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101 | イラク | 歴史 | 1963年11月18日にアブドゥッサラーム・アーリフ大統領ら親エジプト派の反バアス党クーデターが勃発 (1963年11月イラククーデター)。 1966年4月13日、アブドゥッサラーム・アーリフが航空機事故で死去。後継の大統領にアブドッラフマーン・アーリフが就任。親エジプト派としてナーセルを支持し、1967年にアメリカとの国交を断絶。 6月、第三次中東戦争。 | [
"1963年",
"アブドッサラーム・アーリフ",
"バアス党",
"1963年11月イラククーデター",
"1966年",
"航空機",
"アブドッラフマーン・アーリフ",
"1967年",
"第三次中東戦争"
] | [
1223,
859261,
2934,
861798,
1220,
6545,
859130,
1219,
81286
] | [
1931,
2778721,
4606,
2788136,
1928,
10687,
2778205,
1927,
164222
] |
101 | イラク | 歴史 | 1968年7月17日にバアス党政権が発足 (7月17日革命)、アフマド・ハサン・アル=バクルが大統領に就任した。 1970年3月11日、en:Iraqi-Kurdish Autonomy Agreement of 1970でクルディスタン地域 (アルビール県、ドホーク県、スレイマニヤ県) を設置。石油を産出するニーナワー県とキルクーク県は含まれなかった。1972年にソビエト連邦と友好条約を締結。 1973年10月、第四次中東戦争に参戦。同年10月16日、イスラエル援助国に対してイラクを含むOPEC加盟6カ国は協調した石油戦略を発動し、オイルショックが引き起こされた。 第一次クルド・イラク戦争後の和平交渉が決裂し、バルザーニーが再び蜂起して第二次クルド・イラク戦争(英語版) (1974年 - 1975年) が勃発。ペシュメルガなどを含め双方合わせて1万人超が死傷。その後、この戦いでイラク国軍を率いたサッダーム・フセインが実権を掌握した。 | [
"1968年",
"7月17日革命",
"1970年",
"クルディスタン地域",
"アルビール県",
"ドホーク県",
"スレイマニヤ県",
"石油",
"ニーナワー県",
"キルクーク県",
"1972年",
"ソビエト連邦",
"1973年",
"第四次中東戦争",
"オイルショック",
"イラク戦争",
"1974年",
"1975年",
"ペシュメルガ",
"サッダーム・フセイン"
] | [
476452,
861799,
143437,
81466,
133651,
212760,
214631,
511360,
214665,
214636,
1218,
2660,
470,
7254,
47526,
2920,
1217,
1153,
953187,
2487
] | [
1404778,
2788138,
334514,
164670,
306390,
539267,
544817,
1540503,
544957,
544835,
1922,
4209,
898,
12050,
87357,
4588,
1921,
1833,
3143392,
3930
] |
101 | イラク | 歴史 | 1979年7月16日にサッダームが大統領に就任した。就任直後にはクーデターが計画されたが未遂に終わり、同年7月30日までに34人が処刑、約250人が逮捕された。 | [
"1979年",
"7月30日"
] | [
979,
3590
] | [
1588,
5595
] |
101 | イラク | 歴史 | 1980年にイラン・イラク戦争が開戦して1988年まで続けられた。 | [
"1980年",
"イラン・イラク戦争",
"1988年"
] | [
628108,
631906,
402
] | [
1931417,
1944034,
778
] |
101 | イラク | 歴史 | 1990年8月にクウェート侵攻後、1991年に湾岸戦争となり敗北した。 | [
"1990年",
"クウェート侵攻",
"1991年",
"湾岸戦争"
] | [
487716,
554053,
454937,
2810
] | [
1450076,
1675252,
1318700,
4419
] |
101 | イラク | 歴史 | イラク武装解除問題 (1991年 - 2003年)。en:Curveball (informant)による大量破壊兵器(英語版)情報。2003年3月、イラク戦争に敗れてサッダームも死亡し、バアス党政権体制は崩壊した。戦後、イラクの石油不正輸出に国連の「石油食料交換プログラム」が関与していた国連汚職問題が発覚した。 | [
"イラク武装解除問題",
"1991年",
"2003年",
"大量破壊兵器",
"イラク戦争",
"石油",
"国際連合",
"石油食料交換プログラム"
] | [
597907,
454937,
911,
6686,
2920,
511360,
1535,
589571
] | [
1826562,
1318700,
1491,
10946,
4588,
1540503,
2395,
1797518
] |
101 | イラク | 歴史 | 旧イラク共和国の滅亡後は、アメリカ・イギリスを中心とする連合国暫定当局(CPA)によって統治されることとなり(2003年4月21日 - 2004年6月28日)、正式な併合・編入こそ行われなかったものの実質的にアメリカ合衆国の海外領土に組み込まれた。イラク戦争終結後もスンニー・トライアングルで暫定当局に対する激しい抵抗があったが、2003年12月13日の赤い夜明け作戦(英語版)ではサッダーム・フセインがダウルで拘束された。2004年4月、ファルージャの戦闘でCPA側が圧勝する。 | [
"連合国暫定当局",
"2003年",
"2004年",
"アメリカ合衆国の海外領土",
"イラク戦争",
"スンニー・トライアングル",
"サッダーム・フセイン",
"ファルージャの戦闘"
] | [
47207,
911,
339530,
371487,
2920,
42683,
2487,
91752
] | [
86599,
1491,
935867,
1035176,
4588,
77769,
3930,
190816
] |
101 | イラク | 歴史 | 2004年6月28日、暫定政権に主権が移譲された。同時に有志連合軍は国際連合の多国籍軍となり、治安維持などに従事した。8月にはシーア派政治組織「サドル潮流(英語版)」のムクタダー・サドル率いる民兵組織「マフディー軍」が影響力を高めた。 | [
"2004年",
"国際連合",
"多国籍軍",
"シーア派",
"ムクタダー・アッ=サドル",
"民兵"
] | [
339530,
1535,
12691,
3948,
40924,
13256
] | [
935867,
2395,
21224,
6154,
74237,
22032
] |
101 | イラク | 歴史 | 暫定政権は国連安全保障理事会が採択した、イラク再建復興プロセスに基づいて、2005年1月30日にイラクで初めての暫定議会選挙を実施し、3月16日に初の暫定国民議会が召集された。4月7日にジャラル・タラバニが初のクルド人大統領に就任。移行政府が4月28日に発足し、10月25日に憲法草案は国民投票で賛成多数で可決承認された。 | [
"国際連合安全保障理事会",
"2005年",
"ジャラル・タラバニ",
"クルド人"
] | [
3314,
142787,
109410,
3757
] | [
5114,
332554,
236157,
5858
] |
101 | イラク | 歴史 | 2005年12月15日に正式な議会と政府を選出するための議会選挙が行われた (en:Iraqi parliamentary election)。2006年3月16日に議会が開会し、2006年4月22日にシーア派政党連合の統一イラク同盟(英語版) (UIA) がヌーリー・アル=マーリキーを首相に選出、5月20日に国連安全保障理事会が採択したイラクの再建復興プロセス最終段階となる正式政府が議会に承認されて発足し、イラク共和国として再独立を果たした。これはイラクで初めての民主選挙による政権発足である。2006年12月30日、サッダーム・フセインの死刑執行。 | [
"2005年",
"2006年",
"シーア派",
"政党連合",
"国際連合安全保障理事会",
"サッダーム・フセインの死刑執行"
] | [
142787,
293184,
3948,
457162,
3314,
390197
] | [
332554,
793034,
6154,
1326839,
5114,
1094967
] |
101 | イラク | 歴史 | 2008年3月にはムクタダー・サドルのマフディー軍と政府軍が戦闘状態となり (バスラの戦い(英語版))、シーア派内部の対立が顕在化した。 | [
"2008年",
"ムクタダー・アッ=サドル",
"バスラ",
"シーア派"
] | [
487419,
40924,
34248,
3948
] | [
1448844,
74237,
62354,
6154
] |
