id
int64 5
471k
| title
stringlengths 1
74
| text
stringlengths 0
233k
| paragraphs
list | abstract
stringlengths 1
4.6k
⌀ | wikitext
stringlengths 22
486k
⌀ | date_created
stringlengths 20
20
⌀ | date_modified
stringlengths 20
20
| is_disambiguation_page
bool 2
classes | is_sexual_page
bool 2
classes | is_violent_page
bool 2
classes | templates
sequence | url
stringlengths 31
561
|
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
4,844,620 | 宇賀小学校 | 宇賀小学校(うがしょうがっこう) | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "宇賀小学校(うがしょうがっこう)",
"title": null
}
] | 宇賀小学校(うがしょうがっこう) 函館市立宇賀小学校 - 北海道函館市にあった公立小学校
下関市立宇賀小学校 - 山口県下関市にある公立小学校 | '''宇賀小学校'''(うがしょうがっこう)
* [[函館市立宇賀小学校]] - [[北海道]][[函館市]]にあった公立小学校
* [[下関市立宇賀小学校]] - [[山口県]][[下関市]]にある公立小学校
{{学校名の曖昧さ回避}}
{{デフォルトソート:うかしようかつこう}}
[[Category:日本の公立小学校]] | 2023-10-21T06:31:23Z | 2023-10-21T09:53:21Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E8%B3%80%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1 |
4,844,621 | おたる祝津にしん群来祭り | おたる祝津にしん群来祭り(おたるしゅくつにしんくきまつり)は、北海道小樽市で開催されていたイベント。2009年(平成21年)から2022年(令和4年)まで開催された。旧名称は「おたる祝津にしん祭り」。2023年(令和5年)からは小樽市の「おタテ祭り」と統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」として開催されている。
イベントの名の「群来(くき)」とは、ニシンが産卵のために海岸に押し寄せ、オスのニシンの放精で海が乳白色に濁る現象である。ニシンはかつて北海道を代表する魚だったが、1950年代からほとんど獲れない状態が続いていた。しかし祝津では2000年代末頃より漁獲が増え、群来が見られるようになった。これを機に企画されたのが、本イベントである。
群来の到来を祝うと共に、ニシン漁で栄えた小樽市祝津地区に再び活力を取り戻すべく企画されたイベントであり、小樽でとれたニシンを観光客や市民らに食べてもらうことを目的としていた。主催は、地元の町おこしグループ「祝津たなげ会」や小樽市漁協などで作る実行委員会である。
メインイベントとして企画されたのは、ニシンの千尾分の串焼きの無料提供である。当初は千尾の調達が困難で、アラスカ産やロシア産などで調達も検討されていたものの、2009年に50年以上ぶりに群来が到来し、小樽のニシン千尾を調達することができ。開催当日は雨にもかかわらず、この串焼き目当ての長蛇の列ができ、毎年の恒例イベントとなった。
2013年(平成25年)開催の第5回より、「おたる祝津にしん祭り」から「おたる祝津にしん群来祭り」に改名された。2015年(平成27年)開催の第7回では、開催以来初めて、地元漁師の妻が考案したニシンの丼「群来太郎丼」が提供された。丼の売り場前には長蛇の列ができ、限定300食が約2時間で完売するほどの人気であった。ニシンの稚魚の放流や、ニシン漁家建の築群を巡るツアーも開催された。
2020年と2021年は新型コロナウイルスの影響で中止を強いられていたが、2022年には3年ぶりとなる第12回が、青塚食堂前浜会場で開催され、恒例となったニシンの無料提供や、群来太郎丼など各種創作料理の提供、ニシンの稚魚の放流式などで、好評を博した。
小樽産の海産物関連のイベントとしては、同2022年に、ホタテガイを「おタテ」と呼んでPRする「おタテ祭り」が開催されていたが、地元漁業者らほぼ同じメンバーが実行委員会を作って主催していること、実行委員やボランティアの高齢化により年に複数のイベント開催が困難になったことから、2023年(令和5年)には両者のイベントが統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」としての開催に至った。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "おたる祝津にしん群来祭り(おたるしゅくつにしんくきまつり)は、北海道小樽市で開催されていたイベント。2009年(平成21年)から2022年(令和4年)まで開催された。旧名称は「おたる祝津にしん祭り」。2023年(令和5年)からは小樽市の「おタテ祭り」と統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」として開催されている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "イベントの名の「群来(くき)」とは、ニシンが産卵のために海岸に押し寄せ、オスのニシンの放精で海が乳白色に濁る現象である。ニシンはかつて北海道を代表する魚だったが、1950年代からほとんど獲れない状態が続いていた。しかし祝津では2000年代末頃より漁獲が増え、群来が見られるようになった。これを機に企画されたのが、本イベントである。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "群来の到来を祝うと共に、ニシン漁で栄えた小樽市祝津地区に再び活力を取り戻すべく企画されたイベントであり、小樽でとれたニシンを観光客や市民らに食べてもらうことを目的としていた。主催は、地元の町おこしグループ「祝津たなげ会」や小樽市漁協などで作る実行委員会である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "メインイベントとして企画されたのは、ニシンの千尾分の串焼きの無料提供である。当初は千尾の調達が困難で、アラスカ産やロシア産などで調達も検討されていたものの、2009年に50年以上ぶりに群来が到来し、小樽のニシン千尾を調達することができ。開催当日は雨にもかかわらず、この串焼き目当ての長蛇の列ができ、毎年の恒例イベントとなった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2013年(平成25年)開催の第5回より、「おたる祝津にしん祭り」から「おたる祝津にしん群来祭り」に改名された。2015年(平成27年)開催の第7回では、開催以来初めて、地元漁師の妻が考案したニシンの丼「群来太郎丼」が提供された。丼の売り場前には長蛇の列ができ、限定300食が約2時間で完売するほどの人気であった。ニシンの稚魚の放流や、ニシン漁家建の築群を巡るツアーも開催された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2020年と2021年は新型コロナウイルスの影響で中止を強いられていたが、2022年には3年ぶりとなる第12回が、青塚食堂前浜会場で開催され、恒例となったニシンの無料提供や、群来太郎丼など各種創作料理の提供、ニシンの稚魚の放流式などで、好評を博した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "小樽産の海産物関連のイベントとしては、同2022年に、ホタテガイを「おタテ」と呼んでPRする「おタテ祭り」が開催されていたが、地元漁業者らほぼ同じメンバーが実行委員会を作って主催していること、実行委員やボランティアの高齢化により年に複数のイベント開催が困難になったことから、2023年(令和5年)には両者のイベントが統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」としての開催に至った。",
"title": "概要"
}
] | おたる祝津にしん群来祭り(おたるしゅくつにしんくきまつり)は、北海道小樽市で開催されていたイベント。2009年(平成21年)から2022年(令和4年)まで開催された。旧名称は「おたる祝津にしん祭り」。2023年(令和5年)からは小樽市の「おタテ祭り」と統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」として開催されている。 | {{イベントインフォメーション
|イベント名称=おたる祝津にしん群来祭り
|英文表記=
|画像={{画像募集中|cat=小樽市}}
|画像説明=
|種類=
|通称=にしん祭り{{R|朝日新聞20140518m_p25}}
|旧名称=おたる祝津にしん祭り{{R|朝日新聞20090523m_p33}}
|開催時期=
|初回開催=[[2009年]][[5月23日]] - [[5月24日]]{{R|朝日新聞20090523m_p33}}
|最終開催=[[2022年]][[6月4日]] - [[2022年]][[6月5日]]{{R|小樽ジャーナル20220604}}
|開催時間 =
|会場=[[北海道]][[小樽市]]祝津、観光船航路
|主催=おたる祝津にしん群来祭り実行委員会{{R|小樽ジャーナル20130407}}
|共催=
|後援=
|協賛=
|企画制作=
|運営=
|プロデューサー=
|出展数=
|来場者数=
|会場アクセス名=
|最寄駅=
|直通バス=
|駐車場=有([[おたる水族館]]の駐車場{{R|おたる祝津たなげ会20230503}})
|URL=
|特記事項=
}}
'''おたる祝津にしん群来祭り'''(おたるしゅくつにしんくきまつり)は、[[北海道]][[小樽市]]で開催されていたイベント{{R|道新20230511m_p15}}。2009年(平成21年)から2022年(令和4年)まで開催された。旧名称は「おたる祝津にしん祭り{{R|朝日新聞20090523m_p33}}」。2023年(令和5年)からは小樽市の「おタテ祭り」と統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」として開催されている{{R|道新20230511m_p15}}。
== 概要 ==
イベントの名の「群来(くき)」とは、ニシンが産卵のために海岸に押し寄せ、オスのニシンの放精で海が乳白色に濁る現象である{{R|Discover_Japan20220106_p52}}。ニシンはかつて北海道を代表する魚だったが、1950年代からほとんど獲れない状態が続いていた。しかし祝津では2000年代末頃より漁獲が増え、群来が見られるようになった{{R|Discover_Japan20220106_p52}}。これを機に企画されたのが、本イベントである{{R|資産と生業の地理学_p132|海と日本PROJECT20160601}}。
群来の到来を祝うと共に、ニシン漁で栄えた小樽市祝津地区に再び活力を取り戻すべく企画されたイベントであり{{R|海と日本PROJECT20160601|おたるぽーたる20220525}}、小樽でとれたニシンを観光客や市民らに食べてもらうことを目的としていた{{R|朝日新聞20090523m_p33}}。主催は、地元の町おこしグループ「祝津たなげ会」や小樽市漁協などで作る実行委員会である{{R|朝日新聞20090523m_p33}}。
メインイベントとして企画されたのは、ニシンの千尾分の串焼きの無料提供である。当初は千尾の調達が困難で、アラスカ産やロシア産などで調達も検討されていたものの、2009年に50年以上ぶりに群来が到来し、小樽のニシン千尾を調達することができ{{R|おたるぽーたる20220525}}。開催当日は雨にもかかわらず、この串焼き目当ての長蛇の列ができ{{R|小樽ジャーナル20090523}}、毎年の恒例イベントとなった{{R|おたるぽーたる20220525}}。
2013年(平成25年)開催の第5回より、「おたる祝津にしん祭り」から「おたる祝津にしん群来祭り」に改名された{{R|小樽ジャーナル20130407}}。2015年(平成27年)開催の第7回では、開催以来初めて、地元漁師の妻が考案したニシンの丼「[[群来太郎丼]]」が提供された{{R|道新20150523m_p28}}。丼の売り場前には長蛇の列ができ、限定300食が約2時間で完売するほどの人気であった{{R|道新20150607m_p26}}。ニシンの稚魚の放流や、ニシン漁家建の築群を巡るツアーも開催された{{R|海と日本PROJECT20160601}}。
2020年と2021年は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]の影響で中止を強いられていたが、2022年には3年ぶりとなる第12回が、[[民宿青塚食堂|青塚食堂]]前浜会場で開催され、恒例となったニシンの無料提供や、群来太郎丼など各種創作料理の提供、ニシンの稚魚の放流式などで、好評を博した{{R|小樽ジャーナル20220604|おたるぽーたる20220525}}。
小樽産の海産物関連のイベントとしては、同2022年に、[[ホタテガイ]]を「おタテ」と呼んでPRする「おタテ祭り」が開催されていたが、地元漁業者らほぼ同じメンバーが実行委員会を作って主催していること、実行委員やボランティアの高齢化により年に複数のイベント開催が困難になったことから、2023年(令和5年)には両者のイベントが統合されて、「おたる祝津にしん・おタテ祭り」としての開催に至った{{R|おたる祝津たなげ会20230503|道新20230511m_p15}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="資産と生業の地理学_p132">{{Cite book|和書|editor=横山智|editor-link=横山智|title=資産と生業の地理学|date=2013-11-9|publisher=海青社|series=ネイチャー・アンド・ソサエティ研究|isbn=978-4-86099-274-3|page=132}}</ref>
<ref name="Discover_Japan20220106_p52">{{Cite journal|和書|date=2022-1-6|title=北海道・ニシンとシシャモの旅|journal=Discover Japan|volume=4|issue=2|page=52|publisher=ディスカバー・ジャパン|id={{全国書誌番号|01024056}}}}</ref>
<ref name="おたるぽーたる20220525">{{Cite web|和書|url=https://otaru.gr.jp/project/otarujishin-202206shukutsunishin |title=【月刊小樽自身2022年6月号】無料で食べれる! 小樽産ニシン焼1,000尾用意! 祝津にしん群来祭り|accessdate=2023-10-21|date=2022-5-25|website=小樽観光協会公式サイト「おたるぽーたる」|publisher=小樽観光協会}}</ref>
<ref name="おたる祝津たなげ会20230503">{{Cite web|和書|url=https://tanage.jp/all/1226/ |title=「おたる祝津にしん・おタテ祭り2023」の詳細です|accessdate=2023-10-21|date=2023-5-3|website=おたる祝津たなげ会}}</ref>
<ref name="海と日本PROJECT20160601">{{Cite web|和書|url=https://hokkaido.uminohi.jp/event/第8回おたる祝津にしん群来祭り/ |title=第8回おたる祝津にしん群来祭り|accessdate=2023-10-21|date=2016-6-1|website=海と日本PROJECT in ガッチャンコ北海道}}</ref>
<ref name="小樽ジャーナル20220604">{{Cite web|和書|url=https://www.otaru-journal.com/2022/06/post-82602/ |title=にしんに舌鼓! おたる祝津にしん群来祭り|accessdate=2023-10-21|date=2022-6-4|website=[[小樽ジャーナル]]|publisher=小樽ジャーナル社}}</ref>
<ref name="小樽ジャーナル20090523">{{Cite web|和書|url=https://www.otaru-journal.com/2009/05/2009-0523-2/ |title=「おたるにしん祭り」鰊焼き味わう|accessdate=2023-10-21|date=2009-5-23|website=小樽ジャーナル}}</ref>
<ref name="小樽ジャーナル20130407">{{Cite web|和書|url=https://www.otaru-journal.com/2013/04/2013-0407-2 |title=新企画“おたる祝津にしん群来祭り”5/18・19開催|accessdate=2023-10-21|date=2023-4-7|website=小樽ジャーナル}}</ref>
<ref name="朝日新聞20140518m_p25">{{Cite news|和書|title=街角きらり|newspaper=[[朝日新聞]]|edition=北海道朝刊|date=2014-5-18|page=25|publisher=[[朝日新聞社]]}}</ref>
<ref name="朝日新聞20090523m_p33">{{Cite news|和書|title=小樽ニシン千匹、無料で食べてね きょうあす「祭り」|newspaper=朝日新聞|edition=北海道朝刊|date=2009-5-23|page=33}}</ref>
<ref name="道新20230511m_p15">{{Cite news|和書|title=祭り一本化 時代を反映「群来」×「おタテ」海産PR 小樽で来月 メンバーの高齢化背景|newspaper=[[北海道新聞]]|edition=樽B朝刊|date=2023-5-11|author=石垣総静|page=15|publisher=[[北海道新聞社]]}}</ref>
<ref name="道新20150523m_p28">{{Cite news|和書|title=浜の母さん考案 ニシン丼 来月おたる祝津群来祭り 1日300食限定、初の販売|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2015-5-23|author=山岡正和|page=28}}</ref>
<ref name="道新20150607m_p26">{{Cite news|和書|title=恵みに感謝しガブリ 熱々ニシン「おいしい」小樽で群来祭り|newspaper=北海道新聞|edition=央広朝刊|date=2015-6-7|author=石井慧|page=26}}</ref>
}}
{{DEFAULTSORT:おたるしゆくつにしんくきまつり}}
[[Category:小樽市の文化]]
[[Category:北海道の行事・イベント]]
[[Category:食文化の祭典 (日本)]]
[[Category:2009年開始のイベント]]
[[Category:2022年終了のイベント]] | 2023-10-21T06:31:31Z | 2023-10-21T06:31:31Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:イベントインフォメーション",
"Template:R",
"Template:脚注ヘルプ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%82%8B%E7%A5%9D%E6%B4%A5%E3%81%AB%E3%81%97%E3%82%93%E7%BE%A4%E6%9D%A5%E7%A5%AD%E3%82%8A |
4,844,622 | エイトマン (曖昧さ回避) | エイトマン(8 man, Eight man, 8th man)
主にプロ野球選手で背番号「8」を使用した人物の愛称。カッコ内は現役時に在籍した球団。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "エイトマン(8 man, Eight man, 8th man)",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "主にプロ野球選手で背番号「8」を使用した人物の愛称。カッコ内は現役時に在籍した球団。",
"title": "その他"
}
] | エイトマン | '''エイトマン'''(8 man, Eight man, 8th man)
== 漫画『8マン』の派生作品 ==
* [[8マン]] - [[平井和正]]原作、[[桑田二郎]]作画の[[漫画]]作品。
** エイトマン - 上記の漫画を基に1963年から[[TBSテレビ]]の製作で放送された[[テレビアニメ]]。[[8マン#テレビアニメ版]]を参照。
** [[エイトマン (曲)]] - [[克美しげる]]が歌唱した上記アニメの主題歌。「[[北京の55日]]」B面曲としてシングル発売。
** 8マン すべての寂しい夜のために - 1992年公開の実写映画。
** {{仮リンク|8マン (ゲーム)|en|Eight Man (video game)}} - [[SNK (1978年設立の企業)|SNK]]が1993年に発売した[[ネオジオ]]用の[[アクションゲーム]]。
** [[エイトマン (パチスロ)]] - [[タイヨー]]が2000年に製造した[[パチスロ]]。
== その他 ==
=== 同名の作品 ===
* エイトマン<ref>{{歌ネット|329087|エイトマン}}</ref> - [[庄野真代]]の楽曲。1976年発売のアルバム『あとりえ』に収録。
* 糸満市ヒーロー課 エイトマン<ref>[https://shop.okinawatimes.co.jp/photo_up/detail/1213912 沖縄タイムスの出版物 - エイトマン 1]</ref> - 大城さとしの漫画作品。[[沖縄タイムス]]日曜折込版『ワラビー』連載。
=== 組織 ===
* [[モデルプロダクションエイトマン]] - [[芸能事務所]]。
* EIGHTMAN - [[h.m.p]]傘下の[[アダルトビデオ]]レーベル。
=== 人物の愛称 ===
主に[[プロ野球]]選手で[[背番号]]「'''8'''」を使用した人物の愛称。カッコ内は現役時に在籍した球団。
* [[江藤慎一]]([[中日ドラゴンズ]]、[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]他)
* [[原辰徳]]([[読売ジャイアンツ]]) - アニメ主題歌の[[替え歌]]「エイトマン・タツノリ」が応援歌に使用された。
* [[梨田昌孝]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]])
* [[米崎薫臣]](近鉄バファローズ)
=== 競技 ===
* [[エイトマン (サッカー)]] - 8人制のサッカー。
== 脚注 ==
<references />
{{Aimai}}
{{デフォルトソート:えいとまん}}
[[Category:同名の作品]] | 2023-10-21T06:31:54Z | 2023-11-27T04:10:59Z | true | false | false | [
"Template:歌ネット",
"Template:Aimai",
"Template:仮リンク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF) |
4,844,623 | 群来太郎丼 | 群来太郎丼(くきたろうどん)は、日本の丼料理。2015年(平成27年)に北海道小樽市で考案された。小樽産のニシンを3枚におとし、衣をつけて揚げて、醤油味のタレで甘辛く煮絡め、飯に載せた料理で、小樽市のB級グルメとして、北海道内外の催事でも人気を博している。
小樽はかつてニシン漁で栄えた町であり、種苗放流事業や漁業規制によって、2010年頃から石狩湾沿岸にニシンが戻って来るようになった。ニシンの産卵時に海面がニシンの放精で白く染まる「群来(くき)」も毎年のように見られるようになった。
そこで、小樽で再び獲れるようになったニシンを皆に食べてもらえるようにと、2015年1月に、小樽市祝津のニシン漁師の妻2人が考案した料理が、群来太郎丼である。ニシンの苦手な人や子供にも食べてほしいとの考えから、ニシンの小骨を衣の食感で目立たなくさせ、食べやすくするように工夫が為されている。
名称は、札幌在住の漫画家の田島ハルが、祝津の魅力の発信を目的とする特定非営利活動法人「おたる祝津たなげ会」から、地元のイベント開催に際してニシンのキャラクターの製作の依頼を受けて、2013年に製作したキャラクター「群来太郎」に由来している。
同2015年に、後述する「おたる祝津にしん群来祭り」「しりべしローカルフードチャレンジ」で、群来太郎丼が好評を博したことから、これを地元の新たな名物するとの声が高まった。2016年(平成28年)に、漁業者、加工製造業者、飲食・宿泊業者らの連携により、小樽産ニシンの消費拡大を目的とした普及団体「小樽群来太郎丼普及活動実行委員会」が発足され、祝津の民宿青塚食堂やホテルノイシュロス小樽など、小樽市内の飲食店9店が提供が始められた。
小樽市でニシン文化を伝えることを目的としたイベント「おたる祝津にしん群来祭り」では、2015年開催の第7回で群来太郎丼が初めて提供され、限定300食が2時間ほどで完売した。同2015年10月に小樽商工会議所が、後志管内の食材を使った食の祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」を小樽市内で開催した際には、小樽市内の3社が群来太郎丼を共同出品し、悪天候にもかかわらず1120食が販売され、最高賞のグランプリに選ばれた。2023年1月(令和5年)には小樽市内の15小中学校の給食で提供され、好評を博した。
小樽市外では、2017年2月、北海道岩見沢市で日本商工会議所青年部全国大会の懇親会が開催され。北海道道内約20種類のご当地料理が並ぶ中で、小樽商工会議所青年部の群来太郎丼の屋台には行列ができ、500食が40分で無くなった。北海道外では、2015年12月に東京の西武池袋本店での「小樽と札幌のご馳走祭」で、先着100人限定で群来太郎丼が無料配布された。関西に約80店を展開するスーパー・阪急オアシスが2016年10月に全店舗で3日間行った北海道フェアで、計800食が完売した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "群来太郎丼(くきたろうどん)は、日本の丼料理。2015年(平成27年)に北海道小樽市で考案された。小樽産のニシンを3枚におとし、衣をつけて揚げて、醤油味のタレで甘辛く煮絡め、飯に載せた料理で、小樽市のB級グルメとして、北海道内外の催事でも人気を博している。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "小樽はかつてニシン漁で栄えた町であり、種苗放流事業や漁業規制によって、2010年頃から石狩湾沿岸にニシンが戻って来るようになった。ニシンの産卵時に海面がニシンの放精で白く染まる「群来(くき)」も毎年のように見られるようになった。",
"title": "開発の経緯"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "そこで、小樽で再び獲れるようになったニシンを皆に食べてもらえるようにと、2015年1月に、小樽市祝津のニシン漁師の妻2人が考案した料理が、群来太郎丼である。ニシンの苦手な人や子供にも食べてほしいとの考えから、ニシンの小骨を衣の食感で目立たなくさせ、食べやすくするように工夫が為されている。",
"title": "開発の経緯"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "名称は、札幌在住の漫画家の田島ハルが、祝津の魅力の発信を目的とする特定非営利活動法人「おたる祝津たなげ会」から、地元のイベント開催に際してニシンのキャラクターの製作の依頼を受けて、2013年に製作したキャラクター「群来太郎」に由来している。",
"title": "開発の経緯"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "同2015年に、後述する「おたる祝津にしん群来祭り」「しりべしローカルフードチャレンジ」で、群来太郎丼が好評を博したことから、これを地元の新たな名物するとの声が高まった。2016年(平成28年)に、漁業者、加工製造業者、飲食・宿泊業者らの連携により、小樽産ニシンの消費拡大を目的とした普及団体「小樽群来太郎丼普及活動実行委員会」が発足され、祝津の民宿青塚食堂やホテルノイシュロス小樽など、小樽市内の飲食店9店が提供が始められた。",
"title": "開発の経緯"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "小樽市でニシン文化を伝えることを目的としたイベント「おたる祝津にしん群来祭り」では、2015年開催の第7回で群来太郎丼が初めて提供され、限定300食が2時間ほどで完売した。同2015年10月に小樽商工会議所が、後志管内の食材を使った食の祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」を小樽市内で開催した際には、小樽市内の3社が群来太郎丼を共同出品し、悪天候にもかかわらず1120食が販売され、最高賞のグランプリに選ばれた。2023年1月(令和5年)には小樽市内の15小中学校の給食で提供され、好評を博した。",
"title": "反響"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "小樽市外では、2017年2月、北海道岩見沢市で日本商工会議所青年部全国大会の懇親会が開催され。北海道道内約20種類のご当地料理が並ぶ中で、小樽商工会議所青年部の群来太郎丼の屋台には行列ができ、500食が40分で無くなった。北海道外では、2015年12月に東京の西武池袋本店での「小樽と札幌のご馳走祭」で、先着100人限定で群来太郎丼が無料配布された。関西に約80店を展開するスーパー・阪急オアシスが2016年10月に全店舗で3日間行った北海道フェアで、計800食が完売した。",
"title": "反響"
}
] | 群来太郎丼(くきたろうどん)は、日本の丼料理。2015年(平成27年)に北海道小樽市で考案された。小樽産のニシンを3枚におとし、衣をつけて揚げて、醤油味のタレで甘辛く煮絡め、飯に載せた料理で、小樽市のB級グルメとして、北海道内外の催事でも人気を博している。 | {{Infobox prepared food
|name=群来太郎丼
|enname=
|image={{画像募集中|cat=小樽市}}
|caption=
|alternate_name=小樽群来太郎丼{{R|広報おたる20220701_p14}}
|country={{JPN}}
|region=[[北海道]][[小樽市]]
|national_cuisine=[[日本料理]]
|creator=
|year=[[2015年]]
|type=[[丼物]]
|course=
|main_ingredient=[[ニシン]]、[[飯]]
|minor_ingredient=
}}
'''群来太郎丼'''(くきたろうどん)は、[[日本]]の[[丼物|丼料理]]。[[2015年]](平成27年)に[[北海道]][[小樽市]]で考案された。小樽産の[[ニシン]]を3枚におろし、衣をつけて揚げて、[[醤油]]味の[[タレ]]で甘辛く煮絡め、[[飯]]に載せた料理で{{R|広報おたる20220701_p14}}、小樽市の[[B級グルメ]]として、北海道内外の催事でも人気を博している{{R|道新20170318e_p1}}。
== 開発の経緯 ==
小樽はかつてニシン漁で栄えた町である。昭和中期以降は漁獲高が激減したものの、種苗放流事業や漁業規制によって、2010年頃から石狩湾沿岸にニシンが戻って来るようになった{{R|北海道ファンマガジン2019015}}。ニシンの産卵時に海面がニシンの放精で白く染まる「群来(くき)」も毎年のように見られるようになった{{R|北海道ファンマガジン2019015}}。
そこで、小樽で再び獲れるようになったニシンを皆に食べてもらえるようにと、2015年1月に、小樽市祝津のニシン漁師の妻2人が考案した料理が、群来太郎丼である{{R|北海道ファンマガジン2019015|道新20160326m_p28}}。ニシンの苦手な人や子供にも食べてほしいとの考えから、ニシンの小骨を衣の食感で目立たなくさせ、食べやすくするように工夫が為されている{{R|広報おたる20220701_p14}}。
名称は、札幌在住の漫画家の田島ハルが、祝津の魅力の発信を目的とする特定非営利活動法人「おたる祝津たなげ会」から、地元のイベント開催に際してニシンのキャラクターの製作の依頼を受けて、2013年に製作したキャラクター「群来太郎」に由来している{{R|北海道ファンマガジン2019015}}。
同2015年に、後述する「おたる祝津にしん群来祭り」「しりべしローカルフードチャレンジ」で、群来太郎丼が好評を博したことから、これを地元の新たな名物するとの声が高まった{{R|おたる祝津たなげ会_群来太郎丼}}。2016年(平成28年)に{{R|道新20170318e_p1}}、漁業者、加工製造業者、飲食・宿泊業者らの連携により{{R|おたる祝津たなげ会_群来太郎丼}}、小樽産ニシンの消費拡大を目的とした普及団体「小樽群来太郎丼普及活動実行委員会」が発足され{{R|道新20170318e_p1}}、祝津の[[民宿青塚食堂]]や[[ホテルノイシュロス小樽]]など{{R|道新20160326m_p28}}、小樽市内の飲食店9店が提供が始められた{{R|道新20170318e_p1}}。
== 反響 ==
小樽市でニシン文化を伝えることを目的としたイベント「おたる祝津にしん群来祭り」では、2015年開催の第7回で群来太郎丼が初めて提供され、限定300食が2時間ほどで完売した{{R|道新20150607m_p26}}。同2015年10月に小樽商工会議所が、後志管内の食材を使った食の祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」を小樽市内で開催した際には、小樽市内の3社が群来太郎丼を共同出品し{{R|道新20160205e_p9}}、悪天候にもかかわらず1120食が販売され{{R|おたる祝津たなげ会_群来太郎丼}}、最高賞のグランプリに選ばれた{{R|道新20160205e_p9}}。2023年1月(令和5年)には小樽市内の15小中学校の給食で提供され、好評を博した{{R|道新20230128m_p15}}。
小樽市外では、2017年2月、北海道岩見沢市で日本商工会議所青年部全国大会の懇親会が開催され。北海道道内約20種類のご当地料理が並ぶ中で、小樽商工会議所青年部の群来太郎丼の屋台には行列ができ、500食が40分で無くなった{{R|道新20170318e_p1}}。北海道外では、2015年12月に東京の西武池袋本店での「小樽と札幌のご馳走祭」で、先着100人限定で群来太郎丼が無料配布された{{R|池袋経済新聞20151225}}。関西に約80店を展開するスーパー・[[阪急オアシス]]が2016年10月に全店舗で3日間行った北海道フェアで、計800食が完売した{{R|道新20170318e_p1}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="広報おたる20220701_p14">{{Cite journal|和書|date=2022-7-1|title=見つけた! 小樽!|journal=広報おたる|issue=887|page=14|publisher=[[小樽市役所]]|id={{全国書誌番号|00028750}}|url=https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2022062100021/file_contents/otaru2022-07-01.pdf |format=PDF|accessdate=2023-10-21}}</ref>
<ref name="道新20150607m_p26">{{Cite news|和書|title=恵みに感謝しガブリ 熱々ニシン「おいしい」小樽で群来祭り|newspaper=北海道新聞|edition=央広朝刊|date=2015-6-7|author=石井慧|page=26}}</ref>
<ref name="道新20160205e_p9">{{Cite news|和書|title=「群来太郎丼」出品3社に最高賞 しりべしローカルフードチャレンジ 小樽の複数店で提供へ 事業の拡大を評価|newspaper=北海道新聞|edition=夕後夕刊|date=2016-2-5|author=市村信子|page=9}}</ref>
<ref name="道新20160326m_p28">{{Cite news|和書|title=ニシン消費群来太郎丼で 小樽の有志が実行委設立|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2016-3-26|author=志村直|page=28}}</ref>
<ref name="道新20170318e_p1">{{Cite news|和書|title=小樽のニシンを唐揚げに 群来太郎丼 人気到来 資源回復 新名物生む|newspaper=北海道新聞|edition=全道夕刊|date=2017-3-18|author=市村信子|page=1}}</ref>
<ref name="道新20230128m_p15">{{Cite news|和書|title=「群来太郎丼」しっとりおいしい 市内全小中学校で提供|newspaper=北海道新聞|edition=樽B朝刊|date=2023-1-28|author=矢野伶奈|page=15}}</ref>
<ref name="おたる祝津たなげ会_群来太郎丼">{{Cite web|url=https://tanage.jp/kukitaro/ |title=小樽群来太郎丼|accessdate=2023-10-21|publisher=おたる祝津たなげ会}}</ref>
<ref name="池袋経済新聞20151225">{{Cite web|url=https://ikebukuro.keizai.biz/headline/1422/ |title=池袋で「小樽と札幌のご馳走祭」おせち食材やにぎりずしなども|accessdate=2023-10-21|date=2015-12-25|website=池袋経済新聞|publisher=[[みんなの経済新聞ネットワーク]]}}</ref>
<ref name="北海道ファンマガジン2019015">{{Cite web|url=https://hokkaidofan.com/kukitarou/ |title=小樽のB級グルメ新勢力「群来太郎丼(くきたろうどん)」をご存知?|accessdate=2023-10-21|author=石簾マサ|date=2019-1-15|website=[[北海道ファンマガジン]]|publisher=PLUS}}</ref>
}}
{{DEFAULTSORT:くきたろうとん}}
[[Category:丼物]]
[[Category:ニシン料理]]
[[Category:北海道の食文化]]
[[Category:小樽市の文化]] | 2023-10-21T06:32:40Z | 2023-10-26T13:38:34Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Infobox prepared food",
"Template:R"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E6%9D%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E%E4%B8%BC |
4,844,624 | 術中覚醒 | 術中覚醒(じゅつちゅうかくせい、英: intraoperative awareness)は、全身麻酔中のまれな合併症であり、手術中に患者の意識がさまざまなレベルにまで戻ってしまうことを指す。他に麻酔中覚醒(awareness under anesthesia)または全身麻酔中の偶発的覚醒(accidental awareness during general anesthesia:AAGA)とも呼ばれる。長期的な記憶として残らない術中覚醒も起こりうるが、被害者が手術に関連した出来事を覚えている(明示的想起(英語版)を伴う術中覚醒)こともある。これは術中覚醒記憶とも呼ばれる。麻酔・集中治療領域における「意識」の問題は、かつては覚醒遅延、すなわち麻酔や鎮静から中々覚めないことであったが、麻酔薬の改良やモニタリングの進歩などに伴い、覚醒遅延の問題が減少すると共に逆に新たに問題となり始めた合併症である。
術中覚醒記憶は、壊滅的な心理的影響をもたらす可能性のあるまれな病態である。手術中に目が覚めてしまうことはないか?というのは、患者が良く口にする不安の1つである。メディアではよく知られるようになったが、調査によると、発生率は0.1~0.2%にすぎない。患者は、漠然とした夢のような状態から、完全に覚醒し、固定され、手術による痛みを伴う状態まで、さまざまな経験を報告する。術中覚醒は通常、患者が必要とする量に対して麻酔薬が不十分であったために起こる。危険因子としては、麻酔薬(例:神経筋遮断薬の使用、全静脈麻酔、技術的/機械的エラー)、手術(例:心臓手術、外傷/緊急手術、帝王切開)、または患者に関連したもの(例:心血管系予備能の低下、薬物乱用歴、術中覚醒既往)がある。
現在のところ、麻酔下の意識と記憶のメカニズムは、多くの仮説があるものの、不明である。しかし、バイスペクトラルインデックス(BIS)や呼気終末麻酔ガス濃度(end-tidal anesthetic concentration)による麻酔深度の術中モニタリングは、術中覚醒の発生を抑えるのに役立つ。また、高リスク患者に対しては、ベンゾジアゼピン系薬剤による前投薬、完全な筋弛緩状態の回避、患者の期待する鎮静度の調節など、多くの予防法が考えられている。診断は、術後に潜在的な覚醒エピソードについて患者に尋ねることによって行われ、修正Brice質問票を用いるのが有用である。術中覚醒記憶の一般的だが壊滅的な合併症は、手術中に経験した出来事から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症することである。術中覚醒記憶後のPTSDの予防と治療には、迅速な診断とカウンセリングおよび精神科治療への紹介が重要である。
術中覚醒はさまざまな徴候や症状を呈する。患者の大部分は漠然とした夢のような体験を報告するが、一方で以下のような術中特有の出来事を報告する患者もいる。
術中覚醒の可能性がある術中徴候には以下のものがある。
全身麻酔の一環として筋弛緩剤の一種である神経筋遮断薬が投与された場合、麻酔中の患者は麻痺状態に陥る。意識消失を伴わずに単に麻痺している場合、神経筋遮断薬が切れるまで、患者は苦痛を伝えたり、手術室のスタッフに意識があることを知らせたりすることができない。つまり、医療従事者が、手術後、術中覚醒の症状に気づくのが遅れることがある。あるレビューによると、手術直後に術中覚醒を報告できた患者は全体の約35%にすぎず、残りの患者は数週間から数ヵ月後までその体験を覚えている。術中覚醒の体験の程度によるが、患者は術後に軽度の不安から心的外傷後ストレス障害(PTSD)までさまざまな心理的問題を抱える可能性がある。PTSDは、再発性の不安、いらいら、フラッシュバックや悪夢、トラウマに関連した誘因の回避、睡眠障害などを特徴とする。
最大の危険因子は、スキサメトニウムや非脱分極性神経筋遮断薬(筋弛緩薬)などの運動麻痺を誘発する薬剤の使用である。全身麻酔では、気管挿管や術野の展開を容易にするために、患者の筋肉を麻痺させることがある(腹部や胸部の手術は、十分な筋弛緩がなければ行えない)。この間、患者は自分で呼吸できないため、機械換気を行わなければならない。麻痺剤によって意識がなくなったり、痛みを感じなくなったりすることはないが、呼吸ができなくなるため、気道(気管)を保護し、肺を換気して血液の酸素化と二酸化炭素の除去を十分に行わなければならない。
完全に麻痺した患者は、動くことも、話すことも、まばたきをすることも、痛みに反応することもできない。神経筋遮断薬が使用された場合、骨格筋の麻痺は起こるが、心筋や平滑筋、自律神経系の機能は阻害されないため、心拍数、血圧、腸の蠕動運動、発汗、流涙は影響を受けない。麻酔中に使用される他の薬剤がこれらを遮断または鈍麻させる可能性があるため、患者は苦痛のシグナルを発することができず、臨床医による注意深い観察(ビジランス)によって検出できると期待される術中覚醒の徴候を示さないことがある。
多くの種類の手術では、必ずしも患者を麻痺させる必要はない。麻酔はかかっているが麻痺はしていない患者でも、鎮痛が不十分であれば、痛みを伴う刺激に反応して動くことがある。これは、麻酔深度が不十分であるという警告サインとなる。全身麻酔下での身体の動きは、完全に意識があることを意味するものではないが、麻酔が浅いことを示すサインである。神経筋遮断薬を使用しなくても、動きがないからといって手術中の出来事を覚えていないとは限らない。
帝王切開のような特定の手術や、循環血液量減少(hypovolemia)(英語版)の患者や心予備能(英語版)の少ない患者の場合、麻酔科医は「軽い麻酔」を提供することを目標とすることがあり、患者に警告するために前もって患者と話し合う必要がある。このような状況では、麻酔の深さの判断が正確でないため、意識や記憶が戻ることがある。麻酔科医は、患者を安全で安定した状態に保つ必要性と、術中覚醒を防ぐ目的とを天秤にかけなければならない。時には、患者の生命を守るために、麻酔を軽くする必要があるのである。「軽い」麻酔とは、静脈内投与や吸入による薬剤の量を少なくすることで、心血管系の抑制(低血圧)は少なくなるが、麻酔を受けた患者の「意識」が出やすくなる。
ヒューマンエラーには、挿管を何度も試みること(この間、短時間作用型麻酔薬が切れても筋弛緩薬の効果だけは残る可能性がある)、食道挿管、薬剤投与量が不適切、誤った経路での薬剤投与や誤った薬剤投与、誤った順序での薬剤投与、不適切なモニタリング、患者の放置、人工呼吸器からの呼吸回路のはずれやねじれ、麻酔器の気化器(英語版)への揮発性麻酔薬の補充忘れなどがある。その他の原因としては、全静脈麻酔法などの麻酔法への不慣れ、経験不足などがある。ほとんどの症例は、経験不足と麻酔手技の稚拙さによるもので、上記のどれかに当てはまるが、「通常の」診療の枠を逸脱した手技も含まれる。アメリカ麻酔科学会(American Society of Anesthesiologists: ASA)(英語版)は2007年に、麻酔の専門家と病院がこれらのリスクを最小限に抑えるためにとるべきステップを概説した診療勧告を発表した。オーストラリア・ニュージーランド麻酔科協会(Australian and New Zealand College of Anaesthetists: ANZCA)(英語版)など、他の学会もこのガイドラインの独自版を発表している。術中覚醒の可能性を減らすために、麻酔科医は十分な訓練を受け、訓練中も監督されなければならない。麻酔深度をモニターする機器、例えばバイスペクトラルインデックスモニターは、単独で使用すべきではない。
現在の研究からは、術中覚醒の発生は、上記のリスクに加えて、手術室の麻酔関連医療従事者による非効果的な実践の組み合わせによるものであるとされる。主な失敗は以下の通りである。
機械の故障や誤用により、麻酔薬の患者への供給が不十分になることがある。病院にある多くの麻酔器は、亜酸化窒素カットオフの安全機能を有効にするために、酸素レギュレーターが亜酸化窒素レギュレーターの圧力のスレーブとして機能している(つまり、酸素供給が停止すると亜酸化窒素供給も停止する)。レギュレーターやチューブの漏れが原因で亜酸化窒素の供給が悪化すると、「不十分な」麻酔混合ガスが患者に供給され、術中覚醒を引き起こす可能性がある。その緊急用酸素フラッシュバルブには、酸素を呼吸回路に放出する機能があり、麻酔科医が設定した麻酔混合ガスに加えられると、術中覚醒を引き起こす可能性がある。また、気化器(または亜酸化窒素ボンベ)が空であったり、輸液ポンプが故障していたり、点滴チューブが外れていたりする場合にも起こることがある。
非常にまれな原因として、薬物耐性、または他の薬物との相互作用によって誘発される耐性がある。若齢、肥満、喫煙、特定の薬物(アルコール (薬物)(英語版)、オピオイド、アンフェタミン)の長期使用などの要因によって、意識を消失させるのに必要な麻酔薬の量が増えることがある。また、患者の麻酔薬からの覚醒反応の速さには、遺伝的な違いや、男女差もあり得る。また、生まれつき髪が赤い人は、麻酔薬の必要量が多い。手術前の不安が強いと、想起を防ぐために必要な麻酔薬の量が増える可能性がある。小児は8-10倍、術中覚醒のリスクが高い。
麻酔中の意識にはさまざまなレベルがある。完全覚醒と全身麻酔はその両極端である。処置時の鎮静・鎮痛(procedural sedation and analgesia: PSA)と監視下麻酔管理(monitored anesthesia care: MAC)は、患者の鎮静の度合いに応じて、鎮静の深さでは、覚醒と全身麻酔の中間程度の意識状態を目指すものである。監視下麻酔管理では、鎮静と鎮痛とともに局所麻酔の滴定投与を行う。この状況では、意識があったり覚醒していても必ずしも痛みや不快感を意味しない。PSAやMACの目的は、患者が医療者の指示に従う能力を維持しながら、安全で快適な麻酔を提供することである。生検や大腸内視鏡などの小さな処置のために鎮静を受ける患者もおり、眠っていると言われることもあるが、実際は全身麻酔とは異なり、ある程度の意識が持てる程度の鎮静を受けている。
状況によっては、患者が完全に意識を失うような全身麻酔は不要であったり、望ましくないこともある。例えば、帝王切開分娩の場合、母親が出産に参加できるように、脊髄幹麻酔で快適さを提供しつつ、意識を維持することが目標となる。その他の状況としては、低侵襲手術や純粋に診断目的の処置(したがって不快ではない)があるが、これらに限定されるものではない。
PSAやMACを受けた患者は、決して術中記憶がないわけではない。患者が処置を覚えているかどうかは、麻酔薬の種類、投与量、患者の生理機能、その他の要因によって異なる。MACを受けた患者の多くは、使用した麻酔薬の量にもよるが、深い健忘状態に陥ることがある。PSAやMACでは、処置中に完全に意識が無くなることや術中覚醒記憶が起こらないことは保証されないので、患者の誤解を防ぐために医療従事者はあらかじめ、この点を説明しておいた方が良い。
術中覚醒をより明確に理解し、患者をその体験から守るために、全身麻酔後に人が何を記憶できるかを検証する新たな研究が行われた。記憶とは、ひとつの単純な実体ではなく、多くの複雑な細部とネットワークからなるシステムである。
記憶は現在、大きく2つに分類されている。
顕在記憶(Explicit memory)(英語版)、または意識的記憶、これは、以前の経験を意識的に思い出すことを指す。例としては、先週末に何をしたかを思い出すことが挙げられる。麻酔をかけられた患者について言えば、医師は全身麻酔を受けた後、患者に麻酔中に何かはっきりした音や言葉を聞いたことを覚えているかどうか尋ねることがある。このような方法は、患者に手術中の記憶を思い出してもらうため、「想起テスト」と呼ばれる。
潜在記憶(Implicit memory)(英語版)または無意識的記憶とは、以前の経験によって生じる振る舞いや行動の変化のことであるが、その経験を意識的に思い出すことはない。この例としては、認識テストがあり、患者は手術後、手術中に聞き取れた単語がどれかを判断するよう求められる。次のシナリオはその一例である。患者は麻酔中に "pension "という単語を含む単語のリストにさらされた。術後、PEN__という3文字の語幹を提示し、その文字で始まる単語で最初に頭に浮かんだものを答えるよう求めたところ、「pencil」や「peninsula」などよりも「pension」という単語を答えることが多かった。
臨床的に大きな問題となるのは、顕在記憶を伴う術中覚醒であり、これは明示的想起(Recall )(英語版)を伴う術中覚醒と呼ばれることもあれば、術中覚醒記憶と呼ばれることもある。
現在では、術中覚醒の発生率を調べるために、術後に患者に正式に聞き取り調査を行う研究者もいる。麻酔科医が術後に患者を訪ね、患者が覚醒していなかったことを確認するのは良い習慣である。自分の体験に過度に心を乱されることがなかった患者のほとんどは、直接尋ねられない限り、必ずしも術中覚醒の事例を報告しない。患者によっては、手術を受けてから1~2週間経たないと、術中覚醒を体験したことを思い出さないこともある。また、術中の体験について記憶を呼び起こすために、より詳細な問診を必要とする患者もいるが、これは心的外傷のないケースに限られることもわかった。一部の研究者は、術中覚醒は小手術ではあまり起こらないが、より大きな手術ではより頻繁に起こる可能性があり、その可能性が高い症例では、術中覚醒の可能性を警告することが良い方法であるとしている。
"Isolated Forearm Technique (IFT)"とは、前腕を意識的に動かすことができるように、筋弛緩剤を投与する前に患者の上腕に駆血帯を装着するものである。この手技は、意識をモニターする他の手段を評価する際の標準的な方法と考えられている。この方法で、113人の患者に対して全身麻酔導入2-5分後に意識があるかどうかを調べたところ、4割以上に意識があったことが判明しているものの、手術後は誰もそのことに関する記憶をもっていなかった。つまり、術中に仮に起きていたとしても大半の患者は忘れているのである。
術中覚醒のリスクは、必要な場合を除き、筋弛緩薬の使用を避けること、薬剤、投与量、器具を注意深くチェックすること、十分なモニタリングを行うこと、症例中に注意深く警戒することで軽減される。
医療スタッフは、患者が意識を失っているかどうかわからないかもしれないので、意識のある患者に対するのと同様の適切な専門的行為を維持することが示唆されている。
ベンゾジアゼピンは健忘誘発作用があるために、想起を伴う術中覚醒を防ぐのに非常に有効であるが、ベンゾジアゼピンを投与したからと言って全体的に防げるものでも無い。亜酸化窒素にも逆向性健忘の誘発作用があり、長年重宝されてきたが、術中覚醒の発生率に影響を及ぼさないようである。
最近の技術の進歩により、意識のモニターが製造されるようになった。典型的には脳波をモニターし、大脳皮質の電気的活動を表すもので、覚醒時には活発に活動しているが、麻酔下(あるいは自然睡眠中)では活動が弱まる。モニターは通常、脳波信号を1つの数値に分解し、100が完全に覚醒している患者、ゼロが電気的無信号に対応する。全身麻酔の状態は通常60から40の間の数値で示される(これは使用する機器によって異なる)。現在、いくつかのモニターが市販されている。これらの新しい技術には、バイスペクトラルインデックス(BIS)、脳波エントロピーモニター(英語版)、聴性誘発電位(英語版)、SNAPモニターやNarcotrendモニターなどのシステムがある。
これらのシステムはどれも完璧ではない。たとえば、極端な年齢(新生児、乳児、超高齢者など)では信頼性が低い。第二に、亜酸化窒素のようなある種の薬剤は、麻酔深度モニターの値を低下させることなく麻酔をもたらすことがある。これは、これらの薬剤(NMDA受容体拮抗薬)の分子作用が他の全身麻酔薬とは異なり、皮質脳波活動をあまり抑制しないからである。第三に、他の生体電位(筋電図など)や外部電気信号(電気手術(electrosurgery)(英語版)など)からの干渉を受けやすい。つまり、すべての患者、すべての麻酔薬の麻酔深度を確実にモニターする技術はまだ存在しないのである。2016年のシステマティックレビューとメタ分析で、麻酔深度モニターが術中覚醒リスクに対する標準的な臨床モニタリングとしては、どれも効果が変わらないと結論づけられた理由の一端は、このためかもしれない。しかし、脳波のモニタリングは全静脈麻酔では有用であるエビデンスがある。吸入麻酔では患者呼気中の揮発性麻酔薬濃度をリアルタイムで測定することができ(呼気終末麻酔ガス濃度)、術中に何らかの理由で麻酔ガス濃度が低下した場合はアラームとして役立つ。よって、術中覚醒防止に有用とされる。
術中覚醒の発生率(英語版)はさまざまで、患者の0.2~0.4%が罹患しているようである。一般外科手術では0.2%、帝王切開術では約0.4%、心臓手術では1%から2%、外傷患者の麻酔では10%から40%である。大多数は痛みを感じていないが、気管チューブによる咽頭痛から切開部位の外傷性疼痛まで、約3分の1が様々な痛みを感じている。神経筋遮断薬を用いない場合、その発生率は半減する。
多くの "覚醒 "症例は解釈の余地があるため、引用された発生率には議論の余地がある。
筋弛緩薬、すなわち神経筋遮断薬を使用した場合、発生率はより高く、より重篤な後遺症が残る。これは、筋弛緩薬がないと患者が動いてしまうので、麻酔科医が麻酔を深くするからである。
ある研究によると、術中覚醒は患者の0.13%、つまり1000人に1人から2人の割合で起こるとされている。しかし、別の研究では、211,842人の患者のデータを検討した結果、発生率は0.0068%であり、よりまれな現象であると示唆されており、相反するデータがある。
1970年に考案者の名にちなんで命名されたBrice質問票は、他の形式の質問票よりも術中覚醒に関して優れた検出率が示されており、その検出率は0.1%で先行研究と一定している。2015年時点で改良版の修正Brice質問票の有用性に関しては、議論の余地はないとされている。この質問票は下記の6項目から成る。修正される前のBrice質問票は6項目目を含まない。
患者が術中覚醒を報告するのは手術直後とは限らず、およそ1ヶ月にまで及ぶことから、術中覚醒の見落としを防ぐ上では、この期間、面接の機会を設けるべきだが、現実的には全ての患者に対して、これを行うのは困難である。
手術中に術中覚醒が疑われた場合、アメリカ麻酔科学会のガイドラインはベンゾジアゼピンの即時投与を推奨しているが、確実性は低い。最も重要なことは、術中覚醒が疑われた時点で即座に麻酔を深くすることである。麻酔科医は術後に、患者に問診を行い、術中覚醒記憶の有無を確かめるべきである。診断が確定すれば、迅速かつ多職種による積極的なアプローチが標準治療であり、精神保健の専門家による適切な評価と治療はPTSD等の長期的な影響を軽減する上で重要である。
明確な想起を伴う完全な術中覚醒を経験した患者は、手術の激痛のために甚大なトラウマを負った可能性がある。患者によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)を経験し、悪夢、夜驚症、フラッシュバック、不眠症、などの後遺症が長く続き、場合によっては自殺もあり得る。また、被害者は医療を受けたがらなくなるが、これも本人の不利益に繋がる。
2002年にスウェーデンで行われた研究では、以前に術中覚醒と診断された患者18人を約2年間追跡調査した。面接を受けた9人の患者のうち4人は、精神医学的/心理学的後遺症のために依然として重度の障害者であった。これらの患者は全員、意識のある状態で不安を経験したが、痛みを感じたと述べたのは1人だけであった。別の3人の患者は、日常生活には支障がないものの、それほど重度ではなく、一過性の精神症状であった。2人の患者は、術中覚醒のエピソードによる永続的な影響は何も無かったと述べた。
脳神経外科手術においては、切除する病変が脳の言語野など重要な機能的部位に近接している場合は、切除範囲を決定するために術中に患者の意識がある方が望ましい場合がある。そのために、意図的に手術中に患者を全身麻酔から覚醒させる一方、局所浸潤麻酔や神経ブロックで鎮痛は維持して患者の言語応答などを確認しながら手術を進めることがある。これを覚醒下開頭術(Awake Craniotomy)と呼ぶが、これは言わば、あらかじめ計画された術中覚醒であり、合併症ではない。
以下に示すとおり、いくつかの映画等で題材とされている。
アメリカ麻酔科学会のClosed Claim Analysis(麻酔関連の医療訴訟の検討)では、1961年から1995年までに術中覚醒記憶の訴えが79例あったとされる。補償額の中央値は18000ドルであった。イギリスでは多額の賠償額支払いが認められた一方、フィンランドでは低かった。アメリカのキャロル・ウェイラー(英語版)氏は1998年に眼球摘出術を受けた際に術中覚醒記憶を経験した。当初は彼女の訴えは病院から相手にされなかったものの、彼女は積極的に社会活動を行い、ASAで講演するなど、術中覚醒の啓発に努めている。
日本では、2007年に強力な鎮痛作用をもつレミフェンタニルが発売されたあと、麻酔維持に必要とする鎮静薬の必要量が大幅に低下することから、術中覚醒記憶が増加することが懸念され、2008年にアンケートが行われた。麻酔科医172名から回答が得られ、疑い例まで含めて術中覚醒記憶の頻度は0.02%であった。2007年から2008年にかけては、術中覚醒記憶を題材とした映画「アウェイク」がアメリカで放映され、これを受けてアメリカ麻酔学会(ASA)は術中覚醒防止のキャンペーンを行った。日本でも2008年の日本臨床麻酔学会の学術集会では参加者(大半が麻酔科医)を対象として映画「アウェイク」の国内先行放映が行われた(日本での一般放映は2011年)。日本においては、訴訟への発展は2009年の時点で確認されておらず、2023年11月時点での裁判例検索でも見いだされない。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒(じゅつちゅうかくせい、英: intraoperative awareness)は、全身麻酔中のまれな合併症であり、手術中に患者の意識がさまざまなレベルにまで戻ってしまうことを指す。他に麻酔中覚醒(awareness under anesthesia)または全身麻酔中の偶発的覚醒(accidental awareness during general anesthesia:AAGA)とも呼ばれる。長期的な記憶として残らない術中覚醒も起こりうるが、被害者が手術に関連した出来事を覚えている(明示的想起(英語版)を伴う術中覚醒)こともある。これは術中覚醒記憶とも呼ばれる。麻酔・集中治療領域における「意識」の問題は、かつては覚醒遅延、すなわち麻酔や鎮静から中々覚めないことであったが、麻酔薬の改良やモニタリングの進歩などに伴い、覚醒遅延の問題が減少すると共に逆に新たに問題となり始めた合併症である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒記憶は、壊滅的な心理的影響をもたらす可能性のあるまれな病態である。手術中に目が覚めてしまうことはないか?というのは、患者が良く口にする不安の1つである。メディアではよく知られるようになったが、調査によると、発生率は0.1~0.2%にすぎない。患者は、漠然とした夢のような状態から、完全に覚醒し、固定され、手術による痛みを伴う状態まで、さまざまな経験を報告する。術中覚醒は通常、患者が必要とする量に対して麻酔薬が不十分であったために起こる。危険因子としては、麻酔薬(例:神経筋遮断薬の使用、全静脈麻酔、技術的/機械的エラー)、手術(例:心臓手術、外傷/緊急手術、帝王切開)、または患者に関連したもの(例:心血管系予備能の低下、薬物乱用歴、術中覚醒既往)がある。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "現在のところ、麻酔下の意識と記憶のメカニズムは、多くの仮説があるものの、不明である。しかし、バイスペクトラルインデックス(BIS)や呼気終末麻酔ガス濃度(end-tidal anesthetic concentration)による麻酔深度の術中モニタリングは、術中覚醒の発生を抑えるのに役立つ。また、高リスク患者に対しては、ベンゾジアゼピン系薬剤による前投薬、完全な筋弛緩状態の回避、患者の期待する鎮静度の調節など、多くの予防法が考えられている。診断は、術後に潜在的な覚醒エピソードについて患者に尋ねることによって行われ、修正Brice質問票を用いるのが有用である。術中覚醒記憶の一般的だが壊滅的な合併症は、手術中に経験した出来事から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症することである。術中覚醒記憶後のPTSDの予防と治療には、迅速な診断とカウンセリングおよび精神科治療への紹介が重要である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒はさまざまな徴候や症状を呈する。患者の大部分は漠然とした夢のような体験を報告するが、一方で以下のような術中特有の出来事を報告する患者もいる。",
"title": "徴候と症状"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒の可能性がある術中徴候には以下のものがある。",
"title": "徴候と症状"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "全身麻酔の一環として筋弛緩剤の一種である神経筋遮断薬が投与された場合、麻酔中の患者は麻痺状態に陥る。意識消失を伴わずに単に麻痺している場合、神経筋遮断薬が切れるまで、患者は苦痛を伝えたり、手術室のスタッフに意識があることを知らせたりすることができない。つまり、医療従事者が、手術後、術中覚醒の症状に気づくのが遅れることがある。あるレビューによると、手術直後に術中覚醒を報告できた患者は全体の約35%にすぎず、残りの患者は数週間から数ヵ月後までその体験を覚えている。術中覚醒の体験の程度によるが、患者は術後に軽度の不安から心的外傷後ストレス障害(PTSD)までさまざまな心理的問題を抱える可能性がある。PTSDは、再発性の不安、いらいら、フラッシュバックや悪夢、トラウマに関連した誘因の回避、睡眠障害などを特徴とする。",
"title": "徴候と症状"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "最大の危険因子は、スキサメトニウムや非脱分極性神経筋遮断薬(筋弛緩薬)などの運動麻痺を誘発する薬剤の使用である。全身麻酔では、気管挿管や術野の展開を容易にするために、患者の筋肉を麻痺させることがある(腹部や胸部の手術は、十分な筋弛緩がなければ行えない)。この間、患者は自分で呼吸できないため、機械換気を行わなければならない。麻痺剤によって意識がなくなったり、痛みを感じなくなったりすることはないが、呼吸ができなくなるため、気道(気管)を保護し、肺を換気して血液の酸素化と二酸化炭素の除去を十分に行わなければならない。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "完全に麻痺した患者は、動くことも、話すことも、まばたきをすることも、痛みに反応することもできない。神経筋遮断薬が使用された場合、骨格筋の麻痺は起こるが、心筋や平滑筋、自律神経系の機能は阻害されないため、心拍数、血圧、腸の蠕動運動、発汗、流涙は影響を受けない。麻酔中に使用される他の薬剤がこれらを遮断または鈍麻させる可能性があるため、患者は苦痛のシグナルを発することができず、臨床医による注意深い観察(ビジランス)によって検出できると期待される術中覚醒の徴候を示さないことがある。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "多くの種類の手術では、必ずしも患者を麻痺させる必要はない。麻酔はかかっているが麻痺はしていない患者でも、鎮痛が不十分であれば、痛みを伴う刺激に反応して動くことがある。これは、麻酔深度が不十分であるという警告サインとなる。全身麻酔下での身体の動きは、完全に意識があることを意味するものではないが、麻酔が浅いことを示すサインである。神経筋遮断薬を使用しなくても、動きがないからといって手術中の出来事を覚えていないとは限らない。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "帝王切開のような特定の手術や、循環血液量減少(hypovolemia)(英語版)の患者や心予備能(英語版)の少ない患者の場合、麻酔科医は「軽い麻酔」を提供することを目標とすることがあり、患者に警告するために前もって患者と話し合う必要がある。このような状況では、麻酔の深さの判断が正確でないため、意識や記憶が戻ることがある。麻酔科医は、患者を安全で安定した状態に保つ必要性と、術中覚醒を防ぐ目的とを天秤にかけなければならない。時には、患者の生命を守るために、麻酔を軽くする必要があるのである。「軽い」麻酔とは、静脈内投与や吸入による薬剤の量を少なくすることで、心血管系の抑制(低血圧)は少なくなるが、麻酔を受けた患者の「意識」が出やすくなる。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "ヒューマンエラーには、挿管を何度も試みること(この間、短時間作用型麻酔薬が切れても筋弛緩薬の効果だけは残る可能性がある)、食道挿管、薬剤投与量が不適切、誤った経路での薬剤投与や誤った薬剤投与、誤った順序での薬剤投与、不適切なモニタリング、患者の放置、人工呼吸器からの呼吸回路のはずれやねじれ、麻酔器の気化器(英語版)への揮発性麻酔薬の補充忘れなどがある。その他の原因としては、全静脈麻酔法などの麻酔法への不慣れ、経験不足などがある。ほとんどの症例は、経験不足と麻酔手技の稚拙さによるもので、上記のどれかに当てはまるが、「通常の」診療の枠を逸脱した手技も含まれる。アメリカ麻酔科学会(American Society of Anesthesiologists: ASA)(英語版)は2007年に、麻酔の専門家と病院がこれらのリスクを最小限に抑えるためにとるべきステップを概説した診療勧告を発表した。オーストラリア・ニュージーランド麻酔科協会(Australian and New Zealand College of Anaesthetists: ANZCA)(英語版)など、他の学会もこのガイドラインの独自版を発表している。術中覚醒の可能性を減らすために、麻酔科医は十分な訓練を受け、訓練中も監督されなければならない。麻酔深度をモニターする機器、例えばバイスペクトラルインデックスモニターは、単独で使用すべきではない。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "現在の研究からは、術中覚醒の発生は、上記のリスクに加えて、手術室の麻酔関連医療従事者による非効果的な実践の組み合わせによるものであるとされる。主な失敗は以下の通りである。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "機械の故障や誤用により、麻酔薬の患者への供給が不十分になることがある。病院にある多くの麻酔器は、亜酸化窒素カットオフの安全機能を有効にするために、酸素レギュレーターが亜酸化窒素レギュレーターの圧力のスレーブとして機能している(つまり、酸素供給が停止すると亜酸化窒素供給も停止する)。レギュレーターやチューブの漏れが原因で亜酸化窒素の供給が悪化すると、「不十分な」麻酔混合ガスが患者に供給され、術中覚醒を引き起こす可能性がある。その緊急用酸素フラッシュバルブには、酸素を呼吸回路に放出する機能があり、麻酔科医が設定した麻酔混合ガスに加えられると、術中覚醒を引き起こす可能性がある。また、気化器(または亜酸化窒素ボンベ)が空であったり、輸液ポンプが故障していたり、点滴チューブが外れていたりする場合にも起こることがある。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "非常にまれな原因として、薬物耐性、または他の薬物との相互作用によって誘発される耐性がある。若齢、肥満、喫煙、特定の薬物(アルコール (薬物)(英語版)、オピオイド、アンフェタミン)の長期使用などの要因によって、意識を消失させるのに必要な麻酔薬の量が増えることがある。また、患者の麻酔薬からの覚醒反応の速さには、遺伝的な違いや、男女差もあり得る。また、生まれつき髪が赤い人は、麻酔薬の必要量が多い。手術前の不安が強いと、想起を防ぐために必要な麻酔薬の量が増える可能性がある。小児は8-10倍、術中覚醒のリスクが高い。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "麻酔中の意識にはさまざまなレベルがある。完全覚醒と全身麻酔はその両極端である。処置時の鎮静・鎮痛(procedural sedation and analgesia: PSA)と監視下麻酔管理(monitored anesthesia care: MAC)は、患者の鎮静の度合いに応じて、鎮静の深さでは、覚醒と全身麻酔の中間程度の意識状態を目指すものである。監視下麻酔管理では、鎮静と鎮痛とともに局所麻酔の滴定投与を行う。この状況では、意識があったり覚醒していても必ずしも痛みや不快感を意味しない。PSAやMACの目的は、患者が医療者の指示に従う能力を維持しながら、安全で快適な麻酔を提供することである。生検や大腸内視鏡などの小さな処置のために鎮静を受ける患者もおり、眠っていると言われることもあるが、実際は全身麻酔とは異なり、ある程度の意識が持てる程度の鎮静を受けている。",
"title": "処置時の鎮静・鎮痛"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "状況によっては、患者が完全に意識を失うような全身麻酔は不要であったり、望ましくないこともある。例えば、帝王切開分娩の場合、母親が出産に参加できるように、脊髄幹麻酔で快適さを提供しつつ、意識を維持することが目標となる。その他の状況としては、低侵襲手術や純粋に診断目的の処置(したがって不快ではない)があるが、これらに限定されるものではない。",
"title": "処置時の鎮静・鎮痛"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "PSAやMACを受けた患者は、決して術中記憶がないわけではない。患者が処置を覚えているかどうかは、麻酔薬の種類、投与量、患者の生理機能、その他の要因によって異なる。MACを受けた患者の多くは、使用した麻酔薬の量にもよるが、深い健忘状態に陥ることがある。PSAやMACでは、処置中に完全に意識が無くなることや術中覚醒記憶が起こらないことは保証されないので、患者の誤解を防ぐために医療従事者はあらかじめ、この点を説明しておいた方が良い。",
"title": "処置時の鎮静・鎮痛"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒をより明確に理解し、患者をその体験から守るために、全身麻酔後に人が何を記憶できるかを検証する新たな研究が行われた。記憶とは、ひとつの単純な実体ではなく、多くの複雑な細部とネットワークからなるシステムである。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "記憶は現在、大きく2つに分類されている。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "顕在記憶(Explicit memory)(英語版)、または意識的記憶、これは、以前の経験を意識的に思い出すことを指す。例としては、先週末に何をしたかを思い出すことが挙げられる。麻酔をかけられた患者について言えば、医師は全身麻酔を受けた後、患者に麻酔中に何かはっきりした音や言葉を聞いたことを覚えているかどうか尋ねることがある。このような方法は、患者に手術中の記憶を思い出してもらうため、「想起テスト」と呼ばれる。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "潜在記憶(Implicit memory)(英語版)または無意識的記憶とは、以前の経験によって生じる振る舞いや行動の変化のことであるが、その経験を意識的に思い出すことはない。この例としては、認識テストがあり、患者は手術後、手術中に聞き取れた単語がどれかを判断するよう求められる。次のシナリオはその一例である。患者は麻酔中に \"pension \"という単語を含む単語のリストにさらされた。術後、PEN__という3文字の語幹を提示し、その文字で始まる単語で最初に頭に浮かんだものを答えるよう求めたところ、「pencil」や「peninsula」などよりも「pension」という単語を答えることが多かった。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "臨床的に大きな問題となるのは、顕在記憶を伴う術中覚醒であり、これは明示的想起(Recall )(英語版)を伴う術中覚醒と呼ばれることもあれば、術中覚醒記憶と呼ばれることもある。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "現在では、術中覚醒の発生率を調べるために、術後に患者に正式に聞き取り調査を行う研究者もいる。麻酔科医が術後に患者を訪ね、患者が覚醒していなかったことを確認するのは良い習慣である。自分の体験に過度に心を乱されることがなかった患者のほとんどは、直接尋ねられない限り、必ずしも術中覚醒の事例を報告しない。患者によっては、手術を受けてから1~2週間経たないと、術中覚醒を体験したことを思い出さないこともある。また、術中の体験について記憶を呼び起こすために、より詳細な問診を必要とする患者もいるが、これは心的外傷のないケースに限られることもわかった。一部の研究者は、術中覚醒は小手術ではあまり起こらないが、より大きな手術ではより頻繁に起こる可能性があり、その可能性が高い症例では、術中覚醒の可能性を警告することが良い方法であるとしている。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "\"Isolated Forearm Technique (IFT)\"とは、前腕を意識的に動かすことができるように、筋弛緩剤を投与する前に患者の上腕に駆血帯を装着するものである。この手技は、意識をモニターする他の手段を評価する際の標準的な方法と考えられている。この方法で、113人の患者に対して全身麻酔導入2-5分後に意識があるかどうかを調べたところ、4割以上に意識があったことが判明しているものの、手術後は誰もそのことに関する記憶をもっていなかった。つまり、術中に仮に起きていたとしても大半の患者は忘れているのである。",
"title": "記憶"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒のリスクは、必要な場合を除き、筋弛緩薬の使用を避けること、薬剤、投与量、器具を注意深くチェックすること、十分なモニタリングを行うこと、症例中に注意深く警戒することで軽減される。",
"title": "予防"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "医療スタッフは、患者が意識を失っているかどうかわからないかもしれないので、意識のある患者に対するのと同様の適切な専門的行為を維持することが示唆されている。",
"title": "予防"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "ベンゾジアゼピンは健忘誘発作用があるために、想起を伴う術中覚醒を防ぐのに非常に有効であるが、ベンゾジアゼピンを投与したからと言って全体的に防げるものでも無い。亜酸化窒素にも逆向性健忘の誘発作用があり、長年重宝されてきたが、術中覚醒の発生率に影響を及ぼさないようである。",
"title": "予防"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "最近の技術の進歩により、意識のモニターが製造されるようになった。典型的には脳波をモニターし、大脳皮質の電気的活動を表すもので、覚醒時には活発に活動しているが、麻酔下(あるいは自然睡眠中)では活動が弱まる。モニターは通常、脳波信号を1つの数値に分解し、100が完全に覚醒している患者、ゼロが電気的無信号に対応する。全身麻酔の状態は通常60から40の間の数値で示される(これは使用する機器によって異なる)。現在、いくつかのモニターが市販されている。これらの新しい技術には、バイスペクトラルインデックス(BIS)、脳波エントロピーモニター(英語版)、聴性誘発電位(英語版)、SNAPモニターやNarcotrendモニターなどのシステムがある。",
"title": "モニター"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "これらのシステムはどれも完璧ではない。たとえば、極端な年齢(新生児、乳児、超高齢者など)では信頼性が低い。第二に、亜酸化窒素のようなある種の薬剤は、麻酔深度モニターの値を低下させることなく麻酔をもたらすことがある。これは、これらの薬剤(NMDA受容体拮抗薬)の分子作用が他の全身麻酔薬とは異なり、皮質脳波活動をあまり抑制しないからである。第三に、他の生体電位(筋電図など)や外部電気信号(電気手術(electrosurgery)(英語版)など)からの干渉を受けやすい。つまり、すべての患者、すべての麻酔薬の麻酔深度を確実にモニターする技術はまだ存在しないのである。2016年のシステマティックレビューとメタ分析で、麻酔深度モニターが術中覚醒リスクに対する標準的な臨床モニタリングとしては、どれも効果が変わらないと結論づけられた理由の一端は、このためかもしれない。しかし、脳波のモニタリングは全静脈麻酔では有用であるエビデンスがある。吸入麻酔では患者呼気中の揮発性麻酔薬濃度をリアルタイムで測定することができ(呼気終末麻酔ガス濃度)、術中に何らかの理由で麻酔ガス濃度が低下した場合はアラームとして役立つ。よって、術中覚醒防止に有用とされる。",
"title": "モニター"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "術中覚醒の発生率(英語版)はさまざまで、患者の0.2~0.4%が罹患しているようである。一般外科手術では0.2%、帝王切開術では約0.4%、心臓手術では1%から2%、外傷患者の麻酔では10%から40%である。大多数は痛みを感じていないが、気管チューブによる咽頭痛から切開部位の外傷性疼痛まで、約3分の1が様々な痛みを感じている。神経筋遮断薬を用いない場合、その発生率は半減する。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "多くの \"覚醒 \"症例は解釈の余地があるため、引用された発生率には議論の余地がある。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "筋弛緩薬、すなわち神経筋遮断薬を使用した場合、発生率はより高く、より重篤な後遺症が残る。これは、筋弛緩薬がないと患者が動いてしまうので、麻酔科医が麻酔を深くするからである。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "ある研究によると、術中覚醒は患者の0.13%、つまり1000人に1人から2人の割合で起こるとされている。しかし、別の研究では、211,842人の患者のデータを検討した結果、発生率は0.0068%であり、よりまれな現象であると示唆されており、相反するデータがある。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "1970年に考案者の名にちなんで命名されたBrice質問票は、他の形式の質問票よりも術中覚醒に関して優れた検出率が示されており、その検出率は0.1%で先行研究と一定している。2015年時点で改良版の修正Brice質問票の有用性に関しては、議論の余地はないとされている。この質問票は下記の6項目から成る。修正される前のBrice質問票は6項目目を含まない。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "患者が術中覚醒を報告するのは手術直後とは限らず、およそ1ヶ月にまで及ぶことから、術中覚醒の見落としを防ぐ上では、この期間、面接の機会を設けるべきだが、現実的には全ての患者に対して、これを行うのは困難である。",
"title": "発生率"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "手術中に術中覚醒が疑われた場合、アメリカ麻酔科学会のガイドラインはベンゾジアゼピンの即時投与を推奨しているが、確実性は低い。最も重要なことは、術中覚醒が疑われた時点で即座に麻酔を深くすることである。麻酔科医は術後に、患者に問診を行い、術中覚醒記憶の有無を確かめるべきである。診断が確定すれば、迅速かつ多職種による積極的なアプローチが標準治療であり、精神保健の専門家による適切な評価と治療はPTSD等の長期的な影響を軽減する上で重要である。",
"title": "治療"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "明確な想起を伴う完全な術中覚醒を経験した患者は、手術の激痛のために甚大なトラウマを負った可能性がある。患者によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)を経験し、悪夢、夜驚症、フラッシュバック、不眠症、などの後遺症が長く続き、場合によっては自殺もあり得る。また、被害者は医療を受けたがらなくなるが、これも本人の不利益に繋がる。",
"title": "転帰"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2002年にスウェーデンで行われた研究では、以前に術中覚醒と診断された患者18人を約2年間追跡調査した。面接を受けた9人の患者のうち4人は、精神医学的/心理学的後遺症のために依然として重度の障害者であった。これらの患者は全員、意識のある状態で不安を経験したが、痛みを感じたと述べたのは1人だけであった。別の3人の患者は、日常生活には支障がないものの、それほど重度ではなく、一過性の精神症状であった。2人の患者は、術中覚醒のエピソードによる永続的な影響は何も無かったと述べた。",
"title": "転帰"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "脳神経外科手術においては、切除する病変が脳の言語野など重要な機能的部位に近接している場合は、切除範囲を決定するために術中に患者の意識がある方が望ましい場合がある。そのために、意図的に手術中に患者を全身麻酔から覚醒させる一方、局所浸潤麻酔や神経ブロックで鎮痛は維持して患者の言語応答などを確認しながら手術を進めることがある。これを覚醒下開頭術(Awake Craniotomy)と呼ぶが、これは言わば、あらかじめ計画された術中覚醒であり、合併症ではない。",
"title": "特殊な状況"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "以下に示すとおり、いくつかの映画等で題材とされている。",
"title": "社会と文化"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "アメリカ麻酔科学会のClosed Claim Analysis(麻酔関連の医療訴訟の検討)では、1961年から1995年までに術中覚醒記憶の訴えが79例あったとされる。補償額の中央値は18000ドルであった。イギリスでは多額の賠償額支払いが認められた一方、フィンランドでは低かった。アメリカのキャロル・ウェイラー(英語版)氏は1998年に眼球摘出術を受けた際に術中覚醒記憶を経験した。当初は彼女の訴えは病院から相手にされなかったものの、彼女は積極的に社会活動を行い、ASAで講演するなど、術中覚醒の啓発に努めている。",
"title": "社会と文化"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "日本では、2007年に強力な鎮痛作用をもつレミフェンタニルが発売されたあと、麻酔維持に必要とする鎮静薬の必要量が大幅に低下することから、術中覚醒記憶が増加することが懸念され、2008年にアンケートが行われた。麻酔科医172名から回答が得られ、疑い例まで含めて術中覚醒記憶の頻度は0.02%であった。2007年から2008年にかけては、術中覚醒記憶を題材とした映画「アウェイク」がアメリカで放映され、これを受けてアメリカ麻酔学会(ASA)は術中覚醒防止のキャンペーンを行った。日本でも2008年の日本臨床麻酔学会の学術集会では参加者(大半が麻酔科医)を対象として映画「アウェイク」の国内先行放映が行われた(日本での一般放映は2011年)。日本においては、訴訟への発展は2009年の時点で確認されておらず、2023年11月時点での裁判例検索でも見いだされない。",
"title": "社会と文化"
}
] | 術中覚醒は、全身麻酔中のまれな合併症であり、手術中に患者の意識がさまざまなレベルにまで戻ってしまうことを指す。他に麻酔中覚醒または全身麻酔中の偶発的覚醒とも呼ばれる。長期的な記憶として残らない術中覚醒も起こりうるが、被害者が手術に関連した出来事を覚えている(明示的想起を伴う術中覚醒)こともある。これは術中覚醒記憶とも呼ばれる。麻酔・集中治療領域における「意識」の問題は、かつては覚醒遅延、すなわち麻酔や鎮静から中々覚めないことであったが、麻酔薬の改良やモニタリングの進歩などに伴い、覚醒遅延の問題が減少すると共に逆に新たに問題となり始めた合併症である。 術中覚醒記憶は、壊滅的な心理的影響をもたらす可能性のあるまれな病態である。手術中に目が覚めてしまうことはないか?というのは、患者が良く口にする不安の1つである。メディアではよく知られるようになったが、調査によると、発生率は0.1~0.2%にすぎない。患者は、漠然とした夢のような状態から、完全に覚醒し、固定され、手術による痛みを伴う状態まで、さまざまな経験を報告する。術中覚醒は通常、患者が必要とする量に対して麻酔薬が不十分であったために起こる。危険因子としては、麻酔薬、手術、または患者に関連したものがある。 現在のところ、麻酔下の意識と記憶のメカニズムは、多くの仮説があるものの、不明である。しかし、バイスペクトラルインデックス(BIS)や呼気終末麻酔ガス濃度による麻酔深度の術中モニタリングは、術中覚醒の発生を抑えるのに役立つ。また、高リスク患者に対しては、ベンゾジアゼピン系薬剤による前投薬、完全な筋弛緩状態の回避、患者の期待する鎮静度の調節など、多くの予防法が考えられている。診断は、術後に潜在的な覚醒エピソードについて患者に尋ねることによって行われ、修正Brice質問票を用いるのが有用である。術中覚醒記憶の一般的だが壊滅的な合併症は、手術中に経験した出来事から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症することである。術中覚醒記憶後のPTSDの予防と治療には、迅速な診断とカウンセリングおよび精神科治療への紹介が重要である。 | [[ファイル:Модульная анестезиологическая система FLOW-i MAQUET.jpg|サムネイル|術中覚醒などの合併症を防ぐために用いられる、麻酔中の[[生体情報モニタ|モニター]]。]]
'''術中覚醒'''(じゅつちゅうかくせい、{{Lang-en-short|intraoperative awareness}})は、[[全身麻酔]]中のまれな合併症であり、手術中に患者の[[意識]]がさまざまなレベルにまで戻ってしまうことを指す。他に麻酔中覚醒(awareness under anesthesia)または全身麻酔中の偶発的覚醒(accidental awareness during general anesthesia:'''AAGA''')とも呼ばれる。長期的な記憶として残らない術中覚醒も起こりうるが、被害者が手術に関連した出来事を覚えている('''明示的{{仮リンク|想起 (医学)|en|Recall (memory)|redirect=1|label=想起}}を伴う術中覚醒''')こともある<ref name=":5">{{Cite journal | vauthors = Mashour GA, Avidan MS | title = Intraoperative awareness: controversies and non-controversies | journal = British Journal of Anaesthesia | volume = 115 | pages = i20–i26 | date = July 2015 | issue = Suppl 1 | pmid = 25735710 | doi = 10.1093/bja/aev034 | doi-access = free }}</ref>。これは'''術中覚醒記憶'''とも呼ばれる。[[麻酔科学|麻酔]]・[[集中治療医学|集中治療]]領域における「意識」の問題は、かつては[[覚醒遅延]]、すなわち麻酔や[[鎮静]]から中々覚めないことであったが、麻酔薬の改良や[[モニタリング (医学)|モニタリング]]の進歩などに伴い、覚醒遅延の問題が減少すると共に逆に新たに問題となり始めた合併症である{{Sfn|齋藤繁|2015|p=4}}。
{{Seealso|覚醒遅延}}
術中覚醒記憶は、壊滅的な心理的影響をもたらす可能性のあるまれな病態である<ref name=":5" /><ref name=":2">{{Cite journal | vauthors = Almeida D | title = Awake and unable to move: what can perioperative practitioners do to avoid accidental awareness under general anaesthesia? | journal = Journal of Perioperative Practice | volume = 25 | issue = 12 | pages = 257–61 | date = December 2015 | pmid = 26845787 | doi = 10.1177/175045891502501202 | s2cid = 2682608 }}</ref>。手術中に目が覚めてしまうことはないか?というのは、患者が良く口にする不安の1つである<ref name=":7" />。メディアではよく知られるようになったが、調査によると、発生率は0.1~0.2%にすぎない。患者は、漠然とした夢のような状態から、完全に覚醒し、固定され、手術による痛みを伴う状態まで、さまざまな経験を報告する。術中覚醒は通常、患者が必要とする量に対して麻酔薬が不十分であったために起こる。危険因子としては、麻酔薬(例:[[神経筋遮断薬]]の使用、[[全静脈麻酔]]<ref>{{Cite web |title=全静脈麻酔の長短|Web医事新報{{!}}日本医事新報社 |url=https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=4597 |website=www.jmedj.co.jp |access-date=2023-10-16}}</ref>、技術的/機械的エラー)、手術(例:[[心臓手術]]、外傷/緊急手術、[[帝王切開]])、または患者に関連したもの(例:心血管系予備能の低下、[[薬物乱用]]歴、術中覚醒既往)がある。
現在のところ、麻酔下の意識と[[記憶]]のメカニズムは、多くの仮説があるものの、不明である。しかし、[[バイスペクトラルインデックス]](BIS)や[[呼気終末麻酔ガス濃度]](end-tidal anesthetic concentration)による[[麻酔深度]]の術中モニタリングは、術中覚醒の発生を抑えるのに役立つ。また、高リスク患者に対しては、[[ベンゾジアゼピン系|ベンゾジアゼピン系薬剤]]による[[麻酔前投薬|前投薬]]、完全な[[筋弛緩|筋弛緩状態]]の回避、患者の期待する鎮静度の調節など、多くの予防法が考えられている。診断は、術後に潜在的な覚醒エピソードについて患者に尋ねることによって行われ、[[術中覚醒#発生率|修正Brice質問票]]を用いるのが有用である<ref name=":5" />。術中覚醒記憶の一般的だが壊滅的な合併症は、手術中に経験した出来事から[[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)を発症することである。術中覚醒記憶後のPTSDの予防と治療には、迅速な診断と[[カウンセリング]]および[[精神科の治療|精神科治療]]への紹介が重要である<ref name=":0" />。
==徴候と症状==
[[ファイル:Kasole Castro demonstrates how to perform an oral tracheal intubation on a Congolese Light Infantry Battalion medic 100506-F-FW561-089.jpg|サムネイル|[[野戦病院]]で行われる[[気管挿管]]。苦痛が大きいため、通常は[[全身麻酔]]下で行われる。]]
術中覚醒はさまざまな[[症状と徴候|徴候や症状]]を呈する。患者の大部分は漠然とした夢のような体験を報告するが、一方で以下のような術中特有の出来事を報告する患者もいる<ref name=":0">{{Cite book |title=Anesthesiology |last1=Longnecker |first1=David E |last2=Newman |first2=Mark F |last3=Mackey |first3=Sean |last4=Sandberg |first4=Warren S|last5=Zapol |first5=Warren M | name-list-style = vanc |publisher=McGraw-Hill Education|year=2018|isbn=9780071848817|edition=3rd|location=New York|chapter=Chapter 34: Inhalational Anesthetics|oclc=957077529 }}</ref><ref name=":7">{{Cite journal|vauthors=Bischoff P, Rundshagen I|date=January 2011|title=Awareness under general anesthesia|journal=Deutsches Ärzteblatt International|volume=108|issue=1–2|pages=1–7|doi=10.3238/arztebl.2011.0001|pmc=3026393|pmid=21285993}}</ref><ref name=":1">{{Cite book |title=The Anesthesia Guide |last1=Mulaikal |first1=Teresa A. |last2=Sansan |first2=S. Lo |last3=Atchabahian |first3=Aurthur |last4=Gupta |first4=Ruchir | name-list-style = vanc |publisher=McGraw-Hill Medical |year=2013|isbn=9780071760492|location=New York|chapter=Chapter 62. Postoperative Complications|oclc=793006233 }}</ref>。
* 手術室での物音や会話が聞こえる
* 手術の詳細を思い出す
* [[気管挿管]]や手術に伴う痛みを感じる
* 意識はあるが身体が動かない、いわゆる金縛り
* 不安感、無力感、切迫した破滅感を感じる
術中覚醒の可能性がある術中徴候には以下のものがある<ref name=":1" />。
* [[高血圧]]
* [[頻脈]]
* 患者の体動(いわゆる[[バッキング (医学)|バッキング]])
* [[頻呼吸]]<ref name=":3">{{Cite web |date=November 2016 |title=Unintended Awareness during General Anesthesia |url=https://www.aana.com/docs/default-source/practice-aana-com-web-documents-(all)/unintended-awareness-during-general-anesthesia.pdf?sfvrsn=e20049b1_4 |website=American Association of Nurse Anesthetists |access-date=2016-11-01 |deadlinkdate=2023-10-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221008024054/https://www.aana.com/docs/default-source/practice-aana-com-web-documents-(all)/professional-practice-manual/unintended-awareness-during-general-anesthesia.pdf?sfvrsn=e20049b1_6 |archive-date=2022-10-08}}</ref>
* [[点滴漏れ]]、または静脈ラインの閉塞<ref name=":3" />
全身麻酔の一環として[[筋弛緩剤]]の一種である[[神経筋遮断薬]]が投与された場合、麻酔中の患者は麻痺状態に陥る。[[意識消失]]を伴わずに単に麻痺している場合、神経筋遮断薬が切れるまで、患者は苦痛を伝えたり、手術室のスタッフに意識があることを知らせたりすることができない。つまり、医療従事者が、手術後、術中覚醒の症状に気づくのが遅れることがある<ref>{{Cite journal | vauthors = Sandin RH, Enlund G, Samuelsson P, Lennmarken C | title = Awareness during anaesthesia: a prospective case study | language = en | journal = Lancet | volume = 355 | issue = 9205 | pages = 707–11 | date = February 2000 | pmid = 10703802 | doi = 10.1016/S0140-6736(99)11010-9 | s2cid = 11170260 }}</ref>。あるレビューによると、手術直後に術中覚醒を報告できた患者は全体の約35%にすぎず、残りの患者は数週間から数ヵ月後までその体験を覚えている<ref>{{Cite journal | vauthors = Ghoneim MM, Block RI, Haffarnan M, Mathews MJ | title = Awareness during anesthesia: risk factors, causes and sequelae: a review of reported cases in the literature | journal = Anesthesia and Analgesia | volume = 108 | issue = 2 | pages = 527–35 | date = February 2009 | pmid = 19151283 | doi = 10.1213/ane.0b013e318193c634 | s2cid = 25593237 }}</ref>。術中覚醒の体験の程度によるが、患者は術後に軽度の[[不安]]から[[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)までさまざまな心理的問題を抱える可能性がある<ref name=":0" /><ref>{{Cite book|title=Morgan & Mikhail's Clinical Anesthesiology | vauthors = Butterworth JF, Mackey DC, Wasnick JD, Morgan G, Edward M, Maged S, Morgan GE |year=2018|isbn=9781259834424|edition=6th|location=New York|chapter=Chapter 54: Anesthetic Complications|oclc=1039081701}}</ref>。PTSDは、再発性の不安、いらいら、[[フラッシュバック (心理現象)|フラッシュバック]]や悪夢、[[心的外傷|トラウマ]]に関連した誘因の回避、睡眠障害などを特徴とする<ref>{{Cite journal | vauthors = Osterman JE, van der Kolk BA | title = Awareness during anesthesia and posttraumatic stress disorder | journal = General Hospital Psychiatry | volume = 20 | issue = 5 | pages = 274–81 | date = September 1998 | pmid = 9788027 | doi = 10.1016/S0163-8343(98)00035-8 | doi-access = free }}</ref>。
==原因 ==
[[ファイル:Rocuronium.svg|サムネイル|[[全身麻酔]]で頻用される[[筋弛緩薬]]、[[ロクロニウム]]の[[構造式]]]]
===筋弛緩薬の使用===
最大の危険因子は、<!-- 以下、無出典記述なのでコメントアウト「監督されていない研修医が行う麻酔と、」 -->[[スキサメトニウム]]や非脱分極性神経筋遮断薬([[筋弛緩剤|筋弛緩薬]])などの[[運動麻痺]]を誘発する薬剤の使用<ref name=":5" /><ref name="pmid12557119" />である。[[全身麻酔]]では、[[気管挿管]]や[[術野]]の展開を容易にするために、患者の筋肉を麻痺させることがある(腹部や胸部の手術は、十分な筋弛緩がなければ行えない)。この間、患者は自分で[[呼吸]]できないため、[[機械換気 (医学)|機械換気]]を行わなければならない。麻痺剤によって意識がなくなったり、痛みを感じなくなったりすることはないが、呼吸ができなくなるため、気道(気管)を保護し、肺を[[換気 (医学)|換気]]して血液の酸素化と[[二酸化炭素]]の除去を十分に行わなければならない。
完全に麻痺した患者は、動くことも、話すことも、まばたきをすることも、痛みに反応することもできない<ref name="pmid10691248" />。神経筋遮断薬が使用された場合、[[骨格筋]]の麻痺は起こるが、[[心筋]]や[[平滑筋]]、[[自律神経系]]の機能は阻害されないため、[[心拍数]]、血圧、腸の蠕動運動、発汗、[[流涙]]は影響を受けない{{Efn|神経筋遮断薬そのものはこれらの器官に影響を及ぼすことは無いが、神経筋遮断薬が効いている状態で、患者が痛みを感じたり、麻酔から覚めてしまったりした場合は、そのストレスによる反応、すなわち、[[高血圧]]、[[頻脈]]、[[流涙]]、[[発汗]]などが出現する可能性はある。}}。麻酔中に使用される他の薬剤がこれらを遮断または鈍麻させる可能性があるため、患者は苦痛のシグナルを発することができず、臨床医による注意深い観察([[ビジランス]])によって検出できると期待される術中覚醒の徴候を示さないことがある。
多くの種類の手術では、必ずしも患者を麻痺させる必要はない。麻酔はかかっているが麻痺はしていない患者でも、鎮痛が不十分であれば、痛みを伴う刺激に反応して動くことがある。これは、麻酔深度が不十分であるという警告サインとなる。全身麻酔下での身体の動きは、完全に意識があることを意味するものではないが、麻酔が浅いことを示すサインである。神経筋遮断薬を使用しなくても、動きがないからといって手術中の出来事を覚えていないとは限らない。
===浅い麻酔===
[[帝王切開]]のような特定の手術や、{{仮リンク|循環血液量減少|en|Hypovolemia|label=循環血液量減少(hypovolemia)|redirect=1}}の患者や{{仮リンク|心予備能|en|cardiac reserve|redirect=1}}の少ない患者<ref name=":0" />の場合、麻酔科医は「軽い麻酔」を提供することを目標とすることがあり<ref name="pmid10691248" />、[[インフォームド・コンセント|患者に警告するために前もって患者と話し合う]]必要がある。このような状況では、麻酔の深さの判断が正確でないため、意識や記憶が戻ることがある<ref name="pmid10691248" />。麻酔科医は、患者を安全で安定した状態に保つ必要性と、術中覚醒を防ぐ目的とを天秤にかけなければならない。時には、患者の生命を守るために、麻酔を軽くする必要があるのである。「軽い」麻酔とは、[[静脈麻酔薬|静脈内投与]]や[[吸入麻酔薬|吸入による薬剤]]の量を少なくすることで、心血管系の抑制([[低血圧]])は少なくなるが、麻酔を受けた患者の「意識」が出やすくなる<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=VVStHTKzCFkC&q=anesthesia%20awareness%2Bcost-cutting&pg=PA57|title=Complications in anesthesiology|last1=Lobato|first1=Emilio B.| first2 = Nikolaus | last2 = Gravenstein| first3 = Robert R. | last3 = Kirby | name-list-style = vanc |publisher=Lippincott Williams & Wilkins|year=2007|isbn=978-0-7817-8263-0|edition=3rd|page=57}}</ref>。
===麻酔科医の過誤===
[[ファイル:Elcam stopcock.jpg|サムネイル|[[三方活栓]]。点滴の途中から薬剤を注入できる。逆方向に注入してしまうと麻酔薬は患者ではなく、点滴の上流の[[輸液]]に混入する。]]
[[ヒューマンエラー]]には、挿管を何度も試みること(この間、短時間作用型麻酔薬が切れても筋弛緩薬の効果だけは残る可能性がある){{Efn|例えば、静脈麻酔薬[[プロポフォール]]の[[半減期 (薬学)|半減期]]は数分だが、筋弛緩薬ロクロニウムの半減期は数十分である<ref>{{Cite web |url=https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00053648.pdf |title=非脱分極性麻酔用筋弛緩剤 ロクロニウム臭化物注射液 エスラックス静注25mg/2.5mL エスラックス静注50mg/5.0mL 5mL |access-date=2023-10-19}}</ref>。}}、[[食道挿管]]、薬剤投与量が不適切、誤った[[投与経路|経路]]での薬剤投与や誤った薬剤投与、誤った順序での薬剤投与{{Efn|例えば、超即効性の筋弛緩薬である[[スキサメトニウム]]を静脈麻酔薬よりも先に投与するなど}}、不適切な[[モニタリング (医学)|モニタリング]]、患者の放置、人工呼吸器からの[[呼吸回路]]のはずれやねじれ、麻酔器の{{仮リンク|気化器 (医学)|en|anaesthetic vaporiser|label=気化器}}への[[揮発性麻酔薬]]の補充忘れなどがある<ref name=":3" />。その他の原因としては、[[全静脈麻酔]]法<ref name=":0" />などの麻酔法への不慣れ、経験不足などがある。ほとんどの症例は、経験不足と麻酔手技の稚拙さによるもので、上記のどれかに当てはまるが、「通常の」診療の枠を逸脱した手技も含まれる。{{仮リンク|アメリカ麻酔科学会|en|American Society of Anesthesiologists|label=アメリカ麻酔科学会(American Society of Anesthesiologists: ASA)}}は2007年に、麻酔の専門家と病院がこれらのリスクを最小限に抑えるためにとるべきステップを概説した診療勧告を発表した。{{仮リンク|オーストラリア・ニュージーランド麻酔科協会|en|Australian and New Zealand College of Anaesthetists|label=オーストラリア・ニュージーランド麻酔科協会(Australian and New Zealand College of Anaesthetists: ANZCA)|redirect=1}}など、他の学会もこのガイドラインの独自版を発表している<ref name="titleANZCA — ANZCA">{{Cite web |url=http://www.anzca.edu.au/publications/profdocs/profstandards/index.htm |title=ANZCA – ANZCA |archive-url=https://web.archive.org/web/20071014063200/http://anzca.edu.au/publications/profdocs/profstandards/index.htm |archive-date=2007-10-14 |access-date=2007-11-26}}</ref>。術中覚醒の可能性を減らすために、麻酔科医は十分な訓練を受け、訓練中も監督されなければならない。麻酔深度をモニターする機器、例えば[[バイスペクトラルインデックス]]モニターは、単独で使用すべきではない。
現在の研究からは、術中覚醒の発生は、上記のリスクに加えて、手術室の麻酔関連医療従事者による非効果的な実践の組み合わせによるものであるとされる<ref name=":2" />。主な失敗は以下の通りである<ref name=":2" /><ref name="pmid10691248" />。
* 薬剤や揮発性薬剤に関する不注意や判断ミス
* コミュニケーション不足により、手術が終了する前に麻酔を切るのが早すぎた
* 揮発性薬剤の効果消失時間の理解不足
* 麻酔導入薬を三方活栓から患者と逆方向に注入した
* 気化器への充填忘れ(AAGA症例の19%の原因である)
* [[挿管困難]]中の導入薬剤の投与量不足
* [[最小肺胞内濃度|最小肺胞濃度]](minimum alveolar concentration: MAC、外科的切開に反応して患者の50%が動くのを防ぐのに必要な吸入麻酔薬の肺胞内濃度)のモニタリング忘れ
* シリンジの交換忘れ
* 組織的または個人的な事情による不注意(スタッフ不足やストレスの多い職場環境に関連することが多い)
* 他のスタッフによる注意散漫
=== 機器の故障 ===
{{Seealso|笑気麻酔}}[[ファイル:Maquet Flow-I anesthesia machine.jpg|サムネイル|モニター一体型の[[麻酔器]]]]
機械の故障や誤用により、麻酔薬の患者への供給が不十分になることがある。病院にある多くの麻酔器は、[[亜酸化窒素]]カットオフの安全機能を有効にするために、酸素[[レギュレーター]]が[[亜酸化窒素]]レギュレーターの圧力のスレーブとして機能している(つまり、酸素供給が停止すると亜酸化窒素供給も停止する){{Efn|亜酸化窒素は麻酔ガスの一種であるが、配管の不具合や麻酔器の故障などにより、酸素と混合されない100%の亜酸化窒素、すなわち純笑気の状態で吸入が行われると患者は窒息に陥る([[笑気事故]]と呼ばれる)。よって、麻酔器には[[フェイルセーフ]]機構が備わっており、純笑気投与ができないようになっている。}}<ref name=":10">{{Cite journal|last=Gurudatt|first=Cl|date=2013|title=The basic anaesthesia machine|url=https://journals.lww.com/10.4103/0019-5049.120138|journal=Indian Journal of Anaesthesia|volume=57|issue=5|pages=438|language=en|doi=10.4103/0019-5049.120138|issn=0019-5049|pmc=PMC3821260|pmid=24249876}}</ref>。レギュレーターやチューブの漏れが原因で亜酸化窒素の供給が悪化すると、「不十分な」麻酔混合ガスが患者に供給され、術中覚醒を引き起こす可能性がある{{Efn|近年は亜酸化窒素を全身麻酔に用いることが減っているため、このメカニズムによる術中覚醒は起こりにくくはなっているものと思われる。亜酸化窒素の使用減少は[[術後嘔気嘔吐]]の副作用と[[地球温暖化]]ガスの問題による。}}。<!-- 以下、出典が無いのと真偽不明なのでコメントアウト「第二次世界大戦時の年代物の麻酔器、Boyle 'F'モデルの多くは、まだ機能し、英国の病院で使用されている。Many World War II-vintage Boyle 'F' models are still functional and used in UK hospitals. 」 -->その緊急用酸素フラッシュバルブには、酸素を[[呼吸回路]]に放出する機能があり、麻酔科医が設定した麻酔混合ガスに加えられると、術中覚醒を引き起こす可能性がある<ref name=":10" />。また、気化器(または亜酸化窒素[[ボンベ]])が空であったり、[[輸液ポンプ]]が故障していたり、点滴チューブが外れていたりする場合にも起こることがある。
