー』(制作・グループ・タック)がアニメ化されキッズステーションほかで放映された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2009年は『極上!!めちゃモテ委員長』(制作:小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント)がアニメ化され、1年延長し2011年3月まで放映された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2011年は10月から2014年2月までNHK Eテレで放送中のバラエティ番組「大!天才てれびくん」の番組内アニメという形で『ちび☆デビ!』(制作:シナジーSP)が放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2016年は『12歳。』が『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』(制作:シナジーSP)というタイトルでアニメ化され、AT-Xと全国独立放送協議会に加盟するサンテレビ・TOKYO MXほかで同年4月から6月まで第1期が、同年10月から12月まで第2期が放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2017年には『プリプリちぃちゃん!!』(制作:OLM TEAM SAKURAI)がMBS制作・TBS系列の『アニメサタデー630』枠内で『100%パスカル先生』(月刊コロコロコミック連載)と枠を分け合う形で放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "同社の少年漫画雑誌『週刊少年サンデー』に連載されていた『金色のガッシュ!!』が、フジテレビで『金色のガッシュベル!!』というタイトルでアニメ化された際、牧原若菜による4コマ漫画版が2004年3月号から2005年4月号まで連載されている。本誌に連載される前にアニメ化されていた作品としては学習雑誌の人気作で、ぴょんぴょんから移籍という形で短期間連載していた「あさりちゃん」がある(1982年にテレビ朝日系でアニメ化)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "掲載作品を原作としたセル・レンタル市場向けOVA作品としては、1991年の『スローステップ』(制作:パステル)が該当し、製作に関与し、初アニメ化作品である『ナイン』からあだち充漫画のアニメ製作権を独占的に持つ東宝から単発販売された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "『ぴょんぴょん』併合前の1986年に、TBS系列で放送された『セーラー服通り』とのタイアップ作品が掲載され、ドラマでも本誌や漫画版の原稿などが出てきた。しかしこれは『ちゃお』原作作品ではなく、漫画の内容もあまりシンクロしていない。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "その後も実写ドラマ化された本誌発祥の作品は長らく存在しなかったが、2005年以降、テレビ東京系列および関西地方の一部の独立UHF局で放送されている朝の子供向けバラエティ番組『おはスタ』のミニドラマに、何らかの形で関わっている。以下、それをここに記す。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、2010年4月から2011年4月に放送されたアニメ第2期において、1カ月に1度『MMTV』と称した実写ドラマとオシャレ情報を放送する回でもミニドラマが放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2013年から翌年にかけて『ドーリィ♪カノン』が本誌の付録DVDに収録という形でドラマ化(OV扱い)された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2017年にはタカラトミーとLDH JAPAN、ぷっちぐみと共同で「ガールズ×戦士シリーズ」の第1弾となる『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』が放送され、本格的なドラマとのタイアップは初であり、『おはスタ』でも関連コーナーが設けられた。以後は2018年度の『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』、2019年4月から2020年6月まで放送された『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』、2020年7月から2021年6月まで放送された『ポリス×戦士 ラブパトリーナ!』、2021年7月から2022年6月まで放送された『ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!』でもタイアップが行われていた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "本誌作品のアニメ化や、アニメ作品の本誌内でタイアップで、玩具メーカーやテレビ東京などのテレビ局などと積極的に連携してきたことが実り、男児向けの『月刊コロコロコミック』と同様、ホビーの要素を漫画雑誌に取り入れることに成功している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "タカラトミーとは合併前の旧トミー・旧タカラ時代から縁が深く、掲載漫画のアニメ化ではいずれかがメインスポンサーになることが多く、旧トミーは『愛天使伝説ウェディングピーチ』・『Dr.リンにきいてみて!』・『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』、旧タカラは『水色時代』のメインスポンサーだった。両社の合併後も変わらず、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』 に参入した。その後2011年4月号から2012年3月号までタカラトミー・シンソフィア共同開発のアーケードゲーム「プリティーリズム」とのタイアップ作品が連載されたが、小学館が製作委員会に参加していたアニメ化作品『プリティーリズム・オーロラドリーム』のテレビ放送開始に先行する形での連載開始だったため「アーケードゲームの漫画化」というより「テレビアニメの漫画化」という色合いが強かった。2014年からは後継作品『プリパラ』、2018年の『キラッとプリ☆チャン』タイアップ漫画を展開している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "コナミとも関係が深く、こちらは連載作品がテレビゲーム化されることが多く、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』や『きらりん☆レボリューション』のゲームソフト全てを発売しており、『極上!めちゃモテ委員長』ではゲームソフトのみならず、カードゲームにも参入した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "対してバンダイは1990年代に競合誌の『なかよし』・『りぼん』原作漫画のアニメのスポンサーに就くことが多く、本誌関連のアニメ作品では『とんでぶーりん』、『キューティーハニーF』、『アニメ週刊DX!みいファぷー』のスポンサーとなったが、『ぶーりん』以外は商業的に不振であった。その一方で大ヒットした携帯ペットゲーム機「たまごっち」のタイアップを手がけた(後述)。2001年から2002年にかけてプリモプエルというぬいぐるみのタイアップ作を連載、こちらもまた不振に終わった。その後2004年に「たまごっち」が再発売され、成功したのをきっかけに再び関係を深めるようになった。2005年には「ちゃおスタイル」(別途後述)を立ち上げ、これと同時期にフコウモリとのタイアップも行われた。2009年から2011年にかけて『極上!!めちゃモテ委員長』のスポンサーに就いた。2013年から2016年までは『アイカツ!』、2016年からはそれの後継作品『アイカツスターズ!』のタイアップ漫画を展開している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "任天堂とは、『ポケットモンスター』(ポケモン)の漫画で関わり合うようになった。『ポケモン』漫画終了後は、『どうぶつの森』シリーズとのタイアップ作品の「おいでよ どうぶつの森 〜しあわせ通信〜」(2006年10月号 - 2007年12月号)→「街へいこうよ どうぶつの森 〜たんぽぽ村だより〜」(2009年1月号 - 2010年3月号)を掲載した。なお、「どうぶつの森」シリーズとのタイアップ作品に関しては、いずれも森江真子が手掛けている。「ポケットモンスター」についての詳細は後述。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "セガトイズ(セガホールディングスの子会社)とは、『ぷっちぐみ』で発祥した『リルぷりっ』のタイアップ漫画が、キャラクターデザインを担当した陣名まいの執筆で2010年5月号から2011年3月号まで掲載されていた。同社とサンリオで共同開発したキャラクター「ジュエルペット」も2009年のテレビアニメ化を経て本誌でも2010年にタイアップ作が連載されたが、こちらは同年2月号から9月号までと短命に終わった。その他に2002年に「ココロボ」(ロボット型玩具)のタイアップ作を連載したがわずか半年で終了した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "玩具の中でも、任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター」(ポケモン)と本誌は深い関係にあった。1997年7月号から連載が始まった『ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー』は、折からのポケモンブームに乗ってヒット、本誌の奇跡の大躍進に大きく貢献した。その後ポケモンとのタイアップ漫画は、2006年9月号まで連載された『ポケットモンスター チャモチャモ☆ぷりてぃ♪』まで続いた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "バンダイが発売している『たまごっち』も本誌と深いかかわりがある。1996年版では漫画「ゆでたてたまごっち」(漫画担当は「りっち」こと河井りつ子)を展開していたが、1999年6月号で終了した。ちょうど1996年版のブーム終焉が取りざたされていたころの出来事だった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "その後2004年版では『あっちこっち たまごっちタウン』シリーズ(「あっちこっち たまごっちタウン」→「あっちこっち たまごっちタウン はいぱー」)が2005年4月号から2009年3月号まで、本誌に連載された。その後2010年3月号から2011年12月号まで「あっちこっち たまごっち!カーニバル」というタイトルで再び本誌でタイアップ漫画が連載された。なお、これらの作品は、いずれもかがり淳子が手掛けている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "さらにかがりが降板後のタイアップ漫画はあさだみほによる『みんなでハッピー☆たまごっち!』が2012年3月号から2014年7月号まで連載され、その後加藤みのりによる『ドレみふぁ♪たまごっちーず』が2014年8月号から2016年3月号まで連載され同作を最後に本誌とのタイアップを終了している(以降も原作となる玩具の展開は続いている)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "なお、1996年版たまごっちに関しては競合誌の『なかよし』や『たのしい幼稚園』などの講談社の子供向け雑誌でもタイアップ作品が掲載されていたが、2004年版以降はタイアップ先が小学館のみに絞り込まれ、本誌と『(小学館の)幼稚園』、『小学館の学年別学習雑誌』など小学館の子供向け雑誌のみの掲載となった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "『ポケットモンスター』と『ジュエルペット』に関しては、タイアップ漫画の終了後も、(2010年10月号現在)情報ページが本誌に掲載(連載)されている。また、「ポケットモンスター」については、後述の「ちゃおスタイル」とのコラボレーション商品が発売されたことがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "テレビアニメやOVA化こそされなかったが、市販のドラマCD化された作品として『ビューティー・ポップ』(皆川純子主演)がある。また、イメージCDのプログラムのひとつとしてドラマCD化された作品には『ちゃーみんぐ』(久川綾主演)や『I LOVE YOU』(白鳥由里主演)などがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "近年は、掲載作品単独のみならず、本誌名をブランドとして展開、玩具・文具・アクセサリー・ゲームソフトなどのグッズをタカラトミー・バンダイ・エポック社といった複数の玩具メーカーと共同で展開している。ただし、アニメ化され、放送している作品ではスポンサーの兼ね合いから、キャラクターがグッズから省かれることがある。実例としては、旧トミーがスポンサーをしていた『Dr.リンにきいてみて!』、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』のキャラクターは、旧タカラやバンダイから発売された「ちゃお」ブランドの玩具商品には使用されなかった。また、『きらりん☆レボリューション』もタカラトミーが関わっていたため、バンダイ及びエポック社から発売されている商品には使用されていなかった。さらに『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、バンダイから発売されている商品のみに使用されているが、アニメ化以前はタカラトミーやエポック社からもキャラクターを使用した玩具が発売されていた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2009年から2011年にかけてセガ(後のセガ・インタラクティブ)から「ちゃお」ブランドとしては初のアーケードゲームである『ちゃおまんがステーション』が稼動していた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "なお、「ちゃお」ブランドのゲームソフトは以下の2本が発売中である。カッコ内は左から機種/発売元/発売日/ジャンル/税別価格の順。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "また、「ちゃお」ブランドのアーケードゲームは以下の1本が稼動していた。カッコ内は左から発売元/稼動開始日・稼働終了日/ジャンル/プレイ料金の順。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ファッションに関しては、2002年から2005年にかけて、子供向けアパレルメーカーの代表的な企業であるナルミヤ・インターナショナルと連携、同社の代表格的なブランドである「mezzo piano junior」(メゾピアノ ジュニア) を取り上げた『シンデレラコレクション』(今井康絵)というタイアップ作品を連載した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2015年から2016年にかけては同社の「mezzo piano」(メゾピアノ) と、同業で当時はリトルアンデルセンのブランドであった「EARTHMAGIC」(アースマジック)、ジェニィのブランドである「SISTER JENNI」(シスタージェニィ)、RONI WORLDのブランドであった「RONI」(ロニィ) と共にタイアップし、ローティーン向けファッションをテーマにした漫画『探偵ミーミのおしゃれ事件簿』(ふじたはずみ)を連載した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "なお、『シンデレラコレクション』の終了後に本誌側が「ちゃおスタイル」(後述)を立ちあげ、価格帯はやや異なるがナルミヤ・インターナショナルと競合していた時期もあった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2005年12月に「ちゃおスタイル」というトータルコーディネートブランドを立ち上げた。商品のラインナップは文房具や小物だけでなく、アパレルや携帯電話もあり、広範にわたっていた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2006年8月25日からは本州・四国内のマイカル(2011年にイオンリテールに吸収合併)運営のサティ(現在のイオン)14店舗および、京都市の北大路ビブレ(2022年6月にイオンモール北大路に改称)に小規模な販売コーナーが設置された。さらに2006年9月以降もサティの新規出店店舗に大規模な販売コーナーが順次設置され、従来の店舗も改装に合わせてコーナーを大規模化した店舗もあったが、一方でアパレル製品を取り扱わなかった店舗もあった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "さらに2007年7月には原宿、2008年3月には心斎橋、2008年8月には名古屋市栄に単独の店舗を開設した。一方でマイカルでの販売は段階的に縮小、北大路ビブレの販売コーナーが先に廃止され、さらに2008年度までにサティ全店で展開終了となった。なお北海道内にはこの当時はサティはなく、イオン九州運営の九州内のサティでは取り扱わず、沖縄県にはもともとサティは存在しなかった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "近くに店舗のない地域でも、公式サイトから通販で購入できた。さらに本誌2009年4月号では綴じ込みで通信販売カタログが付いた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "アパレル製品に関しては、新潮社のローティーン向けファッション雑誌『ニコラ』2009年9月号で紹介された。この号では小学館の少女漫画雑誌とのコラボレーションが行われており、ほかに『sho-comi』とのコラボレーション漫画も別冊付録で付いていた。小学館と該当誌の版元の新潮社は一部競合関係にあり、小学館も2009年から2010年にかけて『ニコラ』・『ニコ☆プチ』の競合誌『DiaDaisy』を発刊していたため、このようなコラボレーションは異例であった。なお2011年2月に心斎橋店が閉店した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2011年7月1日に、これまでの「ちゃおスタイル」のほか、ヘアーアクセサリーの「カールシーガール」と、後述のDVDと連携したグッズブランド「ちゃおちゃおTV!」を加えた上で「ちゃおガールセレクト」としてリニューアルした。これに伴い、原宿と栄のちゃおスタイルショップは同年7月23日にちゃおガールセレクトショップにリニューアルされ、さらに2011年7月23日に梅田の阪急三番街に店舗を開店した。2013年11月24日に栄店を閉店し、2013年12月20日に千葉市幕張のイオンモール幕張新都心に開店した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "しかし、2014年9月23日には原宿本店を閉店し、「ちゃおガールセレクト」の展開終了にともない2015年5月24日に梅田店と幕張店を閉店、バンダイグループの通販サイト「プレミアムバンダイ」での販売も終了した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ハロー!プロジェクト公認のショート漫画を計3作品、2001年7月号から2006年1月号にかけて連載していた。対象年齢を考慮し、幼年層向けのグループが題材になっている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "さらに、ハロー!プロジェクトの中心グループであるモーニング娘。の一員で、『きらりん☆レボリューション』シリーズで、主人公・月島きらりの声をあてた久住小春をとりあげたセミドキュメンタリーコミックが、本誌2009年7月号に掲載された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "テレビ東京系列および関西地方の一部の独立UHF局で1997年から放送され、小学館がメインスポンサーを務めている朝の子供向けバラエティ番組『おはスタ』では、2000年から本誌ともタイアップが組まれている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "最初の作品は『Dr.リンにきいてみて!』が題材にしていた風水を取り上げた企画であった。さらに2003年から2005年頃にかけて本誌の執筆陣が出演する企画が存在した。放映日は基本的に毎月最終金曜日だった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "本誌でも『おはスタ』の情報を取り扱うページが毎月1ページ設けられていたほか、番組マスコットの「おはガール」を取り上げた漫画として『未来♥Pureボイス』(五十嵐かおる)と『すてきに!ドリームステージ』(清水真澄)が連載されていた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "本誌の漫画作品からは2005年に『ふしぎ少女探偵 キャラ&メル』、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』、2009年から2011年まで『極上!!めちゃモテ委員長』が短編のミニドラマとして実写化され、『おはスタ』内で放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "新潮社の情報雑誌『ニコ☆プチ』と連携した企画を行った事がある。該当項目を参照。なお、先述の通り、小学館と新潮社は競合関係にある。逆にちゃお作家である葵みちるが『ニコ☆プチ』でイラストを手がけていたこともある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "1997年から1999年にかけて、沖縄アクターズスクールを題材とした作品シリーズ「B.Bシリーズ」(今井康絵)が、2000年には、北海道で活動していたローカルタレントコンビ「雪ん子」を題材にした前後編作品「雪ん子!!」(五十嵐かおる)が掲載されたことがあり、同時期に「電波少年シリーズ」を題材にした作品「恋はオン・エア!」(篠塚ひろむ)が短期集中連載されたことがある。そして2009年2月号から2016年6月号にかけて、ジャニーズ事務所とのタイアップ作品「わいわいっ☆Hey! Say! JUMP」(能登山けいこ)が連載されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2009年1月には、「まんがみたいな恋したいっ!」(八神千歳)が小説化されている。こちらは別途後述。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "本誌でまんが家デビューを目指す人のための作品投稿コーナー。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "入賞者には担当者がついたり賞金などがもらえるほか、「ちゃお銀賞」以上を獲得するとデビューが決定する。また、上半期・下半期それぞれの半年間の中で「ナイス賞」「ちゃお銅賞」を獲得した作品の中から一番優秀な作品が「ベスト賞」に選ばれ、デビューすることができる。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "なお、本誌でのデビューは、小学館新人コミック大賞の少女・女性部門からも可能である。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "急激な成長や、少女漫画誌発行部数トップということもあってか、このところ、小中学生向け少女漫画雑誌でのデビューを目指す投稿者が、投稿先を『なかよし』・『りぼん』から本誌へ変更する例が続出している。その一例として、最初『なかよし』でデビューしたが辞め、『ちゃお』で再デビューを果たしたまいた菜穂が挙げられる。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ただそのせいか、他誌に一度投稿したものを『ちゃおまんがスクール』に使い回しする二重投稿がしばしば見られるようになり問題化。2007年1月号以降、柱に「二重投稿は厳禁です」という趣旨の警告文が書かれている。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "また2007年1月号では、「著作権」について採り上げている。", "title": "ちゃおまんがスクール" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "オリジナルアニメやオリジナルドラマ他関連情報を収録した本誌付録DVD。", "title": "ちゃおちゃおTV!" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "主にちゃおのCMメインのYouTubeチャンネルで、ちゃおガールが紹介する動画が多い。付録の実演をしたり、「新学期!私立ちゃお学園」という企画で色々なことにチャレンジしている。", "title": "ちゃおチャンネル" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "他にも漫画家への直撃電話や、『ちゃお』とタイアップした映画やゲームなどの宣伝だったり、ちゃおちゃおTV!からアニメや実写ドラマの一部内容を配信したり、連載作品から第1話のボイスコミック化や『人間回収車』のアニメ、『ちゃお』本誌のコーナーに登場した芸能人も出演するなどした。", "title": "ちゃおチャンネル" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "また、オリジナルコンテンツとして恋愛ドラマバラエティー動画『突然ヒロイン~少女まんがみたいな恋、しよっ!~』が始動し、台本なしの少女まんがみたいなドラマをアドリブで演じるという内容で、エピソード1から4までがそれぞれ4話構成で配信された。MCは3時のヒロイン、キャストはエピソードごとに違い、主題歌は「ヒロイン願望 暴走中」(歌:まいきち、作詞・作曲:前山田健一、編曲:板垣祐介)。", "title": "ちゃおチャンネル" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ちゃおコミとは2021年8月10日に公開されたちゃお公式Web漫画サイト。ちゃお公式ホームページ「ちゃおランド」サイト内にて無料公開中。", "title": "ちゃおコミ" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "過去にちゃお本誌、ちゃおデラックスで連載された過去の作品やその続編、ちゃおオリジナルノベライズ、ちゅちゅで連載された作品、ちゃおコミオリジナル連載、読み切りが無料公開されている。本項目はちゃおコミ内で連載されているオリジナル作品のみを掲載する。特筆しない限りは毎週連載である。なお、ちゃおコミックスの略称ではない。", "title": "ちゃおコミ" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "定期刊行の増刊として、隔月刊で『ちゃおデラックス』が発行されている。", "title": "増刊・派生誌" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "『ちゃお』に掲載された作品を主に収録する漫画単行本レーベルのことを、「ちゃおコミックス」と名付けている。2004年に「フラワーコミックス」から独立する形で発足した。新刊は毎月2日頃発売だったが、2021年7月から『Sho-Comi』『Cheese!』『ベツコミ』のフラワーコミックスと同じ26日頃発売に変更された。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "『ちゃお』や『ちゃおDX』に掲載された作品を主として収録しているが、『ぴょんぴょん』の併合によって『ちゃお』に移籍連載された作品は「てんとう虫コミックス」に収録されている。この他『ちゃお』増刊時代の『ChuChu』掲載作品も収録されている。また例外として、主に『小学五年生』で発表された『ないしょのつぼみ』(やぶうち優) および読売KODOMO新聞(読売新聞東京本社)に連載されている『いろはにほへと新聞部』(春日あかね) の単行本も本レーベルからの発行となっている。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "2012年9月からは独立創刊以後の『ChuChu』に掲載かつ、過去に「ちゅちゅコミックス」で発売され、現在『ちゃお』に所属している作家(やぶうち優・八神千歳など)の単行本も、重版発行の際にちゃおコミックスとして、表紙や記事の一部を改稿した新装版が発売されている。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "元々はフラワーコミックスのサブレーベルとして「ちゃおフラワーコミックス」の名称で刊行されていたが、2004年にフラワーコミックスから独立、さらに同じ年にホラー作品のみを扱う「ちゃおホラーコミックス」も立ち上げている。背表紙のワンポイントは、ちゃおコミックスはピンク地に、「CIAO」が中に書かれているハートと「COMICS」の文字があしらわれ、ちゃおホラーコミックスは黒地にお化けの絵が描かれている。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ちゃおフラワーコミックス時代は『少女コミック』(現在は『Sho-Comi』と名乗っている)や『別冊少女コミック』(現在の『ベツコミ』)のフラワーコミックスと同じ26日頃発売で、背表紙のワンポイントの地も、他のフラワーコミックスと同じ赤色だった。2001年からワンポイントの地をピンクに変え、他のフラワーコミックスとの差別化を図ったものの、結局フラワーコミックスから分離、という形を取った。書店や通販では、フラワーコミックス扱いで、販売されているケースが多い。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "なかよしKCや少年サンデーコミックスの人気作品において積極的に発売されている、コミックスに付録を付けて値段を上げた豪華版(プレミアム版・特装版・限定版)の発売に関しては、2011年度までは『ボクのプラチナレディー』(八神千歳)1巻 のみと消極的な姿勢であったが、2012年度以降からは人気作でDVDなどの付録が付いた限定版が積極的にリリースされ、『ちびデビ!』(篠塚ひろむ)7巻から9巻、『オレ様キングダム』(八神千歳)7巻から9巻・10巻・12巻、『ドーリィ♪カノン』(やぶうち優)4巻及び5巻、『にじいろ☆プリズムガール』(中原杏)7巻 で発売されている。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "2006年11月に新刊として発売されたもの以降からは、小学館新人コミック大賞の募集要項が掲載されている。", "title": "ちゃおコミックス" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "2008年8月に立ち上げられた本誌発の小説レーベルのこと。その第1弾は、女の友情をテーマにしたオリジナル作品「ウチらのキズナ」だった。この作品は、2007年から2008年にかけて、散発的に掲載された散文シリーズ「ココロ・あみーご」をベースにしたもの。栖川マキが手掛けた。", "title": "ちゃおノベルズ" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "上記作品以外のラインナップは次の通り(2009年3月3日現在)。", "title": "ちゃおノベルズ" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "本誌には公式ファンクラブが存在していた。毎年4月号に付録のひとつとしてメンバーズカードが封入されており、それには会員番号なる数字が書かれていた。そしてその数字の組み合わせによって、プレゼントがもらえる、という特典があった。", "title": "公式ファンクラブ" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "また、下記の「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」や、「次世代ワールドホビーフェア○○ Winter」(○○には年号が入る)にメンバーズカードを持参すると、来場記念品がもらえたことがある。", "title": "公式ファンクラブ" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "さらに、公式サイトの中に、ファンクラブ会員専用のコーナーが設けられていた。", "title": "公式ファンクラブ" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "公式ファンクラブの名称は、年によって変わっていた。その変遷は以下の通り(いずれも4月号 - 翌年3月号)。", "title": "公式ファンクラブ" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "2009年度の「ちゃおスタークラブ」を最後に、この公式ファンクラブは廃止されたが2016年2月号にメンバーズカードが封入することが決定した。", "title": "公式ファンクラブ" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "毎年夏休み期間中の7月下旬から8月下旬に、『ちゃお』編集部が読者の女の子を対象に本イベントを開催している。具体的には連載作家のサイン会(事前抽選制)、ステージイベント、オリジナルグッズやサイン入りコミックスの販売などが催される。『Sho-Comi(旧:少女コミック)』編集部と共同開催し、さらに2010年以降は『ぷっちぐみ』編集部も加わっている。2006年から2009年までは『ChuChu』編集部と共同開催(この間は『Sho-Comi』関連の出展はなし)し、「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」と名乗っていた。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "このイベントは『ちゃお』・『ぷっちぐみ』・旧『ChuChu』掲載作品に関してはあくまで中学生以下の女の子を対象とした漫画雑誌のイベントのため、無料のアトラクションやイベントに関しては高校生以上の女性と全ての男性は参加できないようになっており(ただし『Sho-Comi』関連は高校生以上の女性も参加できる。)、イベントによっては幼児の女の子も参加できないことがある。ステージイベントに関しても子供以外は保護者のみ入場ができる場合が多い(外から観覧するのは可)。また、下敷きやうちわ、玩具のサンプル品など無料で配布されるグッズも『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連のものは基本的には中学生以下の女の子にしか配られない。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "なお、イベント全体に参加制限があるわけではなく、女の子の保護者などの関係がない成人でも入場はでき、『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連の有料商品(オリジナルグッズやサイン入りコミックスなど)の購入もできる。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "2013年からちゃおサマフェスをコンパクトにし、全国のショッピングモールを巡回する『ちゃおツアー』として毎年秋に開催している。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "2020・21年は中止し、代わりにYouTubeちゃおチャンネルにて「ちゃおフェスLIVEオンライン」を開催していたが、2022年に3年ぶりとなるリアルイベントを開催。2023年は競合少女漫画誌『りぼん』との合同フェス「ガールズコミックフェス」として例年「ちゃおサマフェス」の会場となっていたパシフィコ横浜で4年ぶりに開催。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "この他にも毎年1 - 2月に開催されていた「次世代ワールドホビーフェア(年号) Winter」(毎年東京(千葉)、大阪、名古屋、隔年ごとに札幌と福岡との交互開催)でも『ちゃお』ブースを出展し、関連のイベントを開催していた。一方で毎年7月頃に開催される「-Summer」(例年は幕張メッセで開催)では本イベントとの兼ね合いから『ちゃお』に関する出展はなく、タカラトミー・バンダイなどの玩具メーカーが『ガールズアーケード』と称した女の子向けのブースを出展している程度である。", "title": "ちゃおフェス" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "2017年に創刊40周年を迎えるにあたり、創刊40周年記念プロジェクトを展開している。", "title": "創刊40周年プロジェクト" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "依ノ宮アリサ(よのみや アリサ)は、2019年12月19日よりYouTubeちゃお公式チャンネルでデビューした朗読系バーチャルYouTuber。キャラクターデザインはあるや、イラストは上倉エクが担当。", "title": "バーチャルYouTuber" } ]
『ちゃお』は、小学館発行の日本の月刊漫画雑誌。1977年9月3日創刊。
{{Otheruses|小学館の漫画雑誌|その他の用法|チャオ}} {{出典の明記|date=2011年1月}} {{特殊文字}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = ちゃお | 英文誌名 = CIAO | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]]・[[幼年漫画]] | 読者対象 = 少女(詳細は[[ちゃお#対象年齢の変遷|対象年齢の変遷]]を参照) | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#月刊|月刊]](毎月3日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本]] | 定価 = 600円台 | 出版社 = [[小学館]] | 編集部名 = ちゃお編集部 | 発行人 = 吉田憲生 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 萩原綾乃{{R|natalie20230130}} | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 06139(紙版) / ABJ 14011001(電子版) | 刊行期間 = 1977年1月 - | 発行部数 = 143,333<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = ちゃおコミックス | 姉妹誌 = | ウェブサイト = [https://ciao.shogakukan.co.jp/ ちゃおランド] | 特記事項 = }} {{Infobox YouTube personality | name = ちゃおチャンネル | channel_display_name = ちゃおチャンネル【公式】CIAO | channel_url = UCZhYK0Hm4SEjU-L_bm-mgPw | years_active = [[2012年]][[5月28日]] - | genre = | subscribers = 24.4万人<ref name="yutura">{{Cite web|和書|url=https://yutura.net/channel/21611/|title=ちゃおチャンネル【公式】CIAO|website=ユーチュラ|publisher=オモシロ|accessdate=2023-09-02}}</ref> | views = 約2.3億回{{R|yutura}} | silver_button = | silver_year = | gold_button = | gold_year = | diamond_button = | diamond_year = | ruby_button = | ruby_year = | stats_update = {{dts|2023-09-02}} }} 『'''ちゃお'''』は、[[小学館]]発行の[[日本]]の[[月刊]][[漫画雑誌]]。[[1977年]][[9月3日]]創刊。 == 概要 == 『[[なかよし]]』([[講談社]]発行)・『[[りぼん]]』([[集英社]]発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つと言われる。三誌の中では、本誌が最も後発である<ref group="注">『なかよし』は1954年、『りぼん』は1955年に創刊であり、20年以上の間隔がある。</ref>。誌名の由来は、親しい人との間で「こんにちは」「さようなら」として使われる[[イタリア]]のくだけた挨拶言葉「チャオ ({{lang|it|ciào}})」<ref group="注">『ちゃお』2021年12月号までの目次にもこのことが記載されていた。</ref>。 2002年頃以降、最も発行部数の多い少女漫画雑誌である。また、過去には100万部以上を発行していたが、2006年以降他の少女漫画雑誌とともに相対的に部数は落ち込んでいる([[#歴史|歴史]]を参照)。 === 対象年齢の変遷 === 創刊当初から1980年代頃までは小中学生向け雑誌ではありつつも、上記の競合誌と比べて大人びた誌面であり<ref group="注">掲載陣は[[三浦浩子]]・[[風間宏子]]・[[池田さとみ]]・[[川原由美子]]・[[赤石路代]]・[[惣領冬実]]・[[麻原いつみ]]など、大人っぽい絵柄の作家が多かった。</ref>、女子高校生をターゲットにしていた時期もあった<ref name="tsujimoto">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_37.asp |title=私の少女漫画史 辻本吉昭 第37回 「ちゃお」と「ぴょんぴょん」の合併 |work=eBookJapan |publisher=イーブックイニシアティブジャパン |date=2013-03-01 |accessdate=2013-11-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130521063428/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_37.asp |archivedate=2013年5月21日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。1980年代中盤はアニメ作品とのタイアップ漫画を積極的に載せ、低年齢層の取り込みを図った時期もあったが、1988年に創刊した『[[ぴょんぴょん]]』<ref group="注">小学館の学習雑誌部門の編集部が1988年から1992年まで発刊していた女子小学生向け少女漫画([[幼年漫画]])雑誌。本誌も一時期学習雑誌部門に異動していた。</ref> がその路線を継いだ。しかし1992年10月の『ぴょんぴょん』との統合で同誌の人気連載を引き継ぐなど[[幼年漫画]]的な作品を再び増やし、同時に付録の強化も行った<ref name="tsujimoto" />。 2006年に主に[[中学生]]前後の少女向けに『[[ChuChu]]』を独立創刊した直後にあたる、当時の日本雑誌協会のデータでは[[小学生]](主に[[中学年]]・[[高学年]])の女子児童が主な対象読者となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-magazine.or.jp/data_002/d_shoga_chao.html |title=JMPAマガジンデータ『ちゃお』 |publisher=日本雑誌協会 |date=2006年 |accessdate=2023年8月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060708133223/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/d_shoga_chao.html |archivedate=2006年7月8日 }}</ref>。例えば競合誌の『りぼん』<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-magazine.or.jp/data_002/d_shuei_ribbon.html |title=JMPAマガジンデータ『りぼん』 |publisher=日本雑誌協会 |date=2006年 |accessdate=2023年8月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060708133605fw_/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/d_shuei_ribbon.html |archivedate=2006年7月8日 }}</ref>よりやや低く<ref group="注">左のデータより本誌は小学生全般と一部の中学生、『りぼん』は小学校高学年と中学生前後の少女が主な対象年齢であることがわかる。</ref>、定期刊行されている少女漫画雑誌全体でも同年に創刊した『[[ぷっちぐみ]]』<ref group="注">『[[めばえ (雑誌)|めばえ]]』・『[[幼稚園 (雑誌)|小学館の幼稚園]]』・『[[小学一年生]]』([[小学館の学年別学習雑誌]])』の編集部が担当する小学校低学年の女子児童向け少女漫画(幼年漫画)・情報雑誌。</ref> に次いで2番目に低いとされる。しかし別の調査では[[女子高校生]]でも『[[週刊少年ジャンプ]]』(集英社)、『りぼん』、『[[別冊マーガレット]]』(集英社)の次に読まれている漫画雑誌というデータも存在する<ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/238220/ |title=女子高校生が読むマンガ雑誌ランキング! 1位は『週刊少年ジャンプ』 |publisher=ねとらぼ |date=2021-06-04 |accessdate=2023-08-03 }}</ref>。 == 歴史 == 前身は[[1972年]]、『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』(ベツコミ)の増刊として発行された『別冊少女コミック増刊 ちゃお』。[[1977年]]9月3日に『ちゃお』10月号として独立創刊される。創刊号では巻頭カラー付き作品を[[上原きみ子|上原きみこ]]が担ったが、表紙イラストは[[プロジェクト:漫画家/日本の漫画家 か行|河野やす子]]が描いた{{Sfn|飯田吉明|1977|p=1-304}}<ref name="文化庁DB">{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/M558843 |title=ちゃお1977年 表示号数10月|website=[[メディア芸術データベース]] |publisher=[[文化庁]] |date=2022-01-21 |accessdate=2023-11-28 }}</ref><!--なお芸術DBに不備があり、上原の『舞子の詩』第1話掲載情報が欠如している為、修正依頼中。先方のメール回答では現在DBを改修しているので、修正作業は2024年2月以降になる予定との事:2023年12月1日現在。--><ref name="Yahoo創刊号">{{Cite web|和書|url=https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f529985047 |title=ちゃお創刊号(1977年10月号)※付録なし 舞子の詩 上原きみこ 初恋いちばんのり 鈴賀レニ パパはママ 樫みちよ 管理番号0110 |website=Yahoo! JAPAN |work=Yahoo!オークション|publisher=[[LINEヤフー]] |date=2022-02-03 |accessdate=2023-11-28 }}</ref><ref name="メルカリ創刊号">{{Cite web|和書|url=https://jp.mercari.com/item/m16043500314 |title=ちゃお 創刊号 1977年10月号 昭和53年 少女雑誌 漫画 月刊誌 資料価値 |website=メルカリ |publisher=[[メルカリ]] |date=2023-11-27 |accessdate=2023-11-28 }}</ref>。その後創刊からしばらくの間、当時『[[少女コミック]]』で売り出し中だった河野やす子が引き続き表紙を担当していた。創刊から『[[ぴょんぴょん]]』と統合する1992年までのメディアミックス展開は、創刊初期の1978年に『[[若草のシャルロット]]』(原作:[[雪室俊一]]、漫画:[[時松早苗]])の漫画版を本誌に掲載、本誌原作作品は『[[アルペンローゼ (漫画)#テレビアニメ|炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ]]』([[赤石路代]])『[[魔法のスターマジカルエミ]]』([[あらいきよこ]])『[[魔法のアイドルパステルユーミ]]』([[あらいきよこ]])がアニメ化された。また、『[[セーラー服通り]]』([[つづき春]])『[[痛快!OL通り]]』(野坂由紀子)がドラマ化された。部数は長らく低迷が続き、1990年代中盤までは最大50万部台<ref name="za1979">『雑誌新聞総かたろぐ 1979年版』</ref><ref name="za1980">『雑誌新聞総かたろぐ 1980年版』</ref><ref name="za1981">『雑誌新聞総かたろぐ 1981年版』</ref><ref name="za1982">『雑誌新聞総かたろぐ 1982年版』</ref><ref name="za1983">『雑誌新聞総かたろぐ 1983年版』</ref><ref name="za1984">『雑誌新聞総かたろぐ 1984年版』</ref><ref name="za1985">『雑誌新聞総かたろぐ 1985年版』</ref><ref name="za1986">『雑誌新聞総かたろぐ 1986年版』</ref><ref name="za1987">『雑誌新聞総かたろぐ 1987年版』</ref><ref name="za1988">『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』</ref><ref name="za1989">『雑誌新聞総かたろぐ 1989年版』</ref> で頭打ちであり、1992年頃には10万部台以下に落ち<ref name="tsujimoto" />、『なかよし』及び『りぼん』と比べてマイナー感が拭えなかった。 [[1992年]]秋には、本誌と同様に部数の低迷に陥っていた『ぴょんぴょん』と統合し<ref name="tsujimoto" />、誌名は『ちゃお』を残したが、『ぴょんぴょん』の恋愛物が少なくギャグやショートストーリーの漫画が中心だった路線を取り入れ、[[こっちむいて!みい子|『みい子で〜す!』→『こっちむいて!みい子』]]([[おのえりこ]])などを引き継いだ。その一方で『[[水色時代]]』([[やぶうち優]])や『[[アリスにおまかせ!]]』([[あらいきよこ]])など合併前からの人気連載を継続させ、『[[ワン・モア・ジャンプ]]』(赤石路代)など有力作家による新作を投入し、低学年にも中学生にも読みやすい誌面構成にした。また『りぼん』や『なかよし』を追撃するために付録の強化を推し進めたが<ref name="tsujimoto" />、当時は『りぼん』の部数が250万部、『なかよし』が同じく200万部を超えて最盛期を迎えていた中、20万部程度しか売れていなかった<ref name="tsujimoto2">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_38.asp |title=私の少女漫画史 辻本吉昭 第38回 掲載作品のアニメ化 |work=eBookJapan |publisher=イーブックイニシアティブジャパン |date=2013-03-15 |accessdate=2013-11-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130521074128/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_38.asp |archivedate=2013年5月21日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref> 本誌がそれに食い入ることは難しかった。 そのため、アニメ化や漫画化などのメディアミックス展開は厳しい状況であったが<ref name="tsujimoto2" />、[[いがらしゆみこ]]<ref group="注">1970年代後半に『なかよし』にて大ヒットした『[[キャンディ・キャンディ]]』(原作:[[水木杏子]])の作画を担当した漫画家。</ref> や[[日本アニメーション]]との協力で1993年には『[[ムカムカパラダイス]]』(原作:芝風美子、漫画:いがらしゆみこ)を投入することにこぎ着け<ref name="tsujimoto2" />、それがヒットしたことで、翌1994年には『[[とんでぶーりん]]』(原案:[[森真理]]、原作・漫画:[[池田多恵子]])と続けてテレビアニメを投入した。当時、大流行した変身バトルヒロインブーム<ref group="注">ブーム元は1990年代前半から後半にかけて大流行した『なかよし』の『[[美少女戦士セーラームーン]]』であり、同作品のアニメ版スタッフが制作者に加わっている。</ref> にあやかって『[[愛天使伝説ウェディングピーチ]]』(原作:[[富田祐弘]]、漫画:[[谷沢直]]、企画:[[テンユウ]])にも参加した。アニメ化重視の戦略を推し進めることによって低年齢層の読者を積極的に獲得し<ref name="tsujimoto4">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_40.asp |title=私の少女漫画史 辻本吉昭 第40回 テレビアニメの宣伝効果 |work=eBookJapan |publisher=イーブックイニシアティブジャパン |date=2013-04-19 |accessdate=2013-11-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130420130932/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_40.asp |archivedate=2013年4月20日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>、依然『りぼん』や『なかよし』には及ばないものの、部数は伸び始めた<ref name="tsujimoto" />。 1990年代後半は[[沖縄アクターズスクール]]を題材として[[安室奈美恵]]や[[SPEED]]ブームに乗った『はじけてB.B』([[今井康絵]])、男児に大ヒットした『[[ポケットモンスター]]』の主人公を女の子にして漫画化した『[[ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー]]』(漫画:[[つきりのゆみ|月梨野ゆみ]])などの[[タイアップ]]作品がヒット。本誌原作作品でも『[[エンジェルリップ]]』([[あらいきよこ]])などが人気を集めていた。その頃から部数が低下し始めた『りぼん』・『なかよし』に対して本誌の部数は伸び続け、[[1999年]]から[[2000年]]にかけて月刊少女漫画雑誌のシェアで『なかよし』を追い抜いて、『りぼん』に次ぐ2位に上昇した。だが、1990年代までの本誌は、本誌連載の漫画をテレビアニメ化した作品が当時の『りぼん』や『なかよし』と比べて大幅に少なく、読者の熱狂的な支持を得るまでには至らず<ref name="tsujimoto4" />、このことは本誌の読者の定着やコミックス([[単行本]])の売上面、そして小学館における『ちゃお』事業そのものの収支に大きく影響するため<ref name="tsujimoto5">{{Cite web|和書|url=http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_41.asp |title=私の少女漫画史 辻本吉昭 第41回 「ちゃお」での漫画作り |work=eBookJapan |publisher=イーブックイニシアティブジャパン |date=2013-05-03 |accessdate=2013-11-25 |archiveurl=https://archive.is/Va6fY |archivedate=2013-07-02}}</ref> <ref group="注">左記のリンク先では、本誌だけで黒字化するには160万部以上必要と述べている。</ref>、本誌で連載された原作漫画のアニメ化は長年の課題だった。『愛天使伝説ウェディングピーチ』で[[アサツー ディ・ケイ]](ADK)との関係ができたことをきっかけに<ref name="tsujimoto4" /><ref group="注">1990年代当時のADKは『りぼん』の作品のアニメ化に関わることが多かった。</ref>、1996年に『[[水色時代]]』([[やぶうち優]])、2001年には『[[Dr.リンにきいてみて!]]』(あらいきよこ)と、ADKとの協力で本誌原作作品がテレビアニメ化された<ref group="注">『愛天使伝説ウェディングピーチ』ともに子会社の[[日本アドシステムズ]](NAS)名義。</ref>。 2000年前半は本誌の部数が大幅に躍進した。『[[ミルモでポン!]]』([[篠塚ひろむ]])は2001年夏に連載が開始されて間もなかったが、[[小学館プロダクション]](当時)の手で抜擢され『[[わがまま☆フェアリー ミルモでポン!]]』のタイトルでアニメ化され、小学校低学年を中心にヒットし本誌を代表する看板作となった。同年には本誌の発行部数が100万部を突破<ref>メディア・リサーチ・センター刊「雑誌新聞総かたろぐ」2003年度版から</ref>、遂に『りぼん』も抜いて少女漫画雑誌のトップに躍り出た。2000年代後半も『[[きらりん☆レボリューション]]』([[中原杏]])が2006年にアニメ化されて同様にヒットし、玩具や[[トレーディングカード]]などの商業展開などにも成功した。2006年1月号をもって増刊時代から数えて30周年を、2007年10月号をもって独立創刊から30周年を迎えた<ref group="注">2006年1月号の表紙には「ありがとう30年」と記されていた。この「30年」というのは、『少女コミック』・『別冊少女コミック』の増刊時代も含めてのことである。</ref>。 しかし、2005年になると発行部数の伸びが止まり、2006年以降は部数が低下し始め、2007年度(2006年10月 - 2007年9月集計)には98万部<ref name="hakko busuu" /> と100万部台を割り込んだ。その後も低下が続き、2013年度(2012年10月 - 2013年9月集計)には55万部<ref name="hakko busuu" /> まで落ち込み、2016年度以降は再び50万部を割っている。 2007年5月に発表された、[[日本PTA全国協議会]]主催の2006年度「[[子供]]と[[メディア (媒体)|メディア]]に関する意識調査」で、「親が子どもに読ませたくない雑誌」の第2位にランクイン。なぜ本誌がランクインされたか定かではないが<ref name="tsujimoto5" /><ref group="注">なお本誌の編集長として立て直しに尽力した辻本吉昭は、「性に関して真面目に描いた作品が、PTAには不謹慎に映ってしまったのでは。中身をろくに確かめずに判断する奴って、こんな調査をするたびにいるもんだなあ」と言う主旨の発言をしている。</ref>、第1位の『[[少女コミック]]』(当時)と並び、小学館の少女漫画雑誌が上位2つを占める結果となった<ref>[http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/10_houkoku.pdf 子どもとメディアに関する意識調査 調査結果報告書 65-66頁] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111102062708/http://www.nippon-pta.or.jp/material/pdf/10_houkoku.pdf |date=2011年11月2日 }}</ref>。 2017年10月号をもって独立創刊から40周年を迎え、「創刊40周年プロジェクト」と銘打った記念企画が行われている。(詳細後述) 2020年1〜3月期にかけては数ある少女向けコミック誌の中で印刷証明付き部数が1位と発表されている<ref>{{Cite web|和書|title=「ちゃお」がトップの27.0万部…少女向けコミック誌の部数動向をさぐる(2020年1〜3月)(不破雷蔵) - Yahoo!ニュース|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4af6b4c45d3faca7c4b59e86e1987443a383cce1|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2021-02-01|language=ja}}</ref>。 2021年8月10日に『ちゃお』の連載作品を無料で読むことができるサイト「ちゃおコミ」が開始される<ref name="natalie20210810">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/440309|title=「ミルモ」に「めちゃモテ委員長」も、ちゃお作品が無料で読めるWebサイト始動|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-08-10|accessdate=2021-08-11}}</ref>。『ミルモでポン!』や『[[極上!!めちゃモテ委員長]]』などの過去の作品のほか、オリジナル作品も配信{{R|natalie20210810}}。 2023年9月号(2023年8月3日発売)では同日発売の『りぼん』2023年9月号とコラボし、『ちゃお』は『シャイニング!』([[まいた菜穂]])、『りぼん』は『[[ハニーレモンソーダ]]』([[村田真優]])のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日に[[パシフィコ横浜]]にて『りぼん』との合同イベント『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細は[[ちゃお#ちゃおフェス|ちゃおフェス]]を参照)が開かれることを記念したもの<ref>{{Cite web|和書|title=ちゃお×りぼん:二大少女マンガ誌が初コラボ つながる表紙に|url=https://mantan-web.jp/article/20230802dog00m200058000c.html|website=まんたんウェブ|accessdate=2021-08-03|language=ja}}</ref>。 == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * 1977年 - 19??年 飯田吉明 * 1984年 - 19??年 [[武居俊樹]] * 1992年 - 200?年 辻本吉昭<ref>{{Cite web|和書|title=私の少女漫画史 辻本吉昭 第36回 「少女コミック」から「ちゃお」へ (2013/2/15) |url=https://web.archive.org/web/20130612033327/http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/tsujimoto/tsujimoto_36.asp |website=eBookJapan |date=2013-06-12 |access-date=2023-02-09}}</ref> * 200?年 - 2009年 細川祐司 * 2009年 - 2011年 [[丸澤滋]] * 2011年 - 2016年 井上拓生<ref>{{Cite web|和書|title=ちゃお井上拓生編集長①「ちゃおは例えるならディズニーランド」|マンナビ マンガ賞/持ち込みポータルサイト |url=https://mannavi.net/1629/ |website=マンナビ マンガ賞/持ち込みポータルサイト |date=2015-12-06 |access-date=2023-02-09}}</ref> * 2016年 - 2019年 筒井清一 * 2019年 - 2022年 藤谷小江子<ref>{{Cite news|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/column/416418|title=マンガ誌編集長が選ぶ、2020年のイチオシ作品|date=2021-03-05|accessdate=2021-05-08}}</ref> * 2022年 - 萩原綾乃<ref>{{Cite web|和書|title=タイアップをいただければ、その商材の魅力をしっかり読者に届ける自信があります。『ちゃお』萩原綾乃編集長インタビュー |url=https://adpocket.shogakukan.co.jp/adnews/2313/ |website=小学館AD POCKET |access-date=2023-06-07 |language=ja}}</ref><ref name="natalie20230130">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/column/508637/page/2|title=「天まで昇る読後感」「脳バグ体験をぜひ!」くせ者揃いの28タイトル|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-30|accessdate=2023-01-30}}</ref> == 発行部数 == {{節スタブ}} * 1978年6月、公称30万部<ref name="za1979" /> * 1979年7月、公称50万部<ref name="za1980" /> * 1980年7月、公称50万部<ref name="za1981" /> * 1981年9月、公称50万部<ref name="za1982" /> * 1982年12月、公称500,000部<ref name="za1983" /> * 1984年4月、公称500,000部<ref name="za1984" /> * 1985年3月、公称500,000部<ref name="za1985" /> * 1986年3月、公称500,000部<ref name="za1986" /> * 1987年3月、公称500,000部<ref name="za1987" /> * 1988年3月、公称500,000部<ref name="za1988" /> * 1989年2月、公称500,000部<ref name="za1989" /> * 1990年2月、公称400,000部<ref name="za1990">『雑誌新聞総かたろぐ 1990年版』</ref> * 1991年2月、公称400,000部<ref name="za1991">『雑誌新聞総かたろぐ 1991年版』</ref> * 1991年4月 - 1992年3月、公称400,000部<ref name="za1992">『雑誌新聞総かたろぐ 1992年版』</ref> * 1992年、10万部以下<ref name="tsujimoto" /> * 1992年4月 - 1993年3月、公称400,000部<ref name="za1993">『雑誌新聞総かたろぐ 1993年版』</ref> * 1993年1月 - 12月、推定45万部<ref>『1994年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1993年4月 - 1994年3月、公称500,000部<ref name="za1994">『雑誌新聞総かたろぐ 1994年版』</ref> * 1994年、20万部<ref name="tsujimoto2" /> * 1994年1月 - 12月、推定45万部<ref>『1995年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年1月 - 12月、推定48万部<ref>『1996年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年、50万部<ref name="za1995">『雑誌新聞総かたろぐ 1995年版』</ref> * 1996年1月 - 12月、推定40万部<ref>『1997年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1997年1月 - 12月、推定44万部<ref>『1998年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1998年1月 - 12月、推定60万部<ref>『1999年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1999年1月 - 12月、推定65万部<ref>『2000年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2000年1月 - 12月、推定75万部<ref>『2001年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、1,065,000部<ref name="data">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会] JMPAマガジンデータによる1号当たり平均部数</ref> * 2004年9月 - 2005年8月、1,033,333部<ref name="data" /> * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、1,008,500部<ref name="data" /> * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、982,834部<ref name="data" /> * 2007年、98万部<!--いつ頃?--><ref name="hakko busuu" /> * 2007年10月1日 - 2008年9月30日、930,834部<ref name="data" /> * 2008年10月1日 - 2009年9月30日、815,455部<ref name="data" /> * 2009年10月1日 - 2010年9月30日、745,455部<ref name="data" /> * 2010年、74.5万部(9月末時点)<ref name="hakko busuu">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会公式ホームページ] JMPAマガジンデータから</ref>、75万部(年間平均)<ref>出版指標年報2011より</ref> * 2010年10月1日 - 2011年9月30日、654,584部<ref name="data" /> * 2011年10月1日 - 2012年9月30日、620,000部<ref name="data" /> * 2012年10月1日 - 2013年9月30日、552,500部<ref name="data" /> * 2013年10月1日 - 2014年9月30日、543,334部<ref name="data" /> * 2018年10月1日 - 2019年9月30日、342,500部<ref name="data" /> * 2019年10月1日 - 2020年9月30日、288,333部<ref name="data" /> * 2020年10月1日 - 2021年9月30日、215,000部<ref name="data" /> * 2021年10月1日 - 2022年9月30日、169,583部<ref name="data" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 920,000 部 || 866,667 部 || 820,000 部 |- ! 2009年 | 855,000 部 || 793,334 部 || 806,667 部 || 773,334 部 |- ! 2010年 | 770,000 部 || 726,667 部 || 720,000 部 || 680,000 部 |- ! 2011年 | 680,000 部 || 606,667 部 || 651,667 部 || 637,500 部 |- ! 2012年 | 635,000 部 || 596,667 部 || 610,000 部 || 557,500 部 |- ! 2013年 | 565,000 部 || 543,334 部 || 546,667 部 || 545,000 部 |- ! 2014年 | 565,000 部 || 533,334 部 || 536,667 部 || 537,500 部 |- ! 2015年 | 555,000 部 || 526,667 部 || 493,334 部 || 490,000 部 |- ! 2016年 | 540,000 部 || 478,333 部 || 480,000 部 || 455,000 部 |- ! 2017年 | 475,000 部 || 436,667 部 || 446,667 部 || 433,750 部 |- ! 2018年 | 450,000 部 || 400,000 部 || 386,667 部 || 365,000 部 |- ! 2019年 | 365,000 部 || 336,667 部 || 303,333 部 || 290,000 部 |- ! 2020年 | 270,000 部 || 313,333 部 || 273,333 部 || 242,500 部 |- ! 2021年 | 212,500 部 || 203,333 部 || 191,667 部 || 171,250 部 |- ! 2022年 | 175,000 部 || 170,000 部 || 163,333 部 || 155,000 部 |- ! 2023年 | 147,500 部 || 143,333 部 || 131,667 部 || |} {{節スタブ|date=2008年8月}} == 連載作品 == {{Main2|過去の連載作品については[[ちゃお連載作品の一覧]]を}} 以下、2024年2月号現在連載中の作品。 {| class="wikitable sortable" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|こつちむいてみいこ}}[[こっちむいて!みい子]] || {{Display none|おの えりこ}}[[おのえりこ]] || - || 1995年01月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|ねこはしめました}}[[ねこ、はじめました]] || {{Display none|かんほう このみ}}[[環方このみ]] || - || 2015年11月号 || || |- | {{Display none|しえいけいおやし}}[[JKおやじ!]] || {{Display none|かとう みのり}}[[加藤みのり]] || - || 2016年04月号 |||| |- | {{Display none|はろおまいへいひい}}[[はろー!マイベイビー]] || {{Display none|かわた しの}}かわだ志乃 || - || 2018年05月号 |||| シリーズ作品 |- | {{Display none|もりののくまちやん}}[[森ののくまちゃん]] || {{Display none|えひな しお}}[[えびなしお]] || - || 2018年06月号 |||| |- | {{Display none|きようからはははかみさまてす}}今日からパパは神様です。|| {{Display none|てらもと みつき}}寺本実月 || - || 2020年01月号 |||| 第3シリーズ |- | {{Display none|てきあいろわいやる}}[[溺愛ロワイヤル]] || {{Display none|やかみ ちとせ}}[[八神千歳]] || - || 2020年04月号 |||| |- | {{Display none|きんくさまのいちはんほし}}キング様のいちばん星 || {{Display none|きさらき ゆきの}}如月ゆきの || - || 2021年09月号 |||| |- | {{Display none|けつしいす}}げっし〜ず || {{Display none|かしわ ほち}}[[柏ぽち]](絵) ||[[えびなしお]](お話)<br />[[サンエックス]] || 2022年07月号 || タイアップ || |- | {{Display none|おさななしみとこいするほうほう}}幼なじみと恋する方法 || {{Display none|おおき ましろ}}大木真白 || - || 2023年04月号 |||| |- | {{Display none|ほしのかあひいゆるつとふふふ}}[[星のカービィシリーズ#漫画|星のカービィ〜ゆるっとプププ〜]] || {{Display none|かとう みのり}}加藤みのり || - || 2023年04月号 || タイアップ || |- | {{Display none|けもつちひより}}ケモっちびより! || {{Display none|しのつかひろむ}}[[篠塚ひろむ]] || - || 2023年05月号 |||| |- | {{Display none|あくまてこれはこいしやない}}アクマでこれは恋じゃない! || {{Display none|ななの なな}}[[七野ナナ]] || - || 2023年06月号 |||| |- | {{Display none|しやいにんく}}シャイニング! || {{Display none|まいたなほ}}[[まいた菜穂]] || - || 2023年08月号 |||| |- | {{Display none|ほかんとたんほかんとしてもまあいつか}}ぽかんとたん <br />〜ぽかんとしてもまぁいっか〜 || {{Display none|おうあすみおつけえたん}}おうあすみおっけ〜たん || - || 2023年09月号 |||| |- | {{Display none|ほけつともんすたあよりみちほるてつかあす}}[[ポケットモンスター (2023年のアニメ)|ポケットモンスター <br />〜よりみちぼるてっかーず!!〜]] || {{Display none|きせ りつか}}喜瀬りっか || - || 2023年09月号 || タイアップ || |- | {{Display none|しいくれつととつくわたしのあいけんほていかあと}}シークレット・ドッグ<br />〜わたしの愛犬ボディーガード〜 || {{Display none|さくらは あも}}桜庭あも || - || 2023年12月号 |||| |- | {{Display none|ひしゆうとらんうえい}}美獣とランウェイ || {{Display none|あいは}}相庭 || - || 2024年01月号 |||| |- | {{Display none|こいしかこいはしかく}}こいしか! 〜恋はしかく? || {{Display none|もりた ゆき}}[[森田ゆき]] || - || 2024年02月号 |||| |- | {{Display none|まるさんかくしかくふらす}}まるさんかくしかく+ || {{Display none|ひかしむら あきこ}}[[東村アキコ]] || - || 2024年02月号 |||| |- | {{Display none|まんふくはんたてい}}まんぷく! 熊猫亭 || {{Display none|くろた まめた}}くろだまめた || - || 2024年02月号 |||| <!-- ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名の読みをひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || 《開始号をxxxx年xx号》 || -->|} == タイアップ == 創刊当初はあまりタイアップには熱心ではなかったが、1992年に『[[ぴょんぴょん]]』と統合し、その内容を引き継いでからは一転して積極的にタイアップを行うようになり、今ではむしろ本誌を語る上で欠かせない要素となっている。 === テレビアニメ === 掲載漫画を原作とした[[アニメ化]]もあるが、アニメの[[漫画化]]やアニメ・グッズ製作を前提としての先行掲載などのタイアップ物も多く、他の少女漫画誌に比べてその比率が高い。本誌で最初にアニメと絡んだ作品も本誌の原作のアニメ化ではなく、1977年10月に放映されたタイアップ物の『[[若草のシャルロット]]』(制作:[[日本アニメーション]])であった。本誌原作の作品が初めてテレビアニメ化されたのは1985年4月の『[[アルペンローゼ (漫画)#テレビアニメ|炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ]]』(製作:[[タツノコプロ]])である。タイアップされるアニメ作品はその時点での読者の平均年齢と同等かそれを下回る作品が多いが、『[[少女革命ウテナ]]』・『[[デ・ジ・キャラットにょ]]』・『[[魔法少女隊アルス]]』・『[[電脳コイル]]』など、対象年齢が比較的高いアニメ作品とのタイアップを行ったこともある。本誌に掲載されたオリジナル作品を原作とした[[アニメーション映画|アニメ映画]]はまだ一作も製作されていないが<ref group="注">『少女革命ウテナ』の続編にあたる、映画『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の漫画版(原作)は本誌ではなく「別冊少女コミックSpecial」で掲載された。競合誌の『なかよし』・『りぼん』原作のオリジナル作品のアニメ映画は、前者では『[[美少女戦士セーラームーン]]』([[東映]]系)や『[[カードキャプターさくら]]』([[松竹]]系)がシリーズ物で製作され、後者では『[[ママレード・ボーイ]]』や『[[ご近所物語]]』が東映アニメフェア内で上映され、シリーズ物では『[[ちびまる子ちゃん#劇場版|ちびまる子ちゃん]]』([[東宝]]系)が存在する。</ref>、外部[[版権]]を用いて本誌で漫画化された作品の映画は「ちゃお創刊20周年記念事業」という名目で「[[東映アニメフェア|'97夏東映アニメフェア]]」内で上映された『[[キューティーハニーF]]』が該当する。 ;1980年代 1985年4月に放映された『[[アルペンローゼ (漫画)#テレビアニメ|炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ]]』は当時連載中だった『[[アルペンローゼ (漫画)|アルペンローゼ]]』をテレビアニメ化したもの。ただし放送局のフジテレビは土曜日の野球中継の時間を拡大し、18:30開始にした影響で、本作も1年間の放映予定が6ヶ月に短縮という形で打ち切りとなった。 1985年7月から1986年8月にかけて[[ぴえろ|スタジオぴえろ]]製作の[[ぴえろ魔法少女シリーズ]]のうちの『[[魔法のスターマジカルエミ]]』と『[[魔法のアイドルパステルユーミ]]』の漫画版<ref group="注" name="漫画版">テレビアニメの制作が決まった後に本誌での漫画の掲載が決定したものである。これらの多くはテレビアニメを原作にした作品であるが、このうち『愛天使伝説ウェディングピーチ』と『少女革命ウテナ』に関しては『ちゃお』連載漫画版が原作である。''『[[愛天使伝説ウェディングピーチ#原作漫画版]]』、『[[少女革命ウテナ#関連作品]]』も参照''</ref> を掲載したことがあったが、『パステルユーミ』を最後に、本誌が絡むテレビアニメは一旦途絶えた。 ;1990年代 再びテレビアニメを積極的に展開するようになったのは、『[[ぴょんぴょん]]』統合後の1993年に[[日本アニメーション]]・[[毎日放送]]([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]])と組んで製作した『[[ムカムカパラダイス]]』の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> を本誌に掲載したことがきっかけだった。 『ムカムカパラダイス』の次番組である『[[とんでぶーりん]]』(1994年)の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> も本誌に掲載された。これは、姉妹誌で[[読み切り]]作品主体の[[ちゃおデラックス]]1993年秋号に掲載された作品の『ビビデ・バビデ・ぶーりん!!』を[[原作]]とした[[メディアミックス]]作品であり{{efn2|『美少女戦士セーラームーン』もほぼ同じ手法のメディアミックス作品であり、[[るんるん (講談社)|るんるん]]に掲載された『[[コードネームはセーラーV]]』を原作とする。}}、それ故に原作を執筆した[[池田多恵子]]が自ら漫画版も担当し、連載時期もアニメ版の放送時期と一致していた。そのため、原作作品も漫画版の[[単行本]]に収録されている。 1995年は『[[愛天使伝説ウェディングピーチ]]』(原案・制作:[[ケイエスエス]])を製作、[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]で放送され、漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> の連載が行われた。 1996年は11年ぶりに本誌原作の『[[水色時代]]』(制作:[[スタジオコメット]])がテレビ東京系列ほかでアニメ化<ref group="注">アニメ化が決まったときには原作漫画は既に完結していた。そのためアニメ化決定時点での連載作だった『[[KAREN (やぶうち優の漫画)|KAREN]]』を打ち切らせて、続編かつスピンオフ作品である『新水色時代』を立ち上げている。類似例として『なかよし』に掲載された『[[まもって!ロリポップ]]』が挙げられる。こちらは続編が掲載された。</ref>、され、当初の放送期間は9ヶ月の予定だったが「思い出アルバム」編が追加され2ヶ月間延長された。 1997年は『[[キューティーハニー#テレビアニメ「キューティーハニーF」|キューティーハニーF]]』(製作:[[東映アニメーション|東映動画]]、[[テレビ朝日]]系列で放送)と『[[少女革命ウテナ]]』([[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]]製作、テレビ東京系列で放送)の2つがアニメ化、本誌に漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が連載されたが、前者は[[原画]]担当の[[飯坂友佳子]]が直接漫画作品を担当したものの、アニメ・漫画版いずれも前番組<ref group="注">『なかよし』で連載された『美少女戦士セーラームーン』。</ref> と比べて成功したとは言えない結果に終わり、後者もアニメの方は青少年男性を中心にヒットした<ref group="注">一例として、[[徳間書店]]の[[アニメ雑誌]]『[[アニメージュ]]』の1997年年間アニメ人気ランキングの各部門で上位を獲得しており、特に[[奥井雅美]]が歌う主題歌『[[輪舞-revolution]]』が主題歌部門で1位を獲得した。</ref> が、漫画版は年齢層や画風が本誌の他作品と大幅に異なることも影響し本誌では人気が出ず、続編の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』では「[[ベツコミ|別冊少女コミックSpecial]]」で連載し、続々編は「[[月刊フラワーズ]]」にて掲載した。 1998年2月にアニメコンプレックス番組『[[アニメ週刊DX!みいファぷー]]』(製作:東映動画→東映アニメーション、[[テレビ朝日]]系列で放送)が『キューティーハニーF』の次番組として放送され、本誌原作作品からは「[[こっちむいて!みい子]]」と「[[ヘリタコぷーちゃん]]」の2作品がアニメ化された<ref group="注">本誌連載中の漫画作品のアニメ化としては『炎のアルペンローゼ』以来、約12年半ぶりとなる。</ref>。なお、この番組のメイン作品である『[[ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー]]』も漫画版が本誌に掲載された<ref group="注">原作は同社の幼児向け絵本雑誌『[[おひさま (雑誌)|おひさま]]』に掲載。</ref>。 この年から[[NHK教育テレビジョン|NHK教育(当時、現在のNHK Eテレ)]]とタイアップを行うようになり、『[[おじゃる丸]]』の4コマ漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が、翌1999年には『[[コレクター・ユイ]]』と『[[スージーちゃんとマービー]]』の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が連載された。それ以降も2001年に『[[カスミン]]』の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref>、2004年に『[[魔法少女隊アルス]]』も2ページ漫画として漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が連載され、2007年には別冊付録に『[[電脳コイル]]』の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が掲載された。なお、これらの作品のうち、『コレクター・ユイ』と『電脳コイル』の2作が単行本化されている。 ;2000年代 2000年7月に学習雑誌掲載作品の『[[とっとこハム太郎]]』がテレビ東京系列でアニメ化され、2001年から2002年まで本誌でも1ページ連載として取り上げられた。 2001年は『[[Dr.リンにきいてみて!]]』(制作:[[スタジオコメット]])がテレビ東京系列でアニメ化された<ref group="注" name="TX">2001年から2011年にかけて本誌原作の『Dr.リンにきいてみて!』、『わがまま☆フェアリーミルモでポン!』、『きらりん☆レボリューション』、『極上!!めちゃモテ委員長』が続けてテレビ東京系列で放送された。ただし2005年10月から2006年3月までの中断期間がある。</ref>。 2002年は4月にテレビ東京が新設した土曜の朝のアニメ枠で『[[わがまま☆フェアリー ミルモでポン!]]』シリーズ(制作:[[スタジオ雲雀]])を含む[[女児向けアニメ]]3作品<ref group="注">他の2作品は『りぼん』に連載された漫画が原作の『[[満月をさがして]]』と、[[吉田玲子]]の原案を元に『なかよし』で漫画化された『[[東京ミュウミュウ]]』。</ref> を並べてアニメ化された<ref group="注" name="TX"></ref>。当初の放送期間は3作品とも1年間の予定であったが、本作のみ視聴率が好調であったため延長を繰り返し、2005年9月まで3年6ヶ月間に亘って放送された。他にも、2002年には『[[ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット]]』([[アニマックス]]ほかで放映)の漫画版<ref group="注" name="漫画版"></ref> が連載された。 2003年は『[[デ・ジ・キャラットにょ]]』(原案:[[ブロッコリー]]、制作:[[マッドハウス]])が[[テレビ大阪]](テレビ東京系列)で放送され、本誌で漫画化<ref group="注" name="漫画版"></ref> されたが、それまで[[男性向けアニメ]]であったコンテンツを女児向けアニメに改変して鳴り物入りで始めたものの、ターゲット層の[[視聴率]]および商業成績共々不振に終わり<ref>[https://www.broccoli.co.jp/company/inc/data/pdf/report/tansin10.pdf 株式会社ブロッコリー - 平成16年2月期決算短信(連結)2004年4月19日(pdf)]</ref>、テレビ東京系列外ネット局の多くは放送途中で打ち切りとなった。 2005年は『[[ふしぎ星の☆ふたご姫]]』(原案:[[バースデイ (企業)|バースデイ]]、制作:[[ハルフィルムメーカー]])がテレビ東京系列で放送され、本誌で漫画化<ref group="注" name="漫画版"></ref> された。アニメそのものは続編の『[[ふしぎ星の☆ふたご姫 Gyu!]]』が作られるほど人気が高かったが、漫画版は原作が本誌の主要読者よりも低い世代(主に[[未就学児]]にあたる女児)向けに作られたアニメ<ref group="注">同社の『[[幼稚園 (雑誌)|小学館の幼稚園]]』・『[[めばえ (雑誌)|めばえ]]』では競合誌の[[講談社]]『[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]』・『[[おともだち]]』が独占的に扱っている『[[プリキュアシリーズ]]』に対抗する意味合いもあり、本作が人気連載として大きく取り上げられていた。</ref> を漫画化した関係もあってか、本誌での人気が不調に終わり、アニメが続編になる前に本誌ともタイアップが終了した。続編のタイアップは放送開始から間隔が少し開いているものの、事実上『ぷっちぐみ(2006年7月創刊)』が引き継いだ。 2006年は『[[きらりん☆レボリューション]]』シリーズ(制作:[[シナジーSP]]、途中までは[[G&G Entertainment]]も制作参加)がアニメ化され<ref group="注" name="TX"></ref>、商業的には2020年現在においても本誌最大のヒット作となった。2008年にはアニメ版のタイトルが『きらりん☆レボリューション STAGE3』に改題され、翌2009年まで合計3年間に亘って放送された。 2007年は『[[はぴはぴクローバー]]』(制作・[[グループ・タック]])がアニメ化され[[キッズステーション]]ほかで放映された。 2009年は『[[極上!!めちゃモテ委員長]]』(制作:[[小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント]])がアニメ化され<ref group="注" name="TX"></ref>、1年延長し2011年3月まで放映された。 ;2010年代 2011年は10月から2014年2月まで[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]で放送中のバラエティ番組「[[天才てれびくん|大!天才てれびくん]]」の番組内アニメという形で『[[ちび☆デビ!]]』(制作:シナジーSP)が放送された<ref>{{Cite web|和書|url=http://mantan-web.jp/2011/09/03/20110902dog00m200045000c.html |title=ちび☆デビ!:テレビアニメ化 悪魔の赤ちゃんとちょっぴり泣き虫少女の奮闘劇 |work=まんたんウェブ |publisher=毎日新聞デジタル |date=2011-09-03 |accessdate=2011-09-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111108013012/http://mantan-web.jp/2011/09/03/20110902dog00m200045000c.html |archivedate=2011年11月8日 }}</ref>。 2016年は『[[12歳。]]』が『12歳。〜ちっちゃなムネのトキメキ〜』(制作:[[シナジーSP]])というタイトルでアニメ化され、[[アニメシアターX|AT-X]]と[[全国独立放送協議会]]に加盟する[[サンテレビ]]・[[TOKYO MX]]ほかで同年4月から6月まで第1期が、同年10月から12月まで第2期が放送された。 2017年には『[[プリプリちぃちゃん!!]]』(制作:[[オー・エル・エム|OLM TEAM SAKURAI]])が[[毎日放送|MBS]]制作・[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]の『[[アニメサタデー630]]』枠内で『[[100%パスカル先生]]』(月刊コロコロコミック連載)と枠を分け合う形で放送された。 ;その他 同社の少年漫画雑誌『[[週刊少年サンデー]]』に連載されていた『[[金色のガッシュ!!]]』が、フジテレビで『金色のガッシュベル!!』というタイトルでアニメ化された際、[[牧原若菜]]による4コマ漫画版が2004年3月号から2005年4月号まで連載されている。本誌に連載される前にアニメ化されていた作品としては[[小学館の学年別学習雑誌|学習雑誌]]の人気作で、ぴょんぴょんから移籍という形で短期間連載していた「[[あさりちゃん]]」がある(1982年に[[テレビ朝日]]系でアニメ化)。 掲載作品を原作とした[[セルビデオ|セル]]・[[レンタルビデオ|レンタル市場]]向け[[OVA]]作品としては、1991年の『[[スローステップ]]』(制作:パステル)が該当し、製作に関与し、初アニメ化作品である『[[ナイン (漫画)|ナイン]]』から[[あだち充]]漫画のアニメ製作権を独占的に持つ[[東宝]]{{efn2|一時期のアニメ部門撤退期に製作された『[[クロスゲーム]]』のみ製作には関与していないが、2013年に「[[TOHO animation]]」の[[ブランド]]で再参入してからは、小学館集英社プロダクションから[[知的財産権|IP]]を買い取っている。}}から[[単発]]販売された。 === ドラマ === 『[[ぴょんぴょん]]』併合前の1986年に、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]で放送された『[[セーラー服通り]]』とのタイアップ作品が掲載され、ドラマでも本誌や漫画版の原稿などが出てきた。しかしこれは『ちゃお』原作作品ではなく、漫画の内容もあまりシンクロしていない。 その後も実写ドラマ化された本誌発祥の作品は長らく存在しなかったが、2005年以降、テレビ東京系列および関西地方の一部の[[全国独立放送協議会|独立UHF局]]で放送されている朝の子供向けバラエティ番組『[[おはスタ]]』の[[児童向けドラマ|ミニドラマ]]に、何らかの形で関わっている。以下、それをここに記す。 * 2005年 - 2006年 『ふしぎ少女探偵 キャラ&メル』(漫画版を『ちゃお』本誌に連載、作画は北村有香) * 2006年春 - 2009年3月 『きらりん☆レボリューション』(実写ミニドラマ版が主に関連CDの発売前などに放送された) * 2009年4月 - 2011年『極上!!めちゃモテ委員長』(実写ミニドラマ版が放送されていた) 『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、2010年4月から2011年4月に放送されたアニメ第2期において、1カ月に1度『MMTV』と称した実写ドラマとオシャレ情報を放送する回でもミニドラマが放送された。 2013年から翌年にかけて『[[ドーリィ♪カノン]]』が本誌の付録DVDに収録という形でドラマ化([[オリジナルビデオ|OV扱い]])された。 2017年には[[タカラトミー]]と[[LDH (芸能プロダクション)|LDH JAPAN]]、[[ぷっちぐみ]]と共同で「[[ガールズ×戦士シリーズ]]」の第1弾となる『[[アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!]]』が放送され、本格的なドラマとのタイアップは初であり、『おはスタ』でも関連コーナーが設けられた。以後は2018年度の『[[魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!]]』、2019年4月から2020年6月まで放送された『[[ひみつ×戦士 ファントミラージュ!]]』、2020年7月から2021年6月まで放送された『[[ポリス×戦士 ラブパトリーナ!]]』、2021年7月から2022年6月まで放送された『[[ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!]]』でもタイアップが行われていた。 === 玩具 === 本誌作品のアニメ化や、アニメ作品の本誌内でタイアップで、玩具メーカーや[[テレビ東京]]などのテレビ局などと積極的に連携してきたことが実り、男児向けの『[[月刊コロコロコミック]]』と同様、ホビーの要素を漫画雑誌に取り入れることに成功している。 [[タカラトミー]]とは合併前の旧[[トミー (企業)|トミー]]・旧[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]時代から縁が深く、掲載漫画のアニメ化ではいずれかがメインスポンサーになることが多く、旧トミーは『愛天使伝説ウェディングピーチ』・『Dr.リンにきいてみて!』・『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』、旧タカラは『水色時代』<!--及び『ぴょんぴょん』で掲載された『ママは小学4年生』-->のメインスポンサーだった。両社の合併後も変わらず、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』<ref group="注">2006年3月1日のタカラトミー発足前後に企画された作品のため、初期に発売した商品はブランド名の変更に間に合わず、旧タカラブランドのままで発売された。</ref> に参入した。その後2011年4月号から2012年3月号まで[[タカラトミー]]・[[シンソフィア]]共同開発のアーケードゲーム「[[プリティーリズム]]」とのタイアップ作品が連載されたが、小学館が製作委員会に参加していたアニメ化作品『[[プリティーリズム・オーロラドリーム]]』のテレビ放送開始に先行する形での連載開始だったため「アーケードゲームの漫画化」というより「テレビアニメの漫画化」という色合いが強かった<ref group="注">ゲームとしての「プリティーリズム」の[[プリティーリズム (漫画)|タイアップ漫画]]は競合誌の『りぼん』で2010年8月号から2012年6月号まで連載されていた。その結果、2011年3月から2012年2月までの1年間、同じゲームを原作とする漫画作品が'''競合する雑誌で同時期に並行して連載される'''、という異例の事態となっていた。なお、小学館はアニメの第2期『[[プリティーリズム・ディアマイフューチャー]]』・第3期『[[プリティーリズム・レインボーライブ]]』及び『プリパラ』の製作委員会には参加せず、宣伝協力に留まる。</ref>。2014年からは後継作品『[[プリパラ]]』、2018年の『キラッとプリ☆チャン』タイアップ漫画を展開している。 [[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]]とも関係が深く、こちらは連載作品がテレビゲーム化されることが多く、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』や『きらりん☆レボリューション』のゲームソフト全てを発売しており、『極上!めちゃモテ委員長』ではゲームソフトのみならず、カードゲームにも参入した。 対して[[バンダイ]]は1990年代に競合誌の『[[なかよし]]』・『[[りぼん]]』原作漫画のアニメのスポンサーに就くことが多く、本誌関連のアニメ作品では『[[とんでぶーりん]]』、『[[キューティーハニー#テレビアニメ「キューティーハニーF」|キューティーハニーF]]』、『[[アニメ週刊DX!みいファぷー]]』のスポンサーとなったが、『ぶーりん』以外は商業的に不振であった。その一方で大ヒットした携帯ペットゲーム機「たまごっち」のタイアップを手がけた(後述)。2001年から2002年にかけて[[プリモプエル]]というぬいぐるみのタイアップ作を連載、こちらもまた不振に終わった。その後2004年に「[[たまごっち]]」が再発売され、成功したのをきっかけに再び関係を深めるようになった。2005年には「ちゃおスタイル」(別途後述)を立ち上げ、これと同時期に[[フコウモリ]]とのタイアップも行われた。2009年から2011年にかけて『極上!!めちゃモテ委員長』のスポンサーに就いた。2013年から2016年までは『[[アイカツ!]]』、2016年からはそれの後継作品『[[アイカツスターズ!]]』のタイアップ漫画を展開している。 [[任天堂]]とは、『[[ポケットモンスター]]』(ポケモン)の漫画で関わり合うようになった。『ポケモン』漫画終了後は、『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』シリーズとのタイアップ作品の「[[おいでよ どうぶつの森 〜しあわせ通信〜]]」(2006年10月号 - 2007年12月号)→「[[街へいこうよ どうぶつの森 〜たんぽぽ村だより〜]]」(2009年1月号 - 2010年3月号)を掲載した。なお、「どうぶつの森」シリーズとのタイアップ作品に関しては、いずれも[[森江真子]]が手掛けている。「ポケットモンスター」についての詳細は後述。 [[セガトイズ]]([[セガホールディングス]]の子会社)とは、『ぷっちぐみ』で発祥した『[[リルぷりっ]]』のタイアップ漫画が、キャラクターデザインを担当した[[陣名まい]]の執筆で2010年5月号から2011年3月号まで掲載されていた。同社と[[サンリオ]]で共同開発したキャラクター「[[ジュエルペット]]」も2009年のテレビアニメ化を経て本誌でも2010年にタイアップ作が連載されたが、こちらは同年2月号から9月号までと短命に終わった。その他に2002年に「ココロボ」(ロボット型玩具)のタイアップ作を連載したがわずか半年で終了した。 ==== ポケットモンスター ==== 玩具の中でも、任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター」(ポケモン)と本誌は深い関係にあった。1997年7月号から連載が始まった『[[ポケットモンスター PiPiPi★アドベンチャー]]』は、折からのポケモンブームに乗ってヒット、本誌の奇跡の大躍進に大きく貢献した。その後ポケモンとのタイアップ漫画は、2006年9月号まで連載された『[[ポケットモンスター チャモチャモ☆ぷりてぃ♪]]』まで続いた。 ==== たまごっち ==== バンダイが発売している『[[たまごっち]]』も本誌と深いかかわりがある。1996年版では漫画「ゆでたてたまごっち」(漫画担当は「りっち」こと[[河井リツ子|河井りつ子]])を展開していたが、1999年6月号で終了した。ちょうど1996年版のブーム終焉が取りざたされていたころの出来事だった。 その後2004年版では『[[あっちこっち たまごっちタウン]]』シリーズ(「あっちこっち たまごっちタウン」→「あっちこっち たまごっちタウン はいぱー」)が2005年4月号から2009年3月号まで、本誌に連載された。その後2010年3月号から2011年12月号まで「あっちこっち たまごっち!カーニバル」というタイトルで再び本誌でタイアップ漫画が連載された。なお、これらの作品は、いずれも[[かがり淳子]]が手掛けている。 さらにかがりが降板後のタイアップ漫画は[[あさだみほ]]による『みんなでハッピー☆たまごっち!』が2012年3月号から2014年7月号まで連載され、その後[[加藤みのり]]による『ドレみふぁ♪たまごっちーず』が2014年8月号から2016年3月号まで連載され同作を最後に本誌とのタイアップを終了している(以降も原作となる玩具の展開は続いている)。 なお、1996年版たまごっちに関しては競合誌の『なかよし』や『[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]』などの講談社の子供向け雑誌でもタイアップ作品が掲載されていたが、2004年版以降はタイアップ先が小学館のみに絞り込まれ、本誌と『[[幼稚園 (雑誌)|(小学館の)幼稚園]]』、『[[小学館の学年別学習雑誌]]』など小学館の子供向け雑誌のみの掲載となった。 ==== 追記 ==== 『ポケットモンスター』と『ジュエルペット』に関しては、タイアップ漫画の終了後も、(2010年10月号現在)情報ページが本誌に掲載(連載)されている。また、「ポケットモンスター」については、後述の「ちゃおスタイル」とのコラボレーション商品が発売されたことがある。 === ドラマCD === [[テレビアニメ]]や[[OVA]]化こそされなかったが、市販の[[ドラマCD]]化された作品として『[[ビューティー・ポップ]]』([[皆川純子]]主演)がある。また、イメージCDのプログラムのひとつとしてドラマCD化された作品には『[[ちゃーみんぐ]]』([[久川綾]]主演)や『I LOVE YOU』([[白鳥由里]]主演)<!--他にあったかも知れません。情報求む。-->などがある。 === 「ちゃお」ブランド === 近年は、掲載作品単独のみならず、本誌名をブランドとして展開、玩具・文具・アクセサリー・ゲームソフトなどのグッズを[[タカラトミー]]・[[バンダイ]]・[[エポック社]]といった複数の玩具メーカーと共同で展開している。ただし、アニメ化され、放送している作品ではスポンサーの兼ね合いから、キャラクターがグッズから省かれることがある。実例としては、旧トミーがスポンサーをしていた『Dr.リンにきいてみて!』、『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』のキャラクターは、旧タカラやバンダイから発売された「ちゃお」ブランドの玩具商品には使用されなかった。また、『きらりん☆レボリューション』もタカラトミーが関わっていたため、バンダイ及びエポック社から発売されている商品には使用されていなかった。さらに『極上!!めちゃモテ委員長』に関しては、バンダイから発売されている商品のみに使用されているが、アニメ化以前はタカラトミーやエポック社からもキャラクターを使用した玩具が発売されていた。 [[2009年]]から[[2011年]]にかけてセガ(後の[[セガ・インタラクティブ]])から「ちゃお」ブランドとしては初の[[アーケードゲーム]]である『[[ちゃおまんがステーション]]』が稼動していた。 なお、「ちゃお」ブランドのゲームソフトは以下の2本が発売中である。カッコ内は左から機種/発売元/発売日/ジャンル/税別価格の順。 ; ちゃおまんがスクール([[ニンテンドーDS]]/[[日本コロムビア]]/2006年11月9日発売/[[シミュレーションゲーム]]/4800円) : 本誌連載の同名の新人賞を題材にしたゲーム。 ; ちゃおドリームタッチ! ハッピーあにばーさりー(ニンテンドーDS/[[マーベラス (企業)|マーベラス]]/2006年12月7日発売/[[アドベンチャーゲーム]]/4800円) : 創刊30周年を記念して作られた。当時およびその1〜2年ほど前の人気連載作9作品から、動物・妖精などの人間ではないキャラクターが登場する。 また、「ちゃお」ブランドのアーケードゲームは以下の1本が稼動していた。カッコ内は左から発売元/稼動開始日・稼働終了日/ジャンル/プレイ料金の順。 ; ちゃおまんがステーション(セガ/2009年9月15日稼動開始・2011年3月31日稼働終了/[[漫画家]]アシスタント体験[[シミュレーションゲーム]]/1ゲーム100円) : ゲーム中に登場する漫画作品は連載中及び連載終了の[[原稿]]を使用していた。 === ファッション === ファッションに関しては、2002年から2005年にかけて、子供向けアパレルメーカーの代表的な企業である[[ナルミヤ・インターナショナル]]と連携、同社の代表格的なブランドである「[[Mezzo piano (ファッション)|mezzo piano junior]]」(メゾピアノ ジュニア)<ref group="注" name="mezzo piano">「mezzo piano」は同社が1988年から展開する子供服の代表的なブランドで、乳幼児から小学校中学年の女児を対象としている。「mezzo piano junior」は同社が1999年から展開する「mezzo piano」から派生したブランドで、小学校高学年・中学生の少女を対象としている。</ref> を取り上げた『シンデレラコレクション』([[今井康絵]])というタイアップ作品を連載した。 2015年から2016年にかけては同社の「[[Mezzo piano (ファッション)|mezzo piano]]」(メゾピアノ)<ref group="注" name="mezzo piano"></ref> と、同業で当時は[[リトルアンデルセン]]のブランドであった「[[EARTHMAGIC]]」(アースマジック)<ref group="注">連載終了後の2017年にリトルアンデルセンが同ブランドから撤退したが、2019年に[[クスクス (曖昧さ回避)|クスクス]]が同ブランドを引き継いた。</ref>、[[ジェニィ]]のブランドである「[[SISTER JENNI]]」(シスタージェニィ)、RONI WORLDのブランドであった「[[RONI]]」(ロニィ)<ref group="注">連載当初は[[アダプト]]が保有するブランドであったが、連載中の2015年に倒産。株式会社RONI WORLDが引き継いだが、2019年に入ってから埼玉・東京・名古屋・福岡の店舗を閉店、同年10月に倒産し、同時に東京の[[京王百貨店|京王百貨店新宿店]]内にあった最後の店舗を閉店して商品展開も終了した。[https://www.tsr-net.co.jp/news/tsr/20191016_01.html (出典:東京商工リサーチ(株)RONI WORLD)]</ref> と共にタイアップし、ローティーン向けファッションをテーマにした漫画『探偵ミーミのおしゃれ事件簿』(ふじたはずみ)を連載した。 なお、『シンデレラコレクション』の終了後に本誌側が「ちゃおスタイル」(後述)を立ちあげ、価格帯はやや異なるがナルミヤ・インターナショナルと競合していた時期もあった。 === ちゃおスタイル→ちゃおガールセレクト === 2005年12月に「'''ちゃおスタイル'''」というトータルコーディネートブランドを立ち上げた。商品のラインナップは文房具や小物だけでなく、[[アパレル]]や[[携帯電話]]<ref group="注">バンダイから発売した[[ウィルコム]](現在の[[ソフトバンク]])用子供向け[[PHS]]端末「papipo!」。[https://ascii.jp/elem/000/000/352/352432/ アスキーデジタル - バンダイとウィルコム、W-SIM方式の子供向けPHS端末“papipo!”を発表 (2006年03月16日 18時53分更新)]</ref>もあり、広範にわたっていた。 2006年8月25日からは[[本州]]・[[四国]]内の[[マイカル]](2011年に[[イオンリテール]]に吸収合併)運営の[[サティ (チェーンストア)|サティ]](現在の[[イオン (店舗ブランド)|イオン]])14店舗および、[[京都市]]の[[キタオオジタウン|北大路ビブレ]](2022年6月に[[イオンモール]]北大路に改称)に小規模な販売コーナーが設置された。さらに2006年9月以降もサティの新規出店店舗に大規模な販売コーナーが順次設置され、従来の店舗も改装に合わせてコーナーを大規模化した店舗もあったが、一方でアパレル製品を取り扱わなかった店舗もあった。 さらに2007年7月には[[原宿]]、2008年3月には[[心斎橋]]、2008年8月には[[名古屋市]][[栄 (名古屋市)|栄]]に単独の店舗を開設した。一方でマイカルでの販売は段階的に縮小、北大路ビブレの販売コーナーが先に廃止され、さらに2008年度までにサティ全店で展開終了となった。なお[[北海道]]内にはこの当時はサティはなく<ref group="注">マイカル北海道(現在の[[イオン北海道]])が展開した道内のサティは本ブランド展開前の2002年に[[ポスフール]]、2011年までにイオンへ商号変更。</ref>、[[イオン九州]]運営の[[九州地方|九州]]内のサティでは取り扱わず、[[沖縄県]]にはもともとサティは存在しなかった。 近くに店舗のない地域でも、公式サイトから通販で購入できた。さらに本誌2009年4月号では綴じ込みで通信販売カタログが付いた。 アパレル製品に関しては、[[新潮社]]の[[ティーンエイジャー|ローティーン]]向けファッション雑誌『[[ニコラ (雑誌)|ニコラ]]』2009年9月号で紹介された。この号では小学館の少女漫画雑誌とのコラボレーションが行われており、ほかに『sho-comi』とのコラボレーション漫画も別冊付録で付いていた。小学館と該当誌の版元の新潮社は一部競合関係にあり<ref group="注" name="wakamono">青年漫画誌で『[[ビッグコミック]]』、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』および『[[ビッグコミックオリジナル]]』と『[[月刊コミックバンチ]]』、一般週刊誌で『[[週刊ポスト]]』と『[[週刊新潮]]』が競合。</ref>、小学館も2009年から2010年にかけて『ニコラ』・『[[ニコ☆プチ]]』の競合誌『[[DiaDaisy]]』を発刊していたため、このようなコラボレーションは異例であった。なお2011年2月に心斎橋店が閉店した。 2011年7月1日に、これまでの「ちゃおスタイル」のほか、ヘアーアクセサリーの「カールシーガール」と、後述のDVDと連携したグッズブランド「ちゃおちゃおTV!」を加えた上で「'''ちゃおガールセレクト'''」としてリニューアルした。これに伴い、原宿と栄のちゃおスタイルショップは同年7月23日にちゃおガールセレクトショップにリニューアルされ、さらに2011年7月23日に[[梅田]]の[[阪急三番街]]に店舗を開店した。2013年11月24日に栄店を閉店し、2013年12月20日に[[千葉市]][[幕張]]の[[イオンモール幕張新都心]]に開店した。 しかし、2014年9月23日には原宿本店を閉店し、「ちゃおガールセレクト」の展開終了にともない2015年5月24日に梅田店と幕張店を閉店、バンダイグループの通販サイト「プレミアムバンダイ」での販売も終了した。 === ハロー!プロジェクト === [[ハロー!プロジェクト]]公認のショート漫画を計3作品、2001年7月号から2006年1月号にかけて連載していた。対象年齢を考慮し、幼年層向けのグループが題材になっている。 * ミニモニ。やるのだぴょん! (2001年7月号 - 2004年6月号、作者:[[もりちかこ]]) * I LOVE W(2004年8月号 - 2005年7月号、作者:[[北村有香]]) * ふしぎ少女探偵 キャラ&メル(2005年8月号 - 2006年1月号、作者:北村有香) さらに、ハロー!プロジェクトの中心グループである[[モーニング娘。]]の一員で、『[[きらりん☆レボリューション]]』シリーズで、主人公・月島きらりの声をあてた[[久住小春]]をとりあげたセミドキュメンタリーコミックが、本誌2009年7月号に掲載された。 === おはスタ === テレビ東京系列および関西地方の一部の独立UHF局で1997年から放送され、小学館がメインスポンサーを務めている朝の子供向けバラエティ番組『[[おはスタ]]』では、2000年から本誌ともタイアップが組まれている<ref group="注">2008年に小学館プロダクションに集英社と[[白泉社]]が資本参加し、現社名の[[小学館集英社プロダクション]]となった翌2009年からは競合誌に当たる『りぼん』の連載作品も取り上げられている。</ref>。 最初の作品は『Dr.リンにきいてみて!』が題材にしていた風水を取り上げた企画であった。さらに2003年から2005年頃にかけて本誌の執筆陣が出演する企画が存在した。放映日は基本的に毎月最終金曜日だった。 本誌でも『おはスタ』の情報を取り扱うページが毎月1ページ設けられていたほか、番組マスコットの「おはガール」を取り上げた漫画として『未来♥Pureボイス』([[五十嵐かおる]])と『すてきに!ドリームステージ』([[清水真澄 (漫画家)|清水真澄]])が連載されていた。 本誌の漫画作品からは2005年に『ふしぎ少女探偵 キャラ&メル』、2006年から2009年まで『きらりん☆レボリューション』、2009年から2011年まで『極上!!めちゃモテ委員長』が短編のミニドラマとして実写化され、『おはスタ』内で放送された。 === ニコ☆プチ === 新潮社の情報雑誌『[[ニコ☆プチ]]』と連携した企画を行った事がある。[[ニコ☆プチ#少女漫画誌『ちゃお』とのコラボレーション|該当項目]]を参照。なお、先述の通り、小学館と新潮社は競合関係にある<ref group="注" name="wakamono" />。逆にちゃお作家である[[葵みちる]]が『ニコ☆プチ』でイラストを手がけていたこともある。 === その他 === 1997年から1999年にかけて、沖縄アクターズスクールを題材とした作品シリーズ「B.Bシリーズ」([[今井康絵]])が、2000年には、北海道で活動していたローカルタレントコンビ「雪ん子」を題材にした前後編作品「[[雪ん子!!]]」(五十嵐かおる)が掲載されたことがあり、同時期に「[[電波少年シリーズ]]」を題材にした作品「[[恋はオン・エア!]]」(篠塚ひろむ)が短期集中連載されたことがある。そして2009年2月号から2016年6月号にかけて、[[ジャニーズ事務所]]とのタイアップ作品「[[わいわいっ☆Hey! Say! JUMP]]」([[能登山けいこ]])が連載されている。 2009年1月には、「[[まんがみたいな恋したいっ!]]」([[八神千歳]])が[[小説化]]されている。こちらは別途後述。 == ちゃおまんがスクール == 本誌でまんが家デビューを目指す人のための作品投稿コーナー。 入賞者には担当者がついたり賞金などがもらえるほか、「ちゃお銀賞」以上を獲得するとデビューが決定する。また、上半期・下半期それぞれの半年間の中で「ナイス賞」「ちゃお銅賞」を獲得した作品の中から一番優秀な作品が「ベスト賞」に選ばれ、デビューすることができる。 なお、本誌でのデビューは、[[小学館新人コミック大賞]]の少女・女性部門からも可能である。 急激な成長や、少女漫画誌発行部数トップということもあってか、このところ、小中学生向け少女漫画雑誌でのデビューを目指す投稿者が、投稿先を『なかよし』・『りぼん』から本誌へ変更する例が続出している。その一例として、最初『なかよし』でデビューしたが辞め、『ちゃお』で再デビューを果たした[[まいた菜穂]]が挙げられる。 ただそのせいか、他誌に一度投稿したものを『ちゃおまんがスクール』に使い回しする二重投稿がしばしば見られるようになり問題化。2007年1月号<!-- 確認したもの。それ以前にも表示されてたかも -->以降、柱に「二重投稿は厳禁です」という趣旨の警告文が書かれている。 また2007年1月号では、「[[著作権]]」について採り上げている。 == 読者ページ == ; ファンコーナー : 連載漫画のラストページの次ページは上半分がコミックの宣伝広告、下半分が「○○先生ファンコーナー」と呼ばれるお便り・イラストコーナーとなっており、漫画によって色々なコーナーがあるが、共通して読者からの質問にキャラが答えるコーナーがある(連載開始・終了時はキャラからの挨拶)。ただし、『[[こっちむいて!みい子]]』などごく一部の作品に関しては、広告、お便り・イラストコーナーが上下逆で、文字も手書きとなっており、読者の質問にキャラが答える形式はとっていない。また、2010年2月号以降に連載が開始された全3話の短期集中作品にはファンコーナーの設定を行っていない。 ; お便りコーナー : 『ちゃお』本誌の最後の方に設定されている読者参加の応募企画記事である。1回全5ページ構成。 : 必ず西暦年号に合わせて作品名やキャラクター・イラスト執筆者が交替している。応募しているものについては、連載作の吹き出しや後述の服装考案などがある。漫画家インタビューも用意されており、月1人ずつ設定されている(募集内容は漫画家への意見などである)。 : どの年も企画名称は作品名に合わせたものが多い。吹き出しについては、本誌の2号前に掲載された連載作の一場面が題となる。その年に見合った企画構成にされるため、11・12月号では固定企画である悩み相談と漫画家インタビュー以外応募できなくなる(吹き出しに至っては'''ほとんど変化がない'''にもかかわらずである)。主役キャラは少年少女各1人と決まっている。作中では仕事人(?)になっており、職業の種類も毎年変わる。 : 服装は基本的に1・2月号はデフォルトで、3〜12月号はそれぞれ応募の優秀作から決まる<ref group="注">2009年のちゃおちゃおアーケードでは服以外も募集されたことがあるが、翌年のちゃおちゃお動物園では企画自体がなくなった。</ref>。なお必ず応募者案通りに描かれない場合があり、事例としてはある年でピアスが抜き取られていた。 : 性格は基本的に少年が真面目で、少女は天然であることが多い。主人公のどちらかがもう片方の主人公を好きになるストーリーもあったが、最近はドタバタなラストが多い。次作の予告は、12月号の最後の部分で主人公2人の姿のみ出る。作品名については、『ちゃおちゃお』の後に職業などにちなんだ言葉が入る。 : 従来は掲載位置が本誌の巻末だったが、2013年度からは綴じ込み別冊化(綴じ込み別冊には、'''みんなでハッピー☆たまごっち'''、'''イヌイさんッ!'''、'''わいわいっHey!Say!JUMP'''が同時に掲載されている)し、更に2015年1月号からは「ちゃおちゃお編集部」に内容をリニューアルし、イラスト化された漫画家と新人編集者が中心になったため、主役キャラは一旦廃止された。 : 作品名称とイラスト執筆者は2008年からのものとなるが、2007年以前にも存在している(正確な企画開始時期は不明)。 * 2008年:トラベル([[小坂まりこ]]) * 2009年:アーケード([[くまき絵里]]) * 2010年:動物園([[なぎり京]]) * 2011年:刑事([[柏ぽち]]) * 2012年:宇宙ステーション([[えびなしお]]) * 2013年:学園ラブコメ([[笹木一二三]]) * 2014年:新聞社([[環方このみ]]) * 2015年:ちゃおちゃお編集部なう!([[森田ゆき]]) * 2016年:ちゃお向上委員会([[星乃みき]]) ; 占いコーナー : お便りコーナーと同じく西暦年号に合わせてタイトルとキャラクターとイラスト執筆者が交替している。主役キャラはお便りコーナーとは違い基本1人である。またマスコットキャラクター(主に小動物)がいることも多い。十二星座占いが基本だが、年によっては違う種類の時もある。また、年によっては4コマ漫画が付いている。1回全3ページ構成。 == ちゃおちゃおTV! == オリジナルアニメやオリジナルドラマ他関連情報を収録した本誌付録DVD。 ; ナビゲーター *イケメン熱血先生 * [[ちゃおガール]] ; 主な収録作品 * ちび☆デビ!(テレビアニメから収録) * [[姫ギャル♥パラダイス]] * [[オレ様キングダム]] * [[ショコラの魔法]] * [[シークレットガールズ]](実写ドラマ) * [[好きです鈴木くん!!]] * [[いじめ (漫画)|いじめ]] * [[ナゾトキ姫は名探偵♥]] * [[それって、くちぱっち。]](短編) * [[ドーリィ♪カノン]](実写ドラマ) * [[にじいろ☆プリズムガール]] * おじぱん おじさんなパンダ(短編) *[[12歳。]](テレビアニメから収録) *[[プリプリちぃちゃん!!]](テレビアニメから収録) ; 主なコーナー * ちゃおまんがスクール * ちゃおガールセレクトTV * 最新コミック見ちゃお! == ちゃおチャンネル == 主にちゃおのCMメインの[[YouTube]]チャンネルで、[[ちゃおガール]]が紹介する動画が多い。付録の実演をしたり、「新学期!私立ちゃお学園」という企画で色々なことにチャレンジしている。 他にも漫画家への直撃電話や、『ちゃお』とタイアップした映画やゲームなどの宣伝だったり、ちゃおちゃおTV!からアニメや実写ドラマの一部内容を配信したり、連載作品から第1話の[[ボイスコミック]]化や『[[人間回収車]]』のアニメ、『ちゃお』本誌のコーナーに登場した芸能人も出演するなどした。 また、オリジナルコンテンツとして恋愛ドラマバラエティー動画『突然ヒロイン~少女まんがみたいな恋、しよっ!~』が始動し、台本なしの少女まんがみたいなドラマをアドリブで演じるという内容で、エピソード1から4までがそれぞれ4話構成で配信された。MCは[[3時のヒロイン]]、キャストはエピソードごとに違い、主題歌は「ヒロイン願望 暴走中」(歌:まいきち、作詞・作曲:[[前山田健一]]、編曲:[[板垣祐介]])。 == ちゃおコミ == '''ちゃおコミ'''とは2021年8月10日に公開されたちゃお公式Web漫画サイト。ちゃお公式ホームページ「ちゃおランド」サイト内にて無料公開中。 過去にちゃお本誌、ちゃおデラックスで連載された過去の作品やその続編、ちゃおオリジナルノベライズ、ちゅちゅで連載された作品、ちゃおコミオリジナル連載、読み切りが無料公開されている。本項目はちゃおコミ内で連載されているオリジナル作品のみを掲載する。特筆しない限りは毎週連載である。なお、ちゃおコミックスの略称ではない。 {| class="wikitable sortable" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 連載形態 !! 備考 |- | {{Display none|しょうしょまんかのひーろーになりたいのにひろいんあつかいされるおれ}}[[少女漫画のヒーローになりたいのにヒロイン扱いされる俺。|少女漫画のヒーローになりたいのに<br />ヒロイン扱いされる俺。]]||{{Display none|やかみちとせ}}[[八神千歳]]|| - ||2021年10月15日||週2|| |- | {{Display none|おおろらのそらにあしたかきえてしまうまえに}}オーロラの空にあしたが<br />消えてしまう前に||ナッツ||真佐木ケイ||2023年4月27日||木曜日|| |- | {{Display none|からわまりていすたんす}}からまわりディスタンス||{{Display none|ときたりん}}時田鈴||||2022年12月15日|||| |- |{{Display none|えるひーとおしのせいかつ}}エルピーと推しの生活||えるたま||||2023年5月3日|||| |- |{{Display none|たいようはひとりほつち}}太陽はひとりぼっち||{{Display none|おかわこはる}}小川こはる||[[鈴木るりか]]||2022年1月10日||月刊||「さよなら、田中さん」<br />の続編 |- |{{Display none|しあわせうさき}}しあわせうさぎ ||{{Display none|なかかわいさみ}}中川いさみ||||2023年1月1日||日曜日|| |- |{{Display none|かみさまときそうかつふるはじめました}}[[神様と偽装カップルはじめました]]||{{Display none|こもりちひろ}}小森チヒロ||||2021年12月29日||月刊|| |- |{{Display none|もふもふしつししはまるさん}}もふもふ執事 しば丸さん! ||{{Display none|くろたまめた}}くろだまめた||||2022年1月1日||不定期|| |- |{{Display none|しゅりえつとはにとしなない}}ジュリエットは2度死なない||{{Display none|はるせいつき}}春瀬いづき||||2023年10月17日|||| |- |{{Display none|きやるまんかかかままになりました}}ギャルまんが家がママになりました||{{Display none|わおあきら}}和央あきら||||2023年1月7日||||子育てエッセイ風漫画 |- |{{Display none|かれいなるたんていありすあんとへんぎん}}華麗なる探偵アリス&ペンギン|| {{Display none|うたせはるな}}詩瀬はるな||[[南房秀久]]{{small|(原作)}}<br />あるや<br />{{small|(キャラクターデザイン)}}||2021年8月10日|||| |- |{{Display none|きようからはははかみさまてす はんかいへん}}今日からパパは神様です 番外編||{{Display none|てらもとみすき}}寺本実月||||2021年10月13日||不定期|| |- |{{Display none|フリテイーオールフレンス}}プリティーオールフレンズ ||{{Display none|ツシナカヒツシ}}[[辻永ひつじ]]||||2021年8月10日||不定期||[[プリティーシリーズ]] |- |{{Display none|はしまりのにゆうとうくも〜まんかかものかたり〜}}はじまりの入道雲 〜まんが家物語〜||{{Display none|ときわあい}}[[ときわ藍]]||||2021年8月10日||不定期||自伝的エッセイ |- |{{Display none|ふくふくてんねんかいらんはん おかわり}}[[ぷくぷく天然かいらんばん|ぷくぷく天然かいらんばん おかわり]]||{{Display none|たつやまさゆり}}[[竜山さゆり]]||||2022年2月28日|||| |- |{{Display none|よねんいちくみ}}4年1組||{{Display none|ふくなかまこ}}福永まこ||||2021年8月11日||不定期|| |- |極上!!めちゃイケプリンセス <br />シーズン2|||[[にしむらともこ]]|||||2023年8月15日||火曜日|| |- |JS研究所||くろだまめた||||2023年1月24日||不定期|| |- |[[そらいろメモリアル]]||やぶうち優||||2023年8月11日||隔週日曜日||第12話から連載<br/>ちゃおデラックス<br />との同時連載 |- |[[チャームエンジェル|チャームエンジェル−星天使編−]]||もりちかこ||||2022年8月10日||月曜日|| |- |ちゃお不思議クラブ||坂元勲||||2022年8月3日||||SF雑誌[[ムー (雑誌)|ムー]]監修漫画 |- |ドラゴン様、食べちゃダメ♡||花星みくり||||2022年1月6日||不定期|| |- |泣き虫鬼さん 拾いました||中嶋ゆか||||2023年5月1日|||| |- |姫さまですよねっ!?||くろだまめた||ソウマチ||2022年5月30日||不定期|| |- |恋するふたごくん||南まいと||||2023年10月24日|||| |- |見えないように||星乃みき||||2023年8月19日|||| |- |魔法少女ミーミ☆マジカルドリーム||真山リコ||||2022年7月5日|||| |- |[[リアル鬼ごっこ#スピンオフ小説|リアル鬼ごっこセブンルールズ]]||名束くだん||江坂純{{small|(原作)}}<br />[[山田悠介]]{{small|(原案・監修)}}<br />さくしゃ2{{small|(イラスト)}}||2023年8月17日 |||| |- |愛するあなたは推しで王子様<br />~異世界恋愛記~||辻永ひつじ||||2022年9月9日||不定期|| |- |} == 増刊・派生誌 == 定期刊行の増刊として、隔月刊で『[[ちゃおデラックス]]』が発行されている。 * 本誌からの派生誌 ** [[ChuChu]] ** [[ぴょんぴょん]] == ちゃおコミックス == 『ちゃお』に掲載された作品を主に収録する[[漫画]][[単行本]]レーベルのことを、「ちゃおコミックス」と名付けている。[[2004年]]に「[[フラワーコミックス]]」から独立する形で発足した。新刊は毎月2日頃発売だったが、2021年7月から『[[少女コミック|Sho-Comi]]』『[[Cheese!]]』『[[ベツコミ]]』のフラワーコミックスと同じ26日頃発売に変更された。 『ちゃお』や『ちゃおDX』に掲載された作品を主として収録しているが、『ぴょんぴょん』の併合によって『ちゃお』に移籍連載された作品は「[[てんとう虫コミックス]]」に収録されている。この他『ちゃお』増刊時代の『[[ChuChu]]』掲載作品も収録されている。また例外として、主に『[[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]』で発表された『[[ないしょのつぼみ]]』(やぶうち優)<ref group="注">本来、学年誌に発表された作品に関しては、[[てんとう虫コミックス]]から刊行されるので、『ないしょのつぼみ』は例外に当たる。</ref> および[[読売KODOMO新聞]]([[読売新聞東京本社]])に連載されている『いろはにほへと新聞部』([[春日あかね]])<ref group="注">読売新聞グループには[[中央公論新社]]が存在し、'''漫画の単行本の刊行も行ってはいる'''が、読売KODOMO新聞の編集に小学館が関わっているせいか、このような形態となっている。</ref> の単行本も本レーベルからの発行となっている。 2012年9月からは独立創刊以後の『ChuChu』に掲載かつ、過去に「[[ちゅちゅコミックス]]」で発売され、現在『ちゃお』に所属している作家(やぶうち優・[[八神千歳]]など)の単行本も、重版発行の際にちゃおコミックスとして、表紙や記事の一部を改稿した新装版が発売されている。 元々は[[フラワーコミックス]]のサブレーベルとして「ちゃおフラワーコミックス」の名称で刊行されていたが、[[2004年]]にフラワーコミックスから独立、さらに同じ年にホラー作品のみを扱う「ちゃおホラーコミックス」も立ち上げている。背表紙のワンポイントは、ちゃおコミックスはピンク地に、「CIAO」が中に書かれているハートと「COMICS」の文字があしらわれ、ちゃおホラーコミックスは黒地にお化けの絵が描かれている。 ちゃおフラワーコミックス時代は『[[少女コミック]]』(現在は『Sho-Comi』と名乗っている)や『別冊少女コミック』(現在の『[[ベツコミ]]』)のフラワーコミックスと同じ26日頃発売で、背表紙のワンポイントの地も、他のフラワーコミックスと同じ赤色だった。2001年からワンポイントの地をピンクに変え、他のフラワーコミックスとの差別化を図ったものの、結局フラワーコミックスから分離、という形を取った。書店や通販では、フラワーコミックス扱いで、販売されているケースが多い。 [[講談社コミックスなかよし|なかよしKC]]や[[週刊少年サンデー|少年サンデーコミックス]]の人気作品において積極的に発売されている、コミックスに付録を付けて値段を上げた豪華版(プレミアム版・特装版・限定版)の発売に関しては、2011年度までは『[[ボクのプラチナレディー]]』(八神千歳)1巻<ref group="注">2005年11月発売・付録はお小遣い帳。初版限定のため現在は入手困難</ref> のみと消極的な姿勢であったが、2012年度以降からは人気作でDVDなどの付録が付いた限定版が積極的にリリースされ、『ちびデビ!』(篠塚ひろむ)7巻から9巻<ref group="注">7巻は2012年6月発売、8巻は2013年1月発売、9巻は2013年10月発売・付録はいずれもテレビアニメ版を抜粋収録したDVD</ref>、『オレ様キングダム』(八神千歳)7巻から9巻<ref group="注">7巻は2012年8月発売、8巻は2012年10月発売、9巻は2013年5月発売・付録はちゃお本誌の付録DVDとして制作された同作品の[[OVA]]を収録したDVD</ref>・10巻<ref group="注">2013年10月発売・付録はドラマCD及びノートとメモ帳</ref>・12巻<ref group="注">2014年7月発売・付録は『ちゃお』公式の通販で発売されたドラマCDの1巻から3巻の再録</ref>、『ドーリィ♪カノン』(やぶうち優)4巻及び5巻<ref group="注">4巻は2013年12月発売、5巻は2014年4月発売・付録はちゃお本誌のDVD用に製作された同作品のオリジナルドラマを収録したDVD</ref>、『にじいろ☆プリズムガール』(中原杏)7巻<ref group="注">7巻が最終巻、2014年1月発売・付録はちゃお本誌の付録DVD用に製作された同作品の[[OVA]]全4話を収録したDVD</ref> で発売されている。 2006年11月に新刊として発売されたもの以降からは、小学館新人コミック大賞の募集要項が掲載されている。 == ちゃおノベルズ == 2008年8月に立ち上げられた本誌発の小説レーベルのこと。その第1弾は、女の友情をテーマにしたオリジナル作品「ウチらのキズナ」だった。この作品は、2007年から2008年にかけて、散発的に掲載された散文シリーズ「ココロ・あみーご」をベースにしたもの。[[栖川マキ]]が手掛けた。 上記作品以外のラインナップは次の通り(2009年3月3日現在)。 * きみとのさんぽ道(栖川マキ・著、飼い犬とのふれあいをテーマにしたオリジナル作品) * 小説・[[まんがみたいな恋したいっ!]](栖川マキ・著、[[八神千歳]]による同名漫画の[[小説化|小説版]]。本誌の漫画作品が小説化されるのは大変珍しい) * よつばのハート([[小出真朱]]・著、第1弾と同じテーマのオリジナル作品) == 公式ファンクラブ == 本誌には公式ファンクラブが存在していた。毎年4月号に付録のひとつとしてメンバーズカードが封入されており、それには会員番号なる数字が書かれていた。そしてその数字の組み合わせによって、プレゼントがもらえる、という特典があった。 また、下記の「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」や、「[[次世代ワールドホビーフェア]]○○ Winter」(○○には年号が入る)にメンバーズカードを持参すると、来場記念品がもらえたことがある。 さらに、公式サイトの中に、ファンクラブ会員専用のコーナーが設けられていた。 公式ファンクラブの名称は、年によって変わっていた。その変遷は以下の通り(いずれも4月号 - 翌年3月号)。 * 2005年:ちゃお☆プチセレブクラブ * 2006年:ちゃおクラブ2006 * 2007年:ちゃおプレミアム * 2008年:ちゃおクラブ * 2009年:ちゃおスタークラブ 2009年度の「ちゃおスタークラブ」を最後に、この公式ファンクラブは廃止されたが2016年2月号にメンバーズカードが封入することが決定した。 == ちゃおフェス == 毎年夏休み期間中の7月下旬から8月下旬に、『ちゃお』編集部が読者の女の子を対象に本イベントを開催している。具体的には連載作家のサイン会(事前抽選制)、ステージイベント、オリジナルグッズやサイン入りコミックスの販売などが催される。『[[Sho-Comi]](旧:少女コミック)』編集部と共同開催し、さらに2010年以降は『ぷっちぐみ』編集部も加わっている。2006年から2009年までは『ChuChu』編集部と共同開催(この間は『Sho-Comi』関連の出展はなし)し、「ちゃお&ChuChuサマーフェスティバル」と名乗っていた。 このイベントは『ちゃお』・『ぷっちぐみ』・旧『ChuChu』掲載作品に関してはあくまで中学生以下の女の子を対象とした漫画雑誌のイベントのため、無料のアトラクションやイベントに関しては高校生以上の女性と全ての男性は参加できないようになっており(ただし『Sho-Comi』関連は高校生以上の女性も参加できる。)、イベントによっては幼児の女の子も参加できないことがある。ステージイベントに関しても子供以外は保護者のみ入場ができる場合が多い(外から観覧するのは可)。また、下敷きやうちわ、玩具のサンプル品など無料で配布されるグッズも『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連のものは基本的には中学生以下の女の子にしか配られない。 なお、イベント全体に参加制限があるわけではなく、女の子の保護者などの関係がない成人でも入場はでき、『ちゃお』『ぷっちぐみ』関連の有料商品(オリジナルグッズやサイン入りコミックスなど)の購入もできる。 2013年からちゃおサマフェスをコンパクトにし、全国の[[ショッピングモール]]を巡回する『'''ちゃおツアー'''』として毎年秋に開催している。 2020・21年は中止し、代わりにYouTubeちゃおチャンネルにて「ちゃおフェスLIVEオンライン」を開催していたが、2022年に3年ぶりとなるリアルイベントを開催。2023年は競合少女漫画誌『りぼん』との合同フェス「ガールズコミックフェス」として例年「ちゃおサマフェス」の会場となっていた[[横浜国際平和会議場|パシフィコ横浜]]で4年ぶりに開催。 この他にも毎年1 - 2月に開催されていた「[[次世代ワールドホビーフェア]](年号) Winter」(毎年[[幕張メッセ|東京(千葉)]]、[[大阪ドーム|大阪]]、[[ナゴヤドーム|名古屋]]、隔年ごとに[[札幌ドーム|札幌]]と[[福岡ドーム|福岡]]との交互開催)でも『ちゃお』ブースを出展し、関連のイベントを開催していた。一方で毎年7月頃に開催される「-Summer」(例年は幕張メッセで開催)では本イベントとの兼ね合いから『ちゃお』に関する出展はなく、[[タカラトミー]]・[[バンダイ]]などの玩具メーカーが『ガールズアーケード』と称した女の子向けのブースを出展している程度である。 == 創刊40周年プロジェクト == 2017年に創刊40周年を迎えるにあたり、創刊40周年記念プロジェクトを展開している。 *[[モンデリーズ・ジャパン]]「リカルデントKIDS」 - コラボガムの発売(2017年に同じく創刊40周年を迎えるコロコロコミックと共同)<ref>{{Cite press release |和書 |title=「リカルデント キッズガム」リニューアル発売記念 まんが雑誌「コロコロコミック」&「ちゃお」とコラボ決定! リカルデント キッズガム“パイナップル味”&“ブルーベリー味”登場|publisher=[[モンデリーズ・ジャパン]]|date=2017-02-15|url=http://jp.mondelezinternational.com/Newsroom/2017-Press-Releases/170215a|accessdate=2017-08-17}}</ref> *[[スターウォーズ]] - 読者モデルオーディションとのコラボ *[[スイーツパラダイス]] - コラボカフェの設置とキャラクターグッズの発売 == バーチャルYouTuber== '''依ノ宮アリサ'''(よのみや アリサ)は、2019年12月19日よりYouTubeちゃお公式チャンネルでデビューした朗読系バーチャルYouTuber。キャラクターデザインはあるや、イラストは[[上倉エク]]が担当<ref>[https://www.moguravr.com/shogakukan-ciao-vtuber/ 少女漫画誌「ちゃお」の公式VTuberがデビュー] MoguLive 2019年12月20日</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|editor=飯田吉明|date=1977-10-01 |journal=[[ちゃお]] [[1977年]]10月号(創刊号)|volume=1 |issue=1 |pages=1-304 |publisher=[[小学館]] |ref={{SfnRef|飯田吉明|1977}} }}(昭和52年7月22日国鉄首都特別扱承認雑誌第3311号、通巻はなし、おねだん330円) == 姉妹誌・派生誌 == * [[別冊少女コミック]] * [[ぴょんぴょん]] * [[ちゃおデラックス]] * [[ChuChu]] == 関連項目 == * [[ちゃおの漫画家一覧]] * [[ちゃおまんがステーション]] == 外部リンク == * [https://ciao.shogakukan.co.jp/ 公式サイト] * {{Twitter|ciao_manga}} * {{YouTube|user=ciaolandTV|ちゃおチャンネル}} {{ちゃお連載中}} {{小学館}} {{電波少年シリーズ}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1= ちゃおちゃおトラベル |1-1= ちゃお|読2008ちやおちやおとらへる |1-2= 読者投稿 |1-3= |redirect2= ちゃおちゃおアーケード |2-1= ちゃお|読2009ちやおちやおああけいと |2-2= 読者投稿 |redirect3= ちゃおちゃお動物園 |3-1= ちゃお|読2010ちやおちやおとうふつえん |3-2= 読者投稿 }} {{デフォルトソート:ちやお}} [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:小学館の漫画雑誌]] [[Category:月刊漫画雑誌]] [[Category:児童・幼年漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:1977年創刊の雑誌]] [[Category:別冊少女コミック|*Bちやお]] [[Category:ちゃお|*]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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りぼん
『りぼん』 (RIBON) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。 『なかよし』(講談社発行)、『ちゃお』(小学館発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。1955年8月3日創刊、2015年8月に創刊60周年を迎えた。コミックスは『りぼんマスコットコミックス』のレーベル名で毎月15日頃に発売されている。 創刊50周年の際、ベネトン・ジャパンと提携して、「ちびまる子ちゃん」や「アニマル横町」などのキャラクターTシャツを作ったことがある。国際連合世界食糧計画 (WFP) とも提携しており、売り上げの一部は国際連盟世界食糧計画に寄付された。 読者の対象年齢は小学校から高等学校までの少女とされていたが、現在は小学校から中学校程度。 りぼんのマスコットキャラクター、りぼんちゃんをデザインしたのは週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデーなどのマスコットマークをデザインした永井一正。 1955年8月3日、『少女ブック』の妹雑誌および幼女向け総合月刊誌として創刊された。掲載内容は、グラビア・おしゃれや習い事についての読み物・少女漫画など。初代編集長は長野規。定価は100円。1958年ごろから、少女漫画の数が増え、少女漫画誌と呼べる内容になった。 1970年代末期から1980年代半ばにかけて、マンガ評論流行の影響もあり、本誌の特徴的な作風を「おとめちっく」と呼ぶ一種のブームが起こった。当時の主要作家の1人、田渕由美子が早稲田大学に在学したことから、早大おとめちっくくらぶはじめ、東大ほか多数の高校・大学に同種のサークルが男子学生を中心に組織された。この時期の主要作家には、ほかに陸奥A子・太刀掛秀子などが挙げられる。また、1970年代から付録の多様化が行われ、特に1975年以降は前述のおとめちっく作家による付録が毎号付属し、またその付録自体のファンシーグッズとしてのセンスのよさが、この時期の高年齢層の読者の支持を集めたとされる。 1980年代後半から1990年代半ばにかけて部数が上昇し始め、1993年末には少女漫画誌では史上最高の部数となる255万部を発行した。しかし、その年から部数は徐々に減少し、2002年には発行部数で『ちゃお』に抜かれてしまう。 2002年夏ごろには80万部以上あった部数が4年後の2006年には約40万部に半減した。これにより『なかよし』にも抜かれてしまい、三大小中学生向け少女漫画雑誌の中では最下位となった。その後、2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は20.9万部(2007年は38万部、2008年は33万部、2009年は27万部、2010年は24.3万部)と、最盛期に比較して10分の1以下の数字にまで下がったが、今度は『なかよし』の発行部数が低下したため、三大小中学生向け少女漫画雑誌中の最下位から脱した(ただし、別のデータの2010年の年間平均では『なかよし』の方が部数は上である)。 2019年11月6日、第1回野間出版文化賞を受賞。 2023年9月号(2023年8月3日発売)で同日発売の『ちゃお』2023年9月号とコラボし、本誌の『ハニーレモンソーダ』(村田真優)と『ちゃお』の『シャイニング!』(まいた菜穂)のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日にパシフィコ横浜にて小学館・小学館集英社プロダクションが主催、集英社が特別協賛する合同イベント『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細はちゃおフェスを参照)が開かれることを記念したもの。 以下、2023年11月2日(2023年12月号)現在連載中の作品。 他誌に見られる巻頭見開きカラー扉や新連載第1話カラー扉はもちろんのこと、連載開始以来終了までカラー扉が続いた作品も少なくない。基本的にカラー扉を任されるのはストーリー漫画のみであるが、人気のある4コマ・ショート漫画が例外的にカラー扉を任されることもある(『アニマル横町』・『チョコミミ』)。 また、すべてのストーリー連載作品の扉がカラー扉だったことがある。 さらに2006年以降、ピンナップスタイルの見開きカラー扉も登場している。 1960年代は「ドンキッコ」(ピー・プロダクション製作、フジテレビほかで放送)、「魔法使いサリー」、「ひみつのアッコちゃん」(いずれも東映動画製作・NET系列ほかで放送)がアニメ化されていたが、「ひみつのアッコちゃん」が終了した1970年からはアニメとの関係はしばらく途絶えた。1980年代は「ハニーハニーのすてきな冒険」(国際映画社製作・フジテレビほかで放送)と「ときめきトゥナイト」(東宝およびグループ・タック製作・日本テレビほかで放送)がアニメ化された。しかし、前者はアニメ化の10年以上前に連載されていたという代物であり、後者は連載が始まって半年もたたない内に放送されたが漫画そのものは通算10年続いたのに対してアニメの方は1年で終了している。 1990年に「ちびまる子ちゃん」が日本アニメーション製作・フジテレビ系列ほか放映でテレビアニメ化され、国民的大ヒットとなった。なお、「ちびまる子ちゃん」のアニメは1992年9月に一度は終了したが、1995年1月に再開、2016年春の改編時点現在でもフジテレビ系列および山梨放送(日本テレビ系列)で放送中。『ちびまる子ちゃん』の一時休止時には入れ替わるかのように『姫ちゃんのリボン』(ぎゃろっぷ製作・テレビ東京系列ほかで放映)と『ママレード・ボーイ』(東映動画製作・一部地域除くテレビ朝日系列ほかで放映、製作ホスト局は朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉)がアニメ化された。また、『姫ちゃんのリボン』終了後はその枠で『赤ずきんチャチャ』→『ナースエンジェルりりかSOS』→『こどものおもちゃ』が放送されている。 しかし、『ママレード・ボーイ』の後継作の『ご近所物語』はヒットしたとは言えない結果に終わり、次番組は本誌作品ではなくなった。また、『こどものおもちゃ』、『ケロケロちゃいむ』についても、後番組が『りぼん』の作品でなくなった。『こどものおもちゃ』と入れ替わる格好で、テレビ東京系列で日曜朝に放送された『魔法のステージファンシーララ』(Studioぴえろ製作、製作ホスト局はテレビ大阪)のコミカライズを手掛けたが、こちらもヒットしたとは言えない結果に終わっている。 その後、1999年から2000年にかけて『神風怪盗ジャンヌ』をブラウン管に送り込んだ(東映アニメーション製作、一部系列局除くテレビ朝日系列で放送)ものの、原作の人気をテレビアニメに持ち込むことが出来ずに失敗、その後の『超GALS!寿蘭』(『GALS!』をアニメ化した際のタイトル)(2001-2002年、ぴえろ製作、テレビ東京系列で放送)や『満月をさがして』(2002-2003年、スタジオディーン製作、テレビ東京系列で放送)も同じ憂き目にあった。 2003年の『ウルトラマニアック』(葦プロダクション(当時)製作、アニマックスで放送)と翌2004年の『愛してるぜベイベ★★』(トムス・エンタテインメント製作、こちらもアニマックスで放送)のようにCSのアニメ番組専門局での放送に活路を見出そうとしたこともあったが、この路線は2作限りで終了した。その後2005年10月から2006年9月にかけて『アニマル横町』がテレビ東京系列にて(同友アニメーションおよびぎゃろっぷ製作)、2009年10月から2010年12月にかけて、『夢色パティシエール』シリーズが読売テレビをホスト局に日本テレビ系列ほかにて(スタジオ雲雀製作)、それぞれ放送されたが、どちらも次番組は『りぼん』作品ではない。2011年11月から2012年1月にかけてキッズステーションで『HIGH SCORE』(DLE製作)が放送された。 1999年以降、コミカライズが増え始め、『ポポロクロイス ピノンの大冒険』(2003-2004年、トムス・エンタテインメント製作、テレビ東京系列で放送)、『リリとカエルと(弟)』(2006年、東映アニメーション製作、アニマックスで放送、単発テレビアニメのコミカライズ、同年の増刊枠『りぼん夏の超びっくり大増刊号』に掲載)、『出ましたっ!パワパフガールズZ』(2006-2007年、東映アニメーション製作、テレビ東京系列で放送、テレビアニメのコミカライズ)を漫画化した。さらに2009年6月号からNHK教育のコンピューター関連番組『天才てれびくんMAX ビットワールド』内で2009年4月から2010年3月まで放送されたミニアニメ『ヒゲぴよ』の4コマ漫画が連載されていた。さらに2010年2月号から同年10月号にかけて『あにゃまる探偵 キルミンずぅ』(サテライト、ハルフィルムメーカー、JM ANIMATION 制作、テレビ東京系列で放送)を漫画化した。 本誌で連載された原作を基にしたアニメ化作品は、『なかよし』や『ちゃお』といった他の小中学生向け少女漫画雑誌からのアニメ化作品と比べると、アニメと漫画が同時に終了せずにその後もそのまま漫画連載が続行される例が多い。 メディアミックスとしては最初期の1960年に『やりくりアパート』(TBS系列、製作ホスト局は朝日放送)のコミカライズが、1964年に『てなもんや三度笠』(TBS系列および一部の日本テレビ系列、製作ホスト局は朝日放送)のコミカライズが、それぞれ連載された。それらは全て藤木てるみの絵によるものであった。その後1990年代に至るまではテレビドラマと関わることは全くなかった。 1994年に『お父さんは心配症』(一部系列局除くテレビ朝日系列、製作ホスト局は朝日放送)がテレビドラマ化されたものの、連載終了後(それもかなり経ってから)のテレビドラマ化だった。さらに1997年には『砂の城』(フジテレビ系列、製作ホスト局は東海テレビ)、2005年には『デザイナー』(TBS系列、製作ホスト局は毎日放送)がテレビドラマ化されたが、これらも『お父さんは心配症』同様、連載終了後(それもかなり経ってから)テレビドラマ化されたものだった。 2000年代後半には2006年に『生物彗星WoO』(NHK BS-2)とタイアップをしたり、2007年には『まるまるちびまる子ちゃん』(フジテレビ系列)、『チョコミミ』(テレビ東京系列)と作品としては地上波で原作からの引用作品を二作品同時に放送する状況になった。ただし、この状態もわずか半年ほどで解消された。 なお、「りぼんオリジナル」作品であり、なおかつ後に集英社の他誌に移動した作品ではあるが、『有閑倶楽部』が1986年と2007年にテレビドラマ化されたことがある。さらに2001年に台湾で『ママレード・ボーイ』が『橘子醬男孩』というタイトルでドラマ化されている。この作品は日本では長らく未公開であったが、2008年にDVDソフト化され視聴可能になった。 「テレビアニメ化作品の映画版」を除けば、1984年に『月の夜 星の朝』が実写映画化された。その後1995年には『耳をすませば』がスタジオジブリの製作によりアニメ映画化されている。2013年には『絶叫学級』が、2021年には『ハニーレモンソーダ』が実写映画化された。なお、殆どの作品は東宝が配給を手掛けている(『ハニーレモンソーダ』は松竹配給)。 また、ショート漫画『くまちゃん』は1992年の同名の実写映画(小中和哉監督作品、小中は映画と漫画の初期話数の原作も手がけている)のタイアップ企画である。また、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『ハイスクール・ミュージカル』の映画版が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載され、その直後に単行本が発売されている。 他に、イベント上映用として短編アニメ映画化された作品も複数存在する。 1990年代に『ねこ・ねこ・幻想曲』(1991年)、 『ハンサムな彼女』(1992年)、『天使なんかじゃない』(1994年)、『赤ずきんチャチャ』、『こどものおもちゃ』(1995年)の5作がOVA化されている。『こどものおもちゃ』についてはOVA版リリースの翌年(1996年)にテレビアニメ化されている。 『ベイビィ★LOVE』(1997年)、『グッドモーニング・コール』(2001年)、『時空異邦人KYOKO』(2001年)のようにイベント上映された後、誌上通販(応募者全員サービス)による非売品OVA化された作品もある。 その後、ギャグ漫画『めだかの学校』が2001年にOVA化された。 『りぼん』の版元の集英社は、少女向け小説レーベルのコバルト文庫を擁しているが、1990年代半ばに、このコバルト文庫から、『ないしょのプリンセス』(水沢めぐみ)や『この手をはなさない』(小花美穂)や『ベイビィ★LOVE』(椎名あゆみ)がノベライズされたことがある。 また、『赤ずきんチャチャ』や『こどものおもちゃ』や『ケロケロちゃいむ』もコバルト文庫でノベライズされたことがあるが、これらの内容は漫画のノベライズではなくテレビアニメのノベライズである。もっとも、挿絵は原作者により描かれており(例えば「赤ずきんチャチャ」の場合は原作者によるアニメオリジナルの魔王との対決のイラストであったりする)、原作者のコメントが掲載されることもある。 さらに集英社は2011年に、集英社みらい文庫という児童文庫を立ち上げたが、本誌からは『絶叫学級』や『CRASH!』や『神風怪盗ジャンヌ』が小説化・シリーズ化されている。こちらの挿絵も原作者が手掛けている。 2007年から2009年にかけて、サンリオのキャラクターハローキティとのタイアップ作品を連載していた。 集英社はインターネットラジオ局「S-ラジ」を運営している。 その中に、ラジオドラマコンテンツ「VOMIC」(ボイスコミック)が存在する。そのVOMICのプログラムのひとつとして、2008年1月に『ロッキン★ヘブン』がラジオドラマ化された。以後、数作品がVOMICの手によってラジオドラマ化されている。 さらに「種村有菜のラジオDEシャキン★」という、種村有菜がパーソナリティーを務めるコンテンツ(番組)を、2008年5月30日からスタートさせている。 「りぼんチャンネル」をYouTubeとニコニコ動画に開設している。VOMICや『おはスタ』で放送されたショートアニメの再配信や、漫画のメイキングムービー、YouTubeでは雑誌の予告の紹介動画や掲載される作品から序盤のボイスコミックを配信したり、ニコニコ動画では以前付録になったヘアアレンジ紹介冊子付録の内容を動画にした他「りぼん×初音ミク放送局.com出張版」としてVOCALOID楽曲の紹介ブログを公開している。 テレビアニメ化やテレビドラマ化こそされていないが、応募者全員サービス用やイメージアルバムのプログラムのひとつとしてドラマCD化された作品が複数存在する。しかし、他誌の連載作品のような市販されたものはない。なお、アニメ化によるメディア展開に力を入れる前の1990年代前半期までは、複数の作品がイメージアルバム化されており、それらの収録曲の中には、原作者による歌唱が収録される事が多かった。さらに、そのリリース時期はレコードからCDへの移行期に重なり、後にCDで発売される場合もあった。 2003年の『ウサハナ』はサンリオ、2005年の『ももぶた』はサンエックスとのタイアップ作品である。そして2006年5月号から同年10月号まで、タカラ(現在のタカラトミー)の玩具チョロQとのタイアップ作品『ハッピーフレンズ チョロQZOO ビタイヌ』を連載した。これらは『くまちゃん』に始まるタイアップによるショート漫画路線であった。 2008年10月号から2011年7月号まで、ゲームメーカーコナミとのタイアップ作品『夢色パティシエール』が連載された。また、その『夢色パティシエール』のメディアミックスに関連して、2009年4月から6月まで子供向け情報番組『おはスタ』(テレビ東京系列ほかで放送・小学館集英社プロダクション制作)において『夢色パティシエール』のコーナーが放送された。『りぼん』の商売敵に当たる、小学館の『ちゃお』関連作品の情報を公開することが多かった『おはスタ』ではあるが、集英社の少女漫画雑誌に連載された作品が登場するのはこれが初めての試みだった。なお、『おはスタ』の本誌連載作紹介コーナーについては、同年7月は『絶叫学級』、8月からは『MOMO』を入れ替わりで取り上げた。さらに、コーナー放送に合わせて、『りぼん』のテレビCMが『おはスタ』で放送されたことがある。その後、2011年にも7月には再び『絶叫学級』が、2014年4月には『つばさとホタル』が、それぞれ取り上げられている。 ゲーム関係では、アーケードゲームの『プリティーリズム』のコミカライズが2010年8月号から2012年6月号まで連載されたほか、テレビゲームの『ポポロクロイス はじまりの冒険』のコミカライズ作品『ポポロクロイス ピノンの大冒険』が、『りぼんオリジナル』に連載されたことがある。なお、いずれの作品もテレビアニメ版がテレビ東京系列で放送されたことがある。 芸能界とのタイアップとしては、ジャニーズ事務所と組んだ漫画作品『Ya-Ya-yahがやってくる!』が2005年8月号から2006年5月号まで連載された。また、漫画作品ではないが、2010年1月号から2011年7月号までAKB48とのタイアップ企画が連載されたほか、2012年5月号からは、ジャニーズ事務所所属グループSexy ZoneおよびAKB48グループで福岡県福岡市を活動拠点とする女性アイドルグループHKT48との、それぞれのタイアップコーナーを連載している。 前述のように、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『ハイスクール・ミュージカル』の映画版が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載された。なお、『なかよし』以外の少女漫画雑誌がディズニーとのタイアップを行ったのはこれが初めてである。 テレビゲーム機・携帯ゲーム機用のソフトについては、作品単体でリリースされたことはあった(例:『赤ずきんチャチャ』、『アニマル横町』など)が、(『なかよし』・『ちゃお』には存在する)複数の作品が登場するものに関しては、2011年6月末の時点まで、リリースされたことがない。 『りぼん』読者からオーディションによって選抜され、モデルとして誌面で活躍する女の子のこと。元の名称は「りぼんモデル」。2001年から2009年まで選出されていた。 主にカラーページの懸賞、付録ページ、ファッションページやりぼんガールステージなどで活躍していた。また、毎年7月号での懸賞ページでは、グランプリ受賞者がサイパンロケを行う。2008年度からはグアムロケになった。その年に選ばれるグランプリ、及び準グランプリの人数は決まっていなかった。 毎年10月号についてくる書類でオーディション募集を行い、選考が行われていた。進行順序は、『書類審査』⇒『二次選考』(面接、カメラテスト)⇒『読者投票』である。芸能事務所等に所属していない一般人から選抜される確率が高いが、その後芸能事務所に所属し、ファッションモデルや女優として活動する者もいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『りぼん』 (RIBON) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『なかよし』(講談社発行)、『ちゃお』(小学館発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。1955年8月3日創刊、2015年8月に創刊60周年を迎えた。コミックスは『りぼんマスコットコミックス』のレーベル名で毎月15日頃に発売されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "創刊50周年の際、ベネトン・ジャパンと提携して、「ちびまる子ちゃん」や「アニマル横町」などのキャラクターTシャツを作ったことがある。国際連合世界食糧計画 (WFP) とも提携しており、売り上げの一部は国際連盟世界食糧計画に寄付された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "読者の対象年齢は小学校から高等学校までの少女とされていたが、現在は小学校から中学校程度。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "りぼんのマスコットキャラクター、りぼんちゃんをデザインしたのは週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデーなどのマスコットマークをデザインした永井一正。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1955年8月3日、『少女ブック』の妹雑誌および幼女向け総合月刊誌として創刊された。掲載内容は、グラビア・おしゃれや習い事についての読み物・少女漫画など。初代編集長は長野規。定価は100円。1958年ごろから、少女漫画の数が増え、少女漫画誌と呼べる内容になった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1970年代末期から1980年代半ばにかけて、マンガ評論流行の影響もあり、本誌の特徴的な作風を「おとめちっく」と呼ぶ一種のブームが起こった。当時の主要作家の1人、田渕由美子が早稲田大学に在学したことから、早大おとめちっくくらぶはじめ、東大ほか多数の高校・大学に同種のサークルが男子学生を中心に組織された。この時期の主要作家には、ほかに陸奥A子・太刀掛秀子などが挙げられる。また、1970年代から付録の多様化が行われ、特に1975年以降は前述のおとめちっく作家による付録が毎号付属し、またその付録自体のファンシーグッズとしてのセンスのよさが、この時期の高年齢層の読者の支持を集めたとされる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1980年代後半から1990年代半ばにかけて部数が上昇し始め、1993年末には少女漫画誌では史上最高の部数となる255万部を発行した。しかし、その年から部数は徐々に減少し、2002年には発行部数で『ちゃお』に抜かれてしまう。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2002年夏ごろには80万部以上あった部数が4年後の2006年には約40万部に半減した。これにより『なかよし』にも抜かれてしまい、三大小中学生向け少女漫画雑誌の中では最下位となった。その後、2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は20.9万部(2007年は38万部、2008年は33万部、2009年は27万部、2010年は24.3万部)と、最盛期に比較して10分の1以下の数字にまで下がったが、今度は『なかよし』の発行部数が低下したため、三大小中学生向け少女漫画雑誌中の最下位から脱した(ただし、別のデータの2010年の年間平均では『なかよし』の方が部数は上である)。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2019年11月6日、第1回野間出版文化賞を受賞。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2023年9月号(2023年8月3日発売)で同日発売の『ちゃお』2023年9月号とコラボし、本誌の『ハニーレモンソーダ』(村田真優)と『ちゃお』の『シャイニング!』(まいた菜穂)のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日にパシフィコ横浜にて小学館・小学館集英社プロダクションが主催、集英社が特別協賛する合同イベント『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細はちゃおフェスを参照)が開かれることを記念したもの。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "以下、2023年11月2日(2023年12月号)現在連載中の作品。", "title": "連載作品" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "他誌に見られる巻頭見開きカラー扉や新連載第1話カラー扉はもちろんのこと、連載開始以来終了までカラー扉が続いた作品も少なくない。基本的にカラー扉を任されるのはストーリー漫画のみであるが、人気のある4コマ・ショート漫画が例外的にカラー扉を任されることもある(『アニマル横町』・『チョコミミ』)。", "title": "カラー扉について" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、すべてのストーリー連載作品の扉がカラー扉だったことがある。", "title": "カラー扉について" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "さらに2006年以降、ピンナップスタイルの見開きカラー扉も登場している。", "title": "カラー扉について" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1960年代は「ドンキッコ」(ピー・プロダクション製作、フジテレビほかで放送)、「魔法使いサリー」、「ひみつのアッコちゃん」(いずれも東映動画製作・NET系列ほかで放送)がアニメ化されていたが、「ひみつのアッコちゃん」が終了した1970年からはアニメとの関係はしばらく途絶えた。1980年代は「ハニーハニーのすてきな冒険」(国際映画社製作・フジテレビほかで放送)と「ときめきトゥナイト」(東宝およびグループ・タック製作・日本テレビほかで放送)がアニメ化された。しかし、前者はアニメ化の10年以上前に連載されていたという代物であり、後者は連載が始まって半年もたたない内に放送されたが漫画そのものは通算10年続いたのに対してアニメの方は1年で終了している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1990年に「ちびまる子ちゃん」が日本アニメーション製作・フジテレビ系列ほか放映でテレビアニメ化され、国民的大ヒットとなった。なお、「ちびまる子ちゃん」のアニメは1992年9月に一度は終了したが、1995年1月に再開、2016年春の改編時点現在でもフジテレビ系列および山梨放送(日本テレビ系列)で放送中。『ちびまる子ちゃん』の一時休止時には入れ替わるかのように『姫ちゃんのリボン』(ぎゃろっぷ製作・テレビ東京系列ほかで放映)と『ママレード・ボーイ』(東映動画製作・一部地域除くテレビ朝日系列ほかで放映、製作ホスト局は朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉)がアニメ化された。また、『姫ちゃんのリボン』終了後はその枠で『赤ずきんチャチャ』→『ナースエンジェルりりかSOS』→『こどものおもちゃ』が放送されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "しかし、『ママレード・ボーイ』の後継作の『ご近所物語』はヒットしたとは言えない結果に終わり、次番組は本誌作品ではなくなった。また、『こどものおもちゃ』、『ケロケロちゃいむ』についても、後番組が『りぼん』の作品でなくなった。『こどものおもちゃ』と入れ替わる格好で、テレビ東京系列で日曜朝に放送された『魔法のステージファンシーララ』(Studioぴえろ製作、製作ホスト局はテレビ大阪)のコミカライズを手掛けたが、こちらもヒットしたとは言えない結果に終わっている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "その後、1999年から2000年にかけて『神風怪盗ジャンヌ』をブラウン管に送り込んだ(東映アニメーション製作、一部系列局除くテレビ朝日系列で放送)ものの、原作の人気をテレビアニメに持ち込むことが出来ずに失敗、その後の『超GALS!寿蘭』(『GALS!』をアニメ化した際のタイトル)(2001-2002年、ぴえろ製作、テレビ東京系列で放送)や『満月をさがして』(2002-2003年、スタジオディーン製作、テレビ東京系列で放送)も同じ憂き目にあった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2003年の『ウルトラマニアック』(葦プロダクション(当時)製作、アニマックスで放送)と翌2004年の『愛してるぜベイベ★★』(トムス・エンタテインメント製作、こちらもアニマックスで放送)のようにCSのアニメ番組専門局での放送に活路を見出そうとしたこともあったが、この路線は2作限りで終了した。その後2005年10月から2006年9月にかけて『アニマル横町』がテレビ東京系列にて(同友アニメーションおよびぎゃろっぷ製作)、2009年10月から2010年12月にかけて、『夢色パティシエール』シリーズが読売テレビをホスト局に日本テレビ系列ほかにて(スタジオ雲雀製作)、それぞれ放送されたが、どちらも次番組は『りぼん』作品ではない。2011年11月から2012年1月にかけてキッズステーションで『HIGH SCORE』(DLE製作)が放送された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1999年以降、コミカライズが増え始め、『ポポロクロイス ピノンの大冒険』(2003-2004年、トムス・エンタテインメント製作、テレビ東京系列で放送)、『リリとカエルと(弟)』(2006年、東映アニメーション製作、アニマックスで放送、単発テレビアニメのコミカライズ、同年の増刊枠『りぼん夏の超びっくり大増刊号』に掲載)、『出ましたっ!パワパフガールズZ』(2006-2007年、東映アニメーション製作、テレビ東京系列で放送、テレビアニメのコミカライズ)を漫画化した。さらに2009年6月号からNHK教育のコンピューター関連番組『天才てれびくんMAX ビットワールド』内で2009年4月から2010年3月まで放送されたミニアニメ『ヒゲぴよ』の4コマ漫画が連載されていた。さらに2010年2月号から同年10月号にかけて『あにゃまる探偵 キルミンずぅ』(サテライト、ハルフィルムメーカー、JM ANIMATION 制作、テレビ東京系列で放送)を漫画化した。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "本誌で連載された原作を基にしたアニメ化作品は、『なかよし』や『ちゃお』といった他の小中学生向け少女漫画雑誌からのアニメ化作品と比べると、アニメと漫画が同時に終了せずにその後もそのまま漫画連載が続行される例が多い。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "メディアミックスとしては最初期の1960年に『やりくりアパート』(TBS系列、製作ホスト局は朝日放送)のコミカライズが、1964年に『てなもんや三度笠』(TBS系列および一部の日本テレビ系列、製作ホスト局は朝日放送)のコミカライズが、それぞれ連載された。それらは全て藤木てるみの絵によるものであった。その後1990年代に至るまではテレビドラマと関わることは全くなかった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1994年に『お父さんは心配症』(一部系列局除くテレビ朝日系列、製作ホスト局は朝日放送)がテレビドラマ化されたものの、連載終了後(それもかなり経ってから)のテレビドラマ化だった。さらに1997年には『砂の城』(フジテレビ系列、製作ホスト局は東海テレビ)、2005年には『デザイナー』(TBS系列、製作ホスト局は毎日放送)がテレビドラマ化されたが、これらも『お父さんは心配症』同様、連載終了後(それもかなり経ってから)テレビドラマ化されたものだった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2000年代後半には2006年に『生物彗星WoO』(NHK BS-2)とタイアップをしたり、2007年には『まるまるちびまる子ちゃん』(フジテレビ系列)、『チョコミミ』(テレビ東京系列)と作品としては地上波で原作からの引用作品を二作品同時に放送する状況になった。ただし、この状態もわずか半年ほどで解消された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、「りぼんオリジナル」作品であり、なおかつ後に集英社の他誌に移動した作品ではあるが、『有閑倶楽部』が1986年と2007年にテレビドラマ化されたことがある。さらに2001年に台湾で『ママレード・ボーイ』が『橘子醬男孩』というタイトルでドラマ化されている。この作品は日本では長らく未公開であったが、2008年にDVDソフト化され視聴可能になった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「テレビアニメ化作品の映画版」を除けば、1984年に『月の夜 星の朝』が実写映画化された。その後1995年には『耳をすませば』がスタジオジブリの製作によりアニメ映画化されている。2013年には『絶叫学級』が、2021年には『ハニーレモンソーダ』が実写映画化された。なお、殆どの作品は東宝が配給を手掛けている(『ハニーレモンソーダ』は松竹配給)。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、ショート漫画『くまちゃん』は1992年の同名の実写映画(小中和哉監督作品、小中は映画と漫画の初期話数の原作も手がけている)のタイアップ企画である。また、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『ハイスクール・ミュージカル』の映画版が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載され、その直後に単行本が発売されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "他に、イベント上映用として短編アニメ映画化された作品も複数存在する。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1990年代に『ねこ・ねこ・幻想曲』(1991年)、 『ハンサムな彼女』(1992年)、『天使なんかじゃない』(1994年)、『赤ずきんチャチャ』、『こどものおもちゃ』(1995年)の5作がOVA化されている。『こどものおもちゃ』についてはOVA版リリースの翌年(1996年)にテレビアニメ化されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『ベイビィ★LOVE』(1997年)、『グッドモーニング・コール』(2001年)、『時空異邦人KYOKO』(2001年)のようにイベント上映された後、誌上通販(応募者全員サービス)による非売品OVA化された作品もある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "その後、ギャグ漫画『めだかの学校』が2001年にOVA化された。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "『りぼん』の版元の集英社は、少女向け小説レーベルのコバルト文庫を擁しているが、1990年代半ばに、このコバルト文庫から、『ないしょのプリンセス』(水沢めぐみ)や『この手をはなさない』(小花美穂)や『ベイビィ★LOVE』(椎名あゆみ)がノベライズされたことがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、『赤ずきんチャチャ』や『こどものおもちゃ』や『ケロケロちゃいむ』もコバルト文庫でノベライズされたことがあるが、これらの内容は漫画のノベライズではなくテレビアニメのノベライズである。もっとも、挿絵は原作者により描かれており(例えば「赤ずきんチャチャ」の場合は原作者によるアニメオリジナルの魔王との対決のイラストであったりする)、原作者のコメントが掲載されることもある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "さらに集英社は2011年に、集英社みらい文庫という児童文庫を立ち上げたが、本誌からは『絶叫学級』や『CRASH!』や『神風怪盗ジャンヌ』が小説化・シリーズ化されている。こちらの挿絵も原作者が手掛けている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2007年から2009年にかけて、サンリオのキャラクターハローキティとのタイアップ作品を連載していた。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "集英社はインターネットラジオ局「S-ラジ」を運営している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "その中に、ラジオドラマコンテンツ「VOMIC」(ボイスコミック)が存在する。そのVOMICのプログラムのひとつとして、2008年1月に『ロッキン★ヘブン』がラジオドラマ化された。以後、数作品がVOMICの手によってラジオドラマ化されている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "さらに「種村有菜のラジオDEシャキン★」という、種村有菜がパーソナリティーを務めるコンテンツ(番組)を、2008年5月30日からスタートさせている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "「りぼんチャンネル」をYouTubeとニコニコ動画に開設している。VOMICや『おはスタ』で放送されたショートアニメの再配信や、漫画のメイキングムービー、YouTubeでは雑誌の予告の紹介動画や掲載される作品から序盤のボイスコミックを配信したり、ニコニコ動画では以前付録になったヘアアレンジ紹介冊子付録の内容を動画にした他「りぼん×初音ミク放送局.com出張版」としてVOCALOID楽曲の紹介ブログを公開している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "テレビアニメ化やテレビドラマ化こそされていないが、応募者全員サービス用やイメージアルバムのプログラムのひとつとしてドラマCD化された作品が複数存在する。しかし、他誌の連載作品のような市販されたものはない。なお、アニメ化によるメディア展開に力を入れる前の1990年代前半期までは、複数の作品がイメージアルバム化されており、それらの収録曲の中には、原作者による歌唱が収録される事が多かった。さらに、そのリリース時期はレコードからCDへの移行期に重なり、後にCDで発売される場合もあった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2003年の『ウサハナ』はサンリオ、2005年の『ももぶた』はサンエックスとのタイアップ作品である。そして2006年5月号から同年10月号まで、タカラ(現在のタカラトミー)の玩具チョロQとのタイアップ作品『ハッピーフレンズ チョロQZOO ビタイヌ』を連載した。これらは『くまちゃん』に始まるタイアップによるショート漫画路線であった。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2008年10月号から2011年7月号まで、ゲームメーカーコナミとのタイアップ作品『夢色パティシエール』が連載された。また、その『夢色パティシエール』のメディアミックスに関連して、2009年4月から6月まで子供向け情報番組『おはスタ』(テレビ東京系列ほかで放送・小学館集英社プロダクション制作)において『夢色パティシエール』のコーナーが放送された。『りぼん』の商売敵に当たる、小学館の『ちゃお』関連作品の情報を公開することが多かった『おはスタ』ではあるが、集英社の少女漫画雑誌に連載された作品が登場するのはこれが初めての試みだった。なお、『おはスタ』の本誌連載作紹介コーナーについては、同年7月は『絶叫学級』、8月からは『MOMO』を入れ替わりで取り上げた。さらに、コーナー放送に合わせて、『りぼん』のテレビCMが『おはスタ』で放送されたことがある。その後、2011年にも7月には再び『絶叫学級』が、2014年4月には『つばさとホタル』が、それぞれ取り上げられている。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ゲーム関係では、アーケードゲームの『プリティーリズム』のコミカライズが2010年8月号から2012年6月号まで連載されたほか、テレビゲームの『ポポロクロイス はじまりの冒険』のコミカライズ作品『ポポロクロイス ピノンの大冒険』が、『りぼんオリジナル』に連載されたことがある。なお、いずれの作品もテレビアニメ版がテレビ東京系列で放送されたことがある。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "芸能界とのタイアップとしては、ジャニーズ事務所と組んだ漫画作品『Ya-Ya-yahがやってくる!』が2005年8月号から2006年5月号まで連載された。また、漫画作品ではないが、2010年1月号から2011年7月号までAKB48とのタイアップ企画が連載されたほか、2012年5月号からは、ジャニーズ事務所所属グループSexy ZoneおよびAKB48グループで福岡県福岡市を活動拠点とする女性アイドルグループHKT48との、それぞれのタイアップコーナーを連載している。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "前述のように、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『ハイスクール・ミュージカル』の映画版が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載された。なお、『なかよし』以外の少女漫画雑誌がディズニーとのタイアップを行ったのはこれが初めてである。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "テレビゲーム機・携帯ゲーム機用のソフトについては、作品単体でリリースされたことはあった(例:『赤ずきんチャチャ』、『アニマル横町』など)が、(『なかよし』・『ちゃお』には存在する)複数の作品が登場するものに関しては、2011年6月末の時点まで、リリースされたことがない。", "title": "タイアップ" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "『りぼん』読者からオーディションによって選抜され、モデルとして誌面で活躍する女の子のこと。元の名称は「りぼんモデル」。2001年から2009年まで選出されていた。", "title": "りぼんガール" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "主にカラーページの懸賞、付録ページ、ファッションページやりぼんガールステージなどで活躍していた。また、毎年7月号での懸賞ページでは、グランプリ受賞者がサイパンロケを行う。2008年度からはグアムロケになった。その年に選ばれるグランプリ、及び準グランプリの人数は決まっていなかった。", "title": "りぼんガール" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "毎年10月号についてくる書類でオーディション募集を行い、選考が行われていた。進行順序は、『書類審査』⇒『二次選考』(面接、カメラテスト)⇒『読者投票』である。芸能事務所等に所属していない一般人から選抜される確率が高いが、その後芸能事務所に所属し、ファッションモデルや女優として活動する者もいる。", "title": "りぼんガール" } ]
『りぼん』 (RIBON) は、集英社が発行する日本の漫画雑誌。
{{Otheruses|漫画雑誌のりぼん|その他のリボン・りぼん|リボン (曖昧さ回避)}} {{基礎情報 雑誌 | 画像ファイル名 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 誌名 = りぼん | 英文誌名 = RIBON<ref group="注">"RIBBON"はBが多い誤記。</ref> | 誌名略称 = | ジャンル = [[少女漫画]] | 読者対象 = [[少女]] | 刊行頻度 = [[逐次刊行物#月刊|月刊]](毎月3日発売) | 発売国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本]] | 定価 = 620円 | 出版社 = [[集英社]] | 編集部名 = りぼん編集部 | 発行人 = 今井孝昭 | 編集人1役職 = | 編集人1氏名 = 相田聡一 | 編集人2役職 = | 編集人2氏名 = | ISSN = | 雑誌名コード = 01039 | 刊行期間 = [[1955年]][[8月3日]] - | 発行部数 = 125,000<!--<ref>{{Cite web|url=https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index|title=印刷証明付部数|publisher=日本雑誌協会|accessdate=2023-08-11}}</ref>--> | 発行部数調査年月 = 2023年4月 - 6月 | 発行部数調査機関 = [[日本雑誌協会]] | レーベル = [[りぼんマスコットコミックス]] | 姉妹誌 = | ウェブサイト = [http://ribon.shueisha.co.jp/index.html 集英社 りぼん 公式サイト] | 特記事項 = }} 『'''りぼん'''』 (RIBON) は、[[集英社]]が発行する[[日本]]の[[日本の漫画雑誌|漫画雑誌]]<ref name="fup">{{Cite journal|和書|year=1981 |month=7 |title=まんが雑誌リスト|journal=FusionProduct |issue=創刊号 |page=268 |publisher=[[ふゅーじょんぷろだくと]] |location=[[東京都]][[杉並区]][[阿佐谷北]] |accessdate=2017-02-09}}</ref>。 == 概要 == 『[[なかよし]]』([[講談社]]発行)、『[[ちゃお]]』([[小学館]]発行)と並ぶ、三大小中学生向け少女漫画雑誌の一つ。[[1955年]][[8月3日]]創刊、[[2015年]]8月に創刊60周年を迎えた。コミックスは『[[りぼんマスコットコミックス]]』のレーベル名で毎月15日頃に発売されている。 創刊50周年の際、[[ベネトン|ベネトン・ジャパン]]と提携して、「[[ちびまる子ちゃん]]」や「[[アニマル横町]]」などのキャラクターTシャツを作ったことがある。[[国際連合世界食糧計画]] (WFP) とも提携しており、売り上げの一部は国際連盟世界食糧計画に寄付された。 読者の対象年齢は[[小学校]]から[[高等学校]]までの少女とされていたが、現在は小学校から[[中学校]]程度<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-magazine.or.jp/data_002/index.html |title=JMPA読者構成データ|work=各種雑誌データ |publisher=[[日本雑誌協会|一般社団法人 日本雑誌協会]] |accessdate=2017-09-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110409215639/http://www.j-magazine.or.jp/data_002/index.html |archivedate=2011-04-09}}</ref>。 りぼんのマスコットキャラクター、りぼんちゃんをデザインしたのは[[週刊少年ジャンプ]]、[[週刊少年サンデー]]などのマスコットマークをデザインした[[永井一正]]{{要出典|date=2021年12月}}。 == 沿革 == [[1955年]][[8月3日]]、『[[少女ブック]]』の妹雑誌および幼女向け総合月刊誌として創刊された。掲載内容は、グラビア・おしゃれや習い事についての読み物・少女漫画など。初代編集長は[[長野規]]。定価は100円。[[1958年]]ごろから、少女漫画の数が増え、少女漫画誌と呼べる内容になった<ref>『プータオ春の号 2000』特集、[[白泉社]]</ref>。 [[1970年代]]末期から[[1980年代]]半ばにかけて、マンガ評論流行の影響もあり、本誌の特徴的な作風を「[[乙女チックラブコメ|おとめちっく]]」と呼ぶ一種のブームが起こった。当時の主要作家の1人、[[田渕由美子]]が[[早稲田大学]]に在学したことから、早大[[おとめちっくくらぶ]]はじめ、東大ほか多数の高校・大学に同種のサークルが男子学生を中心に組織された。この時期の主要作家には、ほかに[[陸奥A子]]・[[太刀掛秀子]]などが挙げられる。また、1970年代から付録の多様化が行われ、特に[[1975年]]以降は前述のおとめちっく作家による付録が毎号付属し、またその付録自体の[[ファンシーグッズ]]としてのセンスのよさが、この時期の高年齢層の読者の支持を集めたとされる<ref>『『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代―たそがれ時にみつけたもの』[[大塚英志]]、[[筑摩書房]]、1995年、{{ISBN2|4-480-03017-4}}</ref>{{要出典|date=2021年11月|title=何頁か?}}。 [[1980年代]]後半から[[1990年代]]半ばにかけて部数が上昇し始め、[[1993年]]末には少女漫画誌では史上最高の部数となる255万部を発行した<ref>{{Cite web|和書|title=250万部超時代 絶頂期の「りぼん」作品が勢ぞろい|url=https://www.sankei.com/article/20190724-GM4EVNBL3ZLLNL2RVI5PIA4MBA/ |website=産経ニュース |date=2019-07-24 |accessdate=2021-02-01 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。しかし、その年から部数は徐々に減少し、[[2002年]]には発行部数で『ちゃお』に抜かれてしまう。 2002年夏ごろには80万部以上あった部数が4年後の2006年には約40万部に半減した。これにより『なかよし』にも抜かれてしまい、三大小中学生向け少女漫画雑誌の中では最下位となった。その後、2010年10月から2011年9月までの平均発行部数は20.9万部([[2007年]]は38万部、[[2008年]]は33万部、[[2009年]]は27万部、[[2010年]]は24.3万部)と、最盛期に比較して10分の1以下の数字にまで下がった<ref>[http://www.j-magazine.or.jp/data_001/index.html 日本雑誌協会公式HP・JMPAマガジン2012データから] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120315150532/http://www.j-magazine.or.jp/data_001/index.html |date=2012-03-15}}</ref>が、今度は『なかよし』の発行部数が低下<ref group="注">2010年10月から2011年9月は19.8万部と、20万部を割り込んだ</ref>したため、三大小中学生向け少女漫画雑誌中の最下位から脱した(ただし、別のデータの2010年の年間平均では『なかよし』の方が部数は上である<ref name="名前なし-1">出版指標年報2011より</ref>)。 [[2019年]][[11月6日]]、第1回[[野間出版文化賞]]を受賞<ref>{{Cite web|和書|date=2019-11-06 |url=https://www.kodansha.co.jp/award/noma_s.html |title=第1回 野間出版文化賞が2019年11月6日に決定いたしました!|work=野間出版文化賞 |publisher=[[講談社]] |accessdate=2020-01-08}}</ref>。 2023年9月号(2023年8月3日発売)で同日発売の『ちゃお』2023年9月号とコラボし、本誌の『[[ハニーレモンソーダ]]』([[村田真優]])と『ちゃお』の『シャイニング!』([[まいた菜穂]])のイラストが描かれた表紙がつながるという、創刊から初めての試みが行われている。これは2023年8月19日・20日に[[横浜国際平和会議場|パシフィコ横浜]]にて小学館・[[小学館集英社プロダクション]]が主催、集英社が特別協賛する合同イベント<ref>[https://girls-comic-fes.jp/#about ガールズコミックフェス実行委員会 - ちゃお×りぼん ガールズフェス#開催概要]</ref>『ちゃお×りぼん ガールズコミックフェス』(詳細は[[ちゃお#ちゃおフェス|ちゃおフェス]]を参照)が開かれることを記念したもの<ref>{{Cite web|和書|title=ちゃお×りぼん:二大少女マンガ誌が初コラボ つながる表紙に|url=https://mantan-web.jp/article/20230802dog00m200058000c.html|website=まんたんウェブ|accessdate=2021-08-03|language=ja}}</ref>。 == 歴代編集長 == {{節スタブ}} * [[長野規]] - 1955年9月号(創刊時) - * 木曽義昭 - - 1974年5月号 * 徳永孝雄 - 1974年6月号 - * 渡辺浩志 - 1976年7月号 - <ref name="fup" /> * 山田英樹 - 1985年12月号 - * 中森美方 - 1992年5月号 - * 今井鈴人 - 1996年5月号 - * 村井憲司 - 2001年9月号 - * 冨重実也 - * 相田聡一 - 2018年 - <!-- 歴代編集長は不明な部分があるので、番号付きリストにはしないでおきます。 --> == 発行部数 == {{節スタブ}} * 1955年 - 15万部<ref>『国語年鑑 昭和31年版』秀英出版、1956年、52頁。{{NDLJP|2473012/32}}</ref> * 1978年6月、公称135万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1979年版』</ref> * 1979年7月、公称135万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1980年版』</ref> * 1980年7月、公称150万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1981年版』</ref> * 1981年9月、公称150万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1982年版』</ref> * 1982年12月、公称150万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1983年版』</ref> * 1984年4月、公称170万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1984年版』</ref> * 1985年3月、公称180万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1985年版』</ref> * 1986年3月、公称200万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1986年版』</ref> * 1987年3月、公称200万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1987年版』</ref> * 1988年3月、公称200万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1988年版』</ref> * 1989年2月、公称230万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1989年版』</ref> * 1990年2月、公称230万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1990年版』</ref> * 1991年2月、公称230万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1991年版』</ref> * 1991年4月 - 1992年3月、公称240万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1992年版』</ref> * 1992年4月 - 1993年3月、公称240万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1993年版』</ref> * 1993年1月 - 12月、推定228万部<ref>『1994年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1993年4月 - 1994年3月、公称240万部<ref>『雑誌新聞総かたろぐ 1994年版』</ref> * 1994年、255万部 * 1994年1月 - 12月、推定230万部<ref>『1995年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1995年1月 - 12月、推定216万部<ref>『1996年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1996年1月 - 12月、推定175万部<ref>『1997年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1997年1月 - 12月、推定163万部<ref>『1998年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1998年1月 - 12月、推定135万部<ref>『1999年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 1999年1月 - 12月、推定135万部<ref>『2000年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2000年1月 - 12月、推定135万部<ref>『2001年版 出版指標年報』全国出版協会推定発行部数</ref> * 2003年9月1日 - 2004年8月31日、72万9167部<ref name="data">[http://www.j-magazine.or.jp/ 日本雑誌協会]JMPAマガジンデータによる1号当たり平均部数</ref> * 2004年9月 - 2005年8月、53万75部<ref name="data" /> * 2005年9月1日 - 2006年8月31日、40万部<ref name="data" /> * 2006年9月1日 - 2007年8月31日、37万6666部<ref name="data" /> * 2007年10月1日 - 2008年9月30日、33万0000部<ref name="data" /> * 2008年10月1日 - 2009年9月30日、27万4167部<ref name="data" /> * 2009年10月1日 - 2010年9月30日、24万3334部<ref name="data" /> * 2010年、24万部(年間平均)<ref name="名前なし-1"/> * 2010年10月1日 - 2011年9月30日、20万9334部<ref name="data" /> * 2011年10月1日 - 2012年9月30日、21万2500部<ref name="data" /> * 2012年10月1日 - 2013年9月30日、20万1667部<ref name="data" /> * 2013年10月1日 - 2014年9月30日、20万2500部<ref name="data" /> * 2018年10月1日 - 2019年9月30日、13万9667部<ref name="data" /> * 2019年10月1日 - 2020年9月30日、13万1917部<ref name="data" /> * 2020年10月1日 - 2021年9月30日、13万3000部<ref name="data" /> * 2021年10月1日 - 2022年9月30日、13万1667部<ref name="data" /> {| class="wikitable" |+ 発行部数(2008年4月以降)([https://www.j-magazine.or.jp/user/printed2/index 一般社団法人 日本雑誌協会 印刷部数公表]) ! !! 1〜3月 !! 4〜6月 !! 7〜9月 !! 10〜12月 |- ! 2008年 | || 326,667 部 || 313,334 部 || 300,000 部 |- ! 2009年 | 280,000 部 || 260,000 部 || 250,000 部 || 250,000 部 |- ! 2010年 | 250,000 部 || 240,000 部 || 233,334 部 || 217,500 部 |- ! 2011年 | 215,000 部 || 198,000 部 || 206,000 部 || 210,000 部 |- ! 2012年 | 210,000 部 || 216,667 部 || 213,334 部 || 202,500 部 |- ! 2013年 | 200,000 部 || 203,334 部 || 200,000 部 || 202,500 部 |- ! 2014年 | 205,000 部 || 200,000 部 || 203,334 部 || 200,000 部 |- ! 2015年 | 200,000 部 || 196,667 部 || 186,667 部 || 180,000 部 |- ! 2016年 | 180,000 部 || 180,000 部 || 183,333 部 || 178,750 部 |- ! 2017年 | 175,000 部 || 170,000 部 || 166,667 部 || 155,000 部 |- ! 2018年 | 150,000 部 || 150,000 部 || 143,333 部 || 141,250 部 |- ! 2019年 | 140,000 部 || 139,200 部 || 137,800 部 || 134,000 部 |- ! 2020年 | 133,000 部 || 127,333 部 || 133,000 部 || 133,000 部 |- ! 2021年 | 133,000 部 || 133,000 部 || 133,000 部 || 130,000 部 |- ! 2022年 | 130,000 部 || 130,000 部 || 136,667 部 || 130,000 部 |- ! 2023年 | 125,000 部 || 125,000 部 || 125,000 部 || |} == 連載作品 == <!-- 作品名五十音順。最終話が掲載されてもその次の号が発売されるまでは連載中です。次の号が発売されるまでは最終話が掲載された作品を除去しないで下さい。--> {{Main2|過去の連載作品については[[りぼん連載作品の一覧]]を}} 以下、2023年12月1日(2024年1月号)現在連載中の作品。 {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|はいすこあ}}[[HIGH SCORE]] || {{Display none|つやま ちなみ}}[[津山ちなみ]] || — || 1995年4月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|あにまるよこちよう}}[[アニマル横町]] || {{Display none|まえかわ りよう}}[[前川涼]] || — || 2001年1月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|せつきようかくえん てんせい}}[[絶叫学級|絶叫学級 転生]] || {{Display none|いしかわ えみ}}[[いしかわえみ]] || — || 2015年7月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|はにいれもんそおた}}[[ハニーレモンソーダ]]||{{Display none|むらた まゆ}}[[村田真優]] || — || 2016年2月号 || 原作引用作 || |- | {{Display none|こいせよきのこ}}恋せよキノコ || {{Display none|あおい まお}}青井真央 || — || 2017年5月号 || || |- | {{Display none|ほわころくらふいんりほん}}ほわころくらぶ in りぼん<ref>連載当初のタイトルは『ほわころくらぶ 恋するりぼんぐみ』。2019年8月号より『ほわころくらぶ in りぼん』に変更。</ref> || {{Display none|えちかわ のりゆき}}えちがわのりゆき || — || 2018年6月号 || || |- | {{Display none|ういこん}}[[初×婚]] || {{Display none|くろさき みのり}}[[黒崎みのり]] || — || 2019年6月号 || || |- | {{Display none|きすておこして}}キスで起こして。 || {{Display none|はるた なな}}[[春田なな]] || — || 2020年5月号 || || |- | {{Display none|れおとみかつき}}[[レオと三日月]] || {{Display none|きのした ほのか}}[[木下ほのか]] || — || 2022年2月号 || || |- | {{Display none|はなひはさめないゆめをみる}}花火は醒めない夢をみる || {{Display none|なかしま みるく}}中島みるく || — || 2022年6月号 || || |- | {{Display none|さんふんこにまるまるするはなし}}3分後に○○する話 || {{Display none|たけうち こすえ}}[[武内こずえ]] || — || 2022年6月号 || || |- | {{Display none|ほつとけないよくしようくん}}ほっとけないよ九条くん || {{Display none|みかつき ゆい}}みかづき唯 || — || 2022年9月号 || || |- | {{Display none|あおにらくらい}}青に落雷 || {{Display none|にしさわ うみ}}虹沢羽見 || — || 2022年10月号 || || |- | {{Display none|おしひしようこうくん}}推しぴ症候群 || {{Display none|こはやし ゆき}}小林ユキ || — || 2023年1月号 || || |- | {{Display none|せつせいのあくしよはまおうしさまにちようあいされる}}絶世の悪女は魔王子さまに寵愛される || {{Display none|あさかのりこ}}朝香のりこ || {{Display none|あいら}}*あいら*{{Small|(原案)}} || 2023年3月号 || || |- | {{Display none|くさつてもはつこい}}腐っても、初恋。 || {{Display none|なしのあり}}梨乃あり || — || 2023年4月号 || || |- | {{Display none|はえるこいとかしりません}}映える恋とか知りません || {{Display none|ゆすきうたの}}[[柚木ウタノ]] || — || 2023年7月号 || || |- | {{Display none|きやんしやにえいとわたしたちさいこうてさいきようのひろいん}}[[キャンジャニ∞|キャンジャニ∞<br />〜わたしたち、最高で最強のヒロイン♡〜]] || {{Display none|ほしやはいこ}}星屋ハイコ || [[ジャニーズ事務所]]{{Small|(協力)}} || 2023年11月号 || || |- | {{Display none|さめさめしんへえさめりはいふ}}さめざめ!ジンベエザメ☆りばいぶ || {{Display none|はなしろけい}}花城けい || — || 2023年11月号 || || |- | {{Display none|のおわあす}}no words. || {{Display none|まき}}maki || — || 2023年12月号 || || イラスト連載<ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-11-02|journal =りぼん|volume=2023年12月号|publisher = 集英社|asin = B0CKZY3GFF}}表紙より。</ref> |- | {{Display none|ほくのことおしてよ}}僕のこと推してよ || {{Display none|せかわあや}}瀬川あや || — || 2024年1月号 || || <!-- ※新連載の追加方法 以下の雛形をコメントアウトのすぐ上にコピーアンドペーストし、《 》内の説明に従った内容をその箇所に記入してください。また記入後は《》も不要になります。 原作者のいない場合の雛形 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]] || — || 《開始号をxxxx年xx号》 || 原作者などがいる場合の雛形 |- | {{Display none|《作品の読みをひらがな清音で》}}[[《作品名》]] || {{Display none|《作者名をひらがな清音で》}}[[《作者名》]](漫画)|| {{Display none|《原作者の読みをひらがな清音で》}}[[《原作者》]](原作) || 《開始号をxxxx年xx号》 || -->|} === 隔月連載 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|にやあおつさん}}[[ニャーおっさん]] || {{Display none|こんとう あき}}[[コンドウアキ]] || — || 2015年1月号 || |} === 不定期連載 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|ちひまるこちゃん}}[[ちびまる子ちゃん]] || {{Display none|こはき ほたん}}小萩ぼたん<ref group="注">誌面では「さくらプロダクション 小萩ぼたん」と表記。公式SNSなどでは「小萩ぼたん」のみの表記となる場合がある。</ref> || {{Display none|さくらももこ}}[[さくらももこ]] || 2019年11月号<ref>{{Cite web|和書|date=2019-10-03 |url=https://natalie.mu/comic/news/349949 |title=「ちびまる子ちゃん」まる子たちがハロウィンパーティ開く新作エピソード|work=コミックナタリー |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|株式会社ナターシャ]] |accessdate=2021-04-12}}</ref><ref group="注">さくらももこ存命中の掲載期間は含めず。</ref> || 原作引用作 || 2021年8月号までの作画担当は<br />「さくらプロダクション」とのみ表記。 |} === 休載中 === {| class="wikitable sortable" style="background: #FFF;" ! 作品名 !! 作者(作画) !! 原作者など !! 開始号 !! 映像関連 !! 備考 |- | {{Display none|さよならみにすかあと}}[[さよならミニスカート]] || {{Display none|まきの あおい}}[[牧野あおい]] || — || 2018年9月号 |||| 2019年7月号より休載中。 |} == カラー扉について == 他誌に見られる巻頭見開きカラー扉や新連載第1話カラー扉はもちろんのこと、連載開始以来終了までカラー扉が続いた作品も少なくない。基本的にカラー扉を任されるのはストーリー漫画のみであるが、人気のある4コマ・ショート漫画が例外的にカラー扉を任されることもある(『アニマル横町』・『チョコミミ』)。 また、すべてのストーリー連載作品の扉がカラー扉だったことがある。 さらに2006年以降、ピンナップスタイルの見開きカラー扉も登場している。 == 増刊号・派生誌 == ; りぼん増刊 : [[1984年]]休刊。不定期刊。 ; 別冊りぼん : [[1966年]]創刊、[[1968年]]休刊。季刊。 ; りぼんコミックス : [[1967年]]創刊、1968年休刊。奇数月刊。第6号から'''ジュニアコミック'''に改称。 ; りぼんコミック : 1968年創刊、[[1971年]]休刊。月刊。 ; りぼんデラックス : [[1975年]][[8月19日]]創刊、[[1978年]]休刊。季刊。全11冊 : 1975年創刊号(8月19日発売) : 1976年冬の号(1月19日発売)、春の号(4月17日発売)、夏の号(8月19日発売)、秋の号(10月19日発売) : 1977年冬の号(1月14日発売)、春の号(4月19日発売)、夏の号(8月19日発売)、秋の号(10月19日発売) : 1978年冬の号、春の号 ; [[ぶ〜け]] : [[1978年]]創刊、[[2000年]]廃刊。「りぼん」と「[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]」を母体に創刊された。詳しくは該当項目を参照。 ; [[りぼんオリジナル]] : [[1981年]]創刊、[[2006年]]6月号をもって事実上廃刊。奇数月18日頃発売されていた。[[2005年]]12月号から表記を'''RIBONオリジナル'''に変更していた。詳しくは該当項目を参照。 ; りぼん大増刊号 : [[1990年]]創刊。年3 - 4回刊行。若手作家の[[読み切り]]が中心だが、本誌作家の読み切りが巻頭を飾ることもある。もともとは「りぼんびっくり大増刊号」というタイトルだったが、2005年12月発売号以降は頻繁にタイトルが変更になっている。以下ここにその変遷を記す。 : 「りぼんチャレンジ!大増刊号」(2005年12月発売号・2006年3月発売号)→「りぼん超びっくり大増刊号」(2006年8月発売号 - [[2007年]]3月発売号)→「りぼん大増刊号 りぼんスペシャル」(2007年7月発売号 - )<ref group="注">号によってはタイトルを一部変更する事がある。以下ここにこれを記す。 *「りぼんスペシャル・ハート」(2009年7月発売号) *「りぼんスペシャル・ダイヤ」(2009年8月発売号) *「りぼんスペシャル・レモン」(2010年 - 2011年の7月発売号) *「りぼんスペシャル・オレンジ」(2010年 - 2011年の8月発売号) *「りぼんスペシャル・リアル」(2011年10月発売号) *「りぼんスペシャル・ハッピー」(2012年 - 2013年の3月発売号) *「りぼんスペシャル・キュート」(2012年 - 2013年の4月発売号) *「りぼんスペシャル・スター」(2012年7月発売号) *「りぼんスペシャル・スカイ」(2012年8月発売号) *「りぼんスペシャル・バニラ」(2013年 - 2021年の7月発売号) *「りぼんスペシャル・ミント」(2013年 - 2021年の8月発売号) *「りぼんスペシャル・キャンディ」(2015年3月発売号) *「りぼんスペシャル・マカロン」(2015年4月発売号) *「りぼんスペシャル・Black」(2022年7月発売号) *「りぼんスペシャル・Pink」(2022年8月発売号) *「りぼんスペシャル・ふわふわ」(2023年7月発売号) *「りぼんスペシャル・もちもち」(2023年8月発売号) この他に「大増刊」の部分に手を加えた「虹いろ大増刊号 りぼんスペシャル」(2014年5月発売号)というタイトルの時もあった。</ref> : なお、「チャレンジ!」では、1位になった作家が本誌連載を獲得できるという、若手作家の人気投票(2005年12月発売号ではストーリー作家、2006年3月発売号ではショート&ギャグ作家)が行われた。 ; りぼんおたのしみ増刊号 :[[1994年]]創刊。お盆前後と年末に発売されていた。本誌連載の番外編が中心であったが、「りぼんびっくり大増刊号」に吸収される形で姿を消した。 ; りぼんティーンズ増刊号 :[[1996年]]創刊、[[1998年]]休刊。年に1、2回発売されていた。「[[Cookie (雑誌)|Cookie]]」に吸収される形で姿を消した。 ; [[Cookie (雑誌)|Cookie]] : [[1999年]]に「ぶ〜け」との合同増刊として創刊、2号発行されたあと、2000年5月に独立した雑誌として新創刊。詳しくは該当項目を参照。 ; あみ〜ご! : 2006年[[7月18日]]に「りぼんピカピカ増刊 あみ〜ご!」というタイトルで発刊された。内容は『アニマル横町』、『[[出ましたっ!パワパフガールズZ]]』などのアニメ化作とタイアップ作品を前面に押し出したものである。以後増刊扱いとして不定期に発売されていたが、2007年12月に発売された第5号を最後に事実上廃刊した。なお、第4号と第5号については「りぼんピカピカ増刊」ではなく「りぼん特別編集」と名乗っており、『[[ちびまる子ちゃん]]』(アニメ、[[まるまるちびまる子ちゃん|ドラマ版]]を含む)しか取り上げていない。 : それ以前にも、『[[満月をさがして]]』と『[[アニマル横町]]』がアニメ化された時に、その作品(アニメ版を含む)のみを特集した増刊号が発行されたことがある。 ; りぼんファンタジー増刊号 : ファンタジー系の読み切りのみを掲載する増刊号。[[2009年]][[10月23日]]に第1号が刊行され<ref>{{Cite web|和書|date=2009-10-23 |url=https://natalie.mu/comic/news/22819 |title=こんなりぼん見たことない!りぼんファンタジー増刊号発売|work=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |accessdate=2019-12-28}}</ref>、第2号は[[2010年]][[10月22日]]に刊行された<ref>{{Cite web|和書|date=2010-10-22 |url=https://natalie.mu/comic/news/39420 |title=種村有菜「イ・オ・ン」掲載りぼんファンタジー本日発売|work=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |accessdate=2019-12-28}}</ref>。 == タイアップ == === テレビアニメ === 1960年代は「[[ドンキッコ]]」([[ピー・プロダクション]]製作、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ほかで放送)、「[[魔法使いサリー]]」、「[[ひみつのアッコちゃん]]」(いずれも[[東映アニメーション|東映動画]]製作・[[テレビ朝日|NET]]系列ほかで放送)がアニメ化されていたが、「ひみつのアッコちゃん」が終了した1970年からはアニメとの関係はしばらく途絶えた。1980年代は「[[ハニーハニーのすてきな冒険]]」([[国際映画社]]製作・フジテレビほかで放送)と「[[ときめきトゥナイト]]」([[東宝]]および[[グループ・タック]]製作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]ほかで放送)がアニメ化された。しかし、前者はアニメ化の10年以上前に連載されていたという代物であり、後者は連載が始まって半年もたたない内に放送されたが漫画そのものは通算10年続いたのに対してアニメの方は1年で終了している。 1990年に「[[ちびまる子ちゃん]]」が[[日本アニメーション]]製作・フジテレビ系列ほか放映でテレビアニメ化され、国民的大ヒットとなった。なお、「ちびまる子ちゃん」のアニメは1992年9月に一度は終了したが、1995年1月に再開、2016年春の改編時点現在でもフジテレビ系列および[[山梨放送]](日本テレビ系列)で放送中。『ちびまる子ちゃん』の一時休止時には入れ替わるかのように『[[姫ちゃんのリボン]]』([[ぎゃろっぷ]]製作・[[テレビ東京]]系列ほかで放映)と『[[ママレード・ボーイ]]』(東映動画製作・一部地域除くテレビ朝日系列ほかで放映、製作ホスト局は[[朝日放送テレビ|朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉]])がアニメ化された。また、『姫ちゃんのリボン』終了後はその枠で『[[赤ずきんチャチャ]]』→『[[ナースエンジェルりりかSOS]]』→『[[こどものおもちゃ]]』が放送されている。 しかし、『ママレード・ボーイ』の後継作の『[[ご近所物語]]』はヒットしたとは言えない結果に終わり、次番組は本誌作品ではなくなった<ref group="注">同じ集英社の『[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]』に連載されていた『[[花より男子]]』に代わった(もっとも、『マーガレット』も、『花より男子』を送り込んだだけに終わった)。</ref>。また、『こどものおもちゃ』、『[[ケロケロちゃいむ]]』についても、後番組が『りぼん』の作品でなくなった<ref group="注">ちなみに『ケロケロちゃいむ』は少年向け作品の『[[超魔神英雄伝ワタル]]』、『こどものおもちゃ』は青年向け作品の『[[カウボーイビバップ]]』</ref>。『こどものおもちゃ』と入れ替わる格好で、テレビ東京系列で日曜朝に放送された『[[魔法のステージファンシーララ]]』([[ぴえろ|Studioぴえろ]]製作、製作ホスト局は[[テレビ大阪]])のコミカライズを手掛けたが、こちらもヒットしたとは言えない結果に終わっている。 その後、1999年から2000年にかけて『[[神風怪盗ジャンヌ]]』をブラウン管に送り込んだ([[東映アニメーション]]製作、一部系列局除くテレビ朝日系列で放送)ものの、原作の人気をテレビアニメに持ち込むことが出来ずに失敗、その後の『[[GALS!|超GALS!寿蘭]]』(『GALS!』をアニメ化した際のタイトル)(2001-2002年、[[ぴえろ]]製作、テレビ東京系列で放送)や『[[満月をさがして]]』(2002-2003年、[[スタジオディーン]]製作、テレビ東京系列で放送)も同じ憂き目にあった。 2003年の『[[ウルトラマニアック]]』([[プロダクション リード|葦プロダクション]](当時)製作、[[アニマックス]]で放送)と翌2004年の『[[愛してるぜベイベ★★]]』([[トムス・エンタテインメント]]製作、こちらもアニマックスで放送<ref group="注">それ以外にも、アニマックスでの放送後に一部の[[全国独立UHF放送協議会|独立UHF局]]でも放送された。</ref>)のように[[CS放送|CS]]のアニメ番組専門局での放送に活路を見出そうとしたこともあったが、この路線は2作限りで終了した。その後2005年10月から2006年9月にかけて『アニマル横町』がテレビ東京系列にて([[同友アニメーション]]およびぎゃろっぷ製作)、2009年10月から2010年12月にかけて、『[[夢色パティシエール]]』シリーズ<ref group="注">2010年10月3日から同年12月26日まで、『夢色パティシエールSP(スペシャル)プロフェッショナル』というタイトルに改めて続投された。</ref>が[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]をホスト局に日本テレビ系列ほかにて([[スタジオ雲雀]]製作)、それぞれ放送されたが、どちらも次番組は『りぼん』作品ではない<ref group="注">『アニマル横町』は『[[D.Gray-man]]』、『夢色パティシエール』は『[[べるぜバブ]]』。いずれも[[集英社|同じ版元]]の[[少年漫画]][[漫画雑誌|雑誌]]『[[週刊少年ジャンプ]]』に連載された作品。</ref>。2011年11月から2012年1月にかけて[[キッズステーション]]で『[[HIGH SCORE]]』([[ディー・エル・イー|DLE]]製作)が放送された。 1999年以降、コミカライズが増え始め、『[[ポポロクロイス (アニメ)|ポポロクロイス ピノンの大冒険]]』(2003-2004年、トムス・エンタテインメント製作、テレビ東京系列で放送)、『[[リリとカエルと(弟)]]』(2006年、東映アニメーション製作、アニマックスで放送、単発テレビアニメのコミカライズ、同年の増刊枠『りぼん夏の超びっくり大増刊号』に掲載)、『[[出ましたっ!パワパフガールズZ]]』(2006-2007年、東映アニメーション製作、テレビ東京系列で放送、テレビアニメのコミカライズ)を漫画化した。さらに2009年6月号から[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]のコンピューター関連番組『[[天才てれびくんMAX ビットワールド]]』内で2009年4月から2010年3月まで放送されたミニアニメ『[[ヒゲぴよ]]』の4コマ漫画<ref group="注">漫画化ではなく、アニメを4コマ漫画に再編集したもの。</ref><ref group="注">原作漫画は同じ集英社からリリースされていた雑誌『[[Cocohana|コーラス]]』で連載されていた。</ref>が連載されていた。さらに2010年2月号から同年10月号にかけて『[[あにゃまる探偵 キルミンずぅ]]』([[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]]、[[ハルフィルムメーカー]]、[[JM ANIMATION]] 制作、テレビ東京系列で放送<ref group="注">アニメそのものは2009年10月から2010年9月まで放送されている。</ref>)を漫画化した。 本誌で連載された原作を基にしたアニメ化作品は、『なかよし』や『ちゃお』といった他の小中学生向け少女漫画雑誌からのアニメ化作品と比べると、アニメと漫画が同時に終了せずにその後もそのまま<ref group="注">『なかよし』のように、アニメ化終了後にタイトルを区切らせることもほとんどない。</ref>漫画連載が続行される例が多い<ref group="注">例えば『赤ずきんチャチャ』の場合、1995年のアニメ終了後も、それから5年経過した[[2000年]]まで漫画の連載は続いた。</ref>。 === テレビドラマ === メディアミックスとしては最初期の<!--読みきりで『とんまてんぐ』(頓馬天狗)を掲載している。-->1960年に『[[やりくりアパート]]』([[TBSテレビ|TBS]]系列、製作ホスト局は朝日放送<ref group="注">1975年3月末まではTBS系列局だった。</ref>)のコミカライズが、1964年に『[[てなもんや三度笠]]』(TBS系列および一部の日本テレビ系列<ref group="注">該当番組の放送当時、地方のテレビ局はほとんどが1局しかなく、それもTBS系列局か日本テレビ系列局であった。そのため該当するテレビ局が日本テレビ系列局だった地域では、そこで放送してもらっていた。</ref>、製作ホスト局は朝日放送)のコミカライズが、それぞれ連載された。それらは全て[[藤木てるみ]]の絵によるものであった。その後1990年代に至るまではテレビドラマと関わることは全くなかった。 1994年に『[[お父さんは心配症]]』(一部系列局除くテレビ朝日系列、製作ホスト局は朝日放送)がテレビドラマ化されたものの、連載終了後(それもかなり経ってから)のテレビドラマ化だった。さらに1997年には『[[砂の城]]』(フジテレビ系列、製作ホスト局は[[東海テレビ放送|東海テレビ]])、2005年には『[[デザイナー (漫画)|デザイナー]]』(TBS系列、製作ホスト局は[[毎日放送]])がテレビドラマ化されたが、これらも『お父さんは心配症』同様、連載終了後(それもかなり経ってから)テレビドラマ化されたものだった。 2000年代後半には2006年に『[[生物彗星WoO]]』([[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS-2]])とタイアップをしたり、2007年には『[[まるまるちびまる子ちゃん]]』(フジテレビ系列)、『[[チョコミミ]]』(テレビ東京系列)と作品としては地上波で原作からの引用作品を二作品同時に放送する状況になった。ただし、この状態もわずか半年ほどで解消された。 なお、「[[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]」作品であり、なおかつ後に集英社の他誌に移動した作品ではあるが、『[[有閑倶楽部]]』が1986年と2007年にテレビドラマ化されたことがある。さらに2001年に台湾で『ママレード・ボーイ』が『[[ママレード・ボーイ#台湾ドラマ版|橘子醬男孩]]』というタイトルでドラマ化されている。この作品は日本では長らく未公開であったが、2008年にDVDソフト化され視聴可能になった。 === 映画 === 「テレビアニメ化作品の映画版」を除けば、1984年に『[[月の夜 星の朝]]』が実写映画化された。その後1995年には『[[耳をすませば]]』が[[スタジオジブリ]]の製作によりアニメ映画化されている。2013年には『[[絶叫学級]]』が、2021年には『[[ハニーレモンソーダ]]』が実写映画化された。なお、殆どの作品は[[東宝]]が配給を手掛けている(『ハニーレモンソーダ』は[[松竹]]配給)。 また、ショート漫画『くまちゃん』は1992年の同名の実写映画([[小中和哉]]監督作品、小中は映画と漫画の初期話数の原作も手がけている)のタイアップ企画である。また、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『[[ハイスクール・ミュージカル]]』の[[ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー|映画版]]が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載され、その直後に単行本が発売されている。 他に、イベント上映用として短編アニメ映画化された作品も複数存在する。 === OVA === 1990年代に『[[ねこ・ねこ・幻想曲]]』(1991年)、 『[[ハンサムな彼女]]』(1992年)、『[[天使なんかじゃない]]』(1994年)、『[[赤ずきんチャチャ]]』、『[[こどものおもちゃ]]』(1995年)の5作が[[OVA]]化されている。『こどものおもちゃ』についてはOVA版リリースの翌年(1996年)にテレビアニメ化されている。 『[[ベイビィ★LOVE]]』(1997年)、『[[グッドモーニング・コール]]』(2001年)、『[[時空異邦人KYOKO]]』(2001年)のようにイベント上映された後、誌上通販(応募者全員サービス)による非売品OVA化された作品もある。 その後、ギャグ漫画『[[めだかの学校 (漫画)|めだかの学校]]』が2001年にOVA化された。 === ノベライズ === 『りぼん』の版元の集英社は、少女向け小説レーベルの[[コバルト文庫]]を擁しているが、1990年代半ばに、このコバルト文庫から、『[[ないしょのプリンセス]]』([[水沢めぐみ]])や『この手をはなさない』([[小花美穂]])や『[[ベイビィ★LOVE]]』([[椎名あゆみ]])が[[小説化|ノベライズ]]されたことがある。 また、『[[赤ずきんチャチャ]]』や『[[こどものおもちゃ]]』や『[[ケロケロちゃいむ]]』もコバルト文庫でノベライズされたことがあるが、これらの内容は漫画のノベライズではなくテレビアニメのノベライズである。もっとも、挿絵は原作者により描かれており(例えば「赤ずきんチャチャ」の場合は原作者によるアニメオリジナルの魔王との対決のイラストであったりする)、原作者のコメントが掲載されることもある。 さらに集英社は2011年に、[[集英社みらい文庫]]という児童文庫を立ち上げたが、本誌からは『[[絶叫学級]]』や『[[CRASH! (藤原ゆかの漫画)|CRASH!]]』や『神風怪盗ジャンヌ』が小説化・シリーズ化されている。こちらの挿絵も原作者が手掛けている。 === ハローキティ === 2007年から2009年にかけて、[[サンリオ]]のキャラクター[[ハローキティ]]とのタイアップ作品を連載していた。 *ハローキティDOKI☆(2007年6月号 - 2008年5月号、作画:[[福米ともみ]]) *ハローキティピース!!(2008年7月号 - 2009年6月号、作画:[[桃山あんず]]) === インターネットラジオ === 集英社は[[インターネットラジオ]]局「[[S-ラジ]]」を運営している。 その中に、[[ラジオドラマ]]コンテンツ「[[VOMIC]]」(ボイスコミック)が存在する。そのVOMICのプログラムのひとつとして、2008年1月に『[[ロッキン★ヘブン]]』がラジオドラマ化された。以後、数作品がVOMICの手によってラジオドラマ化されている。 さらに「種村有菜のラジオDEシャキン★」という、種村有菜がパーソナリティーを務めるコンテンツ(番組)を、2008年5月30日からスタートさせている。 === インターネット動画 === 「りぼんチャンネル」を[[YouTube]]と[[ニコニコ動画]]に開設している。VOMICや『おはスタ』で放送されたショートアニメの再配信や、漫画のメイキングムービー、YouTubeでは雑誌の予告の紹介動画や掲載される作品から序盤のボイスコミックを配信したり、ニコニコ動画では以前付録になったヘアアレンジ紹介冊子付録の内容を動画にした他「りぼん×初音ミク放送局.com出張版」として[[VOCALOID]]楽曲の紹介ブログを公開している。 === その他 === テレビアニメ化やテレビドラマ化こそされていないが、応募者全員サービス用やイメージアルバムのプログラムのひとつとして[[ドラマCD]]化された作品が複数存在する。しかし、他誌の連載作品のような市販されたものはない。なお、アニメ化によるメディア展開に力を入れる前の1990年代前半期までは、複数の作品がイメージアルバム化されており、それらの収録曲の中には、原作者による歌唱が収録される事が多かった。さらに、そのリリース時期は[[レコード]]からCDへの移行期に重なり、後にCDで発売される場合もあった。 2003年の『ウサハナ』はサンリオ、2005年の『ももぶた』は[[サンエックス]]とのタイアップ作品である。そして2006年5月号から同年10月号まで、[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]](現在の[[タカラトミー]])の玩具[[チョロQ]]とのタイアップ作品『ハッピーフレンズ チョロQZOO ビタイヌ』を連載した。これらは『くまちゃん』に始まるタイアップによるショート漫画路線であった。 2008年10月号から2011年7月号まで、ゲームメーカー[[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]]とのタイアップ作品『[[夢色パティシエール]]』が連載された。また、その『夢色パティシエール』のメディアミックスに関連して、2009年4月から6月まで子供向け情報番組『[[おはスタ]]』(テレビ東京系列ほかで放送・[[小学館集英社プロダクション]]制作)において『夢色パティシエール』のコーナーが放送された。『りぼん』の商売敵に当たる、小学館の『ちゃお』関連作品の情報を公開することが多かった『おはスタ』ではあるが、集英社の少女漫画雑誌に連載された作品が登場するのはこれが初めての試みだった。なお、『おはスタ』の本誌連載作紹介コーナーについては、同年7月は『[[絶叫学級]]』、8月からは『MOMO』を入れ替わりで取り上げた。さらに、コーナー放送に合わせて、『りぼん』のテレビCMが『おはスタ』で放送されたことがある。その後、2011年にも7月には再び『絶叫学級』が、2014年4月には『つばさとホタル』が、それぞれ取り上げられている。 ゲーム関係では、アーケードゲームの『[[プリティーリズム]]』の[[プリティーリズム (漫画)|コミカライズ]]が2010年8月号から2012年6月号まで連載されたほか、テレビゲームの『[[ポポロクロイス はじまりの冒険]]』のコミカライズ作品『[[ポポロクロイス (アニメ)|ポポロクロイス ピノンの大冒険]]』が、『[[RIBONオリジナル|りぼんオリジナル]]』に連載されたことがある。なお、いずれの作品もテレビアニメ版がテレビ東京系列で放送されたことがある<ref group="注">2011年4月からアニメ『[[プリティーリズム・オーロラドリーム]]』の放送が開始され、小学館が製作委員会に出資していたことに伴い競合誌の『ちゃお』でも2011年4月号から2012年3月号までアニメ版と設定を共有する漫画が連載されていた。</ref>。 芸能界とのタイアップとしては、[[ジャニーズ事務所]]と組んだ漫画作品『[[Ya-Ya-yahがやってくる!]]』が2005年8月号から2006年5月号まで連載された。また、漫画作品ではないが、2010年1月号から2011年7月号まで[[AKB48]]とのタイアップ企画が連載されたほか、2012年5月号からは、ジャニーズ事務所所属グループ[[Sexy Zone]]およびAKB48グループで[[福岡県]][[福岡市]]を活動拠点とする女性アイドルグループ[[HKT48]]との、それぞれのタイアップコーナーを連載している。 前述のように、ディズニーが手掛けたミュージカルドラマ『ハイスクール・ミュージカル』の映画版が日本で封切られた際、その漫画版が本誌2009年3月号に掲載された。なお、『なかよし』以外の少女漫画雑誌がディズニーとのタイアップを行ったのはこれが初めてである。 テレビゲーム機・携帯ゲーム機用のソフトについては、作品単体でリリースされたことはあった(例:『[[赤ずきんチャチャ#ゲーム|赤ずきんチャチャ]]』、『[[アニマル横町]]』など)が、(『なかよし』・『ちゃお』には存在する)複数の作品が登場するものに関しては、2011年6月末の時点まで、リリースされたことがない。 == りぼんガール == 『りぼん』読者からオーディションによって選抜され、[[モデル (職業)|モデル]]として誌面で活躍する女の子のこと。元の名称は「りぼんモデル」。2001年から2009年まで選出されていた。 主にカラーページの懸賞、付録ページ、ファッションページやりぼんガールステージなどで活躍していた。また、毎年7月号での懸賞ページでは、グランプリ受賞者が[[サイパン島|サイパン]]ロケを行う。2008年度からは[[グアム]]ロケになった。その年に選ばれるグランプリ、及び準グランプリの人数は決まっていなかった。 毎年10月号についてくる書類でオーディション募集を行い、選考が行われていた。進行順序は、『書類審査』⇒『二次選考』(面接、カメラテスト)⇒『読者投票』である。芸能事務所等に所属していない一般人から選抜される確率が高いが、その後芸能事務所に所属し、[[ファッションモデル]]や女優として活動する者もいる。 === 歴代りぼんガール === * 2001年度 グランプリ - [[黒川智花]] * 2003年度 グランプリ - 谷口結子、渡辺唯子 * 2004年度 グランプリ - 提由莉奈 :準グランプリ - 足立綾香、小笠原里香子、堀内理世 * 2005年度 グランプリ - [[今野真菜]]、高橋悠 :準グランプリ - 池田百花、[[伊藤夏帆]]、高橋晴香、本間翔子、[[渡辺梨夏子]] * 2006年度 グランプリ - [[葉月]]、丸山友加 :準グランプリ - [[井之上史織]]、[[細谷理紗]]、[[海老澤月那|月那]]、三澤玲香、山崎春佳、酒田奈々、藤原玲奈、舘野沙也可 * 2007年度 グランプリ - [[夏居瑠奈]]、西森愛美 :準グランプリ - [[伊藤梨沙子]]、幸本遥、小川沙亜野、大咲ひかり、香山ゆうか * 2008年度 グランプリ - [[阿部紗英]]、藤永留歌 :準グランプリ - [[佐藤初]]、[[廣川奈々聖]]、藤井杏梨樺、山田麻由 * 2009年度 グランプリ - 金倉菜摘 :準グランプリ - 酒井彩花、[[柴田杏花]]、[[田辺桃子]]、宮崎れいな *2009年度以降のりぼんガール - [[永野芽郁]]、青山愛依、椎名るか、芽奈、岡崎瑠花、川嶋夏実、歩乃圭(帆夏)、[[奥森皐月]]、吉村栞乙、吉村眞乙、朝倉さくら、成宮しずく、深川和音、森嶋さくら、鈴木遥夏、[[藤本ばんび]]、滝口芽里衣、新井美佳、森永怜杏、矢沢ミア *東宝シンデレラオーディション審査員特別賞(りぼん賞) - 井上音生 *バーチャルりぼんガール&ボーイ - ゆわ、るか、(うーさん) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[りぼんっ子]] == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|漫画|[[画像:Logo serie manga.png|50px|Portal:漫画]]}} * [http://ribon.shueisha.co.jp/index.html 集英社 りぼん 公式サイト] * [https://www.shueisha.co.jp/history/ 集英社小史] * [http://www.maboroshi-ch.com/old/cha/kat_02.htm 『りぼん』『なかよし』が生まれた時代] - まぼろしチャンネル ; SNSアカウント * {{Twitter|ribon60th|りぼん編集部}} * {{Twitter|ribon_fan|りぼんむすび公式}} * {{Twitter|ribon_ten|特別展 りぼん}} * {{instagram|riboncomic|りぼん編集部}} * {{TikTok|ribon_comic|りぼん編集部}} ; 動画チャンネル * {{ニコニコチャンネル|ribon-shueisha|りぼんチャンネル}} * {{YouTube|user=ribonchannel|りぼんチャンネル}} {{りぼん連載中}} {{集英社}} {{デフォルトソート:りほん}} [[Category:りぼん|*]] [[Category:日本の漫画雑誌]] [[Category:集英社の漫画雑誌]] [[Category:月刊漫画雑誌]] [[Category:少女漫画雑誌]] [[Category:1955年創刊の雑誌]] [[Category:刊行中の漫画雑誌]]
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出版社
出版社(しゅっぱんしゃ)は、書籍や雑誌などを発行する会社。 新規性など商業的な交換価値のある情報を社会で公共化することを主な目的とする。 日本標準産業分類において、かつて出版社は製造業に分類されていたが、2002年の改定以降は情報通信業に該当する。 日本の出版社の多くは東京一極集中の傾向にあるため、それ以外の地方を本拠とする出版社を地方出版社と呼ぶこともある。地方出版社としては、無明舎出版(秋田県)などが挙げられる。 東京大学出版会など、大学が大学出版局を持っているところもある。他方、新聞社は伝統的に出版事業も行っている場合が多い。 印刷会社が受注生産であるのに対し、出版社は原則的に見込み生産である(自費出版の請負などを除く)。個人で運営する「ひとり出版社」を起業する編集者もいる。経営リスクは高いが、自分の好きな本を企画できる利点もある。 欧米では国境を超えた激しい市場競争があり、メディア・コングロマリット化が進んでいる。
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出版社(しゅっぱんしゃ)は、書籍や雑誌などを発行する会社。
{{出典の明記|date=2020-06}} '''出版社'''(しゅっぱんしゃ)は、[[本|書籍]]や[[雑誌]]などを発行する[[会社]]。 == 概説 == 新規性など商業的な交換価値のある情報を社会で公共化することを主な目的とする。 [[日本標準産業分類]]において、かつて出版社は[[製造業]]に分類されていたが、2002年の改定以降は[[情報通信業]]に該当する。 [[日本の出版社一覧|日本の出版社]]の多くは[[東京一極集中]]の傾向にあるため、それ以外の[[地方#地方政府|地方]]を本拠とする出版社を'''地方出版社'''と呼ぶこともある。地方出版社としては、[[無明舎出版]]([[秋田県]])などが挙げられる。 [[東京大学出版会]]など、[[大学]]が[[大学出版局]]を持っているところもある。他方、[[新聞|新聞社]]は伝統的に出版事業も行っている場合が多い。 [[印刷会社]]が[[受注生産]]であるのに対し、出版社は原則的に見込み生産である([[自費出版]]の請負などを除く)。個人で運営する「ひとり出版社」を起業する[[編集者]]もいる。経営リスクは高いが、自分の好きな本を企画できる利点もある<ref>【文化時評】「ひとり出版社」の愉楽『[[日本経済新聞]]』朝刊2021年4月11日12面</ref>。 [[欧米]]では[[国境]]を超えた激しい[[市場競争]]があり、[[メディア・コングロマリット]]化が進んでいる。 == 各国の主な出版社 == {{seealso|[[:en:Lists of publishing companies]]}} === 日本 === {{main|日本の出版社一覧}} * [[集英社]]([[一ツ橋グループ]]) - 1926年に小学館の娯楽誌部門として創業。小学館が筆頭株主。漫画出版の日本最大手。 * [[講談社]]([[音羽グループ]])- 1909年創業。1958年から現社名。 * [[KADOKAWA]]([[KADOKAWAグループ]]) - 1945年に[[角川書店]]として創業。新刊刊行点数の日本最大手。 * [[小学館]]([[一ツ橋グループ]])- 1922年創業。 * [[Gakken]]([[学研ホールディングス|学研グループ]]) - 児童書・[[学習参考書]]、医学書・看護書、保健体育・道徳の教科書などを手がける。 * [[宝島社]] - 1971年に設立。付録付き雑誌・ムックが主体の出版社。 * [[文藝春秋]] - 1923年に創業。月刊誌『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』、『[[週刊文春]]』など、様々な出版物を手がける。 * [[新潮社]] - 1896年に創業。月刊誌『[[新潮]]』、『[[週刊新潮]]』など、様々な出版物を手がける。 * [[光文社]]([[音羽グループ]]) - 1945年に設立。[[第二次世界大戦|戦争]]協力の責任を問われた講談社の別動隊として組織された。 * [[岩波書店]] - 1913年に[[岩波茂雄]]が設立。学術書を中心に、『[[広辞苑]]』や[[岩波文庫]]、[[岩波新書]]など刊行。 * [[日経BP]]([[日本経済新聞|日経グループ]]) - 1969年に設立。経済誌『[[日経ビジネス]]』などの出版物やネットメディア、コンサルティング、イベント・セミナーを手がける。 * [[ダイヤモンド社]] - 1913年に創業。経済誌『[[週刊ダイヤモンド]]』など、様々な出版物を手がける。 *[[NHK出版]]([[日本放送協会|NHKグループ]]) - [[日本放送協会]]と連携した出版物を手がける。 * [[医学書院]] - 医学・医療領域の専門書出版社の大手。 *[[朝日新聞出版]]([[朝日新聞社|朝日新聞グループ]]) *[[旺文社]] - 1931年創業。[[学習参考書]]を発行 * [[東京書籍]]([[凸版印刷|トッパングループ]])- 教科書出版の大手。 * [[光村図書出版]] - 教科書出版社 *[[教育出版]]([[大日本印刷|DNPグループ]])- 総合教科書出版社。 * [[ぎょうせい]] - 法令関連の出版物を手がける。 * [[有斐閣]] - 1877年創業。 *[[リクルートホールディングス|リクルート]](リクルートグループ) - 求人情報誌、販促情報誌の大手。 * [[ゼンリン]] - 1948年創業。[[住宅地図]]の最大手。 * [[昭文社]] - [[道路地図]]や[[旅行ガイドブック]]の出版社 * [[JTBパブリッシング]] - [[旅行ガイドブック]]の出版社 * [[文芸社]] - [[自費出版|自費出版社]] * [[音楽之友社]] - 音楽出版社 * [[星雲社]] - [[出版取次]]と契約できない出版社(発行元)対して、出版取次との取引を代行している流通責任出版社(発売元) * [[中央公論新社]] - [[読売新聞グループ本社]]の傘下 * [[文溪堂]] - [[岐阜県]][[羽島市]]と[[東京都]][[文京区]]に本社を置く図書教材、児童書を扱う出版社 * [[世界思想社教学社]] - 学術専門書・教養書の世界思想社、学習参考書の教学社の2つのブランド名を持つ地方出版社 * [[新興出版社啓林館]] - 教科書の啓林館、学習参考書の新興出版社、児童書の文研出版の3つのブランド名を持つ地方出版社 * [[ひかりのくに]] - 児童書・保育図書を取り扱う地方出版社 * [[京阪神エルマガジン社]]([[神戸新聞社|神戸新聞グループ]]) - 日本雑誌協会に加盟する唯一の地方出版社 * [[メディコム]] - [[タウン情報誌]]「[[月刊タウン情報トクシマ]]」の発行する地方出版社 * [[シティ情報ふくおか]]([[アプライド]]傘下) - [[タウン情報誌]]「シティ情報ふくおか」の発行する地方出版社 === 英語圏 === *[[ペンギン・ランダムハウス]](ドイツの[[ベルテルスマン]]傘下) *[[サイモン&シュスター]]([[コールバーグ・クラビス・ロバーツ]]傘下) *[[ハーパーコリンズ]]([[ニューズ・コープ]]傘下) *[[アシェット・ブック・グループ]](フランスの[[アシェット・リーブル]]傘下) *[[マクミラン出版社]](ドイツの[[ホルツブリンク出版グループ]]傘下) *[[マーベル・コミック]]([[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]傘下) *[[:en:Scholastic_Corporation|スカラスティック]] *[[ジョン・ワイリー・アンド・サンズ]] === ドイツ語圏 === *[[シュプリンガー・ネイチャー]]([[ホルツブリンク出版グループ]]傘下) === フランス === * [[アシェット・リーブル]]([[ヴィヴェンディ]]傘下の[[ラガルデール]]傘下) * [[:fr:Editis|Editis]] * [[ガリマール出版社]](マドリガル・グループ) === イタリア === * [[デアゴスティーニ]] === スペイン語圏 === *[[:es:Editorial_Planeta|Planeta]](プラネット・グループ) === 台湾・香港 === ==== 台湾 ==== *[[東立出版社]](Tongli Publishing) *[[長鴻出版社]](Ever Glory Publishing) *[[尖端出版]](Sharp Point Press) *[[青文出版集団]](Ching Win Publishing) *[[台湾角川]](Kadokawa Taiwan) ==== 香港 ==== *[[玉皇朝出版集団]](King Comics) *天下出版(Comicsworld) == 出版関連団体 == *[[日本書籍出版協会]] *[[日本雑誌協会]] *[[出版梓会]] *[[日本医書出版協会]] *[[版元ドットコム]] *[[全国出版協会]] *国民出版協会 *[[大学出版部協会]] *[[日本図書教材協会]] *アメリカ出版協会 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} <references /> ==関連項目== *[[版元]] *[[本]] *[[出版]] {{Normdaten}} [[Category:出版社|*]]
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タレント
タレント(英: talent)は、才能、あるいは才能がある人を指す言葉。転じて、日本では、テレビやラジオなどのメディアおよび各種イベントに出演し出演料を得ることを収入源としている人を、本業としている人だけではなく副業や一種の副収入としている人も含めて一般に指す用語。 なお、イギリスやオーストラリアなどで進められているスポーツ政策TIDにおける「スポーツタレント」のように、英語の意味と連続して用いられる例もある。その他、人材・転職の業界では、本来の英語の意味に連続して「求められる能力」の意味で用いられることもある。 元は古代ギリシャ語の「ταλαντον」で、重量および貨幣の単位である。ラテン語では「talentum」、その複数形は「talenta」で、古英語に入って同様に単位を意味する「talente」や「talentan」となった。「重さ」の意味が転じて、中世英語で意向・傾向・性向などの語義が生じ、19世紀にはすでに「才能・技量」の語義が確立している。さらに、「才能」の語義が転じて、何らかの技能に長けた「人材」を意味する用法が生じた。また20世紀になると、通俗表現として、人目を引く(しばしば性的な)魅力をもった人を指して用いられることもある。 日本語の「タレント」には、以下の用法がある。 1.古代ギリシアおよびヘブライでの量衡(重さ)の単位、および貨幣の単位。 2.才能や技量。 3.(「才能がある人」という意味が転じて)テレビやラジオなどに職業的に出演している人。「芸能人」。 芸能人の類型の一つとされるが、アナウンサー、評論家、俳優、歌手、お笑い芸人などの明確な職能分類にあてはまらず、職称を確定しにくい人物に対して用いられることが多い。また、複数の専門分野にまたがって活動する人物をとくにマルチタレントと呼ぶ場合もある。 マスメディアへの露出度の高い人を(しばしば揶揄を込めて)タレントと呼ぶことや、「タレント性がある」などと表現することがある。 イギリスやオーストラリアなどでは、スポーツの国際競技力向上の観点から、Talent Identification & Development(TID)と呼ばれる選手の発掘・育成を図るスポーツ政策がとられている。このようなスポーツ政策のTIDにおける「スポーツタレント」は、「ある競技種目における国際競技大会での競争の中で最終的にメダル獲得の潜在力(ポテンシャル)を発揮できる者」と定義されている。日本でも、2020年東京オリンピックを前にTIDの導入が図られ、福岡県では国立スポーツ科学センター(JISS)の支援を受けて2004年に「福岡県タレント発掘事業」が立ち上げられた。 タレントのデータをまとめているサイトが存在する。
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タレントは、才能、あるいは才能がある人を指す言葉。転じて、日本では、テレビやラジオなどのメディアおよび各種イベントに出演し出演料を得ることを収入源としている人を、本業としている人だけではなく副業や一種の副収入としている人も含めて一般に指す用語。 なお、イギリスやオーストラリアなどで進められているスポーツ政策TIDにおける「スポーツタレント」のように、英語の意味と連続して用いられる例もある。その他、人材・転職の業界では、本来の英語の意味に連続して「求められる能力」の意味で用いられることもある。
{{See Wiktionary}} {{Otheruses}} '''タレント'''({{lang-en-short|talent}})or ({{lang-en-short|trash}}) は、才能、あるいは才能がある人を指す言葉<ref>{{Cite web|和書|title=talentの意味・使い方・読み方|url=https://eow.alc.co.jp/search?q=talent|publisher=英辞郎|accessdate=2023-03-05}}</ref>。転じて、[[日本]]では、[[テレビ番組|テレビ]]や[[ラジオ番組|ラジオ]]などの[[メディア (媒体)|メディア]]および各種[[イベント]]に出演し出演料を得ることを収入源としている人を、本業としている人だけではなく[[副業]]や一種の副収入としている人も含めて一般に指す用語。 なお、[[イギリス]]や[[オーストラリア]]などで進められているスポーツ政策TIDにおける「スポーツタレント」のように、英語の意味と連続して用いられる例もある<ref name="kinugasa" />。その他、人材・転職の業界では、本来の英語の意味に連続して「求められる能力」の意味で用いられることもある。 == 語源 == 元は[[古代ギリシア語|古代ギリシャ語]]の「{{lang|el|ταλαντον}}」で、重量および貨幣の単位である。ラテン語では「{{lang|la|talentum}}」、その複数形は「{{lang|la|talenta}}」で、古英語に入って同様に単位を意味する「{{lang|en|talente}}」や「{{lang|en|talentan}}」となった<ref>[http://www.oxforddictionaries.com/definition/english/talent?q=talent Oxford Dictionaries ]</ref>。「重さ」の意味が転じて、[[中世英語]]で意向・傾向・性向などの語義が生じ、[[19世紀]]にはすでに「才能・技量」の語義が確立している。さらに、「才能」の語義が転じて、何らかの技能に長けた「人材」を意味する用法が生じた。また[[20世紀]]になると、通俗表現として、人目を引く(しばしば性的な)魅力をもった人を指して用いられることもある<ref>[http://en.wiktionary.org/wiki/talent en.Wiktionary]</ref>。 [[日本語]]の「タレント」には、以下の用法がある。 1.[[古代ギリシア]]および[[ヘブライ]]での量衡(重さ)の単位、および貨幣の単位。 2.才能や技量。 3.(「才能がある人」という意味が転じて)テレビやラジオなどに職業的に出演している人。「芸能人」<ref name="kojien">広辞苑 第六版</ref>。 == 芸能人としてのタレント == [[芸能人]]の類型の一つとされるが、[[アナウンサー]]、[[評論家]]、[[俳優]]、[[歌手]]、[[お笑い芸人]]などの明確な職能分類にあてはまらず、職称を確定しにくい人物に対して用いられることが多い。また、複数の専門分野にまたがって活動する人物をとくに[[マルチタレント]]と呼ぶ場合もある。 マスメディアへの露出度の高い人を(しばしば揶揄を込めて)タレントと呼ぶことや、「タレント性がある」などと表現することがある。 == スポーツタレント == イギリスやオーストラリアなどでは、スポーツの国際競技力向上の観点から、Talent Identification & Development(TID)と呼ばれる選手の発掘・育成を図るスポーツ政策がとられている<ref name="kinugasa">{{Cite journal|和書|author=衣笠泰介; 藤原昌; 和久貴洋; Gulbin Jason|first=本田翼|year=2018|title=我が国におけるタレント発掘・育成に関する取組の変遷|url=https://doi.org/10.32155/jiss.3.0_15|journal=Sports Science in Elite Athlete Support|volume=3|pages=15-26|publisher=日本スポーツ振興センター国立スポーツ科学センター|accessdate=2023-03-15|doi=10.32155/jiss.3.0_15}}</ref>。このようなスポーツ政策のTIDにおける「スポーツタレント」は、「ある競技種目における国際競技大会での競争の中で最終的にメダル獲得の潜在力(ポテンシャル)を発揮できる者」と定義されている<ref name="kinugasa" />。日本でも、[[2020年東京オリンピック]]を前にTIDの導入が図られ、福岡県では[[国立スポーツ科学センター]](JISS)の支援を受けて[[2004年]]に「福岡県タレント発掘事業」が立ち上げられた<ref name="kinugasa" />。 == データベース == タレントのデータをまとめているサイトが存在する。 * [https://www.talent-databank.co.jp/ タレントデータバンク] * [[日本タレント名鑑]] * [[キネマ旬報映画データベース|KINENOTE]] * [[ORICON]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[芸能人]] * [[司会者]] * [[お笑いタレント]] * [[マルチタレント]] * [[ローカルタレント]] * [[タレント政治家]] * [[外国人タレント]] * [[スポーツ出身タレント]] * [[セレブリティ]] * [[広告]] * [[デブタレント]] * [[アイドル]] * [[wikt:スター|スター]] * [[モデル (職業)]] * [[文化人]] * [[評論家]] * [[コメンテーター]] * [[リポーター]] * [[フリーアナウンサー]] {{DEFAULTSORT:たれんと}} [[Category:芸能人]]
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歴史上の人物一覧
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ナッ信仰
ナッ信仰(ナッしんこう、ビルマ語: နတ်、IPA: /naʔ/; Nat)は、ミャンマーの民間信仰・土着信仰である。「ナッ」は、精霊、魔神、死霊、祖霊などを表す言葉である。ミャンマーにおいては仏教と並存し、混成の民間信仰を形成している。カチン族、カレン族、シャン族、モン族の間にもナッ信仰と類似するアニミズムが存在する。 信仰の歴史は古く、ビルマ族が同地に王国を形成する以前から存在した。 11世紀にパガン王朝を建国したアノーヤターは各地で信仰されているナッを37柱のパンテオンにまとめ、仏教の守護神であるダジャーミン(英語版)(ビルマ語: သိကြားမင်း)の下に他のナッを配して仏教の優位性を表した。ナッ信仰の確立には政治的意図が介入し、タトゥン、バガン(パガン)近郊のポウパー山、マンダレー近郊のタウンビョン、シャン高原などのビルマの歴代王朝が重要視した土地がナッ信仰の聖地とされている。ナッの世界の構造はビルマの政治体制に基づくものとなっており、ナッと人間の従属関係はビルマの伝統的な地方支配者と領民の関係に対応しており、政治支配の基盤が領土内の世帯に置かれているように各戸にマハーギーリーが祀られている。人々は祈願成就のためにナッに供え物を奉げる一方で、ナッがもたらす災厄を恐れているが、こうした関係は民衆と政治権力の関係に重ねられる。 ポッパ山は家の守護神であるマハーギーリー(英語版)(ビルマ語: မဟာဂီရိ)の住処として信仰を集め、ビルマ暦のナドー月(英語版)(ビルマ語: နတ်တော်)と新年の2回ナップエ(祭礼、精霊儀礼)が行われる。マンダレーの北に位置するタウンビョン村(ビルマ語: တောင်ပြုံးရွာ、IPA: /tàʊmbjówN jwà/)はアノーヤターに仕えた二人の兄弟ゆかりの聖地として知られている。タウンビョンでは二兄弟の伝説に由来する祭礼が開かれ、村と周囲には二兄弟と彼らに関係する人間にまつわるパゴダ、祠が建てられている。 ナッは人間の目に映らない存在だとされている。ナッは人間の守護霊でありながら、人々が供え物を怠り禁忌を犯した場合には災厄をもたらし、時には気分次第で不幸を呼び寄せる存在として畏怖されている。ナッの種類には家屋や村落の守護霊のほか、親から継承するものも存在する。ナッが支配下に置いている人間から供え物を受け取る関係はサインと呼ばれ、前の世代の人間が結んでいたサインの関係はヨウヤーナッ(ビルマ語: ရိုးရာနတ်、IPA: /jójà naʔ/; 血筋によるナッ)として子孫に継承される。 ナッの神格は自然物に宿るものから擬人化されて個性を与えられたものまで多岐にわたり、非業の死を遂げた人物の中にはナッとして祀られた者が多い。権力者への反逆の結果非業の死を遂げた人物の伝説を祭礼で再現することは支配権力への反抗の結果を人々に知らしめるとともに、反抗の象徴的表現を認めることで権力者や支配への不満を和らげる効果もあった。 ミャンマーの寺院には多くのナッの像が置かれており、中でも37柱のナッが重要視されている。初期のナッのパンテオンには36柱のナッの頂点にマハーギーリーが置かれていたが、36という数字は世界を4、もしくは4の倍数に分割するヒンドゥー教・仏教の世界観に基づくと言われている。アノーヤターは仏教の帝釈天・ヒンドゥー教のインドラに相当するダジャーミンを36のナッの上に置いてナッ信仰が仏教の下位にあることを示した上で信仰を認め、37柱のナッの像をシュエズィーゴン・パゴダに置き、ナッが仏教を守護する存在であることを表した。パンテオンを構成する37柱のナッは時代・地域・ナッのリストを編纂する人間によって異なり、37柱のナッのリストの編纂は王朝時代から続けられている。1820年にコンバウン王朝の宮廷で作成されたリストのナッはダジャーミンを除いて全て非業の死を遂げた人間の死霊で、うち15体はアヴァ王朝、タウングー王朝の人物だった。16世紀までは37柱に含まれるナッの交代がたびたび行われていたが、王権の介入が強まる17世紀以降、新規のナッが37柱に編入される現象は見られなくなる。 家の守護神であるマハーギーリーは、王によって火刑に処されたタガウン王国(英語版)の鍛冶屋と彼の後を追って火に飛び込んだ妹の精霊であり、パガン王アノーヤターによって土着のナッの頂点に据えられた。パガン王朝の成立前にはエインサウン・ナッというナッが家の守護神とされていたが、アノーヤターによる宗教改革によってマハーギーリーが各家庭で祀られるようになった結果、二つの神は同一視されるようになったと言われている。家の南東の柱には赤い布を被せたココヤシが吊り下げられていることがあるが、これは家のナッへの供え物、家のナッの住処、家のナッの象徴を兼ねている。家内のナッを祀る棚は仏陀を祀る棚の下に置かれるが、これはミャンマーでは仏教がナッ信仰の上位に置かれているためである。 村の守護神であるイワソーン・ナッは村の外れで祀られ、穀物の神ナジーと土地神ブマディは収穫の直前に行われる祭りの主神とされている。村の守護神の支配領域は村落内に限られており、ミャンマーの人間は遠出をする時には自分の土地のナッを鎮撫するためにフトモモの木の枝を乗り物に括り付けることがある。田植えの時期には田のナッと土地のナッに供え物が奉げられ、雨乞いの時には雨のナッ(テイン・ナッ)を興奮させるために綱引きが行われる。 ナッ信仰の信者の中には富裕層、高学歴者、社会的地位の高い人間も見られ、仏教徒だけでなくキリスト教徒やイスラム教徒の中にもナッを信仰する人間がいる。一方でナッは一種の前近代性の象徴と見なされることもあり、都市部の知識人の中には家の守護霊のナッを祀らないものも多い。また、信じているとも信じていないとも断言できないと言う人もいる。ミャンマーにおいては日常生活でナッの話題が出ることは多くなく、ナッの種類や名称、人間とナッの位置づけについて詳細な知識を持った人間も少ないと言われ、霊的存在全般を語るときに「ナッ」の言葉が使われることが多い。ナッ信仰に消極的な人間が多い理由として、保守的かつ敬虔な仏教徒はブッダを除いた超自然的存在であるナッを敬遠し、狂騒的な祭礼を忌避することなどが挙げられている。仏教的な世界観では涅槃に到達する近さは僧侶、男性、ナッ、女性の順であり、男性は位の低いナッに関わるべきではないとされ、祠に供え物をするのは女性の役割となっている。 命名式、結婚式、葬式などの非仏教的なビルマ土着の風習を起源とする通過儀礼では、当事者のナッ(コーサウン・ナッ、あるいはミザイン・パザイン・ナッと呼ばれる)が供養される。 ナッを祀る祭礼であるナップエ(ビルマ語: နတ်ပွဲ、IPA: /naʔpwɛ́/ ナップウェー)は、ミャンマー各地から多くの信者やナッカドーが集まるものから、家の守護霊を祀る棚の壺に草花を奉げるものまで様々な規模のものがある。豊作祈願、旅行安全が伝統的なナップエの目的だが、都市部では病根退散、商売繁盛といった現世利益を追求するナップエも開催されている。農村部の祭礼は小規模で簡素なものである一方都市部では熱狂的な祭礼が開かれており、ナッ信仰の聖地のひとつタウンビョンで行われるナップエはミャンマーで最大の規模を有する。個人の依頼によって行われるナップエは民家の軒先に建てられた仮小屋や町の建物の一階部分で開かれる。建物の奥にはいくつものナッの像が並べられ、サインワイン(英語版)(ビルマ語: ဆိုင်းဝိုင်း)と呼ばれる伝統的なビルマ音楽が鳴らされる中でナッカドーと呼ばれる霊媒者が踊り続ける。時には信者や見物人も踊りに参加し、踊りの合間には札束がばらまかれる。ばらまく札束の金額が多いほどより多くの利益が得られると考えられており、ばらまかれた紙幣は縁起物と見なされている。祈祷によって願望が成就した際には、供え物やナップエの開催などのナッへの相応の返礼が求められる。こうした点から、ナップエは経済的に成功した人間の利益の再分配、人間関係の構築といった役割を持っていることが指摘されている。 ナップエにおいてはナッカドー(ビルマ語: နတ်ကတော်、IPA: /naʔɡədɔ̀/ ナッガドー;「ナッの妻」の意)と呼ばれる踊り手が人間とナッの仲介役を果たし、普段都市部に住む職業的ナッカドーたちは顧客が開く祭礼に参加する。職業的ナッカドーの有力な顧客には役人・軍人・商人の妻や俳優、踊り手が多いと言われ、彼らは夫の無事や昇進、自らの出世を祈願する。ナッカドーにはメインマシャー(ビルマ語: မိန်းမလျာ、IPA: /méjmma̰ɕà/)と呼ばれる「ニューハーフ」に相当する人々が多い。一人前のナッカドーになるには他のナッカドーに弟子入りして踊りを習得した後、特定のナッと結婚式を挙げなければならないとされている。祭礼の中でナッカドーは瓶の中の酒を飲み干し、あるいは煙草を吸いながら踊り、興奮が高まると口の中にロウソクの火を入れることもある。ナッカドーが踊っている間、彼らの中にナッが入り込んだ状態になり、信者は踊りの合間にナッカドーの中のナッに相談を持ちかける。ナッカドーはナッオウッと呼ばれる祭礼の先導役によって統率され、ナッオウッは祭礼の場以外でもナッカドーに影響力を行使する。
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ナッ信仰は、ミャンマーの民間信仰・土着信仰である。「ナッ」は、精霊、魔神、死霊、祖霊などを表す言葉である。ミャンマーにおいては仏教と並存し、混成の民間信仰を形成している。カチン族、カレン族、シャン族、モン族の間にもナッ信仰と類似するアニミズムが存在する。
[[Image:Mt Popa.jpg|right|thumb|250px|[[ポッパ山]]]] '''ナッ信仰'''(ナッしんこう、{{Lang-my|နတ်‌}}、[[国際音声記号|IPA]]: {{ipa|naʔ}}; Nat)は、[[ミャンマー]]の[[民間信仰]]・土着信仰である。「ナッ」は、精霊、魔神、死霊、祖霊などを表す言葉である。ミャンマーにおいては[[仏教]]と並存し、混成の民間信仰を形成している<ref name="a-jiten">太田「ナッ信仰」『アジア歴史事典』7巻、197頁</ref>。[[カチン族]]、[[カレン族]]、[[シャン族]]、[[モン族]]の間にもナッ信仰と類似する[[アニミズム]]が存在する<ref name="a-jiten"/>。 == 歴史 == 信仰の歴史は古く、[[ビルマ族]]が同地に王国を形成する以前から存在した。 [[11世紀]]に[[パガン王朝]]を建国した[[アノーヤター]]は各地で信仰されているナッを37柱の[[パンテオン]]にまとめ、仏教の守護神である{{仮リンク|ダジャーミン|en|Thagyamin}}({{Lang-my|[[:my:သိကြားမင်း|သိကြားမင်း]]}})の下に他のナッを配して仏教の優位性を表した<ref name="akashi18-21">田村、松田『ミャンマーを知るための60章』、18-21頁</ref>。ナッ信仰の確立には政治的意図が介入し、[[タトゥン]]、[[バガン]](パガン)近郊の[[ポウパー山]]、[[マンダレー]]近郊の[[タウンビョン]]、[[シャン高原]]などのビルマの歴代王朝が重要視した土地がナッ信仰の聖地とされている<ref>綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、118-120頁</ref>。ナッの世界の構造はビルマの政治体制に基づくものとなっており、ナッと人間の従属関係はビルマの伝統的な地方支配者と領民の関係に対応しており、政治支配の基盤が領土内の世帯に置かれているように各戸にマハーギーリーが祀られている<ref name="motto-m120">綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、120頁</ref>。人々は祈願成就のためにナッに供え物を奉げる一方で、ナッがもたらす災厄を恐れているが、こうした関係は民衆と政治権力の関係に重ねられる<ref name="motto-m123">綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、123頁</ref>。 ポッパ山は家の守護神である{{仮リンク|マハーギーリー|en|Mahagiri}}({{Lang-my|[[:my:မဟာဂီရိနတ်|မဟာဂီရိ]]}})の住処として信仰を集め、[[ビルマ暦]]の{{仮リンク|ナドー月|en|Nadaw}}({{Lang-my|[[:my:နတ်တော်|နတ်တော်]]}})と新年の2回ナップエ(祭礼、精霊儀礼)が行われる。マンダレーの北に位置するタウンビョン村({{Lang-my|တောင်ပြုံးရွာ}}、IPA: {{ipa|tàʊmbjóʷN jwà}})はアノーヤターに仕えた二人の兄弟ゆかりの聖地として知られている<ref>綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、115-116頁</ref>。タウンビョンでは二兄弟の伝説に由来する祭礼が開かれ、村と周囲には二兄弟と彼らに関係する人間にまつわる[[パゴダ]]、祠が建てられている。 == ナッの性質 == [[Image:Mahagiri Nat.jpg|right|thumb|180px|マハーギーリー]] ナッは人間の目に映らない存在だとされている<ref name="yamamoto">{{Cite journal|和書 |author=山本文子 |title=精霊の実在をめぐる不確定性と非実在性の研究のための一考察 : ビルマのナッ信仰の場合 |journal=年報人間科学 |issn=0286-5149 |publisher=大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室 |year=2009 |issue=30 |pages=119-135 (p.120-122) |NCID=AN0020011X |naid=120004846834 |doi=10.18910/12650 |url=https://hdl.handle.net/11094/12650}}</ref>。ナッは人間の守護霊でありながら、人々が供え物を怠り禁忌を犯した場合には災厄をもたらし、時には気分次第で不幸を呼び寄せる存在として畏怖されている<ref name="motto-m123"/>。ナッの種類には家屋や村落の守護霊のほか、親から継承するものも存在する。ナッが支配下に置いている人間から供え物を受け取る関係はサインと呼ばれ、前の世代の人間が結んでいたサインの関係はヨウヤーナッ({{Lang-my|ရိုးရာနတ်}}、IPA: {{ipa|jójà naʔ}}; 血筋によるナッ)として子孫に継承される<ref name="motto-m120"/>。 ナッの神格は自然物に宿るものから擬人化されて個性を与えられたものまで多岐にわたり<ref name="akashi198-200">田村、松田『ミャンマーを知るための60章』、198-200頁</ref>、非業の死を遂げた人物の中にはナッとして祀られた者が多い<ref name="seajiten">高谷「ナッ信仰」『新版 東南アジアを知る事典』、310-311頁</ref>。権力者への反逆の結果非業の死を遂げた人物の伝説を祭礼で再現することは支配権力への反抗の結果を人々に知らしめるとともに、反抗の象徴的表現を認めることで権力者や支配への不満を和らげる効果もあった<ref name="motto-m121">綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、121頁</ref>。 ミャンマーの寺院には多くのナッの像が置かれており、中でも37柱のナッが重要視されている<ref name="a-jiten"/>。初期のナッのパンテオンには36柱のナッの頂点にマハーギーリーが置かれていたが、36という数字は世界を4、もしくは4の倍数に分割する[[ヒンドゥー教]]・仏教の世界観に基づくと言われている<ref name="motto-m118">綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、118頁</ref>。アノーヤターは仏教の[[帝釈天]]・ヒンドゥー教の[[インドラ]]に相当するダジャーミンを36のナッの上に置いてナッ信仰が仏教の下位にあることを示した上で信仰を認め、37柱のナッの像を[[シュエズィーゴン・パゴダ]]に置き、ナッが仏教を守護する存在であることを表した<ref name="motto-m118"/>。パンテオンを構成する37柱のナッは時代・地域・ナッのリストを編纂する人間によって異なり<ref>田村、根本『ビルマ』、207頁</ref>、37柱のナッのリストの編纂は王朝時代から続けられている<ref name="seajiten"/>。1820年に[[コンバウン王朝]]の宮廷で作成されたリストのナッはダジャーミンを除いて全て非業の死を遂げた人間の死霊で、うち15体は[[アヴァ王朝]]、[[タウングー王朝]]の人物だった<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、67-68頁</ref>。16世紀までは37柱に含まれるナッの交代がたびたび行われていたが、王権の介入が強まる17世紀以降、新規のナッが37柱に編入される現象は見られなくなる<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、68頁</ref>。 家の守護神であるマハーギーリーは、王によって火刑に処された{{仮リンク|タガウン王国|en|Tagaung Kingdom}}の鍛冶屋と[[:en:Hnamadawgyi|彼の後を追って火に飛び込んだ妹]]の精霊であり、パガン王アノーヤターによって土着のナッの頂点に据えられた<ref name="akashi18-21"/>。パガン王朝の成立前にはエインサウン・ナッというナッが家の守護神とされていたが、アノーヤターによる宗教改革によってマハーギーリーが各家庭で祀られるようになった結果、二つの神は同一視されるようになったと言われている<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、61頁</ref>。家の南東の柱には赤い布を被せたココヤシが吊り下げられていることがあるが、これは家のナッへの供え物、家のナッの住処、家のナッの象徴を兼ねている<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、59頁</ref>。家内のナッを祀る棚は仏陀を祀る棚の下に置かれるが、これはミャンマーでは仏教がナッ信仰の上位に置かれているためである<ref name="akashi198-200"/>。 村の守護神であるイワソーン・ナッは村の外れで祀られ、穀物の神ナジーと土地神ブマディは収穫の直前に行われる祭りの主神とされている。村の守護神の支配領域は村落内に限られており、ミャンマーの人間は遠出をする時には自分の土地のナッを鎮撫するために[[フトモモ]]の木の枝を乗り物に括り付けることがある<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、65頁</ref>。田植えの時期には田のナッと土地のナッに供え物が奉げられ、雨乞いの時には雨のナッ(テイン・ナッ)を興奮させるために綱引きが行われる。 == ナッと人間の関係 == [[Image:Mount Popa 002.jpg|right|thumb|250px|ポウパー山の寺院に置かれたナッの像]] [[Image:IMG banana-offering.JPG|right|thumb|180px|ナッの祠に奉げられた供え物]] ナッ信仰の信者の中には富裕層、高学歴者、社会的地位の高い人間も見られ、仏教徒だけでなくキリスト教徒やイスラム教徒の中にもナッを信仰する人間がいる<ref>田村、根本『ビルマ』、205-206頁</ref>。一方でナッは一種の前近代性の象徴と見なされることもあり、都市部の知識人の中には家の守護霊のナッを祀らないものも多い<ref name="motto-m121"/>。また、信じているとも信じていないとも断言できないと言う人もいる<ref name="yamamoto"/>。ミャンマーにおいては日常生活でナッの話題が出ることは多くなく、ナッの種類や名称、人間とナッの位置づけについて詳細な知識を持った人間も少ないと言われ、霊的存在全般を語るときに「ナッ」の言葉が使われることが多い<ref name="yamamoto"/>。ナッ信仰に消極的な人間が多い理由として、保守的かつ敬虔な仏教徒はブッダを除いた超自然的存在であるナッを敬遠し、狂騒的な祭礼を忌避することなどが挙げられている<ref name="motto-m122">綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、122頁</ref>。仏教的な世界観では涅槃に到達する近さは僧侶、男性、ナッ、女性の順であり、男性は位の低いナッに関わるべきではないとされ、祠に供え物をするのは女性の役割となっている<ref name="motto-m122"/>。 命名式、結婚式、葬式などの非仏教的なビルマ土着の風習を起源とする通過儀礼では、当事者のナッ(コーサウン・ナッ、あるいはミザイン・パザイン・ナッと呼ばれる)が供養される<ref>大野、桐生、斎藤『ビルマ』、51,62頁</ref>。 ナッを祀る祭礼であるナップエ({{Lang-my|နတ်ပွဲ}}、IPA: {{ipa|naʔpwɛ́}} {{small|ナップウェー}})は、ミャンマー各地から多くの信者やナッカドーが集まるものから、家の守護霊を祀る棚の壺に草花を奉げるものまで様々な規模のものがある<ref name="akashi198-200"/>。豊作祈願、旅行安全が伝統的なナップエの目的だが、都市部では病根退散、商売繁盛といった現世利益を追求するナップエも開催されている<ref name="seajiten"/>。農村部の祭礼は小規模で簡素なものである一方都市部では熱狂的な祭礼が開かれており<ref>田村、根本『ビルマ』、205頁</ref>、ナッ信仰の聖地のひとつタウンビョンで行われるナップエはミャンマーで最大の規模を有する<ref name="seajiten"/>。個人の依頼によって行われるナップエは民家の軒先に建てられた仮小屋や町の建物の一階部分で開かれる。建物の奥にはいくつものナッの像が並べられ、{{仮リンク|サインワイン|en|Hsaing waing}}({{Lang-my|[[:my:ဆိုင်းဝိုင်း|ဆိုင်းဝိုင်း]]}})と呼ばれる伝統的なビルマ音楽が鳴らされる中でナッカドーと呼ばれる霊媒者が踊り続ける。時には信者や見物人も踊りに参加し、踊りの合間には札束がばらまかれる<ref name="dokuhon208">田村、根本『ビルマ』、208頁</ref>。ばらまく札束の金額が多いほどより多くの利益が得られると考えられており、ばらまかれた紙幣は縁起物と見なされている<ref name="dokuhon212">田村、根本『ビルマ』、212頁</ref>。祈祷によって願望が成就した際には、供え物やナップエの開催などのナッへの相応の返礼が求められる<ref>田村、根本『ビルマ』、210頁</ref>。こうした点から、ナップエは経済的に成功した人間の利益の再分配、人間関係の構築といった役割を持っていることが指摘されている<ref name="dokuhon212"/>。 ナップエにおいてはナッカドー({{Lang-my|နတ်ကတော်}}、IPA: {{ipa|naʔɡədɔ̀}} {{small|ナッガドー}};「ナッの妻」の意)と呼ばれる踊り手が人間とナッの仲介役を果たし、普段都市部に住む職業的ナッカドーたちは顧客が開く祭礼に参加する。職業的ナッカドーの有力な顧客には役人・軍人・商人の妻や俳優、踊り手が多いと言われ、彼らは夫の無事や昇進、自らの出世を祈願する<ref>綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、125頁</ref>。ナッカドーにはメインマシャー({{Lang-my|မိန်းမလျာ}}、IPA: {{ipa|méʲmma̰ɕà}})と呼ばれる「[[ニューハーフ]]」に相当する人々が多い<ref name="akashi198-200"/>。一人前のナッカドーになるには他のナッカドーに弟子入りして踊りを習得した後、特定のナッと結婚式を挙げなければならないとされている<ref>綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、124頁</ref>。祭礼の中でナッカドーは瓶の中の酒を飲み干し、あるいは煙草を吸いながら踊り、興奮が高まると口の中にロウソクの火を入れることもある<ref name="dokuhon208"/>。ナッカドーが踊っている間、彼らの中にナッが入り込んだ状態になり、信者は踊りの合間にナッカドーの中のナッに相談を持ちかける<ref name="dokuhon208"/>。ナッカドーはナッオウッと呼ばれる祭礼の先導役によって統率され、ナッオウッは祭礼の場以外でもナッカドーに影響力を行使する<ref>綾部、石井『もっと知りたいミャンマー』、124-125頁</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{commonscat|Nats (spirit)}} * 綾部恒雄、石井米雄編『もっと知りたいミャンマー』(弘文堂, 1994年12月) * 太田常蔵「ナッ信仰」『アジア歴史事典』7巻収録(平凡社, 1961年) * 大野徹、桐生稔、斎藤照子『ビルマ』(現代アジア出版会, 1975年10月) * 高谷紀夫「ナッ信仰」『新版 東南アジアを知る事典』収録(平凡社, 2008年6月) * 田村克己、根本敬『ビルマ』(暮らしがわかるアジア読本, 河出書房新社, 1997年2月) * 田村克己、松田正彦『ミャンマーを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2013年10月) ==外部リンク== * {{Cite journal|和書 |author=中村羊一郎 |title=ミャンマーのナッ信仰とナッカドー : タウンビョンとヤタナグの祭りを通して |journal=静岡産業大学情報学部研究紀要 |publisher=静岡産業大学情報学部 |year=2015 |issue=17 |pages=1-32 |naid=110010047351 |url=http://id.nii.ac.jp/1530/00000332/}} * {{Cite journal|和書 |author=市岡聡 |title=ミャンマーの仏教遺跡訪問記 : バガンで見た信仰 |journal=人間文化研究所年報 |issn=1881-2686 |publisher=名古屋市立大学人間文化研究所 |year=2017 |month=mar |issue=12 |pages=57-63 |naid=120006682911 |url=http://id.nii.ac.jp/1124/00001882/}} {{DEFAULTSORT:なつしんこう}} [[Category:民間信仰]] [[Category:ミャンマーの宗教]] [[Category:宗教的存在]]
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仏教
仏教(佛敎、ぶっきょう、サンスクリット語: बौद्धधर्म、ラーオ語: ພຸດທະສາສະຫນາ、英語: Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀(仏、目覚めた人、梵: Buddha)の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい) 。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。 教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は釈迦仏、その教えである法(ダルマ)、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織される。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧。後ろ2つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめられている。 正確な年代は不明だが、考古学的見解からは紀元前6世紀頃にインドの北東部で始まったとされ、今では初期仏教として研究される。釈迦は、他の宗教者の主張であるアートマン(真我)の存在を否み無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大衆部と上座部に分かれた。更に細分されたが、今なお大きな勢力として続くのは、南方に伝播した上座部仏教で、初期の教えを模範とする。紀元前の終わり頃に北方に伝播し日本にも伝わることになる大乗仏教が始まり、教義や団体は多彩に発展しており、禅那の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。 『日本書紀』は、日本に伝来したのは552年(欽明天皇13年)とする。今も多くの寺院や信徒がおり、出版物も多い(日本の仏教)。 「仏教」は明治時代に始まる新しい呼称で、江戸末期までは「仏法」「仏道」と呼ばれた。 インドでは古来、「ブッダ(Buddha)」にちなみ、「ブッダに属する」「ブッダの信奉者」を表す「バウッダ(Bauddha)」という語が使われる。また「バウッダ・ダルマ(ブッダの法)」や「バウッダ・ダルシャナ(ブッダの思想)」という表現も使われる。 仏教の教義は時代や地域ごとに変化していった。歴史に実在した人物としての釈迦が生前に説いた教義についても、諸説がある。 仏教学者の中村元は、そもそも歴史に実在した人物としての釈迦は「仏教というものを説かなかった」と主張する。釈迦が「説いたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道である。ところが後世の経典作者は(中略)仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」 (中村1980p.327)と述べ、仏典(いわゆる「お経」)が説く「仏教の教義」の多くは後世の創作であると指摘した。 原始仏典『スッタニパータ』第803偈でも、釈迦は明確に「教義」をもつこと自体を否定している。 Dhammā pi tesaṃ na paṭicchitāse, na brāhmaṇo sīla-vatena neyyo, Pāraṃgato na pacceti tādī ti. 中村元は、 と力説している。 中村は、歴史に実在した釈迦の最期の言葉にも着目する。パーリ仏典『大パリニッバーナ経』によれば、釈迦が臨終の直前に語った生涯で最後の言葉は、 appamādena sampādethā! であった。同様の文言は、漢訳仏典にも、『長阿含経』巻四や『大般涅槃経』巻下その他に釈迦の最後の教えとして収録されている。中村は自著(中村1992p.347)の中で とまで言い切っている。 中村の弟子で仏教学者の植木雅俊は、さまざまな原始仏典を引用し、釈迦が主張した「本来の仏教」を以下のように推定復元している(植木2019pp.340-341より引用) 時代がくだるにつれ、仏教の教義は精緻な学問大系として発展した。その過程で、上記の推定復元による「本来の仏教の目指した最低限のこと」から逸脱する教義を説く宗派も生まれた。 近現代の学界では、歴史に実在した人物としての釈迦は、後世の仏教が説くような煩瑣な教理や修行法は説かなかった、とされる。伝統仏教で釈迦の直説とされてきた修行法三十七道品も、現代の学界では以下のように釈迦の死後に成立したものであることがわかっている。 釈迦の死後、解脱のための修行マニュアルがしだいに整備されていった過程を、並川孝儀は以下のように推定している(並川2023a,p.14)。 並川は「後に三十七道品とも三十七菩提分法(bodhipakkhiyā dhammā)ともいわれる七種の修行法は、古層経典の時代になって説かれ始め、仏教が成立した当初から存在していたものではない。」(並川2023a,p.1)と述べる。 dukkhā jāti punappunaṃ. 繰り返し行われる 生(ジャーティ)は苦である 仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的とされていた。 仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。 また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。 仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方に据えている。一切の現象(サンスカーラ)は原因によって現れ、「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などは否定される。 生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じる業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。 また、個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生・輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると云われる。 輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学での普遍的な要素だが、生まれ変わりや解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴となっている。 生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦にも原因が存在する。したがって苦の原因を取り除けば、人は苦から抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。 また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。 輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続、चित्तसंतान citta-saṃtāna)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。 以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二縁起を示す。 これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。 あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。 仏教では生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。 このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。 釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。 2つのものの対立を離れていること。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと。仏教の各宗はその教理の核心を中道の語で表しているとされる。 仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の法句経ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに涅槃寂静をこれに数えることが一般的である。これに再度「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。 仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論であるとする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ(サンカーラ)。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される。 全ての生命要素を五蘊(色・受・想・行・識)に分ける。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで名色とも言う。 なお、日本の仏教各宗派には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もあるが、本来、釈迦は我、アートマン (आत्मन्、ātman) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの (अनात्मन्、anātman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった。 仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「我が存在するか?」という質問については一切答えず(無記)、直接的に「我は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。やがて後代になると「我ならざるもの」でもなく、「我は存在しない」と積極的に主張する学派も出てきた。 菩提分法(三十七道品)とは、菩提(悟り)に至るための素質・要因(道、magga, mārga)であり、様々な修習事項の記載がなされている。 仏教の実践の重要な指導原則は中道である。これは釈迦の初転法輪の中で述べられており、そこで釈迦は極端な苦行および快楽主義の両方を避ける「中道」として、八正道を提示した。 この八正道は四諦の4番目で示されており、苦の停止の筋道を示している。八正道は渇望、執着、カルマの蓄積を止めることを教え、これにより無限の再生と苦のサイクルを終止させる。 八正道は以下のように三つに分類することができる(三学)。 大乗仏教では、菩薩(ボーディ・サットヴァ)への道を理論的中心とする。菩薩とは仏になろうと決意して修行する人のこと。 沙門果経やキーターギリ経で説かれるように、釈迦が説いた悟りへの道の最初のステップは、釈迦の説いた法(ダルマ)を聞いて学ぶことである(正法聴聞)。これが仏の教えに対する自信や信(saddhā)の獲得につながると言われている。 伝統的に多くの宗派においては、教義実践の第一歩として三宝(triratna, tiratana)への帰依が求められる。三宝とは、 パーリ経典ではヒンドゥー教における三宝のモチーフを採用しており、それはリグ・ヴェーダ 9.97.47 6.46.9、およびチャーンドーギヤ・ウパニシャッド 2.22.3–4で確認される。チベット仏教では時折ラマを加えて四宝とされる。 三宝は仏教徒にとって敬意を払うべきものと信じられている。 仏教では、三宝に帰依することは逃避ではなく、浄化、高揚、強化であるとみなされている。 戒定慧(かいじょうえ)とは、戒律によって心を惑わす悪行為から離れ、禅那により心をコントロールし鎮め、智慧を定めることこの世の真理を見極めることで、三毒の消滅を目指す。3つ併せて三学という。 戒(かい、梵: śīla, 巴: sīla)とは、道徳的美徳といった概念であり、八正道では二つ目に位置づけられる不可欠なものである。それは正語、正業、正命で構成される。戒は、位階者および一般信者の両者における倫理的規範を定めている。これには、在家信者のための5つの教訓、修道僧のための8または10の教訓、および僧院生活のためのルール(律および波羅提木叉)がある。 仏典においては、仏教徒の最低限の倫理基準として五戒(pañcasīla; pañcaśīla)を定めている。五戒は仏教において、波羅提木叉と共に最も重要な倫理規定である。 五戒は男性信者および女性信者の両者に適用され、内容は以下である。 五戒とは禁止事項ではなく、これを破ったことで制裁を受けるものではないが、これを破ることで生じる力はカルマとして、死後の世界への影響をおよぼすというのが仏教の信念である。仏教においては殺傷を行うと、死後は地獄界における再生をまねき、さらにその対象が僧であった場合には、その来世はより厳しい環境でより長い年月となるとされている。同様に、姦通はその相手が未婚か既婚かによって、娼婦や地獄界で次は再生することとなる。これらの倫理的教訓は、仏教文化におけるカルマと再生という信念を通じて、自発的かつ自主的に守られてきた。仏教教義においては、戒は菩提への道を推し進め、心と人格を発達させることを意図している 。 釈迦の教えの一つに、感覚の抑制(indriyasamvara)がある。様々な修行ステップにおいて示され、五蓋(瞑想の妨げ)からの煩悩を弱めることによって瞑想を守ることである。比丘アラヨナは「感覚的な印象が欲望や不満につながるのを防ぐために、感覚の扉を守ること」と表現している。これは感覚情報を回避することではなく、感覚に対して注意を払う(マインドフルネス)によって行われる(nimitta)。 関連する実践に、出離、離欲(nekkhamma; ネッカンマ)がある 。一般的にネッカンマとは、官能や世俗的なものへの欲望など、不健全と見なされる行動や欲望を放棄することである。ネッカンマは様々な方法で育てることができ、たとえば寄付(布施)はネッカンマを育む一つの形である。もう一つは、在家生活を放棄して比丘になることである。 マインドフルネス(サティ; 念 ; sati)と呼ばれる訓練は仏教の中心である。比丘アナラヨによれば、マインドフルネスとは、現在の瞬間を完全に認識することであり、記憶を増大強化させる。無著はマインドフルネスを「経験した対象に関して、心が忘れないこと。その働きは不忘である」と定義している。ルパート・ゲシン教授によれば、サティとは「物事と物事との関係性、すなわちそれらの相対的な価値を認識すること」としている。 初期仏教経典では四念処(Satipaṭṭhānas)や安那般那念(Ānāpānasati)として、マインドフルネスを修習するためのさまざな修行が記載されている。この能力は、自分の心の中では何をしているのか、何が起こっているのか、そしてそれが不健全な状態もしくは健全な状態によって影響を受けているかどうかを理解する能力である。 仏教の伝統ではさまざまな瞑想法が発展しているが、主要なものは定(サマーディ; Samadhi)の達成と、禅那(ジャーナ;jhāna)の実践である。サマーディとは、穏やかで気が散らず、統一され集中された意識の状態である。無著はサマーディを「探究すべき対象への一点集中の心。その働きは、知識に土台を与えてることである」と定義している。ジャーナは「完全な平静心と覚醒状態 ( upekkhā-sati-parisuddhi )」であり、集中した精神修養によって到達される。 ジャーナの訓練は、穏やかな心を維持し、心を乱す思考や感情に注意を払って心に留めることによって、この穏やかな心が乱れされることを避けるのに役立つ。 律(りつ、Vinaya)とは、僧伽(サンガ)に属する比丘および比丘尼らの行動規範である。これには波羅提木叉が含まれ、上座部仏教においては227の禁止事項、75の儀礼規範、違反に対する罰則などで構成される。 近年は異論もあるが、仏教の歴史の時代区分は、原始仏教、部派仏教、大乗仏教に三区分するのがおおかたの意見である。 仏教は、諸説あるがだいたい2500年ほど前(紀元前6世紀頃)に、インド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し成立したと考えられている(初期仏教)。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。 釈迦が死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「仏典結集」と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の仏典結集である。 最も古い仏教経典集である阿含経は、初期仏教の姿が色濃く反映されている。初期仏教は、人が苦しみから脱却する方法として、あくまで自力による出家と修行を必要とするものであったが、より広く救いを求める切実な願いが原動力となって形成されていった仏教の派(の総称)が大乗仏教である。ただ、そのような大乗仏教も、初期仏教における世界観・救済観を乗り越える形で、業や空などの内実を変容・発展させていったという経過があるため、前提となっている阿含経を知ることは、大乗仏教を深く知る上でも有益と考えられている。 仏滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャーリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂する(根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する(枝末分裂:しまつぶんれつ)。この時代の仏教を部派仏教と呼ぶ。部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(南伝仏教)。 それからまたしばらくして、紀元前約3世紀の半ば頃に、アショーカ王は「法(ダルマ)」に基づく統治を志向し、帝国各地に法大官を置き、西方のエジプトやギリシア、南方のスリランカにも法の使節を遣わした。アショーカ王は仏教に帰依していたため、その「法」とは仏法から出たものだっただろうと推測される。南方仏教の伝承によると、その治世下では、アショーカ王の仏教の師とされるモッガリプッタ・ティッサが中心となって第三回の結集がパータリプトラ(華氏城)で行われた。また、モッガリプッタ・ティッサが音頭をとって、仏教教団から9つの地方に伝道師が派遣されたという。この頃に文字が使われ出し、それまでの口伝を基に出来たのが文字で書かれた経典・典籍である。文字としては主にブラフミー文字から派生した様々ないわゆるインド系文字で表記された。言語としては、大乗経典においては仏教混交梵語(m:en:Buddhist Hybrid Sanskrit)と呼ばれる言語やサンスクリット語が、主に南方に伝わった上座部経典においてはパーリ語が用いられた。パーリ語はセイロンを中心としている。そこで仏典がサンスクリットやそれに近い言語で書かれたものとパーリ語で書かれたものとが出てきた。このサンスクリットの頃の仏典の日本語訳は、南条文雄、中村元をはじめ、多くの人々によって取り組まれてきている。 紀元前3世紀、インド初の統一国家となったマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は、やがて西北インドから中央アジアを経由して、紀元1世紀には中国の中原地方まで伝播した。そして、こうした流れの中、紀元前後に、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え「大乗仏教」が起こり、急速に広まっていった。中央アジアを経て中国、さらに朝鮮、日本、ベトナムへと伝わった仏教は、「北伝仏教」と呼ばれるが、大乗仏教と同義ではなく、西北インドや西域諸国では部派仏教も盛んで、中国にもその経典が伝えられた。 7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとする。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・ベトナム・朝鮮半島・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。また、大乗仏教では時代が下ると仏法が衰退することがしきりに説かれ(末法思想)、末法には古い仏教では救済できないとして様々な新しい教えが生まれた。 8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した(チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していった。 仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて仏説として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて所依としたり、特定の行(禅宗、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。 21世紀において仏教を国教または国教に準じた地位としているのはタイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンである。現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えたシルクロードが単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴されるように、大部分の仏教国は滅亡・改宗・政教分離し、一応は世界三大宗教の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少なく人口ではヒンドゥー教より少ない。 発祥国のインドにおいては7世紀に唐の義浄が訪れた時点ですでに仏教が廃れており、ヒンドゥー教やイスラムとの争いもあり一度滅亡している(インドにおける仏教の衰退)。20世紀、アンベードガルにより、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反カースト制度運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと改宗した。2011年段階で0.8%(870万人)が仏教徒となっている。アンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧・佐々井秀嶺により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、ブッダガヤの大菩提寺の奪還運動や世界遺産への登録、仏教遺跡の発掘なども行われている。 古くは、ヒンドゥー教や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、次第にスリランカを起点とした上座部仏教が、その地位に取って代わるようになり、タイ等では現在まで広く根付いている。しかし、中央アジアの大部分と東南アジアの一部はヒンドゥー教、次いでイスラム教へと移行したほか、西欧の侵攻と植民地化を受けて伝統文化自体が大きく破壊されている地域が多い。アフガニスタンでタリバーンにより石窟が爆破されたのが象徴的な事件である。 東アジアでは三武一宗の廃仏をはじめとして儒教、道教、神道等と対立することが多々あり、中世・近世の儒教(朱子学)重視政策、近代の欧化主義や共産主義等との対立の中で衰退に向かった。日本では寺請制度と廃仏毀釈、戦後のアメリカナイゼーション・合理主義化等で勢いを失い、社会に与える影響は葬式や観光などに限られるものとなったが、熱心な信仰者や研究対象としている学者は根強く存在する。中でも創価学会は公明党として政権与党となっているものの政教分離の観点からはたびたび議論される。大韓民国ではもともと李氏朝鮮の儒教政策により仏教が追いやられており、さらにキリスト教の勢力拡大が著しく、キリスト教徒による排仏運動が起きている。中国・チベット・北朝鮮・モンゴルでは共産化によって宗教が弾圧されている。ただしモンゴルでは民主化によりチベット仏教が復権しているほか、中国では改革開放以降復興の動きもみられる。ベトナムでは共産党政権により宗教の冷遇はされているものの、仏教がベトナム戦争勝利に大きな役割を果たしたこともあって組織的な弾圧は受けることなく、一定の地位を保っている。 各地域の仏教については以下を参照。 資料や統計により数値は異なるものの、2010年代において世界の仏教徒の総数は4.88億から4.95億、または5.35億人にのぼり、世界の総人口の7%から8%が信仰していると推定されている。最も仏教徒の人口が多い国は中国であり、総人口の18%、2.44億人が信仰していると推定されている。彼らは主に中国の仏教諸派を信仰しており、中国仏教の属する大乗仏教の最大の信徒集団となっている。このほかに、日本や台湾などを含めた東アジア全体での仏教信者は、世界の仏教徒の半数以上を占めている。日本においては統計によって信徒数が非常に大きく異なる。 ピーター・ハーヴェイが2013年に報告した人口統計学の分析によると、世界の仏教のうちで大乗仏教は3.6億人、上座部仏教は1.5億人の信者を持ち、密教系は1900万人の信者を持っている。また、仏教徒のほとんどはアジアに居住しているが、アジア以外の仏教信者も700万人ほど存在する。 ジョンソンとグリムの2013年の研究によると、1910年には仏教徒の人口は1億3800万人であり、そのうち1億3700万人はアジアに居住していたが、2010年には仏教徒の人口は4億9500万人にのぼり、そのうちアジアの仏教徒は4億8700万人だった。この間、パキスタン、サウジアラビア、レバノン、いくつかの西ヨーロッパ諸国においては仏教徒の数が高い増加率を示した。2000年から2010年にかけては、カタール、アラブ首長国連邦、イラン、いくつかのアフリカの国々で仏教徒数が高い成長率を示している。 カンボジアやタイでは仏教徒は人口の90%以上を占め、そのほかにミャンマーやラオスでも仏教徒は高い比率を示しており、東南アジア大陸部においては仏教が最も重要な宗教となっているといえる。これらの国では上座部仏教が主に信仰されている。また、発祥の地である南アジアにおいては、インドでは仏教は衰退したものの、ブータンやスリランカなどでは仏教徒は高い比率を示している。スリランカでは仏教は主に南部に居住し人口の3分の2を占めるシンハラ人によって信仰されており、北部に居住しヒンドゥー教を信仰するタミル人との間には宗教的な対立が存在する。大乗仏教は東アジアで広く信仰され、信徒数は上座部仏教よりもはるかに多いものの、国家における人口比ではそれほど高くはない国がほとんどである。大乗仏教国で最も信徒比率が高い国はブータンであり、チベット仏教の一派であるカギュ派が国教の地位にあり、広く信仰される。チベット仏教は、モンゴルにおいても広く信仰されている。東アジアにおいてもっとも信徒比率が高い国もモンゴルである。 2050年の予想では、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教が増える一方で、仏教はほとんど増減がないと予測されている。 伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢語圏、チベット語圏の4つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、残る各地域は大乗仏教である。 釈迦以後、インド本国では大別して部派仏教、大乗仏教、密教が時代の変遷と共に起こった。 アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから、上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは、上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。 上座部仏教では、人は自らに頼り、自ら修行をして真理(法)に目覚め、「悟り」を得る。最終的には「あらゆるものごとは、我(アートマン)ではない」(無我)「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、全ての欲や執着を捨てることによって、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである。一般にこの境地を『涅槃』と呼ぶ。 上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、自分自身が四念住、止観などの実践修行によって、さとりを得、煩悩を除き、輪廻の苦から解脱して、涅槃の境地に入ることを目標とする。神頼みによって解脱するといった考えは、戒禁取見として否定される。 部派仏教では、出家であれ在家であれ、自ら修行する者しか救済を得ることができない。大乗仏教は、人は他者により済度されることが可能であるとする教義を持つ。インド北部において部派仏教から派生したと考えられ、ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され、中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。新興勢力である大乗仏教は、部派仏教を自分だけの救いを求めていると見なし、小乗(ヒーナヤーナ、劣った乗り物)と蔑称で呼んだ。 大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳(波羅蜜)を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。 後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。 中期密教期に至り、密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契(いんげい)を結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。 「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う。 密教は、中国を経て日本にももたらされ、真言宗が形成されたほか、天台宗も密教を取り入れた。一方、8世紀にチベットに伝えられた密教はチベット仏教の根幹となった。 初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元1世紀頃にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の仏像が製作されるようになり、前後してマトゥラー(インド)でも仏像造立が開始された。仏像造立開始の契機については諸説あるが、一般的には釈迦亡き後の追慕の念から信仰の拠りどころとして発達したと考えられている。仏像の本義は仏陀、すなわち釈迦の像であるが、現在は如来・菩薩・明王・天部など、さまざまな礼拝対象がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "仏教(佛敎、ぶっきょう、サンスクリット語: बौद्धधर्म、ラーオ語: ພຸດທະສາສະຫນາ、英語: Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀(仏、目覚めた人、梵: Buddha)の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい) 。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "仏教は釈迦仏、その教えである法(ダルマ)、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織される。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧。後ろ2つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "正確な年代は不明だが、考古学的見解からは紀元前6世紀頃にインドの北東部で始まったとされ、今では初期仏教として研究される。釈迦は、他の宗教者の主張であるアートマン(真我)の存在を否み無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大衆部と上座部に分かれた。更に細分されたが、今なお大きな勢力として続くのは、南方に伝播した上座部仏教で、初期の教えを模範とする。紀元前の終わり頃に北方に伝播し日本にも伝わることになる大乗仏教が始まり、教義や団体は多彩に発展しており、禅那の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "『日本書紀』は、日本に伝来したのは552年(欽明天皇13年)とする。今も多くの寺院や信徒がおり、出版物も多い(日本の仏教)。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「仏教」は明治時代に始まる新しい呼称で、江戸末期までは「仏法」「仏道」と呼ばれた。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "インドでは古来、「ブッダ(Buddha)」にちなみ、「ブッダに属する」「ブッダの信奉者」を表す「バウッダ(Bauddha)」という語が使われる。また「バウッダ・ダルマ(ブッダの法)」や「バウッダ・ダルシャナ(ブッダの思想)」という表現も使われる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "仏教の教義は時代や地域ごとに変化していった。歴史に実在した人物としての釈迦が生前に説いた教義についても、諸説がある。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "仏教学者の中村元は、そもそも歴史に実在した人物としての釈迦は「仏教というものを説かなかった」と主張する。釈迦が「説いたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道である。ところが後世の経典作者は(中略)仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」 (中村1980p.327)と述べ、仏典(いわゆる「お経」)が説く「仏教の教義」の多くは後世の創作であると指摘した。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "原始仏典『スッタニパータ』第803偈でも、釈迦は明確に「教義」をもつこと自体を否定している。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Dhammā pi tesaṃ na paṭicchitāse, na brāhmaṇo sīla-vatena neyyo, Pāraṃgato na pacceti tādī ti.", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中村元は、", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "と力説している。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "中村は、歴史に実在した釈迦の最期の言葉にも着目する。パーリ仏典『大パリニッバーナ経』によれば、釈迦が臨終の直前に語った生涯で最後の言葉は、", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "appamādena sampādethā!", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "であった。同様の文言は、漢訳仏典にも、『長阿含経』巻四や『大般涅槃経』巻下その他に釈迦の最後の教えとして収録されている。中村は自著(中村1992p.347)の中で", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "とまで言い切っている。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "中村の弟子で仏教学者の植木雅俊は、さまざまな原始仏典を引用し、釈迦が主張した「本来の仏教」を以下のように推定復元している(植木2019pp.340-341より引用)", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "時代がくだるにつれ、仏教の教義は精緻な学問大系として発展した。その過程で、上記の推定復元による「本来の仏教の目指した最低限のこと」から逸脱する教義を説く宗派も生まれた。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "近現代の学界では、歴史に実在した人物としての釈迦は、後世の仏教が説くような煩瑣な教理や修行法は説かなかった、とされる。伝統仏教で釈迦の直説とされてきた修行法三十七道品も、現代の学界では以下のように釈迦の死後に成立したものであることがわかっている。 釈迦の死後、解脱のための修行マニュアルがしだいに整備されていった過程を、並川孝儀は以下のように推定している(並川2023a,p.14)。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "並川は「後に三十七道品とも三十七菩提分法(bodhipakkhiyā dhammā)ともいわれる七種の修行法は、古層経典の時代になって説かれ始め、仏教が成立した当初から存在していたものではない。」(並川2023a,p.1)と述べる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "dukkhā jāti punappunaṃ. 繰り返し行われる 生(ジャーティ)は苦である", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "仏教の世界観は必然的に、仏教誕生の地であるインドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的とされていた。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方に据えている。一切の現象(サンスカーラ)は原因によって現れ、「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などは否定される。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じる業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生・輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると云われる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学での普遍的な要素だが、生まれ変わりや解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴となっている。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦にも原因が存在する。したがって苦の原因を取り除けば、人は苦から抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体(心相続、चित्तसंतान citta-saṃtāna)によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された十二縁起を示す。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "仏教では生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2つのものの対立を離れていること。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと。仏教の各宗はその教理の核心を中道の語で表しているとされる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の法句経ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに涅槃寂静をこれに数えることが一般的である。これに再度「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論であるとする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ(サンカーラ)。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "全ての生命要素を五蘊(色・受・想・行・識)に分ける。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで名色とも言う。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なお、日本の仏教各宗派には魂の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もあるが、本来、釈迦は我、アートマン (आत्मन्、ātman) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの (अनात्मन्、anātman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「我が存在するか?」という質問については一切答えず(無記)、直接的に「我は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。やがて後代になると「我ならざるもの」でもなく、「我は存在しない」と積極的に主張する学派も出てきた。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "菩提分法(三十七道品)とは、菩提(悟り)に至るための素質・要因(道、magga, mārga)であり、様々な修習事項の記載がなされている。", "title": "解脱への道" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "仏教の実践の重要な指導原則は中道である。これは釈迦の初転法輪の中で述べられており、そこで釈迦は極端な苦行および快楽主義の両方を避ける「中道」として、八正道を提示した。", "title": "解脱への道" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "この八正道は四諦の4番目で示されており、苦の停止の筋道を示している。八正道は渇望、執着、カルマの蓄積を止めることを教え、これにより無限の再生と苦のサイクルを終止させる。", "title": "解脱への道" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "八正道は以下のように三つに分類することができる(三学)。", "title": "解脱への道" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "大乗仏教では、菩薩(ボーディ・サットヴァ)への道を理論的中心とする。菩薩とは仏になろうと決意して修行する人のこと。", "title": "解脱への道" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "沙門果経やキーターギリ経で説かれるように、釈迦が説いた悟りへの道の最初のステップは、釈迦の説いた法(ダルマ)を聞いて学ぶことである(正法聴聞)。これが仏の教えに対する自信や信(saddhā)の獲得につながると言われている。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "伝統的に多くの宗派においては、教義実践の第一歩として三宝(triratna, tiratana)への帰依が求められる。三宝とは、", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "パーリ経典ではヒンドゥー教における三宝のモチーフを採用しており、それはリグ・ヴェーダ 9.97.47 6.46.9、およびチャーンドーギヤ・ウパニシャッド 2.22.3–4で確認される。チベット仏教では時折ラマを加えて四宝とされる。 三宝は仏教徒にとって敬意を払うべきものと信じられている。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "仏教では、三宝に帰依することは逃避ではなく、浄化、高揚、強化であるとみなされている。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "戒定慧(かいじょうえ)とは、戒律によって心を惑わす悪行為から離れ、禅那により心をコントロールし鎮め、智慧を定めることこの世の真理を見極めることで、三毒の消滅を目指す。3つ併せて三学という。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "戒(かい、梵: śīla, 巴: sīla)とは、道徳的美徳といった概念であり、八正道では二つ目に位置づけられる不可欠なものである。それは正語、正業、正命で構成される。戒は、位階者および一般信者の両者における倫理的規範を定めている。これには、在家信者のための5つの教訓、修道僧のための8または10の教訓、および僧院生活のためのルール(律および波羅提木叉)がある。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "仏典においては、仏教徒の最低限の倫理基準として五戒(pañcasīla; pañcaśīla)を定めている。五戒は仏教において、波羅提木叉と共に最も重要な倫理規定である。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "五戒は男性信者および女性信者の両者に適用され、内容は以下である。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "五戒とは禁止事項ではなく、これを破ったことで制裁を受けるものではないが、これを破ることで生じる力はカルマとして、死後の世界への影響をおよぼすというのが仏教の信念である。仏教においては殺傷を行うと、死後は地獄界における再生をまねき、さらにその対象が僧であった場合には、その来世はより厳しい環境でより長い年月となるとされている。同様に、姦通はその相手が未婚か既婚かによって、娼婦や地獄界で次は再生することとなる。これらの倫理的教訓は、仏教文化におけるカルマと再生という信念を通じて、自発的かつ自主的に守られてきた。仏教教義においては、戒は菩提への道を推し進め、心と人格を発達させることを意図している 。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "釈迦の教えの一つに、感覚の抑制(indriyasamvara)がある。様々な修行ステップにおいて示され、五蓋(瞑想の妨げ)からの煩悩を弱めることによって瞑想を守ることである。比丘アラヨナは「感覚的な印象が欲望や不満につながるのを防ぐために、感覚の扉を守ること」と表現している。これは感覚情報を回避することではなく、感覚に対して注意を払う(マインドフルネス)によって行われる(nimitta)。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "関連する実践に、出離、離欲(nekkhamma; ネッカンマ)がある 。一般的にネッカンマとは、官能や世俗的なものへの欲望など、不健全と見なされる行動や欲望を放棄することである。ネッカンマは様々な方法で育てることができ、たとえば寄付(布施)はネッカンマを育む一つの形である。もう一つは、在家生活を放棄して比丘になることである。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "マインドフルネス(サティ; 念 ; sati)と呼ばれる訓練は仏教の中心である。比丘アナラヨによれば、マインドフルネスとは、現在の瞬間を完全に認識することであり、記憶を増大強化させる。無著はマインドフルネスを「経験した対象に関して、心が忘れないこと。その働きは不忘である」と定義している。ルパート・ゲシン教授によれば、サティとは「物事と物事との関係性、すなわちそれらの相対的な価値を認識すること」としている。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "初期仏教経典では四念処(Satipaṭṭhānas)や安那般那念(Ānāpānasati)として、マインドフルネスを修習するためのさまざな修行が記載されている。この能力は、自分の心の中では何をしているのか、何が起こっているのか、そしてそれが不健全な状態もしくは健全な状態によって影響を受けているかどうかを理解する能力である。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "仏教の伝統ではさまざまな瞑想法が発展しているが、主要なものは定(サマーディ; Samadhi)の達成と、禅那(ジャーナ;jhāna)の実践である。サマーディとは、穏やかで気が散らず、統一され集中された意識の状態である。無著はサマーディを「探究すべき対象への一点集中の心。その働きは、知識に土台を与えてることである」と定義している。ジャーナは「完全な平静心と覚醒状態 ( upekkhā-sati-parisuddhi )」であり、集中した精神修養によって到達される。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ジャーナの訓練は、穏やかな心を維持し、心を乱す思考や感情に注意を払って心に留めることによって、この穏やかな心が乱れされることを避けるのに役立つ。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "律(りつ、Vinaya)とは、僧伽(サンガ)に属する比丘および比丘尼らの行動規範である。これには波羅提木叉が含まれ、上座部仏教においては227の禁止事項、75の儀礼規範、違反に対する罰則などで構成される。", "title": "実践" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "近年は異論もあるが、仏教の歴史の時代区分は、原始仏教、部派仏教、大乗仏教に三区分するのがおおかたの意見である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "仏教は、諸説あるがだいたい2500年ほど前(紀元前6世紀頃)に、インド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し成立したと考えられている(初期仏教)。当時のインドでは祭事を司る支配階級バラモンとは別に、サマナ(沙門)といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "釈迦が死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「仏典結集」と呼ばれ、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の仏典結集である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "最も古い仏教経典集である阿含経は、初期仏教の姿が色濃く反映されている。初期仏教は、人が苦しみから脱却する方法として、あくまで自力による出家と修行を必要とするものであったが、より広く救いを求める切実な願いが原動力となって形成されていった仏教の派(の総称)が大乗仏教である。ただ、そのような大乗仏教も、初期仏教における世界観・救済観を乗り越える形で、業や空などの内実を変容・発展させていったという経過があるため、前提となっている阿含経を知ることは、大乗仏教を深く知る上でも有益と考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "仏滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャーリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂する(根本分裂)。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する(枝末分裂:しまつぶんれつ)。この時代の仏教を部派仏教と呼ぶ。部派仏教の上座部の一部は、スリランカに伝わり、さらに、タイなど東南アジアに伝わり、現在も広く残っている(南伝仏教)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "それからまたしばらくして、紀元前約3世紀の半ば頃に、アショーカ王は「法(ダルマ)」に基づく統治を志向し、帝国各地に法大官を置き、西方のエジプトやギリシア、南方のスリランカにも法の使節を遣わした。アショーカ王は仏教に帰依していたため、その「法」とは仏法から出たものだっただろうと推測される。南方仏教の伝承によると、その治世下では、アショーカ王の仏教の師とされるモッガリプッタ・ティッサが中心となって第三回の結集がパータリプトラ(華氏城)で行われた。また、モッガリプッタ・ティッサが音頭をとって、仏教教団から9つの地方に伝道師が派遣されたという。この頃に文字が使われ出し、それまでの口伝を基に出来たのが文字で書かれた経典・典籍である。文字としては主にブラフミー文字から派生した様々ないわゆるインド系文字で表記された。言語としては、大乗経典においては仏教混交梵語(m:en:Buddhist Hybrid Sanskrit)と呼ばれる言語やサンスクリット語が、主に南方に伝わった上座部経典においてはパーリ語が用いられた。パーリ語はセイロンを中心としている。そこで仏典がサンスクリットやそれに近い言語で書かれたものとパーリ語で書かれたものとが出てきた。このサンスクリットの頃の仏典の日本語訳は、南条文雄、中村元をはじめ、多くの人々によって取り組まれてきている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "紀元前3世紀、インド初の統一国家となったマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は、やがて西北インドから中央アジアを経由して、紀元1世紀には中国の中原地方まで伝播した。そして、こうした流れの中、紀元前後に、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え「大乗仏教」が起こり、急速に広まっていった。中央アジアを経て中国、さらに朝鮮、日本、ベトナムへと伝わった仏教は、「北伝仏教」と呼ばれるが、大乗仏教と同義ではなく、西北インドや西域諸国では部派仏教も盛んで、中国にもその経典が伝えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとする。密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・ベトナム・朝鮮半島・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。また、大乗仏教では時代が下ると仏法が衰退することがしきりに説かれ(末法思想)、末法には古い仏教では救済できないとして様々な新しい教えが生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した(チベット仏教)。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教はモンゴルや南シベリアにまで拡大していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて仏説として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、教相判釈により仏の極意の所在を特定の教典に求めて所依としたり、特定の行(禅宗、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "21世紀において仏教を国教または国教に準じた地位としているのはタイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンである。現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えたシルクロードが単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴されるように、大部分の仏教国は滅亡・改宗・政教分離し、一応は世界三大宗教の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少なく人口ではヒンドゥー教より少ない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "発祥国のインドにおいては7世紀に唐の義浄が訪れた時点ですでに仏教が廃れており、ヒンドゥー教やイスラムとの争いもあり一度滅亡している(インドにおける仏教の衰退)。20世紀、アンベードガルにより、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反カースト制度運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと改宗した。2011年段階で0.8%(870万人)が仏教徒となっている。アンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧・佐々井秀嶺により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、ブッダガヤの大菩提寺の奪還運動や世界遺産への登録、仏教遺跡の発掘なども行われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "古くは、ヒンドゥー教や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、次第にスリランカを起点とした上座部仏教が、その地位に取って代わるようになり、タイ等では現在まで広く根付いている。しかし、中央アジアの大部分と東南アジアの一部はヒンドゥー教、次いでイスラム教へと移行したほか、西欧の侵攻と植民地化を受けて伝統文化自体が大きく破壊されている地域が多い。アフガニスタンでタリバーンにより石窟が爆破されたのが象徴的な事件である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "東アジアでは三武一宗の廃仏をはじめとして儒教、道教、神道等と対立することが多々あり、中世・近世の儒教(朱子学)重視政策、近代の欧化主義や共産主義等との対立の中で衰退に向かった。日本では寺請制度と廃仏毀釈、戦後のアメリカナイゼーション・合理主義化等で勢いを失い、社会に与える影響は葬式や観光などに限られるものとなったが、熱心な信仰者や研究対象としている学者は根強く存在する。中でも創価学会は公明党として政権与党となっているものの政教分離の観点からはたびたび議論される。大韓民国ではもともと李氏朝鮮の儒教政策により仏教が追いやられており、さらにキリスト教の勢力拡大が著しく、キリスト教徒による排仏運動が起きている。中国・チベット・北朝鮮・モンゴルでは共産化によって宗教が弾圧されている。ただしモンゴルでは民主化によりチベット仏教が復権しているほか、中国では改革開放以降復興の動きもみられる。ベトナムでは共産党政権により宗教の冷遇はされているものの、仏教がベトナム戦争勝利に大きな役割を果たしたこともあって組織的な弾圧は受けることなく、一定の地位を保っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "各地域の仏教については以下を参照。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "資料や統計により数値は異なるものの、2010年代において世界の仏教徒の総数は4.88億から4.95億、または5.35億人にのぼり、世界の総人口の7%から8%が信仰していると推定されている。最も仏教徒の人口が多い国は中国であり、総人口の18%、2.44億人が信仰していると推定されている。彼らは主に中国の仏教諸派を信仰しており、中国仏教の属する大乗仏教の最大の信徒集団となっている。このほかに、日本や台湾などを含めた東アジア全体での仏教信者は、世界の仏教徒の半数以上を占めている。日本においては統計によって信徒数が非常に大きく異なる。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ピーター・ハーヴェイが2013年に報告した人口統計学の分析によると、世界の仏教のうちで大乗仏教は3.6億人、上座部仏教は1.5億人の信者を持ち、密教系は1900万人の信者を持っている。また、仏教徒のほとんどはアジアに居住しているが、アジア以外の仏教信者も700万人ほど存在する。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "ジョンソンとグリムの2013年の研究によると、1910年には仏教徒の人口は1億3800万人であり、そのうち1億3700万人はアジアに居住していたが、2010年には仏教徒の人口は4億9500万人にのぼり、そのうちアジアの仏教徒は4億8700万人だった。この間、パキスタン、サウジアラビア、レバノン、いくつかの西ヨーロッパ諸国においては仏教徒の数が高い増加率を示した。2000年から2010年にかけては、カタール、アラブ首長国連邦、イラン、いくつかのアフリカの国々で仏教徒数が高い成長率を示している。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "カンボジアやタイでは仏教徒は人口の90%以上を占め、そのほかにミャンマーやラオスでも仏教徒は高い比率を示しており、東南アジア大陸部においては仏教が最も重要な宗教となっているといえる。これらの国では上座部仏教が主に信仰されている。また、発祥の地である南アジアにおいては、インドでは仏教は衰退したものの、ブータンやスリランカなどでは仏教徒は高い比率を示している。スリランカでは仏教は主に南部に居住し人口の3分の2を占めるシンハラ人によって信仰されており、北部に居住しヒンドゥー教を信仰するタミル人との間には宗教的な対立が存在する。大乗仏教は東アジアで広く信仰され、信徒数は上座部仏教よりもはるかに多いものの、国家における人口比ではそれほど高くはない国がほとんどである。大乗仏教国で最も信徒比率が高い国はブータンであり、チベット仏教の一派であるカギュ派が国教の地位にあり、広く信仰される。チベット仏教は、モンゴルにおいても広く信仰されている。東アジアにおいてもっとも信徒比率が高い国もモンゴルである。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2050年の予想では、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教が増える一方で、仏教はほとんど増減がないと予測されている。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、サンスクリット語圏、パーリ語圏、漢語圏、チベット語圏の4つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、残る各地域は大乗仏教である。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "釈迦以後、インド本国では大別して部派仏教、大乗仏教、密教が時代の変遷と共に起こった。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから、上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは、上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "上座部仏教では、人は自らに頼り、自ら修行をして真理(法)に目覚め、「悟り」を得る。最終的には「あらゆるものごとは、我(アートマン)ではない」(無我)「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、全ての欲や執着を捨てることによって、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである。一般にこの境地を『涅槃』と呼ぶ。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、自分自身が四念住、止観などの実践修行によって、さとりを得、煩悩を除き、輪廻の苦から解脱して、涅槃の境地に入ることを目標とする。神頼みによって解脱するといった考えは、戒禁取見として否定される。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "部派仏教では、出家であれ在家であれ、自ら修行する者しか救済を得ることができない。大乗仏教は、人は他者により済度されることが可能であるとする教義を持つ。インド北部において部派仏教から派生したと考えられ、ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され、中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。新興勢力である大乗仏教は、部派仏教を自分だけの救いを求めていると見なし、小乗(ヒーナヤーナ、劣った乗り物)と蔑称で呼んだ。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳(波羅蜜)を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "中期密教期に至り、密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契(いんげい)を結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "密教は、中国を経て日本にももたらされ、真言宗が形成されたほか、天台宗も密教を取り入れた。一方、8世紀にチベットに伝えられた密教はチベット仏教の根幹となった。", "title": "宗派" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "初期仏教では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や仏足石、金剛座)で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元1世紀頃にガンダーラ(現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の仏像が製作されるようになり、前後してマトゥラー(インド)でも仏像造立が開始された。仏像造立開始の契機については諸説あるが、一般的には釈迦亡き後の追慕の念から信仰の拠りどころとして発達したと考えられている。仏像の本義は仏陀、すなわち釈迦の像であるが、現在は如来・菩薩・明王・天部など、さまざまな礼拝対象がある。", "title": "仏像" } ]
仏教は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。仏陀の説いた教え。キリスト教・イスラム教に次ぐ世界宗教の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数はヒンドゥー教の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい)。世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり、特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている。 教義は苦の輪廻からの解脱を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は釈迦仏、その教えである法(ダルマ)、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織される。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧。後ろ2つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめられている。 正確な年代は不明だが、考古学的見解からは紀元前6世紀頃にインドの北東部で始まったとされ、今では初期仏教として研究される。釈迦は、他の宗教者の主張であるアートマン(真我)の存在を否み無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大衆部と上座部に分かれた。更に細分されたが、今なお大きな勢力として続くのは、南方に伝播した上座部仏教で、初期の教えを模範とする。紀元前の終わり頃に北方に伝播し日本にも伝わることになる大乗仏教が始まり、教義や団体は多彩に発展しており、禅那の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。 『日本書紀』は、日本に伝来したのは552年(欽明天皇13年)とする。今も多くの寺院や信徒がおり、出版物も多い(日本の仏教)。
{{基礎情報 宗教 |宗教名 = 仏教 |背景色 = #ff8c00 |画像 = [[File:Buddhism dham jak.svg|120px]] |画像2 = [[ファイル:Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area-122502.jpg|250px]] |国・地域 = 主に[[アジア]]の[[東アジア|東]]・[[東南アジア|東南]]・[[南アジア|南]] |成立年 = [[紀元前6世紀]]頃 |創始者 = [[釈迦]] |信仰対象 = [[仏]] |聖典 = [[仏典]] |母体 = |宗派 = 下記宗派参照 |主な指導者 = |聖地 = [[八大聖地]] |発祥地 = {{IND}}・[[ブッダガヤ]] |本拠地 = |教義 = 苦の輪廻から解脱することを目的として種々の修行を行う |備考 = [[世界宗教]]のひとつ |信者数 = 約5億人 }} '''仏教'''(佛敎、ぶっきょう、{{lang-sa|बौद्धधर्म}}、{{lang-lo|ພຸດທະສາສະໜາ}}、{{lang-en|Buddhism}})は、[[インド]]の'''[[釈迦]]'''('''ゴータマ・シッダッタ'''、'''ガウタマ・シッダールタ'''、'''ゴータマ・シッダールタ''')を開祖とする[[宗教]]<ref name="kotobank-nipponika" />。[[仏陀]]('''仏'''、目覚めた人、{{lang-sa-short|Buddha}})の説いた教え<ref>{{Cite web|和書|title=仏教とは {{!}} |url=http://www.jbf.ne.jp/interest/about_Buddhism |access-date=2022-10-16 |publisher=[[全日本仏教会]]}}</ref>。[[キリスト教]]・[[イスラム教]]に次ぐ[[世界宗教]]の1つで、世界で4番目に大きな宗教である(信者の数は[[ヒンドゥー教]]の方が多いが、ヒンドゥー教は信者がほぼインドに限られているため、世界宗教とは言いがたい)<ref>"Buddhism". (2009). In ''[[Encyclopædia Britannica]]''. Retrieved 26 November 2009, from Encyclopædia Britannica Online Library Edition.</ref>{{sfnp|Lopez|2001|p=239}} 。[[世界人口]]の7%である5億2000万人以上が仏教徒(信者)であり{{sfnp|Pew Research Center|2012a}}<ref>{{citation|url=http://www.gordonconwell.edu/resources/documents/1IBMR2015.pdf |title=Christianity 2015: Religious Diversity and Personal |journal=International Bulletin of Missionary Research |volume=39 |issue=1 |pages=28–29 |date=January 2015 |doi=10.1177/239693931503900108 |s2cid=148475861 |access-date=2015-05-29 |archive-url= https://web.archive.org/web/20170525141543/http://www.gordonconwell.edu/resources/documents/1IBMR2015.pdf |archive-date=25 May 2017|via=Gordon-Conwell Theological Seminary}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=仏教徒とは?人口が多い国はどこ?仏教徒になる方法についても紹介 |url=https://ikikata.nishinippon.co.jp/term/4602/ |website=イキカタ |access-date=2023-01-12 |language=ja}}</ref>、特に[[東アジア]]、[[東南アジア]]、[[南アジア]]で広まっている<ref name=":1" />。 教義は[[苦 (仏教)|苦]]の[[輪廻]]からの[[解脱]]を目指す。原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が[[縁起]]するとされる<ref name=maru />。 仏教は[[釈迦|釈迦仏]]、その教えである[[法 (仏教)|法(ダルマ)]]、その実践者である[[僧]]からなる[[三宝]]を中心に組織される{{Sfn|Harvey|2013|pp=244–245}}。実践における戒定慧の[[三学]]は、[[戒律]]、心を集中する[[禅定]]、ものごとの縁起を観察する[[般若|智慧]]。後ろ2つは併せて[[止観]]とも呼ばれる仏教の[[瞑想]]法。実践にて重要となる能力は[[六波羅蜜]]や[[八正道]]のように、いくつかの方法でまとめられている。 正確な年代は不明だが、考古学的見解からは紀元前6世紀頃にインドの北東部で始まったとされ、今では[[初期仏教]]として研究される。釈迦は、他の宗教者の主張である[[アートマン]](真我)の存在を否み[[無我]]とした<ref name="mugaqa">{{Cite |和書|title=無我の見方 |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at={{Kindle版|1930|807}} }}</ref>。釈迦の死後数百年で[[部派仏教]]が生まれ、[[大衆部]]と[[上座部]]に分かれた。更に細分されたが、今なお大きな勢力として続くのは、南方に伝播した[[上座部仏教]]で、初期の教えを模範とする。紀元前の終わり頃に北方に伝播し日本にも伝わることになる[[大乗仏教]]が始まり、教義や団体は多彩に発展しており、[[禅那]]の瞑想法の様々、[[チベット仏教|チベット]]や日本の[[真言宗]]に残る[[密教]]、一方で[[浄土教|浄土信仰]]のような信仰形態の変化など多様である。 『[[日本書紀]]』は、[[仏教公伝|日本に伝来]]したのは[[552年]]([[欽明天皇]]13年)とする。今も多くの寺院や信徒がおり、出版物も多い{{Efn|例えばユダヤ教は[[タルムード]]が日本語に全訳されていないなどの不備を持つが、仏教ではそのようなことはなく、仏典のほぼすべてが日本語訳されており研究点数も多い。}}([[日本の仏教]])。 {{TOC limit|3}} == 名称 == 「仏教」は[[明治時代]]に始まる新しい呼称で、江戸末期までは「仏法」「仏道」と呼ばれた<ref name="kotobank-nipponika" />。 インドでは古来、「ブッダ(Buddha)」にちなみ、「ブッダに属する」「ブッダの信奉者」を表す「バウッダ(Bauddha)」という語が使われる<ref name="kotobank-nipponika">{{Cite web|和書|title=仏教とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E6%95%99-125093 |website=コトバンク |access-date=2022-10-16 |language=ja}}</ref>。また「バウッダ・ダルマ(ブッダの法)」や「バウッダ・[[インド哲学|ダルシャナ]](ブッダの思想)」という表現も使われる<ref name="kotobank-nipponika" />。 == 教義 == 仏教の教義は時代や地域ごとに変化していった<ref name="kotobank-nipponika" />。歴史に実在した人物としての釈迦が生前に説いた教義についても、諸説がある。 === 釈迦は教義(ドグマ)をもつこと自体を否定した === 仏教学者の中村元は、そもそも歴史に実在した人物としての釈迦は「'''仏教というものを説かなかった'''」と主張する。釈迦が「説いたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道である。ところが後世の経典作者は(中略)'''仏教という特殊な教え'''をつくってしまったのである」 (中村1980<ref name="中村1980">中村元・訳『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波文庫、1980年 ISBN 978-4003332511</ref>p.327)と述べ、仏典(いわゆる「お経」)が説く「仏教の教義」の多くは後世の創作であると指摘した。<br/> 原始仏典『[[スッタニパータ]]』第803偈でも、釈迦は明確に「教義」をもつこと自体を否定している。 {{quotation|803. Na kapapyanti na pure-k-kharonti, Dhammā pi tesaṃ na paṭicchitāse, na brāhmaṇo sīla-vatena neyyo, Pāraṃgato na pacceti tādī ti. かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。'''かれらは、諸々の教義のいずれかをも受け入れることもない。'''バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。(中村1984<ref name="中村1984">中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』 (岩波文庫、1984/5/16)</ref>p.180)}} 中村元は、 {{quotation|仏教は、普通は「法を説く」と言われているのに、ここでは「法」(dhamma)を否定している。 その意味は'''<教義>なるものを否定している'''のである。'''教義を否定したところに仏教がある'''[ちなみに、ここで paṭicchitāse というのは『[[リグ・ヴェーダ]]』の語法が残っているのであり、'''この詩句が非常に古い'''ことを示している]。(中村1984<ref name="中村1984"/>p.384)}} と力説している。 中村は、歴史に実在した釈迦の最期の言葉にも着目する。パーリ仏典『大パリニッバーナ経』によれば、釈迦が臨終の直前に語った生涯で最後の言葉は、 {{quotation|Handa dāni bhikkhave āmantayāmi vo vayadhammā saṅkhārā,<br/> appamādena sampādethā!<br/> さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」と(中村1980<ref name="中村1980"/>p.168)。}} であった。同様の文言は、漢訳仏典にも、『[[長阿含経]]』巻四<ref>『[[長阿含経]]』巻四(遊行経)「是故比丘、'''無為放逸'''、我以不放逸故、自致正覚、無量衆善、亦由不放逸得。'''一切万物無常存者'''。此是如来末後所説。」</ref>や『[[大般涅槃経]]』巻下<ref>[[法顕]]訳『[[大般涅槃経]]』巻下「汝等當知、'''一切諸行皆悉無常'''。我今雖是金剛之體、亦復不免無常所遷、生死之中極爲可畏。'''汝等宜應勤行精進'''、速求離此生死火坑。此則'''是我最後教也'''。我般涅槃、其時已至。」</ref>その他に釈迦の最後の教えとして収録されている。中村は自著(中村1992<ref name="中村1992">中村元選集[決定版]第12巻『ゴータマ・ブッダⅡ』春秋社、1992年</ref>p.347)の中で {{quotation|仏教の要訣は、'''無常をさとること'''と、'''修行に精励すること'''との二つに尽きることになる。<無常>の教えは、釈尊が老いて死んだという事実によってなによりもなまなましく印象づけられる。それがまた経典作者の意図であった。'''仏教の本質は、ここに尽きる'''のである。}} とまで言い切っている。 中村の弟子で仏教学者の[[植木雅俊]]は、さまざまな原始仏典を引用し{{Efn|原始仏典『サンユッタ・ニカーヤー』第1巻では、弟子が釈迦にむかって「君、ゴータマさんよ」と気さくに呼びかけるのが定型句となっており、'''釈迦の神格化は見られない''' (植木2019<ref name="植木2019">植木雅俊『今を生きるための仏教100話』平凡社新書、2019年 ISBN 978-4582859270</ref>p.59)。<br/> 原始仏典『スッタニパータ』第927偈で、釈迦は'''迷信を否定'''し、呪法や夢占い、手相や顔相など相の占い、星占い、鳥や動物の声による占い、呪術的な懐妊術や医術を信奉することを仏教徒に禁じた(植木2019<ref name="植木2019"/>p.88)。<br/> また歴史に実在した釈迦は'''徹底した平等主義者'''であり、原始仏典『スッタニパータ』第608偈-第611偈は人間は本質的に平等であると説く(植木2019<ref name="植木2019"/>pp.143-144)。<br/> 釈迦は女性や在家信者も弟子として出家信者と同等に扱い、教えを説いた。原始仏典『テーリー・ガーター』に出てくるアノーパマーという在家の女性は、釈迦の教えを聞いて阿羅漢の一つ手前のステージ「不還果」まで到った (植木2019<ref name="植木2019"/>p.149)。<br/> 植木雅俊『仏教、本当の教え』<ref name="植木2011">植木雅俊『仏教、本当の教え』中公新書、2011年</ref>第1章でも、同様の考証が展開されている。}}、釈迦が主張した「本来の仏教」を以下のように推定復元している(植木2019<ref name="植木2019"/>pp.340-341より引用) {{quotation|本来の仏教の目指した最低限のことは、①徹底して'''平等の思想を説いた'''。②'''迷信やドグマを徹底的に否定した'''。③絶対神に対する約束事としての西洋的倫理観と異なり、人間対人間という現実において倫理を説いた。④「自帰依」「法帰依」として'''自己と法に基づくことを強調した'''。⑤'''釈尊自身が「私は人間である」と語っていた'''ように、仏教は決して人間からかけ離れることのない人間主義であった――などの視点である。}} 時代がくだるにつれ、仏教の教義は精緻な学問大系として発展した。その過程で、上記の推定復元による「本来の仏教の目指した最低限のこと」から逸脱する教義を説く宗派も生まれた。 ==== 釈迦の修行法 ==== 近現代の学界では、歴史に実在した人物としての釈迦は、後世の仏教が説くような煩瑣な教理や修行法は説かなかった、とされる。伝統仏教で釈迦の直説とされてきた修行法'''[[三十七道品]]'''も、現代の学界では以下のように釈迦の死後に成立したものであることがわかっている。<br> 釈迦の死後、解脱のための修行マニュアルがしだいに整備されていった過程を、[[並川孝儀]]は以下のように推定している(並川2023a<ref name="並川2023a">[[並川孝儀]]「初期韻文経典にみる修行に関する説示 : 三十七道品と三界」(小野田俊蔵教授 本庄良文教授古稀記念号)佛教大学仏教学会紀要 28 1-21, 2023-03-25</ref>,p.14)。 * 最古層経典:修行法はほぼ「戒」や「定」や「慧」(後世の[[三学]])に該当する内容で占められる。 * 古層経典:新たな修行法もみられるようになる。その代表的な修行法が七種の修行法([[三十七道品]])である。中でも「[[五根]]」が最も早くみられ、続いて「[[八正道]](八聖道)」が「[[四諦]](四聖諦)」と一体で説かれる。 * 新層経典:新たに「[[四念処]]」「[[四正勤]]」「[[四神足]]」「[[五力]]」「[[七覚支]]」という修行法が説かれる。 並川は「後に'''[[三十七道品]]'''とも三十七菩提分法(bodhipakkhiyā dhammā)ともいわれる七種の修行法は、古層経典の時代になって説かれ始め、'''仏教が成立した当初から存在していたものではない'''。」(並川2023a<ref name="並川2023a"/>,p.1)と述べる。 === 世界観 === {{Seealso|インド哲学|インド発祥の宗教}} {{Quote box| dukkhā jāti punappunaṃ.<br /> 繰り返し行われる [[生 (仏教)|生]](ジャーティ)は<br />[[苦 (仏教)|苦]]である<ref>{{SLTP| [[ダンマパダ]] 11 Jarāvaggo}}</ref> }} 仏教の[[世界観]]は必然的に、仏教誕生の地である[[インド]]の世界観である[[輪廻]]と[[解脱]]の考えに基づいている。人の一生は[[苦 (仏教)|苦]]であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、[[修行]]により解脱を目指すことが初期仏教の目的とされていた。 ==== 輪廻転生・六道・仏教と神 ==== 仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する[[前世]]と、生前の[[業]]、および臨終の[[心]]の状態などによって次の転生先へと[[輪廻]]するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、[[大乗仏教]]ではこれに修羅を加えた[[六道]]の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。 また、[[神]](天)とは、仏教においては[[天 (仏教)|天道]]の[[生物]]であり、[[生命]](有情)の一種と位置づけられている。そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。 === 因果論 === [[File:Dominoeffect.png|thumb|right|220px|ドミノ倒し。仏教では「AによってBが生ずる」と[[因果性]]を説く([[縁起]])<ref name="maru">{{Cite |和書|title=ブッダの旅 |series=岩波新書 |publisher=岩波書店|date=2007-04-20 |author=丸山勇 |pages=189-192 |isbn=978-4004310723}}</ref>]] 仏教は、物事の成立には[[原因]]と[[結果]]があるという[[因果論]]を基本的考え方に据えている<ref name="muga946">{{Cite |和書|title=無我の見方 |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at={{Kindle版|1930|946}} }}</ref>。一切の現象([[サンスカーラ]])は原因によって現れ、「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などは否定される<ref name="muga">{{Cite |和書|title=無我の見方 (「私」から自由になる生き方) |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at={{Kindle版|1930|893}} }}</ref>。 [[生命]]の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその[[結果]]である[[果報]]が生じる[[業]]論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、人々に悪行をなさずに[[善行]]を積むことを勧める。 また、個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生・[[輪廻転生]]を論じ、世間の生き方を脱して[[涅槃]]を証さない([[悟り]]を開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると云われる。 輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学での普遍的な要素だが、生まれ変わりや解脱を因果論に基づいて再編したことが仏教の特徴となっている。 生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている<ref>{{Cite |和書|title=無我の見方 |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at={{Kindle版|1930|567}} }}</ref>。そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦にも原因が存在する。したがって苦の原因を取り除けば、人は苦から抜け出すことが出来る。これが仏教における解脱論である<ref name=muga946 />。 また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂([[我|アートマン]])の存在は「[[空 (仏教)|空]]」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。 輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体([[:en:Mindstream|心相続]]、{{lang|sa-deva|चित्तसंतान}} {{lang|sa-latn|citta-saṃtāna}})によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。 ==== 縁起 ==== {{Main|縁起}} 以下因果に基づき苦のメカニズムを整理された[[十二支縁起|十二縁起]]を示す。 # [[無明]](四諦、十二縁起に対する無知{{refnest|name="vepulla_234"|ウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ [新装版]』、中山書房仏書林、p.234}}) # [[サンカーラ|行]](潜在的形成力) # [[識]](識別作用) # [[名色]](心身) # [[処|六入]](六[[感覚器官]]) # [[パッサ|触]](接触) # [[受]](感受作用) # [[渇愛 (仏教)|愛]](渇愛) # [[取]](執着) # [[有]](存在) # [[生 (仏教)|生]](出生) # [[老死]](老いと死) これはなぜ「生老病死」という苦のもとで生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」という条件を破壊することにより「生老病死」がなくなるという涅槃に至る因果を示している。 ==== 空 ==== {{Main|空 (仏教)}} あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考え。 === 苦、その原因と解決法 === {{Rquote|right|プンナよ、「喜悦の滅尽により苦の滅尽がある」と私は説く。| [[プンナ教誡経]] }} {{Seealso|初転法輪}} 仏教では生きることの[[苦]]から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=[[悟り]]を開く)ことが可能である([[四諦]])とする。そしてそれを目的とした[[出家]]と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する([[八正道]])。 このように仏教では、救いは超越的存在(例えば[[神]])の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。すなわち、釈迦の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認できる形で教えが示され、それを実践することを勧める。 ==== 四諦 ==== {{Main|四諦}} 釈迦が[[悟り]]に至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つ。 * 苦諦:苦という真理 * 集諦:苦の原因という真理 * 滅諦:苦の滅という真理 * 道諦:苦の滅を実現する道という真理(→[[八正道]]) ==== 中道 ==== {{main|中道}} 2つのものの対立を離れていること<ref name="kb1183" />。[[断見|断]]・[[常見|常]]の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと<ref name="kb1183">中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。</ref>。仏教の各宗はその教理の核心を中道の語で表しているとされる<ref name="kb1183" /><ref name="sb997-999">総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。</ref>。 ==== 三法印 ==== {{Main|三法印}} 仏教における3つの根本思想。三法印の思想は古層仏典の[[法句経]]ですでに現れ、「諸行無常・諸法無我・一切行苦」が原型と考えられる。 大乗では「一切行苦」の代わりに[[涅槃寂静]]をこれに数えることが一般的である。これに再度「一切行苦」を加えることによって四法印とする場合もある。 # [[諸行無常]] - 一切の形成されたものは[[無常]]であり、縁起による存在としてのみある # [[諸法無我]] - 一切の存在には形成されたものでないもの、[[我|アートマン]]のような実体はない # [[涅槃寂静]] - 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地(涅槃)が目標である # [[一切皆苦|一切行苦]] - 一切の形成されたもの([[サンカーラ]])は、苦である === 仏教の存在論 === {{Main|無常|無我|五蘊|名色|業|縁起}} 仏教そのものが存在を説明するものとなっている。変化しない実体を一切認めない、とされる。また、仏教は無我論および無常論である{{Efn|武田宏道, 「[https://hdl.handle.net/10519/102 無我の論証 ―『倶舎論』破我品の研究―]」 龍谷大学 学位論文 乙第53号, 2007年, {{hdl|10519/102}} 参照。仏教は実体的な我(アートマン, {{lang|sa|आतमन्}})を論理的に否定する。それは、「常住であるなら、変化しない。それゆえに人が行為をしても、それの変化は認められないから、行為が無意味となってしまう」という理由である。これは後に大乗仏教の[[龍樹]]による『根本中頌』(中論)の第24章にも概ね伝承された考え方である。五蘊を離れて「我」が存在しない理由は以下の通りである。まず、目の見えない人には、目の見える人が見るようには、外界の対象が見えない。それは、目という感覚器官の働きが有るか、無いかの違いによる。普通は認識することはできないが、目という感覚器官が存在するであろう、ということが推理によって知られる訳である。しかし「我」にはそのようなことはない。ゆえに「我」は存在しない。}}とする人もおり、そういう人は、仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。そうではなくて釈迦が説いたのは「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は、ある存在が[[識]](認識する働き)を持つか否かで区別される。また物質にも不変の実体を認めず、物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ([[サンカーラ]])<ref name=muga/>。物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて、「行為はあるが行為者はいない」などと説明されている。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される<ref name=muga/>。 全ての生命要素を[[五蘊]]([[色 (仏教)|色]]・[[受]]・[[想]]・[[サンカーラ|行]]・[[識]])に分ける<ref name=mugaqa />。これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで[[名色]]とも言う。 なお、日本の仏教各宗派には[[魂]]の存在を肯定する宗派もあれば、肯定も否定もしない宗派もあれば、否定的な宗派もあるが{{Efn|これについて、日本の仏教各宗派に対してアンケート調査が行われたことがあり、結果は存在を認める宗派、肯定も否定もしない宗派、否定する宗派の割合がそれぞれ同程度で、見解が全く相違した。}}、本来、釈迦は我、アートマン ({{lang|sa-deva|आत्मन्}}、{{lang|sa-latn|ātman}}) を説くことはせず、逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの ({{lang|sa-deva|अनात्मन्}}、{{lang|sa-latn|anātman}}) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった{{Efn|経典『[[中部 (パーリ)|中部]]』(マッジマ・ニカーヤ)第63経「小マールンキャ経」({{lang|pi-latn|Cūḷa-Māluṅkyaputta Sutta}})によって、仏教は霊魂の有無を形而上学説としてみなし、これを扱わなかった(無記)とする説もあるが、ここで問題にされているのは、「身体と命の同異」と「生死を乗り越えたもの(如来)の死後」であって、霊魂の有無ではない。}}。 仏教では、根本教義において一切魂について説かず、「我が存在するか?」という質問については一切答えず([[無記]])<ref>パーリ仏典 [[無記相応]],アーナンダ経</ref>、直接的に「我は存在しない」とのべず、「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。やがて後代になると「我ならざるもの」でもなく、「我は存在しない」と積極的に主張する学派も出てきた。 ==解脱への道== {{Main|解脱への道}} '''[[菩提分法]]'''(三十七道品)とは、[[菩提]](悟り)に至るための素質・要因('''道'''、{{lang|pi-latn|magga}}, {{lang|sa-latn|mārga}})であり、様々な[[バーヴァナー|修習事項]]の記載がなされている<ref>{{Citation | last1 =Buswell | first1 =Robert E. JR | last2 =Gimello | first2 =Robert M. (editors) | year =1994 | title =Paths to Liberation. The Marga and its Transformations in Buddhist Thought | place =Delhi | publisher =Motilal Banarsidass Publishers |pages=1-36}}</ref>。 ===上座部 - 八正道=== [[File:Dharma Wheel.svg|thumb|upright|130px|alt=ship's wheel with eight spokes represents the Noble Eightfold Path|[[法輪]]は八正道を表している]] {{Main|八正道}} 仏教の実践の重要な指導原則は[[中道]]である。これは釈迦の[[初転法輪]]の中で述べられており、そこで釈迦は極端な[[苦行]]<!-- asceticismには苦行という意味もある。-->および[[快楽主義]]の両方を避ける「中道」として、八正道を提示した{{sfn|Harvey|2013|pp=23, 81}}{{Sfn|Keown|1996|pp=24, 59}}。 この八正道は[[四諦]]の4番目で示されており、苦の停止の筋道を示している{{Sfn|Gethin|1998|pp=81–83}}{{sfn|Anderson|2013|pp=64–65}}。八正道は[[タンハー|渇望]]、執着、カルマの蓄積を止めることを教え、これにより無限の再生と苦のサイクルを終止させる{{Sfn|Harvey|2016|pp=253–255 }}{{Sfn|Bhikkhu Bodhi|2010|pp=1–13}}{{Sfn|Williams|Tribe|Wynne|2012|p=52}}。 八正道は以下のように三つに分類することができる([[三学]]){{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}{{Sfn|Harvey|2013|pp=83–85}}{{Sfn|Bhikkhu Bodhi|2010|pp=47–48}}。 {{-}} {| class="wikitable" style="margin:1em 0.5em" |- ! style="min-width:8em"| 分類 ! style="min-width:5em"|八正道 ! style="min-width:12em"|サンスクリット, パーリ ! 内容 |- style="background:#cff;" |rowspan="2"|[[般若|慧]]<br />(梵: {{lang|sa-latn|''prajñā''}},<br />巴: {{lang|pi-latn|''paññā''}}) |1. 正見 |''{{lang|sa-latn|samyag dṛṣṭi}},<br />{{lang|pi-latn|sammā diṭṭhi}}'' | 来世は存在し、死ですべてがなくなりはしないと考え、釈迦が教える涅槃への道に従うこと{{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}。 |- style="background:#cff;" |2. 正思惟 |''{{lang|sa-latn|samyak saṃkalpa}},<br />{{lang|pi-latn|sammā saṅkappa}}'' | [[出家]]し、道に沿って宗教的な[[托鉢]]生活に入る{{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}。 |- style="background:#cfc;" |rowspan="3"|[[戒]]{{Sfn|Harvey|2013|pp=83–85}}<br />(梵: {{lang|sa-latn|''śīla''}}, 巴: {{lang|pi-latn|''sīla''}}) |3. 正語 |''{{lang|sa-latn|samyag vāc}},<br />{{lang|pi-latn|sammā vācā}}'' | 嘘をつかず、失礼な話をせず、他人が言っていた話を本人にしせず、救済につながる話をする{{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}。 |- style="background:#cfc;" |4. 正業 |''{{lang|sa-latn|samyak karman}},<br />{{lang|pi-latn|sammā kammanta}}'' | 殺傷や加害をせず、与えられていない物を取らない。比丘については性的行為をしない{{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}。 |- style="background:#cfc;" |5. 正命 |''{{lang|sa-latn|samyag ājīvana}},<br />{{lang|pi-latn|sammā ājīva}}'' | 比丘については、命を維持するために不可欠なものだけを手に入れて摂取する{{Sfn|Vetter|1988|p=12}}。在家者について経典では、正しい生計を立て間違った生計を避けるとし、たとえば衆生をだましたり害したり殺したりすることを避けると説明している{{Sfn|Harvey|2013|pp=83, 273–274}}<ref>{{cite book|author=Martine Batchelor|title=The Spirit of the Buddha|url=https://books.google.com/books?id=fL3mykqlOJcC&pg=PT59 |year=2014|publisher=Yale University Press|isbn=978-0-300-17500-4 |page=59 }}; Quote: These five trades, O monks, should not be taken up by a lay follower: trading with weapons, trading in living beings, trading in meat, trading in intoxicants, trading in poison."</ref>。 |- style="background:#9fff80;" |rowspan="3"|[[定]] {{Sfn|Harvey|2013|pp=83–85}}<br />(梵, 巴: {{lang|sa-latn|''samādhi''}}) |6. 正精進 |''{{lang|sa-latn|samyag vyāyāma}},<br />{{lang|pi-latn|sammā vāyāma}}'' | 正しい努力。Harveyは、貪・瞋・痴という不健全な精神的状態を防ぎ、健全な精神的状態を増進させることだとしている{{Sfn|Harvey|2013|p=83}}。 |- style="background:#9fff80;" |7. 正念 |''{{lang|sa-latn|samyak smṛti}},<br />{{lang|pi-latn|sammā sati}}'' | ぼんやりすることなく、自分が今何をしているのか意識を向ける([[マインドフルネス]])。 |- style="background:#9fff80;" |8. 正定 |''{{lang|sa-latn|samyak samādhi}},<br />{{lang|pi-latn|sammā samādhi}}'' | 正しい瞑想または集中({{lang|sa-latn|''dhyāna''}})。4つの[[禅那]]([[四禅]])として説明されている{{Sfn|Vetter|1988|pp=12–13}}<ref name="bucknellkangp12">{{cite book|author1=Roderick Bucknell |author2=Chris Kang |title=The Meditative Way: Readings in the Theory and Practice of Buddhist Meditation |url=https://books.google.com/books?id=LSaOAQAAQBAJ |year=2013|publisher=Routledge |isbn=978-1-136-80408-3 |pages=12–13 }}</ref>。 |} === 大乗仏教 === 大乗仏教では、[[菩薩]](ボーディ・サットヴァ)への道を理論的中心とする{{Sfn|Nattier |2003|pp=137–138, 142–146}}。菩薩とは仏になろうと決意して修行する人のこと<ref name="大辞林_第三版_菩薩">[https://kotobank.jp/word/%E8%8F%A9%E8%96%A9-132948#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 「菩薩」 - 大辞林 第三版]、三省堂。</ref>。 == 実践 == ===法を聞いて学ぶ=== [[沙門果経]]や[[キーターギリ経]]で説かれるように、釈迦が説いた悟りへの道の最初のステップは、釈迦の説いた法(ダルマ)を聞いて学ぶことである(正法聴聞)。これが仏の教えに対する自信や[[信]](saddhā)の獲得につながると言われている<ref name=":0">Bucknell, Rod, "The Buddhist Path to Liberation: An Analysis of the Listing of Stages", ''The Journal of the International Association of Buddhist Studies'' Volume 7, Number 2, 1984</ref>。 {{Main2|七つの段階|七聖者}} === 三宝への帰依 === {{See|三宝|帰依}} 伝統的に多くの宗派においては、教義実践の第一歩として[[三宝]]({{lang|sa-latn|''triratna''}}, {{lang|pi-latn|''tiratana''}})への帰依が求められる{{Sfn|Harvey|2013|p=249}}。三宝とは{{Sfn|Harvey|2013|pp=244–245}}、 * [[ブッダ]] (仏)。歴史的なガウタマ・シッダールタ。真理に目覚めた者。 * [[法 (仏教)|ダルマ]](法)。仏の教え。戒、止観、[[四諦]]、[[八正道]]、[[縁起]]。 * [[僧伽|サンガ]](僧伽)。[[出家]]し戒律を守るブッダの弟子たちのコミュニティ。狭義には預流向から阿羅漢果に至る[[四向四果|四双八輩]]の者たちを指す。 パーリ経典では[[ヒンドゥー教]]における三宝のモチーフを採用しており、それは[[リグ・ヴェーダ]] 9.97.47 6.46.9、および[[チャーンドーギヤ・ウパニシャッド]] 2.22.3–4で確認される{{sfn|Shults|2014|p=108}}。[[チベット仏教]]では時折[[ラマ (チベット)|ラマ]]を加えて四宝とされる。 [[三宝]]は仏教徒にとって敬意を払うべきものと信じられている{{Sfn|Harvey|2013|p=249}}。 仏教では、三宝に帰依することは逃避ではなく、浄化、高揚、強化であるとみなされている{{Sfn|Harvey|2013|pp=244–245}}。 === 戒定慧(三学) === {{Main|三学}} 戒定慧(かいじょうえ)とは、[[戒律]]によって心を惑わす悪行為から離れ、[[禅那]]により心をコントロールし鎮め、[[智慧]]を定めることこの世の真理を見極めることで、[[三毒]]の消滅を目指す<ref name=vic>{{Cite journal|和書|title=ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道|author=ターナヴットー ビック |journal=インド哲学仏教学研究 |volume=4 |pages=3-15 |date=1996 |naid=120006908941}}</ref>。3つ併せて三学という。 === 戒 === '''[[戒]]'''(かい、梵: {{lang|sa-latn|śīla}}, 巴: {{lang|pi-latn|sīla}})とは、道徳的美徳といった概念であり、八正道では二つ目に位置づけられる不可欠なものである{{Sfn|Harvey|2013|pp=83–84}}。それは正語、正業、正命で構成される{{Sfn|Harvey|2013|pp=83–84}}。戒は、位階者および一般信者の両者における倫理的規範を定めている。これには、在家信者のための5つの教訓、修道僧のための8または10の教訓、および[[僧院]]生活のためのルール([[律 (仏教)|律]]および[[波羅提木叉]])がある<ref name="Williams2005p398">{{cite book|author=Paul Williams |title=Buddhism: Critical Concepts in Religious Studies|url=https://books.google.com/books?id=pgrZnmKUKtgC |year=2005|publisher=Routledge |isbn=978-0-415-33226-2 |page=398 }}</ref>{{sfn|McFarlane |2001|pp=187–193}}。 ==== 五戒 ==== [[File:Plaque with the five precepts engraved, Lumbini Park, Nepal.jpg|thumb|right|五戒の刻まれた銘版(ネパール,ルンビニ)]] {{main|五戒}} 仏典においては、仏教徒の最低限の倫理基準として'''[[五戒]]'''({{lang|pi-latn|''pañcasīla''}}; {{lang|sa-latn|''pañcaśīla''}})を定めている{{sfn |Gowans |2013 |page=440}}。五戒は仏教において、[[波羅提木叉]]と共に最も重要な倫理規定である<ref name="Goodman">{{cite web |last1=Goodman |first1=Charles |title=Ethics in Indian and Tibetan Buddhism |url=https://plato.stanford.edu/entries/ethics-indian-buddhism/ |archive-url=https://web.archive.org/web/20100708233552/http://plato.stanford.edu/entries/ethics-indian-buddhism/ |archive-date=8 July 2010 |url-status=live |website=The Stanford Encyclopedia of Philosophy |publisher=Metaphysics Research Lab, [[Stanford University]] |date=2017 |accessdate=2010-07}}</ref>。 五戒は男性信者および女性信者の両者に適用され、内容は以下である<ref name="Williams2005p398"/><ref>{{cite book|author=Bodhi Bhikkhu|title=Great Disciples of the Buddha: Their Lives, Their Works, Their Legacy|url=https://archive.org/details/greatdisciplesof00nyan/page/387|year=1997|publisher=Wisdom Publications|isbn=978-0-86171-128-4|page=[https://archive.org/details/greatdisciplesof00nyan/page/387 387 with footnote 12]}}</ref>。 # (人、動物を)殺さない # 盗みをしない # 不道徳な性行為をしない # 嘘をつかない # 酒、薬物など酔わせる、酩酊させるものを避ける 五戒とは禁止事項ではなく、これを破ったことで制裁を受けるものではないが、これを破ることで生じる力は[[カルマ]]として、死後の世界への影響をおよぼすというのが仏教の信念である。仏教においては殺傷を行うと、死後は地獄界における再生をまねき、さらにその対象が僧であった場合には、その来世はより厳しい環境でより長い年月となるとされている。同様に、姦通はその相手が未婚か既婚かによって、[[娼婦]]や地獄界で次は再生することとなる{{sfn|McFarlane |2001|p=187}}。これらの倫理的教訓は、仏教文化におけるカルマと再生という信念を通じて、自発的かつ自主的に守られてきた{{sfn|McFarlane |2001|pp=187–191}}。仏教教義においては、戒は[[菩提]]への道を推し進め、心と人格を発達させることを意図している {{sfn |Getz |2004 |page=673}}。 === 抑制と離欲 === [[File:Buddhist monk in Khao Luang-Sukhothai.JPG|thumb|right|屋根のない木の下に住む、禁欲生活(dhutanga)]] 釈迦の教えの一つに、感覚の抑制(''indriyasamvara'')がある。様々な修行ステップにおいて示され、[[五蓋]](瞑想の妨げ)からの[[煩悩]]を弱めることによって瞑想を守ることである<ref name="Anālayo 2003 p. 71">Anālayo (2003). "Satipaṭṭhāna: The Direct Path to Realization," p. 71. Windhorse Publications.</ref>。比丘アラヨナは「感覚的な印象が欲望や不満につながるのを防ぐために、感覚の扉を守ること」と表現している<ref name="Anālayo 2003 p. 71"/>。これは感覚情報を回避することではなく、感覚に対して注意を払う(マインドフルネス)によって行われる(nimitta)<ref name="Anālayo 2003 p. 225">Anālayo (2003). "Satipaṭṭhāna: The Direct Path to Realization," p. 225. Windhorse Publications.</ref>。 関連する実践に、[[出離]]、離欲(''nekkhamma''; ネッカンマ)がある<ref>Webster, David (2004). ''"The Philosophy of Desire in the Buddhist Pali Canon,"'' p. 124. Routledge.</ref> 。一般的にネッカンマとは、官能や世俗的なものへの欲望など、不健全と見なされる行動や欲望を放棄することである{{sfnp|Rhys Davids|Stede|1921–1925|p=377|loc="Nekkhamma"}}。ネッカンマは様々な方法で育てることができ、たとえば寄付([[布施]])はネッカンマを育む一つの形である。もう一つは、[[在家]]生活を放棄して[[比丘]]になることである{{sfnp|Harvey|1998|p=199}}。 ===マインドフルネス=== [[マインドフルネス]]([[サティ (仏教)|サティ]]; 念 ; ''sati'')と呼ばれる訓練は仏教の中心である。比丘アナラヨによれば、マインドフルネスとは、現在の瞬間を完全に認識することであり、記憶を増大強化させる<ref>Analayo (2018) ''"Satipatthana Meditation, A Practice Guide,"'' chapter 1. Windhorse Publications.</ref>。[[無著]]はマインドフルネスを「経験した対象に関して、心が忘れないこと。その働きは不忘である」と定義している<ref name="Boin-Webb, Sara 2001 p. 9">Boin-Webb, Sara. (English trans. from Walpola Rāhula's French trans. of the Sanskrit; 2001) ''"Abhidharmasamuccaya: The Compendium of the Higher Teaching (Philosophy) by Asaṅga"'', p. 9, Asian Humanities Press.</ref>。ルパート・ゲシン教授によれば、サティとは「物事と物事との関係性、すなわちそれらの相対的な価値を認識すること」としている<ref name="Sharf 2014 pp. 933–964">{{cite journal | last=Sharf | first=Robert | title=Mindfulness and Mindlessness in Early Chan | journal=Philosophy East and West | publisher=Project Muse | volume=64 | issue=4 | year=2014 | issn=1529-1898 | doi=10.1353/pew.2014.0074 | pages=933–964}}</ref>。 初期仏教経典では[[四念処]](Satipaṭṭhānas)や[[安那般那念]](Ānāpānasati)として、マインドフルネスを修習するためのさまざな修行が記載されている。この能力は、自分の心の中では何をしているのか、何が起こっているのか、そしてそれが不健全な状態もしくは健全な状態によって影響を受けているかどうかを理解する能力である{{sfnp|Kuan|2007|p=50}}。 === 瞑想 === {{Seealso|定|サマタ瞑想|ヴィパッサナー瞑想}} [[File:Kodo Sawaki Zazen.jpg|thumb|right|100px|[[座禅]](座ってのジャーナ)する[[澤木興道]]]] 仏教の伝統ではさまざまな瞑想法が発展しているが、主要なものは[[定]](サマーディ; Samadhi)の達成と、[[禅那]](ジャーナ;jhāna)の実践である。サマーディとは、穏やかで気が散らず、統一され集中された意識の状態である。[[無著]]はサマーディを「探究すべき対象への一点集中の心。その働きは、知識に土台を与えてることである」と定義している<ref name="Boin-Webb, Sara 2001 p. 9">Boin-Webb, Sara. (English trans. from Walpola Rāhula's French trans. of the Sanskrit; 2001) ''"Abhidharmasamuccaya: The Compendium of the Higher Teaching (Philosophy) by Asaṅga"'', p. 9, Asian Humanities Press.</ref>。ジャーナは「完全な平静心と[[アウェアネス|覚醒]]状態 ( upekkhā-sati-parisuddhi )」であり、集中した精神修養によって到達される<ref>Vetter, Tilmann (1988), "''The Ideas and Meditative Practices of Early Buddhism''," p. 5. BRILL.</ref>。 ジャーナの訓練は、穏やかな心を維持し、心を乱す思考や感情に注意を払って心に留めることによって、この穏やかな心が乱れされることを避けるのに役立つ{{sfnp|Williams|2000|pp=45–46}}。 === 律 === '''[[律 (仏教)|律]]'''(りつ、{{lang|pi-latn|Vinaya}})とは、[[僧伽]](サンガ)に属する比丘および比丘尼らの行動規範である。これには[[波羅提木叉]]が含まれ、上座部仏教においては227の禁止事項、75の儀礼規範、違反に対する罰則などで構成される{{sfn|Gombrich|1988|p=109}}。 == 歴史 == {{See also|仏教の歴史}} <!--大乗仏教の在家起源説には異説も多い [[File:Buddism tree.svg|thumb|right|450px|仏教]] --> {{Buddhist traditions timeline}} 近年は異論もあるが、仏教の歴史の時代区分は、原始仏教、部派仏教、大乗仏教に三区分するのがおおかたの意見である<ref>三枝充悳「インド仏教史の時代区分とブッダ観の展開」『東洋学術研究』117号</ref>。 === 初期仏教(原始仏教) === 仏教は、諸説あるがだいたい2500年ほど前([[紀元前6世紀]]頃)に、[[インド北部]][[ガンジス川]]中流域で、釈迦が提唱し成立したと考えられている([[初期仏教]])。当時のインドでは祭事を司る支配階級[[バラモン]]とは別に、サマナ([[沙門]])といわれる出身、出自を問わない自由な立場の思想家、宗教家、修行者らがおり、仏教はこの文化を出発点としている。 釈迦が死亡([[仏滅]])して後、直ぐに出家者集団([[僧伽]]、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉([[仏典]])を集める作業([[結集]])を行った<ref name="baba">{{Cite |和書|title=初期仏教――ブッダの思想をたどる |series=岩波新書 |author=馬場紀寿 |isbn=978-4004317357 |date=2018 |pages=55-59}}</ref>。これは「[[結集|仏典結集]]」と呼ばれ、[[マハーカッサパ]](摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた<ref name=baba />。仏典はこの時には口誦によって伝承され、後に文字化される。釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の仏典結集である<ref name=baba />。 最も古い仏教経典集である[[阿含経]]は、[[初期仏教]]の姿が色濃く反映されている。[[初期仏教]]は、人が苦しみから脱却する方法として、あくまで自力による出家と修行を必要とするものであったが、より広く救いを求める切実な願いが原動力となって形成されていった仏教の派(の総称)が[[大乗仏教]]である。ただ、そのような[[大乗仏教]]も、[[初期仏教]]における世界観・救済観を乗り越える形で、[[業]]や[[空]]などの内実を変容・発展させていったという経過があるため、前提となっている[[阿含経]]を知ることは、[[大乗仏教]]を深く知る上でも有益と考えられている<ref>佐々木閑『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』(NHK出版)</ref>。 === 部派仏教 === {{Main|部派仏教}} 仏滅後100年頃、段々と釈迦の説いた教えの解釈に、色々の異見が生じて岐れるようになってきた。その為に釈迦の説法の地であるヴァイシャーリーで、第二回の三蔵の結集を行い、釈迦の教えを再検討する作業に入った。この時、僧伽は教義の解釈によって[[上座部]]と[[大衆部]]の二つに大きく分裂する([[根本分裂]])。時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する(枝末分裂:しまつぶんれつ)。この時代の仏教を[[部派仏教]]と呼ぶ。部派仏教の上座部の一部は、[[スリランカ]]に伝わり、さらに、[[タイ王国|タイ]]など[[東南アジア]]に伝わり、現在も広く残っている([[上座部仏教|南伝仏教]])。 {{seealso|仏教のシルクロード伝播}} [[File:Asoka_Kaart.gif|thumb|right|300px|[[南アジア]]、[[西アジア]]方面への仏教伝播。]] [[File:MahayanaMap-ja.png|thumb|right|300px|東南アジア、東アジア方面への仏教伝播]] それからまたしばらくして、紀元前約3世紀の半ば頃に、[[アショーカ王]]は「法(ダルマ)」に基づく統治を志向し<ref>[[馬場紀寿]] 『初期仏教』〈岩波新書〉、岩波書店、2018年、44頁。</ref>、帝国各地に法大官を置き、西方のエジプト<ref>『岩波 仏教辞典 第2版』 岩波書店、2002年、2頁、「阿育王」の項。</ref>やギリシア、南方のスリランカにも法の使節を遣わした<ref>山極伸之「アショーカ王と仏教教団」『仏教の事典』 末木文美士・下田正弘・堀内伸二編集、朝倉書店、2014年、76頁。</ref>。アショーカ王は仏教に帰依していたため、その「法」とは仏法から出たものだっただろうと推測される<ref>[[平川彰]] 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、136頁。</ref>。南方仏教の伝承によると、その治世下では、アショーカ王の仏教の師とされるモッガリプッタ・ティッサが中心となって第三回の結集が[[パータリプトラ]](華氏城)で行われた<ref>[[平川彰]] 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、123頁。</ref>。また、モッガリプッタ・ティッサが音頭をとって、仏教教団から9つの地方に伝道師が派遣されたという<ref>[[平川彰]] 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、119頁。</ref>。この頃に文字が使われ出し、それまでの口伝を基に出来たのが文字で書かれた経典・典籍である。文字としては主に[[ブラフミー文字]]から派生した様々ないわゆるインド系文字で表記された。言語としては、大乗経典においては[[仏教混交梵語]]([[m:en:Buddhist Hybrid Sanskrit]])と呼ばれる言語や[[サンスクリット]]語が、主に南方に伝わった上座部経典においては[[パーリ語]]が用いられた。[[パーリ語]]はセイロンを中心としている。そこで仏典がサンスクリットやそれに近い言語で書かれたものとパーリ語で書かれたものとが出てきた。このサンスクリットの頃の仏典の日本語訳は、[[南条文雄]]、[[中村元 (哲学者)|中村元]]をはじめ、多くの人々によって取り組まれてきている。 === 大乗仏教 === 紀元前3世紀、インド初の統一国家となった[[マウリヤ朝]]の最盛期を築いた[[アショーカ王]]の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は、やがて西北インドから[[中央アジア]]を経由して、紀元1世紀には[[中国]]の[[中原地方]]まで伝播した<ref name="hdl.10112.16008">{{cite journal|和書|author=薗田香融 |title=東アジアにおける仏教の伝来と受容|journal=関西大学東西学術研究所紀要 |issue=22 |publisher=関西大学 |date=1989 |page=1 |url=https://hdl.handle.net/10112/16008}}</ref>。そして、こうした流れの中、紀元前後に、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え「[[大乗仏教]]」が起こり、急速に広まっていった。中央アジアを経て中国、さらに[[朝鮮半島|朝鮮]]、日本、[[ベトナム]]へと伝わった仏教は、「北伝仏教」と呼ばれるが、大乗仏教と同義ではなく、西北インドや西域諸国では[[部派仏教]]も盛んで、中国にもその経典が伝えられた<ref name=hdl.10112.16008 />。 7世紀ごろ[[ベンガル地方]]で、[[ヒンドゥー教]]の[[神秘主義]]の一潮流である[[タントラ教]]と深い関係を持った[[密教]]が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること([[即身成仏]])ができるとする。密教は、インドから[[チベット]]・[[ブータン]]へ、さらに中国・ベトナム・朝鮮半島・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。また、大乗仏教では時代が下ると仏法が衰退することがしきりに説かれ([[末法思想]])、末法には古い仏教では救済できないとして様々な新しい教えが生まれた。 8世紀よりチベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入した([[チベット仏教]])。その後チベット人僧侶の布教によって、チベット仏教は[[モンゴル]]や南[[シベリア]]にまで拡大していった。 仏教の教えは、インドにおいては上記のごとく段階を踏んで発展したが、近隣諸国においては、それらの全体をまとめて[[仏説]]として受け取ることとなった。中国および中国経由で仏教を導入した諸国においては、[[教相判釈]]により仏の極意の所在を特定の教典に求めて[[所依]]としたり、特定の行([[禅宗]]、密教など)のみを実践するという方向が指向されたのに対し、チベット仏教では初期仏教から密教にいたる様々な教えを一つの体系のもとに統合するという方向が指向された。 === 現代 === 21世紀において仏教を[[国教]]または国教に準じた地位としているのは[[タイ王国|タイ]]・スリランカ・[[カンボジア]]・[[ラオス]]・ブータンである。現在の仏教は、かつて多くの仏教国が栄えた[[シルクロード]]が単なる遺跡を残すのみとなったことに象徴されるように、大部分の仏教国は滅亡・改宗・政教分離し、一応は[[世界三大宗教]]の一つでありながら仏教を主要な宗教にしている国は少なく人口ではヒンドゥー教より少ない。 発祥国のインドにおいては[[7世紀]]に[[唐]]の[[義浄]]が訪れた時点ですでに[[インドにおける仏教の弾圧|仏教が廃れており]]、ヒンドゥー教やイスラムとの争いもあり一度滅亡している([[インドにおける仏教の衰退]])。20世紀、[[ビームラーオ・アンベードカル|アンベードガル]]により、1927年から1934年にかけて仏教復興及び反[[カースト制度]]運動が起こり、20万あるいは50万人の民衆が仏教徒へと[[改宗]]した。2011年段階で0.8%(870万人)が仏教徒となっている<ref>[https://www.nna.jp/news/show/22756 ヒンズー教徒比率、初の80%割れ=国勢調査 - NNA ASIA・インド・社会・事件]</ref>。アンベードカルの遺志を継ぐ[[日本人]][[僧]]・[[佐々井秀嶺]]により運動が続けられており、毎年10月には大改宗式を行っているほか、[[ブッダガヤの大菩提寺]]の奪還運動や[[世界遺産]]への登録、仏教遺跡の発掘なども行われている。 古くは、[[ヒンドゥー教]]や大乗仏教を信奉してきた東南アジアの王朝では、次第にスリランカを起点とした[[上座部仏教]]が、その地位に取って代わるようになり、タイ等では現在まで広く根付いている。しかし、中央アジアの大部分と東南アジアの一部は[[ヒンドゥー教]]、次いで[[イスラム教]]へと移行したほか、西欧の侵攻と植民地化を受けて伝統文化自体が大きく破壊されている地域が多い。アフガニスタンで[[ターリバーン|タリバーン]]により[[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群|石窟]]が爆破されたのが象徴的な事件である。 [[東アジア]]では[[三武一宗の廃仏]]をはじめとして[[儒教]]、[[道教]]、[[神道]]等と対立することが多々あり、[[中世]]・[[近世]]の儒教([[朱子学]])重視政策、近代の[[欧化主義]]や[[共産主義]]等との対立の中で衰退に向かった。日本では[[寺請制度]]と[[廃仏毀釈]]、戦後の[[アメリカナイゼーション]]・合理主義化等で勢いを失い、社会に与える影響は[[葬式]]や[[観光]]などに限られるものとなったが、熱心な信仰者や研究対象としている学者は根強く存在する。中でも[[創価学会]]は[[公明党]]として政権与党となっているものの[[政教分離]]の観点からはたびたび議論される。[[大韓民国]]ではもともと[[李氏朝鮮]]の儒教政策により仏教が追いやられており、さらに[[キリスト教]]の勢力拡大が著しく、キリスト教徒による排仏運動が起きている。中国・[[チベット]]・[[北朝鮮]]・モンゴルでは[[共産主義|共産]]化によって宗教が[[弾圧]]されている。ただしモンゴルでは[[民主化]]によりチベット仏教が復権しているほか、中国では[[改革開放]]以降[[復興]]の動きもみられる。[[ベトナム]]では[[ベトナム共産党|共産党]][[政権]]により宗教の冷遇はされているものの、仏教が[[ベトナム戦争]]勝利に大きな役割を果たしたこともあって組織的な弾圧は受けることなく、一定の地位を保っている。 各地域の仏教については以下を参照。 * [[紀元前5世紀]]頃 - インドで仏教が開かれる([[インドの仏教]]) * 紀元前3世紀 - [[セイロン島]]([[スリランカ]])に伝わる([[スリランカの仏教]]) * 紀元後1世紀 - 中国に伝わる([[中国の仏教]]) * 4世紀 - 朝鮮半島に伝わる([[朝鮮の仏教]]) * 538年(552年) - 日本に伝わる([[日本の仏教]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/useful/historynews/index2.html|title=神戸の歴史ニュース~大昔のこうべにタイムスリップ!~|publisher=神戸市埋蔵文化財センター|accessdate=2021-01-05}}</ref> * 7世紀前半 - チベットに伝わる([[チベット仏教]]) * 11世紀 - ビルマに伝わる([[東南アジアの仏教]]) * 13世紀 - タイ王国に伝わる([[タイの仏教]]) * 13〜16世紀 - モンゴルに伝わる(チベット仏教) * 15世紀末 - [[カトマンズの渓谷|カトマンズ渓谷]]で仏教が中興される([[ネワール仏教]])<ref>{{Cite book|和書|title=新アジア仏教史01 インドI|date=2019-11-15|publisher=[[佼成出版社]]|pages=|edition=Kindle版|editor=[[奈良康明]]、[[下田正弘]]|chapter=特論 ネパールの宗教と社会|author=石井溥|ref={{SfnRef|石井|2019}}|page=346}}</ref> * 17世紀 - カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教) * 18世紀 - 南シベリアに伝わる(チベット仏教) == 分布 == {{main|en:Buddhism by country}} [[File:Buddhist sects.png|thumb|仏教徒が多数を占める地域の図。赤色は上座部仏教、青色はチベット仏教、黄色は大乗仏教の勢力圏を示している]] [[File:Buddhism percent population in each nation World Map Buddhist data by Pew Research.svg|thumb|300px|[[ピュー研究所]]による2010年の仏教徒の割合図]] [[File:Dazu.jpg|thumb|right|220px|中国、重慶市の大足石刻の華厳三聖像]] [[File:Borobudur-perfect-buddha.jpg|thumb|right|220px|インドネシアのボロブドゥール寺院遺跡群に残る仏像]] [[File:Horyu-ji10s3200.jpg|thumb|right|220px|日本の[[法隆寺]]。7世紀の北東アジアの仏教寺院の代表的なものである]] 資料や統計により数値は異なるものの、2010年代において世界の仏教徒の総数は4.88億<ref name="pewforum">http://www.pewforum.org/2012/12/18/global-religious-landscape-buddhist/ Global Religious Landscape: Buddhists". Pew Research Center</ref>から4.95億<ref>Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). https://web.archive.org/web/20131020100448/http://media.johnwiley.com.au/product_data/excerpt/47/04706745/0470674547-196.pdf%E3%80%80 Hoboken, NJ: Wiley-Blackwell. pp. 34–37</ref>、または5.35億人<ref>https://books.google.co.jp/books?id=u0sg9LV_rEgC&lpg=PP1&dq=buddhism+introduction&pg=PA5&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Harvey, Peter (2013). An Introduction to Buddhism: Teachings, History and Practices (2nd ed.). Cambridge, UK: Cambridge University Press. {{ISBN2|9780521676748}}.</ref>にのぼり、世界の総人口の7%から8%が信仰していると推定されている。最も仏教徒の人口が多い国は中国であり、総人口の18%、2.44億人が信仰していると推定されている<ref name=pewforum />。彼らは主に[[中国の仏教]]諸派を信仰しており、中国仏教の属する大乗仏教の最大の信徒集団となっている。このほかに、日本や台湾などを含めた東アジア全体での仏教信者は、世界の仏教徒の半数以上を占めている<ref name=pewforum />。日本においては統計によって信徒数が非常に大きく異なる。 ピーター・ハーヴェイが2013年に報告した人口統計学の分析によると<ref>Harvey, Peter (2013). An Introduction to Buddhism: Teachings, History and Practices (2nd ed.). Cambridge, UK: Cambridge University Press. {{ISBN2|9780521676748}}.</ref>、世界の仏教のうちで大乗仏教は3.6億人、上座部仏教は1.5億人の信者を持ち、[[密教]]系は1900万人の信者を持っている。また、仏教徒のほとんどはアジアに居住しているが、アジア以外の仏教信者も700万人ほど存在する。 ジョンソンとグリムの2013年の研究によると、1910年には仏教徒の人口は1億3800万人であり、そのうち1億3700万人はアジアに居住していたが、2010年には仏教徒の人口は4億9500万人にのぼり、そのうちアジアの仏教徒は4億8700万人だった<ref>Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). [https://web.archive.org/web/20131020100448/http://media.johnwiley.com.au/product_data/excerpt/47/04706745/0470674547-196.pdf%E3%80%80 Hoboken], NJ: Wiley-Blackwell. pp. 34–37</ref>。この間、[[パキスタン]]、[[サウジアラビア]]、[[レバノン]]、いくつかの[[西ヨーロッパ]]諸国においては仏教徒の数が高い増加率を示した。2000年から2010年にかけては、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦]]、[[イラン]]、いくつかの[[アフリカ]]の国々で仏教徒数が高い成長率を示している<ref>Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). [https://web.archive.org/web/20131020100448/http://media.johnwiley.com.au/product_data/excerpt/47/04706745/0470674547-196.pdf%E3%80%80 Hoboken], NJ: Wiley-Blackwell. pp. 36</ref>。 [[カンボジア]]や[[タイ王国|タイ]]では仏教徒は人口の90%以上を占め、そのほかに[[ミャンマー]]や[[ラオス]]でも仏教徒は高い比率を示しており、東南アジア大陸部においては仏教が最も重要な宗教となっているといえる。これらの国では上座部仏教が主に信仰されている。また、発祥の地である南アジアにおいては、[[インド]]では仏教は衰退したものの、[[ブータン]]や[[スリランカ]]などでは仏教徒は高い比率を示している。スリランカでは仏教は主に南部に居住し人口の3分の2を占める[[シンハラ人]]によって信仰されており、北部に居住し[[ヒンドゥー教]]を信仰する[[タミル人]]との間には宗教的な対立が存在する。大乗仏教は東アジアで広く信仰され、信徒数は上座部仏教よりもはるかに多いものの、国家における人口比ではそれほど高くはない国がほとんどである。大乗仏教国で最も信徒比率が高い国はブータンであり、[[チベット仏教]]の一派である[[カギュ派]]が国教の地位にあり、広く信仰される。チベット仏教は、[[モンゴル]]においても広く信仰されている。東アジアにおいてもっとも信徒比率が高い国もモンゴルである。 2050年の予想では、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教が増える一方で、仏教はほとんど増減がないと予測されている<ref>[[宮田幸一]][http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/world%20religion%20population.html 1-1 世界の宗教人口と将来予測]</ref>。 === 言語圏 === 伝統的に仏教を信仰してきた諸国、諸民族は、経典の使用言語によって、[[サンスクリット語]]圏、[[パーリ語]]圏、[[漢語]]圏、[[チベット語]]圏の4つに大別される。パーリ語圏のみが上座部仏教で、残る各地域は大乗仏教である。 ; サンスクリット語圏:[[ネパール]]([[ネワール仏教|ネワール族]]、[[チベット・ビルマ語派|チベット・ビルマ系]])、[[インド]](ベンガル仏教、[[新仏教運動|新仏教]]等) ; パーリ語圏:[[タイ王国|タイ]]、[[ミャンマー|ビルマ]]、[[スリランカ]]、[[カンボジア]]、[[ラオス]]等。 ; 漢語圏: [[漢民族]]([[中華人民共和国|中国]]・[[台湾]])、[[朝鮮民族]](中国東北部・[[朝鮮]]など)、日本、ベトナム等。 ; チベット語圏:[[チベット民族]]([[チベット]]、[[ブータン]]、[[ネパール]]、[[インド]]などの諸国の沿ヒマラヤ地方に分布)、[[モンゴル系民族]]([[モンゴル国]]、中国[[内蒙古]]ほか、ロシア連邦[[ブリヤート共和国]]や[[カルムイク人]])、[[ツングース系民族]]の[[満州民族|満州族]](中国東北部など)、[[テュルク系民族]]の[[トゥヴァ人]](ロシア連邦[[トゥヴァ共和国]])など。 == 宗派 == 釈迦以後、インド本国では大別して部派仏教、大乗仏教、密教が時代の変遷と共に起こった。 === 部派仏教 === {{Main|部派仏教}} アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る[[保守]]派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから、上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを[[論蔵]](アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは、上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。 === 上座部仏教 === {{Main|上座部仏教}} [[上座部仏教]]では、人は自らに頼り、自ら修行をして[[真理]]([[法 (仏教)|法]])に目覚め、「[[悟り]]」を得る。最終的には「あらゆるものごとは、我([[アートマン]])ではない」([[無我]])「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、全ての欲や執着を捨てることによって、[[苦]]の束縛から解放されること(=[[解脱]])を求めることである。一般にこの境地を『[[涅槃]]』と呼ぶ。 上座部仏教では、釈迦を[[仏陀]]と尊崇し、その教え([[法 (仏教)|法]])を理解し、自分自身が[[四念住]]、[[止観]]などの実践修行によって、[[悟り|さとり]]を得、[[煩悩]]を除き、[[輪廻]]の[[苦 (仏教)|苦]]から[[解脱]]して、涅槃の境地に入ることを目標とする。神頼みによって解脱するといった考えは、[[戒禁取見]]として否定される。 === 大乗仏教 === {{Main|大乗仏教}} 部派仏教では、出家であれ在家であれ、自ら修行する者しか救済を得ることができない。大乗仏教は、人は他者により済度されることが可能であるとする教義を持つ。[[インド北部]]において部派仏教から派生したと考えられ、ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され<ref>中村元・三枝充悳『バウッダ――仏教』(小学館 1987年、小学館ライブラリー 1996年、[[講談社学術文庫]]、2009年12月)</ref>、[[中観派]]、[[唯識派]]、[[浄土教]]、[[禅宗]]、[[天台宗]]などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。新興勢力である大乗仏教は、部派仏教を自分だけの救いを求めていると見なし、小乗(ヒーナヤーナ、劣った乗り物)と蔑称で呼んだ{{Efn|「小乗」という呼び名は大乗仏教からの一方的な蔑称であること、また大乗勃興当時のその批判対象は[[説一切有部]]が中心であったことが知られてきたため、南伝仏教の実際が知られてきた近年ではむやみに使用されることはなくなってきている。大乗経典群が指している「小乗」の語は当時の部派仏教を指したものであって、大乗仏教が北伝を開始した時点でその蔑視の対象はすでに滅んでいた。したがって存続中の何らかの宗派・学派に対して小乗の語を当てるのは[[誤用]]であり、蔑称であるためカテゴライズとしても適切な言葉ではない。}}。 大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳([[波羅蜜]])を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち([[一切衆生]])への救済に対する誓いを立てること(=[[誓願]])を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『[[正法眼蔵]]』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち([[一切衆生]])への[[慈悲]]から[[輪廻]]の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。 === 密教 === {{Main|密教}} 後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より[[国教]]として定められた[[ヒンドゥー教]]が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派である[[タントラ教]]の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。 中期密教期に至り、密教の修行は、口に[[呪文]]([[真言]]、マントラ)を唱え、手に[[印契]](いんげい)を結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。[[曼荼羅]]はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。 「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、[[灌頂]]の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う<ref>『哲学・思想事典』{{full|date=2019-11}}</ref>。 密教は、中国を経て日本にももたらされ、[[真言宗]]が形成されたほか、[[天台宗]]も密教を取り入れた。一方、8世紀に[[チベット]]に伝えられた密教は[[チベット仏教]]の根幹となった。 == 仏像 == [[File:Gandhara Buddha (tnm).jpeg|thumb|right|200px|ガンダーラ仏像]] {{Main|仏像}} [[初期仏教]]では、具体的に礼拝する対象はシンボル(菩提樹や[[仏足石]]、[[金剛座]])で間接的に表現していたが、ギリシャ・ローマの彫刻の文明の影響もあり、紀元1世紀頃に[[ガンダーラ]](現在のパキスタン北部)で直接的に人間の形の[[仏像]]が製作されるようになり、前後して[[マトゥラー]](インド)でも仏像造立が開始された。仏像造立開始の契機については諸説あるが、一般的には釈迦亡き後の追慕の念から信仰の拠りどころとして発達したと考えられている。仏像の本義は仏陀、すなわち釈迦の像であるが、現在は[[如来]]・[[菩薩]]・[[明王]]・[[天部]]など、さまざまな礼拝対象がある。<!--一般的な仏教(顕教)では、仏像自体は宗教的シンボルとしてのみ意義がある。 しかし後期大乗仏教の『[[大毘盧遮那成仏神変加持経]]』(大日経)では、[[本尊]]という概念を導入し、自身と一体になる対象として扱われる。 {{Quotation|真言門の菩薩行を修する諸菩薩を令て、本尊の形を観縁せしむるが故に、即ち本尊の身を以て自身と為す。|説本尊三昧品第二十八}}--><!--左は2004年からある記述ですが、「仏教」という概論的項目に左のような特定経典の引用は必要なものでしょうか。--> * [[如来]] - 「目覚めた者」「真理に到達した者」の意。悟りを開いた存在。[[釈迦如来]]のほか、[[薬師如来]]、[[阿弥陀如来]]、[[大日如来]]など。 * [[菩薩]] - 仏果を得るため修行中の存在。すでに悟りを開いているが、衆生済度のため現世に留まる者ともいわれる。如来の脇侍として、または単独で礼拝対象となる。[[観音菩薩]]、[[地蔵菩薩]]、[[文殊菩薩]]など。 * [[明王]] - 密教特有の尊格。密教の主尊たる大日如来が、難化の衆生を力をもって教化するために忿怒の相をもって化身したものと説かれる。[[不動明王]]、[[愛染明王]]など。 * [[天部]] - 護法善神。その由来はさまざまだが、インドの在来の神々が仏教に取り入れられ、仏を守護する役目をもたされたものである。[[四天王]]、[[毘沙門天]](四天王の一である多聞天に同じ)、[[吉祥天]]、[[大黒天]]、[[弁才天]]、[[梵天]]、[[帝釈天]]など。 {{clear}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 参考文献 == * {{Cite book | last =Anderson | first =Carol | year =2003 | chapter =Four Noble Truths | editor-last =Buswell | editor-first =Robert E. | title =Encyclopedia of Buddhism | publisher =Macmillan Reference Books | isbn =978-0028657189}} * {{Citation |last=Bodhi|first=Bhikkhu| authorlink=Bhikkhu Bodhi |title=The Connected Discourses of the Buddha. A Translation of the Samyutta Nikaya|date=2000|publisher=Wisdom Publications|isbn=978-0861713318|page=}} * {{citation|last=Gethin|first=Rupert|authorlink=Rupert Gethin|title=Foundations of Buddhism|publisher=Oxford University Press|location=Oxford|year=1998|url=https://archive.org/details/foundationsofbud00rupe|isbn=978-0192892232}} * {{Citation | last =Harvey | first =Graham | year =2016 | title =Religions in Focus: New Approaches to Tradition and Contemporary Practices | publisher =Routledge}} * {{Citation | last =Nattier|first= Jan | title =A Few Good Men: The Bodhisattva Path according to The Inquiry of Ugra (Ugrapariprccha)|publisher=University of Hawai'i Press|year=2003|isbn=978-0824826079}} * {{Citation | last =McFarlane| first =Stewart |chapter=Making Moral Decisions | year =2001 |editor= Peter Harvey |title=Buddhism| publisher =Continuum |isbn=978-0826453501 }} * {{cite book |last=Harvey |first=Peter |title=An Introduction to Buddhism: Teachings, History and Practices |url=https://books.google.com/books?id=u0sg9LV_rEgC&lpg=PP1&dq=buddhism%20introduction&pg=PA5#v=onepage |year=2013 |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge |edition=2nd |isbn=978-0521676748 |ref=harv}} * {{Citation | last =Keown | first =Damien | authorlink = Damien Keown |year=1996|title=Buddhism: A Very Short Introduction|publisher=Oxford University Press}} * {{citation |date=2012 |title=The Global Religious Landscape: A Report on the Size and Distribution of the World's Major Religious Groups as of 2010 |publisher=[[Pew Research Center]] |url=http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-full.pdf |archive-url=https://web.archive.org/web/20130806002044/http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-full.pdf |url-status=dead |archive-date=6 August 2013 |accessdate=9 October 2013 |df= }} * {{Citation | last =Vetter | first =Tilmann | year =1988 | title =The Ideas and Meditative Practices of Early Buddhism | publisher =Brill}} * {{Citation | last =Hayes | first =Richard P. | year =2013 |chapter =The Internet as Window onto American Buddhism | editor-last1 =Queen | editor-first =Christopher | editor-last2 =Williams | editor-first2 =Duncan Ryuken | title =American Buddhism: Methods and Findings in Recent Scholarship | publisher =Routledge}} * {{Citation|last=Gombrich |first=Richard F. | authorlink = Richard Gombrich |title=Theravāda Buddhism: A Social History from Ancient Benares to Modern Colombo|publisher=London: Routledge|year=1988|isbn=978-0415075855}} * {{Citation | last =Lopez | first =Donald S. Jr. | year =2001 | title =The Story of Buddhism | publisher =HarperCollins }} * {{citation |ref={{sfnref|Pew Research Center|2012}}|date=2012 |title=The Global Religious Landscape: A Report on the Size and Distribution of the World's Major Religious Groups as of 2010 |publisher=[[Pew Research Center]] |url=http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-full.pdf |archive-url=https://web.archive.org/web/20130806002044/http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-full.pdf |archivedate=6 August 2013 |accessdate=9 October 2013}} * {{cite book|last=Kuan |first=Tse-fu |year=2007 |title=Mindfulness in Early Buddhism: New Approaches Through Psychology and Textual Analysis of Pali, Chinese and Sanskrit Sources |publisher=Routledge}} * {{citation |editor-last1=Rhys Davids |editor-first1=T.W. |editor-link1=Thomas William Rhys Davids |editor-last2=Stede |editor-first2=William |year=1921–1925 |title=The Pali Text Society's Pali–English dictionary |location=Chipstead, London |publisher=Pali Text Society |url=https://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/ |access-date=20 February 2021 |archive-date=25 July 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210725103343/https://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/ |url-status=live }} == 関連項目 == <!-- 関連項目:本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク(姉妹プロジェクトリンク、言語間リンク)、ウィキリンク(ウィキペディア内部リンク)。可能なら本文内に埋め込んで下さい。--> {{Sisterlinks|commons=Buddhism|d=Q748}} {{Buddhism portal}} * [[仏教用語一覧]] * [[日本の仏教]] * [[葬式仏教]] * [[山岳仏教]] * [[外道]] - 仏教を'''内道'''ということに対して * [[説法]] * [[仏滅紀元]] == 外部リンク == * [http://www.jbf.ne.jp/interest/about_buddhism 仏教とは] - [[全日本仏教会]]による解説。 * [https://www.inbuds.net/jpn/index.html インド学仏教学論文データベース] - 日本印度学仏教学会 * [https://www.sotozen-net.or.jp/tmp/kensaku.htm 曹洞宗関係文献目録 オンライン検索] * {{NHK for School clip|D0005310430_00000|仏教}} * {{Kotobank}} * [https://www.youtube.com/playlist?list=PLmwYOQLkF8YiL5xEZMXvq34JxK7o0ruFC 佐々木閑「ブッダの教え」] - [[ブッダ]]の教えに関する入門講義動画 {{Buddhism2}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふつきよう}} [[Category:仏教|*]]