101 | イラク | 歴史 | 世俗派の政党連合「イラク国民運動(英語版)」を構成するイラク合意戦線(英語版)は2010年2月20日に第2回総選挙をボイコットすると表明した。これは、イラク合意戦線の選挙立候補者にサッダーム旧政権の支配政党であるバアス党の元党員や旧政権の情報機関、民兵組織のメンバーが含まれているとして選挙参加を禁止されたためであるが、後に合意戦線は、ボイコットを撤回した。2010年3月7日に第2回議会選挙が行われた (en:Iraqi parliamentary election)。アッラーウィーの世俗会派イラク国民運動が第1党 (91議席) となり、マーリキー首相の法治国家連合は第2党となった (89議席)。しかし、マーリキーは、選挙に不正があったとしてこの結果を認めなかった。その後司法判断が下され、「選挙結果は正当」となった。 | [
"政党連合",
"2010年",
"バアス党",
"情報機関",
"民兵",
"法治国家"
] | [
457162,
663972,
2934,
24400,
13256,
102630
] | [
1326839,
2053712,
4606,
42215,
22032,
217479
] |
101 | イラク | 歴史 | 2010年8月19日までに駐留アメリカ軍戦闘部隊が撤退(英語版)、新生イラク軍の訓練のために残留したアメリカ軍も2011年末に撤退した。 | [
"2010年",
"アメリカ軍",
"イラク治安部隊",
"2011年"
] | [
663972,
5330,
542529,
4983
] | [
2053712,
8385,
1643144,
7829
] |
101 | イラク | 歴史 | 2010年11月に議会は、タラバニを大統領に、マーリキーを首相に、ヌジャイフィを国会議長に選出し、マーリキー首相が提出した閣僚名簿を議会が承認して、12月に第二次マーリキー政権が発足した。 | [
"2010年",
"ジャラル・タラバニ"
] | [
663972,
109410
] | [
2053712,
236157
] |
101 | イラク | 歴史 | 2011年12月26日、バグダッドにある内務省の正面玄関で自爆テロがあり、少なくとも5人が死亡、39人が負傷したと警察が発表した。バグダッドでは22日にも爆弾テロがあり、70人近い死者、200人以上の負傷者が出たばかりであった。。 | [
"2011年"
] | [
4983
] | [
7829
] |
101 | イラク | 歴史 | 2017年8月31日、ISILによって支配されていたイラク北部の都市タッル・アファルでの戦闘に勝利し解放を宣言。 | [
"2017年",
"8月31日"
] | [
7884,
3629
] | [
13146,
5636
] |
101 | イラク | 歴史 | 2017年12月9日、アバーディ首相は、ISILからイラク全土を解放したと発表した。 | [
"2017年"
] | [
7884
] | [
13146
] |
101 | イラク | 政治 | 2005年10月15日の国民投票で承認されたイラク憲法では、県と地域から構成された連邦国家と定義されているが、現在でもクルディスタン地域 (定義上では「自治区」ではなく「連邦構成体」が正しい) を除いて政府から自治権を移譲された県はないため、連邦制自体が全土で浸透していないという。 | [
"2005年",
"クルディスタン地域"
] | [
142787,
81466
] | [
332554,
164670
] |
101 | イラク | 政治 | 国家元首の役割を果たすのは共和国大統領および2人の副大統領で構成される大統領評議会である。それぞれ、イラク国民の3大勢力である、スンナ派 (スンニ派)、シーア派、クルド人から各1名ずつが立法府によって選ばれる。大統領は、国民統合の象徴として、儀礼的職務を行う。大統領宮殿位置は北緯33度17分03秒 東経044度15分22秒 / 北緯33.28417度 東経44.25611度 / 33.28417; 44.25611に位置している。 | [
"元首",
"ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会",
"スンナ派",
"シーア派",
"クルド人"
] | [
2831,
62024,
8882,
3948,
3757
] | [
4447,
120049,
14733,
6154,
5858
] |
101 | イラク | 政治 | 行政府の長である首相は、議員の中から議会によって選出される。副首相が2名。その他の閣僚は、大統領評議会に首相・副首相が加わって選任される。現政権の閣僚は37名 (首相・副首相を除く)。 | [
"ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会"
] | [
62024
] | [
120049
] |
101 | イラク | 政治 | 一院制で国民議会がある。任期4年で、定数は329(2018年現在)。第1回総選挙が2005年12月15日に行われた。 | [
"一院制",
"2018年",
"2005年"
] | [
46432,
7823,
142787
] | [
84883,
13067,
332554
] |
101 | イラク | 政治 | 第4回総選挙は2018年5月12日に行われた。 2018年現在の主な政党連合と獲得議席数は以下の通り。 | [
"2018年",
"政党連合"
] | [
7823,
457162
] | [
13067,
1326839
] |
101 | イラク | 政治 | また、反政府デモ活動により、早期選挙が求められている。 | [
"デモ活動"
] | [
366551
] | [
1018351
] |
101 | イラク | 軍事 | 2008年におけるイラク人の治安部隊は約60万人。駐留多国籍軍は、米軍が15万人以上、ほかに27カ国が派遣しているが、治安部隊要員の拡充により、戦闘部隊は減少傾向にある。 | [
"2008年",
"多国籍軍"
] | [
487419,
12691
] | [
1448844,
21224
] |
101 | イラク | 軍事 | クルド地方3県 (エルビル県、スレイマニヤ県及びドホーク県)、南部5県 (ムサンナー県、ズィーカール県、ナジャフ県、ミーサーン県、バスラ県) 及び中部カルバラ県の計9県で、治安権限が多国籍軍からイラク側に移譲されている。北部のクルド3県では、クルド人政府が独自の軍事組織をもって治安維持に当たっている。南部ではシーア派系武装組織が治安部隊と断続的に戦闘を行っている。スンニ派地域では米軍の支援を受けた覚醒評議会 (スンニ派) が治安維持に貢献しているとされる。 | [
"アルビール",
"スレイマニヤ県",
"ドホーク県",
"ムサンナー県",
"ナジャフ県",
"バスラ県",
"多国籍軍",
"クルド人",
"シーア派",
"スンナ派"
] | [
81474,
214631,
212760,
212730,
213638,
212956,
12691,
3757,
3948,
8882
] | [
164681,
544817,
539267,
539208,
541754,
539805,
21224,
5858,
6154,
14733
] |
101 | イラク | 国際関係 | イランとは、イラク戦争でバアス党政権が崩壊して以降、電気、水道、道路などのインフラの復興支援を受けた。また、同じシーア派ということもあり、アメリカが敵視するイランとの関係を強化し、親イラン傾向が強まっている。 | [
"イラク戦争",
"シーア派"
] | [
2920,
3948
] | [
4588,
6154
] |
101 | イラク | 国際関係 | エジプトとは、イスラエルとの国交回復の前後の1977年に国交を断絶した。イラン・イラク戦争での援助により両国の絆が深まった時期もあったが、湾岸戦争後はエジプトがアラブ合同軍などに参加し、疎遠な関係となった。湾岸戦争後は、エジプトはイラクの石油と食糧の交換計画の最大の取り引き先であり、両国の関係は改善に向かった。 | [
"1977年",
"イラン・イラク戦争",
"湾岸戦争",
"石油食料交換プログラム"
] | [
1216,
631906,
2810,
589571
] | [
1919,
1944034,
4419,
1797518
] |
101 | イラク | 国際関係 | シリアとはアラブ諸国内での勢力争いや互いの国への内政干渉問題、ユーフラテス川の水域問題、石油輸送費、イスラエル問題への態度などをめぐって対立。レバノン内戦においてはPLOへの支援を行ない、1980年代後半には反シリアのキリスト教徒のアウン派への軍事支援も行なった。これに対してシリアはイラクのクウェート侵攻に際して国交を断絶し、多国籍軍に機甲部隊と特殊部隊を派遣し、レバノンからも親イラクのアウン派を放逐した。1990年代は冷めた関係が続いた。2000年になってバッシャール・アル=アサドが大統領になると石油の密輸をめぐる絆が強くなったが、外交面では依然として距離をおいた関係になっている。 | [
"内政不干渉の原則",
"ユーフラテス川",
"石油",
"レバノン内戦",
"パレスチナ解放機構",
"1980年代",
"クウェート侵攻",
"多国籍軍",
"特殊部隊",
"1990年代",
"2000年",
"バッシャール・アル=アサド"