===患者側の要因===
非常にまれな原因として、[[耐性 (薬理学)|薬物耐性]]、または他の薬物との相互作用によって誘発される耐性がある。若齢、肥満、喫煙、特定の薬物({{仮リンク|アルコール (薬物)|en|alcohol (drug)|redirect=1}}、[[オピオイド]]、[[アンフェタミン]])の長期使用などの要因によって、意識を消失させるのに必要な麻酔薬の量が増えることがある<ref name="pmid10691248" />。また、患者の麻酔薬からの覚醒反応の速さには、遺伝的な違いや、男女差もあり得る。また、生まれつき[[赤毛|髪が赤い]]人は、麻酔薬の必要量が多い<ref>{{Cite journal | vauthors = Liem EB, Lin CM, Suleman MI, Doufas AG, Gregg RG, Veauthier JM, Loyd G, Sessler DI | display-authors = 6 | title = Anesthetic requirement is increased in redheads | journal = Anesthesiology | volume = 101 | issue = 2 | pages = 279–83 | date = August 2004 | pmid = 15277908 | pmc = 1362956 | doi = 10.1097/00000542-200408000-00006 }}</ref>。手術前の不安が強いと、[[想起]]を防ぐために必要な麻酔薬の量が増える可能性がある。小児は8-10倍、術中覚醒のリスクが高い<ref name=":7" />。
== 処置時の鎮静・鎮痛 ==
{{Seealso|処置時の鎮静・鎮痛|鎮静}}
[[ファイル:Endoscopy start.jpg|サムネイル|[[内視鏡|内視鏡検査]]時に行われるのは[[処置時の鎮静・鎮痛]]であり、通常は[[全身麻酔]]ではない。この処置中は必ずしも記憶や意識は無くならない。]]
麻酔中の意識にはさまざまなレベルがある。完全覚醒と全身麻酔はその両極端である。[[処置時の鎮静・鎮痛]](procedural sedation and analgesia: '''PSA''')と[[監視下麻酔管理]](monitored anesthesia care: '''MAC''')は、患者の鎮静の度合いに応じて、鎮静の深さでは、覚醒と全身麻酔の中間程度の意識状態を目指すものである。監視下麻酔管理では、鎮静と鎮痛とともに局所麻酔の[[滴定投与]]を行う<ref name="pmid25788769">{{Cite journal | vauthors = Das S, Ghosh S | title = Monitored anesthesia care: An overview | journal = Journal of Anaesthesiology Clinical Pharmacology| volume = 31 | issue = 1 | pages = 27–9 | date = 2015 | pmid = 25788769 | pmc = 4353148 | doi = 10.4103/0970-9185.150525 | doi-access = free }}</ref>。この状況では、意識があったり覚醒していても必ずしも痛みや不快感を意味しない。PSAやMACの目的は、患者が医療者の指示に従う能力を維持しながら、安全で快適な麻酔を提供することである。[[生体組織診断|生検]]や[[大腸内視鏡]]などの小さな処置のために鎮静を受ける患者もおり、眠っていると言われることもあるが、実際は全身麻酔とは異なり、ある程度の意識が持てる程度の鎮静を受けている。
状況によっては、患者が完全に意識を失うような全身麻酔は不要であったり、望ましくないこともある。例えば、[[帝王切開]]分娩の場合、母親が出産に参加できるように、[[脊髄幹ブロック|脊髄幹麻酔]]で快適さを提供しつつ、意識を維持することが目標となる<ref>{{Cite book|洋書 |title=Clinical Anesthesiology |first1=G Edward |last1=Morgan |first2=Maged S |last2=Mikhail |first3=Michael J |last3=Murray |first4=Wayne |last4=Kleinman |first5=Gary J |last5=Nitti |first6=Joseph T |last6=Nitti |publisher=Mc Graw Hill |isbn=978-0-07-142358-8 |date=2005-08-26 |page=291}}</ref>。その他の状況としては、低侵襲手術や純粋に診断目的の処置(したがって不快ではない)があるが、これらに限定されるものではない。
PSAやMACを受けた患者は、決して術中記憶がないわけではない<ref>{{Cite journal | last = Lekprasert | first = Varinee | name-list-style = vanc | title = PreAnesthetic Assessment of the Patient Who Reports Previous Intraoperative Awareness | journal = Anesthesiology News | date = June 2008 | pages = 35–38 | publisher = www.AnesthesiologyNews.com }}</ref>。患者が処置を覚えているかどうかは、麻酔薬の種類、投与量、患者の生理機能、その他の要因によって異なる。MACを受けた患者の多くは、使用した麻酔薬の量にもよるが、深い[[健忘]]状態に陥ることがある<ref>{{Cite journal | vauthors = Alkire MT, Hudetz AG, Tononi G | title = Consciousness and anesthesia | journal = Science | volume = 322 | issue = 5903 | pages = 876–80 | date = November 2008 | pmid = 18988836 | pmc = 2743249 | doi = 10.1126/science.1149213 | bibcode = 2008Sci...322..876A }}</ref>。PSAやMACでは、処置中に完全に意識が無くなることや術中覚醒記憶が起こらないことは保証されないので、患者の誤解を防ぐために医療従事者はあらかじめ、この点を説明しておいた方が良い<ref name=":3" />。
== 記憶 ==
術中覚醒をより明確に理解し、患者をその体験から守るために、全身麻酔後に人が何を記憶できるかを検証する新たな研究が行われた。[[記憶]]とは、ひとつの単純な実体ではなく<ref name="pmid10691248" />、多くの複雑な細部とネットワークからなるシステムである。
記憶は現在、大きく2つに分類されている。
{{仮リンク|顕在記憶|en|Explicit memory|redirect=1|label=顕在記憶(Explicit memory)}}、または意識的記憶、これは、以前の経験を意識的に思い出すことを指す<ref name="pmid17236646">{{Cite journal | vauthors = Sandin R | title = Outcome after awareness with explicit recall | journal = Acta Anaesthesiologica Belgica | volume = 57 | issue = 4 | pages = 429–32 | year = 2006 | pmid = 17236646 }}</ref>。例としては、先週末に何をしたかを思い出すことが挙げられる。麻酔をかけられた患者について言えば、医師は全身麻酔を受けた後、患者に麻酔中に何かはっきりした音や言葉を聞いたことを覚えているかどうか尋ねることがある。このような方法は、患者に手術中の記憶を思い出してもらうため、「想起テスト」と呼ばれる。
{{仮リンク|潜在記憶|en|Implicit memory|label=潜在記憶(Implicit memory)|redirect=1}}または無意識的記憶とは、以前の経験によって生じる振る舞いや行動の変化のことであるが、その経験を意識的に思い出すことはない。この例としては、認識テストがあり、患者は手術後、手術中に聞き取れた単語がどれかを判断するよう求められる。次のシナリオはその一例である。患者は麻酔中に "pension "という単語を含む単語のリストにさらされた。術後、PEN__という3文字の語幹を提示し、その文字で始まる単語で最初に頭に浮かんだものを答えるよう求めたところ、「pencil」や「peninsula」などよりも「pension」という単語を答えることが多かった<ref name="pmid10691248">{{Cite journal | vauthors = Ghoneim MM | title = Awareness during anesthesia | journal = Anesthesiology | volume = 92 | issue = 2 | pages = 597–602 | date = February 2000 | pmid = 10691248 | doi = 10.1097/00000542-200002000-00043 | doi-access = free }}</ref>。
臨床的に大きな問題となるのは、顕在記憶を伴う術中覚醒であり、これは'''明示的{{仮リンク|想起 (医学)|en|Recall (memory)|redirect=1|label=想起(Recall )}}を伴う術中覚醒'''と呼ばれることもあれば、'''術中覚醒記憶'''<ref>{{Cite journal|author=増井健一|year=2009|title=【術中覚醒記憶】モニタリングは術中覚醒を防ぐか?|journal=LiSA|volume=16|pages=1026-1031}}</ref>と呼ばれることもある。
現在では、術中覚醒の発生率を調べるために、術後に患者に正式に聞き取り調査を行う研究者もいる。麻酔科医が術後に患者を訪ね、患者が覚醒していなかったことを確認するのは良い習慣である<ref name=":0" />。自分の体験に過度に心を乱されることがなかった患者のほとんどは、直接尋ねられない限り、必ずしも術中覚醒の事例を報告しない。患者によっては、手術を受けてから1~2週間経たないと、術中覚醒を体験したことを思い出さないこともある。また、術中の体験について記憶を呼び起こすために、より詳細な問診を必要とする患者もいるが、これは心的外傷のないケースに限られることもわかった。一部の研究者は、術中覚醒は小手術ではあまり起こらないが、より大きな手術ではより頻繁に起こる可能性があり、その可能性が高い症例では、術中覚醒の可能性を警告することが良い方法であるとしている。
"'''Isolated Forearm Technique (IFT)'''"とは、前腕を意識的に動かすことができるように、筋弛緩剤を投与する前に患者の上腕に駆血帯を装着するものである<ref>{{Cite journal | vauthors = Tunstall ME | title = Detecting wakefulness during general anaesthesia for caesarean section | journal = British Medical Journal | volume = 1 | issue = 6072 | pages = 1321 | date = May 1977 | pmid = 861598 | pmc = 1607133 | doi = 10.1136/bmj.1.6072.1321-a }}</ref><ref>{{Cite journal | vauthors = Russell IF | title = Comparison of wakefulness with two anaesthetic regimens. Total i.v. v. balanced anaesthesia | journal = British Journal of Anaesthesia | volume = 58 | issue = 9 | pages = 965–8 | date = September 1986 | pmid = 3756056 | doi = 10.1093/bja/58.9.965 | doi-access = free }}</ref>{{Efn|筋弛緩薬を静脈内投与する腕と反対側の腕を[[駆血帯]]で縛ることにより、その腕には血管内から筋弛緩薬が届かなくなり、その腕だけは患者の意思に応じて麻酔中に動かすことが可能になる。}}。この手技は、意識をモニターする他の手段を評価する際の[[ゴールドスタンダード|標準的な方法]]と考えられている<ref>{{Cite journal | vauthors = Jessop J, Jones JG | title = Conscious awareness during general anaesthesia--what are we attempting to monitor? | journal = British Journal of Anaesthesia | volume = 66 | issue = 6 | pages = 635–7 | date = June 1991 | pmid = 2064875 | doi = 10.1093/bja/66.6.635 | doi-access = free }}</ref><ref>{{Cite journal | vauthors = Veselis RA | title = The remarkable memory effects of propofol | journal = British Journal of Anaesthesia | volume = 96 | issue = 3 | pages = 289–91 | date = March 2006 | pmid = 16467436 | doi = 10.1093/bja/ael016 | doi-access = free }}</ref>。この方法で、113人の患者に対して全身麻酔導入2-5分後に意識があるかどうかを調べたところ、4割以上に意識があったことが判明しているものの、手術後は誰もそのことに関する記憶をもっていなかった<ref name=":5" />。つまり、術中に仮に起きていたとしても大半の患者は忘れているのである。
==予防==
[[ファイル:Midazolam.svg|サムネイル|[[健忘]]作用のあるベンゾジアゼピンの一種、[[ミダゾラム]]。麻酔に良く用いられる。]]
術中覚醒のリスクは、必要な場合を除き、筋弛緩薬の使用を避けること、薬剤、投与量、器具を注意深くチェックすること、十分なモニタリングを行うこと、症例中に注意深く警戒することで軽減される<ref name="pmid10691248" />。
医療スタッフは、患者が意識を失っているかどうかわからないかもしれないので、意識のある患者に対するのと同様の適切な専門的行為を維持することが示唆されている<ref name="pmid16801837">{{Cite journal | vauthors = Gajwani P, Muzina D, Gao K, Calabrese JR | title = Awareness under anesthesia during electroconvulsive therapy treatment | journal = The Journal of ECT | volume = 22 | issue = 2 | pages = 158–9 | date = June 2006 | pmid = 16801837 | doi = 10.1097/00124509-200606000-00018 }}</ref>。
[[ベンゾジアゼピン]]は健忘誘発作用があるために、想起を伴う術中覚醒を防ぐのに非常に有効であるが、ベンゾジアゼピンを投与したからと言って全体的に防げるものでも無い<ref name=":7" />。亜酸化窒素にも逆向性健忘の誘発作用があり、長年重宝されてきたが、術中覚醒の発生率に影響を及ぼさないようである<ref name=":7" />。
==モニター==
[[ファイル:BIS JPN.jpg|サムネイル|脳波モニターの一種([[バイスペクトラルインデックス]])]]
最近の技術の進歩により、意識の[[生体情報モニタ|モニター]]が製造されるようになった。典型的には[[脳波]]をモニターし、[[大脳皮質]]の電気的活動を表すもので、覚醒時には活発に活動しているが、麻酔下(あるいは自然[[睡眠|睡眠中]])では活動が弱まる。モニターは通常、脳波信号を1つの数値に分解し、100が完全に覚醒している患者、ゼロが電気的無信号に対応する。全身麻酔の状態は通常60から40の間の数値で示される(これは使用する機器によって異なる)。現在、いくつかのモニターが市販されている。これらの新しい技術には、[[バイスペクトラルインデックス]](BIS)<ref>{{Cite journal | vauthors = Myles PS, Leslie K, McNeil J, Forbes A, Chan MT | title = Bispectral index monitoring to prevent awareness during anaesthesia: the B-Aware randomised controlled trial | journal = Lancet | volume = 363 | issue = 9423 | pages = 1757–63 | date = May 2004 | pmid = 15172773 | doi = 10.1016/s0140-6736(04)16300-9 | s2cid = 2612639 | url = http://www.thelancet.com/pdfs/journals/lancet/PIIS0140-6736(04)16300-9.pdf }}</ref>、脳波{{仮リンク|エントロピーモニター|en|entropy monitoring|redirect=1}}、聴性{{仮リンク|誘発電位|en|evoked potentials|redirect=1}}、SNAP<sup>TM</sup>モニターやNarcotrend<sup>TM</sup>モニターなどのシステムがある。
これらのシステムはどれも完璧ではない。たとえば、極端な年齢([[新生児]]、乳児、超高齢者など)では信頼性が低い。第二に、亜酸化窒素のようなある種の薬剤は、麻酔深度モニターの値を低下させることなく麻酔をもたらすことがある<ref>{{Cite journal | vauthors = Clapcich AJ, Emerson RG, Roye DP, Xie H, Gallo EJ, Dowling KC, Ramnath B, Heyer EJ | display-authors = 6 | title = The effects of propofol, small-dose isoflurane, and nitrous oxide on cortical somatosensory evoked potential and bispectral index monitoring in adolescents undergoing spinal fusion | journal = Anesthesia and Analgesia | volume = 99 | issue = 5 | pages = 1334–40; table of contents | date = November 2004 | pmid = 15502027 | pmc = 2435242 | doi = 10.1213/01.ANE.0000134807.73615.5C }}</ref>。これは、これらの薬剤([[NMDA型グルタミン酸受容体|NMDA受容体]]拮抗薬)の分子作用が他の[[全身麻酔薬]]とは異なり、皮質脳波活動をあまり抑制しないからである。第三に、他の生体電位([[筋電図]]など)や外部電気信号({{仮リンク|電気手術|en|electrosurgery|label=電気手術(electrosurgery)|redirect=1}}など)からの干渉を受けやすい。つまり、すべての患者、すべての麻酔薬の麻酔深度を確実にモニターする技術はまだ存在しないのである。2016年のシステマティックレビューとメタ分析で、麻酔深度モニターが術中覚醒リスクに対する標準的な臨床モニタリングとしては、どれも効果が変わらないと結論づけられた理由の一端は、このためかもしれない<ref>{{Cite journal | vauthors = Messina AG, Wang M, Ward MJ, Wilker CC, Smith BB, Vezina DP, Pace NL | title = Anaesthetic interventions for prevention of awareness during surgery | journal = The Cochrane Database of Systematic Reviews | volume = 2016 | pages = CD007272 | date = October 2016 | issue = 10 | pmid = 27755648 | pmc = 6461159 | doi = 10.1002/14651858.cd007272.pub2 }}</ref>。しかし、脳波のモニタリングは全静脈麻酔では有用であるエビデンスがある<ref name=":5" />。[[吸入麻酔薬|吸入麻酔]]では患者呼気中の揮発性麻酔薬濃度をリアルタイムで測定することができ([[呼気終末麻酔ガス濃度]])、術中に何らかの理由で麻酔ガス濃度が低下した場合はアラームとして役立つ。よって、術中覚醒防止に有用とされる<ref name=":7" />。
== 発生率 ==
術中覚醒の{{仮リンク|発生率|en|Incidence (epidemiology)|redirect=1}}はさまざまで、患者の0.2~0.4%が罹患しているようである。一般外科手術では0.2%、帝王切開術では約0.4%、心臓手術では1%から2%、外傷患者の麻酔では10%から40%である<ref>{{Cite journal|vauthors=Sebel PS, Bowdle TA, Ghoneim MM, Rampil IJ, Padilla RE, Gan TJ, Domino KB|date=September 2004|title=The incidence of awareness during anesthesia: a multicenter United States study|journal=Anesthesia and Analgesia|volume=99|issue=3|pages=833–9, table of contents|doi=10.1213/01.ane.0000130261.90896.6c|pmid=15333419|s2cid=7413819|doi-access=free}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Bogetz MS, Katz JA|date=July 1984|title=Recall of surgery for major trauma|journal=Anesthesiology|volume=61|issue=1|pages=6–9|doi=10.1097/00000542-198461010-00003|pmid=6742485}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Bogod DG, Orton JK, Yau HM, Oh TE|date=April 1990|title=Detecting awareness during general anaesthetic caesarean section. An evaluation of two methods|journal=Anaesthesia|volume=45|issue=4|pages=279–84|doi=10.1111/j.1365-2044.1990.tb14732.x|pmid=2337210|s2cid=58254125|doi-access=free}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Dowd NP, Cheng DC, Karski JM, Wong DT, Munro JA, Sandler AN|date=November 1998|title=Intraoperative awareness in fast-track cardiac anesthesia|journal=Anesthesiology|volume=89|issue=5|pages=1068–73; discussion 9A|doi=10.1097/00000542-199811000-00006|pmid=9821994|s2cid=24961481}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Goldmann L, Shah MV, Hebden MW|date=June 1987|title=Memory of cardiac anaesthesia. Psychological sequelae in cardiac patients of intra-operative suggestion and operating room conversation|journal=Anaesthesia|volume=42|issue=6|pages=596–603|doi=10.1111/j.1365-2044.1987.tb03082.x|pmid=3618993|s2cid=35320774|doi-access=free}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Liu WH, Thorp TA, Graham SG, Aitkenhead AR|date=June 1991|title=Incidence of awareness with recall during general anaesthesia|journal=Anaesthesia|volume=46|issue=6|pages=435–7|doi=10.1111/j.1365-2044.1991.tb11677.x|pmid=2048657|s2cid=40244356|doi-access=free}}</ref><ref name="pmid1996761">{{Cite journal|vauthors=Lyons G, Macdonald R|date=January 1991|title=Awareness during caesarean section|journal=Anaesthesia|volume=46|issue=1|pages=62–4|doi=10.1111/j.1365-2044.1991.tb09321.x|pmid=1996761|s2cid=45800761|doi-access=free}}</ref><ref>{{Cite journal|vauthors=Sandin RH, Enlund G, Samuelsson P, Lennmarken C|date=February 2000|title=Awareness during anaesthesia: a prospective case study|journal=Lancet|volume=355|issue=9205|pages=707–11|doi=10.1016/s0140-6736(99)11010-9|pmid=10703802|s2cid=11170260}}</ref><ref name="ReferenceA">{{Cite journal|vauthors=Sebel PS, Bowdle TA, Ghoneim MM, Rampil IJ, Padilla RE, Gan TJ, Domino KB|date=September 2004|title=The incidence of awareness during anesthesia: a multicenter United States study|journal=Anesthesia and Analgesia|volume=99|issue=3|pages=833–9, table of contents|doi=10.1213/01.ANE.0000130261.90896.6C|pmid=15333419|s2cid=7413819|doi-access=free}}</ref>。大多数は痛みを感じていないが、気管チューブによる咽頭痛から切開部位の外傷性疼痛まで、約3分の1が様々な痛みを感じている。神経筋遮断薬を用いない場合、その発生率は半減する<ref name="ReferenceA" />。
多くの "覚醒 "症例は解釈の余地があるため、引用された発生率には議論の余地がある。
筋弛緩薬、すなわち[[神経筋遮断薬]]を使用した場合、発生率はより高く、より重篤な後遺症が残る<ref name="pmid12557119">{{Cite journal | vauthors = Schneider G | title = [Intraoperative awareness] | language = de | journal = Anästhesiologie, Intensivmedizin, Notfallmedizin, Schmerztherapie | volume = 38 | issue = 2 | pages = 75–84 | date = February 2003 | pmid = 12557119 | doi = 10.1055/s-2003-36993 | s2cid = 259981791 }}</ref>。これは、筋弛緩薬がないと患者が動いてしまうので、麻酔科医が麻酔を深くするからである。
ある研究によると、術中覚醒は患者の0.13%、つまり1000人に1人から2人の割合で起こるとされている<ref>{{Cite journal | vauthors = Sebel PS, Bowdle TA, Ghoneim MM, Rampil IJ, Padilla RE, Gan TJ, Domino KB | title = The incidence of awareness during anesthesia: a multicenter United States study | journal = Anesthesia and Analgesia | volume = 99 | issue = 3 | pages = 833–9, table of contents | date = September 2004 | pmid = 15333419 | doi = 10.1213/01.ANE.0000130261.90896.6C | s2cid = 7413819 | doi-access = free }}</ref>。しかし、別の研究では、211,842人の患者のデータを検討した結果、発生率は0.0068%であり、よりまれな現象であると示唆されており、相反するデータがある<ref name="pmid17264720">{{Cite journal | vauthors = Pollard RJ, Coyle JP, Gilbert RL, Beck JE | title = Intraoperative awareness in a regional medical system: a review of 3 years' data | journal = Anesthesiology | volume = 106 | issue = 2 | pages = 269–74 | date = February 2007 | pmid = 17264720 | doi = 10.1097/00000542-200702000-00014 | s2cid = 7262082 }}</ref>。
1970年に考案者の名にちなんで命名されたBrice質問票は、他の形式の質問票よりも術中覚醒に関して優れた検出率が示されており、その検出率は0.1%で先行研究と一定している<ref name=":8" />。2015年時点で改良版の'''修正Brice質問票'''の有用性に関しては、議論の余地はないとされている<ref name=":5" />。この質問票は下記の6項目から成る<ref>{{Cite journal|last=Tasbihgou|first=S. R.|last2=Vogels|first2=M. F.|last3=Absalom|first3=A. R.|date=2018-01|title=Accidental awareness during general anaesthesia – a narrative review|url=https://associationofanaesthetists-publications.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/anae.14124|journal=Anaesthesia|volume=73|issue=1|pages=112–122|language=en|doi=10.1111/anae.14124|issn=0003-2409}}</ref>。修正される前のBrice質問票は6項目目を含まない{{Sfn|齋藤繁|2015|p=78}}。
# 手術前の最後の記憶は?
# 目覚めた最初に覚えていることは何ですか?
# 眠ってから目覚めるまでの間に何か思い出せますか?
# 手術中に何か夢を見ましたか?見た場合、不愉快なものでしたか?
# 手術で最も不快に感じたことは何ですか?
# 眠るときや目が覚めるときに問題はありましたか?
患者が術中覚醒を報告するのは手術直後とは限らず、およそ1ヶ月にまで及ぶことから、術中覚醒の見落としを防ぐ上では、この期間、面接の機会を設けるべきだが、現実的には全ての患者に対して、これを行うのは困難である<ref name=":8" />。
== 治療 ==
手術中に術中覚醒が疑われた場合、[[アメリカ麻酔科学会]]のガイドラインはベンゾジアゼピンの即時投与を推奨しているが、確実性は低い<ref name=":8">{{Citation|title=Intraoperative and Anesthesia Awareness|last=Bullard|first=Ty L.|last2=Cobb|first2=Kathryn|last3=Flynn|first3=David N.|date=2023|url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK582138/|publisher=StatPearls Publishing|pmid=35881743|access-date=2023-11-11}}</ref>。最も重要なことは、術中覚醒が疑われた時点で即座に麻酔を深くすることである<ref name=":8" />。麻酔科医は術後に、患者に問診を行い、術中覚醒記憶の有無を確かめるべきである<ref name="pmid10691248" />。診断が確定すれば、迅速かつ多職種による積極的なアプローチが標準治療であり、精神保健の専門家による適切な評価と治療は[[PTSD]]等の長期的な影響を軽減する上で重要である<ref name=":8" />。
==転帰==
明確な想起を伴う完全な術中覚醒を経験した患者は、手術の激痛のために甚大なトラウマを負った可能性がある。患者によっては[[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)を経験し、[[悪夢]]、[[夜驚症]]、[[フラッシュバック (心理現象)|フラッシュバック]]、[[不眠症]]、などの後遺症が長く続き、場合によっては自殺もあり得る<ref>{{Cite news|url=http://www.foxnews.com/printer_friendly_wires/2007Apr10/0,4675,SurgerySuicide,00.html|title=Lawsuit: Wide-Awake Surgery Led to Death|last=Breen|first=Tom | name-list-style = vanc |date=April 10, 2007|work=[[FOXニュース|Fox News Channel]]|access-date=2009-09-04|location=CHARLESTON, W.Va.}}</ref>。また、被害者は医療を受けたがらなくなるが、これも本人の不利益に繋がる<ref name=":8" />。
2002年にスウェーデンで行われた研究では、以前に術中覚醒と診断された患者18人を約2年間追跡調査した<ref name=":4">{{Cite journal | vauthors = Lennmarken C, Bildfors K, Enlund G, Samuelsson P, Sandin R | title = Victims of awareness | journal = Acta Anaesthesiologica Scandinavica | volume = 46 | issue = 3 | pages = 229–31 | date = March 2002 | pmid = 11939910 | doi = 10.1034/j.1399-6576.2002.t01-1-460301.x | s2cid = 19464947 }}</ref>。面接を受けた9人の患者のうち4人は、精神医学的/心理学的後遺症のために依然として重度の障害者であった<ref name=":4" />。これらの患者は全員、意識のある状態で不安を経験したが、痛みを感じたと述べたのは1人だけであった<ref name=":4" />。別の3人の患者は、日常生活には支障がないものの、それほど重度ではなく、一過性の精神症状であった<ref name=":4" />。2人の患者は、術中覚醒のエピソードによる永続的な影響は何も無かったと述べた<ref name=":4" />。
== 特殊な状況 ==
[[ファイル:Craniotomy_Arachnoid.jpg|サムネイル|開頭手術の術中写真。[[覚醒下開頭術]]中、患者は[[全身麻酔]]からは覚醒しているが、[[局所麻酔]]により、意識があっても痛みを感じない状態を維持できる<ref name=":62">{{Cite web |url=https://anesth.or.jp/files/pdf/guideline_awake.pdf |title=公益社団法人日本麻酔科学会 Awake craniotomy 麻酔管理のガイドライン |access-date=2023-11-11 |publisher=公益社団法人[[日本麻酔科学会]]}}</ref>。]]
[[脳神経外科学|脳神経外科]]手術においては、切除する病変が脳の[[言語野]]など重要な機能的部位に近接している場合は、切除範囲を決定するために術中に患者の意識がある方が望ましい場合がある。そのために、意図的に手術中に患者を全身麻酔から覚醒させる一方、[[局所浸潤麻酔|局所浸潤麻]]酔や[[神経ブロック]]で[[鎮痛]]は維持して患者の言語応答などを確認しながら手術を進めることがある<ref name=":62" />。これを'''覚醒下開頭術(Awake Craniotomy)<ref name=":62" />'''と呼ぶが、これは言わば、あらかじめ計画された術中覚醒であり、合併症ではない。
{{Main|覚醒下開頭術}}
==社会と文化==
以下に示すとおり、いくつかの映画等で題材とされている。
* [[アウェイク (映画)]]'':'' 術中覚醒についての2007年の映画
* ''Anesthesia:'' 術中覚醒をテーマにした、受賞歴のあるホラー映画<ref name="titleAnesthesia (2006)">{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0810754|title=Anesthesia (2006)|access-date=2007-11-26|work=IMDb}}</ref>
* ''Return:'' 術中覚醒をテーマにした韓国の[[スリラー映画]]<ref name="titleReturn (2007) - 리턴 @ HanCinema :: The Korean Movie and Drama Database">{{Cite web|url=http://www.hancinema.net/korean_movie_Return.php|title=Return (2007) – 리턴 @ HanCinema :: The Korean Movie and Drama Database|access-date=2007-11-26|work=HanCinema|archive-url=https://web.archive.org/web/20071014152018/http://hancinema.net/korean_movie_Return.php|archive-date=14 October 2007|url-status=live }}</ref><!-- 以下、出典確認できずまでコメントアウト「『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』のあるエピソードでは、女性レア・レイノルズが顔の傷跡を修復する手術中に術中覚醒を体験する。『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』第6シーズンのエピソード「愛と信頼の状態」では、患者が腹部腫瘍の摘出手術中に目覚め、その出来事を完全に記憶している。
Under: 術中覚醒に関する2006年の映画。」 -->
* ''{{仮リンク|Heartless (2014 film)|en|Heartless (2014 film)|label=Heartless|redirect=1}}'': 2014年の[[ボリウッド]]映画。『アウェイク』よりも評価が低かった<ref>{{Cite web |title='Heartless' Review Roundup: Stay Miles Away from this Film |url=https://www.ibtimes.co.in/heartless-review-roundup-stay-miles-away-from-this-film-537789 |website=www.ibtimes.co.in |date=2014-02-07 |access-date=2023-11-12 |language=en |first=Ankita |last=Mehta}}</ref>。<!-- 以下、出典確認できるまでコメントアウト「ニュージーランドの病院ソープオペラ、『ショートランド・ストリート』の2016年のエピソードで、フェイスリフト手術(英語版)中に患者が完全な術中覚醒を体験した。」 -->
アメリカ麻酔科学会のClosed Claim Analysis(麻酔関連の医療訴訟の検討)では、1961年から1995年までに術中覚醒記憶の訴えが79例あったとされる<ref name=":6">{{Cite journal|和書|author=森本康裕
吉川智枝|year=2009|title=【術中覚醒記憶】術中覚醒記憶とは何か?|journal=LiSA|volume=16|pages=1018-1021}}</ref>。補償額の中央値は18000ドルであった<ref name="pmid10691248" />。イギリスでは多額の賠償額支払いが認められた一方、フィンランドでは低かった<ref name="pmid10691248" />。アメリカの{{仮リンク|キャロル・ウェイラー|en|Carol Weihrer|redirect=1}}氏は1998年に眼球摘出術を受けた際に術中覚醒記憶を経験した<ref name=":11">{{Cite web |title=CNN.com - Operation was wake-up call - Oct 25, 2005 |url=http://edition.cnn.com/2005/HEALTH/10/25/profile.anesthesia.advocate/index.html |website=edition.cnn.com |access-date=2023-11-12}}</ref>。当初は彼女の訴えは病院から相手にされなかったものの、彼女は積極的に社会活動を行い、ASAで講演するなど、術中覚醒の啓発に努めている<ref name=":11" />。
日本では、2007年に強力な鎮痛作用をもつレミフェンタニルが発売された<ref>{{Cite web |title=全身麻酔用鎮痛剤「アルチバ®静注用 2mg/5mg」を発売 ~患者さんにやさしい鎮痛重視の全身麻酔管理が可能に~ |url=https://www.janssen.com/japan/press-release/20070122 |website=Janssen Pharmaceutical K.K. |access-date=2023-11-12 |language=ja}}</ref>あと、麻酔維持に必要とする鎮静薬の必要量が大幅に低下することから、術中覚醒記憶が増加することが懸念され、2008年にアンケートが行われた<ref name=":6" />。麻酔科医172名から回答が得られ、疑い例まで含めて術中覚醒記憶の頻度は0.02%であった<ref name=":6" />。2007年から2008年にかけては、術中覚醒記憶を題材とした映画「[[アウェイク (映画)|アウェイク]]」がアメリカで放映され、これを受けて[[アメリカ麻酔学会]](ASA)は術中覚醒防止のキャンペーンを行った<ref name=":9">{{Cite journal|author=浅田章|year=2008|title=イブニングセミナー「Awake」上映にあたって|journal=日本臨床麻酔学会誌|volume=28|issue=6|page=S216}}</ref>。日本でも2008年の[[日本臨床麻酔学会]]の学術集会では参加者(大半が[[麻酔科医]])を対象として映画「アウェイク」の国内先行放映が行われた<ref name=":9" />(日本での一般放映は2011年<ref>{{Cite web |title=アウェイク - 作品情報・映画レビュー - |url=https://www.kinejun.com/cinema/view/41921 |website=キネマ旬報WEB |access-date=2023-11-12 |language=ja}}</ref>)。日本においては、訴訟への発展は2009年の時点で確認されておらず<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木利廣|year=2009|title=【術中覚醒記憶】術中覚醒記憶による障害の責任は問われるか?|url=http://search.jamas.or.jp/link/ui/2010052768|journal=LiSA|volume=16|pages=1036-1037|doi=10.11477/mf.3101100788}}</ref>、2023年11月時点での裁判例検索<ref>{{Cite web |title=裁判例検索 {{!}} 裁判所 - Courts in Japan |url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1 |website=www.courts.go.jp |access-date=2023-11-11}}</ref>でも見いだされない。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Citebook|和書 |title=鎮静と術中覚醒 |date=2015-10-25 |year=2015 |publisher=真興交易株式会社医書出版部 |ref=harv |isbn=9784880039008 |author=齋藤繁}}
==外部リンク==
* [https://web.archive.org/web/20150928200618/http://www.aana.com/resources2/bookstore/Documents/awarenessbrochure0110.pdf American Association of Nurse Anesthetists Awareness Brochure] at aana.com アメリカ麻酔看護師協会の術中覚醒についての小冊子(アーカイブ、英語)
* [https://web.archive.org/web/20170215003530/http://www.aana.com/forpatients/Pages/Anesthetic-Awareness-Fact-Sheet.aspx Anesthetic Awareness Fact Sheet] アメリカ麻酔看護師協会の術中覚醒についてのファクトシート(アーカイブ、英語)
{{麻酔}}
{{Good article}}
[[Category:医療問題]]
<!-- Wikipedia 翻訳支援ツール Ver1.32、より -->{{DEFAULTSORT:しゆつちゆうかくせい}}
[[Category:麻酔科学]] | 2023-10-21T06:33:29Z | 2023-12-25T14:29:37Z | false | false | false | [
"Template:Seealso",
"Template:Main",
"Template:Citation",
"Template:Citebook",
"Template:麻酔",
"Template:仮リンク",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite news",
"Template:Good article",
"Template:Efn",
"Template:Notelist",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Lang-en-short",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Sfn"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%93%E4%B8%AD%E8%A6%9A%E9%86%92 |
4,844,625 | 民宿青塚食堂 | 民宿青塚食堂(みんしゅくあおつかしょくどう)は、日本の食堂、民宿。北海道小樽市祝津に所在する。1958年(昭和33年)に開業した老舗企業である。漁師直営の食堂兼民宿であり、獲れたてで鮮度の良い、地元の魚介類を用いた豊富なメニューが特徴である。特に祝津はニシンの漁で栄えた町であることから、ニシン定食などのニシン料理で人気を呼んでおり、北海道産のホッケを用いたオリジナルの丼物も好評を博している。
1958年に開催された北海道大博覧会に合わせて開業された。代表取締役(2023年時点)の青塚忍は、祖父の代に明治後期に秋田から小樽へ移住し、祝津の三大親方と呼ばれる家の船頭となった後に独立した家の生まれであり、父も漁師であった。夏場は漁師としての収入が少ないために、海水浴客や博覧会の客を相手に、青塚の母が食堂を開業したことが、この店の始まりである。後年には食堂が本業になるものの、青塚は開業当時のことを「漁が暇な夏のアルバイト気分だった」と語っている。
当初の営業形態は海の家に近く、提供する食事もおでんやラーメンなどであったが、後にニシンやツブなど魚介類の提供が始められた。近隣にあるおたる水族館が1959年(昭和34年)に開業した後は、家族連れなど多くの人々が、祝津を訪れるようになった。その後に現在地に住居を建てて移転し、1963年(昭和38年)に民宿を開始。1階では食堂を営業、2階では主に工事関係者が宿泊するようになった。
当時は水族館の営業が3月から11月までだったため、青塚食堂もそれに合わせて、冬季は休業していた。1980年代に入り、小樽運河の工事の建設業者が長期宿泊したことで、冬も宴会予約が入るようになった。それに加えて従業員の定期雇用なども考慮されたことで、1993年(平成5年)に改築して暖房設備を整え、通年営業に切り替えられた。
店の名物であるニシンは、かつて日本海側では豊漁が続き、漁獲量が約97万トンに達することもあったが、その後は漁獲量が激減し、店では前浜で獲れたニシンをほとんど使うことができなかった。しかし2009年(平成21年)には、それまでの小樽市による放流事業などが功を奏し、各地でニシンの漁獲量が増加し、漁がある期間は地元産のニシンを店で出すことが可能となり、看板メニューとして客を喜ばせることとなった。食堂の営業時間は、民宿を始めて以降は、民宿の宿泊客の朝食と共に朝7時からであったが、2010年(平成22年)からは朝10時からの営業に改められた。
小樽市祝津の民宿やホテルなど観光関連施設が共同で開催した「秋の感謝週間」、小樽名産のシャコをオリジナル料理として提供する祭典「おたる産しゃこ祭」、中国でのビジネスに関心を持つ北海道内企業による「中日ビジネス会」などへの参加や、後志管内の食材による祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」への共同出品、ニシンを使った創作料理「小樽群来太郎丼」の提供などで、小樽や祝津のPRにも尽力している。
2020年(令和2年)1月には、新型コロナウイルスの影響で日本国外からの団体旅行が制限されたために、団体客数十人分の予約がキャンセルされ、その後もコロナ禍による休業など、厳しい状況が続いた。しかし塩辛やホッケの開き、イクラの醤油漬けなど、抱えていた在庫の地方発送を開始したことで、苦境への打開に至っている。2022年(令和4年)時点においては、世界的に漁獲量が減少し、あらゆる魚介の高騰が続いていたが、青塚は、「わざわざ青塚食堂を目指して来店する客に対して、期待を裏切ることはできないとの考えから、赤字覚悟で提供する場合もある」と語っている。
民宿兼食堂だが、食事のみの利用も可能である。「漁師料理」を看板としており、漁船も定置網も持つ漁師による魚介類を味わうことのできる店である。
食堂としての最大の特徴は、屋外の店頭で行われている魚の炭火焼きである。30センチメートルほどのニシンが丸ごと串に刺されて、多数並べられて炭火で焙られている光景には、魚の焼ける香気もあって名物となっている。炭火焼きには、余分な脂が落ちてべとつかず、屋外のために気兼ねなく煙を出して焼くことができる、といった利点もある。
1970年(昭和45年)頃に登場したニシン定食は看板料理の一つであり、数の子や白子が入ったままのニシンが、腹を割かずに焼かれている。社長の青塚によればオーブンやガスコンロではなく、炭火で焼くことにより、余計な水分や脂が抜け、生臭さもなくなるのだという。上品な甘味が特徴であり、素材そのままの味を生かすため、調味料は塩すら使われていない。汁物として添えられている、貝の入ったあら汁も特長である。小樽のニシン漁は1月初旬から3月中旬まで行われ、地漁獲量が少ないときや、漁が行われない期間はロシア産なども仕入れることにより、年間を通して、大ぶりで質の良いニシンが確保されている。
オリジナルの丼物である「花魚丼(はなうおどん)」も、名物の一つである。小樽で採れるホッケの有効活用を目的として、1980年代末頃(昭和60年代)に考案された。香味に用いられているサンショウの心地よい刺激、噛み応えのある皮、温かみと柔らかみのある中身、甘いたれが特徴である。「花魚」の名はホッケの漢字表記である「𩸽」に由来している。
ホッケやカレイの干物は創業当時から、店舗の裏で自前で作り続けており、1997年(平成9年)からは魚を吊るしたパイプを高速回転させる電動魚干し機を導入している。
ウニ丼やイクラ丼などの他、地元魚介類を刺身や焼き物で味わうこともできる。ホタテガイやツブなども、安価に提供されており、ホタテガイやイカなども焼きたてで味わうことが可能な店である。特にホタテはニシン同様、獲れたてのものを炭火で焼いており、醤油などをかけず、そのままの味を味わうことができる。自家製の塩辛やイカナゴの佃煮も、観光客に人気を博している。隠れ看板メニューとして、カツカレーも地元民など知る人ぞ知る人気メニューである。石狩湾の海に面した立地のため、食堂のスタイルは海の家に近く、海を眺めながら食事ができることも、特徴の一つである。
民宿としては、最大20名まで宿泊可能である。海を一望できる浴場、広い宴会場、24時間利用可能な風呂なども備えられている。人数や食事の内容によって4つの宿泊プランが選択可能で、宴会のみの予約も受け付けられている。
昭和40年代後半から約10年にかけての小樽運河保存運動を経て、小樽が観光都市として知られるようになった頃、おたる水族館共に、人気を集めるようになった。1990年代末頃から、香港の旅行会社から申し出があったことで、香港の観光客が増加し、2000年代では香港の観光客による売上が、全体の2割を占めている。ガイドブックを手にした東南アジアからの客も多くみられる。著名人が小樽を訪れたときに、よく来店する店でもある。朝7時から営業していた頃には、小樽には本州からのフェリーが朝4時に到着し、それから朝7時の開店を待って訪れる客もいた。
店頭で焼かれている魚はパフォーマンスも兼ねており、足を止めて見入る観光客、カメラを向ける観光客もおり、この香気や光景に誘われて入店する客も少なくない。食事時には行列ができるほどの人気であり。平日の昼間も多くの客で賑わう店である。2023年時点においても、地元民や観光客で連日賑わっている。
素材を生かして凝りすぎない料理が支持されており、食堂も宿もリピーターが多い。2世代にわたって食堂を愛用する客もいる。ニシンの料理の注文が多く、5月から6月にかけてはウニが観光客に人気を呼んでいる。看板料理の一つのニシン定食は、観光客の他に市内の常連客も多く、平日でも60食ほどが出る人気料理である。直径20センチメートルの器にイクラ、ホタテガイ、ニシンを盛りつけた「北海丼」には、その大きさに驚く客も多い。地元の客には、カツカレーが支持されている。
メディアでは、2009年(平成21年)7月の『日曜ビッグバラエティ』(テレビ東京)の「どうしても食べたい! 日本の丼BEST10」で、青塚食堂のウニ丼が第6位に選ばれた。2014年(平成26年)9月の『そうだ旅(どっか)に行こう。』(同)では、小樽観光大使である女優の川上麻衣子が、お勧めの食事処として青塚食堂を紹介した。2021年(令和3年)『モヤモヤさまぁ〜ず2』(同)で「美味しすぎて無口になる絶品食堂」と報じられた。2023年7月の『タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!』(同)では、「小樽人気ナンバーワン」として紹介された。
北海道ローカルのテレビ番組では、『イチオシ!』(北海道テレビ)で、地元住民が教える良店として、2005年3月8日放映分で、小樽の店の第1位として紹介された。2023年7月に情報番組『どさんこワイド』(札幌テレビ)で、海鮮を扱う店の業者100人以上にアンケート調査を実施し、札幌・小樽エリアで「同業者の方が推薦するお店」をランキング形式で紹介した際には、第1位に選ばれた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "民宿青塚食堂(みんしゅくあおつかしょくどう)は、日本の食堂、民宿。北海道小樽市祝津に所在する。1958年(昭和33年)に開業した老舗企業である。漁師直営の食堂兼民宿であり、獲れたてで鮮度の良い、地元の魚介類を用いた豊富なメニューが特徴である。特に祝津はニシンの漁で栄えた町であることから、ニシン定食などのニシン料理で人気を呼んでおり、北海道産のホッケを用いたオリジナルの丼物も好評を博している。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "1958年に開催された北海道大博覧会に合わせて開業された。代表取締役(2023年時点)の青塚忍は、祖父の代に明治後期に秋田から小樽へ移住し、祝津の三大親方と呼ばれる家の船頭となった後に独立した家の生まれであり、父も漁師であった。夏場は漁師としての収入が少ないために、海水浴客や博覧会の客を相手に、青塚の母が食堂を開業したことが、この店の始まりである。後年には食堂が本業になるものの、青塚は開業当時のことを「漁が暇な夏のアルバイト気分だった」と語っている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "当初の営業形態は海の家に近く、提供する食事もおでんやラーメンなどであったが、後にニシンやツブなど魚介類の提供が始められた。近隣にあるおたる水族館が1959年(昭和34年)に開業した後は、家族連れなど多くの人々が、祝津を訪れるようになった。その後に現在地に住居を建てて移転し、1963年(昭和38年)に民宿を開始。1階では食堂を営業、2階では主に工事関係者が宿泊するようになった。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "当時は水族館の営業が3月から11月までだったため、青塚食堂もそれに合わせて、冬季は休業していた。1980年代に入り、小樽運河の工事の建設業者が長期宿泊したことで、冬も宴会予約が入るようになった。それに加えて従業員の定期雇用なども考慮されたことで、1993年(平成5年)に改築して暖房設備を整え、通年営業に切り替えられた。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "店の名物であるニシンは、かつて日本海側では豊漁が続き、漁獲量が約97万トンに達することもあったが、その後は漁獲量が激減し、店では前浜で獲れたニシンをほとんど使うことができなかった。しかし2009年(平成21年)には、それまでの小樽市による放流事業などが功を奏し、各地でニシンの漁獲量が増加し、漁がある期間は地元産のニシンを店で出すことが可能となり、看板メニューとして客を喜ばせることとなった。食堂の営業時間は、民宿を始めて以降は、民宿の宿泊客の朝食と共に朝7時からであったが、2010年(平成22年)からは朝10時からの営業に改められた。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "小樽市祝津の民宿やホテルなど観光関連施設が共同で開催した「秋の感謝週間」、小樽名産のシャコをオリジナル料理として提供する祭典「おたる産しゃこ祭」、中国でのビジネスに関心を持つ北海道内企業による「中日ビジネス会」などへの参加や、後志管内の食材による祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」への共同出品、ニシンを使った創作料理「小樽群来太郎丼」の提供などで、小樽や祝津のPRにも尽力している。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2020年(令和2年)1月には、新型コロナウイルスの影響で日本国外からの団体旅行が制限されたために、団体客数十人分の予約がキャンセルされ、その後もコロナ禍による休業など、厳しい状況が続いた。しかし塩辛やホッケの開き、イクラの醤油漬けなど、抱えていた在庫の地方発送を開始したことで、苦境への打開に至っている。2022年(令和4年)時点においては、世界的に漁獲量が減少し、あらゆる魚介の高騰が続いていたが、青塚は、「わざわざ青塚食堂を目指して来店する客に対して、期待を裏切ることはできないとの考えから、赤字覚悟で提供する場合もある」と語っている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "民宿兼食堂だが、食事のみの利用も可能である。「漁師料理」を看板としており、漁船も定置網も持つ漁師による魚介類を味わうことのできる店である。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "食堂としての最大の特徴は、屋外の店頭で行われている魚の炭火焼きである。30センチメートルほどのニシンが丸ごと串に刺されて、多数並べられて炭火で焙られている光景には、魚の焼ける香気もあって名物となっている。炭火焼きには、余分な脂が落ちてべとつかず、屋外のために気兼ねなく煙を出して焼くことができる、といった利点もある。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "1970年(昭和45年)頃に登場したニシン定食は看板料理の一つであり、数の子や白子が入ったままのニシンが、腹を割かずに焼かれている。社長の青塚によればオーブンやガスコンロではなく、炭火で焼くことにより、余計な水分や脂が抜け、生臭さもなくなるのだという。上品な甘味が特徴であり、素材そのままの味を生かすため、調味料は塩すら使われていない。汁物として添えられている、貝の入ったあら汁も特長である。小樽のニシン漁は1月初旬から3月中旬まで行われ、地漁獲量が少ないときや、漁が行われない期間はロシア産なども仕入れることにより、年間を通して、大ぶりで質の良いニシンが確保されている。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "オリジナルの丼物である「花魚丼(はなうおどん)」も、名物の一つである。小樽で採れるホッケの有効活用を目的として、1980年代末頃(昭和60年代)に考案された。香味に用いられているサンショウの心地よい刺激、噛み応えのある皮、温かみと柔らかみのある中身、甘いたれが特徴である。「花魚」の名はホッケの漢字表記である「𩸽」に由来している。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "ホッケやカレイの干物は創業当時から、店舗の裏で自前で作り続けており、1997年(平成9年)からは魚を吊るしたパイプを高速回転させる電動魚干し機を導入している。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "ウニ丼やイクラ丼などの他、地元魚介類を刺身や焼き物で味わうこともできる。ホタテガイやツブなども、安価に提供されており、ホタテガイやイカなども焼きたてで味わうことが可能な店である。特にホタテはニシン同様、獲れたてのものを炭火で焼いており、醤油などをかけず、そのままの味を味わうことができる。自家製の塩辛やイカナゴの佃煮も、観光客に人気を博している。隠れ看板メニューとして、カツカレーも地元民など知る人ぞ知る人気メニューである。石狩湾の海に面した立地のため、食堂のスタイルは海の家に近く、海を眺めながら食事ができることも、特徴の一つである。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "民宿としては、最大20名まで宿泊可能である。海を一望できる浴場、広い宴会場、24時間利用可能な風呂なども備えられている。人数や食事の内容によって4つの宿泊プランが選択可能で、宴会のみの予約も受け付けられている。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "昭和40年代後半から約10年にかけての小樽運河保存運動を経て、小樽が観光都市として知られるようになった頃、おたる水族館共に、人気を集めるようになった。1990年代末頃から、香港の旅行会社から申し出があったことで、香港の観光客が増加し、2000年代では香港の観光客による売上が、全体の2割を占めている。ガイドブックを手にした東南アジアからの客も多くみられる。著名人が小樽を訪れたときに、よく来店する店でもある。朝7時から営業していた頃には、小樽には本州からのフェリーが朝4時に到着し、それから朝7時の開店を待って訪れる客もいた。",
"title": "反響"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "店頭で焼かれている魚はパフォーマンスも兼ねており、足を止めて見入る観光客、カメラを向ける観光客もおり、この香気や光景に誘われて入店する客も少なくない。食事時には行列ができるほどの人気であり。平日の昼間も多くの客で賑わう店である。2023年時点においても、地元民や観光客で連日賑わっている。",
"title": "反響"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "素材を生かして凝りすぎない料理が支持されており、食堂も宿もリピーターが多い。2世代にわたって食堂を愛用する客もいる。ニシンの料理の注文が多く、5月から6月にかけてはウニが観光客に人気を呼んでいる。看板料理の一つのニシン定食は、観光客の他に市内の常連客も多く、平日でも60食ほどが出る人気料理である。直径20センチメートルの器にイクラ、ホタテガイ、ニシンを盛りつけた「北海丼」には、その大きさに驚く客も多い。地元の客には、カツカレーが支持されている。",
"title": "反響"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "メディアでは、2009年(平成21年)7月の『日曜ビッグバラエティ』(テレビ東京)の「どうしても食べたい! 日本の丼BEST10」で、青塚食堂のウニ丼が第6位に選ばれた。2014年(平成26年)9月の『そうだ旅(どっか)に行こう。』(同)では、小樽観光大使である女優の川上麻衣子が、お勧めの食事処として青塚食堂を紹介した。2021年(令和3年)『モヤモヤさまぁ〜ず2』(同)で「美味しすぎて無口になる絶品食堂」と報じられた。2023年7月の『タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!』(同)では、「小樽人気ナンバーワン」として紹介された。",
"title": "反響"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "北海道ローカルのテレビ番組では、『イチオシ!』(北海道テレビ)で、地元住民が教える良店として、2005年3月8日放映分で、小樽の店の第1位として紹介された。2023年7月に情報番組『どさんこワイド』(札幌テレビ)で、海鮮を扱う店の業者100人以上にアンケート調査を実施し、札幌・小樽エリアで「同業者の方が推薦するお店」をランキング形式で紹介した際には、第1位に選ばれた。",
"title": "反響"
}
] | 民宿青塚食堂(みんしゅくあおつかしょくどう)は、日本の食堂、民宿。北海道小樽市祝津に所在する。1958年(昭和33年)に開業した老舗企業である。漁師直営の食堂兼民宿であり、獲れたてで鮮度の良い、地元の魚介類を用いた豊富なメニューが特徴である。特に祝津はニシンの漁で栄えた町であることから、ニシン定食などのニシン料理で人気を呼んでおり、北海道産のホッケを用いたオリジナルの丼物も好評を博している。 | {{商業施設
|社色=#FFDEAD
|書式=
|名称=民宿青塚食堂
|外国語名称=Aotsuka Shokudo{{R|LIVE JAPAN Perfect Guide20201221}}
|画像=烤鰊魚, 烤花魚, 帆立貝, 花魚丼, 民宿青塚食堂, 小樽, 北海道, 日本, Otaru, Hokkaido, Japan, おたるし, ほっかいどう, にっぽん, にほん (32871714037).jpg
|画像説明=2019年1月14日撮影
|地図={{Maplink2|zoom=15|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=288|type=point|coord={{Coord|43|14|10.759|N|141|00|53.357|E|}}|marker=commercial}}
|郵便番号=047-0047
|所在地=[[北海道]][[小樽市]]祝津3丁目210番地
|緯度度=43 |緯度分=14 |緯度秒=11.718
|経度度=141 |経度分=00 |経度秒=53.161
|座標右上表示=
|地図国コード=JP-01
|開業日=[[1958年]]
|閉業日=
|店番号=
|正式名称=有限会社民宿青塚食堂{{R|国税庁20151130}}
|建物名称=
|土地所有者=
|施設所有者=
|施設管理者=
|設計者=
|施工者=
|敷地面積= |敷地面積脚注= |敷地面積備考=
|建築面積= |建築面積脚注= |建築面積備考=
|延床面積= |延床面積脚注= |延床面積備考=
|商業施設面積= |商業施設面積脚注= |商業施設面積備考=
|店舗数=1
|中核店舗=
|営業時間=10:00 - 21:00
|駐車台数= |駐車台数脚注= |駐車台数備考=
|駐輪台数= |駐輪台数脚注= |駐輪台数備考=
|商圏人口=
|最寄バス停 = [[北海道中央バス]] おたる水族館<!-- [[おたる水族館]]そのものではなく、バス停がこういう名前です -->
|外部リンク = {{Official website|http://www.aotsuka.com/}}
}}
'''民宿青塚食堂'''(みんしゅくあおつかしょくどう)は、[[日本]]の[[食堂]]、[[民宿]]。[[北海道]][[小樽市]]祝津(しゅくつ)に所在する。1958年(昭和33年)に開業した老舗企業である{{R|Sitakke20230505}}。漁師直営の食堂兼民宿であり、獲れたてで鮮度の良い、地元の[[魚介類]]を用いた豊富なメニューが特徴である{{R|サンデー毎日20170212_p146|北海道Likers20230207}}。特に祝津は[[ニシン]]の漁で栄えた町であることから、ニシン定食などのニシン料理で人気を呼んでおり{{R|北海道旅事典_p239}}、北海道産の[[ホッケ]]を用いたオリジナルの[[丼物]]も好評を博している{{R|朝日新聞20130329e_p5}}。
== 沿革 ==
1958年に開催された[[北海道大博覧会 (1958年)|北海道大博覧会]]に合わせて開業された{{R|北海道ファンマガジン20220420}}。代表取締役(2023年時点)の青塚忍は、祖父の代に明治後期に秋田から小樽へ移住し、祝津の三大親方と呼ばれる家の船頭となった後に独立した家の生まれであり、父も漁師であった{{R|サンデー毎日20170212_p146|Discover_Japan20220106_p53}}。夏場は漁師としての収入が少ないために、海水浴客や博覧会の客を相手に{{R|北海道ファンマガジン20220420}}、青塚の母が食堂を開業したことが、この店の始まりである{{R|朝日新聞20130329e_p5}}。後年には食堂が本業になるものの、青塚は開業当時のことを「漁が暇な夏のアルバイト気分だった」と語っている{{R|道新20100107m_p22}}。
当初の営業形態は[[海の家]]に近く、提供する食事も[[おでん]]や[[ラーメン]]などであったが、後にニシンや[[ツブ]]など魚介類の提供が始められた{{R|朝日新聞20130329e_p5}}。近隣にある[[おたる水族館]]が1959年(昭和34年)に開業した後は、家族連れなど多くの人々が、祝津を訪れるようになった{{R|北海道ファンマガジン20220420}}。その後に現在地に住居を建てて移転し{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}、1963年(昭和38年)に民宿を開始{{R|朝日新聞20130329e_p5}}。1階では食堂を営業、2階では主に工事関係者が宿泊するようになった{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。
当時は水族館の営業が3月から11月までだったため、青塚食堂もそれに合わせて、冬季は休業していた{{R|北海道ファンマガジン20220420|道新20100107m_p22}}。1980年代に入り、[[小樽運河]]の工事の建設業者が長期宿泊したことで、冬も宴会予約が入るようになった{{R|道新20100107m_p22}}。それに加えて従業員の定期雇用なども考慮されたことで{{R|北海道ファンマガジン20220420}}、1993年(平成5年)に改築して暖房設備を整え、通年営業に切り替えられた{{R|朝日新聞20130329e_p5|道新20100107m_p22}}。
店の名物であるニシンは、かつて日本海側では豊漁が続き、漁獲量が約97万トンに達することもあったが、昭和20年代以降は漁獲量が激減し、店では前浜で獲れたニシンをほとんど使うことができなかった{{R|Sitakke20230505}}。しかし2009年(平成21年)には、それまでの小樽市による放流事業などが功を奏し、各地でニシンの漁獲量が増加し、漁がある期間は地元産のニシンを店で出すことが可能となり、看板メニューとして客を喜ばせることとなった{{R|Sitakke20230505}}。食堂の営業時間は、民宿を始めて以降は、民宿の宿泊客の朝食と共に朝7時からであったが{{R|エスクァイア20021001_p238}}、2010年(平成22年)からは朝10時からの営業に改められた{{R|青塚食堂20220920}}。
小樽市祝津の民宿やホテルなど観光関連施設が共同で開催した「秋の感謝週間{{R|道新20041001m_p31}}」、小樽名産の[[シャコ]]をオリジナル料理として提供する祭典「[[小樽しゃこ祭|おたる産しゃこ祭]]」{{R|道新20081020e_p10}}、中国でのビジネスに関心を持つ北海道内企業による「中日ビジネス会」などへの参加や{{R|道新20050204m_p33}}、[[後志総合振興局|後志]]管内の食材による祭典「知産志食しりべし ローカルフードチャレンジ」への共同出品{{R|道新20160205e_p9}}、ニシンを使った創作料理「[[群来太郎丼|小樽群来太郎丼]]」の提供などで{{R|ノジュール20180503_p74|道新20160326m_p28}}、小樽や祝津のPRにも尽力している。
2020年(令和2年)1月には、[[2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]で日本国外からの団体旅行が制限されたために、団体客数十人分の予約がキャンセルされ{{R|道新20200129m_p19}}、その後も[[コロナ禍]]による休業など、厳しい状況が続いた{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。しかし[[塩辛]]や[[ホッケ]]の開き、[[イクラ]]の醤油漬けなど、抱えていた在庫の地方発送を開始したことで、苦境への打開に至っている{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。2022年(令和4年)時点においては、世界的に漁獲量が減少し、あらゆる魚介の高騰が続いていたが、青塚は、「わざわざ青塚食堂を目指して来店する客に対して、期待を裏切ることはできないとの考えから、赤字覚悟で提供する場合もある」と語っている{{R|北海道ファンマガジン20220420}}。
== 特徴 ==
[[ファイル:烤鰊魚, 烤花魚, 帆立貝, 花魚丼, 民宿青塚食堂, 小樽, 北海道, 日本, Otaru, Hokkaido, Japan, おたるし, ほっかいどう, にっぽん, にほん (33938301928).jpg|right|サムネイル|店頭でのニシンの炭火焼き]]
[[ファイル:烤鰊魚, 烤花魚, 帆立貝, 花魚丼, 民宿青塚食堂, 小樽, 北海道, 日本, Otaru, Hokkaido, Japan, おたるし, ほっかいどう, にっぽん, にほん (47026018784).jpg|right|サムネイル|花魚丼]]
[[ファイル:烤鰊魚, 烤花魚, 帆立貝, 花魚丼, 民宿青塚食堂, 小樽, 北海道, 日本, Otaru, Hokkaido, Japan, おたるし, ほっかいどう, にっぽん, にほん (47763326632).jpg|right|サムネイル|ホタテ焼き]]
民宿兼食堂だが、食事のみの利用も可能である{{R|Discover_Japan20220106_p53}}。「漁師料理」を看板としており、漁船も定置網も持つ漁師による魚介類を味わうことのできる店である{{R|オブラ20020901_p70}}。
食堂としての最大の特徴は、屋外の店頭で行われている魚の炭火焼きである{{R|北海道ファンマガジン20220420}}。30センチメートルほどのニシンが丸ごと串に刺されて{{R|サンデー毎日20170212_p146|日本全国朝ごはんジャーニー20210319_p15|}}、多数並べられて炭火で焙られている光景には、魚の焼ける香気もあって名物となっている{{R|道新20021122m_p13|まっぷる202304_p119}}。炭火焼きには、余分な脂が落ちてべとつかず{{R|オブラ20020901_p70|道新20100316e_p13}}、屋外のために気兼ねなく煙を出して焼くことができる{{R|北海道ファンマガジン20220420}}、といった利点もある。
1970年(昭和45年)頃に登場したニシン定食は看板料理の一つであり{{R|ノジュール20180503_p74}}、[[数の子]]や[[白子 (精巣)|白子]]が入ったままのニシンが、腹を割かずに焼かれている{{R|日本全国朝ごはんジャーニー20210319_p15|道新20021122m_p13}}。社長の青塚によればオーブンやガスコンロではなく、炭火で焼くことにより、余計な水分や脂が抜け、生臭さもなくなるのだという{{R|道新20120817m_p25}}。上品な甘味が特徴であり{{R|日本全国朝ごはんジャーニー20210319_p15}}、素材そのままの味を生かすため、調味料は塩すら使われていない{{R|Sitakke20230505}}。汁物として添えられている、[[貝]]の入った[[あら汁]]も特長である{{R|培倶人20180630_p80}}。小樽のニシン漁は1月初旬から3月中旬まで行われ、地漁獲量が少ないときや、漁が行われない期間はロシア産なども仕入れることにより、年間を通して、大ぶりで質の良いニシンが確保されている{{R|北海道ファンマガジン20220420}}。
オリジナルの丼物である「花魚丼(はなうおどん)」も、名物の一つである{{R|培倶人20190701_p73|北海道Likers20230713}}。小樽で採れるホッケの有効活用を目的として、1980年代末頃(昭和60年代)に考案された{{R|朝日新聞20130329e_p5|培倶人20190701_p73}}。香味に用いられている[[サンショウ]]の心地よい刺激、噛み応えのある皮、温かみと柔らかみのある中身、甘いたれが特徴である{{R|培倶人20190701_p73|培倶人20170630_p74}}。「花魚」の名はホッケの漢字表記である「𩸽」に由来している{{R|朝日新聞20130329e_p5|道新20130927m_p29}}。
ホッケや[[カレイ]]の[[干物]]は創業当時から、店舗の裏で自前で作り続けており、1997年(平成9年)からは魚を吊るしたパイプを高速回転させる電動魚干し機を導入している{{R|道新20020522m_p26}}。
[[ウニ丼]]や[[イクラ|イクラ丼]]などの他{{R|培倶人20190701_p73}}、地元魚介類を刺身や焼き物で味わうこともできる{{R|北海道旅事典_p239}}。[[ホタテガイ]]や[[ツブ]]なども、安価に提供されており{{R|まっぷる202304_p119}}、ホタテガイや[[イカ]]なども焼きたてで味わうことが可能な店である{{R|サンデー毎日20170212_p146}}。特にホタテはニシン同様、獲れたてのものを炭火で焼いており、醤油などをかけず、そのままの味を味わうことができる{{R|一個人20020201_p12}}。自家製の塩辛や[[イカナゴ]]の[[佃煮]]も、観光客に人気を博している{{R|道新20050702m_p28}}。隠れ看板メニューとして、[[カツカレー]]も地元民など知る人ぞ知る人気メニューである{{R|たびらい20190220}}。石狩湾の海に面した立地のため、食堂のスタイルは海の家に近く{{R|たべあるきnavi199901_p187}}、海を眺めながら食事ができることも、特徴の一つである{{R|まっぷる202304_p119|TBS20230518}}。
民宿としては、最大20名まで宿泊可能である{{R|たびらい20190220}}。海を一望できる浴場、広い宴会場{{R|たびらい20190220}}、24時間利用可能な風呂なども備えられている{{R|たなげ会_青塚食堂}}。人数や食事の内容によって4つの宿泊プランが選択可能で、宴会のみの予約も受け付けられている{{R|たびらい20190220}}。
== 反響 ==
昭和40年代後半から約10年にかけての小樽運河保存運動を経て、小樽が観光都市として知られるようになった頃、おたる水族館共に、人気を集めるようになった{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。1990年代末頃から、[[香港]]の旅行会社から申し出があったことで、香港の観光客が増加し、2000年代では香港の観光客による売上が、全体の2割を占めている{{R|道新20040203m_p24}}。ガイドブックを手にした東南アジアからの客も多くみられる{{R|道新20130927m_p29}}。著名人が小樽を訪れたときに、よく来店する店でもある{{R|J-TRIP20170611}}。朝7時から営業していた頃には、小樽には本州からのフェリーが朝4時に到着し、それから朝7時の開店を待って訪れる客もいた{{R|エスクァイア20021001_p238}}。
店頭で焼かれている魚はパフォーマンスも兼ねており{{R|北海道ファンマガジン20220420}}、足を止めて見入る観光客{{R|道新20021122m_p13|J-TRIP20170611}}、カメラを向ける観光客もおり{{R|道新20130927m_p29}}、この香気や光景に誘われて入店する客も少なくない{{R|一個人20020201_p12|たびらい20190220}}。食事時には行列ができるほどの人気であり{{R|たびらい20190220}}。平日の昼間も多くの客で賑わう店である{{R|Sitakke20230505}}。2023年時点においても、地元民や観光客で連日賑わっている{{R|北海道Likers20230207}}。
[[ファイル:烤鰊魚, 烤花魚, 帆立貝, 花魚丼, 民宿青塚食堂, 小樽, 北海道, 日本, Otaru, Hokkaido, Japan, おたるし, ほっかいどう, にっぽん, にほん (32871713807).jpg|right|サムネイル|ニシン定食]]
素材を生かして凝りすぎない料理が支持されており、食堂も宿もリピーターが多い{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。2世代にわたって食堂を愛用する客もいる{{R|エスクァイア20021001_p238}}。ニシンの料理の注文が多く、5月から6月にかけてはウニが観光客に人気を呼んでいる{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。看板料理の一つのニシン定食は、観光客の他に市内の常連客も多く、平日でも60食ほどが出る人気料理である{{R|道新20021122m_p13}}。直径20センチメートルの器にイクラ、ホタテガイ、ニシンを盛りつけた「北海丼」には、その大きさに驚く客も多い{{R|たべあるきnavi199901_p187}}。地元の客には、カツカレーが支持されている{{R|北海道中小企業家同友会20230515}}。
メディアでは、2009年(平成21年)7月の『[[日曜ビッグバラエティ (テレビ東京)|日曜ビッグバラエティ]]』([[テレビ東京]])の「どうしても食べたい! 日本の丼BEST10」で、青塚食堂のウニ丼が第6位に選ばれた{{R|テレ東20090712}}。2014年(平成26年)9月の『[[そうだ旅(どっか)に行こう。]]』(同)では、小樽観光大使である女優の[[川上麻衣子]]が、お勧めの食事処として青塚食堂を紹介した{{R|TVでた蔵20140915_p1}}。2021年(令和3年)『[[モヤモヤさまぁ〜ず2]]』(同)で「美味しすぎて無口になる絶品食堂」と報じられた{{R|TVでた蔵20210102_p1}}。2023年7月の『[[タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!]]』(同)では、「小樽人気ナンバーワン」として紹介された{{R|TVでた蔵20230615_p2}}。
北海道ローカルのテレビ番組では、『[[イチオシ!!|イチオシ!]]』([[北海道テレビ]])で、地元住民が教える良店として、2005年3月8日放映分で、小樽の店の第1位として紹介された{{R|HTB20050308}}。2023年7月に情報番組『[[どさんこワイド]]』([[札幌テレビ]])で、海鮮を扱う店の業者100人以上にアンケート調査を実施し、札幌・小樽エリアで「同業者の方が推薦するお店」をランキング形式で紹介した際には、第1位に選ばれた{{R|STV20230707}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="Discover_Japan20220106_p53">{{Harvnb|Discover Japan|2022|p=53}}</ref>
<ref name="サンデー毎日20170212_p146">{{Harvnb|時田|2017|p=146}}</ref>
<ref name="エスクァイア20021001_p238">{{Harvnb|滝|2002|pp=238-239}}</ref>
<ref name="ノジュール20180503_p74">{{Harvnb|石田|2018|pp=74-75}}</ref>
<ref name="まっぷる202304_p119">{{Harvnb|まっぷる|2023|p=119}}</ref>
<ref name="たべあるきnavi199901_p187">{{Harvnb|たべあるきnavi|1999|p=187}}</ref>
<ref name="一個人20020201_p12">{{Harvnb|緒形|2002|pp=12-13}}</ref>
<ref name="オブラ20020901_p70">{{Harvnb|川嶋|2002|p=70}}</ref>
<ref name="培倶人20190701_p73">{{Harvnb|培倶人|2019|p=73}}</ref>
<ref name="北海道旅事典_p239">{{Harvnb|昭文社|2023|p=239}}</ref>
<ref name="日本全国朝ごはんジャーニー20210319_p15">{{Harvnb|マーティン|2021|p=15}}</ref>
<ref name="培倶人20180630_p80">{{Cite journal|和書|date=2018-6-30|title=蝦夷から「道」に変わって150年! 北海道150の魅力|journal=BikeJIN/培倶人|volume=15|issue=8|page=80|publisher=[[枻出版社]]|id={{OYALIB|200102382}}}}</ref>
<ref name="培倶人20170630_p74">{{Cite journal|和書|author=中村淳一|date=2017-6-30|title=地元ディーラーに聞いた道央オススメ日帰りルート|journal=BikeJIN/培倶人|volume=14|issue=8|page=74|id={{OYALIB|200102370}}|ref={{SfnRef|中村|2017}}}}</ref>
<ref name="朝日新聞20130329e_p5">{{Cite news|和書|title=まち歩きのススメ 食堂編 青塚食堂「地元の台所」観光客も|newspaper=[[朝日新聞]]|edition=北海道夕刊|date=2013-3-29|author=塚田敏信|page=5|publisher=[[朝日新聞社]]}}</ref>
<ref name="道新20100107m_p22">{{Cite news|和書|title=しりべし風しるべ 第1部 ふるさとの新年 稼ぐ現場 思い込め 工夫凝らし|newspaper=[[北海道新聞]]|edition=樽A朝刊|date=2010-1-7|page=22|publisher=[[北海道新聞社]]}}</ref>
<ref name="道新20041001m_p31">{{Cite news|和書|title=祝津の魅力に知恵を 観光7施設 初の「感謝週間」アンケート実施 宿泊券も|newspaper=北海道新聞|edition=樽B朝刊|date=2004-10-1|author=加藤浩嗣|page=31}}</ref>
<ref name="道新20040203m_p24">{{Cite news|和書|title=おはよう経済 アジアの人の心つかむ 受け入れ客伸びる小樽の観光施設 食堂、ホテル、オルゴール店 細やかな心遣いに人気|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2004-2-3|author=青山修二|page=24}}</ref>
<ref name="道新20020522m_p26">{{Cite news|和書|title=穏やかな日和 小樽の風物詩 自家製干物あちこちに 風に揺れるあめ色の輝き|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2002-5-22|page=26}}</ref>
<ref name="道新20021122m_p13">{{Cite news|和書|title=フォトピック カズノコ、シラコ 入ったまま!|newspaper=北海道新聞|edition=全道朝刊|date=2002-11-22|author=北野清|page=13}}</ref>
<ref name="道新20050204m_p33">{{Cite news|和書|title=中国ビジネス将来像を語る 札幌の団体が懇談|newspaper=北海道新聞|edition=樽B朝刊|date=2005-2-4|author=青山修二|page=33}}</ref>
<ref name="道新20050702m_p28">{{Cite news|和書|title=新ふるさと考 記者が見た小樽の課題 曲がり角の観光 本物の味やサービスを|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2005-7-2|author=山本倫子|page=28}}</ref>
<ref name="道新20081020e_p10">{{Cite news|和書|title=ゆでてよし! 焼いてよし! シャコ 祭りでPR 小樽で来月初 実演など多彩|newspaper=北海道新聞|edition=全道夕刊|date=2008-10-20|page=10}}</ref>
<ref name="道新20100316e_p13">{{Cite news|和書|title=しりべし旅日記 祝津パノラマ展望台 ニシン群来しのぶ場|newspaper=北海道新聞|edition=夕後夕刊|date=2010-3-16|author=熊谷純二|page=13}}</ref>
<ref name="道新20120817m_p25">{{Cite news|和書|title=現代かわら版 道央1泊2日満腹の旅 小樽市内編 樽っ子の心の味|newspaper=北海道新聞|edition=札圏朝刊|date=2012-8-17|author=米林千晴|page=25}}</ref>
<ref name="道新20130927m_p29">{{Cite news|和書|title=青い海輝く山 ニセコ積丹小樽海岸国定公園50周年 民宿青塚食堂社長 青塚忍さん 飾らぬ浜料理を提供|newspaper=北海道新聞|edition=樽B朝刊|date=2013-9-27|author=斉藤高広|page=29}}</ref>
<ref name="道新20160205e_p9">{{Cite news|和書|title=「群来太郎丼」出品3社に最高賞 しりべしローカルフードチャレンジ 小樽の複数店で提供へ 事業の拡大を評価|newspaper=北海道新聞|edition=夕後夕刊|date=2016-2-5|author=市村信子|page=9}}</ref>
<ref name="道新20160326m_p28">{{Cite news|和書|title=ニシン消費群来太郎丼で 小樽の有志が実行委設立|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2016-3-26|author=志村直|page=28}}</ref>
<ref name="道新20200129m_p19">{{Cite news|和書|title=新型肺炎で中国が団体旅行禁止 観光業者支援を検討 小樽商工会議所 金融機関と協議|newspaper=北海道新聞|edition=樽B朝刊|date=2020-1-29|author=西依一憲・谷本雄也・徳留弥生|page=19}}</ref>
<ref name="HTB20050308">{{Cite web|和書|url=https://www.htb.co.jp/ichi/ichi/sekai/otaru.html |title=小樽市 : 世界に一つだけの味|accessdate=2023-10-21|date=2005-3-8|website=[[イチオシ!!|イチオシ!]]|publisher=[[北海道テレビ放送]]}}</ref>
<ref name="J-TRIP20170611">{{Cite web|和書|url=https://www.smartmagazine.jp/hokkaido/article/16003/ |title=浜の食堂はおいしさいっぱい! 小樽・祝津の民宿青塚食堂|accessdate=2023-10-21|author=石田美恵|date=2017-6-11|website=Smart Magazine 北海道|publisher=J-TRIP}}</ref>
<ref name="Sitakke20230505">{{Cite web|和書|url=https://sitakke.jp/post/6328/ |title=創業65年! 名物の特大ニシンが人気の老舗店「青塚食堂」【小樽】|accessdate=2023-10-21|date=2023-5-5|website=Sitakke|publisher=[[北海道放送]]}}</ref>
<ref name="STV20230707">{{Cite web|和書|url=https://www.stv.jp/tv/dosanko_eve/tokushu/on94nv0000004h2v.html |title=同業者100人に聞いた! 絶品海鮮の名店ランキング|accessdate=2023-10-21|date=2023-7-7|website=[[どさんこワイド]]|publisher=[[札幌テレビ放送]]}}</ref>
<ref name="TBS20230518">{{Cite web|和書|url=https://www.tbsradio.jp/articles/70093/ |title=小樽観光協会理事の大塚英治さんが語る、「初夏に行きたい小樽のおすすめ観光スポット」|accessdate=2023-10-21|date=2023-5-18|publisher=[[TBSラジオ]]}}</ref>
<ref name="TVでた蔵20140915_p1">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/そうだ旅(どっか)に行こう。/787409 |title=そうだ旅(どっか)に行こう。 2014/09/15(月)08:30 の放送内容|accessdate=2023-10-21|date=2014-9-15|page=1|website=[[TVでた蔵]]|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]}}</ref>
<ref name="TVでた蔵20210102_p1">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/モヤモヤさまぁ〜ず2/1430345 |title=モヤモヤさまぁ〜ず2 2021/01/02(土)12:30 の放送内容|accessdate=2023-10-21|date=2021-1-2|page=1|website=TVでた蔵}}</ref>
<ref name="TVでた蔵20230615_p2">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!/1647228/2 |title=タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって! 2023/06/15(木)18:25 の放送内容|accessdate=2023-10-21|date=2023-6-15|page=2|website=TVでた蔵}}</ref>
<ref name="たびらい20190220">{{Cite web|和書|url=https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0009395.aspx |title=民宿青塚食堂|浜の食堂で味わう、小樽祝津の「海のごちそう」|accessdate=2023-10-21|date=2019-2-20|website=たびらい|publisher=パム}}</ref>
<ref name="テレ東20090712">{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/sun/archive/contact/090712.html |title=2009年7月12日放送「どうしても食べたい! 日本の丼BEST10」|accessdate=2023-10-21|date=2009-7-12|website=[[日曜ビッグバラエティ (テレビ東京)|日曜ビッグバラエティ]]|publisher=[[テレビ東京]]}}</ref>
<ref name="国税庁20151130">{{Cite web|和書|url=https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=9430002055445 |title=有限会社民宿青塚食堂|accessdate=2023-10-21|date=2015-10-30|website=法人番号公表サイト|publisher=[[国税庁]]}}</ref>
<ref name="北海道Likers20230207">{{Cite web|和書|url=https://hokkaidolikers.com/archives/65024 |title=地元民に愛されて100年以上の名店も! 小樽で外せない「老舗ランチ」5選|accessdate=2023-10-21|author=|date=2023-2-7|website=北海道Likers|publisher=INCLUSIVE}}</ref>
<ref name="北海道Likers20230713">{{Cite web|和書|url=https://hokkaidolikers.com/archives/41668 |title=海鮮丼だけじゃない! ほかとは一味違う海鮮を味わえる「地元民おすすめ食堂」(小樽市)|accessdate=2023-10-21|author=yukko|date=2021-7-23|website=北海道Likers}}</ref>
<ref name="北海道ファンマガジン20220420">{{Cite web|和書|url=https://hokkaidofan.com/aotsuka-shokudou/ |title=魚介の香ばしさを振りまき67年! 小樽市祝津「青塚食堂」で炭火焼き!|accessdate=2023-10-21|date=2022-4-20|website=[[北海道ファンマガジン]]|publisher=PLUS}}</ref>
<ref name="北海道中小企業家同友会20230515">{{Cite web|和書|url=https://hokkaido.doyu.jp/202305np01/ |title=【わが人生わが経営 142】(有)民宿青塚食堂 代表取締役 青塚忍氏(78)(しりべし・小樽支部)|accessdate=2023-10-21|date=2023-5-15|publisher=北海道中小企業家同友会}}</ref>
<ref name="青塚食堂20220920">{{Cite web|和書|url=http://www.aotsuka.com/access.html |title=アクセス|accessdate=2023-10-21|date=2022-9-20|publisher=民宿青塚食堂}}</ref>
<ref name="たなげ会_青塚食堂">{{Cite web|和書|url=https://tanage.jp/aotsuka/ |title=民宿青塚食堂|accessdate=2023-10-21|website=おたる祝津たなげ会}}</ref>
<ref name="LIVE JAPAN Perfect Guide20201221">{{Cite web|url=https://livejapan.com/en/in-hokkaido/in-pref-hokkaido/in-otaru/article-a1000080/ |title=Hokkaido Food Guide: 4 Top Seafood Restaurants in Otaru!|accessdate=2023-10-21|date=2020-12-21|website=LIVE JAPAN travel guide|language=en}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=石田たまみ|date=2018-5-31|title=北海道150年 おいしい旅物語 小樽市 小樽のニシン歴史探訪へ|journal=ノジュール|issue=140|pages=69-77|publisher=[[JTBパブリッシング]]|id={{OYALIB|100075320}}|ref={{SfnRef|石田|2018}}}}
* {{Cite journal|和書|author=緒形拳|authorlink=緒形拳|date=2002-2-1|title=獲れたての旬の味が最高! 魚市場の朝ごはん 緒形拳さんの朝ごはんは栄養の乗った元気の素|journal=[[一個人]]|volume=3|issue=2|pages=8-13|publisher=[[KKベストセラーズ]]|id={{OYALIB|000017761}}|ref={{SfnRef|緒形|2002}}}}
* {{Cite journal|和書|author=滝昌史|date=2002-10-1|title=北海道小樽市 民宿 青塚食堂 by MERCEDES-BENZ E500 Avantgarde 石狩湾にて海を食べる。|journal=[[エスクァイア|エスクァイア日本版]]|volume=16|issue=10|pages=238-241|publisher=エスクァイアマガジンジャパン|id={{OYALIB|200152234}}|ref={{SfnRef|滝|2002}}}}
* {{Cite journal|和書|author=川嶋康男|date=2002-9-1|title=北海道の「夏力」北の三都 小樽・札幌・函館「本当に旨い店」物語|journal=オブラ|volume=2|issue=9|pages=70-77|publisher=[[講談社]]|id={{OYALIB|200179264}}|ref={{SfnRef|川嶋|2002}}}}
* {{Cite journal|和書|author=時田慎也|date=2017-2-12|title=とことん1日旅 街ものがたり 21回 小樽(北海道)ぬくもりに満ちた手づくりの雪祭りへ|journal=[[サンデー毎日]]|volume=96|issue=6|pages=142-146|publisher=[[毎日新聞出版]]|id={{OYALIB|100038417}}|ref={{SfnRef|時田|2017}}}}
* {{Cite book|和書|author=マーティン|authorlink=マーティン (タレント)|title=日本全国朝ごはんジャーニーオフィシャルフォトブック 日本のおいしい朝ごはん|date=2021-3-19|publisher=[[KADOKAWA]]|volume=東日本編|isbn=978-4-04-110832-1|ref={{SfnRef|マーティン|2021}}}}
* {{Cite book|和書|title=たべあるきnavi札幌 小樽 Select・800|date=1999-1<!-- 奥付は年月のみ -->|publisher=[[昭文社]]|series=たべあるきnavi|isbn=978-4-398-25059-9|ref={{SfnRef|たべあるきnavi|1999}}}}
* {{Cite book|和書|title=札幌小樽・富良野・旭山動物園 '24|date=2023-4|publisher=昭文社|series=まっぷるマガジン|isbn=978-4-398-29675-7|ref={{SfnRef|まっぷる|2023}}}}
* {{Cite book|和書|title=北海道旅事典|date=2023-6|publisher=昭文社|isbn=978-4-398-14501-7|ref={{SfnRef|昭文社|2023}}}}
* {{Cite journal|和書|date=2022-1-6|title=北海道・ニシンとシシャモの旅|journal=Discover Japan|volume=4|issue=2|pages=50-57|publisher=ディスカバー・ジャパン|id={{全国書誌番号|01024056}}|ref={{SfnRef|Discover Japan|2022}}}}
* {{Cite journal|和書|date=2019-7-1|title=2泊3日で行く北海道|journal=BikeJIN/培倶人|volume=16|issue=9|pages=24-96|publisher=[[枻出版社]]|id={{OYALIB|000044901}}|ref={{SfnRef|培倶人|2019}}}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Aotsukashokudou}}
* {{Official website|http://www.aotsuka.com/ |美味しい海を食べてください 青塚食堂・公式HP}} - 公式ウェブサイト
{{DEFAULTSORT:みんしゆくあおつかしよくとう}}
[[Category:小樽市の企業]]
[[Category:北海道の飲食店]]
[[Category:北海道の宿泊施設]]
[[Category:1958年設立の企業]] | 2023-10-21T06:33:35Z | 2023-10-23T12:31:30Z | false | false | false | [
"Template:Cite book",
"Template:Commonscat",
"Template:Official website",
"Template:商業施設",
"Template:R",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite journal"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E5%AE%BF%E9%9D%92%E5%A1%9A%E9%A3%9F%E5%A0%82 |
4,844,629 | 白永勲 | 白 永勲(ペク・ヨンフン、朝鮮語: 백영훈/白永勳、1930年7月20日 - 2023年10月16日)は、大韓民国の教授、経済学者、政治家。第9・10代韓国国会議員。
号は研岩(ヨナム、연암/硏岩)。キリスト教徒。
日本統治時代の全羅北道金堤郡(現・金堤市)出身。高麗大学校商科大学、ソウル大学校大学院、ケルン大学、エアランゲン・ニュルンベルク大学大学院卒。帰国後中央大学校商科大学で教授を務め、そのほか様々な要職を務め、特に西ドイツへの鉱業従事者と看護師の派遣で活躍した。そのほか、韓国産業開発研究院院長を務めた。
多数の受勲歴、著書があり、「韓国の工業化と経済発展」は、日本語に訳されたものが1975年に新評論より出版された。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "白 永勲(ペク・ヨンフン、朝鮮語: 백영훈/白永勳、1930年7月20日 - 2023年10月16日)は、大韓民国の教授、経済学者、政治家。第9・10代韓国国会議員。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "号は研岩(ヨナム、연암/硏岩)。キリスト教徒。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "日本統治時代の全羅北道金堤郡(現・金堤市)出身。高麗大学校商科大学、ソウル大学校大学院、ケルン大学、エアランゲン・ニュルンベルク大学大学院卒。帰国後中央大学校商科大学で教授を務め、そのほか様々な要職を務め、特に西ドイツへの鉱業従事者と看護師の派遣で活躍した。そのほか、韓国産業開発研究院院長を務めた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "多数の受勲歴、著書があり、「韓国の工業化と経済発展」は、日本語に訳されたものが1975年に新評論より出版された。",
"title": "経歴"
}
] | 白 永勲は、大韓民国の教授、経済学者、政治家。第9・10代韓国国会議員。 号は研岩(ヨナム、연암/硏岩)。キリスト教徒。 | '''白 永勲'''(ペク・ヨンフン、{{Lang-ko|백영훈/白永勳}}、[[1930年]][[7月20日]] - [[2023年]][[10月16日]])は、[[大韓民国]]の[[経済学者]]、[[教授]]、[[政治家]]。第9・10代[[国会 (大韓民国)|韓国国会]]議員<ref name=":0">{{Cite web |title=대한민국헌정회 |url=https://rokps.or.kr/profile/profile_view.asp?idx=1276&page=1 |website=rokps.or.kr |access-date=2023-10-19}}</ref>。
[[本貫]]は[[水原白氏]]<ref>{{Cite web |title=(25)수원 백씨(水原白氏)-316,535명 |url=http://www.seouleconews.com/news/articleView.html?idxno=9612 |website=서울이코노미뉴스 |date=2014-08-07 |access-date=2023-10-21 |language=ko}}</ref>。[[雅号|号]]は'''研岩'''(ヨナム、{{Lang|ko|연암/硏岩}})。[[キリスト教徒]]<ref name=":0" />。
== 経歴 ==