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ポッパ山
ポッパ山(ポッパさん、Mount Popa)は、ミャンマーのマンダレー地方域にある玄武岩の火山(標高1518m)で、バガン南東の平原に位置する。 寄生火山の岩頸であるタウン・カラット(標高737m)にはミャンマーの土着信仰であるナッ信仰の総本山があり、多くの参拝客を集める。登山道には多くのみやげ物店があり、また猿が多く生息している。
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ポッパ山は、ミャンマーのマンダレー地方域にある玄武岩の火山(標高1518m)で、バガン南東の平原に位置する。 寄生火山の岩頸であるタウン・カラット(標高737m)にはミャンマーの土着信仰であるナッ信仰の総本山があり、多くの参拝客を集める。登山道には多くのみやげ物店があり、また猿が多く生息している。
[[Image:Mt Popa.jpg|right|thumb|250px|タウン・カラット]] '''ポッパ山'''(ポッパさん、Mount Popa)は、[[ミャンマー]]の[[マンダレー地方域]]にある[[玄武岩]]の火山(標高1518m)で、[[バガン]]南東の平原に位置する。 [[寄生火山]]の[[岩頸]]であるタウン・カラット(標高737m)にはミャンマーの土着信仰である[[ナッ信仰]]の総本山があり<ref>{{Cite book|和書 |author = パイインターナショナル |year = 2018 |title = 世界の断崖おどろきの絶景建築 |publisher = パイインターナショナル |page = 108 |isbn = 978-4-7562-5008-7}}</ref>、多くの参拝客を集める。[[登山道]]には多くのみやげ物店があり、また[[猿]]が多く生息している。 <gallery> 画像:Mount Popa 001.jpg|タウン・カラット 画像:Mount Popa 002.jpg|ナッ信仰の聖地 画像:Mt Popa1.jpg|遠景 画像:Popa Taung in sunrise, Myanmar.jpg|ポッパ山の日の出 </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} ==外部リンク== *[http://www.moecaf.gov.mm/ Ministry of Environmental Conservation and Forestry] {{commonscat|Mount Popa}} {{Coord|20|55|27|N|95|15|02|E|type:mountain|display=title}} {{Normdaten}} {{myanmar-stub}} {{Mountain-stub}} {{DEFAULTSORT:ほつはさん}} [[Category:山岳名目録]] [[Category:ミャンマーの山]] [[Category:ミャンマーの国立公園]] [[Category:ミャンマーの観光地]] [[Category:ミャンマーの宗教]] [[Category:ミャンマーの宗教施設]] [[Category:マンダレー地方域]] [[Category:1000メートル峰]]
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南紀白浜空港
南紀白浜空港(なんきしらはまくうこう、英: Nanki-Shirahama Airport)は、和歌山県西牟婁郡白浜町にある地方管理空港である。観光エリア・南紀に訪れる観光客を中心として利用されている。 南紀白浜温泉の温泉街を含む白浜町中心部から、南東に約1.5キロメートルの丘陵地に位置する地方管理空港で、和歌山県が設置・管理する。和歌山県唯一の空港で、本州最南端の空港である。 1968年4月に1200mの滑走路を持つ空港として開港。東京、大阪、名古屋とを結ぶ便が開設されたが、やがて大阪、名古屋便は撤退。空港を管理する和歌山県は就航路線のジェット化をめざし、1996年3月9日、東側の隣接地に1800mの滑走路を持つ新たな空港を開設。その後、滑走路を2000mに延長した。 県の行政・経済の中心地である和歌山市からは約65キロメートル南南東に位置し、和歌山市からは1994年に開港した関西国際空港の方が近い。本空港利用客の大半は南紀白浜温泉や熊野古道など空港周辺地域の観光地を訪れる観光客が占める。2022年夏ダイヤ現在の定期便は、日本航空の東京国際空港(羽田)便が1日3往復就航しているのみである。また、開港時から2009年9月2日まで、南紀航空がこの空港を拠点とした遊覧飛行を行っていた。2020年の新型コロナウイルス感染症の世界的流行で、一時期には、国内線唯一の羽田便が運休し全便欠航となった期間もあった。 なお、空港内でのオペレーション・チェックイン業務などは、日本航空ではなく総代理店である日本通運株式会社が代行している。 空港オリジナルマスコットキャラクターは「ナンキー」。 南紀白浜空港開港前は、1955年1月1日から1965年9月末まで、日東航空が大阪(八尾空港及び大阪国際空港) - 白浜線を水陸両用機で運航していた。白浜側は田辺湾にて離着水を行っていた。また一時はこの路線を延長する形で、伊勢志摩を経由し名古屋空港までを結ぶ便も運航されていた。 両端にターニングパッドを備えた2000mの滑走路1本を有する。滑走路南端付近にILS(LOC/T-DME)が設置されている。 空港ターミナルビルは鉄骨造2階建(一部3階建)で、建築面積は3883.88m。屋根は白浜の海をイメージする波形をしており、カーブサイドには南国をイメージした全面ガラスのカーテンウォールが採用されている。1階にチェックインカウンター、手荷物受取所、到着ロビーと多目的室「スカイルーム」、2階には売店、アドベンチャーワールド直営のレストラン、保安検査場、ゲートラウンジと搭乗口(ボーディングブリッジ1基)、多目的室「サンルーム」がある。また、屋上は滑走路を一望できる展望デッキとなっている。 1階到着ロビーと2階ゲートラウンジでは、FREESPOTによる公衆無線LANの無料接続サービスを提供している。 また、屋外駐車場は229台分用意されており、無料で利用できる。 管理運営は、県が出資する南紀白浜空港ビル株式会社が行っていたが、コンセッション方式による南紀白浜空港民営化により、南紀白浜空港ビル株式会社の全株式は、株式会社南紀白浜エアポートに譲渡され、更に2018年12月1日に、株式会社南紀白浜エアポートと南紀白浜空港ビル株式会社が合併 し、同日から株式会社南紀白浜エアポートが運営している。 旅客ターミナルビルに面したサウスエプロンには、ボーイング737型機が駐機できる中型ジェット用1バースとYSクラス用2バースが、ノースエプロンには小型機用5バースがある。 かつての定期就航路線(八尾空港は不定期) 各年度の空港利用状況は下表のとおり。 ^(注) これ以外の日はすべて1日2往復である。 2010年度の南紀白浜空港の年間利用客数は11万1203人で、前年度比で3万6551人・24.7%の減少だった。しかし、日本航空によるマクドネル・ダグラスMD-87の運航から、子会社のジェイエアによるエンブラエル170での運航への変更により、搭乗率は16.1%増の67.0%へ改善された。また、2007年度の年間貨物輸送量は149tで、うち南紀白浜空港から羽田空港に向けての輸送量が136tで、全体の91.4%を占める。 2011年度は、2010年度末に当たる3月11日に発生した東日本大震災後の国内旅行の自粛ムードなどから利用客が減少していたが、2012年度下半期以降に回復基調になったとされ、2012年度の年間利用者数は10万8441人となって前年比1万7421人・19.1%の増加となった。また、2013年の上半期に限ると搭乗客は過去3年間で最も多かった。この要因について地元紙は、地元関係者による増客の取り組みが功を奏したほか、乗り継ぎ利用に対し利便を図る運賃制度などが要因であったとしている。 南紀白浜空港は和歌山県内唯一の空港だが、県南部の白浜町の海岸部に位置し、現在は羽田便のみの就航である。このため、同県北西部に位置し、行政や商工業の中心地である和歌山市からのアクセス時間や利便性では大阪府にある関西国際空港に劣り、羽田線の通常運賃でも南紀白浜空港の方が高い。その結果、南紀白浜空港利用客の過半数は観光目的であり、その行き先としては南紀白浜温泉・アドベンチャーワールドなどの白浜町内、及び熊野古道・那智勝浦温泉・潮岬などの県南部の観光地が上位に並ぶ反面、県北東部の高野山は相対的に低いとしている。 このような実情を反映してか、和歌山県はその長期総合計画の中で関西国際空港を南紀白浜空港に優先して記述し、その至近距離が「本県経済の発展にとって大きなメリットをもたらす」「観光客や企業の誘致、農産物などの輸出(に有効)」とし、大阪府や近畿の経済界と連携して同空港の2期工事を推進する一方、南紀白浜空港は「首都圏に直結する立地条件を持つ本県南部の玄関口」と現状認識を示した上で「(観光客などの)誘客を行う際には、南紀白浜空港を拠点に紀南地域への動線を描いていく」という将来像を示し、両空港の並立と南紀白浜空港の維持・増便を目指している。 和歌山県は、利用者の増加とイメージアップを図るため、当空港の愛称を「南紀白浜パンダ空港」とする案を検討している。また、白浜町民は航空機利用について、白浜町から補助金を受けることができる利用促進制度がある。 2016年2月10日、和歌山県の仁坂吉伸知事は、県の平成28年度当初予算案の定例記者会見で、南紀白浜空港への国際線誘致にむけて、平成28年(2016年)度から国際線空港ターミナルビルの基本設計、実施設計に着手するとともに、民間企業への空港の運営委託についてコンセッション方式(公共施設等運営権方式)も含めて検討することを明らかにした。 2018年1月25日、南紀白浜空港民間活力導入事業の第一次審査結果が発表され、経営共創基盤を代表とした経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムと、ホテルマネージメントインターナショナルを代表としたホテルマネージメントインターナショナル・岡本設計・中紀バス・エコ和歌山・マツシタオフィス土地家屋調査士・サンエストを構成員とした白浜HMIコンソーシアムが第一次審査を通過した。同年5月15日に行われた第二次審査では白浜HMIコンソーシアムからの提案がなかったため、最終的に経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムが優先交渉権者に選定された。経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムは、2019年4月1日より、南紀白浜エアポートを運営会社として、コンセッション方式にて南紀白浜空港の運営を開始した。 空港敷地内の高台には公園があり、一般に開放されている。 旧空港跡地 南西に隣接する旧空港の跡地には旧滑走路が現存し、敷地の一部がバラ園として利用されているほか、繁忙期や「空の日フェスタ」などのイベント開催時には臨時駐車場として活用されることもある。一般利用客は隣接する平草原公園から旧滑走路に立入ることができる。なお、旧旅客ターミナルビルは2010年に解体され、同年11月7日、その建物跡に隣接して白浜警察署が移転・設置された。 2021年2月20日~22日の3日間、白浜観光協会の主催により臨時の「ドライブインシアター」が開設された。主要産業の観光がコロナ禍で打撃を受ける中、町に活気を取り戻そうと実施。上演は米映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」。 2021年11月20日、旧滑走路跡に地上絵「光のしずく」が展示された。アートイベント「紀の国トレイナート」での出品作、作者は郷さとこ。 民営化に関わる運営会社は、南紀白浜空港を地域の交通ハブとする構想を進めており、民営化後には従来の空港連絡バスだけでなく、東京・大阪方面からの高速バスの乗り入れが実現した。 路線バス 高速バス 空港のすぐ西側にある南紀VOR/DMEと、空港敷地内にあるILSの管理は大阪空港事務所システム運用管理センターが行っている。また、大阪航空局南紀白浜空港出張所が管理していた御坊DME(VORは2013年3月7日廃止)及び串本VORTACの管理も、同センターが行っている。 エアバスA300の離着陸を想定し滑走路を予定より伸ばし2000mとなり、それに伴い設置されたターニングパッドはA300の第一号チャーター便の離陸時にのみ使用された(2013年時点)。また滑走路の設計上、仮にA300クラスの飛行機が毎日飛んできた場合、滑走路は構造的な問題で強度に耐えられないとされた。ただ、前述の通りボーイング737-800の定期就航により、2021年現在は通常運行でターニングパッドを使用している。
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南紀白浜空港は、和歌山県西牟婁郡白浜町にある地方管理空港である。観光エリア・南紀に訪れる観光客を中心として利用されている。
{{Redirect|SHM|スウェーデンのハウスユニット|スウェディッシュ・ハウス・マフィア}} {{Infobox 空港 | 名前 = 南紀白浜空港<br/>Nanki-Shirahama Airport | 画像 = Nanki shirahama airport terminal.jpg | 画像サイズ = | 画像説明 = 南紀白浜空港ターミナルビル | 画像2 = Inside Nanki Shirahama Airport.jpg | 画像サイズ2 = | 画像説明2 = ターミナル内部 | IATA = SHM | ICAO = RJBD | 国 = {{JPN}} | 設置場所 =[[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]2926番地 | 空港ビル住所 = [[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]<br/>才野1622番地の125 | タイプ = 商業 | 運営者 = [[#南紀白浜エアポート|南紀白浜エアポート]] | 運営時間 = 8:30 - 20:00<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ocab.mlit.go.jp/about/jurisdiction/nanki/ | title=南紀白浜空港 | publisher=国土交通省大阪航空局 |accessdate=2017-06-01}}</ref> | 開港 = [[1968年]][[4月2日]]<ref name=交通1968-0208>{{Cite news |和書|title=南紀白浜空港 四月二日に開港 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1968-02-08 |page=1 }}</ref> | 敷地面積 ha = 74.1<ref name="pref_gaiyou"></ref> | 標高 m = 89.4<ref name="pref_gaiyou"></ref> | 緯度度 = 33|緯度分 = 39|緯度秒 = 44|N(北緯)及びS(南緯) = N | 経度度 = 135|経度分 = 21|経度秒 = 52|E(東経)及びW(西経) = E | ウェブサイト = [http://shirahama-airport.jp/ 南紀白浜空港] | 座標地域 = JP | 地図名 = Japan Wakayama#Japan | 地図説明 = 南紀白浜空港の位置 | 方向 滑走路1 = 15/33 | ILS 滑走路1 = LOC | 全長 滑走路1 m = 2,000 | 全長 滑走路1 ft = 6,562 | 全幅 滑走路1 = 45 | 表面 滑走路1 = 舗装 |所有者=[[和歌山県]] | 統計年 = 2022年度 | 旅客数 = 231,319人 | 貨物取扱量 = 12[[トン|t]] | 脚注 = [https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000185.html 航空:空港管理状況 - 国土交通省] }} [[ファイル:20101130南紀白浜空港.jpg|thumb|right|上空俯瞰。滑走路の延長線上にある、弧を描く白い浜が白浜の地名の由来となった白良浜]] [[File:Old Nanki-Shirahama Airport Aerial Photograph 1975.jpg|thumb|right|'''旧'''南紀白浜空港付近の空中写真。{{国土航空写真}}<small>(1975年撮影)</small>この画像の滑走路の右側(東側)に現在の滑走路がある。]] [[File:Nanki-Shirahama Airport Aerial photograph.2017.jpg|thumb|right|2017年撮影の南紀白浜空港付近の空中写真。{{国土航空写真}}。左側(西側)に旧滑走路が残る。]] '''南紀白浜空港'''(なんきしらはまくうこう、{{lang-en-short|''Nanki-Shirahama Airport''}})は、[[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]にある[[日本の空港#地方管理空港|地方管理空港]]である。観光エリア・[[南紀]]に訪れる観光客を中心として利用されている<ref name="pref_gaiyou">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080500/shirap/gaiyo.html|title=南紀白浜空港の概要|publisher=和歌山県|accessdate=2015-11-07}}</ref>。 == 概要 == [[南紀白浜温泉]]の温泉街を含む[[白浜町]]中心部から、南東に約1.5キロメートルの丘陵地に位置する地方管理空港で、和歌山県が設置・管理する。和歌山県唯一の空港で、[[本州]]最南端の空港である<ref name="pref_gaiyou" />。 [[1968年]]4月に1200mの[[滑走路]]を持つ空港として開港{{R|交通1968-0208}}。[[東京国際空港|東京]]、[[大阪国際空港|大阪]]、[[名古屋飛行場|名古屋]]とを結ぶ便が開設されたが、やがて大阪、名古屋便は撤退。空港を管理する和歌山県は就航路線の[[ジェット機|ジェット]]化をめざし、1996年3月9日、東側の隣接地に1800mの滑走路を持つ新たな空港を開設<ref name="交通960314">{{cite news |和書|title=ジェット化使用開始 南紀白浜空港 |newspaper=交通新聞 |date=1996-03-14 |publisher=交通新聞社 |page=1 }}</ref>。その後、滑走路を2000mに延長した。 県の行政・経済の中心地である[[和歌山市]]からは約65キロメートル南南東に位置し、和歌山市からは1994年に開港した[[関西国際空港]]の方が近い。本空港利用客の大半は[[南紀白浜温泉]]や[[熊野古道]]など空港周辺地域の観光地を訪れる観光客が占める。2022年夏ダイヤ現在の定期便は、[[日本航空]]の[[東京国際空港]](羽田)便が1日3往復就航しているのみである。また、開港時から2009年9月2日まで、[[南紀航空]]がこの空港を拠点とした遊覧飛行を行っていた。[[2020年]]の[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]で、一時期には、国内線唯一の羽田便が運休し全便欠航となった期間もあった<ref>[https://www.agara.co.jp/article/69425 東京便が3往復に回復 8月から南紀白浜空港 紀伊民報AGARA]</ref>。 なお、空港内でのオペレーション・チェックイン業務などは、日本航空ではなく総代理店である[[日本通運]]株式会社が代行している<ref >[http://groundhostess.seesaa.net/article/428996257.html グランドスタッフの給料-地方空港の総代理店もしくは地元企業]</ref>。 空港オリジナルマスコットキャラクターは「ナンキー」<ref name="pref_gaiyou" />。 == 歴史 == {{出典の明記|section=1|date=2015年11月}} === 旧空港 === 南紀白浜空港開港前は、[[1955年]]1月1日から[[日東航空]]が不定期路線の大阪-白浜線を開設、[[水陸両用機]]の[[デ・ハビランド・カナダ_DHC-3|オッター(10人乗り)]]と[[デ・ハビランド・カナダ_DHC-2|ビーバー(6人乗り)]]を使用し、大阪 堺港と白浜の[[田辺湾]]にて離着水を行っていた<ref>{{Cite book|和書|doi=10.11501/2275076 |chapterurl={{NDLDC|2275076/3}}|title=運輸|publisher=運輸故資更生協会|volume=8|issue=9|date=1958-09|chapter=航空輸送事業の現状|pages=2}}日東航空が、不定期路線として堺-白浜、堺-徳島を[[デ・ハビランド・カナダ_DHC-3|オッター(10人乗り)]]および[[デ・ハビランド・カナダ_DHC-2|ビーバー(6人乗り)]]で運航、と記載</ref><ref>{{Cite book|和書|doi=10.11501/3445313 |chapterurl={{NDLDC|3445313/36}}|title=観光統計要覧|publisher=運輸省観光局|volume=昭和33年度版|date=1959|chapter=第三章 観光施設 12.国内航空|pages=59}}日東航空が使用する空港として「堺港、白浜湾、吉野川大橋詰(使用機水上機)」と記載</ref>。この不定期路線は[[1965年]]9月末まで運行され、大阪側は[[八尾空港]]及び[[大阪国際空港]]、また、白浜から伊勢志摩を経由し[[名古屋飛行場|名古屋空港]]までを結ぶ便も運航されていた<ref name=kahaku>{{Cite web|url=http://www.i-kahaku.jp/research/bulletin/12/kagaku01.pdf|title=新居浜の航空路回顧|publisher=藤本雅之|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150412030656/http://www.i-kahaku.jp/research/bulletin/12/kagaku01.pdf|archivedate=2015-04-12|accessdate=2023-11-16}}</ref> * [[1966年]](昭和41年)4月 - 運輸省の許可を受け第3種空港として起工<ref name="historytanabe1971" >{{Cite book |和書 |chapter=第4章 交通通信 1空路|chapterurl={{NDLDC|3008744/207}} |title=田辺市誌 |volume=2 |publisher=田辺市 |date=1971 |doi=10.11501/3008744 |pages=347-350}}</ref>。 * [[1968年]](昭和43年)[[4月2日]] - '''南紀白浜空港'''(初代)開港{{R|交通1968-0208}}。滑走路1200m{{R|交通1968-0208}}でプロペラ機のみの就航であった。[[日本エアシステム|日本国内航空]]が[[東京国際空港]](羽田空港)便を開設{{R|交通1968-0208}}、[[YS-11]]による運航 * [[1969年]] ** 3月 - [[全日本空輸]]が[[名古屋飛行場|名古屋空港]]便を開設([[フォッカー F27|F-27フレンドシップ]]、後にYS-11による運航) ** 4月 - 日本国内航空が[[大阪国際空港]](伊丹空港)便を開設(航路廃止までYS-11による運航) *[[1975年]]6月 - 大阪国際空港便を廃止<ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020500/book_d/fil/shiryoshu.pdf 和歌山県公共交通機関等資料集](令和2年度)</ref> * [[1988年]]1月 - 名古屋便を運休 === 現空港 === * [[1996年]](平成8年) ** [[3月9日]] - 東側隣接地に滑走路1800mの'''南紀白浜空港(二代目)'''が開港。[[ジェット機]]([[マクドネル・ダグラス MD-80|MD-87]])が就航{{R|交通960314}}。初代空港は廃止{{R|交通960314}} *** 工事期間中に、大阪民放テレビ4局・[[テレビ和歌山]]・NHKがテレビ電波を送信する[[田辺中継局]]の鉄塔が、航空法の関係で短縮された *** 受信障害対策として、テレビ和歌山のみだった[[槇山中継局]]に、大阪民放テレビ4局・NHK2波が放送を始めた ** 10月 - [[日本エアコミューター]]が[[福岡空港]]便を開設(YS-11による運航) * [[1997年]]1月 - [[ジェイエア]]が[[広島西飛行場]]便を開設([[ハンドレページ ジェットストリーム|JS-31]]による運航) * [[1998年]]1月 - 福岡空港便を廃止 * [[2000年]][[9月7日]] - 滑走路を2000mに延長し、供用開始。[[ワイドボディ機]]が運航可能になる<ref>{{Cite news |title=2000メートル滑走路運用開始 |newspaper=『[[交通新聞]]』 |publisher=交通新聞社 |date=2000-09-12 |page=3 }}</ref> * [[2001年]][[3月31日]] - 広島西飛行場便を廃止 * [[2010年]] ** [[4月1日]] - ジェイエアに運航移管と[[エンブラエル 170]]による運航で羽田便3往復化 ** [[3月27日]] - 羽田便3往復中、昼間の1往復が[[ボンバルディア CRJ]]200による運航となる * [[2011年]][[10月30日]] - 再びエンブラエル170による羽田便3往復化 * [[2013年]]4月1日 - 関西航空地方気象台南紀白浜空港出張所閉鎖 * [[2015年]][[7月1日]] - [[8月31日]] [[ボーイング737 ネクストジェネレーション|ボーイング737-800]]による羽田便運航(日本航空の運航3便のうち2便)。 * [[2018年]]11月28日 - 南紀白浜エアポートが、[[極東ロシア]]の[[ウラジオストク国際空港]]の運営会社と協力覚書を締結<ref>[http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=362118 「露の空港企業と覚書 路線開発で白浜エアポート」]『[[紀伊民報]]』2018年11月29日(2019年4月5日閲覧)。</ref> * [[2019年]](平成31年/令和元年) ** 4月1日 - [[コンセッション方式]]による南紀白浜空港民営化。企業(南紀白浜エアポート)が南紀白浜空港を運営<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43181360R00C19A4LKA000/ 「南紀白浜空港 民営化スタート 28年度に25万人目指す」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2019年4月1日)2019年4月5日閲覧。</ref> ** 10月27日 - [[ボーイング737 ネクストジェネレーション|ボーイング737-800]]による羽田便運航開始(朝夕2便)<ref>[https://twitter.com/wakayamapref/status/1166269925020721152?s=21]和歌山県公式ツイッター((2019年8月27日) 2019年9月1日閲覧</ref> * [[2023年]]2月 - 羽田便を4往復とする実証実験が行われ<ref>{{Cite web|和書|title=南紀白浜空港と羽田を結ぶ路線 来年2月は1日4往復に|NHK 和歌山県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/wakayama/20221206/2040013312.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-04-19 |last=日本放送協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=白浜―羽田、2月は4往復8便 増便目指し実証実験:紀伊民報AGARA |url=https://www.agara.co.jp/article/241920 |website=www.agara.co.jp |access-date=2023-04-19 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=和歌山県ホームページ Wakayama Prefecture Web Site |url=https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/082400/d00212024.html |website=www.pref.wakayama.lg.jp |access-date=2023-04-19 |language=ja}}</ref>、2月度としては過去最高の利用者数を記録<ref>{{Cite web|和書|title=東京便4往復化、2月としては最高の利用客数 南紀白浜空港 |url=https://www.sankei.com/article/20230301-JWLA4S43VZMTRCTHVHICJINSMY/ |website=産経ニュース |date=2023-03-01 |access-date=2023-04-19 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref> === 滑走路 === 両端に[[ターニングパッド]]を備えた2000mの[[滑走路]]1本を有する。滑走路南端付近にILS(LOC/T-DME)が設置されている。 === 旅客ターミナル === [[空港ターミナルビル]]は鉄骨造2階建(一部3階建)で、建築面積は3883.88m{{sup|2}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikis.or.jp/~airport/kannai_gaiyou.html | title=空港ビル概要 | publisher=南紀白浜空港 |accessdate=2017-06-01}}</ref>。屋根は白浜の海をイメージする波形をしており、カーブサイドには南国をイメージした全面ガラスのカーテンウォールが採用されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikis.or.jp/~airport/kannai_index.html|title=館内施設のご案内|publisher=南紀白浜空港|accessdate=2015-11-07}}</ref>。1階にチェックインカウンター、手荷物受取所、到着ロビーと多目的室「スカイルーム」、2階には売店、[[アドベンチャーワールド]]直営のレストラン、保安検査場、[[ゲートラウンジ]]と搭乗口(ボーディングブリッジ1基)、多目的室「サンルーム」がある。また、屋上は滑走路を一望できる展望デッキとなっている。 1階到着ロビーと2階ゲートラウンジでは、[[FREESPOT]]による[[公衆無線LAN]]の無料接続サービスを提供している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikis.or.jp/~airport/kannai_lan.html|title=無線LANの使用について|publisher=南紀白浜空港|accessdate=2015-11-07}}</ref>。 また、屋外駐車場は229台分用意されており、無料で利用できる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikis.or.jp/~airport/kannai_kangai.html |title=館外駐車場等|publisher=南紀白浜空港|accessdate=2015-11-07}}</ref>。 管理運営は、県が出資する南紀白浜空港ビル株式会社が行っていたが、[[コンセッション方式]]による南紀白浜空港民営化により、南紀白浜空港ビル株式会社の全株式は、株式会社南紀白浜エアポートに譲渡され、更に2018年12月1日に、株式会社南紀白浜エアポートと南紀白浜空港ビル株式会社が合併<ref>{{Cite web|和書|url=http://shirahama-airport.jp/gaiyou|title=南紀白浜空港ビル株式会社 会社概要|publisher=南紀白浜空港|accessdate=20-10-05}}</ref> し、同日から株式会社南紀白浜エアポートが運営している。 <gallery mode="packed"> File:Nanki shirahama.jpg|空港全景 File:南紀白浜空港 Nanki Shirahama Airport-SHM - panoramio.jpg|ターミナル全景 File:Nanki shirahama counter.jpg|JALカウンター File:Nanki Shirahama airport monument.jpg|空港のモニュメント </gallery> === エプロン === 旅客ターミナルビルに面したサウスエプロンには、[[ボーイング737]]型機が駐機できる中型ジェット用1バースとYSクラス用2バースが、ノースエプロンには小型機用5バースがある<ref name="pref_gaiyou" />。 == 路線 == === 定期便路線 === {|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;width:100%" |- bgcolor=lightgrey !width="40%"|航空会社 !width="60%", class="unsortable"|就航地 |- |style="white-space:nowrap"|'''[[日本航空]] (JAL)<ref>需要に応じて[[ジェイエア]]の機材・乗務員による運航便もある。</ref>''' |[[東京国際空港|東京/羽田]] |} '''かつての定期就航路線'''(八尾空港は不定期) * [[大阪国際空港]]([[伊丹]])、[[名古屋飛行場|名古屋空港(小牧空港)]]、[[八尾空港]](大阪)、[[広島西飛行場]]、[[福岡空港]] === チャーター路線 === * 2015年3月〜4月 - [[トランスアジア航空]]による国際チャーター便が就航<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130600/top/shirahamachatah21.html|title=南紀白浜空港~台湾 国際チャーター便就航|publisher=和歌山県|accessdate=2015-11-07}}</ref>。南紀白浜と[[台湾]]の[[台湾桃園国際空港|台北]]、および[[花蓮空港|花蓮]]との間を、[[エアバスA321]]型機で計7回往復した。 * 2015年9月22日〜26日 - [[フジドリームエアラインズ]]によるチャーター便が就航<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.nkiac.co.jp/news/2015/2155/fdakixcharter.pdf |format=PDF|title=今夏、 近畿エリア3空港(関西・神戸・南紀白浜)からFDAチャーター便が飛びます。|publisher=[[フジドリームエアラインズ]]|accessdate=2015-11-07}}</ref>。[[稚内空港]]との間を2度往復した。 * 2018年 1月〜2月 - [[コリアエクスプレスエア]]が[[務安国際空港]]へ国際チャーター便就航<ref>[https://flyteam.jp/news/article/88414 コリアエクスプレスエア、1月に南紀白浜/務安間で12往復の連続チャーター]</ref> == 利用状況 == === 年度別利用状況 === 各年度の空港利用状況は下表のとおり。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" |+ 南紀白浜空港 年度別利用状況<ref name="riyou">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080500/documents/riyoujyoukyou.pdf|title=南紀白浜空港/月別利用状況|format=PDF|publisher=和歌山県|accessdate=2017-06-01}}</ref> |- ! 年度 !! 搭乗者数<br />(人) !! 搭乗率<br />(%)!! 1日3往復<br />の日数{{ref|1|(注)}} |- | 2000 || 144,582 || 56.4 || 202 |- | 2001 || 143,425 || 58.6 || 176 |- | 2002 || 147,774 || 58.6 || 183 |- | 2003 || 144,539 || 54.5 || 201 |- | 2004 || 140,916 || 56.3 || 203 |- | 2005 || 138,825 || 55.1 || 201 |- | 2006 || 135,268 || 51.0 || 205 |- | 2007 || 146,813 || 56.6 || 208 |- | 2008 || 151,637 || 51.9 || 205 |- | 2009 || 147,754 || 50.9 || 199 |- | 2010 || 111,203 || 67.0 || 通年 |- | 2011 || 91,020 || 59.3 || 通年 |- | 2012 || 108,441 || 64.5 || 通年 |- | 2013 || 110,555 || 65.4 || 通年 |- | 2014 || 107,936 || 65.8 || 通年 |- | 2015 || 127,003 || 67.9 || 通年 |- | 2016 || 119,777 || 70.4 || 通年 |- | 2017 || 132,151 || 72.4 || 通年 |- | 2018 || 161,570 || 78.3 || 通年 |- | 2019 || 177,135 || 69.7 || 通年 |} <small>{{note|1|(注)}} これ以外の日はすべて1日2往復である。</small> === 利用者確保に向けた対策 === [[File:JA226J (29991154712).jpg|thumb|right|ジェイエアのエンブラエル170]] 2010年度の南紀白浜空港の年間利用客数は11万1203人で、前年度比で3万6551人・24.7%の減少だった。しかし、日本航空による[[マクドネル・ダグラス]][[MD-87]]の運航から、子会社のジェイエアによるエンブラエル170での運航への変更により、搭乗率は16.1%増の67.0%へ改善された<ref name="riyou" />。また、2007年度の年間貨物輸送量は149tで、うち南紀白浜空港から羽田空港に向けての輸送量が136tで、全体の91.4%を占める<ref>『和歌山県統計年鑑』(2009年刊行)</ref>。 2011年度は、2010年度末に当たる3月11日に発生した[[東日本大震災]]後の国内旅行の自粛ムードなどから利用客が減少していたが、2012年度下半期以降に回復基調になったとされ、2012年度の年間利用者数は10万8441人となって前年比1万7421人・19.1%の増加となった。また、2013年の上半期に限ると搭乗客は過去3年間で最も多かった。この要因について地元紙は、地元関係者による増客の取り組みが功を奏したほか、乗り継ぎ利用に対し利便を図る運賃制度などが要因であったとしている<ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=251112 南紀白浜空港の利用が回復基調 東日本大震災前の水準に] - 『紀伊民報』(2013年4月19日更新、同年10月19日閲覧){{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref><ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=260837 ここ3年で搭乗者最多 JAL南紀白浜-東京 本年度上半期] - 『紀伊民報』(2013年10月1日更新、同月19日閲覧)</ref>。 南紀白浜空港は和歌山県内唯一の空港だが、県南部の白浜町の海岸部に位置し、現在は羽田便のみの就航である。このため、同県北西部に位置し、行政や商工業の中心地である[[和歌山市]]からのアクセス時間や利便性では[[大阪府]]にある[[関西国際空港]]に劣り<ref>関西空港と[[和歌山駅]]の間には直通バスが30分間隔・所要時間40分で運行され、空港ターミナル内にある[[関西空港駅]]からはJR西日本で和歌山駅まで、あるいは[[南海電鉄]]で[[和歌山市駅]]まで1回の乗換で約35分で移動できることが紹介されている。一方、南紀白浜空港から和歌山市内へはレンタカーで1時間20分(90km)、鉄道では白浜駅(空港から連絡バスで約15分)から和歌山駅まで特急で1時間20分と紹介されている。出典:両空港公式サイトのアクセス案内。</ref>、羽田線の通常運賃でも南紀白浜空港の方が高い<ref>加えて、羽田 - 関西線では各航空会社により多様な割引運賃が設定され、実勢価格は更に下がる。しかも関西国際空港は[[大阪国際空港|伊丹]]・[[神戸空港|神戸]]との[[マルチエアポート]]制によってそれらと同一空港と見做されるので、各種割引サービスなどの三空港間での共通利用が可能である。</ref>。その結果、南紀白浜空港利用客の過半数は観光目的であり、その行き先としては[[南紀白浜温泉]]・[[アドベンチャーワールド]]などの白浜町内、及び[[熊野古道]]・[[那智勝浦温泉]]・[[潮岬]]などの県南部の観光地が上位に並ぶ反面、県北東部の[[高野山]]は相対的に低いとしている<ref>2010年8月の乗客調査より。出典:澤崎喜英(和歌山社会経済研究所元研究部長)『{{PDFlink|[http://www.wsk.or.jp/book/64/12.pdf 南紀白浜空港利活用による経済波及効果推計]}}』、2011年1月 ※研究員レポート-研究員個人の研究であることに留意</ref>。 このような実情を反映してか、和歌山県はその長期総合計画の中で関西国際空港を南紀白浜空港に優先して記述し、その至近距離が「本県経済の発展にとって大きなメリットをもたらす」「観光客や企業の誘致、農産物などの輸出(に有効)」とし、大阪府や近畿の経済界と連携して同空港の2期工事を推進する一方、南紀白浜空港は「首都圏に直結する立地条件を持つ本県南部の玄関口」と現状認識を示した上で「(観光客などの)誘客を行う際には、南紀白浜空港を拠点に紀南地域への動線を描いていく」という将来像を示し、両空港の並立と南紀白浜空港の維持・増便を目指している<ref>『和歌山県長期総合計画』第2章第6節「{{PDFlink|[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020100/chokei/honpen/honpen/2sho6setsu.pdf にぎわいと交流を支える公共インフラを整備する和歌山]}}」128-130ページ、2008年</ref>。 和歌山県は、利用者の増加とイメージアップを図るため、当空港の愛称を「南紀白浜パンダ空港」とする案を検討している<ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=193648 愛称は「パンダ空港」 南紀白浜空港]『紀伊民報』2010年7月20日</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/100721/wky1007210255003-n1.htm 南紀白浜「パンダ」空港へ 愛称検討 和歌山県が提案]{{リンク切れ|date=2011年1月}} - 『[[産経新聞]]』(2010年7月21日)</ref>。また、白浜町民は航空機利用について、白浜町から補助金を受けることができる利用促進制度がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nanki-shirahama.com/information/airport.php|title=南紀白浜空港利用促進制度のお知らせ|publisher=白浜観光協会|accessdate=2015-11-07}}</ref>。 == 南紀白浜エアポート == {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社 南紀白浜エアポート | 英文社名 = Nanki-Shirahama Airport, Inc. | 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] | 市場情報 = 非上場 | 国籍 = {{JPN}} | 本社郵便番号 = 649-2334 | 本社所在地 = 和歌山県西牟婁郡白浜町才野1622番地の125 | 業種 = サービス業 | 事業内容 = 南紀白浜空港特定運営事業等に関する一切の業務等 | 代表者 = 代表取締役社長 岡田 信一郎 |資本金 = 1億円 |売上高 = |営業利益 = |経常利益 = |純利益 = 3100万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/2d717/317344 株式会社南紀白浜エアポート 第5期決算公告]</ref> |純資産 = |総資産 = 8億7200万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" /> | 主要株主 = {{ublist| [[経営共創基盤|株式会社経営共創基盤]] | [[みちのりホールディングス|株式会社みちのりホールディングス]] | 株式会社白浜館 }} | 外部リンク = http://shirahama-airport.jp/company | 法人番号 = 2170001015202 }} [[2016年]][[2月10日]]、[[和歌山県]]の[[仁坂吉伸]][[知事]]は、県の平成28年度当初予算案の定例記者会見で、南紀白浜空港への国際線誘致にむけて、平成28年(2016年)度から国際線空港ターミナルビルの基本設計、実施設計に着手するとともに、民間企業への空港の運営委託について[[コンセッション方式]](公共施設等運営権方式)も含めて検討することを明らかにした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/press/280210/index.html#d280210_1 | title=ようこそ知事室へ-平成28年2月10日知事記者会見 | publisher=和歌山県 | accessdate=2017-06-01}}</ref>。 [[2018年]]1月25日、南紀白浜空港民間活力導入事業の第一次審査結果が発表され、[[経営共創基盤]]を代表とした経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムと、[[ホテルマネージメントインターナショナル]]を代表としたホテルマネージメントインターナショナル・岡本設計・[[中紀バス]]・エコ和歌山・マツシタオフィス土地家屋調査士・サンエストを構成員とした白浜HMIコンソーシアムが第一次審査を通過した<ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/prefg/080500/daiichijisinnsakekka.html 南紀白浜空港民間活力導入事業の第一次審査結果について]和歌山県 2018年1月25日</ref><ref>[https://www.constnews.com/?p=50517 第1次審査を2者が通過/南紀白浜空港民間活力導入事業の公募型プロポ/和歌山県]建設ニュース 2018年1月23日</ref>。同年5月15日に行われた第二次審査では白浜HMIコンソーシアムからの提案がなかったため<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30538630V10C18A5LKA000/ 南紀白浜空港の民営化、経営共創基盤グループと優先交渉 和歌山県 ]『日本経済新聞』2018年5月15日</ref>、最終的に経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムが優先交渉権者に選定された<ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080500/d00155021.html 南紀白浜空港民間活力導入事業の第二次審査結果について]和歌山県</ref><ref>[http://www.decn.co.jp/?p=99596 工事・計画]『日刊建設工業新聞』2018年5月17日</ref><ref>[http://www.michinori.co.jp/pdf/20180515_PR_nanki.pdf 南紀白浜空港民間活力導入事業における優先交渉権者の公表について]経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館 2018年5月15日</ref>。経営共創基盤・みちのりホールディングス・白浜館コンソーシアムは、2019年4月1日より、南紀白浜エアポートを運営会社として、コンセッション方式にて南紀白浜空港の運営を開始した。 == 関連する官公署 == * 和歌山県南紀白浜空港管理事務所 * 和歌山県県土整備部港湾空港振興局振興課 * [[国土交通省]][[地方航空局|大阪航空局]]南紀白浜空港出張所 : 当空港の航空情報・通信業務のみ担当。なお、当空港は非管制化空港である(管制業務は提供されていない)。 :: 南紀白浜空港出張所に設置していた航空管制技術官は、2012年4月1日付で伊丹空港へ引き上げた。 * [[気象庁]]関西[[航空地方気象台]]南紀白浜空港出張所(2013年4月廃止) * [[白浜警察署]]白浜空港警備派出所([[和歌山県警察]]) == 周辺施設等 == 空港敷地内の高台には公園があり、一般に開放されている。 '''旧空港跡地''' 南西に隣接する旧空港の跡地には旧滑走路が現存し、敷地の一部が[[バラ]]園として利用<ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=167381 美しいバラ見に来て 平草原公園と旧空港] - AGARA[[紀伊民報]](2009年5月9日付、同年9月29日閲覧)</ref>されているほか、繁忙期や「空の日フェスタ」などのイベント開催時には臨時駐車場として活用されることもある<ref>広報しらはま (No.29) p.7 - 白浜町(2008年7月発行) ※参考:{{PDFlink|[http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kouhou_shirahama/kh2008/200807.pdf 広報しらはま No.29]}} - 白浜町(2009年9月閲覧)</ref><ref>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080500/shirap/soranohi.html 南紀白浜空港 空の日フェスタ] - 和歌山県</ref>。一般利用客は隣接する平草原公園から旧滑走路に立入ることができる。なお、旧旅客ターミナルビルは2010年に解体され、同年11月7日、その建物跡に隣接して[[白浜警察署]]が移転・設置された。 2021年2月20日~22日の3日間、白浜観光協会の主催により臨時の「ドライブインシアター」が開設された。主要産業の観光がコロナ禍で打撃を受ける中、町に活気を取り戻そうと実施。上演は米映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」。 <gallery widths="200px"> ファイル:Nanki Shirahama airport (park) Wakayama,JAPAN.jpg|敷地内にある公園 ファイル:Nanki-Shirahama-Ruins.jpg|初代空港のターミナル跡(解体済) ファイル:Old Nanki Shirahama airport (Mark in glide slope) Wakayama,JAPAN.jpg|初代空港の滑走路跡 </gallery> 2021年11月20日、旧滑走路跡に地上絵「光のしずく」が展示された。アートイベント「紀の国トレイナート」での出品作、作者は郷さとこ<ref>埼玉新聞2021年11月21日付散歩道「南紀白浜空港滑走路に 巨大な地上絵出現</ref>。 == 空港へのアクセス == 民営化に関わる運営会社は、南紀白浜空港を地域の交通ハブとする構想を進めており、民営化後には従来の空港連絡バスだけでなく、東京・大阪方面からの高速バスの乗り入れが実現した<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=http://shirahama-airport.jp/application/files/1515/5142/9849/PressRelease_20190227_bus-terminal.pdf|title=この春、南紀白浜空港はバスターミナルになります|publisher=南紀白浜エアポート|date=2019-02-27|accessdate=2019-05-27}}</ref>。 '''路線バス''' * [[明光バス]] ** [[アドベンチャーワールド]]・[[白浜駅]] ** 白浜バスセンター・白浜駅・[[紀伊田辺駅]] ** 「快速・熊野古道号」 [[熊野古道]]・[[新宮駅]] * [[熊野御坊南海バス]] ** [[紀伊勝浦駅]]・新宮駅 '''高速バス''' * 明光バス・[[西武観光バス]] ** 白浜 - 横浜・東京・大宮線「ホワイトビーチシャトル」[[YCAT|YCAT(横浜駅)]]・[[バスタ新宿]]・[[池袋駅]]東口・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]西口・[[西武バス大宮営業所]] * 明光バス・[[西日本ジェイアールバス]] **「[[白浜エクスプレス大阪号]]」 [[JR難波駅]]・[[大阪駅周辺バスのりば|大阪駅JR高速バスターミナル]]・[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]] == その他 == 空港のすぐ西側にある南紀VOR/[[距離測定装置|DME]]と、空港敷地内にある[[計器着陸装置|ILS]]の管理は大阪空港事務所システム運用管理センターが行っている。また、大阪航空局南紀白浜空港出張所が管理していた御坊DME(VORは2013年3月7日廃止)及び串本VORTACの管理も、同センターが行っている。 ==逸話== [[エアバスA300]]の離着陸を想定し滑走路を予定より伸ばし2000mとなり、それに伴い設置された[[ターニングパッド]]はA300の第一号チャーター便の離陸時にのみ使用された(2013年時点)。また滑走路の設計上、仮にA300クラスの飛行機が毎日飛んできた場合、滑走路は構造的な問題で強度に耐えられないとされた<ref>[https://bunshun.jp/articles/-/45127?page=4 (4ページ目)購入費用は相場の3倍…なぜJALは152億円もの大金を支払い“二階後援会幹部の所有する土地”を購入したのか | 文春オンライン]</ref>。ただ、前述の通りボーイング737-800の定期就航により、2021年現在は通常運行でターニングパッドを使用している<ref>[https://kumariair.com/blog/archives/54887.html 【南紀白浜→羽田】本州最南端の空港は滑走路が2本?日本航空(JAL)ボーイング737-800搭乗記] - シテイリョウコウ・2021年1月24日</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|航空|[[画像:Avion_silhouette.svg|34px|Portal:航空]]}} * [http://shirahama-airport.jp/ 南紀白浜空港] - 公式サイト * [https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/082400/shirap/index.html 南紀白浜空港] - 和歌山県 * [https://ocab.mlit.go.jp/about/jurisdiction/nanki/ 南紀白浜空港] - 国土交通省大阪航空局 {{airport-info|RJBD}} {{日本の空港}} {{DEFAULTSORT:なんきしらはまくうこう}} [[Category:近畿地方の空港]] [[Category:白浜町の交通]] [[Category:白浜町の建築物]] [[Category:訪日誘客支援空港]] [[Category:1968年開業の施設]]
2003-03-16T06:08:30Z
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羽田空港 (大田区)
羽田空港(はねだくうこう)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は羽田空港一丁目から羽田空港三丁目。郵便番号は144-0041。現在は東京国際空港(通称:羽田空港)及び関連施設の敷地が多くを占めるが、かつては穴守稲荷神社を中心とした首都近郊の一大観光地として知られた。 大田区の沿岸部に所在し、多摩川を挟んで神奈川県川崎市川崎区浮島町・殿町、海老取川を挟んで羽田・羽田旭町・東糀谷・大森南、京浜運河や東京湾を挟んで昭和島・京浜島・城南島・令和島などと接する。 今の羽田空港一丁目・二丁目付近にあたる地域は「羽田浦」などと呼ばれ、元禄・天明の頃には葦が一面に密生した干潟であった。 当時の羽田一帯は、江戸近郊の漁師町として栄え、東に江戸湾を隔てて房総諸山を望める海浜の地であり、西には富士山を仰ぎ、南は多摩川に接し、北には品川越しに江戸市中を目にすることができる風光明媚な土地であった。 武蔵国荏原郡羽田猟師町で代々名主をしていた鈴木彌五右衛門という人物がいた。この彌五右衛門は羽田浦の東方にある干潟に目をつけ、その数町歩にわたる干潟を埋め立てて、新しい田畑を開発することにした。 そこで彌五右衛門はこの干潟を羽田村の名主石井四郎右衛門より譲り受けて、この干潟に堤防を作って開墾を始めた。この際、彌五右衛門は猟師町の名主職を嗣子に譲り、 自ら移り住んで開拓に取り組んだという。1815年(文化12年)頃には、近在農村の分家層でとくに大森村からの出百姓らが居住するようになり、新田としての形態が整えられた。この開墾事業は無事に成功したが、東京湾や多摩川に面する埋立地という環境のため、常に高潮、洪水などの水害の危険を孕んでいた土地であった。そのため彌五右衛門は、作物を植えるところは高く土を盛り、また堤防を強くするために数千本の松の木を植えることにした。この松の防潮林は、その後成長すると、沖から眺めると非常に美しい景観となった。それでこの地は、その地形から「扇ヶ浦」とか、元々一つの小さな島があったことから「要島」と人々から呼ばれるようになる。また、彌五右衛門は堤防のほとりに小さな祠を建て、毎年の五穀豊穣と海上安全の守護を祈願し、地主神として、稲荷大神を祀ることにする。 1829年(文政12年)、この開墾地は羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった。 文政の末あるいは天保の初め頃、襲来した大暴風雨と津波によって、堤防の土手の横面に大穴が開き、海水が侵入して、懸命に丹精した田圃もまさに荒廃する危険に直面した。その様子を監視していた農夫はすぐさま名主の彌五右衛門に知らせると共に、法螺貝を吹き、篝火を焚いて、五十余名におよぶ農民たちで、鋤や鍬などの農具を持ち集まると、彌五右衛門の指揮の下、死力を尽くしてその土手を守った。その甲斐もあって、海水の侵入を免れることができた。しかも、その後は全く水害に遭わなくなり、凶年の兆しも見えず、一帯は良質な田園地帯となった。これは農民たちの努力のためばかりではなく、神の助けがあったに違いないという声が出て、それはおそらく土手上の祠に祀られた稲荷大神の神徳と人々に考えられるようになった。そのためその祠を敬う人々が増え、また「波浪が穿った穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」の祠ということから、「穴守稲荷大神」と尊称されるようになった。それから、彌五右衛門はそのようなありがたい祠を土手の上にそのままにしてはおけないと、自分の屋敷内に遷して丁重に祀り、これがのちの穴守稲荷神社の起源となった。 1885年(明治18年)11月26日に、穴守稲荷神社が公衆参拝の独立した一社として国家公認の神社となると、鳥居前町が急速に発展、さらに1894年(明治27年)、鈴木新田の一部を所有していた和泉茂八が旱魃に備え、良水を求めて井戸を掘ってみたところ、海水よりも濃い塩水が湧出した。これを東京衛生試験所に成分鑑定を出願したところ、1896年(明治29年)9月に湿疹や貧血、胃腸カタルなどの諸病に効くナトリウム冷鉱泉(塩化物泉)と認められた。そこで茂八は泉館という温泉旅館を起こした。その後、付近のあちこちに鉱泉が掘られ、要館・羽田館・西本館などの旅館が神社の傍らに開業した。また、それ以前より営業していた料理店も風呂を設け、後には百余軒もの社前店が並ぶほどになり、神社一帯が東京の花柳界などの保養地となり、神社参拝を兼ねた東京近郊の一大観光地として発展した。 1899年(明治32年)には、「稲荷道」と通称される5町程の海老取川から穴守稲荷神社の南側に至る新道が開かれた。 1900年(明治33年)、赤坂から黒田侯爵家の鴨場が移転し、羽田鴨場が設置された。黒田家14代目当主黒田長礼によると、飛来する鴨の種類が多く、1915年(大正4年)の最盛期には4,200坪の池に1万5000~1万6000羽、時には2万羽を数えたという。また、黒田家の鴨場以外に料亭要館経営の鴨場や横浜の実業家・渡辺良平所有の鴨場も設置され、羽田は鴨猟の場としても発展した。 1901年(明治34年)には、中央新聞社が主催した東日本の避暑地「畿内以東十六名勝」のコンクールで「府下羽田穴守境内」が、1位を獲得した。 1902年(明治35年)6月28日には、京浜電鉄穴守線(現・空港線)が京浜蒲田から延伸して開通し、海老取川の手前に穴守駅を開業した。海老取川手前までの開通になったのは、鈴木新田周辺が既に住宅密集地であったことと、1903年(明治36年)に架橋された 稲荷橋 から穴守稲荷神社までの続く道中の商店主や人力車稼業の人々が、商売にならなくなると反対した為といわれている。 当初穴守稲荷神社への参詣者輸送を主眼としていた京浜電鉄は、文芸評論家の押川春浪や押川の友人で文芸評論家ながら京浜電鉄に勤めていた中沢臨川の働きかけにより、1909年(明治42年)に陸上トラック・野球場・テニスコート・弓道場・土俵のほか、花壇や遊園地も兼ね備えた羽田運動場(野球場)を神社裏手の江戸見崎に設置したことを嚆矢として、羽田地域の独自の観光開発に乗り出し、境内には動物園までつくられた。 1910年(明治43年)3月には、穴守線の複線化が行われ、1911年(明治44年)7月5日には、京浜電鉄は羽田穴守海水浴場を開設し、報知新聞社と提携し同社の主催で、元内閣総理大臣大隈重信伯爵や渋沢栄一、樺太探検で有名な白瀬矗中尉などを来賓に迎え、開場式を挙行した。宣伝効果もあって、会場直後の同年7月16日には、1日1万人を越える入場者が来場したと新聞の記録に残されている。その後、羽田穴守海水浴場には、毎年5万人の入場者が来場し、後には海の家や浄化海水プールも新設されている。これらの施設は、当時の海水浴場としては群を抜いたものであり、海上休憩場のほか陸上にも休憩場2棟、収容人数は1万人、特別休憩室64室、3500人分の更衣室、東洋一と謳われた海水プール、海の遊泳場には飛込台やボートもあり、総タイル張りでシャワー設備等も設けた温浴場、滑り台やシーソー等を設置した陸上遊戯場、余興場、各種売店等、あらゆる施設を備えた一大娯楽施設だった。 同年10月、京浜電鉄は穴守線を神社のすぐ近くまで延伸することを計画し、東京府に申請を行った。しかし、この動きに対して再び「稲荷道」関係者が150名以上による延伸反対の陳情書を東京府知事に対して提出するなど反対運動を展開、これを受けて警視庁などが調停に乗り出し、稲荷橋駅から穴守新駅までの間は別に運賃を徴収するということで落着し、延伸が決まった。 また同年11月18日から11月19日には、1912年ストックホルムオリンピックに日本が初参加することになったことで、予選会を都心から近くて交通の便がよい羽田運動場で開催することになり、野球場を1周約400メートルの運動場に転換して、国際オリムピック大会選手予選会が開催された。 1913年(大正2年)には一帯が三業地(花街)に指定され、そして同年12月31日には、遂に穴守線が海老取川を渡って神社前までの延伸を果たし新穴守駅が開業、穴守詣でと羽田の遊覧に弾みを与えた。夏季には観光客輸送のため本線と直通する急行列車も運転されるようになり、一層の賑わいを見せるようになった。一方で、それまで繁栄を極めていた「稲荷道」沿道は、客足がぱったりと途絶え、僅か一か月後の翌年1月には、延伸前合計80軒以上存在していた土産物屋や飲食店などが一挙に3軒を残すばかりになっている。 このような、明治半ばから始まる羽田地域の行楽地化は、日清・日露の両戦争に勝利して、ようやく近代国家として歩み始めた時代と社会の反映でもあった。東京を代表とする都市の新興市民は、日曜休暇というそれまでの農間休暇とは明らかに質の異なる新しい生活リズムの休日を持つようになり、郊外に日帰りあるいは一泊で手軽に遊べる行楽地を求め出したわけである。信仰と娯楽を混然とさせつつ、近郊オアシスとして羽田は姿を整えていったのである。羽田穴守が優れていたのは、花街のような妖艶な空間、運動場や海水浴場といった幅広い層に向けたレジャー施設、東京湾や多摩川河口の優れた景観や神社のような聖域が共存していたところにある。明治時代末期には、人口が1万人以上いた羽田町の町税の内、人口700人の羽田穴守地域が2割以上を納めていたという。 大正時代に入ると京浜間の工業地帯化が始まり、東京湾岸の埋め立てが進んでゆく中で、穴守地域にも行楽地以外の要素が生まれてくるようになる。その最たるものが、こんにちの羽田を象徴する航空好適地としての存在である。 きっかけとなったのが、「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」の穴守稲荷門前への設立である。1916年(大正5年)、麻布に鉄工所を持ち発動機の研究開発をしていた友野直二と千葉県稲毛海岸で飛行練習に明け暮れていた玉井清太郎が日本飛行機製作所を立ち上げる。同じ頃、飛行家を志すも強度の近視のため断念し飛行雑誌で記事を書いていた相羽有も友野を通じて清太郎と出会う。飛行機に夢を賭ける二人はすぐに意気投合し、日本民間飛行界の隆興のためにも一旗揚げようと共同で飛行家の養成学校を創ることを決めた。当時は清太郎が24歳で相羽は21歳、正規の飛行場など用意できるわけもなく、千葉の稲毛海岸にならって練習場は干潟。好適地を探した結果多摩川河口付近の川崎側、通称・三本葭(さんぼんよし)と呼ばれる三角州の干潟をその場所に決め、対岸の羽田町に学校を開くこととした。そこで二人は穴守稲荷神社総代で鉱泉宿・要館当主の石關倉吉へ直談判し、石關は航空に志を立てた二人の若者の熱意に感じ入って、 元料亭の古い建物を校舎として、隣の建物を機体製作の作業場として提供した。 そして1916年(大正5年)8月16日付で清太郎が「日本飛行学校」の設立を申請、同年10月5日、玉井清太郎の操縦によって羽田の空を初めて飛行機が飛び、翌1917年1月4日に日本飛行学校が正式に開校した。尚、初期練習生の中には後にゴジラを創る円谷英二もいた。 多摩川が海にそそぐ海岸の浅瀬の砂浜は、干潮時には一面の干潟になり、平坦で、軽い飛行機の滑走には好適であった。この羽田の地を飛行場好適地と見出した彼らが居たことが、後の東京飛行場建設に繋がり、今日の東京国際空港発展の礎となった。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際には、羽田近辺は推定震度7の揺れに見舞われた。大正震災志によると鈴木新田は荏原郡内で最も被害が甚だしいとされ、神社北方の堤防が破潰したことで、満潮時には浸水、全体に渡り0.2-0.3m低下し、穴守線も終点付近に亀裂多数、海老取川橋梁が崩壊、稲荷橋南方堤に沿い地盤に亀裂等の被害報告が残っている。また、関東大震災により鉄道が壊滅的被害をうけたことで、帝国飛行協会副会長及び帝都復興評議員の長岡外史が、11月15日の帝都復興第一回評議員会の席上で飛行機による物資輸送の重要性を主張し、羽田に飛行場が必要だと提言した。 1929年(昭和4年)には、穴守稲荷神社が昭和の御大典を機に村社へ昇格し、名実ともに鈴木新田の鎮守となった。同年10月には、京浜電鉄の重役から一の大鳥居として朱鳥居(後の羽田空港に残された大鳥居)が、穴守駅前に奉納されている。 そして、逓信省航空局が神社北側の土地(現在の整備場地区付近)を、前述のように飛行機の適地であり、東京都心部に近く、京浜間の中間に位置し、水陸両用飛行場として利用可能だと目を付け、飛嶋文吉(飛島組)から買収、新しい飛行場の建設に着手し、1931年(昭和6年)8月25日にそれまで立川にあった東京飛行場が移転開港した。ただ、コンクリート敷の滑走路以外はほとんど草地であったうえ、無線による管制が行われていないため管制塔もなかったなど、設備は簡素なものであった(面積53ha、滑走路300m、幅15m)。滑走路脇にカタカナの右読みで「トウキヤウ」と書かれたコンクリート製の標識文字が設置されていた。これ以来、羽田の街は今日に至るまで空港城下町として発展してゆく事になる。 1932年には、羽田競馬場が近隣の羽田入船耕地(現東糀谷付近)から、鈴木新田の東にある御台場(羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場)へ移転してくることになった。予定地である御台場は多摩川の河口にできた広大な干潟で、天保年間には江戸幕府が砲台をつくろうとして中止したところでもあった。現在の東京国際空港第3ターミナルあたりがその場所である。ただ、同地は土地台帳上こそ畑地とされていたものの、満潮時にはほとんどが水没してしまう湿地帯だった。そのため、主催者側は東京湾埋立株式会社に施工を発注。同地を埋め立て、盛り土をして競馬場を建設するという当時としては一大プロジェクトを敢行した。完成した新競馬場の総面積は、10万坪(約333平方メートル)・1周1600メートル・幅員30メートルと、現在の大井競馬場の外回りコース(1周1600メートル、幅員25メートル)と同規模であった。新競馬場での最初の開催は7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、1934年(昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も地方競馬では全国一の盛況が続き、羽田の地に新たな名所が誕生することになった。 また、1932年10月1日には、荏原郡羽田町が東京市へ編入され、新設された蒲田区の一部となった。あわせて、鈴木新田も羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町・羽田御台場・鈴木御台場に改称・分割された。 本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。 東京を代表する観光地として繁栄を謳歌していた羽田地域であるが、当時の日本(大日本帝国)が1931年(昭和6年)の満州事変を機に、戦争への道を歩んでゆくことで、その荒波に翻弄されることになる。 まず、日中戦争の勃発に伴い立法された軍馬資源保護法の施行によって、羽田競馬場が1937年(昭和12年)限りで休催、翌1938年(昭和13年)に廃場へと追い込まれた。跡地には日本特殊鋼の羽田工場ができ、海岸線寄りの跡地には高射砲陣地が置かれた。日本特殊鋼のほか、荏原製作所、明電舎、大谷重工等の大手企業が1935年あたりから次々進出してきて、下請け工場も出来た。競馬場廃場の同年には、満洲国建国以降、満洲へ旅客や貨物輸送が増大したこともあり、東京飛行場の拡張用地として羽田運動場が買収され、消滅した。東京飛行場の面積は72haとなり全長800メートル・幅80メートルの滑走路2本が十文字型に配置されるレイアウトになった。これにより、当時としては近代化された民間飛行場となった。 1939年(昭和14年)6月には、国民精神総動員運動の中で、料亭等の営業時間が短縮され、9月1日に興亜奉公日が設けられると、以後毎月一日は酒が不売となり、次第に入手も困難となった。参拝者も行楽客も激減し、料亭は工員相手の食堂になり、鉱泉宿は社員寮へ姿を変えてゆく等、穴守稲荷神社周辺の娯楽施設は急速な衰退を迎え、一帯は工場が立ち並ぶ軍需産業地帯として工場に働く労働者のための街に変貌していった。 1941年(昭和16年)10月1日には、茨城県霞ヶ浦より海軍航空隊の一部が飛行機20機・士官70人・兵員1250人の東京分遣隊として東京飛行場に移され、大手企業の工場も全て軍需品を作らされるようになる。穴守の町には軍人が闊歩するようになり、穴守線も軍需産業で働く人の通勤路線となった。 1942年(昭和17年)には、更に戦争の影響が表れるようになり、最後まで残っていた羽田穴守海水浴場の営業も中止になった。一方で、1943年(昭和18年)の洲崎遊郭接収により、1944年(昭和19年)初めに洲崎の遊郭関係者が移転してきたため、慰安宿街が新たに誕生している。 1943年(昭和18年)7月1日には、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。 1944年(昭和19年)秋頃を境に、サイパンから出撃した米軍機による空襲が激しさを増し、穴守稲荷神社の近辺も間引き疎開ということになり、一時はそこに暮らす人はせいぜい20人に満たないほどになったという。当時の蒲田区は軍需産業が盛んであったこともあり、集中的に狙われ、飛行場も2月16日(東京飛行場への急降下爆撃により火災発生、旅客機1機焼失)、2月17日(大日本航空格納庫一棟全壊)、4月4日(羽田江戸見町)と空襲を受け、1945年4月15日から4月16日に行われた城南京浜大空襲では、蒲田・大森・荏原地域が主たる攻撃対象とされ、 蒲田区の約99%が被災、羽田地域も大きな被害を受けた。更に敗戦間近の7月12日には米軍機の爆撃により飛行場施設が破壊・消失し、飛行場機能の大半が失われた。 (中略) 当日は、船上にて一夜を過ごし、翌払暁、処々にくすぶる煙り残る中、天空の明るみと同時に我が羽田の町の全容が目視されてきた。 戦争末期には稼働機材の減少より飛行場機能の大半を喪失していた東京飛行場であるが、終戦の詔書を示す玉音放送が流された後には、飛行場は極度の混乱状態に陥り、軍事輸送に関わった操縦士が占領軍による厳しい制裁を受けるといったデマが流布された。そのため航空局はじめ大日本航空等各社では保管書類の焼却、個人携帯飛行免状等の破棄が直ちに行われ、また混乱・虚脱に乗じ社用品の盗難・廃棄といった出来事も生じた。 第二次世界大戦が終わった連合国による占領下に置かれた日本は、一般命令第一号によって各地の飛行場や航空施設を良好な状態で保存するよう命じられた。直後の1945年(昭和20年)9月12日、連合国軍(のちのGHQ)はアメリカから人材や物資を投入する為、日本政府に対して東京飛行場の引渡しを命じ、翌13日朝には自動小銃を持った連合国兵がジープで乗付け、飛行場にいた人々全員に立ち退きを命じた。こうして東京飛行場は軍事基地「HANEDA ARMY AIR BASE」と改称された。そして9月21日、HANEDA AIR BASEを拡張するため、連合国軍は蒲田区長との連名で日本の警察を通じて、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の三か町内約1200世帯、約3000名の全住民に12時間以内の強制退去命令を下した。 敗戦後、まだ1か月も経たない中では、新聞記事を読んでいた住民は極僅かであり、読んでいたとしても、具体的な範囲が挙げられていなかった為、自分達が当事者であると考えた人は殆どいなかった。「飛行場付近の一部住民」に説明があったのは前日のことであり、警察から口頭で知らされた。そこで住民代表が、12時間とはあまりにも理不尽で到底全住民に周知出来ない事や、立ち退き先も決められないまま路頭に迷う人が出て来る事等を挙げ、蒲田区役所や警察を仲介して交渉が行われた。そうした決死の訴えにより、立ち退き後に立ち入った者の生命の保障はないという厳しい条件付であるものの何とか2日間となったのだが、人手も機材も時間もすべてが不足している、まさに身一つでの立ち退きであった。 突如として町を追われることになった人々は、行く当てもないまま荷車に家財道具を括り付けて、稲荷橋・弁天橋を渡った。48時間後、橋のたもとには連合国軍の兵隊が立ち、街へ戻ろうとする住民に対し、威嚇射撃まで行う横暴ぶりであった。見た事の無い程の大きなブルドーザーやパワーシャベルが瞬く間に家や店を押しつぶし、町は徹底的に破壊され、戦闘機が幾機も走る滑走路となった。こうして、東京を代表する観光地として、多くの人々が訪れ、また生活を営んだ三つの町は、終戦から僅か1か月で跡形も無くなり、地図上から抹消されたのである。終戦時に空港内あった上述の航研機や日本軍の軍用機は米軍によって投棄されており、現在も敷地内の地中に埋まっていると言われている。一方、敷地内にあった穴守稲荷神社の一の大鳥居は住民たちが去った後にも残された。この大鳥居は後に1980年代から始まった沖合展開事業に伴う新B滑走路の建設計画での障害となったため、移設されることとなる。 11月から本格的に開始されたアメリカ軍808飛行場建設部隊による空港拡張工事はまたたく間に進展し、広大な敷地を造成した。この工事には「占領軍労務者」として雇われた約2000人の日本人労働者も参加していた。拡張工事は1946年(昭和21年)6月までに竣工し、旧A滑走路(2000m×45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が完成した。 1947年(昭和22年)3月15日には蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。 また、1948年(昭和23年)2月24日には、強制退去となった穴守稲荷神社が、空港に隣接する羽田地区に再建されている。再建にあたっては、空港関係者が滑走路上で白狐を見たという逸話も残っている。 1952年(昭和27年)7月1日、滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され、同日に「東京国際空港」に改名、初代空港長には戦前の「ニッポン号」で世界一周を果たした民間航空人中島純利が任命された。しかし、「東京国際空港の共同使用に関する日本国と在日米軍との間の取極」により、空港内に陸軍空輸部隊と極東空軍は残り、管制権や空港施設の8割は引き続き在日米軍の管轄下に置かれて立入禁止区域となっており、この時点では一部返還にとどまった。運営の主導も米軍が握って日本はそれに従う形となり、離着陸は米軍機が優先され、民間機は上空で1時間も旋回しながら待たされることも度々あったという。また、民間専用ターミナルが出来るまでは、空港への入場には「入場票」が発行されていた。 翌1953年には、日本航空のダグラス DC-6によって、日本のフラッグキャリアによる第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航(東京 - ウェーク島 - ホノルル - サンフランシスコ)が開始された。同年9月20日には、戦後初の航空ショーが羽田空港の滑走路を中心に開催され、待ち望んでいた航空ファンが10万人も詰めかけた。 1955年(昭和30年)5月17日、現在の国際線ターミナルの西側・現B滑走路の南端付近に近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが開館した。また、このターミナルビルの建設地が、強制退去となった穴守稲荷神社の本殿跡に当たることから、ターミナルビル屋上には穴守稲荷神社空港分社が祀られた。同年8月には旧A滑走路が2550mに延伸され、1956年7月には空港整備法に基づく第一種空港に指定された。その後1958年6月に全面返還された。 1960年代に入ると、1964年東京オリンピックのための空港設備の整備拡張が行われた。旅客ターミナルが増築(東京五輪後も度々行われた)されたほか、旧A滑走路が3,000mに延伸され、旧C滑走路(3150m×60m)の新設、1964年(昭和39年)8月2日 には首都高羽田線の開通、1964年(昭和39年)9月17日には東京モノレールの乗り入れ、貨物や検疫施設の拡充などが行われ、旅客ターミナル向かいに初の空港敷地内ホテルである羽田東急ホテルがオープンした。また、1963年7月11日には穴守稲荷神社空港分社が、新たに作られた特別展望回廊の屋上に移され、同時に財団法人日本航空協会(当時)の航空神社より分霊を勧請し、羽田航空神社が建立された。 一方で、京浜電鉄空港線は、東京オリンピックを前に運輸省からなされた空港乗り入れの打診を、本線の輸送力増強に専念するため断ったことで、1972年に再乗り入れの検討を始めて以降も、空港ターミナルへの乗り入れは長らく運輸省・東京都とも門前払いが続くことになった。 1966年(昭和41年)には、空港周辺で単独機としては当時世界最悪の事故となった全日空羽田沖墜落事故が発生し、その1か月後にはカナダ太平洋航空402便着陸失敗事故が発生するなど悲劇も起きた。そのような中で、「かつて空港内に鎮座していた穴守稲荷神社の祟りであり、神社を空港の中に祀らないと事故がこれからも多発する」のような噂が流布し、神社の遷座を国会議員に陳情する者も現れた。この陳情に「祟りはともかく、神社復興は必要だ。」と、当時の中村寅太運輸大臣や瀬戸山三男建設大臣なども賛同し、大臣等を会長・顧問とした「穴守稲荷復元奉賛会」が設立された。結局、社殿再建後であることやターミナルビルの屋上に分社が祀られていることなどから、空港内に穴守稲荷神社を復興する計画は頓挫したが、再建予定地とされた三愛オブリ株式会社が、事務所屋上に穴守稲荷大神を分霊した一祠を設けている。 その後1971年(昭和46年)に旧B滑走路が2500mまで延伸し、旧羽田空港が一応の完成を見た。 1967年(昭和42年)5月1日には住居表示が実施され、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・鈴木御台場・羽田御台場及び猟師町御台場が、現行の地名である東京都大田区羽田空港一丁目および二丁目になった。 一方で、1964年に一般旅行者の海外旅行自由化が行われたことや、地方路線の機材大型化やジェット化が進んだことなどもあり、高度経済成長期真っただ中の1960年代後半には、羽田空港の施設では増大する一方の離着陸をさばくのが困難になり、首都圏の航空需要を一手に引き受けていた羽田空港は、国際線のみならず国内線ターミナル・貨物ターミナルの処理能力も限界に達してしまう。1978年(昭和53年)5月20日に漸く新東京国際空港が開港を果たすと、外交的問題から成田空港への移転を行わなかった中華民国(台湾)の中華航空(現・チャイナエアライン)を除く全ての国際線が成田に移転した。 しかし、新設された成田空港は激しい反対運動によって拡張が進められなかったために羽田空港から移転された国際線のみで処理能力が飽和し国内線を引き受けられる余力はなく、さらに国内線需要の急激な増加が続いたため、手狭なターミナルと2本の滑走路のみであった当時の羽田空港は間もなくキャパシティの限界を再び迎えた。滑走路は現在よりも市街地に近かったため、騒音に対する苦情も絶えなかった。 これら空港機能の改善および騒音対策を目的として東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が計画された。1971年5月には既に航空局内部に「東京国際空港拡張計画作成委員会」が設置されていたが、革新知事として知られる当時の東京都知事である美濃部亮吉が羽田拡張に反対して国内線専用とすることを主張し、地元では拡張どころか羽田からの空港移転を主張する声さえあった。また、運輸省内部でも「羽田を拡張すれば、成田は不要」と主張する成田空港反対派を刺激したくないとの判断が働き、調査開始から10年余りの停滞があった。しかし、増大を続ける航空需要を背景に、鈴木俊一への知事交代に前後して沖展の調整が進められ、1984年1月26日には、東京国際空港沖合展開事業着工式が穴守稲荷神社で執り行われ、沖合展開事業が開始された。 沖展に不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。「ごみ戦争宣言」を出した美濃部都政下、沖展用地は東京港の浚渫土や首都圏の建設残土を処分する残土処理場として、1975年度から土砂の投棄が続けられており、長年のヘドロが堆積した「底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。 この場所は、含水比率100パーセント以上の超軟弱地盤であったことから、工事関係者の間では「(羽田)マヨネーズ層」と呼ばれ始め(「おしるこ層」とも)、工事関係書類に使われたため学名にまでなりかけたが、後にマヨネーズ製造業者から抗議があったため名称が変更されている。対策としてチューブの集合体の板を地中深く差し込むことで水を抜くペーパードレーン工法や、同じく砂の柱を地中深く構築することで水を抜くサンドドレーン工法、沈下する地盤をジャッキの油圧で持ち上げ空洞を特殊なコンクリートで固める工法などを駆使し、計画から完成まで約20年の歳月を経て完成した。 この埋め立てによって新たに生まれた広大な土地が全て大田区に組み込まれたことから、世田谷区は長年保っていた「東京23区で面積最大」という地位を大田区に譲ることになった。 1988年には、旧C滑走路の450m東側に現A滑走路が完成した。 羽田空港の沖合展開事業(沖展)の中、拡大する空港及びターミナルに対して東京モノレールだけでは増大する輸送量に対応できないとの判断から、京急の羽田空港乗り入れが認められた。1993年に羽田駅(現在の天空橋駅)が空港島内に開業して都心方面(本線・都営地下鉄浅草線)からの直通運転が開始。この時点では暫定的に同駅から東京モノレールへ乗り継ぐ形で空港アクセスを図っていたが、1998年には羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業し旅客ターミナルビルと直結、羽田空港へのアクセス路線として本格的に機能するようになった。 1993年(平成5年)7月1日には住居表示を実施され、羽田空港三丁目が設置された。 1993年9月27日には、約29万平方メートルの延べ床面積に、24基のボーディング・ブリッジを持つ新国内線ターミナルビル(第1旅客ターミナルビル)が供用開始され、チャイナエアラインを除く全ての航空会社が移転した。同ターミナルを運営する日本空港ビルデングはこれに「ビッグバード (Big Bird)」 という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港第1・第2旅客ターミナルの総称としても用いられている。 また、旧ターミナルビルの屋上に祀られていた羽田航空神社も新国内線ターミナルビルに遷座、穴守稲荷神社空港分社は本社に返霊されることになった。尚、航空関係者からは隣り合って祀られてきた2社を別々にする事に対して、反対する声もあったという。又、当初は神殿ではなく神棚に祀るという簡素化の案もあったが、運輸省東京空港事務所等の反対により、規模を縮小するが今まで通り神殿で祀る形に落ち着いた。更に東京空港事務所等は新ターミナルビルでも屋上に祀る事を要望していたが、こちらは実現しなかった。 1994年(平成6年)には、羽田空港新B滑走路の供用が開始され、ついに空港内に唯一残されていた穴守稲荷神社の旧一の大鳥居の移築が実施されることになったが、その後も移築は難航し、ようやく1999年2月3日撤去、翌4日移築と決定した。移築までの間、1995年には運輸省によって、「鳥居参道」と「参拝者専用駐車場」が整備され、鳥居までお参りが出来るようになっていた。移築工事にあたって土台の周りを掘ると、鳥居が非常に頑丈にできておりロープで引きずり倒せるようなものではないことが判明した。作業の際は風がやや強く、鳥居をクレーンで吊り上げた時にクレーン車のワイヤーが揺れ動く一幕もあったというが、2日間の工事は滞りなく終わり、現在地の弁天橋のたもと(天空橋駅南、東京空港警察署弁天橋交番近く)に移設されて今に至っている。 2004年12月1日には、約18万平方メートルの延べ床面積に15基のボーディング・ブリッジを持つ第2旅客ターミナルビルが供用を開始した。第2旅客ターミナルビルの供用開始に先駆け、1998年3月20日に第2旅客ターミナルビルの南寄りに暫定国際線旅客ターミナルビルが完成した。当初はチャイナエアラインのみが使用し、2000年9月から同じく台湾系のエバー航空が就航していたが、2002年4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアライン・エバー航空はともに成田空港発着となった。 航空需要の増大から、羽田空港においては、ラッシュ時は2分間隔で発着が行われるなど、1990年代には発着能力が限界に達しており、増便は困難な状況になっていた。限られた発着枠でできるだけ輸送量を大きくするため、羽田空港では日本の空港としては唯一、小型機の乗り入れが原則として禁止されており、その結果、特に地方空港の利便性が低下し不満が高まっていた。そこで2000年9月から、首都圏第3空港調査検討会により、羽田空港の再拡張や、首都圏に羽田・成田に次ぐ第3の空港を設置し、航空需要の増加に対応する案が検討された。その検討の結果、日本国政府は2001年12月19日に、第3空港の設置より優位性のある羽田空港の再拡張を優先的に行うことを決定し、以下の事業が行われた。 D滑走路は、神奈川県寄りの多摩川河口付近の海上に、従来の埋め立てとジャケット工法による桟橋を組み合わせた、世界初の人工島と桟橋のハイブリッド滑走路として、既存のB滑走路とほぼ平行に建設された。このD滑走路の設計耐久年数は、100年に設定されている。 東京湾の羽田空港沖は、江戸前マアナゴなどで有名な漁場である。滑走路の建設工事の影響により、漁獲量減少が懸念されるとして、地元漁協と国土交通省の漁業補償交渉が難航した。当初、同省は閣議決定されていた2009年末の供用開始に向け、2006年春頃の着工を目指していたが、結果的に目標は達成できなかった。工事は2007年3月31日に開始され、5月20日に関係者による着工記念式典が行われた。同省は、当初の計画に間に合わせるために工期短縮の方法などを模索した結果、2010年10月21日に完成し、供用を開始した。 このD滑走路の設置計画当初は既存のB滑走路と完全に平行な滑走路の建設を予定していたが、南風・荒天時に千葉県浦安市の市街地上空を通過すること、また東京ディズニーリゾートと直線距離300mの沖合いを通過することが問題視され、滑走路の方位を時計回りに7.5度変更した。この変更により、神奈川県川崎市にある東京湾アクアライン川崎人工島にある換気口のピラミッド状の装飾が制限表面上に出るため、装飾上部が撤去された。 沖合に建設されているD滑走路を含む空港全体の視認性確保などを目的として、新たに旧管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに世界で3番目(当時)・国内最高の高さとなる116mの新管制塔が設けられ、2010年1月12日に運用が開始された。これにより、それまでの旧管制塔の飛行場管制室は供用開始から16年で役目を終えたことになるが、新管制塔供用開始後も撤去されずバックアップ用の予備管制塔となった。なお、新管制塔で新設されるのは飛行場管制室とその付帯設備だけで、ターミナルレーダー管制室や航空局庁舎は従来の位置のままである。 A滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれ、かつての国内線ターミナル(1993年まで)と国際線ターミナル(1998年まで)、日本航空のライン整備センターなどがあった区域に、新しい国際線旅客ターミナルビルと国際貨物ターミナル、エプロンなどを建設し、国際線地区としてPFI手法を用いて整備した。2008年4月8日に起工式が行われ、2010年7月末に完成し、同年10月21日に供用開始された。これに伴い、10月12日に旧・P5駐車場が営業を終了し、10月20日に暫定国際線旅客ターミナルビルが閉鎖された。 国際線旅客ターミナルビルは、5階建て延べ床面積約15万9000平方メートル(付属棟含む)のターミナルビルと6層7段の駐車場(約2300台収容、延べ床面積約67,000平方メートル)で構成される。空港ターミナルビルには、江戸の町並みを再現した商業ゾーン(4階「江戸小路」)や日本最大級の規模の免税店を設置して収益を確保する見通しである。国際旅客ターミナルビルの整備・運営は、国内線ターミナルビルを運営している日本空港ビルデングを筆頭株主とする特別目的会社「東京国際空港ターミナル株式会社 (Tokyo International Airport Terminal Corporation, TIAT)」がPFI方式で実施している。 スポットは固定スポットとオープンスポットが各々10か所設置されるのみであるうえ、旅客ターミナルビルがA滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれ、更なる拡張も難しいと考えられたことから、前原誠司国土交通大臣が提唱した「羽田空港国際ハブ空港化」の実現には不十分な規模であるとの指摘もあった。 国際線ターミナルビルの開業に合わせ、同ターミナルへのアクセスとして、東京モノレール羽田線は一部ルートを変更し、ビルに隣接する形での新駅「羽田空港国際線ビル駅」を新設した。また、京浜急行電鉄空港線も、羽田空港駅 - 天空橋駅間のターミナルビル地下に新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」を開業し、あわせて国内線ターミナルの最寄駅である羽田空港駅の名称を「羽田空港国内線ターミナル駅」に変更。 2011年11月16日、国内線第1旅客ターミナルビルのリニューアル工事が完了した。チェックインカウンターが並ぶ2階の出発ロビーの天井には、自然光を取り入れる開口部が設けられ、明るい雰囲気となった。また、保安検査場を通過した後の制限エリア内の商業施設を大幅に拡充したほか、屋上展望デッキも改装して航空機をより見やすくなるようフェンスを更新した。 2009年10月13日、国土交通大臣だった前原誠司は、日本の地方空港から韓国仁川国際空港を経由した海外渡航が増加している現状を問題視。その原因とされている「内際分離」の原則(国際線は成田空港、国内線は羽田空港)を改め、羽田空港と成田空港を一体的に運用し、羽田空港を24時間使用可能な国際ハブ空港とする方針を明かした。この方針を受け、新設した国際線旅客ターミナルビルを2013年度をめどに夜間駐機場として整備された北側エプロン方面へ延長増築し、搭乗口を増設する拡張計画が打ち出された。 拡張部分についてもPFI事業として整備され、2011年6月21日、国土交通省と東京国際空港ターミナルが国際線旅客ターミナルビル本館の改修と増築、北側エプロンへの固定スポット8か所分のサテライト増築、立体駐車場の増築、ホテルの新設を内容とする拡張計画に合意した。また、2012年8月31日、国際線エプロンの増設などの拡充整備による事業契約の変更について、国土交通省関東地方整備局と羽田空港国際線エプロンPFI株式会社が変更契約を締結した。 2014年3月30日、拡張部の一部が供用開始。ターミナルビルはT字状になり、延べ面積は約15万9000mから約23万6000mに約1.5倍拡大、固定スポット(搭乗口)が10から18、チェックインカウンターが96から144、出発保安検査場が1カ所から2カ所に増加するなどした。 2014年8月28日、拡張部一般エリアが供用開始。イベントスペースや多目的ホール、レストランや物販店などの商業店舗が設けられた。 2014年9月30日、ロイヤルパークホテル ザ 羽田(現・THE ロイヤルパークホテル 東京羽田)開業。またホテル開業に合わせ、ビジネスジェット専用ゲートの供用が開始された。 2009年4月、政府・与党が長距離国際線への対応としてC滑走路を南東(D滑走路側)へ360m延長して3,360mにする方針を固め、追加経済対策に盛り込むこととした。これは長距離国際線の輸送力を増強、大型機の離着陸を可能にする施策で、特に深夜早朝時間帯に就航する長距離国際線の大型化が可能となる。2009年度中に着工し、2013年度完成予定であったが、用地内の廃棄物対策の検討に時間を要したため事業期間が約1年伸び、2014年12月11日より施設供用開始となった。 2008年(平成20年)3月、国土交通省、東京都、大田区、品川区による羽田空港移転問題協議会は、羽田空港の沖合展開事業及び再拡張事業の結果として発生した跡地について、「羽田空港跡地利用基本計画」を策定し、2010年(平成22年)10月には、それを具体化した「羽田空港跡地まちづくり推進計画」をとりまとめた。 政府は、羽田空港周辺を訪日客の受け入れ拡大や国際競争力の強化を目指し国家戦略特区に認定し、この地域は「HANEDA GLOBAL WINGS」と名付けられ、第1ゾーンには羽田みらい開発が「HANEDA INNOVATION CITY」、第2ゾーンにあたる当地区には外国人観光客の増加を見込んだ住友不動産グループが「羽田エアポートガーデン」を整備した。 羽田エアポートガーデンは、地上12階建て、延床面積は約9万1500平方メートル。ホテル(ヴィラフォンテーヌプレミア/グランド羽田空港)、商業施設、温浴施設、MICE施設(ベルサール)、バスターミナルなどを備えた。当初は、2020年(令和2年)4月19日の開業を予定していた。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響で延期となり、2023年(令和5年)1月31日に全面開業を迎えた。なお、羽田エアポートガーデンの開業によって、約80年ぶりに羽田の地に「温泉(塩化物泉・羽田空港泉天空温泉)」が復活することになった。 なお、施設開業に先行して、2022年3月12日には羽田エアポートガーデン付近から対岸の川崎市殿町地区「キングスカイフロント」とを結ぶ「多摩川スカイブリッジ」も新たに開通している。 戦前は1200世帯3000人の住民がいたが、戦後の連合国軍による強制接収以降は、0人となった。その後、羽田空港一丁目に全寮制の航空保安大学校が創設され、寮生160人前後の住民がいた。しかし、2008年(平成20年)3月に同校が大阪府泉佐野市に移転したため、人口は再び0人となった。それから現在に至るまで、羽田空港の人口は常に0人である。 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。ただし、住民不在のため、実際には通学する児童・生徒はいない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "羽田空港(はねだくうこう)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は羽田空港一丁目から羽田空港三丁目。郵便番号は144-0041。現在は東京国際空港(通称:羽田空港)及び関連施設の敷地が多くを占めるが、かつては穴守稲荷神社を中心とした首都近郊の一大観光地として知られた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大田区の沿岸部に所在し、多摩川を挟んで神奈川県川崎市川崎区浮島町・殿町、海老取川を挟んで羽田・羽田旭町・東糀谷・大森南、京浜運河や東京湾を挟んで昭和島・京浜島・城南島・令和島などと接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "今の羽田空港一丁目・二丁目付近にあたる地域は「羽田浦」などと呼ばれ、元禄・天明の頃には葦が一面に密生した干潟であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "当時の羽田一帯は、江戸近郊の漁師町として栄え、東に江戸湾を隔てて房総諸山を望める海浜の地であり、西には富士山を仰ぎ、南は多摩川に接し、北には品川越しに江戸市中を目にすることができる風光明媚な土地であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "武蔵国荏原郡羽田猟師町で代々名主をしていた鈴木彌五右衛門という人物がいた。この彌五右衛門は羽田浦の東方にある干潟に目をつけ、その数町歩にわたる干潟を埋め立てて、新しい田畑を開発することにした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "そこで彌五右衛門はこの干潟を羽田村の名主石井四郎右衛門より譲り受けて、この干潟に堤防を作って開墾を始めた。この際、彌五右衛門は猟師町の名主職を嗣子に譲り、 自ら移り住んで開拓に取り組んだという。1815年(文化12年)頃には、近在農村の分家層でとくに大森村からの出百姓らが居住するようになり、新田としての形態が整えられた。この開墾事業は無事に成功したが、東京湾や多摩川に面する埋立地という環境のため、常に高潮、洪水などの水害の危険を孕んでいた土地であった。そのため彌五右衛門は、作物を植えるところは高く土を盛り、また堤防を強くするために数千本の松の木を植えることにした。この松の防潮林は、その後成長すると、沖から眺めると非常に美しい景観となった。それでこの地は、その地形から「扇ヶ浦」とか、元々一つの小さな島があったことから「要島」と人々から呼ばれるようになる。また、彌五右衛門は堤防のほとりに小さな祠を建て、毎年の五穀豊穣と海上安全の守護を祈願し、地主神として、稲荷大神を祀ることにする。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1829年(文政12年)、この開墾地は羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "文政の末あるいは天保の初め頃、襲来した大暴風雨と津波によって、堤防の土手の横面に大穴が開き、海水が侵入して、懸命に丹精した田圃もまさに荒廃する危険に直面した。その様子を監視していた農夫はすぐさま名主の彌五右衛門に知らせると共に、法螺貝を吹き、篝火を焚いて、五十余名におよぶ農民たちで、鋤や鍬などの農具を持ち集まると、彌五右衛門の指揮の下、死力を尽くしてその土手を守った。その甲斐もあって、海水の侵入を免れることができた。しかも、その後は全く水害に遭わなくなり、凶年の兆しも見えず、一帯は良質な田園地帯となった。これは農民たちの努力のためばかりではなく、神の助けがあったに違いないという声が出て、それはおそらく土手上の祠に祀られた稲荷大神の神徳と人々に考えられるようになった。そのためその祠を敬う人々が増え、また「波浪が穿った穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」の祠ということから、「穴守稲荷大神」と尊称されるようになった。それから、彌五右衛門はそのようなありがたい祠を土手の上にそのままにしてはおけないと、自分の屋敷内に遷して丁重に祀り、これがのちの穴守稲荷神社の起源となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1885年(明治18年)11月26日に、穴守稲荷神社が公衆参拝の独立した一社として国家公認の神社となると、鳥居前町が急速に発展、さらに1894年(明治27年)、鈴木新田の一部を所有していた和泉茂八が旱魃に備え、良水を求めて井戸を掘ってみたところ、海水よりも濃い塩水が湧出した。これを東京衛生試験所に成分鑑定を出願したところ、1896年(明治29年)9月に湿疹や貧血、胃腸カタルなどの諸病に効くナトリウム冷鉱泉(塩化物泉)と認められた。そこで茂八は泉館という温泉旅館を起こした。その後、付近のあちこちに鉱泉が掘られ、要館・羽田館・西本館などの旅館が神社の傍らに開業した。また、それ以前より営業していた料理店も風呂を設け、後には百余軒もの社前店が並ぶほどになり、神社一帯が東京の花柳界などの保養地となり、神社参拝を兼ねた東京近郊の一大観光地として発展した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1899年(明治32年)には、「稲荷道」と通称される5町程の海老取川から穴守稲荷神社の南側に至る新道が開かれた。 1900年(明治33年)、赤坂から黒田侯爵家の鴨場が移転し、羽田鴨場が設置された。黒田家14代目当主黒田長礼によると、飛来する鴨の種類が多く、1915年(大正4年)の最盛期には4,200坪の池に1万5000~1万6000羽、時には2万羽を数えたという。また、黒田家の鴨場以外に料亭要館経営の鴨場や横浜の実業家・渡辺良平所有の鴨場も設置され、羽田は鴨猟の場としても発展した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1901年(明治34年)には、中央新聞社が主催した東日本の避暑地「畿内以東十六名勝」のコンクールで「府下羽田穴守境内」が、1位を獲得した。 1902年(明治35年)6月28日には、京浜電鉄穴守線(現・空港線)が京浜蒲田から延伸して開通し、海老取川の手前に穴守駅を開業した。海老取川手前までの開通になったのは、鈴木新田周辺が既に住宅密集地であったことと、1903年(明治36年)に架橋された 稲荷橋 から穴守稲荷神社までの続く道中の商店主や人力車稼業の人々が、商売にならなくなると反対した為といわれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当初穴守稲荷神社への参詣者輸送を主眼としていた京浜電鉄は、文芸評論家の押川春浪や押川の友人で文芸評論家ながら京浜電鉄に勤めていた中沢臨川の働きかけにより、1909年(明治42年)に陸上トラック・野球場・テニスコート・弓道場・土俵のほか、花壇や遊園地も兼ね備えた羽田運動場(野球場)を神社裏手の江戸見崎に設置したことを嚆矢として、羽田地域の独自の観光開発に乗り出し、境内には動物園までつくられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1910年(明治43年)3月には、穴守線の複線化が行われ、1911年(明治44年)7月5日には、京浜電鉄は羽田穴守海水浴場を開設し、報知新聞社と提携し同社の主催で、元内閣総理大臣大隈重信伯爵や渋沢栄一、樺太探検で有名な白瀬矗中尉などを来賓に迎え、開場式を挙行した。宣伝効果もあって、会場直後の同年7月16日には、1日1万人を越える入場者が来場したと新聞の記録に残されている。その後、羽田穴守海水浴場には、毎年5万人の入場者が来場し、後には海の家や浄化海水プールも新設されている。これらの施設は、当時の海水浴場としては群を抜いたものであり、海上休憩場のほか陸上にも休憩場2棟、収容人数は1万人、特別休憩室64室、3500人分の更衣室、東洋一と謳われた海水プール、海の遊泳場には飛込台やボートもあり、総タイル張りでシャワー設備等も設けた温浴場、滑り台やシーソー等を設置した陸上遊戯場、余興場、各種売店等、あらゆる施設を備えた一大娯楽施設だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "同年10月、京浜電鉄は穴守線を神社のすぐ近くまで延伸することを計画し、東京府に申請を行った。しかし、この動きに対して再び「稲荷道」関係者が150名以上による延伸反対の陳情書を東京府知事に対して提出するなど反対運動を展開、これを受けて警視庁などが調停に乗り出し、稲荷橋駅から穴守新駅までの間は別に運賃を徴収するということで落着し、延伸が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "また同年11月18日から11月19日には、1912年ストックホルムオリンピックに日本が初参加することになったことで、予選会を都心から近くて交通の便がよい羽田運動場で開催することになり、野球場を1周約400メートルの運動場に転換して、国際オリムピック大会選手予選会が開催された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1913年(大正2年)には一帯が三業地(花街)に指定され、そして同年12月31日には、遂に穴守線が海老取川を渡って神社前までの延伸を果たし新穴守駅が開業、穴守詣でと羽田の遊覧に弾みを与えた。夏季には観光客輸送のため本線と直通する急行列車も運転されるようになり、一層の賑わいを見せるようになった。一方で、それまで繁栄を極めていた「稲荷道」沿道は、客足がぱったりと途絶え、僅か一か月後の翌年1月には、延伸前合計80軒以上存在していた土産物屋や飲食店などが一挙に3軒を残すばかりになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "このような、明治半ばから始まる羽田地域の行楽地化は、日清・日露の両戦争に勝利して、ようやく近代国家として歩み始めた時代と社会の反映でもあった。東京を代表とする都市の新興市民は、日曜休暇というそれまでの農間休暇とは明らかに質の異なる新しい生活リズムの休日を持つようになり、郊外に日帰りあるいは一泊で手軽に遊べる行楽地を求め出したわけである。信仰と娯楽を混然とさせつつ、近郊オアシスとして羽田は姿を整えていったのである。羽田穴守が優れていたのは、花街のような妖艶な空間、運動場や海水浴場といった幅広い層に向けたレジャー施設、東京湾や多摩川河口の優れた景観や神社のような聖域が共存していたところにある。明治時代末期には、人口が1万人以上いた羽田町の町税の内、人口700人の羽田穴守地域が2割以上を納めていたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "大正時代に入ると京浜間の工業地帯化が始まり、東京湾岸の埋め立てが進んでゆく中で、穴守地域にも行楽地以外の要素が生まれてくるようになる。その最たるものが、こんにちの羽田を象徴する航空好適地としての存在である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "きっかけとなったのが、「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」の穴守稲荷門前への設立である。1916年(大正5年)、麻布に鉄工所を持ち発動機の研究開発をしていた友野直二と千葉県稲毛海岸で飛行練習に明け暮れていた玉井清太郎が日本飛行機製作所を立ち上げる。同じ頃、飛行家を志すも強度の近視のため断念し飛行雑誌で記事を書いていた相羽有も友野を通じて清太郎と出会う。飛行機に夢を賭ける二人はすぐに意気投合し、日本民間飛行界の隆興のためにも一旗揚げようと共同で飛行家の養成学校を創ることを決めた。当時は清太郎が24歳で相羽は21歳、正規の飛行場など用意できるわけもなく、千葉の稲毛海岸にならって練習場は干潟。好適地を探した結果多摩川河口付近の川崎側、通称・三本葭(さんぼんよし)と呼ばれる三角州の干潟をその場所に決め、対岸の羽田町に学校を開くこととした。そこで二人は穴守稲荷神社総代で鉱泉宿・要館当主の石關倉吉へ直談判し、石關は航空に志を立てた二人の若者の熱意に感じ入って、 元料亭の古い建物を校舎として、隣の建物を機体製作の作業場として提供した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "そして1916年(大正5年)8月16日付で清太郎が「日本飛行学校」の設立を申請、同年10月5日、玉井清太郎の操縦によって羽田の空を初めて飛行機が飛び、翌1917年1月4日に日本飛行学校が正式に開校した。尚、初期練習生の中には後にゴジラを創る円谷英二もいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "多摩川が海にそそぐ海岸の浅瀬の砂浜は、干潮時には一面の干潟になり、平坦で、軽い飛行機の滑走には好適であった。この羽田の地を飛行場好適地と見出した彼らが居たことが、後の東京飛行場建設に繋がり、今日の東京国際空港発展の礎となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際には、羽田近辺は推定震度7の揺れに見舞われた。大正震災志によると鈴木新田は荏原郡内で最も被害が甚だしいとされ、神社北方の堤防が破潰したことで、満潮時には浸水、全体に渡り0.2-0.3m低下し、穴守線も終点付近に亀裂多数、海老取川橋梁が崩壊、稲荷橋南方堤に沿い地盤に亀裂等の被害報告が残っている。また、関東大震災により鉄道が壊滅的被害をうけたことで、帝国飛行協会副会長及び帝都復興評議員の長岡外史が、11月15日の帝都復興第一回評議員会の席上で飛行機による物資輸送の重要性を主張し、羽田に飛行場が必要だと提言した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1929年(昭和4年)には、穴守稲荷神社が昭和の御大典を機に村社へ昇格し、名実ともに鈴木新田の鎮守となった。同年10月には、京浜電鉄の重役から一の大鳥居として朱鳥居(後の羽田空港に残された大鳥居)が、穴守駅前に奉納されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "そして、逓信省航空局が神社北側の土地(現在の整備場地区付近)を、前述のように飛行機の適地であり、東京都心部に近く、京浜間の中間に位置し、水陸両用飛行場として利用可能だと目を付け、飛嶋文吉(飛島組)から買収、新しい飛行場の建設に着手し、1931年(昭和6年)8月25日にそれまで立川にあった東京飛行場が移転開港した。ただ、コンクリート敷の滑走路以外はほとんど草地であったうえ、無線による管制が行われていないため管制塔もなかったなど、設備は簡素なものであった(面積53ha、滑走路300m、幅15m)。滑走路脇にカタカナの右読みで「トウキヤウ」と書かれたコンクリート製の標識文字が設置されていた。これ以来、羽田の街は今日に至るまで空港城下町として発展してゆく事になる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1932年には、羽田競馬場が近隣の羽田入船耕地(現東糀谷付近)から、鈴木新田の東にある御台場(羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場)へ移転してくることになった。予定地である御台場は多摩川の河口にできた広大な干潟で、天保年間には江戸幕府が砲台をつくろうとして中止したところでもあった。現在の東京国際空港第3ターミナルあたりがその場所である。ただ、同地は土地台帳上こそ畑地とされていたものの、満潮時にはほとんどが水没してしまう湿地帯だった。そのため、主催者側は東京湾埋立株式会社に施工を発注。同地を埋め立て、盛り土をして競馬場を建設するという当時としては一大プロジェクトを敢行した。完成した新競馬場の総面積は、10万坪(約333平方メートル)・1周1600メートル・幅員30メートルと、現在の大井競馬場の外回りコース(1周1600メートル、幅員25メートル)と同規模であった。新競馬場での最初の開催は7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、1934年(昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も地方競馬では全国一の盛況が続き、羽田の地に新たな名所が誕生することになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、1932年10月1日には、荏原郡羽田町が東京市へ編入され、新設された蒲田区の一部となった。あわせて、鈴木新田も羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町・羽田御台場・鈴木御台場に改称・分割された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "東京を代表する観光地として繁栄を謳歌していた羽田地域であるが、当時の日本(大日本帝国)が1931年(昭和6年)の満州事変を機に、戦争への道を歩んでゆくことで、その荒波に翻弄されることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "まず、日中戦争の勃発に伴い立法された軍馬資源保護法の施行によって、羽田競馬場が1937年(昭和12年)限りで休催、翌1938年(昭和13年)に廃場へと追い込まれた。跡地には日本特殊鋼の羽田工場ができ、海岸線寄りの跡地には高射砲陣地が置かれた。日本特殊鋼のほか、荏原製作所、明電舎、大谷重工等の大手企業が1935年あたりから次々進出してきて、下請け工場も出来た。競馬場廃場の同年には、満洲国建国以降、満洲へ旅客や貨物輸送が増大したこともあり、東京飛行場の拡張用地として羽田運動場が買収され、消滅した。東京飛行場の面積は72haとなり全長800メートル・幅80メートルの滑走路2本が十文字型に配置されるレイアウトになった。これにより、当時としては近代化された民間飛行場となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1939年(昭和14年)6月には、国民精神総動員運動の中で、料亭等の営業時間が短縮され、9月1日に興亜奉公日が設けられると、以後毎月一日は酒が不売となり、次第に入手も困難となった。参拝者も行楽客も激減し、料亭は工員相手の食堂になり、鉱泉宿は社員寮へ姿を変えてゆく等、穴守稲荷神社周辺の娯楽施設は急速な衰退を迎え、一帯は工場が立ち並ぶ軍需産業地帯として工場に働く労働者のための街に変貌していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1941年(昭和16年)10月1日には、茨城県霞ヶ浦より海軍航空隊の一部が飛行機20機・士官70人・兵員1250人の東京分遣隊として東京飛行場に移され、大手企業の工場も全て軍需品を作らされるようになる。穴守の町には軍人が闊歩するようになり、穴守線も軍需産業で働く人の通勤路線となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1942年(昭和17年)には、更に戦争の影響が表れるようになり、最後まで残っていた羽田穴守海水浴場の営業も中止になった。一方で、1943年(昭和18年)の洲崎遊郭接収により、1944年(昭和19年)初めに洲崎の遊郭関係者が移転してきたため、慰安宿街が新たに誕生している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1943年(昭和18年)7月1日には、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1944年(昭和19年)秋頃を境に、サイパンから出撃した米軍機による空襲が激しさを増し、穴守稲荷神社の近辺も間引き疎開ということになり、一時はそこに暮らす人はせいぜい20人に満たないほどになったという。当時の蒲田区は軍需産業が盛んであったこともあり、集中的に狙われ、飛行場も2月16日(東京飛行場への急降下爆撃により火災発生、旅客機1機焼失)、2月17日(大日本航空格納庫一棟全壊)、4月4日(羽田江戸見町)と空襲を受け、1945年4月15日から4月16日に行われた城南京浜大空襲では、蒲田・大森・荏原地域が主たる攻撃対象とされ、 蒲田区の約99%が被災、羽田地域も大きな被害を受けた。更に敗戦間近の7月12日には米軍機の爆撃により飛行場施設が破壊・消失し、飛行場機能の大半が失われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "(中略)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "当日は、船上にて一夜を過ごし、翌払暁、処々にくすぶる煙り残る中、天空の明るみと同時に我が羽田の町の全容が目視されてきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "戦争末期には稼働機材の減少より飛行場機能の大半を喪失していた東京飛行場であるが、終戦の詔書を示す玉音放送が流された後には、飛行場は極度の混乱状態に陥り、軍事輸送に関わった操縦士が占領軍による厳しい制裁を受けるといったデマが流布された。そのため航空局はじめ大日本航空等各社では保管書類の焼却、個人携帯飛行免状等の破棄が直ちに行われ、また混乱・虚脱に乗じ社用品の盗難・廃棄といった出来事も生じた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦が終わった連合国による占領下に置かれた日本は、一般命令第一号によって各地の飛行場や航空施設を良好な状態で保存するよう命じられた。直後の1945年(昭和20年)9月12日、連合国軍(のちのGHQ)はアメリカから人材や物資を投入する為、日本政府に対して東京飛行場の引渡しを命じ、翌13日朝には自動小銃を持った連合国兵がジープで乗付け、飛行場にいた人々全員に立ち退きを命じた。こうして東京飛行場は軍事基地「HANEDA ARMY AIR BASE」と改称された。そして9月21日、HANEDA AIR BASEを拡張するため、連合国軍は蒲田区長との連名で日本の警察を通じて、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の三か町内約1200世帯、約3000名の全住民に12時間以内の強制退去命令を下した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "敗戦後、まだ1か月も経たない中では、新聞記事を読んでいた住民は極僅かであり、読んでいたとしても、具体的な範囲が挙げられていなかった為、自分達が当事者であると考えた人は殆どいなかった。「飛行場付近の一部住民」に説明があったのは前日のことであり、警察から口頭で知らされた。そこで住民代表が、12時間とはあまりにも理不尽で到底全住民に周知出来ない事や、立ち退き先も決められないまま路頭に迷う人が出て来る事等を挙げ、蒲田区役所や警察を仲介して交渉が行われた。そうした決死の訴えにより、立ち退き後に立ち入った者の生命の保障はないという厳しい条件付であるものの何とか2日間となったのだが、人手も機材も時間もすべてが不足している、まさに身一つでの立ち退きであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "突如として町を追われることになった人々は、行く当てもないまま荷車に家財道具を括り付けて、稲荷橋・弁天橋を渡った。48時間後、橋のたもとには連合国軍の兵隊が立ち、街へ戻ろうとする住民に対し、威嚇射撃まで行う横暴ぶりであった。見た事の無い程の大きなブルドーザーやパワーシャベルが瞬く間に家や店を押しつぶし、町は徹底的に破壊され、戦闘機が幾機も走る滑走路となった。こうして、東京を代表する観光地として、多くの人々が訪れ、また生活を営んだ三つの町は、終戦から僅か1か月で跡形も無くなり、地図上から抹消されたのである。終戦時に空港内あった上述の航研機や日本軍の軍用機は米軍によって投棄されており、現在も敷地内の地中に埋まっていると言われている。一方、敷地内にあった穴守稲荷神社の一の大鳥居は住民たちが去った後にも残された。この大鳥居は後に1980年代から始まった沖合展開事業に伴う新B滑走路の建設計画での障害となったため、移設されることとなる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "11月から本格的に開始されたアメリカ軍808飛行場建設部隊による空港拡張工事はまたたく間に進展し、広大な敷地を造成した。この工事には「占領軍労務者」として雇われた約2000人の日本人労働者も参加していた。拡張工事は1946年(昭和21年)6月までに竣工し、旧A滑走路(2000m×45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が完成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1947年(昭和22年)3月15日には蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また、1948年(昭和23年)2月24日には、強制退去となった穴守稲荷神社が、空港に隣接する羽田地区に再建されている。再建にあたっては、空港関係者が滑走路上で白狐を見たという逸話も残っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1952年(昭和27年)7月1日、滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され、同日に「東京国際空港」に改名、初代空港長には戦前の「ニッポン号」で世界一周を果たした民間航空人中島純利が任命された。しかし、「東京国際空港の共同使用に関する日本国と在日米軍との間の取極」により、空港内に陸軍空輸部隊と極東空軍は残り、管制権や空港施設の8割は引き続き在日米軍の管轄下に置かれて立入禁止区域となっており、この時点では一部返還にとどまった。運営の主導も米軍が握って日本はそれに従う形となり、離着陸は米軍機が優先され、民間機は上空で1時間も旋回しながら待たされることも度々あったという。また、民間専用ターミナルが出来るまでは、空港への入場には「入場票」が発行されていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "翌1953年には、日本航空のダグラス DC-6によって、日本のフラッグキャリアによる第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航(東京 - ウェーク島 - ホノルル - サンフランシスコ)が開始された。同年9月20日には、戦後初の航空ショーが羽田空港の滑走路を中心に開催され、待ち望んでいた航空ファンが10万人も詰めかけた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1955年(昭和30年)5月17日、現在の国際線ターミナルの西側・現B滑走路の南端付近に近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが開館した。また、このターミナルビルの建設地が、強制退去となった穴守稲荷神社の本殿跡に当たることから、ターミナルビル屋上には穴守稲荷神社空港分社が祀られた。同年8月には旧A滑走路が2550mに延伸され、1956年7月には空港整備法に基づく第一種空港に指定された。その後1958年6月に全面返還された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1960年代に入ると、1964年東京オリンピックのための空港設備の整備拡張が行われた。旅客ターミナルが増築(東京五輪後も度々行われた)されたほか、旧A滑走路が3,000mに延伸され、旧C滑走路(3150m×60m)の新設、1964年(昭和39年)8月2日 には首都高羽田線の開通、1964年(昭和39年)9月17日には東京モノレールの乗り入れ、貨物や検疫施設の拡充などが行われ、旅客ターミナル向かいに初の空港敷地内ホテルである羽田東急ホテルがオープンした。また、1963年7月11日には穴守稲荷神社空港分社が、新たに作られた特別展望回廊の屋上に移され、同時に財団法人日本航空協会(当時)の航空神社より分霊を勧請し、羽田航空神社が建立された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "一方で、京浜電鉄空港線は、東京オリンピックを前に運輸省からなされた空港乗り入れの打診を、本線の輸送力増強に専念するため断ったことで、1972年に再乗り入れの検討を始めて以降も、空港ターミナルへの乗り入れは長らく運輸省・東京都とも門前払いが続くことになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1966年(昭和41年)には、空港周辺で単独機としては当時世界最悪の事故となった全日空羽田沖墜落事故が発生し、その1か月後にはカナダ太平洋航空402便着陸失敗事故が発生するなど悲劇も起きた。そのような中で、「かつて空港内に鎮座していた穴守稲荷神社の祟りであり、神社を空港の中に祀らないと事故がこれからも多発する」のような噂が流布し、神社の遷座を国会議員に陳情する者も現れた。この陳情に「祟りはともかく、神社復興は必要だ。」と、当時の中村寅太運輸大臣や瀬戸山三男建設大臣なども賛同し、大臣等を会長・顧問とした「穴守稲荷復元奉賛会」が設立された。結局、社殿再建後であることやターミナルビルの屋上に分社が祀られていることなどから、空港内に穴守稲荷神社を復興する計画は頓挫したが、再建予定地とされた三愛オブリ株式会社が、事務所屋上に穴守稲荷大神を分霊した一祠を設けている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "その後1971年(昭和46年)に旧B滑走路が2500mまで延伸し、旧羽田空港が一応の完成を見た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)5月1日には住居表示が実施され、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・鈴木御台場・羽田御台場及び猟師町御台場が、現行の地名である東京都大田区羽田空港一丁目および二丁目になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "一方で、1964年に一般旅行者の海外旅行自由化が行われたことや、地方路線の機材大型化やジェット化が進んだことなどもあり、高度経済成長期真っただ中の1960年代後半には、羽田空港の施設では増大する一方の離着陸をさばくのが困難になり、首都圏の航空需要を一手に引き受けていた羽田空港は、国際線のみならず国内線ターミナル・貨物ターミナルの処理能力も限界に達してしまう。1978年(昭和53年)5月20日に漸く新東京国際空港が開港を果たすと、外交的問題から成田空港への移転を行わなかった中華民国(台湾)の中華航空(現・チャイナエアライン)を除く全ての国際線が成田に移転した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "しかし、新設された成田空港は激しい反対運動によって拡張が進められなかったために羽田空港から移転された国際線のみで処理能力が飽和し国内線を引き受けられる余力はなく、さらに国内線需要の急激な増加が続いたため、手狭なターミナルと2本の滑走路のみであった当時の羽田空港は間もなくキャパシティの限界を再び迎えた。滑走路は現在よりも市街地に近かったため、騒音に対する苦情も絶えなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "これら空港機能の改善および騒音対策を目的として東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が計画された。1971年5月には既に航空局内部に「東京国際空港拡張計画作成委員会」が設置されていたが、革新知事として知られる当時の東京都知事である美濃部亮吉が羽田拡張に反対して国内線専用とすることを主張し、地元では拡張どころか羽田からの空港移転を主張する声さえあった。また、運輸省内部でも「羽田を拡張すれば、成田は不要」と主張する成田空港反対派を刺激したくないとの判断が働き、調査開始から10年余りの停滞があった。しかし、増大を続ける航空需要を背景に、鈴木俊一への知事交代に前後して沖展の調整が進められ、1984年1月26日には、東京国際空港沖合展開事業着工式が穴守稲荷神社で執り行われ、沖合展開事業が開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "沖展に不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。「ごみ戦争宣言」を出した美濃部都政下、沖展用地は東京港の浚渫土や首都圏の建設残土を処分する残土処理場として、1975年度から土砂の投棄が続けられており、長年のヘドロが堆積した「底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "この場所は、含水比率100パーセント以上の超軟弱地盤であったことから、工事関係者の間では「(羽田)マヨネーズ層」と呼ばれ始め(「おしるこ層」とも)、工事関係書類に使われたため学名にまでなりかけたが、後にマヨネーズ製造業者から抗議があったため名称が変更されている。対策としてチューブの集合体の板を地中深く差し込むことで水を抜くペーパードレーン工法や、同じく砂の柱を地中深く構築することで水を抜くサンドドレーン工法、沈下する地盤をジャッキの油圧で持ち上げ空洞を特殊なコンクリートで固める工法などを駆使し、計画から完成まで約20年の歳月を経て完成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "この埋め立てによって新たに生まれた広大な土地が全て大田区に組み込まれたことから、世田谷区は長年保っていた「東京23区で面積最大」という地位を大田区に譲ることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "1988年には、旧C滑走路の450m東側に現A滑走路が完成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "羽田空港の沖合展開事業(沖展)の中、拡大する空港及びターミナルに対して東京モノレールだけでは増大する輸送量に対応できないとの判断から、京急の羽田空港乗り入れが認められた。1993年に羽田駅(現在の天空橋駅)が空港島内に開業して都心方面(本線・都営地下鉄浅草線)からの直通運転が開始。この時点では暫定的に同駅から東京モノレールへ乗り継ぐ形で空港アクセスを図っていたが、1998年には羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業し旅客ターミナルビルと直結、羽田空港へのアクセス路線として本格的に機能するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "1993年(平成5年)7月1日には住居表示を実施され、羽田空港三丁目が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "1993年9月27日には、約29万平方メートルの延べ床面積に、24基のボーディング・ブリッジを持つ新国内線ターミナルビル(第1旅客ターミナルビル)が供用開始され、チャイナエアラインを除く全ての航空会社が移転した。同ターミナルを運営する日本空港ビルデングはこれに「ビッグバード (Big Bird)」 という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港第1・第2旅客ターミナルの総称としても用いられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "また、旧ターミナルビルの屋上に祀られていた羽田航空神社も新国内線ターミナルビルに遷座、穴守稲荷神社空港分社は本社に返霊されることになった。尚、航空関係者からは隣り合って祀られてきた2社を別々にする事に対して、反対する声もあったという。又、当初は神殿ではなく神棚に祀るという簡素化の案もあったが、運輸省東京空港事務所等の反対により、規模を縮小するが今まで通り神殿で祀る形に落ち着いた。更に東京空港事務所等は新ターミナルビルでも屋上に祀る事を要望していたが、こちらは実現しなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1994年(平成6年)には、羽田空港新B滑走路の供用が開始され、ついに空港内に唯一残されていた穴守稲荷神社の旧一の大鳥居の移築が実施されることになったが、その後も移築は難航し、ようやく1999年2月3日撤去、翌4日移築と決定した。移築までの間、1995年には運輸省によって、「鳥居参道」と「参拝者専用駐車場」が整備され、鳥居までお参りが出来るようになっていた。移築工事にあたって土台の周りを掘ると、鳥居が非常に頑丈にできておりロープで引きずり倒せるようなものではないことが判明した。作業の際は風がやや強く、鳥居をクレーンで吊り上げた時にクレーン車のワイヤーが揺れ動く一幕もあったというが、2日間の工事は滞りなく終わり、現在地の弁天橋のたもと(天空橋駅南、東京空港警察署弁天橋交番近く)に移設されて今に至っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2004年12月1日には、約18万平方メートルの延べ床面積に15基のボーディング・ブリッジを持つ第2旅客ターミナルビルが供用を開始した。第2旅客ターミナルビルの供用開始に先駆け、1998年3月20日に第2旅客ターミナルビルの南寄りに暫定国際線旅客ターミナルビルが完成した。当初はチャイナエアラインのみが使用し、2000年9月から同じく台湾系のエバー航空が就航していたが、2002年4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアライン・エバー航空はともに成田空港発着となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "航空需要の増大から、羽田空港においては、ラッシュ時は2分間隔で発着が行われるなど、1990年代には発着能力が限界に達しており、増便は困難な状況になっていた。限られた発着枠でできるだけ輸送量を大きくするため、羽田空港では日本の空港としては唯一、小型機の乗り入れが原則として禁止されており、その結果、特に地方空港の利便性が低下し不満が高まっていた。そこで2000年9月から、首都圏第3空港調査検討会により、羽田空港の再拡張や、首都圏に羽田・成田に次ぐ第3の空港を設置し、航空需要の増加に対応する案が検討された。その検討の結果、日本国政府は2001年12月19日に、第3空港の設置より優位性のある羽田空港の再拡張を優先的に行うことを決定し、以下の事業が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "D滑走路は、神奈川県寄りの多摩川河口付近の海上に、従来の埋め立てとジャケット工法による桟橋を組み合わせた、世界初の人工島と桟橋のハイブリッド滑走路として、既存のB滑走路とほぼ平行に建設された。このD滑走路の設計耐久年数は、100年に設定されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "東京湾の羽田空港沖は、江戸前マアナゴなどで有名な漁場である。滑走路の建設工事の影響により、漁獲量減少が懸念されるとして、地元漁協と国土交通省の漁業補償交渉が難航した。当初、同省は閣議決定されていた2009年末の供用開始に向け、2006年春頃の着工を目指していたが、結果的に目標は達成できなかった。工事は2007年3月31日に開始され、5月20日に関係者による着工記念式典が行われた。同省は、当初の計画に間に合わせるために工期短縮の方法などを模索した結果、2010年10月21日に完成し、供用を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "このD滑走路の設置計画当初は既存のB滑走路と完全に平行な滑走路の建設を予定していたが、南風・荒天時に千葉県浦安市の市街地上空を通過すること、また東京ディズニーリゾートと直線距離300mの沖合いを通過することが問題視され、滑走路の方位を時計回りに7.5度変更した。この変更により、神奈川県川崎市にある東京湾アクアライン川崎人工島にある換気口のピラミッド状の装飾が制限表面上に出るため、装飾上部が撤去された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "沖合に建設されているD滑走路を含む空港全体の視認性確保などを目的として、新たに旧管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに世界で3番目(当時)・国内最高の高さとなる116mの新管制塔が設けられ、2010年1月12日に運用が開始された。これにより、それまでの旧管制塔の飛行場管制室は供用開始から16年で役目を終えたことになるが、新管制塔供用開始後も撤去されずバックアップ用の予備管制塔となった。なお、新管制塔で新設されるのは飛行場管制室とその付帯設備だけで、ターミナルレーダー管制室や航空局庁舎は従来の位置のままである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "A滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれ、かつての国内線ターミナル(1993年まで)と国際線ターミナル(1998年まで)、日本航空のライン整備センターなどがあった区域に、新しい国際線旅客ターミナルビルと国際貨物ターミナル、エプロンなどを建設し、国際線地区としてPFI手法を用いて整備した。2008年4月8日に起工式が行われ、2010年7月末に完成し、同年10月21日に供用開始された。これに伴い、10月12日に旧・P5駐車場が営業を終了し、10月20日に暫定国際線旅客ターミナルビルが閉鎖された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "国際線旅客ターミナルビルは、5階建て延べ床面積約15万9000平方メートル(付属棟含む)のターミナルビルと6層7段の駐車場(約2300台収容、延べ床面積約67,000平方メートル)で構成される。空港ターミナルビルには、江戸の町並みを再現した商業ゾーン(4階「江戸小路」)や日本最大級の規模の免税店を設置して収益を確保する見通しである。国際旅客ターミナルビルの整備・運営は、国内線ターミナルビルを運営している日本空港ビルデングを筆頭株主とする特別目的会社「東京国際空港ターミナル株式会社 (Tokyo International Airport Terminal Corporation, TIAT)」がPFI方式で実施している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "スポットは固定スポットとオープンスポットが各々10か所設置されるのみであるうえ、旅客ターミナルビルがA滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれ、更なる拡張も難しいと考えられたことから、前原誠司国土交通大臣が提唱した「羽田空港国際ハブ空港化」の実現には不十分な規模であるとの指摘もあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "国際線ターミナルビルの開業に合わせ、同ターミナルへのアクセスとして、東京モノレール羽田線は一部ルートを変更し、ビルに隣接する形での新駅「羽田空港国際線ビル駅」を新設した。また、京浜急行電鉄空港線も、羽田空港駅 - 天空橋駅間のターミナルビル地下に新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」を開業し、あわせて国内線ターミナルの最寄駅である羽田空港駅の名称を「羽田空港国内線ターミナル駅」に変更。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "2011年11月16日、国内線第1旅客ターミナルビルのリニューアル工事が完了した。チェックインカウンターが並ぶ2階の出発ロビーの天井には、自然光を取り入れる開口部が設けられ、明るい雰囲気となった。また、保安検査場を通過した後の制限エリア内の商業施設を大幅に拡充したほか、屋上展望デッキも改装して航空機をより見やすくなるようフェンスを更新した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2009年10月13日、国土交通大臣だった前原誠司は、日本の地方空港から韓国仁川国際空港を経由した海外渡航が増加している現状を問題視。その原因とされている「内際分離」の原則(国際線は成田空港、国内線は羽田空港)を改め、羽田空港と成田空港を一体的に運用し、羽田空港を24時間使用可能な国際ハブ空港とする方針を明かした。この方針を受け、新設した国際線旅客ターミナルビルを2013年度をめどに夜間駐機場として整備された北側エプロン方面へ延長増築し、搭乗口を増設する拡張計画が打ち出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "拡張部分についてもPFI事業として整備され、2011年6月21日、国土交通省と東京国際空港ターミナルが国際線旅客ターミナルビル本館の改修と増築、北側エプロンへの固定スポット8か所分のサテライト増築、立体駐車場の増築、ホテルの新設を内容とする拡張計画に合意した。また、2012年8月31日、国際線エプロンの増設などの拡充整備による事業契約の変更について、国土交通省関東地方整備局と羽田空港国際線エプロンPFI株式会社が変更契約を締結した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2014年3月30日、拡張部の一部が供用開始。ターミナルビルはT字状になり、延べ面積は約15万9000mから約23万6000mに約1.5倍拡大、固定スポット(搭乗口)が10から18、チェックインカウンターが96から144、出発保安検査場が1カ所から2カ所に増加するなどした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2014年8月28日、拡張部一般エリアが供用開始。イベントスペースや多目的ホール、レストランや物販店などの商業店舗が設けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2014年9月30日、ロイヤルパークホテル ザ 羽田(現・THE ロイヤルパークホテル 東京羽田)開業。またホテル開業に合わせ、ビジネスジェット専用ゲートの供用が開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2009年4月、政府・与党が長距離国際線への対応としてC滑走路を南東(D滑走路側)へ360m延長して3,360mにする方針を固め、追加経済対策に盛り込むこととした。これは長距離国際線の輸送力を増強、大型機の離着陸を可能にする施策で、特に深夜早朝時間帯に就航する長距離国際線の大型化が可能となる。2009年度中に着工し、2013年度完成予定であったが、用地内の廃棄物対策の検討に時間を要したため事業期間が約1年伸び、2014年12月11日より施設供用開始となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)3月、国土交通省、東京都、大田区、品川区による羽田空港移転問題協議会は、羽田空港の沖合展開事業及び再拡張事業の結果として発生した跡地について、「羽田空港跡地利用基本計画」を策定し、2010年(平成22年)10月には、それを具体化した「羽田空港跡地まちづくり推進計画」をとりまとめた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "政府は、羽田空港周辺を訪日客の受け入れ拡大や国際競争力の強化を目指し国家戦略特区に認定し、この地域は「HANEDA GLOBAL WINGS」と名付けられ、第1ゾーンには羽田みらい開発が「HANEDA INNOVATION CITY」、第2ゾーンにあたる当地区には外国人観光客の増加を見込んだ住友不動産グループが「羽田エアポートガーデン」を整備した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "羽田エアポートガーデンは、地上12階建て、延床面積は約9万1500平方メートル。ホテル(ヴィラフォンテーヌプレミア/グランド羽田空港)、商業施設、温浴施設、MICE施設(ベルサール)、バスターミナルなどを備えた。当初は、2020年(令和2年)4月19日の開業を予定していた。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響で延期となり、2023年(令和5年)1月31日に全面開業を迎えた。なお、羽田エアポートガーデンの開業によって、約80年ぶりに羽田の地に「温泉(塩化物泉・羽田空港泉天空温泉)」が復活することになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "なお、施設開業に先行して、2022年3月12日には羽田エアポートガーデン付近から対岸の川崎市殿町地区「キングスカイフロント」とを結ぶ「多摩川スカイブリッジ」も新たに開通している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "戦前は1200世帯3000人の住民がいたが、戦後の連合国軍による強制接収以降は、0人となった。その後、羽田空港一丁目に全寮制の航空保安大学校が創設され、寮生160人前後の住民がいた。しかし、2008年(平成20年)3月に同校が大阪府泉佐野市に移転したため、人口は再び0人となった。それから現在に至るまで、羽田空港の人口は常に0人である。", "title": "人口" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。ただし、住民不在のため、実際には通学する児童・生徒はいない。", "title": "小・中学校の学区" } ]
羽田空港(はねだくうこう)は、東京都大田区の町名。現行行政地名は羽田空港一丁目から羽田空港三丁目。郵便番号は144-0041。現在は東京国際空港及び関連施設の敷地が多くを占めるが、かつては穴守稲荷神社を中心とした首都近郊の一大観光地として知られた。
{{Otheruses|'''東京都大田区の<u>町名</u>'''|空港|東京国際空港}} {{Pathnav|日本|東京都|大田区|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 羽田空港 |種類 = [[町丁]] |画像 = Tokyo International Airport 01.jpg |画像サイズ = 270px |画像説明 = [[東京国際空港]] <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 32 | 緯度秒 = 57.97 | 経度度 = 139 | 経度分 = 46 | 経度秒 = 47.42 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 11 |都道府県 = 東京都 |特別区 = [[File:Flag of Ota, Tokyo.svg|border|25px]] [[大田区]] |地域 = [[蒲田区|蒲田地域]] |人口 = 0 |世帯数 = 0 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[1月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|url=https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/juukiy/2023/jy23qv0500.csv|format=CSV|title=住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別)  令和5年1月|publisher=東京都|language=日本語|quote=[https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t000003d0000000577 (ファイル元のページ)]|date=2023-04-06|accessdate=2023-12-17}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 14.445971254 |面積時点 = <ref name="area">{{Cite 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(大田区)|羽田]]・[[羽田旭町]]・[[東糀谷]]・[[大森南]]、[[京浜運河]]や[[東京湾]]を挟んで[[昭和島]]・[[京浜島]]・[[城南島]]・[[令和島]]などと接する。 === 河川 === * [[多摩川]] * [[海老取川]] * [[京浜運河]] == 歴史 == {{See also|鈴木新田 (大田区)|羽田町|東京国際空港|穴守稲荷神社}} === 鈴木新田 === 今の羽田空港一丁目・二丁目付近にあたる地域は「'''羽田浦'''」などと呼ばれ、[[元禄]]・[[天明]]の頃には[[葦]]が一面に密生した[[干潟]]であった<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=3/31 |year=2008 |publisher=穴守稲荷神社 |page=16}}</ref>。{{Quotation|此地の眺望、最も秀美なり。東に滄海満々として旭日の房総の山に掛かるあり、南は玉川泥々として清流の冨峯の雪に映ずるある。西は海老取川を隔てて、東海の駅路あり、往来絡繹たり、北は筑波山峨々として、飛雨行雲の気象萬千なり。此島より相州三浦浦賀へは、午に當たりて海路凡そ八九里、南総木更津の港へは巳に當たりて海路八九里、南北総の界は卯に當たりて海路十三里計りを隔てたり、冨峯は西の方に見ゆ|『江戸名所図会』より}}{{Quotation|(文化五年十二月)十七日、空くもりて日の出るを見ず。巳の時ばかりにやどを立ちいづ、野羽織半天を服し股引を穿ち草鞋をつく。六郷のわたりをこえて、八幡塚村の内ところどころ堤のくづれたる所おさむべきために、名主案内して、間棹をもて丈量す。 雑色村より羽田村までの道あししとて、日よけ船にのりゆく。ややありて猟師町にいり、羽田の方にむかふ。蝦取橋といふを渡りて、羽田の弁天の前なる棚橋をわたり、社に入る。 玉川弁財天といふ額を掲ぐ。ここは要島といふ所なり。別富を金生山龍王院といふ。年頃此神の宮居を遠くのぞみて一度もまうづる事なし。今日はからづもここに来れるを思ひて、白銀一つぶをささぐ。宇賀神の小祠あり、御穴宇賀神といふ。ここに常燈籠の高きありて、入来る船の目じるしとせしも、近頃はたえて、そのかたばかりを残せり|『調布日記』より}}当時の[[羽田町|羽田]]一帯は、[[江戸]]近郊の[[漁村|漁師町]]として栄え、東に[[江戸湾]]を隔てて[[房総半島|房総諸山]]を望める海浜の地であり、西には[[富士山]]を仰ぎ、南は多摩川に接し、北には品川越しに[[江戸|江戸市中]]を目にすることができる風光明媚な土地であった<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=2008-3-31 |publisher=穴守稲荷神社 |page=21}}</ref>。 [[武蔵国]][[荏原郡]][[羽田 (大田区)|羽田猟師町]]で代々[[名主]]をしていた鈴木彌五右衛門という人物がいた。この彌五右衛門は羽田浦の東方にある干潟に目をつけ、その数[[町歩]]にわたる干潟を埋め立てて、新しい田畑を開発することにした<ref name=":22">{{Cite book|和書 |title=羽田時空旅行〜観て・知る・歩く羽田〜 |date=2021-12-22 |year= |publisher=出版舎風狂童子 |page=40 |author=森重和雄}}</ref>。 そこで彌五右衛門はこの干潟を[[本羽田|羽田村]]の名主石井四郎右衛門より譲り受けて、この干潟に[[堤防]]を作って開墾を始めた。この際、彌五右衛門は猟師町の名主職を嗣子に譲り、 自ら移り住んで開拓に取り組んだという。[[1815年]]([[文化 (元号)|文化]]12年)頃には、近在農村の[[分家]]層でとくに[[大森 (大田区)|大森]]村からの出百姓らが居住するようになり、新田としての形態が整えられた<ref name="名前なし-20231105130951">{{Cite book|和書 |title=大田区史 中巻 |year=1992 |publisher=東京都大田区 |page=571 |author=大田区史編纂委員会}}</ref>。この開墾事業は無事に成功したが、[[東京湾]]や[[多摩川]]に面する埋立地という環境のため、常に[[高潮]]、[[洪水]]などの水害の危険を孕んでいた土地であった。そのため彌五右衛門は、作物を植えるところは高く土を盛り、また堤防を強くするために数千本の[[マツ|松]]の木を植えることにした。この松の[[防潮林]]は、その後成長すると、沖から眺めると非常に美しい景観となった。それでこの地は、その地形から「'''扇ヶ浦'''」とか、元々一つの小さな島があったことから「'''要島'''」と人々から呼ばれるようになる。また、彌五右衛門は堤防のほとりに小さな[[祠]]を建て、毎年の五穀豊穣と海上安全の守護を祈願し、[[地主神]]として、[[稲荷大神]]を祀ることにする<ref name=":2">{{Cite book|和書 |title=羽田時空旅行〜観て・知る・歩く羽田〜 |date=2021-12-22 |year= |publisher=出版舎風狂童子 |page=40 |author=森重和雄}}</ref>。 [[1829年]]([[文政]]12年)、この開墾地は羽田猟師町から分かれて「'''[[鈴木新田 (大田区)|鈴木新田]]'''」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった<ref name=":22" />。 [[文政]]の末あるいは[[天保]]の初め頃、襲来した[[暴風雨|大暴風雨]]と[[津波]]によって、堤防の土手の横面に大穴が開き、海水が侵入して、懸命に丹精した[[田圃]]もまさに荒廃する危険に直面した。その様子を監視していた[[農夫]]はすぐさま名主の彌五右衛門に知らせると共に、[[法螺貝]]を吹き、篝火を焚いて、五十余名におよぶ農民たちで、鋤や鍬などの農具を持ち集まると、彌五右衛門の指揮の下、死力を尽くしてその土手を守った。その甲斐もあって、海水の侵入を免れることができた<ref name=":3">{{Cite book|和書 |title=羽田時空旅行〜観て・知る・歩く羽田〜 |date=2021-12-22 |year= |publisher=出版舎風狂童子 |page=41 |author=森重和雄}}</ref>。しかも、その後は全く水害に遭わなくなり、凶年の兆しも見えず、一帯は良質な田園地帯となった。これは農民たちの努力のためばかりではなく、神の助けがあったに違いないという声が出て、それはおそらく土手上の祠に祀られた稲荷大神の神徳と人々に考えられるようになった。そのためその祠を敬う人々が増え、また「'''波浪が穿った穴の害より田畑を守り給う稲荷大神'''」の祠ということから、「'''穴守稲荷大神'''」と尊称されるようになった。それから、彌五右衛門はそのようなありがたい祠を土手の上にそのままにしてはおけないと、自分の屋敷内に遷して丁重に祀り、これがのちの[[穴守稲荷神社]]の起源となった<ref name=":3" />。{{Quotation|羽田浦一帯の風景についての歌 : いく{{ruby|千代|ちよ}}までも{{ruby|末広|すゑひろ}}く、あふぎが{{ruby|浦|うら}}に{{ruby|宮|みや}}ばしら、 : {{ruby|太敷|ひとし}}たててうしはける、ところはながめ{{ruby|良|よ}}き{{ruby|処|ところ}}、 : きよき{{ruby|羽田|はねだ}}のたま{{ruby|川|がは}}は、{{ruby|前|まへ}}に{{ruby|流|なが}}れてわかれては、 : {{ruby|海老取川|えびとりがは}}と{{ruby|名|な}}にしたふ、きたは{{ruby|品川|しながは}}わんにして、 : {{ruby|櫛|くし}}の{{ruby|歯|は}}よりもなほ{{ruby|繁|しげ}}き、とうきやう{{ruby|市街|しがい}}{{ruby|唯一目|ただひとめ}}、 : ひがしは{{ruby|海原|うなばら}}いや{{ruby|広|ひろ}}く、{{ruby|幽|かす}}かに{{ruby|見|み}}ゆる{{ruby|山|やま}}やまは、 : {{ruby|房総諸山|ばうそうしょさん}}と{{ruby|知|し}}られたり、{{ruby|西|にし}}は{{ruby|富士|ふじ}}の{{ruby|嶺|ね}}いや{{ruby|高|たか}}く、 : {{ruby|実|げ}}に{{ruby|白扇|はくせん}}のさまに{{ruby|似|に}}て、はねだの{{ruby|川|かは}}に{{ruby|映|うつ}}るなり、 : {{ruby|夕日|ゆふひ}}を{{ruby|逐|おう}}て{{ruby|帆|ほ}}を{{ruby|揚|あ}}げて、{{ruby|帰|かへ}}るやあまのいさり{{ruby|舩|ぶね}}、 : なみのまにまに{{ruby|友千鳥|ともちどり}}、よびかふ{{ruby|声|こへ}}も{{ruby|長閑|のどけ}}しや、 : これぞ{{ruby|此地|このち}}の{{ruby|詠|なが}}めなる、 : かくばかり{{ruby|詠|なが}}めよろしき{{ruby|扇浦|あふぎうら}} {{ruby|神|かみ}}も{{ruby|嬉|うれ}}しと{{ruby|見|み}}そなはすらむ|詠み人知らず 明治37年刊『穴守稲荷神社縁起』より}} === 穴守稲荷神社 === [[ファイル:明治期の穴守稲荷神社境内全景図.jpg|サムネイル|281x281ピクセル|明治34年頃の穴守稲荷神社周辺]] [[1885年]](明治18年)[[11月26日]]に、穴守稲荷神社が公衆参拝の独立した一社として国家公認の神社となると<ref name=":32">{{Cite book|和書 |title=羽田時空旅行〜観て・知る・歩く羽田〜 |date=2021-12-22 |year= |publisher=出版舎風狂童子 |page=41 |author=森重和雄}}</ref>、[[鳥居前町]]が急速に発展、さらに[[1894年]](明治27年)、鈴木新田の一部を所有していた和泉茂八が[[旱魃]]に備え、良水を求めて井戸を掘ってみたところ、海水よりも濃い塩水が湧出した。これを[[国立医薬品食品衛生研究所|東京衛生試験所]]に成分鑑定を出願したところ、[[1896年]](明治29年)9月に[[湿疹]]や[[貧血]]、[[胃カタル|胃腸カタル]]などの諸病に効く[[冷鉱泉|ナトリウム冷鉱泉]]([[塩化物泉]])と認められた<ref name="名前なし_2-20231105130951">{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社縁起 |date=1912 |publisher=穴守稲荷神社社務所 |pages=163-167 |author=金子胤徳}}</ref>。そこで茂八は泉館という[[温泉旅館]]を起こした。その後、付近のあちこちに鉱泉が掘られ、要館・羽田館・西本館などの旅館が神社の傍らに開業した。また、それ以前より営業していた料理店も風呂を設け、後には百余軒もの[[鳥居前町|社前店]]が並ぶほどになり<ref name=":52">{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=2008-03-31 |year= |publisher=穴守稲荷神社 |page=29}}</ref>、神社一帯が東京の[[花街|花柳界]]などの保養地となり、神社参拝を兼ねた東京近郊の一大[[観光地]]として発展した。{{Quotation|当社鳥居の多きこと一見人をして驚かしむ。 其状数町の間に互り。赤色のもの比々相倚り続々相連る。洞を成し隧を致す処。散ぜざるは何の霞ぞ。霽ざるは何の虹ぞ。実は羽田の一奇観なりといふべし。|明治44年刊『新撰東京名所図会』より}}[[1899年]](明治32年)には、「稲荷道」と通称される5町程の海老取川から穴守稲荷神社の南側に至る新道が開かれた<ref name=":26">{{Cite book|和書 |title=大田の史話 |date=1981-3 |publisher=東京都大田区 |page=322 |author=大田区史編纂委員会}}</ref>。 [[1900年]](明治33年)、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]から[[黒田氏|黒田侯爵家]]の[[鴨場]]が移転し、羽田鴨場が設置された<ref name=":38">{{Cite journal|author=佐藤正之|year=2006|title=東京社会文化史(3)「大東京」の変幻~羽田ストーリー―飛行機に追われた穴守稲荷と鴨場|journal=都市問題|volume=97|issue=1|pages=89-97}}</ref>。黒田家14代目当主[[黒田長礼]]によると、飛来する[[カモ|鴨]]の種類が多く、1915年(大正4年)の最盛期には4,200坪の池に1万5000~1万6000羽、時には2万羽を数えたという<ref name=":38" />。また、黒田家の鴨場以外に料亭要館経営の鴨場や横浜の実業家・渡辺良平所有の鴨場も設置され、羽田は鴨猟の場としても発展した<ref name=":38" />。{{Quotation|黒田家の鴨場は東郷元帥とか、ああいう人たちが来ると猟をする。だから、上流の人の社交場だった。要館の鴨場の方は料理屋ですから、鴨を獲ってはお客に食べさせた。(中略)要館の客は穴守稲荷の参詣者などだった。穴守周辺は鴨猟の穴場だったんですよ。|季刊わが町 あれこれ 第15・16合併号より}}[[1901年]](明治34年)には、[[中央新聞社]]が主催した東日本の避暑地「畿内以東十六名勝」のコンクールで「府下羽田穴守境内」が、1位を獲得した<ref>{{Cite news |title=關以東十六勝避暑地投票!!!外 |newspaper=中央新聞社 |date=1901-5-28,5-29,5-31,6-1,8-22,8-29,10-9,11-10}}</ref>。 [[1902年]](明治35年)[[6月28日]]には、[[京浜急行電鉄|京浜電鉄]][[京急空港線|穴守線]](現・[[京急空港線|空港線]])が[[京急蒲田駅|京浜蒲田]]から延伸して開通し、海老取川の手前に[[穴守駅]]を開業した。海老取川手前までの開通になったのは、鈴木新田周辺が既に住宅密集地であったことと、1903年(明治36年)に架橋された [http://www.djq.jp/bridge_liblary/river_nomi/tokyo_bridge_ebitori003_inari.php 稲荷橋] <ref>{{Cite book|和書 |title=ふるさと東京 今昔物語 第2巻羽田・大森・蒲田編 |date=2021-5-1 |year= |publisher=株式会社フォト・パブリッシング |page=8}}</ref><ref name=":31">{{Cite book|和書 |title=電鉄は聖地をめざす |date=2019-5-10 |publisher=講談社 |page=120 |author=鈴木勇一郎}}</ref>から穴守稲荷神社までの続く道中の商店主や[[人力車]]稼業の人々が、商売にならなくなると反対した為といわれている<ref name=":15">{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2-25 |year=2008 |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=16}}</ref>。{{Quotation|品川より電車にのりて大森蒲田を経て、羽田に至る。橋をわたれば両側数町の間、物うる家、立ちつづき、赤き鳥居密接してトンネルを成す。そのきはまる処小祠あり。穴守稲荷とて、近年にはかに名高くなり、その参詣者の多きことは、ここに電車が通じたるにても知らるべく、鳥居のトンネルにても知らるべく、鉱泉宿、料理屋、商店など僅々十年の間、洲渚に市街を現出したるにても知らるべし。(中略)十年前、稲荷に接近せる鉱泉宿の要館に数日逗留して、著述に従事したこともありしが、その時は二三の鉱泉宿が出来て居り、祠前に十数軒出来て居りしのみなるに、十年の後には、かくまでに市街が出来るものかと、茫然として、しばし祠前に彳立す|大町桂月著『東京遊行記』より抜粋}}当初穴守稲荷神社への参詣者輸送を主眼としていた京浜電鉄は、文芸評論家の[[押川春浪]]や押川の友人で文芸評論家ながら京浜電鉄に勤めていた[[中沢臨川]]の働きかけにより、[[1909年]](明治42年)に陸上トラック・野球場・テニスコート・弓道場・土俵のほか、花壇や遊園地も兼ね備えた[[羽田運動場]](野球場)を神社裏手の江戸見崎に設置したことを嚆矢として、羽田地域の独自の観光開発に乗り出し、境内には動物園までつくられた。 [[1910年]](明治43年)3月には、穴守線の複線化が行われ、[[1911年]](明治44年)[[7月5日]]には、京浜電鉄は羽田穴守海水浴場を開設し、[[報知新聞社]]と提携し同社の主催で、元[[内閣総理大臣]][[大隈重信]]伯爵や[[渋沢栄一]]、[[樺太]]探検で有名な[[白瀬矗]]中尉などを来賓に迎え、開場式を挙行した。宣伝効果もあって、会場直後の同年7月16日には、1日1万人を越える入場者が来場したと新聞の記録に残されている<ref>{{Cite book|和書 |title=報知七十年 |year=1941 |publisher=報知新聞社 |page=55 |author=青木武雄}}</ref>。その後、羽田穴守海水浴場には、毎年5万人の入場者が来場し、後には[[海の家]]や[[プール|浄化海水プール]]も新設されている<ref>{{Cite book|和書 |title=京浜急行八十年史 |year=1980 |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=135 |author=京浜急行電鉄株式会社社史編纂班}}</ref>。これらの施設は、当時の海水浴場としては群を抜いたものであり、海上休憩場のほか陸上にも休憩場2棟、収容人数は1万人、特別休憩室64室、3500人分の更衣室、東洋一と謳われた海水プール、海の遊泳場には飛込台やボートもあり、総タイル張りでシャワー設備等も設けた温浴場、滑り台やシーソー等を設置した陸上遊戯場、余興場、各種売店等、あらゆる施設を備えた一大娯楽施設だった<ref>{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-02-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=23}}</ref>。 [[ファイル:羽田穴守海水浴場.jpg|サムネイル|222x222ピクセル|羽田穴守海水浴場]] [[ファイル:京浜電鉄広告.jpg|サムネイル|223x223ピクセル|京浜電鉄(現・京急)の広告]] 同年10月、京浜電鉄は穴守線を神社のすぐ近くまで延伸することを計画し、東京府に申請を行った<ref>{{Cite book|和書 |title=大正五年 鉄道軌道 冊ノ十二 羽田支線延長敷設御願 |publisher=東京府 |date=1916}}</ref>。しかし、この動きに対して再び「稲荷道」関係者が150名以上による延伸反対の陳情書を東京府知事に対して提出するなど反対運動を展開<ref>{{Cite book|和書 |title=大正五年 鉄道軌道 冊ノ十二 京浜電鉄穴守線延長ニ関スル陳情書 |date=1916 |publisher=東京府}}</ref>、これを受けて[[警視庁]]などが調停に乗り出し、稲荷橋駅から穴守新駅までの間は別に運賃を徴収するということで落着し、延伸が決まった<ref>{{Cite book|和書 |title=電鉄は聖地をめざす |date=2019-5-20 |publisher=講談社 |page=126 |author=鈴木勇一郎}}</ref>。 また同年[[11月18日]]から[[11月19日]]には、[[1912年ストックホルムオリンピック]]に日本が初参加することになったことで、予選会を都心から近くて交通の便がよい羽田運動場で開催することになり、野球場を1周約400メートルの運動場に転換して、[[国際オリムピック大会選手予選会]]が開催された。 [[1913年]](大正2年)には一帯が[[三業地]]([[東京の花街|花街]])に指定され、そして同年[[12月31日]]には、遂に穴守線が海老取川を渡って神社前までの延伸を果たし新穴守駅が開業、穴守詣でと羽田の遊覧に弾みを与えた。夏季には観光客輸送のため[[京急本線|本線]]と直通する[[急行列車]]も運転されるようになり、一層の賑わいを見せるようになった。一方で、それまで繁栄を極めていた「稲荷道」沿道は、客足がぱったりと途絶え、僅か一か月後の翌年1月には、延伸前合計80軒以上存在していた土産物屋や飲食店などが一挙に3軒を残すばかりになっている<ref>{{Cite news|和書 |title=羽田町民京浜電車に反抗す |newspaper=横浜貿易新報 |date=1914-1-28}}</ref>。 このような、明治半ばから始まる羽田地域の行楽地化は、[[日清戦争|日清]]・[[日露戦争|日露]]の両戦争に勝利して、ようやく[[近代国家]]として歩み始めた時代と社会の反映でもあった。東京を代表とする都市の[[ブルジョワジー|新興市民]]は、[[日曜日|日曜休暇]]というそれまでの[[休暇|農間休暇]]とは明らかに質の異なる新しい生活リズムの[[休日]]を持つようになり、郊外に日帰りあるいは一泊で手軽に遊べる行楽地を求め出したわけである<ref name=":27">{{Cite book|和書 |title=大田の史話 |date=1981-3 |publisher=東京都大田区 |page=324 |author=大田区史編纂委員会}}</ref>。信仰と娯楽を混然とさせつつ、近郊オアシスとして羽田は姿を整えていったのである<ref name=":27" />。羽田穴守が優れていたのは、花街のような妖艶な空間、運動場や海水浴場といった幅広い層に向けた[[レジャー施設]]、東京湾や多摩川河口の優れた景観や神社のような聖域が共存していたところにある<ref>{{Cite book|和書 |title=電鉄は聖地をめざす |date=2019-5-10 |publisher=講談社 |page=124 |author=鈴木勇一郎}}</ref>。明治時代末期には、人口が1万人以上いた[[羽田町]]の町税の内、人口700人の羽田穴守地域が2割以上を納めていたという<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社縁起 |date=1912 |publisher=穴守稲荷神社 |page=6 |author=金子胤徳}}</ref>。{{Quotation|橋の袂へかゝると、あゝもし〱橋銭をと傍らの番小屋から声をかけられ、大枚往復一銭の切符を買って橋を渡ると、赤い華表が算へ切れぬまでぎっしり建て隧道をなしてゐる、又其間には芸者や役者や落語家などの名を記した無数の献灯が行列してゐる、片側には名物の宝玉煎餅、飴、 蛤や土産物の玩弄物を売る店が軒を連ねて客の懐ろを狙ってゐる、一丁計りも真っ直ぐに行って左へ直角に折れると、両側の茶屋からコツテリ塗った口の光つた穴守だけに狐に縁のありそうな怪しい女が出て来て、お休みなすって入らつしやい奥もすいて居ります、お支度も出来て居ります。 お風呂も出来て居ります、お休みなすつて入っしやいと殆んど手を捉へんばかりに呼び込む|『横浜貿易新報 穴守詣で(上)』明治41年2月27日付けより}}{{Quotation|社の後辺へ出ると松風と波の音とが先づ聞える、これから奥の院の人造が嶽に登つて、何処か絵になりそうな場所は無いかとレンス眼を睜つてゐると、傍らの四十恰好の男、鋸山が見えませんかえ、今日は生憎沖が霞みましたね、此見当が横浜で、彼処が高輪でさアと聞きもせぬ講釈をする(中略) 兎に角穴守第一の観と云へば、此処から東の海を見たところであらう、コバルト色の空と水との継目を、其間に点綴せる沖の白帆が楔のや(ママ)うにも見えて、一寸した洲鼻を黄ばんだ蘆が水を隔て向ふの岸を穏(ママ)して、その蔭を近く行く船の帆ばかりが松の隙から見える工合は、瀟洒してのび〱した光景で、俗の俗なる此境域には珍らしい眺めである|『横浜貿易新報 穴守詣で(下)』明治41年2月29日付けより}} === 日本飛行学校と東京飛行場 === 大正時代に入ると京浜間の[[工業地域|工業地帯]]化が始まり、東京湾岸の埋め立てが進んでゆく中で、穴守地域にも行楽地以外の要素が生まれてくるようになる。その最たるものが、こんにちの羽田を象徴する航空好適地としての存在である。 きっかけとなったのが、「[[日本飛行学校]]」と「日本飛行機製作所」の穴守稲荷門前への設立である。[[1916年]](大正5年)、[[麻布区|麻布]]に鉄工所を持ち発動機の研究開発をしていた友野直二と千葉県[[奈良原三次#稲毛飛行場|稲毛海岸]]で飛行練習に明け暮れていた[[玉井兄弟|玉井清太郎]]が日本飛行機製作所を立ち上げる<ref>{{Cite book|和書 |title=季刊輸送展望 秋季 228号 |year=1993 |publisher=日通総合研究所 |page=88 |editor=日通総合研究所}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=日本の航空50年 |year=1960 |publisher=酣灯社 |page=170 |editor=郡捷, 小森郁雄, 内藤一郎}}</ref>。同じ頃、飛行家を志すも強度の近視のため断念し飛行雑誌で記事を書いていた{{Ruby|[[相羽有]]|あいばたもつ}}も友野を通じて清太郎と出会う<ref>{{Cite book|和書 |title=汎交通 73(5) |year=1973-5 |publisher=日本交通協会 |page=40}}</ref>。飛行機に夢を賭ける二人はすぐに意気投合し、日本民間飛行界の隆興のためにも一旗揚げようと共同で飛行家の養成学校を創ることを決めた。当時は清太郎が24歳で相羽は21歳、正規の飛行場など用意できるわけもなく、千葉の稲毛海岸にならって練習場は干潟。好適地を探した結果[[多摩川]]河口付近の[[川崎市|川崎]]側、通称・三本葭(さんぼんよし)と呼ばれる三角州の干潟をその場所に決め、対岸の羽田町に学校を開くこととした。そこで二人は穴守稲荷神社総代で鉱泉宿・要館当主の石關倉吉へ直談判し、石關は航空に志を立てた二人の若者の熱意に感じ入って、 元料亭の古い建物を校舎として、隣の建物を機体製作の作業場として提供した<ref>{{Cite book|和書 |title=日本飛行機物語 首都圏篇 |date=1982-6-25 |year= |publisher=株式会社冬樹社 |page=53}}</ref>。 そして1916年(大正5年)8月16日付で清太郎が「日本飛行学校」の設立を申請<ref>{{Cite book|和書 |title=大田区史 下巻 |year=1996-3 |publisher=東京都大田区 |page=428 |editor=大田区史編纂委員会}}</ref>、同年10月5日、玉井清太郎の操縦によって羽田の空を初めて飛行機が飛び<ref>{{Cite web|和書|title=「冒険的飛行」時代(大正6年5月20日、玉井清太郎、墜落死する)- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン |url=https://designroomrune.com/magome/daypage/05/0520.html |website=designroomrune.com |access-date=2023-10-05}}</ref>、翌1917年1月4日に日本飛行学校が正式に開校した<ref>{{Cite book|和書 |title=大田区史 下巻 |year=1996-3 |publisher=東京都大田区 |page=485 |editor=大田区史編纂委員会}}</ref>。尚、初期練習生の中には後に[[ゴジラ]]を創る[[円谷英二]]もいた。{{Quotation|千葉県の稲毛海岸を海水浴客が危ながるからと追い出され、飛行機滑走が可能な場所を探し求めて移ってきたのが穴守稲荷の向こうの六郷川(多摩川)の三角州だった。穴守に日本飛行学校を開設したことが羽田飛行場の起源となった。|相羽有(1936年5月・日本交通協会定時総会の晩餐会での発言より)}}{{Quotation|穴守随一の有力者、石関さんと初会見した私は、「将来の国防は飛行機が第一線に戦う武器となる。この製造と飛行士の育成はもっとも緊急を要する」と臆面もなくまくしたてた。大地主の石関さんは、どこの馬の骨とも知れぬ一青年の、おこがましくも航空に一身を捧げる覚悟を披露したことに感動せられた。老侠客のような石関さんの快諾は千鈞の重みがあった。立派な玄関のついた建物を本館とし、元料亭の離れ家を教室として開校した。これは無償提供されたものだ。かなめ館の女中が上等の料理を運び込んで、主人からの進物ですといわれて、食い気ざかりの一同が欣喜雀躍したこともある。|昭和41年刊『日本民間航空史話』羽田飛行場の生い立ち(相羽有)より}}多摩川が海にそそぐ海岸の浅瀬の砂浜は、干潮時には一面の干潟になり、平坦で、軽い飛行機の滑走には好適であった<ref>{{Cite book|和書 |title=日本民間航空史話 |date=1966-6-1 |publisher=日本航空協会 |page=32}}</ref>。この羽田の地を飛行場好適地と見出した彼らが居たことが、後の東京飛行場建設に繋がり、今日の東京国際空港発展の礎となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://airport1111.blog.ss-blog.jp/sanbonyoshi-airstrip |title=空港探索・3 三本葭飛行場跡地 |accessdate=2022/3/12 |publisher=SSブログ}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=3/31 |year=2008 |publisher=穴守稲荷神社 |pages=序文 発刊に寄せて}}</ref><ref name=":23">{{Cite book|和書 |title=”羽田の空”100年物語 |date=2017-2-15 |year= |publisher=株式会社交通新聞社 |pages=4,15}}</ref>。{{Quotation|大正五年(一九一六)、弱冠二十一才で、東京府荏原郡羽田町穴守の稲荷神社の近くに、日本飛行学校と日本飛行機製作所とを創立した。(中略)六郷川の海にそそぐ両岸の浅瀬の砂浜は、干潮時には一面の干潟になる。平坦であり、軽い飛行機の滑走には好適であった。(中略)それから十余年の空白期間を過ごした羽田穴守が、東京国際空港として再び浮かびあがる奇縁をもったのは、昭和四年のことである。(中略)そこへ日本飛行学校が羽田を開拓した功労者だからとて特別の承認を得、(中略)昭和二十年、終戦とともに、米軍命令で、えびとり川以東の穴守一帯は、稲荷神社、数百戸の住居全部が一夜にして立退きを強制された。弁天橋と稲荷橋も交通を遮断された。この前代未聞の不測の運命に泣いた方々に、ここに半世紀前に飛行場を創始したことに発端することを顧み、申しわけないと思っている。|昭和41年刊『日本民間航空史話』羽田飛行場の生い立ち(相羽有)より}}[[1923年]](大正12年)9月1日の[[関東大震災]]の際には、羽田近辺は推定[[震度7]]の揺れに見舞われた<ref name=":41">{{Cite journal|author=鹿島小堀研究室 武村雅之・諸井孝文|year=2022|title=1923年関東地震に対する東京都 23 区内(旧郡部)での詳細震度分布|journal=歴史地震|volume=|issue=18|pages=97-115}}</ref>。大正震災志によると鈴木新田は荏原郡内で最も被害が甚だしいとされ、神社北方の堤防が破潰したことで、満潮時には浸水、全体に渡り0.2-0.3m低下し、穴守線も終点付近に亀裂多数、海老取川橋梁が崩壊、稲荷橋南方堤に沿い地盤に亀裂等の被害報告が残っている<ref name=":41" />。また、関東大震災により鉄道が壊滅的被害をうけたことで、帝国飛行協会副会長及び帝都復興評議員の[[長岡外史]]が、11月15日の帝都復興第一回評議員会の席上で飛行機による物資輸送の重要性を主張し、羽田に飛行場が必要だと提言した<ref>{{Cite book|和書 |title=21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ |year=1997-5 |publisher=自費出版 |page=48 |author=戸田大八郎}}</ref>。{{Quotation|所沢と立川は(飛行場として)遠きに過ぎます。少なくとも羽田付近、青梅街道上の荻窪付近、中山道の赤羽根付近の三か所に約二〇万坪(約六六万平方m)の飛行場を設ける必要があり、この他大山街道上の世田谷ならびに千葉街道国府台付近に一朝事ある場合を考え、臨時飛行場(不時着陸場)を設ける必要があります。この飛行場のなかで、どこを国際飛行場にすべきかをいえば、私は羽田付近を選ぶに躊躇しません。羽田は東京に近く、交通も便利、しかも国際飛行場として水・陸飛行機の発着に好条件を備えています|長岡外史『21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ』より}}[[1929年]]([[昭和]]4年)には、穴守稲荷神社が昭和の[[御大典]]を機に村社へ昇格し、名実ともに鈴木新田の鎮守となった。同年10月には、京浜電鉄の重役から一の大鳥居として朱鳥居(後の羽田空港に残された大鳥居)が、穴守駅前に奉納されている。 そして、[[逓信省]][[航空局]]が神社北側の土地(現在の整備場地区付近)を、前述のように飛行機の適地であり、東京都心部に近く、京浜間の中間に位置し、水陸両用飛行場として利用可能だと目を付け<ref>{{Cite book|和書 |title=羽田空港の歴史 |date=1983-1-1 |publisher=朝日新聞社出版局 |page=26 |author=平木国夫}}</ref>、[[飛嶋文吉]]([[飛島組]])から買収、新しい飛行場の建設に着手し、[[1931年]](昭和6年)[[8月25日]]にそれまで[[立川市|立川]]にあった[[東京飛行場]]が移転開港した。ただ、[[コンクリート]]敷の滑走路以外はほとんど草地であったうえ、[[無線通信|無線]]による[[航空交通管制|管制]]が行われていないため[[管制塔]]もなかったなど、設備は簡素なものであった(面積53ha、滑走路300m、幅15m)。滑走路脇にカタカナの右読みで「トウキヤウ」と書かれた[[コンクリート]]製の標識文字が設置されていた<ref name=":33">運輸省第二港湾建設局東京空港工事事務所(1995),8-11頁。</ref><ref name="keikyu110-22">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P22。</ref>。これ以来、羽田の街は今日に至るまで[[企業城下町|空港城下町]]として発展してゆく事になる。 [[ファイル:空中より見た競馬場.jpg|左|サムネイル|空中からみた羽田競馬場]] [[1932年]]には、[[日本の廃止・休止競馬場一覧|羽田競馬場]]が近隣の羽田入船耕地(現[[東糀谷]]付近)から、鈴木新田の東にある御台場(羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場)へ移転してくることになった。予定地である御台場は多摩川の河口にできた広大な干潟で、天保年間には[[江戸幕府]]が砲台をつくろうとして中止したところでもあった。現在の東京国際空港第3ターミナルあたりがその場所である。ただ、同地は[[不動産登記|土地台帳]]上こそ畑地とされていたものの、満潮時にはほとんどが水没してしまう湿地帯だった。そのため、主催者側は[[東亜建設工業|東京湾埋立株式会社]]に施工を発注。同地を埋め立て、盛り土をして競馬場を建設するという当時としては一大プロジェクトを敢行した。完成した新競馬場の総面積は、10万坪(約333平方メートル)・1周1600メートル・幅員30メートルと、現在の[[大井競馬場]]の外回りコース(1周1600メートル、幅員25メートル)と同規模であった。新競馬場での最初の開催は7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、[[1934年]](昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も[[地方競馬]]では全国一の盛況が続き、羽田の地に新たな名所が誕生することになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/27092700 |title=遠い記憶 羽田競馬場の歴史(2) |accessdate=2022/3/12 |publisher=リアルタイム}}</ref><ref name=":6">{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/97786075 |title=遠い記憶 羽田競馬場の歴史(3) |accessdate=2022/3/12 |publisher=リアルライブ}}</ref>。 また、1932年[[10月1日]]には、荏原郡羽田町が[[東京市]]へ編入され、新設された[[蒲田区]]の一部となった{{Efn|大森町・入新井町・羽田町で大森区となる案もあった。}}。あわせて、鈴木新田も羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町・羽田御台場・鈴木御台場に改称・分割された。 * 旧羽田穴守町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現B滑走路の南端付近<ref>{{Cite web|和書|title=羽田穴守町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Anamori.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。穴守稲荷神社をはじめ、鉱泉宿や料亭、土産物屋など多種多様な商店が並ぶ門前町の中核であった<ref>{{Cite web|和書|title=羽田穴守町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Anamori.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。 * 旧羽田鈴木町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現荏原製作所の対岸付近から現羽田空港ワークステーション付近に亘ってL字型に広がっていた<ref>{{Cite web|和書|title=羽田鈴木町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Suzuki.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。商店が集まっていた穴守町とは対象的に、数多くの人家が集まっており、玉川弁財天や鈴納稲荷神社も鈴木町内に鎮座していた。また、東西に穴守線が通り、終点の穴守駅も鈴木町内にあった<ref>{{Cite web|和書|title=羽田鈴木町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Suzuki.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。 * 旧羽田江戸見町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現羽田空港一丁目の北半分にあたり、東京モノレールの整備場駅のほか各航空会社の関連ビルや整備工場・格納庫など多くの建物が並んでいる<ref>{{Cite web|和書|title=羽田江戸見町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Edomi.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。[[羽田運動場]]や鴨場、のちには東京国際空港の前身である国営の民間飛行場・東京飛行場が所在し、穴守町・鈴木町と比較して住民はほとんどいなかった<ref>{{Cite web|和書|title=羽田江戸見町(大田区) |url=http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/13.Tokyo/Ota_H-Edomi.html |website=www.aikis.or.jp |access-date=2023-08-05}}</ref>。 * 旧羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場:現羽田空港二丁目の一部、町域は第3ターミナル付近。[[日本の廃止・休止競馬場一覧|羽田競馬場]]が所在した。 {{Quotation|本町は都の隅に在り、多摩川口の左岸に位し、東は東京灣に面してゐる。 穴守稻荷の存在に依つて古くから知られた漁村であるが最近東洋一の飛行場の設置に依つて共の名は世界的となつた。小田原北條氏の時代には羽田浦又は扇ケ浦と稱し家人行方彈正の所領となり、德川氏入國後は其の直領として代官を置かれた。元祿六年羽田村から羽田獵師町を分ち、同年更に羽田村から萩中村が分村し、文化十二年羽田獵師町から鈴木新田を分つた。天保十四年に幕府は海外の事情(阿片戰爭)に鑑み此地に奉行を置き老中眞田幸貫をして羽田奉行に任じ砲臺を築かしめた。明治元年品川縣に屬し、同年東京府の管下に入り明治二十二年に羽田、羽田獵師町、鈴木新田、糀谷、下袋、濱竹、萩中を合併して羽田村を編成したが同四十年十月町となった。漁業を以て生業としてゐる。 本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。 町内の神社佛閣を通じて著名なものは穴守神社だけである。|昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観 第六節 蒲田區 羽田町』より}}{{Quotation|蒲田區羽田穴守町。京濱電車穴守終點下車。品川から直通電車運轉、所要二五分、賃片道二四銭。蒲田から七分、一一銭。 豊宇氣比賣命を祀る稲荷神社があり、穴守神社とも云ふ。四時参詣者多く、午の日には殊に賑はふ。祠を去る五十米許りの海濱は風光よく、海は遠浅で潮干狩及び海水浴に適し附近に東京飛行場がある。また穴守神社後の近くには東京附近に珍らしい鵜の群棲林がある。|「旅程と費用概算」(ジャパン・ツーリスト・ビューロー)より抜粋}}東京を代表する[[観光地]]として繁栄を謳歌していた羽田地域であるが、当時の日本([[大日本帝国]])が1931年(昭和6年)の[[満洲事変|満州事変]]を機に、戦争への道を歩んでゆくことで、その荒波に翻弄されることになる。 まず、[[日中戦争]]の勃発に伴い立法された[[軍馬資源保護法]]の施行によって、羽田競馬場が[[1937年]](昭和12年)限りで休催、翌[[1938年]](昭和13年)に廃場へと追い込まれた<ref name=":62">{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/97786075 |title=遠い記憶 羽田競馬場の歴史(3) |accessdate=2022/3/12 |publisher=リアルライブ}}</ref>。跡地には[[日本特殊鋼管|日本特殊鋼]]の羽田工場ができ、海岸線寄りの跡地には[[高射砲]]陣地が置かれた。日本特殊鋼のほか、[[荏原製作所]]、[[明電舎]]、[[大谷重工業|大谷重工]]等の大手企業が[[1935年]]あたりから次々進出してきて、下請け工場も出来た<ref>{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-02-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=24}}</ref>。競馬場廃場の同年には、[[満洲国]]建国以降、満洲へ旅客や貨物輸送が増大したこともあり、東京飛行場の拡張用地として羽田運動場が買収され、消滅した<ref name="keikyu110-242">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P24。</ref>。東京飛行場の面積は72haとなり全長800メートル・幅80メートルの滑走路2本が十文字型に配置されるレイアウトになった。これにより、当時としては近代化された民間飛行場となった<ref name="keikyu110-223">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P22。</ref><ref name="kanpou94552">『[[官報]]資料版』1958年7月1日第9455号付録、4ページ</ref>。 [[1939年]](昭和14年)6月には、[[国民精神総動員運動]]の中で、料亭等の営業時間が短縮され、[[9月1日]]に[[興亜奉公日]]が設けられると、以後毎月一日は酒が不売となり、次第に入手も困難となった<ref>{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-02-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |pages=24-25}}</ref>。参拝者も行楽客も激減し、料亭は工員相手の食堂になり、鉱泉宿は社員寮へ姿を変えてゆく等、穴守稲荷神社周辺の娯楽施設は急速な衰退を迎え、一帯は工場が立ち並ぶ[[軍需産業]]地帯として工場に働く労働者のための街に変貌していった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.photo-make.jp/hm_2/haneda_1_1.html |title=明治20年代(1887) から隆盛を始めた穴守稲荷神社 とその周辺 |accessdate=2021/3/12}}</ref>。 [[1941年]](昭和16年)[[10月1日]]には、[[茨城県]][[霞ヶ浦]]より[[海軍航空隊]]の一部が飛行機20機・[[士官]]70人・[[兵士|兵員]]1250人の東京分遣隊として東京飛行場に移され、大手企業の工場も全て[[軍需品]]を作らされるようになる。穴守の町には[[軍人]]が闊歩するようになり、穴守線も[[軍需産業]]で働く人の通勤路線となった<ref name=":162">{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-02-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=25}}</ref>。 [[1942年]](昭和17年)には、更に戦争の影響が表れるようになり、最後まで残っていた羽田穴守海水浴場の営業も中止になった。一方で、[[1943年]](昭和18年)の[[洲崎 (東京都)|洲崎遊郭]]接収により、[[1944年]](昭和19年)初めに洲崎の遊郭関係者が移転してきたため、[[慰安所|慰安宿街]]が新たに誕生している<ref>{{Cite book|和書 |title=電鉄は聖地をめざす |date=2019-5-10 |publisher=講談社 |pages=127-128 |author=鈴木勇一郎}}</ref>。 [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]]には、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。[[東京都]]蒲田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。 [[1944年]](昭和19年)秋頃を境に、[[サイパン島|サイパン]]から出撃した米軍機による[[空襲]]が激しさを増し、穴守稲荷神社の近辺も[[建物疎開|間引き疎開]]ということになり、一時はそこに暮らす人はせいぜい20人に満たないほどになったという<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=2008-03-31 |year= |publisher=穴守稲荷神社 |pages=102,103}}</ref>。当時の蒲田区は軍需産業が盛んであったこともあり、集中的に狙われ、飛行場も2月16日(東京飛行場への急降下爆撃により火災発生、旅客機1機焼失)、2月17日(大日本航空格納庫一棟全壊)、4月4日(羽田江戸見町)と空襲を受け<ref>{{Cite web|和書|title=東京都の空襲被害 - 未来に残す戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN |url=https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/tokyo/ |website=wararchive.yahoo.co.jp |access-date=2023-10-15 |language=ja}}</ref>、1945年4月15日から4月16日に行われた[[東京大空襲|城南京浜大空襲]]では、蒲田・大森・荏原地域が主たる攻撃対象とされ、 蒲田区の約99%が被災、羽田地域も大きな被害を受けた。更に敗戦間近の7月12日には米軍機の爆撃により飛行場施設が破壊・消失し、飛行場機能の大半が失われた<ref name=":403">{{Cite web|和書|title=JCAL 民間航空史資料保存会 |url=http://airhistory-nippon.la.coocan.jp/WEB/tokyoap.html |website=airhistory-nippon.la.coocan.jp |access-date=2023-10-15}}</ref>。{{Quotation|昭和二十年四月十五日夜半より、十六日未明にかけて城南地区(旧蒲田区・大森区)を中心に大空襲があり、羽田も大半が焦土と化した。 (中略) 当日は、船上にて一夜を過ごし、翌払暁、処々にくすぶる煙り残る中、天空の明るみと同時に我が羽田の町の全容が目視されてきた。 九十パーセントに近い焼失で残存した一部は奇跡とも思う位であり、特に印象的だったのが、大森の「ガスタンク」が遠いと思っていたのが、近くに見え、大森方面の小高い丘陵、そして、池上本門寺の五重塔が鮮明に目視出来たことだった。|1945年4月15日‐16日の城南京浜大空襲の回想(あのとき…羽田地区における戦争体験より)}}{{Quotation|昭和20年(1945)になると空襲は全国的に激しくなり加えて艦載機の攻撃も増えた。大森蒲田も焼け野原となった。蒲田駅を出ると焼け野原の遥か向こうに羽田飛行場が見えた。こんなことは二度とないだろう。|元日本航空 航空士 渡辺 勇(羽田航空少年団機関誌『はねだ』第46号より)}}{{Quotation|滑走路は見るも無残に破壊され、何か所も大きくえぐられていた。大日本航空の大半の旅客機は地方飛行場に分散してあったが、残っていた2機のDC3型機が炎々と黒煙をあげて燃えていた|元日本婦人航空協会理事長 及位 野衣(1945年7月末の空襲後の回想 大田区史研究 史誌30 羽田飛行場と私より)}} === 強制退去 === 戦争末期には稼働機材の減少より飛行場機能の大半を喪失していた東京飛行場であるが、終戦の詔書を示す[[玉音放送]]が流された後には、飛行場は極度の混乱状態に陥り、軍事輸送に関わった操縦士が占領軍による厳しい制裁を受けるといったデマが流布された。そのため航空局はじめ大日本航空等各社では保管書類の焼却、個人携帯飛行免状等の破棄が直ちに行われ、また混乱・虚脱に乗じ社用品の盗難・廃棄といった出来事も生じた<ref name=":40">{{Cite web|和書|title=JCAL 民間航空史資料保存会 |url=http://airhistory-nippon.la.coocan.jp/WEB/tokyoap.html |website=airhistory-nippon.la.coocan.jp |access-date=2023-10-15}}</ref>。{{Quotation|飛行場では男も女もただ無言のまま、書類といわず、机といわず、手当たり次第、エプロンに持ち出し、天をも焦がすような炎の中に放り投げていた。|元日本婦人航空協会理事長 及位 野衣(1945年8月15日の回想 大田区史研究 史誌30 羽田飛行場と私より)}}{{Quotation|マッカーサー司令部では羽田飛行場を連合軍の日本駐屯軍に引き渡すよう十二日我が当局に申し入れた。同時に滑走路拡張のため海岸線埋め立て設備を提供するよう要求してきたが、飛行場再建のためには二箇月乃至三箇月を要すると見ている。なお、飛行場付近の一部住民に対して立ち退きが命ぜられることになった。|『朝日新聞』昭和20年9月13日付けより}}[[第二次世界大戦]]が終わった[[連合国軍占領下の日本|連合国による占領下に置かれた日本]]は、[[一般命令第一号]]によって各地の飛行場や航空施設を良好な状態で保存するよう命じられた。直後の1945年(昭和20年)[[9月12日]]、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]](のちの[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]])はアメリカから人材や物資を投入する為、日本政府に対して東京飛行場の引渡しを命じ、翌13日朝には自動小銃を持った連合国兵がジープで乗付け、飛行場にいた人々全員に立ち退きを命じた。こうして東京飛行場は[[軍事基地]]「HANEDA ARMY AIR BASE」と改称された<ref name=":16">{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-02-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=25}}</ref>。そして[[9月21日]]、HANEDA AIR BASEを拡張するため、連合国軍は蒲田区長との連名で日本の警察を通じて、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の三か町内約1200世帯、約3000名の全住民に12時間以内の強制退去命令を下した<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=2008-03-31 |year= |publisher=穴守稲荷神社 |pages=106,107}}</ref>。 敗戦後、まだ1か月も経たない中では、新聞記事を読んでいた住民は極僅かであり、読んでいたとしても、具体的な範囲が挙げられていなかった為、自分達が当事者であると考えた人は殆どいなかった。「飛行場付近の一部住民」に説明があったのは前日のことであり、警察から口頭で知らされた。そこで住民代表が、12時間とはあまりにも理不尽で到底全住民に周知出来ない事や、立ち退き先も決められないまま路頭に迷う人が出て来る事等を挙げ、蒲田区役所や警察を仲介して交渉が行われた。そうした決死の訴えにより、立ち退き後に立ち入った者の生命の保障はないという厳しい条件付であるものの何とか2日間となったのだが、人手も機材も時間もすべてが不足している、まさに身一つでの立ち退きであった<ref>{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |date=2008-2-25 |year= |publisher=京浜急行電鉄株式会社 |page=26}}</ref>。 突如として町を追われることになった人々は、行く当てもないまま荷車に家財道具を括り付けて、稲荷橋・弁天橋を渡った。48時間後、橋のたもとには連合国軍の兵隊が立ち、街へ戻ろうとする住民に対し、[[威嚇射撃]]まで行う横暴ぶりであった。見た事の無い程の大きな[[ブルドーザー]]や[[パワーシャベル]]が瞬く間に家や店を押しつぶし、町は徹底的に破壊され、[[戦闘機]]が幾機も走る滑走路となった。こうして、東京を代表する観光地として、多くの人々が訪れ、また生活を営んだ三つの町は、終戦から僅か1か月で跡形も無くなり、地図上から抹消されたのである<ref>{{Cite book|和書 |title=東京23話 |date=2015-8-17 |year= |publisher=株式会社ポプラ社 |page=29 |author=山内 マリコ}}</ref>。終戦時に空港内あった上述の[[航研機]]や日本軍の軍用機は米軍によって投棄されており、現在も敷地内の地中に埋まっていると言われている<ref name=":4">運輸省第二港湾建設局東京空港工事事務所(1995),13-15頁。</ref><ref name=":0">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P26-29。</ref><ref>{{Cite web|和書|title=羽田空港の地下に眠り続ける「伝説の飛行機」の哀しき運命 |url=https://gendai.media/articles/-/59610 |website=現代ビジネス |accessdate=2019-10-16 |date=2019-03-03}}</ref>。一方、敷地内にあった穴守稲荷神社の一の大[[鳥居]]は住民たちが去った後にも残された{{Efn2|整地に動員されたもと居住民らが、反抗心から意図的に鳥居を残したのだともいわれる<ref>小関智弘『大森界隈職人往来』([[岩波書店]]、2002年)2-4頁</ref>。}}<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://aoitrip.jp/haneda-otorii |title=羽田の大鳥居|Haneda Otorii |accessdate=2018-03-08 |date=2016-12-11 |publisher=aoitrip.jp}}</ref>。この大鳥居は後に1980年代から始まった沖合展開事業に伴う新B滑走路の建設計画での障害となったため、移設されることとなる<ref>{{PDFlink|[http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/UE/RP-okamura200501.pdf 蒲田・羽田の歴史について]}} [[早稲田大学]]文学学術院 浦野正樹研究室{{リンク切れ|date=2022-12}}</ref><ref>[http://www.news.janjan.jp/area/0804/0804070429/1.php 暮らしとたたかい 街と人々 羽田探訪記]{{リンク切れ|date=2022年11月}} JanJanNews 2008年4月8日</ref>{{sfn|唯野|2022|pp=73-76}}。 11月から本格的に開始されたアメリカ軍808飛行場建設部隊による空港拡張工事はまたたく間に進展し、広大な敷地を造成した<ref name=":4" />。この工事には「[[駐留軍等労働者|占領軍労務者]]」として雇われた約2000人の日本人労働者も参加していた。拡張工事は[[1946年]](昭和21年)6月までに竣工し、旧A滑走路(2000m×45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が完成した<ref name=":0" /><ref name=":24">{{Cite web|和書|url=https://abhp.net/air/Air_Haneda_900000.html |title=羽田空港 (東京国際空港) 拡張の歴史 |accessdate=2018-03-13 |date= |publisher=ABHP.net}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/04_kanto/02_haneda.html |title=東京国際(羽田)空港 |accessdate=2018-02-12 |date= |publisher=国土交通省東京交通局}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkeibp.co.jp/article/tk/20150126/433101/ |title=「羽田空港」が象徴する日本の発展 |accessdate=2018-03-12 |author=仲原正治 |date=2015-01-28 |publisher=ワクスタ}}</ref>。 [[1947年]](昭和22年)[[3月15日]]には蒲田区が[[大森区]]と合併し、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となった。 また、[[1948年]](昭和23年)2月24日には、強制退去となった穴守稲荷神社が、空港に隣接する[[羽田 (大田区)|羽田]]地区に再建されている<ref>{{Cite book|和書 |title=穴守稲荷神社史 |date=2008-03-31 |year= |publisher=穴守稲荷神社 |pages=110,111}}</ref>[[2月24日|。]]再建にあたっては、空港関係者が滑走路上で白狐を見たという逸話も残っている。 === 東京国際空港 === [[1952年]](昭和27年)7月1日<ref name="kanpou94553">『[[官報]]資料版』1958年7月1日第9455号付録、4ページ</ref>、滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され<ref name=":54">{{Cite book |title=運輸省三十年史 |year=1980 |publisher=運輸経済研究センター |editor=運輸省 |pages=304-305}}</ref>、同日に「東京国際空港」に改名<ref>同年7月5日[[航空庁]]告示第4号「東京都大田区羽田町に所在する飛行場を東京国際空港と呼称する件」</ref>、初代空港長には戦前の「ニッポン号」で世界一周を果たした民間航空人中島純利が任命された<ref name=":152">{{Cite book|和書 |title=大田の史話 その2 |year=1988-3 |publisher=東京都大田区 |page=355}}</ref>。しかし、「東京国際空港の共同使用に関する日本国と在日米軍との間の取極」により、空港内に陸軍空輸部隊と極東空軍は残り、管制権や空港施設の8割は引き続き在日米軍の管轄下に置かれて立入禁止区域となっており、この時点では一部返還にとどまった<ref name=":54" /><ref name=":72">{{Cite book|和書 |title=京急グループ110年史 最近の10年 |publisher=京浜急行電鉄株式会社}}</ref>。運営の主導も米軍が握って日本はそれに従う形となり、離着陸は米軍機が優先され、民間機は上空で1時間も旋回しながら待たされることも度々あったという<ref name=":72" />。また、民間専用ターミナルが出来るまでは、空港への入場には「入場票」が発行されていた<ref>{{Cite web|和書|title=羽田空港半世紀の歴史(復興篇) |url=http://www.tt-museum.jp/haneda_02.html |website=www.tt-museum.jp |access-date=2023-10-15}}</ref>。 翌1953年には、日本航空の[[ダグラス DC-6]]によって、日本の[[フラッグキャリア]]による第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航(東京 - [[ウェーク島]] - [[ホノルル]] - [[サンフランシスコ]])が開始された。同年9月20日には、戦後初の航空ショーが羽田空港の滑走路を中心に開催され、待ち望んでいた航空ファンが10万人も詰めかけた<ref>{{Cite book|和書 |title=羽田の今昔 写真家がみた羽田空港の100年 |year=2022/2/16 |publisher=株式会社天夢人 |page=61 |author=近藤 晃}}</ref>。 [[1955年]](昭和30年)[[5月17日]]、現在の国際線ターミナルの西側・現B滑走路の南端付近に近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが開館した。また、このターミナルビルの建設地が、強制退去となった穴守稲荷神社の本殿跡に当たることから、ターミナルビル屋上には穴守稲荷神社空港分社が祀られた。同年8月には旧A滑走路が2550mに延伸され<ref name="keikyu110-35">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P35。</ref>、1956年7月には[[空港整備法]]に基づく第一種空港に指定された<ref name=":53">{{Cite book |title=運輸省三十年史 |year=1980 |publisher=運輸経済研究センター |editor=運輸省 |pages=304-305}}</ref>。その後1958年6月<ref name=":53" />に全面返還された<ref name="runway">{{Cite web|和書|author= |date= |url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/04_kanto/02_haneda.html |title=東京国際(羽田)空港 |work=管内空港の現況 |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2014-07-20}}</ref>。 [[1960年代]]に入ると、[[1964年東京オリンピック]]のための空港設備の整備拡張が行われた。旅客ターミナルが増築(東京五輪後も度々行われた)されたほか、旧A滑走路が3,000mに延伸され<ref name="runway2">{{Cite web|和書|author= |date= |url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/04_kanto/02_haneda.html |title=東京国際(羽田)空港 |work=管内空港の現況 |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2014-07-20}}</ref>、旧C滑走路(3150m×60m)の新設<ref name="runway2" />、[[1964年]](昭和39年)[[8月2日]] には[[首都高羽田線]]の開通、1964年(昭和39年)[[9月17日]]には[[東京モノレール羽田空港線|東京モノレール]]の乗り入れ、貨物や[[検疫]]施設の拡充などが行われ、旅客ターミナル向かいに初の空港敷地内ホテルである[[東急ホテルズ|羽田東急ホテル]]がオープンした。また、1963年7月11日には穴守稲荷神社空港分社が、新たに作られた特別展望回廊の屋上に移され、同時に[[財団法人]][[日本航空協会]](当時)の[[航空神社 (東京都港区)|航空神社]]より[[分霊]]を[[勧請]]し、[[羽田航空神社]]が建立された<ref>{{Cite book|和書 |title=東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み |year=1965-5 |publisher=日本空港ビルデング株式会社 |pages=136,142}}</ref>。 一方で、京浜電鉄空港線は、[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]を前に運輸省からなされた空港乗り入れの打診を、[[京急本線|本線]]の輸送力増強に専念するため断ったことで、[[1972年]]に再乗り入れの検討を始めて以降も、空港ターミナルへの乗り入れは長らく[[運輸省]]・[[東京都]]とも門前払いが続くことになった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/airtravel/TKY201010210234.html |title=「羽田の時代来る」 京急乗り入れ訴えたOB、思い格別 - 航空特集 |website=asahi.com |publisher=朝日新聞社 |date=2010-10-21 |accessdate=2022-03-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101023191720/http://www.asahi.com/airtravel/TKY201010210234.html |archivedate=2010-10-23}}</ref>。 [[1966年]](昭和41年)には、空港周辺で単独機としては当時世界最悪の事故となった[[全日空羽田沖墜落事故]]が発生し、その1か月後には[[カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故]]が発生するなど悲劇も起きた。そのような中で、「かつて空港内に鎮座していた穴守稲荷神社の祟りであり、神社を空港の中に祀らないと事故がこれからも多発する」のような噂が流布し、神社の遷座を国会議員に陳情する者も現れた<ref name=":12">{{Cite book|和書 |title=大田の史話 |date=1981-3 |publisher=東京都大田区 |page=330 |author=大田区史編纂委員会}}</ref>。この陳情に「祟りはともかく、神社復興は必要だ。」と、当時の[[中村寅太]][[運輸大臣]]や[[瀬戸山三男]][[建設大臣]]なども賛同し、大臣等を会長・顧問とした「穴守稲荷復元奉賛会」が設立された<ref>{{Cite book|和書 |title=日刊観光 |date=1966-3-25 |publisher=日本観光新聞社}}</ref>。結局、社殿再建後であることやターミナルビルの屋上に分社が祀られていることなどから、空港内に穴守稲荷神社を復興する計画は頓挫したが、再建予定地とされた[[三愛オブリ|三愛オブリ株式会社]]が、事務所屋上に穴守稲荷大神を分霊した一祠を設けている<ref name=":12" />。 その後1971年(昭和46年)に旧B滑走路が2500mまで延伸<ref name="runway3">{{Cite web|和書|author= |date= |url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/04_kanto/02_haneda.html |title=東京国際(羽田)空港 |work=管内空港の現況 |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2014-07-20}}</ref>し、旧羽田空港が一応の完成を見た。 [[1967年]](昭和42年)5月1日には[[住居表示]]が実施され、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・鈴木御台場・羽田御台場及び猟師町御台場が、現行の地名である東京都大田区'''羽田空港一丁目'''および'''二丁目'''になった<ref name=":7" />。 一方で、1964年に一般旅行者の[[海外旅行]]自由化が行われたことや、地方路線の機材大型化やジェット化が進んだことなどもあり、[[高度経済成長期]]真っただ中の1960年代後半には、羽田空港の施設では増大する一方の離着陸をさばくのが困難になり、首都圏の航空需要を一手に引き受けていた羽田空港は、国際線のみならず国内線ターミナル・貨物ターミナルの処理能力も限界に達してしまう。[[1978年]](昭和53年)5月20日に漸く[[成田国際空港|新東京国際空港]]が開港を果たすと、外交的問題から成田空港への移転を行わなかった[[中華民国]]([[台湾]])の中華航空(現・[[チャイナエアライン]])を除く全ての国際線が成田に移転した。 [[ファイル:Haneda_Airport_Aerial_photograph.1984.jpg|サムネイル|沖合展開事業の埋め立て工事中{{国土航空写真}}1984年撮影の15枚を合成作成]] しかし、新設された成田空港は[[三里塚闘争|激しい反対運動]]によって拡張が進められなかったために羽田空港から移転された国際線のみで処理能力が飽和し国内線を引き受けられる余力はなく、さらに国内線需要の急激な増加が続いたため、手狭なターミナルと2本の滑走路のみであった当時の羽田空港は間もなくキャパシティの限界を再び迎えた。滑走路は現在よりも市街地に近かったため、騒音に対する苦情も絶えなかった。 これら空港機能の改善および騒音対策を目的として<ref name="keikyu110-37">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P37。</ref>東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が計画された。1971年5月には既に[[航空局]]内部に「東京国際空港拡張計画作成委員会」が設置されていたが、[[革新知事]]として知られる当時の[[東京都知事]]である[[美濃部亮吉]]が羽田拡張に反対して国内線専用とすることを主張し、地元では拡張どころか羽田からの空港移転を主張する声さえあった。また、運輸省内部でも「羽田を拡張すれば、成田は不要」と主張する成田空港反対派を刺激したくないとの判断が働き、調査開始から10年余りの停滞があった。しかし、増大を続ける航空需要を背景に、[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]への知事交代に前後して沖展の調整が進められ、1984年1月26日には、東京国際空港沖合展開事業着工式が[[穴守稲荷神社]]で執り行われ、沖合展開事業が開始された<ref name="keikyu110-41">[[東京国際空港#keikyu110|京急電鉄(2008)]]、P41。</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=引頭雄一|date=2017-03|title=空港整備概論─日本の空港整備はいつ概成したのか─|url=http://id.nii.ac.jp/1648/00008301//|publisher=中央大学|accessdate=2018-03-08|format=PDF}}</ref><ref>{{Cite book |author=原口和久 |title=成田 あの1年 |date= |year=2002 |accessdate= |publisher=崙書房出版 |page=130 |author2= |author3= |author4= |author5= |author6= |author7= |author8= |author9=}}</ref><ref>{{Cite book |author= |editor=財団法人日本航空協会 |title=日本の航空100年 航空・宇宙の歩み |date= |year=2010 |accessdate= |publisher= |pages=198-201}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=東京国際空港に関する公害対策の経過 第13巻 |date=1988-3 |publisher=東京都大田区 |author=大田区都市環境部環境課}}</ref>。 沖展に不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。「[[東京ゴミ戦争|ごみ戦争宣言]]」を出した美濃部都政下、沖展用地は[[東京港]]の浚渫土や首都圏の建設残土を処分する残土処理場として、1975年度から土砂の投棄が続けられており、長年の[[ヘドロ]]が堆積した「底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。 この場所は、含水比率100パーセント以上の超軟弱地盤であったことから、工事関係者の間では「(羽田)[[マヨネーズ]]層」と呼ばれ始め(「[[汁粉|おしるこ]]層」とも<ref>運輸省第二港湾建設局東京空港工事事務所(1995),7頁。</ref>)、工事関係書類に使われたため[[学名]]にまでなりかけたが、後にマヨネーズ製造業者から抗議があったため名称が変更されている<ref>上之郷利昭著『羽田空港物語』[[講談社]]、1997年3月17日 {{ISBN2|4-06-208026-5}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.scopenet.or.jp/main/columns/wagakuni/no9.html |title=第9回 羽田空港の不幸 |accessdate=2018-03-09 |author=小坂英治 |date=2007-06-04 |publisher=港湾空港総合技術センター}}</ref>。対策としてチューブの集合体の板を地中深く差し込むことで水を抜くペーパードレーン工法や、同じく砂の柱を地中深く構築することで水を抜く[[サンドドレーン工法]]、沈下する地盤を[[ジャッキ]]の[[油圧]]で持ち上げ空洞を特殊な[[コンクリート]]で固める工法などを駆使し、計画から完成まで約20年の歳月を経て完成した<ref group="注">このエピソードについては[[日本放送協会|NHK]]で1993年に放送された[[ドキュメンタリー番組]]『[[テクノパワー]]』第3回および[[2004年]]放送の『[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]』でも取り上げられた。</ref>。 この[[埋め立て]]によって新たに生まれた広大な土地が全て[[大田区]]に組み込まれたことから、[[世田谷区]]は長年保っていた「[[東京都区部|東京23区]]で面積最大」という地位を大田区に譲ることになった。 1988年には、旧C滑走路の450m東側に現A滑走路が完成した。 羽田空港の[[東京国際空港#沖合展開事業|沖合展開事業]](沖展)の中、拡大する空港及びターミナルに対して東京モノレールだけでは増大する輸送量に対応できないとの判断から、京急の羽田空港乗り入れが認められた。[[1993年]]に羽田駅(現在の天空橋駅)が空港島内に開業して都心方面(本線・都営地下鉄浅草線)からの直通運転が開始。この時点では暫定的に同駅から東京モノレールへ乗り継ぐ形で空港アクセスを図っていたが、[[1998年]]には羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業し旅客ターミナルビルと直結、羽田空港へのアクセス路線として本格的に機能するようになった。 [[1993年]](平成5年)7月1日には住居表示を実施され、'''羽田空港三丁目'''が設置された<ref name=":8" />。 1993年9月27日には、約29万平方メートルの延べ床面積に、24基のボーディング・ブリッジを持つ新国内線ターミナルビル(第1旅客ターミナルビル)が供用開始され、チャイナエアラインを除く全ての航空会社が移転した<ref name="scopenet.or.jp">{{Cite journal|和書|author=生貝貢|year=2004|title=東京国際空港第2旅客ターミナルビルの計画について|url=http://www.scopenet.or.jp/main/products/scopenet/vol34/ss/ss2.html|journal=SCOPE NET|number=34|page=|publisher=港湾空港総合技術センター|accessdate=}}</ref>。同ターミナルを運営する日本空港ビルデングはこれに「ビッグバード (Big Bird)」 という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港第1・第2旅客ターミナルの総称としても用いられている。 また、旧ターミナルビルの屋上に祀られていた羽田航空神社も新国内線ターミナルビルに遷座、穴守稲荷神社空港分社は本社に返霊されることになった。尚、航空関係者からは隣り合って祀られてきた2社を別々にする事に対して、反対する声もあったという。又、当初は神殿ではなく神棚に祀るという簡素化の案もあったが、運輸省東京空港事務所等の反対により、規模を縮小するが今まで通り神殿で祀る形に落ち着いた。更に東京空港事務所等は新ターミナルビルでも屋上に祀る事を要望していたが、こちらは実現しなかった。 1994年(平成6年)には、羽田空港新B滑走路の供用が開始され、ついに空港内に唯一残されていた穴守稲荷神社の旧一の大鳥居の移築が実施されることになったが、その後も移築は難航し、ようやく1999年2月3日撤去、翌4日移築と決定した。移築までの間、1995年には運輸省によって、「鳥居参道」と「参拝者専用駐車場」が整備され、鳥居までお参りが出来るようになっていた。移築工事にあたって土台の周りを掘ると、鳥居が非常に頑丈にできておりロープで引きずり倒せるようなものではないことが判明した。作業の際は風がやや強く、鳥居を[[クレーン]]で吊り上げた時に[[移動式クレーン|クレーン車]]のワイヤーが揺れ動く一幕もあったというが、2日間の工事は滞りなく終わり、現在地の弁天橋のたもと([[天空橋駅]]南、[[東京空港警察署]]弁天橋[[交番]]近く)に移設されて今に至っている。 [[ファイル:Otorii_02.jpg|サムネイル|新B滑走路の整備に伴い移設された大鳥居(天空橋駅の南)]] 2004年12月1日には、約18万平方メートルの延べ床面積に15基のボーディング・ブリッジを持つ第2旅客ターミナルビルが供用を開始した<ref name="scopenet.or.jp" />。第2旅客ターミナルビルの供用開始に先駆け、1998年3月20日に第2旅客ターミナルビルの南寄りに暫定国際線旅客ターミナルビルが完成した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/enjoy/history_of_haneda_airport/ |title=羽田空港の歴史 |publisher=日本空港ビルデング株式会社 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。当初はチャイナエアラインのみが使用し、2000年9月から同じく台湾系のエバー航空が就航していたが、2002年4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアライン・エバー航空はともに成田空港発着となった<ref>{{Cite web|和書|title=(資料2) 日本空港ビルデング株式会社提出資料 |url=https://www.mlit.go.jp/koku/cab07_fr1_000013.html |website=www.mlit.go.jp |access-date=2022-12-31 |publisher=国土交通省 |work=首都圏空港(成田・羽田)における国際航空機能拡充プランの具体化方策についての懇談会(第3回) |date=2009-05-29}}</ref>。 航空需要の増大から、羽田空港においては、[[ラッシュ時]]は2分間隔で発着が行われるなど、1990年代には発着能力が限界に達しており、増便は困難な状況になっていた。限られた発着枠でできるだけ輸送量を大きくするため、羽田空港では日本の空港としては唯一、小型機の乗り入れが原則として禁止されており、その結果、特に地方空港の利便性が低下し不満が高まっていた。そこで2000年9月から、首都圏第3空港調査検討会により、羽田空港の再拡張や、首都圏に羽田・成田に次ぐ第3の空港を設置し、航空需要の増加に対応する案が検討された。その検討の結果、[[日本国政府]]は2001年12月19日に、第3空港の設置より優位性のある羽田空港の再拡張を優先的に行うことを決定し、以下の事業が行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000309.html |title=羽田空港再拡張及び首都圏第3空港 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。 === 再拡張と再国際化 === D滑走路は、[[神奈川県]]寄りの[[多摩川]][[河口]]付近の海上に、従来の埋め立てとジャケット工法による[[桟橋]]<ref group="注">鋼管杭を打ち立てた上に鋼構造物を載せる桟橋工法。出典:『新日本の空港シリーズ1 羽田空港』[[イカロス出版]]。</ref>を組み合わせた、世界初の[[人工島]]と桟橋の[[ハイブリッド]]滑走路として、既存のB滑走路とほぼ平行に建設された。このD滑走路の設計耐久年数は、100年に設定<ref>羽田再拡張D滑走路建設工事共同企業体の説明パンフレット2冊 第2版(2007年5月発行)による。</ref>されている。 [[東京湾]]の羽田空港沖は、[[江戸前]][[マアナゴ]]などで有名な[[漁場]]である。滑走路の建設工事の影響により、漁獲量減少が懸念されるとして、地元[[漁業協同組合|漁協]]と[[国土交通省]]の漁業補償交渉が難航した。当初、同省は[[閣議決定]]されていた2009年末の供用開始に向け、2006年春頃の着工を目指していたが、結果的に目標は達成できなかった。工事は2007年3月31日に開始され、5月20日に関係者による着工記念式典が行われた。同省は、当初の計画に間に合わせるために工期短縮の方法などを模索した結果、2010年10月21日に完成し、供用を開始した。 このD滑走路の設置計画当初は既存のB滑走路と完全に平行な滑走路の建設を予定していたが、南風・荒天時に[[千葉県]][[浦安市]]の市街地上空を通過すること、また[[東京ディズニーリゾート]]と直線距離300mの沖合いを通過することが問題視され、滑走路の方位を[[時計回り・反時計回り|時計回り]]に7.5度変更した<ref name="飛行ルート">{{Cite press release|title=羽田再拡張後の飛行ルート(修正案)について|publisher=国土交通省航空局|date=2004-05-25|url=https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120525_2_.html|和書|accessdate=}}</ref>。この変更により、神奈川県川崎市にある[[東京湾アクアライン]][[川崎人工島]]にある換気口の[[ピラミッド]]状の装飾が制限表面上に出るため、装飾上部が撤去された。 沖合に建設されているD滑走路を含む空港全体の視認性確保などを目的として<ref>{{Cite web|和書|title=報道発表資料:東京国際空港(羽田空港)における新管制塔の運用開始と首都圏空域の効率的な管制運用の実施について |url=https://www.mlit.go.jp/report/press/cab13_hh_000033.html |website=www.mlit.go.jp |accessdate=2023-11-27 |publisher=国土交通省 |date=2010-01-07}}</ref>、新たに旧管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに世界で3番目(当時)・国内最高の高さとなる116mの新管制塔が設けられ、2010年1月12日に運用が開始された。これにより、それまでの旧管制塔の飛行場管制室は供用開始から16年で役目を終えたことになるが、新管制塔供用開始後も撤去されずバックアップ用の予備管制塔となった。なお、新管制塔で新設されるのは飛行場管制室とその付帯設備だけで、ターミナルレーダー管制室や航空局庁舎は従来の位置のままである。 A滑走路とB滑走路および[[東京都道311号環状八号線|環八通り]]に囲まれ、かつての国内線ターミナル(1993年まで)と国際線ターミナル(1998年まで)、日本航空のライン整備センターなどがあった区域に、新しい国際線旅客ターミナルビルと国際貨物ターミナル、エプロンなどを建設し、国際線地区として[[PFI]]手法を用いて整備した。2008年4月8日に起工式が行われ、2010年7月末に完成し<ref>{{Cite press release|title=東京国際空港国際線地区旅客ターミナルビル等新築工事 竣工式の実施について|date=2010-07-22|url=http://www.tiat.co.jp/pdf/2010/20100720_1jp.pdf|和書|author=東京国際空港ターミナル株式会社|accessdate=2015-12-01}}</ref>、同年10月21日に供用開始された<ref name="TIAT">{{Cite web|和書|url=http://www.tiat.co.jp/terminal/ |title=ターミナル概要 |publisher=東京国際空港ターミナル株式会社 TIAT |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tiat.co.jp/pdf/2010/20101018jp.pdf |title=東京国際空港(羽田)新国際線旅客ターミナルビル 供用開始日のご案内 |format=PDF |date=2010-10-18 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。これに伴い、10月12日に旧・P5駐車場が営業を終了し、10月20日に暫定国際線旅客ターミナルビルが閉鎖された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/information/101015.html |title=旧国際線旅客ターミナルの閉館について |publisher=日本空港ビルデング |accessdate=2015-12-01}}</ref>。 国際線旅客ターミナルビルは、5階建て延べ床面積約15万9000平方メートル(付属棟含む)のターミナルビルと6層7段の駐車場(約2300台収容、延べ床面積約67,000平方メートル)で構成される。[[空港ターミナルビル]]には、[[江戸]]の町並みを再現した商業ゾーン(4階「江戸小路」)や日本最大級の規模の[[免税店]]を設置して収益を確保する見通しである。国際旅客ターミナルビルの整備・運営は、国内線ターミナルビルを運営している日本空港ビルデングを筆頭株主とする[[特別目的会社]]「東京国際空港ターミナル株式会社 (Tokyo International Airport Terminal Corporation, TIAT)」がPFI方式で実施している。 スポットは固定スポットとオープンスポットが各々10か所設置されるのみであるうえ、旅客ターミナルビルがA滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれ、更なる拡張も難しいと考えられたことから、[[前原誠司]][[国土交通大臣]]が提唱した「羽田空港国際ハブ空港化」の実現には不十分な規模であるとの指摘もあった。 国際線ターミナルビルの開業に合わせ、同ターミナルへのアクセスとして、東京モノレール羽田線は一部ルートを変更し、ビルに隣接する形での新駅「羽田空港国際線ビル駅」を新設した。また、[[京浜急行電鉄]]空港線も、羽田空港駅 - [[天空橋駅]]間のターミナルビル地下に新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」を開業し、あわせて国内線ターミナルの最寄駅である羽田空港駅の名称を「羽田空港国内線ターミナル駅」に変更。 2011年11月16日、国内線第1旅客ターミナルビルのリニューアル工事が完了した<ref name="中期経営計画 日本空港ビルデング">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/company/ir/medium-term_management_plan/ |title=中期経営計画(2010〜2012年度)の策定について |publisher=日本空港ビルデング |date=2010-05-12 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110613073113/http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/company/ir/medium-term_management_plan/ |archivedate=2011-06-13 |deadlinkdate=2014年7月}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/files/whats_new/111109.pdf |title=羽田空港国内線 第1旅客ターミナル リニューアル工事(出発エリア・屋上エリア)完了 |publisher=日本空港ビルデング |format=PDF |date=2011-11-09 |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/company/t1_renewal/ |title=羽田空港国内線第1ターミナル 出発ゲートラウンジ内中央 商業施設エリアを一新 |publisher=日本空港ビルデング |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120228232652/http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/company/t1_renewal |archivedate=2012-02-28 |deadlinkdate=2015年12月}}</ref>。チェックインカウンターが並ぶ2階の出発ロビーの天井には、自然光を取り入れる開口部が設けられ、明るい雰囲気となった。また、保安検査場を通過した後の制限エリア内の商業施設を大幅に拡充したほか、屋上展望デッキも改装して航空機をより見やすくなるようフェンスを更新した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/travel/aviation/TKY201109150472.html |title=出発ゲート内に新商業施設 改装進む羽田空港第1ターミナル |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2015-10-26}}</ref>。 2009年10月13日、国土交通大臣だった[[前原誠司]]は、日本の地方空港から韓国[[仁川国際空港]]を経由した海外渡航が増加している現状を問題視。その原因とされている「内際分離」の原則(国際線は成田空港、国内線は羽田空港)を改め、羽田空港と成田空港を一体的に運用し、羽田空港を24時間使用可能な国際[[ハブ空港]]とする方針を明かした<ref>{{Cite news|和書 |url=http://www.asahi.com/special/hanedahub/TKY200910130028.html |title=「羽田をハブ空港に」前原国交相、原則転換を表明 |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2009-10-13 |accessdate=2023-11-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-11914020091013 |title=羽田の24時間国際ハブ空港化を進めたい=前原国交相 |publisher=[[トムソン・ロイター]] |date=2009-10-13 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。この方針を受け、新設した国際線旅客ターミナルビルを2013年度をめどに夜間駐機場として整備された北側エプロン方面へ延長増築し、搭乗口を増設する拡張計画が打ち出された<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20101026-OYT1T00650.htm |title=羽田、国際線用旅客ターミナルを再拡張へ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101026120554/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20101026-OYT1T00650.htm |archivedate=2010-10-26 |deadlinkdate=2011年10月}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://otona.yomiuri.co.jp/trip/news/101026tb01.htm |title=羽田 「新国際線旅客ターミナル」再拡張へ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-26 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101031191115/http://otona.yomiuri.co.jp/trip/news/101026tb01.htm |archivedate=2010年10月31日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 拡張部分についても[[PFI]]事業として整備され、2011年6月21日、[[国土交通省]]と[[東京国際空港ターミナル]]が国際線旅客ターミナルビル本館の改修と増築、北側エプロンへの固定スポット8か所分のサテライト増築、立体駐車場の増築、ホテルの新設を内容とする拡張計画に合意した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tiat.co.jp/pdf/2011/20110621jp.pdf |title=東京国際空港国際線旅客ターミナル拡張計画について |format=PDF |publisher=東京国際空港ターミナル |date=2011-06-21 |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://haneda.keizai.biz/headline/818/ |title=羽田国際線ターミナル拡張へ-固定ゲート8カ所増、ホテル新設も |newspaper=羽田経済新聞 |date=2011-06-21 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120119212806/http://haneda.keizai.biz/headline/818/ |archivedate=2012-01-19 |deadlinkdate=2015年12月}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY201106220198.html |title=国際線争奪さらに激化 羽田新ターミナル拡張決定 |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2011-06-22 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110625044453/http://www.asahi.com/business/topics/economy/TKY201106220198.html |archivedate=2011年6月25日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。また、2012年8月31日、国際線エプロンの増設などの拡充整備による事業契約の変更について、国土交通省[[関東地方整備局]]と羽田空港国際線エプロンPFI株式会社が変更契約を締結した<ref>{{Cite press release|title=東京国際空港国際線地区エプロン等の拡充の着手について|publisher=国土交通省関東地方整備局港湾空港部|date=2012-09-04|url=http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/kyoku/62kuukou/01apron-pfi/20120904-01.pdf|format=PDF|和書|accessdate=2015-12-01}}</ref>。 2014年3月30日、拡張部の一部が供用開始。ターミナルビルはT字状になり、延べ面積は約15万9000m<sup>2</sup>から約23万6000m<sup>2</sup>に約1.5倍拡大、固定スポット(搭乗口)が10から18、チェックインカウンターが96から144、出発保安検査場が1カ所から2カ所に増加するなどした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.haneda-airport.jp/inter/info/N0000085/20140225jp.pdf |title=東京国際空港国際線旅客ターミナル拡張部の供用開始日について |format=PDF |publisher=東京国際空港ターミナル |date=2014-02-25 |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref name="ken20143">{{cite news |title=羽田国際線ターミナルビルが1.5倍に拡張、9月にホテルも開業 |url=http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140314/655229/ |publisher=ケンプラッツ |date=2014-03-17 |accessdate=2014-03-30}}</ref>。 2014年8月28日、拡張部一般エリアが供用開始。イベントスペースや多目的ホール、レストランや物販店などの商業店舗が設けられた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.haneda-airport.jp/inter/info/N0000105/20140807.pdf |title=東京国際空港国際線旅客ターミナルビル 一般エリア拡張部諸施設の供用開始について |format=PDF |publisher=東京国際空港ターミナル |date=2014-08-07 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。 2014年9月30日、ロイヤルパークホテル ザ 羽田(現・[[ロイヤルパークホテルズ|THE ロイヤルパークホテル]] 東京羽田)開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/files/whats_new/617_0926_1043.pdf |title=羽田空港国際線旅客ターミナルに 「ロイヤルパークホテル ザ 羽田」 9月30日開業 |author=日本空港ビルデング株式会社・株式会社ロイヤルパークホテルズ アンド リゾーツ・三菱地所株式会社 |format=PDF |date=2014-09-26 |accessdate=2015-12-01}}</ref>。またホテル開業に合わせ、[[ビジネスジェット]]専用ゲートの供用が開始された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tiat.co.jp/pdf/2014/20140909jp.pdf |title=羽田空港国際線旅客ターミナル ビジネスジェット専用ゲートの供用について |format=PDF |publisher=東京国際空港ターミナル |date=2014-09-09 |accessdate=2015-05-22}}</ref>。 2009年4月、[[麻生内閣|政府]]・[[自由民主党 (日本)|与党]]が長距離国際線への対応としてC滑走路を南東(D滑走路側)へ360m延長して3,360mにする方針を固め、追加経済対策に盛り込むこととした<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090404-OYT1T00731.htm |title=羽田C滑走路延伸へ、深夜など大型欧米便可能に…政府・与党 |publisher=[[読売新聞]] |date=2009-04-04 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090408041110/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090404-OYT1T00731.htm |archivedate=2009-04-08 |deadlinkdate=2011年10月}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/politics/update/0408/TKY200904080284.html |title=新経済対策、羽田の滑走路延伸に300億円 国交省方針 |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2009-04-08 |accessdate=2015-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090412134951/http://www.asahi.com/politics/update/0408/TKY200904080284.html |archivedate=2009年4月12日 |deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。これは長距離国際線の輸送力を増強、大型機の離着陸を可能にする施策で、特に深夜早朝時間帯に就航する長距離国際線の大型化が可能となる<ref name="flyteam1">{{cite news |title=羽田空港、24時間国際線化の事業を継続 C滑走路延伸とエプロン新設など |url=http://flyteam.jp/news/article/19106 |publisher=Fly team |date=2013-01-30 |accessdate=2013-02-26}}</ref>。[[2009年]]度中に着工し、2013年度完成予定であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/000052188.pdf |title=東京国際空港C滑走路延伸事業 |format=PDF |publisher= |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/haneda_saikaku/topics/pdf/no-082..pdf |title=東京国際空港C滑走路延伸事業について |author=国土交通省関東地方整備局 東京空港整備事務所 |format=PDF |date=2011-09-30 |accessdate=2015-12-01}}</ref>が、用地内の廃棄物対策の検討に時間を要したため事業期間が約1年伸び、2014年12月11日より施設供用開始となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://response.jp/article/2014/10/17/235264.html |title=羽田空港の延長C滑走路、12月11日供用開始…地上と上空から見る[写真蔵] |publisher=レスポンス |date=2014-10-17 |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref name="kantouseibi201306">{{Cite web|和書|url=https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000080384.pdf |title=東京国際空港C滑走路延伸事業 |author=国土交通省関東地方整備局・東京航空局・気象庁 |format=PDF |date=2011-06-27 |accessdate=2015-12-01}}</ref><ref name="nikkei20141016">{{cite news |title=羽田空港、C滑走路を延長 12月11日から |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDF16H0U_W4A011C1EE8000/?bu=BFBD9496EABAB5E6B39EBBB6A5EAA4B0A5B890A488A5A6A2A59CA7B9A4F9A7818BB491E294BB858680A090F9E590E282B5A7EBA5B99BA2B8B19982E59E83BD9EA499EA939EA0E7A6AAB9B3ABE1B684B9E09EF98086E785968BEAFD9F988281B7E6BBA6B0968AA8E1B39BB891849AB8A6949586E6BDBEAAF9E2A6B78080A0A5A1B39ABBBDB9E7888BE3BDE58A98BFE7A0A6A8A5AA9785A4F9E0E79B93A1B3BABE9D9AB3A0949E8291A1A7979FEA9DF9B3BEE5A09F85E39FE198B3B8E291EBB3E680E598BC9ABB82A1FDE0F9A7EB9AE594BEB9A59BB4A1E1E391EAE3E297B68BB4BC94A4B1AAA695ABA2BBB4989E9C8788E49EA48BA48ABBE1B8E385A6A4A7E69EAAE28791E4BB8494988AEBA2BEE6B3B5AAB782A4BF878AB4B98596E386AB87BF9091B09FBEA59E8B87EB8A8A81B193A5BDBC83B1E5AABCA8B7978A9FEBEBE7B18185B1B697A19C9CBEAAE4BB9FFDA78A81B68485E486978AE4848AE4B0B5B4F9919A9886FDB7A4ABB59697EF |publisher=日本経済新聞社 |date=2014-10-16 |accessdate=2014-12-15}}</ref>。 === 旧空港跡地 === [[2008年]](平成20年)3月、[[国土交通省]]、東京都、大田区、[[品川区]]による羽田空港移転問題協議会は、羽田空港の沖合展開事業及び再拡張事業の結果として発生した跡地について、「羽田空港跡地利用基本計画」を策定し<ref>[https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/12/120328_3_.html 羽田空港跡地利用基本計画のとりまとめについて] - 国土交通省 平成20年3月28日</ref>、[[2010年]](平成22年)10月には、それを具体化した「羽田空港跡地まちづくり推進計画」をとりまとめた<ref>[https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/haneda_airport/kukoatochi/suishinkeikaku.html 羽田空港跡地まちづくり推進計画(平成22年10月)] - 東京都大田区 2016年7月15日</ref>。 政府は、羽田空港周辺を訪日客の受け入れ拡大や国際競争力の強化を目指し[[国家戦略特区]]に認定し<ref name="y20221012">「ホテル 民泊 いざ商機 個人訪日解禁 需要回復へ準備着々」『読売新聞』都民板 33頁 2022年10月12日</ref>、この地域は「HANEDA GLOBAL WINGS」と名付けられ<ref>[https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/haneda_airport/kukoatochi/hanedakuukouatoti_sinmeisyou.html 「羽田空港跡地」に代わるエリアの名称を「HANEDA GLOBAL WINGS」に決定しました] - 東京都大田区 2020年2月10日</ref>、第1ゾーンには羽田みらい開発<ref group="注">[[鹿島建設]]、[[大和ハウス工業]]、[[京浜急行電鉄]]、[[日本空港ビルデング]]、[[空港施設 (企業)|空港施設]]、[[東日本旅客鉄道]]、[[東京モノレール]]、[[野村不動産パートナーズ]]、[[富士フイルム]]が出資。</ref>が「[[HANEDA INNOVATION CITY]]」<ref>{{cite news |title=鹿島、羽田の再開発施設 7月3日一部オープン |author= |agency= |publisher=日本経済新聞 |date=2020-6-17 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60452630X10C20A6XQ1000/ |accessdate=2023-2-4}}</ref>、第2ゾーンにあたる当地区には外国人観光客の増加を見込んだ住友不動産グループが「羽田エアポートガーデン」を整備した<ref name="y20221012" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sumitomo-rd.co.jp/uploads/20191210_release_haneda-airport-garden-_happyou.pdf |title=2020年春開業 国家戦略特区 羽田空港直結“オールインワン・ホテル”「羽田エアポートガーデン」プロジェクト発表 |format=PDF |publisher=羽田エアポート都市開発株式会社 |date=2019-12-10 |accessdate=2019-12-17}}</ref>。 羽田エアポートガーデンは、地上12階建て、延床面積は約9万1500平方メートル。ホテル([[住友不動産ヴィラフォンテーヌ|ヴィラフォンテーヌプレミア/グランド羽田空港]])、商業施設、温浴施設、[[MICE|MICE施設]]([[ベルサール]])、[[バスターミナル]]などを備えた。当初は、[[2020年]](令和2年)4月19日の開業を予定していた。しかし、[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行]]の影響で延期となり、[[2023年]](令和5年)1月31日に全面開業を迎えた<ref name="sumitomo220116">[https://www.sumitomo-rd.co.jp/uploads/20221006_release_haneda-airportgarden_shidou.pdf 羽田空港第3ターミナル(国際線)直結のオールインワン・ホテル『羽田エアポートガーデン』始動] - 住友不動産 2022年10月6日</ref><ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000089.000062100.html 「ここは、新しい羽だ。」羽田空港第3ターミナル国際線直結の複合施設『羽田エアポートガーデン 』全面開業 ] - PR TIMES 2023年1月31日</ref>。なお、羽田エアポートガーデンの開業によって、約80年ぶりに羽田の地に「温泉([[塩化物泉]]・[[日本の温泉地一覧|羽田空港泉天空温泉]])」が復活することになった。 なお、施設開業に先行して、2022年3月12日には羽田エアポートガーデン付近から対岸の[[川崎市]][[殿町 (川崎市)|殿町]]地区「[[キングスカイフロント]]」とを結ぶ「[[多摩川スカイブリッジ]]」も新たに開通している<ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1336377.html 羽田空港~川崎を結ぶ新たな橋の名前は「多摩川スカイブリッジ」に。年度内開通目指す羽田連絡道路] - トラベル Watch 2021年7月6日</ref>。 == 沿革 == * [[天明]]年間([[1780年代]]頃) - '''[[武蔵国]][[荏原郡]][[本羽田|羽田村]]'''東方の'''羽田浦'''と呼ばれていた低湿地帯を、[[羽田 (大田区)|羽田猟師町]]の[[名主]]鈴木弥五右衛門が譲り受け、[[新田]]の開発を始め、'''扇ヶ浦'''や'''要島'''などと呼ばれるようになる。 *[[1815年]]([[文化 (元号)|文化]]12年) - 近在農村の[[分家]]層でとくに[[大森 (大田区)|大森]]村からの出百姓らが居住するようになり、新田としての形態が整えられた<ref name="名前なし-20231105130951"/>。 *[[1829年]]([[文政]]12年) - 羽田猟師町から分けられて「'''[[鈴木新田 (大田区)|鈴木新田]]'''」と名付けられる。 *[[1868年]][[8月17日]]([[慶応]]4年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - 明治維新に伴い、[[武蔵知県事]]の管轄となる。 *[[1869年]]3月([[明治]]2年2月) - '''[[品川県]]'''の管轄となる。 *[[1871年]][[8月29日]](明治4年7月14日)- 廃藩置県により、行政区画としての[[品川県]]の管轄となる。 **[[12月25日]](明治4年11月14日) - '''[[東京府]]'''の管轄となる。 *[[1878年]](明治11年)[[11月2日]] - [[郡区町村編制法]]の東京府での施行により、行政区画としての荏原郡の管轄となる。 *[[1885年]](明治18年)[[11月26日]] - 鈴木新田[[鎮守神|鎮守]]の穴守稲荷神社が公認の神社となり、以後鳥居前町として発展する。 *[[1889年]](明治22年)[[5月1日]] - [[町村制]]の施行により、東京府荏原郡[[糀谷|麹谷村]]・[[萩中|萩中村]]・[[羽田 (大田区)|羽田猟師町]]・[[本羽田|羽田村]]と[[明治の大合併|合併]]し、東京府荏原郡'''[[羽田町|羽田村]][[大字]]'''鈴木新田となる。 *[[1894年]](明治27年) - [[冷鉱泉|ナトリウム冷鉱泉]]が湧出し、以後[[温泉街|鉱泉宿街]]としても発展する<ref name="名前なし_2-20231105130951"/>。 *[[1899年]](明治32年) - 「稲荷道」と通称される5町程の海老取川から穴守稲荷神社の南側に至る新道が開かれる。 *[[1901年]](明治34年) - [[中央新聞社]]主催の東日本の避暑地「畿内以東十六名勝」のコンクールで「府下羽田穴守境内」が1位になる *[[1902年]](明治35年)[[6月28日]] - [[京浜電気鉄道]][[穴守線]]([[京急蒲田駅|蒲田駅]] - 初代[[穴守駅]])開通する。 *[[1907年]](明治40年)[[10月4日]] - 羽田村が町制施行して、東京府荏原郡'''羽田町'''大字鈴木新田となる。 *[[1909年]](明治42年)[[4月4日]] - [[羽田運動場]]が置かれる。 *[[1911年]](明治44年)7月5日 - 羽田海水浴場が開設される。 **[[11月18日]]・[[11月19日|19日]] - 羽田運動場で[[国際オリムピック大会選手予選会]]が開かれる<ref>{{Cite book|和書|author=川本信正|authorlink=川本信正|chapter=本会の創立|title=日本体育協会五十年史|publisher=日本体育協会|date=1963-10-01|pages=14-15}}{{全国書誌番号|65002514}}</ref>。 *[[1913年]]([[大正]]2年)[[12月31日]] - 京浜穴守線が鈴木新田内まで延伸し[[穴守駅]]が当地に置かれる。 *[[1917年]](大正6年) - [[日本飛行学校]]が置かれる。 *[[1923年]](大正12年)[[9月1日]] - [[関東大震災]]により、羽田運動場護岸施設などが被害を受ける。 *[[1929年]]([[昭和]]4年) - 穴守稲荷神社が昭和の[[御大典]]を機に村社へ昇格し、名実ともに鈴木新田の鎮守となる。同年10月には、京浜電鉄の重役が穴守稲荷神社一の大鳥居として朱鳥居(後の羽田空港に残された大鳥居)を穴守駅前に奉納した。 * [[1931年]](昭和6年)[[8月25日]] - [[東京飛行場]]'''[[東京飛行場]]'''が開港。 * [[1932年]](昭和7年)[[10月1日]] - 羽田町が[[東京市]]に編入され、東京府'''東京市[[蒲田区]]羽田穴守町'''・'''羽田江戸見町'''・'''羽田鈴木町'''・'''羽田御台場・鈴木御台場'''に分割・改称される<ref>[{{NDLDC|1881037/324}} 東京市新區町名地番表] - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー</ref>。なお、当初は[[大森町 (東京府)|大森町]]・[[入新井町]]・羽田町で[[大森区]]となる予定であった。 *[[1938年]](昭和13年)[[2月7日]] - 羽田運動場を廃場し、東京飛行場が拡張される。 *[[1937年]](昭和12年) - 羽田競馬場が廃場。 *[[1941年]](昭和16年)[[10月1日]] - [[茨城県]][[霞ヶ浦]]より[[海軍航空隊]]の一部が飛行機20機・[[士官]]70人・[[兵士|兵員]]1250人の東京分遣隊として東京飛行場に移される。 *[[1942年]](昭和17年) - 羽田穴守海水浴場の営業が中止となる。 *[[1944年]](昭和19年) - [[洲崎 (東京都)|洲崎]]の遊郭関係者が移転し、[[赤線|特殊飲食街]]が新たに誕生する。 *[[1943年]](昭和18年)[[7月1日]] - 東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。'''[[東京都]]'''蒲田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となる。 *[[1945年]](昭和20年)[[4月15日]] - [[東京大空襲|城南京浜大空襲]]により[[羽田]]全域の3分の2が焼け野原になる。 **[[9月13日]] - 東京飛行場が連合国軍が使用する基地となり、'''''Haneda Army Airbase'''''(ハネダ・アーミー・エアベース)と改称される。 **[[9月21日]] - [[海老取川]]以東の一帯が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により接収され、穴守稲荷神社旧一の大鳥居を残して、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の各種施設や住民約1200世帯が強制退去させられる。 **11月 - アメリカ軍808飛行場建設部隊による空港拡張工事が本格的に開始される。 *[[1946年]](昭和21年)6月 - 旧A滑走路(2000 m×45 m)と旧B滑走路(1650 m×45 m)が完成する。 *[[1947年]](昭和22年)[[3月15日]] - 蒲田区が[[大森区]]と合併し、東京都'''大田区'''羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となる。 *[[1950年]](昭和25年)[[7月1日]] - [[東京中央郵便局]]羽田飛行場分室が、羽田飛行場内に設置される<ref>同年6月22日、[[郵政省]][[告示]]第190号「東京中央郵便局羽田飛行場分室設置」</ref>。 *[[1951年]](昭和26年) - 羽田航空測候所が設置される。 **[[8月23日]] - 東京中央郵便局羽田飛行場分室が、一時閉鎖となる<ref>同年9月4日、郵政省告示第329号「東京中央郵便局羽田飛行場分室の一時閉鎖」</ref>。 *[[1952年]](昭和27年) - 羽田航空測候所が羽田航空地方気象台に改組される。 **[[4月9日]] - 東京中央郵便局羽田飛行場分室が、廃止となる<ref>同年5月19日、郵政省告示第161号「郵便局分室廃止(東京中央郵便局羽田飛工場分室)」</ref>。 **[[4月10日]] - 東京中央郵便局羽田局が、羽田江戸見町羽田飛行場内に設置される<ref>同日、郵政省告示第100号「郵便局に関する件」</ref>。 **7月1日 - 滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され、'''東京国際空港'''に改称される。これにあわせて、[[空港]]内の[[警察]]業務のため、[[蒲田警察署]]からの配員によって東京国際空港警戒配置箇所が配置される。 *[[1955年]](昭和30年)[[5月17日]] - 東京国際空港の新ターミナルビルが建設され、屋上に穴守稲荷神社空港分社が創建された。 **[[9月7日]] - 東京国際空港警戒配置箇所が東京国際空港[[警備派出所]]と改称 *[[1956年]](昭和31年)[[1月22日]] - 東京中央郵便局羽田分局が、廃止となる<ref>同年1月23日、郵政省告示第77号「東京中央郵便局羽田分局を廃止した件」</ref>。 *[[1957年]](昭和32年) - 羽田航空地方気象台が東京航空地方気象台に名称変更される。 *[[1958年]](昭和33年)6月 - 東京国際空港が日本国政府に全面返還される。 **[[7月22日]] - 東京国際空港[[警備派出所]]が蒲田警察署羽田空港支所となる。 * [[1960年]][[4月1日]] - 蒲田警察署羽田空港支所が東京空港警察署として昇格。 *[[1963年]](昭和38年)[[7月11日]] - [[財団法人]][[日本航空協会]](当時)の[[航空神社 (東京都港区)|航空神社]]より[[分霊]]を[[勧請]]し、[[羽田航空神社]]が創建された。 * [[1964年]](昭和39年)8月 - [[首都高速1号羽田線]]空港出入口(後の[[空港西出入口]])が開設される。 **[[9月17日]] - [[東京モノレール羽田空港線|東京モノレール羽田線]]羽田駅([[天空橋駅]]の前身)が開業。 *[[1966年]](昭和41年)3月 - 2月及び3月に立て続けに起こった[[全日本空輸]]と[[カナダ太平洋航空]]の羽田空港付近での飛行機大事故を受けて、当時の[[中村寅太]][[運輸大臣]]や[[瀬戸山三男]][[建設大臣]]なども賛同し、空港内に穴守稲荷神社を復興する計画が立てられた。 *[[1967年]](昭和42年)[[3月20日]] - 羽田整備場駅(後の[[整備場駅]])が開業。 *[[1967年]](昭和42年)5月1日 - [[住居表示]]が実施され、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・鈴木御台場・羽田御台場及び猟師町御台場が、東京都大田区'''羽田空港一丁目'''および'''二丁目'''になる<ref name=":7">同年5月24日、[[自治省]]告示第103号「住居表示が実施された件」</ref>。 *[[1984年]](昭和59年)1月 - 羽田空港東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張する'''沖合展開事業'''(通称: '''沖展''')が着工される。 **[[2月1日]] - [[東京鉄道郵便局]]東京空港分局が、二丁目(東京空港局内)に置かれる<ref>同年1月14日、郵政省告示第19号「郵便局分局を設置する件」</ref>。 *[[1985年]](昭和60年)[[7月1日]] - 東京空港郵便局が廃止される<ref>同年6月25日、郵政省告示第473号「郵便局及び郵便局分局を廃止する件」</ref>。羽田空港郵便局が、二丁目に置かれる<ref>同年6月25日、郵政省告示第472号「特定郵便局長を長とする郵便局を設置する件」</ref>。 *[[1986年]](昭和61年)4月 - [[第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地]]設置 ** [[10月1日]] - 東京鉄道郵便局東京空港分局が廃止される<ref>同年9月10日、郵政省告示第711号「郵便局に関する件」</ref>。二丁目に東京輸送郵便局東京空港センターが置かれる<ref>同年9月10日、郵政省告示第712号「郵便局に関する件」</ref>。 *[[1989年]]([[平成]]元年)[[6月28日]] - 一丁目に羽田整備場駅前郵便局が置かれる<ref>同年6月1日、郵政省告示第354号「郵便局に関する件」</ref>。 *[[1990年]](平成2年)[[8月6日]] - 二丁目4-7に羽田郵便局が置かれる<ref>同年8月1日、郵政省告示第474号「郵便局に関する件」</ref>。東京輸送郵便局東京空港センターが廃止される<ref>同年8月1日、郵政省告示第475号「郵便局に関する件」</ref>。 *[[1993年]](平成5年)4月1日 - [[京急空港線]]羽田駅(後の天空橋駅)が開業。 ** 7月1日 - 住居表示を実施し'''羽田空港三丁目'''を設置<ref name=":8">1994年(平成6年)1月24日、[[総務省]]告示第7号「住居表示が実施された件」</ref>。 ** [[9月27日]] - 羽田空港新国内線ターミナルビル(現・第1旅客ターミナルビル、愛称・'''ビッグバード''')が供用開始。東京モノレール[[新整備場駅]]および羽田空港駅(後の[[羽田空港第1ターミナル駅]])が開業。[[首都高速湾岸線]][[空港中央出入口]]が開設される。羽田郵便局が三丁目へ移転する<ref>同年9月24日、郵政省告示第493号「郵便局に関する件」</ref>。羽田空港郵便局が三丁目へ移転する<ref>同年11月4日、郵政省告示第562号「郵便局に関する件」</ref>。 * [[1994年]](平成6年)[[12月21日]] - [[多摩川トンネル]]が供用開始となる。 * [[1998年]](平成10年)[[11月18日]] - 京急空港線羽田空港駅(後の[[羽田空港第1・第2ターミナル駅]])が開業。 * [[1999年]](平成11年)[[7月22日]] - ユーティリティセンタービル内郵便局を三丁目5-10へ設置する<ref>同年7月8日、郵政省告示第505号「郵便局に関する件」</ref>。 * [[2002年]](平成14年)10月1日 - 羽田郵便局が廃止となる<ref>同年9月26日、[[郵政事業庁]]告示第316号「郵便局に関する件」</ref>。 * [[2004年]](平成16年)[[12月1日]] - 羽田空港第2旅客ターミナルビルが供用開始。羽田空港第2ビル駅(後の[[羽田空港第2ターミナル駅]])が開業。 * [[2010年]](平成22年)[[10月21日]] - D滑走路・国際線地区が供用開始。羽田空港国際線ターミナル駅および羽田空港国際線ビル駅(いずれも後の[[羽田空港第3ターミナル駅]])が開業。 * [[2011年]](平成23年)[[11月30日]] - 羽田空港船着場が開設される。 * [[2012年]](平成24年)[[3月31日]] - ユーティリティセンタービル内郵便局が廃止となる<ref>[http://www.post.japanpost.jp/notification/storeinformation/detail/index.php?id=1412 廃止:ユーティリティセンタービル内郵便局(東京都)]</ref>。 * [[2020年]]([[令和]]2年)[[7月3日]] - 「[[HANEDA INNOVATION CITY]]」一部施設が先行開業 ** [[7月18日]] - Zepp Haneda(TOKYO)開業。 ** 9月18日 - 「HANEDA INNOVATION CITY」が正式に開業。 * [[2022年]](令和4年)[[3月12日]] - 二丁目と多摩川を隔てた[[神奈川県]][[川崎市]][[川崎区]][[殿町 (川崎市)|殿町]]を結ぶ[[多摩川スカイブリッジ]]が開通。 ** 12月21日 - 「[[HANEDA INNOVATION CITY|羽田エアポートガーデン]]」一部施設が先行開業。 * [[2023年]](令和5年)1月31日 - 「[[HANEDA INNOVATION CITY|羽田エアポートガーデン]]」が全面開業。 == 町名の変遷 == {| class="wikitable" |- !実施後 !実施年月日 !実施前(いずれも[[羽田町]]) |- |羽田鈴木町 |rowspan="6"|1932年10月1日 |大字鈴木新田字宮ノ下・字鈴納耕地・字巽ノ方・字明神崎・字辰巳之方・字堤外東南 |- |羽田穴守町 |大字鈴木新田字東崎・字堤外東北・字堤外乾績 |- |羽田江戶見町 |大字鈴木新田字江戶見崎・字江戶見崎北ノ方 |- |羽田御臺場 |大字羽田字御臺場 |- |鈴木御臺場 |大字鈴木新田字辰巳島・字御臺場・字御臺場耕地績中堤防ノ内・字御臺場耕地績中堤防外北ノ方・字御臺場耕地 |- |獵師町御臺場 |大字羽田獵師町字御臺場 |} {| class="wikitable" |- !実施後 !実施年月日 !実施前 |- |! nowrap|羽田空港一丁目 |! nowrap rowspan="2"|[[1967年]][[5月1日]] |羽田江戸見町の一部、羽田鈴木町の一部、羽田穴守町の一部 |- |羽田空港二丁目 |羽田御台場、猟師町御台場、鈴木御台場、羽田江戸見町の一部、羽田鈴木町の一部、羽田穴守町の一部 |- |羽田空港三丁目 |[[1993年]][[7月1日]] |京浜八区B区、京浜九区A区、京浜九区B区第一工区、京浜九区B区第二工区、羽田沖埋立地第一工区、羽田沖埋立地第二工区A区、羽田沖埋立地第二工区B区、羽田沖埋立地第三工区A区イ区、羽田沖埋立地第三工区A区ロ区、羽田沖埋立地第三工区B区イ区、羽田沖埋立地第三工区B区ロ区、羽田沖埋立地第三工区C区、羽田沖埋立地第三工区D区イ区、羽田沖埋立地第三工区E区、羽田沖埋立地第四工区A区イ区、羽田沖埋立地第四工区A区ロ区、羽田沖埋立地第四工区B区イ区、羽田沖埋立地第四工区B区ロ区、羽田沖埋立地第四工区B区ハ区、羽田沖埋立地第四工区B区ニ区、羽田空港二丁目南東側地先公有水面、羽田空港二丁目地先国有水没地、羽田空港三丁目地先公有水面羽田沖埋立地第四工区B区ホ区、羽田沖その三埋立地第一工区、羽田空港二丁目東側地先公有水面羽田沖その三埋立地第二工区 |} == 人口 == 戦前は1200世帯3000人の住民がいたが、戦後の連合国軍による強制接収以降は、0人となった。その後、羽田空港一丁目に全寮制の[[航空保安大学校]]が創設され、寮生160人前後の住民がいた。しかし、[[2008年]](平成20年)3月に同校が[[大阪府]][[泉佐野市]]に移転したため、人口は再び0人となった。それから現在に至るまで、羽田空港の人口は常に0人である<ref>[http://www.city.ota.tokyo.jp/kuseijoho/suuji/jinkou/setai_jinkou/index.html 世帯と人口] 大田区</ref>。 == 学区 == 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)<ref name="school_e">{{Cite web |url=https://www.opendata.metro.tokyo.lg.jp/ootaku/131113_shougakkou_tsuugakukuiki.xlsx|format=XLSX|title=区立小学校通学区域一覧|quote=[https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t131113d0000000013 (ファイル元のページ)]|publisher=大田区|date=2023-03-30|accessdate=2023-12-16}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref><ref name="school_jh">{{Cite web |url=https://www.opendata.metro.tokyo.lg.jp/ootaku/131113_chuugakkou_tsuugakukuiki.xlsx|format=XLSX|title=区立中学校通学区域一覧|quote=[https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t131113d0000000014 (ファイル元のページ)]|publisher=大田区|date=2023-03-30|accessdate=2023-12-16}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref>。ただし、住民不在のため、実際には通学する児童・生徒はいない。 {| class="wikitable" !丁目!!番地!!小学校!!中学校 |- ||羽田空港一丁目||全域||rowspan=3|[[大田区立羽田小学校]]||rowspan=3|[[大田区立羽田中学校]] |- ||羽田空港二丁目||全域 |- ||羽田空港三丁目||全域 |} == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!!事業所数!!従業員数 |- |羽田空港一丁目 |style="text-align:right"|118事業所 |style="text-align:right"|4,536人 |- |羽田空港二丁目 |style="text-align:right"|159事業所 |style="text-align:right"|4,728人 |- |羽田空港三丁目 |style="text-align:right"|403事業所 |style="text-align:right"|44,306人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|680事業所 |style="text-align:right"|53,570人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=1000 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727448|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=603 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068157|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=680 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=60000 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=53,723 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=53,570 }} == 交通 == === 鉄道 === * [[京急空港線]] *:- [[天空橋駅]] - [[羽田空港第3ターミナル駅]] - [[羽田空港第1・第2ターミナル駅]] * [[東京モノレール羽田空港線]] *:- [[整備場駅]] - 天空橋駅 - [[羽田空港第3ターミナル駅]] - [[新整備場駅]] - [[羽田空港第1ターミナル駅]] - [[羽田空港第2ターミナル駅]] === バス === {{See|東京国際空港#路線バス|整備場駅#バス路線|天空橋駅#バス路線}} === 道路 === * [[首都高速湾岸線]] - [[空港北トンネル]]・[[空港中央出入口]]・[[湾岸環八出入口]]・[[多摩川トンネル]] * [[首都高速1号羽田線]] - [[羽田トンネル]]・[[羽田可動橋]]・[[空港西出入口]] * [[国道131号]] * [[国道357号]]([[東京湾岸道路]]) * [[東京都道311号環状八号線]] == 施設 == * [[東京国際空港|東京国際空港(通称・羽田空港)]] * [[東京空港警察署]] * [[第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地]] * [[東京航空地方気象台]] * [[日本航空安全啓発センター]] * [[HANEDA INNOVATION CITY]] * [[穴守稲荷神社]]旧一の大鳥居 - 現在でも日本航空メインテナンスセンターや三愛オブリ株式会社等の敷地内に穴守稲荷神社の分社がある。 * [[羽田航空神社]] * [[羽田エアポートガーデン]] == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 144-0041{{r|postal}}(集配局 : [[蒲田郵便局]]<ref>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-10-28}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[穴守稲荷神社]] == 外部リンク == * [http://www.city.ota.tokyo.jp/ 大田区 公式サイト] {{ja icon}} {{Geographic Location |Centre = 羽田空港 |North = [[京浜島]] |Northeast = |East = ([[東京湾]]) |Southeast = |South = [[川崎市]][[川崎区]][[浮島町 (川崎市)|浮島町]] |Southwest = [[川崎市]][[川崎区]][[殿町 (川崎市)|殿町]] |West = [[東糀谷]]<br />[[羽田旭町]]<br />[[羽田 (大田区)|羽田]] |Northwest = [[昭和島]]<br />[[大森南]] |image = }} {{大田区の町名}} {{DEFAULTSORT:はねたくうこう}} [[Category:大田区の町名]] [[Category:東京国際空港]] [[Category:羽田]] [[Category:1967年制定の町・字]] <references group="注釈" />
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芸術家
芸術家(げいじゅつか)とは、芸術作品を創作・創造し、表現する人。アーティスト、アーチスト(英: artist)とも呼ばれる。 日本語の「芸術家」と英語の「artist」には、若干の含みの違いがある。 後述する各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられるが、絵のほかに彫刻や建築デザインなど、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。芸術活動への支援者(パトロン)から援助を受けている人、商業芸術(英語版)作品の収益を主たる収入源とする人の他にも、兼業で活動を行う人、前衛芸術(アバンギャルド)活動等を行い必ずしも生前に作品の真価が認められない人、あるいは土器などの民芸や、一般に純粋美術(ファインアート)とみなされないアウトサイダー・アートを作る人々を含むなど、時代を経るごとにその活動は多様な概念を包摂し続けている。 Feist(1999)は、経験に開かれている、衝動性が高い、意欲的で野心が強い、自立心があり、内向的で反抗心を持っている、打ち解けにくい態度を示す、などが科学者とアーティストに共通するパーソナリティ特性であると明らかにした。また、Feistによれば、空想志向、秩序の欠如、暖かみや親しみやすさがない、不安傾向が高い、情緒的に敏感、規範を疑う傾向などがアーティストに固有のパーソナリティとして挙げられるという。
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芸術家(げいじゅつか)とは、芸術作品を創作・創造し、表現する人。アーティスト、アーチストとも呼ばれる。 日本語の「芸術家」と英語の「artist」には、若干の含みの違いがある。 後述する各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられるが、絵のほかに彫刻や建築デザインなど、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。芸術活動への支援者(パトロン)から援助を受けている人、商業芸術作品の収益を主たる収入源とする人の他にも、兼業で活動を行う人、前衛芸術(アバンギャルド)活動等を行い必ずしも生前に作品の真価が認められない人、あるいは土器などの民芸や、一般に純粋美術(ファインアート)とみなされないアウトサイダー・アートを作る人々を含むなど、時代を経るごとにその活動は多様な概念を包摂し続けている。 Feist(1999)は、経験に開かれている、衝動性が高い、意欲的で野心が強い、自立心があり、内向的で反抗心を持っている、打ち解けにくい態度を示す、などが科学者とアーティストに共通するパーソナリティ特性であると明らかにした。また、Feistによれば、空想志向、秩序の欠如、暖かみや親しみやすさがない、不安傾向が高い、情緒的に敏感、規範を疑う傾向などがアーティストに固有のパーソナリティとして挙げられるという。
{{Redirectlist|''アーチスト''|[[医薬品]]|カルベジロール}} {{Redirectlist|''アーティスト''|その他の用法|アーティスト (曖昧さ回避)}} {{複数の問題 |出典の明記 = 2020年12月24日 19:06 (UTC) |独自研究 = 2020年12月24日 19:06 (UTC)}} '''芸術家'''(げいじゅつか)とは、[[芸術]]作品を[[創作]]・[[創造]]し、[[表現]]する人<ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%AE%B6-488735 コトバンク]、小学館『デジタル大辞泉』「芸術家」、『精選版 日本国語大辞典』「芸術家」</ref><ref group="注釈">[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]や[[宮沢賢治]]のように必ずしも生前に自身の芸術活動を主な収入源とする人を指すとは限らない。</ref>。'''アーティスト'''、'''アーチスト'''({{lang-en-short|artist}})とも呼ばれる。 {{要出典範囲|date= 2020年12月24日 (木) 19:06 (UTC)|日本語の「芸術家」と英語の「{{lang|en|artist}}」には、若干の含みの違いがある}}。 後述する各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば絵だけで表現する人に対しては「[[画家]]」という肩書きが用いられるが、絵のほかに[[彫刻]]や建築[[デザイン]]など、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。芸術活動への支援者([[パトロン]])から援助を受けている人、{{仮リンク|商業芸術|en|commercial art}}作品の収益を主たる収入源とする人の他にも、[[兼業]]で活動を行う人、[[前衛]]芸術([[アバンギャルド]])活動等を行い必ずしも生前に作品の[[真価]]が認められない人、あるいは[[土器]]などの[[民芸]]や、一般に[[純粋美術]]([[ファインアート]])とみなされない[[アウトサイダー・アート]]を作る人々を含むなど、時代を経るごとにその活動は多様な概念を包摂し続けている。 Feist(1999)は、経験に開かれている、衝動性が高い、意欲的で野心が強い、自立心があり、内向的で反抗心を持っている、打ち解けにくい態度を示す、などが[[科学者]]とアーティストに共通するパーソナリティ特性であると明らかにした<ref name="Feist">{{Cite journal|author=Feist, G. J.|title=The influence of personality on artistic and scientific creativity.|journal=Handbook of creativity|pages=273–296|publisher=Cambridge University Press|year = 1999| url = https://www.researchgate.net/publication/246468067_Influence_of_Personality_on_Artistic_and_Scientific_Creativity | accessdate = 2021-09-30 }}</ref>。また、Feistによれば、空想志向、秩序の欠如、暖かみや親しみやすさがない、不安傾向が高い、情緒的に敏感、規範を疑う傾向などがアーティストに固有のパーソナリティとして挙げられるという<ref name="Feist"></ref>。 == 芸術家の種類 == * [[作家]]・[[クリエイター]]・[[クリエイティブディレクター]]・[[アートディレクター]]・[[漫画家]]・[[アニメーター]] ** [[美術家]] *** [[版画家]]・[[彫刻家]]・彫工/彫物師・[[造形作家]]・[[陶芸家]]・[[工芸家]] *** [[画家]]・[[書道家]]・[[建築家]]・[[写真家]]・[[デザイナー]] *** [[宝飾]]家・[[篆刻家]]・[[染織家]] ** [[著作家]] *** [[評論家]]・[[批評家]]・[[小説家]]・[[詩人]]・[[歌人]]/[[俳諧師]] ** [[映像作家]]・[[劇作家]] *** [[映画監督]] * [[音楽家]] ** [[作詞家]] ** [[作曲家]] ** [[演奏家]] ** [[歌手]]/[[ディーヴァ (オペラ)|ディーヴァ]]<ref group="注釈">歌手のうち、自分で作詞や作曲を行う者[[シンガーソングライター]]や音楽クリエイター、[[ミュージシャン]]を「アーティスト」呼称する事がある。</REF> * [[舞踊家]]・[[舞踏家]]・[[ダンサー]]・[[パフォーマー]] * [[能楽師]]・[[狂言師]]・神楽師・浄瑠璃師・田楽師・雅楽師・舞楽師・猿楽師 * [[歌舞伎役者]]・舞楽師・邦楽家・箏曲師・[[講談師]]・[[花火師]]・[[奇術師]] * [[造園家]]/[[作庭家]] * [[茶道家]] * [[華道家]] * [[美容師]] * アーティスト/[[女性アーティスト]] ** [[フラワーアーティスト]]・[[ヘアメイクアーティスト]]・[[メイクアップアーティスト]] ** [[コンテンポラリー・アーティスト]]・[[ネイルアーティスト]]・[[プロップアーティスト]] ** [[タイダイアーティスト]]・[[バーレスクアーティスト]] ** [[大道芸人]]([[ヘブンアーティスト]])/[[バルーンアーティスト]] ** からくり師・[[キネティック・アート|キネティック・アーティスト]] * [[スタイリスト]] == 芸術家の一覧 == * [[美術家の一覧]] * [[画家の一覧]] * [[小説家一覧]] * [[詩人一覧]] * [[音楽家の一覧]] * [[作曲家一覧]] * [[作詞家一覧]] * [[写真家一覧]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[人間国宝]] * [[名工]] {{artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けいしゆつか}} [[Category:芸術家|*]] [[Category:職業]]
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4,193
ニュースキャスター
ニュースキャスターとは、報道番組に出演してニュースを紹介しながら司会・進行する、役割の呼称または職業である。 ニュースキャスターとは、放送メディアで報道番組に出演し、番組全体または特定のコーナーを、ニュースを紹介しながら司会・進行する役割の日本独自の呼称、または職業である。定義や呼称は国や地域、番組によって様々である。番組制作への関与の度合いにおいて、文化圏や個人の信条により差異が見られる。 番組の出演者はニュースキャスター一人の場合もあるが、規模の大きな番組では複数キャスター制を採ったり、コメンテーターやアナウンサーを伴ったりする場合もある。ニュースの読み上げはニュースキャスターかアナウンサーが行う。ニュースに対してのコメントや解説はニュースキャスターかコメンテーターが行う。番組にゲストとして話題の人物が招かれ、ニュースキャスターがインタビューすることもある。 同じような時間帯の報道番組を比較すると、ニュースのラインナップは似たようなものになりがちである。番組タイトルやスタジオの造り、ニュースの切り口、特集、スクープなどで違いを出せるが、最も他との差別化を果たしうるものの一つは、個性あるニュースキャスターの存在であろう。ニュースキャスターに寄せる信頼感・安心感・好意は、視聴者・聴取者がチャンネルを選択する動機となるので、放送局は人気・実力のあるニュースキャスターの獲得に躍起になる。TBS『筑紫哲也 NEWS23』や『NBC Nightly News with Brian Williams』(ブライアン・ウィリアムズのNBCナイトリーニュース)のように、タイトルにニュースキャスターの名前を含め、明確にニュースキャスターの個性を前面に出している番組もある。 アメリカではかつて、アンカーがニュースに対する私見を述べる/述べないについて、アンカーの行動は二手に別れた。番組の終わりにコラムコーナーを設けていた代表的なアンカーにエドワード・マローが、逆にコメントは徹底的に避けるべきとした意見の象徴にウォルター・クロンカイトがおり、クロンカイトの「戦争継続反対」発言(1968年)とそれを一つの要因とするジョンソン大統領の再選出馬断念という一連の経緯が有名。コメントを行わない主義であっても、ゲストを起用したり、番組の構成に微妙なアクセントをつけることで無言のうちに自身の意見を示唆するという手法がある。 ニュースキャスターにはジャーナリスティックな資質が不可欠であり、木村太郎はニュースキャスターをゲートキーパー、つまり「情報の交通整理員」と表現した。番組出演中は、例えば現地中継のリポーターやゲストに的確な質問をぶつけて情報を引き出す場面や、臨時ニュースが入ってきて情報が錯綜しているときに、視聴者・聴取者が混乱しないように情報の真偽を見極めつつ整理しながら伝える場面などで、ニュースの背景についての理解と判断力が問われる。また、ニュースキャスターによっては現地から番組を進行したり、リポートを行う場合がある。アメリカを典型として、国によってはニュースキャスターは番組出演のほかに、ニュースの取材・編集や番組構成にも影響を及ぼし、編集権を有している。そのことで、原稿の修正を求めたり、放送させないことも出来る。編集権など権限を有する場合、報道記者として長年経験を積んだ経歴を持つ。 報道番組への登板を機にそれまで出演していたバラエティ番組やCMを降板し、仕事をほぼニュースキャスター業一本に絞るようになる者も存在する。この理由としては「ニュースキャスターのイメージ厳守」等がある。また、先進国ではニュースキャスターは基本的にCM出演は行わない。これは報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、日本においてはみのもんたやラサール石井、夏目三久などの例外もある。 職業の性質上、ニュースキャスターにはクリーンな印象が重要視される。本人並びに身内に不祥事があった場合、担当番組からの降板が避けられない事態になることもある。 ニュースキャスターは、通常「アンカーパーソン(英語: anchorperson)」(a person who reads the news and introduces the reports of other broadcasters on a television news program.)と言う。「アンカー」とは船の錨のこと。番組の中心となってニュースを掘り下げ、かつわかり易く視聴者に伝える役割からそう呼ばれるようになった。また元々ジャーナリストの世界では、特に週刊誌等で最終的な記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ習わしがあり(ジャーナリスト#分業制も参照)、その用法が転じたものとも言われる。 イギリス英語で言うところの presenter(プレゼンター、披露する人)は、報道番組で用いられた場合、アンカーに近い意味になる。アメリカ英語ではほぼ使われない。 イギリス英語寄りの語として、newsreader(ニュースリーダー、ニュースを読む人)がある。番組出演時の役割はニュースキャスターやアンカーと同様であるが、取材・編集過程や番組構成への関与はなく、原稿を読む役割しかない。日本ではアナウンサー職が担当するが、イギリスはアナウンサーだけでなく、記者出身者もいれば、俳優から転身した人物もいる。日本ではNHKが“影読み・ナレーション”に近い定義で「リーダー」と呼称して使われる以外、ほぼ使われない。 ニュースキャスターを単に「キャスター」と略すのは和製英語である。「キャスター」は、報道番組だけでなく情報番組の司会者にも用いられる。スポーツニュースを専門に担当するスポーツキャスター、天気予報を専門に担当するお天気キャスターまたは気象キャスター( sportscaster や weathercaster という事もあるが、caster ではなく anchor や presenter という表現が一般的)。その他、日本語圏においては芸能キャスター、情報キャスター、フィールドキャスター/取材キャスター、マーケットキャスターなど、さまざまな「(ジャンル)+キャスター」の形の用語が作られている。「キャスター」はこれらの総称の場合もある。スポーツキャスターであれば元スポーツ選手、お天気キャスターであれば気象予報士のように、放送業界出身ではなく専門業界出身のキャスターも存在する(後述)。 本来の意味にしたがった両者の違いは、「アナウンサーはニュースを “読み上げる”、ニュースキャスターはニュースを “語りかける”」と表現されることがある。しかし、日本のアナウンサーは業務の幅が広く、ニュースに臨機応変にコメントしたり、ニュースの取材・編集の人員に加わったりすることもある。またニュースキャスターという語も、イギリスに比べると記者経験よりも番組出演に重きが置かれる。 放送局のアナウンス部に所属する者を「〇〇アナウンサー」とし、契約社員や派遣会社に所属するフリーアナウンサー、芸人や芸能人を「〇〇キャスター」と表記する場合もある。 『NHKニュース7』などでキャスターを務めたNHKアナウンサーの森田美由紀は、「皆困っていると思うんですよ。周りがキャスターと呼べばキャスターですし、アナウンサーと呼べばアナウンサーですしね」と語っている。 日本では、ニュースキャスターのニュースの取材・編集過程や番組構成への関与の度合いにはあまり注意が払われず、単に報道番組の司会者であればニュースキャスターと呼ばれる。 1980年代CNNデイウォッチでの文化人起用やニュースシャトルでの星野知子起用など、報道関連の経験が全くない芸能人や文化人がニュースキャスターを務めるケースがある。 ローカルニュースや朝のニュースは男女ペアを組んで放送することが多いが、CBS、NBC、ABC の三大ネットワークで夕方に放送する全国ニュースに限ってはアンカー1人で進行する。彼らは国民から高い信頼がおかれており、アンカーを粗末に扱うと次の選挙で票に跳ね返るため、政治家も彼らに対して敬意を払うことを忘れない。アメリカでは「大統領が勝手なことを言えない者がこの国に三人だけいる。三大ネットのアンカーだ」という格言まである。 もっぱら番組進行はせず、ニュース以外の専門情報を伝えるキャスターを別に設える場合がある。 プロ野球など、国内外のプロスポーツ(ときにアマチュアスポーツ)を伝えるキャスター。説得力を求められるため、世界大会などで実績のある経験者が起用されることが多い。実際に実績を出したスポーツ選手が、引退時に次の職種として「スポーツキャスター」を挙げる例がよくみられる。 近年は、元スポーツ選手が(スポーツキャスターではなく)ニュースキャスターに選ばれる例もある(陣内貴美子、潮田玲子など)。 芸能情報やバラエティ情報を中心に伝えるキャスター。芸能人・タレント等にインタビューも行う。フジテレビ系列『めざましテレビ』の軽部真一は番組開始から長年エンタメキャスターとして担当している。めざましテレビ以外では、エンタメ情報を伝えているもののエンタメキャスターはいない。 番組内で天気情報を伝えるキャスターである。日本国内においては、気象業務法に基づき、かつては日本気象協会所属の男性が務めるケースがよくみられた。1993年に同法が改正されたことによって気象予報士制度が導入され、以降は気象予報士資格の有資格者がキャスターとして重用される傾向にある。ただし、天気情報のアナウンスや解説など、将来起きうる気象現象の予報を伴わない業務については、有資格者でなくても行うことができるため、アナウンサーのほかアイドルやモデルなど本来とは異なる職種の人材もキャスターとされる場合がある。この場合は、気象予報士がまとめた原稿を読み上げることになる。お天気お姉さんも参照のこと。
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"paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アメリカではかつて、アンカーがニュースに対する私見を述べる/述べないについて、アンカーの行動は二手に別れた。番組の終わりにコラムコーナーを設けていた代表的なアンカーにエドワード・マローが、逆にコメントは徹底的に避けるべきとした意見の象徴にウォルター・クロンカイトがおり、クロンカイトの「戦争継続反対」発言(1968年)とそれを一つの要因とするジョンソン大統領の再選出馬断念という一連の経緯が有名。コメントを行わない主義であっても、ゲストを起用したり、番組の構成に微妙なアクセントをつけることで無言のうちに自身の意見を示唆するという手法がある。 ニュースキャスターにはジャーナリスティックな資質が不可欠であり、木村太郎はニュースキャスターをゲートキーパー、つまり「情報の交通整理員」と表現した。番組出演中は、例えば現地中継のリポーターやゲストに的確な質問をぶつけて情報を引き出す場面や、臨時ニュースが入ってきて情報が錯綜しているときに、視聴者・聴取者が混乱しないように情報の真偽を見極めつつ整理しながら伝える場面などで、ニュースの背景についての理解と判断力が問われる。また、ニュースキャスターによっては現地から番組を進行したり、リポートを行う場合がある。アメリカを典型として、国によってはニュースキャスターは番組出演のほかに、ニュースの取材・編集や番組構成にも影響を及ぼし、編集権を有している。そのことで、原稿の修正を求めたり、放送させないことも出来る。編集権など権限を有する場合、報道記者として長年経験を積んだ経歴を持つ。", "title": "職種について" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "報道番組への登板を機にそれまで出演していたバラエティ番組やCMを降板し、仕事をほぼニュースキャスター業一本に絞るようになる者も存在する。この理由としては「ニュースキャスターのイメージ厳守」等がある。また、先進国ではニュースキャスターは基本的にCM出演は行わない。これは報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、日本においてはみのもんたやラサール石井、夏目三久などの例外もある。", "title": "職種について" }, { 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"ニュースキャスターを単に「キャスター」と略すのは和製英語である。「キャスター」は、報道番組だけでなく情報番組の司会者にも用いられる。スポーツニュースを専門に担当するスポーツキャスター、天気予報を専門に担当するお天気キャスターまたは気象キャスター( sportscaster や weathercaster という事もあるが、caster ではなく anchor や presenter という表現が一般的)。その他、日本語圏においては芸能キャスター、情報キャスター、フィールドキャスター/取材キャスター、マーケットキャスターなど、さまざまな「(ジャンル)+キャスター」の形の用語が作られている。「キャスター」はこれらの総称の場合もある。スポーツキャスターであれば元スポーツ選手、お天気キャスターであれば気象予報士のように、放送業界出身ではなく専門業界出身のキャスターも存在する(後述)。", "title": "原義と類義語" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "本来の意味にしたがった両者の違いは、「アナウンサーはニュースを “読み上げる”、ニュースキャスターはニュースを “語りかける”」と表現されることがある。しかし、日本のアナウンサーは業務の幅が広く、ニュースに臨機応変にコメントしたり、ニュースの取材・編集の人員に加わったりすることもある。またニュースキャスターという語も、イギリスに比べると記者経験よりも番組出演に重きが置かれる。", "title": "原義と類義語" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "放送局のアナウンス部に所属する者を「〇〇アナウンサー」とし、契約社員や派遣会社に所属するフリーアナウンサー、芸人や芸能人を「〇〇キャスター」と表記する場合もある。", "title": "原義と類義語" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "『NHKニュース7』などでキャスターを務めたNHKアナウンサーの森田美由紀は、「皆困っていると思うんですよ。周りがキャスターと呼べばキャスターですし、アナウンサーと呼べばアナウンサーですしね」と語っている。", "title": "原義と類義語" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本では、ニュースキャスターのニュースの取材・編集過程や番組構成への関与の度合いにはあまり注意が払われず、単に報道番組の司会者であればニュースキャスターと呼ばれる。", "title": "比較" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1980年代CNNデイウォッチでの文化人起用やニュースシャトルでの星野知子起用など、報道関連の経験が全くない芸能人や文化人がニュースキャスターを務めるケースがある。", "title": "比較" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ローカルニュースや朝のニュースは男女ペアを組んで放送することが多いが、CBS、NBC、ABC の三大ネットワークで夕方に放送する全国ニュースに限ってはアンカー1人で進行する。彼らは国民から高い信頼がおかれており、アンカーを粗末に扱うと次の選挙で票に跳ね返るため、政治家も彼らに対して敬意を払うことを忘れない。アメリカでは「大統領が勝手なことを言えない者がこの国に三人だけいる。三大ネットのアンカーだ」という格言まである。", "title": "比較" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "もっぱら番組進行はせず、ニュース以外の専門情報を伝えるキャスターを別に設える場合がある。", "title": "専門キャスター" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "プロ野球など、国内外のプロスポーツ(ときにアマチュアスポーツ)を伝えるキャスター。説得力を求められるため、世界大会などで実績のある経験者が起用されることが多い。実際に実績を出したスポーツ選手が、引退時に次の職種として「スポーツキャスター」を挙げる例がよくみられる。", "title": "専門キャスター" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "近年は、元スポーツ選手が(スポーツキャスターではなく)ニュースキャスターに選ばれる例もある(陣内貴美子、潮田玲子など)。", "title": "専門キャスター" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "芸能情報やバラエティ情報を中心に伝えるキャスター。芸能人・タレント等にインタビューも行う。フジテレビ系列『めざましテレビ』の軽部真一は番組開始から長年エンタメキャスターとして担当している。めざましテレビ以外では、エンタメ情報を伝えているもののエンタメキャスターはいない。", "title": "専門キャスター" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "番組内で天気情報を伝えるキャスターである。日本国内においては、気象業務法に基づき、かつては日本気象協会所属の男性が務めるケースがよくみられた。1993年に同法が改正されたことによって気象予報士制度が導入され、以降は気象予報士資格の有資格者がキャスターとして重用される傾向にある。ただし、天気情報のアナウンスや解説など、将来起きうる気象現象の予報を伴わない業務については、有資格者でなくても行うことができるため、アナウンサーのほかアイドルやモデルなど本来とは異なる職種の人材もキャスターとされる場合がある。この場合は、気象予報士がまとめた原稿を読み上げることになる。お天気お姉さんも参照のこと。", "title": "専門キャスター" } ]
ニュースキャスターとは、報道番組に出演してニュースを紹介しながら司会・進行する、役割の呼称または職業である。
{{Dablink| 「'''アンカーマン'''」・「'''アンカーウーマン'''」・「'''アンカーパーソン'''」はいずれもこの項目へ転送されています。その他の用法については「[[アンカー#anchor]]」をご覧ください。 }} {{Otheruses||[[TBSテレビ]]の[[情報番組]]|情報7daysニュースキャスター|[[テレビ朝日]]の情報番組|ザ・ニュースキャスター}} {{複数の問題 | 出典の明記 = 2012年7月 | 独自研究 = 2012年7月 }} [[File:ロンドンチャレンジ沖縄ツアー (6895882096).jpg|thumb|[[竹内由恵]], 元(当時)[[テレビ朝日]]アナウンサー(2012年)]] {{Journalism}} '''ニュースキャスター'''とは、[[報道番組]]に出演して[[ニュース]]を紹介しながら[[司会]]・進行する、役割の呼称または[[職業]]である。 == 概要 == <!-- 記事内容の要点のみを簡略にまとめたものを「概要」、記事内容を簡略に説明したものを「概説」といいます。--> ニュースキャスターとは、[[放送]][[メディア (媒体)|メディア]]で報道番組に出演し、番組全体または特定のコーナーを、ニュースを紹介しながら[[司会]]・進行する役割の日本独自の呼称、または[[職業]]である。定義や呼称は国や地域、番組によって様々である。{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|番組制作への関与の度合いにおいて、文化圏や個人の信条により差異が見られる。}} == 職種について == {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|番組の出演者はニュースキャスター一人の場合もあるが、規模の大きな番組では複数キャスター制を採ったり、[[コメンテーター]]や[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]を伴ったりする場合もある。ニュースの読み上げはニュースキャスターかアナウンサーが行う。ニュースに対してのコメントや解説はニュースキャスターかコメンテーターが行う。番組にゲストとして話題の人物が招かれ、ニュースキャスターが[[インタビュー]]することもある。}} {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|同じような時間帯の報道番組を比較すると、ニュースのラインナップは似たようなものになりがちである。番組タイトルや[[スタジオ]]の造り、ニュースの切り口、特集、スクープなどで違いを出せるが、最も他との差別化を果たしうるものの一つは、個性あるニュースキャスターの存在であろう。ニュースキャスターに寄せる信頼感・安心感・好意は、視聴者・聴取者が[[チャンネル (テレビ放送)|チャンネル]]を選択する動機となるので、放送局は人気・実力のあるニュースキャスターの獲得に躍起になる。}}[[TBSテレビ|TBS]]『[[筑紫哲也 NEWS23]]』や『NBC Nightly News with Brian Williams』(ブライアン・ウィリアムズの[[NBCナイトリーニュース]])のように、タイトルにニュースキャスターの名前を含め、明確にニュースキャスターの個性を前面に出している番組もある。 {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|アメリカではかつて、アンカーがニュースに対する私見を述べる/述べないについて、アンカーの行動は二手に別れた。番組の終わりにコラムコーナーを設けていた代表的なアンカーに[[エドワード・R・マロー|エドワード・マロー]]が、逆にコメントは徹底的に避けるべきとした意見の象徴に[[ウォルター・クロンカイト]]がおり、クロンカイトの「戦争継続反対」発言(1968年)とそれを一つの要因とするジョンソン大統領の再選出馬断念という一連の経緯が有名。}}{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|コメントを行わない主義であっても、ゲストを起用したり、番組の構成に微妙なアクセントをつけることで無言のうちに自身の意見を示唆するという手法がある。}} {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|ニュースキャスターにはジャーナリスティックな資質が不可欠であり、[[木村太郎 (ジャーナリスト)|木村太郎]]はニュースキャスターをゲートキーパー、つまり「情報の交通整理員」と表現した。番組出演中は、例えば現地中継の[[リポーター]]やゲストに的確な質問をぶつけて情報を引き出す場面や、臨時ニュースが入ってきて情報が錯綜しているときに、視聴者・聴取者が混乱しないように情報の真偽を見極めつつ整理しながら伝える場面などで、ニュースの背景についての理解と判断力が問われる。また、ニュースキャスターによっては現地から番組を進行したり、リポートを行う場合がある。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を典型として、国によってはニュースキャスターは番組出演のほかに、ニュースの取材・[[編集]]や番組構成にも影響を及ぼし、編集権を有している。そのことで、原稿の修正を求めたり、放送させないことも出来る。編集権など権限を有する場合、報道[[記者]]として長年経験を積んだ経歴を持つ。}} 報道番組への登板を機にそれまで出演していた[[バラエティ番組]]やCMを降板し、仕事をほぼニュースキャスター業一本に絞るようになる者も存在する。{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|この理由としては「ニュースキャスターのイメージ厳守」等がある。また、先進国ではニュースキャスターは基本的にCM出演は行わない<ref group="注">ビデオジャーナリストの[[神保哲生]]によれば、日本のテレビ界でも、かつてはキャスターどころか[[気象予報士|お天気キャスター]]でさえ、報道番組に携わる人間はコマーシャルには出るべきではないという[[不文律]]があったという。</ref>。これは報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、日本においては[[みのもんた]]や[[ラサール石井]]、[[夏目三久]]などの例外もある<ref>[https://news.infoseek.co.jp/article/mediagong_21546/ 夏目三久キャスターは企業CMの出演を直ちに止めるべき],メディアゴン,2017年2月13日</ref>。}} {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|職業の性質上、ニュースキャスターにはクリーンな印象が重要視される。本人並びに身内に不祥事があった場合、担当番組からの降板が避けられない事態になることもある。}} == 原義と類義語 == {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|ニュースキャスターは、通常「アンカーパーソン({{lang-en|anchorperson}})」(a person who reads the news and introduces the reports of other broadcasters on a television news program.)と言う。}}「アンカー」とは船の[[錨]]のこと。{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|番組の中心となってニュースを掘り下げ、かつわかり易く視聴者に伝える役割からそう呼ばれるようになった。}}また元々[[ジャーナリスト]]の世界では、特に週刊誌等で最終的な記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ習わしがあり([[ジャーナリスト#分業制]]も参照)、{{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|その用法が転じたものとも言われる。}} {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|[[イギリス英語]]で言うところの presenter(プレゼンター、披露する人)は、報道番組で用いられた場合、アンカーに近い意味になる。アメリカ英語ではほぼ使われない。}} {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|イギリス英語寄りの語として、newsreader(ニュースリーダー、ニュースを読む人)がある。}}{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|番組出演時の役割はニュースキャスターやアンカーと同様であるが、取材・編集過程や番組構成への関与はなく、原稿を読む役割しかない。日本ではアナウンサー職が担当するが、イギリスはアナウンサーだけでなく、記者出身者もいれば、[[俳優]]から転身した人物もいる。日本では[[日本放送協会|NHK]]が“影読み・ナレーション”に近い定義で「リーダー」と呼称して使われる以外、ほぼ使われない。}} {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|ニュースキャスターを単に「キャスター」と略すのは[[和製英語]]である。}}{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|「キャスター」は、報道番組だけでなく[[情報番組]]の司会者にも用いられる。[[スポーツニュース]]を専門に担当するスポーツキャスター、[[天気予報]]を専門に担当するお天気キャスターまたは気象キャスター( sportscaster や weathercaster という事もあるが、caster ではなく anchor や presenter という表現が一般的)。その他、日本語圏においては芸能キャスター、情報キャスター、フィールドキャスター/取材キャスター、マーケットキャスターなど、さまざまな「(ジャンル)+キャスター」の形の用語が作られている。「キャスター」はこれらの総称の場合もある。スポーツキャスターであれば元スポーツ選手、お天気キャスターであれば[[気象予報士]]のように、放送業界出身ではなく専門業界出身のキャスターも存在する([[#専門キャスター|後述]])。<!-- なお、天気予報を知識が浅くても美人を起用させるという方針はどこの国でも見受けられる。-->}} === キャスターとアナウンサーの違い === {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|本来の意味にしたがった両者の違いは、「アナウンサーはニュースを “読み上げる”、ニュースキャスターはニュースを “語りかける”」と表現されることがある。}}しかし、{{要出典範囲|日本のアナウンサーは業務の幅が広く、ニュースに臨機応変にコメントしたり、ニュースの取材・編集の人員に加わったりすることもある。またニュースキャスターという語も、イギリスに比べると記者経験よりも番組出演に重きが置かれる|date=2021年3月}}。 放送局のアナウンス部に所属する者を「〇〇アナウンサー」とし、契約社員や派遣会社に所属するフリーアナウンサー、芸人や芸能人を「〇〇キャスター」と表記する場合もある。 『[[NHKニュース7]]』などでキャスターを務めたNHKアナウンサーの[[森田美由紀]]は、「皆困っていると思うんですよ。周りがキャスターと呼べばキャスターですし、アナウンサーと呼べばアナウンサーですしね」と語っている<ref>『ダカーポ』No.295 1994年2月16日号 マガジンハウス、74頁。</ref>。 == 比較 == === 日本 === {{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|日本では、ニュースキャスターのニュースの取材・編集過程や番組構成への関与の度合いにはあまり注意が払われず、単に報道番組の司会者であればニュースキャスターと呼ばれる。}} 1980年代[[CNNデイウォッチ]]での文化人起用や[[ニュースシャトル]]での[[星野知子]]起用など、報道関連の経験が全くない[[芸能人]]や文化人がニュースキャスターを務めるケースがある。 {{see also|日本のアナウンサー}} ==== 歴史 ==== {{出典の明記|date=2022年9月9日 (金) 16:25 (UTC)|section=1}} *日本のニュースキャスター第1号は、[[1962年]]10月1日にスタートした『[[JNNニュースコープ]]』([[TBSテレビ|TBS]])の[[田英夫]]と[[戸川猪佐武]]とされる。 *[[日本放送協会|NHK]]では[[1974年]]4月、[[磯村尚徳]]による『[[ニュースセンター9時]]』が放送開始。ニュース原稿を読み上げるのみであったそれまでの『[[NHKニュース]]』とは違い、喋り言葉を積極的に使った。[[政治]]→[[経済]]→[[社会]]というNHKでは当たり前だった放送順序の慣例を、意識的に排除するなどの変化も見せた。NHKのサイトはこの番組からニュースキャスターという言葉が一般的に使われるようになったと述べている。<ref>http://www9.nhk.or.jp/a-room/qa/{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref> *それまで男性のキャスターがニュース番組の進行を務めることが多かったが、[[1980年代]]に各局が女性キャスターを起用し始める。その先駆けとなったのが、『[[きょうの出来事]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])を担当した[[櫻井よしこ]]である。だが実際は、[[1978年]]に[[田丸美寿々]]が『[[FNNニュースレポート6:30]]』を担当し、既にキャスターの位置付けをとっており、田丸を日本初の女性キャスターだとする意見もある。様々意見は分かれるが、[[テレビ証券]]は「田丸さんは、日本でいうキャスターの先駆けで、[[ジャーナリスト]]からアンカーを務める米国流で言えば、櫻井さんが日本初のアンカーパーソン」と、両者ともにキャスターの先駆けであることに違いはない、と述べている。 *[[1984年]]10月1日にスタートした『[[FNNスーパータイム]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])においては、それまでなかった視聴者の目線を意識したニュースリポートや特集などを組み、メインキャスターの[[逸見政孝]]や[[安藤優子]]はそれを象徴する存在となった。 *[[1985年]]10月にスタートした[[久米宏]]による『[[ニュースステーション]]』([[テレビ朝日]])は、それまでの報道番組を変えた番組と認識されている。インタビュー取材でよく久米は「私はニュースキャスターでなく司会者」と発言している。 *この頃、『[[キャスター (情報番組)|キャスター]]』というそのものズバリのネーミングの情報番組が[[テレビ東京]]で放送されていた。キャスターを務めたのは[[大宅映子]]。 *[[1989年]]10月、[[筑紫哲也]]による『[[筑紫哲也 NEWS23]]』の放送がスタート。平日のニュース番組でキャスターの名前が番組名に記載されたのは初めて。 *[[2006年]]4月、NHKの『[[ニュースウオッチ9]]』が放送開始。[[柳澤秀夫]]と[[伊東敏恵]]はニュースの紹介に徹し、原稿や[[プロンプター (電気機器)|プロンプター]]を一切使わずに放送する試みを行う。 === アメリカ=== ====傾向==== {{要出典範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|ローカルニュースや朝のニュースは男女ペアを組んで放送することが多いが、[[CBS]]、[[NBC]]、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]] の三大ネットワークで夕方に放送する全国ニュースに限ってはアンカー1人で進行する。}}{{独自研究範囲|date=2022年9月9日 (金) 16:16 (UTC)|彼らは国民から高い信頼がおかれており、アンカーを粗末に扱うと次の選挙で票に跳ね返るため、[[政治家]]も彼らに対して敬意を払うことを忘れない。アメリカでは「[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が勝手なことを言えない者がこの国に三人だけいる。三大ネットのアンカーだ」という格言まである。}} ==== 歴史 ==== *[[第二次世界大戦]]中、CBSの[[エドワード・R・マロー|エドワード・マロー]]は[[ヨーロッパ]]の戦地から自身が組織した特派員たちとともに報道を送り続ける。 *1954年、マローが『シー・イット・ナウ』 (See It Now) で[[ジョセフ・マッカーシー|マッカーシー]]上院議員らによる「[[赤狩り旋風]]」を糾弾して[[マッカーシズム]]に真っ向から挑み、結果的に[[赤狩り]]を終焉に導く。しかし番組は打ち切られ、マローは1961年に[[ジョン・F・ケネディ|ケネディー]]大統領に請われて合衆国情報庁長官に就任。 *1963年、[[ウォルター・クロンカイト]]が『[[CBSイブニングニュース]]』のアンカーに。同年11月21日、クロンカイトは悲しみの涙で眼鏡を曇らせながらケネディー大統領暗殺の速報を伝える<ref> http://www.metacafe.com/watch/333041/walter_cronkite_jfk/</ref>。 *1968年、[[ベトナム戦争]]が激化する中、クロンカイトが現地取材の特別番組の締めくくりで「民主主義を擁護するべき名誉あるアメリカ軍には、これ以上の攻勢ではなく、むしろ交渉を求めるものであります」と厳しい口調で発言してベトナム戦争継続に反対を表明<ref>http://www.youtube.com/watch?v=i214f5-w19w</ref>。これが[[リンドン・ジョンソン|ジョンソン]]大統領をして「クロンカイトを失うということは、アメリカ中道の支持基盤を失うということだ」と嘆かしめる。直後にジョンソンは二期目への出馬断念を表明。一方クロンカイトはこれを反省して、以後二度と番組内で私見を差し挟まなくなる。これ以降、殊に夕方の全国ニュースにおいては「絶対の中立」のアンカー像が定着する。 *1981年、[[ダン・ラザー]]が『CBSイブニングニュース』のアンカーに。 *1983年、[[ピーター・ジェニングス]]が『[[ABCワールドニュース|ワールド・ニュース・トゥナイト]]』の単独アンカーに。同年、[[トム・ブロコウ]]が『[[NBCナイトリーニュース]]』の単独アンカーに。これをもって約10年近く続いた人気アンカーの引き抜きや頻繁な交代に終止符が打たれる。 *ラザー・ブロコウ・ジェニングスのアンカーの時代は約四半世紀近くも続いたことから、各ネットワークにはそれぞれ「しゃべるラザー、動くブロコウ、動かないジェニングス」という評に代弁される独特のスタイルと雰囲気が醸成される(とは言っても冷戦下のジェニングスは海外へ動くアンカーとして名を馳せたが)。また[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]]というニュース専門局の登場や[[FOXニュース]]や[[MSNBC]]で見られる「モノを言うキャスター」にも人気が集まる。 === イギリス === * アメリカ同様、取材経験を積んでキャスターを務めるのが多い。ニュースリーダーはこの基準から外れる。 * 同じ[[英語圏]]から、元アメリカ国務省報道官のジェームス・ルービンのように、アメリカ人がキャスターを務めるケースがある。 === フランス === * アメリカ同様、取材経験を積んだ記者がキャスターを務めるのが定番となっていたが、M6でキャスターを務める[[メリッサ・テュリオ]]のように、入社3年でキャスターを務めるケースも出ている。 === ブラジル === * [[ブラジル]]でいうキャスターは、Apresentadores(プレゼンターの意味)にあたる。 * ブラジルの主要ニュース番組のキャスターのほとんどが、[[グローボ]]のキャスター経験者である。これはブラジルのテレビ界において、グローボの一人勝ちの状況が続いていることにより、人材がグローボに集中していることが背景として挙げられる。 === 韓国 === * 取材経験を積んだ報道次長、若しくは報道部長クラスの記者が、キャスターを務めるのが定番となっている。 * かつてはアメリカ同様、男性が単独でキャスターを務めていたが、女性キャスターと2人で番組を進行する形式が多くなってきている。 == ニュースキャスターのコメント == * 『[[JNNニュースコープ]]』で17年間キャスターを務めた[[古谷綱正]]は、あくまでストレートにニュースを伝えることに徹し、「日本のウォルター・クロンカイト」と評された。当時古谷は「キャスターがいい気になって意見を言うのは、反感を呼び不信感を煽るでしょう。大切なのはニュースに対する “姿勢” というものです」とあくまで客観的にニュースを伝えることこそが重要だとした。 * フジテレビ『[[FNNニュースレポート23:00]]』のキャスターを務めた[[俵孝太郎]]は「ニュースは鉄仮面のごとく読むべきだ」と述べ、『[[JNN報道特集]]』で長年キャスターを務めた[[堀宏]]は[[サイゾー]]のインタビューで、「([[放送法]]の規定を挙げた上で)ニュース番組は新聞のように評論をすべきではない」と発言している。 * [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[NNNきょうの出来事]]』で長年アンカーパーソンを務めた[[櫻井よしこ]]は、「アンカーパーソンは言葉で批判するのではなく、データの選定で批判するべき。」とし、キャスターは私的なコメントで判断を下してはいけないと語っている<ref>{{Cite journal|和書|author=[[テレビ証券]]|authorlink=|coauthors=|year=2006|month=12|title=ニュース番組の裏の華麗なる戦い|journal=[[日経エンタテインメント!]]|volume=10|issue=18|pages=pp.99|publisher=[[日経BP社]]|location=[[東京都]]|accessdate=2011-04-11}}</ref>。また、櫻井の後任キャスターを務めた[[井田由美]]も、「私はキャスターコメントは行わず、ストレートにニュースを伝えることを重視していました」と語っている<ref>『NNNきょうの出来事』特集「伝えられたこと 伝えられなかったこと」(日本テレビ、2006年9月29日 (最終回))</ref>。 * [[RKB毎日放送]]『[[RKBニュースワイド]]』初代キャスターの[[三善英毅]](現在第一経済大学教授)は1982年、[[朝日新聞]]のインタビュー記事で「キャスターはニュースの解説役という考えもあるが、私はニュースの整理役だと思う。ニュースに手を加え、データを盛り込んでいったら終わり」と発言している。 == 専門キャスター == もっぱら番組進行はせず、ニュース以外の専門情報を伝えるキャスターを別に設える場合がある。 === スポーツキャスター === プロ野球など、国内外のプロスポーツ(ときにアマチュアスポーツ)を伝えるキャスター。説得力を求められるため、世界大会などで実績のある経験者が起用されることが多い。実際に実績を出したスポーツ選手が、引退時に次の職種として「スポーツキャスター」を挙げる例がよくみられる。 近年は、元スポーツ選手が(スポーツキャスターではなく)ニュースキャスターに選ばれる例もある([[陣内貴美子]]、[[潮田玲子]]など)。 === エンタメキャスター === 芸能情報やバラエティ情報を中心に伝えるキャスター。芸能人・タレント等にインタビューも行う。フジテレビ系列『[[めざましテレビ]]』の[[軽部真一]]は番組開始から長年エンタメキャスターとして担当している。めざましテレビ以外では、エンタメ情報を伝えているもののエンタメキャスターはいない。 === 天気キャスター === [[File:Otenki fujiTV.jpg|thumb|[[屋外]]から[[天気予報]]を伝える中継の様子]] 番組内で[[天気]]情報を伝えるキャスターである。日本国内においては、[[気象業務法]]に基づき、かつては[[日本気象協会]]所属の男性が務めるケースがよくみられた。[[1993年]]に同法が改正されたことによって気象予報士制度が導入され、以降は気象予報士資格の有資格者がキャスターとして重用される傾向にある。ただし、天気情報のアナウンスや解説など、将来起きうる気象現象の予報を伴わない業務については、有資格者でなくても行うことができるため、アナウンサーのほか[[アイドル]]や[[モデル_(職業)|モデル]]など本来とは異なる職種の人材もキャスターとされる場合がある。この場合は、気象予報士がまとめた原稿を読み上げることになる。[[お天気お姉さん]]も参照のこと。 == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|アナウンサー|[[画像:Female_singer_silhouette.png|38px|Project:アナウンサー]]}} * [[日本のアナウンサー]] * [[ジャーナリスト]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{reflist}} == 外部リンク == * {{NHK for School clip|D0005311423_00000|テレビニュースの仕事 ~ニュースキャスター~}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:にゆうすきやすたあ}} [[Category:ニュースキャスター|* にゆうすきやすたあ]]
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2023-09-21T11:25:04Z
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画家
画家(がか)は、絵画を制作する者の総称である。日本画や洋画など、画風や画材・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成されるコミュニティー(社会)を画壇(がだん)という。 画家は現代においてこそ芸術家であるが、ルネサンス期やそれ以前においては、「絵を請われて描く」という基本行動からして職人であった。 更に遡ると、洞窟壁画などを描いた者にたどりつく。この壁画制作者は後世に当時の様子を伝える記録者であり、また同時に観察者でもあった。ただし壁画を描いた当時の者に観察者や記録者という意識があったわけではなく、「何故彼らが絵を描くという行為に臨んだのか」という疑問には不明確な面が多い。その一端には、「原始宗教における儀式的な行為として、食料となる狩りの獲物を描くことによってこれを安定的に得ようとする意図があった」「死者を弔う際、葬られた者が寂しくないよう墳墓(古墳など)の内部に装飾を施したり、呪術的な力で魂を導いたり復活を願った」などの推測が考古学の研究でなされている。この分野では、落書きのような本来重要性の無さそうな壁画からも重要な情報が見出される。それらの壁画は、当時の風俗や風習、生活様式から気候・風土などを知る重要な手掛かりとして役立てられている。 中世の社会では、権力者の娯楽や、あるいは宗教の権威の象徴的事物として描かれた宗教画などが職人としての画家によって描かれていった。偶像崇拝を禁じなかった宗教においては、盛んに聖書など経典を題材とした宗教画が制作されていた歴史が見出される。この時流によって、画家は宗教家やその宗教を支持する権力者が求める絵画を描き、その意向に沿った絵画を制作することによって手厚く保護されていた。 近代以降、絵画それ自体が財産としての価値を持ちえるようになったため、次第に画家は絵を描くことで対価を得ることができるようになっていった。この価値観の変化に伴い、従来からある絵画(記録としての絵画・装飾や娯楽としての絵画など)のほかにも、画家自身が求めるテーマで絵画が制作されることも着実に増加していく。著名な画家は、スポンサーの意向による制約から脱却して、自身の芸術性を追究するまでになっている。 産業革命以降、絵画の制作に必要な画材が大量生産により安価に入手できるようになっているため、実利を伴わない趣味としての画家も着実に増加している。日曜画家(休日に絵画を趣味として描く者)も同時代に前後して登場、アンリ・ルソーやポール・ゴーギャンのように後世に名を残す者も現れている。 なお現代にいたっては画材も多岐にわたりコンピューターグラフィックスのように家庭用の汎用コンピュータ(パーソナルコンピューター)を利用して絵を制作する行為も一般化、商業芸術から趣味の絵画制作まで、さらにはインターネットを利用しての作品発表など、様々な分野で様々な人たちが絵画を制作している。 ここでは絵画の製作者の器具や技法、組織の発展について述べる。 まだ人類が狩猟と採集のみで暮らしていた時代に、ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟などで、非常に描写力の高い壁画が描かれていた。これは捕獲対象の鳥獣を詳細に記録し、大猟を願う意図で描かれたと推定されている。 これらは目に見えるがままの図像を得る目的のみのために描かれていたため、写真技術が発達した近代になってようやく確認された、草食獣が走るときの足の動きまで正確に描写されていた。この頃は、現在の高性能カメラとしての役割を画家が果たしていた。 これらの壁画は、自然の洞窟の壁面に、土・炭・血液・樹液等から作った顔料(絵の具)で、動物の体毛・樹木の枝・指などを用いて描かれていた。 こういった記録は、しばしばこれらの時代の周辺の気候を含む自然環境を知る内容を含む。例えばサハラ砂漠のタッシリ・ナジェールにある2万点に及ぶ岩絵は、その地で成された人の営みを通してどのような土地であったかが描かれている。絵が最初に書かれた約8,000年前には、水の豊かな緑の土地があったこと、その地で狩猟を行っていたことが示され、泳ぐ人の姿も描かれた。更に時代を下って約6,000年前には更に土地は豊かとなり、ウシの牧畜が営まれていたことも窺われる。しかし約4,000年前には次第に地域は乾燥化に向かい、残った湿潤な土地を求め争いもあった様子も描かれ、2,000年前にはついに砂漠化、ラクダが描かれ土地は厳しい乾燥に見舞われたことが窺われ、同時代を最後にこの岩絵は描き続けられなくなった。 人間が社会を形成し始めた古代においては、社会の内に分業という概念も発生、権力者や宗教といった観念の発達から、次第に呪術的意図と並行して美術装飾としての画家の活動も古代墳墓の壁画などに見出されるようになっていった。しかしこの時代の絵画で現存するものは限られる。反面、文字の発生に先立って何らかの意図を図画で記録する様式も強まり、墳墓壁画には当時の歳時記など人間の生活を捉えたものも数多く見出されている。 また、社会の発生は人間の活動の多様化も発生させたが、その中ではポンペイの例に見るように、装飾壁画として現代の絵画にも通じる美術性が当時確立されていたことが窺われる。 社会がより複雑化、国家などの形成にともない、権力者の下に莫大な富が集約されるなど、社会構造がより巨大化していったが、その過程で職人としての職業画家が台頭し始めるようになる。彼らは権力者、あるいはその権力者の庇護を受ける宗教家の求めに応じ、大規模な作品を制作するようになる。この時代において、宗教施設・城塞などの軍事拠点・権力者の生活空間を彩るものとして制作された絵画が現存している。この時代以降、優秀な画家は無名の職人ではなく、名の知られた芸術家としての地位を築くようになっていった。 近世においては分業化も進行、美術家としての地位から、ときの支配者層とも対等に扱われたり、絵画制作場所としてアトリエを構えるなど一定の社会的地位を獲得している。ただしこの当時のアトリエは、美術活動の場というよりも、根源的な工房としての性質も根強い。 この時代において画家の活動も組織化され、アトリエでは師弟関係にある画家の集団が肖像画のような記録映像としての絵画から、装飾美術的な作品まで幅広く手掛け、抽象的ないし象徴的な絵画も数多く制作されるようになっていった。西欧を中心としたルネサンスのような美術にまつわる社会運動も発生している。 近代では、美術絵画は確固とした社会的地位を得て、美術の様式にも様々な方向性が発生している。社会が産業革命を経て豊かになっていったこの時代、絵画の制作は職人や芸術家だけのものではなく、趣味としての活動にも広まりを見せ、更には広告など大衆文化にも影響を与えるような商業美術も盛んになっていった。 この時代においては、過去からの膨大な美術的資産に基づいた伝統的技法から、いわゆる近代絵画に象徴される流派も発生するなど、多様化が進んでいる。 現代において、画家は、職業人としての画家、芸術家としての画家、あるいはイラストレーターに代表される商業美術を手掛ける、より大衆的な存在、また趣味性によって絵画を描くことを楽しむ者、あるいは漫画のような娯楽作品を制作する漫画家など、様々な類型を内包する概念となっており、更に自身の趣味性から漫画の延長的な独特の技法を用いたイラストレーションを制作する者など、その類型は無数に存在する。 印刷技術の発達から、出版物のみならず、画材や制作環境としてパーソナルコンピュータが利用され、最初から電子化されたデータとして様々な方面での利用が見られ、業務用の高性能プリンターからプリントアウトした画像は、安価に入手可能な芸術作品としても扱われる。またコンピュータゲームなどにおいても、映像表現としてのイラストレーションが取り込まれており、人気画家が作画に参加している作品に人気が集まる事例もあるなど、紙やキャンバスなどに直接画家が絵画を制作していた時代よりも複製しやすく、大衆が作品を目にする機会もより増大し、その大衆が支払う対価を商業的に集約して画家に多くの著作料が支払われるなど、権力者や有力者がパトロンとなって一点一点制作していた時代よりも、画家個人がその表現能力で大きな財産を獲得しやすくなっている。
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画家(がか)は、絵画を制作する者の総称である。日本画や洋画など、画風や画材・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成されるコミュニティー(社会)を画壇(がだん)という。
{{出典の明記|date=2020年2月}} [[ファイル:Handmaler-1568.png|thumb|画家<br /><small>[[:en:Jost Amman|Jost Amman]]による木版画([[1568年]])</small>]] '''画家'''(がか)は、[[絵画]]を制作する者の総称である。[[日本画]]や[[洋画家|洋画]]など、画風や[[画材]]・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成される[[コミュニティー]]([[社会]])を'''画壇'''(がだん)という。 == 概要 == 画家は現代においてこそ[[芸術家]]であるが、[[ルネサンス]]期やそれ以前においては、「絵を請われて描く」という基本行動からして[[職人]]であった。 更に遡ると、[[洞窟壁画]]などを描いた者にたどりつく。この壁画制作者は後世に当時の様子を伝える[[記録|記録者]]であり、また同時に[[観察|観察者]]でもあった。ただし壁画を描いた当時の者に観察者や記録者という意識があったわけではなく、「何故彼らが絵を描くという行為に臨んだのか」という疑問には不明確な面が多い。その一端には、「原始[[宗教]]における[[儀式]]的な行為として、[[食料]]となる[[狩猟|狩り]]の獲物を描くことによってこれを安定的に得ようとする意図があった」「死者を弔う際、葬られた者が寂しくないよう[[墓|墳墓]]([[古墳]]など)の内部に装飾を施したり、[[呪術]]的な力で[[霊魂|魂]]を導いたり[[蘇生|復活]]を願った」などの推測が[[考古学]]の研究でなされている。この分野では、[[落書き]]のような本来重要性の無さそうな壁画からも重要な情報が見出される。それらの壁画は、当時の[[風俗]]や[[風習]]、生活様式から[[気候]]・風土などを知る重要な手掛かりとして役立てられている。 [[中世]]の社会では、[[権力|権力者]]の[[娯楽]]や、あるいは宗教の権威の象徴的事物として描かれた[[宗教画]]などが職人としての画家によって描かれていった。[[偶像崇拝]]を禁じなかった宗教においては、盛んに[[聖書]]など[[経典]]を題材とした宗教画が制作されていた歴史が見出される。この[[時流]]によって、画家は[[宗教家]]やその宗教を支持する権力者が求める絵画を描き、その意向に沿った絵画を制作することによって手厚く保護されていた。 [[近代]]以降、絵画それ自体が[[財産]]としての価値を持ちえるようになったため、次第に画家は絵を描くことで対価を得ることができるようになっていった。この[[価値観]]の変化に伴い、従来からある絵画(記録としての絵画・装飾や娯楽としての絵画など)のほかにも、画家自身が求めるテーマで絵画が制作されることも着実に増加していく。著名な画家は、[[スポンサー]]の意向による制約から脱却して、自身の芸術性を追究するまでになっている。 [[産業革命]]以降、絵画の制作に必要な[[画材]]が[[大量生産]]により安価に入手できるようになっているため、実利を伴わない[[趣味]]としての画家も着実に増加している。日曜画家(休日に絵画を趣味として描く者)も同時代に前後して登場、[[アンリ・ルソー]]や[[ポール・ゴーギャン]]のように後世に名を残す者も現れている。 なお現代にいたっては画材も多岐にわたり[[コンピューターグラフィックス]]のように家庭用の汎用コンピュータ([[パーソナルコンピューター]])を利用して絵を制作する行為も一般化、商業芸術から趣味の絵画制作まで、さらには[[インターネット]]を利用しての作品発表など、様々な分野で様々な人たちが絵画を制作している。 == 歴史 == {{節スタブ}} ここでは絵画の製作者の器具や[[技法]]、[[組織 (社会科学)|組織]]の[[発展]]について述べる。 === 原始時代 === [[ファイル:Lascaux painting.jpg|thumb|ラスコーの洞窟壁画]] まだ[[人類]]が[[狩猟]]と採集のみで暮らしていた時代に、[[ラスコー洞窟]]や[[アルタミラ洞窟]]などで、非常に描写力の高い[[壁画]]が描かれていた。これは捕獲対象の鳥獣を詳細に記録し、大猟を願う意図で描かれたと推定されている。 これらは目に見えるがままの図像を得る目的のみのために描かれていたため、[[写真]]技術が発達した近代になってようやく確認された、[[草食獣]]が走るときの足の動きまで正確に描写されていた。この頃は、現在の高性能[[カメラ]]としての役割を画家が果たしていた。 これらの壁画は、自然の洞窟の壁面に、[[土壌|土]]・[[炭]]・[[血液]]・[[樹液]]等から作った[[顔料]]([[絵の具]])で、[[動物]]の[[体毛]]・[[樹木]]の[[枝]]・[[指]]などを用いて描かれていた。 こういった記録は、しばしばこれらの時代の周辺の気候を含む自然環境を知る内容を含む。例えば[[サハラ砂漠]]の[[タッシリ・ナジェール]]にある2万点に及ぶ岩絵は、その地で成された人の営みを通してどのような土地であったかが描かれている。絵が最初に書かれた約8,000年前には、水の豊かな緑の土地があったこと、その地で狩猟を行っていたことが示され、泳ぐ人の姿も描かれた。更に時代を下って約6,000年前には更に土地は豊かとなり、ウシの牧畜が営まれていたことも窺われる。しかし約4,000年前には次第に地域は乾燥化に向かい、残った湿潤な土地を求め争いもあった様子も描かれ、2,000年前にはついに砂漠化、ラクダが描かれ土地は厳しい乾燥に見舞われたことが窺われ、同時代を最後にこの岩絵は描き続けられなくなった<ref>『世界遺産100』(NHK/小学館DVD BOOK)ISBN 978-4-09-480273-3</ref>。 {{-}} === 古代 === [[ファイル:Pompeii - Casa del Centenario - Cubiculum - detail.jpg|thumb|ポンペイの[[売春宿|娼館]]に残された壁画<br /><small>性に大らかだった当時の風潮を反映してか、エロティックな絵も少なからず残されている</small>]] 人間が[[社会]]を形成し始めた古代においては、社会の内に[[分業]]という概念も発生、権力者や宗教といった観念の発達から、次第に呪術的意図と並行して美術装飾としての画家の活動も古代[[古墳|墳墓]]の壁画などに見出されるようになっていった。しかしこの時代の絵画で現存するものは限られる。反面、[[文字]]の発生に先立って何らかの意図を図画で記録する様式も強まり、墳墓壁画には当時の[[歳時記]]など人間の生活を捉えたものも数多く見出されている。 また、社会の発生は人間の活動の多様化も発生させたが、その中では[[ポンペイ]]の例に見るように、装飾壁画として現代の絵画にも通じる美術性が当時確立されていたことが窺われる。 {{-}} === 中世 === 社会がより複雑化、[[国家]]などの形成にともない、権力者の下に莫大な富が集約されるなど、社会構造がより巨大化していったが、その過程で職人としての職業画家が台頭し始めるようになる。彼らは権力者、あるいはその権力者の庇護を受ける宗教家の求めに応じ、大規模な作品を制作するようになる。この時代において、宗教施設・城塞などの軍事拠点・権力者の生活空間を彩るものとして制作された絵画が現存している。この時代以降、優秀な画家は無名の職人ではなく、名の知られた芸術家としての地位を築くようになっていった。 === 近世 === 近世においては分業化も進行、美術家としての地位から、ときの支配者層とも対等に扱われたり、絵画制作場所として[[アトリエ]]を構えるなど一定の社会的地位を獲得している。ただしこの当時のアトリエは、美術活動の場というよりも、根源的な[[工房]]としての性質も根強い。 この時代において画家の活動も組織化され、アトリエでは[[師弟]]関係にある画家の集団が[[肖像画]]のような記録映像としての絵画から、装飾美術的な作品まで幅広く手掛け、[[抽象]]的ないし[[象徴]]的な絵画も数多く制作されるようになっていった。[[西欧]]を中心とした[[ルネサンス]]のような美術にまつわる社会運動も発生している。 ===近代=== <!--レイアウトのバランスが崩れるのでコメントアウト:[[ファイル:Rousseau09.jpg|thumb|アンリ・ルソー自画像<br /><small>彼は生業である官吏の傍ら、また退職後に絵を描き続けたが、大きく評価されたのは死後のことである</small>]]--> 近代では、美術絵画は確固とした社会的地位を得て、美術の様式にも様々な方向性が発生している。社会が[[産業革命]]を経て豊かになっていったこの時代、絵画の制作は職人や芸術家だけのものではなく、[[趣味]]としての活動にも広まりを見せ、更には[[広告]]など[[大衆文化]]にも影響を与えるような[[商業]]美術も盛んになっていった。 この時代においては、過去からの膨大な美術的資産に基づいた伝統的技法から、いわゆる近代絵画に象徴される[[流派]]も発生するなど、多様化が進んでいる。 ===現代=== [[ファイル:Honfleur - Le peintre du vieux port.jpg|thumb|right|現代における画家]] 現代において、画家は、職業人としての画家、芸術家としての画家、あるいは[[イラストレーター]]に代表される商業美術を手掛ける、より大衆的な存在、また趣味性によって絵画を描くことを楽しむ者、あるいは[[漫画]]のような娯楽作品を制作する[[漫画家]]など、様々な類型を内包する概念となっており、更に自身の趣味性から漫画の延長的な独特の技法を用いた[[イラストレーション]]を制作する者など、その類型は無数に存在する。 [[印刷]]技術の発達から、[[出版|出版物]]のみならず、画材や制作環境として[[パーソナルコンピュータ]]が利用され、最初から電子化されたデータとして様々な方面での利用が見られ、業務用の高性能[[プリンター]]からプリントアウトした画像<ref group="注釈">いわゆる「ジクレ版画」(英:[[:en:Giclée|Giclée]]参照)に代表される。</ref>は、安価に入手可能な芸術作品としても扱われる。また[[コンピュータゲーム]]などにおいても、映像表現としてのイラストレーションが取り込まれており、人気画家が作画に参加している作品に人気が集まる事例もあるなど、[[紙]]や[[キャンバス]]などに直接画家が絵画を制作していた時代よりも複製しやすく、大衆が作品を目にする機会もより増大し、その大衆が支払う対価を商業的に集約して画家に多くの著作料が支払われるなど、権力者や有力者が[[パトロン]]となって一点一点制作していた時代よりも、画家個人がその表現能力で大きな財産を獲得しやすくなっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons|Category:Painters}} * [[洋画家]] * [[日本画家]] * [[浦和画家]] * [[浮世絵師]] * [[絵師]] * [[挿絵画家]] * [[文人画]] * [[イラストレーター]] * [[法廷画家]] * [[画家の一覧]] {{Artist-stub}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:かか}} [[Category:画家|*]] [[Category:芸術家]] [[Category:技能者]] [[Category:美術関連の職業]]
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2023-07-02T06:09:01Z
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運賃
運賃(うんちん、英: fare)とは、交通機関(運輸会社など)との運送契約に基づき、旅客や貨物の運送(輸送)の対価として、交通機関に支払う金銭である。特に海運アライアンスで協定した運賃システムをタリフという。 旅客輸送における運賃の詳細については運賃制度、乗車券、航空券も参照。 鉄道の旅客運賃は、一般的に普通列車一般車両の自由席を利用する運送のための対価をいい、急行列車や特別車両などを利用するために支払う料金(特急料金、急行料金、特別車両料金など)と区別される。なお、名古屋市や福岡市など、地下鉄やバスを運営する日本の地方公営企業の中には運賃を(乗車)料金と称している事業者もある。 鉄道の運賃システムには、距離に基づく方法のほか、ゾーン制、均一運賃、時間制がある。 日本の鉄道の運賃は、駅間ごとに定められた営業キロの総和に応じて決められるのが一般的である。このように距離ごとに細かく運賃を設定している国は少ない。 営業キロに応じて運賃を定める場合でも、どのように運賃と営業キロを対応させるかによって2つのタイプに大分できる。 また、一部区間において営業キロをそのまま利用せず、営業キロより割り増しされたキロ数を適用した上で運賃を計算する場合がある。詳細は「営業キロ」の項を参照のこと。 2社にまたがる場合で、双方の運賃をそのまま合算すると距離の割に運賃が高くなる場合に乗り継ぎ割引を適用した連絡乗車券が発売されることもある。 鉄道の運賃は多くの場合、長距離で利用するほど「運賃÷利用キロ数」が低くなるように設定されている。これを遠距離逓減制(えんきょりていげんせい)と言う。 対キロ制運賃の場合、キロ数に比例して定められる運賃を全区間において同一にせず、一定のキロ数を越えた分については低い運賃を比例させるといった方法が取られる。 対キロ区間制運賃の場合はそもそも制度上「運賃÷利用キロ数」は低くなっていく(「運賃=一定額+(距離比例額×キロ数)」であるため、これをキロ数で割ると「運賃÷利用キロ数=(一定額÷利用キロ数)+距離比例額」となる)。 遠距離逓減制のため、同一区間を乗車する場合においては、切符は2枚に分かれているよりも1枚になっていた方が安くなることが多い(「途中下車」も参照)。しかし、運賃計算制度の構造上、距離の端数が発生すると2枚に分けた方が運賃が安くなることも多い。 路線をいくつかのゾーンに分割し、その利用するゾーン数で運賃を定める方式。例としてロンドン地下鉄や香港MTRのLRT区間などで採用されている。ただし、ゾーンの設定には特に境界の設定に配慮しないと不合理な運賃設定になるという欠点がある。 乗車1回あたりの運賃のみを定める方式。均一制運賃とも呼ぶ。パリ地下鉄で採用されている。切符の種類や改札機のシステムを単純化できるという利点がある。 時間単位で運賃を定める方式。ドイツやイタリアなどで広く採用されている。多くの場合、改札は設けられておらず、乗り場や車内にある時刻の刻印機で利用客が自ら刻印することを要する。なお、シンガポールMRTのように、乗車区間相互間の最短経路を基準にした時間を超過して迂回した場合に精算により運賃よりも高額な増運賃を徴収するといった、乗客の滞留防止を目的に対距離区間制と併用しているケースもある。 運賃を表や図などで示した表示。 駅やバスターミナルなどに掲出されているものは、利用者がそこから目的地までの運賃を調べるためのもので、路線図として表示しているもの、五十音順で表示するもの、路線・方面ごとに一覧表で表示するものなどがある。 距離制の場合には三角表と呼ばれる当該路線の任意の2駅間の運賃を調べることができる運賃表もあり、ワンマン運転の場合には、車内に掲出されていることがある(「運賃表示機」も参照)。また、各鉄道事業者が定める、乗車キロ数と運賃の対応を示した表も運賃表と呼ばれる。 日本では、鉄道営業法に基づく鉄道運輸規程第10条に、「鉄道ハ旅客ノ同伴スル六年未満ノ小児ヲ旅客一人ニ付少クトモ一人迄無賃ヲ以テ運送スベシ」、「鉄道ハ十二年未満ノ小児ヲ第一項ノ規定ニ依リ無賃ヲ以テ運送スルモノヲ除キ大人ノ運賃ノ半額ヲ以テ運送スベシ」という規定があり、これらの規定により、6歳未満は無料、12歳未満は半額である。この「子供は半額」という価格設定は、国土交通省によれば、「席の占有率が大人の半分というおおらかな理由だった」のが一説であるという。この制度は1937年(昭和12年)6月1日から始まったもので、それ以前は4歳未満のみ無料であったが、あまり順守はされていなかった。 年齢による区分はJRグループでは以下のようになっており、私鉄でも概ね同一である。 各区分における運賃は以下のようになっている。 身体障害者(身体障害者手帳所持者)・知的障害者(療育手帳所持者)やその介護者に対しては運賃を大人運賃の5割引とすることがある。旧国鉄から引き継いだJRの旅客運賃割引規則第1種かつ介護者同伴の本人及び介護者の両者の普通乗車券、定期券、回数券、または100 km超を利用する場合の本人の普通乗車券および12歳未満の第2種障害者の介護者の定期券に限り割引を行っており、民鉄でも同様の割引を実施している事例が大半であるが、適用の可否は、第1種/第2種の別、乗車距離(100キロを超えるか否か)などにより、事業者によって違いがある。JRの割引規則の範囲は、例えば視覚障害では4級の1と4級の2で区分が違うなど一見して判断できないため、身体障害者手帳または療育手帳には旅客鉄道株式会社旅客運賃減額欄に第1種又は第2種の記載があり、JRの割引規則上の区分を確認できるようになっている。 精神障害者(精神障害者保健福祉手帳所持者)については、身体・知的障害者同様の割引をする事業者もあるが、JRや大手の民鉄などは割引の対象外としている事業者が多い。 障害者割引は、介護者を伴わなければ旅行できない障害者の二人分の運賃を実質的に一人分に割引くことで経済的な負担を軽減する目的で実施されていたものであるが、駅等のバリアフリー化も進み、介護者伴わず一人で行動できる障害者も増えており、もはや第1種かつ介護者同伴または100 km超の距離制限は、旧国鉄時代の制度を踏襲しているだけで合理性がないのではないかという意見も存在する。一方で、一人で鉄道に乗れるのであれば、割引は不要ではないかという意見も存在する。もう一方で、一人で歩ける障害者に割引はおかしいと思う人もいるだろうが、障害者には多くの金銭的負担があるので、障害者が単独で障害者割引で鉄道を利用したとしても不平等ではないのではないかという意見も存在する。 しかしながら、事業者負担で障害者割引を実施することには疑問があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)は国鉄時代から引き続き実施している割引を含め、本来は国の社会福祉政策として実施されるべきものとの考えであり。2014年(平成26年)の障害者政策委員会でも「国鉄時代から引き継いで、一部の障害者の方に対する割引制度というのは引き続きやっているところはございますけれども、基本的にそういった割引に関しては、国の社会福祉政策の一環として行われるべきものと考えている」と回答している。東海旅客鉄道(JR東海)は、平成20年度(2008年度)に国土交通省が行った業務監査において、「福祉割引(障害者割引)は国の福祉政策の一環として行政の費用負担で行ってもらいたい。」と回答している。西日本旅客鉄道(JR西日本)も2009年(平成21年)度の業務監査で「福祉割引については、本来、国の社会福祉施策として、国の負担により実施されるべきものと考えています。」と回答している。なお、国鉄分割民営化後の1991年(平成3年)に知的障害者を割引の対象に追加しているが、このときはJR東日本の上場前であり、当時はまだJR全社は国有企業であった。 また、令和4年度(2022年度)の鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会で、JR東日本は「通学定期券の大幅な割引や、障がい者割引などは、社会として必要なものと理解しているが、本来は事業者の負担ではなく、文教政策や社会福祉政策の一環として、社会全体で負担されるべきものではないか。」という考えを表明している。JR西日本も「JR東日本と同じ考え」とした上で、社会福祉政策に応じて実施する割引運賃への補填の検討を求めている。同様に、JR東海も「そうした観点も当然あるという受け止め」と回答している。 ICカードは障害者割引運賃では利用できない場合が多い。後述するIC運賃を導入した事業者においては、出場時に自動改札機にタッチせずに手帳とICカードを係員に提示し、係員がIC運賃を基準とした割引運賃を引くという処理を行うようにしたことで、障害者割引運賃でのICカードの利用が可能となった。また、一部の事業者では、手帳所持者と介護者に対して自動改札機で使用できる(介護者と同時に使用する前提で障害者割引運賃を引き去る)障害者用・介護者用ICカードを発行している。 一部のICカード導入事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」をそれぞれ設けていることがある。 Suica、PASMOなどのICカードで入出場する場合に限り適用される普通運賃。入出場ともに同じICカードを使い、カード読取機(自動改札機に併設されたカード読取機を含む)を利用することが条件となる(途中からの別の乗車券と併用する場合は、ICカードで入場すればその乗車券に接続する駅までの運賃に関してはIC運賃が適用となる)。残高不足の場合には鉄道の場合精算機でチャージしてもIC運賃の適用を受ける。自社のICカードだけでなく、相互利用カードを利用する場合にも適用される。 2014年4月1日の消費税率改定(5%→8%)に対応した運賃改定の際に、消費税の正確な転嫁を目的に東日本旅客鉄道(JR東日本)や首都圏の多くの鉄道事業者が導入した。基本的には、税抜運賃の設定がある場合にはその額に消費税を加算したもの(JR線で営業キロ11km以上の区間。税抜運賃は最低でも10円単位で変化なし)、その他の場合は旧運賃の105分の108としたものが多い(JR東日本の10km以下の区間は後者で、消費税導入前の運賃を基準としていない)。 2019年10月1日の消費税率改定(8%→10%)に対応した運賃改定も2014年の改定時とほぼ同様となった。旧運賃の108分の110とした事業者のほか、2014年の改訂前の運賃を基準に105分の110とした事業者もあった。なお、JR東日本では101km以上の運賃はきっぷもICカードも同額となった。 IC運賃はその運賃をそのまま1円単位として適用し、きっぷ運賃は10円単位に端数整理したものである。したがって、ICカードの方がきっぷで入出場する際の運賃より安い場合が多いが、きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者の場合区間によっては高いこともある。これにより運賃の値上げ幅が消費税の増税分より多くなるが、その分定期運賃の値上げ幅を抑えて調整している。 理論上最長距離のIC運賃は浪江駅 - 松本駅間の利用で8,360円である。距離は504.1km。 運賃表ではIC運賃を導入している場合でも「きっぷの運賃(現金での運賃)」を優先して記載されているが、路線図の隅の方に「ICカード利用時の運賃」との対応表を掲載している。対応表には種類があり、加算運賃を設定していない鉄道事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」の額面同士での対応表が掲載されていることが多いが、加算運賃や連絡割引運賃を設定している鉄道事業者では、1つのきっぷ運賃に対してIC運賃が複数ある場合があり、その案内も事業者により対応がまちまちである。また、「きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者」の場合、掲出される運賃表でICカードの方が区間によって運賃が高いことを知らせていることがある。連絡きっぷについてはほとんどの場合「ICカード利用時の運賃」の掲出は無く、「きっぷの運賃(現金での運賃)」のみ記載される。 IC運賃を設定していないが、ICカード利用時に引き去る額を通常の運賃より一定の割合で割り引いている事業者がある。例としては広島都市圏各社のPASPY、富山地方鉄道のecomyca、富山ライトレールのpassca、伊予鉄道のICい〜カードなどがある。PASMOエリアでは東急バスの新横溝口線では現金支払い時より50円引きとなる。また、茨城交通が独自に導入しているいばっピでは、ICカード利用時の割引運賃を1円単位としている(初乗り170円の場合、利用者割引10%が適用され153円となる)。 ロンドン地下鉄ではICカード利用促進と混雑解消のため、ICカード利用時の運賃の引き落し限度額が設定されており、ピーク時間帯を含まない時間帯に地下鉄を利用した場合にはその上限額が低く抑えられている。 通常の運賃計算のルールを適用すると利用実態にそぐわない場合などに、以下のような特例を設けて対処されることがある。 他社線を挟んで2区間に分割された1社の路線を利用する場合に、その2区間のキロ数を通して計算すること。2区間に分割されることによって運賃が急増することを抑えるものである。詳細は連絡運輸#通過連絡運輸を参照。 運賃計算の特例ではなく、乗車券の効力の特例であるが、分岐駅を通過する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、途中下車しないことを条件に、最寄りの停車駅と分岐駅間の区間外乗車を認める制度のこと。乗り継ぐ前の列車か乗り継いだ後の列車の少なくとも一方がその分岐駅に停車せず通過することが条件である。詳細は区間外乗車#分岐駅通過列車に対する区間外乗車の取扱いの特例を参照。 分岐駅を経由する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、途中下車しないことを条件に、その近傍の指定した駅と分岐駅の間の区間外乗車を認める制度のことである。上記の「分岐駅通過の特例」と異なり、乗り継ぐ前の列車と乗り継いだ後の列車のどちらも分岐駅に停車する場合であっても適用される。詳細は区間外乗車#特定の分岐区間に対する区間外乗車を参照。 特急列車など、途中で折り返して一部の区間を重複して運行する列車に乗車する場合、途中下車しないことを条件に、その重複する区間のキロ数を含めないで運賃・料金を計算する制度のことである。詳細は区間外乗車#特定列車による折返し区間外乗車の取扱いの特例を参照。 ある区間に対して複数の経路が存在する場合、旅客営業規則等に定められた区間についてはいずれの経路を通る場合でも短い方の経路によって計算を行うもの。乗客はいずれの経路を通ってもよく、途中下車の条件を満たす乗車券の場合はいずれの経路途上でも途中下車が可能。詳細は該当項目を参照。似た制度として、列車を限って短い経路で計算する列車特定区間、複数のルートのどちらかで計算された乗車券で別のルートを経由できる選択乗車がある。 改札口を通過可能な磁気式プリペイドカード導入各社(関西のスルッとKANSAI、関東のパスネットなど)ではカードで入場した場合には途中で改札口を通過しない限り、もっとも安い経路の運賃が適用される。 加算運賃(かさんうんちん)とは、鉄道会社が特に定めた区間に対して特定額だけ加算される運賃である。 このような区間が設定される理由として、路線建設時の減価償却及び維持に莫大な費用がかかるというものがある。また大規模改良工事に際して完成後に便宜を受ける利用者から運賃を前取りする、「特定都市鉄道整備促進特別措置法」(昭和61年法律42号、通称「特々法」)に定める特定都市鉄道整備積立金制度にもとづく加算制度(現在、この制度による加算適用区間はない)、鉄道駅のバリアフリー化(エレベーター・ホームドアなどの整備・更新)に使途を限定して、運賃に上乗せする「鉄道駅バリアフリー料金制度」(軌道法施行規則第21条第2項第4号及び鉄道事業法施行規則第34条第1項第4号)にもとづく加算制度もある。 カッコ内は記載の全区間を通しで利用した場合の加算運賃(大人運賃)。 特定区間運賃(とくていくかんうんちん)とは、鉄道事業者が特に定めた区間に対して、キロ数で算出される運賃よりも安く設定された運賃のことである。区間を競合する他社路線の運賃に比べて、著しく割高になる場合に設定されることが多い。 特定区間運賃は「○○駅 - ○○駅間は○○円」というように設定されている。特定運賃区間内にある任意の2駅間を利用する場合で、乗降する区間の正規運賃が、計算上特定区間運賃より高くなった場合でも、特定区間運賃が採用される。 2023年10月1日現在の特定区間運賃の一覧は以下のとおり。()内はICカード利用時の運賃である。 新駅の設置時に特定区間運賃が暫定的に設定されることがある。 東武鉄道では、2017年の東武ワールドスクウェア駅開業時に設定された姫宮駅・南羽生駅・佐野市駅・静和駅・新栃木駅・家中駅・下今市駅・江曽島駅・六実駅 - 東武ワールドスクウェア駅間相互間、東武ワールドスクウェア駅 - 鬼怒川公園駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年3月16日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。2020年のみなみ寄居駅開業時に設定された東武練馬駅・志木駅・新河岸駅・北坂戸駅・森林公園駅・武蔵嵐山駅・小川町駅・一本松駅・武州長瀬駅 - みなみ寄居駅間相互間、みなみ寄居駅 - 玉淀駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2021年3月13日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている あいの風とやま鉄道では、2018年の高岡やぶなみ駅開業時に設定された高岡やぶなみ駅 - 高岡駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年10月1日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。 JR東日本では、2018年のあしかがフラワーパーク駅開業時に設定されたあしかがフラワーパーク駅 - 富田駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2020年3月14日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。 複数の事業者が線路を共用する場合、または同一の事業者で運賃が異なる路線が線路を共用する場合も、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。 さらに、前述のように京成成田駅と空港第2ビル駅・成田空港駅での相互乗車においても特定区間運賃が定められている。これは京成本線の京成成田駅 - 成田空港駅間には加算運賃が適用されており、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置である。 このような加算運賃が適用されている場合も、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置として、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。 京急電鉄では、京急蒲田駅を含む空港線内各駅 - 羽田空港国際線ターミナル駅(現:羽田空港第3ターミナル駅)・羽田空港国内線ターミナル駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)間には特定区間運賃が設定されていたが、2019年10月1日の加算運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された。 JR四国では、本四備讃線(瀬戸大橋線)児島駅とそれ以南の周辺の駅での相互乗車においては特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された。 また、JR四国では、1996年1月10日の運賃改定の際に地方交通線のみを乗車する場合および幹線と地方交通線を連続して乗車する場合の旅客運賃計算法の変更に伴い特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、通常の普通運賃を適用するようになっている。 また、あいの風とやま鉄道では、高岡駅で接続するJR線(城端線・氷見線)との間で転換開業時に設定された乗継割引によって、乗継割引が受けられない自社線内の手前の駅のほうが運賃が高額になってしまう現象が生じたことを受け、2017年4月15日から当該区間に特定区間運賃を設定し、逆転現象を解消していた。2019年10月1日改定運賃では乗継割引に伴う運賃の逆転現象が解消されたため、設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。 新京成電鉄では、北習志野駅 - 京成津田沼駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2023年3月18日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。 JR各社の場合、基本的には、各社ごとの乗車するキロ数(営業キロ、換算キロ、擬制キロの3種類。小数点切り上げ)を計算し、キロ数から運賃表に当てはめて算出することができる(後述のような例外あり)。 国鉄時代は国有鉄道運賃法(昭和23年法律第112号、民営化時に廃止)によって運賃が定められていた。JR発足後は国鉄が残した旅客営業規則(略して「旅規」という)をそのまま引き継ぎ、以下のように運賃改定を実施している。 当初は全国一律の運賃体系であったが、1996年1月10日の三島会社運賃改定で全国一律の形態が崩れている。一方、東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道の本州三社は、賃率とは別に定めている10km以下の区間を除き、税抜運賃自体の値上げは行われていない。また2014年4月1日の消費税率改定時にJR東日本・JR東海(東京駅 - 品川駅間)はきっぷ・定期券の新運賃については電車特定区間・山手線内を除き、JR東海(東京駅 - 品川駅間以外)・JR西日本の新運賃と揃えているが、ICカード利用時にはきっぷ・定期券の運賃と異なるIC運賃を新規に導入し、二重運賃となっている。 国内線と国際線で運賃形態が異なる。 航空運送の分野では、搭乗する人の年齢や搭乗する目的など、鉄道などの運賃に比べ多くの多彩な割引運賃を設定している。 以下に大手航空会社の国内線での一例を掲げるが、これ以外にも、離島割引や法人向け割引、国際線乗り継ぎ割引なども設定されている。 タクシーは、初乗り運賃と、走行距離と乗車時間に応じて加算される運賃によって料金が算出される。日本のタクシーの基本的な運賃制度については、日本のタクシー#運賃を参照。 他の交通機関では、鉄道旅客運賃で主流の乗車キロ数から算出される方式ではなく、路線の区間ごとに運賃が決められている(いわゆる三角表方式)ことが多い。一部路線バスやコミュニティバスでは均一料金の場合もある。鉄道と同様に子供運賃や障害者割引運賃が設定されている場合が多く、首都圏では鉄道と同様のIC運賃を導入している事業者もある。 貸し切りバスについては、基本的には時間と走行距離をもとに算出されるといわれている。 基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される。 日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ貨物運賃は、コンテナの重量にキロ程に応じた賃率を乗じて算出することを基本とする。そのほか、以下のような割増・割引、または加算料金がある。 基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される点は国内と変わらないが、コンテナ輸送の場合では、積地・揚地の荷動き量(コンテナの多少)に左右され、主要港間の運賃が地方港に比べて安くなる傾向がある。