] | [
150852,
48090,
511360,
48690,
49891,
474,
554053,
12691,
24731,
905,
957,
62238
] | [
356029,
88629,
1540503,
89917,
92967,
902,
1675252,
21224,
42765,
1484,
1547,
120559
] |
101 | イラク | 国際関係 | ヨルダンは、イラン・イラク戦争および湾岸戦争でイラクを支持したため、両国の関係は強まった。1999年にアブドゥッラー2世が即位して以降も依然として良好である。 | [
"イラン・イラク戦争",
"湾岸戦争",
"1999年"
] | [
631906,
2810,
958
] | [
1944034,
4419,
1548
] |
101 | イラク | 国際関係 | イスラエルは、1948年、1967年、1973年の中東戦争に参戦し、強硬な態度を取った。イラン・イラク戦争中は、イスラエル問題についての態度を軟化させ (この時期、イラクはアメリカの支援を受けていた)、1982年のアメリカによる平和交渉に反対せず、同年9月のアラブ首脳会談によって採択されたフェス憲章 (Fez Initiative) にも支持を表明した。ただし、湾岸戦争では、クウェートからの撤退の条件としてイスラエルのパレスチナからの撤退を要求し、イスラエルの民間施設をスカッド・ミサイルで攻撃した。 | [
"1948年",
"1967年",
"1973年",
"中東戦争",
"イラン・イラク戦争",
"1982年",
"パクス・アメリカーナ",
"湾岸戦争",
"スカッド"
] | [
1652,
1219,
470,
7306,
631906,
469,
20496,
2810,
13589
] | [
2557,
1927,
898,
12137,
1944034,
897,
35614,
4419,
22629
] |
101 | イラク | 地理 | イラクの地理について、国土の範囲、地形、地質構造、陸水、気候の順に説明する。 | [] | [] | [] |
101 | イラク | 地理 | イラクの国土は東西870 km、南北920 kmに及ぶ。国土の西端はシリア砂漠にあり、シリア、ヨルダンとの国境 (北緯33度22分 東経38度47分 / 北緯33.367度 東経38.783度 / 33.367; 38.783) である。北端はトルコとの国境 (北緯37度23分 東経42度47分 / 北緯37.383度 東経42.783度 / 37.383; 42.783) で、クルディスタン山脈に位置する。東端はペルシャ湾沿いの河口 (北緯29度53分 東経48度39分 / 北緯29.883度 東経48.650度 / 29.883; 48.650)。南端はネフド砂漠中にあり、クウェート、サウジアラビアとの国境 (北緯29度03分 東経46度25分 / 北緯29.050度 東経46.417度 / 29.050; 46.417) の一部である。 | [
"シリア砂漠",
"ペルシア湾",
"ネフド砂漠"
] | [
473256,
75024,
472908
] | [
1391122,
149552,
1389799
] |
101 | イラク | 地理 | イラクの地形は3つに大別できる。 国土を特徴付ける地形は対になって北西から南東方向に流れる2 本の大河、南側のユーフラテス川と北側のティグリス川である。ユーフラテス川の南側は、シリア砂漠とネフド砂漠が切れ目なく続いており、不毛の土地となっている。砂漠側は高度1000 mに達するシリア・アラビア台地を形成しており、緩やかな傾斜をなしてユーフラテス川に至る。2 本の大河周辺はメソポタミア平原が広がる。農耕に適した土壌と豊かな河川水によって、人口のほとんどが集中する。メソポタミア平原自体も地形により二つに区分される。北部の都市サマッラより下流の沖積平野と、上流のアルジャジーラ平原である。2 本の大河はクルナの南で合流し、シャットゥルアラブ川となる。クルナからは直線距離にして約160 km、川の長さにして190 km流れ下り、ペルシャ湾に達する。 | [
"ユーフラテス川",
"ティグリス川",
"シリア砂漠",
"ネフド砂漠",
"メソポタミア",
"沖積平野",
"ジャズィーラ",
"シャットゥルアラブ川",
"ペルシア湾"
] | [
48090,
48100,
473256,
472908,
2823,
7467,
482947,
433928,
75024
] | [
88629,
88651,
1391122,
1389799,
4434,
12469,
1431790,
1246284,
149552
] |
101 | イラク | 地理 | ティグリス川の東は高度が上がり、イランのザグロス山脈に至る。バグダードと同緯度では400 mから500 m程度である。イラクとイランの国境はイラク北部で北東方向に張り出している。国境線がなめらかでないのはザグロス山脈の尾根が国境線となっているからである。イラク最高峰のen:Cheekha Dar(3611 m)もザグロス山中、国境線沿いにそびえている。同山の周囲30 km四方にイラクで最も高い山々が見られる。 アラビアプレートがユーラシアプレートに潜り込むように移動して地形を圧縮し、ペルシャ湾北岸まで延びるザグロス山脈を形成した。トルコ国境に伸びるクルディスタン山脈も褶曲山脈であり、2000 mに達する峰々が存在する。ティグリス、ユーフラテスという2大河川が形成された原因も、ヒマラヤ山脈の南側にインダス、ガンジスという2大河川が形成されたのと同様、プレートテクトニクスで説明されている。ティグリス・ユーフラテス合流地点から上流に向かって、かつては最大200 kmにも伸びるハンマール湖(英語版)が存在した。周囲の湿地と一体となり、約1万平方kmにも及ぶ大湿原地帯を形成していた。湿原地帯にはマーシュ・アラブ族(英語版) (沼沢地アラブ) と呼ばれる少数民族が暮らしており、アシと水牛を特徴とした生活を送っていた。しかしながら、20世紀後半から計画的な灌漑・排水計画が進められたため、21世紀に至ると、ハンマール湖は 1/10 程度まで縮小している。 | [
"ティグリス川",
"ザグロス山脈",
"バグダード",
"緯度",
"アラビアプレート",
"ユーラシアプレート",
"ペルシア湾",
"褶曲",
"ヒマラヤ山脈",
"プレートテクトニクス",
"湿原",
"灌漑"
] | [
48100,
96509,
8281,
21464,
525790,
285253,
75024,
140014,
8005,
5559,
44402,
135577
] | [
88651,
202186,
13805,
37157,
1590948,
769154,
149552,
324640,
13348,
8721,
80865,
312089
] |
101 | イラク | 地理 | イラクの陸水はティグリス、ユーフラテス、及びそれに付随する湖沼が際立つが、別の水系によるものも存在する。カルバラの西に広がるミル湖(英語版)である。ネフド砂漠から連なるアルガダーフ・ワジ (Wadi al-Ghadaf) など複数のワジと地下水によって形成されている。ミル湖に流れ込む最も長いアルウィバード・ワジは本流の長さだけでも400 kmを上回り、4 本の支流が接続する。なお、イラク国内で最長のワジはハウラーン・ワジ (Wadi Hawran) であり、480 kmに達する。 | [
"水系",
"ネフド砂漠",
"ワジ",
"地下水"
] | [
67804,
472908,
308296,
65714
] | [
133160,
1389799,
840961,
128654
] |
101 | イラク | 地理 | イラクの気候は、ほぼ全土にわたり砂漠気候に分類される。ティグリス川の北岸から北はステップ気候、さらに地中海性気候に至る。したがって、夏期に乾燥し、5月から10月の間は全国に渡って降雨を見ない。南西季節風の影響もあって、熱赤道が国土の南側を通過するため、7月と8月の2カ月は最高気温が50 度を超える。ただし、地面の熱容量が小さく、放射冷却を妨げる条件がないため、最低気温が30 度を上回ることは珍しい。一方、北部山岳地帯の冬は寒く、しばしば多量の降雪があり、甚大な洪水を引き起こす。 | [
"砂漠気候",
"ティグリス川",
"ステップ気候",
"地中海性気候",
"熱赤道",
"熱容量",
"放射冷却"
] | [
26117,
48100,
50022,
24774,
560382,
146424,
155659
] | [
45834,
88651,
93271,
42862,
1695557,
343122,
369302
] |
101 | イラク | 地理 | 1921年に53.8 度の最高気温を記録したバスラは30年平均値でちょうど熱赤道の真下に位置する。首都バグダードの平均気温は8.5 度 (1月)、34.2 度 (7月)。年降水量は僅かに140 mmである。 | [
"1921年",
"バスラ",
"熱赤道",
"バグダード"
] | [
1622,
34248,
560382,
8281
] | [
2526,
62354,
1695557,
13805
] |