[[全羅北道 (日本統治時代)|日本統治時代の全羅北道]]金堤郡月村面(現・[[金堤市]])出身<ref name=":1" />。[[高麗大学校]]商科大学、[[ソウル大学校]]商科大学大学院を経て、1956年冬に[[国費留学生]]として渡独し、[[ケルン大学]]<ref>{{Cite web |url=https://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&totalCount=1&itemId=im&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&types=&searchSubjectClass=&position=0&levelId=im_106_30386&searchKeywordType=BI&searchKeywordMethod=EQ&searchKeyword=%EB%B0%B1%EC%98%81%ED%9B%88&searchKeywordConjunction=AND |title=자료일람 {{!}} 한국사데이터베이스 |access-date=2023-10-21 |publisher=韓国史データベース}}</ref>、[[フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク|エアランゲン・ニュルンベルク大学]]大学院卒、[[経済学博士]]<ref name=":1">{{Cite web |title="광부 파독 경제발전의 기획자"…백영훈 박사 별세 |url=https://www.yna.co.kr/view/AKR20231017043100505 |website=연합뉴스 |date=2023-10-17 |access-date=2023-10-21 |language=ko |author=이충원}}</ref>。帰国後は1959年から1976年まで[[中央大学校]]商科大学・経済学科教授<ref name=":3" />、その他は経済学と[[ドイツ語]]の人材として、[[丁来赫]][[大韓民国商工部|商工部]]長官特別補佐官、[[朴正煕]]大統領経済顧問<ref name=":1" />、経済開発計画諮問委員会委員、財団法人韓国産業開発研究所設立者・所長、[[重化学工業]]推進委員会委員、中央大学校財団理事、地域均衡発展企画団諮問委員、[[中小企業]]政策委員会委員長、財団法人韓国防衛産業学会会長、財団法人韓国産業開発研究院院長、韓国秩序経済学会会長などを歴任した<ref name=":0" />。特に[[5・16軍事クーデター]]後の経済難局を打破するために[[西ドイツ]]への[[鉱員]]と[[看護師]]の[[出稼ぎ]]で西ドイツから[[借款]]を引き換えたことや、[[大統領 (大韓民国)|大統領]]の朴正煕が1964年に西ドイツ側の招請を受けて訪独した際に[[通訳]]を務めたこと、そして[[京釜高速道路]]の建設と国家[[工業団地|産業団地]]の構築などが知られている<ref name=":1" /><ref name=":3">{{Cite web |title=‘라인 강’에서 ‘한강의 기적’ 꿈꾼코리안 눈물, 희망의 밑거름 되다 |url=https://economychosun.com/site/data/html_dir/2015/01/27/2015012700003.html |website=economychosun.com |date=2015-01-27 |access-date=2023-10-21 |language=ko}}</ref><ref name=":2" />。1970年代には[[統一主体国民会議]]から選出された[[維新政友会]]所属の国会議員を2期務めた<ref name=":0" />。1982年からは韓国産業開発研究院院長を務めた<ref name=":3" /><ref name=":2">{{Cite web |title=<nowiki>[초대석]</nowiki>백영훈 한국산업개발연구원 원장 |url=https://www.donga.com/news/Opinion/article/all/20140428/63089640/1 |website=동아일보 |date=2014-04-28 |access-date=2023-10-21 |language=ko}}</ref>。
2002年の[[国民勲章牡丹章]]、2003年の[[ドイツ連邦共和国功労勲章|ドイツ大十字勲章]]など<ref name=":1" />、多数の受勲歴がある。著書も多く<ref name=":1" />、『韓国の工業化と経済発展』の[[日本語]]訳は1975年に[[新評論]]より出版された<ref>{{Cite book|和書 |title=韓国の工業化と経済発展 |url=https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%8C%96%E3%81%A8%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%99%BA%E5%B1%95-1975%E5%B9%B4-%E7%99%BD-%E6%B0%B8%E5%8B%B2/dp/B000J9RCCG/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3DWMJFN77AS7K&keywords=%E7%99%BD%E6%B0%B8%E5%8B%B2&qid=1697687285&sprefix=%E7%99%BD%E6%B0%B8%E5%8B%B2,aps,255&sr=8-1 |publisher=新評論 |date=1975-01-01 |translator=[[金子敬生]] |first=永勲 |last=白}}</ref>。
2023年10月16日に[[ソウル市]]内の病院で[[老衰]]により死去。享年93<ref name=":1" />。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[漢江の奇跡]]
{{DEFAULTSORT:へく よんふん}}
[[Category:韓国の経済学者]]
[[Category:中央大学校の教員]]
[[Category:韓国の国会議員]]
[[Category:水原白氏]]
[[Category:全羅北道出身の人物]]
[[Category:経済学博士取得者]]
[[Category:エアランゲン=ニュルンベルク大学出身の人物]]
[[Category:ケルン大学出身の人物]]
[[Category:高麗大学校出身の人物]]
[[Category:ソウル大学校出身の人物]]
[[Category:韓国のキリスト教徒]]
[[Category:ドイツ連邦共和国功労勲章受章者]]
[[Category:1930年生]]
[[Category:2023年没]] | 2023-10-21T06:42:37Z | 2023-10-21T11:52:55Z | false | false | false | [
"Template:Lang-ko",
"Template:Lang",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B0%B8%E5%8B%B2 |
4,844,630 | 味美上ノ町 | 味美上ノ町(あじよしかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西端部に位置する。東は美濃町、西は名古屋市北区、南は味美西本町・上ノ町、北は宗法町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "味美上ノ町(あじよしかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西端部に位置する。東は美濃町、西は名古屋市北区、南は味美西本町・上ノ町、北は宗法町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 味美上ノ町(あじよしかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''味美上ノ町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 味美上ノ町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 味美上ノ町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 14 | lats = 31.24 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 56 | longs = 0.42 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.252611168
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 282
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0965<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''味美上ノ町'''(あじよしかみのちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。東は[[美濃町 (春日井市)|美濃町]]、西は[[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]、南は[[味美西本町]]・[[上ノ町]]、北は[[宗法町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school">{{Cite web|url=https://www.city.kasugai.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/200/20180202chomei2.pdf|format=PDF|title=学区リスト(町名順)|publisher=春日井市|accessdate=2023-10-30}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||全域||[[春日井市立味美小学校]]||[[春日井市立味美中学校]]||[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|88世帯<br>278人||<div style="width:8.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:27.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|79世帯<br>237人||<div style="width:7.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:23.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|81世帯<br>219人||<div style="width:8.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:21.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|87世帯<br>218人||<div style="width:8.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:21.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|107世帯<br>265人||<div style="width:10.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:26.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|122世帯<br>282人||<div style="width:12.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:28.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[名鉄小牧線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* [[愛知県道名古屋犬山線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* [[名古屋空港]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[宗法町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]
| Centre<!--中央--> = 味美上ノ町
| East<!--東--> = [[美濃町 (春日井市)|美濃町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[味美西本町]]・[[上ノ町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:あしよしかみのちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T06:43:20Z | 2023-10-29T16:18:02Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Sfn",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:節スタブ",
"Template:Cite book",
"Template:Pref-stub",
"Template:Pathnav",
"Template:Infobox settlement"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E7%BE%8E%E4%B8%8A%E3%83%8E%E7%94%BA |
4,844,632 | 上緒方村 | 上緒方村(かみおがたむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。
緒方川支流・十角川の右岸から徳田川上流にいたる間に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "上緒方村(かみおがたむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "緒方川支流・十角川の右岸から徳田川上流にいたる間に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 上緒方村(かみおがたむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年1月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 緒方町、[[長谷川村]]、'''上緒方村'''、[[小富士村 (大分県)|小富士村]] → [[緒方町]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]
| よみがな = かみおがたむら
| 自治体名 = 上緒方村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 2824
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = 小富士村、緒方町、[[合川村 (大分県)|合川村]]、長谷川村、[[竹田市]]
| 所在地 = 大野郡上緒方村大字徳田字鶴
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''上緒方村'''(かみおがたむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
緒方川支流・十角川の右岸から徳田川上流にいたる間に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡柚木村、上冬原村、上年野村、徳田村、下徳田村、冬原村、木野村、大石村、中野村が合併して村制施行し、'''長谷川村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』207頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』272頁。</ref>。旧村名を継承した柚木、上冬原、上年野、徳田、下徳田、冬原、木野、大石、中野の9大字を編成{{R|角川}}。大字徳田字小松迫下に役場を設置<ref name=角田>「徳田〈緒方町〉」『角川日本地名大辞典 44 大分県』564頁。</ref>。
*[[1927年]](昭和2年)大字徳田字鶴に役場庁舎を改築移転{{R|角田}}。
*[[1948年]](昭和23年)以降、外地引揚者・戦災失業者授産の未開墾地入植が進められた{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)1月1日、大野郡緒方町、長谷川村、小富士村と合併し、'''[[緒方町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:かみおかたむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T06:46:59Z | 2023-10-21T06:46:59Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%9D%91 |
4,844,633 | 大根川 (愛知県) | 大根川(おおねがわ)は、愛知県名古屋市天白区を流れる天白川水系の準用河川。
天白川の支川。ほとんどの区間は暗渠となっている。名古屋市長の管理である。
天白区南部に源を発し、途中大根池で他の源流と合流、再び河川となり、天白川に合流する。
大根池より下流の延長は全長約679m、流域面積は約1.9km2。原調節池と接続している。区画整理により付け替えられる前は大根池の西を流れていた。
天白区内で流路が完結する。
『大根』という地名は、『負いね子』という言葉が転化してできた。
また、『溝口』という地名は、大根川から用水がとられていたことに由来する。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "大根川(おおねがわ)は、愛知県名古屋市天白区を流れる天白川水系の準用河川。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "天白川の支川。ほとんどの区間は暗渠となっている。名古屋市長の管理である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "天白区南部に源を発し、途中大根池で他の源流と合流、再び河川となり、天白川に合流する。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "大根池より下流の延長は全長約679m、流域面積は約1.9km2。原調節池と接続している。区画整理により付け替えられる前は大根池の西を流れていた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "天白区内で流路が完結する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "『大根』という地名は、『負いね子』という言葉が転化してできた。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "また、『溝口』という地名は、大根川から用水がとられていたことに由来する。",
"title": "地理"
}
] | 大根川(おおねがわ)は、愛知県名古屋市天白区を流れる天白川水系の準用河川。 | {{Otheruses|愛知県名古屋市を流れる河川|同名の姓・地名・河川・その他の名称|大根川 (曖昧さ回避)}}
{{Infobox 河川
| 名称 = 大根川
| 画像 = [[File:One-ike Pond in Tempaku Park (1), Tempaku-cho Tempaku Ward Nagoya 2021.jpg|280px]]
| 画像説明 = 大根川の中流に位置する[[大根池]](島田池)。(2021年4月)
| 水系等級 = [[二級水系]]
| 水系 = [[天白川 (愛知県)|天白川]]
| 種別 = [[準用河川]]
| 流域 = {{Flagicon|JPN}}愛知県名古屋市天白区
| 河口 = 天白川
| 水源 = {{Flagicon|JPN}}[[愛知県]][[名古屋市]][[天白区]]
| 流路 =
| 延長 = 0.679{{Sfn|名古屋市環境局ほか|2021|p=1}}
| 流量 =
| 流域面積 = 1.56{{Sfn|名古屋市環境局ほか|2021|p=1}}
| 出典 =
| 地図 =
}}
'''大根川'''(おおねがわ)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[天白区]]を流れる[[天白川 (愛知県)|天白川]][[水系]]の[[準用河川]]<ref>{{Cite web |title=名古屋市:天白川水系の河川(暮らしの情報) |url=https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/page/0000022259.html |website=www.city.nagoya.jp |access-date=2023-10-21}}</ref>。
== 概要 ==
天白川の[[支川]]。ほとんどの区間は[[暗渠]]となっている<ref name=":0" />。[[名古屋市長]]の管理である<ref>{{Cite web |title=名古屋市:名古屋市内を流れる河川(暮らしの情報) |url=https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/page/0000021567.html |website=www.city.nagoya.jp |access-date=2023-10-21}}</ref>。
天白区南部に源を発し、途中大根池で他の源流と合流、再び河川となり、[[天白川 (愛知県)|天白川]]に合流する。
大根池より下流の延長は全長約679メートル、{{要出典|範囲=流域面積は約1.9キロメートル|date=2023年12月}}。原調節池<ref group="注釈">名古屋市天白区[[原 (名古屋市)|原]]に存在する[[調整池|地下調節池]]。</ref>と接続している<ref name=":1" /><ref>{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/cmsfiles/contents/0000116/116893/ikkatu.pdf |title=名古屋市総合排水計画 |access-date=2023-10-21 |publisher=名古屋市}}</ref>。[[区画整理]]により付け替えられる前は[[大根池]]の西を流れていた<ref>{{Cite web |title=今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト{{!}}埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) |url=https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.116653&lng=136.990650&zoom=16&dataset=chukyo&age=11&screen=1&scr1tile=kjmap%5B0%5D&scr2tile=k_cj4&scr3tile=pale&scr4tile=plateau-ortho&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2 |website=ktgis.net |access-date=2023-10-21}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=名古屋市都市計画情報提供サービス |url=http://www.tokei-gis.city.nagoya.jp/agreement.asp?pixx=395&pixy=302&dtp=7&npg=%2Fmap%2Easp&adtp=7 |website=www.tokei-gis.city.nagoya.jp |access-date=2023-10-21}}</ref>。
== 地理 ==
天白区内で流路が完結する。
=== 地名の由来 ===
『大根』という地名は、『負いね子』<ref group="注釈">[[小牧・長久手の戦い]]の折、[[徳川家康]]が川の増水で困ったとき、背負って川越えをさせたことから。</ref>という言葉が転化してできた<ref name=":1" />。
また、『溝口』という地名は、大根川から[[用水路|用水]]がとられていた<ref name=":0" />ことに由来する<ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf |title=過去から学ぶ防災マップ |access-date=2023-10-21 |publisher=天白区}}</ref>。
=== 流域の周辺施設 ===
{{columns-list|colwidth=20em|
* [[天白公園]]
* [[名古屋市天白生涯学習センター]]
* 原調節池
* 山ノ杁公園
* 中山神社
* 天白消防署
}}
== 橋梁 ==
* 天白小橋(人道橋)- 天白川との合流地点<ref>{{Cite web |title=名古屋の橋・橋跡マップ |url=https://www.ankyo.nagoya/documents/hashi-map/ |website=大名古屋暗渠録 |access-date=2023-10-21 |language=ja-JP}}</ref>
== ギャラリー ==
<gallery widths="140px" heights="140px">
File:Ōne-gawa River,Tempaku Ward Nagoya 2023-11-12-2.jpg|大根川の源流のひとつ。<br />(2023年11月)
File:Ōne-gawa River,Tempaku Ward Nagoya 2023-11-12-4.jpg|大根川の源流のひとつ。<br />(2023年11月)
Ōne-gawa River,Tempaku Ward Nagoya 2023-12-22.jpg|天白川との合流点<br />(2023年12月)
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor= |author= |year=2021|date=2021-03|chapter= |title=市内河川・ため池・名古屋港の水質の変遷|publisher=名古屋市環境局地域環境対策部地域環境対策課・名古屋市環境局地域環境対策部環境科学調査センター・名古屋市緑政土木局下線部河川計画課|isbn= |language=|ref={{Harvid|名古屋市環境局ほか|2021}}}}
{{DEFAULTSORT:おおねかわ}}
{{天白川水系 (愛知県)}}
[[Category:愛知県の河川]]
[[Category:名古屋市の地理]] | 2023-10-21T06:47:49Z | 2023-12-24T10:43:58Z | false | false | false | [
"Template:Infobox 河川",
"Template:Columns-list",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:天白川水系 (愛知県)",
"Template:Otheruses"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A0%B9%E5%B7%9D_(%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C) |
4,844,634 | パンプキンスパイス | パンプキンスパイス (英語: pumpkin spice) はアメリカ合衆国で通常、パンプキンパイの風味付けに使用されるスパイスミックスである。パンプキンパイスパイス (英語: pumpkin pie spice) と呼ばれることもある。カボチャ(パンプキン)は入っていない。粉末のシナモン、ナツメグ、ショウガ、クローブが入っており、オールスパイスも入ることがある。アメリカの食卓ではハロウィンの時期などによく使われる「秋の代表的なフレーバー」として使われている。
2016年時点では、パンプキンスパイスは毎年5億ドルほどを売り上げている。スターバックスのパンプキンスパイスラテ(英語版)はこの味である。
現在のパンプキンスパイスと似たようなメース、ナツメグ、ショウガが入ったスパイスミックスが必要なレシピである「ポンプキン」("Pompkin") が1796年、現在知られている中では最初に刊行されたアメリカの料理本であるアメリア・シモンズのAmerican Cookeryに掲載されている。パンプキンスパイスは1890年代の料理本でも言及されている。ブレンド済みの商業的なパンプキンスパイスはマコーミック&カンパニーが1934年に売り出した。
2003年10月のインディアナ州ラファイエットの地元紙の報道によると、J・L・ハフォード・コーヒー・アンド・ティー・カンパニーが3年前にパンプキンスパイスラテを初めて発売したという。アメリカのコーヒーチェーンであるスターバックスがパンプキンスパイスラテを2003年1月に開発し、冬季の飲み物メニューに加えた。スターバックス社のディレクターのひとりであるピーター・デュークスは、「開発者は、[自分たちが開発した]パンプキンフレーバーには何か特別なものがあると気付いていたんです。とくにその頃は、何もカボチャ関係のものがなかったので」と語っている。スターバックス社はカボチャとスパイスの比率を変えたりしてさまざまな組み合わせを試し、最終的にはカボチャが入らないレシピに決定した。2004年10月に導入され、チェーンの「新しい」ドリンクとして宣伝された。2004年12月2日、The News Tribuneが11月のスターバックスの記録的な売り上げについて報道し、パンプキンスパイスラテの人気をその一因としてあげた。2015年にスターバックス社はパンプキンスパイスラテの製法を大きく変更し、カボチャを加えて不評であったカラメル色素添加物を使わない作り方に変更した。
2019年9月23日より、秋の限定フレーバーとしてホーメル社はパンプキンスパイスで味付けしたスパムであるパンプキンスパイススパム(英語版)を販売した。ホーメル社は2017年に既に冗談としてパンプキンスパイススパムの話題をフェイスブックでとりあげていた。
日清食品は2021年のハロウィンシーズンにパンプキンスパイス味のカップヌードルを発売した。
2023年9月、俳優でジンのブランドであるアビエーションのオーナーのひとりであるライアン・レイノルズは、ネグローニカクテルの宣伝キャンペーンの一環として、秋になるとあまりにもパンプキンスパイスが何にでも使われることに苦情を述べるYouTube広告を制作した。
イギリスにはミックストスパイス (英語: Mixed spice) あるいはプディングスパイス (英語: pudding spice) というパンプキンスパイスに似たスパイスミックスがあり、ほぼ同じようなスパイスが入っている。カルダモンやコリアンダーが入ることもある。かつてはカイエンペッパーも入っていた。「ミックストスパイス」という言葉は少なくとも1828年にはこの種のスパイスブレンドを指す言葉として料理本で使われていた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "パンプキンスパイス (英語: pumpkin spice) はアメリカ合衆国で通常、パンプキンパイの風味付けに使用されるスパイスミックスである。パンプキンパイスパイス (英語: pumpkin pie spice) と呼ばれることもある。カボチャ(パンプキン)は入っていない。粉末のシナモン、ナツメグ、ショウガ、クローブが入っており、オールスパイスも入ることがある。アメリカの食卓ではハロウィンの時期などによく使われる「秋の代表的なフレーバー」として使われている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2016年時点では、パンプキンスパイスは毎年5億ドルほどを売り上げている。スターバックスのパンプキンスパイスラテ(英語版)はこの味である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "現在のパンプキンスパイスと似たようなメース、ナツメグ、ショウガが入ったスパイスミックスが必要なレシピである「ポンプキン」(\"Pompkin\") が1796年、現在知られている中では最初に刊行されたアメリカの料理本であるアメリア・シモンズのAmerican Cookeryに掲載されている。パンプキンスパイスは1890年代の料理本でも言及されている。ブレンド済みの商業的なパンプキンスパイスはマコーミック&カンパニーが1934年に売り出した。",
"title": "起源"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2003年10月のインディアナ州ラファイエットの地元紙の報道によると、J・L・ハフォード・コーヒー・アンド・ティー・カンパニーが3年前にパンプキンスパイスラテを初めて発売したという。アメリカのコーヒーチェーンであるスターバックスがパンプキンスパイスラテを2003年1月に開発し、冬季の飲み物メニューに加えた。スターバックス社のディレクターのひとりであるピーター・デュークスは、「開発者は、[自分たちが開発した]パンプキンフレーバーには何か特別なものがあると気付いていたんです。とくにその頃は、何もカボチャ関係のものがなかったので」と語っている。スターバックス社はカボチャとスパイスの比率を変えたりしてさまざまな組み合わせを試し、最終的にはカボチャが入らないレシピに決定した。2004年10月に導入され、チェーンの「新しい」ドリンクとして宣伝された。2004年12月2日、The News Tribuneが11月のスターバックスの記録的な売り上げについて報道し、パンプキンスパイスラテの人気をその一因としてあげた。2015年にスターバックス社はパンプキンスパイスラテの製法を大きく変更し、カボチャを加えて不評であったカラメル色素添加物を使わない作り方に変更した。",
"title": "パンプキンパイ以外への応用"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2019年9月23日より、秋の限定フレーバーとしてホーメル社はパンプキンスパイスで味付けしたスパムであるパンプキンスパイススパム(英語版)を販売した。ホーメル社は2017年に既に冗談としてパンプキンスパイススパムの話題をフェイスブックでとりあげていた。",
"title": "パンプキンパイ以外への応用"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "日清食品は2021年のハロウィンシーズンにパンプキンスパイス味のカップヌードルを発売した。",
"title": "パンプキンパイ以外への応用"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2023年9月、俳優でジンのブランドであるアビエーションのオーナーのひとりであるライアン・レイノルズは、ネグローニカクテルの宣伝キャンペーンの一環として、秋になるとあまりにもパンプキンスパイスが何にでも使われることに苦情を述べるYouTube広告を制作した。",
"title": "パンプキンパイ以外への応用"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "イギリスにはミックストスパイス (英語: Mixed spice) あるいはプディングスパイス (英語: pudding spice) というパンプキンスパイスに似たスパイスミックスがあり、ほぼ同じようなスパイスが入っている。カルダモンやコリアンダーが入ることもある。かつてはカイエンペッパーも入っていた。「ミックストスパイス」という言葉は少なくとも1828年にはこの種のスパイスブレンドを指す言葉として料理本で使われていた。",
"title": "イギリスのミックストスパイス"
}
] | パンプキンスパイス はアメリカ合衆国で通常、パンプキンパイの風味付けに使用されるスパイスミックスである。パンプキンパイスパイス と呼ばれることもある。カボチャ(パンプキン)は入っていない。粉末のシナモン、ナツメグ、ショウガ、クローブが入っており、オールスパイスも入ることがある。アメリカの食卓ではハロウィンの時期などによく使われる「秋の代表的なフレーバー」として使われている。 2016年時点では、パンプキンスパイスは毎年5億ドルほどを売り上げている。スターバックスのパンプキンスパイスラテはこの味である。 | [[ファイル:Pumpkin_Pie_Spice.jpg|右|サムネイル|パンプキンスパイスが入った容器]]
'''パンプキンスパイス''' ({{Lang-en|pumpkin spice}}) は[[アメリカ合衆国]]で通常、[[パンプキンパイ]]の風味付けに使用される[[スパイスミックス]]である。'''パンプキンパイスパイス''' ({{Lang-en|pumpkin pie spice}}) と呼ばれることもある。[[カボチャ]](パンプキン)は入っていない。粉末の[[シナモン]]、[[ナツメグ]]、[[ショウガ]]、[[クローブ]]が入っており、[[オールスパイス]]も入ることがある<ref name="Sprudge2022">{{cite news |last1=Cadwalader |first1=Zac |title=Pumpkin Spice Is Now Dictionary Official |url=https://sprudge.com/pumpkin-spice-is-now-dictionary-official-192128.html |access-date=14 September 2022 |work=Sprudge.com |date=14 September 2022}}</ref>。アメリカの食卓では[[ハロウィン]]の時期などによく使われる「秋の代表的なフレーバー<ref>{{Cite web |title=【ハロウィン】アメリカ定番の味「パンプキンスパイス」を手作り! スパイスレシピと気軽に楽しむ使い方 - dressing(ドレッシング) |url=https://www.gnavi.co.jp/dressing/article/21946/ |website=dressing(ドレッシング) - フードライフに彩りを! |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>」として使われている。
2016年時点では、パンプキンスパイスは毎年5億ドルほどを売り上げている<ref>{{cite web |url=http://www.businessinsider.com/how-pumpkin-spice-took-over-fall-2016-10 |title=A brief history of how pumpkin spice took over our lives |website=businessinsider.com |access-date=21 April 2018 |archive-date=21 October 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171021125935/http://www.businessinsider.com/how-pumpkin-spice-took-over-fall-2016-10 |url-status=live}}</ref>。[[スターバックス]]の{{仮リンク|パンプキンスパイスラテ|en|Pumpkin Spice Latte}}はこの味である<ref>{{Cite web |title=【スタバ新作・実食レポ】カボチャ×スパイスがおいしすぎ!「パンプキン スパイス ラテ」おすすめ無料カスタマイズも紹介。秋の風物詩、日本で15年ぶり登場! |url=https://rurubu.jp/andmore/article/14436 |website=rurubu.jp |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>。
== 起源 ==
[[ファイル:Pumpkin Pie.jpg|左|サムネイル|パンプキンパイ]]
現在のパンプキンスパイスと似たような[[ナツメグ|メース]]、ナツメグ、ショウガが入ったスパイスミックスが必要なレシピである「ポンプキン」("Pompkin") が1796年、現在知られている中では最初に刊行されたアメリカの[[料理本]]であるアメリア・シモンズの''American Cookeryに掲載されている''<ref>{{cite web |url=https://www.fulltextarchive.com/page/American-Cookery/ |title=American Cookery by Amelia Simmons - Full Text Free Book |website=www.fulltextarchive.com |access-date=21 June 2019 |archive-date=21 June 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190621170027/https://www.fulltextarchive.com/page/American-Cookery/ |url-status=live}}</ref>。パンプキンスパイスは1890年代の料理本でも言及されている<ref>Farmer, Fannie Meritt. 1896. The Original Boston Cooking-School Cookbook, Facsimile Edition of 1986, Weathervane Books, NY,NY</ref>。ブレンド済みの商業的なパンプキンスパイスはマコーミック&カンパニーが1934年に売り出した<ref>{{Cite web |title=The History of Pumpkin Pie Spice {{!}} News and Updates |url=https://www.mccormickcorporation.com/en/news-center/blog/articles/2020/11/19/17/53/pumpkin-pie-spice-an-iconic-mccormick-product |website=www.mccormickcorporation.com |access-date=2023-10-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211021185303/https://www.mccormickcorporation.com/en/news-center/blog/articles/2020/11/19/17/53/pumpkin-pie-spice-an-iconic-mccormick-product |archive-date=2021-10-21}}</ref>。
== パンプキンパイ以外への応用 ==
[[ファイル:Starbucks Pumpkin Spice Latte Frappuccino.jpg|サムネイル|スターバックスのパンプキンスパイスラテフラペチーノ]]
2003年10月の[[インディアナ州]][[ラファイエット (インディアナ州)|ラファイエット]]の地元紙の報道によると、J・L・ハフォード・コーヒー・アンド・ティー・カンパニーが3年前にパンプキンスパイスラテを初めて発売したという<ref>"Local flavor: local chefs share their favorite recipes" in the Journal_&_Courier, October 6, 2003, p. 29.</ref>。アメリカのコーヒーチェーンである[[スターバックス]]がパンプキンスパイスラテを2003年1月に開発し、冬季の飲み物メニューに加えた<ref name="DailyMeal2013" />。スターバックス社のディレクターのひとりであるピーター・デュークスは、「開発者は、[自分たちが開発した]パンプキンフレーバーには何か特別なものがあると気付いていたんです。とくにその頃は、何もカボチャ関係のものがなかったので<ref name="DailyMeal2013" />」と語っている。スターバックス社はカボチャとスパイスの比率を変えたりしてさまざまな組み合わせを試し、最終的にはカボチャが入らないレシピに決定した<ref name="DailyMeal2013">{{cite web |url=http://www.thedailymeal.com/news/history-pumpkin-spice-latte/102813 |title=History of the Pumpkin Spice Latte |date=October 28, 2013 |access-date=October 6, 2014 |website=The Daily Meal |last=Chou |first=Jessica |archive-date=August 26, 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210826061916/https://www.thedailymeal.com/news/history-pumpkin-spice-latte/102813 |url-status=live}}</ref>。2004年10月に導入され、チェーンの「新しい」ドリンクとして宣伝された<ref>''The Los Angeles Times'', October 6, 2004, p. 94</ref>。2004年12月2日、''The News Tribune''が11月のスターバックスの記録的な売り上げについて報道し、パンプキンスパイスラテの人気をその一因としてあげた<ref name=":0">The Seattle News Tribune, December 2, 2004, p. 31</ref>。2015年にスターバックス社はパンプキンスパイスラテの製法を大きく変更し、カボチャを加えて不評であった[[カラメル色素]]添加物を使わない作り方に変更した<ref>{{Cite web |title=Popular Starbucks, Panera Pumpkin Spice Lattes to change |url=https://www.cnbc.com/2015/08/17/popular-starbucks-pumpkin-spice-latte-is-changing.html |website=CNBC |date=2015-08-17 |access-date=2023-10-28 |language=en |first=Katie |last=Little}}</ref>。
2019年9月23日より、秋の限定フレーバーとして[[ホーメル]]社はパンプキンスパイスで味付けした[[スパム]]である{{仮リンク|パンプキンスパイススパム|en|Pumpkin Spice Spam}}を販売した<ref name=":2">{{Cite web |title=Autumn is coming, so of course Pumpkin Spice Spam is, too |url=https://www.nbcnews.com/news/us-news/autumn-coming-so-course-pumpkin-spice-spam-too-n1042531 |website=NBC News |date=2019-08-14 |access-date=2023-10-28 |language=en}}</ref>。ホーメル社は2017年に既に冗談としてパンプキンスパイススパムの話題を[[フェイスブック]]でとりあげていた<ref name=":2" />。
[[日清食品]]は2021年のハロウィンシーズンにパンプキンスパイス味の[[カップヌードル]]を発売した<ref>{{Cite web |title=日清食品、アメリカでパンプキンスパイス味のカップヌードルを発売 |url=https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/cup-noodles-is-launching-a-pumpkin-spice-flavor-this-fall-and-were-all-bracing-for-impact-081821 |website=Time Out Tokyo |date=2021-08-18 |access-date=2023-10-28 |language=ja-JP |first=J. P. |last=Karwacki}}</ref>。
2023年9月、俳優で[[ジン (蒸留酒)|ジン]]のブランドであるアビエーションのオーナーのひとりである[[ライアン・レイノルズ]]は、[[ネグローニ]]カクテルの宣伝キャンペーンの一環として、秋になるとあまりにもパンプキンスパイスが何にでも使われることに苦情を述べるYouTube広告を制作した<ref>{{Cite web |title=Ryan Reynolds blasts (bleeping) pumpkin spice, prefers Portland’s Aviation Gin |url=https://www.oregonlive.com/entertainment/2023/09/ryan-reynolds-blasts-bleeping-pumpkin-spice-prefers-portlands-aviation-gin.html |website=oregonlive |date=2023-09-19 |access-date=2023-10-28 |language=en |first=Kristi |last=Turnquist}}</ref>。
== イギリスのミックストスパイス ==
[[ファイル:Mixed_spices_01_Pengo.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|イギリスで売られているミックストスパイス|左]]イギリスにはミックストスパイス ({{Lang-en|Mixed spice}}) あるいはプディングスパイス ({{Lang-en|pudding spice}}) というパンプキンスパイスに似たスパイスミックスがあり、ほぼ同じような[[香辛料|スパイス]]が入っている<ref name=":1">{{Cite web |title=Mixed Spice - English Pudding Spice Recipe |url=https://theepicentre.com/spice/mixed-spice-english-pudding-spice-recipe/ |website=The Epicentre |access-date=2023-10-28 |language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web |title=Mixed Spice |url=https://www.bbcgoodfood.com/user/388309/recipe/mixed-spice |website=BBC Good Food |access-date=2023-10-28 |language=en}}</ref>。[[カルダモン]]や[[コリアンダー]]が入ることもある<ref name=":1" />。かつては[[カイエンペッパー]]も入っていた<ref name="Gray" /><ref name="Frazer">''The practice of cookery, pastry, confectionary, pickling, preserving,'' by Frazer. 1820. ("Portable Soup")</ref>。「ミックストスパイス」という言葉は少なくとも1828年にはこの種のスパイスブレンドを指す言葉として料理本で使われていた<ref name="Gray">''A supplement to the pharmacopœias'' by Samuel Frederick Gray. 1828.</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
[[Category:アメリカ合衆国の調味料]]
[[Category:香辛料]]
[[Category:ショウガ料理]]
[[Category:秋]]
[[Category:ハロウィンの料理]]
{{Herbs & spices}}{{ハロウィン}}
{{DEFAULTSORT:はんふきんすはいす}} | 2023-10-21T06:48:10Z | 2023-10-30T02:11:04Z | false | false | false | [
"Template:ハロウィン",
"Template:Lang-en",
"Template:仮リンク",
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:Cite web",
"Template:Herbs & spices"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%B9 |
4,844,639 | 穴橋町 | 穴橋町(あなはしちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市中央部に位置する。東は下市場町、南は熊野町、北は篠木町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "穴橋町(あなはしちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市中央部に位置する。東は下市場町、南は熊野町、北は篠木町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 穴橋町(あなはしちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''穴橋町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 穴橋町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 穴橋町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 17.15 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 59 | longs = 44.42 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.064182077
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 2046
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0853<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''穴橋町'''(あなはしちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市中央部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。東は[[下市場町 (春日井市)|下市場町]]、南は[[熊野町 (春日井市)|熊野町]]、北は[[篠木町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school">{{Cite web|url=https://www.city.kasugai.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/200/20180202chomei2.pdf|format=PDF|title=学区リスト(町名順)|publisher=春日井市|accessdate=2023-10-30}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||1丁目1||[[春日井市立篠木小学校]]|| rowspan="4" |[[春日井市立東部中学校]]|| rowspan="4" |[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|-
||1丁目2以降|| rowspan="3" |[[春日井市立篠原小学校]]
|-
|2丁目
|-
|3丁目
|}
=== 河川 ===
* 地蔵川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 内津川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|455世帯<br>1477人||<div style="width:45.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:147.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|608世帯<br>1891人||<div style="width:60.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:189.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|706世帯<br>2084人||<div style="width:70.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:208.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|785世帯<br>2146人||<div style="width:78.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:214.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|795世帯<br>2039人||<div style="width:79.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:203.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|839世帯<br>2046人||<div style="width:83.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:204.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道篠木尾張旭線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* [[春日井市立東部中学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[篠木町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> =
| Centre<!--中央--> = 穴橋町
| East<!--東--> = [[下市場町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[熊野町 (春日井市)|熊野町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:あなはしちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T06:56:35Z | 2023-10-29T16:22:57Z | false | false | false | [
"Template:Pathnav",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn",
"Template:節スタブ",
"Template:Cite web",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E6%A9%8B%E7%94%BA |
4,844,640 | ラドリオ | ラドリオは、1949年に開店した東京都千代田区神田神保町にある喫茶店である。正式名称「神保町ラドリオ喫茶店」。日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られる。古書店のサロンとして購入した物件を喫茶店としても営業したことをきっかけに、多くの芸術家が集う場所となった。
後にラドリオを開店する島崎八郎は、東京大学経済学部の卒業後に銀行員になったが、生活費が不足していたこともあり、本郷キャンパスの赤門前に古書店「島崎書店」を構えた。店頭に並べられていたのは主に社会科学関係書や洋書であったが、大学出身者である島崎を求めて、大学関係者や学生の来客も多く訪れるとともに、島崎の実弟にあたる島木健作の作品も取り扱っていた。島木は出獄後、静養しながら島崎書店を手伝っており、1934年の「癩」は静養しながら執筆した。そのころ、東京商科大学に在学していた加茂儀一は、下宿先だった本郷にある古本店を巡ることを日課にし、島崎書店もその一つであった。
1939年(昭和14年)、神保町の神田日活館の向かいに支店を構えた。その後の東京大空襲で本郷の店舗は焼けてしまったが、神保町の店舗は影響がなかったこともあり、戦後は神保町のみで営業を続けた。息子2人のうち、1人は多摩美術大学の教授となる。
島崎は「本を読みながらコーヒーや酒が飲める場所」を作りたいという思いが芽生え、来訪客のためのサロンとして店舗近くの物件を購入し、古書店と喫茶店の兼業を始めた。購入した物件は、1階を喫茶店、2階を自宅として使用した。
その喫茶店「ラドリオ」は、1949年(昭和24年)10月に開店した。店名の由来は、スペイン語で「煉瓦(Ladrillo)」を意味する。創業当時に流行していたハーフティンバー様式を採用、外装にあたたかな雰囲気を醸し出ている。内装とともに使用された煉瓦には東京駅丸の内駅舎、王子の造幣局と同じものが用いられたとされる。
店内に入ると、こげ茶色の空間が広がり、左手に高さが不揃いの木製椅子と煉瓦のカウンター席が並び、赤地のソファー、ストーブなどが置かれ、開業時から使用されている。店内の照明は暗めで、街灯型に彫られた黒柱も立ち、モダンな雰囲気が漂っている。カウンターの中には洋酒が並び、背の低いテーブルなども全体が小ぶりである。
また、芸術家たちが持ち込んだ作品が飾られており、コーヒー代の代わりに作品を置いていくこともあった。BGMにはシャンソンを流しているが、これは島崎を伯父に持ち、初代ママを務めた臼井愛子の好みからである。臼井は、バーテンダー協会の副会長も務め、店頭で提供したカクテルはその後も受け継がれている。また、常連だった黒田三郎に対する追悼文で臼井は、ラドリオで開催された黒田と昭森社との酒盛についてその思い出を記した。
開業年、1949年のクリスマスには草野心平は古田晁とラドリオで初めて対面したり、枝川公一が仕事相手や光文社勤務時代の同社社員との待ち合わせに用いるなど、芸術家たちも作業場や応接室として用いたが、伊達得夫は「書葎ユリイカ」の仕事場として使用していたビルの向かいにラドリオがあったことから、 ラドリオを応接室として使用していた。また、昭森社と思潮社がユリイカと同居していた時期もある。伊達は「ラドリオの椅子に毎日三時間くらいは腰をおろしている。ぼくに向い合っている人は、毎日違うのだ。ぼくのオフィスもまたこの露地にあって、そこがあまりにも狭いので、応接室として、ラドリオを利用しないわけにはいかない。」と表現している。逢坂剛は中央大学在学時代から訪れており、1986年「カディスの赤い星」で直木賞受賞の連絡は店頭で受け取った。週1回の頻度で山本容朗が来店していたほか、山の上ホテルで仕事を終えた後に田村隆一が、片岡義男は窓際の2人席に、毎日座って原稿を執筆していた。そのほかにも、川端康成、三島由紀夫、武田秦淳、椎名麟三、梅崎春生、野間宏、中村真一郎、埴谷雄高、本郷新、昆野恒なども利用していた。
店のトレードマークである、牛のアイコンはカップやマッチ、灰皿に描かれているが、これは臼井と親交が深かった本郷が描いたものである。また、本郷は店で働く女性をモデルに彫像も制作した。この彫像は本郷の遺族から「閉店するときには譲ってほしい」と言われている。
ラドリオより数年早く、1947年に開店したランボオも作家のたまり場となっていた。前述したユリイカらが入居していたのが、ランボオが入居していたビルの2階にあたる。その後、1949年に閉店、1943年には「ミロンガ・ヌオーバ」として島崎が開店した。この空間を塩沢槙は「ゆめの名残のような場所」と表現した。その後、店名にヌオーバが付き「ミロンガ・ヌオーバ」となったのは1995年のことで、炭火珈琲と世界のビールを取り揃える。
神保町の喫茶店「さぼうる」の店主である鈴木文雄は「『ラドリオ』が目標だったから何度も通って勉強した」といい、ハーフティンバー様式は、さぼうるにも採用された。
2000年、傾いていた建物をジャッキアップし、柱の入れ替え、床の煉瓦を1層積み重ねるなどの改修工事が行われ、10センチメートルほど床が上がった。
その後、店長は数年ごとに交代している。学生時代に京都の喫茶店に勤務し、その後ラドリオのアルバイト、最終的には店長となった池本奈美は、京都時代のアルバイト仲間であった作家の木村衣有子からラドリオのアルバイトを勧められた。その後、毎月1回発行されている「ラドリオかわら版」も木村の勧めで始まった。店員の手作りで発行されているかわら版には、神保町地区のミニ知識が多く掲載されている。
提供されるウィンナーコーヒーはコーヒーに冷たい生クリームを浮かべてフタをしたものだが、川口葉子は「上唇でクリームの冷たさを、下でコーヒーの温かさを同時に感じるのが楽しい」という。その生クリームはかたさを変えるなど、時代に合わせてその味を変化させている。考案したのは、臼井であった。常連の東京大学教授がウィーンを訪れたときに飲んだ白いものがのったコーヒーの話を発端に、想像しながら小川町を散策した際に見つけた、クリームが乗ったケーキから着想したという。
熱いコーヒーが冷めないように、たっぷりのホイップクリームを浮かべたことが始まりとされる。1949年の創業当時は、店舗面積がその後と比較して広大で、コーヒーが提供されるまで時間がかかっていたことや、討論が白熱したときにコーヒーが冷えてしまうことを防ぐためという逸話が残る。
アルコールのメニューも提供されており、バータイムにはウイスキーやカクテルを味わう人も足を運んでいる。吉田健一は、洋食店「ランチョン」でビールを飲んだ後に立ち寄り、紅茶のウイスキー割をダブルで注文していた。
フードメニューは、ナポリタンとチキンカレーを中心としたメニュー構成になっている。ナポリタンは、麺をやや硬めに、トマトソースにタバスコと黒胡椒を入れている。カーツさとうは「ほんのチョッピリ辛味の利いた特製ソースで、麺をこれでもかというほどに炒めに炒めたスタイル」「アルデンテとは違う、麺内の水分を蒸発させたことによる麺のコシはこの店ならでは。そのオリジナルな食感は間違いなくクセになる。」と表現した。カレーは2004年から店長を務めた菅原裕行が考案したレシピが受け継がれており、トマト、デミグラスソースなどをベースにしたカレールーがマイルドな味を作っている。
また以前には、中華がゆが提供されていたこともあり、草野心平の友人から習って提供したことから「心平がゆ」と名付けてもよいといわれていた。これ以外にも、サンドイッチやコロッケ、日替わり定食やランチセットが提供されていた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ラドリオは、1949年に開店した東京都千代田区神田神保町にある喫茶店である。正式名称「神保町ラドリオ喫茶店」。日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られる。古書店のサロンとして購入した物件を喫茶店としても営業したことをきっかけに、多くの芸術家が集う場所となった。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "後にラドリオを開店する島崎八郎は、東京大学経済学部の卒業後に銀行員になったが、生活費が不足していたこともあり、本郷キャンパスの赤門前に古書店「島崎書店」を構えた。店頭に並べられていたのは主に社会科学関係書や洋書であったが、大学出身者である島崎を求めて、大学関係者や学生の来客も多く訪れるとともに、島崎の実弟にあたる島木健作の作品も取り扱っていた。島木は出獄後、静養しながら島崎書店を手伝っており、1934年の「癩」は静養しながら執筆した。そのころ、東京商科大学に在学していた加茂儀一は、下宿先だった本郷にある古本店を巡ることを日課にし、島崎書店もその一つであった。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "1939年(昭和14年)、神保町の神田日活館の向かいに支店を構えた。その後の東京大空襲で本郷の店舗は焼けてしまったが、神保町の店舗は影響がなかったこともあり、戦後は神保町のみで営業を続けた。息子2人のうち、1人は多摩美術大学の教授となる。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "島崎は「本を読みながらコーヒーや酒が飲める場所」を作りたいという思いが芽生え、来訪客のためのサロンとして店舗近くの物件を購入し、古書店と喫茶店の兼業を始めた。購入した物件は、1階を喫茶店、2階を自宅として使用した。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "その喫茶店「ラドリオ」は、1949年(昭和24年)10月に開店した。店名の由来は、スペイン語で「煉瓦(Ladrillo)」を意味する。創業当時に流行していたハーフティンバー様式を採用、外装にあたたかな雰囲気を醸し出ている。内装とともに使用された煉瓦には東京駅丸の内駅舎、王子の造幣局と同じものが用いられたとされる。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "店内に入ると、こげ茶色の空間が広がり、左手に高さが不揃いの木製椅子と煉瓦のカウンター席が並び、赤地のソファー、ストーブなどが置かれ、開業時から使用されている。店内の照明は暗めで、街灯型に彫られた黒柱も立ち、モダンな雰囲気が漂っている。カウンターの中には洋酒が並び、背の低いテーブルなども全体が小ぶりである。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "また、芸術家たちが持ち込んだ作品が飾られており、コーヒー代の代わりに作品を置いていくこともあった。BGMにはシャンソンを流しているが、これは島崎を伯父に持ち、初代ママを務めた臼井愛子の好みからである。臼井は、バーテンダー協会の副会長も務め、店頭で提供したカクテルはその後も受け継がれている。また、常連だった黒田三郎に対する追悼文で臼井は、ラドリオで開催された黒田と昭森社との酒盛についてその思い出を記した。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "開業年、1949年のクリスマスには草野心平は古田晁とラドリオで初めて対面したり、枝川公一が仕事相手や光文社勤務時代の同社社員との待ち合わせに用いるなど、芸術家たちも作業場や応接室として用いたが、伊達得夫は「書葎ユリイカ」の仕事場として使用していたビルの向かいにラドリオがあったことから、 ラドリオを応接室として使用していた。また、昭森社と思潮社がユリイカと同居していた時期もある。伊達は「ラドリオの椅子に毎日三時間くらいは腰をおろしている。ぼくに向い合っている人は、毎日違うのだ。ぼくのオフィスもまたこの露地にあって、そこがあまりにも狭いので、応接室として、ラドリオを利用しないわけにはいかない。」と表現している。逢坂剛は中央大学在学時代から訪れており、1986年「カディスの赤い星」で直木賞受賞の連絡は店頭で受け取った。週1回の頻度で山本容朗が来店していたほか、山の上ホテルで仕事を終えた後に田村隆一が、片岡義男は窓際の2人席に、毎日座って原稿を執筆していた。そのほかにも、川端康成、三島由紀夫、武田秦淳、椎名麟三、梅崎春生、野間宏、中村真一郎、埴谷雄高、本郷新、昆野恒なども利用していた。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "店のトレードマークである、牛のアイコンはカップやマッチ、灰皿に描かれているが、これは臼井と親交が深かった本郷が描いたものである。また、本郷は店で働く女性をモデルに彫像も制作した。この彫像は本郷の遺族から「閉店するときには譲ってほしい」と言われている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "ラドリオより数年早く、1947年に開店したランボオも作家のたまり場となっていた。前述したユリイカらが入居していたのが、ランボオが入居していたビルの2階にあたる。その後、1949年に閉店、1943年には「ミロンガ・ヌオーバ」として島崎が開店した。この空間を塩沢槙は「ゆめの名残のような場所」と表現した。その後、店名にヌオーバが付き「ミロンガ・ヌオーバ」となったのは1995年のことで、炭火珈琲と世界のビールを取り揃える。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "神保町の喫茶店「さぼうる」の店主である鈴木文雄は「『ラドリオ』が目標だったから何度も通って勉強した」といい、ハーフティンバー様式は、さぼうるにも採用された。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "2000年、傾いていた建物をジャッキアップし、柱の入れ替え、床の煉瓦を1層積み重ねるなどの改修工事が行われ、10センチメートルほど床が上がった。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "その後、店長は数年ごとに交代している。学生時代に京都の喫茶店に勤務し、その後ラドリオのアルバイト、最終的には店長となった池本奈美は、京都時代のアルバイト仲間であった作家の木村衣有子からラドリオのアルバイトを勧められた。その後、毎月1回発行されている「ラドリオかわら版」も木村の勧めで始まった。店員の手作りで発行されているかわら版には、神保町地区のミニ知識が多く掲載されている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "提供されるウィンナーコーヒーはコーヒーに冷たい生クリームを浮かべてフタをしたものだが、川口葉子は「上唇でクリームの冷たさを、下でコーヒーの温かさを同時に感じるのが楽しい」という。その生クリームはかたさを変えるなど、時代に合わせてその味を変化させている。考案したのは、臼井であった。常連の東京大学教授がウィーンを訪れたときに飲んだ白いものがのったコーヒーの話を発端に、想像しながら小川町を散策した際に見つけた、クリームが乗ったケーキから着想したという。",
"title": "メニュー"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "熱いコーヒーが冷めないように、たっぷりのホイップクリームを浮かべたことが始まりとされる。1949年の創業当時は、店舗面積がその後と比較して広大で、コーヒーが提供されるまで時間がかかっていたことや、討論が白熱したときにコーヒーが冷えてしまうことを防ぐためという逸話が残る。",
"title": "メニュー"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "アルコールのメニューも提供されており、バータイムにはウイスキーやカクテルを味わう人も足を運んでいる。吉田健一は、洋食店「ランチョン」でビールを飲んだ後に立ち寄り、紅茶のウイスキー割をダブルで注文していた。",
"title": "メニュー"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "フードメニューは、ナポリタンとチキンカレーを中心としたメニュー構成になっている。ナポリタンは、麺をやや硬めに、トマトソースにタバスコと黒胡椒を入れている。カーツさとうは「ほんのチョッピリ辛味の利いた特製ソースで、麺をこれでもかというほどに炒めに炒めたスタイル」「アルデンテとは違う、麺内の水分を蒸発させたことによる麺のコシはこの店ならでは。そのオリジナルな食感は間違いなくクセになる。」と表現した。カレーは2004年から店長を務めた菅原裕行が考案したレシピが受け継がれており、トマト、デミグラスソースなどをベースにしたカレールーがマイルドな味を作っている。",
"title": "メニュー"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "また以前には、中華がゆが提供されていたこともあり、草野心平の友人から習って提供したことから「心平がゆ」と名付けてもよいといわれていた。これ以外にも、サンドイッチやコロッケ、日替わり定食やランチセットが提供されていた。",
"title": "メニュー"
}
] | ラドリオは、1949年に開店した東京都千代田区神田神保町にある喫茶店である。正式名称「神保町ラドリオ喫茶店」。日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られる。古書店のサロンとして購入した物件を喫茶店としても営業したことをきっかけに、多くの芸術家が集う場所となった。 | {{Infobox restaurant
| embed =
| name = <!-- embedにyesを指定した場合無効 -->
| title = ラドリオ
| logo =
| logo_width =
| logo_alt =
| image = Jinbocho_ladrio_2023-10-20(2)_as.jpg
| image_width =
| image_alt =
| image_caption =
| pushpin_map = Tokyo city
| map_size =
| map_alt =
| map_caption =
| slogan =
| established = {{Start date|1949|10|}}
| closed = <!-- {{End date|YYYY|MM|DD}} -->
| current-owner =有限会社ラドリオ喫茶店
| previous-owner =島崎八郎
| head-chef =
| chef =
| pastry-chef =
| food-type =[[喫茶店]]
| dress-code =
| rating =
| street-address =東京都千代田区神田神保町1-3
| city =
| county ={{JPN}}
| state =
| postcode =
| country =
| coordinates = {{coord}}
| coordinates2 = <!-- {{coord2}} -->
| seating-capacity =
| reservations =不可
| other-locations =
| other-label = <!-- 「他情報」ラベルを変更 -->
| other-information =
| website = <!-- {{URL|example.com}} -->
|postalcode=101-0051}}
'''ラドリオ'''は、[[1949年]]に開店した[[東京都]][[千代田区]][[神田神保町]]にある[[喫茶店]]である。正式名称「'''神保町ラドリオ喫茶店'''{{Sfn|塩沢|2009|page=19}}」。日本で初めて[[ウィンナ・コーヒー]]を出した店としても知られる{{Sfn|川口|2015|page=180}}。[[古書店]]のサロンとして購入した物件を喫茶店としても営業したことをきっかけに、多くの芸術家が集う場所となった。
== 沿革 ==
=== 古書店から喫茶店の兼業 ===
後にラドリオを開店する島崎八郎は、[[東京大学]]経済学部の卒業後に銀行員になったが、生活費が不足していたこともあり、[[東京大学本郷地区キャンパス|本郷キャンパス]]の[[御守殿|赤門]]前に古書店「島崎書店」を構えた。店頭に並べられていたのは主に社会科学関係書や洋書であったが、大学出身者である島崎を求めて、大学関係者や学生の来客も多く訪れるとともに、島崎の実弟にあたる[[島木健作]]の作品も取り扱っていた{{Sfn|脇村|1979|page=57}}{{Sfn|木村|1951|page=170}}。島木は出獄後、静養しながら島崎書店を手伝っており、1934年の「癩」は静養しながら執筆した{{Sfn|渡辺|1959|page=177}}。そのころ、[[東京商科大学 (旧制)|東京商科大学]]に在学していた[[加茂儀一]]は、下宿先だった本郷にある古本店を巡ることを日課にし、島崎書店もその一つであった{{Sfn|加茂|1965|page=7}}。
[[1939年]](昭和14年)、神保町の[[神田日活館]]の向かいに支店を構えた{{Sfn|脇村|1979|page=57}}{{Sfn|野田|1962|page=59}}。その後の[[東京大空襲]]で本郷の店舗は焼けてしまったが、神保町の店舗は影響がなかったこともあり、戦後は神保町のみで営業を続けた。息子2人のうち、1人は[[多摩美術大学]]の教授となる{{Sfn|脇村|1979|page=57}}。
島崎は「本を読みながらコーヒーや酒が飲める場所」を作りたいという思いが芽生え{{Sfn|下里|2005|page=38}}、来訪客のためのサロンとして店舗近くの物件を購入し、古書店と喫茶店の兼業を始めた{{Sfn|脇村|1979|page=60}}{{Sfn|柿崎|2021}}{{Sfn|松永|2022|page=8}}。購入した物件は、1階を喫茶店、2階を自宅として使用した{{Sfn|塩沢|2009|page=18}}{{Sfn|林|2002|page=204}}{{Sfn|島崎|2017|page=131}}。
=== 開店、その後芸術家たちのたまり場へ ===
その喫茶店「ラドリオ」は、1949年(昭和24年)10月に開店した{{Sfn|田村|1989|page=143}}{{Sfn|岩谷|2016|page=38}}{{Sfn|千代田区観光協会|}}{{Sfn|読売新聞社|2018|page=2}}。店名の由来は、スペイン語で「[[煉瓦]]([[:es:Ladrillo|Ladrillo]])」を意味する{{Sfn|川口|2015|page=180}}{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}。創業当時に流行していた[[ハーフティンバー様式]]を採用{{Sfn|秋場|2019}}{{Sfn|川口|2015|page=180}}{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}{{Sfn|秋場|2019}}{{Sfn|グラフィス|2011|page=60}}、外装にあたたかな雰囲気を醸し出ている{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}{{Sfn|読売新聞社|2018|page=2}}{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}。内装とともに使用された煉瓦には[[東京駅]]丸の内駅舎{{Sfn|読売新聞社|2018|page=2}}{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}、[[王子 (東京都北区)|王子]]の[[造幣局 (日本)|造幣局]]{{Sfn|田村|1989|page=147}}と同じものが用いられたとされる。
店内に入ると、こげ茶色の空間が広がり、左手に高さが不揃いの木製椅子と煉瓦のカウンター席が並び{{Sfn|KADOKAWA|2011|page=81}}{{Sfn|下里|2018|page=56}}{{Sfn|田沢|1993|page=83}}、赤地のソファー、ストーブなどが置かれ、開業時から使用されている{{Sfn|田沢|1993|page=83}}。店内の照明は暗めで、街灯型に彫られた黒柱も立ち、モダンな雰囲気が漂っている{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}{{Sfn|本庄|2018}}。カウンターの中には洋酒が並び、背の低いテーブルなども全体が小ぶりである{{Sfn|島崎|2017|page=131}}。
また、芸術家たちが持ち込んだ作品が飾られており、コーヒー代の代わりに作品を置いていくこともあった{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}。BGMには[[シャンソン]]を流しているが{{Sfn|塩沢|2009|page=22}}、これは島崎を伯父に持ち{{Sfn|田村|1989|page=144}}、初代ママを務めた臼井愛子の好みからである{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}。臼井は、バーテンダー協会の副会長も務め、店頭で提供したカクテルはその後も受け継がれている{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}。また、常連だった[[黒田三郎]]に対する追悼文で臼井は、ラドリオで開催された黒田と昭森社との酒盛についてその思い出を記した{{Sfn|臼井|1980}}。
開業年、1949年のクリスマスには[[草野心平]]は[[古田晁]]とラドリオで初めて対面したり{{Sfn|林|2002|page=204}}、[[枝川公一]]が仕事相手や[[光文社]]勤務時代の同社社員との待ち合わせに用いる{{Sfn|枝川|1998|page=50}}など、芸術家たちも作業場や応接室として用いたが、[[伊達得夫]]は「書葎[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]」の仕事場として使用していたビルの向かいにラドリオがあったことから、 ラドリオを応接室として使用していた{{Sfn|南陀楼|2019|page=18}}。また、昭森社と[[思潮社]]がユリイカと同居していた時期もある{{Refnest|group="注釈"|これ以外にも[[審美社]]やニュウーヨクタイムズなど7社が同居していた{{Sfn|田村|1989|page=143}}。}}。伊達は「ラドリオの椅子に毎日三時間くらいは腰をおろしている。ぼくに向い合っている人は、毎日違うのだ。ぼくのオフィスもまたこの露地にあって、そこがあまりにも狭いので、応接室として、ラドリオを利用しないわけにはいかない。{{Sfn|伊達|1971}}」と表現している{{Sfn|林|2002|page=205}}。[[逢坂剛]]は[[中央大学]]在学時代から訪れており{{Sfn|下里|2005|page=39}}、[[1986年]]「[[カディスの赤い星]]」で直木賞受賞の連絡は店頭で受け取った{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}{{Sfn|江畑|2015|page=3}}。週1回の頻度で[[山本容朗]]が来店していた{{Sfn|さとう|2020|page=59}}ほか、[[山の上ホテル]]で仕事を終えた後に[[田村隆一]]{{Sfn|青木|1998}}が、[[片岡義男]]は窓際の2人席に、毎日座って原稿を執筆していた{{Sfn|志賀|2015|page=77}}。そのほかにも、[[川端康成]]{{Sfn|山下|1995|page=31}}、[[三島由紀夫]]、[[武田泰淳|武田秦淳]]、[[椎名麟三]]、[[梅崎春生]]、[[野間宏]]、[[中村真一郎]]、[[埴谷雄高]]{{Sfn|山本|1997|page=208}}、[[本郷新]]、[[昆野恒]]{{Sfn|柿崎|2021}}なども利用していた。
店のトレードマークである、牛のアイコンはカップやマッチ、灰皿に描かれているが、これは臼井と親交が深かった本郷が描いたものである{{Sfn|中央公論編集部|2015|page=16}}{{Sfn|KADOKAWA|2011|page=81}}{{Sfn|佐藤|2015|page=17}}。また、本郷は店で働く女性をモデルに彫像も制作した。この彫像は本郷の遺族から「閉店するときには譲ってほしい」と言われている{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}。
=== ランボオとミロンガ、さぼうるとの関係 ===
[[ファイル:Milonga nueva 2023-10-20(1) as.jpg|サムネイル|ミロンガ・ヌオーバは以前の位置からは移転開業している]]
ラドリオより数年早く、1947年に開店したランボオも作家のたまり場となっていた{{Sfn|村上|2019}}。前述したユリイカらが入居していたのが、ランボオが入居していたビルの2階にあたる{{Sfn|南陀楼|2019|page=18}}。その後、[[1949年]]に閉店、1943年には「ミロンガ・ヌオーバ」として島崎が開店した{{Sfn|塩沢|2009|page=18}}{{Sfn|枝川|1998|page=50}}{{Sfn|下里|2005|page=39}}{{Sfn|島田|2016}}。この空間を[[塩沢槙]]は「ゆめの名残のような場所」と表現した{{Sfn|塩沢|2009|page=16}}。その後、店名にヌオーバが付き「ミロンガ・ヌオーバ」となったのは1995年のことで、炭火珈琲と世界のビールを取り揃える{{Sfn|下里|2005|page=39}}。
神保町の喫茶店「[[さぼうる]]」の店主である鈴木文雄は「『ラドリオ』が目標だったから何度も通って勉強した」といい{{Sfn|下里|2018|page=56}}、ハーフティンバー様式は、さぼうるにも採用された{{Sfn|川口|2015|page=180}}。
=== 改修工事とラドリオかわら版の始まり ===
2000年、傾いていた建物をジャッキアップし、柱の入れ替え、床の煉瓦を1層積み重ねるなどの改修工事が行われ、10センチメートルほど床が上がった{{Sfn|川口|2015|page=180}}{{Sfn|美術出版社書籍編集部|2019|page=52}}。
その後、店長は数年ごとに交代している{{Refnest|group="注釈"|臼井愛子自身は1996年に離れ、義妹が後継に就いた{{Sfn|枝川|1998|page=50}}{{Sfn|今村・金澤|1999|page=36}}}}{{Sfn|菊池|2015|page=150}}。学生時代に京都の喫茶店に勤務し、その後ラドリオのアルバイト、最終的には店長となった池本奈美は、京都時代のアルバイト仲間であった作家の[[木村衣有子]]からラドリオのアルバイトを勧められた。その後、毎月1回発行されている「ラドリオかわら版」も木村の勧めで始まった{{Sfn|菊池|2015|page=150}}。店員の手作りで発行されているかわら版には、神保町地区のミニ知識が多く掲載されている{{Sfn|読売新聞社|2018|page=2}}。
== メニュー ==
[[ファイル:Jinbocho ladrio 2023-10-20(1) as.jpg|サムネイル|チキンカレーとウィンナーコーヒー]]
提供される[[ウィンナーコーヒー]]は[[コーヒー]]に冷たい[[生クリーム]]を浮かべてフタをしたものだが、川口葉子は「上唇でクリームの冷たさを、下でコーヒーの温かさを同時に感じるのが楽しい」という{{Sfn|川口|2015|page=180}}。その生クリームはかたさを変えるなど、時代に合わせてその味を変化させている{{Sfn|柿崎|2021}}。考案したのは、臼井であった{{Sfn|岩谷|2016|page=38}}。常連の東京大学教授が[[ウィーン]]を訪れたときに飲んだ白いものがのったコーヒーの話を発端に{{Sfn|松永|2022|page=8}}、想像しながら[[小川町]]を散策した際に見つけた、クリームが乗ったケーキから着想したという{{Sfn|難波|2020}}。
熱いコーヒーが冷めないように、たっぷりのホイップクリームを浮かべたことが始まりとされる{{Sfn|秋場|2019}}。1949年の創業当時は、店舗面積がその後と比較して広大で、コーヒーが提供されるまで時間がかかっていたことや{{Sfn|島田|2016}}{{Sfn|マガジンハウス|2017|page=74}}、討論が白熱したときにコーヒーが冷えてしまうことを防ぐため{{Sfn|佐藤|2015|page=16}}という逸話が残る。
アルコールのメニューも提供されており、バータイムにはウイスキーやカクテルを味わう人も足を運んでいる{{Sfn|岩谷|2016|page=38}}。[[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]は、洋食店「ランチョン」でビールを飲んだ後に立ち寄り、紅茶のウイスキー割をダブルで注文していた{{Sfn|田沢|1993|page=84}}。
[[ファイル:Jinbocho ladrio 2023-02-04(1) as.jpg|サムネイル|少し辛めに味付けされたナポリタン]]
フードメニューは、[[ナポリタン]]と[[チキンカレー]]を中心としたメニュー構成になっている。ナポリタンは、麺をやや硬めに、トマトソースにタバスコと黒胡椒を入れている{{Sfn|美術出版社書籍編集部|2019|page=52}}{{Sfn|秋場|2019}}{{Sfn|下里|2018|page=56}}。[[カーツさとう]]は「ほんのチョッピリ辛味の利いた特製ソースで、麺をこれでもかというほどに炒めに炒めたスタイル」「アルデンテとは違う、麺内の水分を蒸発させたことによる麺のコシはこの店ならでは。そのオリジナルな食感は間違いなくクセになる。」と表現した{{Sfn|さとう|2020|page=59}}。カレーは2004年から店長を務めた菅原裕行が考案したレシピが受け継がれており、トマト、デミグラスソースなどをベースにしたカレールーがマイルドな味を作っている{{Sfn|塩沢|2009|page=19}}{{Sfn|本庄|2018}}{{Sfn|杉浦|2016|page=117}}。
また以前には、中華がゆが提供されていたこともあり、草野心平の友人から習って提供したことから「心平がゆ」と名付けてもよいといわれていた{{Sfn|高田|1993|page=41}}。これ以外にも、サンドイッチやコロッケ{{Sfn|今村・金澤|1999|page=36}}、日替わり定食や{{Sfn|見津|2019}}ランチセットが提供されていた{{Sfn|下里|2018|page=56}}。
== アクセス ==
* [[東京メトロ半蔵門線]]・[[都営地下鉄新宿線]]・[[都営地下鉄三田線]] [[神保町駅]]A7出口から徒歩2分{{Sfn|菜々山|2017|page=23}}
== 注釈 ==
{{Reflist|group=注釈}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |title=東京ノスタルジック喫茶店 |year=2009 |publisher=茉莉花社 |isbn=978-4-309-90822-9 |ref={{SfnRef|塩沢|2009}} |author=塩沢槙 |author-link=塩沢槙}}
*{{Cite book|和書 |title=東京の喫茶店 琥珀色のしずく77滴 |date=2015-11 |publisher=実業之日本社 |author=川口葉子 |isbn=978-4-408-45660-7 |ref={{SfnRef|川口|2015}}}}
* {{Cite journal|和書|author=脇村義太郎|author-link=脇村義太郎|date=1979-01|title=神田書肆街百年(四)|journal=図書|issue=353|pages=45-63|ref={{SfnRef|脇村|1979}}|id={{OYALIB|100066232}}}}
*{{Cite book|和書 |title=東京案内記 |year=1951 |publisher=黄土社書店 |editor=木村毅 |editor-link=木村毅 |ref={{SfnRef|木村|1951}} |doi=10.11501/2983987}}
*{{Cite book|和書 |title=烈風のなかを : 私の短歌自叙伝 |year=1959 |publisher=新読書社出版部 |author=渡辺順三 |author-link=渡辺順三 |ref={{SfnRef|渡辺|1959}}}}
*{{Cite journal|和書|author=加茂儀一|author-link=加茂儀一|date=1965-11|title=古本屋の思い出|journal=学校図書館|issue=181|ref={{SfnRef|加茂|1965}}}}
*{{Cite book|和書 |title=東京下町 第2 |year=1962 |publisher=人物往来社 |series=『日本文学の旅』第3 |ref={{SfnRef|野田|1962}} |author=野田宇太郎 |author-link=野田宇太郎}}
*{{Cite journal|和書|author=下里康子|date=2005-10|title=喫茶聖地クロニクル|journal=散歩の達人|volume=10|issue=10|pages=36-39|ref={{SfnRef|下里|2005}}|id={{OYALIB|100033691}}}}
*{{Cite web |title=神田神保町で半世紀以上愛される老舗の喫茶店『ラドリオ』|さんたつ by 散歩の達人 |url=https://san-tatsu.jp/articles/96840/ |website=さんたつ by 散歩の達人 |access-date=2023-10-23 |date=2021-04-21|language=ja-JP |publisher=[[交通新聞社]] |author=柿崎真英|ref={{SfnRef|柿崎|2021}}}}
*{{Cite journal|和書|author=松永卓也|date=2022-03-25|title=学生街の喫茶店|journal=週刊朝日|volume=127|issue=13|pages=4-9|ref={{SfnRef|松永|2022}}|id={{OYALIB|000064316}}}}
*{{Cite book|和書 |title=喫茶店の時代 |publisher=筑摩書房 |ref={{SfnRef|林|2002}} |isbn=978-4480436450 |date= |year=2002 |author=林哲夫 |author-link=林哲夫}}
*{{Cite journal|和書|author=島崎潤|year=2017|title=第3回 老舗喫茶店「ラドリオ」|journal=Frontiers in Dry Eye|volume=12|issue=2|page=131|ref={{SfnRef|島崎|2017}}|issn=18814263}}
*{{Cite book|和書 |title=町の音・町の人 |date=1989-10-10 |publisher=作品社 |isbn=978-4878931505 |ref={{SfnRef|田村|1989}} |author=田村隆一 |author-link=田村隆一}}
*{{Cite journal|和書|author=岩谷雪美|date=2016-12|journal=男の隠れ家|volume=20|issue=12|pages=36-39|ref={{SfnRef|岩谷|2016}}|id={{OYALIB|000033351}}}}
*{{Cite web |title=スポット(ラドリオ){{!}}【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda |url=https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/320 |website=visit-chiyoda.tokyo |access-date=2023-10-21 |ref={{SfnRef|千代田区観光協会|}}}}
*{{Cite news|和書 |title=[名言巡礼]私の歴史は私以外には持つ人は無いと云うただこの一つの… |newspaper=読売新聞 |date=2018-02-18 |edition=東京朝刊2部 |page=2 |ref={{SfnRef|読売新聞社|2018}}}}
*{{Cite journal|和書|date=2015-07|title=くつろぎの空間|journal=中央公論|volume=129|issue=7|pages=12-15|ref={{SfnRef|中央公論編集部|2015}}|id={{OYALIB|300010084}}}}
*{{Cite web |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/252543 |title=神保町「ラドリオ」初代店主の心配りが生きる路地裏の名店 |access-date=2023-10-21 |author=秋場大輔 |ref={{SfnRef|秋場|2019}}}}
*{{Cite journal|和書|title=懐かしの名喫茶、ふたたび|author=佐藤さゆり|year=2015-11|journal=珈琲時間|pages=10-25|ref={{SfnRef|佐藤|2015}}|id={{全国書誌番号|01035363}}}}
*{{Cite book|和書 |title=神田カフェ 時代を超えて愛される学生街の喫茶店 |date=2011-10 |publisher=グラフィス |ref={{SfnRef|グラフィス|2011}}}}
*{{Cite book|和書 |title=東京ノスタルジー喫茶 |year=2011 |publisher=KADOKAWA |isbn=978-4-04-727147-0 |ref={{SfnRef|KADOKAWA|2011}}}}
*{{Cite journal|和書|author=下里康子|year=2018-11|title=神保町=喫茶の聖地であり続ける理由|journal=散歩の達人|volume=23|issue=11|pages=54-63|ref={{SfnRef|下里|2018}}}}
*{{Cite journal|和書|author=田沢竜次|author-link=田沢竜次|date=1993-09|title=まだまだ健在 正統派喫茶店探訪|journal=東京人|issue=72|pages=82-87|ref={{SfnRef|田沢|1993}}|id={{OYALIB|200045720}}}}
*{{cite web|author=本庄真穂|url=https://asm.asahi.com/article/11719546|date=2008-08-02|title=ほの暗さに安らぎを感じる。懐深いカレーを求めて神保町へ[喫茶店ランチを愛す]|ref={{SfnRef|本庄|2018}}|accessdate=2023-10-21}}
*{{Cite journal|和書|author=高田講治|date=1993-06-17|title=特集「文化と伝統を育てた 名門老舗喫茶店」|journal=サライ|volume=5|issue=12|pages=37-51|ref={{SfnRef|高田|1993}}|id={{OYALIB|100039344}}}}
*{{cite journal|和書|author=臼井愛子|date=1980-04-01|title=|journal=歴程|issue=258|publisher=歴程社|ref={{SfnRef|臼井|1980}}|id={{OYALIB|100111492}}}}
*{{Cite journal|和書|author=枝川公一|author-link=枝川公一|date=1998-06-03|title=神田神保町の歩き方。 路地裏の喫茶店巡礼。|journal=東京人|volume=13|issue=6|pages=47-55|ref={{SfnRef|枝川|1998}}|id={{OYALIB|200045777}}}}
*{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20190804-XF7JYSUMGFNDRGZHEZ27KUG6ZQ/ |title=【書評】『回想の伊達得夫』中村稔著 戦後詩集の名編集者描く |access-date=2023-10-21 |author=南陀楼綾繁 |authorlink=南陀楼綾繁|ref={{SfnRef|南陀楼|2019}}}}
*{{Cite book|和書 |title=詩人たち: ユリイカ抄 |year=1971 |publisher=日本エディタースクール出版部 |page=98 |author=伊逹得夫 |author-link=伊達得夫|ref={{SfnRef|伊達|1971}}}}
*{{Cite news|和書 |title=人生は夕方から楽しくなる:作家・逢坂剛さん |newspaper=毎日新聞 |date=2015-01-23 |edition=東京夕刊 |author=江畑佳明 |page=3|ref={{SfnRef|江畑|2015}}}}
*{{Cite journal|和書|author=カーツさとう|author-link=佐藤克之|date=2020-06|title=神保町ナポリタンを食べ尽くし!|journal=おとなの週末|volume=18|issue=6|pages=58-59|ref={{SfnRef|さとう|2020|page=59}}|id={{OYALIB|000051499}}}}
*{{Cite news|和書 |title=【東京名作ものがたり】田村隆一「1999」神保町”酒仙”詩人心の止まり木 |newspaper=産経新聞 |date=1998-09-30 |edition=朝刊 |page=23 |author=青木千恵 |ref={{SfnRef|青木|1998}}}}
*{{Cite journal|和書|author=志賀佳織|date=2015-11|title=最高においしいコーヒー|journal=日経おとなのOFF|issue=174|page=76-77|location=|accessdate=|ref={{SfnRef|志賀|2015}}|id={{OYALIB|200052434}}}}
*{{Cite journal|和書|author=山下武|author-link=山下武|date=1995-11-08|title=神田神保町 古本屋街をうまく使う 神保町は、懐かしい食の街でもあった。買ったばかりの本は、おいしい店で読みたい。|journal=アミューズ|volume=48|issue=21|pages=30-31|ref={{SfnRef|山下|1995}}|id={{OYALIB|200135682}}}}
*{{Cite journal|和書|author=山本容朗|author-link=山本容朗|date=1997-05|title=文人の愛した酒場|journal=サントリークォータリー|volume=15|issue=2|pages=208-213|ref={{SfnRef|山本|1997}}|id={{OYALIB|200159851}}}}
*{{Cite web |url=https://genkosha.pictures/illustration/18120718005 |title=戦後風味の珈琲が香る路地をイラストで描く ─ 東京・神保町「ミロンガの路地」 |access-date=2023-10-21 |publisher=玄光社 |author=村上健 |date=2019-01-09|ref={{SfnRef|村上|2019}}}}
*{{Cite web |url=https://osanpo-jimbo.com/info/4966834 |title=神保町ラドリオ |access-date=2016-06-24 |publisher=おさんぽ神保町 |author=島田敏樹 |ref={{SfnRef|島田|2016}}}}
*{{Cite book|和書 |title=喫茶店 |publisher=美術出版社書籍編集部 |ref={{SfnRef|美術出版社書籍編集部|2019}} |isbn=978-4-568-43113-1}}
*{{Cite journal|和書|author=今村博幸、金澤裕美|date=1999-08-25|title=老舗喫茶「名店」めぐり|journal=アミューズ|volume=52|issue=16|pages=35-55|ref={{SfnRef|今村・金澤|1999}}|id={{OYALIB|200135773}}}}
*{{Cite journal|和書|author=菊池亜希子|author-link=菊池亜希子|date=2015-03|title=路地裏の花園「好きよ、喫茶店 第10回 神保町ラドリオ」|journal=アンドプレミアム|page=150|ref={{SfnRef|菊池|2015}}}}
*{{Cite web |url=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63296 |title=【神保町・ラドリオ】ウィンナーコーヒー初めて物語|純喫茶と珈琲(第5回) |access-date=2023-10-21 |author=難波里奈 |date=2020-12-23|ref={{SfnRef|難波|2020}}}}
*{{Cite book|和書 |title=BRUTUS特別編集 喫茶店好き。 |date=2017-09-30 |publisher=マガジンハウス |ref={{SfnRef|マガジンハウス|2017}} |isbn=978-4838752409}}
*{{Cite journal|和書|author=杉浦葉子|date=2016-11|title=喫茶店とコーヒーがそこにある幸せ いつもカレーのある安心感・1 神保町|journal=CREA|volume=28|issue=11|pages=116-117|ref={{SfnRef|杉浦|2016}}|id={{OYALIB|100016239}}}}
*{{Cite web |url=https://www.asahi.com/and/article/20190926/5447963/ |title=変わりゆく町で変わらないもの 神保町「ラドリオ」で本とナポリタンを楽しむ |access-date=2023-10-21 |publisher=朝日新聞社 |author=見津賢|ref={{SfnRef|見津|2019}}}}
*{{Cite journal|和書|author=菜々山いく子|year=2017|title=おとなのオアシス、喫茶店 ごはんも美味しい喫茶店 懐かしの旨さナポリタン編|journal=おとなの週末|volume=15|issue=7|pages=22-31|ref={{SfnRef|菜々山|2017}}|id={{OYALIB|000033731}}}}
{{Coord|format=dms|display=title}}
{{DEFAULTSORT:らとりお}}
[[Category:神田]]
[[Category:東京都の飲食店]]
[[Category:千代田区の建築物]]
[[Category:日本の外食事業者]]
[[Category:喫茶文化]]
[[Category:日本の喫茶店]] | 2023-10-21T06:57:10Z | 2023-11-07T03:58:21Z | false | false | false | [
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Infobox restaurant",
"Template:Refnest",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite news",
"Template:Coord"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AA |
4,844,641 | 第21回ゴールデングローブ賞 | 第21回ゴールデングローブ賞(だい21かいゴールデングローブしょう)は、1963年の映画を対象としており、1964年3月11日に行われた。
『枢機卿』
『トム・ジョーンズの華麗な冒険』
シドニー・ポワチエ - 『野のユリ』
レスリー・キャロン - en:The L-Shaped Room
アルベルト・ソルディ - en:To Bed or Not to Bed
シャーリー・マクレーン - 『あなただけ今晩は』
ジョン・ヒューストン - 『枢機卿』
マーガレット・ラザフォード - 『予期せぬ出来事』
エリア・カザン - 『アメリカ アメリカ』
en:The Richard Boone Show
en:The Dick Van Dyke Show
The Danny Kaye Show
ミッキー・ルーニー - Mickey
en:Inger Stevens - The Farmer's Daughter | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "第21回ゴールデングローブ賞(だい21かいゴールデングローブしょう)は、1963年の映画を対象としており、1964年3月11日に行われた。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "『枢機卿』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "『トム・ジョーンズの華麗な冒険』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "シドニー・ポワチエ - 『野のユリ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "レスリー・キャロン - en:The L-Shaped Room",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "アルベルト・ソルディ - en:To Bed or Not to Bed",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "シャーリー・マクレーン - 『あなただけ今晩は』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "ジョン・ヒューストン - 『枢機卿』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "マーガレット・ラザフォード - 『予期せぬ出来事』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "エリア・カザン - 『アメリカ アメリカ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "en:The Richard Boone Show",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "en:The Dick Van Dyke Show",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "The Danny Kaye Show",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "ミッキー・ルーニー - Mickey",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "en:Inger Stevens - The Farmer's Daughter",
"title": "受賞者・ノミネート"
}
] | 第21回ゴールデングローブ賞(だい21かいゴールデングローブしょう)は、1963年の映画を対象としており、1964年3月11日に行われた。 | '''第21回[[ゴールデングローブ賞]]'''(だい21かいゴールデングローブしょう)は、[[1963年の映画]]を対象としており、1964年3月11日に行われた。
==受賞者・ノミネート==
===映画===
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞 (ドラマ部門)|作品賞(ドラマ部門)]]====
'''『[[枢機卿 (映画)|枢機卿]]』'''
*『[[アメリカ アメリカ]]』
*『[[ニューマンという男]]』
*''[[:en:The Caretakers]]''
*『[[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]]』
*『[[大脱走]]』
*『[[ハッド (映画)|ハッド]]』
*『[[野のユリ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)|作品賞(ミュージカル・コメディ部門)]]====
'''『[[トム・ジョーンズの華麗な冒険]]』'''
*『[[あなただけ今晩は]]』
*『[[ヤムヤム・ガール]]』
*『[[バイ・バイ・バーディー]]』
*『[[おかしなおかしなおかしな世界]]』
*''[[:en:A Ticklish Affair]]''
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演男優賞 (ドラマ部門)|主演男優賞 (ドラマ部門)]]====
''' [[シドニー・ポワチエ]] - 『[[野のユリ]]』'''
*[[マーロン・ブランド]] - 『[[侵略 (映画)|侵略]]』
*[[:en:Stathis Giallelis]] - 『[[アメリカ アメリカ]]』