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"日本では、鉄道営業法に基づく鉄道運輸規程第10条に、「鉄道ハ旅客ノ同伴スル六年未満ノ小児ヲ旅客一人ニ付少クトモ一人迄無賃ヲ以テ運送スベシ」、「鉄道ハ十二年未満ノ小児ヲ第一項ノ規定ニ依リ無賃ヲ以テ運送スルモノヲ除キ大人ノ運賃ノ半額ヲ以テ運送スベシ」という規定があり、これらの規定により、6歳未満は無料、12歳未満は半額である。この「子供は半額」という価格設定は、国土交通省によれば、「席の占有率が大人の半分というおおらかな理由だった」のが一説であるという。この制度は1937年(昭和12年)6月1日から始まったもので、それ以前は4歳未満のみ無料であったが、あまり順守はされていなかった。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "年齢による区分はJRグループでは以下のようになっており、私鉄でも概ね同一である。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "各区分における運賃は以下のようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "身体障害者(身体障害者手帳所持者)・知的障害者(療育手帳所持者)やその介護者に対しては運賃を大人運賃の5割引とすることがある。旧国鉄から引き継いだJRの旅客運賃割引規則第1種かつ介護者同伴の本人及び介護者の両者の普通乗車券、定期券、回数券、または100 km超を利用する場合の本人の普通乗車券および12歳未満の第2種障害者の介護者の定期券に限り割引を行っており、民鉄でも同様の割引を実施している事例が大半であるが、適用の可否は、第1種/第2種の別、乗車距離(100キロを超えるか否か)などにより、事業者によって違いがある。JRの割引規則の範囲は、例えば視覚障害では4級の1と4級の2で区分が違うなど一見して判断できないため、身体障害者手帳または療育手帳には旅客鉄道株式会社旅客運賃減額欄に第1種又は第2種の記載があり、JRの割引規則上の区分を確認できるようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "精神障害者(精神障害者保健福祉手帳所持者)については、身体・知的障害者同様の割引をする事業者もあるが、JRや大手の民鉄などは割引の対象外としている事業者が多い。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "障害者割引は、介護者を伴わなければ旅行できない障害者の二人分の運賃を実質的に一人分に割引くことで経済的な負担を軽減する目的で実施されていたものであるが、駅等のバリアフリー化も進み、介護者伴わず一人で行動できる障害者も増えており、もはや第1種かつ介護者同伴または100 km超の距離制限は、旧国鉄時代の制度を踏襲しているだけで合理性がないのではないかという意見も存在する。一方で、一人で鉄道に乗れるのであれば、割引は不要ではないかという意見も存在する。もう一方で、一人で歩ける障害者に割引はおかしいと思う人もいるだろうが、障害者には多くの金銭的負担があるので、障害者が単独で障害者割引で鉄道を利用したとしても不平等ではないのではないかという意見も存在する。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "しかしながら、事業者負担で障害者割引を実施することには疑問があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)は国鉄時代から引き続き実施している割引を含め、本来は国の社会福祉政策として実施されるべきものとの考えであり。2014年(平成26年)の障害者政策委員会でも「国鉄時代から引き継いで、一部の障害者の方に対する割引制度というのは引き続きやっているところはございますけれども、基本的にそういった割引に関しては、国の社会福祉政策の一環として行われるべきものと考えている」と回答している。東海旅客鉄道(JR東海)は、平成20年度(2008年度)に国土交通省が行った業務監査において、「福祉割引(障害者割引)は国の福祉政策の一環として行政の費用負担で行ってもらいたい。」と回答している。西日本旅客鉄道(JR西日本)も2009年(平成21年)度の業務監査で「福祉割引については、本来、国の社会福祉施策として、国の負担により実施されるべきものと考えています。」と回答している。なお、国鉄分割民営化後の1991年(平成3年)に知的障害者を割引の対象に追加しているが、このときはJR東日本の上場前であり、当時はまだJR全社は国有企業であった。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、令和4年度(2022年度)の鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会で、JR東日本は「通学定期券の大幅な割引や、障がい者割引などは、社会として必要なものと理解しているが、本来は事業者の負担ではなく、文教政策や社会福祉政策の一環として、社会全体で負担されるべきものではないか。」という考えを表明している。JR西日本も「JR東日本と同じ考え」とした上で、社会福祉政策に応じて実施する割引運賃への補填の検討を求めている。同様に、JR東海も「そうした観点も当然あるという受け止め」と回答している。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ICカードは障害者割引運賃では利用できない場合が多い。後述するIC運賃を導入した事業者においては、出場時に自動改札機にタッチせずに手帳とICカードを係員に提示し、係員がIC運賃を基準とした割引運賃を引くという処理を行うようにしたことで、障害者割引運賃でのICカードの利用が可能となった。また、一部の事業者では、手帳所持者と介護者に対して自動改札機で使用できる(介護者と同時に使用する前提で障害者割引運賃を引き去る)障害者用・介護者用ICカードを発行している。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一部のICカード導入事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」をそれぞれ設けていることがある。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "Suica、PASMOなどのICカードで入出場する場合に限り適用される普通運賃。入出場ともに同じICカードを使い、カード読取機(自動改札機に併設されたカード読取機を含む)を利用することが条件となる(途中からの別の乗車券と併用する場合は、ICカードで入場すればその乗車券に接続する駅までの運賃に関してはIC運賃が適用となる)。残高不足の場合には鉄道の場合精算機でチャージしてもIC運賃の適用を受ける。自社のICカードだけでなく、相互利用カードを利用する場合にも適用される。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2014年4月1日の消費税率改定(5%→8%)に対応した運賃改定の際に、消費税の正確な転嫁を目的に東日本旅客鉄道(JR東日本)や首都圏の多くの鉄道事業者が導入した。基本的には、税抜運賃の設定がある場合にはその額に消費税を加算したもの(JR線で営業キロ11km以上の区間。税抜運賃は最低でも10円単位で変化なし)、その他の場合は旧運賃の105分の108としたものが多い(JR東日本の10km以下の区間は後者で、消費税導入前の運賃を基準としていない)。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2019年10月1日の消費税率改定(8%→10%)に対応した運賃改定も2014年の改定時とほぼ同様となった。旧運賃の108分の110とした事業者のほか、2014年の改訂前の運賃を基準に105分の110とした事業者もあった。なお、JR東日本では101km以上の運賃はきっぷもICカードも同額となった。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "IC運賃はその運賃をそのまま1円単位として適用し、きっぷ運賃は10円単位に端数整理したものである。したがって、ICカードの方がきっぷで入出場する際の運賃より安い場合が多いが、きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者の場合区間によっては高いこともある。これにより運賃の値上げ幅が消費税の増税分より多くなるが、その分定期運賃の値上げ幅を抑えて調整している。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "理論上最長距離のIC運賃は浪江駅 - 松本駅間の利用で8,360円である。距離は504.1km。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "運賃表ではIC運賃を導入している場合でも「きっぷの運賃(現金での運賃)」を優先して記載されているが、路線図の隅の方に「ICカード利用時の運賃」との対応表を掲載している。対応表には種類があり、加算運賃を設定していない鉄道事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」の額面同士での対応表が掲載されていることが多いが、加算運賃や連絡割引運賃を設定している鉄道事業者では、1つのきっぷ運賃に対してIC運賃が複数ある場合があり、その案内も事業者により対応がまちまちである。また、「きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者」の場合、掲出される運賃表でICカードの方が区間によって運賃が高いことを知らせていることがある。連絡きっぷについてはほとんどの場合「ICカード利用時の運賃」の掲出は無く、「きっぷの運賃(現金での運賃)」のみ記載される。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "IC運賃を設定していないが、ICカード利用時に引き去る額を通常の運賃より一定の割合で割り引いている事業者がある。例としては広島都市圏各社のPASPY、富山地方鉄道のecomyca、富山ライトレールのpassca、伊予鉄道のICい〜カードなどがある。PASMOエリアでは東急バスの新横溝口線では現金支払い時より50円引きとなる。また、茨城交通が独自に導入しているいばっピでは、ICカード利用時の割引運賃を1円単位としている(初乗り170円の場合、利用者割引10%が適用され153円となる)。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ロンドン地下鉄ではICカード利用促進と混雑解消のため、ICカード利用時の運賃の引き落し限度額が設定されており、ピーク時間帯を含まない時間帯に地下鉄を利用した場合にはその上限額が低く抑えられている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "通常の運賃計算のルールを適用すると利用実態にそぐわない場合などに、以下のような特例を設けて対処されることがある。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "他社線を挟んで2区間に分割された1社の路線を利用する場合に、その2区間のキロ数を通して計算すること。2区間に分割されることによって運賃が急増することを抑えるものである。詳細は連絡運輸#通過連絡運輸を参照。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "運賃計算の特例ではなく、乗車券の効力の特例であるが、分岐駅を通過する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、途中下車しないことを条件に、最寄りの停車駅と分岐駅間の区間外乗車を認める制度のこと。乗り継ぐ前の列車か乗り継いだ後の列車の少なくとも一方がその分岐駅に停車せず通過することが条件である。詳細は区間外乗車#分岐駅通過列車に対する区間外乗車の取扱いの特例を参照。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "分岐駅を経由する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、途中下車しないことを条件に、その近傍の指定した駅と分岐駅の間の区間外乗車を認める制度のことである。上記の「分岐駅通過の特例」と異なり、乗り継ぐ前の列車と乗り継いだ後の列車のどちらも分岐駅に停車する場合であっても適用される。詳細は区間外乗車#特定の分岐区間に対する区間外乗車を参照。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "特急列車など、途中で折り返して一部の区間を重複して運行する列車に乗車する場合、途中下車しないことを条件に、その重複する区間のキロ数を含めないで運賃・料金を計算する制度のことである。詳細は区間外乗車#特定列車による折返し区間外乗車の取扱いの特例を参照。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ある区間に対して複数の経路が存在する場合、旅客営業規則等に定められた区間についてはいずれの経路を通る場合でも短い方の経路によって計算を行うもの。乗客はいずれの経路を通ってもよく、途中下車の条件を満たす乗車券の場合はいずれの経路途上でも途中下車が可能。詳細は該当項目を参照。似た制度として、列車を限って短い経路で計算する列車特定区間、複数のルートのどちらかで計算された乗車券で別のルートを経由できる選択乗車がある。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "改札口を通過可能な磁気式プリペイドカード導入各社(関西のスルッとKANSAI、関東のパスネットなど)ではカードで入場した場合には途中で改札口を通過しない限り、もっとも安い経路の運賃が適用される。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "加算運賃(かさんうんちん)とは、鉄道会社が特に定めた区間に対して特定額だけ加算される運賃である。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "このような区間が設定される理由として、路線建設時の減価償却及び維持に莫大な費用がかかるというものがある。また大規模改良工事に際して完成後に便宜を受ける利用者から運賃を前取りする、「特定都市鉄道整備促進特別措置法」(昭和61年法律42号、通称「特々法」)に定める特定都市鉄道整備積立金制度にもとづく加算制度(現在、この制度による加算適用区間はない)、鉄道駅のバリアフリー化(エレベーター・ホームドアなどの整備・更新)に使途を限定して、運賃に上乗せする「鉄道駅バリアフリー料金制度」(軌道法施行規則第21条第2項第4号及び鉄道事業法施行規則第34条第1項第4号)にもとづく加算制度もある。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "カッコ内は記載の全区間を通しで利用した場合の加算運賃(大人運賃)。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "特定区間運賃(とくていくかんうんちん)とは、鉄道事業者が特に定めた区間に対して、キロ数で算出される運賃よりも安く設定された運賃のことである。区間を競合する他社路線の運賃に比べて、著しく割高になる場合に設定されることが多い。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "特定区間運賃は「○○駅 - ○○駅間は○○円」というように設定されている。特定運賃区間内にある任意の2駅間を利用する場合で、乗降する区間の正規運賃が、計算上特定区間運賃より高くなった場合でも、特定区間運賃が採用される。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2023年10月1日現在の特定区間運賃の一覧は以下のとおり。()内はICカード利用時の運賃である。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "新駅の設置時に特定区間運賃が暫定的に設定されることがある。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "東武鉄道では、2017年の東武ワールドスクウェア駅開業時に設定された姫宮駅・南羽生駅・佐野市駅・静和駅・新栃木駅・家中駅・下今市駅・江曽島駅・六実駅 - 東武ワールドスクウェア駅間相互間、東武ワールドスクウェア駅 - 鬼怒川公園駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年3月16日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。2020年のみなみ寄居駅開業時に設定された東武練馬駅・志木駅・新河岸駅・北坂戸駅・森林公園駅・武蔵嵐山駅・小川町駅・一本松駅・武州長瀬駅 - みなみ寄居駅間相互間、みなみ寄居駅 - 玉淀駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2021年3月13日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "あいの風とやま鉄道では、2018年の高岡やぶなみ駅開業時に設定された高岡やぶなみ駅 - 高岡駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年10月1日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "JR東日本では、2018年のあしかがフラワーパーク駅開業時に設定されたあしかがフラワーパーク駅 - 富田駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2020年3月14日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "複数の事業者が線路を共用する場合、または同一の事業者で運賃が異なる路線が線路を共用する場合も、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "さらに、前述のように京成成田駅と空港第2ビル駅・成田空港駅での相互乗車においても特定区間運賃が定められている。これは京成本線の京成成田駅 - 成田空港駅間には加算運賃が適用されており、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置である。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "このような加算運賃が適用されている場合も、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置として、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "京急電鉄では、京急蒲田駅を含む空港線内各駅 - 羽田空港国際線ターミナル駅(現:羽田空港第3ターミナル駅)・羽田空港国内線ターミナル駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)間には特定区間運賃が設定されていたが、2019年10月1日の加算運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "JR四国では、本四備讃線(瀬戸大橋線)児島駅とそれ以南の周辺の駅での相互乗車においては特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "また、JR四国では、1996年1月10日の運賃改定の際に地方交通線のみを乗車する場合および幹線と地方交通線を連続して乗車する場合の旅客運賃計算法の変更に伴い特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、通常の普通運賃を適用するようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また、あいの風とやま鉄道では、高岡駅で接続するJR線(城端線・氷見線)との間で転換開業時に設定された乗継割引によって、乗継割引が受けられない自社線内の手前の駅のほうが運賃が高額になってしまう現象が生じたことを受け、2017年4月15日から当該区間に特定区間運賃を設定し、逆転現象を解消していた。2019年10月1日改定運賃では乗継割引に伴う運賃の逆転現象が解消されたため、設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "新京成電鉄では、北習志野駅 - 京成津田沼駅間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2023年3月18日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "JR各社の場合、基本的には、各社ごとの乗車するキロ数(営業キロ、換算キロ、擬制キロの3種類。小数点切り上げ)を計算し、キロ数から運賃表に当てはめて算出することができる(後述のような例外あり)。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "国鉄時代は国有鉄道運賃法(昭和23年法律第112号、民営化時に廃止)によって運賃が定められていた。JR発足後は国鉄が残した旅客営業規則(略して「旅規」という)をそのまま引き継ぎ、以下のように運賃改定を実施している。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "当初は全国一律の運賃体系であったが、1996年1月10日の三島会社運賃改定で全国一律の形態が崩れている。一方、東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道の本州三社は、賃率とは別に定めている10km以下の区間を除き、税抜運賃自体の値上げは行われていない。また2014年4月1日の消費税率改定時にJR東日本・JR東海(東京駅 - 品川駅間)はきっぷ・定期券の新運賃については電車特定区間・山手線内を除き、JR東海(東京駅 - 品川駅間以外)・JR西日本の新運賃と揃えているが、ICカード利用時にはきっぷ・定期券の運賃と異なるIC運賃を新規に導入し、二重運賃となっている。", "title": "鉄道(旅客)" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "国内線と国際線で運賃形態が異なる。", "title": "航空(旅客)" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "航空運送の分野では、搭乗する人の年齢や搭乗する目的など、鉄道などの運賃に比べ多くの多彩な割引運賃を設定している。 以下に大手航空会社の国内線での一例を掲げるが、これ以外にも、離島割引や法人向け割引、国際線乗り継ぎ割引なども設定されている。", "title": "航空(旅客)" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "タクシーは、初乗り運賃と、走行距離と乗車時間に応じて加算される運賃によって料金が算出される。日本のタクシーの基本的な運賃制度については、日本のタクシー#運賃を参照。", "title": "鉄道・航空以外(旅客)" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "他の交通機関では、鉄道旅客運賃で主流の乗車キロ数から算出される方式ではなく、路線の区間ごとに運賃が決められている(いわゆる三角表方式)ことが多い。一部路線バスやコミュニティバスでは均一料金の場合もある。鉄道と同様に子供運賃や障害者割引運賃が設定されている場合が多く、首都圏では鉄道と同様のIC運賃を導入している事業者もある。", "title": "鉄道・航空以外(旅客)" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "貸し切りバスについては、基本的には時間と走行距離をもとに算出されるといわれている。", "title": "鉄道・航空以外(旅客)" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される。", "title": "貨物運賃(国内)" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ貨物運賃は、コンテナの重量にキロ程に応じた賃率を乗じて算出することを基本とする。そのほか、以下のような割増・割引、または加算料金がある。", "title": "貨物運賃(国内)" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される点は国内と変わらないが、コンテナ輸送の場合では、積地・揚地の荷動き量(コンテナの多少)に左右され、主要港間の運賃が地方港に比べて安くなる傾向がある。", "title": "貨物運賃(貿易)" } ]
運賃とは、交通機関(運輸会社など)との運送契約に基づき、旅客や貨物の運送(輸送)の対価として、交通機関に支払う金銭である。特に海運アライアンスで協定した運賃システムをタリフという。 旅客輸送における運賃の詳細については運賃制度、乗車券、航空券も参照。
{{Otheruses|[[貨物輸送]]・[[旅客輸送]]を含めた総論|旅客輸送における運賃の算出方法|運賃制度}} {{出典の明記|date=2009年12月22日 (火) 11:26 (UTC)}} '''運賃'''(うんちん、{{lang-en-short|fare}})とは、[[交通機関]]([[運輸業|運輸会社]]など)との[[運送|運送契約]]に基づき、[[旅客]]や[[貨物]]の運送([[輸送]])の対価として、交通機関に支払う[[貨幣|金銭]]である。特に[[海運アライアンス]]で協定した運賃システムを'''タリフ'''という。 [[旅客輸送]]における運賃の詳細については[[運賃制度]]、[[乗車券]]、[[航空券]]も参照。 == 鉄道(旅客) == === 運賃システム === 鉄道の旅客運賃は、一般的に[[普通列車]][[普通車 (鉄道車両)|一般車両]]の[[自由席]]を利用する運送のための対価をいい、[[急行列車]]や[[グリーン車|特別車両]]などを利用するために支払う'''料金'''<!--「料金」をリンクしても[[料金]]は「課金」に転送され、「課金」では鉄道については「運賃」を見るよう誘導されるので、この記事に戻ってくることになる。-->([[特別急行券|特急料金]]、[[急行券|急行料金]]、[[グリーン券|特別車両料金]]など)と区別される。なお、[[名古屋市交通局|名古屋市]]や[[福岡市交通局|福岡市]]など、地下鉄やバスを運営する日本の[[地方公営企業]]の中には運賃を(乗車)'''料金'''と称している事業者もある<ref>[http://www.reiki.city.nagoya.jp/reiki_honbun/i502RG00000798.html 高速電車乗車料条例] - 名古屋市例規類集</ref><ref>[http://subway.city.fukuoka.lg.jp/fare/system.php 料金案内] - 福岡市交通局、2018年4月17日閲覧</ref>。 鉄道の運賃システムには、距離に基づく方法のほか、ゾーン制、均一運賃、時間制がある<ref name="tsukin">谷川一巳『こんなに違う通勤電車―関東、関西、全国、そして海外の通勤事情』交通新聞社新書、2014年、110頁</ref>。 ==== 距離制 ==== 日本の鉄道の運賃は、駅間ごとに定められた[[営業キロ]]の総和に応じて決められるのが一般的である。このように距離ごとに細かく運賃を設定している国は少ない<ref name="tsukin" />。 営業キロに応じて運賃を定める場合でも、どのように運賃と営業キロを対応させるかによって2つのタイプに大分できる。 * '''対キロ制''' - キロ当たりの賃率を定め、それに乗車区間の営業キロを乗じて運賃とするもの<ref name="shikumi">[https://www.mlit.go.jp/common/001007700.pdf 運賃・料金のしくみ] 国土交通省 2021年9月14日閲覧。</ref>。 * '''対キロ区間制''' - 一定の距離を基準とする区間(乗車区間)に応じて運賃を定めるもの<ref name="shikumi" />。対キロ区間制での運賃は階段状に変化する<ref name="shikumi" />。 また、一部区間において営業キロをそのまま利用せず、営業キロより割り増しされたキロ数を適用した上で運賃を計算する場合がある。詳細は「[[営業キロ]]」の項を参照のこと。 2社にまたがる場合で<!--双方が最低運賃の区間の場合 →とは限らない-->、双方の運賃をそのまま合算すると距離の割に運賃が高くなる場合に[[乗り継ぎ料金制度|乗り継ぎ割引]]を適用した[[連絡乗車券]]が発売されることもある。 ===== 遠距離逓減制 ===== {{節スタブ}}<!--遠距離逓減制を採用する理由を記述していただけると嬉しいです。利用者:Sinryow--> 鉄道の運賃は多くの場合、長距離で利用するほど「運賃÷利用キロ数」が低くなるように設定されている。これを'''遠距離逓減制'''(えんきょりていげんせい)と言う。 対キロ制運賃の場合、キロ数に比例して定められる運賃を全区間において同一にせず、一定のキロ数を越えた分については低い運賃を比例させるといった方法が取られる。 対キロ区間制運賃の場合はそもそも制度上「運賃÷利用キロ数」は低くなっていく(「運賃=一定額+(距離比例額×キロ数)」であるため、これをキロ数で割ると「運賃÷利用キロ数=(一定額÷利用キロ数)+距離比例額」となる)。 遠距離逓減制のため、同一区間を乗車する場合においては、切符は2枚に分かれているよりも1枚になっていた方が安くなることが多い(「[[途中下車]]」も参照)。しかし、運賃計算制度の構造上、距離の端数が発生すると2枚に分けた方が運賃が安くなることも多い。 ==== ゾーン制 ==== 路線をいくつかのゾーンに分割し、その利用するゾーン数で運賃を定める方式。例として[[ロンドン地下鉄]]や[[香港MTR]]のLRT区間などで採用されている<ref name="tsukin" />。ただし、ゾーンの設定には特に境界の設定に配慮しないと不合理な運賃設定になるという欠点がある<ref name="tsukin" />。 ==== 均一運賃 ==== 乗車1回あたりの運賃のみを定める方式。均一制運賃とも呼ぶ。[[パリ地下鉄]]で採用されている<ref name="tsukin" />。切符の種類や改札機のシステムを単純化できるという利点がある<ref name="tsukin" />。 ==== 時間運賃 ==== [[時間]]単位で運賃を定める方式<ref name="tsukin" />。[[ドイツ]]や[[イタリア]]などで広く採用されている<ref name="tsukin" />。多くの場合、[[改札]]は設けられておらず、乗り場や車内にある[[時刻]]の[[チケットキャンセラー|刻印機]]で利用客が自ら刻印することを要する<ref name="tsukin" />。なお、[[シンガポールMRT]]のように、乗車区間相互間の最短経路を基準にした時間を超過して迂回した場合に精算により運賃よりも高額な増運賃を徴収するといった、乗客の滞留防止を目的に対距離区間制と併用しているケースもある。 === 運賃表と運賃の支払い === ==== 運賃表 ==== {{節スタブ}}<!--運とん表の写真を掲載していただけると幸いです。利用者:Rapid double plus--> 運賃を表や図などで示した表示。 駅やバスターミナルなどに掲出されているものは、利用者がそこから目的地までの運賃を調べるためのもので、路線図として表示しているもの、五十音順で表示するもの、路線・方面ごとに一覧表で表示するものなどがある。 距離制の場合には三角表と呼ばれる当該路線の任意の2駅間の運賃を調べることができる[[運賃表]]もあり、[[ワンマン運転]]の場合には、車内に掲出されていることがある(「[[運賃表示機]]」も参照)。また、各鉄道事業者が定める、乗車キロ数と運賃の対応を示した表も運賃表と呼ばれる。 ==== 運賃の支払い ==== * [[鉄道]]の場合は、[[鉄道駅|駅]]等で[[切符]]を買って乗車するか、前もって買った切符や[[乗車カード]]、チャージした[[ICカード]]などを使う。 ** 日本の鉄道では乗車中に[[車掌]]に申告し運賃を支払うことが認められている(ワンマン運転では運賃が後払い方式の場合もある)。 ** ヨーロッパなどの[[信用乗車方式]]が採用されている国では乗り越しが禁止されている。車内検札時に正しい乗車区間の切符を持っていないと[[不正乗車]]としてペナルティを科される<ref>谷川一巳『こんなに違う通勤電車―関東、関西、全国、そして海外の通勤事情』交通新聞社新書、2014年、111頁</ref>。 * ワンマン運転で運賃が後払い方式の鉄道の場合は、乗車時に[[乗車整理券|整理券]]を取り、降車時に車内で運賃を支払う。乗降する駅によっては、駅で切符を買って乗車する場合や、降車したあとにその駅で運賃を支払うこともある。 * ワンマン運転の路面電車や一般路線バスは、事業者や路線により、運賃を支払ってから乗車する前払い運賃の場合と、降車時に運賃を支払う後払い運賃の場合がある。後者は乗車時に整理券を取る必要がある場合がある。 * [[高速バス]]は事業者や路線により、[[バスターミナル]]などで前もって切符を買う、インターネットで予約しオンライン決済する、一般路線バスと同様に降車時に運賃を支払うなどの方法がある。 === 子供・障害者の運賃 === ==== 子供の運賃 ==== 日本では、[[鉄道営業法]]に基づく[[鉄道運輸規程]]第10条に、「鉄道ハ旅客ノ同伴スル六年未満ノ小児ヲ旅客一人ニ付少クトモ一人迄無賃ヲ以テ運送スベシ」、「鉄道ハ十二年未満ノ小児ヲ第一項ノ規定ニ依リ無賃ヲ以テ運送スルモノヲ除キ大人ノ運賃ノ半額ヲ以テ運送スベシ」という規定があり、これらの規定により、6歳未満は無料、12歳未満は半額である。この「子供は半額」という価格設定は、国土交通省によれば、「席の占有率が大人の半分というおおらかな理由だった」のが一説であるという<ref>{{Cite web2|title=子どもなら新宿―小田原間でも50円 他社も衝撃、小田急の大胆戦略|url=https://digital.asahi.com/articles/ASPCF42SDPCBUTIL04H.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-11-14|publisher=朝日新聞|date=2021-11-14}}</ref>。この制度は1937年(昭和12年)6月1日から始まったもので、それ以前は4歳未満のみ無料であったが、あまり順守はされていなかった<ref>運輸規則を改正、六歳児まで無料に『大阪毎日新聞』(昭和12年5月6日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p363 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 年齢による区分はJRグループでは以下のようになっており、私鉄でも概ね同一である。 * 大人 - 12歳以上。ただし12歳の小学生(小学校卒業年度の3月31日まで)は小児。 * 小児(こども) - 6歳以上12歳未満。ただし小学校未入学の6歳は幼児。 * 幼児 - 1歳以上6歳未満。 * 乳児 - 1歳未満。 各区分における運賃は以下のようになっている。 * 小児(こども) - 大人の半額。計算上生じた10円未満の端数は、JRグループの場合切り捨てられ(例:190円を折半し95円→90円)、私鉄等では切り上げられることが多い(例:190円を折半し95円→100円)。 * 幼児 - 大人または小児に同伴される場合、大人・小児1人につき幼児2人まで無料で、3人以上の場合は超過人数分の小児運賃が必要<ref group="注">[[広島電鉄]]のように、3人まで無賃で4人目から小児運賃としていたり[https://www.hiroden.co.jp/ticket-pass/age-class.html]、[[札幌市営地下鉄]]および[[札幌市電]]のように4人まで無賃で5人目から小児運賃としている[https://www.city.sapporo.jp/st/josyaken/ryokin/ryoukin.html#kodomodohan]社局もある。逆に[[広電バス]]のように1人まで無賃で2人目から小児運賃としている社局もある。</ref>。大人・小児の同伴なしで乗車するときは小児運賃が必要。1人で普通車・グリーン車の座席指定席や寝台を利用するときは小児運賃・料金が必要。 * 乳児 - 無料。ただし1人で普通車・グリーン車の座席指定席や寝台を利用するときは小児運賃・料金が必要。 ==== 障害者割引運賃 ==== 身体障害者([[身体障害者手帳]]所持者)・知的障害者([[療育手帳]]所持者)やその介護者に対しては運賃を大人運賃の5割引とすることがある。旧国鉄から引き継いだJRの旅客運賃割引規則第1種かつ介護者同伴の本人及び介護者の両者の普通乗車券、定期券、回数券、または100&nbsp;km超を利用する場合の本人の普通乗車券および12歳未満の第2種障害者の介護者の定期券に限り割引を行っており、民鉄でも同様の割引を実施している事例が大半であるが、適用の可否は、第1種/第2種の別、乗車距離(100キロを超えるか否か)などにより、事業者によって違いがある。JRの割引規則の範囲は、例えば視覚障害では4級の1と4級の2で区分が違うなど一見して判断できないため、身体障害者手帳または療育手帳には旅客鉄道株式会社旅客運賃減額欄に第1種又は第2種の記載があり、JRの割引規則上の区分を確認できるようになっている。 精神障害者([[精神障害者保健福祉手帳]]所持者)については、身体・知的障害者同様の割引をする事業者<ref group="注">自治体運営の交通機関の場合は手帳の種類にかかわらず割引が適用される場合と交通機関が所属する自治体の住民に限定して適用が認められる場合・精神障害者保健福祉手帳のみ非対応など数種類に分かれる。</ref>もあるが、JRや大手の民鉄などは割引の対象外としている事業者が多い。 {{see also|精神障害者保健福祉手帳#交通機関の割引}} 障害者割引は、介護者を伴わなければ旅行できない障害者の二人分の運賃を実質的に一人分に割引くことで経済的な負担を軽減する目的で実施されていたものであるが、駅等のバリアフリー化も進み、介護者伴わず一人で行動できる障害者も増えており、もはや第1種かつ介護者同伴または100&nbsp;km超の距離制限は、旧国鉄時代の制度を踏襲しているだけで合理性がないのではないかという意見も存在する。一方で、一人で鉄道に乗れるのであれば、割引は不要ではないかという意見も存在する。もう一方で、一人で歩ける障害者に割引はおかしいと思う人もいるだろうが、障害者には多くの金銭的負担があるので、障害者が単独で障害者割引で鉄道を利用したとしても不平等ではないのではないかという意見も存在する<ref>{{Cite |title=鉄道の謎ルール 障害者割引“一人で利用はダメ” ルーツを調べてわかった意外な理由 |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/447357?display=1 |publisher=TBS NEWS DIG |page=4}}</ref>。 しかしながら、事業者負担で障害者割引を実施することには疑問があり、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)は国鉄時代から引き続き実施している割引を含め、本来は国の社会福祉政策として実施されるべきものとの考えであり<ref>{{Cite |title=平成19年度の業務監査実施事業者 東日本旅客鉄道株式会社 |url=https://www.mlit.go.jp/common/000026875.pdf |publisher=国土交通省 |page=3 |work=業務監査について([https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000005.html 年別リスト])}}</ref>。[[2014年]](平成26年)の障害者政策委員会でも「国鉄時代から引き継いで、一部の障害者の方に対する割引制度というのは引き続きやっているところはございますけれども、基本的にそういった割引に関しては、国の社会福祉政策の一環として行われるべきものと考えている」と回答している<ref>{{Cite |title=障害者政策委員会(第14回)議事録 1 |url=https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/k_14/gijiroku1.html |publisher=内閣府 |date=2014-09-22}}</ref>。[[東海旅客鉄道]](JR東海)は、平成20年度(2008年度)に[[国土交通省]]が行った業務監査において、「福祉割引(障害者割引)は国の福祉政策の一環として行政の費用負担で行ってもらいたい。」と回答している<ref>{{Cite |title=平成20年度の業務監査実施事業者 東海旅客鉄道株式会社 |url=https://www.mlit.go.jp/common/000039845.pdf |publisher=国土交通省 |page=3 |work=業務監査について([https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000005.html 年別リスト])}}</ref>。[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)も[[2009年]](平成21年)度の業務監査で「福祉割引については、本来、国の社会福祉施策として、国の負担により実施されるべきものと考えています。」と回答している<ref>{{Cite |title=平成21年度の業務監査実施事業者 西日本旅客鉄道株式会社 |url=https://www.mlit.go.jp/common/000123304.pdf |publisher=国土交通省 |page=6 |work=業務監査について([https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000005.html 年別リスト])}}</ref>。なお、国鉄分割民営化後の[[1991年]](平成3年)に知的障害者を割引の対象に追加しているが、このときはJR東日本の上場前であり、当時はまだJR全社は国有企業であった。 また、令和4年度(2022年度)の[https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/s304_arikata02.html 鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会]で、JR東日本は「通学定期券の大幅な割引や、障がい者割引などは、社会として必要なものと理解しているが、本来は事業者の負担ではなく、文教政策や社会福祉政策の一環として、社会全体で負担されるべきものではないか。」という考えを表明している<ref>{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001466286.pdf 鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会 第2回(2022年3月1日)資料1 JR東日本資料]}}</ref>。JR西日本も「JR東日本と同じ考え」とした上で<ref name="運賃小委員会 第2回">{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/common/001476215.pdf 交通政策審議会鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会(第2回)結果と主な委員の意見]}}</ref>、社会福祉政策に応じて実施する割引運賃への補填の検討を求めている<ref>{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001466287.pdf 鉄道運賃・料金制度のあり方に関する小委員会 第2回(2022年3月1日)資料2 JR西日本資料]}}</ref>。同様に、JR東海も「そうした観点も当然あるという受け止め」と回答している<ref name="運賃小委員会 第2回" />。 一方、JR東海は2021年5月10日から身体障害者手帳を所有している場合に[[東海道新幹線|東海道]]・[[山陽新幹線|山陽]]・[[九州新幹線]]で[[エクスプレス予約]]の利用が可能なJR東海エクスプレス・カードの年会費1,100円(税込)が無料となることで実質的にエクスプレス予約を年会費無料で利用することができる障害者割引を開始し<ref>{{Cite web|和書|title=Q. 身体障害者割引の乗車券を「エクスプレス予約」で予約できますか? |url=https://expy.jp/faq/category/detail/?id=530 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210617172612/https://expy.jp/faq/category/detail/?id=530 |publisher=東海旅客鉄道株式会社 |archive-date=2021-06-17 |access-date=2023-12-23 |language=ja}}</ref>、国鉄分割民営化後としては異例の障害者割引の拡大となったが、これは精神障害者だけでなく、知的障害者も対象外である。ただし、エクスプレス予約では身体障害者割引を適用した乗車券を購入することはできず、身体障害者割引を利用する場合はe特急券に加えて窓口で乗車券を別途購入する必要がある。 ICカードは障害者割引運賃では利用できない場合が多い。後述するIC運賃を導入した事業者においては、出場時に自動改札機にタッチせずに手帳とICカードを係員に提示し、係員がIC運賃を基準とした割引運賃を引くという処理を行うようにしたことで、障害者割引運賃でのICカードの利用が可能となった。また、一部の事業者では、手帳所持者と介護者に対して自動改札機で使用できる(介護者と同時に使用する前提で障害者割引運賃を引き去る)障害者用・介護者用ICカードを発行している。 === IC運賃 === 一部のICカード導入事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」をそれぞれ設けていることがある。 ==== 首都圏およびJR東日本 ==== [[Suica]]、[[PASMO]]などの[[ICカード]]で入出場する場合に限り適用される普通運賃。入出場ともに同じICカードを使い、カード読取機(自動改札機に併設されたカード読取機を含む)を利用することが条件となる(途中からの別の乗車券と併用する場合は、ICカードで入場すればその乗車券に接続する駅までの運賃に関してはIC運賃が適用となる)。残高不足の場合には鉄道の場合精算機でチャージしてもIC運賃の適用を受ける。自社のICカードだけでなく、相互利用カードを利用する場合にも適用される。 [[2014年]][[4月1日]]の[[消費税]]率改定(5%→8%)に対応した運賃改定の際に、消費税の正確な転嫁を目的に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)や首都圏の多くの鉄道事業者が導入した。基本的には、税抜運賃の設定がある場合にはその額に消費税を加算したもの(JR線で営業キロ11km以上の区間。税抜運賃は最低でも10円単位で変化なし)、その他の場合は旧運賃の105分の108としたものが多い(JR東日本の10km以下の区間は後者で、消費税導入前の運賃を基準としていない)。 [[2019年]][[10月1日]]の消費税率改定(8%→10%)に対応した運賃改定も2014年の改定時とほぼ同様となった。旧運賃の108分の110とした事業者のほか、2014年の改訂前の運賃を基準に105分の110とした事業者もあった。なお、JR東日本では101km以上の運賃はきっぷもICカードも同額となった。 IC運賃はその運賃をそのまま1円単位として適用し、きっぷ運賃は10円単位に端数整理したものである。したがって、ICカードの方がきっぷで入出場する際の運賃より安い場合が多いが、きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者の場合区間によっては高いこともある。これにより運賃の値上げ幅が消費税の増税分より多くなるが、その分定期運賃の値上げ幅を抑えて調整している。 理論上最長距離のIC運賃は[[浪江駅]] - [[松本駅]]間の利用で8,360円である。距離は504.1km<!--常磐線・武蔵野線・中央本線経由-->。 {| class="wikitable" |+ Suica、PASMOエリア内におけるIC運賃導入状況(2014年4月1日より導入)[https://www.mlit.go.jp/common/001029624.pdf] |- |rowspan="2"| IC運賃導入 | きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で切り上げる鉄道事業者 | [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<ref group="IC運賃">[[電車特定区間]]</ref>、[[京浜急行電鉄]]、[[東急電鉄]]<ref group="IC運賃">[[こどもの国線]]を含む</ref>、[[小田急電鉄]]、[[京王電鉄]]、[[西武鉄道]]、[[東武鉄道]]、[[京成電鉄]]、[[相模鉄道]]、[[東京地下鉄]](東京メトロ)、[[東京都交通局]]<ref group="IC運賃">[[都電荒川線]]のみ2014年4月1日より導入、[[都営地下鉄]]は2014年6月1日より導入</ref>、[[横浜市交通局]]<ref group="IC運賃">2014年6月1日より導入</ref>、[[新京成電鉄]]、[[東京モノレール]]、[[東京臨海高速鉄道]](りんかい線)、[[東葉高速鉄道]]、[[北総鉄道]]、[[関東鉄道]]<ref group="IC運賃" name="fare20191001">2019年10月1日より導入</ref>、[[多摩都市モノレール]]<ref group="IC運賃" name="fare20191001" />、[[千葉都市モノレール]]、[[横浜高速鉄道]](みなとみらい線)<ref group="IC運賃" name="fare20191001" />、[[首都圏新都市鉄道]](つくばエクスプレス)、[[埼玉新都市交通]](ニューシャトル)、[[ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線|ゆりかもめ]]、[[横浜シーサイドライン]]<ref group="IC運賃" name="fare20191001" /> |- | きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者 | [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<ref group="IC運賃">Suicaエリア内の[[幹線]]・[[地方交通線]]</ref>、[[伊豆急行]]、[[仙台空港鉄道]] |- |colspan="2"| IC運賃非導入鉄道事業者 | [[伊豆箱根鉄道]]、[[江ノ島電鉄]]、[[埼玉高速鉄道]]、[[箱根登山鉄道]]、[[舞浜リゾートライン]]、[[湘南モノレール]]<ref group="IC運賃">2018年4月1日よりPASMOが導入された。</ref>、[[秩父鉄道]]<ref group="IC運賃">2022年3月12日よりPASMOが導入された。</ref> |} {{Reflist|group="IC運賃"}} 運賃表ではIC運賃を導入している場合でも「きっぷの運賃(現金での運賃)」を優先して記載されているが、路線図の隅の方に「ICカード利用時の運賃」との対応表を掲載している<ref group="注">[[東日本旅客鉄道]]では「ICカードご利用時の運賃対応表」、[[東急電鉄]]では「ICカードでご乗車時の東急線運賃対照表」[http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/kaitei/kenbai_annai/index.html#hidden_element]、[[小田急電鉄]]では「運賃対照表」[http://www.odakyu.jp/release/fare/fare.html#p02]、[[京王電鉄]]では「ICカード運賃対照表」[http://www.keio.co.jp/train/tariff/ticket_machine.pdf]を用いており、決まった名称が無い。</ref>。対応表には種類があり、加算運賃を設定していない鉄道事業者では「きっぷの運賃(現金での運賃)」と「ICカード利用時の運賃」の額面同士での対応表が掲載されていることが多い<ref group="注">[[東日本旅客鉄道]]では対応表が5種類がある[http://www.jreast.co.jp/estation/stations/icfaretable/index.html]。 <br />[[幹線]]タイプ…3エリア問わず電車特定区間外の幹線のみに乗り入れる駅に使用:幹線初乗り(147円) - 200km(3410円)、地方交通線7 - 10km(210円)、特定区間[[上野駅|上野]] - [[成田駅|成田]]間(935円)を表示 <br />[[地方交通線]]タイプ…3エリア問わず電車特定区間外の地方交通線が乗り入れる駅に使用:幹線初乗り(147円) - 200km(3410円)、地方交通線7 - 10km(210円)、地方交通線92 - 100km(1881円)を表示 <br />電車特定区間境界タイプ…電車特定区間境界付近の駅に使用:下表参照欄(電車特定区間初乗り146円と幹線初乗り147円)、幹線4km(189円) - 100km(1694円)、地方交通線7 - 10km(210円)、地方交通線92 - 100km(1881円)、電車特定区間4km(167円) - 100km(1616円)、特定区間[[品川駅|品川]] - [[横浜駅|横浜]]間(303円)、特定区間[[横浜駅|横浜]] - [[逗子駅|逗子]]間(356円)、特定区間[[新宿駅|新宿]] - [[八王子駅|八王子]]間(492円)を表示 <br />[[電車特定区間]]タイプ…境界タイプの設置駅を除く電車特定区間内の駅に使用:幹線4km(189円) - 100km(1694円)、地方交通線7 - 10km(210円)、地方交通線92 - 100km(1881円)、電車特定区間初乗り(146円) - 100km(1616円)、特定区間[[品川駅|品川]] - [[横浜駅|横浜]]間(303円)、特定区間[[横浜駅|横浜]] - [[逗子駅|逗子]]間(356円)、特定区間[[新宿駅|新宿]] - [[八王子駅|八王子]]間(492円)を表示 <br />[[東京山手線内]]タイプ…山手線内の駅に使用:幹線26km(506円) - 100km(1694円)、電車特定区間初乗り(146円) - 100km(1616円)、山手線内11km(208円) - 20km(274円)、特定区間[[品川駅|品川]] - [[横浜駅|横浜]]間(303円)、特定区間[[新宿駅|新宿]] - [[八王子駅|八王子]]間(492円)を表示 </ref>が、加算運賃や連絡割引運賃を設定している鉄道事業者では、1つのきっぷ運賃に対してIC運賃が複数ある場合があり、その案内も事業者により対応がまちまちである<ref group="注">[[京浜急行電鉄]]の場合には端の方に着駅ごとに「ICカード利用時の運賃」を掲出している。また、[[京王電鉄]]の場合には「ICカード運賃対照表」があるものの、加算運賃設定区間発着の場合には(括弧内)の数字を参照するよう記載されている。[http://www.keio.co.jp/train/tariff/ticket_machine.pdf 券売機付近の運賃表示についてのご案内]</ref>。また、「きっぷの運賃がIC運賃を10円単位で四捨五入する鉄道事業者」の場合、掲出される運賃表でICカードの方が区間によって運賃が高いことを知らせていることがある。連絡きっぷについてはほとんどの場合「ICカード利用時の運賃」の掲出は無く、「きっぷの運賃(現金での運賃)」のみ記載される<ref group="注">ただし[[東京地下鉄|東京メトロ]]と[[都営地下鉄]]の場合には路線図の隅の方に「ICカード利用時の運賃」との対応表を掲載しているが、区間によっては1つの「きっぷの運賃(現金での運賃)」に対して2つの「ICカード利用時の運賃」が設定されている。</ref><ref group="注">[[東日本旅客鉄道]]の多くの駅ではIC運賃の導入に伴い、[[東京メトロ千代田線]]西日暮里 - 北千住間通過連絡運輸を除く連絡会社線運賃表の掲出そのものをとりやめた。</ref>。 ==== ICカード利用時の割引 ==== IC運賃を設定していないが、ICカード利用時に引き去る額を通常の運賃より一定の割合で割り引いている事業者がある。例としては広島都市圏各社の[[PASPY]]<ref>[http://www.paspy.jp/use/discount.html お得な割引サービスについて] - PASPY</ref>、[[富山地方鉄道]]の[[ecomyca]]<ref>[http://www.chitetsu.co.jp/?page_id=622 ecomycaご利用案内] - 富山地方鉄道</ref>、[[富山ライトレール]]のpassca<ref>[http://www.t-lr.co.jp/tariff/index.html ポートラム 運賃] - 富山ライトレール</ref>、[[伊予鉄道]]の[[ICい〜カード]]<ref>[http://www.iyotetsu.co.jp/e-card/ecard/ ICい〜カードとは] - 伊予鉄道</ref>などがある。[[PASMO]]エリアでは[[東急バス]]の[[東急バス新羽営業所#新横溝の口線|新横溝口線]]では現金支払い時より50円引きとなる<ref>[http://www.tokyubus.co.jp/top/news/sinyokomizo_1.pdf 「溝の口駅~新横浜駅」直行バスの運賃改定について] - 東急バス</ref>。また、[[茨城交通]]が独自に導入している[[いばっピ]]では、ICカード利用時の割引運賃を1円単位としている(初乗り170円の場合、利用者割引10%が適用され153円となる)<ref>[http://www.ibako.co.jp/regular/ibappi/ ICカード いばっピ] - 茨城交通</ref>。 ==== ロンドン地下鉄 ==== ロンドン地下鉄ではICカード利用促進と混雑解消のため、ICカード利用時の運賃の引き落し限度額が設定されており、ピーク時間帯を含まない時間帯に地下鉄を利用した場合にはその上限額が低く抑えられている<ref>谷川一巳『こんなに違う通勤電車―関東、関西、全国、そして海外の通勤事情』交通新聞社新書、2014年、113頁</ref>。 === 運賃計算における特例 === 通常の運賃計算のルールを適用すると利用実態にそぐわない場合などに、以下のような特例を設けて対処されることがある。 ==== 通過連絡運賃 ==== 他社線を挟んで2区間に分割された1社の路線を利用する場合に、その2区間のキロ数を通して計算すること。2区間に分割されることによって運賃が急増することを抑えるものである。詳細は[[連絡運輸#通過連絡運輸]]を参照。 ==== 分岐駅通過の特例 ==== 運賃計算の特例ではなく、乗車券の効力の特例であるが、分岐駅を通過する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、[[途中下車]]しないことを条件に、最寄りの停車駅と分岐駅間の区間外乗車を認める制度のこと。乗り継ぐ前の列車か乗り継いだ後の列車の少なくとも一方がその分岐駅に停車せず通過することが条件である。詳細は[[区間外乗車#分岐駅通過列車に対する区間外乗車の取扱いの特例]]を参照。 ==== 特定の分岐区間に対する区間外乗車 ==== 分岐駅を経由する列車に乗車して分岐する他線区に乗り換えをするとき、途中下車しないことを条件に、その近傍の指定した駅と分岐駅の間の区間外乗車を認める制度のことである<!--基149条のこと-->。上記の「分岐駅通過の特例」と異なり、乗り継ぐ前の列車と乗り継いだ後の列車のどちらも分岐駅に停車する場合であっても適用される。詳細は[[区間外乗車#特定の分岐区間に対する区間外乗車]]を参照。 ==== 特定の列車による折り返し区間外乗車 ==== 特急列車など、途中で折り返して一部の区間を重複して運行する列車に乗車する場合、途中下車しないことを条件に、その重複する区間のキロ数を含めないで運賃・料金を計算する制度のことである。詳細は[[区間外乗車#特定列車による折返し区間外乗車の取扱いの特例]]を参照。 ==== 経路特定区間 ==== {{See also|経路特定区間}} ある区間に対して複数の経路が存在する場合、[[旅客営業規則]]等に定められた区間についてはいずれの経路を通る場合でも短い方の経路によって計算を行うもの。乗客はいずれの経路を通ってもよく、[[途中下車]]の条件を満たす乗車券の場合はいずれの経路途上でも途中下車が可能。詳細は該当項目を参照。似た制度として、列車を限って短い経路で計算する[[列車特定区間]]、複数のルートのどちらかで計算された乗車券で別のルートを経由できる[[選択乗車]]がある。 ==== 磁気式プリペイドカード利用時の運賃計算 ==== 改札口を通過可能な磁気式[[プリペイドカード]]導入各社(関西の[[スルッとKANSAI]]、関東の[[パスネット]]など)ではカードで入場した場合には途中で改札口を通過しない限り、もっとも安い経路の運賃が適用される。 ==== 加算運賃 ==== 加算運賃(かさんうんちん)とは、[[鉄道事業者|鉄道会社]]が特に定めた区間に対して特定額だけ加算される運賃である。 このような区間が設定される理由として、路線建設時の[[減価償却]]及び維持に莫大な費用がかかるというものがある。また大規模改良工事に際して完成後に便宜を受ける利用者から運賃を前取りする、「[[特定都市鉄道整備促進特別措置法]]」(昭和61年法律42号、通称「特々法」)に定める特定都市鉄道整備積立金制度にもとづく加算制度(現在、この制度による加算適用区間はない)、[[鉄道駅]]の[[バリアフリー]]化([[エレベーター]]・[[ホームドア]]などの整備・更新)に使途を限定して、運賃に上乗せする「[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]」(軌道法施行規則第21条第2項第4号及び鉄道事業法施行規則第34条第1項第4号)にもとづく加算制度もある。 ; 加算運賃の設定例 カッコ内は''記載の全区間を通しで利用した場合の''加算運賃(大人運賃)。 * <nowiki>*</nowiki>印は、利用区間によっては加算運賃の減額等の措置があるもの。<!--「この区間内に途中駅があるために」加算運賃が減額される場合については、この記号を付けないで下さい! --> * <nowiki>#</nowiki>印は、加算運賃が対キロで設定されている区間・会社(他は乗車区間に対して設定)。 ; [[北海道旅客鉄道]](JR北海道) : [[千歳線]](支線):[[新千歳空港駅]] - [[南千歳駅]](20円)<ref group="注">2019年9月30日までは140円。</ref> ; [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) : [[関西空港線]]:全線(220円*) ; [[四国旅客鉄道]](JR四国) : [[本四備讃線]]([[瀬戸大橋線]]):[[児島駅]] - [[宇多津駅]](110円) ; [[九州旅客鉄道]](JR九州) : [[宮崎空港線]]:全線(130円) ; [[京成電鉄]] : [[京成本線|本線]]:[[京成成田駅]] - [[成田空港駅]](140円*) : [[京成東成田線|東成田線]]:全線(70円) ; [[東急電鉄]] : [[東急新横浜線]]:[[新綱島駅]] - [[新横浜駅]](70円) ; [[京浜急行電鉄]] : [[京急空港線|空港線]]:[[天空橋駅]] - [[羽田空港第1・第2ターミナル駅]](50円*) ; [[相模鉄道]] : [[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]:全線 :: [[二俣川駅]] - [[いずみ中央駅]](40円#) :: いずみ中央駅 - [[湘南台駅]](30円) : [[相鉄新横浜線]]:全線 :: [[西谷駅]] - [[羽沢横浜国大駅]](30円) :: 羽沢横浜国大駅 - 新横浜駅(40円) ; [[名古屋鉄道]] : [[名鉄豊田線|豊田線]]:全線(60円#) : [[名鉄空港線|空港線]]:全線(80円) : [[名鉄知多新線|知多新線]]:全線(70円#) : <!--[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]:[[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]] - [[東大手駅]](30円)2006年12月15日限りで廃止--> : [[名鉄羽島線|羽島線]]:全線(30円) ; [[近畿日本鉄道]] : [[近鉄吉野線|吉野線]]:全線(40円#) : [[近鉄志摩線|志摩線]]:全線(40円#) : [[近鉄湯の山線|湯の山線]]:全線(40円#) : [[近鉄鳥羽線|鳥羽線]]:全線(30円*#)<ref group="注">[[近鉄山田線|山田線]]にまたがって利用する場合に限る。[[近鉄鳥羽線|鳥羽線]]内だけまたは鳥羽線と[[近鉄志摩線|志摩線]]の駅間だけを利用する場合は加算しない。</ref> : [[近鉄けいはんな線|けいはんな線]]:全線(130円#) ; [[京阪電気鉄道]] : [[京阪鴨東線|鴨東線]]:全線(60円) : [[京阪中之島線|中之島線]]:[[大江橋駅]] - [[中之島駅]](60円) ; [[南海電気鉄道]] : [[南海空港線|空港線]]:全線(230円*) ; [[泉北高速鉄道]] : [[泉北高速鉄道線]]:[[光明池駅]] - [[和泉中央駅]](20円) ; [[阪神電気鉄道]] : [[阪神なんば線]] : [[西九条駅]] - [[大阪難波駅]](90円*) ==== 特定区間運賃 ==== '''特定区間運賃'''(とくていくかんうんちん)とは、鉄道事業者が特に定めた区間に対して、[[営業キロ|キロ数]]で算出される運賃よりも安く設定された運賃のことである。区間を競合する他社路線の運賃に比べて、著しく割高になる場合に設定されることが多い。 特定区間運賃は「○○駅 - ○○駅間は○○円」というように設定されている。特定運賃区間内にある任意の2駅間を利用する場合で、乗降する区間の正規運賃が、計算上特定区間運賃より高くなった場合でも、特定区間運賃が採用される。 [[2023年]][[10月1日]]現在の特定区間運賃の一覧は以下のとおり。()内は[[ICカード]]利用時の運賃である。 * ●印は、[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]による料金10円が加算されているもの。 {| class="wikitable sortable" |- !rowspan|会社 !rowspan|区間 !rowspan|営業距離 !rowspan|正規運賃 !rowspan|特定区間運賃 |- |rowspan="16"|[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/consumption-tax/pdf/usually_specified.pdf 普通旅客運賃(特定区間)]}} - 東日本旅客鉄道</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2022/20220405_ho01.pdf|title=バリアフリー設備の整備を促進します~ホームドアは整備を拡大・加速~|publisher=東日本旅客鉄道株式会社|format=PDF|date=2022-04-05|accessdate=2023-03-22}}</ref> |[[東京駅]] - [[西船橋駅]]<ref group="注">ただし、[[京葉線]]経由の場合で、区間内にある[[八丁堀駅]]・[[越中島駅]] - [[西船橋駅]]間を利用する場合は、特定区間運賃は採用されず、410円(406円)●となる。</ref> |20.6km |410円(406円)● |'''320円(318円)●''' |- |[[上野駅]] - [[成田駅]] |66.4km |1,170円(1,166円) |'''940円(935円)''' |- |[[新宿駅]] - [[高尾駅 (東京都)|高尾駅]] |42.8km |740円(736円)● |'''580円(571円)●''' |- |新宿駅 - [[八王子駅]] |37.1km |660円(659円)● |'''500円(492円)●''' |- |新宿駅 - [[拝島駅]] |34.1km |580円(571円)● |'''490円(483円)●''' |- |[[渋谷駅]] - [[吉祥寺駅]] |15.6km |320円(318円)● |'''230円(230円)●''' |- |渋谷駅 - [[桜木町駅]] |31.2km |580円(571円)● |'''490円(483円)●''' |- |渋谷駅 - [[横浜駅]] |29.2km |490円(483円)● |'''410円(406円)●''' |- |[[新橋駅]] - [[久里浜駅]] |68.5km |1,110円(1,110円)● |'''950円(945円)●''' |- |新橋駅 - [[田浦駅]] |58.4km |950円(945円)● |'''830円(824円)●''' |- |[[浜松町駅]] - [[横須賀駅]] |59.3km |950円(945円)● |'''830円(824円)●''' |- |[[品川駅]] - [[衣笠駅]] |59.0km |950円(945円)● |'''830円(824円)●''' |- |品川駅 - [[逗子駅]] |48.1km |830円(824円)● |'''740円(736円)●''' |- |品川駅 - 横浜駅<ref group="注">ただし、[[東海道新幹線]](JR東海)経由の場合で、[[品川駅]] - [[新横浜駅]]間 (22.0km) を利用する場合は、電車特定区間および特定区間運賃は採用されず、420円となる。</ref> |22.0km |410円(406円)● |'''310円(303円)●''' |- |横浜駅 - 田浦駅 |31.5km |580円(571円)● |'''490円(483円)●''' |- |横浜駅 - 逗子駅 |26.1km |490円(483円)● |'''360円(356円)●''' |- |rowspan="11"|[[東海旅客鉄道|JR東海]]<ref>{{PDFlink|[https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000039699.pdf 消費税引き上げに伴う運賃・料金改定の認可申請について]}} - 東海旅客鉄道、2019年7月2日</ref> |[[岡崎駅]] - [[名古屋駅]]<ref name="tokaido-shinkansen" group="注">[[東海道新幹線]]経由の場合を含む。</ref> |40.1km |770円 |'''620円''' |- |[[安城駅]] - 名古屋駅<ref name="tokaido-shinkansen" group="注" /> |32.3km |590円 |'''480円''' |- |[[三河安城駅]] - 名古屋駅<ref name="tokaido-shinkansen" group="注" /> |29.7km |510円 |'''480円''' |- |[[金山駅 (愛知県)|金山駅]] - 名古屋駅 |3.3km |190円 |'''170円''' |- |金山駅 - [[尾張一宮駅]] |20.4km |420円 |'''370円''' |- |金山駅 - [[岐阜駅]]<ref group="注">ただし、[[東海道新幹線]]経由の場合で、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]] - [[岐阜羽島駅]]間 (33.6km) を利用する場合は、特定区間運賃は採用されず、590円となる。</ref> |33.6km |590円 |'''540円''' |- |名古屋駅 - 尾張一宮駅 |17.1km |330円 |'''300円''' |- |名古屋駅 - 岐阜駅<ref group="注">ただし、[[東海道新幹線]]経由の場合で、[[名古屋駅]] - [[岐阜羽島駅]]間 (30.3km) を利用する場合は、特定区間運賃は採用されず、590円となる。</ref> |30.3km |590円 |'''470円''' |- |[[枇杷島駅]] - 岐阜駅 |26.3km |510円 |'''430円''' |- |名古屋駅 - [[桑名駅]] |23.8km |420円 |'''350円''' |- |名古屋駅 - [[四日市駅]] |37.2km |680円 |'''480円''' |- |rowspan="22"|[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]<br /><ref name="tokaido-sanyo-shinkansen" group="注">[[東海道新幹線]](JR東海)・[[山陽新幹線]](JR西日本)経由の場合を含む。</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/26ad20f173bd760d8c23495b255bba91.pdf 改定後の運賃・料金の概要等]}} - 西日本旅客鉄道、2019年7月2日</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jr-central.co.jp/000042538.pdf|title=東京地区・関西地区における鉄道駅バリアフリー料金制度の活用等に伴う普通運賃・新幹線定期券「FREX(通勤用)」発売額の一部見直しについて(2023 年春)|date=2023-02-06|accessdate=2023-03-22|publisher=東海旅客鉄道|language=ja}}</ref><ref name="jrwest-specific">{{Cite press release|和書|url=https://www.jr-odekake.net/oshirase/farerevision/assets/pdf/specific.pdf|title=京阪神エリアの特定区間 普通・通勤定期運賃表(2023年4月1日購入分から改正)|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|format=PDF|date=2022-08-19|accessdate=2023-03-22}}</ref><ref name="jrwest-barrierfree">{{Cite press release|和書|url=https://www.jr-odekake.net/oshirase/farerevision/assets/pdf/barrierfree.pdf|title=鉄道駅バリアフリー料金制度を活用してバリアフリー設備の整備を加速してまいります|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|format=PDF|date=2022-08-19|accessdate=2023-03-22}}</ref> |[[大阪駅]] - [[京都駅]]<ref name="tokaido-shinkansen" group="注" /> |42.8km |740円● |'''580円●''' |- |大阪駅 - [[高槻駅]] |21.2km |410円● |'''290円●''' |- |大阪駅 - [[JR総持寺駅]] |16.6km |320円● |'''280円●''' |- |大阪駅・[[北新地駅]] - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] |33.1km |570円● |'''460円●''' |- |大阪駅・北新地駅 - [[元町駅 (兵庫県)|元町駅]] |31.4km |570円● |'''420円●''' |- |大阪駅・北新地駅 - [[宝塚駅]] |25.5km |510円 |'''330円''' |- |[[新大阪駅]] - 京都駅<ref name="tokaido-shinkansen" group="注" /> |39.0km |660円● |'''580円●''' |- |新大阪駅 - 高槻駅 |17.4km |320円● |'''280円●''' |- |[[茨木駅]] - 神戸駅・[[新神戸駅]]<ref name="sanyo-shinkansen" group="注">[[山陽新幹線]]経由の場合を含む。</ref> |47.7km |820円● |'''730円●''' |- |高槻駅 - 神戸駅・新神戸駅<ref name="sanyo-shinkansen" group="注" /> |54.3km |950円● |'''830円●''' |- |京都駅 - 神戸駅・新神戸駅<ref name="tokaido-sanyo-shinkansen" group="注" /> |75.9km |1,280円● |'''1,110円●''' |- |京都駅 - [[城陽駅]] |20.2km |420円 |'''370円''' |- |京都駅 - [[新田駅 (京都府)|新田駅]] |18.1km |330円 |'''300円''' |- |京都駅 - [[奈良駅]] |41.7km |770円 |'''720円''' |- |[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]] - 神戸駅 |25.4km |480円● |'''430円●''' |- |[[JR難波駅]] - 奈良駅 |41.0km |740円● |'''580円●''' |- |[[天王寺駅]] - 奈良駅 |37.5km |660円● |'''510円●''' |- |天王寺駅 - [[和歌山駅]] |61.3km |1,110円● |'''900円●''' |- |天王寺駅 - [[紀伊駅]] |53.3km |950円● |'''880円●''' |- |[[美章園駅]] - [[六十谷駅]] |55.7km |950円● |'''880円●''' |- |[[長居駅]] - 和歌山駅 |56.6km |950円● |'''880円●''' |- |[[海老江駅]] - 神戸駅 |31.9km |570円● |'''450円●''' |- |[[秋田内陸縦貫鉄道]] |[[西明寺駅]] - [[角館駅]] |7.3km |300円 |'''210円''' |- |[[上毛電気鉄道]]<ref name="jomo">[http://www.jomorailway.com/fare_nomal.html 駅間普通旅客運賃表] - 上毛電気鉄道</ref> |[[赤城駅]] - [[西桐生駅]] |5.8km |300円 |'''280円''' |- |rowspan="4"|[[京成電鉄]]<ref name="keisei20190905">{{PDFlink|[http://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190906_150142315200.pdf 鉄道旅客運賃の上限変更認可及び旅客運賃・特急料金改定について]}} - 京成電鉄、2019年9月5日</ref> |[[八広駅]] - [[菅野駅]] |10.1km |270円(262円) |'''190円(189円)''' |- |八広駅 - [[谷津駅]] |20.1km |380円(377円) |'''330円(325円)''' |- |八広駅 - [[ユーカリが丘駅]] |35.1km |550円(545円) |'''500円(492円)''' |- |[[幕張本郷駅|京成幕張本郷駅]] - [[千葉中央駅]] |10.8km |270円(262円) |'''240円(231円)''' |- |rowspan="5"|[[多摩都市モノレール|多摩モノレール]]<ref group="注">運賃計算上は[[立川北駅]]と[[立川南駅]]を同一の駅としているため、短い方の運賃が適用される。</ref> |[[桜街道駅]] - [[立川南駅]] |5.1km |320円(316円) |'''270円(265円)''' |- |[[砂川七番駅]] - 立川南駅 |3.3km |270円(265円) |'''220円(214円)''' |- |[[高松駅 (東京都)|高松駅]] - 立川南駅 |1.6km |220円(214円) |'''110円(102円)''' |- |[[立川北駅]] - [[柴崎体育館駅]] |1.1km |220円(214円) |'''110円(102円)''' |- |立川北駅 - [[高幡不動駅]] |5.1km |320円(316円) |'''270円(265円)''' |- |rowspan="3"|[[京浜急行電鉄|京急電鉄]]<ref name="keikyu20230510">{{PDFlink|[https://www.keikyu.co.jp/assets/pdf/20230510HP_23013TE.pdf 小児IC運賃を全区間75円均一とします ~割引制度変更など10月からの実施運賃を届出~]}} - 京浜急行電鉄、2023年5月10日</ref> |品川駅 - 横浜駅 |22.2km |350円(347円) |'''320円(313円)''' |- |品川駅 - [[京急川崎駅]] |11.8km |280円(277円) |'''240円(240円)''' |- |京急川崎駅 - 横浜駅 |10.4km |280円(277円) |'''240円(240円)''' |- |rowspan="4"|[[名古屋鉄道]]<ref>[https://www.meitetsu.co.jp/train/ticket_fare/unchinkaitei202403/index.html 運賃改定の実施について] - 名古屋鉄道</ref> |金山駅 - [[名鉄一宮駅]] |22.0km |460円<!--2024年3月16日より510円--> |'''450円'''<!--'''460円'''--> |- |[[名鉄名古屋駅]] - 名鉄一宮駅 |18.4km |410円<!--460円--> |'''380円'''<!--'''400円'''--> |- |名鉄一宮駅 - [[名鉄岐阜駅]] |13.4km |360円<!--400円--> |'''300円'''<!--'''330円'''--> |- |[[新木曽川駅]] - 名鉄岐阜駅 |8.6km |300円<!--330円--> |'''240円'''<!--'''250円'''--> |- |[[阪神電気鉄道]]<ref name="hanshin20190905">{{PDFlink|[https://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20190905-unchin-ninka.pdf 鉄道旅客運賃改定の認可について]}} - 阪神電気鉄道</ref><ref>[https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/3600 更に安心・快適に。 全駅へのホーム柵の設置を目指します ~鉄道駅バリアフリー料金制度を活用することで、整備を加速化します~ ] - 阪神電気鉄道、2022年8月3日</ref> |[[三宮駅|神戸三宮駅]] - [[元町駅 (兵庫県)|元町駅]] |0.9km |160円● |'''130円''' |- |rowspan="2"|[[広島電鉄]]<ref name="hiroden">{{PDFlink|[http://www.hiroden.co.jp/topics/2017/pdf/0522-trainfare/trainfare.pdf 電車運賃の認可及び運賃改定の実施について]}} - 広島電鉄</ref> |[[広電五日市駅]] - [[広電廿日市駅]] |3.3km |160円(150円)<ref group="注" name="paspy">()内は[[PASPY]]利用時の運賃である。PASPY以外のICカード利用時は現金と同額となる。</ref> |'''140円(130円)<ref group="注" name="paspy" />''' |- |[[宮内駅 (広島県)|宮内駅]] - [[広電阿品駅]] |3.1km |160円(150円)<ref group="注" name="paspy" /> |'''140円(130円)<ref group="注" name="paspy" />''' |- |rowspan="3"|[[高松琴平電気鉄道]]<ref name="kotoden">{{PDFlink|[https://www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/new/2023/fare-revision2023/img/fare.pdf 普通旅客運賃表]}} - 高松琴平電気鉄道</ref> |[[高松築港駅]] - [[六万寺駅]] |9.5km |400円 |'''390円''' |- |高松築港駅 - [[八栗新道駅]] |11.0km |430円 |'''420円''' |- |高松築港駅 - [[琴電志度駅]] |14.2km |510円 |'''500円''' |} 新駅の設置時に特定区間運賃が暫定的に設定されることがある。 [[東武鉄道]]では、2017年の[[東武ワールドスクウェア駅]]開業時に設定された[[姫宮駅]]・[[南羽生駅]]・[[佐野市駅]]・[[静和駅]]・[[新栃木駅]]・[[家中駅]]・[[下今市駅]]・[[江曽島駅]]・[[六実駅]] - 東武ワールドスクウェア駅間相互間、東武ワールドスクウェア駅 - [[鬼怒川公園駅]]間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年3月16日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref group="注" name="TOBU WORLD SQUARE">[[2017年]][[7月22日]]の開業時点では、[[東武ワールドスクウェア駅]]は[[小佐越駅]]と同額の運賃・料金を適用していた。このため、小佐越駅 - 東武ワールドスクウェア駅間 (0.7km) については[[PASMO]]をはじめとする[[ICカード乗車券]]は使用できず、きっぷを購入する必要があった。また、東武ワールドスクウェア駅 - 鬼怒川公園駅間 (3.9km) については、きっぷに限り実際の営業キロを適用した運賃(150円)、ICカード利用時は小佐越駅 - 鬼怒川公園駅間 (4.6km) の営業キロを適用した運賃(165円)となっていたため、きっぷを購入する必要があった。2019年3月16日から、小佐越駅と同額の運賃・料金を適用する特例を取り止め、新たに当駅発着の運賃・料金が適用されるため、小佐越駅と当駅の間、当駅と鬼怒川公園駅間においてもPASMOなどのICカード乗車券を使用することができるようになり、通常運賃の150円(144円)が適用された。</ref><ref name="tobu20170228">{{Cite press release|和書|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/79c334dda9506eee8dc5a17f5b07168c/170228_3.pdf?date=20170228191107|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190803062852/http://www.tobu.co.jp/file/pdf/79c334dda9506eee8dc5a17f5b07168c/170228_3.pdf?date=20170228191107|format=PDF|language=日本語|title=観光拠点として利便性を高め、日光・鬼怒川地区の更なる活性化を目指します! 東武鬼怒川線 新駅「東武ワールドスクウェア」の開業日を7月22日(土)に決定しました! 〜特急列車やSL「大樹」も停車します〜|publisher=東武鉄道|date=2017-02-28|accessdate=2023-03-31|archivedate=2019-08-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tobu.co.jp/file/pdf/eb943ad011f361f09c729d7970e827ff/newsletter_190215%20.pdf?date=20190215134217|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330093550/http://www.tobu.co.jp/file/pdf/eb943ad011f361f09c729d7970e827ff/newsletter_190215%20.pdf?date=20190215134217|title=割引運賃の廃止について|archivedate=2019-03-30|accessdate=2023-03-31|publisher=東武鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref>。2020年の[[みなみ寄居駅]]開業時に設定された[[東武練馬駅]]・[[志木駅]]・[[新河岸駅]]・[[北坂戸駅]]・[[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]]・[[武蔵嵐山駅]]・[[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]]・[[一本松駅 (埼玉県)|一本松駅]]・[[武州長瀬駅]] - みなみ寄居駅間相互間、みなみ寄居駅 - [[玉淀駅]]間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2021年3月13日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref group="注" name="Minami-yorii">[[2020年]][[10月31日]]の開業時点では、[[みなみ寄居駅]]は当駅の上り方(池袋方面)からは[[東武竹沢駅]]まで、当駅の下り方(寄居方面)からは[[男衾駅]]までと同額の運賃・料金を適用していた。2021年3月13日から、当駅の上り方(池袋方面)からは東武竹沢駅まで、当駅の下り方(寄居方面)からは男衾駅までと同額の運賃・料金を適用する特例を取り止め、新たに当駅発着の運賃・料金が適用された。</ref><ref name="tobu_pr20191223">{{Cite press release|和書|url=https://www.tobu.co.jp/file/pdf/51dba5bd3c0fc22ad440481d923095f7/191223_1.pdf?date=20191223103108|format=PDF|language=日本語|title=東上線 新駅の駅名を「みなみ寄居<ホンダ寄居前>」とし、 開業日を2020年10月31日に決定しました!|publisher=東武鉄道|date=2019-12-23|accessdate=2023-03-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191223134054/https://www.tobu.co.jp/file/pdf/51dba5bd3c0fc22ad440481d923095f7/191223_1.pdf?date=20191223103108|archivedate=2019-12-23}}</ref><ref name="tobu_pr20210203">{{Cite web|和書|url=https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/news/20210201100109UO10k2Wjv9nZxf12JgXqig.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210203040313/https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/news/20210201100109UO10k2Wjv9nZxf12JgXqig.pdf|title=みなみ寄居駅をご利用のお客さまへ|archivedate=2021-02-03|accessdate=2023-03-31|publisher=東武鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref> [[あいの風とやま鉄道]]では、2018年の[[高岡やぶなみ駅]]開業時に設定された高岡やぶなみ駅 - [[高岡駅]]間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2019年10月1日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref name="fare-ainokaze">{{Cite web|和書|url=https://ainokaze.co.jp/wp-content/uploads/2019/09/dd786af7604d39dcb021f04b92d4c60b-2.pdf|title=あいの風とやま鉄道 普通旅客運賃表|accessdate=2019-11-23|format=PDF|publisher=あいの風とやま鉄道}}</ref>。 [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]では、2018年の[[あしかがフラワーパーク駅]]開業時に設定されたあしかがフラワーパーク駅 - [[富田駅 (栃木県)|富田駅]]間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2020年3月14日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref group="注" name="Ashikaga Flower Park">[[2018年]][[4月1日]]の開業時点では、[[あしかがフラワーパーク駅]]は[[富田駅 (栃木県)|富田駅]]と同額の運賃・料金を適用していた。このため、あしかがフラワーパーク駅 - 富田駅間については[[Suica]]をはじめとする[[ICカード乗車券]]は使用できず、きっぷを購入する必要があった。また、富田駅 - あしかがフラワーパーク駅間の運賃は[[営業キロ]]をそのまま適用した150円ではなく、富田駅 - [[足利駅]]間 (7.1km) の運賃(200円)と[[佐野駅]] - 富田駅間 (4.5km) の運賃(190円)を比較して安い方の運賃を採用した特定区間運賃の適用により190円となっていた。2020年3月14日から、富田駅と同額の運賃・料金を適用する特例を取り止め、新たに当駅発着の運賃・料金が適用されるため、当駅と富田駅の間においてもSuicaなどのICカード乗車券を使用することができるようになり、通常運賃の150円(147円)が適用された。</ref><ref name="press/20200131-01info">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/takasaki/news/pdf/20200131-01info.pdf|title=「あしかがフラワーパーク駅」ご利用の際の運賃・料金の取扱い変更について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道高崎支社|date=2020-01-31|accessdate=2020-01-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200131053630/https://www.jreast.co.jp/takasaki/news/pdf/20200131-01info.pdf|archivedate=2020-01-31}}</ref>。 * ●印は、[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]による料金10円が加算されているもの。 {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2017年7月22日設定 !2019年3月16日<br />改定 !2019年10月1日<br />改定 !2023年3月18日<br />改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 !正規運賃 !正規運賃 |- |rowspan="10"|[[東武鉄道]] |[[姫宮駅]] - [[東武ワールドスクウェア駅]] |100.6km |1,200円(1,193円) |'''1,060円(1,059円)''' |1,200円(1,193円) |1,220円(1,215円) |1,230円(1,225円)● |- |[[南羽生駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |120.1km |1,360円(1,358円) |'''1,200円(1,193円)''' |1,360円(1,358円) |1,390円(1,383円) |1,400円(1,393円)● |- |[[佐野市駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |140.6km |1,550円(1,543円) |'''1,360円(1,358円)''' |1,550円(1,543円) |1,580円(1,571円) |1,590円(1,581円)● |- |[[静和駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |60.7km |810円(802円) |'''720円(720円)''' |810円(802円) |820円(817円) |830円(827円)● |- |[[新栃木駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |50.1km |720円(720円) |'''650円(648円)''' |720円(720円) |740円(733円) |750円(743円)● |- |[[家中駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |45.6km |650円(648円) |'''590円(586円)''' |650円(648円) |660円(660円) |670円(670円)● |- |[[下今市駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |10.6km |250円(247円) |'''200円(195円)''' |250円(247円) |260円(251円) |270円(261円)● |- |[[江曽島駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |70.4km |890円(885円) |'''810円(802円)''' |890円(885円) |910円(902円) |920円(912円)● |- |[[六実駅]] - 東武ワールドスクウェア駅 |140.4km |1,550円(1,543円) |'''1,360円(1,358円)''' |1,550円(1,543円) |1,580円(1,571円) |1,590円(1,581円)● |- |東武ワールドスクウェア駅 - [[鬼怒川公園駅]] |3.9km |170円(165円)<ref group="注" name="TOBU WORLD SQUARE" /> |'''150円(165円)'''<ref group="注" name="TOBU WORLD SQUARE" /> |150円(144円) |150円(147円) |160円(157円)● |} {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2020年10月31日設定 !2021年3月13日<br />改定 !2023年3月18日<br />改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 !正規運賃 |- |rowspan="10"|[[東武鉄道]] |[[東武練馬駅]] - [[みなみ寄居駅]] |61.5km |820円(817円) |'''740円(733円)''' |820円(817円) |830円(827円)● |- |[[志木駅]] - みなみ寄居駅 |51.1km |740円(733円) |'''660円(660円)''' |740円(733円) |750円(743円)● |- |[[新河岸駅]] - みなみ寄居駅 |40.6km |600円(597円) |'''530円(524円)''' |600円(597円) |610円(607円)● |- |[[北坂戸駅]] - みなみ寄居駅 |26.2km |420円(419円) |'''370円(367円)''' |420円(419円) |430円(429円)● |- |[[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]] - みなみ寄居駅 |16.3km |320円(314円) |'''260円(251円)''' |320円(314円) |330円(324円)● |- |[[武蔵嵐山駅]] - みなみ寄居駅 |11.8km |260円(251円) |'''200円(199円)''' |260円(251円) |270円(261円)● |- |[[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]] - みなみ寄居駅 |4.8km |170円(168円) |'''150円(147円)''' |170円(168円) |180円(178円)● |- |[[一本松駅 (埼玉県)|一本松駅]] - みなみ寄居駅 |31.1km |480円(471円) |'''420円(419円)''' |480円(471円) |490円(481円)● |- |[[武州長瀬駅]] - みなみ寄居駅 |35.9km |530円(524円) |'''480円(471円)''' |530円(524円) |540円(534円)● |- |みなみ寄居駅 - [[玉淀駅]] |5.5km |170円(168円) |'''150円(147円)''' |170円(168円) |180円(178円)● |} {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2018年3月17日設定 !2019年10月1日改定 !2023年4月1日改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 !正規運賃 |- |[[あいの風とやま鉄道]] |[[高岡やぶなみ駅]] - [[高岡駅]] |2.6km |160円 |'''150円''' |160円 |170円 |} {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2019年10月1日改定 !2020年3月14日改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 |- |[[東日本旅客鉄道|JR東日本]] |[[富田駅 (栃木県)|富田駅]] - [[あしかがフラワーパーク駅]] |0.9km |200円<ref group="注" name="Ashikaga Flower Park" /> |'''190円'''<ref group="注" name="Ashikaga Flower Park" /><ref name="press/20200131-01info" /> |150円(147円)<ref group="注" name="Ashikaga Flower Park" /><ref name="press/20200131-01info" /> |} 複数の事業者が線路を共用する場合、または同一の事業者で運賃が異なる路線が線路を共用する場合も、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。 * ●印は、[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]による料金10円が加算されているもの。 {| class="wikitable" |- !rowspan|共用路線 !rowspan|対象区間 !rowspan|特定区間運賃 |- |[[京成成田空港線]]・[[北総鉄道北総線]] |[[京成高砂駅]] - [[印旛日本医大駅]] |[[北総鉄道#運賃]]を参照 |- |[[京成本線]]・京成成田空港線 |[[空港第2ビル駅]] - [[成田空港駅]] |150円(147円)<ref group="注">並行するJR[[成田線]]空港支線も同額の150円(147円)。</ref> |- |[[常磐緩行線|JR常磐緩行線]]・[[東京メトロ千代田線]] |[[北千住駅]] - [[綾瀬駅]] |150円(146円)● |- |[[東京メトロ南北線]]・[[都営地下鉄三田線]] |[[目黒駅]] - [[白金高輪駅]] |180円(178円)● |- |[[七尾線|JR七尾線]]・[[のと鉄道七尾線]] |[[七尾駅]] - [[和倉温泉駅]] |190円 |- |[[関西空港線|JR関西空港線]]・[[南海空港線]] |[[関西空港駅]] - [[りんくうタウン駅]] |370円 |- |[[伯備線|JR伯備線]]・[[井原鉄道井原線]] |[[総社駅]] - [[清音駅]] |190円 |} さらに、前述のように[[京成成田駅]]と[[空港第2ビル駅]]・[[成田空港駅]]での相互乗車においても特定区間運賃が定められている。これは[[京成本線]]の京成成田駅 - 成田空港駅間には[[#加算運賃|加算運賃]]が適用されており、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置である。 このような加算運賃が適用されている場合も、距離に対して運賃が高くなりすぎることへの救済措置として、特定区間運賃が設定されることがある。その区間は以下のとおりである。 {| class="wikitable" |- !rowspan|会社 !rowspan|区間 !rowspan|営業距離 !rowspan|正規運賃 !rowspan|特定区間運賃 |- |京成電鉄<ref name="keisei20190905" /> |[[京成成田駅]] - 成田空港駅 |8.1km |330円(329円) |'''270円(262円)''' |} [[京浜急行電鉄|京急電鉄]]では、[[京急蒲田駅]]を含む[[京急空港線|空港線]]内各駅 - 羽田空港国際線ターミナル駅(現:[[羽田空港第3ターミナル駅]])・羽田空港国内線ターミナル駅(現:[[羽田空港第1・第2ターミナル駅]])間には特定区間運賃が設定されていたが、2019年10月1日の加算運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された<ref name="keikyu20190219">[https://www.keikyu.co.jp/company/news/2018/20190219HP_18239TS.html 加算運賃の引下げ実施に関するお知らせ] - 京浜急行電鉄、2019年2月19日</ref>。 [[四国旅客鉄道|JR四国]]では、[[本四備讃線]]([[瀬戸大橋線]])[[児島駅]]とそれ以南の周辺の駅での相互乗車においては特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、加算運賃に一本化された<ref name="jr-shikoku20221209">{{Cite press release|和書|url=https://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/fare-revision2023/pdf/approval-notification-press.pdf|title=鉄道事業の旅客の運賃の改定申請の認可について|publisher=四国旅客鉄道株式会社|format=PDF|date=2022-12-09|accessdate=2023-03-23}}</ref><ref name="jr-shikoku-fare-charge-pamphlet">{{Cite web|和書|title=2023年5月20日以降の新しい運賃・料金のご案内|publisher=四国旅客鉄道株式会社|format=PDF|date=|url=https://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/fare-revision2023/pdf/fare-charge-pamphlet.pdf|access-date=2023-03-23}}</ref>。 {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2019年10月1日改定 !2023年5月20日改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 |- |rowspan="2"|[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]・[[四国旅客鉄道|JR四国]]<ref name="jr-shikoku20221209" /><ref name="jr-shikoku-fare-charge-pamphlet" /> |[[上の町駅]] - 宇多津駅 |21.3km |560円 |'''540円''' |630円 |- |上の町駅 - [[丸亀駅]] |23.9km |570円 |'''540円''' |640円 |- |rowspan="3"|JR四国<ref name="jr-shikoku20221209" /><ref name="jr-shikoku-fare-charge-pamphlet" /> |児島駅 - 宇多津駅 |18.1km |470円 |'''440円''' |540円 |- |児島駅 - [[坂出駅]] |22.7km |570円 |'''530円''' |640円 |- |児島駅 - [[多度津駅]] |24.9km |570円 |'''530円''' |640円 |} また、JR四国では、1996年1月10日の運賃改定の際に地方交通線のみを乗車する場合および幹線と地方交通線を連続して乗車する場合の旅客運賃計算法の変更に伴い特定区間運賃が設定されていたが、2023年5月20日の運賃改定の際に廃止され、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref name="jr-shikoku20221209" /><ref name="jr-shikoku-fare-charge-pamphlet" />。 {| class="wikitable" ! colspan="2" rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |営業キロ ! rowspan="2" |擬制キロ<br />または<br />運賃計算キロ ! colspan="2" |2019年10月1日改定 !2023年5月20日改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 |- | rowspan="15" |JR四国<ref name="jr-shikoku20221209" /><ref name="jr-shikoku-fare-charge-pamphlet" /> | rowspan="2" |幹線と地方交通線を連続乗車 |2.8 - 3.0 |3.1 - 3.3 |210円 |'''170円''' |240円 |- |9.2 - 10.0 |10.1 - 11.0 |260円 |'''240円''' |330円 |- | rowspan="13" |地方交通線のみを乗車 |2.8 - 3.0 |3.1 - 3.3 |210円 |'''170円''' |240円 |- |9.2 - 10.0 |10.1 - 11.0 |260円 |'''240円''' |330円 |- |13.7 - 15.0 |15.1 - 16.5 |360円 |'''290円''' |430円 |- |18.3 - 20.0 |20.1 - 22.0 |460円 |'''400円''' |530円 |- |22.8 - 23.0 |25.1 - 25.3 |560円 |'''490円''' |630円 |- |27.3 - 28.0 |30.1 - 30.8 |670円 |'''570円''' |740円 |- |31.9 - 32.0 |35.1 - 35.2 |770円 |'''670円''' |850円 |- |36.5 - 37.0 |40.1 - 40.7 |870円 |'''780円''' |980円 |- |41.0 |45.1 |970円 |'''870円''' |1,080円 |- |45.5 - 46.0 |50.1 - 50.6 |1,110円 |'''970円''' |1,240円 |- |54.6 - 55.0 |60.1 - 60.5 |1,300円 |'''1,110円''' |1,430円 |- |63.7 - 64.0 |70.1 - 70.4 |1,470円 |'''1,300円''' |1,640円 |- |72.8 - 73.0 |80.1 - 80.3 |1,660円 |'''1,480円''' |1,830円 |} また、[[あいの風とやま鉄道]]では、高岡駅で接続するJR線([[城端線]]・[[氷見線]])との間で転換開業時に設定された[[乗り継ぎ料金制度|乗継割引]]によって、乗継割引が受けられない自社線内の手前の駅のほうが運賃が高額になってしまう現象が生じたことを受け、[[2017年]][[4月15日]]から当該区間に特定区間運賃を設定し、逆転現象を解消していた<ref name=":52">{{Cite web|和書|url=http://ainokaze.co.jp/wp-content/uploads/2017/04/35242cff1266fd3610f124b0e5e76f9b-1.pdf|title=あいの風とやま鉄道 普通旅客運賃表|accessdate=2017-04-18|format=PDF|publisher=あいの風とやま鉄道}}</ref><ref name=":62">{{Cite web|和書|url=http://ainokaze.co.jp/wp-content/uploads/2017/04/3101dcafa01cc1d4c3cbfe937debf5a4.pdf|title=一部区間運賃改定のお知らせ|accessdate=2017-04-18|date=2017-04-14|publisher=あいの風とやま鉄道}}</ref><ref name=":42">{{Cite news|title=運賃の「逆転現象」解消 あいの風とやま鉄道、越中大門-高岡10円引き下げ|newspaper=webun(北日本新聞)|date=2017-04-15|author=|url=http://webun.jp/item/7360926|accessdate=2017-04-15|publisher=北日本新聞社}}</ref>。2019年10月1日改定運賃では乗継割引に伴う運賃の逆転現象が解消されたため、設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref name="fare-ainokaze" /><ref name="fare-takaoka">[https://ainokaze.co.jp/faretable/takaoka 高岡駅からの運賃表] - あいの風とやま鉄道、2019年11月23日閲覧</ref>。 {| class="wikitable" ! colspan="3" rowspan="2" |会社 ! colspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2017年4月15日改定 ! 2019年10月1日改定 ! 2020年4月1日改定 !2023年4月1日改定 |- !あい鉄 !(JR) !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 !正規運賃<ref>{{Cite web|和書|url=https://ainokaze.co.jp/10181|title=西日本旅客鉄道㈱の乗継割引廃止及びえちごトキめき鉄道㈱の運賃改定に伴う連絡運賃の改定等について|date=2020-02-28|accessdate=2020-03-29|format=|publisher=あいの風とやま鉄道}}</ref> !正規運賃 |- | rowspan="6" |あいの風 とやま鉄道 | colspan="2" |[[高岡駅]] - [[越中大門駅]] | rowspan="3" |3.6km | |210円 |'''200円''' |210円 |210円 |220円 |- | rowspan="2" |(参考) |越中大門駅 - 高岡駅- 新高岡駅 |1.8km | rowspan="2" |200円<ref group="注">割引前はあい鉄線210円+JR線140円。なお、氷見線、城端線ともに[[地方交通線]]。</ref> ! rowspan="2" | | rowspan="2" |210円<ref group="注" name=":1">割引前はあい鉄線210円+JR線150円。なお、氷見線、城端線ともに[[地方交通線]]。</ref> | rowspan="2" |280円<ref group="注" name=":1" /> | rowspan="2" |290円<ref group="注">割引前はあい鉄線220円+JR線150円。なお、氷見線、城端線ともに[[地方交通線]]。</ref> |- |越中大門駅 - 高岡駅- 越中中川駅 |1.7km |- | colspan="2" |[[西高岡駅]] - 高岡駅 (小児運賃のみ) | rowspan="3" |5.6km | |110円<ref group="注" name=":0">大人運賃は210円。小児運賃は半額(10円未満切り上げ)</ref> |'''100円''' |110円<ref group="注" name=":0" /> |110円<ref group="注" name=":0" /> |110円<ref group="注">大人運賃は220円。小児運賃は半額(10円未満切り上げ)</ref> |- | rowspan="2" |(参考) |西高岡駅 - 高岡駅- 新高岡駅(小児) |1.8km | rowspan="2" |100円<ref group="注">割引前の大人運賃はあい鉄線210円+JR線140円。割引の適用により200円。加えて、JRの規則に合わせ、小児運賃は半額にし、10円未満を切り下げ。</ref> ! rowspan="2" | | rowspan="2" |110円<ref group="注">割引前の大人運賃はあい鉄線210円+JR線150円。割引の適用により210円。加えて、あい鉄の規則に合わせ、小児運賃は半額にし、10円未満を切り上げ。</ref> | rowspan="2" |140円<ref group="注">割引前の大人運賃はあい鉄線210円+JR線150円。割引の適用により280円。加えて、あい鉄・JRの規則に合わせ、小児運賃は半額にし、10円未満を切り上げまたは切り下げ(乗車区間ごとに異なる)。</ref> | rowspan="2" |140円<ref group="注">割引前の大人運賃はあい鉄線220円+JR線150円。割引の適用により290円。加えて、あい鉄・JRの規則に合わせ、小児運賃は半額にし、10円未満を切り上げまたは切り下げ(乗車区間ごとに異なる)。</ref> |- |西高岡駅 - 高岡駅- 越中中川駅(小児) |1.7km |} [[新京成電鉄]]では、[[北習志野駅]] - [[京成津田沼駅]]間相互間に設定されていた特定区間運賃は、2023年3月18日改定運賃では設定がなくなっており、通常の普通運賃を適用するようになっている<ref name="shinkeisei20220909">{{Cite press release|和書|title=京成津田沼駅と北習志野駅の相互利用区間における特定運賃の廃止について|publisher=新京成電鉄|date=2022-09-09|url=https://www.shinkeisei.co.jp/topics/2022/27690/|access-date=2023-03-23}}</ref>。 {| class="wikitable" ! rowspan="2" |会社 ! rowspan="2" |区間 ! rowspan="2" |営業距離 ! colspan="2" |2019年10月1日改定 !2023年3月18日改定 !2023年10月1日改定 |- !正規運賃 !特定区間運賃 !正規運賃 !正規運賃 |- |[[新京成電鉄]] |[[北習志野駅]] - [[京成津田沼駅]] |5.5km |180円(178円)<ref name="shinkeisei20190905">{{PDFlink|[https://www.shinkeisei.co.jp/official/wp-content/uploads/2019/09/20190905_release_fare_doc1.pdf 新旧運賃比較表]}} - 新京成電鉄</ref> |'''170円(168円)'''<ref name="shinkeisei20190905" /><ref name="shinkeisei20220909" /> |180円(178円)<ref name="shinkeisei20220909" /> |190円(188円)<ref name="shinkeisei20230602">{{Cite press release|和書|title=鉄道旅客運賃の上限変更認可および届出について|publisher=新京成電鉄|date=2023-06-02|url=https://www.shinkeisei.co.jp/topics/2023/30918/|access-date=2023-10-05}}</ref> |} === JR各社 === [[JR]]各社の場合、基本的には、各社ごとの乗車するキロ数(営業キロ、換算キロ、擬制キロの3種類。小数点切り上げ)を計算し、キロ数から運賃表に当てはめて算出することができる(後述のような例外あり)。 [[日本国有鉄道|国鉄]]時代は[[国有鉄道運賃法]](昭和23年法律第112号、民営化時に廃止)によって運賃が定められていた。JR発足後は国鉄が残した[[旅客営業規則]](略して「旅規」という)をそのまま引き継ぎ、以下のように運賃改定を実施している。 * [[1989年]]4月1日 - [[消費税]]導入による * [[1996年]]1月10日 - [[北海道旅客鉄道|JR北海道]]・[[四国旅客鉄道|JR四国]]・[[九州旅客鉄道|JR九州]](いわゆる三島会社)の運賃改定 * [[1997年]]4月1日 - 消費税率3%→5%への引き上げによる * [[2014年]]4月1日 - 消費税率5%→8%への引き上げによる。JR東日本はICカード利用時のIC運賃を新規導入 * [[2019年]]10月1日 - 消費税率8%→10%への引き上げによる。JR北海道は通常改定 * [[2023年]]3月18日 - 東京付近の電車特定区間・山手線内の[[鉄道駅バリアフリー料金制度]]による料金(10円)導入による * 2023年4月1日 - 大阪付近の電車特定区間・大阪環状線内の鉄道駅バリアフリー料金制度による料金(10円)導入による * 2023年5月20日 - JR四国の運賃改定 当初は全国一律の運賃体系であったが、1996年1月10日の三島会社運賃改定で全国一律の形態が崩れている。一方、[[東日本旅客鉄道]]・[[東海旅客鉄道]]・[[西日本旅客鉄道]]の本州三社は、賃率とは別に定めている10km以下の区間を除き、税抜運賃自体の値上げは行われていない。また2014年4月1日の消費税率改定時にJR東日本・JR東海(東京駅 - 品川駅間)はきっぷ・定期券の新運賃については電車特定区間・山手線内<ref group="注">東京付近(JR東日本・JR東海)の電車特定区間・山手線内の税抜運賃自体は、賃率とは別に定めている10km以下の区間を除き、大阪付近(JR西日本・JR東海)の電車特定区間・大阪環状線内と揃えているが、東京付近(JR東日本・JR東海)の電車特定区間・山手線内は10円未満を切り上げ、大阪付近(JR西日本・JR東海)の電車特定区間・大阪環状線内は10円未満を四捨五入するため、運賃が異なる区間がある。</ref>を除き、JR東海(東京駅 - 品川駅間以外)・JR西日本の新運賃と揃えているが、ICカード利用時にはきっぷ・定期券の運賃と異なるIC運賃を新規に導入し、二重運賃となっている。 ==== JRの旅客運賃・料金の種類 ==== {|class="wikitable" style="vertical-align:top" |+ JRにおける「鉄道旅客運賃」 !colspan="6"|旅客運賃(狭義の「鉄道旅客運賃」) |- style="vertical-align:top" | * 普通旅客運賃 ** 片道普通旅客運賃 ** 往復普通旅客運賃 ** 連続普通旅客運賃 |colspan="2"| * [[定期乗車券|定期旅客運賃]] ** 通勤定期旅客運賃 ** 通学定期旅客運賃 ** 特殊定期旅客運賃 *** 特別車両定期旅客運賃 *** 特殊均一定期旅客運賃 | * [[回数乗車券|回数旅客運賃]] ** 普通回数旅客運賃 *** 一般普通回数旅客運賃 *** 特別車両普通回数旅客運賃 | * 団体旅客運賃 | * 貸切旅客運賃 |- !colspan="6"|料金 |- style="vertical-align:top" |colspan="2"| * [[急行券|急行料金]] |rowspan="2"| * [[グリーン券|特別車両料金]] ** 特別車両料金(A) ** 特別車両料金(B) |rowspan="2"| * [[寝台券|寝台料金]] ** [[A寝台|A寝台料金]] ** [[B寝台|B寝台料金]] |rowspan="2"| * [[コンパートメント券|コンパートメント料金]] |rowspan="2"| * [[座席指定券|座席指定料金]] |- style="vertical-align:top" | * [[特別急行券|特別急行料金]] ** 指定席特急料金 ** 立席特急料金 ** 自由席特急料金 ** 特定特急料金 | * [[急行券|普通急行料金]] |- |} ==== JRの旅客運賃計算法 ==== * 発着区間がJR北海道・東日本・東海・西日本(本州三社)の場合 ** [[幹線]] - 乗車区間の営業キロ数に応じた幹線の運賃。JR北海道は独自の運賃(以下同じ)。 ** [[地方交通線]] - 乗車区間の営業キロ数に応じた地方交通線の運賃。 ** 幹線と地方交通線を連続して乗車 - 乗車区間の幹線区間の営業キロ数と地方交通線区間の換算キロ数を足し合わせたキロ数(運賃計算キロ)に応じた幹線の運賃。 ** [[電車特定区間]] - 電車特定区間の運賃。 ** [[東京山手線内|山手線内]]・大阪環状線内 - 山手線・大阪環状線内の運賃。 * 発着区間がJR四国・九州の場合 ** 幹線 - 乗車区間の営業キロ数に応じた運賃。 ** JR四国の瀬戸大橋線にまたがる区間 - 加算運賃。一部の区間は特定運賃。 ** 地方交通線 - 乗車区間の擬制キロ数に応じた運賃。 ** 幹線と地方交通線を連続して乗車 - 乗車区間の幹線区間の営業キロ数と地方交通線区間の擬制キロ数を足し合わせたキロ数(運賃計算キロ)に応じた運賃。 * 発着区間がJR東日本・東海・西日本(本州三社)とJR北海道・JR四国・JR九州(三島会社)にまたがる場合 - 乗車全区間の営業キロ・運賃計算キロに応じた本州三社の運賃体系に基づく運賃と、三島会社の乗車区間の営業キロ・運賃計算キロに応じた加算額との合計。 ** JR北海道内の乗車区間が地方交通線のみの場合 - JR北海道の乗車区間の営業キロ数に応じた地方交通線の加算額を加算。 ** JR北海道内の乗車区間に幹線が含まれる場合およびJR四国・JR九州 - 各社の乗車区間の営業キロ・運賃計算キロに応じた加算額を加算。 * 特定の区間に対する運賃割引・割増 ** [[#特定区間運賃|特定区間運賃]] ** [[#加算運賃|加算運賃]] * 往復割引運賃 - 片道の[[JR線]]営業キロ数が600キロを超える区間の往復乗車券を購入する場合、往路・復路の運賃がそれぞれ1割引になる[http://www.jreast.co.jp/kippu/0701.html]。 * [[学生割引]]運賃 - JRから指定を受けた中学・高校・大学・専修・各種学校の学生・生徒が、学校が発行する「学生・生徒旅客運賃割引証」を窓口ヘ提出して、JR線営業キロ数が100キロを超える区間の乗車券を購入する場合、運賃が2割引になる。往復割引との重複適用も可[http://www.jreast.co.jp/kippu/0701.html]。 == 航空(旅客) == 国内線と国際線で運賃形態が異なる。 {{Main|航空券}} 航空運送の分野では、搭乗する人の年齢や搭乗する目的など、鉄道などの運賃に比べ多くの多彩な割引運賃を設定している。 以下に[[フラッグ・キャリア|大手航空会社]]の国内線での一例を掲げるが、これ以外にも、離島割引や法人向け割引、国際線乗り継ぎ割引なども設定されている。 {| class="wikitable" |+ 主な運賃一覧 ! 形態 !! 特徴 !! [[日本航空|JAL]]での名称 !! [[全日本空輸|ANA]]での名称 |- ! 普通運賃 | 満12歳以上の人に適用される通常運賃|| 大人普通運賃 || ANA FLEX、プレミアム運賃 |- ! 普通運賃 | 満3 - 11歳の人に適用される通常運賃|| 小児普通運賃 || 小児運賃、プレミアム小児運賃 |- ! 同一路線限定運賃 | 満12歳以上で、同一路線を単純往復する場合の割引運賃|| 往復割引 || (2018年10月28日以降設定なし) |- ! 同一路線限定運賃 | 各航空会社の[[提携カード]]で決済し、同一路線を2回搭乗する場合の割引運賃|| JALビジネスきっぷ|| ビジネスきっぷ |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の3日前(一部路線・タイプは前日)までに予約・購入すると割引になる運賃 || 特便割引1(ワン)-タイプA・B・C、特便割引3(スリー)-タイプA・B・C || ANA VALUE1・3 |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の21日前までに予約・購入すると割引になる運賃 || 特便割引21 || ANA SUPER VALUE21 |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の28日前までに予約・購入すると割引になる運賃 || 先得割引-タイプA || ANA SUPER VALUE28 |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の45日前までに予約・購入すると割引になる運賃 || 先得割引-タイプB || ANA SUPER VALUE45 |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の55日前までに予約・購入すると割引になる運賃 || スーパー先得 || ANA SUPER VALUE55 |- ! 事前購入型特定便限定運賃 | 搭乗日の75日前までに予約・購入すると割引になる運賃 || ウルトラ先得 || ANA SUPER VALUE75 |- ! 対象者限定運賃 | [[株主優待]]券の利用で割引になる運賃 || 株主優待割引(大人・小児) || 株主優待割引運賃(大人・小児)、プレミアム株主優待割引運賃(大人・小児) |- ! 対象者限定運賃 | 割引対象者本人と一部の介護人に適用される割引運賃 || 身体障がい者割引 || 身体障がい者割引運賃、プレミアム身体障がい者割引運賃 |- ! 対象者限定運賃 | 家族の介護のために搭乗する場合に割引になる運賃 || 介護帰省割引 || 介護割引 |- ! 対象者限定運賃 | [[マイレージサービス|各航空会社の会員]]を含む2 - 4名様のグループで同一便に搭乗し、同一区間を往復する場合の割引運賃 || おともde[[JALマイレージバンク|マイル]]割引 || いっしょに[[ANAマイレージクラブ|マイル]]割 |- ! 対象者限定運賃 | 航空路線利用登録を行い証明書またはカードを保有する満3歳以上の離島在住者に適用される割引運賃 || 離島割引 || アイきっぷ |- ! 当日限定運賃 | 満65歳以上で、当日空席がある場合に[[搭乗手続き]]ができる割引運賃 || 当日シルバー割引 || スマートシニア空割 |- ! 当日限定運賃 | 満12歳以上26歳未満で、当日空席がある場合に搭乗手続きができる割引運賃 || [[スカイメイト]] || スマートU25 |- ! [[乗り継ぎ料金制度|乗継割引]]運賃 | 指定された同一日中の便の組み合わせを一括予約・購入すると割引になる運賃 || 特別乗継割引 || ANA VALUE TRANSIT |- ! 乗継割引運賃 | 指定された同一日中の便の組み合わせを搭乗日の7日前までに一括予約・購入すると割引になる運賃 || 乗継割引7(セブン) || ANA VALUE TRANSIT7 |- ! 乗継割引運賃 | 指定された同一日中の便の組み合わせを搭乗日の28日前までに一括予約・購入すると割引になる運賃 || 乗継割引28 || ANA VALUE TRANSIT28 |} == 鉄道・航空以外(旅客) == [[タクシー]]は、初乗り運賃と、走行距離と乗車時間に応じて加算される運賃によって料金が算出される。日本のタクシーの基本的な運賃制度については、[[日本のタクシー#運賃]]を参照。 他の交通機関では、鉄道旅客運賃で主流の乗車キロ数から算出される方式ではなく、路線の区間ごとに運賃が決められている(いわゆる'''三角表'''方式)ことが多い。一部[[路線バス]]や[[コミュニティバス]]では均一料金の場合もある。鉄道と同様に子供運賃や障害者割引運賃が設定されている場合が多く、首都圏では鉄道と同様のIC運賃を導入している事業者もある。 貸し切りバスについては、基本的には時間と走行距離をもとに算出されるといわれている。 == 貨物運賃(国内) == 基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される。 [[日本貨物鉄道]](JR貨物)の[[日本のコンテナ輸送#鉄道コンテナ|コンテナ]]貨物運賃は、コンテナの重量にキロ程に応じた賃率を乗じて算出することを基本とする。そのほか、以下のような割増・割引、または加算料金がある<ref>『[[貨物時刻表|2016貨物時刻表]]』、公益社団法人鉄道貨物協会、2016年3月、208 - 210頁</ref>。 * 標準的な5トンコンテナを超える大きさのコンテナを使用する場合の割増。 * 貴重品・危険品を運送する場合の割増。 * 規定日数を超える場合の駅への留置料、またはコンテナの使用料。 * 私有コンテナを使用する場合の割引。 * 貨物内容(荷造用品・貨物積み付け用品・[[パレット (輸送)|パレット]]など)による割引。 * 駅への集貨・駅からの配達をする場合の発送料・到着料。 * 冬季(12月1日から翌年3月31日)に寒地の駅において発送・到着の作業を行う場合、冬季作業割増。 == 貨物運賃(貿易) == 基本的には、重量や大きさと運送距離によって算出される点は国内と変わらないが、[[海上コンテナ|コンテナ]]輸送の場合では、積地・揚地の荷動き量(コンテナの多少)に左右され、主要港間の運賃が地方港に比べて安くなる傾向がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references/> === 注釈 === <references group="注"/> == 関連項目 == * [[運賃制度]] * [[不足賃]](乗り越し精算) * [[公共料金]] * [[燃油サーチャージ]] * [[海上運賃一覧]] * [[基本運賃番号]] * [[運輸業]] * [[運賃学説]] * [[ターミナルチャージ]] * [[不正乗車]](キセル乗車など) * [[無賃乗車]] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:うんちん}} [[Category:交通]] [[Category:鉄道運賃と切符]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E8%B3%83
4,199
1879年
1879年(1879 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治12年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1879年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治12年。
{{年代ナビ|1879}} {{year-definition|1879}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[己卯]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]12年 ** [[皇紀]]2539年 * [[清]]:[[光緒]]4年12月9日 - 光緒5年11月18日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]16年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4212年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]31年12月9日 - 嗣徳32年11月18日  * [[仏滅紀元]]:2421年 - 2422年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1296年1月7日 - 1297年1月17日 * [[ユダヤ暦]]:5639年4月6日 - 5640年4月16日 * [[修正ユリウス日]](MJD):7350 - 7714 * [[リリウス日]](LD):108191 - 108555 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1879}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]][[ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)|ヴァイオリン協奏曲]] 初演([[ライプツィヒ]]) * [[1月4日]] - [[梟刑]]廃止 * [[1月9日]] - [[大蔵省]][[商務局]]を設置。 * [[1月11日]] - [[ズールー戦争]]( - 7月4日):[[英国]]が[[ズールー王国]]に侵攻 * [[1月13日]] - [[蓬萊橋 (大井川)|蓬萊橋]]竣工 * [[1月15日]] - 東京学士会院(後の[[日本学士院]])創設 * [[1月21日]] - [[イプセン]]戯曲「[[人形の家]]」初演([[コペンハーゲン]]) * [[1月22日]] - ズールー戦争:{{仮リンク|イサンドルワナの戦い|en|Battle of Isandlwana}} * [[1月25日]] - [[大阪]]で[[朝日新聞]]創刊 * [[1月30日]] - [[パトリス・ド・マクマオン|マクマオン]]仏大統領が辞任 * [[1月31日]] - [[高橋お伝]]斬首刑 === 2月 === * [[2月14日]] - ペルー・ボリビアとチリの間で太平洋戦争が勃発。 * [[2月27日]] - [[ジョンズ・ホプキンス大学]]で[[サッカリン]]を発明 * [[横浜正金銀行]]設立(開業1880年2月28日) === 3月 === * [[3月3日]] - [[合衆国最高裁判所|米最高裁]]で初の女性判事が任命 ([[:en:Belva Ann Lockwood|Belva Ann Lockwood]]) * [[3月27日]] - 琉球処分官[[松田道之]]が[[首里城]]で[[廃藩置県]]を言い渡す。 * [[3月29日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]歌劇「[[エフゲニー・オネーギン (オペラ)|エフゲニー・オネーギン]]」初演([[モスクワ]]) === 4月 === * [[4月1日]] - [[小菅 (葛飾区)|小菅]][[集治監]]設置 * [[4月4日]] - [[琉球藩]]廃止・[[沖縄県]]設置([[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]) * [[4月5日]] - [[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]: [[チリ]]が[[ペルー]]・[[ボリビア]]に宣戦布告 * [[4月24日]] - [[東京]]・[[浦賀]]・[[館山港|館山]]間に汽船運航(後の[[東京湾フェリー]]) * 囲碁団体[[方円社]]設立([[村瀬秀甫]]ら) === 5月 === * [[5月6日]] - 植物御苑(後の[[新宿御苑]])開設 * [[5月21日]] - 太平洋戦争: [[イキケの海戦]] * [[5月26日]] - [[第二次アフガン戦争]]:{{仮リンク|ガンダマク条約|en|Treaty of Gandamak}}締結 * [[5月26日]] - 米国で[[マディソン・スクエア・ガーデン]](初代)開場 === 6月 === * [[6月4日]] - 東京招魂社が[[靖國神社]]と改称され、[[別格官幣社]]となる === 7月 === * [[7月3日]] - [[ユリシーズ・グラント|グラント]]前米大統領来日( - 9月3日) * [[7月4日]] - [[ズールー戦争]]: [[英国]]が[[ズールー王国]]を保護国化 * [[7月14日]] - [[コレラ]]の予防規則([[海港虎列刺病伝染予防規則]])公布('''検疫記念日'''の由来)。この年コレラ大流行により全国で10万人の死者が出た<ref>[http://www.nihs.go.jp/nihs/history/sekkai_20111219.pdf  石炭酸(フェノール)の製造と流行病]宮原誠、国立医薬品食品研究所小史第3号</ref>。 * [[7月17日]] - [[ハワイ王国]]初の鉄道が開業([[カフルイ]]・[[ワイルク]]間) * 東京府癲狂院(後の[[松沢病院]])設立 === 8月 === * [[8月1日]] - [[東京海上保険]]設立 * [[8月4日]] - 教皇[[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]が[[回勅]][[:en:Aeterni Patris|Aeterni Patris]]を発布 * [[8月15日]] - 東京で虎列刺[[避病院]]設置 * [[8月17日]] - 仏パナマ運河会社設立([[フェルディナン・ド・レセップス]]、1889年[[パナマ運河疑獄]]) * [[8月21日]] - アイルランド[[クノック]]で[[聖母の出現]]が目撃される === 9月 === * [[9月15日]] - 昨年10月来日本で猛威を奮うコレラの被害発表(罹患138,953名,死者76,597名) * [[9月17日]] - [[シドニー万国博覧会]]開幕( - 1880年4月20日) * [[9月18日]] - 英国[[ブラックプール]]で最初の[[電飾]] ([[:en:Blackpool Illuminations|Blackpool Illuminations]]) * [[9月27日]] - [[千住製絨所]]開業 * [[9月29日]] - [[教育令]]公布([[学制]]廃止) === 10月 === * [[10月7日]] - [[独墺同盟]]調印 * [[10月8日]] - 太平洋戦争:[[アンガモスの海戦]] * [[10月12日]] - [[第二次アフガン戦争]]:英軍が[[カーブル]]を占領 * [[10月21日]] - [[トーマス・エジソン|エジソン]]が[[白熱電球]]を発明 * [[10月28日]] - 水上警察署(後の[[東京水上警察署]])設置 === 11月 === * [[11月4日]] - [[ジェームズ・リッティ]]が[[キャッシュレジスター]]の特許を取得 * [[11月17日]] - [[小学校唱歌]]が編纂される === 12月 === * [[12月6日]] - [[函館市|函館]]で大火 * [[12月26日]] - [[日本橋区]]・[[京橋区]]大火(焼失10613戸) * [[12月28日]] - 英国[[テイ橋|テイ鉄道橋]]で崩落事故(死者78名) * [[12月31日]] - [[ハワイ王国]]で[[イオラニ宮殿]]着工 === 日付不詳 === * 新潟で[[神前結婚]]が行われ話題となる == 誕生 == {{see also|Category:1879年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[E・M・フォースター]]、[[イギリス]]の[[小説家]](+ [[1970年]]) * [[1月18日]] - [[猪飼たね]]、[[長寿]]日本一だった人物・元日本最高齢記録保持者(+ [[1995年]]) * [[1月22日]] - [[フランシス・ピカビア]]、[[フランス]]の[[画家]](+ [[1953年]]) * [[1月29日]] - [[佐分利貞男]]、[[外交官]](+ [[1929年]]) * [[1月31日]] - [[鳥井信治郎]]、[[実業家]]・[[サントリー]]の創業者(+ [[1962年]]) * 1月31日(ユリウス暦1月19日) - [[ボリス・サヴィンコフ]]、[[ロシア]]の[[革命家]]・[[作家]](+ [[1925年]]) * [[2月1日]] - [[臼田亜浪]]、[[俳人]](+ [[1951年]]) * [[2月4日]] - [[ジャック・コポー]]、フランスの[[演出家]]・[[俳優]](+ [[1949年]]) * [[2月22日]] - [[ヨハンス・ブレンステッド]]、[[デンマーク]]の[[化学]]者(+ [[1947年]]) * [[2月25日]] - [[平沼亮三]]、実業家・[[政治家]](+ [[1959年]]) * [[2月26日]] - [[フランク・ブリッジ]]、イギリスの[[作曲家]]・弦楽奏者・[[指揮者]](+ [[1941年]]) * [[3月1日]] - [[田辺七六]]、政治家・実業家(+ [[1952年]]) * [[3月3日]] - [[正宗白鳥]]、作家(+ [[1962年]]) * [[3月5日]] - [[ウィリアム・ベヴァリッジ]]、イギリスの[[経済学]]者・[[社会政策]]学者(+ [[1963年]]) * [[3月8日]] - [[オットー・ハーン]]、[[ドイツ]]の[[化学]]者(+ [[1968年]]) * [[3月10日]] - [[橋戸信]]、[[野球選手]](+ [[1936年]]) * [[3月14日]] - [[アルベルト・アインシュタイン]]、[[ドイツ]]生まれの[[物理学者]](+ [[1955年]]) * [[3月27日]] - [[エドワード・スタイケン]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[写真家]](+ [[1973年]]) * [[4月2日]] - [[西山翠嶂]]、[[日本画家]](+ [[1958年]]) * [[4月3日]] - [[長塚節]]、作家(+ [[1915年]]) * 4月3日 - [[物集高量]]、[[国文学者]]・[[作家]](+ [[1985年]]) * [[4月9日]] - [[ドク・ホワイト]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1969年]]) * [[4月27日]] - [[トーマス・ビーチャム]]、イギリスの指揮者(+ [[1961年]]) * [[4月29日]] - [[ヌードルズ・ハーン]]、メジャーリーガー(+ [[1960年]]) * [[5月12日]] - [[上田貞次郎]]、[[経営学]]者・経済学者(+ [[1940年]]) * [[6月1日]] - [[クヌート・ラスムッセン]]、[[グリーンランド]]の[[極地]][[探検家]]・[[人類学者]](+ [[1933年]]) * [[6月7日]] - [[F・W・クロフツ]]、イギリスの[[推理作家]](+ [[1957年]]) * [[6月11日]] - [[櫻井忠温]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]][[軍人]]・[[作家]](+ [[1965年]]) * 6月11日 - [[ロジャー・ブレスナハン]]、メジャーリーガー(+ [[1944年]]) * [[6月15日]] - [[アンリ・ワロン]]、[[フランス]]の[[心理学]]者(+ [[1962年]]) * [[7月1日]] - [[レオン・ジュオー]]、[[フランス]]の[[労働組合]]活動家(+ [[1954年]]) * [[7月5日]] - [[ドワイト・フィリー・デイヴィス]]、第49代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1945年]]) * 7月5日 - [[ワンダ・ランドフスカ]]、[[ポーランド]]の[[チェンバロ]]奏者・[[ピアニスト]](+ [[1959年]]) * [[7月6日]] - [[アグリッピナ・ワガノワ]]、ソ連の[[バレエ]]ダンサー(+ [[1951年]]) * [[7月9日]] - [[オットリーノ・レスピーギ]]、[[イタリア]]の作曲家(+ [[1936年]]) * [[7月12日]] - [[古武弥四郎]]、[[生化学]]者(+ [[1968年]]) * [[7月19日]] - [[山川登美子]]、[[歌人]](+ [[1909年]]) * [[7月26日]] - [[畑俊六]]、陸軍軍人・政治家(+ [[1962年]]) * [[8月3日]] - [[岩崎小弥太]]、実業家・[[三菱財閥]]4代目総帥(+ [[1945年]]) * [[8月8日]] - [[寺内寿一]]、陸軍軍人・政治家(+ [[1946年]]) * 8月8日 - [[エミリアーノ・サパタ]]、[[メキシコ革命]]の指導者(+ [[1919年]]) * [[8月15日]] - [[唐牛敏世]]、旧・弘前相互銀行社長・[[みちのく銀行]]初代頭取(+ [[1979年]]) * 8月15日 - [[エセル・バリモア]]、アメリカの[[俳優|女優]](+ [[1959年]]) * [[8月24日]] - [[瀧廉太郎]]、作曲家(+ [[1903年]]) * [[8月31日]] - [[大正天皇]]、第123代[[天皇]](+ [[1926年]]) * [[9月2日]] - [[安重根]]、朝鮮独立運動家(+ [[1910年]]) * [[9月13日]] - [[佐久間勉]]、[[第六潜水艇]]艇長(+ [[1910年]]) * [[9月14日]] - [[マーガレット・サンガー]]、アメリカの[[産児制限]]活動家(+ [[1966年]]) * [[9月25日]] - [[石原忍]]、[[医学者]]、眼科医(+ [[1963年]]) * [[9月30日]] - [[アンリ・カサドシュ]]、フランスの[[ヴィオラ]]奏者(+ [[1947年]]) * [[10月1日]] - [[長谷川時雨]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1941年]]) * [[10月5日]] - [[ペイトン・ラウス]]、[[アメリカ]]の[[病理学]]者(+ [[1970年]]) * [[10月7日]] - [[ヘルマン・ノール]]、[[ドイツ]]の[[哲学者]]・[[教育学者]](+ [[1960年]]) * [[10月8日]](光緒5年8月23日) - [[陳独秀]]、[[中国]]の[[革命家]]・[[思想家]](+ [[1942年]]) * [[10月9日]] - [[マックス・フォン・ラウエ]]、ドイツの[[物理学者]](+ [[1960年]]) * [[10月19日]] - [[邦彦王妃俔子]]、皇族・[[久邇宮邦彦王]]妃(+ [[1956年]]) * [[10月20日]] - [[河上肇]]、[[経済学者]](+ [[1946年]]) * [[11月6日]] - [[ヴァルガ・イェネー]]、[[ハンガリー]]出身の[[経済学者]]。[[ソ連]]で活躍。(+ [[1964年]]) * [[11月7日]](ユリウス暦10月26日) - [[レフ・トロツキー]]、ロシアの革命家(+ [[1940年]]) * 11月7日 - [[野口兼資]]、[[能楽師]](+ [[1953年]]) * 11月14日 - [[菊池契月]]、[[日本画家]](+ [[1955年]]) * [[12月1日]] - [[荻原碌山]]、彫刻家(+ [[1910年]]) * [[12月3日]] - [[永井荷風]]、小説家(+ [[1959年]]) * [[12月9日]] - [[冨田溪仙]]、日本画家(+ [[1936年]]) * [[12月10日]] - [[E・H・シェパード]]、イギリスの[[画家]]。「[[クマのプーさん]]」の挿絵で知られる。(+ [[1976年]]) * [[12月15日]] - [[梁瀬長太郎]]、[[実業家]]、[[ヤナセ]]の創業者(+ [[1956年]]) * [[12月17日]] - [[倉元要一]]、政治家(+ [[1942年]]) * [[12月18日]] - [[パウル・クレー]]、[[スイス]]の[[画家]](+ [[1940年]]) * [[12月28日]] - [[ウィリアム・ミッチェル]]、[[アメリカ合衆国]]の[[軍人]](+ [[1936年]]) == 死去 == {{see also|Category:1879年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月24日]] - [[ハインリッヒ・ガイスラー]]、ドイツの[[技術者]](* [[1814年]]) * [[1月31日]] - [[高橋お伝]]、「明治の[[毒婦]]」(* [[1850年]]) * [[2月10日]] - [[オノレ・ドーミエ]]、フランスの[[画家]](* [[1808年]]) * [[2月24日]] - [[不知火光右衛門]]、[[力士]](* [[1825年]]) * [[3月29日]] - [[梁川紅蘭]]、[[漢詩]]人(* [[1804年]]) * [[3月30日]] - [[トマ・クチュール]]、フランスの画家(* [[1815年]]) * [[4月1日]] - [[大原重徳]]、[[公卿]](* [[1801年]]) * [[5月15日]] - [[ゴットフリート・ゼンパー]]、ドイツの[[建築家]](* [[1803年]]) * [[5月24日]] - [[ウィリアム・ロイド・ガリソン]]、アメリカの[[奴隷制度廃止運動|奴隷制廃止運動家]](* [[1805年]]) * [[6月1日]] - [[ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト]](ナポレオン4世)、フランスの[[皇太子]](* [[1856年]]) * [[9月17日]] - [[ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク]]、フランスの建築家(* [[1814年]]) * [[10月13日]] - [[川路利良]]、警視庁大警視(* [[1834年]]) * [[11月5日]] - [[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]、イギリスの[[物理学者]](* [[1831年]]) * [[11月8日]] - [[マーガレット・オニール・イートン]]、アメリカ陸軍長官を務めた[[ジョン・ヘンリー・イートン]]の夫人(* [[1799年]]) == フィクションのできごと == * ジョニー・リンゴが元恋人ケイトの捜索を開始。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * 狼男が[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]を襲撃。この事件を受け、トーチウッドが設立される。(ドラマ『ドクター・フー』) * クーデルカ・イアサントが誕生する。(ゲーム『クーデルカ』) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1879}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1879ねん}} [[Category:1879年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1879%E5%B9%B4
4,200
1878年
1878年(1878 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。明治11年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1878年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。明治11年。
{{年代ナビ|1878}} {{year-definition|1878}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[戊寅]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]11年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2538年 * [[清]]:[[光緒]]3年11月28日 - 光緒4年12月8日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]15年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4211年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]30年11月28日 - 嗣徳31年12月8日 * [[仏滅紀元]]:2420年 - 2421年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1294年12月26日 - 1296年1月6日 * [[ユダヤ暦]]:5638年4月26日 - 5639年4月5日 * [[修正ユリウス日]](MJD):6985 - 7349 * [[リリウス日]](LD):107826 - 108190 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1878}} == できごと == === 1月 === * [[1月9日]] - [[ウンベルト1世]]が[[イタリア王国]]の国王となる * [[1月11日]] - [[伊豆諸島]]が静岡県から[[東京府]]へ移管 * 1月11日(-18日) - [[札幌丘珠事件]] * [[1月24日]] - [[駒場農学校]]開校([[新宿御苑|新宿]]農事修学場より移転改称) === 2月 === * [[2月2日]] - [[東京市]]で[[竹馬]]を禁止 * [[2月19日]] - [[トーマス・エジソン]]が[[蓄音機]]の特許を取得 * [[2月20日]] ** [[海外旅券規則]]制定。[[旅券]]という語が初めて使われる('''旅券の日''') ** [[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]が第256代[[教皇|ローマ教皇]]に選出 * [[2月22日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]][[交響曲第4番 (チャイコフスキー)|交響曲第4番]]初演 ([[サンクトペテルブルク]]) === 3月 === * [[3月1日]] - [[昌平橋]]鉄橋開通(日本初の[[アスファルト]]舗装) * [[3月3日]] - [[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]が[[サン・ステファノ条約]]締結により講和([[ベルリン条約 (1878年)|ベルリン条約]]により変更)。 ** [[ルーマニア公国]]、[[セルビア公国 (近代)|セルビア公国]]、[[モンテネグロ公国]]の完全な独立が承認される。 ** [[ブルガリア]]の自治国としての独立([[ブルガリア公国]])が承認される。 * [[3月12日]] - 東京商法会議所(後の[[東京商工会議所]])設立 * [[3月25日]] - [[電信中央局]]開業式([[木挽町]]) === 4月 === * [[4月9日]] - 米[[ラザフォード・ヘイズ|ヘイズ]]大統領夫人の[[ルーシー・ウェッブ・ヘイズ|ルーシー]]が[[卵転がし]]を初めて[[ホワイトハウス]]で行う === 5月 === * [[5月14日]] - [[紀尾井坂の変]]([[大久保利通]]暗殺) * [[5月15日]] - [[東京株式取引所]]設立(開業6月1日) * [[5月24日]] - [[京都盲唖院]](後の[[京都府立盲学校]]・[[京都府立聾学校]])開校(日本初の盲唖院) * [[5月28日]] - [[新富座]]新築落成 === 6月 === * [[6月10日]] - [[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]新築開校式([[市ヶ谷台]]) * [[6月13日]] - [[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]開幕 * [[6月17日]] - [[大阪株式取引所]]設立(開業7月19日) * [[清]]から日本に[[ソウギョ]]、[[ハクレン]]、[[コクレン]]、[[アオウオ]]、[[ハクギョ]]を移入 === 7月 === * [[7月13日]] - [[ベルリン条約 (1878年)|ベルリン条約]]締結([[サン・ステファノ条約]]修正) * [[7月22日]] - [[地方三新法]]公布([[府県会規則]]・[[郡区町村編制法]]・[[地方税規則]]) === 8月 === * [[8月21日]] - [[アメリカ法曹協会]]設立 * [[8月23日]] - [[竹橋騒動]] * [[8月26日]] - 金沢第十二国立銀行(後の[[北陸銀行]])開業 === 9月 === * [[9月12日]] - [[ロンドン]]で[[クレオパトラの針]]が設置 * [[9月30日]] - 最初の[[ポルトガル人]]移民が[[フンシャル]]から[[ハワイ王国]]へ到着 === 10月 === * [[10月15日]] ** [[竹橋騒動]]の首班53名[[銃殺刑]] ** エジソン電気照明会社(後の[[ゼネラル・エレクトリック]])設立 * [[10月19日]] - [[プロイセン王国]]で[[社会主義者鎮圧法]]制定 * [[10月24日]] - [[体操伝習所]]設置 === 11月 === * [[11月17日]] - [[ウンベルト1世]]暗殺未遂 * [[11月21日]] - [[第二次アフガン戦争]]始る === 12月 === * [[12月1日]] ** 米国[[ホワイトハウス]]に電話が導入 ** [[第六十七国立銀行]](後の[[荘内銀行]])開業 * [[12月5日]] - 大日本帝国陸軍省参謀局が[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]として独立 * [[12月9日]] - [[第七十七国立銀行]](後の[[七十七銀行]])設立 * [[12月10日]] - 陸軍卿[[山縣有朋]]が[[軍人訓戒]]を頒布([[西周 (啓蒙家)|西周]]起草) * [[12月13日]] - 陸軍[[監軍部|監軍本部]]設置 == 誕生 == {{see also|Category:1878年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[横瀬夜雨]]、[[詩人]]・[[歌人]](+ [[1934年]]) * [[1月8日]] - [[リチャード・ポンソンビー=フェイン]]、[[日本学|日本学者]](+ [[1937年]]) * [[1月12日]] - [[モルナール・フェレンツ]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1952年]]) * [[1月18日]] - [[鈴木虎雄]]、[[中国文学者]](+ [[1963年]]) * [[1月21日]] - [[エゴン・フリーデル]]、[[批評家]]・[[哲学者]]・[[俳優]](+ [[1938年]]) * [[1月25日]] - [[アーンスト・アレキサンダーソン]]、[[電気工学]]者(+ [[1975年]]) * [[1月26日]] - [[アンナ・デミドヴァ]]、[[メイド]](+ [[1918年]]) * [[1月29日]] - [[吉野作造]]、[[政治学者]](+ [[1933年]]) * [[2月12日]] - [[カジミール・マレーヴィチ]]、[[芸術家]](+ [[1935年]]) * [[2月14日]] - [[広田弘毅]]、[[外交官]]・第32代内閣総理大臣(+ [[1948年]]) * [[2月18日]] - [[男嶌舟藏]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1943年]]) * [[2月25日]] - [[松根東洋城]]、[[俳人]](+ [[1964年]]) * [[3月4日]] - [[有島武郎]]、作家(+ [[1923年]]) * [[3月7日]] - [[ボリス・クストーディエフ]]、[[画家]]・[[舞台美術家]](+ [[1927年]]) * [[3月8日]] - [[平賀譲]]、日本海軍造船中将・[[東京大学|東京帝国大学]]総長(+ [[1943年]]) * [[3月11日]] - [[梅ヶ谷藤太郎 (2代)]]、[[大相撲]]第20代横綱(+ [[1927年]]) * [[3月16日]] - [[レザー・シャー]]、[[イラン]]・[[パフラヴィー朝]]初代国王(+ [[1944年]]) * [[3月20日]] - [[牧野英一]]、[[刑法学者]](+ [[1970年]]) * [[3月27日]] - [[ミラー・ハギンズ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1929年]]) * [[3月28日]] - [[佐々木惣一]]、[[法学者]](+ [[1965年]]) * [[3月31日]] - [[ジャック・ジョンソン (ボクサー)|ジャック・ジョンソン]]、[[プロボクサー]](+ [[1946年]]) * [[4月1日]] - [[カール・シュテルンハイム]]、[[作家]](+ [[1942年]]) * [[4月6日]] - [[長與又郎]]、病理学者(+ [[1941年]]) * [[4月16日]] - [[オーウェン・ジョーンズ]]、[[地質学者]](+ [[1967年]]) * [[4月28日]] - [[ライオネル・バリモア]]、映画俳優・舞台俳優(+ [[1954年]]) * [[5月2日]] - [[ロイ・アトウェル]]、俳優・コメディアン・作曲家(+ [[1962年]]) * [[5月5日]] - [[佐々木隆興]]、[[医学者]](+ [[1966年]]) * [[5月24日]] - [[ジャック・フィースター]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1953年]]) * [[5月28日]] - [[ポール・ペリオ]]、[[探検家]]・東洋学者(+ [[1945年]]) * [[6月1日]] - [[ジョン・メイスフィールド]]、[[詩人]]・作家(+ [[1967年]]) * [[6月19日]] - [[ヤコフ・ユロフスキー]]、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]殺害の銃殺隊を指揮(+ [[1938年]]) * [[6月24日]] - [[木見金治郎]]、[[将棋棋士]](+ [[1951年]]) * [[6月30日]] - [[矢頭良一]]、[[発明家]](+ [[1908年]]) * [[7月2日]] - [[三島海雲]]、[[実業家]]、[[カルピス]]創業者(+ [[1974年]]) * [[7月22日]] - [[リュシアン・フェーヴル]]、[[歴史学者]](+ [[1956年]]) * [[7月27日]] - [[松井石根]]、陸軍軍人(+ [[1948年]]) * [[8月4日]] - [[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]]、落語家(+ [[1934年]]) * [[8月13日]] - [[レオニード・ニコラーエフ]]、[[ピアニスト]]・作曲家(+ [[1942年]]) * [[8月14日]] - [[一戸直蔵]]、[[天文学者]](+ [[1920年]]) * [[8月31日]] - [[鏑木清方]]、[[日本画家]](+ [[1972年]]) * [[9月1日]] - [[トゥリオ・セラフィン]]、[[指揮者]](+ [[1968年]]) * 9月1日 - [[真山青果]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1948年]]) * [[9月9日]] - [[セルヒオ・オスメニャ]]、第3代[[フィリピン]]大統領(+ [[1961年]]) * [[9月20日]] - [[アプトン・シンクレア]]、小説家(+ [[1968年]]) * [[9月22日]] - [[吉田茂]]、外交官・第45・48 - 51代内閣総理大臣(+ 1967年) * 9月22日 - [[牧野省三]]、[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]](+ [[1929年]]) * [[10月4日]] - [[アーサー・ホプキンス]]、[[劇作家]]・[[脚本家]]・映像監督・プロデューサー(+ [[1950年]]) * [[10月10日]] - [[オットー・ヘス (野球)|オットー・ヘス]]、メジャーリーガー(+ [[1926年]]) * [[10月17日]] - [[田辺治通]]、逓信官僚・[[政治家]](+ [[1950年]]) * [[11月4日]] - [[ジュゼッペ・アダーミ]]、[[劇作家]](+ [[1946年]]) * [[11月10日]] - [[ホルヘ・ウビコ]]、[[グアテマラ]]大統領(+ 1946年) * [[11月28日]] - [[寺田寅彦]]、[[物理学者]]・[[随筆家]](+ [[1935年]]) * [[12月3日]] - [[矢部長克]]、[[地球科学者]](+ [[1969年]]) * [[12月6日]] - [[安藤幸]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1963年]]) * 12月6日 - [[大河内正敏]]、物理学者・[[実業家]](+ [[1952年]]) * [[12月7日]] - [[与謝野晶子]]、作家・歌人・女性解放思想家・[[フェミニスト]](+ [[1942年]]) * [[12月15日]] - [[ハンス・カロッサ]]、[[詩人]]・小説家(+ [[1956年]]) * [[12月17日]] - [[野間清治]]、[[講談社]]創業者(+ [[1938年]]) * [[12月18日]] - [[ヨシフ・スターリン]]、[[ソビエト連邦]]指導者(+ [[1953年]]) * [[12月26日]] - [[イザイア・ボウマン]]、[[地理学者]](+ [[1950年]]) == 死去 == {{see also|Category:1878年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月19日]] - [[シャルル=フランソワ・ドービニー]]、[[画家]](* [[1817年]]) * [[2月25日]] - [[タウンゼント・ハリス]]、駐日総領事(* [[1804年]]) * [[4月25日]] - [[アンナ・シュウエル]]、[[作家]](* [[1820年]]) * [[5月14日]] - [[大久保利通]]<ref>遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件の基礎的研究』(行人社、1986年)</ref>、明治維新の元勲(* [[1830年]]) * [[5月28日]] - [[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1792年]]) * [[6月16日]] - [[菊池容斎]]、[[絵師]]・『[[前賢故実]]』作者(* [[1788年]]) * [[7月9日]] - [[バルテルミー・シャルル・ジョゼフ・デュモルティエ]]、[[政治家]]・[[植物学者]](* [[1797年]]) * [[8月21日]] - [[林玄仲]]<ref>磯部郷土史刊行会 編(1963):263ページ</ref>、[[医師]]・役人(* [[1795年]]) * [[8月22日]] - [[ファヴェル・リー・モーティマー]]、[[児童文学]]作家(* [[1802年]]) == フィクションのできごと == * [[緋村剣心]]が東京の神谷活心流道場で居候を始める(漫画『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』)<ref>原作第1話より</ref>。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1878}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1878ねん}} [[Category:1878年|*]]
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4,201
1781年
1781年(1781 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1781年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1781}} {{year-definition|1781}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安永]]10年、[[天明]]元年4月2日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2441年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]46年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4114年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]42年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]4年 * [[仏滅紀元]] : 2323年 - 2324年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1195年 - 1196年 * [[ユダヤ暦]] : 5541年 - 5542年 * [[ユリウス暦]] : 1780年12月21日 - 1781年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1781}} == できごと == * [[3月13日]] - [[ウィリアム・ハーシェル]]により[[天王星]]が発見される。 * [[3月16日]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ヘンリー岬の海戦]]行われる。 * [[4月25日]](安永10年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) -[[光格天皇]]の即位に伴い、安永より天明に[[改元]]。 * [[9月28日]] - アメリカ独立戦争: アメリカ・フランス軍がヨークタウンのイギリス軍を包囲。ヨークタウンの戦いが始まる。 * [[10月19日]] - アメリカ独立戦争: イギリス軍が降伏。ヨークタウンの戦いが終わる。 * [[12月12日]] - アメリカ独立戦争: [[ウェサン島の海戦 (1781年)]] * [[イマヌエル・カント]]、『[[純粋理性批判]]』第一版出版。 * 中国最大の[[漢籍]]叢書である[[四庫全書]]が完成。 * [[武田薬品工業]]株式会社(当初の近江屋長兵衛)が創業。 == 誕生 == {{see also|Category:1781年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月21日]](安永9年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]])- [[頼山陽]]、[[歴史家]]・[[思想家]]・[[漢詩人]](+ [[1832年]]) * [[1月22日]] - [[フランソワ・アントワーヌ・アブネック]]、音楽家(+ [[1849年]]) * [[1月26日]] - [[アヒム・フォン・アルニム]]、詩人(+ [[1831年]]) * [[1月30日]] - [[アーデルベルト・フォン・シャミッソー]]、詩人(+ [[1838年]]) * [[2月17日]] - [[ルネ・ラエンネック]]、[[医師]]、聴診器の発明者(+ [[1826年]]) * [[3月13日]] - [[カルル・フリードリッヒ・シンケル]]、[[建築家]](+ [[1841年]]) * [[5月1日]](天明元年4月8日)- [[橘守部]]、国学者(+ [[1849年]]) * [[6月9日]] - [[ジョージ・スチーブンソン]]、技術者(+ [[1848年]]) * [[6月21日]] - [[シメオン・ドニ・ポアソン]]、数学者(+ [[1840年]]) * [[7月6日]] - [[トーマス・ラッフルズ]]、[[シンガポール]][[植民地]]創設者(+ [[1826年]]) * [[7月27日]] - [[マウロ・ジュリアーニ]]、音楽家(+ [[1829年]]) * [[9月3日]] - [[ウジェーヌ・ド・ボアルネ]]、イタリア副王(+ [[1824年]]) * [[10月5日]] - [[ベルナルト・ボルツァーノ]]、哲学者(+ [[1848年]]) * [[10月17日]] - [[ヨハン・フリードリヒ・メッケル]]、医学者(+ [[1833年]]) * [[12月11日]] - [[ディヴィッド・ブリュースター]]、光学者(+ [[1868年]]) == 死去 == {{see also|Category:1781年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 人物 === * [[1月15日]] - [[マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーン]]、[[ジョゼ1世 (ポルトガル王)|ポルトガル王ジョゼ1世]]の妃(* [[1714年]]) * [[1月30日]](安永10年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]])- [[曾我蕭白]]、[[絵師]](* [[1730年]]) * [[2月1日]](安永10年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[湯浅常山]]、[[儒学者]](* [[1708年]]) * [[2月4日]] - [[ヨゼフ・ミスリヴェチェク]]、[[作曲家]](* [[1737年]]) * [[2月15日]] - [[ゴットホルト・エフライム・レッシング]]、[[詩人]]・[[劇作家]]・[[思想家]]・[[評論家]](* [[1729年]]) * [[2月28日]] - [[リチャード・ストックトン]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(* [[1730年]]) * [[3月18日]] - [[ジャック・テュルゴー]]、[[フランス王国|フランス]]財務総監・[[重農主義|重農主義者]](* [[1727年]]) * [[5月14日]] - [[アブラム・ペトロヴィチ・ガンニバル]]、[[ロシア帝国]]の[[タリン]][[総督]](* [[1696年]]) * [[5月18日]] - [[ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ]]、コンドルカンキの反乱指導者(* [[1742年]]) * [[8月18日]] - [[フランツ・ヨーゼフ1世 (リヒテンシュタイン公)|フランツ・ヨーゼフ1世]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](* [[1726年]]) * [[9月19日]] - [[トバイアス・フルノー]]、航海者・海軍将校(* [[1735年]]) * [[10月8日]](天明元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]])- [[黒田治之]]、第7代[[福岡藩|福岡藩主]](* [[1753年]]) * [[10月9日]] - 第6代[[ケリー伯爵 (スコットランド貴族)|ケリー伯爵]][[トマス・アースキン (第6代ケリー伯爵)|トマス・アースキン]]、作曲家(* [[1732年]]) * [[プラヤー・ピチャイダープハック]]、[[タイ王国|シャム]]の武人(* [[1740年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2月21日]] - [[マッチェム]]、[[競走馬]]・[[種牡馬]](* [[1748年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1781}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1781ねん}} [[Category:1781年|*]]
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4,202
1897年
1897年(1897 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。明治30年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1897年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。明治30年。
{{年代ナビ|1897}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1890 | 年 = 1897 }} {{year-definition|1897}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[丁酉]] * [[日本]](月日は一致) ** [[明治]] 30年 ** [[皇紀]] 2557年 * [[清|中国]] ** [[光緒]] 22年 11月28日 - 光緒 23年 12月8日 * [[朝鮮]](月日は一致) ** [[檀君紀元|檀紀]] 4230年 ** [[建陽]] 2年 1月1日 - 8月16日、[[光武 (元号)|光武]] 元年 8月17日 - 10月11日 ** [[大韓帝国]] : [[光武 (元号)|光武]] 元年 10月12日 - 12月31日 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) : [[成泰]]8年11月28日 - 成泰9年12月8日 * [[仏滅紀元]] : 2439年 - 2440年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1314年7月27日 - 1315年8月6日 * [[ユダヤ暦]] : 5657年4月27日 - 5658年4月6日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : 13925 - 14289 * [[リリウス日]](LD) : 114766 - 115130 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1897}} == できごと == * [[2月2日]] - 地球の公転周期に微妙なずれが発生し、2月2日が「[[節分]]」となった。 * [[3月3日]] - [[足尾鉱毒事件|足尾鉱毒]]被害者800名が上京して請願運動 * [[3月29日]] - [[貨幣法]]公布(金本位制の確立) * [[4月1日]] - [[台湾銀行]]法公布 * [[4月15日]] - [[オーストリア=ハンガリー帝国]]の[[ボヘミア]]地方において[[ドイツ語]]と並んで[[チェコ語]]も[[公用語]]と定めた政令が発布。([[バデーニ言語令]]) * [[4月22日]] - [[八王子大火]] * [[4月27日]] - [[帝国図書館]]開館 * [[5月1日]] - 京都帝国博物館(後の[[京都国立博物館]])開館 * [[5月9日]] - [[カナダ]]で日本人・中国人排斥法案が可決。鉄道工事に両国人の労働者を使うことを禁じた。 * [[5月10日]] - [[日本郵船]]の艀船水夫六百名が[[同盟罷工]] * [[6月1日]] - [[宇部炭鉱|沖ノ山炭鉱]](後の[[宇部興産]])創立 * [[6月10日]] - [[古社寺保存法]]制定 * [[6月17日]] - 神奈川県の船大工三百六十名が[[同盟罷工]] * [[6月18日]] - 京都帝国大学(後の[[京都大学]])創立 * [[7月5日]] - [[労働組合期成会]]創立 * [[8月2日]] - [[日本勧業銀行]](後の[[みずほ銀行]])創立 * [[8月31日]] - トーマス・エジソンがキネトスコープの特許を取得。 * [[10月1日]] - [[金本位制]]実施 * [[10月12日]] - [[山葉寅楠]]が大手楽器メーカーの日本楽器製造株式会社(現在の[[ヤマハ株式会社]])を創業 * [[10月22日]] - [[海軍軍医学校]]開校 * [[12月]] - [[松代松之助]]電信主任らが、築地海岸に送信機を設置、受信機を小船に乗せ1.8kmの[[無線通信]]に成功 * [[12月21日]] - [[帝国議会|第11議会]]召集 == 誕生 == {{see also|Category:1897年生}} === 1月 === * [[1月2日]] - [[野溝七生子]]、[[作家]]・[[比較文学|比較文学者]](+ [[1987年]]) * [[1月3日]] - [[阿部孝次郎]]、[[東洋紡|東洋紡績]]社長・会長(+ [[1990年]]) * [[1月5日]] - [[三木清]]、[[哲学者]] (+ [[1945年]]) * [[1月8日]] - [[ヴァルター・グラマッテ]]、[[画家]](+ [[1929年]]) * [[1月12日]] - [[木村荘十]]、[[作家]](+ [[1967年]]) * [[1月15日]] - [[黒川利雄]]、[[医学者]](+ [[1988年]]) * [[1月20日]] - [[有賀喜左衛門]]、[[社会学者]](+ [[1979年]]) * [[1月23日]] - [[スバス・チャンドラ・ボース]]、[[インド]]独立運動の指導者(+ 1945年) === 2月 === * [[2月4日]] - [[ルートヴィヒ・エアハルト]]、元[[ドイツ]]首相(+ [[1977年]]) * [[2月6日]] - [[向坂逸郎]]、[[経済学者]]、元[[社会主義協会]]代表(+ [[1985年]]) * [[2月24日]] - [[蜷川虎三]]、[[京都府知事]](+ [[1981年]]) * [[2月28日]] - [[中河与一]]、[[小説家]]・[[歌人]](+ [[1994年]]) === 3月 === * [[3月2日]] - [[加藤シヅエ]]、婦人運動家・[[政治家]](+ [[2001年]]) * [[3月4日]] - [[レフティ・オドール]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1969年]]) * [[3月12日]] - [[小菅健吉]]、教育者(+ 1977年) * [[3月13日]] - [[佐藤千夜子]]、[[歌手]](+ [[1968年]]) * [[3月20日]] - [[荒木俊馬]]、[[天文学者]](+ [[1978年]]) * [[3月28日]] - [[萩原雄祐]]、天文学者(+ [[1979年]]) === 4月 === * [[4月1日]] - [[我妻栄]]、[[法学者]](+ [[1973年]]) * [[4月4日]] - [[ディーナ・マンフレディーニ]]、元長寿世界一の女性(+ [[2012年]]) * [[4月10日]] - [[ロス・ヤングス]]、メジャーリーガー(+ [[1927年]]) * [[4月16日]] - [[岡崎嘉平太]]、[[実業家]]、[[全日本空輸|全日空]]社長(+ [[1989年]]) * [[4月17日]] - [[飯田蝶子]]、[[俳優|女優]](+ [[1972年]]) * 4月17日 - [[ソーントン・ワイルダー]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1975年]]) * [[4月19日]] - [[木村次郎右衛門]]、元長寿世界一の男性、歴代の男性世界最高齢記録保持者(+ [[2013年]]) * [[4月28日]] - [[東郷青児]]、画家(+ [[1978年]]) * 4月28日 - [[葉剣英]]、中華人民共和国の政治家(+ [[1986年]]) === 5月 === * [[5月4日]] - [[芹沢光治良]]、小説家(+ [[1993年]]) * [[5月6日]] - [[木々高太郎]]、小説家(+ 1969年) * [[5月9日]] - [[細井和喜蔵]]、文筆家(+ [[1925年]]) * [[5月12日]] - [[相田二郎]]、歴史学者(+ 1945年) * [[5月18日]] - [[フランク・キャプラ]]、[[映画監督]](+ [[1991年]]) * [[5月19日]] - [[エンリコ・マイナルディ]]、[[チェリスト]]・作曲家・[[指揮者]](+ [[1976年]]) * [[5月22日]] - [[藤山愛一郎]]、政治家・実業家(+ [[1985年]]) * 5月22日 - [[小野三千麿]]、[[野球選手]](+ [[1956年]]) * [[5月29日]] - [[エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト]]、作曲家(+ [[1957年]]) * 5月29日 - [[ヨハネス・ヴィンクラー]]、宇宙工学者(+ 1947年) === 6月 === * [[6月3日]] - [[島津保次郎]]、映画監督(+ [[1945年]]) * [[6月7日]] - [[ジョージ・セル]]、指揮者(+ [[1970年]]) * [[6月10日]] - [[タチアナ・ニコラエヴナ]]、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の第二皇女、[[新致命者]](+ 1918年) * [[6月12日]] - [[アンソニー・イーデン]]、元イギリス首相(+ 1977年) * [[6月13日]] - [[パーヴォ・ヌルミ]]、中距離走者(+ 1973年) * [[6月16日]] - [[石森延男]]、[[児童文学者]](+ [[1987年]]) * [[6月22日]] - [[ノルベルト・エリアス]]、[[社会学者]]・[[哲学者]]・[[詩人]](+ [[1990年]]) * [[6月23日]] - [[末永雅雄]]、[[考古学者]](+ 1991年) === 7月 === * [[7月10日]] - [[花菱アチャコ]]、[[漫才師]](+ [[1974年]]) * [[7月19日]] - [[加藤唐九郎]]、[[陶芸家]](+ [[1985年]]) * 7月19日 - [[易作霖]]、[[教育者]]・[[言語学者]](+ [[1945年]]) * [[7月24日]] - [[アメリア・イアハート]]、飛行士(+ [[1937年]]) * [[7月25日]] - [[ヘルマン・アンブロジウス]]、[[作曲家]](+ [[1983年]]) * [[7月26日]] - [[ポール・ギャリコ]]、小説家(+ 1976年) * [[7月27日]] - [[清水多嘉示]]、[[彫刻家]](+ [[1981年]]) * 7月27日 - [[ビズ・マッキー]]、メジャーリーガー(+ [[1965年]]) * [[7月28日]] - [[是川銀蔵]]、[[投資家]]・[[相場師]](+ [[1992年]]) === 8月 === * [[8月8日]] - [[ニコラス・ポッペ]]、[[言語学者]](+ 1991年) * [[8月10日]] - [[藤原あき]]、[[タレント]]・[[政治家]](+ [[1967年]]) * [[8月11日]] - [[イーニッド・ブライトン]]、[[児童文学作家]](+ [[1968年]]) * 8月11日 - [[小山敬三]]、[[洋画家]](+ [[1987年]]) * [[8月21日]] - [[有賀幸作]]、日本国帝國海軍中将(+ 1945年) * [[8月26日]] - [[尹潽善]]、[[大韓民国]]第4代[[大統領 (大韓民国)|大統領]](+ 1990年) * [[8月28日]] - [[ルイス・ワース]]、[[社会学者]](+ [[1952年]]) === 9月 === * [[9月8日]] - [[イェフィム・ゴリシェフ]]、[[画家]]・[[作曲家]](+ [[1970年]]) * [[9月10日]] - [[ジョルジュ・バタイユ]]、[[思想家]]・作家(+ [[1962年]]) * 9月10日 - [[楠部彌弌]]、[[陶芸家]](+ [[1984年]]) * [[9月12日]] - [[イレーヌ・ジョリオ=キュリー]]、[[物理学者]](+ [[1956年]]) * [[9月15日]] - [[クルト・ダリューゲ]]、ドイツの政治家、警察官僚。[[秩序警察]]長官。ナチス[[親衛隊上級大将]](+ [[1946年]]) * [[9月23日]] - [[ポール・デルヴォー]]、画家(+ [[1994年]]) * [[9月25日]] - [[ウィリアム・フォークナー]]、[[小説家]](+ [[1962年]]) * [[9月30日]] - [[ガスパール・カサド]]、[[チェリスト]](+ [[1966年]]) === 10月 === * [[10月3日]] - [[ルイ・アラゴン]]、小説家・詩人・[[評論家]](+ [[1982年]]) * [[10月9日]] - [[大佛次郎]]、小説家(+ [[1973年]]) * [[10月18日]] - [[壺井繁治]]、[[詩人]](+ [[1975年]]) * [[10月29日]] - [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]、ナチス・ドイツ宣伝相(+ 1945年) === 11月 === * [[11月1日]] - [[石本秀一]]、[[プロ野球監督]](+ [[1982年]]) * [[11月7日]] - [[クインシー・ポーター]]、[[作曲家]]・[[ヴィオラ]]奏者(+ [[1966年]]) * [[11月12日]] - [[宇野弘蔵]]、[[経済学者]](+ [[1977年]]) * 11月12日 - [[内村祐之]]、[[内村鑑三]]の息子、精神科医・日本野球機構第3代コミッショナー(+ [[1980年]]) * [[11月16日]] - [[原虎一]]、[[労働運動]]家・政治家(+ [[1972年]]) * [[11月17日]] - [[坂口謹一郎]]、応用微生物学者・東大農学部部長(+ 1994年) * [[11月18日]] - [[中川善之助]]、[[法学者]](+ 1975年) * [[11月20日]] - [[中島清次郎]]、[[寿司]][[職人]](+ 1972年) * [[11月23日]] - [[カール・ゲープハルト]]、ドイツの医師、医学者。ナチス[[親衛隊中将]](+ [[1948年]]) * [[11月24日]] - [[ラッキー・ルチアーノ]]、[[マフィア]]幹部(+ [[1962年]]) * [[11月28日]] - [[宇野千代]]、小説家(+ [[1996年]]) === 12月 === * [[12月6日]] - [[堀内敬三]]、作曲家・[[作詞家]](+ [[1983年]]) * [[12月13日]] - [[高勢実乗]]、俳優(+ [[1947年]]) * [[12月15日]] - [[嘉村礒多]]、小説家(+ [[1933年]]) * [[12月20日]] - [[呉茂一]]、[[西洋]]古典[[学者]](+ 1977年) * [[12月21日]] - [[灘尾弘吉]]、[[官僚]]・政治家(+ [[1994年]]) * [[12月24日]] - [[大久保琴]]、2011年12月2日より存命女性の中で世界最高齢(+ [[2013年]]) * [[12月26日]] - [[海野十三]]、SF作家(+ [[1949年]]) * 12月26日 - [[上原正吉]]、[[実業家]]・政治家、[[大正製薬]]社長(+ 1983年) == 死去 == {{see also|Category:1897年没}} === 1月 === * [[1月11日]] - [[英照皇太后]]、[[孝明天皇]]の女御 (*[[1833年]]) * [[1月31日]] - [[西周 (啓蒙家)|西周]]、啓蒙運動家・[[教育者]](*[[1829年]]) === 2月 === * [[2月5日]] - [[チャールズ・ラドボーン]]、[[メジャーリーガー]](* [[1854年]]) * [[2月10日]] - [[アントニオ・バッジーニ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](* [[1818年]]) * [[2月18日]] - [[ウィリアム・ウォレス (哲学)|ウィリアム・ウォレス]]、[[思想家]](* [[1843年]]) * [[2月19日]] - [[カール・ワイエルシュトラス]]、数学者(* [[1815年]]) === 3月 === * [[3月5日]] - [[デーブ・ファウツ]]、[[メジャーリーガー]](* [[1856年]]) * [[3月6日]] - [[栗本鋤雲]]、[[幕臣]]・[[ジャーナリスト]](*[[1822年]]) === 4月 === * [[4月3日]] - [[ヨハネス・ブラームス]]、作曲家(* 1833年) === 5月 === * [[5月21日]] - [[カール・ミクリ]]、[[ピアニスト]]・[[指揮者]]・作曲家(* [[1819年]]) === 6月 === * [[6月9日]] - [[パーヴェル・パプスト]]、[[ピアニスト]]・作曲家(* [[1854年]]) === 7月 === === 8月 === * [[8月4日]] - [[後藤象二郎]]、[[政治家]](* [[1838年]]) * [[8月8日]] - [[ヤコブ・ブルクハルト]]、[[歴史家]](* [[1818年]]) * [[8月24日]] - [[陸奥宗光]]、[[外交官]]・政治家(* [[1844年]]) === 9月 === * [[9月14日]] - [[カール・アブラハム・ピル]]、鉄道技術者(* [[1825年]]) * [[9月15日]] - [[町田久成]]、[[東京国立博物館]]初代館長(* [[1838年]]) * [[9月30日]] - [[リジューのテレーズ]]、[[カルメル会]][[修道士|修道女]](* [[1873年]]) === 10月 === === 11月 === * [[11月29日]] - [[箕作麟祥]]、[[官僚]]・[[法学者]](*[[1846年]]) === 12月 === * [[12月17日]] - [[アルフォンス・ドーデ]]、フランスの[[小説家]](*[[1840年]]) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1897|date=2011年7月}} * アーチボルト・ウィトウィッキーが北極のクレバスの中から巨人を発見する([[トランスフォーマー (2007年の映画)]]) * イギリスでパーシー落成。([[汽車のえほん]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1897}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1897ねん}} [[Category:1897年|*]]
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ドバイワールドカップ
ドバイワールドカップ(英語: Dubai World Cup、アラビア語: كأس دبي العالمي)は、アラブ首長国連邦のメイダン競馬場で行われる競馬の競走である。 シェイク・モハメドが1996年に創設した国際競走。総賞金は創設当時は400万ドルだったが年々上昇し現在は1200万ドルまで上昇、1995年からサウジカップ新設前年の2019年まで世界最高賞金のレースとして広く認知され、日本を含む世界各地の一流馬が出走する。第1回は1996年にナド・アルシバ競馬場のダート2000mで施行され、2010年からメイダン競馬場(オールウェザー2000m)に変更。しかし維持費が高く、さらにアメリカの陣営に不評だったため2015年からダート2000mに戻された。 国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した2012年から2014年の年間レースレーティングの平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、ドバイワールドカップは全体の21位にランキングされ、クイーンエリザベス2世カップ(19位)、ガネー賞(20位)に次ぐ評価となっている。 地上波テレビの中継権は2017年よりフジテレビ系列全国ネットで放送されている。(フジテレビ制作版と関西テレビ制作版があるが、出演者と内容は別) BSテレビの中継権は農林水産省の関連団体が運営するグリーンチャンネルが有している。
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ドバイワールドカップは、アラブ首長国連邦のメイダン競馬場で行われる競馬の競走である。
{{競馬の競走 |馬場 = ダート |競走名 = ドバイワールドカップ<br/>{{Lang|en|Dubai World Cup}} |画像 = |画像説明 = |開催国 = {{UAE}} |主催者 = ドバイ競馬クラブ(Dubai Racing Club) |競馬場 = [[メイダン競馬場]] |第一回施行日 = 1996年3月27日 |創設 = 1995年 |年次 = 2023 |距離 = 2000[[メートル|m]]<ref name="program2023"/> |格付け = G1 |1着賞金 = 696万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]<ref name="program2023"/> |賞金総額 = 1200万ドル<ref name="program2023"/> |条件 = [[サラブレッド]][[北半球]]産4歳以上<br>[[南半球]]産3歳以上 |負担重量 = 4歳以上57[[キログラム|kg]]、南半球産3歳54kg、[[牝馬]]2kg減 }} '''ドバイワールドカップ'''({{Lang-en|Dubai World Cup}}、{{Lang-ar|كأس دبي العالمي}})は、[[アラブ首長国連邦]]の[[メイダン競馬場]]で行われる[[競馬の競走]]である。 == 概要 == [[ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム|シェイク・モハメド]]が1996年に創設した国際競走<ref name="netkeiba_raceguide" />。総賞金は創設当時は400万ドルだったが年々上昇し現在は1200万ドル<ref name="program2023"/>まで上昇、1995年から[[サウジカップ]]新設前年の2019年まで世界最高賞金のレースとして広く認知され<ref name="netkeiba_raceguide" /><ref>{{Cite web|title=Saudi Cup: Maximum Security wins world's richest horse race|url=https://www.cnn.com/2020/03/01/sport/maximum-security-saudi-cup-win-spt-intl/index.html|website=CNN|accessdate=2021-10-31|first=Ben Morse|last=CNN}}</ref>、日本を含む世界各地の一流馬が出走する<ref name="netkeiba_raceguide" />。第1回は1996年に[[ナド・アルシバ競馬場]]の[[ダート]]2000mで施行<ref name="netkeiba_raceguide" />され、2010年からメイダン競馬場([[オールウェザー (競馬)|オールウェザー]]2000m)に変更<ref name="netkeiba_raceguide" />。しかし維持費が高く、さらにアメリカの陣営に不評だったため2015年からダート2000mに戻された<ref name="netkeiba_raceguide" />。 [[国際競馬統括機関連盟]](IFHA)が公表した2012年から2014年の年間レースレーティング<ref group="注">年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される(日本の場合+4ポンド)。</ref>の平均値に基づく「[[世界のトップ100GIレース]]」によると、ドバイワールドカップは全体の21位にランキングされ、[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]](19位)、[[ガネー賞]](20位)に次ぐ評価となっている<ref name="TOP100GI" />。 == 歴史 == * [[1996年]] - ナド・アルシバ競馬場のダート2000mで創設<ref name="netkeiba_raceguide" />。 * [[1998年]] - 国際リステッドから国際[[競馬の競走格付け|G1]]に認定<ref name="netkeiba_raceguide" />。 * [[1999年]] - ワールドシリーズ・レーシングチャンピオンシップに参加(2002年まで)。 * [[2010年]] - 開催場をメイダン競馬場に変更<ref name="netkeiba_raceguide" />。 * [[2020年]] - [[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|covid-19]]の世界的な感染の拡がりに伴い、参加者の健康を守るために一度は無観客開催とすることを決めたものの、3月22日に開催自体を当面見合わせて、第25回は2021年に延期すると発表された。 == 歴代優勝馬 == {| class="wikitable" !回数!!施行日!!調教国・優勝馬!!日本語読み!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師 |- |style="text-align:center"|第1回||style="white-space:nowrap"|[[1996年]][[3月27日]]||{{Flagicon|USA}}Cigar||[[シガー (競走馬)|シガー]]||牡6||style="white-space:nowrap"|2:03.84||[[ジェリー・ベイリー|J.ベイリー]]||[[ビル・モット|W.モット]] |- |style="text-align:center"|第2回||[[1997年]][[4月3日]]||{{Flagicon|GBR}}Singspiel||[[シングスピール]]||牡5||2:01.91||J.ベイリー||[[マイケル・スタウト|M.スタウト]] |- |style="text-align:center"|第3回||[[1998年]][[3月28日]]||{{Flagicon|USA}}Silver Charm||[[シルバーチャーム]]||牡4||2:04.29||style="white-space:nowrap"|[[ゲイリー・スティーヴンス (競馬)|G.スティーヴンス]]||[[ボブ・バファート|B.バファート]] |- |style="text-align:center"|第4回||[[1999年]]3月28日||{{Flagicon|UAE}}Almutawakel||[[アルムタワケル]]||牡4||2:00.65||[[リチャード・ヒルズ|R.ヒルズ]]||[[サイード・ビン・スルール|S.ビン・スルール]] |- |style="text-align:center"|第5回||[[2000年]][[3月25日]]||{{Flagicon|UAE}}Dubai Millennium||[[ドバイミレニアム]]||牡4||1:59.50||[[ランフランコ・デットーリ|L.デットーリ]]||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第6回||[[2001年]][[3月24日]]||{{Flagicon|USA}}Captain Steve||[[キャプテンスティーヴ]]||牡4||2:00.40||J.ベイリー||B.バファート |- |style="text-align:center"|第7回||[[2002年]][[3月23日]]||{{Flagicon|UAE}}Street Cry||[[ストリートクライ]]||牡4||2:01.18||J.ベイリー||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第8回||[[2003年]][[3月29日]]||{{Flagicon|UAE}}Moon Ballad||[[ムーンバラッド]]||牡4||2:00.48||L.デットーリ||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第9回||[[2004年]]3月27日||{{Flagicon|USA}}Pleasantly Perfect||[[プレザントリーパーフェクト]]||牡6||2:00.24||[[アレックス・ソリス|A.ソリス]]||[[リチャード・マンデラ|R.マンデラ]] |- |style="text-align:center; white-space:nowrap;"|第10回||[[2005年]][[3月26日]]||{{Flagicon|USA}}Roses in May||[[ロージズインメイ]]||牡5||2:02.17||[[ジョン・ヴェラスケス|J.ヴェラスケス]]||[[デイル・ローマンズ|D.ローマンズ]] |- |style="text-align:center"|第11回||[[2006年]]3月25日||{{Flagicon|UAE}}Electrocutionist||[[エレクトロキューショニスト]]||牡5||2:01.32||L.デットーリ||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第12回||[[2007年]][[3月31日]]||{{Flagicon|USA}}Invasor||[[インヴァソール]]||牡5||1:59.97||[[フェルナンド・ハラ|F.ハラ]]||[[キアラン・マクローリン|K.マクローリン]] |- |style="text-align:center"|第13回||[[2008年]]3月29日||{{Flagicon|USA}}Curlin||[[カーリン]]||牡4||2:00.15||[[ロビー・アルバラード|R.アルバラード]]||[[スティーヴン・アスムッセン|S.アスムッセン]] |- |style="text-align:center"|第14回||[[2009年]]3月28日||{{Flagicon|USA}}Well Armed||[[ウェルアームド]]||[[せん馬|&#39480;]]6||2:01.01||[[アーロン・グライダー|A.グライダー]]||[[イオイン・ハーティー|E.ハーティー]] |- |style="text-align:center"|第15回||[[2010年]]3月27日||style="white-space:nowrap"|{{Flagicon|FRA}}Gloria De Campeao||[[グロリアデカンペオン]]||牡6||2:03.83||T.ペレイラ||P.バリー |- |style="text-align:center"|第16回||[[2011年]]3月26日||{{Flagicon|JPN}}Victoire Pisa||[[ヴィクトワールピサ]]||牡4||2:05.94||[[ミルコ・デムーロ|M.デムーロ]]||[[角居勝彦]] |- |style="text-align:center"|第17回||[[2012年]]3月31日||{{Flagicon|UAE}}Monterosso||[[モンテロッソ]]||牡5||2:02.67||[[ミカエル・バルザローナ|M.バルザローナ]]||style="white-space:nowrap"|[[マフムード・アル・ザルーニ|M.アル・ザルーニ]] |- |style="text-align:center"|第18回||[[2013年]][[3月30日]]||{{Flagicon|USA}}Animal Kingdom||[[アニマルキングダム]]||牡5||2:03.21||[[ジョエル・ロサリオ|J.ロサリオ]]||[[グラハム・モーション|G.モーション]] |- |style="text-align:center"|第19回||[[2014年]]3月29日||{{Flagicon|UAE}}African Story||[[アフリカンストーリー]]||&#39480;7||2:01.61||[[シルヴェスタ・デソウサ|S.デソウサ]]||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第20回||[[2015年]]3月28日||{{Flagicon|UAE}}Prince Bishop||[[プリンスビショップ]]||&#39480;8||2:03.24||[[ウィリアム・ビュイック|W.ビュイック]]||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第21回<ref>[http://www.emiratesracing.com/racing-information/results 2016年レース結果] - エミレーツ・レーシング・オーソリティー 2016年3月31日閲覧</ref>||[[2016年]][[3月26日]]||{{Flagicon|USA}}California Chrome||[[カリフォルニアクローム]]||牡5||2:01.83||[[ビクター・エスピノーザ|V.エスピノーザ]]||A.シャーマン |- |style="text-align:center"|第22回<ref>[https://beta.racingpost.com/results/1231/meydan/2017-03-25/671415 2017年レース結果] - レーシングポスト 2017年3月26日閲覧</ref>||[[2017年]][[3月25日]]||{{Flagicon|USA}}Arrogate||[[アロゲート]]||牡4||2:02.15||[[マイク・スミス|M.スミス]]||B.バファート |- |style="text-align:center"|第23回<ref>[https://www.jra.go.jp/keiba/overseas/race/2018dubai/wc/kaiko.html 2018年レース結果] - 日本中央競馬会 2018年4月1日閲覧</ref>||[[2018年]][[3月31日]]||{{Flagicon|UAE}}Thunder Snow||[[サンダースノー]]||牡4||2:01.38||[[クリストフ・スミヨン|C.スミヨン]]||S.ビン・スルール |- |style="text-align:center"|第24回<ref>[https://www.jra.go.jp/keiba/overseas/race/2019dubai/wc/kaiko.html 2019年レース結果] - 日本中央競馬会 2019年3月31日閲覧</ref>||[[2019年]][[3月30日]]||{{Flagicon|UAE}}Thunder Snow||[[サンダースノー]]||牡5||2:03.58||C.スミヨン||S.ビン・スルール |- | colspan="8" |2020年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い延期。 |- |style="text-align:center"|第25回||[[2021年]][[3月27日]]||{{Flagicon|USA}}Mystic Guide||[[ミスティックガイド]]||牡4||2:01.61||L.サエス||M.スティッドハム |- |style="text-align:center"|第26回||[[2022年]][[3月26日]]||{{Flagicon|USA}}Country Grammer||[[カントリーグラマー (競走馬)|カントリーグラマー]]||牡5||2:04.97||L.デットーリ||B.バファート |- |style="text-align:center"|第27回<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.racingpost.com/results/1231/meydan/2023-03-25/836215|title=2023年レース結果|accessdate=2023-03-26|date=2023-03-25|publisher=レーシングポスト}}</ref>||[[2023年]]3月25日||{{Flagicon|JPN}}Ushba Tesoro||[[ウシュバテソーロ]]||牡6||2:03.25||[[川田将雅]]||[[高木登 (競馬)|高木登]] |} * 馬齢表記は北半球の基準で表記している。 == 日本調教馬の成績 == {{Main|日本調教馬の日本国外への遠征#ドバイワールドカップ}} == 主なステップレース == {{独自研究|section=1|date=2015年3月}} * [[ドバイ]]地区 ** [[マクトゥームクラシック]](Maktoum Classic) G2 北半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート1900m<ref name="dubaiRC2015"/> ** [[マクトゥームチャレンジラウンド3|マクトゥームチャレンジ]](Maktoum Challenge) G1 北半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート1900m<ref>[http://www.racingpost.com/horses/result_home.sd?race_id=620401&r_date=2015-03-07&popup=yes#results_top_tabs=re_&results_bottom_tabs=ANALYSIS 2015年レース結果] - レーシングポスト 2015年3月29日閲覧</ref> * [[サウジアラビア]] ** 二聖モスクの守護者カップ(Custodian of the Two Holy Mosques Cup) LR 北半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート2000m ** [[サウジカップ]] 北半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート1800m * [[アメリカ合衆国|アメリカ]] ** サンアントニオステークス(San Antonio Stakes) G2 3歳以上 ダート8.5ハロン ** [[ペガサスワールドカップ]](Pegasus World Cup) G1 4歳以上 ダート9ハロン ** [[サンタアニタハンデキャップ]](Santa Anita Handicap) G1 4歳以上 ダート10ハロン * [[日本]] ** [[有馬記念]] 国際GI 3歳以上 芝2500m ** [[東京大賞典]] 国際GI 3歳以上 ダート2000m ** [[フェブラリーステークス]] 国際GI 4歳以上 ダート1600m == テレビ放送 == 地上波テレビの中継権は2017年より[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]全国ネットで放送されている。(フジテレビ制作版と関西テレビ制作版があるが、出演者と内容は別) BSテレビの中継権は[[農林水産省]]の関連団体が運営する[[グリーンチャンネル]]が有している。 == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist |refs= <ref name="netkeiba_raceguide">[http://race.netkeiba.com/?pid=special&id=0142 ドバイワールドカップデー特集] - netkeiba.com、2015年3月28日閲覧</ref> <ref name="TOP100GI">{{PDFLink|[http://www.jra.go.jp/news/201503/pdf/030601.pdf THE WORLD'S TOP 100 G1 RACES for 3yo's and upwards]}} - 日本中央競馬会、2015年3月7日閲覧</ref> <ref name="dubaiRC2015">{{PDFLink|[http://www.dubairacingclub.com/sites/default/files/2015_dwcc_programme_index_of_races.pdf 2015年ドバイワールドカップカーニバルプログラム]}} - ドバイ競馬クラブ、2014年11月7日閲覧</ref> <!-- <ref name="history">[http://prc.jp/2015dubai/history.html ドバイ国際競走ヒストリー] - 日本中央競馬会、2015年3月28日閲覧</ref> --> <ref name="program2023">{{Cite web|和書|url=https://www.jairs.jp/contents/regist/2022/1227.html |title=2023 ドバイ・ワールドカップ・デイ施行競走 登録要綱(簡易版)|publisher=ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|accessdate=2023年3月26日}}</ref> }} ;エミレーツ・レーシング・オーソリティーの公式記録 * [https://emiratesracing.com/node/6?id=1504&tab=2 1996], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1454&tab=5 1997], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1569&tab=5 1998], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1692&tab=3 1999], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1754&tab=6 2000], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1834&tab=6 2001], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1908&tab=6 2002], [https://emiratesracing.com/node/6?id=1983&tab=6 2003], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2042&tab=6 2004], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2087&tab=6 2005], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2154&tab=6 2006], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2218&tab=6 2007], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2243&tab=6 2008], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2296&tab=6 2009], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2382&tab=7 2010], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2437&tab=7 2011], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2499&tab=8 2012], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2554&tab=8 2013], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2591&tab=8 2014], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2682&tab=8 2015], [https://emiratesracing.com/node/6?id=2721&tab=8 2016], [https://emiratesracing.com/node/6?id=3236&tab=8 2023] == 関連項目 == * [[ブリーダーズカップ・クラシック]] * [[サウジカップ]] * [[ペガサスワールドカップ]] * [[ドバイワールドカップミーティング]] == 外部リンク == *[https://www.dubairacingclub.com/ Dubai Racing Club] - ドバイワールドカップを主催するドバイレーシングクラブ公式サイト *[https://emiratesracing.com/ Emirates Racing Authority] - アラブ首長国連邦の競馬統括団体 *[http://abudhabist.com/ AbuDhabist.com -ドバイおもしろニュース発信サイト-]{{Ja icon}} {{ドバイミーティング}} {{デフォルトソート:とはいわあるとかつふ}} [[Category:アラブ首長国連邦の競馬の競走]] [[Category:ドバイのスポーツ競技大会]] [[Category:エミレーツ航空]]
2003-03-16T07:26:02Z
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1899年
1899年(1899 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。明治32年。
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1899年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。明治32年。
{{年代ナビ|1899}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1890 | 年 = 1899 }} {{year-definition|1899}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[己亥]] * [[日本]](月日は一致) ** [[明治]]32年 ** [[皇紀]]2559年 * [[清]] : [[光緒]]24年11月20日 - 光緒25年11月29日 * [[朝鮮]](月日は一致) ** [[大韓帝国]] : [[光武 (元号)|光武]]3年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4232年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) : [[成泰]]10年11月20日 - 成泰11年11月29日 * [[仏滅紀元]]:2441年 - 2442年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1316年8月18日 - 1317年8月27日 * [[ユダヤ暦]]:5659年4月19日 - 5660年4月29日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : 14655 - 15019 * [[リリウス日]](LD) : 115496 - 115860 {{注|※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1899}} == できごと == [[ファイル:Angling in Troubled Waters A Serio-Comic Map of Europe.jpg|サムネイル|330x330ピクセル|「1899年ヨーロッパ風刺地図」('''1899年'''){{仮リンク|フレッド・W・ローズ|de|Fred W. Rose}}筆 [[コーネル大学]]{{仮リンク|コーネル大学図書館|en|Cornell University Library|label=図書館}}蔵]] === 1月 === * [[1月1日]] - [[クイーンズ区|クイーンズ郡]]と[[スタテン島]]が[[ニューヨーク]]市に合併。 * [[1月3日]] - 「[[ニューヨーク・タイムズ]]」紙の社説において、「[[自動車]](automobile)」という単語が使用される(確認できる最も古い例)。 * [[1月17日]] - [[アメリカ合衆国]]が[[ウェーク島]]を併合。 * [[1月19日]] - [[英埃領スーダン]]の成立([[イギリス]]と[[エジプト]]による[[スーダン]]支配の開始)。 * [[1月19日]] - [[勝海舟]]赤坂氷川の自宅にて没。 * [[1月21日]] - [[ドイツ]]の自動車メーカー・[[オペル]]が操業開始。 * [[1月22日]] - [[オーストラリア]]の6つの植民地代表が[[メルボルン]]で会合。 * [[1月23日]] - [[フィリピン共和国]]政府を樹立し、[[フィリピン独立革命|フィリピン革命]]は頂点に達した。 * [[クウェート]]が[[イギリス]]の[[保護国]]となる。 === 2月 === * [[2月1日]] - [[東京]]・[[大阪]]間に電話開通 * [[2月2日]] - [[オーストラリア]]の州知事会議は、首都を[[メルボルン]]と[[シドニー]]の間におくことに合意(現在の[[キャンベラ]])。 * [[2月4日]] - [[フィリピン]]の[[マニラ]]で暴動が発生([[米比戦争]]の開戦)。 * [[2月6日]] - [[アメリカ合衆国上院]]において、[[米西戦争]]の講和条約が[[批准]]される。 * [[2月7日]] - [[中学校令]]改正、[[実業学校令]]公布 * [[2月8日]] - [[高等女学校|高等女学校令]]公布 === 3月 === * [[3月2日]] - [[ワシントン州]]の[[レーニア山国立公園]]が設立される。 * 3月2日 - [[北海道旧土人保護法]]公布。 * [[3月5日]] - 現存している日本最古の星空の乾板写真。[[とも座]]の方角を撮影したもの。 * [[3月6日]] - [[バイエル (企業)|バイエル]]社が[[アスピリン]]を商標登録する。 === 4月 === * [[4月3日]]、[[横浜港]]を[[2月18日]]に出港した日本人790人が「[[佐倉丸 (初代)|佐倉丸]]」で[[ペルー]]・アンコン港(カヤオ港)に上陸(「ペルー日本友好の日」)。 * [[4月18日]] - [[日本]]、[[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]に加盟する。 === 5月 === * [[5月18日]] - ロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の提唱によりオランダのハーグで第1回平和会議が開催された。 === 6月 === * [[6月12日]] - [[阪神電気鉄道]]の前身、摂津電気鉄道株式会社が設立される。 * [[6月15日]] - [[福岡県]]の[[豊国炭鉱]]でガス爆発事故が発生。死者210名。 * [[6月20日]] - [[東京]]の[[歌舞伎座]]で、国産第一号の[[活動写真]]『芸者の手踊り』が上映される。 * [[6月27日]] - [[A・E・J・コリンズ]]が[[クリケット]]の史上最高得点記録(628点)を樹立(試合開始6月22日) === 7月 === * [[7月14日]] - [[ボリビア]]領だった[[アクレ州]]が独立を宣言。後に[[ブラジル]]が介入して[[アクレ紛争]]となり、アクレ州は[[1903年]]にブラジル領となる。 * [[7月17日]] - [[日本電気]](通称NEC)が設立される。 * [[7月21日]] **[[布引丸事件]]。[[フィリピン独立革命]]のための物資を積んだ船が東シナ海で沈没する。 **ニューヨーク市で、[[1899年の新聞少年ストライキ]]始まる。同年[[8月2日]]終結。 * [[7月29日]] - [[第1回ハーグ平和会議]]が終了し、[[ハーグ陸戦条約]]が締結される。 === 8月 === * [[8月15日]] - [[森永太一郎]]によって森永西洋菓子製造所([[森永製菓]]の前身)が創業。 * [[8月28日]] - [[台風]]により[[別子大水害]]が発生。[[土石流]]により513名以上が死亡。 === 9月 === * [[9月19日]] - [[アルフレド・ドレフュス]]が釈放される。 === 10月 === * [[10月11日]] - 第二次[[ボーア戦争]]が開戦。 * [[10月18日]] - [[コロンビア]]で[[千日戦争]]勃発。 === 11月 === * [[11月20日]] - [[帝国議会|第14議会]]召集。 * [[11月29日]] - [[スペイン]]のサッカークラブ[[FCバルセロナ]]が創設される。 === 12月 === * [[12月2日]] - [[米比戦争]]: [[ティラード・パスの戦い]] * [[12月16日]] - [[イタリア]]のサッカークラブ[[ACミラン]]が創設される。 * [[12月19日]] - [[福井銀行]]設立 * [[12月26日]]頃 - [[ボーア戦争]]: [[マフェキング]]の戦いが始まる。翌[[1900年]][[5月11日]]までの217日にわたる包囲戦の末、[[イギリス]]の優位が確定。 === 日付不明 === * 日本に初めて[[ペスト]]が侵入 * [[ダフィット・ヒルベルト]]が、現代的な幾何学の概念を築いた著書『幾何学の基礎』を出版。 == 誕生 == {{see also|Category:1899年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === *[[1月7日]] - [[フランシス・プーランク]]、[[フランス]]の[[作曲家]](+ [[1963年]]) * [[1月8日]] - [[ソロモン・バンダラナイケ]]、[[政治家]]、[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]]第4代首相(+ [[1959年]]) * [[1月11日]] - [[横田正俊]]、第4代[[最高裁判所長官]](+ [[1984年]]) * [[1月12日]] - [[パウル・ヘルマン・ミュラー]]、[[スイス]]の[[化学者]](+ [[1965年]]) * [[1月13日]] - [[田谷力三]]、[[オペラ]][[歌手]](+ [[1988年]]) * [[1月15日]] - [[赤尾敏]]、[[日本]]の政治家、[[大日本愛国党]]初代[[総裁]](+ [[1990年]]) * [[1月17日]] - [[アル・カポネ]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ギャング]](+ [[1947年]]) * 1月17日 - [[ネヴィル・シュート]]、[[イギリス]]の[[小説家]](+ [[1960年]]) * [[1月20日]] - [[高柳健次郎]]、[[日本]]の[[工学者]]、「日本のテレビの父」(+ 1990年) * 1月20日 - [[アレクサンドル・チェレプニン]]、[[ロシア]]の[[作曲家]](+ [[1977年]]) * 1月20日 - [[徳永直]]、[[小説家]](+ [[1958年]]) * [[1月23日]] - [[堀田庄三]]、[[銀行家]](+ 1990年) * 1月23日 - [[林正之助]]、[[吉本興業ホールディングス|吉本興業]]元会長・社長(+ [[1991年]]) * [[1月28日]] - [[尾高朝雄]]、[[法学者]](+ [[1956年]]) * [[1月30日]] - [[佐藤得二]]、[[日本]]の[[小説家]](+ [[1970年]]) === 2月 === * [[2月2日]] - [[東畑精一]]、[[経済学者]]・[[農学者]](+ [[1983年]]) * [[2月3日]] - [[老舍]]、[[中国]]の[[小説家]](+ [[1966年]]) * [[2月6日]] - [[ラモン・ノヴァロ]]、[[メキシコ]]の[[俳優]](+ [[1968年]]) * [[2月10日]] - [[田河水泡]]、[[日本]]の[[漫画家]](+ 1989年) * 2月10日 - [[阿波野青畝]]、[[俳人]](+ [[1992年]]) * [[2月11日]] - [[山手樹一郎]]、[[日本]]の小説家(+ [[1978年]]) * [[2月13日]] - [[宮本百合子]]、[[日本]]の小説家・[[評論家]](+ [[1951年]]) * [[2月15日]] - [[ジョルジュ・オーリック]]、[[フランス]]の[[作曲家]](+ [[1983年]]) * [[2月19日]] - [[ルーチョ・フォンタナ]]、[[美術家]]・[[画家]]・[[彫刻家]](+ 1968年) * [[2月22日]] - [[デチコ・ウズノフ]]、[[ブルガリア]]の[[画家]](+ [[1986年]]) * [[2月23日]] - [[エーリッヒ・ケストナー]]、[[ドイツ]]の小説家(+ [[1974年]]) * [[2月26日]] - [[島田清次郎]]、日本の小説家(+ [[1930年]]) * [[2月27日]] - [[チャールズ・ベスト]]、[[カナダ]]の[[医学者]](+ [[1978年]]) * 2月27日 - [[マックス・クラウゼン]]、ドイツの無線技士・[[ゾルゲ諜報団]]のメンバー(+ [[1979年]]) * 2月27日 - [[森岩雄]]、[[東宝]][[相談役]](+ [[1979年]]) === 3月 === * [[3月6日]] - [[宮沢俊義]]、[[法学者]](+ [[1976年]]) * [[3月7日]] - [[石川淳]]、[[日本]]の[[小説家]](+ [[1987年]]) * 3月7日 - [[チャールズ・ソーンスウェイト]]、[[アメリカ合衆国]]の[[地理学者]](+ [[1963年]]) * [[3月11日]] - [[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]、[[デンマーク]]の国王(+ [[1972年]]) * [[3月13日]] - [[ジョン・ヴァン・ヴレック]]、[[アメリカ合衆国]]の[[物理学者]](+ 1980年) * [[3月21日]] - [[水島三一郎]]、[[化学者]](+ [[1983年]]) * [[3月22日]] - [[エリアナ・パヴロワ]]、[[バレリーナ]](+ [[1941年]]) * [[3月29日]] - [[ラヴレンチー・ベリヤ]]、[[ソビエト連邦]]の[[政治家]](+ [[1953年]]) === 4月 === * [[4月3日]] - [[マリーア・レダエッリ=グラノーリ]]、元イタリア及びヨーロッパ最高齢の人物(+ [[2013年]]) * 4月3日 - [[関根正二]]、[[洋画家]](+ [[1919年]]) * [[4月5日]] - [[寿々木米若]]、浪曲師(+ [[1979年]]) * [[4月7日]] - [[ロベール・カサドシュ]]、[[フランス]]の[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1972年]]) * [[4月13日]] - [[アルフレッド・シュッツ]]、[[社会学者]](+ [[1959年]]) * [[4月23日]] - [[ベルティル・オリーン]]、[[スウェーデン]]の[[経済学者]](+ [[1979年]]) * 4月23日 - [[代田稔]]、[[日本]]の[[実業家]]、[[ヤクルト本社|ヤクルト]]の開発者・実質的創業者(+ [[1982年]]) * 4月23日 - [[ウラジーミル・ナボコフ]]、[[ロシア]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[小説家]]、[[詩人]](+ [[1977年]]) * [[4月24日]] - [[オスカー・ザリスキ]]、[[ロシア]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[数学者]](+ [[1986年]]) * [[4月26日]] - [[ジョセフ・フックス]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1997年]]) * [[4月28日]] - [[千田正]]、[[日本]]の[[政治家]](+ [[1983年]]) * [[4月29日]] - [[デューク・エリントン]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ジャズ]]・[[ピアニスト]](+ [[1974年]]) * 4月29日-[[久松定武]]、[[愛媛県]][[知事]]、参議院議員、貴族院議員、[[伊予松山藩|松山藩]]主[[久松氏|久松家]]後裔(+[[1995年]]) === 5月 === * [[5月4日]] - [[笹川良一]]、[[日本]]の[[政治家]]、[[社会運動家]](+ [[1995年]]) * [[5月8日]] - [[フリードリヒ・ハイエク]]、[[オーストリア]]の[[経済学者]](+ [[1992年]]) * [[5月10日]] - [[フレッド・アステア]]、[[アメリカ合衆国]]の[[俳優]]・[[ダンサー]]・[[歌手]](+ [[1987年]]) * 5月10日 - [[張大千]]、[[画家]](+ [[1983年]]) * [[5月14日]] - [[アール・コームス]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1976年]]) * [[5月15日]] - [[ウィリアム・ヒューム=ロザリー]]、[[イギリス]]の金属学者(+ 1968年) * [[5月18日]] - [[広沢虎造 (2代目)]]、[[浪曲師]](+ [[1964年]]) * [[5月23日]] - [[ジェラレアン・タリー]]、元世界最高齢の女性(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|title=世界最高齢の米国人女性が死去、19世紀生まれの116歳|url=http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPKBN0OY31S20150618|accessdate=2020年11月7日}}</ref>) * [[5月24日]] - [[セザンヌ・ランラン]]、[[フランス]]のテニス選手(+ [[1938年]]) * 5月24日 - [[アンリ・ミショー]]、[[詩人]]・[[画家]](+ [[1984年]]) * [[5月31日]] - [[赤間文三]]、元[[大阪府知事]](+ [[1973年]]) === 6月 === * [[6月1日]] - [[エドワード・チャールズ・ティッチマーシュ]]、[[イギリス]]の[[数学者]](+ [[1963年]]) * [[6月5日]] - [[オーティス・バートン]]、[[探検家]]・[[発明家]]・[[俳優]](+ [[1992年]]) * [[6月3日]] - [[渡辺邦男]]、[[映画監督]](+ [[1981年]]) * [[6月13日]] - [[カルロス・チャベス]]、[[メキシコ]]の[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[1978年]]) * [[6月14日]] - [[川端康成]]、[[日本]]の[[小説家]](+ [[1972年]]) === 7月 === * [[7月5日]] - [[マルセル・アシャール]]、[[フランス]]の[[劇作家]](+ [[1974年]]) * [[7月6日]] - [[スザンナ・マシャット・ジョーンズ]]、元世界最高齢者(+ [[2016年]]) * [[7月7日]] - [[ジョージ・キューカー]]、[[アメリカ合衆国]]の[[映画監督]](+ [[1983年]]) * [[7月11日]] - [[エルウィン・ブルックス・ホワイト]]、[[アメリカ合衆国]]の[[エッセイスト]](+ [[1985年]]) * [[7月15日]] - [[ショーン・レマス]]、[[アイルランド]]の[[政治家]]、第6代首相(+ [[1971年]]) * [[7月17日]] - [[ジェームズ・キャグニー]]、[[アメリカ合衆国]]の[[俳優]](+ [[1986年]]) * [[7月21日]] - [[ハート・クレイン]]、[[アメリカ合衆国]]の[[詩人]](+ [[1932年]]) * 7月21日 - [[アーネスト・ヘミングウェイ]]、[[アメリカ合衆国]]の[[小説家]](+ [[1961年]]) * [[7月22日]] - [[ソブーザ2世]]、[[スワジランド]]の第7代国王(+ 1982年) * 7月22日 - [[ヴォルフガンク・メッツガー]]、[[ドイツ]]の[[心理学者]](+ [[1979年]]) * [[7月23日]] - [[グスタフ・ハイネマン]]、[[ドイツ]]の[[政治家]]、連邦大統領(+ [[1976年]]) * [[7月30日]] - [[ジェラルド・ムーア]]、[[イギリス]]の[[ピアニスト]](+ [[1987年]]) * 7月30日 - [[木内信胤]]、[[経済評論家]](+ [[1993年]]) * [[コンスタンディノス・ツァツォス]]、[[ギリシア]]の[[外交官]]・[[政治家]]、大統領(+ [[1987年]]) === 8月 === * [[8月1日]] - [[ジミー・エンジェル]]、[[飛行家]](+ [[1956年]]) * [[8月2日]] - [[ビル・ロバーツ]]、[[映画監督]](+ [[1974年]]) * [[8月5日]] - [[壺井栄]]、[[日本]]の[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1967年]]) * [[8月9日]] - [[パメラ・トラバース]]、[[児童文学作家]](+ [[1996年]]) * [[8月10日]] - [[小室達]]、[[彫刻家]](+ [[1953年]]) * [[8月13日]] - [[アルフレッド・ヒッチコック]]、[[イギリス]]の[[映画監督]](+ [[1980年]]) * [[8月23日]] - [[木川田一隆]]、経営者・財界人(+ [[1977年]]) * [[8月24日]] - [[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]<ref>{{Cite web|和書 |url = https://kotobank.jp/word/ホルヘ・ルイス+ボルヘス-1632389 |title = 20世紀西洋人名事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2021-02-09 }}</ref>、[[アルゼンチン]]の[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1986年]]) * [[8月28日]] - [[張勉]]、[[大韓民国]]の[[政治家]]、第2代・第7代[[国務総理]](+ [[1966年]]) * 8月28日 - [[シャルル・ボワイエ]]、[[俳優]](+ [[1978年]]) === 9月 === * [[9月7日]] - [[渡辺政之輔]]、[[労働運動家]]・[[政治活動家]](+ [[1928年]]) * [[9月9日]] - [[ブラッサイ]]、[[ハンガリー]]生まれの[[フランス]]の[[写真家]](+ [[1984年]]) * 9月9日 - [[ウェイト・ホイト]]、[[アメリカ合衆国]]の野球選手(+ [[1984年]]) === 10月 === * [[10月1日]] - [[川口松太郎]]<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/SAKKA/ka/kawaguchimatsutaro.html 文学者掃苔録 川口松太郎(1899-1985)]</ref>、[[日本]]の[[小説家]](+ [[1985年]]) * [[10月3日]] - [[山口華揚]]、[[日本画家]](+ [[1984年]]) * 10月3日 - [[ルイス・イェルムスレウ]]、[[言語学者]](+ [[1965年]]) * [[10月19日]] - [[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]]、[[グアテマラ]]の[[小説家]](+ [[1974年]]) * 10月19日 - [[山本豊市]]、[[彫刻家]](+ [[1987年]]) * 10月19日 - [[仁田勇]]、物理化学者(+ [[1984年]]) === 11月 === * [[11月3日]] - [[シェレシュ・レジェー]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[1968年]]) * [[11月10日]] - [[進藤英太郎]]、[[俳優]](+ [[1977年]]) * [[11月11日]] - [[奥野信太郎]]、[[中国文学者]]・[[随筆家]](+ 1968年) * 11月11日 - [[パイ・トレイナー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1972年]]) * [[11月13日]] - [[水野成夫]]、[[実業家]]、元[[経団連]]理事(+ 1972年) * [[11月15日]] - [[イスカンダル・ミルザ]]、[[パキスタン]]の[[政治家]]、初代大統領(+ [[1969年]]) * [[11月18日]] - [[ユージン・オーマンディ]]、[[ハンガリー]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[指揮者]](+ [[1985年]]) * [[11月19日]] - [[江上トミ]]、[[料理研究家]](+ 1980年) * [[11月29日]] - [[エンマ・モラーノ]]、世界最高齢だった人物(+ [[2017年]]) * [[11月30日]] - [[ハンス・クラーサ]]、[[作曲家]]・[[ホロコースト]]犠牲者(+ [[1944年]]) === 12月 === * [[12月2日]] - [[ジョン・バルビローリ]]、[[イギリス]]の[[指揮者]](+ [[1970年]]) * [[12月3日]] - [[池田勇人]]、[[日本]]の[[政治家]]、第58・59・60代[[内閣総理大臣]](+ [[1965年]]) * [[12月4日]] - [[松井千枝子]]、女優(+ [[1929年]]) * [[12月5日]] - [[サニー・ボーイ・ウィリアムソンII]]、[[ハーモニカ]]奏者(+ 1965年) * 12月5日 - [[古賀逸策]]、[[電気通信]][[工学者]](+ [[1982年]]) * [[12月6日]] - [[ジョッコ・コンラン]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1989年]]) * [[12月9日]] - [[ジャン・ド・ブリュノフ]]、[[フランス]]の[[作家]]、[[イラストレーター]](+ [[1937年]]) * [[12月16日]] - [[ノエル・カワード]]、[[イギリス]]の[[俳優]]、[[脚本家]]、[[作曲家]](+ [[1973年]]) * [[12月21日]] - [[灘尾弘吉]]、[[日本]]の[[官僚]]・[[政治家]]、第61代衆議院議長(+ [[1994年]]) * [[12月20日]] - [[高田稔]]、[[俳優]](+ [[1977年]]) * [[12月22日]] - [[立花大亀]]、[[臨済宗]]の[[僧侶]](+ [[2005年]]) * [[12月25日]] - [[尾崎一雄]]、[[日本]]の[[小説家]](+ [[1983年]]) * 12月25日 - [[ハンフリー・ボガート]]、[[アメリカ合衆国]]の[[映画俳優]](+ [[1957年]]) * [[12月31日]] - [[シルベストレ・レブエルタス]]、[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1940年]]) == 死去 == {{see also|Category:1899年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月16日]] - [[中村芝翫 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1831年]]) * [[1月19日]] - [[勝海舟]]、[[日本]]の[[武士]]、[[政治家]](* [[1823年]]) * [[1月29日]] - [[アルフレッド・シスレー]]、[[フランス]]の[[画家]](* [[1839年]]) === 2月 === * [[2月3日]] - [[ヘアート・アドリアーンス・ブームハールト]]、史上初の[[スーパーセンテナリアン]](* [[1788年]]) * [[2月25日]] - [[ポール・ジュリアス・ロイター]]、[[ロイター]]社創設者(* [[1816年]]) === 3月 === * [[3月14日]] - [[ハイマン・シュタインタール]]、[[言語学者]](* [[1823年]]) * [[3月18日]] - [[オスニエル・チャールズ・マーシュ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Othniel-Charles-Marsh Othniel Charles Marsh American paleontologist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[アメリカ合衆国]]の[[古生物学|古生物学者]](* [[1831年]]) * [[3月24日]] - [[グスタフ・ヴィーデマン]]、[[ドイツ]]の[[物理学者]](* [[1826年]]) === 4月 === * [[4月20日]] - [[シャルル・フリーデル]]、[[化学者]](* [[1832年]]) === 5月 === * [[5月11日]] - [[川上操六]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[参謀本部 (日本)|参謀総長]](* [[1848年]]) * [[5月20日]] - [[カルロッタ・グリジ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1819年]]) * [[5月25日]] - [[ローザ・ボヌール]]、[[画家]]・[[彫刻家]](* [[1822年]]) === 6月 === * [[6月3日]] - [[ヨハン・シュトラウス2世]]、[[オーストリア]]の[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1825年]]) * [[6月10日]] - [[エルネスト・ショーソン]]、[[フランス]]の[[作曲家]](* [[1855年]]) === 7月 === * [[7月18日]] - [[ホレイショ・アルジャー]]、[[アメリカ合衆国]]の[[小説家]](* [[1832年]]) * [[7月21日]] - [[ロバート・グリーン・インガーソル]]、[[アメリカ合衆国]]の[[弁護士]](* [[1833年]]) === 8月 === * [[8月5日]] - [[ウィリアム・K・バートン]]、[[お雇い外国人]]の[[技術者]](* [[1856年]]) * 8月7日 - 矢田部良吉、日本の植物学者 (* 1851年) * [[8月16日]] - [[ロベルト・ブンゼン]]、[[ドイツ]]の[[化学者]](* [[1811年]]) === 9月 === * [[9月2日]] - [[アーネスト・レンショー]]、[[テニス]]選手(* [[1861年]]) * [[9月28日]] - [[ジョヴァンニ・セガンティーニ]]、画家(* [[1858年]]) === 10月 === * [[10月2日]] - [[エマ・ハーディング・ブリテン]]、[[心霊主義]]運動家(* [[1823年]]) * [[10月5日]] - [[ジェイムズ・ハーラン (内務長官)|ジェイムズ・ハーラン]]、第8代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1820年]]) === 11月 === * [[11月10日]] - [[ナサニエル・E・グリーン]]、[[画家]]・[[天文学者]](* [[1823年]]) * [[11月21日]] - [[ギャレット・A・ホーバート]]、[[アメリカ合衆国]]の[[政治家]]、第24代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1844年]]) === 12月 === * [[12月12日]] - [[池田茂政]]、第9代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1839年]]) * [[12月21日]] - [[シャルル・ラムルー]]、[[指揮者]](* [[1834年]]) * [[12月22日]] - [[ヒュー・グローヴナー (初代ウェストミンスター公爵)|ヒュー・グローヴナー]]、初代[[ウェストミンスター公爵]](* [[1825年]]) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1899|date=2011年7月}} * [[12月31日]] - ハリソン・ハイタワー三世が会見でシリキ・ウトゥンドゥを御披露目し、会見後、最上階の自室に戻ったあと謎の失踪を遂げる。(東京ディズニーシー®タワー・オブ・テラー) * イギリスでドナルドとダグラス落成。([[汽車のえほん]]) * 「魔女界」で、現在の女王(人間界では美空第一小学校養護教諭・ゆき先生)が即位する。([[おジャ魔女どれみ|おジャ魔女どれみシリーズ]]) * ジャック・ハークネスがドクターについて聞き込みを行っていたところ、トーチウッドに拘束される。([[ドクター・フー]]) * 行方不明となっていた師レッド・ベアからの手紙を受け取った魔物ハンターの雷神がアラスカに探索に向かう。(ゲーム『[[天外魔境 第四の黙示録]]』) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!-- === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} --> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1890}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1899ねん}} [[Category:1899年|*]]
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[ "Template:フィクションの出典明記", "Template:See also", "Template:Reflist", "Template:Normdaten", "Template:Year-definition", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Commonscat", "Template:十年紀と各年", "Template:年代ナビ", "Template:YearInTopic", "Template:注", "Template:年間カレンダー", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/1899%E5%B9%B4
4,205
仏陀
仏陀(佛陀、ぶつだ、ぶっだ、梵: बुद्ध、Buddha(ブッダ))は、仏(ぶつ)やほとけとも称され、悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した釈迦を意味する。 ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する。しかし釈迦の死後、初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人が仏陀とされるようになった。初期の大乗経典でも燃燈仏や過去七仏や、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている。 ブッダ(梵: Buddha)は、サンスクリット語の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ(梵: budh)の過去分詞形で、「目覚めた者」や「真理、本質、実相を悟った人」、「覚者」・「智者」と訳す。「正覚者」のことであり、聖人・賢者をブッダと呼ぶようになった。buddhaの語はインドでは、もとは諸宗教を通じて使われたものであり、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラもこの名で呼ばれたことがある。 ブッダの名称は、中国に伝えられた当初、その音を写して(音写して)「浮屠(ふと)」「浮図(ふと)」などの漢字が当てられた。またのちに、ブッダが別に仏陀(佛陀)と音写されることが増え、玄奘(602~664年)以降に固定する。より古い時代に、末尾の母音の脱落などがあり「ブト」と省略され、それに「仏(佛)」の音写が当てられたとの考え方もある。 諸橋轍次は、「佛」の字を「人であって人でない(人を超えている)」と解した。 ジャイナ教の文献にはマハーヴィーラを「ブッダ」と呼んだ形跡があるが、仏教ではマハーヴィーラを仏陀とは認めていない。 しかし時代を経ると、他方世界という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。 多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。悟りを得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教を含む沙門宗教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではない。 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。 釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかった。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、2019年現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。ただし、死後300年を過ぎてから作られはじめたので実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。 仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを十号という。 仏陀の悟りの位については、菩薩が仏となる修行過程として52の位が存在するともされていることが理解の助けとなる。 ブッダが漢字に音写された「浮屠(ふと)」、「浮図(ふと)」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれたと言われる。一方、古代朝鮮語の*Pwutukye(中世朝鮮語形は부텨(Pwuthye))や満州語のᡶᡠᠴᡳᡥᡳ(Fucihi)との関連性も指摘されている。 日本では「ほとけ」は、死者またはその霊をも意味する。ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、日本の中世以降、死者をまつる器として瓫(ほとき)が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、仏教が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと(蕃神 = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。他にも滅多に怒らない温厚な性格の例えとしても用いられ、「仏の顔も三度」などの諺もある。
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仏陀は、仏(ぶつ)やほとけとも称され、悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した釈迦を意味する。 ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する。しかし釈迦の死後、初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人が仏陀とされるようになった。初期の大乗経典でも燃燈仏や過去七仏や、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている。
{{Otheruses|仏教における仏陀|仏陀やブッダの名を冠した作品|仏陀 (曖昧さ回避)|[[少林寺]]初代住持となったインド出身の仏教僧|仏陀跋陀羅}} {{Redirect|仏}} [[File:Kamakura-buddha-1.jpg|thumb|300px|銅造[[阿弥陀如来]]坐像([[神奈川県]][[鎌倉市]]・[[高徳院]]・鎌倉大仏)]] [[ファイル:Korea-Gyeongju-Silla Art and Science Museum-Seokguram model-01.jpg|thumb|仏陀の座像([[石窟庵]]、[[新羅]]時代)]] '''仏陀'''(佛陀、ぶつだ<ref name="広辞苑2111" />、ぶっだ<ref name="コトバンク仏陀" />、{{lang-sa-short|बुद्ध}}、{{IAST|Buddha}}(ブッダ))は、'''仏'''(ぶつ)や'''ほとけ'''とも称され<ref name="コトバンク仏陀">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E9%99%80-125215|title=仏陀(ぶっだ)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-09-26}}</ref>、[[悟り]]の最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。歴史的には実在した[[釈迦]]を意味する<ref name="広辞苑2111" /><ref name="コトバンク仏陀" />。 ブッダ(「仏陀」は漢字による音写の一つ)という呼称は、インドでは仏教の成立以前から使われていた。釈迦が説いた原始仏教では、仏陀は「目覚めた人」を指す普通名詞であり、釈迦だけを指す固有名詞ではなかった。現に原始仏典にはしばしば仏陀の複数形(buddhā)が登場する<ref>植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.83</ref>。しかし釈迦の死後、初期仏教では、[[仏教]]を開いた'''[[釈迦]]ただ一人が仏陀'''とされるようになった<ref name=baba />。初期の大乗経典でも[[燃燈仏]]や[[過去七仏]]や、[[弥勒菩薩]]が未来に[[成仏]]することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は釈迦一人だけであり、釈迦の死後には現在まで現れていないとされている<ref name="baba">{{Cite |和書|title=初期仏教――ブッダの思想をたどる |series=岩波新書 |author=馬場紀寿 |isbn=978-4004317357 |date=2018 |page=21-22}}</ref>。 == 原語と音写語 == === 原語 === ブッダ({{lang-sa-short|Buddha}})は、[[サンスクリット語]]の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ({{lang-sa-short|budh}})の過去分詞形で<ref name=tomioka>『中勘助の恋』[[富岡多恵子]]、 創元社 (1993/11)、p270</ref>、「目覚めた者」{{sfn|中村・三枝|2009|p=53}}<ref name=baba />や「真理、本質、実相を悟った人」<ref name=baba />{{refnest|[https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E9%99%80-125215 「仏陀」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]}}、「覚者」・「智者」と訳す<ref name="広辞苑2111">{{Cite book |和書 |author=新村出 |authorlink=新村出 |coauthors= |others= |date=1986-10 |title=広辞苑 |edition=第三版 |publisher=岩波書店 |volume= |page=2111 |isbn=}}</ref>。「正覚者」のことであり<ref name=baba />、聖人・賢者をブッダと呼ぶようになった<ref name=tomioka/>。buddhaの語は[[インド]]では、もとは[[インドの宗教|諸宗教]]を通じて使われたものであり、[[ジャイナ教]]の開祖[[マハーヴィーラ]]もこの名で呼ばれたことがある<ref name="コトバンク仏陀" />。 === 音写語 === ブッダの名称は、[[中国]]に伝えられた当初、その音を写して(音写して)「浮屠(ふと)」「浮図(ふと)」などの漢字が当てられた{{sfn|中村・三枝|2009|p=55}}。またのちに、ブッダが別に仏陀(佛陀)と音写されることが増え、[[玄奘]](602~664年)以降に固定する{{sfn|中村・三枝|2009|p=55}}。より古い時代に、末尾の[[母音]]の脱落などがあり「ブト」と省略され、それに「仏(佛)」の音写が当てられた{{sfn|中村・三枝|2009|p=55}}との考え方もある{{efn|仏(ぶつ)は仏陀の略称であるとの説もある<ref name="コトバンク仏陀" />。}}。 [[諸橋轍次]]{{efn|[[漢字]]の研究者で「[[大漢和辞典]]」の編者。[[文学]][[博士]]。}}は、「佛」の字を「人であって人でない(人を超えている)」と解した{{sfn|中村・三枝|2009|p=55}}。 == 仏陀の範囲 == [[ジャイナ教]]の文献には[[マハーヴィーラ]]を「ブッダ」と呼んだ形跡があるが、仏教ではマハーヴィーラを仏陀とは認めていない。 しかし時代を経ると、[[他方世界]]という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『[[阿弥陀経]]』や『[[法華経]]』などである。 多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、[[悟り]]を得た人物を意味する場合は[[阿羅漢]]など別の呼び名が使われる。[[悟り]]を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは[[仏教]]を含む沙門宗教に由来するもので、[[ヴェーダの宗教]]の伝統としてあるわけではない。 == 仏陀への信仰 == 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する[[唯一神]](主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」({{IAST|deva}}, [[天部]])としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が[[護法善神]]として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に[[大乗仏教]]が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。 釈迦が[[出世]]した当時の[[インド]]社会では、[[バラモン教]]が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかった。当時のインドでは仏教以外にも[[六師外道]]などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初は[[レリーフ]]などでは、[[法輪]]で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、[[2019年]]現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。ただし、死後300年を過ぎてから作られはじめたので実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。 == 十号 == {{main|十号}} 仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを[[十号]]という。 # '''[[如来]]'''(にょらい、{{lang-sa-short|tathāgata}}) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。真実に達した者<ref name=baba />。 # '''[[応供]]'''(おうぐ、{{lang-sa-short|arhat}}) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。 # '''[[明行足]]'''(みょうぎょうそく、{{lang-sa-short|vidyācaraṇa-saṃpanna}}) - 宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。 # '''善逝'''(ぜんぜい、{{lang-sa-short|sugata}}) - [[般若|智慧]]によって迷妄を断じ世間を出た者。 # '''世間解'''(せけんげ、{{lang-sa-short|lokavid}}) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。 # '''無上士'''(むじょうし、{{lang-sa-short|anuttara}}) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。 # '''調御丈夫'''(じょうごじょうぶ、{{lang-sa-short|puruṣadaṃyasārathi}}) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。 # '''[[天人師]]'''(てんにんし、{{lang-sa-short|śāstā-devamanuṣyāṇāṃ}}) - 天人の師となる者。 # '''仏'''(ぶつ、{{lang-sa-short|buddha}}) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。 # '''[[世尊]]'''(せそん、{{lang-sa-short|bhagavat}}) - 福徳あるひと。幸いあるもの<ref name=baba />。 == 日本語の「ほとけ」 == ブッダが漢字に音写された「浮屠(ふと)」、「浮図(ふと)」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた{{sfn|中村・三枝|2009|p=55}}と言われる。一方、[[古代朝鮮語]]の*Pwutukye([[中世朝鮮語]]形は부텨(Pwuthye))や[[満州語]]の{{ManchuSibeUnicode|ᡶᡠᠴᡳᡥᡳ}}(Fucihi)との関連性も指摘されている<ref>{{Cite book|洋書|title=Tumen jalafun secen aku. Manchu Studies in Honour of Giovanni Stary|year=2006|publisher=Harrassowitz|chapter=Why Manchu and Jurchen Look So Un-Tungusic|page=|last=Vovin|first=Alexander|pages=255-266|editor=Alessandra Pozzi, Juha Janhunen and Michael Weiers|chapterurl=https://www.academia.edu/1804227/Why_Manchu_and_Jurchen_Look_so_Un-Tungusic|location=Wiesbaden}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Pellard|first=Thomas|year=2014|title=The Awakened Lord: The Name of the Buddha in East Asia|journal=Journal of the American Oriental Society|DOI=10.7817/jameroriesoci.134.4.689}}</ref>。 [[日本]]では「ほとけ」は、[[死生観|死者]]またはその[[霊魂|霊]]をも意味する<ref name="広辞苑2215">{{Cite book |和書 |author=新村出 |authorlink=新村出 |coauthors= |others= |date=1986-10 |title=広辞苑 |edition=第三版 |publisher=岩波書店 |volume= |page=2215 |isbn=}}</ref>。ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、[[日本]]の[[中世]]以降、死者をまつる器として'''瓫'''(ほとき)が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=743}}。しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、[[仏教]]が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと([[蕃神]] = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている{{sfn|岩波仏教辞典第2版|1989|p=743}}。他にも滅多に怒らない温厚な性格の例えとしても用いられ、「仏の顔も三度」などの諺もある<ref>{{Cite web|和書|title=仏の顔も三度とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E3%81%AE%E9%A1%94%E3%82%82%E4%B8%89%E5%BA%A6-630977 |website=コトバンク |access-date=2022-12-12 |language=ja |first=ことわざを知る辞典,精選版 |last=日本国語大辞典,デジタル大辞泉}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} ==参考文献== * {{Cite book |和書 |author=中村元他|authorlink=中村元 (哲学者) |title=岩波仏教辞典 |e |publisher=岩波書店 ,1989年 |isbn=4-00-080072-8 |ref={{SfnRef|岩波仏教辞典第2版|1989}} }} * {{Cite book |和書 |author1=中村元|authorlink1=中村元 (哲学者)|author2=三枝充悳|authorlink2=三枝充悳 |year=2009 |title=バウッダ |publisher=講談社学術文庫 |isbn=978-4-06-291973-9 |ref={{SfnRef|中村・三枝|2009}} }} == 関連項目 == {{Portal 仏教}} * [[仏果]] * [[正覚]] * [[ヒンドゥー教における釈迦]] == 外部リンク == {{Sisterlinks | n = no | v = no }} * [http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/osyakasama.html お釈迦様のご生涯] [[法華宗真門流|法華宗 真門流]] * [https://www.nichiren.or.jp/buddhism/shaka/05.php お釈迦さまの生涯] [[日蓮宗]] * [https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/100400575/ ブッダの謎に考古学で挑む、最古の仏教寺院発掘で解明に光 (日経BP、ナショナルジオグラフィ、2020年10月12日記事)] * [https://www.youtube.com/playlist?list=PLmwYOQLkF8Yi0r96xmE3pmOxhTTDwEOKl 佐々木閑「ブッダの一生」(動画)] {{Buddhism2}} {{仏陀}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:ふつた}} [[Category:仏教用語]] [[Category:仏教哲学の概念]] [[Category:仏]] [[Category:如来|*ふつた]] [[Category:仏教の称号・役職]]
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1890年
1890年(1890 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治23年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1890年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治23年。
{{年代ナビ|1890}} {{year-definition|1890}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[庚寅]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]23年 ** [[皇紀]]2550年 * [[清]]:[[光緒]]15年12月11日 - 光緒16年11月20日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]27年 ** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]499年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4223年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[成泰]]元年12月11日 - 成泰2年11月20日 * [[仏滅紀元]]:2432年 - 2433年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1307年5月9日 - 1308年5月19日 * [[ユダヤ暦]]:5650年4月9日 - 5651年4月20日 * [[修正ユリウス日]](MJD):11368 - 11732 * [[リリウス日]](LD):112209 - 112573 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1890}} == できごと == === 1月 === * [[1月25日]] - 婦人記者[[ネリー・ブライ]]が72日間をかけて単独世界一周を完遂 === 2月 === * [[2月1日]] - [[國民新聞]]創刊([[徳富蘇峰]]) * [[2月11日]] - [[金鵄勲章]]制定 * [[2月15日]] - [[偕行社]]新築落成式 * [[2月27日]] - [[浅草区]]で大火(焼失1469戸) === 3月 === * [[3月4日]] - 英国で[[フォース鉄道橋]]が開橋 * [[3月6日]] - [[丸の内]]近辺の官有地が[[岩崎弥之助]]に払下 * [[3月20日]] - 独皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]宰相を解任 * [[3月24日]] - 東京工業学校(後の[[東京高等工業学校]])設置([[東京職工学校]]を改称) === 4月 === * [[4月1日]] - 第三回[[内国勧業博覧会]]が[[上野恩賜公園|上野公園]]で開催( - 7月31日) * [[4月2日]] - [[橿原神宮]]創祀 * [[4月4日]] - ラフカディオ・ハーン(後の[[小泉八雲]])来日 * [[4月9日]] - [[琵琶湖疏水]]開通式 * [[4月16日]] - [[三宅島]]でM6.8クラスの地震発生 * [[4月21日]] ** [[民事訴訟法]]公布 ** [[呉鎮守府]]開庁式 * [[4月26日]] ** [[商法]]公布 ** [[佐世保鎮守府]]開庁式 === 5月 === * [[5月1日]] - 第1回国際[[メーデー]] * [[5月6日]] - [[千歳座]]焼失 * [[5月7日]] - [[上野パノラマ館]]開場 * [[5月22日]] - [[日本パノラマ館]]開場 * [[5月23日]] - [[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]開校([[旧東京音楽学校奏楽堂]]) === 6月 === * [[6月10日]] - 第1回[[貴族院 (日本)|貴族院]]伯子男爵議員互選選挙 * [[6月18日]] - [[利根運河]]開通 === 7月 === * [[7月1日]] - [[第1回衆議院議員総選挙]] * 7月1日 - 英独両国が[[ヘルゴランド=ザンジバル条約]]を締結。 * [[7月3日]] - 米国で[[アイダホ州|アイダホ]]が43番目に州となる * [[7月10日]] - 米国で[[ワイオミング州|ワイオミング]]が44番目に州となる * [[7月27日]] -[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]が[[猟銃]][[自殺]](死亡7月29日) === 8月 === * [[8月4日]] - [[中央気象台]]官制制定 * [[8月6日]] - 米国で[[電気椅子]]による初の死刑執行 === 9月 === * [[9月15日]] - [[立憲自由党]]結成 * [[9月16日]] - [[オスマン帝国]]軍艦が和歌山県[[串本]]沖で遭難([[エルトゥールル号遭難事件]]) === 10月 === * [[10月7日]] - [[刑事訴訟法]]公布 * [[10月11日]] - [[アメリカ愛国婦人会]]結成 * [[10月20日]] - [[元老院 (日本)|元老院]]廃止 * [[10月30日]] - 『教育ニ関スル勅語』([[教育勅語]])発布 * [[長瀬富郎|長瀬商店]]が[[花王石鹸]]を発売 === 11月 === * [[11月1日]] - [[日本鉄道]]: 上野から[[秋葉原駅|秋葉原]]まで貨物線を延長 * [[11月4日]] - [[アレクサンドル・ボロディン]]歌劇「[[イーゴリ公]]」初演([[マリインスキー劇場]]) * [[11月7日]] - [[帝国ホテル]]開業 * [[11月11日]] - [[凌雲閣]](浅草十二階)開業 * [[11月22日]] - [[國學院]]開院 * [[11月24日]] - [[国会議事堂#歴史|帝国議会議事堂]]竣工(翌年1月全焼) * [[11月29日]] - 第1回[[帝国議会]]開院式 * 英国で[[スコットランドヤード]]が新庁舎([[ヴィクトリア・エンバンクメント]])に移転 === 12月 === * [[12月16日]] - 東京・横浜で[[電話]]交換業務開始 * [[12月29日]] - 米国で[[ウンデット・ニーの虐殺]] == 誕生 == {{see also|Category:1890年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[ベニー・カウフ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1961年]]) * [[1月7日]] - [[ルイス・サントップ]]、メジャーリーガー(+ 1942年) * [[1月9日]] - [[カレル・チャペック]]、[[作家]](+ [[1938年]]) * [[1月11日]] - [[マックス・キャリー]]、メジャーリーガー(+ [[1976年]]) * [[1月12日]] - [[ヴァスィリー・エロシェンコ]]、ロシアの[[エスペランティスト]]・作家(+ [[1952年]]) * [[1月14日]] - [[アーサー・ホームズ]]、[[地質学者]](+ [[1965年]]) * [[1月28日]] - [[成久王妃房子内親王]]、[[皇族]]、[[北白川宮成久王]]妃(+ [[1974年]]) * [[2月4日]] - [[エディ・エインスミス]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1981年]]<ref>佐山(2005年)、98頁。</ref>) * [[2月8日]] - [[清沢洌]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1945年]]) * [[2月10日]] - [[ボリス・パステルナーク]]、[[詩人]]・[[小説家]](+ [[1960年]]) * [[2月15日]] - [[宇垣纏]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](+ [[1945年]]) * [[2月17日]] - [[ロナルド・フィッシャー]]、[[生物学者]](+ [[1962年]]) * [[2月19日]] - [[橋本欣五郎]]、[[陸軍軍人]](+ [[1957年]]) * [[2月20日]] - [[サム・ライス]]、メジャーリーガー(+ [[1974年]]) * [[2月22日]] - [[日夏耿之介]]、詩人・[[英文学者]](+ [[1971年]]) * 2月22日 - [[ベンノ・モイセイヴィチ]]、[[ピアニスト]](+ [[1963年]]) * [[2月23日]] - [[下山懋]]、[[教育者]](+ [[1987年]]) * [[2月24日]] - [[青野季吉]]、[[文芸評論家]](+ [[1961年]]) * [[2月25日]] - [[マイラ・ヘス]]、[[ピアニスト]](+ [[1965年]]) *2月25日 - [[志摩清英]]、海軍軍人(最終階級:海軍[[中将]]) (+ [[1973年]]) * [[3月3日]] - [[坪田譲治 (作家)|坪田譲治]]、[[児童文学作家]](+ [[1982年]]) * [[3月4日]] - [[ノーマン・ベチューン]]、[[医師]](+ [[1939年]]) * [[3月9日]] - [[ヴャチェスラフ・モロトフ]]、[[ソビエト連邦]]の政治家 (+ [[1986年]]) * [[3月10日]] - [[中村岳陵]]、[[日本画家]](+ [[1969年]]) * [[3月11日]] - [[ヴァネヴァー・ブッシュ]]、[[技術者]](+ [[1974年]]) * [[3月12日]] - [[ヴァーツラフ・ニジンスキー]]、[[バレエ]]ダンサー・[[振付師]](+ [[1950年]]) * [[4月6日]] - [[アントニー・フォッカー]]、[[フォッカー]]社設立者(+ [[1939年]]) * [[4月8日]] - [[ズビグニェフ・ジェヴィエツキ]]、音楽教師(+ [[1971年]]) * [[5月2日]] - [[E・E・スミス]]、[[SF作家]](+ [[1965年]]) * [[5月19日]] - [[ホー・チ・ミン]]、[[ベトナム]]初代[[大統領]](+ [[1969年]]) * [[5月20日]] - [[ベニャミーノ・ジーリ]]、[[テノール]][[歌手]](+ [[1957年]]) * [[5月26日]] - [[サムイル・フェインベルク]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[1962年]]) * [[6月12日]] - [[エゴン・シーレ]]、[[画家]](+ [[1918年]]) * [[6月28日]] - [[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]]、[[落語家]](+ [[1973年]]) * [[7月1日]] - [[高村豊周]]、鋳金家(+ [[1972年]]) * [[7月10日]] - [[川島正次郎]]、[[政治家]](+ [[1970年]]) * 7月10日 - [[土方成美]]、[[経済学者]](+ [[1975年]]) * [[7月14日]] - [[オシップ・ザッキン]]、[[彫刻家]]・[[画家]](+ [[1967年]]) * [[7月20日]] - [[ジョルジョ・モランディ]]、画家(+ [[1964年]]) * [[7月26日]] - [[伊藤整一]]、海軍軍人(+ 1945年) * [[7月30日]] - [[ケーシー・ステンゲル]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1975年]]) * [[8月4日]] - [[ドルフ・ルケ]]、メジャーリーガー(+ [[1957年]]) * [[8月5日]] - [[エーリヒ・クライバー]]、[[指揮者]](+ [[1956年]]) * 8月5日 - [[ナウム・ガボ]]、[[美術家]]・彫刻家(+ [[1977年]]) * [[8月20日]] - [[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]]、[[小説家]](+ [[1937年]]) * [[8月22日]] - [[アーバン・ショッカー]]、メジャーリーガー(+ [[1928年]]) * [[8月24日]] - [[河井寛次郎]]、[[陶芸家]](+ [[1966年]]) * [[8月27日]] - [[マン・レイ]]、[[写真家]](+ [[1976年]]) * [[8月28日]] - [[アイヴァー・ガーニー]]、[[作曲家]]・[[詩人]](+ [[1937年]]) * [[8月29日]] - [[ヘルマン・ホイヴェルス]]、[[教育者]]・宗教家・[[劇作家]](+ [[1977年]]) * [[9月5日]] - [[永野護 (政治家)|永野護]]、[[実業家]]・政治家(+ [[1970年]]) * [[9月6日]] - [[綾部健太郎]]、[[政治家]]・第53代[[衆議院議長]](+ [[1972年]]) * [[9月7日]] - [[カルロス・パオレーラ]]、[[都市計画家]](+ [[1960年]]) * [[9月9日]] - [[カーネル・サンダース]]、[[ケンタッキーフライドチキン]]の創業者(+ [[1980年]]) * [[9月10日]] - [[エルザ・スキャパレッリ]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[1973年]]) * [[9月15日]] - [[アガサ・クリスティ]]、[[推理作家]](+ 1976年) * [[9月18日]] - [[土屋文明]]、[[歌人]]・[[国文学者]](+ [[1990年]]) * [[9月20日]] - [[大野伴睦]]、政治家・第42・43代衆議院議長(+ [[1964年]]) * [[9月23日]] - [[フリードリヒ・パウルス]]、[[ナチス・ドイツ]]の軍人・[[元帥]](+ [[1957年]]) * [[9月30日]] - [[東山千栄子]]、新劇[[俳優|女優]](+ [[1980年]]) * [[10月2日]] - [[グルーチョ・マルクス]]、[[コメディアン]]・[[マルクス兄弟]](+ [[1977年]]) * [[10月8日]] - [[小酒井不木]]、[[医学|医学者]]・推理作家(+ [[1929年]]) * 10月8日 - [[ハインリヒ・フォッケ]]、航空エンジニア(+ [[1979年]]) * [[10月10日]] - [[金易二郎]]、[[将棋棋士]](+ [[1980年]]) * [[10月14日]] - [[ドワイト・D・アイゼンハワー]]、軍人・第34代[[アメリカ合衆国大統領]](+ 1969年) * [[10月18日]] - [[九津見房子]]、社会主義運動家(+ [[1980年]]) * [[10月25日]] - [[田中耕太郎]]、[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]・[[法学者]]・第2代[[最高裁判所長官]]・[[国際司法裁判所]][[判事]](+ [[1974年]]) * [[11月2日]] - [[岸田国士]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1954年]]) * 11月2日 - [[西ノ海嘉治郎 (3代)]]、[[大相撲]]第30代横綱(+ [[1933年]]) * [[11月3日]] - [[山川菊栄]]、[[評論家]]・婦人運動家(+ [[1980年]]) * [[11月5日]] - [[矢代幸雄]]、[[美術史家]]・[[美術評論家]](+ [[1975年]]) * [[11月12日]] - [[クロンベルガー・リリー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ 1974年) * [[11月22日]] - [[シャルル・ド・ゴール]]、[[フランス第五共和政]]初代[[大統領]](+ [[1970年]]) * [[11月23日]] - [[エル・リシツキー]]、写真家(+ [[1941年]]) * [[11月27日]] - [[豊島与志雄]]、小説家・[[翻訳家]](+ [[1955年]]) * [[12月3日]] - [[佐藤惣之助]]、[[詩人]]・[[作詞家]](+ [[1942年]]) * [[12月5日]] - [[フリッツ・ラング]]、[[映画監督]](+ 1976年) * [[12月6日]] - [[仁科芳雄]]、[[物理学者]](+ [[1951年]]) * [[12月18日]] - [[エドウィン・アームストロング]]、[[電気工学]]研究者・[[発明家]](+ [[1954年]]) * [[12月21日]] - [[ハーマン・J・マラー]]、[[遺伝学者]](+ [[1967年]]) * [[12月27日]] - [[砂川捨丸]]、[[漫才師]]([[砂川捨丸・中村春代]])(+ [[1971年]]) * [[12月29日]] - [[イヴ・ナット]]、[[ピアニスト]](+ [[1956年]]) == 死去 == {{see also|Category:1890年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月23日]] - [[新島襄]]、[[同志社英学校]]創立者(* [[1843年]]) * [[2月22日]] - [[カール・ハインリッヒ・ブロッホ]]、[[画家]](* [[1834年]]) * [[6月2日]] - [[松平春嶽]]、元[[越前藩]][[藩主]](* [[1828年]]) * [[6月23日]] - [[ジョージ・ワシントン・マクラリー]]、第33代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1835年]]) * [[7月13日]] - [[ジョン・C・フレモント]]、[[探検家]](* [[1813年]]) * [[7月29日]] - [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、[[画家]](* [[1853年]]) * [[9月20日]] - [[グスタヴ・ヴィルヘルム・パルム]]、画家(* [[1810年]]) * [[9月23日]] - [[ローレンツ・フォン・シュタイン]]、[[法学者]]・[[思想家]](* [[1815年]]) * [[10月13日]] - [[ウィリアム・ワース・ベルナップ]]、第30代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1829年]]) * [[10月20日]] - [[リチャード・フランシス・バートン]]、[[探検家]](* [[1821年]]) * [[12月15日]] - [[シッティング・ブル]]、アメリカ[[インディアン]][[スー族]]指導者(* [[1831年]]) * [[12月26日]] - [[ハインリヒ・シュリーマン]]、[[考古学者]](* [[1822年]]) == フィクションのできごと == * [[リヴァプール]]中央駅発[[ロンドン]]行の臨時列車が次の停車駅[[マンチェスター]]駅との間で消失し、この事件は迷宮入りになってしまう。(小説『[[消えた臨時列車]]』) * [[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]が11代目ドクターと協力し透明エイリアンであるクラフェイスに立ち向かう。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * [[ストーンヘンジ]]からのテレパスメッセージをゴッホが受け、爆発する[[ターディス]]の絵を描く。(ドラマ『ドクター・フー』) * [[エイミー・ポンド]]とローリー・ウィリアムズの結婚記念日に[[サヴォイ・ホテル]]へ向かうが、[[ザイゴン (ドクター・フー)|ザイゴン]]に制圧されていたことが発覚。(ドラマ『ドクター・フー』) * 9月25日 - 北アメリカ大陸横断レース「スティール・ボール・ラン」スタート。(漫画『[[スティール・ボール・ラン|ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン]]』) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1890}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]]<!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1890ねん}} [[Category:1890年|*]]
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4,207
1876年
1876年(1876 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。明治9年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1876年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。明治9年。
{{年代ナビ|1876}} {{year-definition|1876}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[丙子]] * [[日本]](月日は一致) ** [[明治]]9年 ** [[皇紀]]2536年 * [[清]]:[[光緒]]元年12月5日 - 光緒2年11月16日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]13年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4209年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]28年12月5日 - 嗣徳29年11月16日 * [[仏滅紀元]]:2418年 - 2419年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1292年12月4日 - 1293年12月14日 * [[ユダヤ暦]]:5636年4月4日 - 5637年4月15日 * [[修正ユリウス日]](MJD):6254 - 6619 * [[リリウス日]](LD):107095 - 107460 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1876}} == できごと == === 1月 === * [[1月2日 (旧暦)|1月2日]] - 三菱系企業で日本初のボーナス支給。 * [[1月13日]] - [[東京]]でマイナス9.2度を記録 === 2月 === * [[2月2日]] - [[メジャーリーグベースボール|MLB]]・[[ナショナルリーグ]]設立 * [[2月20日]] - 大阪日報(後の[[大阪毎日新聞]])創刊 * [[2月22日]] ** 代言人規則布達 ** [[ジョンズ・ホプキンス大学]]創立 * [[2月24日]] - [[ヘンリック・イプセン|イプセン]](音楽[[グリーグ]])戯曲「[[ペール・ギュント (グリーグ)|ペール・ギュント]]」初演 * [[2月27日]] - [[日朝修好条規]]調印 === 3月 === * [[3月10日]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル|グラハム・ベル]]が[[電話機]]を発明。初めての電話による会話の第一声は「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」。 * [[3月12日]] - 官庁を日曜休暇・土曜半休とする[[太政官達]]公布(施行4月) * [[3月17日]] - [[夫婦別姓]]とする太政官指令が通達される<ref>[https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F787956&contentNo=787&outputScale=1 法令全書明治九年1453頁]</ref><ref name=minji3602>[https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html 「我が国における氏の制度の変遷」]、法務省。</ref>([[1898年]]の民法制定まで) * [[3月21日]] - [[水交社]]設立 * [[3月28日]] - [[廃刀令]]発布 === 4月 === * [[4月2日]] - 日本初の[[連休]]開始(2日が日曜,翌3日が[[神武天皇祭]]) * [[4月8日]] - [[ポンキエッリ]]歌劇「[[ラ・ジョコンダ]]」初演([[ミラノ]]) * [[4月18日]] - 日本の[[新川県]]が[[石川県]]に編入 * [[4月18日]] - 日本の[[奈良県]]が[[堺県]]に編入 === 5月 === * [[5月1日]] - 英[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]女王が[[インド皇帝|インド女帝]]の称号を得る * [[5月9日]] - [[上野恩賜公園|上野公園]]開園式 * [[5月10日]] - [[フィラデルフィア万国博覧会]]開幕( - 11月10日) * [[5月18日]] - [[天然痘]]予防規則布達 * [[5月25日]] - [[青森県]]二戸郡・[[宮城県]]気仙郡が岩手県に移管され、現在の[[岩手県]]・青森県の県域が確定。 === 6月 === * [[6月2日]] - [[明治天皇]]が[[北海道]]・[[東北地方]]巡幸に出発( - 7月20日) * [[6月6日]] - [[エルヴィン・フォン・ベルツ|ベルツ]]医師来日(1905年6月まで29年間) * [[6月12日]] - [[大森駅 (東京都)|大森駅]]開業 * [[6月30日]] - [[セルビア公国 (近代)|セルビア公国]]が[[オスマン帝国]]に宣戦布告 * [[松本市]]にあった[[筑摩県|筑摩]]県庁が火災で焼失 === 7月 === * [[7月1日]] - [[三井銀行]](日本初の私立銀行)、旧[[三井物産]]開業 * [[7月3日]] - [[モンテネグロ公国]]が[[オスマン帝国]]に宣戦布告 * [[7月20日]] - 明治天皇が巡幸より灯台視察船「[[明治丸]]」で横浜港に帰還([[海の記念日]]の由来) * [[ウィリアム・スミス・クラーク|クラーク博士]]来日( - 翌年5月まで8ヶ月間) === 8月 === * [[8月1日]] ** [[国立銀行条例]]改正 ([[不換紙幣]]の発行を認可) ** 米国で[[コロラド州|コロラド]]が38番目に州となる * [[8月5日]] - 金禄公債証書発行条例公布([[秩禄処分]]) * [[8月8日]] - [[トーマス・エジソン|エジソン]]が[[謄写版]]の特許を取得 * [[8月13日]] - [[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]楽劇「[[ニーベルングの指環]]」全曲初演( - 8月17日,[[バイロイト祝祭劇場]]) * [[8月14日]] - 札幌学校が[[札幌農学校]]に改称され、現在の[[北海道大学]]の創基となる(正式改称9月9日) * [[8月29日]] - [[高橋お伝]]逮捕される === 9月 === * [[9月12日]] - [[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]が[[ブリュッセル]]地理会議([[:en:Brussels Geographic Conference|Brussels Geographic Conference]])を開催し[[コンゴ]]の植民地化を企図 * [[9月23日]] - [[北海道開拓使]]札幌麦酒醸造所設立 === 10月 === * [[10月6日]] - [[米国図書館協会]]設立 * [[10月10日]] - 一里塚廃毀令公布 * [[10月24日]] - [[神風連の乱]] * [[10月27日]] - [[秋月の乱]] * [[10月28日]] - [[萩の乱]] * [[10月31日]] - [[サイクロン]]([[:en:Great Backerganj Cyclone of 1876|Great Backerganj Cyclone]])が[[ベンガル地方]]を襲う (二十万名死亡) === 11月 === * [[11月1日]] - [[北海運河]]開通式 ([[ウィレム3世 (オランダ王)|ヴィレム3世]]) * [[11月4日]] - [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]][[交響曲第1番 (ブラームス)|交響曲第1番]]初演 ([[カールスルーエ]]) * [[11月5日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]「[[スラヴ行進曲]]」初演 ([[モスクワ]]) * [[11月7日]] - [[1876年アメリカ合衆国大統領選挙|米国大統領選挙]]実施(紛糾・議論の末に[[ラザフォード・ヘイズ]]が勝利) * [[11月16日]] - [[東京女子高等師範学校|東京女子師範学校]]附属幼稚園(現・[[お茶の水女子大学附属幼稚園]])開園([[日本初の一覧|日本初]]の[[幼稚園]]) * [[11月29日]] - [[ポルフィリオ・ディアス]]がメキシコ大統領に就任 === 12月 === * [[12月2日]] - 中外物価新報(後の[[中外商業新報]]、[[日本経済新聞]]) * [[12月6日]] - 米国初の[[火葬]]が行われる * [[12月19日]] - [[三重県]]で[[地租改正反対一揆]]([[伊勢暴動]]) * [[12月23日]] - [[オスマン帝国憲法]]発布 === 日付未詳 === * [[ブリタニック (客船・初代)|SSブリタニック号]]建造 == 誕生 == {{see also|Category:1876年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[コンラート・アデナウアー]]、[[政治家]]、西ドイツの初代連邦首相(+ [[1967年]]) * [[1月9日]] - [[ロベルト・ミヒェルス]]、[[社会学者]]・[[歴史学者]](+ [[1936年]]) * [[1月11日]] - [[エルマー・フリック]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1971年]]) * [[1月12日]] - [[光田健輔]]、[[病理学者]](+ [[1964年]]) * [[1月20日]] - [[ヨゼフ・ホフマン]]、[[ピアニスト]](+ [[1957年]]) * [[2月8日]] - [[パウラ・モーダーゾーン=ベッカー]]、[[画家]](+ [[1907年]]) * [[2月9日]] - [[マルティン・スティクスルート]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1964年]]) * [[2月23日]] - 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ソビエト連邦
ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、ロシア語: Союз Советских Социалистических Республик 発音、頭字語: СССР)は、1922年から1991年までユーラシア大陸北部に存在した社会主義国家である。略称は、ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)、ソ連(ソれん)、ソビエト、ソ連邦など。 名目上は複数の共和国からなる連邦国家であったが、実際には末期まで高度に中央集権的な体制が敷かれており、1980年代後半まではソビエト連邦共産党による一党独裁国家であった。 最大かつ最も人口の多い共和国であるロシア共和国(現:ロシア連邦)内のモスクワを首都とした。 他の主要都市は、ロシア共和国のレニングラード(現:サンクトペテルブルク)、ノヴォシビルスク、ウクライナ共和国のキエフ(現:キーウ)、白ロシア共和国のミンスク、ウズベク共和国のタシュケント、カザフ共和国のアルマアタ(現:アルマトイ)であった。国土は22,402,200平方キロメートル、11の時間帯 (標準時)にまたがる当時世界最大の国であった。 ソビエト連邦は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、二月革命により成立したロシア臨時政府を転覆した十月革命を起源とする。ボリシェヴィキは憲法で保障された世界初の社会主義国家であるロシア社会主義ソビエト共和国を樹立したが、十月革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの赤軍と、白軍に代表される反ボリシェヴィキの諸勢力との間で行われるロシア内戦へと発展した。ボリシェヴィキを脅威と見る協商国による干渉を受けつつも、赤軍は1920年までに内戦での勝利を決定的なものとし、十月革命後ロシア共和国からの分離独立を果たしていた諸地域(ウクライナなど)を1921年までに占領して、ボリシェヴィキが代表を務めるソビエト政権を樹立した。ボリシェヴィキは旧ロシア帝国領の再統合を企図し、1922年12月30日にロシア、ウクライナ、ザカフカース、白ロシア(ベラルーシ)の4つのソビエト共和国から成るソビエト連邦(以下ソ連)を成立させた。 1924年のレーニンの死後に党内闘争を経てヨシフ・スターリンが政権を掌握し、共産党内部で反対派を弾圧し、計画経済体制を確立した。その結果、急速な工業化と強制的な集団化の時期を迎え、著しい経済成長を遂げたが、1932年から1933年にかけて人為的な飢饉を引き起こした。また、収容所制度もこの時期に拡大した。スターリンはまた、政治的パラノイアを煽り、軍事指導者、共産党員、一般市民を問わず大量に逮捕し、強制労働場に送られるか死刑を宣告することによって、自分の実際の敵、認識上の敵を党から排除する大粛清を実施した。 1939年8月23日、西側諸国との反ファシスト同盟の構築に失敗した後、ソ連はナチス・ドイツと不可侵条約を締結した。第二次世界大戦の開戦後、中立国だったソ連は、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアの東部地域を含む東欧諸国に侵攻し、領土を併合した。1941年6月、ドイツ軍がバルバロッサ作戦によりソ連領を侵略し、独ソ戦が幕を開けた。スターリングラード攻防戦などで枢軸国と交戦する過程で、ソ連の戦死者が連合国の死傷者の大半を占めた。ソ連軍は最終的にベルリンを占領し、1945年5月9日、ヨーロッパでの第二次世界大戦に勝利した。赤軍が制圧した地域は、東側諸国の衛星国となった。1947年、東西冷戦が勃発し、東側諸国は西側諸国と対峙し、西側諸国は1949年にはNATOに統合されることになる。 1953年、スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフの指導のもと、非スターリン化、雪どけ(英語版)と呼ばれる時期が訪れた。何百万人もの農民が工業化された都市に移動し、国は急速に発展した。ソ連は、史上初の人工衛星と人類初の宇宙飛行、他の惑星である金星への初の探査機の着陸により、宇宙開発競争で早くから主導権を握った。1970年代、米国との関係は一時的にデタント状態になったが、1979年にソ連がアフガニスタンに軍を展開すると緊張が再開された。この戦争で経済資源が枯渇し、それに合わせるようにアメリカのムジャヒディン戦闘員への軍事援助がエスカレートしていった。 1980年代半ばに、ソ連最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフが、グラスノスチとペレストロイカという政策で、さらなる改革と経済の自由化を目指した。その目的は、共産党を維持しつつ、経済の停滞を逆転させることだった。彼の在任中に冷戦が終結し、1989年には中・東欧のワルシャワ条約機構諸国がそれぞれのマルクス・レーニン主義体制を打破した。ソ連全土で強力な民族主義・分離主義運動が勃発した。ゴルバチョフは、リトアニア、ラトビア、エストニア、アルメニア、グルジア、モルドバがボイコットした国民投票を実施し、過半数の国民がソ連を新たな連邦として存続することを支持する結果となった。1991年8月、共産党の強硬派によるクーデターが発生したが、ロシア共和国大統領エリツィンを中心に阻止され、失敗に終わった。その結果、共産党への信頼は失墜し、ロシアとウクライナを中心とする共和国が独立を宣言した。1991年12月25日、ゴルバチョフが辞任した。ソビエト連邦の崩壊により、すべての共和国がポストソビエトの独立国として誕生した。ロシア連邦はソビエト連邦の権利と義務を引き受け、世界情勢においてその継続的な法的人格として認識されている。 ソ連は、社会的・技術的に多くの重要な成果を上げ、軍事力に関しても革新的なものを生み出した。日本やイギリス、西ドイツに抜かれるまでは世界第2位の経済力と世界最大の常備軍を誇り、公式核保有国である5か国の1つとして認識されていた。国連安全保障理事会の創設常任理事国であり、OSCE、WFTU、経済相互援助会議、ワルシャワ条約機構の主要国であった。 ソ連は第二次世界大戦後、解散するまでの40年間、米国と並ぶ世界の超大国の地位を維持していた。「ソビエト帝国」とも呼ばれ、軍事力や経済力、代理戦争、発展途上国への影響力、宇宙技術や兵器を中心とした科学研究への資金提供などで、東中欧をはじめ世界的に覇権を行使していた。 ソビエト(露: Совет)というロシア語は「評議会」の意味をもち、スラヴ祖語のvět-iti(「知らせる」)の動詞語幹から派生したものである。労働者の代表による評議会としての「ソビエト」は、1905年のロシア第一革命の中で初めて出現した。それらのソビエトは帝国政府によって速やかに解散させられたが、1917年の二月革命による帝政の崩壊後、ロシア各地で労働者や兵士がソビエトを組織し、首都ペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトはロシア臨時政府に対抗し得る権力を有した。この二重権力状態の中で、ボリシェヴィキは「全権力をソビエトへ」のスローガンを掲げて臨時政府と対立し、1917年10月(旧暦)にはソビエトの名の下に武装蜂起を実行して臨時政府から権力を奪取した(十月革命)。1918年1月、ボリシェヴィキは「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」の建国を宣言し、1922年12月30日には同国と他のソビエト共和国を統合する連邦国家として「ソビエト社会主義共和国連邦」を成立させた。ソビエト連邦の政治基盤は人民の代表によるソビエトと憲法で定められていたが、実際の政治的権力はボリシェヴィキの後継である共産党によって掌握されていた。(ソビエト連邦#政治も参照) ロシア語表記の正式名称はСоюз Советских Социалистических Республик。通称はСоветский Союзで、国歌の歌詞にも使用されている。略称はСССР、またはラテン文字でSSSRとなるが、これは正式名称を音訳すると「Soyuz Sovietskikh Sotsialisticheskikh Respublik」となるためである。英語表記の正式名称は、Union of Soviet Socialist Republics、通称はSoviet Union、略称はUSSRが用いられる。 日本語表記では「ソビエト社会主義共和国連邦」が用いられる。通称は、ソビエト連邦(「ソビエト」は「蘇維埃」「ソヴィエト」「ソヴィエット」「ソヴェト」「ソヴエト」「ソヴェート」「ソベート」「ソブイエト」「ソウエト」「ソウェート」「ソウエート」「ソウエット」「ソウエツト」「サウエト」「サウェート」「サウエート」「サウエット」「サウィエート」、より原語に近づけて「サヴィェート」とも)。略称はソ連邦、ソ連、または単にソビエトやソヴィエトともする。漢字では蘇聯邦、蘇聯などと表記され、蘇と略される。 第二次世界大戦前は、ロシア帝国時代の神聖同盟のように「同盟」と訳した「ソ同盟(蘇同盟)」も使用されたが、ソ連自体が「Союз とは Федерация(連邦)である」と説明し、在日ソ連大使館も戦前から一貫して「連邦」の訳語を使用したことから、「連邦」が優勢となっている。 構成共和国のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国とザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の国名にも「連邦」の文字が含まれるが、こちらは Союз ではなく Федерация の訳である。旧ソ連圏の統合を目指しているユーラシア連合やユーラシア経済連合の Союз は「連合」と訳されている。日本語読みでは Союз はソユーズで知られる。ソ連を構成したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国と、その後継国家ロシア連邦は「Федерация(連邦)」である。 ソビエト連邦は、国名に固有名詞(地名)を含まない世界でも希有な例であるが、連邦を構成する各共和国の国名には「ロシア・ソビエト連邦共和国」など地名が含まれている。 一部の西側諸国ではソビエト連邦全体を指して「ロシア」(Russia)と呼び続ける例も多かった。日本では労農ロシアや赤露などとも呼ばれたが、「ソ連」「ソビエト」(NHK等)「ソビエト連邦」が一般化した。 1917年3月8日(ロシア暦2月23日)に首都ペトログラードで起こったデモに端を発する二月革命により、ロシア帝国は崩壊して漸進的な改革を志向するロシア臨時政府が成立した。臨時政府は第一次世界大戦への参戦継続を決定したが、ドイツ軍との戦線はすでに破綻しており、国内の政治的混乱にも収拾のめどはついていなかった。他方、二月革命の中で労働者・兵士の代表によるソビエト(会議、評議会)がロシア各地で組織され、中でも最大の影響力を持つペトログラード労働者・兵士代表ソビエト(英語版)と臨時政府の間では「二重権力」状態が生じた。 1917年8月、ラーヴル・コルニーロフ将軍が臨時政府に対する反乱を起こし、それがソビエトの力によって鎮圧されると、ソビエト内ではウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに対する支持が高まった。ボリシェヴィキは、かねてよりソビエトへの全権力の集中を訴え、戦争継続を主張する臨時政府との対決姿勢を露わにしていた。同年10月、ボリシェヴィキは武装蜂起の方針を決め、11月7日(ユリウス暦10月25日)に首都ペトログラードのほぼ全域を制圧し、臨時政府から権力を奪取した(十月革命)。この11月7日が、ロシア革命記念日である。同日に開催された第2回全ロシア・ソビエト大会では、ソビエトによる体制の成立と、新政府である人民委員会議の成立が宣言された。首相にあたる人民委員会議議長にはレーニン、外務人民委員にはレフ・トロツキー、民族問題人民委員にヨシフ・スターリンが就任している。ソビエト政権はモスクワ近郊を制圧し、11月10日には左派社会革命党を政権に取り込んだ。1918年1月10日からは第3回全ロシア・ソビエト大会が開催され、ロシアが労働者・兵士・農民のソビエトの共和国であると宣言され、連邦制をとるとした宣言が採択された(ロシア社会主義連邦ソビエト共和国)。 1918年3月、ボリシェヴィキはドイツ帝国を含む中央同盟国とブレスト=リトフスク条約を締結し、第一次世界大戦から離脱したが、以降は連合国によるシベリア出兵の干渉戦争や、白軍など反革命勢力とのロシア内戦 (1917-22) に対処することになった。一方で、ウクライナ人民共和国やアゼルバイジャンのバクー・コミューンなどボリシェヴィキ派のソビエト政権も各地で次々に樹立された。これらの各政権は独立国であったが、ロシア・ソビエト政府の一部であると自らを定義することもあった。 十月革命の直後から始まったロシア内戦は、1918年5月のチェコ軍団の反乱を契機に本格化した。ソビエト政府は内戦中に経済政策として戦時共産主義を導入したが、これは農業と工業の崩壊を招き、数百万人の餓死者を出した。土地の国有化によって地主階級も自作農(フートル農、オートルプ農)も消滅し、三圃制にもとづく農村共同体が復活したが、農業生産には重大な打撃が生じた。1918年5月の食料独裁令で農産物は国家専売とされ、自由取引は禁止された。第一次世界大戦後、経済復興のために農民は、十分な食料供給と生産が義務化された。1920年は凶作となり、重い負担に不満をもった農民は西シベリアやタンボフ県で反乱を起こした。1921-1922年にはロシア飢饉が発生し、農民反乱の拡大が政権を脅かすことを懸念したレーニンは、1921年より戦時共産主義に代わる新経済政策(ネップ)を導入し、穀物の強制徴収は廃止され、部分的に市場経済が取り入れられた。 1920年、ロシア内戦におけるボリシェヴィキの勝利は決定的となった。1921年までに、赤軍は十月革命後ロシアから分離独立を果たしていたウクライナ、ベラルーシ、ザカフカースの民族国家を侵攻し、占領することに成功した。同時に、ボリシェヴィキはそれらの地域(ウクライナ、ベラルーシ、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアなど)でソビエト政権を樹立した。 ロシア内戦が収束に向かうと、各地のソビエト政権の間では統合への動きが強まった。ロシア共産党の手によって各地の革命政権との統合が進行し、1920年にはロシア連邦共和国とアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国の間で、緊密な軍事的・政治的な同盟条約が締結され、ウクライナ、白ロシア、グルジア、アルメニアとも同様の条約が結ばれた。これらの国々は憲法を持つ主権国家ではあったが、最高機関は全ロシア・ソビエト大会と全ロシア中央執行委員会であり、ロシア連邦共和国の主導権は明確であった。 1921年1月には、燃料危機、運輸危機、食糧難が連鎖的に発生し、3月にはクロンシュタットの反乱も起き、党内でも党内の民主化を求められた。党指導部は党員が過剰であるとの理由で「党の総粛清」を開始、党歴の長さに応じてヒエラルヒーがつくられ、古参党員による寡頭支配が成立していった。 1922年5月にはレーニンが脳出血で倒れ、一命は取り留めたものの影響力は急速に低下した。4月にはスターリンがロシア共産党の書記長に就任、党組織を掌握し始めた。8月にはソビエト政権の統合のための委員会が設置され、スターリンが主導者の一人となった。スターリンは9月に各政権が自治共和国として、ロシア・ソビエト社会主義共和国連邦に加入するという統合形式を発表した。この意見はグルジア以外のソビエト共和国の賛成を得て採択されたものの、各共和国にとっては不満の残るものであり、レーニンの指導によって10月の中央委員会では、各共和国が対等な共和国として連邦に加入するという形式が定められた。しかし、この修正ではザカフカースの3共和国がいったん連邦となってから加入することが定められたため、グルジアでの猛反発を招いた(グルジア問題)。反対派は次第に追い詰められ、これによってザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国が成立している。 1922年12月には第1回ソビエト連邦全連邦ソビエト大会(ロシア語版)が開催され、12月30日にロシア社会主義連邦ソビエト共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、白ロシア社会主義ソビエト共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の4国が平等な立場で加盟するとしたソビエト社会主義共和国連邦の樹立を宣言する連邦結成条約(英語版、ロシア語版)が調印された。この連邦には各国が自由な意志で参加・脱退できると定められており、新たな最高機関の設立も決定された。 1923年、スターリンら党内主流派は、ソ連体制の正当性を工場労働者からの支持に見出し、労働者の入党キャンペーンを展開したが、さらに党内対立を招いた。工場労働者を支持母体とみなす一方で、農民は潜在的には「敵」(反革命分子)とみなされた。 1924年1月31日には最初のソビエト連邦憲法が成立した。 1924年にレーニンが死亡したが、生前にはスターリンとトロツキーの対立を憂い、スターリンを警戒するようになっていた。スターリンはまずトロツキーを孤立させ、次いでレーニンの側近だったグリゴリー・ジノヴィエフや、レフ・カーメネフ、カール・ラデックらを攻撃した。1927年にはトロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフを党から除名したことで、明らかな優越者としての地位を確保し、スターリンは正式に最高指導者になった。 外交面では連合国の直接干渉自体はなくなったものの、ソビエト政権が旧ロシア帝国の債務支払いを拒否したため、関係改善は進まなかった。一方で国際的に孤立していたヴァイマル共和政下のドイツはソ連と接近し、賠償の相互放棄を定めたラパッロ条約の締結となった。ドイツ軍はソビエト領内で軍事開発を秘密裏に行い、ソ連はそれによって情報を取得するという関係も築かれた。この後、中東諸国や中華民国との国交が成立したものの、1925年にはロカルノ条約の成立によってドイツが西欧諸国側になったと受け止められた。これに対してソ連は東欧諸国やフランスと不可侵条約を締結することで対抗しようとした。 一方でコミンテルンは各国の共産主義運動を支援する世界革命を目指していたが、一国社会主義を唱えるスターリンの勝利によって、その運動はソ連を守るためのものとなった。1925年5月スターリンは「ロシアのような後進国でも完全な社会主義を実現できる」とする一国社会主義論を唱え、金属工業を重視した。しかし、1925年には「商品飢饉」が起きると、スターリン政権は、穀物や木材の輸出による利益(差益)による解決を決定し、農民から穀物を安く買い上げた。 ネップで農業生産は拡大したが、商品価値の高い生産に集中するようになり、穀物の供給が滞るようになった。スターリンはネップを終わらせ、計画経済への転換によるソ連の工業化をはかった。1928年から第一次五カ年計画が始まり、鉄鋼生産の増強、農業の集団化、電化や機械化に重点を置いた工業化が達成された。1928年と1937年を比較すると、石炭は3倍強、粗鋼は4倍強の生産高に達しており、工業全体では第一次で2倍、第二次五カ年計画で2.2倍に達したといわれる。同時期に欧米諸国が世界恐慌によって多数の失業者を出し、経済を縮小させたのと比較して、ソ連の経済成長率は世界最高を記録した。 1927年秋には、農産物を安く買い取る国への販売を農民がしぶったため、穀物の調達難が起こり、都市の食糧難が発生し、これはスターリンの構想を崩壊させかねない危機となった。スターリンは穀物調達難の原因を「クラーク(富農)」にあると決めつけ弾圧を強め、1929年12月には「クラーク階級の抹殺」を宣言した。また、農民を集団農場コルホーズへ編入させ、強引な農業集団化を推進した。餓死者の報告に対して、スターリンは集団化による飢饉は「作り話」で「悪意ある噂」であるとみなし、1932年8月の社会主義的財産保護法で穀物を「横領」した者には全財産の没収をともなう死刑、または10年の自由剥奪に処された。1932年末から1933年初めに国内パスポートが義務づけられたが、農民には交付されなかったため、農民は仕事をもとめて都市に行くこともできなくなった。1932年から1934年にかけてウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンで飢饉が発生し、数百万人が犠牲となった。カザフスタンでは農業集団化による100万人が死亡し、30%の農民が中国に逃亡した。ウクライナでは400万から600万人が飢饉の犠牲となった(ホロドモール)。北カフカースでも100万人が犠牲になった。ソ連全体の餓死者は600万人から700万人ともいわれ、犠牲者数は諸説ある。さらに工業賃金も上昇せず、労働者の実質賃金も12%近く減少した。 クラーク(富農)と認定された農民は何百万人も極北やシベリアの強制収容所(グラグ)に強制移住させられた。白海・バルト海運河計画などの大規模インフラの建設には、クラークや弾圧された共産党員ら囚人労働者が動員された。レーニンから「党の寵児」と呼ばれ、穏健な計画を唱えたニコライ・ブハーリンはこの時期に失脚した。1930年代の富農撲滅運動では650万人が犠牲となり、強制収容所では350万人が死亡した。 外交面では、コミンテルンは当初社会ファシズム論を唱え、社会民主主義勢力への批判を強めていたが、ファシズムやナチズムについてはむしろ容認していた。しかし、ヒトラー内閣成立後、1933年11月にアメリカと国交を樹立。1934年9月には国際連盟に加盟し、常任理事国となった。折りしもドイツではナチ党政権が成立し(ナチス・ドイツ)、1935年には再軍備を宣言した。ソ連はこれに対抗するために、フランスと手を結ぶ東方ロカルノ政策で対抗しようとし、1935年に仏ソ相互援助条約が締結された。コミンテルン第7回大会においても反ファシズム統一戦線の方針が確認され、人民戦線戦術がとられるようになった。赤軍は1934年には60万人から94万人、1935年には130万人に拡大され、1937年にソビエト連邦海軍の設置が行われるなど急速な拡大が続けられた。 しかしながら、イギリス・アメリカ・フランスなど資本主義陣営の中で、ファシズムより共産主義に対する懸念は依然として強く、むしろファシズムを共産主義に対する防波堤として利用しようとする向きもあった。特にそのソ連敵視が如実に表れたのが1936年の第二次エチオピア戦争であり、ファシズムのイタリアによるエチオピア侵攻という事態に対して、ソ連はイタリアに対する非難を行うも、イギリス・フランスはイタリアとの戦争を懸念して何ら制裁を課すことはしなかった。英仏の態度に失望したスターリンは、さらにミュンヘン会談における両国のナチスに対する譲歩がソ連への侵攻を容認しているのではないかという疑惑を深めていく。 急進する集団化と工業化については、党内のセルゲイ・キーロフやグリゴリー・オルジョニキーゼらといった勢力が穏健化を求めるようになった。その最中に起こった1934年のキーロフ暗殺事件以降、スターリンにより党内の粛清が激化し、ブハーリン、ゲオルギー・ピャタコフ、レーニンの後継人民会議議長であったアレクセイ・ルイコフ、ジノヴィエフ、カーメネフらといった有力党員、ミハイル・トゥハチェフスキーらといった軍人が次々と処刑された。その他多くの党員や軍人、一般国民が死刑もしくは流罪などにより粛清された。この粛清はスターリンの配下である粛清の実行者ですらその対象となり、ゲンリフ・ヤゴーダ、ニコライ・エジョフらもその犠牲となっている。 流罪の受け入れ先として大規模な強制収容所(シベリアのコルィマ鉱山など)が整備された。大粛清による犠牲者数には諸説があるが、当時行われた正式な報告によると、1930年代に「反革命罪」で死刑判決を受けたものは約72万人とされる。この粛清によりスターリンの体制はより強固なものとなった。1938年以降、スターリンが1953年に死去するまで党大会は1回、中央委員会は数回しか開かれず、重要決定は全てスターリンによって行われた。 1938年のアンシュルス後、ソ連は「明日ではもう遅すぎるかも知れない」と、英仏に対してファシスト勢力への具体的な集団的行動による対応を求めた。しかしミュンヘン会談によるドイツへの宥和政策は、英仏がドイツの矛先をソ連に向けようとしているというソ連側の疑念を強めさせた。 ソ連は軍事の拡大を急ぎ、世界最初の機甲部隊の整備を行うなどしていたが、大粛清で赤軍の幹部を失ったことでそのスピードは明らかに低下していた。このため当時のソ連首脳はこの時期のソ連は経済建設期にあり、深刻な戦争には耐えられないと考えており、大戦争の先延ばしを基本政策としていた。1939年、外相がヴャチェスラフ・モロトフに交代した。ポーランド危機が切迫する中、英仏と同時進行してドイツとも提携交渉を行い、8月23日には独ソ不可侵条約を締結した。この条約にはポーランドとバルト3国の分割が付属秘密議定書において取り決められていた。 9月ドイツ軍のポーランド侵攻の際にはソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に破棄するとともに侵攻し、ポーランドの東半分を占領した。ソ連側はカーゾン線に沿った範囲であり、ウクライナ人・ベラルーシ人が多数居住する地方であると主張している。 バルト三国に圧力をかけ、赤軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに侵攻、傀儡政権を成立させて併合した。同時にソ連はルーマニアにベッサラビアを割譲するように圧力をかけ、1940年6月にはソ連軍がベッサラビアと北ブコビナに進駐し、割譲させた。さらに隣国のフィンランドを冬戦争により侵略してカレリア地方を併合した。しかしフィンランドの抵抗で思わぬ損害を招き、国際連盟からも追放された。 ドイツとの関係は一定の協調関係となっていたが、細部ではきしみが生じていた。ソ連側はドイツ側を刺激しないよう対応し、ドイツ側の侵攻を警戒する情報は放擲された。1941年6月にドイツはバルバロッサ作戦を発動し、独ソ戦が勃発した。これをまったく予期していなかったスターリンはきわめて動転した。ドイツ軍の猛攻で開戦後まもなく首都モスクワに数十キロに迫られ、レニングラード攻防戦やクルスクの戦いなどにより軍民あわせて数百万人の死傷者を出した。 スターリンは戦争を「大祖国戦争」と位置づけて国民の愛国心に訴え、ドイツの占領地で民衆を中心としたパルチザンを組織し敵の補給線を攪乱した。味方が撤退する際には焦土作戦と呼ばれる住民を強制疎開させたうえで家屋、畑などを破壊して焼却する作戦を行い、ドイツ軍の手には何も渡らないようにさせた。連合国側であり西部戦線でドイツ軍と戦うアメリカやイギリスによる膨大な軍事支援(レンドリース法)、また極東における日本による参戦がなかったこともあり、対ドイツ戦に専念できたソ連軍は気候や補給難に苦しむドイツ軍を押し返していった。1942年のスターリングラードの戦いに勝利すると、これを契機にしてソ連は次第に戦局を有利に進めるようになる。1943年にはコミンテルンを解散した。 やがてドイツ軍の後退とともにソ連軍は東欧各国を「解放」した。東欧各国の民衆は、ドイツ軍の占領に対して抵抗の最前線に立った共産主義者たちを支持した。東欧各国の共産党は、赤軍の圧力と民衆の支持を背景に、ソ連型社会主義をモデルにした社会主義政権を各地で樹立した。1945年5月、ソ連軍はドイツの首都であるベルリンを陥落させ、ドイツ軍を降伏に追い込んだ。 1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告した。これは連合国首脳によるヤルタ会議における密約(ヤルタ協定)に基づくものであったが、ソ連軍は日本の千島列島や南樺太、朝鮮半島北部、そして日本の同盟国の満洲国に対し侵攻した。この際のソ連軍の行動は、中立条約の破棄や日本の民間人に対する暴虐、そして戦後の捕虜のシベリア抑留や北方領土問題など、戦後の日ソ関係に大きなしこりを生む原因となった。 第二次世界大戦の期間中に2700万以上のソ連国民が死亡するなど大きな犠牲を出した。一方でその勝利に大きく貢献したことで国家の威信を高め、世界における超大国の地位を確立した。大戦期間中にはヤルタ会談などの戦後秩序構築にあたっての会議にも深く関与している。国際連合創設にも大きく関与し、安全保障理事会の常任理事国となっている。さらに占領地域であった東欧諸国への影響を強め、衛星国化していった。その一方、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。 開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の併合、ルーマニアから獲得したベッサラビア(現在のモルドバ)の領有を承認させ、これらの新領土から多くの住民を追放あるいはシベリアなどに強制移住させ、代わりにロシア人を移住させた。 極東では日本の領土であった南樺太および千島列島を占領し、領有を宣言した。さらに、1945年8月14日に連合国の一国にあたる中華民国との間に中ソ友好同盟条約を締結し、日本が旧満洲に持っていた各種権益のうち、関東州の旅順・大連の両港の租借権や旧東清鉄道(南満洲鉄道の一部)の管理権の継承を中華民国に認めさせた(中華人民共和国建国後に返還)。 戦後ソ連はドイツの支配からソ連の支配圏とした東ヨーロッパ諸国の反対派を粛清し、スターリン主義的な社会主義政権を導入しこれらをソ連の衛星国とした。ワルシャワ条約機構などにおける東側諸国のリーダーとして、アメリカ合衆国をリーダーとする資本主義(西側諸国)陣営に対抗した。スターリン政権下ではベルリン封鎖などの行動や朝鮮戦争などの世界各地での代理戦争という形で冷戦と呼ばれる対立関係が形成された。 1953年、スターリンが死去し、ゲオルギー・マレンコフとニキータ・フルシチョフによる共同指導体制が始まった。スターリン体制下で恐怖政治の主導者となったラヴレンチー・ベリヤは処刑され、スターリン路線の行き過ぎた独裁政策が大幅に緩和された。1955年にはマレンコフが失脚し、フルシチョフによる指導体制が確立した。1956年にはスターリン批判を行い、大粛清への告発と、スターリン体制からの決別が表明された。これは東欧諸国にも強い衝撃を与え、各国では政治改革の動きや反体制運動(ポズナン暴動など)が発生したが、ハンガリー動乱には武力介入してこれを鎮圧した。反対派を殺害・処刑・投獄し、各国政権に圧力をかけ収拾させた。一方で、スターリン批判は中華人民共和国の反発を招き、中ソ対立が進行することになった。アルバニアのエンヴェル・ホッジャもスターリン批判を行ったソ連を非難し、ワルシャワ条約機構を脱退することに至る。朝鮮民主主義人民共和国ではソ連型の社会主義体制を目指すソ連派が金日成排除のクーデターを画策するが、失敗し、勢力が一掃された。 フルシチョフ時代にも軍拡は推し進められており、核兵器とミサイル兵器の配備が進んでいた。1962年のキューバ危機は核戦争の危機を世界に知らしめることになり、その後はアメリカとの関係は改善が進んだ(雪解け(英語版))。しかしベトナム戦争やアフリカ・南アメリカでの、代理戦争と呼ばれる紛争は継続していた。 フルシチョフは食料生産に力を注ぎ一時的には大きな成功を収めるものの、あまりにも急な農業生産の拡大により農地の非栄養化、砂漠化が進み、結果、ソ連は食料を国外から輸入しなければならない事態に追い込まれた。 1964年に、フルシチョフは農業政策の失敗と西側諸国に対して寛容な政策をとったことを理由に失脚させられた。代わってレオニード・ブレジネフが指導者となった。しかし中華人民共和国とは、中ソ対立が激化したことによって、両国の関係はほぼ断絶状態に近くなり、1970年代には米中国交正常化による中華人民共和国の西側への接近を許すことになった。ソ連は東欧諸国を勢力圏下に置き続けるため、1968年には「制限主権論(いわゆるブレジネフ・ドクトリン)」の名の下にチェコスロバキア社会主義共和国の民主的改革(プラハの春)に対して介入し、ソ連は強い国際社会の批判を浴びるようになった。この状況でソ連は西側諸国との協調を図るようになり(デタント)、戦略兵器制限交渉などが行われた。 プラハの春を武力で弾圧した事実は、同じ共産主義陣営の中にも動揺を生んだ。中華人民共和国はソ連を「社会帝国主義」と批判し、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスクも同様にソ連を批判して西側諸国に接近し、独自外交を展開。1973年のチリ・クーデター後に誕生したアウグスト・ピノチェト政権に対してソ連を中心とした東側諸国が国交断絶を行う中で、中国とルーマニアは関係を維持し続けた。西側諸国の共産党においてもイタリア共産党やスペイン共産党がソ連型社会主義と決別するユーロコミュニズムを採択するなど、国際共産主義運動は分裂状態に陥った。 1963年2月、仏ソ通商条約。1965年、仏ソ原子力平和利用協定。そしてベトナム戦争でホー・チ・ミン率いる北ベトナムを支援した(旧フランス領インドシナ)。1969年にはかねて対立していた中華人民共和国と珍宝島/ダマンスキー島をめぐって中ソ国境紛争を戦った。1970年1月にイタリアと、2月には西ドイツと貿易協定。1971年3月、仏ソウラン協定。10月、仏ソ共同宣言・仏ソ新経済協力協定。1972年、ソ連は凶作のため穀物メジャーを頼った。1974年5月、英ソ経済協力協定。12月、仏ソ首脳会談で経済協力5カ年協定。1975年1月、米ソ通商協定破棄を通告。10月、米ソ穀物協定。1976年3月、日米ソ3か国がヤクート天然ガス探査協定。11月、米ソ漁業協定。1977年3月、排他的経済水域を実施。 1979年12月、ソ連はアフガニスタンの共産主義政権がソ連と距離を取ろうとしていると見なして、アフガニスタンへの侵攻を行った。これはパキスタン、サウジアラビア、イランなどといった一部のイスラム諸国および西側諸国、中華人民共和国による猛反発を受け、翌年に行われたモスクワオリンピックの大量ボイコットを招き、デタントの流れは終焉した。アメリカはチャーリー・ウィルソンらCIAの支援の下でイスラム・ゲリラに対して支援を行い、アフガニスタンでの戦闘は泥沼化して1989年まで続き、国際社会からの孤立を招いただけでなく、多大な人命と戦費の損失を招いた。さらにソ連を「悪の帝国」と名指しで批判するロナルド・レーガン大統領政権下のアメリカとの軍拡競争がさらに激化するようになった。1983年9月には大韓航空機撃墜事件が発生したことで西側諸国との緊張はさらに増した。 ブレジネフ政権は18年にわたった長期政権だった。停滞しつつも安定し、ソ連の歴史上、初めて飢餓も騒擾事件も粛清もなくなった。その代わり、改革はまるで行われず官僚主義による党官僚の特権階級化(ノーメンクラトゥーラ)、ブレジネフ一族の縁故主義など体制の腐敗が進んだ。経済面でも、1960年代ごろまで10%を誇った成長率は次第に鈍化していった。そのツケは国民生活に回り、食料や燃料、生活必需品の配給や販売が滞るようになった。改革開放を始めた中華人民共和国を除き、東側諸国全体の経済も1970年代後半から停滞していく事になる。1980年代に入り西側諸国の豊かな生活の情報がソ連国内で入手できるようになると、国民は体制への不満と自由な西側への憧れを強めていくことになる。小麦の生産量は世界一だった農業も慢性的な不振となり、小麦をアメリカから輸入することが恒常化した。しかしデタントの終焉後は穀物輸入も逼迫し、さらに経済の悪化を招いた。技術競争でもアメリカや日本に大きな遅れをとるようになり、ソ連崩壊の直前はGNPも日本に抜かれて3位となる。 1982年に死去したブレジネフの後継者となったユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコと老齢の指導者が相次いで政権の座に就いた。しかし、共に就任後間もなく闘病生活に入りそのまま病死したため、経済問題を中心とした内政のみならず、外交やアフガニスタン問題についてさえも具体的な政策をほとんど実行に移せず、ブレジネフ体制以来の長老支配を内外に印象づけることになった。 その後、この両名の時代においてますます深刻化した経済的危機を打開すべく、1985年3月に誕生したミハイル・ゴルバチョフ政権は社会主義体制の改革・刷新を掲げ、ペレストロイカ(改革)を推し進めた。ゴルバチョフの選出は一晩かけての会議で決定された。 これにより長きにわたった一党独裁体制下で腐敗した政治体制の改革が進められた。1988年にはそれまでのソ連最高会議に代わり人民代議員大会創設が決定され、翌年3月26日にはソ連初の民主的選挙である第1回人民代議員大会選挙が実施された。ゴルバチョフは人民代議員を国民の直接選挙で選ばせることによって、改革の支障となっていた保守官僚(アパラチキ)を一掃しようと試みた。1986年4月に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の対応の遅れと隠蔽によってソ連の深刻な官僚主義体質が露呈すると、ゴルバチョフはグラスノスチを本格化させ、情報統制の緩和を進めた。これを受けて、ソ連国民の間では歴史の見直しや、活発な政治討論などが行われるようになった。 グラスノスチの進展にともない国民の間では民主化要求が拡大、それを受けてソ連共産党の指導的役割を定めたソ連憲法第6条は削除され、1990年にはソ連共産党による一党独裁制の放棄、そして複数政党制と大統領制の導入が決定された。同年3月15日、人民代議員による間接選挙によって、ゴルバチョフが初代ソ連大統領に選出された。同時期に当局の検閲を廃止した新聞法が制定された。 しかし、これらの一連の政治経済改革は一定の成果を上げた反面、改革の範囲やスピードをめぐってソ連共産党内の内部抗争を激化させた。特に保守派は、改革の進展により軍産複合体など自らの既得権益が失われることに強く反発した。そして、共産党はエリツィンら急進改革派とゴルバチョフら穏健改革派、そして保守派のグループに分裂した。党内の分裂もあって国内の経済改革は遅々としたものとなり、経済危機を一層深刻化させた。こうした状況の中でエリツィンは保守派が幅を利かせる共産党に見切りをつけ、1990年7月のソ連共産党第28回大会を機に離党し、ポポフ、サプチャーク、アファナーシェフ、サハロフらとともに非共産党系の政治組織である地域間代議員グループを結成、共産党に対抗した。一方、穏健改革派のゴルバチョフは保守派と急進改革派の板挟みになり、抜本的な改革を推進できなかった。 従来の中央集権型の指令経済を破棄し、市場メカニズムを導入することが図られたが、保守派の抵抗などで経済改革は遅れ、国内ではインフレと物不足が深刻化した。市民の間では、事態を打開できないゴルバチョフらソ連共産党に対する批判が高まった。こうした国民の不満を吸収したのがエリツィンら急進改革派である。1991年6月12日にはロシア共和国大統領選挙が実施されてエリツィン・ロシア共和国最高会議(ロシア語版)議長が当選し、7月10日に就任した。ロシア共和国大統領選挙と同日にモスクワ市長選挙、レニングラード市長選挙がそれぞれ実施され、ポポフがモスクワ市長に、サプチャークがレニングラード市長に当選した。こうした急進改革派の躍進は保守派を焦らせ、のちの8月クーデターへと駆り立てる要因の一つとなった。 ペレストロイカは東西の緊張緩和や東欧民主化、そしてソ連国内の政治改革において大きな成果を上げたものの、改革が進むにつれて共産党権力の弱体化と、連邦政府の各共和国に対する統制力の低下という事態を招いた。こうした中で、国内では封印されていた民族問題の先鋭化と各共和国の主権拡大を要求する動きが生まれた。 1986年12月にはペレストロイカ開始後初めての民族暴動であるアルマアタ事件がカザフ共和国で発生した。1988年からはナゴルノ・カラバフ自治州の帰属をめぐってアルメニア共和国とアゼルバイジャン共和国との間に大規模な紛争が発生、グルジアやモルダヴィア共和国でも民族間の衝突が起きた。 1990年3月11日には反ソ連の急先鋒と見られていたバルト3国のリトアニア共和国が連邦からの独立を宣言、ゴルバチョフ政権は経済制裁を実施し、宣言を撤回させたものの、同年3月30日にはエストニア共和国が、5月4日にはラトビア共和国が独立を宣言した。1990年5月29日にはロシア連邦共和国最高会議議長に急進改革派のエリツィンが当選、同年6月12日にはロシア連邦共和国が、7月16日にはウクライナ共和国が共和国の主権は連邦の主権に優越するという国家主権宣言を行い、各共和国もこれに続いた。こうした民族運動の高揚と連邦からの自立を求める各共和国の動きは、ゴルバチョフ自身が推進したペレストロイカとグラスノスチによって引き起こされたと言える半面、連邦最高会議で保守派との抗争に敗れた急進改革派が各共和国の最高会議に移り、そこでそれらの運動を指揮しているという側面もあった。特にソ連の全面積の76%、全人口の51%、そして他の共和国と比較して圧倒的な経済力を擁するロシア共和国の元首に急進改革派のエリツィンが就任したことは大きな意味を持っていた。 従来の中央集権型の連邦制が動揺する中でゴルバチョフは連邦が有していた権限を各共和国へ大幅に移譲し、主権国家の連合として連邦を再編するという新構想を明らかにした。その上でまず枠組みとなる新連邦条約を締結するため各共和国との調整を進めた。1991年3月17日には新連邦条約締結の布石として連邦制維持の賛否を問う国民投票が各共和国で行われ、投票者の76.4%が連邦制維持に賛成票を投じることとなった。この国民投票の結果を受け4月23日、ゴルバチョフ・ソ連大統領と国民投票に参加した9共和国の元首が集まり、その後、各共和国との間に新連邦条約を締結し、連邦を構成する各共和国への大幅な権限委譲と連邦の再編を行うことで合意した。その際、国名をそれまでの「ソビエト社会主義共和国連邦」から社会主義の文字を廃止し、「ソビエト主権共和国連邦」に変更することも決定された。 1987年12月にはアメリカとの間で中距離核戦力全廃条約が締結され、翌1988年5月からはソ連軍がアフガニスタンから撤退を開始した。同時に東欧各国に駐留していたソ連軍の一部も、本国への引き上げを行った。 ゴルバチョフは1988年3月の新ベオグラード宣言の中でブレジネフ・ドクトリンの否定、東欧諸国へのソ連の内政不干渉を表明していたが、これを受け1989年から1990年にかけてドイツ民主共和国(東ドイツ)やハンガリー人民共和国、ポーランド人民共和国やチェコスロバキアなどの衛星国が相次いで民主化を達成した。そのほとんどは事実上の無血革命であったが、ルーマニアでは一時的に体制派と改革派の間で戦闘状態となり、長年独裁体制を強いてきたニコラエ・チャウシェスク大統領が処刑され、流血の革命となった。ソビエト連邦はかつてのハンガリー動乱やプラハの春の時とは異なり、これらの衛星国における改革に対して不介入を表明し、これらの政府による国民に対する武力行使に対しては明確に嫌悪感を示した。 このような流れの中で、ソビエト連邦を含む東側諸国の相次ぐ民主化により東西の冷戦構造は事実上崩壊し、これらの動きを受けて1989年12月2日から12月3日にかけて地中海のマルタでゴルバチョフとアメリカ大統領のジョージ・H・W・ブッシュが会談し、正式に冷戦の終結を宣言した(マルタ会談)。 国内では1991年8月20日の新連邦条約締結に向けて準備が進められていた。しかし、新連邦条約締結が各共和国の独立と自らの権力基盤の喪失に結びつくことを危惧したゲンナジー・ヤナーエフ副大統領、ウラジーミル・クリュチコフKGB議長、ドミトリー・ヤゾフ国防相ら8人のソ連共産党中央委員会メンバーらによって条約締結を目前に控えた8月19日にクーデターが発生、ゴルバチョフを軟禁して条約締結阻止を試みたものの、ボリス・エリツィンら改革派がこれに抵抗し、さらに軍や国民の多く、加えてアメリカやフランス、日本やイギリスなどの西側諸国の大半もクーデターを支持しなかったことから完全に失敗に終わった。 クーデターの失敗によって新連邦条約締結は挫折、クーデターを起こしたソ連共産党中央委員会メンバーらは逮捕された。クーデターを起こしたメンバーはいずれも共産党の主要幹部でゴルバチョフの直属の部下だったこともあり、共産党とゴルバチョフの権威は失墜した。8月24日、ゴルバチョフは共産党書記長を辞任し、同時に共産党中央委員会の解散を勧告、8月28日、ソ連最高会議はソ連共産党の活動を全面的に禁止する決議を採択し、同党は事実上の解体に追い込まれた。 連邦政府の中核を担い、そして連邦を一つにまとめ上げてきたソ連共産党が解体されたことにより、各共和国を統制することができる政府組織は存在しなくなり、各共和国の元首が独自に権力を持つようになった。そしてこれ以後、実権は各共和国の元首から構成される国家評議会に移っていくことになる。 9月6日、国家評議会はバルト三国の独立を承認した。新連邦条約締結に失敗したゴルバチョフ・ソ連大統領はこの間も連邦制維持に奔走し、11月14日、ロシア共和国とベラルーシ共和国、そして中央アジアの五つの共和国の元首との間で主権国家連邦を創設することで合意、また連邦への加盟を拒んでいる残りの共和国への説得を続けた。しかし12月1日にはウクライナ共和国で独立の是非を問う国民投票が実施され、投票者の90.3%が独立を支持、当初は連邦制維持に賛成していたエリツィン・ロシア連邦共和国大統領も、5000万の人口を擁しソ連第2位の工業国であるウクライナが加盟しない主権国家連邦に、ロシア共和国が加入することは利益にならないとして、12月3日にウクライナ独立を承認しソ連崩壊の流れを決定づけた。 同年12月8日のベロヴェーシ合意において、ロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)が連邦を離脱して、新たに独立国家共同体(CIS)を創設し、残る諸国もそれにならってCISに加入した。12月17日、ゴルバチョフ大統領は1991年中に連邦政府が活動を停止することを宣言。12月21日、グルジアとすでに独立したバルト三国を除く11のソ連構成共和国元首がCIS発足やソ連解体を決議したアルマアタ宣言を採択、これを受けて12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、翌日には最高会議も連邦の解体を宣言、ソビエト連邦は崩壊した。 ソビエト社会主義共和国連邦は当時において世界一の広さを誇った国であった。そのために隣接していた国は東ヨーロッパ、北ヨーロッパ、中央アジア、東アジア、アメリカ大陸など幅が広い。 陸続きで隣接した国は、西はノルウェー、フィンランド、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、南はトルコ、イラン、アフガニスタン、モンゴル、中華民国(1949年以降は中華人民共和国)、北朝鮮(1948年以降)であり、海を挟んで南は日本(1945年以前は樺太および当時日本領だった朝鮮で国境を接していた)、東はアメリカ合衆国である。全域で寒波の影響が非常に強力なため、冬季は北極海に面したところや内陸部を中心に、極寒である。そのためなかなか開発が進まず、囚人を酷使した強制労働で多くの命が失われた。 自動車道の開発は遅れたが雪に強い鉄道が発達しており、シベリア鉄道は超長距離路線であるにもかかわらず「共産主義はソビエト権力+全国の電化である」というレーニン以来の方針により電化が進んでおり、軍事輸送や貨物輸送に大いに役立った。 長い国境のうちにはいくつかの領土問題を抱えており、1960年代には軍事紛争(中華人民共和国との間におけるダマンスキー島事件など)になったケースもある。海を隔てた隣国の一つである日本とは、第二次世界大戦から北方領土問題を持っており、この問題はロシア連邦になった現在も解決されていない。フィンランドにもカレリア地域の問題が残されている。 ソ連はヨーロッパとアジアをまたぐ国であったことから、ユーラシアや北アジアと呼ばれることが多い。 サッカーでカザフスタンは欧州の連盟に参加していることからヨーロッパとする見方があるが、トルコ、キプロス、イスラエルなどの西アジアの国々も加盟しており、まったくこれは論拠にならない。 ソ連時代にいわゆる公用語も存在しなかった。すなわちロシア語はソ連の公用語ではなかった。レーニンがオーストロ・マルキシズムやカウツキーの影響のもと、1914年の論文『強制的な国家語は必要か?(Нужен ли обязательный государственный язык?)』において国家語の制定を批判し、スターリンも民族問題の専門家として民族語奨励政策を採用している。 当初はバルト三国やモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国は構成国ではなかったが、ソ連のバルト三国侵攻やルーマニアから奪ったモルダウィアは1940年に構成国のひとつとなる。 構成共和国には、ソビエト連邦から自由に離脱する権限が憲法で認められていた。しかし、実際に連邦から離脱するための手続きを定めた法律はなく、ソビエト連邦の末期にゴルバチョフが定めた連邦離脱法は構成共和国が連邦離脱を希望する場合、5年の移行期間を設けるなど、きわめてハードルの高いものであった。このためバルト三国は連邦離脱法を無視し、1990年に独立することとなる。 その後はウクライナやベラルーシ、中央アジアの五ヶ国、コーカサス、モルドバも離脱していき、CISの結成でロシア連邦が成立。ただし、ロシアは国際連合安全保障理事会常任理事国を継承しているため、ソ連はロシアと同意義ともされやすい。 国際連合にはソビエト連邦そのものとは別枠でウクライナ・ソビエト社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国が独自に加盟していたため、ソビエト連邦は国連において、事実上3票を投じることができるに等しかった。 特に記述のないものはロシアSFSR ソビエト連邦は超大国であったが軍事や核兵器以外の産業は遅れており、エネルギーの効率や環境対策も遅れていた。そのため汚染地域が多く、ジェルジンスク、ノリリスク、スムガイト(現在はアゼルバイジャン)、チェルノブイリ(同ウクライナ)はきわめて汚染が酷かった。 特にチェルノブイリ原子力発電所事故では広島型原爆の約500発分の放射性降下物がまき散らされ、多くの被災者が出た。核実験場のあったセミパラチンスク(現在はカザフスタン・セメイ)では120万人がいわゆる死の灰を受け、30万人が後遺症の深刻な被害を受けている。 1940年代にソビエト連邦は「自然改造計画」を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めた結果、1960年を境にアラル海の面積は急激に縮小し干上がることで、1970年代末には塩分濃度の上昇により魚がほとんど死滅し漁業が潰滅した。砂と塩を巻き上げる砂嵐には塩がたっぷりと含まれており、残留農薬や化学肥料、細菌兵器の残滓など人体に有害な物質が含まれておりぜんそくなどの呼吸疾患が大流行、植物は育たず死の砂漠となり人が住めず農業も成り立たなくなり、多くの村や町が消えていった。 ソ連崩壊後の2005年、カザフスタン政府はアラル海の消滅を食い止めようと、世界銀行などからの支援によってコカラル堤防を建設するなど取り組み北アラル海は回復傾向にあるが、ウズベキスタンの領有する南アラル海は、干上がった湖底で石油・ガスの採掘を行う計画を立てている。 間接代表制を拒否し、労働者の組織「ソビエト」(協議会、評議会)が各職場の最下位単位から最高議決単位(最高会議)まで組織されることで国家が構成されていた。 ただし、こうしたソビエト制度が有効に機能した期間はほとんどないに等しく、実際にはソビエトの最小単位から最高単位まですべてに浸透した私的組織(非・国家組織)であるソビエト連邦共産党がすべてのソビエトを支配しており、事実上、一党独裁制の国家となっていた(ただし、ロシア革命直後のレーニン時代初期とゴルバチョフ時代は複数政党制であった)。こうした党による国家の各単位把握およびその二重権力体制はしばしば「党-国家体制」と呼ばれている。 この細胞を張り巡らせる民主集中制と計画経済を基礎とするいわゆるソ連型社会主義と呼ばれる体制は、アパラチキ(「器官」の意)による抑圧的な体制であり、言論などの表現や集会、結社の自由は事実上、存在しなかった。指導者選出のためのノーメンクラトゥーラ制度は縁故主義の温床となり、新たな階級を生み出した。一般の労働者や農民にとっては支配者がロマノフ朝の皇帝から共産党に代わっただけで、政治的には何の解放もされておらず、むしろロマノフ朝時代より抑圧的で非民主的な一党独裁体制であった。そのため実質的に最高指導者であるソビエト連邦共産党書記長は「赤色皇帝」(赤は共産主義を表す色)とも呼ばれる。 スターリン時代からゴルバチョフが大統領制を導入するまで、名目上の国家元首は最高会議幹部会議長であったが、実権はソビエト連邦共産党書記長が握っていた。 ブレジネフ以降は共産党書記長が最高会議幹部会議長を兼務するようになったが、最高会議幹部会議長の権限は儀礼的・名誉的なものであり、彼らの権力の源泉は支配政党である共産党の書記長職であった。 建国者のレーニンは秘密警察のチェーカーを設立し、即座に容疑者の逮捕、投獄、処刑などを行う権限を与えられ、これが粛清の引き金となった。チェーカーは建前上、党に所属するものとされていたが、実際にはレーニン個人の直属であったといっても過言ではない。チェーカーの無差別な処刑は、反体制派はともかく無関係の者までも日常的に処刑しており、時には罪状をでっち上げてまで処刑していた。レーニンは「ニコライの手は血に塗れているのだから裁判は必要ない」という理由で皇帝一家ともども処刑を行うなど法に対する姿勢がずさんであったために、歴史家ドミトリー・ヴォルコゴーノフは「ボリシェビキが法を守るふりさえしなくなった」契機だと批判した。 スターリン時代には密告が奨励されるなど、警察国家・全体主義国家としての色合いが強くなった。モスクワ裁判など形式的な裁判により多くの人々が有罪の判決を言い渡され、処刑されるか各地の強制収容所へ送られることになった。スターリンは、トロツキーやキーロフなどの政敵たちや党内反対派を殺すためにチェーカーを改名したGPU(ゲーペーウー)を用いた。 スターリン批判後には、このような抑圧的なシステムは幾分か緩和されることになったが、秘密警察のGPUが改編されたKGBとして存続し国民生活を強く監視する体制は残った。 外交関係では、東側の社会主義陣営(ワルシャワ条約機構)の盟主として、アメリカ合衆国を筆頭とする西側の資本主義陣営(北大西洋条約機構)と対決していた(いわゆる冷戦)。 成立当初はフランスやイギリス、アメリカ合衆国など大国の承認を得られず孤立したうえ、シベリア出兵等も行われ、またソビエト政府はバルト三国を攻撃した。 その後、モンゴルや東トルキスタンを衛星国とした。この頃からソ連は各国に承認されていく。特にアメリカはソ連経済への介入をはかりいち早く承認した。 第二次世界大戦始めにはバルト三国やフィンランドにも侵攻した。独ソ戦で侵攻してきたドイツを撃退・打倒した第二次世界大戦後に、東ドイツやチェコスロバキア、ブルガリアなどの東ヨーロッパ諸国を衛星国化させた。さらにユーゴスラビアが主導する非同盟諸国と呼ばれる中華人民共和国・インド・キューバ・エチオピア・エジプト・イラク・シリアなどのいわゆる第三世界と友好協力条約を結び、関係を持つ。 経済相互援助会議(コメコン)ではメキシコ、モザンビーク、フィンランドといった非社会主義協力国もあった。東アジア(ベトナム、ラオス、北朝鮮など)、中南米(チリ、ニカラグアなど)、アフリカ(アンゴラ、リビア、コンゴなど)などでも「民族解放」「反帝国主義」「植民地独立」を唱える共産主義政権(専制政治が行われた政権もある)の成立に協力し、アメリカや西ドイツ、イギリスやフランスなどの西ヨーロッパ諸国、日本などの資本主義国と対峙した。 ソビエト連邦の軍事支援により、蔣介石率いる中国国民党(国民政府)との国共内戦に勝利した毛沢東率いる中国共産党によって1949年に建国された中華人民共和国とは、当初「向ソ一辺倒」を掲げ中ソ友好同盟相互援助条約により同盟関係にあったが、1960年代の後半には領土問題による軍事衝突(ダマンスキー島事件などの中ソ国境紛争)や指導層の思想的な相違の問題から中ソ対立が表面化する。両国間のこのような対立関係はその後、中華人民共和国における事実上の内乱である文化大革命が終結する1970年代後半まで続くことになる。 そのような対立関係を見たアメリカ合衆国は、ソ連を牽制する意図で1970年代に入り急速に中華人民共和国に接近し、1979年には国交樹立(一方で中華民国とは国交断絶)に至ることになる。一方、中華人民共和国もアメリカの接近に応える形で、東側陣営にもかかわらず当時のモスクワオリンピックのボイコットとロサンゼルスオリンピックの参加という、西側と歩調を合わせる行動を取ることとなる。カンボジア内戦やアンゴラ内戦、オガデン戦争などのように米中ソ三つ巴となる代理戦争も発生した。 その後は、独裁体制を敷きソ連と対立していた毛沢東の死去と文化大革命の終焉、ゴルバチョフの訪中といった要因により、ソ連と中華人民共和国の関係も再び改善に向かった。 1959年1月に、キューバ革命でアメリカの支援を受けていた独裁者のフルヘンシオ・バティスタを政権の座から引きずり下ろしたフィデル・カストロは、当初米ソ両国との間で比較的中立な立場を取っていたものの、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権はキューバ革命後に産業の国営化を進めたカストロを「社会主義者的」と警戒し距離を置いた。同時にソ連が「アメリカの裏庭」にあるキューバの最高指導者となったカストロに援助を申し出たことから両国は急接近し、南北アメリカ大陸における唯一のソ連の友好国となる。 その後、ジョン・F・ケネディ政権下でアメリカはキューバ侵攻を画策し、1961年に「ピッグス湾事件」を起こしたことから、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に武器の供与を要求しはじめた。しかしソ連は表立った武器の供与はアメリカを刺激しすぎると考え、キューバ軍への武器提供の代わりに軍事顧問団を置くほか、ソ連の核ミサイルをキューバ国内に配備する「アナディル作戦」を可決し、1962年にソ連製の核ミサイルをキューバに配備した。しかし、このことを察知したアメリカは、海軍艦艇によりキューバ海域を海上封鎖し、キューバに近づくソ連船舶に対する臨検を行うなど、キューバを舞台にしたアメリカとの軍事的緊張を引き起こした(いわゆるキューバ危機)。 その後もソ連はその崩壊まで、キューバに対する軍事的支援のみならず経済的支援も活発に行い、キューバの主要産業であるサトウキビを破格の価格で買い取り、その見返りにキューバがその供給を完全に輸入に頼っている石油を与えるなどさまざまな支援を行い続けた。 帝政ロシア時代に行っていた南下政策により日本やイギリスと衝突し、イギリスと日英同盟を結んでいた日本との間に日露戦争が起きて敗北した。第一次世界大戦時、ボリシェヴィキ政権の成立後に、他の連合国(三国協商)を無視して対独単独講和を行ったため、ドイツ兵の通過を許可するのではないかとして、日本および中華民国(北京政府)から警戒されることとなった(日支共同防敵軍事協定)。ドイツへ資源供与するのではないかとして、イギリスおよびフランスからも警戒され、両国によってシベリア出兵を打診され、実際に出兵した日米と直接衝突することとなった。その後、連合国の擁護する臨時全ロシア政府を打ち負かしたものの、そのときに日本へと亡命した白系ロシア人らによって反ソ宣伝を広められた(反共主義#歴史)。 日本の帝国議会は1922年の政変を受け、「露西亜政変及ビ西比利亜事変ノ為ヲ被リタル者等ノ救恤ニ関スル法律(ロシア政変及びシベリア事変の為を被りしたる者等の救恤に関する法律)」を成立させ、ロシアとシベリアからの引揚者に国債や現金を支給する措置をとった。救恤(きゅうじゅつ)とは、金品などを与えて救済するという意味である。 ソビエト連邦の成立後、コミンテルン支部の中国共産党によって漢口事件を起こしたが、その後に反日運動を停止する方向で動いていた。しかし、中ソ紛争勝利後に、中国共産党によって朝鮮共産党に対し満洲にある日本領事館などへの襲撃を行わせた(間島共産党暴動)ほか、中国共産党によって満洲のソビエト化を計画していたが、関東州の日本警察によって計画を暴かれてしまう。その後、日本によって満洲事変を起こされ、満洲国が建国されてしまい、満洲国との国境などでたびたび日本と軍事的衝突を起こしていた(日ソ国境紛争)。中国共産党が朝鮮地方の普天堡を襲撃したり(普天堡の戦い)と、日本に対し赤色テロ活動を続けたりしていた。 第二次世界大戦中の1941年4月に日ソ中立条約が締結され、枢軸国と連合国という対立する陣営に所属しながらも国交を保ち続けていたものの、ヤルタ会議において連合国間で結ばれた密約を元に、1945年8月にこれを一方的に破棄し日本に宣戦布告し(ソ連対日宣戦布告)、日本が連合国に降伏したにもかかわらず侵略を続け千島列島・北方地域なども占拠した。そのうえ、多くの日本人捕虜を戦後の長い間シベリアなどに拘留して強制労働に処し、全収容者の一割以上が病気・事故により死亡している(シベリア抑留)。 このような経緯による日本の反ソ感情に加え、第二次世界大戦後に吉田茂首相がアメリカとの同盟関係(日米同盟)を主軸とした外交を採用したことから、日ソ関係はしばらく進展がなかった。その後、西側諸国以外の国も重視した独自外交を模索する鳩山一郎へ政権が交代したことで、日ソ間での国交正常化の機運が生まれ、1956年に日ソ共同宣言を出して国交を回復し、ソ連が反対し続けていたために実現しなかった日本の国際連合加盟が実現した。 しかし、その後もソ連が北方領土を不法占拠し続けたことや、日本社会党などの左翼政党や反政府組織に資金援助を行うなど内政干渉を行っていたこと、さらに日本がアメリカの同盟国で連合国軍による占領の終了後もアメリカ軍の駐留が続いたこともあり(在日米軍)、関係改善は進展しないまま推移した。その一方で、与党の自由民主党所属の一部の議員は、自主的にソ連とのパイプを持ち日ソ関係が完全に断絶することはなかった。北洋漁業や北洋材の輸入、機械や鉄鋼製品の輸出など両国の経済関係はソ連の崩壊に至るまで続いた。 亡命した白系ロシア人が満洲のハルビン市を中心に居住していた。崩壊した臨時全ロシア政府(オムスク政府)や白軍と関わりのある者によって、ザリヤやグンバオなどのソ連に批判的な白系露字新聞が執筆されており、白系ロシア人が中国や日本とともに反革命を計画していたため、ソ連は満洲に住む白系ロシア人に手を焼いていた(たとえば、中ソ紛争におけるハバロフスク議定書には、白系ロシア人に対する条項が含まれている)。 大戦末期の1945年にソ連は満洲国に攻め込み(ソ連対日参戦)、満洲国を崩壊させ、満洲を共産化させて白系ロシア人を満洲の表舞台から追い出した。 1924年のジノヴィエフ書簡事件により、イギリスから警戒される。さらに1927年のアルコス事件によって、秘密文書がイギリスに漏れてしまう。その一方で、1941年7月には独ソ戦を受けて軍事同盟の条約を結ぶ。しかし、1960年にはイギリスに暗号文解読のためのアメリカのベノナ計画へと参加されてしまった。 アメリカ合衆国とは、第二次世界大戦においては連合国軍における同盟国として協力関係にあり、武器の提供を受けるなど親密な関係にあった。 しかし、第二次世界大戦後は東側の共産主義陣営の盟主として、対する西側の資本主義の事実上の盟主となっていたアメリカ合衆国と、いわゆる「冷戦」という形で対立することになった。 このような関係の変化を受けて、1950年代における朝鮮戦争や1960年代におけるベトナム戦争など、いわゆる代理戦争という間接的な形で軍事的対立をしたが、全面的な核戦争に対する恐怖が双方の抑止力となったこともあり、直接的かつ全面的な軍事的対立はなかった。しかしベルリン封鎖やキューバ危機などでは全面的な軍事的対立の一歩手前まで行ったほか、U-2撃墜事件における領空侵犯を行ったアメリカ軍機の撃墜など、限定的な軍事的対立があったのも事実である。 このような対立関係にあったにもかかわらず、冷戦下においても正式な国交が途絶えることはなく、双方の首都に対する民間機の乗り入れが行われていた。 外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、亡命とそれに伴う国家機密の流出や外貨流出などを防止することを主な理由として原則的に禁止されており、渡航先の国と国交があるか否かに関わらず当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、少なくとも個人単位の自由な旅行は不可能であった。これはソ連社会、および東側の社会主義体制の閉鎖性の象徴として西側の資本主義陣営から批判された。 さらに、外国から帰国した旅行者は必ずといっていいほどに諜報部から尋問を受けるため、本人にはその意思がなくても外国で見たことを洗いざらい喋らねばならず、結果的にスパイをしてしまうというケースが多かった。他にも、アエロフロートのような民間航空会社や乗客が実際にスパイとしての役割を兼ねている場合もあった。ただし、経済相互援助会議(コメコン)加盟国同士での海外渡航は容易に可能であり、観光や就労、留学などさまざまな目的にて人的交流は存在した。 西側諸国人との交際や結婚は多くの障害があり、特に幅広く指定された「国益に直接関係する者」や「国家機密に関わる者」の婚姻は禁じられていた。それでも一応、結婚自体は可能であったが(石井紘基のナターシャ夫人や川村カオリの母親のエレーナのように)、その時点でソ連社会での出世の道は途絶えたうえに、今度は配偶者の母国に出国するためのパスポート発給に長い年月を要した。これは西側の資本主義国に限らず、衛星国の人との結婚でさえも当局からさまざまな妨害を受けたといわれている。 外国航路を運行する船舶や外国で演奏旅行をする楽団のみならず、海軍艦艇に至るまで、乗務員や楽団員の亡命を阻止し、外国における言論を監視するために必ずソ連共産党の政治将校が同行していた。それでもスポーツ大会や演奏会などでの亡命は個人や集団を問わず絶えなかった。しかし運よく移住できた場合でも、移住先の国家や社会からは「ソ連のスパイ」という疑念を持たれることが多く、決して安住の地とは言えなかった。 例外として、1950年代までのユダヤ人のイスラエル出国がある。ソ連政府はパレスチナでのイスラエル建国(1948年)を支持し、大戦からの復興途上にある自国からユダヤ人を平和的に減らせるこの移住政策を積極的に推進した。しかし、間もなくイスラエルがアメリカの強い支援を受け、対抗したアラブ諸国がソ連との関係を深めると、このユダヤ人移住も徐々に減っていった。1967年の第三次中東戦争で両国の国交は断絶し、以後、冷戦の終結まで集団出国はほとんど行われなかった。 もう一つの例外として、ソ連政府の意に沿わない人間に対する国外追放があった。国家の安定や社会主義体制の発展の害となり、かつ国外での知名度が高いために国内での粛清や拘禁が困難な場合には、対象者の市民権やパスポートを奪い、西側諸国に強制追放した。これによりレフ・トロツキーやアレクサンドル・ソルジェニーツィンはソ連から出国したが、追放者の帰国を認めない点では、外国渡航禁止と同一の発想に立った政策であった。しかし政府の意に沿わない人間であっても、物理学者のアンドレイ・サハロフのような、軍事機密や技術の流出につながる人物は国外追放せずに、国内で軟禁したり流刑を科したりする形を取った。 アメリカ合衆国を筆頭とする西側諸国への対抗上、核兵器や核兵器を搭載可能な超音速爆撃機、ICBM(大陸間弾道ミサイル)や大陸間弾道ミサイルを搭載可能な原子力潜水艦、超音速戦闘機や戦車などを配備し、強力な軍事力を保持していた。 1960年代に入り、東西間で核開発競争が過激化する中でソ連は超大型水素爆弾・AN602を製造する。通称「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるこの水素爆弾は広島型原爆の約3300倍の威力といわれ、第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の約10倍の威力ともいわれる単一兵器としては人類史上最大の威力を有していた。この時期にソ連が運用を開始した自動報復システムは、一つの些細な判断ミスでも世界規模の核戦争を引き起こしかねないことから「滅亡装置 (Doomsday device)」と呼ばれた。その危険性を示す実例として、1983年に監視システムのコンピュータが核ミサイル発射を誤報した事件がある。 しかし、こうした強力な軍事力の維持は軍事費の増大をもたらして国家予算を圧迫し、その分、民生向けのインフラや流通システムなどの整備に遅れをきたし、結果的に国民経済を疲弊させた。1979年から10年続いたアフガニスタン侵攻は泥沼化し、何の成果も得られずに失敗した。多大な戦費を費やし多数の兵士の人命を失ったのみならず、ソビエト連邦の威信をも低下させ、結果的にソビエト連邦の崩壊を早めたとされる。 東側陣営のワルシャワ条約機構の中心国となり、東ヨーロッパ諸国に基地を置き、ハンガリー動乱やプラハの春など衛星国での改革運動を武力鎮圧し、ワルシャワ条約機構の加盟国のみならず、中華人民共和国や北朝鮮、キューバや北ベトナムなど、世界中の反米的な社会主義、共産主義国に対して小銃から爆撃機に至るまで各種の武器を輸出した。現在でも第三世界には旧ソ連製の武器が大量に流通している。 それだけでなく、自らの軍事技術をこれらの国に輸出したほかにも、将校などを派遣して軍事訓練を行い、これらの国における軍事技術の向上に寄与し、その中には、モスクワのパトリス・ルムンバ名称民族友好大学や各種軍施設などにおけるスパイやテロリストの養成や資金供与、武器の供与なども含まれている。朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争の際には、友好国側を積極的に支援した。 冷戦期間を通じて、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国などの西側諸国や、南アメリカ、中東、アジア、アフリカ諸国の非社会主義政権国における社会主義政党や反政府勢力、非合法団体やテロ組織を含む反社会的勢力、反戦運動団体(その多くが事実上の反米運動であった)に対する支援を行い、その中には上記と同じく各種軍施設などにおけるスパイやテロリストの養成や資金供与、武器の供与なども含まれていた。 航空宇宙技術では、アメリカとの対抗上、国の威信をかけた開発が行われた(宇宙開発競争)。人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功、ユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行の成功、宇宙ステーション「ミール」の長期間に渡る運用の成功などの宇宙開発のほか、世界初の原子力発電所オブニンスクを建設するなど、ソ連は人類の巨大科学に偉大な足跡を残している。現代のロケット工学や宇宙開発の基礎は、ソ連のコンスタンチン・ツィオルコフスキーが築いたものである。 航空機でもミコヤン・グレビッチ設計局(ミグ)、イリューシン設計局、ツポレフ設計局などによって独創的な機構が開発され、自国での軍用機調達を可能とした他、衛星国への販売にも成功し、ソ連崩壊後にも保守部品販売による収益をもたらした。一方で経済効率や品質の向上には無頓着なままで、国内と衛星国以外ではほとんど採用されず、特に採算性を重視する民間機の採用は皆無であった。これらの宇宙研究や原子力研究は、関係者以外の立ち入りを許さず、地図にも記載されない閉鎖都市で行われることがあった。 一方で、航空宇宙、土木、建築など国が推進する分野以外では遅れが目立った。特にスターリン時代では、科学的見地よりイデオロギーが優先されることがしばしばであり、特にトロフィム・ルイセンコの提唱したルイセンコ理論などにより、ソ連の農業は壊滅的な被害を受け、輸入国に転落した。計画経済による工場の建設や開発は、時として実情を無視したものとなり、利益面や環境面で失敗することもたびたびであった。このため、地域によっては土壌や河川に深刻な環境破壊が発生し、多くの人が健康被害を受けることになった。さらにチェルノブイリ原子力発電所事故に代表されるような官僚的な隠蔽体質はこれらの被害を表面上は覆い隠し、被害を拡大させた。特にアラル海の開発計画は20世紀最大の環境破壊と呼ばれる事態を引き起こした。時には土木工事などに「国家経済のための核爆発」が使用されることすらあった。 原油など資源に依存する構造から重厚長大産業を重視したために「軽薄短小産業」に対応できず、半導体や集積回路、液晶技術でも大幅に遅れを取り、西側のようにコンピュータの急速な進歩と一般生活に至る本格的普及を実現することはできず、ハイテク分野で決定的に立ち遅れることとなった。軍事利用目的で東芝や日立製作所などの日本の民間メーカーから製品や技術を導入することもあった(東芝機械ココム違反事件)。特に半導体分野は2023年時点(ロシア連邦)でもアメリカやアジアに後れをとり、輸入頼みとなっている。 宇宙食など国が推進する分野と関連がある研究テーマには資金が拠出されていた。 ソ連では研究開発のために国立の研究機関が設立されたが、崩壊により資金不足に陥り、特許や技術を西側の企業に売却した例もある。また科学者や技術者が仕事を求め西側へ移住する頭脳流出により後の研究開発に支障を来した。 経済面では計画経済体制が敷かれ、農民の集団化が図られた(集団農場)。医療費などが無料で税がまったくないことでも知られた。1930年代に世界恐慌で資本主義国が軒並み不況に苦しむ中、ソ連はその影響を受けずに非常に高い経済成長を達成したため、世界各国に大きな影響を与えた。しかし、その経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分されていた実態がその後に明らかになった。 ジョン・ケネス・ガルブレイスは「資本主義諸国が1930年代に大恐慌と不況にあえいでいたとき、ソ連の社会主義経済は躍進に躍進を続け、アメリカに次ぐ世界第二の工業国になった。そして完全雇用と社会保障をやってのけた」としながらも、1970年代には崩壊し始めたと総括している(しかし、1930年代当時のソ連経済の躍進の裏には、数百万人といわれる規模の強制労働従事者のほぼ無償の労働による貢献があった点を、ガルブレイスは見落としているか故意に無視していることに注意が必要である)。実際、1960年代以降は計画経済の破綻が決定的なものとなり、消費財の不足などで国民の生活は窮乏した。 流通の整備が遅れたため、農製品の生産が十分にあったとしても、それが消費者の手元に届けられるまでに腐敗してしまうこともあった。そのために闇市場のような闇経済や汚職が蔓延し、そのような中で共産貴族がはびこるという結果になった。 ソ連の農業は、気候条件の厳しさから農業に適した地域は比較的限られており、また各共和国にモノカルチュア的な生産を割り振ってきた結果、ウクライナやベラルーシ、ロシアの黒土地帯・コーカサス地帯などでは主要な作物は小麦等の穀類や飼料作物(ビートなど)、ジャガイモ、ヒマワリ、果樹、野菜、シベリアでは穀類が中心、極東では大豆、中央アジアは綿花であった。農業労働者たちは、集団農場と国営農場で計画経済のもとで定められた賃金でノルマを満たすだけの作業のみ従事させられていた。農作物の価格は国家が決定し、価格を調整するために補助金を支給していた。これらが労働意欲を減退させ、農業生産性を極端に低くし、1970年代からは肉類、穀物の恒常的な輸入国になり農業はソ連のアキレス腱になった。 ロシア革命時、農村は人口の80%を占めていた発などを含む「戦時共産主義」によって、荒廃し特にウクライナで数百万人ともいわれる餓死者を出した。そのため1921年に穀物の強制徴発を廃止した新経済政策「ネップ」により、農業は戦前の水準を回復したが穀物の調達は困難になっていった。そこで1928年、スターリンは、農業集団化を実施し低賃金で酷使される集団農場と国営農場に改編された。クラークとされた勤勉な農民900万人は追放され、半数は処刑され残りは強制収容所に送られた。穀物の調達量は増加したが生産は低下し、1931年から1933年にかけて700万人が餓死した。抵抗した農民たちも最終的には工業労働者となったり集団農場に組織されたりした。 1941年に独ソ戦が始まると農村は壊滅的な打撃を受け、戦後も戦前と同様の経済体制を維持しながら戦後復興に着手したため、1946年から1947年かけて100万人以上が餓死し、多くが離農した。1953年、スターリンの死後、フルシチョフは、カザフスタンや西シベリアなどの未開墾地、耕作放棄地の開拓事業を提案し、処女地からの穀物の収穫が試みられた。1955年から数年の間は処女地の収穫物によって穀物の不足は一時的に解消されたが、ルイセンコ理論や農地の砂漠化で処女地が不作に陥ると穀物は再び欠乏し国外から輸入するようになった。フルシチョフ失脚後も集団農場の生産性は上がらず、1980年代には集団請負制を導入するも、コルホーズ内のわずかな自留地では支えきれない大量の食料をアメリカから輸入していた。 東西対立の世界構造の中で、軍需産業に高い技術と莫大な資金を投じることで軍民転換が遅れ、冷蔵庫や洗濯機、乾電池や電子レンジなどの国民生活に必要な電化製品や、石鹸や洗剤、シャンプーやトイレットペーパー、鉛筆やボールペンなどの一般消費財、たばこや清涼飲料水などの嗜好品の開発と生産、物流の整備は疎かにされ、西側諸国に比べ技術、品質ともに比べ物にならない低レベルの電化製品でさえ、入手するために数年待たなければいけないというような惨憺たる状態であり、これはリチャード・ニクソンとの台所論争でもアメリカから槍玉にされた。 さらにほとんどの電化製品や自動車の技術は、西側諸国の技術より数十年遅れていたといわれているうえ、その多くがフィアット(トリヤッチを参照)やパッカードなどの西側の企業と提携し、旧型製品の技術供与を受けたもの、もしくは西側製品の無断コピーや、第二次世界大戦時にドイツ国内から接収、略奪したオペルの生産工場施設からの技術の流用であった。 電化製品や一般消費財、嗜好品や自動車は、市場における競争に勝ち残るために西側諸国では頻繁に行われていた新製品の開発や市場投入、改良や価格改定はほとんど行われず、なにも改良されないまま30年以上にわたり同じ製品が製造されていた。 自動車の個人所有は共産党幹部などの限られた階級の人間に限られ、それ以外の階級のものが手にするためには、電化製品同様数年待たなければいけない状態であった。まして労働者階級がジルやヴォルガなどの高級車や、レオニード・ブレジネフなどが愛用したシトロエンなどの西側諸国からの輸入車を所有することは事実上不可能であった。 上記のように、電化製品や消費財、工作機械や自動車などの技術や品質が西側諸国のそれに対して決定的に劣っていたことから、西側諸国に対しての輸出は、農産物や魚介類などの第一次産品や、原油や天然ガスなどのエネルギー資源が主であった。通貨のルーブル自体が、国外で通貨としての価値が低かったこともあり、エネルギー資源の貿易がある国を除いては、西側諸国との貿易収支はおおむね赤字であったか非常に少ないものであった。また農産物などとの物々交換の形式とした例もあった。農産物により外貨獲得のため食料輸出輸入公団(S.P.I. Groupの前身)が西側にも輸出していたが、ウォトカは西側諸国ではカクテルベースとして人気があったことから、アメリカでのストリチナヤの販売権を得たペプシコは、ソ連国内で販売されるペプシコーラの濃縮液との物々交換で支払っていた。 衛星国や社会主義国との間の貿易は、それらの多くの国の外貨が乏しかったことや、ココムなどの貿易規制により西側諸国からの貿易品目が制限されていたことから、一次産品やエネルギー資源はもとより、西側諸国では相手にされなかった電化製品や消費財、工作機械から自動車、航空機などの軍事物資に至るまでが輸出された。1975年の国別工作機械生産額でもソ連は世界3位である。その多くが事実上の援助品とあるいは、相手国の一次産品とのバーター貿易など無償に近い形で供給された。1930年からペレストロイカ実施まで、商業手形が廃止されていたので流通・割引がなく、取引はゴスバンク(国有銀行)で集中決済された。 西側諸国の電化製品や化粧品、衣類などの消費財の輸入、流通は原則禁止されていたものの、モスクワなどの大都市のみに設けられた「グム」などの外貨専用の高級デパートで入手することが可能であった。しかし実際にそれらを購入することができるのは外国人か共産党の上層部とその家族だけであった。そのため、マールボロのたばこやリーバイスのジーンズなど多くの西側製品が闇ルートで流通していた。 会計も社会主義に基づいて進められ、会計士は計画経済を進める最高国民経済会議のために働くこととなった。国営企業の会計責任者は、貸借対照表と会計報告書を作成して会計を組織する責任を負った。中央集権化と集団農場化が進んだ1930年代からは、スターリン主義者によって会計学は個別企業のみを対象にしていると批判され、スターリン主義に批判的な会計士は活動の場を奪われ、ソ連財務省と中央統計局が会計の指導と監督を行うようになった。 会計人は中央省庁の計画をもとに実務を行う簿記係と、上級機関に責任を持つ会計担当者に分かれた。経営の改善や専門家としてのイニシアティブを発揮する余地はなくなり、会計は硬直化した。1960年代からは経済改革による分権化が始まり、計画経済や企業管理において利潤・原価・価格・利子なども評価されるようになり、会計士は科学技術協会(HTO)に所属して専門家として活動した。HTOでは資本主義諸国の会計の取り入れも検討された。 1980年代後半のペレストロイカから民営化や市場経済化が始まり、西側諸国との合弁企業で市場経済の会計が部分的に導入され、企業の営業秘密が認められた。1991年のソ連の崩壊後は市場経済化がさらに進み、ロシアでは公認会計士にあたる監査士が国家資格化された。 ソビエト連邦はアメリカとは同レベルのGDPでなかったが、アメリカ以上に巨大な面積と資源で超大国としての地位を得ていた。アメリカと対等レベルの核兵器を保有しているとみられていたために、直接対決だと共倒れを招くために自国の軍事行動にアメリカを介入させることはできなかった。国内総生産、また1人あたりのGDPもアメリカの2分の1から3分の1ほどであった。 国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら重工業投資と、軍事支出に資源を集中していた。1950年代に約15%だったソ連の投資率は、1980年代には30%に達し、軍事費率もある推定では1980年代中頃には16%に達していた。1970年代以降、コンピュータや半導体といったハイテク部門の重要性が増すと、重工業優先のソ連ではその技術を導入するのが困難となり、技術進歩率は停滞、ついには設備の老朽化と相まって1980年代には技術進歩率はマイナスに陥ってしまった。 ソ連の経済は1950年代から1960年代の初頭まで目覚しいペースでアメリカの国力を追い上げており、「20年以内にアメリカを追い抜く」というフルシチョフの強気の発言も信じられていたが、1960年代に入るとそのペースは一服したものの、1975年にソ連の相対的な国力は対米比45%と頂点に達した。しかしその後は衰退局面に入り、逆にアメリカとの相対的な国力の差は拡大していった。 ソ連崩壊後、ロシアの軍事力と経済力は急激に衰え、アメリカとは1人当たりのGDPと軍事費において大きく差をつけられた。さらに経済混乱の影響で、国民は社会保障を破壊されて苦しんだため、親米的でペレストロイカを行ったゴルバチョフを、「アメリカに魂を売った売国奴」や「国益を損ねた裏切り者」と酷評する者も少なくない。 国民は自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていただけでなく、国外からの旅行者のソビエト国内における移動に大幅な制限があったため、国内外の交通に対する需要は非常に限られていた。鉄道網は、長距離や近距離を問わず軍事転用が容易なことから比較的整備が進んでいたが、西側諸国と違い個人所有の自動車の数が限られていたことから、高速道路やガソリンスタンド、レンタカー、タクシーなどの自動車インフラは貧弱なままであった。 外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、亡命と外貨流出を防ぐということを主な理由に原則的に禁止されており、また国交がある国であろうがなかろうが、当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、個人単位の自由な旅行は不可能であった。しかしながら、国力と友好関係を誇示することと外貨獲得を目的に、国外への航空機や船舶による定期便は比較的整備されていた。 広大な国土は主に航空機によって結ばれていた。国内の航空路線網は、唯一にして最大の航空会社で、ナショナル・フラッグ・キャリアである国営のアエロフロート・ソビエト航空によって運行されており、長距離国際線から国内幹線、航空機によってのみアクセスが可能な僻地や、舗装された滑走路が整備されていない地方空港への運行が可能なように、超音速旅客機を含む大型ジェット機からターボプロップ機、小型複葉機や大型貨物機までさまざまな機材を運行していた。 使用機材のほとんどは、イリューシンやツポレフ、ヤコブレフなどの国産機材であったが、一部はチェコスロバキアやポーランドなど東側友好国の機材も導入されていた。有事にはそのまま軍事利用できるように、一部の機材は銃座が残されたまま運航されていた。 同じく国際線もアエロフロートによってのみ運行されていたが、ソビエト国民の海外渡航や国外からの旅行者のソビエト国内における移動には大幅な制限があった。一方で、国力と友好関係を誇示することと、外貨獲得を目的に、イギリス、日本、アメリカなどの西側の主要国や東ドイツやポーランド、ブルガリアなどの東欧の衛星国、キューバやアンゴラ、北朝鮮などの友好国をはじめとする世界各国に乗り入れを行っていた。 しかし、国力と友好関係を誇示することという主な目的から、完全に採算度外視で運行していたこともあり格安な航空料金で提供していたものの、その空港、機内サービスは西側諸国のものには遠く及ばなかったことから、西側諸国の多くでは格安な料金と劣悪なサービスでのみ知られていた。 海外からは多くの友好国の航空会社がモスクワやハバロフスクなどの大都市を中心に乗り入れていたほか、アメリカ、イギリス、日本、西ドイツなどの西側諸国からも、パンアメリカン航空、英国海外航空や日本航空、ルフトハンザ・ドイツ航空などのナショナル・フラッグ・キャリア航空会社が乗り入れていた。 西側諸国に乗り入れた際には、航路から外れて軍事基地や港湾施設の近くを飛ぶことも多々あったと報告されており、そのため日本でも航空自衛隊の基地と併設している千歳空港への乗り入れを拒否されていた。さらにイリューシンIL-76などは尾部に銃座を残したまま(銃は取り外されていた)運航されていた機材もある。 日本との間は日本航空とアエロフロートが東京(羽田空港、成田空港)、新潟(新潟空港)とモスクワ、ハバロフスク、イルクーツクとの間に定期便を運行しており、一部路線においては日本航空とのコードシェア運航も行われていた。 シベリア鉄道を代表とする鉄道網によって各都市が結ばれていたほか、衛星国を中心とした近隣諸国に国際列車も運行されていた。モスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)などのいくつかの大都市には防空壕を兼ねた地下鉄網が整備されており、社会主義建設の成功を誇示する目的で、スターリン時代に建設された一部の駅構内は宮殿のような豪華な装飾が施されていた。 個人による自動車の所有だけでなく、自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていたこともあり、西側諸国で行われていたような高速道路による国民の自由な移動は一般的なものではなかった。大都市の市街地にはトロリーバスを含むバス路線網が張り巡らされていた。 ソビエト連邦において公用語は規定されていないが、ロシア語が事実上の公用語となっていた。 他には構成共和国における母語が存在しており、ウクライナ語、ベラルーシ語、エストニア語、ラトビア語、リトアニア語、モルドバ語(実質的にはルーマニア語)、ウズベク語、タジク語、トルクメン語、カザフ語、キルギス語、アルメニア語、アゼルバイジャン語、グルジア語が用いられていた他、いくつかの少数民族の言語が話されていた。 日本記者クラブによるとソ連時代だけでなく、革命前のロシア帝国でも、ユダヤ人迫害はたびたび起きていたこと、ロシア帝政下で、ロシア帝国はユダヤ人はウクライナに定住させ、移動を禁止するなどの政策をとってきたこと、多くのユダヤ人がロシア帝国に不満を持っていたため、若いユダヤ人たちがロシア革命に参加したことは事実であると指摘している。 1948年のイスラエル建国まで、反ソ連(親ロシア帝国又は自民族国家独立活動家)の人々に反ユダヤ的立場を取る人が多かった背景には、ロシア帝国時代からロシア人からも差別されていた上に、当時自民族国家を持たなかったユダヤ人にはソ連の掲げた共産主義思想に共感する者が多く、彼らが共産主義者となったこと、マルクスだけでなく、ソ連の幹部にユダヤ人が多数いたことがある。そのため、白系ロシア人などのようにソ連に対する敵対行動せずとも反ソ連感情を持っていた非共産主義者の一般ロシア人は「ユダヤ人に母国を乗っ取られた」、ソ連に侵略された地域・国家の人々は「ユダヤ人に自国を侵略された」として、反ユダヤの思想となっていた。ソ連政府指導層におけるユダヤ人の割合は当時の他国を圧倒し、国内外のユダヤ人も資本主義を支持する富裕層以外はソ連にシンパシーを持つほどであった。ただし、1948年にイスラエルが建国されると、裕福でもないユダヤ人もソ連からイスラエルへ心が移っている。 更には、『資本論』を書いたマルクスはユダヤ人であり、第二次ロシア革命である十月革命でロシア帝国からソ連になり、成立した当初のレーニンの内閣のメンバーは半分以上がユダヤ系だった。 更にソ連という共産主義国家の誕生で、ソ連国内では宗教活動が制限された。そのため、ソ連が行き詰まると、ソ連国内の人々は再びロシア正教に救いを求めた一方で反ユダヤ主義が台頭した。ソ連の人々は経済の不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃さえ起こしていた。ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している。ソ連崩壊前後のロシアにおける反ユダヤ主義の台頭のため、イスラエルへの大移動がおこり、2016年4月時点イスラエルの人口は現在840万人に増えているが、そのうちロシアからの移民は120万人にも達し、人口の15%を占めるほどになっている。 ロシア革命によって世俗主義、無神論、唯物論を奉じるソビエト連邦が成立すると、ロシア帝国の国教であった正教(組織としてはロシア正教会のほか、ウクライナ正教会、グルジア正教会などを含む)は多数の聖堂や修道院が閉鎖され、財産が没収された。のちに世界遺産となるソロヴェツキー諸島の修道院群は強制収容所に転用された。 聖職者や信者が外国のスパイなどの嫌疑で逮捕され、多数の者が処刑され致命した。初代の京都主教を務めた大主教アンドロニク・ニコリスキイは生き埋めの上で銃殺されるという特異な致命で知られる。モスクワ総主教ティーホンは当初、無神論を標榜するボリシェヴィキに対して強硬な反発を示していたが、想像以上に苛烈な弾圧が教会に対して行われていく情勢に対して現実的姿勢に転換し、ソヴィエト政権をロシアの正当な政府と認め一定の協力を行ったが、教会の活動はなお著しく抑圧された。 1921年から1923年にかけてだけで、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、その他信徒多数が処刑された。1918年から1930年にかけてみれば、およそ4万2000人の聖職者が殺され、1930年代にも3万から3万5000の司祭が銃殺もしくは投獄された。1937年と1938年には52人の主教のうち40人が銃殺された。 政府の迫害を恐れ多数の亡命者も出た。亡命者たちの中からはセルゲイ・ブルガーコフ、ウラジーミル・ロースキイ、パーヴェル・エフドキーモフ、イリア・メリア(メリアはグルジア人)など世界的に著名な神学者が輩出され、20世紀初頭まであまり知られていなかった正教の伝統が海外に知られるきっかけとなった。 1931年にはスターリンの命令によって救世主ハリストス大聖堂が爆破された。 1940年代に入ると、独ソ戦におけるドイツの侵攻に対して国民の士気を鼓舞する必要に駆られたスターリンは、それまでの物理的破壊を伴った正教会への迫害を方向転換して教会活動の一定の復興を認め、1925年に総主教ティーホンが永眠して以降、空位となっていたモスクワ総主教の選出を認めた(1943年)。この際にそれまで禁止されていた教会関連の出版物がきわめて限定されたものではあったものの認められ、1918年から閉鎖されていたモスクワ神学アカデミーは再開を許可された。 ただし1940年代半ばにはソ芬戦争以後、ヴァラーム修道院のある地域がソ連領となったため、ヴァラーム修道院の修道士達はフィンランドに亡命し、この結果フィンランド正教会で新ヴァラーム修道院が設立されるなど、ソ連における正教弾圧は亡命者が出ることがないほどにまで緩和されたわけではない。 スターリンの死後、フルシチョフは再度、正教会への統制を強化。緩やかかつ細々とした回復基調にあったロシア正教会は再度打撃を蒙り、教会数は半分以下に減少。以降、ソ連崩壊に至るまでロシア正教会の教勢が回復することはなかった。 広大な国土の中でも、中央アジア地域ではイスラム教が大きな勢力を持っていたが、ソビエト連邦の成立とともに正教など他の宗教とともに弾圧されることとなり、ムスリム宗務局によって国家統制された。しかし人々の心の中の信仰心までは抑えることができず、他の宗教と同じくソ連崩壊後は教勢が回復した。 信仰されていた地域に偏りはあったものの、全ソビエト連邦領内におけるイスラム教徒の人口は最終的に7000万人前後にも達し、総人口の実に4人に1人がイスラム教徒(もしくはイスラムを文化的背景に持つ人)で占められていた。この数字はイラン、トルコ、エジプトなどの総人口にも匹敵し、ソビエト連邦は総人口においても、国民に占める割合においても、非イスラム教国家としては最大級のムスリム人口を抱える国家となっていた。 イスラムが多数派の地域以外のロシア連邦などの諸州においても、イスラムを背景に持った諸民族、特にタタール人、アゼルバイジャン人が全土に居住し、ソビエト連邦内のどの地域においても一定数のイスラム社会が存在していた。この点は同じ非イスラム教国でありながら全土にイスラム社会を内包しているインドや中国とも共通していた。 ただソビエト連邦におけるイスラムは、中国やインドとは異なり、多数派民族と、文化、言語、血統、形質などを共有する集団、具体的に言えば、スラヴ系のロシア人などと文化や言語を共有する集団の間にはあまり広まらなかった。ソビエト連邦内のイスラムはあくまでテュルク系やイラン系、コーカサス系などの、(多数派民族であるロシア人から見た)異民族の間で主に信仰されていた。全土に幅広く分散していたイスラム系民族のうちタタール人の間にはスンナ派が多く、アゼルバイジャン人の間にはシーア派が多いため、両派が近い比率で全土に散らばっていたこともユニークである。この点はソビエト連邦崩壊後も、ロシア連邦において引き継がれている。 社会主義のソ連政府は他の宗教と同様にユダヤ教も弾圧し、同国民の反ユダヤ感情も強かった。 民衆の間ではソ連という共産主義国家の誕生で国内における宗教活動制限された影響で、ソ連の低迷は同国内の人々の中にロシア正教に救いを求めた人々が増加した一方で反ユダヤ主義も台頭した。ソ連誕生直後の指導部には多くのユダヤ人がいたことから「社会主義革命はユダヤ人の陰謀」とのデマも拡散し、第2次大戦中にもナチスによるユダヤ人迫害に加わる住民さえもいた。 1939年の独ソ不可侵条約で東欧諸国の分割支配を決めると、東欧のユダヤ人は独ソ間に挟まれて行き場を失った。当時のポーランド共和国(現ベラルーシ含)から逃亡したユダヤ人は、ソ連が併合手前であったリトアニアから日本経由で第三国に逃れようとし、彼等を杉原千畝や根井三郎が救っている。ソ連の民衆はソ連への不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃などしていた。そのため、ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している。 正教のみならず、他のキリスト教であるカトリック教会(東方典礼カトリック教会を含む)、聖公会、プロテスタントも弾圧を受けた。 日本の創価学会(日蓮仏教系)に関しては、ソ連国内における布教活動自体は認めなかったが、外交的および経済的見地から友好関係を保っていた。とりわけ池田大作会長(のちに名誉会長)が1974年以降にソ連訪問を繰り返すようになると、政府や党の要人が面会に応じるのが慣例だった。1974年、1975年の訪ソではアレクセイ・コスイギン、1981年の訪ソではニコライ・チーホノフ、1987年の訪ソではニコライ・ルイシコフ、1990年の訪ソではゴルバチョフと面会している。池田名誉会長と最高指導者との面会が行われたのはゴルバチョフ政権時代の1990年だった。 国内 上記のように外国の放送の傍受が禁止されていたうえ、テレビやラジオ、新聞などのマスコミによる報道は共産党の管制下に置かれ、国家や党にとってマイナスとなる報道は、1980年代にグラスノスチが始まるまで流れることはなかった。 このような規制は外国の事件や、チェルノブイリ事故や大韓航空機撃墜事件のような国際的に影響がある事件に対してだけでなく、国内の政治、経済的な事件も、党幹部の粛清や地下鉄事故、炭鉱事故のような事件に至るまで、それが国家や党に対してマイナスの影響を与えると判断されたものはほとんど報道されることがなかったか、仮に報道されても国家や党に対して有利な内容になるよう歪曲されていた。そのため、西側の国でオリンピックなどがあると、そこで初めて真実を知ったソ連の選手や関係者がそのまま亡命希望するケースが頻発した。 ロシア革命以前の支配者のニコライ2世やその家族を裁判なしに銃殺した真実を明らかにしようと、1979年に地質調査隊が皇帝一家の遺骨の発掘を行ったが、KGBに逮捕された事例がある。しかしソ連崩壊後にロシアでは70年以上も隠蔽されたこの事実が明らかになり、ロシア革命から80年を経た1998年に葬儀が行われた。 国外 西側諸国の報道機関の特派員は基本的に国内を自由に取材、報道することは禁じられており、事前に申請が必要であったがその多くは却下され、たとえ許されたとしても取材先の人選や日程はすべてお膳立てされたものに沿わなければならなかった。モスクワオリンピックなどの国際的イベントや、西側諸国の首脳陣の公式訪問が行われる際にソ連を訪れた報道陣に対しては、このようなお膳立てされた取材スケジュールが必ず提供された。 西側諸国の報道機関で働くソビエト人従業員も自主的に選択することは許されず、当局からあてがわれた者を受け入れるのみとされ、その多くが西側諸国の報道機関やその特派員の行動を当局に報告する義務を負っていた。 国内における報道管制の一環として、共産党書記長などの党の要人が死去した際には、党による正式発表に先立ち、テレビやラジオが通常の番組を急遽停止し、クラシック音楽もしくは第二次世界大戦戦史などの歴史の映像に切り替わり、クレムリンなどの要所に掲揚されている国旗が半旗になるのが慣わしであった。このため、国民(と西側の報道機関)の多くは、テレビやラジオの番組が変更され、要所に掲揚されている国旗が半旗になるたびに、モスクワ市内の政府の建物や病院、軍施設などを訪れ情報収集に努めたうえに、これらの対応を見てどの階層の要人が死去したかを推測しあっていたといわれている。 さらに党の要人が失脚した(もしくは粛清された)際にはその事実が即座に政府より正式発表されることはまれで、このため西側諸国の情報機関員や報道機関の特派員は、メーデーなどをはじめとする記念日のパレードの際にクレムリンの赤の広場の台の上に並ぶ要人の立ち位置の変化や、新聞やテレビ、ラジオニュースでの扱い回数や順番を観測し、失脚などによる党中央における要人の序列の変化を推測し、これを「クレムリノロジー」と呼んでいた。 ソビエト連邦のプロパガンダは現代の手法を先駆けるものであり、ソ連は世界初の宣伝国家と呼ばれる(en:Peter KenezのThe Birth of the Propaganda State;Soviet Methods of Mass Mobilization 1985)。映画ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えから世界初の国立映画学校が作られ、セルゲイ・エイゼンシュテインがモンタージュを編み出したことにより、当時としては極めて斬新なものになり、その精巧さは各国の著名な映画人や、後にナチス政権下のドイツの宣伝相となるヨーゼフ・ゲッベルスを絶賛させた。宣伝映画を地方上映できるよう、移動可能な映写設備として映画館を備えた列車・船舶・航空機が製造・活用された(例:マクシム・ゴーリキー号)。看板やポスターではロシア・アヴァンギャルドから発展した力強い構図・強烈なインパクトのフォトモンタージュが生まれ、これは世界各国で模倣された。 特にバベルの塔にも例えられる世界最大最高層の超巨大建築物を目指したソビエト・パレスは後世の建築家だけでなく、形態的にはイタリアやドイツ、日本などの建築に大きな影響を与えた。日本でもソビエト・パレスの計画を見て丹下健三が建築家を目指すに至った。当時世界一高い建造物であったオスタンキノ・タワーも完成させた。スターリンはモスクワをニューヨークのような摩天楼にするため、スターリン様式の建物を多く建設した。ソ連のプロパガンダはイワン・パヴロフやレフ・ヴィゴツキーなどの心理学者の理論に基づいていた点で先駆的だったと評するものもいる。ほかにもボリス・ロージングがブラウン管を使ったテレビを世界で初めて発案するなど、テレビの研究も活発だった。 ソビエト連邦における食文化は、社会主義体制の影響から壊滅的な打撃を受けてしまっていたものが散見される。 ウォトカは輸出品として貴重な外貨をもたらした。 西側の嗜好品に対しても社会主義のイデオロギーによる排除が行われていたが、コカ・コーラに「反共的な飲み物」というレッテルを貼った一方で、ペプシの流通は許可されるなど、一様ではなかった。 ソビエト連邦では上述されているように言論の自由や表現の自由がなかったため、文学者の中には亡命を余儀なくされる者や、ノーベル文学賞受賞のボリス・パステルナークのように受賞辞退を余儀なくされるもの、同じくノーベル文学賞受賞のソルジェニーツィンのように国外追放される者がいるなど、文化人にとっては受難が相次ぐ上に言論と表現の封殺が慢性化した状況が続いていた。 ソビエト連邦では音楽教育制度が創設され、多くの才能ある作曲家や演奏家が輩出されていたが、その大部分はロシア人で占められていた。しかしながらウクライナ人やベラルーシ人、ユダヤ人、コーカサスエリアの出身者も音楽分野において重要な貢献を果たしており、それらの人物は主にクラシック音楽などで名曲を遺している。 革命直後のソ連では革命的な前衛芸術が流行し、抽象芸術や構成主義が生まれ、ロシア・アヴァンギャルドは共産党のいわば公認芸術として革命思想を宣伝するプロパガンダポスターに広く採用された。当時のソ連は世界初の電子音楽機器テルミンが作られ、モンタージュ理論が生まれるなど前衛芸術の一大中心地と化しており、外国から不遇だった多くの前衛芸術家がソビエト連邦の建設に参加した。たとえば前述したソビエト・パレスの計画にはル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルスゾーン、オーギュスト・ペレ、ハンス・ペルツィヒといった新進気鋭のモダニズム建築家たちが関わった。レーニン自身もダダイストだったという学説も出ている(塚原史『言葉のアヴァンギャルド』)。フセヴォロド・メイエルホリドがアジ・プロ演劇手法の確立、古典の斬新的解釈に基づく演出、コメディア・デラルテ、サーカスなどの動きと機械的イメージを組み合わせた身体訓練法「ビオメハニカ」の提唱などを次々と行い、1920年代におけるソビエト・ロシア演劇はもとより20世紀前半の国際演劇に大きな影響を与えた(スターリン政権期にはスタニスラフスキー・システムがあった)。 スターリン政権下の1932年に行われたソ連共産党中央委員会にて「社会主義リアリズム」の方針が提唱されて以降は、1930年代前半のうちに文学や彫刻、絵画などあらゆる芸術分野の作家大会で公式に採用されるに至り、これにそぐわぬものは制限され、次第に衰退することを余儀なくされた。 一方でバレエなどのロシアの伝統的な芸術は政府により潤沢な予算が投じられたことで高い水準を維持し、クラシック音楽でも、当局による制限を受けながらドミートリイ・ショスタコーヴィチらが作品を残し、エフゲニー・ムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団などが演奏を残している。バレエ団やオーケストラは共産主義の理想を広めるためとして海外公演を行っていたが、実際には外貨の獲得が主目的だったとされる。ソ連崩壊後は存続が難しくなり、オーケストラが改名したり団員が独立したりするなどして幽霊オーケストラが多数誕生した。アナトリー・ヴェデルニコフのように当局に迎合しない演奏家は海外公演を制限された。 ソビエト連邦における祝日は、以下の通りである。 西側諸国で人気のあったロックンロールやヘヴィメタル、ジャズなどの音楽や、ハリウッド映画などの大衆文化は、「商業的で、退廃を招く幼稚なもの」として規制され、わずかに北ヨーロッパ諸国や西ドイツなどのポピュラー音楽や、衛星国や日本、イタリアなどの芸術的要素の高い映画のみが上映を許されていた。これに伴い、外国のラジオ放送を傍受することも禁止されていた。 映画 ゲーム アニメ 社会主義体制が描かれている作品 運動競技では国の威信をかけた強化策がとられ、選手育成プログラムによって育成させられた選手が、オリンピックで数多くのメダルを獲得していた。レスリング、アイスホッケー、サッカー、バレーボール、バスケットボール、ホッケー、体操競技の強豪国として知られ、オリンピックや世界選手権で多くのメダルを獲得した(オリンピック初参加後のメルボルンオリンピックから)。しかし崩壊後にそれらの選手の多くが人権を無視したトレーニングのみの生活と違法ドーピングによるものだったことが当事者の告白により明らかになった。それらの記録はいまもなお剝奪されずに現存している。 共産主義というシステム上、すべてのスポーツ選手が国家の管理下におけるステート・アマであるという位置づけであり、よって資本主義諸国のようなプロスポーツおよびプロ選手は存在しなかった。