101 | イラク | 地理 | 砂漠気候を中心とする乾燥した気候、5000年を超える文明の影響により、野生の大型ほ乳類はほとんど分布していない。イラクで最も大きな野生動物はレイヨウ、次いでガゼルである。肉食獣としては、ジャッカル、ハイエナ、キツネが見られる。小型ほ乳類では、ウサギ、コウモリ、トビネズミ、モグラ、ヤマアラシが分布する。 | [
"砂漠気候",
"哺乳類",
"レイヨウ",
"ウサギ",
"コウモリ",
"トビネズミ",
"モグラ科"
] | [
26117,
1854,
153176,
847,
30325,
96970,
98040
] | [
45834,
2885,
362409,
1396,
54439,
203403,
206129
] |
101 | イラク | 地理 | 鳥類はティグリス・ユーフラテスを生息地とする水鳥と捕食者が中心である。ウズラ (水鳥でも捕食者でもない)、カモ、ガン、タカ、フクロウ、ワシ、ワタリガラスが代表。 | [
"鳥類",
"水鳥",
"ワタリガラス"
] | [
11749,
44245,
642495
] | [
19589,
80560,
1980145
] |
101 | イラク | 地理 | ステップに分布する植物のうち、古くから利用されてきたのが地中海岸からイランにかけて分布するマメ科の低木トラガカントゴムノキ Astragalus gummifer である。樹皮から分布される樹脂をアラビアガムとして利用するほか、香料として利用されている。聖書の創世記にはトラガラントゴムノキと考えられる植物が登場する。北東に移動し、降水量が上昇していくにつれ、淡紅色の花を咲かせるオランダフウロ Erodium cicutarium、大輪の花が目立つハンニチバナ科の草、ヨーロッパ原産のムシトリナデシコが見られる。 | [
"マメ科",
"低木",
"樹皮",
"アラビアガム",
"香料",
"聖書",
"ハンニチバナ科",
"ヨーロッパ",
"ムシトリナデシコ"
] | [
15124,
277789,
414739,
95060,
70757,
131331,
305461,
7,
214866
] | [
25186,
745911,
1180522,
198586,
140023,
299722,
831662,
32,
545549
] |
101 | イラク | 地理 | ティグリス・ユーフラテスの上流から中流にかけてはカンゾウが密生しており、やはり樹液が取引されている。両河川の下流域は湿地帯が広がり、クコ、ハス、パピルス、ヨシが密生する。土手にはハンノキ、ポプラ、ヤナギも見られる。 | [
"クコ",
"ヤナギ"
] | [
278741,
39176
] | [
749434,
71205
] |
101 | イラク | 地理 | ザグロス山中に分け入るとバロニアガシ Quercus aegilips が有用。樹皮を採取し、なめし革に用いる。やはり創世記に記述がある。自然の植生ではないが、イラクにおいてもっとも重要な植物はナツメヤシである。戦争や塩害で激減するまではイラクの人口よりもナツメヤシの本数の方が多いとも言われた。 | [
"ザグロス山脈",
"樹皮",
"皮革",
"植生",
"ナツメヤシ",
"塩害"
] | [
96509,
414739,
50631,
171391,
79728,
30781
] | [
202186,
1180522,
94651,
413630,
160303,
55636
] |
101 | イラク | 地方行政区画 | 18の県 (「州」と呼ぶこともある) に分かれる。 | [] | [] | [] |
101 | イラク | 経済 | IMFの統計によると、2020年のGDPは1695億ドルである。一人当たりのGDPは4223ドルで、隣国のヨルダンと同等の水準であるが、産油国が多い中東ではやや低い数値である。 | [
"国際通貨基金",
"2020年",
"中東"
] | [
6872,
7867,
2495
] | [
11278,
13129,
3945
] |
101 | イラク | 経済 | 通貨はイラク戦争後のイラク暫定統治機構 (CPA) 統治下の2003年10月15日から導入されたイラク新ディナール(IQD)。紙幣は、50、250、1000、5000、10000、25000の5種類。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ。為替レートは1米ドル=1260新ディナール、1新ディナール=約0.1円。 | [
"イラク戦争",
"連合国暫定当局",
"2003年",
"ユーゴスラビア・ディナール",
"ISO 4217",
"2007年",
"為替レート",
"アメリカ合衆国ドル"
] | [
2920,
47207,
911,
418589,
82710,
382272,
47365,
45753
] | [
4588,
86599,
1491,
1193843,
167737,
1069779,
86946,
83517
] |
101 | イラク | 経済 | イラクは長らく、ティグリス・ユーフラテス川の恵みによる農業が国の根幹をなしていた。ところが、1927年にキルクークで発見された石油がこの国の運命を変えた。19世紀末に発明された自動車のガソリンエンジンが大量生産されるようになり、燃料としての石油の重要性が高まる一方だったからだ。 | [
"1927年",
"石油",
"19世紀",
"ガソリンエンジン"
] | [
1628,
511360,
994,
461312
] | [
2532,
1540503,
1615,
1341467
] |
101 | イラク | 経済 | 1921年にはイギリスの委任統治下ながらイラク王国として独立していたため、名目上は石油はイラクのものではあったが、1932年にイラクが独立国となったのちもイギリスは軍を駐留し、採掘権はイギリスBPのもとに留まった。利益はすべてイギリスの収入となり、イラク政府、民間企業には配分されなかった。 | [
"1921年",
"委任統治",
"イラク王国",
"石油",
"1932年"
] | [
1622,
104143,
366352,
511360,
1634
] | [
2526,
220988,
1017565,
1540503,
2538
] |
101 | イラク | 経済 | 第二次世界大戦を経た1950年、石油の需要が大幅に伸びはじめた際、ようやく石油による収入の50 %がイラク政府の歳入に加わることが取り決められた。イラクはその後ソ連に接近、南部最大のルメイラ油田がソ連に開発され、ソ連と友好協力条約を結んだ1972年、イラク政府はBP油田の国有化を決定、補償金と引き換えに油田はイラクのものとなった。石油危機による原油高の追い風で1970年から1980年まで年率11.9%という二桁の経済成長で当時のイラクの一人当たりGDPは中東で最も高くなり、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の石油輸出国になった。 | [
"第二次世界大戦",
"1950年",
"石油",
"ソビエト連邦",
"ルマイラ油田",
"1972年",
"油田",
"オイルショック",
"1970年",
"1980年",
"中東"
] | [
810952,
1655,
511360,
2660,
646100,
1218,
78982,
47526,
143437,
628108,
2495
] | [
2593589,
2560,
1540503,
4209,
1992035,
1922,
158487,
87357,
334514,
1931417,
3945
] |
101 | イラク | 経済 | 1980年に始まったイラン・イラク戦争が拡大するうちに、両国が互いに石油施設を攻撃し合ったため、原油価格の上昇以上に生産量が激減し、衰退した。 | [
"1980年",
"イラン・イラク戦争",
"石油",
"原油価格"
] | [
628108,
631906,
511360,
495198
] | [
1931417,
1944034,
1540503,
1479637
] |
101 | イラク | 経済 | 1990年のイラクによるクウェート侵攻の名目は、クウェート国内で革命政権を建てたとする暫定自由政府の要請があったこととしているが、背景には石油に関する摩擦があった。OPECによる生産割当をクウェートが守らず、イラクの国益が損なわれたこと、両国の国境地帯にある油田をクウェートが違法に採掘したこと、というのが理由である。 | [
"1990年",
"クウェート侵攻",
"クウェート共和国",
"石油",
"油田"
] | [
487716,
554053,
991241,
511360,
78982
] | [
1450076,
1675252,
3323308,
1540503,
158487
] |
101 | イラク | 経済 | イラクの原油生産量、単位: 万トン (United Nations Statistical Yearbook) | [] | [] | [] |
101 | イラク | 経済 | イラク経済のほとんどは原油の輸出によって賄われている。8年間にわたるイラン・イラク戦争による支出で1980年代には金融危機が発生し、イランの攻撃によって原油生産施設が破壊されたことから、イラク政府は支出を抑え、多額の借金をし、後には返済を遅らせるなどの措置をとった。イラクはこの戦争で少なくとも1000億ドルの経済的損害を被ったとされる。1988年に戦闘が終結すると新しいパイプラインの建設や破壊された施設の復旧などにより原油の輸出は徐々に回復した。 | [