*[[レックス・ハリソン]] - 『[[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]]』
*[[スティーブ・マックイーン]] - 『[[マンハッタン物語]]』
*[[ポール・ニューマン]] - 『[[ハッド (映画)|ハッド]]』
*[[グレゴリー・ペック]] - 『[[ニューマンという男]]』
*[[:en:Tom Tryon]] - 『[[枢機卿 (映画)|枢機卿]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞 (ドラマ部門)]]====
''' [[レスリー・キャロン]] - ''[[:en:The L-Shaped Room]]'''''
*[[ポリー・バーゲン]] - ''[[:en:The Caretakers]]''
*[[ジェラルディン・ペイジ]] - ''[[:en:Toys in the Attic (1963 film)|Toys in the Attic]]''
*[[レイチェル・ロバーツ (女優)|レイチェル・ロバーツ]] - 『[[孤独の報酬]]』
*[[ロミー・シュナイダー]] - 『[[枢機卿 (映画)|枢機卿]]』
*[[アリダ・ヴァリ]] - ''[[:en:The Paper Man (1963 film)|The Paper Man]]''
*[[マリナ・ヴラディ]] - 『[[女王蜂 (1963年の映画)|女王蜂]]』
*[[ナタリー・ウッド]] - 『[[マンハッタン物語]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]====
''' [[アルベルト・ソルディ]] - ''[[:en:To Bed or Not to Bed]]'''''
*[[アルバート・フィニー]] - 『[[トム・ジョーンズの華麗な冒険]]』
*[[ジェームズ・ガーナー]] - ''[[:en:The Wheeler Dealers]]''
*[[ケーリー・グラント]] - 『[[シャレード (1963年の映画)|シャレード]]』
*[[ジャック・レモン]] - 『[[あなただけ今晩は]]』
*[[ジャック・レモン]] - 『[[ヤムヤム・ガール]]』
*[[フランク・シナトラ]] - 『[[ナイスガイ・ニューヨーク]]』
*[[:en:Terry-Thomas]] - ''[[:en:The Mouse on the Moon]]''
*[[ジョナサン・ウィンタース]] - 『[[おかしなおかしなおかしな世界]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]====
''' [[シャーリー・マクレーン]] - 『[[あなただけ今晩は]]』'''
*[[アン=マーグレット]] - 『[[バイ・バイ・バーディー]]』
*[[ドリス・デイ]] - 『[[女房は生きていた]]』
*[[オードリー・ヘプバーン]] - 『[[シャレード (1963年の映画)|シャレード]]』
*[[ヘイリー・ミルズ]] - ''[[:en:Summer Magic (film)|Summer Magic]]''
*[[:en:Molly Picon]] - 『[[ナイスガイ・ニューヨーク]]』
*[[ジル・セント・ジョン]] - 『[[ナイスガイ・ニューヨーク]]』
*[[ジョアン・ウッドワード]] - 『[[パリが恋するとき]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 助演男優賞|助演男優賞]]====
''' [[ジョン・ヒューストン]] - 『[[枢機卿 (映画)|枢機卿]]』'''
*[[リー・J・コッブ]] - 『[[ナイスガイ・ニューヨーク]]』
*[[ボビー・ダーリン]] - 『[[ニューマンという男]]』
*[[メルヴィン・ダグラス]] - 『[[ハッド (映画)|ハッド]]』
*[[ヒュー・グリフィス]] - 『[[トム・ジョーンズの華麗な冒険]]』
*[[:en:Paul Mann]] - 『[[アメリカ アメリカ]]』
*[[ロディ・マクドウォール]] - 『[[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]]』
*Gregory Rozakis - 『[[アメリカ アメリカ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 助演女優賞|助演女優賞]]====
''' [[マーガレット・ラザフォード]] - 『[[予期せぬ出来事]]』'''
*[[ダイアン・ベイカー]] - 『[[逆転 (映画)|逆転]]』
*[[:en:Joan Greenwood]] - 『[[トム・ジョーンズの華麗な冒険]]』
*[[ウェンディ・ヒラー]] - ''[[:en:Toys in the Attic (1963 film)|Toys in the Attic]]''
*[[:en:Linda Marsh]] - 『[[アメリカ アメリカ]]』
*[[パトリシア・ニール]] - 『[[ハッド (映画)|ハッド]]』
*[[リーゼロッテ・プルファー]] - ''[[:en:A Global Affair]]''
*[[リリア・スカラ]] - 『[[野のユリ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 監督賞|監督賞]]====
''' [[エリア・カザン]] - 『[[アメリカ アメリカ]]』'''
*[[:en:Hall Bartlett]] - ''[[:en:The Caretakers]]''
*[[:en:George Englund]] - 『[[侵略 (映画)|侵略]]』
*[[ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ]] - 『[[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]]』
*[[オットー・プレミンジャー]] - 『[[枢機卿 (映画)|枢機卿]]』
*[[トニー・リチャードソン]] - 『[[トム・ジョーンズの華麗な冒険]]』
*[[マーティン・リット]] - 『[[ハッド (映画)|ハッド]]』
*[[ロバート・ワイズ]] - 『[[たたり (映画)|たたり]]』
===テレビ===
====[[ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 作品賞 (ドラマ部門)|作品賞 (ドラマ部門)]]====
''' ''[[:en:The Richard Boone Show]]'''''
*『[[ボナンザ (テレビドラマ)|ボナンザ]]』
*''[[:en:The Defenders (1961 TV series)|The Defenders]]''
*''[[:en:The Eleventh Hour (1962 TV series)|The Eleventh Hour]]''
*『[[ローハイド]]』
====[[ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)|作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]====
''' ''[[:en:The Dick Van Dyke Show]]'''''
*『[[じゃじゃ馬億万長者]]』
*''[[:en:Bob Hope television specials#1963|The Bob Hope Show]]''
*''[[:en:The Jack Benny Show]]''
*''[[:en:The Red Skelton Show]]''
====作品賞 (バラエティ部門)====
''' ''[[The Danny Kaye Show]]'''''
*『[[アンディ・ウィリアムス・ショー]]』
*''[[:en:The Garry Moore Show]]''
*''[[:en:The Judy Garland Show]]''
*『[[ザ・トゥナイト・ショー]]』
===={{仮リンク|ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 男優賞(ドラマ部門)|label=男優賞|en|Golden Globe Award for Best Actor – Television Series Drama}}====
''' [[ミッキー・ルーニー]] - ''[[:en:Mickey (TV series)|Mickey]]'''''
*[[リチャード・ブーン]] - ''[[:en:The Richard Boone Show]]''
*[[ジャッキー・グリーソン]] - ''[[:en:The Jackie Gleason Show|Jackie Gleason: American Scene Magazine]]''
*[[ローン・グリーン]] - 『[[ボナンザ (テレビドラマ)|ボナンザ]]』
*[[E・G・マーシャル]] - ''[[:en:The Defenders (1961 TV series)|The Defenders]]''
===={{仮リンク|ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 女優賞(ミュージカル・コメディ部門)|label=女優賞|en|Golden Globe Award for Best Actress – Television Series Musical or Comedy}}====
''' [[:en:Inger Stevens]] - ''[[:en:The Farmer's Daughter (TV series)|The Farmer's Daughter]]'''''
*[[シャーリー・ブース]] - ''[[:en:Hazel (TV series)|Hazel]]''
*[[キャロリン・ジョーンズ (女優)|キャロリン・ジョーンズ]] - 『[[バークにまかせろ]]』
*[[ドロシー・ラウドン]] - ''[[:en:The Garry Moore Show]]''
*[[グロリア・スワンソン]] - 『[[バークにまかせろ]]』
==出典==
*[https://www.imdb.com/event/ev0000292/1964 IMdb 1964 Golden Globe Awards]
{{ゴールデングローブ賞}}
{{DEFAULTSORT:こおるてんくろおふしよう21}}
[[Category:ゴールデングローブ賞|21]]
[[Category:1963年の映画|*]]
[[Category:1964年のアメリカ合衆国]]
[[Category:1964年3月]] | 2023-10-21T06:58:22Z | 2023-10-21T09:30:41Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:ゴールデングローブ賞"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC21%E5%9B%9E%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E8%B3%9E |
4,844,643 | 不純喫茶ドープ | 不純喫茶ドープ(ふじゅんきっさドープ)は、「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」をコンセプトとした東京都の喫茶店である。中野店と上野御徒町店が存在する。
2020年7月29日、東京都中野区新井で1号店がオープン。この店舗は、35年ほど前からあった喫茶店をリフォームして活用しており、年季の入った壁や家具などはほぼそのまま残していた。オープン前からツイッター等で評判となった結果多くの来客があり、オープン4日目の8月1日には、仕入れが間に合わず翌2日と合わせて臨時休業となるほどであった。
同年の10月24日には、東京都台東区上野御徒町に2号店をオープンさせた。本店もまた、この地で40年近く営業してきた喫茶店「カフェ ヴェルテ」の跡地であり、その内装をいかしたデザインとなっている。なお、中野店の看板カラーが青であるのに対して、2号店の看板は緑であるため「緑ドープ」とも呼ばれている。
店名の「ドープ」や、コンセプトの「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」は、ヒップホップのスラングやリリックに由来しており、店内には日本のヒップホップが流れている。創業者であるwackwack creativeの井川裕介は、ドープについて「僕は幼少時に純喫茶でナポリタンとクリームソーダを食べた体験のある世代。あの空間や世界観が好きで、それをわかりやすく再定義したいというのが発想の原点です」「喫茶店が普及した時代は、お酒を提供して女性が接客するキャバクラのような業態もひっくるめて『喫茶』と呼ばれていました。その中で『純喫茶』は、純粋に喫茶メニューだけを提供する店として差別化されたのです。『不純喫茶』はその逆再生というか...、お酒も提供していますしね(笑)。色々意味があるんですけど、皆さんの解釈で楽しんで頂ければと思います」と語っている。
なお、加藤慶と和場まさみは、不純喫茶ドープの人気の背景として、令和元年ごろからの「純喫茶」「昭和喫茶」ブームと、「立ち飲み」などの安価な酒場のブームがあったと指摘している。
ナポリタン、クリームソーダ、昭和プリンなどのメニューが人気であるとされるが、17時からは酒類の提供も行われており、クリームソーダに焼酎を入れた「クリームソーダハイ」が看板メニューとされている。なお、これらのメニューは「ほのぼのしながらどこか毒々しい」などと評されている。また、決済は完全キャッシュレスであり、クレジットカードや交通系電子マネーを使う必要がある。
ドープの客層は幅広く、「映え写真」を撮影するZ世代のみならず、ヒップホップと酒を求めて来店する客や、喫茶店として利用する中高年もいるという。
ドープは「過去の名曲をサンプリングするように、昭和の喫茶文化を転生させたネオ喫茶」「いわゆる『わざとらしさ』のないレトロ感にあふれている」「SNS運用にも力を入れている。オープン前からInstagramやTwitterを通じて積極的に発信したことで、初日から想像以上の客入りとなった。来店したお客が写真を撮影してSNS上で拡散され、それがまた来店を誘う好循環ができあがっている」などと評されている。また、日高沙織は「『不純喫茶ドープ』はもちろん喫茶店ですが、お会計は電子マネーなどのキャッシュレス決済しか使えなかったり、17時からはお酒も提供する『喫茶酒場タイム』になったりと、私たちのイメージする“純喫茶”と少し異なる...という“不・純さ”を感じます」と指摘している。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "不純喫茶ドープ(ふじゅんきっさドープ)は、「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」をコンセプトとした東京都の喫茶店である。中野店と上野御徒町店が存在する。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2020年7月29日、東京都中野区新井で1号店がオープン。この店舗は、35年ほど前からあった喫茶店をリフォームして活用しており、年季の入った壁や家具などはほぼそのまま残していた。オープン前からツイッター等で評判となった結果多くの来客があり、オープン4日目の8月1日には、仕入れが間に合わず翌2日と合わせて臨時休業となるほどであった。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "同年の10月24日には、東京都台東区上野御徒町に2号店をオープンさせた。本店もまた、この地で40年近く営業してきた喫茶店「カフェ ヴェルテ」の跡地であり、その内装をいかしたデザインとなっている。なお、中野店の看板カラーが青であるのに対して、2号店の看板は緑であるため「緑ドープ」とも呼ばれている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "店名の「ドープ」や、コンセプトの「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」は、ヒップホップのスラングやリリックに由来しており、店内には日本のヒップホップが流れている。創業者であるwackwack creativeの井川裕介は、ドープについて「僕は幼少時に純喫茶でナポリタンとクリームソーダを食べた体験のある世代。あの空間や世界観が好きで、それをわかりやすく再定義したいというのが発想の原点です」「喫茶店が普及した時代は、お酒を提供して女性が接客するキャバクラのような業態もひっくるめて『喫茶』と呼ばれていました。その中で『純喫茶』は、純粋に喫茶メニューだけを提供する店として差別化されたのです。『不純喫茶』はその逆再生というか...、お酒も提供していますしね(笑)。色々意味があるんですけど、皆さんの解釈で楽しんで頂ければと思います」と語っている。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "なお、加藤慶と和場まさみは、不純喫茶ドープの人気の背景として、令和元年ごろからの「純喫茶」「昭和喫茶」ブームと、「立ち飲み」などの安価な酒場のブームがあったと指摘している。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "ナポリタン、クリームソーダ、昭和プリンなどのメニューが人気であるとされるが、17時からは酒類の提供も行われており、クリームソーダに焼酎を入れた「クリームソーダハイ」が看板メニューとされている。なお、これらのメニューは「ほのぼのしながらどこか毒々しい」などと評されている。また、決済は完全キャッシュレスであり、クレジットカードや交通系電子マネーを使う必要がある。",
"title": "メニュー"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "ドープの客層は幅広く、「映え写真」を撮影するZ世代のみならず、ヒップホップと酒を求めて来店する客や、喫茶店として利用する中高年もいるという。",
"title": "評価"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "ドープは「過去の名曲をサンプリングするように、昭和の喫茶文化を転生させたネオ喫茶」「いわゆる『わざとらしさ』のないレトロ感にあふれている」「SNS運用にも力を入れている。オープン前からInstagramやTwitterを通じて積極的に発信したことで、初日から想像以上の客入りとなった。来店したお客が写真を撮影してSNS上で拡散され、それがまた来店を誘う好循環ができあがっている」などと評されている。また、日高沙織は「『不純喫茶ドープ』はもちろん喫茶店ですが、お会計は電子マネーなどのキャッシュレス決済しか使えなかったり、17時からはお酒も提供する『喫茶酒場タイム』になったりと、私たちのイメージする“純喫茶”と少し異なる...という“不・純さ”を感じます」と指摘している。",
"title": "評価"
}
] | 不純喫茶ドープ(ふじゅんきっさドープ)は、「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」をコンセプトとした東京都の喫茶店である。中野店と上野御徒町店が存在する。 | '''不純喫茶ドープ'''(ふじゅんきっさドープ)は、「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」をコンセプトとした[[東京都]]の[[喫茶店]]である<ref name="佐藤">{{Cite web |title=【純喫茶】東京・中野の「不純喫茶ドープ」に早くも2号店(上野御徒町)誕生! 100点満点のプリンを食べるべし!! |url=https://rocketnews24.com/2020/10/27/1423783/ |website=ロケットニュース24 |date=2020-10-27 |access-date=2023-10-21 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20230131203240/https://rocketnews24.com/2020/10/27/1423783/ |archive-date=2023-01-31 |author=佐藤英典}}</ref><ref name="中野経済新聞">{{Cite web |title=中野ブロードウェイ北側にノスタルジックな「不純喫茶ドープ」 完全キャッシュレス制 |url=https://nakano.keizai.biz/headline/1954/ |website=中野経済新聞 |access-date=2023-10-21|archive-url=https://web.archive.org/web/20210528172232/https://nakano.keizai.biz/headline/1954/|archive-date=2021-05-28}}</ref>。中野店と上野御徒町店が存在する<ref name="佐藤"/>。
==沿革==
2020年7月29日、東京都[[中野区]][[新井 (中野区)|新井]]で1号店がオープン<ref name="中野経済新聞"/>。この店舗は、35年ほど前からあった喫茶店をリフォームして活用しており、年季の入った壁や家具などはほぼそのまま残していた<ref name="櫻井1">{{Cite web |title=“不純”な喫茶店って何!? 『不純喫茶ドープ』(中野)で郷愁ナポリタンを食べてきた |url=https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/56857/ |website=食楽web |date=2020-09-28 |access-date=2023-10-21 |language=ja |author=櫻井れき |archive-url=https://web.archive.org/web/20230324221756/https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/56857/ |archive-date=2023-05-24 |page=1}}</ref>。オープン前から[[ツイッター]]等で評判となった結果多くの来客があり、オープン4日目の8月1日には、仕入れが間に合わず翌2日と合わせて臨時休業となるほどであった<ref name="中野経済新聞"/>。
同年の10月24日には、東京都[[台東区]]上野御徒町に2号店をオープンさせた<ref name="佐藤"/>。本店もまた、この地で40年近く営業してきた喫茶店「カフェ ヴェルテ」の跡地であり、その内装をいかしたデザインとなっている<ref name="ダ・ヴィンチ">{{Cite journal|和書|author=YUKO EHARA|title=NEW RETRO CAFE 純喫茶ブームにニューウェーブ到来!|journal=ELLE JAPON|number=445|date=2021-11|publisher=ハースト婦人画報社|page=267|id={{OYALIB|000061028}}}}</ref>。なお、中野店の看板カラーが青であるのに対して、2号店の看板は緑であるため「緑ドープ」とも呼ばれている<ref name="佐藤"/>。
店名の「ドープ」や、コンセプトの「せつない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」は、[[ヒップホップ]]の[[スラング]]やリリックに由来しており、店内には日本のヒップホップが流れている<ref name="ダ・ヴィンチ" />。創業者であるwackwack creativeの井川裕介は、ドープについて「僕は幼少時に純喫茶でナポリタンとクリームソーダを食べた体験のある世代。あの空間や世界観が好きで、それをわかりやすく再定義したいというのが発想の原点です」「喫茶店が普及した時代は、お酒を提供して女性が接客する[[キャバクラ]]のような業態もひっくるめて『喫茶』と呼ばれていました。その中で『[[純喫茶]]』は、純粋に喫茶メニューだけを提供する店として差別化されたのです。『不純喫茶』はその逆再生というか…、お酒も提供していますしね(笑)。色々意味があるんですけど、皆さんの解釈で楽しんで頂ければと思います」と語っている<ref name="SPA!26">{{Cite journal|和書|author1=加藤慶|date=2023-01-17|title=<nowiki>[喫茶×酒場ブーム]</nowiki>の正体|journal=SPA!|number=3768|page=26|publisher=扶桑社|id={{OYALIB|000069979}}|author2=和場まさみ}}</ref><ref name="櫻井3">{{Cite web |title=“不純”な喫茶店って何!? 『不純喫茶ドープ』(中野)で郷愁ナポリタンを食べてきた |url=https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/56857/3/ |website=食楽web |date=2020-09-28 |access-date=2023-10-21 |language=ja |author=櫻井れき |archive-url=https://web.archive.org/web/20201101133304/https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/56857/3/ |archive-date=2020-11-01 |page=3}}</ref><ref name="大関1">{{Cite web |title=“せつない気持ちのゴミ捨て場”がコンセプト、中野に「不純喫茶ドープ」が開業。昭和レトロにイマドキ感をプラスしたネオ喫茶、カフェと酒場の二毛作営業に加えてECにも力を入れる - フードスタジアム フードスタジアム |url=https://food-stadium.com/headline/28999/ |website=food-stadium.com |access-date=2023-10-21 |author=大関まなみ |archive-url=https://web.archive.org/web/20230610144223/https://food-stadium.com/headline/28999/ |archive-date=2023-01-10 |page=1}}</ref>。
なお、加藤慶と和場まさみは、不純喫茶ドープの人気の背景として、令和元年ごろからの「[[純喫茶]]」「昭和喫茶」ブームと、「立ち飲み」などの安価な酒場のブームがあったと指摘している<ref name="SPA!26" />。
== メニュー ==
ナポリタン、クリームソーダ、昭和プリンなどのメニューが人気であるとされるが<ref name="ELLE JAPON">{{Cite journal|和書|author=チヒロ|title=音楽と読書に浸る 喫茶店巡り|journal=ダ・ヴィンチ|number=347|date=2023-03|publisher=KADOKAWA|page=51|id={{OYALIB|000070472}}}}</ref>、17時からは酒類の提供も行われており<ref name="日高">{{Cite web |title=ネオ喫茶「不純喫茶ドープ」が人気沸騰中!中野にあるイマっぽ×昭和レトロな世界へ|るるぶ&more. |url=https://rurubu.jp/andmore/article/13271 |website=rurubu.jp |access-date=2023-10-21 |language=ja |author=日高沙織 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220525173607/https://rurubu.jp/andmore/article/13271 |archive-date=2022-05-25}}</ref>、クリームソーダに焼酎を入れた「クリームソーダハイ」が看板メニューとされている<ref name="SPA!26" /><ref name="SPA!27">{{Cite journal|和書|author1=加藤慶|author2=和場まさみ|title=<nowiki>[喫茶×酒場ブーム]</nowiki>の正体|journal=SPA!|number=3768|date=2023-01-17|publisher=扶桑社|page=27|id={{OYALIB|000069979}}}}</ref>。なお、これらのメニューは「ほのぼのしながらどこか毒々しい」などと評されている<ref name="ELLE JAPON" />。また、決済は完全キャッシュレスであり、クレジットカードや交通系電子マネーを使う必要がある<ref name="中野経済新聞"/>。
==評価==
ドープの客層は幅広く、「映え写真」を撮影するZ世代のみならず、ヒップホップと酒を求めて来店する客や、喫茶店として利用する中高年もいるという<ref name="SPA!27" />。
ドープは「過去の名曲を[[サンプリング]]するように、昭和の喫茶文化を転生させたネオ喫茶」「いわゆる『わざとらしさ』のないレトロ感にあふれている」「SNS運用にも力を入れている。オープン前からInstagramやTwitterを通じて積極的に発信したことで、初日から想像以上の客入りとなった。来店したお客が写真を撮影してSNS上で拡散され、それがまた来店を誘う好循環ができあがっている」などと評されている<ref name="ELLE JAPON" /><ref name="櫻井1"/><ref name="櫻井4">{{Cite web |title=“不純”な喫茶店って何!? 『不純喫茶ドープ』(中野)で郷愁ナポリタンを食べてきた |url=https://food-stadium.com/headline/28999/4/ |website=食楽web |date=2020-09-28 |access-date=2023-10-21 |language=ja |author=櫻井れき |archive-url=https://web.archive.org/web/20220813234450/https://food-stadium.com/headline/28999/4/ |archive-date=2022-08-13 |page=4}}</ref>。また、日高沙織は「『不純喫茶ドープ』はもちろん喫茶店ですが、お会計は電子マネーなどのキャッシュレス決済しか使えなかったり、17時からはお酒も提供する『喫茶酒場タイム』になったりと、私たちのイメージする“純喫茶”と少し異なる…という“不・純さ”を感じます」と指摘している<ref name="日高"/>。
==脚注==
{{reflist}}
==外部リンク==
* [https://twitter.com/kissadope 不純喫茶ドープ] - Twitter (X)
* [https://www.instagram.com/kissadope/ kissadope] - Instagram
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:ふしゆんきつさとおふ}}
[[Category:東京都の飲食店]]
[[Category:2020年設立の企業]] | 2023-10-21T07:03:40Z | 2023-12-28T13:22:55Z | false | false | false | [
"Template:Cite journal",
"Template:Normdaten",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%B4%94%E5%96%AB%E8%8C%B6%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%97 |
4,844,644 | 稲口町 | 稲口町(いなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西部に位置する。西は下屋敷町、南は美濃町、北は如意申町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "稲口町(いなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西部に位置する。西は下屋敷町、南は美濃町、北は如意申町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 稲口町(いなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''稲口町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 稲口町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 稲口町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 14 | lats = 35.22 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 56 | longs = 52.63 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.003105121
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 3451
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0905<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''稲口町'''(いなぐちちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。西は[[下屋敷町 (春日井市)|下屋敷町]]、南は[[美濃町 (春日井市)|美濃町]]、北は[[如意申町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* [[新木津用水]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|694世帯<br>2304人||<div style="width:69.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:230.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|801世帯<br>2472人||<div style="width:80.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:247.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|943世帯<br>2790人||<div style="width:94.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:279px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1103世帯<br>3067人||<div style="width:110.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:306.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1213世帯<br>3333人||<div style="width:121.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:333.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1307世帯<br>3451人||<div style="width:130.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:345.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道神屋味美線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* 学校給食センター稲口調理場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 津島社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[如意申町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[下屋敷町 (春日井市)|下屋敷町]]
| Centre<!--中央--> = 稲口町
| East<!--東--> =
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[美濃町 (春日井市)|美濃町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:いなくちちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T07:04:03Z | 2023-10-21T07:04:03Z | false | false | false | [
"Template:春日井市の町名",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Geographic Location",
"Template:Pathnav",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite book",
"Template:Pref-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%8F%A3%E7%94%BA |
4,844,646 | 上野町 (春日井市) | 上野町(うえのちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市東部に位置する。南西は東神明町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "上野町(うえのちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市東部に位置する。南西は東神明町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 上野町(うえのちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''上野町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 上野町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 上野町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 16 | lats = 54.83 | latNS = N
| longd = 137 | longm = 1 | longs = 6.78 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.353996617
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 765
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 480-0306<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''上野町'''(うえのちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市東部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。南西は[[東神明町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* 内津川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|217世帯<br>642人||<div style="width:21.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:64.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|251世帯<br>769人||<div style="width:25.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:76.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|280世帯<br>858人||<div style="width:28px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:85.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|293世帯<br>891人||<div style="width:29.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:89.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|292世帯<br>835人||<div style="width:29.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:83.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|302世帯<br>765人||<div style="width:30.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:76.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[国道19号]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* [[愛知県道内津勝川線]](旧国道19号){{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* 神明神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> =
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> =
| Centre<!--中央--> = 上野町
| East<!--東--> =
| Southwest<!--南西--> = [[東神明町]]
| South<!--南--> =
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:うえのちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T07:09:05Z | 2023-10-21T07:09:05Z | false | false | false | [
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:春日井市の町名",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:Pathnav",
"Template:Infobox settlement",
"Template:節スタブ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E7%94%BA_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E5%B8%82) |
4,844,650 | 小富士村 (大分県) | 小富士村(こふじむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、竹田市の一部にあたる。
大野川支流・白滝川、緒方川の間に位置していた。
地内の小富士山による。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "小富士村(こふじむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、竹田市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大野川支流・白滝川、緒方川の間に位置していた。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "地内の小富士山による。",
"title": "歴史"
}
] | 小富士村(こふじむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、竹田市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年1月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 緒方町、[[長谷川村]]、[[上緒方村]]、'''小富士村''' → [[緒方町]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]、[[竹田市]]
| よみがな = こふじむら
| 自治体名 = 小富士村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 2399
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[朝地町|朝地村]]、緒方町、上緒方村、竹田市
| 所在地 = 大野郡小富士村大字小宛
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''小富士村'''(こふじむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]、[[竹田市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
[[大野川]]支流・白滝川、緒方川の間に位置していた{{R|角川}}。
*山岳:[[小富士山 (大分県)|小富士山]]{{R|角川}}
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡小宛村、草深野村、寺原村、辻村、片ヶ瀬村が合併して村制施行し、'''小富士村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』325頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』371-372頁。</ref>。旧村名を継承した小宛、草深野、寺原、辻、片ヶ瀬の5大字を編成{{R|角川}}。
*[[1914年]](大正3年)富士緒井路を開削{{R|角川}}。
*[[1924年]](大正13年)富士緒電灯所開業し村内点灯{{R|角川}}。
*[[1938年]](昭和13年)小富士電話所が小富士[[郵便局]]となる{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)1月1日、大野郡緒方町、長谷川村、上緒方村と合併し、'''[[緒方町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
=== 地名の由来 ===
地内の小富士山による{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:こふしむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:竹田市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T07:16:33Z | 2023-10-21T07:16:33Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C) |
4,844,651 | 中川萌香 | 中川 萌香 (なかがわ もえか)は、中京テレビ放送(CTV)のアナウンサー。
大阪府出身。神戸大学国際人間科学部2年時、神戸大学ミスキャンパス2020ファイナリスト。 また在学中は大阪のアナウンススクールアカデミー「セイ アカデミー」に在籍。卒業後、2023年4月中京テレビ放送に入社。同期入社は仲川晴斐。7月7日の昼のニュースで初鳴き。2023年10月5日からは平山雅の産休と上山元気の育休に伴い、キャッチ!の木曜日スタジオサブキャスター(芸能・エンタメ担当)に就任。。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "中川 萌香 (なかがわ もえか)は、中京テレビ放送(CTV)のアナウンサー。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大阪府出身。神戸大学国際人間科学部2年時、神戸大学ミスキャンパス2020ファイナリスト。 また在学中は大阪のアナウンススクールアカデミー「セイ アカデミー」に在籍。卒業後、2023年4月中京テレビ放送に入社。同期入社は仲川晴斐。7月7日の昼のニュースで初鳴き。2023年10月5日からは平山雅の産休と上山元気の育休に伴い、キャッチ!の木曜日スタジオサブキャスター(芸能・エンタメ担当)に就任。。",
"title": "来歴・人物"
}
] | 中川 萌香 は、中京テレビ放送(CTV)のアナウンサー。 | {{基礎情報 アナウンサー|ふりがな=なかがわ もえか|名前=中川 萌香|出身地={{JPN}} {{flag|大阪府}}|没年月日=<!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} -->|画像サイズ=<!-- ある場合のみ、220px以内 -->|血液型=[[O型]]|最終学歴=[[神戸大学国際人間科学部]]|在籍局=[[中京テレビ放送]]|所属事務所=<!-- 契約アナウンサーの場合に使用 -->|職歴=|活動期間=2023年4月 -| 公式サイト = [https://www.ctv.co.jp/announce/profile/ 中京テレビ公式プロフィール]|現在の担当番組=[[キャッチ!]](木曜日・サブキャスター)<br />[[シネマBAR]](アルバイト)<br />[[ゴリ夢中]](ナレーション)<!-- 代表的なもののみ -->|過去の担当番組=<!-- 代表的なもののみ -->}}
'''中川 萌香 '''(なかがわ もえか)は、[[中京テレビ放送]](CTV)の[[アナウンサー]]。
== 来歴・人物 ==
[[大阪府]]出身。[[神戸大学国際人間科学部]]2年時、神戸大学ミスキャンパス2020ファイナリスト<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/happy777-asuka/entry-12643291903.html|title=神戸大学ミスキャンパス2020のメイクのお悩み相談 動画配信|website=【幸せ顔メイクアップアーティスト】 南部明日香@西宮・大阪・神戸|date=2020年12月11日|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
また在学中は大阪のアナウンススクールアカデミー「セイ アカデミー」に在籍<ref>{{Cite web|url=https://www.say.co.jp/graduate/nakagawamoeka.html|title=内定実績|website=セイアカデミー|accessdate=2023-10-22}}</ref>。卒業後、[[2023年]][[4月]][[中京テレビ放送]]に入社。同期入社は[[仲川晴斐]]。7月7日の昼のニュースで初鳴き<ref>{{Cite instagram|user=chukyotv_pr |author=中京テレビ【公式】 |postid=CvJ59VDs1MC |title=今年の春入社した新人アナウンサー2人が、 先日デビューしました… |date=2022-07-26 |access-date=2023-10-22}}</ref>。2023年10月5日からは先輩アナウンサーである[[平山雅]]の産休と[[上山元気]]の育休に伴い、[[キャッチ!]]の木曜日スタジオサブキャスター(芸能・エンタメ担当)に就任。<ref>{{Cite instagram|user=ctvcatch |author=中京テレビ『キャッチ!』 |postid=CyC09owv7rE |title=これは昨日10/5(木) 中川萌香スタジオデビュー‼️… |date=2023-10-06 |access-date=2023-10-22}}</ref>また、同年10月23日から、産休中の平山の後任として[[シネマBAR]]のアシスタント(アルバイト)に就任。12月2日からは、第1子妊娠に伴い番組を卒業した先輩・[[松原朋美]]の後任として、[[ゴリ夢中]]ナレーションを担当している。
== 担当番組 ==
* [[NNNストレイトニュース (中京テレビ)]](不定期)
* [[キャッチ!]]木曜情報・エンタメキャスター、中継、ナレーション(2023年10月5日 - )
* [[シネマBAR]](2023年10月23日 - )アルバイト
* [[ゴリ夢中]](2023年12月2日 - )5代目ナレーション<ref>[https://www.instagram.com/stories/moeka%20nakagawa212/3245138272387339360/ 中川萌香 Instagram]2023年11月27日閲覧</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.ctv.co.jp/announce/profile/ 中川 萌香] - 中京テレビ
* {{Instagram|moeka_nakagawa212 |中川 萌香(中京テレビアナウンサー)}}
{{中京テレビアナウンサー}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:なかかわ もえか}}
[[Category:中京テレビのアナウンサー]]
[[Category:神戸大学出身の人物]]
[[Category:大阪府出身の人物]]
[[Category:生年未記載]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T07:18:23Z | 2023-12-24T14:15:45Z | false | false | false | [
"Template:Normdaten",
"Template:基礎情報 アナウンサー",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite instagram",
"Template:Instagram",
"Template:中京テレビアナウンサー"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E8%90%8C%E9%A6%99 |
4,844,661 | 桃山町 (春日井市) | 桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西部に位置する。東は西山町、南は鷹来町、北は小牧市に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西部に位置する。東は西山町、南は鷹来町、北は小牧市に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''桃山町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 桃山町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 桃山町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 16 | lats = 53.98 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 58 | longs = 5.94 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.104076864
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 3633
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0802<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''桃山町'''(ももやまちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。東は[[西山町 (春日井市)|西山町]]、南は[[鷹来町]]、北は[[小牧市]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* 与兵池{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1060世帯<br>3362人||<div style="width:106px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:336.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1117世帯<br>3410人||<div style="width:111.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:341px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1186世帯<br>3617人||<div style="width:118.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:361.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1316世帯<br>3895人||<div style="width:131.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:389.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1302世帯<br>3699人||<div style="width:130.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:369.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1335世帯<br>3633人||<div style="width:133.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:363.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[名神高速道路]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* [[愛知県道高蔵寺小牧線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* [[国道155号]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[小牧市]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> =
| Centre<!--中央--> = 桃山町
| East<!--東--> = [[西山町 (春日井市)|西山町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[鷹来町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:ももやまちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T07:38:23Z | 2023-10-21T07:38:23Z | false | false | false | [
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pathnav",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%B1%B1%E7%94%BA_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E5%B8%82) |
4,844,665 | 南下原町 | 桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西部に位置する。東は西山町、南は鷹来町、北は小牧市に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西部に位置する。東は西山町、南は鷹来町、北は小牧市に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 桃山町(ももやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''南下原町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 南下原町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 南下原町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 57.78 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 58 | longs = 10.26 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_total_km2 = 0.875560501
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 1260
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0841<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''南下原町'''(みなみしもはらちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市中央部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。東は[[東野町 (春日井市)|東野町]]、西は[[岩野町]]、南は[[六軒屋町]]、北は[[鷹来町]]・[[西山町 (春日井市)|西山町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。
=== 学区 ===
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|436世帯<br>1390人||<div style="width:43.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:139px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|405世帯<br>1186人||<div style="width:40.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:118.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|411世帯<br>1208人||<div style="width:41.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:120.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|412世帯<br>1180人||<div style="width:41.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:118px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|458世帯<br>1241人||<div style="width:45.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:124.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|483世帯<br>1260人||<div style="width:48.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:126px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道197号小牧春日井線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* [[愛知県道196号神屋味美線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 施設 ==
* 八幡社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[鷹来町]]・[[西山町 (春日井市)|西山町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[岩野町]]
| Centre<!--中央--> = 南下原町
| East<!--東--> = [[東野町 (春日井市)|東野町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[六軒屋町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:みなみしもはらちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T07:56:48Z | 2023-10-21T08:09:01Z | false | false | false | [
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Pathnav",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%B8%8B%E5%8E%9F%E7%94%BA |
4,844,666 | 京都市立成逸小学校 | 京都市立成逸小学校(きょうとしりつ せいいつしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校。明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成9年(1997年)に、京都市立桃薗西陣小学校、京都市立聚楽小学校と共に、京都市立西陣中央小学校に統合され、閉校した。
成逸学区(せいいつがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての成逸小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第2番組に由来し、同年には、区域内に上京第2番組小学校(のち明治8年(1875年)に成逸小学校に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第1区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第1組となった。学区制度により明治25年(1892年)には上京第1学区となった。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第1学区から成逸学区となった。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており、成逸学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第9国勢統計区)における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,894人、1,624世帯である。
上京区の最北部に位置する学区であり、東側で室町学区、南側で西陣学区、西側で乾隆学区、北側で北区の紫野学区と接する。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "京都市立成逸小学校(きょうとしりつ せいいつしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校。明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成9年(1997年)に、京都市立桃薗西陣小学校、京都市立聚楽小学校と共に、京都市立西陣中央小学校に統合され、閉校した。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "成逸学区(せいいつがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての成逸小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。",
"title": "成逸学区"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第2番組に由来し、同年には、区域内に上京第2番組小学校(のち明治8年(1875年)に成逸小学校に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第1区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第1組となった。学区制度により明治25年(1892年)には上京第1学区となった。",
"title": "成逸学区"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第1学区から成逸学区となった。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。",
"title": "成逸学区"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており、成逸学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第9国勢統計区)における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,894人、1,624世帯である。",
"title": "成逸学区"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "上京区の最北部に位置する学区であり、東側で室町学区、南側で西陣学区、西側で乾隆学区、北側で北区の紫野学区と接する。",
"title": "成逸学区"
}
] | 京都市立成逸小学校は、京都市上京区にあった公立小学校。明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成9年(1997年)に、京都市立桃薗西陣小学校、京都市立聚楽小学校と共に、京都市立西陣中央小学校に統合され、閉校した。 | {{Infobox 日本の学校
|校名 = 京都市立成逸小学校<br/>Seiitsu elementary school
|画像 =
|過去校名 = 上京第二番組小学校<br/>成逸尋常小学校<br/>京都市成逸国民学校
|国公私立 = [[公立学校]]
|設置者 = [[ファイル:Flag of Kyoto City.svg|20px]] [[京都市]]
|併合学校 =
|校訓 =
|設立年月日=[[明治]]2年(1869年)10月16日<ref name="京都学校物語p94">{{cite|和書|editor=京都市学校歴史博物館|chapter=番組小学校の変遷|title=京都 学校物語|publisher=京都通信社|year=2006|page=94-95|isbn=4-903473-20-1}}(設立日の日付は旧暦である。)</ref>
|閉校年月日=[[1997年]](統合先は[[京都市立西陣中央小学校]])
|記念日名称 =
|創立記念日 =
|創立者 = 上京第二番組
|共学・別学 = [[男女共学]]
|中高一貫教育 =
|分校 =
|中学校コード =
|郵便番号 = 602-0074
|所在地 = 京都市上京区堀川通寺之内上る2丁目下天神町650番地1
|緯度度 = 35|緯度分 = 02|緯度秒 = 07
|経度度 = 135|経度分 = 45|経度秒 = 03
}}
'''京都市立成逸小学校'''(きょうとしりつ せいいつしょうがっこう)は、[[京都市]][[上京区]]にあった[[公立学校|公立]][[小学校]]。[[明治]]2年([[1869年]])に京都で設立された64の[[番組小学校]]の一つとして開校し、[[平成]]9年([[1997年]])に、京都市立桃薗西陣小学校<ref>平成7年(1995年)に[[京都市立桃薗小学校]]と[[京都市立西陣小学校]]が統合して創立。</ref>、[[京都市立聚楽小学校]]と共に、[[京都市立西陣中央小学校]]に統合され、閉校した。
<!--
== 概要 ==
-->
== 沿革 ==
* 1869年(明治2年) - '''上京第二番組小学校'''として開校<ref name="学校歴史">{{cite web|author=京都市学校歴史博物館|title=京都市立小学校の変遷|url=http://kyo-gakurehaku.jp/about/chart/img/PS_transition020810.pdf|type=pdf||accessdate=2023-08-11|ref={{SfnRef|『京都市立小学校の変遷』|2019}} }}</ref>(開校日:10月16日<ref name="京都学校物語p94"/>)
* [[1875年]](明治8年) - 校名を'''成逸'''に改称{{R|学校歴史}}
* [[1901年]](明治39年) - 下天神町650番地の1に移転<ref>{{cite|和書|chapter=成逸尋常小学校|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1210435/1/30|title=京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之首-五|author=碓井小三郎|year=1915|doi=10.11501/1210435|page=5}}</ref>
* 1997年(平成9年)- 西陣中央小学校に統合され、閉校{{R|学校歴史}}
* [[2004年]](平成16年)4月 - 成逸小学校跡地に「京都市立北総合養護学校」(現・[[京都市立北総合支援学校]])が開校<ref>{{cite web|title=思い出アルバム|author=成逸住民福祉協議会|url=https://seiitujukyo.org/omoidepage.html|accessdate=2023-10-21}}</ref>
== 成逸学区 ==
'''成逸学区'''(せいいつがっく)は、[[京都市]]の[[京都の元学区|学区(元学区)]]のひとつ。京都市[[上京区]]に位置する。[[明治]]初期に成立した地域区分である「[[京都の元学区#番組|番組]]」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての成逸小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
明治2年([[1869年]])の第二次町組改正により成立した'''上京第2番組'''に由来し、同年には、区域内に上京第2[[番組小学校]](のち明治8年(1875年)に成逸小学校に校名を改称)が創立した。明治5年([[1872年]])には'''上京第1区'''、明治12年([[1879年]])には[[京都の元学区#区|区]]が[[京都の元学区#組|組]]となり'''上京第1組'''となった<ref name="史料成逸学区">{{cite|和書|chapter=成逸学区|title=史料京都の歴史 第7巻 (上京区)|publisher=平凡社|year=1980|page=584-585|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/9574460/1/306|doi=10.11501/9574460}}</ref>。学区制度により明治25年([[1892年]])には'''上京第1学区'''となった<ref name="M25府令">明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件){{cite|和書|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171|chapter=明治25年6月3日府令第42号|title=京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻|doi=10.11501/788418|year=1892|page=276-288}}</ref>。
[[昭和]]4年([[1929年]])に、学区名が小学校名により改称され、上京第1学区から'''成逸学区'''となった<ref name="史料成逸学区"/>。昭和17年([[1942年]])に京都市における学区制度は廃止されるが<ref name="百年年表5S16">{{cite|和書|chapter=昭16(1941)年|title=京都府百年の年表 5 (教育編)|editor=京都府立総合資料館|publisher=京都府|year=1970|page=202|url=https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112|doi=10.11501/9537074}}</ref>、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
=== 人口・世帯数 ===
京都市内では、概ね元学区を単位として[[国勢統計区]]が設定されており<ref name="国勢統計区">{{cite web|url=https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Population/Census/Data/2020/e-Stat/09_kyoto_city_population/2_yougo.pdf|title=用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)|accessdate=2023-08-17|type=pdf}}</ref>、成逸学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第9国勢統計区<ref>令和2年国勢調査時点</ref>)における[[令和]]2年([[2020年]])10月の人口・世帯数は2,894人、1,624世帯である。
=== 地理 ===
上京区の最北部に位置する学区であり、東側で室町学区、南側で[[西陣#西陣学区|西陣学区]]、西側で乾隆学区、北側で[[北区 (京都市)|北区]]の紫野学区と接する。
=== 成逸学区内の通り ===
{{div col|rules=yes}}
{{no col break|
==== 東西の通り ====
* [[建勲通]]
* [[鞍馬口通]]
* [[上御霊前通]]
* [[廬山寺通]](蘆山寺通、芦山寺通)
}}
==== 南北の通り ====
* [[堀川通]]
* [[大宮通]]
* [[大宮通西裏]](若宮通)
{{div col end}}
=== 成逸学区の町名 ===
{{columns-list|8em|
* [[瑞光院前町]]
* [[天神北町]]
* [[上天神町 (京都市上京区の地名)|上天神町]]
* [[下天神町]]
* [[寺之内竪町]]
* [[若宮横町]]
* [[若宮竪町]]
* [[筋違橋町]]
* [[新ン町]]
* 北仲之町
* 仲之町
* 前之町
* 東千本町
* 西千本町
* 社突抜町
* 社横町
* 西若宮北半町
* 西若宮南半町
* 竪社北半町
* 竪社南半町
* 東若宮町
* 東社町
* 中社町
* 薬師前町
* 田畑町
* 扇町
* (下清蔵口町(一部)<ref>国勢統計区において含まれる。</ref>)
}}
== 周辺 ==
=== 成逸学区内の主な施設 ===
* [[水火天満宮]]
* [[興聖寺 (京都市)]]
* [[櫟谷七野神社]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{-}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{cite|和書|chapter=成逸学区|title=史料京都の歴史 第7巻 (上京区)|publisher=平凡社|year=1980|page=584-585|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/9574460/1/306|doi=10.11501/9574460|isbn=9784582477078}}
* {{cite|和書|chapter=上京第一学区之部|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1210435/1/28|title=京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之首-五|author=碓井小三郎|year=1915|doi=10.11501/1210435}}
== 関連文献 ==
* {{Cite|和書|title=京都市の地名|series=[[日本歴史地名大系]]27|publisher=平凡社|year=1979|isbn=4-582-49027-1|ref={{SfnRef|『京都市の地名』|1979}} }}
* {{cite|和書|chapter=上京区成逸学区|page=28-29|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1440637/1/40|publisher=京都市学区調査会|title=京都市学区大観|year=1937|doi=10.11501/1440637|ref={{SfnRef|『京都市学区大観』|1937}} }}
* {{cite web|url=https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000029014.html|title=学区案内/成逸学区(せいいつ)|accessdate=2023-10-21}}
== 関連項目 ==
* [[京都府小学校一覧]]
* [[京都府小学校の廃校一覧]]
* [[番組小学校]]
* [[京都の元学区]]
== 外部リンク ==
* [https://seiitujukyo.org/ 成逸住民福祉協議会]<!-- accessdate=2023-10-21 -->
* [https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Area/ 京都市地域統計要覧ウェブサービス]<!-- accessdate=2023-10-21 -->
{{DEFAULTSORT:きようとしりつせいいつしよう}}
[[Category:京都市の公立小学校 (廃止)|せいいつ]]
[[Category:上京区の小学校|廃せいいつ]]
[[Category:上京区の歴史|せいいつしよう]]
[[Category:学校記事]] | 2023-10-21T07:59:50Z | 2023-10-21T07:59:50Z | false | false | false | [
"Template:No col break",
"Template:Div col end",
"Template:Columns-list",
"Template:Infobox 日本の学校",
"Template:R",
"Template:Div col",
"Template:Cite web",
"Template:Cite",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:-",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%88%90%E9%80%B8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1 |
4,844,668 | マンキエ諸島 | マンキエ諸島(マンキエしょとう、英語: The Minquiers、フランス語: Les Minquiers、ジャージー語: Les Mîntchièrs pronunciation、地元の英語では「the Minkies」とも)とは、ジャージー島から南およそ15 km (9.3 mi) に位置する島々及び岩礁である。合わせてジャージー管区をなし 、グルーヴィル(英語版)教区およびラ・ロック支教区に属する。
マンキエ諸島周辺の岩棚は面積でジャージー島を上回るが、満潮時にはいくつかの露頭が水面上に残るに過ぎない。これらのうち最大のものはマトレス岩(Maîtresse)で、長さおよそ50 m (55 yd) 、幅20 m (22 yd) であり、修理状況の異なるおよそ10軒ほどの石造コテージがある。ブリテン諸島最南端の建築物であるが、定住者は存在しない。しかしながら漁師や海藻肥料(英語版)採集者、ヨット操縦者、カヤッカー、さらにはアマチュア無線家たちが夏に上陸する。
マンキエ諸島の語源は不詳であるが、ブルトン語で聖域を意味する minihi あるいは魚売りを意味する minkier に由来するかもしれない。
数千年前、最終氷期の頃は現在よりも海水面が低く、チャンネル諸島はヨーロッパ大陸と南イングランドをつなぐ平野の高台であった。
諸島内で特に主要な島として以下が挙げられる。
他の島として以下が存在する。
マンキエ諸島の浅瀬と潮間帯は多くの種類の魚類、カイメンとホヤの生息地であり、軟体動物、蠕虫類と渉禽類などの鳥類にとっても重要な場所である。一帯は2005年にラムサール条約登録地となった。
933年、ノルマンディー公国は他のチャンネル諸島やコタンタン半島と共にマンキエ諸島を併合した。1066年にノルマンディー公ギヨームがイングランドを征服した後もフィリップ尊厳王が1204年にノルマンディー本土を征服するまで公国の一部であった。1259年、ヘンリー3世はチャンネル諸島の為にフランス王に対し臣従の誓いをたてた。1360年のブレティニー条約内でエドワード3世はフランス王位およびノルマンディー公への請求を取り下げたが、チャンネル諸島を含むイングランド側の領地については保留した。
『ブリタニカ百科事典第11版』(1911年)はメトレス島を「漁師が上陸地及び避難所として使える」と記している。
第二次世界大戦中、マンキエ諸島にいたドイツ国防軍兵士は欧州戦線でも最末期に降伏した。リュシアン・マリー率いるフランス漁船はマンキエ諸島に接近し、沿岸に停泊した。武装したドイツ人兵士が近づき「我々はイギリス人から忘れ去られており、おそらくジャージーにいる誰もが我々がここにいると伝えていない。我々をイングランドに連れて行ってくれ、降伏したい」と助けを求めた。1945年5月23日、ヨーロッパでの終戦から3週間後のことであった。
1970年7月、1957年から1958年にかけてフランス首相を務めたフェリックス・ガイヤールはヨット旅行中に失踪し、遺体は数日後にマンキエ諸島沖で発見された。
2018年8月、島にある20棟の建物のうちの1つが、ジャージー島の法人経由で個人に売却された。過去50年間で売却は5件のみであった。
1950年、イギリスとフランスは国際司法裁判所(ICJ)でマンキエ諸島およびエクレオ諸島(英語版)の領有権について友好的に話し合うために訴えを出した。フランス人は水域で漁業をする一方、ジャージーは様々な行政権を駆使してきた。ICJは歴史的証拠を考慮し、1953年11月17日の判決で諸島がジャージー(イギリスによって代理)に属すると結論付けた。
1998年に、何人かのフランス人が「パタゴニア王」の代理を名乗りフォークランド諸島占領の「報復」としてマンキエ諸島に「侵攻」した。英国旗は翌日再掲された。
マンキエ諸島はヴィクトル・ユーゴーの小説『海の労働者(フランス語版)』で言及されている。ユーゴーは島々がいかに不誠実で、その面積の合計値はジャージー本島をも上回ると述べている。ユーゴーは人生の様々な時期にガーンジーおよびジャージー両方に居住しており、それゆえ地域の伝承に精通していた。
マンキエ諸島をめぐる英仏領土紛争はナンシー・ミットフォードの小説『アルフレッドには言わないで(英語版)』の主題(「二人の老婦人」すなわち英仏二国間の争い)となっている。
マンキエ諸島はハモンド・イネス(英語版)の航海冒険譚『メリー・ディア号の難破(英語版)』および1959年の映画化作品で取り上げられている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島(マンキエしょとう、英語: The Minquiers、フランス語: Les Minquiers、ジャージー語: Les Mîntchièrs pronunciation、地元の英語では「the Minkies」とも)とは、ジャージー島から南およそ15 km (9.3 mi) に位置する島々及び岩礁である。合わせてジャージー管区をなし 、グルーヴィル(英語版)教区およびラ・ロック支教区に属する。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島周辺の岩棚は面積でジャージー島を上回るが、満潮時にはいくつかの露頭が水面上に残るに過ぎない。これらのうち最大のものはマトレス岩(Maîtresse)で、長さおよそ50 m (55 yd) 、幅20 m (22 yd) であり、修理状況の異なるおよそ10軒ほどの石造コテージがある。ブリテン諸島最南端の建築物であるが、定住者は存在しない。しかしながら漁師や海藻肥料(英語版)採集者、ヨット操縦者、カヤッカー、さらにはアマチュア無線家たちが夏に上陸する。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島の語源は不詳であるが、ブルトン語で聖域を意味する minihi あるいは魚売りを意味する minkier に由来するかもしれない。",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "数千年前、最終氷期の頃は現在よりも海水面が低く、チャンネル諸島はヨーロッパ大陸と南イングランドをつなぐ平野の高台であった。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "諸島内で特に主要な島として以下が挙げられる。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "他の島として以下が存在する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島の浅瀬と潮間帯は多くの種類の魚類、カイメンとホヤの生息地であり、軟体動物、蠕虫類と渉禽類などの鳥類にとっても重要な場所である。一帯は2005年にラムサール条約登録地となった。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "933年、ノルマンディー公国は他のチャンネル諸島やコタンタン半島と共にマンキエ諸島を併合した。1066年にノルマンディー公ギヨームがイングランドを征服した後もフィリップ尊厳王が1204年にノルマンディー本土を征服するまで公国の一部であった。1259年、ヘンリー3世はチャンネル諸島の為にフランス王に対し臣従の誓いをたてた。1360年のブレティニー条約内でエドワード3世はフランス王位およびノルマンディー公への請求を取り下げたが、チャンネル諸島を含むイングランド側の領地については保留した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "『ブリタニカ百科事典第11版』(1911年)はメトレス島を「漁師が上陸地及び避難所として使える」と記している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "第二次世界大戦中、マンキエ諸島にいたドイツ国防軍兵士は欧州戦線でも最末期に降伏した。リュシアン・マリー率いるフランス漁船はマンキエ諸島に接近し、沿岸に停泊した。武装したドイツ人兵士が近づき「我々はイギリス人から忘れ去られており、おそらくジャージーにいる誰もが我々がここにいると伝えていない。我々をイングランドに連れて行ってくれ、降伏したい」と助けを求めた。1945年5月23日、ヨーロッパでの終戦から3週間後のことであった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "1970年7月、1957年から1958年にかけてフランス首相を務めたフェリックス・ガイヤールはヨット旅行中に失踪し、遺体は数日後にマンキエ諸島沖で発見された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "2018年8月、島にある20棟の建物のうちの1つが、ジャージー島の法人経由で個人に売却された。過去50年間で売却は5件のみであった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "1950年、イギリスとフランスは国際司法裁判所(ICJ)でマンキエ諸島およびエクレオ諸島(英語版)の領有権について友好的に話し合うために訴えを出した。フランス人は水域で漁業をする一方、ジャージーは様々な行政権を駆使してきた。ICJは歴史的証拠を考慮し、1953年11月17日の判決で諸島がジャージー(イギリスによって代理)に属すると結論付けた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "1998年に、何人かのフランス人が「パタゴニア王」の代理を名乗りフォークランド諸島占領の「報復」としてマンキエ諸島に「侵攻」した。英国旗は翌日再掲された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島はヴィクトル・ユーゴーの小説『海の労働者(フランス語版)』で言及されている。ユーゴーは島々がいかに不誠実で、その面積の合計値はジャージー本島をも上回ると述べている。ユーゴーは人生の様々な時期にガーンジーおよびジャージー両方に居住しており、それゆえ地域の伝承に精通していた。",
"title": "文学"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島をめぐる英仏領土紛争はナンシー・ミットフォードの小説『アルフレッドには言わないで(英語版)』の主題(「二人の老婦人」すなわち英仏二国間の争い)となっている。",
"title": "文学"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "マンキエ諸島はハモンド・イネス(英語版)の航海冒険譚『メリー・ディア号の難破(英語版)』および1959年の映画化作品で取り上げられている。",
"title": "文学"
}
] | マンキエ諸島とは、ジャージー島から南およそ15 km (9.3 mi) に位置する島々及び岩礁である。合わせてジャージー管区をなし 、グルーヴィル教区およびラ・ロック支教区に属する。 マンキエ諸島周辺の岩棚は面積でジャージー島を上回るが、満潮時にはいくつかの露頭が水面上に残るに過ぎない。これらのうち最大のものはマトレス岩(Maîtresse)で、長さおよそ50 m (55 yd) 、幅20 m (22 yd) であり、修理状況の異なるおよそ10軒ほどの石造コテージがある。ブリテン諸島最南端の建築物であるが、定住者は存在しない。しかしながら漁師や海藻肥料採集者、ヨット操縦者、カヤッカー、さらにはアマチュア無線家たちが夏に上陸する。 | {{Infobox islands
| name = マンキエ諸島
| image_name = La Maîtr' Île, Les Mîntchièrs.jpg
| image_caption = メトレス島
| image_size = 250px
| map_image = Maritime boundaries surrounding Jersey.png
| native_name =
| native_name_link =
| local_name = '''''Les Minquiers''''', '''Les Mîntchièrs''', '''The Minkies'''
| location = [[イギリス海峡]]
| coordinates = {{coord|48|58|14|N|02|03|43|W|display=inline,title}}
| archipelago =
| total_islands =
| major_islands = Maîtresse Île / Maîtr' Île<br />Les Maisons
| highest_mount =
| elevation_m =
| country = {{flag|Jersey}}
| country_admin_divisions_title = 教区
| country_admin_divisions = [[Grouville]]
| population = 定住者なし
| population_as_of =
| ethnic_groups =
| additional_info =
| module = {{Designation list
|embed = yes
|designation1 = Ramsar
|designation1_offname = Les Minquiers, Jersey
|designation1_date = [[2005年]][[2月2日]]
|designation1_number = 1456<ref>{{Cite web |title=Les Minquiers, Jersey |website=[[ラムサール条約|Ramsar]] Sites Information Service |url=https://rsis.ramsar.org/ris/1456 |access-date=25 April 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181026025129/https://rsis.ramsar.org/ris/1456 |archive-date=26 October 2018 |url-status=live}}</ref>}}
}}
'''マンキエ諸島'''(マンキエしょとう、{{lang-en|The Minquiers}}、{{lang-fr|Les Minquiers}}、[[ジャージー語]]: Les Mîntchièrs {{audio|Jer-Mîntchièrs.ogg|pronunciation}}、地元の英語では「the Minkies」とも)とは、[[ジャージー島]]から南およそ{{Convert|15|km|mi|abbr=on}} に位置する島々及び岩礁である。合わせてジャージー[[セネシャル管区・バイイ管区|管区]]をなし<ref name="CambridgeWireless2007">{{Cite web |url=https://www.g6uw.org/2007/09/05/les-minquiers-gh-2007/ |title=Les Minquiers (GH): 2007 |year=2007 |publisher=[[Cambridge University Wireless Society]] |access-date=2018-04-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180418161159/https://www.g6uw.org/2007/09/05/les-minquiers-gh-2007/ |archive-date=2018-04-18 |url-status=live}}</ref> 、{{仮リンク|グルーヴィル|en|Grouville}}教区およびラ・ロック支教区に属する<ref>{{Cite web |url=https://islandstudiesjournal.org/files/ISJ-10-2-FleuryJohnson_0.pdf |title=Christian Fleury, Henry Johnson: The Minquiers and Écréhous in spatial context: contemporary issues and cross perspectives on border islands, reefs and rocks. In: Island Studies Journal, Vol. 10, no. 2, pp. 163 – 180, Nov. 2015 |access-date=2022-03-01 |archive-date=2022-01-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220130001523/https://islandstudiesjournal.org/files/ISJ-10-2-FleuryJohnson_0.pdf |url-status=live }}</ref>。
マンキエ諸島周辺の岩棚は面積でジャージー島を上回るが、満潮時にはいくつかの露頭が水面上に残るに過ぎない<ref>{{cite web |url=http://www.jerseybirds.co.uk/lesminquiers.shtml |title=Jersey Birds |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=2010 |work=web page |publisher=www.jerseybirds.co.uk |access-date=2 April 2013 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130121030613/http://www.jerseybirds.co.uk/lesminquiers.shtml |archive-date=21 January 2013 |url-status=live}}</ref>。これらのうち最大のものはマトレス岩(Maîtresse)で、長さおよそ{{Convert|50|m|yd|abbr=on}} 、幅{{Convert|20|m|yd|abbr=on}} であり、修理状況の異なるおよそ10軒ほどの石造コテージがある。[[ブリテン諸島]]最南端の建築物であるが、定住者は存在しない。しかしながら漁師や{{仮リンク|海藻肥料|en|Seaweed fertiliser}}採集者、ヨット操縦者、カヤッカー、さらには[[アマチュア無線家]]たちが夏に上陸する<ref>{{Cite web |url=http://www.m0oxo.com/my-dxpeditions/les-minquiers-islands.html |title=MJ0X/GB0LMI activity |access-date=2013-10-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181026064416/http://www.m0oxo.com/my-dxpeditions/les-minquiers-islands.html |archive-date=2018-10-26 |url-status=dead}}</ref><ref name=CambridgeWireless2007/>。
== 名称 ==
マンキエ諸島の語源は不詳であるが、[[ブルトン語]]で聖域を意味する [[:en:Minihi|''minihi'']] あるいは魚売りを意味する ''minkier'' に由来するかもしれない<ref>{{Cite book |title=Channel Islets: The Lesser Channel Islands |last=Coysh |first=Victor |publisher=Guernsey Press Co Ltd |year=1985 |isbn=0902550128}}</ref>。
== 地理 ==
[[File:Les Minquiers.jpg|thumb|ドローン画像]]
数千年前、[[最終氷期]]の頃は現在よりも海水面が低く、[[チャンネル諸島]]はヨーロッパ大陸と南イングランドをつなぐ平野の高台であった。
=== 島嶼 ===
諸島内で特に主要な島として以下が挙げられる。
* メトレス島(Maîtresse Île / Maîtr' Île)
* メゾン島(Les Maisons)
他の島として以下が存在する。
* ニエサン島(Le Niêsant)
* フォシュール島(Les Faucheurs)
* オート・グリュヌ島(La Haute Grune)
=== 自然保護 ===
マンキエ諸島の[[浅瀬]]と[[潮間帯]]は多くの種類の[[魚類]]、[[カイメン]]と[[ホヤ]]の生息地であり、[[軟体動物]]、[[蠕虫|蠕虫類]]と[[渉禽類]]などの[[鳥類]]にとっても重要な場所である。一帯は2005年に[[ラムサール条約]]登録地となった<ref>{{cite web |url=https://rsis.ramsar.org/ris/1456 |title=Les Minquiers, Jersey |publisher=Ramsar |access-date=2016-01-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160203112118/https://rsis.ramsar.org/ris/1456 |archive-date=2016-02-03 |url-status=live}}</ref>。
== 歴史 ==
933年、[[ノルマンディー公国]]は他のチャンネル諸島や[[コタンタン半島]]と共にマンキエ諸島を併合した。1066年に[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ノルマンディー公ギヨーム]]が[[ノルマン・コンクエスト|イングランドを征服]]した後も[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ尊厳王]]が1204年にノルマンディー本土を征服するまで公国の一部であった。1259年、[[ヘンリー3世]]はチャンネル諸島の為にフランス王に対し臣従の誓いをたてた。1360年の[[ブレティニー条約]]内で[[エドワード3世]]はフランス王位およびノルマンディー公への請求を取り下げたが、チャンネル諸島を含むイングランド側の領地については保留した<ref name="ICJ">* [http://www.icj-cij.org/files/case-related/17/017-19531117-JUD-01-00-EN.pdf Minquiers and Ecrehos (France/United Kingdom) – Summary of the Summary of the Judgment of 17 November 1953] {{Webarchive |url=https://web.archive.org/web/20170830011839/http://www.icj-cij.org/files/case-related/17/017-19531117-JUD-01-00-EN.pdf |date=30 August 2017 }}, International Court of Justice</ref>。
『[[ブリタニカ百科事典第11版]]』(1911年)はメトレス島を「漁師が上陸地及び避難所として使える」と記している<ref>{{Cite EB1911|wstitle=Channel Islands|volume=5|page=840–843}}</ref>。
[[第二次世界大戦]]中、マンキエ諸島にいた[[ドイツ国防軍]]兵士は[[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)|欧州戦線でも最末期に降伏した]]。リュシアン・マリー率いるフランス漁船はマンキエ諸島に接近し、沿岸に停泊した。武装したドイツ人兵士が近づき「我々はイギリス人から忘れ去られており、おそらくジャージーにいる誰もが我々がここにいると伝えていない。我々をイングランドに連れて行ってくれ、降伏したい」と助けを求めた。1945年5月23日、[[ヨーロッパ戦勝記念日|ヨーロッパでの終戦]]から3週間後のことであった<ref>{{Cite book |last=Whiting |first=Charles |title=The end of the war; Europe: April 15-May 23, 1945. |date=1973 |publisher=Stein and Day |isbn=0-8128-1605-6 |location=New York |pages=168 |oclc=810423}}</ref>。
1970年7月、1957年から1958年にかけてフランス首相を務めた[[フェリックス・ガイヤール]]はヨット旅行中に失踪し、遺体は数日後にマンキエ諸島沖で発見された。
2018年8月、島にある20棟の建物のうちの1つが、ジャージー島の法人経由で個人に売却された。過去50年間で売却は5件のみであった<ref>{{Cite news |url=https://www.bbc.com/news/world-europe-jersey-45260361 |title=Hut on fringe of British Isles sold |date=2018-08-21 |work=BBC News|access-date=2018-08-23 |language=en-GB |archive-url=https://web.archive.org/web/20180822023717/https://www.bbc.com/news/world-europe-jersey-45260361 |archive-date=2018-08-22 |url-status=live}}</ref>。
=== 領有権問題の解決 ===
{{Main|マンキエ・エクレオ事件}}
1950年、[[イギリス]]と[[フランス]]は[[国際司法裁判所]](ICJ)でマンキエ諸島および{{仮リンク|エクレオ諸島|en|Écréhous}}の領有権について友好的に話し合うために[[マンキエ・エクレオ事件|訴えを出した]]<ref name=CambridgeWireless2007/>。フランス人は水域で漁業をする一方、[[ジャージー]]は様々な行政権を駆使してきた。ICJは歴史的証拠を考慮し、1953年11月17日の判決で諸島がジャージー(イギリスによって代理)に属すると結論付けた<ref name="ICJ" />。
1998年に、何人かのフランス人が「[[パタゴニア]]王」の代理を名乗り[[フォークランド諸島]]占領の「報復」としてマンキエ諸島に「侵攻」した<ref name=CambridgeWireless2007/><ref>{{Cite journal |last=Bicudo de Castro |first=Vicente |last2=Fleury |first2=Christian |last3=Johnson |first3=Henry |date=2023 |title=Micronational claims and sovereignty in the Minquiers and Écréhous |url=https://www.um.edu.mt/library/oar/handle/123456789/109185 |journal=Small States & Territories |volume=6 |issue=1 |pages=35-48}}</ref>。[[イギリスの国旗|英国旗]]は翌日再掲された<ref>{{Cite web |date=1 September 1998 |title=Husband and wife interrupt day trip to reconquer Channel isle for Britain |url=https://www.independent.co.uk/news/husband-and-wife-interrupt-day-trip-to-reconquer-channel-isle-for-britain-1195432.html |archive-url=https://ghostarchive.org/archive/20220515/https://www.independent.co.uk/news/husband-and-wife-interrupt-day-trip-to-reconquer-channel-isle-for-britain-1195432.html |archive-date=2022-05-15 |url-status=live |access-date=16 February 2022 |website=[[The Independent]] |url-access=registration}}</ref>。
== 文学 ==
マンキエ諸島は[[ヴィクトル・ユーゴー]]の小説『{{仮リンク|海に働く人びと|fr|Les Travailleurs de la mer}}』で言及されている。ユーゴーは島々がいかに不誠実で、その面積の合計値はジャージー本島をも上回ると述べている。ユーゴーは人生の様々な時期に[[ガーンジー]]およびジャージー両方に居住しており、それゆえ地域の伝承に精通していた。
マンキエ諸島をめぐる英仏領土紛争は[[ナンシー・ミットフォード]]の小説『{{仮リンク|アルフレッドには言わないで|en|Don't Tell Alfred}}』の主題(「二人の老婦人」すなわち英仏二国間の争い)となっている。
マンキエ諸島は{{仮リンク|ハモンド・イネス|en|Hammond Innes}}の航海冒険譚『{{仮リンク|メリー・ディア号の難破 (小説)|en|The Wreck of the Mary Deare|label=メリー・ディア号の難破}}』および1959年の[[メリー・ディア号の難破|映画化作品]]で取り上げられている。
== 関連項目 ==
* [[フェリックス・ガイヤール]]
== 画像 ==
<gallery mode="packed" heights="100">
File:Peter Colback August 2013 Minquiers Dodger 07.JPG| 南方の入り江から眺めたマンキエ諸島。
File:Peter Colback August 2013 Minquiers Dodger 09.JPG| 南方の入り江から眺めたマンキエ諸島。
File:Peter Colback August 2013 Minquiers Dodger 10.JPG| 南方の入り江から眺めたマンキエ諸島。
</gallery>
== 出典 ==
{{Reflist}}
*ICJの裁判に関する記録は[[イギリス国立公文書館]]から閲覧できる。多くは FO 371に存在する。
*''Les Minquiers'': article published in [http://www.hiddeneurope.co.uk hidden europe magazine], 2006, Issue 6, pp. 38–39 (ISSN 1860-6318)
* ''Histoire des Minquiers et des Ecréhous''. Robert Sinsoilliez. Editions l'Ancre de Marine.