尚、プロ級の選手は大勢いた。 1980年に、ソビエト連邦の歴史上唯一の夏季オリンピックであるモスクワオリンピックが行われた。冷戦下ということもあり、国の総力を挙げてオリンピックの成功を目指したものの、前年に行われたアフガニスタン侵攻に対する抗議という名目で、日本や中華人民共和国、西ドイツ、アメリカなど西側諸国の多くがボイコットを行った。 そして、1984年に開催された次回のロサンゼルスオリンピックでは、1983年のアメリカ軍によるグレナダ侵攻への抗議という名目で、ソビエト連邦と東ドイツをはじめ、ソ連の衛星国である東側諸国の多くがボイコットを実行した。 識字率が30%であった革命直後から数十年で87%に改善させ、戦後にほぼ100%を達成させるなど基礎教育は充実していた。さらに国威発揚のため専門のトレーニングへの公的な補助が行われたが、第1回国際数学オリンピックは「下から2番目の6位」をという結果に指導部から叱責を受け、3年後の1962年からは高い成績を誇るようになる強豪国となった。参加者は国内の大学を卒業後に科学者や技術者として活動した。 マインドスポーツの中でも特にチェスは伝統的に盛んで、国民にとっても公認されている数少ない娯楽であったが、ソ連時代には国が管理するチェス学校が各地に建設され、体制が崩壊するまでは世界最高の水準を保っていた。国内選手権の開催や書籍の出版なども盛んだった。コンピュータチェスの研究も盛んで、第1回世界コンピュータチェス選手権でもソ連のプログラムが優勝し、人工知能の権威ジョン・マッカーシーとアラン・コトック率いるマサチューセッツ工科大学とソ連のモスクワ理論実験物理研究所によって行われた世界初のコンピュータ同士のチェス対戦でも勝っている。 チェス界ではプロとアマの区別がないため、ミハイル・タリやミハイル・ボトヴィニク、ガルリ・カスパロフなど、ソ連出身の選手が世界王者を長期にわたって独占していた。一時期は国際大会に出られなかったグランドマスター級の国内選手に対し、ソ連のチェス協会が「ソ連邦グランドマスター」という独自のタイトルを創設したこともあったが、次第にトップ選手ならば試合渡航も許可されるようになった。西側の大会で優勝し国威発揚に貢献するだけでなく、大会の賞金、指導対局の謝礼、執筆した棋書の印税など多くはないが貴重な外貨をもたらした。しかし有力選手がこれを利用して亡命することもあった。特にヴィクトール・コルチノイは亡命後「西側の選手」としてアナトリー・カルポフらソ連代表と国際大会で対戦したことがあり、ソ連側から非難を受けることとなった。 ソ連代表と西側の選手がチームで対戦することもあったが、特にボリス・スパスキーとアメリカ人のボビー・フィッシャーが対戦した1972年の世界王者決定戦は試合の進行をめぐり、クレムリンやホワイトハウスが介入するなど、政治的な問題にまで発展することがあった。敗れたスパスキーはその後の待遇悪化などで、1975年にはフランスへ亡命した。 体制崩壊後は西側へ拠点を移す選手もいたが、ウラジーミル・クラムニクなど、ソ連時代のチェス学校で教育を受けた選手が多数活躍している。旧東ドイツや近隣の東欧諸国でもソ連と似た状況にあった。 中華人民共和国ではスポーツの管理に関してソ連を手本としたため、半官半民の組織(中華全国体育総会)による統括やマインドスポーツを国家体育総局が管轄するなど影響が大きい。 サッカーはソビエト連邦で最も人気のあるスポーツの1つであった。サッカーソビエト連邦代表は1950年代から1960年代にかけて黄金期を迎えており、ステート・アマを採用したオリンピックでの活躍は目覚ましかった。1956年のメルボルンで金メダル、1972年のミュンヘン、1976年のモントリオール、1980年のモスクワでは銅メダルを獲得した。1988年のソウルはプロ解禁が行われた後であったが、金メダルを獲得しソ連代表の有終の美を飾った。 FIFAワールドカップでは、オリンピックほどの目立った活躍はないものの、1966 FIFAワールドカップではベスト4に進出するなど、しばしば上位に進出する強豪国として知られていた。またソ連の伝説的な選手であり、史上最高のゴールキーパーとされるレフ・ヤシンはワールドカップの最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞にその名を残しており往時の強さを偲ばせている。 UEFA欧州選手権での活躍も目覚ましく、1960年の第1回大会で優勝。その後も1964年、1972年、1988年で準優勝の成績を収めている。1988年の準優勝は同年のオリンピック金メダルと並んで、ソ連代表の有終の美を飾った。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、ロシア語: Союз Советских Социалистических Республик 発音、頭字語: СССР)は、1922年から1991年までユーラシア大陸北部に存在した社会主義国家である。略称は、ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)、ソ連(ソれん)、ソビエト、ソ連邦など。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "名目上は複数の共和国からなる連邦国家であったが、実際には末期まで高度に中央集権的な体制が敷かれており、1980年代後半まではソビエト連邦共産党による一党独裁国家であった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "最大かつ最も人口の多い共和国であるロシア共和国(現:ロシア連邦)内のモスクワを首都とした。 他の主要都市は、ロシア共和国のレニングラード(現:サンクトペテルブルク)、ノヴォシビルスク、ウクライナ共和国のキエフ(現:キーウ)、白ロシア共和国のミンスク、ウズベク共和国のタシュケント、カザフ共和国のアルマアタ(現:アルマトイ)であった。国土は22,402,200平方キロメートル、11の時間帯 (標準時)にまたがる当時世界最大の国であった。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、二月革命により成立したロシア臨時政府を転覆した十月革命を起源とする。ボリシェヴィキは憲法で保障された世界初の社会主義国家であるロシア社会主義ソビエト共和国を樹立したが、十月革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの赤軍と、白軍に代表される反ボリシェヴィキの諸勢力との間で行われるロシア内戦へと発展した。ボリシェヴィキを脅威と見る協商国による干渉を受けつつも、赤軍は1920年までに内戦での勝利を決定的なものとし、十月革命後ロシア共和国からの分離独立を果たしていた諸地域(ウクライナなど)を1921年までに占領して、ボリシェヴィキが代表を務めるソビエト政権を樹立した。ボリシェヴィキは旧ロシア帝国領の再統合を企図し、1922年12月30日にロシア、ウクライナ、ザカフカース、白ロシア(ベラルーシ)の4つのソビエト共和国から成るソビエト連邦(以下ソ連)を成立させた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1924年のレーニンの死後に党内闘争を経てヨシフ・スターリンが政権を掌握し、共産党内部で反対派を弾圧し、計画経済体制を確立した。その結果、急速な工業化と強制的な集団化の時期を迎え、著しい経済成長を遂げたが、1932年から1933年にかけて人為的な飢饉を引き起こした。また、収容所制度もこの時期に拡大した。スターリンはまた、政治的パラノイアを煽り、軍事指導者、共産党員、一般市民を問わず大量に逮捕し、強制労働場に送られるか死刑を宣告することによって、自分の実際の敵、認識上の敵を党から排除する大粛清を実施した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1939年8月23日、西側諸国との反ファシスト同盟の構築に失敗した後、ソ連はナチス・ドイツと不可侵条約を締結した。第二次世界大戦の開戦後、中立国だったソ連は、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアの東部地域を含む東欧諸国に侵攻し、領土を併合した。1941年6月、ドイツ軍がバルバロッサ作戦によりソ連領を侵略し、独ソ戦が幕を開けた。スターリングラード攻防戦などで枢軸国と交戦する過程で、ソ連の戦死者が連合国の死傷者の大半を占めた。ソ連軍は最終的にベルリンを占領し、1945年5月9日、ヨーロッパでの第二次世界大戦に勝利した。赤軍が制圧した地域は、東側諸国の衛星国となった。1947年、東西冷戦が勃発し、東側諸国は西側諸国と対峙し、西側諸国は1949年にはNATOに統合されることになる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1953年、スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフの指導のもと、非スターリン化、雪どけ(英語版)と呼ばれる時期が訪れた。何百万人もの農民が工業化された都市に移動し、国は急速に発展した。ソ連は、史上初の人工衛星と人類初の宇宙飛行、他の惑星である金星への初の探査機の着陸により、宇宙開発競争で早くから主導権を握った。1970年代、米国との関係は一時的にデタント状態になったが、1979年にソ連がアフガニスタンに軍を展開すると緊張が再開された。この戦争で経済資源が枯渇し、それに合わせるようにアメリカのムジャヒディン戦闘員への軍事援助がエスカレートしていった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1980年代半ばに、ソ連最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフが、グラスノスチとペレストロイカという政策で、さらなる改革と経済の自由化を目指した。その目的は、共産党を維持しつつ、経済の停滞を逆転させることだった。彼の在任中に冷戦が終結し、1989年には中・東欧のワルシャワ条約機構諸国がそれぞれのマルクス・レーニン主義体制を打破した。ソ連全土で強力な民族主義・分離主義運動が勃発した。ゴルバチョフは、リトアニア、ラトビア、エストニア、アルメニア、グルジア、モルドバがボイコットした国民投票を実施し、過半数の国民がソ連を新たな連邦として存続することを支持する結果となった。1991年8月、共産党の強硬派によるクーデターが発生したが、ロシア共和国大統領エリツィンを中心に阻止され、失敗に終わった。その結果、共産党への信頼は失墜し、ロシアとウクライナを中心とする共和国が独立を宣言した。1991年12月25日、ゴルバチョフが辞任した。ソビエト連邦の崩壊により、すべての共和国がポストソビエトの独立国として誕生した。ロシア連邦はソビエト連邦の権利と義務を引き受け、世界情勢においてその継続的な法的人格として認識されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ソ連は、社会的・技術的に多くの重要な成果を上げ、軍事力に関しても革新的なものを生み出した。日本やイギリス、西ドイツに抜かれるまでは世界第2位の経済力と世界最大の常備軍を誇り、公式核保有国である5か国の1つとして認識されていた。国連安全保障理事会の創設常任理事国であり、OSCE、WFTU、経済相互援助会議、ワルシャワ条約機構の主要国であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ソ連は第二次世界大戦後、解散するまでの40年間、米国と並ぶ世界の超大国の地位を維持していた。「ソビエト帝国」とも呼ばれ、軍事力や経済力、代理戦争、発展途上国への影響力、宇宙技術や兵器を中心とした科学研究への資金提供などで、東中欧をはじめ世界的に覇権を行使していた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ソビエト(露: Совет)というロシア語は「評議会」の意味をもち、スラヴ祖語のvět-iti(「知らせる」)の動詞語幹から派生したものである。労働者の代表による評議会としての「ソビエト」は、1905年のロシア第一革命の中で初めて出現した。それらのソビエトは帝国政府によって速やかに解散させられたが、1917年の二月革命による帝政の崩壊後、ロシア各地で労働者や兵士がソビエトを組織し、首都ペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトはロシア臨時政府に対抗し得る権力を有した。この二重権力状態の中で、ボリシェヴィキは「全権力をソビエトへ」のスローガンを掲げて臨時政府と対立し、1917年10月(旧暦)にはソビエトの名の下に武装蜂起を実行して臨時政府から権力を奪取した(十月革命)。1918年1月、ボリシェヴィキは「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」の建国を宣言し、1922年12月30日には同国と他のソビエト共和国を統合する連邦国家として「ソビエト社会主義共和国連邦」を成立させた。ソビエト連邦の政治基盤は人民の代表によるソビエトと憲法で定められていたが、実際の政治的権力はボリシェヴィキの後継である共産党によって掌握されていた。(ソビエト連邦#政治も参照)", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ロシア語表記の正式名称はСоюз Советских Социалистических Республик。通称はСоветский Союзで、国歌の歌詞にも使用されている。略称はСССР、またはラテン文字でSSSRとなるが、これは正式名称を音訳すると「Soyuz Sovietskikh Sotsialisticheskikh Respublik」となるためである。英語表記の正式名称は、Union of Soviet Socialist Republics、通称はSoviet Union、略称はUSSRが用いられる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "日本語表記では「ソビエト社会主義共和国連邦」が用いられる。通称は、ソビエト連邦(「ソビエト」は「蘇維埃」「ソヴィエト」「ソヴィエット」「ソヴェト」「ソヴエト」「ソヴェート」「ソベート」「ソブイエト」「ソウエト」「ソウェート」「ソウエート」「ソウエット」「ソウエツト」「サウエト」「サウェート」「サウエート」「サウエット」「サウィエート」、より原語に近づけて「サヴィェート」とも)。略称はソ連邦、ソ連、または単にソビエトやソヴィエトともする。漢字では蘇聯邦、蘇聯などと表記され、蘇と略される。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦前は、ロシア帝国時代の神聖同盟のように「同盟」と訳した「ソ同盟(蘇同盟)」も使用されたが、ソ連自体が「Союз とは Федерация(連邦)である」と説明し、在日ソ連大使館も戦前から一貫して「連邦」の訳語を使用したことから、「連邦」が優勢となっている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "構成共和国のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国とザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の国名にも「連邦」の文字が含まれるが、こちらは Союз ではなく Федерация の訳である。旧ソ連圏の統合を目指しているユーラシア連合やユーラシア経済連合の Союз は「連合」と訳されている。日本語読みでは Союз はソユーズで知られる。ソ連を構成したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国と、その後継国家ロシア連邦は「Федерация(連邦)」である。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦は、国名に固有名詞(地名)を含まない世界でも希有な例であるが、連邦を構成する各共和国の国名には「ロシア・ソビエト連邦共和国」など地名が含まれている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "一部の西側諸国ではソビエト連邦全体を指して「ロシア」(Russia)と呼び続ける例も多かった。日本では労農ロシアや赤露などとも呼ばれたが、「ソ連」「ソビエト」(NHK等)「ソビエト連邦」が一般化した。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1917年3月8日(ロシア暦2月23日)に首都ペトログラードで起こったデモに端を発する二月革命により、ロシア帝国は崩壊して漸進的な改革を志向するロシア臨時政府が成立した。臨時政府は第一次世界大戦への参戦継続を決定したが、ドイツ軍との戦線はすでに破綻しており、国内の政治的混乱にも収拾のめどはついていなかった。他方、二月革命の中で労働者・兵士の代表によるソビエト(会議、評議会)がロシア各地で組織され、中でも最大の影響力を持つペトログラード労働者・兵士代表ソビエト(英語版)と臨時政府の間では「二重権力」状態が生じた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1917年8月、ラーヴル・コルニーロフ将軍が臨時政府に対する反乱を起こし、それがソビエトの力によって鎮圧されると、ソビエト内ではウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに対する支持が高まった。ボリシェヴィキは、かねてよりソビエトへの全権力の集中を訴え、戦争継続を主張する臨時政府との対決姿勢を露わにしていた。同年10月、ボリシェヴィキは武装蜂起の方針を決め、11月7日(ユリウス暦10月25日)に首都ペトログラードのほぼ全域を制圧し、臨時政府から権力を奪取した(十月革命)。この11月7日が、ロシア革命記念日である。同日に開催された第2回全ロシア・ソビエト大会では、ソビエトによる体制の成立と、新政府である人民委員会議の成立が宣言された。首相にあたる人民委員会議議長にはレーニン、外務人民委員にはレフ・トロツキー、民族問題人民委員にヨシフ・スターリンが就任している。ソビエト政権はモスクワ近郊を制圧し、11月10日には左派社会革命党を政権に取り込んだ。1918年1月10日からは第3回全ロシア・ソビエト大会が開催され、ロシアが労働者・兵士・農民のソビエトの共和国であると宣言され、連邦制をとるとした宣言が採択された(ロシア社会主義連邦ソビエト共和国)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1918年3月、ボリシェヴィキはドイツ帝国を含む中央同盟国とブレスト=リトフスク条約を締結し、第一次世界大戦から離脱したが、以降は連合国によるシベリア出兵の干渉戦争や、白軍など反革命勢力とのロシア内戦 (1917-22) に対処することになった。一方で、ウクライナ人民共和国やアゼルバイジャンのバクー・コミューンなどボリシェヴィキ派のソビエト政権も各地で次々に樹立された。これらの各政権は独立国であったが、ロシア・ソビエト政府の一部であると自らを定義することもあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "十月革命の直後から始まったロシア内戦は、1918年5月のチェコ軍団の反乱を契機に本格化した。ソビエト政府は内戦中に経済政策として戦時共産主義を導入したが、これは農業と工業の崩壊を招き、数百万人の餓死者を出した。土地の国有化によって地主階級も自作農(フートル農、オートルプ農)も消滅し、三圃制にもとづく農村共同体が復活したが、農業生産には重大な打撃が生じた。1918年5月の食料独裁令で農産物は国家専売とされ、自由取引は禁止された。第一次世界大戦後、経済復興のために農民は、十分な食料供給と生産が義務化された。1920年は凶作となり、重い負担に不満をもった農民は西シベリアやタンボフ県で反乱を起こした。1921-1922年にはロシア飢饉が発生し、農民反乱の拡大が政権を脅かすことを懸念したレーニンは、1921年より戦時共産主義に代わる新経済政策(ネップ)を導入し、穀物の強制徴収は廃止され、部分的に市場経済が取り入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1920年、ロシア内戦におけるボリシェヴィキの勝利は決定的となった。1921年までに、赤軍は十月革命後ロシアから分離独立を果たしていたウクライナ、ベラルーシ、ザカフカースの民族国家を侵攻し、占領することに成功した。同時に、ボリシェヴィキはそれらの地域(ウクライナ、ベラルーシ、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアなど)でソビエト政権を樹立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ロシア内戦が収束に向かうと、各地のソビエト政権の間では統合への動きが強まった。ロシア共産党の手によって各地の革命政権との統合が進行し、1920年にはロシア連邦共和国とアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国の間で、緊密な軍事的・政治的な同盟条約が締結され、ウクライナ、白ロシア、グルジア、アルメニアとも同様の条約が結ばれた。これらの国々は憲法を持つ主権国家ではあったが、最高機関は全ロシア・ソビエト大会と全ロシア中央執行委員会であり、ロシア連邦共和国の主導権は明確であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1921年1月には、燃料危機、運輸危機、食糧難が連鎖的に発生し、3月にはクロンシュタットの反乱も起き、党内でも党内の民主化を求められた。党指導部は党員が過剰であるとの理由で「党の総粛清」を開始、党歴の長さに応じてヒエラルヒーがつくられ、古参党員による寡頭支配が成立していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1922年5月にはレーニンが脳出血で倒れ、一命は取り留めたものの影響力は急速に低下した。4月にはスターリンがロシア共産党の書記長に就任、党組織を掌握し始めた。8月にはソビエト政権の統合のための委員会が設置され、スターリンが主導者の一人となった。スターリンは9月に各政権が自治共和国として、ロシア・ソビエト社会主義共和国連邦に加入するという統合形式を発表した。この意見はグルジア以外のソビエト共和国の賛成を得て採択されたものの、各共和国にとっては不満の残るものであり、レーニンの指導によって10月の中央委員会では、各共和国が対等な共和国として連邦に加入するという形式が定められた。しかし、この修正ではザカフカースの3共和国がいったん連邦となってから加入することが定められたため、グルジアでの猛反発を招いた(グルジア問題)。反対派は次第に追い詰められ、これによってザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国が成立している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1922年12月には第1回ソビエト連邦全連邦ソビエト大会(ロシア語版)が開催され、12月30日にロシア社会主義連邦ソビエト共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、白ロシア社会主義ソビエト共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の4国が平等な立場で加盟するとしたソビエト社会主義共和国連邦の樹立を宣言する連邦結成条約(英語版、ロシア語版)が調印された。この連邦には各国が自由な意志で参加・脱退できると定められており、新たな最高機関の設立も決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1923年、スターリンら党内主流派は、ソ連体制の正当性を工場労働者からの支持に見出し、労働者の入党キャンペーンを展開したが、さらに党内対立を招いた。工場労働者を支持母体とみなす一方で、農民は潜在的には「敵」(反革命分子)とみなされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1924年1月31日には最初のソビエト連邦憲法が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1924年にレーニンが死亡したが、生前にはスターリンとトロツキーの対立を憂い、スターリンを警戒するようになっていた。スターリンはまずトロツキーを孤立させ、次いでレーニンの側近だったグリゴリー・ジノヴィエフや、レフ・カーメネフ、カール・ラデックらを攻撃した。1927年にはトロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフを党から除名したことで、明らかな優越者としての地位を確保し、スターリンは正式に最高指導者になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "外交面では連合国の直接干渉自体はなくなったものの、ソビエト政権が旧ロシア帝国の債務支払いを拒否したため、関係改善は進まなかった。一方で国際的に孤立していたヴァイマル共和政下のドイツはソ連と接近し、賠償の相互放棄を定めたラパッロ条約の締結となった。ドイツ軍はソビエト領内で軍事開発を秘密裏に行い、ソ連はそれによって情報を取得するという関係も築かれた。この後、中東諸国や中華民国との国交が成立したものの、1925年にはロカルノ条約の成立によってドイツが西欧諸国側になったと受け止められた。これに対してソ連は東欧諸国やフランスと不可侵条約を締結することで対抗しようとした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "一方でコミンテルンは各国の共産主義運動を支援する世界革命を目指していたが、一国社会主義を唱えるスターリンの勝利によって、その運動はソ連を守るためのものとなった。1925年5月スターリンは「ロシアのような後進国でも完全な社会主義を実現できる」とする一国社会主義論を唱え、金属工業を重視した。しかし、1925年には「商品飢饉」が起きると、スターリン政権は、穀物や木材の輸出による利益(差益)による解決を決定し、農民から穀物を安く買い上げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ネップで農業生産は拡大したが、商品価値の高い生産に集中するようになり、穀物の供給が滞るようになった。スターリンはネップを終わらせ、計画経済への転換によるソ連の工業化をはかった。1928年から第一次五カ年計画が始まり、鉄鋼生産の増強、農業の集団化、電化や機械化に重点を置いた工業化が達成された。1928年と1937年を比較すると、石炭は3倍強、粗鋼は4倍強の生産高に達しており、工業全体では第一次で2倍、第二次五カ年計画で2.2倍に達したといわれる。同時期に欧米諸国が世界恐慌によって多数の失業者を出し、経済を縮小させたのと比較して、ソ連の経済成長率は世界最高を記録した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1927年秋には、農産物を安く買い取る国への販売を農民がしぶったため、穀物の調達難が起こり、都市の食糧難が発生し、これはスターリンの構想を崩壊させかねない危機となった。スターリンは穀物調達難の原因を「クラーク(富農)」にあると決めつけ弾圧を強め、1929年12月には「クラーク階級の抹殺」を宣言した。また、農民を集団農場コルホーズへ編入させ、強引な農業集団化を推進した。餓死者の報告に対して、スターリンは集団化による飢饉は「作り話」で「悪意ある噂」であるとみなし、1932年8月の社会主義的財産保護法で穀物を「横領」した者には全財産の没収をともなう死刑、または10年の自由剥奪に処された。1932年末から1933年初めに国内パスポートが義務づけられたが、農民には交付されなかったため、農民は仕事をもとめて都市に行くこともできなくなった。1932年から1934年にかけてウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンで飢饉が発生し、数百万人が犠牲となった。カザフスタンでは農業集団化による100万人が死亡し、30%の農民が中国に逃亡した。ウクライナでは400万から600万人が飢饉の犠牲となった(ホロドモール)。北カフカースでも100万人が犠牲になった。ソ連全体の餓死者は600万人から700万人ともいわれ、犠牲者数は諸説ある。さらに工業賃金も上昇せず、労働者の実質賃金も12%近く減少した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "クラーク(富農)と認定された農民は何百万人も極北やシベリアの強制収容所(グラグ)に強制移住させられた。白海・バルト海運河計画などの大規模インフラの建設には、クラークや弾圧された共産党員ら囚人労働者が動員された。レーニンから「党の寵児」と呼ばれ、穏健な計画を唱えたニコライ・ブハーリンはこの時期に失脚した。1930年代の富農撲滅運動では650万人が犠牲となり、強制収容所では350万人が死亡した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "外交面では、コミンテルンは当初社会ファシズム論を唱え、社会民主主義勢力への批判を強めていたが、ファシズムやナチズムについてはむしろ容認していた。しかし、ヒトラー内閣成立後、1933年11月にアメリカと国交を樹立。1934年9月には国際連盟に加盟し、常任理事国となった。折りしもドイツではナチ党政権が成立し(ナチス・ドイツ)、1935年には再軍備を宣言した。ソ連はこれに対抗するために、フランスと手を結ぶ東方ロカルノ政策で対抗しようとし、1935年に仏ソ相互援助条約が締結された。コミンテルン第7回大会においても反ファシズム統一戦線の方針が確認され、人民戦線戦術がとられるようになった。赤軍は1934年には60万人から94万人、1935年には130万人に拡大され、1937年にソビエト連邦海軍の設置が行われるなど急速な拡大が続けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "しかしながら、イギリス・アメリカ・フランスなど資本主義陣営の中で、ファシズムより共産主義に対する懸念は依然として強く、むしろファシズムを共産主義に対する防波堤として利用しようとする向きもあった。特にそのソ連敵視が如実に表れたのが1936年の第二次エチオピア戦争であり、ファシズムのイタリアによるエチオピア侵攻という事態に対して、ソ連はイタリアに対する非難を行うも、イギリス・フランスはイタリアとの戦争を懸念して何ら制裁を課すことはしなかった。英仏の態度に失望したスターリンは、さらにミュンヘン会談における両国のナチスに対する譲歩がソ連への侵攻を容認しているのではないかという疑惑を深めていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "急進する集団化と工業化については、党内のセルゲイ・キーロフやグリゴリー・オルジョニキーゼらといった勢力が穏健化を求めるようになった。その最中に起こった1934年のキーロフ暗殺事件以降、スターリンにより党内の粛清が激化し、ブハーリン、ゲオルギー・ピャタコフ、レーニンの後継人民会議議長であったアレクセイ・ルイコフ、ジノヴィエフ、カーメネフらといった有力党員、ミハイル・トゥハチェフスキーらといった軍人が次々と処刑された。その他多くの党員や軍人、一般国民が死刑もしくは流罪などにより粛清された。この粛清はスターリンの配下である粛清の実行者ですらその対象となり、ゲンリフ・ヤゴーダ、ニコライ・エジョフらもその犠牲となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "流罪の受け入れ先として大規模な強制収容所(シベリアのコルィマ鉱山など)が整備された。大粛清による犠牲者数には諸説があるが、当時行われた正式な報告によると、1930年代に「反革命罪」で死刑判決を受けたものは約72万人とされる。この粛清によりスターリンの体制はより強固なものとなった。1938年以降、スターリンが1953年に死去するまで党大会は1回、中央委員会は数回しか開かれず、重要決定は全てスターリンによって行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1938年のアンシュルス後、ソ連は「明日ではもう遅すぎるかも知れない」と、英仏に対してファシスト勢力への具体的な集団的行動による対応を求めた。しかしミュンヘン会談によるドイツへの宥和政策は、英仏がドイツの矛先をソ連に向けようとしているというソ連側の疑念を強めさせた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ソ連は軍事の拡大を急ぎ、世界最初の機甲部隊の整備を行うなどしていたが、大粛清で赤軍の幹部を失ったことでそのスピードは明らかに低下していた。このため当時のソ連首脳はこの時期のソ連は経済建設期にあり、深刻な戦争には耐えられないと考えており、大戦争の先延ばしを基本政策としていた。1939年、外相がヴャチェスラフ・モロトフに交代した。ポーランド危機が切迫する中、英仏と同時進行してドイツとも提携交渉を行い、8月23日には独ソ不可侵条約を締結した。この条約にはポーランドとバルト3国の分割が付属秘密議定書において取り決められていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "9月ドイツ軍のポーランド侵攻の際にはソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に破棄するとともに侵攻し、ポーランドの東半分を占領した。ソ連側はカーゾン線に沿った範囲であり、ウクライナ人・ベラルーシ人が多数居住する地方であると主張している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "バルト三国に圧力をかけ、赤軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに侵攻、傀儡政権を成立させて併合した。同時にソ連はルーマニアにベッサラビアを割譲するように圧力をかけ、1940年6月にはソ連軍がベッサラビアと北ブコビナに進駐し、割譲させた。さらに隣国のフィンランドを冬戦争により侵略してカレリア地方を併合した。しかしフィンランドの抵抗で思わぬ損害を招き、国際連盟からも追放された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ドイツとの関係は一定の協調関係となっていたが、細部ではきしみが生じていた。ソ連側はドイツ側を刺激しないよう対応し、ドイツ側の侵攻を警戒する情報は放擲された。1941年6月にドイツはバルバロッサ作戦を発動し、独ソ戦が勃発した。これをまったく予期していなかったスターリンはきわめて動転した。ドイツ軍の猛攻で開戦後まもなく首都モスクワに数十キロに迫られ、レニングラード攻防戦やクルスクの戦いなどにより軍民あわせて数百万人の死傷者を出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "スターリンは戦争を「大祖国戦争」と位置づけて国民の愛国心に訴え、ドイツの占領地で民衆を中心としたパルチザンを組織し敵の補給線を攪乱した。味方が撤退する際には焦土作戦と呼ばれる住民を強制疎開させたうえで家屋、畑などを破壊して焼却する作戦を行い、ドイツ軍の手には何も渡らないようにさせた。連合国側であり西部戦線でドイツ軍と戦うアメリカやイギリスによる膨大な軍事支援(レンドリース法)、また極東における日本による参戦がなかったこともあり、対ドイツ戦に専念できたソ連軍は気候や補給難に苦しむドイツ軍を押し返していった。1942年のスターリングラードの戦いに勝利すると、これを契機にしてソ連は次第に戦局を有利に進めるようになる。1943年にはコミンテルンを解散した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "やがてドイツ軍の後退とともにソ連軍は東欧各国を「解放」した。東欧各国の民衆は、ドイツ軍の占領に対して抵抗の最前線に立った共産主義者たちを支持した。東欧各国の共産党は、赤軍の圧力と民衆の支持を背景に、ソ連型社会主義をモデルにした社会主義政権を各地で樹立した。1945年5月、ソ連軍はドイツの首都であるベルリンを陥落させ、ドイツ軍を降伏に追い込んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告した。これは連合国首脳によるヤルタ会議における密約(ヤルタ協定)に基づくものであったが、ソ連軍は日本の千島列島や南樺太、朝鮮半島北部、そして日本の同盟国の満洲国に対し侵攻した。この際のソ連軍の行動は、中立条約の破棄や日本の民間人に対する暴虐、そして戦後の捕虜のシベリア抑留や北方領土問題など、戦後の日ソ関係に大きなしこりを生む原因となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦の期間中に2700万以上のソ連国民が死亡するなど大きな犠牲を出した。一方でその勝利に大きく貢献したことで国家の威信を高め、世界における超大国の地位を確立した。大戦期間中にはヤルタ会談などの戦後秩序構築にあたっての会議にも深く関与している。国際連合創設にも大きく関与し、安全保障理事会の常任理事国となっている。さらに占領地域であった東欧諸国への影響を強め、衛星国化していった。その一方、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。 開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の併合、ルーマニアから獲得したベッサラビア(現在のモルドバ)の領有を承認させ、これらの新領土から多くの住民を追放あるいはシベリアなどに強制移住させ、代わりにロシア人を移住させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "極東では日本の領土であった南樺太および千島列島を占領し、領有を宣言した。さらに、1945年8月14日に連合国の一国にあたる中華民国との間に中ソ友好同盟条約を締結し、日本が旧満洲に持っていた各種権益のうち、関東州の旅順・大連の両港の租借権や旧東清鉄道(南満洲鉄道の一部)の管理権の継承を中華民国に認めさせた(中華人民共和国建国後に返還)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "戦後ソ連はドイツの支配からソ連の支配圏とした東ヨーロッパ諸国の反対派を粛清し、スターリン主義的な社会主義政権を導入しこれらをソ連の衛星国とした。ワルシャワ条約機構などにおける東側諸国のリーダーとして、アメリカ合衆国をリーダーとする資本主義(西側諸国)陣営に対抗した。スターリン政権下ではベルリン封鎖などの行動や朝鮮戦争などの世界各地での代理戦争という形で冷戦と呼ばれる対立関係が形成された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1953年、スターリンが死去し、ゲオルギー・マレンコフとニキータ・フルシチョフによる共同指導体制が始まった。スターリン体制下で恐怖政治の主導者となったラヴレンチー・ベリヤは処刑され、スターリン路線の行き過ぎた独裁政策が大幅に緩和された。1955年にはマレンコフが失脚し、フルシチョフによる指導体制が確立した。1956年にはスターリン批判を行い、大粛清への告発と、スターリン体制からの決別が表明された。これは東欧諸国にも強い衝撃を与え、各国では政治改革の動きや反体制運動(ポズナン暴動など)が発生したが、ハンガリー動乱には武力介入してこれを鎮圧した。反対派を殺害・処刑・投獄し、各国政権に圧力をかけ収拾させた。一方で、スターリン批判は中華人民共和国の反発を招き、中ソ対立が進行することになった。アルバニアのエンヴェル・ホッジャもスターリン批判を行ったソ連を非難し、ワルシャワ条約機構を脱退することに至る。朝鮮民主主義人民共和国ではソ連型の社会主義体制を目指すソ連派が金日成排除のクーデターを画策するが、失敗し、勢力が一掃された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "フルシチョフ時代にも軍拡は推し進められており、核兵器とミサイル兵器の配備が進んでいた。1962年のキューバ危機は核戦争の危機を世界に知らしめることになり、その後はアメリカとの関係は改善が進んだ(雪解け(英語版))。しかしベトナム戦争やアフリカ・南アメリカでの、代理戦争と呼ばれる紛争は継続していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "フルシチョフは食料生産に力を注ぎ一時的には大きな成功を収めるものの、あまりにも急な農業生産の拡大により農地の非栄養化、砂漠化が進み、結果、ソ連は食料を国外から輸入しなければならない事態に追い込まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1964年に、フルシチョフは農業政策の失敗と西側諸国に対して寛容な政策をとったことを理由に失脚させられた。代わってレオニード・ブレジネフが指導者となった。しかし中華人民共和国とは、中ソ対立が激化したことによって、両国の関係はほぼ断絶状態に近くなり、1970年代には米中国交正常化による中華人民共和国の西側への接近を許すことになった。ソ連は東欧諸国を勢力圏下に置き続けるため、1968年には「制限主権論(いわゆるブレジネフ・ドクトリン)」の名の下にチェコスロバキア社会主義共和国の民主的改革(プラハの春)に対して介入し、ソ連は強い国際社会の批判を浴びるようになった。この状況でソ連は西側諸国との協調を図るようになり(デタント)、戦略兵器制限交渉などが行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "プラハの春を武力で弾圧した事実は、同じ共産主義陣営の中にも動揺を生んだ。中華人民共和国はソ連を「社会帝国主義」と批判し、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスクも同様にソ連を批判して西側諸国に接近し、独自外交を展開。1973年のチリ・クーデター後に誕生したアウグスト・ピノチェト政権に対してソ連を中心とした東側諸国が国交断絶を行う中で、中国とルーマニアは関係を維持し続けた。西側諸国の共産党においてもイタリア共産党やスペイン共産党がソ連型社会主義と決別するユーロコミュニズムを採択するなど、国際共産主義運動は分裂状態に陥った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "1963年2月、仏ソ通商条約。1965年、仏ソ原子力平和利用協定。そしてベトナム戦争でホー・チ・ミン率いる北ベトナムを支援した(旧フランス領インドシナ)。1969年にはかねて対立していた中華人民共和国と珍宝島/ダマンスキー島をめぐって中ソ国境紛争を戦った。1970年1月にイタリアと、2月には西ドイツと貿易協定。1971年3月、仏ソウラン協定。10月、仏ソ共同宣言・仏ソ新経済協力協定。1972年、ソ連は凶作のため穀物メジャーを頼った。1974年5月、英ソ経済協力協定。12月、仏ソ首脳会談で経済協力5カ年協定。1975年1月、米ソ通商協定破棄を通告。10月、米ソ穀物協定。1976年3月、日米ソ3か国がヤクート天然ガス探査協定。11月、米ソ漁業協定。1977年3月、排他的経済水域を実施。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1979年12月、ソ連はアフガニスタンの共産主義政権がソ連と距離を取ろうとしていると見なして、アフガニスタンへの侵攻を行った。これはパキスタン、サウジアラビア、イランなどといった一部のイスラム諸国および西側諸国、中華人民共和国による猛反発を受け、翌年に行われたモスクワオリンピックの大量ボイコットを招き、デタントの流れは終焉した。アメリカはチャーリー・ウィルソンらCIAの支援の下でイスラム・ゲリラに対して支援を行い、アフガニスタンでの戦闘は泥沼化して1989年まで続き、国際社会からの孤立を招いただけでなく、多大な人命と戦費の損失を招いた。さらにソ連を「悪の帝国」と名指しで批判するロナルド・レーガン大統領政権下のアメリカとの軍拡競争がさらに激化するようになった。1983年9月には大韓航空機撃墜事件が発生したことで西側諸国との緊張はさらに増した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ブレジネフ政権は18年にわたった長期政権だった。停滞しつつも安定し、ソ連の歴史上、初めて飢餓も騒擾事件も粛清もなくなった。その代わり、改革はまるで行われず官僚主義による党官僚の特権階級化(ノーメンクラトゥーラ)、ブレジネフ一族の縁故主義など体制の腐敗が進んだ。経済面でも、1960年代ごろまで10%を誇った成長率は次第に鈍化していった。そのツケは国民生活に回り、食料や燃料、生活必需品の配給や販売が滞るようになった。改革開放を始めた中華人民共和国を除き、東側諸国全体の経済も1970年代後半から停滞していく事になる。1980年代に入り西側諸国の豊かな生活の情報がソ連国内で入手できるようになると、国民は体制への不満と自由な西側への憧れを強めていくことになる。小麦の生産量は世界一だった農業も慢性的な不振となり、小麦をアメリカから輸入することが恒常化した。しかしデタントの終焉後は穀物輸入も逼迫し、さらに経済の悪化を招いた。技術競争でもアメリカや日本に大きな遅れをとるようになり、ソ連崩壊の直前はGNPも日本に抜かれて3位となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "1982年に死去したブレジネフの後継者となったユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコと老齢の指導者が相次いで政権の座に就いた。しかし、共に就任後間もなく闘病生活に入りそのまま病死したため、経済問題を中心とした内政のみならず、外交やアフガニスタン問題についてさえも具体的な政策をほとんど実行に移せず、ブレジネフ体制以来の長老支配を内外に印象づけることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "その後、この両名の時代においてますます深刻化した経済的危機を打開すべく、1985年3月に誕生したミハイル・ゴルバチョフ政権は社会主義体制の改革・刷新を掲げ、ペレストロイカ(改革)を推し進めた。ゴルバチョフの選出は一晩かけての会議で決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "これにより長きにわたった一党独裁体制下で腐敗した政治体制の改革が進められた。1988年にはそれまでのソ連最高会議に代わり人民代議員大会創設が決定され、翌年3月26日にはソ連初の民主的選挙である第1回人民代議員大会選挙が実施された。ゴルバチョフは人民代議員を国民の直接選挙で選ばせることによって、改革の支障となっていた保守官僚(アパラチキ)を一掃しようと試みた。1986年4月に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の対応の遅れと隠蔽によってソ連の深刻な官僚主義体質が露呈すると、ゴルバチョフはグラスノスチを本格化させ、情報統制の緩和を進めた。これを受けて、ソ連国民の間では歴史の見直しや、活発な政治討論などが行われるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "グラスノスチの進展にともない国民の間では民主化要求が拡大、それを受けてソ連共産党の指導的役割を定めたソ連憲法第6条は削除され、1990年にはソ連共産党による一党独裁制の放棄、そして複数政党制と大統領制の導入が決定された。同年3月15日、人民代議員による間接選挙によって、ゴルバチョフが初代ソ連大統領に選出された。同時期に当局の検閲を廃止した新聞法が制定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "しかし、これらの一連の政治経済改革は一定の成果を上げた反面、改革の範囲やスピードをめぐってソ連共産党内の内部抗争を激化させた。特に保守派は、改革の進展により軍産複合体など自らの既得権益が失われることに強く反発した。そして、共産党はエリツィンら急進改革派とゴルバチョフら穏健改革派、そして保守派のグループに分裂した。党内の分裂もあって国内の経済改革は遅々としたものとなり、経済危機を一層深刻化させた。こうした状況の中でエリツィンは保守派が幅を利かせる共産党に見切りをつけ、1990年7月のソ連共産党第28回大会を機に離党し、ポポフ、サプチャーク、アファナーシェフ、サハロフらとともに非共産党系の政治組織である地域間代議員グループを結成、共産党に対抗した。一方、穏健改革派のゴルバチョフは保守派と急進改革派の板挟みになり、抜本的な改革を推進できなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "従来の中央集権型の指令経済を破棄し、市場メカニズムを導入することが図られたが、保守派の抵抗などで経済改革は遅れ、国内ではインフレと物不足が深刻化した。市民の間では、事態を打開できないゴルバチョフらソ連共産党に対する批判が高まった。こうした国民の不満を吸収したのがエリツィンら急進改革派である。1991年6月12日にはロシア共和国大統領選挙が実施されてエリツィン・ロシア共和国最高会議(ロシア語版)議長が当選し、7月10日に就任した。ロシア共和国大統領選挙と同日にモスクワ市長選挙、レニングラード市長選挙がそれぞれ実施され、ポポフがモスクワ市長に、サプチャークがレニングラード市長に当選した。こうした急進改革派の躍進は保守派を焦らせ、のちの8月クーデターへと駆り立てる要因の一つとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ペレストロイカは東西の緊張緩和や東欧民主化、そしてソ連国内の政治改革において大きな成果を上げたものの、改革が進むにつれて共産党権力の弱体化と、連邦政府の各共和国に対する統制力の低下という事態を招いた。こうした中で、国内では封印されていた民族問題の先鋭化と各共和国の主権拡大を要求する動きが生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1986年12月にはペレストロイカ開始後初めての民族暴動であるアルマアタ事件がカザフ共和国で発生した。1988年からはナゴルノ・カラバフ自治州の帰属をめぐってアルメニア共和国とアゼルバイジャン共和国との間に大規模な紛争が発生、グルジアやモルダヴィア共和国でも民族間の衝突が起きた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1990年3月11日には反ソ連の急先鋒と見られていたバルト3国のリトアニア共和国が連邦からの独立を宣言、ゴルバチョフ政権は経済制裁を実施し、宣言を撤回させたものの、同年3月30日にはエストニア共和国が、5月4日にはラトビア共和国が独立を宣言した。1990年5月29日にはロシア連邦共和国最高会議議長に急進改革派のエリツィンが当選、同年6月12日にはロシア連邦共和国が、7月16日にはウクライナ共和国が共和国の主権は連邦の主権に優越するという国家主権宣言を行い、各共和国もこれに続いた。こうした民族運動の高揚と連邦からの自立を求める各共和国の動きは、ゴルバチョフ自身が推進したペレストロイカとグラスノスチによって引き起こされたと言える半面、連邦最高会議で保守派との抗争に敗れた急進改革派が各共和国の最高会議に移り、そこでそれらの運動を指揮しているという側面もあった。特にソ連の全面積の76%、全人口の51%、そして他の共和国と比較して圧倒的な経済力を擁するロシア共和国の元首に急進改革派のエリツィンが就任したことは大きな意味を持っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "従来の中央集権型の連邦制が動揺する中でゴルバチョフは連邦が有していた権限を各共和国へ大幅に移譲し、主権国家の連合として連邦を再編するという新構想を明らかにした。その上でまず枠組みとなる新連邦条約を締結するため各共和国との調整を進めた。1991年3月17日には新連邦条約締結の布石として連邦制維持の賛否を問う国民投票が各共和国で行われ、投票者の76.4%が連邦制維持に賛成票を投じることとなった。この国民投票の結果を受け4月23日、ゴルバチョフ・ソ連大統領と国民投票に参加した9共和国の元首が集まり、その後、各共和国との間に新連邦条約を締結し、連邦を構成する各共和国への大幅な権限委譲と連邦の再編を行うことで合意した。その際、国名をそれまでの「ソビエト社会主義共和国連邦」から社会主義の文字を廃止し、「ソビエト主権共和国連邦」に変更することも決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "1987年12月にはアメリカとの間で中距離核戦力全廃条約が締結され、翌1988年5月からはソ連軍がアフガニスタンから撤退を開始した。同時に東欧各国に駐留していたソ連軍の一部も、本国への引き上げを行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ゴルバチョフは1988年3月の新ベオグラード宣言の中でブレジネフ・ドクトリンの否定、東欧諸国へのソ連の内政不干渉を表明していたが、これを受け1989年から1990年にかけてドイツ民主共和国(東ドイツ)やハンガリー人民共和国、ポーランド人民共和国やチェコスロバキアなどの衛星国が相次いで民主化を達成した。そのほとんどは事実上の無血革命であったが、ルーマニアでは一時的に体制派と改革派の間で戦闘状態となり、長年独裁体制を強いてきたニコラエ・チャウシェスク大統領が処刑され、流血の革命となった。ソビエト連邦はかつてのハンガリー動乱やプラハの春の時とは異なり、これらの衛星国における改革に対して不介入を表明し、これらの政府による国民に対する武力行使に対しては明確に嫌悪感を示した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "このような流れの中で、ソビエト連邦を含む東側諸国の相次ぐ民主化により東西の冷戦構造は事実上崩壊し、これらの動きを受けて1989年12月2日から12月3日にかけて地中海のマルタでゴルバチョフとアメリカ大統領のジョージ・H・W・ブッシュが会談し、正式に冷戦の終結を宣言した(マルタ会談)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "国内では1991年8月20日の新連邦条約締結に向けて準備が進められていた。しかし、新連邦条約締結が各共和国の独立と自らの権力基盤の喪失に結びつくことを危惧したゲンナジー・ヤナーエフ副大統領、ウラジーミル・クリュチコフKGB議長、ドミトリー・ヤゾフ国防相ら8人のソ連共産党中央委員会メンバーらによって条約締結を目前に控えた8月19日にクーデターが発生、ゴルバチョフを軟禁して条約締結阻止を試みたものの、ボリス・エリツィンら改革派がこれに抵抗し、さらに軍や国民の多く、加えてアメリカやフランス、日本やイギリスなどの西側諸国の大半もクーデターを支持しなかったことから完全に失敗に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "クーデターの失敗によって新連邦条約締結は挫折、クーデターを起こしたソ連共産党中央委員会メンバーらは逮捕された。クーデターを起こしたメンバーはいずれも共産党の主要幹部でゴルバチョフの直属の部下だったこともあり、共産党とゴルバチョフの権威は失墜した。8月24日、ゴルバチョフは共産党書記長を辞任し、同時に共産党中央委員会の解散を勧告、8月28日、ソ連最高会議はソ連共産党の活動を全面的に禁止する決議を採択し、同党は事実上の解体に追い込まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "連邦政府の中核を担い、そして連邦を一つにまとめ上げてきたソ連共産党が解体されたことにより、各共和国を統制することができる政府組織は存在しなくなり、各共和国の元首が独自に権力を持つようになった。そしてこれ以後、実権は各共和国の元首から構成される国家評議会に移っていくことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "9月6日、国家評議会はバルト三国の独立を承認した。新連邦条約締結に失敗したゴルバチョフ・ソ連大統領はこの間も連邦制維持に奔走し、11月14日、ロシア共和国とベラルーシ共和国、そして中央アジアの五つの共和国の元首との間で主権国家連邦を創設することで合意、また連邦への加盟を拒んでいる残りの共和国への説得を続けた。しかし12月1日にはウクライナ共和国で独立の是非を問う国民投票が実施され、投票者の90.3%が独立を支持、当初は連邦制維持に賛成していたエリツィン・ロシア連邦共和国大統領も、5000万の人口を擁しソ連第2位の工業国であるウクライナが加盟しない主権国家連邦に、ロシア共和国が加入することは利益にならないとして、12月3日にウクライナ独立を承認しソ連崩壊の流れを決定づけた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "同年12月8日のベロヴェーシ合意において、ロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)が連邦を離脱して、新たに独立国家共同体(CIS)を創設し、残る諸国もそれにならってCISに加入した。12月17日、ゴルバチョフ大統領は1991年中に連邦政府が活動を停止することを宣言。12月21日、グルジアとすでに独立したバルト三国を除く11のソ連構成共和国元首がCIS発足やソ連解体を決議したアルマアタ宣言を採択、これを受けて12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、翌日には最高会議も連邦の解体を宣言、ソビエト連邦は崩壊した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "ソビエト社会主義共和国連邦は当時において世界一の広さを誇った国であった。そのために隣接していた国は東ヨーロッパ、北ヨーロッパ、中央アジア、東アジア、アメリカ大陸など幅が広い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "陸続きで隣接した国は、西はノルウェー、フィンランド、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、南はトルコ、イラン、アフガニスタン、モンゴル、中華民国(1949年以降は中華人民共和国)、北朝鮮(1948年以降)であり、海を挟んで南は日本(1945年以前は樺太および当時日本領だった朝鮮で国境を接していた)、東はアメリカ合衆国である。全域で寒波の影響が非常に強力なため、冬季は北極海に面したところや内陸部を中心に、極寒である。そのためなかなか開発が進まず、囚人を酷使した強制労働で多くの命が失われた。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "自動車道の開発は遅れたが雪に強い鉄道が発達しており、シベリア鉄道は超長距離路線であるにもかかわらず「共産主義はソビエト権力+全国の電化である」というレーニン以来の方針により電化が進んでおり、軍事輸送や貨物輸送に大いに役立った。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "長い国境のうちにはいくつかの領土問題を抱えており、1960年代には軍事紛争(中華人民共和国との間におけるダマンスキー島事件など)になったケースもある。海を隔てた隣国の一つである日本とは、第二次世界大戦から北方領土問題を持っており、この問題はロシア連邦になった現在も解決されていない。フィンランドにもカレリア地域の問題が残されている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "ソ連はヨーロッパとアジアをまたぐ国であったことから、ユーラシアや北アジアと呼ばれることが多い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "サッカーでカザフスタンは欧州の連盟に参加していることからヨーロッパとする見方があるが、トルコ、キプロス、イスラエルなどの西アジアの国々も加盟しており、まったくこれは論拠にならない。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ソ連時代にいわゆる公用語も存在しなかった。すなわちロシア語はソ連の公用語ではなかった。レーニンがオーストロ・マルキシズムやカウツキーの影響のもと、1914年の論文『強制的な国家語は必要か?(Нужен ли обязательный государственный язык?)』において国家語の制定を批判し、スターリンも民族問題の専門家として民族語奨励政策を採用している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "当初はバルト三国やモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国は構成国ではなかったが、ソ連のバルト三国侵攻やルーマニアから奪ったモルダウィアは1940年に構成国のひとつとなる。 構成共和国には、ソビエト連邦から自由に離脱する権限が憲法で認められていた。しかし、実際に連邦から離脱するための手続きを定めた法律はなく、ソビエト連邦の末期にゴルバチョフが定めた連邦離脱法は構成共和国が連邦離脱を希望する場合、5年の移行期間を設けるなど、きわめてハードルの高いものであった。このためバルト三国は連邦離脱法を無視し、1990年に独立することとなる。 その後はウクライナやベラルーシ、中央アジアの五ヶ国、コーカサス、モルドバも離脱していき、CISの結成でロシア連邦が成立。ただし、ロシアは国際連合安全保障理事会常任理事国を継承しているため、ソ連はロシアと同意義ともされやすい。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "国際連合にはソビエト連邦そのものとは別枠でウクライナ・ソビエト社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国が独自に加盟していたため、ソビエト連邦は国連において、事実上3票を投じることができるに等しかった。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "特に記述のないものはロシアSFSR", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦は超大国であったが軍事や核兵器以外の産業は遅れており、エネルギーの効率や環境対策も遅れていた。そのため汚染地域が多く、ジェルジンスク、ノリリスク、スムガイト(現在はアゼルバイジャン)、チェルノブイリ(同ウクライナ)はきわめて汚染が酷かった。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "特にチェルノブイリ原子力発電所事故では広島型原爆の約500発分の放射性降下物がまき散らされ、多くの被災者が出た。核実験場のあったセミパラチンスク(現在はカザフスタン・セメイ)では120万人がいわゆる死の灰を受け、30万人が後遺症の深刻な被害を受けている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "1940年代にソビエト連邦は「自然改造計画」を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めた結果、1960年を境にアラル海の面積は急激に縮小し干上がることで、1970年代末には塩分濃度の上昇により魚がほとんど死滅し漁業が潰滅した。砂と塩を巻き上げる砂嵐には塩がたっぷりと含まれており、残留農薬や化学肥料、細菌兵器の残滓など人体に有害な物質が含まれておりぜんそくなどの呼吸疾患が大流行、植物は育たず死の砂漠となり人が住めず農業も成り立たなくなり、多くの村や町が消えていった。 ソ連崩壊後の2005年、カザフスタン政府はアラル海の消滅を食い止めようと、世界銀行などからの支援によってコカラル堤防を建設するなど取り組み北アラル海は回復傾向にあるが、ウズベキスタンの領有する南アラル海は、干上がった湖底で石油・ガスの採掘を行う計画を立てている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "間接代表制を拒否し、労働者の組織「ソビエト」(協議会、評議会)が各職場の最下位単位から最高議決単位(最高会議)まで組織されることで国家が構成されていた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ただし、こうしたソビエト制度が有効に機能した期間はほとんどないに等しく、実際にはソビエトの最小単位から最高単位まですべてに浸透した私的組織(非・国家組織)であるソビエト連邦共産党がすべてのソビエトを支配しており、事実上、一党独裁制の国家となっていた(ただし、ロシア革命直後のレーニン時代初期とゴルバチョフ時代は複数政党制であった)。こうした党による国家の各単位把握およびその二重権力体制はしばしば「党-国家体制」と呼ばれている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "この細胞を張り巡らせる民主集中制と計画経済を基礎とするいわゆるソ連型社会主義と呼ばれる体制は、アパラチキ(「器官」の意)による抑圧的な体制であり、言論などの表現や集会、結社の自由は事実上、存在しなかった。指導者選出のためのノーメンクラトゥーラ制度は縁故主義の温床となり、新たな階級を生み出した。一般の労働者や農民にとっては支配者がロマノフ朝の皇帝から共産党に代わっただけで、政治的には何の解放もされておらず、むしろロマノフ朝時代より抑圧的で非民主的な一党独裁体制であった。そのため実質的に最高指導者であるソビエト連邦共産党書記長は「赤色皇帝」(赤は共産主義を表す色)とも呼ばれる。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "スターリン時代からゴルバチョフが大統領制を導入するまで、名目上の国家元首は最高会議幹部会議長であったが、実権はソビエト連邦共産党書記長が握っていた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ブレジネフ以降は共産党書記長が最高会議幹部会議長を兼務するようになったが、最高会議幹部会議長の権限は儀礼的・名誉的なものであり、彼らの権力の源泉は支配政党である共産党の書記長職であった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "建国者のレーニンは秘密警察のチェーカーを設立し、即座に容疑者の逮捕、投獄、処刑などを行う権限を与えられ、これが粛清の引き金となった。チェーカーは建前上、党に所属するものとされていたが、実際にはレーニン個人の直属であったといっても過言ではない。チェーカーの無差別な処刑は、反体制派はともかく無関係の者までも日常的に処刑しており、時には罪状をでっち上げてまで処刑していた。レーニンは「ニコライの手は血に塗れているのだから裁判は必要ない」という理由で皇帝一家ともども処刑を行うなど法に対する姿勢がずさんであったために、歴史家ドミトリー・ヴォルコゴーノフは「ボリシェビキが法を守るふりさえしなくなった」契機だと批判した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "スターリン時代には密告が奨励されるなど、警察国家・全体主義国家としての色合いが強くなった。モスクワ裁判など形式的な裁判により多くの人々が有罪の判決を言い渡され、処刑されるか各地の強制収容所へ送られることになった。スターリンは、トロツキーやキーロフなどの政敵たちや党内反対派を殺すためにチェーカーを改名したGPU(ゲーペーウー)を用いた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "スターリン批判後には、このような抑圧的なシステムは幾分か緩和されることになったが、秘密警察のGPUが改編されたKGBとして存続し国民生活を強く監視する体制は残った。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "外交関係では、東側の社会主義陣営(ワルシャワ条約機構)の盟主として、アメリカ合衆国を筆頭とする西側の資本主義陣営(北大西洋条約機構)と対決していた(いわゆる冷戦)。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "成立当初はフランスやイギリス、アメリカ合衆国など大国の承認を得られず孤立したうえ、シベリア出兵等も行われ、またソビエト政府はバルト三国を攻撃した。 その後、モンゴルや東トルキスタンを衛星国とした。この頃からソ連は各国に承認されていく。特にアメリカはソ連経済への介入をはかりいち早く承認した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦始めにはバルト三国やフィンランドにも侵攻した。独ソ戦で侵攻してきたドイツを撃退・打倒した第二次世界大戦後に、東ドイツやチェコスロバキア、ブルガリアなどの東ヨーロッパ諸国を衛星国化させた。さらにユーゴスラビアが主導する非同盟諸国と呼ばれる中華人民共和国・インド・キューバ・エチオピア・エジプト・イラク・シリアなどのいわゆる第三世界と友好協力条約を結び、関係を持つ。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "経済相互援助会議(コメコン)ではメキシコ、モザンビーク、フィンランドといった非社会主義協力国もあった。東アジア(ベトナム、ラオス、北朝鮮など)、中南米(チリ、ニカラグアなど)、アフリカ(アンゴラ、リビア、コンゴなど)などでも「民族解放」「反帝国主義」「植民地独立」を唱える共産主義政権(専制政治が行われた政権もある)の成立に協力し、アメリカや西ドイツ、イギリスやフランスなどの西ヨーロッパ諸国、日本などの資本主義国と対峙した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦の軍事支援により、蔣介石率いる中国国民党(国民政府)との国共内戦に勝利した毛沢東率いる中国共産党によって1949年に建国された中華人民共和国とは、当初「向ソ一辺倒」を掲げ中ソ友好同盟相互援助条約により同盟関係にあったが、1960年代の後半には領土問題による軍事衝突(ダマンスキー島事件などの中ソ国境紛争)や指導層の思想的な相違の問題から中ソ対立が表面化する。両国間のこのような対立関係はその後、中華人民共和国における事実上の内乱である文化大革命が終結する1970年代後半まで続くことになる。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "そのような対立関係を見たアメリカ合衆国は、ソ連を牽制する意図で1970年代に入り急速に中華人民共和国に接近し、1979年には国交樹立(一方で中華民国とは国交断絶)に至ることになる。一方、中華人民共和国もアメリカの接近に応える形で、東側陣営にもかかわらず当時のモスクワオリンピックのボイコットとロサンゼルスオリンピックの参加という、西側と歩調を合わせる行動を取ることとなる。カンボジア内戦やアンゴラ内戦、オガデン戦争などのように米中ソ三つ巴となる代理戦争も発生した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "その後は、独裁体制を敷きソ連と対立していた毛沢東の死去と文化大革命の終焉、ゴルバチョフの訪中といった要因により、ソ連と中華人民共和国の関係も再び改善に向かった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "1959年1月に、キューバ革命でアメリカの支援を受けていた独裁者のフルヘンシオ・バティスタを政権の座から引きずり下ろしたフィデル・カストロは、当初米ソ両国との間で比較的中立な立場を取っていたものの、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権はキューバ革命後に産業の国営化を進めたカストロを「社会主義者的」と警戒し距離を置いた。同時にソ連が「アメリカの裏庭」にあるキューバの最高指導者となったカストロに援助を申し出たことから両国は急接近し、南北アメリカ大陸における唯一のソ連の友好国となる。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "その後、ジョン・F・ケネディ政権下でアメリカはキューバ侵攻を画策し、1961年に「ピッグス湾事件」を起こしたことから、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に武器の供与を要求しはじめた。しかしソ連は表立った武器の供与はアメリカを刺激しすぎると考え、キューバ軍への武器提供の代わりに軍事顧問団を置くほか、ソ連の核ミサイルをキューバ国内に配備する「アナディル作戦」を可決し、1962年にソ連製の核ミサイルをキューバに配備した。しかし、このことを察知したアメリカは、海軍艦艇によりキューバ海域を海上封鎖し、キューバに近づくソ連船舶に対する臨検を行うなど、キューバを舞台にしたアメリカとの軍事的緊張を引き起こした(いわゆるキューバ危機)。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "その後もソ連はその崩壊まで、キューバに対する軍事的支援のみならず経済的支援も活発に行い、キューバの主要産業であるサトウキビを破格の価格で買い取り、その見返りにキューバがその供給を完全に輸入に頼っている石油を与えるなどさまざまな支援を行い続けた。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "帝政ロシア時代に行っていた南下政策により日本やイギリスと衝突し、イギリスと日英同盟を結んでいた日本との間に日露戦争が起きて敗北した。第一次世界大戦時、ボリシェヴィキ政権の成立後に、他の連合国(三国協商)を無視して対独単独講和を行ったため、ドイツ兵の通過を許可するのではないかとして、日本および中華民国(北京政府)から警戒されることとなった(日支共同防敵軍事協定)。ドイツへ資源供与するのではないかとして、イギリスおよびフランスからも警戒され、両国によってシベリア出兵を打診され、実際に出兵した日米と直接衝突することとなった。その後、連合国の擁護する臨時全ロシア政府を打ち負かしたものの、そのときに日本へと亡命した白系ロシア人らによって反ソ宣伝を広められた(反共主義#歴史)。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "日本の帝国議会は1922年の政変を受け、「露西亜政変及ビ西比利亜事変ノ為ヲ被リタル者等ノ救恤ニ関スル法律(ロシア政変及びシベリア事変の為を被りしたる者等の救恤に関する法律)」を成立させ、ロシアとシベリアからの引揚者に国債や現金を支給する措置をとった。救恤(きゅうじゅつ)とは、金品などを与えて救済するという意味である。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦の成立後、コミンテルン支部の中国共産党によって漢口事件を起こしたが、その後に反日運動を停止する方向で動いていた。しかし、中ソ紛争勝利後に、中国共産党によって朝鮮共産党に対し満洲にある日本領事館などへの襲撃を行わせた(間島共産党暴動)ほか、中国共産党によって満洲のソビエト化を計画していたが、関東州の日本警察によって計画を暴かれてしまう。その後、日本によって満洲事変を起こされ、満洲国が建国されてしまい、満洲国との国境などでたびたび日本と軍事的衝突を起こしていた(日ソ国境紛争)。中国共産党が朝鮮地方の普天堡を襲撃したり(普天堡の戦い)と、日本に対し赤色テロ活動を続けたりしていた。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中の1941年4月に日ソ中立条約が締結され、枢軸国と連合国という対立する陣営に所属しながらも国交を保ち続けていたものの、ヤルタ会議において連合国間で結ばれた密約を元に、1945年8月にこれを一方的に破棄し日本に宣戦布告し(ソ連対日宣戦布告)、日本が連合国に降伏したにもかかわらず侵略を続け千島列島・北方地域なども占拠した。そのうえ、多くの日本人捕虜を戦後の長い間シベリアなどに拘留して強制労働に処し、全収容者の一割以上が病気・事故により死亡している(シベリア抑留)。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "このような経緯による日本の反ソ感情に加え、第二次世界大戦後に吉田茂首相がアメリカとの同盟関係(日米同盟)を主軸とした外交を採用したことから、日ソ関係はしばらく進展がなかった。その後、西側諸国以外の国も重視した独自外交を模索する鳩山一郎へ政権が交代したことで、日ソ間での国交正常化の機運が生まれ、1956年に日ソ共同宣言を出して国交を回復し、ソ連が反対し続けていたために実現しなかった日本の国際連合加盟が実現した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "しかし、その後もソ連が北方領土を不法占拠し続けたことや、日本社会党などの左翼政党や反政府組織に資金援助を行うなど内政干渉を行っていたこと、さらに日本がアメリカの同盟国で連合国軍による占領の終了後もアメリカ軍の駐留が続いたこともあり(在日米軍)、関係改善は進展しないまま推移した。その一方で、与党の自由民主党所属の一部の議員は、自主的にソ連とのパイプを持ち日ソ関係が完全に断絶することはなかった。北洋漁業や北洋材の輸入、機械や鉄鋼製品の輸出など両国の経済関係はソ連の崩壊に至るまで続いた。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "亡命した白系ロシア人が満洲のハルビン市を中心に居住していた。崩壊した臨時全ロシア政府(オムスク政府)や白軍と関わりのある者によって、ザリヤやグンバオなどのソ連に批判的な白系露字新聞が執筆されており、白系ロシア人が中国や日本とともに反革命を計画していたため、ソ連は満洲に住む白系ロシア人に手を焼いていた(たとえば、中ソ紛争におけるハバロフスク議定書には、白系ロシア人に対する条項が含まれている)。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "大戦末期の1945年にソ連は満洲国に攻め込み(ソ連対日参戦)、満洲国を崩壊させ、満洲を共産化させて白系ロシア人を満洲の表舞台から追い出した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "1924年のジノヴィエフ書簡事件により、イギリスから警戒される。さらに1927年のアルコス事件によって、秘密文書がイギリスに漏れてしまう。その一方で、1941年7月には独ソ戦を受けて軍事同盟の条約を結ぶ。しかし、1960年にはイギリスに暗号文解読のためのアメリカのベノナ計画へと参加されてしまった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国とは、第二次世界大戦においては連合国軍における同盟国として協力関係にあり、武器の提供を受けるなど親密な関係にあった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "しかし、第二次世界大戦後は東側の共産主義陣営の盟主として、対する西側の資本主義の事実上の盟主となっていたアメリカ合衆国と、いわゆる「冷戦」という形で対立することになった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "このような関係の変化を受けて、1950年代における朝鮮戦争や1960年代におけるベトナム戦争など、いわゆる代理戦争という間接的な形で軍事的対立をしたが、全面的な核戦争に対する恐怖が双方の抑止力となったこともあり、直接的かつ全面的な軍事的対立はなかった。しかしベルリン封鎖やキューバ危機などでは全面的な軍事的対立の一歩手前まで行ったほか、U-2撃墜事件における領空侵犯を行ったアメリカ軍機の撃墜など、限定的な軍事的対立があったのも事実である。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "このような対立関係にあったにもかかわらず、冷戦下においても正式な国交が途絶えることはなく、双方の首都に対する民間機の乗り入れが行われていた。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、亡命とそれに伴う国家機密の流出や外貨流出などを防止することを主な理由として原則的に禁止されており、渡航先の国と国交があるか否かに関わらず当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、少なくとも個人単位の自由な旅行は不可能であった。これはソ連社会、および東側の社会主義体制の閉鎖性の象徴として西側の資本主義陣営から批判された。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "さらに、外国から帰国した旅行者は必ずといっていいほどに諜報部から尋問を受けるため、本人にはその意思がなくても外国で見たことを洗いざらい喋らねばならず、結果的にスパイをしてしまうというケースが多かった。他にも、アエロフロートのような民間航空会社や乗客が実際にスパイとしての役割を兼ねている場合もあった。ただし、経済相互援助会議(コメコン)加盟国同士での海外渡航は容易に可能であり、観光や就労、留学などさまざまな目的にて人的交流は存在した。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "西側諸国人との交際や結婚は多くの障害があり、特に幅広く指定された「国益に直接関係する者」や「国家機密に関わる者」の婚姻は禁じられていた。それでも一応、結婚自体は可能であったが(石井紘基のナターシャ夫人や川村カオリの母親のエレーナのように)、その時点でソ連社会での出世の道は途絶えたうえに、今度は配偶者の母国に出国するためのパスポート発給に長い年月を要した。これは西側の資本主義国に限らず、衛星国の人との結婚でさえも当局からさまざまな妨害を受けたといわれている。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "外国航路を運行する船舶や外国で演奏旅行をする楽団のみならず、海軍艦艇に至るまで、乗務員や楽団員の亡命を阻止し、外国における言論を監視するために必ずソ連共産党の政治将校が同行していた。それでもスポーツ大会や演奏会などでの亡命は個人や集団を問わず絶えなかった。しかし運よく移住できた場合でも、移住先の国家や社会からは「ソ連のスパイ」という疑念を持たれることが多く、決して安住の地とは言えなかった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "例外として、1950年代までのユダヤ人のイスラエル出国がある。ソ連政府はパレスチナでのイスラエル建国(1948年)を支持し、大戦からの復興途上にある自国からユダヤ人を平和的に減らせるこの移住政策を積極的に推進した。しかし、間もなくイスラエルがアメリカの強い支援を受け、対抗したアラブ諸国がソ連との関係を深めると、このユダヤ人移住も徐々に減っていった。1967年の第三次中東戦争で両国の国交は断絶し、以後、冷戦の終結まで集団出国はほとんど行われなかった。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "もう一つの例外として、ソ連政府の意に沿わない人間に対する国外追放があった。国家の安定や社会主義体制の発展の害となり、かつ国外での知名度が高いために国内での粛清や拘禁が困難な場合には、対象者の市民権やパスポートを奪い、西側諸国に強制追放した。これによりレフ・トロツキーやアレクサンドル・ソルジェニーツィンはソ連から出国したが、追放者の帰国を認めない点では、外国渡航禁止と同一の発想に立った政策であった。しかし政府の意に沿わない人間であっても、物理学者のアンドレイ・サハロフのような、軍事機密や技術の流出につながる人物は国外追放せずに、国内で軟禁したり流刑を科したりする形を取った。", "title": "外交関係" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国を筆頭とする西側諸国への対抗上、核兵器や核兵器を搭載可能な超音速爆撃機、ICBM(大陸間弾道ミサイル)や大陸間弾道ミサイルを搭載可能な原子力潜水艦、超音速戦闘機や戦車などを配備し、強力な軍事力を保持していた。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "1960年代に入り、東西間で核開発競争が過激化する中でソ連は超大型水素爆弾・AN602を製造する。通称「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるこの水素爆弾は広島型原爆の約3300倍の威力といわれ、第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の約10倍の威力ともいわれる単一兵器としては人類史上最大の威力を有していた。この時期にソ連が運用を開始した自動報復システムは、一つの些細な判断ミスでも世界規模の核戦争を引き起こしかねないことから「滅亡装置 (Doomsday device)」と呼ばれた。その危険性を示す実例として、1983年に監視システムのコンピュータが核ミサイル発射を誤報した事件がある。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "しかし、こうした強力な軍事力の維持は軍事費の増大をもたらして国家予算を圧迫し、その分、民生向けのインフラや流通システムなどの整備に遅れをきたし、結果的に国民経済を疲弊させた。1979年から10年続いたアフガニスタン侵攻は泥沼化し、何の成果も得られずに失敗した。多大な戦費を費やし多数の兵士の人命を失ったのみならず、ソビエト連邦の威信をも低下させ、結果的にソビエト連邦の崩壊を早めたとされる。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "東側陣営のワルシャワ条約機構の中心国となり、東ヨーロッパ諸国に基地を置き、ハンガリー動乱やプラハの春など衛星国での改革運動を武力鎮圧し、ワルシャワ条約機構の加盟国のみならず、中華人民共和国や北朝鮮、キューバや北ベトナムなど、世界中の反米的な社会主義、共産主義国に対して小銃から爆撃機に至るまで各種の武器を輸出した。現在でも第三世界には旧ソ連製の武器が大量に流通している。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "それだけでなく、自らの軍事技術をこれらの国に輸出したほかにも、将校などを派遣して軍事訓練を行い、これらの国における軍事技術の向上に寄与し、その中には、モスクワのパトリス・ルムンバ名称民族友好大学や各種軍施設などにおけるスパイやテロリストの養成や資金供与、武器の供与なども含まれている。朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争の際には、友好国側を積極的に支援した。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "冷戦期間を通じて、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国などの西側諸国や、南アメリカ、中東、アジア、アフリカ諸国の非社会主義政権国における社会主義政党や反政府勢力、非合法団体やテロ組織を含む反社会的勢力、反戦運動団体(その多くが事実上の反米運動であった)に対する支援を行い、その中には上記と同じく各種軍施設などにおけるスパイやテロリストの養成や資金供与、武器の供与なども含まれていた。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "航空宇宙技術では、アメリカとの対抗上、国の威信をかけた開発が行われた(宇宙開発競争)。人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功、ユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行の成功、宇宙ステーション「ミール」の長期間に渡る運用の成功などの宇宙開発のほか、世界初の原子力発電所オブニンスクを建設するなど、ソ連は人類の巨大科学に偉大な足跡を残している。現代のロケット工学や宇宙開発の基礎は、ソ連のコンスタンチン・ツィオルコフスキーが築いたものである。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "航空機でもミコヤン・グレビッチ設計局(ミグ)、イリューシン設計局、ツポレフ設計局などによって独創的な機構が開発され、自国での軍用機調達を可能とした他、衛星国への販売にも成功し、ソ連崩壊後にも保守部品販売による収益をもたらした。一方で経済効率や品質の向上には無頓着なままで、国内と衛星国以外ではほとんど採用されず、特に採算性を重視する民間機の採用は皆無であった。これらの宇宙研究や原子力研究は、関係者以外の立ち入りを許さず、地図にも記載されない閉鎖都市で行われることがあった。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "一方で、航空宇宙、土木、建築など国が推進する分野以外では遅れが目立った。特にスターリン時代では、科学的見地よりイデオロギーが優先されることがしばしばであり、特にトロフィム・ルイセンコの提唱したルイセンコ理論などにより、ソ連の農業は壊滅的な被害を受け、輸入国に転落した。計画経済による工場の建設や開発は、時として実情を無視したものとなり、利益面や環境面で失敗することもたびたびであった。このため、地域によっては土壌や河川に深刻な環境破壊が発生し、多くの人が健康被害を受けることになった。さらにチェルノブイリ原子力発電所事故に代表されるような官僚的な隠蔽体質はこれらの被害を表面上は覆い隠し、被害を拡大させた。特にアラル海の開発計画は20世紀最大の環境破壊と呼ばれる事態を引き起こした。時には土木工事などに「国家経済のための核爆発」が使用されることすらあった。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "原油など資源に依存する構造から重厚長大産業を重視したために「軽薄短小産業」に対応できず、半導体や集積回路、液晶技術でも大幅に遅れを取り、西側のようにコンピュータの急速な進歩と一般生活に至る本格的普及を実現することはできず、ハイテク分野で決定的に立ち遅れることとなった。軍事利用目的で東芝や日立製作所などの日本の民間メーカーから製品や技術を導入することもあった(東芝機械ココム違反事件)。特に半導体分野は2023年時点(ロシア連邦)でもアメリカやアジアに後れをとり、輸入頼みとなっている。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "宇宙食など国が推進する分野と関連がある研究テーマには資金が拠出されていた。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "ソ連では研究開発のために国立の研究機関が設立されたが、崩壊により資金不足に陥り、特許や技術を西側の企業に売却した例もある。また科学者や技術者が仕事を求め西側へ移住する頭脳流出により後の研究開発に支障を来した。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "経済面では計画経済体制が敷かれ、農民の集団化が図られた(集団農場)。医療費などが無料で税がまったくないことでも知られた。1930年代に世界恐慌で資本主義国が軒並み不況に苦しむ中、ソ連はその影響を受けずに非常に高い経済成長を達成したため、世界各国に大きな影響を与えた。しかし、その経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分されていた実態がその後に明らかになった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "ジョン・ケネス・ガルブレイスは「資本主義諸国が1930年代に大恐慌と不況にあえいでいたとき、ソ連の社会主義経済は躍進に躍進を続け、アメリカに次ぐ世界第二の工業国になった。そして完全雇用と社会保障をやってのけた」としながらも、1970年代には崩壊し始めたと総括している(しかし、1930年代当時のソ連経済の躍進の裏には、数百万人といわれる規模の強制労働従事者のほぼ無償の労働による貢献があった点を、ガルブレイスは見落としているか故意に無視していることに注意が必要である)。実際、1960年代以降は計画経済の破綻が決定的なものとなり、消費財の不足などで国民の生活は窮乏した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "流通の整備が遅れたため、農製品の生産が十分にあったとしても、それが消費者の手元に届けられるまでに腐敗してしまうこともあった。そのために闇市場のような闇経済や汚職が蔓延し、そのような中で共産貴族がはびこるという結果になった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "ソ連の農業は、気候条件の厳しさから農業に適した地域は比較的限られており、また各共和国にモノカルチュア的な生産を割り振ってきた結果、ウクライナやベラルーシ、ロシアの黒土地帯・コーカサス地帯などでは主要な作物は小麦等の穀類や飼料作物(ビートなど)、ジャガイモ、ヒマワリ、果樹、野菜、シベリアでは穀類が中心、極東では大豆、中央アジアは綿花であった。農業労働者たちは、集団農場と国営農場で計画経済のもとで定められた賃金でノルマを満たすだけの作業のみ従事させられていた。農作物の価格は国家が決定し、価格を調整するために補助金を支給していた。これらが労働意欲を減退させ、農業生産性を極端に低くし、1970年代からは肉類、穀物の恒常的な輸入国になり農業はソ連のアキレス腱になった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "ロシア革命時、農村は人口の80%を占めていた発などを含む「戦時共産主義」によって、荒廃し特にウクライナで数百万人ともいわれる餓死者を出した。そのため1921年に穀物の強制徴発を廃止した新経済政策「ネップ」により、農業は戦前の水準を回復したが穀物の調達は困難になっていった。そこで1928年、スターリンは、農業集団化を実施し低賃金で酷使される集団農場と国営農場に改編された。クラークとされた勤勉な農民900万人は追放され、半数は処刑され残りは強制収容所に送られた。穀物の調達量は増加したが生産は低下し、1931年から1933年にかけて700万人が餓死した。抵抗した農民たちも最終的には工業労働者となったり集団農場に組織されたりした。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "1941年に独ソ戦が始まると農村は壊滅的な打撃を受け、戦後も戦前と同様の経済体制を維持しながら戦後復興に着手したため、1946年から1947年かけて100万人以上が餓死し、多くが離農した。1953年、スターリンの死後、フルシチョフは、カザフスタンや西シベリアなどの未開墾地、耕作放棄地の開拓事業を提案し、処女地からの穀物の収穫が試みられた。1955年から数年の間は処女地の収穫物によって穀物の不足は一時的に解消されたが、ルイセンコ理論や農地の砂漠化で処女地が不作に陥ると穀物は再び欠乏し国外から輸入するようになった。フルシチョフ失脚後も集団農場の生産性は上がらず、1980年代には集団請負制を導入するも、コルホーズ内のわずかな自留地では支えきれない大量の食料をアメリカから輸入していた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "東西対立の世界構造の中で、軍需産業に高い技術と莫大な資金を投じることで軍民転換が遅れ、冷蔵庫や洗濯機、乾電池や電子レンジなどの国民生活に必要な電化製品や、石鹸や洗剤、シャンプーやトイレットペーパー、鉛筆やボールペンなどの一般消費財、たばこや清涼飲料水などの嗜好品の開発と生産、物流の整備は疎かにされ、西側諸国に比べ技術、品質ともに比べ物にならない低レベルの電化製品でさえ、入手するために数年待たなければいけないというような惨憺たる状態であり、これはリチャード・ニクソンとの台所論争でもアメリカから槍玉にされた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "さらにほとんどの電化製品や自動車の技術は、西側諸国の技術より数十年遅れていたといわれているうえ、その多くがフィアット(トリヤッチを参照)やパッカードなどの西側の企業と提携し、旧型製品の技術供与を受けたもの、もしくは西側製品の無断コピーや、第二次世界大戦時にドイツ国内から接収、略奪したオペルの生産工場施設からの技術の流用であった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "電化製品や一般消費財、嗜好品や自動車は、市場における競争に勝ち残るために西側諸国では頻繁に行われていた新製品の開発や市場投入、改良や価格改定はほとんど行われず、なにも改良されないまま30年以上にわたり同じ製品が製造されていた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "自動車の個人所有は共産党幹部などの限られた階級の人間に限られ、それ以外の階級のものが手にするためには、電化製品同様数年待たなければいけない状態であった。まして労働者階級がジルやヴォルガなどの高級車や、レオニード・ブレジネフなどが愛用したシトロエンなどの西側諸国からの輸入車を所有することは事実上不可能であった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "上記のように、電化製品や消費財、工作機械や自動車などの技術や品質が西側諸国のそれに対して決定的に劣っていたことから、西側諸国に対しての輸出は、農産物や魚介類などの第一次産品や、原油や天然ガスなどのエネルギー資源が主であった。通貨のルーブル自体が、国外で通貨としての価値が低かったこともあり、エネルギー資源の貿易がある国を除いては、西側諸国との貿易収支はおおむね赤字であったか非常に少ないものであった。また農産物などとの物々交換の形式とした例もあった。農産物により外貨獲得のため食料輸出輸入公団(S.P.I. Groupの前身)が西側にも輸出していたが、ウォトカは西側諸国ではカクテルベースとして人気があったことから、アメリカでのストリチナヤの販売権を得たペプシコは、ソ連国内で販売されるペプシコーラの濃縮液との物々交換で支払っていた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "衛星国や社会主義国との間の貿易は、それらの多くの国の外貨が乏しかったことや、ココムなどの貿易規制により西側諸国からの貿易品目が制限されていたことから、一次産品やエネルギー資源はもとより、西側諸国では相手にされなかった電化製品や消費財、工作機械から自動車、航空機などの軍事物資に至るまでが輸出された。1975年の国別工作機械生産額でもソ連は世界3位である。その多くが事実上の援助品とあるいは、相手国の一次産品とのバーター貿易など無償に近い形で供給された。1930年からペレストロイカ実施まで、商業手形が廃止されていたので流通・割引がなく、取引はゴスバンク(国有銀行)で集中決済された。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "西側諸国の電化製品や化粧品、衣類などの消費財の輸入、流通は原則禁止されていたものの、モスクワなどの大都市のみに設けられた「グム」などの外貨専用の高級デパートで入手することが可能であった。しかし実際にそれらを購入することができるのは外国人か共産党の上層部とその家族だけであった。そのため、マールボロのたばこやリーバイスのジーンズなど多くの西側製品が闇ルートで流通していた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "会計も社会主義に基づいて進められ、会計士は計画経済を進める最高国民経済会議のために働くこととなった。国営企業の会計責任者は、貸借対照表と会計報告書を作成して会計を組織する責任を負った。中央集権化と集団農場化が進んだ1930年代からは、スターリン主義者によって会計学は個別企業のみを対象にしていると批判され、スターリン主義に批判的な会計士は活動の場を奪われ、ソ連財務省と中央統計局が会計の指導と監督を行うようになった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "会計人は中央省庁の計画をもとに実務を行う簿記係と、上級機関に責任を持つ会計担当者に分かれた。経営の改善や専門家としてのイニシアティブを発揮する余地はなくなり、会計は硬直化した。1960年代からは経済改革による分権化が始まり、計画経済や企業管理において利潤・原価・価格・利子なども評価されるようになり、会計士は科学技術協会(HTO)に所属して専門家として活動した。HTOでは資本主義諸国の会計の取り入れも検討された。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "1980年代後半のペレストロイカから民営化や市場経済化が始まり、西側諸国との合弁企業で市場経済の会計が部分的に導入され、企業の営業秘密が認められた。1991年のソ連の崩壊後は市場経済化がさらに進み、ロシアでは公認会計士にあたる監査士が国家資格化された。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦はアメリカとは同レベルのGDPでなかったが、アメリカ以上に巨大な面積と資源で超大国としての地位を得ていた。アメリカと対等レベルの核兵器を保有しているとみられていたために、直接対決だと共倒れを招くために自国の軍事行動にアメリカを介入させることはできなかった。国内総生産、また1人あたりのGDPもアメリカの2分の1から3分の1ほどであった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら重工業投資と、軍事支出に資源を集中していた。1950年代に約15%だったソ連の投資率は、1980年代には30%に達し、軍事費率もある推定では1980年代中頃には16%に達していた。1970年代以降、コンピュータや半導体といったハイテク部門の重要性が増すと、重工業優先のソ連ではその技術を導入するのが困難となり、技術進歩率は停滞、ついには設備の老朽化と相まって1980年代には技術進歩率はマイナスに陥ってしまった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "ソ連の経済は1950年代から1960年代の初頭まで目覚しいペースでアメリカの国力を追い上げており、「20年以内にアメリカを追い抜く」というフルシチョフの強気の発言も信じられていたが、1960年代に入るとそのペースは一服したものの、1975年にソ連の相対的な国力は対米比45%と頂点に達した。しかしその後は衰退局面に入り、逆にアメリカとの相対的な国力の差は拡大していった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "ソ連崩壊後、ロシアの軍事力と経済力は急激に衰え、アメリカとは1人当たりのGDPと軍事費において大きく差をつけられた。さらに経済混乱の影響で、国民は社会保障を破壊されて苦しんだため、親米的でペレストロイカを行ったゴルバチョフを、「アメリカに魂を売った売国奴」や「国益を損ねた裏切り者」と酷評する者も少なくない。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "国民は自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていただけでなく、国外からの旅行者のソビエト国内における移動に大幅な制限があったため、国内外の交通に対する需要は非常に限られていた。鉄道網は、長距離や近距離を問わず軍事転用が容易なことから比較的整備が進んでいたが、西側諸国と違い個人所有の自動車の数が限られていたことから、高速道路やガソリンスタンド、レンタカー、タクシーなどの自動車インフラは貧弱なままであった。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、亡命と外貨流出を防ぐということを主な理由に原則的に禁止されており、また国交がある国であろうがなかろうが、当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、個人単位の自由な旅行は不可能であった。しかしながら、国力と友好関係を誇示することと外貨獲得を目的に、国外への航空機や船舶による定期便は比較的整備されていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "広大な国土は主に航空機によって結ばれていた。国内の航空路線網は、唯一にして最大の航空会社で、ナショナル・フラッグ・キャリアである国営のアエロフロート・ソビエト航空によって運行されており、長距離国際線から国内幹線、航空機によってのみアクセスが可能な僻地や、舗装された滑走路が整備されていない地方空港への運行が可能なように、超音速旅客機を含む大型ジェット機からターボプロップ機、小型複葉機や大型貨物機までさまざまな機材を運行していた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "使用機材のほとんどは、イリューシンやツポレフ、ヤコブレフなどの国産機材であったが、一部はチェコスロバキアやポーランドなど東側友好国の機材も導入されていた。有事にはそのまま軍事利用できるように、一部の機材は銃座が残されたまま運航されていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "同じく国際線もアエロフロートによってのみ運行されていたが、ソビエト国民の海外渡航や国外からの旅行者のソビエト国内における移動には大幅な制限があった。一方で、国力と友好関係を誇示することと、外貨獲得を目的に、イギリス、日本、アメリカなどの西側の主要国や東ドイツやポーランド、ブルガリアなどの東欧の衛星国、キューバやアンゴラ、北朝鮮などの友好国をはじめとする世界各国に乗り入れを行っていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "しかし、国力と友好関係を誇示することという主な目的から、完全に採算度外視で運行していたこともあり格安な航空料金で提供していたものの、その空港、機内サービスは西側諸国のものには遠く及ばなかったことから、西側諸国の多くでは格安な料金と劣悪なサービスでのみ知られていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "海外からは多くの友好国の航空会社がモスクワやハバロフスクなどの大都市を中心に乗り入れていたほか、アメリカ、イギリス、日本、西ドイツなどの西側諸国からも、パンアメリカン航空、英国海外航空や日本航空、ルフトハンザ・ドイツ航空などのナショナル・フラッグ・キャリア航空会社が乗り入れていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "西側諸国に乗り入れた際には、航路から外れて軍事基地や港湾施設の近くを飛ぶことも多々あったと報告されており、そのため日本でも航空自衛隊の基地と併設している千歳空港への乗り入れを拒否されていた。さらにイリューシンIL-76などは尾部に銃座を残したまま(銃は取り外されていた)運航されていた機材もある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "日本との間は日本航空とアエロフロートが東京(羽田空港、成田空港)、新潟(新潟空港)とモスクワ、ハバロフスク、イルクーツクとの間に定期便を運行しており、一部路線においては日本航空とのコードシェア運航も行われていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "シベリア鉄道を代表とする鉄道網によって各都市が結ばれていたほか、衛星国を中心とした近隣諸国に国際列車も運行されていた。モスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)などのいくつかの大都市には防空壕を兼ねた地下鉄網が整備されており、社会主義建設の成功を誇示する目的で、スターリン時代に建設された一部の駅構内は宮殿のような豪華な装飾が施されていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "個人による自動車の所有だけでなく、自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていたこともあり、西側諸国で行われていたような高速道路による国民の自由な移動は一般的なものではなかった。大都市の市街地にはトロリーバスを含むバス路線網が張り巡らされていた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦において公用語は規定されていないが、ロシア語が事実上の公用語となっていた。", "title": "連邦における国民と社会" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "他には構成共和国における母語が存在しており、ウクライナ語、ベラルーシ語、エストニア語、ラトビア語、リトアニア語、モルドバ語(実質的にはルーマニア語)、ウズベク語、タジク語、トルクメン語、カザフ語、キルギス語、アルメニア語、アゼルバイジャン語、グルジア語が用いられていた他、いくつかの少数民族の言語が話されていた。", "title": "連邦における国民と社会" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "日本記者クラブによるとソ連時代だけでなく、革命前のロシア帝国でも、ユダヤ人迫害はたびたび起きていたこと、ロシア帝政下で、ロシア帝国はユダヤ人はウクライナに定住させ、移動を禁止するなどの政策をとってきたこと、多くのユダヤ人がロシア帝国に不満を持っていたため、若いユダヤ人たちがロシア革命に参加したことは事実であると指摘している。", "title": "連邦における国民と社会" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "1948年のイスラエル建国まで、反ソ連(親ロシア帝国又は自民族国家独立活動家)の人々に反ユダヤ的立場を取る人が多かった背景には、ロシア帝国時代からロシア人からも差別されていた上に、当時自民族国家を持たなかったユダヤ人にはソ連の掲げた共産主義思想に共感する者が多く、彼らが共産主義者となったこと、マルクスだけでなく、ソ連の幹部にユダヤ人が多数いたことがある。そのため、白系ロシア人などのようにソ連に対する敵対行動せずとも反ソ連感情を持っていた非共産主義者の一般ロシア人は「ユダヤ人に母国を乗っ取られた」、ソ連に侵略された地域・国家の人々は「ユダヤ人に自国を侵略された」として、反ユダヤの思想となっていた。ソ連政府指導層におけるユダヤ人の割合は当時の他国を圧倒し、国内外のユダヤ人も資本主義を支持する富裕層以外はソ連にシンパシーを持つほどであった。ただし、1948年にイスラエルが建国されると、裕福でもないユダヤ人もソ連からイスラエルへ心が移っている。 更には、『資本論』を書いたマルクスはユダヤ人であり、第二次ロシア革命である十月革命でロシア帝国からソ連になり、成立した当初のレーニンの内閣のメンバーは半分以上がユダヤ系だった。", "title": "連邦における国民と社会" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "更にソ連という共産主義国家の誕生で、ソ連国内では宗教活動が制限された。そのため、ソ連が行き詰まると、ソ連国内の人々は再びロシア正教に救いを求めた一方で反ユダヤ主義が台頭した。ソ連の人々は経済の不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃さえ起こしていた。ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している。ソ連崩壊前後のロシアにおける反ユダヤ主義の台頭のため、イスラエルへの大移動がおこり、2016年4月時点イスラエルの人口は現在840万人に増えているが、そのうちロシアからの移民は120万人にも達し、人口の15%を占めるほどになっている。", "title": "連邦における国民と社会" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "ロシア革命によって世俗主義、無神論、唯物論を奉じるソビエト連邦が成立すると、ロシア帝国の国教であった正教(組織としてはロシア正教会のほか、ウクライナ正教会、グルジア正教会などを含む)は多数の聖堂や修道院が閉鎖され、財産が没収された。のちに世界遺産となるソロヴェツキー諸島の修道院群は強制収容所に転用された。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "聖職者や信者が外国のスパイなどの嫌疑で逮捕され、多数の者が処刑され致命した。初代の京都主教を務めた大主教アンドロニク・ニコリスキイは生き埋めの上で銃殺されるという特異な致命で知られる。モスクワ総主教ティーホンは当初、無神論を標榜するボリシェヴィキに対して強硬な反発を示していたが、想像以上に苛烈な弾圧が教会に対して行われていく情勢に対して現実的姿勢に転換し、ソヴィエト政権をロシアの正当な政府と認め一定の協力を行ったが、教会の活動はなお著しく抑圧された。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "1921年から1923年にかけてだけで、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、その他信徒多数が処刑された。1918年から1930年にかけてみれば、およそ4万2000人の聖職者が殺され、1930年代にも3万から3万5000の司祭が銃殺もしくは投獄された。1937年と1938年には52人の主教のうち40人が銃殺された。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "政府の迫害を恐れ多数の亡命者も出た。亡命者たちの中からはセルゲイ・ブルガーコフ、ウラジーミル・ロースキイ、パーヴェル・エフドキーモフ、イリア・メリア(メリアはグルジア人)など世界的に著名な神学者が輩出され、20世紀初頭まであまり知られていなかった正教の伝統が海外に知られるきっかけとなった。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "1931年にはスターリンの命令によって救世主ハリストス大聖堂が爆破された。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "1940年代に入ると、独ソ戦におけるドイツの侵攻に対して国民の士気を鼓舞する必要に駆られたスターリンは、それまでの物理的破壊を伴った正教会への迫害を方向転換して教会活動の一定の復興を認め、1925年に総主教ティーホンが永眠して以降、空位となっていたモスクワ総主教の選出を認めた(1943年)。この際にそれまで禁止されていた教会関連の出版物がきわめて限定されたものではあったものの認められ、1918年から閉鎖されていたモスクワ神学アカデミーは再開を許可された。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "ただし1940年代半ばにはソ芬戦争以後、ヴァラーム修道院のある地域がソ連領となったため、ヴァラーム修道院の修道士達はフィンランドに亡命し、この結果フィンランド正教会で新ヴァラーム修道院が設立されるなど、ソ連における正教弾圧は亡命者が出ることがないほどにまで緩和されたわけではない。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "スターリンの死後、フルシチョフは再度、正教会への統制を強化。緩やかかつ細々とした回復基調にあったロシア正教会は再度打撃を蒙り、教会数は半分以下に減少。以降、ソ連崩壊に至るまでロシア正教会の教勢が回復することはなかった。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "広大な国土の中でも、中央アジア地域ではイスラム教が大きな勢力を持っていたが、ソビエト連邦の成立とともに正教など他の宗教とともに弾圧されることとなり、ムスリム宗務局によって国家統制された。しかし人々の心の中の信仰心までは抑えることができず、他の宗教と同じくソ連崩壊後は教勢が回復した。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "信仰されていた地域に偏りはあったものの、全ソビエト連邦領内におけるイスラム教徒の人口は最終的に7000万人前後にも達し、総人口の実に4人に1人がイスラム教徒(もしくはイスラムを文化的背景に持つ人)で占められていた。この数字はイラン、トルコ、エジプトなどの総人口にも匹敵し、ソビエト連邦は総人口においても、国民に占める割合においても、非イスラム教国家としては最大級のムスリム人口を抱える国家となっていた。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "イスラムが多数派の地域以外のロシア連邦などの諸州においても、イスラムを背景に持った諸民族、特にタタール人、アゼルバイジャン人が全土に居住し、ソビエト連邦内のどの地域においても一定数のイスラム社会が存在していた。この点は同じ非イスラム教国でありながら全土にイスラム社会を内包しているインドや中国とも共通していた。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "ただソビエト連邦におけるイスラムは、中国やインドとは異なり、多数派民族と、文化、言語、血統、形質などを共有する集団、具体的に言えば、スラヴ系のロシア人などと文化や言語を共有する集団の間にはあまり広まらなかった。ソビエト連邦内のイスラムはあくまでテュルク系やイラン系、コーカサス系などの、(多数派民族であるロシア人から見た)異民族の間で主に信仰されていた。全土に幅広く分散していたイスラム系民族のうちタタール人の間にはスンナ派が多く、アゼルバイジャン人の間にはシーア派が多いため、両派が近い比率で全土に散らばっていたこともユニークである。この点はソビエト連邦崩壊後も、ロシア連邦において引き継がれている。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "社会主義のソ連政府は他の宗教と同様にユダヤ教も弾圧し、同国民の反ユダヤ感情も強かった。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "民衆の間ではソ連という共産主義国家の誕生で国内における宗教活動制限された影響で、ソ連の低迷は同国内の人々の中にロシア正教に救いを求めた人々が増加した一方で反ユダヤ主義も台頭した。ソ連誕生直後の指導部には多くのユダヤ人がいたことから「社会主義革命はユダヤ人の陰謀」とのデマも拡散し、第2次大戦中にもナチスによるユダヤ人迫害に加わる住民さえもいた。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "1939年の独ソ不可侵条約で東欧諸国の分割支配を決めると、東欧のユダヤ人は独ソ間に挟まれて行き場を失った。当時のポーランド共和国(現ベラルーシ含)から逃亡したユダヤ人は、ソ連が併合手前であったリトアニアから日本経由で第三国に逃れようとし、彼等を杉原千畝や根井三郎が救っている。ソ連の民衆はソ連への不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃などしていた。そのため、ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "正教のみならず、他のキリスト教であるカトリック教会(東方典礼カトリック教会を含む)、聖公会、プロテスタントも弾圧を受けた。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "日本の創価学会(日蓮仏教系)に関しては、ソ連国内における布教活動自体は認めなかったが、外交的および経済的見地から友好関係を保っていた。とりわけ池田大作会長(のちに名誉会長)が1974年以降にソ連訪問を繰り返すようになると、政府や党の要人が面会に応じるのが慣例だった。1974年、1975年の訪ソではアレクセイ・コスイギン、1981年の訪ソではニコライ・チーホノフ、1987年の訪ソではニコライ・ルイシコフ、1990年の訪ソではゴルバチョフと面会している。池田名誉会長と最高指導者との面会が行われたのはゴルバチョフ政権時代の1990年だった。", "title": "宗教" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "国内", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "上記のように外国の放送の傍受が禁止されていたうえ、テレビやラジオ、新聞などのマスコミによる報道は共産党の管制下に置かれ、国家や党にとってマイナスとなる報道は、1980年代にグラスノスチが始まるまで流れることはなかった。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "このような規制は外国の事件や、チェルノブイリ事故や大韓航空機撃墜事件のような国際的に影響がある事件に対してだけでなく、国内の政治、経済的な事件も、党幹部の粛清や地下鉄事故、炭鉱事故のような事件に至るまで、それが国家や党に対してマイナスの影響を与えると判断されたものはほとんど報道されることがなかったか、仮に報道されても国家や党に対して有利な内容になるよう歪曲されていた。そのため、西側の国でオリンピックなどがあると、そこで初めて真実を知ったソ連の選手や関係者がそのまま亡命希望するケースが頻発した。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "ロシア革命以前の支配者のニコライ2世やその家族を裁判なしに銃殺した真実を明らかにしようと、1979年に地質調査隊が皇帝一家の遺骨の発掘を行ったが、KGBに逮捕された事例がある。しかしソ連崩壊後にロシアでは70年以上も隠蔽されたこの事実が明らかになり、ロシア革命から80年を経た1998年に葬儀が行われた。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "国外", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "西側諸国の報道機関の特派員は基本的に国内を自由に取材、報道することは禁じられており、事前に申請が必要であったがその多くは却下され、たとえ許されたとしても取材先の人選や日程はすべてお膳立てされたものに沿わなければならなかった。モスクワオリンピックなどの国際的イベントや、西側諸国の首脳陣の公式訪問が行われる際にソ連を訪れた報道陣に対しては、このようなお膳立てされた取材スケジュールが必ず提供された。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "西側諸国の報道機関で働くソビエト人従業員も自主的に選択することは許されず、当局からあてがわれた者を受け入れるのみとされ、その多くが西側諸国の報道機関やその特派員の行動を当局に報告する義務を負っていた。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "国内における報道管制の一環として、共産党書記長などの党の要人が死去した際には、党による正式発表に先立ち、テレビやラジオが通常の番組を急遽停止し、クラシック音楽もしくは第二次世界大戦戦史などの歴史の映像に切り替わり、クレムリンなどの要所に掲揚されている国旗が半旗になるのが慣わしであった。このため、国民(と西側の報道機関)の多くは、テレビやラジオの番組が変更され、要所に掲揚されている国旗が半旗になるたびに、モスクワ市内の政府の建物や病院、軍施設などを訪れ情報収集に努めたうえに、これらの対応を見てどの階層の要人が死去したかを推測しあっていたといわれている。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "さらに党の要人が失脚した(もしくは粛清された)際にはその事実が即座に政府より正式発表されることはまれで、このため西側諸国の情報機関員や報道機関の特派員は、メーデーなどをはじめとする記念日のパレードの際にクレムリンの赤の広場の台の上に並ぶ要人の立ち位置の変化や、新聞やテレビ、ラジオニュースでの扱い回数や順番を観測し、失脚などによる党中央における要人の序列の変化を推測し、これを「クレムリノロジー」と呼んでいた。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦のプロパガンダは現代の手法を先駆けるものであり、ソ連は世界初の宣伝国家と呼ばれる(en:Peter KenezのThe Birth of the Propaganda State;Soviet Methods of Mass Mobilization 1985)。映画ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えから世界初の国立映画学校が作られ、セルゲイ・エイゼンシュテインがモンタージュを編み出したことにより、当時としては極めて斬新なものになり、その精巧さは各国の著名な映画人や、後にナチス政権下のドイツの宣伝相となるヨーゼフ・ゲッベルスを絶賛させた。宣伝映画を地方上映できるよう、移動可能な映写設備として映画館を備えた列車・船舶・航空機が製造・活用された(例:マクシム・ゴーリキー号)。看板やポスターではロシア・アヴァンギャルドから発展した力強い構図・強烈なインパクトのフォトモンタージュが生まれ、これは世界各国で模倣された。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "特にバベルの塔にも例えられる世界最大最高層の超巨大建築物を目指したソビエト・パレスは後世の建築家だけでなく、形態的にはイタリアやドイツ、日本などの建築に大きな影響を与えた。日本でもソビエト・パレスの計画を見て丹下健三が建築家を目指すに至った。当時世界一高い建造物であったオスタンキノ・タワーも完成させた。スターリンはモスクワをニューヨークのような摩天楼にするため、スターリン様式の建物を多く建設した。ソ連のプロパガンダはイワン・パヴロフやレフ・ヴィゴツキーなどの心理学者の理論に基づいていた点で先駆的だったと評するものもいる。ほかにもボリス・ロージングがブラウン管を使ったテレビを世界で初めて発案するなど、テレビの研究も活発だった。", "title": "言論・報道" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦における食文化は、社会主義体制の影響から壊滅的な打撃を受けてしまっていたものが散見される。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "ウォトカは輸出品として貴重な外貨をもたらした。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 204, "tag": "p", "text": "西側の嗜好品に対しても社会主義のイデオロギーによる排除が行われていたが、コカ・コーラに「反共的な飲み物」というレッテルを貼った一方で、ペプシの流通は許可されるなど、一様ではなかった。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 205, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦では上述されているように言論の自由や表現の自由がなかったため、文学者の中には亡命を余儀なくされる者や、ノーベル文学賞受賞のボリス・パステルナークのように受賞辞退を余儀なくされるもの、同じくノーベル文学賞受賞のソルジェニーツィンのように国外追放される者がいるなど、文化人にとっては受難が相次ぐ上に言論と表現の封殺が慢性化した状況が続いていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 206, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦では音楽教育制度が創設され、多くの才能ある作曲家や演奏家が輩出されていたが、その大部分はロシア人で占められていた。しかしながらウクライナ人やベラルーシ人、ユダヤ人、コーカサスエリアの出身者も音楽分野において重要な貢献を果たしており、それらの人物は主にクラシック音楽などで名曲を遺している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 207, "tag": "p", "text": "革命直後のソ連では革命的な前衛芸術が流行し、抽象芸術や構成主義が生まれ、ロシア・アヴァンギャルドは共産党のいわば公認芸術として革命思想を宣伝するプロパガンダポスターに広く採用された。当時のソ連は世界初の電子音楽機器テルミンが作られ、モンタージュ理論が生まれるなど前衛芸術の一大中心地と化しており、外国から不遇だった多くの前衛芸術家がソビエト連邦の建設に参加した。たとえば前述したソビエト・パレスの計画にはル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルスゾーン、オーギュスト・ペレ、ハンス・ペルツィヒといった新進気鋭のモダニズム建築家たちが関わった。レーニン自身もダダイストだったという学説も出ている(塚原史『言葉のアヴァンギャルド』)。フセヴォロド・メイエルホリドがアジ・プロ演劇手法の確立、古典の斬新的解釈に基づく演出、コメディア・デラルテ、サーカスなどの動きと機械的イメージを組み合わせた身体訓練法「ビオメハニカ」の提唱などを次々と行い、1920年代におけるソビエト・ロシア演劇はもとより20世紀前半の国際演劇に大きな影響を与えた(スターリン政権期にはスタニスラフスキー・システムがあった)。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 208, "tag": "p", "text": "スターリン政権下の1932年に行われたソ連共産党中央委員会にて「社会主義リアリズム」の方針が提唱されて以降は、1930年代前半のうちに文学や彫刻、絵画などあらゆる芸術分野の作家大会で公式に採用されるに至り、これにそぐわぬものは制限され、次第に衰退することを余儀なくされた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 209, "tag": "p", "text": "一方でバレエなどのロシアの伝統的な芸術は政府により潤沢な予算が投じられたことで高い水準を維持し、クラシック音楽でも、当局による制限を受けながらドミートリイ・ショスタコーヴィチらが作品を残し、エフゲニー・ムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団などが演奏を残している。バレエ団やオーケストラは共産主義の理想を広めるためとして海外公演を行っていたが、実際には外貨の獲得が主目的だったとされる。ソ連崩壊後は存続が難しくなり、オーケストラが改名したり団員が独立したりするなどして幽霊オーケストラが多数誕生した。アナトリー・ヴェデルニコフのように当局に迎合しない演奏家は海外公演を制限された。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 210, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦における祝日は、以下の通りである。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 211, "tag": "p", "text": "西側諸国で人気のあったロックンロールやヘヴィメタル、ジャズなどの音楽や、ハリウッド映画などの大衆文化は、「商業的で、退廃を招く幼稚なもの」として規制され、わずかに北ヨーロッパ諸国や西ドイツなどのポピュラー音楽や、衛星国や日本、イタリアなどの芸術的要素の高い映画のみが上映を許されていた。これに伴い、外国のラジオ放送を傍受することも禁止されていた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 212, "tag": "p", "text": "映画", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 213, "tag": "p", "text": "ゲーム", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 214, "tag": "p", "text": "アニメ", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 215, "tag": "p", "text": "社会主義体制が描かれている作品", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 216, "tag": "p", "text": "運動競技では国の威信をかけた強化策がとられ、選手育成プログラムによって育成させられた選手が、オリンピックで数多くのメダルを獲得していた。レスリング、アイスホッケー、サッカー、バレーボール、バスケットボール、ホッケー、体操競技の強豪国として知られ、オリンピックや世界選手権で多くのメダルを獲得した(オリンピック初参加後のメルボルンオリンピックから)。しかし崩壊後にそれらの選手の多くが人権を無視したトレーニングのみの生活と違法ドーピングによるものだったことが当事者の告白により明らかになった。それらの記録はいまもなお剝奪されずに現存している。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 217, "tag": "p", "text": "共産主義というシステム上、すべてのスポーツ選手が国家の管理下におけるステート・アマであるという位置づけであり、よって資本主義諸国のようなプロスポーツおよびプロ選手は存在しなかった。尚、プロ級の選手は大勢いた。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 218, "tag": "p", "text": "1980年に、ソビエト連邦の歴史上唯一の夏季オリンピックであるモスクワオリンピックが行われた。冷戦下ということもあり、国の総力を挙げてオリンピックの成功を目指したものの、前年に行われたアフガニスタン侵攻に対する抗議という名目で、日本や中華人民共和国、西ドイツ、アメリカなど西側諸国の多くがボイコットを行った。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 219, "tag": "p", "text": "そして、1984年に開催された次回のロサンゼルスオリンピックでは、1983年のアメリカ軍によるグレナダ侵攻への抗議という名目で、ソビエト連邦と東ドイツをはじめ、ソ連の衛星国である東側諸国の多くがボイコットを実行した。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 220, "tag": "p", "text": "識字率が30%であった革命直後から数十年で87%に改善させ、戦後にほぼ100%を達成させるなど基礎教育は充実していた。さらに国威発揚のため専門のトレーニングへの公的な補助が行われたが、第1回国際数学オリンピックは「下から2番目の6位」をという結果に指導部から叱責を受け、3年後の1962年からは高い成績を誇るようになる強豪国となった。参加者は国内の大学を卒業後に科学者や技術者として活動した。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 221, "tag": "p", "text": "マインドスポーツの中でも特にチェスは伝統的に盛んで、国民にとっても公認されている数少ない娯楽であったが、ソ連時代には国が管理するチェス学校が各地に建設され、体制が崩壊するまでは世界最高の水準を保っていた。国内選手権の開催や書籍の出版なども盛んだった。コンピュータチェスの研究も盛んで、第1回世界コンピュータチェス選手権でもソ連のプログラムが優勝し、人工知能の権威ジョン・マッカーシーとアラン・コトック率いるマサチューセッツ工科大学とソ連のモスクワ理論実験物理研究所によって行われた世界初のコンピュータ同士のチェス対戦でも勝っている。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 222, "tag": "p", "text": "チェス界ではプロとアマの区別がないため、ミハイル・タリやミハイル・ボトヴィニク、ガルリ・カスパロフなど、ソ連出身の選手が世界王者を長期にわたって独占していた。一時期は国際大会に出られなかったグランドマスター級の国内選手に対し、ソ連のチェス協会が「ソ連邦グランドマスター」という独自のタイトルを創設したこともあったが、次第にトップ選手ならば試合渡航も許可されるようになった。西側の大会で優勝し国威発揚に貢献するだけでなく、大会の賞金、指導対局の謝礼、執筆した棋書の印税など多くはないが貴重な外貨をもたらした。しかし有力選手がこれを利用して亡命することもあった。特にヴィクトール・コルチノイは亡命後「西側の選手」としてアナトリー・カルポフらソ連代表と国際大会で対戦したことがあり、ソ連側から非難を受けることとなった。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 223, "tag": "p", "text": "ソ連代表と西側の選手がチームで対戦することもあったが、特にボリス・スパスキーとアメリカ人のボビー・フィッシャーが対戦した1972年の世界王者決定戦は試合の進行をめぐり、クレムリンやホワイトハウスが介入するなど、政治的な問題にまで発展することがあった。敗れたスパスキーはその後の待遇悪化などで、1975年にはフランスへ亡命した。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 224, "tag": "p", "text": "体制崩壊後は西側へ拠点を移す選手もいたが、ウラジーミル・クラムニクなど、ソ連時代のチェス学校で教育を受けた選手が多数活躍している。旧東ドイツや近隣の東欧諸国でもソ連と似た状況にあった。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 225, "tag": "p", "text": "中華人民共和国ではスポーツの管理に関してソ連を手本としたため、半官半民の組織(中華全国体育総会)による統括やマインドスポーツを国家体育総局が管轄するなど影響が大きい。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 226, "tag": "p", "text": "サッカーはソビエト連邦で最も人気のあるスポーツの1つであった。サッカーソビエト連邦代表は1950年代から1960年代にかけて黄金期を迎えており、ステート・アマを採用したオリンピックでの活躍は目覚ましかった。1956年のメルボルンで金メダル、1972年のミュンヘン、1976年のモントリオール、1980年のモスクワでは銅メダルを獲得した。1988年のソウルはプロ解禁が行われた後であったが、金メダルを獲得しソ連代表の有終の美を飾った。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 227, "tag": "p", "text": "FIFAワールドカップでは、オリンピックほどの目立った活躍はないものの、1966 FIFAワールドカップではベスト4に進出するなど、しばしば上位に進出する強豪国として知られていた。またソ連の伝説的な選手であり、史上最高のゴールキーパーとされるレフ・ヤシンはワールドカップの最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞にその名を残しており往時の強さを偲ばせている。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 228, "tag": "p", "text": "UEFA欧州選手権での活躍も目覚ましく、1960年の第1回大会で優勝。その後も1964年、1972年、1988年で準優勝の成績を収めている。1988年の準優勝は同年のオリンピック金メダルと並んで、ソ連代表の有終の美を飾った。", "title": "スポーツ" } ]
ソビエト社会主義共和国連邦は、1922年から1991年までユーラシア大陸北部に存在した社会主義国家である。略称は、ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)、ソ連(ソれん)、ソビエト、ソ連邦など。 名目上は複数の共和国からなる連邦国家であったが、実際には末期まで高度に中央集権的な体制が敷かれており、1980年代後半まではソビエト連邦共産党による一党独裁国家であった。 最大かつ最も人口の多い共和国であるロシア共和国内のモスクワを首都とした。 他の主要都市は、ロシア共和国のレニングラード、ノヴォシビルスク、ウクライナ共和国のキエフ、白ロシア共和国のミンスク、ウズベク共和国のタシュケント、カザフ共和国のアルマアタであった。国土は22,402,200平方キロメートル、11の時間帯 (標準時)にまたがる当時世界最大の国であった。
{{Redirect|USSR}} {{基礎情報 過去の国 |略名 = ソビエト連邦、ソ連、ソビエト、ソ連邦、ソ、蘇 |日本語国名 = ソビエト社会主義共和国連邦 |公式国名 = {{lang|ru|'''Союз Советских Социалистических Республик'''}} |建国時期 = [[1922年]] |亡国時期 = [[1991年]] |先代1 = ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 |先旗1 = Flag RSFSR 1918.svg |先代2 = ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 |先旗2 = Flag of the Ukrainian SSR (1927-1937).svg |先代3 = 白ロシア・ソビエト社会主義共和国 |先旗3 = Flag of the Byelorussian SSR (1919).svg |先代4 = ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国 |先旗4 =Flag of Transcaucasian SFSR (1925-1936).svg |次代1 = ロシア |次旗1 = Flag of Russia (1991–1993).svg |次代2 = ベラルーシ |次旗2 = Flag of Belarus (1918, 1991–1995).svg |次代3 = ウクライナ共和国 (1991年-1996年) |次代3略 = ウクライナ |次旗3 = Flag of Ukraine (Soviet colors).jpg |次代4 = モルドバ |次旗4 = Flag of Moldova.svg |次代5 = ジョージア (国) |次代5略 = グルジア |次旗5= Flag of Georgia (1990–2004).svg |次代6= アルメニア |次旗6 = Flag of Armenia.svg |次代7 = アゼルバイジャン |次旗7 = Flag of Azerbaijan.svg |次代8= カザフスタン |次旗8= Flag of the Kazakh Soviet Socialist Republic.svg |次代9 = ウズベキスタン |次旗9 = Flag of Uzbekistan.svg |次代10 = トルクメニスタン |次旗10 = Flag of the Turkmen Soviet Socialist Republic (1973–1991).svg |次代11 = キルギス |次旗11 = Flag of the Kyrgyz Soviet Socialist Republic.svg |次代12 = タジキスタン |次旗12 = Flag of the Tajik Soviet Socialist Republic.svg |次代13 = エストニア |次旗13 = Flag of Estonia.svg |次代14 = ラトビア |次旗14 = Flag of Latvia.svg |次代15 = リトアニア |次旗15 = Flag of Lithuania (1988–2004).svg |国旗画像 = Flag of the Soviet Union.svg |国旗リンク = [[ソビエト連邦の国旗|国旗]] |国旗幅 = |国旗縁 = |国章画像 = State Emblem of the Soviet Union.svg |国章リンク = [[ソビエト連邦の国章|国章]] |国章幅 = |標語 = {{lang|ru|Пролетарии всех стран, соединяйтесь!}}<br />([[万国の労働者よ、団結せよ!|万国の労働者よ、団結せよ!]]) |標語追記 = |国歌 = [[インターナショナル (歌)|{{lang|ru|Интернационал}}]]{{ru icon}}<br />''インターナショナル''<br>{{small|''(1922–1944)''}}<br />{{center|[[File:Internationale-ru.ogg]]<hr />[[ソビエト連邦の国歌|{{lang|ru|Государственный гимн СССР}}]]{{ru icon}}<br />''初代 ソビエト連邦国歌''<br />{{small|''(1944–1955)''}} {{efn|ソビエト連邦では1922年の建国時から革命歌である『[[インターナショナル (歌)|インターナショナル]]』が[[国歌]]とされていたが、第二次世界大戦中の1944年には新たに『[[ソビエト連邦国歌]]』が制定され、この曲は1991年の[[ソビエト連邦の崩壊|ソビエト崩壊]]まで国歌として使用された。なお、2001年に制定された[[ロシア連邦国歌|ロシア連邦の国歌]]は『ソビエト連邦国歌』の旋律を受け継いだものである。}}<br />[[File:Gimn Sovetskogo Soyuza (1944 Stalinist lyrics).oga|State Anthem of The Union of Soviet Socialist Republics]]<hr/>''2代目 ソビエト連邦国歌''<br />{{small|''(1955–1977){{efn|1944年に制定された歌詞はスターリン崇拝や戦時色が強いとして、スターリン死後の1955年から1977年までは歌詞なしで演奏されたが、ソビエト連邦の法律上では1944年版の歌詞のままで変更は無かった。}}''}}<br />[[File:Soviet Anthem Instrumental 1955.ogg|Soviet_Anthem_Instrumental_1955]]<hr />''3代目 ソビエト連邦国歌''<br />{{small|''(1977–1991) {{efn|1977年に新しい歌詞が定められ、1991年のソビエト崩壊までこの国歌が使用された。}}''}}<br />[[File:Gimn Sovetskogo Soyuza (1977 Vocal).oga|Gimn Sovetskogo Soyuza (1977 Vocal)]]}} |位置画像 = Union of Soviet Socialist Republics (orthographic projection).svg |位置画像説明 = 1945年以後のソビエト連邦領(実効支配地域含む) |位置画像幅 = |公用語 = [[ロシア語]](事実上) |首都 = [[モスクワ]] |最高指導者等肩書 = [[ソビエト連邦の指導者の一覧|最高指導者]]<ref group="役職">ソビエト連邦においては、[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年)#共産党の指導的役割|1936年憲法126条]]で「[[党の指導性|党の指導的役割]]」が明記されており、[[国家元首]]である[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]]や、行政の長([[首相]]格)である[[ソビエト連邦の首相|人民委員会議議長]]ではなく、[[ソビエト連邦共産党書記長]]が[[最高指導者]]であった。</ref> |最高指導者等年代始1 = [[1922年]] |最高指導者等年代終1 = [[1924年]] |最高指導者等氏名1 = [[ウラジーミル・レーニン]]<ref group="役職">人民委員会議議長</ref> |最高指導者等年代始2 = [[1924年]] |最高指導者等年代終2 = [[1953年]] |最高指導者等氏名2 = [[ヨシフ・スターリン]]<ref group="役職">ソビエト共産党書記長、人民委員会議議長→閣僚会議議長</ref> |最高指導者等年代始3 = [[1953年]] |最高指導者等年代終3 = [[1953年]] |最高指導者等氏名3 = ([[ゲオルギー・マレンコフ]])<ref group="役職">閣僚会議議長</ref> |最高指導者等年代始4 = [[1953年]] |最高指導者等年代終4 = [[1964年]] |最高指導者等氏名4 = [[ニキータ・フルシチョフ]]<ref group="役職">ソビエト共産党第一書記、閣僚会議議長</ref> |最高指導者等年代始5 = [[1964年]] |最高指導者等年代終5 = [[1982年]] |最高指導者等氏名5 = [[レオニード・ブレジネフ]]<ref group="役職">ソビエト共産党第一書記→書記長、最高会議幹部会議長</ref> |最高指導者等年代始6 = [[1982年]] |最高指導者等年代終6 = [[1984年]] |最高指導者等氏名6 = [[ユーリ・アンドロポフ]]<ref group="役職">ソビエト共産党書記長、最高会議幹部会議長</ref> |最高指導者等年代始7 = [[1984年]] |最高指導者等年代終7 = [[1985年]] |最高指導者等氏名7 = [[コンスタンティン・チェルネンコ]]<ref group="役職">ソビエト共産党書記長、最高会議幹部会議長</ref> |最高指導者等年代始8 = [[1985年]] |最高指導者等年代終8 = [[1991年]] |最高指導者等氏名8 = [[ミハイル・ゴルバチョフ]]<ref group="役職">ソビエト共産党書記長、[[ソビエト連邦大統領]]</ref> |元首等肩書 = [[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|国家元首]] |元首等年代始1 = [[1922年]] |元首等年代終1 = [[1946年]] |元首等氏名1 = [[ミハイル・カリーニン]](初代)<ref group="役職">中央執行委員会議長(ロシア代表)→最高会議幹部会議長</ref> |元首等年代始2 = [[1988年]] |元首等年代終2 = [[1991年]] |元首等氏名2 = [[ミハイル・ゴルバチョフ]](最後)<ref group="役職">最高会議幹部会議長→最高会議議長→[[ソビエト連邦大統領]]</ref> |首相等肩書 = [[ソビエト連邦の首相|首相]] |首相等年代始1 = [[1923年]] |首相等年代終1 = [[1924年]] |首相等氏名1 = [[ウラジーミル・レーニン]](初代)<ref group="役職">人民委員会議議長</ref> |首相等年代始2 = [[1991年]] |首相等年代終2 = [[1991年]] |首相等氏名2 = [[イワン・シラーエフ]](最後)<ref group="役職">国民経済管理委員会委員長</ref> |面積測定時期1 = 1922年 |面積値1={{要出典|範囲=32,553,129|date=2021年6月19日}} |面積測定時期2 = 1933年 |面積値2 = 21,352,572{{efn|ヨーロッパが4,236,843km{{sup|2}}、アジアが17,115,729km{{sup|2}}。}} |人口測定時期1 = 1933年 |人口値1 = 163,166,100{{efn|ヨーロッパが109,254,300人、アジアが37,759,300人。}} |人口測定時期2 = 1970年 |人口値2 = 242,768,000 |人口測定時期3 = 1991年 |人口値3 = 293,047,571 |変遷1 = [[十月革命]] |変遷年月日1 = [[1917年]][[11月7日]] |変遷2 = 建国 |変遷年月日2 = [[1922年]][[12月30日]] |変遷3 = 承認 |変遷年月日3 = [[1924年]][[2月1日]] |変遷4 = [[一党独裁制|一党独裁体制]]の放棄 |変遷年月日4 = [[1990年]][[3月14日]] |変遷5 = [[ソ連8月クーデター|8月クーデター]] |変遷年月日5 = [[1991年]][[8月19日]] - [[8月22日|22日]] |変遷6 = [[ソビエト連邦共産党|ソビエト共産党]]の解散勧告 |変遷年月日6 = [[1991年]][[8月24日]] |変遷7 = [[ソビエト連邦の崩壊|解体]]消滅 |変遷年月日7 = [[1991年]][[12月26日]] |通貨 = [[ソビエト連邦・ルーブル]] |通貨追記 = |時間帯 = +2 - +13 |夏時間 = なし |時間帯追記 = |ccTLD = [[.su]] |ccTLD追記 = |国際電話番号 = |国際電話番号追記 = |面積測定時期3 = 第二次世界大戦後 |面積値3 = 22,402,200 |現在 = {{RUS}}<br>{{BLR}}<br>{{UKR}}<br>{{MDA}}({{flagicon|沿ドニエストル}}[[沿ドニエストル共和国]]を含む) <br>{{GEO}}<br>{{ARM}}<br>{{AZE}}<br>{{KAZ}}<br>{{UZB}}<br>{{TKM}}<br>{{KGZ}}<br>{{TJK}}<br>{{EST}}<br>{{LVA}}<br>{{LTU}} }} '''ソビエト社会主義共和国連邦'''(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、{{lang-ru|Союз Советских Социалистических Республик}} {{audio|Ru-Союз Советских Социалистических Республик.ogg|発音|help=no}}、[[頭字語]]: {{lang|ru|СССР}}{{efn|[[ロシア語のラテン文字表記法]]においては『SSSR』となる}})は、[[1922年]]から[[1991年]]まで[[ユーラシア#ユーラシア大陸|ユーラシア大陸]]北部に存在した[[社会主義国|社会主義国家]]である。[[略語|略称]]は、'''ソビエト連邦'''(ソビエトれんぽう)、'''ソ連'''(ソれん)<ref>{{Cite web|和書|title=ソ連とは何だったのか あの「崩壊」から30年、大著で迫る全体像:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7DSKQ1SUCVL040.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2022-01-28 |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>、'''ソビエト'''、'''ソ連邦'''など。 名目上は[[ソビエト連邦構成共和国|複数の共和国]]からなる[[連邦|連邦国家]]であったが、実際には末期まで高度に[[中央集権]]的な体制が敷かれており、[[1980年代]]後半までは[[ソビエト連邦共産党]]による[[一党独裁制|一党独裁]]国家であった。 最大かつ最も[[人口]]の多い[[共和制|共和国]]である[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ロシア共和国]](現:[[ロシア|ロシア連邦]])内の[[モスクワ]]を首都とした。 他の主要都市は、ロシア共和国の[[サンクトペテルブルク|レニングラード(現:サンクトペテルブルク)]]、[[ノヴォシビルスク]]、[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナ共和国]]の[[キーウ|キエフ(現:キーウ)]]、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|白ロシア共和国]]の[[ミンスク]]、[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベク共和国]]の[[タシュケント]]、[[カザフ・ソビエト社会主義共和国|カザフ共和国]]の[[アルマトイ|アルマアタ(現:アルマトイ)]]であった。[[国土]]は22,402,200平方キロメートル、11の[[時間帯 (標準時)]]にまたがる当時世界最大の[[国]]であった。 == 概要 == {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦の概要|en|Outline of the Soviet Union}}}} ソビエト連邦は、1917年に[[ウラジーミル・レーニン]]率いる[[ボリシェヴィキ]]が、[[2月革命 (1917年)|二月革命]]により成立した[[ロシア臨時政府]]を転覆した[[十月革命]]を起源とする。ボリシェヴィキは[[ソビエト連邦の憲法|憲法]]で保障された世界初の[[社会主義国|社会主義国家]]である[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ロシア社会主義ソビエト共和国]]を樹立したが、十月革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの[[赤軍]]と、[[白軍]]に代表される反ボリシェヴィキの諸勢力との間で行われる[[ロシア内戦]]へと発展した。 ボリシェヴィキを脅威と見る[[協商国のロシア内戦への介入|協商国による干渉]]を受けつつも、赤軍は1920年までに内戦での勝利を決定的なものとし、十月革命後ロシア共和国からの分離独立を果たしていた諸地域(ウクライナなど)を1921年までに占領して、ボリシェヴィキが代表を務めるソビエト政権を樹立した{{sfn|下斗米|2011|pp=25-28}}<ref name="br1" />。ボリシェヴィキは旧[[ロシア帝国]]領の再統合を企図し、1922年12月30日にロシア、[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナ]]、[[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国|ザカフカース]]、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|白ロシア(ベラルーシ)]]の4つのソビエト共和国から成るソビエト連邦(以下ソ連)を成立させた{{sfn|下斗米|2011|pp=25-28}}<ref name="br1" />。 1924年のレーニンの死後に党内闘争を経て[[ヨシフ・スターリン]]が政権を掌握し<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/topics/russia/joseph-stalin |title=Joseph Stalin - Biography, World War II & Facts - History |accessdate=6 December 2021 |date=12 November 2009}}</ref>、共産党内部で反対派を[[弾圧]]し、[[計画経済]]体制を確立した。その結果、急速な工業化と[[コルホーズ|強制的な集団化]]の時期を迎え、著しい[[経済成長]]を遂げたが、[[ソビエト大飢饉 (1932年-1933年)|1932年から1933年にかけて人為的な飢饉]]を引き起こした。また、収容所制度もこの時期に拡大した。スターリンはまた、政治的パラノイアを煽り、軍事指導者、共産党員、一般市民を問わず大量に逮捕し、強制労働場に送られるか死刑を宣告することによって、自分の実際の敵、認識上の敵を党から排除する[[大粛清]]を実施した。 1939年8月23日、[[西側諸国]]との反[[ファシズム|ファシスト]]同盟の構築に失敗した後、ソ連は[[ナチス・ドイツ]]と[[独ソ不可侵条約|不可侵条約]]を締結した。[[ポーランド侵攻|第二次世界大戦の開戦]]後、中立国だったソ連は、[[ポーランド]]、[[リトアニア]]、[[ラトビア]]、[[エストニア]]の東部地域を含む[[東ヨーロッパ|東欧]]諸国に侵攻し、領土を併合した。1941年6月、[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]が[[バルバロッサ作戦]]によりソ連領を侵略し、[[独ソ戦]]が幕を開けた。[[スターリングラード攻防戦]]などで[[枢軸国]]と交戦する過程で、ソ連の戦死者が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の死傷者の大半を占めた。ソ連軍は最終的に[[ベルリンの戦い|ベルリンを占領]]し、1945年5月9日、ヨーロッパでの第二次世界大戦に勝利した。赤軍が制圧した地域は、[[東側諸国]]の[[衛星国]]となった。1947年、東西[[冷戦]]が勃発し、東側諸国は西側諸国と対峙し、西側諸国は1949年には[[北大西洋条約機構|NATO]]に統合されることになる。 1953年、スターリンの死後、[[ニキータ・フルシチョフ]]の指導のもと、[[非スターリン化]]、{{仮リンク|雪どけ (冷戦期の国際関係)|en|Khrushchev Thaw|label=雪どけ}}と呼ばれる時期が訪れた。何百万人もの農民が工業化された都市に移動し、国は急速に発展した。ソ連は、[[スプートニク1号|史上初の人工衛星]]と[[ボストーク1号|人類初の宇宙飛行]]、他の惑星である[[金星]]への[[ベネラ7号|初の探査機の着陸]]により、[[宇宙開発競争]]で早くから主導権を握った。1970年代、米国との関係は一時的にデタント状態になったが、1979年に[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソ連がアフガニスタンに軍を展開]]すると緊張が再開された。この戦争で経済資源が枯渇し、それに合わせるように[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ムジャーヒディーン|ムジャヒディン]]戦闘員への軍事援助がエスカレートしていった。 1980年代半ばに、ソ連最後の指導者[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が、''[[グラスノスチ]]''と''[[ペレストロイカ]]''という政策で、さらなる改革と経済の自由化を目指した。その目的は、共産党を維持しつつ、経済の停滞を逆転させることだった。彼の在任中に冷戦が終結し、1989年には[[中央ヨーロッパ|中]]・東欧の[[ワルシャワ条約機構]]諸国がそれぞれの[[東欧革命|マルクス・レーニン主義体制を打破]]した。ソ連全土で強力な民族主義・分離主義運動が勃発した。ゴルバチョフは、リトアニア、ラトビア、エストニア、アルメニア、グルジア、モルドバがボイコットした国民投票を実施し、過半数の国民がソ連を[[新連邦条約|新たな連邦]]として存続することを支持する結果となった。1991年8月、共産党の強硬派による[[ソ連8月クーデター|クーデター]]が発生したが、ロシア共和国大統領[[ボリス・エリツィン|エリツィン]]を中心に阻止され、失敗に終わった。その結果、共産党への信頼は失墜し、ロシアとウクライナを中心とする共和国が独立を宣言した。1991年12月25日、ゴルバチョフが辞任した。[[ソビエト連邦の崩壊]]により、すべての共和国が[[NIS諸国|ポストソビエトの独立国]]として誕生した。[[ロシア|ロシア連邦]]はソビエト連邦の権利と義務を引き受け、世界情勢においてその継続的な法的人格として認識されている。 ソ連は、社会的・技術的に多くの重要な成果を上げ、軍事力に関しても革新的なものを生み出した。日本やイギリス、西ドイツに抜かれるまでは世界第2位の経済力と世界最大の常備軍を誇り、[[核保有国の一覧|公式核保有国]]である5か国の1つとして[[核拡散防止条約|認識]]されていた。[[国際連合安全保障理事会|国連安全保障理事会]]の創設[[国際連合安全保障理事会常任理事国|常任理事国]]であり、[[欧州安全保障協力機構|OSCE]]、[[世界労働組合連盟|WFTU]]、[[経済相互援助会議]]、[[ワルシャワ条約機構]]の主要国であった。 ソ連は[[第二次世界大戦]]後、解散するまでの40年間、米国と並ぶ世界の超大国の地位を維持していた。「[[ソビエト帝国]]」とも呼ばれ、軍事力や経済力、[[代理戦争]]、[[開発途上国|発展途上国]]への影響力、[[宇宙技術]]や兵器を中心とした科学研究への資金提供などで、東中欧をはじめ世界的に[[覇権]]を行使していた<ref name="auto">{{Cite web |url=https://www.loc.gov/exhibits/archives/sovi.html |title=The Soviet Union and the United States – Revelations from the Russian Archives {{!}} Exhibitions – Library of Congress |date=15 June 1992 |website=www.loc.gov |accessdate=12 November 2017 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170915012329/http://www.loc.gov/exhibits/archives/sovi.html |archivedate=15 September 2017}}</ref><ref name="auto2">{{Cite book|last=Wheatcroft, S. G.|last2=Davies, R. W.|last3=Cooper, J. M.|pages=30–2|title=Soviet Industrialization Reconsidered: Some Preliminary Conclusions about Economic Development between 1926 and 1941|publisher=[[Economic History Review]]|year=1986|url=https://books.google.com/books?id=m-voAAAAIAAJ|isbn=978-0-7190-4600-1|volume=39|issue=2}}</ref>。 == 名称 == ===国名の由来=== ソビエト({{lang-ru-short|Совет}})というロシア語は「[[評議会]]」の意味{{efn|それとは別に{{lang|ru|совет}}には「助言」({{lang-en-short|advice}})という意味もある。}}をもち、[[スラヴ祖語]]のvět-iti(「知らせる」)の動詞語幹から派生したものである。労働者の代表による評議会としての「[[ソビエト]]」は、1905年の[[ロシア第一革命]]の中で初めて出現した{{sfn|Pons|2010|p=763}}{{sfn|Mccauley|2014|p=487}}。それらのソビエトは帝国政府によって速やかに解散させられたが、1917年の[[2月革命 (1917年) |二月革命]]による帝政の崩壊後、ロシア各地で労働者や兵士がソビエトを組織し、首都ペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトはロシア臨時政府に対抗し得る権力を有した{{sfn|Pons|2010|p=763}}<ref name="br1">{{cite encyclopedia |url=https://www.britannica.com/place/Soviet-Union |title=Soviet Union |encyclopedia=Encyclopædia Britannica |last1=Dewdney|first1=John C. |last2=Conquest |first2=Robert |last3=Pipes|first3=Richard E. |last4=McCauley|first4=Martin |access-date=29 December 2022 }}</ref>。この二重権力状態の中で、ボリシェヴィキは「全権力をソビエトへ」のスローガンを掲げて臨時政府と対立し、1917年10月(旧暦)にはソビエトの名の下に武装蜂起を実行して臨時政府から権力を奪取した([[十月革命]])<ref>{{cite encyclopedia |url=https://www.britannica.com/event/April-Theses |title=April Thesis |encyclopedia=Encyclopædia Britannica |access-date=30 December 2022 }}</ref>。1918年1月、ボリシェヴィキは「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」の建国を宣言し、1922年12月30日には同国と他のソビエト共和国を統合する連邦国家として「'''ソビエト社会主義共和国連邦'''」を成立させた<ref name="br1"/><ref>{{cite book|last=Service|first=Robert|title=A History of Modern Russia from Nicholas II to Vladimir Putin |publisher=Harvard University Press |year=2005|pages=84, 132|isbn=9780674018013}}</ref>。ソビエト連邦の政治基盤は人民の代表によるソビエトと[[ソビエト連邦の憲法|憲法]]で定められていたが、実際の政治的権力はボリシェヴィキの後継である[[ソビエト連邦共産党|共産党]]によって掌握されていた<ref name="br1"/>{{sfn|下斗米|2011|pp=13-14}}。([[ソビエト連邦#政治]]も参照) === 表記 === ロシア語表記の正式名称は'''{{lang|ru|Союз Советских Социалистических Республик}}'''{{efn|[[ラテン文字化|ラテン文字表記]]の例:{{lang|ru-Latn|Sojúz Sovétskikh Sotsyalistícheskikh Respúblik}}、{{IPA|sɐˈjus sɐˈvʲetskʲɪx sətsɨəlʲɪˈstʲitɕɪskʲɪx rʲɪsˈpublʲɪk}}、{{Audio|Ru-CCCP.ogg|発音}}}}。通称は'''{{lang|ru|Советский Союз}}'''{{efn|{{lang|ru-Latn|Sovétskij Sojúz}} サヴィェーツキイ・サユース}}で、国歌の歌詞にも使用されている。略称は'''{{lang|ru|[[wikt:СССР|СССР]]}}'''、またはラテン文字でSSSRとなるが、これは正式名称を音訳すると「Soyuz Sovietskikh Sotsialisticheskikh Respublik」となるためである。英語表記の正式名称は、'''{{en|Union of Soviet Socialist Republics}}'''、通称は'''{{en|Soviet Union}}'''、略称は'''USSR'''が用いられる。 [[日本語]]表記では「'''ソビエト社会主義共和国連邦'''」が用いられる。通称は、'''ソビエト連邦'''(「ソビエト」は「蘇維埃」「ソヴィエト」「ソヴィエット」「ソヴェト」「ソヴエト」「ソヴェート」「ソベート<ref>{{Cite book|和書 |title=哈爾濱商品陳列館パンフレット |publisher=露満蒙通信購読会}}</ref>」「ソブイエト<ref>{{Cite book|和書 |title=終戦記録 議会への報告書並に重要公文書輯 |publisher=朝日新聞社|date=1945-11}}</ref>」「ソウエト<ref>{{Cite book|和書 |title=ソウエト財政金融論 |publisher=新京 大学書房|author=高橋輝正|date=1933-10}}</ref>」「ソウェート」「ソウエート<ref>{{Cite book|和書 |title=ソウエート政府の聯盟加入問題 : 平和のためか?政治的取引? |publisher=国際思想研究会事務室}}</ref>」「ソウエット<ref name=sov>{{Cite book|和書 |title=ソウエット土地法 |publisher=国立国会図書館調査立法考査局}}</ref>」「ソウエツト<ref name=sov/>」「サウエト<ref>{{Cite book|和書 |title=戦旗. 3(4) |publisher=戦旗社}}</ref>」「サウェート<ref>{{Cite book|和書 |title=C.C.C.P : サウェート社会主義共和国聯邦 |publisher=アルス|author=他和律|date=1930}}</ref>」「サウエート<ref>{{Cite book|和書 |title=サウエート経済の実体 |publisher=千倉書房|author=米野豊実|date=1930}}</ref>」「サウエット<ref>{{Cite book|和書 |title=社會主義サウエット共和國聯邦商工銀行と聯邦の工業 |publisher=横濱正金銀行|date=1925-12}}</ref>」「サウィエート<ref>{{Cite book|和書 |title=五ケ年計画立往生 : サウィエート・ロシアの革命的実験は成功したか? |publisher=カール・カウツキー |translator=小池四郎 |date=1931}}</ref>」、より原語に近づけて「サヴィェート」とも)。略称は'''ソ連邦'''、'''[[wikt:ソ連|ソ連]]'''、または単に'''ソビエト'''や'''ソヴィエト'''ともする。[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字]]では'''蘇聯邦'''、'''蘇聯'''などと表記され、'''蘇'''と略される。 [[第二次世界大戦]]前は、[[ロシア帝国]]時代の[[神聖同盟]]のように「同盟」と訳した「ソ同盟(蘇同盟)」も使用されたが、ソ連自体が「{{lang|ru|Союз}} とは {{lang|ru|Федерация}}(連邦)である」と説明し、在日ソ連大使館も戦前から一貫して「連邦」の訳語を使用したことから{{efn|{{アジア歴史資料センター|C11080444900|大正15年6月17日 長門招待礼状}}、{{アジア歴史資料センター|B04120003800|4.蘇連邦大使館関税免除ノ件}}など}}、「連邦」が優勢となっている。 構成共和国の[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]と[[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国]]の国名にも「連邦」の文字が含まれるが、こちらは {{lang|ru|Союз}} ではなく {{lang|ru|Федерация}} の訳である。旧ソ連圏の統合を目指している[[ユーラシア連合]]や[[ユーラシア経済連合]]の {{lang|ru|Союз}} は「連合」と訳されている。日本語読みでは {{lang|ru|Союз}} は[[ソユーズ (単語)|ソユーズ]]で知られる。ソ連を構成した[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]と、その後継国家[[ロシア|ロシア連邦]]は「{{lang|ru|Федерация}}(連邦)」である。 ソビエト連邦は、国名に[[名詞|固有名詞]]([[地名]])を含まない世界でも希有な例であるが、連邦を構成する各共和国の[[国名]]には「ロシア・ソビエト連邦共和国」など地名が含まれている。 一部の西側諸国ではソビエト連邦全体を指して「ロシア」(Russia)と呼び続ける例も多かった。日本では'''労農ロシア'''<ref>[[青木節一]][{{NDLDC|2390925/30}} 『国際聯盟年鑑 1929 昭和4年版』](国立国会図書館デジタルコレクション)、朝日新聞社、25頁</ref>や'''赤露'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=15320&page=160 |title=(株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11) |publisher=[[渋沢栄一記念財団]]| accessdate=2020-7-27}}</ref>などとも呼ばれたが、「ソ連」「ソビエト」([[日本放送協会|NHK]]等)「ソビエト連邦」が一般化した。 == 歴史 == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の歴史|en|History of the Soviet Union}}}} {{ロシアの歴史}} === ロシア革命 === {{Main|ロシア革命|十月革命}} [[ファイル:19191107-lenin second anniversary october revolution moscow.jpg|thumb|left|十月革命2周年を祝う[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]、[[レフ・トロツキー|トロツキー]]、[[レフ・カーメネフ|カーメネフ]](1919年)。]] [[1917年]][[3月8日]]([[ユリウス暦|ロシア暦]]2月23日)に首都[[ペトログラード]]で起こった[[デモ活動|デモ]]に端を発する[[2月革命 (1917年)|二月革命]]により、[[ロシア帝国]]は崩壊して漸進的な改革を志向する[[ロシア臨時政府]]が成立した{{sfn|Le Blanc|2017|p=12}}。臨時政府は[[第一次世界大戦]]への参戦継続を決定したが、[[ドイツ軍]]との戦線はすでに破綻しており、国内の政治的混乱にも収拾のめどはついていなかった。他方、二月革命の中で労働者・兵士の代表による[[ソビエト]](会議、評議会)がロシア各地で組織され、中でも最大の影響力を持つ{{ill2|ペトログラード・ソビエト|en|Petrograd Soviet|label=ペトログラード労働者・兵士代表ソビエト}}と臨時政府の間では「二重権力」状態が生じた<ref name="br1"/>。 1917年8月、[[ラーヴル・コルニーロフ]]将軍が臨時政府に対する反乱を起こし、それがソビエトの力によって鎮圧されると、ソビエト内では[[ウラジーミル・レーニン]]率いる[[ボリシェヴィキ]]に対する支持が高まった<ref name=RR>{{Cite Kotobank|word=ロシア革命|encyclopedia=日本大百科全書(ニッポニカ)|accessdate=2022年8月14日}}</ref>。ボリシェヴィキは、かねてよりソビエトへの全権力の集中を訴え、戦争継続を主張する臨時政府との対決姿勢を露わにしていた<ref name=RR/>。同年10月、ボリシェヴィキは武装蜂起の方針を決め、11月7日(ユリウス暦10月25日)に首都ペトログラードのほぼ全域を制圧し、臨時政府から権力を奪取した(十月革命)。この11月7日が、ロシア革命記念日である。同日に開催された第2回全ロシア・ソビエト大会では、ソビエトによる体制の成立と、新政府である[[ソビエト連邦人民委員会議|人民委員会議]]の成立が宣言された。[[ロシアの首相|首相]]にあたる人民委員会議議長にはレーニン、外務人民委員には[[レフ・トロツキー]]、[[民族問題人民委員]]に[[ヨシフ・スターリン]]が就任している{{sfn|木村英亮|1996|pp=48-51}}。ソビエト政権は[[モスクワ]]近郊を制圧し、11月10日には[[左翼|左派]][[社会革命党]]を政権に取り込んだ。1918年1月10日からは第3回全ロシア・ソビエト大会が開催され、ロシアが[[労働者]]・[[兵士]]・[[農民]]のソビエトの共和国であると宣言され、連邦制をとるとした宣言が採択された([[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ロシア社会主義連邦ソビエト共和国]]){{sfn|木村英亮|1996|pp=52}}。 1918年3月、ボリシェヴィキは[[ドイツ帝国]]を含む[[中央同盟国]]と[[ブレスト=リトフスク条約]]を締結し、第一次世界大戦から離脱したが、以降は[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]による[[シベリア出兵]]の干渉戦争や、[[白軍]]など反革命勢力との[[ロシア内戦]] (1917-22) に対処することになった<ref>{{Cite Kotobank|word=ロシア革命|encyclopedia=日本大百科全書(ニッポニカ)|accessdate=2022年8月13日}}</ref>。一方で、[[ウクライナ人民共和国 (ソビエト派)|ウクライナ人民共和国]]や[[アゼルバイジャン]]の[[バクー・コミューン]]などボリシェヴィキ派のソビエト政権も各地で次々に樹立された{{sfn|木村英亮|1996|pp=60-65}}。これらの各政権は独立国であったが、ロシア・ソビエト政府の一部であると自らを定義することもあった{{sfn|木村英亮|1996|pp=75}}。 === ロシア内戦 === {{Main|ロシア内戦}} [[File:Ivan Vladimirov requisitioning.jpg!HD.jpg|thumb|200px|農民からの穀物の徴発。 {{ill2|Ivan Vladimirov|ru|Владимиров, Иван Алексеевич}}作。]] 十月革命の直後から始まった[[ロシア内戦]]は、1918年5月の[[チェコ軍団]]の反乱を契機に本格化した{{sfn|下斗米|2011|p=14}}。ソビエト政府は内戦中に経済政策として[[戦時共産主義]]を導入したが、これは農業と工業の崩壊を招き、数百万人の餓死者を出した{{sfn|木村英亮|1996|pp=67}}。土地の国有化によって[[地主]]階級も[[自作農]](フートル農、オートルプ農)も消滅し、[[三圃制]]にもとづく農村共同体が復活したが、農業生産には重大な打撃が生じた<ref name="p-r303-8">『世界各国史22 ロシア史』p.303-8</ref>。1918年5月の[[食料独裁令]]で農産物は国家専売とされ、自由取引は禁止された<ref name="p-r303-8"/>。[[第一次世界大戦]]後、経済復興のために農民は、十分な食料供給と生産が義務化された<ref name="p-r303-8"/>。1920年は凶作となり、重い負担に不満をもった農民は西シベリアや[[タンボフ州|タンボフ県]]で反乱を起こした<ref name="p-r309-12">『世界各国史22 ロシア史』p.309-12</ref>。1921-1922年には[[ロシア飢饉 (1921年-1922年)|ロシア飢饉]]が発生し、農民反乱の拡大が政権を脅かすことを懸念したレーニンは、1921年より戦時共産主義に代わる新経済政策([[ネップ]])を導入し、穀物の強制徴収は廃止され、部分的に市場経済が取り入れられた{{sfn|下斗米|2011|pp=25-28}}。 1920年、ロシア内戦におけるボリシェヴィキの勝利は決定的となった<ref name="br1"/>。1921年までに、[[赤軍]]は十月革命後ロシアから分離独立を果たしていた[[ウクライナ人民共和国|ウクライナ]]、[[ベラルーシ人民共和国|ベラルーシ]]、[[ザカフカース民主連邦共和国|ザカフカース]]の民族国家を侵攻し、占領することに成功した{{sfn|下斗米|2011|pp=25-28}}。同時に、ボリシェヴィキはそれらの地域([[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナ]]、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|ベラルーシ]]、[[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国|アゼルバイジャン]]、[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国|アルメニア]]、[[グルジア・ソビエト社会主義共和国|グルジア]]など)でソビエト政権を樹立した{{sfn|下斗米|2011|pp=25-28}}{{sfn|木村英亮|1996|pp=60-65}}。 === ソビエト連邦の成立 === [[ファイル:Soviet Union - Russian SFSR (1922).svg|thumb|1922年におけるソビエト連邦の一部としての[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ロシアSFSR]]]] ロシア内戦が収束に向かうと、各地のソビエト政権の間では統合への動きが強まった{{sfn|木村英亮|1996|pp=70}}。ロシア共産党の手によって各地の革命政権との統合が進行し、1920年にはロシア連邦共和国と[[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国|アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国]]の間で、緊密な軍事的・政治的な同盟条約が締結され、[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナ]]、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|白ロシア]]、[[グルジア・ソビエト社会主義共和国|グルジア]]、[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国|アルメニア]]とも同様の条約が結ばれた{{sfn|木村英亮|1996|pp=74}}。これらの国々は憲法を持つ主権国家ではあったが、最高機関は全ロシア・ソビエト大会と全ロシア中央執行委員会であり、ロシア連邦共和国の主導権は明確であった{{sfn|木村英亮|1996|pp=74-75}}。 [[1921年]]1月には、燃料危機、運輸危機、食糧難が連鎖的に発生し、3月には[[クロンシュタットの反乱]]も起き、党内でも党内の民主化を求められた<ref name="p-r309-12"/>。党指導部は党員が過剰であるとの理由で「党の総粛清」を開始、党歴の長さに応じてヒエラルヒーがつくられ、古参党員による[[寡頭制|寡頭支配]]が成立していった<ref name="p-r309-12"/>。 [[1922年]]5月にはレーニンが脳出血で倒れ、一命は取り留めたものの影響力は急速に低下した{{sfn|木村英亮|1996|pp=77}}。4月にはスターリンがロシア共産党の書記長に就任、党組織を掌握し始めた{{sfn|木村英亮|1996|pp=78}}。8月にはソビエト政権の統合のための委員会が設置され、スターリンが主導者の一人となった。スターリンは9月に各政権が[[自治共和国]]として、ロシア・ソビエト社会主義共和国連邦に加入するという統合形式を発表した{{sfn|木村英亮|1996|pp=75}}。この意見はグルジア以外のソビエト共和国の賛成を得て採択されたものの、各共和国にとっては不満の残るものであり、レーニンの指導によって10月の中央委員会では、各共和国が対等な共和国として連邦に加入するという形式が定められた{{sfn|木村英亮|1996|pp=76}}。しかし、この修正ではザカフカースの3共和国がいったん連邦となってから加入することが定められたため、グルジアでの猛反発を招いた([[グルジア問題]]){{sfn|木村英亮|1996|pp=76}}。反対派は次第に追い詰められ、これによって[[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国]]が成立している{{sfn|木村英亮|1996|pp=76-77}}。 1922年12月には{{仮リンク|第1回全連邦ソビエト大会|ru|I Всесоюзный съезд Советов|label=第1回ソビエト連邦全連邦ソビエト大会}}が開催され、12月30日にロシア社会主義連邦ソビエト共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、白ロシア社会主義ソビエト共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の4国が平等な立場で加盟するとした'''ソビエト社会主義共和国連邦'''の樹立を宣言する{{sfn|木村英亮|1996|pp=77}}{{仮リンク|ソビエト連邦の結成に関する条約|en|Treaty on the Creation of the USSR|ru|Договор об образовании СССР|label=連邦結成条約}}が調印された。この連邦には各国が自由な意志で参加・脱退できると定められており、新たな最高機関の設立も決定された。 [[1923年]]、スターリンら党内主流派は、ソ連体制の正当性を工場労働者からの支持に見出し、労働者の入党キャンペーンを展開したが、さらに党内対立を招いた<ref name="p-r313-7">『世界各国史22 ロシア史』p.313-7.</ref>。工場労働者を支持母体とみなす一方で、農民は潜在的には「敵」(反革命分子)とみなされた<ref name="p-r309-12"/>。 [[1924年]]1月31日には最初の[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1924年)|ソビエト連邦憲法]]が成立した{{sfn|木村英亮|1996|pp=77}}。 1924年にレーニンが死亡したが、生前にはスターリンと[[レフ・トロツキー|トロツキー]]の対立を憂い、スターリンを警戒するようになっていた{{sfn|木村英亮|1996|pp=78}}。スターリンはまずトロツキーを孤立させ、次いでレーニンの側近だった[[グリゴリー・ジノヴィエフ]]や、レフ・カーメネフ、[[カール・ラデック]]らを攻撃した。1927年にはトロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフを党から除名したことで、明らかな優越者としての地位を確保し、{{sfn|木村英亮|1996|pp=78}}スターリンは正式に最高指導者になった。 外交面では連合国の直接干渉自体はなくなったものの、ソビエト政権が旧ロシア帝国の債務支払いを拒否したため、関係改善は進まなかった{{sfn|木村英亮|1996|pp=88}}。一方で国際的に孤立していた[[ヴァイマル共和政]]下のドイツはソ連と接近し、賠償の相互放棄を定めた[[ラパッロ条約 (1922年)|ラパッロ条約]]の締結となった{{sfn|木村英亮|1996|pp=89}}。ドイツ軍はソビエト領内で軍事開発を秘密裏に行い、ソ連はそれによって情報を取得するという関係も築かれた{{sfn|木村英亮|1996|pp=89}}。この後、[[中東]]諸国や[[中華民国]]との国交が成立したものの、1925年には[[ロカルノ条約]]の成立によってドイツが[[西ヨーロッパ|西欧]]諸国側になったと受け止められた。これに対してソ連は東欧諸国やフランスと不可侵条約を締結することで対抗しようとした。 === 一国社会主義と五カ年計画 === {{Main|第一次五カ年計画}} 一方で[[コミンテルン]]は各国の[[共産主義]]運動を支援する[[世界革命論|世界革命]]を目指していたが、[[一国社会主義]]を唱えるスターリンの勝利によって、その運動はソ連を守るためのものとなった{{sfn|木村英亮|1996|pp=91}}。[[1925年]]5月スターリンは「ロシアのような後進国でも完全な社会主義を実現できる」とする一国社会主義論を唱え、金属工業を重視した<ref name="p-r313-7"/>。しかし、1925年には「商品飢饉」が起きると、スターリン政権は、穀物や木材の輸出による利益(差益)による解決を決定し、農民から穀物を安く買い上げた<ref name="p-r313-7"/>。 ネップで農業生産は拡大したが、商品価値の高い生産に集中するようになり、穀物の供給が滞るようになった{{sfn|木村英亮|1996|pp=92}}。スターリンはネップを終わらせ、計画経済への転換によるソ連の工業化をはかった。1928年から[[第一次五カ年計画]]が始まり、鉄鋼生産の増強、農業の集団化、電化や機械化に重点を置いた工業化が達成された。1928年と1937年を比較すると、石炭は3倍強、粗鋼は4倍強の生産高に達しており{{sfn|木村英亮|1996|pp=107}}、工業全体では第一次で2倍、[[第二次五カ年計画]]で2.2倍に達したといわれる{{sfn|木村英亮|1996|pp=108}}。同時期に欧米諸国が[[世界恐慌]]によって多数の失業者を出し、経済を縮小させたのと比較して、ソ連の経済成長率は世界最高を記録した。 === 農業集団化とクラーク撲滅 === {{Main|ソビエト連邦における農業集団化|ホロドモール}} 1927年秋には、農産物を安く買い取る国への販売を農民がしぶったため、穀物の調達難が起こり、都市の食糧難が発生し、これはスターリンの構想を崩壊させかねない危機となった<ref name="p-r320-4">『世界各国史22 ロシア史』p.320-324.</ref>。スターリンは穀物調達難の原因を「[[クラーク (農家)|クラーク(富農)]]」にあると決めつけ弾圧を強め<ref name="p-r320-4"/><ref name="nakai"/>、1929年12月には「クラーク階級の抹殺」を宣言した<ref name="s-62-6">ティモシー・スナイダー『ブラッドランド 上』p62-66</ref>。また、農民を集団農場[[コルホーズ]]へ編入させ、強引な[[ソビエト連邦における農業集団化|農業集団化]]を推進した<ref name="p-r320-4"/>。餓死者の報告に対して、スターリンは集団化による飢饉は「作り話」で「悪意ある噂」であるとみなし<ref>ティモシー・スナイダー『ブラッドランド 上』p82-93</ref>、1932年8月の社会主義的財産保護法で穀物を「横領」した者には全財産の没収をともなう死刑、または10年の自由剥奪に処された<ref name="p-r328-330">『世界各国史22 ロシア史』p.328-330.</ref>。1932年末から1933年初めに[[旅券|国内パスポート]]が義務づけられたが、農民には交付されなかったため、農民は仕事をもとめて都市に行くこともできなくなった<ref name="p-r328-330"/>。1932年から1934年にかけて[[ウクライナ]]、北カフカース、ヴォルガ流域、[[カザフスタン]]で飢饉が発生し、数百万人が犠牲となった<ref name="p-r320-4"/>。カザフスタンでは農業集団化による100万人が死亡し<ref name="con495-509"/>、30%の農民が中国に逃亡した。ウクライナでは400万から600万人が飢饉の犠牲となった<ref name="nakai">[[中井和夫]]他『ポーランド・ウクライナ・バルト史』p318-321</ref>([[ホロドモール]])<ref name="oka">[[岡部芳彦]][http://www.eb.kobegakuin.ac.jp/~keizai/v02/data/WP-No28.pdf 「日本人の目から見たホロドモール」 Kobe Gakuin University Working Paper Series No.28 2020年.]</ref>。[[北コーカサス|北カフカース]]でも100万人が犠牲になった<ref name="con495-509"/>。ソ連全体の餓死者は600万人から700万人ともいわれ{{sfn|木村英亮|1996|pp=104}}、犠牲者数は諸説ある。さらに工業賃金も上昇せず、労働者の実質賃金も12%近く減少した{{sfn|木村英亮|1996|pp=108}}。 [[クラーク (農家)|クラーク(富農)]]と認定された農民は何百万人も極北やシベリアの[[強制収容所]]([[グラグ]])に強制移住させられた<ref name="p-r320-4"/>。[[白海・バルト海運河]]計画などの大規模インフラの建設には、クラークや弾圧された共産党員ら囚人労働者が動員された。レーニンから「党の寵児」と呼ばれ、穏健な計画を唱えた[[ニコライ・ブハーリン]]はこの時期に失脚した{{sfn|木村英亮|1996|pp=94}}。1930年代の富農撲滅運動では650万人が犠牲となり、[[強制収容所]]では350万人が死亡した<ref name="con495-509">[[ロバート・コンクエスト]]『悲しみの収穫』恵雅堂出版、2007年,p495-509.</ref>。 === 戦間期の外交 === 外交面では、コミンテルンは当初[[社会ファシズム論]]を唱え、[[社会民主主義]]勢力への批判を強めていたが、[[ファシズム]]や[[ナチズム]]についてはむしろ容認していた{{sfn|木村英亮|1996|pp=91}}。しかし、[[ヒトラー内閣]]成立後、1933年11月にアメリカと国交を樹立。1934年9月には[[国際連盟]]に加盟し、[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]となった。折りしもドイツではナチ党政権が成立し([[ナチス・ドイツ]])、1935年には[[ドイツ再軍備宣言|再軍備を宣言]]した。ソ連はこれに対抗するために、フランスと手を結ぶ[[東方ロカルノ政策]]で対抗しようとし、1935年に[[仏ソ相互援助条約]]が締結された<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E3%82%BD%E7%9B%B8%E4%BA%92%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E6%9D%A1%E7%B4%84-125212 「仏ソ相互援助条約」] ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典</ref>。コミンテルン第7回大会においても[[反ファシズム統一戦線]]の方針が確認され、[[人民戦線]]戦術がとられるようになった{{sfn|木村英亮|1996|pp=114}}。赤軍は1934年には60万人から94万人、1935年には130万人に拡大され、1937年に[[ソビエト連邦海軍]]の設置が行われるなど急速な拡大が続けられた{{sfn|木村英亮|1996|pp=115}}。 しかしながら、イギリス・アメリカ・フランスなど[[資本主義]]陣営の中で、ファシズムより共産主義に対する懸念は依然として強く、むしろファシズムを共産主義に対する防波堤として利用しようとする向きもあった。特にそのソ連敵視が如実に表れたのが[[1936年]]の[[第二次エチオピア戦争]]であり、ファシズムのイタリアによる[[エチオピア侵攻]]という事態に対して、ソ連は[[イタリア王国|イタリア]]に対する非難を行うも、イギリス・フランスはイタリアとの戦争を懸念して何ら制裁を課すことはしなかった。英仏の態度に失望したスターリンは、さらに[[ミュンヘン会談]]における両国のナチスに対する譲歩がソ連への侵攻を容認しているのではないかという疑惑を深めていく{{要出典|date=2021年3月23日}}。 === 大粛清 === {{main|大粛清}} 急進する集団化と工業化については、党内の[[セルゲイ・キーロフ]]や[[グリゴリー・オルジョニキーゼ]]らといった勢力が穏健化を求めるようになった。その最中に起こった1934年のキーロフ暗殺事件以降、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]により党内の粛清が激化し、ブハーリン、[[ゲオルギー・ピャタコフ]]、レーニンの後継人民会議議長であった[[アレクセイ・ルイコフ]]、ジノヴィエフ、カーメネフらといった有力党員、[[ミハイル・トゥハチェフスキー]]らといった軍人が次々と処刑された。その他多くの党員や軍人、一般国民が[[死刑]]もしくは[[流罪]]などにより[[粛清]]された。この粛清はスターリンの配下である粛清の実行者ですらその対象となり、[[ゲンリフ・ヤゴーダ]]、[[ニコライ・エジョフ]]らもその犠牲となっている。 流罪の受け入れ先として大規模な[[ラーゲリ|強制収容所]]([[シベリア]]の[[コルィマ鉱山]]など)が整備された。大粛清による犠牲者数には諸説があるが、当時行われた正式な報告によると、1930年代に「[[反革命|反革命罪]]」で死刑判決を受けたものは約72万人とされる。この粛清によりスターリンの体制はより強固なものとなった{{sfn|木村英亮|1996|pp=118}}。1938年以降、スターリンが1953年に死去するまで党大会は1回、中央委員会は数回しか開かれず、重要決定は全て[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]によって行われた{{sfn|木村英亮|1996|pp=159}}。 === 第二次世界大戦 === 1938年の[[アンシュルス]]後、ソ連は「明日ではもう遅すぎるかも知れない」と、英仏に対してファシスト勢力への具体的な集団的行動による対応を求めた{{sfn|木村英亮|1996|pp=122}}。しかし[[ミュンヘン会談]]によるドイツへの宥和政策は、英仏がドイツの矛先をソ連に向けようとしているというソ連側の疑念を強めさせた{{sfn|木村英亮|1996|pp=122}}。 ソ連は軍事の拡大を急ぎ、世界最初の[[装甲部隊|機甲部隊]]の整備を行うなどしていたが、大粛清で赤軍の幹部を失ったことでそのスピードは明らかに低下していた{{sfn|木村英亮|1996|pp=124}}。このため当時のソ連首脳はこの時期のソ連は経済建設期にあり、深刻な戦争には耐えられないと考えており、大戦争の先延ばしを基本政策としていた{{sfn|木村英亮|1996|pp=125}}。1939年、外相が[[ヴャチェスラフ・モロトフ]]に交代した。ポーランド危機が切迫する中、英仏と同時進行してドイツとも提携交渉を行い、8月23日には[[独ソ不可侵条約]]を締結した{{sfn|木村英亮|1996|pp=128}}。この条約にはポーランドとバルト3国の分割が付属秘密議定書において取り決められていた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1%E7%B4%84-104814 独ソ不可侵条約 (ブリタニカ国際大百科事典)]</ref>。 9月[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]の[[ポーランド侵攻]]の際には[[ソ連・ポーランド不可侵条約]]を一方的に破棄するとともに[[ソビエト連邦によるポーランド侵攻|侵攻]]し、ポーランドの東半分を占領した{{sfn|木村英亮|1996|pp=128}}。ソ連側は[[カーゾン線]]に沿った範囲であり、ウクライナ人・ベラルーシ人が多数居住する地方であると主張している{{sfn|木村英亮|1996|pp=128}}。 [[ファイル:RIAN archive 601181 In a street of Leningrad after German air raid.jpg|thumb|ドイツ軍の爆撃を受けるレニングラード(1942年)]] [[ファイル:Teheran conference-1943.jpg|thumb|[[テヘラン会談|1943年のテヘラン会談]]にて、左から、ヨシフ・スターリン・ソ連議長、[[フランクリン・ルーズベルト]]米大統領、[[ウィンストン・チャーチル]]英首相]] {{main|第二次世界大戦|独ソ戦}} [[バルト三国]]に圧力をかけ、赤軍の通過と親ソ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに[[バルト諸国占領|侵攻、傀儡政権を成立させて併合した]]{{sfn|木村英亮|1996|pp=129}}。同時にソ連は[[ルーマニア]]に[[ベッサラビア]]を割譲するように圧力をかけ、1940年6月にはソ連軍がベッサラビアと北[[ブコビナ]]に進駐し、割譲させた。さらに隣国の[[フィンランド]]を[[冬戦争]]により侵略して[[カレリア]]地方を併合した{{sfn|木村英亮|1996|pp=129-130}}。しかしフィンランドの抵抗で思わぬ損害を招き、国際連盟からも追放された{{sfn|木村英亮|1996|pp=129-130}}。 ==== 大祖国戦争 ==== ドイツとの関係は一定の協調関係となっていたが、細部ではきしみが生じていた。ソ連側はドイツ側を刺激しないよう対応し、ドイツ側の侵攻を警戒する情報は放擲された{{sfn|木村英亮|1996|pp=133}}。1941年6月にドイツは[[バルバロッサ作戦]]を発動し、独ソ戦が勃発した。これをまったく予期していなかったスターリンはきわめて動転した{{sfn|木村英亮|1996|pp=131}}。ドイツ軍の猛攻で開戦後まもなく首都モスクワに数十キロに迫られ、[[レニングラード包囲戦|レニングラード攻防戦]]や[[クルスクの戦い]]などにより軍民あわせて数百万人の死傷者を出した。 スターリンは戦争を「[[大祖国戦争]]」と位置づけて国民の愛国心に訴え、ドイツの占領地で民衆を中心とした[[パルチザン]]を組織し敵の補給線を攪乱した。味方が撤退する際には[[焦土作戦]]と呼ばれる住民を強制疎開させたうえで家屋、畑などを破壊して焼却する作戦を行い、ドイツ軍の手には何も渡らないようにさせた。[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側であり西部戦線でドイツ軍と戦うアメリカやイギリスによる膨大な軍事支援([[レンドリース法]])、また極東における日本による参戦がなかったこともあり、対ドイツ戦に専念できたソ連軍は気候や補給難に苦しむドイツ軍を押し返していった。1942年の[[スターリングラード攻防戦|スターリングラードの戦い]]に勝利すると、これを契機にしてソ連は次第に戦局を有利に進めるようになる。1943年には[[コミンテルン]]を解散した。 やがてドイツ軍の後退とともにソ連軍は東欧各国を「解放」した。東欧各国の民衆は、ドイツ軍の占領に対して抵抗の最前線に立った共産主義者たちを支持した。東欧各国の共産党は、赤軍の圧力と民衆の支持を背景に、[[ソ連型社会主義]]をモデルにした[[社会主義]]政権を各地で樹立した。1945年5月、ソ連軍はドイツの首都である[[ベルリン]]を陥落させ、ドイツ軍を降伏に追い込んだ。 1945年8月8日、ソ連は[[日ソ中立条約]]を一方的に破棄して[[ソ連対日宣戦布告|日本に宣戦布告]]した。これは連合国首脳による[[ヤルタ会議]]における密約([[ヤルタ協定]])に基づくものであったが、ソ連軍は日本の[[千島列島]]や[[樺太|南樺太]]、[[朝鮮半島]]北部、そして日本の同盟国の[[満洲国]]に対し侵攻した。この際のソ連軍の行動は、中立条約の破棄や日本の民間人に対する暴虐、そして戦後の捕虜の[[シベリア抑留]]や[[北方領土問題]]など、戦後の日ソ関係に大きなしこりを生む原因となった。 ==== 終戦 ==== 第二次世界大戦の期間中に2700万以上のソ連国民が死亡するなど大きな犠牲を出した{{sfn|木村英亮|1996|pp=141}}。一方でその勝利に大きく貢献したことで国家の威信を高め、世界における超大国の地位を確立した。大戦期間中にはヤルタ会談などの戦後秩序構築にあたっての会議にも深く関与している。[[国際連合]]創設にも大きく関与し、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の[[国際連合安全保障理事会常任理事国|常任理事国]]となっている。さらに占領地域であった東欧諸国への影響を強め、衛星国化していった。その一方、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。 開戦前に併合した[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]のバルト三国の併合、ルーマニアから獲得したベッサラビア(現在の[[モルドバ]])の領有を承認させ、これらの新領土から多くの住民を追放あるいはシベリアなどに強制移住させ、代わりに[[ロシア人]]を移住させた。 [[極東]]では日本の領土であった南樺太および千島列島を占領し、領有を宣言した。さらに、1945年8月14日に連合国の一国にあたる中華民国との間に[[中ソ友好同盟条約]]を締結し、日本が旧[[満洲]]に持っていた各種権益のうち、[[関東州]]の[[旅順口区|旅順]]・[[大連市|大連]]の両港の[[租借地|租借権]]や旧[[東清鉄道]]([[南満洲鉄道]]の一部)の管理権の継承を中華民国に認めさせた(中華人民共和国建国後に返還)。 === 冷戦の開始とフルシチョフ時代 === [[ファイル:Soviet empire 1960.png|thumb|1959年の[[キューバ革命]]以後および1961年の[[中ソ対立]]以前における、ソ連およびソ連をモデルとした政府下のその他国々]] 戦後ソ連はドイツの支配からソ連の支配圏とした東ヨーロッパ諸国の反対派を粛清し、[[スターリニズム|スターリン主義]]的な社会主義政権を導入しこれらをソ連の衛星国とした。ワルシャワ条約機構などにおける東側諸国のリーダーとして、アメリカ合衆国をリーダーとする資本主義(西側諸国)陣営に対抗した。スターリン政権下では[[ベルリン封鎖]]などの行動や[[朝鮮戦争]]などの世界各地での[[代理戦争]]という形で冷戦と呼ばれる対立関係が形成された。{{See also|{{仮リンク|戦後におけるスターリン主義|ru|Послевоенный сталинизм}}}} 1953年、[[ヨシフ・スターリンの死と国葬|スターリンが死去]]し、ゲオルギー・マレンコフとニキータ・フルシチョフによる共同指導体制が始まった。スターリン体制下で[[恐怖政治]]の主導者となった[[ラヴレンチー・ベリヤ]]は処刑され、スターリン路線の行き過ぎた独裁政策が大幅に緩和された{{sfn|木村英亮|1996|pp=159}}。1955年にはマレンコフが失脚し、フルシチョフによる指導体制が確立した。1956年には[[スターリン批判]]を行い、大粛清への告発と、スターリン体制からの決別が表明された。これは東欧諸国にも強い衝撃を与え、各国では政治改革の動きや反体制運動([[ポズナン暴動]]など)が発生したが、[[ハンガリー動乱]]には武力介入してこれを鎮圧した。反対派を殺害・処刑・投獄し、各国政権に圧力をかけ収拾させた。一方で、スターリン批判は[[中華人民共和国]]の反発を招き、[[中ソ対立]]が進行することになった。[[アルバニア]]の[[エンヴェル・ホッジャ]]もスターリン批判を行ったソ連を非難し、[[ワルシャワ条約機構]]を脱退することに至る。[[朝鮮民主主義人民共和国]]ではソ連型の社会主義体制を目指す[[ソ連派 (朝鮮)|ソ連派]]が[[金日成]]排除のクーデターを画策するが、失敗し、勢力が一掃された。 フルシチョフ時代にも軍拡は推し進められており、[[核兵器]]とミサイル兵器の配備が進んでいた。1962年のキューバ危機は[[核戦争]]の危機を世界に知らしめることになり、その後はアメリカとの関係は改善が進んだ({{仮リンク|雪どけ (冷戦期の国際関係)|en|Khrushchev Thaw|label=雪解け}})。しかし[[ベトナム戦争]]や[[アフリカ]]・[[南アメリカ]]での、代理戦争と呼ばれる紛争は継続していた。 フルシチョフは食料生産に力を注ぎ一時的には大きな成功を収めるものの、あまりにも急な農業生産の拡大により農地の非栄養化、[[砂漠化]]が進み、結果、ソ連は食料を国外から輸入しなければならない事態に追い込まれた。 === 停滞の時代 === [[ファイル:Carter Brezhnev sign SALT II.jpg|right|220px|thumb|1979年6月18日、[[第二次戦略兵器制限交渉|第二次戦略兵器制限交渉(SALT II)]]の調印を行うレオニード・ブレジネフ・ソ連書記長および[[ジミー・カーター]]米大統領]] {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の歴史 (1964年-1982年)|en|History of the Soviet Union (1964–82)}}}} 1964年に、フルシチョフは農業政策の失敗と西側諸国に対して寛容な政策をとったことを理由に失脚させられた。代わってレオニード・ブレジネフが指導者となった。しかし中華人民共和国とは、[[中ソ対立]]が激化したことによって、両国の関係はほぼ断絶状態に近くなり、1970年代には米中国交正常化による中華人民共和国の西側への接近を許すことになった。ソ連は東欧諸国を勢力圏下に置き続けるため、1968年には「[[制限主権論]](いわゆるブレジネフ・ドクトリン)」の名の下に[[チェコスロバキア社会主義共和国]]の民主的改革([[プラハの春]])に対して介入し、ソ連は強い国際社会の批判を浴びるようになった。この状況でソ連は西側諸国との協調を図るようになり([[デタント]])、[[戦略兵器制限交渉]]などが行われた。 プラハの春を武力で弾圧した事実は、同じ共産主義陣営の中にも動揺を生んだ。中華人民共和国はソ連を「[[社会帝国主義]]」と批判し、[[ルーマニア社会主義共和国]]の[[ニコラエ・チャウシェスク]]も同様にソ連を批判して西側諸国に接近し、独自外交を展開。1973年の[[チリ・クーデター]]後に誕生した[[アウグスト・ピノチェト]]政権に対してソ連を中心とした東側諸国が国交断絶を行う中で、中国とルーマニアは関係を維持し続けた。西側諸国の共産党においても[[イタリア共産党]]や[[スペイン共産党]]がソ連型社会主義と決別する[[ユーロコミュニズム]]を採択するなど、国際共産主義運動は分裂状態に陥った。 1963年2月、仏ソ通商条約。1965年、仏ソ原子力平和利用協定。そして[[ベトナム戦争]]で[[ホー・チ・ミン]]率いる[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]を支援した(旧[[フランス領インドシナ]])。[[1969年]]にはかねて対立していた中華人民共和国と[[珍宝島]]/[[ダマンスキー島]]をめぐって[[中ソ国境紛争]]を戦った。1970年1月に[[イタリア]]と、2月には[[西ドイツ]]と貿易協定。1971年3月、仏ソ[[ウラン]]協定。10月、仏ソ共同宣言・仏ソ新経済協力協定。1972年、ソ連は凶作のため[[穀物メジャー]]を頼った。1974年5月、英ソ経済協力協定。12月、仏ソ首脳会談で経済協力5カ年協定。1975年1月、米ソ通商協定破棄を通告。10月、米ソ穀物協定。1976年3月、日米ソ3か国が[[サハ共和国|ヤクート]]天然ガス探査協定。11月、米ソ漁業協定。1977年3月、[[排他的経済水域]]を実施<ref>『標準世界史年表』 吉川弘文館</ref>。 1979年12月、ソ連は[[アフガニスタン]]の[[アフガニスタン民主共和国|共産主義政権]]がソ連と距離を取ろうとしていると見なして、アフガニスタンへの侵攻を行った。これは[[パキスタン]]、[[サウジアラビア]]、[[イラン]]などといった一部の[[イスラム世界|イスラム諸国]]および西側諸国、中華人民共和国による猛反発を受け、翌年に行われた[[1980年モスクワオリンピック|モスクワオリンピック]]の大量ボイコットを招き、デタントの流れは終焉した。アメリカは[[チャールズ・ネスビット・ウィルソン|チャーリー・ウィルソン]]ら[[中央情報局|CIA]]の支援の下でイスラム・ゲリラに対して支援を行い、アフガニスタンでの戦闘は泥沼化して1989年まで続き、国際社会からの孤立を招いただけでなく、多大な人命と戦費の損失を招いた。さらにソ連を「[[悪の帝国]]」と名指しで批判する[[ロナルド・レーガン]]大統領政権下のアメリカとの軍拡競争がさらに激化するようになった。1983年9月には[[大韓航空機撃墜事件]]が発生したことで西側諸国との緊張はさらに増した。 ブレジネフ政権は18年にわたった長期政権だった。停滞しつつも安定し、ソ連の歴史上、初めて飢餓も騒擾事件も粛清もなくなった。その代わり、改革はまるで行われず[[官僚主義]]による党官僚の特権階級化([[ノーメンクラトゥーラ]])、ブレジネフ一族の[[縁故主義]]など体制の腐敗が進んだ。経済面でも、1960年代ごろまで10%を誇った成長率は次第に鈍化していった。そのツケは国民生活に回り、食料や燃料、生活必需品の[[配給 (物資)|配給]]や販売が滞るようになった。[[改革開放]]を始めた中華人民共和国を除き、東側諸国全体の経済も1970年代後半から停滞していく事になる。1980年代に入り西側諸国の豊かな生活の情報がソ連国内で入手できるようになると、国民は体制への不満と自由な西側への憧れを強めていくことになる。小麦の生産量は世界一だった農業も慢性的な不振となり、小麦をアメリカから輸入することが恒常化した。しかしデタントの終焉後は穀物輸入も逼迫し、さらに経済の悪化を招いた。技術競争でもアメリカや日本に大きな遅れをとるようになり、ソ連崩壊の直前は[[国内総生産|GNP]]も日本に抜かれて3位となる。 === ペレストロイカ === [[ファイル:Reagan and Gorbachev hold discussions.jpg|thumb|left|[[ロナルド・レーガン]]米大統領と1対1で会談を行う[[ミハイル・ゴルバチョフ]]書記長]] 1982年に死去したブレジネフの後継者となった[[ユーリ・アンドロポフ]]、[[コンスタンティン・チェルネンコ]]と老齢の指導者が相次いで政権の座に就いた。しかし、共に就任後間もなく闘病生活に入りそのまま病死したため、経済問題を中心とした内政のみならず、外交やアフガニスタン問題についてさえも具体的な政策をほとんど実行に移せず、ブレジネフ体制以来の[[長老支配]]を内外に印象づけることになった。 その後、この両名の時代においてますます深刻化した経済的危機を打開すべく、1985年3月に誕生した[[ミハイル・ゴルバチョフ]]政権は社会主義体制の改革・刷新を掲げ、[[ペレストロイカ]](改革)を推し進めた。ゴルバチョフの選出は一晩かけての会議で決定された。 これにより長きにわたった一党独裁体制下で腐敗した[[政治体制]]の改革が進められた。1988年にはそれまでのソ連[[ソビエト連邦最高会議|最高会議]]に代わり[[ソビエト連邦人民代議員大会|人民代議員大会]]創設が決定され、翌年3月26日にはソ連初の民主的選挙である第1回人民代議員大会選挙が実施された。ゴルバチョフは人民代議員を国民の直接選挙で選ばせることによって、改革の支障となっていた[[党官僚|保守官僚]](アパラチキ)を一掃しようと試みた。1986年4月に発生した[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]の対応の遅れと隠蔽によってソ連の深刻な[[官僚主義]]体質が露呈すると、ゴルバチョフはグラスノスチを本格化させ、[[情報統制]]の緩和を進めた。これを受けて、ソ連国民の間では歴史の見直しや、活発な政治討論などが行われるようになった。 グラスノスチの進展にともない国民の間では民主化要求が拡大、それを受けて[[党の指導性|ソ連共産党の指導的役割]]を定めたソ連憲法第6条は削除され、1990年には[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]による[[一党独裁制]]の放棄、そして[[複数政党制]]と[[大統領制]]の導入が決定された。同年3月15日、人民代議員による[[1990年ソビエト連邦大統領選挙|間接選挙]]によって、ゴルバチョフが[[ソビエト連邦大統領|初代ソ連大統領]]に選出された。同時期に当局の[[検閲]]を廃止した[[新聞法]]が制定された。 しかし、これらの一連の政治経済改革は一定の成果を上げた反面、改革の範囲やスピードをめぐってソ連共産党内の内部抗争を激化させた。特に保守派は、改革の進展により[[軍産複合体]]など自らの既得権益が失われることに強く反発した。そして、共産党はエリツィンら急進改革派とゴルバチョフら穏健改革派、そして保守派のグループに分裂した。党内の分裂もあって国内の経済改革は遅々としたものとなり、経済危機を一層深刻化させた。こうした状況の中で[[ボリス・エリツィン|エリツィン]]は保守派が幅を利かせる共産党に見切りをつけ、1990年7月のソ連共産党第28回大会を機に離党し、[[ガブリール・ポポフ|ポポフ]]、[[アナトリー・サプチャーク|サプチャーク]]、[[ユーリ・アファナーシェフ|アファナーシェフ]]、[[アンドレイ・サハロフ|サハロフ]]らとともに非共産党系の政治組織である[[地域間代議員グループ]]を結成、共産党に対抗した。一方、穏健改革派のゴルバチョフは保守派と急進改革派の板挟みになり、抜本的な改革を推進できなかった。 従来の中央集権型の指令経済を破棄し、市場メカニズムを導入することが図られたが、保守派の抵抗などで経済改革は遅れ、国内では[[インフレーション|インフレ]]と物不足が深刻化した。市民の間では、事態を打開できないゴルバチョフらソ連共産党に対する批判が高まった。こうした国民の不満を吸収したのがエリツィンら急進改革派である。1991年6月12日には[[1991年ロシア大統領選挙|ロシア共和国大統領選挙]]が実施されてエリツィン・{{仮リンク|ロシア連邦最高会議|label=ロシア共和国最高会議|ru|Верховный совет России}}議長が当選し、7月10日に就任した。ロシア共和国大統領選挙と同日にモスクワ市長選挙、[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]市長選挙がそれぞれ実施され、ポポフがモスクワ市長に、サプチャークがレニングラード市長に当選した。こうした急進改革派の躍進は保守派を焦らせ、のちの[[ソ連8月クーデター|8月クーデター]]へと駆り立てる要因の一つとなった。 === 民族問題の再燃と連邦制の動揺 === ペレストロイカは東西の緊張緩和や東欧[[民主化]]、そしてソ連国内の政治改革において大きな成果を上げたものの、改革が進むにつれて共産党権力の弱体化と、連邦政府の各共和国に対する統制力の低下という事態を招いた。こうした中で、国内では封印されていた民族問題の先鋭化と各共和国の[[主権]]拡大を要求する動きが生まれた。 1986年12月にはペレストロイカ開始後初めての民族暴動である[[アルマアタ事件]]が[[カザフ・ソビエト社会主義共和国|カザフ共和国]]で発生した。1988年からは[[ナゴルノ・カラバフ自治州]]の帰属をめぐって[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国|アルメニア共和国]]とアゼルバイジャン共和国との間に大規模な紛争が発生、[[グルジア・ソビエト社会主義共和国|グルジア]]や[[モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国|モルダヴィア共和国]]でも民族間の衝突が起きた。 1990年3月11日には反ソ連の急先鋒と見られていた[[バルト三国|バルト3国]]の[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国|リトアニア共和国]]が連邦からの独立を宣言、ゴルバチョフ政権は[[経済制裁]]を実施し、宣言を撤回させたものの、同年3月30日には[[エストニア・ソビエト社会主義共和国|エストニア共和国]]が、5月4日には[[ラトビア・ソビエト社会主義共和国|ラトビア共和国]]が独立を宣言した。1990年5月29日にはロシア連邦共和国最高会議議長に急進改革派のエリツィンが当選、同年6月12日にはロシア連邦共和国が、7月16日には[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナ共和国]]が共和国の主権は連邦の主権に優越するという国家主権宣言を行い、各共和国もこれに続いた。こうした民族運動の高揚と連邦からの自立を求める各共和国の動きは、ゴルバチョフ自身が推進したペレストロイカとグラスノスチによって引き起こされたと言える半面、連邦最高会議で保守派との抗争に敗れた急進改革派が各共和国の最高会議に移り、そこでそれらの運動を指揮しているという側面もあった。特にソ連の全面積の76%、全人口の51%、そして他の共和国と比較して圧倒的な経済力を擁するロシア共和国の元首に急進改革派のエリツィンが就任したことは大きな意味を持っていた。 従来の中央集権型の連邦制が動揺する中でゴルバチョフは連邦が有していた権限を各共和国へ大幅に移譲し、[[主権国家]]の連合として連邦を再編するという新構想を明らかにした。その上でまず枠組みとなる[[新連邦条約]]を締結するため各共和国との調整を進めた。1991年3月17日には新連邦条約締結の布石として連邦制維持の賛否を問う[[国民投票]]が各共和国で行われ、投票者の76.4%が連邦制維持に賛成票を投じることとなった{{efn|共和国別ではロシア連邦共和国で71%、ウクライナ共和国で70%、白ロシア共和国で83%、カザフ共和国で94%、[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベク共和国]]で90%、[[キルギス・ソビエト社会主義共和国|キルギス共和国]]で95%、[[タジク・ソビエト社会主義共和国|タジク共和国]]で96%、[[トルクメン・ソビエト社会主義共和国|トルクメン共和国]]で98%、アゼルバイジャン共和国で93%が連邦制維持に賛成票を投じた。ただし独立志向を強めていたバルト三国、グルジア共和国、アルメニア共和国、モルダビア共和国の6共和国では投票はボイコットされた}}。この国民投票の結果を受け4月23日、ゴルバチョフ・ソ連大統領と国民投票に参加した9共和国の元首が集まり、その後、各共和国との間に新連邦条約を締結し、連邦を構成する各共和国への大幅な権限委譲と連邦の再編を行うことで合意した。その際、国名をそれまでの「ソビエト社会主義共和国連邦」から社会主義の文字を廃止し、「ソビエト主権共和国連邦」に変更することも決定された。 === 冷戦終結 === [[ファイル:Cold War border changes.png|thumb|220px|[[冷戦]]終結後の国境の変化]] 1987年12月にはアメリカとの間で[[中距離核戦力全廃条約]]が締結され、翌1988年5月からは[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]がアフガニスタンから撤退を開始した。同時に東欧各国に駐留していたソ連軍の一部も、本国への引き上げを行った。 ゴルバチョフは1988年3月の[[新ベオグラード宣言]]の中で[[ブレジネフ・ドクトリン]]の否定、東欧諸国へのソ連の内政不干渉を表明していたが、これを受け1989年から1990年にかけて[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)や[[ハンガリー人民共和国]]、[[ポーランド人民共和国]]やチェコスロバキアなどの衛星国が相次いで民主化を達成した。そのほとんどは事実上の無血革命であったが、ルーマニアでは一時的に体制派と改革派の間で戦闘状態となり、長年独裁体制を強いてきた[[ニコラエ・チャウシェスク]]大統領が処刑され、[[ルーマニア革命 (1989年)|流血の革命]]となった。ソビエト連邦はかつてのハンガリー動乱やプラハの春の時とは異なり、これらの衛星国における改革に対して不介入を表明し、これらの政府による国民に対する武力行使に対しては明確に嫌悪感を示した。 このような流れの中で、ソビエト連邦を含む東側諸国の相次ぐ民主化により東西の冷戦構造は事実上崩壊し、これらの動きを受けて1989年12月2日から12月3日にかけて[[地中海]]の[[マルタ]]でゴルバチョフと[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]が会談し、正式に冷戦の終結を宣言した([[マルタ会談]])。 === 崩壊 === {{main|ソビエト連邦の崩壊}} 国内では1991年8月20日の新連邦条約締結に向けて準備が進められていた。しかし、新連邦条約締結が各共和国の独立と自らの権力基盤の喪失に結びつくことを危惧した[[ゲンナジー・ヤナーエフ]]副大統領、[[ウラジーミル・クリュチコフ]]KGB議長、[[ドミトリー・ヤゾフ]]国防相ら8人の[[ソビエト連邦共産党中央委員会|ソ連共産党中央委員会]]メンバーらによって条約締結を目前に控えた8月19日にクーデターが発生、ゴルバチョフを軟禁して条約締結阻止を試みたものの、ボリス・エリツィンら改革派がこれに抵抗し、さらに軍や国民の多く、加えてアメリカやフランス、日本やイギリスなどの[[西側諸国]]の大半もクーデターを支持しなかったことから完全に失敗に終わった。 クーデターの失敗によって新連邦条約締結は挫折、クーデターを起こしたソ連共産党中央委員会メンバーらは逮捕された。クーデターを起こしたメンバーはいずれも共産党の主要幹部でゴルバチョフの直属の部下だったこともあり、共産党とゴルバチョフの権威は失墜した。8月24日、ゴルバチョフは共産党書記長を辞任し、同時に共産党中央委員会の解散を勧告、8月28日、ソ連最高会議はソ連共産党の活動を全面的に禁止する決議を採択し、同党は事実上の解体に追い込まれた。 連邦政府の中核を担い、そして連邦を一つにまとめ上げてきたソ連共産党が解体されたことにより、各共和国を統制することができる政府組織は存在しなくなり、各共和国の元首が独自に権力を持つようになった。そしてこれ以後、実権は各共和国の元首から構成される[[ソビエト連邦国家評議会|国家評議会]]に移っていくことになる。 9月6日、国家評議会はバルト三国の独立を[[国家の承認|承認]]した。新連邦条約締結に失敗したゴルバチョフ・ソ連大統領はこの間も連邦制維持に奔走し、11月14日、ロシア共和国とベラルーシ共和国、そして[[中央アジア]]の五つの共和国の元首との間で主権国家連邦を創設することで合意、また連邦への加盟を拒んでいる残りの共和国への説得を続けた。しかし12月1日にはウクライナ共和国で独立の是非を問う国民投票が実施され、投票者の90.3%が独立を支持、当初は連邦制維持に賛成していたエリツィン・ロシア連邦共和国大統領も、5000万の人口を擁しソ連第2位の工業国であるウクライナが加盟しない主権国家連邦に、ロシア共和国が加入することは利益にならないとして、12月3日にウクライナ独立を承認しソ連崩壊の流れを決定づけた。 同年12月8日の[[ベロヴェーシ合意]]において、ロシア、[[ウクライナ]]、白ロシア([[ベラルーシ]])が連邦を離脱して、新たに[[独立国家共同体]](CIS)を創設し、残る諸国もそれにならってCISに加入した。12月17日、ゴルバチョフ大統領は1991年中に連邦政府が活動を停止することを宣言。12月21日、グルジアとすでに独立したバルト三国を除く11のソ連構成共和国元首がCIS発足やソ連解体を決議した[[アルマ・アタ宣言 (1991年)|アルマアタ宣言]]を採択、これを受けて12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、翌日には最高会議も連邦の解体を宣言、ソビエト連邦は崩壊した。 == 地理 == === 概要 === {{USSR}} ソビエト社会主義共和国連邦は当時において世界一の広さを誇った国であった。そのために隣接していた国は[[東ヨーロッパ]]、[[北ヨーロッパ]]、[[中央アジア]]、[[東アジア]]、[[アメリカ大陸]]など幅が広い。 陸続きで隣接した国は、西は[[ノルウェー]]、[[フィンランド]]、[[ポーランド]]、[[チェコスロバキア]]、[[ハンガリー]]、[[ルーマニア]]、南は[[トルコ]]、[[イラン]]、[[アフガニスタン]]、[[モンゴル]]、[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]](1949年以降は[[中華人民共和国]])、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]](1948年以降)であり、海を挟んで南は[[日本]](1945年以前は[[樺太]]および当時[[日本統治時代の朝鮮|日本領だった朝鮮]]で国境を接していた)、東は[[アメリカ合衆国]]である。全域で[[寒波]]の影響が非常に強力なため、冬季は[[北極海]]に面したところや内陸部を中心に、極寒である。そのためなかなか開発が進まず、[[囚人]]を酷使した[[強制労働]]で多くの命が失われた。 [[自動車道]]の開発は遅れたが雪に強い[[鉄道]]が発達しており、[[シベリア鉄道]]は超長距離路線であるにもかかわらず「[[共産主義]]はソビエト権力+全国の電化である」という[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]以来の方針により[[電化]]が進んでおり、軍事輸送や貨物輸送に大いに役立った。 長い[[国境]]のうちにはいくつかの[[領土問題]]を抱えており、1960年代には軍事紛争(中華人民共和国との間における[[中ソ国境紛争|ダマンスキー島事件]]など)になったケースもある。海を隔てた隣国の一つである日本とは、第二次世界大戦から[[北方領土問題]]を持っており、この問題はロシア連邦になった現在も解決されていない。フィンランドにも[[カレリア]]地域の問題が残されている。 ソ連はヨーロッパとアジアをまたぐ国であったことから、[[ユーラシア]]や[[北アジア]]と呼ばれることが多い。 [[サッカー]]で[[カザフスタン]]は欧州の連盟に参加していることからヨーロッパとする見方があるが、[[トルコ]]、[[キプロス]]、[[イスラエル]]などの西アジアの国々も加盟しており、まったくこれは論拠にならない。 ソ連時代にいわゆる[[公用語]]も存在しなかった。すなわちロシア語はソ連の公用語ではなかった。レーニンが[[オーストロ・マルキシズム]]や[[カウツキー]]の影響のもと、[[1914年]]の論文『強制的な国家語は必要か?({{Lang|ru|Нужен ли обязательный государственный язык?}})』において国家語の制定を批判し、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]も民族問題の専門家として民族語奨励政策を採用している。 === 構成国 === {{main|ソビエト連邦構成共和国}} {| class="wikitable" style="margin:1em auto 1em auto" |- !# !国名 !首都 !加盟 !離脱<ref>連邦からの離脱を宣言した年に基づく</ref> |- |1 |align=left |[[ファイル:Flag of Russian SFSR.svg|border|18px]] [[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]] |[[モスクワ]] |1922年<ref name=":2">1922年連邦結成条約により加盟</ref> |1991年 |- |2 |align=left |[[ファイル:Flag of Ukrainian SSR.svg|border|18px]] [[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]] |[[キエフ]] |1922年<ref name=":2" /> |1991年 |- |3 |align=left |[[ファイル:Flag of Byelorussian SSR.svg|border|18px]] [[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]] |[[ミンスク]] |1922年<ref name=":2" /> |1991年 |- |4 |align=left |[[ファイル:Flag of the Uzbek SSR.svg|border|18px]] [[ウズベク・ソビエト社会主義共和国]] |[[タシュケント]] |1924年<ref name=":3">1924年中央アジア領界策定により創設</ref> |1991年 |- |5 |align=left |[[ファイル:Flag of Kazakh SSR.svg|border|18px]] [[カザフ・ソビエト社会主義共和国]] |[[アルマトイ]] |1936年<ref name=":4">自治共和国からの昇進により創設</ref> |1991年 |- |6 |align=left |[[ファイル:Flag of Georgian SSR.svg|border|18px]] [[グルジア・ソビエト社会主義共和国]] |[[トビリシ]] |1936年<ref name=":5">[[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国]]の解体に伴い創設</ref> |1991年 |- |7 |align=left |[[ファイル:Flag of Azerbaijan SSR.svg|border|18px]] [[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国]] |[[バクー]] |1936年<ref name=":5" /> |1991年 |- |8 |align=left |[[ファイル:Flag of Lithuanian SSR.svg|border|18px]] [[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]] |[[ヴィリニュス]] |1940年<ref name=":6">自発的な加盟とされているが、ソ連離脱後の現在では半ば強制された併合と考えられている。</ref> |1991年 |- |9 |align=left |[[ファイル:Flag of Moldavian SSR.svg|border|18px]] [[モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国]] |[[キシナウ]] |1940年<ref>ウクライナ・ソビエト社会主義共和国からの分離により創設</ref> |1991年 |- |10 |align=left |[[ファイル:Flag of Latvian SSR.svg|border|18px]] [[ラトビア・ソビエト社会主義共和国]] |[[リガ]] |1940年<ref name=":6" /> |1991年 |- |11 |align=left |[[ファイル:Flag of Kyrgyz SSR.svg|border|18px]] [[キルギス・ソビエト社会主義共和国]] |[[ビシュケク]] |1936年<ref name=":4" /> |1991年 |- |12 |align=left |[[ファイル:Flag of Tajik SSR.svg|border|18px]] [[タジク・ソビエト社会主義共和国]] |[[ドゥシャンベ]] |1929年<ref name=":4" /> |1991年 |- |13 |align=left |[[ファイル:Flag of Armenian SSR.svg|border|18px]] [[アルメニア・ソビエト社会主義共和国]] |[[エレバン]] |1936年<ref name=":5" /> |1991年 |- |14 |align=left |[[ファイル:Flag of Turkmen SSR.svg|border|18px]] [[トルクメン・ソビエト社会主義共和国]] |[[アシガバート]] |1924年<ref name=":3" /> |1991年 |- |15 |align=left |[[ファイル:Flag of Estonian SSR.svg|border|18px]] [[エストニア・ソビエト社会主義共和国]] |[[タリン]] |1940年<ref name=":6" /> |1991年 |} 当初は[[バルト三国]]や[[モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国]]は構成国ではなかったが、[[ソ連のバルト三国侵攻]]やルーマニアから奪ったモルダウィアは1940年に構成国のひとつとなる。 構成共和国には、ソビエト連邦から自由に離脱する権限が[[ソビエト連邦の憲法|憲法]]で認められていた。しかし、実際に連邦から離脱するための手続きを定めた[[法律]]はなく、ソビエト連邦の末期に[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が定めた[[s:ru:Закон СССР от 03.04.1990 № 1409-I|連邦離脱法]]は構成共和国が連邦離脱を希望する場合、5年の移行期間を設けるなど、きわめてハードルの高いものであった。このため[[バルト三国]]は連邦離脱法を無視し、[[1990年]]に独立することとなる。 その後は[[ウクライナ]]や[[ベラルーシ]]、[[中央アジア]]の五ヶ国、コーカサス、[[モルドバ]]も離脱していき、CISの結成で[[ロシア連邦]]が成立。ただし、ロシアは[[国際連合安全保障理事会常任理事国]]を継承しているため、ソ連はロシアと同意義ともされやすい。 [[国際連合]]にはソビエト連邦そのものとは別枠で[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]]、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]]が独自に加盟していたため、ソビエト連邦は国連において、事実上3票を投じることができるに等しかった。 === 代表的な都市 === 特に記述のないものはロシアSFSR {{div col|small=yes|rules=yes|colwidth=20em}} *[[アンガルスク]]({{lang|ru|Ангарск}}) *[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]({{lang|ru|Сталинград}}、現[[ヴォルゴグラード]]) *[[イルクーツク]]({{lang|ru|Иркутск}}) *[[ウファ]]({{lang|ru|Уфа}}) *[[ウラジオストク]]({{lang|ru|Владивосток}}) *[[エカテリンブルク|スヴェルドロフスク]]({{lang|ru|Свердловск}}、現[[エカテリンブルク]]) *[[オムスク]]({{lang|ru|Омск}}) *[[カザン]]({{lang|ru|Каза́нь}}) *[[キーロフ]]({{lang|ru|Киров}}) *[[クラスノヤルスク]]({{lang|ru|Красноярск}}) *[[ビシュケク|フルンゼ]]({{lang|ru|Фрунзе}}、[[キルギス・ソビエト社会主義共和国|キルギスSSR]]、現[[ビシュケク]]) *[[サマーラ|クイビシェフ]]({{lang|ru|Куйбышев}}、現[[サマーラ]]) *首都[[モスクワ]]({{lang|ru|Москва}}) *[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]({{lang|ru|Ленинград}}、現[[サンクトペテルブルク]]) *[[タイシェト]]({{lang|ru|Тайшет}}) *[[タシュケント]]({{lang-uz|Тошкент}}、{{lang-ru|Ташкент}}、[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベクSSR]]) *[[チェリャビンスク]]({{lang|ru|Челя́бинск}}) *[[チタ]]({{lang|ru|Чита}}) *[[チュメニ]]({{lang|ru|Тюмень}}) *[[トビリシ]]({{lang-ka|თბილისი}}、{{lang-ru|Тбилиси}}、[[グルジア・ソビエト社会主義共和国|グルジアSSR]]) *[[ブラゴヴェシチェンスク]]({{lang|ru|Благовещенск}}) *[[ナホトカ]]({{lang|ru|Находка}}) *[[ニジニ・ノヴゴロド|ゴーリキー]]({{lang|ru|Горький}}、現[[ニジニ・ノヴゴロド]]) *[[ノヴォシビルスク]]({{lang|ru|Новосибирск}}) *[[ハバロフスク]]({{lang|ru|Хабаровск}}) *[[ペルミ]]({{lang|ru|Пермь}}) *[[ロストフ]]({{lang|ru|Росто́в}}) *[[キーウ|キエフ]]({{lang-uk|Київ}}、{{Lang-ru|Киев}}、[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国|ウクライナSSR]]) *[[ハルキウ|ハリコフ]]({{lang-uk|Харків}}、{{Lang-ru|Харьков}}、ウクライナSSR) *[[ミンスク]]({{Lang-be|Мінск}}、{{Lang-ru|Минск}}、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国|白ロシアSSR]]) {{div col end}} === 汚染地域 === ソビエト連邦は超大国であったが軍事や核兵器以外の産業は遅れており、エネルギーの効率や環境対策も遅れていた。そのため汚染地域が多く、[[ジェルジンスク]]、[[ノリリスク]]、[[スムガイト]](現在は[[アゼルバイジャン]])、[[チェルノブイリ]](同[[ウクライナ]])はきわめて汚染が酷かった。 特に[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]では[[広島型原爆]]の約500発分の[[放射性降下物]]がまき散らされ、多くの被災者が出た。<!-- チェルノブイリは広範囲かつ長期にわたる災害のため、どのような基準で被災者数をカウントするかは微妙な問題のようです。また文章のバランス上、ここで詳述する必要もないと思います。(2010-09-05) 特に[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]は欠陥工事の影響で広島型原爆の約1000発分の放射能がまき散らされ、その被災者が550万人なのでその凄まじさが理解できる{{efn|当初ソ連政府は徹底とした隠蔽工作を行い汚染食品を流通させてしまい、タス通信では全体では500万人でその内ウクライナでの被爆者は故で約350万人で、うち120万人が子供であり、過去19年間に事故の影響で150万人のウクライナ人が死亡した。今なお汚染された土地に住む人が600万人おり、放射能を含んだ食料を食べ続け病気になって苦しんでいる。ソ連からの補償はごくわずかで、放射能が原因での奇形児や身体障害者は経済的な理由で多くが親に捨てられてしまうケースが多い。}}。 -->[[核実験]]場のあった[[セミパラチンスク核実験場|セミパラチンスク]](現在は[[カザフスタン]]・[[セメイ]])では120万人がいわゆる[[死の灰]]を受け、30万人が後遺症の深刻な被害を受けている。{{main|[[チェルノブイリ原子力発電所事故|チェルノブイリ原発事故]]}} === 環境破壊 === 1940年代にソビエト連邦は「[[自然改造計画]]」を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めた結果、1960年を境に[[アラル海]]の面積は急激に縮小し干上がることで、1970年代末には塩分濃度の上昇により魚がほとんど死滅し漁業が潰滅した。砂と塩を巻き上げる砂嵐には塩がたっぷりと含まれており、残留農薬や化学肥料、細菌兵器の残滓など人体に有害な物質が含まれておりぜんそくなどの呼吸疾患が大流行、植物は育たず死の砂漠となり人が住めず農業も成り立たなくなり、多くの村や町が消えていった。 ソ連崩壊後の2005年、[[カザフスタン]]政府はアラル海の消滅を食い止めようと、世界銀行などからの支援によって[[コカラル堤防]]を建設するなど取り組み北アラル海は回復傾向にあるが、[[ウズベキスタン]]の領有する南アラル海は、干上がった湖底で石油・ガスの採掘を行う計画を立てている。 == 政治 == === 一党独裁制 === [[ファイル:Supreme Soviet 1982.jpg|thumb|1982年、[[ソビエト連邦最高会議]]議事堂の[[クレムリン|大クレムリン宮殿]]]] 間接代表制を拒否し、労働者の組織「[[ソビエト]]」(協議会、評議会)が各職場の最下位単位から最高議決単位([[最高会議]])まで組織されることで国家が構成されていた。 ただし、こうしたソビエト制度が有効に機能した期間はほとんどないに等しく、実際にはソビエトの最小単位から最高単位まですべてに浸透した私的組織(非・国家組織)である[[ソビエト連邦共産党]]がすべてのソビエトを支配しており、事実上、[[一党独裁制]]の国家となっていた(ただし、[[ロシア革命]]直後のレーニン時代初期とゴルバチョフ時代は複数政党制であった)。こうした党による国家の各単位把握およびその二重権力体制はしばしば「党-国家体制」と呼ばれている。 この[[細胞 (政党)|細胞]]を張り巡らせる[[民主集中制]]と[[計画経済]]を基礎とするいわゆる[[ソ連型社会主義]]と呼ばれる体制は、アパラチキ(「器官」の意)による抑圧的な体制であり、言論などの表現や集会、結社の自由は事実上、存在しなかった。指導者選出のための[[ノーメンクラトゥーラ]]制度は縁故主義の温床となり、新たな階級を生み出した。一般の労働者や農民にとっては支配者が[[ロマノフ朝]]の[[皇帝]]から[[共産党]]に代わっただけで、政治的には何の解放もされておらず、むしろロマノフ朝時代より抑圧的で非民主的な一党独裁体制であった。そのため実質的に最高指導者である[[ソビエト連邦共産党書記長]]は「赤色皇帝」([[赤]]は共産主義を表す色)とも呼ばれる。 スターリン時代からゴルバチョフが[[大統領制]]を導入するまで、名目上の[[国家元首]]は[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]]であったが、実権は[[ソビエト連邦共産党書記長]]が握っていた。 [[レオニード・ブレジネフ|ブレジネフ]]以降は共産党書記長が最高会議幹部会議長を兼務するようになったが、最高会議幹部会議長の権限は儀礼的・名誉的なものであり、彼らの権力の源泉は支配政党である共産党の書記長職であった。 {{Main|ソビエト連邦の指導者の一覧}} === 司法裁判 === 建国者のレーニンは[[秘密警察]]の[[チェーカー]]を設立し、即座に容疑者の[[逮捕]]、[[投獄]]、[[死刑|処刑]]などを行う権限を与えられ、これが[[粛清]]の引き金となった。チェーカーは建前上、党に所属するものとされていたが、実際にはレーニン個人の直属であったといっても過言ではない。チェーカーの無差別な処刑は、反体制派はともかく無関係の者までも日常的に処刑しており、時には罪状をでっち上げてまで処刑していた。レーニンは「[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ]]の手は血に塗れているのだから裁判は必要ない」という理由で皇帝一家ともども処刑を行うなど法に対する姿勢がずさんであったために、歴史家[[ドミトリー・ヴォルコゴーノフ]]は「ボリシェビキが法を守るふりさえしなくなった」契機だと批判した。 スターリン時代には[[密告]]が奨励されるなど、[[警察国家]]・[[全体主義]]国家としての色合いが強くなった。[[モスクワ裁判]]など形式的な裁判により多くの人々が有罪の判決を言い渡され、処刑されるか各地の[[強制収容所]]へ送られることになった。スターリンは、[[レフ・トロツキー|トロツキー]]や[[セルゲイ・キーロフ|キーロフ]]などの政敵たちや党内反対派を殺すためにチェーカーを改名した[[ゲーペーウー|GPU]](ゲーペーウー)を用いた。 {{main|[[大粛清]]}} スターリン批判後には、このような抑圧的なシステムは幾分か緩和されることになったが、秘密警察のGPUが改編された[[ソ連国家保安委員会|KGB]]として存続し国民生活を強く監視する体制は残った。 == 外交関係 == {{Main|ソビエト連邦の外交関係}} === 概要 === [[ファイル:CommunistBlock.png|thumb|300px|赤は社会主義国、薄い赤はその影響下にある国]] 外交関係では、[[東側諸国|東側]]の[[社会主義]]陣営([[ワルシャワ条約機構]])の盟主として、[[アメリカ合衆国]]を筆頭とする[[西側諸国|西側]]の[[資本主義]]陣営([[北大西洋条約機構]])と対決していた(いわゆる[[冷戦]])。 成立当初は[[フランス]]や[[イギリス]]、アメリカ合衆国など大国の承認を得られず孤立したうえ、[[シベリア出兵]]等も行われ、またソビエト政府は[[バルト三国]]を攻撃した。 その後、[[モンゴル]]や[[東トルキスタン]]を衛星国とした。この頃からソ連は各国に承認されていく。特にアメリカはソ連経済への介入をはかりいち早く承認した。 [[第二次世界大戦]]始めにはバルト三国やフィンランドにも侵攻した。[[独ソ戦]]で侵攻してきたドイツを撃退・打倒した第二次世界大戦後に、東ドイツやチェコスロバキア、[[ブルガリア]]などの[[東ヨーロッパ]]諸国を[[衛星国]]化させた。さらに[[ユーゴスラビア]]が主導する[[非同盟]]諸国と呼ばれる中華人民共和国・[[インド]]・[[キューバ]]・[[エチオピア]]・[[エジプト]]・[[イラク]]・[[シリア]]などのいわゆる[[第三世界]]と友好協力条約を結び、関係を持つ。 [[経済相互援助会議]](コメコン)では[[メキシコ]]、[[モザンビーク]]、フィンランドといった非社会主義協力国もあった。[[東アジア]]([[ベトナム]]、[[ラオス]]、北朝鮮など)、[[ラテンアメリカ|中南米]]([[チリ]]、[[ニカラグア]]など)、[[アフリカ]]([[アンゴラ人民共和国|アンゴラ]]、[[大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国|リビア]]、[[コンゴ人民共和国|コンゴ]]など)などでも「民族解放」「反[[帝国主義]]」「植民地独立」を唱える共産主義政権([[専制政治]]が行われた政権もある)の成立に協力し、アメリカや[[西ドイツ]]、イギリスやフランスなどの西ヨーロッパ諸国、日本などの資本主義国と対峙した。 === 対社会主義陣営(東側) === {{Main|東側諸国}} ==== 中華人民共和国 ==== ソビエト連邦の軍事支援により、[[蔣介石]]率いる[[中国国民党]]([[国民政府]])との[[国共内戦]]に勝利した[[毛沢東]]率いる[[中国共産党]]によって[[1949年]]に建国された[[中華人民共和国]]とは、当初「[[向ソ一辺倒]]」を掲げ[[中ソ友好同盟相互援助条約]]により同盟関係にあったが、1960年代の後半には領土問題による軍事衝突([[ダマンスキー島事件]]などの[[中ソ国境紛争]])や指導層の思想的な相違の問題から[[中ソ対立]]が表面化する。両国間のこのような対立関係はその後、中華人民共和国における事実上の内乱である[[文化大革命]]が終結する1970年代後半まで続くことになる。 そのような対立関係を見たアメリカ合衆国は、ソ連を牽制する意図で1970年代に入り急速に中華人民共和国に接近し、1979年には[[国交]]樹立(一方で[[中華民国]]とは国交断絶)に至ることになる。一方、中華人民共和国もアメリカの接近に応える形で、東側陣営にもかかわらず当時の[[1980年モスクワオリンピック|モスクワオリンピック]]のボイコットと[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]の参加という、西側と歩調を合わせる行動を取ることとなる。[[カンボジア内戦]]や[[アンゴラ内戦]]、[[オガデン戦争]]などのように米中ソ三つ巴となる[[代理戦争]]も発生した。 その後は、独裁体制を敷きソ連と対立していた[[毛沢東]]の死去と文化大革命の終焉、ゴルバチョフの訪中といった要因により、ソ連と中華人民共和国の関係も再び改善に向かった。 ==== キューバ ==== 1959年1月に、[[キューバ革命]]でアメリカの支援を受けていた独裁者の[[フルヘンシオ・バティスタ]]を政権の座から引きずり下ろした[[フィデル・カストロ]]は、当初米ソ両国との間で比較的中立な立場を取っていたものの、アメリカの[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]政権は[[キューバ革命]]後に産業の国営化を進めたカストロを「社会主義者的」と警戒し距離を置いた。同時にソ連が「アメリカの裏庭」にあるキューバの最高指導者となったカストロに援助を申し出たことから両国は急接近し、南北アメリカ大陸における唯一のソ連の友好国となる。 その後、[[ジョン・F・ケネディ]]政権下でアメリカはキューバ侵攻を画策し、[[1961年]]に「[[ピッグス湾事件]]」を起こしたことから、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に武器の供与を要求しはじめた。しかしソ連は表立った武器の供与はアメリカを刺激しすぎると考え、キューバ軍への武器提供の代わりに軍事顧問団を置くほか、ソ連の[[核ミサイル]]をキューバ国内に配備する「アナディル作戦」を可決し、[[1962年]]にソ連製の核ミサイルをキューバに配備した。しかし、このことを察知したアメリカは、[[アメリカ海軍|海軍]]艦艇によりキューバ海域を海上封鎖し、キューバに近づくソ連船舶に対する[[臨検]]を行うなど、キューバを舞台にしたアメリカとの軍事的緊張を引き起こした(いわゆる[[キューバ危機]])。 その後もソ連はその崩壊まで、キューバに対する軍事的支援のみならず経済的支援も活発に行い、キューバの主要産業である[[サトウキビ]]を破格の価格で買い取り、その見返りにキューバがその供給を完全に輸入に頼っている[[石油]]を与えるなどさまざまな支援を行い続けた。 === 対資本主義陣営(西側) === ==== 日本 ==== [[帝政ロシア]]時代に行っていた[[南下政策]]により日本やイギリスと衝突し、イギリスと[[日英同盟]]を結んでいた日本との間に[[日露戦争]]が起きて敗北した。[[第一次世界大戦]]時、[[ボリシェヴィキ]]政権の成立後に、他の連合国([[三国協商]])を無視して対独単独講和を行ったため、ドイツ兵の通過を許可するのではないかとして、日本および[[中華民国]]([[北京政府]])から警戒されることとなった([[日支共同防敵軍事協定]])。ドイツへ資源供与するのではないかとして、イギリスおよびフランスからも警戒され、両国によって[[シベリア出兵]]を打診され、実際に出兵した日米と直接衝突することとなった。その後、連合国の擁護する[[臨時全ロシア政府]]を打ち負かしたものの、そのときに日本へと亡命した白系ロシア人らによって反ソ宣伝を広められた([[反共主義#歴史]])。 日本の[[帝国議会]]は1922年の政変を受け、「露西亜政変及ビ西比利亜事変ノ為ヲ被リタル者等ノ救恤ニ関スル法律(ロシア政変及びシベリア事変の為を被りしたる者等の救恤に関する法律)」を成立させ、ロシアとシベリアからの引揚者に[[国債]]や現金を支給する措置をとった<ref>[[井竿富雄]] [http://www.l.yamaguchi-pu.ac.jp/archives/2008/internationalstudies/01_izao.pdf 『シベリア引揚者への「救恤」、1923年 Relief of the Japanese People Retreating from Siberia in 1923』]、2008年。山口県立大学付属図書館。同「救恤」は、日露戦争を勃発させた日本政府の賠償責任を認めたものではないとされている。</ref>。救恤(きゅうじゅつ)とは、金品などを与えて救済するという意味である。 ソビエト連邦の成立後、コミンテルン支部の中国共産党によって[[漢口事件]]を起こしたが、その後に[[反日]]運動を停止する方向で動いていた。しかし、[[中ソ紛争]]勝利後に、中国共産党によって朝鮮共産党に対し満洲にある日本領事館などへの襲撃を行わせた([[間島共産党暴動]])ほか、中国共産党によって満洲のソビエト化を計画していたが、[[関東州]]の日本警察によって計画を暴かれてしまう<ref>[{{新聞記事文庫|url|0100286484|title=満洲の主要都市を暴動化の大陰謀 : 撫順を中心とする中国共産党二十四名検挙さる|oldmeta=10071239}} 満洲の主要都市を暴動化の大陰謀 撫順を中心とする中国共産党二十四名検挙さる] 京城日報 1931年3月21日</ref><ref>[http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04013014300?IS_STYLE=default&IS_LGC_S32=&IS_TAG_S32=&IS_KEY_S1=%E6%9D%8E%E5%BE%97%E7%A5%BF&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KIND=SimpleSummary& 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013014300、各国共産党関係雑件/中国ノ部 /附属物 第一巻 (I-4-5-2-011)(外務省外交史料館)」 1.撫順ニ於ケル中国人共産運動者逮捕ニ関スル件 分割1]</ref>。その後、日本によって[[満洲事変]]を起こされ、[[満洲国]]が建国されてしまい、満洲国との国境などでたびたび日本と軍事的衝突を起こしていた([[日ソ国境紛争]])。中国共産党が朝鮮地方の普天堡を襲撃したり([[普天堡の戦い]])と、日本に対し赤色テロ活動を続けたりしていた。 第二次世界大戦中の1941年4月に[[日ソ中立条約]]が締結され、[[枢軸国]]と[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]という対立する陣営に所属しながらも国交を保ち続けていたものの、[[ヤルタ会議]]において連合国間で結ばれた密約を元に、1945年8月にこれを一方的に破棄し日本に宣戦布告し([[ソ連対日宣戦布告]])、日本が連合国に降伏したにもかかわらず侵略を続け[[千島列島]]・[[北方地域]]なども占拠した。そのうえ、多くの日本人[[捕虜]]を戦後の長い間シベリアなどに拘留して強制労働に処し、全収容者の一割以上が病気・事故により死亡している([[シベリア抑留]])。 このような経緯による日本の反ソ感情に加え、第二次世界大戦後に[[吉田茂]]首相がアメリカとの同盟関係([[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米同盟]])を主軸とした外交を採用したことから、日ソ関係はしばらく進展がなかった。その後、西側諸国以外の国も重視した独自外交を模索する[[鳩山一郎]]へ政権が交代したことで、日ソ間での国交正常化の機運が生まれ、1956年に[[日ソ共同宣言]]を出して国交を回復し、ソ連が反対し続けていたために実現しなかった日本の[[国際連合]]加盟が実現した。 しかし、その後もソ連が北方領土を不法占拠し続けたことや、[[日本社会党]]などの[[左翼]]政党や反政府組織に資金援助を行うなど[[内政干渉]]を行っていたこと、さらに日本がアメリカの同盟国で連合国軍による占領の終了後もアメリカ軍の駐留が続いたこともあり([[在日米軍]])、関係改善は進展しないまま推移した。その一方で、与党の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の一部の議員は、自主的にソ連とのパイプを持ち日ソ関係が完全に断絶することはなかった。[[北洋漁業]]や北洋材の輸入、機械や鉄鋼製品の輸出など両国の経済関係は[[ソビエト連邦の崩壊|ソ連の崩壊]]に至るまで続いた。 ==== 東三省・満洲国 ==== 亡命した白系ロシア人が満洲の[[ハルビン市]]を中心に居住していた。崩壊した[[臨時全ロシア政府]](オムスク政府)や[[白軍]]と関わりのある者によって、[[ザリヤ]]や[[グンバオ]]などのソ連に批判的な白系露字新聞が執筆されており、白系ロシア人が中国や日本とともに反革命を計画していたため、ソ連は満洲に住む白系ロシア人に手を焼いていた(たとえば、中ソ紛争における[[中ソ紛争#ハバロフスク議定書|ハバロフスク議定書]]には、白系ロシア人に対する条項が含まれている)。 大戦末期の1945年にソ連は満洲国に攻め込み([[ソ連対日参戦]])、満洲国を崩壊させ、満洲を共産化させて白系ロシア人を満洲の表舞台から追い出した。 ==== イギリス ==== {{節スタブ}} 1924年の[[ジノヴィエフ書簡]]事件により、イギリスから警戒される。さらに1927年の[[アルコス事件]]によって、秘密文書がイギリスに漏れてしまう。その一方で、1941年7月には独ソ戦を受けて軍事同盟の条約を結ぶ。しかし、1960年にはイギリスに暗号文解読のためのアメリカの[[ベノナ]]計画へと参加されてしまった。 ==== アメリカ合衆国 ==== アメリカ合衆国とは、第二次世界大戦においては連合国軍における同盟国として協力関係にあり、武器の提供を受けるなど親密な関係にあった。 しかし、第二次世界大戦後は東側の共産主義陣営の盟主として、対する西側の資本主義の事実上の盟主となっていたアメリカ合衆国と、いわゆる「冷戦」という形で対立することになった。{{main|[[冷戦]]}} このような関係の変化を受けて、1950年代における[[朝鮮戦争]]や1960年代における[[ベトナム戦争]]など、いわゆる[[代理戦争]]という間接的な形で軍事的対立をしたが、全面的な[[核戦争]]に対する恐怖が双方の抑止力となったこともあり、直接的かつ全面的な軍事的対立はなかった。しかし[[ベルリン封鎖]]や[[キューバ危機]]などでは全面的な軍事的対立の一歩手前まで行ったほか、[[U-2撃墜事件]]における[[領空侵犯]]を行った[[アメリカ軍]]機の撃墜など、限定的な軍事的対立があったのも事実である。 このような対立関係にあったにもかかわらず、冷戦下においても正式な国交が途絶えることはなく、双方の首都に対する民間機の乗り入れが行われていた。 === 外国渡航制限 === 外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、[[亡命]]とそれに伴う[[国家機密]]の流出や[[外貨]]流出などを防止することを主な理由として原則的に禁止されており、渡航先の国と国交があるか否かに関わらず当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、少なくとも個人単位の自由な旅行は不可能であった。これはソ連社会、および東側の社会主義体制の閉鎖性の象徴として西側の資本主義陣営から批判された。 さらに、外国から帰国した旅行者は必ずといっていいほどに諜報部から尋問を受けるため、本人にはその意思がなくても外国で見たことを洗いざらい喋らねばならず、結果的に[[スパイ]]をしてしまうというケースが多かった。他にも、[[アエロフロート]]のような民間航空会社や乗客が実際にスパイとしての役割を兼ねている場合もあった{{efn|西側で同様の役割を与えられていた航空会社として[[中華民国]]の[[民航空運公司]]がある。}}。ただし、[[経済相互援助会議]](コメコン)加盟国同士での海外渡航は容易に可能であり、観光や就労、留学などさまざまな目的にて人的交流は存在した。 西側諸国人との交際や[[結婚]]は多くの障害があり、特に幅広く指定された「国益に直接関係する者」や「国家機密に関わる者」の婚姻は禁じられていた。それでも一応、結婚自体は可能であったが([[石井紘基]]のナターシャ夫人や[[川村カオリ]]の母親のエレーナのように)、その時点でソ連社会での出世の道は途絶えたうえに、今度は配偶者の母国に出国するための[[パスポート]]発給に長い年月を要した。これは西側の資本主義国に限らず、[[衛星国]]の人との結婚でさえも当局からさまざまな妨害を受けたといわれている。 外国航路を運行する船舶や外国で演奏旅行をする[[楽団]]のみならず、海軍艦艇に至るまで、乗務員や楽団員の亡命を阻止し、外国における言論を監視するために必ず[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]の[[政治将校]]が同行していた。それでもスポーツ大会や演奏会などでの亡命は個人や集団を問わず絶えなかった。しかし運よく移住できた場合でも、移住先の国家や社会からは「ソ連のスパイ」という疑念を持たれることが多く、決して安住の地とは言えなかった。 === 例外 === ==== ユダヤ人 ==== 例外として、1950年代までの[[ユダヤ人]]の[[イスラエル]]出国がある。ソ連政府は[[パレスチナ]]でのイスラエル建国(1948年)を支持し、大戦からの復興途上にある自国からユダヤ人を平和的に減らせるこの移住政策を積極的に推進した。しかし、間もなくイスラエルがアメリカの強い支援を受け、対抗した[[アラブ世界|アラブ諸国]]がソ連との関係を深めると、このユダヤ人移住も徐々に減っていった。1967年の[[第三次中東戦争]]で両国の国交は断絶し、以後、冷戦の終結まで集団出国はほとんど行われなかった。 ==== 国外追放 ==== もう一つの例外として、ソ連政府の意に沿わない人間に対する国外追放があった。国家の安定や社会主義体制の発展の害となり、かつ国外での知名度が高いために国内での粛清や拘禁が困難な場合には、対象者の市民権やパスポートを奪い、西側諸国に強制追放した。これにより[[レフ・トロツキー]]や[[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]]はソ連から出国したが、追放者の帰国を認めない点では、外国渡航禁止と同一の発想に立った政策であった。しかし政府の意に沿わない人間であっても、物理学者の[[アンドレイ・サハロフ]]のような、軍事機密や技術の流出につながる人物は国外追放せずに、国内で軟禁したり流刑を科したりする形を取った。 == 軍事 == {{Main|ソビエト連邦軍}} === 強力な軍事力 === アメリカ合衆国を筆頭とする[[西側諸国]]への対抗上、核兵器や核兵器を搭載可能な超音速[[爆撃機]]、ICBM([[大陸間弾道ミサイル]])や大陸間弾道ミサイルを搭載可能な[[原子力潜水艦]]、超音速[[戦闘機]]や[[戦車]]などを配備し、強力な軍事力を保持していた。 1960年代に入り、東西間で核開発競争が過激化する中でソ連は超大型[[水素爆弾]]・AN602を製造する。通称「[[ツァーリ・ボンバ]]」と呼ばれるこの[[水素爆弾]]は[[広島市への原子爆弾投下|広島型原爆]]の約3300倍の威力といわれ、第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の約10倍の威力ともいわれる単一兵器としては人類史上最大の威力を有していた。この時期にソ連が運用を開始した自動報復システムは、一つの些細な判断ミスでも世界規模の[[核戦争]]を引き起こしかねないことから「滅亡装置 ([[:en:Doomsday device|Doomsday device]])」と呼ばれた。その危険性を示す実例として、[[スタニスラフ・ペトロフ#核戦争未遂事件|1983年に監視システムのコンピュータが核ミサイル発射を誤報した事件]]がある。 しかし、こうした強力な軍事力の維持は軍事費の増大をもたらして国家予算を圧迫し、その分、民生向けの[[インフラストラクチャー|インフラ]]や流通システムなどの整備に遅れをきたし、結果的に国民経済を疲弊させた。1979年から10年続いた[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|アフガニスタン侵攻]]は泥沼化し、何の成果も得られずに失敗した。多大な戦費を費やし多数の兵士の人命を失ったのみならず、ソビエト連邦の威信をも低下させ、結果的に[[ソビエト連邦の崩壊]]を早めたとされる。 === 軍事支援 === [[東側諸国|東側陣営]]の[[ワルシャワ条約機構]]の中心国となり、[[東ヨーロッパ|東ヨーロッパ諸国]]に基地を置き、[[ハンガリー動乱]]や[[プラハの春]]など[[衛星国]]での改革運動を武力鎮圧し、[[ワルシャワ条約機構]]の加盟国のみならず、[[中華人民共和国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[キューバ]]や[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]など、世界中の[[反米]]的な[[社会主義]]、[[社会主義国|共産主義国]]に対して[[小銃]]から[[爆撃機]]に至るまで各種の武器を輸出した。現在でも[[第三世界]]には旧ソ連製の武器が大量に流通している。 それだけでなく、自らの軍事技術をこれらの国に輸出したほかにも、[[将校]]などを派遣して軍事訓練を行い、これらの国における軍事技術の向上に寄与し、その中には、[[モスクワ]]の[[パトリス・ルムンバ名称民族友好大学]]や各種軍施設などにおける[[スパイ]]や[[テロリズム|テロリスト]]の養成や資金供与、武器の供与なども含まれている。[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]などの[[代理戦争]]の際には、友好国側を積極的に支援した。 [[冷戦|冷戦期間]]を通じて、[[アメリカ合衆国]]や[[西ヨーロッパ|ヨーロッパ諸国]]などの[[西側諸国]]や、[[南アメリカ]]、[[中東]]、[[アジア]]、[[アフリカ]]諸国の非社会主義政権国における社会主義政党や反政府勢力、非合法団体やテロ組織を含む[[反社会的勢力]]、反戦運動団体(その多くが事実上の[[反米]]運動であった)に対する支援を行い、その中には上記と同じく各種軍施設などにおけるスパイやテロリストの養成や資金供与、武器の供与なども含まれていた。 {{See also|軍服 (ロシア・ソ連)}} == 情報機関 == {{Main|ソ連国家保安委員会|{{仮リンク|ソビエト連邦安全保障理事会|ru|Совет безопасности СССР|en|Security Council of the Soviet Union}}}} {{節スタブ}} == 科学技術 == [[File:RIAN archive 159271 Nikita Khrushchev, Valentina Tereshkova, Pavel Popovich and Yury Gagarin at Lenin Mausoleum.jpg|thumb|ソ連初の女性宇宙飛行士[[ワレンチナ・テレシコワ]](中央の女性)。[[ニキータ・フルシチョフ]](右)らと共に(1963年)]] [[File:Sputnik-stamp-ussr.jpg|thumb|upright|left|[[スプートニク1号]]の軌道を示すソ連の切手]] {{Main|{{仮リンク|ソビエト連邦の科学技術|en|Science and technology in the Soviet Union}}}} [[航空宇宙工学|航空宇宙技術]]では、アメリカとの対抗上、国の威信をかけた開発が行われた([[宇宙開発競争]])。人類初の[[人工衛星]]「スプートニク1号」の打ち上げ成功、[[ユーリ・ガガーリン]]による人類初の[[有人宇宙飛行]]の成功、[[宇宙ステーション]]「[[ミール]]」の長期間に渡る運用の成功などの宇宙開発のほか、世界初の[[原子力発電所]][[オブニンスク原子力発電所|オブニンスク]]を建設するなど、ソ連は人類の[[巨大科学]]に偉大な足跡を残している。現代のロケット工学や宇宙開発の基礎は、ソ連の[[コンスタンチン・ツィオルコフスキー]]が築いたものである。 [[航空機]]でもミコヤン・グレビッチ設計局([[MiG|ミグ]])、[[S・V・イリユーシン記念航空複合体|イリューシン]]設計局、[[ツポレフ]]設計局などによって独創的な機構が開発され、自国での軍用機調達を可能とした他、衛星国への販売にも成功し、ソ連崩壊後にも保守部品販売による収益をもたらした。一方で経済効率や品質の向上には無頓着なままで、国内と衛星国以外ではほとんど採用されず、特に採算性を重視する民間機の採用は皆無であった。これらの宇宙研究や原子力研究は、関係者以外の立ち入りを許さず、[[地図]]にも記載されない[[閉鎖都市]]で行われることがあった。 一方で、航空宇宙、土木、建築など国が推進する分野以外では遅れが目立った。特にスターリン時代では、科学的見地よりイデオロギーが優先されることがしばしばであり、特に[[トロフィム・ルイセンコ]]の提唱した[[ルイセンコ論争|ルイセンコ理論]]などにより、ソ連の農業は壊滅的な被害を受け、輸入国に転落した。計画経済による工場の建設や開発は、時として実情を無視したものとなり、利益面や環境面で失敗することもたびたびであった。このため、地域によっては土壌や河川に深刻な環境破壊が発生し、多くの人が健康被害を受けることになった。さらに[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]に代表されるような官僚的な隠蔽体質はこれらの被害を表面上は覆い隠し、被害を拡大させた。特に[[アラル海]]の開発計画は20世紀最大の環境破壊と呼ばれる事態を引き起こした。時には土木工事などに「[[平和的核爆発|国家経済のための核爆発]]」が使用されることすらあった。 [[原油]]など資源に依存する構造から[[重厚長大]]産業を重視したために「軽薄短小産業」に対応できず、[[半導体]]や[[集積回路]]、[[液晶]]技術でも大幅に遅れを取り、西側のようにコンピュータの急速な進歩と一般生活に至る本格的普及を実現することはできず、ハイテク分野で決定的に立ち遅れることとなった。軍事利用目的で[[東芝]]や[[日立製作所]]などの日本の民間メーカーから製品や技術を導入することもあった([[東芝機械ココム違反事件]])。特に半導体分野は2023年時点(ロシア連邦)でもアメリカやアジアに後れをとり、輸入頼みとなっている<ref>{{Cite web|和書|title=ロシア、制裁で武器作れずソ連時代の在庫使用 北朝鮮にも供給依存 |url=https://mainichi.jp/articles/20221015/k00/00m/030/226000c |website=毎日新聞 |access-date=2023-02-28 |language=ja}}</ref>。 [[宇宙食]]など国が推進する分野と関連がある研究テーマには資金が拠出されていた<ref name=":0">【START up X】虫テック 世界に羽ばたけ/コオロギ・蚕・ハエ…無視できない栄養価/効率飼育・味もアップ「たんぱく質危機」に福音『[[日経産業新聞]]』2020年2月21日1面</ref>。 ソ連では研究開発のために国立の研究機関が設立されたが、崩壊により資金不足に陥り、特許や技術を西側の企業に売却した例もある<ref name=":0" />。また科学者や技術者が仕事を求め西側へ移住する頭脳流出により後の研究開発に支障を来した。 == 経済 == [[ファイル:DneproGES 1947.JPG|thumb|ソ連において数ある[[水力発電]]所のうちの一つである[[:en:Dnieper Hydroelectric Station|ドニエプル水力発電所]]]] {{main|ソビエト連邦の経済|ソ連型社会主義}} === 計画経済 === {{main|計画経済}} 経済面では計画経済体制が敷かれ、農民の集団化が図られた([[集団農場]])。医療費などが無料で税がまったくないことでも知られた。1930年代に世界恐慌で資本主義国が軒並み不況に苦しむ中、ソ連はその影響を受けずに非常に高い経済成長を達成したため、世界各国に大きな影響を与えた。しかし、その経済成長は[[政治犯]]や思想犯を中心とした強制労働に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分されていた実態がその後に明らかになった。 [[ジョン・ケネス・ガルブレイス]]は「資本主義諸国が1930年代に大恐慌と不況にあえいでいたとき、ソ連の社会主義経済は躍進に躍進を続け、アメリカに次ぐ世界第二の工業国になった。そして[[完全雇用]]と[[社会保障]]をやってのけた」としながらも、1970年代には崩壊し始めたと総括している(しかし、1930年代当時のソ連経済の躍進の裏には、数百万人といわれる規模の強制労働従事者のほぼ無償の労働による貢献があった点を、ガルブレイスは見落としているか故意に無視していることに注意が必要である)。実際、1960年代以降は計画経済の破綻が決定的なものとなり、消費財の不足などで国民の生活は窮乏した。 流通の整備が遅れたため、農製品の生産が十分にあったとしても、それが消費者の手元に届けられるまでに腐敗してしまうこともあった。そのために闇市場のような[[闇経済]]や汚職が蔓延し、そのような中で[[共産貴族]]がはびこるという結果になった。 === 農業 === {{main|:en:Agriculture in the Soviet Union}} [[ファイル:Armenian cotton.jpg|thumb|1930年代の[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国|アルメニア]]にて、綿花の収穫]] ソ連の[[農業]]は、気候条件の厳しさから農業に適した地域は比較的限られており、また各共和国に[[モノカルチュア]]的な生産を割り振ってきた結果、ウクライナやベラルーシ、ロシアの黒土地帯・コーカサス地帯などでは主要な[[作物]]は[[小麦]]等の[[穀類]]や[[飼料]]作物([[テーブルビート|ビート]]など)、[[ジャガイモ]]、[[ヒマワリ]]、[[果樹]]、[[野菜]]、シベリアでは穀類が中心、極東では[[大豆]]、中央アジアは[[綿花]]{{efn|皮肉にもその栽培計画により、ソ連は[[ソビエト連邦の崩壊|連邦の崩壊]]を加速させる結果となった<ref>[https://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2017/08/09/816640 ソ連崩壊の一因になった綿] 2017年8月09日 ロシア・ビヨンド</ref>}}であった。農業労働者たちは、[[コルホーズ|集団農場]]と[[ソフホーズ|国営農場]]で計画経済のもとで定められた賃金でノルマを満たすだけの作業のみ従事させられていた。農作物の価格は国家が決定し、価格を調整するために補助金を支給していた。これらが労働意欲を減退させ、農業生産性を極端に低くし、1970年代からは[[肉]]類、穀物の恒常的な輸入国になり農業はソ連のアキレス腱になった。 ロシア革命時、農村は人口の80%を占めていた発などを含む「戦時共産主義」によって{{疑問点|date=2022年4月}}、荒廃し特にウクライナで数百万人ともいわれる餓死者を出した。そのため1921年に穀物の強制徴発を廃止した新経済政策「ネップ」により、農業は戦前の水準を回復したが穀物の調達は困難になっていった。そこで1928年、スターリンは、農業集団化を実施し低賃金で酷使される集団農場と国営農場に改編された。[[クラーク (農家)|クラーク]]とされた勤勉な農民900万人は追放され、半数は処刑され残りは強制収容所に送られた。穀物の調達量は増加したが生産は低下し、1931年から1933年にかけて700万人が餓死した。抵抗した農民たちも最終的には工業労働者となったり集団農場に組織されたりした。 1941年に独ソ戦が始まると農村は壊滅的な打撃を受け、戦後も戦前と同様の経済体制を維持しながら戦後復興に着手したため、1946年から1947年かけて100万人以上が餓死し、多くが離農した。1953年、スターリンの死後、フルシチョフは、カザフスタンや西シベリアなどの未開墾地、耕作放棄地の開拓事業を提案し、処女地からの穀物の収穫が試みられた。1955年から数年の間は処女地の収穫物によって穀物の不足は一時的に解消されたが、[[ルイセンコ論争|ルイセンコ理論]]や[[農地]]の[[砂漠化]]で処女地が不作に陥ると穀物は再び欠乏し国外から輸入するようになった。フルシチョフ失脚後も集団農場の生産性は上がらず、1980年代には集団請負制を導入するも、[[コルホーズ]]内のわずかな自留地では支えきれない大量の食料をアメリカから輸入していた。 === 消費財の流通 === 東西対立の世界構造の中で、[[軍需産業]]に高い技術と莫大な資金を投じることで[[軍民転換]]が遅れ、[[冷蔵庫]]や[[洗濯機]]、[[乾電池]]や[[電子レンジ]]などの国民生活に必要な電化製品や、[[石鹸]]や[[洗剤]]、[[シャンプー]]や[[トイレットペーパー]]、[[鉛筆]]や[[ボールペン]]などの一般消費財、[[たばこ]]や[[清涼飲料水]]などの嗜好品の開発と生産、物流の整備は疎かにされ、西側諸国に比べ技術、品質ともに比べ物にならない低レベルの電化製品でさえ、入手するために数年待たなければいけないというような惨憺たる状態であり、これは[[リチャード・ニクソン]]との[[台所論争]]でもアメリカから槍玉にされた。 さらにほとんどの電化製品や[[自動車]]の技術は、西側諸国の技術より数十年遅れていたといわれているうえ、その多くが[[フィアット]]([[トリヤッチ]]を参照)や[[パッカード]]などの西側の企業と提携し、旧型製品の技術供与を受けたもの、もしくは西側製品の無断コピーや、第二次世界大戦時にドイツ国内から接収、略奪した[[オペル]]の生産工場施設からの技術の流用であった。 電化製品や一般消費財、嗜好品や自動車は、市場における競争に勝ち残るために西側諸国では頻繁に行われていた新製品の開発や市場投入、改良や価格改定はほとんど行われず、なにも改良されないまま30年以上にわたり同じ製品が製造されていた。 自動車の個人所有は共産党幹部などの限られた階級の人間に限られ、それ以外の階級のものが手にするためには、電化製品同様数年待たなければいけない状態であった。まして労働者階級が[[ジル (自動車)|ジル]]や[[GAZ|ヴォルガ]]などの[[高級車]]や、レオニード・ブレジネフなどが愛用した[[シトロエン]]などの西側諸国からの輸入車を所有することは事実上不可能であった。 === 貿易 === 上記のように、[[電化製品]]や消費財、工作機械や自動車などの技術や品質が西側諸国のそれに対して決定的に劣っていたことから、西側諸国に対しての輸出は、[[農産物]]や[[魚介類]]などの[[第一次産業|第一次産品]]や、[[原油]]や[[天然ガス]]などの[[エネルギー資源]]が主であった。[[通貨]]の[[ルーブル]]自体が、国外で通貨としての価値が低かったこともあり、エネルギー資源の貿易がある国を除いては、西側諸国との貿易収支はおおむね赤字であったか非常に少ないものであった。また農産物などとの物々交換の形式とした例もあった。農産物により外貨獲得のため食料輸出輸入公団(S.P.I. Groupの前身)が西側にも輸出していたが、[[ウォッカ|ウォトカ]]は西側諸国では[[カクテル]]ベースとして人気があったことから、アメリカでの[[ストリチナヤ]]の販売権を得た[[ペプシコ]]は、ソ連国内で販売される[[ペプシコーラ]]の濃縮液との物々交換で支払っていた<ref>{{Cite web|和書|title=ペプシコとコカ・コーラがソ連でいかに覇権を争ったか |url=https://jp.rbth.com/history/81814-pepushiko-to-kokakora-soren-de-haken-wo-arasotta |website=Russia Beyond 日本語版 |date=4月 01, 2019 |access-date=2023-03-11 |language=ja-JP |last=ボリス・エゴロフ}}</ref>。 衛星国や社会主義国との間の貿易は、それらの多くの国の外貨が乏しかったことや、[[対共産圏輸出統制委員会|ココム]]などの貿易規制により西側諸国からの貿易品目が制限されていたことから、一次産品やエネルギー資源はもとより、西側諸国では相手にされなかった電化製品や消費財、工作機械から自動車、航空機などの軍事物資に至るまでが輸出された。1975年の国別工作機械生産額でもソ連は世界3位である。その多くが事実上の援助品とあるいは、相手国の一次産品とのバーター貿易など無償に近い形で供給された。1930年からペレストロイカ実施まで、商業手形が廃止されていたので流通・割引がなく、取引は[[VIP銀行|ゴスバンク]](国有銀行)で集中決済された<ref>[[田中壽雄]] 『ソ連・東欧の金融ペレストロイカ』 東洋経済新報社 1990年 p.42.</ref>。 === 輸入消費財 === 西側諸国の電化製品や[[化粧品]]、衣類などの消費財の輸入、流通は原則禁止されていたものの、モスクワなどの大都市のみに設けられた「[[グム]]」などの外貨専用の高級[[デパート]]で入手することが可能であった。しかし実際にそれらを購入することができるのは外国人か共産党の上層部とその家族だけであった。そのため、[[マールボロ (たばこ)|マールボロ]]の[[たばこ]]や[[リーバイス]]の[[ジーンズ]]など多くの西側製品が闇ルートで流通していた。 === 会計監査 === 会計も社会主義に基づいて進められ、会計士は計画経済を進める最高国民経済会議のために働くこととなった。国営企業の会計責任者は、貸借対照表と会計報告書を作成して会計を組織する責任を負った。中央集権化と集団農場化が進んだ1930年代からは、[[スターリン主義|スターリン主義者]]によって会計学は個別企業のみを対象にしていると批判され、スターリン主義に批判的な会計士は活動の場を奪われ、ソ連財務省と中央統計局が会計の指導と監督を行うようになった{{Sfn|森|1983|pp=176-186}}{{Sfn|齊藤|2013|p=1}}。 会計人は中央省庁の計画をもとに実務を行う簿記係と、上級機関に責任を持つ会計担当者に分かれた。経営の改善や専門家としてのイニシアティブを発揮する余地はなくなり、会計は硬直化した{{Sfn|森|1991|p=256}}。1960年代からは経済改革による分権化が始まり、計画経済や企業管理において利潤・原価・価格・利子なども評価されるようになり、会計士は科学技術協会(HTO)に所属して専門家として活動した。HTOでは資本主義諸国の会計の取り入れも検討された{{efn|検討項目としては、標準原価計算、直接原価計算、操業度と原価との関連、固定費と変動費の分類、損益分岐点、責任制と対応した原価設定、コストセンター、原価差異の許容限度、差異分析の利用、製造原価設定と標準修正、諸勘定から得られる設備投資の情報、自製・外注選択などがあった{{Sfn|森|1983|p=194}}。}}{{Sfn|森|1983|pp=189-194}}。 1980年代後半の[[ペレストロイカ]]から民営化や市場経済化が始まり、西側諸国との合弁企業で市場経済の会計が部分的に導入され、企業の営業秘密が認められた{{Sfn|森|2004|pp=104-105}}。1991年のソ連の崩壊後は市場経済化がさらに進み、ロシアでは公認会計士にあたる監査士が国家資格化された{{Sfn|齊藤|2003|pp=1-2}}。 === アメリカ合衆国との比較 === {| class="wikitable" border="1" table style="border:1px black; float:right; margin-left:1em" |- !style="background:#d3d3d3;" colspan="3"|1989年時点における米ソの比較<br>1990年の[[ザ・ワールド・ファクトブック]]に基づくデータ<ref>{{Cite web |year=1990 |url=http://www.umsl.edu/services/govdocs/wofact90/world12.txt |title=THE WORLD FACTBOOK 1990 ELECTRONIC VERSION |publisher=[[中央情報局|アメリカ中央情報局]] |language=英語 |accessdate=2010-09-05}}</ref>。 |- !||{{flagicon|USSR}} ソビエト連邦||{{USA}} |- |[[国内総生産|GDP]](PPP,1989年 – million $)||2兆6,595億ドル||5兆2,333億ドル |- |人口(1990年7月)||約2億9,093万人||約2億5,041万人 |- |1人あたりのGDP(PPP,$)||9,211ドル||21,082ドル |- |労働力(1989年)||約1億5,230万人||約1億2,555万人 |} ソビエト連邦はアメリカとは同レベルのGDPでなかったが、アメリカ以上に巨大な面積と資源で超大国としての地位を得ていた。アメリカと対等レベルの核兵器を保有しているとみられていたために、直接対決だと共倒れを招くために自国の軍事行動にアメリカを介入させることはできなかった。国内総生産、また1人あたりのGDPもアメリカの2分の1から3分の1ほどであった。 国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら重工業投資と、軍事支出に資源を集中していた。[[1950年代]]に約15%だったソ連の投資率は、[[1980年代]]には30%に達し、軍事費率もある推定では1980年代中頃には16%に達していた。[[1970年代]]以降、コンピュータや半導体といったハイテク部門の重要性が増すと、重工業優先のソ連ではその技術を導入するのが困難となり、技術進歩率は停滞、ついには設備の老朽化と相まって1980年代には技術進歩率はマイナスに陥ってしまった。 ソ連の経済は1950年代から1960年代の初頭まで目覚しいペースでアメリカの国力を追い上げており、「20年以内にアメリカを追い抜く」というフルシチョフの強気の発言も信じられていたが、1960年代に入るとそのペースは一服したものの、[[1975年]]にソ連の相対的な国力は対米比45%と頂点に達した。しかしその後は衰退局面に入り、逆にアメリカとの相対的な国力の差は拡大していった。 ソ連崩壊後、ロシアの軍事力と経済力は急激に衰え、アメリカとは1人当たりのGDPと軍事費において大きく差をつけられた。さらに経済混乱の影響で、国民は[[社会保障]]を破壊されて苦しんだため、[[親米]]的でペレストロイカを行ったゴルバチョフを、「アメリカに魂を売った[[売国奴]]」や「[[国益]]を損ねた裏切り者」と酷評する者も少なくない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ceodata.com/tools/cw1947-1991.html |title=米ソの興亡1947〜1991 |language=日本語 |accessdate=2010-09-05}}</ref>。 == 交通 == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の交通|en|Transport in the Soviet Union}}}} 国民は自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていただけでなく、国外からの旅行者のソビエト国内における移動に大幅な制限があったため、国内外の交通に対する需要は非常に限られていた。鉄道網は、長距離や近距離を問わず軍事転用が容易なことから比較的整備が進んでいたが、西側諸国と違い個人所有の自動車の数が限られていたことから、[[高速道路]]や[[ガソリンスタンド]]、[[レンタカー]]、[[タクシー]]などの自動車インフラは貧弱なままであった。 外国、特に西側諸国への個人的理由での渡航は、亡命と外貨流出を防ぐということを主な理由に原則的に禁止されており、また国交がある国であろうがなかろうが、当局の許可がない限り渡航は不可能であった。許可が下りた場合でもさまざまな制限があり、個人単位の自由な旅行は不可能であった。しかしながら、国力と友好関係を誇示することと外貨獲得を目的に、国外への[[航空機]]や[[船舶]]による定期便は比較的整備されていた。 === 航空 === ==== アエロフロート ==== ===== 国内線 ===== [[ファイル:Flag of the Aeroflot.svg|thumb|ソ連時代の[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]の旗]] 広大な国土は主に航空機によって結ばれていた。国内の航空路線網は、唯一にして最大の[[航空会社]]で、[[フラッグ・キャリア|ナショナル・フラッグ・キャリア]]である[[国営企業|国営]]の[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート・ソビエト航空]]によって運行されており、長距離国際線から国内幹線、航空機によってのみアクセスが可能な僻地や、舗装された[[滑走路]]が整備されていない地方[[空港]]への運行が可能なように、[[超音速旅客機]]を含む大型[[ジェット機]]から[[ターボプロップ]]機、小型[[複葉機]]や大型貨物機までさまざまな機材を運行していた。 使用機材のほとんどは、[[S・V・イリユーシン記念航空複合体|イリューシン]]や[[ツポレフ]]、[[A・S・ヤコヴレフ記念試作設計局|ヤコブレフ]]などの国産機材であったが、一部はチェコスロバキアやポーランドなど東側友好国の機材も導入されていた。有事にはそのまま軍事利用できるように、一部の機材は銃座が残されたまま運航されていた。 ===== 国際線 ===== [[ファイル:CCCP86874 (7110631507).jpg|thumb|尾部に銃座を残したアエロフロートのイリューシン[[Il-76]]]] 同じく国際線もアエロフロートによってのみ運行されていたが、ソビエト国民の海外渡航や国外からの旅行者のソビエト国内における移動には大幅な制限があった。一方で、国力と友好関係を誇示することと、外貨獲得を目的に、イギリス、日本、アメリカなどの西側の主要国や東ドイツやポーランド、ブルガリアなどの東欧の衛星国、キューバや[[アンゴラ]]、北朝鮮などの友好国をはじめとする世界各国に乗り入れを行っていた。 しかし、国力と友好関係を誇示することという主な目的から、完全に採算度外視で運行していたこともあり格安な航空料金で提供していたものの、その空港、機内サービスは西側諸国のものには遠く及ばなかったことから、西側諸国の多くでは格安な料金と劣悪なサービスでのみ知られていた。 海外からは多くの友好国の航空会社がモスクワやハバロフスクなどの大都市を中心に乗り入れていたほか、アメリカ、イギリス、日本、西ドイツなどの西側諸国からも、[[パンアメリカン航空]]、[[英国海外航空]]や[[日本航空]]、[[ルフトハンザ・ドイツ航空]]などのナショナル・フラッグ・キャリア航空会社が乗り入れていた。 西側諸国に乗り入れた際には、航路から外れて軍事基地や港湾施設の近くを飛ぶことも多々あったと報告されており、そのため日本でも[[航空自衛隊]]の基地と併設している千歳空港への乗り入れを拒否されていた。さらにイリューシンIL-76などは尾部に銃座を残したまま(銃は取り外されていた)運航されていた機材もある。 日本との間は日本航空とアエロフロートが[[東京]]([[東京国際空港|羽田空港]]、[[成田国際空港|成田空港]])、[[新潟市|新潟]]([[新潟空港]])とモスクワ、ハバロフスク、イルクーツクとの間に定期便を運行しており、一部路線においては日本航空との[[コードシェア]]運航も行われていた。 === 鉄道 === {{main|ソビエト連邦の鉄道}} シベリア鉄道を代表とする鉄道網によって各都市が結ばれていたほか、衛星国を中心とした近隣諸国に国際列車も運行されていた。モスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)などのいくつかの大都市には防空壕を兼ねた[[地下鉄]]網が整備されており、社会主義建設の成功を誇示する目的で、スターリン時代に建設された一部の駅構内は[[宮殿]]のような豪華な装飾が施されていた。 === 自動車 === 個人による自動車の所有だけでなく、自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られていたこともあり、西側諸国で行われていたような高速道路による国民の自由な移動は一般的なものではなかった。大都市の市街地には[[トロリーバス]]を含む[[バス (交通機関)|バス]]路線網が張り巡らされていた。 == 連邦における国民と社会 == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の人口統計|en|Demographics of the Soviet Union}}}} [[File:Map of the ethnic groups living in the Soviet Union.jpg|thumb|200px|ソビエト連邦の民族地図]] {{節スタブ}} {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦における国勢調査|en|Soviet Census}}}} {{also|{{仮リンク|ソビエト連邦下における家族|en|Family in the Soviet Union}}|{{仮リンク|ソビエト連邦下における孤児|en|Orphans in the Soviet Union}}}} === 言語 === {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦における言語|en|Languages of the Soviet Union}}|{{仮リンク|コレニザーツィヤ|ru|Коренизация|en|Korenizatsiia}}}} ソビエト連邦において公用語は規定されていないが、ロシア語が事実上の公用語となっていた。 他には構成共和国における母語が存在しており、[[ウクライナ語]]、[[ベラルーシ語]]、[[エストニア語]]、[[ラトビア語]]、[[リトアニア語]]、[[モルドバ語]](実質的には[[ルーマニア語]])、[[ウズベク語]]、[[タジク語]]、[[トルクメン語]]、[[カザフ語]]、[[キルギス語]]、[[アルメニア語]]、[[アゼルバイジャン語]]、[[グルジア語]]が用いられていた他、いくつかの少数民族の言語が話されていた。 === ソ連邦内の民族紛争・民族対立 === {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦における民族紛争|en|Ethnic conflicts in the Soviet Union}}}} {{節スタブ}} ====ソ連におけるユダヤ系・反ソ感情による反ユダヤ主義==== [[日本記者クラブ]]によるとソ連時代だけでなく、革命前のロシア帝国でも、ユダヤ人迫害はたびたび起きていたこと<ref name=":8" />、ロシア帝政下で、ロシア帝国はユダヤ人はウクライナに定住させ、移動を禁止するなどの政策をとってきたこと、多くのユダヤ人がロシア帝国に不満を持っていたため、若いユダヤ人たちが[[ロシア革命]]に参加したことは事実であると指摘している<ref name=":8">{{Cite web|和書|title=崩壊前後のソ連からイスラエルにユダヤ人が大移動 {{!}} 取材ノート {{!}} 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC) |url=https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/33074 |website=日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC) |accessdate=2022-04-08 |language=ja}}</ref>。 1948年の[[イスラエル]]建国まで、反ソ連(親ロシア帝国又は自民族国家独立活動家)の人々に反ユダヤ的立場を取る人が多かった背景には、ロシア帝国時代からロシア人からも差別されていた上に、当時自民族国家を持たなかったユダヤ人にはソ連の掲げた共産主義思想に共感する者が多く、彼らが共産主義者となったこと、[[マルクス]]だけでなく、ソ連の幹部にユダヤ人が多数いたことがある。そのため、[[白系ロシア人]]などのようにソ連に対する敵対行動せずとも反ソ連感情を持っていた非共産主義者の一般ロシア人は「ユダヤ人に母国を乗っ取られた」、ソ連に侵略された地域・国家の人々は「ユダヤ人に自国を侵略された」として、反ユダヤの思想となっていた。ソ連政府指導層におけるユダヤ人の割合は当時の他国を圧倒し、国内外のユダヤ人も資本主義を支持する富裕層以外はソ連にシンパシーを持つほどであった。ただし、1948年にイスラエルが建国されると、裕福でもないユダヤ人もソ連からイスラエルへ心が移っている<ref>「ロシアとユダヤ人: 苦悩の歴史と現在」p49, 高尾千津子, ユーラシア研究所</ref>。 更には、『[[資本論]]』を書いたマルクスはユダヤ人であり、第二次ロシア革命である[[十月革命]]でロシア帝国からソ連になり、成立した当初の[[レーニン]]の'''内閣のメンバーは半分以上がユダヤ系'''だった<ref name=":8" />。 =====ロシア正教の復権・ソ連崩壊後のユダヤ人大移動===== 更にソ連という共産主義国家の誕生で、ソ連国内では宗教活動が制限された。そのため、ソ連が行き詰まると、ソ連国内の人々は再び[[ロシア正教]]に救いを求めた一方で反ユダヤ主義が台頭した。ソ連の人々は経済の不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃さえ起こしていた。ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している<ref name=":8" />。ソ連崩壊前後のロシアにおける反ユダヤ主義の台頭のため、イスラエルへの大移動がおこり、2016年4月時点イスラエルの人口は現在840万人に増えているが、そのうちロシアからの移民は120万人にも達し、人口の15%を占めるほどになっている<ref name=":8" />。 == 宗教 == {{Main|{{仮リンク|ソビエト連邦における宗教|en|Religion in the Soviet Union}}}} === 正教弾圧 === [[File:Ivan Vladimirov confiscation-of-church-property-in-petrograd-1922.jpg|thumb|200px|ロシア・ボリシェヴィキによる教会財産の接収。 {{ill2|Ivan Vladimirov|ru|Владимиров, Иван Алексеевич}}作。]] [[File:Ivan Vladimirov questioning-in-the-committee-of-poor.jpg!HD.jpg|thumb|200px|ロシア・革命派によって死刑を宣告される聖職者と地主。 {{ill2|Ivan Vladimirov|ru|Владимиров, Иван Алексеевич}}作。]] [[File:Ivan Vladimirov russian-clergy-on-forced-labor-1919.jpg|thumb|200px|ロシア・ボリシェヴィキの命令で強制労働に従事する聖職者。 {{ill2|Ivan Vladimirov|ru|Владимиров, Иван Алексеевич}}作。]] [[ファイル:Christ saviour explosion.jpg|thumb|220px|1931年のモスクワにて、爆破される[[救世主ハリストス大聖堂]]]] ロシア革命によって[[世俗主義]]、[[無神論]]、[[唯物論]]を奉じるソビエト連邦が成立すると、ロシア帝国の[[国家宗教|国教]]であった[[正教会|正教]](組織としては[[ロシア正教会]]のほか、[[ウクライナ正教会]]、[[グルジア正教会]]などを含む)は多数の聖堂や[[修道院]]が閉鎖され、財産が没収された。のちに[[ロシアの世界遺産|世界遺産]]となる[[ソロヴェツキー諸島]]の修道院群は強制収容所に転用された。 聖職者や信者が外国のスパイなどの嫌疑で逮捕され、多数の者が処刑され[[殉教|致命]]した。初代の京都主教を務めた大主教[[アンドロニク (ニコリスキイ)|アンドロニク・ニコリスキイ]]は生き埋めの上で銃殺されるという特異な致命で知られる。[[モスクワ総主教]][[ティーホン (モスクワ総主教)|ティーホン]]は当初、無神論を標榜するボリシェヴィキに対して強硬な反発を示していたが、想像以上に苛烈な弾圧が教会に対して行われていく情勢に対して現実的姿勢に転換し、ソヴィエト政権をロシアの正当な政府と認め一定の協力を行ったが、教会の活動はなお著しく抑圧された。 1921年から1923年にかけてだけで、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、その他信徒多数が処刑された<ref>[[高橋保行]]『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』83頁、教文館、1996年 ISBN 4764263254</ref>。1918年から1930年にかけてみれば、およそ4万2000人の聖職者が殺され、1930年代にも3万から3万5000の[[司祭]]が銃殺もしくは投獄された<ref>前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』125頁</ref>。1937年と1938年には52人の[[主教]]のうち40人が銃殺された<ref>前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』126頁</ref>。 政府の迫害を恐れ多数の亡命者も出た。亡命者たちの中からは[[セルゲイ・ブルガーコフ]]、[[ウラジーミル・ロースキイ]]、[[パーヴェル・エフドキーモフ]]、[[イリア・メリア]](メリアは[[グルジア人]])など世界的に著名な[[神学者]]が輩出され、20世紀初頭まであまり知られていなかった正教の伝統が海外に知られるきっかけとなった。 1931年にはスターリンの命令によって[[救世主ハリストス大聖堂]]が爆破された。 1940年代に入ると、独ソ戦におけるドイツの侵攻に対して国民の士気を鼓舞する必要に駆られたスターリンは、それまでの物理的破壊を伴った正教会への迫害を方向転換して教会活動の一定の復興を認め、1925年に総主教ティーホンが永眠して以降、空位となっていたモスクワ総主教の選出を認めた(1943年)。この際にそれまで禁止されていた教会関連の出版物がきわめて限定されたものではあったものの認められ、1918年から閉鎖されていたモスクワ神学アカデミーは再開を許可された。 ただし1940年代半ばには[[継続戦争|ソ芬戦争]]以後、[[ヴァラーム修道院]]のある地域がソ連領となったため、ヴァラーム修道院の修道士達はフィンランドに亡命し、この結果[[フィンランド正教会]]で[[新ヴァラーム修道院]]が設立されるなど、ソ連における正教弾圧は亡命者が出ることがないほどにまで緩和されたわけではない。 [[ヨシフ・スターリンの死と国葬|スターリンの死]]後、フルシチョフは再度、正教会への統制を強化。緩やかかつ細々とした回復基調にあったロシア正教会は再度打撃を蒙り、教会数は半分以下に減少。以降、ソ連崩壊に至るまでロシア正教会の教勢が回復することはなかった。 === イスラム弾圧 === 広大な国土の中でも、中央アジア地域では[[イスラム教]]が大きな勢力を持っていたが、ソビエト連邦の成立とともに正教など他の宗教とともに弾圧されることとなり、[[中央ムスリム宗務局|ムスリム宗務局]]によって国家統制された。しかし人々の心の中の信仰心までは抑えることができず、他の宗教と同じくソ連崩壊後は教勢が回復した。 信仰されていた地域に偏りはあったものの、全ソビエト連邦領内におけるイスラム教徒の人口は最終的に7000万人前後にも達し、総人口の実に4人に1人がイスラム教徒(もしくはイスラムを文化的背景に持つ人)で占められていた。この数字はイラン、トルコ、エジプトなどの総人口にも匹敵し、ソビエト連邦は総人口においても、国民に占める割合においても、非イスラム教国家としては最大級のムスリム人口を抱える国家となっていた。 イスラムが多数派の地域以外のロシア連邦などの諸州においても、イスラムを背景に持った諸民族、特に[[タタール人]]、[[アゼルバイジャン人]]が全土に居住し、ソビエト連邦内のどの地域においても一定数のイスラム社会が存在していた。この点は同じ非イスラム教国でありながら全土にイスラム社会を内包しているインドや中国とも共通していた。 ただソビエト連邦におけるイスラムは、中国やインドとは異なり、多数派民族と、文化、言語、血統、形質などを共有する集団、具体的に言えば、[[スラヴ系]]のロシア人などと文化や言語を共有する集団の間にはあまり広まらなかった。ソビエト連邦内のイスラムはあくまで[[テュルク系民族|テュルク系]]や[[イラン系民族|イラン系]]、コーカサス系などの、(多数派民族であるロシア人から見た)異民族の間で主に信仰されていた。全土に幅広く分散していたイスラム系民族のうちタタール人の間には[[スンナ派]]が多く、アゼルバイジャン人の間には[[シーア派]]が多いため、両派が近い比率で全土に散らばっていたこともユニークである。この点はソビエト連邦崩壊後も、ロシア連邦において引き継がれている。 ===ユダヤ教弾圧・民衆による反ユダヤ主義=== 社会主義のソ連政府は他の宗教と同様にユダヤ教も弾圧し、同国民の反ユダヤ感情も強かった<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=ナチスもソ連も恐れたユダヤ難民…「命のビザ」がウクライナ侵攻で再び注目される理由とは:東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/267137 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。 民衆の間ではソ連という共産主義国家の誕生で国内における宗教活動制限された影響で、ソ連の低迷は同国内の人々の中にロシア正教に救いを求めた人々が増加した一方で反ユダヤ主義も台頭した<ref name=":8" />。ソ連誕生直後の指導部には多くのユダヤ人がいたことから「社会主義革命はユダヤ人の陰謀」とのデマも拡散し、第2次大戦中にもナチスによるユダヤ人迫害に加わる住民さえもいた<ref>{{Cite web|和書|title=「非ナチ化」を掲げウクライナ侵攻を続けるロシアから、ユダヤ人が逃げ出す背景は 12%のユダヤ系住民が脱出:東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/225281 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。 1939年の[[独ソ不可侵条約]]で東欧諸国の分割支配を決めると、東欧のユダヤ人は独ソ間に挟まれて行き場を失った。当時の[[ポーランド共和国(第二共和国)|ポーランド共和国]](現[[ベラルーシ]]含)から逃亡したユダヤ人は、ソ連が併合手前であったリトアニアから日本経由で第三国に逃れようとし、彼等を[[杉原千畝]]や[[根井三郎]]が救っている<ref name=":1" />。ソ連の民衆はソ連への不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、ソ連右翼団体等がユダヤ人襲撃などしていた。そのため、ソ連崩壊後にロシア人からユダヤ人への憎悪が高まると、多くのユダヤ人がイスラエルに移住している<ref name=":8" />。 === その他の宗教弾圧 === 正教のみならず、他の[[キリスト教]]である[[カトリック教会]]([[東方典礼カトリック教会]]を含む)、[[聖公会]]、[[プロテスタント]]も弾圧を受けた。 === 創価学会との交流 === 日本の[[創価学会]]([[日蓮]][[仏教]]系)に関しては、ソ連国内における布教活動自体は認めなかったが{{efn|布教活動が認められたのは、連邦崩壊後の[[1994年]]}}、外交的および経済的見地から友好関係を保っていた。とりわけ[[池田大作]]会長(のちに[[名誉会長]])が1974年以降にソ連訪問を繰り返すようになると、政府や党の要人が面会に応じるのが慣例だった。1974年、1975年の訪ソでは[[アレクセイ・コスイギン]]、1981年の訪ソでは[[ニコライ・チーホノフ]]、1987年の訪ソでは[[ニコライ・ルイシコフ]]、1990年の訪ソではゴルバチョフと面会している。池田名誉会長と最高指導者との面会が行われたのはゴルバチョフ政権時代の1990年だった。 == 言論・報道 == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦のメディア|ru|Средства массовой информации СССР|en|Media in the Soviet Union}}}} === 報道統制 === {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦における検閲|ru|Цензура в СССР|en|Censorship in the Soviet Union}}}} '''国内''' 上記のように外国の放送の傍受が禁止されていたうえ、[[テレビ]]や[[ラジオ]]、[[新聞]]などの[[報道機関|マスコミ]]による報道は共産党の管制下に置かれ、国家や党にとってマイナスとなる報道は、1980年代にグラスノスチが始まるまで流れることはなかった。 このような規制は外国の事件や、チェルノブイリ事故や大韓航空機撃墜事件のような国際的に影響がある事件に対してだけでなく、国内の政治、経済的な事件も、党幹部の粛清や地下鉄事故、炭鉱事故のような事件に至るまで、それが国家や党に対してマイナスの影響を与えると判断されたものはほとんど報道されることがなかったか、仮に報道されても国家や党に対して有利な内容になるよう歪曲されていた。そのため、西側の国でオリンピックなどがあると、そこで初めて真実を知ったソ連の選手や関係者がそのまま亡命希望するケースが頻発した。 ロシア革命以前の支配者の[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]やその家族を[[ロマノフ家の処刑|裁判なしに銃殺した]]真実を明らかにしようと、1979年に地質調査隊が皇帝一家の遺骨の発掘を行ったが、KGBに逮捕された事例がある。しかしソ連崩壊後にロシアでは70年以上も隠蔽されたこの事実が明らかになり、ロシア革命から80年を経た1998年に葬儀が行われた。 '''国外''' 西側諸国の報道機関の特派員は基本的に国内を自由に取材、報道することは禁じられており、事前に申請が必要であったがその多くは却下され、たとえ許されたとしても取材先の人選や日程はすべてお膳立てされたものに沿わなければならなかった。モスクワオリンピックなどの国際的[[イベント]]や、西側諸国の首脳陣の公式訪問が行われる際にソ連を訪れた報道陣に対しては、このようなお膳立てされた取材スケジュールが必ず提供された。 西側諸国の報道機関で働くソビエト人従業員も自主的に選択することは許されず、当局からあてがわれた者を受け入れるのみとされ、その多くが西側諸国の報道機関やその特派員の行動を当局に報告する義務を負っていた。 ===「クレムリノロジー」=== {{Main|クレムリノロジー}} 国内における報道管制の一環として、共産党書記長などの党の要人が死去した際には、党による正式発表に先立ち、テレビやラジオが通常の番組を急遽停止し、[[クラシック音楽]]もしくは第二次世界大戦戦史などの歴史の映像に切り替わり、[[クレムリン]]などの要所に掲揚されている国旗が[[半旗]]になるのが慣わしであった。このため、国民(と西側の報道機関)の多くは、テレビやラジオの番組が変更され、要所に掲揚されている国旗が半旗になるたびに、モスクワ市内の政府の建物や病院、軍施設などを訪れ情報収集に努めたうえに、これらの対応を見てどの階層の要人が死去したかを推測しあっていたといわれている。 さらに党の要人が[[失脚]]した(もしくは粛清された)際にはその事実が即座に政府より正式発表されることはまれで、このため西側諸国の情報機関員や報道機関の特派員は、[[メーデー]]などをはじめとする記念日のパレードの際にクレムリンの[[赤の広場]]の台の上に並ぶ要人の立ち位置の変化や、新聞やテレビ、ラジオニュースでの扱い回数や順番を観測し、失脚などによる党中央における要人の序列の変化を推測し、これを「[[:en:Kremlinology|クレムリノロジー]]」と呼んでいた。 === プロパガンダ === ソビエト連邦の[[プロパガンダ]]は現代の手法を先駆けるものであり、ソ連は世界初の宣伝国家と呼ばれる([[:en:Peter Kenez]]のThe Birth of the Propaganda State;Soviet Methods of Mass Mobilization 1985)。映画ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えから世界初の国立映画学校が作られ、[[セルゲイ・エイゼンシュテイン]]が[[モンタージュ]]を編み出したことにより、当時としては極めて斬新なものになり、その精巧さは各国の著名な映画人や、後に[[国民社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]政権下のドイツの宣伝相となる[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]を絶賛させた。宣伝映画を地方上映できるよう、移動可能な映写設備として映画館を備えた列車・船舶・航空機が製造・活用された(例:[[ANT-20 (航空機)|マクシム・ゴーリキー号]])。看板やポスターでは[[ロシア・アヴァンギャルド]]から発展した力強い構図・強烈なインパクトの[[フォトモンタージュ]]が生まれ、これは世界各国で模倣された。 特に[[バベルの塔]]にも例えられる世界最大最高層の超巨大建築物を目指した[[ソビエト宮殿|ソビエト・パレス]]は後世の建築家だけでなく、形態的には[[イタリア]]やドイツ、日本などの建築に大きな影響を与えた。日本でもソビエト・パレスの計画を見て[[丹下健三]]が建築家を目指すに至った。当時世界一高い建造物であった[[オスタンキノ・タワー]]も完成させた。スターリンはモスクワを[[ニューヨーク]]のような[[摩天楼]]にするため、[[スターリン様式]]の建物を多く建設した。ソ連のプロパガンダは[[イワン・パヴロフ]]や[[レフ・ヴィゴツキー]]などの[[心理学]]者の理論に基づいていた点で先駆的だったと評するものもいる。ほかにも[[ボリス・ロージング]]が[[ブラウン管]]を使ったテレビを世界で初めて発案するなど、テレビの研究も活発だった。 == 文化 == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の文化|ru|Культура СССР|en|Culture of the Soviet Union|fr|Culture de l'Union soviétique}}}} {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦における生活様式|ru|Советский образ жизни}}}} === 食文化・料理 === ソビエト連邦における食文化は、社会主義体制の影響から壊滅的な打撃を受けてしまっていたものが散見される。 [[ウォッカ|ウォトカ]]は輸出品として貴重な外貨をもたらした。 西側の嗜好品に対しても社会主義のイデオロギーによる排除が行われていたが、[[コカ・コーラ]]に「反共的な飲み物」というレッテルを貼った一方で<ref name="sta">スタンデージ『世界を変えた6つの飲み物』、270-273頁</ref>、[[ペプシコーラ|ペプシ]]の流通は許可されるなど、一様ではなかった。 {{節スタブ}} {{See also|ソビエト連邦の食事情}} === 文学 === {{main|{{仮リンク|ソビエト文学|ru|Советская литература}}}} ソビエト連邦では上述されているように[[言論の自由]]や[[表現の自由]]がなかったため、文学者の中には亡命を余儀なくされる者や、[[ノーベル文学賞]]受賞の[[ボリス・パステルナーク]]のように受賞辞退を余儀なくされるもの、同じくノーベル文学賞受賞の[[ソルジェニーツィン]]のように国外追放される者がいるなど、文化人にとっては受難が相次ぐ上に言論と表現の封殺が慢性化した状況が続いていた。 {{節スタブ}} {{See also|ソビエト連邦作家同盟}} === 音楽 === [[ファイル:Марш энтузиастов.ogg|thumb|1930年代のソ連の流行歌である''Enthusiast's March'']] {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の音楽|ru|Музыка СССР|en|Music of the Soviet Union}}}} ソビエト連邦では音楽教育制度が創設され、多くの才能ある作曲家や演奏家が輩出されていたが、その大部分はロシア人で占められていた。しかしながらウクライナ人やベラルーシ人、ユダヤ人、コーカサスエリアの出身者も音楽分野において重要な貢献を果たしており、それらの人物は主に[[クラシック音楽]]などで名曲を遺している。 {{節スタブ}} === 芸術 === {{main|{{仮リンク|ソビエト美術|ru|Советское изобразительное искусство|en|Soviet art}}}} 革命直後のソ連では革命的な[[前衛美術|前衛芸術]]が流行し、[[抽象絵画|抽象芸術]]や[[ロシア構成主義|構成主義]]が生まれ、ロシア・アヴァンギャルドは共産党のいわば公認芸術として革命思想を宣伝する[[プロパガンダ]]ポスターに広く採用された。当時のソ連は世界初の[[電子音楽]]機器[[テルミン]]が作られ、モンタージュ理論が生まれるなど前衛芸術の一大中心地と化しており、外国から不遇だった多くの前衛芸術家がソビエト連邦の建設に参加した。たとえば前述したソビエト・パレスの計画には[[ル・コルビュジエ]]、[[ヴァルター・グロピウス]]、[[エーリヒ・メンデルスゾーン]]、[[オーギュスト・ペレ]]、[[ハンス・ペルツィヒ]]といった新進気鋭の[[モダニズム建築]]家たちが関わった。レーニン自身も[[ダダイスト]]だったという学説も出ている(塚原史『言葉のアヴァンギャルド』)。[[フセヴォロド・メイエルホリド]]がアジ・プロ演劇手法の確立、古典の斬新的解釈に基づく演出、コメディア・デラルテ、[[サーカス]]などの動きと機械的イメージを組み合わせた身体訓練法「[[ビオメハニカ]]」の提唱などを次々と行い、1920年代におけるソビエト・[[ロシア演劇]]はもとより20世紀前半の国際演劇に大きな影響を与えた(スターリン政権期には[[スタニスラフスキー・システム]]があった)。 スターリン政権下の1932年に行われたソ連共産党中央委員会にて「[[社会主義リアリズム]]」の方針が提唱されて以降は、1930年代前半のうちに文学や彫刻、絵画などあらゆる芸術分野の作家大会で公式に採用されるに至り、これにそぐわぬものは制限され、次第に衰退することを余儀なくされた。 一方で[[バレエ]]などのロシアの伝統的な芸術は政府により潤沢な予算が投じられたことで高い水準を維持し、クラシック音楽でも、当局による制限を受けながら[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]らが作品を残し、[[エフゲニー・ムラヴィンスキー]]率いる[[サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団|レニングラード・フィルハーモニー交響楽団]]などが演奏を残している。バレエ団やオーケストラは共産主義の理想を広めるためとして海外公演を行っていたが、実際には外貨の獲得が主目的だったとされる。ソ連崩壊後は存続が難しくなり、オーケストラが改名したり団員が独立したりするなどして[[幽霊オーケストラ]]が多数誕生した。[[アナトリー・ヴェデルニコフ]]のように当局に迎合しない演奏家は海外公演を制限された。 {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦芸術家同盟|ru|Союз художников СССР}}}} === 映画 === {{main|ソビエト連邦の映画|ソ連歴代興行収入上位の映画一覧}} === 建築 === {{main|{{仮リンク|ソビエト建築|ru|Советская архитектура|en|Soviet_architecture}}}} {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦建築家連合|ru|Союз архитекторов СССР}}}} {{節スタブ}} === 祝祭日 === {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦の祝日|ru|Праздники СССР|en|Public holidays in the Soviet Union}}}} ソビエト連邦における祝日は、以下の通りである。 {| class="wikitable" |+ソビエト連邦の祝日 !日付 !名前 !概要 |- |[[1月1日]] |[[新年]]({{Lang|ru|Новый год}}) |[[1930年]]から[[1947年]]までは非休業日であった |- |[[1月7日]] |[[ロシアのクリスマス|クリスマス]]({{Lang|ru|Рождество Христово}}) |[[東方教会]]が採用する[[ユリウス暦]]での[[クリスマス]]である。他の[[キリスト教]]と同じく、[[イエス・キリスト]]の降誕を記念する日として定められていた |- |[[1月22日]] |[[血の日曜日事件 (1905年)|血まみれの日]]({{Lang|ru|Кровавое воскрессенье}}) |[[二月革命]]の直前に起きた[[血の日曜日事件 (1905年)|血の日曜日事件]]の犠牲者を追悼する日として定められた。[[1951年]]廃止 |- |[[2月23日]] |{{仮リンク|祖国防衛者の日|ru|День защитника Отечества|label=ソビエト陸軍と海軍の日}}({{Lang|ru|День Советской Армии и Военно-морского флота СССР}}) |[[1918年]]の[[プスコフ]]付近にて[[ドイツ軍]]に勝利したことを記念して[[1922年]]に制定。[[1949年]]までは'''[[赤軍]]と[[ソ連海軍|海軍]]の日'''と明記され、[[ソ連崩壊]]後の[[1993年]]以降は'''祖国防衛者の日'''に変更された。 |- |[[3月8日]] |[[国際女性デー]]({{Lang|ru|Международный женский день}}) |[[1965年]]以降は非休業日となっている。 |- |[[3月12日]] |専制打倒の日({{Lang|ru|Низвержение самодержавия}}) |[[二月革命]]を記念して制定されたが、モスクワなどの都市部では[[1929年]]、農村部では[[1940年]]に廃止となった。 |- |[[3月18日]] |[[パリ・コミューン]]の日({{Lang|ru|День Парижском комуны}}) |歴史上最初のプロレタリアート独裁の例とみなしたレーニンが1918年に制定、1929年に廃止となったが、農村部などでは1940年まで存在した。 |- |[[4月12日]] |[[宇宙飛行士の日]]({{Lang|ru|День космонавтки}}) |[[ユーリイ・ガガーリン]]が世界初の有人宇宙飛行を成し遂げた日。 |- |[[5月1日]]、[[5月2日]] |[[メーデー]]({{Lang|ru|День интернационала}}、{{Lang|ru|День международной солидарности трудящихся}}) |1917年(十月革命以前)に制定され、1918年に名称が「国際労働者の日」に変更し、休業日となった。1928年からは5月2日もメーデーに追加された。1970年に「国際労働者連帯の日」に名前が変わり、ソ連崩壊後の1992年には「春と労働の日」に名称が変更された。 |- |[[5月9日]] |[[戦勝記念日 (5月9日)|戦勝記念日]]({{Lang|ru|День Поведы}}) |[[大祖国戦争]]におけるソ連の勝利を記念して1965年に制定、それ以前は休業日ではなかった。 |- |[[5月19日]] |ピオネールの日({{Lang|ru|День пионерии}}) |ソ連の少年団である[[ピオネール]]が創設した日 |- |[[9月3日]] |対日戦勝記念日({{Lang|ru|День победы над Японией}}) |[[第二次世界大戦]]の終結(日本の降伏文書の調印)を記念して制定された。 |- |[[10月7日]] |ソ連憲法記念日 |[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1977年)|1977年の憲法改正]]を記念して制定。1978年から1991年までは休業日であった。 |- |[[10月29日]] |コムソモールの日({{Lang|ru|День рождения Комсомола}}) |[[コムソモール]]が創設した日 |- |[[11月7日]]、[[11月8日]] |十月社会主義大革命の日({{Lang|ru|Годовщина Великой Октябрьской социалистической революции}}) |1917年の[[十月革命]]を記念して1918年に制定、ソ連崩壊後の旧ソ連諸国では、ベラルーシが11月7日のみを祝日としている<ref>ロシアでは2005年以降、'''民族統一の日'''に移動し、キルギスでは名称を変更した祝日となっている。</ref>。 |- |[[12月5日]] |ソ連憲法記念日 |[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年)|1936年の憲法改正]]を記念して制定。1977年以降は10月7日に移動した。 |} {{節スタブ}} === その他 === ==== 外来文化 ==== 西側諸国で人気のあった[[ロックンロール]]や[[ヘヴィメタル]]、[[ジャズ]]などの音楽や、[[ハリウッド映画]]などの大衆文化は、「商業的で、退廃を招く幼稚なもの」として規制され、わずかに[[北ヨーロッパ]]諸国や西ドイツなどの[[ポピュラー音楽]]や、衛星国や日本、イタリアなどの芸術的要素の高い[[映画]]のみが上映を許されていた。これに伴い、外国の[[ラジオ放送]]を[[傍受]]することも禁止されていた。 ==== ソビエトを描いた作品 ==== '''映画''' *[[戦艦ポチョムキン]](1925年、ソ連) *[[僕の村は戦場だった]](1962年、ソ連) *[[地球爆破作戦]](1970年、アメリカ) *[[モスクワは涙を信じない]](1979年、ソ連) *[[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]](1982年、アメリカ) *[[ゴーリキー・パーク]](1983年、アメリカ) *[[ロッキー4/炎の友情]](1985年、アメリカ) *[[レッドブル (映画)|レッドブル]](1988年、アメリカ) *[[レッド・スコルピオン]](1989年、アメリカ) *[[レッド・オクトーバーを追え!]](1990年、アメリカ) *[[ターミネーター2]](1991年、アメリカ) *[[スターリングラード (2001年の映画)|スターリングラード]](2001年、アメリカ) *[[ククーシュカ ラップランドの妖精]](2002年、ロシア) *[[K-19 (映画)|K-19]](2002年、アメリカ) *[[007]]シリーズ '''ゲーム''' *[[メタルギアソリッド3]](日本) *[[コール オブ デューティ ワールド・アット・ウォー]] *[[コマンド&コンカー]] *[[レッドアラート3]] *Soviet Republic *[[コール オブ デューティ ブラックオプス コールドウォー]] '''アニメ''' *[[ウサビッチ]](日本) *[[Axis powers ヘタリア]](作中では時代がまちまちなため「ロシア」として扱われ、ソ連は「皆で住んでいた家」となっている) '''社会主義体制が描かれている作品''' *[[007シリーズ]]や[[ゴルゴ13]]など、40年代から90年代までの世界情勢を背景とするフィクション作品において、ソビエト連邦は頻繁に描かれている。特に諜報機関[[ソ連国家保安委員会|KGB]]の暗躍や、政府高官や科学者の亡命事件等がよく題材となる。作成された国が西側諸国であるためと、ソビエト連邦の内部が不明であったために、ソビエト連邦の関係者は悪役として描かれることも多い。 *アメリカとソ連の緊張が緩和した冷戦終結前後には、[[レッドブル (映画)|レッドブル]](1988年)のように単なる悪役ではなく堅物で西側文化に戸惑うキャラクターとして描かれる例も増えた。 *[[ウォッカ・タイム]]([[片山まさゆき]]) == スポーツ == {{main|{{仮リンク|ソビエト連邦におけるスポーツ|fr|Sport en URSS}}|{{仮リンク|ソビエト連邦における物理的文化とスポーツ|ru|Физическая культура и спорт в СССР}}}} === ステート・アマチュア === 運動競技では国の威信をかけた強化策がとられ、選手育成プログラムによって育成させられた選手が、[[近代オリンピック|オリンピック]]で数多くのメダルを獲得していた。[[レスリング]]、[[アイスホッケー]]、[[サッカー]]、[[バレーボール]]、[[バスケットボール]]、[[ホッケー]]、[[体操競技]]の強豪国として知られ、オリンピックや世界選手権で多くの[[メダル]]を獲得した(オリンピック初参加後の[[メルボルンオリンピック]]から)。しかし崩壊後にそれらの選手の多くが人権を無視したトレーニングのみの生活と違法[[ドーピング]]によるものだったことが当事者の告白により明らかになった。それらの記録はいまもなお剝奪されずに現存している。 共産主義というシステム上、すべてのスポーツ選手が国家の管理下における[[ステート・アマ]]であるという位置づけであり、よって資本主義諸国のような[[プロフェッショナル|プロ]]スポーツおよびプロ選手は存在しなかった。尚、プロ級の選手は大勢いた。 {{See also|{{仮リンク|ソビエト連邦の自主的スポーツ協会|en|Voluntary Sports Societies of the Soviet Union}}}} === 1980年モスクワオリンピック === [[ファイル:RIAN_archive_487039_Opening_ceremony_of_the_1980_Olympic_Games.jpg|サムネイル|開会式の様子]] {{main|1980年モスクワオリンピック}} 1980年に、ソビエト連邦の歴史上唯一の[[夏季オリンピック]]であるモスクワオリンピックが行われた。冷戦下ということもあり、国の総力を挙げて[[近代オリンピック|オリンピック]]の成功を目指したものの、前年に行われたアフガニスタン侵攻に対する抗議という名目で、日本や[[中華人民共和国]]、[[西ドイツ]]、アメリカなど西側諸国の多くがボイコットを行った。 そして、1984年に開催された次回の[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]では、1983年のアメリカ軍による[[グレナダ侵攻]]への抗議という名目で、ソビエト連邦と[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]をはじめ、ソ連の衛星国である東側諸国の多くがボイコットを実行した。 === 頭脳スポーツ === [[識字|識字率]]が30%であった革命直後から数十年で87%に改善させ、戦後にほぼ100%を達成させるなど基礎教育は充実していた。さらに国威発揚のため専門のトレーニングへの公的な補助が行われたが、第1回[[国際数学オリンピック]]は「下から2番目の6位」をという結果に指導部から叱責を受け、3年後の1962年からは高い成績を誇るようになる強豪国となった。参加者は国内の大学を卒業後に科学者や技術者として活動した。 [[マインドスポーツ]]の中でも特に[[チェス]]は伝統的に盛んで、国民にとっても公認されている数少ない娯楽であったが、ソ連時代には国が管理するチェス学校が各地に建設され、体制が崩壊するまでは世界最高の水準を保っていた。国内選手権の開催や書籍の出版なども盛んだった。[[コンピュータチェス]]の研究も盛んで、第1回[[コンピュータチェス#世界コンピュータチェス選手権|世界コンピュータチェス選手権]]でもソ連のプログラムが優勝し、[[人工知能]]の権威[[ジョン・マッカーシー]]と[[アラン・コトック]]率いる[[マサチューセッツ工科大学]]とソ連のモスクワ理論実験物理研究所によって行われた世界初のコンピュータ同士のチェス対戦でも勝っている。 チェス界ではプロとアマの区別がないため、[[ミハイル・タリ]]や[[ミハイル・ボトヴィニク]]、[[ガルリ・カスパロフ]]など、ソ連出身の選手が世界王者を長期にわたって{{efn|1927年〜1935年、1948年〜1972年、1975年〜1999年、2000年〜2007年}}独占していた。一時期は国際大会に出られなかった[[グランドマスター]]級の国内選手に対し、ソ連のチェス協会が「ソ連邦グランドマスター」という独自のタイトルを創設したこともあったが、次第にトップ選手ならば試合渡航も許可されるようになった。西側の大会で優勝し国威発揚に貢献するだけでなく、大会の賞金、指導対局の謝礼、執筆した棋書の印税など多くはないが貴重な外貨をもたらした。しかし有力選手がこれを利用して亡命することもあった。特に[[ヴィクトール・コルチノイ]]は亡命後「西側の選手」として[[アナトリー・カルポフ]]らソ連代表と国際大会で対戦したことがあり、ソ連側から非難を受けることとなった。 ソ連代表と西側の選手がチームで対戦することもあったが、特に[[ボリス・スパスキー]]とアメリカ人の[[ボビー・フィッシャー]]が対戦した1972年の世界王者決定戦は試合の進行をめぐり、クレムリンやホワイトハウスが介入するなど、政治的な問題にまで発展することがあった。敗れたスパスキーはその後の待遇悪化などで、1975年にはフランスへ亡命した。 体制崩壊後は西側へ拠点を移す選手もいたが、[[ウラジーミル・クラムニク]]など、ソ連時代のチェス学校で教育を受けた選手が多数活躍している。旧東ドイツや近隣の東欧諸国でもソ連と似た状況にあった。 [[中華人民共和国]]ではスポーツの管理に関してソ連を手本としたため、半官半民の組織([[中華全国体育総会]])による統括やマインドスポーツを[[国家体育総局]]が管轄するなど影響が大きい。 === サッカー === サッカーはソビエト連邦で最も人気のあるスポーツの1つであった。[[サッカーソビエト連邦代表]]は1950年代から1960年代にかけて黄金期を迎えており、ステート・アマを採用した[[オリンピックのサッカー競技|オリンピック]]での活躍は目覚ましかった。[[1956年]]の[[1956年メルボルンオリンピックのサッカー競技|メルボルン]]で金メダル、[[1972年]]の[[1972年ミュンヘンオリンピックのサッカー競技|ミュンヘン]]、[[1976年]]の[[1976年モントリオールオリンピックのサッカー競技|モントリオール]]、[[1980年]]の[[1980年モスクワオリンピックのサッカー競技|モスクワ]]では銅メダルを獲得した。[[1988年]]の[[1988年ソウルオリンピックのサッカー競技|ソウル]]はプロ解禁が行われた後であったが、金メダルを獲得しソ連代表の有終の美を飾った。 [[FIFAワールドカップ]]では、オリンピックほどの目立った活躍はないものの、[[1966 FIFAワールドカップ]]ではベスト4に進出するなど、しばしば上位に進出する強豪国として知られていた。またソ連の伝説的な選手であり、史上最高の[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]とされる[[レフ・ヤシン]]はワールドカップの最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞にその名を残しており往時の強さを偲ばせている。 [[UEFA欧州選手権]]での活躍も目覚ましく、1960年の第1回大会で優勝。その後も1964年、1972年、1988年で準優勝の成績を収めている。1988年の準優勝は同年のオリンピック金メダルと並んで、ソ連代表の有終の美を飾った。 {| class="wikitable" |+ ソビエト社会主義共和国連邦におけるサッカーの結果 ! !! 開催国 !! 結果 |- ! [[1958 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|SWE}} [[スウェーデン王国]] || ベスト8 |- ! [[1960 欧州ネイションズカップ]] | {{flagicon|FRA}} [[フランス]] || 優勝 |- ! [[1962 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|CHI}} [[チリ共和国]] || ベスト8 |- ! [[1964 欧州ネイションズカップ]] | {{flagicon|ESP}} [[スペイン]] || 準優勝 |- ! [[1966 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|England}} [[イングランド]] || 4位 |- ! [[1970 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|MEX}} [[メキシコ合衆国]] || 4位 |- ! [[1974 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|FRG}} [[西ドイツ|ドイツ]] || 4位 |- ! [[1978 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|ARG|alt}} [[アルゼンチン共和国]] || 予選敗退 |- ! [[1982 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|ESP}} [[スペイン王国]] || 2次リーグ敗退 |- ! [[1985 FIFA U-16世界選手権]] | {{flagicon|CHN}} [[中華人民共和国]] || 不参加 |- ! [[1986 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|MEX}} [[メキシコ合衆国]] || ベスト16 |- ! [[1987 FIFA U-16世界選手権]] | {{flagicon|CAN}} [[カナダ]] || 優勝 |- ! [[1989 FIFA U-16世界選手権]] | {{flagicon|SCO}} [[スコットランド]] || 不参加 |- ! [[1990 FIFAワールドカップ]] | {{flagicon|ITA}} [[イタリア共和国]] || グループリーグ敗退 |- ! [[1991 FIFA U-17世界選手権]] | {{flagicon|ITA}} [[イタリア]] || 不参加 |- |} == 出典・脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 役職 === {{Reflist|group=役職}} === 注釈 === {{Reflist|group=''†''|}} {{Notelist|2|}} === 出典 === {{Reflist|3|}} == 参考文献 == ;単行本 *{{Cite book |和書|title=増補版 ソ連の歴史 |author=木村英亮 |authorlink=木村英亮 |year=1996 |publisher=山川出版社 |ISBN=463464200X |ref=harv}} * {{Cite journal|和書|author=[[齊藤久美子]]|year=2013|url=https://anears.net/member/conf/2013/C12.pdf|title=ロシアにおける会計の変遷と現代の課題|format=PDF|work=|publisher=Working paper series 13|accessdate=2020-07-04|ref={{sfnref|齊藤|2013}}}} *[[ティモシー・スナイダー]]、布施由紀子訳『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実(上・下)』(2015) *[[ロバート・コンクエスト]]著、[[白石治朗]]訳『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉-スターリンの農業集団化と飢饉テロ-』東京:恵雅堂出版、2007年 ISBN 978-4-87430-033-6 * [[伊東孝之]]、井内敏夫、[[中井和夫]]著『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』新版世界各国史20 、[[山川出版社]]、1998年.P.318-321. ISBN 978-4634415003 *[[和田春樹]]編『世界各国史22 ロシア史』[[山川出版社]], 2002年、 **[[石井規衛]]・[[和田春樹]]「第八章 ロシア革命とソ連邦の成立」p276-308. **[[石井規衛]]「「第九章 スターリンと社会主義体制の発展」p309-360. * {{Cite book|和書|author=下斗米伸夫|authorlink=下斗米伸夫 |title=図説 ソ連の歴史|year=2011|publisher=[[河出書房新社]] |series=ふくろうの本/世界の歴史||isbn=978-4309761633 |ref={{SfnRef|下斗米|2011}} }} * 下斗米伸夫『ソビエト連邦史―1917-1991』[[講談社学術文庫]], 2017年。改訂版 * {{cite book|last=Le Blanc |first=Paul |title=October Song |publisher=Haymarket Books |year=2017 |isbn=9781608468782|ref={{SfnRef|Le Blanc|2017}} }} * {{cite book|last=Mccauley |first=Martin |title=The Rise and Fall of the Soviet Union |publisher=Taylor & Francis |year=2014 |isbn=9781317867838 |ref={{SfnRef|Mccauley|2014}}}} * {{cite book|last1=Pons|first1=Silvio|last2=Service|first2=Robert|title=A Dictionary of 20th-Century Communism |publisher=Princeton University Press |year=2010 |isbn=9781400834525|ref={{SfnRef|Pons|2010}} }} ;論文 * {{Cite journal|和書|author=齊藤久美子|year=2018 |url=https://anears.net/member/conf/2013/C12.pdf|title=ロシアにおける企業会計と現代の課題 |format=PDF|work=|journal=第24回北東アジア学会全国大会予稿集 |publisher=立命館大学 |month=sep |volume= |issue= |pages=1-5 |accessdate=2020-07-04|ref={{sfnref|齊藤|2018}}}} * {{Cite journal|和書|author=[[森章 (会計学者)|森章]]|year=1991|url=https://hdl.handle.net/10291/5579|title=社会主義諸国における会計制度の比較研究|format=PDF|work=|journal=明治大学社会科学研究所紀要|volume=29|issue=2 |pages=25-267 |publisher=明治大学|accessdate=2020-08-08|ref={{sfnref|森|1991}}}} * {{Cite journal|和書|author=森章|year=2004|url=https://hdl.handle.net/10291/5941|title=ロシアの市場経済化 と会計改革|format=PDF|work=|journal=明治大学社会科学研究所紀要|volume=2|issue=60 |pages=103-116 |publisher=明治大学|accessdate=2020-08-08|ref={{sfnref|森|2004}}}} 学研漫画世界の歴史 == 関連項目 == {{Commons|Союз Советских Социалистических Республик}} *[[ソビエト連邦関係記事の一覧]] **[[ソ連型社会主義]] **[[:en:Index of Soviet Union-related articles|Index of Soviet Union-related articles]] **[[新ソビエト主義]] **{{仮リンク|ソビエト連邦におけるユダヤ人の歴史|en|History of the Jews in the Soviet Union}} *[[集団安全保障条約]] *[[ユーラシア経済連合]] *[[ソビエト帝国]] *[[沿ドニエストル共和国]] *{{ill2|ソビエト連邦の反体制派|ru|Диссидентское движение в СССР}} *{{ill2|ソビエト連邦における検閲|ru|Цензура в СССР}} == 外部リンク == *{{Worldcat id|id=lccn-n80-126312}} {{ロシア革命後の国家}} {{各国の社会主義}} {{ロシア連邦}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:そひえとれんほう}} [[Category:ソビエト社会主義共和国連邦|*]] [[Category:過去の国際連合加盟国]] [[Category:連邦制国家]]
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4,212
親指
親指(おやゆび)は、手の場合は掌を地面に向けたときに、足の場合は直立したときに、一番内側に位置する指。一般的に指の中で一番太い。 和語ではお父さん指、大指、医学用語では第一指、母指、拇指、漢語では母指、拇指、巨指、巨擘(きょはく)、擘指(はくし)との呼び方がある。 人間の手の親指は、他の4本の指と向き合う方向にあることが特徴であり、これにより、人間は器用にものを「掴む」「摘む」ことができる。 英語圏では親指以外を「finger」、親指を「thumb」と呼ぶことからも、親指を日本語で言う「指」というカテゴリでは認識していないことが分かる。 人間以外にものを掴むことができる動物としては、猿の仲間やジャイアントパンダがあるが、ジャイアントパンダの親指に見える部分は、掌の突起が発達したものであり、指ではない。 また、イヌ科の後肢のように退化して親指が消滅してしまったものもあるが、レントゲン写真などを見るとその骨格ははっきりと残っている。ちなみに前肢の親指(狼爪)は現在もほとんどのイヌ科では残っているが、移動などに際して親指を地面に着けることはなく、ぷらぷらとぶらさがっている状態である。 指は爪が付属する末節骨、中節骨、基節骨という3つの指節骨からなるが、母指は他の指とは異なり2つの指節骨しか持たない(英語で親指を"finger"の内に分類しないのはそうしたところからである)。指節骨はいわゆる手のひら内部の中手骨に接続し、手根骨に至る。指節骨の関節はすべて蝶番関節である。したがって自由度は1である。しかしながら、手根骨中手骨間の関節(手根中手関節)は、鞍関節であり、鞍同士がすり合わさったような形をしている。したがって関節の自由度は2である。このため、母指端を使って円を描くような動きを与えられる。他の指は完全な鞍関節ではなく、中手骨同士の関節を含むため、このような動きは母指がもっとも得意とする。 西洋文化では親指以外の指を握り、親指を上へ向けてのばす動作は良い状態、あるいは肯定を表す(サムズアップ)。そのまま親指を下へ向けると、否定、もしくは「死」を表す。 一説には古代ローマの剣闘士における生死をかけた真剣勝負に負けた側の処遇を指示する仕草に由来し、健闘むなしく負けた剣士には賛辞と慈悲の助命としてサムズアップを、卑劣な戦いや臆病な行動に対する不満には親指を下にして止めを刺すよう求めたという。こと後者は西洋でははっきりとした敵意のイメージを相手に与える動作として使われている。ゆえに、西洋でむやみにこれを使うと人間関係が破壊されることもある。 中世の日本では「おほゆび(大指)」と呼ばれ、江戸時代に「おやゆび」の用例が見られるようになった。親指の呼称が定着したのは明治時代以後のことである。 日本のボディーランゲージでは、親指は「男」を意味する。日本手話でも「男」または「彼(三人称の代名詞)」)という意味で使われる。 「霊柩車を見た時は親指を隠す」「野犬に吠えつかれた時は親指を隠す」など、俗信の対象ともなる。 建築現場では、クレーンの合図に使われる。上の画像のように親指以外の4指を握り親指を上へ向けた形で腕を上下させて見せると「クレーンの主ジブ(親ジブ)を上げよ」の意味、親指を下へ向けて同じ動作をすると「クレーンの主ジブを下げよ」の意味になる。 YouTubeでは、動画に対して、親指を上に向けたアイコンを「良い評価」、親指を下に向けたアイコンを「悪い評価」としており、このアイコンをクリックして動画の評価を送る事が可能である。
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親指(おやゆび)は、手の場合は掌を地面に向けたときに、足の場合は直立したときに、一番内側に位置する指。一般的に指の中で一番太い。 和語ではお父さん指、大指、医学用語では第一指、母指、拇指、漢語では母指、拇指、巨指、巨擘(きょはく)、擘指(はくし)との呼び方がある。 人間の手の親指は、他の4本の指と向き合う方向にあることが特徴であり、これにより、人間は器用にものを「掴む」「摘む」ことができる。 英語圏では親指以外を「finger」、親指を「thumb」と呼ぶことからも、親指を日本語で言う「指」というカテゴリでは認識していないことが分かる。 人間以外にものを掴むことができる動物としては、猿の仲間やジャイアントパンダがあるが、ジャイアントパンダの親指に見える部分は、掌の突起が発達したものであり、指ではない。 また、イヌ科の後肢のように退化して親指が消滅してしまったものもあるが、レントゲン写真などを見るとその骨格ははっきりと残っている。ちなみに前肢の親指(狼爪)は現在もほとんどのイヌ科では残っているが、移動などに際して親指を地面に着けることはなく、ぷらぷらとぶらさがっている状態である。
{{出典の明記|date=2010年12月}}{{Infobox 解剖学 | name=親指| 画像1=[[画像:Thumbs up.jpg|150px]] | 画像説明1=親指 | 画像2= | 画像説明2= | 英語=Thumb | ラテン語=pollex, digitus<br />primus, digitus I | 器官=[[運動器]] | 動脈=[[母指主動脈]] | 静脈= | 神経= }} '''親指'''(おやゆび)は、[[手]]の場合は掌を地面に向けたときに、[[足]]の場合は直立したときに、一番内側に位置する[[指]]。一般的に指の中で一番太い。 [[和語]]では'''お父さん指'''、大指、[[医学用語]]では'''第一指'''、'''母指'''、'''拇指'''、[[漢語]]では'''母指'''、'''拇指'''、'''巨指'''、'''巨擘'''(きょはく)、'''擘指'''(はくし)との呼び方がある。 [[人間]]の手の親指は、他の4本の指と向き合う方向にあることが特徴であり、これにより、人間は器用にものを「掴む」「摘む」ことができる。 英語圏では親指以外を finger、親指を thumb と呼ぶことからも、親指を日本語で言う「指」とは認識していないことが分かる。ただし、Oxford Lerners Dictionaries では thumb を the short, thick finger at the side of the hand, slightly apart from the other four (手の側面に、他の四本から少し離れてある短く太い'''指'''(finger))と、finger の一つとして説明している<ref>https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/thumb_1?q=thumb</ref>。英語の finger と語源を同じくする[[ドイツ語]]の Finger はドイツ語辞典のDudenに eines der fünf beweglichen Glieder der Hand bei Menschen und Affen (人と猿の手にある5つの運動器の一つひとつ)とあるように、親指を含む<ref>https://www.duden.de/rechtschreibung/Finger</ref>。 人間以外にものを掴むことができる動物としては、[[サル目|猿]]の仲間や[[ジャイアントパンダ]]があるが、ジャイアントパンダの親指に見える部分は、掌の突起が発達したものであり、指ではない。 また、[[イヌ科]]の後肢のように退化して親指が消滅してしまったものもあるが、[[レントゲン写真]]などを見るとその骨格ははっきりと残っている。ちなみに前肢の親指([[狼爪]])は現在もほとんどのイヌ科では残っているが、移動などに際して親指を地面に着けることはなく、ぷらぷらとぶらさがっている状態である。 [[画像:Gray219.png|150px|right|thumb|指の骨格(右端が母指)]] == 構造 == 指は爪が付属する[[末節骨]]、[[中節骨]]、[[基節骨]]という3つの[[指節骨]]からなるが、母指は他の指とは異なり2つの指節骨しか持たない(英語で親指を"finger"の内に分類しないのはそうしたところからである)。指節骨はいわゆる手のひら内部の[[中手骨]]に接続し、[[手根骨]]に至る。指節骨の関節はすべて蝶番関節である。したがって自由度は1である。しかしながら、手根骨中手骨間の関節(手根中手関節)は、鞍関節であり、鞍同士がすり合わさったような形をしている。したがって関節の自由度は2である。このため、母指端を使って円を描くような動きを与えられる。他の指は完全な鞍関節ではなく、中手骨同士の関節を含むため、このような動きは母指がもっとも得意とする。 <!-- 靭帯と筋、血管、神経に関する記述が必要 --> == 意味 == [[Image:Jean-Leon_Gerome_Pollice_Verso.jpg|thumb|200px|left|[[ジャン=レオン・ジェローム]]『Pollice Verso〈指し降ろされた親指〉』]] 西洋文化では親指以外の指を握り、親指を上へ向けてのばす動作は良い状態、あるいは肯定を表す([[サムズアップ]])。そのまま親指を下へ向けると、否定、もしくは「死」を表す。 一説には[[古代ローマ]]の[[剣闘士]]における生死をかけた真剣勝負に負けた側の処遇を指示する仕草に由来し、健闘むなしく負けた剣士には賛辞と慈悲の助命としてサムズアップを、卑劣な戦いや臆病な行動に対する不満には親指を下にして止めを刺すよう求めたという。こと後者は西洋でははっきりとした敵意のイメージを相手に与える動作として使われている。ゆえに、西洋でむやみにこれを使うと人間関係が破壊されることもある。<!-- 並び順は広範囲から狭いものへ、歴史のあるものから現在へ、同一格ならABC順 --><!-- 日本語版である以上 日本での意味を先にすべきようにも思います。--> [[中世]]の[[日本]]では「おほゆび(大指)」と呼ばれ、[[江戸時代]]に「おやゆび」の用例が見られるようになった。親指の呼称が定着したのは[[明治時代]]以後のことである<ref>常光徹『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 2006年、ISBN 4623046095 pp.53-83.</ref>。 日本の[[ボディーランゲージ]]では、親指は「男」を意味する。[[日本手話]]でも「男」または「彼(三人称の代名詞)」)という意味で使われる。 「[[霊柩車]]を見た時は親指を隠す」「[[野犬]]に吠えつかれた時は親指を隠す」など、[[俗信]]の対象ともなる。 建築現場では、[[クレーン]]の合図に使われる。上の画像のように親指以外の4指を握り親指を上へ向けた形で腕を上下させて見せると「クレーンの主ジブ('''親'''ジブ)を上げよ」の意味、親指を下へ向けて同じ動作をすると「クレーンの主ジブを下げよ」の意味になる。 [[YouTube]]では、動画に対して、親指を上に向けた[[アイコン]]を「良い評価」、親指を下に向けたアイコンを「悪い評価」としており、このアイコンをクリックして動画の評価を送る事が可能である。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[指]] * [[人差し指]] * [[中指]] * [[薬指]] * [[小指]] *[[握力]] *[[サミング]] *[[指番号]] *[[親指姫]] {{Normdaten}} [[Category:指|**おやゆひ]]
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4,213
ジャイアントパンダ
ジャイアントパンダ(学名:Ailuropoda melanoleuca、中国語: 大熊猫)は、哺乳綱食肉目クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。別名オオパンダ。中国を代表する動物だが、生息地は四川省の一部などと狭く中国全土に生息しているわけではない。 中華人民共和国(甘粛省、四川省、陝西省)。湖北省、湖南省では絶滅。 化石記録から、古くは北京周辺からベトナム北部、ミャンマー北部にかけて分布していたと考えられている。 歯列は門歯が上下6本ずつ、犬歯が上下2本ずつ、小臼歯は上下8本ずつ、臼歯は上顎4本、下顎6本の計42本。臼歯は大型でタケ類を噛み砕くのに適していて、顔も幅広い。食道には輪状の角質が並ぶ。胃の隔壁は厚い。小腸はクマ科内でも短く(表面積が小さい)、盲腸や直腸の表面積は大きい。肛門や性器の周辺に、分泌腺がある。 乳頭の数は4個。 ジャイアントパンダはこれまでアルビノの個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという。 1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。 クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。 2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から秦嶺山脈の個体群を亜種 A. m. qinlingensis とする説が提唱された。一方でこの亜種を認める説は、有力ではない。 標高1,200 - 4,100メートル(主に1,500 - 3,000メートル)にある、竹林に生息する。3.9 - 6.2平方キロメートルの、行動圏内で生活する。1日あたり500メートル以上を移動することはまれ。昼夜を問わずに活動するが、薄明薄暮性傾向が強い。冬季になると、積雪の少ない標高800メートルくらいの地域へ移動する。 生後40 - 60日で開眼する。授乳期間は8 - 9か月。生後5 - 6か月でタケなどを食べるようになる。生後4 - 5年で、性成熟すると考えられている。飼育下での最長寿命は34年だが、通常は長くて26年。 天敵として ユキヒョウ、ジャッカル、テンがいる。 爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が貘として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある。白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、唐以前にはそれ以外の特徴がなくなったと推定されている。加えて唐時代に、本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混同したと推定されている。説文解字注から、清時代でも貘は金属を食べる生物とされている。中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない1934年初版の辞海においても既に熊猫は記述されている。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」などと記述されており本種とは結びついていない、この時点では本種を猫熊と呼称することは定着していなかったと考えられている。例としてDavidの発見時における本種の現地での呼称は、「白熊」だったとされている。 世界自然保護基金のシンボルマークのモチーフになっている。独特の色彩に関しては人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためだとする古代中国の伝承がある。 毛皮は寝具とすると夢により未来を予知できると信じられたこともある。 竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した。1985 - 1991年に、278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている。2016年の時点では生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている。 1963年に保護区が設置され、1995年の時点で13か所・5,827平方キロメートルが保護区に指定されている。このうち最大のものは臥龍自然保護区で、約2,000平方キロメートルに達する。1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている。 調査方法や地域がそれぞれ異なるため単純な比較はできないものの1974 - 1977年における生息数は2,459頭、1985 - 1988年における生息数は1,216頭、2000 - 2005年における生息数は1,596頭、2011 - 2014年における生後1年半以上の個体の生息数は1,864頭と推定されている。 国家一級重点保護野生動物にも指定されている。臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。 中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている。また中国では熊の肉、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある。 経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできた。20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発など、人間が生息地を分断したことによって、移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている。 2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40パーセント増えている。 1978年に北京動物園が初めて、人工授精での繁殖に成功した。1990年の時点では1980年にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、1982年にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している。1983年にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している。 日本では1972年に恩賜上野動物園で初めて飼育された(カンカンとランラン)が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している。ホァンホァンとフェイフェイのペアは1986年に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて1988年にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)。 属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。 パンダという動物名は1825年に初めて使用された。 今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。そのため、より古い文献では単に「panda」「common panda」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある。例えば、ブリタニカ百科事典は2013年時点でもジャイアントパンダを「giant panda」「panda bear」と呼称し、レッサーパンダを「panda」と呼称していた(2015年版では修正済み)。 「panda」という呼び名の由来については、英語の「panda」がフランス語で同じ綴りの「panda」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」(Ailuropus melanoleucus)と呼ばれていた。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり、論拠に疑問がある。 古代中国では「食鐵獸」、「嚙鐵」、「貘」(現代でいうバクとは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「花熊」と「竹熊」がある。一方、標準名では「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; ダーションマオ)と呼び、亜種レベルでは模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫、Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫、Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。 中国語で言う「熊猫」(繁体字: 熊貓、簡体字: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない。 中国大陸ではパンダは「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; シュンマオ)と呼び、台湾では「大猫熊」(大貓熊 / 大猫熊、dàmāoxióng; マオシュン)が一般的である。台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の台南ニセパンダ事件(中国語版)が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり、1990年に行政院新聞局が用語を「熊猫」に統一する結果となったが、行政院農業委員会は「素人が専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した。 日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある。 現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に19年間で16頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的とされる)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね性成熟に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。 アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴ動物園には、出産6回の「白雲」がいた(2019年5月に中国に帰国)。 テネシー州のメンフィス動物園は、2003年から2023年まで20年間の契約でヤーヤーとローローの貸与を受けていたが、2023年2月にローローが心疾患で死亡、ヤーヤーは同年4月に中国に返還された。 2020年11月時点での最多出産は、アドベンチャーワールドの「良浜」(7回)。 オーストラリアのアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ(ワンワンとフニの2頭)を保育している。 記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは唐時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている。 日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。 また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカーや、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。 また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目のコリドラスの一種にも、その体色から Corydoras panda (Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。
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"経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできた。20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発など、人間が生息地を分断したことによって、移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている。 2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40パーセント増えている。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1978年に北京動物園が初めて、人工授精での繁殖に成功した。1990年の時点では1980年にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、1982年にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している。1983年にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している。 日本では1972年に恩賜上野動物園で初めて飼育された(カンカンとランラン)が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している。ホァンホァンとフェイフェイのペアは1986年に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて1988年にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "パンダという動物名は1825年に初めて使用された。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。そのため、より古い文献では単に「panda」「common panda」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある。例えば、ブリタニカ百科事典は2013年時点でもジャイアントパンダを「giant panda」「panda bear」と呼称し、レッサーパンダを「panda」と呼称していた(2015年版では修正済み)。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "「panda」という呼び名の由来については、英語の「panda」がフランス語で同じ綴りの「panda」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」(Ailuropus melanoleucus)と呼ばれていた。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり、論拠に疑問がある。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "古代中国では「食鐵獸」、「嚙鐵」、「貘」(現代でいうバクとは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「花熊」と「竹熊」がある。一方、標準名では「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; ダーションマオ)と呼び、亜種レベルでは模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫、Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫、Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "中国語で言う「熊猫」(繁体字: 熊貓、簡体字: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "中国大陸ではパンダは「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; シュンマオ)と呼び、台湾では「大猫熊」(大貓熊 / 大猫熊、dàmāoxióng; マオシュン)が一般的である。台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の台南ニセパンダ事件(中国語版)が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり、1990年に行政院新聞局が用語を「熊猫」に統一する結果となったが、行政院農業委員会は「素人が専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に19年間で16頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的とされる)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね性成熟に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴ動物園には、出産6回の「白雲」がいた(2019年5月に中国に帰国)。 テネシー州のメンフィス動物園は、2003年から2023年まで20年間の契約でヤーヤーとローローの貸与を受けていたが、2023年2月にローローが心疾患で死亡、ヤーヤーは同年4月に中国に返還された。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2020年11月時点での最多出産は、アドベンチャーワールドの「良浜」(7回)。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "オーストラリアのアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ(ワンワンとフニの2頭)を保育している。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは唐時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカーや、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目のコリドラスの一種にも、その体色から Corydoras panda (Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。", "title": "人間との関係" } ]
ジャイアントパンダは、哺乳綱食肉目クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。別名オオパンダ。中国を代表する動物だが、生息地は四川省の一部などと狭く中国全土に生息しているわけではない。