"イラン・イラク戦争",
"1980年代",
"1988年"
] | [
631906,
474,
402
] | [
1944034,
902,
778
] |
101 | イラク | 経済 | 1990年8月、イラクのクウェート侵攻により国際的な経済制裁が加えられ、1991年1月に始まった多国籍軍による戦闘行為 (湾岸戦争) で経済活動は大きく衰退した。イラク政府が政策により大規模な軍隊と国内の治安維持部隊に多くの資源を費したことが、この状態に拍車をかけた。 | [
"1990年",
"クウェート侵攻",
"1991年",
"多国籍軍",
"湾岸戦争"
] | [
487716,
554053,
454937,
12691,
2810
] | [
1450076,
1675252,
1318700,
21224,
4419
] |
101 | イラク | 経済 | 1996年12月に国連の石油と食糧の交換計画実施により経済は改善される。6ヵ月周期の最初の6フェーズではイラクは食料、医薬品およびその他の人道的な物品のみのためにしか原油を輸出できないよう制限されていた。1999年12月、国連安全保障委員会はイラクに交換計画下で人道的要求に見合うだけの原油を輸出することを許可した。現在では原油の輸出はイラン・イラク戦争前の四分の三になっている。2001~2002までに「石油と食料の交換」取引の下でイラクは、1日に280万バーレルを生産し、170万バーレルを輸出するようになり、120億ドルを獲得した。。 医療と健康保険が安定した改善をみせたのにともない、一人あたりの食料輸入量も飛躍的に増大した。しかし一人あたりの生活支出は未だにイラン・イラク戦争前よりも低い。 | [
"1996年",
"国際連合",
"石油食料交換プログラム",
"医薬品",
"1999年",
"安全保障委員会",
"イラン・イラク戦争",
"石油"
] | [
932,
1535,
589571,
25716,
958,
430805,
631906,
511360
] | [
1520,
2395,
1797518,
44891,
1548,
1235597,
1944034,
1540503
] |
101 | イラク | 経済 | 世界食糧計画 (WFP) の統計 (2003年) によると、イラクの農地は国土の13.8 %を占める。天水では農業を継続できないが、ティグリス・ユーフラテス川と灌漑網によって、農地を維持している。13.8 %という数値はアジア平均を下回るものの世界平均、ヨーロッパ平均を上回る数値である。 | [
"国際連合世界食糧計画",
"2003年",
"灌漑",
"ヨーロッパ"
] | [
194079,
911,
135577,
7
] | [
482094,
1491,
312089,
32
] |
101 | イラク | 経済 | 農業従事者の割合は低く、全国民の2.2 %にあたる62 万人に過ぎない。農業従事者が少ないため、一人当たり16.2 haというイラクの耕地面積は、アジアではモンゴル、サウジアラビア、カザフスタンに次いで広い。 | [
"ヘクタール"
] | [
6882
] | [
11291
] |
101 | イラク | 経済 | 同2005年の統計によると、主要穀物では小麦 (220 万トン)、次いで大麦 (130 万トン) の栽培に集中している。麦類は乾燥した気候に強いからである。逆に、米の生産量は13 万トンと少ない。 | [
"2005年",
"穀物",
"コムギ",
"オオムギ"
] | [
142787,
1999,
5606,
13766
] | [
332554,
3124,
8797,
22905
] |
101 | イラク | 経済 | 野菜・果実ではトマト (100 万トン)、ぶどう (33 万トン) が顕著である。商品作物としてはナツメヤシ (87 万トン) が際立つ。エジプト、サウジアラビア、イランに次いで世界第4位の生産数量であり、世界シェアの12.6 %を占める。畜産業では、ヤギ (165万頭)、ウシ (150 万頭) が主力である。 | [
"野菜",
"果実",
"トマト",
"商品作物",
"ナツメヤシ",
"畜産",
"ヤギ",
"ウシ"
] | [
1870,
2378,
1946,
252421,
79728,
16546,
656451,
11140
] | [
2915,
3719,
3051,
667610,
160303,
27461,
2027988,
18498
] |
101 | イラク | 経済 | ナツメヤシはペルシャ湾、メソポタミアの砂漠地帯の原産である。少なくとも5000 年に渡って栽培されており、イラク地方の農業・経済・食文化と強く結びついている。とくにバスラとバグダードのナツメヤシが有力。バスラには800 万本ものナツメヤシが植わっているとされ、第二次世界大戦後はアメリカ合衆国を中心に輸出されてきた。イラン・イラク戦争、湾岸戦争ではヤシの木に被害が多く、輸出額に占めるナツメヤシの比率が半減するほどであった。バグダードのナツメヤシは国内でもっとも品質がよいことで知られる。 | [
"ナツメヤシ",
"ペルシア湾",
"メソポタミア",
"バスラ",
"バグダード",
"第二次世界大戦",
"イラン・イラク戦争",
"湾岸戦争"
] | [
79728,
75024,
2823,
34248,
8281,
810952,
631906,
2810
] | [
160303,
149552,
4434,
62354,
13805,
2593589,
1944034,
4419
] |
101 | イラク | 経済 | イラクで栽培されているナツメヤシは、カラセー種 (Khalaseh)、ハラウィ種 (Halawi)、カドラウィ種 (Khadrawi)、ザヒディ種 (Zahidi) である。最も生産数量が多いのはハラウィ種だ。カドラウィ種がこれに次ぐ。カラセー種は品質が最も高く、実が軟らかい。ザヒディ種はバグダードを中心に栽培されており、もっとも早く実がなる。実が乾燥して引き締まっており、デーツとして輸出にも向く。 | [
"ナツメヤシ",
"ハラウィ (メシアン)",
"バグダード"
] | [
79728,
1349245,
8281
] | [
160303,
4695792,
13805
] |
101 | イラク | 経済 | イラクの工業は自給的であり、食品工業、化学工業を中心とする。食品工業は、デーツを原料とする植物油精製のほか、製粉業、精肉業、皮革製造などが中心である。繊維産業も確立している。化学工業は自給に要する原油の精製、及び肥料の生産である。重油の精製量は世界生産の1 %から2 %に達する (2002年時点で1.6 %)。一方、建築材料として用いる日干しレンガ、レンガはいまだに手工業の段階にも達しておらず、組織化されていない個人による生産に依存している。 | [
"ナツメヤシ",
"皮革",
"肥料",
"重油",
"2002年",
"建築材料",
"アドベ"
] | [
79728,
50631,
45008,
63728,
943,
127565,
45016
] | [
160303,
94651,
81987,
124085,
1532,
289236,
82005
] |
101 | イラク | 経済 | 製鉄、薬品、電機などの製造拠点も存在するが、国内需要を満たしていない。農機具、工作機械、車両などと併せ輸入に頼る。 | [
"工作機械"
] | [
4671
] | [
7307
] |
101 | イラク | 経済 | 原油確認埋蔵量は1,120億バレルで、サウジアラビア・イランに次ぐ。米国エネルギー省は埋蔵量の90 %が未開発で、掘られた石油井戸はまだ2,000 本に過ぎないと推定。 2009年時点の総発電量461億kWhの93 %は石油による火力発電でまかなっている。残りの7 %はティグリス・ユーフラテス川上流部に点在する水力発電所から供給された。 | [
"アメリカ合衆国エネルギー省",
"油井",
"2009年",
"石油",
"火力発電",
"水力発電"
] | [
150961,
80775,
1215,
511360,
554678,
9645
] | [
356292,
162866,
1917,
1540503,
1677261,
15931
] |
101 | イラク | 経済 | イラクの送配電網は1861年にドイツによって建設が始まった。19世紀、イギリスとドイツは現在のイラクがあるメソポタミアへの覇権を競っていた。鉄道と電力網の建設はドイツが、ティグリス・ユーフラテス川における蒸気船の運航はイギリスによって始まった。 | [
"1861年",
"19世紀",
"メソポタミア",
"蒸気船"
] | [
3878,
994,
2823,
54976
] | [
6044,
1615,
4434,
103933
] |
101 | イラク | 経済 | イラクの貿易構造を一言で表すと、原油と石油精製物を輸出し、工業製品を輸入するというものである。2003年時点の輸出額に占める石油関連の比率は91.9 %、同じく輸入額に占める工業製品の割合は93.1 %であるからだ。同年における貿易収支は輸出、輸入とも101億ドルであり、均衡がとれている。 | [