* ''Channel Islets'' - Victor Coysh
== 外部リンク ==
{{Commons category}}
*[https://web.archive.org/web/20110605013559/http://www.icj-cij.org/docket/files/17/12219.pdf International Court of Justice: Case files]
*[http://www.senat.fr/rap/l01-300/l01-3002.html {{in lang|fr}}, Accord commercial sur la pêche entre la France et Jersey]
{{Authority control}}
{{DEFAULTSORT:まんきえしよとう}}
[[Category:イギリスのラムサール条約登録地]]
[[Category:無人島]]
[[Category:ジャージー]] | 2023-10-21T08:04:12Z | 2023-10-27T11:28:47Z | false | false | false | [
"Template:Lang-en",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Webarchive",
"Template:Commons category",
"Template:Infobox islands",
"Template:Audio",
"Template:Cite web",
"Template:Cite EB1911",
"Template:Cite journal",
"Template:Lang-fr",
"Template:Convert",
"Template:仮リンク",
"Template:Main",
"Template:Cite news",
"Template:In lang",
"Template:Authority control"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%82%A8%E8%AB%B8%E5%B3%B6 |
4,844,670 | 安西かれん | もしかして
ではありませんか? | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "もしかして",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ではありませんか?",
"title": null
}
] | もしかして 安斉かれん ではありませんか? | {{もしかして|安斉かれん}}
{{Short pages monitor}}<!--
以下のコメントは、[[Template:Long comment]]をsubst展開(ソースに「subst:Long comment」を二重の中括弧で括った上で追加)することによって挿入された長いコメント(<!--と-->(実際には不等号は半角です)で囲まれた部分のことです)です。このコメントは、編集画面においてのみ表示され、閲覧画面においては表示されないような仕組みになっています。このコメントは、ソフトリダイレクトなどの、特別な事情があるために、どうしても非常に短い状態にならざるを得ない記事に挿入されています。[[特別:短いページ]]には、テスト投稿やサブスタブ記事のように、メンテナンスを必要とする極めて短い記事がページサイズの小さい順に並べられています。しかし、この特別ページにソフトリダイレクトなどの、必然的にページサイズが小さくなってしまうようなページへのリンクが大量に並んでしまうと、[[特別:短いページ]]本来の役割を損なってしまう恐れがあります。この長いコメントを挿入していることで、ソフトリダイレクトのようなページが[[特別:短いページ]]に載らないようにし、[[特別:短いページ]]が使いやすく保たれています。このコメントの必要性・有用性を理解しないままコメントや{{Short pages monitor}}を除去したり、短く改変したりすることは、どうか控えてくださるようご協力をお願い申し上げます。それを理解した上で、もし除去する必要がある場合は、必ずこのコメントと一緒に、{{Short pages monitor}}も除去するようにしてください。なお、{{Short pages monitor}}は、[[Template:Long comment]]をsubst展開して使用した記事を追跡するためのテンプレートです。
-->
{{DEFAULTSORT:あんさいかれん}} | 2023-10-21T08:07:48Z | 2023-10-21T08:07:48Z | false | false | false | [
"Template:もしかして",
"Template:Short pages monitor"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%A5%BF%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%93 |
4,844,671 | 相馬里砂 | 相馬 里砂(そうま りさ、1996年12月8日 - )は、秋田県出身の女子ソフトボール選手(捕手)。イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコ所属。
秋田県出身。由利高等学校、富士大学を経て、2019年に日本リーグ1部に所属するSGホールディングスギャラクシースターズに入団。4シーズンプレーして、2022年をもって退団。
2023年、イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコに移籍。同年に戸田中央メディックス埼玉からMKFボッラーテに移籍した江口未来子と共に、JDリーグから初めてイタリアリーグに挑戦した選手となった。
イタリア・セリエA1に移籍した初年度、2023年4月1日のシーズン開幕戦で相馬が所属するメタルコ・タンデルス・カステルフランコは江口未来子が所属するMKFボッラーテと対戦することになった。相馬は2番キャッチャーで、江口は1番ライトで、共にスタメン出場を果たした。試合は8-3でMKFボッラーテが勝利した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "相馬 里砂(そうま りさ、1996年12月8日 - )は、秋田県出身の女子ソフトボール選手(捕手)。イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコ所属。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "秋田県出身。由利高等学校、富士大学を経て、2019年に日本リーグ1部に所属するSGホールディングスギャラクシースターズに入団。4シーズンプレーして、2022年をもって退団。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2023年、イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコに移籍。同年に戸田中央メディックス埼玉からMKFボッラーテに移籍した江口未来子と共に、JDリーグから初めてイタリアリーグに挑戦した選手となった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "イタリア・セリエA1に移籍した初年度、2023年4月1日のシーズン開幕戦で相馬が所属するメタルコ・タンデルス・カステルフランコは江口未来子が所属するMKFボッラーテと対戦することになった。相馬は2番キャッチャーで、江口は1番ライトで、共にスタメン出場を果たした。試合は8-3でMKFボッラーテが勝利した。",
"title": "人物・エピソード"
}
] | 相馬 里砂は、秋田県出身の女子ソフトボール選手(捕手)。イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコ所属。 | {{ソフトボール選手
| 選手名 = 相馬 里砂
| 本名 =
| 英語表記 = Risa Soma
| 所属球団 = メタルコ・タンデルス・カステルフランコ
| 役職 =
| 背番号 = 27
| 選手写真ファイル名 =
| 写真サイズ =
| 写真のコメント =
| 国籍 = {{JPN}}
| 出身地 = [[秋田県]]
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1996|12|8}}<!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} -->
| 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} -->
| 身長 = 170
| 体重 =
| 利き腕 = 右
| 打席 = 右
| 守備位置 = [[捕手]]
| 初出場 =
| 最終出場 =
| 経歴 =
* [[秋田県立由利高等学校|由利高等学校]]
* [[富士大学]]
* [[SGホールディングスギャラクシースターズ]] (2019 - 2022)
* [[メタルコ・タンデルス・カステルフランコ]] (2023 - )
| 代表チーム =
| 五輪 =
| 世界選手権 =
| アジア大会 =
| medaltemplates = <!-- 獲得メダル -->
}}
'''相馬 里砂'''(そうま りさ、[[1996年]][[12月8日]] - )は、[[秋田県]]出身の女子[[ソフトボール]]選手([[捕手]])。[[イタリア]]・[[セリエA1 (ソフトボール)|セリエA1]]の[[メタルコ・タンデルス・カステルフランコ]]所属。
== 経歴 ==
[[秋田県]]出身。[[秋田県立由利高等学校|由利高等学校]]、[[富士大学]]を経て、2019年に[[日本女子ソフトボールリーグ|日本リーグ]]1部に所属する[[SGホールディングスギャラクシースターズ]]に入団。4シーズンプレーして、2022年をもって退団。
2023年、[[イタリア]]・[[セリエA1 (ソフトボール)|セリエA1]]の[[メタルコ・タンデルス・カステルフランコ]]に移籍。同年に[[戸田中央メディックス埼玉]]から[[MKFボッラーテ]]に移籍した[[江口未来子]]と共に、[[JDリーグ]]から初めてイタリアリーグに挑戦した選手となった。
== 人物・エピソード ==
[[イタリア]]・[[セリエA1 (ソフトボール)|セリエA1]]に移籍した初年度、2023年4月1日のシーズン開幕戦で相馬が所属する[[メタルコ・タンデルス・カステルフランコ]]は[[江口未来子]]が所属する[[MKFボッラーテ]]と対戦することになった。相馬は2番キャッチャーで、江口は1番ライトで、共にスタメン出場を果たした<ref>{{Cite web |url=https://nijiirosoftball.com/?p=7232 |title=【海外】イタリア開幕!江口vs相馬 今夜23時!女子ソフトボール |access-date=2023-10-15 |publisher=虹色トピック |date=2023-04-01}}</ref>。試合は8-3で[[MKFボッラーテ]]が勝利した<ref>[https://www.fibs.it/index.php/index.php/it/events/2023-serie-a1-softball/schedule-and-results/box-score/104648 BOX SCORE] [[イタリア野球・ソフトボール連盟|FIBS]] - Serie A1 Softball</ref><ref>[https://www.fibs.it/index.php/index.php/it/events/2023-serie-a1-softball/schedule-and-results/box-score/104653 BOX SCORE] [[イタリア野球・ソフトボール連盟|FIBS]] - Serie A1 Softball</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=38TkboTNYb8 Serie A 2023 - Metalco Thunders Castellana vs MKF Bollate - Game 1 e 2] [[MKFボッラーテ|Bollate Softball 1969 ASD]]</ref><ref group="注">試合はダブルヘッダーで行われ、第1戦は8-3、第2戦は3-0でMKFボッラーテが連勝した。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* {{Instagram|soma_risa669|相馬里砂💫#09}}
* [https://www.fibs.it/en/events/2023-serie-a1-softball/teams/23600/players/265065 SOMA Risa] [[イタリア野球・ソフトボール連盟|FIBS]] - Serie A1 Softball
* [https://jp.yakyudb.com/players/view/6100.8000000885 相馬 里砂] 野球DB
{{Normdaten}}
{{Sportspeople-stub}}
{{DEFAULTSORT:そうま りさ}}
[[Category:日本のソフトボール選手]]
[[Category:SGホールディングスギャラクシースターズの選手]]
[[Category:メタルコ・タンデルス・カステルフランコの選手]]
[[Category:富士大学出身の人物]]
[[Category:秋田県出身のスポーツ選手]]
[[Category:1996年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T08:09:28Z | 2023-12-11T00:28:11Z | false | false | false | [
"Template:Normdaten",
"Template:Sportspeople-stub",
"Template:ソフトボール選手",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist2",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Instagram"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E9%87%8C%E7%A0%82 |
4,844,672 | 牧口村 | 牧口村(まきぐちむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。
近世以来の牧口市による。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "牧口村(まきぐちむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "近世以来の牧口市による。",
"title": "歴史"
}
] | 牧口村(まきぐちむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年1月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = '''牧口村'''、[[合川村 (大分県)|合川村]]、[[白山村 (大分県)|白山村]] → [[清川村 (大分県)|清川村]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]
| よみがな = まきぐちむら
| 自治体名 = 牧口村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 3416
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[大野町 (大分県)|大野町]]、[[三重町]]、合川村、[[緒方町]]
| 所在地 = 大野郡牧口村大字砂田
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''牧口村'''(まきぐちむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
*河川:[[大野川]]、緒方川、奥嶽川{{R|角川}}
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡砂田村、雨堤村、臼尾村、天神村、三玉村が合併して村制施行し、'''牧口村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』722頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』758頁。</ref>。旧村名を継承した砂田、雨堤、臼尾、天神、三玉の5大字を編成{{R|角川}}。
*[[1897年]](明治30年)豊後製糸場設置{{R|角川}}
*[[1955年]](昭和30年)1月1日、大野郡合川村、白山村と合併し、'''[[清川村 (大分県)|清川村]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
=== 地名の由来 ===
近世以来の牧口市による{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業、商業、林業<ref>「砂田〈清川村〉」『角川日本地名大辞典 44 大分県』458頁。</ref>
== 交通 ==
=== 鉄道 ===
*[[1922年]](大正11年)国有鉄道犬飼線(現[[豊肥本線]])開通し牧口駅(現[[豊後清川駅]])開設{{R|角川}}。
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:まきくちむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T08:12:29Z | 2023-10-21T08:12:29Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E5%8F%A3%E6%9D%91 |
4,844,673 | N.B | N.B (new be)(ニュービー)は、2023年に結成されたEverNever Management所属の日本のダンス&ボーカルユニット 。
当初は仮名のENM BOYSで活動していたが、アンケートによりN.B (new be)となった。メンバーは8人構成であり主にEverNever Management所属タレントで構成されている。
主にEverNever Management所属タレント・アイドルで構成されており、初期はENM BOYSとして活動していた。N.B (new be)の他にもグループ名の候補が挙げられていたがアンケートによりミトの考案したN.B (new be)に決定された。
ENM BOYSではなくN.B (new be)としてのデビューライブは8月12日である。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "N.B (new be)(ニュービー)は、2023年に結成されたEverNever Management所属の日本のダンス&ボーカルユニット 。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "当初は仮名のENM BOYSで活動していたが、アンケートによりN.B (new be)となった。メンバーは8人構成であり主にEverNever Management所属タレントで構成されている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "主にEverNever Management所属タレント・アイドルで構成されており、初期はENM BOYSとして活動していた。N.B (new be)の他にもグループ名の候補が挙げられていたがアンケートによりミトの考案したN.B (new be)に決定された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "ENM BOYSではなくN.B (new be)としてのデビューライブは8月12日である。",
"title": "概要"
}
] | N.B(ニュービー)は、2023年に結成されたEverNever Management所属の日本のダンス&ボーカルユニット。 当初は仮名のENM BOYSで活動していたが、アンケートによりN.Bとなった。メンバーは8人構成であり主にEverNever Management所属タレントで構成されている。 | {{一次資料|date=2023年10月21日 (土) 10:15 (UTC)}}
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
|名前 = N.B (new be)
|画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
|画像説明 = <!-- 画像の説明文 -->
|画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
|画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
|背景色 = group
|別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません -->
|出身地 = {{JPN}}・[[東京都]]
|ジャンル = [[J-POP]]
|活動期間 = [[2023年]] -
|レーベル =
|事務所 = [[EverNever Management]]
|共同作業者 =
|公式サイト =
|メンバー =</span> Daiki <br /></span> 加藤数士 <br /></span> タマキ <br /></span>ノア<br /></span> [[藤城京]] <br /></span> CHIFUYU <br /></span>ミト<br /></span>Sen
}}
'''N.B (new be)'''(ニュービー)は、[[2023年]]に結成されたEverNever Management所属の日本の[[音楽ユニット|ダンス&ボーカルユニット]] <ref>N.B (new be)公式TimeTree https://timetreeapp.com/public_calendars/to_be_rad.2023年10月21日閲覧。</ref>。
当初は仮名のENM BOYSで活動していたが、アンケートによりN.B (new be)となった<ref>N.B (new be)公式X https://x.com/enm_new_g/status/1686288871792029696?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>。メンバーは8人構成であり主にEverNever Management所属タレントで構成されている<ref>N.B (new be)公式X https://x.com/enm_new_g/status/1688563157940506625?s=46 .2023年10月21日閲覧。</ref>。
== 概要 ==
主にEverNever Management所属タレント・アイドルで構成されており、初期はENM BOYSとして活動していた<ref>N.B (new be)公式X https://x.com/enm_new_g/status/1685987149731254272?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>。N.B (new be)の他にもグループ名の候補が挙げられていたがアンケートによりミトの考案したN.B (new be)に決定された<ref>N.B (new be)公式X https://x.com/bexxstop_mito/status/1688596893654552576?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>。
ENM BOYSではなくN.B (new be)としてのデビューライブは8月12日である<ref>N.B (new be)公式X https://x.com/enm_new_g/status/1690356826477654016?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>。加藤数士など一部のメンバーは当初'''練習生'''として活動していた<ref>加藤数士 公式X https://x.com/kazu_k_official/status/1698695290008793149?s=46.2023年10月31日閲覧。</ref>。
== メンバー ==
{| class="wikitable"
!名前
!生年月日
<!-- !身長 加筆するなら出典を。 -->
!備考
|-
|'''Daiki'''<br /><small>(だいき)</small>
|{{生年月日と年齢|1996|10|31}} <ref>Daiki 公式X https://x.com/toberad_daiki/status/1454809349323251714?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>
| ToBeRadical、Ⅳlのメンバー
|-
|'''加藤 数士'''<br /><small>(かとう かずし)</small>
|{{生年月日と年齢|2000|5|22}} <ref>タレントデータバンク.加藤数士.プロフィールhttps://www.talent-databank.co.jp/search/profile/2000104968.2023年10月21日閲覧。</ref>
| 俳優。主な作品は、フジテレビ『ナンバMG5』、舞台『PRIDE』、CM『バンダイ ONE PIECEカードゲーム「デッキ開封」篇』<ref>タレントデータバンク.加藤数士.タレント情報https://www.talent-databank.co.jp/search/profile/2000104968.2023年10月21日閲覧。</ref>
|-
|'''TAMAKI'''<br /><small>(たまき)</small>
|
|
|-
|'''ノア'''<br /><small>(のあ)</small>
|
|
|-
|'''[[藤城京|藤城 京]]'''<br /><small>(ふじしろ きょう)</small>
|{{生年月日と年齢|2000|9|26}}
| LovelyBUDDY-love begets loveのメンバー
元・ワンダーチャンネル<ref>ワンダーチャンネル 公式X https://x.com/wonderxchannel/status/1414943854327853058?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>
|-
|'''CHIFUYU'''<br /><small>(ちふゆ)</small>
|
| LovelyBUDDY-love begets loveのメンバー
|-
|'''ミト'''<br /><small>(みと)</small>
|{{生年月日と年齢|1998|2|15}} <ref>花見寛斗公式X https://x.com/pop_hiroto/status/1493572656591171588?s=46.2023年10月21日閲覧。</ref>
| BEXX STOPのメンバー
元・[[若ET KISS#POP CLOVER|Pop Clover]]の花見寛斗
|-
|'''Sen'''<br /><small>(せん)</small>
|
| BEXX STOPのメンバー
|}
== 出演 ==
=== イベント ===
* 「楽遊BOYSフェスSP」(2023年8月18日、赤羽ReNYalpha )<ref> N.B (new be)公式X https://x.com/jacket_kiss/status/1029004286255030274?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「定期公演-CYCLE- 新ユニットグループ名発表SP」(2023年8月7日、新宿アイドルステージ )<ref> N.B (new be)公式X https://x.com/enm_new_g/status/1686333979233030144?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「oDoLFes.」(2023年8月21日、池袋AK )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1688569268416487424?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「楽遊BOYSフェス」(2023年8月21日、新宿Key Studio )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1687270402098364416?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「BEXXSTOP 主催公演 ネバスト!!」(2023年8月28日、新宿アイドルステージ )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1686692598675808257?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「JOL原宿ミニライブ&特典会」(2023年8月30日、JOL原宿 )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1694271154440282554?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「礼侍-REIJI-1周年記念感謝祭」(2023年9月8日、池袋sound peace )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1696175554825794028?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「iDoLFes.」(2023年9月9日、池袋AK )<ref> https://x.com/enm_new_g/status/1697191947256099028?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
* 「SPACE DIVA:03」(2023年9月19日、S.U.B TOKYO )<ref> SPACE DIVA公式X https://x.com/space_diva00/status/1702298287842508812?s=46 2023年10月21日閲覧。</ref>
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|ENM_new_g}}
{{デフォルトソート:にゅーひー}}
[[Category:日本のダンスカンパニー]]
[[Category:日本の音楽ユニット]]
[[Category:日本の男性アイドルグループ]]
[[Category:8人組の音楽グループ]]
[[Category:2023年に結成した音楽グループ]] | 2023-10-21T08:22:22Z | 2023-10-30T22:49:45Z | false | false | false | [
"Template:一次資料",
"Template:Infobox Musician",
"Template:生年月日と年齢",
"Template:Reflist",
"Template:Twitter"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/N.B |
4,844,674 | 松本町 (春日井市) | 松本町(まつもとちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市東部に位置する。東は不二町、西は大泉寺町、南は出川町・不二ガ丘、北は東神明町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "松本町(まつもとちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市東部に位置する。東は不二町、西は大泉寺町、南は出川町・不二ガ丘、北は東神明町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 松本町(まつもとちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''松本町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 松本町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 松本町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 16 | lats = 23.69 | latNS = N
| longd = 137 | longm = 1 | longs = 4.4 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.630729083
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 664
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 487-0027<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''松本町'''(まつもとちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市東部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。東は[[不二町]]、西は[[大泉寺町]]、南は[[出川町]]・[[不二ガ丘]]、北は[[東神明町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* 内津川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|442世帯<br>1144人||<div style="width:44.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:114.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|177世帯<br>442人||<div style="width:17.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:44.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|199世帯<br>453人||<div style="width:19.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:45.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|267世帯<br>639人||<div style="width:26.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:63.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|278世帯<br>651人||<div style="width:27.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:65.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|301世帯<br>664人||<div style="width:30.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:66.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道内津勝川線]](旧[[国道19号]]){{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 施設 ==
* [[中部大学]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* [[中部大学附属春日丘高等学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* 諸大明神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* 曹洞宗高福寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
* 高蔵寺農協緑化センター{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1653}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[東神明町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[大泉寺町]]
| Centre<!--中央--> = 松本町
| East<!--東--> = [[不二町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[出川町]]・[[不二ガ丘]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:まつもとちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T08:24:26Z | 2023-10-21T08:24:26Z | false | false | false | [
"Template:Commonscat-inline",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pref-stub",
"Template:Pathnav",
"Template:Cite book",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%94%BA_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E5%B8%82) |
4,844,686 | エリザベス2世の戴冠式 | この項目ではエリザベス2世の戴冠式の経緯について述べる。イギリスおよびその他の英連邦王国の女王であるエリザベス2世の戴冠式(英語版)は、1953年6月2日にロンドンのウェストミンスター寺院において挙行された 。彼女は、1952年2月6日、彼女の父であるジョージ6世の死に伴い25歳で王位に即き、直後に彼女の枢密院会議によって即位が布告(英語版)された。即位から1年以上後になって、戴冠式が行われた理由は、前君主の喪に服する期間を十分に確保するという伝統のためである。その事により計画委員会による戴冠式の準備期間も確保された。エリザベスは、戴冠式中に、聖油(英語版)の塗油が行われ、戴冠宝器をまとって、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、パキスタン、そしてセイロン(現スリランカ)の女王として戴冠した。
祝賀行事は、英連邦王国全域において行われ、記念メダル(英語版)が発行された。それは、はじめて完全な形でテレビ中継されたイギリス国王の戴冠式だった。1937年に行われた彼女の両親の戴冠式(英語版)ではカメラが寺院の修道院内における行事を撮影できなかった。エリザベスの戴冠式は20世紀で4度目かつ最後に行われたイギリス国王の戴冠式だった。戴冠式に要した予算は、157万ポンド(2023年時点の5,357万1,428ポンド)と推計されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "この項目ではエリザベス2世の戴冠式の経緯について述べる。イギリスおよびその他の英連邦王国の女王であるエリザベス2世の戴冠式(英語版)は、1953年6月2日にロンドンのウェストミンスター寺院において挙行された 。彼女は、1952年2月6日、彼女の父であるジョージ6世の死に伴い25歳で王位に即き、直後に彼女の枢密院会議によって即位が布告(英語版)された。即位から1年以上後になって、戴冠式が行われた理由は、前君主の喪に服する期間を十分に確保するという伝統のためである。その事により計画委員会による戴冠式の準備期間も確保された。エリザベスは、戴冠式中に、聖油(英語版)の塗油が行われ、戴冠宝器をまとって、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、パキスタン、そしてセイロン(現スリランカ)の女王として戴冠した。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "祝賀行事は、英連邦王国全域において行われ、記念メダル(英語版)が発行された。それは、はじめて完全な形でテレビ中継されたイギリス国王の戴冠式だった。1937年に行われた彼女の両親の戴冠式(英語版)ではカメラが寺院の修道院内における行事を撮影できなかった。エリザベスの戴冠式は20世紀で4度目かつ最後に行われたイギリス国王の戴冠式だった。戴冠式に要した予算は、157万ポンド(2023年時点の5,357万1,428ポンド)と推計されている。",
"title": null
}
] | この項目ではエリザベス2世の戴冠式の経緯について述べる。イギリスおよびその他の英連邦王国の女王であるエリザベス2世の戴冠式は、1953年6月2日にロンドンのウェストミンスター寺院において挙行された。彼女は、1952年2月6日、彼女の父であるジョージ6世の死に伴い25歳で王位に即き、直後に彼女の枢密院会議によって即位が布告された。即位から1年以上後になって、戴冠式が行われた理由は、前君主の喪に服する期間を十分に確保するという伝統のためである。その事により計画委員会による戴冠式の準備期間も確保された。エリザベスは、戴冠式中に、聖油の塗油が行われ、戴冠宝器をまとって、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、パキスタン、そしてセイロン(現スリランカ)の女王として戴冠した。 祝賀行事は、英連邦王国全域において行われ、記念メダルが発行された。それは、はじめて完全な形でテレビ中継されたイギリス国王の戴冠式だった。1937年に行われた彼女の両親の戴冠式ではカメラが寺院の修道院内における行事を撮影できなかった。エリザベスの戴冠式は20世紀で4度目かつ最後に行われたイギリス国王の戴冠式だった。戴冠式に要した予算は、157万ポンド(2023年時点の5,357万1,428ポンド)と推計されている。 | {{Infobox historical event
| name = エリザベス2世の戴冠式
| caption = [[セシル・ビートン]]が撮影した戴冠式の公式写真
| image = Queen Elizabeth II on her Coronation Day.jpg
| date = {{Start date|1953|06|02|df=y}}
| venue = [[ウェストミンスター寺院]]
| location = ロンドン, イギリス
| budget = 157万ポンド (推計)
| participants =}}
この項目では'''エリザベス2世の戴冠式'''の経緯について述べる。イギリスおよびその他の[[英連邦王国]]の女王である[[エリザベス2世]]の{{仮リンク|イギリス君主の戴冠式|label=戴冠式|en|Coronation of the British monarch}}は、1953年6月2日に[[ロンドン]]の[[ウェストミンスター寺院]]において挙行された<ref>{{Cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/june/2/newsid_2654000/2654501.stm |title=1953: Queen Elizabeth takes coronation oath|date=1953-06-02|work=[[BBCニュース|BBC News]]|accessdate=2018-05-29}}</ref> 。彼女は、1952年2月6日、彼女の父であるジョージ6世の死に伴い25歳で王位に即き、直後に彼女の[[枢密院 (イギリス)|枢密院会議]]によって{{仮リンク|エリザベス2世の即位の布告|label=即位が布告|en|Proclamation of accession of Elizabeth II}}された。即位から1年以上後になって、戴冠式が行われた理由は、前君主の喪に服する期間を十分に確保するという伝統のためである。その事により計画委員会による戴冠式の準備期間も確保された<ref name="60facts">{{Cite web |title=60 Fascinating Facts About The Queen's Coronation |url=https://royalcentral.co.uk/features/history-blogs/coronationfacts-8604/ |website=Royal Central |archive-url=https://web.archive.org/web/20200717051556/https://royalcentral.co.uk/features/history-blogs/coronationfacts-8604/ |archivedate=2020-07-17 |accessdate=2023-10-28|date=2013-06-01 |urlstatus=live}}</ref>。エリザベスは、戴冠式中に、{{仮リンク|聖油|en|Chrism}}の[[塗油]]が行われ、[[連合王国の戴冠宝器|戴冠宝器]]をまとって、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、[[南アフリカ連邦|南アフリカ]]、パキスタン、そして[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]](現[[スリランカ]])の女王として戴冠した<ref>{{Cite web|url=https://collections.tepapa.govt.nz/topic/2432 |title=The coronation and visit of Queen Elizabeth II|accessdate=2018-08-18|author=Museum of New Zealand|publisher=New Zealand Government}}</ref>。
祝賀行事は、英連邦王国全域において行われ、{{仮リンク|エリザベス2世戴冠式記念メダル|label=記念メダル|en|Queen Elizabeth II Coronation Medal}}が発行された。それは、はじめて完全な形でテレビ中継されたイギリス国王の戴冠式だった。1937年に行われた{{仮リンク|ジョージ6世とエリザベスの戴冠式|label=彼女の両親の戴冠式|en|Coronation of George VI and Elizabeth}}ではカメラが寺院の修道院内における行事を撮影できなかった。エリザベスの戴冠式は20世紀で4度目かつ最後に行われたイギリス国王の戴冠式だった。戴冠式に要した予算は、157万ポンド(2023年時点の5,357万1,428ポンド)と推計されている。
== 注釈 ==
{{Reflist|group="n"}}
== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}
== 関連項目 ==
[[チャールズ3世とカミラの戴冠式]]{{DEFAULTSORT:えりさへすにせいのたいかんしき}}
[[Category:エリザベス2世|たいかんしき]]
[[Category:1953年のイギリス]]
[[Category:1953年6月]]
[[Category:1953年の国際関係]] | 2023-10-21T09:02:23Z | 2023-12-24T05:44:58Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:Cite web",
"Template:Infobox historical event",
"Template:仮リンク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B92%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%88%B4%E5%86%A0%E5%BC%8F |
4,844,688 | 永田松窓 | 永田 松窓(ながた しょうそう、天保4年(1833年) - 明治7年(1874年)6月)は江戸時代後期の儒学者、教育者。名は経正。字(あざな)は可定。通称は慎七郎。松窓はその号。
福岡藩藩士として筑前国に生まれる。成童(15歳以上の少年)の頃、既に四書五経に通じ、藩校修猷館の教員に補せられ、家塾を伊崎に開く。
嘉永年間(1848年–1855年)、江戸に行き、安積艮斎、林家の門に学ぶ。安政2年(1855年)に帰藩。慶応3年(1867年)特選により京都に赴き、列藩の名士と交流する。
明治元年(1868年)戊辰戦争に従軍し、後に参政所副議長、ついで藩校修猷館の訓導となった。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "永田 松窓(ながた しょうそう、天保4年(1833年) - 明治7年(1874年)6月)は江戸時代後期の儒学者、教育者。名は経正。字(あざな)は可定。通称は慎七郎。松窓はその号。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "福岡藩藩士として筑前国に生まれる。成童(15歳以上の少年)の頃、既に四書五経に通じ、藩校修猷館の教員に補せられ、家塾を伊崎に開く。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "嘉永年間(1848年–1855年)、江戸に行き、安積艮斎、林家の門に学ぶ。安政2年(1855年)に帰藩。慶応3年(1867年)特選により京都に赴き、列藩の名士と交流する。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "明治元年(1868年)戊辰戦争に従軍し、後に参政所副議長、ついで藩校修猷館の訓導となった。",
"title": "経歴"
}
] | 永田 松窓は江戸時代後期の儒学者、教育者。名は経正。字(あざな)は可定。通称は慎七郎。松窓はその号。 | '''永田 松窓'''(ながた しょうそう、[[天保]]4年([[1833年]]) - [[明治]]7年([[1874年]])6月)は[[江戸時代]]後期の[[儒学者]]、教育者。名は経正。[[字]](あざな)は可定。[[通称]]は慎七郎<ref name=jinmei>『日本人名大辞典』(講談社、2001年)1366頁</ref>。松窓はその[[号 (称号)|号]]<ref name=senken>『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)47頁</ref>。
== 経歴 ==
[[福岡藩]]藩士として[[筑前国]]に生まれる<ref name=jinmei/>。成童(15歳以上の少年)の頃、既に[[四書五経]]に通じ、[[藩校]][[福岡県立修猷館高等学校|修猷館]]の教員に補せられ、[[私塾#江戸時代の漢学塾|家塾]]を[[伊崎]]に開く<ref name=senken/>。
[[嘉永]]年間(1848年–1855年)、[[江戸]]に行き、[[安積艮斎]]、[[林家 (儒学者)|林家]]の門に学ぶ<ref name=jinmei/>。[[安政]]2年(1855年)に帰藩。[[慶応]]3年(1867年)特選により[[京都]]に赴き、列藩の名士と交流する<ref name=senken/>。
明治元年(1868年)[[戊辰戦争]]に従軍し、後に参政所副議長、ついで藩校修猷館の訓導となった<ref name=jinmei/>。
== 出典 ==
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:なかた しょうそう}}
[[Category:江戸時代の儒学者]]
[[Category:19世紀日本の儒学者]]
[[Category:19世紀日本の教育者]]
[[Category:福岡藩の人物]]
[[Category:筑前国の人物]]
[[Category:1833年生]]
[[Category:1874年没]] | 2023-10-21T09:06:58Z | 2023-10-21T09:06:58Z | false | false | false | [
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E6%9D%BE%E7%AA%93 |
4,844,694 | キネマ・パニック | キネマ・パニック (原題:Box-Office Bunny) とは1991年に公開された、ルーニー・テューンズの作品である。
主演はバッグス・バニー、ダフィー・ダック、エルマー・ファッド。また、ジェフ・バーグマンが上記のキャラクターを演じた最初の作品である。
バッグス・バニー巣穴の上にシネミニアムという映画館が設置される。偶然にも館内にはいるがエルマー・ファッド見つかりチケットを持っていないとして、ダフィー・ダックと共に追いかけられる。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "キネマ・パニック (原題:Box-Office Bunny) とは1991年に公開された、ルーニー・テューンズの作品である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "主演はバッグス・バニー、ダフィー・ダック、エルマー・ファッド。また、ジェフ・バーグマンが上記のキャラクターを演じた最初の作品である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "バッグス・バニー巣穴の上にシネミニアムという映画館が設置される。偶然にも館内にはいるがエルマー・ファッド見つかりチケットを持っていないとして、ダフィー・ダックと共に追いかけられる。",
"title": "あらすじ"
}
] | キネマ・パニック とは1991年に公開された、ルーニー・テューンズの作品である。 主演はバッグス・バニー、ダフィー・ダック、エルマー・ファッド。また、ジェフ・バーグマンが上記のキャラクターを演じた最初の作品である。 | {{Expand English|date=2023年10月}}
'''キネマ・パニック''' (原題:''Box-Office Bunny'') とは1991年に公開された、[[ルーニー・テューンズ]]の映画作品である。
主演は[[バッグス・バニー]]、[[ダフィー・ダック]]、[[エルマー・ファッド]]。また、[[ジェフ・バーグマン]]が上記のキャラクターを演じた最初の作品である。{{Infobox film
| name = Box-Office Bunny
| image =
| caption =
| director = [[Darrel Van Citters]]
| story = [[Charles Carney]]
| starring = [[ジェフ・バーグマン]]
[[ジム・カミングス]]
[[トレス・マクニール]]
| music = [[Hommie Mann]]
| studio = [[ワーナー・ブラザース]]
| distributor = {{Plainlist|
* [[ワーナー・ブラザース]]
* [[Vitaphone]]<ref name=DuckWebb>{{cite book |last=Webb |first=Graham |title=The Animated Film Encyclopedia: A Complete Guide to American Shorts, Features and Sequences (1900-1999) |page=98|publisher=McFarland & Company Inc. |year=2011 |isbn=978-0-7864-4985-9 |url=https://pdfcoffee.com/download/a-companion-to-film-theorytoby-millerrobert-stam371pdf-pdf-free.html|edition=Second }}</ref>
}}
| released = {{Film date|1991|02|08|United States}}
| color_process = [[Technicolor]]<ref name=DuckWebb/>
| runtime = 5分
| language = English
}}
== あらすじ ==
バッグス・バニー巣穴の上にシネミニアムという映画館が設置される。偶然にも館内にはいるがエルマー・ファッド見つかりチケットを持っていないとして、ダフィー・ダックと共に追いかけられる。
== キャスト ==
{| class="wikitable"
!キャラクター
!原語版
!現行吹き替え版
|-
|[[バッグス・バニー]]
| rowspan="3" |[[ジェフ・バーグマン]]
|[[山口勝平]]
|-
|[[ダフィー・ダック]]
|[[高木渉]]
|-
|[[エルマー・ファッド]]
|[[チョー (俳優)|チョー]]
|-
|ナレーション
| -
|[[梅津秀行]]
|}
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
{{wikiquote}}
* {{IMDb title|0099171}}
{{ルーニー・テューンズ}}
[[Category:アニメ作品 き]]
[[Category:1991年のアニメ映画]]
{{DEFAULTSORT:きねま・ぱにっく}}
[[Category:ルーニー・テューンズの映画作品]] | 2023-10-21T09:22:14Z | 2023-10-22T11:12:31Z | false | false | false | [
"Template:Expand English",
"Template:Infobox film",
"Template:Wikiquote",
"Template:IMDb title",
"Template:ルーニー・テューンズ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF |
4,844,695 | 5 STARS | 『5 STARS』(ファイブ スターズ)は、A.B.C-Zの初のEP。2023年11月29日にポニー・キャニオンから発売。
A.B.C-Zの代表曲を作り上げた作家陣と新たに作り上げた1枚として発売され、草野華余子、「Black Sugar」を手掛けた堂島孝平、「サポーターズ!」の西寺郷太、「Moonlight walker」の編曲を担当した船山基紀、最新シングル「#IMA」の大黒摩季、2021年発表の「灯」などを手掛けたLEGO BIG MORL、代表曲の1つである「Vanilla」を提供した井手コウジらが集結した。
2023年12月21日をもって河合がグループから脱退するため、5人体制としては最後の作品となった。
※は通常盤のみ収録。シングル曲の詳細はそのページを参照。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『5 STARS』(ファイブ スターズ)は、A.B.C-Zの初のEP。2023年11月29日にポニー・キャニオンから発売。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "A.B.C-Zの代表曲を作り上げた作家陣と新たに作り上げた1枚として発売され、草野華余子、「Black Sugar」を手掛けた堂島孝平、「サポーターズ!」の西寺郷太、「Moonlight walker」の編曲を担当した船山基紀、最新シングル「#IMA」の大黒摩季、2021年発表の「灯」などを手掛けたLEGO BIG MORL、代表曲の1つである「Vanilla」を提供した井手コウジらが集結した。",
"title": "解説"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2023年12月21日をもって河合がグループから脱退するため、5人体制としては最後の作品となった。",
"title": "解説"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "※は通常盤のみ収録。シングル曲の詳細はそのページを参照。",
"title": "収録内容"
}
] | 『5 STARS』は、A.B.C-Zの初のEP。2023年11月29日にポニー・キャニオンから発売。 | {{Infobox Album
| Name = 5 STARS
| Type = [[EP]]
| Artist = [[A.B.C-Z]]
| Released = [[2023年]][[11月29日]]
| Genre = [[J-POP]]
| Length =
| Label = [[ポニーキャニオン]]
| Chart position = *'''[[オリコンチャート]]'''
** 週間2位(アルバム)<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.oricon.co.jp/rank/ja/w/2023-12-11/| title = オリコン週間 アルバムランキング 2023年11月27日〜2023年12月03日| website = ORICON NEWS| publisher = oricon ME| accessdate = 2023-12-12}}</ref>
** 週間2位(合算アルバム)<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.oricon.co.jp/news/2305670/full/| title = King Gnu、合算アルバム1位獲得で「音楽ランキング」3冠達成【オリコンランキング】| date = 2023-12-08| website = ORICON NEWS| publisher = oricon ME| accessdate = 2023-12-12}}</ref>
*'''[[Billboard JAPAN]]'''
** 週間2位(Top Albums Sales)<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/132445/2| title = 【ビルボード】King Gnu『THE GREATEST UNKNOWN』アルバム・セールス首位獲得| date = 2023-12-04| website = Billboard JAPAN| publisher = 阪神コンテンツリンク| accessdate = 2023-12-12}}</ref>
** 週間2位(Hot Albums)<ref>{{Cite web|和書| url = https://billboard-japan.com/d_news/detail/132518/2| title = 【ビルボード】King Gnu『THE GREATEST UNKNOWN』が2冠で総合アルバム首位獲得 A.B.C-Z/LUNA SEAが続く| date = 2023-12-06| website = Billboard JAPAN| publisher = 阪神コンテンツリンク| accessdate = 2023-12-12}}</ref>
| Certification =
| Last album = [[BEST OF A.B.C-Z]]<br />(2022年)
| This album = '''5 STARS'''<br />(2023年)
| Next album =
}}
『'''5 STARS'''』(ファイブ スターズ)は、[[A.B.C-Z]]の初の[[EP]]。[[2023年]][[11月29日]]に[[ポニー・キャニオン]]から発売<ref name = "ponycanyonal9">{{Cite web|title=「5 STARS」|url=https://abcz.ponycanyon.co.jp/discography/al/09.html|website=A.B.C-Z Official Site|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
== 解説 ==
A.B.C-Zの代表曲を作り上げた作家陣と新たに作り上げた1枚として発売され<ref name="タワレコ20221017">{{Cite web|和書|title=A.B.C-Z、1st EP『5 STARS』11月29日リリース決定|url=https://tower.jp/article/news/2023/10/18/tg004|website=タワーレコード オンライン|accessdate=2022-10-21|date=2022-10-17}}</ref>、[[草野華余子]]<ref name="ナタリー20221017">{{Cite web|和書|title=A.B.C-Zが新作EP「5 STARS」リリース 堂島孝平、西寺郷太、大黒摩季、LEGO、井手コウジら集結|url=https://natalie.mu/music/news/545400|website=音楽ナタリー|accessdate=2022-10-21|date=2022-10-17|publisher=ナターシャ}}</ref>、「[[Black Sugar (A.B.C-Zの曲)|Black Sugar]]」を手掛けた[[堂島孝平]]<ref name="ナタリー20221017"/>、「[[Black Sugar (A.B.C-Zの曲)|サポーターズ!]]」の[[西寺郷太]]<ref name="タワレコ20221017"/>、「[[Moonlight walker]]」の編曲を担当した[[船山基紀]]<ref name="タワレコ20221017"/>、最新シングル「[[#IMA|#IMA]]」の[[大黒摩季]]<ref name="ナタリー20221017"/>、2021年発表の「[[Nothin' but funky|灯]]」などを手掛けた[[LEGO BIG MORL]]<ref name="ナタリー20221017"/>、代表曲の1つである「[[BEST OF A.B.C-Z|Vanilla]]」を提供した[[井手コウジ]]らが集結した<ref name="ナタリー20221017"/>。
2023年12月21日をもって河合がグループから脱退したため<ref>{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202309210000559.html |title= A.B.C-Z河合郁人が12・21でグループ脱退へ ジャニーズ事務所には引き続き所属 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツNEWS |date= 2023-09-21 |accessdate= 2023-09-21 }}</ref>、5人体制としては最後の作品となった<ref>{{Cite web|和書| author = 高橋梓| url = https://realsound.jp/2023/11/post-1501490.html| title = A.B.C-Z 河合郁人最後の作品『5 STARS』レビュー “新たな伝説”へ向かう5人の魅力が凝縮| date = 2023-11-28| website = Real Sound| publisher = blueprint| accessdate = 2023-12-23}}</ref>。
; プロモーション
:X(旧[[Twitter]])のアカウント・A.B.C-Z【Z PROJECT】のヘッダーを利用したカウントダウンが行われており、メンバーの[[塚田僚一]]がグループの公式アカウントで言及<ref>A.B.C-Z (えーびーしーずぃー){{Twitter status2|abcz_official|1712843594988655081|4=@abcz_officialの2023年10月13日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref><ref>A.B.C-Z (えーびーしーずぃー){{Twitter status2|abcz_official|1713204434275356826|4=@abcz_officialの2023年10月14日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref><ref>A.B.C-Z (えーびーしーずぃー){{Twitter status2|abcz_official|1713554079874773102|4=@abcz_officialの2023年10月15日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref><ref>A.B.C-Z (えーびーしーずぃー){{Twitter status2|abcz_official|1714242618757173383|4=@abcz_officialの2023年10月17日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>した後に、2023年10月17日放送のA.B.C-Zのレギュラーラジオ『STUDY!ぼくたちとみんなのラジオ』で本作のリリースが発表された。ラジオでは収録曲の'''「JODEKI!」'''が初解禁され<ref>STUDY!ぼくたちとみんなのラジオ{{Twitter status2|@nhk_bokuradio|1714257918181134561|4=@nhk_bokuradioの2023年10月17日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>、ラジオ終わりの同日22時にはアートワークも解禁されている<ref>A.B.C-Z【Z PROJECT】{{Twitter status2|abcz_zprojectpc|1714265006336806979|4=@abcz_zprojectpcの2023年10月17日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>。20日にはメンバーの[[橋本良亮]]がゲストMCを務めるラジオ『花ラジちば』で「JODEKI!」が1ハーフでOAされた<ref>千葉のNHK/ちばを愛するあなたのメディア{{Twitter status2|@nhk_chiba|1715292017587003556|4=@nhk_chibaの2023年10月20日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>。
:10月19日には[[TikTok]]にジャケット撮影の裏側を撮った動画が公開され<ref>A.B.C-Z【Z PROJECT】{{Twitter status2|abcz_zprojectpc|1715000887662563672|4=@abcz_zprojectpcの2023年10月19日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>、20日には[[YouTube]]に「JODEKI!」の[[ティーザー予告|ティザー映像]]が公開<ref name="POST1715321973943804252">A.B.C-Z【Z PROJECT】{{Twitter status2|abcz_zprojectpc|1715321973943804252|4=@abcz_zprojectpcの2023年10月19日のツイート|5=2023年11月13日}}</ref>、11月13日20時にYouTubeに「JODEKI!」のMVが公開された<ref name="POST1715321973943804252"/><ref>A.B.C-Z【Z PROJECT】{{Twitter status2|abcz_zprojectpc|1724019286333886970|4=@abcz_zprojectpcの2023年11月13日のツイート|5=2023年11月13日}}</ref>。
:20日放送の『[[CDTVライブ!ライブ!]]』でデビュー曲「[[Za ABC〜5stars〜]]」とともに「JODEKI!」をテレビ初披露し、それぞれフルサイズでパフォーマンスする<ref>{{Cite web |title=『CDTVライブ!』2時間SP出演者第2弾 なにわ男子、A.B.C-Z、=LOVEら6組 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2302294/full/ |website=ORICON NEWS |date=2023-11-13 |access-date=2023-11-13}}</ref>。
;アートワーク
:初回限定盤Aのアルバムジャケットは、スタイリッシュな黒の衣装を纏った5人のバックにA.B.C-Zを象徴する映像を投影した[[LED]]ビジョンで近未来感を演出。初回限定盤BはAのデザインとは逆のアナログ感あふれるテイストに仕上がっており、通常盤にはメンバー5人の[[ピースサイン]]による星マークの写真が使用されている<ref name="ナタリー20221017"/><ref>{{Cite web|和書|title=A.B.C-Z、11月29日に豪華作家陣が集結したEP『5 STARS』リリース決定!新アー写、ジャケットも公開!|url=https://news.ponycanyon.co.jp/2023/10/90859|website=PONY CANYON NEWS|accessdate=2022-10-21|date=2022-10-17}}</ref>。
; リリース
: 初回限定盤A(CD+DVD)(PCCA-06256)、初回限定盤B(CD+DVD)(PCCA-06257)、通常盤(CDのみ)(PCCA-06258)の3形態でリリース<ref name="ponycanyonal9" />。
:初回限定盤AのDVDには「JODEKI!」のミュージックビデオとダンスクリップ、ジャケットやMV撮影のメイキング映像、「オリジナルストーリー」のミュージックビデオなどを収録。初回限定盤BのDVDには、同年9月に東京・[[有明アリーナ]]で行われ、初めてのフェス参戦となった『STARLIGHT TOKYO 2023』よりA.B.C-Zのパフォーマンス・パートが完全収録される<ref name="ナタリー20221017"/><ref name="タワレコ20221017"/>。
== 収録内容 ==
=== CD ===
※は通常盤のみ収録。シングル曲の詳細はそのページを参照。
# '''BRAND NEW LEGEND'''
#: 作詞・作曲:[[草野華余子]]、編曲:[[CHOKKAKU]]
#:* 眩い星が照らす伝説の幕開けを歌った<ref>草野華余子
{{Twitter status2|kayoko225|1715000887662563672|4=@kayoko225の2023年10月18日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>、疾走感のあるロックナンバー<ref name="ponycanyonal9" />。
# '''OVERHEAT'''
#: 作詞・作曲:[[堂島孝平]]、編曲:[[炭竃智弘 ]]・堂島孝平
# '''JODEKI!'''
#: 作詞:[[西寺郷太]]、作曲:西寺郷太・[[SANABAGUN.|大樋ゆう大]]、編曲:[[船山基紀]]・西寺郷太・大樋ゆう大
#:*西寺がA.B.C-Zに提供した楽曲の中で、初めてMVが作製された<ref>西寺郷太
{{Twitter status2|Gota_NonaReeves|1715564599326703793|4=@Gota_NonaReevesの2023年10月21日のツイート|5=2023年10月21日}}</ref>。
# '''[[#IMA|#IMA]]'''
#:*13thシングル
# '''[[Graceful Runner]]'''
#:*12thシングル
# '''オリジナルストーリー'''
#: 作詞:[[大黒摩季]]、作曲:大黒摩季・[[徳永暁人]]、編曲:徳永暁人
#:*レコーディングにはギター:[[坂崎幸之助]]([[THE ALFEE]])、 ベース:徳永暁人、ピアノ:[[ハラミちゃん]]、ドラム:浜﨑大地が参加している<ref name="ナタリー20221017"/>。
# '''Carry on Carry on''' ※
#: 作詞:[[タナカヒロキ]]([[LEGO BIG MORL]])、作曲:カナタタケヒロ・[[ヤマモトシンタロウ]](LEGO BIG MORL)、編曲:[[生田真心]]
# '''fragrance''' ※
#: 作詞・作曲・編曲:[[井手コウジ]]
=== DVD ===
==== 初回限定盤A ====
#「JODEKI!」Music Clip
#「JODEKI!」Dance Clip
#「Making of Jacket & Music Clip Shooting」
#「オリジナルストーリー」Music Clip
==== 初回限定盤B ====
* STARLIGHT TOKYO 2023 Powered by NTT DOCOMO Studio & Live{{Refnest|group="注"|12月1日20:00からYouTubeで24時間限定で無料公開された<ref>{{Cite web|和書| url = https://natalie.mu/music/news/551226| title = A.B.C-Z「STARLIGHT TOKYO」ライブ映像を24時間限定無料公開| date = 2023-11-30| website = 音楽ナタリー| publisher = ナターシャ| accessdate = 2023-12-12}}</ref>。}}
# '''[[Za ABC〜5stars〜]]'''
# '''[[頑張れ、友よ!]]'''
# '''[[A.B.Sea_Market|Summer上々!!]]'''
# '''[[BEST OF A.B.C-Z|Vanilla]]'''
# '''[[Black Sugar (A.B.C-Zの曲)|Black Sugar]]'''
# '''[[DAN DAN Dance!!]]'''
# '''[[A.B.C-Z 2021 But FanKey Tour|テレパシーOne! Two! × Fantastic Ride]]'''
# '''[[Reboot!!!]]'''
# '''[[Going with Zephyr|FORTUNE]]'''
== 特典 ==
; 予約購入先着特典<ref name = "ponycanyonal9"/>
:* 5連ポストカードセット(初回限定盤A)
:* チェキ風カード5種セット(初回限定盤B)
:* クリアシート5種セット(通常盤)
:
; 3形態同時予約購入特典<ref name = "ponycanyonal9"/>
:* 「5 STARS」ジャケット絵柄缶バッジ(3種セット)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* 紹介ページ
** [https://abcz.ponycanyon.co.jp/discography/al/09.html 5 STARS] - ポニーキャニオン
** [https://www.johnnys-net.jp/page?id=discoDetail&artist=26&data=28355 STARS] - FAMILY CLUB
* Youtube
** {{Youtube|I_7BvqMQqF4|A.B.C-Z「JODEKI!」ミュージックビデオ}}
** {{Youtube|BDD9rV9vCbM|A.B.C-Z「JODEKI!」Teaser}}
* TikTok
** [https://www.tiktok.com/@abcz_zproject/video/7291639305259306241 ジャケット撮影オフショット]
{{A.B.C-Z}}
{{album-stub}}
{{DEFAULTSORT:ふあいふすたあす}}
[[Category:A.B.C-Zのアルバム]]
[[Category:2023年のミニ・アルバム]] | 2023-10-21T09:24:30Z | 2023-12-23T13:43:37Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Twitter status2",
"Template:A.B.C-Z",
"Template:Infobox Album",
"Template:Refnest",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:Youtube",
"Template:Album-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/5_STARS |
4,844,696 | 大川恒星 | 大川 恒星(おおかわ こうじ、1987年 - )は、日本の弁護士。弁護士法人淀屋橋・山上合同所属。
人事労務案件を得意とするが、医療過誤案件、証券取引紛争案件(訴訟・あっせん手続等)、知財案件等の多種多様な案件に取り組んでいる。
2006年に灘高等学校を卒業。2011年に京都大学法学部を卒業。2013年には同大学法科大学院を修了。
2013年の司法試験に合格後、2014年12月に司法修習修了後、弁護士法人淀屋橋・山上合同に入所。
2020年5月にはUCLA School of lawを卒業。2021年7月にはニューヨーク州弁護士登録。
2020年11月から翌年7月まではインドネシアのジャカルタでAdnan Kelana Haryanto & Hermanto(AKHH)法律事務所にて研修。帰国後、パートナー弁護士に就任。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "大川 恒星(おおかわ こうじ、1987年 - )は、日本の弁護士。弁護士法人淀屋橋・山上合同所属。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "人事労務案件を得意とするが、医療過誤案件、証券取引紛争案件(訴訟・あっせん手続等)、知財案件等の多種多様な案件に取り組んでいる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2006年に灘高等学校を卒業。2011年に京都大学法学部を卒業。2013年には同大学法科大学院を修了。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2013年の司法試験に合格後、2014年12月に司法修習修了後、弁護士法人淀屋橋・山上合同に入所。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2020年5月にはUCLA School of lawを卒業。2021年7月にはニューヨーク州弁護士登録。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2020年11月から翌年7月まではインドネシアのジャカルタでAdnan Kelana Haryanto & Hermanto(AKHH)法律事務所にて研修。帰国後、パートナー弁護士に就任。",
"title": "略歴"
}
] | 大川 恒星は、日本の弁護士。弁護士法人淀屋橋・山上合同所属。 人事労務案件を得意とするが、医療過誤案件、証券取引紛争案件(訴訟・あっせん手続等)、知財案件等の多種多様な案件に取り組んでいる。 | {{特筆性|人物|date=2023年10月21日 (土) 13:03 (UTC)}}
'''大川 恒星'''(おおかわ こうじ、1987年 - )は、日本の[[弁護士]]。[[弁護士法人淀屋橋・山上合同]]所属。
人事労務案件を得意とするが、医療過誤案件、証券取引紛争案件(訴訟・あっせん手続等)、知財案件等の多種多様な案件に取り組んでいる。
== 略歴 ==
2006年に[[灘高等学校]]を卒業。2011年に[[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都大学法学部]]を卒業。2013年には同大学[[法科大学院]]を修了<ref>{{Cite web |title=伊藤塾長×大川恒星弁護士Zoomウェビナー対談 {{!}} 伊藤塾 |url=https://www.itojuku.co.jp/event/detail.php?eid=1813 |website=法律の資格・公務員試験専門の受験指導校|伊藤塾 |access-date=2023-10-21}}</ref>。
2013年の[[司法試験 (日本)|司法試験]]に合格後、2014年12月に[[司法修習]]修了後、弁護士法人淀屋橋・山上合同に入所。
2020年5月には[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA School of law]]を卒業。2021年7月には[[ニューヨーク州弁護士]]登録<ref>{{Citation|title=伊藤塾出身】 弁護士は場所も仕事もとにかく自由!UCLA留学からインドネシア研修の今|url=https://www.youtube.com/watch?v=ZOE22oioK0o|language=ja-JP|access-date=2023-10-21}}</ref>。
2020年11月から翌年7月まではインドネシアのジャカルタでAdnan Kelana Haryanto & Hermanto(AKHH)法律事務所にて研修。帰国後、パートナー弁護士に就任。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.sn-hoki.co.jp/auther/auther1959103/ 著者・執筆者情報]
{{DEFAULTSORT:おおかわ こうし}}
[[Category:1987年生]]
[[Category:日本の弁護士]]
[[Category:ニューヨーク州の弁護士]]
[[Category:灘中学校・高等学校出身の人物]]
[[Category:法学士取得者]]
[[Category:修士(法学)取得者]]
[[Category:京都大学出身の人物]]
[[Category:カリフォルニア大学ロサンゼルス校出身の人物]] | 2023-10-21T09:26:24Z | 2023-10-29T11:54:45Z | false | false | false | [
"Template:特筆性",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Citation"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E6%81%92%E6%98%9F |
4,844,699 | 合川村 (大分県) | 合川村(あいかわむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。
大野川支流・奥嶽川の流域に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "合川村(あいかわむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大野川支流・奥嶽川の流域に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 合川村(あいかわむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年1月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = [[牧口村]]、'''合川村'''、[[白山村 (大分県)|白山村]] → [[清川村 (大分県)|清川村]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]
| よみがな = あいかわむら
| 自治体名 = 合川村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 3604
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[緒方町]]、牧口村、[[三重町]]、白山村、[[長谷川村]]、[[上緒方村]]
| 所在地 = 大野郡合川村大字六種
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''合川村'''(あいかわむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
[[大野川]]支流・奥嶽川の流域に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡六種村、宇田枝村、左右知村、平石村が合併して村制施行し、'''合川村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』1頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』65頁。</ref>。旧村名を継承した六種、宇田枝、左右知、平石の4大字を編成{{R|角川}}。
*[[1897年]](明治30年)シイタケ栽培開始{{R|角川}}
*[[1902年]](明治35年)新式木炭製造開始{{R|角川}}
*[[1904年]](明治37年)宇田枝井路が完工し畑作から水田地帯に転換{{R|角川}}。
*[[1921年]](大正10年)合川電力会社操業し村内点灯{{R|角川}}。
*[[1932年]](昭和7年)4月1日、大野郡[[南緒方村]]大字馬背畑・大化(一部、字上犬塚)を編入{{R|変遷}}{{R|角川}}。大字馬背畑、大化を加えて6大字となる{{R|角川}}。
*[[1934年]](昭和9年)[[農林水産省|農林省]]直営[[森林鉄道]]敷設{{R|角川}}
*[[1955年]](昭和30年)1月1日、大野郡牧口村、白山村と合併し、'''[[清川村 (大分県)|清川村]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業、林業、シイタケ、木炭{{R|角川}}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:あいかわむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T09:35:20Z | 2023-10-21T09:35:20Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%B7%9D%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C) |
4,844,700 | 第22回ゴールデングローブ賞 | 第22回ゴールデングローブ賞(だい22かいゴールデングローブしょう)は、1964年の映画とテレビを対象としており、1965年2月8日に行われた。
『ベケット』
『マイ・フェア・レディ』
ピーター・オトゥール – 『ベケット』
アン・バンクロフト – en:The Pumpkin Eater
レックス・ハリソン – 『マイ・フェア・レディ』
ジュリー・アンドリュース – 『メリー・ポピンズ』
エドモンド・オブライエン – 『五月の七日間』
アグネス・ムーアヘッド – 『ふるえて眠れ』
ジョージ・キューカー – 『マイ・フェア・レディ』
『ローマ帝国の滅亡』 – ディミトリ・ティオムキン
"Circus World" – 『サーカスの世界』
『ザ・ローグス|ザ・ローグス/泥棒貴族』
ジーン・バリー – 『バークにまかせろ』
メアリー・タイラー・ムーア – en:The Dick Van Dyke Show | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "第22回ゴールデングローブ賞(だい22かいゴールデングローブしょう)は、1964年の映画とテレビを対象としており、1965年2月8日に行われた。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "『ベケット』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "『マイ・フェア・レディ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "ピーター・オトゥール – 『ベケット』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "アン・バンクロフト – en:The Pumpkin Eater",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "レックス・ハリソン – 『マイ・フェア・レディ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "ジュリー・アンドリュース – 『メリー・ポピンズ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "エドモンド・オブライエン – 『五月の七日間』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "アグネス・ムーアヘッド – 『ふるえて眠れ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "ジョージ・キューカー – 『マイ・フェア・レディ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "『ローマ帝国の滅亡』 – ディミトリ・ティオムキン",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "\"Circus World\" – 『サーカスの世界』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "『ザ・ローグス|ザ・ローグス/泥棒貴族』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "ジーン・バリー – 『バークにまかせろ』",
"title": "受賞者・ノミネート"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "メアリー・タイラー・ムーア – en:The Dick Van Dyke Show",
"title": "受賞者・ノミネート"
}
] | 第22回ゴールデングローブ賞(だい22かいゴールデングローブしょう)は、1964年の映画とテレビを対象としており、1965年2月8日に行われた。 | '''第22回ゴールデングローブ賞'''(だい22かいゴールデングローブしょう)は、[[1964年の映画]]とテレビを対象としており、1965年2月8日に行われた。
==受賞者・ノミネート==
===映画===
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞 (ドラマ部門)|作品賞(ドラマ部門)]]====
'''『[[ベケット (映画)|ベケット]]』'''
* ''[[:en:The Chalk Garden (film)|The Chalk Garden]]''
* ''[[:en:Dear Heart]]''
* 『[[イグアナの夜]]』
* 『[[その男ゾルバ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)|作品賞(ミュージカル・コメディ部門)]]====
'''『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』'''
* ''[[:en:Father Goose (film)|Father Goose]]''
* 『[[メリー・ポピンズ]]』
* ''[[:en:The Unsinkable Molly Brown (film)|The Unsinkable Molly Brown]]''
* 『[[マリアンの友だち]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演男優賞 (ドラマ部門)|主演男優賞 (ドラマ部門)]]====
''' [[ピーター・オトゥール]] – 『[[ベケット (映画)|ベケット]]』'''
* [[リチャード・バートン]] – 『[[ベケット (映画)|ベケット]]』
* [[アンソニー・フランシオサ]] – 『[[リオ・コンチョス]]』
* [[フレドリック・マーチ]] – 『[[五月の七日間]]』
* [[アンソニー・クイン]] – 『[[その男ゾルバ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞 (ドラマ部門)]]====
''' [[アン・バンクロフト]] – ''[[:en:The Pumpkin Eater]]'''''
* [[エヴァ・ガードナー]] – 『[[イグアナの夜]]』
* [[リタ・ヘイワース]] – 『[[サーカスの世界]]』
* [[ジェラルディン・ペイジ]] – ''[[:en:Dear Heart]]''
* [[ジーン・セバーグ]] – 『[[リリス (映画)|リリス]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]====
''' [[レックス・ハリソン]] – 『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』'''
* [[マルチェロ・マストロヤンニ]] – 『[[ああ結婚 (映画)|ああ結婚]]』
* [[ピーター・セラーズ]] – 『[[ピンクの豹]]』
* [[ピーター・ユスティノフ]] – 『[[トプカピ]]』
* [[ディック・ヴァン・ダイク]] – 『[[メリー・ポピンズ]]』
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)|主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]====
''' [[ジュリー・アンドリュース]] – 『[[メリー・ポピンズ]]』'''
* [[オードリー・ヘプバーン]] – 『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』
* [[ソフィア・ローレン]] – 『[[ああ結婚 (映画)|ああ結婚]]』
* [[メリナ・メルクーリ]] – 『[[トプカピ]]』
* [[デビー・レイノルズ]] – ''[[:en:The Unsinkable Molly Brown (film)|The Unsinkable Molly Brown]]''
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 助演男優賞|助演男優賞]]====
''' [[エドモンド・オブライエン]] – 『[[五月の七日間]]』'''
* [[:en:Cyril Delevanti]] – 『[[イグアナの夜]]』
* [[スタンリー・ホロウェイ]] – 『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』
* [[:en:Gilbert Roland]] – 『[[シャイアン (映画)|シャイアン]]』
* [[:en:Lee Tracy]] – ''[[:en:The Best Man (1964 film)|The Best Man]]''
====[[ゴールデングローブ賞 映画部門 助演女優賞|助演女優賞]]====
''' [[アグネス・ムーアヘッド]] – 『[[ふるえて眠れ]]』'''
* [[:en:Elizabeth Ashley]] – 『[[大いなる野望]]』
* [[:en:Grayson Hall]] – 『[[イグアナの夜]]』
* [[リラ・ケドロヴァ]] – 『[[その男ゾルバ]]』
* [[アン・サザーン]] – ''[[:en:The Best Man (1964 film)|The Best Man]]''
====[[ゴールデングローブ賞 監督賞|監督賞]]====
''' [[ジョージ・キューカー]] – 『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』'''
* [[マイケル・カコヤニス]] – 『[[その男ゾルバ]]』
* [[ジョン・フランケンハイマー]] – 『[[五月の七日間]]』
* [[:en:Peter Glenville]] – 『[[ベケット (映画)|ベケット]]』
* [[ジョン・ヒューストン]] – 『[[イグアナの夜]]』
====[[ゴールデングローブ賞 作曲賞|作曲賞]]====
''' 『[[ローマ帝国の滅亡]]』 – [[ディミトリ・ティオムキン]]'''
* 『[[ベケット (映画)|ベケット]]』 – [[:en:Laurence Rosenthal]]
* 『[[メリー・ポピンズ]]』 – [[:en:Richard M. Sherman|Richard M.]]、[[ロバート・シャーマン]]
* 『[[五月の七日間]]』 – [[ジェリー・ゴールドスミス]]
* 『[[その男ゾルバ]]』 – [[ミキス・テオドラキス]]
====[[ゴールデングローブ賞 主題歌賞|主題歌賞]]====
''' "Circus World" – 『[[サーカスの世界]]』'''
* 「[[ディア・ハート]]」 – ''[[:en:Dear Heart]]''
* "[[:en:From Russia with Love (soundtrack)|From Russia with Love]]" – 『[[007/危機一発]]』
* "Sunday in New York" – 『[[ニューヨークの休日]]』
* "Where Love Has Gone" – ''[[:en:Where Love Has Gone (film)|Where Love Has Gone]]''
===テレビ===
====[[ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 作品賞 (ドラマ部門)|作品賞 (ドラマ部門)]]====
'''『ザ・ローグス|ザ・ローグス/泥棒貴族』'''
* ''[[:en:12 O'Clock High (TV series)|12 O'Clock High]]''
* ''[[:en:The Munsters]]''
* ''[[:en:The Red Skelton Show]]''
* ''[[:en:Wendy and Me]]''
===={{仮リンク|ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 男優賞(ドラマ部門)|label=男優賞|en|Golden Globe Award for Best Actor – Television Series Drama}}====
''' [[ジーン・バリー]] – 『[[バークにまかせろ]]』'''
* [[リチャード・クレンナ]] – ''[[:en:Slattery's People]]''
* [[ジェームズ・フランシスカス]] – ''[[:en:Mr. Novak]]''
* [[デビッド・ジャンセン]] – 『[[逃亡者 (1963年のテレビドラマ)|逃亡者]]』
* [[ロバート・ヴォーン]] – 『[[0011ナポレオン・ソロ]]』
===={{仮リンク|ゴールデングローブ賞 テレビドラマ部門 女優賞(ミュージカル・コメディ部門)|label=女優賞|en|Golden Globe Award for Best Actress – Television Series Musical or Comedy}}====
''' [[メアリー・タイラー・ムーア]] – ''[[:en:The Dick Van Dyke Show]]'''''
* [[ドロシー・マローン]] – 『[[ペイトンプレイス物語]]』
* [[イヴェット・ミミュー]] – ''[[:en:Dr. Kildare (TV series)|Dr. Kildare]]''
* [[エリザベス・モンゴメリー]] – 『[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]』
* [[ジュリー・ニューマー]] – ''[[:en:My Living Doll]]''
==出典==
*[https://www.imdb.com/event/ev0000292/1965 IMdb 1965 Golden Globe Awards]
{{ゴールデングローブ賞}}
{{DEFAULTSORT:こおるてんくろおふしよう22}}
[[Category:ゴールデングローブ賞|22]]
[[Category:1964年の映画|*こおるてんくろおふしよう]]
[[Category:1965年のアメリカ合衆国]]
[[Category:1965年2月]] | 2023-10-21T09:35:30Z | 2023-12-08T22:21:12Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:ゴールデングローブ賞"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC22%E5%9B%9E%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96%E8%B3%9E |
4,844,702 | 吉川晃司 サングラスをはずして | 吉川晃司 サングラスをはずして(きっかわこうじ サングラスをはずして)は、1985年10月12日から1987年10月3日までニッポン放送の制作でNRN系列各局にて放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティは吉川晃司。
本項では、本番組の前身番組『吉川晃司 オンザロードで恋をして』(きっかわこうじ オンザロードでこいをして 1985年4月13日〜同年10月5日)、前々身番組『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』(きっかわこうじ ハートブレイクをだきしめて 1984年10月13日〜1985年4月6日)についても本項で併せて説明。
パーソナリティの吉川晃司は、この年1984年2月に『モニカ』でデビューし、一躍ヒット歌手の仲間入りを果たしたばかり。1984年10月13日に『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』のタイトルでスタートし、この頃はトーク、各企画、はがき紹介を中心に構成され、吉川による「軽快なおしゃべり」と番組内容が紹介されていた。スタートから6か月後の1985年4月13日よりタイトルが『吉川晃司 オンザロードで恋をして』に改題される。
『オンザロードで恋をして』に改題後更に6か月後の1985年10月12日に『吉川晃司 サングラスをはずして』に改題、このタイトルで最終回まで2年間放送され続けた。『サングラスをはずして』に改題以後はほぼ毎週ゲストを迎えるようになり、ゲストとのトークに重点が置かれ、あとはフリートークとはがき紹介などといった構成で放送された。
スポンサーは、1986年9月までは小学館、1986年10月以降はCBSソニー出版(現・エムオン・エンタテインメントの各一社提供。CBSソニー出版一社提供枠は後継番組『藤井郁弥 キュートしようよ』にも引き継がれた。
1987年2月に吉川は自身の主演する日本・イタリア合作映画『シャタラー』の長期ロケ撮影でイタリアへ渡ったため、1987年2月7日から2月28日の間は4回にわたり本番組は休止になり、この間は代役としてデーモン小暮(現・デーモン閣下)をパーソナリティとした『デーモン小暮 素顔のままで』(デーモンこぐれ すがおのままで)が放送された。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "吉川晃司 サングラスをはずして(きっかわこうじ サングラスをはずして)は、1985年10月12日から1987年10月3日までニッポン放送の制作でNRN系列各局にて放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティは吉川晃司。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "本項では、本番組の前身番組『吉川晃司 オンザロードで恋をして』(きっかわこうじ オンザロードでこいをして 1985年4月13日〜同年10月5日)、前々身番組『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』(きっかわこうじ ハートブレイクをだきしめて 1984年10月13日〜1985年4月6日)についても本項で併せて説明。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "パーソナリティの吉川晃司は、この年1984年2月に『モニカ』でデビューし、一躍ヒット歌手の仲間入りを果たしたばかり。1984年10月13日に『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』のタイトルでスタートし、この頃はトーク、各企画、はがき紹介を中心に構成され、吉川による「軽快なおしゃべり」と番組内容が紹介されていた。スタートから6か月後の1985年4月13日よりタイトルが『吉川晃司 オンザロードで恋をして』に改題される。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "『オンザロードで恋をして』に改題後更に6か月後の1985年10月12日に『吉川晃司 サングラスをはずして』に改題、このタイトルで最終回まで2年間放送され続けた。『サングラスをはずして』に改題以後はほぼ毎週ゲストを迎えるようになり、ゲストとのトークに重点が置かれ、あとはフリートークとはがき紹介などといった構成で放送された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "スポンサーは、1986年9月までは小学館、1986年10月以降はCBSソニー出版(現・エムオン・エンタテインメントの各一社提供。CBSソニー出版一社提供枠は後継番組『藤井郁弥 キュートしようよ』にも引き継がれた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "1987年2月に吉川は自身の主演する日本・イタリア合作映画『シャタラー』の長期ロケ撮影でイタリアへ渡ったため、1987年2月7日から2月28日の間は4回にわたり本番組は休止になり、この間は代役としてデーモン小暮(現・デーモン閣下)をパーソナリティとした『デーモン小暮 素顔のままで』(デーモンこぐれ すがおのままで)が放送された。",
"title": "概要"
}
] | 吉川晃司 サングラスをはずしては、1985年10月12日から1987年10月3日までニッポン放送の制作でNRN系列各局にて放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティは吉川晃司。 本項では、本番組の前身番組『吉川晃司 オンザロードで恋をして』、前々身番組『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』についても本項で併せて説明。 | {{基礎情報 ラジオ番組
|番組名=吉川晃司<br />ハートブレイクを抱きしめて<br />↓<br />吉川晃司<br />オンザロードで恋をして<br />↓<br />吉川晃司 サングラスをはずして
|画像=
|画像説明=
|ジャンル=[[トーク番組]]
|放送=[[収録]]
|放送時間=毎週[[土曜日]] 21:30 - 22:00<br />→ 毎週土曜日 22:00 - 22:30
|企画 =
|プロデューサー =
|ディレクター =
|パーソナリティ=[[吉川晃司]]
|出演=
|テーマ曲 =
|放送局=[[ニッポン放送]]
|ネットワーク=[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列各局
|制作 = ニッポン放送
|放送期間=[[1984年]][[10月13日]]〜[[1987年]][[10月3日]]
|放送回数=
|スポンサー=[[小学館]](※1986年9月まで)<br />[[CBSソニー出版]]<br />(現・[[エムオン・エンタテインメント]])<br />(※1986年10月以降)
|公式サイト =
|特記事項=
}}
'''吉川晃司 サングラスをはずして'''(きっかわこうじ サングラスをはずして)は、[[1985年]][[10月12日]]から[[1987年]][[10月3日]]まで[[ニッポン放送]]の制作で[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列各局にて放送されていた[[ラジオ番組]]。メイン[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]は[[吉川晃司]]。
本項では、本番組の前身番組『'''吉川晃司 オンザロードで恋をして'''』(きっかわこうじ オンザロードでこいをして 1985年[[4月13日]]〜同年[[10月5日]])、前々身番組『'''吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて'''』(きっかわこうじ ハートブレイクをだきしめて 1984年[[10月13日]]〜1985年[[4月6日]])についても本項で併せて説明。
== 概要 ==
パーソナリティの吉川晃司は、この年1984年2月に『[[モニカ (曲)|モニカ]]』でデビューし、一躍ヒット歌手の仲間入りを果たしたばかり。1984年10月13日に『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』のタイトルでスタートし<ref name="radimaga8411">[[ラジオマガジン (雑誌)|ラジオマガジン]] 1984年11月号「恒例!番組改編できるだけ速報」p.57</ref>、この頃はトーク、各企画、はがき紹介を中心に構成され、吉川による「軽快なおしゃべり」と番組内容が紹介されていた<ref name="radimaga8411"/>。スタートから6か月後の1985年4月13日よりタイトルが『吉川晃司 オンザロードで恋をして』に改題される{{refnest|group="注釈"|本番組では各新聞ラジオ欄においては、タイトルが改題されるたびに「終」(『ハートブレイクを - 』の最後の1985年4月6日、『オンザロードで - 』の最後の1985年10月5日)、「新」(『オンザロードで - 』の初回の1985年4月13日、『サングラスをはずして』の初回の1985年10月12日)のマークが付いていた<ref>1985年4月6日、1985年4月13日、1985年10月5日、1985年10月12日 各日の各新聞ラジオ欄</ref>。}}。
『オンザロードで恋をして』に改題後更に6か月後の1985年10月12日に『吉川晃司 サングラスをはずして』に改題、このタイトルで最終回まで2年間放送され続けた。『サングラスをはずして』に改題以後はほぼ毎週ゲストを迎えるようになり、ゲストとのトークに重点が置かれ、あとはフリートークとはがき紹介などといった構成で放送された。
[[スポンサー]]は、[[1986年]]9月までは[[小学館]]、1986年10月以降は[[CBSソニー出版]](現・[[エムオン・エンタテインメント]]の各[[一社提供]]。CBSソニー出版一社提供枠は後継番組『[[藤井郁弥 キュートしようよ]]』にも引き継がれた<ref>[[ラジオ番組表|ラジオ新番組速報版]] 1986年春号〜1987年秋号 ニッポン放送番組表</ref>。
1987年2月に吉川は自身の主演する[[日本の映画|日本]]・[[イタリアの映画|イタリア]]合作映画『[[シャタラー]]』の長期ロケ撮影で[[イタリア]]へ渡ったため<ref>PATi PATi([[CBSソニー出版]])1987年5月号 p.123 - 126 吉川晃司記事</ref>、1987年[[2月7日]]から[[2月28日]]の間は4回にわたり本番組は休止になり、この間は代役としてデーモン小暮(現・[[デーモン閣下]])をパーソナリティとした『'''デーモン小暮 素顔のままで'''』(デーモンこぐれ すがおのままで)が放送された<ref>1987年2月7日・2月14日・2月21日・2月28日 各日の各新聞ラジオ欄</ref>。
== 放送されていた局 ==
*[[ニッポン放送]](制作局)
**土曜日 21:30 - 22:00 (『ハートブレイクを抱きしめて』 1984年10月13日〜1985年4月6日)
**土曜日 22:00 - 22:30 (『オンザロードで恋をして』〜『サングラスをはずして』 1985年4月13日〜1987年10月3日)
*[[STVラジオ]]
**日曜日 21:30 - 22:00 (1984年10月〜1985年4月)
**土曜日 24:00 - 24:30 (1985年4月〜1986年4月)
**日曜日 23:30 - 24:00 (1986年4月〜1987年10月)
*[[青森放送]]:土曜日 24:30 - 25:00 (1985年4月〜1987年10月)
*[[北日本放送]]:土曜日 23:30 - 24:00 (1986年4月〜1987年10月)
*[[MBSラジオ]]
**日曜日 21:00 - 21:30 (1984年10月〜1986年4月)
**日曜日 23:15 - 23:45 (1986年4月〜同年10月)
*[[京都放送|KBS京都]]:土曜日 21:00 - 21:30 (1986年10月〜1987年4月)
**1986年10月改編を以て[[近畿広域圏]]におけるにネット局がMBSラジオから移行。
*[[熊本放送]]:火曜日 24:25 - 24:55 (1985年4月〜1987年10月)
*[[宮崎放送]]:日曜日 20:30 - 21:00 (1986年10月〜1987年4月)
*[[南日本放送]]:土曜日 21:00 - 21:30 (1986年10月〜1987年4月)
==ゲスト一覧==
{{Div col}}
;1985年
*8月24日:[[中村あゆみ]]
*9月14日:[[舘ひろし]]
*9月28日:[[森山達也]]([[THE MODS]])
*10月12日:[[大沢誉志幸]]
*10月19日:[[NOKKO]]([[レベッカ (バンド)|レベッカ]])
*10月26日:[[サンプラザ中野くん|サンプラザ中野]]([[爆風スランプ]])
*11月2日:[[白井貴子 (歌手)|白井貴子]]
*11月9日:[[大友康平]]([[HOUND DOG]])
*11月16日:[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]
*11月23日:[[世良公則]]
*11月30日:[[小堺一機]]
*12月7日:[[小泉今日子]]
*12月21日:[[原田知世]]
*12月28日:[[斉藤由貴]]
;1986年
*1月18日:[[武田鉄矢]]
*1月25日:[[川原由美子]]
*2月8日:[[浜田麻里]]
*2月15日:[[渡辺美里]]
*2月22日:[[南こうせつ]]
*3月1日:[[明石家さんま]]
*3月8日:[[湯江健幸]]、[[PINK (バンド)|PINK]]
*3月15日:[[渡辺典子]]
*3月22日:[[大森一樹]]
*3月29日:[[布袋寅泰]]
*4月5日:[[坂本龍一]]
*4月12日:[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]
*4月19日:[[CHAGE and ASKA|チャゲ&飛鳥]]
*4月26日:[[パーティ・フーラ]]
*5月3日:[[アン・ルイス]]
*5月10日:[[忌野清志郎]]
*5月17日:[[小室哲哉]]
*5月24日:[[寺田恵子]]([[SHOW-YA]])
*5月31日:[[角松敏生]]
*6月7日:[[KUWATA BAND]]
*6月14日:[[ジェームス小野田]]([[米米CLUB]])
*6月21日:[[デーモン閣下|デーモン小暮]]
*6月28日:忌野清志郎
*7月5日:[[哀川翔]]
*7月12日・19日:[[沢田研二]]
*7月26日:[[山下久美子]]
*8月2日:[[玉置浩二]]
*8月9日:[[ちわきまゆみ]]
*8月23日:[[南野陽子]]
*8月30日:[[森田芳光]]
*9月6日:[[研ナオコ]]
*9月13日:[[上條淳士]]
*9月20日:[[今井美樹]]
*9月27日:[[杉山清貴]]
*10月4日:[[陣内孝則]]
*10月11日:[[石原真理子]]
*10月18日:[[原田真二]]
*10月25日:[[安藤秀樹]]
*11月1日:[[氷室京介]]
*11月8日:[[山本達彦]]
*11月15日:[[松岡英明]]
*11月22日:[[久保田利伸]]
*11月29日:中村あゆみ
*12月6日・13日:[[松任谷由実]]
*12月20日:[[根本要]]([[スターダストレビュー]])
*12月27日:[[広石武彦]]([[UP-BEAT]])
;1987年
*1月10日:[[岡村靖幸]]
*1月17日:[[中島文明]]
*1月24日:[[長島ナオト]]
*3月14日:[[BARBEE BOYS]]
*3月21日:[[A-JARI]]
*3月28日:[[高鍋千年]]([[千年COMETS]])
*4月4日:[[田村直美]]([[PEARL (バンド)|PEARL]])
*4月11日:[[安部恭弘]]
*4月18日・25日:[[山下達郎]]
*5月2日:[[EPO]]
*5月9日:[[小比類巻かほる]]
*5月16日:[[高中正義]]
*5月23日:渡辺美里
*5月30日:[[鈴木賢司]]
*6月6日:[[本田美奈子]]
*6月13日:[[石橋凌]]
*6月20日:大江千里
*6月27日:松岡英明
*7月4日:[[小林麻美]]
*7月11日:[[金山一彦]]
*7月18日:[[ジャッキー・リン]]
*7月25日:[[高橋幸宏]]
*8月1日:[[ダックスフリー]]
*8月8日:[[奥野敦士]]([[ROGUE]])
*8月15日:[[麻倉あきら|斉藤さおり]]
*8月22日:山下久美子
*8月29日:大友康平
*9月5日:[[藤井フミヤ|藤井郁弥]]
*9月12日:[[池田政典]]
*9月19日:大沢誉志幸
*9月26日:[[人見元基]]([[BOWWOW#VOW WOW|VOW WOW]])
*10月3日:[[桑田佳祐]]
{{Div col end}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{前後番組|
放送局=[[ニッポン放送]]|
放送枠=土曜日 21:30 - 22:00 枠|
番組名=吉川晃司<br />ハートブレイクを抱きしめて<br />(1984年10月〜1985年4月)|
前番組=[[アントニオ猪木]]<br />闘魂ザ・ワールド|
次番組=[[スーパーステーション]]|
2放送局=ニッポン放送|
2放送枠=土曜日 22:00 - 22:30 枠|
2番組名=吉川晃司<br />オンザロードで恋をして<br />↓<br />吉川晃司 サングラスをはずして<br />(1985年4月〜1987年10月)|
2前番組=ライブオン! [[少年隊]]<br />(→ 土曜22:30 - 23:00枠へ移動)|
2次番組=[[藤井郁弥 キュートしようよ]]
}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ
|redirect1= 吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて
|1-1= 1984年のラジオ番組 (日本)
|1-2= ニッポン放送の番組の歴史
|1-3= ニッポン放送のトーク番組
|redirect2= 吉川晃司 オンザロードで恋をして
|2-1= 1985年のラジオ番組 (日本)
|2-2= ニッポン放送の番組の歴史
|2-3= ニッポン放送のトーク番組
}}
{{DEFAULTSORT:きつかわこうしさんくらすをはすして}}
[[Category:1985年のラジオ番組 (日本)]]
[[Category:ニッポン放送の番組の歴史]]
[[Category:ニッポン放送のトーク番組]]
[[Category:ニッポン放送の一社提供番組]]
[[Category:小学館|番]]
[[Category:エムオン・エンタテインメント|番]]
[[Category:継続中にタイトルが変更された番組]] | 2023-10-21T09:41:07Z | 2023-10-23T10:32:24Z | false | false | false | [
"Template:基礎情報 ラジオ番組",
"Template:Refnest",
"Template:Div col",
"Template:Div col end",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:前後番組",
"Template:リダイレクトの所属カテゴリ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E6%99%83%E5%8F%B8_%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%92%E3%81%AF%E3%81%9A%E3%81%97%E3%81%A6 |
4,844,709 | 女子硬式野球西日本大会 | 女子硬式野球西日本大会(じょしこうしきやきゅうにしにほんたいかい、英:West Japan Women's Baseball Tournament)は、中四国女子硬式野球連盟が主催する女子野球(硬式)の大会である。
2015年に開始した任意参加のトーナメント方式の大会で、対象は西日本各地域のそれぞれの女子硬式野球連盟に所属する高校・大学・専門学校・社会人・クラブチームである。
「第9回 女子硬式野球西日本大会」(期間:2023年11月10 - 同月12日)
5イニング制で、試合成立は4回終了。同点タイブレーク延長は6回のみとし、その後も同点の場合には抽選で決定する。
優勝 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "女子硬式野球西日本大会(じょしこうしきやきゅうにしにほんたいかい、英:West Japan Women's Baseball Tournament)は、中四国女子硬式野球連盟が主催する女子野球(硬式)の大会である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2015年に開始した任意参加のトーナメント方式の大会で、対象は西日本各地域のそれぞれの女子硬式野球連盟に所属する高校・大学・専門学校・社会人・クラブチームである。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "「第9回 女子硬式野球西日本大会」(期間:2023年11月10 - 同月12日)",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "5イニング制で、試合成立は4回終了。同点タイブレーク延長は6回のみとし、その後も同点の場合には抽選で決定する。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "優勝",
"title": "結果"
}
] | 女子硬式野球西日本大会は、中四国女子硬式野球連盟が主催する女子野球(硬式)の大会である。 | {{スポーツリーグ
|画像=
|種類=[[女子野球]]([[硬式野球|硬式]])
|confed = 中四国女子硬式野球連盟
|開始年=2015
|チーム= 29チーム(2022年)
|国={{JPN}}
|venue = 6 球場(2022年)
|優勝=[[東近江バイオレッツ]](2022年)
|most_champs=<!-- (回) -->
|sponsor = <!-- 、ほか(202年) -->
|サイト=[https://www.ruby-league.com/%E7%AC%AC9%E5%9B%9E-%E7%A1%AC%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%90%83-%E6%9C%AC-%E4%BC%9A 第9回女子硬式野球西日本大会]
}}
'''女子硬式野球西日本大会'''(じょしこうしきやきゅうにしにほんたいかい、英:West Japan Women's Baseball Tournament)は、[[中四国女子硬式野球連盟]]が主催する[[女子野球]]([[硬式野球|硬式]])の大会である。
== 概要 ==
2015年に開始した任意参加の[[トーナメント方式]]の大会で、対象は西日本各地域のそれぞれの女子硬式野球連盟に所属する高校・大学・専門学校・社会人・クラブチームである。
=== 2023年の概要 ===
「第9回 女子硬式野球西日本大会」(期間:2023年11月10 - 同月12日)<ref>[https://www.ruby-league.com/_files/ugd/a8d819_f8878fd7314a48f5a1fe8500d4d26cee.pdf 第9回 女子硬式野球西日本大会 大会要項] 中四国女子硬式野球連盟</ref><ref>[https://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/soshiki/127/99828.html 第9回女子硬式野球西日本大会開催] - 廿日市市</ref>
* 主催:中四国女子硬式野球連盟
* 主管:広島県三次市、廿日市市、MSH医療専門学校
* 後援:[[全日本女子野球連盟]]
* 協力:スポーツのまちみよし実行委員会、広島県
;使用予定の球場(7)
:[[広島県]]内
:* サンブレイズボールパーク([[広島市]]<!-- 佐伯区 -->)
:* 府中市上下運動公園野球場([[府中市 (広島県)|府中市]])
:* [[カーター記念球場]]([[三次市]])
:* [[みよし運動公園野球場|三次きんさいスタジアム]](三次市)
:* [[三次市営球場]](三次市)
:* 三和総合運動公園野球場(三次市)
:* 吉和グラウンド([[廿日市市]])
:* サンブレイズボールパーク(廿日市市)
=== 大会規定 ===
5イニング制で、試合成立は4回終了。同点タイブレーク延長は6回のみとし、その後も同点の場合には抽選で決定する<ref>[https://www.ruby-league.com/_files/ugd/a8d819_d1efecef13b24266a086e316e474534b.pdf 第9回 女子硬式野球西日本大会 大会規定] 中四国女子硬式野球連盟</ref>。
== 出場チーム ==
{| class="wikitable sortable" style="font-size:<!-- small -->; white-space:nowrap; text-align:center;"
!出場チーム!!都道府県!!備考
|-
|{{Display none|とうかいねくさす}}[[東海NEXUS]]||{{Display none|23}}愛知県||ク
|-
|{{Display none|ふくいこうぎょうだいがくふぞくふくい}}[[福井工業大学附属福井中学校・高等学校|福井工業大学附属福井高校]]||{{Display none|18}}福井県||
|-
|{{Display none|ひがしおうみばいおれっつ}}東近江バイオレッツ||{{Display none|25}}滋賀県||ク
|-
|{{Display none|きょうとがいだいにし}}[[京都外大西高等学校|京都外大西高校]]||{{Display none|26}}京都府||
|-
|{{Display none|きょうとめいとく}}[[京都明徳高等学校|京都明徳高校]]||{{Display none|26}}京都府||
|-
|{{Display none|きょうとりょうよう}}[[京都両洋高等学校|京都両洋高校]]||{{Display none|26}}京都府||
|-
|{{Display none|せいびぐりったーず}}SEIBI GLITTERS||{{Display none|26}}京都府||ク
|-
|{{Display none|ふくちやませいび}}[[福知山成美高等学校|福知山成美高校]]||{{Display none|26}}京都府||
|-
|{{Display none|うぇるふぇあ}}WELFARE||{{Display none|27}}大阪府||ク
|-
|{{Display none|おおさかたいいくだいがくなみしょう}}[[大阪体育大学浪商中学校・高等学校|大阪体育大学浪商高校]]||{{Display none|27}}大阪府||
|-
|{{Display none|そうかい}}[[蒼開中学校・高等学校|蒼開高校]]||{{Display none|28}}兵庫県||
|-
|{{Display none|たんばがーるず}}丹波ガールズ||{{Display none|28}}兵庫県||ク
|-
|{{Display none|しまねけんりつしまねちゅうおう}}[[島根県立島根中央高等学校|県立島根中央高校]]||{{Display none|32}}島根県||
|-
|{{Display none|おかやまがくげいかん}}[[岡山学芸館清秀中学校・岡山学芸館高等学校|岡山学芸館高校]]||{{Display none|33}}岡山県||
|-
|{{Display none|かんたいへいようだいがく}}[[環太平洋大学]]||{{Display none|33}}岡山県||大
|-
|{{Display none|くらしきぴーちじゃっくすれでぃーす}}倉敷ピーチジャックスレディース||{{Display none|33}}岡山県||ク
|-
|{{Display none|びぜんさんらっきーず}}備前サンラッキーズ||{{Display none|33}}岡山県||ク
|-
|{{Display none|こうりょう}}[[広陵高等学校 (広島県)|広陵高校]]||{{Display none|34}}広島県||
|-
|{{Display none|さんよう}}[[山陽高等学校|山陽高校]]||{{Display none|34}}広島県||
|-
|{{Display none|えむえすえいちいりょう}}MSH医療専門学校||{{Display none|34}}広島県||ク
|-
|{{Display none|はつかいちさんぶれいず}}はつかいちサンブレイズ||{{Display none|34}}広島県||ク
|-
|{{Display none|ひろしまけんりつさえき}}[[広島県立佐伯高等学校|県立佐伯高校]]||{{Display none|34}}広島県||
|-
|{{Display none|にった}}[[新田高等学校|新田高校]]||{{Display none|38}}愛媛県||
|-
|{{Display none|まどんなまつやま}}マドンナ松山||{{Display none|38}}愛媛県||ク
|-
|{{Display none|こうちけんりつむろと}}[[高知県立室戸高等学校|県立室戸高校]]||{{Display none|39}}高知県||
|-
|{{Display none|こうちちゅうおう}}[[高知中央高等学校|高知中央高校]]||{{Display none|39}}高知県||
|-
|{{Display none|しゅうがくかん}}[[秀岳館高等学校|秀岳館高校]]||{{Display none|43}}熊本県||
|-
|{{Display none|にちなんがくえん}}[[日南学園中学校・高等学校|日南学園高校]]||{{Display none|45}}宮崎県||
|-
|{{Display none|かみむらがくえん}}[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||{{Display none|46}}鹿児島県||
|}
== 結果 ==
優勝
<!--
*第1回(2015年) -
*第2回(2016年) -
*第3回(2017年) - -->
*第4回(2018年) - MSH医療専門学校
*第5回(2019年) - 福知山成美高等学校
*第6回(2020年) - 東近江バイオレッツ
*第7回(2021年) - 東近江バイオレッツ