{{複数の問題 |脚注の不足 = 2020年4月 |雑多な内容の箇条書き = 2020年4月 |出典の明記 = 2016年6月 }} {{未検証|date=2020年4月}} {{生物分類表 |省略 = 哺乳綱 |名称 = ジャイアントパンダ |画像=[[ファイル:Berlin-BaoBao1-Asio.jpg|250px|ジャイアントパンダ]] |画像キャプション = '''ジャイアントパンダ''' {{snamei|Ailuropoda melanoleuca}} |status = VU |status_ref = <ref>[https://www.cites.org/eng/app/appendices.php Appendices I, II and III (valid from 26 November 2019)]<https://cites.org/eng> (downroad 06/05/2020)</ref><ref name="species+">UNEP (2020). [https://www.speciesplus.net/#/taxon_concepts/3057/legal ''Ailuropoda melanoleuca'']. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: [https://www.speciesplus.net www.speciesplus.net]. (downroad 06/05/2020)</ref><ref name="iucn">Swaisgood, R., Wang, D. & Wei, F. 2016. [https://www.iucnredlist.org/species/712/121745669 ''Ailuropoda melanoleuca'']. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T712A45033386. Downloaded on 05 June 2020.</ref> |status_text = [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]附属書I |目 = [[食肉目]] {{sname||Carnivora}} |科 = [[クマ科]] {{sname||Ursidae}} |属 = [[ジャイアントパンダ属]] {{snamei||Ailuropoda}} |種 = '''ジャイアントパンダ'''<br />{{snamei|A. melanoleuca}} |学名 = ''Ailuropoda melanoleuca'' ([[アルマン・ダヴィド|David]], [[1869年|1869]])<ref name="iucn" /><ref name="nakazato">中里竜二 「パンダ科の分類」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、67-69頁。</ref> |シノニム = * {{sname|''Ursus melanoleucus'' David, 1869}}<ref name="iucn" /> |和名 = ジャイアントパンダ<ref name="nakazato" /><ref name="obara">[[小原秀雄]] 「ジャイアントパンダ(オオパンダ)」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、[[講談社]]、2000年、144頁。</ref><ref name="takatsuki">高槻成紀 「『タケ食い専科』への道 ジャイアントパンダ」『動物たちの地球 哺乳類I 10 クマ・パンダ・ラッコほか』第8巻 46号、[[朝日新聞社]]、1992年、298-301頁。</ref> |英名 = {{interlang|en|Giant panda}}<ref name="iucn" /><ref name="nakazato" /><ref name="obara" /><ref name="bies">LeeAnn Bies, 2002. "''Ailuropoda melanoleuca''" (On-line), Animal Diversity Web. Accessed June 05, 2020 at https://animaldiversity.org/accounts/Ailuropoda_melanoleuca/</ref> |生息図=[[ファイル:Mapa_distribuicao_Ailuropoda_melanoleuca.png|250px]] }} '''ジャイアントパンダ'''(学名:{{snamei|Ailuropoda melanoleuca}}、{{lang-zh|大熊猫}})は別名'''オオパンダ'''<ref name="obara" />とも呼ばれ、[[中国]]の[[四川省|四川]]、[[陝西省|陝西]]、[[甘粛省]]の高山地帯に自然生息する大型の[[クマ科]]動物である。彼らは最も識別しやすい野生動物の一つで、その特徴的な黒と白の毛皮、大きな丸い体、そして表情豊かな顔で知られている。成体の体重は通常、100〜150キログラムに達し、オスの方がメスよりやや大きい傾向がある。 ジャイアントパンダの食生活は非常に特殊で、主に[[竹]]を食べる。竹は栄養価が低いため、パンダは毎日大量の竹(約12〜38キロ)を食べて栄養を確保する必要がある。竹以外にも、果物、野菜、時には魚や小動物を食べることもあるが、これらは彼らの食事のごく一部を占めるに過ぎない。 繁殖に関しては、ジャイアントパンダは非常に特異な行動を示す。彼らは一般的に孤独で、特に繁殖期以外は他のパンダと交流することはほとんどない。メスは2〜3年に一度のみ発情期を迎え、その期間は非常に短いため、繁殖の機会は限られている。妊娠期間は約95〜160日で、通常1〜2頭の子を産むが、生き残るのは通常1頭だけである。 ジャイアントパンダの最大の脅威は生息地の喪失と破壊である。農業、開発、森林伐採により、彼らの自然な生息地は断片化され、食料源である竹林の減少につながっている。これらの問題に対処するため、中国政府と国際社会はパンダの保護とその生息地の回復に力を入れている。多くの保護区が設立され、パンダの研究と繁殖プログラムが進行中である。ジャイアントパンダはその独特な外見と稀少性から、世界中で保護の象徴として親しまれている。 == 分布 == [[中華人民共和国]]([[甘粛省]]、[[四川省]]、[[陝西省]])<ref name="iucn" /><ref name="nakazato" /><ref name="takatsuki" />。[[湖北省]]、[[湖南省]]では絶滅<ref name="iucn" />。 化石記録から、古くは北京周辺から[[ベトナム]]北部、[[ミャンマー]]北部にかけて分布していたと考えられている<ref name="iucn" />。 == 形態 == 歯列は[[切歯|門歯]]が上下6本ずつ、[[犬歯]]が上下2本ずつ、[[小臼歯]]は上下8本ずつ、[[臼歯]]は上顎4本、下顎6本の計42本<ref name="nakazato" />。臼歯は大型でタケ類を噛み砕くのに適していて<ref name="takatsuki" />、顔も幅広い<ref name="obara" />。食道には輪状の角質が並ぶ<ref name="obara" />。胃の隔壁は厚い<ref name="obara" /><ref name="bies" />。小腸はクマ科内でも短く(表面積が小さい)、[[盲腸]]や[[直腸]]の表面積は大きい<ref name="takatsuki" />。肛門や性器の周辺に、分泌腺がある<ref name="nakazato" />。 乳頭の数は4個<ref name="nakazato" />。 [[ファイル:Chengdu-pandas-d18.jpg|thumb|220px|right|生まれて間もないジャイアントパンダ。体重は150gほど。]] [[File:Giant panda Left hand Bone 2.jpg|thumb|220px|right|ジャイアントパンダ(フェイフェイ)の左前肢の骨。[[国立科学博物館]]の展示。]] [[File:2021-05-28 Adventure World Shirahama, Wakayama, Japan(アドベンチャーワールド、ジャイアントパンダ)DSCF2430.jpg|thumb|220px|right|右前足で竹をつかんで食べるジャイアントパンダ([[アドベンチャーワールド]]にて)2021年5月撮影]] [[File:Giant panda-Tonton-2.jpg|thumb|220px|right|ジャイアントパンダ([[トントン (ジャイアントパンダ)|トントン]])の骨格標本([[国立科学博物館]]所蔵)]] ; 体長・体重 : 頭胴長([[体長]])120 - 150センチメートル<ref name="obara" />。体重オスは100キログラム、メスは90キログラム(飼育個体ではオス120キログラム、メス100キログラム)<ref name="nakazato" />。立ち上がると170cm程度になる。 ; 体毛 : 全身は分厚い体毛で覆われる<ref name="nakazato" /><ref name="obara" />。眼の周り、耳、[[脚|四肢]]、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である<ref name="shwzoo">{{Cite web|和書|url=http://www.shwzoo.com/jp/animal/jd4_1.asp |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081010193957/http://www.shwzoo.com/jp/animal/jd4_1.asp |website=上海野生動物園|title=パンダの館 |archivedate=2008-10-10 |accessdate=2019-01-18}}</ref><ref name="kan-kiso">{{Cite web|和書|url=http://www.panda-kan.com/kiso/index.html |archiveurl=https://archive.is/SC8P8 |archivedate=2013-04-27 |title=パンダに関する基礎知識:パンダ館 |publisher= |accessdate=2019-01-18}}{{要検証|date=2019-01-18 |title=信頼できる情報源といえるか不明。}}</ref><ref name="nakazato" /><ref name="takatsuki" /><ref name="bies" />。種小名 {{snamei|melanoleuca}} は「黒白の」の意。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている<ref name="mura-com">{{Cite web|和書|url=http://www.geocities.jp/pandamura55/life/communication.htm |title=パンダのコミュニケーション |publisher= |accessdate=2019-01-18}}{{要検証|date=2019-01-18 |title=信頼できる情報源といえるか不明。}}</ref><ref name="yasei">{{Cite book|和書 |author=ジョージ・B・シャラー、播文石、胡錦矗、朱靖ほか |title=野生のパンダ |date=1989年3月 |publisher=[[どうぶつ社]] ||series=自然誌選書 |isbn=978-4-88622-246-6}}{{要ページ番号|date=2019-01-18}}</ref>」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた<ref name="the-tugi">[https://web.archive.org/web/20090831103354/http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda(次のページ)」](2009年8月31日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>」等と考えられている。色彩は古くは捕食者から輪郭をごまかすのに役立ったり積雪地域での保護色だったとする説もあるが、現在では人間以外の捕食者はほとんどおらず雪もあまりない環境で生活している<ref name="bies" />。 :ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い<ref name="kan-kiso" /><ref name="ojizoo" />。毛皮は、硬くて脂ぎっている<ref name="kan-kiso" />。 ; 頭 : 2~3頭身の乳幼児体型で大きい。また目・鼻・口は顔の下半分に集中している。堅い竹を噛み潰す必要上、筋肉が頭蓋骨の上方に位置するため額も広い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ueno-panda.jp/dictionary/answer08.html |title=Q8:ジャイアントパンダはどうして可愛いらしく見えるの?|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=上野動物園 |accessdate=2019-01-18}}</ref>。 ; 尾 : 尾長10 - 15センチメートル<ref name="nakazato" />。尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない<ref name="shwzoo" />。ジャイアントパンダの[[ぬいぐるみ]]・[[人形]]・[[キャラクター]]グッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である<ref name="shwzoo" /><ref name="kan-kiso" /><ref>[https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000129303 パンダの尻尾が何色か知りたい。 | レファレンス協同データベース]</ref>。 ; 幼少期 : 生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている<ref name="obara" /><ref name="ojizoo">{{Cite web|和書|url=http://ojizoo.jp/panda-zukan/2000-47.html |title=パンダ図鑑 |publisher=神戸市立王子動物園 |accessdate=2019-01-18}}</ref>。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める<ref name="kan-kiso" /><ref name="ojizoo" />。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う<ref name="obara" /><ref name="ojizoo" />。 : 出産直後の幼獣は体長15センチメートル<ref name="obara" />。体重85 - 140グラム<ref name="bies" />。 ; 手 : 通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している<ref name="endo" />。第一[[中手骨]]([[親指]])側にある'''撓側種子骨'''と第五中手骨([[小指]])側にある'''副手根骨'''が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている<ref name="kan-kiso" /><ref name="ojizoo" />。 : ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、[[遠藤秀紀]]ら (1999) <ref>Hideki Endo, Daishiro Yamagiwa, Yoshihiro Hayashi, Hiroshi Koie, Yoshiki Yamaya, Junpei Kimura, '''Role of the giant panda's 'pseudo-thumb'''', [[ネイチャー|Nature]], 399, 309-310 (1999)</ref>によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」<ref>{{Cite book|和書 |author=遠藤秀紀 |title=遺体科学の挑戦 |date=2006年9月 |publisher=[[東京大学出版会]]|isbn=978-4-1306-3328-4 |page=209}}</ref>と紹介されている。 ; 眼 : 眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである<ref name="ojizoo" /><ref name="the-mae">[https://web.archive.org/web/20111109040329/http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda001.html THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda」](2011年11月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。[[視力]]はあまりよくないと考えられていたが、研究によって[[2000年代]]、[[灰色]]と様々な色合いを区別できることが確認された<ref>[http://www.biologynews.net/archives/2006/10/15/giant_pandas_see_in_color.html Giant pandas see in color]{{en icon}} Biology News Net 2006年10月15日</ref>。<!--嗅覚は非常に鋭く、森に入った人間の臭いは100m先から嗅ぎ分ける。--> ; 内臓 : [[消化器|消化器官]]や[[歯]]の構造はクマや[[アザラシ]]等、他の[[肉食動物]]と大変似ている。[[犬歯]]は大きく、奥歯も大きく平らな[[臼歯]]で人間のおよそ7倍の大きさである<ref name="kan-kiso" /><ref name="ojizoo" />。[[腸]]や[[盲腸]]は[[草食動物|草食性]]としては短い構造がデメリットとなり、[[セルロース]]を多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている<ref name="kan-kiso" /><ref name="ojizoo" />。また、陝西省仏坪県の自然保護業務関係者は、三官廟一帯で秦嶺の野生のパンダが牛の足の骨をかじった跡を確認している。 ジャイアントパンダはこれまで[[アルビノ]]の個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.recordchina.co.jp/b715368-s10-c30-d0046.html|title=世界初、真っ白なパンダを捉えた写真を公開―四川省|publisher=[[Record China]]|date=2019/05/27|accessdate=2019/07/14}}{{出典無効|date=2020年2月}}</ref>。 == 分類 == [[1869年]][[3月11日]]、[[博物学]]に長けた[[フランス人]][[宣教師]]の[[アルマン・ダヴィド]]が、現在の中華人民共和国四川省西部[[宝興県]]にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を[[欧米|欧米人]]として初めて発見した。後日、[[パリ]]の[[国立自然史博物館 (フランス)|国立自然史博物館]]に[[毛皮]]と[[骨]]などを送った<ref name="pandashizen">{{Cite book|和書 |author=R&D・モリス |translator=根津真幸 |title=パンダ 自然選書 |date=1976年1月 |publisher=[[中央公論社]] |isbn=978-4-12-000620-3}}</ref><ref name="ocn">[https://web.archive.org/web/20130730095709/http://ocntoday.blogzine.jp/today/2008/03/311_ea69.html 3月11日はパンダ発見の日](2013年7月30日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) [[OCN|OCN TODAY]] 2008年3月11日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080512225208/http://www.geocities.jp/iwa_kaz/trap015xiongmao.htm 【 熊猫 】](2008年5月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) 中国語学習ノート 2007年2月2日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20090620132907/http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/intdic/01-01.html 「パンダ」はどこからやってきた?](2009年6月20日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) 辞引網 2003年5月30日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080508041937/http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/japanese/shiya.htm じゃいあんとぱんだ【ジャイアントパンダ】(百科辞書)](2008年5月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、[[毛皮]]目当てに[[狩猟]]ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。[[探検家]]の[[ウィリアム・ハークネス]]が生体を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、[[1936年]]11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その[[剥製]]が[[アメリカ自然史博物館]]に保管されている。 クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、[[古生物学]]、[[形態学 (生物学)|形態学]]、[[分子系統学]]的研究の結果、近年ではクマ科に分類される<ref name="endo">{{Cite book|和書|author=遠藤秀紀|authorlink=遠藤秀紀|chapter=ジャイアントパンダの分類学的位置と形態学的適応|title=脊椎動物の多様性と系統|year=2006|editor=松井正文|publisher=[[裳華房]]|pages=336-337|isbn=4785358300}}</ref><ref name="wwf">{{Cite web|和書|url=https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/3562.html |title=パンダについて |WWFジャパン |publisher=WWF |accessdate=2019-01-31}}</ref>。一方、[[レッサーパンダ]]は独立した[[レッサーパンダ科]]に分類された。 {{Main2|パンダの系統については[[パンダ]]の項目を}} 2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から[[秦嶺山脈]]の個体群を亜種 {{snamei|A. m. qinlingensis}} とする説が提唱された<ref>Wan, Q.-H., H. Wu, and S.-G. Fang. [https://doi.org/10.1644/BRB-226.1 "A new subspecies of giant panda (''Ailuropoda melanoleuca'') from Shaanxi]", ''Journal of Mammalogy'', Volume 86, 2005, Pages 397-402.</ref>。一方でこの亜種を認める説は、有力ではない<ref name="iucn" />。 == 生態 == 標高1,200 - 4,100メートル(主に1,500 - 3,000メートル)にある、竹林に生息する<ref name="iucn" />。3.9 - 6.2[[平方キロメートル]]の、行動圏内で生活する<ref name="nakazato" />。1日あたり500メートル以上を移動することはまれ<ref name="obara" />。昼夜を問わずに活動するが、薄明薄暮性傾向が強い<ref name="nakazato" />。冬季になると、積雪の少ない標高800メートルくらいの地域へ移動する<ref name="obara" />。 生後40 - 60日で開眼する<ref name="obara" />。授乳期間は8 - 9か月<ref name="obara" />。生後5 - 6か月でタケなどを食べるようになる<ref name="obara" />。生後4 - 5年で、性成熟すると考えられている<ref name="obara" />。飼育下での最長寿命は34年だが<ref name="obara" />、通常は長くて26年<ref name="bies" />。 天敵として [[ユキヒョウ]]、[[ジャッカル]]、[[テン]]がいる。 [[ファイル:Chengdu-oso-panda-comiendo-v01.ogv|thumb|200px|[[竹]]を食べる様子]] [[File:2021-05-28 Adventure World Shirahama, Wakayama, Japan(アドベンチャーワールド、ジャイアントパンダ)DSCF2419☆彡.jpg|thumb|220px|right|竹を食べる様子([[アドベンチャーワールド]])]] ; 食事 : 1日あたり10 - 18キログラム、水分の多いものだと38キログラムの食物を食べる<ref name="obara" />。これは体重比にして約45%の量に達する<ref name="obara" /><ref name="takatsuki" />。1日のうち55%(平均14時間)を採食に費やすのは<ref name="iucn" />、消化器官が植物の消化に適しておらず、栄養摂取の効率が低いためとされる<ref name="nakazato" /><ref name="obara" />。消化率は約20%で、食後約12時間(タケノコでは約5時間)で排泄される<ref name="takatsuki" />。食性の99%を、タケ類やササ類の葉・幹<!-- 出典の表現に従ったが実際には茎、より専門的なら稈か -->・新芽([[タケノコ]])が占める<ref name="nakazato" /><ref name="obara" />。小型[[哺乳類]]・[[魚]]・[[昆虫]]等の小動物、[[果物]]を食べることもあり<ref name="kan-kiso" /><ref name="the-mae" /><ref name="mura-tabemono">[https://web.archive.org/web/20081229071842/http://www.geocities.jp/pandamura55/food/Pandafood.htm パンダ村「パンダの食べ物」]{{出典無効|date=2019年1月31日 (木) 03:33 (UTC)|title=個人サイト。「信頼できる情報源」ではないと思われる。}}{{リンク切れ|date=2020年3月}}</ref>、他のクマ類と同様に[[肉食動物|肉食]]を含む[[雑食]]性の特徴も微少であるが残っている。イチハス・クロッカス・リンドウなど他の植物質、ネズミ類・[[ナキウサギ科|ナキウサギ類]]などの小型哺乳類、魚類などを食べた例もある<ref name="obara" />。 : [[氷期]]の到来による[[気候変動]]がもたらす食糧不足から[[偏食]]を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている<ref name="mura-tabemono" />。しかしながら現在の中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられている。野生下でも、稀に人里に降りて家畜を食い殺す事件が発生するなど<ref>{{Cite web|和書|url=https://sputniknews.jp/20170228/3381711.html|title=パンダがヤギを喰らう、中国農村部|publisher=Sputnik日本|date=2017/03/04|accessdate=2017/03/04}}</ref>、機会があれば生肉を拒まない。 ; 行動 : 群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科動物と異なり、[[冬眠]]はしない<ref name="nakazato" />。 ; 繁殖 : 繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり<ref name="bies" />、[[マーキング (生態学)|マーキング]]([[:en:Territorial marking|territorial marking]])<!--注記:形態学的な「マーキング(animal markings)」もあるので「マーキング (動物)」は無効-->が行われることもある<ref name="kan-kiso" /><ref name="mura-com" />。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、洞窟や樹洞で出産する<ref name="nakazato" /><ref name="obara" />。1回に1 - 2頭の幼獣を産む<ref name="nakazato" /><ref name="takatsuki" />。飼育下では3頭を産んだ例もある<ref name="nakazato" />。出産間隔は隔年だが<ref name="obara" />、幼獣が早期に死亡すると、翌年に出産することもある<ref name="nakazato" />。 :繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある<ref name="kan-kiso" />。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している<ref name="wwf" />。 ; クマ科の気性 : 外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が、過去には何件か発生している<ref name="the-mae" />。 == 人間との関係 == [[爾雅]]注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が[[獏|貘]]として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた<ref name="araki">荒木達雄 「[https://doi.org/10.15083/00035297 中国古文献中のパンダ]」『東京大学中国語中国文学室紀要』第9号、東京大学文学部中国語中国文学研究室、2006年、1-22頁。</ref>。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある<ref name="araki" />。[[白居易]]が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、[[唐]]以前にはそれ以外の特徴がなくなったと推定されている<ref name="araki" />。加えて唐時代に、本種と同じ白黒模様をした[[マレーバク]]が混同したと推定されている<ref name="araki" />。[[説文解字#テキストと注釈|説文解字注]]から、[[清]]時代でも貘は金属を食べる生物とされている<ref name="araki" />。[[中華民国]]では本種の呼称は猫熊で、[[中国共産党]]の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある<ref name="araki" />。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない[[1934年]]初版の[[辞海]]においても既に熊猫は記述されている<ref name="araki" />。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」などと記述されており本種とは結びついていない、この時点では本種を猫熊と呼称することは定着していなかったと考えられている<ref name="araki" />。例としてDavidの発見時における本種の現地での呼称は、「白熊」だったとされている<ref name="araki" />。 [[世界自然保護基金]]のシンボルマークのモチーフになっている<ref name="takatsuki" />。独特の色彩に関しては人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためだとする古代中国の伝承がある<ref name="bies" />。 毛皮は寝具とすると夢により未来を予知できると信じられたこともある<ref name="bies" />。 [[画像:熊猫基地1.JPG|thumb|250px|[[成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地]]<br />(四川省・成都市)]] 竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した<ref name="iucn" /><ref name="obara" />。1985 - 1991年に、278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている<ref name="obara" />。2016年の時点では生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている<ref name="iucn" />。 1963年に保護区が設置され、1995年の時点で13か所・5,827平方キロメートルが保護区に指定されている<ref name="obara" />。このうち最大のものは臥龍自然保護区で、約2,000平方キロメートルに達する<ref name="takatsuki" />。1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている<ref name="nagato">永戸豊野 「混迷するパンダ救出作戦」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、19頁。</ref>。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている<ref name="iucn" /><ref name="nagato" />。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている<ref name="species+" />。 調査方法や地域がそれぞれ異なるため単純な比較はできないものの1974 - 1977年における生息数は2,459頭、1985 - 1988年における生息数は1,216頭、2000 - 2005年における生息数は1,596頭、2011 - 2014年における生後1年半以上の個体の生息数は1,864頭と推定されている<ref name="iucn" />。 [[中国国家一級重点保護野生動物|国家一級重点保護野生動物]]にも指定されている。臥龍自然保護区内には[[1983年]]に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、[[2008年]]の[[四川大地震]]によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。 中華人民共和国では、ジャイアントパンダの[[密猟]]は重罪とされている。過去には[[死刑]]が最高刑であったが、[[1997年]]以降法律が改正され、現在は20年の[[懲役|懲役刑]]が最高刑となっている<ref name="wwf" />。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に[[銃殺刑]])が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている<ref name="wwf" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |title=ジャイアントパンダ |publisher= |accessdate=2019-01-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090831103354/http://animals.web.infoseek.co.jp/mammals/giant_panda002.html |archivedate=2009-08-31}}{{要検証|date=2019-01-18 |title=信頼できる情報源といえるか不明。}}</ref>。また中国では[[熊肉|熊の肉]]、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある<ref>{{cite news |title=中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発 |newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |date=2015-05-14 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35064532.html |accessdate=2015-05-16 }}</ref>。 経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である[[竹]]は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず[[餓死]]してしまうことがある<ref name="the-tugi" />。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできた。20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発など、人間が生息地を分断したことによって、移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる<ref name="wwf" /><ref name="mura-tabemono" />。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「[[緑の回廊]](ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、[[:en:Wildlife corridor|en]])」を造る計画を進めている<ref name="wwf" />。 [[2004年]]に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の[[岷山山地]]、陝西省南部の[[秦嶺山脈]]、[[甘粛省]]南部などに約1,600頭が生息している。[[2006年]]、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は[[1980年代]]末より約40パーセント増えている。 <!-- PJ:BIOより「飼育・繁殖実績のある施設を、出典付きで文章にして記述している」ため、未出典の雑多な羅列と混同させないこと --> [[1978年]]に[[北京動物園]]が初めて、人工授精での繁殖に成功した<ref name="sagawa_et_al">佐川義明・中里竜二・田島日出男・神門英夫・野口利夫 「ジャイアントパンダの繁殖」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、182-185頁。</ref>。1990年の時点では[[1980年]]にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、[[1982年]]にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している<ref name="sagawa_et_al" />。[[1983年]]にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。 [[日本]]では[[1972年]]に[[恩賜上野動物園]]で初めて飼育された([[カンカンとランラン]])が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している<ref name="sagawa_et_al" />。ホァンホァンとフェイフェイのペアは[[1986年]]に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて[[1988年]]にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)<ref name="sagawa_et_al" />。 === 名称 === {{出典の明記|date=2020年2月|section=1}} [[学名|属名]] {{snamei|Ailuropoda}} は、{{lang-grc|[[wikt:en:αἴλουρος|αἴλουρος]]}} ({{lang|grc-latn|ailouros}}) 「[[ネコ|猫]]」 + {{lang|grc|[[wikt:en:πούς|πούς]]}} ({{lang|grc-latn|pous}}; 語幹: {{lang|grc-latn|pod-}}) 「足」 の[[合成語]]。 [[学名|種小名]] {{snamei|melanoleuca}} は同じくギリシア語 {{lang|grc|[[wikt:en:μέλας|μέλας]]}} ({{lang|grc-latn|melas}}; 語幹: {{lang|grc-latn|melan-}}) 「黒い」と {{lang|grc|[[wikt:en:λευκός|λευκός]]}} ({{lang|grc-latn|leukos}}) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。 パンダという動物名は1825年に初めて使用された<ref>{{Cite journal|title=パンダという名前|journal=https://www.amazon.co.jp/dp/B09S231X2L?ref_=pe_3052080_397514860}}</ref>。 ==== 世界の通用名(大小のパンダ)==== 今では世界中の諸言語で単に「{{lang|und-latn|panda}}、[[パンダ]]」と呼ぶ場合、[[レッサーパンダ]]ではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に[[発見]]されたのは[[1835年]]のレッサーパンダが先であり<ref group="注釈">[[イギリス|イギリス人]]の[[冒険者|冒険家]]によって発見された。</ref>、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が[[1869年]]になって発見されたことを受け、「{{en|lesser}} (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。そのため、より古い文献では単に「{{en|panda}}」「{{en|common panda}}」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある<ref>{{cite web2|url= http://www.animalinfo.org/species/carnivor/ailufulg.htm|title=Animal Info – Red Panda|language=en|accessdate=23 June 2019}}</ref>。例えば、[[ブリタニカ百科事典]]は2013年時点でもジャイアントパンダを「{{lang|en|giant panda}}」「{{lang|en|panda bear}}」と呼称し<ref>{{cite web2|language=en|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/441032/giant-panda |title=giant panda (mammal) -- Encyclopedia Britannica |publisher=Britannica.com |archive-url=https://web.archive.org/web/20130515123427/http://www.britannica.com/EBchecked/topic/441032/giant-panda |archive-date=15 May 2013 |accessdate=23 January 2017}}</ref>、レッサーパンダを「{{lang|en|panda}}」と呼称していた<ref>{{cite web|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/441037/panda |title=panda (mammal, Ailurus species) -- Encyclopedia Britannica |publisher=Britannica.com |archive-url=https://web.archive.org/web/20130515120439/http://www.britannica.com/EBchecked/topic/441037/panda |archive-date=15 May 2013 |accessdate=23 January 2017}}</ref>(2015年版では修正済み)。 「{{lang|und-latn|panda}}」という呼び名の由来については、英語の「{{en|panda}}」が[[フランス語]]で同じ綴りの「{{fr|panda}}」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく<ref>''Oxford English Dictionary'', s.v. ''panda'' n. 1.</ref>、[[ネパール語]]で「竹を食べるもの」を意味する<ref>[https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80/ パンダ【panda】] goo辞書(情報元:[[大辞泉]])</ref><ref>[http://www.etymonline.com/index.php?search=panda&searchmode=none panda - Online Etymoligy Dictionary.]</ref>「{{lang|ne-latn|ponga}} (ポンガ)」「{{lang|ne-latn|ponya}} (ポンヤ)」「{{lang|ne-latn|poonya}} (ポーンヤ)」<ref group="注釈">レッサーパンダの現地・ネパール語名:{{lang|ne-latn|nigalya ponya}}、{{lang|ne-latn|nyala ponga}}、{{lang|ne-latn|poonya}}</ref>などに求める説、特徴的な[[手根骨]]などの[[骨格]]に求める説などがある。西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」({{lang|la|Ailuropus melanoleucus}})と呼ばれていた。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり<ref group="注釈">例えば、Krämer, Karl-Heinz. [http://www.nepalresearch.org/dictionaries/nep_eng/nep_eng.pdf Nepli-English Dictionary].</ref><ref group="注釈">同様に、[http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/turner/ "A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)"].</ref>、論拠に疑問がある<ref group="注釈">別資料の表現では、ヒマラヤ南東部の[[チベット・ビルマ語派]]言語に起源あり。→{{Cite web |url=http://dictionary.reference.com/browse/panda |title=panda |work= |publisher=Dictionary.com |language=en |accessdate=2010-05-03}}</ref>。 ==== 中国語名 ==== 古代中国では「{{lang|zh|食鐵獸}}」、「{{lang|zh|嚙鐵}}」、「[[獏|{{lang|zh|貘}}]]」(現代でいう[[バク]]とは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「{{lang|zh|花熊}}」と「{{lang|zh|竹熊}}」がある<ref>{{Cite web2|url=http://huayuqiao.org/articles/yaodehuai/yaodh08.htm|title=再談大熊貓|author=姚德懷|language=zh|date=July 1999|website=華語橋|accessdate=23 June 2019}}</ref>。一方、標準名では「'''大熊猫'''」({{lang|zh-hant|大熊貓}} / {{lang|zh-hans|大熊猫}}、{{unicode|dàxióngmāo}}; ダーションマオ)と呼び、[[亜種]]レベルでは[[タイプ (分類学)|模式亜種]] {{snamei|A. m. melanoleuca}} を「四川大熊猫」({{lang|zh-hant|四川大熊貓}} / {{lang|zh-hans|四川大熊猫}}、{{unicode|Sìchuán dàxióngmāo}})、もう一つの亜種 {{snamei|A. m. qinlingensis}} を「秦嶺大熊猫」({{lang|zh-hant|秦嶺大熊貓}} / {{lang|zh-hans|秦岭大熊猫}}、{{unicode|Qínlǐng dàxióngmāo}})として呼び分ける。 [[中国語]]で言う「熊猫」({{繁体字|熊貓}}、{{簡体字|熊猫}})も、レッサーパンダに由来する。[[ネコ|猫]]にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない<ref>[[井上純一 (イラストレーター)|井上純一]][中国嫁日記web版 http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51475634.html]</ref>。 中国大陸ではパンダは「大熊猫」({{lang|zh-hant|大熊貓}} / {{lang|zh-hans|大熊猫}}、{{unicode|dàxióngmāo}}; シュンマオ)と呼び、台湾では「大猫熊」({{lang|zh-hant|大貓熊}} / {{lang|zh-hans|大猫熊}}、{{unicode|dàmāoxióng}}; マオシュン)が一般的である。台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の{{仮リンク|台南ニセパンダ事件|zh|台南真假熊貓事件}}が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり<ref name="臺視">{{cite news2|language=zh|title=台南動物園類似熊貓的黑白熊|url=http://dava.ncl.edu.tw/metadatainfo.aspx?funtype=0&PlayType=2&id=25930&BLID=25930|accessdate=26 March 2015|newspaper=臺灣電視公司|archiveurl=https://www.youtube.com/watch?v=wXasS9ZNJYc|archivedate=24 November 2008}}</ref><ref>{{cite news2|language=zh|title=貓熊與熊貓 真真假假 細述身分|url=http://udndata.com/ndapp/Story2007?no=307&page=31&udndbid=udndata&SearchString=tsKl1bq1L7q1v98vv9%2B6tSuk6bTBPj0xOTg3MTIwMSuk6bTBPD0xOTg4MTIzMQ%3D%3D&sharepage=10&select=1&kind=2&article_date=1987-12-29&news_id=103310434&showUserSearch=+%3Cstrong%3E%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%B1%7A%A5%48%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23FF6600+class%3Dtitle04%3E%B6%C2%A5%D5%BA%B5%2F%BA%B5%BF%DF%2F%BF%DF%BA%B5%2B%A4%E9%B4%C1%3E%3D19871201%2B%A4%E9%B4%C1%3C%3D19881231%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%A6%40%B7%6A%B4%4D%A8%EC%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23FF6600+class%3Dtitle04%3E317%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%B5%A7%B8%EA%AE%C6%3C%2Ffont%3E%3C%2Fstrong%3E&firstFatherCateID=&collectCateNewsPage=1|date=29 December 1987|newspaper=聯合報}}</ref>、1990年に[[行政院新聞局]]が用語を「熊猫」に統一する結果となったが、[[行政院農業委員会]]は「素人が専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した<ref>{{cite news2|language=zh|title=新聞局正名 熊-{}-貓「統一」名稱 農委會認係「外行指導內行」|url=http://udndata.com/ndapp/Story2007?no=31&page=4&udndbid=udndata&SearchString=v9%2B6tSu6tb%2FfK6TptME%2BPTE5NTEwMTAxK6TptME8PTIwMDAwMTAx&sharepage=10&select=0&kind=2&article_date=1990-08-09&news_id=100993201&showUserSearch=+%3Cstrong%3E%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%B1%7A%A5%48%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23FF6600+class%3Dtitle04%3E%BF%DF%BA%B5%2B%BA%B5%BF%DF%2B%A4%E9%B4%C1%3E%3D19510101%2B%A4%E9%B4%C1%3C%3D20000101%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%A6%40%B7%6A%B4%4D%A8%EC%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23FF6600+class%3Dtitle04%3E68%3C%2Ffont%3E+%3Cfont+color%3D%23333333+class%3Dtitle03%3E%B5%A7%B8%EA%AE%C6%3C%2Ffont%3E%3C%2Fstrong%3E&firstFatherCateID=&collectCateNewsPage=1|date=9 August 1990|newspaper=聯合報}}</ref>。 ==== 日本語名 ==== [[日本語]]では[[和名|標準和名]]「'''ジャイアントパンダ'''」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある<ref group="注釈">学研が1968年に発行した『原色現代科学大事典』の第5巻では巻末の和名―学名表で「オオパンダ Ailropoda melanoleuca」とあり、本文解説の「オオパンダ」の項目に和名の横にカッコ書きで小さく「ジャイアントパンダ・イロワケグマ・シロクログマ」表記が見られる。<br>(『原色現代科学大事典 5動物II』、宮地伝三郎(責任編集者)、株式会社学習研究社、昭和43年、p.539・607。)</ref>。 === 飼育 === {{複数の問題 |section = 1 |雑多な内容の箇条書き = 2016年7月 |出典の明記 = 2016年7月 }} 現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に19年間で16頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的とされる<ref>{{Cite news |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/46429|title=上野のパンダなぜ少子化 “多産”和歌山と異なる理由 |newspaper=東スポweb |date=2017-06-14 |accessdate=2019-01-31}}</ref>)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね[[性成熟]]に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。 ==== 日本 ==== * [[神戸市立王子動物園]]:[[兵庫県]][[神戸市]] 1頭(旦旦[タンタン]:メス)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/09/16/0014683630.shtml|title=神戸のパンダ「タンタン」26歳に 体調考慮しイベント自粛、飼育員手作りケーキでお祝い|publisher=デイリースポーツ|date=2021-09-16|accessdate=2021-09-16}}</ref> * [[アドベンチャーワールド]]:[[和歌山県]][[白浜町]] 4頭(良浜:メス、[[結浜]]:メス、彩浜:メス、楓浜:メス) * [[東京都恩賜上野動物園]]:[[東京都]][[台東区]] 4頭(力力[リーリー]:オス、真真[シンシン]:メス、蕾蕾[レイレイ]:メス、暁暁[シャオシャオ]:オス)<ref name="UenoNewBaby2021-2">{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211008/k10013298481000.html|title=上野動物園 双子パンダの名前は 「シャオシャオ」「レイレイ」|publisher=NHK NEWSWEB|date=2021-10-08|accessdate=2021-10-08}}</ref><ref name="名前なし-1">{{Cite news |url=https://www.asahi.com/articles/ASPB8527FPB8UTIL032.html|title=上野動物園の双子パンダ、シャオシャオとレイレイに 小池知事発表:朝日新聞デジタル|newspaper=|date=2021-10-08}}</ref> {| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:smaller" |- !カナ名 !漢字名<br /><small>(中国語読み)</small> !性<br />別 ! nowrap="nowrap" |出生日<br /><small>※推定</small> !来日日/<br />日本で生誕 !死亡日/<br />現住地 !日本出国日 !居住地<br />(滞在地) !父母 |- ![[カンカンとランラン|カンカン]] |康康(Kang Kang)<br />(中国名:新興) |オス |1970年<br />11月※ |1972年10月28日 |1980年<br />6月30日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |[[東京都恩賜上野動物園]]<ref name="UenoHistory">{{Cite web|和書|url=http://www.ueno-panda.jp/history/ |title=歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2019-01-31}}</ref><ref name="Kahaku">{{Cite web|和書|url=https://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001217208400883&p=2 |title=利用案内・情報 ≫ ホットニュース ≫ 2008-05-01 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo |publisher=国立科学博物館 |accessdate=2019-01-31}}</ref><ref group="注釈">上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、[[トントン (ジャイアントパンダ)|トントン]]、ホァンホァンの3頭の[[剥製]]は同じく[[上野恩賜公園]]内にある[[国立科学博物館]]で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は[[多摩動物公園]]で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは[[標本 (分類学)#液浸標本|液浸標本]])の標本が集められ、公開された。</ref> |野生 |- ![[カンカンとランラン|ランラン]] |蘭蘭(Lan Lan)<br />(中国名:二興) |メス |1968年<br />11月※ |1972年10月28日 |1979年<br />9月4日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |野生 |- !フェイ<br />フェイ |飛飛(Fei Fei) |オス |1967年<br />※ |1982年11月9日 |1994年<br />12月14日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |野生 |- !ホアン<br />ホアン |歓歓(Huan Huan) |メス |1972年<br />※ |1980年1月29日 |1997年<br />9月21日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |野生 |- !チュチュ |初初(Chu Chu) |オス |1985年<br />6月27日 |{{Flagu|JPN}} |1985年<br />6月29日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園 |飛飛<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" />/歓歓<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |- ![[トントン (ジャイアントパンダ)|トントン]] |童童(Tong Tong) |メス |1986年<br />6月1日 |{{Flagu|JPN}} |2000年<br />7月8日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園 |飛飛<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" />/歓歓<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |- !ユウユウ |悠悠(You You) |オス |1988年<br />6月23日 |{{Flagu|JPN}} |2004年<br />3月4日 |1992年11月13日 |東京都恩賜上野動物園 |飛飛<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" />/歓歓<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |- ![[リンリン (ジャイアントパンダ)|リンリン]] |陵陵(Ling Ling)<ref group="注釈">陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、[[恩賜上野動物園|東京都恩賜上野動物園]]からパンダがいなくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。</ref> |オス |1985年<br />9月5日 |1992年11月5日<br />2001年4月25日<br />2002年4月24日<br />2003年4月26日 |2008年<br />4月30日 |2001年2月9日<br />2001年11月12日<br />2003年1月27日<br />|{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |楼楼/岱岱<ref name="hamake">{{Cite book|和書 |author=NHK「ファミリーヒストリー」取材班|authorlink=ファミリーヒストリー|title=パンダ「浜家」のファミリーヒストリー|date=2022年6月 |publisher=[[東京書籍]]|isbn=978-4-487-81620-0 |pages=10-17}}</ref><ref name="FamilyHistory">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/1327782 |title=ファミリーヒストリー「パンダ・彩浜(サイヒン)〜白浜パンダ一家のルーツ〜」 |date=2020-01-06 |accessdate=2020-04-24 |work=TVでた蔵}}</ref> |- !シュアン<br />シュアン |双双(Shuan Shuan) |メス |1987年<br />6月15日 |2003年12月3日 |2022年<br />7月6日<ref>{{Cite web|和書|url=https://kagonma-info.com/c0024/mexico_shuan-shuan_dead_july_2022/|title=メキシコの高齢パンダ「シュアンシュアン」死ぬ 35歳 |date=2022-07-08 |accessdate=2023-05-11 |work=KWP News}}</ref> |2005年9月26日 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /><ref name="Kahaku" /> |貝貝/迎迎 |- !シャン<br />シャン |珊珊(Shan Shan) |オス |1955年※ |1980年3月23日 |1985年<br />6月 |1980年6月2日 |[[福岡市動植物園|福岡市動物園]]<ref name="FukuokaPanda">{{Cite web|和書|url=https://zoo.city.fukuoka.lg.jp/articles/detail/29 |title=福岡にもパンダがいた! |date=2012-02-18 |accessdate=2020-05-01 |work=市政だより3月1日号中央区版}}</ref> | |- !パオリン |宝玲(Bao Ling) |メス |1963年※ |1980年3月23日 |1988年<br />12月 |1980年6月2日 |福岡市動物園<ref name="FukuokaPanda" /> | |- !ウェイ<br />ウェイ |偉偉(Wei Wei) |オス |1973年※ |1981年1月6日 |1992年<br />3月 |1981年 |[[上海雑技団]]<br />(日本巡回)<ref>{{Cite web|和書|url=https://nagasaki-nitchu.org/pdf/news08.pdf#search=%27%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E9%9B%91%E6%8A%80%E5%9B%A3+%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%27 |title=中国上海雑技団日本縦断公演 世界のスーパーアイドルウェイウェイ君 長崎公演!! |date=1981-04-15 |accessdate=2020-05-01 |work=長崎県日中親善協議会ニュースNo.8 1-3頁}}</ref> | |- !サイサイ |寨寨(Zhai Zhai) |オス |1975年※ |1981年3月10日 |1999年<br />2月 |1981年9月17日 |[[神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81博覧会]]<ref name="Hon50">{{Cite web|和書|url=http://www.city.kobe.lg.jp/a09222/kosodate/lifelong/toshokan/bunkodayori/back/hon_50.html |title=「ポートピア’81」回想 |date=2005-06-20 |accessdate=2020-05-01 |work=神戸市:KOBEの本棚 第50号}}</ref><ref name="Habataki12">{{Cite web|和書|url=http://www.kobe-ojizoo.jp/habataki/pdf/habataki12.pdf |title=ポートピアのジャイアントパンダ |date=1982-07-10 |accessdate=2020-05-01 |work=神戸市立王子動物園機関誌 はばたき 第12号 7頁}}</ref> | |- !ロンロン |蓉蓉(Rong Rong) |メス |1964年※ |1981年3月10日 |1993年 |1981年9月17日 |ポートピア'81博覧会<ref name="Hon50" /><ref name="Habataki12" /> | |- !トントン |東東(Dong Dong) |オス |不明 |1989年9月15日 |不明 |1989年11月12日 |[[こうふ博'89]]+パンダ展<ref name="Kofu500">{{Cite web|和書|url=https://www.facebook.com/kofu500/posts/2040970062688051/ |title=懐かしい!!!「こうふ博」の半券をいただきました! |date=2019-01-23 |accessdate=2020-05-01 |work=甲府市:こうふ開府500年}}</ref> | |- !ビンビン |冰冰(Bing Bing) |メス |1986年<br />8月6日 |1989年9月15日 |{{Flagicon|CHN}} [[成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地]]<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/jp/news/xmqw/2014-12-09/4482.html |title=伝奇的なパンダ-------氷氷 |date=2014-12-09 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版}}</ref> |1989年11月12日 |[[こうふ博'89]]+パンダ展<ref name="Kofu500" /> | |- !コウコウ<br />(初代) |興興(Xing Xing)<br />(中国名:錦竹) |メス<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2265552 |title=中国で「オス」と思われていたパンダが出産 |date=2007-08-09 |accessdate=2020-08-18 |work=AFPBB News}}</ref> |1996年<br />8月12日 |2000年7月16日 |2014年<br />10月14日 |2002年12月5日 |神戸市立王子動物園<ref name="OjiPanda">{{Cite web|和書|url=http://www.kobe-ojizoo.jp/animal/panda/ |title=動物紹介 パンダの部屋 |accessdate=2020-05-01 |work=神戸市立王子動物園}}</ref> |Pan Pan/永巴 |- !タンタン |旦旦(Dan Dan)<br />(中国名:爽爽) |メス |1995年<br />9月16日 |2000年7月16日 |神戸市立王子動物園 | |神戸市立王子動物園<ref name="OjiPanda"/> |振振/冬冬 |- !コウコウ<br />(2代目) |興興(Xing Xing)<br />(中国名:龍龍) |オス |1995年<br />9月14日 |2002年12月9日 |2010年<br />9月9日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |神戸市立王子動物園<ref name="OjiPanda" /> |Pan Pan/佳佳 |- |※名前なし |※名前なし |オス |2008年<br />8月26日 |{{Flagu|JPN}} |2008年<br />8月29日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |神戸市立王子動物園<ref name="OjiPanda" /> |興興/旦旦 |- !シンシン |辰辰(Shen Shen)<br />申申? |オス |不明 | nowrap="nowrap" |1988年3月25日<br />(1988年7月9日)<br />(1988年9月19日) |不明 | nowrap="nowrap" |(1988年7月5日)<br />(1988年9月18日)<br />1989年1月10日 |[[池田動物園]]<ref name="OkayamaPanda">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASL3V4QG7L3VPPZB00S.html |title=動物園にパンダがやってきた 瀬戸大橋開通を記念 |date=2018-04-07 |accessdate=2020-05-01 |work=岡山)朝日新聞デジタル}}</ref><ref name="Ikedazoorekishi">{{Cite web|和書|url=https://ikedazoo.com/rekisi.html |title=岡山にパンダがやってきた |accessdate=2020-05-01 |work=池田動物園の歴史| 池田動物園をおうえんする会}}</ref><br />[[青函トンネル開通記念博覧会|函館EXPO'88]]<ref name="Hakodateshishi">{{Cite web|和書|url=http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-03/shishi_07-03-58.htm |title=青函博覧会とその効果 青函圏の発展をめざして |accessdate=2020-05-01 |work=「函館市史」通説編4 7編3章コラム58 890-894頁}}</ref><ref name="Tomoe88">{{Cite web|和書|url=http://www.hakodate.cci.or.jp/wp-content/uploads/2013/04/e25d9030906a86e9bdf846bb26292e28.pdf#search=%27%E5%87%BD%E9%A4%A8EXPO%2788+%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%27 |title=函館商工会議所報「ともえ」No.88 1,4,6,20頁 |date=1988-07-20 |accessdate=2020-05-01}}</ref><br />[[アドベンチャーワールド]]<ref name="w-mainichi-ad">{{Cite web|和書|url=http://www.w-mainichi-ad.com/archive/kankopro.pdf#search=%27%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80+%E6%85%B6%E6%85%B6+%E8%BE%B0%E8%BE%B0+%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%27 |title=絶滅の危機に瀕したパンダ等の繁殖に実績。人間と動物と自然とのふれあい、さらに深く。 |accessdate=2020-05-01 |work=株式会社和歌山毎日広告社 新聞シリーズ企画アーカイブ 観光のまちづくりプロジェクト 23-25頁}}</ref> | |- !ケイケイ |慶慶(Qing Qing) |メス |1984年<br />9月9日 |1988年3月25日<br />(1988年7月9日)<br />(1988年9月19日) |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/china/news/news/2013-01-19/383.html |title=熊猫庆庆年纪过大无缘生态动物园 将回四川养老 |date=2010-09-02 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語)}}</ref><ref>{{citeweb |url=https://e.chengdu.cn/html/2014-09/10/node_6.htm |title=祖宗级熊猫庆庆满30岁啦! |date=2014-09-10 |accessdate=2020-05-08 |work=成都商報 5面(中国語)}}</ref> |(1988年7月5日)<br />(1988年9月18日)<br />1989年1月10日 |池田動物園<ref name="OkayamaPanda" /><ref name="Ikedazoorekishi" /><br />函館EXPO'88<ref name="Hakodateshishi" /><ref name="Tomoe88" /><br />アドベンチャーワールド<ref name="w-mainichi-ad" /> | |- !エイメイ |永明(Yong Ming)<ref group="注釈">永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。</ref> |オス |1992年<br />9月14日 |1994年9月6日 |{{Flagicon|CHN}}成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 |2023年2月22日 |アドベンチャーワールド |良良<ref name="hamake" /><ref name="FamilyHistory" />/永永<ref name="hamake" /><ref name="FamilyHistory" /> |- !ヨウヒン |蓉浜(Rong Bang) |メス |1992年<br />9月4日 |1994年9月6日 |1997年<br />7月17日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |アドベンチャーワールド |母:美美 |- !メイメイ |梅梅(Mei Mei)<ref group="注釈">梅梅は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。</ref> |メス |1994年<br />8月31日 |2000年7月7日 |2008年<br />10月15日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |アドベンチャーワールド |林楠<ref name="FamilyHistory" /><ref name="hamake2">{{Cite book|和書 |author=NHK「ファミリーヒストリー」取材班|authorlink=日本放送協会|title=パンダ「浜家」のファミリーヒストリー|date=2022年6月 |publisher=[[東京書籍]]|isbn=978-4-487-81620-0 |pages=30-35}}</ref> /蘇蘇<ref name="FamilyHistory" /><ref name="hamake2" /> |- !ラウヒン |良浜(Liang Bang) |メス |2000年<br />9月6日 |{{Flagu|JPN}} |アドベンチャーワールド | |アドベンチャーワールド |哈蘭<ref name="AWSPandaFamily">{{Cite web|和書|url=https://www.aws-s.com/animals/panda/ |title=パンダファミリーの紹介 |date=2018-08 |accessdate=2020-04-24 |work=Adventure World WEB}}</ref>/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !ユウヒン |雄浜(Xiong Bang) |オス |2001年<br />12月17日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/jp/news/xmqw/2019-05-09/7515.html |title=白浜パンダファミリーの長男「雄浜」(ゆうひん) |date=2019-05-09 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版}}</ref> |2004年6月21日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !リュウヒン |隆浜(Long Bang) |オス |2003年<br />9月8日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=https://www.yangtse.com/content/967859.html |title=两只大熊猫从禄口机场回成都,看看它们是怎么上飞机的! |date=2020-07-21 |accessdate=2020-09-12 |work=揚子晩報(中国語)}}</ref> |2007年10月27日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- ! nowrap="nowrap" |シュウヒン |秋浜(Qiu Bang) |オス |2003年<br />9月8日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 深圳(セン)野生動物園<ref>{{citeweb |url=http://www.gd.chinanews.com/2017/2017-04-10/2/382329.shtml |title=“海归”大熊猫秋浜入住深圳野生动物园 |date=2017-04-10 |accessdate=2020-05-08 |work=中国新聞網(中国語)}}</ref> |2007年10月27日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !コウヒン |幸浜(Xing Bang) |オス |2005年<br />8月23日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/jp/news/jddt/2014-04-25/3801.html |title=「幸浜」が日本から無事に帰国を果たしました |date=2010-03-31 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版}}</ref> |2010年3月15日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- |※名前なし |※名前なし |オス |2005年<br />8月24日 |{{Flagu|JPN}} |2005年<br />8月25日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |アドベンチャーワールド |永明/梅梅 |- !アイヒン |愛浜(Ai Bang) |メス |2006年<br />12月23日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 陝西省珍稀野生動物護救飼養研究センター<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/jp/news/jddt/2014-04-25/3801.html |title=萌化了!陕西大熊猫喜添三丁 |date=2017-06-22 |accessdate=2020-05-08 |work=央視網新聞(中国語)}}</ref> |2012年12月14日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !メイヒン |明浜(Ming Bang) |オス |2006年<br />12月23日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 柳州動物園<ref>{{citeweb |url=http://www.xinhuanet.com/photo/2018-12/26/c_1123909616.htm |title=成都大熊猫蜀林、明浜途经南宁到达柳州 |date=2013-03-29 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語)}}</ref> |2012年12月14日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/梅梅<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !メイヒン |梅浜(Mei Bang) |メス |2008年<br />9月13日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 唐山動物園<ref>{{citeweb |url=http://tangshan.huanbohainews.com.cn/system/2018/05/18/011800462.shtml |title=两只国宝大熊猫明日正式与唐山市民见面 |date=2018-05-18 |accessdate=2020-05-08 |work=環渤海新聞網(中国語)}}</ref> |2013年2月26日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !エイヒン |永浜(Yong Bang) |オス |2008年<br />9月13日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/china/news/activities/2013-03-22/963.html |title=旅日大熊猫“梅浜”“永浜”昨晚回蓉 |date=2013-02-27 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語)}}</ref> |2013年2月26日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !カイヒン |海浜(Hai Bang) |オス |2010年<br />8月11日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 貴陽市黔霊山公園<ref>{{citeweb |url=http://www.ddcpc.cn/news/201804/t20180413_96274.shtml |title=大熊猫“星宝、海浜”入住贵阳“豪宅”:对新家十分满意! |date=2018-04-13 |accessdate=2020-05-08 |work=当代先鋒網(中国語)}}</ref> |2017年6月5日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !ヨウヒン |陽浜(Yang Bang) |メス |2010年<br />8月11日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地<ref>{{citeweb |url=http://www.panda.org.cn/china/news/activities/2017-06-06/6227.html |title=旅日大熊猫兄妹“浜”荣耀归来 ——旅日大熊猫“海浜”、“阳浜”、“优浜”顺利归国 |date=2017-06-06 |accessdate=2020-05-08 |work=成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語)}}</ref> |2017年6月5日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !{{ill2|リーリー|en|Ri Ri}} |力力(Li Li)<br />(中国名:比力) |オス |2005年<br />8月16日 |2011年2月21日<ref group="注釈">公開は2011年3月22日からを予定していたが、[[東日本大震災]]の影響で4月1日からとなった。</ref> |東京都恩賜上野動物園 | |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoPandaPress">{{Cite web|和書|url=https://www.ueno-panda.jp/press/ |title=パンダプロフィール|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2020-05-01}}</ref> |霊霊/公主 |- !{{ill2|シンシン(パンダ)|en|Shin Shin (giant panda)|label =シンシン}} |真真(Zhen Zhen)<br />(中国名:仙女) |メス |2005年<br />7月5日 |2011年2月21日 |東京都恩賜上野動物園 | |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoPandaPress" /> |琳琳/英英 |- |※名前なし |※名前なし |オス |2012年<br />7月5日 |{{Flagu|JPN}} |2012年<br />7月11日 |{{Flagu|JPN}}で死亡 |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoHistory" /> |力力/真真 |- ![[優浜|ユウヒン]] |優浜(You Bang) |メス |2012年<br />8月10日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 宿州野生動物園<ref>{{citeweb |url=http://www.chinanews.com/sh/2018/03-31/8480522.shtml |title=成都大熊猫“大双”“优浜”启程前往宿州 |date=2018-03-31 |accessdate=2020-05-08 |work=中国新聞網(中国語)}}</ref> |2017年6月5日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- ![[桜浜|オウヒン]] |桜浜(Ying Bang) |メス |2014年<br />12月2日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}}成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 |2023年2月22日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- ![[桃浜|トウヒン]] |桃浜(Tao Bang) |メス |2014年<br />12月2日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}}成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 |2023年2月22日 |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- |- ![[結浜|ユイヒン]] |結浜(Jie Bang) |メス |2016年<br />9月18日 |{{Flagu|JPN}} |アドベンチャーワールド | |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- ![[シャンシャン (ジャイアントパンダ)|シャンシャン]] |香香 (Xiang Xiang) |メス |2017年<br />6月12日 |{{Flagu|JPN}} |{{Flagicon|CHN}} 雅安碧峰峡パンダ保護基地 |2023年2月21日 |東京都恩賜上野動物園 |力力/真真 |- !サイヒン |彩浜(Cai Bang) |メス |2018年<br />8月14日 |{{Flagu|JPN}} |アドベンチャーワールド | |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /> |- !フウヒン |楓浜(Feng Bang) |メス<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aws-s.com/topics/detail?id=top2103 |title=ジャイアントパンダの赤ちゃんの性別についてのお知らせ〜生後1か月〜 |date=2020-12-22 |accessdate=2021-03-18 |work=Adventure World WEB}}</ref> |2020年<br />11月22日 |{{Flagu|JPN}} |アドベンチャーワールド | |アドベンチャーワールド |永明<ref name="AWSPandaFamily" />/良浜<ref name="AWSPandaFamily" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aws-s.com/topics/detail?id=top2313 |title=SMILE BIRTH PROJECT 〜命のバトンを、希望のバトンへ。〜 2020年11月22日生まれのジャイアントパンダパンダの赤ちゃん 名前が「楓浜(ふうひん)」に決定しました! |date=2021-03-18 |accessdate=2021-03-18 |work=Adventure World WEB}}</ref> |- !レイレイ<ref name="名前なし-1"/> |蕾蕾(Lei Lei)<ref name="UenoNewBaby2021-2" /> |メス |2021年<br />6月23日 |{{Flagu|JPN}} |東京都恩賜上野動物園 | |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoNewBaby2021-1">{{Cite web|和書|url=https://www.ueno-panda.jp/topics/detail.html?id=424|title=ジャイアントパンダ「シンシン」2頭出産のお知らせ|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」 |publisher=東京動物園協会 |accessdate=2021-10-08}}</ref> |力力/真真 |- !シャオシャオ<ref name="名前なし-1"/> |暁暁(Xiao Xiao)<ref name="UenoNewBaby2021-2" /> |オス |2021年<br />6月23日 |{{Flagu|JPN}} |東京都恩賜上野動物園 | |東京都恩賜上野動物園<ref name="UenoNewBaby2021-1" /> |力力/真真 |} ==== アメリカ合衆国 ==== アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]]の[[サンディエゴ動物園]]には、出産6回の「白雲」<ref>{{Cite news |url=http://www.excite.co.jp/News/odd/E1343703697343.html |title=米動物園のパンダが高齢出産、6回目で過去最多記録に |newspaper=エキサイトニュース |agency=ロイター |publisher=エキサイト |date=2012-07-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120803001656/http://www.excite.co.jp/News/odd/E1343703697343.html |archivedate=2012-08-03}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://zoo.sandiegozoo.org/cams/panda-cam |title=Panda Cam |website=San Diego Zoo |publisher= San Diego Zoo Global |accessdate=2019-01-31}}</ref>がいた(2019年5月に中国に帰国)。 [[テネシー州]]の[[メンフィス動物園]]は、[[2003年]]から[[2023年]]まで20年間の契約でヤーヤーとローローの貸与を受けていたが、2023年2月にローローが心疾患で死亡、ヤーヤーは同年4月に中国に返還された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cnn.co.jp/world/35203220-2.html |title=友好の象徴から敵対の象徴に 米動物園のパンダ、中国に帰国 |publisher=CNN |date=2023-04-28 |accessdate=2023-04-29}}</ref>。 2020年11月時点での最多出産は、アドベンチャーワールドの「良浜」(7回)。 ==== オーストラリア ==== [[オーストラリア]]のアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ('''ワンワン'''と'''フニ'''の2頭)を保育している<ref>[https://style.qantas.jp/area/sa/adelaide/city/spot/ アデレード市内 みどころスポット]南オーストラリア州政府観光局、カンタス航空、2018年12月2日閲覧。</ref>。 === パンダ外交 === {{Seealso|パンダ外交}} 記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは唐時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている<ref>{{Cite web |url=http://doc.qkzz.net/article/8284e8da-da43-447a-8f7c-9643298a7800.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160322185619/http://doc.qkzz.net/article/8284e8da-da43-447a-8f7c-9643298a7800.htm |title=“大熊猫外交”完成历史使命 |publisher=qkzz.net |archivedate=2016-05-22 |accessdate=2019-08-04}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.chinadaily.com.cn/a/201902/21/WS5c6e99fea3106c65c34eaa94.html |title=Official book tells untold stories of the giant panda |publisher=[[チャイナデイリー]] |date=2019-02-21 |accessdate=2019-08-04}}{{出典無効|date=2020年2月}}</ref>。 ; 1900年代 : 中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる[[パンダ外交]]を展開してきた。これが転じて、[[新保守主義 (アメリカ)|アメリカ]]などでは[[親中派]]が「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。 : 中華人民共和国政府から西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年2月の[[ニクソン大統領の中国訪問]]の際に大統領夫人の[[パット・ニクソン]]はパンダが好きであることから[[周恩来]]が「何頭か提供する」と申し出たことを受けて同年4月にアメリカに贈られた[[リンリンとシンシン]]が最初であり<ref name=tokyo2020>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/73086|title=米中関係、パンダが緩和? 米国の動物園、3年の滞在延長が決定…中国に年間約5200万円|work=[[東京新聞]]|date=2020-12-08|accessdate=2021-07-30}}</ref>、以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈された。 : 日本においては<ref group="注釈">歴史的[[史料]]において、[[日本書紀|日本書紀巻廿十六、斉明紀四年]]に「是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚」との記述があり、これを元に解釈した本({{Cite book|和書|author=|title=おおパンダ!!|year=1972|publisher=[[翠楊社]]|isbn=}} {{Cite book|和書|author=|title=パンダ|year=1976|publisher=[[中央公論社]]|series=自然選書|isbn=}} {{Cite book|和書|author=R&D・モリス|translator=根津真幸|title=世界動物発見史|year=1988|publisher=[[平凡社]]|isbn=}} {{Cite book|和書|author=中国パンダ保護研究センター、斉鳴|editor=日本パンダ保護協会|title=パンダ育児日記|date=2007-02-25|publisher=[[二見書房]]|isbn=978-4-576-07001-8}}等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:[http://syulan.sakura.ne.jp/200706/panda.html 日中パンダ交流史試論]、[http://www.tokyo-zoo.net/ROOT/express/express_back?record=138 TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日]) </ref>、[[1970年代]]にジャイアントパンダの大ファンである[[黒柳徹子]]が紹介した。その後[[日中国交正常化]]により上野動物園に中国から[[カンカンとランラン]]の2頭が贈られると、日本中にパンダ・ブームが起こった<ref>[https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200502/topics01/topic01_06.html 戦後60年に去来したブームたち エンタなブーム]、月刊基礎知識 2005年2月号、自由国民社</ref>。アニメでは『[[パンダの大冒険]]』や『[[パンダコパンダ]]』がつくられた。 : 中国国外に贈与されたジャイアントパンダの数は1957年から83年までで24頭にのぼったが、1984年にジャイアントパンダがワシントン条約の附属書IIIから附属書Iに移行され、商業目的の取引が禁止され、パンダの贈与は出来なくなった<ref name="wwf" />。しかしその後1980年代から1990年代初期にかけて、ジャイアントパンダが中国国外の動物園に高額でレンタルされる例が続出したため、パンダに商業的な価値が生まれることで野生のパンダの捕獲が誘発されることへの懸念から、1997年のワシントン条約締約国会議で「野生で捕獲された個体の輸出は、特定の場合を除いて認可されるべきではない」ことと、「パンダの貸し出しで得た収益は野生のパンダ保護のために再投資されるべき」との勧告がなされた<ref name="wwf" />。 : このような経緯から、野生の個体を捕獲するのではなく中国の動物園や保護センターで生まれた個体のみが中国国外にレンタルされるようになり、中国がパンダのレンタルで得た高額なレンタル料も「保護活動費」として野生のパンダ保護のために使われるようになった。保護活動費の使い道はWWFによって監視されている。 ; 2000年代 : [[2005年]]に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国([[台湾]])の比較的親中的な野党である[[中国国民党]]および[[親民党]]代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。 : これに対して[[民主進歩党]]の[[陳水扁]]政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。 : しかし2008年の国民党の[[馬英九]]政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。 : 2020年12月7日、米中対立の激化により、スミソニアン国立動物園の3頭のパンダが懸案となったが、米国が年間50万ドル(約5200万円)を支払うことで2023年まで滞在延長することで米中間は合意した<ref name=tokyo2020/>。 ; ワシントン条約によりレンタル扱い : 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約#附属書|学術研究目的]]以外での取引は難しいため<ref name="national">[http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0607/index.shtml 特集:パンダ貸します] [[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック日本版]] 2006年7月号</ref>、外交として中国国外にジャイアントパンダを贈与することはできず、中国の動物園か保護センターで生まれた個体を「繁殖研究」などの名目で中国国外の動物園にレンタルする形となっており、レンタルされる個体はすべて「中国籍」である<ref name="national" /><ref name="toku">[https://www.j-cast.com/tv/2008/04/30019613.html とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本] [[J-CAST]] 2008年4月30日</ref><ref name="ex">[https://www.excite.co.jp/news/article/00091128188607/ なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか] [[エキサイト|エキサイトニュース]] 2005年10月4日</ref>。 : 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、また片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となる<ref name="ex" />。そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |title=神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-10-02 |archiveurl=https://archive.is/20101003090457/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101002-OYT1T00467.htm |archivedate=2010年10月3日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。レンタル料は「保護活動費」との名目で、借り受けた動物園を介して「中国野生生物保護協会」に送られ、本種の研究費や生息地保護資金に充てられている<ref name="wwf" /><ref name="national" /><ref name="ex" />。 : 「パンダは新鮮な笹しか食べないので食費がかさむ」などの事情に加え(笹が自生しない国では中国から毎日空輸することになる)、高額なレンタル料も一因となり、アトランタ(アメリカ)の動物園では2006年に資金難を理由として<ref>[https://www.nytimes.com/2006/02/12/us/eats-shoots-leaves-and-much-of-zoos-budgets.html Eats Shoots, Leaves and Much of Zoos' Budgets] - The New York Times、 2006年2月12日</ref>、カルガリー動物園(カナダ)でも2020年に[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]に伴う物流混乱により笹の調達が困難になったとして<ref>{{Cite web|和書|title=カナダ・カルガリー動物園、パンダを中国に返還へ 笹の調達が困難に |url=https://www.cnn.co.jp/world/35153722.html |website=CNN.co.jp |access-date=2023-02-25 |date=2020-05-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=パンダの「大毛」と「二順」、カナダから無事帰国 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3319005 |website=AFP通信 |access-date=2023-02-25 |date=2020-12-01}}</ref>、本種を返還した。本種はもはや「レンタル外交」というビジネスであるとも言われている<ref name="toku" />。 === 客寄せパンダ === 日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す'''[[客寄せパンダ]]'''という言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。 *[[神戸ポートアイランド博覧会]](開期・[[1981年]]3月20日〜9月15日)において'''ジャイアントパンダ'''(「サイサイ」(雄6歳)「ロンロン」(雌17歳))が展示されたが、この博覧会は「新しい“海の文化都市”の創造」をメインテーマに海洋文化や港湾建設など海に関する物事をテーマに開催された博覧会だったにも関わらず、当時は東京の[[上野動物園]]へ行かなければ見ることが出来なかったジャイアントパンダを関西圏で見られるとあって、海とは特に関係のないジャイアントパンダが博覧会における展示の中でも特に人気の的となってしまった。この出来事を当時のマスコミが「パンダが来たおかげで博覧会の入場者が増加した」などと報じた事から転じて「客寄せパンダ」の名称が発生し、以後その言葉が汎く定着したという説。 *1980年の[[衆参同日選挙]]前<ref>毎日新聞 2017年6月26日号 東京朝刊[https://mainichi.jp/articles/20170626/ddm/001/070/184000c]</ref>、並びに[[1981年]]6月の東京都議選応援演説における[[田中角栄]]の「人寄せパンダ」<ref>{{Cite book|和書|author=榊原昭二|title=昭和語―60年世相史|date=1986-04-20|publisher=[[朝日新聞社]]|series=[[朝日文庫]]|isbn=978-4-02-260370-8}}{{要ページ番号|date=2019-01-31}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=榊原昭二|title='80年代 世相語ガイド〈下〉|date=1983年10月|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=朝日ブックレット|isbn=978-4-02-268016-7}}{{要ページ番号|date=2019-01-31}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=鷹橋信夫|title=昭和世相流行語辞典|date=1986-11-10|publisher=[[旺文社]]|isbn=978-4-01-070753-1}}{{要ページ番号|date=2019-01-31}}</ref>発言の「人寄せ」部分が変化した という説。 === 「白黒のもの」を意味する表現 === [[ファイル:Ae86 tureno.jpg|thumb|right|通称『パンダトレノ』]] また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本の[[パトロールカー|パトカー]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://zokugo-dict.com/26ha/panda.htm |title=パンダ(ぱんだ) - 日本語俗語辞書 |publisher=Lookvise.inc. |accessdate=2019-01-31}}</ref>や、民間車両では[[トヨタ・カローラレビン]]/[[トヨタ・スプリンタートレノ|スプリンタートレノ]]([[トヨタ・AE86|AE86]])の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。 また、[[イロワケイルカ]]を体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、[[ナマズ目]]の[[コリドラス]]の一種にも、その体色から {{sname|''[[:en:Panda corydoras|Corydoras panda]]'' ([[:en:Han Nijssen|Nijssen]] & [[Isaäc J. H. Isbrücker|Isbrücker]], 1971)}} という学名がつけられたものがいる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"|30em}} === 出典 === {{Reflist|25em}} == 関連項目 == {{Commons|Ailuropoda melanoleuca}} {{Species|Ailuropoda melanoleuca}} {{Wiktionary|ジャイアントパンダ}} * [[四川省のジャイアントパンダ保護区]] * [[パンダ外交]] * [[レッサーパンダ]] <!--『Wikipedia:ウィキプロジェクト 生物』の「注意すべき内容」にて『生物を元にした架空のキャラクター』や『生物が登場する作品』や『生物に関連したものなど』は“書かない方がよい”とされています。書く必要性がある場合は『架空の生物一覧』など適切な項目へ記載してください --> == 外部リンク == * [https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030116_00000 NHKアーカイブス パンダブーム] - 日本放送協会(NHK) * [https://www.ueno-panda.jp/ ジャイアントパンダ情報サイト] 上野動物園 {{クマ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しやいあんとはんた}} [[Category:ジャイアントパンダ|**]] [[Category:ワシントン条約附属書I]] [[Category:中国国家一級重点保護野生動物]] [[Category:日中関係史]]
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1881年
1881年(1881 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。明治14年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1881年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。明治14年。
{{年代ナビ|1881}} {{year-definition|1881}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[辛巳]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]14年 ** [[皇紀]]2541年 * [[清]]:[[光緒]]6年12月2日 - 光緒7年11月11日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]18年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4214年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]33年12月2日 - 嗣徳34年11月11日 * [[仏滅紀元]]:2423年 - 2424年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1298年1月29日 - 1299年2月9日 * [[ユダヤ暦]]:5641年5月1日 - 5642年4月9日 * [[修正ユリウス日]](MJD):8081 - 8445 * [[リリウス日]](LD):108922 - 109286 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1881}} == できごと == [[画像:tofukuji-butsuden.jpg|thumb|200px| 1881年(明治14年)12月16日に焼失した[[東福寺]]仏殿([[京都府立京都学・歴彩館]] 京の記憶アーカイブ)。堂内には身の丈五丈の大仏が安置されていた。]] === 1月 === * [[1月4日]] ** [[警視庁 (内務省)|警視庁]]再設置 ** [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]「[[大学祝典序曲]]」初演([[ブレスラウ]]) * [[1月14日]] - [[憲兵 (日本軍)|憲兵]]設置 * [[1月17日]] - 明治法律学校(後の[[明治大学]])創立 * [[1月26日]] - [[神田大火]]([[神田 (千代田区)|神田]]から出火し[[隅田川]]を渡り[[本所 (墨田区)|本所]][[深川 (江東区)|深川]]まで延焼、焼失10637戸)<!-- 15000戸説もあり--> * 明工舎(後の[[沖電気]])創業 === 2月 === * [[2月10日]] - [[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]歌劇「[[ホフマン物語]]」初演([[オペラ=コミック座]]) * [[2月11日]] - [[久松町大火]] * [[2月15日]] - [[紅葉館]]開館 * [[2月24日]] ** [[フランス]]の実業家、[[フェルディナン・ド・レセップス]]が、[[パナマ運河]]を起工 ** [[ロシア帝国]]・[[清]]間で[[イリ条約]]締結 === 3月 === * [[3月1日]] - 第2回[[内国勧業博覧会]]開催([[上野恩賜公園|上野公園]]、 - 6月30日) * [[3月4日]] ** [[ジェームズ・ガーフィールド]]が第20代米国大統領に就任 ** [[ハワイ王国]]国王[[カラカウア]]が、10か月に亘る世界一周各国歴訪旅行のアジア最初の訪問地として日本を訪問、日本を訪問した初の国家元首となる([[3月22日|同月22日]]まで滞在)。[[3月11日|同月11日]]、[[赤坂離宮|赤坂仮御所]]を訪問、[[明治天皇]]との単独会談を行い、ハワイ・アジア連合を構築し明治天皇がその盟主となること、また姪の[[カイウラニ]]を日本の皇室に嫁がせることなどを提案する<ref group="注">ハワイ・アジア連合、および[[山階宮]]定麿親王とカイウラニの結婚に関する提案については、翌[[1882年]]3月22日に届けられた明治天皇からカラカウア王宛の14ページに亘る書簡で正式に断っている。但し、同時に申し出た日本政府公認の移民(非公認の移民は明治元年([[1868年]])既にハワイに入植していた)については[[1885年]]に実現することとなった。</ref>。 * [[3月13日]] - [[ロマノフ朝]]第12代皇帝[[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]が[[アレクサンドル2世暗殺事件 (1881年)|暗殺]]される。翌日[[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]が第13代皇帝に即位。 * [[3月18日]] - [[東洋自由新聞]]創刊(主筆[[中江兆民]])(4月30日廃刊) * [[3月23日]] - [[第一次ボーア戦争]]: 停戦協定 * [[3月26日]] - [[ルーマニア王国]]成立(初代国王[[カロル1世]]) === 4月 === * [[4月1日]] - [[大阪鐵工所]]設立 * [[4月5日]] - [[大日本農会]]創立 * [[4月7日]] - [[農商務省 (日本)|農商務省]]設置(初代農商務卿[[河野敏鎌]]) * [[4月8日]] - [[三省堂]]創業([[亀井忠一]]) * [[4月18日]] - [[大英自然史博物館]]開館 * [[4月27日]] - [[ロシア帝国]]で[[エリザヴェトグラード]]から[[ポグロム]]が始まる * [[4月28日]] - [[会計法 (旧法)|会計法]]制定 * [[4月30日]] - 東洋自由新聞廃刊 === 5月 === * [[5月3日]] - セメント製造会社(後の[[小野田セメント]])設立 * [[5月12日]] - [[チュニジアの歴史|チュニジア]]がフランスの[[保護国]]となる * [[5月16日]] - [[ベルリン]]で世界初の[[路面電車|電気路面電車]]が走行 * [[5月21日]] - [[全米テニス協会]]創立 * [[5月26日]] - [[東京職工学校]](後の[[東京工業大学]])設立 === 6月 === * [[6月13日]] - 東京物理学講習所(後に[[東京物理学校]]を経て[[東京理科大学]]となる)が設立され、同日付の[[郵便報知新聞]]に広告が掲載される。 * [[6月28日]] - [[セルビア]]が[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の保護国となる === 7月 === * [[7月2日]] - 米[[ジェームズ・ガーフィールド|ガーフィールド]]大統領が背後から銃撃を受け重傷を負う([[ガーフィールド大統領暗殺事件]]) * [[7月9日]] - [[明治安田生命保険|明治生命]]創業(日本初の[[生命保険]]会社) * [[7月14日]] - [[ビリー・ザ・キッド]]が[[パット・ギャレット|ギャレット]]保安官に射殺される * [[7月16日]] - [[アイルランド]]土地法(1880年法)成立 * [[7月23日]] - [[チリ]]・[[アルゼンチン]]間で国境条約締結 * [[7月24日]] - 日本最後の[[斬首刑]]が執行 * [[開拓使官有物払下げ事件]] === 8月 === * [[8月3日]] - [[第一次ボーア戦争]]: [[プレトリア協定]]締結 * [[8月31日]] - 第1回全米シングルス選手権(後の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]])開催( - 9月3日) === 9月 === * [[9月19日]] - 米[[ジェームズ・ガーフィールド|ガーフィールド]]大統領が死亡 * [[9月20日]] - 米[[チェスター・A・アーサー|アーサー]]副大統領が大統領に昇格 === 10月 === * [[10月11日]] - [[大隈重信]]が罷免される([[明治十四年の政変]]) * [[10月12日]] - [[国会開設の詔]](9年後の[[国会 (日本)|国会]]開設を約束) * [[10月18日]] - [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]結成([[板垣退助]]) * [[10月22日]] - [[ボストン交響楽団]]第1回演奏会 * [[10月26日]] - 保安官のワイアット・アープとクラントン兄弟らアウトロー「カウボーイズ」がアリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル付近で銃撃戦([[OK牧場の決闘]]) === 11月 === * [[11月5日]] - 仏[[ジュール・フェリー|フェリー]]内閣総辞職 * [[11月11日]] - [[日本鉄道]]設立(日本初の[[私鉄]]) * [[11月14日]] - 仏[[レオン・ギャンベッタ|ギャンベッタ]]内閣成立 === 12月 === * [[12月4日]] - [[ロサンゼルス・タイムズ]]創刊 * [[12月8日]] - [[褒章条例]]公布(紅綬・緑綬・黄綬・紫綬・藍綬・紺綬の[[褒章]]を規定) * [[12月16日]] - [[九条道家]]の発願で造立された[[東福寺]]大仏が失火のため焼失する<ref>横山秀哉「東福寺古僧堂の遺構から見た禅宗伽藍」(『禅文化(42)』1966年 収録) </ref>。 * [[12月28日]] - [[陸軍刑法]]・[[海軍刑法]]制定 === 日付不詳 === * ドイツの歴史家、[[レオポルト・フォン・ランケ]]、『世界史』の編纂に着手 * [[スーダン]]地方で、[[マフディーの反乱]] * [[エジプト]]で、アラービー=パシャの反乱 * [[イタリア王国]]、[[セルビア]]と秘密条約締結 * 北ボルネオ特許会社の北ボルネオ領有(マレーシアの[[サバ州]]) * シオンのものみの塔冊子協会(現・[[ものみの塔聖書冊子協会]])設立 == 生物学 == * [[アンゲリーナ・ヘッセ]]が[[細菌培養用培地]]を開発する。アンゲリーナ・ヘッセは[[ウォルター・ヘッセ]]の妻で、ウォルター・ヘッセが[[ロベルト・コッホ]]から[[空中浮遊菌]]の研究を依頼され、妻に細菌の培養地の代替を相談した時、[[アガー・アガー]]を提案した。{{Sfn|ゴーガン|2012|p=91|ps=「寒天で固めた未来の生物学的研究」}} == 誕生 == {{see also|Category:1881年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月1日]] - [[横山運平]]、[[俳優]](+ [[1967年]]) * 1月1日 - [[押川清]]、[[野球選手]](+ [[1944年]]) * [[1月15日]] - [[石原純]]、[[理論物理学者]]・[[歌人]](+ [[1947年]]) * [[1月28日]] - [[岩崎俊弥]]、[[旭硝子]]創業者(+ [[1930年]]) === 2月 === * [[2月4日]] - [[フェルナン・レジェ]]、[[画家]](+ [[1955年]]) * [[2月11日]] - [[カルロ・カッラ]]、画家(+ [[1966年]]) * [[2月12日]] - [[アンナ・パヴロワ]]、[[バレリーナ]](+ [[1931年]]) * [[2月22日]] - [[濱田耕作]]、[[考古学者]](+ [[1938年]]) === 3月 === * {{要出典範囲|[[3月12日]]|date=2012年2月}} - [[ムスタファ・ケマル・アタテュルク]]、[[トルコ]]初代[[大統領]](+ [[1938年]]) * [[3月19日]] - [[森田草平]]、[[作家]]・[[翻訳家]](+ [[1949年]]) * [[3月23日]] - [[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]]、フランスの[[小説家]](+ [[1958年]]) * 3月23日 - [[エゴン・ペトリ]]、[[ピアニスト]](+ [[1962年]]) * 3月23日 - [[ギャビー・クラバス]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1963年]]) *3月23日 - [[ヘルマン・シュタウディンガー]]、[[化学者]](+[[1965年]]) * [[3月25日]] - [[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]、[[作曲家]](+ [[1945年]]) === 4月 === * [[4月12日]] - [[朝比奈泰彦]]、[[薬学者]](+ [[1975年]]) * [[4月16日]] - [[永井柳太郎]]、[[政治家]](+ [[1944年]]) === 5月 === * [[5月1日]] - [[ピエール・テイヤール・ド・シャルダン]]、[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]]・[[古生物学者]]・[[地質学者]](+ [[1955年]]) * [[5月11日]] - [[セオドア・フォン・カルマン]]、[[航空工学]]研究者(+ [[1963年]]) * [[5月14日]] - [[エド・ウォルシュ]]、元[[メジャーリーガー]](+ [[1959年]]) * [[5月31日]] - [[ハインリヒ・ブルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1942年]]) === 6月 === * [[6月3日]] - [[ミハイル・ラリオーノフ]]、[[画家]](+ [[1964年]]) * [[6月6日]] - [[藤井達吉]]、[[工芸家]]・図案家(+ 1964年) * [[6月30日]] - [[ニール・ボール]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1957年]]) === 7月 === * [[7月1日]] - [[エドワード・ベイリー]]、[[地質学者]](+ [[1965年]]) * [[7月4日]] - [[ナタリア・ゴンチャロワ (画家)|ナタリア・ゴンチャロワ]]、[[美術家]]・[[デザイナー]](+ [[1962年]]) * [[7月9日]] - [[松岡映丘]]、[[日本画家]](+ [[1938年]]) * [[7月21日]] - [[ジョニー・エバース]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1947年]]) * [[7月24日]] - [[大谷米太郎]]、ホテルニューオータニ創立者(+ [[1968年]]) * [[7月26日]] - [[小山内薫]]、[[劇作家]]・[[演出家]](+ [[1928年]]) * [[7月27日]] - [[ハンス・フィッシャー]]、ドイツの[[化学者]](+ [[1945年]]) * [[7月28日]] - [[レオン・スピリアールト]]、[[画家]](+ [[1946年]]) === 8月 === * [[8月1日]] - [[会津八一]]、[[歌人]]・[[美術史家]]・[[書家]](+ [[1956年]]) * [[8月6日]] - [[アレクサンダー・フレミング]]、細菌学者(+ [[1955年]]) * [[8月12日]] - [[セシル・B・デミル]]、[[映画監督]](+ [[1959年]]) * [[8月19日]] - [[ジョルジェ・エネスク]]、[[音楽家]](+ [[1955年]]) * [[8月27日]] - [[岩波茂雄]]、[[岩波書店]]の創業者(+ [[1946年]]) * [[8月29日]] - [[山下新太郎 (洋画家)|山下新太郎]]、[[洋画家]](+ [[1966年]]) === 9月 === * [[9月5日]] - [[オットー・バウアー]]、[[政治家]]・[[社会学者]]・[[哲学者]](+ [[1938年]]) * [[9月8日]] - [[井戸泰]]、[[医学]]者(+ [[1919年]]) * [[9月25日]] - [[魯迅]]、[[小説家]]・[[思想家]](+ [[1936年]]) === 10月 === * [[10月1日]] - [[ウィリアム・ボーイング]]、[[ボーイング]]の設立者(+ [[1956年]]) * [[10月11日]] - [[ルイス・フライ・リチャードソン]]、[[数学者]]、[[気象学者の一覧|気象学者]](+ [[1953年]]) * [[10月25日]] - [[パブロ・ピカソ|パブロ・ルイス・ピカソ]]、[[画家]](+ [[1973年]]) === 11月 === * [[11月8日]] - [[アルベール・グレーズ]]、[[画家]](+ [[1953年]]) * [[11月25日]] - [[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]、[[ローマ教皇]](+ [[1963年]]) * [[11月28日]] - [[シュテファン・ツヴァイク]]、小説家・[[評論家]](+ [[1942年]]) === 12月 === * [[12月3日]] - [[林献堂]]、政治家(+ [[1956年]]) * [[12月16日]] - [[乃木保典]]、軍人(+ [[1904年]]) * [[12月17日]] - [[田邊宗英]]、実業家(+ [[1957年]]) * 12月17日 - [[イングバル・ブリン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1947年]]) * [[12月20日]] - [[ブランチ・リッキー]]、元メジャーリーガー(+ [[1965年]]) * [[12月25日]] - [[倉田白羊]]、洋画家(+ [[1938年]]) * [[12月29日]] - [[ジェス・ウィラード]]、[[プロボクサー]](+ 1968年) * [[12月30日]] - [[小杉放庵]]、[[洋画家]](+ [[1964年]]) === 日付不詳 === * 日付不詳 - [[セントサイモン]]([[サラブレッド]])、大[[種牡馬]](+ [[1908年]]) == 死去 == {{see also|Category:1881年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月6日]] - [[アンリ・ヴュータン]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1820年]]) * [[1月28日]] - [[フョードル・ドストエフスキー]]、小説家(* [[1821年]]) === 2月 === * [[2月4日]] - [[ジョン・ビグスビー]]、[[医師]]・[[地質学者]](* [[1792年]]) * [[2月15日]] - [[大政 (侠客)|大政]]、[[侠客]](* [[1832年]]) === 3月 === * [[3月7日]] - [[フランツ・ミクロシッチ]]、[[言語学者]](* [[1813年]]) * [[3月13日]] - [[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]、[[ロマノフ朝]]第12代[[ロシア]][[皇帝]](* [[1818年]]) * [[3月15日]] - [[フランツ・フォン・ディンゲルシュテット]]、[[詩人]]・[[劇作家]]・劇場支配人(* [[1814年]]) * [[3月23日]] - [[ニコライ・ルビンシテイン]]、[[音楽家]](* [[1835年]]) * [[3月28日]] - [[モデスト・ムソルグスキー]]、作曲家(* [[1839年]]) === 4月 === * [[4月19日]] - [[ベンジャミン・ディズレーリ]]、イギリス首相(* [[1804年]]) === 5月 === * [[5月26日]] - [[ヤーコプ・ベルナイス]]、[[言語学者]](* [[1824年]]) === 6月 === * [[6月23日]] - [[マティアス・ヤーコプ・シュライデン]]、[[植物学者]](* [[1804年]]) === 7月 === * [[7月14日]] - [[ビリー・ザ・キッド]]、[[ガンマン]](* [[1859年]]) * [[7月17日]] - [[ジム・ブリッジャー]]、罠猟師・[[探検家]](* [[1804年]]) === 8月 === === 9月 === * [[9月19日]] - [[ジェームズ・ガーフィールド]]、第20代[[アメリカ合衆国大統領]] (* [[1831年]]) === 10月 === * [[10月31日]] - [[ジョージ・W・デロング]]、海軍士官、[[探検家]](* [[1844年]]) === 11月 === * [[11月25日]] - [[テオバルト・ベーム]]、[[発明家]]・[[音楽家]](* [[1794年]]) === 12月 === * [[12月3日]] - [[伊達邦賢]](旧[[仙台藩]]一門第九席・[[中津山藩]]第7代当主)(* [[1837年]]) * [[12月17日]] - [[ルイス・ヘンリー・モーガン]]、[[文化人類学]]学者(* [[1818年]]) == フィクションのできごと == * 初代ドクターがジョニー・リンゴと対決。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』){{要出典|date=2021-03}} * ジョシミア・スミスによる地球生物の収集が完了。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * イギリス兵士と[[氷の戦士]]の戦いが火星で勃発し、人間側が降伏する。(ドラマ『ドクター・フー』) == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=リチャード・ゴーガン |year=2012 |title=天才科学者のひらめき36 世界を変えた大発見物語 |publisher=創元社 |isbn=978-4-422-40022-8 |ref={{Sfnref|ゴーガン|2012}}}}<!-- 2012年4月10日第1版第1刷発行 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1881}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1881ねん}} [[Category:1881年|*]]
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1750年代
1750年代(せんななひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1750年から1759年までの10年間を指す十年紀。
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1750年代(せんななひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1750年から1759年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 18 | 年代 = 1750 | 年 = 1750 }} '''1750年代'''(せんななひゃくごじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1750年から1759年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1750年 === {{main|1750年}} * [[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン|バウムガルテン]]、『美学』第一版出版。 === 1751年 === {{main|1751年}} * [[スウェーデン]]で[[ホルシュタイン=ゴットルプ王朝]]始まる。 * [[ドゥニ・ディドロ]]らによる[[百科全書]]の刊行が始まる。 * [[12月14日]](寛延4年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - 日本、[[改元]]して[[宝暦]]元年。 === 1752年 === {{main|1752年}} * [[ベンジャミン・フランクリン]]、[[雷]]の中で[[凧]]をあげ、雷が[[電気]]であることを証明。 * [[9月14日]] - [[イギリス]]で[[グレゴリオ暦]]が採用される。 === 1754年 === {{main|1754年}} * 北米大陸にて[[フレンチ・インディアン戦争]]が勃発( - 1763年)。 === 1756年 === {{main|1756年}} * [[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]率いる[[プロイセン王国|プロイセン]]が[[ザクセン公国|ザクセン]]に侵攻し、[[七年戦争]]が始まる( - 1763年)。 === 1757年 === {{main|1757年}} * [[オスマン帝国]]の皇帝が[[オスマン3世]]([[1754年]]-1757年) から[[ムスタファ3世]]([[1757年]] - [[1774年]])に交代する。 * [[プラッシーの戦い]]が起こり、[[イギリス東インド会社]]が[[インド]]全域における覇権を確立。 === 1758年 === {{main|1758年}} * [[エドモンド・ハリー]]が予言した彗星が12月25日に現れ、[[ハレー彗星]]と名づけられる。 * [[クレメンス13世 (ローマ教皇)|クレメンス13世]]、[[ローマ教皇]]に選出される。 === 1759年 === {{main|1759年}} * [[1月15日]] - [[大英博物館]]、開館。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1750ねんたい}} [[Category:1750年代|*]]
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1756年
1756年(1756 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1756年(1756 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1756年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1756}} {{year-definition|1756}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝暦]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2416年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]21年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]32年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4089年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]17年 * [[仏滅紀元]] : 2298年 - 2299年 * [[ヒジュラ暦]] : 1169年 - 1170年 * [[ユダヤ暦]] : 5516年 - 5517年 * [[ユリウス暦]] : 1755年12月21日 - 1756年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1756}} == できごと == * [[8月29日]] - [[プロイセン王国]]が[[ザクセン公国]]に宣戦布告し、ヨーロッパにおける[[七年戦争]]が始まる。 * [[11月16日]] - [[大ピット]]ら庶民院有力者に離反された初代[[ニューカッスル公爵]][[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]がイギリス首相を辞す。大ピットが主導する第4代[[デヴォンシャー公爵]][[ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ]]内閣が成立。 * [[ポンバル侯爵|ポンバル]]の改革 == 誕生 == {{see also|Category:1756年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月27日]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]、[[音楽家]](+ [[1791年]]) * [[3月3日]] - [[ウィリアム・ゴドウィン]]、[[イギリス]]の政治評論家・著作家。(+[[1836年]]) * [[5月13日]] - [[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ]]、[[音楽家]](+ [[1842年]]) * [[6月6日]] - [[ジョン・トランブル]]、[[画家]](+ [[1843年]]) == 死去 == {{see also|Category:1756年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月30日]](宝暦6年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[岡部長著]] 、[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]の第5代藩主(* [[1712年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1756}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1756ねん}} [[Category:1756年|*]]
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1780年代
1780年代(せんななひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1780年から1789年までの10年間を指す十年紀。
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1780年代(せんななひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1780年から1789年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 18 | 年代 = 1780 | 年 = 1780 }} '''1780年代'''(せんななひゃくはちじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1780年から1789年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1780年 === {{main|1780年}} * [[アメリカ合衆国|アメリカ]]、冬に[[ニューヨーク湾]]が凍結。→[[小氷期]]。 * ヨーロッパ諸国による[[武装中立同盟]]の結成。 === 1781年 === {{main|1781年}} * [[ウィリアム・ハーシェル]]により[[天王星]]が発見される。 * [[イマヌエル・カント]]、『[[純粋理性批判]]』第一版出版。 * 日本、改元して[[天明]]元年。 * 中国最大の[[漢籍]]叢書である[[四庫全書]]が完成。 === 1782年 === {{main|1782年}} * [[4月6日]] - [[タイ王国]]、[[ラーマ1世]]即位、[[バンコク]]に遷都。 * 日本、[[天明の大飢饉]]始まる(〜1787年)。 === 1783年 === {{main|1783年}} * [[4月3日]] - アメリカとスウェーデン間で[[アメリカ・スウェーデン友好通商条約]]を締結。 * [[8月4日]] - [[浅間山]]の[[天明大噴火]]が発生。 * [[9月3日]] - [[グレートブリテン王国|イギリス]]が[[アメリカ合衆国]]の独立を承認。 * [[モンゴルフィエ兄弟]]の製作した[[熱気球]]で有人飛行に初めて成功。 === 1784年 === {{main|1784年}} * [[2月23日 (旧暦)|2月23日]] - 「漢委奴国王」[[金印]]発見。 * [[イマヌエル・カント]]、『[[純粋理性批判]]』第二版出版。 === 1785年 === {{main|1785年}} * [[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]、[[水素]]と[[酸素]]を燃焼させ、水の合成に成功。 === 1786年 === {{main|1786年}} * [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[オペラ]]『[[フィガロの結婚]]』を初演。 * [[田沼意次]]、老中を解任される。 === 1787年 === {{main|1787年}} * [[徳川家斉]]、[[江戸幕府]]11代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * [[松平定信]]、[[寛政の改革]]に着手。 * [[10月]] - モーツァルト、オペラ『[[ドン・ジョヴァンニ]]』を初演。 === 1788年 === {{main|1788年}} * [[エドワード・ギボン]]、『ローマ帝国衰亡史』を完結。 * [[第一次ロシア・スウェーデン戦争|ロシア・スウェーデン戦争]] (-[[1790年]])。 === 1789年 === {{main|1789年}} * 日本、改元して[[寛政]]元年。 * [[4月30日]] - [[ジョージ・ワシントン]]、[[アメリカ合衆国]]初代[[大統領]]に就任。 * [[5月]] - [[フランス王国|フランス]]で[[三部会|全国三部会]]開催。 * [[7月14日]] - [[バスティーユ牢獄]]襲撃により[[フランス革命]]が始まる。 * [[9月24日]] - ワシントン、[[連邦保安官]]を任命。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1780ねんたい}} [[Category:1780年代|*]]
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1896年
1896年(1896 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。明治29年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1896年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。明治29年。
{{年代ナビ|1896}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1890 | 年 = 1896 }} {{year-definition|1896}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[丙申]] * [[日本]](月日は一致) ** [[明治]]29年 ** [[皇紀]]2556年 * [[清]]:[[光緒]]21年11月17日 - 光緒22年11月27日 * [[朝鮮]](月日は一致) ** [[李氏朝鮮]]・[[建陽]]元年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4229年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[成泰]]7年11月17日 - 成泰8年11月27日 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1313年7月15日 - 1314年7月26日 * [[ユダヤ暦]]:5656年4月15日 - 5657年4月26日 * [[修正ユリウス日]](MJD):13559 - 13924 * [[リリウス日]](LD):114400 - 114765 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1896}} == できごと == * [[1月1日]] - 台湾で[[六氏先生|芝山巌事件]]発生 * [[1月6日]] - 米国で[[ユタ州|ユタ]]が45番目に州となる * [[2月1日]] - [[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]「[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]」初演 * [[2月11日]] - [[オスカー・ワイルド]]の[[戯曲]]「[[サロメ (戯曲)|サロメ]]」初演 * [[2月11日]] - [[露館播遷]]。 * [[3月1日]] - [[第一次エチオピア戦争]]: [[アドワの戦い]] * [[4月1日]] - [[広島大本営]]が解散 * [[4月3日]] - [[イタリア]]の[[スポーツ新聞]]「[[ガゼッタ・デロ・スポルト]]」創刊 * [[4月6日]] - 第1回[[夏季オリンピック]]が[[アテネオリンピック (1896年)|アテネ]]で開催( - [[4月15日]]) * 4月 - 清国政府が日本への初の官費留学生を派遣 * 4月 - 史上初のキスシーンを描いた映画『[[M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻]]』公開 * [[5月2日]] - [[ブダペスト地下鉄]]初の区間が開通 * [[5月4日]] - [[イギリス]]の[[タブロイド紙]]「[[デイリー・メール]]」創刊 * [[5月26日]] - [[チャールズ・ダウ]]が[[ダウ平均株価]]を初めて発表 * [[6月4日]] - [[ヘンリー・フォード]]が初の四輪[[自動車]]の試作に成功 * [[6月15日]] - [[明治三陸地震|明治三陸大津波]](死者2万名) * [[7月22日]] - [[信濃川]]の[[堤防]]各所が決壊、被災面積18000haに及ぶ([[横田切れ]]) * [[8月6日]] - [[フランス]]が[[マダガスカル]]の[[植民地]]化を宣言 * [[8月17日]] - [[カナダ]]・[[クロンダイク (ユーコン準州)|クロンダイク]]で[[金]]脈が発見される。[[クロンダイク・ゴールドラッシュ]]の幕開け。 * [[8月27日]] - [[イギリス・ザンジバル戦争]] * [[8月31日]] - [[第2次伊藤内閣]]総辞職 * [[8月31日]] - [[陸羽地震]]発生、209名の死者出る * [[9月18日]] - [[第2次松方内閣]]成立 * [[10月15日]] - 川崎造船所(後の[[川崎重工業]])設立 * [[10月23日]] - 第一次エチオピア戦争、[[エチオピア帝国]]の勝利で終結 * [[11月3日]] - [[1896年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[ウィリアム・マッキンリー]]が勝利 * [[11月8日]] - 「[[古事類苑]]」の刊行はじまる * [[12月9日]] - [[アルフレッド・ジャリ]]の戯曲「[[ユビュ王]]」初演 * [[12月14日]] - [[グラスゴー地下鉄]]が開業 * [[12月22日]] - [[帝国議会|第10議会]]召集 * [[12月25日]] - [[ジョン・フィリップ・スーザ]]が[[行進曲]]「[[星条旗よ永遠なれ]]」を作曲 * [[12月31日]] - 日本製粉株式会社(後の株式会社[[ニップン]])設立 === 日付不明 === * 齋藤虎之助、ジェームス北條の2人が横浜市石川町に日本初のボクシングジム「メリケン練習所」開設。 * フィリピンで[[カティプーナン党]]の反乱 * [[大韓帝国]]勅令第36号で、[[朝鮮八道]]における「[[忠清道]]」の東半分を「[[忠清北道]]」、西半分を「[[忠清南道]]」とする。 * 同令において、「[[慶尚道]]」の北半分を、「[[慶尚北道]]」、南半分を「[[慶尚南道]]」とした。 * 同令において、「[[全羅道]]」の北半分を「[[全羅北道]]」、南半分を「[[全羅南道]]」とした。 * 同令において、「[[平安道]]」の北半分を「[[平安北道]]」、南半分を「[[平安南道]]」とした。 * 同令において、「[[咸鏡道]]」の東北部側を「[[咸鏡北道]]」、西半分を「[[咸鏡南道]]」とした。 == 誕生 == {{see also|Category:1896年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月1日]] - [[衣笠貞之助]]、[[映画監督]](+ [[1982年]]) * [[1月2日]] - [[ジガ・ヴェルトフ]]、映画監督(+ [[1954年]]) * [[1月3日]] - [[金重陶陽]]、[[備前焼]]の[[陶芸家]]・[[人間国宝]](+ [[1967年]]) * 1月3日 - [[ジェイ・ラッシュ]]、[[農学者]]・[[生物学者]](+ 1982年) * [[1月4日]] - [[エヴァレット・ダークセン]]、[[イリノイ州]]選出の[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上院議員]](+ [[1969年]]) * 1月4日 - [[アンドレ・マッソン]]、[[画家]](+ [[1987年]]) * [[1月8日]] - [[ヤロミール・ヴァインベルゲル]]、[[作曲家]](+ 1967年) * [[1月11日]] - [[諸井貫一]]、[[実業家]]、[[秩父セメント]]社長、[[日本経営者団体連盟|日経連]]初代会長(+ [[1968年]]) * [[1月12日]] - [[デビッド・ウェクスラー]]、[[心理学者]](+ [[1981年]]) * 1月12日 - [[吉屋信子]]、小説家(+ [[1973年]]) * [[1月14日]] - [[ジョン・ドス・パソス]]、[[画家]]・小説家(+ [[1970年]]) * [[1月18日]] - [[ビル・マゴワン]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1954年]]) * [[1月31日]] - [[チャーリー・ロバートソン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1984年]]) === 2月 === * [[2月2日]] - [[鹿島守之助]]、[[実業家]](+ [[1975年]]) * 2月2日 - [[カジミェシュ・クラトフスキ]]、[[数学者]](+ [[1980年]]) * 2月2日 - [[武田孟]]、[[明治大学]]総長(+ [[1990年]]) * [[2月10日]] - [[アリスター・ハーディ]]、[[海洋生物学]]者(+ [[1985年]]) * [[2月14日]] - [[徳岡神泉]]、[[日本画家]](+ [[1972年]]) * [[2月16日]] - [[有沢広巳]]、[[経済学者]](+ [[1988年]]) * 2月16日 - [[アレクサンダー・ブライロフスキー]]、[[ピアニスト]](+ [[1976年]]) * 2月16日 - [[ウジェニー・ブランシャール]]、世界最高齢だったフランスの女性(+ [[2010年]]) * [[2月26日]] - [[アンドレイ・ジダーノフ]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の側近として知られた[[ソビエト連邦|ソ連]]の政治家(+ [[1948年]]) * [[2月27日]] - [[アーサー・W・ラドフォード]]、第2代[[アメリカ統合参謀本部議長]](+ 1973年) === 3月 === * [[3月1日]] - [[ディミトリ・ミトロプーロス]]、[[指揮者]](+ [[1960年]]) * [[3月5日]] - [[鈴木康文]]、[[歌人]](+ [[1997年]]) * [[3月6日]] - [[ノロドム・スラマリット]]、[[カンボジア君主一覧|カンボジア国王]](+ 1960年) * [[3月8日]] - [[赤嶺昌志]]、[[中日ドラゴンズ|産業軍]]理事・[[セントラル・リーグ]]総務(+ [[1963年]]) * [[3月17日]] - [[ヨゼフ・スデック]]、[[写真家]](+ [[1976年]] * [[3月18日]] - [[佐々木味津三]]、[[小説家]](+ [[1934年]]) * [[3月19日]] - [[谷村貞治]]、[[花巻東高等学校]]創立者(+ [[1968年]]) * [[3月25日]] - [[岡田源三郎]]、[[プロ野球監督]](+ [[1977年]]) * [[3月27日]] - [[岡部金治郎]]、[[工学者]](+ [[1984年]]) * [[3月30日]] - [[泉山三六]]、元[[大蔵大臣]](+ [[1981年]]) * [[3月30日]] - [[内藤雋輔]]、[[東洋史学者]](+ [[1990年]]) === 4月 === * [[4月13日]] - [[アイラ・エーカー]]、[[アメリカ空軍]][[中将]](+ [[1987年]]) * [[4月19日]] - [[大中寅二]]、作曲家(+ 1982年) * 4月19日 - [[山下太郎 (山下汽船)|山下太郎]]、実業家、元[[商船三井|山下汽船]]社長(+ [[1970年]]) * [[4月20日]] - [[松田権六]]、[[蒔絵|蒔絵師]](+ [[1986年]]) * [[4月22日]] - [[横山エンタツ]]、[[漫才師]](+ [[1971年]]) * [[4月24日]] - [[濱尾四郎]]、[[推理作家]](+ [[1935年]]) * [[4月25日]] - [[等松農夫蔵]]、[[監査法人トーマツ]]創業者(+ 1980年) * [[4月26日]] - [[マックス・ブラント]]、作曲家(+ 1980年) * [[4月27日]] - [[ウォーレス・カロザース]]、[[化学者]](+ [[1937年]]) * 4月27日 - [[ロジャース・ホーンスビー]]、元メジャーリーガー(+ [[1963年]]) === 5月 === * [[5月1日]] - [[J・ロートン・コリンズ]]、[[アメリカ陸軍]]参謀総長(+ 1987年) * [[5月2日]] - [[松浦周太郎]]、[[政治家]](+ [[1980年]]) * [[5月4日]] - [[芹沢光治良]]、[[小説家]](+ [[1993年]]) * [[5月11日]] - [[ヨシプ・ストルチェル=スラヴェンスキ]]、作曲家(+ [[1955年]]) * 5月11日 - [[東久邇聡子]]、皇族、[[東久邇宮稔彦王]]の妻(+ [[1978年]]) * [[5月13日]] - [[ヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモント]]、[[ヴァルデック侯国]][[皇太子]]、[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]将軍(+ [[1967年]]) * [[5月19日]] - [[メリト・アコスタ]]、メジャーリーガー(+ [[1963年]]) === 6月 === * [[6月1日]] - [[宇田新太郎]]、工学者(+ [[1976年]]) * [[6月5日]] - [[ハワード・ホークス]]、映画監督(+ [[1977年]]) * [[6月6日]] - [[務臺光雄]]、[[読売新聞社]]名誉[[会長]](+ [[1991年]]) * 6月6日 - [[ロバート・C・シェリフ]]、[[劇作家]]・[[脚本家]]・[[小説家]](+ [[1975年]]) * 6月6日 - [[ヘンリー・アリンガム]]、[[退役軍人]](+ [[2009年]]) * [[6月7日]] - [[ロバート・マリケン]]、化学者(+ [[1986年]]) * [[6月19日]] - [[ウォリス・シンプソン]]、[[エドワード8世 (イギリス王)|ウィンザー公エドワード]]の妻(+ 1986年) === 7月 === * [[7月9日]] - [[マリア・ゴメス・ヴァレンチン]]、世界最高齢だったブラジルの女性(+ [[2011年]]) * [[7月10日]] - [[小西得郎]]、[[プロ野球監督]]・[[野球解説者]](+ [[1977年]]) * [[7月16日]] - [[トリグブ・リー]]、初代[[国際連合事務総長|国連事務総長]](+ [[1968年]]) * [[7月19日]] - [[ボブ・ミューゼル]]、アメリカ合衆国のプロ野球選手(+ [[1977年]]) * 7月19日 - [[A・J・クローニン]]、[[小説家]]・[[劇作家]](+ [[1981年]]) * [[7月20日]] - [[アダチ龍光]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%81%20%E7%AB%9C%E5%85%89-1637263 アダチ 竜光] [[コトバンク]] - 典拠は[[日外アソシエーツ]]『20世紀日本人名事典』など</ref>、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](+ [[1982年]]) * 7月20日 - [[ルドルフ・コーリッシュ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1978年]]) * [[7月21日]] - [[麻生磯次]]、[[国文学者]](+ [[1979年]]) * [[7月25日]] - [[ジョセフィン・テイ]]、[[推理作家]](+ [[1952年]]) * [[7月28日]] - [[犬養健]]、政治家(+ [[1960年]]) === 8月 === * [[8月6日]] - [[横田喜三郎]]、第3代[[最高裁判所長官]](+ 1993年) * 8月6日 - [[エルネスト・レクオーナ]]、作曲家(+ [[1963年]]) * [[8月9日]] - [[ジャン・ピアジェ]]、心理学者(+ 1980年) * 8月9日 - [[エーリヒ・ヒュッケル]]、化学者(+ 1980年) * [[8月12日]] - [[海野厚]]、[[童謡]]作家(+ [[1925年]]) * [[8月17日]] - [[レズリー・グローヴス]]、アメリカ陸軍中将(+ [[1970年]]) * [[8月25日]] - [[渋沢敬三]]、第16代[[日本銀行]]総裁・[[実業家]]・[[民俗学者]](+ 1963年) * [[8月26日]] - [[ベシー・クーパー]]、世界最長寿の女性、1896年生まれ最後の生き残り(+ [[2012年]]) * [[8月27日]] - [[宮沢賢治]]、[[詩人]]・[[児童文学者]]・[[農学者]](+ [[1933年]]) === 9月 === * [[9月1日]] - [[シモン・バレル]]、[[ピアニスト]](+ [[1951年]]) * [[9月4日]] - [[アントナン・アルトー]]、[[劇作家]]・詩人(+ 1948年) * [[9月6日]] - [[マリオ・プラーツ]]、美術史家・文学研究者(+ [[1982年]]) * [[9月15日]] - [[村山槐多]]、[[画家]](+ [[1919年]]) * 9月15日 - [[土光敏夫]]、実業家・[[日本経済団体連合会|経団連]]会長(+ [[1988年]]) * [[9月21日]] - [[ウォルター・ブルーニング]]、男性世界最高齢だったアメリカ人男性 (+ [[2011年]]) * [[9月23日]] - [[森信三]]、[[思想家]](+ [[1992年]]) * [[9月24日]] - [[スコット・フィッツジェラルド]]、小説家(+ [[1940年]]) * [[9月25日]] - [[アレッサンドロ・ペルティーニ]]、第7代[[イタリア共和国大統領]](+ [[1990年]]) * 9月25日 - [[ロベルト・ジェラール]]、[[作曲家]](+ [[1970年]]) * [[9月29日]] - [[松田千秋]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[中将]](+ [[1995年]]) * 9月29日 - [[正木ひろし]]、[[弁護士]](+ [[1975年]]) === 10月 === * [[10月8日]] - [[ジュリアン・デュビビエ]]、[[映画監督]]・[[脚本家]](+ [[1967年]]) * [[10月11日]] - [[ロマーン・ヤーコブソン]]、[[言語学者]](+ [[1982年]]) * [[10月19日]] - [[ボブ・オファレル]]、メジャーリーガー(+ [[1988年]]) * [[10月28日]] - [[クライド・パングボーン]]、[[飛行家]]・[[太平洋]]無着陸飛行初成功者(+ [[1958年]]) * 10月28日 - [[ハワード・ハンソン]]、作曲家(+ [[1981年]]) === 11月 === * [[11月1日]] - [[エドマンド・ブランデン]]、詩人(+ [[1974年]]) * [[11月2日]] - [[岩崎隆弥]]、実業家、元[[三菱製紙]]会長(+ [[1983年]]) * [[11月8日]] - [[バッキー・ハリス (内野手)|バッキー・ハリス]]、元メジャーリーガー(+ [[1978年]]) * [[11月12日]] - [[牧野信一]]、[[小説家]](+ [[1936年]]) * [[11月13日]] - [[岸信介]]、[[農商務省 (日本)|農商務]]官僚・第56・57代内閣総理大臣(+ [[1987年]]) * [[11月14日]] - [[マミー・アイゼンハワー]]、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]夫人(+ [[1979年]]) * [[11月15日]] - [[大下宇陀児]]、[[推理小説|探偵小説]]作家(+ [[1966年]]) * [[11月16日]] - [[ローレンス・ティベット]]、[[バリトン]][[歌手]](+ [[1960年]]) * 11月16日 - [[オズワルド・モズリー]]、[[イギリス]]の[[ファシズム]]運動指導者(+ [[1980年]]) * [[11月20日]] - [[林達夫]]、[[思想家]]・[[評論家]](+ [[1984年]]) * 11月20日 - [[長谷川チヨノ]]、日本最高齢だった人物(+ [[2011年]]) * [[11月22日]] - [[後藤勇吉]]、[[パイロット (航空)|飛行家]](+ [[1928年]]) * [[11月23日]] - [[常ノ花寛市]]、[[大相撲]]第31代[[横綱]](+ 1960年) * [[11月24日]] - [[大塚万丈]]、実業家・[[経済同友会]]代表幹事(+ [[1950年]]) === 12月 === * [[12月1日]] - [[ゲオルギー・ジューコフ]]、ソ連の[[ソビエト連邦軍|赤軍]][[元帥]]・政治家(+ 1974年) * [[12月6日]] - [[アイラ・ガーシュウィン]]、作詞家(+ 1983年) * [[12月9日]] - [[池田亀鑑]]、[[国文学者]](+ [[1956年]]) * [[12月10日]] - [[林武]]、[[洋画家]](+ 1975年) * [[12月20日]] - [[福田邦三]]、生理学者(+ 1988年) * [[12月21日]] - [[土屋喬雄]]、経済学者(+ 1988年) * [[12月29日]] - [[ダビッド・アルファロ・シケイロス]]、[[画家]](+ 1974年) * 12月29日 - [[大川博]]、[[実業家]]、映画製作者(+ [[1971年]]) == 死去 == {{see also|Category:1896年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月8日]] - [[ポール・ヴェルレーヌ]]、[[詩人]](* [[1844年]]) * [[1月25日]] - [[フレデリック・レイトン]]、[[画家]]・[[彫刻家]](* [[1830年]]) * [[2月2日]] - [[川田甕江]]、[[漢学者]](* [[1830年]]) * [[2月5日]] - [[末広鉄腸]]、政論家・[[新聞記者]](* [[1849年]]) * [[2月10日]] - [[若松賤子]]、教育家・翻訳家(* [[1864年]]) * [[2月12日]] - [[アンブロワーズ・トマ]]、[[作曲家]](* [[1811年]]) * [[2月26日]] - [[ホーレス・フィリップス]]、[[メジャーリーグベースボール]]監督(* [[1853年]]) * [[4月21日]] - [[アーダルベルト・クリューガー]]、[[天文学者]](* [[1832年]]) * [[5月20日]] - [[クララ・シューマン]]、[[ピアニスト]]・作曲家(* [[1819年]]) * [[5月29日]] - [[ガブリエル・オーギュスト・ドブレ]]、[[地質学|地質学者]](* [[1814年]]) * [[6月19日]] - [[松崎浪四郎]]、[[剣術|剣術家]](* [[1833年]]) * [[6月22日]] - [[オーガスタス・ハリス]]、[[俳優]]・興行主・劇作家(* [[1852年]]) * [[6月23日]] - [[ジョゼフ・プレストウィッチ]]、地質学者・[[実業家]](* [[1812年]]) * [[7月1日]] - [[ハリエット・ビーチャー・ストウ]]、[[奴隷制]]廃止論者・[[小説家]](* [[1811年]]) * [[7月13日]] - [[フリードリヒ・ケクレ]]、[[化学者]](* [[1829年]]) * [[7月29日]] - [[ルイス・ベーマー]]{{要出典|date=2021-04}}、[[農学者]](* [[1843年]]) * [[8月10日]] - [[オットー・リリエンタール]]、航空技術者(* [[1848年]]) * [[8月13日]] - [[ジョン・エヴァレット・ミレー]]、画家(* [[1829年]]) * [[9月16日]] - [[カルロス・ゴメス]]、作曲家(* [[1836年]]) * [[9月18日]] - [[アルマン・フィゾー]]、[[物理学者]](* [[1819年]]) * [[9月23日]] - [[イーヴァル・オーセン]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]・[[文献学|文献学者]]・[[詩人]](* [[1813年]]) * [[10月3日]] - [[ウィリアム・モリス]]、詩人・[[デザイナー]](* [[1834年]]) * [[10月11日]] - [[アントン・ブルックナー]]、作曲家(* [[1824年]]) * [[10月21日]] - [[板倉勝弼]]、第7代[[備中松山藩|備中松山藩主]](* [[1846年]]) * [[10月23日]] - [[コロンバス・デラノ]]、第11代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1809年]]) * [[11月22日]] - [[ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニア]]、[[観覧車]]開発者(* [[1859年]]) * [[11月23日]] - [[樋口一葉]]、[[小説家]]・[[歌人]](* [[1872年]]) * [[12月10日]] - [[アルフレッド・ノーベル]]、[[化学者]](* [[1833年]]) * [[12月23日]] - [[毛利元徳]]、第15代[[長州藩|長州藩主]](* [[1839年]]) * [[12月30日]] - [[ホセ・リサール]]、[[フィリピン]]の独立運動家(* [[1861年]]) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1896|date=2011年7月}} * イギリスでエドワード落成。([[汽車のえほん]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1896}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1896ねん}} [[Category:1896年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1896%E5%B9%B4
4,219
1884年
1884年(1884 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。明治17年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1884年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。明治17年。
{{年代ナビ|1884}} {{year-definition|1884}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[甲申]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]17年 ** [[皇紀]]2544年 * [[清]]:[[光緒]]9年12月4日 - 光緒10年11月15日  * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]21年 ** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]493年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4217年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) ** [[嗣徳]]36年12月4日 - 12月30日 ** [[建福 (阮朝)|建福]]元年1月1日 - 11月15日 * [[仏滅紀元]]:2426年 - 2427年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1301年3月2日 - 1302年3月13日 * [[ユダヤ暦]]:5644年4月3日 - 5645年4月13日 * [[修正ユリウス日]](MJD):9176 - 9541 * [[リリウス日]](LD):110017 - 110382 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1884}} == できごと == === 1月 === * [[1月4日]] ** [[官吏恩給令]]布告: [[文官]]の[[恩給]]制度が発足<ref>{{Cite|author=[[明治維新#明治政府|日本政府]]|title=官吏恩給令ヲ定ム|publisher=[[国立公文書館]]|series=公文類聚・ 第八編・明治十七年|volume=第七巻・賞恤・賞賜追賞附・恩給・扶助・賑恤|date=1884-01-04|url=https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M0000000000001708879&IS_LGC_S16=AND&IS_TAG_S1=all&IS_KEY_S1=%E5%AE%98%E5%90%8F%E6%81%A9%E7%B5%A6%E4%BB%A4&IS_MAP_S1=&IS_LGC_S1=&IS_EXTSCH=F2009121017005000405%2BF2005021820554600670%2BF2005021820554900671%2BF2005022417214401430%2BF2005022421141701678%2BF0000000000000005326&IS_ORG_ID=M0000000000001708879&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.y1%2Csort.m1%2Csort.d1%2Csort.y2%2Csort.m2%2Csort.d2&IS_SORT_KND=asc}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=総務省|authorlink=総務省|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/onkyu_toukatsu/onkyu.htm|title=総務省トップ > 政策 > 国民生活と安心・安全 > 恩給制度の概要|accessdate =2022-03-27}}</ref> ** 英国で[[フェビアン協会]]創立 * [[1月18日]] - [[チャールズ・ジョージ・ゴードン|ゴードン将軍]]が[[ハルツーム]]に向けロンドンを出発 * [[1月24日]] - 太政官文庫(後の[[内閣文庫]])設立 * [[1月26日]] - 哲学会創立([[井上圓了]]) * [[1月29日]] - [[浅草橋]]開橋式(鉄橋となる) === 2月 === * [[2月1日]] - [[オックスフォード英語辞典]]第1巻(AからAnt)発刊 * [[2月18日]] ** ゴードン将軍がハルツームに到着 ** [[レフ・トルストイ]]『わが信仰はいづれにありや({{Unicode|в чем моя вера}})』が警察により全刷没収さる === 3月 === * [[3月13日]] - [[ハルツーム包囲戦]]([[:en:Siege of Khartoum|Siege of Khartoum]])開始( - 1885年1月26日) * [[3月26日]] - [[東京商業学校]]設置([[商法講習所]]が官立となり改称) === 4月 === * 4月 - 『[[東海遊侠伝]]』初版発行 * [[4月4日]] - [[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]: [[ボリビア]]・[[チリ]]間休戦協定締結([[バルパライソ条約]]) === 5月 === * [[5月1日]] - [[日本鉄道]][[上野駅|上野]]・[[高崎駅|高崎]]間開通 * [[5月11日]] ** 『[[自由燈]]』創刊([[星亨]])(後の[[めさまし新聞]]) ** 清仏間で[[天津協約]]([[:en:Tientsin Accord|Tientsin Accord]])締結 * [[5月13日]] - 米国電気電子学会([[IEEE]])創立 * [[5月15日]] - [[群馬事件]]: [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]員が群馬で蜂起 * [[5月31日]] - [[ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ]]が[[コーンフレーク]]の特許を取得 === 6月 === * [[6月1日]] - [[東京気象台]]が日本初の[[天気予報]]を発表 * [[6月6日]] - フランス・ベトナム間で[[第二次フエ条約]](パトノートル条約)締結: 保護国化を確認 * [[6月7日]] - [[商標条例]]制定 * [[6月12日]] - [[鹿鳴館]]で日本初の[[バザー]]開催( - 14日) * [[6月23日]] ** [[バクレ待伏せ事件]]([[:en:Bac Le ambush|Bac Le ambush]]): [[清仏戦争]]の直接原因となる ** 上野[[不忍池]]に競馬場完成([[上野不忍池競馬]]) === 7月 === * [[7月3日]] - [[ダウ・ジョーンズ]]社が最初の株価平均を発表 * [[7月4日]] - [[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]がパリで米国に贈与される(完成1886年) * [[7月5日]] ** [[カメルーン]]全土が[[ドイツ帝国|ドイツ]]の勢力下に置かれる。 ** 米国で修正[[排華移民法]]([[:en:Chinese Exclusion Act|Chinese Exclusion Act]])成立 * [[7月7日]] - [[華族令]]制定: [[華族]]を[[公爵|公]]・[[侯爵|侯]]・[[伯爵|伯]]・[[子爵|子]]・[[男爵|男]]の五段階の[[爵位]]に規定 * [[7月12日]] - フランスが清にバクレ待伏せ事件の賠償を要求し最後通牒を出す * [[7月21日]] - [[横須賀造船所]]開渠式 * [[7月31日]] ** 清がフランスの賠償要求を拒否 ** [[外濠 (東京都)|外濠]]に[[八重洲橋]]新設 === 8月 === * [[8月5日]] - 米国[[リバティ島|ベドロー島]]で[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]定礎式 * [[8月23日]] - [[清仏戦争]]: [[馬江海戦|福州海戦]]([[:en:Battle of Fuzhou|Battle of Fuzhou]])により戦争開始 * [[8月25日]]~[[8月26日|26日]]: [[明治17年の台風]]よる被害が発生 === 9月 === * [[9月23日]] ** [[加波山事件]]: [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]員が専政政府打倒をスローガンとして茨城県[[加波山]]で蜂起 ** [[ハーマン・ホレリス]]が[[タビュレーティングマシン]]の特許を申請 * [[9月25日]] - 今日新聞(後の[[都新聞]])創刊 === 10月 === * [[10月1日]] - [[清仏戦争]]: 仏軍が[[基隆]]を占領 * [[10月6日]] - [[米国海軍大学]]([[:en:Naval War College|Naval War College]])設立 * [[10月8日]] - [[清仏戦争]]: [[淡水の戦い]]([[:en:Battle of Tamsui|Battle of Tamsui]]) * [[10月13日]] - [[国際子午線会議]]にて[[グリニッジ子午線]]を[[本初子午線]]と決定 * [[10月14日]] - [[ジョージ・イーストマン]]が[[ロールフィルム]]の特許を取得 * [[10月23日]] - [[清仏戦争]]: フランスが台湾の封鎖を声明 * [[10月29日]] - [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]解党式 * [[10月31日]] - [[秩父事件]]: 埼玉県[[秩父郡]]の農民が武装蜂起 === 11月 === * [[11月2日]] - [[安房事件]]発生。 * [[11月4日]] - [[1884年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[グロバー・クリーブランド]]が僅差で勝利。 * [[11月9日]] - [[秩父事件]]: 軍隊により鎮圧。 * [[11月6日]] - 英国が[[ニューギニア島]]南東部の領有を宣言、 * [[11月15日]] - [[ベルリン会議 (アフリカ分割)|ベルリン会議]]開催。( - 1885年2月26日) === 12月 === * [[12月4日]] ** [[飯田事件]]: [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]員の名古屋鎮台襲撃計画が発覚 ** 朝鮮で[[甲申政変]] * [[12月6日]] - [[ワシントン記念塔]]完成(冠石(アルミニウム)を設置) * [[12月15日]] ** シオンのものみの塔冊子協会(現・[[ものみの塔聖書冊子協会]])設立(法人化) ** 東海[[鎮守府 (日本海軍)|鎮守府]]が横浜から横須賀に移転([[横須賀鎮守府]]) * [[12月17日]] - [[名古屋事件]]: [[自由党 (日本 1881-1884)|愛知自由党]]員の政府転覆計画が発覚 * [[12月27日]] - [[火薬取締規則]]・[[爆発物取締罰則]]布告(施行1885年1月15日) * [[12月30日]] - [[アントン・ブルックナー]][[交響曲第7番 (ブルックナー)|交響曲第7番]]初演([[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団|ライプツィヒ]]) == 誕生 == {{see also|Category:1884年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月1日]] - [[中島知久平]]、[[実業家]](+ 1949年) * [[1月12日]] - [[宮澤裕]]、[[内務省 (日本)|内務]]官僚・政治家(+ [[1963年]]) * [[1月14日]] - [[永田鉄山]]、陸軍軍人・陸軍省軍務局長(+ [[1935年]]) * 1月14日 - [[十河信二]]、鉄道官僚・[[政治家]]、第4代[[国鉄総裁]](+ [[1981年]]) * [[1月18日]] - [[アーサー・ランサム]]、イギリスの[[児童文学]]作家・ジャーナリスト(+ [[1967年]]) * [[1月10日]] - [[山村暮鳥]]、[[詩人]]・児童文学者(+ [[1924年]]) * [[1月28日]] - [[オーギュスト・ピカール]]、[[物理学者]](+ [[1962年]]) * [[1月30日]] - [[上山草人]]、[[俳優]](+ [[1954年]]) * [[1月31日]] - [[テオドール・ホイス]]、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]初代[[大統領]](+ [[1963年]]) === 2月 === * [[2月10日]] - [[ビリー・エバンス]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1956年]]) * [[2月12日]] - [[マックス・ベックマン]]、[[画家]](+ [[1950年]]) * [[2月16日]] - [[安田靫彦]]、日本画家(+ [[1978年]]) * [[2月20日]] - [[杉道助]]、[[実業家]](+ [[1964年]]) * 2月20日 - [[辻永]]、[[洋画家]](+ [[1974年]]) * [[2月22日]] - [[三浦環]]、声楽家(+ [[1946年]]) * [[2月23日]] - [[関操]]、[[俳優]](+ [[不詳年]]) === 3月 === * [[3月15日]] - [[長谷川伸]]、[[小説家]]・[[劇作家]](+ [[1963年]]) * [[3月25日]] - [[獅子内謹一郎]]、[[野球選手]](+ [[1941年]]) * [[3月26日]] - [[ヴィルヘルム・バックハウス]]、[[ピアニスト]](+ [[1969年]]) * [[3月31日]] - [[河野安通志]]、野球選手(+ [[1946年]]) === 4月 === * [[4月4日]] - [[山本五十六]]、海軍軍人・[[連合艦隊]]司令長官(+ [[1943年]]) * [[4月7日]] - [[ジェイク・ドーバート]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1924年]]) * [[4月25日]] - [[田村俊子]]、[[作家]](+ [[1945年]]) === 5月 === * [[5月5日]] - [[チーフ・ベンダー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1954年]]) * [[5月8日]] - [[ハリー・S・トルーマン]]、第33代アメリカ合衆国大統領(+ [[1972年]]) * [[5月9日]] - [[高橋誠一郎]]、[[経済学者]](+ [[1982年]]) * [[5月14日]] - [[宗不旱]]、[[歌人]](+ [[1942年]]) * [[5月27日]] - [[マックス・ブロート]]、作家・芸術評論家・パトロン・作曲家。 === 6月 === * [[6月11日]] - [[宮地嘉六]]、作家(+ [[1958年]]) * [[6月16日]] - [[荻原井泉水]]、[[俳人]](+ [[1976年]]) * [[6月19日]] - [[エディ・シーコット]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1969年]]) * [[6月25日]] - [[貞明皇后]]、[[大正天皇]]の[[皇后]](+ [[1951年]]) === 7月 === * [[7月5日]] - [[清瀬一郎]]、弁護士・法学者・政治家・第49・50代衆議院議長(+ [[1967年]]) * [[7月12日]] - [[アメデオ・モディリアーニ]]、画家(+ [[1920年]]) * [[7月22日]] - [[エミール・ヤニングス]]、俳優(+ [[1950年]]) * [[7月25日]] - [[ルドビカ・ヤコブソン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1968年]]) === 8月 === * [[8月3日]] - [[ルイス・グルーエンバーグ]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1964年]]) * [[8月4日]] - [[浅川伯教]]、[[彫刻家]]・[[陶磁器]]研究家(+ 1964年) * [[8月6日]] - [[シェリー・マギー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1929年]]) * [[8月13日]] - [[アグスティン・バルディ]]、[[音楽家]](+ [[1941年]]) * [[8月15日]] - [[三木武吉]]、政治家(+ [[1956年]]) * [[8月17日]] - [[川村吾蔵]]、彫刻家(+ [[1950年]]) * [[8月29日]] - [[フランクリン・S・ハリス]]、[[農学者]]・[[宣教師]](+ [[1960年]]) === 9月 === * [[9月2日]] - [[徳川慶久]]、政治家、公爵、[[徳川慶喜]]の七男(+ [[1922年]]) * [[9月15日]] - [[前田房之助]]、政治家(+ [[1965年]]) * [[9月16日]] - [[竹久夢二]]、画家(+ [[1934年]]) * [[9月17日]] - [[久保より江]]、[[俳人]](+ [[1941年]]) * [[9月21日]] - [[有田八郎]]、外交官・政治家(+ [[1965年]]) * [[9月25日]] - [[石橋湛山]]、[[ジャーナリスト]]・第55代内閣総理大臣(+ [[1973年]]) * [[9月25日]] - [[多嘉王妃静子]]、皇族、[[多嘉王]]妃(+ [[1959年]]) * [[9月30日]] - [[天野貞祐]]、[[哲学者]](+ [[1980年]]) === 10月 === * [[10月3日]] - [[下村湖人]]、[[小説家]]・社会教育家(+ [[1955年]]) * [[10月4日]] - [[辻潤]]、[[評論家]]・[[翻訳家]](+ [[1944年]]) * [[10月11日]] - [[エレノア・ルーズベルト]]、[[フランクリン・ルーズベルト]]=[[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|アメリカ合衆国第32代大統領]][[夫人]]、婦人運動家、文筆業(+ [[1962年]]) * [[10月21日]] - [[森矗昶]]、実業家・[[昭和電工]]創業者・[[衆議院]]議員(+ [[1941年]]) * [[10月30日]] - [[渡名喜元完]]、日本最高齢だった男性(+ [[1997年]]) === 11月 === * [[11月8日]] - [[ヘルマン・ロールシャッハ]]、スイスの[[精神医学]]者(+ [[1922年]]) * [[11月15日]] - [[中野武二]]、[[野球選手]](+ [[1947年]]) === 12月 === * [[12月8日]] - [[水島爾保布]]、画家・[[漫画家]](+ [[1958年]]) * [[12月16日]] - [[北村西望]]、彫刻家(+ [[1987年]]) * [[12月17日]] - [[アリソン・アトリー]]、[[童話]]作家(+ [[1976年]]) * 12月17日 - [[有馬頼寧]]、[[実業家]]、プロ野球球団オーナー(+ 1957年) * 12月30日‐[[東條英機]]、第40代内閣総理大臣、(+1948年) == 死去 == {{see also|Category:1884年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[グレゴール・ヨハン・メンデル]]、[[修道士|修道司祭]]、[[遺伝学]]研究者(* [[1822年]]) * [[1月16日]] - [[前田斉泰]]、第13代[[加賀藩|加賀藩主]](* [[1811年]]) * [[1月17日]] - [[ヘルマン・シュレーゲル]]、[[生物学者]](* [[1804年]]) * [[1月21日]] - [[オーギュスト・フランショーム]]、[[チェリスト]]・[[作曲家]](* [[1808年]]) * [[1月25日]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ピーフケ]]、作曲家 * [[1月27日]] - [[桂文楽 (4代目)]]、[[落語家]](* [[1838年]]) * [[1月28日]] - [[アレクサンドル・ルイ・ルロワール]]、19世紀のフランスの画家(* [[1843年]]) * [[2月3日]] - [[ゴットヒルフ・ハーゲン]]、ドイツの技術者(* [[1797年]]) * 2月3日 - [[広瀬青邨]]、[[儒学者]](* [[1819年]]) * [[2月5日]] - [[マリア・アナ・デ・ブラガンサ]]、[[ザクセン王国|ザクセン王]][[ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルク]]の妃(* [[1843年]]) * [[2月11日]] - [[ジョン・ハットン・バルフォア]]、スコットランドの植物学者(* [[1808年]]) * [[2月27日]] - [[ウィリアム・ヘンリー・ハント (海軍長官)|ウィリアム・ヘンリー・ハント]]、第29代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1823年]]) * [[3月6日]] - [[徳川茂徳]]、[[尾張藩]]第15代藩主(* [[1831年]]) * [[3月13日]] - [[アレクサンデル・レッセル]]、画家・美術批評家(* [[1814年]]) * 3月13日 - [[リーランド・スタンフォード・ジュニア]]、[[リーランド・スタンフォード]]の子(* [[1868年]]) * [[3月19日]] - [[エリアス・リョンロート]]、[[民話]]収集家(* [[1802年]]) * [[3月28日]] - [[レオポルド (オールバニ公)]](* [[1853年]]) * [[4月2日]] - [[土岐頼旨]]、[[幕末]]の[[旗本]](* [[1805年]]) * [[4月10日]] - [[ジャン=バティスト・デュマ]]、[[化学者]](* [[1800年]]) * [[4月16日]] - [[ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第5代バクルー公爵)|ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット]]、イギリスの貴族、政治家(* 1806年) * [[4月24日]] - [[マリー・タリオーニ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1804年]]) * [[4月29日]] - [[マイケル・トーマス・バス Jr.]]、イギリスのビール醸造業者、 [[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員(* [[1799年]]) * [[5月4日]] - [[マリア・アンナ・フォン・サヴォイエン]]、[[オーストリア帝国|オーストリア皇帝]][[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]の皇后(* [[1803年]]) * [[5月10日]] - [[アドルフ・ヴュルツ]]、化学者(* [[1817年]]) * [[5月12日]] - [[ベドルジハ・スメタナ]]、作曲家(* [[1824年]]) * [[5月17日]] - [[ルイ・ブラッサン]]、[[ピアニスト]]・作曲家(* [[1840年]]) * [[5月18日]] - [[ハインリヒ・ゲッパート]]、ドイツの植物学者(* [[1800年]]) * [[6月8日]] - [[ヘンリ・クレイ・ワーク]]、作曲家(* [[1832年]]) * 6月8日 - [[田中平八]]、[[実業家]](* [[1834年]]) * [[6月9日]] - [[エイブラハム・ビュフォード]]、アメリカ合衆国の軍人(* [[1820年]]) * [[6月17日]] - [[アンリ・ボードリエ]]、[[書誌学|書誌学者]](* [[1815年]]) * [[6月19日]] - [[ヨハン・グスタフ・ドロイゼン]]、ドイツの歴史家、政治家(* [[1808年]]) * [[6月20日]] - [[フェリックス=クレール・リデル]]、フランスのカトリック司教(* [[1830年]]) * [[6月25日]] - [[ハンス・ロット]]、作曲家(* [[1858年]]) * [[7月10日]] - [[カール・リヒャルト・レプシウス]]、ドイツの[[エジプト学|エジプト学者]](* [[1810年]]) * 7月10日 - [[ポール・モーフィー]]、[[チェス]]選手(* [[1837年]]) * [[7月15日]] - [[アルミラ・ハート・リンカーン・フェリプス]]、アメリカ合衆国の教育者(* [[1793年]]) * [[7月25日]] - [[アレクサンドル・グレゴリビッチ・フィシャー・フォン・ヴァルトハイム]]、植物学者(* [[1803年]]) * [[8月13日]] - [[アルノルト・フェルスター]]、ドイツの植物学者、昆虫学者(* [[1810年]]) * [[8月23日]] - [[リロイ・ポウプ・ウォーカー]]、初代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1817年]]) * [[8月25日]] - [[オード・ラッセル (初代アムトヒル男爵)|オード・ラッセル]]、イギリスの外交官、貴族、政治家(* [[1829年]]) * [[9月2日]] - [[カール・エーベルハルト・ヘルヴァルト・フォン・ビッテンフェルト]]、[[プロイセン王国]]の軍人(* [[1796年]]) * 9月2日 - [[トーマス・ウィリアム・キンダー]]、イギリスの軍人・技術者、明治政府の[[お雇い外国人]](* [[1817年]]) * [[9月4日]] - [[チャールズ・フォルジャー]]、第34代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1818年]]) * [[9月12日]] - [[アンデシュ・フレドリク・レグネル]]、スウェーデンの医師、植物学者(* [[1807年]]) * [[9月30日]] - [[ルイ・ラコンブ]]、フランスのピアニスト、作曲家(* [[1818年]]) * [[10月3日]] - [[ハンス・マカルト]]、オーストリアの画家(* [[1840年]]) * [[10月7日]] - [[ベルナール・プティジャン]]、[[カトリック教会]]の[[司祭]](* [[1829年]]) * [[10月14日]] - [[ディール・シャムシェル・ラナ]]、[[ネパール王国]]の政治家、軍人(* [[1828年]]) * [[10月15日]] - [[横山松三郎]]、[[写真家]](* [[1838年]]) * [[10月18日]] - [[グスタフ・ライヒャルト]]、19世紀ドイツの音楽教育者・声楽家・作曲家(* [[1797年]]) * [[10月23日]] - [[佐竹義堯]]、第12代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1825年]]) * [[10月25日]] - [[カルロ・アルベルト・カスティリャーノ]]、イタリアの数学者、物理学者(* [[1847年]]) * [[10月31日]] - [[古賀謹一郎]]、儒学者(* [[1816年]]) * 10月31日 - [[マリ・バシュキルツェフ]]、[[画家]]・[[彫刻家]]・[[作家]](* [[1858年]]) * [[11月11日]] - [[アルフレート・ブレーム]]、[[動物学|動物学者]](* [[1829年]]) * [[11月16日]] - [[雷電震右エ門]]、[[大相撲]]の[[力士]](* [[1842年]]) * [[11月25日]] - [[マティルデ・フランツィスカ・アネケ]]、[[ジャーナリスト]]・[[フェミニズム|フェミニスト]](* [[1817年]]) * 11月25日 - [[ヘルマン・コルベ]]、化学者(* [[1818年]]) * [[11月27日]] - [[ファニー・エルスラー]]、オーストリアのバレエダンサー(* [[1810年]]) * 11月27日 - [[水谷縫次]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1846年]]) * [[11月28日]] - [[間部詮勝]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[鯖江藩|鯖江藩主]](* [[1804年]]) * [[11月30日]] - [[成島柳北]]、[[ジャーナリスト]](* [[1837年]]) * [[12月4日]] - [[アリス・メアリ・スミス]]、作曲家(* [[1839年]]) * [[12月10日]] - [[エドゥアルト・リュッペル]]、ドイツの博物学者、探検家(* [[1794年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1884}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] * [[自由自治]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1884ねん}} [[Category:1884年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1884%E5%B9%B4
4,220
1872年
1872年(1872 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。
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1872年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1872}} {{year-definition|1872}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[壬申]] * [[日本]]([[天保暦]]) ** [[明治]]4年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]] - 明治5年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]] ** [[皇紀]]2532年 * [[清]]:[[同治]]10年11月21日 - 同治11年12月2日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]9年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4205年(非公用) * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]24年11月21日 - 嗣徳25年12月2日 * [[仏滅紀元]]:2414年 - 2415年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1288年10月19日 - 1289年11月1日 * [[ユダヤ暦]]:5632年4月20日 - 5633年4月1日 * [[修正ユリウス日]](MJD):4793 - 5158 * [[リリウス日]](LD):105634 - 105999 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1872}} == できごと == === 1月 === * [[1月2日]](明治4年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]) - 府県廃合を完了(3府72県){{要出典|date=2021-03}} * [[1月7日]](明治4年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]) - 県治条例制定([[交番]]設置記念日){{要出典|date=2021-03}} * [[1月11日]](明治4年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]) - 学制取調掛を任命([[箕作麟祥]]ら11名) * [[1月15日]](明治4年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]) - [[岩倉使節団]]: 米国サンフランシスコ着 === 2月 === * [[2月4日]](明治4年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - 東京裁判所設置(日本最初の裁判所) * [[2月16日]](明治5年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[仙台県]]が[[宮城県]]に改称{{Sfn|渡辺ほか|2010|p=16(付録)}}。 * [[2月20日]] - [[メトロポリタン美術館]]開館([[1870年]]創立) === 3月 === * [[3月1日]] - 米国で[[イエローストーン国立公園]]が認定(世界初の[[国立公園]]) * [[3月5日]] - 米国で[[ジョージ・ウェスティングハウス|ウェスティングハウス]]が[[空気ブレーキ]]の特許を取得 * [[3月7日]](明治5年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[赤坂溜池]]に渡船設置を許可 * [[3月8日]](明治5年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - 初の[[国勢調査|全国戸籍調査]]実施(総人口3311万825人) * [[3月10日]](明治5年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - 横浜公会(後の[[横浜海岸教会|日本基督公会]])設立(日本最初の[[プロテスタント]]教会) * [[3月14日]](明治5年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[浜田地震]](M7.1、死者約550名) * [[3月23日]](明治5年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[田畑永代売買禁止令]](土地永代売買の禁)廃止 * [[3月29日]](明治5年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - [[東京日日新聞]]創刊([[条野伝平]]ら) === 4月 === * [[4月3日]](明治5年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[銀座大火]]。[[兵部省]]より出火し[[銀座]]・[[京橋 (東京都中央区)|京橋]]・[[築地]]大火(焼失2926戸、[[築地精養軒]]ホテル、[[築地ホテル館]]全焼、[[銀座煉瓦街]]由来) * [[4月5日]](明治5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[陸軍省]]・[[海軍省]]設置([[兵部省]]廃止) * [[4月8日]](明治5年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[東京府]]内で[[郵便#日本の郵便の歴史|郵便]]施行(5月に全国拡大) * [[4月16日]](明治5年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[近衛 (日本軍)|近衛]]條令制定([[御親兵]]改組) * [[4月17日]](明治5年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) ** [[文部省博覧会]]開幕(東京初の[[博覧会]]、 - 6月5日(明治5年4月30日)) ** [[文部省博物館]]設立 * [[4月19日]](明治5年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[鎮台]]條令制定 * [[4月21日]](明治5年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[教部省]]設置([[神祇省]]廃止) * [[4月24日]] - [[ベスビオス火山]]噴火 * [[4月23日]](明治5年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[迎賓館赤坂離宮|赤坂離宮]]設置 === 5月 === * [[5月6日]](明治5年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[江戸城|東京城]]を[[皇居]]と治定: これより京都行きは還幸ではなく行幸となる * [[5月8日]](明治5年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) ** [[書籍館]]開館([[昌平坂学問所]]跡地、日本初の公共図書館) ** いろは組([[町火消]])廃止 * [[5月10日]](明治5年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[新潟県|新潟]]で[[世直し一揆]]の[[悌輔騒動]]起こる * [[5月17日]] - [[ボヘミアンクラブ]]創立 * [[5月15日]](明治5年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[戸長]]・副戸長設置([[庄屋]]・[[名主]]・年寄廃止) * [[5月21日]](明治5年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[玉川上水]]通船禁止 * [[5月26日]](明治5年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - 人力車渡世心得規則制定 * [[5月31日]](明治5年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[太政官布告]]第133号が出され<ref>『性と宗教』、2022年1月発行、島田裕巳、講談社現代新書、P85</ref>、[[僧侶]]の[[肉食]]・[[女犯|妻帯]]・[[蓄髪]]が許可される === 6月 === * [[6月3日]](明治5年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[教部省]]が[[三条教則|三條教憲]]を発令 * [[6月9日]](明治5年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[ラムネ (清涼飲料)|ラムネ]]の製造を許可 * [[6月12日]](明治5年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[品川駅|品川]] - 横浜(後の[[桜木町駅|桜木町]])間で[[日本の鉄道開業|鉄道]]仮営業開始。品川駅・横浜駅(初代)開業 * [[6月23日]](明治5年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - 取締組を[[邏卒]]と改称 * [[6月29日]](明治5年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]) - [[湊川神社]]創建(もと楠社) * [[6月30日]](明治5年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[大久保一翁]]が東京府知事となる === 7月 === * [[7月1日]](明治5年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - 全国に[[郵便#日本の郵便の歴史|郵便]]施行 * [[7月4日]](明治5年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]) ** [[師範学校]]設置([[湯島聖堂]]内) ** [[イエズス会]]が[[ドイツ帝国]]で違法となる * [[7月10日]](明治5年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[川崎駅]]・[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]](現存せず)開業 * [[7月15日]](明治5年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - 郵便報知新聞(後の[[報知新聞]])創刊([[前嶋密]]ら) * [[7月18日]] - 英国で[[秘密投票]]が[[:en:Ballot Act 1872|導入]] === 8月 === * [[8月2日]](明治5年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - 自葬(神官・僧侶に依頼しない葬儀)を禁止 * [[8月6日]](明治5年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[岩倉使節団]]: 米国ボストン発 * [[8月16日]](明治5年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - 岩倉使節団: 英国リバプール着 * [[8月30日]](明治5年[[7月13日 (旧暦)|7月27日]]) - [[マリア・ルス号事件]]の判決下り、[[清|清国人]][[奴隷]]の解放を命ず。 * [[壬申戸籍]]簿作成 === 9月 === * [[9月4日]](明治5年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[学制]]発布 * [[9月20日]](明治5年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - 横浜で[[第一回在日宣教師会議|第1回宣教師会議]]開催([[日本語訳聖書#明治訳|新約聖書の共同翻訳]]を計画) === 10月 === * [[10月14日]](明治5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - 新橋(後の[[汐留駅 (国鉄)|汐留]]) - 横浜間で[[日本初の一覧|日本初]]の[[日本の鉄道開業|鉄道]]正式開業([[鉄道の日]])。翌日より運輸開始。新橋駅(初代)・[[鶴見駅]]開業。 * [[10月31日]](明治5年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - 横浜で日本初の[[ガス灯]]が点灯 === 11月 === * [[11月2日]](明治5年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[芸娼妓解放令]]([[人身売買]]禁止) * [[11月4日]](明治5年[[10月4日 (旧暦)|10月4日]]) - [[富岡製糸場]]操業開始 * [[11月5日]] - [[1872年アメリカ合衆国大統領選挙|米国大統領選挙]]で[[ユリシーズ・グラント|グラント]]が勝利 * [[11月9日]] - 米国[[ボストン]]で[[ボストン大火|大火]] * [[11月11日]](明治5年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]]) - [[守田座]]が[[猿若町]]より[[新富 (東京都中央区)|新富町]]へ移転開場 * [[11月28日]](明治5年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) - 運上所を[[税関]]と改称(税関の日) * 内藤新宿動植物試験場(後の[[新宿御苑]])設置 === 12月 === * [[12月3日]](明治5年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - [[日本国郵便蒸汽船会社]]設立(半官半民) * [[12月4日]] - [[マリー・セレスト号|マリー・セレスト号事件]]発生 * [[12月5日]](明治5年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[岩倉使節団]]: [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]に謁見 * [[12月8日]](明治5年[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]) - 違式詿違条例発令(施行11月13日) * [[12月9日]](明治5年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]]) - 改暦ノ詔書並太陽暦頒布([[グレゴリオ暦]]導入を布告) * [[12月15日]](明治5年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) ** [[国立銀行条例]]制定 ** [[神武天皇即位紀元]]制定(1873年元旦実施) * [[12月16日]](明治5年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - 岩倉使節団: 英国ロンドン発 * [[12月21日]] - 英軍艦[[チャレンジャー (コルベット)|チャレンジャー]]が[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]を出港([[チャレンジャー号探検航海]]) * [[12月26日]](明治5年[[11月26日 (旧暦)|11月26日]]) - [[鎧橋]]完成([[日本橋小網町]]) * [[12月28日]](明治5年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]]) ** 徴兵の詔([[徴兵令]]) ** [[石鐵県死刑囚蘇生事件]] == 誕生 == {{see also|Category:1872年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[アレクサンドル・スクリャービン]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1915年]]) * [[1月16日]] - [[アンリ・ビュッセル]]、[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[音楽]][[教員|教師]](+ [[1973年]]) * [[1月22日]]([[明治4年]][[12月13日 (旧暦)|12月13日]]) - [[田山花袋]]、[[作家]](+ [[1930年]]) * [[2月1日]](明治4年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[徳田秋声]]、作家(+ [[1943年]]) * [[2月11日]]([[明治5年]][[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[築田多吉]]、[[看護師]](+ [[1958年]]) * [[2月23日]](明治5年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[平櫛田中]]、[[彫刻家]](+ [[1979年]]) * [[3月3日]] - [[ウィリー・キーラー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1923年]]) * [[3月7日]] - [[ピエト・モンドリアン]]、[[画家]](+ [[1944年]]) * [[3月25日]]([[明治5年]][[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[島崎藤村]]、作家(+ [[1943年]]) * 3月25日 - [[ホレィシォ・ネルソン・ジャクソン]]、[[アメリカ合衆国]]を[[自動車]]で横断した最初の人物(+ [[1955年]]) * [[3月31日]]([[ユリウス暦]]3月19日)- [[セルゲイ・ディアギレフ]]、芸術[[プロデューサー]](+ [[1929年]]) * [[4月5日]](明治5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[俵国一]]、[[冶金学者]](+ [[1958年]]) * [[4月9日]] - [[レオン・ブルム]]、[[政治家]]、[[フランス第三共和政]]首相(+ [[1950年]]) * [[4月10日]](明治5年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[板谷波山]]、[[陶芸家]](+ [[1963年]]) * [[5月1日]] - [[ヒューゴ・アルヴェーン]]、[[音楽家]](+ [[1960年]]) * [[5月2日]](明治5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[樋口一葉]]、[[小説家]]・作家・歌人(+ [[1896年]]) * [[5月18日]] - [[バートランド・ラッセル]]、[[哲学者]]・[[論理学者]](+ [[1970年]]) * [[5月19日]](明治5年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[市来乙彦]]、第10代[[日本銀行]][[総裁]]、[[大蔵大臣]](+ [[1954年]]) * [[6月18日]] - [[ユリウス・フチーク (作曲家)|ユリウス・フチーク]]、[[作曲家]]・[[軍楽隊]][[指揮者]](+ [[1916年]]) * [[7月1日]] - [[ルイ・ブレリオ]]、[[ドーバー海峡]]を初横断した[[パイロット (航空)|パイロット]](+ [[1936年]]) * [[7月4日]] - [[カルビン・クーリッジ]]、第30代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1933年]]) * [[7月8日]](明治5年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[佐佐木信綱]]、[[歌人]]・[[国文学者]](+ [[1963年]]) * [[7月16日]] - [[ロアール・アムンセン]]、[[探検家]](+ [[1928年]]) * [[7月20日]] - [[デオダ・ド・セヴラック]]、[[作曲家]](+ [[1921年]]) * [[8月21日]] - [[オーブリー・ビアズリー]]、[[画家]](+ [[1898年]]) * [[8月28日]](明治5年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[杉村楚人冠]]、[[ジャーナリスト]]・[[随筆家]](+ [[1945年]]) * [[8月31日]](ユリウス暦8月19日) - [[マチルダ・クシェシンスカヤ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1971年]]) * [[9月5日]] - [[アル・オース]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1948年]]) * [[9月10日]](ユリウス暦8月29日)- [[ウラディミール・アルセーニエフ]]、[[探検家]](+ [[1930年]]) * [[9月13日]](明治5年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[幣原喜重郎]]、[[外交官]]・第44代[[内閣総理大臣]]・第40代[[衆議院議長]](+ [[1951年]]) * [[10月3日]] - [[フレッド・クラーク]]、メジャーリーガー(+ [[1960年]]) * [[10月12日]] - [[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]、[[作曲家]](+ [[1958年]]) * [[11月8日]] - [[イェオリ・シュネーヴォイクト]]、[[指揮者]]・[[チェリスト]](+ [[1947年]]) * [[11月15日]](明治5年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[岡本綺堂]]、小説家・[[劇作家]](+ [[1939年]]) * [[12月9日]] - [[サイ・セイモアー]]、メジャーリーガー(+ [[1919年]]) * [[12月15日]](明治5年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]])- [[武田五一]]、[[建築家]](+ [[1938年]]) * [[12月25日]](明治5年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]])- [[添田唖蝉坊]]、[[演歌]]師(+ [[1944年]]) == 死去 == {{see also|Category:1872年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月13日]]([[明治]]4年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]) - [[河上彦斎]]、幕末の志士(* [[1834年]]) * [[1月21日]] - [[フランツ・グリルパルツァー]]、劇詩人(* [[1791年]]) * [[1月24日]] - [[ウィリアム・ウェッブ・エリス]]、[[ラグビーフットボール]]の発明者(* [[1806年]]) * [[1月24日]](明治4年[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]) - [[鉄翁祖門]]、[[南画|南画家]](* [[1791年]]) * [[4月2日]] - [[サミュエル・モールス|サミュエル・フィンレイ・ブリース・モールス]]、[[発明家]]、[[モールス符号]]の考案者(*[[1791年]]) * [[5月26日]] - [[ウィリアム・スティンプソン]]、[[動物学者]](* [[1832年]]) * [[6月2日]] - [[ベンジャミン・スタントン]]、第6代[[オハイオ州副知事]](* [[1809年]]) * [[7月18日]] - [[ベニート・フアレス]]、[[メキシコ]][[大統領]](* [[1806年]]) * [[7月26日]](明治5年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[山内容堂|山内豊信]]、[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1827年]]) * [[9月1日]] - [[アル・サーク]]、[[野球選手]](* [[1849年]]) * [[9月7日]] - [[伏見宮邦家親王]]、伏見宮第20代(* [[1802年]]) * [[9月18日]] - [[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]]、[[スウェーデン]]・[[ノルウェー]]王(* [[1826年]]) * [[9月19日]] - [[吉沢検校]]、[[音楽家]]([[地歌]][[三味線]]、[[箏曲]]、[[胡弓]]、平曲[[演奏家]]、[[作曲家]]、『[[千鳥の曲]]』作曲者)(* [[1800年]]) * [[12月23日]] - [[ジョージ・カトリン (画家)|ジョージ・カトリン]]、[[画家]](* [[1796年]]) == フィクションのできごと == * [[ダーレク]]から逃亡中の初代ドクターが[[メアリー・セレスト号]]に到着。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * 変身能力を持つエイリアンであるルータンがファング・ロックの灯台に逃げ込む。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Citation|和書|title=宮城県の歴史|publisher=[[山川出版社]]|author=[[渡辺信夫 (歴史学者)|渡辺信夫]]ほか|date=2010/1/25|isbn=978-4-634-32041-3|series=県史 4|edition=2|ref={{SfnRef|渡辺ほか|2010}}}} == 関連項目 == {{Commonscat|1872}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1872ねん}} [[Category:1872年|*]]
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4,221
1429年
1429年(1429 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1429年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1429}} {{year-definition|1429}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[正長]]2年、[[永享]]元年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2089年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[宣徳]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]11年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3762年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[順天 (黎朝)|順天]]2年 * [[仏滅紀元]] : 1971年 - 1972年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 832年 - 833年 * [[ユダヤ暦]] : 5189年 - 5190年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1429|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[6月18日]] - [[百年戦争]]: [[パテーの戦い]]でフランス方が勝利。 * [[7月17日]] - [[シャルル7世 (フランス王)|フランス王シャルル7世]]が[[ジャンヌ・ダルク]]に導かれ[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で戴冠。 === 日本 === * 琉球王国が建国がされる。 *[[1月 (旧暦)|旧暦1月]] - [[播磨の土一揆]]が起こる。 * [[2月 (旧暦)|旧暦2月]] - [[丹波国]]で[[土一揆]]が起こる。 * [[4月18日]]([[正長]]2年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[足利義教]]に[[将軍宣下]]が行われる。 * [[9月 (旧暦)|旧暦9月]] - 足利満貞が足利持氏討伐の許可を義教に求める。[[楠木光正]]が足利義教[[暗殺]]を計画して失敗し、[[六条河原]]で[[処刑]]される。[[足利義嗣]]に[[従一位]]が追贈される。 * [[10月 (旧暦)|旧暦10月]] - 足利義教が[[伊勢国]]守護の[[土岐持頼]]に命じて[[北畠満雅]]の遺児・[[北畠教具|教具]]を討伐させる。 == 誕生 == {{see also|Category:1429年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月23日]] - [[マーガレット・オブ・アンジュー]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]の王妃(+ [[1482年]]) * [[足利春王丸]]、[[室町時代]]の武将(+ [[1441年]]) * [[浦上則宗]]、室町時代、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将(+ [[1502年]]) * [[横川景三]]、室町時代、戦国時代の[[臨済宗]]の僧(+ [[1493年]]) * [[日野勝光]]、室町時代の[[公卿]]、[[日野家]]の当主(+ [[1476年]]) * [[ジェンティーレ・ベリーニ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期[[ヴェネツィア派]]の[[画家]](+ [[1507年]]) == 死去 == {{see also|Category:1429年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月25日]](正長元年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]])- [[北畠満雅]]、室町時代の武将、[[伊勢国|伊勢]][[国司]][[北畠家]]の第3代当主(* 生年不詳) * [[2月20日]] - [[ジョヴァンニ・ディ・ビッチ]]、[[メディチ家]]当主(* [[1360年]]) * [[3月4日]] - [[アンドロニコス・パレオロゴス (テッサロニキ専制公)|アンドロニコス・パレオロゴス]]、[[テッサロニキ]][[専制公]](* [[1400年]]) * [[5月7日]] - [[ウィリアム・グラスデール]]、[[イングランド]]の軍人(* 生年不詳) * [[7月12日]] - [[ジャン・ジェルソン]]、[[フランス]]出身の[[神学者]](* [[1363年]]) * [[8月10日]](正長2年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[花山院長親]]、室町時代の公卿・歌人(* [[1350年]]頃) * [[8月14日]](正長2年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[細川持元]]、室町時代の[[守護大名]]、[[細川氏|細川京兆家]]の当主(* [[1399年]]) * [[9月28日]] - [[ツィンバルカ・マゾヴィエツカ]]、[[オーストリア君主一覧|内オーストリア公]][[エルンスト (オーストリア公)|エルンスト鉄公]]の2番目の妻(* 1394年/1397年) *[[10月12日]](永享元年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]])- [[広橋兼宣]]、室町時代の公卿(* [[1366年]]) * [[高橋殿]]、[[室町幕府]]第3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]の側室(* 生年不詳) * [[他魯毎]]、琉球の南山王国最後の王(* 生年不詳) * [[ヤヌシュ1世スタルシ]]、[[マゾフシェ公国|マゾフシェ諸公]]の一人、[[ワルシャワ]]公(* 1347年-1352年) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1429}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1429ねん}} [[Category:1429年|*]]
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4,222
1492年
1492年(1492 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1492年(1492 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。", "title": null } ]
1492年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1492}} {{year-definition|1492}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延徳]]4年、[[明応]]元年8月29年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2152年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[弘治 (明)|弘治]]5年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]23年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3825年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]52 * [[仏滅紀元]] : 2034年 - 2035年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 897年 - 898年 * [[ユダヤ暦]] : 5252年 - 5253年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1492|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月2日]] - [[グラナダ]]陥落。[[ナスル朝]]滅亡。[[レコンキスタ]]終結。 * [[8月2日]] - [[クリストファー・コロンブス]]、[[スペイン]]の[[パロス・デ・ラ・フロンテーラ|パロス]]を出航。 * [[8月11日]] - 初の[[コンクラーヴェ]]により[[アレクサンデル6世]]がローマ教皇に選出。 * [[8月12日]](延徳4年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - 日本、[[改元]]して明応元年 * [[8月18日]] - {{仮リンク|アントニオ・デ・ネブリハ|en|Antonio de Lebrija}} が、[[スペイン語]]における初の文法書である「{{仮リンク|カスティリア文法|es|Gramática castellana}}」を出版。 * [[10月12日]] - コロンブス、[[西インド諸島]]に到達。 * [[10月28日]] - コロンブス、[[キューバ]]に到達。 == 誕生 == {{see also|Category:1492年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月6日]] - [[フアン・ルイス・ビベス]]、[[スペイン]]の[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]出身の[[人文学|人文学者]]、[[教育者]](+ [[1540年]]) * [[3月15日]] - [[アンヌ・ド・モンモランシー]]、[[フランス王国|フランス]][[ヴァロワ朝]]時代の軍人(+ [[1567年]]) * [[4月11日]] - [[マルグリット・ド・ナヴァル]]、[[ナバラ王国|ナバラ]]王[[エンリケ2世 (ナバラ王)|エンリケ2世]]の王妃(+ [[1549年]]) * [[4月15日]](延徳4年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[小笠原長棟]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]、[[小笠原氏|府中小笠原氏]]の当主(+ [[1542年]]) * [[4月24日]] - [[ザビーナ・フォン・バイエルン]]、[[ヴュルテンベルク君主一覧|ヴュルテンベルク公]][[ウルリヒ (ヴュルテンベルク公)|ウルリヒ]]の妃(+ [[1564年]]) * [[5月8日]] - [[アンドレーア・アルチャート]]、[[イタリア]]の[[法学者]]、[[作家]](+ [[1550年]]) * [[9月12日]] - [[ロレンツォ2世・デ・メディチ|ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ]] 、イタリアの[[ウルビーノ公国|ウルビーノ公]](+ [[1519年]]) * [[10月30日]] - [[アンヌ・ダランソン]]、[[モンフェッラート侯国|モンフェッラート侯]][[グリエルモ9世・デル・モンフェッラート|グリエルモ9世]]の妃(+ [[1562年]]) * [[尼子国久]]、戦国時代の武将(+ [[1554年]]) * [[小田政治]]、戦国時代の武将、[[小田氏]]の第14代当主(+ [[1548年]]) * [[肝付兼興]]、戦国時代の武将、[[肝付氏]]の第15代当主(+ [[1533年]]) * [[華陽院]]、[[松平清康]]の後妻(+ [[1560年]]) * [[相良長隆]]、戦国時代の武将(+ [[1526年]]) * [[平手政秀]]、戦国時代の武将(+ [[1553年]]) * [[毛利興元]]、戦国時代の武将(+ [[1516年]]) * [[アダム・リース (数学者)|アダム・リース]]、[[ドイツ]]の[[数学者]](+ [[1559年]]) * [[六角氏綱]]、戦国時代の武将、[[六角氏]]の当主(+ [[1518年]]) == 死去 == {{see also|Category:1492年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月13日]](明応元年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[千葉輔胤]]、[[室町時代]]の[[武将]]、[[千葉氏]]第21代当主(* [[1421年]]) * [[4月8日]] - [[ロレンツォ・デ・メディチ]]、[[イタリア]]の[[フィレンツェ]]の[[メディチ家]]の当主(* [[1449年]]) * [[5月27日]](明応元年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[蓮教]]、室町時代の[[浄土真宗]]の[[僧]](* [[1451年]]) * [[6月7日]] - [[カジミェシュ4世 (ポーランド王)|カジミェシュ4世]]、[[リトアニア大公国|リトアニア大公]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1427年]]) * [[6月8日]] - [[エリザベス・ウッドヴィル]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の王妃(* [[1437年]]) * [[7月5日]](延徳4年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[相馬高胤]]、室町時代の武将、[[相馬氏]]第12代当主(* [[1424年]]) * [[7月25日]] - [[インノケンティウス8世 (ローマ教皇)|インノケンティウス8世]]、第213代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1432年]]) * [[8月13日]](延徳4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[庭田朝子]]、[[後土御門天皇]]の[[典侍]](* [[1437年]]) * [[10月12日]] - [[ピエロ・デラ・フランチェスカ]]、イタリアの[[ルネサンス]]期の[[画家]](* 1415年/1420年) * [[11月1日]] - [[ルネ (アランソン公)|ルネ]]、[[ヴァロワ=アランソン家|アランソン公]](* [[1454年]]) * [[11月6日]] - [[アントワーヌ・ビュノワ]]、[[ブルゴーニュ公国]]の[[作曲家]]、[[作詞家]](* [[1430年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1492}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1492ねん}} [[Category:1492年|*]]
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4,224
1885年
1885年(1885 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。明治18年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1885年(1885 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。明治18年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。", "title": "他の紀年法" } ]
1885年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。明治18年。
{{年代ナビ|1885}} {{year-definition|1885}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[乙酉]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]18年 ** [[皇紀]]2545年 * [[清]]:[[光緒]]10年11月16日 - 光緒11年11月26日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]22年 ** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]494年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4218年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) ** [[建福 (阮朝)|建福]]元年11月16日 - 12月30日 ** [[咸宜]]元年1月1日 - 9月30日 ** [[同慶 (阮朝)|同慶]]乙酉年10月1日 - 11月26日 * [[仏滅紀元]]:2427年 - 2428年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1302年3月14日 - 1303年3月24日 * [[ユダヤ暦]]:5645年4月14日 - 5646年4月23日 * [[修正ユリウス日]](MJD):9542 - 9906 * [[リリウス日]](LD):110383 - 110747 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1885}} == できごと == * [[オーストリア人]][[化学者]]の[[カール・ヴェルスバッハ|カール・アウアー・フォン・ベルスバッハ]]が[[ガス灯#白熱ガス灯|マントル]]を開発し、街頭・工場・家庭の照明として使われるようになった。{{Sfn|チャロナー|2011|p=438|ps=「ガスマントル ベルスバッハが、電球への道を開く。」}} === 1月 === * [[1月4日]] - 世界初の[[虫垂切除術]]実施(米国[[アイオワ州]]) * [[1月8日]] - [[大日本除虫菊]](現 金鳥)操業開始 * [[1月9日]] - 日本([[井上馨]])と朝鮮([[金弘集 (政治家)|金弘集]])の間で[[漢城条約]]締結 * [[1月15日]] - 文武講習館(翌年に成城学校と改称、後の[[成城中・高等学校]])創設 * [[1月27日]] - [[ハワイ王国]]への官約移民第一号となる944名が渡航(以後9年間で約29,000人が移民) === 2月 === * [[2月9日]] - 日本人移民が[[ハワイ王国]]へ到着([[ハワイにおける日本人移民]]) * [[2月17日]] - [[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]が[[ドイツ領東アフリカ]]統治を[[カール・ペータース]]に認可 * [[2月18日]] - [[マーク・トウェイン]]「[[ハックルベリー・フィンの冒険]]」出版 * [[2月25日]] - [[ワシントン記念塔]]除幕式 * [[2月26日]] - [[ベルリン会議 (アフリカ分割)|ベルリン会議]]閉会: ベルギーが[[コンゴ]]で,英国が[[ナイジェリア]]で主権を確立 === 3月 === * [[3月1日]] - [[日本鉄道]]: 品川線開通([[品川駅|品川]] - [[渋谷駅|澁谷]] - [[新宿駅|新宿]] - [[板橋駅|板橋]] - [[赤羽駅|赤羽]]) * [[3月3日]] - [[AT&T]]発足 * [[3月4日]] - [[グロバー・クリーブランド]]が第22代米国大統領に就任(1期目) * [[3月14日]] - [[ウィリアム・S・ギルバート|ギルバート]]&[[アーサー・サリヴァン|サリヴァン]]喜歌劇「[[ミカド (オペレッタ)|ミカド]]」初演([[ロンドン]]) * [[3月16日]] - [[日本鉄道]]: 品川線[[目黒駅]]開業 * [[3月16日]] - [[脱亜論]]が新聞『[[時事新報]]』に[[社説]]として掲載。 * [[3月18日]] - [[クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル|ヤコブ・メッケル]]が[[陸軍大学校]]教官に着任 * [[3月19日]] - カナダ・サスカチュワン州でルイ・リエルが再び連邦政府に対する反乱を開始。 * [[3月30日]] - [[清仏戦争]]: 仏[[ジュール・フェリー|フェリー]]政府瓦解 * [[3月31日]] - 英国が[[ベチュアナランド]]を[[保護国]]化 === 4月 === * [[4月3日]] - [[ゴットリープ・ダイムラー]]が[[水冷エンジン]]の特許を取得 * [[4月4日]] - [[清仏戦争]]: 予備平和条約調印 * [[4月15日]] - 英海軍が朝鮮[[巨文島]]を占領([[巨文島事件]]) * [[4月18日]] - 日本([[伊藤博文]])と清国([[李鴻章]])間で[[天津条約 (1885年4月)|天津条約]]締結 * [[4月18日]] - [[専売特許条例]]発布(施行7月1日) * [[4月30日]] - [[ボストン・ポップス・オーケストラ]]創立 === 5月 === * [[5月9日]] - [[日本銀行券]]発行開始([[十円紙幣#旧十円券|拾圓券]]) * [[5月28日]] - [[工部省]][[品川硝子製造所]]払下げ  作新学院創立 * [[5月30日]] - 福岡県立修猷館(後の[[福岡県立修猷館高等学校]])設置告示 === 6月 === * [[6月2日]] - [[琵琶湖疏水]]起工 * [[6月5日]] - [[鳥取県立倉吉農学校(現鳥取県立倉吉農業高等学校)]]開校 * [[6月9日]] - [[清仏戦争]]: [[天津条約 (1885年6月)|天津条約]]調印 * [[6月17日]] ** [[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]がニューヨーク港に到着 ** [[明治十八年の淀川洪水]]。[[淀川 (近畿)|淀川]]支流[[天野川 (大阪府)|天野川]]決壊、以後7月にかけて[[大阪府]]淀川流域に洪水被害。 * [[6月23日]] - 英国で[[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)|ソールズベリー]]内閣成立(1期目) * [[6月24日]] - [[サミュエル・ファーガソン]]([[:en:Samuel David Ferguson|Samuel David Ferguson]])が黒人として初めて[[米国聖公会]][[主教]]となる === 7月 === * [[7月1日]] - [[専売特許条例]]施行 * [[7月6日]] - [[ルイ・パスツール]]開発の[[狂犬病]][[ワクチン]]が初めて人体に接種 * [[7月16日]] ** [[日本鉄道]]: [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]から[[宇都宮駅]]まで延伸,[[上野駅|上野停車場]]新築開場,上野・宇都宮間開通 **宇都宮駅で日本初の[[駅弁]]を販売(にぎりめし2個+たくあん,5銭) === 8月 === * [[8月12日]] - [[教育令]]改正 * [[8月14日]] - [[堀田瑞松]]が日本の特許第1号「堀田錆止塗料及其塗法」を取得([[専売特許の日]]) * [[8月29日]] - [[ゴットリープ・ダイムラー]]が[[オートバイ]]の特許を取得 === 9月 === * [[9月8日]] - 日本銀行[[一円紙幣#旧一円券|壹圓券]]・[[百円紙幣#旧百圓券|百圓券]]発行 * [[9月10日]] - [[英吉利法律学校]](後の[[中央大学]])開校 * [[9月15日]] - [[P・T・バーナム]]の興行列車事故で象の[[ジャンボ]]が死亡 * [[9月29日]] ** [[日本郵船]]創立(郵便汽船三菱と[[共同運輸会社|共同運輸]]が合併、同年10月1日創業) ** [[司法省法学校|東京法学校]]が東京大学へ併合 === 10月 === * [[10月1日]] ** [[東京ガス|東京瓦斯]]創立([[東京府]]瓦斯局の払い下げ) ** 米国で[[速達郵便]]開始 * [[10月9日]] - [[東京感化院]]設立 * [[10月13日]] - [[東海道本線|東海道線]][[大森駅 (東京都)|大森駅]]構内で列車が脱線転覆し、乗客1名が死亡。[[日本の鉄道事故 (1949年以前)#大森駅構内列車脱線事故|日本初の鉄道旅客死亡事故]]。 * [[10月14日]] - [[浅草水族館]]開館 * [[10月15日]] - [[鉄道局]]高崎・横川間開業 * [[10月24日]] - [[ヨハン・シュトラウス2世]]喜歌劇「[[ジプシー男爵]]」初演([[アン・デア・ウィーン劇場]]) * [[10月25日]] - [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]][[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]]初演([[マイニンゲン]]) === 11月 === * [[11月13日]] - [[華族女学校]](後の[[学習院女子中・高等科|学習院女子高等科]])開校 * [[11月23日]] - [[大阪事件]] * [[11月27日]] - 初めて[[流星]]の写真が撮影される === 12月 === * [[12月17日]] - フランスが[[マダガスカル]]を[[保護国]]化 * [[12月22日]] ** [[太政官]]制度廃止・'''[[内閣 (日本)|内閣]]制度創設''' ** '''[[伊藤博文]]が初代[[内閣総理大臣]]に就任'''([[第1次伊藤内閣]]) * [[12月28日]] - 第1回[[インド国民会議]]開催( - 12月31日) == 誕生 == {{see also|Category:1885年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]] - [[アンナ・ヒュブラー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1976年]]) * [[1月16日]] - [[周作人]]、[[随筆家]]・[[翻訳家]](+ [[1967年]]) * [[1月17日]] - [[大杉栄]]、[[思想家]]・[[アナキズム|アナキスト]](+ [[1923年]]) * 1月17日 - [[野辺地天馬]]、[[児童文学作家]]・[[伝道師]](+ [[1965年]]) * [[1月20日]] - [[尾崎放哉]]、[[俳人]](+ [[1926年]]) * [[1月21日]] - [[ウンベルト・ノビレ]]、探検家(+ [[1978年]]) * 1月21日 - [[板垣征四郎]]、陸軍軍人・[[政治家]](+ [[1948年]]) * [[1月24日]] - [[トーマス・栗原]]、[[映画監督]](+ [[1926年]]) * [[1月25日]] - [[北原白秋]]、[[詩人]](+ [[1942年]]) * [[1月26日]] - [[ペル・トーレン]]、フィギュアスケート選手(+ [[1962年]]) * [[1月27日]] - [[エドゥアルド・キュンネッケ]]、[[作曲家]](+ [[1953年]]) * 1月27日 - [[前田青邨]]、[[日本画家]](+ [[1977年]]) * [[1月28日]] - [[ルイス・ネルソン・ドリール]]、[[クラリネット]]奏者(+ [[1949年]]) * [[2月3日]] - [[田辺元]]、[[哲学者]](+ [[1962年]]) * [[2月7日]] - [[シンクレア・ルイス]]、[[小説家]](+ [[1951年]]) * 2月7日 - [[高碕達之助]]、[[政治家]]・[[実業家]](+ [[1964年]]) * [[2月9日]] - [[アルバン・ベルク]]、作曲家(+ [[1935年]]) * [[2月13日]] - [[ベス・トルーマン]]、[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]第33代[[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]の妻(+ [[1982年]]) * [[2月14日]] - [[吉田善吾]]、海軍軍人(+ [[1966年]]) * [[2月21日]] - [[サシャ・ギトリ]]、[[映画監督]]・[[劇作家]](+ [[1957年]]) * [[2月24日]] - [[チェスター・ニミッツ]]、[[アメリカ海軍]]の[[元帥]](+ [[1969年]]) * [[2月25日]] - [[アリス・オブ・バッテンバーグ]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ]]の王族(+ [[1969年]]) * [[3月1日]] - [[秋野やす]]、長寿世界一記録保持者(+ [[1999年]]) * [[3月7日]] - [[ジョン・トーヴィー]]、[[イギリス海軍]]の提督(+ [[1971年]]) * [[3月10日]] - [[タマーラ・カルサヴィナ]]、[[バレリーナ]](+ [[1978年]]) * [[3月20日]] - [[黒瀬川浪之助]]、[[大相撲]]の[[力士]](+ [[1957年]]) * [[3月30日]] - [[ノエル・ヌエット]]、[[詩人]]・[[画家]](+ [[1969年]]) * [[3月31日]] - [[ジュール・パスキン]]、画家(+ [[1930年]]) * [[4月1日]] - [[ウォーレス・ビアリー]]、[[俳優]](+ [[1949年]]) * [[4月4日]] - [[中里介山]]、小説家(+ [[1944年]]) * 4月4日 - [[本居長世]]、童謡作曲家(+ [[1945年]]) * [[4月11日]] - [[正力松太郎]]、[[読売新聞社]]社主(+ [[1969年]]) * [[4月12日]] - [[ロベール・ドローネー]]、[[画家]](+ [[1941年]]) * [[4月25日]] - [[古賀峯一]]、海軍軍人(+ [[1944年]]) * [[4月26日]] - [[飯田蛇笏]]、[[俳人]](+ [[1962年]]) * [[4月30日]] - [[ルイージ・ルッソロ]]、[[画家]]・[[作曲家]](+ [[1947年]]) * [[5月4日]] - [[レオ・シロタ]]、[[ピアニスト]](+ [[1965年]]) * [[5月6日]] - [[野上弥生子]]、[[小説家]](+ [[1985年]]) * [[5月12日]] - [[武者小路実篤]]、小説家(+ [[1976年]]) * [[5月14日]] - [[オットー・クレンペラー]]、指揮者・作曲家(+ 1973年) * [[5月21日]] - [[ゾフィー・フォン・シェーンブルク=ヴァルデンブルク]]、[[ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィート|アルバニア公ヴィルヘルム]]の妃(+ [[1936年]]) * [[5月22日]] - [[豊田副武]]、第29・30代[[連合艦隊司令長官]](+ [[1957年]]) * 5月22日 - [[中勘助]]、[[作家]]・[[詩人]](+ [[1965年]]) * [[5月26日]] - [[牧野良三]]、政治家(+ [[1961年]]) * [[5月30日]] - [[エセル・ミューケルト]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1953年]]) * [[6月6日]] - [[川端龍子]]、[[日本画家]]・[[俳人]](+ [[1966年]]) * [[6月8日]] - [[土岐善麿]]、[[歌人]]・[[国語学者]](+ [[1980年]]) * [[6月14日]] - [[シーサワーンウォン]]、[[ラオス王国|ラオス王]](+ [[1959年]]) * [[7月5日]] - [[アンドレ・ロート]]、[[画家]](+ [[1962年]]) * [[7月8日]] - [[エルンスト・ブロッホ]]、[[哲学者]](+ [[1977年]]) * [[7月19日]] - [[野依秀市]]、[[ジャーナリスト]]・政治家(+ [[1968年]]) * [[8月1日]] - [[木下杢太郎]]、[[医学者]]・[[詩人]]・[[劇作家]](+ [[1945年]]) * [[8月22日]] - [[出光佐三]]、[[実業家]]、[[出光興産]]創業者(+ [[1981年]]) * [[8月24日]] - [[若山牧水]]、[[歌人]](+ 1924年) * [[9月4日]] - [[鈴木文治]]、[[政治家]]・労働運動家(+ [[1946年]]) * [[9月11日]] - [[D・H・ローレンス]]、小説家(+ [[1930年]]) * [[9月22日]] - [[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]]、[[映画監督]]・俳優(+ [[1957年]]) * [[10月7日]] - [[ニールス・ボーア]]、[[物理学者]](+ 1962年) * [[10月11日]] - [[フランソワ・モーリアック]]、小説家(+ [[1970年]]) * [[10月15日]] - [[柳原白蓮]]、[[歌人]](+ [[1967年]]) * [[10月30日]] - [[エズラ・パウンド]]、[[詩人]](+ [[1972年]]) * [[11月2日]] - [[ハーロー・シャプレー]]、[[天文学者]](+ [[1972年]]) * [[11月5日]] - [[石川一郎]]、[[財界人]]、旧[[経済団体連合会|経団連]]初代会長(+ [[1970年]]) * [[11月8日]] - [[山下奉文]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大将]](+ [[1946年]]) * 11月8日 - [[田波御白]]、[[歌人]](+[[1913年]]) * [[11月11日]] - [[ジョージ・パットン]]、アメリカ軍の将軍(+ [[1945年]]) * [[11月15日]] - [[野尻抱影]]、[[随筆家]]・[[天文学|天文研究家]](+ [[1977年]]) * [[11月17日]] - [[萬鉄五郎]]、[[洋画家]](+ [[1927年]]) * [[11月26日]] - [[ハインリヒ・ブリューニング]]、第12代[[ドイツの首相|ドイツ国首相]](+ [[1970年]]) * [[12月2日]] - [[ジョージ・リチャーズ・マイノット]]、[[生物学|生物学者]](+ [[1950年]]) * [[12月15日]] - [[山中峯太郎]]、[[陸軍]][[軍人]]・[[小説家]](+ [[1966年]]) * [[12月28日]] - [[ウラジーミル・タトリン]]、[[画家]]・[[彫刻家]]・[[建築家]]・[[デザイナー]]・[[舞台美術]]家(+ [[1953年]]) == 死去 == {{see also|Category:1885年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月7日]] - [[岩崎弥太郎]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Iwasaki-Yataro Iwasaki Yatarō Japanese industrialist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[実業家]]、[[三菱財閥]]創業者(* [[1835年]]) * [[2月22日]] - [[ホーレス・ケプロン]]、[[軍人]]・[[政治家]](* [[1804年]]) * [[3月24日]] - [[ジェイコブ・トンプソン]]、第5代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1810年]]) * [[4月20日]] - [[グスタフ・ナハティガル]]、[[探検家]](* [[1823年]]) * [[5月20日]] - [[フレデリック・セオドア・フリーリングハイゼン]]、第29代[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1817年]]) * [[5月22日]] - [[ヴィクトル・ユーゴー]]、小説家(* [[1802年]]) * [[6月17日]] - [[エドヴィン・フォン・マントイフェル]]、プロイセン陸軍(* [[1809年]]) * [[7月23日]] - [[ユリシーズ・S・グラント]]、第18代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1822年]]) * [[9月15日]] - [[ユリウシュ・ザレンプスキ]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](* [[1854年]]) * [[9月25日]] - [[五代友厚]]、実業家(* [[1835年]]) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年1885|date=2011年7月}} * 1月1日:[[1955年]][[11月12日]]夜に発生した雷が飛行中のデロリアンに直撃したことにより、エメット・ブラウン博士がタイムスリップしてしまう。([[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3|バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3]]) * 9月1日:エメット・ブラウン博士が、[[1955年]]に取り残されたマーティ・マクフライに宛てて手紙を書いた日。この手紙は、「1955年11月12日夜10時頃、ヒルバレーのリヨン団地建設予定地にいるマーティ・マクフライという黒の革ジャンを着た少年に届けること。」という詳細な指示付きで郵便局に預けられ、70年間保管されることとなる。([[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3|バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3]]) * 9月2日:マーティ・マクフライが、1955年のエメット・ブラウン博士の協力を得て修理されたデロリアンで1955年11月16日からタイムスリップして来た日。1955年のブラウン博士が、タイムサーキットの目的時を未来の自分がマーティに手紙を書いた日の翌日にセットした。([[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3|バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3]]) * 9月7日:エメット・ブラウン博士が、馬に付けた蹄鉄を巡ってならず者のビュフォード・タネンとトラブルになり、彼に背後から銃で撃たれて死亡した日。マーティが1885年にタイムスリップして来たことで、この出来事は回避され、代わりにマーティがビュフォードと決闘をする。([[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3|バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3]]) *日付不明:ロシアでネコの大群に襲われたことで、ファイベルを含むネズミのマウスクビッツ一家がアメリカに移住する([[アメリカ物語]]) <!-- == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} --> == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ジャック・チャロナー(編集) |year=2011 |title=人類の歴史を変えた発明 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-3467-6 |ref={{Sfnref|チャロナー|2011}}}}<!-- 2011年1月31日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1885}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1885ねん}} [[Category:1885年|*]]
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1841年
1841年(1841 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1841年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1841}} {{year-definition|1841}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]12年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2501年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]21年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]7年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4174年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[紹治]]元年  * [[仏滅紀元]] : 2383年 - 2384年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1256年11月8日 - 1257年11月17日 * [[ユダヤ暦]] : 5601年4月8日 - 5602年4月18日 * [[ユリウス暦]] : 1840年12月20日 - 1841年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -6529 - -6165 * [[リリウス日]](LD) : 94312 - 94676 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1841}} == できごと == * [[6月29日]]-[[7月22日]] - [[イギリス]]で{{仮リンク|1841年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1841}}。[[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|メルバーン卿]]内閣の与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]大敗、[[ロバート・ピール|ピール]]率いる野党[[保守党 (イギリス)|保守党]]大勝{{要出典|date=2021-03}}。 * [[7月3日]](天保12年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[井伊直亮]]が[[大老]]を辞任。 * [[7月17日]] - [[イギリス]]で[[風刺漫画]][[雑誌]]『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』が創刊。 * [[8月30日]] - イギリスで第2次[[ロバート・ピール|ピール]]内閣([[保守党 (イギリス)|保守党]]政権)成立(-[[1846年]]) * [[9月4日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[1841年の先買権法]]が成立。 *ジェームス・ブルックのサラワク王国建国(マレーシアのサラワク州) == 誕生 == {{see also|Category:1841年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月14日]] - [[ベルト・モリゾ]]、[[画家]](+ [[1895年]]) * [[1月18日]] - [[エマニュエル・シャブリエ]]、[[作曲家]](+ [[1894年]]) * [[1月28日]] - [[ヘンリー・スタンリー]]、[[ジャーナリスト]]・[[探検家]](+ [[1904年]]) * [[1月31日]] - [[サム・ロイド]]、[[パズル]]作家(+ [[1911年]]) * [[2月16日]] - [[アルマン・ギヨマン]]、画家・[[版画家]](+ [[1927年]]) * [[2月25日]] - [[ピエール=オーギュスト・ルノワール]]、画家(+ [[1919年]]) * [[5月13日]](天保12年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[福地桜痴]](福地源一郎)、[[ジャーナリスト]]・[[劇作家]](+ [[1906年]]) * [[7月8日]] - [[ヴィンチェンツォ・ラグーザ]]、[[彫刻家]](+ [[1927年]]) * [[7月13日]] - [[オットー・ワーグナー]]、[[建築家]](+ [[1918年]]) * [[7月29日]] - [[アルマウェル・ハンセン]]、[[医学者]](+ [[1912年]]) * 7月29日 - [[アンリ・ファヨール]]、鉱山技師・[[地質学者]](+ [[1925年]]) * [[8月3日]](天保12年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[藤田伝三郎]]、[[藤田財閥]]創業者(+ [[1912年]]) * [[9月8日]] - [[アントニン・ドヴォルザーク]]、作曲家(+ [[1904年]]) * [[9月28日]] - [[ジョルジュ・クレマンソー]]、フランスの[[政治家]](+ [[1929年]]) * [[10月16日]](天保12年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[伊藤博文]]、日本の第1・5・7・10代内閣総理大臣(+ [[1909年]]) * [[11月4日]] - [[カール・タウジヒ]]、[[ピアニスト]](+ [[1871年]]) * [[11月9日]] - [[エドワード7世 (イギリス王)]](+ [[1910年]]) * [[12月11日]] - [[アドルフ・チェフ]]、[[指揮者]](+ [[1903年]]) * [[12月17日]](天保12年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[野津道貫]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]](+ [[1908年]]) == 死去 == {{see also|Category:1841年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]]([[天保]]11年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]) - [[谷文晁]]、[[南画|南画家]](* [[1763年]]) * [[2月12日]](天保12年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[伏見宮貞敬親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1776年]]) * [[3月1日]] - [[クロード・ヴィクトル=ペラン]]、[[フランス帝国]][[元帥]](* [[1764年]]) * [[3月22日]](天保12年[[閏]][[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[徳川家斉]]、[[江戸幕府]]第11代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1773年]]) * [[3月31日]] - [[ジョージ・グリーン]]、[[物理学者]]・[[数学者]](* [[1793年]]) * [[4月4日]] - [[ウィリアム・ハリソン]]<ref>{{cite book|author=Freeman Cleaves|title=Old Tippecanoe: William Henry Harrison and His Time|publisher=C. Scribner's Sons|location=New York|year=1939|pages=152}}</ref>、第9代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1773年]]) * [[7月1日]] - [[ニコラ・アペール]]、[[発明家]](* [[1749年]]) * [[7月4日]](天保12年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[池田斉訓]]、第9代[[鳥取藩|鳥取藩主]](* [[1820年]]) * [[7月27日]] - [[ミハイル・レールモントフ]]、作家(* [[1814年]]) * [[8月13日]] - [[ベルンハルト・ロンベルク]]、[[チェリスト]]・[[作曲家]](* [[1767年]]) * [[8月14日]] - [[ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト]]、[[教育学|教育学者]]・[[心理学者]]・[[哲学|哲学者]](* [[1776年]]) * [[8月15日]](天保12年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[松浦清|松浦静山]]、[[大名]]、肥前[[平戸藩]]第9代藩主(* [[1760年]]) * [[8月30日]](天保12年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[林述斎]]、[[儒学者]](* [[1768年]]) * [[9月9日]](天保12年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[伊達斉邦]]、第12代[[仙台藩|仙台藩主]](* [[1817年]]) * [[10月9日]] - [[カルル・フリードリッヒ・シンケル]]、[[建築家]](* [[1781年]]) * [[10月21日]] - [[ジョン・フォーサイス (政治家)|ジョン・フォーサイス]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1780年]]) * [[11月23日]](天保12年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]]) - [[渡辺崋山]]、[[田原藩]][[家老]]・南画家(* [[1793年]]) * [[12月6日]](天保12年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - [[島津斉宣]]、第9代[[薩摩藩|薩摩藩主]](* [[1774年]]) * 月日不詳 - [[永樂了全]]、[[陶芸家]](* [[1770年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1841}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1841ねん}} [[Category:1841年]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1841%E5%B9%B4
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シヴァ
シヴァ([ˈʃivə]; サンスクリット: शिव, Śiva、「吉祥者」、「吉祥ある者」の意)は、ヒンドゥー教の神である。現代のヒンドゥー教では最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では最高神に位置付けられている。 トリムルティ(ヒンドゥーの理論の1つ)ではシヴァは「破壊/再生」を司る様相であり、ブラフマー、ヴィシュヌとともに3柱の重要な神の中の1人として扱われている。また、シヴァ派では世界の創造、維持、再生を司る最高神として位置づけられている。デーヴィ(ヒンドゥーの女神)らを重視するシャクティ派では女神らが最高神として位置づけられている一方で、シヴァもヴィシュヌ、ブラフマーとともに崇拝の対象となっている。このシャクティ派では女神らがシヴァやそれぞれの神の根源であると考えられており、パールヴァティー(女神)がシヴァに対応する相互補完的なパートナーであるとされている。スマールタ派のパンチャヤタナ・プージャ(英語版)(儀式)ではシヴァは礼拝の対象となる5柱の中の1人に数えられる。 最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、不変絶対のブラフマンであり、同時に世界の根源的なアートマン(自我、魂)であると語られる。シヴァに関する神話では慈悲深い様を示す描写がある一方で、対照的に恐ろしい性質を見せるエピソードも多く語られ、曖昧さとパラドックスの神などとも表現される。また、アディヨーギー・シヴァ(Adiyogi、第一の修行者)とも呼ばれ、ヨーガ、瞑想、芸術の守護神でもある。 偶像上のシヴァの特徴としては、額の第三の目(英語版)、首に巻かれた蛇、三日月の装飾具、絡まる髪の毛から流れるガンジス川、武器であるトリシューラ(三叉の槍)、ダマル(英語版)(太鼓)が挙げられる。シヴァは通常リンガ(英語版)という形に象徴化され信仰される。また、シヴァは地域によらずインド、ネパール、スリランカなど全土で信仰されている。 サンスクリット語の「シヴァ」(Śiva、शिव)という単語がシヴァ神の名前の由来であると広く受け入れられている。モニエル=ウィリアムズによれば「シヴァ」という語は「吉祥な」、「好都合な」、「慈悲深い」、「親切な」、「友好的な」という意味を持つ。民間語源を辿ると「シヴァ」の「シ」は「内に全てを擁するもの、遍く広がる様」を意味し、「ヴァ」は「優雅さを体現する物」を意味する。この「シヴァ」はリグ・ヴェーダでは添え名として使われており、例えばルドラなど、いくつかの神(英語版)の形容辞となっている。こういった「シヴァ」という語の形容詞的用法はヴェーダ時代の様々な文献にて、多くの神々に対して適用されている例を見ることができる。つまりヴェーダ時代には「ルドラ・シヴァ」というような形容詞的な使われ方をしていた「シヴァ」という語が、後の時代には名詞の「シヴァ」、すなわち創造、再生、破壊を司る縁起の良い神、シヴァ神へと発展している。 ラム・カラン・シャルマ(英語版)は語源に関する異説としてサンスクリット語の「シャルヴ」(śarv-)を挙げている。これは「傷つけること、殺すこと」という意味を持っており、従ってシャルマによればシヴァ神の名前は「闇の軍勢を打ち倒す者」という意味を含んでいる。 サンスクリット語の「シャイヴァ」(śaiva)は「シヴァに関する物」を意味する言葉であり、ヒンドゥー教主流派のひとつであるシヴァ派(शैव पंथ、Śaiva Paṁtha)及びその信者を表す名詞にもなっている。同様にシヴァに関係する信仰や儀式を特徴づける形容詞としても使われる。 専門家の中にはタミル語の「シヴァップ」(śivappu)にシヴァ神の名前の由来を求めるものもいる。「シヴァップ」は「赤」を意味しており、これはシヴァ神が太陽(タミル語でシヴァン、śivan)と結び付けて考えられること、およびリグ・ヴェーダにてルドラ神が「バブルー」(Babhru、茶色、あるいは赤の意)と呼ばれていることを根拠としている。ヴィシュヌ・サハスラナーマ(英語版)(ヴィシュヌ神の賛歌)ではシヴァ神に、例えば「純粋な者」、「プラクリティのグナ(英語版)の影響を受けぬ者」など複数の意味を与えている。 シヴァは「マハーデーヴァ」、「マヘーシュヴァラ」、「トリローチャナ」など多くの異名を持つことで知られている。シヴァ派におけるシヴァ神の最高神としての位置づけは「マハーデーヴァ」(Mahādeva、偉大な神)、マヘーシュヴァラ(Maheśvara、偉大な王)、パラメーシュヴァラ(英語版)(Parameśvara、至高の王)といった異名に反映されている。 中世のインドの文献にはサハスラナーマ(英語版)(千の名前の意)というジャンルがあり、それぞれの神の性質に由来する異名や添え名を集めている。シヴァのサハスラナーマに関しては少なくとも8つのバージョンが確認されており、多くのシヴァの異名が賛歌(英語版)形式にまとめられている。マハーバーラタの13巻、アヌシャーサナ・パルヴァ(英語版)にもサハスラナーマが含まれている。マハニヤーサ(Mahanyasa)にはシヴァのダシャー・サラスラナーマ(万の名前の意)が存在する。 シヴァに関わる神話や習慣といった伝統はヒンドゥー教の中で大きな位置を占めており、インド、ネパール、スリランカ、インドネシア(バリ・ヒンドゥー)とヒンドゥー文化圏の各地で信仰を集める。しかしシヴァのルーツに関してははっきりしておらず、議論が残っている。 考古学者ヤショーダル・マトパル(英語版)やアリ・ジャヴィッド(Ali Javid)らはビームベートカーの岩陰遺跡の先史時代の壁画に描かれているものが、踊っているシヴァであり、シヴァのトリシューラ(三叉の槍)であり、彼のヴァーハナ(乗り物とされる動物)のナンディンであると解釈している。これらの壁画は放射性炭素年代測定によって紀元前1万年以前のものであると見積もられている。しかしハワード・モーフィー(Howard Morphy)は動物に関する古代の壁画に関してまとめた著作の中で、ビームベートカーの件の壁画を、狩りをする集団と動物と解釈しており、そのうえ踊っている集団は様々に受け取ることができるとしている。 インダス谷(インダス文明)のモヘンジョダロの発掘で見つかった印章のひとつ(紀元前2500-2400年のもの)は、シヴァの前身を思わせる人物が描かれており注目を集めた。その印章には、角を生やし、あるいは角を形どった何かを身に着け、勃起したファルス(陰茎)を誇っているようにも読み取れる人物が、動物に囲まれて結跏趺坐を組んでいるかのような様子が描かれており、モヘンジョダロのパシュパティ(牛の王、獣の王)と名付けられた。牛もファルスもヨーガも三日月もシヴァの持つ特徴である。(参考:#シヴァ像に共通する要素) 1920年代、考古学者のジョン・マーシャル(英語版)をはじめとする学者らはこの印章に描かれた人物がシヴァの前身ではないかと主張した。マーシャルはこの人物は3つの顔を持っていて、足を組み、ヨーガのポーズをとっていると解釈している。一方でギャビン・フラッド(英語版)や、ジョン・ケイ(英語版)といった研究者たちはこの主張に懐疑的な見解を示している。フラッドによれば、牛の角にも見える三日月の形などはシヴァの特徴を反映しているように思われるが、一方で印章の人物が3つの顔を持っているかどうか、ヨーガのポーズをとっているかどうかはっきりしないし、人物を表しているのかどうかも判然としない。ジョン・ケイは印章の人物がパシュパティ、すなわちシヴァ神の初期の姿である可能性は考えられるが、このデザインの持つ2つの特徴がルドラの持っている特徴と結びつかないと語っている。シヴァはシヴァになる前にルドラを経ていると考えられている。(参考:ルドラの項) 加えてドリス・メス・スリニバサン(英語版)は1997年に、グレゴリー・ポセル(英語版)も2002年に否定的な意見を発表している。スリニバサンはマーシャルが人物であるとした印象のデザインを人でなく牛であり、おそらくは聖なるバッファロー・マンであると解釈している。ポセルは印章の人物が神であり、水牛とつながりを持っていて、そして何らかの修行をしているところだという考えには賛同できるが、シヴァの前身とするのは無理がある、と結論づけている。 シヴァの偶像に描かれる姿や神話に語られる特徴と、ギリシャやヨーロッパの神々の持つ特徴との類似からは、シヴァ神と祖インド・ヨーロッパ人(英語版)とのつながりが、あるいは古代中央アジア文化との横断的交流が指摘されている。例えば恐ろしい姿に描かれたり、慈悲深さを示したりといったシヴァの持つ二面的な性質はギリシャの神、ディオニューソスに通じるものがある。加えて両者には牛、蛇、怒り、勇猛さ、踊り、そして楽観的な性格といった共通点がみられる。アレクサンドロス大王の時代の複数の文献でシヴァを「インドのディオニューソス」と呼び、逆にディオニューソスを「オリエントの神」として言及している様子が確認できる。同様にシヴァに見られるようなファルス(男性器)を象徴として扱う習慣は、ロジャー・ウッドワード(Roger Woodward)によればアイルランド、ノルド、ギリシャ(すなわちディオニューソス)、ローマの神々にも見られ、同様に初期のインド・アーリア人に見られる「天と地を結ぶ柱」という形での象徴も各地に残っている。一方ではインド=アーリア人を起源とする説に反対する意見もあり、彼らはアーリア人がインド亜大陸に侵入する以前の土着の信仰にシヴァの起源を求めている。 『リグ・ヴェーダ』では「シヴァ」という言葉を見つけることもできるが、これは単純に「慈悲深い、吉祥な」という意味での添え名として使われているにとどまり、ヴェーダ時代の様々な神に対して使われる修飾辞のうちのひとつである。一方、ヴェーダ時代の文献では天候に関係し、恐ろしい力を持つルドラという神について言及されている。時代が下るにつれてこのルドラは形容詞の「シヴァ」をたびたび添えられるようになり、サンスクリット語の「シヴァ」はルドラを婉曲的に表現するための類義語としての機能を持つに至る。そして『シヴァ・プラーナ(英語版)』(10-11世紀)では、シヴァ神が語る言葉の中に「私の化身であるルドラ」という表現すら現れた。こうしてシヴァはルドラと同一視されていった。 現代のヒンドゥー教で知られているシヴァの特徴は、ヴェーダ時代のルドラの持つ特徴と多くが共通しており、ヴェーダ神話に登場する暴風雨神ルドラがシヴァの前身と考えられている。『リグ・ヴェーダ』(紀元前1700-1100年)には1,028の賛歌が収録されているが、そのうちルドラに捧げられたものは3つにとどまり、この時代にはマイナーな神だった様子がうかがえる。 うなる嵐の神であるルドラは通常恐ろしい、破壊的な神という特徴に基づいて描写される。こういった畏怖を感じさせる神は『リグ・ヴェーダ』においては異色で、チャクラヴァティはルドラが唯一の例だとしている。もともと「シヴァ」とは苛烈で容赦ない自然現象であり嵐にまつわる神ルドラの名を直接呼ばないための、「吉祥者」「吉祥な」を意味する形容詞であった。その一方で『リグ・ヴェーダ』10巻の92詩ではルドラは荒っぽく、残酷な側面(ルドラ)と、慈悲深く穏やかな側面(シヴァ)の2つの性質を持つことが語られている。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれている。 『ヤジュル・ヴェーダ』(紀元前1200-1000年)以降、ルドラは度々「シヴァ」(慈悲深い、吉祥な)と形容されるようになる。特に『ヤジュル・ヴェーダ』に収録されているシャタルドリヤ(英語版)ではルドラに対して100に及ぶ添え名、異名が与えられ礼賛されており、この頃を境にルドラが存在感を増している様子がうかがえる。また、ここでは「遍在する神」という、後のシヴァ神とも通ずる性質も描かれている。ヴェーダ時代の文献ではまだルドラに関して牛やその他の動物をヴァーハナ(乗り物)としているような記述は見られないが、ヴェーダ後のたとえば『マハーバーラタ』(紀元前9-8世紀)やプラーナ文献(およそ3-10世紀)などではナンディンが特にルドラとシヴァのヴァーハナであると言及されており、彼らは明確に同じ神格として結び付けられている。こうしてシヴァは、最終的に破壊と創造を司り、恐ろしくも穏やかな、そしてすべての存在を再生し賦活する神としての発展を遂げている。 シヴァラーマムルティ(英語版)やクラムリッシュは、ルドラと火の神アグニとの深い関連を指摘している。後にルドラ・シヴァという神格へと徐々に発展していくルドラの過程を語る上で、アグニとルドラの同一性は重要な意味を持ってくる。アグニとルドラの同一性はニルクタにて明確に言及されている。ニルクタはサンスクリット語の語源について書かれた初期の文献で、そこにはアグニはルドラとも呼ばれると記されている。ステラ・クラムリッシュ(英語版)によればルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)の炎にまつわる神話を挙げれば多岐にわたり、大火災から灯りの火に至るまで、火と呼べるもの全てに及んでいる。 シャタルドリヤ(英語版)に登場するルドラの添え名、例えばサシパンジャラ(Sasipañjara、「炎のように赤く金色の」)やティヴァシマティ(Tivaṣīmati、「まぶしく燃える」)はアグニとルドラが融合した様子をうかがわせる。アグニは牛であると言われており、シヴァのヴァーハナは牛のナンディンである。アグニには角が生えているという言及もある。中世の聖典ではアグニも、バイラヴァ(英語版)すなわちシヴァの別の姿もともに燃え盛る髪を持つとされている。 ウェンディー・ドニガー(英語版)によればプラーナ文献で語られるシヴァはヴェーダ時代のインドラからつながっている。ドニガーは、インドラもシヴァも山、川、精力、凶暴さ、恐れをしらぬ大胆さ、戦争、確立された慣習風俗の破戒、オウム(真言)、最高の存在であること、などと関連づけられていることをその根拠として挙げている。『リグ・ヴェーダ』ではシヴァ(śiva)という語がインドラを指して使われている。インドラもシヴァと同様に牛と結び付けられている。また、シヴァと同一視されるルドラは、『リグ・ヴェーダ』ではマルト神群(ルドラの息子たちであり、インドラの従者)の父であるが、ルドラはマルト神群の特徴である好戦的な性格を持ちあわせていない。その一方でインドラとシヴァはそれを持ち合わせている。 ジャイナ教ではインドラは踊る姿で表現される。明示的に同一とされているわけではないが、このインドラはヒンドゥー教で見られる踊っているシヴァ、すなわちナタラージャとムドラ(ポーズ)が似通っている。エローラ石窟群(ヒンドゥー、仏教、ジャイナ、3宗教の遺跡)のジャイナ教窟ではティールタンカラ(ジャイナの神)の隣でインドラがシヴァ・ナタラージャと同じ調子で踊る彫刻が見られる。この踊りの類似は古代のインドラとシヴァとのつながりを示しているようにも思われる。 シヴァが偶像化されたものとして最も早い時期の物、すなわち彫像はガンダーラや古代インドの北西部で見つかっている。この彫像は損傷しており、加えて仏教関係の彫刻とも特徴が重なるため、はっきりとこれがシヴァであると言い切れない部分もあるのだが、シヴァの武器であるトリシューラと特徴のひとつであるファルスが確認できるのでおそらくシヴァであろうと考えられている。また、古代のクシャーナ朝のコインに描かれている神がシヴァではないかという指摘が存在する。クシャーナのコインではシヴァと思しき人物を指しウェーショー(英語版)(またはオエーショ(英語版))と記されているが、ウェーショーの語源や由来ははっきりしていない。 ヴェーダのマイナーな神であったルドラが最高神としての神格へと発展していく過程の最初の痕跡は、ギャビン・フラッドによれば紀元前400年から紀元前200年頃の『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』に見られる。これ以前のウパニシャッドの世界は不二一元論であり、『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』はルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)に対する有神論的な信仰の最初のきっかけを与えている。すなわちこの文献で、ルドラ・シヴァが宇宙(ブラフマン)の創造者であり、魂(アートマン)を輪廻から解放する者であると同定される。シヴァ派の信徒、苦行者らに関する言及が、パタンジャリの『マハーバーシャ(英語版)』や『マハーバーラタ』に見られることから、紀元前200年から紀元後100年には、シヴァへの帰依に焦点を絞るシヴァ派の歴史が始まっていることがわかっている。一方ロバート・ヒューム(Robert Hume)やドリス・スリニヴァサン(Doris Srinivasan)らは『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』が提示するのはシヴァに焦点を当てた有神論ではなく、多元論、汎神論、単一神教であると述べている。 自らの内に全てを見、 全ての内に自らを見る者が、 ブラフマンに至る、 それ以外に道はない。 古いものでは紀元前10世紀の終わりから新しいものでは17世紀までと様々な時期に書かれた14のウパニシャッドから成る『シャイヴァ・ウパニシャッド(英語版)』では、シヴァを物理世界を超越した普遍の存在ブラフマンとアートマンとして賞揚し、さらにシヴァに関する儀式と象徴主義について語っている。 ルドラに関して触れられる文献はわずかにとどまるが、例えばアタルヴァシラス・ウパニシャッド(英語版)(紀元前5世紀頃)では、すべての神はルドラであり、全ての生命と全ての物質はルドラであり、ルドラは全ての中に存在する根源であり、最終目標(ジュニャーナ)であり、全ての見える物と見えない物の最も内側にある要素であると主張される。パウル・ドイセンによればカイヴァリャ・ウパニシャッド(英語版)(紀元前10世紀頃)にもルドラがシヴァに置き換わったバージョンの、同様な記述がみられる。すなわち、アートマ・ジュニャーナに達する人は自らをすべての中に住まう神聖な要素として感じ、自ら及びすべての意識とシヴァ(すなわち至高のアートマン)との一体感を感じ、この至高のアートマンを自らの心の奥底に見つけるものである、と語られている。 シャイヴァ・プラーナ、特に『シヴァ・プラーナ(英語版)』(10-11世紀)と『リンガ・プラーナ(英語版)』(5-10世紀)にはシヴァの様々な姿、シヴァに関する神話や宇宙論、巡礼地(ティルサ(英語版))などが紹介されている。シヴァに関するタントラ文献は8世紀から11世紀の間に纏められており、シヴァ派の中でも二元論を固持する信徒にとってのシュルティ(英語版)(聖典、ヴェーダ参照)となっている。シヴァに関する文献は10世紀から13世紀にかけてインド全土で発展しており、特にカシミール(カシミール・シヴァ派(英語版))とタミル地方(シヴァ・シッダーンダ(英語版)、あるいは聖典シヴァ派とも)での受容が顕著である。 現代わたしたちが知るシヴァの姿は様々な古い神々がひとつの神格へと融合された結果であると言えるかもしれない。複合的なシヴァの神格がどのような過程を経て収束していったのかはわからないが、由来を辿る試みは行われており、いくつかの推測も存在する。例えばヴィジャイ・ナート(Vijay Nath)によれば、 例えば、マハーラーシュトラ州では地方の神としてカンドーバ(英語版)が信仰されている。カンドーバは農業と牧畜のカーストの守護神であった。ジェジュリ(英語版)がカンドーバ信仰の最縁部となる。カンドーバはシヴァの姿に取り込まれており、信仰はリンガを通して行われる。カンドーバはまた、スールヤ、カールッティーケーヤ(スカンダ)とも同一視されている。 シヴァ派はヴィシュヌ派、シャクティ派、スマールタ派と並びヒンドゥー教四大宗派のひとつとなっている。シヴァ派(シャイヴィズム)の信徒は「シャイヴァ」と呼ばれシヴァを最高神として崇めている。シヴァ派においては、シヴァは全ての中の全て、創造神、維持神、破壊神、啓示を与える者であり、全てを覆い隠すものだと信じられている。シヴァ派にとってシヴァは単なる創造者ではなく、彼自身も彼の作品であり、シヴァは全てであり、普遍的な存在である。シヴァ派においてシヴァは根本的な魂であり、純粋な魂であり、ブラフマンである。 シヴァ派の理論は2つに大別できる。比較的大きな勢力なのがバラモン教時代のヴェーダや叙事詩、プラーナ文献に見られるシヴァ・ルドラの影響を受ける理論。もう1つがシヴァ、シャクティに関するタントラ文献の影響をうける密教的な理論である。ヴェーダ・バラモン教のシヴァ理論は一元論(不二一元論)的性格と、神への帰依(二元論)的な性格が見られる。神への帰依とは例えばタミル地方(南インド)のシヴァ・シッダーンタ派(英語版)やリンガーヤタ派(英語版)のように寺院内にリンガ(英語版)やシヴァとパールヴァティの宗教画、ナンディンなどといった偶像や象徴を奉り、シヴァに纏わる神話をモチーフにしたレリーフで飾る。 シヴァ派のタントリズムは実践的な信仰の領域から派生した分派にて発展し、シヴァに関する神話やプラーナ文献を無視する。例えば今は途絶えたカーパーリカ(英語版)派(髑髏男の意)の信徒と大乗仏教がかつて共存し、多くの習慣を共有し、髑髏を身に着けたシヴァとシャクティを崇拝し、髑髏の鉢で施しを求め、肉や酒や性的関心を儀式に用いていたという記録が残されている。対照的にカシミール・シヴァ派(英語版)の密教的信仰はクラマ派(Krama)とトリカ派(Trika)を特徴とする。クラマ派はシヴァとカーリーのペアを重視する。一方のトリカ派はトリムルティの理論を発展させ、不二一元論的な解脱を追い求めるために、個人的な「シヴァ」に焦点を当てた禁欲的な生活を伴う。 ヴィシュヌ派の聖典でもシヴァについて語られている。シヴァ派の信仰でシヴァが最高神に位置付けられるのと同様に、ヴィシュヌ派ではヴィシュヌが最高神として扱われる。しかしいずれの宗派でも信仰は多神教的な性格をもっており、それぞれでシヴァとヴィシュヌが、加えてデーヴィ(ヒンドゥーの女神ら)が崇拝される。どちらの聖典にも排他的要素は含まれておらず、例えばヴィシュヌ派の『バーガヴァタ・プラーナ』ではクリシュナ(ヴィシュヌの化身)をブラフマンとして礼賛する一方でシヴァとシャクティ(シヴァの配偶神の1柱)も同じブラフマンの顕現した姿だとして称える。一方のシヴァ派でも同様にヴィシュヌが称えられる。例えば『スカンダ・プラーナ(英語版)』では以下のように語られている。 双方の信仰に、シヴァとヴィシュヌのどちらが優れているかを競うエピソードや、シヴァがヴィシュヌに敬意を払う、またはヴィシュヌがシヴァに敬意を払うという挿話が存在している。サロジ・パンゼイ(Saroj Panthey)によればこれら双方の聖典、絵画などに見られるお互いを敬う描写は、彼らの持つ相互補完的な役割の象徴である。『マハーバーラタ』ではブラフマンはシヴァとヴィシュヌと同一であると、そしてヴィシュヌはシヴァの至高の姿であり、シヴァはヴィシュヌの至高の姿であると語られている。 ヒンドゥーの女神を重視するシャクティ派では、根本原理、普遍の現実であるブラフマンを女神(デーヴィ)であるとし、男性神を女神の同等かつ補完的なパートナーとして扱う。このパートナーはシヴァか、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)である。 『リグ・ヴェーダ』の賛歌、デーヴィ・スークタ(Devi Sukta)には女神を崇拝するこの信仰の最も早い痕跡がシヴァ・ルドラの文脈とともに見つけられる。 私は女王であり、宝を集めるものであり、もっとも慈悲深く、何よりもまず帰依する価値のある存在である。 こうして神々は私をあらゆる場所に、わたしが住まう家とともに作り出した。 物を見、息をし、発せられた言葉を聴く者たちは、私を通してのみ日々の糧を得る。 彼らは、私が宇宙の原理の中に住まうことを知らない。一同皆聴け、私の宣言する真実を。 私はたしかに宣言する。神も人も同様に歓迎しよう。 私は私を慕うものを並外れて強い者にしよう。彼を豊かに育まれた者にしよう。賢人にしよう。ブラフマンを知るものにしよう。 ルドラ(シヴァ)のために弓を曲げよう。彼の放つ矢は不信心な者を滅ぼすだろう。 私は人々のために戦えと命令を下そう。私は地上と天界とつくり、彼らの内側の支配者として住んでいる。 (以下略) シャクティ派の理論を説明している『デーヴィ・ウパニシャッド(英語版)』では第19詩にてシヴァに触れ、称えている。シャクティ派にとって『バガヴァッド・ギーター』と同等の価値を与えられている聖典、『デーヴィー・マーハートミャ』ではシヴァはヴィシュヌとともに礼賛されている。アルダナーリーシュヴァラという神格のコンセプトは、多くのヒンドゥー寺院、文献に見られるテーマであり、半分は男性で半分は女性であるという状態が象徴的に表現され、シヴァと女神シャクティの融合を表現している。。 スマールタ派ではシヴァはパンチャヤタナ・プージャ(英語版)(儀式)で信仰されるの神の内の1人である。この儀式には5柱の神々を象徴する偶像が用いられる。パンチャヤタナ・プージャにおいてはこの5柱は同等なものとして考えられており、それぞれが五つ目型(英語版)(さいころの5の形)に並べられる。シヴァ以外にはヴィシュヌ、いずれかのデーヴィ、スーリヤ、イシュタデーヴァター(英語版)の偶像がこの儀式に用いられ信仰される。 様々なスタイルのヨーガの理論と実践はヒンドゥー教の大きな流れの一部であり続けてきた。そしてシヴァはヨーガの多くの文献で守護神として描かれ、また語り手となっている。ヨーガは10世紀ごろか、それよりも後に体系化されていると見積もられており、例えば『イシュヴァラ・ギーター』(Isvara Gita、シヴァの歌の意)といった文献とともに後世に伝えられている。アンドリュー・ニコルソン(英語版)によればこの『イシュヴァラ・ギーター』はヒンドゥー教に深く、永続的な影響を与えている。 さらに『シヴァ・スートラ(英語版)』や『シヴァ・サンヒター(英語版)』、加えて例えば10世紀の『アビナヴァグプタ(英語版)』といったカシミール・シヴァ派の学者たちの記した文献は、ハタ・ヨーガに影響を与え、不二一元論の思想とヨーガの哲学を融合し、またインド古典舞踊(英語版)の理論的発展にも貢献している。 トリムルティとは、宇宙における創造と維持と破壊の機能を3柱の神に神格化させるというヒンドゥー教の理論である。ブラフマーが創造を司り、ヴィシュヌが維持を司り、シヴァが破壊/再生を司る。しかし古代の、あるいは中世の文献には様々な組み合わせのトリムルティが存在しており、中にはシヴァの含まれないものも存在する。 シヴァはその性質にまったく正反対のものを抱えているため、ギャヴィン・フラッド(英語版)はシヴァを曖昧さとパラドックスの神であると表現している。シヴァの相反する性質は彼に与えられた名前や、彼について語られるエピソードからも明らかである。 『ヤジュル・ヴェーダ』では対極にある2対の表現が見られる。すなわち「害のある」と「恐ろしい」(サンスクリット語: rudra)および、「害のない」と「吉祥な」(サンスクリット語: śiva)であり、マハデーヴ・チャクラヴァティ(Mahadev Chakravarti)はこのことが後にルドラ・シヴァ派という複雑な宗派を生み出す要因になったと結論づけている。『マハーバーラタ』ではシヴァは無敵で、強くて、恐ろしい存在の典型として、そして同時に誉れ高く、喜ばしく、素晴らしい神として描かれる。 恐ろしくも喜ばしいというシヴァの持つ二面性は、彼の対照的な名前にも表れている。「ルドラ」という名前はシヴァの恐ろしい側面を映し出している。歴史的に受け入れられているルドラの語源は、語根にあたる「ルド」(rud-、「叫ぶ」または「吠えたける」)に由来する。一方ステラ・クラムリッシュはラウドラ(raudra、「乱暴な」)に語源を求めている。乱暴さはルドラの持つ性格でもあり、彼女はしたがってルドラの名前を「乱暴な者」、「凶暴な神」と翻訳する。シャルマも彼女に倣い、ルドラの名前を「恐ろしい」と翻訳した。 異名のひとつ、ハラ(Hara)は重要な意味を持っていると考えられており、『マハーバーラタ』のアヌシャサナ・パルヴァ(英語版)に語られるシヴァ・サハスラナーマ(英語版)(千の名前の賛歌)にはハラが3度登場する。このハラは、そうでない場合もあるが、それぞれ違う意味に翻訳される伝統がある。シャルマはこれらをそれぞれ「魅了する者」、「強固にする者」、「破壊する者」と翻訳した。クラムリッシュはハラを「夢中にさせるもの」と辞書的な文脈で紹介している。 他にも、シヴァの恐ろしい側面を表した様相として「カーラ」(Kāla、時間)あるいは「マハーカーラ」(Mahākāla、偉大な時間)が挙げられ、究極的にすべてを破壊するというニュアンスが含まれる。カーラという名前はシヴァ・サハスラナーマに登場し、ラム・カラン・シャルマはこれを「時間を司る至高の王」と翻訳した。また「バイラヴァ(英語版)」(恐ろしい)という名は「絶滅」という意味をほのめかすシヴァの凶暴な様相のひとつである。対照的に「シャンカラ」(Śaṇkara)という名は「慈悲深い者」、「幸福を与える者」を意味し、シヴァの持つやさしい一面を反映している。このシャンカラという名前は、シャンカラ・アーチャーリヤ(Shankaracharya)としても知られるヴェーダーンタ学派の偉大な哲学者シャンカラ(788-820)が名祖となっている。シャムブー(Śambhu、शम्भु、自ずから輝く者)という異名もまた温和な一面を反映する。 シヴァは禁欲的なヨーギー(英語版)として描かれ、同時に一家の主としての顔も持つ。本来両者はヒンドゥー教社会においては相いれない存在である。シヴァがヨーギーとして描かれる場合、シヴァは通常座り、瞑想をしている姿で表現される。シヴァの異名のひとつである「マハーヨーギー」(Mahāyogi、偉大なヨーギー)は彼とヨーガとの関係を物語っている。ヴェーダ時代(紀元前1500年-紀元前600年頃)の信仰は主に捧げものによる儀式を通して行われていたと考えられており、タパス(苦行)、ヨーガ、禁欲主義が重要な意味を持つようになったのはそれより後の、叙事詩が編纂される時代である。シヴァが世間を離れ禁欲的に瞑想に耽る姿で描かれるようになったことには、こういったヴェーダ時代後の宗教観が反映されている。 シヴァには妻パールヴァティと2人の息子、ガネーシャとカールッティーケーヤ(スカンダ)がおり、家族の一員であり一家の主としての顔を持つ。シヴァの異名である「ウマーパティ」(Umāpati、ウマーの夫)はそんなシヴァの一面を表している。シヴァ・サハスラナーマにはさらに「ウマーカーンタ」(Umākānta)、「ウマーダーヴァ」(Umādhava)という名前に触れられており、シャルマはこれらも「ウマーパティ」と同様の意味で用いられているとしている。叙事詩に登場するウマーは多くの意味で知られており、温和なパールヴァティの異名のひとつでもある。シヴァの息子ガネーシャは障害を取り除く神として、物事を始めるための神としてインド全土、ネパールで広く信仰されている。カールッティーケーヤは南インド、特にタミル・ナードゥ州、ケーララ州、カルナータカ州で良く信仰される。カールッティーケーヤにも様々な異名があり、南インドではスブラマニア(Subrahmanya)、ムルガン(Murugan)など、北インドではスカンダ、クマラ(Kumara)、カールッティーケーヤなどと呼ばれる。 地方の土着の神々がシヴァの息子として語られる例がある。例えば、シヴァはモーヒニー(英語版)の美しさと魅力に絆されてモーヒニーとの間に子をもうけ、その結果シャスタ(英語版)が生まれた。このシャスタは土着の神であるアイヤッパ(英語版)、アイヤナル(英語版)と同一視される。また蛇の女神マナサーやアショーカスンダリ(英語版)がシヴァの娘であると語られることもある。 ナタラージャ(naṭarāja、踊りの王)という形で表現されるシヴァも広く受け入れられている。「ナルタカ」(Nartaka、踊り手)とニチャナルタ(Nityanarta、永遠の踊り手)という名前もシヴァ・サハスラナーマに紹介されている。シヴァと踊り、シヴァと音楽とのつながりが顕著になるのはプラーナ文献の時代(4世紀から14世紀)である。特徴的なナタラージャのポーズの他にもインド各地で様々な踊りの形(nṛtyamūrti、リチャムールタ)が見られ、タミル・ナードゥ州では特によく体系化されている。ダンスの形で最も有名なものとして、ターンダヴァ(英語版)とラースヤ(英語版)が挙げられる。世界の破壊が必要になった時にはシヴァ(マハーカーラ)が舞うターンダヴァと、パールヴァティの踊るラースヤ、優美で繊細で穏やかな感情が特徴的な女性の舞踊によって、世界の破壊が遂行される。ラースヤは女性的な踊りとしてターンダヴァと対を成す。ターンダヴァとラースヤは世界の破壊と再生に結び付けて考えられる。 ダクシナムルティ(英語版)(Dakṣiṇāmūrti)という様相は教師(グル)としてシヴァを表現している。この形ではシヴァをヨーガの、そして音楽の、知識の教師として、シャーストラについて議論を繰り広げる論客として表現する。インド芸術の中にシヴァを描くこの習慣はほとんどがタミルナードゥ州(南インド)を起源としている。ダクシナムルティではシヴァは鹿の玉座に座り、シヴァの教えに傾聴するリシ(賢者)たちに囲まれた姿で描かれる。 アルダナーリーシュヴァラはシヴァの体の半分を男性として、のこり半分を女性として描く。エレン・ゴールドバーグ(Ellen Goldberg)は、アルダナーリーシュヴァラという語は「半男、半女」ではなく、「半分が女性の王」と翻訳するのがふさわしいとしている。 シヴァはアスラたちの三重構造の要塞トリプラに向かって弓を構える姿で描写されることがある。シヴァの異名のひとつである「トリプランタカ(英語版)」(トリプラを終わらせる者)はこの物語が由来となっている。 人の姿での表現のみならず、シヴァはリンガ(英語版)(リンガムとも)という形に象徴化される。リンガの形は様々である。一般的なものでは、ヨーニ(英語版)と呼ばれる注ぎ口が付いた円盤上のオブジェクトの真ん中から、円柱が垂直にそそり立つという形をしている。このヨーニは女神シャクティを象徴化している。シヴァを祀る寺院であれば通常リンガは寺院内の聖所に置かれ、牛乳、花、花びら、果物、葉っぱ、お米などが捧げられる。モニエル・ウィリアムズ、ユディット・グリーンバーグ(Yudit Greenberg)らによれば、リンガは字義をとれば「印」、「符号」、「紋」に翻訳され、また、「それによって何か他の物が存在することを確かに推測できる印」を意味する。すなわちシヴァという存在に象徴されている、自然界に備わっている、神聖な再生の力を暗示するとする。ウェンディー・ドニガー(英語版)をはじめとする一部の学者は、リンガは単純にファルスを象徴化したものに過ぎないとするが、ヴィヴェーカーナンダ、シヴァナンダ・サラスヴァティ(英語版)、バラガンガダーラ(英語版)らはこの評価に反対の立場をとる。M・ヴィンテルニッツは、リンガの象徴するものは単純に、シヴァに内在する自然のもつ生産と創造の原則であり、歴史の中に猥褻な性器信仰の存在した痕跡は認められないとしている。 リンガ信仰の由来を辿ると『アタルヴァ・ヴェーダ』(紀元前1200年-紀元前1000年)に収録されている賛歌にまで遡る。ユパ・スタンバ(Yupa-Stambha)、儀式のための柱を称える歌であり、始まりも終わりもないスタンバ(Stambha)あるいはスカンバ(Skambha)という記述がみられ、これは、このスタンバが永遠のブラフマンの象徴として建てられていることを示している。ちょうどヤジナ(英語版)(儀式)の火が、煙が、灰が、炎が、ソーマが、このヴェーダの儀式に用いられる薪を運ぶのに使われた牛が輝かしいシヴァの体に、彼の褐色のもつれた髪に、青い喉に、シヴァの乗り物としての牛に置き換えられたように、ユパ・スタンバはやがてシヴァ・リンガに置き換えられた。『リンガ・プラーナ』では同じ賛歌が偉大なスタンバの栄光とマハーデーヴァの優位性を確立するためのストーリーに展開される。 シヴァの象徴として作られたもので現存する最も古いリンガは紀元前3世紀に作られたものでグディマラム(英語版)村に見つかっている。シヴァ派の巡礼の習慣ではインド各地に散らばる主要な12のシヴァ寺院をジョーティルリンガ(英語版)(光のリンガの意)と呼ぶ。 「5」はシヴァと結び付けられて考えられる神聖な数字になる。シヴァのマントラの中でも最も重要なもののひとつ、「ナマ・シヴァーヤ(英語版)」(namaḥ śivāya)も5音節である。 シヴァの体はパーンチャブラフマンス(pañcabrahmans)と呼ばれる5つのマントラから成ると言われている。これら5つはそれぞれ神という形をとり、名前と偶像上の特徴を持っている。 これらはシヴァの5つの顔として表現され、また様々な文献にて5つの要素、5つの感覚、5つの知覚の器官、5つの活動の感覚器官と結び付けられている。教義の違いによって、あるいはもしかすると伝達の失敗から、これらの5つの顔がどの特性と結び付けられているのかに関してはバリエーションが存在する。全体としての意味合いはクラムリッシュによって以下のように要約されている。 『パーンチャブラフマ・ウパニシャッド(英語版)』には以下のように語られている。 プラーナ文献には時折「アンシュ」(ansh)という言葉が現れる。これは「一部」という意味で、同時にシヴァのアヴァターラ(化身)を意味する言葉である。しかしこの「アンシュ」がシヴァのアヴァターラを意味するというアイデアはシヴァ派の中でも全体に受け入れられているわけではない。『リンガ・プラーナ』に語られるシヴァの姿形は合計で28種類に及び、そのうち何回かはアヴァターラとして語られる。しかしこういう表現は全体から見ると稀で、シヴァ派の信仰の中でシヴァのアヴァターラが語られることは珍しい。これは「ヴィシュヌのアヴァターラ」というコンセプトをことさら強調するヴィシュヌ派とは対照的である。 いくつかのヴィシュヌ派の文献では、敬意をもってシヴァと神話の中の登場人物とをリンクさせている。例えば、『ハヌマン・チャーリーサ(英語版)』(賛歌)ではハヌマーンはシヴァの11番目のアヴァターであるとされている。『バーガヴァタ・プラーナ(英語版)』、『ヴィシュヌ・プラーナ(英語版)』ではリシ、ドゥルヴァーサがシヴァの一部であると語られている。中世の著述家たちの中には不二一元論で知られる哲学者シャンカラをシヴァの生まれ変わりであるとする者もいる。 マハー・シヴァラートリーは毎年開催されるシヴァのお祭りである。太陰暦で毎月の13日の夜と14日に「シヴァラートリー」が行われるが、1年に一度、太陽暦の2月か3月、春の訪れの前に「マハー・シヴァラートリー」(偉大なシヴァの夜の意)が開催される。 マハー・シヴァラートリーはヒンドゥー教の主要な祭礼のひとつであり、厳粛な性格のものである。宗教的には、この祭りには世界と人生に存在する「暗闇と無知の克服」を心に刻むという意味があり、シヴァの神格と人々の信仰といった両極性について瞑想する日でもある。シヴァに関係する詩が詠唱され、祈りがささげられ、シヴァが心にとどめられ、断食とヨーガが実践され、自制、誠実さ、非暴力、寛容、内省と懺悔、そしてシヴァへの到達についての瞑想が行われる。熱心な信者は夜を徹する。そうでない者はシヴァの寺院を訪れたり、ジョーティルリンガ(主要な12のシヴァ寺院)を巡礼する。寺院を訪れた者は牛乳、果物、花、葉っぱ、甘味をリンガに捧げる。コミュニティによっては、シヴァが踊りの神であることにちなみ、ダンスイベントを開催する。コンスタンス・ジョーンズ(Constance Jones)とジェームズ・リャン(James D. Ryan)によればマハー・シヴァラートリーの起源は古代ヒンドゥー教の祝祭まで、おそらく5世紀頃までさかのぼる。 シヴァにまつわる地域のお祭りとしてはマドゥライのチッティライ祭が挙げられる。これは4月か5月に開催され、南インドでは最大級のお祭りとなり、ミナクシ(英語版)(パールヴァティの化身)とシヴァの結婚を祝う。ヴィシュヌが彼の女兄弟であるミナクシをシヴァに嫁がせたという背景があるため、この祭りはヴィシュヌ派とシヴァ派がともに祝うものとなっている。また、ディーワーリー(新年の祭り)の期間にタミルナードゥ州のシヴァ派コミュニティはカールティッカイ・デーパム(Karttikai Deepam)という祭りでシヴァとムルガン(スカンダの異名、シヴァの息子)に祈りを捧げる。 シャクティ派の祝祭にも、最高神である女神とともにシヴァを信仰する祭り、例えば女神アンナプールナ(英語版)に捧げられるアンナクタ(Annakuta)祭や、その他ドゥルガーに関するお祭りがいくつか存在する。ネパールやインド北部、中部、西部などヒマラヤに近い地域では雨季に女性が中心となってティージ(英語版)祭が開催される。パールヴァティを称える祭りであり、パールヴァティ・シヴァ寺院に集まりみんなで歌い、踊り、そして祈りがささげられる。 かつては、イスラム教の支配の広がった時代に戦士となった苦行者など、現代でもシヴァに関係するヴェーダやタントリズムの信仰から派生した禁欲主義者、苦行者など(サンニヤーシ、サドゥら)がクンブ・メーラという祝祭を祝う。この祭りは4つの場所で12年に1度ずつ、それぞれ3年ずつ時期をずらして開催される。つまり3年に1度どこかでクンブ・メーラが開催される。プラヤーグ(イラーハーバード)で行われるものが最も大きなクンブ・メーラとなり、数100万人に及ぶ様々な宗派のヒンドゥー教徒がガンジス川とヤムナー川の合流地点に集まる。伝統的にシヴァを信仰する禁欲派の戦士(ナーガ)達が最初に川に入り、沐浴と祈祷を行うという栄誉に与っている。 シヴァは(仏教の)密教にも登場し、彼はウパーヤとして、シャクティはプラジュニャーとして描かれている。(仏教の)密教の宇宙観ではシヴァは受動的に描かれ、逆にシャクティが能動的に描かれている。 シク教の聖典、グル・グラント・サーヒブに収録されるジャプジ・サーヒブ(英語版)(祈り)には「グル(指導者)はシヴァであり、グルはヴィシュヌとブラフマーである。グルはパールヴァティとラクシュミーである」という一節がある。同じ章には「シヴァが語る。シッダ(Siddha、達した者)らが耳を傾ける。」ともある。また別の聖典、ダサム・グラント(英語版)ではグル・ゴービンド・シングがルドラの2つのアヴァターラについて触れている。 シヴァ信仰はエフタル(遊牧国家)とクシャーナ朝を通して中央アジアに広まった。ザラフシャン川沿いのパンジケントの壁画からはソグディアナやホータン王国でもシヴァ派の信仰が盛んだったことが示されている。この壁画ではシヴァは後光をバックにヤジノパヴィタ(Yajnopavita、肩から下げる聖紐)を身に着け、虎の毛皮を身にまとった姿で描かれるが、この壁画では彼の眷属らはソグディアナの民族衣装を身に着けている。ダンダン・ウィリクで見つかった羽目板にはトリムルティの1柱として描かれるシヴァにシャクティが跪く姿が描かれている。またタクラマカン砂漠にも4つの足をもつシヴァが、2頭の牛が支える玉座に足を組んで座る様子が描かれた(壁画)が存在する。加えてゾロアスター教の風の神ヴァーユ・ヴァータ(英語版)がシヴァの特徴を受け継いでいる点も注目に値する。 インドネシアではシヴァはバタラ・グル(英語版)として崇拝される。バタラ・グルはムラジャディ・ナ・ボロン(インドネシア語版)の妻、マヌク・パティアラジャ(インドネシア語版)が産んだ卵から最初に孵化した子供であるとされ、このシヴァのアヴァターラは同様にマレーシアでも信仰される。インドネシアのヒンドゥー教ではシヴァはマハーデーワ(Mahadewa)としても信仰されている。 日本の七福神の1柱である大黒天はシヴァから発展した神格であると考えられている。日本では屋敷神として祀られ、財と幸運の神として信仰を集めている。「大黒天」という名前はマハーカーラの漢訳である。 新興宗教のオウム真理教ではシヴァを「シヴァ大神」と位置付け、全ての根本神とした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "シヴァ([ˈʃivə]; サンスクリット: शिव, Śiva、「吉祥者」、「吉祥ある者」の意)は、ヒンドゥー教の神である。現代のヒンドゥー教では最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では最高神に位置付けられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "トリムルティ(ヒンドゥーの理論の1つ)ではシヴァは「破壊/再生」を司る様相であり、ブラフマー、ヴィシュヌとともに3柱の重要な神の中の1人として扱われている。また、シヴァ派では世界の創造、維持、再生を司る最高神として位置づけられている。デーヴィ(ヒンドゥーの女神)らを重視するシャクティ派では女神らが最高神として位置づけられている一方で、シヴァもヴィシュヌ、ブラフマーとともに崇拝の対象となっている。このシャクティ派では女神らがシヴァやそれぞれの神の根源であると考えられており、パールヴァティー(女神)がシヴァに対応する相互補完的なパートナーであるとされている。スマールタ派のパンチャヤタナ・プージャ(英語版)(儀式)ではシヴァは礼拝の対象となる5柱の中の1人に数えられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、不変絶対のブラフマンであり、同時に世界の根源的なアートマン(自我、魂)であると語られる。シヴァに関する神話では慈悲深い様を示す描写がある一方で、対照的に恐ろしい性質を見せるエピソードも多く語られ、曖昧さとパラドックスの神などとも表現される。また、アディヨーギー・シヴァ(Adiyogi、第一の修行者)とも呼ばれ、ヨーガ、瞑想、芸術の守護神でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "偶像上のシヴァの特徴としては、額の第三の目(英語版)、首に巻かれた蛇、三日月の装飾具、絡まる髪の毛から流れるガンジス川、武器であるトリシューラ(三叉の槍)、ダマル(英語版)(太鼓)が挙げられる。シヴァは通常リンガ(英語版)という形に象徴化され信仰される。また、シヴァは地域によらずインド、ネパール、スリランカなど全土で信仰されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "サンスクリット語の「シヴァ」(Śiva、शिव)という単語がシヴァ神の名前の由来であると広く受け入れられている。モニエル=ウィリアムズによれば「シヴァ」という語は「吉祥な」、「好都合な」、「慈悲深い」、「親切な」、「友好的な」という意味を持つ。民間語源を辿ると「シヴァ」の「シ」は「内に全てを擁するもの、遍く広がる様」を意味し、「ヴァ」は「優雅さを体現する物」を意味する。この「シヴァ」はリグ・ヴェーダでは添え名として使われており、例えばルドラなど、いくつかの神(英語版)の形容辞となっている。こういった「シヴァ」という語の形容詞的用法はヴェーダ時代の様々な文献にて、多くの神々に対して適用されている例を見ることができる。つまりヴェーダ時代には「ルドラ・シヴァ」というような形容詞的な使われ方をしていた「シヴァ」という語が、後の時代には名詞の「シヴァ」、すなわち創造、再生、破壊を司る縁起の良い神、シヴァ神へと発展している。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ラム・カラン・シャルマ(英語版)は語源に関する異説としてサンスクリット語の「シャルヴ」(śarv-)を挙げている。これは「傷つけること、殺すこと」という意味を持っており、従ってシャルマによればシヴァ神の名前は「闇の軍勢を打ち倒す者」という意味を含んでいる。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "サンスクリット語の「シャイヴァ」(śaiva)は「シヴァに関する物」を意味する言葉であり、ヒンドゥー教主流派のひとつであるシヴァ派(शैव पंथ、Śaiva Paṁtha)及びその信者を表す名詞にもなっている。同様にシヴァに関係する信仰や儀式を特徴づける形容詞としても使われる。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "専門家の中にはタミル語の「シヴァップ」(śivappu)にシヴァ神の名前の由来を求めるものもいる。「シヴァップ」は「赤」を意味しており、これはシヴァ神が太陽(タミル語でシヴァン、śivan)と結び付けて考えられること、およびリグ・ヴェーダにてルドラ神が「バブルー」(Babhru、茶色、あるいは赤の意)と呼ばれていることを根拠としている。ヴィシュヌ・サハスラナーマ(英語版)(ヴィシュヌ神の賛歌)ではシヴァ神に、例えば「純粋な者」、「プラクリティのグナ(英語版)の影響を受けぬ者」など複数の意味を与えている。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "シヴァは「マハーデーヴァ」、「マヘーシュヴァラ」、「トリローチャナ」など多くの異名を持つことで知られている。シヴァ派におけるシヴァ神の最高神としての位置づけは「マハーデーヴァ」(Mahādeva、偉大な神)、マヘーシュヴァラ(Maheśvara、偉大な王)、パラメーシュヴァラ(英語版)(Parameśvara、至高の王)といった異名に反映されている。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "中世のインドの文献にはサハスラナーマ(英語版)(千の名前の意)というジャンルがあり、それぞれの神の性質に由来する異名や添え名を集めている。シヴァのサハスラナーマに関しては少なくとも8つのバージョンが確認されており、多くのシヴァの異名が賛歌(英語版)形式にまとめられている。マハーバーラタの13巻、アヌシャーサナ・パルヴァ(英語版)にもサハスラナーマが含まれている。マハニヤーサ(Mahanyasa)にはシヴァのダシャー・サラスラナーマ(万の名前の意)が存在する。", "title": "名前" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "シヴァに関わる神話や習慣といった伝統はヒンドゥー教の中で大きな位置を占めており、インド、ネパール、スリランカ、インドネシア(バリ・ヒンドゥー)とヒンドゥー文化圏の各地で信仰を集める。しかしシヴァのルーツに関してははっきりしておらず、議論が残っている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "考古学者ヤショーダル・マトパル(英語版)やアリ・ジャヴィッド(Ali Javid)らはビームベートカーの岩陰遺跡の先史時代の壁画に描かれているものが、踊っているシヴァであり、シヴァのトリシューラ(三叉の槍)であり、彼のヴァーハナ(乗り物とされる動物)のナンディンであると解釈している。これらの壁画は放射性炭素年代測定によって紀元前1万年以前のものであると見積もられている。しかしハワード・モーフィー(Howard Morphy)は動物に関する古代の壁画に関してまとめた著作の中で、ビームベートカーの件の壁画を、狩りをする集団と動物と解釈しており、そのうえ踊っている集団は様々に受け取ることができるとしている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "インダス谷(インダス文明)のモヘンジョダロの発掘で見つかった印章のひとつ(紀元前2500-2400年のもの)は、シヴァの前身を思わせる人物が描かれており注目を集めた。その印章には、角を生やし、あるいは角を形どった何かを身に着け、勃起したファルス(陰茎)を誇っているようにも読み取れる人物が、動物に囲まれて結跏趺坐を組んでいるかのような様子が描かれており、モヘンジョダロのパシュパティ(牛の王、獣の王)と名付けられた。牛もファルスもヨーガも三日月もシヴァの持つ特徴である。(参考:#シヴァ像に共通する要素)", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1920年代、考古学者のジョン・マーシャル(英語版)をはじめとする学者らはこの印章に描かれた人物がシヴァの前身ではないかと主張した。マーシャルはこの人物は3つの顔を持っていて、足を組み、ヨーガのポーズをとっていると解釈している。一方でギャビン・フラッド(英語版)や、ジョン・ケイ(英語版)といった研究者たちはこの主張に懐疑的な見解を示している。フラッドによれば、牛の角にも見える三日月の形などはシヴァの特徴を反映しているように思われるが、一方で印章の人物が3つの顔を持っているかどうか、ヨーガのポーズをとっているかどうかはっきりしないし、人物を表しているのかどうかも判然としない。ジョン・ケイは印章の人物がパシュパティ、すなわちシヴァ神の初期の姿である可能性は考えられるが、このデザインの持つ2つの特徴がルドラの持っている特徴と結びつかないと語っている。シヴァはシヴァになる前にルドラを経ていると考えられている。(参考:ルドラの項)", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "加えてドリス・メス・スリニバサン(英語版)は1997年に、グレゴリー・ポセル(英語版)も2002年に否定的な意見を発表している。スリニバサンはマーシャルが人物であるとした印象のデザインを人でなく牛であり、おそらくは聖なるバッファロー・マンであると解釈している。ポセルは印章の人物が神であり、水牛とつながりを持っていて、そして何らかの修行をしているところだという考えには賛同できるが、シヴァの前身とするのは無理がある、と結論づけている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "シヴァの偶像に描かれる姿や神話に語られる特徴と、ギリシャやヨーロッパの神々の持つ特徴との類似からは、シヴァ神と祖インド・ヨーロッパ人(英語版)とのつながりが、あるいは古代中央アジア文化との横断的交流が指摘されている。例えば恐ろしい姿に描かれたり、慈悲深さを示したりといったシヴァの持つ二面的な性質はギリシャの神、ディオニューソスに通じるものがある。加えて両者には牛、蛇、怒り、勇猛さ、踊り、そして楽観的な性格といった共通点がみられる。アレクサンドロス大王の時代の複数の文献でシヴァを「インドのディオニューソス」と呼び、逆にディオニューソスを「オリエントの神」として言及している様子が確認できる。同様にシヴァに見られるようなファルス(男性器)を象徴として扱う習慣は、ロジャー・ウッドワード(Roger Woodward)によればアイルランド、ノルド、ギリシャ(すなわちディオニューソス)、ローマの神々にも見られ、同様に初期のインド・アーリア人に見られる「天と地を結ぶ柱」という形での象徴も各地に残っている。一方ではインド=アーリア人を起源とする説に反対する意見もあり、彼らはアーリア人がインド亜大陸に侵入する以前の土着の信仰にシヴァの起源を求めている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "『リグ・ヴェーダ』では「シヴァ」という言葉を見つけることもできるが、これは単純に「慈悲深い、吉祥な」という意味での添え名として使われているにとどまり、ヴェーダ時代の様々な神に対して使われる修飾辞のうちのひとつである。一方、ヴェーダ時代の文献では天候に関係し、恐ろしい力を持つルドラという神について言及されている。時代が下るにつれてこのルドラは形容詞の「シヴァ」をたびたび添えられるようになり、サンスクリット語の「シヴァ」はルドラを婉曲的に表現するための類義語としての機能を持つに至る。そして『シヴァ・プラーナ(英語版)』(10-11世紀)では、シヴァ神が語る言葉の中に「私の化身であるルドラ」という表現すら現れた。こうしてシヴァはルドラと同一視されていった。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現代のヒンドゥー教で知られているシヴァの特徴は、ヴェーダ時代のルドラの持つ特徴と多くが共通しており、ヴェーダ神話に登場する暴風雨神ルドラがシヴァの前身と考えられている。『リグ・ヴェーダ』(紀元前1700-1100年)には1,028の賛歌が収録されているが、そのうちルドラに捧げられたものは3つにとどまり、この時代にはマイナーな神だった様子がうかがえる。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "うなる嵐の神であるルドラは通常恐ろしい、破壊的な神という特徴に基づいて描写される。こういった畏怖を感じさせる神は『リグ・ヴェーダ』においては異色で、チャクラヴァティはルドラが唯一の例だとしている。もともと「シヴァ」とは苛烈で容赦ない自然現象であり嵐にまつわる神ルドラの名を直接呼ばないための、「吉祥者」「吉祥な」を意味する形容詞であった。その一方で『リグ・ヴェーダ』10巻の92詩ではルドラは荒っぽく、残酷な側面(ルドラ)と、慈悲深く穏やかな側面(シヴァ)の2つの性質を持つことが語られている。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『ヤジュル・ヴェーダ』(紀元前1200-1000年)以降、ルドラは度々「シヴァ」(慈悲深い、吉祥な)と形容されるようになる。特に『ヤジュル・ヴェーダ』に収録されているシャタルドリヤ(英語版)ではルドラに対して100に及ぶ添え名、異名が与えられ礼賛されており、この頃を境にルドラが存在感を増している様子がうかがえる。また、ここでは「遍在する神」という、後のシヴァ神とも通ずる性質も描かれている。ヴェーダ時代の文献ではまだルドラに関して牛やその他の動物をヴァーハナ(乗り物)としているような記述は見られないが、ヴェーダ後のたとえば『マハーバーラタ』(紀元前9-8世紀)やプラーナ文献(およそ3-10世紀)などではナンディンが特にルドラとシヴァのヴァーハナであると言及されており、彼らは明確に同じ神格として結び付けられている。こうしてシヴァは、最終的に破壊と創造を司り、恐ろしくも穏やかな、そしてすべての存在を再生し賦活する神としての発展を遂げている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "シヴァラーマムルティ(英語版)やクラムリッシュは、ルドラと火の神アグニとの深い関連を指摘している。後にルドラ・シヴァという神格へと徐々に発展していくルドラの過程を語る上で、アグニとルドラの同一性は重要な意味を持ってくる。アグニとルドラの同一性はニルクタにて明確に言及されている。ニルクタはサンスクリット語の語源について書かれた初期の文献で、そこにはアグニはルドラとも呼ばれると記されている。ステラ・クラムリッシュ(英語版)によればルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)の炎にまつわる神話を挙げれば多岐にわたり、大火災から灯りの火に至るまで、火と呼べるもの全てに及んでいる。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "シャタルドリヤ(英語版)に登場するルドラの添え名、例えばサシパンジャラ(Sasipañjara、「炎のように赤く金色の」)やティヴァシマティ(Tivaṣīmati、「まぶしく燃える」)はアグニとルドラが融合した様子をうかがわせる。アグニは牛であると言われており、シヴァのヴァーハナは牛のナンディンである。アグニには角が生えているという言及もある。中世の聖典ではアグニも、バイラヴァ(英語版)すなわちシヴァの別の姿もともに燃え盛る髪を持つとされている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ウェンディー・ドニガー(英語版)によればプラーナ文献で語られるシヴァはヴェーダ時代のインドラからつながっている。ドニガーは、インドラもシヴァも山、川、精力、凶暴さ、恐れをしらぬ大胆さ、戦争、確立された慣習風俗の破戒、オウム(真言)、最高の存在であること、などと関連づけられていることをその根拠として挙げている。『リグ・ヴェーダ』ではシヴァ(śiva)という語がインドラを指して使われている。インドラもシヴァと同様に牛と結び付けられている。また、シヴァと同一視されるルドラは、『リグ・ヴェーダ』ではマルト神群(ルドラの息子たちであり、インドラの従者)の父であるが、ルドラはマルト神群の特徴である好戦的な性格を持ちあわせていない。その一方でインドラとシヴァはそれを持ち合わせている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ジャイナ教ではインドラは踊る姿で表現される。明示的に同一とされているわけではないが、このインドラはヒンドゥー教で見られる踊っているシヴァ、すなわちナタラージャとムドラ(ポーズ)が似通っている。エローラ石窟群(ヒンドゥー、仏教、ジャイナ、3宗教の遺跡)のジャイナ教窟ではティールタンカラ(ジャイナの神)の隣でインドラがシヴァ・ナタラージャと同じ調子で踊る彫刻が見られる。この踊りの類似は古代のインドラとシヴァとのつながりを示しているようにも思われる。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "シヴァが偶像化されたものとして最も早い時期の物、すなわち彫像はガンダーラや古代インドの北西部で見つかっている。この彫像は損傷しており、加えて仏教関係の彫刻とも特徴が重なるため、はっきりとこれがシヴァであると言い切れない部分もあるのだが、シヴァの武器であるトリシューラと特徴のひとつであるファルスが確認できるのでおそらくシヴァであろうと考えられている。また、古代のクシャーナ朝のコインに描かれている神がシヴァではないかという指摘が存在する。クシャーナのコインではシヴァと思しき人物を指しウェーショー(英語版)(またはオエーショ(英語版))と記されているが、ウェーショーの語源や由来ははっきりしていない。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ヴェーダのマイナーな神であったルドラが最高神としての神格へと発展していく過程の最初の痕跡は、ギャビン・フラッドによれば紀元前400年から紀元前200年頃の『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』に見られる。これ以前のウパニシャッドの世界は不二一元論であり、『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』はルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)に対する有神論的な信仰の最初のきっかけを与えている。すなわちこの文献で、ルドラ・シヴァが宇宙(ブラフマン)の創造者であり、魂(アートマン)を輪廻から解放する者であると同定される。シヴァ派の信徒、苦行者らに関する言及が、パタンジャリの『マハーバーシャ(英語版)』や『マハーバーラタ』に見られることから、紀元前200年から紀元後100年には、シヴァへの帰依に焦点を絞るシヴァ派の歴史が始まっていることがわかっている。一方ロバート・ヒューム(Robert Hume)やドリス・スリニヴァサン(Doris Srinivasan)らは『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』が提示するのはシヴァに焦点を当てた有神論ではなく、多元論、汎神論、単一神教であると述べている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "自らの内に全てを見、 全ての内に自らを見る者が、 ブラフマンに至る、 それ以外に道はない。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "古いものでは紀元前10世紀の終わりから新しいものでは17世紀までと様々な時期に書かれた14のウパニシャッドから成る『シャイヴァ・ウパニシャッド(英語版)』では、シヴァを物理世界を超越した普遍の存在ブラフマンとアートマンとして賞揚し、さらにシヴァに関する儀式と象徴主義について語っている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ルドラに関して触れられる文献はわずかにとどまるが、例えばアタルヴァシラス・ウパニシャッド(英語版)(紀元前5世紀頃)では、すべての神はルドラであり、全ての生命と全ての物質はルドラであり、ルドラは全ての中に存在する根源であり、最終目標(ジュニャーナ)であり、全ての見える物と見えない物の最も内側にある要素であると主張される。パウル・ドイセンによればカイヴァリャ・ウパニシャッド(英語版)(紀元前10世紀頃)にもルドラがシヴァに置き換わったバージョンの、同様な記述がみられる。すなわち、アートマ・ジュニャーナに達する人は自らをすべての中に住まう神聖な要素として感じ、自ら及びすべての意識とシヴァ(すなわち至高のアートマン)との一体感を感じ、この至高のアートマンを自らの心の奥底に見つけるものである、と語られている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "シャイヴァ・プラーナ、特に『シヴァ・プラーナ(英語版)』(10-11世紀)と『リンガ・プラーナ(英語版)』(5-10世紀)にはシヴァの様々な姿、シヴァに関する神話や宇宙論、巡礼地(ティルサ(英語版))などが紹介されている。シヴァに関するタントラ文献は8世紀から11世紀の間に纏められており、シヴァ派の中でも二元論を固持する信徒にとってのシュルティ(英語版)(聖典、ヴェーダ参照)となっている。シヴァに関する文献は10世紀から13世紀にかけてインド全土で発展しており、特にカシミール(カシミール・シヴァ派(英語版))とタミル地方(シヴァ・シッダーンダ(英語版)、あるいは聖典シヴァ派とも)での受容が顕著である。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "現代わたしたちが知るシヴァの姿は様々な古い神々がひとつの神格へと融合された結果であると言えるかもしれない。複合的なシヴァの神格がどのような過程を経て収束していったのかはわからないが、由来を辿る試みは行われており、いくつかの推測も存在する。例えばヴィジャイ・ナート(Vijay Nath)によれば、", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "例えば、マハーラーシュトラ州では地方の神としてカンドーバ(英語版)が信仰されている。カンドーバは農業と牧畜のカーストの守護神であった。ジェジュリ(英語版)がカンドーバ信仰の最縁部となる。カンドーバはシヴァの姿に取り込まれており、信仰はリンガを通して行われる。カンドーバはまた、スールヤ、カールッティーケーヤ(スカンダ)とも同一視されている。", "title": "シヴァの歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "シヴァ派はヴィシュヌ派、シャクティ派、スマールタ派と並びヒンドゥー教四大宗派のひとつとなっている。シヴァ派(シャイヴィズム)の信徒は「シャイヴァ」と呼ばれシヴァを最高神として崇めている。シヴァ派においては、シヴァは全ての中の全て、創造神、維持神、破壊神、啓示を与える者であり、全てを覆い隠すものだと信じられている。シヴァ派にとってシヴァは単なる創造者ではなく、彼自身も彼の作品であり、シヴァは全てであり、普遍的な存在である。シヴァ派においてシヴァは根本的な魂であり、純粋な魂であり、ブラフマンである。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "シヴァ派の理論は2つに大別できる。比較的大きな勢力なのがバラモン教時代のヴェーダや叙事詩、プラーナ文献に見られるシヴァ・ルドラの影響を受ける理論。もう1つがシヴァ、シャクティに関するタントラ文献の影響をうける密教的な理論である。ヴェーダ・バラモン教のシヴァ理論は一元論(不二一元論)的性格と、神への帰依(二元論)的な性格が見られる。神への帰依とは例えばタミル地方(南インド)のシヴァ・シッダーンタ派(英語版)やリンガーヤタ派(英語版)のように寺院内にリンガ(英語版)やシヴァとパールヴァティの宗教画、ナンディンなどといった偶像や象徴を奉り、シヴァに纏わる神話をモチーフにしたレリーフで飾る。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "シヴァ派のタントリズムは実践的な信仰の領域から派生した分派にて発展し、シヴァに関する神話やプラーナ文献を無視する。例えば今は途絶えたカーパーリカ(英語版)派(髑髏男の意)の信徒と大乗仏教がかつて共存し、多くの習慣を共有し、髑髏を身に着けたシヴァとシャクティを崇拝し、髑髏の鉢で施しを求め、肉や酒や性的関心を儀式に用いていたという記録が残されている。対照的にカシミール・シヴァ派(英語版)の密教的信仰はクラマ派(Krama)とトリカ派(Trika)を特徴とする。クラマ派はシヴァとカーリーのペアを重視する。一方のトリカ派はトリムルティの理論を発展させ、不二一元論的な解脱を追い求めるために、個人的な「シヴァ」に焦点を当てた禁欲的な生活を伴う。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派の聖典でもシヴァについて語られている。シヴァ派の信仰でシヴァが最高神に位置付けられるのと同様に、ヴィシュヌ派ではヴィシュヌが最高神として扱われる。しかしいずれの宗派でも信仰は多神教的な性格をもっており、それぞれでシヴァとヴィシュヌが、加えてデーヴィ(ヒンドゥーの女神ら)が崇拝される。どちらの聖典にも排他的要素は含まれておらず、例えばヴィシュヌ派の『バーガヴァタ・プラーナ』ではクリシュナ(ヴィシュヌの化身)をブラフマンとして礼賛する一方でシヴァとシャクティ(シヴァの配偶神の1柱)も同じブラフマンの顕現した姿だとして称える。一方のシヴァ派でも同様にヴィシュヌが称えられる。例えば『スカンダ・プラーナ(英語版)』では以下のように語られている。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "双方の信仰に、シヴァとヴィシュヌのどちらが優れているかを競うエピソードや、シヴァがヴィシュヌに敬意を払う、またはヴィシュヌがシヴァに敬意を払うという挿話が存在している。サロジ・パンゼイ(Saroj Panthey)によればこれら双方の聖典、絵画などに見られるお互いを敬う描写は、彼らの持つ相互補完的な役割の象徴である。『マハーバーラタ』ではブラフマンはシヴァとヴィシュヌと同一であると、そしてヴィシュヌはシヴァの至高の姿であり、シヴァはヴィシュヌの至高の姿であると語られている。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ヒンドゥーの女神を重視するシャクティ派では、根本原理、普遍の現実であるブラフマンを女神(デーヴィ)であるとし、男性神を女神の同等かつ補完的なパートナーとして扱う。このパートナーはシヴァか、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)である。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "『リグ・ヴェーダ』の賛歌、デーヴィ・スークタ(Devi Sukta)には女神を崇拝するこの信仰の最も早い痕跡がシヴァ・ルドラの文脈とともに見つけられる。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "私は女王であり、宝を集めるものであり、もっとも慈悲深く、何よりもまず帰依する価値のある存在である。 こうして神々は私をあらゆる場所に、わたしが住まう家とともに作り出した。 物を見、息をし、発せられた言葉を聴く者たちは、私を通してのみ日々の糧を得る。 彼らは、私が宇宙の原理の中に住まうことを知らない。一同皆聴け、私の宣言する真実を。 私はたしかに宣言する。神も人も同様に歓迎しよう。 私は私を慕うものを並外れて強い者にしよう。彼を豊かに育まれた者にしよう。賢人にしよう。ブラフマンを知るものにしよう。 ルドラ(シヴァ)のために弓を曲げよう。彼の放つ矢は不信心な者を滅ぼすだろう。 私は人々のために戦えと命令を下そう。私は地上と天界とつくり、彼らの内側の支配者として住んでいる。 (以下略)", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "シャクティ派の理論を説明している『デーヴィ・ウパニシャッド(英語版)』では第19詩にてシヴァに触れ、称えている。シャクティ派にとって『バガヴァッド・ギーター』と同等の価値を与えられている聖典、『デーヴィー・マーハートミャ』ではシヴァはヴィシュヌとともに礼賛されている。アルダナーリーシュヴァラという神格のコンセプトは、多くのヒンドゥー寺院、文献に見られるテーマであり、半分は男性で半分は女性であるという状態が象徴的に表現され、シヴァと女神シャクティの融合を表現している。。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "スマールタ派ではシヴァはパンチャヤタナ・プージャ(英語版)(儀式)で信仰されるの神の内の1人である。この儀式には5柱の神々を象徴する偶像が用いられる。パンチャヤタナ・プージャにおいてはこの5柱は同等なものとして考えられており、それぞれが五つ目型(英語版)(さいころの5の形)に並べられる。シヴァ以外にはヴィシュヌ、いずれかのデーヴィ、スーリヤ、イシュタデーヴァター(英語版)の偶像がこの儀式に用いられ信仰される。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "様々なスタイルのヨーガの理論と実践はヒンドゥー教の大きな流れの一部であり続けてきた。そしてシヴァはヨーガの多くの文献で守護神として描かれ、また語り手となっている。ヨーガは10世紀ごろか、それよりも後に体系化されていると見積もられており、例えば『イシュヴァラ・ギーター』(Isvara Gita、シヴァの歌の意)といった文献とともに後世に伝えられている。アンドリュー・ニコルソン(英語版)によればこの『イシュヴァラ・ギーター』はヒンドゥー教に深く、永続的な影響を与えている。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "さらに『シヴァ・スートラ(英語版)』や『シヴァ・サンヒター(英語版)』、加えて例えば10世紀の『アビナヴァグプタ(英語版)』といったカシミール・シヴァ派の学者たちの記した文献は、ハタ・ヨーガに影響を与え、不二一元論の思想とヨーガの哲学を融合し、またインド古典舞踊(英語版)の理論的発展にも貢献している。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "トリムルティとは、宇宙における創造と維持と破壊の機能を3柱の神に神格化させるというヒンドゥー教の理論である。ブラフマーが創造を司り、ヴィシュヌが維持を司り、シヴァが破壊/再生を司る。しかし古代の、あるいは中世の文献には様々な組み合わせのトリムルティが存在しており、中にはシヴァの含まれないものも存在する。", "title": "ヒンドゥー教の中での位置づけ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "シヴァはその性質にまったく正反対のものを抱えているため、ギャヴィン・フラッド(英語版)はシヴァを曖昧さとパラドックスの神であると表現している。シヴァの相反する性質は彼に与えられた名前や、彼について語られるエピソードからも明らかである。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『ヤジュル・ヴェーダ』では対極にある2対の表現が見られる。すなわち「害のある」と「恐ろしい」(サンスクリット語: rudra)および、「害のない」と「吉祥な」(サンスクリット語: śiva)であり、マハデーヴ・チャクラヴァティ(Mahadev Chakravarti)はこのことが後にルドラ・シヴァ派という複雑な宗派を生み出す要因になったと結論づけている。『マハーバーラタ』ではシヴァは無敵で、強くて、恐ろしい存在の典型として、そして同時に誉れ高く、喜ばしく、素晴らしい神として描かれる。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "恐ろしくも喜ばしいというシヴァの持つ二面性は、彼の対照的な名前にも表れている。「ルドラ」という名前はシヴァの恐ろしい側面を映し出している。歴史的に受け入れられているルドラの語源は、語根にあたる「ルド」(rud-、「叫ぶ」または「吠えたける」)に由来する。一方ステラ・クラムリッシュはラウドラ(raudra、「乱暴な」)に語源を求めている。乱暴さはルドラの持つ性格でもあり、彼女はしたがってルドラの名前を「乱暴な者」、「凶暴な神」と翻訳する。シャルマも彼女に倣い、ルドラの名前を「恐ろしい」と翻訳した。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "異名のひとつ、ハラ(Hara)は重要な意味を持っていると考えられており、『マハーバーラタ』のアヌシャサナ・パルヴァ(英語版)に語られるシヴァ・サハスラナーマ(英語版)(千の名前の賛歌)にはハラが3度登場する。このハラは、そうでない場合もあるが、それぞれ違う意味に翻訳される伝統がある。シャルマはこれらをそれぞれ「魅了する者」、「強固にする者」、「破壊する者」と翻訳した。クラムリッシュはハラを「夢中にさせるもの」と辞書的な文脈で紹介している。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "他にも、シヴァの恐ろしい側面を表した様相として「カーラ」(Kāla、時間)あるいは「マハーカーラ」(Mahākāla、偉大な時間)が挙げられ、究極的にすべてを破壊するというニュアンスが含まれる。カーラという名前はシヴァ・サハスラナーマに登場し、ラム・カラン・シャルマはこれを「時間を司る至高の王」と翻訳した。また「バイラヴァ(英語版)」(恐ろしい)という名は「絶滅」という意味をほのめかすシヴァの凶暴な様相のひとつである。対照的に「シャンカラ」(Śaṇkara)という名は「慈悲深い者」、「幸福を与える者」を意味し、シヴァの持つやさしい一面を反映している。このシャンカラという名前は、シャンカラ・アーチャーリヤ(Shankaracharya)としても知られるヴェーダーンタ学派の偉大な哲学者シャンカラ(788-820)が名祖となっている。シャムブー(Śambhu、शम्भु、自ずから輝く者)という異名もまた温和な一面を反映する。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "シヴァは禁欲的なヨーギー(英語版)として描かれ、同時に一家の主としての顔も持つ。本来両者はヒンドゥー教社会においては相いれない存在である。シヴァがヨーギーとして描かれる場合、シヴァは通常座り、瞑想をしている姿で表現される。シヴァの異名のひとつである「マハーヨーギー」(Mahāyogi、偉大なヨーギー)は彼とヨーガとの関係を物語っている。ヴェーダ時代(紀元前1500年-紀元前600年頃)の信仰は主に捧げものによる儀式を通して行われていたと考えられており、タパス(苦行)、ヨーガ、禁欲主義が重要な意味を持つようになったのはそれより後の、叙事詩が編纂される時代である。シヴァが世間を離れ禁欲的に瞑想に耽る姿で描かれるようになったことには、こういったヴェーダ時代後の宗教観が反映されている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "シヴァには妻パールヴァティと2人の息子、ガネーシャとカールッティーケーヤ(スカンダ)がおり、家族の一員であり一家の主としての顔を持つ。シヴァの異名である「ウマーパティ」(Umāpati、ウマーの夫)はそんなシヴァの一面を表している。シヴァ・サハスラナーマにはさらに「ウマーカーンタ」(Umākānta)、「ウマーダーヴァ」(Umādhava)という名前に触れられており、シャルマはこれらも「ウマーパティ」と同様の意味で用いられているとしている。叙事詩に登場するウマーは多くの意味で知られており、温和なパールヴァティの異名のひとつでもある。シヴァの息子ガネーシャは障害を取り除く神として、物事を始めるための神としてインド全土、ネパールで広く信仰されている。カールッティーケーヤは南インド、特にタミル・ナードゥ州、ケーララ州、カルナータカ州で良く信仰される。カールッティーケーヤにも様々な異名があり、南インドではスブラマニア(Subrahmanya)、ムルガン(Murugan)など、北インドではスカンダ、クマラ(Kumara)、カールッティーケーヤなどと呼ばれる。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "地方の土着の神々がシヴァの息子として語られる例がある。例えば、シヴァはモーヒニー(英語版)の美しさと魅力に絆されてモーヒニーとの間に子をもうけ、その結果シャスタ(英語版)が生まれた。このシャスタは土着の神であるアイヤッパ(英語版)、アイヤナル(英語版)と同一視される。また蛇の女神マナサーやアショーカスンダリ(英語版)がシヴァの娘であると語られることもある。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ナタラージャ(naṭarāja、踊りの王)という形で表現されるシヴァも広く受け入れられている。「ナルタカ」(Nartaka、踊り手)とニチャナルタ(Nityanarta、永遠の踊り手)という名前もシヴァ・サハスラナーマに紹介されている。シヴァと踊り、シヴァと音楽とのつながりが顕著になるのはプラーナ文献の時代(4世紀から14世紀)である。特徴的なナタラージャのポーズの他にもインド各地で様々な踊りの形(nṛtyamūrti、リチャムールタ)が見られ、タミル・ナードゥ州では特によく体系化されている。ダンスの形で最も有名なものとして、ターンダヴァ(英語版)とラースヤ(英語版)が挙げられる。世界の破壊が必要になった時にはシヴァ(マハーカーラ)が舞うターンダヴァと、パールヴァティの踊るラースヤ、優美で繊細で穏やかな感情が特徴的な女性の舞踊によって、世界の破壊が遂行される。ラースヤは女性的な踊りとしてターンダヴァと対を成す。ターンダヴァとラースヤは世界の破壊と再生に結び付けて考えられる。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ダクシナムルティ(英語版)(Dakṣiṇāmūrti)という様相は教師(グル)としてシヴァを表現している。この形ではシヴァをヨーガの、そして音楽の、知識の教師として、シャーストラについて議論を繰り広げる論客として表現する。インド芸術の中にシヴァを描くこの習慣はほとんどがタミルナードゥ州(南インド)を起源としている。ダクシナムルティではシヴァは鹿の玉座に座り、シヴァの教えに傾聴するリシ(賢者)たちに囲まれた姿で描かれる。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "アルダナーリーシュヴァラはシヴァの体の半分を男性として、のこり半分を女性として描く。エレン・ゴールドバーグ(Ellen Goldberg)は、アルダナーリーシュヴァラという語は「半男、半女」ではなく、「半分が女性の王」と翻訳するのがふさわしいとしている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "シヴァはアスラたちの三重構造の要塞トリプラに向かって弓を構える姿で描写されることがある。シヴァの異名のひとつである「トリプランタカ(英語版)」(トリプラを終わらせる者)はこの物語が由来となっている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "人の姿での表現のみならず、シヴァはリンガ(英語版)(リンガムとも)という形に象徴化される。リンガの形は様々である。一般的なものでは、ヨーニ(英語版)と呼ばれる注ぎ口が付いた円盤上のオブジェクトの真ん中から、円柱が垂直にそそり立つという形をしている。このヨーニは女神シャクティを象徴化している。シヴァを祀る寺院であれば通常リンガは寺院内の聖所に置かれ、牛乳、花、花びら、果物、葉っぱ、お米などが捧げられる。モニエル・ウィリアムズ、ユディット・グリーンバーグ(Yudit Greenberg)らによれば、リンガは字義をとれば「印」、「符号」、「紋」に翻訳され、また、「それによって何か他の物が存在することを確かに推測できる印」を意味する。すなわちシヴァという存在に象徴されている、自然界に備わっている、神聖な再生の力を暗示するとする。ウェンディー・ドニガー(英語版)をはじめとする一部の学者は、リンガは単純にファルスを象徴化したものに過ぎないとするが、ヴィヴェーカーナンダ、シヴァナンダ・サラスヴァティ(英語版)、バラガンガダーラ(英語版)らはこの評価に反対の立場をとる。M・ヴィンテルニッツは、リンガの象徴するものは単純に、シヴァに内在する自然のもつ生産と創造の原則であり、歴史の中に猥褻な性器信仰の存在した痕跡は認められないとしている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "リンガ信仰の由来を辿ると『アタルヴァ・ヴェーダ』(紀元前1200年-紀元前1000年)に収録されている賛歌にまで遡る。ユパ・スタンバ(Yupa-Stambha)、儀式のための柱を称える歌であり、始まりも終わりもないスタンバ(Stambha)あるいはスカンバ(Skambha)という記述がみられ、これは、このスタンバが永遠のブラフマンの象徴として建てられていることを示している。ちょうどヤジナ(英語版)(儀式)の火が、煙が、灰が、炎が、ソーマが、このヴェーダの儀式に用いられる薪を運ぶのに使われた牛が輝かしいシヴァの体に、彼の褐色のもつれた髪に、青い喉に、シヴァの乗り物としての牛に置き換えられたように、ユパ・スタンバはやがてシヴァ・リンガに置き換えられた。『リンガ・プラーナ』では同じ賛歌が偉大なスタンバの栄光とマハーデーヴァの優位性を確立するためのストーリーに展開される。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "シヴァの象徴として作られたもので現存する最も古いリンガは紀元前3世紀に作られたものでグディマラム(英語版)村に見つかっている。シヴァ派の巡礼の習慣ではインド各地に散らばる主要な12のシヴァ寺院をジョーティルリンガ(英語版)(光のリンガの意)と呼ぶ。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "「5」はシヴァと結び付けられて考えられる神聖な数字になる。シヴァのマントラの中でも最も重要なもののひとつ、「ナマ・シヴァーヤ(英語版)」(namaḥ śivāya)も5音節である。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "シヴァの体はパーンチャブラフマンス(pañcabrahmans)と呼ばれる5つのマントラから成ると言われている。これら5つはそれぞれ神という形をとり、名前と偶像上の特徴を持っている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "これらはシヴァの5つの顔として表現され、また様々な文献にて5つの要素、5つの感覚、5つの知覚の器官、5つの活動の感覚器官と結び付けられている。教義の違いによって、あるいはもしかすると伝達の失敗から、これらの5つの顔がどの特性と結び付けられているのかに関してはバリエーションが存在する。全体としての意味合いはクラムリッシュによって以下のように要約されている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "『パーンチャブラフマ・ウパニシャッド(英語版)』には以下のように語られている。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "プラーナ文献には時折「アンシュ」(ansh)という言葉が現れる。これは「一部」という意味で、同時にシヴァのアヴァターラ(化身)を意味する言葉である。しかしこの「アンシュ」がシヴァのアヴァターラを意味するというアイデアはシヴァ派の中でも全体に受け入れられているわけではない。『リンガ・プラーナ』に語られるシヴァの姿形は合計で28種類に及び、そのうち何回かはアヴァターラとして語られる。しかしこういう表現は全体から見ると稀で、シヴァ派の信仰の中でシヴァのアヴァターラが語られることは珍しい。これは「ヴィシュヌのアヴァターラ」というコンセプトをことさら強調するヴィシュヌ派とは対照的である。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "いくつかのヴィシュヌ派の文献では、敬意をもってシヴァと神話の中の登場人物とをリンクさせている。例えば、『ハヌマン・チャーリーサ(英語版)』(賛歌)ではハヌマーンはシヴァの11番目のアヴァターであるとされている。『バーガヴァタ・プラーナ(英語版)』、『ヴィシュヌ・プラーナ(英語版)』ではリシ、ドゥルヴァーサがシヴァの一部であると語られている。中世の著述家たちの中には不二一元論で知られる哲学者シャンカラをシヴァの生まれ変わりであるとする者もいる。", "title": "偶像や神話に見られる描写" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "マハー・シヴァラートリーは毎年開催されるシヴァのお祭りである。太陰暦で毎月の13日の夜と14日に「シヴァラートリー」が行われるが、1年に一度、太陽暦の2月か3月、春の訪れの前に「マハー・シヴァラートリー」(偉大なシヴァの夜の意)が開催される。", "title": "祭り" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "マハー・シヴァラートリーはヒンドゥー教の主要な祭礼のひとつであり、厳粛な性格のものである。宗教的には、この祭りには世界と人生に存在する「暗闇と無知の克服」を心に刻むという意味があり、シヴァの神格と人々の信仰といった両極性について瞑想する日でもある。シヴァに関係する詩が詠唱され、祈りがささげられ、シヴァが心にとどめられ、断食とヨーガが実践され、自制、誠実さ、非暴力、寛容、内省と懺悔、そしてシヴァへの到達についての瞑想が行われる。熱心な信者は夜を徹する。そうでない者はシヴァの寺院を訪れたり、ジョーティルリンガ(主要な12のシヴァ寺院)を巡礼する。寺院を訪れた者は牛乳、果物、花、葉っぱ、甘味をリンガに捧げる。コミュニティによっては、シヴァが踊りの神であることにちなみ、ダンスイベントを開催する。コンスタンス・ジョーンズ(Constance Jones)とジェームズ・リャン(James D. Ryan)によればマハー・シヴァラートリーの起源は古代ヒンドゥー教の祝祭まで、おそらく5世紀頃までさかのぼる。", "title": "祭り" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "シヴァにまつわる地域のお祭りとしてはマドゥライのチッティライ祭が挙げられる。これは4月か5月に開催され、南インドでは最大級のお祭りとなり、ミナクシ(英語版)(パールヴァティの化身)とシヴァの結婚を祝う。ヴィシュヌが彼の女兄弟であるミナクシをシヴァに嫁がせたという背景があるため、この祭りはヴィシュヌ派とシヴァ派がともに祝うものとなっている。また、ディーワーリー(新年の祭り)の期間にタミルナードゥ州のシヴァ派コミュニティはカールティッカイ・デーパム(Karttikai Deepam)という祭りでシヴァとムルガン(スカンダの異名、シヴァの息子)に祈りを捧げる。", "title": "祭り" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "シャクティ派の祝祭にも、最高神である女神とともにシヴァを信仰する祭り、例えば女神アンナプールナ(英語版)に捧げられるアンナクタ(Annakuta)祭や、その他ドゥルガーに関するお祭りがいくつか存在する。ネパールやインド北部、中部、西部などヒマラヤに近い地域では雨季に女性が中心となってティージ(英語版)祭が開催される。パールヴァティを称える祭りであり、パールヴァティ・シヴァ寺院に集まりみんなで歌い、踊り、そして祈りがささげられる。", "title": "祭り" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "かつては、イスラム教の支配の広がった時代に戦士となった苦行者など、現代でもシヴァに関係するヴェーダやタントリズムの信仰から派生した禁欲主義者、苦行者など(サンニヤーシ、サドゥら)がクンブ・メーラという祝祭を祝う。この祭りは4つの場所で12年に1度ずつ、それぞれ3年ずつ時期をずらして開催される。つまり3年に1度どこかでクンブ・メーラが開催される。プラヤーグ(イラーハーバード)で行われるものが最も大きなクンブ・メーラとなり、数100万人に及ぶ様々な宗派のヒンドゥー教徒がガンジス川とヤムナー川の合流地点に集まる。伝統的にシヴァを信仰する禁欲派の戦士(ナーガ)達が最初に川に入り、沐浴と祈祷を行うという栄誉に与っている。", "title": "祭り" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "シヴァは(仏教の)密教にも登場し、彼はウパーヤとして、シャクティはプラジュニャーとして描かれている。(仏教の)密教の宇宙観ではシヴァは受動的に描かれ、逆にシャクティが能動的に描かれている。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "シク教の聖典、グル・グラント・サーヒブに収録されるジャプジ・サーヒブ(英語版)(祈り)には「グル(指導者)はシヴァであり、グルはヴィシュヌとブラフマーである。グルはパールヴァティとラクシュミーである」という一節がある。同じ章には「シヴァが語る。シッダ(Siddha、達した者)らが耳を傾ける。」ともある。また別の聖典、ダサム・グラント(英語版)ではグル・ゴービンド・シングがルドラの2つのアヴァターラについて触れている。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "シヴァ信仰はエフタル(遊牧国家)とクシャーナ朝を通して中央アジアに広まった。ザラフシャン川沿いのパンジケントの壁画からはソグディアナやホータン王国でもシヴァ派の信仰が盛んだったことが示されている。この壁画ではシヴァは後光をバックにヤジノパヴィタ(Yajnopavita、肩から下げる聖紐)を身に着け、虎の毛皮を身にまとった姿で描かれるが、この壁画では彼の眷属らはソグディアナの民族衣装を身に着けている。ダンダン・ウィリクで見つかった羽目板にはトリムルティの1柱として描かれるシヴァにシャクティが跪く姿が描かれている。またタクラマカン砂漠にも4つの足をもつシヴァが、2頭の牛が支える玉座に足を組んで座る様子が描かれた(壁画)が存在する。加えてゾロアスター教の風の神ヴァーユ・ヴァータ(英語版)がシヴァの特徴を受け継いでいる点も注目に値する。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "インドネシアではシヴァはバタラ・グル(英語版)として崇拝される。バタラ・グルはムラジャディ・ナ・ボロン(インドネシア語版)の妻、マヌク・パティアラジャ(インドネシア語版)が産んだ卵から最初に孵化した子供であるとされ、このシヴァのアヴァターラは同様にマレーシアでも信仰される。インドネシアのヒンドゥー教ではシヴァはマハーデーワ(Mahadewa)としても信仰されている。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "日本の七福神の1柱である大黒天はシヴァから発展した神格であると考えられている。日本では屋敷神として祀られ、財と幸運の神として信仰を集めている。「大黒天」という名前はマハーカーラの漢訳である。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "新興宗教のオウム真理教ではシヴァを「シヴァ大神」と位置付け、全ての根本神とした。", "title": "ヒンドゥー教以外での受容" } ]
シヴァは、ヒンドゥー教の神である。現代のヒンドゥー教では最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では最高神に位置付けられている。 トリムルティ(ヒンドゥーの理論の1つ)ではシヴァは「破壊/再生」を司る様相であり、ブラフマー、ヴィシュヌとともに3柱の重要な神の中の1人として扱われている。また、シヴァ派では世界の創造、維持、再生を司る最高神として位置づけられている。デーヴィ(ヒンドゥーの女神)らを重視するシャクティ派では女神らが最高神として位置づけられている一方で、シヴァもヴィシュヌ、ブラフマーとともに崇拝の対象となっている。このシャクティ派では女神らがシヴァやそれぞれの神の根源であると考えられており、パールヴァティー(女神)がシヴァに対応する相互補完的なパートナーであるとされている。スマールタ派のパンチャヤタナ・プージャ(儀式)ではシヴァは礼拝の対象となる5柱の中の1人に数えられる。 最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、不変絶対のブラフマンであり、同時に世界の根源的なアートマン(自我、魂)であると語られる。シヴァに関する神話では慈悲深い様を示す描写がある一方で、対照的に恐ろしい性質を見せるエピソードも多く語られ、曖昧さとパラドックスの神などとも表現される。また、アディヨーギー・シヴァ(Adiyogi、第一の修行者)とも呼ばれ、ヨーガ、瞑想、芸術の守護神でもある。 偶像上のシヴァの特徴としては、額の第三の目、首に巻かれた蛇、三日月の装飾具、絡まる髪の毛から流れるガンジス川、武器であるトリシューラ(三叉の槍)、ダマル(太鼓)が挙げられる。シヴァは通常リンガという形に象徴化され信仰される。また、シヴァは地域によらずインド、ネパール、スリランカなど全土で信仰されている。
{{混同|シーヴァ|シヴァ (俳優)}} {{Infobox deity | type = Hindu | image = Murudeshwar Shiva.jpg | image_size = 250px | alt = | caption = [[結跏趺坐]]の破壊神、シヴァ。 | Devanagari = शिव | Sanskrit_Transliteration = {{IAST|Śiva}} | mantra = {{仮リンク|オーム・ナマ・シヴァーヤ|en|Om Namah Shivaya}} | deity_of = [[創造]]、[[破壊]]、[[再生]]、[[瞑想]]、[[芸術]]、[[ヨーガ]]、[[解脱]]の[[神]] | affiliation = [[ブラフマン]]([[シヴァ派]])<br />[[三神一体|トリムルティ]]、[[デーヴァ]] | weapons = [[トリシューラ]] | symbols = {{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}} | consorts = [[パールヴァティー]]<!--{{仮リンク|アディ・パラシャクティ|en|Adi parashakti}}--> | children = [[スカンダ]]<br />[[ガネーシャ]] | abodes = [[カイラス山]] | mount = [[ナンディン]] | festivals = [[マハー・シヴァラートリー]] }} {{Hinduism}} {{インド系文字}} '''シヴァ'''({{IPAc-en|ˈ|ʃ|i|v|ə}}; [[サンスクリット]]: {{翻字併記|sa|'''शिव'''|Śiva|N}}、「吉祥者」、「吉祥ある者」の意)は、[[ヒンドゥー教]]の[[神]]である。現代のヒンドゥー教では最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特に[[シヴァ派]]では最高神に位置付けられている<ref name="Flood 1996, p. 17">{{Harvnb|Flood|1996|pp=17, 153}}</ref><ref>Tattwananda, p. 45.</ref>。 [[三神一体|トリムルティ]](ヒンドゥーの理論の1つ)ではシヴァは「破壊/再生」を司る様相であり、[[ブラフマー]]、[[ヴィシュヌ]]とともに3柱の重要な神の中の1人として扱われている<ref name="Zimmer 1972 p. 124">Zimmer (1972) p. 124.</ref><ref>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 212-226</ref>。また、[[シヴァ派]]では世界の創造、維持、再生を司る最高神として位置づけられている{{Sfn|Arvind Sharma|2000|p=65}}{{Sfn|Issitt|Main|2014|pp=147, 168}}{{Sfn|Flood|1996|p=151}}。[[デーヴィー (インド神話)|デーヴィ]](ヒンドゥーの[[女神]])らを重視する[[シャクティ派]]では女神らが最高神として位置づけられている一方で、シヴァもヴィシュヌ、ブラフマーとともに崇拝の対象となっている。このシャクティ派では女神らがシヴァやそれぞれの神の根源であると考えられており、[[パールヴァティー]](女神)がシヴァに対応する相互補完的なパートナーであるとされている{{Sfn|David Kinsley|1988|p=50, 103-104}}{{Sfn|Tracy Pintchman|2015|pp=113, 119, 144, 171}}。[[スマールタ派]]の{{仮リンク|パンチャヤタナ・プージャ|en|Panchayatana puja}}(儀式)ではシヴァは礼拝の対象となる5柱の中の1人に数えられる<ref name="Flood 1996, p. 17" />。 最も賞揚される文脈では、シヴァは形の無い、無限の、超越的な、不変絶対の[[ブラフマン]]であり<ref name="Stella_param">{{Harvnb|Kramrisch|1981| pp=184–188}}</ref>、同時に世界の根源的な[[アートマン]](自我、魂)であると語られる<ref name="Davis_param">Davis, pp. 113-114.</ref>{{Sfn|William K. Mahony|1998|p=14}}{{Sfn|Arvind Sharma|2000|p=65}}。シヴァに関する神話では慈悲深い様を示す描写がある一方で、対照的に恐ろしい性質を見せるエピソードも多く語られ、曖昧さとパラドックスの神などとも表現される{{sfn|Flood|1996|p=150}}。また、アディヨーギー・シヴァ(Adiyogi、第一の修行者)とも呼ばれ、[[ヨーガ]]、[[瞑想]]、芸術の守護神でもある<ref name=Shiv_samhita>Shiva Samhita, e.g. translation by Mallinson.</ref><ref name=Varenne>Varenne, p. 82.</ref><ref>Marchand for Jnana Yoga.</ref>。 [[偶像]]上のシヴァの特徴としては、[[額]]の{{仮リンク|第三の目|en|third eye}}、[[首]]に巻かれた[[蛇]]、[[三日月]]の[[装飾具]]、絡まる[[髪の毛]]から流れる[[ガンジス川]]、[[武器]]である[[トリシューラ]]([[三叉槍|三叉の槍]])、{{仮リンク|ダマル|en|damaru}}([[太鼓]])が挙げられる。シヴァは通常{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}という形に象徴化され信仰される<ref name=Fuller>Fuller, p. 58.</ref>。また、シヴァは地域によらず[[インド]]、[[ネパール]]、[[スリランカ]]など全土で信仰されている{{Sfn|Flood|1996|p=17}}<ref name="Keayxxvii">Keay, p.xxvii.</ref>。 == 名前 == {{Main|{{仮リンク|シヴァ・サハスラナーマ|en|Shiva Sahasranama}}}} [[ファイル:Siva With Moustache From Archaeological Museum GOA IMG 20141222 122455775.jpg|thumb|200px|{{仮リンク|ムカリンガ|en|mukhalinga}}(シヴァの顔が彫られた{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}})。髭を蓄えるシヴァが描かれている。]] サンスクリット語の「シヴァ」(Śiva、{{Lang|sa|शिव}})という単語がシヴァ神の名前の由来であると広く受け入れられている。[[モニエル・モニエル=ウィリアムズ|モニエル=ウィリアムズ]]によれば「シヴァ」という語は「吉祥な」、「好都合な」、「慈悲深い」、「親切な」、「友好的な」という意味を持つ<ref name=mmwshiva>Monier Monier-Williams (1899), [http://www.ibiblio.org/sripedia/ebooks/mw/1100/mw__1107.html Sanskrit to English Dictionary with Etymology], Oxford University Press, pages 1074-1076</ref>。[[民間語源]]を辿ると「シヴァ」の「シ」は「内に全てを擁するもの、遍く広がる様」を意味し、「ヴァ」は「優雅さを体現する物」を意味する<ref name=mmwshiva/><ref>{{Cite book|author=Karen Pechilis Prentiss|title=The Embodiment of Bhakti|url=https://books.google.com/books?id=Vu95WgeUBfEC&pg=PA199|year=2000|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-535190-3|page=199}}</ref>。この「シヴァ」は[[リグ・ヴェーダ]]では[[形容語句|添え名]]として使われており、例えば[[ルドラ]]など、いくつかの{{仮リンク|リグ・ヴェーダの神|en|Rigvedic deities|label=神}}の形容辞となっている<ref>For use of the term ''{{IAST|śiva}}'' as an epithet for other Vedic deities, see: Chakravarti, p. 28.</ref>。こういった「シヴァ」という語の形容詞的用法は[[ヴェーダ]]時代の様々な文献にて、多くの神々に対して適用されている例を見ることができる<ref name=mmwshiva/>{{Sfn|Chakravarti|1986|pp=21-22}}。つまりヴェーダ時代には「ルドラ・シヴァ」というような形容詞的な使われ方をしていた「シヴァ」という語が、後の時代には名詞の「シヴァ」、すなわち創造、再生、破壊を司る縁起の良い神、シヴァ神へと発展している<ref name=mmwshiva/>{{Sfn|Chakravarti|1986|pp=1, 7, 21-23}}。 {{仮リンク|ラム・カラン・シャルマ|en|Ram Karan Sharma}}は語源に関する異説としてサンスクリット語の「シャルヴ」(śarv-)を挙げている。これは「傷つけること、殺すこと」という意味を持っており<ref>For root ''{{IAST|śarv}}-'' see: Apte, p. 910.</ref>、従ってシャルマによればシヴァ神の名前は「闇の軍勢を打ち倒す者」という意味を含んでいる{{Sfn|Sharma| 1996| p=306}}。 サンスクリット語の「シャイヴァ」({{IAST|śaiva}})は「シヴァに関する物」を意味する言葉であり、ヒンドゥー教主流派のひとつであるシヴァ派(शैव पंथ、Śaiva Paṁtha)及びその信者を表す名詞にもなっている<ref>Apte, p. 927</ref>。同様にシヴァに関係する信仰や儀式を特徴づける形容詞としても使われる<ref>For the definition "Śaivism refers to the traditions which follow the teachings of {{IAST|Śiva}} (''{{IAST|śivaśāna}}'') and which focus on the deity {{IAST|Śiva}}... " see: Flood (1996), p. 149.</ref>。 [[専門家]]の中には[[タミル語]]の「シヴァップ」(śivappu)にシヴァ神の名前の由来を求めるものもいる。「シヴァップ」は「赤」を意味しており、これはシヴァ神が太陽(タミル語でシヴァン、śivan)と結び付けて考えられること、およびリグ・ヴェーダにてルドラ神が「バブルー」(Babhru、茶色、あるいは赤の意)と呼ばれていることを根拠としている<ref>{{Cite book|last1=van Lysebeth|first1=Andre|title=Tantra: Cult of the Feminine|date=2002|publisher=Weiser Books|isbn=9780877288459|page=213|url=https://books.google.com/books?id=R4W-DivEweIC&pg=FA213&}}</ref><ref>{{Cite book|last1=Tyagi|first1=Ishvar Chandra|title=Shaivism in Ancient India: From the Earliest Times to C.A.D. 300|publisher=Meenakshi Prakashan|year=1982| page=81| url=https://books.google.com/books?id=WH3XAAAAMAAJ&}}</ref>。{{仮リンク|ヴィシュヌ・サハスラナーマ|en|Vishnu sahasranama}}(ヴィシュヌ神の賛歌)ではシヴァ神に、例えば「純粋な者」、「[[プラクリティ]]の{{仮リンク|グナ (ヒンドゥー教)|en|Guṇa|label=グナ}}の影響を受けぬ者{{refn|group="注"|ブラクリティ: 物質世界; グナ: プラクリティを構成する要素、すなわちサットヴァ、ラジャス、タマス;}}」など複数の意味を与えている<ref>Sri Vishnu Sahasranama, Ramakrishna Math edition, pg.47 and pg. 122.</ref><ref>Swami Chinmayananda's translation of Vishnu sahasranama, p. 24, Central Chinmaya Mission Trust.</ref>。 シヴァは「マハーデーヴァ」、「[[マヘーシュヴァラ]]」、「トリローチャナ」など多くの異名を持つことで知られている{{refn|group=注|例えばヴィシュワナタン(宇宙の王)、マハーデーヴァ、マヘーシャ、マヘーシュヴァラ、シャンカラ、シャムブー、ルドラ、ハラ、トリローチャナ、デヴェンドラ(神々の長)、ニーラカンタ、スバンカラ、トリロキナータ(三界の王)<ref name=Manmatha>For translation see: Dutt, Chapter 17 of Volume 13.</ref><ref name=Kisari>For translation see: Ganguli, Chapter 17 of Volume 13.</ref><ref name=Chidbhav>Chidbhavananda, "Siva Sahasranama Stotram".</ref>、グルネシュワル(慈悲の王)<ref>{{Cite book | last = Lochtefeld | first = James G. | title = The Illustrated Encyclopedia of Hinduism: A-M | year = 2002 | publisher=Rosen Publishing Group | isbn=0-8239-3179-X | page=247 | url=https://books.google.com/books?id=5kl0DYIjUPgC}}</ref>などが挙げられる。}}。シヴァ派におけるシヴァ神の最高神としての位置づけは「マハーデーヴァ」(Mahādeva、偉大な神)<ref name="Kramrisch, p. 477">Kramrisch, p. 477.</ref><ref name="Sharma 1996 299">For appearance of the name in the Shiva Sahasranama see:{{Harvnb|Sharma|1996|p=299}}</ref>、マヘーシュヴァラ(Maheśvara、偉大な王)<ref name="Kramrisch, p. 477"/><ref name="Sharma 1996 299"/>、{{仮リンク|パラメーシュヴァラ|en|Parameshwara (God)}}(Parameśvara、至高の王)<ref>For {{IAST|Parameśhvara}} as "Supreme Lord" see: Kramrisch, p. 479.</ref>といった異名に反映されている。 [[中世]]のインドの文献には{{仮リンク|サハスラナーマ|en|Sahasranama}}(千の名前の意)というジャンルがあり、それぞれの神の性質に由来する異名や添え名を集めている<ref name="mmwsahasran">Sir Monier Monier-Williams, ''sahasranAman'', A Sanskrit-English Dictionary: Etymologically and Philologically Arranged with Special Reference to Cognate Indo-European Languages, Oxford University Press (Reprinted: Motilal Banarsidass), ISBN 978-8120831056</ref>。シヴァのサハスラナーマに関しては少なくとも8つのバージョンが確認されており、多くのシヴァの異名が{{仮リンク|賛歌 (ヒンドゥー教)|en|Stotra|label=賛歌}}形式にまとめられている<ref>{{Harvnb|Sharma|1996|p=viii-ix}}</ref>。[[マハーバーラタ]]の13巻、{{仮リンク|アヌシャーサナ・パルヴァ|en|Anushasana Parva}}にもサハスラナーマが含まれている<ref>This is the source for the version presented in Chidbhavananda, who refers to it being from the Mahabharata but does not explicitly clarify which of the two Mahabharata versions he is using. See Chidbhavananda, p. 5.</ref>。マハニヤーサ(Mahanyasa)にはシヴァのダシャー・サラスラナーマ(万の名前の意)が存在する。 == シヴァの歴史 == {{Main|[[シヴァ派|シヴァ派の歴史]]}} シヴァに関わる神話や習慣といった伝統はヒンドゥー教の中で大きな位置を占めており、インド、ネパール、スリランカ{{Sfn|Flood|1996|p=17}}<ref name="Keayxxvii" />、[[インドネシア]]([[バリ・ヒンドゥー]])と<ref>{{Cite book|author=James A. Boon|title=The Anthropological Romance of Bali 1597-1972|url=https://books.google.com/books?id=AzI7AAAAIAAJ |year=1977|publisher=Cambridge University Press|isbn=978-0-521-21398-1|pages=143, 205}}</ref>ヒンドゥー文化圏の各地で信仰を集める。しかしシヴァのルーツに関してははっきりしておらず、議論が残っている。 === ビームベートカーの壁画 === {{main|ビームベートカーの岩陰遺跡}} 考古学者{{仮リンク|ヤショーダル・マトパル|en|Yashodhar Mathpal}}やアリ・ジャヴィッド(Ali Javid)らは[[ビームベートカーの岩陰遺跡]]の先史時代の[[壁画]]に描かれているものが、踊っているシヴァであり{{Refn|group="注"|シヴァは踊りの神でもある。}}、シヴァのトリシューラ(三叉の槍)であり、彼の[[ヴァーハナ]](乗り物とされる動物)の[[ナンディン]]であると解釈している<ref name="Javidd2008">{{Cite book|last=Javid| first= Ali|title=World Heritage Monuments and Related Edifices in India|url=https://books.google.com/books?id=54XBlIF9LFgC&pg=PA21&|date=January 2008|publisher=Algora Publishing|isbn=978-0-87586-484-6|pages=20–21}}</ref><ref name="Mathpal1984">{{Cite book|last=Mathpal|first=Yashodhar|authorlink=Yashodhar Mathpal|title=Prehistoric Rock Paintings of Bhimbetka, Central India|url=https://books.google.com/books?id=GG7-CpvlU30C&pg=FA220|year=1984|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-193-5|page=220}}</ref>。これらの壁画は[[放射性炭素年代測定]]によって紀元前1万年以前のものであると見積もられている<ref>{{Citation | title=A Survey of Hinduism, 3rd Edition | author=Klaus K. Klostermaier | authorlink = Klaus Klostermaier | year=2007 | isbn=978-0-7914-7082-4 | publisher=State University of University Press | url=https://books.google.com/books?id=E_6-JbUiHB4C | pages=24–25| quote=''... prehistoric cave paintings at Bhimbetka (from ca. 100,000 to ca. 10,000 BCE) which were discovered only in 1967...''}}</ref>。しかしハワード・モーフィー(Howard Morphy)は動物に関する古代の壁画に関してまとめた著作の中で、ビームベートカーの件の壁画を、狩りをする集団と動物と解釈しており、そのうえ踊っている集団は様々に受け取ることができるとしている<ref>{{Cite book|author=Howard Morphy|title=Animals Into Art|url=https://books.google.com/books?id=XhchBQAAQBAJ |year=2014|publisher=Routledge|isbn=978-1-317-59808-4|pages=364–366}}</ref>。<!--ビンベットカは賛否どちらの意見も少なすぎる気がする--> === インダス文明 === {{Main|{{仮リンク|パシュパティの印章|en|Pashupati seal}}}} [[File:Yogi. Mold of Seal, Indus valley civilization.jpg|upright|thumb|200px|インダス谷の遺跡発掘の中で見つかった印章。[[結跏趺坐]]を組む[[ヨーギー]](修行者)、あるいはシヴァともとれる[[意匠]]は注目を集めた。]] インダス谷([[インダス文明]])の[[モヘンジョダロ]]の発掘で見つかった印章のひとつ(紀元前2500-2400年のもの<ref name="aaa">{{Cite web |url= http://www.nationalmuseumindia.gov.in/prodCollections.asp?pid=42&id=1|title= Pre-History & Archaeology |accessdate= 2016-12-02|author= National Museum, New Delhi (India)|publisher= National Museum, New Delhi (India) }}</ref>)は、シヴァの前身を思わせる人物が描かれており注目を集めた<ref name="Flood 1996, pp. 28-29">Flood (1996), pp. 28–29.</ref>。その印章には、角を生やし、あるいは角を形どった何かを身に着け、[[勃起]]した[[ファルス (性)|ファルス]]([[陰茎]])を誇っているようにも読み取れる<ref name="Figure 1 1996 p. 29">For a drawing of the seal see Figure 1 ''in'': Flood (1996), p. 29.</ref><ref>Singh, S.P., ''Rgvedic Base of the Pasupati Seal of Mohenjo-Daro''(Approx 2500-3000 BC), Puratattva 19: 19-26. 1989</ref><ref>Kenoyer, Jonathan Mark. ''Ancient Cities of the Indus Valley Civilization''. Karachi: Oxford University Press, 1998.</ref>人物が、動物に囲まれて[[結跏趺坐]]を組んでいるかのような様子が描かれており、[[モヘンジョダロ]]のパシュパティ(牛の王、獣の王{{Refn|group="注"|牛の王と獣の王<ref>For translation of ''{{IAST|paśupati}}'' as "Lord of Animals" see: Michaels, p. 312.</ref>の両義にとれる。またパシュパティはシヴァの異名のひとつである。}})と名付けられた<ref name="Figure 1 1996 p. 29" /><ref>{{Cite book| title = The Making of India: A Historical Survey| author = Ranbir Vohra| publisher = M.E. Sharpe| year = 2000| page = 15}}</ref><ref>{{Cite book| title = Ancient Indian Civilization| author = Grigoriĭ Maksimovich Bongard-Levin| publisher = Arnold-Heinemann| year = 1985| page = 45}}</ref><ref>{{Cite book| title = Essential Hinduism|author1=Steven Rosen |author2=Graham M. Schweig | publisher = Greenwood Publishing Group| year = 2006| page = 45}}</ref>。牛もファルスもヨーガも三日月もシヴァの持つ特徴である。(参考:[[#シヴァ像に共通する要素]]) 1920年代、考古学者の{{仮リンク|ジョン・マーシャル (考古学者)|en|John Marshall (archaeologist)|label=ジョン・マーシャル}}をはじめとする学者らはこの印章に描かれた人物がシヴァの前身ではないかと主張した<ref name="Srinivasan" /><!--孫引きである-->。マーシャルはこの人物は3つの顔を持っていて、足を組み、[[ヨーガ]]のポーズをとっていると解釈している<ref name="Srinivasan" /><!--孫引きである-->。一方で{{仮リンク|ギャビン・フラッド|en|Gavin Flood}}や{{Sfn|Flood|1996|pp=28-29}}{{Sfn|Flood|2003|pp=204-205}}、{{仮リンク|ジョン・ケイ (歴史学者)|en|John Keay|label=ジョン・ケイ}}といった研究者たちはこの主張に懐疑的な見解を示している。フラッドによれば、牛の角にも見える三日月の形などはシヴァの特徴を反映しているように思われるが、一方で印章の人物が3つの顔を持っているかどうか、ヨーガのポーズをとっているかどうかはっきりしないし、人物を表しているのかどうかも判然としない<ref name="Flood 1996, pp. 28-29" /><ref>Flood (2003), pp. 204–205.</ref>。ジョン・ケイは印章の人物がパシュパティ、すなわちシヴァ神の初期の姿である可能性は考えられるが、このデザインの持つ2つの特徴がルドラの持っている特徴と結びつかないと語っている<ref>{{Cite book|title=India: A History|publisher=Grove Press|author=John Keay|page=14}}</ref>{{Refn|group="注"|ジョン・ケイ曰く「禁欲と瞑想はルドラの特徴ではないし、牛以外の動物と関連づけられることもない」。}}。シヴァはシヴァになる前にルドラを経ていると考えられている。(参考:ルドラの項) 加えて{{仮リンク|ドリス・メス・スリニバサン|en|Doris Meth Srinivasan}}は1997年に<ref name="Srinivasan" />、{{仮リンク|グレゴリー・ポセル|en|Gregory Possehl}}も2002年に<ref name="Possehl" />否定的な意見を発表している。スリニバサンはマーシャルが人物であるとした印象のデザインを人でなく牛であり、おそらくは聖なるバッファロー・マンであると解釈している<ref name="Srinivasan">{{Cite book|last=Srinivasan|first=Doris Meth|title=Many Heads, Arms and Eyes: Origin, Meaning and Form in Multiplicity in Indian Art|year=1997|publisher=Brill|isbn=978-9004107588|p180-181}}</ref>。ポセルは印章の人物が神であり、[[水牛]]とつながりを持っていて、そして何らかの修行をしているところだという考えには賛同できるが、シヴァの前身とするのは無理がある、と結論づけている<ref name="Possehl">{{Cite book|last=Possehl|first=Gregory L. |authorlink=Gregory Possehl|title=The Indus Civilization: A Contemporary Perspective|url=https://books.google.com/books?id=XVgeAAAAQBAJ&pg=PA154|date=2002-11-11|publisher=Rowman Altamira|isbn=978-0-7591-1642-9|ref=harv|pages=140–144}}</ref>。 === インド=アーリア人の宗教 === {{Main|ディオニューソス}} シヴァの偶像に描かれる姿や神話に語られる特徴と、[[ギリシャ]]や[[ヨーロッパ]]の神々の持つ特徴との類似からは、シヴァ神と{{仮リンク|祖インド・ヨーロッパ人|en|Proto-Indo-Europeans}}とのつながりが<ref name=woodward60/><ref>{{Cite book|author=Alain Daniélou|title=Gods of Love and Ecstasy: The Traditions of Shiva and Dionysus|url=https://books.google.com/books?id=QDQK7l13WIIC |year=1992|publisher=Inner Traditions / Bear & Co|isbn=978-0-89281-374-2|pages=49–50}}, Quote: "The parallels between the names and legends of Shiva, Osiris and Dionysus are so numerous that there can be little doubt as to their original sameness".</ref>、あるいは古代[[中央アジア]]文化との横断的交流が指摘されている<ref>{{Cite book|author=Namita Gokhale|title=The Book of Shiva|url=https://books.google.com/books?id=pFN15nX9_zsC|year=2009|publisher=Penguin Books|isbn=978-0-14-306761-0|pages=10–11}}</ref><ref>Pierfrancesco Callieri (2005), [http://www.jstor.org/stable/29757637 A Dionysian Scheme on a Seal from Gupta India], East and West, Vol. 55, No. 1/4 (December 2005), pages 71-80</ref>。例えば恐ろしい姿に描かれたり、慈悲深さを示したりといったシヴァの持つ二面的な性質はギリシャの神、[[ディオニューソス]]に通じるものがある<ref>{{Cite journal | last=Long | first=J. Bruce | title=Siva and Dionysos: Visions of Terror and Bliss | journal=Numen | volume=18 | issue=3 | year=1971 | page=180 | doi=10.2307/3269768 }}</ref>。加えて両者には牛、蛇、怒り、勇猛さ、踊り、そして楽観的な性格といった共通点がみられる<ref name=flahertyds81/><ref>{{Cite book|author=Patrick Laude|title=Divine Play, Sacred Laughter, and Spiritual Understanding|url=https://books.google.com/books?id=cTDIAAAAQBAJ |year=2005|publisher=Palgrave Macmillan|isbn=978-1-4039-8058-8|pages=41–60}}</ref>。[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]の時代の複数の文献でシヴァを「インドのディオニューソス」と呼び、逆にディオニューソスを「オリエントの神」として言及している様子が確認できる<ref name=flahertyds81>Wendy Doniger O'Flaherty (1980), [http://www.jstor.org/stable/1062337 Dionysus and Siva: Parallel Patterns in Two Pairs of Myths], History of Religions, Vol. 20, No. 1/2 (Aug. - Nov., 1980), pages 81-111</ref>。同様にシヴァに見られるようなファルス(男性器)を象徴として扱う習慣は、ロジャー・ウッドワード(Roger Woodward)によれば[[アイルランド]]、[[ノルド]]、ギリシャ(すなわちディオニューソス<ref>{{Cite book|author1=Walter Friedrich Otto|author2=Robert B. Palmer|title=Dionysus: Myth and Cult|url=https://books.google.com/books?id=XCDvuoZ8IzsC&pg=PA164 |year=1965|publisher=Indiana University Press|isbn=0-253-20891-2|page=164}}</ref>)、[[ローマ]]の神々にも見られ、同様に初期の[[インド・アーリア人]]に見られる「天と地を結ぶ柱」{{Refn|group="注"|[[スタンバ]]のこと。リンガ信仰の項を参照。}}という形での象徴も各地に残っている<ref name=woodward60>{{Cite book|author=Roger D. Woodard|title=Indo-European Sacred Space: Vedic and Roman Cult|url=https://books.google.com/books?id=EB4fB0inNYEC |year=2010|publisher=University of Illinois Press|isbn=978-0-252-09295-4|pages=60–67, 79–80}}</ref>。一方ではインド=アーリア人を起源とする説に反対する意見もあり、彼らはアーリア人がインド亜大陸に侵入する以前の土着の信仰にシヴァの起源を求めている<ref>{{Cite book|author=Dineschandra Sircar|title=The Śākta Pīṭhas|url=https://books.google.com/books?id=I969qn5fpvcC&pg=PA3 |year=1998|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-0879-9|pages=3 with footnote 2, 102–105}}</ref>。 ===ヴェーダ時代のシヴァ=== 『[[リグ・ヴェーダ]]』では「シヴァ」という言葉を見つけることもできるが、これは単純に「慈悲深い、吉祥な」という意味での添え名として使われているにとどまり、ヴェーダ時代の様々な神に対して使われる修飾辞のうちのひとつである{{Sfn|Chakravarti|1986|p=28}}。一方、ヴェーダ時代の文献では天候に関係し、恐ろしい力を持つ[[ルドラ]]という神について言及されている。時代が下るにつれてこのルドラは形容詞の「シヴァ」をたびたび添えられるようになり、サンスクリット語の「シヴァ」はルドラを婉曲的に表現するための類義語としての機能を持つに至る{{Sfn|Cappeller|1891|p=548}}。そして『{{仮リンク|シヴァ・プラーナ|en|Shiva Purana}}』(10-11世紀)では、シヴァ神が語る言葉の中に「私の化身であるルドラ」という表現すら現れた。こうしてシヴァはルドラと同一視されていった<ref group="注">ヴェーダ神話の時代からヒンドゥー教神話の時代に移行しつつある時期に、ルドラがアスラの築いた3つの砦を1本の矢で破壊する物語が成立している。時代が下ると物語はやや変容し、アスラの築いた「三都」を矢で破壊するのはシヴァだとされた。詳細は「[[トリプラースラ]]」を参照。</ref>。 ====ルドラ==== {{main|ルドラ}} 現代のヒンドゥー教で知られているシヴァの特徴は、ヴェーダ時代のルドラの持つ特徴と多くが共通しており<ref name="Michaels, p. 316">Michaels, p. 316.</ref>、ヴェーダ神話に登場する暴風雨神ルドラがシヴァの前身と考えられている<ref name="菅沼編p159-160">『[[#インド神話伝説辞典|インド神話伝説辞典]]』 159-160頁。(シヴァ)</ref>。『リグ・ヴェーダ』(紀元前1700-1100年<ref>For dating based on "cumulative evidence" see: Oberlies, p. 158.</ref>)には1,028の賛歌が収録されているが、そのうちルドラに捧げられたものは3つにとどまり、この時代にはマイナーな神だった様子がうかがえる{{Sfn|Chakravarti|1986|p=3-4}}。 うなる嵐の神であるルドラは通常恐ろしい、破壊的な神という特徴に基づいて描写される<ref>Flood (2003), p. 73.</ref>{{Refn|group="注"|「うなる」はルドラの語源と考えられている<ref>Kramrisch, p. 5.</ref>。}}。こういった畏怖を感じさせる神は『リグ・ヴェーダ』においては異色で、チャクラヴァティはルドラが唯一の例だとしている{{Sfn|Chakravarti|1986|p=3-4}}。もともと「シヴァ」とは苛烈で容赦ない自然現象であり嵐にまつわる神ルドラの名を直接呼ばないための、「吉祥者」「吉祥な」を意味する形容詞であった<ref name="神の文化史事典p253">『[[#神の文化史事典|神の文化史事典]]』 253頁。(シヴァ)</ref>。その一方で『リグ・ヴェーダ』10巻の92詩ではルドラは荒っぽく、残酷な側面(ルドラ)と、慈悲深く穏やかな側面(シヴァ)の2つの性質を持つことが語られている<ref>{{Cite book|author=Stella Kramrisch|title=The Presence of Siva|url=https://books.google.com/books?id=O5BanndcIgUC |year=1993|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-01930-4|page=7}}</ref>。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は<ref>『[[#インド神話伝説辞典|インド神話伝説辞典]]』 352-354頁。(ルドラ)</ref>、後のシヴァにも受け継がれている<ref name="菅沼編p159-160" />{{Sfn|Chakravarti|1986|pp=2-3}}。 『[[ヤジュル・ヴェーダ]]』(紀元前1200-1000年)以降、ルドラは度々「シヴァ」(慈悲深い、吉祥な)と形容されるようになる。特に『ヤジュル・ヴェーダ』に収録されている{{仮リンク|シャタルドリヤ|en|Shri Rudram Chamakam}}{{Refn|group="注"|ルドラに捧げられた賛歌。名前を集めた賛歌としては初期のものになる<ref>For the {{IAST|Śatarudrīya}} as an early example of enumeration of divine names, see: Flood (1996), p. 152.</ref>。}}ではルドラに対して100に及ぶ添え名、異名が与えられ礼賛されており<ref>For an overview of the ''Śatarudriya'' see: Kramrisch, pp. 71-74.</ref><ref>For complete Sanskrit text, translations, and commentary see: Sivaramamurti (1976).</ref>、この頃を境にルドラが存在感を増している様子がうかがえる{{Sfn|Chakravarti|1986|p=7}}。また、ここでは「遍在する神」という、後のシヴァ神とも通ずる性質も描かれている{{Sfn|Chakravarti|1986|p=7}}。ヴェーダ時代の文献ではまだルドラに関して牛やその他の動物を[[ヴァーハナ]](乗り物)としているような記述は見られないが、ヴェーダ後のたとえば『マハーバーラタ』(紀元前9-8世紀)やプラーナ文献(およそ3-10世紀)などでは[[ナンディン]]が特にルドラとシヴァのヴァーハナであると言及されており、彼らは明確に同じ神格として結び付けられている<ref>{{Cite book|author=Stella Kramrisch|title=The Presence of Siva|url=https://books.google.com/books?id=O5BanndcIgUC |year=1993|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-01930-4|pages=14–15}}</ref>。こうしてシヴァは、最終的に破壊と創造を司り、恐ろしくも穏やかな、そしてすべての存在を再生し賦活する神としての発展を遂げている{{Sfn|Chakravarti|1986|pp=1-9}}。 ==== アグニ ==== {{main|アグニ}} {{仮リンク|シヴァラーマムルティ|en|C. Sivaramamurti}}やクラムリッシュは、ルドラと火の神[[アグニ]]との深い関連を指摘している<ref>For general statement of the close relationship, and example shared epithets, see: Sivaramamurti, p. 11.</ref><ref>For an overview of the Rudra-Fire complex of ideas, see: Kramrisch, pp. 15-19.</ref>。後にルドラ・シヴァという神格へと徐々に発展していくルドラの過程を語る上で、アグニとルドラの同一性は重要な意味を持ってくる<ref>For quotation "An important factor in the process of Rudra's growth is his identification with Agni in the Vedic literature and this identification contributed much to the transformation of his character as {{IAST|Rudra-Śiva}}." see: Chakravarti, p. 17.</ref>。アグニとルドラの同一性は[[ニルクタ]]にて明確に言及されている。ニルクタはサンスクリット語の語源について書かれた初期の文献で<!--語弊あり?-->、そこにはアグニはルドラとも呼ばれると記されている<ref>For translation from ''Nirukta'' 10.7, see: Sarup (1927), p. 155.</ref>。{{仮リンク|ステラ・クラムリッシュ|en|Stella Kramrisch}}によればルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)の炎にまつわる神話を挙げれば多岐にわたり、大火災から灯りの火に至るまで、火と呼べるもの全てに及んでいる<ref>Kramrisch, p. 18.</ref>。 {{仮リンク|シャタルドリヤ|en|Shri Rudram Chamakam}}に登場するルドラの添え名、例えばサシパンジャラ(Sasipañjara、「炎のように赤く金色の」)やティヴァシマティ(Tivaṣīmati、「まぶしく燃える」)はアグニとルドラが融合した様子をうかがわせる<ref>For "Note Agni-Rudra concept fused" in epithets {{IAST|Sasipañjara}} and {{IAST|Tivaṣīmati}} see: Sivaramamurti, p. 45.</ref>。アグニは牛であると言われており<ref>{{Cite web|url=http://www.sacred-texts.com/hin/rigveda/rv06048.htm |title=Rig Veda: Rig-Veda, Book 6: HYMN XLVIII. Agni and Others |publisher=Sacred-texts.com |accessdate=2010-06-06}}</ref>、シヴァのヴァーハナは牛のナンディンである。アグニには角が生えているという言及もある<ref>For the parallel between the horns of Agni as bull, and Rudra, see: Chakravarti, p. 89.</ref><ref>RV 8.49; 10.155.</ref>。中世の聖典ではアグニも、{{仮リンク|バイラヴァ|en|Bhairava|redirect=1}}すなわちシヴァの別の姿もともに燃え盛る髪を持つとされている<ref>For flaming hair of Agni and Bhairava see: Sivaramamurti, p. 11.</ref>。 ==== インドラ ==== {{main|インドラ}} {{仮リンク|ウェンディー・ドニガー|en|Wendy Doniger}}によれば[[プラーナ文献]]で語られるシヴァはヴェーダ時代のインドラからつながっている<ref>{{Cite book|last= Doniger|first=Wendy|authorlink=Wendy Doniger|title=Śiva, the erotic ascetic|year=1973|publisher=Oxford University Press US|pages=84–9|chapter = The Vedic Antecedents }}</ref>。ドニガーは、インドラもシヴァも山、川、精力、凶暴さ、恐れをしらぬ大胆さ、戦争、確立された慣習[[風俗]]の破戒、オウム([[真言]])、最高の存在であること、などと関連づけられていることをその根拠として挙げている。『リグ・ヴェーダ』ではシヴァ(śiva)という語がインドラを指して使われている{{refn|group=注|2.20.3,<ref>For text of RV 2.20.3a as {{Lang|sa|स नो युवेन्द्रो जोहूत्रः सखा शिवो नरामस्तु पाता ।}} and translation as "May that young adorable ''Indra'', ever be the friend, the benefactor, and protector of us, his worshipper" see: Arya & Joshi (2001), p. 48, volume 2.</ref>6.45.17,<ref>For text of RV 6.45.17 as {{Lang|sa|यो गृणतामिदासिथापिरूती शिवः सखा । स त्वं न इन्द्र मृलय ॥ }} and translation as "''Indra'', who has ever been the friend of those who praise you, and the insurer of their happiness by your protection, grant us felicity" see: Arya & Joshi (2001), p. 91, volume 3.</ref><ref>For translation of RV 6.45.17 as "Thou who hast been the singers' Friend, a Friend auspicious with thine aid, As such, O Indra, favour us" see: {{Harvnb|Griffith|1973|p=310}}.</ref> and 8.93.3.<ref>For text of RV 8.93.3 as {{Lang|sa|स न इन्द्रः सिवः सखाश्चावद् गोमद्यवमत् । उरूधारेव दोहते ॥}} and translation as "May ''Indra'', our auspicious friend, milk for us, like a richly-streaming (cow), wealth of horses, kine, and barley" see: Arya & Joshi (2001), p. 48, volume 2.</ref>}}。インドラもシヴァと同様に牛と結び付けられている<ref>For the bull parallel between Indra and Rudra see: Chakravarti, p. 89.</ref><ref>RV 7.19.</ref>。また、シヴァと同一視されるルドラは、『リグ・ヴェーダ』では[[マルト神群]](ルドラの息子たちであり、インドラの従者)の父であるが、ルドラはマルト神群の特徴である好戦的な性格を持ちあわせていない。その一方でインドラとシヴァはそれを持ち合わせている<ref>For the lack of warlike connections and difference between Indra and Rudra, see: Chakravarti, p. 8.</ref>。 [[ジャイナ教]]ではインドラは踊る姿で表現される。明示的に同一とされているわけではないが、このインドラはヒンドゥー教で見られる踊っているシヴァ、すなわちナタラージャと[[印相|ムドラ]](ポーズ)が似通っている<ref name=lisaowen25/>。[[エローラ石窟群]](ヒンドゥー、仏教、ジャイナ、3宗教の遺跡)のジャイナ教窟では[[ティールタンカラ]](ジャイナの神)の隣でインドラがシヴァ・ナタラージャと同じ調子で踊る彫刻が見られる。この踊りの類似は古代のインドラとシヴァとのつながりを示しているようにも思われる<ref name=lisaowen25>{{Cite book|author=Lisa Owen|title=Carving Devotion in the Jain Caves at Ellora|url=https://books.google.com/books?id=vHK2WE8xAzYC|year=2012|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-20629-9|pages=25–29}}</ref><ref name=Sivaramamurti41/>。 === 西インドでの偶像化 === [[ファイル:Statère d'electrum du royaume de Kouchan à l'effigie de Vasou Deva I.jpg|upright|thumb|220px|[[クシャーナ朝]]の[[コイン]](紀元前1世紀から紀元2世紀頃)。右側のデザインは[[トリシューラ]](三叉の槍)を持ち、牛の前に立つシヴァと解釈されている<ref>Hans Loeschner (2012), Victor Mair (Editor), [http://www.sino-platonic.org/complete/spp227_kanishka_stupa_casket.pdf The Stūpa of the Kushan Emperor Kanishka the Great Sino-Platonic Papers], No. 227, pages 11, 19</ref>。]] [[ファイル:ThreeHeadedShivaGandhara2ndCentury.jpg|upright|thumb|150px|3つの顔を持つシヴァ。[[ガンダーラ]]。2世紀ごろのもの。]] シヴァが偶像化されたものとして最も早い時期の物、すなわち彫像は[[ガンダーラ]]や古代インドの北西部で見つかっている。この彫像は損傷しており、加えて仏教関係の彫刻とも特徴が重なるため、はっきりとこれがシヴァであると言い切れない部分もあるのだが、シヴァの武器であるトリシューラと特徴のひとつであるファルスが確認できるのでおそらくシヴァであろうと考えられている<ref name="T. Richard Blurton 1993 84">{{Cite book|author=T. Richard Blurton|title=Hindu Art|url=https://books.google.com/books?id=xJ-lzU_nj_MC&pg=PA84|year=1993|publisher=Harvard University Press|isbn=978-0-674-39189-5|page=84}}</ref>。また、古代のクシャーナ朝のコインに描かれている神がシヴァではないかという指摘が存在する<ref name="T. Richard Blurton 1993 84"/>。クシャーナのコインではシヴァと思しき人物を指し{{仮リンク|ウェーショー|en|Oesho}}(または{{仮リンク|オエーショ|en|Oesho}})と記されているが、ウェーショーの語源や由来ははっきりしていない<ref name=Sivaramamurti41>{{Cite book|author=C. Sivaramamurti|title=Satarudriya: Vibhuti Or Shiva's Iconography|url=https://books.google.com/books?id=rOrilkdu-_MC |year=2004|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-038-9|pages=41, 59}}"Vishnu and Siva are thus both Sahasraksha, both are Vrishakapi, both Harihara. Indra is also sahasraksha. This is an early association of Rudra and Indra in this as in many other aspects", "The Kushanas had great veneration for Siva..."</ref><ref>{{Cite book|author=Pratapaditya Pal|title=Indian Sculpture: Circa 500 B.C.-A.D. 700|url=https://books.google.com/books?id=clUmKaWRFTkC |year=1986|publisher=University of California Press|isbn=978-0-520-05991-7|pages=75–80}}"Very likely the Kushans placed such emphasis on Siva because most major tribes with whom hey came into contact, such as the Audumbaras, Kunindas,... venerated Siva and either included on their coins Siva himself, his mount..."</ref>。 === ルドラからヒンドゥー教の主神の1柱へ === ヴェーダのマイナーな神であったルドラが最高神としての神格へと発展していく過程の最初の痕跡は、ギャビン・フラッドによれば紀元前400年から紀元前200年頃の『[[シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド]]』に見られる{{Sfn|Flood|2003|pp=204-205}}{{Sfn|Flood|1996|p=86}}。これ以前のウパニシャッドの世界は[[不二一元論]]であり、『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』はルドラ・シヴァ(ヴェーダ後のルドラ)に対する有神論的な信仰の最初のきっかけを与えている{{Sfn|Flood|2003|pp=204-205}}。すなわちこの文献で、ルドラ・シヴァが宇宙(ブラフマン)の創造者であり、魂(アートマン)を[[輪廻]]から解放する者であると同定される。シヴァ派の信徒、苦行者らに関する言及が、[[パタンジャリ]]の『{{仮リンク|マハーバーシャ|en|Mahābhāṣya}}』や『マハーバーラタ』に見られることから{{Sfn|Flood|2003|p=205, for date of Mahabhasya see: Peter M. Scharf (1996), The Denotation of Generic Terms in Ancient Indian Philosophy: Grammar, Nyāya, and Mīmāṃsā, American Philosophical Society, ISBN 978-0-87169-863-6, page 1 with footnote 2}}、紀元前200年から紀元後100年には、シヴァへの帰依に焦点を絞るシヴァ派の歴史が始まっていることがわかっている{{Sfn|Flood|2003|pp=204-205}}。一方ロバート・ヒューム(Robert Hume)やドリス・スリニヴァサン(Doris Srinivasan)らは『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』が提示するのはシヴァに焦点を当てた有神論ではなく、[[多元論]]、[[汎神論]]、[[単一神教]]であると述べている<ref>Robert Hume, [https://archive.org/stream/thirteenprincipa028442mbp#page/n419/mode/2up Shvetashvatara Upanishad], The Thirteen Principal Upanishads, Oxford University Press, pages 399, 403</ref><ref>M. Hiriyanna (2000), The Essentials of Indian Philosophy, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120813304, pages 32-36</ref><ref>[a] A Kunst, Some notes on the interpretation of the Ṥvetāṥvatara Upaniṣad, Bulletin of the School of Oriental and African Studies, Vol. 31, Issue 02, June 1968, pages 309-314; {{Doi|10.1017/S0041977X00146531}};<br />[b] Doris Srinivasan (1997), Many Heads, Arms, and Eyes, Brill, ISBN 978-9004107588, pages 96-97 and Chapter 9</ref>。 {{Quote box |quote = '''ジュニャーナの獲得'''<!--『シャイヴァ・ウパニシャッド』より、『カイヴァリャ・ウパニシャッド』の第10詩--> <poem> 自らの内に全てを見、 全ての内に自らを見る者が、 ブラフマンに至る、 それ以外に道はない。 </poem> |source = —''『{{仮リンク|カイヴァリャ・ウパニシャッド|en|Kaivalya Upanishad}}』10'' {{Sfn|Deussen|1997|pp=792-793}}{{Sfn|Sastri|1898|pp=80-82}} |width = 28% |bgcolor= #FFE0BB |align = left }} 古いものでは紀元前10世紀の終わりから新しいものでは17世紀までと様々な時期に書かれた14のウパニシャッドから成る『{{仮リンク|シャイヴァ・ウパニシャッド|en|Shaiva Upanishads}}』では{{Sfn|Deussen| 1997|p=556, 769 footnote 1}}、シヴァを物理世界を超越した普遍の存在ブラフマンとアートマンとして賞揚し{{Sfn|Deussen|1997|p=769}}、さらにシヴァに関する儀式と象徴主義について語っている{{Sfn|Klostermaier|1984|pp=134, 371}}。 ルドラに関して触れられる文献はわずかにとどまるが、例えば{{仮リンク|アタルヴァシラス・ウパニシャッド|en|Atharvashiras Upanishad}}(紀元前5世紀頃)では、すべての神はルドラであり、全ての生命と全ての物質はルドラであり、ルドラは全ての中に存在する根源であり、最終目標([[ジュニャーナ]])であり、全ての見える物と見えない物の最も内側にある要素であると主張される{{Sfn|Deussen|1997|p=769}}。[[パウル・ドイセン]]によれば{{仮リンク|カイヴァリャ・ウパニシャッド|en|Kaivalya Upanishad}}(紀元前10世紀頃)にもルドラがシヴァに置き換わったバージョンの、同様な記述がみられる。すなわち、[[ジュニャーナ|アートマ・ジュニャーナ]]に達する人は自らをすべての中に住まう神聖な要素として感じ、自ら及びすべての意識とシヴァ(すなわち至高のアートマン)との一体感を感じ、この至高のアートマンを自らの心の奥底に見つけるものである、と語られている{{Sfn|Deussen|1997|pp=792-793}}{{Sfn|Radhakrishnan|1953|p=929}}。 シャイヴァ・プラーナ{{refn|group=注|『シヴァ・プラーナ』、『リンガ・プラーナ』、『スカンダ・プラーナ』、『アグニ・プラーナ』}}、特に『{{仮リンク|シヴァ・プラーナ|en|Shiva Purana}}』(10-11世紀)と『{{仮リンク|リンガ・プラーナ|en|Linga Purana}}』(5-10世紀)にはシヴァの様々な姿、シヴァに関する神話や宇宙論、巡礼地({{仮リンク|ティルサ (ヒンドゥー教)|en|Tirtha (Hinduism)|label=ティルサ}})などが紹介されている{{Sfn|Flood|2003|pp=205-206}}{{Sfn|Rocher|1986|pp=187-188, 222-228}}。シヴァに関する[[タントラ]]文献は8世紀から11世紀の間に纏められており、シヴァ派の中でも二元論を固持する信徒にとっての{{仮リンク|シュルティ|en|Sruti}}(聖典、[[ヴェーダ#シュルティとスムリティ|ヴェーダ]]参照)となっている。シヴァに関する文献は10世紀から13世紀にかけてインド全土で発展しており、特に[[カシミール]]({{仮リンク|カシミール・シヴァ派|en|Kashmir Shaivism}})と[[タミル地方]]({{仮リンク|シヴァ・シッダーンダ|en|Shaiva Siddhanta}}、あるいは聖典シヴァ派とも)での受容が顕著である{{Sfn|Flood|1996|pp=162-169}}。 ===シヴァによる信仰の融合=== {{See also|ヒンドゥー教のルーツ|l1=ヒンドゥー教のルーツ}} 現代わたしたちが知るシヴァの姿は様々な古い神々がひとつの神格へと融合された結果であると言えるかもしれない<ref name="Keayxxvii" /><ref>Phyllis Granoff (2003), [http://www.jstor.org/stable/41913237 Mahakala's Journey: from Gana to God], Rivista degli studi orientali, Vol. 77, Fasc. 1/4 (2003), pages 95-114</ref>。複合的なシヴァの神格がどのような過程を経て収束していったのかはわからないが、由来を辿る試みは行われており、いくつかの推測も存在する<ref>For Shiva as a composite deity whose history is not well documented, see: Keay, p. 147.</ref>。例えばヴィジャイ・ナート(Vijay Nath)によれば、 {{Quote|ヴィシュヌとシヴァは(中略)彼らの信徒の信仰に、無数の地方の信仰と神々を取り入れ始めた。後者(地方の神々)は、例えば同じ神の様々な様相を表すものとして、あるいは同じ神の違った姿として、またはそれによって信仰されるようになった称号として取り入れられた。(中略)シヴァは無数の地方の信仰の中で、神々の名前に「イーシャ」(Isa)、「イーシュヴァラ」(Isvara)という接尾辞をつけることによって同一視されるようになった。例えば、ブテーシュヴァラ(Bhutesvara)、ハタケシュヴァラ(Hatakesvara)、チャンデシュヴァラ(Chandesvara)などのように{{Sfn|Nath|2001|p=31}}。}} 例えば、[[マハーラーシュトラ州]]では地方の神として{{仮リンク|カンドーバ|en|Khandoba}}が信仰されている。カンドーバは[[農業]]と[[牧畜]]の[[カースト]]の守護神であった<ref name="Courtright, p. 205">Courtright, p. 205.</ref>。{{仮リンク|ジェジュリ|en|Jejuri}}がカンドーバ信仰の最縁部となる<ref>For Jejuri as the foremost center of worship see: Mate, p. 162.</ref>。カンドーバはシヴァの姿に取り込まれており<ref>''Biroba, Mhaskoba und Khandoba: Ursprung, Geschichte und Umwelt von pastoralen Gottheiten in Maharastra'', Wiesbaden 1976 (German with English Synopsis) pp. 180-98, "Khandoba is a local deity in Maharashtra and been Sanskritised as an incarnation of Shiva."</ref>、信仰はリンガを通して行われる<ref name="Courtright, p. 205" /><ref>For worship of Khandoba in the form of a lingam and possible identification with Shiva based on that, see: Mate, p. 176.</ref>。カンドーバはまた、[[スールヤ]]<ref name="Courtright, p. 205" />、カールッティーケーヤ([[スカンダ]])とも同一視されている<ref>For use of the name Khandoba as a name for Karttikeya in Maharashtra, see: Gupta, ''Preface'', and p. 40.</ref>。 ==ヒンドゥー教の中での位置づけ== [[ファイル:Lingothbhavar.jpg|thumb|{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}から現れるシヴァを描く{{仮リンク|リンゴドバーヴァ|en|Lingodbhava}}はシヴァ派の間で象徴的に信仰される。[[トリムルティ]]においてシヴァがいかに傑出しているかを物語る。両脇の[[ブラフマー]]と[[ヴィシュヌ]]はリンゴドバーヴァ・シヴァに会釈をしている。]] === シヴァ派 === {{Main|シヴァ派|ヒンドゥー哲学#シヴァ派}} [[シヴァ派]]は[[ヴィシュヌ派]]、[[シャクティ派]]、[[スマールタ派]]と並び[[ヒンドゥー教]]四大宗派のひとつとなっている。シヴァ派(シャイヴィズム)の信徒は「シャイヴァ」と呼ばれシヴァを最高神として崇めている。シヴァ派においては、シヴァは全ての中の全て、創造神、維持神、破壊神、[[啓示]]を与える者であり、全てを覆い隠すものだと信じられている{{Sfn|Issitt|Main|2014|pp=147, 168}}{{Sfn|Arvind Sharma|2000|p=65}}。シヴァ派にとってシヴァは単なる創造者ではなく、彼自身も彼の作品であり、シヴァは全てであり、普遍的な存在である。シヴァ派においてシヴァは根本的な魂であり、純粋な魂であり、[[ブラフマン]]である{{Sfn|Arvind Sharma|2000|p=65}}。 シヴァ派の理論は2つに大別できる。比較的大きな勢力なのが[[バラモン教]]時代の[[ヴェーダ]]や[[叙事詩]]、[[プラーナ文献]]に見られるシヴァ・ルドラの影響を受ける理論。もう1つがシヴァ、[[シャクティ]]に関する[[タントラ|タントラ文献]]の影響をうける[[密教]]的な理論である{{Sfn|Michaels|2004|p=216}}。ヴェーダ・バラモン教のシヴァ理論は[[一元論]]([[不二一元論]])的性格と、神への帰依([[二元論]])的な性格が見られる。神への帰依とは例えば[[タミル地方]](南インド)の{{仮リンク|シヴァ・シッダーンタ派|en|Shaiva Siddhanta}}や{{仮リンク|リンガーヤタ派|en|Lingayatism}}{{refn|group=注|あるいは{{仮リンク|ビーラ・シバ派|en|Lingayatism}}とも呼ばれる。}}のように[[寺院]]内に{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}やシヴァと[[パールヴァティ]]の宗教画、[[ナンディン]]などといった偶像や象徴を奉り、シヴァに纏わる[[神話]]をモチーフにした[[レリーフ]]で飾る{{Sfn|Michaels|2004|pp=216-218}}<ref>{{Cite book|author=Surendranath Dasgupta|title=A History of Indian Philosophy|url=https://books.google.com/books?id=aohGsuUuXuMC |year=1973|publisher=Cambridge University Press|isbn=978-81-208-0416-6|pages=17, 48–49, 65–67, 155–161}}</ref>。 シヴァ派の[[タントリズム]]は実践的な信仰の領域から派生した分派にて発展し、シヴァに関する神話やプラーナ文献を無視する。例えば今は途絶えた{{仮リンク|カーパーリカ|en|Kapalika}}派(髑髏男の意)の信徒と[[大乗仏教]]がかつて共存し、多くの習慣を共有し、髑髏を身に着けたシヴァと[[シャクティ]]を崇拝し、髑髏の鉢で施しを求め、肉や酒や性的関心を儀式に用いていたという記録が残されている<ref>{{Cite book|author=David N. Lorenzen|title=The Kāpālikas and Kālāmukhas: Two Lost Śaivite Sects|url=https://books.google.com/books?id=Q4hm-k6fKs4C |year=1972|publisher=University of California Press|isbn=978-0-520-01842-6|pages=2–5, 15–17, 38, 80}}</ref><!--今は途絶えている前提の文章。しかし今もいると言えばいる気がする-->。対照的に{{仮リンク|カシミール・シヴァ派|en|Kashmir Shaivism}}の密教的信仰はクラマ派(Krama)とトリカ派(Trika)を特徴とする<ref name=patil125>{{Cite book|author=Narendranath B. Patil|title=The Variegated Plumage: Encounters with Indian Philosophy|url=https://books.google.com/books?id=3C1GWkeyXnQC |year=2003|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-1953-5|pages=125–126}}</ref>。クラマ派はシヴァと[[カーリー]]のペアを重視する<ref>{{Cite book|author=Mark S. G. Dyczkowski|title=The Doctrine of Vibration: An Analysis of the Doctrines and Practices Associated with Kashmir Shaivism|url=https://books.google.com/books?id=QXn5n4gdfcIC |year=1987|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-88706-431-9|page=9}}</ref>。一方のトリカ派は[[トリムルティ]]の理論を発展させ、不二一元論的な[[解脱]]を追い求めるために、個人的な「シヴァ」に焦点を当てた禁欲的な生活を伴う{{Sfn|Michaels|2004|pp=215-216}}<ref name=patil125/><ref>David Lawrence, [http://www.iep.utm.edu/kashmiri/#SH1d Kashmiri Shaiva Philosophy], University of Manitoba, Canada, IEP, Section 1(d)</ref>。 === ヴィシュヌ派 === {{Main|ヴィシュヌ派}} ヴィシュヌ派の聖典でもシヴァについて語られている。シヴァ派の信仰でシヴァが最高神に位置付けられるのと同様に、ヴィシュヌ派では[[ヴィシュヌ]]が最高神として扱われる。しかしいずれの宗派でも信仰は多神教的な性格をもっており、それぞれでシヴァとヴィシュヌが、加えて[[デーヴィー (インド神話)|デーヴィ]](ヒンドゥーの女神ら)が崇拝される。どちらの聖典にも排他的要素は含まれておらず、例えばヴィシュヌ派の『[[バーガヴァタ・プラーナ]]』では[[クリシュナ]](ヴィシュヌの[[アヴァターラ|化身]])を[[ブラフマン]]として礼賛する一方でシヴァと[[シャクティ]](シヴァの配偶神の1柱)も同じブラフマンの顕現した姿だとして称える<ref>Edwin Bryant (2003), Krishna: The Beautiful Legend of God: Srimad Bhagavata Purana, Penguin, ISBN 978-0141913377, pages 10-12, Quote: "(...) accept and indeed extol the transcendent and absolute nature of the other, and of the Goddess Devi too"</ref><ref>Ludo Rocher (1986), The Puranas, Otto Harrassowitz Verlag, ISBN 978-3447025225, page 23 with footnotes</ref><ref>EO James (1997), The Tree of Life, BRILL Academic, ISBN 978-9004016125, pages 150-153</ref>。一方のシヴァ派でも同様にヴィシュヌが称えられる。例えば『{{仮リンク|スカンダ・プラーナ|en|Skanda Purana}}』では以下のように語られている。 {{Quote| ヴィシュヌはシヴァ以外の何者でもない。そしてシヴァと呼ばれる神は他でもないヴィシュヌと同一である。