"2003年",
"石油"
] | [
911,
511360
] | [
1491,
1540503
] |
101 | イラク | 経済 | 輸出品目別では、原油83.9 %、石油 (原料) 8.0 %、食品5.0 %、石油化学製品1.0 %である。食品に分類されている品目はほとんどがデーツである。輸入品目別では、機械73.1 %、基礎的な工業製品16.1 %、食品5.0 %、化学工業製品1.0 %。 | [
"石油",
"石油化学",
"ナツメヤシ"
] | [
511360,
183716,
79728
] | [
1540503,
449037,
160303
] |
101 | イラク | 経済 | 貿易相手国は、輸出がアメリカ合衆国 18.6 %、ロシアとCIS諸国、トルコ、ブラジル、フランス、輸入がアメリカ合衆国 13.6 %、日本、ドイツ、イギリス、フランスとなっている。 | [
"独立国家共同体",
"日本"
] | [
44504,
1384029
] | [
81009,
4821051
] |
101 | イラク | 経済 | イラン・イラク戦争中の1986年時点における貿易構造は、2003年時点とあまり変わっていない。ただし、相違点もある。輸出においては、総輸出額に占める原油の割合が98.1 %と高かったにもかかわらず、採掘から輸送までのインフラが破壊されたことにより、原油の輸出が落ち込んでいた。結果として、12億ドルの貿易赤字を計上していた。製鉄業が未発達であったため、輸入に占める鉄鋼の割合が5.9 %と高かったことも異なる。貿易相手国の顔ぶれは大きく違う。2003年時点では輸出入ともアメリカ合衆国が第一だが、1986年の上位5カ国にアメリカ合衆国は登場しない。輸出相手国はブラジル、日本、スペイン、トルコ、ユーゴスラビアであり、輸入相手国は日本、トルコ、イギリス、西ドイツ、イタリアであった。 | [
"イラン・イラク戦争",
"1986年",
"2003年",
"日本"
] | [
631906,
476455,
911,
1384029
] | [
1944034,
1404796,
1491,
4821051
] |
101 | イラク | 交通 | イラクは鉄道が発達しており、国内の主要都市すべてが鉄道で結ばれている。2003年時点の総延長距離は2200 km。旅客輸送量は22億人、貨物輸送量は11億トンに及ぶ。 | [
"2003年"
] | [
911
] | [
1491
] |
101 | イラク | 交通 | イラクの鉄道網はシリア、トルコと連結しており、ヨーロッパ諸国とは鉄道で結ばれている。 | [
"ヨーロッパ"
] | [
7
] | [
32
] |
101 | イラク | 交通 | バグダードとアナトリア半島中央南部のコンヤを結ぶイラク初の鉄道路線(バグダード鉄道)はドイツによって建設された。バグダード鉄道の一部である首都バグダードと第二の都市バスラを結ぶ重要路線には2013年時点で時速64kmの老朽化した2つの車両しかなかったが、2014年に中華人民共和国から時速160kmでエアコンなどを完備した近代的な青島四方機車車輛製の高速車両が導入された(バグダード=バスラ高速鉄道路線)。 | [
"バグダード",
"アナトリア半島",
"バグダード鉄道",
"バスラ",
"2013年",
"2014年",
"中華人民共和国",
"中国中車青島四方機車車輛"
] | [
8281,
7700,
412542,
34248,
7824,
6812,
1208,
730240
] | [
13805,
12871,
1172355,
62354,
13068,
11183,
1903,
2292613
] |
101 | イラク | 交通 | 一方、自動車は普及が進んでおらず、自動車保有台数は95万台 (うち65万台が乗用車) に留まる。舗装道路の総延長距離も8400 kmに留まる。 | [] | [] | [] |
101 | イラク | 国民 | 国連の統計によれば、住民はアラブ人が79%、クルド人16%、アッシリア人3%、トルコマン人(テュルク系)2%である。ユダヤ人も存在していたが、イスラエル建国に伴うアラブ民族主義の高まりと反ユダヤ主義の気運により迫害や虐殺を受けて、国外に追放され、大半がイスラエルに亡命した。ただしクルド人については難民が多く、1ポイント程度の誤差があるとされている。各民族は互いに混住することなくある程度まとまりをもって居住しており、クルド人は国土の北部に、アッシリア人はトルコ国境に近い山岳地帯に、トゥルクマーンは北部のアラブ人とクルド人の境界付近に集まっている。それ以外の地域にはアラブ人が分布する。気候区と関連付けると砂漠気候にある土地はアラブ人が、ステップ気候や地中海性気候にある土地にはその他の民族が暮らしていることになる。 | [
"国際連合",
"アラブ人",
"クルド人",
"トルクメン人 (イラク)",
"ユダヤ人",
"汎アラブ主義",
"反ユダヤ主義",
"難民",
"オグズ",
"砂漠気候",
"ステップ気候",
"地中海性気候"
] | [
1535,
2486,
3757,
925296,
38479,
21198,
41766,
13317,
685242,
26117,
50022,
24774
] | [
2395,
3929,
5858,
3035097,
70013,
36743,
75847,
22115,
2128686,
45834,
93271,
42862
] |
101 | イラク | 国民 | かつては、スーダンからの出稼ぎ労働者やパレスチナ難民も暮らしていたが、イラク戦争後のテロや宗派対立によりほとんどが、国外に出国するか国内難民となっている。また、イラン革命を逃れたイラン人がイラク中部のキャンプ・アシュラーフ(英語版)と呼ばれる町に定住している。 | [
"イラク戦争",
"難民",
"イラン革命"
] | [
2920,
13317,
20680
] | [
4588,
22115,
35903
] |
101 | イラク | 国民 | イラク南部ティグリス・ユーフラテス川合流部は、中東で最も水の豊かな地域である。イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ。1970年代以降水利が完備される以前は、ティグリス川の東に数kmから10 km離れ、川の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川のアン・ナスリーヤ下流に広がるハンマール湖が一体となり、合流部のすぐ南に広がるサナフ湖とも連結していた。マーシュが途切れるのはようやくバスラに至った地点である。アシで囲った家に住み、農業と漁労を生業としたマーシュ・アラブと呼ばれる民族が1950年代には40万人を数えたと言う。 | [
"中東",
"1970年代",
"ティグリス川",
"ユーフラテス川",
"バスラ",
"1950年代"
] | [
2495,
1025,
48100,
48090,
34248,
1028
] | [
3945,
1657,
88651,
88629,
62354,
1660
] |
101 | イラク | 国民 | マーシュ・アラブはさらに2種類に分類されている。まず、マアッダンと呼ばれるスイギュウを労役に用いる農民である。夏期には米を栽培し、冬期は麦を育てる。スイギュウ以外にヒツジも扱っていた。各部族ごとにイッサダと呼ばれるムハンマドを祖先とうたう聖者を擁することが特徴だ。マアッダンはアシに完全に依存した生活を送っていた。まず、大量のアシを使って水面に「島」を作り、その島の上にアシの家を建てる。スイギュウの餌もアシである。 | [
"ヒツジ"
] | [
5953
] | [
9619
] |
101 | イラク | 国民 | 南部のベニ・イサドはアラビアから移動してきた歴史をもつ。コムギを育て、マーシュ外のアラビア人に類似した生活を送っている。マアッダンを文化的に遅れた民族として扱っていたが、スイギュウ飼育がマアッダンだけの仕事となる結果となり、結果的にマアッダンの生活様式が安定することにつながっていた。 | [
"コムギ"
] | [
5606
] | [
8797
] |
101 | イラク | 国民 | また、アフリカ大陸にルーツを持つアフリカ系住民も非常に少数ながら生活している。そのほとんどが、アラブの奴隷商人によってイラクに連れてこられた黒人の子孫とみられる。 | [
"アフリカ大陸"
] | [
5551
] | [
8707
] |
101 | イラク | 国民 | アラビア語、クルド語が公用語である。2004年のイラク憲法改正以来クルド語がアラビア語と共に正式な公用語に追加された。その他アルメニア語、アゼリー語や現代アラム語 (アッシリア語) なども少数ながら使われている。 | [
"アラビア語",
"クルド語",
"公用語",
"2004年",
"アルメニア語",
"アゼルバイジャン語",
"アッシリア"
] | [
2450,
20457,
5354,
339530,
27235,
89351,
13890
] | [
3868,
35543,
8424,
935867,
48036,
184140,
23110
] |