*第8回(2022年) - 東近江バイオレッツ
== 関連項目 ==
* [[全日本女子野球連盟]]
* [[センターリーグ]](中部)
* [[ラッキーリーグ]](関西)
* [[ルビー・リーグ]](中・四国)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:しよしこうしきやきゆうにしにほんたいかい}}
[[Category:日本の女子野球大会]]
[[Category:2015年開始のスポーツイベント]]
[[Category:11月]] | 2023-10-21T09:53:17Z | 2023-11-14T14:52:13Z | false | false | false | [
"Template:スポーツリーグ",
"Template:Display none",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E7%A1%AC%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%90%83%E8%A5%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%BC%9A |
4,844,712 | 白山村 (大分県) | 白山村(はくさん / しろやま むら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。
奥嶽川支流・中津無礼川の上流域山間部に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "白山村(はくさん / しろやま むら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "奥嶽川支流・中津無礼川の上流域山間部に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 白山村は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年1月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = [[牧口村]]、[[合川村 (大分県)|合川村]]、'''白山村''' → [[清川村 (大分県)|清川村]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]
| よみがな = はくさん / しろやま むら
| 自治体名 = 白山村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 2724
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[長谷川村]]、合川村、[[三重町]]、[[南海部郡]][[因尾村]]・[[小野市村]]
| 所在地 = 大野郡白山村大字伏野
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''白山村'''(はくさん{{R|変遷}} / しろやま{{R|角川}} むら)は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
奥嶽川支流・中津無礼川の上流域山間部に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡伏野村、奥畑村、中津留村、大白谷村が合併して村制施行し、'''白山村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』620頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』65頁。</ref>。旧村名を継承した伏野、奥畑、中津留、大白谷の4大字を編成{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)1月1日、大野郡牧口村、合川村と合併し、'''[[清川村 (大分県)|清川村]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:はくさんむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T09:55:08Z | 2023-10-21T09:55:08Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C) |
4,844,714 | ラブリースマイリーベイビー | ラブリースマイリーベイビーは、アマチュアで活動する日本のお笑いコンビ。2023年結成。コンビ名の由来は女性アイドルグループ私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』から。
2021年8月1日、ほののが父親のにゃっちゃんとのコンビ「デザインぱ」を結成。同年8月23日に行われたM-1グランプリ2021の1回戦に参加しナイスアマチュア賞を受賞する。
2023年7月9日、ほののの同じダンススクールの友達であるあいりが「デザインぱ」のネタを見て興味を持ち、ほののに声をかける形でコンビ「ラブリースマイリーベイビー」を結成した。
8月12日、お笑いライブ「TEPPEN.324 テッペンハニー」で初舞台を踏む。
8月14日、M-1グランプリ2023の1回戦に出場し、ナイスアマチュア賞を受賞し2回戦へと進出。
8月16日、ナイスアマチュア賞を受賞したことより、M-1グランプリ公式YouTubeチャンネルに1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」が投稿された。動画が投稿されると、SNS上で話題となりラブリースマイリーベイビーのネタを真似る動画が多数出る反響であった。
10月21日、M-1グランプリ2023の2回戦に出場し、敗退した。
12月7日、ネタが印象に残った事が評価され、M-1グランプリ2023の1回戦に出場した小学生以下の組の中から印象に残った5組に与えられた「ナイスキッズ賞」を、さらにナイスキッズ賞の中から最優秀賞である「ベストキッズ賞」を受賞し、M-1グランプリ2023の準決勝会場で表彰された。
12月24日、M-1グランプリ2023敗者復活戦、決勝戦当日に8月16日に投稿された1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」が100万回再生を突破した。
テーマのみを決め話を展開するフリートークをつかみにし、ネタを披露する漫才。ネタ合わせはダンススクールのレッスン前に行っている。
ネタの台本はほののの父親であるにゃっちゃんが作っているが、ネタ(例:「もしも日本が銃社会だったらどうする?」)の前のつかみの雑談部分(例:「怒り飛び越してイカ、イカ星人」、「目を合わせながら一回転」)や舞台上での動き(例:「ラブリースマイリーベイビー」と言いながらハートをつくるポーズ)はラブリースマイリーベイビー自身が考えている。
ほのの曰く、つかみの雑談は出番前に何を喋るか決め打ちしてるのではなく、テーマだけ決めてそれを喋っているとのこと。
お笑いコンビスーパーマラドーナの武智はラブリースマイリーベイビーの漫才について、つかみの雑談のワードセンスが抜群であり、ネタについても「銃社会」、「コンプラ」など(2023年時点で)女子小学生コンビが言うことで面白いワードがふんだんに盛り込まれていて面白いと評価している。また爆笑問題の太田光、くりぃむしちゅーの上田晋也は『太田上田』で実際にラブリースマイリーベイビーの漫才を見て、ほののの父親(にゃっちゃん)が考えたネタも面白いが、コンビの2人自身が考えたつかみの雑談はネタより更に面白いと評価している。
ほののの父親(にゃっちゃん)、ほのの含めほのの一家の皆が女性アイドルグループ私立恵比寿中学のファン(エビ中ファミリー)である。ほののが会いたい芸能人も「エビ中(私立恵比寿中学)」と公言している。
コンビ名も私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』に由来しており、にゃっちゃん曰く「かわいらしくて、2人にうまくはまりそう」と迷いなく決めたという。
2023年8月16日にM-1グランプリ公式YouTubeチャンネルに投稿されたラブリースマイリーベイビーのネタ動画がバズってる事を受けて、8月23日には私立恵比寿中学のメンバーの桜木心菜と仲村悠菜がグループのTikTok上でネタを再現した。
2023年12月2日、ラブリースマイリーベイビーの2人が『ラブリースマイリーベイビー』を踊っている動画がTikTok上で公開された。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ラブリースマイリーベイビーは、アマチュアで活動する日本のお笑いコンビ。2023年結成。コンビ名の由来は女性アイドルグループ私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』から。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2021年8月1日、ほののが父親のにゃっちゃんとのコンビ「デザインぱ」を結成。同年8月23日に行われたM-1グランプリ2021の1回戦に参加しナイスアマチュア賞を受賞する。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2023年7月9日、ほののの同じダンススクールの友達であるあいりが「デザインぱ」のネタを見て興味を持ち、ほののに声をかける形でコンビ「ラブリースマイリーベイビー」を結成した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "8月12日、お笑いライブ「TEPPEN.324 テッペンハニー」で初舞台を踏む。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "8月14日、M-1グランプリ2023の1回戦に出場し、ナイスアマチュア賞を受賞し2回戦へと進出。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "8月16日、ナイスアマチュア賞を受賞したことより、M-1グランプリ公式YouTubeチャンネルに1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」が投稿された。動画が投稿されると、SNS上で話題となりラブリースマイリーベイビーのネタを真似る動画が多数出る反響であった。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "10月21日、M-1グランプリ2023の2回戦に出場し、敗退した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "12月7日、ネタが印象に残った事が評価され、M-1グランプリ2023の1回戦に出場した小学生以下の組の中から印象に残った5組に与えられた「ナイスキッズ賞」を、さらにナイスキッズ賞の中から最優秀賞である「ベストキッズ賞」を受賞し、M-1グランプリ2023の準決勝会場で表彰された。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "12月24日、M-1グランプリ2023敗者復活戦、決勝戦当日に8月16日に投稿された1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」が100万回再生を突破した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "テーマのみを決め話を展開するフリートークをつかみにし、ネタを披露する漫才。ネタ合わせはダンススクールのレッスン前に行っている。",
"title": "芸風"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "ネタの台本はほののの父親であるにゃっちゃんが作っているが、ネタ(例:「もしも日本が銃社会だったらどうする?」)の前のつかみの雑談部分(例:「怒り飛び越してイカ、イカ星人」、「目を合わせながら一回転」)や舞台上での動き(例:「ラブリースマイリーベイビー」と言いながらハートをつくるポーズ)はラブリースマイリーベイビー自身が考えている。",
"title": "芸風"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "ほのの曰く、つかみの雑談は出番前に何を喋るか決め打ちしてるのではなく、テーマだけ決めてそれを喋っているとのこと。",
"title": "芸風"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "お笑いコンビスーパーマラドーナの武智はラブリースマイリーベイビーの漫才について、つかみの雑談のワードセンスが抜群であり、ネタについても「銃社会」、「コンプラ」など(2023年時点で)女子小学生コンビが言うことで面白いワードがふんだんに盛り込まれていて面白いと評価している。また爆笑問題の太田光、くりぃむしちゅーの上田晋也は『太田上田』で実際にラブリースマイリーベイビーの漫才を見て、ほののの父親(にゃっちゃん)が考えたネタも面白いが、コンビの2人自身が考えたつかみの雑談はネタより更に面白いと評価している。",
"title": "芸風"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "ほののの父親(にゃっちゃん)、ほのの含めほのの一家の皆が女性アイドルグループ私立恵比寿中学のファン(エビ中ファミリー)である。ほののが会いたい芸能人も「エビ中(私立恵比寿中学)」と公言している。",
"title": "アイドルグループ私立恵比寿中学との関係"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "コンビ名も私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』に由来しており、にゃっちゃん曰く「かわいらしくて、2人にうまくはまりそう」と迷いなく決めたという。",
"title": "アイドルグループ私立恵比寿中学との関係"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "2023年8月16日にM-1グランプリ公式YouTubeチャンネルに投稿されたラブリースマイリーベイビーのネタ動画がバズってる事を受けて、8月23日には私立恵比寿中学のメンバーの桜木心菜と仲村悠菜がグループのTikTok上でネタを再現した。",
"title": "アイドルグループ私立恵比寿中学との関係"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "2023年12月2日、ラブリースマイリーベイビーの2人が『ラブリースマイリーベイビー』を踊っている動画がTikTok上で公開された。",
"title": "アイドルグループ私立恵比寿中学との関係"
}
] | ラブリースマイリーベイビーは、アマチュアで活動する日本のお笑いコンビ。2023年結成。コンビ名の由来は女性アイドルグループ私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』から。 | {{Otheruses|お笑いコンビ|[[私立恵比寿中学]]の楽曲|バタフライエフェクト (私立恵比寿中学の曲)}}
{{Infobox お笑いコンビ
| コンビ名 = ラブリースマイリーベイビー
| 画像 =
| キャプション =
| メンバー = ほのの<br />あいり
| 別名 =
| 結成年 = [[2023年]]
| 解散年 =
| 事務所 = [[アマチュア]]
| 活動時期 = 2023年 - <!-- 解散した年を記入。「現在」「活動中」などは不要 -->
| 出身 =
| 出会い = ダンススクール
| 旧コンビ名 =
| 現在の活動状況 = ライブなど
| 芸種 = [[漫才]]
| ネタ作成者 = にゃっちゃん(ほののの父親)、両者
| 現在の代表番組 =
| 過去の代表番組 =
| 同期 =
| 受賞歴 = 2023年 [[M-1グランプリ2023]] ナイスアマチュア賞、ナイスキッズ賞、ベストキッズ賞
| 公式サイト =https://twitter.com/palariraparari<br>https://www.tiktok.com/@honpippi_tot
}}
'''ラブリースマイリーベイビー'''は、[[アマチュア]]<ref name=":0">{{Cite web |title=ラブリースマイリーベイビー {{!}} コンビ情報 |url=https://www.m-1gp.com/combi/23092.html |website=M-1グランプリ 公式サイト |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>で活動する日本の[[お笑いタレント|お笑いコンビ]]。2023年結成。コンビ名の由来は女性アイドルグループ[[私立恵比寿中学]]の楽曲『[[バタフライエフェクト (私立恵比寿中学の曲)|ラブリースマイリーベイビー]]』から<ref name=":5" />。
== メンバー ==
; ほのの([[2012年]][[12月7日]]<ref name=":0" /> - )({{年数|2012|12|07}}歳)
: [[東京都]]出身<ref name=":0" />。立ち位置は向かって左。ツッコミ担当。衣装はピンク。
: 好きな芸人は[[バンビーノ (お笑いコンビ)|バンビーノ]]<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912">{{Cite AV media|df=ja|title=【M-1】1回戦で話題のコンビに聞ける事聞きまくりました!(ラブリースマイリーベイビー)|url=https://www.youtube.com/watch?v=qmOrkC_dbdg|date=2023-09-12|medium=YouTube|access-date=2023-10-21}}</ref><ref name="youtube_newyork_20231002">{{Cite AV media|df=ja|title=M1で話題のラブリースマイリーベイビーの父親がニューヨークch関係者だったので話を聞きました|url=https://www.youtube.com/watch?v=1mKWhih993I|date=2023-10-02|medium=YouTube|access-date=2023-10-21}}</ref>、[[ロングコートダディ]]<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912" /><ref name="youtube_newyork_20231002" /><ref name=":6">{{Cite web |title=ダブルヒガシ「とりあえずみんなありがとう」感謝でスタート、M-1準決勝で31組が激突(写真いっぱい) |url=https://natalie.mu/owarai/news/552241 |website=お笑いナタリー |access-date=2023-12-09 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>、[[ニッポンの社長]]<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912" /><ref name="youtube_newyork_20231002" /><ref name=":6" />、[[スーパーマラドーナ]]<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912" />、[[令和ロマン]]<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912" /><ref name="youtube_newyork_20231002" /><ref name=":6" />、[[シノブ (お笑いコンビ)|シノブ]]<ref name=":6" />、戦慄のピーカブー<ref name=":6" />など。
: 会ってみたい芸能人は[[私立恵比寿中学]]<ref name="youtube_newyork_20231002" />、[[黒柳徹子]]<ref name=":8">{{Cite web |title=M-1グランプリ2023で「ベストキッズ賞」受賞 女子小学生お笑いコンビ「ラブリースマイリーベイビー」に聞く20の質問 |url=https://www.fashionsnap.com/article/lovesma-interview/ |website=FASHIONSNAP [ファッションスナップ] |date=2023-12-23 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=FASHIONSNAP}}</ref>。
: 趣味はお絵かき<ref name=":8" />。
: 2023年12月7日時点での将来の夢は「女優か、スパイか、パン屋さんか、居酒屋かスタバでバイトしたい<ref name=":1">{{Cite web |title=女子小学生コンビ「ラブリースマイリーベイビー」がM-1ベストキッズ賞 将来は「スタバでバイトしたい」 |url=https://www.sanspo.com/article/20231207-FOLGCLSWPREWXHABAXFE5FNA5Y/ |website=サンスポ |date=2023-12-07 |access-date=2023-12-09 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。」(幼稚園時代の将来の夢はお笑い芸人<ref name="encount_20231004">{{Cite web2|df=ja|url=https://encount.press/archives/522675/|title=『M-1』に現れた女子小学生コンビが「華がある」と話題に ファンはTV出演期待「可愛すぎんか」|date=2023-10-04|website=ENCOUNT|access-date=2023-10-21}}</ref>。)
: 父親の「にゃっちゃん」とのコンビ「'''デザインぱ'''」としても活動している<ref name="buzzfeed_20230825">{{Cite web2|df=ja|url=https://nordot.app/1067658503533380308|title=小学生コンビ「ラブリースマイリーベイビー」の元ネタ? アイドルグループが漫才を完コピして話題に→「まさかの本家逆輸入最高です」|date=2023-08-25|website=Buzzfeed Japan|access-date=2023-10-21}}</ref><ref name="tokyo_sports_20230907">{{Cite web2|df=ja|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/275449|title=今年のM―1〝最大の注目株〟まだ小学生の女性コンビ・ラブリースマイリーベイビー|date=2023-09-07|website=東スポWEB|access-date=2023-10-21}}</ref>。
:
; あいり([[2011年]][[9月11日]]<ref name=":0" /> - )({{年数|2011|09|11}}歳)
: 東京都出身<ref name=":0" />。立ち位置は向かって右。ボケ担当。衣装はブルー。
: 好きな芸人は[[チョコレートプラネット]]<ref name="youtube_newyork_20231002" /><ref name=":8" />。
: 会ってみたい芸能人は[[本田仁美]]<ref name="youtube_newyork_20231002" />、[[NiziU]]や[[TWICE (韓国の音楽グループ)|TWICE]]、[[LE SSERAFIM]]、[[IVE (音楽グループ)|IVE]]、[[aespa]]、[[NewJeans]]、[[ミンニ]]([[(G)I-DLE]])、[[ITZY]]、[[Stray Kids]]などの[[K-POP]]アイドル<ref name=":8" />。
: 趣味はお菓子作り、アプリを用いた作曲<ref name=":8" />。
: 2023年12月7日時点での将来の夢は「ダンサーさん。あと振付師とパティシエ<ref name=":1" />。」
== 来歴 ==
[[2021年]][[8月1日]]<ref>{{Cite web |title=デザインぱ {{!}} コンビ情報 |url=https://www.m-1gp.com/combi/15926.html |website=M-1グランプリ 公式サイト |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、ほののが父親のにゃっちゃんとのコンビ「デザインぱ」を結成。同年8月23日に行われた[[M-1グランプリ2021]]の1回戦に参加しナイスアマチュア賞を受賞する<ref>{{Cite web2|df=ja|url=https://www.m-1gp.com/archive/2021/schedule/detail.html?id=400|title=1回戦 8/23(月) [東京] シダックスカルチャーホール|website=M-1グランプリ公式サイト|access-date=2023-10-21}}</ref>。
[[2023年]][[7月9日]]<ref name=":0" />、ほののの同じダンススクールの友達であるあいりが「デザインぱ」のネタを見て興味を持ち、ほののに声をかける形でコンビ「ラブリースマイリーベイビー」を結成した<ref name="youtube_cherrydaisakusen_20230912" />。
8月12日、お笑いライブ「TEPPEN.324 テッペンハニー」で初舞台を踏む<ref>{{Citation|title=TEPPEN.324 ラブリースマイリーベイビー/漫才「もしも」2分バージョン|url=https://www.youtube.com/watch?v=o-GOdRyxB64|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>。
8月14日、[[M-1グランプリ2023]]の1回戦に出場し、ナイスアマチュア賞を受賞し2回戦へと進出<ref name=":2">{{Cite web |title=日程・結果 |url=https://www.m-1gp.com/schedule/detail.html?id=544 |website=M-1グランプリ 公式サイト |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。
8月16日、ナイスアマチュア賞を受賞したことより、M-1グランプリ公式[[YouTube]]チャンネルに1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」<ref>{{Citation|title=8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】|url=https://www.youtube.com/watch?v=hu-LlfxAbfc|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>が投稿された。動画が投稿されると、SNS上で話題となりラブリースマイリーベイビーのネタを真似る動画が多数出る反響であった。
10月21日、[[M-1グランプリ2023]]の2回戦に出場し、敗退した<ref>{{Cite web |title=日程・結果 |url=https://www.m-1gp.com/schedule/detail.html?id=597 |website=M-1グランプリ 公式サイト |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。
12月7日、ネタが印象に残った事が評価され、[[M-1グランプリ2023]]の1回戦に出場した小学生以下の組の中から印象に残った5組に与えられた「ナイスキッズ賞」<ref name=":3">{{Cite web |title=https://twitter.com/M1GRANDPRIX/status/1732672267103162812 |url=https://twitter.com/M1GRANDPRIX/status/1732672267103162812 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>を、さらにナイスキッズ賞の中から最優秀賞である「ベストキッズ賞」を受賞し<ref name=":4">{{Cite web |title=https://twitter.com/M1GRANDPRIX/status/1732764807835603175 |url=https://twitter.com/M1GRANDPRIX/status/1732764807835603175 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、[[M-1グランプリ2023]]の準決勝会場で表彰された<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/palariraparari/status/1732733682329497707 |url=https://twitter.com/palariraparari/status/1732733682329497707 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。
12月24日、[[M-1グランプリ2023]]敗者復活戦、決勝戦当日に8月16日に投稿された1回戦のネタ動画「8/14 [東京] ラブリースマイリーベイビー 《今どきの女子小学生漫才!》 【ナイスアマチュア賞】」が100万回再生を突破した<ref>{{Cite web |title=【M-1】ベストキッズ賞のラブリースマイリーベイビーが「かわいい」と話題 ネタ映像が100万回再生突破 |url=https://encount.press/archives/560407/ |website=ENCOUNT |access-date=2023-12-24 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/palariraparari/status/1738854886169874750 |title=https://twitter.com/palariraparari/status/1738854886169874750 |access-date=2023-12-24 |publisher=X (formerly Twitter) |language=ja}}</ref>。
== 芸風 ==
テーマのみを決め話を展開するフリートークをつかみにし、ネタを披露する[[漫才]]。ネタ合わせはダンススクールのレッスン前に行っている<ref name="youtube_newyork_20231002" />。
ネタの台本はほののの父親であるにゃっちゃんが作っているが、ネタ(例:「もしも日本が銃社会だったらどうする?」)の前のつかみの雑談部分(例:「怒り飛び越してイカ、イカ星人」、「目を合わせながら一回転」)や舞台上での動き(例:「ラブリースマイリーベイビー」と言いながらハートをつくるポーズ)はラブリースマイリーベイビー自身が考えている<ref name="youtube_newyork_20231002" />。
ほのの曰く、つかみの雑談は出番前に何を喋るか決め打ちしてるのではなく、テーマだけ決めてそれを喋っているとのこと<ref name="youtube_newyork_20231002" />。
お笑いコンビ[[スーパーマラドーナ]]の武智はラブリースマイリーベイビーの漫才について、つかみの雑談のワードセンスが抜群であり、ネタについても「銃社会」、「コンプラ」など(2023年時点で)女子小学生コンビが言うことで面白いワードがふんだんに盛り込まれていて面白いと評価している<ref>{{Citation|title=【M-1】馬鹿よ貴方は登場!注目のアマチュア「ラブリースマイリーベイビー」も!|url=https://www.youtube.com/watch?v=B232rARVe_E|language=ja-JP|access-date=2023-12-13}}</ref>。また[[爆笑問題]]の[[太田光]]、[[くりぃむしちゅー]]の[[上田晋也]]は『[[太田上田]]』で実際にラブリースマイリーベイビーの漫才を見て、ほののの父親(にゃっちゃん)が考えたネタも面白いが、コンビの2人自身が考えたつかみの雑談はネタより更に面白いと評価している<ref name=":7">{{Citation|title=【太田上田#421①】話題の”小学生漫才師”がやってきました!!|url=https://www.youtube.com/watch?v=JNVkMARODqs|language=ja-JP|access-date=2023-12-13}}</ref>。
== アイドルグループ私立恵比寿中学との関係 ==
ほののの父親(にゃっちゃん)、ほのの含めほのの一家の皆が女性アイドルグループ[[私立恵比寿中学]]のファン(エビ中ファミリー)である<ref name=":8" />。ほののが会いたい芸能人も「エビ中(私立恵比寿中学)」と公言している<ref name="youtube_newyork_20231002" />。
コンビ名も私立恵比寿中学の楽曲『ラブリースマイリーベイビー』{{Efn2|シングル『[[バタフライエフェクト (私立恵比寿中学の曲)|バタフライエフェクト]]』に収録。}}に由来しており<ref>{{Citation|title=【ライブ】ラブリースマイリーベイビー at エビ中 夏のファミリー遠足 略してファミえん in 山中湖 2023 DAY1|url=https://www.youtube.com/watch?v=-m60YNt64dE|language=ja-JP|access-date=2023-11-29}}</ref><ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/palariraparari/status/1730090257402778022 |url=https://twitter.com/palariraparari/status/1730090257402778022 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-30 |language=ja}}</ref>、にゃっちゃん曰く「かわいらしくて、2人にうまくはまりそう」と迷いなく決めたという<ref name=":5">{{Cite web |title=振り付け話題、女子小学生コンビ「ラブリースマイリーベイビー」M1奮闘中 2回戦へ意気込み - お笑い : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310190001058.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-12-09 |language=ja |last=松尾幸之介}}</ref>。
2023年8月16日にM-1グランプリ公式[[YouTube]]チャンネルに投稿されたラブリースマイリーベイビーのネタ動画がバズってる事を受けて、8月23日には私立恵比寿中学のメンバーの[[桜木心菜]]と[[仲村悠菜]]がグループの[[TikTok]]上でネタを再現した<ref>{{Cite web |title=TikTok - Make Your Day |url=https://www.tiktok.com/@ebichu_official/video/7270478925434834178 |website=www.tiktok.com |access-date=2023-12-09}}</ref>。
2023年12月2日、ラブリースマイリーベイビーの2人が『ラブリースマイリーベイビー』を踊っている動画がTikTok上で公開された<ref>{{Cite web |title=TikTok - Make Your Day |url=https://www.tiktok.com/@honpippi_tot/video/7307883080776305938 |website=www.tiktok.com |access-date=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/palariraparari/status/1730938858005819480 |url=https://twitter.com/palariraparari/status/1730938858005819480 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。
== 賞レース等での成績 ==
=== ラブリースマイリーベイビー ===
* 2023年 - [[M-1グランプリ2023]] - 2回戦進出(ナイスアマチュア賞、ナイスキッズ賞、ベストキッズ賞受賞)<ref name=":2" /><ref name=":3" /><ref name=":4" />
* 2023年 - [[女芸人No.1決定戦 THE W]] - 2回戦進出<ref>{{Cite web2|df=ja|url=https://natalie.mu/owarai/news/539380|title=馬場園梓、やす子、ゆりやん、ラブリースマイリーベイビーら「THE W」2回戦に進出|date=2023-09-02|website=お笑いナタリー|access-date=2023-10-21}}</ref>
=== デザインぱ(ほのの) ===
* 2021年 - [[M-1グランプリ2021]] - 1回戦敗退(ナイスアマチュア賞受賞)<ref name="M-1_designpa"> {{Cite web2|df=ja|url=https://www.m-1gp.com/combi/15926.html|title=デザインぱ|コンビ情報|website=M-1グランプリ公式サイト|access-date=2023-10-21}}</ref>
* 2022年 - [[M-1グランプリ2022]] - 2回戦進出<ref name="M-1_designpa" />
* 2023年 - [[M-1グランプリ2023]] - 1回戦敗退<ref name="M-1_designpa" />
== 出演 ==
=== テレビ ===
* [[あらびき団]]2023夏 第2夜([[TBSテレビ]]、2023年7月28日〈27日深夜〉) - ほのののみ、「デザインぱ」として<ref>{{Cite web2|df=ja|url=https://natalie.mu/owarai/news/534496|title=「あらびき団」第2夜にハイツ友の会、ダブルアート、お抹茶ら出演、コクがすごい|date=2023-07-27|website=お笑いナタリー|access-date=2023-10-21}}</ref>
* [[あさパラS]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、2023年9月9日)<ref>{{Cite tweet|user=asaparaS_ytv|author=あさパラS【公式】土曜あさ9時25分~ytv10ch|number=1700138164982350169|title=超新星🌟女子小学生コンビの #ラブリースマイリーベイビー が登場❕|date=2023-09-08|accessdate=2023-10-21}}</ref>
* [[金のツカミ]]([[日本テレビ]]、2023年10月8日)<ref>{{Cite web2|df=ja|url=https://natalie.mu/owarai/news/544218|title=一瞬で心を掴むネタ番組に友田オレ、ななまがり、よぴぴ、ラブリースマイリーベイビーら|date=2023-10-08|website=お笑いナタリー|access-date=2023-10-21}}</ref>
* さしフワご相談ナイト(フジテレビ、2023年11月19日)<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/sashifuwa/status/1726275389645893669 |url=https://twitter.com/sashifuwa/status/1726275389645893669 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>
* [[太田上田]]([[中京テレビ]]、2023年12月5日)<ref name=":7" /><ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/otaueda/status/1731850754548236334 |url=https://twitter.com/otaueda/status/1731850754548236334 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>
=== 本・雑誌 ===
* M-1グランプリ2023 完全ガイドブック(ABCアーク、2023年12月13日)<ref>{{Cite web |title=M-1にすべてを捧げた芸人たちの思いが凝縮された1冊!『M-1グランプリ2023 完全ガイドブック』発売中! {{!}} FANY Magazine |url=https://magazine.fany.lol/142908/ |website=magazine.fany.lol |date=2023-12-14 |access-date=2023-12-14 |language=ja |last=FANY Magazine}}</ref><ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/palariraparari/status/1734930244212244892 |url=https://twitter.com/palariraparari/status/1734930244212244892 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-14 |language=ja}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
{{DEFAULTSORT:らふりいすまいりいへいひい}}
[[Category:日本の女流お笑いコンビ]] | 2023-10-21T09:57:48Z | 2023-12-26T17:29:01Z | false | false | false | [
"Template:Otheruses",
"Template:Infobox お笑いコンビ",
"Template:年数",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite AV media",
"Template:Citation",
"Template:Efn2",
"Template:Notelist2",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite web2",
"Template:Cite tweet"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%BC |
4,844,720 | 愛媛県道179号湯山北条線 | 愛媛県道179号湯山北条線(えひめけんどう179ごうゆやまほうじょうせん)は、愛媛県松山市を通る県道である。元々、国道196号の一部区間であった。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "愛媛県道179号湯山北条線(えひめけんどう179ごうゆやまほうじょうせん)は、愛媛県松山市を通る県道である。元々、国道196号の一部区間であった。",
"title": null
}
] | 愛媛県道179号湯山北条線(えひめけんどう179ごうゆやまほうじょうせん)は、愛媛県松山市を通る県道である。元々、国道196号の一部区間であった。 | {{出典の明記|date=2023年10月21日 (土) 13:04 (UTC)}}
'''愛媛県道179号湯山北条線'''(えひめけんどう179ごうゆやまほうじょうせん)は、[[愛媛県]][[松山市]]を通る[[県道]]である。元々、[[国道196号]]の一部区間であった。
== 概要 ==
=== 路線データ ===
* 陸上距離:約5.2km
* 起点:松山市(粟井川橋交差点)
* 終点:松山市(下灘波交差点)
== 地理 ==
=== 通過する自治体 ===
* 松山市
=== 交差する道路 ===
* [[国道196号]][[松山北条バイパス]](終点)
* [[愛媛県道199号北条港線]]
* [[愛媛県道200号鹿島公園線]]
* [[愛媛県道201号伊予北条停車場線]]
* [[愛媛県道203号粟井停車場線]]
* [[愛媛県道347号平田北条線]]
=== 沿線にある施設など ===
* 北条病院
* [[マルナカ (チェーンストア)|マルナカ]] 北条店
* [[コーナン]] 北条店
* くすりのレディ 北条店
* [[コスモス薬品|コスモス]] 北条店
== 関連項目 ==
* [[愛媛県の県道一覧]]
{{DEFAULTSORT:えひめけんとう179}}
[[Category:愛媛県道]]
[[Category:松山市の交通]] | 2023-10-21T10:23:30Z | 2023-11-28T03:32:54Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E9%81%93179%E5%8F%B7%E6%B9%AF%E5%B1%B1%E5%8C%97%E6%9D%A1%E7%B7%9A |
4,844,722 | スルメロック | スルメロック(3月20日 - )は、日本の漫画家。スルメ・デ・ラ・ロチャとしても知られており、pixivやTwitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス上で活動している。
pixivで活動しており、Twitterでは4コマ漫画を投稿している。2017年には『いじめられる側の原因』という漫画を投稿し、いじめに関する議論を喚起した。2019年に投稿された『「不快な情報」との付き合いかた』も反響を呼んだ。
ネット上の誹謗中傷に関するテーマで制作することが多く、作品は過激になりすぎることもあり、私刑に対する警鐘を鳴らす意図で投稿された漫画は物議を醸した。
作品は「分かりやすい」「長年言いたかったことが表現されている」と評価されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "スルメロック(3月20日 - )は、日本の漫画家。スルメ・デ・ラ・ロチャとしても知られており、pixivやTwitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス上で活動している。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "pixivで活動しており、Twitterでは4コマ漫画を投稿している。2017年には『いじめられる側の原因』という漫画を投稿し、いじめに関する議論を喚起した。2019年に投稿された『「不快な情報」との付き合いかた』も反響を呼んだ。",
"title": "活動"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "ネット上の誹謗中傷に関するテーマで制作することが多く、作品は過激になりすぎることもあり、私刑に対する警鐘を鳴らす意図で投稿された漫画は物議を醸した。",
"title": "活動"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "作品は「分かりやすい」「長年言いたかったことが表現されている」と評価されている。",
"title": "評価"
}
] | スルメロックは、日本の漫画家。スルメ・デ・ラ・ロチャとしても知られており、pixivやTwitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス上で活動している。 | {{特筆性|date=2023年10月}}
'''スルメロック'''([[3月20日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。'''スルメ・デ・ラ・ロチャ'''としても知られており、[[pixiv]]や[[Twitter]]などの[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]上で活動している<ref>{{Cite web |url=https://yorozoonews.jp/article/14992301 |title=こう言えばバッチリ? 中国からの迷惑電話を撃退する方法を描いた漫画が話題「くだらないことをするなぁと」 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=2023-09-01 |accessdate=2023-10-19}}</ref>。
== 活動 ==
[[pixiv]]で活動しており、[[Twitter]]では[[4コマ漫画]]を投稿している。2017年には『いじめられる側の原因』という漫画を投稿し、[[いじめ]]に関する議論を喚起した<ref name="getnews">{{Cite web |author=ふじいりょう|url=https://getnews.jp/archives/1933716|title=「いじめの原因はいじめられる側にある」という理由は? いじめの“原因”と“責任”を分けて考える4コママンガが考えさせられる|publisher=[[ガジェット通信]] |date=2017-10-15 |accessdate=2023-10-19}}</ref>。2019年に投稿された『「不快な情報」との付き合いかた』も反響を呼んだ<ref>{{Cite web |url=https://grapee.jp/690545|title=『不快な情報』との付き合い方に「SNSによくいる」「その通り」の声|publisher=[[ニッポン放送]] |date=2019-06-14 |accessdate=2023-10-19}}</ref>。2019年2月23日に[[サタデープログラム]]で講演を行った<ref>{{Cite web |url=https://www.satprogram.net/pdf/38.pdf |title=34th サタデープログラムニュース |format=PDF |publisher=[[サタデープログラム]] |accessdate=2023-10-28}}</ref>。
ネット上の[[誹謗中傷]]に関するテーマで制作することが多く<ref>{{Cite web |url=https://www.buzzfeed.com/jp/reonahisamatsu/net-genjitsu|title=全ネット民に告ぐ。インターネットの発言が現実と繋がっていると伝える漫画を見て!|publisher=[[BuzzFeed Japan]] |date=2019-08-21|accessdate=2023-10-19}}</ref>、作品は過激になりすぎることもあり、[[私刑]]に対する警鐘を鳴らす意図で投稿された漫画は物議を醸した<ref>{{Cite web |url=https://tablo.jp/archives/12212|title=漫画『悪い女はレイプしよう』論争 痴漢に安全ピンがOKなら悪い女には男が暴力で攻撃しても良いのか?|publisher=[[TABLO]] |date=2019-05-28|accessdate=2023-10-19}}</ref>。
== 評価 ==
作品は「分かりやすい」「長年言いたかったことが表現されている」と評価されている<ref name="getnews"/>。
== 出演 ==
* [[サンデージャポン]](2023年4月23日)
== 参考文献 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|surumelock|スルメ・デ・ラ・ロチャ}}
{{DEFAULTSORT:するめろつく}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:生年非公表]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T10:26:21Z | 2023-10-28T23:09:54Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Twitter",
"Template:特筆性"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF |
4,844,727 | 大手田酉町 | 大手田酉町(おおでたとりちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西部に位置する。西は高山町、北は大手町・岩野町、南東は西八田町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "大手田酉町(おおでたとりちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西部に位置する。西は高山町、北は大手町・岩野町、南東は西八田町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 大手田酉町(おおでたとりちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''大手田酉町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 大手田酉町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 大手田酉町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 40.17 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 57 | longs = 38.44 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_total_km2 = 0.385401652
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 2647
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0806<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''大手田酉町'''(おおでたとりちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。西は[[高山町 (春日井市)|高山町]]、北は[[大手町 (春日井市)|大手町]]・[[岩野町]]、南東は[[西八田町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* [[新木津用水]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|541世帯<br>1611人||<div style="width:54.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:161.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|844世帯<br>2420人||<div style="width:84.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:242px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|850世帯<br>2406人||<div style="width:85px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:240.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|931世帯<br>2474人||<div style="width:93.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:247.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|986世帯<br>2624人||<div style="width:98.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:262.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1062世帯<br>2647人||<div style="width:106.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:264.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道25号]]
== 施設 ==
* 久手公園
* [[尾張広域緑道]]
* 田酉公園
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[大手町 (春日井市)|大手町]]・[[岩野町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[高山町 (春日井市)|高山町]]
| Centre<!--中央--> = 大手田酉町
| East<!--東--> =
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> =
| Southeast<!--南東--> = [[西八田町]]
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:おおてたとりちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T10:40:43Z | 2023-10-21T10:40:43Z | false | false | false | [
"Template:節スタブ",
"Template:Cite book",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pref-stub",
"Template:Pathnav",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Geographic Location",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:脚注ヘルプ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B%E7%94%B0%E9%85%89%E7%94%BA |
4,844,733 | 張燮林 | 張 燮林(ちょう しょうりん、簡体字:张燮林、拼音: Zhāng Xièlín チャン・シエリン、1940年6月25日 - )は中国の卓球選手。1960年代から1970年代にかけて活躍した右利きペンホルダーのカット主戦型で、世界で初めて粒高ラバーを使用した選手として知られる。
1940年、上海に生まれる。生家は江蘇省鎮江市に起源を持つ。少年時代にペンホルダー表ソフトの速攻型として卓球を始めるが、あるとき卓球場で目にしたカットマンのフォームの美しさに心を打たれ、ペンホルダーのままカット主戦型に転向する。1958年、上海汽輪機廠(発電所設備を製造する大企業)の技術学校に入学。同年には上海代表アマチュアチームの一員として全中国卓球選手権大会に出場した。
この頃、選手として頭角を現していた張ではあるが、家族からは卓球に打ち込むことに反対されていた。連日試合のために技術学校から長距離移動を強いられ、交通費が嵩んでいたこと、また、卓球選手にはならずに、このまま上海汽輪機廠でキャリアを積めば安定した生活が保証されていたことなどがその理由である。しかし1959年に開催された第1回全中国運動会への出場が決まり、その後正式に上海チーム入りを打診されたのをきっかけに、上海汽輪機廠を去ることを決意する。これ以後、張は卓球選手の道を歩むことになる。
本人の回想によれば1959年か1960年頃、粒高ラバーを使用するようになる。これは紅双喜の工場から貰い受けてきた廃棄予定の不良品ラバーで、もともとは裏ソフトラバーのトップシートとして作られたものだった。これを裏返してラケットに貼ってみたところたまたま使いやすいものがあったため、そのまま使い続けることになったという。ただし、張が使用していたものは現在の粒高ラバーよりは粒が低く、表ラバーより少し粒が高い程度のものだった。
1960年頃には上海チームのエースとなっていた張は、1961年の世界卓球選手権北京大会では中国代表に選ばれ、男子シングルスで日本の星野展弥、三木圭一らを破り3位に入賞。1963年世界卓球選手権プラハ大会では男子シングルスで3位、王志良(中国語版)と組んだ男子ダブルスでは優勝を果たした。また、この年から男子団体のメンバーに選ばれた張は、裏ソフトラバーによるドライブ主体の日本選手に対し、粒高ラバーの特性を活かして無類の強さを発揮し、中国の男子団体優勝に大きく貢献した。当時まだ粒高ラバーの存在は中国以外では知られておらず、日本選手は粒高特有の変化に対応できずに敗れていった。
1965年世界卓球選手権リュブリャナ大会では王志良と組んだ男子ダブルスで2位、林慧卿(中国語版)と組んだ混合ダブルスでも2位に輝く。男子シングルスでは準々決勝で西ドイツのシェーラーと対戦し、第1ゲームから促進ルールにもつれ込む大激闘のすえ敗れたが、この試合は荻村伊智朗に「近来まれな大勝負」と評された。男子団体では前回に続いて決勝で日本を破り優勝するが、この決勝戦では徹底した張対策を練って試合に臨んだ高橋浩に敗れている。高橋浩は日本人選手で張に勝利した唯一の選手となった。
この後、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れ、中国代表チームは1967年と1969年の世界卓球選手権に欠場する。ようやく国際大会に復帰した1971年世界卓球選手権名古屋大会には林慧卿と組んだ混合ダブルスでのみ出場し、優勝を果たした。1973年の世界卓球選手権サラエヴォ大会では無冠に終わり、この年をもって現役を引退した。
1972年以降は中国代表女子チームのコーチとなり、ついで監督に就任した。1975年から1991年にかけて世界選手権女子団体8連覇を達成。1995年の天津大会を最後に監督を退くまでの間に、中国女子チームを世界選手権で10度の団体優勝に導いた。
この他に中国卓球協会副会長、国家体育総局卓球・バドミントン管理センター副主任等を歴任。2001年、世界卓球殿堂 (ITTF Hall of Fame) 入りし、2008年には国際卓球連盟功労賞 (ITTF Merit Award) を受賞している。
チームメイトの王志良がヨーロッパスタイルのシェークハンドのカットマンだったのに対して、張は姜永寧(中国語版)らの流れをくむペンホルダーのカットマンだった。張が卓球を始めた当時、上海にはまだシェークハンドのカットマンはいなかったという。
荻村伊智朗は張のプレースタイルを次のように評している。
荻村がこのように記した1967年当時、日本では張が粒高ラバーを使用していることは知られておらず、また、粒高ラバーの特性も知られていなかった。この当時、ヨーロッパのカットマンは一枚ラバーを使用することが多く、日本選手はこれに対して裏ソフトラバーによる強烈なループドライブでカットを浮かせてから強打を叩き込む戦術を確立していた。一方、粒高ラバーを使用する張はこのループドライブに対して非常に切れたカットで低く返球することができ、また、相手から打球点が見えない床上すれすれでカットするなどの攪乱戦術も相まって、張のカットは日本選手から「魔球」と怖れられた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "張 燮林(ちょう しょうりん、簡体字:张燮林、拼音: Zhāng Xièlín チャン・シエリン、1940年6月25日 - )は中国の卓球選手。1960年代から1970年代にかけて活躍した右利きペンホルダーのカット主戦型で、世界で初めて粒高ラバーを使用した選手として知られる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "1940年、上海に生まれる。生家は江蘇省鎮江市に起源を持つ。少年時代にペンホルダー表ソフトの速攻型として卓球を始めるが、あるとき卓球場で目にしたカットマンのフォームの美しさに心を打たれ、ペンホルダーのままカット主戦型に転向する。1958年、上海汽輪機廠(発電所設備を製造する大企業)の技術学校に入学。同年には上海代表アマチュアチームの一員として全中国卓球選手権大会に出場した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "この頃、選手として頭角を現していた張ではあるが、家族からは卓球に打ち込むことに反対されていた。連日試合のために技術学校から長距離移動を強いられ、交通費が嵩んでいたこと、また、卓球選手にはならずに、このまま上海汽輪機廠でキャリアを積めば安定した生活が保証されていたことなどがその理由である。しかし1959年に開催された第1回全中国運動会への出場が決まり、その後正式に上海チーム入りを打診されたのをきっかけに、上海汽輪機廠を去ることを決意する。これ以後、張は卓球選手の道を歩むことになる。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "本人の回想によれば1959年か1960年頃、粒高ラバーを使用するようになる。これは紅双喜の工場から貰い受けてきた廃棄予定の不良品ラバーで、もともとは裏ソフトラバーのトップシートとして作られたものだった。これを裏返してラケットに貼ってみたところたまたま使いやすいものがあったため、そのまま使い続けることになったという。ただし、張が使用していたものは現在の粒高ラバーよりは粒が低く、表ラバーより少し粒が高い程度のものだった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "1960年頃には上海チームのエースとなっていた張は、1961年の世界卓球選手権北京大会では中国代表に選ばれ、男子シングルスで日本の星野展弥、三木圭一らを破り3位に入賞。1963年世界卓球選手権プラハ大会では男子シングルスで3位、王志良(中国語版)と組んだ男子ダブルスでは優勝を果たした。また、この年から男子団体のメンバーに選ばれた張は、裏ソフトラバーによるドライブ主体の日本選手に対し、粒高ラバーの特性を活かして無類の強さを発揮し、中国の男子団体優勝に大きく貢献した。当時まだ粒高ラバーの存在は中国以外では知られておらず、日本選手は粒高特有の変化に対応できずに敗れていった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "1965年世界卓球選手権リュブリャナ大会では王志良と組んだ男子ダブルスで2位、林慧卿(中国語版)と組んだ混合ダブルスでも2位に輝く。男子シングルスでは準々決勝で西ドイツのシェーラーと対戦し、第1ゲームから促進ルールにもつれ込む大激闘のすえ敗れたが、この試合は荻村伊智朗に「近来まれな大勝負」と評された。男子団体では前回に続いて決勝で日本を破り優勝するが、この決勝戦では徹底した張対策を練って試合に臨んだ高橋浩に敗れている。高橋浩は日本人選手で張に勝利した唯一の選手となった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "この後、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れ、中国代表チームは1967年と1969年の世界卓球選手権に欠場する。ようやく国際大会に復帰した1971年世界卓球選手権名古屋大会には林慧卿と組んだ混合ダブルスでのみ出場し、優勝を果たした。1973年の世界卓球選手権サラエヴォ大会では無冠に終わり、この年をもって現役を引退した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "1972年以降は中国代表女子チームのコーチとなり、ついで監督に就任した。1975年から1991年にかけて世界選手権女子団体8連覇を達成。1995年の天津大会を最後に監督を退くまでの間に、中国女子チームを世界選手権で10度の団体優勝に導いた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "この他に中国卓球協会副会長、国家体育総局卓球・バドミントン管理センター副主任等を歴任。2001年、世界卓球殿堂 (ITTF Hall of Fame) 入りし、2008年には国際卓球連盟功労賞 (ITTF Merit Award) を受賞している。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "チームメイトの王志良がヨーロッパスタイルのシェークハンドのカットマンだったのに対して、張は姜永寧(中国語版)らの流れをくむペンホルダーのカットマンだった。張が卓球を始めた当時、上海にはまだシェークハンドのカットマンはいなかったという。",
"title": "プレースタイル"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "荻村伊智朗は張のプレースタイルを次のように評している。",
"title": "プレースタイル"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "荻村がこのように記した1967年当時、日本では張が粒高ラバーを使用していることは知られておらず、また、粒高ラバーの特性も知られていなかった。この当時、ヨーロッパのカットマンは一枚ラバーを使用することが多く、日本選手はこれに対して裏ソフトラバーによる強烈なループドライブでカットを浮かせてから強打を叩き込む戦術を確立していた。一方、粒高ラバーを使用する張はこのループドライブに対して非常に切れたカットで低く返球することができ、また、相手から打球点が見えない床上すれすれでカットするなどの攪乱戦術も相まって、張のカットは日本選手から「魔球」と怖れられた。",
"title": "プレースタイル"
}
] | 張 燮林は中国の卓球選手。1960年代から1970年代にかけて活躍した右利きペンホルダーのカット主戦型で、世界で初めて粒高ラバーを使用した選手として知られる。 | {{存命人物の出典明記|date=2023年10月}}
{{卓球選手
|所属チーム =
|チームカラー =
|ポジション =
|背番号 =
|五輪メダル =
|画像 = 1965-7 1965年 28届世界锦标赛 张燮林.jpg
|画像サイズ =
|画像説明 = 1965年世界卓球選手権リュブリャナ大会での張燮林
|氏名 = 張燮林
|よみがな = ちょう しょうりん、チャン・シエリン
|ラテン文字 = Zhang Xielin
|出生名 =
|現姓名 =
|愛称 =
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|6|25}}
|没年月日 =
|国籍 = {{CHN}}
|生誕地 =
|出身地 = {{CHN1940}} [[上海市]]
|居住地 =
|死没地 =
|性別 =
|血液型 =
|身長 = 170<ref name="Ogimura2002">荻村伊智朗著/藤井基男監修、『増補改訂版 世界の選手に見る卓球の戦術・技術』、卓球レポート編集部、2002年、125-131頁。</ref>
|体重 =
|靴のサイズ =
|血縁者 =
|公式サイト =
|最高世界ランク = 3<ref>André Damman, [https://www.ittf.com/wp-content/uploads/2018/02/ConsolidatedRankings.pdf "History of World Rankings"], ITTF.</ref>
|最高ランク日付 =
|現在世界ランク =
|現在ランク日付 組んでいた=
|段級位=
|利き腕 = 右
|グリップ = ペンホルダー
|ラケット =
|フォア面ラバー = 粒高一枚ラバー
|バック面ラバー =
|ウェア =
|シューズ =
|戦型 = カット主戦型
|コーチ =
|ITTFサイト =
|学歴 =
|所属 =
|マネージメント =
|代表歴 =
|指導歴 =
|役職 = 中国卓球協会副会長<br>[[国家体育総局]]卓球・バドミントン管理センター副主任
|デビュー年 =
|引退年 =
|ツアー通算 =
|シングルス =
|ダブルス =
|通算試合 =
|通算勝利 =
|通算勝率 =
|世界選手権出場大会数 = 5
|世界選手権初出場 = [[第26回世界卓球選手権|1961年]]
|世界選手権最終出場 = [[第32回世界卓球選手権|1973年]]
|国内戦歴 =
|受賞歴 = [[世界卓球殿堂]](2001年)<br>国際卓球連盟功労賞(2008年)
|記録 =
|medaltemplates =
{{MedalCountry | {{PRC}}}}
{{MedalSport|[[男性|男子]][[卓球]]}}
{{MedalCompetition | [[世界卓球選手権]]}}
{{MedalBronze | [[第26回世界卓球選手権|1961年 北京]]|男子シングルス}}
{{MedalBronze | [[第27回世界卓球選手権|1963年 プラハ]]|男子シングルス}}
{{MedalGold | [[第27回世界卓球選手権|1963年 プラハ]]|男子ダブルス}}
{{MedalGold | [[第27回世界卓球選手権|1963年 プラハ]]|男子団体}}
{{MedalGold | [[第28回世界卓球選手権|1965年 リュブリャナ]]|男子団体}}
{{MedalSilver | [[第28回世界卓球選手権|1965年 リュブリャナ]]|男子ダブルス}}
{{MedalSilver | [[第28回世界卓球選手権|1965年 リュブリャナ]]|混合ダブルス}}
{{MedalGold | [[第31回世界卓球選手権|1971年 名古屋]]|混合ダブルス}}
}}
'''張 燮林'''(ちょう しょうりん、[[簡体字]]:张燮林、[[拼音]]: Zhāng Xièlín チャン・シエリン、[[1940年]][[6月25日]] - )は[[中華人民共和国|中国]]の[[卓球]]選手。[[1960年代]]から[[1970年代]]にかけて活躍した右利き[[ペンホルダー]]の[[カット主戦型]]で、世界で初めて[[卓球#粒高ラバー|粒高ラバー]]を使用した選手として知られる。
== 経歴 ==
=== 上海時代 ===
1940年、[[上海市|上海]]に生まれる。生家は[[江蘇省]][[鎮江市]]に起源を持つ<ref>[http://sports.people.com.cn/BIG5/n/2013/1112/c35862-23518939.html 高清:老教練張燮林的新故事]、人民網(2013年11月12日)</ref>。少年時代にペンホルダー[[卓球#表ソフトラバー|表ソフト]]の[[前陣速攻型|速攻型]]として卓球を始めるが、あるとき卓球場で目にしたカットマンのフォームの美しさに心を打たれ、ペンホルダーのままカット主戦型に転向する。[[1958年]]、上海汽輪機廠(発電所設備を製造する大企業)の技術学校に入学。同年には上海代表アマチュアチームの一員として全中国卓球選手権大会に出場した。
この頃、選手として頭角を現していた張ではあるが、家族からは卓球に打ち込むことに反対されていた。連日試合のために技術学校から長距離移動を強いられ、交通費が嵩んでいたこと、また、卓球選手にはならずに、このまま上海汽輪機廠でキャリアを積めば安定した生活が保証されていたことなどがその理由である。しかし[[1959年]]に開催された第1回[[中華人民共和国全国運動会|全中国運動会]]への出場が決まり、その後正式に上海チーム入りを打診されたのをきっかけに、上海汽輪機廠を去ることを決意する。これ以後、張は卓球選手の道を歩むことになる。
=== 粒高ラバーとの出会い ===
本人の回想によれば1959年か[[1960年]]頃、[[卓球#粒高ラバー|粒高ラバー]]を使用するようになる<ref name="WTT20210217">[https://world-tt.com/blog/news/archives/2239 [魔球を操った男]張燮林【前編】]、卓球王国(2021年2月17日)</ref>。これは[[上海紅双喜|紅双喜]]の工場から貰い受けてきた廃棄予定の不良品ラバーで、もともとは[[卓球#裏ソフトラバー|裏ソフトラバー]]のトップシートとして作られたものだった。これを裏返してラケットに貼ってみたところたまたま使いやすいものがあったため、そのまま使い続けることになったという。ただし、張が使用していたものは現在の粒高ラバーよりは粒が低く、表ラバーより少し粒が高い程度のものだった。
=== 中国代表選手として ===
1960年頃には上海チームのエースとなっていた張は、[[1961年]]の[[第26回世界卓球選手権|世界卓球選手権北京大会]]では中国代表に選ばれ、男子シングルスで[[卓球日本代表|日本]]の[[星野展弥]]、[[三木圭一]]らを破り3位に入賞。[[1963年]][[第27回世界卓球選手権|世界卓球選手権プラハ大会]]では男子シングルスで3位、{{仮リンク|王志良|zh|王志良 (乒乓球运动员)}}と組んだ男子ダブルスでは優勝を果たした。また、この年から男子団体のメンバーに選ばれた張は、裏ソフトラバーによる[[卓球#ドライブ打法|ドライブ]]主体の日本選手に対し、粒高ラバーの特性を活かして無類の強さを発揮し、中国の男子団体優勝に大きく貢献した。当時まだ粒高ラバーの存在は中国以外では知られておらず、日本選手は粒高特有の変化に対応できずに敗れていった。
[[1965年]][[第28回世界卓球選手権|世界卓球選手権リュブリャナ大会]]では王志良と組んだ男子ダブルスで2位、{{仮リンク|林慧卿|zh|林慧卿}}と組んだ混合ダブルスでも2位に輝く。男子シングルスでは準々決勝で[[西ドイツ]]の[[エーベルハルト・シェーラー|シェーラー]]と対戦し、第1ゲームから[[促進ルール]]にもつれ込む大激闘のすえ敗れたが、この試合は[[荻村伊智朗]]に「近来まれな大勝負」と評された<ref name="Ogimura2002" />。男子団体では前回に続いて決勝で日本を破り優勝するが、この決勝戦では徹底した張対策を練って試合に臨んだ[[高橋浩 (卓球選手)|高橋浩]]に敗れている。高橋浩は日本人選手で張に勝利した唯一の選手となった。
この後、中国では[[文化大革命]]の嵐が吹き荒れ、中国代表チームは[[1967年]]と[[1969年]]の[[世界卓球選手権]]に欠場する。ようやく国際大会に復帰した[[1971年]][[第31回世界卓球選手権|世界卓球選手権名古屋大会]]には林慧卿と組んだ混合ダブルスでのみ出場し、優勝を果たした。[[1973年]]の[[第32回世界卓球選手権|世界卓球選手権サラエヴォ大会]]では無冠に終わり、この年をもって現役を引退した。
=== 指導者として ===
[[1972年]]以降は中国代表女子チームのコーチとなり、ついで監督に就任した。[[1975年]]から[[1991年]]にかけて世界選手権女子団体8連覇を達成。[[1995年]]の[[第43回世界卓球選手権|天津大会]]を最後に監督を退くまでの間に、中国女子チームを世界選手権で10度の団体優勝に導いた。
この他に中国卓球協会副会長、[[国家体育総局]]卓球・バドミントン管理センター副主任等を歴任。[[2001年]]、[[世界卓球殿堂]] (ITTF Hall of Fame) 入りし、[[2008年]]には国際卓球連盟功労賞 (ITTF Merit Award) を受賞している。
== プレースタイル ==
チームメイトの王志良がヨーロッパスタイルの[[シェークハンド]]の[[カット主戦型|カットマン]]だったのに対して、張は{{仮リンク|姜永寧|zh|姜永宁}}らの流れをくむ[[ペンホルダー]]のカットマンだった。張が卓球を始めた当時、上海にはまだシェークハンドのカットマンはいなかったという<ref name="WTT20210217" />。
荻村伊智朗は張のプレースタイルを次のように評している。
{{Quotation|張の戦術的特徴は、広い[[卓球#カット打法|カット]]守備を基調にし、適当だと判断したときにはいつでも攻撃できるフォアハンドとバックハンドの強打を持ち、これにカットの変化モーションや[[卓球#ボールの回転|ナックル性]]の[[卓球#ショート打法|ショート]]を加えて、相手のペースを乱す複雑な構成のオールラウンドプレーである。|荻村伊智朗|『世界の選手に見る卓球の戦術・技術』<ref name="Ogimura2002" />}}
荻村がこのように記した[[1967年]]当時、日本では張が粒高ラバーを使用していることは知られておらず、また、粒高ラバーの特性も知られていなかった。この当時、ヨーロッパのカットマンは[[卓球#ツブラバー|一枚ラバー]]を使用することが多く、日本選手はこれに対して裏ソフトラバーによる強烈な[[卓球#ドライブ打法|ループドライブ]]でカットを浮かせてから強打を叩き込む戦術を確立していた。一方、粒高ラバーを使用する張はこのループドライブに対して非常に切れたカットで低く返球することができ、また、相手から打球点が見えない床上すれすれでカットするなどの攪乱戦術も相まって、張のカットは日本選手から「魔球」と怖れられた。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{世界卓球選手権(混合複)優勝者|state=collapsed}}
{{DEFAULTSORT:ちよう しようりん}}
[[Category:中国の男子卓球選手]]
[[Category:世界卓球殿堂]]
[[Category:1940年生]]
[[Category:上海出身の人物]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T10:52:42Z | 2023-11-20T08:28:33Z | false | false | false | [
"Template:存命人物の出典明記",
"Template:卓球選手",
"Template:仮リンク",
"Template:Quotation",
"Template:Reflist",
"Template:世界卓球選手権(混合複)優勝者"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E7%87%AE%E6%9E%97 |
4,844,735 | 内津町 | 内津町(うつつちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市北東端部に位置する。東から北は岐阜県多治見市、西から南は西尾町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "内津町(うつつちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市北東端部に位置する。東から北は岐阜県多治見市、西から南は西尾町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 内津町(うつつちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''内津町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 内津町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 内津町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 19 | lats = 42.96 | latNS = N
| longd = 137 | longm = 3 | longs = 50.18 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 2.27918537
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 102
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 480-0301<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''内津町'''(うつつちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市北東端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。東から北は[[岐阜県]][[多治見市]]、西から南は[[西尾町 (春日井市)|西尾町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|59世帯<br>193人||<div style="width:5.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:19.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|60世帯<br>172人||<div style="width:6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:17.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|50世帯<br>147人||<div style="width:5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:14.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|45世帯<br>113人||<div style="width:4.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:11.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|41世帯<br>111人||<div style="width:4.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:11.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|47世帯<br>102人||<div style="width:4.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:10.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[国道19号]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* [[中央自動車道]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* 内々神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 天台宗妙見寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 曹洞宗見性寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[岐阜県]][[多治見市]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[西尾町 (春日井市)|西尾町]]
| Centre<!--中央--> = 内津町
| East<!--東--> = [[岐阜県]][[多治見市]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[西尾町 (春日井市)|西尾町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:うつつちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T10:56:01Z | 2023-10-21T10:56:01Z | false | false | false | [
"Template:Pathnav",
"Template:Sfn",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Infobox settlement",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%B4%A5%E7%94%BA |
4,844,736 | ラパンパサウルス | ラパンパサウルス(学名 Lapampasaurus 「ラ・パンパ州のトカゲ」の意味)は、アルゼンチンラ・パンパ州の後期白亜紀の地層、アレン層(英語版)(カンパニアン後期からマーストリヒチアン初期)から知られるハドロサウルス科の恐竜の属。ラパンパサウルスは、模式種であるラパンパサウルス・コリノイ(Lapampasaurus cholinoi)の1種のみが知られている。
ラパンパサウルスは、頸椎、胴椎、仙椎、尾椎、前肢帯、後肢の部分骨格から構成されている。
ラパンパサウルスのホロタイプは、全長約5メートルから約6メートル。このホロタイプは成体に達していなかったため成体の標本が発見された場合は既知のホロタイプより数メートル大きくなった可能性がある。記載者はいくつかの独特の特徴を特定することができた。前頸椎には骨幹の上の側面に開口部があり、肩甲骨の上部は凸状で、三角筋を固定するために横方向に突き出た鋭いエッジが付いている。つま先は幅よりも長く、溝とくぼみで覆われ、下側には低いキールがある。
著者らは、頸椎の側面にある細長い溝が重なり合っているのを、胸腔体腔にある気嚢であると解釈している。このような特徴は真鳥脚類の中で独特であり、むしろ獣脚類の属に期待されるものであった。したがって、著者らは、典型的なハドロサウルス類と考えられる椎骨と肩甲骨の一連の特徴を示した。
ラパンパサウルス・コリノイは、2012年にロドルフォ・コリア(英語版)、ベルナルド・ゴンサレス・リガ、シルビオ・カサディオによって命名され、記載された。アルゼンチンのラ・パンパ州にあるアレン層(英語版)の上部白亜系の堆積物で発見された。ラパンパサウルスは、Lapampasaurus cholinoiという単一種が含まれている。属名は、アルゼンチンのラ・パンパ州に由来する。種小名のL. cholinoiは、化石コレクターのホセ・チョリーノに敬意を表して付けられた。
2000年、ベルナルド・ゴンサレス・リガは、1991年にアルゼンチンのラ・パンパ州 プエレン・デパルタメント(英語版)マルビナス諸島でリガとカサディオによって発見された脊椎骨について記載した。
ホロタイプMPHN-Pv-01は、約7000万年前のカンパニアンからマーストリヒチアンに遡るアレン層の海岸壁で発見された。ホロタイプは、亜成体の頭蓋骨を含まない部分的な骨格で構成されている。以下のものが保存されている:7つの部分的な頚椎、8つの椎骨片、3つの仙骨片、前部の尾椎片、左肩甲骨、左脚の骨、右恥骨前部、右大腿骨の下3分の1、左足の第3指の第1節骨、第2指または第4指の足の爪、その他9個の判別不能な骨片。化石の状態は悪く、不完全かつ頑丈である。この化石は、ラ・パンパ州にある脊椎動物古生物学の州立自然史博物館のコレクションの一つとなっている。
著者らはラパンパサウルスをハドロサウルス科に分類し、このハドロサウルス科が以前に考えられていたよりも早く南アメリカに出現したことの兆候と見なした。正確な分岐分析は行われていない。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ラパンパサウルス(学名 Lapampasaurus 「ラ・パンパ州のトカゲ」の意味)は、アルゼンチンラ・パンパ州の後期白亜紀の地層、アレン層(英語版)(カンパニアン後期からマーストリヒチアン初期)から知られるハドロサウルス科の恐竜の属。ラパンパサウルスは、模式種であるラパンパサウルス・コリノイ(Lapampasaurus cholinoi)の1種のみが知られている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ラパンパサウルスは、頸椎、胴椎、仙椎、尾椎、前肢帯、後肢の部分骨格から構成されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "ラパンパサウルスのホロタイプは、全長約5メートルから約6メートル。このホロタイプは成体に達していなかったため成体の標本が発見された場合は既知のホロタイプより数メートル大きくなった可能性がある。記載者はいくつかの独特の特徴を特定することができた。前頸椎には骨幹の上の側面に開口部があり、肩甲骨の上部は凸状で、三角筋を固定するために横方向に突き出た鋭いエッジが付いている。つま先は幅よりも長く、溝とくぼみで覆われ、下側には低いキールがある。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "著者らは、頸椎の側面にある細長い溝が重なり合っているのを、胸腔体腔にある気嚢であると解釈している。このような特徴は真鳥脚類の中で独特であり、むしろ獣脚類の属に期待されるものであった。したがって、著者らは、典型的なハドロサウルス類と考えられる椎骨と肩甲骨の一連の特徴を示した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "ラパンパサウルス・コリノイは、2012年にロドルフォ・コリア(英語版)、ベルナルド・ゴンサレス・リガ、シルビオ・カサディオによって命名され、記載された。アルゼンチンのラ・パンパ州にあるアレン層(英語版)の上部白亜系の堆積物で発見された。ラパンパサウルスは、Lapampasaurus cholinoiという単一種が含まれている。属名は、アルゼンチンのラ・パンパ州に由来する。種小名のL. cholinoiは、化石コレクターのホセ・チョリーノに敬意を表して付けられた。",
"title": "発見と研究"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2000年、ベルナルド・ゴンサレス・リガは、1991年にアルゼンチンのラ・パンパ州 プエレン・デパルタメント(英語版)マルビナス諸島でリガとカサディオによって発見された脊椎骨について記載した。",
"title": "発見と研究"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "ホロタイプMPHN-Pv-01は、約7000万年前のカンパニアンからマーストリヒチアンに遡るアレン層の海岸壁で発見された。ホロタイプは、亜成体の頭蓋骨を含まない部分的な骨格で構成されている。以下のものが保存されている:7つの部分的な頚椎、8つの椎骨片、3つの仙骨片、前部の尾椎片、左肩甲骨、左脚の骨、右恥骨前部、右大腿骨の下3分の1、左足の第3指の第1節骨、第2指または第4指の足の爪、その他9個の判別不能な骨片。化石の状態は悪く、不完全かつ頑丈である。この化石は、ラ・パンパ州にある脊椎動物古生物学の州立自然史博物館のコレクションの一つとなっている。",
"title": "発見と研究"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "著者らはラパンパサウルスをハドロサウルス科に分類し、このハドロサウルス科が以前に考えられていたよりも早く南アメリカに出現したことの兆候と見なした。正確な分岐分析は行われていない。",
"title": "分類"
}
] | ラパンパサウルスは、アルゼンチンラ・パンパ州の後期白亜紀の地層、アレン層(カンパニアン後期からマーストリヒチアン初期)から知られるハドロサウルス科の恐竜の属。ラパンパサウルスは、模式種であるラパンパサウルス・コリノイの1種のみが知られている。 | {{生物分類表
| 名称 = ラパンパサウルス <br />''Lapampasaurus''
| fossil_range = [[中生代]][[後期白亜紀]], {{fossil_range|76|70}}
| 画像 =
| 画像キャプション =
| 地質時代 = [[後期白亜紀]]
| 地質時代2 = 約7000万年前
| 省略 = 恐竜上目
| 目 = [[絶滅|†]][[鳥盤類|鳥盤目]] {{sname||Ornithischia}}
| 目階級なし = [[ゲナサウルス類]] {{sname||Genasauria}} <br />[[新鳥盤類]] {{sname||Neornithischia}} <br />[[角脚類]] {{sname||Cerapoda}}
| 亜目 = [[鳥脚類|鳥脚亜目]] {{sname|en|Ornithopod|Ornithopoda}}
| 亜目階級なし = [[イグアノドン類]] {{sname||Iguanodontia}} <br/>[[ハドロサウルス形類]] {{sname||Hadrosauromorpha}}
| 上科 = [[ハドロサウルス上科]] {{sname||Hadrosauroidea}}
| 科 = [[ハドロサウルス科]] {{sname||Hadrosauridae}}
| 属 = '''ラパンパサウルス属''' {{snamei||Lapampasaurus}}
| 学名 = '''''Lapampasaurus''''' <br/>{{AUY|Coria, Riga & Casadío|2012}}
| 和名 = '''ラパンパサウルス'''
| 下位分類名 = [[種 (分類学)|種]]
| 下位分類 =
* ''L. cholinoi'' {{AUY|Coria, Riga & Casadío|2012}} ([[タイプ (分類学)|タイプ種]])
}}
'''ラパンパサウルス'''([[学名]] '''''Lapampasaurus''''' 「[[ラ・パンパ州]]のトカゲ」の意味)は、[[アルゼンチン]][[ラ・パンパ州]]の[[後期白亜紀]]の[[地層]]、{{仮リンク|アレン層|en|Allen Formation}}([[カンパニアン]]後期から[[マーストリヒチアン]]初期)から知られる[[ハドロサウルス科]]の[[恐竜]]の[[属 (分類学)|属]]。ラパンパサウルスは、[[タイプ (分類学)|模式種]]である'''ラパンパサウルス・コリノイ'''(''Lapampasaurus cholinoi'')の1[[種 (分類学)|種]]のみが知られている<ref name=Lapampasaurus>{{Cite journal|author=Rodolfo A. Coria, Bernardo González Riga and Silvio Casadío |year=2012 |title=Un nuevo hadrosáurido (Dinosauria, Ornithopoda) de la Formación Allen, provincia de La Pampa, Argentina |journal=Ameghiniana |volume=49 |issue=4 |pages=552–572 |doi=10.5710/AMGH.9.4.2012.487 |s2cid=131521822 |url=http://www.ameghiniana.org.ar/index.php/ameghiniana/article/view/487}}</ref>。
== 概要 ==
ラパンパサウルスは、[[頸椎]]、[[胴椎]]、[[仙椎]]、[[尾椎]]、[[前肢帯]]、[[後肢]]の部分骨格から構成されている<ref name=Lapampasaurus/>。
ラパンパサウルスの[[ホロタイプ]]は、全長約5メートルから約6メートル。このホロタイプは[[成体]]に達していなかったため成体の標本が発見された場合は既知のホロタイプより数メートル大きくなった可能性がある<ref name=Lapampasaurus/>。記載者はいくつかの独特の特徴を特定することができた。前頸椎には[[骨幹]]の上の側面に開口部があり、[[肩甲骨]]の上部は凸状で、[[三角筋]]を固定するために横方向に突き出た鋭いエッジが付いている。つま先は幅よりも長く、溝とくぼみで覆われ、下側には低いキールがある<ref name=Lapampasaurus/>。
著者らは、頸椎の側面にある細長い溝が重なり合っているのを、[[胸腔]][[体腔]]にある[[気嚢]]であると解釈している。このような特徴は[[真鳥脚類]]の中で独特であり、むしろ[[獣脚類]]の属に期待されるものであった。したがって、著者らは、典型的なハドロサウルス類と考えられる[[椎骨]]と肩甲骨の一連の特徴を示した<ref name=Lapampasaurus/>。
== 発見と研究 ==
ラパンパサウルス・コリノイは、[[2012年]]に{{仮リンク|ロドルフォ・コリア|en|Rodolfo Coria}}、ベルナルド・ゴンサレス・リガ、シルビオ・カサディオによって命名され、記載された。[[アルゼンチン]]の[[ラ・パンパ州]]にある{{仮リンク|アレン層|en|Allen Formation}}の[[後期白亜紀|上部白亜系]]の堆積物で発見された。ラパンパサウルスは、'''''Lapampasaurus cholinoi'''''という単一種が含まれている<ref name=Lapampasaurus/>。[[属名]]は、アルゼンチンのラ・パンパ州に由来する。[[種小名]]の'''''L. cholinoi'''''は、化石コレクターのホセ・チョリーノに敬意を表して付けられた<ref name=Lapampasaurus/>。
[[2000年]]、ベルナルド・ゴンサレス・リガは、[[1991年]]にアルゼンチンのラ・パンパ州{{仮リンク| プエレン・デパルタメント|en|Puelén Department}}[[マルビナス諸島 (プエレン・デパルタメント)|マルビナス諸島]]でリガとカサディオによって発見された[[脊椎骨]]について記載した<ref>Gonzalez Riga, B. y Casadío, S., 2000, "Primer registro de Dinosauria (Ornithischia, Hadrosauridae) en la Provincia de La Pampa (Argentina) y sus implicancias paleobiogeográficas", Ameghiniana 37: 341–351</ref>。
ホロタイプ'''MPHN-Pv-01'''は、約7000万年前の[[カンパニアン]]から[[マーストリヒチアン]]に遡るアレン層の海岸壁で発見された。ホロタイプは、[[亜成体]]の[[頭蓋骨]]を含まない部分的な骨格で構成されている。以下のものが保存されている:7つの部分的な[[頚椎]]、8つの[[椎骨]]片、3つの[[仙骨]]片、前部の[[尾椎]]片、左[[肩甲骨]]、左脚の骨、右[[恥骨]]前部、右[[大腿骨]]の下3分の1、左足の第3指の第1節骨、第2指または第4指の足の[[爪]]、その他9個の判別不能な骨片。[[化石]]の状態は悪く、不完全かつ頑丈である。この化石は、ラ・パンパ州にある[[脊椎動物]][[古生物学]]の州立自然史博物館のコレクションの一つとなっている<ref name=Lapampasaurus/>。
== 分類 ==
著者らはラパンパサウルスを[[ハドロサウルス科]]に分類し、このハドロサウルス科が以前に考えられていたよりも早く[[南アメリカ]]に出現したことの兆候と見なした。正確な分岐分析は行われていない<ref name=Lapampasaurus/>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[絶滅した動物一覧]]
* [[化石爬虫類の一覧]]
* [[恐竜の一覧]]
* [[鳥脚類]]
* [[ハドロサウルス科]]
{{Taxonbar|from=Q1826078}}
{{デフォルトソート:らはんはさうるす}}
[[Category:カンパニアンの生物]]
[[Category:マーストリヒチアンの生物]]
[[Category:白亜紀の恐竜]]
[[Category:2012年に記載された化石分類群]] | 2023-10-21T10:59:12Z | 2023-11-29T21:56:54Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite journal",
"Template:Taxonbar",
"Template:生物分類表",
"Template:仮リンク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9 |
4,844,737 | カンポン・クリン・モスク | カンポン・クリン・モスク(マレー語: Masjid Kampung Kling、Masjid Kampong Klingとも)は、マレーシアのマラッカにあるモスク。18世紀に創建された。
カンポン・クリン・モスクはマラッカに位置する。近くにはヒンドゥー教の寺院や仏教寺院があり、スペースを共有している。
カンポン・クリン・モスクは18世紀に創建された。当初は木造の建築だったが、19世紀には煉瓦造りに改築された。
カンポン・クリン・モスクは煉瓦造りの建築である。瓦葺で先が尖った大きな屋根を持ち、その下に礼拝堂が設けられている。こうした建築はマレー半島のモスクによく見られるもので、民家の建築が取り入れられたと考えられている。一方、マレー半島のモスクに付随するミナレットは八角形だが、カンポン・クリン・モスクのミナレットは正方形である。ミナレットは6階建てで、建築はオランダの灯台や、東アフリカやハドラマウトにある灯台を兼ねたミナレットの影響を受けた可能性が指摘されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "カンポン・クリン・モスク(マレー語: Masjid Kampung Kling、Masjid Kampong Klingとも)は、マレーシアのマラッカにあるモスク。18世紀に創建された。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "カンポン・クリン・モスクはマラッカに位置する。近くにはヒンドゥー教の寺院や仏教寺院があり、スペースを共有している。",
"title": "所在地"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "カンポン・クリン・モスクは18世紀に創建された。当初は木造の建築だったが、19世紀には煉瓦造りに改築された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "カンポン・クリン・モスクは煉瓦造りの建築である。瓦葺で先が尖った大きな屋根を持ち、その下に礼拝堂が設けられている。こうした建築はマレー半島のモスクによく見られるもので、民家の建築が取り入れられたと考えられている。一方、マレー半島のモスクに付随するミナレットは八角形だが、カンポン・クリン・モスクのミナレットは正方形である。ミナレットは6階建てで、建築はオランダの灯台や、東アフリカやハドラマウトにある灯台を兼ねたミナレットの影響を受けた可能性が指摘されている。",
"title": "建築"
}
] | カンポン・クリン・モスクは、マレーシアのマラッカにあるモスク。18世紀に創建された。 | {{Infobox religious building
|name = カンポン・クリン・モスク
|native_name = Kampung Kling Mosque
|image = File:Masjid-Kampung-Kling-2326.jpg
|image_size =
|caption = カンポン・クリン・モスク(2008年)
|map_type =
|map_size =
|map_caption =
|coordinates = {{coord|2|11|48|N|102|14|51|E|region:MY_type:landmark|display=inline,title}}
|religious_affiliation = [[イスラム教]]
|location = {{MYS}}・ [[マラッカ]]
|established =
|administration =
|leadership =
|architecture_type = モスク
|capacity =
|length =
|width =
|groundbreaking =
|year_completed = 18世紀
|minaret_quantity =
|minaret_height =
|website =
}}
'''カンポン・クリン・モスク'''({{lang-ms|Masjid Kampung Kling}}、{{lang|ms|Masjid Kampong Kling}}とも)は、マレーシアの[[マラッカ]]にあるモスク。18世紀に創建された。
== 所在地 ==
カンポン・クリン・モスクはマラッカに位置する{{sfn|Aljunied|2017|p=39}}。近くにはヒンドゥー教の寺院や仏教寺院があり、スペースを共有している{{sfn|Aljunied|2017|p=39}}。
== 歴史 ==
カンポン・クリン・モスクは18世紀に創建された{{sfn|羽田|2016|p=271}}。当初は木造の建築だったが、19世紀には煉瓦造りに改築された{{sfn|羽田|2016|pp=271-272}}。
== 建築 ==
カンポン・クリン・モスクは煉瓦造りの建築である{{sfn|羽田|2016|p=271}}。瓦葺で先が尖った大きな屋根を持ち、その下に礼拝堂が設けられている{{sfn|羽田|2016|p=272}}。こうした建築はマレー半島のモスクによく見られるもので、民家の建築が取り入れられたと考えられている{{sfn|羽田|2016|p=272}}。一方、マレー半島のモスクに付随する[[ミナレット]]は八角形だが、カンポン・クリン・モスクのミナレットは正方形である{{sfn|Bruce|1996|p=79}}。ミナレットは6階建てで、建築はオランダの灯台や、東アフリカや[[ハドラマウト]]にある灯台を兼ねたミナレットの影響を受けた可能性が指摘されている{{sfn|Bruce|1996|p=79}}。
== 脚注 ==
{{Reflist|20em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|author=Aljunied, Khairudin|title=Muslim Cosmopolitanism: Southeast Asian Islam in Comparative Perspective|publisher=Edinburgh University Press|year=2017|isbn=9781474408882|ref={{SfnRef|Aljunied|2017}}}}
* {{Cite journal|author=Bruce, Allan|title=Notes on Early Mosques of the Malaysian Peninsula|journal=Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society|volume=69|issue=2|year=1996|pages=71-81|jstor=41493308|ref={{SfnRef|Bruce|1996}}}}
* {{Cite book|和書|author=羽田正|authorlink=羽田正|title=増補 モスクが語るイスラム史|series=ちくま学芸文庫|publisher=筑摩書房|year=2016|isbn=978-4-480-09738-5|ref={{SfnRef|羽田|2016}}}}
{{マレーシアのモスク|state=collapsed}}
{{デフォルトソート:かんほんくりんもすく}}
[[Category:マレーシアのモスク]] | 2023-10-21T10:59:14Z | 2023-11-11T01:12:21Z | false | false | false | [
"Template:Lang",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Cite journal",
"Template:マレーシアのモスク",
"Template:Infobox religious building",
"Template:Lang-ms"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF |
4,844,743 | 牛山町 | 牛山町(うしやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西端部に位置する。東は田楽町・大手町、西は小牧市、南は新開町・西屋町、北は小牧市に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "牛山町(うしやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西端部に位置する。東は田楽町・大手町、西は小牧市、南は新開町・西屋町、北は小牧市に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 牛山町(うしやまちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''牛山町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 牛山町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 牛山町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 16 | lats = 10.92 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 56 | longs = 9.13 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 1.89331925
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 6197
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0901<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''牛山町'''(うしやまちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。東は[[田楽町]]・[[大手町 (春日井市)|大手町]]、西は[[小牧市]]、南は[[新開町 (春日井市)|新開町]]・[[西屋町]]、北は[[小牧市]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* 大山川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 西行堂川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2294世帯<br>6969人||<div style="width:229.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:696.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2298世帯<br>6601人||<div style="width:229.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:660.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2425世帯<br>6659人||<div style="width:242.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:665.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2559世帯<br>6745人||<div style="width:255.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:674.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2458世帯<br>6389人||<div style="width:245.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:638.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2574世帯<br>6197人||<div style="width:257.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:619.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道小牧春日井線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* [[名鉄小牧線]][[牛山駅]]・[[間内駅]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 施設 ==
* [[春日井市立牛山小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 臨済宗妙心寺派麟慶寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 瑞林寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 曹洞宗地蔵寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
* 覚明寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1646}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[小牧市]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[小牧市]]
| Centre<!--中央--> = 牛山町
| East<!--東--> = [[田楽町]]・[[大手町 (春日井市)|大手町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[新開町 (春日井市)|新開町]]・[[西屋町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:うしやまちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T11:10:49Z | 2023-10-21T11:10:49Z | false | false | false | [
"Template:Geographic Location",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Sfn",
"Template:節スタブ",
"Template:Cite book",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pathnav",
"Template:Infobox settlement",
"Template:脚注ヘルプ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E5%B1%B1%E7%94%BA |
4,844,750 | 鳥栖トラックターミナル | 鳥栖トラックターミナル(とすトラックターミナル)は、佐賀県鳥栖市にある公共トラックターミナルである。九州高速道路ターミナル株式会社が運営する。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "鳥栖トラックターミナル(とすトラックターミナル)は、佐賀県鳥栖市にある公共トラックターミナルである。九州高速道路ターミナル株式会社が運営する。",
"title": null
}
] | 鳥栖トラックターミナル(とすトラックターミナル)は、佐賀県鳥栖市にある公共トラックターミナルである。九州高速道路ターミナル株式会社が運営する。 | '''鳥栖トラックターミナル'''(とすトラックターミナル)は、[[佐賀県]][[鳥栖市]]にある公共[[トラックターミナル]]である<ref>{{Cite web |title=トラックステーションのご案内【公益社団法人佐賀県トラック協会】 |url=http://www.satokyo.jp/main/405.html |website=公益社団法人佐賀県トラック協会 |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>。
== 解説 ==
[[九州自動車道]]と[[長崎自動車道]]、[[大分自動車道]]が交わる[[鳥栖ジャンクション]]近隣の鳥栖商工団地に位置し、ターミナルの東方には九州道[[小郡鳥栖南スマートインターチェンジ]]が建設中である<ref>[https://kkt-hp.com/tosu_t.php 鳥栖トラックターミナル](九州高速道路ターミナル)</ref>。
九州高速道路ターミナル株式会社が運営する<ref>[https://wwwtb.mlit.go.jp/kyushu/content/000263648.pdf 〔4〕 トラックターミナルの概要] 国土交通省</ref>。
== 所在地 ==
* 佐賀県鳥栖市藤木町若桜3-19
== 沿革 ==
* 1981年04月29日 供用開始
== 施設 ==
* 敷地面積 41,164[[平方メートル]]
* バース数 28バース
* 貨物取扱能力 約700[[トン]]/日
=== 付帯設備 ===
* 仮眠室
* 浴場
* [[コンビニエンスストア]]
== 関連項目 ==
* [[物流]]
* [[貨物輸送]]
* [[トラックターミナル]]
== 外部リンク ==
* [https://kkt-hp.com/index.php 九州高速道路ターミナル株式会社]
* [https://kkt-hp.com/tosu_t.php 鳥栖トラックターミナル]
* [https://www.tscenter.jp/ 協同組合鳥栖商工センター](九州高速道路ターミナル株式会社も組合員の一企業)
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{coord|33|22|14.4|N|130|31|34.1|E|display=title}}
{{DEFAULTSORT:とすとらつくたあみなる}}
[[Category:トラックターミナル]]
[[Category:鳥栖市の建築物]]
[[Category:鳥栖市の交通]]
[[Category:20世紀の日本の設立]]
[[Category:1981年開業の施設]] | 2023-10-21T11:38:12Z | 2023-10-22T11:23:56Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E6%A0%96%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB |
4,844,751 | 熊本トラックターミナル | 熊本トラックターミナル(けいひんトラックターミナル)は、熊本県熊本市にある公共トラックターミナルである。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "熊本トラックターミナル(けいひんトラックターミナル)は、熊本県熊本市にある公共トラックターミナルである。",
"title": null
}
] | 熊本トラックターミナル(けいひんトラックターミナル)は、熊本県熊本市にある公共トラックターミナルである。 | '''熊本トラックターミナル'''(くまもとトラックターミナル)は、[[熊本県]][[熊本市]][[東区 (熊本市)|東区]]にある公共[[トラックターミナル]]である<ref name="KKT">[https://kkt-hp.com/kumamoto_t.php#kumamoto_tti 熊本トラックターミナル(九州高速道路ターミナル株式会社)]</ref>。[[九州自動車道]][[熊本インターチェンジ]]の近隣に位置する。九州高速道路ターミナル株式会社が管理運営し、77,742平方メートルの敷地に、管理棟・荷扱棟・給油所・タイヤサービス施設などを有する<ref name="KKT"/>。供用開始は[[1976年]](昭和51年)6月24日<ref name="MLIT">[https://wwwtb.mlit.go.jp/kyushu/content/000263648.pdf トラックターミナルの概要(国土交通省)]</ref>。1日あたりの貨物取扱能力は約1,350トンである<ref name="MLIT"/>。
== 所在地 ==
* 熊本市東区小山3丁目2番50号
== 沿革 ==
* 1976年06月24日 供用開始
== 施設 ==
* 敷地面積 77,742[[平方メートル]]
* バース数 54バース
* [https://www.e-map.ne.jp/p/yamato01/dtl/094113/?&cond1=1&cond21=1&cond22=1&&his=ar,nm&srchplace=32.7771472,130.7704083 ヤマト運輸御領営業所]
* 福山通運熊本東営業所
* [https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92861-8045+%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%B8%82%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E5%B0%8F%E5%B1%B1%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%92%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%91+%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB/@32.826898,130.786378,16z/data=!4m6!3m5!1s0x3540f032a15906cf:0x9e37b9280a2e8d1b!8m2!3d32.8269235!4d130.786512!16s%2Fg%2F1q5bl21cw?hl=ja&entry=ttu セイノースーパーエクスプレス熊本営業所]
=== 付帯設備 ===
* 仮眠室
* 給油設備
* タイヤサービス
* 浴場
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[物流]]
* [[貨物輸送]]
* [[トラックターミナル]]
== 外部リンク ==
* [https://kkt-hp.com/index.php 九州高速道路ターミナル株式会社]
* [https://kkt-hp.com/kumamoto_t.php 熊本トラックターミナル]
{{coord|32|49|37|N|130|47|11.4|E|display=title}}
{{Pref-stub|pref=熊本県}}
{{DEFAULTSORT:くまもととらつくたみなる}}
[[Category:トラックターミナル]]
[[Category:熊本市の交通]]
[[Category:熊本市東区の建築物]]
[[Category:1976年開業の道路施設]] | 2023-10-21T11:41:25Z | 2023-10-21T13:42:58Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB |
4,844,752 | RAD21 | RAD21は、ヒトではRAD21遺伝子にコードされるタンパク質である。RAD21(別名: Mcd1, Scc1, KIAA0078, NXP1, HR21)は必須遺伝子であり、出芽酵母からヒトまで全ての真核生物に進化的に保存されたDNA二本鎖切断修復タンパク質をコードする。RAD21タンパク質はコヒーシンの構造的構成要素であり、コヒーシンは姉妹染色分体間の接着(cohesion)に関与する高度に保存された複合体である。
rad21遺伝子は1992年に分裂酵母Schizosaccharomyces pombeのrad21-45変異体の放射線感受性に対する相補性実験から初めてクローニングされ、その後マウスやヒトでもホモログがクローニングされた。ヒトのRAD21遺伝子は8番染色体(英語版)の長腕8q24.11に位置する。1997年、RAD21は染色体上のコヒーシン複合体の主要な構成要素であることが発見され、中期から後期への移行時にシステインプロテアーゼであるセパラーゼによる切断されることで姉妹染色分体の分離、そして染色体分離が引き起こされる。
RAD21は、α-Kleisinと呼ばれるスーパーファミリーに属する核内リン酸化タンパク質である。そのサイズはニホンヤモリGekko japonicusの278アミノ酸からシャチOrcinus orcaの746アミノ酸まで幅があるが、ヒトを含む大部分の脊椎動物では長さの中央値は631アミノ酸である。RAD21タンパク質はN末端とC末端が最も保存されており、それぞれSMC3(英語版)、SMC1(英語版)と結合する。RAD21中央部のSTAGドメインはSCC3(SA1/SA2)に結合し、この領域も保存されている。また、核局在シグナルやacidic-basic stretch、acidic stretchと呼ばれる領域も存在し、こうした配列の存在はクロマチンに結合する役割と符合している。RAD21は、有糸分裂時のセパラーゼやカルシウム依存性システインエンドペプチダーゼカルパイン1(英語版)、アポトーシスの際のカスパーゼなど、いくつかのプロテアーゼによる切断を受ける。
RAD21はV字型のSMC1-SMC3ヘテロ二量体と結合して三者からなるリング状構造を形成し、その後SCC3(SA1/SA2)をリクルートする。この四者複合体がコヒーシン複合体と呼ばれる。現在、姉妹染色分体の接着機構には主に2つの競合するモデルが存在する。1つはone-ring embrace modelなどと呼ばれ、もう1つはdimeric handcuff modelなどと呼ばれるものである。One-ring embrace modelは、2つの姉妹染色分体が1つのコヒーシンリング内に共にトラップされることを仮定しているのに対し、handcuff modelは各染色分体が個別にトラップされることを提唱している。Handcuff modelでは、各リングは1組のRAD21、SMC1、SMC3分子から構成される。SA1もしくはSA2によって2分子のRAD21が逆平行方向に結合することで、handcuff構造が確立されるとされている。
RAD21のN末端ドメインには2本のαヘリックスが存在し、SMC3のコイルドコイルと3ヘリックスバンドルを形成する。RAD21の中央領域は大部分が構造をとらないと考えられているが、SA1またはSA2の結合部位、セパラーゼやカスパーゼの認識モチーフ、カルパインの切断モチーフ、PDS5A(英語版)、PDS5B(英語版)、NIPBL(英語版)の競合的結合領域など、コヒーシンの調節因子の結合部位がいくつか含まれている。RAD21のC末端ドメインはwinged helixを形成し、SMC1のヘッドドメインの2本のβシートに結合する。
WAPL(英語版)はSMC3-RAD21相互作用面を開いてDNAからコヒーシンを解放し、DNAのコヒーシンリングの通過を可能にする。この相互作用面の開放は、SMCサブユニットへのATP結合によって調節されている。ATPの結合によってヘッドドメインは二量体化してSMC3のコイルドコイルが変形し、コイルドコイルに対するRAD21の結合が妨げられる。
RAD21との相互作用因子として合計で285種類の因子が報告されており、これらは有糸分裂、アポトーシスの調節、染色体ダイナミクス、染色体接着、複製、転写調節、RNAプロセシング、DNA損傷応答、タンパク質の修飾と分解、細胞骨格や運動性など多岐にわたる細胞過程で機能するものである。
RAD21は、多様な細胞機能において複数の生理的役割を果たしている。RAD21はコヒーシン複合体のサブユニットとして、S期におけるDNA複製から有糸分裂時の染色体分離まで、姉妹染色分体の接着に関与している。この機能は進化的に保存されており、適切な染色体分離、染色体構造、複製後のDNA修復、反復領域間での不適切な組換えの防止に必要不可欠である。また、RAD21は有糸分裂時の紡錘体極の組み立てや、アポトーシスの進行にも関与している可能性がある。間期においては、コヒーシンはゲノム内の多数の部位に結合することで遺伝子発現の制御に機能している可能性がある。RAD21はコヒーシン複合体の構造的構成要素として、クロマチンと関連した機能にも寄与している。そうした機能には、DNA複製、DNA損傷応答、そして最も重要なものとして転写調節が含まれている。近年の多くの機能研究やゲノム研究により、染色体上のコヒーシンタンパク質が造血系遺伝子の発現の重要な調節因子であることが示唆されている。
RAD21はコヒーシン複合体の一部として、次のような遺伝子調節機能を果たす。
RAD21はCTCFや組織特異的転写因子、基本転写装置と協働して転写を動的に調節する。また適切に転写を活性化するために、クロマチンのループ構造を形成して2つの離れた領域を近接させる。また、コヒーシンは転写抑制を保証するための転写インスレーターとしても機能する。転写を促進するエンハンサーや転写を遮断するインスレーターは染色体上の保存された調節エレメント(conserved regulatory element:CRE)に位置し、コヒーシンは遺伝子プロモーターと離れた位置にあるCREを物理的に連結することで、細胞種特異的な転写調節を行っていると考えられている。
減数分裂時には、REC8(英語版)が発現してコヒーシン複合体中のRAD21に置き換わる。REC8を含むコヒーシンは相同染色体間や姉妹染色分体間の接着を形成し、この接着は哺乳類の卵母細胞の場合には何年もの間持続する。RAD21LもRAD21のパラログであり、減数分裂期の染色体分離に関与している。RAD21Lを含むコヒーシン複合体の主要な役割は相同染色体間のペアリングとシナプシス(英語版)であり、姉妹染色分体の接着ではない。一方、REC8は姉妹染色分体の接着に機能している可能性が高い。パキテン期の終盤にはRAD21Lの消失と共にRAD21が染色体上に出現し、そしてジプロテン期以降には大部分が解離する。こうした第一分裂前期終盤に一過的に出現するRAD21による接着の機能は不明である。
生殖細胞系列でのRAD21のヘテロ接合型もしくはホモ接合型のミスセンス変異はコルネリア・デランゲ症候群(英語版) やMungan症候群(英語版)といった遺伝疾患と関係しており、こうした疾患は総称してコヒーシノパチー(cohesinopathy)と呼ばれている。RAD21の体細胞変異や増幅はヒトの固形腫瘍と造血系腫瘍の双方で広く報告されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "RAD21は、ヒトではRAD21遺伝子にコードされるタンパク質である。RAD21(別名: Mcd1, Scc1, KIAA0078, NXP1, HR21)は必須遺伝子であり、出芽酵母からヒトまで全ての真核生物に進化的に保存されたDNA二本鎖切断修復タンパク質をコードする。RAD21タンパク質はコヒーシンの構造的構成要素であり、コヒーシンは姉妹染色分体間の接着(cohesion)に関与する高度に保存された複合体である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "rad21遺伝子は1992年に分裂酵母Schizosaccharomyces pombeのrad21-45変異体の放射線感受性に対する相補性実験から初めてクローニングされ、その後マウスやヒトでもホモログがクローニングされた。ヒトのRAD21遺伝子は8番染色体(英語版)の長腕8q24.11に位置する。1997年、RAD21は染色体上のコヒーシン複合体の主要な構成要素であることが発見され、中期から後期への移行時にシステインプロテアーゼであるセパラーゼによる切断されることで姉妹染色分体の分離、そして染色体分離が引き起こされる。",