|『スカンダ・プラーナ』|1.8.20-21<ref>Gregor Maehle (2009), Ashtanga Yoga, New World, ISBN 978-1577316695, page 17; for Sanskrit, see: [https://archive.org/stream/SriSkandaPuranam-SankaraSamhitaPart1#page/n31/mode/2up Skanda Purana] Shankara Samhita Part 1, Verses 1.8.20-21 (Sanskrit)</ref>}} 双方の信仰に、シヴァとヴィシュヌのどちらが優れているかを競うエピソードや、シヴァがヴィシュヌに敬意を払う、またはヴィシュヌがシヴァに敬意を払うという挿話が存在している。サロジ・パンゼイ(Saroj Panthey)によればこれら双方の聖典、絵画などに見られるお互いを敬う描写は、彼らの持つ相互補完的な役割の象徴である<ref>{{Cite book|author=Saroj Panthey|title=Iconography of Śiva in Pahāṛī Paintings|url=https://books.google.com/books?id=GUBXNueBQo0C|year=1987|publisher=Mittal Publications|isbn=978-81-7099-016-1|page=94}}</ref>。『マハーバーラタ』ではブラフマンはシヴァとヴィシュヌと同一であると<ref>{{Cite book|author=Barbara Holdrege|editor=Hananya Goodman|title=Between Jerusalem and Benares: Comparative Studies in Judaism and Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=XF_a3cfrcLQC&pg=PA122|year=2012|publisher=State University of New York Press|isbn=978-1-4384-0437-0|pages=120–125 with footnotes}}</ref>、そしてヴィシュヌはシヴァの至高の姿であり、シヴァはヴィシュヌの至高の姿であると語られている<ref>{{Cite book|author=Charles Johnston|title=The Atlantic Monthly|url=https://books.google.com/books?id=SGACAAAAIAAJ&pg=PA835|volume=CXII|year=1913|publisher=Riverside Press, Cambridge|pages=835–836}}</ref>。 === シャクティ派 === {{Main|シャクティ派}} ヒンドゥーの女神を重視する[[シャクティ派]]では、根本原理、普遍の現実であるブラフマンを女神([[デーヴィー (インド神話)|デーヴィ]])であるとし{{Sfn|Coburn|2002|pp=1, 53-56, 280}}{{Sfn|Lochtefeld|2002|p=426}}{{Sfn|David Kinsley|1988|pp=101-105}}、男性神を女神の同等かつ補完的なパートナーとして扱う{{Sfn|David Kinsley|1988|p=50, 103-104}}{{Sfn|Tracy Pintchman|2015|pp=113, 119, 144, 171}}。このパートナーはシヴァか、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)である{{Sfn|Tracy Pintchman|2014|pp=85-86, 119, 144, 171}}{{Sfn|Coburn|1991|pp=19-24, 40, 65, Narayani p. 232}}。 『リグ・ヴェーダ』の賛歌、デーヴィ・スークタ(Devi Sukta)には女神を崇拝するこの信仰の最も早い痕跡がシヴァ・ルドラの文脈とともに見つけられる{{Sfn| McDaniel |2004|p=90}}{{Sfn| Brown |1998|p=26}}。 {{Quote| <poem> 私は女王であり、宝を集めるものであり、もっとも慈悲深く、何よりもまず帰依する価値のある存在である。 こうして神々は私をあらゆる場所に、わたしが住まう家とともに作り出した。 物を見、息をし、発せられた言葉を聴く者たちは、私を通してのみ日々の糧を得る。 彼らは、私が宇宙の原理の中に住まうことを知らない。一同皆聴け、私の宣言する真実を。 私はたしかに宣言する。神も人も同様に歓迎しよう。 私は私を慕うものを並外れて強い者にしよう。彼を豊かに育まれた者にしよう。賢人にしよう。ブラフマンを知るものにしよう。 ルドラ(シヴァ)のために弓を曲げよう。彼の放つ矢は不信心な者を滅ぼすだろう。 私は人々のために戦えと命令を下そう。私は地上と天界とつくり、彼らの内側の支配者として住んでいる。 (以下略) </poem> |『リグ・ヴェーダ』、デーヴィースークタ 10.125.3 – 10.125.8|{{Sfn| McDaniel |2004|p=90}}{{Sfn| Brown |1998|p=26}}<ref name="Hymn 125">[https://en.wikisource.org/wiki/The_Rig_Veda/Mandala_10/Hymn_125 The Rig Veda/Mandala 10/Hymn 125] Ralph T.H. Griffith (Translator); for Sanskrit original see: [https://sa.wikisource.org/wiki/ऋग्वेद:_सूक्तं_१०.१२५ ऋग्वेद: सूक्तं १०.१२५]</ref>}} シャクティ派の理論を説明している『{{仮リンク|デーヴィ・ウパニシャッド|en|Devi Upanishad}}』では第19詩にてシヴァに触れ、称えている{{Sfn|Brown|1998|p=77}}{{Sfn|Warrier|1967|pp=77-84}}。シャクティ派にとって『[[バガヴァッド・ギーター]]』と同等の価値を与えられている聖典、『[[デーヴィー・マーハートミャ]]』ではシヴァはヴィシュヌとともに礼賛されている{{Sfn|Rocher|1986|p=193}}<ref>{{Cite book|author=David R. Kinsley|title=The Sword and the Flute: Kālī and Kṛṣṇa, Dark Visions of the Terrible and the Sublime in Hindu Mythology|url=https://books.google.com/books?id=Ih1By08_Yj0C |year=1975|publisher=University of California Press|isbn=978-0-520-02675-9|pages=102 with footnote 42}}, Quote: "In the Devi Mahatmya, it is quite clear that [[ドゥルガー|Durga]] is an independent deity, great in her own right, and only loosely associated with any of the great male deities. And if any one of the great gods can be said to be her closest associate, it is Visnu rather than Siva".</ref>。[[アルダナーリーシュヴァラ]]という神格のコンセプトは、多くのヒンドゥー寺院、文献に見られるテーマであり、半分は男性で半分は女性であるという状態が象徴的に表現され、シヴァと女神シャクティの融合を表現している<ref>{{Cite book|author=Gupteshwar Prasad|title=I.A. Richards and Indian Theory of Rasa|url=https://books.google.com/books?id=hmy5cnSbsWYC&pg=PA117 |year=1994|publisher=Sarup & Sons|isbn=978-81-85431-37-6|pages=117–118}}</ref><ref>{{Cite book|author=Jaideva Vasugupta|title=The Yoga of Delight, Wonder, and Astonishment|url=https://books.google.com/books?id=aVc5JCnO1VgC|year=1991|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-1073-8|page=xix}}</ref>。<!--"a representation and theme of union found in many Hindu texts and temples".の部分を出典で抱えきれていない気がする-->。 ===スマールタ派=== {{Main|{{仮リンク|パンチャヤタナ・プージャ|en|Panchayatana puja}}}} スマールタ派ではシヴァは{{仮リンク|パンチャヤタナ・プージャ|en|Panchayatana puja}}(儀式)で信仰されるの神の内の1人である<ref name="Bühnemann2003p60">{{Cite book|author=Gudrun Bühnemann|title=Mandalas and Yantras in the Hindu Traditions|url=https://books.google.com/books?id=kQf2m8VaC_oC&pg=PA60 |year=2003|publisher=BRILL Academic|isbn=978-9004129023|page=60}}</ref>。この儀式には5柱の神々を象徴する偶像が用いられる。パンチャヤタナ・プージャにおいてはこの5柱は同等なものとして考えられており<ref name="Bühnemann2003p60" />、それぞれが{{仮リンク|五つ目型|en|quincunx}}([[さいころ]]の5の形)に並べられる<ref name="Harle1994p141">{{Cite book|author=James C. Harle|title=The Art and Architecture of the Indian Subcontinent| url=https://books.google.com/books?id=LwcBVvdqyBkC&pg=PA140 |year=1994|publisher=Yale University Press|isbn=978-0-300-06217-5|pages=140–142, 191, 201–203}}</ref>。シヴァ以外にはヴィシュヌ、いずれかのデーヴィ{{Refn|group="注"|女神、例えばパールヴァティなど。}}、[[スーリヤ]]、{{仮リンク|イシュタデーヴァター|en|Ishta Devata}}{{Refn|group="注"|例えば[[ガネーシャ]]、[[スカンダ]]など自分の帰依する神。}}の偶像がこの儀式に用いられ信仰される<ref name="Flood1996p17">{{Cite book|author=Gavin D. Flood|title=An Introduction to Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=KpIWhKnYmF0C|year=1996|publisher=Cambridge University Press|isbn=978-0-521-43878-0|page=17}}</ref>。 ===ヨーガ=== {{Main|ヨーガ}} 様々なスタイルの[[ヨーガ]]の理論と実践はヒンドゥー教の大きな流れの一部であり続けてきた。そしてシヴァはヨーガの多くの文献で守護神として描かれ、また語り手となっている<ref name=shivayoga1/><ref name=shivayoga2/>。ヨーガは10世紀ごろか、それよりも後に体系化されていると見積もられており、例えば『イシュヴァラ・ギーター』(Isvara Gita、シヴァの歌の意)といった文献とともに後世に伝えられている。{{仮リンク|アンドリュー・ニコルソン (インド学者)|en|Andrew J. Nicholson|label=アンドリュー・ニコルソン}}によればこの『イシュヴァラ・ギーター』はヒンドゥー教に深く、永続的な影響を与えている<ref>{{Cite book|author=Andrew J. Nicholson|title=Lord Siva's Song: The Isvara Gita|url=https://books.google.com/books?id=IAEvAwAAQBAJ|year=2014|publisher=State University of New York Press|isbn=978-1-4384-5102-2|pages=1–2}}</ref>。 さらに『{{仮リンク|シヴァ・スートラ (ヴァスグプタ)|en|Shiva Sutras of Vasugupta|label=シヴァ・スートラ}}』や『{{仮リンク|シヴァ・サンヒター|en|Shiva Samhita}}』、加えて例えば10世紀の『{{仮リンク|アビナヴァグプタ|en|Abhinavagupta}}』といったカシミール・シヴァ派の学者たちの記した文献は、[[ハタ・ヨーガ]]に影響を与え、不二一元論の思想とヨーガの哲学を融合し、また{{仮リンク|インド古典舞踊|en|Indian classical dance}}の理論的発展にも貢献している<ref name=shivayoga1>[a] {{Cite book|author1=Vasugupta|author2=Jaideva|title=Śiva Sūtras|url=https://books.google.com/books?id=j4SOIISR9PUC|year=1979|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-0407-4|pages=xv–xx}};<br />[b] {{Cite book|author=James Mallinson|title=The Shiva Samhita: A Critical Edition|url=https://books.google.com/books?id=hlQRnDOr178C|year=2007|publisher=Yoga|oclc= 76143968 |isbn=978-0-9716466-5-0|pages=xiii–xiv}}</ref><ref name=shivayoga2>[a] {{Cite book|author=Jaideva Vasugupta|title=The Yoga of Delight, Wonder, and Astonishment: A Translation of the Vijnana-bhairava with an Introduction and Notes by Jaideva Singh|url=https://books.google.com/books?id=aVc5JCnO1VgC|year=1991|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-1073-8|pages=xii–xvi}};<br />[b] {{Cite book|author1=Vasugupta|author2=Jaideva|title=The Yoga of Vibration and Divine Pulsation: A Translation of the Spanda Karika with Ksemaraja's Commentary, the Spanda Nirnaya|url=https://books.google.com/books?id=sQwtCrGERjkC |year=1980|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-1179-7|pages=xxv–xxxii, 2–4}}</ref><ref>{{Cite book|author=David Smith|title=The Dance of Siva: Religion, Art and Poetry in South India|url=https://books.google.com/books?id=fTLlcGlkdjkC&pg=PA237 |year=2003|publisher=Cambridge University Press|isbn=978-0-521-52865-8|pages=237–239}}</ref>。 ===トリムルティ=== {{Main|トリムルティ}} トリムルティとは、宇宙における創造と維持と破壊の機能を3柱の神に神格化させるというヒンドゥー教の理論である。[[ブラフマー]]が創造を司り、ヴィシュヌが維持を司り、シヴァが破壊/再生を司る<ref>For quotation defining the trimurti see Matchett, Freda. "The {{IAST|Purāṇas}}", in: Flood (2003), p. 139.</ref><ref>For the Trimurti system having Brahma as the creator, Vishnu as the maintainer or preserver, and Shiva as the transformer or destroyer see: Zimmer (1972) p. 124.</ref>。しかし古代の、あるいは中世の文献には様々な組み合わせのトリムルティが存在しており、中にはシヴァの含まれないものも存在する<ref>The Trimurti idea of Hinduism, states [[ヤン・ゴンダ|Jan Gonda]], "seems to have developed from ancient cosmological and ritualistic speculations about the triple character of an individual god, in the first place of ''Agni'', whose births are three or threefold, and who is threefold light, has three bodies and three stations". See: Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 218-219; Other trinities, beyond the more common "Brahma, Vishnu, Shiva", mentioned in ancient and medieval Hindu texts include: "Indra, Vishnu, Brahmanaspati", "Agni, Indra, Surya", "Agni, Vayu, Aditya", "Mahalakshmi, Mahasarasvati, and Mahakali", and others. See: [a] David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29<br />[b] Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 212-226</ref>。 == シヴァ像に共通する要素 == [[ファイル:6 Śiva and Pārvatī seated on a terrace. 1800 (circa) BM.jpg|thumb|シヴァとパールヴァティ。シヴァには3つの[[目]]が描かれている。もつれた[[髪]]から[[ガンジス川]]が流れ、[[蛇]]のアクセサリーに[[髑髏]]の[[花輪]]を身に着けている。体には[[灰]]({{仮リンク|ヴィブーティ|en|vibhuti}})を塗りたくり、[[虎]]の毛皮に座っている。]] [[ファイル:Indian - Festival Image of Shiva - Walters 543084.jpg|thumb|[[斧]]と[[鹿]]を手に座るシヴァ。]] * '''第三の目''':シヴァは[[第三の目]]を持った姿で表現されることが珍しくなく、この目は欲望([[カーマ (ヒンドゥー教)|カーマ]])を焼いて灰にするとされている<ref>For Shiva as depicted with a third eye, and mention of the story of the destruction of Kama with it, see: Flood (1996), p. 151.</ref>。シヴァの異名として「トリャンバカ<!--ム-->」(Tryambakam、त्र्यम्बकम्)という名がたびたび文献に登場する<ref>For a review of 4 theories about the meaning of ''tryambaka'', see: Chakravarti, pp. 37-39.</ref>。古典期の[[サンスクリット語]]では「トリャンバカ」にふくまれる「アンバカ」(ambaka)は「目」を意味し、また『[[マハーバーラタ]]』ではシヴァは3つの目を持つと描写されているため、しばしば「トリャンバカ」は「3つの目を持つ者」と翻訳される<ref>For usage of the word ''ambaka'' in classical Sanskrit and connection to the Mahabharata depiction, see: Chakravarti, pp. 38-39.</ref>。しかし[[ヴェーダ語]]では「アンバ」または「アンビカ」(ambā、ambikā)は「母親」を意味する。そのため(『マハーバーラタ』よりも)早い時期のこの単語を基に考えると、トリャンバカは「3人の母を持つ者」と翻訳され、[[フリードリヒ・マックス・ミュラー|マックス・ミューラー]]と[[アーサー・アンソニー・マクドネル|アーサー・マクドネル]]はこれを採用している<ref>For translation of Tryambakam as "having three mother eyes" and as an epithet of Rudra, see: Kramrisch, p. 483.</ref>。しかしシヴァが3人の母を持つというエピソードは存在しないので、{{仮リンク|エドワード・ウォッシュバーン・ホプキンズ|en|Edward Washburn Hopkins|label=エドワード・ホプキンス}}は「3人の母親」ではなく、「アンビカス」(Ambikās)という集合名で呼ばれる女神達{{Refn|group="注"|Gauri, Kali, Uma}}を指すのではないかとしている<ref>For discussion of the problems in translation of this name, and the hypothesis regarding the {{IAST|Ambikās}} see: Hopkins (1968), p. 220.</ref>。その他、「3人の妻を持つ者」、「3人の妹を持つ者」など、またはこの名前はルドラに与えられた捧げものを指しているのではないか{{Refn|group=注|ルドラは妹の{{仮リンク|アンビカー (神)|en|Ambika (goddess)}}と所有物を共有していると言われている。}}など様々に推測されている<ref>For the {{IAST|Ambikā}} variant, see: Chakravarti, pp. 17, 37.</ref>。 * '''三日月''':シヴァは頭に[[三日月]]を着けた姿で描写される<ref>For the moon on the forehead see: Chakravarti, p. 109.</ref>。そのため「チャンドラセカラ」(Candraśekhara、चन्द्रशेखर、[[月]]の[[冠]]を戴くもの)という異名を持つ<ref>For ''{{IAST|śekhara}}'' as crest or crown, see: Apte, p. 926.</ref><ref>For {{IAST|Candraśekhara}} as an iconographic form, see: Sivaramamurti (1976), p. 56.</ref><ref>For translation "Having the moon as his crest" see: Kramrisch, p. 472.</ref>。この三日月を伴った姿の起原はヴェーダの時代、まだシヴァがルドラだったころまで遡る<ref>For the moon iconography as marking the rise of Rudra-Shiva, see: Chakravarti, p. 58.</ref>。ヴェーダにはルドラが傷をいやしたり、はては死者を生き返らせる様子さえ描写される{{sfn|Chakravarti|1986|p=56}}。そのことはルドラが[[ソーマ]](霊薬)を所有している様子を連想させ、実際に『リグ・ヴェーダ』ではソーマとルドラが共に希求される賛歌が存在する{{sfn|Chakravarti|1986|p=56}}。加えて後の文献にはソーマとルドラを同一視する記述も見られる{{sfn|Chakravarti|1986|p=57}}。ソーマはまた、徐々に月と同一視されるようになっている{{sfn|Chakravarti|1986|p=58}}{{Refn|group="注"|『アタルヴァ・ヴェーダ』の時代には、ソーマと月ははっきりと同一視されている。『リグ・ヴェーダ』においても、少なくとも、月が欠けるのは神々がアムリタを飲むためだとする一節がある。{{sfn|Chakravarti|1986|p=58}}}}。その後ルドラがルドラ・シヴァとしての重要性を増したころから頭に月が掲げられるようになった{{sfn|Chakravarti|1986|p=58}}。 * '''灰''':シヴァは体に[[灰]]({{仮リンク|バスマ|en|bhasma}}、または{{仮リンク|ヴィブーティ|en|vibhuti}})を塗りたくった姿で描写される<ref name="Flood 1996, p. 151">Flood (1996), p. 151.</ref><ref>This smearing of cremation ashes emerged into a practice of some Tantra-oriented ascetics, where they would also offer meat, alcohol and sexual fluids to Bhairava (a form of Shiva), and these groups were probably not of [[バラモン教|Brahmanic]] origin. These ascetics are mentioned in the ancient Pali Canon of Thervada Buddhism. See: Flood (1996), pp. 92, 161.</ref>。この灰は、全ての形あるものは永遠ではなくいつかは灰に帰ること、そして永遠の魂と精神的解放を追い求めることの重要さを表現している<ref>Antonio Rigopoulos (2013), Brill's Encyclopedia of Hinduism, Volume 5, Brill Academic, ISBN 978-9004178960, pages 182-183</ref><ref>{{Cite book|author=Paul Deussen|title=Sechzig Upaniṣad's des Veda|url=https://books.google.com/books?id=XYepeIGUY0gC |year=1980|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-1467-7|pages=775–776, 789–790, 551}}</ref>。 * '''もつれた髪の毛''':シヴァのこの特徴的な髪型もまたいくつかの異名の元になっている。例えば「ジャティン」(Jaṭin、もつれた髪を持つ者)<ref>Chidbhavananda, p. 22.</ref>、「カパルディン」(Kapardin)など。カバルディンは「もつれた髪を与えられた者<ref>For translation of Kapardin as "Endowed with matted hair" see: {{Harvnb|Sharma|1996|p=279}}.</ref>」、「貝殻(カパルダ)のようなひも状に編んだ髪を持つ者<ref>Kramrisch, p. 475.</ref>」などと翻訳される。カパルダ(kaparda)は[[タカラガイ]]、[[コヤスガイ]]など、あるいは貝殻状に編んだ髪、あるいはもじゃもじゃの髪、くるくるに丸まった髪を意味する<ref>For Kapardin as a name of Shiva, and description of the kaparda hair style, see, Macdonell, p. 62.</ref>。 * '''青い喉''':「ニーラカンタ」(Nīlakaṇtha、नीलकण्ठ、青い首の意)というシヴァの異名の元になる特徴<ref>{{Harvnb|Sharma|1996|p=290}}</ref><ref>See: name #93 in Chidbhavananda, p. 31.</ref>。[[乳海攪拌]]によって猛毒[[ハーラーハラ]]<!--日本では[[ヴァースキ]]が吐いたバリエーションが一般的?-->が湧き上がってくると、シヴァはそれを無毒化するために飲み込む。シヴァの[[胃]]の中には[[宇宙]]が存在しているため、それを見たシヴァの配偶神[[パールヴァティ]]は慌ててシヴァの首を締めあげ毒が宇宙に回ることを防いだ。しかし毒はシヴァの喉を青く変色させた<ref>For Shiva drinking the poison churned from the world ocean see: Flood (1996), p. 78.</ref><ref name="Kramrisch, p. 473">Kramrisch, p. 473.</ref>。 * '''瞑想するヨーギー''':シヴァは[[ヨーガ]]のポーズ、[[結跏趺坐]]を組み瞑想に耽る姿で、また場合によっては[[ヒマラヤ]]の[[カイラス山]]の上で瞑想する姿で、ヨーガの王として表現されることも珍しくない<ref name="Flood 1996, p. 151" />。 * '''聖なるガンジス''':シヴァはまた、「ガンガーダラ」(ガンジス川をもたらす者)という異名を持つ。ガンジス川はシヴァのもつれた髪から流れ出ている<ref>For alternate stories about this feature, and use of the name {{IAST|Gaṅgādhara}} see: Chakravarti, pp. 59 and 109.</ref><ref>For description of the {{IAST|Gaṅgādhara}} form, see: Sivaramamurti (1976), p. 8.</ref>。インドの主要な河川のひとつであるガンジス川は、シヴァのもつれた髪をその住処としていると言われる<ref>For Shiva supporting {{IAST|Gaṅgā}} upon his head, see: Kramrisch, p. 473.</ref>。<!--[[ガンガー]]女神を一般常識にしてる?-->(参考:[[ガンガー]]) * '''虎の毛皮''':シヴァは[[虎]]の毛皮の上に座った姿で描写されることも多い<ref name="Flood 1996, p. 151" />。 * '''蛇''':シヴァは[[ナーガ]](蛇)を首に巻いた姿で度々表現される<ref>Flood (1996), p. 151</ref>。 * '''三叉の槍''':シヴァは通常[[トリシューラ]]と呼ばれる[[三叉槍]]を持った姿で表現される<ref name="Flood 1996, p. 151" />。この槍は[[武器]]、あるいは象徴として様々な文献に登場する{{Sfn | Wayman | Singh | 1991 | p=266}}。シンボルとしてのトリシューラは「創造する者」、「維持する者」、「破壊する者」というシヴァの3つの側面を表している{{Sfn|Suresh Chandra|1998|p=309}}。あるいは3つの[[グナ (インド)|グナ]](トリグナ)、サットヴァ、ラジャス、タマスの平衡状態を表現している{{Sfn|Sitansu S. Chakravarti|1991|p=51}}。 * '''太鼓''':[[砂時計]]のような形の[[太鼓]]、{{仮リンク|ダマル|en|damaru}}を持つ<ref>Michaels, p. 218.</ref><ref>For definition and shape, see: Apte, p. 461.</ref>。これはナタラージャ(Nataraja)という名で知られるシヴァの踊る姿を表した偶像に良く見られる特徴である<ref>Jansen, p. 44.</ref>。このダマルを持つ際にはダマル・ハスタ(ḍamaru-hasta)と呼ばれる独特の手のポーズ([[印相|ムドラ]])が用いられる<ref>Jansen, p. 25.</ref>。ダマルはカーピーリカ派([[シヴァ派]]の一派)シンボルとして用いられることでも特徴的である<ref>For use by {{IAST|Kāpālikas}}, see: Apte, p. 461.</ref>。 * '''斧''':南インドではシヴァはよく[[パラシュ]](斧)と鹿を手に持った姿で表される<ref>{{Cite book|title=South Indian Bronzes|last=C. Sivaramamurti|first=|publisher=Lalit Kalā Akademi|year=1963|isbn=|location=|pages=41|via=}}</ref>。 * '''数珠''':シヴァは右手に[[数珠]]を巻いた姿で描写される。この数珠は通常[[ルドラークシャ]](菩提樹の実)でできているとされる<ref name="Flood 1996, p. 151" />。優雅さと[[乞食]](こつじき)と瞑想を象徴する<ref>{{Cite book|author=John A. Grimes|title=A Concise Dictionary of Indian Philosophy: Sanskrit Terms Defined in English|url=https://books.google.com/books?id=qcoUFYOX0bEC&pg=PA257 |year=1996|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-3067-5|page=257}}</ref><ref>{{Cite book|author=Prabhavati C. Reddy|title=Hindu Pilgrimage: Shifting Patterns of Worldview of Srisailam in South India|url=https://books.google.com/books?id=TkUsAwAAQBAJ |year=2014|publisher=Routledge|isbn=978-1-317-80631-8|pages=114–115}}</ref>。 * '''牛''' :シヴァの[[ヴァーハナ]](神の乗り物となる動物)である[[ナンディン]](またはナンディー)がシヴァとともに描かれる<ref>For a review of issues related to the evolution of the bull (Nandin) as Shiva's mount, see: Chakravarti, pp. 99-105.</ref><ref>For spelling of alternate proper names {{IAST|Nandī}} and Nandin see: Stutley, p. 98.</ref>。シヴァと牛のつながりは彼の異名である「パシュパティ」(Paśupati、पशुपति、牛の王の意)にも表れている<ref>{{Harvnb|Sharma|1996|p=291}}</ref>。ステラ・クラムリッシュは「パシュパティ」を「獣の王」という意味にとる。彼女は「獣の王」は特にルドラにあてられる異名であるとする<ref>Kramrisch, p. 479.</ref>。 * '''カイラス山''':[[ヒマラヤ山脈]]の[[カイラス山]]は伝統的にシヴァの住居であるとされている<ref name="Flood 1996, p. 151" /><ref>For the name ''Kailāsagirivāsī'' (''Sanskrit'' कैलासिगिरवासी), "With his abode on Mount Kailāsa", as a name appearing in the ''Shiva Sahasranama'', see: {{Harvnb|Sharma|1996|p=281}}.</ref>。ヒンドゥー神話ではカイラス山は{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}の形をしていると見なされ、世界の中心であると考えられている<ref>For identification of Mount {{IAST|Kailāsa}} as the central ''linga'', see: Stutley (1985), p. 62.</ref>。 * '''ガナ''':{{仮リンク|ガナ|en|Gana}}はカイラス山に住むと言われるシヴァの眷属たちである。彼らの性質からしばしばブタガナス(bhutaganas、幽霊の軍隊)などとも呼ばれる。彼らの主人が侮辱された場合などを除いては基本的におとなしく、シヴァをとりなす存在として信仰の対象となる。シヴァの息子[[ガネーシャ]]はガナたちの長を任されており、そのため「ガナ・イーサ」、「ガナ・パティ」(ガナの王)と呼ばれる<ref>{{仮リンク|Dictionary of Hindu Lore and Legend|en|Dictionary of Hindu Lore and Legend}} (ISBN 0-500-51088-1) by Anna L. Dallapiccola</ref>。 * '''ヴァーラーナシー''':[[ヴァーラーナシー]]は特にシヴァのお気に入りの街と言われており、インドの聖地のひとつに数えられている。宗教的文脈ではヴァーラーナシーは「カーシー」とも呼ばれる<ref>Keay, p. 33.</ref>。 == 偶像や神話に見られる描写 == シヴァはその性質にまったく正反対のものを抱えているため、{{仮リンク|ギャヴィン・フラッド|en|Gavin Flood}}はシヴァを曖昧さと[[パラドックス]]の神であると表現している<ref>For quotation "Shiva is a god of ambiguity and paradox" and overview of conflicting attributes see: Flood (1996), p. 150.</ref>。シヴァの相反する性質は彼に与えられた名前や、彼について語られるエピソードからも明らかである。 === 破壊を司る神と、恩寵を与える存在の対比 === {{Double image aside|left|Masque de Bhairava (musée dart asiatique de Berlin) (2707467043).jpg|150|Shiva meditating Rishikesh.jpg|118|シヴァは数多くの様相を併せ持つ<ref>{{Cite book|author=George Michell|title=The Hindu Temple: An Introduction to Its Meaning and Forms|url=https://books.google.com/books?id=ajgImLs62gwC |year=1977|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-53230-1|pages=25–26}}</ref>。左: {{仮リンク|バイラヴァ|en|Bhairava|redirect=1}}、シヴァの恐ろしい側面を象徴的に表現する。17世紀から18世紀、[[ネパール]]。右: 瞑想に耽る[[ヨーギー]]としてのシヴァ。[[リシケーシュ]]。}} 『[[ヤジュル・ヴェーダ]]』では対極にある2対の表現が見られる。すなわち「害のある」と「恐ろしい」(サンスクリット語: rudra)および、「害のない」と「吉祥な」(サンスクリット語: śiva)であり、マハデーヴ・チャクラヴァティ(Mahadev Chakravarti)はこのことが後にルドラ・シヴァ派という複雑な宗派を生み出す要因になったと結論づけている<ref>For quotation regarding Yajur Veda as containing contrary sets of attributes, and marking point for emergence of all basic elements of later sect forms, see: Chakravarti, p. 7.</ref>。『マハーバーラタ』ではシヴァは無敵で、強くて、恐ろしい存在の典型として、そして同時に誉れ高く、喜ばしく、素晴らしい神として描かれる<ref>For summary of Shiva's contrasting depictions in the Mahabharata, see: {{Harvnb|Sharma|1988|pp=20–21}}.</ref>。 恐ろしくも喜ばしいというシヴァの持つ二面性は、彼の対照的な名前にも表れている。「ルドラ」という名前はシヴァの恐ろしい側面を映し出している。歴史的に受け入れられているルドラの語源は、語根にあたる「ルド」(rud-、「叫ぶ」または「吠えたける」)に由来する<ref>For ''rud-'' meaning "cry, howl" as a traditional etymology see: Kramrisch, p. 5.</ref>。一方ステラ・クラムリッシュはラウドラ(raudra、「乱暴な」)に語源を求めている。乱暴さはルドラの持つ性格でもあり、彼女はしたがってルドラの名前を「乱暴な者」、「凶暴な神」と翻訳する<ref>Citation to M. Mayrhofer, ''Concise Etymological Sanskrit Dictionary'', ''s.v.'' "rudra", is provided in: Kramrisch, p. 5.</ref>。シャルマも彼女に倣い、ルドラの名前を「恐ろしい」と翻訳した{{Sfn|Sharma|1996|p=301}}。 異名のひとつ、ハラ(Hara)は重要な意味を持っていると考えられており、『マハーバーラタ』の{{仮リンク|アヌシャサナ・パルヴァ|en|Anushasana Parva}}に語られる{{仮リンク|シヴァ・サハスラナーマ|en|Shiva Sahasranama}}(千の名前の賛歌)にはハラが3度登場する。このハラは、そうでない場合もあるが、それぞれ違う意味に翻訳される伝統がある。シャルマはこれらをそれぞれ「魅了する者」、「強固にする者」、「破壊する者」と翻訳した{{Sfn|Sharma|1996|p=314}}。クラムリッシュはハラを「夢中にさせるもの」と辞書的な文脈で紹介している<ref name="Kramrisch, p. 473" />。 他にも、シヴァの恐ろしい側面を表した様相として「カーラ」(Kāla、時間)あるいは「マハーカーラ」(Mahākāla、偉大な時間{{Refn|group="注"|カーラは「時間」、「黒」と両義にとれる}})が挙げられ、究極的にすべてを破壊するというニュアンスが含まれる<ref name="auto" /><ref>Kramrisch, p. 474.</ref>。カーラという名前はシヴァ・サハスラナーマに登場し、ラム・カラン・シャルマはこれを「時間を司る至高の王」と翻訳した{{Sfn|Sharma|1996|p=280}}。また「{{仮リンク|バイラヴァ|en|Bhairava|redirect=1}}」(恐ろしい<ref>Apte, p. 727, left column.</ref>)という名は「絶滅」という意味をほのめかすシヴァの凶暴な様相のひとつである。対照的に「シャンカラ」(Śaṇkara)という名は「慈悲深い者{{Sfn|Sharma| 1996| p=306}}」、「幸福を与える者<ref name="auto1">Kramrisch, p. 481.</ref>」を意味し、シヴァの持つやさしい一面を反映している。このシャンカラという名前は、[[シャンカラ・アーチャーリヤ]](Shankaracharya)<ref name="auto">Kramrisch, p. 476.</ref>としても知られる[[ヴェーダーンタ学派]]の偉大な哲学者[[シャンカラ]](788-820)が名祖となっている<ref>Flood (1996), p. 92.</ref>。シャムブー(Śambhu、शम्भु、自ずから輝く者)という異名もまた温和な一面を反映する<ref name="auto" />{{Sfn|Chakravarti|1986| pp= 28 (note 7), and p. 177}}。 === 苦行者としての姿、一家の主としての一面の対比 === シヴァは禁欲的な{{仮リンク|ヨーギー|en|yogi|redirect=1}}として描かれ、同時に一家の主としての顔も持つ。本来両者はヒンドゥー教社会においては相いれない存在である<ref>For the contrast between ascetic and householder depictions, see: Flood (1996), pp. 150-151.</ref>。シヴァがヨーギーとして描かれる場合、シヴァは通常座り、瞑想をしている姿で表現される<ref>For Shiva's representation as a yogi, see: Chakravarti, p. 32.</ref>。シヴァの異名のひとつである「マハーヨーギー」(Mahāyogi、偉大なヨーギー)は彼とヨーガとの関係を物語っている<ref>For name Mahāyogi and associations with yoga, see, Chakravarti, pp. 23, 32, 150.</ref>。ヴェーダ時代(紀元前1500年-紀元前600年頃)の信仰は主に捧げものによる儀式を通して行われていたと考えられており、[[苦行|タパス(苦行)]]、ヨーガ、禁欲主義が重要な意味を持つようになったのはそれより後の、叙事詩が編纂される時代である。シヴァが世間を離れ禁欲的に瞑想に耽る姿で描かれるようになったことには、こういったヴェーダ時代後の宗教観が反映されている<ref>For the ascetic yogin form as reflecting Epic period influences, see: Chakravarti, p. 32.</ref>。 シヴァには妻パールヴァティと2人の息子、[[ガネーシャ]]と[[スカンダ|カールッティーケーヤ]](スカンダ)がおり、家族の一員であり一家の主としての顔を持つ。シヴァの異名である「ウマーパティ」(Umāpati、ウマーの夫)はそんなシヴァの一面を表している。シヴァ・サハスラナーマにはさらに「ウマーカーンタ」(Umākānta)、「ウマーダーヴァ」(Umādhava)という名前に触れられており、シャルマはこれらも「ウマーパティ」と同様の意味で用いられているとしている<ref>For {{IAST|Umāpati}}, {{IAST|Umākānta}} and {{IAST|Umādhava}} as names in the Shiva Sahasranama literature, see: {{Harvnb|Sharma|1996|p=278}}.</ref>。叙事詩に登場するウマーは多くの意味で知られており、温和なパールヴァティの異名のひとつでもある<ref>For {{IAST|Umā}} as the oldest name, and variants including {{IAST|Pārvatī}}, see: Chakravarti, p. 40.</ref><ref>For {{IAST|Pārvatī}} identified as the wife of Shiva, see: Kramrisch, p. 479.</ref>。シヴァの息子ガネーシャは障害を取り除く神として、物事を始めるための神として[[インド]]全土、ネパールで広く信仰されている。カールッティーケーヤは[[南インド]]、特に[[タミル・ナードゥ州]]、[[ケーララ州]]、[[カルナータカ州]]で良く信仰される。カールッティーケーヤにも様々な異名があり、南インドではスブラマニア(Subrahmanya)、ムルガン(Murugan)など、北インドではスカンダ、クマラ(Kumara)、カールッティーケーヤなどと呼ばれる<ref>For regional name variants of Karttikeya see: Gupta, ''Preface''.</ref>。 地方の土着の神々がシヴァの息子として語られる例がある。例えば、シヴァは{{仮リンク|モーヒニー|en|Mohini}}{{Refn|group="注"|[[ヴィシュヌ]]の女性としての[[アヴァターラ]]}}の美しさと魅力に絆されてモーヒニーとの間に子をもうけ、その結果{{仮リンク|シャスタ|en|Shasta (deity)}}が生まれた。このシャスタは土着の神である{{仮リンク|アイヤッパ|en|Ayyappan}}、{{仮リンク|アイヤナル|en|Aiyanar}}と同一視される<ref>{{Cite book|last=Doniger|first= Wendy |title=Splitting the difference: gender and myth in ancient Greece and India|publisher=University of Chicago Press|location=London|year=1999|url=https://books.google.com/?id=JZ8qfQbEJB4C&pg=PA263&dq=mohini+Vishnu&cd=2#v=onepage&q=mohini%20Vishnu|pages= 263–5 | isbn=978-0-226-15641-5}}</ref><ref name=Vanita69>{{Cite book |title= Same-sex love in India: readings from literature and history|last= Vanita|first= Ruth |authorlink= |author2=Kidwai, Saleem |year= 2001|publisher= Palgrave Macmillan|location= |isbn=978-0-312-29324-6|page = 69}}</ref><ref name="P71">{{Cite book |title= The man who was a woman and other queer tales of Hindu lore|last= Pattanaik|first= Devdutt |year= 2001|publisher= Routledge|location= |isbn=978-1-56023-181-3|url = https://books.google.com/?id=Odsk9xfOp6oC&pg=PA71&dq=mohini&cd=2#v=onepage&q=mohini|page = 71}}</ref><ref>See {{仮リンク|Mohini#Relationship with Shiva|en|Mohini#Relationship with Shiva}} for details</ref>。また蛇の女神[[マナサー]]や{{仮リンク|アショーカスンダリ|en|Ashokasundari}}がシヴァの娘であると語られることもある<ref>{{Cite book|title=Offering Flowers, Feeding Skulls: Popular Goddess Worship in West Benegal|first= June|last= McDaniel|year= 2004|publisher= Oxford University Press, US|page= 156|isbn= 0-19-516790-2 }}</ref><ref name="mani">{{Cite book |title = Puranic Encyclopaedia: a Comprehensive Dictionary with Special Reference to the Epic and Puranic Literature | publisher = Motilal Banarsidass Publishers |year = 1975| isbn = 978-0-8426-0822-0 | author = Vettam Mani|pages= 62, 515–6}}</ref>。 === 偶像に表される形 === [[ファイル:Shiva as the Lord of Dance LACMA edit.jpg|thumb|200px|{{仮リンク|ナタラージャ|en|Nataraja}}として踊っているシヴァ。[[チョーラ朝]]時代の物。[[ロサンゼルス・カウンティ美術館]]。]] ナタラージャ(naṭarāja、踊りの王)という形で表現されるシヴァも広く受け入れられている<ref>For description of the nataraja form see: Jansen, pp. 110-111.</ref><ref>For interpretation of the ''{{IAST|naṭarāja}}'' form see: Zimmer, pp. 151-157.</ref>。「ナルタカ」(Nartaka、踊り手)とニチャナルタ(Nityanarta、永遠の踊り手)という名前もシヴァ・サハスラナーマに紹介されている<ref>For names Nartaka (''Sanskrit'' नर्तक) and Nityanarta (Sanskrit नित्यनर्त) as names of Shiva, see: {{Harvnb|Sharma|1996|p=289}}.</ref>。シヴァと踊り、シヴァと音楽とのつながりが顕著になるのはプラーナ文献の時代(4世紀から14世紀)である<ref>For prominence of these associations in puranic times, see: Chakravarti, p. 62.</ref>。特徴的なナタラージャのポーズの他にもインド各地で様々な踊りの形(nṛtyamūrti、リチャムールタ)が見られ、[[タミル・ナードゥ州]]では特によく体系化されている<ref>For popularity of the ''{{IAST|nṛtyamūrti}}'' and prevalence in South India, see: Chakravarti, p. 63.</ref>。ダンスの形で最も有名なものとして、{{仮リンク|ターンダヴァ|en|Tandava}}と{{仮リンク|ラースヤ|en|Lasya}}が挙げられる。世界の破壊が必要になった時にはシヴァ([[マハーカーラ]])が舞うターンダヴァと<ref>{{Cite book|last=Kramrisch|first=Stella |title=The Presence of Siva|publisher=[[プリンストン大学出版局|Princeton University Press]]|year=1994|page=439|chapter=Siva's Dance}}</ref><ref>{{Cite book|last=Klostermaier|first=Klaus K.|authorlink=Klaus Klostermaier |title=Mythologies and Philosophies of Salvation in the Theistic Traditions of India|publisher=Wilfrid Laurier Univ. Press|page=151|chapter=Shiva the Dancer}}</ref>、パールヴァティの踊るラースヤ、優美で繊細で穏やかな感情が特徴的な女性の舞踊によって、世界の破壊が遂行される<ref>{{Cite book|last=Massey|first=Reginald |title=India's Kathak Dance, Past Present, Future|publisher=Abhinav Publications|page=8|chapter=India's Kathak Dance}}</ref><ref name="VMoorthy">{{Cite book|last=Moorthy|first=Vijaya |title=Romance of the Raga|publisher=Abhinav Publications|year=2001|page=96}}</ref>。ラースヤは女性的な踊りとしてターンダヴァと対を成す<ref name="VMoorthy" />。ターンダヴァとラースヤは世界の破壊と再生に結び付けて考えられる<ref>{{Cite book|last=Leeming|first=David Adams |title=A Dictionary of Asian Mythology|publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]]|year=2001|page=45}}</ref><ref>{{Cite book|last=Radha|first=Sivananda |title=Kuṇḍalinī Yoga|publisher={{仮リンク|Motilal Banarsidass|en|Motilal Banarsidass}}|year=1992|page=304|chapter=Mantra of Muladhara Chakra}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20101123213949/http://vedabase.net/sb/1/2/23/en when it requires to be destroyed, Lord Śiva does it by the tāṇḍavanṛtya]</ref>。 {{仮リンク|ダクシナムルティ|en|Dakshinamurthy}}(Dakṣiṇāmūrti<ref>For iconographic description of the {{IAST|Dakṣiṇāmūrti}} form, see: Sivaramamurti (1976), p. 47.</ref>)という様相は教師([[グル]])としてシヴァを表現している。この形ではシヴァをヨーガの、そして音楽の、知識の教師として、[[シャーストラ]]について議論を繰り広げる論客として表現する<ref>For description of the form as representing teaching functions, see: Kramrisch, p. 472.</ref>。インド芸術の中にシヴァを描くこの習慣はほとんどが[[タミルナードゥ州]](南インド)を起源としている<ref>For characterization of {{IAST|Dakṣiṇāmūrti}} as a mostly south Indian form, see: Chakravarti, p. 62.</ref>。ダクシナムルティではシヴァは鹿の[[玉座]]に座り、シヴァの教えに傾聴する[[リシ]]([[賢者]])たちに囲まれた姿で描かれる<ref>For the deer-throne and the audience of sages as {{IAST|Dakṣiṇāmūrti}}, see: Chakravarti, p. 155.</ref>。 [[ファイル:Khajuraho Ardharnareshvar.jpg|thumb|left|[[アルダナーリーシュヴァラ|Ardhanarishvara]]、男性神シヴァと女性神パールヴァティが半分ずつ描かれる。[[カジュラーホー寺院群]]<ref>{{Cite book|author1=Constance Jones|author2=James D. Ryan|title=Encyclopedia of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC&pg=PA43 |year=2006|publisher=Infobase |isbn=978-0-8160-7564-5|page=43}}</ref>。]] [[アルダナーリーシュヴァラ]]はシヴァの体の半分を男性として、のこり半分を女性として描く。エレン・ゴールドバーグ(Ellen Goldberg)は、アルダナーリーシュヴァラという語は「半男、半女」ではなく、「半分が女性の王」と翻訳するのがふさわしいとしている<ref>Goldberg specifically rejects the translation by Frederique Marglin (1989) as "half-man, half-woman", and instead adopts the translation by Marglin as "the lord who is half woman" as given in Marglin (1989, 216). Goldberg, p. 1.</ref>。 シヴァは[[アスラ]]たちの三重構造の要塞トリプラに向かって弓を構える姿で描写されることがある<ref>For evolution of this story from early sources to the epic period, when it was used to enhance Shiva's increasing influence, see: Chakravarti, p.46.</ref>。シヴァの異名のひとつである「{{仮リンク|トリプランタカ|en|Tripurantaka}}」(トリプラを終わらせる者)はこの物語が由来となっている<ref>For the {{IAST|Tripurāntaka}} form, see: Sivaramamurti (1976), pp. 34, 49.</ref>。 === リンガ信仰 === [[ファイル:Aikya Linga in Varanasi.jpg|thumb|{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}への献花。[[ヴァーラーナシー]]。]] {{Main|{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam}}}} 人の姿での表現のみならず、シヴァは{{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam|label=リンガ}}(リンガムとも)という形に象徴化される<ref name="Michaels, p. 216">Michaels, p. 216.</ref><ref>Flood (1996), p. 29.</ref><ref>Tattwananda, pp. 49-52.</ref>。リンガの形は様々である<!--大まかには同じ-->。一般的なものでは、{{仮リンク|ヨーニ|en|yoni}}と呼ばれる注ぎ口が付いた円盤上のオブジェクトの真ん中から、円柱が垂直にそそり立つという形をしている。このヨーニは女神シャクティを象徴化している<ref name=britannicalingam>[https://www.britannica.com/topic/lingam Lingam: Hindu symbol] Encyclopedia Britannica</ref>。シヴァを祀る寺院であれば通常リンガは寺院内の聖所に置かれ、[[牛乳]]、[[花]]、[[花びら]]、[[果物]]、[[葉|葉っぱ]]、[[米|お米]]などが捧げられる<ref name=britannicalingam/>。[[モニエル・モニエル=ウィリアムズ|モニエル・ウィリアムズ]]、ユディット・グリーンバーグ(Yudit Greenberg)らによれば、リンガは字義をとれば「印」、「符号」、「紋」に翻訳され、また、「それによって何か他の物が存在することを確かに推測できる印」を意味する。すなわちシヴァという存在に象徴されている、自然界に備わっている、神聖な再生の力を暗示するとする<ref>Monier Williams (1899), Sanskrit to English Dictionary, लिङ्ग, page 901</ref><ref>{{Cite book|author=Yudit Kornberg Greenberg|title=Encyclopedia of Love in World Religions|url=https://books.google.com/books?id=nGoag6b3JvYC&pg=PA572 |year=2008|publisher=ABC-CLIO|isbn=978-1-85109-980-1|pages=572–573}}</ref>。{{仮リンク|ウェンディー・ドニガー|en|Wendy Doniger}}をはじめとする一部の学者は、リンガは単純に[[ファルス]]を象徴化したものに過ぎないとするが<ref>{{Cite book |author=O'Flaherty, Wendy Doniger |title=Śiva, the erotic ascetic |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |year=1981 |pages= |isbn=0-19-520250-3 |oclc= |doi= }}</ref>、[[ヴィヴェーカーナンダ]]<ref>{{Cite book|last=Sen|first=Amiya P.|title=The Indispensable Vivekananda|publisher=Orient Blackswan|year=2006|pages=25–26|chapter=Editor's Introduction }}</ref>、{{仮リンク|シヴァナンダ・サラスヴァティ|en|Sivananda Saraswati}}<ref>{{Cite book|last=Sivananda|first=Swami|title=Lord Siva and His Worship|publisher=The Divine Life Trust Society|year=1996|chapter=Worship of Siva Linga|url=http://www.dlshq.org/download/lordsiva.htm#_VPID_80}}</ref>、{{仮リンク|バラガンガダーラ|en|S. N. Balagangadhara}}らは<ref>{{Cite journal|author=Balagangadhara, S.N., Sarah Claerhout|date=Spring 2008|title=Are Dialogues Antidotes to Violence? Two Recent Examples From Hinduism Studies|journal=Journal for the Study of Religions and Ideologies|volume=7|issue=19|pages=118–143|url=http://www.jsri.ro/new/?download=19_balagangadhara_claerhout.pdf|ref=harv}}</ref>この評価に反対の立場をとる。[[M・ヴィンテルニッツ]]は、リンガの象徴するものは単純に、シヴァに内在する自然のもつ生産と創造の原則であり、歴史の中に猥褻な[[生殖器崇拝|性器信仰]]の存在した痕跡は認められないとしている<ref>{{Cite book|last=Winternitz|first=Moriz|author2=V. Srinivasa Sarma |title=A History of Indian Literature, Volume 1 |publisher=Motilal Banarsidass| year=1981| page=543 footnote 4| isbn=978-81-208-0264-3| url=https://books.google.com/?id=JRfuJFRV_O8C&pg=PA543}}</ref>。 リンガ信仰の由来を辿ると『[[アタルヴァ・ヴェーダ]]』(紀元前1200年-紀元前1000年)に収録されている賛歌にまで遡る。ユパ・スタンバ(Yupa-Stambha)、儀式のための柱を称える歌であり、始まりも終わりもない[[スタンバ]](Stambha)あるいはスカンバ(Skambha)という記述がみられ、これは、このスタンバが永遠の[[ブラフマン]]の象徴として建てられていることを示している。ちょうど{{仮リンク|ヤジナ|en|Yajna}}(儀式)の火が、煙が、灰が、炎が、ソーマが、この[[ヴェーダの宗教|ヴェーダの儀式]]に用いられる薪を運ぶのに使われた牛が輝かしいシヴァの体に、彼の褐色のもつれた髪に、青い喉に、シヴァの乗り物としての牛に置き換えられたように、ユパ・スタンバはやがてシヴァ・リンガに置き換えられた<ref name="E.U.Harding">{{Cite book | last = Harding | first = Elizabeth U. | title = Kali: The Black Goddess of Dakshineswar | chapter = God, the Father | publisher = Motilal Banarsidass | year = 1998 | pages = 156–157 | isbn = 978-81-208-1450-9}}</ref><ref name="paris_congress">{{Cite book | last = Vivekananda | first = Swami | title = The Complete Works of Swami Vivekananda | chapter = The Paris congress of the history of religions | chapterurl = http://www.ramakrishnavivekananda.info/vivekananda/volume_4/translation_prose/the_paris_congress.htm | volume = 4}}</ref>。『リンガ・プラーナ』では同じ賛歌が偉大なスタンバの栄光とマハーデーヴァの優位性を確立するためのストーリーに展開される<ref name="paris_congress" />。<!--出典確認したい--> シヴァの象徴として作られたもので現存する最も古いリンガは紀元前3世紀に作られたもので{{仮リンク|グディマラム|en|Gudimallam}}村に見つかっている<ref name=britannicalingam/>。シヴァ派の巡礼の習慣ではインド各地に散らばる主要な12のシヴァ寺院を{{仮リンク|ジョーティルリンガ|en|Jyotirlinga}}(光のリンガの意)と呼ぶ<ref>{{Cite book|author=Swati Mitra|title=Omkareshwar and Maheshwar|url=https://books.google.com/books?id=_0RpUoGiou4C&pg=PA25|year=2011|publisher=Eicher Goodearth and Madhya Pradesh Government|isbn=978-93-80262-24-6|page=25}}</ref>。 === 5つのマントラ === [[ファイル:10th century five headed Shiva Sadashiva Cambodia Metmuseum.jpg|thumb|left|サダシヴァ、5つの頭を持つシヴァ。[[カンボジア]]、10世紀。]] 「5」はシヴァと結び付けられて考えられる神聖な数字になる<ref>For five as a sacred number, see: Kramrisch, p. 182.</ref>。シヴァの[[マントラ]]の中でも最も重要なもののひとつ、「{{仮リンク|オーム・ナマ・シヴァーヤ|en|Om Namah Shivaya|label=ナマ・シヴァーヤ}}」(namaḥ śivāya)も5音節である<ref>It is first encountered in an almost identical form in the Rudram. For the five syllable mantra see: Kramrisch, p. 182.</ref>。 シヴァの体はパーンチャブラフマンス(pañcabrahmans)と呼ばれる5つのマントラから成ると言われている<ref>For discussion of these five forms and a table summarizing the associations of these five mantras see: Kramrisch, pp. 182-189.</ref>。これら5つはそれぞれ神という形をとり、名前と偶像上の特徴を持っている<ref>For distinct iconography, see Kramrisch, p. 185.</ref>。 * {{仮リンク|サドヨジャータ|en|Sadyojata}}(Sadyojāta) * {{仮リンク|ヴァマデーヴァ|en|Vamadeva}}(Vāmadeva) * {{仮リンク|バイラヴァ|en|Bhairava|redirect=1}} * {{仮リンク|タトプルシャ|en|Tatpurusa}}(Tatpuruṣa) * [[伊舎那天|イシャーナ]](Īsāna)<!--スペルちがう?--> これらはシヴァの5つの顔として表現され、また様々な文献にて5つの要素、5つの感覚、5つの知覚の器官<!--ジャナネンドリヤス。聴覚、接触覚、視覚、味覚、臭覚-->、5つの活動の感覚器官<!--カルメンドリヤス。耳、皮膚、目、舌、鼻-->と結び付けられている<ref>For association with the five faces and other groups of five, see: Kramrisch, p. 182.</ref><ref>For the epithets ''{{IAST|pañcamukha}}'' and ''{{IAST|pañcavaktra}}'', both of which mean "five faces", as epithets of {{IAST|Śiva}}, see: Apte, p. 578, middle column.</ref>。教義の違いによって、あるいはもしかすると伝達の失敗から、これらの5つの顔がどの特性と結び付けられているのかに関してはバリエーションが存在する<ref>For variation in attributions among texts, see: Kramrisch, p. 187.</ref>。全体としての意味合いはクラムリッシュによって以下のように要約されている。 {{Quote|これらの超越的な[[カテゴリ]]を通して、究極の現実(ブラフマン)であるシヴァは全ての存在するものの[[作用因]]、[[質料因]]となる<ref>Kramrisch, p. 184.</ref>。}} 『{{仮リンク|パーンチャブラフマ・ウパニシャッド|en|Pancabrahma Upanishad}}』には以下のように語られている。 {{Quote|全ての現象世界は5つの性質からなると知りなさい。シヴァの永遠の真理は5つのブラフマンから成る性質なのだから。|『パーンチャブラフマ・ウパニシャッド』31<ref>Quotation from ''Pañcabrahma Upanishad'' 31 is from: Kramrisch, p. 182.</ref>}} === アヴァターラ === プラーナ文献には時折「アンシュ」(ansh)という言葉が現れる。これは「一部」という意味で、同時にシヴァの[[アヴァターラ]](化身)を意味する言葉である。しかしこの「アンシュ」がシヴァのアヴァターラを意味するという<!--出典確認したい-->アイデアはシヴァ派の中でも全体に受け入れられているわけではない<ref>{{Cite book |last=Parrinder| first= Edward Geoffrey |title=Avatar and incarnation |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |year=1982 |page= 88 |isbn=0-19-520361-5 }}</ref>。『リンガ・プラーナ』に語られるシヴァの姿形は合計で28種類に及び、そのうち何回かはアヴァターラとして語られる<ref>{{Cite book|last=Winternitz|first=Moriz|author2=V. Srinivasa Sarma |title=A History of Indian Literature, Volume 1 |publisher=Motilal Banarsidass| year=1981| pages=543–544| isbn=978-81-208-0264-3| url=https://books.google.com/?id=JRfuJFRV_O8C&pg=PA543}}</ref>。しかしこういう表現は全体から見ると稀で、シヴァ派の信仰の中でシヴァのアヴァターラが語られることは珍しい。これは「ヴィシュヌのアヴァターラ」というコンセプトをことさら強調するヴィシュヌ派とは対照的である<ref>James Lochtefeld (2002), "Shiva" in The Illustrated Encyclopedia of Hinduism, Vol. 2: N-Z, Rosen Publishing, ISBN 0-8239-2287-1, page 635</ref><ref name=ryanjonesavatar>{{Cite book|author1=Constance Jones |author2=James D. Ryan |title=Encyclopedia of Hinduism |url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC |year=2006|publisher=Infobase |isbn=978-0-8160-7564-5 |pages=474 }}</ref><ref>{{Cite book |last=Parrinder| first= Edward Geoffrey |title=Avatar and incarnation |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |year=1982 |pages= 87–88 |isbn=0-19-520361-5 }}</ref>。 いくつかのヴィシュヌ派の文献では、敬意をもってシヴァと神話の中の登場人物とをリンクさせている。例えば、『{{仮リンク|ハヌマン・チャーリーサ|en|Hanuman Chalisa}}』(賛歌)ではハヌマーンはシヴァの11番目のアヴァターであるとされている<ref>{{Cite book|last= Lutgendorf|first=Philip|title=Hanuman's tale: the messages of a divine monkey|publisher=Oxford University Press US|year=2007|page=44|url=https://books.google.com/?id=fVFC2Nx-LP8C&pg=PT333&dq=avatara+Hanuman&cd=1#v=snippet&q=avatara%20%20Shiva | isbn=978-0-19-530921-8}}</ref><ref>{{Cite book|last=Catherine Ludvík|title=Hanumān in the Rāmāyaṇa of Vālmīki and the Rāmacaritamānasa of Tulasī Dāsa|pages=10–11|url=https://books.google.com/?id=KCXQN0qoAe0C&pg=PA10&dq=Hanuman+Rudra&cd=2#v=onepage&q=Hanuman%20Rudra | isbn=978-81-208-1122-5 | year=1994 | publisher=Motilal Banarsidass Publ.}}</ref><ref>Sri Ramakrishna Math (1985) "Hanuman Chalisa" p. 5</ref>。『{{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}』、『{{仮リンク|ヴィシュヌ・プラーナ|en|Vishnu Purana}}』では[[リシ]]、[[ドゥルヴァーサ]]がシヴァの一部であると語られている<ref name="Footnote 1 HH Wilson">{{Cite web | url= http://www.sacred-texts.com/hin/vp/vp044.htm#fn_229 | title= Footnote 70:1 to Horace Hayman Wilson's English translation of The Vishnu Purana: Book I - Chapter IX|accessdate=2016-12-02}}</ref><ref name="Footnote 2 HH Wilson">{{Cite web | url= http://www.sacred-texts.com/hin/vp/vp045.htm#fn_243 | title= Footnote 83:4 to Horace Hayman Wilson's English translation of The Vishnu Purana: Book I - Chapter X|accessdate=2016-12-02}}</ref><ref name="Bhagavata Purana 4.1">{{Cite web | url= http://vedabase.net/sb/4/1/en1 | title= Srimad Bhagavatam Canto 4 Chapter 1 - English translation by A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupada|accessdate=unknown|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150816150749/http://vedabase.net/sb/4/1/en1|archivedate=2015-08-16}}</ref>。中世の著述家たちの中には[[不二一元論]]で知られる哲学者[[シャンカラ]]をシヴァの生まれ変わりであるとする者もいる<ref>{{Cite book|author=Sengaku Mayeda (Translator)|title=A Thousand Teachings: The Upadesasahasri of Sankara|url=https://books.google.com/books?id=8fkLggRFFBwC|year=1979|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-0943-5|page=4}}</ref>。 == 祭り == {{Main|マハー・シヴァラートリー}} {{Multiple image | direction = vertical | width = 160 | footer = [[マハー・シヴァラートリー]]。通常は灯りのともる寺院で、あるいは特別に作られたプラバ(prabha、写真)と呼ばれる塔で夜に開催される。 | image2 = Prabha 09.jpg | image1 = Kotappakonda.jpg }} マハー・シヴァラートリーは毎年開催されるシヴァの[[祭|お祭り]]である。[[太陰暦]]で毎月の13日の夜と14日に「シヴァラートリー」が行われるが<ref name="Raj2012p152">{{Cite book|author=Karen Pechilis|editor=Selva J. Raj|title=Dealing with Deities: The Ritual Vow in South Asia|url=https://books.google.com/books?id=h80yOTwlAUcC&pg=PA152 |year=2012|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-8200-1|pages=152–153}}</ref>、1年に一度、太陽暦の2月か3月、春の訪れの前に「マハー・シヴァラートリー」(偉大なシヴァの夜の意)が開催される<ref name=dalal137>{{Cite book|author=Roshen Dalal|title=Hinduism: An Alphabetical Guide|url=https://books.google.com/books?id=DH0vmD8ghdMC |year=2010|publisher=Penguin Books |isbn=978-0-14-341421-6|pages=137, 186 }}</ref><ref name="JonesRyan2006p269" />。 マハー・シヴァラートリーはヒンドゥー教の主要な祭礼のひとつであり、厳粛な性格のものである。宗教的には、この祭りには世界と人生に存在する「暗闇と無知の克服」を心に刻むという意味があり<ref name="JonesRyan2006p269" />、シヴァの神格と人々の信仰といった両極性について瞑想する日でもある<ref name="Raj2012p152" /><!--...Mahashivaratri to be a mediation between polarities, including the personality of Shiva and the devotion of humankind....-->。シヴァに関係する詩が詠唱され、祈りがささげられ、シヴァが心にとどめられ、[[断食]]とヨーガが実践され、自制、誠実さ、[[アヒンサー|非暴力]]、寛容、内省と懺悔、そしてシヴァへの到達についての瞑想が行われる<ref name="JonesRyan2006p269" /><ref>{{Cite book|author=Bruce Long|editor=Guy Richard Welbon and Glenn E. Yocum|title=Religious Festivals in South India and Sri Lanka (Chapter: "Mahāśivaratri: the Saiva festival of repentance") |url=https://books.google.com/books?id=PozZAAAAMAAJ |year=1982|publisher=Manohar|pages=189–217}}</ref>。熱心な信者は夜を徹する。そうでない者はシヴァの寺院を訪れたり、ジョーティルリンガ(主要な12のシヴァ寺院)を巡礼する。寺院を訪れた者は牛乳、果物、花、葉っぱ、甘味をリンガに捧げる<ref name=dalal137/>。コミュニティによっては、シヴァが踊りの神であることにちなみ、ダンスイベントを開催する<ref>{{Cite book|author=Cath Senker|title=My Hindu Year|url=https://books.google.com/books?id=lGZ5dWKRw5EC&pg=PA12|year=2007|publisher=The Rosen Publishing Group|isbn=978-1-4042-3731-5|pages=12–13}}</ref>。コンスタンス・ジョーンズ(Constance Jones)とジェームズ・リャン(James D. Ryan)によればマハー・シヴァラートリーの起源は古代ヒンドゥー教の祝祭まで、おそらく5世紀頃までさかのぼる<ref name="JonesRyan2006p269">{{Cite book|author1=Constance Jones|author2=James D. Ryan|title=Encyclopedia of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC&pg=PA269|year=2006|publisher=Infobase Publishing|isbn=978-0-8160-7564-5|page=269}}</ref>。 シヴァにまつわる地域のお祭りとしては[[マドゥライ]]のチッティライ祭が挙げられる。これは4月か5月に開催され、南インドでは最大級のお祭りとなり、{{仮リンク|ミナクシ|en|Minakshi}}(パールヴァティの化身)とシヴァの[[結婚]]を祝う。ヴィシュヌが彼の女兄弟であるミナクシをシヴァに嫁がせたという背景があるため{{Refn|group="注"|このエピソードにはバリエーションが存在する。<!--ミナクシというより、地域によってパールヴァディとヴィシュヌ兄弟説があるが正しい気がする-->}}、この祭りはヴィシュヌ派とシヴァ派がともに祝うものとなっている<ref>{{Cite book|author1=Constance Jones|author2=James D. Ryan|title=Encyclopedia of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC |year=2006|publisher=Infobase Publishing|isbn=978-0-8160-7564-5| pages=112–113}}</ref>。また、[[ディーワーリー]](新年の祭り)の期間に[[タミルナードゥ州]]のシヴァ派コミュニティはカールティッカイ・デーパム(Karttikai Deepam)という祭りでシヴァとムルガン([[スカンダ]]の異名、シヴァの息子)に祈りを捧げる<ref name=dalal137/>。 シャクティ派の祝祭にも、最高神である女神とともにシヴァを信仰する祭り、例えば女神{{仮リンク|アンナプールナ|en|Annapoorna devi}}に捧げられるアンナクタ(Annakuta)祭や、その他[[ドゥルガー]]に関するお祭りがいくつか存在する<ref>{{Cite book|author1=Constance Jones|author2=James D. Ryan|title=Encyclopedia of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC |year=2006|publisher=Infobase Publishing|isbn=978-0-8160-7564-5| pages=39, 140}}</ref>。[[ネパール]]やインド北部、中部、西部などヒマラヤに近い地域では雨季に女性が中心となって{{仮リンク|ティージ|en|Teej}}祭が開催される。パールヴァティを称える祭りであり、パールヴァティ・シヴァ寺院に集まりみんなで歌い、踊り、そして祈りがささげられる<ref>{{Cite journal| author=Manju Bhatnagar| title=The Monsoon Festival Teej in Rajasthan| year=1988|volume=47|number=1| jstor=1178252| journal=Asian Folklore Studies|pages=63–72}}</ref><ref>{{Cite journal | last=Skinner | first=Debra | last2=Holland | first2=Dorothy | last3=Adhikari | first3=G. B. | title=The Songs of Tij: A Genre of Critical Commentary for Women in Nepal | journal=Asian Folklore Studies | volume=53 | issue=2 | year=1994 | pages=259–305 }}</ref>。 かつては、イスラム教の支配の広がった時代に戦士となった苦行者など<ref name=david>David N. Lorenzen (1978), [http://www.jstor.org/stable/600151 Warrior Ascetics in Indian History], Journal of the American Oriental Society, 98(1): 61-75</ref><ref name="pinch">William Pinch (2012), Warrior Ascetics and Indian Empires, Cambridge University Press, ISBN 978-1107406377</ref>{{refn|group=注|参照: [[:en:Sannyasa]]}}、現代でもシヴァに関係するヴェーダや[[タントリズム]]の信仰から派生した禁欲主義者、苦行者など(サンニヤーシ、[[サドゥ]]ら)が[[クンブ・メーラ]]という祝祭を祝う<ref name=jonesryan301/>。この祭りは4つの場所で12年に1度ずつ、それぞれ3年ずつ時期をずらして開催される。つまり3年に1度どこかでクンブ・メーラが開催される。プラヤーグ([[イラーハーバード]])で行われるものが最も大きなクンブ・メーラとなり、数100万人に及ぶ様々な宗派のヒンドゥー教徒が[[ガンジス川]]と[[ヤムナー川]]の合流地点に集まる。伝統的にシヴァを信仰する禁欲派の戦士(ナーガ)達が最初に川に入り、沐浴と祈祷を行うという栄誉に与っている<ref name=jonesryan301>{{Cite book|author1=Constance Jones|author2=James D. Ryan|title=Encyclopedia of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=OgMmceadQ3gC |year=2006|publisher=Infobase Publishing|isbn=978-0-8160-7564-5| page=301}}</ref>。 == ヒンドゥー教以外での受容 == [[ファイル:4 Buddha and Shiva Linga Vajrayana Buddhism.jpg|thumb|left|180px|ヒマラヤにある15世紀の仏教寺院の[[仏陀]]像。台座としてシヴァ・リンガと仏陀が彫られている。]] シヴァは(仏教の)[[密教]]にも登場し、彼は[[方便|ウパーヤ]]<!--誤リンクかも-->として、シャクティは[[般若|プラジュニャー]]として描かれている<ref>{{Cite book | url=https://books.google.com/books?id=x_FJcRDXhfQC&pg=PA95 | title=Buddhist Thought and Ritual | publisher=Motilal Banarsidass Publications | author={{仮リンク|David Kalupahana|en|David Kalupahana}} | year=2001 | page=95 | isbn=8120817737 |accessdate=2013-10-13}}</ref>。(仏教の)密教の宇宙観ではシヴァは受動的に描かれ、逆にシャクティが能動的に描かれている<ref>{{Cite book | url=https://books.google.com/books?id=9aWyaaw9pC0C&pg=PA43 | title=What Is Tantric Practice? | author=Barnaby B. Dhs | page=43 |accessdate=2013-10-13}}</ref>。<!--よくわからない--> [[シク教]]の聖典、[[グル・グラント・サーヒブ]]に収録される{{仮リンク|ジャプジ・サーヒブ|en|Japji Sahib}}(祈り)には「[[グル]](指導者)はシヴァであり、グルはヴィシュヌとブラフマーである。グルはパールヴァティと[[ラクシュミー]]である」という一節がある<ref>{{Cite book|title=Neighboring Faiths: A Christian Introduction to World Religions|page=377|author=Winfried Corduan|publisher=InterVarsiry Press}}</ref>。同じ章には「シヴァが語る。シッダ(Siddha、達した者)らが耳を傾ける。」ともある。また別の聖典、{{仮リンク|ダサム・グラント|en|Dasam Granth}}では[[グル・ゴービンド・シング]]がルドラの2つのアヴァターラについて触れている{{Sfn|Kapoor|2003|p=17}}。 {{Double image aside|right|Daikoku.jpg|150|Fudo Myoo Museum Rietberg RJP 21.jpg|122|シヴァは仏教の神として取り入れられ、あるいは融合している<!--大黒様は神道よりな気がする-->。左: [[日本]]の[[大黒天]]はシヴァと[[大国主]]が融合した神格である<ref>{{Cite book|author=Ronald Morse|title=Folk Legends from Tono: Japan's Spirits, Deities, and Phantastic Creatures|url=https://books.google.com/books?id=rkmwCQAAQBAJ&pg=PA131 |year=2015|publisher=Rowman & Littlefield|isbn=978-1-4422-4823-6|page=131}}</ref>。右: [[不動明王]]は恐ろしい姿で適応したシヴァである<ref>{{Cite book|author1=Charles Russell Coulter|author2=Patricia Turner|title=Encyclopedia of Ancient Deities|url=https://books.google.com/books?id=sEIngqiKOugC&pg=PA182 |year=2013|publisher=Routledge|isbn=978-1-135-96390-3|page=182}}</ref>。}} シヴァ信仰は[[エフタル]](遊牧国家)と<ref name="ReferenceA">P. 377 ''Classical Hinduism'' By Mariasusai Dhavamony</ref>[[クシャーナ朝]]を通して中央アジアに広まった。[[ザラフシャン川]]沿いの[[パンジケント]]の壁画からは[[ソグディアナ]]や[[ホータン王国]]でもシヴァ派の信仰が盛んだったことが示されている<ref name="ReferenceB">Puri, P. 133 Buddhism in Central Asia</ref>。この壁画ではシヴァは後光をバックにヤジノパヴィタ(Yajnopavita、肩から下げる聖紐)を身に着け<ref name="ReferenceB" />、虎の毛皮を身にまとった姿で描かれるが、この壁画では彼の眷属らはソグディアナの民族衣装を身に着けている<ref name="ReferenceB" />。[[ダンダン・ウィリク]]で見つかった[[羽目板]]には[[トリムルティ]]の1柱として描かれるシヴァにシャクティが跪く姿が描かれている<ref name="ReferenceB" /><ref name="unesco427">[http://en.unesco.org/silkroad/sites/silkroad/files/knowledge-bank-article/vol_III%20silk%20road_religions%20and%20religious%20movements%20II.pdf Religions and Religious Movements – II, p. 427]</ref>。また[[タクラマカン砂漠]]<!--のどこ?-->にも4つの足をもつシヴァが、2頭の牛が支える玉座に足を組んで座る様子が描かれた(壁画)が存在する<ref name="ReferenceB" />。加えて[[ゾロアスター教]]の[[風神|風の神]]{{仮リンク|ヴァーユ・ヴァータ|en|Vayu-Vata}}がシヴァの特徴を受け継いでいる点も注目に値する<ref name="unesco427" />。 [[インドネシア]]ではシヴァは{{仮リンク|バタラ・グル|en|Batara Guru}}として崇拝される。バタラ・グルは{{仮リンク|ムラジャディ・ナ・ボロン|id|Mulajadi na Bolon}}の妻、{{仮リンク|マヌク・パティアラジャ|id|Manuk Patiaraja}}が産んだ卵から最初に孵化した子供であるとされ、このシヴァのアヴァターラは同様に[[マレーシア]]でも信仰される。インドネシアのヒンドゥー教ではシヴァはマハーデーワ(Mahadewa)としても信仰されている<ref>{{Cite book|title=Wayang, its significance in Indonesian society|page=37|author=Moerdowo (R. M.)|year=1982}}</ref>。 [[日本]]の[[七福神]]の1柱である[[大黒天]]はシヴァから発展した神格であると考えられている。日本では[[屋敷神]]として祀られ、財と幸運の神として信仰を集めている<ref>{{Cite book|first=Jeremy|last=Roberts|title=Japanese Mythology A to Z|publisher=Infobase Publishing|year=2009|page=28|url=https://books.google.com/books?id=xdfgjV2kw6oC}}</ref>。「大黒天」という名前は[[マハーカーラ]]の[[漢訳]]である<ref>{{Cite book|first=Pratapaditya|last=Pal|title=Indian Sculpture: 700-1800|publisher=Los Angeles County Museum of Art|page=180}}</ref>。 新興宗教の[[オウム真理教]]ではシヴァを「シヴァ大神」と位置付け、全ての根本神とした。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == {{Refbegin|30em}} * {{Cite book |和書 |editor=[[菅沼晃]]編 |title=インド神話伝説辞典 |publisher=[[東京堂出版]] |date=1985-03 |isbn=978-4-490-10191-1 |ref=インド神話伝説辞典 }} ※特に注記がなければページ番号は本文以降 * {{Cite book|和書 |author=松村一男 |title=神の文化史事典 |editor=松村一男他編 |publisher=[[白水社]] |date=2013-02 |chapter=シヴァ |pages=253-254 |isbn=978-4-560-08265-2 |ref=神の文化史事典 }} * {{Cite book | last=Apte | first=Vaman Shivram | year=1965 | title=The Practical Sanskrit Dictionary | place=Delhi | publisher=Motilal Banarsidass Publishers | edition=Fourth revised and enlarged |isbn=81-208-0567-4 }} * Arya, Ravi Prakash & K. L. Joshi. ''{{IAST|Ṛgveda Saṃhitā}}: Sanskrit Text, English Translation''. Parimal Publications, Delhi, 2001, {{Listed Invalid ISBN|81-7110-138-7}} (Set of four volumes). Parimal Sanskrit Series No. 45; 2003 reprint: 81-7020-070-9. * {{Citation | last =Beckwith | first =Christopher I. | year =2009 | title =Empires of the Silk Road | publisher =Princeton University Press}} *{{cite book|last= Brown |first=Cheever Mackenzie |title=The Devi Gita: The Song of the Goddess: A Translation, Annotation, and Commentary|url=https://books.google.com/books?id=28CIEnZCcqMC&pg=PA77|year=1998|publisher=SUNY Press|isbn=978-0-7914-3939-5|ref=harv}} * {{Cite book | last=Chakravarti | first=Mahadev | year=1986 | title=The Concept of Rudra-Śiva Through The Ages | place=Delhi | publisher= Motilal Banarsidass | edition=Second Revised |isbn=81-208-0053-2 | ref=harv }} *{{cite book|ref=harv|author=Sitansu S. Chakravarti|title=Hinduism, a Way of Life|url=https://books.google.com/books?id=J_-rASTgw8wC |year=1991|publisher=Motilal Banarsidass Publ.|isbn=978-81-208-0899-7}} * {{cite book|ref=harv|author=Suresh Chandra|title=Encyclopaedia of Hindu Gods and Goddesses|url=https://books.google.com/books?id=mfTE6kpz6XEC|year=1998|publisher=Sarup & Sons|isbn=978-81-7625-039-9}} * {{cite book |last=Chatterji |first=J.C. |title=Kashmir Shaivism |year=1986 |publisher=State University of New York Press |location=Albany, NY |isbn=8176254274 }} * {{cite book |last=Chidbhavananda |first=Swami |title=Siva Sahasranama Stotram: With Navavali, Introduction, and English Rendering |year=1997 |publisher=Sri Ramakrishna Tapovanam |location= |isbn=81-208-0567-4 }} (Third edition). The version provided by Chidbhavananda is from chapter 17 of the Anuśāsana Parva of the Mahābharata. *{{cite book|last= Coburn|first= Thomas B.| url=https://books.google.com/books?id=c7vIzNrC-coC |title= Encountering the Goddess: A translation of the Devi-Mahatmya and a Study of Its Interpretation| publisher= State University of New York Press | year= 1991 | isbn = 0791404463|ref=harv}} *{{cite book|last= Coburn| first= Thomas B.| url= https://books.google.com/books?id=hy9kf7_TOHgC| title= Devī Māhātmya, The Crystallization of the Goddess Tradition| publisher= South Asia Books| year= 2002|isbn = 81-208-0557-7 |ref=harv}} * {{cite book |last=Courtright |first=Paul B. |title={{IAST|Gaṇeśa}}: Lord of Obstacles, Lord of Beginnings |year=1985 |publisher=Oxford University Press |location=New York |isbn=0-19-505742-2 }} * {{Cite book | last =Davidson | first =Ronald M. | year =2004 | title =Indian Esoteric Buddhism: Social History of the Tantric Movement | publisher =Motilal Banarsidass}} * {{cite book |last=Davis |first=Richard H. |title=Ritual in an Oscillating Universe: Worshipping Śiva in Medieval India |year=1992 |publisher=Princeton University Press |location= Princeton, New Jersey|isbn=9780691073866 }} *{{cite book |last=Debnath |first=Sailen |title=The Meanings of Hindu Gods, Goddesses and Myths |year=2009 |publisher=Rupa & Co. |location=New Delhi |isbn= 812911481X }} *{{cite book|last= Deussen |first=Paul |title=Sixty Upanishads of the Veda|url=https://books.google.com/books?id=XYepeIGUY0gC&pg=PA791|year= 1997|publisher=Motilal Banarsidass Publ.|isbn=978-8120814677|ref=harv}} *{{cite book |last=Dutt |first=Manmatha Nath |title=A Prose English Translation of the Mahabharata: (translated Literally from the Original Sanskrit Text).. Anushasana Parva, Volume 13. |year=1905 |publisher=Dass, Elysium Press |location= Beadon Street, Calcutta |isbn= }} * {{cite book |last=Flood |first=Gavin |authorlink= Gavin Flood |title=An Introduction to Hinduism |year=1996 |publisher=[[Cambridge University Press]] |location=Cambridge |isbn=0-521-43878-0|ref=harv}} * {{cite book |last=Flood |first=Gavin |authorlink= Gavin Flood|chapter= The Śaiva Traditions |editor= Flood, Gavin|title=The Blackwell Companion to Hinduism|year=2003 |publisher=[[Blackwell Publishing]] |location=Malden, MA |isbn=1-4051-3251-5|ref=harv}} * {{cite book |last=Fuller |first=Christopher John |title=The Camphor Flame: Popular Hinduism and society in India |year=2004 |publisher=Princeton University Press |location= Princeton, New Jersey|isbn= 9780691120485 }} *{{cite book |last=Ganguli |first=Kisari Mohan |title=Mahabharata of Krishna-Dwaipayana Vyasa |year=2004 |publisher=Munshirm Manoharlal Pub Pvt Ltd |location= |isbn= 8121505933 }} * {{cite book |last=Goldberg |first=Ellen |title=The Lord Who is Half Woman: Ardhanārīśvara in Indian and Feminist Perspective|year=2002 |publisher=[[State University of New York Press]]|location=Albany, New York |isbn= 0-7914-5326-X}} * {{Cite book | last=Griffith | first=T. H. | year=1973 | title=The Hymns of the {{IAST|Ṛgveda}} | place=Delhi | publisher= Motilal Banarsidass | edition=New Revised | isbn=81-208-0046-X | ref=harv}} * {{cite book2 |title=Hanuman Chalisa |year=1985 |publisher=Sri Ramakrishna Math |location=Chennai, India|isbn=81-7120-086-9 |author= Goswami Tulsidas ; original text, transliteration, English translation and notes. |name-list-style=amp }} * {{cite book |last=Gupta |first=Shakti M.|title=Karttikeya: The Son of Shiva|year=1988 |publisher=Somaiya Publications Pvt. Ltd.|location=Bombay |isbn=81-7039-186-5 }} * {{cite book |last=Hopkins |first=E. Washburn |title=Epic Mythology|year=1969 |publisher=Biblo and Tannen |location=New York |isbn= }} Originally published in 1915. * {{cite book|ref=harv|last1=Issitt|first1=Micah Lee|last2=Main|first2=Carlyn|title=Hidden Religion: The Greatest Mysteries and Symbols of the World's Religious Beliefs |url=https://books.google.com/books?id=kmFhBQAAQBAJ |year=2014|publisher=ABC-CLIO|isbn=978-1-61069-478-0}} * {{cite book |last=Jansen |first=Eva Rudy|title=The Book of Hindu Imagery|year=1993 |publisher=Binkey Kok Publications BV |location=Havelte, Holland |isbn=90-74597-07-6 }} * {{Cite book |last=Keay |first=John |authorlink=John Keay |title=India: A History |year=2000 |publisher=Grove Press |location= New York, USA |isbn=0-8021-3797-0 |url=https://books.google.com/books?id=3aeQqmcXBhoC}} * {{cite book|ref=harv|author=David Kinsley|title=Hindu Goddesses: Visions of the Divine Feminine in the Hindu Religious Tradition|url=https://books.google.com/books?id=HzldwMHeS6IC |year=1988|publisher=University of California Press|isbn=978-0-520-90883-3}} * {{cite book|first=Klaus K.|last= Klostermaier|title=Mythologies and Philosophies of Salvation in the Theistic Traditions of India|year= 1984|publisher=Wilfrid Laurier University Press|isbn=978-0-88920-158-3|ref=harv}} * {{cite book |ref= harv|last=Kramrisch |first=Stella |title=The Presence of Śiva |year=1981 |publisher=Princeton University Press|location=Princeton, New Jersey |isbn=0-691-01930-4 }} *{{cite book|first=James |last= Lochtefeld| year= 2002| title= The Illustrated Encyclopedia of Hinduism, Vol. 1 & 2|publisher= Rosen Publishing|isbn= 978-0823931798|ref= harv}} * {{cite book |last=Macdonell |first=Arthur Anthony |title=A Practical Sanskrit Dictionary |year=1996 |publisher=Munshiram Manoharlal Publishers |location=New Delhi |isbn=81-215-0715-4 }} * {{cite book|ref=harv|author=William K. Mahony|title=The Artful Universe: An Introduction to the Vedic Religious Imagination|url=https://books.google.com/books?id=B1KR_kE5ZYoC |year=1998|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-3579-3}} * {{Cite book | last=Mallinson | first=James | year=2007 | title=The Shiva Samhita, A critical edition and English translation by James Mallinson | publisher= YogVidya |location=Woodstock, NY |isbn=9780971646650 }} * {{Cite book | last=Marchand | first=Peter | year=2007 | title=The Yoga of Truth: Jnana: The Ancient Path of Silent Knowledge | publisher=Destiny Books |location=Rochester, VT |isbn=9781594771651 }} *{{cite book |last=Marshall |first=John |title=Mohenjo-Daro and the Indus Civilization |year=1996 |publisher=Asian Educational Services; Facsimile of 1931 ed edition |location= |isbn=8120611799 }} * {{cite book |last=Mate |first=M. S. |title=Temples and Legends of Maharashtra |year=1988 |publisher=Bharatiya Vidya Bhavan |location=Bombay |isbn= }} *{{cite book|last= McDaniel |first=June |title=Offering Flowers, Feeding Skulls : Popular Goddess Worship in West Bengal: Popular Goddess Worship in West Bengal|url=https://books.google.com/books?id=caeJpIj9SdkC&pg=PA90|date=2004-07-09|publisher=Oxford University Press, USA|isbn=978-0-19-534713-5|ref=harv}} * {{cite book |last=Michaels |first=Axel|title=Hinduism: Past and Present |year=2004 |publisher=Princeton University Press |ref =harv |url= https://books.google.com/books?id=jID3TuoiOMQC |isbn=978-0691089522 }} * {{Citation | last =Nath | first =Vijay | date =March–April 2001 | title =From 'Brahmanism' to 'Hinduism': Negotiating the Myth of the Great Tradition | journal =Social Scientist | pages =19–50 | doi=10.2307/3518337 |jstor=3518337 }} * {{cite book |last=Parmeshwaranand |first=Swami |title=Encyclopaedia of the Śaivism, in three volumes |year=2004 |publisher=Sarup & Sons |location=New Delhi |isbn=8176254274}} * {{cite book|ref=harv|author=Tracy Pintchman|title=The Rise of the Goddess in the Hindu Tradition|url=https://books.google.com/books?id=JsDpBwAAQBAJ |year=2015|publisher=State University of New York Press|isbn=978-1-4384-1618-2}} *{{cite book|ref=harv|author=Tracy Pintchman| title=Seeking Mahadevi: Constructing the Identities of the Hindu Great Goddess| url=https://books.google.com/books?id=JfXdGInecRIC |year=2014| publisher=State University of New York Press| isbn=978-0-7914-9049-5}} * {{citation|first=Sarvapalli|last=Radhakrishnan |year=1953|url=https://archive.org/stream/PrincipalUpanishads/129481965-The-Principal-Upanishads-by-S-Radhakrishnan#page/n929/mode/2up |title=The Principal Upanishads| location=New Delhi| publisher=HarperCollins Publishers India (1994 Reprint)| isbn=81-7223-124-5| ref=harv}} *{{cite book |first=Ludo |last=Rocher| year= 1986| authorlink= Ludo Rocher| title= The Puranas| publisher= Otto Harrassowitz Verlag| isbn= 978-3447025225|ref=harv}} *{{cite book|last=Sastri|first= A Mahadeva|year= 1898|publisher=Thomson & Co.|title= Amritabindu and Kaivalya Upanishads with Commentaries|url= https://archive.org/stream/amritabindukaiva00mahauoft#page/70/mode/2up|ref= harv}} * {{cite book |last=Sarup |first=Lakshman|title=The {{IAST|Nighaṇṭu}} and The Nirukta |orig-year=1927 |publisher=Motilal Banarsidass|year= 2002|isbn=8120813812}} * {{cite book|ref=harv|author=Arvind Sharma|title=Classical Hindu Thought: An Introduction|url=https://books.google.com/books?id=gDmUToaeMJ0C |year=2000|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-564441-8}} * {{Cite book | last=Sharma | first=Ram Karan | year=1988 | title=Elements of Poetry in the Mahābhārata | place=Delhi | publisher= Motilal Banarsidass | edition=Second | isbn=81-208-0544-5 | ref=harv }} * {{Cite book | last=Sharma | first=Ram Karan | year=1996 | title={{IAST|Śivasahasranāmāṣṭakam}}: Eight Collections of Hymns Containing One Thousand and Eight Names of Śiva | place=Delhi | publisher= Nag Publishers | isbn=81-7081-350-6 | ref=harv }} This work compares eight versions of the Śivasahasranāmāstotra with comparative analysis and Śivasahasranāmākoṣa (A Dictionary of Names). The text of the eight versions is given in Sanskrit. * {{cite book |series= |last=Sivaramamurti |first=C. |title=Śatarudrīya: Vibhūti of Śiva's Iconography |year=1976 |publisher= Abhinav Publications|location=Delhi|isbn= }} * {{cite book |last=Stutley |first=Margaret|title=The Illustrated Dictionary of Hindu Iconography|year=1985 |publisher=|location=|isbn= }} First Indian Edition: Munshiram Manoharlal, 2003, ISBN 81-215-1087-2. * {{cite book |last=Tattwananda |first=Swami|title=Vaisnava Sects, Saiva Sects, Mother Worship |year=1984 |publisher=Firma KLM Private Ltd. |location=Calcutta |isbn= }} First revised edition. * {{Cite book | last=Varenne | first=Jean | year=1976 | title=Yoga and the Hindu Tradition | publisher=The University of Chicago Press |location=Chicago, IL |isbn=0226851168 }} * {{cite book|first=AG Krishna|last=Warrier|title=Śākta Upaniṣads|year=1967|oclc= 2606086|isbn= 978-0835673181|publisher=Adyar Library and Research Center|ref=harv}} * {{cite journal | last=Wayman | first=Alex | last2=Singh | first2=Jaideva | title=Review: A Trident of Wisdom: Translation of Paratrisika-vivarana of Abhinavagupta | journal=Philosophy East and West | volume=41 | issue=2 | year=1991 | pages=266–268 | doi=10.2307/1399778 |ref=harv}} * {{cite book |last=Zimmer |first=Heinrich|title=Myths and Symbols in Indian Art and Civilization |year=1946 |publisher=Princeton University Press |location=Princeton, New Jersey |isbn=0-691-01778-6 }} First Princeton-Bollingen printing, 1972. * {{Citation| last = Cappeller| first = Carl| authorlink=| title = A Sanskrit-English Dictionary: Based Upon the St. Petersburg Lexicons| publisher = Luzac & Company| year = 1891| isbn= }} * {{Citation| last = Kapoor| first = Sukhbir Singh| authorlink=| title = Dasam Granth| publisher = Hemkunt Press| year = 2003| isbn= 9788170103257}} {{refend}} == 関連項目 == {{div col}} * [[トリムルティ]] * [[ルドラ]] * [[パールヴァティ]] * [[アルダナーリーシュヴァラ]] * [[シヴァ派]] * [[ヒンドゥー哲学#シヴァ派]] * {{仮リンク|リンガ (シンボル)|en|Lingam}} * [[ナンディン]] * [[マハー・シヴァラートリー]] * [[マハーカーラ]] * [[カイラス山]] * {{仮リンク|シヴァ・サハスラナーマ|en|Shiva Sahasranama}}(シヴァの千の名前) * {{仮リンク|シヴァ・プラーナ|en|Shiva Purana}} * [[大黒天]] * [[大国主]] * [[大自在天]] * [[天満大自在天神]] * [[シバ・クレーター]] - インド沖の海底にある小惑星衝突跡 {{div col end}} *[[不動明王]] == 外部リンク == {{Commonscat|Shiva}} {{Wikiquote}} * {{Cite web|和書|url=http://www.aa.tufs.ac.jp/~tjun/articles/henyou6.html |author=高島淳 |title=シヴァ信仰の確立 - シャイヴァ・シッダーンタと南インド |publisher= |accessdate=2003-06-20<!--2003年6月20日 (金) 21:53 (UTC)--> }} * {{Cite web|和書|url=http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/shiva.htm |title=シヴァの絵 |accessdate=2003-06-20 |deadlinkdate=2015年8月 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030630212701/http://www.aa.tufs.ac.jp/~kmach/shiva.htm |archivedate=2003-06-30 }} * [https://www.britannica.com/topic/Shiva Shiva] at Encyclopædia Britannica * [https://www.shaivam.org/ Shaivam.org Repository of Shaiva Information] {{Hinduism2}} {{インド神話}} {{Portal bar|ヒンドゥー教|宗教|神話伝承}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しうあ}} [[Category:インド神話の神]] [[Category:ヒンドゥー教の神]] [[Category:破壊神]] [[Category:性的シンボル]] [[Category:三神]]
2003-03-16T08:28:57Z
2023-10-17T05:19:35Z
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1840年代
1840年代(せんはっぴゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1840年から1849年までの10年間を指す十年紀。
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1840年代(せんはっぴゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1840年から1849年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1840 | 年 = 1840 }} '''1840年代'''(せんはっぴゃくよんじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1840年から1849年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == * 楽器職人[[アドルフ・サックス]]が[[サクソフォーン]]を考案。 === 1840年 === {{main|1840年 }} * この頃から、ヨーロッパを中心に[[ダゲレオタイプ]](銀板写真)の普及が始まる。 * [[アヘン戦争]](-1842年)。 * [[世界最大]]の[[鳥]]、[[エピオルニス]]が[[絶滅]]。 === 1842年 === {{main|1842年}} * [[南京条約]]。 * 江戸幕府が異国船打払令を廃止、薪水給与令復活。 === 1844年 === {{main|1844年}} * 北大西洋のアイスランドの小島で[[卵]]をだいていた海鳥[[オオウミガラス]]が[[絶滅]]。 === 1845年 === {{main|1845年}} * [[テキサス共和国]]が[[アメリカ合衆国]]の[[テキサス州]]となる。 === 1846年 === {{main|1846年}} * [[3月10日]](弘化3年2月13日) - [[仁孝天皇]]が没し、第121代[[孝明天皇]]が即位。 * [[米墨戦争]]。 * 米国海軍ビドル提督の率いる軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診。 === 1848年 === {{main|1848年}} * マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表。 * [[第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|第一次デンマーク戦争]](-1852年)。 * [[1848年革命]]。 ** [[2月24日]] [[1848年のフランス革命|パリ二月革命]]、革命風潮欧州全土に拡大。 ** [[3月13日]] [[ウィーン]]の革命。[[メッテルニヒ]]亡命。 ** [[3月15日]] [[ブダペスト]]で革命。 ** 3月  [[フランクフルト国民議会]]。 ** 10月  [[ハンガリー独立宣言]]。 ** 11月 [[ナポレオン3世|ルイ・ナポレオン]]フランス大統領に選出される。 * [[12月2日]] [[オーストリア帝国]]皇帝[[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]退位。[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]即位。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1840ねんたい}} [[Category:1840年代|*]]
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1192年
1192年(1192 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1192年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1192}} {{year-definition|1192}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[建久]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1852年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[紹熙]]3年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[明昌 (金)|明昌]]3年 * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]15年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾祐 (西夏)|乾祐]]23年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[明宗 (高麗王)|明宗]]22年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3525年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天資嘉瑞]]7年 * [[仏滅紀元]] : 1734年 - 1735年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 587年 - 588年 * [[ユダヤ暦]] : 4952年 - 4953年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1192|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[8月21日]](建久3年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[源頼朝]]が[[征夷大将軍]]に就任。これによって[[鎌倉幕府]]の開設が完了したともされる([[鎌倉時代]]の開始)<ref>鎌倉幕府の成立年は[[1180年]]、[[1183年]]、[[1185年]]、[[1190年]]、1192年と諸説あり。詳細は[[鎌倉幕府]]を参照</ref> * 頼朝、[[富士山|富士]]で[[巻狩]]をする。 * [[イングランド王国]]の[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]と、[[アイユーブ朝]]の[[サラーフッディーン]]は[[ヤッファ条約 (1192年)|休戦協定]]を結び、[[第3回十字軍]]が終わる。 * [[金 (王朝)|金]](現在の[[中華人民共和国]])の[[北京]]郊外で[[盧溝橋]]が完成。 == 誕生 == {{see also|Category:1192年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[9月17日]](建久3年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[源実朝]]、[[鎌倉幕府]]の第3代[[征夷大将軍]]、[[源頼朝]]の子(+ [[1219年]]) * [[小槻季継]]、鎌倉時代の[[官人]](+ [[1244年]]) * [[完顔陳和尚]]、[[金 (王朝)|金]]の軍人(+ [[1232年]]) * [[吉川経光]]、鎌倉時代の[[武士]](+ [[1267年]]) * [[トルイ]]、[[チンギス・カン]]の四男(+ [[1232年]]) * [[マリー・ド・モンフェラート]]、[[エルサレム王国]]の女王(+ [[1212年]]) * [[ムスタンスィル]]、[[アッバース朝]]の第36代[[カリフ]](+ [[1242年]]) == 死去 == {{see also|Category:1192年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月1日]](建久2年[[12月16日 (旧暦)|閏12月16日]]) - [[徳大寺実定]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[1139年]]) * [[4月8日]](建久3年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[宇都宮業綱]]、平安時代、鎌倉時代の[[武将]]、[[宇都宮氏]]第4代当主(* [[1156年]]?) * [[4月26日]](建久3年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[後白河天皇]]、第77代[[天皇]](* [[1127年]]) * [[4月28日]] - [[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コンラート1世]]、[[モンフェッラート侯国|モンフェラート侯]](* [[1146年]]) * [[8月12日]](建久3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[好子内親王]]、平安時代、鎌倉時代の[[皇族]]、[[斎宮|伊勢斎宮]](* [[1148年]]?) * [[8月25日]] - [[ユーグ3世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ3世]]、[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]](* [[1142年]]) * [[8月28日]](建久3年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[藤原師長]]、平安時代、鎌倉時代の公卿(* [[1138年]]) * [[12月20日]](建久3年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[顕真]]、平安時代、鎌倉時代の[[天台宗]]の[[僧]](* [[1131年]]) * [[クルチ・アルスラーン2世]]、[[ルーム・セルジューク朝]]の[[スルタン]](* 生年未詳) * [[オリオ・マストロピエノ]]、[[ヴェネツィア共和国]]の第40代元首(* 生年未詳) * [[陸象山]]、[[南宋]]の[[儒学者]]、[[官僚]](* [[1139年]]) == フィクションのできごと == * [[初代ドクター]]ら、[[十字軍]]を巡る王家の争いに巻き込まれる。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1192}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1192ねん}} [[Category:1192年|*]]
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794年
794年(794 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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794年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|794}} {{year-definition|794}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[甲戌]] * [[日本]] ** [[延暦]]13年 ** [[皇紀]]1454年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[貞元 (唐)|貞元]]10年 * [[朝鮮]] ** [[檀紀]]3127年 ** [[渤海 (国)|渤海]] : [[中興 (渤海)|中興]]元年 ** [[新羅]] : [[元聖王]]10年 * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=794|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[7月14日]](延暦13年6月13日)- [[桓武天皇]]の命を受けた[[坂上田村麻呂]]が[[蝦夷]]征討に出発。 * [[11月18日]] (延暦13年10月22日)- 桓武天皇が[[長岡京]]から[[平安京]]へ遷都。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41905790R00C19A3CR0000/|title=長岡京跡から貴族の邸宅 寝殿造りに似た配置|publisher=日本経済新聞|date=2019-03-01|accessdate=2021-01-07}}</ref>{{Sfn|ファータド|2013|p=142|ps=「平安時代の幕開け 桓武天皇は、日本の新しい都の建設にのり出す。」}} * [[12月4日]](延暦13年[[11月8日 (旧暦)|11月8日]])- [[平安京]]が新都となり、同時に山背国を[[山城国]]に、[[近江国]]の古津を旧名の[[大津市|大津]]に、それぞれ改称。 * [[令外官]]として[[征夷大将軍]]を新設。 == 誕生 == {{see also|Category:794年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[安慧 (天台宗)|安慧]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](+ [[868年]]) * [[円仁]]、平安時代の天台宗の僧(+ [[864年]]) * [[賀陽親王]]、平安時代の[[皇族]](+ [[871年]]) * [[ムウタスィム]]、[[アッバース朝]]の第8代[[カリフ]](+ [[842年]]) == 死去 == {{see also|Category:794年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月28日]](延暦13年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - [[藤原帯子]]、[[平城天皇]]の[[皇后]](* 生年未詳) * [[7月31日]](延暦13年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[藤原小黒麻呂]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[733年]]) * [[大元義]]、[[渤海 (国)|渤海]]の第4代王(* 生年未詳) * [[大華璵]]、渤海の第5代王(* 生年未詳) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|ソートキー=年0794|section=1|date=2011年7月}} * 映画「[[ドラえもん のび太のドラビアンナイト]]」で本年の[[バグダード]]が舞台となった。 <!-- == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|794}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=8|年代=700}} {{デフォルトソート:794ねん}} [[Category:794年|*]]
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4,231
8世紀
8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。 日本では唐制に倣った律令制が布かれた時代にあたり、その最盛期とされる。時代区分で言うと飛鳥時代から奈良時代へと移り変わり、さらに平安時代初頭にあたる。条坊制を布いた都城制の都が建設され、藤原京>平城京>恭仁京>難波京>紫香楽宮>平城京>長岡京>平安京と遷都が繰り返された。 デンマークの建国
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8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。
{{出典の明記|date=2023年3月}} {{centurybox}} [[ファイル:Age of Caliphs.png|right|thumb|300px|イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。]] [[ファイル:Courtyard2(js).jpg|right|thumb|300px|[[ウマイヤド・モスク]]。ウマイヤ朝第6代カリフの[[ワリード1世]]により705年に[[シリア]]の[[ダマスカス]]に建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。]] [[ファイル:Folio from a Koran (8th-9th century).jpg|thumb|right|280px|[[クルアーン]]と[[イスラームの書法|イスラムの書法]]。すでに[[正統カリフ]]時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都[[クーファ]]の名から「[[クーフィー体]]」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。]] [[ファイル:Baghdad 150 to 300 AH.png|thumb|right|280px|円城(ムダッワラ)都市[[バグダード]]。アッバース朝の第二代カリフ・[[マンスール]]によって766年に完成したこの都市は[[ティグリス川]]に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。]] [[File:Solidus-Leo III and Constantine V-sb1504.jpg|thumb|right|280px|[[イコノクラスム]]の始まり。イスラム帝国の攻撃から帝都[[コンスタンティノポリス]]を死守した皇帝[[レオン3世]]により[[聖像]]禁止令が出され、東ローマ帝国と周辺のキリスト教国は宗教的混乱に巻き込まれることになった。画像はレオン3世とその子[[コンスタンティノス5世]]の肖像が刻まれた[[ソリドゥス金貨]]。]] [[File:EcumenicalCouncil 7th 07-08.jpg|thumb|right|240px|[[第2ニカイア公会議]]。東ローマ皇帝[[コンスタンティノス6世]]とその母である皇太后[[エイレーネー (東ローマ女帝)|エイレーネー]](後に女帝)により787年に開催されたこの全地公会議により、イコノクラスムの嵐はいったん収まることになった。画像は1502年に[[ディオニシイ]]により描かれた[[ロシア]]・[[ヴォログダ州]]にある[[フェラポントフ修道院]][[フレスコ]]壁画の公会議の場面。]] [[File:Autor nieznany, św. Anna - fragment postaci. Malowidło ścienne.jpg|thumb|right|240px|{{仮リンク|ファラス|en|Faras}}の{{仮リンク|聖堂遺跡|en|Faras Cathedral}}。[[ヌビア]]([[スーダン]])の国家{{仮リンク|マクリア|en|Makuria}}では、イスラム勢力との抗争が落ち着いた8世紀から11世紀にかけて独特なキリスト教文化が発展した。画像は聖堂を飾っていた「[[聖アンナ]]」の壁画断片([[ワルシャワ国立美術館]]蔵)。]] [[ファイル:Ellora cave16 001.jpg|right|thumb|280px|[[エローラ石窟群]]。画像は8世紀にインドの[[ラーシュトラクータ朝]]の君主クリシュナ1世により[[ヒンドゥー教]]の[[シヴァ]]神の住むカイラス山([[須弥山]])になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。]] [[File:Inside Adi Shankara's Gufa at Shankaracharya Temple (Srinagar, Jammu and Kashmir).jpg|thumb|right|280px|[[シャンカラ]]の革新。[[ヴェーダーンタ哲学]]の[[不二一元論]]を確立したシャンカラはインド最大の哲学者と評価され、その後継者たちはヒンドゥー教最高指導者とされている。画像は[[スリナガル]]の[[シャンカラ・アーチャーリヤ]]寺院に飾られたシャンカラの肖像画の数々。]] [[File:Vettuvankovil jain Statues.jpg|thumb|right|280px|[[パーンディヤ朝]]の復興。[[パッラヴァ朝]]に勝利したジャティラ・パラーンタカ・ネドゥンジャダイアン王の時代にパーンディヤ朝は勢力を拡大した。画像はこの王の治世に開削された南インドの[[タミル・ナードゥ州]]にある{{仮リンク|カルグマライのジャイナ教石窟|en|Kalugumalai Jain Beds}}。]] [[File:British Museum Asia 45 (cropped).jpg|thumb|right|200px|[[スリランカ]]とインドの交流。[[アヌラーダプラ王国]]では南伝仏教が崇拝されていたが、インドから[[ヒンドゥー教]]の影響も依然として大きかった。画像はこの世紀に作られた[[大英博物館]]所蔵の{{仮リンク|ターラー像|en|Statue of Tara}}([[多羅菩薩]]像)で、もともとはヒンドゥー系の女神の尊格が取り入れられたものである。]] [[ファイル:DSC00096 Java Centre Borobudur Stupas and Temple (6219572675).jpg|thumb|280px|right|[[ボロブドゥール]]遺跡。[[インドネシア]]の[[ジャワ島]]ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、[[シャイレンドラ朝]]の[[ダルマトゥンガ]]王時代に造営された。]] [[ファイル:Li Xian's tomb, ambassadors.jpg|thumb|280px|right|唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された[[章懐太子]]李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。]] [[ファイル:Yang Guifei by Uemura Shoen (Shohaku Art Museum).jpg|thumb|right|250px|[[楊貴妃]]。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の[[玄宗]]皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。[[安禄山の乱]]に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の[[上村松園]]による楊貴妃の歴史画([[奈良県]][[奈良市]]の [[松伯美術館]]蔵)。]] [[File:Li Bai viewing the waterfall at Mr. Lu, by Soami (d. 1525), Japan, Muromachi period, approx. 1500-1525, hanging scroll, ink on paper - Asian Art Museum of San Francisco - DSC01478.JPG|thumb|right|200px|盛唐の詩人たち。[[唐詩]]の名で知られるようにこの時代には[[李白]]や[[杜甫]]などの詩人たちが活躍した。画像は室町時代の水墨画家[[相阿弥]]の「李白観瀑図」([[サンフランシスコ・アジア美術館]]蔵)。]] [[File:Li Zhao Dao Tang Ming Huang to Shu.jpg|thumb|right|250px|[[安史の乱]]。[[ソグド]]系[[節度使]]の[[安禄山]]とその部下[[史思明]]による11年に及ぶ反乱は、唐の衰退と律令体制の崩壊を示すものであった。画像は唐代の画家{{仮リンク|李昭道|zh|李昭道}}の「明皇幸蜀図([[台北]][[国立故宮博物院]]蔵)」で反乱を避けて[[蜀]]に落ち延びる[[玄宗]]皇帝一行を描いたもの。]] [[ファイル:Nestorian-Stele-Budge-plate-X.jpg|thumb|200px|right|[[大秦景教流行中国碑]]。781年にキリスト教[[ネストリウス派]](景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。]] [[ファイル:Westerner on a camel.jpg|thumb|200px|right|[[唐三彩]]の[[駱駝]]。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗る[[ソグド人]]と思われる[[西域]]の商人([[上海博物館]]蔵)。]] [[File:TonyukukInscriptions (9).jpg|thumb|right|250px|[[突厥碑文]]。[[テュルク]]系民族である[[突厥]]は遊牧民族として最初の固有文字を作ったことで知られている。画像は[[モンゴル]]の[[トール川]]上流域にある[[バイン・ツォクト碑文]]で突厥第二帝国の重臣トニュククの功績を記録したもの。]] [[ファイル:Manicheans.jpg|right|thumb|200px|[[マニ教]]の東漸。[[ウイグル]]ではマニ教が国教として受容された。画像は[[アルベルト・フォン・ル・コック]]が発見した[[タリム盆地]]高昌故城出土の細密画「マニ教経典断簡」([[ベルリン美術館|国立アジア美術館(ベルリン美術館)]]蔵)。]] [[ファイル:Takamat1.jpg|right|thumb|200px|[[高松塚古墳]]。[[藤原京]]時代([[694年]] - [[710年]])に建造された[[終末期古墳]]の[[円墳]]で、[[天武天皇]]の皇子乃至は高位の貴族の墓と推定されている。[[1972年]]に発見された時にはその極彩色の優美な壁画で耳目を集めた。画像は古墳壁画のうち西壁女子群像の部分。]] [[ファイル:Vajirapani Shukongoshin Todaiji2.JPG|right|thumb|200px|[[天平文化]]。[[遣唐使]]の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された[[平城京]]では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する[[東大寺法華堂]]執金剛神。]] [[File:Tofuroh dazaifu.JPG|thumb|right|250px|[[太宰府]]。[[九州]]における日本の軍事・外交を担当した役所で「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれた。『[[万葉集]]』で知られる[[大伴旅人]]ら[[筑紫]]歌壇の舞台でもあり、「[[梅花の宴]]」の故事でも有名になった。画像は現在の太宰府遺構正殿跡(都府楼跡石碑)。]] [[ファイル:Emperor Kammu large.jpg|right|thumb|200px|平安遷都。[[桓武天皇]]により[[平城京]]から[[長岡京]]を経て[[平安京]]に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像([[延暦寺]]蔵)。]] [[File:Stele51CalakmulMuseum.JPG|thumb|right|200px|[[カラクムル]]遺跡。[[メキシコ]]にある古典期マヤの遺跡で、117基という最も多くの石碑(ステラ)が残ることで知られている。画像は石碑51で[[731年]]の記録がされているユクノーム・トーク・カウィール王のもの({{仮リンク|メキシコ国立人類学博物館|en|National Museum of Anthropology (Mexico)}}蔵)。]] [[File:Peru Huari Standing Dignitary 1 Kimbell.jpg|thumb|right|200px|[[ワリ文化]]。500年から900年頃に[[アンデス]]中央高地地帯北部で栄えた文化で、南部の[[ティワナク文化]]とも相互に交流し、後には帝国化した。画像はワリの人物立像([[テキサス州]][[キンベル美術館]]蔵)。]] [[ファイル:Meister des Book of Kells 001.jpg|right|thumb|200px|『[[ケルズの書]]』。『[[ダロウの書]]』『[[リンディスファーンの福音書]]』とともに三大ケルト装飾写本の一つとされ、「世界で最も美しい本」とも称される。画像は[[XP|キー・ロー]]の[[モノグラム]]の頁(Folio 34r)で[[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)]]図書館が所蔵している。]] [[File:Cividale Ratchis1.JPG|right|thumb|250px|[[ランゴバルド王国]]の盛衰。東ローマ帝国のイタリア領を蚕食して支配を拡げたこの王国も教皇庁と提携したフランク王国の攻勢に敗退した。画像はランゴバルド王ラトキスが8世紀半ばに寄進した祭壇で、[[チヴィダーレ・デル・フリウーリ]]のキリスト教美術館が所蔵している。]] [[ファイル:Karl der große.jpg|right|thumb|200px|[[カール大帝]]。[[800年]]のクリスマスに行われたローマ教皇[[レオ3世]]によるカール大帝の戴冠は、「西ローマ帝国復興」を示すものであり、東ローマ帝国との間に「{{仮リンク|二帝問題|en|Problem of two emperors}}」の軋轢を生んだ。画像は[[アーヘン大聖堂]]宝物館の[[カール大帝]]の胸像。]] '''8世紀'''(はちせいき、はっせいき)は、[[西暦]][[701年]]から西暦[[800年]]までの100年間を指す[[世紀]]。 == できごと == === 8世紀 === * 世界的な温暖化現象により、各地で海水面が上昇する(ロットネスト海進、[[平安海進]])。 === 700年代 === {{main|700年代}} * [[701年]] ** [[大宝律令]]の撰定が完成する。[[忍壁皇子|刑部皇子]]・[[藤原不比等]]らに禄を賜う。この時期までに[[令制国]]が成立する。 ** [[則天武后]]の命により中宗の嫡男[[李重潤]](懿徳太子)・七女[[永泰公主]]らを処刑する。 * [[702年]] ** 第八次遣唐使が派遣され、執節使[[粟田真人]]が[[武則天|則天武后]]に謁見する。 *** この遣唐使は[[663年]]以来40年ぶりのもので、「[[倭]]」に代わる国名「[[日本]]」を承認させる目的もあった。 * [[703年]] ** 持統太上天皇死去、天皇経験者として最初の[[火葬]]にされる。 ** 則天武后により長安光宅寺七宝台仏龕の仏像群が作られる(後に宝慶寺(花塔寺)に移動)。 * [[705年]] ** 宰相[[張柬之]]が張兄弟を倒し、則天武后を退位させる。 *** 中宗が復位し、唐が再興される({{仮リンク|神龍革命|zh|神龙革命}})。この年に則天武后死去。 ** [[ウマイヤ朝]][[カリフ]]の[[ワリード1世]]により[[ダマスクス]]の[[ウマイヤド・モスク]]が完成する。 ** 東ローマ皇帝[[ユスティニアノス2世]]が[[ティベリオス3世]]を打倒し復位を果たす。 * [[706年]] ** [[慶雲の改革]]。 * [[706年]]頃 ** [[真臘]]が北部の陸真臘と、南部の水真臘とに分離する。 * [[707年]] ** [[文武天皇]]が死去し、第43代[[元明天皇]]が即位する。 ** 唐の皇太子[[李重俊]](節愍太子)が中宗皇后韋氏に対し反乱を起こすが鎮圧される。 * [[707年]] - [[709年]] ** 長安の[[小雁塔]]が建てられる。 * [[708年]] ** [[武蔵国]][[秩父郡]]([[和銅遺跡]])で自然銅が産出され、[[和同開珎]]を鋳造する。 ** アヴランシュのオベールがモン・トンブ山に礼拝堂を建てる([[モン・サン=ミシェル|モン・サン=ミシェル修道院]]の始まり)。 ** アンキアルスの戦いで、第一次ブルガリア帝国が東ローマ帝国に勝利。 * [[709年]]。 ** ウマイヤ朝カリフのワリード1世によりエルサレムの[[アル=アクサー・モスク]](銀のモスク)が完成する([[705年]] -)。 === 710年代 === {{main|710年代}} * [[710年]] ** 元明天皇が[[平城京]]へ[[遷都]]([[奈良時代]]の始まり)。 ** 唐で韋后排斥の政変({{仮リンク|唐隆の変|zh|唐隆之變}})により睿宗が復位。この功績で李隆基が皇太子となる。 ** 涼州に最初の[[節度使]]である河西節度使が設置される。 ** 吐蕃王[[ティデ・ツクツェン]]が王妃として唐の[[金城公主]]を迎え入れる。 * 710年頃 - ブルガリアの[[マダラの騎士像]]が作られる。 * [[711年]] ** [[グアダレーテ河畔の戦い]]で、[[ウマイヤ朝]]が[[西ゴート王国]]を滅ぼし[[イベリア半島]]を占領。 ** 東ローマ皇帝ユスティニアノス2世が殺害され、[[ヘラクレイオス王朝|ヘラクレイオス朝]]が断絶する。 ** ウマイヤ朝のムハンマド・ビン・カーシムが[[シンド]]地方(現パキスタン)を征服する。 ** [[上野三碑]]の[[多胡碑]]が建てられる。 * [[712年]] ** [[太安万侶]]が『[[古事記]]』を撰上する。 ** 唐で李隆基が[[玄宗 (唐)|玄宗]]として即位。唐は最盛期を迎える([[開元の治]])。 ** ウマイヤ朝の[[クタイバ・イブン・ムスリム]]が[[サマルカンド]]を占領し、[[マー・ワラー・アンナフル]]全域の征服完了。 * [[713年]] ** 諸国に『[[風土記]]』の編纂を命ずる。 ** 唐の玄宗が[[太平公主]]一派を倒す({{仮リンク|先天の変|zh|先天之變}})。 ** 四川の[[楽山大仏]]の建設が始まる( - [[803年]])。 ** 震国が国号を[[渤海 (国)|渤海]]と改称。 * [[714年]] ** 『[[続日本紀]]』に奄美・信覚・球美などの人々が来朝したとされる。 ** 唐で最初の[[市舶司]]が[[広州]]に設置される。 * [[715年]] ** 元明天皇が譲位し、第44代[[元正天皇]]が即位する。 ** [[越前国]][[氣比神宮]]に託宣により[[神宮寺]]が設けられる(日本最初の[[神仏習合]]に伴う神宮寺の記録)。 * [[717年]] ** [[テマ・アナトリコン]]長官であった[[レオーン3世]]が[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]に即位し、[[イサウリア朝]]を開く。 ** [[ヴァンシーの戦い]]で、[[アウストラシア]][[宮宰]][[カール・マルテル]]が[[ネウストラシア]]宮宰[[ラガンフリド]]に勝利する。 * [[718年]] - [[コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)|コンスタンティノポリス包囲戦]]の終結 (717年 - )。 ** 東ローマ皇帝レオーン3世が[[コンスタンティノポリス]]を包囲したウマイヤ朝軍を撃退する。 === 720年代 === {{main|720年代}} * [[720年]] ** 『[[日本書紀]]』完成。[[舎人親王]]が『[[日本書紀|日本紀]]』30卷・系図1卷を撰上する。 ** [[大隅国]]国司[[陽侯麻呂]]が殺害され、[[隼人の反乱]]が起こる( - [[721年]])。 * [[722年]] - コバドンガの戦いで[[ペラーヨ]]がイスラム勢力から[[アストゥリアス]]を奪回(最初の[[レコンキスタ]])。 * [[722年]]頃 - 新羅人僧[[慧超]]がインドに渡る( - [[727年]])。 * [[723年]] ** 田地開墾のため[[三世一身法]]を施行する。太安万侶が死去、現奈良市此瀬町の「太安万侶墓」に墓誌が残る。 ** ウマイヤ朝[[ヤズィード2世]]がキリスト教徒の聖画像を禁止する。 * [[724年]] ** 元正天皇が譲位し、第45代[[聖武天皇]](首皇子)が即位する。 ** ウマイヤ朝カリフの[[ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク]]が即位( - [[743年]])。 *** ウマイヤ朝最後の安定期をもたらし、モザイク床遺跡で知られる{{仮リンク|ヒシャーム宮殿|en|Hisham's Palace}}を建設。 ** {{仮リンク|ピルミニウス|en|Saint Pirmin}}により[[ボーデン湖]](コンスタンツ湖)の島に[[ライヒェナウ島|ライヒェナウ修道院]]が創設される。 ** メキシコ・[[チアパス州]]の[[ヤシュチラン]]でイツァムナーフ・バラム2世王により建造物23号(リンテル26号を含む)が建造される。 * [[725年]] - 唐の玄宗皇帝が[[封禅]]の儀を行う。 * [[726年]] ** 東ローマ皇帝レオーン3世が[[イコン|聖像]]禁止令を公布([[イコノクラスム]](聖像破壊運動)の始まり)。 ** 上野三碑の[[金井沢碑]]が建てられる。 * [[727年]] - 渤海国王[[大武芸]]が高仁義らを日本に派遣(第一回[[渤海使]])。翌年には日本から[[遣渤海使]]が送られる。 * [[728年]] - ローマ教皇[[グレゴリウス2世 (ローマ教皇)|グレゴリウス2世]]と[[ランゴバルド]]王リウトプランドの領土寄進に関する合意がなされる(「{{仮リンク|スートリの寄進|en|Donation of Sutri}}」)。 * [[729年]] - [[長屋王の変]]。[[光明皇后|藤原光明子]](光明皇后)が立后される(皇族以外の最初の立后)。 === 730年代 === {{main|730年代}} * [[730年]] ** 東ローマ皇帝レオーン3世がイコン擁護派の[[コンスタンティノポリス総主教]]{{仮リンク|ゲルマノス1世|en|Germanus I of Constantinople}}を罷免する。 ** [[筑紫国]][[大宰府]]にて[[大宰帥]][[大伴旅人]]らにより「[[梅花の宴]]」が催される。 * [[731年]]頃 ** [[ベーダ・ヴェネラビリス]]が『[[イングランド教会史]]』を書き上げる。 * [[732年]] ** [[トゥール・ポワティエ間の戦い]]で、[[カール・マルテル]]率いる[[フランク王国]]軍がウマイヤ朝軍を破る。 *** この戦いと、718年の東ローマ帝国の勝利により、キリスト教世界は[[イスラム帝国]]の進撃を止めることに成功。 ** [[オルホン川]]流域の[[ホショ・ツァイダム碑文|ホショ・ツァイダム]]に東突厥の[[闕特勤|キュル・テギン]]の碑文が建てられる。 ** 東ローマ皇帝レオーン3世が[[イリュリクム]]の裁治権をローマ教皇からコンスタンティノポリス総主教に移管する。 ** 東ローマ皇帝レオーン3世の息子(後の皇帝[[コンスタンティノス5世]])が[[ハザール]]王女[[チチャク]](エイレーネー)と結婚。 * [[733年]] ** 『[[出雲国風土記]]』が完成する(現在にまで伝わる唯一の完成本『風土記』)。 * [[734年]] ** [[遣唐使]]留学生[[井真成]]36歳で[[長安]]で没する。 *** その2005年4月に発見された墓誌には、玄宗皇帝から官位授与や「国号日本」も記録されている。「日本」表記の現存資料としては最古。 ** [[ボーン川の戦い]]で、フランク王国が[[フリースラント]]王国を征服。 * [[735年]] ** オルホン川流域のホショ・ツァイダムに東突厥の[[毘伽可汗|ビルゲ・カガン]]の碑文が建てられる。 ** 遣唐使[[判官]][[平群広成]]が帰国の途中難船し、[[崑崙国]]([[チャンパ王国]]、現在のベトナム中部沿海地方)にまで漂流する。 * [[737年]] - [[天平の疫病大流行]]により[[藤原四兄弟]]が相次いで死去、右大臣[[橘諸兄]]による政権が成立する。 * [[738年]] ** 唐が皮羅閣を雲南王に冊封し[[南詔]]が建国される。 ** 唐の玄宗が[[翰林院|翰林学士院]]を設置する。 ** [[キリグア]]王カック・ティリウが反乱を起こし、[[コパン]]王{{仮リンク|ワシャクラフン・ウバフ・カウィール|en|Uaxaclajuun Ubʼaah Kʼawiil}}を斬首して[[マヤ地域]]の覇権を握る。 * [[739年]] - [[行信]]により[[夢殿]]を中心とする[[法隆寺]]東院が建立される。 === 740年代 === {{main|740年代}} * [[740年]] ** [[藤原広嗣の乱]]。聖武天皇の東国行幸(「[[彷徨五年]]」の始まり - 745年)。 *** 以後、聖武天皇は[[恭仁京]]・[[紫香楽宮]]・[[難波宮]]を転々とする。 ** [[アクロイノンの戦い]]で東ローマ帝国がウマイヤ朝に勝利し、小アジアの確保に成功。 * [[740年]] - [[クーファ]]のシーア派([[ザイド派]])による[[ザイド・ブン・アリー]]の乱。 * [[741年]] ** 東ローマ皇帝レオーン3世により「ローマ法大全」を改訂した「{{仮リンク|エクロゲー法典|en|Byzantine_law#Ecloga}}(ギリシア語法選集)」が出される(726年説もある)。 ** 東ローマ皇帝レオーン3世が死去、アルタバスノスの反乱が起こる。 ** 聖武天皇の[[国分寺]]・[[国分尼寺]]建立の詔。 * [[742年]] ** 突騎施の莫賀達干が十姓可汗([[阿史那昕]])を殺害し[[西突厥]]を滅ぼす。 ** 中国最古の[[モスク]]である[[西安大清真寺|長安大清真寺]]が建てられる。 * [[743年]] - [[墾田永年私財法]]を施行。[[東大寺盧舎那仏像|大仏]]建立の詔が出される。 * [[744年]] ** ザクセン人への宣教のため[[フルダ]]修道院が設立される。 ** ウマイヤ朝の[[マルワーン2世]]が[[ダマスクス]]から[[ハッラーン]]に遷都。 * [[745年]] ** 唐の玄宗が楊太真を貴妃とする([[楊貴妃]])。 ** [[大秦国]](東ローマ帝国)から[[ネストリウス派]]聖職者の佶和(ゲワルギス)が長安に来訪し玄宗に謁見する。 ** [[回鶻]]([[ウイグル]])の[[懐仁可汗]]が[[白眉可汗]](鶻隴匐)を殺害し[[東突厥]]を滅ぼす。 * [[746年]] - {{仮リンク|カンスタットの血の宮廷|en|Council of Cannstatt}}。 * [[747年]] - [[アッバース家]]の宣伝員(ダーイー)[[アブー・ムスリム]]がホラサン地方の[[メルブ]]で反乱を起こす。 * [[748年]] - [[鑑真]]が日本への渡海の途上で暴風雨に巻き込まれ、[[海南島]]に流される( - [[751年]])。 * [[749年]] ** [[陸奥国|陸奥]][[国司]][[百済王敬福]]が朝廷に黄金を献上(日本での産金の最古の記録)。 ** 東大寺大仏造営にあたり[[宇佐八幡宮]]より[[八幡神]]が勧請され[[手向山八幡宮]]が創建される。 ** 聖武天皇が譲位し、第46代[[孝謙天皇]]即位する。光明皇太后の家政機関として[[紫微中台]]が設置される。 ** アブー・アル=アッバース([[サッファーフ]])が[[イラク]]の[[クーファ]]で[[アッバース朝]]を建てる。 === 750年代 === {{main|750年代}} * 750年 - ザーブ河畔の戦いで、アッバース朝がウマイヤ朝残党に勝利する。 ** アッバース朝初代宰相([[ワズィール]]){{仮リンク|アブー・サラマ|en|Abu Salama Hafs ibn Sulayman al-Khallal}}が暗殺され、以後シーア派の粛清が続く。 * 750年頃 ** [[ヴァティカン図書館]]に所蔵されている『{{仮リンク|ゲラシウスの典礼書|en|Gelasian Sacramentary}}』がフランク王国で作られる。 ** スウェーデンの[[ゴットランド島]]の「{{仮リンク|アードレの画像石|en|Ardre image stones}}([[ルーン石碑]])」が建立される。 ** 南シベリアのテレホリ湖の島に[[ウイグル人]]の王宮である[[ポル=バジン]]が作られる。 ** [[ベンガル地方]]に[[パーラ朝]]が成立。 * [[751年]] ** 唐の[[高仙芝]]が中央アジアに遠征し、タラス河畔でアッバース朝に敗れる([[タラス河畔の戦い]])。 ** [[ランゴバルド人|ランゴバルド]]王アイストゥルフが東ローマ帝国の[[ラヴェンナ総督府]]を占領。 *** ローマとラヴェンナを結ぶ「ビザンティン回廊(Byzantine Corridor:[[フラミニア街道]])」の終焉。 ** フランク王国で[[ソワソン]]会議により[[メロヴィング朝]]の[[キルデリク3世 (フランク王)|キルデリク3世]]が廃位される。 *** [[カール・マルテル]]の子[[ピピン3世 (フランク王)|ピピン3世]](小ピピン)が国王に選出され、[[カロリング朝]]が成立する。 ** 新羅の宰相[[金大城]]が都の[[慶州]]に[[石窟庵]]と[[仏国寺]]を建立。 * [[752年]] ** 天竺僧[[菩提僊那]]を導師として[[東大寺]]大仏の開眼供養が行われる。 ** [[東大寺二月堂]]が創建され、[[実忠]]により最初の[[修二会]](十一面悔過、お水取り)が行われる。 * [[753年]] ** 唐の朝賀で遣唐使[[大伴古麻呂]]が新羅の使者と席次を争う。 ** 唐僧の[[鑑真]]が阿児奈波嶋(現在の[[沖縄本島]])を経て日本に着く。 *** [[阿倍仲麻呂]]・[[藤原清河]]は難破して[[安南]]に漂着し日本に帰れず。 ** {{仮リンク|ダンティドゥルガ|en|Dantidurga}}が[[前期チャールキヤ朝]]を滅ぼし[[ラーシュトラクータ朝]]を興す。 * 754年 ** {{仮リンク|ヒエレイア教会会議|en|Council of Hieria}}で聖像破壊論者が聖像崇敬を断罪する。 ** [[教皇]][[ステファヌス2世 (ローマ教皇)|ステファヌス2世]]とフランク王ピピン3世との{{仮リンク|ポンティオン|en|Ponthion}}の会見。 ** 宣教師[[聖ボニファティウス|ボニファティウス]]が[[フリースラント]]のドックムで殉教する。 ** イスラム支配下のスペインで『[[754年のモサラベ年代記]]』が執筆される。 ** 鑑真により[[東大寺の歴史#戒壇院設立|東大寺戒壇院]]が設置される。 * [[755年]] ** 唐で[[安史の乱]]が起こる(- 763年)。 ** 渤海国王[[大欽茂]]が中京顕徳府から[[上京龍泉府]]に遷都。 ** アッバース朝建国の功臣[[アブー・ムスリム]]がカリフ・[[マンスール]]に処刑される。 * [[756年]] ** [[安禄山]]が洛陽で大燕皇帝を名乗る。 *** 唐の玄宗が長安から出奔。馬嵬にて楊国忠・楊貴妃を処刑。玄宗に代わり[[粛宗 (唐)|粛宗]]が[[霊武市|霊武]]にて即位。 ** 聖武太上天皇死去。聖武太上天皇の[[中陰法要|七七忌]]に当たり、東大寺に遺品を施入したのが[[正倉院]]の始まり。 ** フランク王ピピン3世が[[ラヴェンナ]]と{{仮リンク|ペンタポリス|en|Pentapolis}}をランゴバルドから奪う。 *** ペンタポリスとはアドリア海沿岸の五つの都市([[リミニ]]・[[ペーザロ]]・[[ファーノ]]・[[セニガッリア]]・[[アンコーナ]])を指す。 *** これらの領土は教皇ステファヌス3世に[[寄進]]され(「ピピンの寄進」)、[[ローマ教皇領]]の始まりとなる。 ** ウマイヤ朝の王族[[アブド・アッラフマーン1世]]がムサラの戦いで勝利し、[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]で[[アミール]]を名乗る。 *** これにより[[後ウマイヤ朝]]がイベリア半島で独立し、イスラム帝国は分裂する。 ** ラシュトラクータ朝のクリシュナ1世が即位。 *** この王のもとで[[エローラ石窟]]のカイラーサナータ寺院が建造される。 *** コンカン地方[[ムンバイ]]近郊ガーラープリー島[[エレファンタ石窟群]]もこの時代までに整備される。 * [[757年]] ** イスラム世界で最初の製紙工場が[[サマルカンド]]に設立される。 ** 安禄山が[[安慶緒]]に殺害される。唐と[[ウイグル]]の連合軍が長安を奪回。 ** 孝謙天皇が[[道祖王]]を廃太子とし、大炊王を皇太子とする。[[橘奈良麻呂の乱]]。 ** [[養老律令]]の制定。 * [[758年]] ** 孝謙天皇が譲位し、第47代[[淳仁天皇]]が即位する。太保[[藤原仲麻呂]]は[[恵美押勝]]の名を賜与される。 ** 唐の塩鉄使の[[第五琦]]が[[中国塩政史#唐代以前の塩政|塩の専売制]]を行う。 ** 唐の[[顔真卿]]による「[[祭姪文稿]]」が書かれる。 ** 唐の粛宗の王女寧国公主がウイグルの[[葛勒可汗]]と婚姻する。 * [[759年]] ** 安慶緒が[[史思明]]に殺害される。 ** フランク王ピピン3世が[[ナルボンヌ]]を奪回し、南フランスからイスラム教徒を放逐。 ** 鑑真により[[唐招提寺]]が創建される。 ** 藤原仲麻呂の[[新羅征討計画#藤原仲麻呂による新羅征討計画|新羅征討計画]]が頓挫する。 ** 『[[万葉集]]』に採録された最も年代の新しい[[大伴家持]]の和歌が詠まれる。この年以降に『万葉集』が成立する。 === 760年代 === {{main|760年代}} * [[760年]] - [[揚州大虐殺]]。 * [[761年]] ** 史思明が[[史朝義]]に殺害される。 ** 東大寺戒壇院に加え、[[筑紫観世音寺]]と[[下野薬師寺]]にも戒壇が築かれる(天下三戒壇)。 * [[761年]]頃 - カウィール・チャン・キニチが[[ドス・ピラス]]を放棄し、[[アグアテカ]]に遷都する。 * [[762年]] ** [[陸奥国]][[国府]]に[[多賀城碑]]が建てられる。[[淡海三船]]が歴代天皇の漢風[[諡号]]を選定する( - [[764年]])。 ** [[回鶻]](ウイグル)の[[牟羽可汗]]が[[マニ教]]を受容する。 ** アッバース朝のカリフ・マンスールがハーシミーヤから[[バグダード]]に遷都。 ** 唐で玄宗と粛宗が相次いで死去。粛宗の[[張皇后 (唐粛宗)|張皇后]]を宦官李輔国が倒し、李輔国を倒して宦官{{仮リンク|程元振|zh|程元振}}が実権を握る。 * [[763年]] ** 回鶻の牟羽可汗が史朝義を自殺に追い込み、安史の乱が終結する。 ** [[吐蕃]]の[[ティソン・デツェン]]が一時的に唐の長安を占領。 *** この勝利を記念して[[ラサ]]・[[ポタラ宮]]に残る「[[ゾルの外の碑]]」が建立される。 ** [[ナポリ]]公国が東ローマ帝国から自立し、ローマ教皇側に与する。 * [[764年]] ** 僕固懐恩の乱( - [[765年]])。 ** [[藤原仲麻呂の乱|藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)]]。 *** 乱を鎮圧した孝謙上皇が[[重祚]]して、第48代[[孝謙天皇|称徳天皇]]となり、淳仁天皇を廃して[[淡路国]]に配流とする。 * [[765年]] ** 道鏡が[[太政大臣]]禅師となる。称徳天皇の発願で大和[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]が創建される。[[和気王]]が謀反の罪で処刑される。 ** この年(神護元年)記された木簡に、式部省大学寮で[[破斯清道]]という官吏が働いていたことが記される。破斯清道はペルシャ人とする説がある。 ** [[シーア派]]が[[十二イマーム派]](主流派)と[[七イマーム派]](非主流派・[[イスマーイール派]])に分離する。 * [[766年]] - 道鏡が[[法王]]になる。 * [[767年]] - [[シャイレーンドラ朝]]軍が北ベトナムの[[安南都護府]]を攻撃する。 * [[768年]] ** フランク王ピピンが死去、息子の[[カール大帝|カール]]と[[カールマン (フランク王)|カールマン]]が共同のフランク王に即位する。 ** [[藤原永手]]が[[鹿島神宮|鹿島]]・[[香取神宮|香取]]・[[枚岡神社|枚岡]]各社の祭神を勧請し[[春日大社]]を創建。 ** [[宇佐八幡宮神託事件]]で[[和気清麻呂]]が[[大隅国]]に流罪となる。 ** [[ウイグル]]系[[摩尼教]]徒により長安に[[大雲光明寺]]が建てられる。 * [[769年]] - 称徳天皇への呪詛により異母妹[[不破内親王]]が内親王位を剝奪される。 === 770年代 === {{main|770年代}} * [[770年]] ** 称徳天皇の命で[[法隆寺]]など有力寺院に[[百万塔陀羅尼]]が奉納される。 *** 称徳天皇が死去し、第49代[[光仁天皇]]が即位する。 *** [[道鏡]]を[[下野国]][[下野薬師寺跡|薬師寺]][[別当]]に左遷する。 *** 光仁天皇の[[皇后]][[井上内親王]]と皇太子[[他戸親王]]が廃される。 ** 唐の皇帝代宗と宰相[[元載]]により宦官魚朝恩が誅殺される。 * [[771年]] - カールマンの死去によりカールがフランク単独の王となる。 * [[772年]] - フランク王カールによる[[ザクセン戦争]]( - [[804年]])。 * [[774年]] ** フランク王カールが{{仮リンク|ランゴバルド王国を滅ぼす|de|Langobardenfeldzug}}。 *** 都[[パヴィア]]を制圧し、国王[[デシデリウス (ランゴバルド王)|デシデリウス]]を追放。 *** カールは「ランゴバルド王」の称号を獲得し、「[[ロンバルディアの鉄王冠|ランゴバルドの鉄王冠]]」を取得。 ** 新羅の宰相[[金大城]]による[[慶州]]の石仏寺(現在の[[石窟庵]])が完成する。 * [[775年]] ** 東ローマ皇帝[[コンスタンティノス5世]]コプロニュモスが死去し、[[レオーン4世]]ハザロスが皇帝に即位(在位775-780年)。 ** この年建てられた「{{仮リンク|リゴール碑文|en|Ligor inscription}}」によると[[シャイレーンドラ朝|シャイレーンドラ王家]]が[[シュリーヴィジャヤ王国|シュリーヴィジャヤ]]を支配した記録が残る。 ** 吐蕃王[[ティソン・デツェン]]が[[サムイェー寺]]を建設する。 * [[776年]] - [[ムカンナーの反乱]]( - [[783年]])。 * [[776年]]頃 - [[ハワーリジュ派]]系[[イバード派]]により[[アルジェリア]]に[[ルスタム朝]]が成立する。 * [[777年]] - 唐の宰相元載が皇帝代宗の命で誅殺される。 * [[778年]] ** スペイン遠征中のフランク王国軍が[[バスク人]]との[[ロンスヴォーの戦い]]([[ロンセスバーリェス]]の戦い)で敗退する。 *** この事件がもととなり後に『[[ローランの歌]]』が作られる。 ** インドネシアのジャワ島中部にある[[カラサン寺院]]が創建され、近辺に「{{仮リンク|カラサン碑文|en|Kalasan inscription}}」が残される。 * [[779年]] ** フランク王カールによる{{仮リンク|ヘルスタル|en|Herstal}}勅令(The Capitulary of Herstal)。 *** この法令によりフランク王国のキリスト教徒は教会に[[十分の一税]]を納めることが定められる。 ** 回鶻(ウイグル)の牟羽可汗が殺害され、宰相の頓莫賀達干が[[合骨咄禄毘伽可汗]]として即位、マニ教は弾圧される。 === 780年代 === {{main|780年代}} * [[780年]] ** 唐の宰相[[楊炎]]の建議により[[租庸調]]制から[[両税制]]へ税制を移行。 ** 上治郡の大領[[伊治呰麻呂]]が反乱を起こし、[[多賀城]]が焼失する([[宝亀の乱]])。 * [[780年]]頃 ** インドネシアのシャイレーンドラ朝が[[ボロブドゥール]]の建設を始める。 * [[781年]] ** 唐の[[徳宗 (唐)|徳宗]]の抑圧策により[[河朔三鎮]]・河南二鎮の[[節度使]](藩鎮)が反乱を起こす。 **楊炎が[[海南島]]の[[崖州 (海南省)|崖州]]司馬に左遷され、その途中で処刑される。 ** 中央アジア出身の伊斯が長安の[[大秦寺]]に「[[大秦景教流行中国碑]]」を建立。 ** [[カシミール]]人の僧侶プラジュニャ({{仮リンク|般若三蔵|en|Prajñā (Buddhist monk)}})が[[広州]]に到着。 ** 光仁天皇が病気のため譲位し、[[桓武天皇]]が即位する。 * [[782年]] ** フランク王国の宮廷学校に[[ヨーク]]出身の[[アルクィン]]が招かれる([[カロリング・ルネサンス]]の始まり)。 ** [[氷上川継の乱]]。 * [[783年]] ** 唐と吐蕃の建中の会盟。 ** 唐で朱泚の乱が起こり、皇帝徳宗が長安から逃亡。 *** この時期に何家村の宝物が埋蔵されたか(何家村唐代窖藏)。 ** フランク王カールの命で『{{仮リンク|ゴデスカルクの福音書|en|Godescalc_Evangelistary}}』が作られる。 * [[784年]] - 桓武天皇が平城京から[[長岡京]]に[[遷都]]。 * [[785年]] ** 長岡京建設の責任者[[藤原種継]]が暗殺される。 *** この事件で桓武天皇の弟で皇太子の[[早良親王]]が流罪となるがその途上で憤死。 ** 唐の徳宗の命で{{仮リンク|楊良瑶|zh|楊良瑤}}がアッバース朝に派遣される。 ** 淮南西道[[節度使]][[李希烈]]のもとに使者として派遣された[[顔真卿]]が殺害される。 * [[786年]] ** アッバース朝で[[ハールーン・アッ=ラシード]]が[[カリフ]]となる( - [[809年]])(アッバース朝の最盛期)。 ** フランク王カールが[[アーヘン大聖堂]]の建設に着手。 ** 吐蕃の[[敦煌]](沙州)占領。 * [[787年]] - [[第2ニカイア公会議]]でキリスト教会での聖像使用の教義が確認される。 * [[788年]] ** [[最澄]]が一乗止観院を建てる(後の[[比叡山]][[延暦寺]])。 ** [[インゲルハイム・アム・ライン]]国家会議。 *** フランク国王カールが[[バイエルン]]部族公{{仮リンク|タッシロ3世|en|Tassilo III, Duke of Bavaria}}を追放する。 ** [[マグリブ]]西部の[[モロッコ]]に[[イドリース朝]]が興る。 ** [[回鶻]]の[[合骨咄禄毘伽可汗|頓莫賀達干]]と唐の咸安公主の結婚。 * [[789年]] ** フランク王カールによる「一般訓令(Admonitio generalis)」。 ** 『[[アングロ・サクソン年代記]]』ではイングランドにおける最初の[[デーン人]]の侵入が起こったとされる。 ** インドから唐僧[[悟空]](達摩駄都)が約40年ぶりに帰国。 === 790年代 === {{main|790年代}} * [[791年]] - フランク国王カールが[[アヴァール]]を征討。 * [[792年]] ** 桓武天皇により諸国の軍団・兵士が廃止され、[[健児]]の制が導入される。 ** [[吉林省]][[和竜市]]の{{仮リンク|龍頭山古墓群|en|龙头山古墓群}}に渤海王大欽茂の王女[[貞孝公主墓]]が造営される。 * [[793年]] ** バグダードに最初の製紙工場が設立される ** イングランド北部の[[リンデスファーン修道院]]が[[ヴァイキング]]に襲撃され、ヴァイキング時代の幕開けとなる。 * [[794年]] ** 桓武天皇が[[平安京]]へ遷都し[[平安時代]]はじまる。山背国を[[山城国]]へ改称。 ** フランク国王カールの招集による{{仮リンク|フランクフルト教会会議|en|Council of Frankfurt}}が開催される。 * [[795年]] ** フランク王国が[[スペイン辺境領]]を設置。 ** 回鶻(ウイグル)の[[懐信可汗]]が即位、マニ教が再び国教とされる。 * [[796年]] ** アッバース朝カリフのハールーン・アッ=ラシードが[[ラッカ]]に宮廷を遷す( - [[809年]])。 ** クレタ島の大地震、エジプトでは[[アレクサンドリアの大灯台]]が半壊する。 * [[797年]] ** 東ローマ皇帝[[コンスタンティノス6世]]が母[[エイレーネー (東ローマ女帝)|エイレーネー]]によって廃位され、エイレーネーがローマ帝国初の[[女帝]]として即位。 ** フランク国王カールがアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに使節を送る。 ** [[空海]]が『[[三教指帰]](聾瞽指帰)』を執筆。 * [[797年]]頃 - 唐僧[[摩訶衍]]がインド僧[[カマラシーラ]]に敗北しチベットから退去。[[サムイェー寺の宗論]]が終わる。 === 800年代 === {{main|800年代}} * [[800年]] ** フランク国王カールがローマ教皇[[レオ3世 (ローマ教皇)|レオ3世]]から「ローマ皇帝」の冠を受ける(カール大帝)。 ** マグリブ東部の[[チュニジア]]に[[アグラブ朝]]が興る。 ** 早良親王に「崇道天皇」の追尊号が贈られる。 ** [[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]の[[延暦]][[噴火]]。 == 時代の動向 == === 東アジア === ==== 大陸 ==== ==== 朝鮮半島 ==== ==== 日本 ==== 日本では[[唐|唐制]]に倣った[[律令制]]が布かれた時代にあたり、その最盛期とされる。時代区分で言うと[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]へと移り変わり、さらに[[平安時代]]初頭にあたる。[[条坊制]]を布いた[[都城制]]の都が建設され、[[藤原京]]>[[平城京]]>[[恭仁京]]>[[難波京]]>[[紫香楽宮]]>[[平城京]]>[[長岡京]]>[[平安京]]と[[遷都]]が繰り返された。 === 西アジア === === 南アジア === === 東南アジア === === ヨーロッパ === デンマークの建国 == 伝説・架空のできごと == * [[712年]]以降 - 唐の玄宗皇帝が[[瘧]]の高熱に浮かされていると、夢の中に[[鍾馗]]が現れ、玄宗への恩義に報いるべく、瘧の原因となっている子鬼どもを退治していく(「鍾馗」伝説。明代には小説『鍾馗全伝』などがまとめられる)。 * [[716年]] - [[735年]] - 唐に留学中の[[吉備真備]]が唐人により楼閣に幽閉されるが、鬼となった[[阿倍仲麻呂]]の霊の助力により、難解な「[[野馬台詩]]」の解読や囲碁の勝負などを解決していく([[大江匡房]]の説話集『[[江談抄]]』。『[[吉備大臣入唐絵巻]]』の内容もほぼ同じ)。 * [[717年]] - [[美濃国]]に貧しい父子が住んでいた。息子は老いた父に孝行を尽くしていたが、ある時山中で酒が流れている滝を発見し、酒好きの父を大いに喜ばせた。この噂が[[元正天皇]]の耳に届き、天皇自らこの地を行幸し、奇瑞に感じ入って元号を「[[養老]]」と変更した(『[[古今著聞集]]』など「養老伝説」)。 * [[729年]] - [[749年]] - [[聖武天皇]]の[[天平]]年間に[[大和国]][[吉野郡]]にいた[[久米仙人]]が飛行術で空を飛んでいたが、久米川で洗濯する若い女性の白い脛に見惚れて、神通力を失って墜落し、その女性を妻として俗人となる道を選んだ(『七大寺巡礼私記』『久米寺流記』『[[元亨釈書]]』『[[扶桑略記]]』他)。 * [[730年]]頃 - フランク王国がイスラム教徒との戦いを続ける中で、アイフェル地方の領主であり宮中伯であるジークフリートも、妻ゲノフェーファと別れ戦地に赴く。家臣のゴローは領主不在の折、ゲノフェーファに横恋慕したが、夫人から拒絶された。恨みに思ったゴローは夫人の不倫の噂を流し、破滅させようと陰謀を企てる([[フリードリヒ・ヘッベル]]の戯曲『ゲノフェーファ』、[[ロベルト・シューマン]]のオペラ『ゲノフェーファ』)。 * [[750年]]頃 - 唐の玄宗皇帝の[[天宝 (唐)|天宝]]末年、[[隴西]]の[[李徴]]が[[進士]]に及第した。にもかかわらず官吏の生活を良しとせず河南に出張中に発狂し行方知れずとなる。後年、旧友の袁傪は図らずも虎となった李徴と再会する(唐の{{仮リンク|張読 (唐)|zh|張讀 (唐朝)}}の伝奇小説『{{仮リンク|宣室志|zh|宣室志}}』の「李徴」が原典。[[中島敦]]『[[山月記]]』などに発展)。 * [[756年]]以降 - 唐の玄宗皇帝は馬嵬で殺された楊貴妃を想い、方士に命じその魂魄の行方を探させる。各地を遍歴して[[蓬萊]]宮に至った方士は楊貴妃に巡り会い、玄宗への形見と誓いの言葉を託される([[白居易]]「[[長恨歌]]」)。 * [[773年]] - [[藤原豊成]]の娘[[中将姫]]が[[長谷観音]]の導きにより一夜で蓮糸を用いて[[曼荼羅]]を織り上げる(「[[当麻曼荼羅|當麻曼荼羅]]」伝説・[[折口信夫]]『[[死者の書 (小説)|死者の書]]』ほか)。 * [[775年]] - [[マヤ文明]]の[[キリグア]]遺跡に残る石碑Cはこの年に建てられたものである。精密な[[マヤ暦]]に基づいて換算すると、この世の始まりが紀元前3114年8月13日となり、この世の終わりが[[2012年]][[12月21日]]に来ると記されている(ホゼ・アグエイアス(英:José Argüelles)の著書『マヤンファクター』、エイドリアン・ギルバートの著書『マヤの予言』ほか「マヤ暦による[[2012年人類滅亡説]]」)。 * [[791年]] - 東平の遊侠淳于棼はこの年の九月に、槐樹の下で泥酔し前後不覚に酔いつぶれた。そこへ使者が現れ、彼は夢うつつのまま槐安国に連れていかれ、国王の寵を受けて南柯郡の郡守にとりたてられる。更には王女も娶り栄耀栄華を恣にするが、帰国を決意して、目が覚めるとそこはもとの槐樹の生えている場所で、何もかも元通りだった([[李公佐]]の[[伝奇小説]]『{{仮リンク|南柯太守伝|zh|南柯太守傳}}』)。 == 人物 == === 東アジア === ==== 唐 ==== * [[張柬之]]([[625年]] - [[706年]]) - 唐の政治家・張易之と張昌宗の兄弟を斬り則天武后を退位させる・中宗の復位を実現 * [[韋皇后 (唐中宗)|韋后]](? - [[710年]]) - 唐の皇帝[[中宗 (唐)|中宗]]の皇后・「武韋の禍」の一人・娘の[[安楽公主]]とともに中宗を殺害し帝位を窺う * [[太平公主]]([[665年]]? - [[713年]]) - 唐の皇帝高宗の娘・母は則天武后・韋后排斥の中心人物・後に甥の李隆基と対立し滅ぼされる * [[張説]]([[667年]] - [[730年]]) - 唐の政治家・宰相・李隆基に挙兵を決断させた功で有名・詩人として『張説之文集』がある * [[玄宗 (唐)|玄宗]](李隆基)([[685年]] - [[762年]]) - 唐の第6代皇帝(在位[[712年]] - [[756年]])・その治世前半が「開元の治」 * [[姚崇]]([[650年]] - [[721年]]) - 唐の政治家・宰相・宋璟とともに「姚宋」と呼ばれ「[[開元の治]]」を指導 * [[宋璟]]([[663年]] - [[737年]]) - 唐の政治家・宰相・姚崇とともに「姚宋」と呼ばれ「開元の治」を指導 * [[張九齢]]([[678年]] - [[740年]]) - 唐の政治家・宰相・[[李林甫]]と対立し辞職・「開元最後の賢相」と呼ばれる * [[李林甫]](? - [[752年]]) - 唐の政治家・宰相・張九齢らを失脚させ天宝年間の政局を握る・[[府兵制]]崩壊に伴い異民族[[節度使]]を登用 * [[高力士]]([[684年]] - [[762年]]) - 唐の宦官・韋后討伐から安史の乱まで玄宗の腹心として仕える・李輔国に失脚させられる * [[郭子儀]]([[697年]] - [[781年]]) - 唐の軍人・安史の乱を平定・後には吐蕃やウイグルの反乱も鎮圧する * [[高仙芝]](? - [[755年]])- 唐の[[高句麗]]系[[軍人]]・タラス河畔の戦いで敗北・安史の乱の渦中で処刑される * [[杜環]](生没年不詳) - 唐の著述家・タラス河畔の戦いで捕虜となり中央アジアや西アジアに滞在したのち帰国し『[[経行記]]』を執筆 * [[李輔国]]([[704年]] - [[762年]]) - 唐の宦官・玄宗に代わり[[粛宗 (唐)|粛宗]]を擁立・粛宗の皇后を殺害させるなど専権を極める * [[楊国忠]](? - [[756年]]) - 唐の宰相・楊貴妃の親族として出世・安史の乱で長安を捨て四川に逃亡するが殺害される * [[楊貴妃]]([[719年]] - [[756年]]) - 唐の玄宗の寵妃・安史の乱の原因とされ楊国忠に続き馬嵬で殺される * [[安禄山]]([[705年]]? - [[757年]]) - 唐の安史の乱の指導者・もとは[[節度使]]・大燕皇帝を自称(在位[[756年]] - [[757年]])・実子[[安慶緒]]に殺される * [[史思明]]([[703年]] - [[761年]]) - 唐の安史の乱の指導者・もとは安禄山の部下・大燕皇帝を自称(在位[[759年]] - [[761年]])・実子[[史朝義]]に殺される * {{仮リンク|魚朝恩|zh|魚朝恩}}([[721年]] - [[770年]]) - 唐の宦官・神策軍を従え代宗の宮廷で専権を振るうが[[元載]]の命で処刑される * [[元載]](? - [[777年]]) - 唐の政治家・宰相・宦官魚朝恩を滅ぼし政権を掌握・後に代宗の命で処刑される * [[楊炎]]([[727年]] - [[781年]]) - 唐の政治家・皇帝[[徳宗 (唐)|徳宗]]に仕え均田制/租庸調制に代わる両税法を創設・のちに失脚し処刑される * [[第五琦]]([[729年]] - [[799年]]) - 唐の政治家・塩法による塩の専売制を導入し財政再建に尽力・乾元重宝銭の鋳造で物価高騰を招く * [[杜佑]]([[735年]] - [[812年]]) - 唐の官僚・歴史家として法令制度の通史『[[通典]]』をまとめる・杜牧は孫 * [[司馬承禎]]([[643年]] - [[735年]]) - 唐の道士・「道先仏後」の唐にあって玄宗の信任を得る・著作に『坐忘論』『天隠子』がある * [[李思訓]]([[651年]] - [[718年]]) - 唐の画家・皇族であり官僚として玄宗に仕える・「北画の祖」とされる * [[呉道玄]](生没年不詳) - 唐の画家・玄宗に仕えて山水画の画法に変革をもたらし「画聖」と呼ばれる * [[張萱]](生没年不詳) - 唐の画家・宮廷で活躍し「虢国夫人遊春図」「搗練図」(いずれも後世の模作)が残る * 呉競([[670年]] - [[749年]]) - 唐の歴史家・唐の太宗とその臣下の言行を記録した『[[貞観政要]]』を編纂 * 李瀚(生没年不詳) - 唐の文筆家・上古から六朝までの逸話を選び初学者用に編纂した『[[蒙求]]』で知られる * [[一行]]([[683年]] - [[727年]]) - 唐の僧侶・[[真言八祖]]の一人であり[[善無畏]]と『大日経疏』を編纂・天文学者としては[[大衍暦]]を作成 * [[鑑真]]([[688年]] - [[763年]]) - 唐の僧侶・日本に渡り[[律宗]]を伝える・奈良の唐招提寺の開基となる * [[孟浩然]]([[689年]] - [[740年]]) - 唐の詩人・代表作に「春暁」がある・官人にはなれず在野で活躍 * [[王維]]([[701年]] - [[761年]]) - 唐の[[詩人]]で「詩仏」と称される・[[画家]]として「[[南画]]の祖」とされる * [[李白]]([[701年]] - [[762年]])- 唐の詩人で「詩仙」と称される・代表作に「早發白帝城」がある * [[顔真卿]]([[709年]] - [[785年]]) - 唐の書家・「争座位帖」や「[[祭姪文稿]]」がある・安史の乱でも活躍し忠臣とされる * [[杜甫]]([[712年]] - [[770年]]) - 唐の詩人で「詩聖」と称される・代表作に「[[春望]]」がある * [[張旭]](生没年不詳) - 唐の書家・[[狂草]]という奔放な書体で有名・「自言帖」や「郎官石柱記」がある * [[懐素]]([[725年]] - [[785年]]) - 唐の書家・僧侶・張旭の狂草の影響を受ける・「草書千字文」が有名 * [[陸羽]]([[733年]] - [[804年]]) - 唐の文筆家・[[茶]]にまつわる知識をまとめた『[[茶経]]』を残す * [[沈既済]]([[750年]] - [[800年]]頃) - 唐の歴史家・小説家・歴史書『建中実録』や[[伝奇小説]]「枕中記」「任氏伝」がある。 ==== 渤海 ==== * [[大欽茂]](文王)(? - [[793年]]) - 渤海の第3代王(在位[[737年]] - [[793年]])・律令体制を整え[[上京龍泉府]]に遷都 ==== 日本 ==== [[ファイル:Sakanoue no Karitamaro Drawing His Bow LACMA M.84.31.256.jpg|サムネイル|弓の名手である[[坂上苅田麻呂]]が[[藤原仲麻呂]]の乱で[[藤原訓儒麻呂]]を射ようとする場面]] * [[粟田真人]](? - [[720年]]) - [[公卿]]・[[中納言]]・大宝律令を編纂・30余年ぶりの第8次遣唐使では遣唐執節使となる * [[藤原不比等]]([[659年]] - [[720年]]) - [[公卿]]・[[右大臣]]・大宝律令を制定・藤原四兄弟や光明皇后の父 * [[柿本人麻呂]]([[660年]]頃 - [[720年]]頃) - 歌人・『[[万葉集]]』の代表的な歌人・「歌聖」と呼ばれる・[[三十六歌仙]]の一人 * [[山部赤人]](? - [[736年]]?) - 歌人・柿本人麻呂と並び称され「歌聖」と呼ばれる・三十六歌仙の一人。 * [[山上憶良]]([[660年]]? - [[733年]]?) - 官人・歌人・『万葉集』の「貧窮問答歌」「子を思ふ歌」が知られる * [[元明天皇]]([[661年]] - [[721年]]) - 第43代天皇(在位[[707年]] - [[715年]])・女帝・平城京に遷都 * [[太安万侶]](? - [[723年]]) - 文官・『古事記』を編纂・太安万侶墓誌が発見されている * [[玄昉]](? - [[746年]]) - 僧正・入唐僧・聖武天皇の母宮子の看護で昇進・橘諸兄政権で活躍 * [[道慈]](? - [[744年]]) - 律師・入唐僧・[[三論宗]]の[[智蔵]]に学ぶ・『[[金光明最勝王経]]』の頒布や[[大安寺]]の整備に尽力 * [[大伴旅人]]([[665年]] - [[731年]]) - 公卿・大納言・歌人・[[大宰帥]]赴任で筑紫歌壇を領導・「[[梅花の宴]]」で有名 * [[行基]]([[668年]] - [[749年]]) - [[大僧正]]・[[東大寺]]大仏造造営の勧進としても活躍・「行基菩薩」と呼ばれる * [[舎人親王]]([[676年]] - [[735年]]) - 天武天皇皇子・淳仁天皇の父(崇道尽敬皇帝)・『日本書紀』を編纂 * [[藤原四兄弟]] ** [[藤原武智麻呂]]([[680年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原南家]]祖 ** [[藤原房前]]([[681年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原北家]]祖 ** [[藤原宇合]]([[694年]]? - [[737年]]) - 公卿・[[藤原式家]]祖 ** [[藤原麻呂]]([[695年]] - [[737年]]) - 公卿・[[藤原京家]]祖 * [[橘諸兄]]([[684年]] - [[757年]]) - 公卿・[[左大臣]]・藤原四兄弟亡き後の政局を指導・初代橘氏長者 * [[長屋王]]([[684年]]? - [[729年]]) - 皇族・公卿・左大臣・高市皇子の長男・長屋王の変で自害した * [[良弁]]([[689年]] - [[774年]]) - 華厳宗の僧・奈良[[東大寺]]初代別当・大仏開眼供養に尽力・鷲に攫われた幼児の伝説も有名 * [[平群広成]](? - [[753年]]) - 官人・遣唐使の判官・唐から帰国途中に遭難し[[チャンパ]]に漂流・後に[[渤海 (国)|渤海]]から無事に帰国 * [[吉備真備]]([[695年]] - [[775年]]) - 遣唐留学生・帰国後は恵美押勝の乱を鎮圧・称徳天皇に重んじられ右大臣となる * [[阿倍仲麻呂]]([[698年]] - [[770年]]) - 遣唐留学生・帰国は果たせず唐の玄宗皇帝に仕え安南都護府に在任する * [[聖武天皇]]([[701年]] - [[756年]]) - 第45代[[天皇]](在位[[724年]] - [[749年]])・[[奈良]][[東大寺]]を創建 * [[光明皇后]]([[701年]] - [[760年]]) - 聖武天皇の皇后・人臣で最初の皇后・孝謙称徳天皇の母・[[正倉院]]の創設にも関与 * [[菩提僊那]]([[704年]] - [[760年]]) - インドからの渡来僧・僧正・[[大安寺]]に住す・東大寺大仏[[開眼供養]]式の導師を務める * [[藤原広嗣]](? - [[740年]]) - 官人・大宰少弐・式家宇合の子・[[藤原広嗣の乱]]を起こし処刑される * [[藤原仲麻呂]]([[706年]] - [[764年]]) - 公卿・太師([[太政大臣]])・藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)を起こし敗死 * [[藤原真楯]]([[715年]] - [[766年]]) - 公卿・[[大納言]]・北家房前の子 * [[国中公麻呂]](? - [[774年]]) - 仏師・造東大寺次官・東大寺[[盧遮那仏]]の造像と大仏殿建立の指揮をする * [[孝謙天皇|孝謙・称徳天皇]]([[718年]] - [[770年]]) - 第46代天皇(在位[[749年]] - [[758年]])・第48代天皇(在位[[764年]] - [[770年]]) * [[大伴家持]]([[718年]]頃 - [[785年]]) - 公卿・[[中納言]]・諸国の国司を歴任・和歌に優れ『万葉集』を編纂したか * [[橘奈良麻呂]]([[721年]]? - [[757年]]) - 公卿・参議・橘諸兄の子・[[橘奈良麻呂の乱]]が露見し処罰される * [[淡海三船]]([[722年]] - [[785年]]) - 文学者・[[文章博士]]・『[[懐風藻]]』の選者とされる・歴代天皇の漢風諡号選定にも関与 * [[道鏡]]([[700年]] - [[772年]]) - 太政大臣禅師・[[法王]]・[[宇佐八幡宮神託事件]]に関与・称徳天皇没後は[[下野国]]に追放される * [[藤原百川]]([[732年]] - [[779年]]) - 公卿・参議・[[井上内親王|井上廃后]]事件に関与して桓武天皇を擁立したか * [[和気清麻呂]]([[733年]] - [[799年]]) - 公卿・[[民部卿]]・宇佐八幡宮神託事件で道鏡を退ける * [[桓武天皇]]([[737年]] - [[806年]]) - 第50代天皇(在位[[781年]] - [[806年]])・[[長岡京]]そして[[平安京]]に遷都 * [[藤原種継]]([[737年]] - [[785年]]) - 公卿・中納言・式家百川の甥・長岡京造営の途中で暗殺される === 南アジア・チベット・東南アジア === * ナラシンハヴァルマン2世(? - [[728年]]頃)- インドの[[パッラヴァ朝]]の王(在位[[700年]]頃 - [[728年]]頃)・[[マハーバリプラム]]海岸寺院を建立 * ヴィクラマーディティヤ2世(? - [[744年]]) - インドの前期[[チャールキヤ朝]]の王(在位[[733年]] - [[744年]])・[[パッタダガル]]寺院を建立 * ダンティドゥルガ(? - [[756年]]) - インドの[[ラーシュトラクータ朝]]の王(在位[[753年]] - [[756年]])・[[チャールキヤ朝]]の君主を廃しデカン地方を支配 * クリシュナ1世(? - [[775年]]) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位[[756年]] - [[775年]])・[[エローラ石窟]]のカイラーサ寺院を建立 * [[ダルマトゥンガ]](? - [[782年]]) - ジャワ島の[[シャイレーンドラ朝]]の王(在位[[755年]]以前 - [[782年]])・[[ボロブドゥール寺院]]建立に着手 * [[善無畏|シュバカラシンハ]]([[637年]] - [[735年]]) - インド出身の僧侶・中国名は善無畏・唐に[[密教]]([[真言宗]])を伝え第五祖とされる * [[シャーンタラクシタ]](? - [[787年]]頃) - インドの僧侶でナーランダ寺院の出身・チベットに仏教を伝え[[サムイェー寺]]を建立 * カマラシーラ(生没年不詳) - インドの僧侶・チベットに招かれサムイェー寺の宗論で唐僧[[摩訶衍]]に勝利する * [[パドマサンバヴァ]](8世紀後半) - インドの僧侶・チベットに仏教を伝え[[ニンマ派]](紅教)の祖となる * ダーモーダラグプタ(8世紀後半) - [[カシミール]]王国の宰相・詩人・風俗抒情詩『クッタニーマタ(遊女の手引き)』は資料としても評価が高い * [[ティソン・デツェン]]([[742年]] - [[797年]]) - チベットの吐蕃の王(在位[[755年]] - [[797年]])・安史の乱に乗じて長安を占領・仏教興隆に尽力 === イスラム世界 === ==== ウマイヤ朝 ==== * [[クタイバ・イブン・ムスリム]]([[669年]] - [[715年]]/[[716年]]) - ウマイヤ朝の軍人・[[ホラサーン]]総督となり[[マー・ワラー・アンナフル]]を征服する * [[ワリード1世]]([[674年]] - [[715年]]) - ウマイヤ朝の第6代カリフ(在位[[705年]] - [[715年]])・[[ウマイヤド・モスク]]を建設 * [[ターリク・イブン=ズィヤード|タリク・イブン・ズィヤード]]([[689年]] - [[720年]]) - ウマイヤ朝の軍人・イベリア半島を征服し[[ジブラルタル]]の名の由来になる * アブドゥル・ラフマーン・アル・ガーフィキー(? - [[732年]]) - ウマイヤ朝の軍人・アルアンダルス知事・[[トゥール・ポワティエ間の戦い]]で敗北 ==== 後ウマイヤ朝 ==== * [[アブド・アッラフマーン1世]]([[731年]] - [[788年]]) - 後ウマイヤ朝の初代[[アミール]](在位[[756年]] - [[788年]])・[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を都とする ==== アッバース朝 ==== * [[サッファーフ]]([[724年]]? - [[754年]]) - アッバース朝の初代カリフ(在位[[750年]] - [[754年]])・ウマイヤ家残党を粛清 * [[マンスール]]([[712年]] - [[775年]]) - アッバース朝の第2代カリフ(在位[[754年]] - [[775年]])・都バグダードを建設 * [[ハールーン・アッラシード]]([[763年]] - [[809年]]) - アッバース朝の第5代カリフ(在位[[786年]] - [[809年]])・アッバース朝の最盛期 * ジヤード・イブン・サーリフ(? - [[752年]]) - アブー・ムスリム配下の将軍・[[タラス河畔の戦い]]で高仙芝率いる唐の軍団を撃破 * [[アブー・ムスリム]]([[700年]]頃 - [[755年]]) - [[アッバース革命]]の指導者でアッバース朝建国における最大の功臣・「ホラサーンの猛虎」 * [[ムカンナー]](メルヴのハキム)(? - [[783年]]) - ペルシアの反乱指導者・アブー・ムスリムを預言者とみなす反主流派の教団を形成した ==== 思想家・学者 ==== * アブー・ハニーファ([[699年]]頃 - [[767年]]) - イスラム法学者・[[ハナフィー学派]]の祖・シーア派との関係を疑われ獄死 * [[ジャアファル・サーディク]]([[702年]] - [[765年]]) - シーア派の第6代イマーム・イスラム法学者としては[[ジャアファル法学派|ジャアファル学派]]の祖 * イブン・イスハーク([[704年]] - [[761年]]/[[770年]]) - アッバース朝の著述家・カリフのマンスールに命じられ『預言者の生涯』をまとめる * マーリク・イブン・アナス([[714年]] - [[796年]]) - イスラム法学者・[[マーリク学派]]の祖・著作に『ムワッタ』がある * [[アナン・ベン・ダヴィド]]([[715年]]頃 - [[795年]]頃) - [[バビロニア]]の[[ユダヤ教]]哲学者・[[口伝律法]][[タルムード]]の権威を否定し[[カライ派]]の祖となる * [[ラービア・アル・アダウィーヤ]]([[717年]]頃 - [[801年]]頃) - [[バスラ]]出身の女性神秘家・禁欲から「神への愛」を昇華させた[[スーフィー]]の先駆者 * アル・ハリール・イブン・アフマド・アル・ファラーヒディー([[718年]] - [[786年]]/[[791年]]) - 文献学者・アラビア語辞書を編纂しアラビア語正書法を確定 * [[イブン・アル=ムカッファ]]([[721年]] - [[757年]]) - アッバース朝の著作家・ペルシアのサーサーン朝の年代記『フダーイ・ナーメ』をアラビア語に翻訳 * [[ファザーリ|ムハンマド・アル・ファザーリ]](? - [[796年]]/[[806年]]) - 天文学者・インドの[[ブラーマグプタ]]の天文学書を翻訳し『シンドヒンド』として編纂する * [[ジャービル・イブン・ハイヤーン]]([[721年]]? - [[815年]]?) - アッバース朝の哲学者・化学者・塩酸や硝酸の調合や蒸留装置を開発 * [[アブー・アル=アターヒヤ]]([[748年]] - [[828年]]) - アッバース朝の詩人・もとは壺売りだったが歴代カリフにより宮廷に招かれ「天才詩人」と呼ばれる === 中央アジア === * [[毘伽可汗|ビルゲ・カガン]](? - [[734年]]) - [[東突厥]]の[[カガン]](在位[[716年]] - [[734年]])・[[オルホン河]]畔の[[ホショ・ツァイダム碑文]]で有名 * [[ブラン・カガン]](? - [[740年]]) - [[ハザール]]の[[カガン]](在位[[730年]] - [[740年]])・[[テュルク]]系遊牧国家ながら[[ユダヤ教]]に改宗 * [[牟羽可汗]](? - [[779年]]) - [[回鶻]]の可汗(在位[[759年]] - [[779年]])・マニ教を受容・安史の乱の鎮圧に協力するが後に唐と反目 === キリスト教世界 === ==== フランク王国 ==== * {{仮リンク|アヴランシュのオベール|en|Aubert of Avranches}}(? - [[720年]]) - [[ノルマンディー]]地方のアヴランシュ司教・[[モン・サン=ミシェル|モン・サン・ミシェル]]修道院の基礎を築く * [[カール・マルテル]]([[686年]] - [[741年]]) - フランク王国の[[宮宰]]・トゥール・ポワティエ間の戦いで勝利しイスラム軍を撃退 * [[ピピン3世 (フランク王)|ピピン3世]](小ピピン)([[714年]] - [[768年]]) - カロリング朝の開祖(在位[[751年]] - [[768年]])・カール・マルテルの子・[[教皇領]]を寄進 * [[カール大帝]]([[742年]] - [[814年]]) - フランク国王(在位[[768年]] - [[814年]])・西ローマ皇帝(在位[[800年]] - [[814年]])・小ピピンの子 * [[ローラン (シャルルマーニュ伝説)|ローラン]](? - [[778年]]) - ブルターニュ辺境伯・カール大帝に仕える・ロンスヴォーの戦いでの死が『[[ローランの歌]]』伝説のもとになる * [[ヴィドゥキント]]([[730年]]頃 - [[808年]]?) - [[ザクセン]]部族公・[[サクソン戦争|ザクセン戦争]]でカール大帝に敗北しキリスト教に改宗 * タッシロ3世([[742年]]頃 - [[794年]]頃) - [[バイエルン]]部族公・カール大帝と対立しバイエルンから追放される * [[聖ボニファティウス|ボニファティウス]]([[672年]]頃 - [[754年]]) - キリスト教宣教師・「ドイツ人の[[使徒]]」・[[フリースラント]]で殉教 * ピルミニウス([[700年]]頃 - [[753年]]) - 修道士(ベネディクト会)・[[ライヒェナウ島]]修道院を建設 * [[アルクィン]]([[735年]]? - [[804年]]) - 神学者で[[トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]]司教・フランク王国宮廷学校校長・「カール大帝の知的宰相」 * リュートガー(ルドガー)([[742年]]頃 - [[809年]]) - キリスト教宣教師・[[ザクセン人]]や[[フリース人]]に布教し[[ミュンスター]]で修道院を創設 ==== イタリア ==== * デシデリウス(? - [[786年]]) - [[ランゴバルド王国]]最後の国王(在位[[756年]] - [[774年]]) * [[パウルス・ディアコヌス]]([[720年]] - [[799年]]) - イタリアの著述家・歴史家として『ランゴバルド史』を著す * [[ザカリアス (ローマ教皇)|ザカリアス]](? - [[752年]]) - ローマ教皇(在位[[741年]] - [[752年]])・ピピン3世のカロリング朝創設を支援 * [[ステファヌス2世 (ローマ教皇)|ステファヌス2世]](? - [[757年]]) - ローマ教皇(在位[[752年]] - [[757年]])・ピピン3世による寄進を受ける([[教皇領]]の始まり) * [[レオ3世 (ローマ教皇)|レオ3世]]([[750年]]? - [[816年]]) - ローマ教皇(在位[[795年]] - [[816年]])・「カール大帝の戴冠」を行う ==== 東ローマ帝国と東方正教圏 ==== * [[ユスティニアノス2世]]([[668年]]? - [[711年]]) - 東ローマ帝国ヘラクレイオス朝の皇帝(在位[[685年]] - [[695年]]、[[705年]] - [[711年]])・「鼻削がれ」の名で有名 * [[レオーン3世]]([[680年]]? - [[741年]]) - 東ローマ帝国[[イサウリア朝]]の皇帝(在位[[717年]] - [[741年]])・イスラム軍を撃退・聖像崇拝を禁止 * [[コンスタンティノス5世]](コプロニュモス)([[718年]] - 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ブラフマン
ブラフマン(ब्रह्मन्、brahman)は、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一(等価)であるとされる(梵我一如)。 サンスクリットの「力」を意味する単語からきている。特に、物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する。そこから、単語の2つ目の意味が出てくる。2つ目の意味はヒンドゥー教の最高のカースト、ブラフミン(en:Brahmins、バラモン)であり、彼らは上述のような力を持っているとされる。 神聖な書物であるウパニシャッドにあるように、ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派 (Vedantic) の思想によれば、この単語が指しているのは、外界に存在する全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実である。 ブラフマンは宇宙の源である。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。初期の宗教的な文書、ヴェーダ群の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされる。 Great indeed are the Gods who have sprung out of Brahman. - Atharva Veda 偉大なるものは、実に、ブラフマンの中から湧き出て来た神々である。 - 『アタルヴァ・ヴェーダ』 ウパニシャッドの哲学者は、ブラフマンは、アートマンと同一であるとする。ヒンドゥーの神々の体系では、ブラフマンはブラフマーと同一のものと見なされる。ブラフマー(創造者)は三神一体(Trimurti)の神々の1つであり、ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている。
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710年
710年(710 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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710年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|710}} {{year-definition|710}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[庚戌]] * [[日本]] ** [[和銅]]3年 ** [[皇紀]]1370年 * [[中国]] ** [[唐]]:[[景龍 (唐)|景龍]]4年、[[唐隆]]元年、[[景雲 (唐)|景雲]]元年 * [[朝鮮]]: * [[ベトナム]]: * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=710|Type=J|表題=可視}} == できごと == {{seealso|710年の日本}} * [[4月13日]](和銅3年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[元明天皇]]が[[藤原京]]から[[平城京]]へ[[遷都]]する。{{Sfn|ファータド|2013|p=131|ps=「平城京遷都 元明天皇は、都を平城京に移す。」}} * [[唐]]で、安西[[節度使]]が設置される。 * [[劉知幾]]、『[[史通]]』を撰述。 == 誕生 == {{see also|Category:710年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:710年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月28日]] ([[和銅]]2年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[下毛野古麻呂]]、[[飛鳥時代]]の[[貴族]](* 生年未詳) * [[11月9日]] (和銅3年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - [[黄書大伴]]、飛鳥時代の[[国司|守]](* 生年未詳) * [[安楽公主]]、[[唐]]の中宗の娘(* [[684年]]) * [[韋皇后 (唐中宗)|韋皇后]]、唐の中宗の皇后(* 生年未詳) * [[実叉難陀]]、唐代の[[訳経僧]](* [[652年]]) * [[僧伽 (僧)|僧伽]]、唐代の僧(* [[628年]]) * [[中宗 (唐)|中宗]]、唐の第4代[[皇帝]](* [[656年]]) * [[李重福]]、唐の[[皇族]]、中宗の庶長子(* [[680年]]) <!-- == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} --> == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|710}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=8|年代=700}} {{デフォルトソート:710ねん}} [[Category:710年|*]]
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ヴィシュヌ
ヴィシュヌ(梵: विष्णु Viṣṇu)は、ヒンドゥー教の神である。ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの1柱を成す重要な神格であり、特にヴィシュヌ派では最高神として信仰を集める。 ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い形而上的なコンセプトであるブラフマンと同一視され、至高のスヴァヤン・バガヴァン(英語版)であるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々なアヴァターラ(化身)を使い分け、地上に現れるとされている。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『マハーバーラタ』のクリシュナや『ラーマーヤナ』のラーマが含まれている。また、ヴィシュヌはナーラーヤナ、ジャガンナータ、ヴァースデーヴァ、ヴィトーバ(英語版)、ハリ(英語版)といった異名でも知られ、スマールタ派のパンチャーヤタナ・プージャー(英語版)では5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている。 偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手にはパドマ(英語版)、下の右手にはカウモーダキー(英語版)、上の左手にはパーンチャジャニヤ(英語版)、上の右手にはスダルシャナ・チャクラ(英語版)を持つ。また、とぐろを巻くアナンタ(英語版)の上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという神話の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神であるラクシュミーが一緒に描かれる。 「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる。 紀元前5世紀頃のヴェーダーンガの学者ヤースカ(英語版)は彼のニルクタ(語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである」としている。 中世インドの学者メーダーティティ(英語版)は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする。 比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」。「あなたは全世界をあまねく貪りつつ、燃えたつ口で舐めわたす」。 ヴィシュヌの描写は次のようにある。 ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。 ヴェーダの時代にはヴィシュヌはインドラやアグニのような目立った神格ではなかった。紀元前2000年頃の『リグ・ヴェーダ』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった。 ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、ヤン・ホンダは『リグ・ヴェーダ』にはいくつか目をひく言及も見られるとしている。たとえば『リグ・ヴェーダ』にはヴィシュヌは死後のアートマン(魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり、これが後にヒンドゥー教の救済論と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる。 ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる。インドラが悪の象徴であるヴリトラを倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。 『リグ・ヴェーダ』の複数の賛歌でトリヴィクラマ(Trivikrama)と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えばエローラ石窟群のものはヴィシュヌのアヴァターラとしてのヴァーマナのトリヴィクラマが描かれる。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる。 Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ // (...) 私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略) ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には救済論が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている。『シャタパタ・ブラーフマナ』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる。 『シャタパタ・ブラーフマナ』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する。 ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これをジオラ・ショーハム(英語版)は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な単一神教である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい。 ムクティカー(英語版)と呼ばれる108のウパニシャッドのうち、ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド(英語版)(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている。 これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドはブラフマンと呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、ラーマやあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う。 ヴィシュヌ派のプラーナ文献ではヴィシュヌに主眼が置かれる。ルド・ロシェ(英語版)によればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『バーガヴァタ・プラーナ(英語版)』、『ヴィシュヌ・プラーナ(英語版)』、『ナーラディーヤ・プラーナ(英語版)』、『ガルダ・プラーナ(英語版)』、『ヴァーユ・プラーナ(英語版)』が挙げられる。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ(māhātmya)と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる。 ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の天極にあり、そこから宇宙を観察しているとされる。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌはヒラニヤガルバ(英語版)(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る。プラーナによってはシヴァやブラフマー、シャクティが宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する。 ヴェーダーンタ学派のラーマーヌジャはウパニシャッドで議論のあった根本原理ブラフマンをヴィシュヌと同一視し、シュリー・ヴァイシュナヴァ派(英語版)の基礎を築いた。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ(Paramātma)、バガヴァーン(Bhagavān、ヴィシュヌのこと)と呼ぶ。 ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪なアスラ(悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えばサトリヤ(英語版)、マニプリ、オリッシー、クチプディ(英語版)、カタカリ、カタック、バラタナティヤム、バーガヴァタ・メーラ(英語版)、モヒニアッタム(英語版)という形で祭りの期間などに上演される。 ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌはアルダナーリーシュヴァラ(シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパ(宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる。 また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する。 タミル語で書かれた古典文芸、サンガム文学が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァやムルガン(スカンダ)、ドゥルガー、インドラといった汎インドの神々を信仰した。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる。 サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩シラッパディハーラム(英語版)とマニメーハライ(英語版)ではクリシュナが主題となっている。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には沐浴をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる。 5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となるバクティ運動(英語版)(バクティ参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけてアールワール(英語版)と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った。彼らはシュリーランガムをはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。ディヴィヤ・プラバンダ(英語版)にまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する。 『バーガヴァタ・プラーナ』にはヴィシュヌ派の思想がまとめられており、そこにはシャンカラの哲学、すなわちアートマンとブラフマンを融合するといった議論や、個の本質の中にブラフマンを戻すといったアドヴァイタ的(不二一元論)な議論が語られている。このプラーナではモークシャ(解脱)がエーカトヴァ(Ekatva、単一性)とサーユジャ(Sāyujya、没入)として説明され、そこでは個は完全にブラフマンに没頭すると語られる。ルクミニ(T.S Rukmani)によれば、『バーガヴァタ・プラーナ』は個の魂(アートマン)の絶対(ブラフマン)への回帰と絶対への融合を提示しており、これは疑いなくアドヴァイタ的傾向であるとする。『バーガヴァタ・プラーナ』はこれと同じ節にバガヴァン(ヴィシュヌ、とりわけクリシュナのこと)を専念する対象として触れており、そのため『バガヴァッド・ギーター』で語られる3つの道のうちのバクティ・ヨーガを提示しているとされている。 『バガヴァッド・ギーター』は知覚可能な物と知覚不可能な物、すなわち魂と物質の双方を扱っている。ハロルド・カワード(英語版)とダニエル・マグワイア( Daniel Maguire)は、『バガヴァッド・ギーター』は宇宙をヴィシュヌ(クリシュナ)の体として描いていると表現する。この文献の中ではヴィシュヌは全ての魂、全ての物質、時間を遍く満たしていると語られる。シュリー・ヴァイシュナヴァ派(英語版)ではヴィシュヌとシュリー(ラクシュミー)は分離不可能な存在として描かれ、2柱がともに宇宙を遍く満たすとしている。2柱がともに創造神であり、その創造自体にも2柱が偏在し、創造を超越するとされる。 『バーガヴァタ・プラーナ』では多くの節でブラフマン(特にニルグナ・ブラフマン(英語版))とシャンカラの不二一元論が並列に語られる。下に一例を挙げる。 人生の目的は真理の探究であり、儀式の実践を通して天国での享楽を欲求することではない 真理の知識を得たものはアドヴァイタ(不二)を真理と呼ぶ これはブラフマンと呼ばれ、至高のアートマンと呼ばれ、バガヴァーンと呼ばれる。 研究者たちはヴィシュヌ派の理論を、ウパニシャッドに見られる梵我一如の議論を基礎に置くものと考えており、これを「一元論的有神論」(一元論#東洋)と呼んでいる。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌとすべての物に宿る魂(アートマン)は同一のものであると主張している。エドウィン・ブライアント(英語版)は『バーガヴァタ・プラーナ』に語られる一元論はヴェーダーンタ(ウパニシャッドとほぼ同義)を基礎に置く物だとしながら、しかしシャンカラの一元論とは明確に同じものだとは言えないとする。『バーガヴァタ・プラーナ』では知覚可能、および知覚不可能な宇宙はともに同一の単一の存在の顕現であり、これはちょうど太陽から熱と光という違う現実が出現するのと同じようなことであると語られている。 ヴィシュヌ派のバクティ信仰では、ヴィシュヌには例えば全知の存在、活力に満ちる、大力の、君臨する、輝くような、といったさまざまな性格が付与される。マドヴァチャーリヤーの説く『マドヴァ・ヴェーダーンタ』ではクリシュナの姿をするヴィシュヌを、最高位に位置する創造神として、1つの神格として、偏在する神、全てを飲み込む神として、解脱(モークシャ)へと導いてくれる知識と恩寵を与えてくれる者として扱っている。加えて『マドヴァ・ヴェーダーンタ』では最高神であるヴィシュヌ(ブラフマン)と生命の持つ魂(アートマン)を2つの別々の現実と本質を持つと捉える(二元論)。一方でラーマーヌジャの説くシュリー・ヴァイシュナヴァ派では別の物であるが同じ本質を共有するものとしてとらえている(一元論)。 富と幸運と繁栄の女神、ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、ヴィシュヌのエネルギーの源であるとされている。ラクシュミーはまた、ヴィシュヌの8つの力の源であることからシュリー(英語版)、ティルマガル(Thirumagal)とも呼ばれる。ヴィシュヌがアヴァターラ、例えばラーマやクリシュナとして地上に現れる時にはラクシュミーもそれぞれ彼の配偶者であるシーター、ルクミニーとして転生するとされている。 トリムルティ(3つの形の意)は、創造、維持、破壊という宇宙の持つ3つの機能は創造を司るブラフマー、維持を司るヴィシュヌ、破壊/再編を司るシヴァという形で神格化されるというヒンドゥー教のコンセプトである。 シヴァとヴァシュヌは宗派によっては最高神としてとらえられる場合がある。ハリハラは右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌの神格であり西暦500年頃から宗教芸術として登場するようになり、例えば6世紀のバダミ石窟寺院(英語版)でも見られる。またそれとは別にハリルドラと呼ばれる半身がヴィシュヌ、半身がシヴァの神格が『マハーバーラタ』に触れられている。 ヴィシュヌのヴァーハナはガルダと呼ばれる鷲である。 トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマー(創造)やシヴァ(破壊)よりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわちダルマを修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割は『バガヴァッド・ギーター』の一節によく表れている。 実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。 善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。 ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する。 ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァースデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている。たとえばクリシュナは『マハーバーラタ』ではクリシュナが、『ラーマーヤナ』ではラーマが活躍する。 『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラは『アグニ・プラーナ(英語版)』、『ガルダ・プラーナ(英語版)』、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られており、10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである。 もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している。 ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマに集められている。有名なものは『マハーバーラタ』に収められているもので、ビーシュマはクルクシェートラの戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。 比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』では、次の例が挙げられている。 シク教の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する。例えばジャプジ・サーヒブ(英語版)ではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれるグルとして賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。クリストファー・シャックル(英語版)、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によればグル・ナーナクは、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している。 シク教の文献、チャウビス・アヴタル(英語版)にはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、ダサム・グラント(英語版)にはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs)に重視されている。 ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている。スリランカではヴィシュヌはウプルヴァン(英語版)、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院(コビル(英語版)やデヴァラヤ)に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている。 ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は上座部仏教が広く信仰を集める東南アジアの遺跡から見つかっている。たとえばタイ王国のマレーシア国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている。 同様にタイ中部のプラーチーンブリー県やペッチャブーン県から、またベトナムのドンタップ省、アンザン省から見つかっている。カンボジアのタケオ州やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている。インドネシアの島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている。それらの中にはスールヤや、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する。 日本の仏教ではヴィシュヌは毘紐天として知られ、13世紀に日蓮のまとめた文献などに登場する。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。 現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州ジャーンシーのサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』(Bṛhat-saṃhitā)や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』(Viṣṇudharmottarapurāṇa)のインストラクションにおおむね合致する。 考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている。これら初期の痕跡としてはたとえばラージャスターン州のヴィシュヌに関する石碑が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。マハーラーシュトラ州ネインガット(英語版)の洞窟で見つかったナーガニカー(Nāganikā)女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。マトゥラーでもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている。 ケーララ州ティルヴァナンタプラムのパドマナバスワミ寺院(英語版)はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている。 ジェームス・フリーマン・クラーク(英語版)によれば古代エジプトの神ホルスもヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である。リチャード・レヴィトン(英語版)はそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している。ジェームス・カウルズ・プリチャード(英語版)は一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする。 4034ヴィシュヌ(英語版)はエレノア・ヘリンによって発見された小惑星である。 ヴィシュヌ片岩(英語版)はアリゾナ州のグランド・キャニオンで見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった。 2007年、ロシアのヴォルガ川の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ(梵: विष्णु Viṣṇu)は、ヒンドゥー教の神である。ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの1柱を成す重要な神格であり、特にヴィシュヌ派では最高神として信仰を集める。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い形而上的なコンセプトであるブラフマンと同一視され、至高のスヴァヤン・バガヴァン(英語版)であるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々なアヴァターラ(化身)を使い分け、地上に現れるとされている。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『マハーバーラタ』のクリシュナや『ラーマーヤナ』のラーマが含まれている。また、ヴィシュヌはナーラーヤナ、ジャガンナータ、ヴァースデーヴァ、ヴィトーバ(英語版)、ハリ(英語版)といった異名でも知られ、スマールタ派のパンチャーヤタナ・プージャー(英語版)では5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手にはパドマ(英語版)、下の右手にはカウモーダキー(英語版)、上の左手にはパーンチャジャニヤ(英語版)、上の右手にはスダルシャナ・チャクラ(英語版)を持つ。また、とぐろを巻くアナンタ(英語版)の上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという神話の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神であるラクシュミーが一緒に描かれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "紀元前5世紀頃のヴェーダーンガの学者ヤースカ(英語版)は彼のニルクタ(語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである」としている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "中世インドの学者メーダーティティ(英語版)は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」。「あなたは全世界をあまねく貪りつつ、燃えたつ口で舐めわたす」。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌの描写は次のようにある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ヴェーダの時代にはヴィシュヌはインドラやアグニのような目立った神格ではなかった。紀元前2000年頃の『リグ・ヴェーダ』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": 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{ "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には救済論が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている。『シャタパタ・ブラーフマナ』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "『シャタパタ・ブラーフマナ』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これをジオラ・ショーハム(英語版)は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な単一神教である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ムクティカー(英語版)と呼ばれる108のウパニシャッドのうち、ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド(英語版)(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドはブラフマンと呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、ラーマやあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派のプラーナ文献ではヴィシュヌに主眼が置かれる。ルド・ロシェ(英語版)によればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『バーガヴァタ・プラーナ(英語版)』、『ヴィシュヌ・プラーナ(英語版)』、『ナーラディーヤ・プラーナ(英語版)』、『ガルダ・プラーナ(英語版)』、『ヴァーユ・プラーナ(英語版)』が挙げられる。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ(māhātmya)と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の天極にあり、そこから宇宙を観察しているとされる。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌはヒラニヤガルバ(英語版)(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る。プラーナによってはシヴァやブラフマー、シャクティが宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ヴェーダーンタ学派のラーマーヌジャはウパニシャッドで議論のあった根本原理ブラフマンをヴィシュヌと同一視し、シュリー・ヴァイシュナヴァ派(英語版)の基礎を築いた。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ(Paramātma)、バガヴァーン(Bhagavān、ヴィシュヌのこと)と呼ぶ。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪なアスラ(悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えばサトリヤ(英語版)、マニプリ、オリッシー、クチプディ(英語版)、カタカリ、カタック、バラタナティヤム、バーガヴァタ・メーラ(英語版)、モヒニアッタム(英語版)という形で祭りの期間などに上演される。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌはアルダナーリーシュヴァラ(シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパ(宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "タミル語で書かれた古典文芸、サンガム文学が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァやムルガン(スカンダ)、ドゥルガー、インドラといった汎インドの神々を信仰した。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩シラッパディハーラム(英語版)とマニメーハライ(英語版)ではクリシュナが主題となっている。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には沐浴をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となるバクティ運動(英語版)(バクティ参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけてアールワール(英語版)と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った。彼らはシュリーランガムをはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。ディヴィヤ・プラバンダ(英語版)にまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する。", "title": "聖典" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "『バーガヴァタ・プラーナ』にはヴィシュヌ派の思想がまとめられており、そこにはシャンカラの哲学、すなわちアートマンとブラフマンを融合するといった議論や、個の本質の中にブラフマンを戻すといったアドヴァイタ的(不二一元論)な議論が語られている。このプラーナではモークシャ(解脱)がエーカトヴァ(Ekatva、単一性)とサーユジャ(Sāyujya、没入)として説明され、そこでは個は完全にブラフマンに没頭すると語られる。ルクミニ(T.S Rukmani)によれば、『バーガヴァタ・プラーナ』は個の魂(アートマン)の絶対(ブラフマン)への回帰と絶対への融合を提示しており、これは疑いなくアドヴァイタ的傾向であるとする。『バーガヴァタ・プラーナ』はこれと同じ節にバガヴァン(ヴィシュヌ、とりわけクリシュナのこと)を専念する対象として触れており、そのため『バガヴァッド・ギーター』で語られる3つの道のうちのバクティ・ヨーガを提示しているとされている。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "『バガヴァッド・ギーター』は知覚可能な物と知覚不可能な物、すなわち魂と物質の双方を扱っている。ハロルド・カワード(英語版)とダニエル・マグワイア( Daniel Maguire)は、『バガヴァッド・ギーター』は宇宙をヴィシュヌ(クリシュナ)の体として描いていると表現する。この文献の中ではヴィシュヌは全ての魂、全ての物質、時間を遍く満たしていると語られる。シュリー・ヴァイシュナヴァ派(英語版)ではヴィシュヌとシュリー(ラクシュミー)は分離不可能な存在として描かれ、2柱がともに宇宙を遍く満たすとしている。2柱がともに創造神であり、その創造自体にも2柱が偏在し、創造を超越するとされる。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『バーガヴァタ・プラーナ』では多くの節でブラフマン(特にニルグナ・ブラフマン(英語版))とシャンカラの不二一元論が並列に語られる。下に一例を挙げる。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "人生の目的は真理の探究であり、儀式の実践を通して天国での享楽を欲求することではない 真理の知識を得たものはアドヴァイタ(不二)を真理と呼ぶ これはブラフマンと呼ばれ、至高のアートマンと呼ばれ、バガヴァーンと呼ばれる。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "研究者たちはヴィシュヌ派の理論を、ウパニシャッドに見られる梵我一如の議論を基礎に置くものと考えており、これを「一元論的有神論」(一元論#東洋)と呼んでいる。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌとすべての物に宿る魂(アートマン)は同一のものであると主張している。エドウィン・ブライアント(英語版)は『バーガヴァタ・プラーナ』に語られる一元論はヴェーダーンタ(ウパニシャッドとほぼ同義)を基礎に置く物だとしながら、しかしシャンカラの一元論とは明確に同じものだとは言えないとする。『バーガヴァタ・プラーナ』では知覚可能、および知覚不可能な宇宙はともに同一の単一の存在の顕現であり、これはちょうど太陽から熱と光という違う現実が出現するのと同じようなことであると語られている。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派のバクティ信仰では、ヴィシュヌには例えば全知の存在、活力に満ちる、大力の、君臨する、輝くような、といったさまざまな性格が付与される。マドヴァチャーリヤーの説く『マドヴァ・ヴェーダーンタ』ではクリシュナの姿をするヴィシュヌを、最高位に位置する創造神として、1つの神格として、偏在する神、全てを飲み込む神として、解脱(モークシャ)へと導いてくれる知識と恩寵を与えてくれる者として扱っている。加えて『マドヴァ・ヴェーダーンタ』では最高神であるヴィシュヌ(ブラフマン)と生命の持つ魂(アートマン)を2つの別々の現実と本質を持つと捉える(二元論)。一方でラーマーヌジャの説くシュリー・ヴァイシュナヴァ派では別の物であるが同じ本質を共有するものとしてとらえている(一元論)。", "title": "ヴィシュヌ派" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "富と幸運と繁栄の女神、ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、ヴィシュヌのエネルギーの源であるとされている。ラクシュミーはまた、ヴィシュヌの8つの力の源であることからシュリー(英語版)、ティルマガル(Thirumagal)とも呼ばれる。ヴィシュヌがアヴァターラ、例えばラーマやクリシュナとして地上に現れる時にはラクシュミーもそれぞれ彼の配偶者であるシーター、ルクミニーとして転生するとされている。", "title": "他の神々との関係" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "トリムルティ(3つの形の意)は、創造、維持、破壊という宇宙の持つ3つの機能は創造を司るブラフマー、維持を司るヴィシュヌ、破壊/再編を司るシヴァという形で神格化されるというヒンドゥー教のコンセプトである。", "title": "他の神々との関係" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "シヴァとヴァシュヌは宗派によっては最高神としてとらえられる場合がある。ハリハラは右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌの神格であり西暦500年頃から宗教芸術として登場するようになり、例えば6世紀のバダミ石窟寺院(英語版)でも見られる。またそれとは別にハリルドラと呼ばれる半身がヴィシュヌ、半身がシヴァの神格が『マハーバーラタ』に触れられている。", "title": "他の神々との関係" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌのヴァーハナはガルダと呼ばれる鷲である。", "title": "他の神々との関係" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマー(創造)やシヴァ(破壊)よりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわちダルマを修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割は『バガヴァッド・ギーター』の一節によく表れている。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。 善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァースデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている。たとえばクリシュナは『マハーバーラタ』ではクリシュナが、『ラーマーヤナ』ではラーマが活躍する。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラは『アグニ・プラーナ(英語版)』、『ガルダ・プラーナ(英語版)』、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られており、10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマに集められている。有名なものは『マハーバーラタ』に収められているもので、ビーシュマはクルクシェートラの戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』では、次の例が挙げられている。", "title": "ヴィシュヌのアヴァターラ" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "シク教の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する。例えばジャプジ・サーヒブ(英語版)ではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれるグルとして賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。クリストファー・シャックル(英語版)、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によればグル・ナーナクは、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している。", "title": "シク教" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "シク教の文献、チャウビス・アヴタル(英語版)にはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、ダサム・グラント(英語版)にはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs)に重視されている。", "title": "シク教" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている。スリランカではヴィシュヌはウプルヴァン(英語版)、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院(コビル(英語版)やデヴァラヤ)に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている。", "title": "仏教" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は上座部仏教が広く信仰を集める東南アジアの遺跡から見つかっている。たとえばタイ王国のマレーシア国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている。 同様にタイ中部のプラーチーンブリー県やペッチャブーン県から、またベトナムのドンタップ省、アンザン省から見つかっている。カンボジアのタケオ州やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている。インドネシアの島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている。それらの中にはスールヤや、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する。", "title": "仏教" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "日本の仏教ではヴィシュヌは毘紐天として知られ、13世紀に日蓮のまとめた文献などに登場する。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。", "title": "仏教" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州ジャーンシーのサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』(Bṛhat-saṃhitā)や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』(Viṣṇudharmottarapurāṇa)のインストラクションにおおむね合致する。", "title": "寺院" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている。これら初期の痕跡としてはたとえばラージャスターン州のヴィシュヌに関する石碑が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。マハーラーシュトラ州ネインガット(英語版)の洞窟で見つかったナーガニカー(Nāganikā)女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。マトゥラーでもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている。", "title": "寺院" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ケーララ州ティルヴァナンタプラムのパドマナバスワミ寺院(英語版)はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている。", "title": "寺院" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ジェームス・フリーマン・クラーク(英語版)によれば古代エジプトの神ホルスもヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である。リチャード・レヴィトン(英語版)はそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している。ジェームス・カウルズ・プリチャード(英語版)は一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする。", "title": "その他の文化でのヴィシュヌ" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "4034ヴィシュヌ(英語版)はエレノア・ヘリンによって発見された小惑星である。", "title": "その他の文化でのヴィシュヌ" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ヴィシュヌ片岩(英語版)はアリゾナ州のグランド・キャニオンで見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった。", "title": "その他の文化でのヴィシュヌ" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2007年、ロシアのヴォルガ川の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている。", "title": "その他の文化でのヴィシュヌ" } ]
ヴィシュヌは、ヒンドゥー教の神である。ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの1柱を成す重要な神格であり、特にヴィシュヌ派では最高神として信仰を集める。 ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い形而上的なコンセプトであるブラフマンと同一視され、至高のスヴァヤン・バガヴァンであるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々なアヴァターラ(化身)を使い分け、地上に現れるとされている。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『マハーバーラタ』のクリシュナや『ラーマーヤナ』のラーマが含まれている。また、ヴィシュヌはナーラーヤナ、ジャガンナータ、ヴァースデーヴァ、ヴィトーバ、ハリといった異名でも知られ、スマールタ派のパンチャーヤタナ・プージャーでは5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている。 偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手にはパドマ、下の右手にはカウモーダキー、上の左手にはパーンチャジャニヤ、上の右手にはスダルシャナ・チャクラを持つ。また、とぐろを巻くアナンタの上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという神話の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神であるラクシュミーが一緒に描かれる。
{{Otheruses|ヒンドゥー教の神格|仏教におけるヴィシュヌ|那羅延天}} {{Infobox deity | type = Hindu | Image = VishnuHindu.jpg | image_size = | Caption = | Name = ヴィシュヌ | Devanagari = विष्णु | Sanskrit_Transliteration = {{IAST|Viṣṇu}} | Hindi_Transliteration = {{ヴィシュヌ}} | mantra = オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ<br>({{lang|sa|Oṃ Namo Nārāyaṇāya}}) | affiliation = [[ブラフマン]]([[ヴィシュヌ派]]) <br> [[三神一体|トリムルティ]] <br> [[デーヴァ]] | Abode = {{仮リンク|ヴァイクンタ|en|Vaikuntha}} | Weapon = {{仮リンク|スダルシャナ・チャクラ|en|Sudarshana Chakra}} <br> {{仮リンク|カウモダキ|en|Kaumodaki}} | Consorts = [[ラクシュミー]] | mount = [[ガルダ]] | deity_of = [[維持]]の[[神]] | Symbols = [[シャンカ]]、 [[ハス]]、[[シェーシャ]] }} '''ヴィシュヌ'''({{lang-sa-short|विष्णु Viṣṇu}})は、[[ヒンドゥー教]]の[[神]]である。[[ブラフマー]]、[[シヴァ]]とともに[[三神一体|トリムルティ]]の1柱を成す重要な[[神格]]であり<ref name="davidwhite29">David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29</ref><ref name=gonda212/>{{Refnest|group="注"|<!--ここいらない気もする-->古代の文献ではヴィシュヌの含まれない3柱を最高神の3人組に数えているものもある<ref name=davidwhite29>David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29</ref><ref name=gonda212/>。[[ヤン・ホンダ]]はヒンドゥー教のトリムルティというコンセプトは、[[アグニ]]という1柱の神の持つ3つの性格についての古代の宇宙論的な、儀式的な思索から発展したのではないかとしている。[[アグニ]]は3度、あるいは3倍誕生し、3倍の光であり、3つの体と3つの地位を持つとされている<ref>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 218-219</ref>(アグニは火であり光であり日である)。一般的なトリムルティとされるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの他には古代や中世の文献には「[[インドラ]]、ヴィシュヌ、ブラフマナスパティ」や、「アグニ、インドラ、[[スーリヤ]]」、「アグニ、[[ヴァーユ]]、アーディティヤ」、「マハーラクシュミー、マハーサラスヴァティ、マハーカーリー」等といった組み合わせが見られる<ref name=davidwhite29/><ref name=gonda212>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 212-226</ref>。}}、特に[[ヴィシュヌ派]]では最高神として信仰を集める<ref>{{Cite book|author1=Orlando O. Espín|author2=James B. Nickoloff|title=An Introductory Dictionary of Theology and Religious Studies|url=https://books.google.com/books?id=k85JKr1OXcQC&pg=PA539|year=2007|publisher=Liturgical Press|isbn=978-0-8146-5856-7|page=539}}</ref><ref name="Flood 1996, p. 17">{{仮リンク|Gavin Flood|en|Gavin Flood}}, ''[https://books.google.com/books/about/An_Introduction_to_Hinduism.html?id=KpIWhKnYmF0C An Introduction to Hinduism]'' (1996), p. 17.</ref>。 ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い[[形而上]]的なコンセプトである[[ブラフマン]]と同一視され、至高の{{仮リンク|スヴァヤン・バガヴァン|en|Svayam Bhagavan}}であるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々な[[アヴァターラ]](化身)を使い分け、地上に現れるとされている<ref name="Zimmer 1972 p. 124">{{Cite book|last1=Zimmer|first1=Heinrich Robert|authorlink1=Heinrich Zimmer|title=Myths and Symbols in Indian Art and Civilization|publisher=Princeton University Press|isbn=978-0-691-01778-5|url=https://books.google.com/books/about/Myths_and_Symbols_in_Indian_Art_and_Civi.html?id=PTfNMQP81nAC|page=124}}</ref>。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『[[マハーバーラタ]]』の[[クリシュナ]]や『[[ラーマーヤナ]]』の[[ラーマ]]が含まれている。また、ヴィシュヌは[[那羅延天|ナーラーヤナ]]、[[ジャガンナート|ジャガンナータ]]、[[ヴァースデーヴァ]]、{{仮リンク|ヴィトーバ|en|Vithoba}}、{{仮リンク|ハリ (神)|en|Hari|label=ハリ}}といった異名でも知られ、[[スマールタ派]]の{{仮リンク|パンチャーヤタナ・プージャー|en|Panchayatana puja}}では5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている<ref name="Flood 1996, p. 17"/>。 偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手には{{仮リンク|パドマ|en|Padma (attribute)}}、下の右手には{{仮リンク|カウモーダキー|en|Kaumodaki}}、上の左手には{{仮リンク|パーンチャジャニヤ|en|Panchajanya}}、上の右手には{{仮リンク|スダルシャナ・チャクラ|en|Sudarshana Chakra}}を持つ{{Refn|group="注"|パドマ: [[蓮]]; カウモダキ: {{仮リンク|ガダー|en|Gada (weapon)}}と呼ばれる武器、[[こん棒]]のようなもの; パンチャジャナ: [[トゥンカル|シャンカ]]、[[ほら貝]]; スダルシャナ・チャクラ: [[チャクラム]]と呼ばれる武器}}。また、とぐろを巻く{{仮リンク|アナンタ|en|Ananta Shesha|redirect=1}}の上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという[[神話]]の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神である[[ラクシュミー]]が一緒に描かれる<ref>{{Cite book|author1=Fred S. Kleiner|title=Gardner's Art through the Ages: Non-Western Perspectives|url=https://books.google.co.in/books?id=TlVeuxIgjwQC&pg=PA22&dq=vishnu+ananta&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=vishnu%20ananta&f=false|year=2007|publisher=Cengage Learning|isbn=0495573671|page=22}}</ref>。 == 概要 == === 名前 === 「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる<ref>Swami Chinmayananda's translation of Vishnu sahasranama pgs. 16–17, Central Chinmaya Mission Trust.</ref><ref name=coward113>{{Cite book|author1=Harold Coward|author2=Daniel C. Maguire|title=Visions of a New Earth: Religious Perspectives on Population, Consumption, and Ecology |url=https://books.google.com/books?id=gkIwI84XajEC&pg=PA113 |year=2000|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-4458-0|page=113}}</ref>。 紀元前5世紀頃の[[ヴェーダーンガ]]の学者{{仮リンク|ヤースカ|en|Yaska}}は彼の[[ニルクタ]](語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者{{Refn|group="注"|"viṣṇur viṣvater vā vyaśnoter vā""}}」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである{{Refn|group="注"|"atha yad viṣito bhavati tad viṣnurbhavati"}}」としている<ref name=VishwaBagchee12>{{Cite journal|last=Adluri|first=Vishwa|author2=Joydeep Bagchee |title=From Poetic Immortality to Salvation: Ruru and Orpheus in Indic and Greek Myth|doi=10.1086/662191 |journal=History of Religions|date=February 2012|volume=51|issue=3|pages=245–246|jstor=10.1086/662191 }}</ref>。 中世インドの学者{{仮リンク|メーダーティティ|en|Medhātithi}}は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする<ref name="Klostermaier2000p84">{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ|year=2000|publisher=Oneworld|isbn=978-1-85168-213-3|pages=83–84}}</ref>。 === 特徴 === [[比較神話学]]者[[ジョゼフ・キャンベル]]の『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。「あなたは全[[世界]]をあまねく貪りつつ、燃えたつ[[口]]で舐めわたす」{{sfn|キャンベル|2004|pp=51-52}}。 ヴィシュヌの描写は次のようにある。 {{quotation|幾多の[[顔]]と[[眼]]とをもち、さまざまな[[この世]]のものとも思えぬ姿をあらわし、多くの神々しい[[装飾]]で飾りたて、多くの神々しい[[武器]]を携え、素晴らしい[[花冠]]と[[衣服]]を身にまとい、聖なる[[香料]]を塗り、あらゆる奇瑞よりなり、眩くも無際限の、あらゆる方角にさまざまな容顔をさらす神 … 神々のなかの[[最高神]]のみ姿のなかに、多様に分かたれた全世界がただ一つのものに収められているのを、アルジュナはそのときそこでみたのであった。{{sfn|キャンベル|2004|p=50}}}} ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。 {{quotation|わたしは[[力]]{{要曖昧さ回避|date=2023年6月}}であり、この世を滅ぼす「[[時間]]」である。ここに集まる者どもを殺さんがためにここに出現した。たとえ汝がいなくとも、敵陣に並び立つ[[戦士]]らはみな生きつづけはしないだろう。 … わたしによってすでに殺された、[[ドローナ]]、[[ビーシュマ]]、[[ジャドラタ]]、[[カルナ]]、またその他の[[勇士]]たちを殺せ。これらの者どもはすでにわたしが殺し終えている者どもである。{{sfn|キャンベル|2004|p=52}}}} == 聖典 == {{Infobox | title = 様々な文化に見るヴィシュヌ | image = {{Image array|perrow=2|width=125|height=115 | image1 = VishnuGandhara.JPG| caption1 = [[バクトリア語]]が書かれた封印。4-6世紀。 | image2 = KINGS of BAKTRIA. Agathokles. Circa 185-170 BC. AR Drachm (3.22 gm, 12h). Bilingual series. BASILEWS AGAQOKLEOUS with Indian god Balarama-Samkarshana.jpg|caption2=紀元前1世紀、バクトリアの[[コイン]]。 | image3 = Museum für Indische Kunst Dahlem Berlin Mai 2006 036 2.jpg| caption3 = 13世紀、[[カンボジア]]のヴィシュヌ。 | image4 = Statue of Vishnu, Victoria and Albert Museum, London, UK (IM 127-1927) - 20090209.jpg| caption4 = [[インド]] | image5 = Beikthano (Vishnu) Nat.jpg| caption5 = [[ミャンマー]] | image6 = Vishnu Kediri.jpg| caption6 = [[インドネシア]] }} |caption =ヒンドゥーの神ヴィシュヌは長い歴史の中で信仰を集め続けてきた。 }} === ヴェーダ === [[ヴェーダ]]の時代にはヴィシュヌは[[インドラ]]や[[アグニ]]のような目立った神格ではなかった<ref name="Gonda1969p1">{{Cite book|author=Jan Gonda|authorlink=Jan Gonda|title=Aspects of Early Viṣṇuism|url=https://books.google.com/books?id=b8urRsuUJ9oC |year=1969|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-1087-7|pages=1–2}}</ref>。紀元前2000年頃の『[[リグ・ヴェーダ]]』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる<ref name="Klostermaier2000p84"/>。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった<ref name="Gonda1969p1"/><ref name="Macdonell1898p167">{{Cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=167–169}}</ref>。<!--この辺怪しいので思い切って書き換えてかまいません。英語版 oldid=740971992 あたりで大幅改変。--> ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、[[ヤン・ホンダ]]は『リグ・ヴェーダ』にはいくつか目をひく言及も見られるとしている<ref name="Gonda1969p1"/>。たとえば『リグ・ヴェーダ』にはヴィシュヌは死後の[[アートマン]](魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり{{Refn|group="注"|1.154.5, 1.56.3, 10.15.3.}}、これが後にヒンドゥー教の[[救済論]]と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある<ref name="Gonda1969p1"/><ref name="Macdonell1898p10">{{Cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=9–11, 167–169}}</ref>。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる<ref name="Klostermaier2000p84"/>。 ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる<ref name="Klostermaier2000p84"/><ref name="Macdonell1898p18">{{cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=18–19}}</ref>。インドラが悪の象徴である[[ヴリトラ]]を倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。 === トリヴィクラマ === {{see also|ヴァーマナ}} {{Double image aside|right|Le temple de Changu Narayan (Bhaktapur) (8567815983).jpg|150|Badami Cave Temples 35.jpg|135|様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: [[ネパール]]、[[バクタプル]]のトリヴィクラマ。右: インド、{{仮リンク|バダミの石窟寺院群|en|Badami cave temples}}。6世紀のもの。}} 『リグ・ヴェーダ』の複数の賛歌でトリヴィクラマ({{IAST|Trivikrama}})と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである<ref name="Klostermaier2000p85">{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ|year=2000|publisher=Oneworld|isbn=978-1-85168-213-3|pages=84–85}}</ref>。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えば[[エローラ石窟群]]のものはヴィシュヌのアヴァターラとしての[[ヴァーマナ]]のトリヴィクラマが描かれる<ref>{{Cite book|author=Alice Boner|title=Principles of Composition in Hindu Sculpture: Cave Temple Period|url=https://books.google.com/books?id=doQLZ21CGScC&pg=PA96|year=1990|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-0705-1|pages=96–99}}</ref><ref>{{Cite book|author1=Bettina Bäumer|author2=Kapila Vatsyayan|title=Kalātattvakośa: A Lexicon of Fundamental Concepts of the Indian Arts |url=https://books.google.com/books?id=8f38pN2lvhIC&pg=PA251|year=1988|publisher=Motilal Banarsidas|isbn=978-81-208-1044-0|page=251}}</ref>。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる<ref name="Klostermaier2000p85"/><ref>{{Cite book|author=J. Hackin|title=Asiatic Mythology: A Detailed Description and Explanation of the Mythologies of All the Great Nations of Asia|url= https://books.google.com/books?id=HAZrFhvqnTkC&pg=PA130| year=1994|publisher=Asian Educational Services|isbn=978-81-206-0920-4|pages=130–132}}</ref>。 {{Quote| <poem> {{IAST|Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ //}} (...) 私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略) </poem> |『リグ・ヴェーダ』1.154.1|[[ヤン・ホンダ]]訳からの重訳<ref>{{Cite book|author=Jan Gonda|title=Viṣṇuism and Śivaism: a comparison|url=https://books.google.com/books?id=d1YIAQAAIAAJ|year=1970|publisher=Bloomsbury Academic|isbn=978-1474280808|pages=71–72}}</ref>}} ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には[[救済論]]が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている<ref name="Klostermaier2000p85"/>。『[[シャタパタ・ブラーフマナ]]』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる<ref name="Klostermaier2000p85"/><!--'Vishnu is the sacrifice - by striding he obtained for the gods this all-pervading power which now belongs to them." Vishnu trivikrama is the "saviour of the devas" from the asuras who had usurped the three worlds.'-->。<!-- この段落は英語版2016年12月5日より翻訳した部分ですが、ソースを見たうえで大幅に改変しています。--> === ブラーフマナ === 『[[シャタパタ・ブラーフマナ]]』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる<ref name=klostermaier86/>。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる<ref name=klostermaier86/>。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」<ref name=klostermaier86/>。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する<ref name=klostermaier86>{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ| year=2000| publisher=Oneworld| isbn=978-1-85168-213-3| pages=85–87}}</ref>。 ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これを{{仮リンク|ジオラ・ショーハム|en|Shlomo Giora Shoham}}は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する<ref>{{Cite book|author=S. Giora Shoham|title=To Test the Limits of Our Endurance|url=https://books.google.com/books?id=8_hOAQAAIAAJ |year=2010|publisher=Cambridge Scholars |isbn=978-1-4438-2068-4|page=116}}</ref>。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な[[単一神教]]である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」{{Refn|group="注"|Rig veda 1:27:13}}という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい<ref>History of Ancient Sanskrit Literature by Prof Max Muller. Printed by Spottiswoode and Co. New-Street Square London. page 533</ref>。 === ウパニシャッド === {{仮リンク|ムクティカー|en|Muktika}}と呼ばれる108の[[ウパニシャッド]]のうち、{{仮リンク|ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド|en|Vaishnava Upanishads}}(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する{{Sfn|Deussen|1997|p=556}}。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている{{Sfn|Mahony|1998|p=290}}{{Sfn|Lamb|2002|p=191}}。 これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドは[[ブラフマン]]と呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、[[ラーマ]]やあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる<ref name="Mahony1998p271">{{Cite book|author=William K. Mahony|title=The Artful Universe: An Introduction to the Vedic Religious Imagination|url=https://books.google.com/books?id=B1KR_kE5ZYoC |year=1998|publisher=State University of New York Press |isbn=978-0-7914-3579-3 |page=271}}</ref><ref name="WinternitzSarma1996p217">{{Cite book|author1=Moriz Winternitz|author2=V. Srinivasa Sarma|title=A History of Indian Literature|url=https://books.google.com/books?id=JRfuJFRV_O8C |year=1996|publisher=Motilal Banarsidass |isbn=978-81-208-0264-3 |pages=217–224 with footnotes }}</ref>。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う{{Sfn|Sen|1937|p=26}}。 === プラーナ文献 === [[ファイル:Bhagavata Purana (Ancient Stories of the Lord) Manuscript LACMA M.88.134.4 (2 of 2).jpg|thumb|240px|{{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}はヴィシュヌのアヴァターラである[[クリシュナ]]に焦点を当てる。]] ヴィシュヌ派の[[プラーナ文献]]ではヴィシュヌに主眼が置かれる。{{仮リンク|ルド・ロシェ|en|Ludo Rocher}}によればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『{{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}』、『{{仮リンク|ヴィシュヌ・プラーナ|en|Vishnu Purana}}』、『{{仮リンク|ナーラディーヤ・プラーナ|en|Nāradeya Purana}}』、『{{仮リンク|ガルダ・プラーナ|en|Garuda Purana}}』、『{{仮リンク|ヴァーユ・プラーナ|en|Vayu Purana}}』が挙げられる{{Sfn|Rocher|1986|pp= 59-61}}。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ({{IAST|māhātmya}})と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる{{Sfn|Ariel Glucklich|2008|p=146, '''Quote:''' The earliest promotional works aimed at tourists from that era were called ''mahatmyas''.}}。 ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の[[天の極|天極]]にあり、そこから宇宙を観察しているとされる<ref>{{Cite journal | url = https://books.google.com/books?id=IsSpbyjw5DMC&pg=PA273&lpg=PA273 | title = Sinister Yogis | isbn = 978-0-226-89515-4 | author1 = White | first1 = David Gordon | page=273 with footnote 47| date = 2010-07-15}}</ref>。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌは{{仮リンク|ヒラニヤガルバ|en|Hiranyagarbha}}(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る<ref>{{Cite book|author=J.M Masson|title=The Oceanic Feeling: The Origins of Religious Sentiment in Ancient India|url=https://books.google.com/books?id=swsrBgAAQBAJ&pg=PA63 |year=2012|publisher=Springer Science|isbn=978-94-009-8969-6|pages=63 with footnote 4}}</ref>。プラーナによってはシヴァやブラフマー、[[シャクティ]]が宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する{{Sfn|Rocher|1986|pp=246-247}}。 [[ヴェーダーンタ学派]]の[[ラーマーヌジャ]]はウパニシャッドで議論のあった根本原理[[ブラフマン]]をヴィシュヌと同一視し、{{仮リンク|シュリー・ヴァイシュナヴァ派|en|Sri Vaishnavism}}の基礎を築いた<ref>Sucharita Adluri (2015), Textual authority in Classical Indian Thought: Ramanuja and the Visnu Purana, Routledge, ISBN 978-0415695756, pages 1-11, 18-26</ref>。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者<!--[[超越論哲学]]?-->はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ({{IAST|Paramātma}})、バガヴァーン({{IAST|Bhagavān}}、<!--クリシュナ、すなわち-->ヴィシュヌのこと)と呼ぶ<ref>Bhagavata Purana [http://vedabase.net/sb/1/2/11/en 1.2.11], {{IAST|vadanti tattattvavidas tattvaṃ yaj jñānam advayam / brahmeti paramātmeti bhagavāniti śabdyate}}</ref>。<!--ラーマーヌジャは人気のあった『ヴィシュ・プラーナ』をのヴェーダーンタの解釈に取り込んだ。最初に思いついたわけではない。--> ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている{{Sfn|Bryant|2007|pages=112}}。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている{{Sfn|Kumar Das|2006| pages=172–173}}{{Sfn|Rocher|1986|pp=138–151}}。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪な[[アスラ]](悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている<ref>Ravi Gupta and Kenneth Valpey (2013), The Bhagavata Purana, Columbia University Press, ISBN 978-0231149990, pages 3-19</ref>。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている<ref>Constance Jones and James Ryan (2007), Encyclopedia of Hinduism, Infobase, ISBN 978-0816054589, page 474</ref>。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えば{{仮リンク|サトリヤ|en|Sattriya}}、[[マニプリ]]、[[オリッシー]]、{{仮リンク|クチプディ|en|Kuchipudi}}、[[カタカリ]]、[[カタックダンス|カタック]]、[[バラタナティヤム]]、{{仮リンク|バーガヴァタ・メーラ|en|Bhagavata Mela}}、{{仮リンク|モヒニアッタム|en|Mohiniyattam}}という形で祭りの期間などに上演される{{Sfn|Bryant|2007|pages=118}}{{Sfn|Varadpande|1987|pages=92–97}}<ref>Graham Schweig ( 2007), Encyclopedia of Love in World Religions (Editor: Yudit Kornberg Greenberg), Volume 1, ISBN 978-1851099801, pages 247-249</ref>。 ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる<ref>{{Cite book|last1=Bryant|first1=ed. by Edwin F.|title=Krishna : a sourcebook|date=2007|publisher=Oxford University Press|location=New York|isbn=978-0-19-514891-6|page=18}}</ref>。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌは[[アルダナーリーシュヴァラ]](シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、または[[劫|カルパ]](宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる<ref name="Stella Kramrisch 1994 pages 205-206">Stella Kramrisch (1994), The Presence of Siva, Princeton University Press, ISBN 978-0691019307, pages 205-206</ref>。 また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」<!--という概念も含めてという意味だとおもう-->とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる<ref name=doniger71>{{Cite book|author=Wendy Doniger|title=Textual Sources for the Study of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=YxoaUKmMG9gC&pg=PA71|year=1988|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-61847-0|pages=71–73}}</ref>。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する<ref name=doniger71/><ref>{{Cite book|author=Stella Kramrisch|title=The Presence of Siva|url=https://books.google.com/books?id=O5BanndcIgUC |year=1993|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-01930-4|pages=274–276}}</ref>。 === サンガムおよびサンガム以降 === {{Main|ティルマル}} [[ファイル:Krishna, Kottangal padayani.JPG|thumb|180px|幼いときに[[バター]]を盗む話、[[横笛]]を吹く話など、ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナにまつわる神話は広範にわたる。これらのテーマは古代や中世に作られた南アジアの[[コイン]]にも描かれている<ref>{{Cite book|author=Bratindra Nath Mukherjee|title=Numismatic Art of India: Historical and aesthetic perspectives|url=https://books.google.com/books?id=NZXpAAAAMAAJ |year=2007|publisher=Indira Gandhi National Centre for the Arts|isbn=978-81-215-1187-2|pages=144, 161–162}}</ref>。また3世紀の[[詩人]]、ハラも同じテーマを描いた{{Sfn|Bryant|2007|p=7}}。]] [[タミル語]]で書かれた古典文芸、[[サンガム文学]]が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァや[[ムルガン]](スカンダ)、[[ドゥルガー]]、[[インドラ]]といった汎インドの神々を信仰した<ref name=padmaja27>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA27 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|page=27}}</ref>。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ<ref name=padmaja27/>。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる<ref>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA28 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|page=28}}</ref>。 サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩{{仮リンク|シラッパディハーラム|en|Silappatikaram}}と{{仮リンク|マニメーハライ|en|Manimekalai}}ではクリシュナが主題となっている<ref name=padmaja30>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA28 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|pages=30–31}}</ref><ref>{{Cite book|author1=John Stratton Hawley|author2=Donna Marie Wulff|title=The Divine Consort: Rādhā and the Goddesses of India|url=https://books.google.com/books?id=j3R1z0sE340C&pg=PA238 |year=1982|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-0-89581-102-8|pages=238–244}}</ref>。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には[[沐浴]]をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる<ref name=padmaja30/><ref>{{Cite book|author=Guy L. Beck|title=Alternative Krishnas: Regional and Vernacular Variations on a Hindu Deity|url=https://books.google.com/books?id=K0XqbG0LKBUC |year=2012|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-8341-1|pages=68–69}}</ref>。 === バクティ運動 === 5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となる{{仮リンク|バクティ運動|en|Bhakti movement}}([[バクティ]]参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけて{{仮リンク|アールワール|en|Alvars}}{{Refn|group="注"|「神の瞑想(めいそう)に自らを沈めた者<ref name="aaa">{{Cite web|和書|url= https://kotobank.jp/word/アールワール-28765|title= コトバンク / アールワール|accessdate= 2016年12月22日|author= 日本大百科全書(ニッポニカ)|publisher= The Asahi Shimbun Company / VOYAGE GROUP, Inc.}}</ref>」の意。詩人かつ聖人とされ、12人いるとされる。}}と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った<ref name=olson231>{{Cite book|last=Olson|first=Carl|title=The many colors of Hinduism: a thematic-historical introduction|publisher={{仮リンク|Rutgers University Press|en|Rutgers University Press}}|year=2007|pages=231|isbn=978-0-8135-4068-9}}</ref>。彼らは[[シュリーランガム]]をはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。{{仮リンク|ディヴィヤ・プラバンダ|en|Divya Prabhandham}}にまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する<ref>{{Cite book| last=Sheridan| first=Daniel| title= The Advaitic Theism of the Bhagavata Purana |publisher=South Asia Books |location=Columbia, Mo |year=1986 |isbn=81-208-0179-2}}</ref><ref>{{Cite book | last={{仮リンク|J. A. B. van Buitenen|en|J. A. B. van Buitenen}} | chapter=The Archaism of the Bhāgavata Purāṇa |title=Encyclopedia Indica | year = 1996| editor=S.S Shashi | isbn=978-81-7041-859-7 | pages=28–45 }}</ref>。 == ヴィシュヌ派 == [[ファイル:Angkor Wat.jpg|thumb|180px|[[アンコール・ワット]]はヴィシュヌを奉る寺院である<ref>[http://www.livescience.com/24440-angkor-wat-canals.html Mystery of Angkor Wat Temple's Huge Stones Solved]</ref>。]] {{Main|ヴィシュヌ派|{{仮リンク|パンチャラートラ|en|Pancharatra}}}} 『バーガヴァタ・プラーナ』にはヴィシュヌ派の思想がまとめられており、そこには[[シャンカラ]]の哲学、すなわち[[アートマン]]と[[ブラフマン]]を融合するといった議論や、個の本質の中にブラフマンを戻すといったアドヴァイタ的([[不二一元論]])な議論が語られている{{Sfn|Kumar Das|2006| pages=172–173}}<ref name="Brown"/>{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}。このプラーナでは[[モークシャ]](解脱)がエーカトヴァ({{IAST|Ekatva}}、単一性)とサーユジャ({{IAST|Sāyujya}}、没入)として説明され、そこでは個は完全にブラフマンに没頭すると語られる<ref name="Rukmani_217-218" />。ルクミニ(T.S Rukmani)によれば、『バーガヴァタ・プラーナ』は個の魂(アートマン)の絶対(ブラフマン)への回帰と絶対への融合を提示しており、これは疑いなくアドヴァイタ的傾向であるとする<ref name="Rukmani_217-218" />。『バーガヴァタ・プラーナ』はこれと同じ節に[[バガヴァン]](ヴィシュヌ、とりわけクリシュナのこと)を専念する対象として触れており、そのため『[[バガヴァッド・ギーター]]』で語られる3つの道のうちの[[バクティ・ヨーガ]]を提示しているとされている<ref name="Rukmani_217-218">{{Harvnb|Rukmani|1993|pp=217–218}}</ref><ref>{{Cite book|author=Murray Milner Jr.|title=Status and Sacredness: A General Theory of Status Relations and an Analysis of Indian Culture|url=https://books.google.com/books?id=EdqMMcYQ7r8C |year=1994|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-535912-1|pages=191–203}}</ref>{{Refn|group="注"|『バガヴァッド・ギーター』は解脱へ至る道としてカルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガの3つを提示する。}}。 『バガヴァッド・ギーター』は知覚可能な物と知覚不可能な物、すなわち魂と物質の双方を扱っている。{{仮リンク|ハロルド・カワード|en|Harold Coward}}とダニエル・マグワイア( Daniel Maguire)は、『バガヴァッド・ギーター』は宇宙をヴィシュヌ(クリシュナ)の体として描いていると表現する。この文献の中ではヴィシュヌは全ての魂、全ての物質、時間を遍く満たしていると語られる<ref name=coward113/>。{{仮リンク|シュリー・ヴァイシュナヴァ派|en|Sri Vaishnavism}}ではヴィシュヌとシュリー([[ラクシュミー]])は分離不可能な存在として描かれ、2柱がともに宇宙を遍く満たすとしている。2柱がともに創造神であり、その創造自体にも2柱が偏在し、創造を超越するとされる<ref name=coward113/>。 『バーガヴァタ・プラーナ』では多くの節でブラフマン(特に{{仮リンク|ニルグナ|en|nirguna|label=ニルグナ・ブラフマン}})とシャンカラの不二一元論が並列に語られる{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}。下に一例を挙げる。 {{Quote| <poem> 人生の目的は真理の探究であり、儀式の実践を通して天国での享楽を欲求することではない 真理の知識を得たものはアドヴァイタ(不二)を真理と呼ぶ これはブラフマンと呼ばれ、至高のアートマンと呼ばれ、バガヴァーンと呼ばれる。 </poem> |『バーガヴァタ・プラーナ』1.2.10-11、ダニエル・シェリダン(Daniel Sheridan)からの重訳<ref>{{Harvnb|Sheridan|1986|page=23 with footnote 17}};<br>サンスクリット文: {{IAST|kāmasya nendriyaprītirlābho jīveta yāvatā / jīvasya tattvajijñāsā nārtho yaśceha karmabhiḥ //}}<br> {{IAST|vadanti tattattvavidastattvaṃ yajjñānamadvayam / brahmeti paramātmeti bhagavāniti śabdyate //}} Source: [http://sanskritdocuments.org/doc_purana/bhagpur.html?lang=sa Bhagavata Purana] Archive</ref>}} 研究者たちはヴィシュヌ派の理論を、ウパニシャッドに見られる[[梵我一如]]の議論を基礎に置くものと考えており、これを「一元論的有神論」([[一元論#東洋]])と呼んでいる{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}{{Sfn|Brown|1998|p=17}}。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌとすべての物に宿る魂(アートマン)は同一のものであると主張している<ref name="Brown">{{Harvnb|Brown|1983|pages=553–557}}</ref>。{{仮リンク|エドウィン・ブライアント|en|Edwin Bryant (author)}}は『バーガヴァタ・プラーナ』に語られる一元論は[[ヴェーダーンタ学派|ヴェーダーンタ]](ウパニシャッドとほぼ同義)を基礎に置く物だとしながら、しかしシャンカラの一元論とは明確に同じものだとは言えないとする<ref name=bryant45/>。『バーガヴァタ・プラーナ』では知覚可能、および知覚不可能な宇宙はともに同一の単一の存在の顕現であり、これはちょうど太陽から熱と光という違う現実が出現するのと同じようなことであると語られている<ref name="bryant45">Edwin Bryant (2004), Krishna: The Beautiful Legend of God: Srimad Bhagavata Purana Book X, Penguin, ISBN 978-0140447996, pages 43-48</ref>。 ヴィシュヌ派の[[バクティ]]信仰では、ヴィシュヌには例えば全知の存在、活力に満ちる、大力の、君臨する、輝くような、といったさまざまな性格が付与される<ref name= Tapasyananda>{{Cite book | author = Tapasyananda | year = 1991 | title = Bhakti Schools of Vedānta | url = https://books.google.com/books?id=Q_VtAAAACAAJ | isbn = 81-7120-226-8 | publisher = Sri Ramakrishna Math | location = Madras}}</ref>。マドヴァチャーリヤーの説く『マドヴァ・ヴェーダーンタ』ではクリシュナの姿をするヴィシュヌを、最高位に位置する創造神として、1つの神格として、偏在する神、全てを飲み込む神として、解脱(モークシャ)へと導いてくれる知識と恩寵を与えてくれる者として扱っている<ref>{{Cite book|author= Deepak Sarma| editor =Edwin F. Bryant|title=Krishna: A Sourcebook|url=https://books.google.com/books?id=HVDqCkW1WpUC&pg=PA358|year= 2007| publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-972431-4| pages=358–360}}</ref>。加えて『マドヴァ・ヴェーダーンタ』では最高神であるヴィシュヌ(ブラフマン)と生命の持つ魂(アートマン)を2つの別々の現実と本質を持つと捉える(二元論)。一方でラーマーヌジャの説くシュリー・ヴァイシュナヴァ派では別の物であるが同じ本質を共有するものとしてとらえている(一元論)<ref>{{Cite book|last=Sharma |first=Chandradhar |title=A Critical Survey of Indian Philosophy|year= 1994|publisher= Motilal Banarsidass |isbn=81-208-0365-5 |page=373}}</ref><ref>{{Cite web|title=Madhva (1238-1317) |first= Valerie| last= Stoker| publisher= Internet Encyclopedia of Philosophy|year=2011 |accessdate=17 April 2016| url=http://www.iep.utm.edu/madhva/ }}</ref><ref>Stafford Betty (2010), Dvaita, Advaita, and Viśiṣṭādvaita: Contrasting Views of Mokṣa, Asian Philosophy: An International Journal of the Philosophical Traditions of the East, Volume 20, Issue 2, pages 215-224</ref>。 == 他の神々との関係 == === ラクシュミー === [[ファイル:Relief sculpture of the Hindu god Narayana with his consort Lakshmi (Lakshminarayana) in the Hoysaleshwara temple at Halebidu.jpg|right|thumb|180px|ヴィシュヌとラクシュミー({{仮リンク|ラクシュミ・ナラヤン|en|Laxminarayan}}、2柱の集合名)、インド、{{仮リンク|ハレービードゥ|en|Halebidu}}。]] {{Main|ラクシュミー}} 富と幸運と繁栄の女神、ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、ヴィシュヌのエネルギーの源であるとされている<!--宗派によらないかな--><ref name=anandrao167>{{Cite book|author=Anand Rao|title=Soteriologies of India|url=https://books.google.com/books?id=UxGEy6m4N9kC&pg=PA167|year=2004|publisher=LIT Verlag Münster|isbn=978-3-8258-7205-2|page=167}}</ref><ref>A Parasarthy (1983), Symbolism in Hinduism, Chinmaya Mission Publication, ISBN 978-8175971493, pages 91-92, 160-162</ref>。ラクシュミーはまた、ヴィシュヌの8つの力の源であることから{{仮リンク|シュリー (敬称)|en|Sri|label=シュリー}}、ティルマガル(Thirumagal)とも呼ばれる<!--意味がわからなくね?--><ref name=mmwlak>[[:en:Template:Cite MWSD]]<!-- {{Cite MWSD|url=http://faculty.washington.edu/prem/mw/l.html|lakṣmī}} --></ref><ref name=jmuir>John Muir, {{Google books|ymLZAAAAMAAJ|Original Sanskrit Texts on the Origin and History of the People of India - Their Religions and Institutions|348}}, Volume 5, pp. 348-362 with footnotes</ref>。ヴィシュヌが[[アヴァターラ]]、例えばラーマやクリシュナとして地上に現れる時にはラクシュミーもそれぞれ彼の配偶者である[[シーター]]、[[ルクミニー]]として転生するとされている<ref name="Rosen2006">{{Cite book|last=Rosen|first=Steven J.|authorlink=Steven J. Rosen|title=Essential Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=WuVG8PxKq_0C&pg=PA136|date=1 January 2006|publisher=Greenwood Publishing Group|isbn=978-0-275-99006-0|page=136}}</ref>。 === ブラフマー、シヴァとの関係 === {{main|[[三神一体|トリムルティ]]}} トリムルティ(3つの形の意)は、創造、維持、破壊という宇宙の持つ3つの機能は創造を司るブラフマー、維持を司るヴィシュヌ、破壊/再編を司るシヴァという形で神格化されるというヒンドゥー教のコンセプトである<ref>For quotation defining the trimurti see Matchett, Freda. "The {{IAST|Purāṇas}}", in: Flood (2003), p. 139.</ref><ref>For the Trimurti system having Brahma as the creator, Vishnu as the maintainer or preserver, and Shiva as the transformer or destroyer see: Zimmer (1972) p. 124.</ref>。 シヴァとヴァシュヌは宗派によっては最高神としてとらえられる場合がある。[[ハリハラ]]は右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌの神格であり西暦500年頃から宗教芸術として登場するようになり、例えば6世紀の{{仮リンク|バダミ石窟寺院|en|Badami cave temples}}でも見られる<ref>Alice Boner (1990), Principles of Composition in Hindu Sculpture: Cave Temple Period, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120807051, pages 89-95, 115-124, 174-184</ref><ref>TA Gopinatha Rao (1993), Elements of Hindu iconography, Vol 2, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120808775, pages 334-335</ref>。またそれとは別にハリルドラと呼ばれる半身がヴィシュヌ、半身がシヴァの神格が『マハーバーラタ』に触れられている<ref>For Harirudra citation to Mahabharata 3:39:76f see: Hopkins (1969), p. 221.</ref>。 === ガルダ === {{main|ガルダ}} ヴィシュヌの[[ヴァーハナ]]は[[ガルダ]]と呼ばれる[[鷲]]である。 == ヴィシュヌのアヴァターラ == {{Main|アヴァターラ|{{仮リンク|ダシャーヴァターラ (神々)|en|Dashavatara|label=ダシャーヴァターラ}}}} [[ファイル:Avatars.jpg|thumb|180px|ヴィシュヌの10のアヴァターラ、ダシャーヴァターラ。[[マツヤ]]、[[クールマ]]、[[ヴァラーハ]]、[[ヴァーマナ]]、[[クリシュナ]]、[[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]]、[[釈迦|ブッダ]]、[[パラシュラーマ]]、[[ラーマ]]、[[ナラシンハ]]が描かれる。[[ジャイプル]]、[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]所蔵。]] トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマー(創造)やシヴァ(破壊)よりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわち[[ダルマ]]を修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割は『バガヴァッド・ギーター』の一節によく表れている<ref name="Gale's">{{Cite book|last=Kinsley|first=David|title=Gale's Encyclopedia of Religion|editor=Lindsay Jones|publisher=Thomson Gale|year=2005|edition=Second|volume=2|pages=707–708|isbn=0-02-865735-7}}</ref><ref name="Matchett">{{Cite book|last=Matchett|first=Freda|title=Krishna, Lord or Avatara?: the relationship between Krishna and Vishnu|publisher=9780700712816|year=2001|page=4|url=https://books.google.com/?id=1oqTYiPeAxMC&pg=PA4 | isbn=978-0-7007-1281-6}}</ref>。 {{Quote| <poem> 実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。 善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。 </poem> |バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳|(第4章7節、8節) }} ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている{{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=228}}。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する{{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=228}}。 ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァースデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている<ref name="Matchett" />。たとえばクリシュナは『マハーバーラタ』ではクリシュナが、『ラーマーヤナ』ではラーマが活躍する<ref name="King">{{Cite book|last=King|first=Anna S.|title=The intimate other: love divine in Indic religions|publisher=Orient Blackswan|year=2005|pages=32–33|isbn=978-81-250-2801-7|url=https://books.google.com/?id=0FvH1aCXETwC&pg=PA32}}</ref>。 ===ダシャーヴァターラ=== {{Main|{{仮リンク|ダシャーヴァターラ (神々)|en|Dashavatara|label=ダシャーヴァターラ}}}} 『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている<ref name="Matchett" /><ref name="Bryant">{{Cite book| last=Bryant| first=Edwin Francis|title=Krishna: A Sourcebook| publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]] US| year=2007| page=18 | isbn=978-0-19-514891-6| url=https://books.google.com/?id=0z02cZe8PU8C&pg=PT32}}</ref>。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラは『{{仮リンク|アグニ・プラーナ|en|Agni Purana}}』、『{{仮リンク|ガルダ・プラーナ|en|Garuda Purana}}』、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られており<ref name="Mishra">{{Cite book|last=Mishra|first=Vibhuti Bhushan|title=Religious beliefs and practices of North India during the early mediaeval period, Volume 1|publisher=BRILL|year=1973|pages=4–5|isbn=978-90-04-03610-9|url=https://books.google.com/?id=nAQ4AAAAIAAJ }}</ref><ref name="Rukmani">{{Cite book|last=Rukmani|first=T. S.|title=A critical study of the Bhagavata Purana, with special reference to bhakti|publisher=Chowkhamba Sanskrit Series|location=Varanasi|year=1970|series=Chowkhamba Sanskrit studies|volume=77|page=4}}</ref>{{Refnest|group="注"|中世ヒンドゥー教の文献にはこれとは異なるアヴァターラの一覧が見られる。例えば『バーガヴァタ・プラーナ (BP)』1.3には以下の22のアヴァターラを列挙する<ref>[http://srimadbhagavatam.com/1/3/en1 Bhag-P 1.3] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130521022342/http://srimadbhagavatam.com/1/3/en1 |date=2013年5月21日 }} Canto 1, Chapter 3</ref>。四クマーラ([[チャトゥルサナ]])[BP 1.3.6]&nbsp;– [[ブラフマー]]の4人の息子でバクティの手本 / [[ヴァラーハ]] [BP 1.3.7] / {{仮リンク|ナーラダ|en|Narada}} [BP 1.3.8] ヴィシュヌのバクタとして世界を旅行する聖人 / {{仮リンク|ナラ・ナーラーヤナ|en|Nara-Narayana}} [BP 1.3.9]&nbsp;– 双子のリシ / [[カピラ]] [BP 1.3.10]&nbsp;– [[マハーバーラタ]]で言及されている有名なリシで、カルダマとデーヴァフーティの子。[[サーンキヤ学派]]哲学の開祖とされることがある / {{仮リンク|ダッタートレーヤ|en|Dattatreya}} [BP 1.3.11]&nbsp;– ヒンドゥー教のブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの[[三神一体]]。リシの[[アトリ (リシ)|アトリ]]の子で自身も優れたリシ / {{仮リンク|ヤジナ (アヴァターラ)|en|Yajna (avatar)|label=ヤジナ}} [BP 1.3.12]&nbsp;– 火の供犠の主で、[[天国]]の主である[[インドラ]] / [[リシャバ]] [BP 1.3.13]&nbsp;– [[バラタ (皇帝)|バラタ]]と[[バーフバリ (ジャイナ教)|バーフバリ]]の父 / {{仮リンク|プリトゥ|en|Prithu|}} [BP 1.3.14]&nbsp;– 大地を牝牛として乳をしぼって穀物と樹木を得、また農業を発明した / マツヤ [BP 1.3.15] / クールマ [BP 1.3.16] / {{仮リンク|ダンヴァンタリ|en|Dhanvantari}} [BP 1.3.17]&nbsp;– [[アーユルヴェーダ]]医学の父で[[デーヴァ]]の医師 / {{仮リンク|モーヒニー|en|Mohini}} [BP 1.3.17] – 魅惑的女性 / ナラシンハ [BP 1.3.18] / ヴァーマナ [BP 1.3.19] / パラシュラーマ [BP 1.3.20], [[ヴィヤーサ]] [BP 1.3.21]&nbsp;– [[ヴェーダ]]の編纂者、[[プラーナ文献]]と叙事詩[[マハーバーラタ]]の著者 / ラーマ [BP 1.3.22] / クリシュナ [BP 1.3.23] / バララーマ [BP 1.3.23] / ブッダ [BP 1.3.24] / カルキ [BP 1.3.25]。39の重要なアヴァターラが{{仮リンク|パンチャラートラ|en|Pañcaratra}}に語られている<ref>{{Cite book|last=Schrader|first=Friedrich Otto |title=Introduction to the Pāñcarātra and the Ahirbudhnya saṃhitā|publisher=Adyar Library|year=1916|page=42|url=https://books.google.com/?id=OlgLAQAAIAAJ}}</ref>。}}、10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである<ref name="Mishra" />。 もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している{{Sfn|Matchett|2001|p=160}}。 * '''画像'''の列のソートボタンで元の順序に戻る。 {| class="wikitable sortable" |+ ヴィシュヌのアヴァターラ |- ! 名前 ! 画像 ! class="unsortable"| 描写 ! class="unsortable"| 出典 |- | [[マツヤ]] | {{Display none|001/}}[[ファイル:NarayanaTirumala10.JPG|100px]] | 半魚、半人のアヴァターラ。彼は[[ヴェーダ]](知識)の舟を作り、[[マヌ]](人間の祖先)とすべての生物を救い、さらに宇宙規模の洪水から世界を救うとされる。また、アスラがヴェーダを盗み、それを破壊しようと試みるがアスラを見つけ出し、それを討ち果たしヴェーダを奪い返す。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=228-229}} |- | [[クールマ]] {{Refnest|group="注"|クールマのエピソードにはヴィシュヌの女性のアヴァターラである{{仮リンク|モーヒニー|en|Mohini}}も登場する{{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=705-705}}。}} | {{Display none|002/}}[[ファイル:Kurma at Saptashrungi.JPG|100px]] | [[亀]]のアヴァターラ。宇宙を支える亀であり、[[乳海攪拌]]の際には不死の霊薬[[アムリタ]]を得るために[[ヴァースキ]]を手伝った。攪拌はアムリタとともに毒も生み出したが、アスラがアムリタを奪いったためにヴィシュヌはモーヒニーとして姿を現す。すると皆モーヒニーに惚れ込み、アスラたちはモーヒニーにアムリタを返した。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=705-705}} |- | [[ヴァラーハ]] | {{Display none|003/}}[[ファイル:Badami Cave 2 si05-1588.jpg|100px]] | [[イノシシ]]のアヴァターラ。大地の女神が[[ヒラニヤークシャ]]にさらわれ海の底へと連れ去られたときに彼女を追い、見つけ出して助け出した。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=119}} |- | [[ナラシンハ]] | {{Display none|004/}}[[ファイル:Deshaavathaaram4 narasimham.jpg|100px]] | 半獅子、半人のアヴァターラ。アスラの王[[ヒラニヤカシプ]]は、いかなる人にもいかなる動物にも殺されないという特別な力を得ると、人々を迫害し始める。その中にはヒラニヤカシプの実の息子[[プラフラーダ]]も含まれた。ナラシンハは独創的な方法でヒラニヤカシプの特殊能力を破り、このアスラの王を仕留めた。父であるヒラニヤカシプに異を唱えていたプラフラーダはナラシンハによって助け出される。この神話の一部は[[ホーリー祭]]のバックグラウンドになっている。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=421-422}} |- | [[ヴァーマナ]] | {{Display none|005/}}[[ファイル:Deshaavathaaram5 vamanan.jpg|100px]] | 小人のアヴァターラ。アスラの王[[マハーバリ|バリ]]は不釣り合いに強大な力を得、宇宙の全土を支配し権力を濫用した。僧侶の恰好をしたヴァーマナを見たバリは、自分の力を誇示しようと考え、この僧侶に施しを与えることを思いつく。バリはヴァーマナに「なんでも望むものを与えてやろう」と持ち掛けると、ヴァーマナは3歩分の土地を貰いたいと頼む。バリは承諾する。するとヴァーマナは一息に成長し、最初の一歩で地上を跨ぎ、つぎの一歩で天界を跨ぎ、三歩目で冥界を跨いだ。バリはその冥界へと帰って行った。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=737}} |- | style="white-space:nowrap;" | [[パラシュラーマ]] | {{Display none|006/}}[[ファイル:Parashurama with axe.jpg|100px]] | 斧を持った[[リシ]](聖仙)のアヴァターラ。一部の[[クシャトリヤ]](戦士たち)が極端に力をもち、己の愉楽のために人々の財産を奪うようになった。斧をもったパラシュラーマが現れ、邪悪なクシャトリヤを滅ぼした。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=500-501}} |- | [[ラーマ]] | {{Display none|007/}}[[ファイル:Statue of Rama in Kangra district of Himachal Pradesh.jpg|100px]] | 『[[ラーマーヤナ]]』の主要なキャラクター。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=550-552}} |- | [[クリシュナ]] | {{Display none|008/}}[[ファイル:Sri_Mariamman_Temple_Singapore_2_amk.jpg|100px]] | 『[[マハーバーラタ]]』、『[[バガヴァッド・ギーター]]』の主要なキャラクター。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=370-372}} |- | [[ヒンドゥー教における釈迦|ブッダ]] | {{Display none|009/}}[[ファイル:Buddha's statue near Belum Caves Andhra Pradesh India.jpg|100px]] | 仏教の主要キャラクター<ref>{{Cite book|author=Daniel E Bassuk |title=Incarnation in Hinduism and Christianity: The Myth of the God-Man |url=https://books.google.com/books?id=k3iwCwAAQBAJ |date= 1987 |publisher=Palgrave Macmillan |isbn=978-1-349-08642-9 |pages=40 }}</ref>。いくつかの文献ではブッダを[[バララーマ]]、または[[リシャバ]](ジャイナ教の始祖の一人)に置き換えている{{Sfn|Sheth|2002|p=117 with notes 12 and 13}}。 | {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=128}}{{Refnest|group="注"|いくつかのバリエーションではクリシュナの兄であるバララーマを8番目のアヴァターラとし、クリシュナを9番目に置く。また、単純にブッダとバララーマを入れ替えるものもある。[[ジャヤデーヴァ]](Jayadeva)は『[[ギータ・ゴーヴィンダ]]』の中でバララーマとブッダをリストに含め、クリシュナをヴィシュヌと同格として扱い、すなわちすべてのアヴァターラの源であるとしてクリシュナをダシャーヴァターラから省いている<ref>{{Cite book|title=India through the ages|last=Gopal|first=Madan|year= 1990| page= 74|editor=K.S. Gautam|publisher=Publication Division, Ministry of Information and Broadcasting, Government of India}}</ref>。}} |- | [[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]] {{Refnest|group="注"|中世の文献には「カルキン」と綴るパターンも見られる。}} | {{Display none|010/}}[[ファイル:Kalki1790s.jpg|100px]] | 翼の生えた白馬とともに現れる最後のアヴァターラ。宇宙を更新するために[[カリ・ユガ]]の終わりに登場するとされる。 | {{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=737}} |} ===ヴィシュヌの1000の名前=== {{Main|{{仮リンク|ヴィシュヌ・サハスラナーマ|en|Vishnu sahasranama}}}} ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマ{{Refn|group"注"|ヴィシュヌの1000の名前の意。サハスラナーマは聖典の1つの形、ジャンル。}}に集められている。有名なものは『マハーバーラタ』に収められているもので、[[ビーシュマ]]は[[クルクシェートラ]]の戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。 比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』では、次の例が挙げられている{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。 {{Columns-list|colwidth=16em| * 宇宙神 * [[それ]]{{Refnest|group="注"|「[[インド人]]は[[真理]]はあらゆる[[言語]]的[[表現]]を超えると考え,真理を指す最小限の表現として,たとえば〈それtat〉という言葉を用いる。〈そのように〉もこの種の表現であり,[[中国人]]は〈[[如]]〉と訳した。したがって〈[[如来]]〉とは,〈真理そのものとして来たれる者〉の意となる{{Sfn|Kotobank|2015|p=にょらい【如来】}}。」}} * 神としての姿 * [[ヨーガ]]の主 * [[不滅]] * [[超自然]]的であり、とりどりの色や形をもつさまざまの姿 * すべての神の群れと[[天使]]の群れ * いまだかつてみたことのない、多くの奇瑞 * 統一されている、動と不動の全世界 * あなたがみたいと願う、他の〔いかなる〕もの{{sfn|キャンベル|2004|p=49}} * 世界の主 * 至高の形姿 * 偉大な[[一者]] * [[主]] * 生きとし生けるものの群れ * 蓮華の座にある主たる[[梵天]]([[ブラフマー]]) * すべての[[聖仙]] * 聖なる[[竜王]]たち * 無数の[[腕]] * 無数の[[腹]] * 無数の[[顔]] * 無数の[[眼]] * 一切方に[[無限]]の形姿をしめすあなた * 全世界の主 * あらゆる形をもつ者 * あらゆる方向に光輝を放つ凝視しがたいあなた * はかり知ることのできないあなた * この世の至高の安息所 * 恒久的[[正義]]の不滅な[[守護]]者 * [[永遠]]の霊我 * 王子の[[御者]]{{sfn|キャンベル|2004|p=50}} * 眉目麗しき神 * [[友]] * 数知れぬ恐ろしい口 * 天までとどき、さらには多彩に輝く燃えさかる姿 * [[世界終末|世界終滅]]時の火にも似た恐ろしげな[[牙]]をもつあなた * 神々の主{{sfn|キャンベル|2004|p=51}} * かくも恐ろしい形姿をまとうあなた * 神々のなかの最高の者 * 太初 * [[力]] * [[時間]] * 神々のはじめ * 太初の魂 * 宇宙の至高の安息所 * 知るもの * 知られるべきもの * 最後の目的地 * 無限の形姿をもつ者 * [[風神]] * [[死神]] * [[火神]] * [[月]] * [[水神]] * 最初の[[人間]] * 太祖(ブラフマー){{sfn|キャンベル|2004|p=52}} * 千臂をもつ者 * 普遍 * 無限 * いまだ汝のみたことのないわたしの姿 * マドゥースダナ(Madhusudana,Madhusudanah) * 宇宙の光り輝く真髄{{sfn|キャンベル|2004|p=53}} * 宇宙[[男]] * 宇宙[[鷲]] * 宇宙[[樹]] * 宇宙[[蟷螂]]{{sfn|キャンベル|2004|p=54}}}} == シク教 == [[シク教]]の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する<ref>{{Cite book|author=Nikky-Guninder Kaur Singh|title=Sikhism: An Introduction|url=https://books.google.com/books?id=e0ZmAXw7ok8C&pg=PA65 |year=2011|publisher=I.B. Tauris|isbn=978-1-84885-321-8|page=65}}</ref>。例えば{{仮リンク|ジャプジ・サーヒブ|en|Japji Sahib}}ではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれる[[グル]]として賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。{{仮リンク|クリストファー・シャックル|en|Christopher Shackle}}、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によれば[[グル・ナーナク]]は、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している<ref>{{Cite book|author1=Christopher Shackle|author2=Arvind Mandair|title=Teachings of the Sikh Gurus: Selections from the Sikh Scriptures|url=https://books.google.com/books?id=VvoJV8mw0LwC |year=2013|publisher=Routledge|isbn=978-1-136-45101-0|pages=5–6}}</ref>。 シク教の文献、{{仮リンク|チャウビス・アヴタル|en|Chaubis Avatar}}にはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、{{仮リンク|ダサム・グラント|en|Dasam Granth}}にはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている<ref name=Oberoi97>{{Cite book|author=Harjot Oberoi|title=The Construction of Religious Boundaries: Culture, Identity, and Diversity in the Sikh Tradition|url=https://books.google.com/books?id=dKl84EYFkTsC |year=1994|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-61593-6|pages=97–98}}</ref>。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs{{Refn|group="注"|ヒンドゥー教のサナターナ・ダルマを取り込んだシク教諸宗派の総称。}})に重視されている<ref name=Oberoi97/><ref>[http://www.philtar.ac.uk/encyclopedia/sikhism/sanatan.html Sanatan Singh Sabha], Overview of World Religions, Division of Religion and Philosophy, University of Cumbria</ref>。 == 仏教 == [[ファイル:Garudabkkholidayinn0609.jpg|thumb|180px|left|[[ヴァーハナ]]であるガルダに乗るヴィシュヌ像、[[バンコク]]。[[タイ王国]]でもっとも古いヒンドゥースタイルのヴィシュヌ像は[[スラートターニー県]]のワット・サラ・トゥン(Wat Sala Tung)にあり、西暦400年ころの物となる<ref name=hobsonxxiii>{{Cite book|author1=Micheal Jacq-Hergoualc'h|author2=Victoria Hobson (Translator)|title=The Malay Peninsula: Crossroads of the Maritime Silk-Road (100 BC-1300 AD) |url=https://books.google.com/books?id=a5rG6reWhloC&pg=PR23 |year=2002|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-11973-6|page=xxiii, 116–128}}</ref>。]] ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている<ref>{{Cite book | author = Swarna Wickremeratne| title = Buddha in Sri Lanka: Remembered Yesterdays| publisher = State University of New York Press | url=https://books.google.com/books?id=cYrQnZT9JREC |year = 2012| isbn=978-0791468814 |page = 111}}</ref>。スリランカではヴィシュヌは{{仮リンク|ウプルヴァン|en|Upulvan}}、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院({{仮リンク|コビル|en|Koil}}や[[神殿|デヴァラヤ]])に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている<ref>{{Cite book | author = Swarna Wickremeratne| title = Buddha in Sri Lanka: Remembered Yesterdays| publisher = State University of New York Press | url=https://books.google.com/books?id=cYrQnZT9JREC| year = 2012| isbn=978-0791468814 |page = 226}}</ref>。 ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は[[上座部仏教]]が広く信仰を集める[[東南アジア]]の遺跡から見つかっている。たとえば[[タイ王国]]の[[マレーシア]]国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている<ref name=hobsonxxiii/>。 同様にタイ中部の[[プラーチーンブリー県]]や[[ペッチャブーン県]]から、また[[ベトナム]]の[[ドンタップ省]]、[[アンザン省]]から見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA131 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=131–135, 145}}</ref>。[[カンボジア]]の[[タケオ州]]やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=146–148, 154–155}}</ref>。[[インドネシア]]の島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=7–9}}</ref>。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=11–12, 118–129}}</ref>。それらの中には[[スールヤ]]や、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=221–225}}</ref>。 日本の仏教ではヴィシュヌは毘紐天として知られ、13世紀に[[日蓮]]のまとめた文献などに登場する<ref>{{Cite book|author=Nichiren|authorlink=Nichiren|title=The Major Writings of Nichiren Daishonin|url=https://books.google.com/books?id=YxoHJwAACAAJ |year=1987|publisher=Nichiren Shoshu International Center|isbn=978-4-88872-012-0|page=1107}}, Alternate site: [http://www.nichirenlibrary.org/en/wnd-2/Appendix/C Archive]</ref>。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。 == 寺院 == [[ファイル:Sri Padmanabhaswamy temple.jpg|thumb|180px|{{仮リンク|パドマナバスワミ寺院|en|Padmanabhaswamy Temple}}、[[ケーララ州]][[ティルヴァナンタプラム]]]] 現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州[[ジャーンシー]]のサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている<ref>Alexander Lubotsky (1996), [http://www.jstor.org/stable/4629500 The Iconography of the Viṣṇu Temple at Deogarh and the Viṣṇudharmottarapurāṇa], Ars Orientalis, Vol. 26 (1996), page 65</ref>{{Sfn|Bryant|2007|p=7}}。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』({{IAST|Bṛhat-saṃhitā}})や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』({{IAST|Viṣṇudharmottarapurāṇa}})のインストラクションにおおむね合致する<ref>Alexander Lubotsky (1996), [http://www.jstor.org/stable/4629500 The Iconography of the Viṣṇu Temple at Deogarh and the Viṣṇudharmottarapurāṇa], Ars Orientalis, Vol. 26 (1996), pages 66-80</ref>。 考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている{{Sfn|Bryant|2007|p=18 with footnote 19}}。これら初期の痕跡としてはたとえば[[ラージャスターン州]]のヴィシュヌに関する[[石碑]]が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。[[マハーラーシュトラ州]]{{仮リンク|ネインガット|en|Naneghat}}の洞窟で見つかったナーガニカー({{IAST|Nāganikā}})女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。[[マトゥラー]]でもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている{{Sfn|Bryant|2007|p=18 with footnote 19}}<ref>{{Cite book|author=Doris Srinivasan|title=Many Heads, Arms, and Eyes: Origin, Meaning, and Form of Multiplicity in Indian Art|url=https://books.google.com/books?id=vZheP9dIX9wC |year=1997|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-10758-4|pages=211–220, 240–259}}</ref><ref>[a] {{Cite book|author=Doris Srinivasan|title=Mathurā: The Cultural Heritage|url=https://books.google.com/books?id=82vtCre6vTcC|year=1989|publisher=Manohar|isbn=978-81-85054-37-7|pages=389–392}};<br>[b] {{Cite book|author=Doris Srinivasan|editor=Joanna Gottfried Williams|title=Kalādarśana: American Studies in the Art of India|url=https://books.google.com/books?id=-qoeAAAAIAAJ |year=1981|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-06498-2|pages=127–136|chapter=Early Krishan Icons: the case at Mathura}}</ref>。 [[ケーララ州]][[ティルヴァナンタプラム]]の{{仮リンク|パドマナバスワミ寺院|en|Padmanabhaswamy Temple}}はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている<ref>{{Cite web | title=Keralas Sree Padmanabha Swamy temple may reveal more riches | website=India Today | date=2011-07-07 | url=http://indiatoday.intoday.in/story/kerala-temple-may-reveal-more-riches/1/144004.html | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>{{Cite web | last=Pomfret | first=James | title=Kerala temple treasure brings riches, challenges | website=Reuters India | date=2011-08-19 | url=http://in.reuters.com/article/idINIndia-58866020110819 | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>{{Cite web | last=Blitzer | first=Jonathan | title=The Secret of the Temple | website=The New Yorker | date=2012-04-23 | url=http://www.newyorker.com/magazine/2012/04/30/the-secret-of-the-temple | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>http://www.forbes.com/forbes/welcome/?toURL=http://www.forbes.com/sites/jimdobson/2015/11/13/a-one-trillion-dollar-hidden-treasure-chamber-is-discovered-at-indias-sree-padmanabhaswam-temple/&refURL=https://www.google.co.in/&referrer=https://www.google.co.in/</ref>。 {{Wide image|Srirangamlong view.jpg|600px|[[タミル・ナードゥ州]][[ティルチラーパッリ]]、[[シュリーランガム]]の{{仮リンク|ランガナータスワーミ寺院 (シュリーランガム)|en|Sri Ranganathaswamy Temple, Srirangam}}はヴィシュヌを奉る。この寺院の敷地は63万平方メートルを占め、周囲は4,116メートルに及ぶ。インドでも最大の寺院であり、世界的に見ても最大級の宗教施設である{{Sfn|Mittal| Thursby |2005| p= 456}}。||none}} == その他の文化でのヴィシュヌ == {{仮リンク|ジェームス・フリーマン・クラーク|en|James Freeman Clarke}}によれば[[古代エジプト]]の神[[ホルス]]もヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}| title = Ten Great Religions: an Essay in Comparative Theology| publisher = Trübner & Company | year = 1871| page = 247}}</ref>。{{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}はそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}| title = What's Beyond That Star: A Chronicle of Geomythic Adventure| publisher = Clairview Books | year = 2002| page = 160}}</ref>。{{仮リンク|ジェームス・カウルズ・プリチャード|en|James Cowles Prichard}}は一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|James Cowles Prichard|en|James Cowles Prichard}}| title = An Analysis of the Egyptian Mythology: To which is Subjoined a Critical Examination of the Remains of Egyptian Chronology| publisher = J. and A. Arch | year = 1819| page = 285}}</ref>。 {{仮リンク|4034ヴィシュヌ|en|4034 Vishnu}}は[[エレノア・ヘリン]]によって発見された[[小惑星]]である<ref>[http://www.waymarking.com/waymarks/WMH64M_Vishnu_4034_Vishnu_Asteroid__Pasadena_CA Vishnu & 4034 Vishnu Asteroid – Pasadena, CA – Extraterrestrial Locations on Waymarking.com<!-- Bot generated title -->]</ref>。 {{仮リンク|ヴィシュヌ片岩|en|Vishnu Basement Rocks}}は[[アリゾナ州]]の[[グランド・キャニオン]]で見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった<ref>[http://pandasthumb.org/archives/2012/08/vishnu-temple-a.html Vishnu Temple at the Grand Canyon – The Panda's Thumb<!-- Bot generated title -->]</ref>。 2007年、[[ロシア]]の[[ヴォルガ川]]の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている<ref>[http://timesofindia.indiatimes.com/Ancient_Vishnu_idol_found_in_Russia/articleshow/1046928.cms Ancient Vishnu idol found in Russian town]" ''Times of India'' 4 Jan 2007</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == <!--Wikipediaのガイドライン:「これはウィキペディア日本語版なので、わたしたちの読者に便利なように、日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです」。詳細については「Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」へ--> {{Refbegin|30em}} * {{Cite journal| last=Brown| first=C. Mackenzie|year=1983| title=The Origin and Transmission of the Two "Bhāgavata Purāṇas": A Canonical and Theological Dilemma| journal=Journal of the American Academy of Religion| publisher=Oxford University Press| volume=51 | issue=4| pages=551–567| jstor=1462581| doi=10.1093/jaarel/li.4.551 |ref=harv}} * {{Cite book| last=Brown| first=Cheever Mackenzie|title=The Devī Gītā: the song of the Goddess ; a translation, annotation, and commentary| publisher=SUNY Press| year=1998| isbn=978-0-7914-3940-1| url=https://books.google.com/?id=OxayHczql9EC&pg=PA17 |ref=harv}} * {{Cite book| last=Bryant| first=Edwin Francis|title=Krishna: A Sourcebook| publisher=Oxford University Press US| year=2007| isbn=978-0-19-514891-6| url=https://books.google.com/?id=HVDqCkW1WpUC |ref=harv}} * {{Cite book| last=Cutler| first=Norman| title=Songs of Experience| publisher=Indiana University Press| year=1987|page=1|isbn=978-0-253-35334-4|url=https://books.google.com/?id=veSItWingx8C&pg=PA1 }} * {{Cite book|last= Deussen|first=Paul| title=Sixty Upanishads of the Veda|url=https://books.google.com/books?id=XYepeIGUY0gC&pg=PA556|year= 1997|publisher=Motilal Banarsidass Publ.|isbn=978-81-208-1467-7|ref=harv}} * {{Cite book|author=Ariel Glucklich|title=The Strides of Vishnu : Hindu Culture in Historical Perspective: Hindu Culture in Historical Perspective|url=https://books.google.com/books?id=KtLScrjrWiAC| year=2008| publisher=Oxford University Press| isbn=978-0-19-971825-2 |ref=harv}} * {{Cite book|和書| author= Kotobank|chapter=にょらい【如来】 |title=世界大百科事典|publisher=株式会社日立ソリューションズ・クリエイト| year=2015|edition=第2版|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5-110688#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88|ref=harv}} * {{Cite book| last=Kumar Das |first=Sisir | title=A history of Indian literature, 500–1399 | publisher=Sahitya Akademi | year=2006 | isbn=978-81-260-2171-0|url=https://books.google.com/?id=BC3l1AbPM8sC |ref=harv}} * {{Cite book|last= Lamb |first=Ramdas |title=Rapt in the Name: The Ramnamis, Ramnam, and Untouchable Religion in Central India|url=https://books.google.com/books?id=Dv1nxyOTgN0C&pg=PA191|year=2002|publisher=SUNY Press|isbn=978-0-7914-5386-5|ref=harv}} * {{Cite book|last=Mahony|first=William K. |title=The Artful Universe: An Introduction to the Vedic Religious Imagination|url=https://books.google.com/books?id=B1KR_kE5ZYoC |year=1998|publisher=State University of New York Press |isbn=978-0-7914-3579-3 |ref=harv}} * {{Cite book | author = Translation by Richard W. Lariviere| title = The Nāradasmr̥ti| publisher = University of Philadelphia | year = 1989| isbn = }} * {{Cite journal|last1=Olivelle|first1=Patrick|authorlink1=Patrick Olivelle|title=The Date and Provenance of the Viṣṇu Smṛti|date=2007|volume=33|pages=49–163|url=http://www.indologica.it/volumi/doc_XXXIII/chapter%2007%20Olivelle.pdf|accessdate=23 October 2015|publisher=Indologica Taurinensia|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722035453/http://www.indologica.it/volumi/doc_XXXIII/chapter%2007%20Olivelle.pdf|archivedate=22 July 2011}} * {{Cite book|first=Ludo |last=Rocher| year= 1986| authorlink= Ludo Rocher| title= The Puranas| publisher= Otto Harrassowitz Verlag| isbn= 978-3447025225|ref=harv}} * {{Cite book | author = {{仮リンク|Devdutt Pattanaik|en|Devdutt Pattanaik}}| title = 7 Secrets of Vishnu| publisher = westland ltd| year = 2011| isbn = 978-93-80658-68-1}} * {{仮リンク|Alain Daniélou|en|Alain Daniélou}} (1991) [1964]. 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R.|last2= Thursby|url=https://books.google.com/books?id=fz6KBkgEacAC&pg=PA456&dq=The+Hindu+World+%2B+srirangam&hl=en&sa=X&ei=xol2UvyYIajKsQSelICABA&ved=0CDoQ6AEwAA#v=onepage&q=The%20Hindu%20World%20%2B%20srirangam&f=false |title=The Hindu World|year=2005 |publisher=Routelge |location=New York |isbn=0-203-67414-6|ref=harv}} * {{Cite book|last= Sen |first=S.C. |title=The Mystical Philosophy Of The Upanishads|url=https://books.google.com/books?id=xnhNZQJ07DYC&pg=PA26 |year=1937| publisher=Cosmo Publications|isbn=978-81-307-0660-3|ref=harv}} * {{Cite book| editor=Wayman, Alex |title=Researches in Indian and Buddhist philosophy: essays in honour of Professor Alex Wayman | publisher=Motilal Banarsidass | last = Rukmani | first=T. 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Peyton (2012), Brooklyn Museum, June 24–October 2, 2011 {{アヴァターラ}} {{Hinduism2}} {{インド神話}} {{Portal bar|ヒンドゥー教|宗教|神話伝承}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:ういしゆぬ}} [[Category:インド神話の神]] [[Category:ヒンドゥー教の神]] [[Category:リグ・ヴェーダの神々]] [[Category:太陽神]] [[Category:維持神]] [[Category:ヴィシュヌの形態|*]] [[Category:三神]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8C
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ブラフマー
ブラフマー(梵、ヒンディー語: ब्रह्मा Brahmā)は、ヒンドゥー教の神の1柱、創造神でありトリムルティ(最高神の3つの様相)の1つに数えられる。4つの顔を持ち、それぞれの顔は四方を向いているとされる。ブラフマーはスヴァヤンブー(英語版)(Svayambhū 自ら産まれる者)や、チャトゥラーナナ(四つの顔を持つ者)、バーギーシャ(Vāgīśa、言葉の王)という名でも知られ、4つの口のそれぞれから4つのヴェーダを紡いだとされている。ブラフマーは時にリグ・ヴェーダに語られる創造神であるプラジャーパティと同一視され(リグ・ヴェーダの神々(英語版))、またカーマや宇宙の卵であるヒラニヤ・ガルバ(英語版)との関連が指摘されることもある。ブラフマーはヴェーダ後の時代になってヒンドゥー叙事詩(英語版)やプラーナ文献の神話の中で存在感を増した。叙事詩の中で彼はプルシャの性格を引き継いでいるとされることもある。ヴィシュヌ、シヴァとともにトリムルティの一角を担うが、古代の文献ではブラフマーの含まれない3柱を最高神の3人組に数えている。 ブラフマーはしばしば宇宙と様々な生物の創造主であると語られる。しかし一方で、いくつかのプラーナではヴィシュヌの臍から生える蓮から生まれたとされている。他にもシヴァから、あるいはシヴァの様相の1つから生まれたとするプラーナもあれば、最高神の1柱であると語られる場合もある。不二一元論ではブラフマーはしばしば、他のすべての神々とともにサグナ・ブラフマン(英語版)(形のあるブラフマン)あるいはニルグナ・ブラフマン(英語版)(形のないブラフマン)であるとみなされる。 現代のヒンドゥー教ではブラフマーは人気のある神格とは言えず、ヴィシュヌやシヴァと比べトリムルティの中での重要性も低い。ブラフマーは古代の聖典の中では礼賛されているものの、インドでは重要な神として人々の信仰を集めることは稀であった。そのためインドにあるヒンドゥー寺院でブラフマーを奉るものは少ない。最も有名なものとしてはラージャスターン、プシュカルのブラフマー寺院 (プシュカル)(英語版)が挙げられる。ブラフマー寺院はインド国外にも存在し、タイ王国のエーラーワンの祠 などが有名である。 ブラフマーという名前の由来ははっきりしない。ヴェーダ時代(紀元前1500-500年)の文献には「絶対的現実」というヒンドゥー哲学上の概念を意味する「ブラフマン」と、バラモン教の聖職者を意味する「ブラフミン」がともに登場しており、このことがブラフマーという名前の由来の特定を妨げる一因となっている。ブラフマーという名前の神格はヴェーダ時代の後半に登場している。「ブラフマン」は中性で抽象的、形而上的なヒンドゥー教の概念であり、一方の「ブラフマー神」はヒンドゥー神話に多く登場する男性神のなかの1柱である。「ブラフマン」というコンセプトはブラフマー神の登場よりもずっと古く、学者の中にはこの「特徴を持たない普遍的な原則」であるブラフマンを擬人化し目に見える象徴としたものとしてブラフマー神が登場したのだと仮定する者もいる。 サンスクリット語の文法(英語版)では「ブラフマン」という名詞の文法的性は男性と中性という2つのいずれかでありえる。1つは中性名詞「ブラフマン」であり、このブラフマンの主格単数形は「ブラフマ」(ब्रह्म)であり、一般化された抽象的な意味を持つ。一方の男性名詞が「ブラフマン」であり、このブラフマンの主格単数形が「ブラフマー」(ब्रह्मा)となる。 ブラフマーがヴィシュヌもシヴァとともに描写されている最も早い段階の記述は、紀元前10世紀の後半に編纂されたと考えられるマイトリー・ウパニシャッドの5章に見られる。クツァーヤナ賛歌(Kutsāyana)と呼ばれる5章1節にこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている。 汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。アートマン(魂、我)はブラフマーであることと同等であり、ブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝はルドラ(シヴァ)である、汝はアグニ、ヴァルナ、ヴァーユ、インドラであり、汝は全てである」。 マイトリー・ウパニシャッドの5章2節ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナ(英語版)と関連づけられている。グナとはすべての生物に見いだすことのできる性質、精神、生来の傾向であるとされ、世界は暗質(タマス)から生じたと語られている。その後世界はそれ自体の作用により活動し激質(ラジャス)となり、そして精錬、純化され純質(サットヴァ)となった。これら3つのグナのうち、ブラフマーにはラジャスが関係づけられており、ルドラ、ヴィシュヌがそれぞれタマス、サットヴァを受け持つ。 マイトリー・ウパニシャッドはブラフマーをトリグナ理論の1要素に当てはめてはいるものの、後のプラーナ文献に見られるようなトリムルティの1要素としては描写していない。 ヴェーダ後のヒンドゥー教では様々な宇宙進化論(創造神話)が語られ、その多くにブラフマーが関わっている。インドの宇宙進化論にはサルガ(最初の創造)とヴィサルガ(第二の創造)という考え方が存在する。これはインド哲学の持つ2つの現実、すなわち普遍的、形而上的な現実と常に変化する認識可能な現実というコンセプトに関係している。そして後者は際限なく循環を繰り返しているとされ、すなわち我々の認識する宇宙、生命は継続的に創造され、進化し、霧消してそしてまた創造される。ブラフマンなのか、プルシャなのかデーヴィなのか、ヴェーダの中でも最初の創造者に関して様々な議論が見られる。一方でヴェーダ、あるいはヴェーダ後の文献では第二の創造者に関する議論も展開されており、場合によってはそれぞれの宇宙のサイクル(劫、kalpa)ごとに違う神や女神が第二の創造者となるのだと語られる。 マハーバーラタやプラーナ文献に語られるように、また多くの研究がそう結論しているようにブラフマーは第二の創造者であると考えられている。ブラフマーは全ての形ある物を創造したが、しかし原初の宇宙は創造しなかった。 バーガヴァタ・プラーナ(英語版)(ヴィシュヌ派のプラーナ)にはブラフマー神は原初の海から生まれたという言及が複数見られる。このプラーナによれば、ブラフマーは時間と宇宙が生まれた瞬間にハリ(ヴィシュヌのこと)の臍から生える蓮の中に出現する。この時ブラフマーは寝ぼけており、宇宙をひとつにまとめるだけの力を発揮できる状態ではなかった。混乱の中で彼は修行者となって瞑想にはいる。すると自分の心の中にいるハリ(ヴィシュヌ)の存在に気が付き、宇宙の始まりと終わりを見る。するとブラフマーは世界を創造する力を取り戻す。ブラフマーはその後プラクリティとプルシャをつなぎ合わせて、めまいのするほど多くの生物と、複雑極まりない因果関係を作り上げた。したがってバーガヴァタ・プラーナはマーヤー(真実を覆い隠す目に見える物)を作り出す能力をブラフマーに認めている。ブラフマーは天地創造のため全てに善と悪を吹き込み、物質と魂を作り、始まりと終わりを作った。 対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌはアルダナーリーシュヴァラ(シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる。従ってほとんどのプラーナ文献ではブラフマーに与えられた創造の力はより高次の神の力や存在に依存している。 プラーナ文献はブラフマーを時間を創造する者としている。プラーナでは人間の時間とブラフマーの時間が関連づけられており、たとえばマハーカルパ(大劫、宇宙の寿命)はブラフマーにとっての1昼夜であるとする。 様々なプラーナに語られるブラフマーの描写は多岐にわたり、一貫性に乏しい。例えばスカンダ・プラーナ(英語版)では女神であるパールヴァティが「宇宙の母」と呼ばれており、彼女がブラフマーを含む神々と3つの世界を創造したと語られている。そしてスカンダ・プラーナではパールヴァティが3つのグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)をプラクリティ(物質)と結び付けて認識可能な世界を作り上げたことになっている。 ブラフマーがラジャスに対応する神であるというヴェーダ時代の議論はプラーナ文献や、タントラの中でも展開されている。これらの文献ではサラスヴァティー(ブラフマーの配偶神)がサットヴァ(純質。調和や善、平和的な性質)であるとされ、それによりブラフマーのラジャス(激質。良くも悪くもなく、動的な性質)が補完されると語られる。 ブラフマーは通常4つの顔に4本の腕を持った姿で描かれる。4つの顔はそれぞれ東西南北を向いているとされる。武器ではなく、知識や創造を象徴するものを手に持つ。例えばヴェーダ、時間を象徴する数珠、ヤジュニャ(英語版)(yajña, 火の儀式)に使われる杓、全ての生命の象徴である水の入った器である。ブラフマーの4つの口からはそれぞれ1つずつ、計4つのヴェーダが紡がれたとされている。しばしば白いひげを蓄えた姿で描写され、これはリシ(聖仙)たちのような経験と知識を備えていることを象徴する。蓮の上に座り、白い服(あるいは赤か桃色の服)をまとい、彼のヴァーハナ(乗り物とされる動物)であるハンサが描かれる。 寺院やムルティ(英語版)(偶像)のデザインに関する古代の文献、マーナサーラ・シルパシャーストラ(シルパシャーストラ(英語版))の51章では、ブラフマー像は金色に仕上げられるべきであると言及される。さらには4つの顔に4本の腕、ジャタ・ムクタ・マンディータ(修行者に特徴的なもつれた髪)、そして王冠という特徴を取り入れることを進めている。2つの手には救いを与えるムドラー(手の形)と願いを与えるムドラーをとらせ、それぞれの手には水の器、数珠、杓(ヤジュニャの儀式で用いるもの)を持たせるとしている。この文献にはブラフマー像の体の比率や装飾品まで細かく説明されており、下半身にはチーラ(cīra、木の皮)をまとわせるように提案している。ブラフマー単独でもいいが、配偶神を並べるときはブラフマーの右にサラスヴァティー、左にサヴィトリを配置することを進めている。 ブラフマーの配偶神はサラスヴァティーであるとされる。彼女はブラフマーの力の源であり、創造の手段であり、ブラフマーの行動を促すエネルギーであると考えられている。 インドでブラフマーを主として奉る寺院は多くない。そんな中でも最も有名なものはプシュカルの ブラフマー寺院 (プシュカル)(英語版)である。 インドネシア、ジャワ島中部のジョグジャカルタ市に位置するプランバナン寺院群(9世紀)にもブラフマーを奉る寺院があり、寺院群の中でも最大級の3つの寺院のうちの1つである。ちなみに3つの内最大の物はシヴァに捧げられた物で、残りの1つはヴィシュヌ寺院である。ブラフマー寺院はシヴァ寺院の南に位置している。 タイ王国、バンコクのエーラーワンの祠にはブラフマー像があり、今日でも信仰を集めている。タイの政庁(en:Government House of Thailand)の金色のドームにもプラ・プロム(英語版)(タイ語: พระพรหม; タイでのブラフマーの呼び名)の像が存在する。ペッチャブリー県の寺院、ワット・ヤイ スワンナーラームにある18世紀はじめの絵画にはブラフマーが描かれている。 ビルマの国名の由来はブラフマーであり、中世の文献には「ブラフマ・デーシャ」(Brahmadeśa)という表記も見られる。「デーシャ」はサンスクリット語で「国」を意味する。 ブラフマーは中国の民俗宗教においては一般的な神であり、中国、台湾には多くの寺院がある。中国語圏では「四面神(四面仏)(英語版)」、チベットでは「ツァンパ」(Tshangs pa)、日本では「梵天」という名で知られる。
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"タイ王国、バンコクのエーラーワンの祠にはブラフマー像があり、今日でも信仰を集めている。タイの政庁(en:Government House of Thailand)の金色のドームにもプラ・プロム(英語版)(タイ語: พระพรหม; タイでのブラフマーの呼び名)の像が存在する。ペッチャブリー県の寺院、ワット・ヤイ スワンナーラームにある18世紀はじめの絵画にはブラフマーが描かれている。", "title": "寺院" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ビルマの国名の由来はブラフマーであり、中世の文献には「ブラフマ・デーシャ」(Brahmadeśa)という表記も見られる。「デーシャ」はサンスクリット語で「国」を意味する。", "title": "寺院" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ブラフマーは中国の民俗宗教においては一般的な神であり、中国、台湾には多くの寺院がある。中国語圏では「四面神(四面仏)(英語版)」、チベットでは「ツァンパ」(Tshangs pa)、日本では「梵天」という名で知られる。", "title": "寺院" } ]
ブラフマーは、ヒンドゥー教の神の1柱、創造神でありトリムルティ(最高神の3つの様相)の1つに数えられる。4つの顔を持ち、それぞれの顔は四方を向いているとされる。ブラフマーはスヴァヤンブーや、チャトゥラーナナ(四つの顔を持つ者)、バーギーシャ(Vāgīśa、言葉の王)という名でも知られ、4つの口のそれぞれから4つのヴェーダを紡いだとされている。ブラフマーは時にリグ・ヴェーダに語られる創造神であるプラジャーパティと同一視され(リグ・ヴェーダの神々)、またカーマや宇宙の卵であるヒラニヤ・ガルバとの関連が指摘されることもある。ブラフマーはヴェーダ後の時代になってヒンドゥー叙事詩やプラーナ文献の神話の中で存在感を増した。叙事詩の中で彼はプルシャの性格を引き継いでいるとされることもある。ヴィシュヌ、シヴァとともにトリムルティの一角を担うが、古代の文献ではブラフマーの含まれない3柱を最高神の3人組に数えている。 ブラフマーはしばしば宇宙と様々な生物の創造主であると語られる。しかし一方で、いくつかのプラーナではヴィシュヌの臍から生える蓮から生まれたとされている。他にもシヴァから、あるいはシヴァの様相の1つから生まれたとするプラーナもあれば、最高神の1柱であると語られる場合もある。不二一元論ではブラフマーはしばしば、他のすべての神々とともにサグナ・ブラフマン(形のあるブラフマン)あるいはニルグナ・ブラフマン(形のないブラフマン)であるとみなされる。 現代のヒンドゥー教ではブラフマーは人気のある神格とは言えず、ヴィシュヌやシヴァと比べトリムルティの中での重要性も低い。ブラフマーは古代の聖典の中では礼賛されているものの、インドでは重要な神として人々の信仰を集めることは稀であった。そのためインドにあるヒンドゥー寺院でブラフマーを奉るものは少ない。最も有名なものとしてはラージャスターン、プシュカルのブラフマー寺院 (プシュカル)が挙げられる。ブラフマー寺院はインド国外にも存在し、タイ王国のエーラーワンの祠 などが有名である。