101 | イラク | 国民 | 書き言葉としてのアラビア語 (フスハー) は、アラブ世界で統一されている。これはコーランが基準となっているからである。しかし、話し言葉としてのアラビア語 (アーンミーヤ) は地域によって異なる。エジプト方言は映画やテレビ放送の言葉として広く流通しているが、この他にマグレブ方言、シリア方言、湾岸方言、アラビア半島方言などが認められている。イラクで話されているのはイラク方言である。ただし、イラク国内で共通語となっているバグダードの言葉と山岳部、湾岸部にもさらに方言が分かれている。 | [
"アラビア語",
"フスハー",
"アラブ世界",
"クルアーン",
"アーンミーヤ",
"アラビア語エジプト方言",
"アラビア語湾岸方言",
"アラビア半島",
"バグダード"
] | [
2450,
13343,
3763,
453597,
245527,
85506,
900931,
5487,
8281
] | [
3868,
22225,
5865,
1313892,
645721,
174515,
2937726,
8619,
13805
] |
101 | イラク | 国民 | イラクにおける教育制度は、伝統的なコーランを学ぶ学校に始まる。イギリス委任統治領時代から西欧型の初等教育が始まり、独立前の1929年から女性に対する中等教育も開始された。現在の教育制度は1978年に改訂され、義務教育が6年制となった。教育制度は充実しており、初等教育から高等教育に至るまで無料である。国立以外の学校は存在しない。1990年時点の統計によると、小学校は8917校である。3年制の中学校への進学は試験によって判断され、3人に1人が中学校に進む。大学へ進学を望むものは中学校卒業後、2年間の予備課程を修了する必要がある。首都バグダードを中心に大学は8校、大学終了後は、19の科学技術研究所に進むこともできる。 | [
"クルアーン",
"委任統治",
"1929年",
"1978年",
"義務教育",
"1990年",
"バグダード"
] | [
453597,
104143,
1630,
641550,
172699,
487716,
8281
] | [
1313892,
220988,
2534,
1976938,
417254,
1450076,
13805
] |
101 | イラク | 国民 | 通常は婚姻時に改姓することはない(夫婦別姓)が、西欧風に夫の姓に改姓する女性もいる。 | [
"改姓",
"夫婦別姓"
] | [
356465,
1272995
] | [
987648,
4406553
] |
101 | イラク | 宗教 | イスラム教が国民の 99 %を占め、次いでキリスト教 0.8 %、ヒンドゥー教 、その他 (0.2 % 以下) である。イスラム教徒の内訳はシーア派 60 - 65 %、スンナ派 32 - 37 % である。 | [
"イスラム教",
"キリスト教",
"ヒンドゥー教",
"シーア派",
"スンナ派"
] | [
223319,
1288,
2408,
3948,
8882
] | [
571982,
2016,
3775,
6154,
14733
] |
101 | イラク | 宗教 | キリスト教(カトリック、東方正教会、アッシリア東方教会など)はアッシリア人と少数民族に限られている。1987年の時点では140万人(全体の8%)のキリスト教徒が暮らしていたが1990年代と、さらに2003年のフセイン政権崩壊以降とで多くが国を離れた。2010年の時点での人口比は0.8%と報告されている。 | [
"キリスト教",
"カトリック教会",
"正教会",
"1987年",
"1990年代",
"2003年",
"2010年"
] | [
1288,
116774,
4732,
628112,
905,
911,
663972
] | [
2016,
258853,
7395,
1931422,
1484,
1491,
2053712
] |
101 | イラク | 宗教 | 全世界のイスラム教徒に占めるシーア派の割合は高くはないが、イラク国内では過半数を占める。イラク国内では被支配層にシーア派が多い。シーア派は預言者の後継者・最高指導者 (イマーム) が誰であるかという論争によってスンナ派と分裂した。シーア派は預言者の従弟であるアリーを初代イマームとして選んだが、アリーの次のイマームが誰なのかによって、さらに主要なイスマーイール派、ザイド派、十二イマーム派、ハワーリジュ派などに分裂している。イラクで優勢なのはイランと同じ、イマームの再臨を信じる十二イマーム派である。シーア派法学の中心地は4つの聖地と一致する。すなわち、カルバラー、ナジャフおよび隣国イランのクムとマシュハドである。 | [
"シーア派",
"イマーム",
"スンナ派",
"イスマーイール派",
"ザイド派",
"十二イマーム派",
"ハワーリジュ派",
"再臨",
"ナジャフ"
] | [
3948,
46895,
8882,
3950,
948209,
3941,
97226,
26942,
42285
] | [
6154,
85872,
14733,
6156,
3125884,
6144,
204068,
47459,
77014
] |
101 | イラク | 宗教 | スンナ派ではシャーフィイー学派、ハナフィー学派、ハンバル学派、マーリク学派の4法学派が正当派とされている。イラク出身のスンナ派イスラム法学者としては、以下の3人が著名である。 | [
"スンナ派",
"シャーフィイー学派",
"ハナフィー学派",
"ハンバル学派",
"マーリク学派"
] | [
8882,
775627,
297364,
791986,
791985
] | [
14733,
2461437,
806556,
2521601,
2521600
] |
101 | イラク | 宗教 | 8世紀まで政治・文化の中心であったクーファに生まれたアブー・ハニーファ (Abu Hanifa、699年-767年) は、ハナフィー法学派を創設し、弟子のアブー・ユースフと孫弟子のシャイバーニーの3人によって確立し、今日ではムスリムの信奉する学派のうち最大のものにまで成長した。 | [
"8世紀",
"クーファ",
"アブー・ハニーファ",
"699年",
"767年",
"ハナフィー学派",
"ムスリム"
] | [
2678,
341311,
1092282,
39798,
8248,
297364,
3759
] | [
4231,
941464,
3737465,
72298,
13752,
806556,
5860
] |
101 | イラク | 宗教 | バスラのアブー・アル=ハサン・アル=アシュアリー(英語版) (Abd al-Hasan al-Ash'ari、873年-935年) は、合理主義を標榜したムウタズィラ学派に属していたが、後に離れる。ムウタズィラ派がよくしていたカラーム (弁証) をもちいて論争し、影響力を低下させた。同時に伝統的な信条をもつアシュアリー派を創設した。 | [
"バスラ",
"873年",
"935年",
"ムゥタズィラ学派",
"カラーム",
"アシュアリー学派"
] | [
34248,
23959,
23823,
984035,
532733,
979856
] | [
62354,
41297,
41039,
3294698,
1613015,
3276898
] |
101 | イラク | 宗教 | ガザーリー (Al-Ghazali、1058年-1111年) は、ペルシア人であったがバグダードのニザーミーヤ学院で教え、イスラーム哲学を発展させた。「イスラム史上最も偉大な思想家の一人」と呼ばれる。アシュアリー学派、シャーフィイー学派の教えを学び、シーア派のイスマーイール派などを強く批判した。後に、アリストテレスの論理学を受け入れ、イスラーム哲学自体に批判を下していく。 | [
"ガザーリー",
"1058年",
"1111年",
"バグダード",
"ニザーミーヤ学院",
"イスラーム哲学",
"アシュアリー学派",
"シャーフィイー学派",
"シーア派",
"イスマーイール派",
"論理学"
] | [
9380,
9741,
9742,
8281,
217981,
89994,
979856,
775627,
3948,
3950,
44213
] | [
15517,
16087,
16088,
13805,
555216,
185609,
3276898,
2461437,
6154,
6156,
80521
] |
101 | イラク | 宗教 | イスラム神秘主義者としてはメディナ生まれのハサン・アル=バスリー(英語版) (al-Hasan al-Basri、642年-728年) が著名である。バスラに住み、禁欲主義を説いた。神の意志と自らの意志を一致させるための精神修行法を作り上げ、ムウタズィラ派を開く。ムウタズィラ派は合理的ではあったが、彼の精神修行法は神秘主義 (スーフィズム) につながっていった。 | [
"スーフィズム",
"642年",
"728年",
"バスラ",
"ムゥタズィラ学派"
] | [
22993,
8556,
21641,
34248,
984035
] | [
39735,
14209,
37482,
62354,
3294698
] |