"title": "発見"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "RAD21は、α-Kleisinと呼ばれるスーパーファミリーに属する核内リン酸化タンパク質である。そのサイズはニホンヤモリGekko japonicusの278アミノ酸からシャチOrcinus orcaの746アミノ酸まで幅があるが、ヒトを含む大部分の脊椎動物では長さの中央値は631アミノ酸である。RAD21タンパク質はN末端とC末端が最も保存されており、それぞれSMC3(英語版)、SMC1(英語版)と結合する。RAD21中央部のSTAGドメインはSCC3(SA1/SA2)に結合し、この領域も保存されている。また、核局在シグナルやacidic-basic stretch、acidic stretchと呼ばれる領域も存在し、こうした配列の存在はクロマチンに結合する役割と符合している。RAD21は、有糸分裂時のセパラーゼやカルシウム依存性システインエンドペプチダーゼカルパイン1(英語版)、アポトーシスの際のカスパーゼなど、いくつかのプロテアーゼによる切断を受ける。",
"title": "構造"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "RAD21はV字型のSMC1-SMC3ヘテロ二量体と結合して三者からなるリング状構造を形成し、その後SCC3(SA1/SA2)をリクルートする。この四者複合体がコヒーシン複合体と呼ばれる。現在、姉妹染色分体の接着機構には主に2つの競合するモデルが存在する。1つはone-ring embrace modelなどと呼ばれ、もう1つはdimeric handcuff modelなどと呼ばれるものである。One-ring embrace modelは、2つの姉妹染色分体が1つのコヒーシンリング内に共にトラップされることを仮定しているのに対し、handcuff modelは各染色分体が個別にトラップされることを提唱している。Handcuff modelでは、各リングは1組のRAD21、SMC1、SMC3分子から構成される。SA1もしくはSA2によって2分子のRAD21が逆平行方向に結合することで、handcuff構造が確立されるとされている。",
"title": "相互作用"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "RAD21のN末端ドメインには2本のαヘリックスが存在し、SMC3のコイルドコイルと3ヘリックスバンドルを形成する。RAD21の中央領域は大部分が構造をとらないと考えられているが、SA1またはSA2の結合部位、セパラーゼやカスパーゼの認識モチーフ、カルパインの切断モチーフ、PDS5A(英語版)、PDS5B(英語版)、NIPBL(英語版)の競合的結合領域など、コヒーシンの調節因子の結合部位がいくつか含まれている。RAD21のC末端ドメインはwinged helixを形成し、SMC1のヘッドドメインの2本のβシートに結合する。",
"title": "相互作用"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "WAPL(英語版)はSMC3-RAD21相互作用面を開いてDNAからコヒーシンを解放し、DNAのコヒーシンリングの通過を可能にする。この相互作用面の開放は、SMCサブユニットへのATP結合によって調節されている。ATPの結合によってヘッドドメインは二量体化してSMC3のコイルドコイルが変形し、コイルドコイルに対するRAD21の結合が妨げられる。",
"title": "相互作用"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "RAD21との相互作用因子として合計で285種類の因子が報告されており、これらは有糸分裂、アポトーシスの調節、染色体ダイナミクス、染色体接着、複製、転写調節、RNAプロセシング、DNA損傷応答、タンパク質の修飾と分解、細胞骨格や運動性など多岐にわたる細胞過程で機能するものである。",
"title": "相互作用"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "RAD21は、多様な細胞機能において複数の生理的役割を果たしている。RAD21はコヒーシン複合体のサブユニットとして、S期におけるDNA複製から有糸分裂時の染色体分離まで、姉妹染色分体の接着に関与している。この機能は進化的に保存されており、適切な染色体分離、染色体構造、複製後のDNA修復、反復領域間での不適切な組換えの防止に必要不可欠である。また、RAD21は有糸分裂時の紡錘体極の組み立てや、アポトーシスの進行にも関与している可能性がある。間期においては、コヒーシンはゲノム内の多数の部位に結合することで遺伝子発現の制御に機能している可能性がある。RAD21はコヒーシン複合体の構造的構成要素として、クロマチンと関連した機能にも寄与している。そうした機能には、DNA複製、DNA損傷応答、そして最も重要なものとして転写調節が含まれている。近年の多くの機能研究やゲノム研究により、染色体上のコヒーシンタンパク質が造血系遺伝子の発現の重要な調節因子であることが示唆されている。",
"title": "機能"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "RAD21はコヒーシン複合体の一部として、次のような遺伝子調節機能を果たす。",
"title": "機能"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "RAD21はCTCFや組織特異的転写因子、基本転写装置と協働して転写を動的に調節する。また適切に転写を活性化するために、クロマチンのループ構造を形成して2つの離れた領域を近接させる。また、コヒーシンは転写抑制を保証するための転写インスレーターとしても機能する。転写を促進するエンハンサーや転写を遮断するインスレーターは染色体上の保存された調節エレメント(conserved regulatory element:CRE)に位置し、コヒーシンは遺伝子プロモーターと離れた位置にあるCREを物理的に連結することで、細胞種特異的な転写調節を行っていると考えられている。",
"title": "機能"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "減数分裂時には、REC8(英語版)が発現してコヒーシン複合体中のRAD21に置き換わる。REC8を含むコヒーシンは相同染色体間や姉妹染色分体間の接着を形成し、この接着は哺乳類の卵母細胞の場合には何年もの間持続する。RAD21LもRAD21のパラログであり、減数分裂期の染色体分離に関与している。RAD21Lを含むコヒーシン複合体の主要な役割は相同染色体間のペアリングとシナプシス(英語版)であり、姉妹染色分体の接着ではない。一方、REC8は姉妹染色分体の接着に機能している可能性が高い。パキテン期の終盤にはRAD21Lの消失と共にRAD21が染色体上に出現し、そしてジプロテン期以降には大部分が解離する。こうした第一分裂前期終盤に一過的に出現するRAD21による接着の機能は不明である。",
"title": "機能"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "生殖細胞系列でのRAD21のヘテロ接合型もしくはホモ接合型のミスセンス変異はコルネリア・デランゲ症候群(英語版) やMungan症候群(英語版)といった遺伝疾患と関係しており、こうした疾患は総称してコヒーシノパチー(cohesinopathy)と呼ばれている。RAD21の体細胞変異や増幅はヒトの固形腫瘍と造血系腫瘍の双方で広く報告されている。",
"title": "機能"
}
] | RAD21は、ヒトではRAD21遺伝子にコードされるタンパク質である。RAD21は必須遺伝子であり、出芽酵母からヒトまで全ての真核生物に進化的に保存されたDNA二本鎖切断修復タンパク質をコードする。RAD21タンパク質はコヒーシンの構造的構成要素であり、コヒーシンは姉妹染色分体間の接着(cohesion)に関与する高度に保存された複合体である。 | {{Infobox_gene}}
'''RAD21'''は、ヒトでは''RAD21''[[遺伝子]]にコードされる[[タンパク質]]である<ref name="pmid8812457">{{cite journal|date=Jan 1997|title=Sequence conservation of the rad21 Schizosaccharomyces pombe DNA double-strand break repair gene in human and mouse|url=http://repub.eur.nl/pub/3107|journal=Genomics|volume=36|issue=2|pages=305–15|doi=10.1006/geno.1996.0466|hdl=1765/3107|pmid=8812457|vauthors=McKay MJ, Troelstra C, van der Spek P, Kanaar R, Smit B, Hagemeijer A, Bootsma D, Hoeijmakers JH|hdl-access=free}}</ref><ref name="entrez">{{cite web |title=Entrez Gene: RAD21 RAD21 homolog (S. pombe) |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?Db=gene&Cmd=ShowDetailView&TermToSearch=5885 |access-date=2023-09-30}}</ref>。''RAD21''(別名: ''Mcd1'', ''Scc1'', ''KIAA0078'', ''NXP1'', ''HR21'')は必須遺伝子であり、出芽酵母からヒトまで全ての[[真核生物]]に進化的に保存された[[デオキシリボ核酸|DNA]]二本鎖切断修復タンパク質をコードする。RAD21タンパク質は[[コヒーシン]]の構造的構成要素であり、コヒーシンは[[姉妹染色分体]]間の接着(cohesion)に関与する高度に保存された複合体である。
== 発見 ==
''rad21''遺伝子は1992年に[[分裂酵母]]''Schizosaccharomyces pombe''の''rad21-45''変異体の放射線感受性に対する相補性実験から初めてクローニングされ<ref name=":21">{{cite journal|date=December 1992|title=Cloning and characterization of rad21 an essential gene of Schizosaccharomyces pombe involved in DNA double-strand-break repair|journal=Nucleic Acids Research|volume=20|issue=24|pages=6605–11|doi=10.1093/nar/20.24.6605|pmc=334577|pmid=1480481|vauthors=Birkenbihl RP, Subramani S}}</ref>、その後マウスやヒトでもホモログがクローニングされた<ref name=":0">{{cite journal|date=September 1996|title=Sequence conservation of the rad21 Schizosaccharomyces pombe DNA double-strand break repair gene in human and mouse|url=http://repub.eur.nl/pub/3107|journal=Genomics|volume=36|issue=2|pages=305–15|doi=10.1006/geno.1996.0466|hdl=1765/3107|pmid=8812457|vauthors=McKay MJ, Troelstra C, van der Spek P, Kanaar R, Smit B, Hagemeijer A, Bootsma D, Hoeijmakers JH|display-authors=6|hdl-access=free}}</ref>。ヒトの''RAD21''遺伝子は{{仮リンク|8番染色体|en|Chromosome 8}}の長腕8q24.11に位置する<ref name=":0" /><ref name=":22">{{cite journal|date=1994-01-01|title=Prediction of the coding sequences of unidentified human genes. II. The coding sequences of 40 new genes (KIAA0041-KIAA0080) deduced by analysis of cDNA clones from human cell line KG-1|url=https://academic.oup.com/dnaresearch/article-lookup/doi/10.1093/dnares/1.5.223|journal=DNA Research|volume=1|issue=5|pages=223–9|doi=10.1093/dnares/1.5.223|pmid=7584044|vauthors=Nomura N, Nagase T, Miyajima N, Sazuka T, Tanaka A, Sato S, Seki N, Kawarabayasi Y, Ishikawa K, Tabata S|display-authors=6|doi-access=free}}</ref>。1997年、RAD21は染色体上のコヒーシン複合体の主要な構成要素であることが発見され<ref name=":23">{{cite journal|date=October 1997|title=A direct link between sister chromatid cohesion and chromosome condensation revealed through the analysis of MCD1 in S. cerevisiae|journal=Cell|volume=91|issue=1|pages=47–57|doi=10.1016/S0092-8674(01)80008-8|pmc=2670185|pmid=9335334|vauthors=Guacci V, Koshland D, Strunnikov A}}</ref><ref name=":24">{{cite journal|date=October 1997|title=Cohesins: chromosomal proteins that prevent premature separation of sister chromatids|journal=Cell|volume=91|issue=1|pages=35–45|doi=10.1016/S0092-8674(01)80007-6|pmid=9335333|vauthors=Michaelis C, Ciosk R, Nasmyth K|s2cid=18572651|doi-access=free}}</ref>、[[中期 (細胞分裂)|中期]]から[[後期 (細胞分裂)|後期]]への移行時に[[システインプロテアーゼ]]である[[セパラーゼ]]による切断されることで姉妹染色分体の分離、そして染色体分離が引き起こされる<ref name=":1">{{cite journal|date=July 1999|title=Sister-chromatid separation at anaphase onset is promoted by cleavage of the cohesin subunit Scc1|url=http://www.nature.com/articles/21831|journal=Nature|volume=400|issue=6739|pages=37–42|bibcode=1999Natur.400...37U|doi=10.1038/21831|pmid=10403247|vauthors=Uhlmann F, Lottspeich F, Nasmyth K|s2cid=4354549}}</ref>。
== 構造 ==
RAD21は、α-[[Kleisin]]と呼ばれるスーパーファミリーに属する<ref name=":25">{{cite journal|date=June 2005|title=The structure and function of SMC and kleisin complexes|journal=Annual Review of Biochemistry|volume=74|issue=1|pages=595–648|doi=10.1146/annurev.biochem.74.082803.133219|pmid=15952899|vauthors=Nasmyth K, Haering CH}}</ref>核内リン酸化タンパク質である。そのサイズは[[ニホンヤモリ]]''Gekko japonicus''の278アミノ酸から[[シャチ]]''Orcinus orca''の746アミノ酸まで幅があるが、ヒトを含む大部分の[[脊椎動物]]では長さの中央値は631アミノ酸である。RAD21タンパク質はN末端とC末端が最も保存されており、それぞれ{{仮リンク|SMC3|en|SMC3}}、{{仮リンク|SMC1A|en|SMC1A|label=SMC1}}と結合する。RAD21中央部のSTAGドメインはSCC3([[STAG1|SA1]]/[[STAG2|SA2]])に結合し、この領域も保存されている。また、[[核局在化シグナル|核局在シグナル]]やacidic-basic stretch、acidic stretchと呼ばれる領域も存在し、こうした配列の存在は[[クロマチン]]に結合する役割と符合している。RAD21は、有糸分裂時のセパラーゼ<ref name=":1" /><ref name=":2">{{cite journal|date=August 2001|title=Cohesin cleavage by separase required for anaphase and cytokinesis in human cells|journal=Science|volume=293|issue=5533|pages=1320–3|bibcode=2001Sci...293.1320H|doi=10.1126/science.1061376|pmid=11509732|vauthors=Hauf S, Waizenegger IC, Peters JM|s2cid=46036132}}</ref><ref name=":26">{{cite journal|date=October 2000|title=Cleavage of cohesin by the CD clan protease separin triggers anaphase in yeast|journal=Cell|volume=103|issue=3|pages=375–86|doi=10.1016/S0092-8674(00)00130-6|pmid=11081625|vauthors=Uhlmann F, Wernic D, Poupart MA, Koonin EV, Nasmyth K|s2cid=2667617|doi-access=free}}</ref>やカルシウム依存性システインエンドペプチダーゼ{{仮リンク|カルパイン1|en|Calpain-1}}<ref name=":3">{{cite journal|date=November 2011|title=Calpain-1 cleaves Rad21 to promote sister chromatid separation|journal=Molecular and Cellular Biology|volume=31|issue=21|pages=4335–47|doi=10.1128/MCB.06075-11|pmc=3209327|pmid=21876002|vauthors=Panigrahi AK, Zhang N, Mao Q, Pati D}}</ref>、[[アポトーシス]]の際の[[カスパーゼ]]<ref name=":4">{{cite journal|date=May 2002|title=Caspase proteolysis of the cohesin component RAD21 promotes apoptosis|journal=The Journal of Biological Chemistry|volume=277|issue=19|pages=16775–81|doi=10.1074/jbc.M201322200|pmid=11875078|vauthors=Chen F, Kamradt M, Mulcahy M, Byun Y, Xu H, McKay MJ, Cryns VL|doi-access=free}}</ref><ref name=":5">{{cite journal|date=December 2002|title=Linking sister chromatid cohesion and apoptosis: role of Rad21|journal=Molecular and Cellular Biology|volume=22|issue=23|pages=8267–77|doi=10.1128/MCB.22.23.8267-8277.2002|pmc=134054|pmid=12417729|vauthors=Pati D, Zhang N, Plon SE}}</ref>など、いくつかのプロテアーゼによる切断を受ける。
[[File:Characteristics on human RAD21. .tif|none|thumb|564x564px|ヒトのRAD21の構造的特徴。RAD21にはSMC3(1–103番)、STAG1/2(362–403番)、SMC1A(558–628番)と相互作用するドメインが存在する。LPEモチーフ(255–257番)はセパラーゼによる迅速かつ特異的な切断に必要である。また、cNLS Mapperによって2つの双節型核局在シグナル(NLS、317–339番と384–407番)の存在が予測されている<ref name="pmid19520826">{{cite journal|date=June 2009|title=Systematic identification of cell cycle-dependent yeast nucleocytoplasmic shuttling proteins by prediction of composite motifs|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=106|issue=25|pages=10171–6|bibcode=2009PNAS..10610171K|doi=10.1073/pnas.0900604106|pmc=2695404|pmid=19520826|vauthors=Kosugi S, Hasebe M, Tomita M, Yanagawa H|doi-access=free}}</ref>。さらに、酸性残基と塩基性残基が交互に並んだacidic-basic residues stretch(524–533番)、酸性残基が並んだacidic residues stretch(534–543番)、2つのセパラーゼ切断部位(ExxR)、1つのカルパイン1切断部位(LLL)、1つの[[カスパーゼ-3]]/{{仮リンク|カスパーゼ-7|en|Caspase 7|label=7}}切断部位(DxxD)が存在する。図中の残基番号はヒトRAD21のものであり、矢印は切断部位を示している。]]
== 相互作用 ==
RAD21はV字型のSMC1-SMC3ヘテロ二量体と結合して三者からなるリング状構造を形成し<ref name=":6">{{cite journal|date=November 2014|title=Closing the cohesin ring: structure and function of its Smc3-kleisin interface|journal=Science|volume=346|issue=6212|pages=963–7|bibcode=2014Sci...346..963G|doi=10.1126/science.1256917|pmc=4300515|pmid=25414305|vauthors=Gligoris TG, Scheinost JC, Bürmann F, Petela N, Chan KL, Uluocak P, Beckouët F, Gruber S, Nasmyth K, Löwe J|display-authors=6}}</ref>、その後SCC3(SA1/SA2)をリクルートする。この四者複合体がコヒーシン複合体と呼ばれる。現在、姉妹染色分体の接着機構には主に2つの競合するモデルが存在する。1つはone-ring embrace model<ref name=":27">{{cite journal|date=April 2002|title=Molecular architecture of SMC proteins and the yeast cohesin complex|journal=Molecular Cell|volume=9|issue=4|pages=773–88|doi=10.1016/S1097-2765(02)00515-4|pmid=11983169|vauthors=Haering CH, Löwe J, Hochwagen A, Nasmyth K|doi-access=free}}</ref>などと呼ばれ、もう1つはdimeric handcuff model<ref name=":7">{{cite journal|date=December 2008|title=A handcuff model for the cohesin complex|journal=The Journal of Cell Biology|volume=183|issue=6|pages=1019–31|doi=10.1083/jcb.200801157|pmc=2600748|pmid=19075111|vauthors=Zhang N, Kuznetsov SG, Sharan SK, Li K, Rao PH, Pati D}}</ref><ref name=":28">{{cite journal|date=February 2009|title=Handcuff for sisters: a new model for sister chromatid cohesion|journal=Cell Cycle|volume=8|issue=3|pages=399–402|doi=10.4161/cc.8.3.7586|pmc=2689371|pmid=19177018|vauthors=Zhang N, Pati D}}</ref>などと呼ばれるものである。One-ring embrace modelは、2つの姉妹染色分体が1つのコヒーシンリング内に共にトラップされることを仮定しているのに対し、handcuff modelは各染色分体が個別にトラップされることを提唱している。Handcuff modelでは、各リングは1組のRAD21、SMC1、SMC3分子から構成される。SA1もしくはSA2によって2分子のRAD21が逆平行方向に結合することで、handcuff構造が確立されるとされている<ref name=":7" />。[[File:Figure 2 Cohesin complex and models. .tif|none|thumb|625x625px|コヒーシン複合体と姉妹染色分体間接着のモデル。(A) コヒーシンは、RAD21、SMC1、SMC3、SAタンパク質(SA1もしくはSA2)という4つのコア構造サブユニットから構成される。PDS5、WAPL、{{仮リンク|CDCA5|en|CDCA5|label=Sororin}}はコヒーシン結合タンパク質である。Sororinは酵母では見つかっていない<ref name=":29">{{cite journal|date=June 2012|title=Sororin is a master regulator of sister chromatid cohesion and separation|journal=Cell Cycle|volume=11|issue=11|pages=2073–83|doi=10.4161/cc.20241|pmc=3368859|pmid=22580470|vauthors=Zhang N, Pati D}}</ref><ref name=":30">{{cite journal|date=November 2010|title=Sororin mediates sister chromatid cohesion by antagonizing Wapl|journal=Cell|volume=143|issue=5|pages=737–49|doi=10.1016/j.cell.2010.10.031|pmid=21111234|vauthors=Nishiyama T, Ladurner R, Schmitz J, Kreidl E, Schleiffer A, Bhaskara V, Bando M, Shirahige K, Hyman AA, Mechtler K, Peters JM|display-authors=6|s2cid=518782|doi-access=free}}</ref>。(B, C) One-ring model (B) とHandcuff model (C)<ref name=":8">{{cite book|洋書 |vauthors=Zhang N, Pati D |chapter=Road to cancer via cohesin deregulation. |title=Oncology: Theory & Practice |date=2014 |pages=213–240 |publisher=iConcept Press Hong Kong}}</ref>。]]
RAD21のN末端ドメインには2本の[[αヘリックス]]が存在し、SMC3の[[コイルドコイル]]と3[[ヘリックスバンドル]]を形成する<ref name=":6" />。RAD21の中央領域は大部分が構造をとらないと考えられているが、SA1またはSA2の結合部位<ref name=":31">{{cite journal|date=October 2014|title=Structure of cohesin subcomplex pinpoints direct shugoshin-Wapl antagonism in centromeric cohesion|journal=Nature Structural & Molecular Biology|volume=21|issue=10|pages=864–70|doi=10.1038/nsmb.2880|pmc=4190070|pmid=25173175|vauthors=Hara K, Zheng G, Qu Q, Liu H, Ouyang Z, Chen Z, Tomchick DR, Yu H|display-authors=6}}</ref>、セパラーゼやカスパーゼの認識モチーフ、[[カルパイン]]の切断モチーフ<ref name=":1" /><ref name=":3" /><ref name=":4" /><ref name=":5" />、{{仮リンク|PDS5A|en|PDS5A}}、{{仮リンク|PDS5B|en|PDS5B}}、{{仮リンク|NIPBL|en|NIPBL}}の競合的結合領域<ref name=":32">{{cite journal|date=June 2018|title=Scc2 Is a Potent Activator of Cohesin's ATPase that Promotes Loading by Binding Scc1 without Pds5|journal=Molecular Cell|volume=70|issue=6|pages=1134–1148.e7|doi=10.1016/j.molcel.2018.05.022|pmc=6028919|pmid=29932904|vauthors=Petela NJ, Gligoris TG, Metson J, Lee BG, Voulgaris M, Hu B, Kikuchi S, Chapard C, Chen W, Rajendra E, Srinivisan M, Yu H, Löwe J, Nasmyth KA|display-authors=6}}</ref><ref name=":33">{{cite journal|date=November 2016|title=Crystal structure of the cohesin loader Scc2 and insight into cohesinopathy|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=113|issue=44|pages=12444–12449|doi=10.1073/pnas.1611333113|pmc=5098657|pmid=27791135|vauthors=Kikuchi S, Borek DM, Otwinowski Z, Tomchick DR, Yu H|doi-access=free}}</ref><ref name=":34">{{cite journal|date=March 2016|title=Structure of the Pds5-Scc1 Complex and Implications for Cohesin Function|journal=Cell Reports|volume=14|issue=9|pages=2116–2126|doi=10.1016/j.celrep.2016.01.078|pmid=26923589|vauthors=Muir KW, Kschonsak M, Li Y, Metz J, Haering CH, Panne D|doi-access=free}}</ref>など、コヒーシンの調節因子の結合部位がいくつか含まれている。RAD21のC末端ドメインはwinged helixを形成し、SMC1のヘッドドメインの2本の[[βシート]]に結合する<ref name=":35">{{cite journal|date=September 2004|title=Structure and stability of cohesin's Smc1-kleisin interaction|journal=Molecular Cell|volume=15|issue=6|pages=951–64|doi=10.1016/j.molcel.2004.08.030|pmid=15383284|vauthors=Haering CH, Schoffnegger D, Nishino T, Helmhart W, Nasmyth K, Löwe J|doi-access=free}}</ref>。
{{仮リンク|WAPL|en|WAPAL}}はSMC3-RAD21相互作用面を開いてDNAからコヒーシンを解放し、DNAのコヒーシンリングの通過を可能にする<ref name=":36">{{cite journal|date=February 2016|title=Releasing Activity Disengages Cohesin's Smc3/Scc1 Interface in a Process Blocked by Acetylation|journal=Molecular Cell|volume=61|issue=4|pages=563–574|doi=10.1016/j.molcel.2016.01.026|pmc=4769318|pmid=26895425|vauthors=Beckouët F, Srinivasan M, Roig MB, Chan KL, Scheinost JC, Batty P, Hu B, Petela N, Gligoris T, Smith AC, Strmecki L, Rowland BD, Nasmyth K|display-authors=6}}</ref>。この相互作用面の開放は、SMCサブユニットへの[[アデノシン三リン酸|ATP]]結合によって調節されている。ATPの結合によってヘッドドメインは二量体化してSMC3のコイルドコイルが変形し、コイルドコイルに対するRAD21の結合が妨げられる<ref name=":37">{{cite journal|date=March 2020|title=The structure of the cohesin ATPase elucidates the mechanism of SMC-kleisin ring opening|journal=Nature Structural & Molecular Biology|volume=27|issue=3|pages=233–239|doi=10.1038/s41594-020-0379-7|pmc=7100847|pmid=32066964|vauthors=Muir KW, Li Y, Weis F, Panne D}}</ref>。
[[File:Figure 3 Functional classification of RAD21 interactors..tif|thumb|612x612px|RAD21相互作用因子の機能的分類。Panigrahi et al.<ref name=":38">{{cite journal|date=March 2012|title=A cohesin-RAD21 interactome|url=https://portlandpress.com/biochemj/article/442/3/661/81034/A-cohesinRAD21-interactome|journal=The Biochemical Journal|volume=442|issue=3|pages=661–70|doi=10.1042/BJ20111745|pmid=22145905|vauthors=Panigrahi AK, Zhang N, Otta SK, Pati D|s2cid=46097282}}</ref>のデータの Cytoscapeによる出力。細胞過程ごとにクラスタリングされている。]]
RAD21との相互作用因子として合計で285種類の因子が報告されており、これらは[[有糸分裂]]、[[アポトーシス]]の調節、染色体ダイナミクス、染色体接着、[[DNA複製|複製]]、[[転写 (生物学)|転写]]調節、RNAプロセシング、DNA損傷応答、タンパク質の修飾と分解、細胞[[骨格]]や運動性など多岐にわたる細胞過程で機能するものである<ref name=":38" />。
{{Clear}}
== 機能 ==
[[File:Figure 4 RAD21 Functions in various cellular processes. .tif|thumb|RAD21はSMC1、SMC3、STAG1/2とともにコヒーシン複合体を形成し、さまざまな正常細胞過程(青)で機能する。RAD21の典型的な役割は、姉妹染色分体の接着と分離である。その他の役割としては、DNA損傷修復、転写調節、DNA複製、中心体生合成などがある。RAD21の変異によってその機能が破壊された場合には、疾患が引き起こされる(緑)。カスパーゼによって切断されたRAD21断片は、アポトーシスを促進する(紫)。REC8とRAD21Lは脊椎動物におけるRAD21のパラログであり、減数分裂において特異的に機能する(茶)。]]
RAD21は、多様な細胞機能において複数の生理的役割を果たしている。RAD21はコヒーシン複合体のサブユニットとして、[[S期]]におけるDNA複製から有糸分裂時の染色体分離まで、姉妹染色分体の接着に関与している。この機能は進化的に保存されており、適切な染色体分離、染色体構造、複製後のDNA修復、反復領域間での不適切な[[遺伝的組換え|組換え]]の防止に必要不可欠である<ref name=":2" /><ref name=":8" />。また、RAD21は有糸分裂時の紡錘体極の組み立てや<ref name=":39">{{cite journal|date=December 2001|title=A potential role for human cohesin in mitotic spindle aster assembly|journal=The Journal of Biological Chemistry|volume=276|issue=50|pages=47575–82|doi=10.1074/jbc.M103364200|pmid=11590136|vauthors=Gregson HC, Schmiesing JA, Kim JS, Kobayashi T, Zhou S, Yokomori K|doi-access=free}}</ref>、アポトーシスの進行にも関与している可能性がある<ref name=":4" /><ref name=":5" />。[[間期 (細胞分裂)|間期]]においては、コヒーシンはゲノム内の多数の部位に結合することで遺伝子発現の制御に機能している可能性がある。RAD21はコヒーシン複合体の構造的構成要素として、クロマチンと関連した機能にも寄与している。そうした機能には、DNA複製<ref name=":40">{{cite journal|date=December 2010|title=Cohesin organizes chromatin loops at DNA replication factories|journal=Genes & Development|volume=24|issue=24|pages=2812–22|doi=10.1101/gad.608210|pmc=3003199|pmid=21159821|vauthors=Guillou E, Ibarra A, Coulon V, Casado-Vela J, Rico D, Casal I, Schwob E, Losada A, Méndez J|display-authors=6}}</ref><ref name=":41">{{cite journal|date=October 2004|title=Recruitment of Xenopus Scc2 and cohesin to chromatin requires the pre-replication complex|url=http://www.nature.com/articles/ncb1177|journal=Nature Cell Biology|volume=6|issue=10|pages=991–6|doi=10.1038/ncb1177|pmid=15448702|vauthors=Takahashi TS, Yiu P, Chou MF, Gygi S, Walter JC|s2cid=20488928}}</ref><ref name=":42">{{cite journal|date=March 2006|title=Direct interaction between cohesin complex and DNA replication machinery|journal=Biochemical and Biophysical Research Communications|volume=341|issue=3|pages=770–5|doi=10.1016/j.bbrc.2006.01.029|pmid=16438930|vauthors=Ryu MJ, Kim BJ, Lee JW, Lee MW, Choi HK, Kim ST}}</ref><ref name=":43">{{cite journal|date=November 2009|title=Cohesin acetylation speeds the replication fork|journal=Nature|volume=462|issue=7270|pages=231–4|bibcode=2009Natur.462..231T|doi=10.1038/nature08550|pmc=2777716|pmid=19907496|vauthors=Terret ME, Sherwood R, Rahman S, Qin J, Jallepalli PV}}</ref><ref name=":44">{{cite journal|date=February 2010|title=Drosophila ORC localizes to open chromatin and marks sites of cohesin complex loading|journal=Genome Research|volume=20|issue=2|pages=201–11|doi=10.1101/gr.097873.109|pmc=2813476|pmid=19996087|vauthors=MacAlpine HK, Gordân R, Powell SK, Hartemink AJ, MacAlpine DM}}</ref>、DNA損傷応答<ref name=":45">{{cite journal|date=July 2007|title=DNA double-strand breaks trigger genome-wide sister-chromatid cohesion through Eco1 (Ctf7)|journal=Science|volume=317|issue=5835|pages=245–8|bibcode=2007Sci...317..245U|doi=10.1126/science.1140637|pmid=17626885|vauthors=Unal E, Heidinger-Pauli JM, Koshland D|s2cid=551399}}</ref><ref name=":46">{{cite journal|date=May 2009|title=Distinct targets of the Eco1 acetyltransferase modulate cohesion in S phase and in response to DNA damage|journal=Molecular Cell|volume=34|issue=3|pages=311–21|doi=10.1016/j.molcel.2009.04.008|pmc=2737744|pmid=19450529|vauthors=Heidinger-Pauli JM, Unal E, Koshland D}}</ref><ref name=":47">{{cite journal|date=December 2004|title=Postreplicative recruitment of cohesin to double-strand breaks is required for DNA repair|journal=Molecular Cell|volume=16|issue=6|pages=1003–15|doi=10.1016/j.molcel.2004.11.026|pmid=15610742|vauthors=Ström L, Lindroos HB, Shirahige K, Sjögren C|doi-access=free}}</ref><ref name=":48">{{cite journal|date=July 2010|title=Genome-wide reinforcement of cohesin binding at pre-existing cohesin sites in response to ionizing radiation in human cells|journal=The Journal of Biological Chemistry|volume=285|issue=30|pages=22784–92|doi=10.1074/jbc.M110.134577|pmc=2906269|pmid=20501661|vauthors=Kim BJ, Li Y, Zhang J, Xi Y, Li Y, Yang T, Jung SY, Pan X, Chen R, Li W, Wang Y, Qin J|display-authors=6|doi-access=free}}</ref><ref name=":49">{{cite journal|date=September 2009|title=The cohesin complex is required for the DNA damage-induced G2/M checkpoint in mammalian cells|journal=The EMBO Journal|volume=28|issue=17|pages=2625–35|doi=10.1038/emboj.2009.202|pmc=2738698|pmid=19629043|vauthors=Watrin E, Peters JM}}</ref><ref name=":50">{{cite journal|date=September 2006|title=Double-strand breaks arising by replication through a nick are repaired by cohesin-dependent sister-chromatid exchange|journal=EMBO Reports|volume=7|issue=9|pages=919–26|doi=10.1038/sj.embor.7400774|pmc=1559660|pmid=16888651|vauthors=Cortés-Ledesma F, Aguilera A}}</ref><ref name=":51">{{cite journal|date=August 2006|title=Cohesin and DNA damage repair|journal=Experimental Cell Research|volume=312|issue=14|pages=2687–93|doi=10.1016/j.yexcr.2006.06.024|pmid=16876157|vauthors=Watrin E, Peters JM}}</ref><ref name=":52">{{cite journal|date=January 2008|title=Damage-induced reactivation of cohesin in postreplicative DNA repair|journal=BioEssays|volume=30|issue=1|pages=5–9|doi=10.1002/bies.20691|pmc=4127326|pmid=18081005|vauthors=Ball AR, Yokomori K}}</ref><ref name=":53">{{cite journal|date=May 2010|title=S-phase and DNA damage activated establishment of sister chromatid cohesion--importance for DNA repair|journal=Experimental Cell Research|volume=316|issue=9|pages=1445–53|doi=10.1016/j.yexcr.2009.12.018|pmid=20043905|vauthors=Sjögren C, Ström L}}</ref>、そして最も重要なものとして転写調節が含まれている<ref name=":9">{{cite journal|date=February 2008|title=Cohesin mediates transcriptional insulation by CCCTC-binding factor|url=http://www.nature.com/articles/nature06634|journal=Nature|volume=451|issue=7180|pages=796–801|bibcode=2008Natur.451..796W|doi=10.1038/nature06634|pmid=18235444|vauthors=Wendt KS, Yoshida K, Itoh T, Bando M, Koch B, Schirghuber E, Tsutsumi S, Nagae G, Ishihara K, Mishiro T, Yahata K, Imamoto F, Aburatani H, Nakao M, Imamoto N, Maeshima K, Shirahige K, Peters JM|display-authors=6|s2cid=205212289}}</ref><ref name=":10">{{cite journal|date=April 2010|title=Cohesins coordinate gene transcriptions of related function within Saccharomyces cerevisiae|journal=Cell Cycle|volume=9|issue=8|pages=1601–6|doi=10.4161/cc.9.8.11307|pmc=3096706|pmid=20404480|vauthors=Skibbens RV, Marzillier J, Eastman L}}</ref><ref name=":11">{{cite journal|date=May 2010|title=A CTCF-independent role for cohesin in tissue-specific transcription|journal=Genome Research|volume=20|issue=5|pages=578–88|doi=10.1101/gr.100479.109|pmc=2860160|pmid=20219941|vauthors=Schmidt D, Schwalie PC, Ross-Innes CS, Hurtado A, Brown GD, Carroll JS, Flicek P, Odom DT|display-authors=6}}</ref><ref name=":12">{{cite journal|date=September 2010|title=Mediator and cohesin connect gene expression and chromatin architecture|journal=Nature|volume=467|issue=7314|pages=430–5|bibcode=2010Natur.467..430K|doi=10.1038/nature09380|pmc=2953795|pmid=20720539|vauthors=Kagey MH, Newman JJ, Bilodeau S, Zhan Y, Orlando DA, van Berkum NL, Ebmeier CC, Goossens J, Rahl PB, Levine SS, Taatjes DJ, Dekker J, Young RA|display-authors=6}}</ref><ref name=":54">{{cite journal|date=October 2010|title=A direct role for cohesin in gene regulation and ecdysone response in Drosophila salivary glands|journal=Current Biology|volume=20|issue=20|pages=1787–98|doi=10.1016/j.cub.2010.09.006|pmc=4763543|pmid=20933422|vauthors=Pauli A, van Bemmel JG, Oliveira RA, Itoh T, Shirahige K, van Steensel B, Nasmyth K}}</ref><ref name=":55">{{cite journal|date=October 2010|title=Gene regulation: the cohesin ring connects developmental highways|journal=Current Biology|volume=20|issue=20|pages=R886-8|doi=10.1016/j.cub.2010.09.036|pmid=20971431|vauthors=Dorsett D|s2cid=2543711|doi-access=free}}</ref><ref name=":13">{{cite journal|date=February 2008|title=Cohesins functionally associate with CTCF on mammalian chromosome arms|journal=Cell|volume=132|issue=3|pages=422–33|doi=10.1016/j.cell.2008.01.011|pmid=18237772|vauthors=Parelho V, Hadjur S, Spivakov M, Leleu M, Sauer S, Gregson HC, Jarmuz A, Canzonetta C, Webster Z, Nesterova T, Cobb BS, Yokomori K, Dillon N, Aragon L, Fisher AG, Merkenschlager M|display-authors=6|s2cid=14363394|doi-access=free}}</ref><ref name=":56">{{cite journal|date=May 2009|title=Transcriptional dysregulation in NIPBL and cohesin mutant human cells|journal=PLOS Biology|volume=7|issue=5|pages=e1000119|doi=10.1371/journal.pbio.1000119|pmc=2680332|pmid=19468298|vauthors=Liu J, Zhang Z, Bando M, Itoh T, Deardorff MA, Clark D, Kaur M, Tandy S, Kondoh T, Rappaport E, Spinner NB, Vega H, Jackson LG, Shirahige K, Krantz ID|display-authors=6|veditors=Hastie N}}</ref>。近年の多くの機能研究やゲノム研究により、染色体上のコヒーシンタンパク質が[[造血]]系遺伝子の発現の重要な調節因子であることが示唆されている<ref name=":14">{{cite journal|date=December 2015|title=Leukemia-Associated Cohesin Mutants Dominantly Enforce Stem Cell Programs and Impair Human Hematopoietic Progenitor Differentiation|journal=Cell Stem Cell|volume=17|issue=6|pages=675–688|doi=10.1016/j.stem.2015.09.017|pmc=4671831|pmid=26607380|vauthors=Mazumdar C, Shen Y, Xavy S, Zhao F, Reinisch A, Li R, Corces MR, Flynn RA, Buenrostro JD, Chan SM, Thomas D, Koenig JL, Hong WJ, Chang HY, Majeti R|display-authors=6}}</ref><ref name=":15">{{cite journal|date=October 2015|title=Cohesin loss alters adult hematopoietic stem cell homeostasis, leading to myeloproliferative neoplasms|journal=The Journal of Experimental Medicine|volume=212|issue=11|pages=1833–50|doi=10.1084/jem.20151323|pmc=4612095|pmid=26438359|vauthors=Mullenders J, Aranda-Orgilles B, Lhoumaud P, Keller M, Pae J, Wang K, Kayembe C, Rocha PP, Raviram R, Gong Y, Premsrirut PK, Tsirigos A, Bonneau R, Skok JA, Cimmino L, Hoehn D, Aifantis I|display-authors=6}}</ref><ref name=":57">{{cite journal|date=October 2015|title=Dose-dependent role of the cohesin complex in normal and malignant hematopoiesis|journal=The Journal of Experimental Medicine|volume=212|issue=11|pages=1819–32|doi=10.1084/jem.20151317|pmc=4612085|pmid=26438361|vauthors=Viny AD, Ott CJ, Spitzer B, Rivas M, Meydan C, Papalexi E, Yelin D, Shank K, Reyes J, Chiu A, Romin Y, Boyko V, Thota S, Maciejewski JP, Melnick A, Bradner JE, Levine RL|display-authors=6}}</ref><ref name=":58">{{cite journal|date=April 2017|title=Cohesin Mutations in Myeloid Malignancies|journal=Trends in Cancer|volume=3|issue=4|pages=282–293|doi=10.1016/j.trecan.2017.02.006|pmc=5472227|pmid=28626802|vauthors=Fisher JB, McNulty M, Burke MJ, Crispino JD, Rao S}}</ref><ref name=":59">{{cite journal|date=December 2019|title=Closing the loop on cohesin in hematopoiesis|journal=Blood|volume=134|issue=24|pages=2123–2125|doi=10.1182/blood.2019003279|pmc=6908834|pmid=31830276|vauthors=Rao S}}</ref>。
RAD21はコヒーシン複合体の一部として、次のような遺伝子調節機能を果たす<ref>{{Cite journal|last=Cheng|first=Haizi|last2=Zhang|first2=Nenggang|last3=Pati|first3=Debananda|date=2020-10-20|title=Cohesin subunit RAD21: From biology to disease|url=https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32687945|journal=Gene|volume=758|pages=144966|doi=10.1016/j.gene.2020.144966|issn=1879-0038|pmc=7949736|pmid=32687945}}</ref>。
# [[CTCF]]との相互作用による[[対立遺伝子|アレル]]特異的転写<ref name=":9" /><ref name=":10" /><ref name=":11" /><ref name=":13" /><ref name=":60">{{cite journal|date=June 2011|title=CCCTC-binding factor (CTCF) and cohesin influence the genomic architecture of the Igh locus and antisense transcription in pro-B cells|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=108|issue=23|pages=9566–71|bibcode=2011PNAS..108.9566D|doi=10.1073/pnas.1019391108|pmc=3111298|pmid=21606361|vauthors=Degner SC, Verma-Gaur J, Wong TP, Bossen C, Iverson GM, Torkamani A, Vettermann C, Lin YC, Ju Z, Schulz D, Murre CS, Birshtein BK, Schork NJ, Schlissel MS, Riblet R, Murre C, Feeney AJ|display-authors=6|doi-access=free}}</ref><ref name=":16">{{cite journal|date=December 2012|title=CTCF/cohesin-mediated DNA looping is required for protocadherin α promoter choice|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=109|issue=51|pages=21081–6|bibcode=2012PNAS..10921081G|doi=10.1073/pnas.1219280110|pmc=3529044|pmid=23204437|vauthors=Guo Y, Monahan K, Wu H, Gertz J, Varley KE, Li W, Myers RM, Maniatis T, Wu Q|display-authors=6|doi-access=free}}</ref>
# 組織特異的転写因子との相互作用による組織特異的転写<ref name=":11" /><ref name=":61">{{cite journal|date=July 2009|title=Cohesins form chromosomal cis-interactions at the developmentally regulated IFNG locus|journal=Nature|volume=460|issue=7253|pages=410–3|bibcode=2009Natur.460..410H|doi=10.1038/nature08079|pmc=2869028|pmid=19458616|vauthors=Hadjur S, Williams LM, Ryan NK, Cobb BS, Sexton T, Fraser P, Fisher AG, Merkenschlager M|display-authors=6}}</ref><ref name=":62">{{cite journal|date=November 2012|title=Cohesin regulates tissue-specific expression by stabilizing highly occupied cis-regulatory modules|journal=Genome Research|volume=22|issue=11|pages=2163–75|doi=10.1101/gr.136507.111|pmc=3483546|pmid=22780989|vauthors=Faure AJ, Schmidt D, Watt S, Schwalie PC, Wilson MD, Xu H, Ramsay RG, Odom DT, Flicek P|display-authors=6}}</ref><ref name=":63">{{cite journal|date=August 2011|title=A role for cohesin in T-cell-receptor rearrangement and thymocyte differentiation|journal=Nature|volume=476|issue=7361|pages=467–71|bibcode=2011Natur.476..467S|doi=10.1038/nature10312|pmc=3179485|pmid=21832993|vauthors=Seitan VC, Hao B, Tachibana-Konwalski K, Lavagnolli T, Mira-Bontenbal H, Brown KE, Teng G, Carroll T, Terry A, Horan K, Marks H, Adams DJ, Schatz DG, Aragon L, Fisher AG, Krangel MS, Nasmyth K, Merkenschlager M|display-authors=6}}</ref><ref name=":17">{{cite journal|date=August 2013|title=Transcription factor binding in human cells occurs in dense clusters formed around cohesin anchor sites|journal=Cell|volume=154|issue=4|pages=801–13|doi=10.1016/j.cell.2013.07.034|pmid=23953112|vauthors=Yan J, Enge M, Whitington T, Dave K, Liu J, Sur I, Schmierer B, Jolma A, Kivioja T, Taipale M, Taipale J|display-authors=6|doi-access=free}}</ref><ref name=":18">{{cite journal|date=July 2013|title=Intrachromosomal looping is required for activation of endogenous pluripotency genes during reprogramming|journal=Cell Stem Cell|volume=13|issue=1|pages=30–5|doi=10.1016/j.stem.2013.05.012|pmid=23747202|vauthors=Zhang H, Jiao W, Sun L, Fan J, Chen M, Wang H, Xu X, Shen A, Li T, Niu B, Ge S, Li W, Cui J, Wang G, Sun J, Fan X, Hu X, Mrsny RJ, Hoffman AR, Hu JF|display-authors=6|doi-access=free}}</ref>
# [[基本転写因子|基本転写装置]]とのコミュニケーションによる一般的な転写進行<ref name=":12" /><ref name=":17" /><ref name=":64">{{cite journal|date=October 2011|title=Cohesin selectively binds and regulates genes with paused RNA polymerase|journal=Current Biology|volume=21|issue=19|pages=1624–34|doi=10.1016/j.cub.2011.08.036|pmc=3193539|pmid=21962715|vauthors=Fay A, Misulovin Z, Li J, Schaaf CA, Gause M, Gilmour DS, Dorsett D}}</ref><ref name=":65">{{cite journal|date=March 2013|title=Genome-wide control of RNA polymerase II activity by cohesin|journal=PLOS Genetics|volume=9|issue=3|pages=e1003382|doi=10.1371/journal.pgen.1003382|pmc=3605059|pmid=23555293|vauthors=Schaaf CA, Kwak H, Koenig A, Misulovin Z, Gohara DW, Watson A, Zhou Y, Lis JT, Dorsett D|display-authors=6|veditors=Ren B}}</ref>
# 多能性因子([[Oct-4|Oct4]]、{{仮リンク|NANOG|en|Homeobox protein NANOG|label=Nanog}}、{{仮リンク|SOX4|en|SOX4|label=Sox4}}、{{仮リンク|KLF2|en|KLF2}})とのCTCF非依存的な共局在
RAD21はCTCF<ref name=":66">{{cite journal|date=June 2008|title=CTCF physically links cohesin to chromatin|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=105|issue=24|pages=8309–14|bibcode=2008PNAS..105.8309R|doi=10.1073/pnas.0801273105|pmc=2448833|pmid=18550811|vauthors=Rubio ED, Reiss DJ, Welcsh PL, Disteche CM, Filippova GN, Baliga NS, Aebersold R, Ranish JA, Krumm A|display-authors=6|doi-access=free}}</ref>や組織特異的転写因子、基本転写装置と協働して転写を動的に調節する<ref name=":67">{{cite journal|date=June 2013|title=Cohesin at active genes: a unifying theme for cohesin and gene expression from model organisms to humans|journal=Current Opinion in Cell Biology|volume=25|issue=3|pages=327–33|doi=10.1016/j.ceb.2013.02.003|pmc=3691354|pmid=23465542|vauthors=Dorsett D, Merkenschlager M}}</ref>。また適切に転写を活性化するために、クロマチンのループ構造を形成して2つの離れた領域を近接させる<ref name=":16" /><ref name=":18" />。また、コヒーシンは転写抑制を保証するための転写インスレーターとしても機能する。転写を促進する[[エンハンサー]]や転写を遮断する[[インスレーター (遺伝学)|インスレーター]]は染色体上の保存された調節エレメント(conserved regulatory element:CRE)に位置し、コヒーシンは遺伝子[[プロモーター]]と離れた位置にあるCREを物理的に連結することで、細胞種特異的な転写調節を行っていると考えられている<ref name=":19">{{cite journal|date=2014|title=Cohesin mutations in myeloid malignancies: underlying mechanisms|journal=Experimental Hematology & Oncology|volume=3|issue=1|pages=13|doi=10.1186/2162-3619-3-13|pmc=4046106|pmid=24904756|vauthors=Leeke B, Marsman J, O'Sullivan JM, Horsfield JA}}</ref>。
[[減数分裂]]時には、{{仮リンク|REC8|en|REC8}}が発現してコヒーシン複合体中のRAD21に置き換わる。REC8を含むコヒーシンは相同染色体間や姉妹染色分体間の接着を形成し、この接着は哺乳類の[[卵母細胞]]の場合には何年もの間持続する<ref name=":68">{{cite journal|date=November 2010|title=Rec8-containing cohesin maintains bivalents without turnover during the growing phase of mouse oocytes|journal=Genes & Development|volume=24|issue=22|pages=2505–16|doi=10.1101/gad.605910|pmc=2975927|pmid=20971813|vauthors=Tachibana-Konwalski K, Godwin J, van der Weyden L, Champion L, Kudo NR, Adams DJ, Nasmyth K}}</ref><ref name=":69">{{cite journal|date=October 2000|title=Disjunction of homologous chromosomes in meiosis I depends on proteolytic cleavage of the meiotic cohesin Rec8 by separin|journal=Cell|volume=103|issue=3|pages=387–98|doi=10.1016/S0092-8674(00)00131-8|pmid=11081626|vauthors=Buonomo SB, Clyne RK, Fuchs J, Loidl J, Uhlmann F, Nasmyth K|s2cid=17385055|doi-access=free}}</ref>。RAD21LもRAD21の[[パラログ]]であり、減数分裂期の染色体分離に関与している<ref name=":20">{{cite journal|date=January 2011|title=RAD21L, a novel cohesin subunit implicated in linking homologous chromosomes in mammalian meiosis|journal=The Journal of Cell Biology|volume=192|issue=2|pages=263–76|doi=10.1083/jcb.201008005|pmc=3172173|pmid=21242291|vauthors=Lee J, Hirano T}}</ref>。RAD21Lを含むコヒーシン複合体の主要な役割は相同染色体間のペアリングと{{仮リンク|シナプシス|en|Synapsis|label=シナプシス|preserve=1}}であり、姉妹染色分体の接着ではない。一方、REC8は姉妹染色分体の接着に機能している可能性が高い。パキテン期の終盤にはRAD21Lの消失と共にRAD21が染色体上に出現し、そしてジプロテン期以降には大部分が解離する<ref name=":20" /><ref name=":70">{{cite journal|date=March 2011|title=A new meiosis-specific cohesin complex implicated in the cohesin code for homologous pairing|journal=EMBO Reports|volume=12|issue=3|pages=267–75|doi=10.1038/embor.2011.2|pmc=3059921|pmid=21274006|vauthors=Ishiguro K, Kim J, Fujiyama-Nakamura S, Kato S, Watanabe Y}}</ref>。こうした第一分裂前期終盤に一過的に出現するRAD21による接着の機能は不明である。
生殖細胞系列での''RAD21''の[[ヘテロ接合型]]もしくは[[ホモ接合型]]の[[ミスセンス突然変異|ミスセンス変異]]は{{仮リンク|コルネリア・デランゲ症候群|en|Cornelia de Lange syndrome}}<ref name=":71">{{cite journal|date=May 2020|title=Delineation of phenotypes and genotypes related to cohesin structural protein RAD21|journal=Human Genetics|volume=139|issue=5|pages=575–592|doi=10.1007/s00439-020-02138-2|pmc=7170815|pmid=32193685|vauthors=Krab LC, Marcos-Alcalde I, Assaf M, Balasubramanian M, Andersen JB, Bisgaard AM, Fitzpatrick DR, Gudmundsson S, Huisman SA, Kalayci T, Maas SM, Martinez F, McKee S, Menke LA, Mulder PA, Murch OD, Parker M, Pie J, Ramos FJ, Rieubland C, Rosenfeld Mokry JA, Scarano E, Shinawi M, Gómez-Puertas P, Tümer Z, Hennekam RC|display-authors=6}}</ref><ref name=":72">{{cite journal|date=June 2012|title=RAD21 mutations cause a human cohesinopathy|journal=American Journal of Human Genetics|volume=90|issue=6|pages=1014–27|doi=10.1016/j.ajhg.2012.04.019|pmc=3370273|pmid=22633399|vauthors=Deardorff MA, Wilde JJ, Albrecht M, Dickinson E, Tennstedt S, Braunholz D, Mönnich M, Yan Y, Xu W, Gil-Rodríguez MC, Clark D, Hakonarson H, Halbach S, Michelis LD, Rampuria A, Rossier E, Spranger S, Van Maldergem L, Lynch SA, Gillessen-Kaesbach G, Lüdecke HJ, Ramsay RG, McKay MJ, Krantz ID, Xu H, Horsfield JA, Kaiser FJ|display-authors=6}}</ref><ref name=":73">{{cite journal|date=October 2014|title=Genetic heterogeneity in Cornelia de Lange syndrome (CdLS) and CdLS-like phenotypes with observed and predicted levels of mosaicism|journal=Journal of Medical Genetics|volume=51|issue=10|pages=659–68|doi=10.1136/jmedgenet-2014-102573|pmc=4173748|pmid=25125236|vauthors=Ansari M, Poke G, Ferry Q, Williamson K, Aldridge R, Meynert AM, Bengani H, Chan CY, Kayserili H, Avci S, Hennekam RC, Lampe AK, Redeker E, Homfray T, Ross A, Falkenberg Smeland M, Mansour S, Parker MJ, Cook JA, Splitt M, Fisher RB, Fryer A, Magee AC, Wilkie A, Barnicoat A, Brady AF, Cooper NS, Mercer C, Deshpande C, Bennett CP, Pilz DT, Ruddy D, Cilliers D, Johnson DS, Josifova D, Rosser E, Thompson EM, Wakeling E, Kinning E, Stewart F, Flinter F, Girisha KM, Cox H, Firth HV, Kingston H, Wee JS, Hurst JA, Clayton-Smith J, Tolmie J, Vogt J, Tatton-Brown K, Chandler K, Prescott K, Wilson L, Behnam M, McEntagart M, Davidson R, Lynch SA, Sisodiya S, Mehta SG, McKee SA, Mohammed S, Holden S, Park SM, Holder SE, Harrison V, McConnell V, Lam WK, Green AJ, Donnai D, Bitner-Glindzicz M, Donnelly DE, Nellåker C, Taylor MS, FitzPatrick DR|display-authors=6}}</ref><ref name=":74">{{cite journal|date=March 2014|title=Two novel RAD21 mutations in patients with mild Cornelia de Lange syndrome-like presentation and report of the first familial case|journal=Gene|volume=537|issue=2|pages=279–84|doi=10.1016/j.gene.2013.12.045|pmid=24378232|vauthors=Minor A, Shinawi M, Hogue JS, Vineyard M, Hamlin DR, Tan C, Donato K, Wysinger L, Botes S, Das S, Del Gaudio D|display-authors=6}}</ref><ref name=":75">{{cite journal|date=April 2017|title=A novel RAD21 variant associated with intrafamilial phenotypic variation in Cornelia de Lange syndrome - review of the literature|journal=Clinical Genetics|volume=91|issue=4|pages=647–649|doi=10.1111/cge.12863|pmid=27882533|vauthors=Boyle MI, Jespersgaard C, Nazaryan L, Bisgaard AM, Tümer Z|s2cid=3732288}}</ref><ref name=":76">{{cite journal|date=February 2017|title=High diagnostic yield of syndromic intellectual disability by targeted next-generation sequencing|journal=Journal of Medical Genetics|volume=54|issue=2|pages=87–92|doi=10.1136/jmedgenet-2016-103964|pmid=27620904|vauthors=Martínez F, Caro-Llopis A, Roselló M, Oltra S, Mayo S, Monfort S, Orellana C|s2cid=46740644}}</ref><ref name=":77">{{cite journal|date=January 2020|title=A novel RAD21 mutation in a boy with mild Cornelia de Lange presentation: Further delineation of the phenotype|journal=European Journal of Medical Genetics|volume=63|issue=1|pages=103620|doi=10.1016/j.ejmg.2019.01.010|pmid=30716475|vauthors=Dorval S, Masciadri M, Mathot M, Russo S, Revencu N, Larizza L|doi-access=free}}</ref><ref name=":78">{{cite journal|date=June 2019|title=A novel RAD21 p.(Gln592del) variant expands the clinical description of Cornelia de Lange syndrome type 4 - Review of the literature|journal=European Journal of Medical Genetics|volume=62|issue=6|pages=103526|doi=10.1016/j.ejmg.2018.08.007|hdl=10641/1986|pmid=30125677|vauthors=Gudmundsson S, Annerén G, Marcos-Alcalde Í, Wilbe M, Melin M, Gómez-Puertas P, Bondeson ML|s2cid=52046223|hdl-access=free}}</ref><ref name=":79">{{cite journal|date=June 2015|title=Cornelia de Lange syndrome caused by heterozygous deletions of chromosome 8q24: comments on the article by Pereza et al. [2012]|journal=American Journal of Medical Genetics. Part A|volume=167|issue=6|pages=1426–7|doi=10.1002/ajmg.a.36974|pmid=25899858|vauthors=Pereza N, Severinski S, Ostojić S, Volk M, Maver A, Dekanić KB, Kapović M, Peterlin B|display-authors=6|s2cid=205320077}}</ref><ref name=":80">{{cite journal|date=December 2002|title=Multiple exostoses, mental retardation, hypertrichosis, and brain abnormalities in a boy with a de novo 8q24 submicroscopic interstitial deletion|journal=American Journal of Medical Genetics|volume=113|issue=4|pages=326–32|doi=10.1002/ajmg.10845|pmid=12457403|vauthors=Wuyts W, Roland D, Lüdecke HJ, Wauters J, Foulon M, Van Hul W, Van Maldergem L}}</ref><ref name=":81">{{cite journal|date=June 2008|title=Further case of microdeletion of 8q24 with phenotype overlapping Langer-Giedion without TRPS1 deletion|journal=American Journal of Medical Genetics. Part A|volume=146A|issue=12|pages=1587–92|doi=10.1002/ajmg.a.32347|pmid=18478595|vauthors=McBrien J, Crolla JA, Huang S, Kelleher J, Gleeson J, Lynch SA|s2cid=19384557}}</ref> や{{仮リンク|Mungan症候群|en|Mungan syndrome}}<ref name=":82">{{cite journal|date=April 2015|title=Mutations in RAD21 disrupt regulation of APOB in patients with chronic intestinal pseudo-obstruction|journal=Gastroenterology|volume=148|issue=4|pages=771–782.e11|doi=10.1053/j.gastro.2014.12.034|hdl=11693/23636|pmc=4375026|pmid=25575569|vauthors=Bonora E, Bianco F, Cordeddu L, Bamshad M, Francescatto L, Dowless D, Stanghellini V, Cogliandro RF, Lindberg G, Mungan Z, Cefle K, Ozcelik T, Palanduz S, Ozturk S, Gedikbasi A, Gori A, Pippucci T, Graziano C, Volta U, Caio G, Barbara G, D'Amato M, Seri M, Katsanis N, Romeo G, De Giorgio R|display-authors=6}}</ref><ref name=":83">{{cite journal|date=November 2003|title=Familial visceral myopathy with pseudo-obstruction, megaduodenum, Barrett's esophagus, and cardiac abnormalities|url=http://www.nature.com/doifinder/10.1111/j.1572-0241.2003.08707.x|journal=The American Journal of Gastroenterology|volume=98|issue=11|pages=2556–60|doi=10.1111/j.1572-0241.2003.08707.x|pmid=14638363|vauthors=Mungan Z, Akyüz F, Bugra Z, Yönall O, Oztürk S, Acar A, Cevikbas U|s2cid=21022551}}</ref>といった遺伝疾患と関係しており、こうした疾患は総称してコヒーシノパチー(cohesinopathy)と呼ばれている。''RAD21''の体細胞変異や増幅はヒトの固形腫瘍と造血系腫瘍の双方で広く報告されている<ref name=":14" /><ref name=":15" /><ref name=":19" /><ref name=":84">{{cite journal|date=June 2019|title=Emerging strategies to target the dysfunctional cohesin complex in cancer|journal=Expert Opinion on Therapeutic Targets|volume=23|issue=6|pages=525–537|doi=10.1080/14728222.2019.1609943|pmid=31020869|vauthors=Mintzas K, Heuser M|s2cid=131776323}}</ref><ref name=":85">{{cite journal|date=January 2002|title=Gene expression profiling predicts clinical outcome of breast cancer|url=http://www.nature.com/articles/415530a|journal=Nature|volume=415|issue=6871|pages=530–6|doi=10.1038/415530a|hdl=1874/15552|pmid=11823860|vauthors=van 't Veer LJ, Dai H, van de Vijver MJ, He YD, Hart AA, Mao M, Peterse HL, van der Kooy K, Marton MJ, Witteveen AT, Schreiber GJ, Kerkhoven RM, Roberts C, Linsley PS, Bernards R, Friend SH|display-authors=6|s2cid=4369266}}</ref><ref name=":86">{{cite journal|date=January 2011|title=Enhanced RAD21 cohesin expression confers poor prognosis and resistance to chemotherapy in high grade luminal, basal and HER2 breast cancers|journal=Breast Cancer Research|volume=13|issue=1|pages=R9|doi=10.1186/bcr2814|pmc=3109576|pmid=21255398|vauthors=Xu H, Yan M, Patra J, Natrajan R, Yan Y, Swagemakers S, Tomaszewski JM, Verschoor S, Millar EK, van der Spek P, Reis-Filho JS, Ramsay RG, O'Toole SA, McNeil CM, Sutherland RL, McKay MJ, Fox SB|display-authors=6}}</ref><ref name=":87">{{cite journal|date=April 2006|title=Correlation of invasion and metastasis of cancer cells, and expression of the RAD21 gene in oral squamous cell carcinoma|journal=Virchows Archiv|volume=448|issue=4|pages=435–41|doi=10.1007/s00428-005-0132-y|pmid=16416296|vauthors=Yamamoto G, Irie T, Aida T, Nagoshi Y, Tsuchiya R, Tachikawa T|s2cid=22993345}}</ref><ref name=":88">{{cite journal|date=March 2014|title=RAD21 cohesin overexpression is a prognostic and predictive marker exacerbating poor prognosis in KRAS mutant colorectal carcinomas|journal=British Journal of Cancer|volume=110|issue=6|pages=1606–13|doi=10.1038/bjc.2014.31|pmc=3960611|pmid=24548858|vauthors=Deb S, Xu H, Tuynman J, George J, Yan Y, Li J, Ward RL, Mortensen N, Hawkins NJ, McKay MJ, Ramsay RG, Fox SB|display-authors=6}}</ref><ref name=":89">{{cite journal|date=January 2004|title=RAD21 and KIAA0196 at 8q24 are amplified and overexpressed in prostate cancer|journal=Genes, Chromosomes & Cancer|volume=39|issue=1|pages=1–10|doi=10.1002/gcc.10289|pmid=14603436|vauthors=Porkka KP, Tammela TL, Vessella RL, Visakorpi T|s2cid=46570803}}</ref><ref name=":90">{{cite journal|date=January 2016|title=Reduced cohesin destabilizes high-level gene amplification by disrupting pre-replication complex bindings in human cancers with chromosomal instability|journal=Nucleic Acids Research|volume=44|issue=2|pages=558–72|doi=10.1093/nar/gkv933|pmc=4737181|pmid=26420833|vauthors=Yun J, Song SH, Kang JY, Park J, Kim HP, Han SW, Kim TY}}</ref><ref name=":91">{{cite journal|date=March 2017|title=The cohesin subunit Rad21 is a negative regulator of hematopoietic self-renewal through epigenetic repression of Hoxa7 and Hoxa9|journal=Leukemia|volume=31|issue=3|pages=712–719|doi=10.1038/leu.2016.240|pmc=5332284|pmid=27554164|vauthors=Fisher JB, Peterson J, Reimer M, Stelloh C, Pulakanti K, Gerbec ZJ, Abel AM, Strouse JM, Strouse C, McNulty M, Malarkannan S, Crispino JD, Milanovich S, Rao S|display-authors=6}}</ref><ref name=":92">{{cite journal|date=June 2014|title=Cohesin gene mutations in tumorigenesis: from discovery to clinical significance|journal=BMB Reports|volume=47|issue=6|pages=299–310|doi=10.5483/BMBRep.2014.47.6.092|pmc=4163871|pmid=24856830|vauthors=Solomon DA, Kim JS, Waldman T}}</ref><ref name=":93">{{cite journal|date=September 2014|title=Genetic alterations of the cohesin complex genes in myeloid malignancies|journal=Blood|volume=124|issue=11|pages=1790–8|doi=10.1182/blood-2014-04-567057|pmc=4162108|pmid=25006131|vauthors=Thota S, Viny AD, Makishima H, Spitzer B, Radivoyevitch T, Przychodzen B, Sekeres MA, Levine RL, Maciejewski JP|display-authors=6}}</ref><ref name=":94">{{cite journal|date=August 2016|title=Cohesin mutations in human cancer|journal=Biochimica et Biophysica Acta (BBA) - Reviews on Cancer|volume=1866|issue=1|pages=1–11|doi=10.1016/j.bbcan.2016.05.002|pmc=4980180|pmid=27207471|vauthors=Hill VK, Kim JS, Waldman T}}</ref><ref name=":95">{{cite journal|date=February 2014|title=Preleukemic mutations in human acute myeloid leukemia affect epigenetic regulators and persist in remission|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=111|issue=7|pages=2548–53|bibcode=2014PNAS..111.2548C|doi=10.1073/pnas.1324297111|pmc=3932921|pmid=24550281|vauthors=Corces-Zimmerman MR, Hong WJ, Weissman IL, Medeiros BC, Majeti R|doi-access=free}}</ref><ref name=":96">{{cite journal|date=May 2013|title=Genomic and epigenomic landscapes of adult de novo acute myeloid leukemia|journal=The New England Journal of Medicine|volume=368|issue=22|pages=2059–74|doi=10.1056/NEJMoa1301689|pmc=3767041|pmid=23634996|vauthors=Ley TJ, Miller C, Ding L, Raphael BJ, Mungall AJ, Robertson A, Hoadley K, Triche TJ, Laird PW, Baty JD, Fulton LL, Fulton R, Heath SE, Kalicki-Veizer J, Kandoth C, Klco JM, Koboldt DC, Kanchi KL, Kulkarni S, Lamprecht TL, Larson DE, Lin L, Lu C, McLellan MD, McMichael JF, Payton J, Schmidt H, Spencer DH, Tomasson MH, Wallis JW, Wartman LD, Watson MA, Welch J, Wendl MC, Ally A, Balasundaram M, Birol I, Butterfield Y, Chiu R, Chu A, Chuah E, Chun HJ, Corbett R, Dhalla N, Guin R, He A, Hirst C, Hirst M, Holt RA, Jones S, Karsan A, Lee D, Li HI, Marra MA, Mayo M, Moore RA, Mungall K, Parker J, Pleasance E, Plettner P, Schein J, Stoll D, Swanson L, Tam A, Thiessen N, Varhol R, Wye N, Zhao Y, Gabriel S, Getz G, Sougnez C, Zou L, Leiserson MD, Vandin F, Wu HT, Applebaum F, Baylin SB, Akbani R, Broom BM, Chen K, Motter TC, Nguyen K, Weinstein JN, Zhang N, Ferguson ML, Adams C, Black A, Bowen J, Gastier-Foster J, Grossman T, Lichtenberg T, Wise L, Davidsen T, Demchok JA, Shaw KR, Sheth M, Sofia HJ, Yang L, Downing JR, Eley G|display-authors=6}}</ref><ref name=":97">{{cite journal|date=October 2013|title=Recurrent mutations in multiple components of the cohesin complex in myeloid neoplasms|url=http://www.nature.com/articles/ng.2731|journal=Nature Genetics|volume=45|issue=10|pages=1232–7|doi=10.1038/ng.2731|pmid=23955599|vauthors=Kon A, Shih LY, Minamino M, Sanada M, Shiraishi Y, Nagata Y, Yoshida K, Okuno Y, Bando M, Nakato R, Ishikawa S, Sato-Otsubo A, Nagae G, Nishimoto A, Haferlach C, Nowak D, Sato Y, Alpermann T, Nagasaki M, Shimamura T, Tanaka H, Chiba K, Yamamoto R, Yamaguchi T, Otsu M, Obara N, Sakata-Yanagimoto M, Nakamaki T, Ishiyama K, Nolte F, Hofmann WK, Miyawaki S, Chiba S, Mori H, Nakauchi H, Koeffler HP, Aburatani H, Haferlach T, Shirahige K, Miyano S, Ogawa S|display-authors=6|s2cid=12395243}}</ref><ref name=":98">{{cite journal|date=February 2014|title=Mutations in the cohesin complex in acute myeloid leukemia: clinical and prognostic implications|url=https://ashpublications.org/blood/article/123/6/914/32575/Mutations-in-the-cohesin-complex-in-acute-myeloid|journal=Blood|volume=123|issue=6|pages=914–20|doi=10.1182/blood-2013-07-518746|pmid=24335498|vauthors=Thol F, Bollin R, Gehlhaar M, Walter C, Dugas M, Suchanek KJ, Kirchner A, Huang L, Chaturvedi A, Wichmann M, Wiehlmann L, Shahswar R, Damm F, Göhring G, Schlegelberger B, Schlenk R, Döhner K, Döhner H, Krauter J, Ganser A, Heuser M|display-authors=6|s2cid=206923475|doi-access=free}}</ref><ref name=":99">{{cite journal|date=February 2015|title=Acute myeloid leukemia ontogeny is defined by distinct somatic mutations|journal=Blood|volume=125|issue=9|pages=1367–76|doi=10.1182/blood-2014-11-610543|pmc=4342352|pmid=25550361|vauthors=Lindsley RC, Mar BG, Mazzola E, Grauman PV, Shareef S, Allen SL, Pigneux A, Wetzler M, Stuart RK, Erba HP, Damon LE, Powell BL, Lindeman N, Steensma DP, Wadleigh M, DeAngelo DJ, Neuberg D, Stone RM, Ebert BL|display-authors=6}}</ref><ref name=":100">{{cite journal|date=December 2017|title=Prognostic impacts and dynamic changes of cohesin complex gene mutations in de novo acute myeloid leukemia|journal=Blood Cancer Journal|volume=7|issue=12|pages=663|doi=10.1038/s41408-017-0022-y|pmc=5802563|pmid=29288251|vauthors=Tsai CH, Hou HA, Tang JL, Kuo YY, Chiu YC, Lin CC, Liu CY, Tseng MH, Lin TY, Liu MC, Liu CW, Lin LI, Yao M, Li CC, Huang SY, Ko BS, Hsu SC, Lin CT, Wu SJ, Chen CY, Tsay W, Chuang EY, Chou WC, Tien HF|display-authors=6}}</ref><ref name=":101">{{cite journal|date=June 2018|title=Mutation patterns identify adult patients with de novo acute myeloid leukemia aged 60 years or older who respond favorably to standard chemotherapy: an analysis of Alliance studies|journal=Leukemia|volume=32|issue=6|pages=1338–1348|doi=10.1038/s41375-018-0068-2|pmc=5992022|pmid=29563537|vauthors=Eisfeld AK, Kohlschmidt J, Mrózek K, Blachly JS, Walker CJ, Nicolet D, Orwick S, Maharry SE, Carroll AJ, Stone RM, de la Chapelle A, Wang ES, Kolitz JE, Powell BL, Byrd JC, Bloomfield CD|display-authors=6}}</ref><ref name=":102">{{cite journal|date=April 2018|title=de novo acute myeloid leukemia without 2016 WHO Classification-defined cytogenetic abnormalities|journal=Haematologica|volume=103|issue=4|pages=626–633|doi=10.3324/haematol.2017.181842|pmc=5865424|pmid=29326119|vauthors=Weinberg OK, Gibson CJ, Blonquist TM, Neuberg D, Pozdnyakova O, Kuo F, Ebert BL, Hasserjian RP|display-authors=6}}</ref><ref name=":103">{{cite journal|date=May 2016|title=Comprehensive mutational profiling of core binding factor acute myeloid leukemia|journal=Blood|volume=127|issue=20|pages=2451–9|doi=10.1182/blood-2015-12-688705|pmc=5457131|pmid=26980726|vauthors=Duployez N, Marceau-Renaut A, Boissel N, Petit A, Bucci M, Geffroy S, Lapillonne H, Renneville A, Ragu C, Figeac M, Celli-Lebras K, Lacombe C, Micol JB, Abdel-Wahab O, Cornillet P, Ifrah N, Dombret H, Leverger G, Jourdan E, Preudhomme C|display-authors=6}}</ref><ref name=":104">{{cite journal|date=November 2013|title=The landscape of somatic mutations in Down syndrome-related myeloid disorders|url=http://www.nature.com/articles/ng.2759|journal=Nature Genetics|volume=45|issue=11|pages=1293–9|doi=10.1038/ng.2759|pmid=24056718|vauthors=Yoshida K, Toki T, Okuno Y, Kanezaki R, Shiraishi Y, Sato-Otsubo A, Sanada M, Park MJ, Terui K, Suzuki H, Kon A, Nagata Y, Sato Y, Wang R, Shiba N, Chiba K, Tanaka H, Hama A, Muramatsu H, Hasegawa D, Nakamura K, Kanegane H, Tsukamoto K, Adachi S, Kawakami K, Kato K, Nishimura R, Izraeli S, Hayashi Y, Miyano S, Kojima S, Ito E, Ogawa S|display-authors=6|s2cid=32383374}}</ref>。
== 出典 ==
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:RAD21}}
[[Category:タンパク質]] | 2023-10-21T11:43:03Z | 2023-12-01T20:24:25Z | false | false | false | [
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Infobox gene",
"Template:仮リンク",
"Template:Clear",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/RAD21 |
4,844,754 | 大手町 (春日井市) | 大手町(おおでちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西部に位置する。東は岩野町、南は大手田酉町・高山町・前並町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "大手町(おおでちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西部に位置する。東は岩野町、南は大手田酉町・高山町・前並町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 大手町(おおでちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''大手町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 大手町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 大手町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 52.61 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 57 | longs = 13.35 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.314100404
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 3167
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0807<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''大手町'''(おおでちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。東は[[岩野町]]、南は[[大手田酉町]]・[[高山町 (春日井市)|高山町]]・[[前並町 (春日井市)|前並町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* [[新木津用水]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1202世帯<br>3928人||<div style="width:120.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:392.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|860世帯<br>2665人||<div style="width:86px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:266.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|987世帯<br>2920人||<div style="width:98.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:292px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1122世帯<br>3200人||<div style="width:112.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:320px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1189世帯<br>3229人||<div style="width:118.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:322.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1271世帯<br>3167人||<div style="width:127.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:316.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道27号]]
== 施設 ==
* 春日井公共職業安定所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* [[春日井市立大手小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 八幡社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 臨済宗妙心寺派長昌寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> =
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> =
| Centre<!--中央--> = 大手町
| East<!--東--> = [[岩野町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[大手田酉町]]・[[高山町 (春日井市)|高山町]]・[[前並町 (春日井市)|前並町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:おおてちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T11:44:23Z | 2023-10-21T11:44:23Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pathnav",
"Template:Sfn",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Reflist",
"Template:Commonscat-inline",
"Template:Geographic Location"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B%E7%94%BA_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E5%B8%82) |
4,844,757 | ジョナサン・M・ハウス | ジョナサン M. ハウス(Jonathan M. House 1950年6月22日- ) は、アメリカの軍事史家、著述家、アメリカ陸軍指揮幕僚大学名誉教授(軍事史)。
ハウスはソ連の軍事史(英語版)のトップクラスの権威のひとりであり、第二次世界大戦と、ソ連が近代作戦ドクトリンに及ぼした影響を特にテーマとしている。デイヴィッド・グランツ(英語版)とともに、東部戦線における赤軍の作戦に関する複数の著書を執筆しており、なかでも『When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler』(邦訳:詳解独ソ戦全史、2003年、学研プラス刊)が有名である。
1971年にハミルトン・カレッジを卒業、1975年に歴史学の博士号を取得。ミシガン大学の予備役将校訓練課程(ROTC)を経て士官任命された。アメリカ陸軍情報センター・スクール(英語版)(1978年、1979-80年)で数多くのコースを受講した後、戦略(アメリカ陸軍指揮幕僚大学、1984年)とインテリジェンス(キングス・カレッジ・ロンドン戦争学部、2017年)の修士号を取得。下士官時代は陸軍機甲学校、アメリカ陸軍情報センター・スクール、アメリカ陸軍指揮幕僚大学で教鞭をとった。
ハウスは1991年と2003年のイラクでの戦争時に、ペンタゴンの統合参謀本部で情報分析官を務めた。軍情報部の大佐として退役。著書に『Toward Combined Arms Warfare: a Survey of 20th-century Tactics, Doctrine, and Organization』(諸兵科連合戦争へ向けて:20世紀の戦術、ドクトリン、組織に関する調査、1984年)、『A Military History of the Cold War』(冷戦の軍事史、2012年、2020年の全2巻)、『Controlling Paris: Armed Forces and Counter-Revolution,1789-1848』(パリの支配:軍隊と反革命、2014年)、『Intelligence and the State』(情報と国家、2022年)がある。
ハウスはデイヴィッド・グランツと共に、東部戦線の軍事史に関する数冊の本を著した。『Battle of Kursk』(クルスクの戦い、1999年)、『To the Gates of Stalingrad: Soviet-German combat operations, April–August 1942』(スターリングラードの門へ: ソ連とドイツの戦闘作戦、1942年4月から8月、2009年)、『Armageddon in Stalingrad: September–November 1942』(スターリングラードでのハルマゲドン: 1942年9月から11月、2009年)、そして『Endgame at Stalingrad』(スターリングラードの終盤戦、2014年)である。 2017年には『Stalingrad』(スターリングラード)という簡潔な題名の分担執筆書の主著者となった。以上の本は、すべてカンザス大学出版局から出版された。
デイヴィッド・グランツとの最初の共著である『When Titans Clashed』は、1995年の初版刊行時に、H-Net(英語版)のあるレビューで「すべての大学図書館とすべての第二次世界大戦の歴史家の棚にあるべき本」と評価された。この本は2015年に増補版が刊行され、軍事史家のスティーブン・ザロガ(英語版)は「第二次世界大戦における赤軍の戦闘記録に関する最良の概説書」と評している。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ジョナサン M. ハウス(Jonathan M. House 1950年6月22日- ) は、アメリカの軍事史家、著述家、アメリカ陸軍指揮幕僚大学名誉教授(軍事史)。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ハウスはソ連の軍事史(英語版)のトップクラスの権威のひとりであり、第二次世界大戦と、ソ連が近代作戦ドクトリンに及ぼした影響を特にテーマとしている。デイヴィッド・グランツ(英語版)とともに、東部戦線における赤軍の作戦に関する複数の著書を執筆しており、なかでも『When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler』(邦訳:詳解独ソ戦全史、2003年、学研プラス刊)が有名である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "1971年にハミルトン・カレッジを卒業、1975年に歴史学の博士号を取得。ミシガン大学の予備役将校訓練課程(ROTC)を経て士官任命された。アメリカ陸軍情報センター・スクール(英語版)(1978年、1979-80年)で数多くのコースを受講した後、戦略(アメリカ陸軍指揮幕僚大学、1984年)とインテリジェンス(キングス・カレッジ・ロンドン戦争学部、2017年)の修士号を取得。下士官時代は陸軍機甲学校、アメリカ陸軍情報センター・スクール、アメリカ陸軍指揮幕僚大学で教鞭をとった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "ハウスは1991年と2003年のイラクでの戦争時に、ペンタゴンの統合参謀本部で情報分析官を務めた。軍情報部の大佐として退役。著書に『Toward Combined Arms Warfare: a Survey of 20th-century Tactics, Doctrine, and Organization』(諸兵科連合戦争へ向けて:20世紀の戦術、ドクトリン、組織に関する調査、1984年)、『A Military History of the Cold War』(冷戦の軍事史、2012年、2020年の全2巻)、『Controlling Paris: Armed Forces and Counter-Revolution,1789-1848』(パリの支配:軍隊と反革命、2014年)、『Intelligence and the State』(情報と国家、2022年)がある。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "ハウスはデイヴィッド・グランツと共に、東部戦線の軍事史に関する数冊の本を著した。『Battle of Kursk』(クルスクの戦い、1999年)、『To the Gates of Stalingrad: Soviet-German combat operations, April–August 1942』(スターリングラードの門へ: ソ連とドイツの戦闘作戦、1942年4月から8月、2009年)、『Armageddon in Stalingrad: September–November 1942』(スターリングラードでのハルマゲドン: 1942年9月から11月、2009年)、そして『Endgame at Stalingrad』(スターリングラードの終盤戦、2014年)である。 2017年には『Stalingrad』(スターリングラード)という簡潔な題名の分担執筆書の主著者となった。以上の本は、すべてカンザス大学出版局から出版された。",
"title": "独ソ戦の歴史家として"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "デイヴィッド・グランツとの最初の共著である『When Titans Clashed』は、1995年の初版刊行時に、H-Net(英語版)のあるレビューで「すべての大学図書館とすべての第二次世界大戦の歴史家の棚にあるべき本」と評価された。この本は2015年に増補版が刊行され、軍事史家のスティーブン・ザロガ(英語版)は「第二次世界大戦における赤軍の戦闘記録に関する最良の概説書」と評している。",
"title": "独ソ戦の歴史家として"
}
] | ジョナサン M. ハウス は、アメリカの軍事史家、著述家、アメリカ陸軍指揮幕僚大学名誉教授(軍事史)。 ハウスはソ連の軍事史のトップクラスの権威のひとりであり、第二次世界大戦と、ソ連が近代作戦ドクトリンに及ぼした影響を特にテーマとしている。デイヴィッド・グランツとともに、東部戦線における赤軍の作戦に関する複数の著書を執筆しており、なかでも『When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler』が有名である。 | {{Infobox 学者|生年月日={{生年月日と年齢|1950|06|22}}|image=|image size=|alt=|caption=|other names=|birth_name=|birth_place={{USA}}|death_date=|death_place=|era=20世紀|school_tradition=|main_interests=[[軍事史]]、[[第二次世界大戦]]、[[冷戦]]|workplaces=[[アメリカ陸軍指揮幕僚大学]]|notable_ideas=|major_works=[[独ソ戦]](第二次世界大戦の東部戦線)に関する著作|influences=|influenced=|awards=}}
'''ジョナサン M. ハウス'''(Jonathan M. House 1950年6月22日- ) は、アメリカの[[軍事史|軍事史家]]、著述家、[[アメリカ陸軍指揮幕僚大学]]名誉教授(軍事史)。