{{Otheruses|'''[[インド神話]]、[[ヒンドゥー教]]の創造[[神]]のブラフマー'''|その他|ブラフマン (曖昧さ回避)}} {{Infobox deity | name = ブラフマー | type = Hindu | Image = Brahma on hamsa.jpg | image_size = 200px | alt = ブラフマー | deity_of = [[創造]]の[[神]] | caption = 知識と宇宙の創造者、ブラフマー<ref name=bruce86/>。 | Devanagari = ब्रह्मा | Sanskrit_Transliteration = Brahmā | Affiliation = [[デーヴァ]]、[[三神一体|トリムルティ]] | cult_center = [[プシュカル]] | Abode = {{仮リンク|ブラフマプラ|en|Brahmapura}}([[須弥山|メール山]]に位置する) | Consorts = [[サラスヴァティー]]<ref name=elizabeth204>Elizabeth Dowling and W George Scarlett (2005), Encyclopedia of Religious and Spiritual Development, SAGE Publications, ISBN 978-0761928836 page 204</ref><ref>David Kinsley (1988), Hindu Goddesses: Vision of the Divine Feminine in the Hindu Religious Traditions, University of California Press, ISBN 0-520063392, pages 55-64</ref> | Mount = [[ハンサ]] | Symbols = [[ヴェーダ]]、[[お玉杓子|杓]]、水の入った器 }} {{Hinduism}} '''ブラフマー'''([[サンスクリット|梵]]、{{lang-hi|ब्रह्मा}} {{IAST|Brahmā}})は、[[ヒンドゥー教]]の[[デーヴァ|神]]の1柱、[[創造神]]であり[[三神一体|トリムルティ]](最高神の3つの様相)の1つに数えられる。4つの顔を持ち、それぞれの顔は四方を向いているとされる<ref name=bruce86>Bruce Sullivan (1999), Seer of the Fifth Veda: Kr̥ṣṇa Dvaipāyana Vyāsa in the Mahābhārata, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120816763, pages 85-86</ref>。ブラフマーは{{仮リンク|スヴァヤンブー|en|Svayambhu}}({{lang|sa|Svayambhū}} 自ら産まれる者)や<ref>Alf Hiltebeitel (1999), Rethinking India's Oral and Classical Epics, University of Chicago Press, ISBN 978-0226340517, page 292</ref>、チャトゥラーナナ(四つの顔を持つ者)<ref>[[菅沼晃]]『インド神話伝説辞典』[[東京堂出版]]1985年、293頁。</ref>、バーギーシャ({{lang|sa|Vāgīśa}}、言葉の王)という名でも知られ、4つの口のそれぞれから4つの[[ヴェーダ]]を紡いだとされている<ref name=bruce86/><ref>Barbara Holdrege (2012), Veda and Torah: Transcending the Textuality of Scripture, State University of New York Press, ISBN 978-1438406954, pages 88-89</ref>。ブラフマーは時に[[リグ・ヴェーダ]]に語られる創造神である[[プラジャーパティ]]と同一視され({{仮リンク|リグ・ヴェーダの神々|en|Rigvedic deities}})、また[[カーマ (ヒンドゥー教)|カーマ]]や宇宙の卵である{{仮リンク|ヒラニヤ・ガルバ|en|Hiranyagarbha}}との関連が指摘されることもある<ref name=turner258/><ref name=david183/>。ブラフマーはヴェーダ後の時代になって{{仮リンク|ヒンドゥー叙事詩|en|Hindu epic}}や[[プラーナ文献]]の神話の中で存在感を増した。叙事詩の中で彼は[[プルシャ]]の性格を引き継いでいるとされることもある<ref name=bruce86/>。[[ヴィシュヌ]]、[[シヴァ]]とともにトリムルティの一角を担うが、古代の文献ではブラフマーの含まれない3柱を最高神の3人組に数えている<ref name=davidwhite29>David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29</ref><ref name=gonda212/>{{Refnest|group="注"|[[ヤン・ホンダ]]<ref>原實『ヤン・ホンダ選集、第六巻』、東洋学報 / The Toyo Gakuho 75(3・4), 01-07(432~438), 1994-03 </ref>はヒンドゥー教のトリムルティというコンセプトは、[[アグニ]]という1柱の神の持つ3つの性格についての古代の宇宙論的な、儀式的な思索から発展したのではないかとしている。[[アグニ]]は3度、あるいは3倍誕生し、3倍の光であり、3つの体と3つの地位を持つとされている<ref>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 218-219</ref>(アグニは火であり光であり日である)。一般的なトリムルティとされるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの他には古代や中世の文献には「[[インドラ]]、ヴィシュヌ、ブラフマナスパティ」や、「アグニ、インドラ、[[スーリヤ]]」、「アグニ、[[ヴァーユ]]、アーディティヤ」、「マハーラクシュミー、マハーサラスヴァティ、マハーカーリー」等といった組み合わせが見られる<ref name=davidwhite29/><ref name=gonda212/>。}}。 ブラフマーはしばしば宇宙と様々な生物の創造主であると語られる。しかし一方で、いくつかのプラーナではヴィシュヌの[[臍]]から生える[[蓮]]から生まれたとされている。他にもシヴァから、あるいはシヴァの様相の1つから生まれたとするプラーナもあれば<ref name="Stella Kramrisch 1994 pages 205-206">Stella Kramrisch (1994), The Presence of Siva, Princeton University Press, ISBN 978-0691019307, pages 205-206</ref>、最高神の1柱であると語られる場合もある<ref name=turner258>Charles Coulter and Patricia Turner (2000), Encyclopedia of Ancient Deities, Routledge, ISBN 978-0786403172, page 258, Quote: "When Brahma is acknowledged as the supreme god, it was said that Kama sprang from his heart."</ref>。[[不二一元論]]ではブラフマーはしばしば、他のすべての神々とともに{{仮リンク|サグナ|en|saguna|label=サグナ・ブラフマン}}(形のある[[ブラフマン]])あるいは{{仮リンク|ニルグナ|en|nirguna|label=ニルグナ・ブラフマン}}(形のないブラフマン)であるとみなされる<ref name=gonda212>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 212-226</ref><ref name=david183>David Leeming (2009), Creation Myths of the World, 2nd Edition, ISBN 978-1598841749, page 146;<br>David Leeming (2005), The Oxford Companion to World Mythology, Oxford University Press, ISBN 978-0195156690, page 54, '''Quote:''' "Especially in the Vedanta Hindu philosophy, Brahman is the Absolute. In the Upanishads, Brahman becomes the eternal first cause, present everywhere and nowhere, always and never. Brahman can be incarnated in Brahma, in Vishnu, in Shiva. To put it another way, everything that is, owes its existence to Brahman. In this sense, Hinduism is ultimately monotheistic or monistic, all gods being aspects of Brahman"; Also see pages 183-184, Quote: "Prajapati, himself the source of creator god Brahma – in a sense, a personification of Brahman (...) [[解脱|Moksha]], the connection between the transcendental absolute Brahman and the inner absolute [[アートマン|Atman]]."</ref>。 現代のヒンドゥー教ではブラフマーは人気のある神格とは言えず、ヴィシュヌやシヴァと比べトリムルティの中での重要性も低い。ブラフマーは古代の聖典の中では礼賛されているものの、[[インド]]では重要な神として人々の信仰を集めることは稀であった<ref name=morris123>Brian Morris (2005), Religion and Anthropology: A Critical Introduction, Cambridge University Press, ISBN 978-0521852418, page 123</ref>。そのためインドにある[[ヒンドゥー教寺院の一覧|ヒンドゥー寺院]]でブラフマーを奉るものは少ない。最も有名なものとしては[[ラージャスターン]]、[[プシュカル]]の{{仮リンク|ブラフマー寺院 (プシュカル)|en|Brahma Temple, Pushkar}}が挙げられる<ref name=chakravarti15>SS Charkravarti (2001), Hinduism, a Way of Life, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120808997, page 15</ref>。ブラフマー寺院はインド国外にも存在し、[[タイ王国]]の[[エーラーワンの祠]] などが有名である<ref name=ellenlondon74>Ellen London (2008), Thailand Condensed: 2,000 Years of History & Culture, Marshall Cavendish, ISBN 978-9812615206, page 74</ref>。 ==名前の由来== [[ファイル:12th century Chennakesava temple at Somanathapura, Karnataka, India Lord Brahma.jpg|thumb|[[カルナータカ州]][[ソーマナータプラ]]、{{仮リンク|チェナケシェヴァ寺院 (ソーマナータプラ)|en|Chennakesava Temple, Somanathapura|label=チェナケシェヴァ寺院}}のブラフマー像。12世紀のもの。]] ブラフマーという名前の由来ははっきりしない。ヴェーダ時代(紀元前1500-500年)の文献には「絶対的現実」という[[ヒンドゥー哲学]]上の概念を意味する「[[ブラフマン]]」と、バラモン教の聖職者を意味する「[[ブラフミン]]」がともに登場しており、このことがブラフマーという名前の由来の特定を妨げる一因となっている。ブラフマーという名前の神格はヴェーダ時代の後半に登場している<ref name=brucesullivan>Bruce Sullivan (1999), Seer of the Fifth Veda, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120816763, pages 82-83</ref>。「ブラフマン」は中性で抽象的、[[形而上]]的なヒンドゥー教の概念であり<ref>James Lochtefeld, Brahman, The Illustrated Encyclopedia of Hinduism, Vol. 1: A–M, Rosen Publishing. ISBN 978-0823931798, page 122</ref>、一方の「ブラフマー神」はヒンドゥー神話に多く登場する男性神のなかの1柱である<ref>James Lochtefeld, Brahma, The Illustrated Encyclopedia of Hinduism, Vol. 1: A–M, Rosen Publishing. ISBN 978-0823931798, page 119</ref>。「ブラフマン」というコンセプトはブラフマー神の登場よりもずっと古く、学者の中にはこの「特徴を持たない普遍的な原則」であるブラフマンを擬人化し目に見える象徴としたものとしてブラフマー神が登場したのだと仮定する者もいる<ref name=brucesullivan/>。 {{仮リンク|サンスクリット語の文法|en|Sanskrit grammar}}では「ブラフマン」という[[名詞]]の[[性_(文法)|文法的性]]は男性と中性という2つのいずれかでありえる。1つは中性名詞「ブラフマン」であり、このブラフマンの主格単数形は「ブラフマ<!--伸ばさない-->」({{Lang|sa|ब्रह्म}})であり、一般化された抽象的な意味を持つ<ref>{{Cite book|title=India through the ages|last=Gopal|first=Madan|year= 1990| page= 79|editor=K.S. Gautam|publisher=Publication Division, Ministry of Information and Broadcasting, Government of India}}</ref>。一方の男性名詞が「ブラフマン」であり、このブラフマンの主格単数形が「ブラフマー」({{Lang|sa|ब्रह्मा}})となる。 ==歴史== ===ヴェーダ時代=== ブラフマーがヴィシュヌもシヴァとともに描写されている最も早い段階の記述は、紀元前10世紀の後半に編纂されたと考えられる[[マイトリー・ウパニシャッド]]の5章に見られる。クツァーヤナ賛歌({{lang|sa|Kutsāyana}})と呼ばれる5章1節にこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている<ref name=hume51>{{Citation|first=Robert Ernest|last=Hume|title=The Thirteen Principal Upanishads |url=https://archive.org/stream/thirteenprincipa028442mbp#page/n443/mode/2up|publisher=Oxford University Press|year=1921|pages=422–424}}</ref><ref name=cowell51>[https://www.shemtaia.com/SKT/PDF/Upanishads/cowellmaitriskt.pdf Maitri Upanishad - Sanskrit Text with English Translation]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }} EB Cowell (Translator), Cambridge University, Bibliotheca Indica, page 255-256</ref>。 汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。[[アートマン]](魂、我)はブラフマーであることと同等であり、ブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝は[[ルドラ]](シヴァ)である、汝は[[アグニ]]、[[ヴァルナ]]、[[ヴァーユ]]、[[インドラ]]であり、汝は全てである」<ref name=hume51/><ref name=maxmuller51/>。 マイトリー・ウパニシャッドの5章2節ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つの{{仮リンク|グナ (ヒンドゥー教)|en|Guṇa|label=グナ}}と関連づけられている。グナとはすべての生物に見いだすことのできる性質、精神、生来の傾向であるとされ<ref name=maxmuller51>Max Muller, The Upanishads, Part 2, [https://archive.org/stream/upanishads02ml#page/302/mode/2up Maitrayana-Brahmana Upanishad], Oxford University Press, pages 303-304</ref><ref>Jan Gonda (1968), The Hindu Trinity, Anthropos, Vol. 63, pages 215-219</ref>、世界は暗質(タマス)から生じたと語られている。その後世界はそれ自体の作用により活動し激質(ラジャス)となり、そして精錬、純化され純質(サットヴァ)となった<ref name=hume51/><ref name=maxmuller51/>。これら3つのグナのうち、ブラフマーにはラジャスが関係づけられており、ルドラ、ヴィシュヌがそれぞれタマス、サットヴァを受け持つ<ref>Paul Deussen, Sixty Upanishads of the Veda, Volume 1, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120814684, pages 344-346</ref>。 マイトリー・ウパニシャッドはブラフマーをトリグナ理論の1要素に当てはめてはいるものの、後のプラーナ文献に見られるようなトリムルティの1要素としては描写していない<ref>GM Bailey (1979), [http://www.jstor.org/stable/3269716 Trifunctional Elements in the Mythology of the Hindu Trimūrti], Numen, Vol. 26, Fasc. 2, pages 152-163</ref>。 ===ヴェーダ後=== ヴェーダ後のヒンドゥー教では様々な宇宙進化論(創造神話)が語られ、その多くにブラフマーが関わっている。インドの宇宙進化論にはサルガ(最初の創造)とヴィサルガ(第二の創造)という考え方が存在する。これはインド哲学の持つ2つの現実、すなわち普遍的、形而上的な現実と常に変化する認識可能な現実というコンセプトに関係している。そして後者は際限なく循環を繰り返しているとされ、すなわち我々の認識する宇宙、生命は継続的に創造され、進化し、霧消してそしてまた創造される<ref name=tpinchman125>Tracy Pintchman (1994), The Rise of the Goddess in the Hindu Tradition, State University of New York Press, ISBN 978-0791421123, pages 122-138</ref>。ブラフマンなのか、[[プルシャ]]なのか[[デーヴィー (インド神話)|デーヴィ]]なのか、ヴェーダの中でも最初の創造者に関して様々な議論が見られる<ref name=tpinchman125/><ref>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 213-214</ref>。一方でヴェーダ、あるいはヴェーダ後の文献では第二の創造者に関する議論も展開されており{{Refn|group="注"|ブラフマー神は主にヴェーダ後の文献に登場する。}}、場合によってはそれぞれの宇宙のサイクル([[劫]]、{{lang|sa|kalpa}})ごとに違う神や女神が第二の創造者となるのだと語られる<ref name="Stella Kramrisch 1994 pages 205-206"/><ref name=tpinchman125/>。 マハーバーラタやプラーナ文献に語られるように、また多くの研究がそう結論しているようにブラフマーは第二の創造者であると考えられている<ref>{{Cite book|last1=Bryant|first1=ed. by Edwin F.|title=Krishna : a sourcebook|date=2007|publisher=Oxford University Press|location=New York|isbn=978-0-19-514891-6|page=7}}</ref><ref>{{Cite book|last1=Sutton|first1=Nicholas|title=Religious doctrines in the Mahābhārata|date=2000|publisher=Motilal Banarsidass Publishers|location=Delhi|isbn=81-208-1700-1|pages=182|edition=1st}}</ref><ref>Asian Mythologies by Yves Bonnefoy & Wendy Doniger. Page 46</ref>。ブラフマーは全ての形ある物を創造したが、しかし原初の宇宙は創造しなかった<ref>{{Cite book|last1=Bryant|first1=ed. by Edwin F.|title=Krishna : a sourcebook|date=2007|publisher=Oxford University Press|location=New York|isbn=978-0-19-514891-6|page=18}}</ref>。 {{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}([[ヴィシュヌ派]]のプラーナ)にはブラフマー神は原初の海から生まれたという言及が複数見られる<ref name=richard>Richard Anderson (1967),[http://www.jstor.org/stable/1769398 Hindu Myths in Mallarmé: Un Coup de Dés], Comparative Literature, Vol. 19, No. 1, pages 28-35</ref>。このプラーナによれば、ブラフマーは時間と宇宙が生まれた瞬間にハリ(ヴィシュヌのこと)の臍から生える蓮の中に出現する。この時ブラフマーは寝ぼけており、宇宙をひとつにまとめるだけの力を発揮できる状態ではなかった<ref name=richard/>。混乱の中で彼は修行者となって瞑想にはいる。すると自分の心の中にいるハリ(ヴィシュヌ)の存在に気が付き、宇宙の始まりと終わりを見る。するとブラフマーは世界を創造する力を取り戻す。ブラフマーはその後[[プラクリティ]]と[[プルシャ]]をつなぎ合わせて、めまいのするほど多くの生物と、複雑極まりない因果関係を作り上げた<ref name=richard/>。したがってバーガヴァタ・プラーナは[[マーヤー]](真実を覆い隠す目に見える物)を作り出す能力をブラフマーに認めている。ブラフマーは天地創造のため全てに善と悪を吹き込み、物質と魂を作り、始まりと終わりを作った<ref name="名前なし-1">Richard Anderson (1967),[http://www.jstor.org/stable/1769398 Hindu Myths in Mallarmé: Un Coup de Dés], Comparative Literature, Vol. 19, No. 1, page 31-33</ref>。<!--ヴィシュヌ派視点だけ詳しすぎないかな--> 対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌは[[アルダナーリーシュヴァラ]](シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる<ref name="Stella Kramrisch 1994 pages 205-206"/>。従ってほとんどのプラーナ文献ではブラフマーに与えられた創造の力はより高次の神の力や存在に依存している<ref name="Continuum">{{Cite book|last1=Frazier|first1=Jessica|title=The Continuum companion to Hindu studies | date=2011|publisher=Continuum|location=London|isbn=978-0-8264-9966-0|pages=72}}</ref>。 プラーナ文献はブラフマーを時間を創造する者としている。プラーナでは人間の時間とブラフマーの時間が関連づけられており、たとえばマハーカルパ([[劫|大劫]]、宇宙の寿命)はブラフマーにとっての1昼夜であるとする<ref name="名前なし-1"/>。 様々なプラーナに語られるブラフマーの描写は多岐にわたり、一貫性に乏しい。例えば{{仮リンク|スカンダ・プラーナ|en|Skanda Purana}}では女神であるパールヴァティが「宇宙の母」と呼ばれており、彼女がブラフマーを含む神々と3つの世界を創造したと語られている。そしてスカンダ・プラーナではパールヴァティが3つのグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)をプラクリティ(物質)と結び付けて認識可能な世界を作り上げたことになっている<ref>Nicholas Gier (1997), The Yogi and the Goddess, International Journal of Hindu Studies, Vol. 1, No. 2, pages 279-280</ref>。 ブラフマーがラジャスに対応する神であるというヴェーダ時代の議論はプラーナ文献や、タントラの中でも展開されている。これらの文献では[[サラスヴァティー]](ブラフマーの配偶神)がサットヴァ(純質。調和や善、平和的な性質)であるとされ、それによりブラフマーのラジャス(激質。良くも悪くもなく、動的な性質)が補完されると語られる<ref>H Woodward (1989), The Lakṣmaṇa Temple, Khajuraho and Its Meanings, Ars Orientalis, Vol. 19, pages 30-34</ref><ref>Alban Widgery (1930), The principles of Hindu Ethics, International Journal of Ethics, Vol. 40, No. 2, pages 234-237</ref><ref>Joseph Alter (2004), Yoga in modern India, Princeton University Press, page 55</ref>。 ==偶像に見られる特徴== [[ファイル:A roundel of Brahma.jpg|thumb|ブラフマーの描かれた19世紀の[[ラウンデル]]。4つの頭と4本の腕、赤ら顔の老人がヴェーダ、杓、蓮を手に持っている。]] ブラフマーは通常4つの顔に4本の腕を持った姿で描かれる<ref name=kenmorgan>Kenneth Morgan (1996), The Religion of the Hindus, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120803879, page 74</ref>。4つの顔はそれぞれ東西南北を向いているとされる。武器ではなく、知識や創造を象徴するものを手に持つ。例えばヴェーダ、時間を象徴する[[数珠]]、{{仮リンク|ヤジュニャ|en|Yajna}}({{lang|sa|yajña}}, 火の儀式)に使われる杓、全ての生命の象徴である水の入った器である。ブラフマーの4つの口からはそれぞれ1つずつ、計4つのヴェーダが紡がれたとされている<ref name=bruce86/>。しばしば白いひげを蓄えた姿で描写され、これはリシ(聖仙)たちのような経験と知識を備えていることを象徴する。蓮の上に座り、白い服(あるいは赤か桃色の服)をまとい、彼のヴァーハナ(乗り物とされる動物)であるハンサが描かれる<ref name=kenmorgan/><ref>Philip Wilkinson and Neil Philip (2009), Mythology, Penguin, ISBN 978-0756642211, page 156</ref>。 寺院や{{仮リンク|ムルティ|en|Murti}}(偶像)のデザインに関する古代の文献、マーナサーラ・シルパシャーストラ({{仮リンク|シルパシャーストラ|en|Shilpa Shastras}})の51章では、ブラフマー像は金色に仕上げられるべきであると言及される<ref name=pkacharya50>PK Acharya, A summary of the Mānsāra, a treatise on architecture and cognate subjects, PhD Thesis awarded by Rijksuniversiteit te Leiden, published by BRILL, {{OCLC|898773783}}, page 50</ref>。さらには4つの顔に4本の腕、ジャタ・ムクタ・マンディータ(修行者に特徴的なもつれた髪)、そして[[王冠]]という特徴を取り入れることを進めている<ref name=pkacharya50/>。2つの手には救いを与える[[印相|ムドラー]](手の形)と願いを与えるムドラーをとらせ、それぞれの手には水の器、数珠、杓(ヤジュニャの儀式で用いるもの)を持たせるとしている<ref name=pkacharya50/>。この文献にはブラフマー像の体の比率や装飾品まで細かく説明されており、下半身にはチーラ(cīra、木の皮)をまとわせるように提案している。ブラフマー単独でもいいが、配偶神を並べるときはブラフマーの右にサラスヴァティー、左に[[サヴィトリ]]を配置することを進めている<ref name=pkacharya50/>。 ブラフマーの配偶神はサラスヴァティーであるとされる。彼女はブラフマーの力の源であり、創造の手段であり、ブラフマーの行動を促すエネルギーであると考えられている<ref>Charles Phillips et al (2011), Ancient India's Myths and Beliefs, World Mythologies Series, Rosen Publishing, ISBN 978-1448859900, page 95</ref>。<!--シャクティズム視点?--> == 寺院 == [[ファイル:Lord Bramma.jpg|thumb|upright|{{仮リンク|ミーナークシ寺院 |en|Meenakshi Amman Temple}}のブラフマー像。[[タミル・ナードゥ州]]。]] ===インド=== インドでブラフマーを主として奉る寺院は多くない<ref name=morris123/>。そんな中でも最も有名なものは[[プシュカル]]の {{仮リンク|ブラフマー寺院 (プシュカル)|en|Brahma Temple, Pushkar}}である<ref name=chakravarti15/>。 ===東南アジア=== [[ファイル:Thai 4 Buddies.jpg|right|thumb|[[タイ王国]]のブラフマー像。タイでは({{仮リンク|プラ・プロム|en|Phra Phrom}})と呼ばれている。]] [[インドネシア]]、[[ジャワ島]]中部の[[ジョグジャカルタ市]]に位置する[[プランバナン寺院群]](9世紀)にもブラフマーを奉る寺院があり、寺院群の中でも最大級の3つの寺院のうちの1つである。ちなみに3つの内最大の物はシヴァに捧げられた物で、残りの1つはヴィシュヌ寺院である<ref>Trudy Ring et al (1996), International Dictionary of Historic Places: Asia and Oceania, Routledge, ISBN 978-1884964046, page 692</ref>。ブラフマー寺院はシヴァ寺院の南に位置している。 [[タイ王国]]、[[バンコク]]の[[エーラーワンの祠]]にはブラフマー像があり、今日でも信仰を集めている<ref name="ellenlondon74"/>。タイの政庁([[:en:Government House of Thailand]])の金色のドームにも{{仮リンク|プラ・プロム|en|Phra Phrom}}({{Lang-th|พระพรหม}}; タイでのブラフマーの呼び名)の像が存在する。[[ペッチャブリー県]]の寺院、ワット・ヤイ スワンナーラームにある18世紀はじめの絵画にはブラフマーが描かれている<ref>Chami Jotisalikorn et al (2002), Classic Thai: Design, Interiors, Architecture., Tuttle, ISBN 978-9625938493, pages 164-165</ref>。 [[ビルマ]]の国名の由来はブラフマーであり、中世の文献には「ブラフマ・デーシャ」({{lang|sa|Brahmadeśa}})という表記も見られる<ref>Arthur P. Phayre (2013), History of Burma, Routledge, ISBN 978-0415865920, pages 2-5</ref><ref>Gustaaf Houtman (1999), Mental Culture in Burmese Crisis Politics, Tokyo University of Foreign Studies, ISBN 978-4872977486, page 352</ref>。「デーシャ」はサンスクリット語で「国」を意味する。 ===東アジア=== ブラフマーは[[中国の民俗宗教]]においては一般的な神であり、[[中国]]、[[台湾]]には多くの寺院がある。中国語圏では「{{仮リンク|四面神(四面仏)|en|Simianshen}}」、[[チベット]]では「ツァンパ」({{unicode|Tshangs pa}})、[[日本]]では「[[梵天]]」という名で知られる<ref name=buswelllopez141>{{Cite book|author1=Robert E. Buswell Jr.|author2=Donald S. Lopez Jr.|title=The Princeton Dictionary of Buddhism|url=https://books.google.com/books?id=DXN2AAAAQBAJ |year=2013|publisher=Princeton University Press |isbn=978-1-4008-4805-8 |pages=141-142 }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[神の一覧]] * [[シヴァ]] * [[ヴィシュヌ]] * [[梵天]] * {{仮リンク|ブラフマー・サンヒター|en|Brahma Samhita}} * {{仮リンク|ブラフマーストラ|en|Brahmastra}} - ブラフマーが持つとされる投擲武器。 * [[創造神]] * [[チャトゥルサナ]] ==外部リンク== {{Commonscat|Brahma}} * [https://www.britannica.com/topic/Brahma-Hindu-god Brahma] at Encyclopædia Britannica * [http://www.oldandsold.com/articles25/hindu-23.shtml Hinduism - Brahma And The Trimurti] * [http://www.siamese-heritage.org/jsspdf/1981/JSS_069_0f_ManeepinPromsuthirak_HinduBrahmaInThaiLiterature.pdf Hindu Brahma in Thai Literature - Maneepin Phromsuthirak] {{Hinduism2}} {{インド神話}} {{Normdaten}} {{Portal bar|ヒンドゥー教|宗教|神話伝承}} {{デフォルトソート:ふらふまあ}} [[Category:三神]] [[Category:インド神話の神]] [[Category:ヒンドゥー教の神]] [[Category:創造神]]
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1333年
1333年(1333 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 日本ではこの年に後醍醐天皇が隠岐を脱出し、足利高氏や新田義貞が挙兵して最終的に鎌倉幕府が滅亡に至っており(元弘の乱)、歴史上の大きな転換点となった年である。
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1333年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1333}} {{year-definition|1333}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[後醍醐天皇]] : [[元弘]]3年 ** [[光厳天皇]] : [[正慶]]2年([[5月25日 (旧暦)|5月25日]]まで) ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]] : 1993年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[至順]]4年、[[元統 (元)|元統]]元年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]] - * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠粛王]]([[重祚]])2年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3666年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[開祐]]5年 * [[仏滅紀元]] : 1875年 - 1876年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 733年 - 734年 * [[ユダヤ暦]] : 5093年 - 5094年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1333|Type=J|表題=可視}} == できごと == 日本ではこの年に[[後醍醐天皇]]が[[隠岐国|隠岐]]を脱出し、[[足利尊氏|足利高氏]]や[[新田義貞]]が挙兵して最終的に[[鎌倉幕府]]が滅亡に至っており([[元弘の乱]])、歴史上の大きな転換点となった年である。 * [[4月9日]](正慶2年/元弘3年[[2月24日 (旧暦)|閏2月24日]]) - [[後醍醐天皇]]が配流先の[[隠岐国|隠岐]]を脱出して京へ向かう。 * [[5月11日]](正慶2年/元弘3年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[北条高家|名越高家]]・[[足利尊氏|足利高氏]]、[[鎌倉]]から[[京都]]へ向けて出立。 * [[5月30日]](正慶2年/元弘3年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - 足利高氏、京都着。 * [[6月10日]](正慶2年/元弘3年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - 名越高家、[[赤松則村]]との合戦で敗死。 * [[6月12日]](正慶2年/元弘3年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - 足利高氏、[[丹波国]][[篠村八幡宮]]にて旗揚げ。[[鎌倉幕府]]に反旗を翻す。 * [[6月19日]](正慶2年/元弘3年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[六波羅探題]]、足利高氏・[[赤松則村]]・[[千種忠顕]]の軍勢に滅ぼされる。六波羅探題北方[[北条仲時]]、[[光厳天皇]]を擁して都落ち。 * [[6月20日]](正慶2年/元弘3年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[新田義貞]]、[[上野国]][[新田荘]]で挙兵。 * [[6月21日]](正慶2年/元弘3年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - 北条仲時、[[近江国]]番場(現在の[[滋賀県]][[米原市]]番場)[[蓮華寺 (米原市)|蓮華寺]]で自刃。[[北条高直|大仏高直]]ら、[[千早城]]の包囲を解き、[[奈良]][[興福寺]]に立てこもる。 * [[6月23日]](正慶2年/元弘3年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - 新田義貞、[[小手指原]]で幕府の軍勢を破る。([[小手指原の戦い]]) * [[6月24日]](正慶2年/元弘3年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - 新田義貞、[[柳瀬川|久米川]]で幕府の軍勢を破る。([[久米川の戦い]]) * [[6月27日]](正慶2年/元弘3年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - 新田義貞、[[分倍河原]]で[[北条泰家]]の軍勢を破る。([[分倍河原の戦い (鎌倉時代)|分倍河原の戦い]]) * [[6月30日]](正慶2年/元弘3年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - 鎌倉攻防戦([[鎌倉の戦い]])始まる。[[北条守時]]、[[洲崎]]で自刃。 * [[7月4日]](正慶2年/元弘3年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[北条高時]]・[[北条貞顕|金沢貞顕]]・[[長崎円喜]]ら北条一門、鎌倉[[東勝寺 (鎌倉市)|東勝寺]]で火を放った後に自刃。鎌倉幕府滅亡。([[東勝寺合戦]]) * [[7月7日]](正慶2年/元弘3年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[鎮西探題]][[北条英時]]、[[少弐貞経]]・[[大友貞宗]]・[[島津貞久]]らに攻められて[[博多]]で自刃。 * [[7月8日]](元弘3年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[長門探題]][[北条時直]]、降伏。 * [[7月16日]](元弘3年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - 後醍醐天皇、京都[[東寺]]に帰還。 * [[8月4日]](元弘3年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[護良親王]]、[[征夷大将軍]]に任じられる。 * [[9月14日]](元弘3年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - 足利高氏、後醍醐天皇から一字を与えられ、名を尊氏と改める。 * 元弘3年[[9月 (旧暦)|9月]] - [[雑訴決断所]]設置 * 元弘3年[[10月 (旧暦)|10月]] - 天皇側近の[[北畠親房]]、親房の子で[[鎮守府将軍]]・[[陸奥守]]に任命された[[北畠顕家]]が義良親王(後の[[後村上天皇]])を奉じて[[陸奥国]]へ派遣されて[[陸奥将軍府]]が成立 * 元弘3年[[12月 (旧暦)|12月]] - [[足利直義]]が[[後醍醐天皇]]皇子の[[成良親王]]を奉じて[[鎌倉]]へ派遣され、[[鎌倉将軍府]]が成立。 == 誕生 == {{see also|Category:1333年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月16日]](正慶2年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[善如]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]](+ [[1389年]]) * [[上杉能憲]]、南北朝時代の[[武将]](+ [[1378年]]) * [[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]]、[[カスティーリャ王国]][[トラスタマラ王朝]]の初代[[国王]](+ [[1379年]]) * [[観阿弥]]、南北朝時代、[[室町時代]]の[[猿楽]]師(+ [[1384年]]) * [[長尾高景]]、南北朝時代、室町時代の武将(+ [[1389年]]) * [[ミハイル・アレクサンドロヴィチ (トヴェリ大公)|ミハイル・アレクサンドロヴィチ]]、[[トヴェリ]][[大公]](+ [[1399年]]) == 死去 == {{see also|Category:1333年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月21日]](正慶2年/元弘3年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[日興]]{{Sfn | 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 | 2002 | p = 187 }}、[[鎌倉時代]]の[[僧]](* [[1246年]]) * [[3月2日]] - [[ヴワディスワフ1世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ1世]]、[[ポーランド王]](* 1260年/1261年) * [[3月17日]](正慶2年/元弘3年[[2月1日 (旧暦)|閏2月1日]]) - [[村上義日]](義光)、鎌倉時代の[[武将]](* 生年未詳) * [[4月27日]](正慶2年/元弘3年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[菊池武時]]、鎌倉時代の武将、[[菊池氏]]の第12代当主(* [[1292年]]) * [[6月10日]](正慶2年/元弘3年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[名越高家]] 、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * [[6月18日]] - [[ハインリヒ15世 (バイエルン公)|ハインリヒ15世]]、[[バイエルン大公|下バイエルン公]](* [[1312年]]) * [[6月20日]](正慶2年/元弘3年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[北条時益]]、[[六波羅探題]]南方(* 生年未詳) * [[6月21日]](正慶2年/元弘3年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]])- [[糟屋重行]]、鎌倉時代の武将(* [[1270年]]) * 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- [[河越貞重]]、鎌倉時代の[[御家人]]、[[武蔵国|武蔵]][[河越氏]]の第8代当主(* [[1272年]]) * 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- [[北条仲時]]、六波羅探題北方(* [[1306年]]) * [[6月22日]] (正慶2年/元弘3年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[恒性皇子]]、鎌倉時代の[[皇族]](* [[1305年]]) * [[6月30日]](正慶2年/元弘3年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - [[北条守時]]、[[鎌倉幕府]]第16代[[執権]](* [[1295年]]) * [[7月4日]](正慶2年/元弘3年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[安達時顕]]、鎌倉時代の御家人(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[諏訪直性]]、鎌倉時代の得宗[[被官]](* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[摂津親鑑]]、鎌倉時代の[[武士]]、[[文官]](* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[長崎高重]]、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[長崎高資]]、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[長崎円喜]]、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条国時]]、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条基時]]、鎌倉幕府第13代執権(* [[1285年]]) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条高時]]、鎌倉幕府第14代執権(* [[1303年]]) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条貞顕]]、鎌倉幕府第15代執権(* [[1278年]]) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条貞直]]、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条貞将]]、鎌倉時代の武将(* [[1302年]]) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条茂時]]、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - [[北条高朝]]、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * [[7月7日]](正慶2年/元弘3年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[北条英時]]、鎌倉時代の武将、[[鎮西探題]](* 生年未詳) * [[7月11日]](正慶2年/元弘3年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]) - [[北条邦時]]、鎌倉幕府第14代執権北条高時の長男(* [[1325年]]) * [[8月19日]](正慶2年/元弘3年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[北条治時]]、鎌倉時代の武将(* [[1318年]]) * [[9月25日]](正慶2年/元弘3年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[守邦親王]]、鎌倉幕府第9代[[征夷大将軍]](* [[1301年]]) * [[11月19日]](正慶2年/元弘3年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[西園寺禧子]]、[[後醍醐天皇]]の正妃([[中宮]]のち[[皇太后]])(* 生年未詳) * [[12月22日]](正慶2年/元弘3年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[日目]]、鎌倉時代の[[法華宗]][[富士門流]]の[[僧]](* [[1260年]]) * [[イブン・ジャマーア]]、[[シリア]]の[[シャーフィイー派]][[ウラマー|イスラム法学者]](* [[1241年]]) * [[エル・テムル]]、[[元 (王朝)|元]]の将軍(* 生年未詳) * [[庄資房]]、鎌倉時代の武将(* [[1283年]]?) * [[ステファノス・ガヴリイロプロス]]、[[エピロス専制侯国|セサリア君主国]]の独立支配者(* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1333}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1333ねん}} [[Category:1333年|*]]
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14世紀
14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。 14世紀のユーラシア大陸では東アジアに発し中央アジアを経てヨーロッパにまで達したペストの大流行が起き、また19世紀半ばまで続くことになる小氷期がいよいよ本格化して寒冷化により農耕牧畜への大きな被害が出たため人口が大きく減少した。さらに、パクス・モンゴリカによる交易の広範な活性化により財貨の過剰流動性の制御が困難となり、また当時のユーラシア大陸全体に保有されていた銀の総量に従属する決済能力を超えて交易が拡大した結果、全世界的に経済活動が急激に縮小した。この事により歴史は新たな相へと向かう。 ヨーロッパではペストにより人口が大きく減少(詳細は後述)した後、イタリア・ルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換した(イタリア・ルネサンス年表も参照のこと)。 13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明朝やティムール朝などモンゴル帝国の体制の影響を受けながらも地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の皇帝直轄政権たる大元ウルスは中央政府の権力闘争による混乱のもと、中国本土の内乱の中から台頭した明朝の脅威から逃れるため、大都を捨て北部モンゴル高原へ退去した(以後、北元と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立したオスマン帝国も勢力を拡大した。これらの中規模帝国は、モンゴル帝国の統治下で普及した黒色火薬を用いた火砲(大砲や小銃)を軍制の中核に据える事で戦術の大規模な変貌を来して軍隊が急激に膨張、この巨大化した軍隊を扱う戦略の再編を経てやがて歴史学で火薬帝国と呼ばれる国家体制を成立させることとなる。 正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、病原体の拡散の障壁が失われたことが、この大流行の背景にあると考えられている。 14世紀の日本は、時代区分上では中世、鎌倉時代後期から室町時代の初期(南北朝時代の全期間を含む)にあたる。 2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動、平禅門の乱などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。 後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏・新田義貞ら有力御家人が参入した結果鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は天皇が中華皇帝的な専制統治を行う方向性を志向しており、唐突な改革による混乱と恩賞のあり方などが武士のみならず公家の不満を招き、離反した尊氏が京都に室町幕府を開いて北朝を立て、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝と対立する(南北朝時代)。 その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟直義が対立する内紛(観応の擾乱)が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代将軍足利義満の時代まで続き、抗争により有力守護大名が南朝に奔るといった状態が繰り返される。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「康暦の政変」も起こっており、以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する。 元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船(寺社造営料唐船)の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 一方、当時の朝鮮半島でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た李成桂が高麗王朝を倒し李氏朝鮮が成立する。 琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明王朝に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。
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14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。
{{出典の明記|date=2022-09-23 22:52(UTC)}} {{centurybox}} [[ファイル:Ceiling in Alhambra.JPG|thumb|right|300px|[[ナスル朝]]。[[イベリア半島]]最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有の[[アラベスク]]に彩られた[[アルハンブラ宮殿]]の「二姉妹の間」。]] [[ファイル:Burying Plague Victims of Tournai.jpg|thumb|right|250px|[[黒死病]](ペスト)の大流行。東方から流入したこの病気により地中海からヨーロッパでは軒並み人口が減少した。画像は黒死病の犠牲者を運び出す[[フランドル]]地方の[[トゥルネー]]の人々(『{{仮リンク|ジル・ル・ミュイジ|fr|Gilles Le Muisit}}の年代記』の挿絵)。]] [[ファイル:Battle of crecy froissart.jpg|thumb|250px|百年戦争の始まり。[[クレシーの戦い]]では[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いた[[ジャン・フロワサール]]の『年代記』写本の挿絵。]] [[ファイル:Burning Jews.jpg|thumb|250px|[[ユダヤ人]]迫害。中世末期の不穏な情勢の中で[[スケープゴート]]として標的にされたのが[[ユダヤ人]]であった。画像は15世紀にまとめられた『[[ニュルンベルク年代記]]』の木版挿絵で、1338年に起きた[[バイエルン]]地方のデッゲンドルフでの「{{仮リンク|聖餅󠄀冒瀆|en|Host desecration}}」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。]] [[ファイル:Sarcophagus Queen Margrethe I 2015-03-31-4810.jpg|thumb|250px|[[カルマル同盟]]。デンマーク摂政(事実上の女王)[[マルグレーテ1世]]がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像は[[ロスキレ大聖堂]]に安置されたマルグレーテの石棺。]] [[ファイル:Balduineum Wahl Heinrich VII.jpg|thumb|250px|皇帝[[ハインリヒ7世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ7世]]を選出する[[選帝侯|七選帝侯]]。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は[[1356年]]の[[金印勅書]]で法制化されることになる。]] [[ファイル:Bendicht Tschachtlan, Die Schlacht am Morgarten (c. 1470).jpg|thumb|200px|[[スイス]]の自立。13世紀末に成立した[[永久盟約|原初同盟]]は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。]] [[ファイル:Main entrance of the Palais des Papes - 20050823.jpg|right|thumb|250px|教皇のバビロン捕囚。フランス王[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の圧力で教皇[[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]は[[アヴィニョン]]に移された。画像は[[アヴィニョン教皇庁|アヴィニョン教皇宮殿]]の正面入り口。]] [[ファイル:Dante and beatrice.jpg|thumb|250px|ダンテと{{仮リンク|ベアトリーチェ・ポルティナーリ|en|Beatrice Portinari}}。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『[[神曲]]』を書いた詩人。画像は19世紀の{{仮リンク|ヘンリー・ホリデー|en|Henry Holiday}}による歴史画([[ウォーカー・アート・ギャラリー]]蔵)で、[[フィレンツェ]]の[[アルノ川]]の橋のたもとでベアトリーチェに心寄せるダンテが描かれている。]] [[ファイル:Lorenzetti Ambrogio 1337.jpg|thumb|320px|中世都市[[シエーナ|シエナ]]。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像は[[アンブロージョ・ロレンツェッティ]]によるシエナの{{仮リンク|プブリコ宮殿|en|Palazzo Pubblico}}(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。]] [[File:Milano Duomo 2392.jpg|thumb|right|250px|[[ミラノのドゥオーモ|ミラノ大聖堂]]。1386年から[[ミラノ公]][[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]の命により、北方の建築職人も招いてイタリアには珍しい多数の尖塔アーチを聳えさせるゴシック様式で建設が始まった。完成は500年後の1813年のことになるが「ミラノのドゥオモ」の名で親しまれている。]] [[ファイル:Loza nemanjica.jpg|thumb|200px|セルビア人の帝国。ネマニッチ朝の[[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]は東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建された[[コソボ]]の[[デチャニ修道院]]にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。]] [[File:John VI Kantakouzenos.jpg|thumb|right|200px|落日の東ローマ帝国。周辺諸国に圧迫されるとともに帝位をめぐる内乱でこの国はバルカンの小国家に転落した。画像は1351年のヘシュカスモス論争についての教会会議を召集する皇帝[[ヨハネス6世カンタクゼノス]]。]] [[File:Kulikovo05.jpg|thumb|right|200px|[[クリコヴォの戦い]]。[[モスクワ大公]][[ドミートリー・ドンスコイ]]率いる[[ルーシ]]諸侯連合軍が[[ママイ]]率いる[[ジョチ・ウルス]]軍に大勝した。この勝利は「[[タタールの軛]]」からロシアが自立する第一歩となった。画像は17世紀に描かれた挿絵。]] [[File:Giedzimin, Vilnia. Гедзімін, Вільня (M. Andriolli, 1882).jpg|thumb|right|200px|ヨーロッパ最後の異教大国[[リトアニア]]。東西両教会に挟まれたリトアニアでは古来の信仰を堅持した大公[[ゲディミナス]]が均衡を保って統治を行っていた。画像は都[[ヴィリニュス]]を建設するゲディミナスを描いた歴史画。]] [[ファイル:Codex Mendoza folio 2r.jpg|thumb|right|200px|[[アステカ帝国]]の勃興。アステカ人は[[ウィツィロポチトリ]]の[[神託]]に従い、蛇を咥えた鷲がサボテンに止まった地を探し当て、[[テスココ湖]]を干拓し都[[テノチティトラン]]を築いた。画像はその様子が描かれた16世紀の「{{仮リンク|メンドーサ写本|en|Codex Mendoza}}」。]] [[File:Perù, chimù, coppia di orecchini, lega d'oro a sbalzo, XII-XV sec. 02.JPG|thumb|right|250px|[[チムー王国]]。[[モチェ文化]]の流れを汲み[[インカ帝国]]に先立って[[ペルー]]北部の沿岸地帯を支配した王国で金属加工に優れていた。画像はチムー王国で用いられた装飾用の金製品([[メトロポリタン美術館]]蔵)。]] [[ファイル:腹切矢倉(東勝寺跡) Hōjō Takatoki Harakiri Yagura (Tōshō-ji, Kamakura).jpg|thumb|right|250px|[[鎌倉幕府]]の滅亡。有力御家人の離反が続く中で、[[新田義貞]]により[[稲村ヶ崎]]の防衛線が突破されると、[[鎌倉]]市街は炎上し、[[得宗]][[北条高時|高時]]ら北条一族の自刃が相次いだ。画像は最後の合戦が行われた[[東勝寺 (鎌倉市)|東勝寺]]の腹切りやぐら。]] [[ファイル:Emperor Godaigo.jpg|thumb|250px|[[後醍醐天皇]]。[[鎌倉幕府]]を亡ぼし[[建武の新政]]を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は[[清浄光寺]]所蔵の肖像画。]] [[File:Mounted Warrior (Kyoto National Museum).jpg|thumb|right|200px|「騎馬武者像」。総髪で抜身の太刀を肩にかけた合戦後の武士を描いた作品として知られ、長らく[[足利尊氏]]を描いたものとされていたが、近年は[[高師直]]や他の人物の説も上がっている。[[京都国立博物館]]の所蔵で重要文化財ともなっている。]] [[ファイル:Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg|thumb|250px|[[足利義満]]。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は[[鹿苑寺]]所蔵の肖像画。]] [[File:Noh Performance (235951661).jpeg|thumb|right|275px|[[能楽]]の大成。当時[[猿楽]]と呼ばれたこの芸能は[[観阿弥]]・[[世阿弥]]の親子二代の下で発展した。特に世阿弥は[[二条良基]]や[[足利義満]]の庇護を受け洗練された芸風を極めた。画像は現在の能舞台での様子。]] [[File:Great-Zimbabwe-still-standing strong.jpg|thumb|right|280px|[[グレート・ジンバブエ遺跡]]。サビ川上流のジンバブエ高原に作られた石造遺跡で、ジンバブエとはショナ語で「石の家」を意味する。イスラムや中国の元・明時代の陶磁器が出土することでも知られる。画像は遺跡を取り囲む「大囲壁」の全景写真。]] [[ファイル:Mansa Musa.jpg|thumb|right|250px|西アフリカのマリ王国の王[[マンサ・ムーサ]]。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で途方もない黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。画像は1375年に中世の世界地図([[マッパ・ムンディ]])の様式で描かれた「{{仮リンク|カタロニア地図|en|Catalan Atlas}}」のマンサ・ムーサ。]] [[File:Bou Inania Madrasa seen through Bab Bou Jeloud 2011.jpg|thumb|right|200px|[[マリーン朝]]の[[フェス]]。ムワッヒド朝に代わりマグリブを制圧したマリーン朝は[[マラケシュ]]からフェスに都を遷した。画像はスルタンの[[アブー・イナーン・ファーリス]]によって建てられた学院の[[ブー・イナーニーヤ・マドラサ]]の[[ミナレット]]。]] [[ファイル:Bassin Syrie 1.JPG|thumb|right|250px|「{{仮リンク|聖王ルイの洗礼盤|fr|Baptistère de Saint Louis}}」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、[[マムルーク朝]]時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在は[[ルーヴル美術館]]が所蔵している。]] [[File:Battle of Nicopolis.jpg|thumb|right|200px|[[オスマン朝]]の拡大。小アジアから起こったオスマン朝は[[バヤジット1世]]の時代までにバルカン諸国を臣従させ、[[ニコポリスの戦い]]ではキリスト教徒連合軍に大勝を収めた。画像は[[トプカプ宮殿]]博物館所蔵の細密画に描かれたニコポリスの戦い。]] [[ファイル:Ghazan et Öldjeïtu.jpg|right|thumb|250px|『[[集史]]』の編纂。イル・ハン国の宰相で歴史家[[ラシードゥッディーン]]はその当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主[[ガザン]]と[[オルジェイトゥ]]の兄弟を描いた『集史』の挿絵。]] [[File:Ibn Khaldoun-Kassus.jpg|right|thumb|180px|歴史家[[イブン・ハルドゥーン]]。北アフリカからイベリア半島そしてエジプトからシリアを遍歴し、政治家として活躍する一方で、連帯意識([[アサビーヤ]])を軸とする変転極まりない社会や経済の考察から歴史学の構築に取り組んだ。画像は故郷[[チュニス]]に建てられた銅像。]] [[ファイル:Timur during attack on Balkh 1370.jpg|thumb|right|250px|草原の英雄[[ティムール]]。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『[[清浄園]]』の16世紀の写本の挿絵。]] [[File:Portrait of Sultan 'Ala-ud-Din, Padshah of Delhi.jpg|thumb|right|180px|[[アラー・ウッディーン・ハルジー]]。[[ハルジー朝]]の君主として、モンゴルを撃退し、南インドのヒンドゥー教国家を次々と服属させた。その統治は冷徹だが果断な人物であった。画像は[[メトロポリタン美術館]]にある挿絵の肖像画。]] [[File:Kakatiya Kala Thoranam (Warangal Gate) and Ruins.jpg|thumb|right|180px|[[ワランガル]]の落日。14世紀前半のハルジー朝とトゥグルク朝の南征はインド南部のヒンドゥー教国家を圧倒した。[[カーカティーヤ朝]]もその一つで、繁栄を誇った都ワランガルは制圧され廃墟となった。画像は{{仮リンク|ワランガル門(カーカティーヤ・カラ・トラナム)|en|Kakatiya Kala Thoranam}}とワランガルの要塞跡。]] [[ファイル:1 Virupaksha temple Gopuram Hampi Vijayanagar India.jpg|thumb|right|250px|[[ヴィジャヤナガル王国]]の興隆。14世紀の半ばまでにこの王国の発展のもと南インドのヒンドゥー教は活気を取り戻した。画像はその都ヴィジャヤナガル([[ハンピ (インド)|ハンピ]])のヴィルーパークシャ寺院。]] [[ファイル:Tsongkapa, thangka from Tibet in the 15th-century, painting on cloth - Google Art Project.jpg|thumb|right|220px|[[チベット仏教]]の改革者[[ツォンカパ]]。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在の[[ダライラマ]]に連なる[[ゲルク派]](黄帽派)を大成した。画像は[[ニューヨーク]]の{{仮リンク|ルビン美術館|en|Rubin Museum of Art}}所蔵のツォンカパの肖像画。]] [[File:Theatre actors, Yuan Dynasty.jpg|thumb|right|220px|[[元曲]]。元時代の中国では[[歌曲]]の一種である[[雑劇]]が盛んになり、この時代の名をとって「元曲」と呼ばれた。画像は泰定元年(1324年)に描かれた[[山西省]]洪洞県広勝寺水神廟明応王殿の「雑劇図」。]] [[File:9c Zhao Mengfu. Bathing Horses. 1312. 28.1 x 155.5 cm Detail of the scroll. Palace Museum, Beijing.jpg|thumb|right|250px|[[趙孟頫]]。中国絵画に新風を吹き込み[[元末四大家]]の先駆者となった趙孟頫だったが、宋朝の末裔であるにも関らず異民族の元朝に仕えたことは批判を浴びた。画像は趙孟頫「浴馬図([[北京]][[紫禁城#故宮博物院|故宮博物院]]蔵)」の一部。]] [[ファイル:Wine Jar with Fish and Aquatic Plants, 52.87.1.jpg|thumb|right|220px|[[青花]]の誕生。元朝後期に西アジア産の[[コバルト]]顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺([[ブルックリン美術館]]蔵)」。]] [[ファイル:A Seated Portrait of Ming Emperor Taizu.jpg|thumb|right|220px|明の[[洪武帝]]朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画([[台北]][[国立故宮博物院]]蔵)。]] '''14世紀'''(じゅうよんせいき)は、[[西暦]][[1301年]]から西暦[[1400年]]までの100年間を指す[[世紀]]。 == 14世紀の歴史 == === 世界 === 14世紀の[[ユーラシア大陸]]では[[東アジア]]に発し[[中央アジア]]を経て[[ヨーロッパ]]にまで達した[[ペスト]]の[[パンデミック|大流行]]が起き、また[[19世紀]]半ばまで続くことになる[[小氷期]]がいよいよ本格化して寒冷化により農耕牧畜への大きな被害が出たため人口が大きく減少した。さらに、[[パクス・モンゴリカ]]による交易の広範な活性化により財貨の過剰流動性の制御が困難となり、また当時のユーラシア大陸全体に保有されていた[[銀]]の総量に従属する[[決済]]能力を超えて交易が拡大した結果、全世界的に経済活動が急激に縮小した。この事により歴史は新たな相へと向かう。 ヨーロッパではペストにより人口が大きく減少(詳細は後述)した後、'''[[ルネサンス|イタリア・ルネサンス]]'''により、新しい時代へと大きく転換した([[イタリア・ルネサンス年表]]も参照のこと)。 13世紀にユーラシア大陸を覆っていた[[モンゴル帝国]]は弱体化し、[[アジア]]各地に'''[[明|明朝]]'''や'''[[ティムール朝]]'''などモンゴル帝国の体制の影響を受けながらも地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の皇帝直轄政権たる[[元 (王朝)|大元ウルス]]は中央政府の権力闘争による混乱のもと、中国本土の内乱の中から台頭した明朝の脅威から逃れるため、[[大都]]を捨て北部[[モンゴル高原]]へ退去した(以後、[[北元]]と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立した'''[[オスマン帝国]]'''も勢力を拡大した。これらの中規模帝国は、モンゴル帝国の統治下で普及した[[黒色火薬]]を用いた[[火砲]]([[大砲]]や[[小銃]])を軍制の中核に据える事で戦術の大規模な変貌を来して軍隊が急激に膨張、この巨大化した軍隊を扱う戦略の再編を経てやがて歴史学で[[火薬帝国]]と呼ばれる国家体制を成立させることとなる。 ==== ペスト(黒死病)の大流行 ==== 正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に[[農奴制|農奴]]不足が続いていた[[荘園 (ヨーロッパ)|荘園制]]に大きな影響を及ぼした。[[モンゴル帝国]]の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、病原体の拡散の障壁が失われたことが、この大流行の背景にあると考えられている。 === 日本 === 14世紀の日本は、時代区分上では[[中世]]、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]の初期([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の全期間を含む)にあたる。 ==== 鎌倉時代 ==== 2度に渡る[[元寇]]を撃退し、[[得宗]]権力を強めた鎌倉[[北条氏|北条]]政権であったが、[[武士]]たちに募る恩賞の不満や[[徳政令]]の発布、[[霜月騒動]]、[[平禅門の乱]]などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。 ==== 南北朝時代・室町時代 ==== [[後醍醐天皇]]の討幕運動に[[足利尊氏]]・[[新田義貞]]ら有力[[御家人]]が参入した結果[[鎌倉幕府]]は滅亡し、後醍醐天皇は'''[[建武の新政]]'''と呼ばれる[[親政|天皇親政]]を開始する。新政は天皇が中華皇帝的な専制統治を行う方向性を志向しており、唐突な改革による混乱と恩賞のあり方などが武士のみならず公家の不満を招き、離反した尊氏が[[京都]]に[[室町幕府]]を開いて'''[[北朝 (日本)|北朝]]'''を立て、[[吉野]]に逃れた後醍醐天皇の'''[[南朝 (日本)|南朝]]'''と対立する(南北朝時代)。 その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟[[足利直義|直義]]が対立する内紛([[観応の擾乱]])が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]の時代まで続き、抗争により有力[[守護大名]]が南朝に奔るといった状態が繰り返される。[[今川貞世]]が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により'''南北朝の合一'''が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「[[康暦の政変]]」も起こっており、以後義満は1391年に[[明徳の乱]]、1399年に[[応永の乱]]を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて[[天皇]]の権威にせまる将軍権力を確立する。 ==== 近隣諸国との関係・琉球の情勢 ==== 元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、[[天龍寺船]]などの寺社造営資金の調達のための貿易船([[寺社造営料唐船]])の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには[[倭寇]]と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である[[懐良親王]]は明の使節を迎えて[[冊封]]を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「[[日本国王]]」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 一方、当時の[[朝鮮半島]]でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た[[李成桂]]が[[高麗]]王朝を倒し[[李氏朝鮮]]が成立する。 [[琉球]]では中山・南山・北山の[[三山時代]]を迎えて、いずれも明王朝に[[朝貢]]をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に[[琉球王国]]の成立にいたる。 == できごと == * [[中国]]では元朝の衰退により、明朝成立。 * 1300年頃に[[スウェーデン]]による[[フィンランド]]遠征([[北方十字軍]]の完了)。 ---- === 1300年代 === {{main|1300年代}} * 1300年 - 1350年頃 ** メキシコの[[ミシュテカ]]族による[[オアハカ州]][[モンテ・アルバン]]7号墓が造営される。 * 1301年 ** オゴデイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。 ** [[後伏見天皇]]が譲位し、第94代[[後二条天皇]]が即位。 [[北条師時]]が鎌倉幕府第10代[[執権]]に就任。 ** [[ハンガリー王国|ハンガリー国王]][[アンドラーシュ3世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ3世]]の死により[[アールパード朝]]が断絶。 ** イングランド王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]が王子エドワードに「[[プリンス・オブ・ウェールズ]]」の称号を授ける。 *** イングランド王位継承者としての「プリンス・オブ・ウェールズ」の始まり。 * 1302年 ** 教皇[[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]の回勅「[[ウナム・サンクタム]](唯一聖なる)」。 ** フランス王フィリップ4世による[[三部会]]の招集。 ** {{仮リンク|ブリュージュの朝課事件|en|Matins of Bruges}}と、続く[[金拍車の戦い]](コルトレイクの戦い)で[[フランドル]]がフランスから独立。 * 1303年 ** [[アナーニ事件]]。 ** [[マージ・アル・サファーの戦い (1303年)|マージ・アル・サファーの戦い]]で[[マムルーク朝]]が[[イルハン朝]]の[[シリア]]進軍を阻止する。 ** [[ハルジー朝]]の[[アラー・ウッディーン・ハルジー]]が[[メーワール王国]]の都[[チットールガル]]を攻撃し滅亡させる。 * 1305年 ** 元のテムル(成宗)にオゴデイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。 ** [[嘉元の乱]]([[北条宗方]]の乱)。 * 1306年 ** チャガタイ家の[[ドゥア]]がアルタイ山脈以西からオゴデイ家を追放し中央アジアを統一。 ** [[ボヘミア王国|ボヘミア国王]][[ヴァーツラフ3世 (ボヘミア王)|ヴァーツラフ3世]]の死により[[プシェミスル朝]]が断絶。 ** [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]が[[スクーン]]でスコットランド国王として戴冠する。 * 1307年 ** フランス王フィリップ4世が国内の[[テンプル騎士団]]団員を一斉に逮捕。 ** [[ドルチーノ派]]指導者[[フラ・ドルチーノ]]が異端として処刑される。 ** [[ハルジー朝]]の[[マリク・カーフール]]の南征始まる。 *** [[ヤーダヴァ朝]](1307年)、[[チャンデーラ朝]](1309年)、[[カーカティーヤ朝]](1310年)、[[ホイサラ朝]]・[[パーンディヤ朝]](1311年)に遠征、貢納を約束させる。 ** 元のテムル(成宗)死去、皇后[[ブルガン]]が監国となるも、[[コンギラト]]派に打倒され、[[カイシャン]](武宗)が皇帝となる。 ** [[ラシードゥッディーン]]が『[[集史]](ジャーミウッタワーリーフ)』を[[オルジェイトゥ]]に献呈する(補足分の完成は1314年)。 * 1308年 ** 神聖ローマ皇帝[[アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世]]が甥[[ヨーハン・パリツィーダ|ヨーハン]]に暗殺される。 ** ハンガリー国王[[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世]]が即位し、[[ハンガリー・アンジュー朝]]が成立。 ** 後二条天皇が没し、第95代[[花園天皇]]が即位。 ** [[守邦親王]]が鎌倉幕府第9代将軍となる。 ** [[ルーム・セルジューク朝]]滅亡。 * 1309年 ** [[アヴィニョン捕囚]](教皇のバビロン捕囚)。 ** [[聖ヨハネ騎士団]]が[[ロドス島]]を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。 === 1310年代 === {{main|1310年代}} * 1310年 ** [[パリ条約 (1310年)|パリ条約]]。[[ルクセンブルク家のドイツ・イタリア政策#ハインリヒ7世の時代|神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世のイタリア遠征]]( - [[1313年]])。 ** 皇帝ハインリヒ7世の子[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]が故ボヘミア王ヴァーツラフ3世の妹[[エリシュカ]]と結婚しボヘミア王に選ばれる。 * 1311年 ** [[ヴィエンヌ公会議]]。 ** イングランドの[[リンカン大聖堂]]が完成。 *** 尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。 ** [[北条宗宣]]が鎌倉幕府第11代執権に就任。 * 1312年 ** [[北条煕時]]が鎌倉幕府第12代執権に就任。 ** [[ハインリヒ7世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ7世]]がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠される。 ** [[ジェノヴァ]]の航海者{{仮リンク|ランチェロット・マルチェロ|en|Lancelotto Malocello}}が[[カナリア諸島]]に到達。 * 1314年 ** [[バノックバーンの戦い]]で、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。 ** フランスで「[[ネールの塔事件]]」が発覚する。国王フィリップ4世が死去。 * 1315年 ** [[北条基時]]が鎌倉幕府第13代執権に就任。 ** 元の[[アユルバルワダ|アユルバルワダ(仁宗)]]が[[科挙]]を復活させる({{仮リンク|延祐復科|zh|延祐復科}})。 ** [[モルガルテンの戦い]]でスイス軍がハプスブルク軍に勝利。 ** [[ニュージーランド]][[北島 (ニュージーランド)|北島]]の[[タラウェラ山]]の大規模噴火(カハロア噴火)。 * 1315年-1321年頃 ** ヨーロッパで激しい[[飢饉]]。→ [[小氷期]]。 * 1316年 ** [[北条高時]]が鎌倉幕府第14代執権に就任。 * 1317年 ** 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる([[文保の和談]])。 ** アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅「{{仮リンク|クォルムダム・エクスィギト|de|Quorundam exigit}}」により清貧論争を激化させる。 ** アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅「{{仮リンク|スポンデント・パリテル|en|Spondent Pariter}}」により[[錬金術]]を禁止。 ** [[ベネディクトゥス12世|ジャック・フルニエ]](後の教皇ベネディクトゥス12世)が南フランスの[[パミエ]]司教に就任する。 *** この時の異端審問の記録が[[エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ]]の歴史書『{{仮リンク|モンタイユー|en|Montaillou (book)}}』のもととなる。 * 1318年 ** 花園天皇が譲位し、第96代[[後醍醐天皇]]が即位。 ** イル・ハン国宰相であった[[ラシードゥッディーン]]が処刑される。 ** [[マルセイユ]]において教皇と総長に不服従を示した[[フランシスコ会]]厳格派(スピリトゥアル派)の修道士が処刑される。 * 1319年 ** [[アルメニア]]大地震で、[[アニ (トルコ)|アニ]]が壊滅的な被害。 === 1320年代 === {{main|1320年代}} * 1320年 ** [[デリー]]で[[トゥグルク朝]]が成立。 ** {{仮リンク|1320年の羊飼い十字軍|en|Shepherds' Crusade (1320)}}。 ** [[スコットランド王国|スコットランド]]で[[アーブロース宣言]]を採択、イングランドからの独立が決定的に。 * 1321年 ** [[ダンテ・アリギエーリ]]が『[[神曲]]』を完成させ、この年に死去して[[ラヴェンナ]]に葬られる。 ** 東ローマ皇帝[[アンドロニコス2世パレオロゴス|アンドロニコス2世]]に対し孫の[[アンドロニコス3世パレオロゴス|アンドロニコス]]が反乱を起こす。 * 1322年 ** {{仮リンク|ミュールドルフの戦い|en|Battle of Mühldorf}}で、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。 ** [[安東氏|安藤氏]]の内紛から[[安藤氏の乱|津軽大乱]]が発生。 * 1323年 ** [[南坡の変]]で、元の英宗が御史大夫[[テクシ]]に暗殺される。 ** トゥグルク朝の王子[[ムハンマド・ビン・トゥグルク|ウルグ・ハーン]]が南インド遠征で[[カーカティーヤ朝]]と[[パーンディヤ朝]]を滅ぼし、ホイサラ朝を再服従させる。 ** 1303年とこの年のエジプトの大地震により、[[アレクサンドリアの大灯台]]が完全に崩壊する。 * 1323年頃 ** 元から日本へ向かう[[寺社造営料唐船|東福寺造営料唐船]]が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没。 ** [[ウィリアム・オッカム]]が『{{仮リンク|論理学大全(Summa Logicae)|en|Sum of Logic}}』を執筆。 * 1324年 ** [[正中の変]]。 *** 後醍醐天皇の倒幕運動であるとの疑いがもたれ、[[土岐頼員]]が討ち死にし、[[日野資朝]]が流罪とされる。 ** [[マリ王国]]の[[マンサ・ムーサ]]の[[メッカ]]巡礼。 * 1325年 ** [[イブン・バットゥータ]]のメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり。 ** [[アステカ人]]が[[テスココ湖]]の島に都市[[テノチティトラン]]を築く。 ** パリ司教[[エティエンヌ・タンピエ]]の神学の異端的教説に関する布告が撤回される。 ** 正中の宗論にて、[[大徳寺]]の[[宗峰妙超]]が南都北嶺の学僧に勝利。 ** [[藤沢市|藤沢]]の[[清浄光寺]]が創建される。 * 1326年 ** [[嘉暦の騒動]]。 *** [[北条貞顕]]が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。 *** [[北条守時]]が鎌倉幕府第16代執権に就任。 ** [[チャガタイ・ハン国]]の東西分裂。 ** [[ウィリアム・オッカム]]が異端宣告を受ける。 * 1327年 ** 王妃[[イザベラ・オブ・フランス|イザベラ]]によりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。 ** [[ジェーラムの戦い]]で、[[ムハンマド・ビン・トゥグルク]]がチャガタイ・ハン国を撃破。 ** キプチャク・ハン国に対する[[トヴェリ蜂起]]。 ** [[パドヴァのマルシリウス]]が破門される。 ** [[ウルム]]の[[ツンフト闘争]]。 * 1328年 ** 元で{{仮リンク|天暦の変|zh|天曆之變}}。 ** フランスで[[カペー朝]]本家が断絶。分家の[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]が即位し[[ヴァロワ朝]]が始まる。 ** [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠する。この戴冠式は多くの貴族や教会の指導者たちが出席した。 ** 東ローマ皇帝アンドロニコス2世が退位させられ、孫のアンドロニコス3世が即位。 ** モスクワ公[[イヴァン1世]]が、[[ウズベク・ハン]]から[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]]の位を獲得して、[[モスクワ大公]]に昇格する。 *** キエフと全ルーシの府主教座が[[ウラジーミル (ウラジーミル州)|ウラジーミル]]から[[モスクワ]]に遷される。 ** イスラム法学者[[イブン・タイミーヤ]]がダマスクスで獄死する。 * 1329年 ** [[マイスター・エックハルト]]の著作と教説が異端宣告される。 === 1330年代 === {{main|1330年代}} * 1330年 ** イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。 * 1330年頃 ** [[卜部兼好|兼好法師]]が『[[徒然草]]』を執筆。 * 1331年 ** [[元弘の乱]]( - [[1333年]])。 *** 7月 [[元弘地震]]。この地震の罹災者から疫病が流行し、疫病封じのための[[知恩寺]]に「[[百万遍]]」の号が下賜される。 *** 8月 後醍醐天皇が[[三種の神器]]を持って[[笠置山 (京都府)|笠置山]]に入る。[[笠置山の戦い]]、[[赤坂城の戦い]]。 *** 9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代[[光厳天皇]]となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。 *** 10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。 ** 元朝で「[[至順]]2年の疫病」。 * 1332年 ** 鎌倉幕府が後醍醐天皇を[[隠岐島]]に流す。佐渡で[[日野資朝]]が、鎌倉で[[日野俊基]]が処刑される。 ** デンマーク王[[クリストファ2世 (デンマーク王)|クリストファ2世]]死去、デンマークの[[空位時代]]始まる( - 1340年)。 * 1333年 ** 鎌倉幕府の滅亡。 *** 2月 [[千早城の戦い]]。後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、[[船上山の戦い]]で幕府軍を退ける。 *** 5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧し、近江国番場[[蓮華寺 (米原市)|蓮華寺]]で幕府軍を壊滅させる。 *** 5月 新田義貞が[[鎌倉]]を陥落させる([[鎌倉の戦い]])。[[東勝寺]]で北条氏一族郎党が自害([[東勝寺合戦]])。 *** 5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と[[正慶]]の年号を廃止する。 ** [[建武の新政]]の始まり。 *** 6月 後醍醐天皇が京都に入る。足利尊氏が[[鎮守府将軍]]に、[[護良親王]]が征夷大将軍になる。 *** 7月 [[記録荘園券契所|記録所]]を復置する。 *** 9月 [[雑訴決断所]]を設置する。 * 1334年 ** [[二条河原の落書]]が書かれる。 ** [[南禅寺]]を五山の第一とする。 ** スコットランド王[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]がフランスに亡命。 * 1335年 ** [[北条時行]]が[[中先代の乱]]を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に[[護良親王]]を殺害。 ** ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによる{{仮リンク|ヴィシェグラード会議|en|Congress of Visegrád (1335)}}。 ** [[アヴィニョン教皇宮殿]]が建設される( - 1364年)。 ** イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。 * 1336年 ** 建武政権の崩壊。 *** 1月 後醍醐天皇が足利尊氏追討を命じる([[建武の乱]])。 **** [[箱根・竹ノ下の戦い]]で足利尊氏が[[結城親光]]を滅ぼす。 *** 3月 [[筑前国]]の[[多々良浜の戦い]]で足利尊氏が[[菊池武敏]]を破る。 *** 5月 [[湊川の戦い]]で足利尊氏が[[楠木正成]]を滅ぼし、新田義貞は逃亡。 *** 6月 足利尊氏が京都を制圧、[[千種忠顕]]や[[名和長年]]を滅ぼす。 **** 後醍醐天皇は[[比叡山]]で抵抗するも、[[花山院]]に幽閉される。 *** 9月 足利尊氏が擁立した北朝第2代[[光明天皇]]が即位する。 **** 光厳院が治天の君となり、[[土御門東洞院殿]]が天皇の御所となる(現在の[[京都御所]]の原型)。 *** 11月 後醍醐天皇が北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が[[是円]]・[[真恵]]兄弟を起草者として『[[建武式目]]』を定める。 *** 12月 後醍醐天皇が[[吉野]]へ逃れ[[吉野行宮]]([[吉水神社|吉水院]]ほか)を定める([[南北朝時代 (日本)|南北朝]]分立( - 1392年))。 ** [[ハリハラ1世|ハリハラ]]と[[ブッカ1世|ブッカ]]がトゥグルク朝から独立を宣言し、[[ヴィジャヤナガル王国]]を建国。 * 1337年 ** [[イングランド王国|イングランド]]と[[フランス王国|フランス]]の間で[[百年戦争]]が始まる(-[[1453年]])。 ** [[フランドル伯]]を追放した[[ヤコブ・ヴァン・アルテベルデ]]がフランドル都市連合を結成する。 * 1338年 ** 室町幕府の成立。 *** 5月 [[北畠顕家]]が[[高師直]]らと堺浦石津に戦うが敗死。 *** 7月 新田義貞が[[斯波高経]]らと越前藤島で戦うが敗死。 *** 8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍([[室町幕府]]初代将軍)とする。 ** {{仮リンク|レンゼ選帝侯会議|de|Kurverein von Rhense}}により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。 ** [[カザフスタン]]東南部の[[バルハシ湖]]から[[イシク・クル|イシク湖]]近辺のステップ地帯でペストが発生。 * 1339年 ** [[8月15日 (旧暦)|8月15日]]、後醍醐天皇が譲位し、第97代[[後村上天皇]]が即位。翌16日、後醍醐天皇が52歳で没する。 ** [[北畠親房]]が『[[神皇正統記]]』を執筆( - [[1343年]])。 ** [[福建省]][[晋江市]]に残る[[マニ教]]の寺院・草庵摩尼教寺([[中華人民共和国全国重点文物保護単位|中国国家重要文化財]])が建立される。 === 1340年代 === {{main|1340年代}} * 1340年 ** サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。 ** [[スロイスの海戦]]で、イングランド軍がフランス軍に勝利し、制海権を握る。 ** イルハン朝の[[ジハーン・テムル]]を廃し、[[タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ]]が[[ジャライル朝]]を建国。 ** [[ハールィチ・ヴォルィーニ戦争]]始まる( - [[1392年]])。 ** [[妙法院]]焼き討ち事件で[[佐々木道誉]]が[[上総]]に配流される。 * 1341年 ** [[塩冶高貞]]が高師直の讒言により討たれる。 ** [[ブルターニュ継承戦争]]( - [[1365年]])。 ** {{仮リンク|東ローマ帝位継承戦争(1341 - 1347年)|en|Byzantine civil war of 1341–1347}} *** [[ヨハネス5世パレオロゴス]]と[[ヨハネス6世カンタクゼノス]]の帝位争い。 *** この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失し、小国家へと転落。 * 1342年 ** 花園法皇が[[関山慧玄]]を開山に迎え[[妙心寺]]が創建される。 ** 東ローマ帝国の都市[[テッサロニキ]]で{{仮リンク|ゼーロータイ(熱心党)の反乱|en|Zealots of Thessalonica}}が起こる( - [[1350年]])。 * 1343年 ** {{仮リンク|ナポリ地震|en|1343 Naples earthquake}}による[[津波]]で近隣の[[アマルフィ]]市街が壊滅。 * 1344年 ** [[アラゴン連合王国|アラゴン王国]]が[[バレアレス諸島]]の[[マヨルカ王国]]を併合。 ** [[アトス山]]から来たアタナシオスにより[[メテオラ]]に修道院が作られる(後のメガロ・メテオロン修道院)。 ** [[プラハ]]の[[聖ヴィート大聖堂]]が設立され、プラハ大司教区が置かれる。 ** [[至正]]4年の[[黄河]]大氾濫({{仮リンク|1344年の黄河大氾濫|en|1344 Yellow River flood}})。 * 1345年 ** 足利尊氏が[[夢窓疎石]]を開山に迎え[[天龍寺]]が創建される。 ** イブン・バトゥータが[[泉州]]から上陸し、大都で元の[[トゴン・テムル]](順帝)に会う。 * 1346年 ** [[クレシーの戦い]]。 ** [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]が「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。 ** オスマン朝の[[オルハン]]が東ローマ皇帝ヨハネス6世の娘{{仮リンク|テオドラ(オルハンの妻)|en|Theodora Kantakouzene (wife of Orhan)}}を妻に迎える。 ** [[デンマーク]]王[[ヴァルデマー4世 (デンマーク王)|ヴァルデマー4世]]が[[エストニア]]を[[ドイツ騎士団]]に売却する。 * 1347年 ** ジョチ・ウルスの[[ジャーニー・ベク]]による[[フェオドシヤ|カッファ]]包囲戦。 *** カッファは[[黒海]]北岸[[クリミア半島]]の[[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]の植民都市で、この戦いからヨーロッパ最初のペスト感染が確認される。 ** ヨーロッパにおける[[ペスト]][[パンデミック|大流行]]。 *** ペストの感染は南イタリアからアルプスを超えて全域に拡大、ヨーロッパや[[北アフリカ]]の人口が激減( - [[1351年]])。 ** [[カレー包囲戦 (1346年-1347年)|カレー包囲戦]]により[[カレー (フランス)|カレー市]]がイングランド軍に降伏(「[[カレーの市民]]」)。 ** ハンガリー王[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]がナポリ女王[[ジョヴァンナ1世]]を追放、都ナポリを占領([[ラヨシュ1世のナポリ遠征]])。 * 1348年 ** 南アルプスの[[フリウリ]]地方から[[ケルンテン]]地方に至る{{仮リンク|1348年大地震|en|1348 Friuli earthquake}}発生。[[フィラッハ]]で最大級の被害。 ** [[四條畷の戦い]]で、[[高師直]]が[[楠木正行]]を敗死させる。南朝の[[吉野行宮]]が攻撃され、後村上天皇は[[賀名生]]行宮に退避。北朝第3代[[崇光天皇]]が即位する。 ** [[浙江]]で[[方国珍]]の乱が起こる。 ** イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。[[ガーター勲章]]も制定。 ** 神聖ローマ皇帝カール4世の命で[[プラハ大学]](現カレル大学)が設立される。 ** [[ニュルンベルク]]の[[ツンフト闘争]]( - [[1349年]])。 * 1349年 ** 足利尊氏の四男[[足利基氏|基氏]]が初代[[鎌倉公方]]として下向。 ** 京都四条河原で「([[貞和]]5年の)桟敷崩れの勧進[[田楽]]」。 ** [[セルビア]]で「[[ドゥシャン法典]]」が公布される。 ** 教皇[[クレメンス6世 (ローマ教皇)|クレメンス6世]]が「[[鞭打ち苦行|鞭打ち苦行者]]」({{仮リンク|フラゲラント|en|Flagellant}})を非難し禁圧する回勅を布告。 === 1350年代 === {{main|1350年代}} * 1350年 ** [[タイ王国|タイ]]で[[アユタヤ王朝]]成立。 ** 室町幕府で足利直義と高師直との抗争が勃発([[観応の擾乱]] - 1352年)。 * 1351年 ** [[紅巾の乱]]。 ** 高師直らが族滅され、尊氏と直義の対立が激化。[[正平の一統]]により北朝の[[崇光天皇]]が廃位される。 ** 東ローマ皇帝[[ヨハネス6世カンタクゼノス]]主催の教会会議で[[静寂主義]](ヘシュカスム)の教義が勝利する。 * 1352年 ** 足利直義が急死する。[[八幡の戦い]]により南朝が京都から脱出し、正平の一統が崩壊。 *** [[広義門院]]寧子が治天の君の代行となり、北朝第4代[[後光厳天皇]]が即位。 ** フランス王ジャン2世が、{{仮リンク|エトワール騎士団|fr|Ordre de l'Étoile (France)}}を創設する。 * 1353年 ** [[トガ・テムル]]が殺害され、[[イルハン朝]]が滅亡する。 ** [[ラオス]]初の統一王朝である[[ラーンサーン王国]]が成立する。 * 1354年 ** [[マルマラ海]]沿岸の[[ガリポリ]]で大地震、これに乗じてオスマン帝国の[[オルハン]]が東ローマ帝国から奪取([[ガリポリ陥落]])。 * 1355年 ** ヴェネツィア元首([[ドージェ]])[[マリーノ・ファリエロ]]のクーデターが失敗に終わる * 1356年 ** [[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]によって、帝国の基本的な体制を規定する[[金印勅書]]が発布される。 ** [[ポワティエの戦い]]。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。 ** [[アトス山]]出身の修道士アナスタシオスが、[[メテオラ]]のメガロ・メテオロン修道院を創設する。 ** 元朝で[[中国の貨幣制度史#元|交鈔]]が廃止になる。[[朱元璋]]が集慶路([[南京]]・[[金陵]])を占領し[[応天府]]と改め根拠地とする。 * 1357年 ** ポルトガル国王[[ペドロ1世 (ポルトガル王)|ペドロ1世]]の即位。惨殺された愛妾[[イネス・デ・カストロ]]を王妃として復権させる。 * 1358年 ** [[足利義詮]]が室町幕府第2代将軍となる。 ** [[エティエンヌ・マルセル]]の乱、[[ジャックリーの乱]]。 ** 商人ハンザと都市ハンザの統合で[[ハンザ同盟|ハンザ都市同盟]]が正式に発足。 ** [[ドゥブロヴニク]]を中心とする[[ラグサ共和国]]がハンガリー王国から独立する。 * 1359年 ** [[ジョチ・ウルス]]、君主([[ハーン|ハン]])乱立時代に入る( - 1378年)。 ** [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](建設公)が[[オーストリア大公]]を自称。また同年、[[ウィーン]]に[[シュテファン大聖堂]]を建立。 ** [[筑後川の戦い]]で九州における南朝側が優位に立つ。 === 1360年代 === {{main|1360年代}} * 1360年 ** [[ブレティニー条約]](ブレティニ・カレー条約)が結ばれる。 *** イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王の[[ガスコーニュ]]・[[ギュイエンヌ]]領有をフランス王は承認。 * 1361年 ** 康安の変で、幕府執事[[細川清氏]]が[[佐々木道誉]]らにより失脚させられる。 ** [[スコータイ朝]]の[[リタイ]]王が[[スリランカ]]から高僧を招き出家する。 *** これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。 * 1362年 ** デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)。 * 1363年 ** ヴァロワ家の[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]が[[ブルゴーニュ公]]となる([[ブルゴーニュ公国]]の成立)。 ** ルドルフ4世が[[チロル]]伯領を奪取。 ** [[鄱陽湖の戦い]]。 * 1364年 ** [[アヴィニョン教皇庁|アヴィニョン教皇宮殿]]が完成する(1335年 - )。 ** ポーランド最古の[[クラクフ大学]](ヤギェウォ大学)が創建される。 * 1365年 ** 元で皇太子[[アユルシリダラ]]と結んだ将軍[[ココテムル]]が[[ボロト・テムル]]政権を倒す。 ** オーストリア公ルドルフ4世が[[ウィーン大学]]を創設する。 * 1366年 ** オスマン帝国のムラト1世が[[ブルサ]]から[[エディルネ]]に遷都。 ** [[貞治の変]]で、幕府執事[[斯波義将]]とその父[[斯波高経]]が佐々木道誉らに失脚させられる。 ** カスティーリャ王[[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]]が庶兄[[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ]]に追放される([[第一次カスティーリャ継承戦争]]の始まり)。 * 1367年 ** [[ナヘラの戦い]]で、エドワード黒太子の協力によりペドロ1世がカスティーリャ王に復帰。 ** フランス王シャルル5世による王室文庫が設立される([[フランス国立図書館]]の始まり)。 * 1368年 ** [[摂津国]][[住吉行宮]]で後村上天皇が死去し、第98代[[長慶天皇]]が即位。 ** 足利義満が室町幕府第3代将軍となる。 [[寺社本所領事|応安の半済令]]施行。 ** [[朱元璋]]が[[応天府]](南京)にて[[明]]朝を建て、[[一世一元の制]]のもと[[洪武帝]]となる。 *** 明軍の北伐により元朝の順帝は大都を捨て、漠北に逃れる([[北元]])。 ** [[アウクスブルク]]の[[ツンフト闘争]]が成功する。 * 1369年 ** [[モンティエルの戦い]]でカスティーリャ王ペドロ1世が殺害される。 *** 殺害したトラスタマラ伯エンリケが[[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]]として王位に就く([[トラスタマラ朝]]の成立)。 ** ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯[[マルグリット3世 (フランドル女伯)|マルグリット3世]]の結婚。 ** 南朝方の[[左兵衛督]][[楠木正儀]]が北朝方に出奔する。 ** 日本最大の[[板碑]]である[[野上下郷石塔婆]]([[埼玉県]][[秩父郡]][[長瀞町]])が建立される。 === 1370年代 === {{main|1370年代}} * 1370年 ** [[ティムール]]がアミール・フサインを倒し[[バルフ]]を占領、さらに[[サマルカンド]]に遷都。 *** 西チャガタイ=ハン国の「キュレゲン」として、マー・ワラー・アンナフルを統一。 ** [[リモージュ]]の虐殺。 ** [[シュトラルズントの和議 (1370年)|シュトラールズント条約]]がデンマークと[[ハンザ同盟]]の間で結ばれる。 ** 北元の順帝(トゴン・テムル)が[[応昌|応昌府]]にて死去。 *** 息子の[[アユルシリダラ]]が即位し、[[カラコルム]]に移動。 *** 応昌府が明によって攻略され、「元主嫡孫」[[マイダリ・バラ]]が捕虜となる。 * 1371年 ** 明の洪武帝による[[海禁]]令。 ***「[[日本国王]]良懐」が明に遣使し、[[冊封]]を受ける。 ** 後光厳天皇が譲位し、北朝第5代[[後円融天皇]]が即位する。 ** 現存最古の『[[古事記]]』の写本が[[大須観音|真福寺(大須観音)]]の僧賢瑜により筆写される。 ** スコットランド王[[ロバート2世 (スコットランド王)|ロバート2世]]が即位して、[[ステュアート朝]]が始まる。 ** [[マリツァの戦い (1371年)|マリツァ川の戦い]]で、オスマン帝国軍がセルビア諸侯連合軍を撃破する。 *** 戦後まもなくセルビア皇帝[[ステファン・ウロシュ5世 (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ5世]]が急逝し、[[ネマニッチ朝]]は断絶。 * 1372年 ** [[万里の長城]]の最西端にある[[嘉峪関]]を設置する。 ** [[九州探題]][[今川貞世|今川了俊]]により[[太宰府]]陥落、[[懐良親王]]と[[菊池武光]]らを追う。 * 1373年 ** [[英葡永久同盟]]。 ** 北朝軍が南朝の河内[[金剛寺 (河内長野市)|天野行宮]]を攻略。 ** 明の洪武帝が『祖訓録』を頒布。 * 1375年 ** [[アステカ王国]]の成立。 ** [[八聖人戦争]]で、フィレンツェとローマ教皇庁が戦う。 ** 「{{仮リンク|カタロニア地図|en|Catalan Atlas}}([[フランス国立図書館]]蔵)」が作成される。 ** マムルーク朝が[[キリキア・アルメニア王国]]を滅ぼす。 ** 明で歴史上最大の紙幣である[[大明宝鈔]]が発行される。 * 1375年頃 ** [[チムー王国]]が[[トゥクメ]]の[[シカン文化]]圏を征服する。 * 1376年 ** イングランドで「[[善良議会]]」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。 ** [[シュヴァーベン]][[都市同盟]]が[[ウルム]]で結ばれる。 ** [[空印事件|空印の案]]。 * 1377年 ** イングランドで「{{仮リンク|悪政議会|en|Bad Parliament|}}」が招集される。エドワード3世が死去し、孫の[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]が国王に即位。 ** ヴェネツィアで世界最初の「海上[[検疫]]」が行われる。 ** 教皇[[グレゴリウス11世 (ローマ教皇)|グレゴリウス11世]]がアヴィニョンからローマに帰還。 ** [[イブン・ハルドゥーン]]が『助言書』の第一部「[[歴史序説]](ムカディマ)」を執筆。 ** ジャワ島中東部の[[マジャパヒト王国]]がスマトラ島の[[シュリーヴィジャヤ王国]]を征服する。 * 1378年 ** [[花の御所]]の造営開始。 ** 神聖ローマ皇帝カール4世がパリのフランス王シャルル5世を訪問。この訪問は両国間の政治的・文化的な交流を深める目的があり、多くの議題が話し合われた。この年に皇帝カール4世が死去。 ** ローマとアヴィニヨンで教皇が分立し、[[教会大分裂]]([[シスマ]])。 ** [[フィレンツェ]]で[[チョンピの乱]]が起きる。 ** [[モスクワ府主教]]位をめぐる{{仮リンク|ミチャイ|ru|Михаил (наречённый митрополит Киевский) }}事件。 * 1379年 ** [[康暦の政変]]で、[[管領]][[細川頼之]]が[[斯波義将]]らに失脚させられる。 === 1380年代 === {{main|1380年代}} * 1380年 ** [[クリコヴォの戦い]]で[[ルーシ]]諸侯連合軍がジョチ・ウルスに勝利。 ** [[キオッジャの戦い]]でヴェネツィアがジェノヴァに勝利し覇権を確立する。 ** [[胡惟庸の獄]]。洪武帝が[[中書省]]を廃止し、[[六部]]を皇帝の直属とする。[[五軍都督府]]の設置。 * 1381年 ** イングランドで[[ワット・タイラー]]に率いられた[[農民]]・[[労働者]]が[[暴動]]を起こす([[ワット・タイラーの乱]])。 ** 明で全国に[[里甲制]]を導入し、魚鱗図冊・[[賦役黄冊]]の作成を行う。万里の長城の最東端にある[[山海関]]が整備される。 ** [[雲南省|雲南地方]]の[[梁王国|梁王]][[バツァラワルミ]]が明に滅ぼされる。 ** オスマン帝国の[[ムラト1世]]が東ローマ帝国を属国とする。 * 1382年 ** 明で[[錦衣衛]]が創設される。 ** 足利義満により[[相国寺]]が創建される。北朝第6代[[後小松天皇]]が即位する。 ** ポーランドの[[チェンストホヴァ]]の[[ヤスナ・グラ修道院]]に「[[ヤスナ・グラの聖母|黒い聖母]]」が納められる。 ** [[ウエストミンスター大聖堂]]で、イギリス王リチャード2世と神聖ローマ皇女[[アン・オブ・ボヘミア|アン]]の成婚が行われる。 ** ナポリ女王[[ジョヴァンナ1世]]が暗殺され、アンジュー家傍流の[[カルロ3世 (ナポリ王)|カルロ3世]]が即位。 ** [[サーリフ・ハーッジー|ハーッジー2世]]を廃位した[[バルクーク]]が[[マムルーク朝]]の君主となる([[バフリー・マムルーク朝]]から[[ブルジー・マムルーク朝]]へ)。 * 1383年 ** 長慶天皇が譲位し、第99代[[後亀山天皇]]が即位。 * 1385年 ** [[ポーランド王国]]と[[リトアニア大公国]]が[[クレヴォの合同]]を結ぶ。 ** [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]が[[アヴィス朝]]を創始。[[アルジュバロタの戦い]]で[[カスティーリャ王国]]軍撃破。 ** [[カンブレー二重結婚]]。 * 1386年 ** [[ポーランド・リトアニア合同|ポーランド・リトアニア連合王国]]成立([[ヤギェウォ朝]])。 ** {{仮リンク|ゼンパッハの戦い|en|Battle of Sempach}}でスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。 ** フランスでカルージュ対ル・グリ事件([[最後の決闘裁判]])。 ** イングランドで「{{仮リンク|驚嘆議会|en|Wonderful Parliament}}」が召集される。 ** [[南禅寺]]を首位とし[[京都五山|京都]]・[[鎌倉五山|鎌倉]]を並立させる[[五山|五山制度]]が成立する。 * 1388年 ** [[ブイル・ノールの戦い|ブイル・ノール湖畔の戦い]]で明が北元に勝利。 *** 逃亡した[[トグス・テムル]](天元帝)が殺害され、王子ディボド([[地保奴]])は[[琉球]]に配流される。 *** 北元で[[クビライ]]家の皇帝(ハーン)が断絶し、[[アリクブケ]]家に帝位が移る。 ** イングランドで「[[非情議会|無慈悲議会]]」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。 ** {{仮リンク|バイヨンヌ条約 (1388年)|label=バイヨンヌ条約|en|Treaty of Bayonne (1388)}}により[[トラスタマラ朝]]カスティーリャ王国が再統一される。 ** [[威化島回軍]]により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。 * 1389年 ** [[コソヴォの戦い]]で、オスマン帝国が[[セルビア]]を従属させる。 *** オスマン帝国のムラト1世が謁見の際にセルビア人貴族[[ミロシュ・オビリッチ]]に暗殺される。 ** [[ファルシェーピング]]の戦いで、デンマーク=ノルウェー摂政マルグレーテが勝利し、[[メクレンブルク家]]のスウェーデン王[[アルブレクト]]を廃位する。 === 1390年代 === {{main|1390年代}} * 1390年 ** [[熊野新宮]]の[[遷宮]]で現存最古の「古神宝類([[国宝]])」が奉納される。 ** 朱元璋が雲南地方を明に併合し、雲南布政司を置く。 ** [[李善長の獄]]。 * 1391年 ** [[明徳の乱]]で、[[山名氏清]]が幕府軍に討たれる。 * 1392年 ** 高麗の[[恭譲王]]を廃位した[[李成桂]]が王となり[[李氏朝鮮]]を建国。 ** [[明徳の和約]]による南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代[[後小松天皇]]に渡す。 ** フランス国王シャルル6世が発狂する。 ** [[モスクワ大公]][[ヴァシーリー1世]]がニジニー・ノヴゴロド・スーズダリ公国を併合する。 ** [[チベット仏教]]の僧[[ツォンカパ]]が「ガワドン(dga ba gdong)の啓示」を受ける。 * 1393年 ** オスマン帝国の[[タルノヴォ]]征服により[[第二次ブルガリア帝国]]が滅亡する。 ** フランスで「[[燃える人の舞踏会]]」事件。 ** [[藍玉の獄]]。 * 1394年 ** 足利義満が将軍職を第4代[[足利義持]]に譲り、[[太政大臣]]となる。 ** [[李成桂]]が[[開京]](開城)から[[漢陽]](漢城、今の[[ソウル]])に遷都。 * 1395年 ** [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]が神聖ローマ皇帝[[ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)|ヴェンツェル]]からミラノ公の称号を授かる([[ミラノ公国]]の成立)。 ** テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスの[[トクタミシュ]]に勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都[[サライ (都市)|サライ]]を破壊。 * 1396年 ** [[ニコポリスの戦い]]で、オスマン帝国がキリスト教諸国同盟軍を撃破する。 * 1397年 ** [[カルマル同盟]]成立し、[[デンマーク]]が盟主となる。 ** 足利義満が北山山荘(その一部が現在の[[鹿苑寺]]金閣)の造営を始める。 * [[1398年]] ** [[ティムール]]の[[ティムールの征服戦争#インド遠征|インド北部侵攻]]。[[トゥグルク朝]]を敗走させティムールは[[デリー]]に入城。 ** [[リューネブルク]]と[[リューベック]]を結ぶ[[塩街道]]に{{仮リンク|シュテックニッツ運河|de|Stecknitzkanal}}が開通する。 * 1399年 ** [[靖難の変]]で、燕王[[朱棣]]が[[建文帝]]に対し兵を上げる。 ** 李氏朝鮮に、[[大内義弘]]自らが[[百済]]の後裔だと主張し、土地割譲求める。 ** [[応永の乱]]で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟[[大内弘茂]]降伏。 ** イングランド王リチャード2世が廃位され、[[ヘンリー4世]]が即位して[[ランカスター朝]]が成立。 === 1400年代 === {{main|1400年代}} * 1400年 ** ベトナムで[[胡季犛]]が[[陳朝]]を滅ぼし[[胡朝]]初代君主となる。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== ローマ教皇 ==== * [[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]([[1235年]] - [[1303年]]) - ローマ教皇(在位[[1294年]] - [[1303年]])・フランス王と争いアナーニ事件後に憤死 * [[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]([[1264年]] - [[1314年]]) - ローマ教皇(在位[[1305年]] - [[1314年]])・教皇庁を[[アヴィニョン]]に移転する * [[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]([[1244年]]? - [[1334年]]) - ローマ教皇(在位[[1316年]] - [[1334年]])・清貧論争や聖職禄問題に介入 * [[ベネディクトゥス12世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス12世]]([[1285年]] - [[1342年]]) - ローマ教皇(在位[[1334年]] - [[1342年]])・[[異端審問]]官としても業績を残す・[[アヴィニョン教皇庁|教皇宮殿]]建設に着手 * [[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]([[1318年]] - [[1389年]]) - ローマ教皇(在位[[1378年]] - [[1389年]])・教会大分裂のローマ派初代 * [[クレメンス7世 (対立教皇)|クレメンス7世]]([[1342年]] - [[1394年]]) - ローマ教皇(対立教皇)(在位[[1378年]] - [[1394年]])・教会大分裂のアヴィニョン派初代 ==== フランス・フランドル ==== * [[マルグリット・ポレート]](? - [[1310年]]) - 神秘思想家・[[ベギン会]]の女性・{{仮リンク|自由心霊派|en|Brethren of the Free Spirit}}に属し異端者として[[パリ]]で火刑に処される・主著は『純粋な魂の鏡』 * [[ジャック・ド・モレー]]([[1244年]]? - [[1314年]]) - [[テンプル騎士団]]の最後の総長・[[ヴィエンヌ公会議]]の決定で処刑される * [[ギヨーム・ド・ノガレ]]([[1260年]] - [[1313年]]) - フランス王フィリップ4世の政治顧問・法曹家・アナーニ事件や教皇庁アヴィニヨン移転で活躍 * [[ベルナール・ギー]]([[1261年]]/[[1262年]] - [[1331年]]) - フランスのドミニコ会士・[[異端審問]]官・『異端審問の実務』の他に多くの教会文書を編纂 * [[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]](端麗王)([[1268年]] - [[1314年]]) - フランス王(在位[[1285年]] - [[1314年]])・三部会を招集・アナーニ事件では教皇権を抑える * [[ゲルソニデス]]([[1288年]] - [[1344年]]) - フランスのユダヤ人思想家・[[マイモニデス]]を継承した理性主義を提唱・主著は『主の戦い』 * [[ヤコブ・ヴァン・アルテベルデ]]([[1290年]]頃 - [[1345年]]) - フランドル都市連合の指導者・百年戦争初期に親仏派の[[フランドル伯]]を追放しイギリスに接近 * [[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]([[1293年]] - [[1350年]]) - [[ヴァロワ朝]]初代のフランス王(在位[[1328年]] - [[1350年]])・百年戦争では[[クレシーの戦い]]で敗北 * ヤン・ヴァン・ルースブルック([[1293年]] - [[1381年]]) - フランドルの修道士・神秘主義者・『霊的婚姻』『燦めく石』『最高の真理について』がある * [[ジャン・ビュリダン]]([[1295年]]頃 - [[1358年]]) - フランスの聖職者・哲学者として「[[インペトゥス理論]]」を展開・「[[ビュリダンのロバ]]」でも有名 * [[ギー・ド・ショーリアック]]([[1298年]] - [[1368年]]) - フランスの外科医・アヴィニョン教皇歴代の侍医で[[黒死病]]に遭遇する・『大外科書』を著した * [[ギヨーム・ド・マショー]]([[1300年]]頃 - [[1377年]]) - フランスの[[アルス・ノーヴァ]]の作曲家・詩人・「[[ノートルダム・ミサ曲]]」が有名 * [[エティエンヌ・マルセル]]([[1315年]] - [[1358年]]) - パリ市長・王太子シャルルと対立し百年戦争の間にパリを支配・ジャックリーの乱とも合流 * {{仮リンク|ギョーム・カルル|en|Guillaume Cale}}(? - [[1358年]]) - フランスの農民・[[ジャックリーの乱]]の指導者・ナバラ王シャルルに敗れ処刑される * [[ベルトラン・デュ・ゲクラン]]([[1320年]] - [[1380年]]) - フランスの軍人・国王シャルル5世に仕え百年戦争初期に活躍・フランスの劣勢を挽回 * [[ニコル・オレーム]]([[1323年]] - [[1382年]]) - フランスの聖職者・科学者として『天体地体論』を執筆・国王側近として貨幣改革の理論家として活躍 * [[ニコラ・フラメル]]([[1330年]] - [[1418年]]) - パリの出版業者・[[錬金術]]師として「[[賢者の石]]」を発見したとされ『象形寓意の図』の作者に仮託される * [[ジャン・フロワサール]]([[1337年]]頃 - [[1405年]]頃) - [[フランドル]]出身の年代記作家・『年代記』は百年戦争前半における重要な史料 * [[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]](賢明王)([[1338年]] - [[1380年]]) - ヴァロワ朝のフランス王(在位[[1364年]] - [[1380年]])・ブレティニ・カレー条約で領土奪回 * [[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ2世]](豪胆公)([[1342年]] - [[1404年]]) - [[ヴァロワ家]]の初代[[ブルゴーニュ公]](在位[[1363年]] - [[1404年]])・婚姻によりフランドルを継承 * [[ロクス]]([[1348年]] - [[1376年]]([[1295年]] - [[1327年]]説もあり)) - フランス南部[[モンペリエ]]出身の信仰者・[[黒死病]]に対する守護聖人として崇敬される ==== イタリア ==== * [[ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ]]([[1246年]] - [[1328年]]) - イタリア生まれの宣教師・インドを経て中国で宣教を行い[[大都]]大司教となる * [[ディーノ・コンパーニ]]([[1255年]] - [[1324年]]) - フィレンツェの政治家・商人・年代記作者として黒派と白派の対立を描く『年代記』を執筆 * [[アバノのピエトロ]]([[1257年]]頃 - [[1315年]]頃) - [[パドヴァ大学]]医学部教授・哲学者・占星術師・異端者の疑いをかけられ獄死する * [[ダンテ・アリギエーリ]]([[1265年]] - [[1321年]]) - フィレンツェの政治家・哲学者・詩人・『[[神曲]]』や『[[新生 (詩集)|新生]]』のほか『[[俗語論]]』も執筆 * [[ジョット・ディ・ボンドーネ]]([[1267年]]頃 - [[1337年]]) - フィレンツェの[[ゴシック]]期の画家・彫刻家・建築家・[[ルネサンス]]の先駆者とされる * {{仮リンク|チェゼーナのミカエル|en|Michael of Cesena}}([[1270年]]頃 - [[1342年]]) - [[フランシスコ会]]総長・修道会の福音的清貧をめぐって教皇ヨハネス22世と争う * [[パドヴァのマルシリウス]]([[1275年]]/[[1280年]]/[[1290年]] - [[1342年]]/[[1343年]]) - イタリアの哲学者・神学者・『平和の擁護者』の著者 * [[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]]([[1276年]]/[[1280年]] - [[1348年]]) - フィレンツェの銀行家・歴史家・『新年代記』で同時代の経済発展と危機を記録 * [[カストルッチョ・カストラカーニ]]([[1281年]] - [[1328年]]) - [[ルッカ]]の[[コンドッティエーレ|傭兵隊長]]・[[トスカナ]]地方の覇権を握る・マキャヴェッリの『カストルッチョ伝』でも有名 * [[シモーネ・マルティーニ]]([[1284年]]頃 - [[1344年]]) - シエナのゴシック期の画家・アヴィニョンでも活躍し[[国際ゴシック]]の先駆者とされる * [[マリーノ・ファリエロ]] ([[1285年]] - [[1355年]]) - [[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]の元首・世襲君主になる政変を起こすが失敗し処刑される * [[オドリコ|ポルデノーネのオドリコ]]([[1286年]] - [[1331年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・インドから中国まで歴訪し『東洋旅行記』を残す * [[ジョヴァンニ・デ・マリニョーリ]]([[1290年]]? - [[1357年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・宣教師として元朝に赴き順帝に会見 * [[シモン・ボッカネグラ]](? - [[1363年]]) - [[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]初代総督・平民派政権を樹立するが毒殺される・オペラの主人公としても有名 * [[フランチェスコ・ペトラルカ]]([[1304年]] - [[1374年]]) - イタリアの人文主義者・古典学者・[[桂冠詩人]]・『アフリカ』『凱旋』の著者 * {{仮リンク|ジル・デ・アルボルノス|en|Gil Álvarez Carrillo de Albornoz}}([[1310年]] - [[1367年]]) - スペイン出身の枢機卿・アヴィニョン教皇に従いイタリア各地の僭主を平定し教皇領を回復 * [[ジョバンニ・ボッカチオ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - フィレンツェの古典学者・[[作家]]・ペストの時代を活写した『[[デカメロン]]』がある * [[コーラ・ディ・リエンツォ]]([[1313年]]? - [[1354年]]) - ローマの政治家・[[護民官]]を名乗り教皇不在のローマ復興を唱えるが処刑される * [[ジョン・ホークウッド]]([[1320年]] - [[1394年]]) - イングランド出身の傭兵隊長・百年戦争に参加したのちにイタリア諸都市の抗争に介入 * [[フランチェスコ・ランディーニ]]([[1325年]] - [[1397年]]) - イタリアの作曲家・詩人・盲目ではあったが「[[トレチェント音楽]]」を大成・「春は来たりぬ」他がある * [[コルッチョ・サルターティ]]([[1331年]] - [[1406年]]) - フィレンツェの政治家(書記官長)・人文主義者・古典復興を行い『専制君主論』を執筆 * {{仮リンク|フランコ・サッケッティ|en|Franco Sacchetti}}([[1335年]]頃 - [[1400年]]頃) - フィレンツェの商人・物語作家・『三百小話集(Trecent novelle)』を執筆 * [[フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ]]([[1335年]]頃 - [[1410年]]) - [[プラート]]の商人・15万通にも及ぶ「ダティーニ文書」を残す * {{仮リンク|バルダッサーレ・ボナイウティ|en|Baldassarre Bonaiuti}}([[1336年]] - [[1385年]]) - フィレンツェの政治家・歴史家・著作『フィレンツェ年代記』では黒死病の状況を記録 * {{仮リンク|ミケーレ・ディ・ランド|en|Michele di Lando}}([[1343年]]頃 - [[1401年]]) - フィレンツェの政治家(正義の旗手)・梳毛工による[[チョンピの乱]]を指揮 * [[シエナのカタリナ]]([[1347年]] - [[1380年]]) - ドミニコ会第三会員の在俗修道女・教皇のアヴィニョンからローマへの帰還を促す・後に列聖 * [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]([[1351年]] - [[1402年]]) - [[ヴィスコンティ家]]の初代ミラノ公(在位[[1395年]] - [[1402年]]) ==== 神聖ローマ帝国 ==== * [[マイスター・エックハルト]]([[1260年]]頃 - [[1328年]]頃) - ドイツの神学者・[[ドイツ神秘主義|神秘主義]]者・異端宣告を受ける・著作に『神の慰めの書』など * [[ハインリヒ7世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ7世]]([[1275年]] - [[1313年]]) - [[ルクセンブルク朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1308年]] - [[1313年]])・[[イタリア遠征]]を敢行し詩人ダンテに称賛される * [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]([[1282年]] - [[1347年]]) - [[ヴィッテルスバッハ朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1314年]] - [[1347年]])・レンゼ選帝侯会議を開催 * ハインリヒ・ゾイゼ([[1295年]]頃 - [[1366年]]) - ドイツのドミニコ会士・神秘主義者・キリストの受難の観想を勧め苦行を実践・説教者としても活躍 * ヨハネス・タウラー([[1300年]] - [[1361年]]) - ドイツのドミニコ会士・神秘主義者・日常生活での魂の救済を掲げた「神の友」の運動を推進する * ヨハネス・ハドラウブ([[13世紀]]末 - [[1340年]]) - ドイツの詩人・ミンネザンガー・中世盛期の宮廷詩人選集『[[マネッセ写本]]』の編者と目される * [[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]([[1316年]] - [[1378年]]) - [[ルクセンブルク朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1355年]] - [[1378年]])・「金印勅書」を発布し[[七選帝侯]]を定める * [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](建設公)([[1339年]] - [[1365年]]) - [[ハプスブルク家]]のオーストリア公・「大公」の詐称やウィーンの整備で有名 * [[ティル・オイレンシュピーゲル]]([[1300年]]? - [[1350年]]?) - ドイツのクナイトリンゲン出身の[[トリックスター]]・民衆本の伝説で有名 ==== イングランド ==== * [[オッカムのウィリアム]]([[1285年]] - [[1347年]]) - イングランドのフランシスコ会士・後期スコラ学(唯名論)の神学者・哲学者 * {{仮リンク|ハンポールのリチャード・ロール|en|Richard Rolle}}([[1300年]]頃 - [[1349年]]) - イングランドの隠修士・神秘家・著作に『愛の炎』『生のかたち』がある * {{仮リンク|ブロムヤードのジョン|en|John Bromyard}}(? - [[1352年]]頃) - イングランドのドミニコ会士・書物の収集と編纂に優れ『説教大全』を著す * [[エドワード3世]]([[1312年]] - [[1377年]]) - イングランド王(在位[[1327年]] - [[1377年]])・百年戦争を引き起こす・別名は「羊毛商人王」 * [[ジョン・ウィクリフ]]([[1320年]]頃 - [[1384年]]) - [[オックスフォード大学]]教授・その教説から[[ロラード派]]が展開し[[宗教改革]]の先駆者となる * [[エドワード黒太子]]([[1330年]] - [[1376年]]) - イングランドのエドワード3世の王太子・[[クレシーの戦い]]やポワティエの戦いで勝利 * {{仮リンク|ウィリアム・ラングランド|en|William Langland}} ([[1332年]] – [[1386年]]頃) - イングランドの[[詩人]]・社会風刺を含んだ宗教詩『農夫ピアズの夢』を執筆 * [[ワット・タイラー]](? - [[1381年]]) - イングランドの農民・[[ワット・タイラーの乱]]の指導者・ロンドン市長により暗殺される * [[ジョン・ボール]]([[1338年]]頃 - [[1381年]]) - イングランドの司祭・ウィクリフの影響を受けワット・タイラーの乱では精神的指導者となる * {{仮リンク|ウォルター・ヒルトン|en|Walter Hilton}}([[1340年]]/[[1345年]] - [[1396年]]) - イングランドの神秘主義者・著作に『[[完徳]]の階梯』『天使の歌』がある * [[ジェフリー・チョーサー]]([[1343年]]頃 - [[1400年]]) - イングランドの詩人・巡礼途上の様々な人々が語らう『[[カンタベリー物語]]』を執筆 * [[ノリッジのジュリアン]]([[1342年]] - [[1413年]]?) - イングランドの女性神秘家の系統・幻視による著作『神の愛の十六の啓示』が有名 * [[ジョン・マンデヴィル]](生没年不詳) - イングランドの著作家・幻想と奇談で知られる『東方旅行記』を書く・架空人物説もある ==== スコットランド ==== * [[ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス]]([[1266年]]? - [[1308年]]) - スコットランドの[[フランシスコ会]]士・後期[[スコラ学]](実在論)の[[神学者]]・精妙博士 * [[ウィリアム・ウォレス]]([[1272年]]頃 - [[1305年]]) - スコットランドの愛国者・イングランドによるスコットランド支配に抵抗 * [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]([[1274年]] - [[1329年]]) - スコットランド国王(在位[[1306年]] - [[1329年]])・[[第一次スコットランド独立戦争|独立戦争]]に勝利・[[アーブロース宣言]]を採択 ==== 東ローマ帝国 ==== * テオドロス・メトキテス([[1270年]] - [[1332年]]) - 東ローマ帝国宰相・[[パレオロゴス朝ルネサンス|パレオロゴス時代]]の建築を代表する[[カーリエ博物館|コーラ修道院]]の増改築を行う * ヨハネス・ククゼレス([[1280年]]頃 - [[1360年]]) - 東ローマ帝国の音楽家・カロフォニーと呼ばれる詠唱法を大成・「光栄讃詞」などの作品がある * カラブリアのバルラアム([[1290年]]頃 - [[1348年]]) - 南イタリアのギリシア人神学者・静寂主義論争では反対派の中心となり後年はカトリックに改宗 * [[ヨハネス6世カンタクゼノス]]([[1295年]] - [[1383年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1347年]] - [[1354年]])・帝位継承争いで国土を消耗・『歴史』を残す * [[グレゴリオス・パラマス]]([[1296年]] - [[1359年]]) - [[アトス山]]の修道士・[[テッサロニキ|テサロニケ]]大主教・神学者として[[静寂主義]]({{仮リンク|ヘシカズム|en|Hesychasm}})を提唱 * [[メテオラ]]のアタナシオス([[1305年]] - [[1380年]]) - メテオラの修道士・メガロ・メテオロン(メタモルフォシス)修道院を建立・[[ヨヴァン・ウロシュ・パレオロゴス|ヨアサフ]]は弟子 * [[ニコラオス・カヴァシラス|ニコラオス・カバシラス]]([[1319年]]/[[1323年]]頃 - [[1391年]]後) - 東ローマ帝国の神学者・静寂主義を擁護・『聖体礼儀の注解』を執筆 * {{仮リンク|コンスタンティノス・ハルメノプロス|en|Constantine Harmenopoulos}}([[1320年]] - [[1383年]]) - 東ローマ帝国の法学者・ヨハネス6世の顧問・『ヘクサビブロス(六選集)』を執筆 * キュドネス・デメトリオス([[1324年]]頃 - [[1397年]]/[[1398年]]) - 東ローマ帝国の神学者・教会合同でラテン語を学びトマス神学を紹介・静寂主義と対立 * マヌエル・クリュソロラス([[1350年]] - [[1415年]]) - 東ローマ帝国の人文主義者・フィレンツェに招かれ[[コルッチョ・サルターティ|サルターティ]]らにギリシア語を教授する * [[マヌエル2世パレオロゴス]]([[1350年]] - [[1425年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1391年]] - [[1425年]])・西欧諸国に救援依頼・文人皇帝でもある ==== 東欧 ==== * モスクワのピョートル(? - [[1326年]]) - [[キエフ]]と全[[ルーシ]]の[[府主教]]・府主教座を[[モスクワ]]に遷す・モスクワ大公に[[生神女就寝大聖堂 (モスクワ)|ウスペンスキー聖堂]]建設も進言 * [[ゲディミナス]]([[1275年]] - [[1341年]]) - [[リトアニア大公国]]の君主(在位[[1316年]] - [[1341年]])・キリスト教化に苦慮しつつ東方に領土拡大 * [[イヴァン1世]](カリター)([[1288年]] - [[1340年]]) - [[モスクワ大公]](在位[[1325年]] - [[1340年]])・モンゴルの徴税制度を利用しモスクワの支配を拡大 * {{仮リンク|アレクセイ(モスクワ府主教)|en|Alexius, Metropolitan of Kiev}}([[1293年]] - [[1378年]]) - [[モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧|モスクワ府主教]]・モンゴル人との折衝を行い幼帝ドミートリーを補佐・「全ロシアの奇跡者」 * [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]([[1308年]] - [[1355年]]) - ネマニッチ朝の[[セルビア帝国]]の君主(在位[[1346年]] - [[1355年]])・[[バルカン半島]]に覇を唱える * [[カジミェシュ3世]](大王)([[1310年]] - [[1370年]]) - [[ピャスト朝]]のポーランド王(在位[[1333年]] - [[1370年]])・ウクライナに領土拡大 * [[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]](大王)([[1326年]] - [[1382年]]) - [[アンジュー朝]]のハンガリー王(在位[[1342年]] - [[1382年]])、ポーランド王(在位[[1370年]] - [[1382年]]) * {{仮リンク|ペルミのステファン|en|Stephen of Perm}}([[1340年]] - [[1396年]]) - [[ペルミ]]の主教・[[フィン・ウゴル系]][[コミ人]]への宣教を進める・[[イコン]]制作者としても有名 * [[ドミートリー・ドンスコイ]]([[1350年]] - [[1389年]]) - 第4代[[モスクワ大公]](在位[[1359年]] - [[1389年]])・クリコヴォの戦いで[[モンゴル人]]に勝利 * [[ラドネジのセルギイ]]([[1321年]]/[[1322年]]頃 - [[1392年]]) - ロシアの修道士・[[至聖三者聖セルギイ大修道院]]の創設者 * [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]([[1351年]] - [[1434年]]) - ヤギェウォ朝創始者(ポーランド王位[[1386年]] - [[1434年]]、リトアニア大公位[[1377年]] - [[1401年]]) ==== 北欧 ==== * [[スウェーデンのビルギッタ|ビルギッタ]]([[1303年]] - [[1373年]]) - スウェーデンの修道女・ビルギッタ会をまとめ[[ヴァドステーナ修道院]]を建設・晩年はローマに定住 * [[マルグレーテ1世]]([[1353年]] - [[1412年]]) - 北欧連合王国の事実上の支配者([[1397年]] - [[1412年]])・カルマル同盟を締結 ==== イベリア半島 ==== * [[イネス・デ・カストロ]]([[1325年]] - [[1355年]]) - ポルトガル王[[ペドロ1世]]の愛妾・婚姻問題に絡み悲劇的な死を迎えるが死後に王妃として復権 * [[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]](残酷王)([[1334年]] - [[1369年]]) - カスティーリャ国王(在位[[1350年]] - [[1369年]])・庶兄のエンリケ2世に殺害される * [[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]](恩寵王)([[1333年]] - [[1379年]]) - [[カスティーリャ]]国王(在位[[1369年]] - [[1379年]])・ペドロ1世を倒し[[トラスタマラ朝]]を興す * [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]](大王)([[1357年]] - [[1433年]]) - [[アヴィス朝]]の創始者・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(在位[[1385年]] - [[1433年]])・[[アルジュバロータの戦い]]に勝利 * [[ラモン・リュイ|ライムンドゥス・ルルス]]([[1232年]] - [[1315年]]) - [[マジョルカ島]]出身のフランシスコ会士・文字結合術の[[アルス・マグナ]]を理論化する * [[ビセンテ・フェレール]]([[1350年]] - [[1419年]]) - [[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]出身のドミニコ会士・教会大分裂ではアヴィニョン派を支持・[[カスペの妥協]]でも活躍 === イスラム世界 === * [[ドゥア]](? - [[1307年]]頃)- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1283年]] - [[1307年]])・最盛期の君主 * [[ラシードゥッディーン]]([[1249年]] - [[1318年]]) - [[イル・ハン国]]の政治家・[[ガザン・ハン|ガザン]]と[[オルジェイトゥ]]に仕える・歴史家として『[[集史]]』を編纂 * [[サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー]]([[1252年]] - [[1334年]]) - ペルシアのサファヴィー教団教主・[[サファヴィー朝]]の遠祖 * [[オスマン1世]]([[1258年]] - [[1326年]]) - [[オスマン朝]]の初代スルタン(在位[[1299年]] - [[1326年]])・コユンヒサルの戦いで東ローマ帝国に勝利 * [[ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー|イブン・アッティクタカー]]([[1262年]]頃 - ?) - イラクのシーア派指導者・帝王学の書『[[アルファフリー]]』を残す * [[ワッサーフ]](生没年不詳) - イル・ハン国の歴史家・『[[世界征服者の歴史]]』の続編『領土の分割と年月の推移(ワッサーフ史)』を執筆 * [[アラー・ウッディーン・ハルジー]]([[1266年]]? - [[1316年]]) - [[ハルジー朝]]の第3代スルターン(在位[[1296年]] - [[1316年]])・最大領土を実現 * [[マリク・カーフール]](? - [[1316年]]) - ハルジー朝の宰相・宦官・アラーウッディーンの下で南インド諸王朝を制圧・新王擁立に際し暗殺される * [[アブ・アル=フィダ|アブー・アル・フィダー]]([[1273年]] -[[1331年]]) - マムルーク朝の政治家・アイユーブ家の末裔・歴史家として『人類史綱要』『諸国の秩序』がある * [[アウハディー・マラーギー]]([[1274年]]頃 - [[1338年]]) - [[イスファハーン]]出身の[[スーフィー]]詩人・代表作は『ジャムの酒杯』・[[マラーゲ]]に墓廟がある * [[マンサ・ムーサ]](カンカン・ムーサ)(? - [[1337年]]?) - [[マリ帝国]]の第10代君主(マンサ)(在位[[1312年]] - [[1337年]])・壮麗な[[メッカ]]巡礼で有名 * ハーッジー・ベクターシュ(? - [[1337年]]頃) - トルコの神秘主義者・神秘主義教団を形成し後に[[イェニチェリ]]の信仰にも影響を与える * [[ギャースッディーン・トゥグルク]](? - [[1325年]]) - トゥグルク朝の初代スルタン(在位[[1320年]] - [[1325年]]) * ヌワイリー([[1279年]] - [[1332年]]) - マムルーク朝に仕えた官僚・歴史や地誌を含んだ百科全書的な著作『究極の目的』を執筆 * ハージュー・ケルマーニー([[1280年]] - [[1352年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人 * [[オルジェイトゥ]]([[1281年]] - [[1316年]]) - イル・ハン国の第8代君主(在位[[1304年]] - [[1316年]])・[[ソルターニーイェ]]に遷都 * [[ハムドゥッラー・ムスタウフィー・カズヴィーニー]]([[1281年]] - [[1349年]]) - イル・ハン国の歴史家・散文史『選史』や韻文史『勝利の書』を執筆 * [[ナースィル・ムハンマド]]([[1285年]] - [[1341年]]) - [[マムルーク朝]]の第10・13・15代スルタン(在位[[1293年]] - [[1341年]]まで断続的) * [[ウズベク・ハン]](? - [[1340年]]) - ジョチ・ウルスの第10代君主(在位[[1312年]] - [[1342年]])・最盛期の君主 * [[ケベク]](? - [[1326年]])- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1320年]] - [[1326年]])・その死後に国が東西分裂 * [[ムハンマド・ビン・トゥグルク]](? - [[1351年]]) - トゥグルク朝の君主(在位[[1325年]] - [[1351年]])・度重なる遠征をおこない、首都を一時的に[[ダウラターバード]]に遷都。「天才か狂人か」と評される * [[イブン・バットゥータ]]([[1304年]]頃 - [[1368年]]頃) - [[モロッコ]]生まれの旅行家・マリーン朝のスルターンに依頼され『[[三大陸周遊記]]』を執筆 * [[イブン・アル=ハティーブ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - ナスル朝の政治家(宰相)・詩人・歴史家としては『グラナダ史』を残す * [[ママイ (キヤト部)|ママイ]](? - [[1380年]]) - ジョチ・ウルスの政治家・[[クリコヴォの戦い]]でモスクワ公国に敗北 * [[ムラト1世]]([[1319年]]/[[1326年]] - [[1389年]]) - オスマン朝の第3代スルタン(在位[[1359年]] - [[1389年]])・コソヴォの戦いで勝利 * [[ハーフェズ]]([[1325年]] - [[1389年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人・出身地[[シーラーズ]]には「ハーフェズ廟」が残る * [[イブン・ハルドゥーン]]([[1332年]] - [[1406年]]) - [[チュニス]]生まれの政治家・歴史家として『[[歴史序説]]』の著者 * [[ティムール]]([[1336年]] - [[1405年]]) - 中央アジアの征服者でティムール朝の建設者(在位[[1370年]] - [[1405年]]) * [[トクタミシュ]](? - [[1406年]]) - ジョチ・ウルスの君主(在位[[1378年]] - [[1395年]])・ジョチ・ウルスを再統一 * [[バヤズィト1世]]([[1360年]] - [[1403年]]) - オスマン朝の第4代スルタン(在位[[1389年]] - [[1402年]])・ニコポリスの戦いで勝利 * [[バルクーク]]([[1366年]] - [[1399年]]) - マムルーク朝のスルタン(在位[[1382年]] - [[1399年]]まで断続的)・バフリー系からブルジー系へ * マンスール・イブン・イリヤス(14世紀末 - 15世紀初頭) - ペルシアの解剖学者・神経系や循環器系の画像を伴う『人体解剖書』を執筆 === 南アジア・東南アジア === * ハリハラ1世(? - [[1356年]]) - 南インドの[[ヴィジャヤナガル朝|ヴィジャヤナガル王国]]サンガマ朝の初代国王(在位[[1336年]] - [[1356年]]) * [[ガジャ・マダ]](?- [[1364年]]) - ジャワ島の[[マジャパヒト朝]]の宰相・トリブワナー女王からハヤム・ウルク王を補佐し王国の全盛期を築く * [[ラーマーティボーディー1世]]([[1314年]]? - [[1369年]]) - タイのアユタヤ朝の初代国王(在位[[1351年]] - [[1369年]])・アユタヤを都とする === 東アジア === ==== 元・明 ==== * [[中峰明本]]([[1263年]] - [[1323年]]) - 元の禅僧(智覚禅師)・各地を遊方行脚・[[趙孟頫]]との交友で「与中峰明本尺牘」が残る * [[テムル]]([[1265年]] - [[1307年]]) - 元の第2代皇帝(成宗)(在位[[1294年]] - [[1307年]])・[[カイドゥ]]の乱を鎮圧し西方ハン国と和平を結ぶ * [[黄公望]]([[1269年]] - [[1354年]]) - 元の[[水墨画]]家・[[元末四大家]]の一人・「[[富春山居図]]」が代表作で画論『写山水訣』もある * [[呉鎮]]([[1280年]] - [[1354年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・孤高清貧の生涯を送る・代表作に「洞庭漁隠図」がある * [[アユルバルワダ]]([[1285年]] - [[1320年]]) - 元の第4代皇帝(仁宗)(在位[[1311年]] - [[1320年]])・廃止されていた[[科挙]]を復活 * 康里巎巎([[1295年]] - [[1345年]]) - 元の[[色目人]]の官僚・書家として「李白詩巻」がある * [[楊維楨]]([[1296年]] - [[1370年]]) - 元の官僚・詩人として『東維子集』がある * [[倪瓚]]([[1301年]] - [[1374年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・各地を放浪し「漁荘秋霽図」などの作品を残す * 高則誠([[1305年]] - [[1359年]]) - 元の劇作家・夫婦の再会と情愛を描いた[[元曲]]「[[琵琶記]]」の作者 * [[王蒙 (画家)|王蒙]]([[1308年]] - [[1385年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・官吏でもあったが胡惟庸の獄に連座し獄死・「青卞隠居図」がある * 薩都剌([[1308年]] - ?) - 元のモンゴル系イスラム教徒の官吏・詩人として『雁門集』がある * [[宋濂]]([[1310年]] - [[1381年]]) - 元末明初の政治家・儒学者・明の礼楽制度を整備・『[[元史]]』の編者・[[方孝孺]]の師 * [[劉基]](劉伯温)([[1311年]] - [[1375年]]) - 元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師として小説や講談の主役として名高い * [[汪大淵]]([[1311年]] - ?) - 元の航海家・[[泉州 (古代)|泉州]]から[[インド洋]]沿岸各国を訪れて『[[島夷志略]]』を著す * [[トクト]]([[1314年]] - [[1355年]]) - 元の宰相・『[[宋史]]』など歴史書の編纂や[[黄河]]の治水に尽力・紅巾の乱の鎮圧中に殺害される * [[李善長]]([[1314年]] - [[1390年]]) - 明初の政治家(左丞相)・明の行政財政の基礎をなす・胡惟庸の獄に連座して誅殺される * [[トゴン・テムル]]([[1320年]] - [[1370年]]) - 元の最後の皇帝(順帝)(在位[[1333年]] - [[1370年]])・大都を捨て北元の初代となる * [[韓山童]](? - [[1351年]]) - 元末の反乱指導者・[[白蓮教]]を組織し紅巾の乱を引き起こす * [[韓林児]](? - [[1366年]]) - 元末の反乱指導者・[[韓山童]]の子・宋朝の復興を唱える * [[方国珍]]([[1319年]] - [[1374年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[浙江省|浙江]]で海賊と結んで自立・朱元璋と敵対するが屈服 * [[陳友諒]]([[1320年]] - [[1363年]]) - 元末の群雄・紅巾の乱から[[湖北省|湖北]]を根拠地として自立・[[鄱陽湖の戦い]]で朱元璋に敗北 * [[張士誠]]([[1321年]] - [[1367年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[蘇州市|蘇州]]を根拠地として自立・朱元璋に敗北する * [[朱元璋]]([[1328年]] - [[1398年]]) - 明の初代皇帝(太祖洪武帝)(在位[[1368年]] - [[1398年]]) * [[徐達]]([[1332年]] - [[1385年]]) - 明初の[[大将軍]]・左[[相国]]・大都を元一族から奪回し占領・第一の功臣とされる * [[胡惟庸]](? - [[1380年]]) - 明初の政治家(左丞相)・北元や日本と内通したとして[[胡藍の獄#胡惟庸の獄|胡惟庸の獄]]にて粛清される * [[藍玉 (明)|藍玉]](? - [[1393年]]) - 明初の将軍・[[ブイル・ノール]]湖畔の戦いで北元に勝利・[[胡藍の獄#藍玉の獄|藍玉の獄]]にて粛清される * [[施耐庵]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[水滸伝]]』の編者? [[羅貫中]]の師か?(→[[水滸伝の成立史]]) * [[羅貫中]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[三国志演義]]』『[[平妖伝|三遂平妖伝]]』の編者? [[施耐庵]]の門人か?(→[[三国志演義の成立史]]) * [[高啓]]([[1336年]] - [[1374年]]) - 明初の詩人・『[[元史]]』の編者・「宮女図」の詩文がもとで腰斬の刑に処される * [[方孝孺]]([[1357年]] - [[1402年]]) - 明初の儒学者・建文帝の側近として翰林侍講学士となる・靖難の変に連座して虐殺される * [[建文帝]]([[1377年]] - [[1402年]]?) - 明の第2代皇帝(在位[[1398年]] - [[1402年]])・靖難の変により叔父[[永楽帝|燕王]]に帝位を簒奪される ==== チベット ==== * [[プトゥン]]([[1290年]] - [[1364年]]) - チベット仏教の学僧・チベット史の根本史料『仏教史』のほか暦学・医学の著作を多数執筆 * カルマ・リンパ([[1326年]] - [[1386年]]) - チベット仏教[[ニンマ派]]のテルトン(埋蔵経発掘者)・『[[チベット死者の書]]』を発掘したか * [[ツォンカパ]]([[1357年]] - [[1419年]]) - [[チベット仏教]]最大の学僧・歴代[[ダライ・ラマ]]の所属する[[ゲルク派]](黄帽派)の開祖 ==== 高麗・朝鮮 ==== * [[鄭夢周]]([[1337年]] - [[1392年]]) - 高麗の儒学者・[[倭寇]]について[[九州探題]][[今川貞世]]と交渉を行う・李成桂の王位簒奪には反対し暗殺される * [[李成桂]]([[1335年]] - [[1408年]]) - 李氏朝鮮の初代国王(在位[[1392年]] - [[1398年]])・倭寇やモンゴルとの戦いで功績をあげ高麗を倒す === 日本 === * [[二条為世]]([[1250年]] - [[1338年]]) - 公卿(権大納言)・[[二条派]]の和歌の宗家として『[[新後撰和歌集]]』『[[続千載和歌集]]』を撰集・両統迭立では大覚寺統に付く * [[京極為兼]]([[1254年]] - [[1332年]]) - 公卿(権大納言)・[[京極派]]の和歌の宗家として『[[玉葉和歌集]]』を撰集・両統迭立では持明院統に付く・両統迭立にからみ二度流罪にされる * [[度会家行]]([[1256年]] - [[1351年]]) - [[伊勢神宮]](外宮)の神官・[[反本地垂迹説]]を大成し[[伊勢神道]]を提唱・南朝を支援し影響を与える * [[後深草院二条]]([[1258年]] - ?) - [[後深草天皇|後深草院]]付きの女房・[[日記]]であり[[紀行|紀行文]]でもある『[[とはずがたり]]』を残す * [[高階隆兼]](活動時期[[1309年]] - [[1330年]]) - 御所[[画所]]の絵師・[[西園寺公衡]]の依頼で[[春日大社]]に奉納した「[[春日権現験記]]」で有名 * 梶原性全([[1266年]] - [[1337年]]) - 僧医・隋唐から宋の医書を渉猟し体験を踏まえて「内臓図」を含む『頓医抄』全50巻を執筆 * [[北条貞時]]([[1271年]] - [[1311年]]) - 鎌倉幕府第9代執権(在任[[1284年]] - [[1301年]])・執権退任後に[[嘉元の乱]]が起きる * [[長崎円喜]](? - [[1333年]]) - 武将・[[内管領]](得宗家執事)・[[嘉暦の政変]]を経て息子[[長崎高資|高資]]ととも幕府末期の実権を握る * [[正宗|岡崎正宗]](生没年不詳) - 刀工・相模国鎌倉で活動し「相州伝」と呼ばれる作風を確立・刀剣史上もっとも著名な刀工の一人 * [[夢窓疎石]]([[1275年]] - [[1351年]]) - 禅僧・京都[[天竜寺]]開山・七朝帝師(歴代天皇から国師号を七度賜る) * [[赤松則村]]([[1277年]] - [[1350年]]) - 武将・守護大名・後醍醐天皇を支持し六波羅攻略で活躍・建武政権の後は足利尊氏に従う * [[虎関師錬]]([[1278年]] - [[1346年]]) - 禅僧・[[東福寺]]ほかの住持・日本最初の仏教通史『[[元亨釈書]]』の著者 * [[文観]]([[1278年]] - [[1357年]]) - [[真言律宗]]・真言宗の僧・醍醐寺座主・東寺一長者・後醍醐天皇に信任され南朝につく・画僧(『[[絹本著色五字文殊像]]』『[[絹本著色後醍醐天皇御像]]』等)・学僧 * [[円観]]([[1281年]] - [[1356年]]) - 天台宗の僧・法勝寺勧進職・後醍醐天皇に近侍するが後に北朝につく・『原太平記』(『[[太平記]]』の原型)の編集主幹 * [[宗峰妙超]](大燈国師)([[1282年]] - [[1338年]]) - 禅僧・京都[[大徳寺]]開山・弟子の[[関山慧玄]]を[[妙心寺]]開山に推薦 * [[卜部兼好]]([[1283年]]頃 - [[1352年]]以後) - 官人・遁世者・歌人・随筆家で『[[徒然草]]』の著者・[[和歌四天王]]の一人 * [[後醍醐天皇]]([[1288年]] - [[1339年]]) - 第96代天皇(在位[[1318年]] - [[1339年]])・建武の新政を行う・吉野に退避し南朝の初代となる・著作に『[[建武年中行事]]』『[[後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)]]』等 * [[西園寺鏱子|永福門院]]([[1288年]] - [[1342年]]) - 伏見天皇皇后(中宮)・京極派最大の歌人の一人で151首が勅撰和歌集に入集 * [[頓阿]]([[1289年]] - [[1372年]]以後) - 歌人・二条為世高弟「[[和歌四天王]]」の筆頭・『[[新拾遺和歌集]]』の選者・歌論書に『[[井蛙抄]]』等・後に頓阿の系統が[[古今伝授]]の嫡系となる * [[日野資朝]]([[1290年]] - [[1332年]]) - 公卿(権中納言)・[[日野俊基]]らとともに後醍醐天皇に近侍・[[正中の変]]で[[佐渡国|佐渡]]に流罪となる * [[雪村友梅]]([[1290年]] - [[1347年]]) - 禅僧・[[一山一寧]]の門人で元に渡航・帰国後は京都[[万寿寺]]住持・[[五山文学]]の先駆け * [[洞院公賢]]([[1291年]] - [[1360年]]) - 公卿(太政大臣)・建武政権から北朝に転じ正平の一統で活躍・日記『[[園太暦]]』はこの時代の重要資料 * [[北畠親房]]([[1293年]] - [[1354年]]) - 公卿([[大納言]])・[[准三后]]・南朝の指導者として[[正平の一統]]を指揮・『[[神皇正統記]]』の著者 * [[二条為定]]([[1293年]] - [[1360年]]) - 公卿(権大納言)・二条派の和歌の宗家として『[[続後拾遺和歌集]]』『[[新千載和歌集]]』を撰集 * [[楠木正成]]([[1294年]] - [[1336年]]) - 武将・赤坂城や千早城で討幕運動を行う・建武政権から続いて南朝側に与す・「[[三木一草]]」の一人 * [[名和長年]](? - [[1336年]]) - 武将・後醍醐天皇の隠岐脱出を援助・建武政権から続いて南朝側に与す・「三木一草」の一人 * [[佐々木道誉]]([[1296年]] - [[1373年]]) - 武将・室町幕府で[[政所]]執事などを歴任し[[貞治の変]]を主導・[[ばさら|婆沙羅大名]]としても有名 * [[花園天皇]]([[1297年]] - [[1348年]]) - 第95代天皇(在位[[1308年]] - [[1318年]])・政治的には中継ぎの天皇だが学問と芸術の諸分野で大きな業績を残す・『誡太子書』を著す * [[尊円法親王]]([[1298年]] - [[1356年]]) - 天台座主・青蓮院門跡・伏見天皇の皇子・後代に公式文書として用いられた書流[[尊円流|御家流]]の祖 * [[賢俊]]([[1299年]] - [[1357年]]) - 真言宗の僧・醍醐寺座主・東寺長者・文観に替わって北朝側につく・尊氏の護持僧となり幕政にも関与・著書に『紙本墨書賢俊日記』 * [[守邦親王]]([[1301年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第9代将軍(在任[[1308年]] - [[1333年]])・[[鎌倉の戦い|鎌倉幕府滅亡]]の後に将軍を辞す * [[新田義貞]]([[1301年]] - [[1338年]]) - 武将・[[左近衛中将]]・北条氏を滅ぼし鎌倉を占拠・建武政権から続いて南朝側に与す・越前藤島で戦死 * [[北条高時]]([[1303年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第14代執権(在任[[1316年]] - [[1326年]])・鎌倉幕府滅亡時の得宗・[[東勝寺合戦]]で自刃 * [[足利尊氏]]([[1305年]] - [[1358年]]) - [[室町幕府]]初代将軍(在任[[1338年]] - [[1358年]])・北朝の[[光明天皇]]を擁立し幕府を開く * [[足利直義]]([[1306年]] - [[1352年]]) - 武将・左兵衛督・足利尊氏の弟・幕府保守派の政治家・[[観応の擾乱]]で高師直一派を倒すが正平の一統の後に兄尊氏に追われ急逝 * [[高師直]](? - [[1351年]]) - 武将・室町幕府[[執事]]・幕府革新派の政治家・[[四条畷の戦い]]などで活躍するが観応の擾乱で足利直義と対立し殺害される * [[護良親王]]([[1308年]] - [[1335年]]) - 後醍醐天皇の皇子(大塔宮)・[[天台座主]](尊雲法親王)・征夷大将軍・足利尊氏と争い殺害される * [[日野名子]]([[1310年]] - [[1358年]]) - 女官・著作家・[[西園寺公宗]]正室・著書『竹むきが記』は近代以前の女性が著した現存最後の日記文学とされる * [[宗良親王]]([[1311年]] - [[1385年]]) - 後醍醐天皇の皇子(信濃宮)・天台座主(尊澄法親王)・征夷大将軍・各地を転戦・『[[新葉和歌集]]』を撰集 * [[春屋妙葩]]([[1312年]] - [[1388年]]) - 禅僧・[[相国寺]]第二世(事実上の開山)・[[五山十刹]]の制度を定め[[五山版]]などの出版を行う * [[光厳天皇]]([[1313年]] - [[1364年]]) - 北朝第1代天皇(在位[[1331年]] - [[1333年]])・鎌倉幕府滅亡で退位する・光明天皇は弟・『[[風雅和歌集]]』を親撰 * [[北畠顕家]]([[1318年]] - [[1338年]]) - 公卿(権中納言)・[[鎮守府将軍]]・南朝方として活躍するが[[石津の戦い]]で戦死・父は北畠親房 * [[菊池武光]]([[1319年]]? - [[1373年]]) - 武将・肥後守・懐良親王を擁し南朝方につく・[[筑後川の戦い]]に勝利し[[大宰府]]を占領する * [[二条良基]]([[1320年]] - [[1388年]]) - 公卿([[摂政]]・[[関白]]・太政大臣)・歌人・[[連歌]]の大成者で『[[菟玖波集]]』の撰者 * [[北条時行]]([[1325年]] - [[1353年]]) - 武将・鎌倉幕府最後の得宗北条高時の遺児・[[中先代の乱]]を起こし足利尊氏に対抗して南朝に帰順 * [[義堂周信]]([[1325年]] - [[1388年]]) - 禅僧・南禅寺ほかの住持・絶海中津とともに五山文学を代表し漢詩集『空華集』がある * [[今川貞世]](了俊)([[1326年]] - [[1420年]]?) - 武将・守護大名・[[九州探題]]として九州の南朝勢力を鎮圧・著作に『[[難太平記]]』がある * [[細川頼之]]([[1329年]] - [[1392年]]) - 室町幕府[[管領]]・[[貞治の変]]で幕政を掌握・康暦の政変で失脚するも再び幕政に復帰 * [[懐良親王]]([[1329年]]? - [[1383年]]) - 後醍醐天皇の皇子・征西大将軍(征西将軍宮)・「日本国王」として明と通交 * [[足利義詮]]([[1330年]] - [[1367年]]) - 室町幕府第2代将軍(在任[[1358年]] - [[1367年]])・貞治の変以後は北朝の優位を固める * [[楠木正儀]]([[1330年]]? - [[1389年]]?) - 武将・楠木正成の三男・南朝和平派の代表・南朝方を支え北朝方と戦うがやがて帰順・最晩年は南朝に公卿として復帰 * [[観阿弥]]([[1333年]] - [[1384年]]) - 猿楽師・大和猿楽座の出身で観世家の祖となる・子に[[世阿弥]]がいる * [[絶海中津]]([[1334年]] - [[1405年]]) - 禅僧・鹿苑院ほかの住持・義堂周信とともに五山文学を代表し漢詩集『蕉堅藁』がある * [[足利基氏]]([[1340年]] - [[1367年]]) - 室町幕府の初代[[鎌倉公方]]・足利尊氏の子・足利義詮の弟 * [[土岐康行]](? - [[1404年]]) - 武将・守護大名・[[土岐康行の乱]](美濃の乱)を起こすが幕府に鎮圧される * [[山名氏清]]([[1344年]] - [[1392年]]) - 武将・「六分の一殿」と称される[[守護大名]]・明徳の乱で敗死 * [[斯波義将]]([[1350年]] - [[1410年]]) - 室町幕府管領・貞治の変で失脚するも康暦の政変で幕政を掌握・義満死後の政局も指導 * [[後亀山天皇]]([[1350年]]? 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三神一体
三神一体(さんしんいったい)またはトリムールティ(サンスクリット: त्रिमूर्तिः trimūrti、"3つの形"の意)は、ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎないというヒンドゥー教の理論である。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱は、宇宙の創造、維持、破壊という3つの機能が3人組という形で神格化されたものであるとする。一般的にはブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァがそれぞれ創造、維持、破壊/再生を担うとされるが、宗派によってバリエーションが存在する。 トリムールティはコンセプトであるが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神を融合した形で象徴的に偶像化されることがある。1つの首から3つの頭が伸びるデザインや、1つの頭に3つの顔を持つというバリエーションが存在し、エレファンタ石窟群のトリムールティ像が有名である。また、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神の集合名として「トリムールティ」が用いられることもある。これら3柱の神格が1つのアヴァターラとして顕現したものがダッタートレーヤ(英語版)である。 「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱が単一の神聖な存在から顕現する、それぞれ創造、維持、破壊という別の機能を有する3つの様相である」とするトリムールティの理論は、ヴェーダの時代以降、すなわち紀元前500年以降に定着したと考えられている。しかしブラフマン(至高の存在、宇宙の根本原理)が3つの様相を持つというアイデア、神々を3つのグループに大別するというアイデア、神が全て同一であるとするアイデアなど、トリムールティ理論の要素はヒンドゥー哲学の中に古くから存在する。 ヤン・ホンダはリグ・ヴェーダ時代(およそ紀元前1700-1100年)、すなわちヒンドゥー教(バラモン教)の最も古い時代の最高神、火の神アグニの持つ3つの性格からトリムールティが発展したのではないかとしている。アグニはリグ・ヴェーダでは3つの体と地位を持つとされ、地上では火として、大気では雷として、空では太陽としてヴェーダの世界に存在した。 神々に火、大気、太陽を、そこから発展して地上、大気(または水)、天界を代表させるという考え方はヴェーダ時代(およそ紀元前1500-500年)の早い段階から存在し、例えばそれはヴェーダ初期にはアグニ、ヴァーユ(風)、アーディティヤ(Aditya太陽)であったり、アグニ、インドラ(雷)、スーリヤ(太陽)であったりと様々な文献で別々の神々の組み合わせが見られる。後にトリムールティの3神となるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれ、アグニ、スーリヤ、インドラから発展したとも考えられており、この見方をするとトリムールティの3神も地、天、大気を象徴する神々という分類ができる。 マイトリー・ウパニシャッド(紀元前10世紀の後半)にはトリムールティの3神が1組として触れられており、トリムールティの起原としてしばしば言及される。例えば4章の5節では、何について瞑想するのが一番良いかという議論が展開される。瞑想する対象として上がるのが、アグニ(火)、ヴァーユ(大気)、アーディティヤ(日)、カーラ(時間)、プラーナ(呼吸、あるいは活力)、アンナ(食べ物)、そしてブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラの9つである。ヤン・ホンダによれば、アグニ、ヴァーユ、アーディティヤはヴェーダ時代初期の主要な3柱であり、それぞれ地上、大気、天界を代表する。次の時間、活力、食べ物はブラフマンの、中でも早い段階の顕現ではないかという議論をウパニシャッド期の初期に見ることができる。この並びを考慮すると、マイトリー・ウパニシャッドの著者はブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラ(すなわちシヴァ)に相互補完関係を見ていたようにも読み取れ、この視点はトリムールティ理論にも含まれている。 また、クツァーヤナ賛歌(Kutsayana)と呼ばれる5章1節でもこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている。汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。アートマン(魂、我)はブラフマーをはじめとするブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝はルドラ(シヴァ)である、汝はアグニ、ヴァルナ、ヴァーユ、インドラであり、汝は全てである」。 マイトリー・ウパニシャッドの5章2節ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナと関連づけられている。グナとはすべての生物に見いだすことのできる性質、精神、生来の傾向であるとされ、世界は翳質(タマス)から生じたと語られている。その後世界はそれ自体の作用により活動し激質(ラジャス)となり、そして精錬、純化され純質(サットヴァ)となった。これら3つのグナのうち、ブラフマーはラジャス(激質)、ヴィシュヌはサットヴァ(純質)、ルドラ(シヴァの前身)はタマス(翳質)をそれぞれ受け持っている。ただしマイトリー・ウパニシャッドは3柱をトリグナ理論のそれぞれの要素に当てはめてはいるものの、トリムールティの3柱が持つとされている3つの役割については言及していない。 ヒンドゥー教はその後ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(紀元前およそ700年)の頃から、重視される神を徐々に減らしていく。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは哲人ヤージュニャヴァルキヤが「存在するのは単一のブラフマンのみである」という梵我一如の理論を展開している。このヒンドゥー教における一元論(不二一元論)的な思想の発現がトリムールティの形成に少なからず影響を及ぼしたと考えられている。 トリムールティ理論はオリジナルのマハーバーラタ(紀元前4世紀)には登場しないと一般的には考えられている。つまりマハーバーラタの著者はトリムールティ理論を意識していなかったように思われる。しかし後に編集されたマハーバーラタの付録にはトリムールティ理論を感じされる文言が含まれている。 加えて、間違いなくトリムールティの理論を意識して書かれたと考えられている記述は、マハーバーラタの補遺とされるハリヴァンシャ(英語版)(紀元前1-2世紀)に見つけられる。 ヴァーユプラーナ(シヴァ派、300-500年。プラーナとしては最古の物)は5章17節でトリムールティに触れている。ヤン・ホンダは、ブラフマンの3つの顕現という考えがしっかりとした教義になったのはこれが初めてではないかとしている。 ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァをひとつの存在として同一視するというアイデアはクールマ・プラーナ(8世紀頃)にて大いに強調されている。1章の6節ではブラフマンはトリムールティであるとして崇められる。特に1章の9節では3柱の神の統合を、1章26節でも同じ主題を繰り返し語っている。 トリムールティの役割分担がどのようにして決まったのかについては議論が残る。原始的なトリムールティでは3柱が完全に同格であり、それぞれの役割は交換可能だったとする考え方もある。 ホンダの見方では、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代のインド人が自然に感じた神性を象徴しているとする。ヴィシュヌには全ての生物がそこに依存せざるをえない宇宙を遍く満たす、力強く、慈悲深いエネルギーが表現されており、一方のルドラ・シヴァには粗野で御しがたく、気まぐれで、危険な自然が表現されている。そこからそれぞれのキャラクター、英雄譚は発展し西暦前までに出来上がっているとする。 ベイリーはブラフマー神はブラフマンを神格化したものだとしている。また彼によれば、マハーバーラタではブラフマーが創造の役割を担い、ヴィシュヌが維持の役割を担うとする言及が随所にみられるが、シヴァの破壊という役割に関してははっきりと描写されていない。破壊的な属性を感じさせるエピソードはあるものの、ほのめかしにとどまっている。そのためベイリーは、シヴァの役割はマハーバーラタの後に徐々に固まっていったのではないかとしている。 アンゲロ・デ・グベルナティス(英語版)はプラーナ文献に見られる3柱のキャラクターについて、ブラフマーは自分の神秘的な力を、ヴィシュヌは自分の英雄的資質を、シヴァは精力と富を享受している、と表現している。加えて順に賢者、強者、金持ちといった社会的立場に対応するとも記している。ベイリーによればデ・グベルナティスの示す神秘的な力、英雄的資質、繁殖力というそれぞれのキャラクターはそれぞれのカルパ(宇宙の寿命)においてトリムールティが担う創造、維持、破壊という3柱の役割と矛盾しない。しかしそれでもなお、シヴァの役割には曖昧さが残るとも語っている。シヴァの役割は破壊であり再生であるとされ、プラーナの神話に描かれるシヴァは繁殖力を象徴することが多い。シンボルとされるリンガもやはり繁殖力を象徴している。一方でシヴァは色欲とは無縁のヨーガ修行者としての顔も持つ。このことに関してベイリーはシヴァの受け持つ第3フェイズの役割は一言で説明しきれないからではないかとしている。 「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論がヒンドゥー教の文献の中に現れることは稀であり、このコンセプトが宗教美術のテーマとされることも珍しく、生きた信仰としてはヒンドゥー教に受け入れられてこなかった。 トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないかという見方が存在する。 ダヴァモニーによれば、マハーバーラタの中でも古い時代に書かれた部分ではブラフマーが最高神とされているが、時代が下るにつれてヴィシュヌとシヴァが目立つようになってくる。そして12巻のシャンティ・パルヴァン(英語版)には、この3柱の本質がひとつであると宣言することによって、それを調停しようする意図が読み取れる記述があるとする。マハーバーラタが記されたのは、古い部分ではBC8-9世紀、完成したのは4世紀頃と考えられている。 歴史学者ラメシュ・チャンドラ・マジュンダル(英語版)はヴィシュヌ派とシヴァ派にとどまらず、このプラーナ文献の時代(300-1200年)に表れる様々な宗派の間に見ることのできる協調と調和の精神に注目している。 マジュンダルによれば、この時代は宗教的な均質性を欠き、ヴェーダ時代の信仰の名残としての正統派バラモン教を含めて様々な宗派が混在した。中でもシヴァ派、ヴィシュヌ派、シャクティ派が代表的で、これらは正統派に分類されるものの、それぞれ独自の信仰を形づくっていた。この信仰間の協調に関してマジュンダルは以下のように述べている。 ニコラス・サットンは以下のように語る。 歴史家のアーサー・ルエリン・バシャム(英語版)はトリムールティというコンセプトの背景を以下のように語っている。 一方でヤン・ホンダは、「トリムールティはシヴァ派とヴィシュヌ派の対立関係を調停するために意図的に作られたものである」という印象を抱くべきではないと強調する。彼はトリムールティとは、この時代のヒンドゥー教において、一元論的な、あるいはほぼ一元論的な傾向が強くなる中で、もともとあった3人組的なコンセプト、加えてブラフマンは1つであり、始まりも終わりもないという由緒ある思想をリフォームしようとした結果であり、徐々に広まるヴィシュヌ信仰と、それとは相いれないシヴァ信仰という両者の関係の中に、ブラフマンの象徴であるブラフマーを加えた3柱の補完関係を見出し、これらを統合しようとした結果であるとする。ホンダによればトリムールティは、たしかに宗派ごとに信仰する神を上位に立たせようとする傾向はあるものの、少なくとも「単一の至高の存在の3つの顕現」というアイデアからは逸脱してない。この理論は、3つの神の地位を還元してひとつの神の様相とすることによって宗教的包括主義を促進した。すなわち他人の宗教や人生観、世界、信条、教義をネクスト・ベストと考えて、拒絶するのではなく適応させるというヒンドゥー教の特色の形成に貢献している。 また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)はトリムールティを、様々な神格を異なる基準で取り込むことができるという、ヒンドゥー教がいくつか備えている枠組みの内のひとつであると表現している。 8世紀までにはトリムールティを奉る寺院が複数現れている。3柱の並びも寺院によってさまざまである。現代でもいくつかの寺院ではトリムールティが信仰されている。
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"マイトリー・ウパニシャッド(紀元前10世紀の後半)にはトリムールティの3神が1組として触れられており、トリムールティの起原としてしばしば言及される。例えば4章の5節では、何について瞑想するのが一番良いかという議論が展開される。瞑想する対象として上がるのが、アグニ(火)、ヴァーユ(大気)、アーディティヤ(日)、カーラ(時間)、プラーナ(呼吸、あるいは活力)、アンナ(食べ物)、そしてブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラの9つである。ヤン・ホンダによれば、アグニ、ヴァーユ、アーディティヤはヴェーダ時代初期の主要な3柱であり、それぞれ地上、大気、天界を代表する。次の時間、活力、食べ物はブラフマンの、中でも早い段階の顕現ではないかという議論をウパニシャッド期の初期に見ることができる。この並びを考慮すると、マイトリー・ウパニシャッドの著者はブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラ(すなわちシヴァ)に相互補完関係を見ていたようにも読み取れ、この視点はトリムールティ理論にも含まれている。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、クツァーヤナ賛歌(Kutsayana)と呼ばれる5章1節でもこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている。汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。アートマン(魂、我)はブラフマーをはじめとするブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝はルドラ(シヴァ)である、汝はアグニ、ヴァルナ、ヴァーユ、インドラであり、汝は全てである」。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "マイトリー・ウパニシャッドの5章2節ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナと関連づけられている。グナとはすべての生物に見いだすことのできる性質、精神、生来の傾向であるとされ、世界は翳質(タマス)から生じたと語られている。その後世界はそれ自体の作用により活動し激質(ラジャス)となり、そして精錬、純化され純質(サットヴァ)となった。これら3つのグナのうち、ブラフマーはラジャス(激質)、ヴィシュヌはサットヴァ(純質)、ルドラ(シヴァの前身)はタマス(翳質)をそれぞれ受け持っている。ただしマイトリー・ウパニシャッドは3柱をトリグナ理論のそれぞれの要素に当てはめてはいるものの、トリムールティの3柱が持つとされている3つの役割については言及していない。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ヒンドゥー教はその後ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(紀元前およそ700年)の頃から、重視される神を徐々に減らしていく。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは哲人ヤージュニャヴァルキヤが「存在するのは単一のブラフマンのみである」という梵我一如の理論を展開している。このヒンドゥー教における一元論(不二一元論)的な思想の発現がトリムールティの形成に少なからず影響を及ぼしたと考えられている。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "トリムールティ理論はオリジナルのマハーバーラタ(紀元前4世紀)には登場しないと一般的には考えられている。つまりマハーバーラタの著者はトリムールティ理論を意識していなかったように思われる。しかし後に編集されたマハーバーラタの付録にはトリムールティ理論を感じされる文言が含まれている。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "加えて、間違いなくトリムールティの理論を意識して書かれたと考えられている記述は、マハーバーラタの補遺とされるハリヴァンシャ(英語版)(紀元前1-2世紀)に見つけられる。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ヴァーユプラーナ(シヴァ派、300-500年。プラーナとしては最古の物)は5章17節でトリムールティに触れている。ヤン・ホンダは、ブラフマンの3つの顕現という考えがしっかりとした教義になったのはこれが初めてではないかとしている。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァをひとつの存在として同一視するというアイデアはクールマ・プラーナ(8世紀頃)にて大いに強調されている。1章の6節ではブラフマンはトリムールティであるとして崇められる。特に1章の9節では3柱の神の統合を、1章26節でも同じ主題を繰り返し語っている。", "title": "歴史、背景" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "トリムールティの役割分担がどのようにして決まったのかについては議論が残る。原始的なトリムールティでは3柱が完全に同格であり、それぞれの役割は交換可能だったとする考え方もある。", "title": "創造、維持、破壊/再生という3つの役割" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ホンダの見方では、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代のインド人が自然に感じた神性を象徴しているとする。ヴィシュヌには全ての生物がそこに依存せざるをえない宇宙を遍く満たす、力強く、慈悲深いエネルギーが表現されており、一方のルドラ・シヴァには粗野で御しがたく、気まぐれで、危険な自然が表現されている。そこからそれぞれのキャラクター、英雄譚は発展し西暦前までに出来上がっているとする。", "title": "創造、維持、破壊/再生という3つの役割" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ベイリーはブラフマー神はブラフマンを神格化したものだとしている。また彼によれば、マハーバーラタではブラフマーが創造の役割を担い、ヴィシュヌが維持の役割を担うとする言及が随所にみられるが、シヴァの破壊という役割に関してははっきりと描写されていない。破壊的な属性を感じさせるエピソードはあるものの、ほのめかしにとどまっている。そのためベイリーは、シヴァの役割はマハーバーラタの後に徐々に固まっていったのではないかとしている。", "title": "創造、維持、破壊/再生という3つの役割" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "アンゲロ・デ・グベルナティス(英語版)はプラーナ文献に見られる3柱のキャラクターについて、ブラフマーは自分の神秘的な力を、ヴィシュヌは自分の英雄的資質を、シヴァは精力と富を享受している、と表現している。加えて順に賢者、強者、金持ちといった社会的立場に対応するとも記している。ベイリーによればデ・グベルナティスの示す神秘的な力、英雄的資質、繁殖力というそれぞれのキャラクターはそれぞれのカルパ(宇宙の寿命)においてトリムールティが担う創造、維持、破壊という3柱の役割と矛盾しない。しかしそれでもなお、シヴァの役割には曖昧さが残るとも語っている。シヴァの役割は破壊であり再生であるとされ、プラーナの神話に描かれるシヴァは繁殖力を象徴することが多い。シンボルとされるリンガもやはり繁殖力を象徴している。一方でシヴァは色欲とは無縁のヨーガ修行者としての顔も持つ。このことに関してベイリーはシヴァの受け持つ第3フェイズの役割は一言で説明しきれないからではないかとしている。", "title": "創造、維持、破壊/再生という3つの役割" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論がヒンドゥー教の文献の中に現れることは稀であり、このコンセプトが宗教美術のテーマとされることも珍しく、生きた信仰としてはヒンドゥー教に受け入れられてこなかった。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないかという見方が存在する。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ダヴァモニーによれば、マハーバーラタの中でも古い時代に書かれた部分ではブラフマーが最高神とされているが、時代が下るにつれてヴィシュヌとシヴァが目立つようになってくる。そして12巻のシャンティ・パルヴァン(英語版)には、この3柱の本質がひとつであると宣言することによって、それを調停しようする意図が読み取れる記述があるとする。マハーバーラタが記されたのは、古い部分ではBC8-9世紀、完成したのは4世紀頃と考えられている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "歴史学者ラメシュ・チャンドラ・マジュンダル(英語版)はヴィシュヌ派とシヴァ派にとどまらず、このプラーナ文献の時代(300-1200年)に表れる様々な宗派の間に見ることのできる協調と調和の精神に注目している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "マジュンダルによれば、この時代は宗教的な均質性を欠き、ヴェーダ時代の信仰の名残としての正統派バラモン教を含めて様々な宗派が混在した。中でもシヴァ派、ヴィシュヌ派、シャクティ派が代表的で、これらは正統派に分類されるものの、それぞれ独自の信仰を形づくっていた。この信仰間の協調に関してマジュンダルは以下のように述べている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ニコラス・サットンは以下のように語る。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "歴史家のアーサー・ルエリン・バシャム(英語版)はトリムールティというコンセプトの背景を以下のように語っている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "一方でヤン・ホンダは、「トリムールティはシヴァ派とヴィシュヌ派の対立関係を調停するために意図的に作られたものである」という印象を抱くべきではないと強調する。彼はトリムールティとは、この時代のヒンドゥー教において、一元論的な、あるいはほぼ一元論的な傾向が強くなる中で、もともとあった3人組的なコンセプト、加えてブラフマンは1つであり、始まりも終わりもないという由緒ある思想をリフォームしようとした結果であり、徐々に広まるヴィシュヌ信仰と、それとは相いれないシヴァ信仰という両者の関係の中に、ブラフマンの象徴であるブラフマーを加えた3柱の補完関係を見出し、これらを統合しようとした結果であるとする。ホンダによればトリムールティは、たしかに宗派ごとに信仰する神を上位に立たせようとする傾向はあるものの、少なくとも「単一の至高の存在の3つの顕現」というアイデアからは逸脱してない。この理論は、3つの神の地位を還元してひとつの神の様相とすることによって宗教的包括主義を促進した。すなわち他人の宗教や人生観、世界、信条、教義をネクスト・ベストと考えて、拒絶するのではなく適応させるというヒンドゥー教の特色の形成に貢献している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)はトリムールティを、様々な神格を異なる基準で取り込むことができるという、ヒンドゥー教がいくつか備えている枠組みの内のひとつであると表現している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "8世紀までにはトリムールティを奉る寺院が複数現れている。3柱の並びも寺院によってさまざまである。現代でもいくつかの寺院ではトリムールティが信仰されている。", "title": "トリムールティ寺院" } ]
三神一体(さんしんいったい)またはトリムールティは、ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎないというヒンドゥー教の理論である。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱は、宇宙の創造、維持、破壊という3つの機能が3人組という形で神格化されたものであるとする。一般的にはブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァがそれぞれ創造、維持、破壊/再生を担うとされるが、宗派によってバリエーションが存在する。 トリムールティはコンセプトであるが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神を融合した形で象徴的に偶像化されることがある。1つの首から3つの頭が伸びるデザインや、1つの頭に3つの顔を持つというバリエーションが存在し、エレファンタ石窟群のトリムールティ像が有名である。また、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神の集合名として「トリムールティ」が用いられることもある。これら3柱の神格が1つのアヴァターラとして顕現したものがダッタートレーヤである。
[[File:Trimurti ellora.jpg|thumb|250px|エローラ石窟寺院のトリムールティ像。[[マハーラーシュトラ州]]。]] {{Hinduism}} '''三神一体'''(さんしんいったい)または'''トリムールティ'''([[サンスクリット]]: त्रिमूर्तिः ''{{IAST|trimūrti}}''、"3つの形"の意)は、[[ブラフマー]]と[[ヴィシュヌ]]と[[シヴァ]]は同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎないという[[ヒンドゥー教]]の理論である<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url= https://kotobank.jp/word/三神一体-1170062|title= コトバンク / 三神一体|accessdate= 2016年12月12日|publisher= The Asahi Shimbun Company / VOYAGE GROUP, Inc.}}</ref>{{Sfn|Jansen|2003|p=83}}。すなわち、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱は、宇宙の創造、維持、破壊という3つの機能が3人組という形で神格化されたものであるとする。一般的には[[ブラフマー]]、[[ヴィシュヌ]]、[[シヴァ]]がそれぞれ創造、維持、破壊/再生を担うとされるが<ref>For quotation defining the trimurti see Matchett, Freda. "The {{IAST|Purāṇas}}", in: Flood (2003), p. 139.</ref><ref>For the Trimurti system having [[ブラフマー|Brahma]] as [[the creator]], [[ヴィシュヌ|Vishnu]] as [[the maintainer or preserver]], and [[シヴァ|Shiva]] as the [[transformer or destroyer]]. see Zimmer (1972) p. 124.</ref>、宗派によってバリエーションが存在する。 トリムールティはコンセプトであるが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神を融合した形で象徴的に偶像化されることがある{{Sfn|Jansen|2003|p=83}}。1つの首から3つの頭が伸びるデザインや、1つの頭に3つの顔を持つというバリエーションが存在し{{Sfn|Jansen|2003|p=83}}、[[エレファンタ石窟群]]のトリムールティ像が有名である。また、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神の集合名として「トリムールティ」が用いられることもある。これら3柱の神格が1つの[[アヴァターラ]]として顕現したものが{{仮リンク|ダッタートレーヤ|en|Dattatreya}}である<ref>{{Cite web|last1=Mhatre|first1=Sandeep|title=Datta Sampradaay and Their Vital Role|url=http://swamisamarthmath.com/en/dattasampraday.html|location=Swami Samarth temple|accessdate=unknown|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304074548/http://swamisamarthmath.com/en/dattasampraday.html|archivedate=2016年03月04日}}</ref>。 == 歴史、背景 == 「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱が単一の神聖な存在から顕現する、それぞれ創造、維持、破壊という別の機能を有する3つの様相である」とするトリムールティの理論は、ヴェーダの時代以降、すなわち紀元前500年以降に定着したと考えられている{{Sfn|Dhavamony|1982|p=63}}。しかしブラフマン(至高の存在、宇宙の根本原理)が3つの様相を持つというアイデア、神々を3つのグループに大別するというアイデア、神が全て同一であるとするアイデアなど、トリムールティ理論の要素はヒンドゥー哲学の中に古くから存在する{{Sfn|Dhavamony|1982|p=63}}。 {{仮リンク|ヤン・ホンダ|en|Jan Gonda}}<ref>原實『ヤン・ホンダ選集、第六巻』、東洋学報 / The Toyo Gakuho 75(3・4), 01-07(432~438), 1994-03 </ref>は[[リグ・ヴェーダ]]時代(およそ紀元前1700-1100年)、すなわちヒンドゥー教([[バラモン教]])の最も古い時代の最高神、火の神[[アグニ]]の持つ3つの性格からトリムールティが発展したのではないかとしている{{Sfn|Gonda|1990|p=218}}。アグニはリグ・ヴェーダでは3つの体と地位を持つとされ{{Sfn|Gonda|1990|p=218}}、地上では[[火]]として、[[大気]]では[[雷]]として、[[空]]では[[太陽]]としてヴェーダの世界に存在した{{Sfn|Lochtefeld|2002|p=15}}。 神々に火、大気、太陽を、そこから発展して地上、大気(または水)、天界を代表させるという考え方はヴェーダ時代(およそ紀元前1500-500年)の早い段階から存在し、例えばそれはヴェーダ初期にはアグニ、[[ヴァーユ]](風)、アーディティヤ(Aditya太陽)であったり{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}、アグニ、[[インドラ]](雷)、[[スーリヤ]](太陽)であったりと{{Sfn|Lochtefeld|2002|p=15}}{{Sfn|D'Souza|1996|p=340}}様々な文献で別々の神々の組み合わせが見られる{{Sfn|Gonda|1990|p=216}}{{Refn|group="注釈"|リグ・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダでは33の神がおり、天と地とその他に属する11柱ずつ3つのグループに分けられるという記述がある{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}。}}。後にトリムールティの3神となるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれ、アグニ、スーリヤ、インドラから発展したとも考えられており、この見方をするとトリムールティの3神も地、天、大気を象徴する神々という分類ができる{{Sfn|D'Souza|1996|p=340}}{{Sfn|Dhavamony|1982|p=63}}{{Refn|group="注釈"|ヴィシュヌはスーリヤ、ヴァルナ<!--ソースに書いてあるけどこの人水属性じゃないのかな-->、[[ミトラ]]と、シヴァはインドラ、ヴァーユ、[[マルト神群]]、[[ルドラ]]とそれぞれ関連付けられる{{Sfn|Dhavamony|1982|p=63}}。アグニは生命の創造者という性格を持っており、創造神ブラフマーを連想できる{{Sfn|Dhavamony|1982|p=63}}。}}。 === マイトリー・ウパニシャッド === [[マイトリー・ウパニシャッド]](紀元前10世紀の後半)にはトリムールティの3神が1組として触れられており、トリムールティの起原としてしばしば言及される{{Sfn|Bailey|1979|p=152}}。例えば4章の5節では、何について瞑想するのが一番良いかという議論が展開される{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}{{Sfn|Max|1879|p=302}}。瞑想する対象として上がるのが、アグニ(火)、ヴァーユ(大気)、アーディティヤ(日)、カーラ(時間)、プラーナ(呼吸、あるいは活力)、アンナ(食べ物)、そしてブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラの9つである{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}{{Sfn|Max|1879|p=302}}。ヤン・ホンダによれば、アグニ、ヴァーユ、アーディティヤはヴェーダ時代初期の主要な3柱であり、それぞれ地上、大気、天界を代表する{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}。次の時間、活力、食べ物はブラフマンの、中でも早い段階の顕現ではないかという議論をウパニシャッド期の初期に見ることができる{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}。この並びを考慮すると、マイトリー・ウパニシャッドの著者はブラフマー、ヴィシュヌ、ルドラ(すなわちシヴァ)に相互補完関係を見ていたようにも読み取れ、この視点はトリムールティ理論にも含まれている{{Sfn|Gonda|1990|p=215}}。 また、クツァーヤナ賛歌(Kutsayana)と呼ばれる5章1節でもこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている{{Sfn|Hume|1921|pp=422–424}}。汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂を[[ブラフマン]]であると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。[[アートマン]](魂、我)はブラフマーをはじめとするブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝は[[ルドラ]](シヴァ)である、汝は[[アグニ]]、[[ヴァルナ]]、[[ヴァーユ]]、[[インドラ]]であり、汝は全てである」{{Sfn|Hume|1921|pp=422–424}}{{Sfn|Max|1879|p=303}}。 マイトリー・ウパニシャッドの5章2節ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはそれぞれが3つのグナと関連づけられている{{Sfn|Bailey|1979|p=152}}。グナとはすべての生物に見いだすことのできる性質、精神、生来の傾向であるとされ{{Sfn|Gonda|1990|p=215-219}}、世界は翳質(タマス)から生じたと語られている{{Sfn|Max|1879|p=303}}。その後世界はそれ自体の作用により活動し激質(ラジャス)となり、そして精錬、純化され純質(サットヴァ)となった{{Sfn|Hume|1921|pp=422–424}}{{Sfn|Max|1879|p=303}}。これら3つのグナのうち、ブラフマーはラジャス(激質)、ヴィシュヌはサットヴァ(純質)、ルドラ(シヴァの前身)はタマス(翳質)をそれぞれ受け持っている{{Sfn|Deussen|unknown|pp=344-346}}。ただしマイトリー・ウパニシャッドは3柱をトリグナ理論のそれぞれの要素に当てはめてはいるものの、トリムールティの3柱が持つとされている3つの役割については言及していない{{Sfn|Bailey|1979|pp=152-163}}。<!--4.5と6.5も紹介しよう--> === 梵我一如理論の登場 === ヒンドゥー教はその後[[ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド]](紀元前およそ700年)の頃から、重視される神を徐々に減らしていく{{Sfn|Gonda|1990|p=219|}}。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは哲人[[ヤージュニャヴァルキヤ]]が「存在するのは単一のブラフマンのみである」という[[梵我一如]]の理論を展開している{{Refn|BAU.3.9.1 ff.{{Sfn|Gonda|1990|p=219}}}}。このヒンドゥー教における一元論([[不二一元論]])的な思想の発現がトリムールティの形成に少なからず影響を及ぼしたと考えられている{{Sfn|Gonda|1990|p=214}}。 === トリムールティ理論の発現 === トリムールティ理論はオリジナルのマハーバーラタ(紀元前4世紀{{Refn|group="注釈"|古い部分はBC8-9世紀、完成したのは4世紀頃と考えられている。}})には登場しないと一般的には考えられている{{Sfn|Gonda|1990|p=220}}。つまりマハーバーラタの著者はトリムールティ理論を意識していなかったように思われる。しかし後に編集されたマハーバーラタの付録にはトリムールティ理論を感じされる文言が含まれている{{Sfn|Gonda|1990|p=220}}{{Sfn|Hopkins|1915|pp=223-224}}。 {{Quote|至高の魂は3つの様相を持つ。ブラフマーの姿は世界を創造する者であり、ヴィシュヌの姿は世界を維持する者であり、ルドラの姿は世界を破壊する者である。<br>3つの様相を持つブラジャーパティはトリムールティである。|マハーバーラタ 3.272.47 および 3.270.47{{refn|"The supreme Spirit has three conditions. In the form of Brahma he is the creator, and in the form of Vishnu he is the preserver, and in his form as Rudra, he is the destroyer of the universe", "Prajapati whose three avasthah are the trimurti".{{Sfn|Dhavamony|1982|p=66}}}}}} 加えて、間違いなくトリムールティの理論を意識して書かれたと考えられている記述は、マハーバーラタの補遺とされる{{仮リンク|ハリヴァンシャ|en|Harivamsa}}(紀元前1-2世紀)に見つけられる{{Sfn|Dhavamony|1982|p=66}}{{Sfn|Bailey|1979|p=152}}<ref name="kotobank"/>。{{Refn|group="注釈"|マハーバーラタに「トリムールティ」という言葉が見つかるからと言ってトリムールティ理論と直結するわけではない。}} {{Quote|ヴィシュヌとされる者はルドラである。ルドラとされる者はピタマハー(ブラフマー)である。本質は1つ、神は3つ、ルドラ、ヴィシュヌ、ピタマハーである。|ハリヴァンシャ 10662{{Refn|"He who is Vishnu is Rudra; he who is Rudra is Pitamaha (Brahma): the substance is one, the gods are three, Rudra, Vishnu, Pitamaha."{{Sfn|Dhavamony|1982|p=66}}}}{{Refn|group="注釈"|10660 ffもよく引き合いにだされる。"I perceive thereby no difference between Siva who exists in the form of Vishnu, and Vishnu who exists in the form of Siva, I shall declare to thee that form composed of Hari and Hara combined, which is without beginning, or middle, or end, imperishable undecaying. He who is Vishnu is Rudra; he who is Rudra is Pitamaha: the substance is one, the gods are three, Rudra, Vishnu, and Pitamaha."{{Sfn|Dhavamony|1982|p=66}}}}}} ヴァーユプラーナ(シヴァ派、300-500年。プラーナとしては最古の物)は5章17節でトリムールティに触れている{{Sfn|Gonda|1990|p=220}}。ヤン・ホンダは、ブラフマンの3つの顕現という考えがしっかりとした教義になったのはこれが初めてではないかとしている{{Sfn|Gonda|1990|p=220}}。 === プラーナ文献に見られるトリムールティ === ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァをひとつの存在として同一視するというアイデアは[[クールマ・プラーナ]](8世紀頃)にて大いに強調されている。1章の6節ではブラフマンはトリムールティであるとして崇められる。特に1章の9節では3柱の神の統合を、1章26節でも同じ主題を繰り返し語っている<ref>For references to {{IAST|Kūrma}} Purana see: Winternitz, volume 1, p. 573, note 2.</ref>。 == 創造、維持、破壊/再生という3つの役割 == トリムールティの役割分担がどのようにして決まったのかについては議論が残る。原始的なトリムールティでは3柱が完全に同格であり、それぞれの役割は交換可能だったとする考え方もある{{Sfn|Dhavamony|1982|p=67}}。 ホンダの見方では、ヴィシュヌとシヴァのキャラクターは古代のインド人が自然に感じた神性を象徴しているとする{{Sfn|Gonda|1990|p=224}}。ヴィシュヌには全ての生物がそこに依存せざるをえない宇宙を遍く満たす、力強く、慈悲深いエネルギーが表現されており、一方のルドラ・シヴァには粗野で御しがたく、気まぐれで、危険な自然が表現されている{{Sfn|Gonda|1990|p=224}}。そこからそれぞれのキャラクター、英雄譚は発展し西暦前までに出来上がっているとする{{Sfn|Gonda|1990|p=224}}。 ベイリーはブラフマー神はブラフマンを神格化したものだとしている{{Sfn|Bailey|1979|p=160}}。また彼によれば、マハーバーラタではブラフマーが創造の役割を担い、ヴィシュヌが維持の役割を担うとする言及が随所にみられるが、シヴァの破壊という役割に関してははっきりと描写されていない{{Sfn|Bailey|1979|p=153}}。破壊的な属性を感じさせるエピソードはあるものの、ほのめかしにとどまっている{{Sfn|Bailey|1979|p=153}}。そのためベイリーは、シヴァの役割はマハーバーラタの後に徐々に固まっていったのではないかとしている{{Sfn|Bailey|1979|p=153}}。 {{仮リンク|アンゲロ・デ・グベルナティス|en|Angelo de Gubernatis}}はプラーナ文献に見られる3柱のキャラクターについて、ブラフマーは自分の神秘的な力を、ヴィシュヌは自分の英雄的資質を、シヴァは精力と富を享受している、と表現している{{Sfn|Bailey|1979|p=156}}。加えて順に賢者、強者、金持ちといった社会的立場に対応するとも記している{{Sfn|Bailey|1979|p=156}}。ベイリーによればデ・グベルナティスの示す神秘的な力、英雄的資質、繁殖力というそれぞれのキャラクターはそれぞれの[[劫|カルパ]](宇宙の寿命)においてトリムールティが担う創造、維持、破壊という3柱の役割と矛盾しない{{Sfn|Bailey|1979|pp=156-161}}。しかしそれでもなお、シヴァの役割には曖昧さが残るとも語っている{{Sfn|Bailey|1979|p=161}}。シヴァの役割は破壊であり再生であるとされ、プラーナの神話に描かれるシヴァは繁殖力を象徴することが多い。シンボルとされる[[リンガ (シンボル)|リンガ]]もやはり繁殖力を象徴している。一方でシヴァは色欲とは無縁のヨーガ修行者としての顔も持つ{{Sfn|Bailey|1979|p=161}}。このことに関してベイリーはシヴァの受け持つ第3フェイズの役割は一言で説明しきれないからではないかとしている{{Sfn|Bailey|1979|pp=156-157}}。 ==評価== [[ファイル:Brahma, Vishnu and Shiva seated on lotuses with their consorts, ca1770.jpg|thumb|トリムールティと[[トリデーヴィー]]。]] [[ファイル:Halebid3.JPG|right|300px|thumb|{{仮リンク|ハレビドゥ|en|Halebidu}}のホイサレスワラ寺院に見られるトリムールティ。左から、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌ。]] [[ファイル:Brahma Vishnu Mahesh.jpg|thumb|right|250px|トリムールティ。[[アーンドラ・プラデーシュ州]]。]] 「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は力関係の上では同等であり、単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする3つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論がヒンドゥー教の文献の中に現れることは稀であり<ref>Winternitz, volume 1, p. 452, note 1.</ref>{{Sfn|Gonda|1990|p=213}}、このコンセプトが宗教美術のテーマとされることも珍しく{{Sfn|Gonda|1990|p=213}}、生きた信仰としてはヒンドゥー教に受け入れられてこなかった{{Sfn|Gonda|1990|p=214}}<ref name="名前なし-1">For quotation see: see: Majumdar, R. C. "Evolution of Religio-Philosophic Culture in India", in: Radhakrishnan (CHI, 1956), volume 4, p. 49.</ref><ref name="名前なし-2">Basham, pp. 310-311.</ref>。 トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないかという見方が存在する<ref name="名前なし-3">For harmony between orthodox and sectarian groups, see: Majumdar, R. C. "Evolution of Religio-Philosophic Culture in India", in: Radhakrishnan (CHI, 1956), volume 4, p. 49.</ref>{{Sfn|Dhavamony|1982|p=67}}。 ダヴァモニーによれば、マハーバーラタの中でも古い時代に書かれた部分ではブラフマーが最高神とされているが、時代が下るにつれてヴィシュヌとシヴァが目立つようになってくる{{Sfn|Dhavamony|1982|p=67}}。そして12巻の{{仮リンク|シャンティ・パルヴァン|en|Shanti Parva}}には、この3柱の本質がひとつであると宣言することによって、それを調停しようする意図が読み取れる記述があるとする{{Sfn|Dhavamony|1982|p=67}}{{Refn|group="注釈"|12.342}}。マハーバーラタが記されたのは、古い部分ではBC8-9世紀、完成したのは4世紀頃と考えられている。 歴史学者{{仮リンク|ラメシュ・チャンドラ・マジュンダル|en|R. C. Majumdar}}はヴィシュヌ派とシヴァ派にとどまらず、この[[プラーナ文献]]の時代(300-1200年)に表れる様々な宗派の間に見ることのできる協調と調和の精神に注目している<ref name="名前なし-3"/>。 マジュンダルによれば、この時代は宗教的な均質性を欠き、ヴェーダ時代の信仰の名残としての正統派[[バラモン教]]を含めて様々な宗派が混在した。中でも[[シヴァ派]]、[[ヴィシュヌ派]]、[[シャクティ派]]が代表的で、これらは正統派に分類されるものの、それぞれ独自の信仰を形づくっていた<ref>For characterization as non-homogeneous and including multiple traditions, see: Majumdar, R. C. "Evolution of Religio-Philosophic Culture in India", in: Radhakrishnan (CHI, 1956), volume 4, p. 49.</ref>。この信仰間の協調に関してマジュンダルは以下のように述べている。 {{Quote|その(協調の)最も重要な成果はトリムールティという神学的コンセプトに見られる。すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという3柱の形での最高神の顕現である。(中略)しかしのこ試みは大成功を収めたとはみなされていない。ブラフマーはシヴァやヴィシュヌと比較して支配的な立場を確立することに失敗している。さらには各宗派はしばしばトリムールティを、自分たちの宗派が信仰する絶対的な神、あるいは[[ブラフマン]]であるとする神が、3柱の神の姿に顕現したものであるという立場をとろうとする。<ref name="名前なし-1"/>}} ニコラス・サットンは以下のように語る。 {{Quote|ヒンドゥー教の伝統のなかで、ブラフマーがヴィシュヌやシヴァのような信仰を集めたことがあったのか、ブラフマーが最高神であると見なされたことが一度でもあったのだろうかという疑問を抱くのは当然である。<ref>{{Cite book|last1=Sutton|first1=Nicholas|title=Religious doctrines in the Mahābhārata|date=2000|publisher=Motilal Banarsidass Publishers|location=Delhi|isbn=81-208-1700-1|pages=182|edition=1st}}</ref></blockquote>}} 歴史家の{{仮リンク|アーサー・ルエリン・バシャム|en|Arthur Llewellyn Basham}}はトリムールティというコンセプトの背景を以下のように語っている。 {{Quote|西洋の初期の研究者たちはヒンドゥー教と[[キリスト教]]の双方に存在する[[トリニティ]](すなわち三神一体と三位一体)という共通点に心ひかれた。しかしこの共通点は実際にはそれほど近いものではない。ヒンドゥー教のトリニティは、キリスト教のトリニティとは違い、広く受け入れられることが無かった。ヒンドゥー教のすべてのトリニティ主義はいずれか一つの神に肩入れしたがる傾向がある。この文脈からすると[[カーリダーサ]]によるトリムールティに捧げられた賛歌は、その実最高神ブラフマーに向けられたものである。トリムールティというコンセプトは実際のところ意図的に仕掛けられたものであり、ほとんど影響をもたらさなかった。<ref name="名前なし-2"/>}} 一方でヤン・ホンダは、「トリムールティはシヴァ派とヴィシュヌ派の対立関係を調停するために意図的に作られたものである」という印象を抱くべきではないと強調する{{Sfn|Gonda|1990|p=214}}。彼はトリムールティとは、この時代のヒンドゥー教において、一元論的な、あるいはほぼ一元論的な傾向が強くなる中で、もともとあった3人組的なコンセプト、加えてブラフマンは1つであり、始まりも終わりもないという由緒ある思想をリフォームしようとした結果であり、徐々に広まるヴィシュヌ信仰と、それとは相いれないシヴァ信仰という両者の関係の中に、ブラフマンの象徴であるブラフマーを加えた3柱の補完関係を見出し、これらを統合しようとした結果であるとする{{Sfn|Gonda|1990|p=214}}。ホンダによればトリムールティは、たしかに宗派ごとに信仰する神を上位に立たせようとする傾向はあるものの、少なくとも「単一の至高の存在の3つの顕現」というアイデアからは逸脱してない{{Sfn|Gonda|1990|p=221}}。この理論は、3つの神の地位を還元してひとつの神の様相とすることによって宗教的包括主義を促進した{{Sfn|Gonda|1990|p=225}}。すなわち他人の宗教や人生観、世界、信条、教義をネクスト・ベストと考えて、拒絶するのではなく適応させるというヒンドゥー教の特色の形成に貢献している{{Sfn|Gonda|1990|p=225}}。 また、フリーダ・マチェット(Freda Matchett)はトリムールティを、様々な神格を異なる基準で取り込むことができるという、ヒンドゥー教がいくつか備えている枠組みの内のひとつであると表現している<ref>Matchett, Freda. "The {{IAST|Purāṇas}}", in Flood (2003), p. 139.</ref>。 ==トリムールティ寺院== 8世紀までにはトリムールティを奉る寺院が複数現れている。3柱の並びも寺院によってさまざまである。現代でもいくつかの寺院ではトリムールティが信仰されている。 *{{仮リンク|バロリ寺院|en|Baroli Temples#Trimurti temple}} *[[エレファンタ石窟群]] *{{仮リンク|ミトラナンタプラム・トリムールティ寺院|en|Mithrananthapuram Trimurti Temple}} *[[プランバナン寺院群]] *{{仮リンク|ウェスタン・チャールキヤ・アーキテクチャー|en|Western Chalukya architecture#Stellate plans}} *{{仮リンク|トリプルヤール・トリムールティ寺院|en|Thripaya Trimurti Temple}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==参考文献== *{{Cite book|last=Basham|first=A. L.|title=The Wonder That Was India: A Survey of the Culture of the Indian Sub-Continent Before The Coming of the Muslims|publisher=Grove Press, Inc.,|location=New York|year=1954}} *{{Cite book |last=Courtright |first=Paul B. |authorlink= |coauthors= |title={{IAST|Gaṇeśa}}: Lord of Obstacles, Lord of Beginnings |year=1985 |publisher=Oxford University Press |location=New York |isbn=0-19-505742-2 }} *{{Cite book |last=Flood |first=Gavin |authorlink= |coauthors= |title=An Introduction to Hinduism |year=1996 |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge |isbn= 0-521-43878-0}} *{{Cite book |last=Flood |first=Gavin (Editor)|authorlink= |coauthors= |title=The Blackwell Companion to Hinduism|year=2003 |publisher=Blackwell Publishing Ltd.|location=Malden, MA|isbn=1-4051-3251-5 }} *{{Cite book |last=Zimmer |first=Heinrich|authorlink= |coauthors= |title=Myths and Symbols in Indian Art and Civilization |year=1972 |publisher=Princeton University Press |location=Princeton, New Jersey |isbn=0-691-01778-6 }} *{{Cite book |last=Jansen |first=Eva Rudy|authorlink= |coauthors= |title=The Book of Hindu Imagery|year=2003 |publisher=Binkey Kok Publications BV|location=Havelte, Holland|isbn=90-74597-07-6|pp=83}} * {{Citation| last = Gonda| first = Jan| title = Anthropos, 第 85 巻、第 1~6 号 / The hindu trinity| publisher = Zaunrith'sche buch-, kunst- und steindruckerei, akt.-ges.| year = 1990}} * {{Citation| last = Lochtefeld| first = James G| authorlink=| title = The Illustrated Encyclopedia of Hinduism: A-M| publisher = The Rosen Publishing Group| year = 2002| isbn= 9780823931798}} * {{Citation| last = Dhavamony| first = Mariasusai| authorlink=| title = Classical Hinduism| publisher = Gregorian Biblical BookShop| year = 1982| isbn= 9788876524820}} * {{Citation| last = D'Souza| first = Rudolf V.| authorlink=| title = The Bhagavadgītā and St. John of the Cross: A Comparative Study of the Dynamism of Spiritual Growth in the Process of God-realisation| publisher = Gregorian Biblical BookShop| year = 1996| isbn= 9788876526992}} * {{Citation| last = Bailey| first = G.M.| authorlink=| title = Numen, 第 26~27 巻 / TRIFUNCTIONAL ELEMENTS IN THE MYTHOLOGY OF THE HINDU TRIMURTI| publisher = E.J. Brill| year = 1979| isbn= }} *{{Citation|first=Robert Ernest|last=Hume|title=The Thirteen Principal Upanishads |url=https://archive.org/stream/thirteenprincipa028442mbp#page/n443/mode/2up|publisher=Oxford University Press|year=1921}} *{{Citation| last = Max| first = Müller, F.| authorlink=| title = The Upanishads| publisher = Oxford, The Clarendon press| year = 1879| isbn= | url= https://archive.org/stream/upanishads02ml#page/302/mode/2up Maitrayana-Brahmana Upanishad}} * {{Citation| last = Deussen| first = Paul| authorlink=| title = Sixty Upanishads of the Veda, Volume 1| publisher = Motilal Banarsidass Publ.| year = unknown| isbn= 978-8120814684}} * {{Citation| last = Hopkins| first = Edward Washburn| authorlink=| title = Epic mythology| publisher = Strassburg K.J. Trübner| year = 1915| isbn= }} * {{Citation| last = Winternitz | first = Maurice | authorlink = モーリッツ・ヴィンターニッツ | year = 1972 | title = History of Indian Literature | location = New Delhi | publisher = Oriental Books Reprint Corporation}} ==関連項目== *[[ヒンドゥー教]] *{{仮リンク|ダッタートレーヤ|en|Dattatreya}} *[[ハリハラ]] *[[三位一体]] ==外部リンク== {{Commonscat-inline|Trimurti}} * {{Kotobank}} {{Hinduism2}} {{DEFAULTSORT:さんしんいつたい}} [[Category:ヒンドゥー教]] [[Category:名数3|しんいつたい]] [[Category:名数1|さんしんたい]] [[Category:三神]]
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4,239
1184年
1184年(1184 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1184年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1184}} {{year-definition|1184}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[伊勢平氏|平家方]] : [[寿永]]3年 ** [[清和源氏|源氏方]] : [[治承]]8年、[[元暦]]元年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1844年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[淳熙]]11年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[大定 (金)|大定]]24年 * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]7年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾祐 (西夏)|乾祐]]15年 ** [[大理国]] : [[嘉会]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[明宗 (高麗王)|明宗]]14年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3517年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[貞符]]9年 * [[仏滅紀元]] : 1726年 - 1727年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 579年 - 580年 * [[ユダヤ暦]] : 4944年 - 4945年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1184|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[3月4日]](寿永3年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[源義仲]]、[[粟津の戦い]]にて[[源範頼]]と[[源義経]]に敗れて死亡。 * [[3月20日]](寿永3年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - 源範頼と源義経、[[一ノ谷の戦い]]で[[平氏]]軍を破る。 * [[源頼朝]]、[[公文所]]・[[問注所]]を設置。 == 誕生 == {{see also|Category:1184年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月30日]](元暦元年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[九条良平]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](+ [[1240年]]) * [[エレノア・オブ・ブリタニー]]、[[ブルターニュ公国|ブルターニュ]]公女(+ [[1241年]]) * [[サアディー]]、[[イラン]]の[[詩人]](+ [[1291年]]?) * [[平知宗]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[平家の落人]](+ [[1255年]]) * [[長西]]、鎌倉時代の[[浄土宗]]の[[僧]](+ [[1266年]]) * [[肥後別当定慶]]、鎌倉時代の[[仏師]](+ 1256年以後) * [[藤原秀能]]、鎌倉時代の[[武士]]、[[歌人]](+ [[1240年]]) * [[藤原光家]]、鎌倉時代の[[公家]]、歌人(+ 没年未詳) * [[三浦泰村]]、鎌倉時代の武将、[[御家人]](+ [[1247年]]) * [[明法 (僧)|明法]]、鎌倉時代の[[浄土真宗]]の僧(+ [[1251年]]) * [[明全]]、鎌倉時代の[[臨済宗]]の僧(+ [[1225年]]) == 死去 == {{see also|Category:1184年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]] - [[テオドラ・コムネナ (オーストリア公妃)|テオドラ・コムネナ]]、[[オーストリア公]][[ハインリヒ2世 (オーストリア公)|ハインリヒ2世]]の2度目の妃(* 生年未詳) * [[1月3日]](寿永2年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]]) - [[源光経]]、[[平安時代]]の[[武将]](* 生年未詳) * 1月3日(寿永2年11月19日) - [[源光長]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * 1月3日(寿永2年11月19日) - [[明雲]]、平安時代の[[天台宗]]の[[僧]](* [[1115年]]) * [[2月3日]](寿永2年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[上総広常]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[3月4日]](寿永3年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[今井兼平]]、平安時代の武将(* [[1152年]]) * 3月4日(寿永3年1月20日) - [[源義仲]]、平安時代の武将(* [[1154年]]) * 3月4日(寿永3年1月20日)? - [[楯親忠]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * 3月4日(寿永3年1月20日)? - [[根井行親]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[3月5日]](寿永3年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[海野幸親]]、平安時代の武将(* [[1142年]]) * [[3月15日]](元暦元年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[樋口兼光]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[3月20日]](元暦元年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[平敦盛]]、平安時代の武将(* [[1169年]]) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平清貞]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平清房]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平忠度]]、平安時代の武将(* [[1144年]]) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平経俊]]、平安時代の武将(* [[1166年]]) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平経正]]、平安時代の武将、[[歌人]](* 生年未詳) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平知章]]、平安時代の武将(* [[1169年]]) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平業盛]]、平安時代の武将(* [[1169年]]?) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平通盛]]、平安時代の武将(* [[1153年]]) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平盛俊]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * 3月20日(元暦元年2月7日) - [[平師盛]]、平安時代の武将(* [[1171年]]?) * [[3月27日]](寿永3年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[小宰相]]、[[平通盛]]の妻(* [[1164年]]?) * [[5月10日]](寿永3年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[平維盛]]、平安時代の武将(* [[1158年]]) * [[6月6日]](元暦元年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[源義高 (清水冠者)|源義高]]、平安時代の武将(* [[1173年]]?) * [[6月13日]](元暦元年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[源義広 (志田三郎先生)|源義広]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[7月25日]](元暦元年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[一条忠頼]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[8月14日]](元暦元年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[平家継]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[8月26日]](元暦元年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[佐々木秀義]]、平安時代の武将(* [[1112年]]) * [[11月15日]] - [[ベアトリス1世 (ブルゴーニュ女伯)|ベアトリス1世]]、[[ブルゴーニュ伯|ブルゴーニュ女伯]]、[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]の2番目の妃(* 1140年代) * [[11月21日]](元暦元年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]) - [[覚恵 (真言宗)|覚恵]]、平安時代の[[皇族]]、[[真言宗]]の僧(* [[1151年]]) * [[庄頼家]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[手塚光盛]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[アヴィニョンのベネゼ]]、[[フランス]]出身の[[カトリック教会]]の[[聖人]](* [[1165年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1184}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1184ねん}} [[Category:1184年|*]]
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784年
784年(784 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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784年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|784}} {{year-definition|784}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[甲子]] * [[日本]] ** [[延暦]]3年 ** [[皇紀]]1444年 * [[中国]] ** [[唐]] : [[興元]]元年 * [[朝鮮]] : * [[ベトナム]] : * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=784|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 5月 - 遷都のため、[[藤原種継]]等を[[山背国]]長岡村に派遣する。 * 6月 - [[長岡宮]]造営着工する。 * 11月 - [[平城京]]から[[長岡京]]に遷都する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41905790R00C19A3CR0000/|title=長岡京跡から貴族の邸宅 寝殿造りに似た配置|publisher=日本経済新聞|date=2019-03-01|accessdate=2021-01-07}}</ref>。 * [[長安]]を追われていた[[徳宗 (唐)|徳宗]]が、『[[罪己詔]]』を発して事態を収束する == 誕生 == {{see also|Category:784年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:784年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[田悦]]、[[唐]]の[[藩鎮|節度使]] (* [[751年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|784}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=8|年代=700}} {{デフォルトソート:784ねん}} [[Category:784年|*]]
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1392年
1392年(1392 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1392年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1392}} {{year-definition|1392}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]] : [[元中]]9年([[閏月|閏]][[10月5日 (旧暦)|10月5日]]まで) ** [[北朝 (日本)|北朝]] : [[明徳]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2052年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[洪武]]25年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[恭譲王]]4年 ** [[李氏朝鮮]] : [[李成桂|太祖]]元年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]] - ** [[檀君紀元|檀紀]]3725年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[光泰]]5年 * [[仏滅紀元]] : 1934年 - 1935年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 794年 - 795年 * [[ユダヤ暦]] : 5152年 - 5153年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1392|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月24日]](明徳2年/元中8年[[12月30日 (旧暦)|12月30日]]) - [[足利義満]]によって[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]合一が実現([[明徳の和約]])。 * [[8月]] - [[李成桂]]が[[高麗]]王朝を滅ぼし、朝鮮王朝([[李氏朝鮮]])を開く。 == 誕生 == {{see also|Category:1392年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]](明徳2年/元中8年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]) - [[瑞渓周鳳]]、[[室町時代]]の[[臨済宗]]の[[僧]](+ [[1473年]]) * [[8月10日]](明徳3年/元中9年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[千葉兼胤]]、室町時代の[[武将]]、[[千葉氏]]の第15代当主(+ [[1430年]]) * [[12月18日]] - [[ヨハネス8世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]][[パレオロゴス王朝]]の[[皇帝]](+ [[1448年]]) * [[足利満隆]]、室町時代の武将(+ [[1417年]]) * [[上杉憲基]]、室町時代の[[関東管領]](+ [[1418年]]) * [[サセッタ]]、[[イタリア]]の[[画家]](+ [[1450年]]/[[1451年]]) * [[ペドロ・デ・ポルトゥガル (コインブラ公)|ペドロ・デ・ポルトゥガル]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の[[アヴィス王朝|アヴィス家]]の王族、[[コインブラ公]](+ [[1449年]]) * [[ジョン・モウブレー (第2代ノーフォーク公)|ジョン・モウブレー]]、[[イングランド]]の貴族、[[ノーフォーク公]](+ [[1432年]]) == 死去 == {{see also|Category:1392年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月24日]](明徳2年/元中8年[[12月30日 (旧暦)|12月30日]]) - [[山名氏清]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[守護大名]](* [[1344年]]) * [[2月28日]](明徳3年/元中9年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[日什]]、南北朝時代の[[日蓮宗]]の[[僧]](* [[1314年]]) * [[3月25日]](明徳3年/元中9年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[細川頼之]]、南北朝時代の[[武将]](* [[1329年]]) * [[7月15日]](明徳3年/元中9年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[渋川幸子]]、[[室町幕府]]第2代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義詮]]の[[正室]](* [[1332年]]) * [[9月25日]] - [[ラドネジのセルギイ]]、[[ロシア正教会]]の修道長、[[正教会]]の[[聖人]](* 1321年/[[1322年]]) * [[11月22日]] - [[ロバート・ド・ヴィアー (アイルランド公)]]{{要出典|date=2021-03}}、イングランドの貴族(* [[1362年]]) * [[12月23日]] - [[イザベラ・オブ・カスティル]]、[[ヨーク公]][[エドマンド・オブ・ラングリー (初代ヨーク公)|エドマンド・オブ・ラングリー]]の妃(* [[1355年]]?) * [[楠木正元]]、南北朝時代、[[室町時代]]の武将(* 生年未詳) * [[朱標]]、[[明]]の[[皇族]]、初代皇帝[[朱元璋|洪武帝]]の長男(* [[1355年]]) * [[鄭夢周]]、[[高麗]]の[[儒学者]]、政治家(* [[1337年]]) * [[沐英]]、明の[[軍人]](* [[1345年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1392}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1392ねん}} [[Category:1392年|*]]
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592年
592年(592 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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592年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|592}} {{year-definition|592}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[壬子]] * [[日本]] ** [[崇峻天皇]]5年 ** [[皇紀]]1252年 * [[中国]] ** [[隋]] : [[開皇]]12年 * [[朝鮮]] ** [[高句麗]]:[[嬰陽王]]3年 ** [[百済]]:[[威徳王 (百済)|威徳王]]39年 ** [[新羅]]:(王)[[真平王]]14年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]9年 ** [[檀紀]]2925年 * [[ベトナム]] : 開皇12年 * [[仏滅紀元]] : 1134年 - 1135年 * [[ユダヤ暦]] : 4352年 - 4353年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=592|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[12月12日]](崇峻天皇5年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - [[蘇我馬子]]、[[東漢駒]]に命じて[[崇峻天皇]]を弑逆(暗殺) == 誕生 == {{see also|Category:592年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:592年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[12月12日]](崇峻天皇5年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - [[崇峻天皇]]、第32代[[天皇]] * [[11月 (旧暦)|旧暦11月]] - [[東漢駒]]、崇峻天皇の暗殺者 * [[浄影寺]]の[[慧遠 (隋)|慧遠]]、[[北周]]、[[隋]]代の[[地論宗]]の僧(* [[523年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|592}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=6|年代=500}} {{デフォルトソート:592ねん}} [[Category:592年|*]]
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1573年
1573年(1573 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1573年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1573}} {{year-definition|1573}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[元亀]]4年、[[天正]]元年7月28日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2233年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3906年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[崇康]]8年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[嘉泰 (黎朝)|嘉泰]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2115年 - 2116年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 980年 - 981年 * [[ユダヤ暦]] : 5333年 - 5334年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1573|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月25日]](元亀3年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]) - [[ 三方ヶ原の戦い]]。[[武田信玄]]による西上作戦の一環で、[[遠江国]]において[[徳川家康]]を破る。 * [[8月25日]](元亀4年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[室町幕府]]第15代将軍[[足利義昭]]が[[槇島城の戦い]]で[[織田信長]]に降伏し追放され、室町幕府が事実上の滅亡<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%A4%E7%94%BA%E5%B9%95%E5%BA%9C-140990 室町幕府] - コトバンク</ref>。一般的にはこれをもって[[室町時代]]および[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]が終了し[[安土桃山時代]]に移行したとみなされる{{efn2|ただし、義昭はなおも将軍職にあり、[[毛利氏]]の庇護を受けて[[備後国]]鞆に御所を置いたことから[[鞆幕府]]をなおも維持していたと見なされている。この時点での滅亡は、あくまで結果論である。}}。 * [[8月27日]](天正元年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - 日本、[[改元]]して[[天正]]元年 * [[河内国]][[若江城]]主・[[三好義継]]が[[佐久間信盛]]率いる[[織田氏|織田]]軍に攻められて滅亡([[若江城の戦い]])。 == 誕生 == {{see also|Category:1573年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月10日]] - [[シモン・マリウス]]、[[ドイツ]]の[[天文学者]](+ [[1624年]]) * [[4月13日]] - [[クリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ]]、[[スウェーデン]]王[[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]]の2度目の妃(+ [[1625年]]) * [[4月17日]] - [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン1世]]、[[バイエルン選帝侯]](+ [[1651年]]) * [[4月19日]](元亀4年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[土井利勝]]、[[江戸幕府]]の[[老中]]・[[大老]](+ [[1644年]]) * [[8月16日]] - [[アンナ・フォン・エスターライヒ (1573-1598)|アンナ・フォン・エスターライヒ]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]王兼スウェーデン王[[ジグムント3世 (ポーランド王)|ジグムント3世ヴァーサ]]の王妃(+ [[1598年]]) * [[12月24日]](天正元年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]) - [[沢庵宗彭]]、[[臨済宗]]の[[僧]](+ [[1646年]]) * 月日不明 - [[お亀の方]]、[[徳川家康]]の[[側室]](+ [[1642年]]) * 月日不明 - [[織田信吉]]、[[織田信長]]八男(+ [[1615年]]) * 月日不明 - [[九鬼守隆]]、[[大名]]、[[志摩国]][[鳥羽藩]]初代藩主(+ [[1632年]]) * 月日不明 - [[ロバート・ケイツビー]]、[[イングランド]]の貴族、[[火薬陰謀事件]]の首謀者(+ [[1605年]]) * 月日不明 - [[里見義康]]、安土桃山時代の大名(+ [[1603年]]) * 月日不明 - [[島津久保]]、安土桃山時代の武将(+ [[1593年]]) * 月日不明 - [[小松姫]]、[[真田信之]]の[[正室]](+ [[1620年]]) * 月日不明 - [[崇源院]](江)、[[徳川秀忠]]の[[正室]]([[継室]])(+ [[1626年]]) * 月日不明 - [[竹中重門]]、安土桃山時代の武将(+ [[1631年]]) == 死去 == {{see also|Category:1573年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * 1月25日(元亀3年12月22日) - [[鳥居忠広]]、[[徳川十六神将]]の一人(* [[1540年]]?) * 1月25日(元亀3年12月22日) - [[夏目吉信]]、徳川氏の武将(* [[1518年]]?) * 1月25日(元亀3年12月22日) - [[成瀬正義]]、徳川氏の武将(* 生年不詳) * 1月25日(元亀3年12月22日) - [[平手汎秀]]、[[織田氏]]の武将(* [[1553年]]) * [[5月13日]](元亀4年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[武田信玄]]、[[甲斐国|甲斐]]の[[守護大名]]・[[戦国大名]](* [[1521年]]) * [[9月10日]](天正元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[斎藤龍興]]、[[美濃国]]の戦国大名(* [[1548年]]) * 9月10日(天正元年8月14日)- [[山崎吉家]]、武将、[[朝倉氏]]の家臣(* 生年不詳) * [[9月16日]](天正元年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[朝倉義景]]<ref>{{Kotobank|朝倉義景}}</ref>、[[越前国|越前]]の戦国大名(* [[1533年]]) * [[9月23日]](天正元年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[浅井久政]]、[[近江国|近江]]の戦国大名、浅井長政の父(* [[1526年]]) * [[9月26日]](天正元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[浅井長政]]、近江の戦国大名(* [[1545年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1573}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1573ねん}} [[Category:1573年|*]]
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ウルトラシリーズ
ウルトラシリーズは、日本の特撮テレビドラマシリーズである。以下の2つを指して呼びならわすことが多い。 2013年に「最も派生テレビシリーズが作られた テレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、2015年にその記録を更新している。 1966年、TBSは円谷特技プロダクション制作のテレビ番組『ウルトラQ』の大ヒットを受け、武田薬品の提供によるこの番組枠で、次作品『ウルトラマン』以降の同枠の作品群をマスコミに対し「ウルトラシリーズ」と銘打ってシリーズ化。一大社会現象となった「怪獣ブーム」の牽引役となった。なお、TBS円谷特技プロとの番組制作契約上は、ウルトラQが終了して別番組としてウルトラマンが始まったのでは無く、「ウルトラQの放送期間延長としての制作」となっている。 「怪獣ブーム」を巻き起こしたTBSの「ウルトラシリーズ」であるが、『ウルトラQ』に続く第二弾『ウルトラマン』の制作スケジュールが遅れに遅れ、放映延長が不可能となった。TBS側はこの「ウルトラシリーズ」の続行を望み、東映によって『キャプテンウルトラ』が制作され、この『キャプテンウルトラ』を、TBSは「宇宙特撮シリーズ」、「ウルトラ・シリーズ第三弾」として内外にセールスした。 『キャプテンウルトラ』終了後、この番組枠は再び円谷特技プロ制作作品に戻り、『ウルトラセブン』、『怪奇大作戦』が「ウルトラシリーズ」として放送された。したがって、TBSの作品としての「ウルトラシリーズ」は、以下の5作品である。 TBSは「タケダアワー」枠で、世界的に有名な東宝の特撮監督、円谷英二の創設した「円谷特技プロ」による、本格的特撮ドラマ『ウルトラQ』を企画。一年にわたる制作期間と破格の予算を投入し、1966年1月2日から放映開始された『ウルトラQ』は、それまで銀幕でしか観られなかった本格的な造形を持つ怪獣をお茶の間に登場させて、たちまち日本全国に一大「怪獣ブーム」を巻き起こした。 この「怪獣ブーム」のなか、TBSは番組枠のシリーズ化を決定。全28話の『ウルトラQ』を1話飛ばして終了し、円谷監督をゲストに招いて杉並公会堂で開催した『ウルトラマン前夜祭』の公開録画を放映。ブームを煽る戦略で翌週放映開始された『ウルトラマン』は大ヒットとなり、「怪獣ブーム」を過熱させた。 TBSは一連のこの特撮ドラマ枠を「ウルトラ・シリーズ」と命名。制作プロを東映に代えての後番組『キャプテンウルトラ』は「宇宙特撮シリーズ」の名の下、舞台を宇宙に拡げた「スペースオペラ」となった。『キャプテンウルトラ』も30%台の視聴率を記録したが、40%に迫っていた前作『ウルトラマン』との差を制作サイドが大きく捉えた結果、シリーズ後半から『怪獣ぞくぞくシリーズ』として、『ウルトラマン』に倣った怪獣中心の作劇に転換されることとなった。 円谷特技プロの制作体制が整うと、TBSは2クール(全26話)予定だった『キャプテンウルトラ』を2話減らし、前倒しで『ウルトラセブン』の放映を開始した。「シリーズ第四弾」である『ウルトラセブン』では、『キャプテンウルトラ』を引き継ぐ宇宙時代を題材にした作劇と、『シュピーゲル号』の合体メカニック描写が受け継がれ、初の1年間のロングラン放映となり、怪獣路線の最後を飾った。マスコミは『ウルトラセブン』の番組終了を、そのまま「怪獣ブームの終了」と同一視した。 「怪獣ブーム」終息を受けたTBSは続いて「妖怪ブーム」を当て込んだ怪奇路線に題を求め、『ウルトラQ』や『キャプテンウルトラ』同様に、巨大ヒーローの登場しない『怪奇大作戦』を放送。これがTBS「ウルトラシリーズ」最後の作品となった。 関西圏では当時のネット局である朝日放送で放映。『ウルトラマン』第26・27話の前後篇では、大阪でのロケに全面協力している。 毎回、オープニングタイトルの終わりで、「○○登場」として、その日登場する怪獣や一部ウルトラファミリーのキャラクターを出していた。 「TBSのウルトラシリーズ」とは別に、円谷プロダクションが制作した作品のみに対する呼称として「ウルトラシリーズ」が使用されており、現在はこちらが一般的である。「仮面ライダーシリーズ」「スーパー戦隊シリーズ」などと並ぶ、日本の代表的な特撮作品シリーズである。 以降、円谷プロ「ウルトラシリーズ」の主要作品を記す。特に断りがないものはテレビシリーズ。本項目にて記す各作品群の概要・特徴はあくまでも、そのグループを全体的に見た上での特徴であり、作品ごとの細かい差異・特色などについては、各作品の項目を参照。テレビ番組から派生した他メディア上の作品も含むため、円谷プロ「ウルトラシリーズ」全体の分類は複雑なものになるが、おおよそ以下のような内訳になる。 これらの作品群は、一部の例外を除き、「主人公がウルトラ○○という巨大な超人に変身して怪獣と戦うこと」を骨子としている。これより、円谷プロ版「ウルトラシリーズ」について解説する。 『キャプテンウルトラ』は、正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組の一つであるが、これは東映制作作品であるので、「円谷プロ(円谷特技プロ)の制作番組群としてのウルトラシリーズ」には含まれない。また、同じく正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組のひとつである『怪奇大作戦』は、円谷特技プロの作品であるが、現在は円谷プロ自身がシリーズに加えていないようである。 したがって、円谷プロに限って「昭和第1期ウルトラシリーズ」という呼称を用いるなら、以下の3作品がこれに当たる。 円谷プロが制作し、日本で初めて大がかりな特撮を導入したテレビドラマ『ウルトラQ』が大ヒットとなり、その後継作として制作された『ウルトラマン』が最高視聴率42%の特大ヒットとなったため、「空想特撮シリーズ」、または「ウルトラQ空想特撮シリーズ」と銘打たれる最初の番組シリーズとなった。 この円谷プロ「ウルトラシリーズ」(空想科学シリーズ)は、朝日ソノラマの「ファンタスティック・コレクション」シリーズなど、1978年以降の商業出版物によって再評価が始められた。これらの出版物では、『Q』から『セブン』までの3作品を「第1期ウルトラシリーズ」と総称し、以後定着したが、これはあくまで現在の呼称であり、放映当時のものではない。 「TBSのウルトラシリーズ」は『セブン』をもって終了するが、円谷プロとしての「ウルトラシリーズ」は、以後も断続的に制作された。まず、『帰ってきたウルトラマン(以下、帰マン)』が『セブン』放送終了から2年半の歳月を経て、同じTBSの番組枠で1971年4月をもって放映開始され、ここに円谷プロの「ウルトラシリーズ」が再開されることとなった。関西圏では、第1期ウルトラシリーズに続き、当時のネット局である朝日放送で放映。 第二次怪獣ブームや変身ヒーローブームの中核となった本シリーズは、TBSプロデューサー・橋本洋二(当時)の意向が強く打ち出され、スポ根ブームの影響を強く受けて「人間とウルトラマンの成長」というテーマを重視し、青春ドラマやホームドラマの色彩が強くなっている。 いずれの作品も、主人公は成長途上の青年として描かれている。ウルトラマンと一心同体となった彼らが、ウルトラマンの力ゆえに苦悩したり仲間との軋轢を抱える、怪獣や宇宙人との戦いの中で大切なものを失う、変身後のウルトラマンも時には敵に苦戦する、といった数々の困難を乗り越えて成長する様が、ドラマの主軸に据えられていた。 主人公の私生活、主人公を兄のように慕う少年を中心に主人公を取り巻く市井の人々との交流も多く描かれていた。少年も家族との死別を乗り越え、そして主人公に教え導かれながら成長していった。 本シリーズの最大の特徴は、『帰マン』での初代ウルトラマンとウルトラセブンの客演から始まり、『A』で「ウルトラ兄弟」の設定が確立し、『タロウ』でそれを発展させて「ウルトラファミリー路線」が打ち出されたことである。この試みによって本シリーズは4年間も続くロングランとなり、仮面ライダーシリーズとともにブームの中核を担っていた。 「ファンタスティック コレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPARTII」(1978年・朝日ソノラマ)では、本シリーズの作劇とウルトラファミリーの設定が「第1期ウルトラシリーズでのSF性が蔑ろにされている」や「ウルトラマンの卑小化」と批判されていた。同書を定本に、1982年から1995年まで「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」が第4版まで出版されたが、これには従来通りの論評が再録されていた。 しかし、1990年代後半に辰巳出版から出版された「検証・第2次ウルトラブーム」と銘打つ作品別の書籍では、第1期ウルトラシリーズを基準に捉えた前述の論調に対する反論として、各作品の持ち味や当時の時代・社会背景などを考慮した再評価や再検証が行われた。 『レオ』終了と同時にウルトラシリーズは再び幕を下ろしたが、1970年代後半に書籍類でのウルトラシリーズ評価が皮切りに、首都圏での早朝再放送などの「ウルトラマンフィーバー(当時の流行語をもじったもの)」を受け、新たに制作されたのが本シリーズである。関西圏では第1期・第2期ウルトラシリーズと異なり、1975年3月31日のNETテレビ系列とのネットチェンジによって、ABCに代わってネット局となった毎日放送で放映された。 『ザ☆マン』の壮大なストーリーや『80』のハイレベルな特撮映像や学園ドラマの導入など新たな要素はあったものの、視聴率および商品展開では期待を大きく下回る形となり、TBSとの共同制作によるウルトラシリーズはここで完全に終了した。 上述の通り、『Q』から『80』はTBSが制作を担当し、基本的に同じ作品世界の設定であることから、一括りのシリーズとして扱われるケースが多い。ただ、『ザ☆マン』はアニメーション作品であることや、ほかの8作品とも世界観を共有していないことから、本放送終了以降は関連書籍での作品紹介や商品展開などで、番外的な扱いを受けているケースもある。 『80』終了後、1996年に『ウルトラマンティガ』が開始されるまで、テレビシリーズは16年間も制作されなくなり、映画やオリジナルビデオといった多様な展開が行われ、シリーズの区切りが不明確になる。そのため、「第○期」という区分は商業誌などの公式記事には使用されなくなった。 テレビシリーズが制作されなくなった理由について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『80』をめぐる円谷プロとTBSとの関係悪化によって放送枠が確保できなくなったことや、円谷プロの経営悪化に伴って製作部が解体され、さらには著作権収入が安定したことなどで新作制作に消極的になったことなどを挙げている。 国際マーケットを視野に入れた円谷皐円谷プロ社長(当時)の意向によって、テレビシリーズが長期休止期間であった1980年代から1990年代中ごろまで、日本国外の資本との提携・合作によるビデオシリーズや劇場用新作など、テレビ以外の媒体で多くのウルトラマンが登場した。これら作品はビデオ展開のみならず後に放映枠を与えられ、久々のテレビシリーズである『ティガ』以前にテレビシリーズの放映が行われている。 上記の作品群はM78星雲の存在など設定上は過去のウルトラシリーズと共通項を持つが、作品内では世界観の共有がさほど意識されていない。 いずれの作品も『ウルトラマン』および『帰マン』以降の第2期ウルトラシリーズとは切り離した上で展開された、『セブン』の直接の続編である。最初の2作品は通商産業省(現:経済産業省)や資源エネルギー庁とのタイアップのもと、日本テレビで制作された特番であり、その続編として制作されたのが3本のオリジナルビデオシリーズである。全作品とも従来のフィルム撮影手法を採らず、ビデオ撮影で制作された。 『80』終了はTBSとの対立によりウルトラシリーズのテレビドラマは長らく制作されなかった。円谷プロは1993年の創立30周年記念作品としてウルトラシリーズの新作テレビドラマを計画していたが、最終的に巨大ヒーロー特撮であるがウルトラシリーズとは独立した『電光超人グリッドマン』が制作された。制作に全面協力していた富士通の後押しによりTBS系列で放送されたが単発で終了した。 ウルトラマン生誕30周年を迎えた1996年、TBS系列の在阪局である毎日放送(MBS)が番組枠を提供、制作を担当し、この新たな枠組みで新シリーズが開始された。ウルトラシリーズを制作することとなった毎日放送の意気込みも強く、放映期間中には大阪茶屋町の毎日放送社屋入口前に番組ごとにそれぞれの巨大ウルトラマン像が設置されて名所となった。 昭和ウルトラシリーズと世界観を一新すると共に、「M78星雲からやって来た宇宙人」という従来の設定も排され、いずれの作品のウルトラマンも「地球人の青年が自ら変身する光の巨人」として描かれている。また姿を変えることで能力が変わるタイプチェンジという設定も導入された。スタッフは『グリッドマン』に参加していた若手が中心となり、フィルム撮影であるがビデオ合成やCGなど『グリッドマン』で培われた技術を導入することで映像面も大きく進化している。 世界観を共有するのは『ティガ』と『ダイナ』のみだが、『ガイア』も続けて制作され、視聴率や玩具売上も好成績を収めた こと、スタッフや制作体制が続投していること、映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』で3人の光の巨人が共演を果たしたことから、3作品合わせて「平成(ウルトラマン)3部作」と呼ばれている。そして、各作品の外伝作品となるオリジナルビデオが2001年(完全版DVDが2004年)、DVDメモリアルボックスが2007年、リマスター版BDボックスが2014年から2016年にかけて発売され、さらには映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』では3人の光の巨人がウルトラ兄弟と共演している。 ティガ25周年を基に3作のアルファベットを繋げた『TDG』の総称名も用いるようになっている 円谷英二生誕100周年とウルトラシリーズ35周年を迎えた2001年、毎日放送によって制作された『コスモス』を機にウルトラシリーズが再開された。以降のシリーズは1作品ごとにブランクや時間枠移動があったりと複雑化しているため、公式なシリーズ区分はしばらく定まっていなかったが、後年には『コスモス』から『メビウス』を「平成第2期ウルトラシリーズ」、連続放送された『ネクサス』『マックス』『メビウス』を「ハイコンセプトウルトラマンシリーズ」と総称するようになった。 劇場用映画とのメディアミックスが定着し、『マックス』を除いてテレビシリーズとリンクした映画が制作されている。また、『ウルトラマン』を除く昭和ウルトラマンシリーズと平成3部作は4クール作品だったが、本シリーズは5クールだったり3クールだったりなど放送期間は不統一である。また、ウルトラマンの戦い方や作風やドラマ、王道が従来の昭和ウルトラマンシリーズや平成3部作、海外作品群やアニメシリーズ、他の円谷特撮ヒーロー作品とは異なっている。 毎日放送との「ウルトラシリーズ」は『コスモス』で終了となり、次作『ネクサス』は「新たなウルトラマン像を創造する」ことを主目的とした「ULTRA N PROJECT」の一環として制作され、以降はTBS系列の在名局・中部日本放送(CBC)が制作を担当し、放送時間も土曜18:00から土曜7:30に変更された。 「N PROJECT」終了後は、「原点回帰」をコンセプトとした『マックス』が放送され、制作は引き続きCBCが担当。スタッフの多くも『ネクサス』から引き継いでいる。 シリーズ40周年記念作品として制作された『メビウス』は、『マックス』で好評だった原点回帰を推し進めて昭和ウルトラマンシリーズからの世界観を引き継ぎ、昭和の歴代ウルトラマンや人気怪獣・宇宙人が登場している。しかし、同作品が放送された土曜17時台後半という時間帯は、当時はローカルセールス枠であり、スポンサードネット扱いでの放送も同時・遅れを問わず主要都市圏に限られたため、一部未放映の地域ができてしまう。テレビシリーズ終了後も、『メビウス』は様々なメディアミックス作品が制作された。 『ネクサス』『マックス』『メビウス』の3作品は、視聴率および玩具売上の商業面で苦戦を強いられた。 『メビウス』終了後、ウルトラシリーズは1クールや2クールの短期間や劇場版映画、オリジナルビデオ作品など断続的な制作にシフトすることとなる。その背景について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『ネクサス』以降に名古屋地方局発となったことで首都圏では十分に宣伝されずに視聴率不振となり、スポンサー獲得も困難となって番組提供枠として売れなくなったことを最大の原因として挙げている。 2作品とも初回放送は地上波ではなく、BS11での放送となった。後に2009年から2010年にかけてテレビ東京系でも放送され、以降のテレビシリーズも同系列にて放送されるようになった。 ウルトラシリーズが45周年を迎えた2011年より『ウルトラマン列伝』が放送開始。当初は過去作品のセレクト再放送やスペシャル総集編、映画やビデオ作品の分割放送などをメインとしたが、2012年に『ウルトラゼロファイト』を放送して以降、次第にオリジナル作品の比重が大きくなり、その後も2013年に『ギンガ』や『大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア』、2014年に『ギンガS』(『ギンガ』と『ギンガS』はそれぞれ分割1クール)、2015年に『X』を放送。『X』以降のウルトラシリーズは2クール放送となる。『ウルトラマン列伝』では主にウルトラマンゼロがナビゲーターを担当していたが、『新ウルトラマン列伝』以降は様々なキャラクターが担当するようになった。キー局が系列局の少ないテレビ東京のため本放送と同時放送される地域は少ないが、放送終了と同時にYouTubeのウルトラマン公式チャンネルにて無料のネット配信が行われるようになり、インターネット環境があれば、地域に関係なく30分遅れで視聴することが可能となっている。 ウルトラシリーズ50周年記念作品でもある『オーブ』以降は、上半期に『クロニクル』シリーズ(ナビゲーターと共に特定のウルトラ作品の再放送と劇場版の分割放送版を視聴するシリーズ)、下半期に新作シリーズという形式で交互に放送することにより、番組枠を継続している。 また、2017年公開のウルトラマンオーブの劇場版で使用されたキャッチコピー「大集結!新世代(ニュージェネレーション)ヒーローズ!」がきっかけで、ウルトラマンギンガ以降のウルトラマンの総称としてニュージェネレーションヒーローズがメディアによって使用されるようになった。 『新ウルトラマン列伝』で『ギンガ』放送中の2013年7月10日には、「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定された。 2000年代に入ってからは昭和シリーズのリメイク、もしくは続編的な作品を制作することが多くなっている。2004年には『Q』のリメイクとして『Q dark fantasy』、2007年にウルトラセブン40周年記念作品として『SEVEN X』が深夜枠にて、2011年には「ウルトラ怪獣を主役とした大人向けのウルトラ」というコンセプトで『ウルトラゾーン』が独立局を中心に、2013年には「ウルトラQのセカンドシーズン」というコンセプトで『ネオ・ウルトラQ』が放送される。 各作品のオープニングタイトルの所で、その回に登場する「××怪獣 ○○登場」という字幕が入る(『Q』『セブン』『80』『G』『ネクサス』および『大怪獣バトル』シリーズ以降の作品を除く。また、『A』第36・37話のみ「出現」と表記されている)。 放送日時は2023年11月現在。字幕放送・解説放送はテレビ東京系列6局のみ実施。『ウルトラマン列伝』以降におけるインターネット動画配信については各作品の項目を参照。 TBS系列外局では放送されなかったり本放送終了後の放送となった作品もある。また、TBS系列局でも同時ネットがされなかった作品もある一方でごく初期の作品(『Q』・『マン』・『セブン』)については系列外にもかかわらず同時ネットしていた局もわずかながらある。 この他、『マン』が1970年代にフジテレビ系列で、『セブン』が1985年に日本テレビで、また『帰マン』を皮切りとして『Q』~『80』が1989~1992年にNHK-BS2 (現:BSプレミアム)でそれぞれ再放送されたりと、再放送については地域系列放送媒体を問わず大多数のテレビ局で実績がある。なお、円谷プロの倒産回避措置として、1984年から1991年まではTBSが系列内外への販売窓口となっていた。 テレビ東京、アニマックスなど。 ネット状況はいずれも遅れネット。 ウルトラシリーズの関連商品は、大半がバンダイから発売されているが、実は第一期シリーズ当初は、商品化権を獲得しておらず、実際に商品化権を取ったのは、第二期シリーズのころである。第三期シリーズの前年の1978年にポピー(現:バンダイ・ボーイズトイ事業部)がブルマァクの倒産でウルトラシリーズの関連商品の発売元を失った円谷プロならびに大手出版社・小学館と手を組んでからで、以後小学館の『てれびくん』などの雑誌の人気作品の再録再評価、怪獣ソフビのウルトラ怪獣シリーズを中心とした関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。これは、『宇宙戦艦ヤマト』ブーム影響から生まれたのである。一説では、バンダイ的には超合金ブームと怪獣ブームのブームの合体のために作られたものである。 その後バンダイはテレビ・映画などのメディアでウルトラシリーズの新作制作を後押し続け、バンダイ・ボーイズトイ事業部で玩具などの関連商品を発売し、子会社のバンダイナムコフィルムワークス(旧:バンダイビジュアル→バンダイナムコアーツ)がシリーズ各作品のビデオ・DVDの商品化を開始し、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のプレックスによってティガ以降現在までの作品の防衛チームのライドメカ、基地、隊員服、なりきり玩具などをデザインし、また、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のバンダイナムコエンターテインメント(旧:バンダイナムコゲームス)と共にデータカードダスの『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』中心のゲームを出したり、BANDAI SPIRITS(旧:バンプレスト)からプライズモノを出したり、1989年からは毎年「ウルトラマンフェスティバル」(略称・「ウルフェス」)を開催している。 2008年1月21日、バンダイは円谷プロの当時の親会社であったティー・ワイ・オーより円谷プロの33.4%の株式を取得し、ウルトラシリーズを初めとした円谷プロ作品の独占的商品化権を獲得した。 ウルトラシリーズの関連書籍は、現在では大半が小学館から発売されているが、同社が商品化権を獲得したのは第2期ウルトラシリーズが開始される前々年の1969年である。それ以降、小学館の学年別学習雑誌を中心とした雑誌や絵本、漫画、ライトノベル、研究本などの関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。 その後、小学館はゾフィーを長兄としたウルトラ兄弟の設定を築き上げ、ウルトラシリーズの新作や『ミラーマン』、『ファイヤーマン』、『ジャンボーグA』などのほかの円谷プロ作品を小学館の学習雑誌などの雑誌で連載。のちに、現在の本シリーズ主幹雑誌である「てれびくん」が1978年12月末発売の2月号にシリーズ各作品の掲載を開始し、以後1990年代の作品を除いて全作掲載され続けている。 1980年代にVHSとLDの映像ソフトによる商品展開が始まり、LDで『ウルトラQ』から『80』までの全作品とVHSテープで『ザ☆マン』を除く全作品が映像ソフト化され、劇場作品『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』以降の作品はリアルタイム時の映像ソフトのリリースが始まり、『G』ではオリジナルビデオ作品としての商品展開も行われた。 その後、DVDが台頭し、円谷プロの昭和作品をDVD化する「デジタルウルトラシリーズ」の一環として『セブン』、『ウルトラマン』、『ウルトラQ』、『帰マン』、『A』、『タロウ』、『レオ』、『ザ☆マン』の順で昭和ウルトラシリーズがDVD化された。1990年代作品の『ウルトラマンネオス』、『ウルトラマンゼアス』や平成3部作もDVD化し、2000年代作品の『コスモス』以降の作品はリアルタイムで発売された。2010年6月25日と9月24日に『80』のDVD-BOXが発売。『G』は、海外で英語音声のみのDVDが発売されていたが、国内でのリリースは成されていなかった。 DVDに次ぐ映像ソフト規格のBDにおいて、それまでの作品も再リリースされた上に2017年1月27日に『G』、3月24日には『パワード』、2018年9月26日に『ウルトラマンUSA』がリリースされ、現在公的に公開されているテレビシリーズおよび、劇場版のウルトラシリーズ全作が映像ソフトで視聴可能になる。 2008年12月から『ウルトラ1800』という低価格でのDVD販売を行っている。 ウルトラシリーズは同一の世界を共有している作品と、独立した世界が舞台の作品に分かれる。また同じ作品世界を共有していてもパラレルワールドとなっている場合もある。 『大怪獣バトル』以降の作品では、時空を超えた混乱期であるギャラクシークライシスが発生したことにより、M78ワールドと平成ウルトラマンシリーズなど別の世界観を持つ作品との共演も可能となっている。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』より、無数の宇宙が超空間の水泡状に存在している「マルチバース」の設定を明確化した。 スタッフのお遊びとしてではあるが、共通する単語や人物などが登場している。 メタフィクションに近い形で劇中劇として他の作品を登場させることもある。 各作品毎に登場するウルトラマンと共闘する組織。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズは、日本の特撮テレビドラマシリーズである。以下の2つを指して呼びならわすことが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2013年に「最も派生テレビシリーズが作られた テレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、2015年にその記録を更新している。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1966年、TBSは円谷特技プロダクション制作のテレビ番組『ウルトラQ』の大ヒットを受け、武田薬品の提供によるこの番組枠で、次作品『ウルトラマン』以降の同枠の作品群をマスコミに対し「ウルトラシリーズ」と銘打ってシリーズ化。一大社会現象となった「怪獣ブーム」の牽引役となった。なお、TBS円谷特技プロとの番組制作契約上は、ウルトラQが終了して別番組としてウルトラマンが始まったのでは無く、「ウルトラQの放送期間延長としての制作」となっている。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「怪獣ブーム」を巻き起こしたTBSの「ウルトラシリーズ」であるが、『ウルトラQ』に続く第二弾『ウルトラマン』の制作スケジュールが遅れに遅れ、放映延長が不可能となった。TBS側はこの「ウルトラシリーズ」の続行を望み、東映によって『キャプテンウルトラ』が制作され、この『キャプテンウルトラ』を、TBSは「宇宙特撮シリーズ」、「ウルトラ・シリーズ第三弾」として内外にセールスした。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "『キャプテンウルトラ』終了後、この番組枠は再び円谷特技プロ制作作品に戻り、『ウルトラセブン』、『怪奇大作戦』が「ウルトラシリーズ」として放送された。したがって、TBSの作品としての「ウルトラシリーズ」は、以下の5作品である。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "TBSは「タケダアワー」枠で、世界的に有名な東宝の特撮監督、円谷英二の創設した「円谷特技プロ」による、本格的特撮ドラマ『ウルトラQ』を企画。一年にわたる制作期間と破格の予算を投入し、1966年1月2日から放映開始された『ウルトラQ』は、それまで銀幕でしか観られなかった本格的な造形を持つ怪獣をお茶の間に登場させて、たちまち日本全国に一大「怪獣ブーム」を巻き起こした。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "この「怪獣ブーム」のなか、TBSは番組枠のシリーズ化を決定。全28話の『ウルトラQ』を1話飛ばして終了し、円谷監督をゲストに招いて杉並公会堂で開催した『ウルトラマン前夜祭』の公開録画を放映。ブームを煽る戦略で翌週放映開始された『ウルトラマン』は大ヒットとなり、「怪獣ブーム」を過熱させた。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "TBSは一連のこの特撮ドラマ枠を「ウルトラ・シリーズ」と命名。制作プロを東映に代えての後番組『キャプテンウルトラ』は「宇宙特撮シリーズ」の名の下、舞台を宇宙に拡げた「スペースオペラ」となった。『キャプテンウルトラ』も30%台の視聴率を記録したが、40%に迫っていた前作『ウルトラマン』との差を制作サイドが大きく捉えた結果、シリーズ後半から『怪獣ぞくぞくシリーズ』として、『ウルトラマン』に倣った怪獣中心の作劇に転換されることとなった。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "円谷特技プロの制作体制が整うと、TBSは2クール(全26話)予定だった『キャプテンウルトラ』を2話減らし、前倒しで『ウルトラセブン』の放映を開始した。「シリーズ第四弾」である『ウルトラセブン』では、『キャプテンウルトラ』を引き継ぐ宇宙時代を題材にした作劇と、『シュピーゲル号』の合体メカニック描写が受け継がれ、初の1年間のロングラン放映となり、怪獣路線の最後を飾った。マスコミは『ウルトラセブン』の番組終了を、そのまま「怪獣ブームの終了」と同一視した。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "「怪獣ブーム」終息を受けたTBSは続いて「妖怪ブーム」を当て込んだ怪奇路線に題を求め、『ウルトラQ』や『キャプテンウルトラ』同様に、巨大ヒーローの登場しない『怪奇大作戦』を放送。これがTBS「ウルトラシリーズ」最後の作品となった。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "関西圏では当時のネット局である朝日放送で放映。『ウルトラマン』第26・27話の前後篇では、大阪でのロケに全面協力している。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "毎回、オープニングタイトルの終わりで、「○○登場」として、その日登場する怪獣や一部ウルトラファミリーのキャラクターを出していた。", "title": "TBS版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「TBSのウルトラシリーズ」とは別に、円谷プロダクションが制作した作品のみに対する呼称として「ウルトラシリーズ」が使用されており、現在はこちらが一般的である。「仮面ライダーシリーズ」「スーパー戦隊シリーズ」などと並ぶ、日本の代表的な特撮作品シリーズである。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "以降、円谷プロ「ウルトラシリーズ」の主要作品を記す。特に断りがないものはテレビシリーズ。本項目にて記す各作品群の概要・特徴はあくまでも、そのグループを全体的に見た上での特徴であり、作品ごとの細かい差異・特色などについては、各作品の項目を参照。テレビ番組から派生した他メディア上の作品も含むため、円谷プロ「ウルトラシリーズ」全体の分類は複雑なものになるが、おおよそ以下のような内訳になる。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "これらの作品群は、一部の例外を除き、「主人公がウルトラ○○という巨大な超人に変身して怪獣と戦うこと」を骨子としている。これより、円谷プロ版「ウルトラシリーズ」について解説する。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "『キャプテンウルトラ』は、正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組の一つであるが、これは東映制作作品であるので、「円谷プロ(円谷特技プロ)の制作番組群としてのウルトラシリーズ」には含まれない。また、同じく正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組のひとつである『怪奇大作戦』は、円谷特技プロの作品であるが、現在は円谷プロ自身がシリーズに加えていないようである。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "したがって、円谷プロに限って「昭和第1期ウルトラシリーズ」という呼称を用いるなら、以下の3作品がこれに当たる。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "円谷プロが制作し、日本で初めて大がかりな特撮を導入したテレビドラマ『ウルトラQ』が大ヒットとなり、その後継作として制作された『ウルトラマン』が最高視聴率42%の特大ヒットとなったため、「空想特撮シリーズ」、または「ウルトラQ空想特撮シリーズ」と銘打たれる最初の番組シリーズとなった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この円谷プロ「ウルトラシリーズ」(空想科学シリーズ)は、朝日ソノラマの「ファンタスティック・コレクション」シリーズなど、1978年以降の商業出版物によって再評価が始められた。これらの出版物では、『Q』から『セブン』までの3作品を「第1期ウルトラシリーズ」と総称し、以後定着したが、これはあくまで現在の呼称であり、放映当時のものではない。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「TBSのウルトラシリーズ」は『セブン』をもって終了するが、円谷プロとしての「ウルトラシリーズ」は、以後も断続的に制作された。まず、『帰ってきたウルトラマン(以下、帰マン)』が『セブン』放送終了から2年半の歳月を経て、同じTBSの番組枠で1971年4月をもって放映開始され、ここに円谷プロの「ウルトラシリーズ」が再開されることとなった。関西圏では、第1期ウルトラシリーズに続き、当時のネット局である朝日放送で放映。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "第二次怪獣ブームや変身ヒーローブームの中核となった本シリーズは、TBSプロデューサー・橋本洋二(当時)の意向が強く打ち出され、スポ根ブームの影響を強く受けて「人間とウルトラマンの成長」というテーマを重視し、青春ドラマやホームドラマの色彩が強くなっている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "いずれの作品も、主人公は成長途上の青年として描かれている。ウルトラマンと一心同体となった彼らが、ウルトラマンの力ゆえに苦悩したり仲間との軋轢を抱える、怪獣や宇宙人との戦いの中で大切なものを失う、変身後のウルトラマンも時には敵に苦戦する、といった数々の困難を乗り越えて成長する様が、ドラマの主軸に据えられていた。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "主人公の私生活、主人公を兄のように慕う少年を中心に主人公を取り巻く市井の人々との交流も多く描かれていた。少年も家族との死別を乗り越え、そして主人公に教え導かれながら成長していった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "本シリーズの最大の特徴は、『帰マン』での初代ウルトラマンとウルトラセブンの客演から始まり、『A』で「ウルトラ兄弟」の設定が確立し、『タロウ』でそれを発展させて「ウルトラファミリー路線」が打ち出されたことである。この試みによって本シリーズは4年間も続くロングランとなり、仮面ライダーシリーズとともにブームの中核を担っていた。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "「ファンタスティック コレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPARTII」(1978年・朝日ソノラマ)では、本シリーズの作劇とウルトラファミリーの設定が「第1期ウルトラシリーズでのSF性が蔑ろにされている」や「ウルトラマンの卑小化」と批判されていた。同書を定本に、1982年から1995年まで「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」が第4版まで出版されたが、これには従来通りの論評が再録されていた。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "しかし、1990年代後半に辰巳出版から出版された「検証・第2次ウルトラブーム」と銘打つ作品別の書籍では、第1期ウルトラシリーズを基準に捉えた前述の論調に対する反論として、各作品の持ち味や当時の時代・社会背景などを考慮した再評価や再検証が行われた。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "『レオ』終了と同時にウルトラシリーズは再び幕を下ろしたが、1970年代後半に書籍類でのウルトラシリーズ評価が皮切りに、首都圏での早朝再放送などの「ウルトラマンフィーバー(当時の流行語をもじったもの)」を受け、新たに制作されたのが本シリーズである。関西圏では第1期・第2期ウルトラシリーズと異なり、1975年3月31日のNETテレビ系列とのネットチェンジによって、ABCに代わってネット局となった毎日放送で放映された。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『ザ☆マン』の壮大なストーリーや『80』のハイレベルな特撮映像や学園ドラマの導入など新たな要素はあったものの、視聴率および商品展開では期待を大きく下回る形となり、TBSとの共同制作によるウルトラシリーズはここで完全に終了した。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "上述の通り、『Q』から『80』はTBSが制作を担当し、基本的に同じ作品世界の設定であることから、一括りのシリーズとして扱われるケースが多い。ただ、『ザ☆マン』はアニメーション作品であることや、ほかの8作品とも世界観を共有していないことから、本放送終了以降は関連書籍での作品紹介や商品展開などで、番外的な扱いを受けているケースもある。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "『80』終了後、1996年に『ウルトラマンティガ』が開始されるまで、テレビシリーズは16年間も制作されなくなり、映画やオリジナルビデオといった多様な展開が行われ、シリーズの区切りが不明確になる。そのため、「第○期」という区分は商業誌などの公式記事には使用されなくなった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "テレビシリーズが制作されなくなった理由について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『80』をめぐる円谷プロとTBSとの関係悪化によって放送枠が確保できなくなったことや、円谷プロの経営悪化に伴って製作部が解体され、さらには著作権収入が安定したことなどで新作制作に消極的になったことなどを挙げている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "国際マーケットを視野に入れた円谷皐円谷プロ社長(当時)の意向によって、テレビシリーズが長期休止期間であった1980年代から1990年代中ごろまで、日本国外の資本との提携・合作によるビデオシリーズや劇場用新作など、テレビ以外の媒体で多くのウルトラマンが登場した。これら作品はビデオ展開のみならず後に放映枠を与えられ、久々のテレビシリーズである『ティガ』以前にテレビシリーズの放映が行われている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "上記の作品群はM78星雲の存在など設定上は過去のウルトラシリーズと共通項を持つが、作品内では世界観の共有がさほど意識されていない。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "いずれの作品も『ウルトラマン』および『帰マン』以降の第2期ウルトラシリーズとは切り離した上で展開された、『セブン』の直接の続編である。最初の2作品は通商産業省(現:経済産業省)や資源エネルギー庁とのタイアップのもと、日本テレビで制作された特番であり、その続編として制作されたのが3本のオリジナルビデオシリーズである。全作品とも従来のフィルム撮影手法を採らず、ビデオ撮影で制作された。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『80』終了はTBSとの対立によりウルトラシリーズのテレビドラマは長らく制作されなかった。円谷プロは1993年の創立30周年記念作品としてウルトラシリーズの新作テレビドラマを計画していたが、最終的に巨大ヒーロー特撮であるがウルトラシリーズとは独立した『電光超人グリッドマン』が制作された。制作に全面協力していた富士通の後押しによりTBS系列で放送されたが単発で終了した。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ウルトラマン生誕30周年を迎えた1996年、TBS系列の在阪局である毎日放送(MBS)が番組枠を提供、制作を担当し、この新たな枠組みで新シリーズが開始された。ウルトラシリーズを制作することとなった毎日放送の意気込みも強く、放映期間中には大阪茶屋町の毎日放送社屋入口前に番組ごとにそれぞれの巨大ウルトラマン像が設置されて名所となった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "昭和ウルトラシリーズと世界観を一新すると共に、「M78星雲からやって来た宇宙人」という従来の設定も排され、いずれの作品のウルトラマンも「地球人の青年が自ら変身する光の巨人」として描かれている。また姿を変えることで能力が変わるタイプチェンジという設定も導入された。スタッフは『グリッドマン』に参加していた若手が中心となり、フィルム撮影であるがビデオ合成やCGなど『グリッドマン』で培われた技術を導入することで映像面も大きく進化している。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "世界観を共有するのは『ティガ』と『ダイナ』のみだが、『ガイア』も続けて制作され、視聴率や玩具売上も好成績を収めた こと、スタッフや制作体制が続投していること、映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』で3人の光の巨人が共演を果たしたことから、3作品合わせて「平成(ウルトラマン)3部作」と呼ばれている。そして、各作品の外伝作品となるオリジナルビデオが2001年(完全版DVDが2004年)、DVDメモリアルボックスが2007年、リマスター版BDボックスが2014年から2016年にかけて発売され、さらには映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』では3人の光の巨人がウルトラ兄弟と共演している。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ティガ25周年を基に3作のアルファベットを繋げた『TDG』の総称名も用いるようになっている", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "円谷英二生誕100周年とウルトラシリーズ35周年を迎えた2001年、毎日放送によって制作された『コスモス』を機にウルトラシリーズが再開された。以降のシリーズは1作品ごとにブランクや時間枠移動があったりと複雑化しているため、公式なシリーズ区分はしばらく定まっていなかったが、後年には『コスモス』から『メビウス』を「平成第2期ウルトラシリーズ」、連続放送された『ネクサス』『マックス』『メビウス』を「ハイコンセプトウルトラマンシリーズ」と総称するようになった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "劇場用映画とのメディアミックスが定着し、『マックス』を除いてテレビシリーズとリンクした映画が制作されている。また、『ウルトラマン』を除く昭和ウルトラマンシリーズと平成3部作は4クール作品だったが、本シリーズは5クールだったり3クールだったりなど放送期間は不統一である。また、ウルトラマンの戦い方や作風やドラマ、王道が従来の昭和ウルトラマンシリーズや平成3部作、海外作品群やアニメシリーズ、他の円谷特撮ヒーロー作品とは異なっている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "毎日放送との「ウルトラシリーズ」は『コスモス』で終了となり、次作『ネクサス』は「新たなウルトラマン像を創造する」ことを主目的とした「ULTRA N PROJECT」の一環として制作され、以降はTBS系列の在名局・中部日本放送(CBC)が制作を担当し、放送時間も土曜18:00から土曜7:30に変更された。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "「N PROJECT」終了後は、「原点回帰」をコンセプトとした『マックス』が放送され、制作は引き続きCBCが担当。スタッフの多くも『ネクサス』から引き継いでいる。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "シリーズ40周年記念作品として制作された『メビウス』は、『マックス』で好評だった原点回帰を推し進めて昭和ウルトラマンシリーズからの世界観を引き継ぎ、昭和の歴代ウルトラマンや人気怪獣・宇宙人が登場している。しかし、同作品が放送された土曜17時台後半という時間帯は、当時はローカルセールス枠であり、スポンサードネット扱いでの放送も同時・遅れを問わず主要都市圏に限られたため、一部未放映の地域ができてしまう。テレビシリーズ終了後も、『メビウス』は様々なメディアミックス作品が制作された。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "『ネクサス』『マックス』『メビウス』の3作品は、視聴率および玩具売上の商業面で苦戦を強いられた。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『メビウス』終了後、ウルトラシリーズは1クールや2クールの短期間や劇場版映画、オリジナルビデオ作品など断続的な制作にシフトすることとなる。その背景について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『ネクサス』以降に名古屋地方局発となったことで首都圏では十分に宣伝されずに視聴率不振となり、スポンサー獲得も困難となって番組提供枠として売れなくなったことを最大の原因として挙げている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2作品とも初回放送は地上波ではなく、BS11での放送となった。後に2009年から2010年にかけてテレビ東京系でも放送され、以降のテレビシリーズも同系列にて放送されるようになった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズが45周年を迎えた2011年より『ウルトラマン列伝』が放送開始。当初は過去作品のセレクト再放送やスペシャル総集編、映画やビデオ作品の分割放送などをメインとしたが、2012年に『ウルトラゼロファイト』を放送して以降、次第にオリジナル作品の比重が大きくなり、その後も2013年に『ギンガ』や『大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア』、2014年に『ギンガS』(『ギンガ』と『ギンガS』はそれぞれ分割1クール)、2015年に『X』を放送。『X』以降のウルトラシリーズは2クール放送となる。『ウルトラマン列伝』では主にウルトラマンゼロがナビゲーターを担当していたが、『新ウルトラマン列伝』以降は様々なキャラクターが担当するようになった。キー局が系列局の少ないテレビ東京のため本放送と同時放送される地域は少ないが、放送終了と同時にYouTubeのウルトラマン公式チャンネルにて無料のネット配信が行われるようになり、インターネット環境があれば、地域に関係なく30分遅れで視聴することが可能となっている。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズ50周年記念作品でもある『オーブ』以降は、上半期に『クロニクル』シリーズ(ナビゲーターと共に特定のウルトラ作品の再放送と劇場版の分割放送版を視聴するシリーズ)、下半期に新作シリーズという形式で交互に放送することにより、番組枠を継続している。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、2017年公開のウルトラマンオーブの劇場版で使用されたキャッチコピー「大集結!新世代(ニュージェネレーション)ヒーローズ!」がきっかけで、ウルトラマンギンガ以降のウルトラマンの総称としてニュージェネレーションヒーローズがメディアによって使用されるようになった。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "『新ウルトラマン列伝』で『ギンガ』放送中の2013年7月10日には、「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定された。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2000年代に入ってからは昭和シリーズのリメイク、もしくは続編的な作品を制作することが多くなっている。2004年には『Q』のリメイクとして『Q dark fantasy』、2007年にウルトラセブン40周年記念作品として『SEVEN X』が深夜枠にて、2011年には「ウルトラ怪獣を主役とした大人向けのウルトラ」というコンセプトで『ウルトラゾーン』が独立局を中心に、2013年には「ウルトラQのセカンドシーズン」というコンセプトで『ネオ・ウルトラQ』が放送される。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "各作品のオープニングタイトルの所で、その回に登場する「××怪獣 ○○登場」という字幕が入る(『Q』『セブン』『80』『G』『ネクサス』および『大怪獣バトル』シリーズ以降の作品を除く。また、『A』第36・37話のみ「出現」と表記されている)。", "title": "円谷プロ版「ウルトラシリーズ」" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "放送日時は2023年11月現在。字幕放送・解説放送はテレビ東京系列6局のみ実施。『ウルトラマン列伝』以降におけるインターネット動画配信については各作品の項目を参照。", "title": "テレビシリーズの放映ネット局" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "TBS系列外局では放送されなかったり本放送終了後の放送となった作品もある。また、TBS系列局でも同時ネットがされなかった作品もある一方でごく初期の作品(『Q』・『マン』・『セブン』)については系列外にもかかわらず同時ネットしていた局もわずかながらある。", "title": "テレビシリーズの放映ネット局" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "この他、『マン』が1970年代にフジテレビ系列で、『セブン』が1985年に日本テレビで、また『帰マン』を皮切りとして『Q』~『80』が1989~1992年にNHK-BS2 (現:BSプレミアム)でそれぞれ再放送されたりと、再放送については地域系列放送媒体を問わず大多数のテレビ局で実績がある。なお、円谷プロの倒産回避措置として、1984年から1991年まではTBSが系列内外への販売窓口となっていた。", "title": "テレビシリーズの放映ネット局" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "テレビ東京、アニマックスなど。", "title": "テレビシリーズの放映ネット局" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ネット状況はいずれも遅れネット。", "title": "テレビシリーズの放映ネット局" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズの関連商品は、大半がバンダイから発売されているが、実は第一期シリーズ当初は、商品化権を獲得しておらず、実際に商品化権を取ったのは、第二期シリーズのころである。第三期シリーズの前年の1978年にポピー(現:バンダイ・ボーイズトイ事業部)がブルマァクの倒産でウルトラシリーズの関連商品の発売元を失った円谷プロならびに大手出版社・小学館と手を組んでからで、以後小学館の『てれびくん』などの雑誌の人気作品の再録再評価、怪獣ソフビのウルトラ怪獣シリーズを中心とした関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。これは、『宇宙戦艦ヤマト』ブーム影響から生まれたのである。一説では、バンダイ的には超合金ブームと怪獣ブームのブームの合体のために作られたものである。", "title": "ウルトラシリーズとバンダイグループ (現: バンダイナムコグループ)の商品ビジネス" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "その後バンダイはテレビ・映画などのメディアでウルトラシリーズの新作制作を後押し続け、バンダイ・ボーイズトイ事業部で玩具などの関連商品を発売し、子会社のバンダイナムコフィルムワークス(旧:バンダイビジュアル→バンダイナムコアーツ)がシリーズ各作品のビデオ・DVDの商品化を開始し、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のプレックスによってティガ以降現在までの作品の防衛チームのライドメカ、基地、隊員服、なりきり玩具などをデザインし、また、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のバンダイナムコエンターテインメント(旧:バンダイナムコゲームス)と共にデータカードダスの『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』中心のゲームを出したり、BANDAI SPIRITS(旧:バンプレスト)からプライズモノを出したり、1989年からは毎年「ウルトラマンフェスティバル」(略称・「ウルフェス」)を開催している。", "title": "ウルトラシリーズとバンダイグループ (現: バンダイナムコグループ)の商品ビジネス" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2008年1月21日、バンダイは円谷プロの当時の親会社であったティー・ワイ・オーより円谷プロの33.4%の株式を取得し、ウルトラシリーズを初めとした円谷プロ作品の独占的商品化権を獲得した。", "title": "ウルトラシリーズとバンダイグループ (現: バンダイナムコグループ)の商品ビジネス" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズの関連書籍は、現在では大半が小学館から発売されているが、同社が商品化権を獲得したのは第2期ウルトラシリーズが開始される前々年の1969年である。それ以降、小学館の学年別学習雑誌を中心とした雑誌や絵本、漫画、ライトノベル、研究本などの関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。", "title": "ウルトラシリーズと小学館との関係" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "その後、小学館はゾフィーを長兄としたウルトラ兄弟の設定を築き上げ、ウルトラシリーズの新作や『ミラーマン』、『ファイヤーマン』、『ジャンボーグA』などのほかの円谷プロ作品を小学館の学習雑誌などの雑誌で連載。のちに、現在の本シリーズ主幹雑誌である「てれびくん」が1978年12月末発売の2月号にシリーズ各作品の掲載を開始し、以後1990年代の作品を除いて全作掲載され続けている。", "title": "ウルトラシリーズと小学館との関係" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1980年代にVHSとLDの映像ソフトによる商品展開が始まり、LDで『ウルトラQ』から『80』までの全作品とVHSテープで『ザ☆マン』を除く全作品が映像ソフト化され、劇場作品『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』以降の作品はリアルタイム時の映像ソフトのリリースが始まり、『G』ではオリジナルビデオ作品としての商品展開も行われた。", "title": "映像ソフト化" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "その後、DVDが台頭し、円谷プロの昭和作品をDVD化する「デジタルウルトラシリーズ」の一環として『セブン』、『ウルトラマン』、『ウルトラQ』、『帰マン』、『A』、『タロウ』、『レオ』、『ザ☆マン』の順で昭和ウルトラシリーズがDVD化された。1990年代作品の『ウルトラマンネオス』、『ウルトラマンゼアス』や平成3部作もDVD化し、2000年代作品の『コスモス』以降の作品はリアルタイムで発売された。2010年6月25日と9月24日に『80』のDVD-BOXが発売。『G』は、海外で英語音声のみのDVDが発売されていたが、国内でのリリースは成されていなかった。", "title": "映像ソフト化" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "DVDに次ぐ映像ソフト規格のBDにおいて、それまでの作品も再リリースされた上に2017年1月27日に『G』、3月24日には『パワード』、2018年9月26日に『ウルトラマンUSA』がリリースされ、現在公的に公開されているテレビシリーズおよび、劇場版のウルトラシリーズ全作が映像ソフトで視聴可能になる。", "title": "映像ソフト化" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2008年12月から『ウルトラ1800』という低価格でのDVD販売を行っている。", "title": "映像ソフト化" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ウルトラシリーズは同一の世界を共有している作品と、独立した世界が舞台の作品に分かれる。また同じ作品世界を共有していてもパラレルワールドとなっている場合もある。", "title": "作品世界" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "『大怪獣バトル』以降の作品では、時空を超えた混乱期であるギャラクシークライシスが発生したことにより、M78ワールドと平成ウルトラマンシリーズなど別の世界観を持つ作品との共演も可能となっている。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』より、無数の宇宙が超空間の水泡状に存在している「マルチバース」の設定を明確化した。", "title": "作品世界" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "スタッフのお遊びとしてではあるが、共通する単語や人物などが登場している。", "title": "作品世界" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "メタフィクションに近い形で劇中劇として他の作品を登場させることもある。", "title": "作品世界" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "各作品毎に登場するウルトラマンと共闘する組織。", "title": "地球防衛および怪事件処理チーム" } ]
ウルトラシリーズは、日本の特撮テレビドラマシリーズである。以下の2つを指して呼びならわすことが多い。 1966年から1969年まで、毎週日曜19:00 - 19:30(日本時間)に放送された、TBS制作の「空想特撮シリーズ」。 1のシリーズから発展し、以後50年以上にわたって継続している円谷プロダクション制作のシリーズ。 2013年に「最も派生テレビシリーズが作られた テレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、2015年にその記録を更新している。
{{pp-vandalism|small=yes}} '''ウルトラシリーズ'''は、日本の[[特撮]]テレビドラマシリーズである。以下の2つを指して呼びならわすことが多い。 # 1966年から1969年まで、毎週日曜19:00 - 19:30([[日本時間]])に放送された、[[TBSテレビ|TBS]]制作の「空想特撮シリーズ」。 # 1のシリーズから発展し、以後50年以上にわたって継続している[[円谷プロダクション]]制作のシリーズ。 2013年に「最も派生テレビシリーズが作られた テレビ番組」として[[ギネス世界記録]]に認定され<ref name="n-2108">{{Cite web|和書|date=2013-09-12 |url=http://m-78.jp/news/n-2108/ |title=『ウルトラマン』がギネス世界記録「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」に認定!|円谷ステーション |publisher=[[円谷プロダクション]] |accessdate=2015-09-15}}</ref>、2015年にその記録を更新している<ref>{{Cite web|和書|date=2015-09-10 |url=http://m-78.jp/news/n-3314/ |title=【「ギネス世界記録2016」掲載】“最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組”として『ウルトラマン』が世界記録を更新! | 円谷ステーション |publisher=円谷プロダクション |accessdate=2015-09-15}}</ref>。 == 作品一覧 == {{main|ウルトラシリーズの作品一覧}} == TBS版「ウルトラシリーズ」 == 1966年、[[TBSテレビ|TBS]]は円谷特技プロダクション制作のテレビ番組『[[ウルトラQ]]』の大ヒットを受け、[[武田薬品工業|武田薬品]]の提供によるこの番組枠で、次作品『ウルトラマン』以降の同枠の作品群をマスコミに対し「ウルトラシリーズ」と銘打ってシリーズ化。一大社会現象となった「[[第一次怪獣ブーム|怪獣ブーム]]」の牽引役となった。なお、TBS円谷特技プロとの番組制作契約上は、ウルトラQが終了して別番組としてウルトラマンが始まったのでは無く、「ウルトラQの放送期間延長としての制作」となっている。 「怪獣ブーム」を巻き起こしたTBSの「ウルトラシリーズ」であるが、『ウルトラQ』に続く第二弾『ウルトラマン』の制作スケジュールが遅れに遅れ、放映延長が不可能となった。TBS側はこの「ウルトラシリーズ」の続行を望み、東映によって『[[キャプテンウルトラ]]』が制作され<ref>『巨大ヒーロー大全集』(講談社)</ref>、この『キャプテンウルトラ』を、TBSは「宇宙特撮シリーズ」、「ウルトラ・シリーズ第三弾」として内外にセールスした<ref>『内外スポーツ』1967年8月31日付記事より</ref>。 『キャプテンウルトラ』終了後、この番組枠は再び円谷特技プロ制作作品に戻り、『ウルトラセブン』、『怪奇大作戦』が「ウルトラシリーズ」として放送された<ref>『TBS50年史』(東京放送出版)</ref>。したがって、TBSの作品としての「ウルトラシリーズ」は、以下の5作品である。 === TBS「ウルトラシリーズ」(空想特撮シリーズ) === ; [[ウルトラQ]] : 1966年1月2日 - 7月3日。全28話。 ; [[ウルトラマン]] : 1966年7月17日 - 1967年4月9日放送。前夜祭+全39話。 ; [[キャプテンウルトラ]] : 1967年4月16日 - 9月24日放送。全24話。 ; [[ウルトラセブン]] : 1967年10月1日 - 1968年9月8日放送。全49話。 ; [[怪奇大作戦]] : 1968年9月15日 - 1969年3月9日放送。全26話。 TBSは「[[タケダアワー]]」枠で、世界的に有名な東宝の特撮監督、[[円谷英二]]の創設した「円谷特技プロ」による、本格的特撮ドラマ『ウルトラQ』を企画。一年にわたる制作期間と破格の予算を投入し、1966年1月2日から放映開始された『ウルトラQ』は、それまで銀幕でしか観られなかった本格的な造形を持つ怪獣をお茶の間に登場{{Efn2|『ウルトラQ』以前にも、1960年制作の『[[怪獣マリンコング]]』など怪獣が登場するテレビ番組はあった。}}させて、たちまち日本全国に一大「怪獣ブーム」を巻き起こした。 この「怪獣ブーム」のなか、TBSは番組枠のシリーズ化を決定。全28話の『ウルトラQ』を1話飛ばして終了し、円谷監督をゲストに招いて杉並公会堂で開催した『ウルトラマン前夜祭』の公開録画を放映。ブームを煽る戦略で翌週放映開始された『ウルトラマン』は大ヒットとなり、「怪獣ブーム」を過熱させた。 TBSは一連のこの特撮ドラマ枠を「ウルトラ・シリーズ」と命名。制作プロを東映に代えての後番組『キャプテンウルトラ』は「宇宙特撮シリーズ」の名の下、舞台を宇宙に拡げた「[[スペースオペラ]]」となった。『キャプテンウルトラ』も30%台の視聴率を記録したが、40%に迫っていた前作『ウルトラマン』との差を制作サイドが大きく捉えた結果、シリーズ後半から『怪獣ぞくぞくシリーズ』として、『ウルトラマン』に倣った怪獣中心の作劇に転換されることとなった。 円谷特技プロの制作体制が整うと、TBSは2クール(全26話)予定だった『キャプテンウルトラ』を2話減らし、前倒しで『ウルトラセブン』の放映を開始した。「シリーズ第四弾」である『ウルトラセブン』では、『キャプテンウルトラ』を引き継ぐ宇宙時代を題材にした作劇と、『シュピーゲル号』の合体メカニック描写が受け継がれ、初の1年間のロングラン放映となり、怪獣路線の最後を飾った。マスコミは『ウルトラセブン』の番組終了を、そのまま「怪獣ブームの終了」と同一視した<ref>『ウルトラマン大全集』(講談社)</ref>。 「怪獣ブーム」終息を受けたTBSは続いて「妖怪ブーム」を当て込んだ怪奇路線に題を求め、『ウルトラQ』や『キャプテンウルトラ』同様に、巨大ヒーローの登場しない『怪奇大作戦』を放送。これがTBS「ウルトラシリーズ」最後の作品となった。 関西圏では当時のネット局である[[朝日放送テレビ|朝日放送]]で放映。『ウルトラマン』第26・27話の前後篇では、大阪でのロケに全面協力している。 毎回、オープニングタイトルの終わりで、「○○登場」として、その日登場する怪獣や一部ウルトラファミリーのキャラクターを出していた。 == 円谷プロ版「ウルトラシリーズ」 == [[ファイル:Statue of Ultraman.jpg|thumb|横浜マリタイムミュージアム前に設置された4.5メートルの初代ウルトラマンの巨大立像。|200px]] 「TBSのウルトラシリーズ」とは別に、円谷プロダクションが制作した作品のみに対する呼称として「ウルトラシリーズ」が使用されており、現在はこちらが一般的である{{Efn2|円谷プロが制作した、題名に「ウルトラ」という語句が含まれた作品に対する「ウルトラシリーズ」との呼称は、円谷プロダクションの公式サイトで使用されている(参照:[http://m-78.jp/ 円谷ステーション - ウルトラマン、円谷プロ公式サイト])ほか、本シリーズの再放送を行っているCSのファミリー劇場で使用されている(参照:[http://www.fami-geki.com/ultra/ ウルトラ情報局 | ファミリー劇場])。}}。「[[仮面ライダーシリーズ]]」「[[スーパー戦隊シリーズ]]」などと並ぶ、[[日本]]の代表的な特撮作品シリーズである。 以降、円谷プロ「ウルトラシリーズ」の主要作品を記す。特に断りがないものはテレビシリーズ。本項目にて記す各作品群の概要・特徴はあくまでも、そのグループを全体的に見た上での特徴であり、作品ごとの細かい差異・特色などについては、各作品の項目を参照。テレビ番組から派生した他メディア上の作品も含むため、円谷プロ「ウルトラシリーズ」全体の分類は複雑なものになるが、おおよそ以下のような内訳になる。 # 初期の空想特撮シリーズ(『Q』『マン』『セブン』) # 『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』と共通の世界観を持ち、M78星雲・光の国から地球を守るためにやってくるウルトラ戦士達の活躍を描いた『[[帰ってきたウルトラマン]]』以降のテレビ番組(→[[宇宙警備隊]]、光の国またはウルトラの星、[[M78星雲]]) # 設定を一新して、異なる世界観の中でのウルトラマンを描いた作品(『ザ☆ウルトラマン』、『ウルトラマンティガ』以降の平成ウルトラマンなど) # 上記の作品から派生してつくられた映画やオリジナルビデオ作品 # 5分番組やテレビスペシャルなど # 諸般の事情により、他社作品でありながらウルトラシリーズの範疇で語られることもある作品。 これらの作品群は、一部の例外を除き、「主人公がウルトラ○○という巨大な超人に変身して怪獣と戦うこと」を骨子としている。これより、円谷プロ版「ウルトラシリーズ」について解説する。 === 昭和第1期ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ) === 『[[キャプテンウルトラ]]』は、正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組の一つであるが、これは[[東映]]制作作品であるので、「円谷プロ(円谷特技プロ)の制作番組群としてのウルトラシリーズ」には含まれない。また、同じく正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組のひとつである『怪奇大作戦』は、円谷特技プロの作品であるが、現在は円谷プロ自身がシリーズに加えていないようである。 したがって、円谷プロに限って「'''昭和第1期ウルトラシリーズ'''」という呼称を用いるなら、以下の3作品がこれに当たる。 ; [[ウルトラQ]] : 1966年1月2日 - 7月3日。全28話。 ; [[ウルトラマン]] : 1966年7月17日 - 1967年4月9日放送。全39話。 ; [[ウルトラセブン]] : 1967年10月1日 - 1968年9月8日放送。全49話。 円谷プロが制作し、日本で初めて大がかりな特撮を導入したテレビドラマ『ウルトラQ』が大ヒットとなり、その後継作として制作された『ウルトラマン』が最高視聴率42%の特大ヒットとなったため、「空想特撮シリーズ」、または「ウルトラQ空想特撮シリーズ」と銘打たれる最初の番組シリーズとなった。 この円谷プロ「ウルトラシリーズ」(空想科学シリーズ)は、朝日ソノラマの「ファンタスティック・コレクション」シリーズなど、1978年以降の商業出版物によって再評価が始められた。これらの出版物では、『Q』から『セブン』までの3作品を「第1期ウルトラシリーズ」と総称し、以後定着したが、これはあくまで現在の呼称であり、放映当時のものではない。 === 昭和第2期ウルトラシリーズ === ; [[帰ってきたウルトラマン]] : 1971年4月2日- 1972年3月31日放送。全51話。 ; [[ウルトラマンA]] : 1972年4月7日 - 1973年3月30日放送。全52話。 ; [[ウルトラマンタロウ]] : 1973年4月6日 - 1974年4月5日放送。全53話。 ; [[ウルトラマンレオ]] : 1974年4月12日 - 1975年3月28日放送。全51話。 「TBSのウルトラシリーズ」は『セブン』をもって終了するが、円谷プロとしての「ウルトラシリーズ」は、以後も断続的に制作された。まず、『帰ってきたウルトラマン(以下、帰マン)』が『セブン』放送終了から2年半の歳月を経て、同じTBSの番組枠で1971年4月をもって放映開始され、ここに円谷プロの「ウルトラシリーズ」が再開されることとなった。関西圏では、第1期ウルトラシリーズに続き、当時のネット局である[[朝日放送テレビ|朝日放送]]で放映。 [[第二次怪獣ブーム]]や変身ヒーローブームの中核となった本シリーズは、TBSプロデューサー・橋本洋二(当時)の意向が強く打ち出され、スポ根ブームの影響を強く受けて「人間とウルトラマンの成長」というテーマを重視し、青春ドラマやホームドラマの色彩が強くなっている。 いずれの作品も、主人公は成長途上の青年として描かれている。ウルトラマンと一心同体となった彼らが、ウルトラマンの力ゆえに苦悩したり仲間との軋轢を抱える、怪獣や宇宙人との戦いの中で大切なものを失う、変身後のウルトラマンも時には敵に苦戦する、といった数々の困難を乗り越えて成長する様が、ドラマの主軸に据えられていた。 主人公の私生活、主人公を兄のように慕う少年を中心に主人公を取り巻く市井の人々との交流も多く描かれていた。少年も家族との死別を乗り越え、そして主人公に教え導かれながら成長していった。 本シリーズの最大の特徴は、『帰マン』での初代ウルトラマンとウルトラセブンの客演から始まり、『A』で「[[ウルトラ兄弟]]」の設定が確立し、『タロウ』でそれを発展させて「ウルトラファミリー路線」が打ち出されたことである。この試みによって本シリーズは4年間も続くロングランとなり、[[仮面ライダーシリーズ]]とともにブームの中核を担っていた。 「ファンタスティック コレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPARTII」(1978年・[[朝日ソノラマ]])では、本シリーズの作劇とウルトラファミリーの設定が「第1期ウルトラシリーズでのSF性が蔑ろにされている」や「ウルトラマンの卑小化」と批判されていた。同書を定本に、1982年から1995年まで「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」が第4版まで出版されたが、これには従来通りの論評が再録されていた{{Sfn|白書|1982|pp= 82 - 93}}{{Efn2|第4版には第2期ウルトラシリーズを再評価する文章も掲載された。}}。 しかし、[[1990年代]]後半に[[辰巳出版]]から出版された「検証・第2次ウルトラブーム」と銘打つ作品別の書籍では、第1期ウルトラシリーズを基準に捉えた前述の論調に対する反論として、各作品の持ち味や当時の時代・社会背景などを考慮した再評価や再検証が行われた。 === 昭和第3期ウルトラシリーズ === ; [[ザ☆ウルトラマン]] : 1979年4月4日 - 1980年3月26日放送。全50話(アニメ作品)。 ; [[ウルトラマン80]] : 1980年4月2日 - 1981年3月25日放送。全50話。 『レオ』終了と同時にウルトラシリーズは再び幕を下ろしたが、1970年代後半に書籍類でのウルトラシリーズ評価が皮切りに、首都圏での早朝再放送などの「ウルトラマンフィーバー([[サタデー・ナイト・フィーバー|当時の流行語]]をもじったもの)」を受け、新たに制作されたのが本シリーズである{{Sfn|白書|1982|pp=94 - 95}}。関西圏では第1期・第2期ウルトラシリーズと異なり、1975年3月31日の[[テレビ朝日|NETテレビ]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]との[[ネットチェンジ]]によって、ABCに代わってネット局となった[[毎日放送]]で放映された。 『ザ☆マン』の壮大なストーリーや『80』のハイレベルな特撮映像や[[学園ドラマ]]の導入など新たな要素はあったものの、視聴率および商品展開では期待を大きく下回る形となり、TBSとの共同制作によるウルトラシリーズはここで完全に終了した。 上述の通り、『Q』から『80』はTBSが制作を担当し、基本的に同じ作品世界の設定であることから、一括りのシリーズとして扱われるケースが多い。ただ、『ザ☆マン』はアニメーション作品であることや、ほかの8作品とも世界観を共有していないことから、本放送終了以降は関連書籍での作品紹介や商品展開などで、番外的な扱いを受けているケースもある。 『80』終了後、1996年に『[[ウルトラマンティガ]]』が開始されるまで、テレビシリーズは16年間も制作されなくなり、映画やオリジナルビデオといった多様な展開が行われ、シリーズの区切りが不明確になる。そのため、「第○期」という区分は商業誌などの公式記事には使用されなくなった。 テレビシリーズが制作されなくなった理由について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『80』をめぐる円谷プロとTBSとの関係悪化によって放送枠が確保できなくなったことや、円谷プロの経営悪化に伴って製作部が解体され、さらには著作権収入が安定したことなどで新作制作に消極的になったことなどを挙げている{{Sfn|円谷英明|2013|pp=63 - 69}}。 === ウルトラマンキッズ(アニメ) === ; [[ウルトラマンキッズ M7.8星のゆかいな仲間]] : 1984年3月17日公開。 ; [[ウルトラマンキッズのことわざ物語]] : 1986年4月16日 - 11月19日放送。 ; [[ウルトラマンキッズ 母をたずねて3000万光年]] : 1991年11月17日 - 1992年5月24日([[NHK衛星第2テレビジョン|NHKBS2]]、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]])。 {{Main|ウルトラマンキッズ}} === 日本国外制作展開 === ; [[ウルトラマンUSA]] : 1988年にアメリカでテレビ放映。1989年4月28日に日本で劇場公開。アニメ作品。 ; [[ウルトラマンG]] : 1990年9月 - 1991年5月ソフト発売。全7巻(全13話)。オーストラリアとの合作によるオリジナルビデオシリーズ。 : 1995年7月8日 - 9月30日放送{{Efn2|NHK-BS2での1991年12月23日 - 1992年1月4日を初回放映とする文献もある。}}。 ; [[ウルトラマンパワード]] : 1993年12月 - 1994年8月ソフト発売。全7巻(全13話)。アメリカとの合作によるオリジナルビデオシリーズ。 : 1995年4月8日 - 7月1日放送。エンディングテーマがビデオ版から変更されている。 国際マーケットを視野に入れた[[円谷皐]]円谷プロ社長(当時)の意向によって、テレビシリーズが長期休止期間であった1980年代から1990年代中ごろまで、日本国外の資本との提携・合作によるビデオシリーズや劇場用新作など、テレビ以外の媒体で多くのウルトラマンが登場した。これら作品はビデオ展開のみならず後に放映枠を与えられ、久々のテレビシリーズである『ティガ』以前にテレビシリーズの放映が行われている。 上記の作品群はM78星雲の存在など設定上は過去のウルトラシリーズと共通項を持つが、作品内では世界観の共有がさほど意識されていない。 === 平成ウルトラセブン === ; [[平成ウルトラセブン#ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦|ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦]] : 1994年3月21日テレビ放送。 ; [[平成ウルトラセブン#ウルトラセブン 地球星人の大地|ウルトラセブン 地球星人の大地]] : 1994年10月10日テレビ放送。 ; [[平成ウルトラセブン#ウルトラセブン誕生30周年記念3部作|ウルトラセブン誕生30周年記念3部作]] : 1998年6月5日 - 8月5日発売。オリジナルビデオ作品。 ; [[平成ウルトラセブン#ウルトラセブン1999最終章6部作|ウルトラセブン1999最終章6部作]] : 1999年7月7日 - 12月31日発売。オリジナルビデオ作品。 ; [[平成ウルトラセブン#ウルトラセブン誕生35周年"EVOLUTION"5部作|ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作]] : 2002年5月22日 - 9月25日発売。オリジナルビデオ作品。 いずれの作品も『ウルトラマン』および『帰マン』以降の第2期ウルトラシリーズとは切り離した上で展開された、『セブン』の直接の続編である。最初の2作品は通商産業省(現:[[経済産業省]])や[[資源エネルギー庁]]との[[タイアップ]]のもと、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で制作された特番であり、その続編として制作されたのが3本のオリジナルビデオシリーズである。全作品とも従来のフィルム撮影手法を採らず、ビデオ撮影で制作された。 {{Main|平成ウルトラセブン}} === 平成第1期ウルトラシリーズ(TDG 平成ウルトラマン三部作) === {{Anchors|平成ウルトラシリーズ3部作|平成ウルトラシリーズ初期3部作}} ; [[ウルトラマンティガ]] : 1996年9月7日- 1997年8月30日放送。全52話。 ; [[ウルトラマンダイナ]] : 1997年9月6日 - 1998年8月29日放送。全51話。 ; [[ウルトラマンガイア]] : 1998年9月5日 - 1999年8月28日放送。全51話。 『80』終了はTBSとの対立によりウルトラシリーズのテレビドラマは長らく制作されなかった。円谷プロは1993年の創立30周年記念作品としてウルトラシリーズの新作テレビドラマを計画していたが、最終的に巨大ヒーロー特撮であるがウルトラシリーズとは独立した『[[電光超人グリッドマン]]』が制作された{{R|泣}}。制作に全面協力していた[[富士通]]の後押しによりTBS系列で放送されたが単発で終了した{{R|泣}}。 ウルトラマン生誕30周年を迎えた1996年、TBS系列の在阪局である[[毎日放送]](MBS)が番組枠を提供、制作を担当し、この新たな枠組みで新シリーズが開始された。ウルトラシリーズを制作することとなった毎日放送の意気込みも強く、放映期間中には大阪[[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]の毎日放送社屋入口前に番組ごとにそれぞれの巨大ウルトラマン像が設置されて名所となった。 昭和ウルトラシリーズと世界観を一新すると共に、「[[M78星雲]]からやって来た宇宙人」という従来の設定も排され、いずれの作品のウルトラマンも「地球人の青年が自ら変身する光の巨人」として描かれている。また姿を変えることで能力が変わるタイプチェンジという設定も導入された。スタッフは『グリッドマン』に参加していた若手が中心となり、フィルム撮影であるがビデオ合成やCGなど『グリッドマン』で培われた技術を導入することで映像面も大きく進化している。 世界観を共有するのは『ティガ』と『ダイナ』のみだが、『ガイア』も続けて制作され、視聴率や玩具売上も好成績を収めた<ref group="注">しかし、『ウルトラマンが泣いている』(2013年・円谷英明)によれば、実情は経費管理の不透明さと毎回のような予算超過による債務超過で多額の赤字であったという。</ref> こと、スタッフや制作体制が続投していること、映画『[[ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦]]』で3人の光の巨人が共演を果たしたことから、3作品合わせて「平成(ウルトラマン)3部作」と呼ばれている。そして、各作品の外伝作品となるオリジナルビデオが2001年(完全版DVDが2004年)、DVDメモリアルボックスが2007年、リマスター版[[Blu-ray Disc|BD]]ボックスが2014年から2016年にかけて発売され、さらには映画『[[大決戦!超ウルトラ8兄弟]]』では3人の光の巨人が[[ウルトラ兄弟]]と共演している。 ティガ25周年を基に3作のアルファベットを繋げた『'''TDG'''』の総称名も用いるようになっている<ref>[https://m-78.jp/news/post-5960 ウルトラマンティガ25周年!『ウルトラマンティガ』『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』のBlu-ray・DVD購入で特製ボックス・特製スリーブが手に入るキャンペーン実施決定!]円谷ステーション2021年7月15日</ref> === 平成第2期ウルトラシリーズ(ハイコンセプトウルトラマンシリーズ) === ; [[ウルトラマンコスモス]] : 2001年7月7日 - 2002年9月28日放送。全65話(初回放送分は60話)。 ; [[ウルトラマンネクサス]] : 2004年10月2日 - 2005年6月25日放送。全37話(ほか、extra1話)。 ; [[ウルトラマンマックス]] : 2005年7月2日 - 2006年4月1日放送。全39話(ほか、総集編1回放送)。 ; [[ウルトラマンメビウス]] : 2006年4月8日 - 2007年3月31日放送。全50話。 [[円谷英二]]生誕100周年とウルトラシリーズ35周年を迎えた2001年、毎日放送によって制作された『コスモス』を機にウルトラシリーズが再開された。以降のシリーズは1作品ごとにブランクや時間枠移動があったりと複雑化しているため、公式なシリーズ区分はしばらく定まっていなかったが、後年には『コスモス』から『メビウス』を「'''平成第2期ウルトラシリーズ'''」、連続放送された『ネクサス』『マックス』『メビウス』を「'''ハイコンセプトウルトラマンシリーズ'''」と総称するようになった<ref name="語れ!">「CIRCUS別冊 語れ! ウルトラマン」(ベストセラーズ)の記事の一部より。</ref><ref>「ハイコンセプトウルトラマンシリーズ」のDVDの告知より。</ref>。 劇場用映画とのメディアミックスが定着し、『マックス』を除いてテレビシリーズとリンクした映画が制作されている。また、『ウルトラマン』を除く昭和ウルトラマンシリーズと平成3部作は4クール作品だったが、本シリーズは5クールだったり3クールだったりなど放送期間は不統一である。また、ウルトラマンの戦い方や作風やドラマ、王道が従来の昭和ウルトラマンシリーズや平成3部作、海外作品群やアニメシリーズ、他の円谷特撮ヒーロー作品とは異なっている{{R|語れ!}}。 毎日放送との「ウルトラシリーズ」は『コスモス』で終了となり、次作『ネクサス』は「新たなウルトラマン像を創造する」ことを主目的とした「[[ULTRA N PROJECT]]」の一環として制作され、以降はTBS系列の[[在名テレビジョン放送局|在名局]]・[[CBCテレビ|中部日本放送]](CBC)が制作を担当し、放送時間も土曜18:00から土曜7:30に変更された。 「N PROJECT」終了後は、「原点回帰」をコンセプトとした『マックス』が放送され、制作は引き続きCBCが担当。スタッフの多くも『ネクサス』から引き継いでいる。 シリーズ40周年記念作品として制作された『メビウス』は、『マックス』で好評だった原点回帰を推し進めて昭和ウルトラマンシリーズからの世界観を引き継ぎ、昭和の歴代ウルトラマンや人気怪獣・宇宙人が登場している。しかし、同作品が放送された土曜17時台後半という時間帯は、当時はローカルセールス枠であり、スポンサードネット扱いでの放送も同時・遅れを問わず主要都市圏に限られたため、一部未放映の地域ができてしまう。テレビシリーズ終了後も、『メビウス』は様々なメディアミックス作品が制作された。 『ネクサス』『マックス』『メビウス』の3作品は、視聴率および玩具売上の商業面で苦戦を強いられた。 『メビウス』終了後、ウルトラシリーズは1クールや2クールの短期間や劇場版映画、オリジナルビデオ作品など断続的な制作にシフトすることとなる。その背景について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『ネクサス』以降に名古屋地方局発となったことで首都圏では十分に宣伝されずに視聴率不振となり、スポンサー獲得も困難となって番組提供枠として売れなくなったことを最大の原因として挙げている{{Sfn|円谷英明|2013|pp=177 - 178}}。 === ウルトラギャラクシー大怪獣バトルシリーズ === ; [[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル]] : 2007年12月1日 - 2008年2月23日放送。全13話。 ; [[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY]] : 2008年12月20日 -2009年3月14日放送。全13話。 2作品とも初回放送は地上波ではなく、[[日本BS放送|BS11]]での放送となった。後に2009年から2010年にかけて[[TXNネットワーク|テレビ東京系]]でも放送され、以降のテレビシリーズも同系列にて放送されるようになった。 {{anchors|平成第3期|令和ウルトラマン|令和|ニュージェネレーションヒーローズ}} === 平成第3期ウルトラシリーズ / 令和ウルトラマン (ニュージェネレーションヒーローズ) === ; [[ウルトラマン列伝]] : 2011年7月6日 - 2013年6月26日放送。全104話。 :; [[ウルトラゼロファイト]](第1部) :: 2012年8月1日 - 9月19日放送。全8話。 :; ウルトラゼロファイト(第2部) :: 2012年12月12日 - 2013年3月27日放送。全15話。 ; [[ウルトラマン列伝|新ウルトラマン列伝]] : 2013年7月3日 - 2016年6月25日放送。全155話。 :; [[ウルトラマンギンガ]] :: 2013年7月10日 - 8月14日、11月20日 - 12月18日放送。全11話。 :; [[ウルトラマンギンガS]] :: 2014年7月15日 - 9月2日、11月4日 - 12月23日放送。全16話。 :; [[劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!#ウルトラファイトビクトリー|ウルトラファイトビクトリー]] :: 2015年3月31日 - 6月23日放送。全13話。 :; [[ウルトラマンX]] :: 2015年7月14日 - 12月22日放送。全22話。 ; [[ウルトラマンオーブ]] : 2016年7月9日 - 12月24日放送。全25話。 :; [[ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA]] ::2016年12月26日 - 2017年3月13日 [[Amazonプライム・ビデオ]]独占配信。全12話。 ; [[ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE|ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE]] : 2017年1月7日 - 6月24日放送。全25話。 :; [[ウルトラファイトオーブ]] :: 2017年4月15日 - 6月3日放送。全8話。 ; [[ウルトラマンジード]] : 2017年7月8日 - 12月23日放送。全25話。 ; [[ウルトラマンオーブ#ウルトラマンオーブ THE CHRONICLE|ウルトラマンオーブ THE CHRONICLE]] : 2018年1月6日 - 6月30日放送。全26話。 ; [[ウルトラマンR/B]] : 2018年7月7日 - 12月22日放送。全25話。 ; [[ウルトラマン ニュージェネレーションクロニクル]] : 2019年1月5日 - 6月29日放送。全26話。4月まで[[平成]]、5月より[[令和]]。 ; [[ウルトラマンタイガ]] : 2019年7月6日 - 12月28日放送。全25話+特別篇。 ; [[ウルトラギャラクシーファイト|ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ]] : 2019年9月29日 - 12月22日配信。全13話。[[YouTube]]円谷プロダクション公式チャンネル独占配信 ; [[ウルトラマン クロニクル ZERO&GEED]] : 2020年1月11日 - 6月13日放送。全23話。 ; [[ウルトラマンZ]] : 2020年6月20日 - 12月26日放送。全25話+特別篇3話。 ; [[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』|ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀]] : 2020年11月22日 - 2021年1月31日配信。全10話。YouTube円谷プロダクション公式チャンネル配信 ; [[ウルトラマン クロニクルZ ヒーローズオデッセイ]] : 2021年1月9日 - 6月26日放送。全25話。 ; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA]] : 2021年7月10日 - 2022年1月22日放送。全25話+特別総集編3話。 ; [[ウルトラマン クロニクルD]] : 2022年1月29日 - 6月25日放送。全22話。 ; [[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』|ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突]] : 2022年4月29日 - 7月1日配信。全10話。 ; [[シン・ウルトラマン]] : 2022年5月13日公開。 ; [[ウルトラマンデッカー]] : 2022年7月9日 - 2023年1月21日放送。全25話+特別総集編3話。 ; [[ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ]] : 2023年1月28日 - 6月24日放送。全22話。 ; [[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラマンレグロス』|ウルトラマンレグロス]] : 2023年5月23日 - 7月4日配信。全2話+『ファーストミッション』1話。 ; [[ウルトラマンブレーザー]] : 2023年7月8日 - ; [[ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ#第2期|ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ]](第2期) : 2024年1月27日 - ウルトラシリーズが45周年を迎えた2011年より『ウルトラマン列伝』が放送開始。当初は過去作品のセレクト再放送やスペシャル総集編、映画やビデオ作品の分割放送などをメインとしたが、2012年に『ウルトラゼロファイト』を放送して以降、次第にオリジナル作品の比重が大きくなり、その後も2013年に『ギンガ』や『[[大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア]]』、2014年に『ギンガS』(『ギンガ』と『ギンガS』はそれぞれ分割1クール)、2015年に『X』を放送。『X』以降のウルトラシリーズは2クール放送となる。『ウルトラマン列伝』では主にウルトラマンゼロがナビゲーターを担当していたが、『新ウルトラマン列伝』以降は様々なキャラクターが担当するようになった。キー局が系列局の少ない[[テレビ東京]]のため本放送と同時放送される地域は少ないが、放送終了と同時にYouTubeのウルトラマン公式チャンネルにて無料のネット配信が行われるようになり、インターネット環境があれば、地域に関係なく30分遅れで視聴することが可能となっている{{Efn2|『[[ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE|ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE]]』までは、[[テレビ東京]]の[[日本における衛星放送|BS局]]である[[BSジャパン]](現:BSテレ東)での遅れネットも行われていた。}}。 ウルトラシリーズ50周年記念作品でもある『オーブ』以降は、上半期に『クロニクル』シリーズ(ナビゲーターと共に特定のウルトラ作品の再放送と劇場版の分割放送版を視聴するシリーズ)、下半期に新作シリーズという形式で交互に放送することにより、番組枠を継続している。 また、2017年公開の[[劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!|ウルトラマンオーブの劇場版]]で使用されたキャッチコピー「大集結!新世代(ニュージェネレーション)ヒーローズ!」がきっかけで、ウルトラマンギンガ以降のウルトラマンの総称として'''ニュージェネレーションヒーローズ'''がメディアによって使用されるようになった。 『新ウルトラマン列伝』で『ギンガ』放送中の2013年7月10日には、「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定された{{R|n-2108}}。 === 夜間番組 === ; [[ウルトラQ dark fantasy]] : 2004年4月6日 - 9月28日放送。全26話。 ; [[ULTRASEVEN X]] : 2007年10月5日 - 12月21日放送。全12話。 ; [[ウルトラゾーン (テレビ番組)|ウルトラゾーン]] : 2011年10月 - 2012年3月放送<ref group="注">[[テレビ神奈川]]・[[千葉テレビ放送]]・[[テレビ埼玉]]・[[サンテレビジョン]]・[[名古屋テレビ放送]]の5局共同制作であるが、名古屋テレビ放送のみ2012年1月 - 6月放送。</ref>。全23話。 ; [[ネオ・ウルトラQ]] : 2013年1月12日 - 3月30日放送。全12話。 2000年代に入ってからは昭和シリーズのリメイク、もしくは続編的な作品を制作することが多くなっている。2004年には『Q』のリメイクとして『Q dark fantasy』、2007年にウルトラセブン40周年記念作品として『SEVEN X』が[[深夜番組|深夜枠]]にて、2011年には「ウルトラ怪獣を主役とした大人向けのウルトラ」というコンセプトで『ウルトラゾーン』が[[全国独立放送協議会|独立局]]を中心に、2013年には「ウルトラQのセカンドシーズン」というコンセプトで『ネオ・ウルトラQ』が放送される。 === 全作品共通事項 === 各作品のオープニングタイトルの所で、その回に登場する「××怪獣 ○○登場」という字幕が入る(『Q』『セブン』『80』『G』『ネクサス』および『大怪獣バトル』シリーズ以降の作品を除く。また、『A』第36・37話のみ「出現」と表記されている)。 == テレビシリーズの放映ネット局 == <!--放送対象地域外の県は加えず、本放送を放送した局のみ記述すること。ネット局の系列についても現在の系列にすること--> === 現在のネット局 === 放送日時は2023年11月現在。[[字幕放送]]・[[解説放送]]{{Efn2|『ブレーザー』より実施<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202307/27417_202307080900.html|title=ウルトラマンブレーザー「ファースト・ウェイブ」|website=テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)|publisher=テレビ東京|accessdate=2023-08-01}}</ref>。}}はテレビ東京系列6局のみ実施。『[[ウルトラマン列伝]]』以降における[[インターネット動画配信]]については各作品の項目を参照。 {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !放送対象地域!!放送局!!系列!!放送日時!!ネット状況!!備考 |- |[[広域放送|関東広域圏]]||[[テレビ東京]]||rowspan="6"|[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]||rowspan="6"|土曜 9:00 - 9:30||colspan="2"|'''製作局''' |- |[[北海道]]||[[テレビ北海道]]||rowspan="5"|同時ネット|| |- |[[愛知県]]||[[テレビ愛知]] | |- |[[大阪府]]||[[テレビ大阪]] | |- |[[岡山県]]・[[香川県]]||[[テレビせとうち]] | |- |[[福岡県]]||[[TVQ九州放送]] | |- |[[福島県]]||[[テレビユー福島]]||rowspan="2"|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||日曜 1:28 - 1:58(土曜深夜)|| rowspan="10" |遅れネット||{{Efn2|『列伝』第45話から放送。2016年3月までは土曜 6:00 - 6:30、同年4月から2021年3月(『クロニクルZ ヒーローズオデッセイ』第6話)までは日曜 6:15 - 6:45、同年4月から9月(『トリガー』特別総集編(1))までは土曜 5:45 - 6:15、同年10月から2023年3月(『デッカー』)までは土曜 6:00 - 6:30(『デッカー』最終話は6:30 - 7:00に放送)に放送。同年4月(『ニュージェネレーション スターズ』)より『[[ラヴィット!|夜明けのラヴィット!]]』の放送開始に伴い、現在の日時に変更。なお、2023年11月現在、全ネット局においては唯一深夜枠での放送になっている。}} |- |[[新潟県]]||[[新潟放送]]||日曜 6:15 - 6:45||{{Efn2|name = "trigger"|『トリガー』から放送。『列伝』から『クロニクルZ ヒーローズオデッセイ』は未放送。}} |- |[[長野県]]||[[長野朝日放送]]||[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]||日曜 5:20 - 5:50|| {{Efn2|name = "trigger"}} |- |[[石川県]]||[[石川テレビ放送|石川テレビ]]||[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]||日曜 6:30 - 7:00||{{Efn2|『列伝』第38話から放送。[[テレビ金沢]](後述)より移行。}} |- |[[静岡県]]||[[静岡第一テレビ]]||[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]||日曜 5:30 - 6:00|| |- |[[滋賀県]] |[[びわ湖放送]] | rowspan="2" |[[全国独立放送協議会|独立局]] |金曜 17:25 - 17:55 |{{Efn2|name = "onair"|『デッカー』から放送。『クロニクルD』以前ならびに『ニュージェネレーション スターズ』は未放送。}} |- |[[和歌山県]] |[[テレビ和歌山]] |火曜 17:00 - 17:30 |{{Efn2|name = "onair"}}{{Efn2|『デッカー』は月曜 17:00 - 17:30に放送。}} |- |[[広島県]]||[[広島ホームテレビ]]||テレビ朝日系列||日曜 5:35 - 6:05||{{Efn2|『新列伝』第55話から放送。}} |- |[[宮崎県]]||[[宮崎放送]]||rowspan="2"|TBS系列||日曜 5:15 - 5:45||{{Efn2|『列伝』第75話から放送。2014年3月までは土曜 5:10 - 5:40、同年4月から6月までは土曜 5:15 - 5:45、同年7月から10月11日までは土曜 4:45 - 5:15、同年10月17日から2016年4月15日までは金曜 4:30 - 5:00、同年4月29日は4:55 - 5:25、同年5月から2018年1月(『ジード』)までは金曜 4:25 - 4:55、『オーブ THE CHRONICLE』は金曜 5:25 - 5:55に放送した後、同年8月(『R/B』)から2020年2月7日(『タイガ』)までは再度、金曜 4:25 - 4:55に戻る。『クロニクル ZERO&GEED』は金曜 5:20 - 5:50、同年7月24日(『Z』)から2021年9月(『トリガー』)までは金曜 5:30 - 6:00に放送。同年10月より現在の日時に変更。}} |- |[[沖縄県]]||[[琉球放送]]||日曜 6:15 - 6:45||{{Efn2|『新列伝』から放送。放送開始から2016年3月26日までは土曜 7:00 - 7:30に放送し、一旦打ち切りとなるが、2018年10月7日に『R/B』より再開。2022年9月までは現在の日時で放送。同年10月から2023年9月までは自社制作番組『GOLF BEAT』(日曜 6:30 - 6:45)の放送開始に伴い、放送時間が日曜 6:00 - 6:30に繰り上がったが、同年10月より『GOLF BEAT』の放送が終了したため、再度現在の時間に戻った。なお、『新列伝』以降のシリーズでは、一部の回をカットして放送した時期もあった。}} |} === 過去のネット局 === ;『メビウス』まで(『ULTRASEVEN X』含む) [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]外局では放送されなかったり本放送終了後の放送となった作品もある。また、TBS系列局でも同時ネットがされなかった作品もある一方で{{Efn2|全編ローカルセールス枠だった『メビウス』の未放送については後述とする。}}ごく初期の作品(『Q』・『マン』・『セブン』){{Efn2|「TBSウルトラシリーズ」の枠組みでは『キャプテンウルトラ』・『怪奇大作戦』も該当。}}については系列外にもかかわらず同時ネットしていた局もわずかながらある{{Efn2|スポンサーの[[武田薬品]]の意向で『タケダアワー』として[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBSテレビ系列]]局不在地域の[[日本テレビ系列]]局にも同時または時差スポンサードネットを行っていたため。}}。 {| class="wikitable" style="font-size:small" !放送対象地域 !放送局 !現在の系列 !備考 |- | 関東広域圏 |[[TBSテレビ|東京放送]] |TBS系列 |現:TBSテレビ。<br />'''『[[ウルトラQ|Q]]』から『[[ウルトラマン80|80]]』までの制作局'''{{Efn2|name = "7X"|『ULTRASEVEN X』をネットしていた局。}}。 |- |rowspan=2|近畿広域圏 |[[朝日放送テレビ|朝日放送]] |テレビ朝日系列 |現:朝日放送テレビ。 『[[ウルトラQ|Q]]』から『[[ウルトラマンレオ|レオ]]』まで。<br />1975年3月30日まではTBS系列局。 |- |[[毎日放送]] |rowspan="3"|TBS系列 |'''『[[ウルトラマンティガ|ティガ]]』から『[[ウルトラマンコスモス|コスモス]]』までの制作局'''{{Efn2|name ="7X"}}。<br />『[[ザ☆ウルトラマン|ザ☆]]』から。<br />1975年3月30日まではNETテレビ(現:テレビ朝日)系列局。 |- |中京広域圏 |[[CBCテレビ|中部日本放送]] |現:CBCテレビ<br />'''『[[ウルトラマンネクサス|ネクサス]]』から『[[ウルトラマンメビウス|メビウス]]』までと、『ULTRASEVEN X』の制作局'''{{Efn2|name ="7X"}} |- |北海道 |[[北海道放送]] | |- |rowspan=2|[[青森県]] |[[青森放送]] |日本テレビ系列 |『Q』から『セブン』まで。<br>『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[青森テレビ]] |rowspan="3"|TBS系列 |『帰マン』から。<br />1975年3月まではNETテレビ系列とのクロスネット局。 |- |[[岩手県]] |[[IBC岩手放送]] | 『80』までの社名は「岩手放送」。<br />『帰マン』から『レオ』は遅れネット。 |- |[[宮城県]] |[[東北放送]] | |- |rowspan="2"|[[秋田県]] |[[秋田テレビ]] |フジテレビ系列 |『マン』のみ本放送終了後の1971年 - 1972年に放送<ref>『河北新報』1971年8月2日、1972年2月14日付朝刊、テレビ欄。</ref>。 |- |[[秋田放送]] |rowspan=2|日本テレビ系列 | rowspan="2" |『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |rowspan=2|[[山形県]] |[[山形放送]] |- |[[テレビユー山形]] |TBS系列 |『ティガ』から。 |- |rowspan=2|福島県 |[[福島テレビ]] |フジテレビ系列 |『80』まで。<br />1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局。 |- |[[テレビユー福島]] |rowspan="5"|TBS系列 |『ティガ』から。 |- |[[山梨県]] |[[テレビ山梨]] |『帰マン』から{{Efn2|name ="7X"}}{{Efn2|それ以前のシリーズが[[山梨放送]](日本テレビ系列)で放送されていたかは不明(「平成セブン」は系列内番組として同局で放送)。}}。 |- |長野県 |[[信越放送]] | 『帰マン』から『レオ』、および『メビウス』は遅れネット。 |- |新潟県 |新潟放送 | |- |静岡県 |[[静岡放送]] | 『帰マン』から『レオ』までは遅れネット。 |- |rowspan=3|[[富山県]] |[[北日本放送]] |日本テレビ系列 |『Q』・『マン』・『セブン』・『ザ☆』のみ{{Efn2|北日本放送では『帰マン』も放送されたものの、『[[仮面ライダー]]』ネットに切り替えるため途中打ち切りになった<ref>『北日本新聞』1971年10月13日、1971年10月20日付朝刊テレビ欄より。</ref> ため、富山テレビで改めて全話放送された。『レオ』も富山テレビでの本放送終了後の1979年、北日本放送で再放送扱いでネットされていた<ref>『北日本新聞』1979年8月23日付朝刊テレビ欄より。</ref>。}}。<br>『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[富山テレビ放送|富山テレビ]] |フジテレビ系列 |『帰マン』から『レオ』まで |- |[[チューリップテレビ]] |rowspan="2"|TBS系列 |『ティガ』から。 |- |石川県 |[[北陸放送]] |『帰マン』から『レオ』までは遅れネット。 |- |[[福井県]] |[[福井放送]] |日本テレビ系列<br />テレビ朝日系列 |『80』まで。<br />放送当時(1989年3月以前)は日本テレビ系列単独加盟局。<br>『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[鳥取県]] |[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]] |日本テレビ系列 |島根県との相互乗り入れ前に『帰マン』を数ヶ月遅れで水曜18:00から放送。<br />本放送当時は事実上NETテレビとフジテレビともに系列に近い関係であった。<br />『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[島根県]]<br />→島根県・鳥取県 |[[山陰放送]] |rowspan="3"|TBS系列 |『Q』から『A』第24話までは島根県のみ放送。<br />『A』第25話以降は鳥取県でも放送{{Efn2|山陰放送の1972年9月21日までの放送免許エリアは島根県のみ。同年9月22日から電波相互乗り入れに伴い鳥取県にも放送免許エリアが拡大。}}。 |- |岡山県<br />→岡山県・香川県 |[[RSKテレビ|山陽放送]] |現:[[RSK山陽放送]]。<br />『80』までは岡山県のみ。<br />『ティガ』から香川県でも放送{{Efn2|山陽放送の1983年3月までの放送免許エリアは岡山県のみ。同年4月から[[岡山県・香川県の放送#岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送|相互乗り入れ]]に伴い香川県にも放送免許エリア拡大。相互乗り入れ以前の香川県において[[西日本放送テレビ|西日本放送]](日本テレビ系列)で放送された作品があるかは不明(『平成セブン』は系列内番組として同局で放送)。}}。 |- |広島県 |[[中国放送]] |1967年3月までの社名は「ラジオ中国」 |- |rowspan=2|[[山口県]] |[[山口放送]] ||日本テレビ系列 |『マン』から『セブン』まで。<br />当初は1ヶ月遅れの日曜10:30から放送していた。<br />その後遅れ幅を縮小し、『キャプテンウルトラ』から1週遅れで放送。<br>『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[テレビ山口]] ||TBS系列 |『帰マン』から『マックス』まで。<br />『メビウス』は未放送。<br />『ガイア』は2000年夏休みに全話集中放送。<br />1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局。 |- |[[徳島県]] |[[四国放送]] |rowspan="2"|日本テレビ系列 |『ザ☆』のみ<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメージュ]] |issue=1980年4月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国放映リスト |pages=65}}</ref>。<br />『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |rowspan=2|[[愛媛県]] |[[南海放送]] |『平成セブン』は系列内番組として放送。 |- |[[あいテレビ]] |rowspan="9"|TBS系列 |『ティガ』から。<br />2002年9月までの社名は「伊予テレビ」。 |- |[[高知県]] |[[テレビ高知]] |『帰マン』から{{Efn2|それ以前のシリーズが[[高知放送]](日本テレビ系列)で放送されていたかは不明(『平成セブン』は系列内番組として同局で放送)。}}。 |- |福岡県 |[[RKB毎日放送]] | |- |[[長崎県]] |[[長崎放送]] |『帰マン』から『レオ』は遅れネット。『メビウス』は未放送 |- |[[熊本県]] |[[熊本放送]] |『帰マン』から『レオ』は遅れネット。『メビウス』は日曜5:30から放送{{Efn2|name ="7X"}}。 |- |[[大分県]] |[[大分放送]] |『メビウス』は未放送。 |- |宮崎県 |宮崎放送 | |- |[[鹿児島県]] |[[南日本放送]] |『帰マン』から『レオ』は遅れネット。 |- |沖縄県 |琉球放送 | |} この他、『[[ウルトラマン|マン]]』が1970年代に[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]で、『[[ウルトラセブン|セブン]]』が1985年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で、また『帰マン』を皮切りとして『Q』~『80』が1989~1992年に[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]] (現:[[NHK BSプレミアム|BSプレミアム]])でそれぞれ[[再放送]]されたりと、再放送については地域系列放送媒体を問わず大多数のテレビ局で実績がある。なお、円谷プロの倒産回避措置として、1984年から1991年まではTBSが系列内外への販売窓口となっていた{{Efn2|番組販売業務は子会社の[[TBSサービス]]を通じて行っていた。}}。 ;大怪獣バトルシリーズ {{see|ウルトラギャラクシー大怪獣バトル#放送局}}{{see|ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY#放送局・配信サイト}} ;ウルトラQ dark fantasy [[テレビ東京]]、[[アニマックス]]など。 {{see also|ウルトラQ dark fantasy#放送局}} ;『ウルトラマン列伝』以降のシリーズ ネット状況はいずれも遅れネット。 {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !放送対象地域!!放送局!!系列!!備考 |- |青森県||青森テレビ||rowspan="2"|TBS系列||『R/B』・『タイガ』・『Z』のみ{{Efn2|『クロニクル』シリーズは未放送。}} |- |rowspan="2"|宮城県||東北放送||『列伝』から『オーブ』まで{{Efn2|『ゼロ THE CHRONICLE』から『クロニクルZ ヒーローズオデッセイ』までの各作品は未放送。}} |- |[[仙台放送]]||フジテレビ系列||『トリガー』から『ニュージェネレーション スターズ』まで |- |富山県||北日本放送||rowspan="2"|日本テレビ系列||『オーブ THE CHRONICLE』から『クロニクルD』第1話まで |- ||石川県||[[テレビ金沢]]||『列伝』のみ、第37話まで放送後、石川テレビへ移行 |- |[[岐阜県]]||[[岐阜放送]]|| rowspan="2" |独立局||『トリガ-』のみ |- |[[三重県]]||[[三重テレビ放送|三重テレビ]]||『列伝』のみ |- |長崎県||[[テレビ長崎]]||フジテレビ系列||『新列伝』第55話から半年間のみ |- |熊本県||熊本放送||TBS系列||『列伝』および『新列伝』の一部回のみ |- |[[全国放送|日本全域]]||[[BSテレビ東京|BSジャパン]]||[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS放送]]||現:BSテレ東<br />『列伝』から『ゼロ THE CHRONICLE』まで{{Efn2|『オーブ』は、本放送終了後にセレクション放送を実施。}}{{Efn2|中断期間あり。『列伝』及び『新列伝』は一部の回をカットして放送。}} |} == ウルトラシリーズとバンダイグループ (現: バンダイナムコグループ)の商品ビジネス == {{seealso|[[バンダイナムコグループ]]}} ウルトラシリーズの関連商品は、大半が[[バンダイ]]から発売されているが、実は第一期シリーズ当初は、商品化権を獲得しておらず、実際に商品化権を取ったのは、第二期シリーズのころである。第三期シリーズの前年の1978年に[[ポピー (玩具メーカー)|ポピー]](現:バンダイ・ボーイズトイ事業部)が[[ブルマァク]]の倒産でウルトラシリーズの関連商品の発売元を失った[[円谷プロダクション|円谷プロ]]ならびに大手出版社・[[小学館]]と手を組んでからで、以後小学館の『[[てれびくん]]』などの雑誌の人気作品の再録再評価、怪獣ソフビの[[ウルトラ怪獣シリーズ]]を中心とした関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。これは、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』ブーム影響から生まれたのである。一説では、バンダイ的には[[超合金 (玩具)|超合金]]ブームと[[怪獣ブーム]]のブームの合体のために作られたものである。 その後バンダイはテレビ・映画などのメディアでウルトラシリーズの新作制作を後押し続け、バンダイ・ボーイズトイ事業部で玩具などの関連商品を発売し、子会社の[[バンダイナムコフィルムワークス]](旧:[[バンダイビジュアル]]→[[バンダイナムコアーツ]])がシリーズ各作品のビデオ・DVDの商品化を開始し、もう一つの子会社である玩具デザイン会社の[[プレックス]]によってティガ以降現在までの作品の防衛チームのライドメカ、基地、隊員服、なりきり玩具などをデザインし、また、もう一つの子会社である玩具デザイン会社の[[バンダイナムコエンターテインメント|バンダイナムコエンターテインメント(旧:バンダイナムコゲームス)]]と共に[[データカードダス]]の『[[大怪獣バトル ULTRA MONSTERS]]』中心のゲームを出したり、[[BANDAI SPIRITS]](旧:[[バンプレスト]])から[[プライズ]]モノを出したり、1989年からは毎年「ウルトラマンフェスティバル」(略称・「ウルフェス」)を開催している。 2008年1月21日、バンダイは円谷プロの当時の親会社であった[[ティー・ワイ・オー]]より円谷プロの33.4%の[[株式]]を取得し、ウルトラシリーズを初めとした円谷プロ作品の独占的商品化権を獲得した<ref>[http://www.bandai.co.jp/releases/J2008012101.html バンダイ、ティー・ワイ・オー、円谷プロダクションによる資本・業務提携について] - バンダイ 2008年1月21日プレスリリース</ref>。 == ウルトラシリーズと小学館との関係 == ウルトラシリーズの関連書籍は、現在では大半が[[小学館]]から発売されているが、同社が商品化権を獲得したのは第2期ウルトラシリーズが開始される前々年の1969年である。それ以降、[[小学館の学年別学習雑誌]]を中心とした雑誌や絵本、漫画、[[ライトノベル]]、研究本などの関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。 その後、小学館は[[ゾフィー (ウルトラシリーズ)|ゾフィー]]を長兄とした[[ウルトラ兄弟]]の設定を築き上げ、ウルトラシリーズの新作や『[[ミラーマン]]』、『[[ファイヤーマン]]』、『[[ジャンボーグA]]』などのほかの円谷プロ作品を小学館の学習雑誌などの雑誌で連載。のちに、現在の本シリーズ主幹雑誌である「[[てれびくん]]」が1978年12月末発売の2月号にシリーズ各作品の掲載を開始し、以後[[1990年代]]の作品を除いて全作掲載され続けている。 == 映像ソフト化 == 1980年代にVHSとLDの映像ソフトによる商品展開が始まり、LDで『ウルトラQ』から『80』までの全作品とVHSテープで『ザ☆マン』を除く全作品が映像ソフト化され、劇場作品『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』以降の作品はリアルタイム時の映像ソフトのリリースが始まり、『G』ではオリジナルビデオ作品としての商品展開も行われた。 その後、DVDが台頭し、円谷プロの昭和作品をDVD化する「[[デジタルウルトラシリーズ]]」の一環として『セブン』、『ウルトラマン』、『ウルトラQ』、『帰マン』、『A』、『タロウ』、『レオ』、『ザ☆マン』の順で昭和ウルトラシリーズがDVD化された。1990年代作品の『ウルトラマンネオス』、『[[ウルトラマンゼアス]]』や平成3部作もDVD化し、2000年代作品の『コスモス』以降の作品はリアルタイムで発売された。2010年6月25日と9月24日に『80』のDVD-BOXが発売。『G』は、海外で[[英語]]音声のみのDVDが発売されていたが、国内でのリリースは成されていなかった。 DVDに次ぐ映像ソフト規格のBDにおいて、それまでの作品も再リリースされた上に2017年1月27日に『G』、3月24日には『パワード』、2018年9月26日に『ウルトラマンUSA』がリリースされ、現在公的に公開されているテレビシリーズおよび、劇場版のウルトラシリーズ全作が映像ソフトで視聴可能になる。 2008年12月から『ウルトラ1800』という低価格でのDVD販売を行っている。 #『ウルトラQ』:2008年12月19日(1巻 - 4巻)、2009年1月23日(5巻 - 7巻)発売。 #『ウルトラマン』:2009年2月18日 - 4月22日発売(全10巻)。 #『セブン』:2009年5月13日 - 7月29日発売(全12巻)。 #『帰マン』:2010年7月23日 - 2010年10月8日(全13巻)。 #『A』:2010年12月22日 - 2011年4月7日(全13巻。DVD-BOXも有り)。 == 作品世界 == ウルトラシリーズは同一の世界を共有している作品と、独立した世界が舞台の作品に分かれる。また同じ作品世界を共有していてもパラレルワールドとなっている場合もある。 * 『ウルトラマン』から『ウルトラマンレオ』、『ウルトラマン80』までのシリーズは、過去のヒーローや怪獣が後発の作品に客演することなどによって物語がつながっていることが示されている。ただし、個々の作品は独立して制作されているため、細かい部分まで設定が揃えられているわけではない。[[#M78星雲 光の国の世界観]]や[[M78星雲]]も参照。 * 『ウルトラマンティガ』と『ウルトラマンダイナ』は同一の作品世界である。また、『ウルトラマンダイナ』には『[[ブースカ! ブースカ!!]]』のキャラクターも登場している。 * 『ウルトラマンネクサス』と『ULTRAMAN』は[[ULTRA N PROJECT]]の作品として制作され、同一の作品世界である。 ** 雑誌展開の『ウルトラマンノア』は「M78シリーズ」世界を舞台に活躍、最終的に『ULTRAMAN』と『ウルトラマンネクサス』の世界へと飛ばされる前史のエピソードとなっていた。 * 『ザ☆ウルトラマン』、『ウルトラマンガイア』、『ウルトラマンナイス』、『ウルトラマンコスモス』はそれぞれ独立した作品世界である。ただし『ザ☆ウルトラマン』、『ウルトラマンコスモス』は旧作との関連を連想させる部分がある。 * 『ULTRA SEVEN X』は『セブン』の平行世界が舞台である。 * 『大怪獣バトルシリーズ』{{Efn2|『ウルトラギャラクシー』二作や劇場版のほか、漫画版・ゲーム版なども含む}}、および時系列としてはそれ以降の物語となる『ウルトラマンゼロ』関連の作品は上記全ての世界のキャラクター達の存在が認知されている未来の世界が舞台である。 * 『[[ウルトラマンギンガ]]』では、ダークスパークウォーズと呼ばれる別の世界での戦いにおいてフィギュアにされた全てのウルトラ戦士とウルトラ怪獣が、『ギンガ』の世界へ飛ばされた。 * 『大怪獣ラッシュ』では「プラズマギャラクシー」が舞台。当初はウルトラマンが存在しない世界だったが、途中から設定変更で別宇宙の一つとされ<!--『新ウルトラマン列伝』第38話より-->ウルトラ戦士も登場するようになる。 * 『新世紀2003ウルトラマン伝説』のように、オリジナルでの世界観の繋がりとは無関係に歴代ウルトラマンや『[[快獣ブースカ]]』などの他作品のキャラクターが登場する作品もある。 === M78星雲 光の国の世界観 === * 『ウルトラQ』と『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』は制作時点では別の物語として作られた。 ** 『Q』と『マン』の繋がりは明確に語られていない{{Efn2|『ウルトラQ』のタイトルを破壊して『ウルトラマン』のタイトルになる演出自体が『ウルトラマン』が『ウルトラQ』の第二期の作品である点を示している。同様の前作のタイトルを破壊して現タイトルになる演出は、のちの『戦え!マイティジャック』でも踏襲している。}}が、『ウルトラマン』ではラゴンの存在や特性が最初から科学特捜隊の隊員たちに知られていることや、ケムール人が2代目とされていることなど、劇中に登場する怪獣や宇宙人の一部が劇中では語られていないところで何らかの形で現れていたことになっており、『Q』との関連が示唆されている。 ** 現在では『ウルトラマン』と『セブン』は同一の作品世界とされることが多いが、制作当初は別の作品世界として制作されていた。この当時の設定を引き継いだ作品として『平成ウルトラセブン』(ほかのウルトラシリーズと関連しない形での『セブン』の続編)が制作されている{{Efn2|第1作『太陽エネルギー作戦』では一部他作品の設定を含めた描写があるが、セブン以外のウルトラ戦士やウルトラ警備隊以外の防衛チームについては言及されていない。また、『セブン』と『平成セブン』の間には長い空白期間が設定されている。}}。同じ手法で『ウルトラマン』の直接の続編である『[[ウルトラマン怪獣伝説 40年目の真実]]』も制作されている。 * 『ウルトラマンUSA』『ウルトラマンG』『ウルトラマンパワード』『ウルトラマンゼアス』はそれぞれ、『ウルトラマン80』までの作品世界を舞台にしている続編だが、相互のつながりを強調するような演出はない。また、『ウルトラマンゼアス』と『ウルトラマンメビウス』以外は過去のウルトラ戦士や怪獣に関してもまったく触れられておらず{{Efn2|『ウルトラマンパワード』第2話のケムラーは作中描写などに矛盾があるとする向きも多い。}}、それぞれ独立した過去のシリーズとは関係ない世界とも解釈できる描写である。 ** 『ウルトラマンメビウス』はほかの作品と違ってウルトラマン80が地球を去ってから25年後と語られており、『ウルトラマン80』までのシリーズの続編であることがポイントになっている。 * 『ウルトラマンネオス』『ウルトラマンマックス』は登場ウルトラマンがM78星雲出身とされているが、『ウルトラマン80』までの作品世界とはそれぞれ独立した作品世界である。 === ギャラクシークライシス === 『[[大怪獣バトル]]』以降の作品では、時空を超えた混乱期であるギャラクシークライシスが発生したことにより、M78ワールドと平成ウルトラマンシリーズなど別の世界観を持つ作品との共演も可能となっている。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』より、無数の宇宙が超空間の水泡状に存在している「マルチバース」の設定を明確化した。 ; 『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』シリーズ : ZAP SPACYのスペースペンドラゴンに、『ティガ』と『ダイナ』世界のネオマキシマオーバードライブが搭載されているなど。 ; 『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』 : 『ダイナ』テレビシリーズのアスカ・シン=ウルトラマンダイナ本人が、『ティガ』と『ダイナ』の世界からウルトラの星にやってくる。 ; 『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』 : ウルトラマンゼロがいる別宇宙(アナザースペース)に、ウルトラマンノアが出現。 ; 『ウルトラマンサーガ』 : それぞれ別の世界からきたゼロ、ダイナ、ウルトラマンコスモスが共演。 === 作品世界の繋がりが示唆される作品 === スタッフのお遊びとしてではあるが、共通する単語や人物などが登場している。 ; 『ウルトラマン』と『ウルトラマンゼアス』 :『ゼアス』1作目にウルトラマン地球来訪30周年の黄金の像が登場する。『ゼアス』2作目では、ウルトラマンシャドーの弱点はウルトラマン同様のカラータイマーであるという分析から、[[ゼットン]]砲が開発される。 ; 『ウルトラマンティガ』&『ウルトラマンダイナ』と『ウルトラマンコスモス』 : 錦田小十郎景竜という人物が共通している。時代設定の上では『ウルトラマンティガ』は2007年、『ウルトラマンダイナ』は2017年であり、『ウルトラマンコスモス』はその中間に当たる2009年となっている。 ; 『ウルトラセブン』と『ウルトラマンマックス』 : [[メトロン星人]]本人が再登場する。もっとも後者の世界は、同作品の第1話で初めて怪獣(宇宙人含む)が現れたことになっているうえに、各回が[[オムニバス]]形式であり時折設定が切り替わることに留意する必要がある。 ; 『コメットさん(第2期)』 : 『ウルトラマンタロウ』と『ウルトラマンレオ』以降の後日談に当たるエピソードが放映されているが、両作品およびウルトラシリーズとは無関係である。 ; 『有言実行三姉妹シュシュトリアン』 : 東映作品であるものの、第40話「ウルトラマンに逢いたい」で共演(監督と脚本はどちらも円谷と東映両方に関わった[[佐伯孚治]]と[[武上純希]])。怪獣おじさん(実はハヤタ)が登場している。 ; 劇中劇としてウルトラシリーズが登場する作品の舞台 : 後述するように、ウルトラシリーズが劇中劇として登場することがある。こういった作品の舞台は、現実世界に近いものになっているとともに、そういった舞台が同一である可能性も示唆している。 ; 『ウルトラQ』と『ウルトラマンマックス』 : 第29話「怪獣は何故現れるのか」において、ウルトラQ撮影時に遭遇した怪獣(ゲロンガ)がウルトラマンマックスと戦う(「ゲロンガ」自体はウルトラQの未制作脚本に登場している)。ウルトラQの作品を[[メタフィクション|メタ視]]しており、最後は万城目 淳役の[[佐原健二]](役名:佐橋健二)・戸川 一平役の[[西條康彦]](役名:西郷保彦)・江戸川 由利子役の[[桜井浩子]]が再会する。 === 劇中劇としての登場 === [[メタフィクション]]に近い形で[[劇中劇]]として他の作品を登場させることもある。 ;『ウルトラマンティガ』 :『ティガ』第49話にて、『ティガ』の世界にも劇中劇として『ウルトラマン』が存在することが明かされる。 ;『新世紀ウルトラマン伝説』 :『新世紀ウルトラマン伝説』の主要な登場人物は、『歴代ウルトラシリーズ』が劇中劇として存在する世界の人物であり、登場人物たちがそれが放送されているテレビの中へと入っていくことで物語が始まる。 ;『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』 :『[[ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦]]』の舞台は、[[#平成ウルトラシリーズ3部作|平成ウルトラシリーズ3部作]]などが放送されている世界。ガイアはテレビシリーズの世界から、ティガ・ダイナは赤い球への願いの力によって出現した。 ;『ウルトラマンナイス』 :『ナイス』の世界における歴代シリーズの扱いは現実に非常に近いものになっている。 ;『大決戦!超ウルトラ8兄弟』 :『大決戦!超ウルトラ8兄弟』の舞台は、『昭和ウルトラシリーズ』が放送されている世界{{Efn2|マドカ・ダイゴがウルトラマンティガを初めて見て「見たこともない」と言っている。}}であり、主要な登場人物は歴代シリーズの登場人物が普通の人間として暮らしている。ただし、ヒビノ・ミライ=メビウスのみはテレビシリーズの世界からやってくる。 == 地球防衛および怪事件処理チーム == 各作品毎に登場するウルトラマンと共闘する組織。 * '''国際科学警察機構'''('''I'''nternational '''S'''cience '''P'''olice '''O'''rganization)(『ウルトラマン』) ** [[ウルトラマン#科学特捜隊|'''科学特捜隊''']](科学特別捜査隊・'''S'''cience '''S'''pecial '''S'''earch '''P'''arty)(『ウルトラマン』『[[ULTRAMAN (漫画)|ULTRAMAN]]』) * [[ウルトラマン#防衛隊(軍)および自衛隊|'''防衛隊(防衛軍)''']](『ウルトラマン』) * '''[[ウルトラ警備隊#ウルトラ警備隊以外の地球防衛軍|TDF]]'''('''地球防衛軍'''・'''T'''errestrial '''D'''efense '''F'''orce)(『ウルトラセブン』『平成ウルトラセブン』) ** '''[[ウルトラ警備隊]]''' ('''Ultra Guard''')(『ウルトラセブン』『平成ウルトラセブン』) * '''国際平和機構・地球防衛庁'''('''T'''errestrial '''D'''efence '''A'''gency)(『帰ってきたウルトラマン』) ** [[帰ってきたウルトラマン#MAT|'''MAT''']](怪獣特別攻撃隊・'''M'''onster '''A'''ttack '''T'''eam)(『帰ってきたウルトラマン』) * '''地球防衛機構'''(『ウルトラマンA』) ** [[ウルトラマンA#TAC|'''TAC''']](超獣攻撃部隊・'''T'''errible-monster '''A'''ttacking '''C'''rew)(『ウルトラマンA』) * '''地球防衛軍'''(『ウルトラマンA』) * [[ウルトラマンタロウ#ZAT|'''ZAT''']](宇宙科学警備隊・'''Z'''ariba of '''A'''ll '''T'''errestrial)(『ウルトラマンタロウ』) * '''地球警備隊'''(『ウルトラマンタロウ』) * [[ウルトラマンレオ#MAC|'''MAC''']](宇宙パトロール隊・'''M'''onster '''A'''ttacking '''C'''rew)(『ウルトラマンレオ』) * '''地球防衛隊'''(『ウルトラマンレオ』) * '''防衛隊'''(『ウルトラマンレオ』) * '''地球防衛軍'''(『ザ☆ウルトラマン』) ** [[ザ☆ウルトラマン#科学警備隊|'''科学警備隊''']](Scientific Defense Agency)(『ザ☆ウルトラマン』) * '''UNDA'''(地球防衛軍・'''U'''nited '''N'''ations '''D'''efence '''A'''rmy) ** [[ウルトラマン80#UGM|'''UGM''']]('''U'''tility '''G'''overnment '''M'''embers)(『ウルトラマン80』) * [[ウルトラマンUSA#ウルトラフォース|'''ウルトラフォース''']] ('''Ultra Force''')(『ウルトラマンUSA』) * [[ウルトラマンG#UMA|'''UMA''']]('''U'''niversal '''M'''ultipurpose '''A'''gency)(『ウルトラマンG』) * [[ウルトラマンパワード#W.I.N.R.|'''W.I.N.R.''']]('''W'''orldwide '''I'''nvestigation '''N'''etwork '''R'''esponce)(『ウルトラマンパワード』) * [[ウルトラマンネオス#DJ|'''DJ''']](国際防衛機構・'''D'''efensive '''J'''urisdiction)(『ウルトラマンネオス』) ** [[ウルトラマンネオス#HEART|'''HEART''']]('''H'''igh-tech '''E'''arth '''A'''lert and '''R'''escue '''T'''eam)(『ウルトラマンネオス』) * [[ウルトラマンネオス#GSG|'''GSG''']](地球防衛軍)(『ウルトラマンネオス』パイロット版) * '''国際防衛軍'''(『ウルトラマンゼアス』) ** [[ウルトラマンゼアス#超宇宙防衛機構Mydo|'''Mydo''']](超宇宙防衛機構・'''M'''ysterious '''Y'''onder '''D'''efense '''O'''rganization)(『ウルトラマンゼアス』) * [[地球平和連合TPC|'''TPC''']](地球平和連合・'''T'''errestrial '''P'''eaceable '''C'''onsortium)(『ウルトラマンティガ』・『ウルトラマンダイナ』) ** [[ウルトラマンティガ#GUTS|'''GUTS''']]('''G'''lobal '''U'''nlimited '''T'''ask '''S'''quad)(『ウルトラマンティガ』) *** [[ウルトラマンダイナ#スーパーGUTS|'''スーパーGUTS''']]('''Super''' '''G'''lobal '''U'''nlimited '''T'''ask '''S'''quad)(『ウルトラマンダイナ』) **** [[ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人|'''ネオスーパーGUTS''']]('''Neo Super''' '''G'''lobal '''U'''nlimited '''T'''ask '''S'''quad)(『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』) **** '''[[ウルトラマンサーガ#スーパーGUTS|スーパーGUTSマーズ]]'''(『ウルトラマンサーガ』) * '''UNDF'''(地球防衛軍)(『ウルトラマンティガ』) * [[ウルトラマンガイア#G.U.A.R.D.|'''G.U.A.R.D.''']](対根源的破滅地球防衛連合・'''G'''eocentric '''U'''niversal '''A'''lliance against the '''R'''adical '''D'''estruction)(『ウルトラマンガイア』) ** [[ウルトラマンガイア#XIG|'''XIG''']](e'''X'''panded '''I'''nterceptive '''G'''uardians)(『ウルトラマンガイア』) * [[ウルトラマンガイア#アルケミー・スターズ|'''アルケミー・スターズ''']]('''Alchemy Stars''')(『ウルトラマンガイア』) * '''防衛隊'''(『ウルトラマンガイア』) * [[ウルトラマンナイス#GOKAZOKU隊|'''GOKAZOKU隊''']](『ウルトラマンナイス』) * [[ウルトラマンコスモス#統合防衛軍|'''JADF(統合防衛軍)''']](『ウルトラマンコスモス』) ** [[ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT#防衛軍国家緊急部隊シャークス|'''シャークス''']](国家緊急部隊)(『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』) * '''MITI'''(科学研究所水無月工業技術研究所)(『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』) ** [[ウルトラマンコスモス#SRC|'''SRC''']](科学調査サークル・'''S'''cientific '''R'''esearch '''C'''ircle)(『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』) *** [[ウルトラマンコスモス#TEAM EYESメンバー|'''チームEYES''']]('''TEAM E'''lite '''Y'''oung '''E'''xpert '''S'''quadron)(『ウルトラマンコスモス』) *** [[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#TEAM SEA|'''チームSEA''']](『ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET』) * [[ウルトラマンネクサス#TLT|'''TLT''']](地球解放機構・'''T'''errestrial '''L'''iberation '''T'''rust)(『ウルトラマンネクサス』) ** '''TLT-J'''('''T'''errestrial '''L'''iberation '''T'''rust-'''J'''apan)(『ウルトラマンネクサス』) *** [[ウルトラマンネクサス#ナイトレイダー|'''ナイトレイダー(NR)''']](TLT-J特殊戦略任務班・'''Night Raider''')(『ウルトラマンネクサス』) *** [[ウルトラマンネクサス#メモリーポリス|'''メモリーポリス''']](『ウルトラマンネクサス』) *** [[ウルトラマンネクサス#ホワイトスイーパー|'''ホワイトスイーパー''']](『ウルトラマンネクサス』) * '''DFSF'''(『ネオ・ウルトラQ』) * [[ウルトラマンマックス#地球平和連合UDF / DASH|'''UDF''']](地球防衛連合・'''U'''nited '''D'''efense '''F'''ederation)(『ウルトラマンマックス』) ** [[ウルトラマンマックス#地球平和連合UDF / DASH|'''DASH''']](対怪獣防衛チーム・'''D'''efense '''A'''ction '''S'''quad '''H'''eroes)(『ウルトラマンマックス』) * [[ウルトラマンメビウス#GUYS / CREW GUYS|'''GUYS''']](地球防衛隊・'''G'''uards for 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2018年4月に、バンダイビジュアルがランティスを吸収合併合併して出来た会社。2022年4月から、下記の2社へ分離・移行された。 **[[バンダイナムコフィルムワークス]](2022年 - ) *** [[バンダイビジュアル]](1983年 - ) **** 平成ウルトラシリーズと1979年の[[ザ☆ウルトラマン]]以降の作品のビデオソフト化の主導権を持つ。 **[[バンダイナムコミュージックライブ]](2022年 - ) ***[[ランティス]](1995年 - 2000年、2011年 - ) **** 平成ウルトラシリーズの2010年代の作品(一部のみ)および『[[ウルトラマンタイガ]]』以降のシリーズの音楽商品化の主導権を持つ。 ** [[円谷プロダクション]](2009年 - ) *** 昭和ウルトラシリーズ以降の作品のビデオソフト化と出版の主導権を持つ。 ** [[マッグガーデン]](2011年 - ) *** 現在メインの小学館と並んでウルトラシリーズの2010年代以降の作品の出版と音楽商品化の主導権を持つ。 ** [[プレックス]](1995年 - ) *** 平成ウルトラシリーズ以降の作品のメカニカルデザインと武器と変身アイテムのデザインを一貫して担当。 ** [[セイカ]](1971年 - 2008年) *** 2001年以前は旧名称・セイカノート。2009年2月をもってサンスター文具の事業統合に伴い解散した。以前は[[スーパー戦隊シリーズ]]や[[仮面ライダーBLACK]]、[[仮面ライダーBLACK RX]]、[[メタルヒーローシリーズ]]([[重甲ビーファイター|ビーファイターシリーズ]]・東映平成SDロボシリーズ含む)・[[美少女戦士セーラームーン|セーラームーン]]・ウルトラマン(平成シリーズ)など、東映グループやバンダイの関与した数多くのアニメ・特撮作品でも商品供給・番組提供してきた。 ** [[サンスター文具]](2009年 - ) *** 2009年より発売元を移管したメーカー。2010年代以降の作品はセイカレーベルとして発売する。 * [[ブルマァク]](1969年 - 1975年) * [[タカトクトイス]](1971年 - 1975年) * [[大塚製薬]](1979年 - 1981年) * [[日本コロムビア]](1971年 - 1975年、1979年 - 1981年、2000年 - 2006年、テレビCMは2000年 - 2008年) * [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]](1996年 - 1997年、2009年 - ) ** 平成ウルトラシリーズの2010年代以降の作品の音楽商品化の主導権を持つ。 ** [[ミュージックレイン]](2011年 - ) *** 平成ウルトラシリーズの2010年代以降の作品の音楽商品化の主導権を持つ。 * [[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン|ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント]](2003年 - ) ** [[ワーナー エンターテイメント ジャパン]](2011年 - ) <!-- *** 平成ウルトラシリーズの2010年代以降の作品の音楽商品化と他の円谷プロ作品ビデオソフト化の主導権を持つ。--> *** 平成ウルトラシリーズの2010年代以降の作品の音楽商品化の第一完全主導権を持つ。 * [[avex mode]](1996年 -1997年、2004年) * [[ショウワノート]](1971年 -1981年 ) * ブルースター(1979年 - ) * [[セブン-イレブン]](2011年 - 、提供クレジットなし(パーティシペーション)) * [[フルタ製菓]](2004年 - 2006年) * [[タイヨー]](1996年 - 1999年、2004年) * [[ナガサキヤ]](1988年 - 1997年、後のすばる堂 (SUBARUDO) →[[タカラトミーアーツ]]) <!-- *** ウルトラシリーズの空白の16年間のうちの食玩の商品化を持つ。--> * [[カルビー]](1972年 - 1973年、1996年 - 1997年、2000年) * [[ロッテ]](1971年 - 1975年、1979年 - 1981年、1998年 - 1999年) * [[明治製菓]](1996年 - 1998年) * [[マクドナルド]](2004年 - 2006年 ) * [[マルハ|大洋漁業]](1979年のザ☆ウルトラマンのみ) * [[はごろもフーズ|はごろも缶詰]](1980年のウルトラマン80のみ) * [[江崎グリコ]](1979年 - 1981年、2001年 - ) * [[森永製菓]](1972年 - 1975年) * [[セイバン]](2009年 - 2010年のウルトラギャラクシー大怪獣バトルシリーズの地上波放送時のスポンサー) * [[講談社]](1995年~2000年までの当時のスーパー戦隊と同様のレギュラースポンサー) * [[小学館]](1970年 - 1989年、1995年- 1997年、2001年-2002、2004年 - ) * [[東京ドームシティアトラクションズ]](2003年4月 - 、ウルトラマンの関連イベントの常連地と近年のウルトラシリーズのロケ地や近年のウルトラシリーズの公認の遊園地) <!-- *** 後楽園ゆうえんち(1979年- 1981年3月、1997年- 1999年9月)--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |date = 1982-12-31 |title = 不滅のヒーローウルトラマン白書 |series = ファンタスティック・コレクション・スペシャル |publisher = [[朝日ソノラマ]] |edition = 初版 |id = 雑誌コード:67897-80 |ref = {{SfnRef|白書|1982}} }} * {{Cite book |和書 |author = 円谷英明 |year = 2013 |title = ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗 |publisher = [[講談社]] |series = 講談社現代新書 |isbn = 978-4-06-288215-6 |ref = harv }} == 関連項目 == * [[ウルトラシリーズの作品一覧]] * [[ウルトラマン一覧]] * [[ウルトラ怪獣一覧]] * [[ウルトラシリーズ登場兵器一覧]] * [[M78星雲]] * [[ウルトラ兄弟]] * [[カラータイマー]] * [[怪獣墓場]] == 外部リンク == * [https://m-78.jp/ 円谷ステーション] * [https://www.m78-online.net/ 怪獣デパート] * {{Twitter|tsuburayaprod|円谷プロダクション}}<!-- ほぼウルトラシリーズの最新情報 --> * {{YouTube|user=tsuburaya|ウルトラマン公式 ULTRAMAN OFFICIAL by TSUBURAYA PROD.}} {{前後番組 |放送局=[[TBSテレビ|TBS]]系列 |放送枠=[[タケダアワー|日曜19:00 - 19:30]] |番組名=第1期ウルトラシリーズ<br />(ウルトラQ - ウルトラマン)<br />(1966年1月 - 1967年4月) |前番組=[[隠密剣士|新・隠密剣士]] |次番組=[[キャプテンウルトラ]] |2番組名=第1期ウルトラシリーズ<br />(ウルトラセブン)<br />(1967年10月 - 1968年9月) |2前番組=キャプテンウルトラ |2次番組=[[怪奇大作戦]] |3放送局=TBS系列 |3放送枠=[[TBS金曜7時枠の連続ドラマ|金曜19:00 - 19:30]] |3番組名=第2期ウルトラシリーズ<br />(帰ってきたウルトラマン - ウルトラマンレオ)<br />(1971年4月 - 1975年3月)<br />※同番組までTBS制作 |3前番組=[[キックの鬼]]<br />※同番組まで[[TBSテレビ系列金曜夜7時枠のアニメ|アニメ]]枠 |3次番組=[[ちびっこアベック歌合戦]]<br />※[[テレビ朝日|NET]]系列・土曜19:00 - 19:30より移動、<br />同番組より[[毎日放送]]制作 |4放送局=TBS系列 |4放送枠=水曜19:00 - 19:30 |4番組名=第3期ウルトラシリーズ<br />(ザ☆ウルトラマン - ウルトラマン80)<br />(1979年4月 - 1981年3月) |4前番組=[[まんが世界昔ばなし]] |4次番組=[[刑事犬カール2|刑事犬カールII]] |5放送局=[[毎日放送]]・TBS |5放送枠=土曜18:00 - 18:30 |5番組名=平成第1期ウルトラシリーズ<br />(ウルトラマンティガ - ウルトラマンガイア)<br />(1996年9月 - 1999年8月) |5前番組=[[ママはぽよぽよザウルスがお好き]] |5次番組=[[ゾイド -ZOIDS-]] 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13世紀
13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。 13世紀は、チンギス・カンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。 ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国(元)のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年、マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した金と南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。 第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルターンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。 イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタ(大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命やアメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。
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13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。