101 | イラク | 宗教 | ヤジーディー派はイラク北部のヤジーディー民族だけに信じられており、シーア派に加えキリスト教ネストリウス派、ゾロアスター教、呪術信仰が混交している。聖典はコーラン、旧約聖書、新約聖書。自らがマラク・ターウースと呼ぶ堕落天使サタンを神と和解する存在と捉え、サタンをなだめる儀式を行うことから悪魔崇拝者と誤解されることもある。 | [
"ヤズィーディー",
"シーア派",
"キリスト教",
"ネストリウス派",
"ゾロアスター教",
"クルアーン",
"旧約聖書",
"新約聖書",
"マラク・ターウース",
"堕落天使"
] | [
3758,
3948,
1288,
14261,
2174,
453597,
2227,
3816,
473141,
192822
] | [
5859,
6154,
2016,
23660,
3381,
1313892,
3465,
5937,
1390664,
478179
] |
101 | イラク | 宗教 | 1990年時点のキリスト教人口は約100万人である。最大の分派は5割を占めるローマ・カトリック教会。アッシリア人だけはいずれにも属さずキリストの位格について独自の解釈をもつアッシリア東方教会 (ネストリウス派) に属する。19世紀まではモースルのカルデア教会もネストリウス派に属していたが、ローマ・カトリック教会の布教活動により、東方帰一教会の一つとなった。 | [
"1990年",
"キリスト教",
"カトリック教会",
"ネストリウス派",
"19世紀",
"モースル",
"東方典礼カトリック教会"
] | [
487716,
1288,
116774,
14261,
994,
148196,
72408
] | [
1450076,
2016,
258853,
23660,
1615,
348038,
143701
] |
101 | イラク | 宗教 | サービア教はコーランに登場し、ユダヤ教やキリスト教とともに啓典の民として扱われる歴史のある宗教である。マンダ教はそのサービア教と同一視されてきた。バプテスマのヨハネに付き従い、洗礼を非常に重視するため、水辺を居住地として選ぶ。ティグリス・ユーフラテス両河川のバグダード下流から、ハンマール湖に到る大湿地帯に多い。古代において西洋・東洋に広く伝播したグノーシス主義が原型と考えられている。 | [
"サービア教徒",
"クルアーン",
"ユダヤ教",
"キリスト教",
"啓典の民",
"マンダ教",
"洗礼者ヨハネ",
"洗礼",
"バグダード",
"グノーシス主義"
] | [
308984,
453597,
38434,
1288,
236012,
166862,
63546,
14921,
8281,
14444
] | [
842980,
1313892,
69933,
2016,
614580,
400731,
123543,
24846,
13805,
24028
] |
101 | イラク | 宗教 | ユダヤ教徒はバビロニア時代から現在のイラク地方に根を下ろし、10世紀に到るまでユダヤ教学者を多数擁した。イスラエル建国以前は10万人を超える信者を居住していたが、移民のため、1990年時点で、ユダヤ教徒は数百人しか残っていない。 | [
"10世紀",
"ユダヤ学",
"1990年"
] | [
2719,
168676,
487716
] | [
4275,
405957,
1450076
] |
101 | イラク | 文化 | イラク国民の嗜好品としてもっとも大量に消費されているのが、茶である。国連の統計によると、1983年から1985年の3年間の平均値として国民一人当たり2.63 kgの茶を消費していた。これはカタール、アイルランド、イギリスについで世界第4位である。国が豊かになるにつれて茶の消費量は増えていき、2000年から2002年では、一人当たり2.77 kgを消費し、世界第一位となった。日本茶業中央会の統計によると、2002年から2004年では戦争の影響を被り消費量が2.25 kgと低下しているが、これでも世界第4位である。イランやトルコなど生産地が近く、イラク国内では茶を安価に入手できる。 | [
"嗜好品",
"国際連合",
"1983年",
"1985年",
"2000年",
"2002年",
"日本茶業中央会",
"2004年"
] | [
18961,
1535,
628111,
628110,
957,
943,
479984,
339530
] | [
32007,
2395,
1931420,
1931419,
1547,
1532,
1420057,
935867
] |
101 | イラク | 文化 | 細密画、アラビア書道、モスク建築、カルバラーやナジャフなどのシーア派聖地。 | [
"ミニアチュール",
"モスク",
"ナジャフ",
"シーア派"
] | [
530904,
7797,
42285,
3948
] | [
1607597,
13023,
77014,
6154
] |
101 | イラク | 文化 | 伝統的な楽器としてリュートに類似するウード、ヴァイオリンに類似するレバーブ、その他ツィターに似たカーヌーン、葦の笛ナーイ、酒杯型の片面太鼓ダラブッカなどが知られている。 | [
"リュート",
"ヴァイオリン",
"ツィター",
"ナーイ",
"ダラブッカ"
] | [
81610,
7997,
68305,
10920,
16951
] | [
164961,
13338,
134333,
18154,
28242
] |
101 | イラク | 文化 | ウードは西洋なしを縦に半分に割ったような形をした弦楽器である。現在の研究では3世紀から栄えたササン朝ペルシア時代の弦楽器バルバトが起源ではないかとされるが、アル=ファーラービーによれば、ウードは旧約聖書創世記に登場するレメクによって作られたのだと言う。最古のウード状の楽器の記録は紀元前2000年ごろのメソポタミア南部 (イラク) にまで遡る。ウードはフレットを使わないため、ビブラート奏法や微分音を使用するアラブの音階・旋法、マカームの演奏に向く。弦の数はかつては四弦で、これは現在においてもマグリブ地方において古形を見出す事が出来るが、伝承では9世紀にキンディー (あるいはズィリヤーブとも云う) によって一本追加され、五弦になったとされる。現在では五弦ないし六弦の楽器であることが多い (正確には複弦の楽器なので五コースないし六コースの十弦~十一弦。五コースの場合、十弦で、六コースの場合、十一弦。六コース目の最低音弦は単弦となる)。イラクのウード奏者としては、イラク音楽研究所のジャミール・バシールJamil Bachir、バグダード音楽大学のナシル・シャンマNaseer Shamma、国際的な演奏活動で知られるアハメド・ムクタールAhmed Mukhtarが著名である。スターとしてウード奏者のムニール・バシールMunir Bashirも有名。 | [
"セイヨウナシ",
"弦楽器",
"サーサーン朝",
"ファーラービー",
"旧約聖書",
"メソポタミア",
"ビブラート",
"微分音",
"マカーム",
"マグリブ",
"9世紀",
"キンディー",
"バグダード"
] | [
2032,
10585,
8526,
218742,
2227,
2823,
18494,
36009,
8288,
8369,
2720,
218696,
8281
] | [
3171,
17531,
14170,
557512,
3465,
4434,
30986,
65636,
13814,
13930,
4276,
557411,
13805
] |
101 | イラク | 文化 | カーヌーンは台形の共鳴箱の上に平行に多数の弦を張り渡した弦楽器で、手前が高音の弦となる。指で弦をつまんで演奏する撥弦楽器であり、弦の本数は様々だが、百本に達するものなどもある。 | [
"弦楽器",
"撥弦楽器"
] | [
10585,
10541
] | [
17531,
17444
] |
101 | イラク | 文化 | また現在、東アラブ古典音楽における核の一つとしてイラクのバグダードはエジプトのカイロと並び重要な地である。それだけでは無くイスラームの音楽文化の歴史にとってもバグダードは大変に重要な地で、アッバース朝時代のバグダードではカリフの熱心な文芸擁護によりモウスィリー、ザルザル、ズィリヤーブなどのウードの名手、キンディー、ファーラービー、サフィー・アッ=ディーンなどの精緻な理論体系を追求した音楽理論家が綺羅星のごとく活躍をした。その様子は千夜一夜物語にも一部描写されている。時代は変遷し、イスラームの音楽文化の主流はイラク国外の地域に移ったのかも知れないが、現在でもかつての栄華を偲ばせる豊かな音楽伝統を持つ。バグダードにはイラーキー・マカーム (マカーム・アル=イラーキー) と呼ばれる小編成で都会的な匂いのする室内楽の伝統がある。 | [
"バグダード",
"イスラム教",
"アッバース朝",
"カリフ",
"キンディー",
"ファーラービー",
"音楽理論"
] | [
8281,
223319,
9387,
536990,
218696,
218742,
2167
] | [
13805,
571982,
15527,
1625331,
557411,
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3372
] |
Subsets and Splits
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