{{出典の明記|date=2023年3月}} {{centurybox}} [[ファイル:YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg|thumb|right|220px|[[チンギス・カン|チンギス・ハン]]像。]] [[ファイル:Mongol_Empire_map.gif|right|thumb|250px|[[モンゴル帝国]]の発展。]] [[ファイル:Mongolen-Reich (1227-1295).PNG|thumb|right|250px|[[モンゴル帝国]]の最大領域。]] [[File:YuanEmperorAlbumKhubilaiPortrait.jpg|thumb|right|220px|[[クビライ|フビライ・ハン]]像。]] '''13世紀'''(じゅうさんせいき)は、[[西暦]][[1201年]]から西暦[[1300年]]までの100年間を指す[[世紀]]。 == 13世紀の歴史 == === モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica) === 13世紀は、[[チンギス・カン]]の興した[[モンゴル帝国]]が[[ユーラシア大陸]]の大半を支配したため、'''モンゴルの世紀'''と呼ばれる。モンゴル帝国は[[交易]]を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した([[シルクロード]]の発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。 [[ジャワ島]]では、[[シンガサリ王国]]が東部から興って[[クディリ王国]]を倒したが、モンゴル帝国([[元 (王朝)|元]])の[[クビライ]]の遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する([[1292年]]、[[マジャパヒト王国]]成立)。12世紀に中国を二分した[[金 (王朝)|金]]と[[南宋]]は元により滅ぼされた。また、[[日本]]も2度にわたる元の侵攻('''[[元寇]]''')に遭ったがこれを撃退している。 === 十字軍勢力は衰退へ === [[第6回十字軍]]に赴いた[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]は、[[アイユーブ朝]]の[[スルターン]][[アル=カーミル]]との交渉によって[[エルサレム]]の譲渡を認めさせたが、10年余りで再び[[イスラム]]勢力により陥落した(以後、[[20世紀]]までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も[[十字軍]]の遠征は行なわれたが、[[レバント]]における[[十字軍国家]]は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点[[アッコ]]を失って[[エルサレム王国]]も滅亡、[[パレスチナ]]全域がイスラム勢力下に入った。 === マグナ・カルタ成立 === [[イングランド王国]]では、[[国王]]の権限を制限する[[マグナ・カルタ]](大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており[[中世]]の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と[[議会]]の対立が激しさを増す[[17世紀]]に再度注目されることとなる。[[清教徒革命]]や[[アメリカ合衆国]]建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在の[[イギリスの憲法|イギリス憲法]]を構成する前文にも残っている。 == できごと == [[ファイル:Eugène Ferdinand Victor Delacroix 012.jpg|right|thumb|250px|[[第4回十字軍]]。東ローマ帝国の内紛に介入した[[ヴェネツィア]]商人の使嗾により首都[[コンスタンティノポリス]]はキリスト教徒の十字軍に占領された。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]の歴史画「{{仮リンク|第4回十字軍のコンスタンティノポリス入城|en|Entry of the Crusaders in Constantinople}}([[ルーヴル美術館]]蔵)」。]] [[ファイル:San Marco horses.jpg|thumb|right|200px|「サン・マルコの馬」。第4回十字軍を支援した[[ヴェネツィア共和国]]は東ローマ帝国から多くの貴重品を持ち去った。画像は「勝利の[[クアドリガ]]」とも呼ばれる四頭馬の彫像でもとは[[コンスタンティノープル競馬場|コンスタンティノポリス競馬場]]を飾っていたもの。[[ヴェネツィア]]に移送されてからは[[サン・マルコ大聖堂]]に置かれていた。]] [[ファイル:Marco Polo, Livre des merveilles, Fr. 2810, Tav. 88 (Dettaglio Detail).PNG|right|thumb|250px|大旅行家[[マルコ・ポーロ]]。ヴェネツィア商人として元朝ほかアジア各地を訪れ『[[東方見聞録]](イル・ミリオーネ)』に記録を残した。画像は『驚異の書』写本(Fr. 2810)でマルコ・ポーロが象や駱駝を乗せた船でホルムズを訪れる箇所の挿絵。]] [[File:Vardzia Chapel fresco.jpg|thumb|right|200px|[[グルジア王国]]の繁栄。女王[[タマル (グルジア女王)|タマル]]の時代に[[ルーム・セルジューク朝]]を破り、東ローマ系亡命国家[[トレビゾンド帝国]]を支援してグルジアの勢力は拡大した。画像は南グルジアのヴァルディツィアの修道院礼拝堂フレスコ画に描かれた父王ギオルギ3世と並んで立つ女王タマルの肖像。]] [[ファイル:Magna Carta (British Library Cotton MS Augustus II.106).jpg|right|thumb|250px|[[マグナ・カルタ]](認証付写本)、1215年に作られたもの。]] [[ファイル:Giotto - Legend of St Francis - -07- - Confirmation of the Rule.jpg|thumb|right|250px|教皇権の最盛期。教皇はこの時期には世俗王侯を凌ぐ権威を有し、教会政治でもその手腕を遺憾なく発揮した。画像は14世紀に描かれた[[アッシジ]]の[[アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群|フランチェスコ聖堂]]の[[ジョット・ディ・ボンドーネ]]の壁画で、教皇[[インノケンティウス3世]]と[[アッシジのフランチェスコ]]の会見が描かれている。]] [[ファイル:Frederick II and eagle.jpg|thumb|right|200px|神聖ローマ皇帝[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]。破門されたまま[[第5回十字軍|十字軍]]を組織しエルサレムを奪い返すなど大胆不敵な行為から当時の人々は「世界の驚異」とも「[[反キリスト]]」とも呼んでいる。画像は彼が著した[[鷹狩]]論『{{仮リンク|鳥類を利用した狩猟技術|en|De arte venandi cum avibus}}』に描かれた皇帝の肖像。]] [[ファイル:Seventh crusade.jpg|thumb|right|250px|[[第7回十字軍]]。画像は南仏[[エーグ・モルト]]を出港し、[[マムルーク朝]]支配のエジプトに向かうフランス王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]とその一行。聖王と称えられたルイ9世だがこの遠征には失敗し捕虜となる。]] [[File:Sicilian Vespers 1281 How and after what manner the island of Sicily rebelled against King Charles Nuova Cronica Giovanni Villani 14th century.png|thumb|right|250px|[[シチリアの晩禱]]。[[ホーエンシュタウフェン家]]の断絶を機に[[シチリア]]支配から地中海帝国建設を思い描いた[[シャルル・ダンジュー]]だったが、彼の強圧的な支配に対抗して蜂起したシチリア島民によってその夢ははかなく潰えた。画像はこの事件を描いた[[ジョヴァンニ・ヴィッラーニ]]の『{{仮リンク|新年代記|en|Nuova Cronica}}』の挿絵。]] [[ファイル:Cathedrale nd chartres vitraux015.jpg|thumb|right|250px|[[シャルトル大聖堂]]。盛期[[ゴシック様式]]を代表するフランスの教会建築で、画像にあるバラ窓[[ステンドグラス]]が有名であり、その深みのある青は「シャルトルの青」の異名で知られている。]] [[ファイル:St-thomas-aquinas.jpg|thumb|right|200px|[[トマス・アクィナス]]。盛期[[スコラ学]]を代表する[[ドミニコ会]]の神学者で、理性と信仰を結び付ける壮大な著作『[[神学大全]]』をまとめ、「天使博士」の称号を得た。画像は15世紀の[[カルロ・クリヴェッリ]]によるもの。]] [[File:European and Islamic musicians in 13th century playing stringed instruments.jpg |thumb|right|250px|イベリア半島における文化交流。レコンキスタが進む一方でキリスト教徒とイスラム教徒の共存は[[カスティーリャ]]の賢王[[アルフォンソ10世]]の時代も続いた。画像はこの王の時代に編纂された『[[聖母マリアのカンティガ集|聖母マリア頌歌集]](カンティーガス・デ・サンタ・マリーア)』の挿絵でキリスト教徒とイスラム教徒の合奏が描かれている。]] [[ファイル:Codex Manesse Sängerkrieg auf der Wartburg.jpg|thumb|right|250px|[[ヴァルトブルク]]の{{仮リンク|歌合戦|de|Sängerkrieg auf der Wartburg}}。1206年に[[テューリンゲン方伯]] [[ヘルマン1世 (テューリンゲン方伯)|ヘルマン1世]]の宮廷に集まった[[ミンネザング|ミンネザンガー]]たちにより行われたと伝わる。画像は14世紀に編纂された『[[マネセ写本]]』([[ハイデルベルク]]図書館蔵)の挿絵。]] [[File:Pied piper.jpg|thumb|right|250px|[[ハーメルンの笛吹き男]]。[[1284年]][[6月26日]]にドイツの[[ハーメルン]]で130人の子供たちが失踪した。やがて笛を吹くネズミ捕り男の話も加わって伝説化されたこの事件の真相をめぐり、[[少年十字軍]]説、ドイツ人の[[東方植民]]説など、議論は百出しているが結論は未だ出ていない。]] [[File:Lübeck rathaus.jpg|thumb|right|280px|[[リューベック]]。[[北海]]・[[バルト海]]貿易を生業とする北ドイツ諸都市では[[ハンザ同盟]]が結ばれ、リューベックがその盟主とされるようになった。なおリューベックは1266年には帝国自由都市の地位も獲得している。画像は13世紀に拡張されたリューベックの市庁舎でマルクト広場の黒煉瓦造りの建物がそれである。]] [[File:Qingjing Mosque - old tablets - DSCF8676.JPG|thumb|right|250px|[[泉州市|泉州]](ザイトン)の繁栄。南宋時代から多くのイスラム商人が定住していたが、[[蒲寿庚]]らが元朝に帰服すると以前にも勝る賑わいを見せるようになった。画像は泉州のイスラム寺院{{仮リンク|清浄寺 (泉州市)|zh|清净寺|label=清浄寺}}に残るアラビア文字の刻まれた石碑。]] [[File:Yuan dynasty banknote with its printing plate 1287.jpg|thumb|right|250px|[[交鈔]]。宋や金の制度をもとに発展させた紙幣で、1260年から1356年の間、元の正式な通貨として流通した。画像は「至元通行寳鈔」とその原版で、上段左の欄に[[パスパ文字]]も書かれている。]] [[ファイル:Chinesischer Maler von 1238 001.jpg|thumb|right|200px|禅宗の到来。中国で発達した[[禅宗]]は[[日宋貿易]]などを通じて日本に流入した。画像は日本禅宗の源流ともなった中国の[[無準師範]](仏鑑禅師)の[[頂相]]で[[円爾]](聖一国師)が招来したもの。現在は[[京都]][[東福寺]]に所蔵されている。]] [[File:Guanyin, Monkeys, and Crane.jpg|thumb|right|270px|[[牧谿]]。南宋の無準師範門下の禅僧で、湿潤な大気を描くために技法を洗練させた水墨画で有名。その作品は中国では失われ、室町時代の足利将軍家の蒐集にみられるよう日本に多くが残された。画像は「観音猿鶴図」([[京都]][[大徳寺]]蔵)。]] [[ファイル:Kamakura Budda Daibutsu front 1885.jpg|thumb|right|200px|武家の都[[鎌倉]]。東国を基盤とした政権の誕生により、宋よりもたらされた禅宗や、「鎌倉仏教」と呼ばれる庶民に開かれた新しい宗派がこの地で発展した。画像は「鎌倉の大仏」で知られる[[高徳院]]の[[阿弥陀如来]]坐像。]] [[ファイル:Emperor Go-Toba.jpg|thumb|right|200px|[[承久の乱]]。後鳥羽上皇は[[院宣]]を下し、鎌倉の[[執権]][[北条義時]]の追討を命じた。しかし東国武士はそれに同調せず、京の院御所に攻め上り、上皇側は敗走した。以後、幕府の力は西国にも及ぶようになった。画像は後鳥羽上皇の[[似絵]]で[[藤原信実]]によるもの([[水無瀬神宮]]蔵)。]] [[ファイル:Ippen Shōnin Engi-e.JPG|thumb|right|330px|[[執権]]・[[北条時宗]]。二度にわたる蒙古襲来を迎え撃った日本側の指導者は北条時宗であった。画像は『[[一遍上人絵伝]]』巻5のもので、時宗の僧侶[[一遍]]と鎌倉七口の一つ小袋坂(現在の[[巨福呂坂]])にて対面する北条時宗(折烏帽子で白い狩衣を着て馬に乗った人物)。]] [[ファイル:Mōko Shūrai Ekotoba Mongol Invasion Takezaki Suenaga 2 Page 5-7.jpg|thumb|right|330px|蒙古襲来。[[クビライ]]の命によりモンゴルの大軍が二度にわたって日本に押し寄せた。画像は御家人[[竹崎季長]]によって依頼され、[[元寇]]の様子を生々しく伝える記録となった『[[蒙古襲来絵詞]]([[三の丸尚蔵館]]保管)』。]] [[File:Tượng Trần Hưng Đạo ngự tại Đền thờ Đức Thánh Trần, Quận 1, tháng 12 năm 2021 (12).jpg|thumb|right|200px|名将・[[陳興道]]。陳朝の将軍陳興道は元の度重なる攻撃を退けただけでなく、三度目の元の襲来の折には、[[クアンニン省|廣寧省]]を流れる[[白藤江の戦い|白藤江で追撃し]]、敵将ウマルを捕虜とする大勝利を収めた。画像は陳興道の銅像。]] [[File:Sakya Paṇḍita Kunga Gyeltsen.jpg|thumb|right|200px|[[インド]]から[[チベット]]へ向かう仏教。インド仏教の最後の拠点ヴィクラマシーラ寺院は1203年にイスラム教徒に破却された。その学頭であったシャーキャシュリーパドラはチベットに亡命し、[[サキャ派]]6代座主となる[[サキャ・パンディタ]]らに法を伝えた。画像はサキャ・パンディタの肖像。]] [[ファイル:Wat Si Chum 01.jpg|thumb|right|200px|仏教王国[[スコータイ朝]]。13世紀半ばに成立したタイのスコータイ朝は3代目の[[ラームカムヘーン]]大王の時代に黄金期を迎えた。画像はこの王の治世に作られた[[ワット・シーチュム (スコータイ)|ワット・シーチュム]]のアチャナ仏(降魔仏)坐像。]] [[File:Harihara Majapahit 1.JPG|thumb|right|200px|[[マジャパヒト王国]]の躍進。クディリ王国とシンガサリ王国の抗争に加えモンゴル人の元朝の襲来で混沌としたジャワ島に秩序をもたらしたのがマジャパヒト王国である。画像は初代王ラデン・ウィジャヤ(クルタラジャサ・ジャヤワルダナ)の肖像に基づく[[ハリハラ]]([[シヴァ]]と[[ヴィシュヌ]]の集合神)の像。]] [[ファイル:Ruins of Bagan, 1999.jpg|thumb|right|330px|万塔の都[[パガン]]。仏教信仰の篤いミャンマーではモンゴル侵攻の中でも[[ナラティーハパテ]]王のもと造寺造仏が続けられた。しかし1287年の[[パガンの戦い]]でこの都はついに陥落した。]] [[ファイル:Wheel of Konark, Orissa, India.JPG|thumb|right|280px|[[オリッサ]]をめぐる争い。インドの北部と南部をつなぐ東海岸のオリッサはこの時期にはイスラム教徒の[[奴隷王朝]]とヒンドゥー教徒の[[東ガンガ朝]]の激突の舞台となった。画像は[[東ガンガ朝]]のナラシンハ・デーヴァ1世によって建てられたオリッサ・[[コナーラクのスーリヤ寺院]]にある車輪のデザインの基壇部分。]] [[ファイル:Qutab.jpg|thumb|right|330px|[[クトゥブ・ミナール]]。[[奴隷王朝]]の[[クトゥブッディーン・アイバク|アイバク]]によって13世紀初頭に[[デリー]]に建てられたインド最古の[[ミナレット]]で、後世に一部が破損したものの現在でも世界で最も高い72.5mの高さを誇っている。]] [[ファイル:Al-jazari elephant clock.png|thumb|right|200px|イスラム世界の機械工学。博識な技術者、であった[[ジャザリー]]が1206年に著した『巧妙な機械装置に関する知識の書』は好評だったらしく多くの写本が残されている。画像は[[オートマタ]]の技術を駆使した「象時計」。]] [[ファイル:Mevlana Konya.jpg|thumb|right|280px|[[スーフィズム]]の高まり。忘我境の中で神との合一を果たすスーフィズムと呼ばれるイスラム神秘主義が[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]によって大成された。画像は[[トルコ]]の[[コンヤ]]にあるルーミー廟の前で旋回舞踏を行う[[メヴレヴィー教団]]の人々。]] [[ファイル:Jalal al-Din Khwarazm-Shah crossing the rapid Indus river, escaping Chinggis Khan and his army.jpg|thumb|right|210px|[[モンゴルのホラズム・シャー朝征服]]。中央アジアを支配していた[[ホラズム・シャー朝]]もモンゴルの攻撃で崩壊した。画像は[[インダス河畔の戦い]]で敗北後も戦い続けたホラズム・シャー朝の君主[[ジャラールッディーン・メングベルディー|ジャラールッディーン]]。]] [[ファイル:DiezAlbumsFallOfBaghdad a.jpg|thumb|right|200px|[[アッバース朝]]の滅亡。モンゴル人[[フレグ|フラグ]]の征西により[[バグダードの戦い|バグダードが陥落]]した。最後のカリフは処刑され市街は略奪と殺害が横行したと伝えられる。画像は[[ラシード・ウッディーン]]『[[集史]]』の写本の挿絵。]] [[File:Ice-battle.jpg|thumb|right|300px|氷上の戦い。「ネヴァ川の勝者」として[[スウェーデン]]軍を打ち破った[[ノヴゴロド公]][[アレクサンドル・ネフスキー]]は、1242年には新たな敵であるドイツ騎士団を氷の張ったチュド湖で迎え撃ち勇猛さを轟かせた。画像は20世紀に作られた「氷上の戦い」のモザイク画。]] [[File:Mayapan perspectiva 1.jpg|thumb|right|300px|[[マヤパン]]。[[チチェン・イツァ]]の支配が崩壊すると、1220年代に[[ユカタン半島]]の新たなる政治の中心地が選定され、「マヤの旗」を意味する「マヤパン」と名付けられて、[[後古典期]]のマヤ都市国家連合の首都となった。]] * モンゴル帝国の発展。 * [[東ローマ帝国]]の衰微。 * [[オスマン帝国]]成立。 * [[インカ帝国]]の前身となる[[クスコ王国]]の成立。 * [[托鉢修道会]]の成立。 * [[スターバト・マーテル]]の成立。 * 日本では[[鎌倉時代]]にあたる。 ---- === 1200年代 === {{main|1200年代}} * 1201年 ** [[建仁の乱]]([[城長茂]]の乱)。 ** コイテンの戦いで、[[チンギス・カン|テムジン]]がグル・カンの[[ジャムカ]]に率いられたモンゴル高原東部の諸部族を打ち破る。 * 1202年 ** フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]がイングランド王[[ジョン (イングランド王) |ジョン]]の大陸領土没収を宣言。 ** 教皇[[インノケンティウス3世]]が勧請した[[第4回十字軍]]が[[ヴェネツィア]]に集結。 ** [[レオナルド・フィボナッチ]]が『[[算盤の書]]』でヨーロッパに[[アラビア数字]]を紹介する。 ** [[シトー会]]のアルベルトが[[リガ]]に[[リヴォニア帯剣騎士団]]を創設。 ** [[源頼家]]が[[明菴栄西]]を開山に迎え京都[[建仁寺]]が創建される。 * 1203年 ** [[インドの仏教|インド仏教]]の中心地だった[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ寺院]]がイスラム軍に破却される。 *** [[ゴール朝]]の将軍[[ムハンマド・バフティヤール・ハルジー]]の[[ベンガル]]制圧の一環として行われる。 *** この事件でインド仏教は滅亡したとされ、破壊を逃れた僧侶は[[チベット]]などの近隣に亡命する。 ** [[比企能員の変]]。[[源実朝]]が[[鎌倉幕府]]第三代[[征夷大将軍|将軍]]となる。前将軍源頼家が[[伊豆国|伊豆]][[修禅寺]]に幽閉される。[[北条時政]]が初代[[執権]]に就任。 ** [[運慶]]・[[快慶]]らにより[[東大寺]]南大門[[金剛力士]]像が完成する。 * 1204年 ** 第4回十字軍が[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノープル|コンスタンティノポリス]]を攻撃し占領。 *** ヴェネツィアの協力を得て[[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン1世]]を皇帝とする[[ラテン帝国]]が成立。 *** 東ローマ帝国はいったん断絶し、[[ニカイア帝国]]ほかの亡命政権が成立( - 1261年)。 ** [[伊賀国|伊賀]]・[[伊勢国|伊勢]][[平氏]]の叛乱([[三日平氏の乱 (鎌倉時代)|三日平氏の乱]])。前将軍源頼家が殺害される。 * 1205年 ** [[藤原定家]]ら『[[新古今和歌集]]』編纂。 ** [[畠山重忠の乱]]。[[牧氏事件]]により執権[[北条時政]]が追放される。[[北条義時]]が鎌倉幕府第2代執権に就任。 ** [[アドリアノープルの戦い (1205年)|アドリアノープルの戦い]]で、[[カロヤン・アセン]]率いる[[第二次ブルガリア帝国|ブルガリア帝国]]軍がラテン帝国軍に大勝し、ラテン皇帝ボードゥアン1世が捕虜となる。 * 1206年 ** モンゴル諸族を統一した[[チンギス・カン|テムジン]]が[[クリルタイ]]で推戴され、[[モンゴル帝国]]の初代皇帝(チンギス・カン)に即位。 ** [[南宋]]の[[韓侂冑]]が[[金 (王朝)|金]]への北伐を行う([[開禧用兵|開禧北伐]])。 ** [[インド]]北部でゴール朝の将軍[[クトゥブッディーン・アイバク]]が独立し[[奴隷王朝]]が成立。 ** [[ヘルマン1世 (テューリンゲン方伯)|テューリンゲン方伯]]の宮廷で「[[ヴァルトブルク城|ヴァルトブルク]]の歌合戦」が開かれる。 * 1207年 ** [[承元の法難]]。 ** 南宋の韓侂冑が暗殺される(玉津園の変)。 * 1208年 ** 南宋と金の{{仮リンク|嘉定の和議|zh|嘉定和议}}。 * 1209年 ** 教皇[[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]が[[フランシスコ会|小さき兄弟会(フランシスコ会)]]を認可。 ** 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。 ** フランス王フィリップ2世による[[アルビジョア十字軍]]始まる( - 1229年)。 ** [[ケンブリッジ大学]]が創設される。 === 1210年代 === {{main|1210年代}} * 1210年 ** [[土御門天皇]]が譲位し、第84代[[順徳天皇]]が即位。 ** 教皇インノケンティウス3世が神聖ローマ皇帝[[オットー4世 (神聖ローマ皇帝)|オットー4世]]を破門する。 ** 教皇インノケンティウス3世が[[アッシジ]]のフランチェスコと会見。 * 1211年 ** ブルガリアの[[タルノヴォ]]主教会議で[[ボゴミル派]]が異端とされる。 ** [[西遼]](カラ・キタイ)の帝位が[[ナイマン部]]の[[クチュルク]]に簒奪される。 ** [[天山ウイグル王国]]の[[バルチュク・アルト・テギン]]がモンゴル帝国に臣従する。 * 1212年 ** [[ナバス・デ・トロサの戦い]]で[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]のカトリック連合軍が[[ムワッヒド朝]]揮下のイスラム連合軍を破る。 ** [[少年十字軍]]。 ** [[プシェミスル朝]]の[[ボヘミア王国|ボヘミア国王]][[オタカル1世 (ボヘミア王)|オタカル1世]]が王国の世襲を認められる。 ** [[ブーヴィーヌの戦い]]でフランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンに勝利。 ** [[鴨長明]]の『[[方丈記]]』が書かれる。 * 1213年 ** [[西遼]]の耶律氏の血統が断絶。 ** [[和田合戦]]。[[建暦]]3年の地震。 * 1214年 ** モンゴルが中都を包囲し、金の[[宣宗 (金)|宣宗]]は中都から[[開封]]へ遷都。 ** [[栄西]]が源実朝に『喫茶養生記』を献呈する。 * 1215年 ** [[第4ラテラン公会議]]。 ** [[イングランド王国]]で[[マグナ・カルタ]]が制定される。[[第一次バロン戦争]]( - [[1217年]])。 ** [[ホラズム・シャー朝]]の君主[[アラーウッディーン・ムハンマド]]によって[[ゴール朝]]が滅ぼされる。 * 1216年 ** 教皇[[ホノリウス3世 (ローマ教皇)|ホノリウス3世]]が[[ドミニコ会|説教者修道会(ドミニコ会)]]を認可。 * 1217年 ** [[ジャン・ド・ブリエンヌ]]らによる[[第5回十字軍]]。 ** 源実朝が宋人[[陳和卿]]に命じ大型船を作らせるも渡航には失敗。 ** 日本人僧[[慶政]]が南宋へ渡る( - [[1218年]])。 *** 慶政は南宋の泉州で[[紙本墨書南番文字]]を入手する。 * 1218年 ** モンゴルに西遼が滅ぼされる。西遼の旧領はチンギス・カンの次男[[チャガタイ]]の[[ウルス]](所領)となる([[チャガタイ・ハン国]])。 ** [[オトラル]]事件により、モンゴルの通商使節団がホラズム・シャー朝に虐殺され、[[チンギス・カンの西征]]が始まる。 ** [[クメール王国]]が南宋の宮廷に遣使する。 ** [[レオン王国]]の[[アルフォンソ9世]]により[[サラマンカ大学]]が創設される。 * 1219年 ** 鎌倉幕府第3代将軍[[源実朝]]が暗殺される。 *** 甥で下手人の[[公暁]]も誅殺され、[[源氏]]の嫡流が途絶える。 *** 大内守護[[源頼茂]]の乱に伴い[[大内裏]]([[仁寿殿]]ほか)が炎上する。 ** 修道士フランチェスコがエジプトに赴き、マムルーク朝スルタンの[[アル・カーミル]]と会見する。 ** [[デンマーク王]][[ヴァルデマー2世 (デンマーク王)|ヴァルデマー2世]]が[[エストニア]]に侵攻し、[[トームペア城]](現在の[[タリン]])を築く。 === 1220年代 === {{main|1220年代}} * 1220年 ** [[アルプス山脈]]を南北に縦断する[[ゴッタルド峠]](ゴットハルト峠)が開通する。 ** モンゴルにホラズム朝が滅ぼされる。 ** [[慈円]]が『[[愚管抄]]』を著す。 ** [[シーインタラーティット]]がタイの[[スコータイ朝]]を建国。 * 1221年 ** [[承久の乱]]。 *** 順徳天皇が譲位し、第85代[[仲恭天皇]]が即位。後鳥羽上皇が鎌倉の北条義時追討の院宣を下す。 *** [[北条政子]]の演説。[[瀬田]]・[[宇治]]の防衛を突破し、幕府軍が朝廷軍に勝利。[[六波羅探題]]を設置。 *** 後鳥羽上皇が[[隠岐国|隠岐]]へ、土御門上皇が[[阿波国|阿波]]へ、順徳上皇が[[佐渡国|佐渡]]に流される。 *** 仲恭天皇は廃位され(九条廃帝)、第86代[[後堀河天皇]]が践祚(翌1222年に即位)。 ** モンゴル軍が[[インダス河畔の戦い]]に勝利し[[ホラサーン]]地方や[[アフガニスタン]]に進軍。 *** [[バルフ]]・[[ヘラート]]・[[メルブ]]・[[ニーシャープール]]・[[バーミヤーン]]を占領し破壊する。 ** [[チチェン・イッツァ]]のトルテカ・マヤ系支配者に対する反乱により[[マヤパン]]が政治的中心地となる。 * 1222年 ** ケン・アロクによりジャワで[[シンガサリ朝]]が建国される。 ** アフガニスタンの[[カラホト]]で[[丘長春|長春真人]](丘長春)がチンギス・ハンに会見する。 ** ハンガリー国王[[アンドラーシュ2世]]により「{{仮リンク|1222年の金印勅書|en|Golden Bull of 1222}}」が発布される。 ** [[パドヴァ大学]]創建。 * 1223年 ** [[カルカ河畔の戦い]]で、モンゴル軍がロシア・ポロヴェツ連合軍に最初の勝利。 ** [[道元]]が明全らと入宋する( - 1227年)。 * 1224年 ** [[ナポリ大学]]創建。 ** 北条義時死去、[[伊賀氏事件]]、[[北条泰時]]が鎌倉幕府第3代執権に就任。 ** [[女真文字]]の信牌(旅券)を持つ女真船が[[越後国]][[寺泊]]に漂着する。 ** 南宋の太子趙竑が廃されて追放され({{仮リンク|霅川の変|zh|霅川之变}})、皇帝寧宗が死去の後に[[理宗]]が即位する。 * 1225年 ** [[アイケ・フォン・レプゴー]]により『[[ザクセンシュピーゲル]](ザクセン法鑑)』が編纂される。 ** エルサレム女王[[イザベル2世 (エルサレム女王)|イザベル2世]]と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の結婚。 ** [[大江広元]]死去、北条政子死去、[[評定衆]]の設置。 * 1226年 ** [[藤原頼経]]が鎌倉幕府第4代将軍となる。 ** [[リミニ]]の[[金印勅書]]で、[[ドイツ騎士団]]の[[プロイセン]]征服と領有が認められる。 ** 教皇ホノリウス3世が[[カルメル会]]を認可。 * 1227年 ** [[六盤山]]にてチンギス・カン死去。 *** その三日後に[[興京]]が開城、モンゴルに[[西夏]]が滅ぼされる。 ** 教皇[[グレゴリウス9世]]が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門。 ** {{仮リンク|ボルンホーフェトの戦い|en|Battle of Bornhöved (1227)}}でデンマークが[[ホルシュタイン]]伯と[[ハンザ同盟]]の連合軍に敗北。 ** [[嘉禄の法難]]。洛中最古の木造寺院である[[大報恩寺]]本堂が建立される。 * 1228年 ** 破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が[[第6回十字軍]]を起こす(破門十字軍)。 * 1229年 ** [[オゴデイ]]がモンゴル帝国第2代皇帝となる。その息子[[グユク]]がエミルの所領を与えられる([[オゴデイ・ウルス]])。 ** {{仮リンク|ヤッファならびにテル・アジュル協定|en|Treaty of Jaffa and Tell Ajul}}の締結。 *** これによりアイユーヴ朝の[[アル=カーミル|アル・カーミル]]から皇帝フリードリヒ2世にエルサレムが返還される。 ** イフリーキーヤ総督[[アブー・ザカリーヤー1世]]がムワッヒド朝から独立し[[ハフス朝]]が成立。 ** [[イエメン]]のマンスール・ウマル1世がアイユーブ朝から独立し[[ラスール朝]]が成立。 ** [[ベーメン]]の修道院で作成された中世最大の[[写本]]「[[ギガス写本]](悪魔の聖書)」に残された最後の年号はこの年のもの。 === 1230年代 === {{main|1230年代}} * 1230年 ** [[寛喜の大飢饉]]( - 1231年)。 * 1231年 ** [[寛喜新制]]。 ** [[メルフィ]]の会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書({{仮リンク|リベル・アウグスタリス|en|Constitutions of Melfi}})』を発布する。 * 1232年 ** 後堀河天皇が譲位し、第87代[[四条天皇]]が即位。[[御成敗式目]]ができる。 ** [[三峰山の戦い]]でモンゴル軍が[[完顔陳和尚]]率いる金軍を破る。 ** 高麗が[[開京]]から[[江華島]]に都を遷す。 * 1233年 ** 教皇[[グレゴリウス9世]]が[[異端審問]]制度を導入し、[[ドミニコ会]]に審問を委託する。 ** [[シュテディンガー十字軍]]( - [[1234年]])。 * 1234年 ** モンゴルが[[蔡州 (河南省)|蔡州]]城を制圧し、金が滅ぼされる。 ** 南宋の皇帝[[理宗]]が[[真徳秀]]らを登用し政治改革を行う(端平更化)。 ** 法然の弟子[[源智]]が大谷の坊舎を[[知恩院]]として再興。 ** [[バグダード]]に{{仮リンク|ムスタンスィリーヤ学院|en|Mustansiriya Madrasah}}が建立される。 ** 教皇グレゴリウス9世による『グレゴリウス9世教皇令集』が出される。[[列聖]]は西方教会では教皇の専権行為となる。 * 1235年 ** モンゴルの首都[[カラコルム]]が建設される。 ** 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による「マインツの[[ラント平和令]](帝国平和令)」。 * 1235年頃 ** {{仮リンク|キリーナの戦い|en|Battle of Kirina}}で[[スンジャタ・ケイタ]]の率いる[[マンディンカ族]]が、{{仮リンク|スースー王国|en|Sosso Empire}}から独立し、[[マリ王国]]を建国。 * 1236年 ** カスティーリャ王フェルナンド3世がイスラム支配下の[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を奪取({{仮リンク|コルドバ包囲戦 (1236年)|en|Siege of Córdoba (1236)}})。 ** モンゴルの[[バトゥ]]の征西が始まり、[[ヴォルガ川]]を超える。 ** [[九条道家]]が[[円爾]]を開山に迎え京都[[東福寺]]が創建される。 ** 高麗[[高宗]]の命で[[高麗八万大蔵経]]の作成が始まる( - [[1251年]])(現在は[[伽耶山]][[海印寺]]が所蔵)。 * 1238年 ** [[タイ王国|タイ]]で[[スコータイ朝]]成立。 ** [[東ガンガ朝]]の{{仮リンク|ナラシンハ・デーヴァ1世|en|Narasingha Deva I}}が即位。 *** この王のもとで[[コナーラクのスーリヤ寺院]]が建設される。 ** アラゴン王[[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]による[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]の征服(アラゴン王国の[[レコンキスタ]]完了)。 * 1239年 ** 教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を再破門。 *** 皇帝フリードリヒ2世は教皇派のロンバルディア同盟を圧倒。 *** [[教皇派と皇帝派|皇帝党(ギベリン)]]の[[ヴェローナ]]が北イタリアを席巻し[[教皇派と皇帝派|教皇党(ゲルフ)]]との対立が激化する。 ** フランス王ルイ9世がラテン皇帝ボードゥアン2世より購入した[[聖遺物]]「{{仮リンク|キリストの荊冠|en|Crown of Thorns}}」が[[パリ]]に運ばれる。 === 1240年代 === {{main|1240年代}} * 1240年 ** ネヴァ河畔の戦いで[[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド公]][[アレクサンドル・ネフスキー]]がスウェーデン軍を破る。 ** モンゴルのバトゥが[[キエフ]]を制圧し[[キエフ大公国]]が滅亡。 *** この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる([[タタールの軛]])。 * 1240年頃 ** 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が[[カステル・デル・モンテ]]を建設。 * 1241年 ** [[ワールシュタットの戦い]]でモンゴルの[[バトゥ]]が[[ドイツ]]・ポーランド諸侯連合軍を破る。 ** [[モヒの戦い]]でハンガリーが、[[オロモウツ]]の戦いでモラヴィアがモンゴル軍に敗北する。 ** オゴデイ・カアンが死去、その第六皇后[[ドレゲネ]]が摂政監国となる。 ** 南宋の皇帝[[理宗]]が周敦頤・張載・程顥・程頤・朱熹を[[孔子廟]]に従祀する。 ** [[リューベック]]と[[ハンブルク]]と間に商業同盟が結ばれる([[ハンザ同盟]]の起こり)。 ** ラスール朝がアイユーブ朝から[[メッカ]]を奪取する。 * 1242年 ** [[仁治三年の政変]]。 *** 四条天皇が死去(京洛政変)。 **** [[泉涌寺]]で葬儀が営まれ陵墓が作られる(御寺(みてら)の始まり)。 **** 土御門上皇の皇子阿波院宮が第88代[[後嵯峨天皇]]として即位。 *** 執権北条泰時が死去(関東政変)。 [[北条経時]]が鎌倉幕府第4代執権に就任。 ** ポワティエ伯[[ユーグ10世・ド・リュジニャン|ユーグ10世]]らによるフランス王ルイ9世への反乱。 ** [[ペイプシ湖|チュド湖]]上の戦い(氷上の戦い)でノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーが[[ドイツ騎士団]]を破る。 * 1243年 ** クメール朝カンボジアで[[ジャヤーヴァルマン8世]]が即位し廃仏政策を行う( - [[1295年]])。 ** [[キョセ・ダグの戦い]]で、モンゴル帝国がルーム・セルジューク朝と[[トレビゾンド帝国]]に勝利する。 ** バトゥが[[ヴォルガ川]]下流域の[[サライ (都市)|サライ]]を中心に独立する([[ジョチ・ウルス]]の成立)。 * 1244年 ** [[藤原頼嗣]]が鎌倉幕府第5代将軍となる。 ** [[道元]]が[[越前国|越前]][[永平寺]]を開く。 ** [[エルサレム攻囲戦 (1244年)|エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される]]。[[ラ・フォルビーの戦い]]。 ** 最後の[[カタリ派]]の根拠地[[モンセギュール (アリエージュ県)|モンセギュール]]が陥落する。 * 1245年 ** [[第1リヨン公会議]]。 *** この会議の決定で[[プラノ・カルピニ]]がモンゴル帝国へ派遣される。 *** 教皇インノケンティウス4世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門し廃位を宣言。 ** [[フランドル伯|フランドル女伯]][[マルグリット2世 (フランドル女伯)|マルグリット2世]]が[[ブルージュ]]の[[フランドル地方のベギン会修道院群|ベギン会修道院]]を創設。 ** ヤロスラヴの戦いで、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国がポーランド・ハンガリー連合軍に勝利。 * 1246年 ** 後嵯峨天皇が譲位し、第89代[[後深草天皇]]が即位。 ** [[北条時頼]]が鎌倉幕府第5代執権に就任。[[宮騒動|寛元の政変]](宮騒動)。 ** 摂政監国[[ドレゲネ]]召集のクリルタイでモンゴル帝国第3代皇帝[[グユク]]が即位。 *** グユクに教皇使節プラノ・カルピニが会見する。 *** 教皇宛に送られた「[[プラノ・カルピニ#グユク・ハンの勅書|グユク・ハンの勅書]]([[ヴァティカン図書館]]蔵)」はこの時のもの。 ** ライタ川の戦いでのオーストリア公[[フリードリヒ2世 (オーストリア公)|フリードリヒ2世]]の戦死により、[[バーベンベルク家]]男系は断絶。 * 1247年 ** [[宝治合戦]](三浦氏の乱)。 * 1248年 ** フランス国王ルイ9世による[[第7回十字軍]]。 ** パリ・[[シテ島]]の[[サント・シャペル]]教会が献堂される。 ** [[ケルン大聖堂]]が着工される(最終的な完成は[[1880年]])。 ** グユク・カンが死去。グユクの皇后[[オグルガイミシュ]]が摂政監国として国政を担当。 ** [[マリーン朝]]が[[フェズ]]を都として建国される。 * 1249年 ** [[アルガルヴェ]]地方の[[シルヴェス]]と[[ファロ]]を奪還し、ポルトガルの[[レコンキスタ]]が終了。 ** フランス国王ルイ9世がエジプトの[[ダミエッタ]]を占領。 === 1250年代 === {{main|1250年代}} * 1250年 ** [[マンスーラの戦い (1250年)|マンスーラの戦い]]と{{仮リンク|ファルスクールの戦い|en|Battle of Fariskur (1250)}}でエジプトの[[マムルーク]]軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。 *** マムルーク軍団は[[トゥーラーン・シャー]]を倒し[[シャジャル・アッ=ドゥッル|シャジャル・アッ・ドゥッル]]を君主に擁立([[マムルーク朝]]成立)。 ** [[スウェーデン]]王[[ビルイェル・ヤール]]による[[フィンランド]]遠征([[北方十字軍]])。 * 1250年頃 ** ペルーの[[チムー王国]][[チャンチャン遺跡]]近郊のパンパ・ラ・クルスの大量の人身供犠はこの時代のもの。 * 1251年 ** 了行法師らの謀反事件(建長の政変)。 ** 伽耶山海印寺の[[高麗八万大蔵経|高麗版大蔵経]]が完成する。 ** {{仮リンク|1251年の羊飼い十字軍|en|Shepherds' Crusade (1251)}}。 ** [[リトアニア大公]][[ミンダウガス]]が初代[[リトアニア王国 (1251年-1263年)|リトアニア国王]]となる。 ** モンゴル帝国第4代皇帝[[モンケ]]が即位。摂政監国だったオグルガイミシュが殺害される。 * 1252年 ** [[宗尊親王]]が鎌倉幕府第6代将軍となる。 ** [[高徳院]]大仏(鎌倉大仏)が着工される。 ** [[フィレンツェ]]で[[フローリン金貨]]が発行される(近代貨幣制度の先駆け)。 ** カスティーリャ王[[アルフォンソ10世]]の命で作られた「[[アルフォンソ天文表]]」はこの年を基軸にしている。 ** 教皇[[インノケンティウス4世 (ローマ教皇)|インノケンティウス4世]]が回勅「{{仮リンク|異端の根絶について|en|Ad extirpanda}}(アド・エクスティルパンダ)」を発布。 * 1253年 ** モンケ・カアンの命による[[フレグの西征|フレグの征西]]が始まる。 ** クビライの[[雲南・大理遠征]]により[[大理]]が降伏する。 ** フランス国王ルイ9世の命で[[ウィリアム・ルブルック]]がモンゴル帝国に派遣される。 ** 北条時頼が[[蘭渓道隆]]を開山に迎え[[建長寺]]が創建される。 ** [[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国|ハールィチ・ヴォルィーニ大公]][[ダヌィーロ・ロマーノヴィチ]]がローマ教皇[[インノケンティウス4世]]から[[ルーシ王]]の称号を授かる。 * 1254年 ** 神聖ローマ皇帝[[コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート4世]]死去し、[[大空位時代]]が始まる( - [[1273年]])。 *** [[ウィレム2世 (ホラント伯)|ホラント伯ウィレム]]が名目上の皇帝に選出され、「神聖ローマ帝国」の国号を初めて用いる。 *** ケルンやマインツが[[ライン都市同盟]]を結成する。 ** フランス王ルイ9世がエジプトから持ち帰った「[[黒い聖母]]」を[[ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のノートルダム大聖堂に奉献する。 * 1255年 ** ポルトガル王[[アフォンソ3世]]が[[コインブラ]]から[[リスボン]]に遷都。 ** [[聖ラザロ騎士団]]が教皇に正式に認可される。 ** ドイツ騎士団により[[ケーニヒスベルク]]が建設される。 * 1256年 ** [[北条長時]]が鎌倉幕府第6代執権に就任。 ** クビライが閃電河河畔に開平府(後の[[上都]](ザナドゥ))を築く。 ** 教皇[[アレクサンデル4世 (ローマ教皇)|アレクサンデル4世]]により各地の隠修士団体が統合され[[聖アウグスチノ修道会|聖アウグスティノ修道会]]が成立する。 * 1257年 ** [[インドネシア]]・[[ロンボク島]]の{{仮リンク|サマラス火山|en|1257 Samalas eruption}}([[リンジャニ山]]東側カルデラ)の大噴火。 ** アラムート城砦の[[ニザール派]]がモンゴルに降伏する。 ** 正嘉鎌倉地震。 * 1258年 ** [[バグダードの戦い]]で勝利したモンゴルの[[フレグ]]が[[バグダード]]へ入城。 *** カリフの[[ムスタアスィム]]を処刑し、[[アッバース朝]]を滅ぼす。 ** [[シモン・ド・モンフォール]]らが国王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]に[[オックスフォード条項]]を認めさせる。 *** 翌1259年に[[ウェストミンスター条項]]に拡大される。 ** [[正嘉の飢饉]]。 * 1259年 ** [[モンケ]]が合州城近郊の釣魚山にて陣没。 ** 後深草天皇が譲位し、第90代[[亀山天皇]]が即位。 ** 崔氏政権が倒れ、高麗がモンゴルに降伏。 ** [[ペラゴニアの戦い]]で、ニカイア帝国が[[エピロス専制侯国|エピロス]]・[[アカイア公国|アカイア]]・[[シチリア王国|シチリア]]連合軍に勝利する。 === 1260年代 === {{main|1260年代}} * 1260年 ** [[クビライ]]が開平府にて即位し、[[カラコルム]]の[[アリクブケ]]と帝位を争い内戦になる。 ** 元で基本通貨となる[[中国の貨幣制度史|交鈔]]「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。 ** [[日蓮]]が『[[立正安国論]]』を著わし前執権の北条時頼に送る。 ** フレグがイラン・イラクで自立して[[フレグ・ウルス]](イル・ハン国)が成立。 ** マムルーク朝がモンゴル軍を[[アイン・ジャールートの戦い]]で破る。マムルーク朝スルタンに[[バイバルス]]が即位。 ** フランスの[[シャルトル大聖堂]]が竣工し献堂式が行われる。 ** {{仮リンク|モンタペルティの戦い|en|Battle of Montaperti}}で、[[シエーナ]]がフィレンツェに勝利する。 ** [[ペラゴニア地方|ペラゴニア]]の戦いで、ニカイア帝国がラテン帝国・エピロス専制侯国の連合軍に勝利する。 * 1261年 ** ニカイア帝国が[[ジェノヴァ]]と[[ニンファエウム条約 (1261年)|ニュムファエウム条約]]を締結し、帝国内での特権を承認し軍事援助を引き出す。 ** ニカイア帝国がラテン帝国から[[コンスタンティノープルの回復 (1261年)|コンスタンティノポリスを奪回]]。 *** 東ローマ帝国が復活し[[パレオロゴス朝]]の[[ミカエル8世パレオロゴス|ミカエル8世]]が即位。 ** マムルーク朝のバイバルスがアッバース朝最後のカリフの叔父をカイロに迎え入れカリフ・[[ムスタンスィル2世]]として擁立。 ** [[チベット仏教]][[サキャ派]]の僧侶[[パクパ|パスパ]]がモンゴル帝国の国師となる。 * 1262年 ** {{仮リンク|ベルケ・フレグ戦争|en|Berke–Hulagu war}}。 ** [[ストラスブール]]が司教の支配を脱し、神聖ローマ[[帝国自由都市]]となる。 * 1263年 ** ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。 ** リトアニア国王ミンダウカスが暗殺され、リトアニアに異教が復活する。 * 1264年 ** アリクブケがクビライに投降し、年号が[[至元 (元世祖)|至元]]と改まる。 ** 最初の[[モンゴルの樺太侵攻]]。 ** [[北条政村]]が鎌倉幕府第7代執権に就任。 ** ポーランドで[[カリシュの法令]]発布。 ** [[第二次バロン戦争]]( - [[1267年]])。 * 1265年 ** 東ローマ皇帝ミカエル8世がモンゴル系諸国と同盟を結ぶ。 *** [[フレグ・ウルス]]の[[アバカ]]には娘[[デスピナ (イルハン朝)|マリア]]を、[[ジョチ・ウルス]]の[[ノガイ]]には娘エウフロシュネーを娶わせる。 ** 「ド・モンフォールの議会」でオックスフォード条項とマグナカルタが正式に承認される。 *** 同年、国王ヘンリー3世はイーブシャムの戦いでシモン・ド・モンフォールを倒す。 * 1266年 ** [[惟康親王]]が鎌倉幕府第7代[[征夷大将軍|将軍]]となる。この年で『[[吾妻鏡]]』の記載が終わる。 ** フランス王ルイ9世の弟[[カルロ1世 (シチリア王)|シャルル・ダンジュー]]がシチリア王カルロ1世となる。 *** [[ベネヴェントの戦い]]でカルロ1世はフリードリヒ2世の庶子[[マンフレーディ]]を戦死させる。 * 1267年 ** クビライの命により燕京(後の[[大都]])の都市改造が始まる。 *** 運河として通恵河が開削され、物資の集積地である都市内港の積水潭が建設される。 ** [[忍性]]を開山として[[極楽寺 (鎌倉市)|鎌倉極楽寺]]が整備される。 ** {{仮リンク|ムールベケのグイレルムス|en|William of Moerbeke}}が[[アリストテレス]]『[[霊魂論]](デ・アニマ)』をギリシア語原典から直接ラテン語に翻訳。 * 1268年 ** [[北条時宗]]が鎌倉幕府第8代執権に就任。 ** タリアコッツォの戦いでシチリア王カルロ1世がコンラート4世の子[[コッラディーノ]]に勝利。 *** コッラディーノ処刑により[[ホーエンシュタウフェン家]]が完全に断絶する。 ** マムルーク朝のバイバルスが[[アンティオキア]]を攻略し[[アンティオキア公国]]が滅亡する。 ** 哲学者[[ロジャー・ベーコン]]がフランシスコ会で断罪され投獄される。 * 1269年 ** [[マリーン朝]]がムワッヒド朝を滅ぼす。 ** [[パスパ文字]]が元の国字として公布される。 ** クビライの庶子[[アウルクチ (西平王)|アウルクチ]]がチベット東部を支配する西平王に封じられる。 ** ボナヴェントゥラが『清貧擁護論』を執筆。 === 1270年代 === {{main|1270年代}} * 1270年 ** フランス国王ルイ9世による[[第8回十字軍]]。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。 ** パリ司教[[エティエンヌ・タンピエ]]による13命題の異端宣言。 ** エチオピアで[[ザグウェ朝]]を滅ぼした[[イクノ・アムラク]]が{{仮リンク|ソロモン朝|en|Solomonic dynasty}}を興す。 * 1271年 ** クビライが[[大都]]を首都と定め、国号を大元(元)と称した。 ** 高麗の世子(後の[[忠烈王]])がクビライの王女[[クトゥルク=ケルミシュ]]と結婚。 ** マムルーク朝のバイバルスが十字軍の城[[クラック・デ・シュヴァリエ]]を攻略。 ** イギリス王太子[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード]]による[[第9回十字軍]]。 *** 王子エドワードはイルハン朝の[[アバカ]]へ使者を送る([[フランクとモンゴルの同盟#アバカ (1265–1282)|アバカとの同盟]])。 ** 元使の[[趙良弼]]が来日。 ** [[龍ノ口法難]]の後、日蓮が[[佐渡島]]に流される。 * 1272年 ** 元使の趙良弼が再来日。 ** [[二月騒動]]で、北条氏名越流や時宗の異母兄[[北条時輔|時輔]]らが討伐される。 ** 親鸞の娘[[覚信尼]]により[[大谷廟堂]]が建立される(後の[[本願寺]]の起源)。 ** [[陳朝]]で{{仮リンク|黎文休|vi|Lê Văn Hưu}}らによる最初のベトナム編年体通史『[[大越史記]]』が編纂される。 * 1273年 ** ハプスブルク家の[[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]が神聖ローマ帝国君主に選ばれ、大空位時代終わる。 ** [[ボードゥアン2世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン2世]]の死去に伴い、シチリア王カルロ1世がラテン帝国継承権を獲得。 ** [[トマス・アクィナス]]が『[[神学大全]]』の著述を終える。 ** モンゴルが[[済州島]](耽羅)を征服し、[[三別抄]]の乱が鎮圧される。 ** モンゴルが[[襄陽・樊城の戦い]]で南宋の[[呂文煥]]を降伏させる。この戦いでイスラム式の[[回回砲]]が用いられる。 ** 文永新制。 * 1274年 ** [[元寇#文永の役|文永の役]]。 ** [[第2リヨン公会議]]。 ** [[サン・ドニ大聖堂|サン・ドニ修道院]]による『{{仮リンク|フランス大年代記|en|Grandes Chroniques de France}}』プリマ版がフランス王フィリップ3世に献呈される。 * 1275年 ** 北条時宗の命で元の使者[[杜世忠]]らを龍ノ口刑場で斬る。 ** [[丁家洲の戦い]]で、南宋が元に敗北し、宰相[[賈似道]]が逃亡、途上で暗殺される。 ** [[マリーン朝]]の[[アブー・ユースフ・ヤアクーブ]]がイベリア半島に上陸し{{仮リンク|エシハの戦い|en|Battle of Écija (1275)}}でカスティーリャ軍に勝利。 ** マムルーク朝のバイバルスが[[ヌビア]]のキリスト教国{{仮リンク|マクリア|en|Makuria}}を攻撃し臣従させる。 * 1275年頃 ** [[北条実時]]が[[称名寺 (横浜市)|称名寺]]に[[金沢文庫]]を創設する。 * 1276年 ** [[博多湾]]に沿って[[防塁]]を築く。 ** 元が南宋の都臨安([[杭州市|杭州]])を制圧し、摂政謝太后と[[恭帝 (宋)|恭帝]]が降伏する。 ** {{仮リンク|エルビスターンの戦い|en|Battle of Elbistan}}で、マムルーク朝のバイバルスがモンゴル軍に勝利。同年バイバルスはダマスカスで病没。 * 1277年 ** パリ司教エティエンヌ・タンピエによる219命題の異端宣言。 ** 地中海の[[ジェノヴァ]]の[[ガレー船]]が[[フランドル]]の[[ブリュージュ]]外港のズウィン湾に到着。 *** これにより地中海から大西洋を経由し北海・バルト海を結ぶ商業航路が開かれる。 ** {{仮リンク|イヴァイロの反乱|en|Uprising of Ivaylo}}により[[第二次ブルガリア帝国|ブルガリア]]で農民皇帝[[イヴァイロ (ブルガリア皇帝)|イヴァイロ]]が即位。 * 1278年 ** [[マルヒフェルトの戦い]]で神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。 ** フランスのフォア伯とスペインの[[ウルヘル司教]]の共同領主権のもとで[[アンドラ]]の自治が認められる。 ** [[ロジャー・ベーコン]]がフランシスコ会に断罪され投獄される。 * 1279年 ** [[崖山の戦い]]で、[[陸秀夫]]は幼帝[[趙昺]]を伴って入水、元が南宋を完全に滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。 ** 北条時宗が元の使者周福らを再度斬首する。 ** [[チョーラ朝]]と[[ホイサラ朝]]の連合軍が[[パーンディヤ朝]]軍に敗北し、チョーラ朝は滅亡。 ** シチリア王カルロ1世が[[ナポリ]]の{{仮リンク|カステル・ヌォーヴォ|en|Castel Nuovo}}(マスキオ・アンジョイーノ)を建設( - [[1282年]])。 === 1280年代 === {{main|1280年代}} * 1280年 ** 元で[[郭守敬]]が「[[授時暦]]」を完成させる。 * 1281年 ** 亀山天皇が譲位し、第90代[[後宇多天皇]]が即位。 ** [[元寇#弘安の役|弘安の役]]。 ** 教皇[[マルティヌス4世 (ローマ教皇)|マルティヌス4世]]が東ローマ皇帝ミカエル8世を破門にする。 * 1282年 ** [[シチリアの晩禱]]事件。 ** ウェールズ公[[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]がイングランド王エドワード1世に敗れ、ウェールズは独立を喪失。 ** 神聖ローマ皇帝ルドルフ1世が[[オーストリア]]・[[シュタイアーマルク]]を獲得。 ** 元への帰順を拒み南宋の遺臣[[文天祥]]が刑死する。 ** 北条時宗が[[無学祖元]]を開山に迎え[[円覚寺]]が創建される。 ** 日蓮が武蔵国[[池上 (大田区)|池上郷]]で死去、その滞在地が[[池上本門寺]]となる。 * 1283年 ** 元で[[京杭大運河]](済州河・会通河・通恵河)の改修が始まる( - 1292年)。 ** 元軍が[[アンコール・トム]]に侵攻する。 * 1284年 ** [[北条貞時]]が鎌倉幕府第9代執権に就任。[[安達泰盛]]らによる[[弘安徳政]]の実施。 ** ドイツ・[[ハーメルン]]で約130人の子供が集団失踪(「[[ハーメルンの笛吹き男]]」伝説のおこり)。 ** {{仮リンク|ナポリ湾の海戦 (1284年)|en|Battle of the Gulf of Naples|label=ナポリ湾の海戦}}でアラゴン王ペドロ3世がナポリ王カルロ1世に勝利し、[[アラゴン十字軍]]が始まる。 ** {{仮リンク|メロリアの海戦 (1284年)|en|Battle of Meloria (1284)}}で[[ジェノヴァ]]が[[ピサ]]に勝利し、[[ティレニア海]]の覇権を握る。 * 1285年 ** [[霜月騒動]]にて[[平頼綱]]が安達泰盛らを討つ。 ** クビライが三度目の征東行省を設置(第三次日本侵攻を計画するも実現せず)。 * 1287年 ** 後宇多天皇が譲位し、第92代[[伏見天皇]]が即位。 ** [[パガンの戦い]]で元が[[パガン朝]]を滅ぼす。 ** 元で[[ナヤン]]・カダアンの乱( - [[1292年]])。 ** 「{{仮リンク|聖ルチア祭の洪水|en|St. Lucia's flood}}」で、[[ゾイデル海]]の開口部が[[北海]]とつながる。 * 1288年 ** [[白藤江の戦い (1288年)|白藤江の戦い]]で[[陳朝]]ベトナムが元朝に勝利。 ** イルハン朝の使節[[ラッバーン・バール・サウマ]]がローマ教皇[[ニコラウス4世]]ほか各国君主と会見。 * 1289年 ** [[久明親王]]が鎌倉幕府第8代将軍となる。 ** マムルーク朝が十字軍支配の[[トリポリ]]を占領。 ** 高麗の僧[[一然]]が死去、この時期までに高麗の歴史書『[[三国遺事]]』の執筆が終わる。 === 1290年代 === {{main|1290年代}} * 1290年 ** [[浅原事件]]。 ** [[奴隷王朝]]を倒して[[ハルジー朝]]が成立する。 ** イングランド王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]が[[ユダヤ人]]追放令を布告。 ** ポルトガル王国の[[ディニス1世]]が[[コインブラ大学]]を創設する。 * 1291年 ** イルハン国の[[アルグン]]の書簡が教皇ニコラウス4世とフランス王フィリップ4世のもとに届く。 ** マムルーク朝の[[アシュラフ・ハリール]]が十字軍の最後の拠点の[[アッコの陥落|アッコを陥落]]させる。 ** [[ジェノヴァ]]商人[[ヴィヴァルディ兄弟]]が地中海から[[モロッコ]]に到達し大西洋へと出航する。 ** [[ウーリ]]・[[シュヴィーツ]]・[[ウンターヴァルデン]]の三州による[[永久盟約|原初同盟]]が結ばれる([[スイス連邦]]の始まり)。 ** 亀山法皇が[[無関普門]]を開山に迎え[[南禅寺]]が創建される。 * 1293年 ** [[九州]]に[[鎮西探題]]を置く。 ** [[鎌倉大地震]](永仁鎌倉地震)。この地震の混乱で[[平頼綱]]が誅殺される([[平禅門の乱]])。 ** [[竹崎季長]]が『[[蒙古襲来絵詞]]』を完成させ、[[甲佐神社]]へ奉納する。 ** [[モンゴルのジャワ侵攻|元のジャワ遠征]]。 ** 元から来た[[コケジン]]が[[ホルムズ]]に到着する。 * 1294年 ** {{仮リンク|ラデン・ウィジャヤ|en|Raden Wijaya}}が元朝をジャワから追い払い、[[マジャパヒト王国]]を建てる。 ** クビライが死去し、[[テムル]]がモンゴル帝国(元)の第6代カアンとなる。 ** 宣教師[[ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ]]が大都に到着。 ** [[ケレスティヌス5世]]が在位半年で教皇を退位し、[[ボニファティウス8世]]が教皇となる。 * 1295年 ** [[バイドゥ (イルハン朝)|バイドゥ]]を倒した[[ガザン・ハン]](前年にイスラム教に改宗)が[[イルハン国]]の君主となる。 ** イングランド王エドワード1世による[[模範議会]]が招集される。 ** スコットランドとフランスが「[[古い同盟]]」を結ぶ。 ** [[マルコ・ポーロ]]が[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]に帰国する。 ** クメール朝カンボジアのジャヤーヴァルマン8世が崇仏派の{{仮リンク|インドラヴァルマン3世(カンボジア)|en|Indravarman III}}により暗殺される。 * 1296年 ** イングランド王エドワード1世が[[スコットランド王国|スコットランド]]より[[スクーンの石]]を奪う。 ** [[元 (王朝)|元]]の使節[[周達観]]がクメール朝カンボジアに来訪。 * 1297年 ** 鎌倉幕府が[[永仁の徳政令]]を出す。 ** [[スターリング・ブリッジの戦い]]で、[[ウィリアム・ウォレス]]率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破。 ** [[フランソワ・グリマルディ]]らが[[モナコ]]の要塞を占拠(モナコ公国の始まり)。 * 1298年 ** [[フォールカークの戦い]]で、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を撃破。 ** [[コルチュラ島|コルチュラ]]の戦いでジェノヴァがヴェネツィアに勝利、マルコ・ポーロが捕虜となる。 ** 伏見天皇が譲位し、第93代[[後伏見天皇]]が即位。 * 1299年 ** [[オスマン1世]]が[[イェニシェヒル (ブルサ県)|イェニシェヒル]]を占領、ルーム・セルジューク朝から独立を宣言し[[オスマン朝]]成立。 ** 教皇ボニファティウス8世の命で[[コロンナ家]]の反乱が鎮圧され、[[パレストリーナ]]市街が破壊される。 ** 元の成宗が禅僧[[一山一寧]]を使者として日本に送る。 ** 『[[一遍聖絵]](一遍上人絵伝)』([[清浄光寺]]蔵)が[[円伊]]によって描かれる。 === 1300年代 === {{main|1300年代}} * 1300年 - 教皇[[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]によりこの年が最初の「[[聖年]](Iobeleus)」とされる。 * 1300年頃 - スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。 == 人物 == === モンゴル世界 === * [[チンギス・カン]]([[1167年]] - [[1227年]]) - モンゴル帝国の創始者(在位[[1206年]] - [[1227年]]) * [[ジョチ]]([[1177年]]/[[1184年]]? - [[1225年]])- チンギス・カンの長男・[[ジョチ・ウルス]]の祖 * [[チャガタイ]]([[1185年]]/[[1186年]]? - [[1242年]]) - チンギス・カンの次男・[[チャガタイ・ハン国|チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)]]の祖 * [[オゴデイ]]([[1186年]] - [[1241年]]) - モンゴル帝国の第2代カアン(在位[[1229年]] - [[1241年]]) * [[グユク]]([[1206年]] - [[1248年]]) - モンゴル帝国の第3代カアン(在位[[1246年]] - [[1248年]]) * [[バトゥ]]([[1207年]] - [[1256年]]) - ジョチ・ウルスのハン(在位[[1225年]] - [[1256年]])・ロシアや東欧を制圧 * [[モンケ]]([[1209年]] - [[1259年]]) - モンゴル帝国の第4代カアン(在位[[1251年]] - [[1259年]]) * [[クビライ]] ([[1215年]] - [[1294年]]) - モンゴル帝国第5代カアン(在位[[1260年]] - [[1294年]])・中国元朝(大元ウルス)の創始者 * [[フレグ]]([[1218年]] - [[1265年]]) - [[イルハン朝|イル・ハン国(フレグ・ウルス)]]の創始者(在位[[1260年]] - [[1265年]])・アッバース朝を滅ぼす * [[アリクブケ]](? - [[1266年]]) - クビライの弟・クビライと帝位を争う([[モンゴル帝国帝位継承戦争]]) * [[カイドゥ]](? - [[1301年]]) - オゴデイの孫・クビライに対し反乱を起こす(カイドゥの乱) * [[阿塔海|アタカイ]]([[1234年]] - [[1289年]]) - 元の将軍・日本討伐軍の総司令官・東路軍と江南軍を編成して戦うが敗北する * [[バヤン (バアリン部)|バヤン]]([[1236年]] - [[1294年]]) - 元の将軍・クビライの重臣・南宋討伐軍の総司令官として[[臨安市|臨安]]を降伏させる * [[アルグン]]([[1258年]]? - [[1291年]]) - イルハン朝の第4代君主(在位[[1284年]] - [[1291年]])・バール・サウマを教皇ニコラウス4世に派遣 * [[ラッバーン・バール・サウマ]]([[1220年]]代 - [[1294年]]) - [[ネストリウス派]]キリスト教(景教)の聖職者・モンゴル帝国から欧州諸国を歴訪 * [[ガザン・ハン|ガザン]]([[1271年]] - [[1304年]]) - イル・ハン国の第7代君主(在位[[1295年]] - [[1304年]])・アルグンの息子で[[イスラム教]]に改宗 === イスラム世界 === * [[ジャザリー]]([[1136年]] - [[1206年]]) - [[ジャズィーラ]]出身のアラブ人機械工学者・数学者・著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』で知られる * [[ムハンマド・バフティヤール・ハルジー]](? - [[1206年]]) - [[インド・マムルーク朝]]の将軍・[[クトゥブッディーン・アイバク|アイバク]]に仕え[[ムスリム]]としてはじめて[[ベンガル地方|ベンガル]]を征服し仏教教団に打撃を与えた * ラーヴァンディー(? - [[1207年]]以降) - ルーム・セルジューク朝に仕えた歴史家・同王朝の歴史書『胸の安らぎと喜びの証し』を執筆 * [[ファリードゥッディーン・アッタール|アッタール]]([[1140年]]代頃 - [[1221年]]頃) - [[ペルシア]]の[[神秘主義]]詩人・代表作に『[[鳥の言葉]]』『神秘主義聖者列伝』がある * [[ムイーヌッディーン・チシュティー]]([[1141年]] - [[1236年]]) - 北インドのスーフィー聖者・[[チシュティー教団]](タリーカ)を発展させアジュメール修道場を設置 * [[イブン・アスィール]]([[1160年]] - [[1233年]]) - ザンギー朝に仕えた歴史家・『完史』『アターベク王朝における輝かしき歴史』の著作がある * [[イブン・アラビー]]([[1165年]] - [[1240年]]) - アンダルシア出身の[[スーフィズム|イスラム神秘主義者]]・「存在一性論」を提唱し『叡知の根源』を執筆 * [[クトゥブッディーン・アイバク]](? - [[1210年]]) - 奴隷王朝の創始者で初代スルターン(在位[[1206年]] - [[1210年]])・[[クトゥブ・ミナール]]を建設 * [[ムハンマド・ナースィル]](? - [[1213年]]) - ムワッヒド朝の第4代[[アミール]](在位[[1198年]] - [[1213年]])・[[ナバス・デ・トロサの戦い]]で敗北 * [[ジャラールッディーン・メングベルディー]](? - [[1231年]]) - [[ホラズム・シャー朝]]の第8代スルターン(在位[[1220年]] - [[1231年]])・モンゴル軍の西征に抵抗 * {{仮リンク|ヤフーヤ・イブン・マフムート・アル・ワシティ|en|Yahya ibn Mahmud al-Wasiti}}(13世紀前半) - バグダードの挿絵画家・[[アル・ハリーリー]]の『[[マカーマ (文学)|マカーマート]]』の挿絵で有名 * ファリドゥッディーン・ガニシャカル([[1173年]] - [[1266年]]) - インドのイスラム神秘主義者・イスラム教と[[ヒンドゥー教]]の融和思想の基礎を築く * [[ヤークート・アル=ハマウィー]]([[1179年]] - [[1229年]]) - アナトリア出身の地理学者・『地理学辞典』の他に『学者文人事典』『類語辞典』を編纂 * [[アル=カーミル]]([[1180年]] - [[1238年]]) - アイユーブ朝の第5代スルターン(在位[[1218年]] - [[1238年]])・エルサレムを一時十字軍に返還 * [[サアディー]]([[1184年]]? - [[1291年]]?) - ペルシアの神秘主義詩人・『果樹園』『[[薔薇園 (書籍)|薔薇園]]』の著者・サアディー廟も有名 * [[イブン・バイタール]]([[1188年]] - [[1248年]]) - アンダルシア出身の医師・植物学者。アル=カーミルに仕え『薬と栄養全書』ほかを執筆 * [[ムハンマド1世 (ナスル朝)|ムハンマド1世]]([[1191年]] - [[1272年]]) - [[ナスル朝]]の初代君主(在位[[1238年]] - [[1272年]])・第三次ターイファ時代を制し[[グラナダ]]に勢力を確立 * ジューズジャーニー([[1193年]]? - ?) - 奴隷王朝のイラン人歴史家・君主[[シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ|イルトゥトゥミシュ]]に仕え主著に『タバカーテ・ナースィリー』がある * [[ナスィールッディーン・トゥースィー]]([[1201年]] - [[1274年]]) - ペルシアの学者・『ナースィルの倫理学』や『[[イルハン天文表]]』がある * [[サーリフ]]([[1201年]] - [[1249年]]) - アイユーブ朝の第7代スルターン(在位[[1240年]] - [[1249年]])・エルサレムを十字軍から奪還 * [[ラズィーヤ]]([[1205年]] - [[1240年]]) - 奴隷王朝の第4代スルターン(女性でスルターナ)(在位[[1236年]] - [[1240年]])・男装して政治を行うが殺害される * [[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]([[1207年]] - [[1273年]]) - ペルシアの神秘主義詩人・『シャムセ・タブリーズ詩集』の著者・[[メヴレヴィー教団]]の開基 * [[アブー・ザカリーヤー1世]](? - [[1249年]]) - [[ハフス朝]]の建国者(在位[[1228年]] - [[1249年]])・ムワッヒド朝から独立し[[イフリーキヤ]]を支配 * [[シャジャル・アッ=ドゥッル|シャジャル・アッ・ドゥッル]](? - [[1257年]]) - アイユーブ朝スルターンの[[サーリフ]]の夫人・マムルーク朝の初代スルターン(在位[[1250年]]) * [[ムスタアスィム]]([[1212年]] - [[1258年]]) - バグダードのアッバース朝最後(第37代)の[[カリフ]](在位[[1242年]] - [[1258年]]) * イブン・アル・ナフィス([[1213年]] - [[1288年]]) - シリア出身の医師・代謝の概念をまとめあげ「循環理論の父」と呼ばれる * [[バイバルス]](? - [[1277年]]) - マムルーク朝の第5代スルターン(在位[[1260年]] - [[1277年]])・十字軍やモンゴル軍を撃退した英雄 * [[アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・アル=ムスタンスィル|アル・ムスタンスィル]](? - [[1277年]]) - ハフス朝の第2代君主(在位[[1249年]] - [[1277年]])・[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の[[第8回十字軍]]を撃退 * [[アブー・ユースフ・ヤアクーブ]](? - [[1286年]]) - [[マリーン朝]]の君主(在位[[1259年]] - [[1286年]])・ムワッヒド朝を滅ぼし「戦闘王」と呼ばれる * [[ギヤースッディーン・バルバン]](? - [[1287年]]) - 奴隷王朝の第9代スルターン(在位[[1266年]] - [[1287年]])・イルトゥトゥミシュ家を倒し恐怖政治を行う * [[アラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニー|ジュヴァイニー]]([[1226年]] - [[1283年]]) - イルハン朝の政治家・歴史家・歴史書『[[世界征服者の歴史]]』の著者 * [[アシュラフ・ハリール]](? - [[1293年]]) - マムルーク朝の第9代スルターン(在位[[1290年]] - [[1293年]])・十字軍の最後の要衝アッコを奪取 * ユヌス・エムレ([[1240年]]頃 - [[1321年]]頃)- アナトリア西部出身の詩人・民衆の[[トルコ語]]をもっとも初期に用いた神秘主義詩人で近代文学にも影響 * [[アミール・ホスロー]]([[1253年]] - [[1325年]]) - デリー・スルターン朝の諸王朝に仕えた詩人・宗教歌謡[[カッワーリー]]の祖で「インドの鸚鵡」と呼ばれる * [[イブン・タイミーヤ]]([[1263年]] - [[1328年]]) - マムルーク朝の[[神学者]]・ハンバル派法学者・イスラム神秘主義を批判し神と人間の絶対的不同を唱える * [[ジャラールッディーン・ハルジー]](? - [[1296年]]) - デリー・スルターン朝の[[ハルジー朝]]の創始者で初代スルターン(在位[[1290年]] - [[1296年]]) === アフリカ === * ゲブレ・メスケル・ラリベラ(生没年不詳) - [[エチオピア]]のザグウェ朝の王(在位13世紀前半)・[[ラリベラの岩窟教会群]]を建設 === キリスト教世界 === ==== 東ローマ帝国・ラテン帝国・ニカイア帝国 ==== * [[アレクシオス4世アンゲロス]]([[1182年]] - [[1204年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1203年]] - [[1204年]])・第4回十字軍により帝位に就くが内紛で戦死 * [[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン1世]]([[1172年]] - [[1205年]]) - [[ラテン帝国]]の初代皇帝(在位[[1204年]] - [[1205年]])・ブルガリア帝国との戦いで捕虜となり獄死 * [[テオドロス1世ラスカリス]]([[1175年]]頃 - [[1222年]]) - ニカイア帝国の初代皇帝(在位[[1205年]] - [[1222年]])・第4回十字軍を逃れ亡命政権樹立 * [[エンリコ・ダンドロ]]([[1107年]]? - [[1205年]]) - [[ヴェネツィア共和国]][[ドージェ|元首]]・第4回十字軍を東ローマ帝国に方向転換させる * [[ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン]]([[1150年]]頃 - [[1218年]]頃) - 歴史家・第4回十字軍に従軍し『コンスタンティノポリス征服記』を執筆 * [[ジャン・ド・ブリエンヌ]]([[1148年]] - [[1237年]]) - エルサレム王(在位[[1210年]] - [[1212年]])・ラテン帝国皇帝(在位[[1231年]] - [[1237年]]) * [[ニケタス・コニアテス]]([[1150年]] - [[1213年]]) - 東ローマ帝国の政治家・第4回十字軍に遭遇して亡命・歴史家として『年代記』を執筆 * {{仮リンク|ゲオルギオス・アクロポリテス|en|Georgios Akropolites}}([[1217年]] - [[1282年]]) - 東ローマ帝国の帝都大学総長・[[第2リヨン公会議]]に出席・歴史家として『年代記』を執筆 * [[ミカエル8世パレオロゴス|ミカエル8世]]([[1224年]] - [[1282年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1261年]] - [[1282年]])・ラテン帝国を滅ぼし[[パレオロゴス朝]]の創始者となる * {{仮リンク|ゲオルギオス・パキュメレス|en|George Pachymeres}}([[1242年]] - [[1310年]]) - 東ローマ帝国の学者・アクロポリテスの著作を継ぐ『歴史』を書く・東西教会合同には反対 ==== 東欧・カフカス ==== * [[タマル (グルジア女王)|タマル・バグラティオニ]]([[1160年]]? - [[1213年]]) - [[グルジア]]の女王(在位[[1184年]] - [[1213年]])・セルジューク朝を駆逐しグルジア全盛を現出 * [[カロヤン・アセン]]([[1168年]]/[[1169年]] - [[1207年]]) - [[第二次ブルガリア帝国]]の皇帝(在位[[1197年]] - [[1207年]])・ラテン帝国に勝利を収める * [[ショタ・ルスタヴェリ]]([[1172年]] - [[1216年]]) - グルジアの詩人・官吏としてタマル女王に仕える・長編叙事詩『[[豹皮の騎士]]』を残す * [[サワ (セルビア大主教)|サヴァ]]([[1174年]]頃 - [[1236年]]) - セルビアの初代大主教・父[[ステファン・ネマニャ (セルビアの大ジュパン)|ステファン・ネマニャ]]とともにヒランダル修道院を設立・正教会の聖人 * [[アンドラーシュ2世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ2世]]([[1177年]] - [[1235年]]) - [[アールパード朝]]のハンガリー国王(在位[[1205年]] - [[1235年]])・[[第5回十字軍]]に参加・[[金印勅書]]を発布 * [[ミハイル2世 (キエフ大公)|ミハイル2世]]([[1179年]] - [[1246年]]) - チェルニゴフ公・キエフ大公(在位[[1238年]] - [[1246年]])・モンゴルに抵抗し殺害され聖人となる * [[ヘンリク2世]]([[1196年]]頃 - [[1241年]]) - [[ピャスト朝]]の[[ポーランド君主一覧|ポーランド大公]](在位[[1238年]] - [[1241年]])・ワールシュタットの戦いで戦死 * [[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]([[1206年]] - [[1270年]]) - アールパード朝のハンガリー国王(在位[[1235年]] - [[1270年]])・モンゴル軍により荒廃したハンガリーを復興させる * [[アレクサンドル・ネフスキー]]([[1220年]] - [[1263年]]) - [[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド公]]・[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]](在位[[1252年]] - [[1263年]])・中世ロシアの英雄 * [[オタカル2世 (ボヘミア王)|オタカル2世]]([[1230年]]? - [[1278年]]) - プシェミスル朝のボヘミア王(在位[[1253年]] - [[1278年]])・ルドルフ1世と神聖ローマ皇帝位を争い戦死 ==== イタリア ==== * [[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]([[1161年]] - [[1216年]]) - [[ローマ教皇]](在位[[1198年]] - [[1216年]])・教皇権全盛期の教皇・ジョン王を屈服させる * [[グレゴリウス9世 (ローマ教皇)|グレゴリウス9世]]([[1143年]]? - [[1241年]]) - ローマ教皇(在位[[1227年]] - [[1241年]])・十字軍をめぐるフリードリヒ2世との確執で有名 * [[レオナルド・フィボナッチ]]([[1170年]]頃 - [[1250年]]頃) - イタリアの数学者・『[[算盤の書]]』でアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入 * ジャコモ・ダ・レンティーニ(? - [[1250年]]) - シチリア派の詩人・フリードリヒ2世の宮廷では公証人として活躍・[[ソネット]](十四行詩)の創始者 * [[アッシジのフランチェスコ]]([[1182年]] - [[1226年]]) - イタリアの修道士・フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)の創設者 * [[プラノ・カルピニ]]([[1182年]] - [[1252年]]) - フランシスコ会士・教皇[[インノケンティウス4世 (ローマ教皇)|インノケンティウス4世]]によってモンゴル帝国に派遣される * [[アッシジのキアラ]]([[1194年]] - [[1253年]]) - フランシスコ会女子修道会キアラ(クララ)会の創設者・「もう一人のフランチェスコ」と呼ばれる * [[パドヴァのアントニオ]]([[1195年]] - [[1231年]]) - ポルトガル生まれのフランシスコ会士・神学者・説教に優れ死後は[[教会博士]]となる * {{仮リンク|チェラーノのトマス|en|Thomas of Celano}}([[1200年]]頃 - [[1265年]]頃) - フランシスコ会士・フランチェスコの『第一伝記』と『第二伝記』を執筆・聖歌「[[怒りの日]]」も有名 * {{仮リンク|ヴェローナのペトルス|en|Peter of Verona}}([[1206年]]頃 - [[1252年]]頃) - ドミニコ会士・異端審問官・説教で異端を論破したがミラノ近郊で殺害され列聖される * {{仮リンク|ジョヴァンニ・ダ・プロチダ|en|John of Procida}}([[1210年]] - [[1298年]]) - 皇帝フリードリヒ2世の侍医・アラゴンや東ローマと組み・[[シチリアの晩禱]]事件を画策したか * {{仮リンク|ブルネット・ラティーニ|en|Brunetto Latini}}([[1210年]]頃 - [[1294年]]) - フィレンツェの政治家・詩人・[[ダンテ]]の師・当時の知識を網羅した百科全書『宝典』を編纂 * [[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]([[1210年]]頃 - [[1296年]]) - ローマ教皇(在位1294年)・有徳の修道士だったが急遽教皇に選出される・半年で退位し列聖される * [[ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ]]([[1220年]]頃 - [[1289年]]) - [[ピサ]]の海軍提督・[[ジェノヴァ]]とのメロリアの海戦で敗北・残酷な刑死は伝説や芸術で有名 * [[ボナヴェントゥラ]]([[1221年]]? - [[1274年]]) - 神学者・[[枢機卿]]・フランシスコ会総長・熾天使博士・著作に『精神の神への道程』ほかがある * [[トマス・アクィナス]]([[1225年]]頃 - [[1274年]]) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・天使博士・『[[神学大全]]』で盛期[[スコラ学]]を代表 * [[シャルル・ダンジュー]]([[1227年]] - [[1285年]]) - シチリア王(在位[[1266年]] - [[1282年]])・後にナポリ王(在位[[1282年]] - [[1285年]]) * [[ヤコブス・デ・ウォラギネ]]([[1230年]]? - [[1298年]]) - [[ジェノヴァ]]の大司教・説教者・年代記作家・中世有数の聖人伝『[[レゲンダ・アウレア|黄金伝説]]』を執筆 * [[ヤコポーネ・ダ・トーディ]]([[1230年]]頃 - [[1306年]]) - フランシスコ会士(聖霊派)・「[[スターバト・マーテル]]」などラウデ(宗教讃歌)で有名 * [[チマブーエ]]([[1240年]] - [[1302年]]) - [[フィレンツェ]]の[[ゴシック]]期の画家・弟子[[ジョット]]の才能を見抜いた逸話でも知られる * {{仮リンク|モンテクローチェのリコルド|en|Riccoldo da Monte di Croce}}([[1243年]]頃 - [[1320年]]) - イタリアのドミニコ会士・聖地巡礼をして西アジア各地を歴訪・『巡礼記』『護教論』がある * フォリーニョのアンジェラ([[1248年]] - [[1309年]]) - フランシスコ会女子修道会の修道女・主婦から転じて信仰生活に入り『幻視と教えの書』を残す * [[マルコ・ポーロ]]([[1254年]] - [[1324年]]) - ヴェネツィア商人・旅行家でモンゴル帝国各地を歴訪・『世界の記述(東方見聞録)』の著者 ==== イベリア半島 ==== * [[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]([[1155年]] - [[1214年]]) - [[カスティーリャ王]](在位[[1158年]] - [[1214年]])・[[ナバス・デ・トロサの戦い]]でムワッヒド朝に大勝 * [[ドミニコ|ドミニコ・デ・グスマン]]([[1170年]] - [[1221年]]) - スペインの修道士・ドミニコ会(説教者兄弟会)の創設者 * [[ロドリゴ・ヒメネス・デ・ラダ]]([[1170年]]頃 - [[1247年]]) - スペインの聖職者・[[トレド]]大司教・レコンキスタの連携を斡旋・{{仮リンク|トレド翻訳学派|en|Toledo School of Translators}}を支援 * ライムンド・ペニャフォル([[1175年]]頃 - [[1275年]]) - スペインの修道士・ドミニコ会総長・教皇グレゴリウス9世に従い『教会教令集』を編纂 * [[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]](征服王)([[1208年]] - [[1276年]]) - アラゴン王(在位[[1213年]] - [[1276年]])・イスラム領の[[バレアレス諸島]]や[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]を征服 * [[アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ10世]](賢王)([[1221年]] - [[1284年]]) - カスティーリャ国王(在位[[1251年]] - [[1282年]])・『[[アルフォンソ天文表]]』の編纂などで有名 * [[ペドロ3世 (アラゴン王)|ペドロ3世]]([[1239年]] - [[1285年]]) - アラゴン王(在位[[1276年]] - [[1285年]])・[[コンスタンサ・デ・シシリア|シチリア王女]]と結婚・[[シチリアの晩禱]]事件で[[シチリア王]]となる * [[モーシェ・デ・レオン]]([[1250年]] - [[1305年]]) - カスティーリャのユダヤ教徒[[ラビ]]・[[カバラ|カバリスト]]・『柘榴の書』『ゾーハル』の著作がある ==== フランス ==== * [[レーモン6世 (トゥールーズ伯)|トゥールーズ伯レーモン6世]]([[1156年]] - [[1222年]]) - 南フランスの諸侯・フランス国王による[[アルビジョワ十字軍]]に対抗する * {{仮リンク|盲目のイサク|en|Isaac the Blind}}([[1160年]]頃 - [[1235年]]) - 南フランスのユダヤ教[[ラビ]]・[[カバラ]]の「[[生命の樹 (旧約聖書)|生命の樹]](セフィロトの樹)」を体系化する * ギヨーム・ド・ロリス(? - [[1240年]]) - フランスの詩人・薔薇の蕾に心を奪われた若者の愛のアレゴリー『[[薔薇物語]]』正編の作者 * [[ヴィラール・ド・オヌクール]](活躍時期[[1230年]] - [[1250年]]頃) - フランスの建築家・残された画帖は[[ゴシック様式]]の貴重な文献 * {{仮リンク|ヘイルズのアレクサンデル|en|Alexander of Hales}}([[1170年]]/[[1185年]] - [[1245年]]) - パリ大学教授・神学者(不可抗博士)・フランシスコ学派の祖・著作に『神学大全』がある * {{仮リンク|オーヴェルニュのギヨーム|en|Guillaume d'Auvergne}}([[1180年]]頃 - [[1249年]]) - パリ司教・キリスト教神学にアリストテレスとイスラムの哲学を導入する * [[ブランシュ・ド・カスティーユ]]([[1188年]] - [[1252年]]) - フランス王ルイ8世の王妃・息子ルイ9世の幼少期と十字軍の不在の時期に摂政を務める * {{仮リンク|ヴァンサン・ド・ボーヴェ|en|Vincent of Beauvais}}([[1190年]]頃 - [[1264年]]) - フランスのドミニコ会士・中世随一の百科全書『大いなる鏡』三部作を執筆 * [[ペトルス・ペレグリヌス]](生没年不詳) - フランスの科学者・「磁気書簡(1269年)」で磁気の引力や磁化作用、南北極の区別について言及する * {{仮リンク|トマ・ド・カンタンプレ|en|Thomas of Cantimpré}}([[1201年]] - [[1274年]]) - フランドル出身のドミニコ会士・神学者・著作家としては『自然について』がある * [[ロベール・ド・ソルボン]]([[1201年]] - [[1274年]]) - フランスの司祭・神学部の学生のための学寮を設置・後年その名が「ソルボンヌ大学」に転じる * [[エティエンヌ・タンピエ]](? - [[1278年]]) - フランスのパリ司教・神学部での[[アリストテレス]]哲学講義に関し1270年と1277年に異端宣告を行う * [[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]](聖王)([[1214年]] - [[1270年]]) - フランス国王(在位[[1226年]] - [[1270年]])・[[第7回十字軍]]と[[第8回十字軍]]を指揮・チュニスで病没 * {{仮リンク|ムールベケのグイレルムス|en|William of Moerbeke}}([[1215年]]/[[1235年]]頃 - [[1286年]]頃) - フランスの翻訳者・アリストテレスの著作をギリシア語から直接翻訳しトマスに影響 * [[ウィリアム・ルブルック|ギヨーム・ド・リュブリキ]]([[1220年]]? - [[1293年]]?) - フランシスコ会士・聖王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]によりモンゴルに派遣され『東方諸国旅行記』を残す * [[ジャン・ド・ジョアンビル]]([[1224年]] - [[1317年]]) - フランスの伝記作家・第8回十字軍に従軍しルイ9世の伝記『聖王ルイの生涯』を執筆 * ジャン・ド・マン([[1240年]]頃 - [[1305年]]) - フランスの詩人・ギヨーム・ド・ロリスの正編を継いで『薔薇物語』続編を執筆する * ブラバンのシゲルス([[1240年]]頃 - [[1281年]]/[[1284年]]) - パリ大学の教授・[[イブン・ルシュド]](アヴェロエス)の哲学を導入し[[二重真理|二重真理説]]を提唱 * [[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]([[1245年]] - [[1285年]]) - フランス国王(在位[[1270年]] - [[1285年]])・[[シチリアの晩禱]]事件からアラゴン十字軍を起こす * {{仮リンク|ペトルス・ヨハネス・オリヴィ|en|Peter John Olivi}}([[1248年]] - [[1298年]]) - フランシスコ会士(厳格派)・売買や契約の概念に再検討を加える・『契約論』他がある * {{仮リンク|トゥールーズのルイ|en|Louis of Toulouse}}([[1274年]] - [[1297年]]) - フランシスコ会士・[[トゥールーズ]]司教・ナポリ王カルロ2世の息子・聖人 ==== イングランド ==== * [[ジョン (イングランド王)|ジョン]](欠地王) ([[1167年]] - [[1216年]]) - イングランド王(在位[[1199年]] - [[1216年]])・大陸領土を喪失・教皇に破門される・[[大憲章]]を承認 * [[ロバート・グロステスト]]([[1175年]]? - [[1253年]]) - イングランドのリンカーン司教・[[オックスフォード大学]]総長・光学や自然哲学に貢献 * {{仮リンク|マシュー・パリス|en|Matthew Paris}}([[1200年]]頃 - [[1259年]]) - イングランドの歴史家・セントオルバーンズ修道院に所属し『大年代記(クロニカ・マヨラ)』を執筆 * [[ヘンリー・ブラクトン]](? - [[1268年]]) - イングランドの[[ローマ法]]学者で聖職者・「国王といえども神と法の下にある」の句は有名 * [[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]([[1207年]] - [[1272年]]) - イングランド王(在位[[1216年]] - [[1272年]])・諸侯の反乱を受けて議会の設置に同意する * [[シモン・ド・モンフォール]]([[1208年]] - [[1265年]]) - イングランド貴族(第6代[[レスター伯]])・国王ヘンリー3世に対抗し議会を整備 * [[ロジャー・ベーコン]]([[1214年]] - [[1294年]]) - イングランドの[[哲学者]]・神学者・驚嘆博士・近代科学の先駆者とされる * [[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]([[1228年]]頃 - [[1282年]]) - イングランド王エドワード1世による征服以前の[[ウェールズ]]独立時代最後の公 * [[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]](長脛王)([[1239年]] - [[1307年]]) - イングランド王(在位[[1272年]] - [[1307年]])・[[ウェールズ]]を征服・[[模範議会]]を開く ==== スコットランド ==== * [[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]] ([[1189年]] - [[1249年]]) - アサル朝のスコットランド王(在位[[1214年]] - [[1249年]])・ヨーク条約で国境を画定 * [[アレグザンダー3世 (スコットランド王)|アレグザンダー3世]] ([[1241年]] - [[1286年]]) - アサル朝最後のスコットランド王(在位[[1249年]] - [[1286年]])・ヘブリディーズ諸島を獲得 * [[マーガレット (スコットランド女王)|マーガレット]] ([[1283年]] - [[1290年]])- スコットランド女王(在位[[1286年]] - [[1290年]])・アレグザンダー3世の外孫・夭折し王統は断絶 * [[ジョン・ベイリャル (スコットランド王)|ジョン・ベイリャル]] ([[1250年]] - [[1315年]]) - スコットランド王(在位[[1292年]] - [[1296年]])・イングランドに敗北し[[スクーンの石]]を奪われる ==== 神聖ローマ帝国 ==== * [[ハルトマン・フォン・アウエ]]([[1160年]]頃 - [[1210年]]頃) - 詩人・業病に侵された騎士と清純な乙女を描いた物語『[[哀れなハインリヒ]]』の作者 * [[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]([[1160年]]/[[1180年]]頃 - [[1220年]]以後) - 詩人・[[ミンネザング|ミンネザンガー]]・叙事詩『パルチヴァール』で有名 * [[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]]([[1170年]]頃 - [[1230年]]頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙情詩「菩提樹の下で」や政治詩がある * [[ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク]]([[1170年]]頃 - [[1210年]]頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙事詩『[[トリスタン]]』は長編だが未完で終了 * [[オットー4世 (神聖ローマ皇帝)|オットー4世]]([[1175年]] - [[1218年]]) - 神聖ローマ皇帝(在位[[1209年]] - [[1215年]])・ブーヴィーヌの戦いでジョン王と組んで敗北する * [[アイケ・フォン・レプゴー]]([[1180年]] - [[1235年]]) - 行政官・ドイツ語として最古の散文文書であり法書である『[[ザクセンシュピーゲル]]』を編纂 * {{仮リンク|ハイスターバッハのカエサリウス|en|Caesarius of Heisterbach}}([[1180年]]頃 - [[1240年]]頃) - シトー会修道士・奇談を多く含んだ聖人伝『奇跡についての対話』をまとめる * [[コンラート・フォン・マールブルク]]([[1180年]]/[[1190年]]頃 - [[1233年]]) - 異端審問官・聖女エリーザベトの告解師父・異端審問を憎まれ暗殺される * [[アルベルトゥス・マグヌス]]([[1193年]]頃 - [[1280年]]) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・普遍博士・トマス・アクィナスの師・錬金術でも有名 * [[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]([[1194年]] - [[1250年]]) - [[ホーエンシュタウフェン朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1215年]] - [[1250年]])・第6回十字軍に参加 * [[タンホイザー]](? - [[1265年]]以降) - 詩人・ミンネザンガー・[[フリードリヒ2世 (オーストリア公)|オーストリア公フリードリヒ2世]]に仕える・[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の[[オペラ]]の主人公でもある * [[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]([[1218年]] - [[1291年]]) - [[ハプスブルク家]]における最初の[[神聖ローマ帝国]]君主(ローマ王)(在位[[1273年]] - [[1291年]]) * [[ルトガルディス (聖人)|ルトガルディス]]([[1182年]] - [[1246年]]) - フランドルの[[シトー会]]修道女・神秘家・幻視や聖痕にまつわる生涯をまとめた聖人伝でも有名 * [[エルジェーベト (ハンガリー王女)|エリーザベト]]([[1207年]] - [[1231年]]) - ハンガリー王女・[[テューリンゲン方伯]][[ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)|ルートヴィヒ4世]]の妻・修道女となり死後列聖される * [[マクデブルクのメヒティルト]]([[1210年]] - [[1279年]]) - ベギン会の女性・後にヘルフタ修道院に居住・神秘家・著作に『神性の流れる光』がある * [[ハッケボルンのメヒティルト]]([[1240年]]/[[1241年]] – [[1298年]]/[[1299年]]) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『特別な恩寵の書』がある * [[ヘルフタのゲルトルード]]([[1256年]] - [[1302年]]) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『神の愛の使者』があり大ゲルトルードと呼ばれる ==== 北欧 ==== * [[スノッリ・ストゥルルソン]]([[1178年]]/[[1179年]] - [[1241年]]) - [[アイスランド]]の政治家・歴史家・『[[ヘイムスクリングラ]]』『[[スノッリのエッダ]]』を執筆 * [[ホーコン4世 (ノルウェー王)|ホーコン4世ホーコンソン]](老王)([[1204年]] - [[1263年]]) - ノルウェーの国王(在位[[1217年]] - [[1263年]])・国内体制を整え王国に最盛期をもたらす * ビルイェル・ヤール(? - [[1266年]]) - [[スウェーデン]]の政治家・[[北方十字軍]]を指揮・息子ヴァルデマールを国王に擁立しフォルクンガ朝の祖となる === 南アジア・チベット・東南アジア === * シャキャーシュリーバトラ([[1127年]] - [[1225年]]) - インドのヴィクラマシーラ寺院最後の学頭・寺院破却後はチベットに亡命し仏教を伝える * [[サキャ・パンディタ]]([[1182年]] - [[1251年]]) - [[チベット]]の[[サキャ派]]の座主・シャーキャシュリーパドラの法を継ぐ・パクパは甥 * {{仮リンク|マドヴァ|en|Madhvacharya}}([[1199年]] - [[1278年]]) - インドの思想家・ヴィシュヌ派からマドヴァ派を起こし[[シャンカラ]]派と対立・主著は『[[ブラフマ・スートラ]]注解』 * [[パクパ]](パスパ)([[1235年]] - [[1280年]]) - チベットのサキャ派の座主・元のクビライに招請され帝師となり[[パスパ文字]]を作成 * ナラシンハ・デーヴァ1世(? - [[1264年]]) - インドの[[東ガンガ朝]]の君主(在位[[1238年]] - [[1264年]])・[[コナーラクのスーリヤ寺院]]を建設 * [[ジャヤーヴァルマン8世]](? - [[1295年]]) - カンボジアのクメール朝第22代国王(在位[[1243年]] - [[1295年]])・廃仏を行う・周達観が来訪 * ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(? - [[1268年]]) - [[パーンディヤ朝]]の君主(在位[[1251年]] - [[1268年]])・貿易により最盛期を現出 * ルドラマ・デーヴィー(? - [[1289年]]/[[1295年]]) - [[カーカティーヤ朝]]の女性君主(在位[[1263年]] - [[1289年]]/[[1295年]]) ・善政と繁栄ぶりで有名 * マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(? - [[1309年]]) - パーンディヤ朝の君主(在位[[1268年]] - [[1309年]])・[[チョーラ朝]]を滅ぼして領土を拡大 * [[ラームカムヘーン]](大王)([[1239年]] - [[1317年]]) - タイの[[スコータイ朝]]第3代国王(在位[[1277年]] - [[1317年]])・[[タイ文字]]作成・[[上座部仏教]]を導入 === 東アジア === ==== 南宋・金・元 ==== * [[丘長春]](長春真人)([[1148年]] - [[1227年]]) - 金末期からモンゴル帝国初期の[[全真教]]の道士・[[王重陽]]の弟子 * [[済公]](済顛)([[1149年]] - [[1209年]]) - 南宋の禅僧・[[杭州]]の[[霊隠寺]]や[[浄慈寺]]で活躍・[[風狂]]の僧として伝説化される * [[韓侂冑]]([[1152年]] - [[1207年]]) - 南宋の[[中国の宰相|宰相]]・[[慶元の党禁]]で活躍・[[開禧北伐|開禧の北伐]]に失敗し処刑される * [[馬遠]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある * [[夏珪]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある * 桂万栄(生没年不詳) - 南宋の著作家・裁判実話集の『[[棠陰比事]]』を編纂し江戸時代以後の日本文学に影響を与えた * 陳淳([[1159年]] - [[1223年]]) - 南宋の思想家・[[朱熹]]の弟子・朱子学の基本概念をまとめた『北渓字義』を執筆 * [[史弥遠]]([[1164年]] - [[1233年]]) - 南宋の宰相・[[韓侂冑]]を倒し金と和議を結ぶ(嘉定の和議)・[[寧宗 (宋)|寧宗]]没後に[[理宗]]を擁立 * [[趙汝适]]([[1170年]] - [[1228年]]) - 南宋の官僚・著述家・[[泉州]]の[[市舶司]]の時にアラビア経由の情報から『[[諸蕃志]]』を執筆 * [[真徳秀]]([[1178年]] - [[1235年]]) - 南宋の政治家・皇帝[[理宗]]の側近として政治改革(端平更化)を行うが頓挫する * [[無準師範]]([[1178年]] - [[1249年]]) - 南宋の禅僧(仏鑑禅師)・中国五山第一[[径山寺|径山万寿寺]]の住持・弟子に[[無学祖元]]や[[牧谿]]がいる * [[無門慧開]]([[1183年]] - [[1260年]]) - 南宋の禅僧(仏眼禅師)・[[杭州]]の霊洞山護国仁王寺住持・公案集でもある『[[無門関]]』を編纂 * [[張即之]]([[1186年]] - [[1266年]]) - 南宋の官僚・書家・代表作に楷書「金剛般若波羅蜜経」がある・日本の禅林にもその書が招来される * [[耶律楚材]]([[1190年]] - [[1244年]]) - モンゴル帝国の官僚・[[遼]]の[[契丹族]]の末裔・戸籍や税制で功績があったか * [[元好問]]([[1190年]] - [[1257年]]) - 金の官僚・詩人・金滅亡後は遺民として『中州集』『壬辰雑編』などの著作を残す * {{仮リンク|李志常|zh|李志常}}([[1193年]] - [[1256年]]) - モンゴル帝国の道士・丘長春の弟子・『{{仮リンク|長春真人西遊記|zh|长春真人西游记}}』を執筆 * [[孟珙]]([[1195年]] - [[1246年]]) - 南宋の将軍・金の滅亡に貢献・[[モンゴル・南宋戦争|モンゴル帝国との戦い]]では南宋の防衛線を守り通す * [[郭侃]](? - [[1277年]]) - モンゴル帝国の将軍・[[フレグの西征]]や[[バグダードの戦い]]で活躍・後にフレグを離れクビライに仕える * {{仮リンク|謝太后|zh|謝道清}}([[1210年]] - [[1283年]]) - 南宋[[理宗]]の[[皇后]]・孫の[[恭帝 (宋)|恭帝]]の摂政となるが元に降伏し臨安を開城 * [[賈似道]]([[1213年]] - [[1275年]]) - 南宋末期の宰相・[[度宗]]のもとで専権を極める・[[モンゴル・南宋戦争|モンゴル南宋戦争]]で敗退し失脚 * [[蘭渓道隆]]([[1213年]] - [[1278年]]) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無明慧性の弟子)・[[鎌倉]][[建長寺]][[開山 (仏教)|開山]] * [[無学祖元]]([[1226年]] - [[1286年]]) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無準師範の弟子)・鎌倉[[円覚寺]]開山 * [[牧谿]](生没年不詳) - 南宋の禅僧(無準師範の弟子)・法名は法常・[[水墨画|水墨画家]]・「[[瀟湘八景]]図巻」などが日本に招来される * 玉澗(生没年不詳) - 南宋の禅僧(杭州天竺寺書記)・法名は若芬・水墨画家・「瀟湘八景図」や「廬山図」などが日本に招来される * 呉自牧(生没年不詳) - 南宋の文人・首都臨安の記録である『夢梁録』を執筆 * [[謝枋得]]([[1226年]] - [[1289年]]) - 南宋末期の政治家・学者・元には仕えずに唐宋の文章から『[[文章軌範]]』を撰述 * [[曾先之]](生没年不詳) - 南宋末期の学者・元には仕えずに正史の要約本『[[十八史略]]』を執筆 * [[呂文煥]](生没年不詳) - 南宋末期の軍人・襄陽の守将となり襄陽樊城の戦いで奮戦するも降伏・後に元軍に従い臨安開城などで活躍 * [[蒲寿庚]](生没年不詳) - 南宋から元の[[泉州市|泉州]]の貿易商人・アラブ系イスラム教徒・南宋を裏切り元の水軍司令官となる * [[アフマド・ファナーカティー]](? - [[1282年]]) - 元の財務官僚・ムスリム式の徴税制度を導入し実権を握るが反発を招き暗殺される * [[ジャマールッディーン]](? - [[1301年]]) - 元に仕えた天文学者・イラン出身・大都にイスラム式天文台を作り郭守敬に影響を与える * [[郭守敬]]([[1231年]] - [[1316年]]) - 元に仕えた水利事業家・天文学者・暦学者で「[[授時暦]]」を作成 * [[范文虎]](? - [[1301年]]) - 南宋から元の軍人・賈似道の娘婿・[[襄陽・樊城の戦い|襄陽包囲戦]]で降伏してから元に仕え日本討伐の江南軍司令官となる * [[銭選]]([[1235年]]頃 - [[1301年]]以降) - 南宋から元の文人画家・篆刻家・趙孟頫と交流するも元には仕えず・「宮女図」がある * [[陸秀夫]]([[1236年]] - [[1279年]]) - 南宋末期の宰相・[[崖山の戦い]]で[[祥興帝|帝昺]]とともに入水・亡宋の三傑の一人 * [[張世傑]](? - [[1279年]]) - 南宋末期の軍人・崖山の戦いの後に再起を図るが遭難死・亡宋の三傑の一人 * [[文天祥]]([[1236年]] - [[1282年]]) - 南宋の軍人・政治家・元朝に仕えることを拒否し刑死・亡宋の三傑の一人 * [[黄道婆]]([[1245年]]頃 - [[1330年]]頃) - 元の女性紡織家・[[崖州]]に赴き黎族から綿花の栽培と織布の技術を習得し故郷の[[松江]]に広める * [[一山一寧]]([[1247年]] - [[1317年]]) - 元の成宗[[テムル]]より遣わされた渡来僧・後に日本の建長寺ほかの住持を歴任 * [[馬致遠]]([[1250年]] - [[1321年]]) - 元の劇作家・匈奴に降嫁した王昭君の故事を題材とする[[元曲]]「[[漢宮秋]]」の作者 * [[趙孟頫]]([[1254年]] - [[1322年]]) - 南宋から元の政治家・書家・画家・宋王室の一族・著作に『松雪斎集』がある * [[鮮于枢]]([[1257年]] - [[1302年]]) - 元の政治家・書家・詩人・著作に『困学斎集』がある * [[王実甫]]([[1260年]] - [[1336年]]) - 元の劇作家・書生張君瑞と宰相の娘崔鶯鶯の恋愛を題材とする元曲「[[西廂記]]」の作者 * [[周達観]]([[1266年]] - [[1346年]]) - 元からクメール朝カンボジアに派遣された使節・『[[真臘風土記]]』を著し「富貴真臘」と讃える ==== 大越 ==== * [[陳興道]]([[1228年]] - [[1300年]]) - 大越陳朝の王族・[[陳仁宗]]を補佐し総司令官となる・元軍を[[白藤江の戦い (1288年)|白藤江の戦い]]で撃破 ==== 高麗 ==== * [[高宗 (高麗王)|高宗]]([[1192年]] - [[1259年]]) - 第23代高麗王(在位[[1213年]] - [[1259年]])・モンゴルに服属・[[高麗八万大蔵経]]でも有名 * [[一然]]([[1206年]] - [[1289年]]) - 高麗の禅僧(普覚国尊一然)・朝鮮三国時代の重要史料である『[[三国遺事]]』を撰述する * [[洪茶丘]]([[1244年]] - [[1291年]]) - 高麗出身の武人・後に元朝に仕え[[三別抄]]の反乱の鎮圧や二度にわたる日本遠征に従事 === 日本 === * [[法然]]([[1133年]] - [[1212年]]) - [[浄土宗]]開祖・専修念仏を唱え『[[選択本願念仏集]]』を著す・親鸞の師 * [[北条時政]]([[1138年]] - [[1215年]]) - 鎌倉幕府初代執権(在位[[1203年]] - [[1205年]])・梶原氏や比企氏を幕政から排除 * [[比企能員]](? - [[1203年]]) - [[御家人]]・[[右衛門尉]]・将軍源頼家の乳母父・北条氏と対立し[[比企能員の変]]で滅ぼされる * [[明菴栄西]]([[1141年]] - [[1215年]]) - [[臨済宗]]開祖・『興禅護国論』の著者・京都[[建仁寺]]ならびに鎌倉[[寿福寺]]開山 * [[運慶]](? - [[1224年]]) - [[仏師]]・[[快慶]]らとともに[[慶派]]を大成・[[東大寺]][[南大門]][[金剛力士]]像などが代表作 * [[藤原隆信]]([[1142年]] - [[1205年]]) - [[歌人]]・画家として伝「[[源頼朝]]像」など[[似絵]]を描いたとされる * [[和田義盛]]([[1147年]] - [[1213年]]) - 鎌倉幕府[[侍所]]別当・有力御家人であったが[[和田合戦]]で敗北し一族は滅亡 * [[大江広元]]([[1148年]] - [[1225年]]) - 源頼朝の側近・鎌倉幕府の[[政所]]初代別当・承久の乱では主戦論を唱える * [[慈円]]([[1155年]] - [[1225年]]) - [[天台宗]]の僧([[天台座主]])・歌人・九条兼実の同母弟・『愚管抄』の著者 * [[貞慶]]([[1155年]]- [[1213年]]) - [[法相宗]]の僧・[[笠置寺]]や[[海住山寺]]を再興・「解脱上人」と呼ばれる * [[鴨長明]]([[1155年]] - [[1216年]]) - [[神官]]・歌人・随筆『[[方丈記]]』の著者・歌論書『[[無名抄]]』や説話『[[発心集]]』もある * [[藤原兼子]]([[1155年]] - [[1229年]]) - 後鳥羽院の乳母・通称は卿局・鎌倉幕府との交渉に手腕を発揮し院政に重きをなす * [[北条政子]]([[1157年]] - [[1225年]]) - 源頼朝の正室・頼家と実朝の母・「尼将軍」と呼ばれ実朝暗殺以後の幕政を指導 * [[藤原定家]]([[1162年]] - [[1241年]]) - [[公卿]]・権中納言・歌人で『新古今和歌集』『[[新勅撰和歌集]]』を編纂 * [[北条義時]]([[1163年]] - [[1224年]]) - 鎌倉幕府第2代執権(在位[[1205年]] - [[1224年]])・承久の乱で勝利する * [[三浦義村]](? - [[1239年]]) - 鎌倉幕府侍所所司・評定衆・有力御家人として北条氏に次ぐ宿老とされる * [[畠山重忠]]([[1164年]] - [[1205年]]) - [[御家人]]・「坂東武士の鑑」と称されたが[[畠山重忠の乱]]で滅ぼされる * [[俊芿]]([[1166年]] - [[1227年]]) - [[真言宗]]の僧・渡宋の後に[[泉涌寺]]を再興・「月輪大師」と呼ばれる * [[西園寺公経]]([[1171年]] - [[1244年]]) - 公卿・[[太政大臣]]・[[西園寺家]]の祖・[[関東申次]]として承久の乱後の朝廷を支配 * [[親鸞]]([[1173年]] - [[1262年]]) - [[浄土真宗]]開祖・法然の弟子・『[[教行信証]]』の著者・[[本願寺]][[大谷家]]の祖 * [[明恵]]([[1173年]] - [[1232年]]) - [[華厳宗]]の僧・[[栂尾]]の[[高山寺]]開山・戒律の復興に尽くし『[[摧邪輪]]』や『夢記』を残す * [[後鳥羽天皇]]([[1180年]] - [[1239年]]) - 第82代[[天皇]](在位[[1185年]] - [[1198年]])・[[太上天皇|上皇]]となり承久の乱を起こす * [[源頼家]]([[1182年]] - [[1204年]]) - 鎌倉幕府第2代将軍(在任[[1202年]] - [[1203年]])・[[伊豆]][[修禅寺]]にて殺害される * [[北条泰時]]([[1183年]] - [[1242年]]) - 鎌倉幕府第3代執権(在任[[1224年]] - [[1242年]])・「御成敗式目」を制定 * [[慶政]]([[1189年]] - [[1268年]]) - 天台宗の僧・西山法華山寺開山・『渡宋記』『漂到琉球国記』のほか『[[閑居友]]』の作者ともされる * [[源実朝]]([[1192年]] - [[1219年]]) - 鎌倉幕府第3代将軍(在任[[1203年]] - [[1219年]])・私家集に『[[金槐和歌集]]』がある * [[九条道家]]([[1193年]] - [[1252年]]) - 公卿・摂政・関白・[[四条天皇]]の外祖父で将軍頼経の父として実権を握る・[[東福寺]]を建立 * [[順徳天皇]]([[1197年]] - [[1242年]]) - 第84代天皇(在位[[1210年]] - [[1221年]])・承久の乱で[[佐渡島|佐渡]]に流刑・『[[禁秘抄]]』を残す * [[少弐資能]]([[1198年]] - [[1281年]]) - 御家人・鎌倉幕府の[[鎮西奉行]]・大宰少弐・元寇では日本側の総司令官となる * [[道元]] ([[1200年]] - [[1253年]]) - [[曹洞宗]]開祖・入宋して禅を学ぶ・『[[正法眼蔵]]』の著者・越前[[永平寺]]開山 * [[叡尊]]([[1201年]] - [[1290年]]) - [[真言律宗]]の僧・[[奈良]][[西大寺 (奈良市)|西大寺]]の復興を果たす・諡号は興正菩薩 * [[円爾]]([[1202年]] - [[1280年]]) - 臨済宗の僧・入宋して無準師範の法を嗣ぐ・京都[[東福寺]]開山・諡号は聖一国師 * [[仙覚]]([[1203年]]? - [[1272年]]以降) - 天台宗の僧・将軍[[藤原頼経]]の命で『万葉集』諸本の校合し『萬葉集註釈(仙覚抄)』を執筆 * [[心地覚心]]([[1207年]] - [[1298年]]) - 臨済宗の僧・[[紀伊国]][[興国寺 (和歌山県由良町)|興国寺]]開山・[[無門慧開]]の法を継ぎ『[[無門関]]』を招来・[[径山寺味噌]]や[[普化宗]]でも有名 * [[謝国明]](? - [[1253年]]以前) - 貿易商人・[[杭州]]出身の宋人で博多綱首・博多[[承天寺]]の建立や杭州[[径山寺]]復興などで活躍 * [[忍性]]([[1217年]] - [[1303年]]) - 真言律宗の僧・叡尊の弟子で鎌倉[[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]]開山・病者や[[非人]]の救済に尽くす * [[藤原頼経]]([[1218年]] - [[1256年]]) - 鎌倉幕府第4代将軍(在任[[1226年]] - [[1244年]])・摂家の[[九条道家]]の子 * [[藤原頼嗣]]([[1239年]] - [[1256年]]) - 鎌倉幕府第5代将軍(在任[[1244年]] - [[1252年]])・第4代将軍頼経の子 * [[後嵯峨天皇]]([[1220年]] - [[1272年]]) - 第88代天皇(在位[[1242年]] - [[1246年]])・[[持明院統]]と[[大覚寺統]]の両統分裂をもたらす * [[日蓮]]([[1222年]] - [[1282年]]) - [[日蓮宗]]開祖・『[[立正安国論]]』の著者・[[身延山]][[久遠寺]]ならびに[[池上本門寺]]開山 * [[阿仏尼]]([[1222年]]? - [[1283年]]) - [[女院]]付きの[[女房]](安嘉門院四条)・女流歌人・『[[十六夜日記]]』ほかを残す * [[北条実時]]([[1224年]] - [[1276年]]) - 北条氏一門の[[金沢流北条氏|金沢流]]の祖・[[引付衆]]や[[評定衆]]を歴任・[[金沢文庫]]の創設者 * [[北条時頼]]([[1227年]] - [[1263年]]) - 鎌倉幕府第5代執権(在任[[1246年]] - [[1256年]])・[[宝治合戦]]で勝利し幕政を安定させる * [[安達泰盛]]([[1231年]] - [[1285年]]) - [[御家人]]・時宗死後に[[弘安徳政]]を指導するが[[霜月騒動]]で落命する * [[一遍]]([[1239年]] - [[1289年]]) - [[時宗]]開祖・遊行による「踊念仏」を勧める・「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」でも有名 * [[凝然]]([[1240年]] - [[1321年]]) - 華厳宗の僧・東大寺戒壇院住持・著述は1200巻にも及ぶ・『八宗綱要』は仏教研究に不可欠の文献 * [[宗尊親王]]([[1242年]] - [[1274年]]) - 鎌倉幕府第6代将軍(在任[[1252年]] - [[1266年]])・後嵯峨天皇の皇子で最初の皇族将軍 * [[竹崎季長]]([[1246年]] - ?) - [[御家人]]・元寇で奮戦するも恩賞不足に苦しむ・「[[蒙古襲来絵詞]]」で知られる * [[北条時宗]]([[1251年]] - [[1284年]]) - 鎌倉幕府第8代執権(在任[[1268年]] - [[1284年]])・幕府の中枢にあって元寇を斥ける * [[浅原為頼]](? - [[1290年]]) - 武将・甲斐源氏小笠原の一族・[[伏見天皇]]暗殺を謀り宮中に乱入・失敗して自殺する([[浅原事件]]) * [[平頼綱]](? - [[1293年]]) - [[内管領]]・霜月騒動に勝利し権力を握るが[[平禅門の乱]]で落命する * [[惟康親王]]([[1264年]] - [[1326年]]) - 鎌倉幕府第7代将軍(在任[[1266年]] - [[1289年]])・第6代将軍宗尊親王の子 * [[北条貞時]]([[1271年]] - [[1311年]]) - 鎌倉幕府第9代執権(在任[[1284年]] - [[1301年]])・得宗権力を拡大し[[永仁の徳政令]]を出す * [[久明親王]]([[1276年]] - [[1328年]]) - 鎌倉幕府8代将軍(在任[[1289年]] - [[1308年]])・[[後深草天皇]]の皇子 == 架空のできごと == * 1204年 - [[第四回十字軍]]による[[コンスタンティノポリス]]占領の混乱で窮地に追い詰められた東ローマ帝国の高官・歴史家[[ニケタス・コニアテス]]は危機一髪のところをラテン人バウドリーノに救出される。バウドリーノは奇想天外な人生の顛末をニケタスに語り始める([[ウンベルト・エーコ]]『バウドリーノ』)。 * 1205年 - [[栂ノ尾]][[高山寺]]の[[明恵]]が入唐渡天を志し、[[春日明神]]に暇乞いをする。一人の翁が現れて明恵の出立を止めるように申し入れる。老人は春日神社の使者で、[[八大龍王]]が眷属を引き連れて現れ、諸仏が居並ぶ中で釈迦が説法をする様子を見せると、明恵はこの奇跡を見て入唐渡天を思い止まる(能「春日龍神」)。 * 1213年 - 北条氏に反発した侍所別当[[和田義盛]]らが反乱を起こし([[和田合戦]])、和田一族の多くが滅せられる中で、義盛の三男[[朝比奈義秀|朝比奈三郎義秀]]は生き残り[[安房国]]に出奔。この後、高麗に渡ったという伝説のほか小人の島や馬人の島を訪ねたとも伝えられ、果ては地獄をめぐり閻魔大王と対決したという伝承も残されている(「朝比奈三郎伝説」)。 * 1216年以前 - [[ノッティンガム]]南方に位置する[[ゴータム|ゴタム村]]に、悪名高いジョン王が道路を貫通させようと狙っていた。王の使者が視察に来たところ、村人たちは世にも愚かしい行為を繰り広げることでジョン王の使者を辟易させ、計画を撤回させたので「{{仮リンク|ゴタム村の賢人たち|en|Wise Men of Gotham}}」と呼ばれた(イングランドの昔話。後には[[マザーグース]]の[[童歌]]にもなる)。 * 1216年 - 1227年 - ローマ教皇[[ホノリウス3世]]は諸学を修め多方面の学識に富む人物であったが、魔術にも精通しており[[グリモワール]]と呼ばれる魔術書の一つ『教皇ホノリウスの奥義書』を執筆する(この著作は教皇ホノリウス3世に仮託した17世紀の魔術本である)。 * 1220年頃 - [[アルプス]]を南北につなぐ[[ゴッタルド峠]]はかねてから交通の難所で、ある牧人が悪魔に頼み込んで特別な橋を架けてもらう。悪魔はその引き換えに生贄を要求するが、機転を利かした牧人によって悪魔は退けられる([[ゴッタルド峠]]の[[魔橋]]伝説)。 * 1239年以降 - [[ギベリン|皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)]]の対立する[[ヴェローナ]]で、モンタギュー家の息子[[ロミオとジュリエット|ロミオ]]と、キャピュレット家の娘[[ロミオとジュリエット|ジュリエット]]の惹かれあう想いは、両家の因縁の対立から阻まれ、やがて悲劇的な結末を辿っていく([[ウィリアム・シェークスピア]]の悲劇)。 * 1249年以前 - 聖一国師[[円爾]]が日本に禅を招来したことにより、日本の[[菅原道真]]が中国の南宋に渡り、[[径山万寿寺]]の[[無準師範]]のもとで学び衣鉢を継いだ。道真は中国の文人の姿となり梅花を手に持つ像が描かれた(「渡唐天神伝説」、[[花山院長親]]『両聖記』)。 * 1256年 - モンゴル帝国皇帝のクーブラ・カーン([[クビライ]]・カアン)が、聖なるアルフ河の流れに沿って、城壁城塔がそびえたつ、そして甘美な花咲きそろう庭園を持つ歓楽の都[[ザナドゥ]]を建立していく。イギリスの詩人[[サミュエル・テイラー・コールリッジ|コールリッジ]]は、1797年のとある日、麻薬を吸引したままこの幻想的な夢を見、その光景に目を奪われた(サミュエル・テイラー・コールリッジ『クーブラ・カーン』)。 * 1256年以降 - 1263年以前 - 僧形となった[[北条時頼]]が諸国遍歴の途上、下野の[[御家人]][[佐野源左衛門|佐野源左衛門尉常世]]の館で一夜の宿をとる。源左衛門は自ら梅・松・桜の鉢植えの木を火にくべて精いっぱいのもてなしをしつつ「落ちぶれてはいても、何事かあれば「いざ鎌倉」と駆けつける」との気概を語る([[謡曲]]『[[鉢の木]]』)。 * 1261年 - 1264年 - 愛欲生活を続けてきた[[タンホイザー]]が教皇[[ウルバヌス4世 (ローマ教皇)|ウルバヌス4世]]に懺悔するが、教皇は自分の持つ枯れ木の杖から芽が出るまで救われることはないと告げる。悲嘆に暮れるタンホイザーがその場を立ち去ると、教皇の杖から新たな芽が生えてきたが、ついに彼を見つけ出すことはできなかった(「タンホイザー」伝説)。 * 1271年/1275年 - 1292年 - [[元 (王朝)|元]]の[[クビライ]]・カアンに仕えた[[マルコ・ポーロ]]が各地を巡り「死者たちとすれ違う都市」「名前の上にのみ育つ都市」「蜘蛛の巣都市」などの不思議な街を紹介する([[イタロ・カルヴィーノ]]『見えない都市』)。 * 1272年 - [[鎌倉]][[建長寺]]の裏山で老いた寺男安里(あんり)が、大覚禅師([[蘭渓道隆]])により日本に連れて来られる以前はフランスの牧童で[[少年十字軍]]に加わっていたことを語りだす([[三島由紀夫]]『[[海と夕焼]]』)。 * 1282年 - フランス人支配に不満が高まっているシチリア島で、前シチリア王の妹エレーナと島の若者のアッリーゴは身分違いもあってその恋愛はうまく成就しない。複雑な経緯があってやがてこの二人は「[[シチリアの晩鐘]]」事件に巻き込まれていく([[ジュゼッペ・ヴェルディ]]のオペラ「[[シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)|シチリアの晩鐘]]」)。 * 1285年 - 道ならぬ恋により[[リミニ]]領主ジョヴァンニ・マラテスタの怒りを買った、その妻[[フランチェスカ・ダ・リミニ|フランチェスカ]]とその弟[[パオロ・マラテスタ|パオロ]]は、ともに殺害され愛欲の地獄に落ちてからも、黒い風に吹き流され永遠にさまよい続けている([[ダンテ・アリギエーリ]]『[[神曲]]』地獄篇第二圏)。 * 1294年 - [[愛知県]][[志段味村]](現[[名古屋市]][[守山区]])の出土品として紹介された鎌倉時代の[[古瀬戸]]は「[[永仁]]二年(1294年)」の名を持つことから「永仁の壺」と称され、1959年(昭和34年)には国の重要文化財に指定された(実際にはこの壺は現代陶芸家[[加藤唐九郎]]の贋作で、美術史学界・古美術界・文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなった。詳細は「[[永仁の壺事件]]」を参照のこと)。 * 1300年 - [[聖金曜日]]に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、[[地獄]]・[[煉獄]]・[[天国]]遍歴が始まる(ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇冒頭)。 * 13世紀から14世紀 - モンゴルの支配が及ばない都市[[ノブゴロド]]の冒険商人であった[[サドコ|サトコ]]は、航海途上で船が立ち往生したことで生贄とされ、その身は海に投じられた。海の帝王の怒りを宥めるためサトコは懸命に歌い、それがもとで帝王の娘ヴァルホヴァとの結婚が許される([[ニコライ・リムスキー=コルサコフ]]の[[オペラ]]『[[サトコ (オペラ)|サトコ]]』、原作はロシアの口承叙事詩([[ブィリーナ]]))。 <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[年表]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{十年紀と各年| 世紀 = 13 | 年代 = 1200 }} {{世紀}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:13せいき}} [[Category:13世紀|*]]
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1229年
1229年(1229 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1229年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1229}} {{year-definition|1229}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安貞]]3年、[[寛喜]]元年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1889年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[紹定]]2年 *** [[廖森]] : [[重徳]]元年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[正大]]6年 *** [[大真国]] : [[大同 (蒲鮮万奴)|大同]]6年 * 中国周辺 ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太宗([[オゴデイ]])元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[高宗 (高麗王)|高宗]]16年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3562年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[建中 (陳朝)|建中]]5年 * [[仏滅紀元]] : 1771年 - 1772年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 626年 - 627年 * [[ユダヤ暦]] : 4989年 - 4990年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1229|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:1229年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月13日]] - [[ルートヴィヒ2世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]、[[バイエルン大公|上バイエルン公]]、[[ライン宮中伯]] (+ [[1294年]]) * [[安達頼景]]、[[鎌倉時代]]の[[御家人]] (+ [[1292年]]) * [[九条忠家]]、鎌倉時代の[[公卿]] (+ [[1275年]]) * [[四条頼基]]、鎌倉時代の[[武士]] (+ [[1296年]]) * [[英祖 (琉球国王)|英祖]] - [[琉球国王]]、[[英祖王統]]初代王(+ [[1299年]]) == 死去 == {{see also|Category:1229年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[8月25日]] (寛喜元年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[花山院忠経]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]] (* [[1173年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1229}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1229ねん}} [[Category:1229年|*]]
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1867年
1867年(1867 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定。それに伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用を禁止。
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1867年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1867}} {{year-definition|1867}} == 他の紀年法 == * 干支:[[丁卯]] * [[日本]]([[天保暦]]) ** [[慶応]]2年[[11月26日 (旧暦)|11月26日]] - 慶応3年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]] ** [[皇紀]]2527年 * [[清]]:[[同治]]5年11月26日 - 同治6年12月6日 * [[朝鮮]] <!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし--> ** [[李氏朝鮮]] : [[高宗 (朝鮮王)|高宗]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4200年 * [[阮]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]20年 * [[仏滅紀元]]:2409年 - 2410年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1283年8月24日 - 1284年9月5日 * [[ユダヤ暦]]:5627年4月24日 - 5628年4月5日 * [[修正ユリウス日]](MJD):2967 - 3331 * [[リリウス日]](LD):103808 - 104172 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定。それに伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用を禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1867}} == できごと == === 1月 === * [[1月8日]] - 米国[[ワシントンD.C.|コロンビア特別区]]で黒人が選挙権を獲得。 * [[1月10日]]([[慶応]]2年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]) - [[徳川慶喜]]が第15代[[征夷大将軍]]に就任。 * [[1月30日]](慶応2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[孝明天皇]]崩御(発表 慶応2年12月29日)。 === 2月 === * [[2月12日]] - [[北ドイツ連邦]]憲法制定議会の選挙。[[自由主義]][[右翼|右派]]政党[[国民自由党 (ドイツ)|国民自由党]]が第一党。 * [[2月13日]](慶応3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) ** 睦仁親王践祚([[明治天皇]])。 ** [[ヨハン・シュトラウス2世]]ワルツ「[[美しく青きドナウ]]」初演([[ウィーン]])。 * [[2月15日]](慶応3年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[徳川昭武]]・[[渋沢栄一]]ら幕府代表として[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万博]]視察のためフランスに向けて出発。 * [[2月17日]] - 最初の船が[[スエズ運河]]を通過。 * [[プロイセン]]首相[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の後押しで南ドイツ三国([[バイエルン王国|バイエルン]]、 [[ヴュルテンベルク王国|ヴュルテンベルク]]、[[バーデン大公国|バーデン]])が[[シュトゥットガルト]]で会議し、プロイセン型軍制改革を決議。 === 3月 === * [[3月1日]] - 米国で[[ネブラスカ州|ネブラスカ]]が37番目に州となる。 * [[3月16日]] - [[ジョゼフ・リスター]]が[[消毒]]手術法を発表。 * [[3月29日]] ** 英国で[[英領北アメリカ法]]勅許(7月1日に自治領カナダ成立を承認)。 ** 米国議会が[[リンカーン記念堂|リンカーン記念碑協会]]を承認。 * [[3月30日]] - 米国が[[ロシア帝国]]よりアラスカを購入。 * 北ドイツ連邦首相ビスマルクとフランス皇帝[[ナポレオン3世]]の間で{{仮リンク|ルクセンブルク危機|en|Luxembourg Crisis}}。 === 4月 === * [[4月1日]] ** パリ万国博覧会開幕(10月31日まで): 日本が初展示。 ** [[シンガポール]]等[[海峡植民地]]が英国植民地省の直轄となる。 * [[4月7日]](慶応3年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[横須賀製鉄所]]ドック起工(1871年竣工)。 * [[4月16日]] - [[北ドイツ連邦憲法]]制定(7月1日公布)。 * [[4月27日]] - [[シャルル・グノー]]オペラ「[[ロメオとジュリエット (グノー)|ロメオとジュリエット]]」初演([[パリ]])。 === 5月 === * [[5月7日]] - [[アルフレッド・ノーベル]]が[[ダイナマイト]]の初特許を英国で取得(1866年発明)。 * [[5月11日]] - ルクセンブルク危機をめぐって{{仮リンク|1867年ロンドン会議|label=ロンドン会議|en|London Conference of 1867}}。[[ロンドン条約 (1867年)|ロンドン条約]]が締結されて[[ルクセンブルク]]は[[永世中立国]]となるも普仏関係は最悪の状態へ。 * [[5月20日]] ** 英国議会が[[ジョン・スチュアート・ミル]]提議の[[婦人参政権]]案を否決。 ** [[ロイヤル・アルバート・ホール]]起工式([[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]])。 * [[5月29日]] - [[オーストリア=ハンガリー帝国]]成立([[アウスグライヒ]])。 === 6月 === * [[6月8日]] - オーストリア皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]がハンガリー王としても戴冠。 * [[6月19日]] - [[メキシコ帝国]]皇帝[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]が銃殺刑に処される。 * [[6月20日]] - [[アンドリュー・ジョンソン|ジョンソン]]米大統領が[[アラスカ購入]]を公表。 * [[江戸幕府]]が条約締結国の国民と[[日本人]]との婚姻を許可する通達を出す。 === 7月 === * [[7月1日]] - 自治領[[カナダ]]成立。 * [[7月14日]](慶応3年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[浦上四番崩れ]]。 * [[7月15日]] - [[ベニート・フアレス]]が[[メキシコ]]の[[共和制]]への復帰を宣言。 * [[7月16日]] - [[ジョゼフ・モニエ]]([[:fr:Joseph Monier|Joseph Monier]]) が[[鉄筋コンクリート]]の特許を取得。 * [[7月17日]] - [[ハーバード歯科医学校|ハーバード大学歯学部]]創立(米国初の歯学部)。 * [[7月25日]] - ルシアン・スミス(Lucien B. Smith)が[[有刺鉄線]]の米国特許を取得。 * [[7月29日]](慶応3年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - 一條美子(後の[[昭憲皇太后]])が[[明治天皇]]の[[女御]]に決定。 === 8月 === * [[8月4日]](慶応3年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - 築地[[外国人居留地]]着工。 * [[8月15日]] - [[イギリス]]で1867年改正選挙法施行。 * [[8月28日]](慶應3年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) ** [[中岡慎太郎]]が[[陸援隊]]を組織。 ** 米国が[[ミッドウェー島]]領有を宣言。 * (慶応3年7月) - [[ええじゃないか]]が始まる。 === 9月 === * [[9月2日]] – 日本の[[明治天皇]]が[[昭憲皇后]]と結婚する。 [[皇后]]は春子と名を改める。 * [[9月4日]] – [[シェフィールド水曜日]]が[[シェフィールド]]の[[アデルフィ・ホテル]]で設立される。 * [[9月14日]] – 『[[資本論]]』の第 1 巻が、[[カール・マルクス・ホーフ|カール・マルクス]]によって出版される。 * [[9月30日]] – アメリカが[[ミッドウェイ島]]を制圧。 === 10月 === * [[10月1日]] - [[カール・マルクス]]『[[資本論]]』第1部刊行。 * [[10月9日]](慶応3年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - 江戸・大坂間に蒸気飛脚船開設。 * [[10月16日]] - [[アラスカ州|アラスカ]]で[[グレゴリオ暦]]導入。 * [[10月18日]] - アラスカの所有権が公式に米国に変更([[:en:Alaska Day|Alaska Day]])。 * [[10月19日]] - [[アルフレッド・ノーベル]]が[[ダイナマイト]]の特許を[[スウェーデン]]でも取得(英国特許取得は5月7日)。 * [[10月22日]] - [[ナルシス・ムントリオル]]がバルセロナ港の海中で、潜水艇[[イクティネオII]]に搭載された世界初の非大気依存推進機関の試運転を行う。 * [[10月29日]](慶応3年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[大政奉還]]: 土佐藩が徳川慶喜へ建白書を提出。 === 11月 === * 11月1日(慶応3年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[岩倉具視]]が[[大久保利通]]と[[品川弥二郎]]へ錦の御旗を製作するよう命ず。図案は[[玉松操]]が担当。 * [[11月9日]](慶応3年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - 大政奉還: 徳川慶喜が明治天皇へ上奏文を提出。薩摩藩と長州藩に討幕の密勅が下される。 * [[11月10日]](慶応3年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - 大政奉還: 明治天皇が勅許し大政奉還成立。 * [[11月16日]](慶応3年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]) - 大政奉還: 徳川慶喜が大政奉還を布告。[[討幕の密勅]]が撤回される。 * [[11月19日]](慶応3年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - 大政奉還: 徳川慶喜が征夷大将軍を辞す。 === 12月 === * [[12月10日]](慶応3年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[坂本龍馬]]・[[中岡慎太郎]]暗殺される([[近江屋事件]])。 * [[12月13日]](慶応3年[[11月18日 (旧暦)|11月18日]]) - [[伊東甲子太郎]]が暗殺される([[油小路事件]])。 <!--* [[12月23日]]‐[[江戸城]][[江戸城#二ノ丸御殿|二の丸]]が焼失。--><!--旧暦12月23日であり、西暦では翌1868年になる。--> <!--* 12月9日-王政復古(慶応3年)--><!--旧暦12月9日であり、西暦では翌1868年になる。--> === 日付不詳 === * [[オレンジ自由国]][[キンバリー]]で[[ダイアモンド]]鉱床が発見される <!-- 1866年12月 - 1867年2月にErasmus Jacobs が発見とする文献あり--> * フランス領[[コーチシナ]]成立<!--元6月となっていたが、他言語版その他文献に見あたらず,不詳とした --> == 誕生 == {{see also|Category:1867年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]](慶応2年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]) - [[床次竹二郎]]、[[官僚]]・[[政治家]](+ [[1935年]]) * [[1月8日]] - [[エミリー・グリーン・ボルチ]]、[[アメリカ合衆国]]の[[作家]](+ [[1961年]]) * [[1月17日]] - [[カール・レムリ]]、[[ユニヴァーサル映画]]創設者(+ [[1939年]]) * [[1月18日]] - [[ルベン・ダリオ]]、[[ニカラグア]]の[[詩人]](+ [[1916年]]) * [[1月19日]] - [[ジャン・デルヴィル]]、[[美術家]](+ [[1953年]]) * [[1月21日]] - [[マキシム・ウェイガン]]、[[フランス]]の[[軍人]](+ [[1965年]]) * [[2月7日]] - [[ローラ・インガルス・ワイルダー]]、アメリカの[[小説家]]、「[[大草原の小さな家]]」など「インガルス一家の物語」作者(+ [[1957年]]) * [[2月9日]](慶応3年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[夏目漱石]]、[[小説家]]・[[イギリス文学者]](+ 1916年) * [[2月21日]](慶応3年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[金須嘉之進]]、[[音楽家]](+ [[1951年]]) * [[2月22日]](慶応3年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[宮武外骨]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1955年]]) * [[2月27日]] - [[ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル]]、[[スウェーデン]]の[[作曲家]](+ [[1942年]]) * [[3月6日]] - [[サミュエル・フランクリン・コーディ]]、[[アメリカ合衆国]]の航空パイオニア(+ [[1913年]]) * [[3月19日]](慶応3年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[豊田佐吉]]、[[豊田自動織機]]創業者(+ [[1930年]]) * [[3月22日]](慶応3年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[山崎朝雲]]、[[彫刻家]](+ [[1954年]]) * [[3月23日]](慶応3年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[原嘉道]]、官僚・[[弁護士]]・[[法学者]]・政治家(+ [[1944年]]) * [[3月25日]] - [[アルトゥーロ・トスカニーニ]]、[[指揮者]](+ 1957年) * 3月25日 - [[ガットスン・ボーグラム]]、[[彫刻家]](+ [[1941年]]) * [[3月29日]] - [[サイ・ヤング]]、元[[メジャーリーガー]](+ 1955年) * [[4月1日]](慶応3年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[望月圭介]]、政治家(+ 1941年) * [[4月2日]](慶応3年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[斎藤斐章]]、教育者(+ 1944年) * [[4月5日]](慶応3年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]、[[実業家]]・政治家(+ [[1934年]]) * 4月5日(慶応3年3月1日) - [[志村源太郎]]、[[銀行|銀行家]]・官僚(+ 1930年) * [[4月9日]] - [[クリス・ワトソン]]、第3代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](+ 1941年) * [[4月10日]] - [[ジョージ・ウィリアム・ラッセル]]、[[アイルランド]]の[[民族主義者]](+ 1935年) * [[4月14日]] - [[ファニー・トーマス]]、世界最高齢の人物 (+ 1981年) * [[4月16日]] - ウィルバー・ライト、[[ライト兄弟]]の兄(+ [[1912年]]) * [[4月23日]] - [[ヨハネス・フィビゲル]]、[[デンマーク]]の[[病理学者]](+ [[1928年]]) * [[5月7日]] - [[ヴワディスワフ・レイモント]]、[[ポーランド]]の[[小説家]](+ [[1925年]]) * [[5月10日]](慶応3年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[財部彪]]、海軍軍人・政治家(+ [[1949年]]) * [[5月14日]] - [[クルト・アイスナー]]、[[バイエルン王国]]の[[政治家]](+ [[1919年]]) * [[5月18日]](慶応3年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[南方熊楠]]、[[博物学者]]・[[民俗学者]](+ 1941年) * [[5月26日]] - [[メアリー・オブ・テック]]、[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の妃(+ 1953年) * [[5月27日]] - [[アーノルド・ベネット]]、[[小説家]]・[[劇作家]]・[[評論家]](+ [[1931年]]) * [[6月4日]] - [[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]、元[[フィンランド]]大統領(+ 1951年) * [[6月8日]] - [[フランク・ロイド・ライト]]、[[建築家]](+ [[1959年]]) * [[6月28日]] - [[ルイジ・ピランデルロ]]、[[イタリア]]の[[作家]](+ [[1936年]]) * [[7月2日]](慶応3年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]) - [[賀陽宮邦憲王]]、皇族(+ [[1909年]]) * [[7月8日]] - [[ケーテ・コルヴィッツ]]、[[版画家]]・[[彫刻家]](+ [[1945年]]) * [[7月10日]] - [[マクシミリアン・フォン・バーデン]]、[[バーデン大公]]家家長(+ [[1929年]]) * [[7月27日]] - [[エンリケ・グラナドス]]、[[作曲家]](+ 1916年) * [[7月28日]] - [[チャールズ・パーライン]]、[[天文学者]](+ 1951年) * [[8月3日]] - [[スタンリー・ボールドウィン]]、元[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1947年]]) * [[8月6日]] - [[ジェームズ・ローブ]]、[[実業家]](+ [[1933年]]) * [[8月7日]] - [[エミール・ノルデ]]、[[画家]](+ [[1956年]]) * [[8月14日]] - [[ジョン・ゴールズワージー]]、[[イギリス]]の[[作家]](+ [[1933年]]) * [[8月15日]](慶応3年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[池田成彬]]、[[財界人]]・政治家(+ [[1950年]]) * [[8月22日]](慶応3年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[幸田露伴]]、[[小説家]](+ 1947年) * [[9月5日]] - [[エイミー・ビーチ]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[1944年]]) * [[9月19日]](慶応3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[野中到 (気象学者)|野中到]]、[[気象学者]](+ 1955年) * 9月19日 - [[セイディー・マクマホン]]、メジャーリーガー(+ [[1954年]]) * [[10月3日]] - [[ピエール・ボナール]]、[[画家]](+ 1947年) * [[10月14日]](慶応3年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[正岡子規]]、[[俳人]]・[[歌人]](+ [[1902年]]) * [[10月15日]](慶応3年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[藤島武二]]、[[洋画家]](+ [[1943年]]) * [[10月16日]](慶応3年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[東伏見宮依仁親王]]、皇族、海軍軍人(+ [[1922年]]) * [[10月16日]] - [[アンリ・ドルレアン (1867-1901)|アンリ・ドルレアン]]、[[探検家]](+ [[1901年]]) * [[10月21日]](慶応3年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[徳川泰子]]、[[徳川家達]]夫人 (+ 1944年) * [[10月25日]](慶応3年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[平沼騏一郎]]、[[司法省 (日本)|司法]]官僚・第35代[[内閣総理大臣]](+ [[1952年]]) * 10月25日 - [[ユゼフ・ドヴブル=ムシニツキ]]、[[ポーランド]]、[[帝政ロシア]]の軍人(+ [[1937年]]) * [[10月28日]] - [[ハンス・ドリーシュ]]、[[生物学者]]・[[自然哲学]]者(+ [[1941年]]) * [[10月30日]] - [[エド・デラハンティ]]、メジャーリーガー(+ [[1903年]]) * [[11月2日]] - [[ワシリー・サペルニコフ]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ 1941年) * [[11月5日]](慶応3年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[頼母木桂吉]]、政治家・実業家(+ [[1940年]]) * [[11月6日]](慶応3年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]]) - [[鈴木喜三郎]]、司法官僚・政治家(+ 1940年) * [[11月7日]] - [[マリ・キュリー]]、[[物理学者]]、[[化学者]](+ 1934年) * [[11月21日]](慶応3年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]) - [[伊東忠太]]、[[建築家]]・[[建築史家]](+ [[1954年]]) * [[12月5日]] - [[ユゼフ・ピウスツキ]]、元[[ポーランド]][[国家元首]](+ 1935年) * [[12月6日]] - [[エミー・カーマイケル]]、[[宣教師]](+ 1951年) * [[12月9日]] - [[吉川与三太郎]]、男性[[長寿]]日本一の人物、[[明治]]改元以前に生まれた最後の日本人男性。 (+ 1976年) * [[12月27日]] - [[レオン・ドラクロワ]]、[[ベルギー|ベルギー首相]](+ 1929年) == 死去 == {{see also|Category:1867年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月14日]] - [[ドミニク・アングル]]、[[画家]](* [[1780年]]) * [[1月18日]] - [[山本音吉]]、[[日英和親条約]]締結に貢献した日本初の国際人(* [[1819年]]) * [[1月30日]](慶応2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[孝明天皇]]、第121代[[天皇]](* [[1831年]]) * [[4月3日]] - [[ジョージ・ランドルフ]]、第3代[[アメリカ連合国陸軍長官]](* [[1818年]]) * [[5月17日]](慶応3年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[高杉晋作]]、[[長州藩|長州藩士]]・[[奇兵隊]]創設者(* [[1839年]]) * [[5月27日]] - [[トマス・ブルフィンチ]]、作家(* [[1796年]]) * [[6月19日]] - [[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]、メキシコ皇帝(* [[1832年]]) * [[6月20日]](慶応3年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - [[太田資始]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[掛川藩|掛川藩主]](* [[1799年]]) * [[7月15日]](慶応3年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[茨木司]]、[[新選組]]隊士 * 7月15日(慶応3年6月14日)- [[佐野七五三之助]]、新選組隊士(* [[1836年]]) * [[7月23日]](慶応3年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[武田観柳斎]]、新選組隊士(* [[1830年]]頃) * [[7月26日]] - [[オソン1世]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ王]](* [[1815年]]) * [[8月8日]] - [[マリーア・テレーザ・ダズブルゴ=テシェン|マリーア・テレーザ]]、[[両シチリア王国|両シチリア王]][[フェルディナンド2世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世]]の2度目の王妃(* [[1816年]]) * [[8月25日]] - [[マイケル・ファラデー]]、[[化学者]]・[[物理学者]](* [[1791年]]) * [[8月31日]] - [[シャルル・ボードレール]]、[[詩人]](* [[1821年]]) * [[9月11日]](慶応3年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[原市之進]]、[[一橋徳川家]]家臣(* [[1838年]]) * 9月11日(慶応3年8月14日)- [[鷹司輔政]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1849年]]) * [[9月25日]](慶応3年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[塩谷宕陰]]、[[儒学者]](* [[1809年]]) * [[9月26日]] - [[ジェイムズ・ファーガソン]]、[[天文学者]](* [[1797年]]) * [[9月29日]] - [[スターリング・プライス]]、[[アメリカ連合国]]軍[[少将]](* [[1809年]]) * [[9月30日]](慶応3年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[赤松小三郎]]、[[兵学|兵学者]](* [[1831年]]) * [[10月19日]] - [[ジェームズ・サウス]]、天文学者(* [[1785年]]) * [[10月23日]] - [[フランツ・ボップ]]、[[言語学|言語学者]](* [[1791年]]) * [[10月27日]] - [[ジョン・ロッテスリー]]、天文学者(* [[1798年]]) * [[10月31日]] - [[ウィリアム・パーソンズ (第3代ロス伯爵)|ウィリアム・パーソンズ]]、天文学者(* [[1800年]]) * [[11月13日]](慶応3年[[10月18日 (旧暦)|10月18日]]) - [[琳瑞]]、[[浄土宗]]の[[僧]](* [[1830年]]) * [[11月23日]](慶応3年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) - [[近藤周助]]、[[天然理心流剣術]]3代目宗家(* [[1792年]]) * [[11月26日]] - [[ヘルマン・アーダム・フォン・カンプ]]、[[教育学者]]・[[作家]]・[[作詞家]](* [[1796年]]) * [[12月1日]](慶応3年[[11月6日 (旧暦)|11月6日]]) - [[野村望東尼]]、[[歌人]]・勤皇家(* [[1806年]]) * [[12月10日]](慶応3年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[坂本龍馬]]、日本の幕末の[[志士]](* [[1836年]]) * [[12月12日]](慶応3年[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]) - [[中岡慎太郎]]、日本の幕末の志士(* [[1838年]]) * [[12月13日]](慶応3年[[11月18日 (旧暦)|11月18日]]) - [[伊東甲子太郎]]、[[御陵衛士]]盟主(* [[1835年]]) * 12月13日(慶応3年11月18日)- [[毛内有之助]]、御陵衛士(* 1835年) * 12月13日(慶応3年11月18日)- [[服部武雄]]、御陵衛士(* [[1832年]]) * [[12月17日]](慶応3年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]) - [[阿部正方]]、第9代[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1848年]]) * [[12月20日]](慶応3年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[武田物外]]、[[曹洞宗]]の僧・[[不遷流]]開祖(* [[1795年]]) * [[12月22日]] - [[テオドール・ルソー]]、画家(* [[1812年]]) * 月日不詳 - [[駱秉章]]、[[清]]の四川総督(* [[1793年]]) * 月日不詳 - [[アブラハム・マプー]]、[[ヘブライ語]]作家(* [[1808年]]) * 月日不詳 - [[斎藤その女]]、[[俳人]](* [[1781年]]) * 月日不詳 - [[任柱]]、[[捻軍]]の指導者 <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1867}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1867ねん}} [[Category:1867年|*]]
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1603年
1603年(1603 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1603年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1603}} {{year-definition|1603}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[慶長]]8年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2263年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]31年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]36年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3936年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[弘定]]4年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[乾統 (莫朝)|乾統]]11年 * [[仏滅紀元]] : 2145年 - 2146年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1011年 - 1012年 * [[ユダヤ暦]] : 5363年 - 5364年 * [[ユリウス暦]] : 1602年12月22日 - 1603年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1603}} == できごと == * [[7月25日]] - スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]が[[ジェームズ1世 (イングランド王)|イングランド王ジェームズ1世]]として即位、[[イングランド王国|イングランド]]と[[スコットランド王国|スコットランド]]が[[同君連合]]に。([[テューダー朝]]→[[ステュアート朝]]) * [[フランス人]]探検家[[サミュエル・ド・シャンプラン]]、[[カナダ]]の[[セントローレンス川]]を探検し、[[ヌーベルフランス]][[植民地]]を建設。 * [[オスマン帝国]]第14代[[スルタン]]、[[アフメト1世]]即位( -[[1617年]])。 === 日本 === * [[3月24日]]([[慶長]]8年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[徳川家康]]に[[将軍宣下]]([[江戸幕府]] -[[1868年]][[5月3日]]){{要出典|date=2021-03}}。 * [[4月14日]]([[慶長]]8年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - 初代[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]が架橋される{{要出典|date=2021-04}}。 * [[出雲阿国]]が[[京都]]で「かぶき踊」を興業。 * [[イエズス会]]士が[[長崎市|長崎]]で『[[日葡辞書]]』を刊行。 == 誕生 == {{see also|Category:1603年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月29日]](慶長8年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[高松宮好仁親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](+ [[1638年]]) * [[8月17日]] - [[レンナート・トルステンソン]]、[[スウェーデン]]の[[陸軍]][[元帥]](+ [[1651年]]) * [[9月15日]](慶長8年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[徳川頼房]]<ref>{{Citation|和書|editor=勝浦市史編さん委員会|title=勝浦市史 通史編|year=2006|page=406}}</ref>、[[徳川家康]]の十一男、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]初代藩主(+ [[1661年]]) * [[12月21日]] - [[ロジャー・ウィリアムズ]]、[[イギリス]]の[[神学者]](+ [[1683年]]) * [[アベル・タスマン]]、[[オランダ]]の[[探検家]](+ [[1659年]]) * [[高原院|春姫]]、[[尾張藩]]初代藩主・[[徳川義直]]の[[正室]](+ [[1637年]]) == 死去 == {{see also|Category:1603年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月3日]](ユリウス暦[[3月24日]]) - [[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Elizabeth-I Elizabeth I queen of England] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イングランド王国|イングランド]][[女王]](* [[1533年]]) * [[9月19日]]([[慶長]]8年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[松平家元]]、[[徳川家康]]の異母弟(* [[1548年]]) * [[10月15日]](慶長8年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[武田信吉]]、徳川家康の五男、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]主(* [[1583年]]) * [[12月18日]](慶長8年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - [[里見義康]]、[[安房国|安房]][[館山藩]]初代藩主(* [[1573年]]) * [[12月22日]] - [[メフメト3世]]、[[オスマン帝国]]第13代[[スルタン]](* [[1566年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1603}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1603ねん}} [[Category:1603年|*]]
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4,250
1898年
1898年(1898 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。明治31年。
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1898年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。明治31年。
{{年代ナビ|1898}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1890 | 年 = 1898 }} {{year-definition|1898}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[戊戌]] * [[日本]](月日は一致) ** [[明治]]31年 ** [[皇紀]]2558年 * [[清]] : [[光緒]]23年12月9日 - 光緒24年11月19日 * [[朝鮮]](月日は一致) ** [[大韓帝国]] : [[光武 (元号)|光武]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4231年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) : [[成泰]]9年12月9日 - 成泰10年11月19日 * [[仏滅紀元]] : 2440年 - 2441年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1315年8月7日 - 1316年8月17日 * [[ユダヤ暦]] : 5658年4月7日 - 5659年4月18日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : 14290 - 14654 * [[リリウス日]](LD) : 115131 - 115495 {{注|※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1898}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - [[沖縄県]]が[[徴兵令]]の対象となる * [[1月12日]] - [[第3次伊藤内閣]]成立 * [[1月13日]] - [[エミール・ゾラ]]が[[ドレフュス事件]]に関する公開質問状を掲載("J'accuse") * [[1月20日]] - [[元帥府条例]]公布 === 2月 === * [[2月15日]] - [[ハバナ]]湾で米海軍の戦艦[[メイン (ACR-1)]]が爆発し沈没([[米西戦争]]の一因) * [[2月25日]] - 大師電気鉄道(後の[[京浜急行電鉄]])創立 * [[2月24日]] - [[日本鉄道]]の機関手四百名が[[同盟罷工]](日本初の鉄道スト) * [[2月26日]] - [[児玉源太郎]]が[[台湾総督]]に就任 === 3月 === * [[3月6日]] - 独清条約調印([[ドイツ帝国]]が[[膠州湾租借地|膠州湾]]を[[清]]より租借) * [[3月15日]] - [[第5回衆議院議員総選挙]] * [[3月22日]] - [[時事新報]]が[[社説]]「[[支那人親しむ可し]]」を掲載 * [[3月27日]] - [[ロシア帝国]]が[[関東州]]を清から租借([[旅順・大連租借に関する露清条約]]) === 4月 === * [[4月22日]] - [[米西戦争]]: 米海軍がキューバの海上封鎖を開始 * [[4月24日]] - この年の4月22日に行なわれた[[日本]]の要求に基づき[[清]]が[[福建省]]の不割譲を宣言 * [[4月25日]] ** [[西・ローゼン協定]] ** [[米西戦争]]: 米国が[[スペイン]]に宣戦布告 * [[4月30日]] - [[トラピスチヌ修道院]]創立 === 5月 === * [[5月1日]] - [[米西戦争]]: [[マニラ湾海戦]] * [[5月14日]] - [[帝国議会|第12特別議会]]召集 * [[5月27日]] - [[フランス共和国]]が[[広州湾]]を清より租借 === 6月 === * [[6月6日]] ** [[米西戦争]]: 米軍が[[グアンタナモ]]湾に侵攻 ** 英国が[[九龍半島]]を清から租借(7月1日発効) * [[6月11日]](光緒24年4月23日)- 清、[[戊戌の変法]]運動が起こるが、[[戊戌の政変]]により失敗 * [[6月12日]] - [[フィリピン]]の[[エミリオ・アギナルド]]が独立宣言 * [[6月20日]] - [[米西戦争]]: 米軍が[[グアム島]]に侵攻(翌日占領) * [[6月25日]] ** [[保安条例]]廃止 ** [[第3次伊藤内閣]]総辞職 * [[6月30日]] - [[第1次大隈内閣]]成立(隈板内閣) === 7月 === * [[7月1日]] - 英国が[[威海衛]]を清から租借 * [[7月3日]] - [[米西戦争]]: [[サンティアゴ・デ・クーバの戦い]]、アメリカ海軍が[[スペイン]]艦隊を撃破し[[キューバ]]近海の制海権を獲得 * [[7月16日]] - 明治[[民法]]の家族法が施行 * [[7月17日]] - [[米西戦争]]: 米軍が[[サンティアーゴ・デ・クーバ]]を占領 * [[7月25日]] - [[米西戦争]]: 米軍が[[プエルトリコ]]に侵攻 === 8月 === * [[8月10日]] - [[第6回衆議院議員総選挙]] * [[8月12日]] ** [[米西戦争]]: 停戦 ** 米国が[[ハワイ共和国]]を準州として併合 * [[8月21日]] - [[尾崎行雄|尾崎]]文相の演説により[[共和演説事件]]がおこる === 9月 === * [[9月10日]] - オーストリア皇后[[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト]]が暗殺される * [[9月19日]] - [[ファショダ事件]] === 10月 === * [[10月1日]] - 東京・京都・大阪の[[市制特例]]廃止。 * [[10月15日]] - [[日本美術院]]設立([[岡倉天心]]ら) * [[10月24日]] - [[尾崎行雄|尾崎]]文相辞任 * [[10月31日]] - [[第1次大隈内閣]]総辞職([[共和演説事件]]に端を発する閣内不一致) === 11月 === * [[11月2日]] - [[東亜同文会]]設立 * [[11月7日]] - [[帝国議会|第13議会]]召集 * [[11月8日]] **[[第2次山縣内閣]]成立 ** [[美保関灯台]]点灯 === 12月 === * [[12月1日]] - [[淀橋浄水場]]竣工。東京に初の近代水道ができる。 * [[12月10日]] - [[米西戦争]]: [[パリ条約 (1898年)|パリ条約]]調印(米国が[[フィリピン]]・[[グアム島]]・[[プエルトリコ]]を領有) * [[12月18日]] - [[西郷隆盛]]銅像除幕式([[上野恩賜公園|上野公園]]) * [[12月26日]] - [[ピエール・キュリー]]、[[マリ・キュリー]]夫妻が[[ラジウム]]の発見を発表 === 日付不詳 === * [[片山潜]]、[[横山源之助]]らが貧民研究会を結成。 * [[ロシア社会民主労働党]]結成。 * [[南イタリア]]で暴動が発生。 == 誕生 == {{see also|Category:1898年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月16日]] - [[椎名悦三郎]]、[[政治家]](+ [[1979年]]) * [[1月18日]] - [[福沢一郎]]、[[画家]](+ [[1992年]]) * [[1月20日]] - [[津島文治]]、[[青森県]][[知事]]・[[自由民主党 (日本)|自民党]][[衆議院議員]]・[[参議院議員]](+ [[1973年]]) * 1月20日 - [[高垣眸]]、[[作家]](+ [[1983年]]) * [[1月23日]] - [[セルゲイ・エイゼンシュテイン]]、[[映画監督]](+ [[1948年]]) * 1月23日 - [[ゲオルク・クーレンカンプ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ 1948年) * [[1月28日]] - [[池田正之輔]]、政治家(+ [[1986年]]) * 1月28日 - [[安田徳太郎]]、[[医師]]・[[歴史家]](+ 1983年) * [[1月30日]] - [[佐々木孝丸]]、[[俳優]]・[[プロレタリア作家]]・[[演出家]](+ 1986年) === 2月 === * [[2月1日]] - [[:en:Leila Denmark|レイラ・デンマーク]]、[[小児科医]](+ [[2012年]]) * [[2月4日]] - [[伊東深水]]、[[日本画家]](+ [[1972年]]) * [[2月5日]] - [[大河内傳次郎]]、[[俳優]](+ [[1962年]]) * [[2月5日]] - [[尾崎士郎]]、[[小説家]](+ [[1964年]]) * [[2月9日]] - [[八木重吉]]、[[詩人]](+ [[1927年]]) * 2月9日 - [[ヘレーネ・エンゲルマン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]]) * [[2月10日]] - [[ベルトルト・ブレヒト]]、[[劇作家]]・[[詩人]]・[[演出家]](+ [[1956年]]) * [[2月11日]] - [[辻吉之助]]、[[ヴァイオリニスト]](+ 1985年) * [[2月13日]] - [[安岡正篤]]、[[陽明学|陽明学者]](+ 1983年) * [[2月15日]] - [[井伏鱒二]]、[[小説家]](+ [[1993年]]) * [[2月18日]] - [[エンツォ・フェラーリ]]、[[フェラーリ]]創設者(+ [[1988年]]) * [[2月24日]] - [[クルト・タンク]]、航空エンジニア・[[テストパイロット]](+ 1983年) * [[2月28日]] - [[ヒューゴー・オフラハーティ]]、カトリック[[司祭]](+ [[1963年]]) === 3月 === * [[3月4日]] - [[ジョルジュ・デュメジル]]、比較[[神話学]]者・[[言語学者]](+ 1986年) * 3月4日 - [[宋美齢]]、[[蔣介石]]夫人(+ [[2003年]]) * [[3月5日]] - [[周恩来]]、中国の政治家(+ [[1976年]]) * 3月5日 - [[大川ミサヲ]]、日本の[[スーパーセンテナリアン]]、元世界最高齢者(+ [[2015年]]) * [[3月7日]] - [[稲村隆一]]、政治家(+ [[1990年]]) * [[3月9日]] - [[安西冬衛]]、[[詩人]](+ [[1965年]]) * [[3月13日]] - [[ヘンリー・ハサウェイ]]、[[映画監督]](+ [[1985年]]) * [[3月17日]] - [[横光利一]]、小説家(+ [[1947年]]) * [[3月21日]] - [[ポール・ワイス]]、[[生物学者]](+ [[1989年]]) * [[3月24日]] - [[宮田東峰]]、[[ハーモニカ]]奏者(+ 1986年) * [[3月26日]] - [[今東光]]、天台宗[[僧侶]]・[[小説家]]・[[参議院議員]](+ [[1977年]]) *[[3月28日]] - [[田岡良一]] 、[[法学者]]・[[京都大学]]名誉教授(+[[1985年]]) === 4月 === * [[4月1日]] - [[小野アンナ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ 1979年) * [[4月6日]] - [[ジャンヌ・エビュテルヌ]]、[[画家]](+ [[1920年]]) * [[4月9日]] - [[カーリー・ランボー]]、[[アメリカンフットボール]]選手・ヘッドコーチ(+ [[1965年]]) * [[4月12日]] - [[磯崎辰五郎]]、[[法学者]](+ 1990年) * [[4月16日]] - [[土方与志]]、[[演出家]](+ [[1959年]]) * [[4月17日]] - [[山錦善次郎]]、元大相撲力士・関脇(+ 1972年) * [[4月26日]] - [[内田吐夢]]、[[映画監督]](+ [[1970年]]) * [[4月28日]] - [[佐伯祐三]]、[[画家]](+ [[1928年]]) * 4月28日 - [[浜野清吾]]、政治家(+ 1990年) === 5月 === * [[5月7日]] - [[永野若松]]、[[長崎市への原子爆弾投下|原爆被災]]時の[[長崎県知事]](+ [[1977年]]) * [[5月11日]] - [[C・O・スライフィールド]]、[[音響監督]](+ [[1974年]]) * [[5月16日]] - [[溝口健二]]、[[映画監督]](+ [[1956年]]) * 5月16日 - [[タマラ・ド・レンピッカ]]、画家(+ [[1980年]]) * [[5月18日]] - [[片倉衷]]、[[陸軍]][[軍人]] (+ [[1991年]]) * [[5月25日]] - [[ミッシャ・レヴィツキ]]、[[ピアニスト]](+ [[1941年]]) === 6月 === * [[6月2日]] - [[河野一郎]]、政治家(+ [[1965年]]) * [[6月5日]] - [[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]、[[詩人]]・[[劇作家]](+ [[1936年]]) * [[6月6日]] - [[ニネット・ド・ヴァロア]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](+ [[2001年]]) * [[6月17日]] - [[マウリッツ・エッシャー]]、画家(+ 1972年) * [[6月21日]] - [[渋沢信雄]]、[[実業家]](+ 1967年) * [[6月22日]] - [[エーリヒ・マリア・レマルク]]、ドイツの[[作家]](+ 1970年) * [[6月26日]] - [[落合英二 (薬学者)|落合英二]]、[[薬学者]](+ [[1974年]]) * [[6月30日]] - [[ヤン・ダーメン]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1957年]]) === 7月 === * [[7月1日]] - [[田中勝雄]]、[[野球選手]](+ [[1995年]]) * [[7月2日]] - [[岡鹿之助]]、[[洋画家]](+ [[1978年]]) * [[7月3日]] - [[久板栄二郎]]、[[劇作家]]・[[脚本家]](+ [[1976年]]) * [[7月4日]] - [[ガートルード・ウィーバー]]、元世界最高齢者、1898年生まれの最後の生き残り(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040006_X00C15A4000000/|title=世界最高齢の米女性死去、116歳 |publisher=日本経済新聞|date=2015-04-07|accessdate=2020-11-17}}</ref>) * [[7月6日]] - [[ハンス・アイスラー]]、作曲家(+ [[1962年]]) * [[7月14日]] - [[ハッピー・チャンドラー]]、MLB[[コミッショナー]](+ [[1991年]]) * [[7月19日]] - [[ヘルベルト・マルクーゼ]]、[[哲学者]](+ 1979年) * [[7月22日]] - [[アレクサンダー・カルダー]]、[[彫刻家]]・現代美術家(+ [[1976年]]) * [[7月22日]] - [[天野芳太郎]]、[[実業家]]・[[考古学者]](+ [[1982年]]) * [[7月30日]] - [[ヘンリー・ムーア]]、彫刻家・[[芸術家]](+ [[1986年]]) === 8月 === * [[8月9日]] - [[麻生豊]]、[[漫画家]](+ [[1961年]]) * [[8月15日]] - [[吉田一穂]]、[[詩人]]・[[評論家]](+ [[1973年]]) * [[8月29日]] - [[プレストン・スタージェス]]、[[映画監督]]・[[脚本家]](+ [[1959年]]) === 9月 === * [[9月1日]] - [[藤浦洸]]、[[作詞家]]・[[詩人]](+ [[1979年]]) * 9月1日 - [[田崎広助]]、[[洋画家]](+ [[1984年]]) * [[9月4日]] - [[松田尚之]]、[[彫刻家]](+ [[1995年]]) * [[9月9日]] - [[フランキー・フリッシュ]]、[[メジャーリーガー]](+ 1973年) * [[9月11日]] - [[明石潮]]、[[俳優]](+ [[1986年]]) * [[9月12日]] - [[ベン・シャーン]]、[[画家]](+ [[1969年]]) * [[9月16日]] - [[H・A・レイ]]、[[児童文学]][[作家]](+ [[1977年]]) * [[9月18日]] - [[ジョージ・ウール]]、メジャーリーガー(+ [[1985年]]) * [[9月20日]] - [[中山伊知郎]]、[[経済学者]](+ [[1980年]]) * [[9月24日]] - [[新田恭一]]、[[野球選手]](+ 1986年) * [[9月26日]] - [[ジョージ・ガーシュウィン]]、作曲家(+ [[1937年]]) === 10月 === * [[10月1日]] - [[久慈次郎]]、野球選手(+ [[1939年]]) * [[10月9日]] - [[ジョー・シーウェル]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1990年]]) * [[10月5日]] - [[政岡憲三]]、[[アニメーター]](+ [[1988年]]) * [[10月12日]] - [[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]、[[映画監督]]・[[脚本家]](+ [[1981年]]) * [[10月12日]] - [[オスカル・ウプラウス]]、[[サッカー選手]](+[[1968年]]) * [[10月30日]] - [[ビル・テリー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1989年]]) === 11月 === * [[11月18日]] - [[近衛秀麿]]、[[指揮者]](+ 1973年) * [[11月21日]] - [[ルネ・マグリット]]、画家(+ [[1967年]]) * [[11月24日]] - [[劉少奇]]、第2代[[中華人民共和国主席]](+ [[1969年]]) === 12月 === * [[12月1日]] - [[田畑政治]]、[[新聞記者]]・[[日本水泳連盟]]会長・[[日本オリンピック委員会|JOC]]会長(+ 1984年) * [[12月2日]] - [[蕗谷虹児]]、[[画家]]・[[詩人]](+ 1979年) * [[12月3日]] - [[レジナルド・ブライス]]、日本文化研究者(+ [[1964年]]) * [[12月5日]] - [[藤原義江]]、[[オペラ歌手]]・[[声楽家]](+ [[1976年]]) * [[12月11日]] - [[東海林太郎]]、[[歌手]](+ [[1972年]]) * [[12月12日]] - [[大内青圃]]、[[仏師]]・[[彫刻家]](+ [[1981年]]) * 12月12日 - [[黒島伝治]]、[[小説家]](+ [[1943年]]) * [[12月19日]] - [[ウィリアム・ルベイ]]、[[地質学者]](+ [[1974年]]) * [[12月20日]] - [[アイリーン・ダン]]、[[俳優|女優]] (+ 1990年) * [[12月21日]] - [[茅誠司]]、[[物理学者]](+ [[1988年]]) * [[12月27日]] - [[浅沼稲次郎]]、政治家、[[日本社会党|日本社会党委員長]](+ [[1960年]]) == 死去 == {{see also|Category:1898年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月14日]] - [[ルイス・キャロル]]、童話『[[不思議の国のアリス]]』作者・[[数学者]](* [[1832年]]) * [[1月16日]] - [[アントワーヌ・マルモンテル]]、[[ピアニスト]]・[[教育者]]・[[著述家]](* [[1816年]]) === 2月 === * [[2月7日]] - [[アドルフォ・ファルサーリ]]、[[写真家]](* [[1841年]]) === 3月 === * [[3月16日]] - [[オーブリー・ビアズリー]]、[[画家]](* [[1872年]]) * [[3月20日]] - [[イヴァン・シーシキン]]、画家(* [[1832年]]) === 4月 === * [[4月11日]] - [[エドアルド・キヨッソーネ]]、[[画家]]・版画家(* [[1833年]]) * [[4月17日]] - [[ボビー・マシューズ]]、[[メジャーリーガー]](* [[1851年]]) * [[4月18日]] - [[ギュスターヴ・モロー]]、画家(* [[1826年]]) * [[4月30日]] - [[フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン]]、画家(* 1833年) === 5月 === * [[5月4日]] - [[ウィリアム・ヘンリー・トレスコット]]、[[政治家]](* [[1822年]]) * [[5月15日]] - [[エドゥアルト・レメーニ]]、[[ヴァイオリニスト]] (* [[1830年]]) * [[5月19日]] - [[ウィリアム・グラッドストン]]、[[政治家]]、イギリス首相(* [[1809年]]) === 6月 === * [[6月17日]] - [[エドワード・バーン=ジョーンズ]]、[[美術家]](* [[1833年]]) === 7月 === * [[7月7日]] - [[ニコライ・ヤロシェンコ]]、[[画家]](* [[1846年]]) * [[7月15日]] - [[稲葉正邦]]、[[老中]]、山城国[[淀藩]]第12代藩主(* [[1834年]]) * [[7月30日]] - [[オットー・フォン・ビスマルク]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]首相(* [[1815年]]) === 8月 === * [[8月3日]] - [[カール・グスタフ・アドルフ・クニース]]、[[経済学者]](* [[1821年]]) * [[8月7日]] - [[ジェームズ・ホール (古生物学者)|ジェームズ・ホール]]、[[地質学者]]・[[古生物学者]](* [[1811年]]) * [[8月8日]] - [[ウジェーヌ・ブーダン]]、[[画家]](* [[1824年]]) * [[8月23日]] - [[フェリシアン・ロップス]]、画家・[[版画家]](* [[1833年]]) === 9月 === * [[9月9日]] - [[ステファヌ・マラルメ]]、[[詩人]](* [[1842年]]) * [[9月10日]] - [[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト皇后]]、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]の皇后(* [[1837年]]) === 10月 === * [[10月16日]] - [[ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー]]、[[画家]](* [[1819年]]) * [[10月24日]] - [[ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ]]、画家(* [[1824年]]) === 11月 === * [[11月4日]] - [[橘家圓太郎#4代目|橘家圓太郎]](四代目)、[[落語家]](* [[1845年]]) * [[11月12日]] - [[ジョン万次郎]]、漂流民・[[通訳]]・[[教員|教師]](* [[1827年]]) === 12月 === * [[12月19日]] - [[河田小龍]]、[[土佐藩]]士・[[日本画家]](* [[1824年]]) == フィクションのできごと == *[[フランス]]で[[死刑]]判決を受けたエルベール・ド・レルナックの手記が[[マルセイユ]]の[[新聞]]に掲載される。(小説『[[消えた臨時列車]]』 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!-- === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} --> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1898}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1898ねん}} [[Category:1898年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1898%E5%B9%B4
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1888年
1888年(1888 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。明治21年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1888年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。明治21年。
{{年代ナビ|1888}} {{year-definition|1888}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[戊子]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]21年 ** [[皇紀]]2548年 * [[清]]:[[光緒]]13年11月18日 - 光緒14年11月29日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]:[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]25年 ** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]497年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4221年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[同慶 (阮朝)|同慶]]2年11月18日 - 同慶3年11月29日 * [[仏滅紀元]]:2430年 - 2431年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1305年4月16日 - 1306年4月27日 * [[ユダヤ暦]]:5648年4月17日 - 5649年4月27日 * [[修正ユリウス日]](MJD):10637 - 11002 * [[リリウス日]](LD):111478 - 111843 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1888}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - [[日本標準時]]が適用される{{sfn|明治19年勅令第51号|1886}} * [[1月3日]] - 当時世界最大の望遠鏡である[[リック天文台]]の屈折望遠鏡で最初の観測が行われる。 * [[1月27日]] - 米国で[[ナショナルジオグラフィック協会]]設立 === 2月 === === 3月 === * [[3月9日]] - 独帝[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]死去 * [[3月11日]] - 米国東海岸で大寒波(死者400名)([[1888年の大ブリザード]]) *3月13日 - デビアス鉱山会社とキンバリー・セントラル鉱山会社が合併し、世界のダイヤモンドを支配するデビアス合同鉱山会社となる。 * [[3月22日]] - 英国で[[フットボールリーグ]]創設 === 4月 === * [[4月11日]] - オランダで[[コンセルトヘボウ]]開場(戦前から残るコンサートホール) * [[4月13日]] - 東京下谷黒門町で「可否茶館」開業(日本初の[[コーヒー]]店) * [[4月25日]] - [[市制]]・[[町村制]]公布(1889年4月施行) * [[4月30日]] ** [[黑田清隆]]が第二代内閣総理大臣に就任 ** [[枢密院 (日本)|枢密院]]設置(初代議長[[伊藤博文]]) * 「[[日本人 (雑誌)|日本人]]」創刊([[三宅雪嶺]]) === 5月 === * [[5月7日]] ** 文部省が[[加藤弘之]]・[[箕作麟祥]]・[[池田謙斎]]・[[菊池大麓]]・[[古市公威]]ら25名に[[博士号]]を授与(日本初の博士号) ** [[エドゥアール・ラロ]]歌劇「[[イスの王様]]」初演([[オペラ=コミック座]]) * [[5月13日]] - [[ブラジル帝国|ブラジル]]で摂政[[イザベル・ド・ブラジル|イザベル皇女]]が[[奴隷制]]廃止法案(アウレア法)に署名 (米大陸の奴隷制終焉) === 6月 === * [[6月4日]] - [[東京天文台]]設置([[麻布]])(東京大学天象台・海軍観象台・内務省地理局が統合) * [[6月5日]] - [[ラプラタ川]]流域で中地震([[:en:Rio de la Plata Earthquake 1888|Rio de la Plata Earthquake 1888]]) * [[6月15日]] - 独帝[[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]死去,[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]即位,年に二回皇帝が代わったことから「'''三皇帝年'''」と言われる * [[6月23日]] - [[フレデリック・ダグラス]]が黒人として初めて米国大統領候補に指名される === 7月 === * [[7月4日]] - 初の公式[[ロデオ]]が米国[[アリゾナ州]][[プレスコット (アリゾナ州)|プレスコット]]で開催 * [[7月10日]] - [[東京朝日新聞]]創刊([[めさまし新聞]]改題) * [[7月15日]] - [[磐梯山]]が千年ぶりに[[1888年の磐梯山噴火|噴火]]し[[山体崩壊]](発生した泥流などにより461名が犠牲) === 8月 === * [[8月1日]] - [[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]が[[江田島]]へ移転 * [[8月7日]] - テオフィラス・カネル([[:en:Theophilus Van Kannel|Theophilus Van Kannel]])が[[回転ドア]]の米国特許を取得 * [[8月31日]] - イギリスで「切り裂きジャック」による最初の殺人事件が発生。 === 9月 === * [[9月3日]] - [[イギリス]]の[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]が[[英領東アフリカ|東アフリカ会社]]の勅許をウィリアム・マッキノン([[:en:Sir William Mackinnon, 1st Baronet|Sir William Mackinnon]])に与える * [[9月4日]] - [[ジョージ・イーストマン]]が[[ロールフィルム]]・[[カメラ]]の特許を取得し、[[コダック#社名の由来|Kodak]]の商標を登録する。 * [[9月11日]] - [[師範学校|高等師範学校]]附属学校に[[旧制中学校|尋常中学科]](現・[[筑波大学附属中学校・高等学校]])が設置される * [[9月30日]] - [[切り裂きジャック]]による殺人が目撃される === 10月 === * [[10月1日]] ** [[東京火災保険]](後の[[安田火災]])開業 ** [[小田原馬車鉄道]](後の[[箱根登山鉄道]])開業 ** 米[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]]創刊 * [[10月9日]] - [[ワシントン記念塔]]一般開放 * [[10月14日]] ** 皇城[[二重橋]]架替竣工 ** [[ルイ・ル・プランス]]が世界初の[[映画]]『[[ラウンドヘイの庭の場面]]』を撮影 * [[10月27日]] - [[明治宮殿]]落成し皇城を[[宮城]]と改称 * [[10月29日]] - [[スエズ運河の自由航行に関する条約]]締結 * [[10月30日]] - ジョン・ラウド(John J. Loud)が[[ボールペン]]の米国特許を取得 * [[10月31日]] - [[ジョン・ボイド・ダンロップ]]が空気入[[タイヤ]]の英国特許を取得(後に取消) === 11月 === * [[11月2日]] - [[咸宜帝]]が仏官憲に引渡される * [[11月6日]] - [[1888年アメリカ合衆国大統領選挙|米国大統領選挙]]で[[ベンジャミン・ハリソン]]が勝利 * [[11月14日]] - [[パスツール研究所]]開所(設立1887年) * [[11月17日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]][[交響曲第5番 (チャイコフスキー)|交響曲第5番]]初演([[サンクトペテルブルク]])(露暦11月6日) * [[11月20日]] - [[大阪毎日新聞]]創刊(大阪日報改題) * [[11月26日]] - [[海軍大学校]]開校([[築地]]) * [[11月30日]] - [[日墨修好通商条約]]締結 === 12月 === * [[12月3日]] - [[香川県]]が[[愛媛県]]より独立 * [[12月11日]] - [[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]]が上野へ移転 * [[12月23日]] - [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]が左耳たぶを切取る * [[12月28日]] - [[東京府高等女学校]](後の東京府立第一高等女学校)設置 === 日付不詳 === * [[牧野富太郎]]「日本植物志図篇」第一巻第一集刊行 * [[山葉寅楠]]が日本製[[オルガン]]の製造に成功 * 英国が[[サラワク王国]]、[[ブルネイ]]、北[[ボルネオ]]を保護国化 * 李錦裳が[[オイスターソース]]の製法を発明 == 誕生 == {{see also|Category:1888年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 - 3月 === * [[1月17日]] - [[益谷秀次]]、政治家、第46代衆議院議長(+ [[1973年]]) * [[1月24日]] - [[エルンスト・ハインケル]]、飛行機設計者(+ 1958年) * 1月24日 - [[ヴィッキイ・バウム]]、[[作家]](+ [[1960年]]) * 1月24日 - [[直木松太郎]]、野球スコアブック考案者(+ [[1947年]]) * [[1月30日]] - [[緒方竹虎]]、[[政治家]](+ [[1956年]]) * [[2月2日]] - [[木村小左衛門]]、政治家(+ [[1952年]]) * 2月2日 - [[松田竹千代]]、政治家、第55代[[衆議院議長]](+ [[1980年]]) * [[2月3日]] - [[政井みね]]、工女(+ [[1909年]]) * [[2月4日]] - [[ビル・ラリデン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1942年]]) * [[2月5日]] - [[高木市之助]]、[[国文学者]](+ [[1974年]]) * [[2月8日]] - [[ジュゼッペ・ウンガレッティ]]、イタリアの[[詩人]](+ [[1970年]]) * [[2月14日]] - [[石井絹治郎]]、[[大正製薬]]創業者(+ [[1943年]]) * [[2月15日]] - [[九鬼周造]]、[[思想家]](+ [[1941年]]) * [[2月20日]] - [[マリー・ランバート]]、[[舞踏家]](+ [[1982年]]) * [[2月25日]] - [[ジョン・フォスター・ダレス]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1959年]]) * [[2月27日]] - [[ロッテ・レーマン]]、[[ソプラノ]][[歌手]](+ [[1976年]]) * [[3月1日]] - [[由谷義治]]、政治家(+ [[1958年]]) * 3月1日 - [[辰野隆]]、[[フランス文学者]](+ [[1964年]]) * [[3月9日]] - [[梅原龍三郎]]、[[画家]](+ [[1986年]]) * [[3月10日]] - [[バリー・フィッツジェラルド]]、俳優(+ [[1961年]]) * [[3月12日]] - [[ハンス・クナッパーツブッシュ]]、[[指揮者]](+ 1965年) * [[3月14日]] - [[大石順教]]、[[芸妓]]・日本画家・尼僧(+ [[1968年]]) * [[3月19日]] - [[ヨゼフ・アルバース]]、[[美術家]](+ [[1976年]]) === 4月 - 6月 === * [[4月2日]] - [[マリエッタ・シャギニャン]]、[[作家]]・[[社会運動家]](+ [[1982年]]) * [[4月4日]] - [[トリス・スピーカー]]、元[[メジャーリーガー]](+ [[1958年]]) * [[4月6日]] - [[ハンス・リヒター (画家)|ハンス・リヒター]]、[[画家]](+ [[1976年]]) * 4月6日 - [[高畠華宵]]、画家(+ [[1966年]]) * [[4月8日]] - [[松岡駒吉]]、[[政治家]]・[[労働運動家]]、第39代[[衆議院議長]](+ [[1958年]]) * [[4月9日]] - [[ヒッポ・ボーン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1966年]]) * [[4月18日]] - [[ダフィー・ルイス]]、元メジャーリーガー(+ [[1979年]]) * [[4月26日]] - [[オラフ・ヘンリクセン]]、メジャーリーガー(+ [[1962年]]) * [[5月4日]] - [[小泉信三]]、[[経済学者]](+ [[1966年]]) * [[5月11日]] - [[アーヴィング・バーリン]]、[[作曲家]](+ [[1989年]]) * [[5月17日]] - [[安井曾太郎]]、洋画家(+ [[1955年]]) * [[5月25日]] - [[アナトーリー・アレクサンドロフ]]、作曲家、[[ピアニスト]](+ [[1982年]]) * [[5月27日]] - [[ルイ・デュレ]]、作曲家、[[フランス6人組]]初期メンバー(+ [[1979年]]) * [[6月1日]] - [[原阿佐緒]]、[[歌人]](+ [[1969年]]) * [[6月6日]] - [[神近市子]]、[[政治運動家]]・[[衆議院議員]](+ [[1981年]]) * [[6月8日]] - [[千家元麿]]、[[詩人]](+ [[1948年]]) * [[6月17日]] - [[ハインツ・グデーリアン]]、[[陸軍軍人]](+ [[1954年]]) * [[6月18日]] - [[アレクサンドル・フリードマン]]、宇宙[[物理学者]]・[[数学者]](+ [[1925年]]) * [[6月28日]] - [[シュテフィ・ゲイエル]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1956年]]) === 7月 - 9月 === * [[7月1日]] - [[ベン・テイラー (1888年生の内野手)|ベン・テイラー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1953年]]) * [[7月3日]] - [[村上華岳]]、[[日本画家]](+ [[1939年]]) * [[7月9日]] - [[三松正夫]]、郵便局長、アマチュア[[火山]]研究者(+ [[1977年]]) * 7月9日 - [[川路柳虹]]、[[詩人]](+ [[1959年]]) * [[7月10日]] - [[ジョルジョ・デ・キリコ]]、画家(+ [[1978年]]) * 7月10日 - [[賀川豊彦]]、[[社会運動家]](+ [[1960年]]) * [[7月11日]] - [[カール・シュミット]]、[[法学者]](+ [[1985年]]) * [[7月14日]] - [[里見弴]]、[[小説家]](+ [[1983年]]) * [[7月16日]] - [[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]、メジャーリーガー(+ [[1951年]]) * [[7月17日]] - [[シュムエル・アグノン]]、[[小説家]](+ [[1970年]]) * 7月17日 - [[近藤兵太郎]]、高校野球指導者(+ [[1966年]]) * [[7月23日]] - [[レイモンド・チャンドラー]]、[[ハードボイルド]]作家(+ [[1959年]]) * [[8月6日]] - [[長與善郎]]、[[作家]]・[[劇作家]](+ [[1961年]]) * [[8月16日]] - [[トーマス・エドワード・ロレンス]]、「アラビアのロレンス」の異名で知られる[[イギリス]]の[[軍人]]・[[考古学者]](+ [[1935年]]) * [[8月18日]] - [[佐藤玄々]]、[[彫刻家]](+ [[1963年]]) * [[8月29日]] - [[大内兵衛]]、[[経済学者]](+ [[1980年]]) * [[9月4日]] - [[オスカー・シュレンマー]]、[[芸術家]]・彫刻家・[[デザイナー]](+ [[1943年]]) * [[9月6日]] - [[レッド・フェイバー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1976年]]) * [[9月12日]] - [[モーリス・シュヴァリエ]]、[[俳優]]・歌手(+ [[1972年]]) * [[9月16日]] - [[フランス・エーミル・シランペー]]、小説家(+ [[1964年]]) * [[9月17日]] - [[辻村みちよ]]、[[農学者]](+ [[1969年]]) * [[9月26日]] - [[T・S・エリオット]]、[[詩人]](+ 1965年) * [[9月28日]] - [[木村兵太郎]]、陸軍軍人(+ [[1948年]]) === 10月 - 12月 === * [[10月4日]] - [[中原悌二郎]]、[[彫刻家]](+ [[1921年]]) * [[10月7日]] - [[ヘンリー・A・ウォーレス]]、第33代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1965年]]) * 10月7日 - [[牟田口廉也]]、陸軍軍人、中将(+ [[1966年]]) * 10月7日 - [[島田善介]]、[[野球選手]](+ [[1955年]]) * [[10月10日]] - [[ヴィクトール・パリモフ]]、[[画家]](+ [[1929年]]) * [[10月11日]] - [[エミール・ボーンケ]]、[[ヴィオラ]]奏者・[[作曲家]]・[[指揮者]](+ [[1928年]]) * [[10月15日]] - [[S・S・ヴァン=ダイン]]、作家・[[美術評論家]](+ [[1939年]]) * [[10月16日]] - [[ユージン・オニール]]、[[劇作家]](+ [[1953年]]) * [[10月17日]] - [[沢田廉三]]、[[外交官]](+ [[1970年]]) * [[11月7日]] - [[チャンドラセカール・ラマン]]、[[物理学者]](+ [[1930年]]) * [[11月11日]] - [[ヨハネス・イッテン]]、[[芸術家]](+ [[1967年]]) * [[11月16日]] - [[石田退三]]、[[実業家]]、[[トヨタ自動車工業]]社長(+ [[1979年]]) * [[11月19日]] - [[ホセ・ラウル・カパブランカ]]、第3代[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの公式世界チャンピオン]](+ [[1942年]]) * [[11月23日]] - [[ハーポ・マルクス]]、[[コメディアン]]・[[マルクス兄弟]](+ [[1964年]]) * [[11月26日]] - [[フランシスコ・カナロ]]、[[タンゴ]]の[[ヴァイオリニスト]]・指揮者(+ [[1964年]]) * [[11月30日]] - [[末弘厳太郎]]、[[法学者]](+ [[1951年]]) * 11月30日 - [[ラルフ・ハートレー]]、[[電子工学]]研究者(+ [[1970年]]) * [[12月3日]] - [[水野仙子]]、小説家(+ 1919年) * [[12月8日]] - [[藤井厚二]]、[[建築家]](+[[1938年]]) * [[12月16日]] - [[アレクサンダル1世 (ユーゴスラビア王)|アレクサンダル1世]]、[[ユーゴスラビア#王国|ユーゴスラビア王]](+ [[1934年]]) * 12月16日 - [[藪田貞治郎]]、[[農芸化学|農芸化学者]](+ [[1977年]]) * [[12月19日]] - [[フリッツ・ライナー]]、指揮者(+ [[1963年]]) * [[12月20日]] - [[フレッド・マークル]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1956年]]) * [[12月23日]] - [[森戸辰男]]、[[思想家|社会思想家]]・[[教育者]](+ [[1984年]]) * [[12月26日]] - [[菊池寛]]、作家(+ [[1948年]]) * [[12月28日]] - [[F・W・ムルナウ]]、[[映画監督]](+ [[1931年]]) == 死去 == {{see also|Category:1888年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[アンリ・エルツ]]、作曲家、ピアニスト(* [[1803年]]) * [[1月19日]] - [[アントン・ド・バリー]]、[[植物学者]](* [[1831年]]) * [[1月23日]] - [[ギュスターヴ・ドレ]]、[[画家]](* [[1832年]]) * [[1月29日]] - [[エドワード・リア]]、画家・[[詩人]](* [[1812年]]) * [[2月10日]] - [[松浦武四郎]]、[[探検家]](* [[1818年]]) * [[2月22日]] - [[ジャン・アラール]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1815年]]) * [[3月4日]] - [[アモス・ブロンソン・オルコット]]、[[教育者]]、[[作家]](* [[1799年]]) * [[3月6日]] - [[ルイーザ・メイ・オルコット]]、[[小説家]](* [[1832年]]) * [[3月9日]] - [[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]、初代[[ドイツ皇帝]](* [[1797年]]) * [[3月29日]] - [[シャルル=ヴァランタン・アルカン]]、作曲家、ピアニスト(* [[1813年]]) * [[3月31日]] - [[ジャン=マリー・ギュイヨー]]、[[哲学者]]・[[詩人]](* [[1854年]]) * [[6月15日]] - [[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]、第二代ドイツ皇帝(* [[1831年]]) * [[6月22日]] - [[エドムント・ノイペルト]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](* [[1842年]]) * [[7月4日]] - [[テオドール・シュトルム]]、[[法律家]]、作家(* [[1817年]]) * [[7月19日]] - [[山岡鉄舟]]、幕臣・[[幕末の三舟]]の一人(* [[1835年]]) * [[7月20日]] - [[パウル・ランゲルハンス]]、[[医学者]](* [[1847年]]) * [[7月31日]] - [[大久保一翁]]、幕臣・[[政治家]](* [[1818年]]) * [[8月5日]] - [[フィリップ・シェリダン]]、軍人(* [[1831年]]) * [[8月24日]] - [[ルドルフ・クラウジウス]]、[[物理学者]](* [[1822年]]) * [[9月30日]] - [[エリザベス・ストライド]]、[[切り裂きジャック]]の被害者の一人(* [[1843年]])  * [[10月23日]] - [[三島通庸]]、[[薩摩藩]]士・[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]](* [[1836年]])    * [[11月1日]] - [[馬場辰猪]]、[[自由民権運動]]の政論家(* [[1850年]]) * [[11月5日]] - [[狩野芳崖]]、日本画家(* [[1828年]]) * [[11月26日]] - [[ルシアン・ゴーラール]]、発明家(* [[1850年]]) == フィクションのできごと == * ヴァストラが切り裂きジャックを殺害し捕食する。その後、デーモンズ・ランの戦いから帰還しストラックスを仲間に加え生活する。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』){{要出典|date=2021-03}} <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1888}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1888ねん}} [[Category:1888年|*]]
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1681年
1681年(1681 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1681年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1681}} {{year-definition|1681}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延宝]]9年、[[天和 (日本)|天和]]元年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2341年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]20年 *** [[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]{{Sup|*}} : [[永暦 (南明)|永暦]]35年 *** [[呉世璠]] : [[洪化]]4年(旧10月まで) * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]7年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4014年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[正和 (黎朝)|正和]]2年 * [[仏滅紀元]] : 2223年 - 2224年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1091年 - 1092年 * [[ユダヤ暦]] : 5441年 - 5442年 * [[ユリウス暦]] : 1680年12月22日 - 1681年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1681}} == できごと == * [[1月28日]](延宝8年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]) - 日本で[[酒井忠清]]が[[大老]]を解任される。 * [[3月4日]] - [[イングランド王国|イングランド王]][[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が[[ウィリアム・ペン]]に[[ニュージャージー州|ニュージャージー]]西部の土地を与える(現在の[[ペンシルベニア州|ペンシルベニア]])。 * [[10月]] - [[清]]で[[三藩の乱]]([[1673年]]-)が終結する。 * [[11月9日]](延宝9年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - 日本で[[改元]]が行われる。([[延宝]]から[[天和 (日本)|天和]]) * [[インド洋]]の[[モーリシャス]]に生息していた[[飛べない鳥]][[ドードー]]が[[絶滅]]。 * [[イングランド王国|イングランド]]の[[下院]]、[[庶民院]]で{{仮リンク|1685年イギリス総選挙|label=総選挙|en|English general election, 1681}}が施行される。 == 誕生 == {{see also|Category:1681年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月14日]] - [[ゲオルク・フィリップ・テレマン]]、[[作曲家]](+ [[1767年]]) * [[4月11日]] - [[アンヌ・ダニカン・フィリドール]]([[w:Anne Danican Philidor|Anne Danican Philidor]])、[[フィリドール家]]の[[音楽家]]、[[コンセール・スピリチュエル]]創設者(+ [[1728年]]) * [[6月18日]] - [[フェオファン・プロコポヴィチ]]([[w:Feofan Prokopovich|Feofan Prokopovich]])、[[大主教]]、[[政治家]](+ [[1736年]]) * [[6月26日]] - [[ヘドヴィグ・ソフィア・アヴ・スヴェーリエ|ヘドヴィグ・ソフィア]]、[[スウェーデン]][[王女]]、[[ホルシュタイン=ゴットルプ家|ホルシュタイン=ゴットルプ公]][[フレデリク4世 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公)|フレデリク4世]]公妃(+ [[1708年]]) * [[8月]] - [[ヴィトゥス・ベーリング]]、[[探検家]](+ [[1741年]]) * [[8月21日]] - [[エルンスト・フリードリヒ1世 (ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公)|エルンスト・フリードリヒ1世]]([[w:Ernest Frederick I, Duke of Saxe-Hildburghausen|Ernest Frederick I, Duke of Saxe-Hildburghausen]])、[[ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公]](+ [[1724年]]) * [[9月28日]] - [[ヨハン・マッテゾン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Johann-Mattheson Johann Mattheson German musician and writer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、作曲家、[[音楽理論家]](+ [[1764年]]) * [[11月28日]] - [[ジャン・カヴァリエ]]([[w:Jean Cavalier|Jean Cavalier]])、[[カミザールの乱]]指導者(+ [[1740年]]) * [[12月11日]] - [[エマヌエーレ・ダストルガ]]、作曲家(+ [[1736年]]) * [[12月14日]] - [[ジュゼッペ・ヴァレンティーニ]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(+ [[1753年]]) * [[間瀬正辰]]、[[赤穂浪士]](+ [[1703年]]) * [[絵島]]、[[大奥]]の[[御年寄]]、[[江島生島事件]]の中心人物(+ [[1741年]]) * [[ベンジャミン・レイ]]、[[慈善家]]、[[奴隷制廃止論|奴隷制廃止論者]](+ [[1760年]]) * [[永谷宗円]]、[[青製煎茶製法]]開発者、[[永谷園]]創業者[[永谷嘉男]]の先祖(+ [[1778年]]) == 死去 == {{see also|Category:1681年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月12日]] - [[フランス・ファン・ミーリス]]、[[画家]](* [[1635年]]) * [[5月25日]] - [[ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ]]、[[劇作家]](* [[1600年]]) * [[6月9日]] - [[ウィリアム・リリー]]([[w:William Lilly|William Lilly]])、[[占星術師]]、[[神秘主義者]](* [[1602年]]) * [[6月28日]] - [[マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の[[公妾]](* [[1661年]]) * [[7月1日]] - [[オリヴァー・プランケット]]([[w:Oliver Plunkett|Oliver Plunkett]])、[[アーマー]]大主教(* [[1629年]]) * [[7月4日]](延宝9年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[酒井忠清]]、[[大老]](* [[1624年]]) * [[7月9日]](延宝9年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]) - [[片倉景長]]、[[仙台藩]][[伊達氏]][[家老|国家老]](* [[1630年]]) * [[8月17日]] - [[ニーコン (モスクワ総主教)|ニコン]]、[[モスクワ総主教]](* [[1605年]]) * [[9月16日]] - [[ジャハナラ・ベーガム]]([[w:Jahanara Begum Sahib|Jahanara Begum]])、[[ムガル帝国]]皇女(* [[1614年]]) * [[10月7日]] - [[ニコラエス・ハインシウス1世]]([[w:Nikolaes Heinsius the Elder|Nikolaes Heinsius the Elder]])、[[西洋古典学|古典学者]]、[[詩人]](* [[1620年]]) * [[10月22日]] - [[ベネデット・フェラーリ]]、作曲家(* [[1603年]]?) * [[12月8日]] - [[ヘラルト・テル・ボルフ]]、画家(* [[1617年]]) * [[12月12日]] - [[ヘルマン・コンリング]]([[w:Hermann Conring|Hermann Conring]])、[[学者]](* [[1606年]]) * [[12月20日]](天和元年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[慧林性機]]、中国から来日した[[黄檗宗]]の僧(* [[1609年]]) * [[ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニ]]([[w:Giovanni Domenico Cerrini|Giovanni Domenico Cerrini]])、画家(* [[1609年]]) * [[フランチェスコ・コルベッタ]]([[w:Francesco Corbetta|Francesco Corbetta]])、作曲家、[[ギタリスト]]、[[音楽]]教師(* [[1615年]]頃) * [[ジャック・ガファレル]]([[w:Jacques Gaffarel|Jacques Gaffarel]])、[[哲学者]]、占星術師(* [[1601年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1681}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1681ねん}} [[Category:1681年|*]]
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17世紀
17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。 この時代のヨーロッパでは小氷期による世界レベルでの寒冷化が原因で17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ、各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは清教徒革命と名誉革命が起きて議会政治が、フランスではルイ13世によって絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた。ロシア帝国の前身となるロシア・ツァーリ国は未だ西欧化を受けていなかったが、旧宗主国のモンゴル帝国の後継政権諸国を下しつつ東方に勢力を伸ばし、本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧はポーランド・リトアニア共和国が未だ強勢を保ったが、ロシア・ツァーリ国はこの圧力を次第に跳ね返し、ウクライナを奪うことになる。やがてこの動きはスウェーデンとロシアの挟撃によって東欧が西欧とロシアの従属的な地位に転落していく流れを生む。 ヨーロッパから現在における北アメリカ大陸への永久移民が入植した。また、西インド諸島でのプランテーション経営に多くの労働力を必要としたことから、北アフリカ諸地域から黒人奴隷が盛んに連れて来られるようになった(奴隷貿易、三角貿易)。さらに、イギリス・オランダなどが東インド会社を設立するなど、ヨーロッパ諸国はアジア、新大陸である現南北米地域との間で交易を活発にした。 アジアでは西アジア(トルコ)のオスマン帝国、南アジア(インド)のムガル帝国と大帝国が繁栄し、後者では皇帝シャー・ジャハーンが文化を保護し、壮麗なタージ・マハルが建設された。だが、17世後半、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、その後に続く大トルコ戦争でもヨーロッパ諸国に敗れ、1699年にカルロヴィッツ条約でヨーロッパ側の領土の大規模割譲を強いられた。一方、ムガル帝国は皇帝アウラングゼーブのもと、それまでの融和路線を事実上打破する形で厳格な宗教政策を取り帝国を統治しようとしたが、マラーターの英雄シヴァージーに幾度となく抵抗された。シヴァージーの死後、アウラングゼーブはデカン戦争で帝国の最大領土を実現したが、マラーター王国との泥沼の戦いに入り、諸地方の反乱が起きるなど帝国は分裂の傾向を隠せずにいた。 東アジアでは建州女直から出たヌルハチが女真系諸国を統一して後金を興し、次のホンタイジの代で北元を征服して国号を大清国(ダイチン・グルン)と改め、さらに次代の順治帝は内紛で自壊した明を接収して元の北帰以来続いていたモンゴル高原と中国本土の対立する一種の南北朝時代を解消した。大清国は17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。日本では16世紀末の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康による江戸幕府が開かれ、第2代将軍秀忠の頃になると鎖国政策がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。 微分積分学と光学、万有引力などの諸法則・定理を発見したアイザック・ニュートン、望遠鏡を使用して月の表面に凸凹があることや木星に衛星があること、天の川が無数の星の集合であることなど天体に関する様々な発見により天文学に大きく貢献したガリレオ・ガリレイ、惑星の軌道が楕円であることなど天体の運行法則に関するケプラーの法則の提唱やルドルフ表を作り地動説のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示したヨハネス・ケプラーなど科学的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから科学革命と呼ばれている。 誰にでも検証可能な方法によって自説の正しさを証明するという、科学的方法が用いられるようになったのもこの時期からである。 ヨーロッパで15世紀から広がり始めた魔女狩りが、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で極刑を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が処刑されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの植民地でも数は少ないが魔女狩りの例がある(セイラム魔女裁判など)。
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17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。
{{出典の明記|date=2023年3月}} {{centurybox}} [[ファイル:Chateau Versailles Galerie des Glaces.jpg|right|thumb|280px|[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の世紀。フランス語では「{{仮リンク|偉大なる世紀|fr|Grand Siècle (histoire de France)}}」を意味する''Grand Siècle''と呼ぶこの時代に、[[フランス王国|フランス]]の権勢と威信を示すために王の命で壮麗な[[ヴェルサイユ宮殿]]が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。]] [[ファイル:Las Meninas, by Diego Velázquez, from Prado in Google Earth.jpg|right|thumb|220px|[[スペイン帝国|スペイン]]の没落。国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の時代に「[[スペイン黄金時代]]」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻と[[マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ|マルガリータ]]王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いた[[ディエゴ・ベラスケス]]の「[[ラス・メニーナス]]」。]] [[ファイル:René Descartes i samtal med Sveriges drottning, Kristina.jpg|right|thumb|220px|[[ルネ・デカルト]]。「我思う故に我あり」で知られる『[[方法序説]]』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。]] [[File:Portrait of Sir Isaac Newton, 1689.jpg|right|thumb|180px|[[アイザック・ニュートン]]。主著『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』で[[万有引力]]と[[絶対空間]]・絶対時間を基盤とする[[ニュートン力学]]を構築した。]] [[ファイル:The Anatomy Lesson.jpg|right|thumb|220px|[[レンブラント・ファン・レイン]]の「[[テュルプ博士の解剖学講義]]」。この時代は[[オランダ黄金時代の絵画|オランダの黄金時代]]であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。]] [[ファイル:Sweerts Florilegium 1647 Plate 10.jpg|right|thumb|180px|[[チューリップ・バブル]]。[[オスマン帝国]]からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初の[[バブル経済]]を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあった[[エマヌエル・スウェールツ]]『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。]] [[File:Bautzen-nach1620-Merian.jpg|thumb|right|250px|[[三十年戦争]]。「[[17世紀の危機]]」の中でも全ヨーロッパを巻き込んだ最後の宗教戦争であるこの戦争は、各国を消耗させとりわけ[[神聖ローマ帝国]]の解体を促進した。画像は[[ボヘミア]]の都市[[バウツェン]]を包囲する[[ザクセン選帝侯]][[ヨハン・ゲオルク1世]]。]] [[ファイル:Westfaelischer Friede in Muenster (Gerard Terborch 1648).jpg|right|thumb|220px|ヴェストファーレン会議。以後ヨーロッパの国際関係は[[ヴェストファーレン体制]]と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。画像は[[ヘラルト・テル・ボルフ]]の絵画([[アムステルダム国立美術館]]蔵)で、[[三十年戦争]]の終結のために開かれた[[ミュンスター]]での会議の様子。]] [[ファイル:Sir Anthony Van Dyck - Charles I (1600-49) - Google Art Project.jpg|right|thumb|220px|[[清教徒革命]]。国王と議会の対立はイングランドを巻き込んだ内乱となり、その渦中で国王は処刑された。近年では[[スコットランド]]・[[アイルランド]]を含めた[[三王国戦争]]の名でも知られる。画像は[[ヴァン・ダイク]]による「国王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]の三面肖像画」。]] [[File:Great Fire London.jpg|thumb|right|250px|[[ロンドン大火]]。[[1666年]][[9月1日]]に起こった火事は[[ロンドン]]市内の8割を炎上させる惨事となった。画像は炎に包まれた市内を描いた記録画で、左手に[[ロンドン橋]]、右手に[[ロンドン塔]]、そして遠方に[[セント・ポール大聖堂]]が見える。]] [[ファイル:Estasi di Santa Teresa.jpg|thumb|right|200px|[[バロック]]の栄光。対抗宗教改革でカトリック教会は宗教的感情に訴える総合芸術「バロック」を作り出した。画像はローマの[[サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会]]コルナロ礼拝堂に置かれた[[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ|ベルニーニ]]の「[[聖テレジアの法悦]]」。]] [[File:Peter Paul Rubens 035.jpg|thumb|right|200px|[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]。[[フランドル]]出身の画家で壮大なスケールと肉感のある迫真の描写により王侯たちに愛され「王の画家、画家の王」と呼ばれた。画像は「フランス王妃[[マリー・ド・メディシス]]の生涯」の連作から王妃がマルセイユ港に到着した場面([[ルーヴル美術館]]蔵)。]] [[ファイル:Battle of Vienna 1683 11.PNG|right|thumb|250px|[[第二次ウィーン包囲]]。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国は[[ハンガリー]]を喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。画像は[[ウィーン軍事史博物館]]所蔵の逸名画家による「1683年9月のウィーン市包囲と救援」。]] [[ファイル:Boyaryna Morozova by V.Surikov (1884-1887, Tretyakov gallery).jpg|right|thumb|300px|[[モスクワ総主教]]ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「[[古儀式派]]」と呼ばれ弾圧された。画像は[[ワシーリー・スリコフ]]の歴史画「貴族夫人モローゾヴァ([[トレチャコフ美術館]]蔵)」で古儀式派の信仰を守り[[致命者]]([[殉教者]])となる貴族夫人を描いている。]] [[ファイル:Stenka Razin by Vasily Surikov 1906.jpg|thumb|right|300px|[[スチェパン・ラージン]]。ロシアでは[[ロマノフ朝]]の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗した[[ドン・コサック]]の反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像は[[カスピ海]]を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。]] [[File:Ilja Jefimowitsch Repin - Reply of the Zaporozhian Cossacks - Yorck.jpg|thumb|right|300px|[[露土戦争 (1676年-1681年)|露土戦争]]の始まり。長らくリトアニア・ポーランドの支配下にあった[[ウクライナ]]では、オスマン帝国との衝突から隣国ロシアを巻き込んでの大規模な戦争が勃発した。画像は[[イリヤ・レーピン]]の歴史画「{{仮リンク|ザポロージャ・コサックの返信|en|Reply of the Zaporozhian Cossacks}}」で指導者であるイヴァン・シルコがオスマン皇帝[[メフメト4世]]に宛てて世にも無礼な返信を書かせている場面。]] [[File:Petr the Great in Holland by M.Dobuzhinskiy (1910, GTG).jpg|right|thumb|250px|ロシア皇帝[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]の大使節団。西欧の科学技術導入のために派遣したもので皇帝自らが随行員として参加している。画像は[[ムスチスラフ・ドブジンスキー]]が1910年に描いたオランダのアムステルダムで船大工の仕事に勤しむピョートル1世の歴史画。]] [[ファイル:Blue Mosque Courtyard Dusk Wikimedia Commons.jpg|thumb|right|250px|[[スルタンアフメト・モスク]]。トルコの[[イスタンブール]]を代表する[[モスク]]で、オスマン帝国の第14代スルタン・[[アフメト1世]]の命で7年の歳月をかけて建築家{{仮リンク|メフメト・アー|en|Sedefkar Mehmed Agha}}により建設された。優美な6本の[[ミナレット]]と堅牢な大ドームを含め青い壁面で覆われた「世界で最も美しいモスク」と評される。]] [[File:Claes Rålamb Kösem Sultan.png|thumb|right|200px|{{仮リンク|オスマン帝国の女人天下|en|Sultanate of Women}}。 第14代アメフト1世の寵妃[[キョセム・スルタン]]は息子が第17代ムラト4世として即位したことで母后(ヴァーリデ・スルタン)になり、孫の第19代メフメト4世まで3代にわたり[[ハレム]]から国政に関与し絶大な権力を握った。以後もこうした女性が続き「女人天下」とよばれた。画像は母后キョセムを描いた17世紀の細密画。]] [[File:Evliya Celebi by Piros Rostás Bea (2014) in Eger, 2016 Hungary.jpg|thumb|right|200px|旅行家[[エヴリヤ・チェレビ]]。首都[[イスタンブール]]生まれのチェレビはその生涯を通じてオスマン帝国各地を訪ね歩き、17世紀の[[パクス・オトマニカ|帝国最盛期]]の風俗や習慣を『旅行記』で克明に記録している。画像はハンガリーのエゲル城に再現されたチェレビの彫像。]] [[ファイル:Sheikh-Lotf-Allah mosque wall and ceiling 2.jpg|right|thumb|250px|[[エスファハーン]]の栄華。[[サファヴィー朝]]の[[シャー]]・[[アッバース1世]]が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられた{{仮リンク|シェイク・ロトフォラー・モスク|en|Sheikh Lotfollah Mosque}}の内部。]] [[File:12 Abu'l Hasan Jahangir Welcoming Shah 'Abbas, ca. 1618, Freer Gallery of Art, Washington DC.jpg|thumb|right|200px|イスラム国家間の平和。シ-ア派とスンナ派という立場はあれど、隣接するサファヴィー朝とムガル朝の関係はおおむね良好であった。画像はムガル皇帝ジャハーンーギルに歓待されるサファヴィー朝のシャー・アッバース1世。]] [[File:6Abu'l Hasan Squirrels in a Plane Tree, ca. 1610, India Office Library and Records, London.jpg|thumb|right|200px|[[ムガル絵画]]の黄金時代。インド伝統絵画と中央アジア伝来の絵画が混交し、洗練された宮廷の絵画様式を誕生させた。画像はアブ-・ハッサンとマンスールにより1610年頃に描かれた細密画「プラタナスの樹にいるリスたち」。]] [[ファイル:Taj Mahal, Agra, India edit3.jpg|right|thumb|250px|[[タージ・マハル]]。ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]が絶世の美女と称えられた愛妃[[ムムターズ・マハル]]を偲んで[[アーグラ]]に建てた白亜の霊廟。]] [[File:Aurangzeb T0000253 104.jpg|thumb|right|200px|絶頂から衰退に向かうムガル帝国。皇帝[[アウラングゼーブ]]の長い治世にこの帝国の領土は最大に拡がった。しかしイスラム教徒優先の政治は不満や衝突を惹起し、早くもこの皇帝の晩年には衰退の兆しが見え始めた。画像は[[孔雀の玉座]]に座るアウラングゼーブ帝。]] [[ファイル:Lopburi King Narai plate.jpg|thumb|right|200px|[[アユタヤ朝]]の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像は[[ナーラーイ]]王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。]] [[File:Potala.jpg|thumb|right|250px|[[ラサ]]の[[ポタラ宮]]。ラサに[[チベット仏教]]の教主[[ダライ・ラマ5世]]を頂点とする[[ガンデンポタン]]体制が成立し、アジア各地にチベット仏教の信仰が拡がった。]] [[File:Dong Qichang.Landscapes in the Manner of Old Masters (Wang Wei). Album leaf.1621-24 Nelson-Atkuns Museum.jpg|right|thumb|200px|芸林百世の師。爛熟する明の文雅の世界にあって書画に独自の美意識を導入したのが[[董其昌]]である。その美学は後世に大きな影響を与えた。画像は「倣古山水図冊(ネルソン・アトクンス美術館蔵)」。]] [[ファイル:Ricci Guangqi 2.jpg|right|thumb|200px|[[イエズス会]]の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する[[インカルチュレーション|順応主義]]を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれた[[マテオ・リッチ]](利瑪竇)と[[徐光啓]]。]] [[File:Huang Zong-Xi.jpg|thumb|right|170px|清初三大師。明朝から異民族である清朝の支配交代は漢人士大夫に大きな衝撃を与えた。この状況で[[黄宗羲]]・[[顧炎武]]・[[王夫之]]は清朝に仕えることなく[[経世致用の学|経世致用]]を探り[[考証学]]の基礎を築いて三大師と呼ばれた。画像は「東洋のルソー」とも呼ばれた黄宗羲の肖像画。]] [[ファイル:Kangxi1699.jpg|thumb|right|200px|[[康熙帝]]。この皇帝の時代までに清は[[南明]]政権を倒し、[[三藩の乱]]も制圧して[[満州人]]の中国支配を確立した。康熙帝は賢君英主として知られ、近侍したイエズス会士[[ジョアシャン・ブーヴェ|ブーヴェ]]の『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。]] [[ファイル:Hall of Supreme Harmony.JPG|right|thumb|250px|[[紫禁城]][[太和殿]]。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、太和殿は康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。ここで皇帝の即位・大婚・皇后冊立・遠征出征などの儀礼が行われ、皇帝が群臣の祝賀を受ける[[朝会]]も行われていた。]] [[File:The Emperor at the Kherlen river.jpg|thumb|right|250px|[[清・ジュンガル戦争|清とジュンガルとの戦い]]。中央アジアの征服を目指した[[ジュンガル部]]の[[ガルダン・ハン]]であったが、清の康熙帝の遠征により{{仮リンク|ジョーン・モドの戦い|en|Battle of Jao Modo}}で敗北した。この後も両者の抗争は長く続くことになる。画像は『北征督運圖冊』に描かれた[[ヘルレン川]]流域で陣を構える清の部隊。]] [[ファイル:The Portrait of Koxinga.jpg|right|thumb|190px|[[台湾]]の[[鄭成功]]。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり[[近松門左衛門]]の「[[国姓爺合戦]]」などを通じて日本人にも広く知られた。]] [[ファイル:Tokugawa Ieyasu2.JPG|right|thumb|250px|[[江戸幕府]]の成立。[[徳川家康]]は[[関ヶ原の戦い]]で勝利して[[征夷大将軍]]となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は[[狩野探幽]]による「徳川家康像」([[大阪城]]天守閣蔵)。]] [[ファイル:Nikko Yomeimon M3135.jpg|thumb|right|250px|[[日光東照宮]]。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ[[日光]]に葬られた。続く三代将軍[[徳川家光]]の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。]] [[ファイル:Okuni with cross dressed as a samurai.jpg|thumb|right|200px|[[歌舞伎]]の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた[[出雲阿国]]の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻([[名古屋市|名古屋]][[徳川美術館]]蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。]] [[ファイル:Edo l122.jpg|right|thumb|250px|新興都市[[江戸]]。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は[[明暦の大火]]で焼失するまで威容を誇った[[江戸城]][[天守閣]]が描かれた「江戸図屏風」([[国立歴史民俗博物館]]蔵)。]] [[File:Amakusa Shiro Battle Flag in Shimabara Rebellion.png|thumb|right|200px|「[[鎖国]]」への道。徳川幕府は将軍家光の時代までに、[[島原の乱]]の鎮圧に見られた厳格なキリスト教対策もあって、ヨーロッパとの貿易を限定していくことになる。画像は島原の乱で切支丹反乱軍が用いていたとされる軍旗「[[天草四郎]]陣中旗」([[天草切支丹館]]蔵)。]] [[ファイル:Berlin (5595253167).jpg|right|thumb|250px|海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、[[オランダ東インド会社]]を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工された[[ベルリン]]の[[シャルロッテンブルク宮殿]]の「磁器の間」。]] [[ファイル:Last Voyage Of Henry Hudson.jpg|thumb|right|180px|探検家[[ヘンリー・ハドソン]]。イングランドの探検家で、[[ニューヨーク]]を流れる[[ハドソン川]]や、[[カナダ]]北部の[[ハドソン湾]]にその名がつけられている。最後の航海では船員と仲違いし、置き去りにされ行方不明となった。画像は[[ジョン・コリア (画家)|ジョン・コリア]]による歴史画「ヘンリー・ハドソンの最後の航海(1881年)」。]] [[File:Witchcraft at Salem Village.jpg|right|thumb|250px|[[セイラム魔女裁判]]。新大陸アメリカでも共同体内部での摩擦から人間関係の衝突を引き起こすことがあった。画像は19世紀の歴史画で、証人の少女[[メアリー・ウォルコット]]が失神している場面。]] [[ファイル:Pyle pirate handsome.jpg|right|thumb|170px|[[海賊の黄金時代]]。[[西インド諸島]]での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像は[[ハワード・パイル]]が描いた「カリブ海のバッカニーア」。]] [[ファイル:San Francisco Lima.jpg|right|thumb|170px|スペイン副王支配の[[リマ]]。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会による[[ウルトラバロック]]とも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。]] [[File:Aernout Smit Table Bay, 1683 William Fehr Collection Cape Town.jpg|thumb|right|250px|[[ケープ植民地]]。オランダ人[[ヤン・ファン・リーベック]]がこの地に到達して以来、白人系による植民地が形成された。画像は1683年にテーブルマウンテンを背後に広がる[[ケープタウン]]を描いたもので、港には国旗を掲げるオランダ船が見える。]] [[ファイル:Portrait of Abel Tasman, his wife and daughter (adjusted).jpg|サムネイル|250x250ピクセル|[[未知の南方大陸]]を求めて。地理上の空白地帯である「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」を探すべく、多くの探検家が挑戦をした。オランダ人[[タスマン]]もその一人で、[[タスマニア島]]や[[ニュージーランド]]を訪れた最初のヨーロッパ人となった。画像は地球儀を指さすタスマンとその妻と娘を描いた肖像画。]] '''17世紀'''(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、[[西暦]][[1601年]]から西暦[[1700年]]までの100年間を指す[[世紀]]。 == 17世紀の歴史 == この時代の[[ヨーロッパ]]では[[小氷期]]による世界レベルでの寒冷化が原因で'''[[17世紀の危機]]'''と呼ばれる混乱が生じ、各国で[[飢饉]]、[[戦争]]、[[内乱]]が相次いだ。この結果、[[イギリス]]では'''[[清教徒革命]]'''と'''[[名誉革命]]'''が起きて[[議会|議会政治]]が、[[フランス]]では[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]によって[[絶対王政]]が確立された。この混乱を免れた[[オランダ]]は[[自由貿易]]により大いに栄えた。[[ロシア帝国]]の前身となる[[ロシア・ツァーリ国]]は未だ[[西ヨーロッパ|西欧]]化を受けていなかったが、旧宗主国の[[モンゴル帝国]]の後継政権諸国を下しつつ東方に勢力を伸ばし、本格的に[[シベリア]]で世界最大の[[領土|版図]]を築いた。[[東欧]]は[[ポーランド・リトアニア共和国]]が未だ強勢を保ったが、ロシア・ツァーリ国はこの圧力を次第に跳ね返し、[[ウクライナ]]を奪うことになる。やがてこの動きは[[スウェーデン]]とロシアの挟撃によって[[東ヨーロッパ|東欧]]が西欧とロシアの[[従属国|従属]]的な地位に転落していく流れを生む。 ヨーロッパから現在における[[北アメリカ大陸]]への永久[[移民]]が入植した。また、[[西インド諸島]]での[[プランテーション]]経営に多くの労働力を必要としたことから、[[北アフリカ]]諸地域から[[ネグロイド|黒人]][[奴隷]]が盛んに連れて来られるようになった([[奴隷貿易]]、[[三角貿易]])。さらに、イギリス・オランダなどが[[東インド会社]]を設立するなど、ヨーロッパ諸国は[[アジア]]、[[新大陸]]である現南北米地域との間で交易を活発にした。 アジアでは[[西アジア]]([[トルコ]])の[[オスマン帝国]]、[[南アジア]]([[インド]])の[[ムガル帝国]]と大[[帝国]]が繁栄し、後者では皇帝[[シャー・ジャハーン]]が[[文化 (代表的なトピック)|文化]]を保護し、壮麗な[[タージ・マハル]]が建設された。だが、17世後半、オスマン帝国は[[第二次ウィーン包囲]]に失敗し、その後に続く[[大トルコ戦争]]でもヨーロッパ諸国に敗れ、[[1699年]]に[[カルロヴィッツ条約]]でヨーロッパ側の領土の大規模割譲を強いられた。一方、ムガル帝国は皇帝[[アウラングゼーブ]]のもと、それまでの融和路線を事実上打破する形で厳格な宗教政策を取り帝国を統治しようとしたが、[[マラーター]]の英雄[[シヴァージー]]に幾度となく抵抗された。シヴァージーの死後、アウラングゼーブは[[デカン戦争]]で帝国の最大領土を実現したが、[[マラーター王国]]との泥沼の戦いに入り、諸地方の反乱が起きるなど帝国は分裂の傾向を隠せずにいた。 東アジアでは[[建州女直]]から出た[[ヌルハチ]]が[[女真]]系諸国を統一して[[後金]]を興し、次の[[ホンタイジ]]の代で[[北元]]を征服して国号を[[大清国]](ダイチン・グルン)と改め、さらに次代の[[順治帝]]は内紛で自壊した[[明]]を接収して[[元 (王朝)|元]]の北帰以来続いていた[[モンゴル高原]]と[[中国本土]]の対立する一種の南北朝時代を解消した。大清国は17世紀後半には[[康熙帝]]の登場により最盛期を迎えた。[[日本]]では16世紀末の[[関ヶ原の戦い]]で勝利した[[徳川家康]]による[[江戸幕府]]が開かれ、第2代将軍[[徳川秀忠|秀忠]]の頃になると'''[[鎖国政策]]'''がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。 === 17世紀の科学革命 === [[微分積分学]]と[[光学]]、[[万有引力]]などの諸法則・定理を発見した[[アイザック・ニュートン]]、[[望遠鏡]]を使用して[[月]]の表面に[[凸凹]]があることや[[木星]]に[[衛星]]があること、[[天の川]]が無数の[[恒星|星]]の集合であることなど[[天体]]に関する様々な発見により[[天文学]]に大きく貢献した[[ガリレオ・ガリレイ]]、[[惑星]]の[[軌道 (力学)|軌道]]が[[楕円]]であることなど天体の運行法則に関する[[ケプラーの法則]]の提唱や[[ルドルフ表]]を作り[[地動説]]のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示した[[ヨハネス・ケプラー]]など[[科学]]的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから'''[[科学革命]]'''と呼ばれている。 誰にでも[[検証]]可能な方法によって自説の正しさを証明するという、[[科学的方法]]が用いられるようになったのもこの時期からである。 === 魔女狩りのピークと衰退 === ヨーロッパで[[15世紀]]から広がり始めた[[魔女狩り]]が、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で[[極刑]]を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が[[処刑]]されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの[[植民地]]でも数は少ないが魔女狩りの例がある([[セイラム魔女裁判]]など)。 == できごと == * 日本では[[江戸時代]]の初期・前期にあたる。 * 中国では明清時代(17世紀前半が明朝・中盤から後半が清朝)、また[[モンゴル帝国]]の[[皇帝]]位として存続していた[[北元]]が消滅した。 ---- === 1600年代 === {{main|1600年代}} * 1601年 ** [[海禁]]政策をとっていた[[明]]王朝下で、[[マテオ・リッチ]]が[[北京市|北京]]入城を果たし住居を得る。 ** イングランド女王エリザベス1世の寵臣[[ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)|エセックス伯]]が[[反逆罪]]で死刑に処せられる。 ** イングランド女王エリザベス1世の「{{仮リンク|黄金演説|en|Golden Speech}}」。 ** {{仮リンク|エリザベス救貧法|en|Poor Relief Act 1601}}の制定。 ** {{仮リンク|ロシア大飢饉|en|Russian famine of 1601–03}}( - [[1603年]])。 ** [[蘇州府|蘇州]]で織傭の変。 ** [[佐渡金山]]が開山する。 * 1602年 ** [[オランダ]]が世界初の[[株式会社]]である東インド会社を設立([[オランダ東インド会社]])。 *** また同時期に世界初の常設証券取引所として[[アムステルダム証券取引所]]が設置される ** [[本願寺]]が[[西本願寺]]([[七条通|七条]][[堀川通|堀川]])と[[東本願寺]](七条[[烏丸通|烏丸]])に分裂。 ** [[イエズス会]]宣教師[[マテオ・リッチ]]が「[[坤輿万国全図]]」を作成する。 ** [[陽明学]]左派の思想家[[李卓吾]]が投獄され、獄中で自殺。 * 1603年 ** イングランド女王エリザベス1世死去により[[テューダー朝]]断絶。 *** [[スコットランド]]王[[ジェームズ6世 (スコットランド王)|ジェームズ6世]]が[[イングランド]]王ジェームズ1世として即位し、[[ステュアート朝]]による両国の[[同君連合]]が成立。 ** [[フルダ魔女裁判]]( - [[1606年]])。 ** ロシアで帝位僭称者[[偽ドミトリー1世]]が出現。 ** [[徳川家康]]が初代[[征夷大将軍|将軍]]となり、[[江戸幕府]]が成立。現存する京都[[二条城]]が完成する。 ** イエズス会により『[[日葡辞書]]』本編が刊行される。[[出雲阿国]]が[[北野天満宮]]で[[かぶき踊り]]を演じる * 1604年 ** [[顧憲成]]が[[無錫]]で[[東林書院]]を復興する。 ** [[朱印船貿易]]の制度が確立される。[[生糸]]輸入に関する[[糸割符]]が導入される。 ** イエズス会士[[ジョアン・ロドリゲス]]により『[[日本語大文典]]』が出版される( - 1608年)。 ** フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]により[[フランス東インド会社]]が設立される。 * 1605年 ** [[イングランド]]の[[ガイ・フォークス]]らが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗([[火薬陰謀事件]])。 ** マテオ・リッチが「[[開封のユダヤ人]]」の存在についてイエズス会本部に報告する。 ** [[徳川秀忠]]が江戸幕府第2代将軍となる。 * 1606年 ** オランダ人{{仮リンク|ウィレム・ヤンツ|en|Willem Janszoon}}がヨーロッパ人として最初に[[オーストラリア]]西海岸に到達。 ** [[シク教]]5代目グルのアルジュンがムガル帝国の弾圧を受け死亡する。 ** 儒学者[[林羅山]]とイエズス会日本人修道士[[不干斎巴鼻庵]]との「地球論争」。 * 1607年 ** イングランドが[[北アメリカ大陸]]の[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]に入植成功。 ** アンリ4世がフランス王と[[ウルヘル]]司教を共同大公とする勅令を出し[[アンドラ公国]]が成立。 ** パリの[[セーヌ川]]にかかる[[ポンヌフ]]が完成する。 ** 教皇[[パウルス5世 (ローマ教皇)|パウルス5世]]が[[恩寵]]と[[自由意思]]をめぐるドミニコ会とイエズス会の論争停止を命じる。 * 1608年 ** フランスが[[カナダ]]の[[ケベック]]植民地([[ケベック・シティ|ヴィル・ド・ケベック]])を形成する。 ** 朝鮮国王[[宣祖]]が死去、息子の[[光海君]]が即位し、異母弟[[永昌大君]]を謀殺し、その母の[[仁穆王后]]を廃し幽閉する(廃母殺弟)。 * 1609年 ** [[己酉約条]]。 [[島津氏]]による[[琉球王国]]侵攻([[琉球侵攻]])。 ** [[池田輝政]]による改修で現存する[[姫路城]][[天守閣]]が完成する。 ** [[猪熊事件]]。 ** スペインでのイスラム教徒([[モリスコ]])追放令。 ** [[フーゴー・グロティウス]]の『[[海洋自由論]]』が刊行される。 ** [[ヘンリー・ハドソン]]による[[マンハッタン島]](現[[ニューヨーク]])の発見。 === 1610年代 === {{main|1610年代}} * 1610年 ** フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]が暗殺される。息子の[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]が即位し、王母[[マリー・ド・メディシス]]が[[摂政]]を務める。 ** [[ガリレオ・ガリレイ]]『[[星界の報告]]』出版。 * 1611年 ** [[後陽成天皇]]が譲位し、第108代[[後水尾天皇]]が即位。 ** 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が退位させられ、弟の[[マティアス (神聖ローマ皇帝)|マティアス]]が即位する。 ** [[スウェーデン]]王[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ(獅子王)]]が17歳で即位。 ** イングランドで『[[欽定訳聖書]]』(ジェームズ王訳)が出される。 * 1612年 ** [[クジマ・ミーニン|ミーニン]]と[[ドミートリー・ポジャールスキー|ポジャールスキー公]]の指揮するロシア軍がポーランド軍をモスクワ・クレムリンから追放。 ** [[名古屋城]]落成。[[岡本大八事件]]で[[有馬晴信]]が処刑される。[[大鳥逸平]]と配下の[[かぶき者]]300余名が処刑される。 * 1613年 ** [[ロシア]]皇帝に[[ミハイル・ロマノフ]]が推戴され、[[ロマノフ朝]]が成立。 ** [[伊達政宗]]が[[支倉常長]]ら[[慶長遣欧使節]]を送る。 [[大久保長安事件]]。 * 1614年 ** [[大坂冬の陣]]。 ** 王母[[マリー・ド・メディシス]]による{{仮リンク|ブロワの三部会 (1614年)|fr|États généraux de 1614|label=ブロワの三部会}}。 *** 以後[[1789年]]の[[フランス革命]]直前まで100年余にわたり全国[[三部会]]は開催されず。 * 1615年 ** [[大坂夏の陣]]により、徳川家康が[[豊臣氏]]を滅ぼす([[元和偃武]])。 ** [[武家諸法度]](元和令)により、反逆・殺害者の追放や城郭修理の報告などが定められる。[[一国一城令]]が定められる。[[禁中並公家諸法度]]が定められる。 ** [[慶長遣欧使節]]がスペイン王フェリペ3世や、ローマ教皇パウルス5世と謁見。 ** 明で皇太子常洛の暗殺未遂事件(梃撃の案)。 * 1616年 ** [[ヌルハチ]]が[[後金]]([[清]]の前身)を建国し、初代皇帝となる。 ** 徳川家康が死去、[[久能山東照宮|久能山]]に葬られる。家康の六男[[松平忠輝|忠輝]]が改易される。 ** オスマン皇帝[[アフメト1世]]によりイスタンブールの[[スルタンアフメト・モスク]](ブルー・モスク)が完成する([[1609年]] - )。 * 1617年 ** フランス元帥[[コンチーノ・コンチーニ]]暗殺、ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスの失脚。 ** 徳川家康が[[日光東照宮|日光]]に改葬され、[[天海]]の奏上で「[[東照大権現]]」の称号を得る。 * 1618年 ** [[ベーメン]]で[[プラハ窓外投擲事件]]。この事件をきっかけに[[三十年戦争]]が始まる( - 1648年)。 ** [[ヴァルテッリーナ]]戦争( - [[1637年]])。 ** [[ヨーハン・ジギスムント]]のもとで[[プロイセン公国]]と[[ブランデンブルク選帝侯]]国が同君連合となる。 ** [[デウリノの和約]]で[[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]の領土が最大に広がる。 ** 探検家[[ウォルター・ローリー]]の処刑。 ** [[ドルトレヒト会議]]にて[[改革派教会]]から[[アルミニウス主義]]([[レモンストラント派]])が排斥される( - [[1619年]])。 * 1619年 ** [[サルフの戦い]]で、後金のヌルハチが明に勝利する。 ** [[董其昌|董氏]]の奴変。 ** 神聖ローマ皇帝フェルディナント2世が即位。ベーメンではフェルディナントに代わりプファルツ選帝侯が王に選ばれる。 ** オランダ東インド会社が[[バンテン王国]]から[[ジャカルタ]]を獲得し[[バタヴィア]]要塞を建設。 ** [[万里小路事件]]。 === 1620年代 === {{main|1620年代}} * 1620年 ** [[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]が『[[ノヴム・オルガヌム]]』を刊行する。 ** [[ピルグリム・ファーザーズ]]が[[メイフラワー号]]でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。 ** [[白山の戦い]](ビーラー・ホラの戦い)でベーメン王[[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ1世]](冬王)が敗北し亡命。 ** 明の[[泰昌帝]]が第15代皇帝に即位、在位1か月で死去のため毒殺の疑いがもたれる(紅丸の案)。 *** [[天啓帝]]が第16代皇帝に即位し、泰昌帝の[[李康妃|李選侍]](西李)が新帝から引き離される(移宮の案)。 ** 徳川秀忠の娘の[[徳川和子|和子]](後の東福門院)が後水尾天皇に入内する。 * 1621年 ** [[オランダ西インド会社]]が設立される。 ** [[エチオピア皇帝]][[スセニョス1世]]がカトリックに改宗( - [[1632年]])。 * 1622年 ** [[長崎市|長崎]]で[[キリシタン]]55名が[[処刑]]される([[元和の大殉教]])。 ** [[宇都宮城釣天井事件]]。 ** サファヴィー朝のアッバース1世が[[ホルムズ島]]をポルトガルから奪回する。 ** オスマン皇帝[[オスマン2世]](ゲンチ)が[[イェニチェリ]]軍団に殺害される。 ** [[ジェームズタウンの虐殺]]。 * 1623年 ** 越前国[[福井藩]]主[[松平忠直]]が改易される、[[徳川家光]]が江戸幕府第3代将軍となる。 ** 朝鮮で[[西人派]]の政変により[[光海君]]が廃位され、綾陽君李倧が擁立されて[[仁祖]]として即位([[仁祖反正]])。 ** オスマン皇帝[[ムラト4世]]が即位。母后キョセム・スルタンが摂政として国政を担当。 ** [[アンボイナ事件]]。 * 1624年 ** [[リシュリュー]]がフランスの宰相となる。 ** オランダ東インド会社が[[台湾]]に[[ゼーランディア城]](安平古堡)を造営する。 * 1625年 ** [[ブレダの開城]]。 ** パリの[[ポール・ロワイヤル修道院]]が創設される。 ** [[フーゴー・グローティウス]]の『[[戦争と平和の法]]』が刊行される。 ** [[東林書院]]が閉鎖され、[[東林党]]の楊漣や左光斗が処刑される。 ** イエズス会士[[アルヴァロ・セメド]]が西安近郊にて「[[大秦景教流行中国碑]]」を実見し報告する。 ** [[天海]]により[[天台宗]]関東総本山の東叡山[[寛永寺]]が開山。 * 1626年 ** 蘇州で開読の変。[[王恭廠大爆発]]。 ** [[寧遠の戦い]]で明が後金に勝利。 *** {{仮リンク|紅夷大砲|zh|紅衣大炮}}で負傷したヌルハチが死去し、[[ホンタイジ]]が第2代皇帝として即位。 ** 教皇ウルバヌス8世が[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う。 ** [[バンベルク魔女裁判]]( - [[1631年]])。 * 1627年 ** [[丁卯胡乱]]。 ** 明の天啓帝が死去し、宦官[[魏忠賢]]が処刑される。 ** フランスで[[ラ・ロシェル包囲戦]]( - 1628年)。フランス宰相リシュリューが[[ヌーベルフランス]]会社を設立。 ** {{仮リンク|マントヴァ継承戦争|it|Guerra di successione di Mantova e del Monferrato|en|War of the Mantuan Succession}}( - 1632年)。 ** 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の命により、天文学者ヨハネス・ケプラーが「[[ルドルフ表]]」を作成。 ** [[春日局]]の宮中参内に伴う金杯事件。 * 1628年 ** イングランド議会が[[権利の請願]]を採択。[[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|バッキンガム公]]が暗殺される。 ** 明の[[崇禎帝]]が第17代皇帝に即位。 ** 華北陝西での大飢饉から各地で農民反乱([[李自成]]の乱・[[張献忠]]の乱に発展)。 * 1629年 ** [[紫衣事件]]により[[沢庵宗彭]]らが流罪にされる。後水尾天皇が譲位し、第109代[[明正天皇]]が即位。 ** イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず( - 1640年)。 ** フランスで{{仮リンク|アレスの勅令|fr|Paix d'Alès}}が発せられ、プロテスタントの軍事的権利が剥奪される。 ** [[アチェ]]国王イスカンダル・ムダの[[マラッカ]]遠征がポルトガルに撃退される。 === 1630年代 === {{main|1630年代}} * 1630年 ** [[マクデブルクの戦い]](マクデブルクの惨劇)。 ** オランダがポルトガル領ブラジルの[[レシフェ]]を占領( - [[1654年]])。 ** 明の崇禎帝の命で[[袁崇煥]]が処刑され、内閣大学士の[[銭龍錫]]が失脚する。 ** [[山田長政]]が暗殺され、[[アユタヤ日本人町]]が焼き払われる。 ** [[諏訪大社]]下社春宮の近辺に[[万治の石仏]]が建立される。 ** フランスで「{{仮リンク|欺かれし者の日|en|Day of the Dupes}}」事件。 * 1631年 ** フランス母后マリー・ド・メディシスが再失脚。 ** [[ベールヴァルデ条約]]が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。 ** [[ブライテンフェルトの戦い (1631年)|ブライテンフェルトの戦い]]で、スウェーデン国王[[グスタフ2世アドルフ]]が皇帝軍に大勝。 * 1632年 ** [[リュッツェンの戦い (1632年)|リュッツェンの戦い]]で、スウェーデン国王グスタフ2世アドルフが戦死。 *** 王女[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]が女王となり、[[アクセル・オクセンシェルナ|オクセンシェルナ]]が摂政として補佐する。 ** [[ガリレオ・ガリレイ]]が『[[天文対話]]』を刊行する。 ** カンボジアに到達した[[森本右近太夫一房]]が[[アンコール・ワット]]回廊に墨書を書き残す。 ** [[黒田騒動]]。 * 1633年 ** ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。 ** [[ハイルブロン同盟]]結成。 ** 料羅湾海戦で、[[ハンス・プットマンス]]率いるオランダ東インド会社海軍が[[鄭芝龍]]率いる明海軍に勝利。 ** 長崎のキリスト教徒弾圧で、[[中浦ジュリアン]]が殉教、[[クリストヴァン・フェレイラ]](沢野忠庵)が棄教する。 ** [[対馬藩]]国書改竄問題が起こる([[柳川一件]])。 * 1634年 ** [[長崎市|長崎]]に[[出島]]造成。 ** 将軍家光の弟である駿河大納言[[徳川忠長]]が切腹を命じられる。 ** [[鍵屋の辻の決闘]]([[伊賀越えの仇討ち]])。 ** 後金のホンタイジが都の[[瀋陽]]を盛京(ムクデン)と改称。 ** 神聖ローマ帝国軍総司令官[[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]が暗殺される。 ** [[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]]で皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。 ** フランスの「{{仮リンク|ルーダンの悪魔憑き事件|en|Loudun possessions}}」で司祭ユルバン・グランディエが処刑される。 * 1635年 ** [[アカデミー・フランセーズ]]創設。 ** モンゴル帝国([[チャハル部]])の[[エジェイ・ハーン|エジェイ]]が後金に降伏。 *** [[ボルジギン氏]]のモンゴル帝国が途絶え、元朝伝来の玉璽が後金にわたる。 ** 武家諸法度改正(寛永令)により、[[参勤交代]]の制度化と大型船建造が禁止が盛り込まれる。幕府が日本人の渡航と海外からの帰国を禁止する。 ** フランス人{{仮リンク|デスナンビュック|en|Pierre Belain d'Esnambuc}}が[[セントクリストファー島]]から[[マルティニック]]島に上陸しこの地をフランス領とする。 * 1636年 ** [[ホンタイジ]]が国号を後金から[[清|大清]]に、女真を[[満洲]]に改める。 *** 1607年からこの年までの清の記録は[[満州語]]による『{{仮リンク|満文老檔|zh|滿文老檔}}』にまとめられる。 *** [[丙子の乱]]で清が朝鮮に攻撃。 ** [[寛永通宝]]が鋳造される。 *** 明銭に替わる本格的な通貨鋳造であり、全国的な流通が実現された。 ** [[日光東照宮]]の「寛永の大造替」により陽明門や本殿・拝殿が整備される。 ** コサックの[[イヴァン・モスクヴィチン]]がロシア人として始めて[[シベリア]]を横断し[[オホーツク海]]に到達する。 ** [[ハーバード大学]]がアメリカ最古の大学として創立される。 * 1637年 ** [[島原の乱]]( - 1638年)。 ** 朝鮮が降伏し、清と[[三田渡の盟約]]を締結。明に代わり清の皇帝を認める([[大清皇帝功徳碑]])。 ** オランダで[[チューリップ・バブル]]事件。 ** ルネ・デカルト『方法序説』刊行。 ** [[ピエール・コルネイユ]]の悲喜劇「[[ル・シッド]]」の上演により「ル・シッド論争」が起きる。 * 1638年 ** 清が[[理藩院]]を設置。 ** ライン川沿いの{{仮リンク|ブライザッハ|en|Breisach}}要塞がフランス軍に占領され「スペイン街道」が寸断される。 * 1639年 ** フランス人イエズス会士たちがカナダの宣教拠点「ヒューロン族の国における聖母マリア(サント・マリ・オ・ペ・デ・ユーロン)」を設置。 ** スコットランドで[[主教戦争]]が起こり、「三王国戦争(広義の清教徒革命)」に拡大する。 ** 日本へのポルトガル船の寄港を禁止する。 === 1640年代 === {{main|1640年代}} * 1640年 ** [[ポルトガル独立戦争]](喝采戦争 - [[1668年]])で、[[ジョアン4世]]が即位し[[ブラガンサ朝]]が成立する。 ** カタルーニャで[[収穫人戦争]]( - [[1659年]])。 ** イングランドで[[短期議会]]、[[長期議会]]。 ** [[寛永の大飢饉]]( - [[1643年]])。 * 1641年 ** イングランドで[[議会の大諫奏]]。[[星室庁]]と[[高等宗務官裁判所]]が廃止される。トン税・ポンド税・船舶税が廃止される。 ** [[オランダ商館]]を[[平戸市|平戸]]から[[長崎市|長崎]][[出島]]に移す。 * 1642年 ** [[清教徒革命]]( - 1660年)。三次にわたる[[イングランド内戦]]( - 1651年)が始まり{{仮リンク|第一次イングランド内戦|en|First English Civil War|redirect=1}}が勃発( - 1646年)。 ** [[グーシ・ハーン]]が[[チベット]]を再統一し、[[ダライ・ラマ5世]]との協力関係を樹立。 ** {{仮リンク|1642年の黄河大洪水|en|1642 Yellow River flood}}([[開封]]大洪水)。 ** フランスで[[サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ|サン=マール侯爵]]の陰謀事件。フランス宰相リシュリュー死去。 * 1643年 ** 明正天皇が譲位し、第110代[[後光明天皇]]が即位。 ** イエズス会宣教師[[ジュゼッペ・キアラ]]らが[[筑前国]]に上陸するも幕府に捕縛される。 ** 清のホンタイジが死去、フリン([[順治帝]])が第3代皇帝として即位。 ** {{仮リンク|クーバット・イワノフ|en|Kurbat Ivanov}}がロシア人として初めて[[バイカル湖]]に到達。 ** フランス国王ルイ13世死去。ルイ14世が即位し、母后[[アンヌ・ドートリッシュ]]が摂政、[[ジュール・マザラン]]が宰相となる。 * 1644年 ** [[明清交替]]。 *** [[李自成]]が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。 *** [[山海関]]の守将[[呉三桂]]が清軍に降伏し、清軍が入関する。 *** 一片石の戦いで李自成を退去させ、清の摂政王[[ドルゴン]]と続いて順治帝が北京に入城。 *** 李自成軍が西安に逃亡。清が漢民族に対する{{仮リンク|薙髪令|en|Queue (hairstyle)#Queue order}}を出す。 ** 越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州(韃靼)に漂着、清朝支配の北京に連行される(『韃靼漂流記』)。 ** [[マーストン・ムーアの戦い]]。 * 1645年 ** [[ネイズビーの戦い]]。[[カンタベリー大主教]][[ウィリアム・ロード]]が処刑される。 ** [[オスマン帝国]]と[[ヴェネツィア共和国]]との[[クレタ]]戦争( - [[1669年]])。 ** ダライラマ5世が[[ラサ]]の[[ポタラ宮殿]]建設に着手( - [[1695年]])。 ** 明の[[弘光帝]]の[[南京]]政権が崩壊、[[揚州大虐殺#1645年の揚州虐殺(揚州十日)|揚州大虐殺]]。{{仮リンク|嘉定大虐殺|zh|嘉定三屠}}。湖北省[[通城県]]九宮山で李自成が殺害される。 * 1646年 ** ポルトガル国王[[ジョアン4世]]が植民地ブラジルを[[ブラジル公国]]に昇格させる。 ** [[ヴィジャナガル王国]]の都[[ヴェールール]]が[[ビジャープル王国]]に包囲され陥落。 ** 明の[[隆武帝]]の[[福州 (福建省)|福州]]政権が崩壊。張献忠が四川省[[塩亭県]]鳳凰山で[[ホーゲ]]の清軍に射殺される。 * 1647年 ** ナポリで{{仮リンク|マサニエッロ (魚売商)|en|Masaniello|label=マサニエッロ}}の反乱。 ** 明の[[紹武帝]]の[[広州]]政権が崩壊。 * 1648年 ** ムガル帝国で[[タージ・マハル]]竣工(1632年 - )。 ** 「狂人皇帝」と呼ばれたオスマン皇帝[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]が廃位され殺害される。息子のメフメト4世が即位。 ** ロシア人探検家[[セミョン・デジニョフ]]が[[ユーラシア大陸]]最東端の[[チュクチ半島]][[デジニョフ岬]]に到達。 ** モスクワの{{仮リンク|塩一揆|en|Salt Riot}}により皇帝アレクセイの親政が始まる。 ** [[フメリニツキーの乱]]によりポーランド・リトアニアから[[ウクライナ・コサック]]が離脱。 ** {{仮リンク|プラハの戦い (1648年)|en|Battle of Prague (1648)|label=プラハの戦い}}とスウェーデン軍のプラハ略奪。 ** [[ヴェストファーレン条約]]により三十年戦争終結([[ヴェストファーレン体制]])。 *** [[オランダ]]と[[スイス]]の独立が承認される。スウェーデン・プロイセン・フランスの領土拡大。 ** フランスで[[フロンドの乱]]( - 1653年)。 ** {{仮リンク|第二次イングランド内戦|en|Second English Civil War|redirect=1}}。 *** [[プライドのパージ]]。長期議会の議員が軍により大勢追放、残った議員で[[ランプ議会 (イングランド内戦)|ランプ議会]]を形成。 * 1649年 ** [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]][[処刑]]。[[イングランド共和国]]誕生( - 1660年)。 *** {{仮リンク|第三次イングランド内戦|en|Third English Civil War|redirect=1}}( - 1651年)。 *** [[オリバー・クロムウェル]]、アイルランドへ上陸し征服活動開始([[クロムウェルのアイルランド侵略]])。 ** 明の遺臣[[黄宗羲]]が江戸幕府に反清の援軍要請([[日本乞師]])のため[[長崎市|長崎]]を訪れる。 ** [[ビジャープル王国]]が[[タンジャーヴール]]を征服し[[ヴィジャヤナガル王国]]を滅ぼす ** ロシア人により[[オホーツク]]に砦が建設され、[[極東]]地域で太平洋に面した最初の入植地となる。 === 1650年代 === {{main|1650年代}} * 1650年 ** [[ダンバーの戦い (1650年)|ダンバーの戦い]]で、クロムウェル率いるイングランド軍が[[デイヴィッド・レズリー (初代ニューアーク卿)|デイヴィッド・レズリー]]率いるスコットランド軍に勝利。 ** [[ヤアーリバ朝]]がポルトガルからマスカットを奪回し[[オマーン]]全土を回復。 *** インド洋全域を商業圏とし東アフリカ海岸部を勢力下に置く([[オマーン帝国|オマーン海洋帝国]]、1696年〜)。 ** [[広州]]で[[庚寅之劫|庚寅の劫]]。摂政王ドルゴン死去。 ** [[琉球王国|琉球]]王[[尚質王|尚質]]の命により[[羽地朝秀]]が『[[中山世鑑]]』を編纂、琉球王国初の正史となる。 * 1651年 ** 徳川家光死去、[[徳川家綱]]が江戸幕府第4代将軍となる。 *** [[刈谷藩]]主[[松平定政]]の所領返上の申し出と改易。 *** [[慶安の変]]による[[由井正雪]]一派の処刑。 *** [[末期養子]]の禁が緩和される。 ** 順治帝の命により摂政王ドルゴンの爵位が剥脱され、同母弟[[英親王|アジゲ]]らが粛清される。 ** ロシア系[[コサック]]の一派が[[アムール川]]畔に[[アルバジン]]砦を建設する。 ** イングランドが[[航海条例]]を制定。[[ウスターの戦い]]でイングランド軍がチャールズ1世の息子[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]を撃退。 ** [[トマス・ホッブズ]]の『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』が刊行される。 ** ローマの[[ナヴォーナ広場]]と付随する「四大河の噴水」が完成する。 ** オスマン皇帝メフメト4世の祖母キョセム・スルタンが、皇帝の母トゥルハン・ハティジェに倒される。 * 1652年 ** [[第一次英蘭戦争]]( - 1654年)。 ** [[承応の変]]。[[若衆歌舞伎]]が禁止され、以後は[[野郎歌舞伎]]として許される。 ** 北京で清の順治帝が[[ダライ・ラマ5世]]と会見する。 * 1653年 ** クロムウェルがランプ議会(長期議会)を解散し、[[ベアボーンズ議会]]を招集する。 *** 「[[統治章典]]」が制定され、クロムウェルが[[護国卿]]に就任。 ** モスクワ総主教[[ニーコン (モスクワ総主教)|ニーコン]]の教会改革が始まる。 ** オランダ人[[ヘンドリック・ハメル]]らが[[済州島]]に漂着。以後13年間[[李氏朝鮮]]に幽閉される(『朝鮮幽囚記』)。 * 1654年 ** 後光明天皇が死去し、第111代[[後西天皇]]が即位。 ** 中国人僧[[隠元隆琦]]が日本に来訪する。 ** オランダの[[デルフト]]で火薬庫大爆発。 ** スウェーデン女王[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]の退位、従兄弟の[[カール10世]]が王位を継承。 ** [[レーゲンスブルク]]帝国議事堂の前で、[[オットー・フォン・ゲーリケ]]が「[[マクデブルクの半球]]」実験を行う。 * 1655年 ** 北東欧の覇権をめぐる[[北方戦争]]が起こる( - 1661年)。 *** スウェーデン軍のワルシャワ占領により、ポーランドの「[[大洪水時代]]」始まる( - 1660年)。 ** 前スウェーデン女王クリスティーナがカトリックに改宗しローマに定住。 ** イギリス海軍がスペイン領[[ジャマイカ]]を占領。 ** [[ピエモンテ]]渓谷の{{仮リンク|ワルドー派虐殺|en|On the Late Massacre in Piedmont}}。 ** 後水尾院の命で比叡山麓に[[修学院離宮]]が造営される。 * [[1656年]] ** キョプリュリュ・メフメト・パシャがオスマン帝国大宰相に就任し改革を断行([[キョプリュリュ家|キョプリュリュ時代]]の始まり)。 ** フランスで一般施療院令が出され、男性用の[[ビセートル病院]]と女性用の[[サルペトリエール病院]]が創設される。 ** [[バルーフ・デ・スピノザ]]が[[アムステルダム]]のユダヤ人共同体から[[ヘーレム]]([[破門]])を受ける。 * 1657年 ** [[明暦の大火]](振袖火事)。大火の死者の供養のため[[両国 (東京都)|両国]][[回向院]]が建立される ** 水戸藩主[[徳川光圀]]の命により『[[大日本史]]』の編纂が始まる( - [[1906年]])。 ** イングランドで「統治章典」が廃止され「[[謙虚な請願と勧告]]」が制定される。 *** オリヴァー・クロムウェルがイングランドからの[[ユダヤ人]]追放令([[1290年]] - )を解除。 * 1658年 ** ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]が幽閉され、帝位継承争いに勝利した[[アウラングゼーブ]]が即位。 ** フランソワ・パリュとピエール・ランベール・ド・ラ・モットにより[[パリ外国宣教会]]が組織される。 ** [[ポルトガル領セイロン]]をオランダが占領([[オランダ領セイロン]])。 ** スウェーデン軍が「[[氷上侵攻]]」でデンマーク首都[[コペンハーゲン]]を包囲し、ロスキレ条約を締結。 ** 護国卿オリヴァ-・クロムウェルが死去、息子の[[リチャード・クロムウェル]]が護国卿となる。 * 1659年 ** [[ピレネー条約]]の締結でスペインの没落が決定的となる。 ** フランスが[[セネガル]]に植民地[[サン=ルイ (セネガル)|サン=ルイ]]を建設。 ** 中国人儒学者[[朱舜水]]が日本に来訪する。 === 1660年代 === {{main|1660年代}} * 1660年 ** [[ブレダ宣言]]からイングランドで[[イングランド王政復古|王政復古]]がなされ、国王チャールズ2世が即位。 *** [[免責・大赦法]]が成立するも、「[[王殺し]]([[レジサイド (チャールズ1世)|レジサイド]])」に関与した人物には極刑が執行される。 *** チャールズ2世のもとイングランド[[王立協会]](ロイヤル・ソサエティ)が設立される。 ** フランス王ルイ14世とスペイン王女[[マリー・テレーズ・ドートリッシュ|マリー・テレーズ]]の結婚。 * 1661年 ** 清の[[康熙帝]]が第4代皇帝に即位。[[遷界令]]を出す。 ** ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。 ** [[隠元隆琦]]が宇治の黄檗山[[萬福寺]]を開山。 ** イエズス会士[[ヨハン・グリューバー]]らが北京からヨーロッパ人として初めて[[チベット]]の都[[ラサ]]に到達。 ** フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。 *** 大蔵卿[[ニコラ・フーケ]]が失脚する。 ***{{仮リンク|王立舞踏アカデミー|en|Académie Royale de Danse}}が設置される(パリ・[[オペラ座]][[バレエ]]団の始まり)。 ** イングランドで{{仮リンク|騎士議会|en|Cavalier Parliament}}が召集される。 ** 宣教師ジョン・エリオットによる[[アルゴンキン語]]訳新約聖書が刊行される(最初の[[アメリカ先住民族の諸言語訳聖書]])。 * 1662年 ** 幕府の命により[[林鵞峰]]らによる『[[本朝通鑑]]』の編纂が始まる。 ** [[ゼーランディア城包囲戦]]に勝利した[[鄭成功]]がオランダ人を駆逐し[[台湾]]を占領。 ** イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女[[キャサリン・オブ・ブラガンザ|キャサリン]]の結婚。 *** この結婚でインドの[[ボンベイ]]・北アフリカの[[タンジェ|タンジール]]がイングランド領になる。 * 1663年 ** 後西天皇が譲位し、第112代[[霊元天皇]]が即位。 ** 武家諸法度改正(寛文令)により、キリスト教禁教が明文化される。 ** [[レーゲンスブルク]]が神聖ローマ帝国の「永続的帝国議会」開催地となる( - [[1806年]])。 ** イングランドでアフリカ・[[ギニア]]産の金を原料とする金貨[[ギニー]]が製造される( - [[1813年]])。 * 1664年 ** コルベールによりフランス東インド会社が再建される。 ** 楊光先の批判によりイエズス会士[[アダム・シャール]]が投獄される(康熙の暦獄)。 * 1665年 ** [[第二次英蘭戦争]]( - 1667年)。 ** ポルトガルが[[コンゴ王国]]に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。 ** [[アイザック・ニュートン]]が[[万有引力]]を発見([[古典力学]]の創始)。 ** [[諸宗寺院法度]]と諸社禰宜神主法度が出される。[[水戸藩]]主[[徳川光圀]]が明の遺臣[[朱舜水]]を招聘する。 * 1666年 ** イングランドで[[ロンドン大火]]・[[ペスト]]流行・ノースフォアランド沖の海戦(第二次英蘭戦争)。 *** この年は事件が続発したのでイングランドでは「驚異の年([[アヌス・ミラビリス]])」と呼ばれる。 ** フランスで地中海と大西洋をつなぐ[[ミディ運河]]が着工される。 ** マラータの指導者でプランダル城主[[シヴァージー]]がアーグラにてムガル皇帝アウラングゼーブと会見するが決裂に至る。 ** オスマン帝国内のユダヤ教救世主を名乗っていた[[シャブタイ・ツヴィ]]がイスラム教に改宗する。 ** 儒学者であり軍学者である[[山鹿素行]]が[[播磨国]][[赤穂藩]]へ流罪となる。 * 1667年 ** [[ネーデルラント継承戦争]]( - 1668年)。 ** オランダがゴワ王国に勝利し、[[スラウェシ島]]の[[マカッサル]]を征服。 ** [[ブレダの和約]]でオランダからイングランドは北米の[[ニューネーデルラント]]を獲得。 ** [[ジョン・ミルトン]]の『[[失楽園]]』が刊行される。 ** [[アンドルソヴォ条約]]で、ウクライナのコサック国家は[[ドニエプル川]]を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。 * 1668年 ** 世界最古の[[中央銀行]]である[[スウェーデン国立銀行]]が設立される。 ** [[ソロヴェツキー修道院]]における反乱( - [[1676年]])。 * 1669年 ** [[シャクシャインの戦い]]。 ** 清で[[オボイ]]が失脚し、[[康熙帝]]の親政が始まる。 ** [[スチェパン・ラージン]](ステンカ・ラージン)率いる[[コサック]]軍が[[カスピ海]]沿岸の[[サファヴィー朝]]支配地を略奪。 === 1670年代 === {{main|1670年代}} * 1670年 ** フランス王ルイ14世とイングランド王チャールズ2世の[[ドーヴァーの密約|ドーヴァー密約]]。 ** ロシアでスチェパン・ラージンの反乱( - 1671年)。 * 1671年 ** イギリス人[[ヘンリー・モーガン]]率いる[[海賊]]が[[パナマ・ビエホ|旧パナマ市]]を壊滅させる。 ** [[河村瑞賢]]が[[東廻海運]]・[[西廻海運]]を開発する。 ** 寛文事件([[伊達騒動]])。 * 1672年 ** [[第三次英蘭戦争]]( - 1674年)。[[オランダ侵略戦争]]( - 1678年)。 ** オランダの政治指導者デ・ウィット兄弟(兄[[コルネリス・デ・ウィット|コルネリス]]と弟[[ヨハン・デ・ウィット|ヨハン]])が民衆に虐殺される。 ** オスマン帝国が[[ウクライナ]]の[[ポドリア]](ポジーリャ)を占領。この時期にオスマン帝国の領土は最大となる。 ** [[エルサレム公会 (1672年)|エルサレム公会議]]で、[[東方正教会]]がプロテスタントの教理を否定。 ** [[浄瑠璃坂の仇討]]。 * 1673年 ** 清で[[三藩の乱]]が起こる( - 1681年)。 ** [[備後国]][[芦田川]]の洪水で[[草戸千軒]]が埋没する。[[三井高利]]が江戸に[[三越|越後屋呉服店]]を開業。[[岩国藩]]主[[吉川広嘉]]の命により[[錦帯橋]]が建設される。 ** ムガル皇帝アウラングゼーブにより[[ラホール]]に世界最大級の[[バードシャーヒー・モスク]]が完成する(1671年 - )。 ** [[フランス東インド会社]]がインドでの拠点[[ポンディシェリ]]を獲得。 ** イングランド船[[リターン号]]が長崎に来航し、江戸幕府に貿易再開を求めたが、幕府は上陸を拒絶。 ** イングランドで[[審査法]]の制定。 * 1674年 ** [[寛永通宝]]4貫=金一[[両]]と定め、古銭の通用を停止する。[[江戸]]市中の[[非人]]を改める。 ** [[関孝和]]が『発微算法』を出版。 ** シヴァージーが[[マラーター王国]]を建国。 * 1675年 ** [[スコーネ戦争]]( - 1679年)。 ** ロンドン近郊に[[グリニッジ天文台]]が設立される。 * 1676年 ** 天文学者[[オーレ・レーマー]]が初めて[[光速度]]を測定。 ** スペインで国王カルロス2世の異母兄[[フアン・ホセ・デ・アウストリア]]の政変が起こる。 * 1677年 ** [[美濃国|美濃]][[郡上藩]]の農民が江戸に越訴。[[郡上藩]]で増徴派と減租派の家中騒動始まる([[延宝郡上一揆]])。 ** [[バールーフ・デ・スピノザ]]の遺稿が『[[エチカ (スピノザ)|エチカ]]』として出版される。 * 1678年 ** イングランドで[[カトリック陰謀事件]]。 ** [[ジョン・バニヤン]]『[[天路歴程]]』第一部が刊行される。 ** {{仮リンク|エリアス・アシュモール|en|Elias Ashmole}}のコレクションが「[[驚異の部屋]]」として公開される。 *** これが1683年に世界初の大学図書館である[[アシュモリアン博物館]]に発展する。 ** スコットランドで[[カヴェナンター]]の反乱。以後スコットランドの「[[殺戮時代]]」が始まる。 ** ベルギー人宣教師{{仮リンク|ルイ・エネパン|en|Louis Hennepin}}がヨーロッパ人として最初に[[ナイアガラの滝]]に到達する。 * 1679年 ** ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税[[ジズヤ]]を復活させる。 ** フランスで国王ルイ14世の寵姫ら宮廷を巻き込む「[[黒ミサ#歴史|黒ミサ事件]]」が起こる ** イングランドで[[人身保護法 (イギリス)|人身保護法]]の制定。 === 1680年代 === {{main|1680年代}} * 1680年 ** [[徳川綱吉]]が江戸幕府第5代将軍となる。[[大老]][[酒井忠清]]が解任される。 ** [[シヴァージー]]が死亡し、息子サンバージーがマラーター王となる。 ** [[ヌエバ・エスパーニャ]]で[[ポペ]]率いる[[プエブロの反乱]]。 * 1681年 ** ムガル皇帝アウラングゼーブがマラーター王国を打倒するため、デカン地方へ自ら遠征。[[デカン戦争]]の勃発。 ** フランス軍の[[ストラスブール]]占領([[ストラスブールの降伏]])。 ** フランスで{{仮リンク|ドラゴナード|en|Dragonnades}}によるプロテスタントの迫害。 ** 将軍綱吉による[[越後騒動]]の直裁により、越後[[高田藩]]が改易される。 ** 将軍生母[[桂昌院]]の発願により江戸に[[護国寺]]が創建される。 ** [[井原西鶴]]の『[[好色一代男]]』が刊行される。この時代を代表する[[浮世草子]]の始まり。 ** [[クエーカー]]教徒の[[ウィリアム・ペン]]が[[ペンシルベニア州|ペンシルベニア]]植民地を創設する。 * 1682年 ** [[ヴェルサイユ宮殿]]の完成に伴いフランスの宮廷と政府が[[パリ]]から移動する( - [[1789年]])。 ** モー司教[[ボシュエ]]が「フランス教会の聖職者宣言」で[[ガリカニスム]]を擁護。 ** フランス人[[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール]]が[[ラ・サールの探検#5度目の探検|ミシシッピ川からメキシコ湾までの探検]]を行う。 *** ラ・サールはルイ14世の名にちなみこの地域を[[フランス領ルイジアナ]]と名づけ領有を宣言する。 ** [[ストレリツィ]](銃兵隊)の蜂起により[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]がロシアの摂政となる。 * 1683年 ** [[第二次ウィーン包囲]]。 ** イングランドで[[ライハウス陰謀事件]]。 ** 武家諸法度改正(天和令)により、[[殉死]]の禁止と、[[末期養子の禁]]緩和が明文化される。 ** [[天和の大火]](お七火事)。 ** 清が[[澎湖海戦]]で[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]を降伏させ、台湾を占領。 * 1684年 ** 清で[[遷界令]]が解かれ展界令が出される。 ** 江戸城内で[[大老]][[堀田正俊]]が[[若年寄]][[稲葉正休]]に刺殺される。 ** [[渋川春海]]により[[貞享暦]]が導入される。 ** フランス軍のジェノヴァ遠征。 ** [[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]が論文『極大と極小に関する新しい方法』で[[微積分]]について最初の言及を行う。 * 1685年 ** フランスで[[ナントの勅令]]廃止([[フォンテーヌブローの勅令]])。 ** ブランデンブルクで亡命フランス人プロテスタントを受け入れる[[ポツダム勅令 (1685年)|ポツダム勅令]]が出される。 ** イングランド王チャールズ2世の死去、弟の[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]が即位。[[モンマス公の反乱]]が起こる。 ** [[アルバジン]]包囲戦で、清朝とロシアが激突( - 1687年)。 * 1686年 ** [[服忌令]]を改訂( - 1693年)。 ** [[アユタヤ朝]]タイ王国の大使として[[チャオプラヤー・コーサーパーン]]がフランスに派遣され、ルイ14世に謁見する。 * 1687年 ** [[生類憐れみの令]](この後、1708年まで繰り返し出される)が出され、[[田畑永代売買禁止令]]も再び出される。 ** 後西天皇が譲位し、第113代[[東山天皇]]が即位し、200余年ぶりに[[大嘗祭]]が復活する。 ** アイザック・ニュートンが『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』にて[[ニュートン力学]]を発表。 ** [[シャルル・ペロー]]の頌詩「ルイ大王の世紀」をきっかけに「[[新旧論争]](querelle des anciens et des modernes)」が始まる。 ** 教皇[[インノケンティウス11世 (ローマ教皇)|インノケンティウス11世]]が教令「{{仮リンク|チェレスティス・パストル|en|Coelestis Pastor}}」により[[キエティスム]]を断罪。 ** オスマン帝国との戦争中に[[ヴェネツィア]]軍が[[アテネ]]の[[パルテノン神殿]]を大破させる。 ** イエズス会士[[フィリップ・クプレ]]らにより『[[論語]]』他の中国古典の[[ラテン語]]訳がパリで出版される * 1688年 ** イングランドで[[名誉革命]]。 *** イングランド国王ジェームズ2世が国外逃亡し、オラニエ公ウィレムがイングランド上陸。 *** オラニエ公夫妻が国王[[ウィリアム3世]]・[[メアリ2世]]の{{仮リンク|共同統治者 (共同君主制)|en|Coregency|label=共同統治者}}として即位。 ** [[大同盟戦争]](ファルツ継承戦争)が起こる( - 1697年)。 * 1689年 ** イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「{{仮リンク|権利宣言 (1689年)|en|Declaration of Right, 1689|label=権利宣言}}」に署名。これをもとに「[[権利の章典|権利章典]]」が発布される。 ** 清と[[ロシア]]の国境が[[ネルチンスク条約]]で定まる。 ** ロシアの摂政[[ソフィア・アレクセーエヴナ]]が失脚する。 ** サンバージーがアウラングゼーブに敗れ、拷問の末に処刑される。弟[[ラージャーラーム]]がマラーター王となる。 ** [[松尾芭蕉]]が後に紀行文『[[おくのほそ道]]』としてまとめられる東北・北陸への旅に出立する。 ** [[長崎市|長崎]]に[[唐人屋敷]]が作られ清人の居住を制限する。 === 1690年代 === {{main|1690年代}} * 1690年 ** [[ジョン・ロック]]の『[[統治二論]]』が刊行される。 * 1691年 ** [[長崎市|長崎]][[出島]]オランダ商館勤務のドイツ人医師[[エンゲルベルト・ケンペル]]が[[江戸城]]にて将軍綱吉に謁見。 ** 上野忍岡の孔子廟が移され[[湯島聖堂]]が完成する。 * 1692年 ** [[セイラム魔女裁判]]。 ** [[グレンコーの虐殺]]。 ** ハノーファー公[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]]が[[選帝侯]]となる(ハノーファー選帝侯)。 ** 教皇[[インノケンティウス12世 (ローマ教皇)|インノケンティウス12世]]が教皇勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」で[[ネポティズム]]禁止を規定。 ** イギリスで対フランス戦の戦費捻出のために[[国債]]制度が開始される(イギリスにおける{{仮リンク|軍事財政国家|en|Fiscal-military state}}の成立)。 * 1693年 ** [[シチリア島]]東部大地震。 ** ポルトガル領ブラジルの[[ミナス・ジェライス州|ミナス・ジェライス]]で金鉱が発見され、[[ゴールド・ラッシュ]]が起こる。 * 1694年 ** [[イングランド銀行]]設立。 ** [[ブランデンブルク選帝侯]]により[[ハレ大学]]が創建される。 * 1695年 ** [[北京]][[紫禁城]][[太和殿]]が再建される。 * 1696年 ** [[イヴァン5世]]の死により[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]が単独のロシア皇帝となる。 ** ロシアのピョートル1世がオスマン朝から[[アゾフ海]]を獲得。 ** {{仮リンク|ジョーン・モドの戦い|en|Battle of Jao Modo}}で清の康熙帝が[[ジュンガル部]]の[[ガルダン・ハーン]]を敗走させる。 ** イングランド王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]暗殺未遂事件。 ** イギリス東インド会社が[[ウィリアム要塞]](現[[コルカタ]])を設置。 ** エドワーズ・ロイドが海運貿易情報の『ロイズ・ニュース』を発行。保険引受業者が集結し損害保険の[[ロイズ]]が成立する。 * 1697年 ** {{仮リンク|ピョートル1世によるヨーロッパに向けてのロシア大使節団|en|Grand Embassy of Peter the Great}}が派遣される( - 1698年)。 ** ザクセン選帝侯[[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]が[[ポーランド王]]に選出される。 ** [[ユカタン半島|ユカタン]]総督{{仮リンク|マルティン・デ・ウルスア|en|Martín de Ursúa}}が最後の[[マヤ]]系[[イツァ族]]の国家[[タヤサル]]を征服する。 * 1698年 ** ロンドン株式取引所が設立される。 ** ロシアで{{仮リンク|ストレリツィ蜂起|en|Streltsy uprising}}が起こるが、ピョートル1世に鎮圧される。 ** 画家[[英一蝶]]が[[三宅島]]に流罪とされる。 * 1699年 ** 長崎奉行を4名に増員する。 ** [[カルロヴィッツ条約]]によりオスマン朝がハンガリーを放棄。 === 1700年代 === {{main|1700年代}} * 1700年 ** 金銀銭三貨の比価([[小判|金]]一両=[[丁銀|銀]]六十[[匁]]=[[銭]]四[[貫文]])を定める。 ** [[プロイセン科学アカデミー]]が創設され、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]が初代会長となる。 ** [[大北方戦争]]で、スウェーデンとロシアが戦う( - [[1721年]])。 ** イングランドで[[キャラコ]]輸入禁止法が出される。 ** [[カナダ]]から[[カリフォルニア]]に至る北アメリカ大陸太平洋沿岸部で[[カスケード地震]]。 *** 現地住民による文献記録は存在しないが、日本側の「みなしご津波」の記録で日時は判明している。 == 人物 == === ヨーロッパ === ==== スペイン・ポルトガル ==== * [[ミゲル・デ・セルバンテス]]([[1547年]] - [[1616年]]) - [[スペイン黄金世紀|スペインの黄金世紀]]の作家・『[[ドン・キホーテ]]』を著す * [[ルイス・デ・ゴンゴラ]]([[1561年]] - [[1627年]]) - スペイン黄金世紀の詩人・難解な修辞による「ゴンゴリスモ」の作風で知られる * [[ロペ・デ・ベガ]]([[1562年]] - [[1635年]]) - スペイン黄金世紀の劇作家・詩人・『[[バレンシアの寡婦]]』『オルメードの騎士』がある * [[ティルソ・デ・モリーナ]]([[1579年]] - [[1648年]]) - スペイン黄金世紀の劇作家・『セビーリャの色事師と石の招客』で知られる * [[フランシスコ・デ・ケベード]]([[1580年]] - [[1645年]]) - スペイン黄金世紀の作家・『ぺてん師 ドン・パブロスの生涯』などを著す * [[フアン・ルイス・デ・アラルコン]]([[1581年]]? - [[1639年]]) - スペイン黄金世紀の作家・メキシコ出身で本国で活躍・『疑わしい真実』がある * オリバレス伯爵[[ガスパール・デ・グスマン]]([[1587年]] - [[1645年]]) - スペインの首席大臣・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の治世下でスペインの再建に努力 * [[ホセ・デ・リベーラ]]([[1591年]] - [[1652年]]) - スペイン出身でナポリで活躍した画家・厳格な写実の「えび足の少年」「聖バルトロマイの殉教」がある * [[フランシスコ・デ・スルバラン]]([[1598年]] - [[1664年]]) - スペインのバロックの画家・[[セビリア]]を中心に活躍し聖人画や静物画に優れる * [[ディエゴ・ベラスケス]]([[1599年]] - [[1660年]]) - スペインのバロックの宮廷画家・国王[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の宮廷を描く・代表作に「[[ラス・メニーナス]]」 * [[ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ]]([[1600年]] - [[1681年]]) - スペイン黄金世紀の劇作家・修辞を駆使した作風で『人生は夢』などを著す * [[バルタサール・グラシアン]]([[1601年]] - [[1658年]]) - スペインの黄金世紀の哲学者・神学者・イエズス会士・主著に『エル・クリティコン』がある * [[ジョアン4世 (ポルトガル王)|ジョアン4世]](再興王)([[1604年]] - [[1656年]]) - [[ブラガンサ朝]]の初代 [[ポルトガル]]王(在位[[1640年]] - [[1656年]])・[[ポルトガル王政復古戦争|王政復古戦争]]で勝利 * [[バルトロメ・エステバン・ムリーリョ]]([[1617年]] - [[1682年]]) - スペインのバロックの画家・[[セビリャ]]で活躍し「無原罪の御宿り」などを描く * ミゲル・デ・モリノス([[1628年]] - [[1696年]]) - スペインの神学者・[[キエティスム]]の中心人物で『霊的指導』を執筆するが後に異端とされる * [[カルロス2世 (スペイン王)|カルロス2世]]([[1661年]] - [[1700年]]) - スペインの[[アブスブルゴ家]]最後の国王(在位[[1665年]] - [[1700年]])・その死で[[スペイン継承戦争]]勃発 ==== イングランド・スコットランド ==== * [[ジョン・ネイピア]]([[1550年]] - [[1617年]]) - [[スコットランド]]の数学者・[[対数]]の概念を発見し「対数表」を作成・「[[ネイピアの骨]]」でも知られる * [[エドワード・コーク]]([[1552年]] - [[1634年]]) - [[イングランド]]の法律家・政治家・「[[権利の請願]]」の起草者の一人・[[コモンロー]]による[[法の支配]]を提唱 * [[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]([[1561年]] - [[1626年]]) - イングランドの政治家(国璽尚書・大法官)・哲学者([[経験論]])として『学問の進歩』がある * [[ウィリアム・シェイクスピア]]([[1564年]] - [[1616年]]) - イングランドの劇作家・詩人・エリザベス時代に続いてジェームズ時代でも活躍 * [[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]([[1566年]] - [[1625年]]) - [[スコットランド]]王・[[スチュアート朝]]の初代イングランド王(在位[[1603年]] - [[1625年]]) * [[ガイ・フォークス]]([[1570年]] - [[1606年]]) - イングランドでの国王暗殺の[[火薬陰謀事件]]の計画犯 * [[トーマス・マン (経済学者)|トーマス・マン]]([[1571年]] - [[1641年]]) - イングランドの実業家・経済学者([[重商主義]])・『外国貿易によるイングランドの財宝』を執筆 * [[ジョン・ダン]]([[1572年]] - [[1631年]]) - イングランドの聖職者([[セントポール大聖堂]]首席司祭)・詩人([[形而上詩人]])として「日の出」「蚤」がある * [[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]([[1572年]] - [[1637年]]) - イングランドの劇作家・代表作に『錬金術師』『エピシーン』がある・[[桂冠詩人]]でもある * [[ウィリアム・ロード]]([[1573年]] - [[1645年]]) - イングランドの政治家・聖職者・[[カンタベリー大主教]]・[[主教戦争]]ではチャールズ1世に与して処刑される * [[イニゴ・ジョーンズ]]([[1573年]] - [[1652年]]) - イングランドの建築家・[[ルネサンス様式]]を導入・代表作に[[バンケティング・ハウス]]がある * [[ロバート・フラッド (医師)|ロバート・フラッド]]([[1574年]] - [[1637年]]) - イングランドの神秘主義者・[[薔薇十字団]]や[[錬金術]]を擁護しメルセンヌと対立・著作に『両世界誌』がある * {{仮リンク|ロバート・バートン|en|Robert Burton}}([[1577年]] - [[1640年]]) - イングランドの聖職者・著述家・古典文学と医学に通じ『憂鬱の解剖学』を執筆する * [[ウィリアム・ハーヴェー]]([[1578年]] - [[1657年]]) - イングランドの解剖学者・国王チャールズ1世の侍医・[[血液循環説]]を唱える * [[ジョン・ウェブスター]]([[1580年]]? - [[1634年]]?) - イングランドの劇作家・代表作に『[[白い悪魔]]』『アマルフィ侯爵夫人』がある * [[トマス・ホッブズ]]([[1588年]] - [[1679年]]) - イングランドの哲学者(経験論)・主著『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』で[[社会契約説]]を唱える * [[ロバート・フィルマー]]([[1588年]]頃 - [[1653年]]) - イングランドの政治思想家・チャールズ1世を擁護し王権神授説に基づく『家父長論』を執筆する * [[アイザック・ウォルトン]]([[1593年]] - [[1683年]]) - イングランドの文筆家・伝記として『ジョン・ダン伝』、随筆として『釣魚大全』がある * [[オリバー・クロムウェル]]([[1599年]] - [[1658年]]) - イングランドの軍人・政治家・[[清教徒革命]]で国王勢力を倒し[[護国卿]]となる * [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]([[1600年]] - [[1649年]]) - イングランド王(在位[[1625年]] - [[1649年]])・清教徒革命で処刑される * {{仮リンク|ウィリアム・リリー|en|William Lilly}}([[1602年]] - [[1681年]]) - イングランドの占星術師・革命から王政復古期に活躍し『{{仮リンク|キリスト教徒の占星術|en|Christian Astrology}}』を執筆 * [[トーマス・ブラウン (作家)|トマス・ブラウン]]([[1605年]] - [[1682年]]) - イングランドの医師・『俗信論』で迷信的医療を批判・『医師の宗教』『骨葬論』などの著作がある * [[ジョン・ミルトン]]([[1608年]] - [[1674年]]) - イングランドの詩人・清教徒革命を支持・[[イングランド王政復古|王政復古]]で不遇となり『[[失楽園]]』を執筆 * [[ジョージ・マンク (初代アルベマール公)|アルベマール公ジョージ・マンク]]([[1608年]] - [[1670年]]) - イングランドの軍人・政治家・共和政末期の混乱を収拾して[[王政復古]]を実現させた * [[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|クラレンドン伯エドワード・ハイド]]([[1609年]] - [[1674年]]) - イングランドの政治家・王政復古を支え[[クラレンドン法典]]をまとめる・歴史家でもある * [[ベンジャミン・ウィチカット]]([[1609年]] - [[1683年]]) - イングランドの神学者・哲学者・[[ケンブリッジ・プラトン学派]]の中心人物でピューリタンと対決 * [[ジェームズ・ハリントン]] ([[1611年]] - [[1677年]]) - イングランドの思想家・クロムウェルに献呈された共和国論『オシアナ』が有名・王政復古で逮捕される * ジョン・リルバーン([[1614年]] - [[1657年]]) - イングランドの政治家・水平派を組織し理論的指導者となり政治的冊子を多数発行・後に国外追放となる * ジョン・ウィルキンズ([[1614年]] - [[1672年]]) - イングランドの聖職者・言語学者・『[[真性の文字と哲学的言語にむけての試論]]』で[[人工言語|普遍言語]]を考察した * {{仮リンク|ニコラス・カルペパー|en|Nicholas Culpeper}}([[1616年]] - [[1654年]]) - イングランドの薬剤師・本草学者・占星術師・『英語で書かれた療法』『ハーブ大全』などを著す * [[ピーター・レリー]]([[1618年]] - [[1680年]]) - イングランドで活躍した画家・クロムウェルを描いた後にチャールズ2世の主席宮廷画家となる * [[ヘンリー・オルデンバーグ]]([[1618年]]頃 - [[1677年]]) - イングランドの科学者・初代[[王立協会]]事務総長・最初の学術雑誌『[[哲学紀要]]』を発行 * [[ジョージ・フォックス]]([[1624年]] - [[1691年]]) - イングランドの宗教家・[[クエーカー]]の名で知られる「キリスト友会」の創始者 * [[ロバート・ボイル]]([[1627年]] - [[1691年]]) - アイルランド出身の化学者・王立協会協議員・[[ボイルの法則]]で知られる * [[ジョン・バニヤン]]([[1628年]] - [[1688年]]) - イングランドのバプテスト教会の執事・文学者としては『[[天路歴程]]』の著者として知られる * [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]([[1630年]] - [[1685年]]) - [[ステュアート朝]]のイングランド王(在位[[1660年]] - [[1685年]])・王政復古を果たす * [[ジョン・ドライデン]]([[1631年]] - [[1700年]]) - イングランドの[[桂冠詩人]]・文芸評論家・劇作家・「驚異の年」などの作品がある * [[ジョン・ロック]]([[1632年]] - [[1704年]]) - イングランドの哲学者(経験論)・医者・『[[統治二論]]』の[[社会契約論]]で[[名誉革命]]に影響する * [[クリストファー・レン]]([[1632年]] - [[1723年]]) - イングランドの建築家・[[ロンドン大火]]の後の復興建築を行う・代表作は[[セント・ポール大聖堂]] * [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]([[1633年]] - [[1701年]]) - ステュアート朝のイングランド王(在位[[1685年]] - [[1688年]])・名誉革命で国を追われる * [[サミュエル・ピープス]]([[1633年]] - [[1703年]]) - イングランドの政治家・平民から海軍の実力者になり「海軍の父」と称される・日記も有名 * [[ロバート・フック]]([[1635年]] - [[1703年]]) - イングランドの科学者・『[[顕微鏡図譜]]』で細胞の概念をまとめる・[[王立協会]]の実験監督でもある * [[アフラ・ベーン]]([[1640年]] - [[1689年]]) - イングランド初の女性職業劇作家・南米[[スリナム]]での生活をもとに『[[オルノーコ]]』を執筆 * [[アイザック・ニュートン]]([[1642年]] - [[1727年]]) - イングランドの[[物理学者]]・数学者・『[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]』で[[ニュートン力学]]を体系化 * [[ジョン・ウィルモット (第2代ロチェスター伯)|ロチェスター伯ジョン・ウィルモット]]([[1647年]] - [[1660年]]) - イングランドの詩人・「人類に対する風刺」「チャールズ2世の風刺」がある * [[ジェイムズ・スコット (初代モンマス公爵)|初代モンマス公ジェイムズ・スコット]]([[1649年]] - [[1685年]]) - イングランドの貴族・国王チャールズ2世の庶子・叔父ジェームズ2世に対し反乱を起こすも処刑される * [[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]([[1650年]] - [[1702年]]) - [[オラニエ公]]・オランダ共和国統領・[[名誉革命]]でイングランド王(在位[[1689年]] - [[1702年]])になる * [[ヘンリー・パーセル]]([[1659年]] - [[1695年]]) - イングランドの作曲家・宮廷音楽家・代表作に[[歌劇]]「[[ディドとエネアス]]」がある ==== イタリア ==== * {{仮リンク|チェーザレ・クレモニーニ|en|Cesare Cremonini (philosopher)}}([[1550年]] - [[1631年]]) - [[パドヴァ大学]]教授・アリストテレス主義哲学者・ガリレオとは友人だが相反・『霊魂論』がある * [[フラ・パオロ・サルピ]]([[1552年]] - [[1609年]]) - [[イタリア]]の修道士・歴史家・『[[トリエント公会議]]の歴史』を執筆・教皇庁に対するヴェネツィアの弁護でも有名 * [[アンニーバレ・カラッチ]]([[1560年]] - [[1609年]]) - イタリアの初期[[バロック]]の画家・カラッチ一族の中心として古典主義を復権する * [[ガリレオ・ガリレイ]]([[1564年]] - [[1642年]]) - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで[[地動説]]を擁護し[[宗教裁判]]を受ける * [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]([[1567年]] - [[1643年]]) - イタリアの初期バロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に寄与し『[[オルフェオ (モンテヴェルディ)|オルフェオ]]』を作曲 * [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]([[1568年]] - [[1644年]]) - ローマ教皇(在位[[1623年]] - [[1644年]])・[[サン・ピエトロ大聖堂]]の献堂式を行う・ガリレイ裁判でも知られる * [[トンマーゾ・カンパネッラ]] ([[1568年]] - [[1639年]]) - イタリアの[[ドミニコ会]]士・教皇庁から異端とされ牢獄生活を送る・主著は『太陽の都』 * [[ジャンバッティスタ・マリーノ]]([[1569年]] - [[1625年]]) - イタリアの詩人・隠喩を用いた詩文「マリニスモ」の祖となる・長編詩『アドニス』がある * [[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ]]([[1571年]] - [[1610年]]) - イタリアの初期バロックの画家・代表作に「聖マタイの召命」がある * [[ジャンバティスタ・バジーレ]]([[1575年]]? - [[1632年]]) - イタリアの詩人・軍人・ナポリ語による説話集『[[ペンタメローネ]](五日物語)』を執筆 * {{仮リンク|ベネディタ・カルリーニ|en|Benedetta Carlini}}([[1590年]] - [[1661年]]) - イタリアの女性修道院長・霊的体験からぺシア市民を魅了するが後に醜聞から裁判となり投獄される * [[アルテミジア・ジェンティレスキ]]([[1593年]] - [[1652年]]) - イタリアの盛期バロックの画家・フィレンツェ美術アカデミー初の女性会員 * [[ピエトロ・ダ・コルトーナ]]([[1596年]] - [[1669年]]) - イタリアの盛期バロックの画家・建築家・代表作にローマの[[バルベリーニ宮殿]]天井壁画がある * [[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ]]([[1598年]] - [[1680年]]) - イタリアの盛期バロックの彫刻家・建築家・代表作は[[サン・ピエトロ広場]] * [[フランチェスコ・ボッロミーニ]]([[1599年]] - [[1667年]]) - イタリアの盛期バロックの建築家・同時代の建築家ベルニーニのライバル * [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]([[1608年]] - [[1647年]]) - イタリアの物理学者・ガリレイの弟子・[[水銀]]柱を用いて[[真空]]を発見(トリチェリの真空) * [[ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ]]([[1613年]] - [[1696年]]) - イタリアの美術評論家・マニエリスムを否定・『現代画家・彫刻家・建築家列伝』がある * [[サルヴァトル・ローザ]]([[1615年]] - [[1696年]]) - イタリアの盛期バロックの画家・ロマン主義の先駆・無頼漢だったとの伝説もある * [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]([[1625年]] - [[1712年]]) - イタリアの天文学者・木星の4つの衛星を発見・後に[[パリ天文台]]の初代台長ともなった * [[マルチェロ・マルピーギ]]([[1628年]] - [[1694年]]) - イタリアの解剖学者・生理学者・解剖に顕微鏡用いて「[[マルピーギ小体]]」「[[マルピーギ管]]」を発見 * [[ルカ・ジョルダーノ]]([[1634年]] - [[1705年]]) - イタリアの後期バロックの画家(ナポリ派)・スペインのマドリード王宮ほか各地の宮殿壁画を制作 * [[アンドレア・ポッツォ]]([[1642年]] - [[1709年]]) - イタリアの後期バロックの画家・イエズス会士・ローマのサン・ティニャーツィオ聖堂壁画を制作 * [[アレッサンドロ・スカルラッティ]]([[1660年]] - [[1725年]]) - イタリアのバロックの作曲家・[[オペラ]]の発展に尽くし[[ナポリ楽派]]の祖となる ==== 神聖ローマ帝国とドイツ領邦 ==== * [[ティリー伯ヨハン・セルクラエス]]([[1559年]] - [[1632年]]) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・[[マクデブルク]]劫掠などで活躍 * {{仮リンク|ミヒャエル・マイヤー|en|Michael Maier}}([[1569年]] - [[1622年]]) - ドイツの医師・皇帝ルドルフ2世の侍医・錬金術師として『逃げるアトランタ』がある * [[ヨハネス・ケプラー]]([[1571年]] - [[1630年]]) -[[ドイツ]]の天文学者・天体の運行法則に関する「[[ケプラーの法則]]」を発見し「[[ルドルフ表]]」を作成 * [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン1世]]([[1573年]] - [[1651年]]) - 初代バイエルン選帝侯・三十年戦争でカトリック連盟を率いて奮戦し[[選帝侯]]位を獲得 * [[ヤーコプ・ベーメ]]([[1575年]] - [[1624年]]) - ドイツの[[ルター派]]の神秘主義者・もとは靴職人・主著は『[[アウローラ]]』『キリストへの道』 * [[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]([[1578年]] - [[1637年]]) - [[ハプスブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]](在位[[1619年]] - [[1637年]])・[[三十年戦争]]を引き起こす * {{仮リンク|ヤーコプ・ビーダーマン|en|Jacob Bidermann}}([[1575年]] - [[1639年]]) - オーストリア出身のイエズス会士・劇作家・宗教劇『{{仮リンク|ツェノドクスス|en|Cenodoxus}}』などで知られる * [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]([[1583年]] - [[1634年]]) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・戦功を誇るが後に暗殺される * [[ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ]]([[1586年]] - [[1654年]]) - ドイツの著作家・神学者・[[薔薇十字団]]を主題とした『[[化学の結婚]]』を著す * [[フリードリヒ5世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ5世]]([[1596年]] - [[1632年]]) - プファルツ選帝侯・ボヘミア王に選出されるが[[白山の戦い]]で敗北し廃位される・「冬の王」と呼ばれた * [[アタナシウス・キルヒャー]]([[1601年]] - [[1680年]]) - ドイツ出身のイエズス会士・博識多才を誇り「遅れてきたルネサンス人」と称される * [[オットー・フォン・ゲーリケ]]([[1602年]] - [[1686年]]) - ドイツの科学者・「[[マクデブルクの半球]]」実験で[[真空]]の存在を証明・同市の市長でもあった * [[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]([[1620年]] - [[1688年]]) - [[ブランデンブルク選帝侯]]・[[プロイセン公]]として[[ポーランド]]から自立・大選帝侯と呼ぶ * [[ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン]]([[1621年]]/[[1622年]] - [[1676年]]) - ドイツの作家・『[[阿呆物語]]』を書く * {{仮リンク|アンゲルス・シレジウス|en|Angelus Silesius}}([[1624年]] - [[1677年]]) - ドイツの神秘主義詩人・[[ヴュルテンベルク]]公の侍医・詩集に『ケルビムのような巡礼者』がある * ファイト・ルートヴィヒ・フォン・ゼッケンドルフ([[1626年]] - [[1692年]]) - ザクセン=ゴータ公国の政治家・初期ドイツ[[官房学]]派を代表する * [[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]]([[1629年]] - [[1698年]]) - 初代[[ハノーファー選帝侯領|ハノーファー選帝侯]]・息子ゲオルク・ルートヴィヒ(ジョージ1世)はイングランド王になる * [[ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ]]([[1632年]] - [[1694年]])・ドイツの法学者・[[ハイデルベルク大学]]教授・三十年戦争後の[[自然法論]]の世俗化を推進 * [[フィリップ・シュペーナー]]([[1635年]] - [[1705年]]) - [[ルター派]]の牧師・ドイツ[[敬虔主義]]の創始者・[[ハレ大学]]を中心に教会刷新を行う * [[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト1世]]([[1640年]] - [[1705年]]) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位[[1658年]] - [[1705年]])・[[ハンガリー]]を[[トルコ]]から奪還 * ヤコブ・アマン([[1644年]] - [[1712年]]) - スイスの宗教指導者・[[メノナイト]]から分派し厳格なアマン派([[アーミッシュ]])を形成する * [[ゴットフリート・ライプニッツ]]([[1646年]] - [[1710年]]) - ドイツの哲学者(合理論)・数学者・万学に通じ[[プロイセン科学アカデミー|ベルリン科学アカデミー]]を創設・主著は『[[モナド論]]』 * [[ヨハン・パッヘルベル]]([[1653年]] - [[1706年]]) - ドイツの作曲家・オルガン楽派の最盛期を現出・「[[パッヘルベルのカノン]]」他を作曲する * [[クリスティアン・トマジウス]]([[1655年]] - [[1728年]]) - ドイツの法学者・『神法学提要』が代表作・[[ハレ大学]]を創設し「ドイツ啓蒙主義の父」と呼ばれる ==== フランス ==== * {{仮リンク|シュリー公爵マクシミリアン・ド・ベテュヌ|en|Maximilien de Béthune, Duke of Sully}}([[1559年]] - [[1641年]]) - フランス宰相・国王アンリ4世を補佐し宗教戦争後のフランスを復興させる * [[フランソワ・ド・サール]]([[1567年]] - [[1622年]]) - フランス出身の[[ジュネーヴ]]司教・カトリック改革の旗手・[[教会博士]]・『信仰生活入門』がある * [[ジャンヌ・ド・シャンタル]]([[1572年]] - [[1641年]]) - フランスの修道女・フランソワ・ド・サールとともに[[聖母訪問会 (1610年創立)|聖母訪問会]]を設立し聖人とされる * [[マリー・ド・メディシス]]([[1575年]] - [[1642年]]) - フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の2番目の王妃・[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の母后として[[摂政]]となる * [[ヴァンサン・ド・ポール]]([[1581年]] – [[1660年]]) - フランスのカトリック司祭・[[ラザリスト会]]創設者・貧者救済で有名・チュニスで奴隷となった過去あり * {{仮リンク|ドニ・プト|en|Denis Pétau}}([[1583年]] - [[1652年]]) - フランスの神学者・イエズス会士・西暦以前の年代を「紀元前」の表記にすることを考案 * {{仮リンク|シャルル・ド・ロルム|en|Charles de Lorme}}([[1584年]] - [[1678年]]) - フランスの医師・歴代国王に侍医として仕える・[[ペスト医師]]の服装を考案 * [[リシュリュー|リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシー]]([[1585年]] - [[1642年]]) - [[枢機卿]]・フランス宰相・[[ハプスブルク家]]打倒のために三十年戦争に参加 * [[マラン・メルセンヌ]]([[1588年]] - [[1648年]]) - フランスの神学者・数学では「[[メルセンヌ数]]」を発見し音楽では[[12平均律]]を確立 * [[ランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ]]([[1588年]] - [[1665年]]) - フランスの貴族女性・最初の[[サロン]]を開き社交生活の広範に影響を及ぼす。 * [[ピエール・ガッサンディ]]([[1592年]] - [[1655年]]) - フランスの物理学者・哲学者・[[エピクロス]]の[[唯物論]]を復権しデカルト哲学と対決 * [[ジョルジュ・ド・ラ・トゥール]]([[1593年]] - [[1652年]]) - フランスの画家・明暗表現と静謐な画面構成が特徴・「大工の聖ヨセフ」などがある * [[ニコラ・プッサン]]([[1594年]] - [[1665年]]) - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・その端整で荘重な様式は[[古典主義]]と呼ばれる * [[ルネ・デカルト]]([[1596年]] - [[1650年]]) - フランスの[[哲学者]]([[合理論]])・[[数学者]]・『[[方法序説]]』で近代哲学の基礎を築く * ジャン・ジョセフ・スュラン([[1600年]] - [[1665年]]) - フランスの神秘主義者・イエズス会士・ルーダンの悪魔憑き事件の後に『神の愛の勝利』を執筆 * [[クロード・ロラン]]([[1600年]]頃 - [[1682年]]) - イタリアで活躍したフランス人[[画家]]・理想風景を追求する画風で知られる * [[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]([[1601年]] - [[1643年]]) - フランス王(在位[[1610年]] - [[1643年]])・宰相[[リシュリュー]]を重用して王権の強化を進める * [[アンヌ・ドートリッシュ]]([[1601年]] - [[1666年]]) - フランス王ルイ13世の王妃・ルイ14世の母・夫君の死後に摂政となりマザランを抜擢する * [[ジュール・マザラン]]([[1602年]] - [[1661年]]) - イタリア出身の枢機卿・フランス宰相・[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]を支え[[フロンドの乱]]を鎮圧する * [[ピエール・コルネイユ]]([[1606年]] - [[1684年]]) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『ル・シッド』『オラース』で知られる * [[ピエール・ド・フェルマー]]([[1607年]]/[[1608年]] - [[1665年]]) - フランスの数学者・「数論の父」とも呼ばれ「[[フェルマーの最終定理]]」で有名 * [[アントワーヌ・アルノー]]([[1612年]] - [[1694年]]) - フランスの神学者でジャンセニズムの中心人物・哲学者・数学者としてデカルトと交流 * [[フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー]]([[1613年]] - [[1680年]]) - フランスの貴族・[[モラリスト]]文学者・辛辣で機知に富んだ『箴言集』を執筆 * [[ルイ・ル・ヴォー]]([[1612年]] - [[1670年]]) - フランスの建築家・画家[[シャルル・ルブラン]]や庭師[[アンドレ・ル・ノートル]]と協力し[[ヴェルサイユ宮殿]]の中核を建設 * [[アンドレ・ル・ノートル]]([[1613年]] - [[1700年]]) - フランスの造園家・ヴェルサイユ宮殿庭園などを設計し、[[フランス式庭園]]様式を完成させる * [[御復活のラウレンシオ]]([[1614年]] - [[1691年]]) - フランスの神秘主義者・[[カルメル会|カルメル会士]]・『神の臨在の実践』などを執筆 * [[ニコラ・フーケ]]([[1615年]] - [[1680年]]) - フランスの財政家・マザランに認められ大蔵卿に就任・ルイ14世の不興をかって失脚する * [[ジャン=バティスト・コルベール]]([[1619年]] - [[1683年]]) - フランスの[[財務総監]]・ルイ14世に仕え[[重商主義]]の立場から産業育成を行う * [[シラノ・ド・ベルジュラック]] ([[1619年]] - [[1655年]]) - フランスの作家・『日月両世界旅行記』を執筆・[[エドモン・ロスタン|ロスタン]]の戯曲の主人公でもある * [[シャルル・ルブラン]]([[1619年]] - [[1690年]]) - フランスの画家・[[王立絵画彫刻アカデミー]]を創設しヴェルサイユ宮殿の室内装飾や壁画を担当 * [[サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ]]([[1620年]] - [[1642年]]) - ルイ13世の寵臣・リシュリューと対立し陰謀を企てるが処刑される * [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]([[1621年]] - [[1695年]]) - フランスの作家・[[イソップ寓話]]をもとにした「寓話詩」で知られる * [[ルイ2世 (コンデ公)|コンデ公爵ルイ2世]]([[1621年]] - [[1686年]]) - フランスの貴族・軍人・三十年戦争で活躍するも宰相マザランと対立し[[フロンドの乱]]で指導者となる * [[モリエール]]([[1622年]] - [[1673年]]) - フランスの喜劇作家・古典主義の三大作家の一人・『人間嫌い』『[[タルチェフ]]』などで知られる * [[ブレーズ・パスカル]]([[1623年]] - [[1662年]]) - フランスの哲学者・数学者・物理学者・[[ジャンセニスム]]を支持し『[[パンセ]]』を執筆 * {{仮リンク|アルマン・ジャン・ル・ブティリエ・ド・ランセ|fr|Armand Jean le Bouthillier de Rancé}}([[1626年]] - [[1700年]]) - フランスの修道士・[[厳律シトー会]]([[トラピスト会]])を創建 * [[セヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル]]([[1626年]] - [[1696年]]) - フランスの貴族・書簡作家・機知に富んだ書簡で有名 * [[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ]]([[1627年]] - [[1704年]]) - フランスのキリスト教聖職者・神学者・著書『世界史叙説』で[[王権神授説]]を擁護 * [[シャルル・ペロー]]([[1628年]] - [[1703年]]) - フランスの詩人・新旧論争では近代派につき[[ニコラ・ボアロー=デプレオー|ボワロー]]と対決・『ペロー童話集』がある * [[ジャン=バティスト・リュリ]]([[1632年]] - [[1687年]]) - フランスで活躍した盛期バロックの作曲家・ルイ14世の[[宮廷楽長]]および寵臣 * [[ジャン・マビヨン]]([[1632年]] - [[1707年]]) - フランスのベネディクト会士・歴史家・[[古文書学]]者・『古文書学』を著し「歴史考証学の父」と呼ばれる * {{仮リンク|ルイ・ブルダルー|en|Louis Bourdaloue}}([[1632年]] - [[1704年]]) - フランスのイエズス会士・ボシュエと並ぶ説教家で「説教者の王で王の説教者」の称号を得る * [[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン]]([[1633年]] - [[1707年]]) - フランスの軍人(元帥)・[[星形要塞]]を発展させ『[[要塞攻囲論]]』を執筆 * [[ラファイエット夫人|ラ・ファイエット伯爵夫人]]([[1634年]] - [[1693年]]) - フランスの女流作家・[[サロン]]で活躍し『[[クレーヴの奥方]]』を執筆 * [[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ|マントノン侯爵夫人]]([[1635年]] - [[1719年]]) - フランス王ルイ14世の晩年の妻・秘密結婚のため王妃ではないが王に影響力があった * [[ニコラ・ボアロー=デプレオー]]([[1636年]] - [[1711年]]) - フランスの詩人・批評家・王室史料編纂官・[[新旧論争]]では古代派に与し『ロンギノス考』を執筆 * [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]](太陽王)([[1638年]] - [[1715年]]) - フランス王(在位[[1643年]] - [[1715年]])・[[ブルボン朝]]の[[絶対王政]]の最盛期を実現 * [[ニコラ・ド・マルブランシュ]]([[1638年]] - [[1715年]]) - フランスの哲学者・オラトリオ会士・『真理の探究』でデカルト哲学と神学を総合 * [[ドン・ペリニヨン (修道士)|ドン・ペリニヨン]]([[1638年]] - [[1715年]]) - フランスのベネディクト会士・[[シャンパーニュ]]地方特産の発泡酒[[シャンパン]]を開発 * [[ジャン・ラシーヌ]]([[1639年]] - [[1699年]]) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『アンドロマック』『ベレニス』で知られる * [[フランソワ=ミシェル・ル・テリエ|ルーヴォワ侯爵フランソワ=ミシェル・ル・テリエ]]([[1641年]] - [[1691年]]) - フランスの政治家・[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]のもとで陸軍大臣となり欧州随一の[[常備軍]]を育成 * [[ジュール・アルドゥアン=マンサール]]([[1646年]] - [[1708年]]) - フランスの建築家・ヴェルサイユ宮殿を増築し「鏡の間」を建設 * [[ピエール・ベール]]([[1647年]] - [[1706年]]) - フランスの哲学者・思想家・『歴史批評辞典』などを著し[[啓蒙思想]]の先駆けとなる * [[マルグリット・マリー・アラコク]]([[1647年]] - [[1690年]]) - フランスの聖母訪問会の修道女・「イエスの[[聖心]]」の啓示を受けたとされ聖人となる * [[ギュイヨン夫人]]([[1648年]] - [[1717年]]) - フランスの神秘主義者・[[キエティスム]](静寂主義)の一人・カトリック教会により異端とされ投獄される * [[フランソワ・フェヌロン]]([[1651年]] - [[1715年]]) - フランスの聖職者・ルイ14世の孫の教育係・『テレマックの冒険』を執筆・[[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ]]は論敵 ==== フランドル・オランダ ==== * [[ヤーコブス・アルミニウス]]([[1560年]] - [[1609年]]) - オランダの神学者・従来のカルヴァン説よりも自由意志を重視した[[アルミニウス主義|アルミニウス説]]を唱える * [[ピーテル・パウル・ルーベンス]]([[1577年]] - [[1640年]]) - [[フランドル]]のバロックの画家・代表作に「[[マリー・ド・メディシスの生涯]]」 * [[フランス・ハルス]]([[1581年]]/[[1585年]]頃 - [[1666年]]) - [[オランダ黄金時代の絵画|オランダ絵画の黄金時代]]の画家・「陽気な酒飲み」など軽妙な写実的肖像画に優れる * [[フーゴー・グローティウス]]([[1583年]] - [[1645年]]) - [[オランダ]]の法学者・[[自然法]]に基づく[[国際法]]の基礎を定め「国際法の父」と称される * [[コルネリウス・ヤンセン]]([[1585年]] - [[1638年]]) - フランドルの[[イーペル]]司教・『アウグスティヌス』で神の恩寵を重視しジャンセニスムの嚆矢となる * [[アンソニー・ヴァン・ダイク]]([[1599年]] - [[1641年]]) - フランドルのバロックの画家・ルーベンスの協力者で後にイングランドで活躍 * [[レンブラント・ファン・レイン]]([[1606年]] - [[1669年]]) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・「[[夜警 (絵画)|夜警]]」など光と闇の表現に優れる * [[ゲオルク・マルクグラーフ]]([[1610年]] - [[1644年]]) - ドイツ生まれの博物学者・オランダ領ブラジルの調査に参加・調査は『ブラジルの自然史』にまとめられる * [[ヨハン・デ・ウィット]]([[1625年]] - [[1672年]]) - オランダ共和政の指導者・[[英蘭戦争]]を指揮するが[[オランダ侵略戦争]]で追い詰められオランダ市民に虐殺される * [[アルノルドゥス・モンタヌス]]([[1625年]] - [[1683年]]) - オランダの宣教師・歴史学者・日本や世界各地の地理歴史についての書物を多数著す * [[クリスティアーン・ホイヘンス]]([[1629年]] - [[1695年]]) - オランダの物理学者・天文学者・「[[土星の環]]」の発見や[[振り子時計]]の発明で有名 * [[ヨハネス・フェルメール]]([[1632年]] - [[1675年]]) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・市井の人々の生活を精妙な光で描いた * [[バールーフ・デ・スピノザ]]([[1632年]] - [[1677年]]) - オランダの哲学者(合理論)・[[ユダヤ人]]共同体から[[破門]]される・主著は『[[エチカ (スピノザ)|エチカ]]』 * [[アントニ・ファン・レーウェンフック]]([[1632年]] - [[1723年]]) - オランダの科学者・顕微鏡で微生物の観察を行い「微生物学の父」と呼ばれる * [[マリア・ジビーラ・メーリアン]]([[1647年]] - [[1717年]]) - ドイツ生まれの植物・昆虫学者・女性画家でもあり南米[[スリナム]]まで調査旅行したことで有名 ==== 北欧 ==== * [[クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世]]([[1578年]] - [[1648年]]) - [[デンマーク]]王・プロテスタント側で三十年戦争に参加・後に[[スウェーデン]]との戦いで敗北 * [[アクセル・オクセンシェルナ]]([[1585年]] - [[1654年]]) - スウェーデン宰相・[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世]]から[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ女王]]までの国王を補佐 * [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]] (獅子王)([[1594年]] - [[1632年]]) - スウェーデン王(在位[[1611年]] - [[1632年]])・[[リュッツェンの戦い (1632年)|リュッツェンの戦い]]で戦死 * [[レンナート・トルステンソン]]([[1603年]] - [[1651年]]) - スウェーデンの将軍・三十年戦争([[トルステンソン戦争]])で活躍し皇帝軍を敗走させる * [[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]([[1609年]] - [[1670年]]) - デンマーク王(在位[[1648年]] - [[1670年]])・[[カール・グスタフ戦争]]で多くの領土を喪失する * [[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]([[1626年]] - [[1689年]]) - スウェーデン女王(在位[[1632年]] - [[1654年]])・[[ルネ・デカルト|デカルト]]を招聘・後に[[カトリック教会|カトリック]]に改宗 * [[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]([[1622年]] - [[1660年]]) - スウェーデン王(在位[[1654年]] - [[1660年]])・[[北方戦争]]に勝利し「[[バルト帝国]]」を建設 * [[オーレ・レーマー]]([[1644年]] – [[1710年]]) - デンマークの天文学者・[[コペンハーゲン大学]]教授・[[光速度]]の値を世界で初めて算出した * [[クリスチャン5世 (デンマーク王)|クリスチャン5世]]([[1646年]] - [[1699年]]) - デンマーク王(在位[[1670年]] - [[1699年]])・デンマーク初の法典整備や税制改革を行う * [[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]([[1655年]] - [[1697年]]) - スウェーデン王(在位[[1660年]] - [[1697年]])・オランダ侵略戦争や[[スコーネ戦争]]に介入 ==== 東欧 ==== * [[ヨハネス・アモス・コメニウス]]([[1592年]] - [[1670年]]) - モラヴィア出身の教育思想家・三十年戦争の混乱で諸国を遍歴し百科事典『[[世界図絵]]』などを残す * [[ボフダン・フメリニツキー]]([[1595年]] - [[1657年]]) - ポーランドの貴族・[[ウクライナ・コサック]]の[[ヘーチマン]]・[[フメリニツキーの乱]]を起こす * [[ヨハネス・ヨンストン]]([[1603年]] – [[1675年]]) - ポーランドの博物学者・著作『鳥獣虫魚図譜』は江戸時代の日本にも招来される * [[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]] ([[1629年]] - [[1696年]]) - ポーランド王(在位[[1674年]] - [[1696年]])・[[大洪水時代]]後の混乱を収拾・[[第二次ウィーン包囲]]に勝利 ==== ロシア ==== * [[ボリス・ゴドゥノフ]]([[1551年]] - [[1605年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1598年]] - [[1605年]])・リューリク朝断絶に伴う[[動乱時代]]を招来 * [[フィラレート (モスクワ総主教)|フィラレート]]([[1553年]] - [[1633年]]) - [[モスクワ総主教]](在位[[1619年]] - [[1633年]])・ミハイル・ロマノフの父で事実上の支配者 * [[偽ドミトリー1世]]([[1581年]] - [[1606年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1605年]] - [[1606年]])・動乱時代に相次いで出現した帝位僭称者の最初 * [[クジマ・ミーニン]](16世紀後半 - [[1616年]]) - ロシアのニジニ・ノヴゴロドの商人・ポジャールスキー公とともに義勇軍を結成しモスクワを解放する * [[ドミートリー・ポジャールスキー]] ([[1577年]] - [[1642年]]) - ロシアの軍人・ミーニンとともにポーランド軍を撃退・その功績により「祖国の救世主」という称号を獲得 * [[ミハイル・ロマノフ]]([[1596年]] - [[1645年]]) - [[ロシア]]の[[ツァーリ]]で[[ロマノフ朝]]最初の君主(在位[[1613年]] - [[1645年]])・[[ゼムスキー・ソボル]]にて選出 * {{仮リンク|ニーコン|en|Patriarch Nikon of Moscow}}([[1605年]] - [[1681年]]) - モスクワ総主教・[[ロシア正教会]]の典礼改革を行う・これにより[[古儀式派]]が正教会から離脱 * [[イヴァン・モスクヴィチン]](? - [[1647年]]以降)- ロシアの探検家・ロシア人として初めてシベリアを横断して[[オホーツク海]]および太平洋側に達する * [[エロフェイ・ハバロフ]]([[1603年]]頃 - [[1671年]]頃) - ロシアの探検家・[[アムール川]]流域を探検し清朝と激突・[[ハバロフスク]]市に名がつけられる * [[セミョン・デジニョフ]]([[1605年]]頃 - [[1673年]]) - ロシアの探検家・[[ユーラシア大陸]]の最東端を回航しアメリカ大陸とは陸続きでないことを発見 * [[アヴァクーム]]([[1620年]]/[[1621年]] - [[1682年]]) - ロシアの司祭・古儀式派の最初期の指導者・ニーコンの改革に反対し追放され焚刑にされる * [[アレクセイ (モスクワ大公)|アレクセイ]]([[1629年]] - [[1676年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1645年]] - [[1676年]])・[[ウクライナ]]東部を獲得し[[ヘーチマン国家]]を併合 * [[スチェパン・ラージン]]([[1630年]] - [[1671年]]) - ロシアの[[ドン・コサック軍]]の指導者・政府に対して反乱を起こすが敗北し処刑される * {{仮リンク|フェオドシア・モローゾヴァ|en|Feodosia Morozova}}([[1632年]] - [[1675年]]) - ロシア貴族の女性・ニーコンの改革に反対し古儀式派の中心となるが捕縛され餓死する * [[ソフィア・アレクセーエヴナ]]([[1657年]] - [[1704年]]) - イヴァン5世とピョートル1世の姉・摂政(在任[[1682年]] - [[1689年]])・事実上の女性君主 * [[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]([[1671年]] - [[1725年]]) - ロシアのツァーリ(在位[[1682年]] - [[1725年]])・西欧大使節団を派遣・[[大北方戦争]]でスウェーデンに勝利 === 南北アメリカ === * [[インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ]]([[1539年]] - [[1616年]]) - ペルー出身の歴史家・母はインカ皇女・『{{仮リンク|インカ皇統記|es|Comentarios reales de los incas|en|Comentarios Reales de los Incas}}』『ペルー征服史』がある * [[ワマン・ポマ|グァマン・ポマ]]([[1550年]]? - [[1616年]]?) - ペルー出身の原住民の記録者・多くの挿絵を含む『新しい記録と良き統治』を執筆 * [[ウォルター・ローリー]]([[1552年]]/[[1554年]] - [[1618年]]) - イングランドの探検家・[[アメリカ大陸]]で最初のイングランド植民地を築くが失敗 * [[ヘンリー・ハドソン]]([[1560年代|1560]] - [[1570年代|70年代]] - [[1611年]]?) - イングランドの探検家・[[北アメリカ]]を探検し[[ハドソン湾]]や[[ハドソン川]]に名を残す * [[サミュエル・ド・シャンプラン]]([[1567年]]/[[1570年]] - [[1635年]]) - フランスの探検家・地理学者・[[ケベック州|ケベック]]植民地を築く * [[ジョン・スミス (探検家)|ジョン・スミス]]([[1580年]] - [[1631年]]) - イングランドの軍人・探検家・植民者・永住植民地[[ヴァージニア]]を築く * [[リマのローザ]]([[1586年]] - [[1617年]]) - ペルー出身のドミニコ会在俗修道女・自己犠牲的な苦行で知られ新大陸で最初の聖人に列される * ウィリアム・ブラッドフォード([[1590年]] - [[1657年]]) - イングランド出身の[[ピルグリム・ファーザーズ]]の指導者・[[プリマス]]植民地を築く * [[アン・ハッチンソン]]([[1591年]] - [[1643年]]) - イングランド出身の女性の聖書研究者・[[マサチューセッツ州|マサチューセッツ]]の[[ピューリタン]]と対立し追放される * [[ポカホンタス]]([[1595年]]頃 - [[1617年]]) - アメリカ[[インディアン]]・[[ポウハタン|ポウハタン族]]の女性・[[大西洋]]を越えてイングランドに招かれる * [[ピーター・ストイフェサント]]([[1612年]] - [[1672年]]) - オランダの最後の[[ニューネーデルラント]]植民地総督・[[英蘭戦争]]後にここを放棄 * [[メタコメット]]([[1639年]] - [[1676年]]) - アメリカインディアンの[[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長・フィリップ王とも呼ばれ[[フィリップ王戦争]]を起こす * [[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール]]([[1643年]] - [[1687年]]) - フランスの探検家・[[ミシシッピ川]]流域をフランス領とし[[ルイジアナ州|ルイジアナ]]と名付ける * [[ウィリアム・ペン]]([[1644年]] - [[1718年]]) - イングランド出身の[[クエーカー教]]徒・[[フィラデルフィア]]市を建設し[[ペンシルベニア州]]を整備 * [[ウィリアム・キッド]]([[1645年]] - [[1701年]]) - スコットランド出身の[[海賊]]船船長・「キャプテン・キッド」の名で知られている * [[ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス]]([[1651年]] - [[1695年]]) - メキシコの修道女・スペイン語による詩文集『知への賛歌』で知られる * [[ズンビ・ドス・パルマーレス]]([[1655年]]? - [[1695年]]) - ブラジルで最大の逃亡奴隷集落「キロンボ・ドス・パルマーレス」の指導者・斬首刑にされる === サハラ以南のアフリカ === * [[ヤン・ファン・リーベック]]([[1619年]] - [[1677年]]) - オランダの植民地監督者・テーブル湾に面した[[ケープ植民地]]を建設したことで知られる === 北アフリカ・西アジア・中央アジア === * リザー・アッバーシー([[1565年]]頃 - [[1635年]]) - サファビー朝の画家・アッバース1世の宮廷工房で活躍しイスファハーン画派を大成する * [[アッバース1世]]([[1571年]] - [[1629年]]) - サファヴィー朝第5代シャー(在位[[1588年]] - [[1629年]])・最盛期のシャー・オスマン帝国から[[イラク]]奪還 * [[モッラー・サドラー]]([[1572年]] - [[1640年]]) - サファヴィー朝のシーア派のイスラム哲学者・実存を重視した超越論的神智学を提唱 * [[キリロス・ルカリス]]([[1572年]] - [[1637年]]) - [[コンスタンディヌーポリ総主教]]・反カトリックで[[カルヴァン]]主義に接近・反乱の責任で殺害される * キョプリュリュ・メフメト・パシャ([[1583年]] - [[1661年]]) - [[オスマン帝国]]大宰相国政を任され[[キョプリュリュ家|キョプリュリュ]]時代の基礎を築く * [[キョセム・スルタン]]([[1590年]] - [[1651年]]) - オスマン帝国カリフの[[アフメト1世]]の妃・[[ムラト4世]]および[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]の母后・「女人天下」の代表 * [[キャーティプ・チェレビー]]([[1609年]] - [[1657年]]) - オスマン帝国最大の博物学者・書誌学の『書誌総覧』や地理学の『世界の鏡』がある * [[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ]]([[1609年]] - [[1640年]]) - オスマン帝国の発明家・[[イスタンブール]]で人力飛行(グライダー)に成功した? * [[ラガリ・ハサン・チェレビ]](? - [[1640年]]頃) - オスマン帝国の発明家・[[ヘザルフェン・アフメト・チェレビ|ヘザルフェン]]の兄弟・火薬を用いたロケット飛行に成功? * [[エヴリヤ・チェレビ]]([[1611年]]? - [[1682年]]) - オスマン帝国の旅行家・40年間にわたって帝国内を記録し『旅行記』10巻を執筆 * [[シャブタイ・ツヴィ|サバタイ・ツヴィ]]([[1626年]] - [[1676年]]) - オスマン帝国[[イズミル]]出身のユダヤ教の宗教家・人々を熱狂させた偽メシアとして知られる * [[トゥルハン・ハティジェ]]([[1628年]] - [[1683年]]) - オスマン帝国カリフの[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]の妃・[[メフメト4世]]の母・義母キョセムを倒し実権を握る * セリム・ギレイ1世([[1631年]] - [[1704年]]) - [[クリミア・ハン国]]の君主(在位[[1671年]] - [[1704年]]で断続的に4度)・オスマンに与し西欧と戦う * [[キョプリュリュ・アフメト・パシャ]]([[1635年]] - [[1676年]]) - オスマン帝国大宰相・父のメフメトを継いでオスマン帝国最大領土を保持 * [[カラ・ムスタファ・パシャ]]([[1635年]]? - [[1683年]]) - オスマン帝国大宰相・キョプリュリュ家の娘婿・第二次ウィーン包囲を敢行 * [[キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ]]([[1637年]] - [[1691年]]) - オスマン帝国大宰相・第二次ウィーン包囲後の混乱を収拾する * [[ジャン・シャルダン]]([[1643年]] - [[1713年]]) - フランス出身の商人・サファヴィー朝で貿易に従事し『ペルシア紀行』を出版・後にイギリスへ亡命 * キョプリュリュ・ヒュセイン・パシャ([[1644年]] - [[1702年]]) - オスマン帝国大宰相・カルロヴィッツ条約を締結しハンガリーを放棄 * [[ムーレイ・イスマーイール]]([[1645年]] - [[1727年]]) - アラウィー朝[[モロッコ]]の君主(在位[[1672年]] - [[1727年]])・半世紀の治世でメクネス宮殿を建設 === インド・東南アジア === * [[ミールザー・ギヤース・ベグ]](? - [[1622年]]) - ムガル帝国宰相・歴代皇帝に仕え「イティマード・ウッダウラ(国家の柱)」の称号を得る * [[ヤン・ピーテルスゾーン・クーン]] ([[1587年]] - [[1629年]]) - [[オランダ東インド会社]]第4代総督・[[バタヴィア]]を築き[[アンボイナ事件]]を起こす * [[ジャハーンギール]]([[1569年]] - [[1627年]]) - [[ムガル帝国]]第4代皇帝(在位[[1605年]] - [[1627年]])・[[アクバル]]に続き寛容政策を行う * [[ヌール・ジャハーン]]([[1577年]] - [[1645年]]) - ムガル皇帝ジャハーンギールの妃・皇帝の健康が思わしくないことで事実上の君主として帝国を支配 * [[アレクサンドル・ドゥ・ロード]]([[1591年]] - [[1660年]]) - フランス出身のイエズス会宣教師・ベトナム語のラテン文字表記の方法を考案したことでも知られる * [[シャー・ジャハーン]]([[1592年]] - [[1666年]]) - ムガル帝国第5代皇帝(在位[[1628年]] - [[1658年]])・愛妃を偲んで[[タージ・マハル]]を建立 * [[ムムターズ・マハル]]([[1595年]] - [[1631年]]) - ムガル皇帝[[シャー・ジャハーン]]の第1皇妃・その死後[[タージ・マハル]]霊廟に葬られる * [[フランソワ・カロン]]([[1600年]] - [[1673年]]) - オランダ東インド会社のもと日本ほかで勤務・後年[[フランス東インド会社]]長官に転じる * [[ダーラー・シコー]]([[1615年]] - [[1658年]]) - ムガル帝国の皇族・哲学者として「[[ウパニシャッド]]」の翻訳を行うなど融和路線を尊重・弟アウラングゼーブに処刑される * [[アウラングゼーブ]]([[1618年]] - [[1707年]]) - ムガル帝国第6代皇帝(在位[[1658年]] - [[1707年]])・反融和路線のもと[[ヒンドゥー教]]などを弾圧・デカン戦争を行いムガル帝国の最大領土を実現 * [[フランソワ・ベルニエ]]([[1620年]] - [[1688年]]) - フランス出身の医師・旅行家・ムガル帝国を旅行し『ムガル帝国誌』を執筆 * [[シヴァージー]]([[1627年]] - [[1680年]]) - [[インド]]の[[マラーター王国]]の建国者・[[マラーター族]]を糾合しムガル帝国の[[アウラングゼーブ]]に敵対 * [[ナーラーイ]]([[1633年]] - [[1688年]]) - アユタヤ朝タイ王国国王(在位[[1656年]] - [[1688年]])・フランスと外交関係を結ぶ・文芸も奨励 * フランソワ・マルタン([[1634年]] - [[1706年]]) - フランス東インド会社長官・[[フランソワ・カロン]]に続き[[ポンディシェリ]]に商館を設置 * [[グル・ゴービンド・シング]]([[1666年]] - [[1708年]]) - [[シク教]]第10代教主(グル)(在位[[1675年]] - [[1708年]])・以後は経典が教主とされる * {{仮リンク|マンガマール|en|Mangammal}}(? - [[1705年]]) - [[マドゥライ・ナーヤカ朝]]の女性君主(在位[[1689年]] - [[1704年]])・アウラングゼーブの軍を撃退 === オセアニア === * [[アベル・タスマン]]([[1603年]] - [[1659年]]) - オランダの探検家・オランダ東インド会社のもとで太平洋各地を探検・[[タスマニア島]]に名がつく * [[ウィリアム・ダンピア]]([[1651年]] - [[1715年]]) - イギリスの探検家・[[海賊]]([[私掠船]])・オーストラリア他を調査し『最新世界周航記』を残す === 東アジア === ==== 明・清 ==== * [[王圻]]([[1529年]] - [[1612年]]) - [[明]]の学者・息子王思議と『[[三才図会]]』を編纂し日本の『[[和漢三才図会]]』に影響・『[[続文献通考]]』も編纂 * [[顧憲成]]([[1550年]] - [[1612年]]) - 明の官僚・儒学者として故郷の[[無錫市|無錫]]に[[東林書院]]を再興・この学派が明末に[[東林党]]に成長する * [[マテオ・リッチ]](利瑪竇)([[1552年]] - [[1610年]]) - イタリア人の[[イエズス会]]士・明の官僚である[[徐光啓]]らに洗礼を授け宣教につとめる * [[董其昌]]([[1555年]] - [[1636年]]) - 明の官僚・文人・書画に優れ[[文人画]](南宗画)の優位を説く・明末の「邢張米董」の一人 * [[孝寧太后|鄭貴妃]](? - [[1630年]]) - 明の[[万暦帝]]の妃で福王[[朱常洵]]の母・帝位継承をめぐる疑獄事件の「三案(梃撃・紅丸・移宮)」の黒幕か? * [[ヌルハチ]]([[1559年]] - [[1626年]]) - [[清]]の初代皇帝(太祖)(在位[[1616年]] - [[1626年]])・[[サルフの戦い]]で明に勝利 * [[徐光啓]]([[1562年]] - [[1633年]]) - 明の官僚・暦数学者・[[マテオ・リッチ]]の影響でキリスト教徒となり『[[農政全書]]』『崇禎暦書』を残す * [[謝肇淛]]([[1567年]] - [[1624年]]) - 明の官僚・広西按察使・『[[五雑組]]』で多くの風物や掌故を記した・他に『北河紀略』がある * [[魏忠賢]]([[1568年]] - [[1627年]]) - 明末の[[宦官]]で[[東廠]]の長官・東林党を弾圧するなど専横を極める・[[崇禎帝]]に死を命じられる * [[張瑞図]]([[1570年]] - [[1640年]]以後) - 明末の書家で「邢張米董」の一人・政治家でもあったが魏忠賢の党派に属した罪で官を辞す * [[馮夢竜]]([[1574年]] - [[1646年]]) - 明末の官僚・陽明学者として『王陽明靖乱録』を、著述家として『[[平妖伝]]』『[[笑府]]』などを残す * [[秦良玉]]([[1574年]] - [[1648年]]) - 明末の武官・四川の少数民族出身の女性・明に忠節を尽くし後金や張献忠らと戦う * [[銭謙益]]([[1582年]] - [[1664年]]) - 明末清初の官僚・南京で福王政権を樹立するが清に降伏・文人として擬古派を排し『列朝詩集』を編纂 * 計成([[1582年]] - [[1642年]]) - 明末の園芸家・園芸の理念や現場での知識をまとめた『[[園冶]]』を執筆する * [[ジュリオ・アレーニ]](艾儒略)([[1582年]] - [[1649年]]) - イタリア出身のイエズス会士・世界地理書『職方外紀』や学術紹介書『西学凡』など著書多数 * [[袁崇煥]]([[1584年]] - [[1630年]]) - 明末の武官・寧遠城の戦いでは大砲を用いてヌルハチを退ける・後に謀反の疑いにより処刑される * 黄道周([[1585年]] - [[1646年]]) - 明末の官僚・北京陥落後も[[南明]]政権を支える・書家として「明末三大家」の一人とされる * [[宋応星]]([[1590年]]頃 - [[1650年]]頃) - 明末清初に活躍した地方官吏・技術者・『[[天工開物]]』の著者として知られる * [[アダム・シャール]](湯若望)([[1591年]] - [[1666年]]) - ドイツ人のイエズス会士・天文学に優れ明では『崇禎暦書』を清では「時憲暦」を作成 * [[ホンタイジ]]([[1592年]] - [[1643年]]) - 清の第2代皇帝(太宗)(在位[[1626年]] - [[1643年]])・国号を[[後金]]から清とし国家体制を整える * [[隠元隆琦]]([[1592年]] - [[1673年]]) - 明末清初の禅僧・中国の動乱を避けて日本に渡来し[[黄檗宗]]を伝える・[[宇治]]の黄檗山[[萬福寺]]開山 * [[王鐸]]([[1592年]] - [[1652年]]) - 明末清初の官僚・黄道周や倪元璐と異なり国に殉ぜず・書家として「明末三大家」の一人とされる * 倪元璐([[1593年]] - [[1644年]]) - 明末の官僚・北京陥落に合わせて殉死・書家として「明末三大家」の一人とされる * [[洪承疇]]([[1593年]] - [[1665年]]) - 明末清初の武官・政治家・明に仕え清と戦うも降伏・帰順後は大学士となり清の統治機構を整備 * [[張岱 (明)|張岱]]([[1597年]] - [[1684年]]) - 明末清初の文人・江南の風俗や人物を回顧的に語る随筆集『陶庵夢憶』を著す * [[朱舜水]]([[1600年]] - [[1682年]]) - 明末清初の儒学者・反清復明運動に参加するが成功せず日本に亡命・[[徳川光圀]]の庇護を受ける * [[史可法]]([[1601年]] - [[1645年]]) - 明末の政治家・[[弘光帝]]を擁立し[[南明]]政権を樹立・「揚州十日」の虐殺を目前に自殺する * [[王秀楚]](生没年不詳) - 明末清初の文人・史可法の幕僚であったことがあり清軍の揚州虐殺を記録した『揚州十日記』を執筆 * [[尚可喜]]([[1604年]] - [[1676年]]) - 明末清初の軍人・清軍に投降して協力し平南王に封じられる・三藩の乱では挙兵に反対するが幽閉され死去 * [[李自成]]([[1606年]] - [[1645年]]) - 明末の農民反乱指導者・明の崇禎帝を倒し[[北京]]を奪取・皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる * [[張献忠]]([[1606年]] - [[1646年]]) - 明末の農民反乱指導者・[[四川]]の[[成都]]で皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる * [[黄宗羲]]([[1610年]] - [[1695年]]) - 明末清初の儒学者([[考証学]])で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『明夷待訪録』の著者 * [[オボイ]]([[1610年]]? - [[1669年]]) - 清の軍人・政治家・ホンタイジ以後の諸帝に仕えるがやがて独裁化・康熙帝に失脚させられる * [[崇禎帝]]([[1611年]] - [[1644年]]) - 明の最後の第17代皇帝(在位[[1628年]] - [[1644年]])・[[李自成]]の乱で北京を包囲され縊死する * [[李漁]]([[1611年]] - [[1680年]]) - 明末清初の劇作家・著作家・戯曲『笠翁十種曲』や小説『十二楼』を書く・好色文学『[[肉蒲団]]』の作者とも * [[呉三桂]]([[1612年]] - [[1678年]]) - 明末清初の軍人・北京陥落の報を聞き清軍に投降・[[雲南省|雲南]]を支配するが清に背き[[三藩の乱]]を起こす * [[ドルゴン]]([[1612年]] - [[1650年]]) - 清の皇族・幼い[[順治帝]]の叔父として摂政となり北京入城後の清軍を指揮 * [[ミハウ・ボイム]](卜弥格)([[1612年]]? - [[1659年]]) - ポーランド人イエズス会士・中国学者・中国で布教後に南明の永暦帝の使節としてローマに渡る * [[顧炎武]]([[1613年]] - [[1682年]]) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『[[日知録]]』の著者 * [[王夫之]]([[1619年]] - [[1692年]]) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『読通鑑論』の著者 * [[施琅]]([[1621年]] - [[1696年]]) - 明末清初の軍人・鄭芝龍に仕えていたが後に清朝に帰順・台湾の鄭氏政権の攻略などで活躍 * [[永暦帝]]([[1623年]] - [[1662年]]) - [[南明]]政権の最後の皇帝・崇禎帝の従弟・[[ビルマ]]まで落ち延びて抗戦するが[[呉三桂]]に殺害される * [[フェルディナント・フェルビースト]](南懐仁)([[1623年]] - [[1688年]]) - フランドル人のイエズス会士・アダム・シャールを補佐して宣教する * [[フィリップ・クプレ]](柏応理)([[1623年]] - [[1693年]]) - フランドル人イエズス会士・『中国の哲学者孔子』を執筆し中国古典を翻訳 * [[鄭成功]]([[1624年]] - [[1662年]]) - 明末清初の政治家・明の亡命政権を支援し[[台湾]]で抵抗運動を続ける・[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]の祖・俗称は国姓爺 * [[耿精忠]](? - [[1682年]]) - 清の軍人・初代靖南王[[耿仲明]]の孫・三藩の乱では呉三桂や[[尚之信]]に呼応して挙兵・乱の鎮圧後に磔刑にされる * [[八大山人]]([[1626年]]? - [[1705年]]?) - 明末清初の画家・書家・詩人・明の皇族の一人だが明滅亡後は世間を避けて生活する * [[閻若璩]]([[1636年]] - [[1704年]]) - 清の儒学者(考証学)・『大清一統志』を編纂・『尚書古文疏証』では[[古文尚書]]が偽書であることを立証 * [[順治帝]]([[1638年]] - [[1661年]]) - 清の第3代皇帝(在位[[1643年]] - [[1661年]])・[[山海関]]を越えて[[北京]]に入城・中国支配を始める * [[蒲松齢]]([[1640年]] - [[1715年]]) - 清の文学者・官僚にはなれず家塾などを営む・[[志怪小説]]『[[聊斎志異]]』の作者 * [[石濤]]([[1642年]] - [[1707年]]) - 清の画家・明の皇族の末裔で同じ境遇の八大山人とも交流する・黄山派に属す * 洪昇([[1645年]] - [[1704年]]) - 清の劇作家・戯曲「[[長生殿 (戯曲)|長生殿]]」の作者・孔尚任とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される * [[孔尚任]]([[1648年]] - [[1718年]]) - 清の劇作家・戯曲「[[桃花扇]]」の作者・洪昇とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される * [[康熙帝]]([[1654年]] - [[1722年]]) - 清の第4代皇帝(在位[[1661年]] - [[1722年]])・中国屈指の名君・在位60年で「三世の春」時代を迎える * [[沈福宗]]([[1657年]] - [[1692年]]) - 清のキリスト教信者・イエズス会士クプレに連れられローマやその他の国々を訪問・中国の文献を伝える ==== ジュンガル ==== * [[ガルダン・ハーン]]([[1644年]] - [[1697年]])・オイラト系[[ジュンガル部]]の第4代部族長(在位[[1671年]] - [[1697年]])・清の康熙帝と対決 ==== チベット ==== * [[ダライ・ラマ5世]]([[1617年]] - [[1682年]]) - チベット仏教の教主(在位[[1642年]] - [[1682年]])・[[ラサ]]に遷都し[[ポタラ宮殿]]を営む ==== モンゴル ==== * [[ジェプツンダンバ・ホトクト]](ザナバザル)([[1635年]] – [[1723年]]) - [[モンゴル]]の[[活仏]]・[[エルデネ・ゾー]]を中心に[[ゲルク派]]を布教・清の[[冊封]]を受け入れる ==== 李氏朝鮮 ==== * [[惟政]]([[1543年]] - [[1610年]]) - 李氏朝鮮の僧侶(松雲大師)・壬辰倭乱で義僧兵を率いて戦う・使節として来日し徳川家康らと講和交渉を行う * [[許筠]]([[1569年]] – [[1618年]]) - 李氏朝鮮の官人・文人・[[光海君]]の命で極刑を受ける・最古の[[ハングル]]文学『[[洪吉童伝]]』を執筆 === 日本 === * [[天海]]([[1536年]]? - [[1643年]]) - [[比叡山]]探題の僧・[[江戸]]の[[上野]][[寛永寺]]開山・[[徳川家康]]の側近・諡号は慈眼大師 * [[本多正信]]([[1538年]] - [[1616年]]) -[[大名]]([[相模国|相模]][[玉縄藩]]藩主)・[[老中]]・徳川家康の重臣として幕政を牛耳る * [[徳川家康]]([[1543年]] - [[1616年]]) - [[江戸幕府]]初代[[征夷大将軍]](在任[[1603年]] - [[1605年]])・[[大坂夏の陣]]で[[豊臣氏]]を滅ぼす * [[大久保長安]]([[1545年]] - [[1613年]]) - [[勘定奉行]]として全国の金銀山を統轄・その死後は不正の疑いで子弟は処刑される([[大久保長安事件]]) * [[織田長益]]([[1547年]] - [[1520年]]) - 大名([[摂津国|摂津]]味舌藩)・茶人(有楽斎)・信長の弟・[[大坂の陣]]では和睦に腐心するが落城前に退去 * [[高山右近]]([[1552年]] - [[1615年]]) - [[キリシタン大名]]・キリスト教禁令で領地を放棄・キリシタン国外追放令により[[マニラ]]で死去 * [[安楽庵策伝]]([[1554年]] - [[1642年]]) - [[浄土宗]]西山深草派の僧・説教に優れた才を生かし[[笑話集]]『[[醒睡笑]]』をまとめ[[落語]]の祖と呼ばれる * [[角倉了以]]([[1554年]] - [[1614年]]) - 豪商・[[安南]]との[[朱印船]]貿易で巨利を得る・土木事業家として[[高瀬川]]や[[富士川]]の開削に従事 * [[片桐且元]]([[1556年]] - [[1615年]]) - 大名(摂津国[[茨木藩]]藩主)・[[賤ヶ岳の七本槍]]の一人・豊臣と徳川の和平に尽くす * [[藤堂高虎]]([[1556年]] - [[1630年]]) - 大名([[伊勢国|伊勢]][[津藩]]藩主)・徳川家康に[[外様大名|外様]]でありながら[[譜代大名|譜代]]格として重用される * [[ヤン・ヨーステン|ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン]]([[1556年]]? - [[1623年]]) - オランダ人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は耶楊子 * [[本阿弥光悦]]([[1558年]] - [[1637年]]) - 刀剣鑑定家・陶芸家・漆芸家・書家としては「[[寛永の三筆]]」の一人と称される * [[俵屋宗達]](生没年不詳) - 画家・[[本阿弥光悦]]の協力者でいわゆる[[琳派]]の祖・「[[風神雷神図屏風]]」ほかがある * [[藤原惺窩]]([[1561年]] - [[1619年]]) - 儒学者([[朱子学]])・[[朝鮮]]人[[姜沆]]との交流を経て儒学を体系化・[[林羅山]]や[[松永尺五]]は弟子 * [[ウィリアム・アダムス]]([[1564年]] - [[1620年]]) - イギリス人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は三浦按針 * [[池田輝政]]([[1564年]] - [[1620年]]) - 大名([[播磨国|播磨]][[姫路藩]]藩主)・織田信長から徳川家康に仕える・[[姫路城]]を現在の規模に拡張した * [[不干斎ハビアン]]([[1565年]] - [[1621年]]) - イエズス会士として護教論『妙貞問答』を執筆・後に棄教して反キリスト教論『破提宇子』を執筆 * [[坂崎直盛]]([[1565年]]? - [[1616年]]) - 大名([[石見国|石見]][[津和野藩]]藩主)・大阪落城の際に[[千姫]]を救出・千姫再婚で事件を起こす * [[真田信繁]](幸村)([[1567年]] - [[1615年]]) - [[信濃国]]の武将・[[関ヶ原の戦い]]で浪人・[[豊臣秀頼]]に招かれ大坂夏の陣で奮戦するも戦死 * [[淀殿]]([[1567年]]? - [[1615年]]) - [[豊臣秀吉]]側室で豊臣秀頼の母・[[浅井三姉妹]]の長女・大坂夏の陣に敗北し自殺 * [[伊達政宗]]([[1567年]] - [[1636年]]) - 大名([[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]藩主)・徳川家康から[[徳川家光]]までの将軍に仕える・[[慶長遣欧使節団]]を送る * [[立花宗茂]]([[1567年]] - [[1643年]]) - 大名([[筑後]][[柳河藩]]藩主)・関ヶ原の戦いで西軍につき改易・後に幕府の信任を得て大名として復帰 * [[大野治長]]([[1569年]] - [[1615年]]) - 武将(修理亮)・大阪の陣では豊臣方の指導者・母は[[大蔵卿局]]・大阪落城に殉じる * [[以心崇伝]]([[1569年]] - [[1633年]]) - [[南禅寺]]([[金地院]])住持・寺社行政に携わり[[キリスト教]]の禁止や寺社諸法度ほかの法制を整備 * [[柳生宗矩]]([[1571年]] - [[1646年]]) - 大名([[大和国|大和]][[柳生藩]]藩主)・[[柳生新陰流]](江戸柳生)の剣術家で徳川将軍家の剣術師範 * [[松永貞徳]]([[1571年]] - [[1654年]]) - 俳人・歌人・歌学者・[[貞門派]][[俳諧]]の祖として『新増犬筑波集』『俳諧御傘』を残す * [[支倉常長]]([[1571年]] - [[1622年]]) - 仙台藩士・[[伊達政宗]]の家臣・慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航 * [[沢庵宗彭]]([[1573年]] - [[1645年]]) - [[大徳寺]]住持・[[紫衣事件]]で流罪となるが後に将軍[[徳川家光]]の帰依を受ける・江戸の[[東海寺]]開山 * [[土井利勝]]([[1573年]] - [[1644年]]) - 大名(下総[[古河藩]]藩主)・[[大老]]・将軍徳川秀忠と家光を補佐・[[武家諸法度]]の制定や大名の統制を指揮 * [[ルイス・ソテロ]]([[1574年]] - [[1624年]]) - スペイン出身のフランシスコ会宣教師・慶長遣欧使節団を組織し各地を歴訪・殉教死を遂げる * [[セバスティアン・ビスカイノ]](? - [[1615年]]) - スペインの探検家・遣日特派使節・徳川家康と秀忠に謁見・『[[金銀島探検]]報告』を執筆 * [[岩佐又兵衛]]([[1578年]] - [[1650年]]) - 画家・「浮世又兵衛」とも呼ばれる[[浮世絵]]の遠祖・[[荒木村重]]の遺児 * [[徳川秀忠]]([[1579年]] - [[1632年]]) -江戸幕府2代征夷大将軍(在任[[1605年]] - [[1623年]])・大名統制を強化し幕府の体制を固める * [[八条宮智仁親王]]([[1579年]] - [[1629年]]) - 皇族(八条宮初代)・[[後陽成天皇]]の弟で後水尾天皇の叔父・[[桂離宮]]の造営で知られる * [[春日局]]([[1579年]] - [[1643年]]) - 江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母・[[江戸城]][[大奥]]の礎を築く * [[小堀政一]](遠州)([[1579年]] - [[1647年]]) - 大名([[近江小室藩]]藩主)・茶人([[遠州流]])・建築家・作庭家として知られる * [[鈴木正三]]([[1579年]] - [[1655年]])- 曹洞宗の僧侶・『破切支丹』でキリスト教を批判・[[仮名草子]]作家としては『[[因果物語]]』ほかがある * [[林羅山]]([[1583年]] - [[1657年]]) - 儒学者([[朱子学]])・後に幕府の学問を司ることになる[[大学頭]]の林家の祖 * [[宮本武蔵]]([[1584年]] - [[1645年]]) - 剣豪・兵法者([[二天一流]]兵法の祖)としては『[[五輪書]]』を著す・書画にも優れる * [[金森重近]](宗和)([[1584年]] - [[1657年]]) - 武将・茶人([[宗和流]])・大阪の陣での出兵を拒み隠棲して茶道に転じ「姫宗和」と呼ばれる * [[ペトロ岐部]]([[1587年]] - [[1639年]]) - イエズス会士・独力でマカオからエルサレムやローマを回り司祭となる・日本に帰り殉教する * [[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]([[1587年]] - [[1662年]]) - 大名([[若狭国|若狭]][[小浜藩]]藩主)・[[大老]]・歴代の将軍に仕え家光没後は家綱擁立に功があった * [[豊臣秀頼]]([[1593年]] - [[1615年]]) - 豊臣秀吉の嫡男・[[右大臣]]・大坂夏の陣で敗北し母の[[淀殿]]とともに自殺 * [[後水尾天皇]]([[1596年]] - [[1680年]]) - 第108代天皇(在位[[1611年]] - [[1629年]])・中宮は[[徳川秀忠]]の娘[[東福門院]]・[[寛永文化]]の中心 * [[松平信綱]]([[1596年]] - [[1662年]]) - 大名([[武蔵国|武蔵]][[川越藩]]藩主)・老中・官職名の伊豆守から「知恵伊豆」と呼ばれ将軍[[徳川家綱]]を補佐 * [[酒井田柿右衛門|初代酒井田柿右衛門]]([[1596年]] - [[1666年]]) - [[肥前国]][[有田町|有田]]の陶工・赤絵[[磁器]]の焼成に成功・「柿右衛門様式」は[[マイセン]]磁器などにも影響 * [[千姫]]([[1597年]] - [[1666年]]) - 徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室・大坂夏の陣では落城間際に脱出・後に[[本多忠刻]]に嫁す * 徳川[[御三家]]の祖 ** [[徳川義直]]([[1600年]] - [[1650年]]) - [[尾張徳川家]]初代藩主・徳川家康の九男 ** [[徳川頼宣]]([[1602年]] - [[1671年]]) - [[紀州徳川家]]初代藩主・徳川家康の十男 ** [[徳川頼房]]([[1603年]] - [[1661年]]) - [[水戸徳川家]]初代藩主・徳川家康の十一男 * [[阿部忠秋]]([[1602年]] - [[1675年]]) - 大名([[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]藩主)・老中・[[慶安の変]]後の浪人の就業を促進し社会の混乱を鎮める * [[狩野探幽]]([[1602年]] - [[1674年]]) - [[狩野派]]の画家・[[狩野永徳]]の孫・江戸鍛冶橋狩野家の祖・江戸城や諸寺の障壁画を担当 * [[徳川家光]]([[1604年]] - [[1651年]]) - 江戸幕府3代征夷大将軍(在任[[1623年]] - [[1651年]])・[[鎖国]]や[[キリスト教]]禁令などを行う * [[片桐貞昌]](石州)([[1605年]] - [[1673年]]) - 大名([[大和国|大和]][[小泉藩]]藩主)・茶人([[石州流]])・将軍茶道指南役となりその派は隆盛する * [[由井正雪]]([[1605年]] - [[1651年]]) - 軍学者・[[浪人]]らを募り[[丸橋忠弥]]らとともに反乱を計画するが発覚し自決([[慶安の変]]) * [[西山宗因]]([[1605年]] - [[1682年]]) - 俳人・連歌師・[[談林派]][[俳諧]]の祖・大坂天満宮の連歌所宗匠となり『蚊柱百句』などを残す * [[佐倉惣五郎]]([[1605年]]? - [[1653年]]) - [[義民]]・[[下総国]]印旛郡公津村の名主・[[佐倉藩]]堀田家の苛政を将軍家綱に上訴して処刑された伝説を持つ * [[中江藤樹]]([[1608年]] - [[1648年]]) - 儒学者([[陽明学]])・[[伊予国|伊予]][[大洲藩]]藩士であったが脱藩・母に孝養を尽くし「近江聖人」と称えられた * [[池田光政]]([[1609年]] - [[1682年]]) - 大名([[備前国|備前]][[岡山藩]]藩主)・[[熊沢蕃山]]を招き[[花畠教場]]や[[閑谷学校]]を開く・[[三名君]]の一人 * [[保科正之]]([[1611年]] - [[1673年]]) - 大名([[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]藩主)・将軍家光の異母弟・兄家光と甥の家綱を補佐し幕閣に重きをなす・三名君の一人 * [[天竺徳兵衛]]([[1612年]]? - [[1707年]]?) - 商人・寛永年間に朱印船でシャムからインドに渡航・『天竺渡海物語』の記録を残し冒険物語の主人公ともなる * [[河村瑞賢]]([[1617年]]? - [[1699年]]) - 豪商・材木商として幕府の公共事業を請け負う・[[東廻海運]]や[[西廻海運]]の開発でも知られる * [[菱川師宣]]([[1618年]] - [[1694年]]) - 画家・浮世絵の創始者・肉筆浮世絵「[[見返り美人図]]」で知られる * [[熊沢蕃山]]([[1619年]] - [[1691年]]) - 儒学者(陽明学)・[[中江藤樹]]の弟子・[[岡山藩]]藩主[[池田光政]]の藩政改革を促す * [[山崎闇斎]]([[1619年]] - [[1682年]]) - 儒学者(朱子学)・[[垂加神道]]を体系化し[[会津藩]]藩主[[保科正之]]の藩政改革を促す * [[木下順庵]]([[1621年]] - [[1699年]]) - 儒学者(朱子学)・木門十哲([[新井白石]]・[[室鳩巣]]・[[雨森芳洲]]ら)ほか優れた弟子を育てる * [[天草四郎]]([[1621年]] - [[1638年]]) - [[島原の乱]]の指導者・[[松平信綱]]率いる幕府軍に徹底的に鎮圧され討ち取られる * [[山鹿素行]]([[1622年]] - [[1685年]]) - 儒学者([[古学派]]の祖)・軍学者([[山鹿流]]兵法の祖)・[[赤穂藩]][[家老]]の[[大石良雄]]は門弟 * [[三井高利]]([[1622年]] - [[1694年]]) - 商人・呉服商から両替商まで事業を拡大・[[三井家]](のちの[[三井財閥]])の基礎を築く * [[宮崎安貞]]([[1623年]] - [[1697年]]) - 農学者・筑前福岡藩の山林奉行・隠居後は[[徐光啓]]の『[[農政全書]]』をもとに『[[農業全書]]』を執筆 * [[酒井忠清]]([[1624年]] - [[1681年]]) - 大名([[上野国|上野]][[厩橋藩]]藩主)・[[大老]]・将軍[[徳川家綱|家綱]]のもと権力を握るが続く将軍[[徳川綱吉|綱吉]]に解任される * [[北村季吟]]([[1625年]] - [[1705年]]) - 歌人・俳人・古典研究者として『[[源氏物語湖月抄]]』『[[伊勢物語拾穂抄]]』を著し古典注釈学を大成する * [[伊藤仁斎]]([[1627年]] - [[1705年]]) - 儒学者(古義学派の祖)・[[京都]][[堀川通|堀川]]で私塾[[古義堂]]を開く・息子[[伊藤東涯]]らも学者となる * [[徳川光圀]]([[1628年]] - [[1701年]]) - 水戸徳川家第2代藩主・[[彰考館]]を開き『[[大日本史]]』の編纂を開始・[[水戸黄門]]としても知られる・三名君の一人 * [[貝原益軒]]([[1630年]] - [[1714年]]) - 福岡藩士・[[本草学者]]として『[[大和本草]]』を、教育者として『[[養生訓]]』を著す * [[円空]]([[1632年]] - [[1695年]]) - [[天台宗]]の僧侶・[[仏師]]として日本各地に「円空仏」と呼ばれる木造仏を残す * [[堀田正俊]]([[1634年]] - [[1684年]]) - 大名([[下総国|下総]][[古河藩]]藩主)・大老・将軍家綱から[[徳川綱吉|綱吉]]まで仕える・江戸城で暗殺される * [[渋川春海]]([[1639年]] - [[1715年]]) - 天文暦学者・800年近く用いられてきた[[宣明暦]]に代わる[[貞享暦]]を作成 * [[契沖]]([[1640年]] - [[1701年]]) - 真言宗の僧・古典学者([[国学者]])・『[[万葉代匠記]]』などで優れた実証主義的研究を行う * [[徳川家綱]]([[1641年]] - [[1680年]]) - 江戸幕府4代征夷大将軍(在任[[1651年]] - [[1680年]])・[[武断政治]]から[[文治政治]]へ政策が転換される * [[関孝和]]([[1642年]] - [[1708年]]) - 数学者([[和算]]家)・著書『発微算法』で筆算による代数計算法(点竄術)を開拓し和算の基礎を築く * [[井原西鶴]]([[1642年]] - [[1693年]]) - 俳諧師・[[浮世草子]]作者・『[[好色一代男]]』『世間胸算用』『[[日本永代蔵]]』の著者 * [[松尾芭蕉]]([[1644年]] - [[1694年]]) - 俳諧師・『[[奥の細道]]』の著者・「俳聖」とも呼ばれ俳句を芸術の域まで高める * [[徳川綱吉]]([[1646年]] - [[1709年]]) - 江戸幕府5代征夷大将軍(在任[[1680年]] - [[1709年]])・[[元禄時代]]の文治政治を推進 * [[エンゲルベルト・ケンペル]]([[1651年]] - [[1716年]]) - ドイツ人医師・博物学者・将軍綱吉に謁見・日本を紹介した『[[日本誌]]』をまとめる * [[尾形光琳]]([[1658年]] - [[1716年]]) - 琳派の画家・「紅白梅図屏風」や「燕子図屏風」などの作品で知られる・陶芸家[[尾形乾山]]は弟 * [[市川團十郎 (初代)|初代市川團十郎]]([[1660年]] - [[1704年]]) - 役者・[[元禄]]の[[江戸]][[歌舞伎]]を代表し荒事芸を歌舞伎に導入した * [[紀伊國屋文左衛門]]([[1669年]] - [[1734年]]) - 商人・蜜柑を荒海越えて江戸に運んだ話で有名・後年は幕府御用達の材木商となり豪遊したと伝わる == 伝説・架空のできごと == * 17世紀 - スペインの名家の息子[[ドン・ファン|ドン・ファン・テノーリオ]]は好色漢で放蕩三昧の日々を送っていた。そしてウジョエの娘を奪うだけでなく、ウジョエをも殺害するに至った。ウジョエの遺体が埋葬され、その墓の上に建てられた石像がドン・ファンの上に倒れ、彼はその下敷きになって死んだが、これは天罰だと人々は噂しあった(原本は『セビーリャ年代記』、[[ティルソ・デ・モリーナ]]や[[モリエール]]により舞台化され、[[モーツァルト]]のオペラや、[[バイロン]]の詩にも翻案された)。 * [[1605年]]以後 - [[1615年]]以前 - 狂気の発作も癒えしばし故郷のラ・マンチャ村で静養していたドン・キホーテのもとに学士サンソン・カラスコが登場。ドン・キホーテの伝記(小説『ドン・キホーテ』前編)が出版されたことを報告し新たなる遍歴の旅に出ることを勧める([[ミゲル・デ・セルバンテス]]の小説『[[ドン・キホーテ]]』後編)。 * [[1611年]]以前 - 天皇の賀輿丁である[[八瀬童子]]の一人岩介は朝鮮に渡り呪術の才を身につけてきた人物である。疾駆する荒馬に巻き込まれた[[後陽成天皇]]の三宮政仁親王([[後水尾天皇]])を助けたことから岩介は「天皇の隠密」として近侍することになり、幕府との確執を深める天皇のために陰で奔走することになる([[隆慶一郎]]『花と火の帝』)。 * [[1615年]]以前 - 徳川家康の圧迫により追い詰められた大阪城の豊臣秀頼のもとに馳せ参じた浪人衆の一人に、知謀に優れ「戦国最強の武将」と呼ばれた[[真田信繁|真田幸村]](信繁)がいた。幸村には[[甲賀流|甲賀]]流の[[猿飛佐助]]や[[伊賀]]流の[[霧隠才蔵]]ら異能の才を持つ「[[真田十勇士]]」がおり、彼らの活躍により、[[大阪の陣]]では優位と思われた徳川方は大いに翻弄されることになる(原型は江戸時代の[[軍記物]]『[[難波戦記]]』。やがて小説『[[真田三代記]]』や講談本『[[立川文庫]]』に発展する)。 * [[1616年]] - 南[[ネーデルラント]]([[フランドル]])の小さな町(現在の[[ベルギー]]の{{仮リンク|ブーム(都市)|en|Boom, Belgium|label=ブーム}})は、年に一度の[[謝肉祭]]の支度に忙しい。そこへスペインの[[ガスパール・デ・グスマン|オリバーレス伯]]一行の軍隊がまもなく到着しこの地に逗留するとの知らせが届く。さあ一大事。血気に走る暴れ者のスペイン兵の目を欺くために、町長が急死したことにしてやり過ごそうとするが、町長の肝っ玉夫人コルネリアは女性たちを集めて一計を案じる([[ジャック・フェデー]]監督の映画「[[女だけの都]]」)。 * [[1623年]] - スペインのレオン地方出身の[[ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ]]がイギリスから来た二人連れの暗殺を依頼されるがその様子を見て思い止まる。この二人連れこそはチャールズ皇太子(後の国王チャールズ1世)とバッキンガム公爵であった(スペインの小説『アラトリステ』・映画化もされている)。 * [[1625年]] - [[ガスコーニュ]]出身の青年貴族[[ダルタニャン]]がカルム・デショー修道院の裏庭での決闘をきっかけに銃士隊に加わり、[[アトス]]・[[アラミス]]・[[ポルトス]]の三銃士との友情を深めていく([[アレクサンドル・デュマ]]の小説『[[三銃士]]』(『[[ダルタニャン物語]]』の第一部))。 * [[1620年代]]末 - スペイン支配下にあった北イタリアの[[コモ湖]]の近くの村で、青年レンツォと娘ルチアのいいなずけ同士が結婚しようとしたところ、ルチアに目をつけた横暴な領主ドン・ロドリゴが横槍を入れ、司祭を脅迫して式を挙げさせず、二人の訴えを弁護士にも取り上げさせない。これから波乱万丈の物語が始まる([[アレッサンドロ・マンゾーニ]]の小説『[[いいなづけ (マンゾーニの小説)|いいなづけ]]』)。 * [[1638年]]以降 - [[島原の乱]]を生き延びた[[キリシタン]]の[[森宗意軒]]が忍法で[[天草四郎]]や[[宮本武蔵]]を蘇らせ、[[由比正雪]]らとともに幕府転覆を目論む([[山田風太郎]]『おぼろ忍法帖』・この小説をもとにした[[深作欣二]]監督の映画『[[魔界転生]]』も有名)。 * [[1638年]] - [[1640年]]頃 - この時期に描かれたフランスの画家[[ニコラ・プッサン]]の代表作『アルカディアの牧人たち』では、墓石にラテン語で "Et In Arcadia Ego"(我はアルカディアにもある)と書かれているのを牧人たちが覗き込んでいる。この章句は[[アナグラム]]で、並び替えると"I Tego Arcana Dai"(立ち去れ!私は神の秘密を隠した!)となり、イエス・キリストの血脈と[[キリストの墓]]に関する秘密がこの画には隠されていたのである(ヘンリー・リンカーンほか『[[レンヌ=ル=シャトーの謎]]』から[[ダン・ブラウン]]の『[[ダ・ヴィンチ・コード]]』に発展)。 * [[1639年]]以前 - 旗本以下の輿が禁止された際に「天下のご意見番」[[大久保彦左衛門]]は反発して「大だらい」に乗って[[江戸城]]に登城する。この「天下のご意見番」を支えたのが大久保家に仕える魚屋の[[一心太助]]で、情にもろく義侠心に富む典型的な[[江戸っ子]]気質のこの男が、彦左衛門の手足となって八面六臂の大活躍する(小説『大久保武蔵鐙』などから[[河竹黙阿弥]]の歌舞伎「芽出柳翠緑松前」他の作品に発展)。 * [[1640年]] - この年の師走、[[会津藩]]の支配する[[猪苗代城]][[城代]]堀部主膳のもとに禿頭の童子が現れ、堀部にこの城の主である「[[亀姫 (妖怪)|亀姫]]」に挨拶せよと催促をする。堀部が怒ってそれを断ると笑って童子は姿を消した。翌年間もなく堀部は厠で倒れ死んだ(『[[老媼茶話]]』)。 * [[1645年]] - 清軍は[[揚州]]の街に向け住民皆殺しの命令を下し、市街は地獄へ変貌した。意地悪なくせに小鳥にはひどく優しい不思議な遊女の緑鶸は、彼女の[[纏足]]された足を世話する少女・雀を連れ、美貌と知性を武器に生き抜こうとする([[ケン・リュウ]](劉宇昆)の小説『草を結びて環を銜えん』)。 * [[1653年]] - [[佐倉藩|佐倉]]藩主[[堀田正信]]は重税を取り立て領民は困窮していた。このため[[名主]]の[[佐倉惣五郎|惣五郎]]は1人で[[上野]][[寛永寺]]に参詣する四代将軍[[徳川家綱]]に直訴した。その結果、訴えは聞き届けられ、藩の領民は救われたが惣五郎夫妻は磔となった(『地蔵堂通夜物語』ほか「義民佐倉惣五郎伝説」。怨霊となって仇をなしたという話もある)。 * [[1657年]]以降 - [[1695年]]以前 - [[肥前国]][[佐賀藩]]の2代藩主[[鍋島光茂]]の機嫌を損ねた家臣の龍造寺又七郎が斬殺され、又七郎の母も悲憤のため自害する。その母が飼っていた猫が[[化け猫]]となり、城内に入り込んで光茂を苦しめる(『[[化け猫#鍋島の化け猫騒動|鍋島化け猫騒動]]』)。 * [[1659年]] - 9月1日に[[ブラジル]]の[[サルヴァドール]]から西アフリカに向けて出港した[[ロビンソン・クルーソー]]が、大西洋上で難破し無人島に漂着する。ここから[[1683年]]までの24年間のロビンソン・クルーソーの孤島暮らしの物語が始まる([[ダニエル・デフォー]]『ロビンソン・クルーソー』)。 * [[1660年]] - [[1685年]] - イングランド国王チャールズ2世の命によりオーランドーがイスタンブール(コンスタンティノープル)の大使として派遣されるが、その赴任中に昏睡状態に陥り、目が覚めると男性から女性へと性が変化していた、彼女はこの後もなお長大な人生を生き続ける([[ヴァージニア・ウルフ]]『[[オーランドー]]』)。 * [[1661年]]以降 - フランスの財務官[[ニコラ・フーケ]]が国王ルイ14世の不興を買って投獄される。彼を救おうと三銃士の一人アラミスが奔走するがその途上で[[鉄仮面]]をかぶる謎の囚人に出会い、一世一代の賭けに挑むことになる(アレクサンドル・デュマの小説『[[ブラジュロンヌ子爵]]』「鉄仮面」(『ダルタニャン物語』の第三部))。 * [[1664年]] - イングランド国王チャールズ2世の愛犬の病気を治した縁により、医学生だったロバート・メリヴェルが医師として招かれ、波乱含みの宮廷の悲喜交々の日々に巻き込まれていく([[ローズ・トレメイン]]『道化と王』)。 * [[1672年]] - [[鬼怒川]]沿いにある[[下総国]]岡田郡羽生村で殺害された累(かさね)という女性の怨霊が長年にわたり凶事を引き起こしていたが、[[弘経寺 (常総市)|弘経寺]](ぐぎょうじ)の[[祐天]]上人により行われた浄霊と供養によりその因縁は解かれ怨霊は成仏した(「[[累ヶ淵]]伝説」)。 * [[1682年]] - 名うての好色漢である世之介は60歳になって財産を整理し、仲間7人とともに好色丸なる船をあつらえ、神無月の末に[[伊豆国]]から[[女護島]]めざして船出し消息不明となった([[井原西鶴]]『[[好色一代男]]』)。 * [[1690年]]以降 - 水戸藩主を退いた[[徳川光圀]]が佐々木助三郎と渥美格之進の二人を共にして諸国漫遊の旅に出る。その途上、一行は各地の庶民と親しく交わり、悪政を行なう大名・代官などがいればそれを糾すべく世直しの挙に出る(講談「[[水戸黄門]]漫遊録」ほか映画・テレビドラマ)。 <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[年表]] * [[江戸時代]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{十年紀と各年| 世紀 = 17 | 年代 = 1600 }} {{世紀}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:17せいき}} [[Category:17世紀|*]]
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