ハウスは{{仮リンク|ソ連の軍事史|en|Military history of the Soviet Union}}のトップクラスの権威のひとりであり、第二次世界大戦と、ソ連が近代作戦ドクトリンに及ぼした影響を特にテーマとしている。{{仮リンク|デイヴィッド・グランツ|en|David M. Glantz}}とともに、[[東部戦線 (第二次世界大戦)|東部戦線]]における[[赤軍]]の作戦に関する複数の著書を執筆しており、なかでも『When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler』(邦訳:詳解独ソ戦全史、2003年、学研プラス刊)が有名である<ref>[[Figes, Orlando]] (18 February 1996): [https://www.nytimes.com/1996/02/18/books/the-eastern-front.html "The Eastern Front"], ''[[The New York Times]]''</ref>。
== 経歴 ==
1971年に[[ハミルトン・カレッジ]]を卒業、1975年に歴史学の博士号を取得。ミシガン大学の[[予備役将校訓練課程]](ROTC)を経て士官任命された。{{仮リンク|アメリカ陸軍情報センター・スクール|en|United States Army Intelligence Center}}(1978年、1979-80年)で数多くのコースを受講した後、戦略(アメリカ陸軍指揮幕僚大学、1984年)とインテリジェンス([[キングス・カレッジ・ロンドン戦争学部]]、2017年)の修士号を取得。下士官時代は[[陸軍機甲学校 (アメリカ合衆国)|陸軍機甲学校]]、アメリカ陸軍情報センター・スクール、アメリカ陸軍指揮幕僚大学で教鞭をとった。
ハウスは1991年と2003年のイラクでの戦争時に、[[ペンタゴン]]の[[アメリカ統合参謀本部|統合参謀本部]]で情報分析官を務めた。軍情報部の大佐として退役。著書に『''Toward Combined Arms Warfare: a Survey of 20th-century Tactics, Doctrine, and Organization''』([[諸兵科連合]]戦争へ向けて:20世紀の戦術、ドクトリン、組織に関する調査、1984年)、『''A Military History of the Cold War''』(冷戦の軍事史、2012年、2020年の全2巻)、『''Controlling Paris: Armed Forces and Counter-Revolution'',''1789-1848''』(パリの支配:軍隊と反革命、2014年)、『''Intelligence and the State''』(情報と国家、2022年)がある<ref>[http://www.worldcat.org/identities/lccn-n84-199855/ WorldCat Identities]</ref>。
== 独ソ戦の歴史家として ==
ハウスはデイヴィッド・グランツと共に、東部戦線の軍事史に関する数冊の本を著した。『''Battle of Kursk''』(クルスクの戦い、1999年)、『''To the Gates of Stalingrad: Soviet-German combat operations, April–August 1942''』(スターリングラードの門へ: ソ連とドイツの戦闘作戦、1942年4月から8月、2009年)、『''Armageddon in Stalingrad: September–November 1942''』(スターリングラードでのハルマゲドン: 1942年9月から11月、2009年)、そして『''Endgame at Stalingrad''』(''スターリングラードの終盤戦、''2014年)である。 2017年には『''Stalingrad''』(スターリングラード)という簡潔な題名の分担執筆書の主著者となった。以上の本は、すべて[[カンザス大学出版局|カンザス大学出版局から]]出版された<ref>[http://www.worldcat.org/identities/lccn-n84-199855/ WorldCat Identities]</ref>。
デイヴィッド・グランツとの最初の共著である『''When Titans Clashed''』は、1995年の初版刊行時に、{{仮リンク|H-Net|en|H-Net}}のあるレビューで「すべての大学図書館とすべての第二次世界大戦の歴史家の棚にあるべき本」と評価された<ref>Howard D. Grier (1996): [http://www.h-net.org/reviews/showrev.php?id=376 Book Review: David Glantz, Jonathan House. When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler], [[H-Net]]</ref>。この本は2015年に増補版が刊行され、軍事史家の{{仮リンク|スティーブン・ザロガ|en|Steven Zaloga}}は「第二次世界大戦における赤軍の戦闘記録に関する最良の概説書」と評している<ref>Zaloga, Steven (2010): [https://books.google.com/books?id=PJoSDQAAQBAJ&pg=PT178&dq=%22Jonathan+house%22+red+army&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiwqMW-nu3PAhVKPCYKHS-qC8UQ6AEIIjAB#v=onepage&q=%22Jonathan%20house%22%20red%20army&f=false "Companion to the Red Army 1939-1945"]</ref>。
== 脚注・参考文献 ==
<references group="" responsive="1"></references>
== 外部リンク ==
* {{YouTube|zinPbUZUHDE|How the Red Army Defeated Germany: The Three Alibis}}, via the official channel of [[ドール政治研究所|Dole Institute of Politics]]
* {{YouTube|XnFKic1GS_k|Military Innovations: Evolution of the General Staff}}, via the official channel of the Dole Institute of Politics
* [https://www.histclo.com/essay/war/ww2/air/eur/sbc/eco/sbc-gie.html German industrial effort: Concentration on the war in the West]
{{Normdaten}}
[[Category:アメリカ合衆国の男性ノンフィクション作家]]
[[Category:アメリカ合衆国の軍事史学者]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:1950年生]]
[[Category:独ソ戦を題材とした作品]]
[[Category:赤軍による戦線]]
{{DEFAULTSORT:はうす じょなさん・M}} | 2023-10-21T11:53:16Z | 2023-11-17T11:24:06Z | false | false | false | [
"Template:Infobox 学者",
"Template:仮リンク",
"Template:YouTube",
"Template:Normdaten"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BBM%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9 |
4,844,760 | 穢れた道への闘い | 「穢れた道への闘い」(けがれたみちへのたたかい、Kegareta Michi e no Tatakai)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身の歌手のダイアナ・ガーネットとノルウェー出身のPelleKの楽曲。
メジャー9枚目のオリジナルシングル(5枚目のデジタルシングル、4枚目のコラボシングル)。
2023年10月19日に発売。発売元はPelleK。
前作「現振動 (Cyberpunk Remix)」から1ヵ月でのリリースで、ダイアナ・ガーネット第4コラボシングル。PelleKが歌詞作曲、ウィリアム・グレーニ―が編曲プロデューサー、ローマン・アルサフェス。
ジャケットは、ノルウェーのサンデフィヨルド市のフイェルトネス市民劇場センターに収録した。撮影はイッセリーザ、モデルはPelleK。
2023年10月20日、ミュージックビデオは「YouTube」にPelleKのチャンネルにて特番が放送された。監督はシンドレ・スティグソン・T、制作はフェベルシン。撮影と編集はマリウス・イベルセン。ジャケットと同じ、ノルウェーのサンデフィヨルド市のフイェルトネス市民劇場センターに収録した。
出演した音楽家はヴェストフォルド・シンフォニー・オーケストラとギタリストのヤルル・ステムスハウグ・ロエ。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "「穢れた道への闘い」(けがれたみちへのたたかい、Kegareta Michi e no Tatakai)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身の歌手のダイアナ・ガーネットとノルウェー出身のPelleKの楽曲。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "メジャー9枚目のオリジナルシングル(5枚目のデジタルシングル、4枚目のコラボシングル)。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2023年10月19日に発売。発売元はPelleK。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "前作「現振動 (Cyberpunk Remix)」から1ヵ月でのリリースで、ダイアナ・ガーネット第4コラボシングル。PelleKが歌詞作曲、ウィリアム・グレーニ―が編曲プロデューサー、ローマン・アルサフェス。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "ジャケットは、ノルウェーのサンデフィヨルド市のフイェルトネス市民劇場センターに収録した。撮影はイッセリーザ、モデルはPelleK。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2023年10月20日、ミュージックビデオは「YouTube」にPelleKのチャンネルにて特番が放送された。監督はシンドレ・スティグソン・T、制作はフェベルシン。撮影と編集はマリウス・イベルセン。ジャケットと同じ、ノルウェーのサンデフィヨルド市のフイェルトネス市民劇場センターに収録した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "出演した音楽家はヴェストフォルド・シンフォニー・オーケストラとギタリストのヤルル・ステムスハウグ・ロエ。",
"title": "概要"
}
] | 「穢れた道への闘い」は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身の歌手のダイアナ・ガーネットとノルウェー出身のPelleKの楽曲。 メジャー9枚目のオリジナルシングル(5枚目のデジタルシングル、4枚目のコラボシングル)。 2023年10月19日に発売。発売元はPelleK。 | {{Infobox Single
| Name = 穢れた道への闘い
| Artist = [[ダイアナ・ガーネット]]と[[PelleK]]
| Released = [[2023年]][[10月19日]]
| Genre = [[J-POP]]<br />[[日本のロック | J-ROCK]]<br />[[プログレッシブ・ロック | シンフォニック・ロック]]
| Label = [[PelleK]]
| A-side = 穢れた道への闘い
| Format = [[シングル#ダウンロード・シングル | 配信シングル]]
| Recorded = [[2023年]]<br/>{{JPN}}<br/>{{NOR}}
| Length = 3分14秒
| Writer = PelleK(歌詞・作曲)<br/>William Graney(編曲)
| Misc = {{Extra chronology 2
| Artist = [[ダイアナ・ガーネット]]
| Type = シングル
| Last single = [[現振動#現振動 (Cyberpunk Remix)|現振動 (Cyberpunk Remix)]]<br />(2023年)
| This single = '''穢れた道への闘い'''<br />(2023年)
| Next single = [[Macaron Memories]]<br />(2023年)}}
{{Extra chronology 2
| Artist = [[PelleK]]
| Type = シングル
| Last single = [[Floden]]<br />(2023年)
| This single = '''穢れた道への闘い'''<br />(2023年)
| Next single = [[Bompibjørnene (Norwegian and Swedish Versions)]]<br />(2023年)}}
{{Extra track listing
| Album = [[無敵の旅路]]
| Type = アルバム
| Tracks = {{Collapsible list
|title =
| 1 = 1.「疑わないで欲しい真実」
| 2 = 2.「夢を抱きしめて」
| 3 = 3.「'''穢れた道への闘い'''」
| 4 = 4.「光の道へ」
| 5 = 5.「風の如く」
| 6 = 6.「友情の勝利」
| 7 = 7.「光り輝く秘密」}}
{{Extra chronology 2
| Artist = [[PelleK]]
| Type = アルバム
| Last single = [[Pokémon Megamix (Japanese Version)]]<br />(2023年)
| This single = '''無敵の旅路'''<br />(2023年)
| Next single = [[Roots Unchanged]]<br />(2023年)}}}}
{{External music video
|{{YouTube|IupHbNp1WMc|『穢れた道への闘い Kegareta Michi e no Tatakai 』MV}}}}
| Producer = William Graney<br/>Roman Arsafes
}}「'''穢れた道への闘い'''」(けがれたみちへのたたかい、Kegareta Michi e no Tatakai)は、[[アメリカ合衆国]][[ワシントンD.C.]][[出身]]の[[歌手]]の[[ダイアナ・ガーネット]]とノルウェー出身の[[PelleK]]の楽曲。
メジャー9枚目のオリジナルシングル(5枚目の[[デジタル・シングル|デジタルシングル]]、4枚目の[[コラボレーション|コラボ]]シングル)。
[[2023年]][[10月19日]]に発売。発売元はPelleK<ref>{{Cite web |title=Official PelleK Shop |url=https://www.pellekshop.com/ |website=pellekshop |access-date=2023-10-21 |language=en}}</ref>。
== 概要 ==
前作「[[現振動#現振動 (Cyberpunk Remix)|現振動 (Cyberpunk Remix)]]」から1ヵ月でのリリースで、ダイアナ・ガーネット第4コラボシングル。PelleKが[[歌詞]][[作曲]]、ウィリアム・グレーニ―<ref>{{Cite web |title=Instagram |url=https://www.instagram.com/accounts/login/?next=https%3A%2F%2Fwww.instagram.com%2Fwilliam_graney%2F |website=www.instagram.com |access-date=2023-11-05}}</ref>が[[編曲]][[プロデューサー]]、ローマン・アルサフェス<ref>{{Cite web |title=Spotify |url=https://open.spotify.com/intl-ja/artist/2IG7MJ27m9ogDMu8CHVjhO?si=bBmgTEWkTrCzVkqpYXMkEA |website=open.spotify.com |access-date=2023-11-05}}</ref>。
ジャケットは、[[ノルウェー]]の[[サンデフィヨルド]]市の[[:en:Hjertnes_Civic_and_Theater_Center|フイェルトネス市民劇場センター]]に収録した。撮影はイッセリーザ<ref>{{Cite web |title=Isseliza - Beauty, commercial, fashion retoucher |url=https://www.isseliza.com/ |date=2020-06-25 |access-date=2023-11-05 |language=en-US}}</ref>、モデルはPelleK。
[[2023年]][[10月20日]]、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックビデオ]]は「[[YouTube]]」にPelleKのチャンネルにて特番が放送された<ref name=":0">{{Citation|title=PelleK & Diana Garnet - Kegareta Michi e no Tatakai 「穢れた道への闘い」|url=https://www.youtube.com/watch?v=IupHbNp1WMc|language=ja-JP|access-date=2023-10-21}}</ref>。[[監督]]はシンドレ・スティグソン・T、制作はフェベルシン<ref>{{Cite web |title=Febersyn AS |url=https://www.febersyn.com/ |website=www.febersyn.com |access-date=2023-11-05}}</ref>。撮影と編集はマリウス・イベルセン。ジャケットと同じ、[[ノルウェー]]の[[サンデフィヨルド]]市の[[:en:Hjertnes_Civic_and_Theater_Center|フイェルトネス市民劇場センター]]に収録した<ref name=":0" />。
出演した[[音楽家]]はヴェストフォルド・シンフォニー・オーケストラ<ref>{{Cite web |title=Forsiden {{!}} Vestfold Symfoniorkester |url=https://www.vestfold-symfoniorkester.no/ |website=www.vestfold-symfoniorkester.no |access-date=2023-11-05}}</ref>と[[ギタリスト]]のヤルル・ステムスハウグ・ロエ<ref>{{Cite web |title=Instagram |url=https://www.instagram.com/accounts/login/?next=https%3A%2F%2Fwww.instagram.com%2Fjarlyboi%2F |website=www.instagram.com |access-date=2023-11-05}}</ref>。
== 収録曲 ==
# '''穢れた道への闘い''' [3:14]
#* 作詞・作曲:[[PelleK]]/編曲:William Graney
#* PelleKの日本語の第一[[スタジオ・アルバム|フルアルバム]]『無敵の旅路』にて収録される予定<ref name=":235">{{Cite web|和書 |title=My first original album in Japanese is done, ... |url=https://twitter.com/imPelleK/status/1709189611820380263 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-10-04 |language=ja |publisher=PelleK |date=2023-10-03}}</ref><ref name=":236">{{Cite web |title=Vinyls & Downloads |url=https://www.pellekshop.com/vinyl |website=pellekshop |access-date=2023-10-04 |language=en}}</ref>。
== 収録アルバム ==
* PelleK『無敵の旅路』<ref name=":235" /><ref name=":236" />
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{ダイアナ・ガーネット}}{{Single-stub}}
{{DEFAULTSORT:けがれたみちへのたたかい}}
[[Category:21世紀の日本の音楽]]
[[Category:楽曲 け]]
[[Category:2023年のシングル]]
[[Category:ダイアナ・ガーネットの楽曲]] | 2023-10-21T11:57:56Z | 2023-12-30T15:55:07Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Citation",
"Template:ダイアナ・ガーネット",
"Template:Single-stub",
"Template:Infobox Single"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%81%93%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84 |
4,844,762 | 大留町 (春日井市) | 大留町(おおどめちちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市南端部に位置する。東は気噴町、西は神領町、南は名古屋市守山区、北は出川町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "大留町(おおどめちちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市南端部に位置する。東は気噴町、西は神領町、南は名古屋市守山区、北は出川町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 大留町(おおどめちちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''大留町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 大留町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 大留町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 26.96 | latNS = N
| longd = 137 | longm = 1 | longs = 16.85 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 1.097132566
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 6367
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 487-0024<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''大留町'''(おおどめちちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市南端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。東は[[気噴町]]、西は[[神領町]]、南は[[名古屋市]][[守山区]]、北は[[出川町 (春日井市)|出川町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* [[庄内川]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1062世帯<br>3222人||<div style="width:106.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:322.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1355世帯<br>3816人||<div style="width:135.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:381.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1668世帯<br>4381人||<div style="width:166.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:438.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2157世帯<br>5592人||<div style="width:215.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:559.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2331世帯<br>5861人||<div style="width:233.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:586.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|2547世帯<br>6367人||<div style="width:254.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:636.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道下半田川春日井線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* JR中央本線{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 施設 ==
* 子安神明社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 神明社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 臨済宗妙心寺派禅源寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* 天台宗常泉寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[出川町 (春日井市)|出川町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[神領町]]
| Centre<!--中央--> = 大留町
| East<!--東--> = [[気噴町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[名古屋市]][[守山区]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:おおとめちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T11:58:29Z | 2023-10-21T11:58:29Z | false | false | false | [
"Template:Pathnav",
"Template:Sfn",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Commonscat-inline",
"Template:Pref-stub",
"Template:Infobox settlement",
"Template:節スタブ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Japan-block-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%99%E7%94%BA_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E5%B8%82) |
4,844,766 | 春日井上ノ町 | 春日井上ノ町(かすがいかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市西端部に位置する。東は黒鉾町、西は西春日井郡豊山町、南は春日井町・中町、北は西屋町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "春日井上ノ町(かすがいかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市西端部に位置する。東は黒鉾町、西は西春日井郡豊山町、南は春日井町・中町、北は西屋町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 春日井上ノ町(かすがいかみのちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''春日井上ノ町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 春日井上ノ町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 春日井上ノ町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 17.89 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 55 | longs = 53.4 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.339217068
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 373
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0961<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''春日井上ノ町'''(かすがいかみのちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市西端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。東は[[黒鉾町]]、西は[[西春日井郡]][[豊山町]]、南は[[春日井町]]・[[中町 (春日井市)|中町]]、北は[[西屋町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}。
=== 学区 ===
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|186世帯<br>543人||<div style="width:18.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:54.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|188世帯<br>525人||<div style="width:18.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:52.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|184世帯<br>470人||<div style="width:18.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:47px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|193世帯<br>479人||<div style="width:19.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:47.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|184世帯<br>414人||<div style="width:18.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:41.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|180世帯<br>373人||<div style="width:18px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:37.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道名古屋犬山線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
* [[名鉄小牧線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 施設 ==
* [[名古屋空港]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1647}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[西屋町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[西春日井郡]][[豊山町]]
| Centre<!--中央--> = 春日井上ノ町
| East<!--東--> = [[黒鉾町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[春日井町]]・[[中町 (春日井市)|中町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:かすかいかみのちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T12:08:32Z | 2023-10-21T12:08:32Z | false | false | false | [
"Template:節スタブ",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Pref-stub",
"Template:Reflist",
"Template:Commonscat-inline",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pathnav",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Sfn",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Japan-block-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%83%8E%E7%94%BA |
4,844,769 | 金ケ口町 | 金ケ口町(かなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市中央部に位置する。東は出川町、西は篠木町・十三塚町、南は北城町・下市場町、北は大泉寺町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "金ケ口町(かなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市中央部に位置する。東は出川町、西は篠木町・十三塚町、南は北城町・下市場町、北は大泉寺町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 金ケ口町(かなぐちちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''金ケ口町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 金ケ口町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 金ケ口町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 15 | lats = 53.39 | latNS = N
| longd = 137 | longm = 0 | longs = 19.48 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 0.184689161
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 185
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0813<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''金ケ口町'''(かなぐちちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市中央部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}。東は[[出川町]]、西は[[篠木町]]・[[十三塚町 (春日井市)|十三塚町]]、南は[[北城町]]・[[下市場町]]、北は[[大泉寺町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}。
=== 学区 ===
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|76世帯<br>209人||<div style="width:7.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:20.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|43世帯<br>122人||<div style="width:4.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:12.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|44世帯<br>122人||<div style="width:4.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:12.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|43世帯<br>110人||<div style="width:4.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:11px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|61世帯<br>157人||<div style="width:6.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:15.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|69世帯<br>185人||<div style="width:6.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:18.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[愛知県道内津勝川線]](旧[[国道19号]]){{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
* [[東名高速道路]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
== 施設 ==
* [[春日井市立北城小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[大泉寺町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[篠木町]]・[[十三塚町 (春日井市)|十三塚町]]
| Centre<!--中央--> = 金ケ口町
| East<!--東--> = [[出川町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[北城町]]・[[下市場町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:かなくちちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T12:15:31Z | 2023-12-29T00:10:49Z | false | false | false | [
"Template:Sfn",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Infobox settlement",
"Template:節スタブ",
"Template:Reflist",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pref-stub",
"Template:Pathnav"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%82%B1%E5%8F%A3%E7%94%BA |
4,844,770 | ケビン・アフガニ | ケビン・ザカリー・アフガニ(Kevin Zachary Afghani、1996年11月9日 - )は、アメリカ合衆国の男性声優。カリフォルニア州ロサンゼルス在住。
アニメやテレビゲームが大好きであることがきっかけで声優を目指した。それについては自身にとってはエキサイティングな芸術であるという。
2023年10月、「マリオシリーズ」の主人公・マリオやルイージの声を長年演じてきたチャールズ・マーティネーから引き継いだ。同月20日に発売された『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』より担当する。また、同じくチャールズが演じてきた同シリーズのワリオ役も、同年11月3日に発売された『超おどる メイド イン ワリオ』の英語版より担当する。
太字はメインキャラクター。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ケビン・ザカリー・アフガニ(Kevin Zachary Afghani、1996年11月9日 - )は、アメリカ合衆国の男性声優。カリフォルニア州ロサンゼルス在住。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "アニメやテレビゲームが大好きであることがきっかけで声優を目指した。それについては自身にとってはエキサイティングな芸術であるという。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2023年10月、「マリオシリーズ」の主人公・マリオやルイージの声を長年演じてきたチャールズ・マーティネーから引き継いだ。同月20日に発売された『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』より担当する。また、同じくチャールズが演じてきた同シリーズのワリオ役も、同年11月3日に発売された『超おどる メイド イン ワリオ』の英語版より担当する。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "太字はメインキャラクター。",
"title": "出演"
}
] | ケビン・ザカリー・アフガニは、アメリカ合衆国の男性声優。カリフォルニア州ロサンゼルス在住。 | {{声優
| 名前 = ケビン・アフガニ
| ふりがな = Kevin Afghani
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = ケビン・ザカリー・アフガニ<br />(Kevin Zachary Afghani)
| 愛称 =
| 性別 =
| 出生地 =
| 出身地 =
| 死没地 =
| 生年 = 1996
| 生月 = 11
| 生日 = 9
| 没年 =
| 没月 =
| 没日 =
| 血液型 =
| 身長 =
| 職業 =
| 事務所 =
| 配偶者 =
| 著名な家族 =
| 公式サイト = [https://www.kevinzafghani.com/ VO│Kevin Z Afghani]
| 活動期間 = [[2018年]] -
| デビュー作 =
| 活動 =
| サイン =
}}
'''ケビン・ザカリー・アフガニ'''(Kevin Zachary Afghani、[[1996年]][[11月9日]]<ref>{{Cite tweet|author=Kevin Afghani|user=KevinAfghani|number=1325912328903163904|title=I am officially 24 years of age.|date=2020-11-10|accessdate=2023-10-21}}</ref> - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[男性]][[声優]]。[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]在住<ref name="famitsu20231016">{{Cite web|url=https://www.famitsu.com/news/202310/16320752.html|title=マリオの新声優はケビン・アフガニさんに、新作『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』に出演。長年演じたチャールズさんからバトンタッチ|work=ファミ通.com|publisher=KADOKAWA Game Linkage|date=2023-10-16|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
== 来歴 ==
[[アニメ]]や[[テレビゲーム]]が大好きであることがきっかけで声優を目指した。それについては自身にとってはエキサイティングな芸術であるという<ref>{{Cite web|url=https://www.kevinzafghani.com/bio|title=Bio|author=Kevin Z Afghani|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
2023年10月、「[[マリオシリーズ]]」の主人公・[[マリオ (ゲームキャラクター)|マリオ]]や[[ルイージ (ゲームキャラクター)|ルイージ]]の声を長年演じてきた[[チャールズ・マーティネー]]から引き継いだ。同月20日に発売された『[[スーパーマリオブラザーズ ワンダー]]』より担当する{{R|famitsu20231016}}。また、同じくチャールズが演じてきた同シリーズの[[ワリオ]]役も、同年11月3日に発売された『[[超おどる メイド イン ワリオ]]』の英語版より担当する<ref>{{Cite web|url=https://www.eurogamer.net/warios-new-voice-actor-now-seemingly-confirmed|title=Wario's new voice actor now seemingly confirmed|work=Eurogamer.net|publisher=Gamer Network|date=2023-11-01|accessdate=2023-11-07}}</ref>。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== Webアニメ ===
* ドラゴンボールR&R(2018年、ラディッツ)
* Anime Penguin: Red Snow(2020年)
=== ゲーム ===
* [[原神]](2020年、アーノルド)
* [[スーパーマリオブラザーズ ワンダー]](2023年、'''[[マリオ (ゲームキャラクター)|マリオ]]'''{{R|famitsu20231016}}、'''[[ルイージ (ゲームキャラクター)|ルイージ]]'''{{R|famitsu20231016}})<!-- 2023-10-20 -->
* [[超おどる メイド イン ワリオ]](2023年、'''[[ワリオ]]'''〈英語版〉、マリオ、ルイージ)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
-->
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Official|1=https://www.kevinzafghani.com/|name=VO|Kevin Z Afghani}}{{en icon}}
* {{Twitter|KevinAfghani|Kevin Afghani}}
* {{Instagram|kevinafghanivo|Kevin Afghani}}
{{Voice-stub}}
{{デフォルトソート:あふかに けひん}}
[[Category:アメリカ合衆国の男性声優]]
[[Category:1996年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T12:19:12Z | 2023-11-07T09:01:36Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite tweet",
"Template:Official",
"Template:En icon",
"Template:Twitter",
"Template:声優",
"Template:R",
"Template:Instagram",
"Template:Voice-stub",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B |
4,844,772 | 井出正直 | 井出 正直(いで まさなお)は、戦国時代の武将。
井出正直は、駿河国富士郡井出郷を本拠とする、井出氏の人物。
『寛政重修諸家譜』巻第千百(以下『寛政譜』)によると、藤原為憲の後裔である二階堂左衛門尉政重が井出郷に住み、子の藤九郎政種の代で井出氏を名乗ったという。正直はその末孫であるという。
『寛永諸家系図伝』には、正直について以下のようにある。
今川氏真に仕え三浦土佐守に属す。駿河侵攻時に北条氏政が氏真を救援した際は武田軍を相手に戦功を上げ、氏政から感状を授かる。その後武田信玄が再び侵攻した際の大宮城の戦いにおいて、神田橋で討死したという。
『寛政譜』には以下のようにある。今川義元および氏真に仕え、永禄5年(1562年)7月の遠江国嵩山城攻めにおいて戦功があり、氏真感状を与えられる。駿河侵攻時には子の正次と共に軍功をあげ、父子共に北条氏政より感状を与えられる。その後、大宮城の戦いにおいて討死を遂げる。
実際に上の事項に関わる古文書が残る。今川氏に降り掛かった遠州忩劇の最中の永禄5年(1562年)7月、今川方が三河国堂山の地を奪う際に正直は奔走し、成果を上げている。
その後の武田氏による駿河侵攻の際、井出氏は今川方となり武田方と対立する立場を取る。今川氏の凋落により北条氏が駿河国入りし武田氏と対立する段階となると、井出氏は北条方へ与することとなる。永禄12年(1569年)3月には北条氏政より同月の上野地での戦功を賞されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "井出 正直(いで まさなお)は、戦国時代の武将。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "井出正直は、駿河国富士郡井出郷を本拠とする、井出氏の人物。",
"title": "出自"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "『寛政重修諸家譜』巻第千百(以下『寛政譜』)によると、藤原為憲の後裔である二階堂左衛門尉政重が井出郷に住み、子の藤九郎政種の代で井出氏を名乗ったという。正直はその末孫であるという。",
"title": "出自"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "『寛永諸家系図伝』には、正直について以下のようにある。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "今川氏真に仕え三浦土佐守に属す。駿河侵攻時に北条氏政が氏真を救援した際は武田軍を相手に戦功を上げ、氏政から感状を授かる。その後武田信玄が再び侵攻した際の大宮城の戦いにおいて、神田橋で討死したという。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "『寛政譜』には以下のようにある。今川義元および氏真に仕え、永禄5年(1562年)7月の遠江国嵩山城攻めにおいて戦功があり、氏真感状を与えられる。駿河侵攻時には子の正次と共に軍功をあげ、父子共に北条氏政より感状を与えられる。その後、大宮城の戦いにおいて討死を遂げる。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "実際に上の事項に関わる古文書が残る。今川氏に降り掛かった遠州忩劇の最中の永禄5年(1562年)7月、今川方が三河国堂山の地を奪う際に正直は奔走し、成果を上げている。",
"title": "略歴"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "その後の武田氏による駿河侵攻の際、井出氏は今川方となり武田方と対立する立場を取る。今川氏の凋落により北条氏が駿河国入りし武田氏と対立する段階となると、井出氏は北条方へ与することとなる。永禄12年(1569年)3月には北条氏政より同月の上野地での戦功を賞されている。",
"title": "略歴"
}
] | 井出 正直は、戦国時代の武将。 | {{基礎情報 武士
|氏名=井出 正直
|画像=
|画像サイズ=
|画像説明=
|時代= [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]
|生誕= 不詳
|死没= 不詳
|改名=
|別名= [[仮名 (通称)|通称]]:藤九郎
|戒名=
|墓所=
|官位=
|幕府=
|主君= [[今川義元]]→[[今川氏真|氏真]] <ref name="#1">『[[寛政重修諸家譜]]』巻第千百</ref>
|氏族= [[井出氏]]
|父母=
|兄弟=
|妻=
|子= [[井出正次]]、[[井出正勝]]、[[井出正俊]]
|特記事項=
}}
'''井出 正直'''(いで まさなお)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。
== 出自 ==
井出正直は、[[駿河国]][[富士郡]]井出郷<ref group="注釈">現在の[[静岡県]][[富士宮市]]上井出周辺</ref>を本拠とする、[[井出氏]]の人物{{Sfn|干城録|2000|p=115-120}}。
『[[寛政重修諸家譜]]』巻第千百(以下『寛政譜』)によると、[[藤原為憲]]の後裔である二階堂左衛門尉政重が井出郷に住み、子の藤九郎政種の代で井出氏を名乗ったという。正直はその末孫であるという。
== 略歴 ==
『[[寛永諸家系図伝]]』には、正直について以下のようにある<ref>『寛永諸家系図伝』井出([[藤原氏]]支流)</ref>。
[[今川氏真]]に仕え三浦土佐守に属す。[[駿河侵攻]]時に[[北条氏政]]が氏真を救援した際は武田軍を相手に戦功を上げ、氏政から感状を授かる。その後[[武田信玄]]が再び侵攻した際の[[大宮城 (駿河国)#大宮城の戦い|大宮城の戦い]]において、神田橋<ref group="注釈">[[富士山本宮浅間大社]]の門前に架かる橋</ref>で討死したという。
『寛政譜』には以下のようにある<ref name="#1"/>。今川義元および氏真に仕え、[[永禄]]5年([[1562年]])7月の[[遠江国]]嵩山城攻めにおいて戦功があり、氏真感状を与えられる。駿河侵攻時には子の[[井出正次|正次]]と共に軍功をあげ、父子共に北条氏政より感状を与えられる。その後、大宮城の戦いにおいて討死を遂げる。
実際に上の事項に関わる古文書が残る。[[今川氏]]に降り掛かった[[遠州忩劇]]の最中の永禄5年(1562年)7月、今川方が三河国堂山の地を奪う際に正直は奔走し、成果を上げている<ref group="原">『戦国遺文』今川氏編 1857</ref>。
その後の武田氏による駿河侵攻の際、井出氏は今川方となり武田方と対立する立場を取る。今川氏の凋落により[[後北条氏|北条氏]]が駿河国入りし武田氏と対立する段階となると、井出氏は北条方へ与することとなる。永禄12年([[1569年]])3月には北条氏政より同月の上野地<ref group="注釈">現在の静岡県富士宮市上野周辺</ref>での戦功を賞されている<ref group="原">『戦国遺文』後北条氏編 1187</ref><ref group="原">『戦国遺文』後北条氏編 1174</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 原典 ===
{{Reflist|group=原}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
|author = [[林亮勝]]・坂本正仁
|date = 2000
|title = 干城録第8
|series =
|publisher = 人間舎
|pages =
|url =
|isbn = 4-931408-08-7
|ref = {{SfnRef|干城録|2000}}
}}
== 関連項目 ==
* [[井出氏]]
{{DEFAULTSORT:いて まさなお}}
[[Category:井出氏|まさなお]]
[[Category:駿河国の人物]]
[[Category:生年不明]]
[[Category:没年不明]] | 2023-10-21T12:30:03Z | 2023-10-21T12:30:03Z | false | false | false | [
"Template:基礎情報 武士",
"Template:Sfn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%87%BA%E6%AD%A3%E7%9B%B4 |
4,844,774 | 上田楽町 | 上田楽町(かみたらがちょう)は、愛知県春日井市の地名。
春日井市北西端部に位置する。東は桃山町・鷹来町、西は小牧市、南は町屋町・田楽町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "上田楽町(かみたらがちょう)は、愛知県春日井市の地名。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "春日井市北西端部に位置する。東は桃山町・鷹来町、西は小牧市、南は町屋町・田楽町に接する。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。",
"title": "歴史"
}
] | 上田楽町(かみたらがちょう)は、愛知県春日井市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|春日井市|'''上田楽町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 上田楽町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 上田楽町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
| latd = 35 | latm = 16 | lats = 52.28 | latNS = N
| longd = 136 | longm = 57 | longs = 1.33 | longEW = E
| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
| subdivision_name = {{JPN}}
| subdivision_type1 = [[都道府県]]
| subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}}
| subdivision_type2 = [[市町村]]
| subdivision_name2 = [[File:Flag of Kasugai, Aichi.svg|border|25px]][[春日井市]]
| established_title1 = 町名制定
| established_date1 =
| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23206|title=愛知県春日井市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2021-08-15}}</ref>
| area_total_km2 = 1.128609042
| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
| population_total = 2778
| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 486-0801<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232060&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県春日井市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-10-20}}</ref>
| area_code = 0568<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|春日井]]
| footnotes =
}}
'''上田楽町'''(かみたらがちょう)は、[[愛知県]][[春日井市]]の地名。
== 地理 ==
春日井市北西端部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}。東は[[桃山町 (春日井市)|桃山町]]・[[鷹来町]]、西は[[小牧市]]、南は[[町屋町 (春日井市)|町屋町]]・[[田楽町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}。
=== 学区 ===
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|866世帯<br>2733人||<div style="width:86.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:273.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|916世帯<br>2753人||<div style="width:91.6px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:275.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1018世帯<br>3028人||<div style="width:101.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:302.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1064世帯<br>3039人||<div style="width:106.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:303.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1065世帯<br>2890人||<div style="width:106.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:289px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|1107世帯<br>2778人||<div style="width:110.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:277.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
{{節スタブ}}
== 交通 ==
* [[国道155号]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
== 施設 ==
* 第二保育園{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
* 伊多波刀神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
* 臨済宗妙心寺派新徳寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1648}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[春日井市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> =
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[小牧市]]
| Centre<!--中央--> = 上田楽町
| East<!--東--> = [[桃山町 (春日井市)|桃山町]]・[[鷹来町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[町屋町 (春日井市)|町屋町]]・[[田楽町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{春日井市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:かみたらかちよう}}
[[Category:春日井市の町・字]] | 2023-10-21T12:34:04Z | 2023-10-21T12:34:04Z | false | false | false | [
"Template:Sfn",
"Template:節スタブ",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite book",
"Template:Geographic Location",
"Template:Japan-block-stub",
"Template:Pathnav",
"Template:Infobox settlement",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:春日井市の町名",
"Template:Pref-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%A5%BD%E7%94%BA |
4,844,776 | ラストノートしか知らない | 「ラストノートしか知らない」は、日本の女性アイドルグループ・=LOVEの楽曲。作詞は指原莉乃、作曲は塚田耕平が担当した。2023年11月29日に=LOVEの15thシングルとしてソニー・ミュージックレーベルズ(SACRA MUSIC)から発売された。楽曲のセンターポジションは齋藤樹愛羅が務めた。
初回仕様限定盤のType-A・Type-B・Type-C(CD+DVD)、Type-D(CD+Blu-ray)および通常盤であるType-E(CDのみ)の5形態でのリリース。
(センター:齋藤樹愛羅)
(センター:髙松瞳)
(センター:野口衣織) | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "「ラストノートしか知らない」は、日本の女性アイドルグループ・=LOVEの楽曲。作詞は指原莉乃、作曲は塚田耕平が担当した。2023年11月29日に=LOVEの15thシングルとしてソニー・ミュージックレーベルズ(SACRA MUSIC)から発売された。楽曲のセンターポジションは齋藤樹愛羅が務めた。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "初回仕様限定盤のType-A・Type-B・Type-C(CD+DVD)、Type-D(CD+Blu-ray)および通常盤であるType-E(CDのみ)の5形態でのリリース。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "(センター:齋藤樹愛羅)",
"title": "歌唱メンバー"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "(センター:髙松瞳)",
"title": "歌唱メンバー"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "(センター:野口衣織)",
"title": "歌唱メンバー"
}
] | 「ラストノートしか知らない」は、日本の女性アイドルグループ・=LOVEの楽曲。作詞は指原莉乃、作曲は塚田耕平が担当した。2023年11月29日に=LOVEの15thシングルとしてソニー・ミュージックレーベルズから発売された。楽曲のセンターポジションは齋藤樹愛羅が務めた。 | {{Infobox Single
| Name = ラストノートしか知らない
| Artist = [[=LOVE]]
| Album =
| A-side =
| B-side = 「ドライブ デート 都内」<br />狂想カタストロフィ<br />どこが好きか言って
| Released = [[2023年]][[11月29日]]
| Format = [[シングル|マキシシングル]]<br />[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]]
| Recorded =
| Genre = [[J-POP]]
| Length =
| Label = [[SACRA MUSIC]]
| Lyricist = [[指原莉乃]]
| Composer = [[塚田耕平]]
| Producer = 指原莉乃
| Certification = * プラチナ([[日本レコード協会]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/a/?f=d10908-521-2f33b02fb15cb6610a2afb57bfcff9d1.pdf|title=2023年11月度ゴールドディスク認定|website=PRTIMES|format=PDF|publisher=一般社団法人日本レコード協会|date=2023-12-08|accessdate=2023-12-14}}</ref>
| Chart position = * 週間1位([[オリコンチャート|オリコン]])<ref>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/rank/js/w/2023-12-11/|title=オリコン週間シングルランキング 2023年12月05日付 |publisher=oricon ME|accessdate=2023-12-06}}</ref>
* 週間1位([[Billboard Japan Top Singles Sales]])<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=sales&year=2023&month=12&day=11|title=Billboard Japan Top Singles Sales 2023/12/06 公開 |publisher=Billboard JAPAN|accessdate=2023-12-06}}</ref>
* 週間3位([[Billboard Japan Hot 100]])<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2023&month=12&day=11|title=Billboard Japan Hot 100 2023/12/06 公開 |publisher=Billboard JAPAN|accessdate=2023-12-06}}</ref>
| Last single = [[ナツマトペ]]<br />(2023年)
| This single = '''ラストノートしか知らない'''<br />(2023年)
| Next single =
| Misc =
| Reviews =
}}
「'''ラストノートしか知らない'''」は、[[日本]]の女性アイドルグループ・[[=LOVE]]の楽曲。作詞は[[指原莉乃]]、作曲は[[塚田耕平]]が担当した。[[2023年]][[11月29日]]に=LOVEの15thシングルとして[[ソニー・ミュージックレーベルズ]]([[SACRA MUSIC]])から発売された<ref name="official">{{Cite web|url=https://equal-love.jp/news/detail/7403|title=11/29(水)発売 =LOVE 15thシングル「ラストノートしか知らない」アートワーク公開!:=LOVEオフィシャルサイト |date=2023-10-18|accessdate=2023-10-21}}</ref>。楽曲のセンターポジションは[[齋藤樹愛羅]]が務めた<ref name=":0">{{Cite news |title==LOVEの6周年コンサートSSA初日、齋藤樹愛羅センターの「ラストノートしか知らない」初披露 |url=https://natalie.mu/music/news/545462|date=2023-10-19|accessdate=2023-10-21|newspaper=音楽ナタリー |publisher=ナターシャ }}</ref>。
== 概要 ==
初回仕様限定盤のType-A・Type-B・Type-C(CD+DVD)、Type-D(CD+Blu-ray)および通常盤であるType-E(CDのみ)の5形態でのリリース<ref name="official"/><ref>{{Cite web |title=2023年11月29日(水)発売 =LOVE 15thシングル「ラストノートしか知らない」収録内容 |url=https://equal-love.jp/news/detail/7644 |website==LOVE(イコールラブ) オフィシャルサイト |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
== アートワーク ==
ジャケット・アートワークのアートディレクションとデザインは大瀧由子が担当した<ref>{{Cite tweet|number=1729703257402929512|user=yuko_otaki|title==LOVE 『ラストノートしか知らない』ジャケット・アートワークのアートディレクションしました❄️|access-date=2023-12-14}}</ref>。
{| class="wikitable" style="line-height:1.2em; font-size:small"
|+ジャケット写真のメンバー
|TYPE-A
|齋藤樹愛羅
|-
|TYPE-B
|齋藤樹愛羅・佐々木舞香・野口衣織
|-
|TYPE-C
|大谷映美里・大場花菜・齋藤樹愛羅・佐々木舞香・諸橋沙夏
|-
|TYPE-D
|音嶋莉沙・髙松瞳・瀧脇笙古・野口衣織・山本杏奈
|-
|TYPE-E
|全員
|}
TYPE-Dには封入特典として諸橋沙夏アナザージャケットが封入された<ref>{{Cite web |title=11/29(水)発売 =LOVE 15thシングル「ラストノートしか知らない」アートワーク公開! |url=https://equal-love.jp/news/detail/7403 |website==LOVE(イコールラブ) オフィシャルサイト |access-date=2023-12-14 |language=ja}}</ref>。
== ミュージック・ビデオ ==
; ラストノートしか知らない
: 監督:中山佳香 / 振付:shoji([[s**t kingz]])<ref>{{YouTube|C8WMX7dEH7Y|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ)/ 15th Single『ラストノートしか知らない』【MV full】}}</ref>
; 「ドライブ デート 都内」
: 監督:ナカジマセイト / 振付:[[西田一生]]<ref>{{YouTube|Y3aRUM8ebKE|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『ドライブ デート 都内』【MV full】}}</ref>
; 狂想カタストロフィ
: 監督:佐伯雄一郎 / 振付:[[CRE8BOY]]<ref>{{YouTube|RG_B3gfOzLo|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『狂想カタストロフィ』【MV full】}}</ref>
; どこが好きか言って
: 監督:[[大野敏嗣]] / 振付:武田舞香<ref>{{YouTube|Mdsq8dUNvrI|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『どこが好きか言って』【MV full】}}</ref>
<!--
== メディアでの使用 ==-->
== シングル収録トラック ==
=== Type-A ===
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| extra_column = 編曲
| total_length = auto
| all_lyrics =
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = ラストノートしか知らない
| lyrics1 = [[指原莉乃]]
| music1 = [[塚田耕平]]
| extra1 = [[湯浅篤]]
| length1 = 5:14
| title2 = 「ドライブ デート 都内」
| lyrics2 = 指原莉乃
| music2 = 本多友紀
| extra2 = 脇眞富
| length2 = 4:06
| title3 = ラストノートしか知らない(instrumental)
| music3 = 塚田耕平
| extra3 = 湯浅篤
| length3 = 5:14
| title4 = 「ドライブ デート 都内」(instrumental)
| music4 = 本多友紀
| extra4 = 脇眞富
| length4 = 4:05
}}
{{tracklist
| headline = DVD
| extra_column = 監督
| total_length =
| title1 = ラストノートしか知らない Music Video + メイキング映像
| extra1 = 中山佳香
}}
=== Type-B ===
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| extra_column = 編曲
| total_length = auto
| all_lyrics =
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = ラストノートしか知らない
| lyrics1 = 指原莉乃
| music1 = 塚田耕平
| extra1 = 湯浅篤
| length1 = 5:14
| title2 = 狂想カタストロフィ
| lyrics2 = 指原莉乃
| music2 = [[古川貴浩]]
| extra2 = 古川貴浩
| length2 = 4:45
| title3 = ラストノートしか知らない(instrumental)
| music3 = 塚田耕平
| extra3 = 湯浅篤
| length3 = 5:14
| title4 = 狂想カタストロフィ(instrumental)
| music4 = 古川貴浩
| extra4 = 古川貴浩
| length4 = 4:44
}}
{{tracklist
| headline = DVD
| extra_column = 監督
| total_length =
| title1 = イコノイジョイ大感謝祭 「=LOVEパジャマゲームパーティー」
| note1 =
| extra1 =
| length1 =
}}
=== Type-C ===
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| extra_column = 編曲
| total_length = auto
| all_lyrics =
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = ラストノートしか知らない
| lyrics1 = 指原莉乃
| music1 = 塚田耕平
| extra1 = 湯浅篤
| length1 = 5:14
| title2 = どこが好きか言って
| lyrics2 = 指原莉乃
| music2 = 齋藤奏太
| extra2 = 齋藤奏太
| length2 = 3:43
| title3 = ラストノートしか知らない(instrumental)
| music3 = 塚田耕平
| extra3 = 湯浅篤
| length3 = 5:14
| title4 = どこが好きか言って(instrumental)
| music4 = 齋藤奏太
| extra4 = 齋藤奏太
| length4 = 3:42
}}
{{tracklist
| headline = DVD
| extra_column = 監督
| total_length =
| title1 = イコノイジョイ大感謝祭 「=LOVE秋祭り」
| note1 =
| length1 =
}}
=== Type-D ===
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| extra_column = 編曲
| total_length = auto
| all_lyrics =
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = ラストノートしか知らない
| lyrics1 = 指原莉乃
| music1 = 塚田耕平
| extra1 = 湯浅篤
| length1 = 5:14
| title2 = 「ドライブ デート 都内」
| note2 =
| lyrics2 = 指原莉乃
| music2 = 本多友紀
| extra2 = 脇眞富
| length2 = 4:06
| title3 = ラストノートしか知らない(instrumental)
| music3 = 塚田耕平
| extra3 = 湯浅篤
| length3 = 5:14
| title4 = 「ドライブ デート 都内」(instrumental)
| music4 = 本多友紀
| extra4 = 脇眞富
| length4 = 4:05
}}
{{tracklist
| headline = Blu-ray
| extra_column = 監督
| total_length =
| title1 = イコノイジョイ大感謝祭 「=LOVE諸橋沙夏 ソロコンサート」
| extra1 =
| length1 =
}}
=== Type-E(通常盤) ===
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| extra_column = 編曲
| total_length = auto
| all_lyrics =
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| title1 = ラストノートしか知らない
| lyrics1 = 指原莉乃
| music1 = 塚田耕平
| extra1 = 湯浅篤
| length1 = 5:14
| title2 = 「ドライブ デート 都内」
| lyrics2 = 指原莉乃
| music2 = 本多友紀
| extra2 = 脇眞富
| length2 = 4:06
| title3 = 狂想カタストロフィ
| lyrics3 = 指原莉乃
| music3 = 古川貴浩
| extra3 = 古川貴浩
| length3 = 4:45
| title4 = どこが好きか言って
| lyrics4 = 指原莉乃
| music4 = 齋藤奏太
| extra4 = 齋藤奏太
| length4 = 3:43
| title5 = ラストノートしか知らない(instrumental)
| music5 = 塚田耕平
| extra5 = 湯浅篤
| length5 = 5:14
| title6 = 「ドライブ デート 都内」(instrumental)
| music6 = 本多友紀
| extra6 = 脇眞富
| length6 = 4:06
| title7 = 狂想カタストロフィ(instrumental)
| music7 = 古川貴浩
| extra7 = 古川貴浩
| length7 = 4:45
| title8 = どこが好きか言って(instrumental)
| music8 = 齋藤奏太
| extra8 = 齋藤奏太
| length8 = 3:42
}}
== 歌唱メンバー ==
; ラストノートしか知らない
(センター:[[齋藤樹愛羅]])<ref name=":0" />
* [[大谷映美里]]、[[大場花菜]]、[[音嶋莉沙]]、齋藤樹愛羅、[[佐々木舞香]]、[[髙松瞳]]、[[瀧脇笙古]]、[[野口衣織]]、[[諸橋沙夏]]、[[山本杏奈]]
; 「ドライブ デート 都内」
(センター:髙松瞳)<ref>{{Cite web |title==LOVE 髙松瞳がセンターを務める新曲『「ドライブ デート 都内」』MV公開!!助手席の君へ贈る、片想いであふれるハッピーなラブソング! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003956.000013546.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-11-23 |access-date=2023-11-28 |language=ja-JP}}</ref>
* 大谷映美里、大場花菜、音嶋莉沙、齋藤樹愛羅、佐々木舞香、髙松瞳、瀧脇笙古、野口衣織、諸橋沙夏、山本杏奈
; 狂想カタストロフィ
(センター:野口衣織)<ref>{{Cite web |title==LOVE 野口衣織がセンターを務める新曲「狂想カタストロフィ」MV公開!!破滅へと向かってゆく愛の行方と知りながら、自らが壊れることさえも恐れない狂気的な愛情を... |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003958.000013546.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-11-25 |access-date=2023-11-28}}</ref>
* 大谷映美里、大場花菜、音嶋莉沙、齋藤樹愛羅、佐々木舞香、髙松瞳、瀧脇笙古、野口衣織、諸橋沙夏、山本杏奈
; どこが好きって言って
* 大谷映美里、佐々木舞香、野口衣織、諸橋沙夏<ref>{{Cite web |title==LOVE 新曲「どこが好きか言って」(大谷映美里、佐々木舞香、野口衣織、諸橋沙夏によるユニット曲)のMV公開!!関係の終わりを予感しながらも、彼との恋愛を諦めき... |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003964.000013546.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-11-27 |access-date=2023-11-28}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* ソニーミュージック
** [https://www.sonymusic.co.jp/artist/equal-love/discography/VVCL-2360 Type-A]
** [https://www.sonymusic.co.jp/artist/equal-love/discography/VVCL-2362 Type-B]
** [https://www.sonymusic.co.jp/artist/equal-love/discography/VVCL-2364 Type-C]
** [https://www.sonymusic.co.jp/artist/equal-love/discography/VVCL-2366 Type-D]
** [https://www.sonymusic.co.jp/artist/equal-love/discography/VVCL-2368 Type-E(通常盤)]
* ミュージックビデオ
** {{YouTube|C8WMX7dEH7Y|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single『ラストノートしか知らない』【MV full】}}
** {{YouTube|36DpobNDmPQ|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single『ラストノートしか知らない』Dance ver.【MV full】}}
** {{YouTube|Y3aRUM8ebKE|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『ドライブ デート 都内』【MV full】}}
** {{YouTube|RG_B3gfOzLo|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『狂想カタストロフィ』【MV full】}}
** {{YouTube|Mdsq8dUNvrI|<nowiki>=LOVE</nowiki>(イコールラブ) / 15th Single c/w『どこが好きか言って』【MV full】}}
{{Single-stub}}
{{=LOVE}}
{{デフォルトソート:らすとのおとしかしらない}}
[[Category:楽曲 ら|すとのおとしかしらない]]
[[Category:=LOVEの楽曲]]
[[Category:SACRA MUSICのシングル]]
[[Category:2023年のシングル]]
[[Category:指原莉乃が制作した楽曲]] | 2023-10-21T12:37:14Z | 2023-12-14T07:33:40Z | false | false | false | [
"Template:Infobox Single",
"Template:Tracklist",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:YouTube",
"Template:Single-stub",
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:=LOVE"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%97%E3%81%8B%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84 |
4,844,779 | ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ2022 | ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ2022は、2022年10月15日に東大阪市花園ラグビー場第1グラウンドで開催されたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE花園近鉄ライナーズ対スーパーラグビー・パシフィックレベルズの国際親善ラグビーユニオン試合である。
2022年8月19日、花園近鉄ライナーズはレベルズとの対戦を発表。
9月12日、株式会社ムロオが協賛(冠パートナー)となって試合名が『ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ』となる。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ2022は、2022年10月15日に東大阪市花園ラグビー場第1グラウンドで開催されたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE花園近鉄ライナーズ対スーパーラグビー・パシフィックレベルズの国際親善ラグビーユニオン試合である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2022年8月19日、花園近鉄ライナーズはレベルズとの対戦を発表。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "9月12日、株式会社ムロオが協賛(冠パートナー)となって試合名が『ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ』となる。",
"title": "概要"
}
] | ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ2022は、2022年10月15日に東大阪市花園ラグビー場第1グラウンドで開催されたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE花園近鉄ライナーズ対スーパーラグビー・パシフィックレベルズの国際親善ラグビーユニオン試合である。 | '''ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ2022'''は、[[2022年]][[10月15日]]に[[東大阪市花園ラグビー場]]第1グラウンドで開催された[[JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]][[花園近鉄ライナーズ]]対[[スーパーラグビー|スーパーラグビー・パシフィック]][[レベルズ (ラグビー)|レベルズ]]の国際親善[[ラグビーユニオン]]試合である<ref name="LINERS">[https://hanazono-liners.jp/2022/09/12/20221015_rebels/ 【10月15日(土)国際親善試合】マッチスポンサーおよび観戦チケット販売のお知らせ] . 花園近鉄ライナーズ公式サイト(2022年9月15日). 2023年10月21日閲覧。</ref>。
== 概要 ==
[[2022年]][[8月19日]]、花園近鉄ライナーズはレベルズとの対戦を発表<ref>[https://hanazono-liners.jp/2022/08/19/20220819vsrevels/ 国際親善試合開催のお知らせ VSメルボルンレベルズ] . 花園近鉄ライナーズ公式サイト(2022年8月19日). 2023年10月21日閲覧。</ref>。
[[9月12日]]、株式会社ムロオが協賛(冠パートナー)となって試合名が『'''ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ'''』となる<ref name="LINERS"/>。
==試合日程==
{| class="wikitable" style="text-align:center" width=85%
|-
! style="width:18%;"| 日時
! style="width:20%;"| 会場
! style="width:12%;"| ホーム
! style="width:6%;"| スコア
! style="width:10%;"| アウェイ
|-
| 2022年10月15日, 14:05 [[Japan Standard Time|JST]] ([[UTC+09]])
| [[東大阪市花園ラグビー場]], [[大阪府]][[東大阪市]]
| [[花園近鉄ライナーズ]]
| '''17-50'''
| [[レベルズ (ラグビー)|レベルズ]]
|}
==試合内容==
{{Rugbybox
|date = 2022年10月15日
|time = 14:05 [[Japan Standard Time|JST]] ([[UTC+09]])
|home = [[花園近鉄ライナーズ]]
|score = 17-50
|report = [https://hanazono-liners.jp/result/20221015/ Report]
|away = [[レベルズ (ラグビー)|レベルズ]]
|try1 = [[ジョシュア・ノーラ|ノーラ]] 26' c<br />[[岡村晃司]] 61' c<br />[[金子惠一]] 76' c
|con1 = [[野口大輔 (ラグビー選手)|野口大輔]] (1/2) 76'
|pen1 =
|try2 = [[ラシー・アンダーソン|アンダーソン]] 21' c<br />{{仮リンク|リチャード・ハードウィック|en|Richard Hardwick}} 29' c, 47' c<br />{{仮リンク|モンティ・イオアネ|en|Monty Ioane}} 50' c<br />{{仮リンク|ジョシュ・ケメニー|en|Josh Kemeny}} 57' c<br />{{仮リンク|アイザック・アエドー=カイレア|en|Isaac Aedo Kailea}} 65' c<br />[[ジョー・ピンカス|ピンカス]] 72' c<br />[[ジョーダン・ウエレセ|ウエレセ]] 81' c
|con2 = {{仮リンク|カーター・ゴードン|en|Carter Gordon}} (5/7) 23', 49', 58', 66', 73'
|pen2 =
|stadium = [[東大阪市花園ラグビー場]], [[大阪府]][[東大阪市]]
|attendance = 4,137
|referee = [[古瀬健樹]] ([[日本ラグビーフットボール協会|日本協会A]])
}}
{| style="width:100%;"
|-
|style="vertical-align:top; width:50%"|
{| cellspacing="0" cellpadding="0"
|-
!width="25"| !!width="25"|
|-
|FB ||'''15'''||[[竹田宜純]] || || {{suboff|64}}
|-
|RW ||'''14'''||[[ジョシュア・ノーラ]] || || {{suboff|75}}
|-
|OC ||'''13'''||[[片岡涼亮]]
|-
|IC ||'''12'''||[[岡村晃司]] || || {{suboff|64}} {{subon|75}}
|-
|LW ||'''11'''||[[木村朋也]]
|-
|FH ||'''10'''||[[ステイリンパトリック]] || || {{suboff|40}}
|-
|SH ||'''9''' ||[[ウィル・ゲニア]] || || {{suboff|56}}
|-
|N8 ||'''8''' ||[[宮下大輝]] || || {{suboff|40}}
|-
|OF ||'''7''' ||[[上山黎哉]]
|-
|BF ||'''6''' ||[[横井隼]]
|-
|RL ||'''5''' ||[[村田毅]]
|-
|LL ||'''4''' ||[[セルジョセ|セルホゼ]] || || {{suboff|56}}
|-
|TP ||'''3''' ||[[牛窪心希]] || || {{suboff|23}}
|-
|HK ||'''2''' ||[[樫本敦]]({{Captain}}) || || {{suboff|49}}
|-
|LP ||'''1''' ||[[佐々木駿 (ラグビー選手)|佐々木駿]]
|-
|colspan=3|'''ベンチ:'''
|-
|HK ||'''16'''||[[金子惠一]] || || {{subon|49}}
|-
|PR ||'''17'''||[[高橋虎太郎 (ラグビー選手)|高橋虎太郎]]
|-
|PR ||'''18'''||[[ラタ・タンギマナ]] || || {{subon|23}}
|-
|PR ||'''19'''||[[三竹康太]]
|-
|FL ||'''20'''||[[ツポウテビタ]] || || {{subon|40}}
|-
|HO ||'''21'''||[[松田一真]] || || {{subon|56}}
|-
|SH ||'''22'''||[[人羅奎太郎]] || || {{subon|56}}
|-
|SO ||'''23'''||[[野口大輔 (ラグビー選手)|野口大輔]] || || {{subon|40}}
|-
|CB ||'''24'''||[[小野木晃英]] || || {{subon|64}}
|-
|HO ||'''25'''||[[マヒナ・アルファネスタ]]
|-
|WG ||'''26'''||[[南藤辰馬]] || || {{subon|64}}
|-
|colspan=3|'''コーチ:'''
|-
|colspan="4"|{{flagicon|JPN}} [[水間良武]]
|}
|style="vertical-align:top; width:50%"|
{| cellspacing="0" cellpadding="0" style="margin:auto"
|-
!width="25"| !!width="25"|
|-
|FB ||'''15'''||[[ジョー・ピンカス]]
|-
|RW ||'''14'''||[[ラシー・アンダーソン]]
|-
|OC ||'''13'''||{{仮リンク|ルカス・リプリー|en|Lukas Ripley}} || || {{suboff|70}}
|-
|IC ||'''12'''||[[ニック・ユースト]] || || {{suboff|49}}
|-
|LW ||'''11'''||{{仮リンク|モンティ・イオアネ|en|Monty Ioane}}
|-
|FH ||'''10'''||{{仮リンク|カーター・ゴードン|en|Carter Gordon}} || || {{suboff|73}}
|-
|SH ||'''9''' ||[[クルリン・クーパー=ジョーンズ]] || || {{suboff|58}}
|-
|N8 ||'''8''' ||[[タマティ・イオアネ]] || || {{suboff|70}}
|-
|OF ||'''7''' ||{{仮リンク|リチャード・ハードウィック|en|Richard Hardwick}} || || {{suboff|75}}
|-
|BF ||'''6''' ||{{仮リンク|ジョシュ・ケメニー|en|Josh Kemeny}}
|-
|RL ||'''5''' ||[[アンゲラ・スミス]]
|-
|LL ||'''4''' ||{{仮リンク|トゥアイナ・タイイ=トゥアリマ|en|Tuaina Taii Tualima}}
|-
|TP ||'''3''' ||[[セミセ・タラカイ]]({{Captain}}) || || {{suboff|43}}
|-
|HK ||'''2''' ||[[テオ・フーリエ]] || || {{suboff|43}}
|-
|LP ||'''1''' ||{{仮リンク|キャメロン・オアー|en|Cameron Orr}} || || {{suboff|43}} {{subon|75}}
|-
|colspan=3|'''ベンチ:'''
|-
|HK ||'''16'''||[[ジョーダン・ウエレセ]] || || {{subon|43}}
|-
|PR ||'''17'''||{{仮リンク|アイザック・アエドー=カイレア|en|Isaac Aedo Kailea}} || || {{subon|43}}
|-
|PR ||'''18'''||[[ジャイデン・クリスティーン]] || || {{subon|43}}
|-
|LK ||'''19'''||[[ジョノ・ライトフット]] || || {{subon|70}}
|-
|FL ||'''20'''||[[ステファン・デストーニス]] || ||
|-
|SH ||'''21'''||[[アンガス・ブレア]] || || {{subon|70}}
|-
|FH ||'''22'''||[[デイヴィット・フェリウアル=レネ]] || || {{subon|49}}
|-
|WG ||'''23'''||[[モシアン・クリスティーン]] || || {{subon|58}}
|-
|colspan=3|'''コーチ:'''
|-
|colspan="4"|{{flagicon|AUS}} {{仮リンク|ケヴィン・フット|en|Kevin Foote (rugby union)}}
|}
|}
{| style="width:100%"
|
<!--'''マン・オブ・ザ・マッチ:'''
<br />-->
'''タッチジャッジ:'''
<br />[[久保修平]] ([[日本ラグビーフットボール協会|日本協会A]])
<br />[[滑川剛人]] ([[日本ラグビーフットボール協会|日本協会A]])
<br />'''テレビジョンマッチオフィシャル:'''
<br />不明
|}
== 備考 ==
*花園近鉄ライナーズとレベルズは[[2019年]]からパートナーシップ契約を結んでいる<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3244487 TL復帰目指す近鉄ライナーズ、レベルズとパートナーシップ契約結ぶ] . Afpbb(2022年9月14日). 2023年10月21日閲覧。</ref>。
*前座試合として[[東海大学付属大阪仰星高等学校・中等部|東海大大阪仰星高校]]対[[報徳学園中学校・高等学校|報徳学園高校]]が開催されて<ref>[https://hanazono-liners.jp/2022/08/19/20220819shotaijiai/ 招待試合開催のお知らせ 東海大学付属大阪仰星高校vs報徳学園高校] . 花園近鉄ライナーズ公式サイト(2022年8月19日). 2023年10月21日閲覧。</ref>、報徳学園が29対24で勝利<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2022/10/15/kiji/20221015s00044000299000c.html 【高校ラグビー】報徳学園が29―24で東海大大阪仰星に競り勝つ 特別招待試合] . スポニチ(2022年10月15日). 2023年10月21日閲覧。</ref>。
== 放送 ==
*[[Youtube]]花園近鉄ライナーズ公式チャンネルで生配信、[[GAORA]]で生中継された<ref>[https://hanazono-liners.jp/2022/10/05/20221005_rebels_tv_j/ 10/15「ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ」TV生放送および着用ジャージ決定のお知らせ] . 花園近鉄ライナーズ公式サイト(2022年10月5日). 2023年10月21日閲覧。</ref>。
== 出典 ==
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
*[[グローバルラグビーフェスタ2022]] - 同年、[[熊谷ラグビー場]]で開催された[[埼玉パナソニックワイルドナイツ]]対[[レッズ (ラグビー)|レッズ]]の試合。
{{デフォルトソート:むろおいんたあなしよなるちやれんしまつち2022}}
[[Category:ムロオ インターナショナルチャレンジマッチ|2022]]
[[Category:ラグビーユニオンの試合]]
[[Category:2022年のラグビーユニオン]]
[[Category:2022年の日本のスポーツ]]
[[Category:大阪府のスポーツ史]]
[[Category:東大阪市のスポーツ]]
[[Category:東大阪市の歴史]]
[[Category:2022年10月]]
[[Category:JAPAN RUGBY LEAGUE ONE]]
[[Category:レベルズ (ラグビー)]] | 2023-10-21T12:44:27Z | 2023-10-27T21:11:47Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:Reflist",
"Template:Rugbybox",
"Template:Suboff",
"Template:Subon",
"Template:Captain",
"Template:Flagicon"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%82%AA_%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%812022 |
4,844,781 | 長谷村 (大分県) | 長谷村(ながたにむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。
大野川支流・柴北川の流域一帯に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "長谷村(ながたにむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大野川支流・柴北川の流域一帯に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 長谷村(ながたにむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年3月28日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 犬飼町、'''長谷村'''、[[戸上村]] → [[犬飼町]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]
| よみがな = ながたにむら
| 自治体名 = 長谷村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 2847
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = 犬飼町、[[千歳村 (大分県)|千歳村]]、[[大野町 (大分県)|大野町]]、[[大分郡]][[大南町]]
| 所在地 = 大野郡長谷村大字黒松
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''長谷村'''(ながたにむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
[[大野川]]支流・柴北川の流域一帯に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡黒松村、山内村、栗ヶ畑村、長畑村、柴北村、高津原村が合併して村制施行し、'''長谷村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』555頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』591頁。</ref>。旧村名を継承した黒松、山内、栗ヶ畑、長畑、柴北、高津原の6大字を編成{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)3月28日、大野郡犬飼町、戸上村と合併し、'''[[犬飼町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業{{R|角川}}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:なかたにむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T12:55:20Z | 2023-10-21T12:55:20Z | false | false | false | [
"Template:R",
"Template:Reflist",
"Template:日本の町村 (廃止)"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C) |
4,844,783 | インプロカンパニーPlatform | インプロカンパニーPlatformは、日本のインプロ専門の劇団である。
以下、Platformとのみ記載する。
「即興役者と台本役者の化学反応」、「次世代にインプロ文化をつなぐ」をコンセプトに、2010年9月に結成。以来、東京を中心に活動。
劇団の主宰を務める住吉美紅が、Platform結成前に考案したコンセプトインプロと呼ばれる演劇手法での公演が特徴。コンセプトインプロについては#コンセプトインプロを参照。
第8 回ルナティック演劇祭で「ままごとの次第。」を再演し、審査員特別賞を受賞。
「演劇ぶっく」2015年12 月号「演劇は自由」特集に、「その探偵の名、」に関するインタビューが掲載。
2019年に開催された、第一回 at THEATRE演劇祭にて「せつな」を上演し、グランプリ受賞。
2020年1月22日より、観客動員数日本一のインプロ団体を自称している。
日本において、コンセプトインプロはPlatformの商標として登録されている。Platformは商標登録の目的について、将来コンセプトインプロが一般的で広く認知された際に、他者からブランドやアイデンティティを保護することと説明しており、当該商標を協議の上で使用することができることも公表している。
また、Platformは国際シアタースポーツ協会の発行するシアタースポーツライセンスを2013年に取得している。
コンセプトインプロは、Platformおよび一部の日本の劇団で手法として用いられている即興演劇の手法。Platformではコンセプトインプロの簡易的な説明として、多くの場面で「2割台本、8割即興」と表現している。
通常、インプロでは全てのシーンを即興で作り上げるため、台本は存在しないが、コンセプトインプロでは台本および演出が存在し、世界観や物語の進行について一定の枠組み(コンセプト)が固定される。
コンセプトインプロにおいて、通常、主要キャストには固定の役名がつくため、通常のインプロと異なり稽古期間中に役作りが行われる。一方で、役作りの過程でインプロの手法を用いることがあるなど、制作過程においてもインプロ部分とコンセプト部分が併用される。
一般的なインプロにおいては、プレイヤーに対して固定の役が用意されないため、インプロシーンの進行に応じてプレイヤーの役回りが変わっていくことも多い。(たとえば、シーンの序盤で演じた人物と、中盤で演じる人物が異なることは多くみられる。)
一方、コンセプトインプロにおいて、多くのキャストは固定の役に応じた衣装を身に着けており、また構成にも固定部分があることから、そのような臨機応変な役回りの変更が困難であることも多い。
そのため、固定の役を持たず、臨機応変に役柄を変えることのできるキャストが用意されることがある。コンセプトインプロにおいては、彼らを台本演劇の慣習にならい、アンサンブルキャスト(通称アンサンブル)と呼ぶ。
本公演などの上演時に、即興表現を行う役割分担について記載する。
舞台上でインプロを演じる俳優。
主にシンセサイザーを用いた即興演奏を行う。インプロシーンのBGMの演奏のほか、即興ソングの伴奏を務めることもある。
Platformの公演作品においては、第6回公演にて初演の「いと、といと。」がその後シリーズ化されるなど、いくつかのシリーズ作品が存在する。その中でも公演数の多い、「いと、といと。」及び「その探偵の名、」シリーズについて記載する。
初演は第6回公演「いと、といと。」。2作目以降は糸にちなむ語句を用いたサブタイトルがつけられる。主人公が運命の恋人や友人を、その候補者達の中から見つけ出すという構成が特徴。
初演は第7回公演「その探偵の名、」。2作目以降は事件の概要を示すサブタイトルがつけられる。殺人事件の犯人を容疑者の中から見つけ出すという構成が特徴。
2017年の本公演全国ツアー実施の資金募集以来、多くのクラウドファンディングを実施。特に2020年以降はコロナ禍における公演の延期による資金難に端を発し、「その探偵の名、2人の名探偵と3つの謎」以降、2023年10月時点で2023年11月本公演「コウカイする男。」まで本公演のたびにクラウドファンディングを実施し、いずれも目標を達成している。2023年5月のオリニフレテ。までの総支援金額は2,146万円。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "インプロカンパニーPlatformは、日本のインプロ専門の劇団である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "以下、Platformとのみ記載する。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "「即興役者と台本役者の化学反応」、「次世代にインプロ文化をつなぐ」をコンセプトに、2010年9月に結成。以来、東京を中心に活動。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "劇団の主宰を務める住吉美紅が、Platform結成前に考案したコンセプトインプロと呼ばれる演劇手法での公演が特徴。コンセプトインプロについては#コンセプトインプロを参照。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "第8 回ルナティック演劇祭で「ままごとの次第。」を再演し、審査員特別賞を受賞。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "「演劇ぶっく」2015年12 月号「演劇は自由」特集に、「その探偵の名、」に関するインタビューが掲載。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2019年に開催された、第一回 at THEATRE演劇祭にて「せつな」を上演し、グランプリ受賞。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "2020年1月22日より、観客動員数日本一のインプロ団体を自称している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "日本において、コンセプトインプロはPlatformの商標として登録されている。Platformは商標登録の目的について、将来コンセプトインプロが一般的で広く認知された際に、他者からブランドやアイデンティティを保護することと説明しており、当該商標を協議の上で使用することができることも公表している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "また、Platformは国際シアタースポーツ協会の発行するシアタースポーツライセンスを2013年に取得している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "コンセプトインプロは、Platformおよび一部の日本の劇団で手法として用いられている即興演劇の手法。Platformではコンセプトインプロの簡易的な説明として、多くの場面で「2割台本、8割即興」と表現している。",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "通常、インプロでは全てのシーンを即興で作り上げるため、台本は存在しないが、コンセプトインプロでは台本および演出が存在し、世界観や物語の進行について一定の枠組み(コンセプト)が固定される。",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "コンセプトインプロにおいて、通常、主要キャストには固定の役名がつくため、通常のインプロと異なり稽古期間中に役作りが行われる。一方で、役作りの過程でインプロの手法を用いることがあるなど、制作過程においてもインプロ部分とコンセプト部分が併用される。",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "一般的なインプロにおいては、プレイヤーに対して固定の役が用意されないため、インプロシーンの進行に応じてプレイヤーの役回りが変わっていくことも多い。(たとえば、シーンの序盤で演じた人物と、中盤で演じる人物が異なることは多くみられる。)",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "一方、コンセプトインプロにおいて、多くのキャストは固定の役に応じた衣装を身に着けており、また構成にも固定部分があることから、そのような臨機応変な役回りの変更が困難であることも多い。",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "そのため、固定の役を持たず、臨機応変に役柄を変えることのできるキャストが用意されることがある。コンセプトインプロにおいては、彼らを台本演劇の慣習にならい、アンサンブルキャスト(通称アンサンブル)と呼ぶ。",
"title": "コンセプトインプロ"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "本公演などの上演時に、即興表現を行う役割分担について記載する。",
"title": "上演時の役割分担"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "舞台上でインプロを演じる俳優。",
"title": "上演時の役割分担"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "主にシンセサイザーを用いた即興演奏を行う。インプロシーンのBGMの演奏のほか、即興ソングの伴奏を務めることもある。",
"title": "上演時の役割分担"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "Platformの公演作品においては、第6回公演にて初演の「いと、といと。」がその後シリーズ化されるなど、いくつかのシリーズ作品が存在する。その中でも公演数の多い、「いと、といと。」及び「その探偵の名、」シリーズについて記載する。",
"title": "シリーズ作品"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "初演は第6回公演「いと、といと。」。2作目以降は糸にちなむ語句を用いたサブタイトルがつけられる。主人公が運命の恋人や友人を、その候補者達の中から見つけ出すという構成が特徴。",
"title": "シリーズ作品"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "初演は第7回公演「その探偵の名、」。2作目以降は事件の概要を示すサブタイトルがつけられる。殺人事件の犯人を容疑者の中から見つけ出すという構成が特徴。",
"title": "シリーズ作品"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2017年の本公演全国ツアー実施の資金募集以来、多くのクラウドファンディングを実施。特に2020年以降はコロナ禍における公演の延期による資金難に端を発し、「その探偵の名、2人の名探偵と3つの謎」以降、2023年10月時点で2023年11月本公演「コウカイする男。」まで本公演のたびにクラウドファンディングを実施し、いずれも目標を達成している。2023年5月のオリニフレテ。までの総支援金額は2,146万円。",
"title": "クラウドファンディング"
}
] | インプロカンパニーPlatformは、日本のインプロ専門の劇団である。 以下、Platformとのみ記載する。 | '''インプロカンパニーPlatform'''は、日本の[[即興劇|インプロ]]専門の[[劇団]]である<ref>{{Cite web |title=インプロカンパニーPlatform {{!}} 演劇・ミュージカル等のクチコミ&チケット予約★CoRich舞台芸術! |url=https://stage.corich.jp/troupe/6639 |website=CoRich舞台芸術! |access-date=2023-11-05 |language=ja}}</ref>。
以下、Platformとのみ記載する。
== 概要 ==
{{Infobox 組織|name=インプロカンパニーPlatform|略称=プラフォ|motto=道なき未知を遊ぶ。|established=2010年9月1日|organization_type=即興パフォーマンスチーム|location_country=日本|leader_title=主宰|leader_name=住吉美紅|homepage=http://www.plafo.info/|leader_title2=Xアカウント|leader_name2=https://twitter.com/impro_plafo|前身=|former=インプロ部Platform}}「即興役者と台本役者の化学反応」、「次世代にインプロ文化をつなぐ」をコンセプトに、2010年9月に結成<ref name=":2">[http://plafo.info/aboutpf インプロカンパニーPlatformとは? (plafo.info)] 2023年10月21日閲覧。</ref><ref>前注の公式サイトでは2010年8月結成と記載されているが、X(旧twitter)公式アカウントでは、遅くとも2020年以降9月1日を結成記念日としているため、当ページでは9月結成とする。
{{Cite tweet|user=impro_plafo|number=1697379182995701833|title=【13周年】【#プラフォ13】 インプロカンパニーPlatformは本日で 結成13周年を迎えました 「道なき未知を遊ぶ」を体現しながら より一層楽しい時間をお届けできるよう 創り、学び、立ち止まり、選び、歩み続けます 思い出やお祝いメッセージは #プラフォ13 でお待ちしてます! また、本日19:00から… https://t.co/Eopcv8hmWx"|date=2023-09-01|accessdate=2023-10-21|link=no}}</ref>。以来、東京を中心に活動。
劇団の主宰を務める[[住吉美紅]]が、Platform結成前に考案したコンセプトインプロと呼ばれる演劇手法での公演が特徴。コンセプトインプロについては[[#コンセプトインプロ]]を参照。
第8 回[[ルナティック演劇祭]]で「ままごとの次第。」を再演し、審査員特別賞を受賞<ref name=":0">{{Cite web |url=http://plafo.info/news |title=インプロカンパニーPlatform公式サイト NEWS |access-date=2023/10/12}}</ref>。
「[[演劇ぶっく]]」2015年12 月号「演劇は自由」特集に、「その探偵の名、」に関するインタビューが掲載<ref name=":0" />。
2019年に開催された、第一回 [[at THEATRE演劇祭]]にて「せつな」を上演し、グランプリ受賞<ref>at THEATRE演劇祭 無事閉幕! – TokyoCinemaUnion http://tokyocinemaunion.jp/special/at-theatre_rule/ (2019年4月28日)2023年10月21日閲覧。</ref>。
2020年1月22日より、観客動員数日本一のインプロ団体を自称している<ref>Twitter公式アカウントより発信。({{Cite tweet|number=1219911695423770624|user=impro_plafo|title=【重大発表】Platformは本日から観客動員数 日本一のインプロ団体を名乗ります。#観客動いんプロ|access-date=2022-10-22}})それに続くツイートにて、「まず名乗ってみる」という立場を表明している。({{Cite tweet|number=1219911702558298112|user=impro_plafo|title=#観客動いんプロ|access-date=2023-10-22}})</ref>。
=== 所有する権利 ===
日本において、コンセプトインプロはPlatformの[[商標]]として登録されている<ref>登録5852935、登録日2016/05/27。実際の登録はPlatform名義ではなく、劇団員の辻周典名義。</ref>。Platformは商標登録の目的について、将来コンセプトインプロが一般的で広く認知された際に、他者からブランドやアイデンティティを保護することと説明しており<ref>主宰住吉美紅によるX(旧Twitter)における説明より。{{Cite tweet|number=969357741406892032|user=mikumin|title=商標は現状なんのために取ってるかというと、もっとコンセプトインプロが流行って浸透した時に時に他人に商標とられて「使ってはダメです」と言われたら築いてきたものがぶっ壊れるからです 梟月村もおなじです。|access-date=2023-10-23}}</ref>、当該商標を協議の上で使用することができることも公表している<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/platform-audition/conceptjyouen |title=【コンセプトインプロを上演したい方へ】 |access-date=2023-10-16}}</ref>。
また、Platformは[[国際シアタースポーツ協会]]の発行する[[シアタースポーツ]]ライセンスを2013年に取得している。<ref>{{Cite web |url=https://impro.global/membership/members |title=Members |access-date=2023-10-21 |publisher=International Theatresports Institute}}</ref>
== コンセプトインプロ ==
コンセプトインプロは、Platformおよび一部の日本の劇団で<ref>主宰住吉美紅のX(旧Twitter)アカウントによれば、2018年時点で上演実績があるのはPlatform内部ユニットであったネクサスを含む3団体。{{Cite tweet|number=969363300885540864|user=mikumin|title=過去に他団体でコンセプトインプロを書いて上演してくれたのは3団体で ケンスケのacttract うちの若手たちのネクサス そして、明日3/3にオンラインサロンメンバーでもあるゼンさんが上演する「景観」 わたしはこれら普通に嬉しかったです 他の人が使ってくれてはじめて「ジャンル」になる|access-date=2023-10-23|date=2018-03-02}}また、2019年に設立された劇団pinot Noirはコンセプトインプロを中心に活動する団体であることを公表している。{{Cite tweet|number=1101864526046085120|user=Pinot_Noir4|title=初めまして。pinot Noir(ピノ ノアール) ROCK(エモーショナル)なエンターテイメントを目指す集団です。 コンセプトインプロを中心に公演をし、インプロだけじゃなく脚本台本も上演します。 即興劇の為のワークショップも開催しています。現在メンバーは4人!写真はチーム名誕生の瞬間|access-date=2023-10-23|date=2019-03-03}}
</ref>手法として用いられている即興演劇の手法。Platformではコンセプトインプロの簡易的な説明として、多くの場面で「2割[[台本]]、8割即興」と表現している<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/syuumatu/syuumatu-impro |title=「シュウマツの予定。ってどこが即興なの?」 |access-date=2023-10-16}}</ref>。
通常、インプロでは全てのシーンを即興で作り上げるため、台本は存在しないが、コンセプトインプロでは台本および[[演出]]が存在し、世界観や物語の進行について一定の枠組み(コンセプト)が固定される。
=== 役作り ===
コンセプトインプロにおいて、通常、主要キャストには固定の役名がつくため、通常のインプロと異なり稽古期間中に役作りが行われる。一方で、役作りの過程でインプロの手法を用いることがある<ref>ろうかをはしれ!1月号(2023年1月28日公開, YouTube)の中で、コンセプトインプロにおける役作り(キャラメイク)の様子を見ることができる。2023年10月21日閲覧。
</ref>など、制作過程においてもインプロ部分とコンセプト部分が併用される。
=== アンサンブルキャスト ===
一般的なインプロにおいては、プレイヤーに対して固定の役が用意されないため、インプロシーンの進行に応じてプレイヤーの役回りが変わっていくことも多い。(たとえば、シーンの序盤で演じた人物と、中盤で演じる人物が異なることは多くみられる。)
一方、コンセプトインプロにおいて、多くのキャストは固定の役に応じた衣装を身に着けており、また構成にも固定部分があることから、そのような臨機応変な役回りの変更が困難であることも多い。
そのため、固定の役を持たず、臨機応変に役柄を変えることのできるキャストが用意されることがある。コンセプトインプロにおいては、彼らを台本演劇の慣習にならい、アンサンブルキャスト(通称アンサンブル)と呼ぶ。<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/2tantei3nazo/2tantei3nazo-about-story-character/2tantei3nazo-roujin |title=ある老人の死、 |access-date=2023-11-10 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}このページのキャスト一覧にアンサンブルとしてストーン、アイランドの2名が記載されている。</ref>
== 上演時の役割分担 ==
本公演などの上演時に、即興表現を行う役割分担について記載する。
=== プレイヤー ===
舞台上でインプロを演じる俳優。
=== ミュージシャン ===
主にシンセサイザーを用いた[[即興演奏]]を行う<ref>2019年9月16日には即興ミュージシャンである村田貴章を主役とし、プレイヤーが助演を務める音楽主体の実験的ミニ公演「Back Ground Act」も上演された。{{Cite tweet|number=1154523729281474560|user=mikumin|title=#ホロウズ BGA ついに【明日10:00】チケット発売です。2019.9.16(月祝)15時/19時 今年ラストの単独公演 村田貴章を全面に魅せる公演 ぜひお見逃しなく🎹|access-date=2023-10-21}}</ref>。インプロシーンの[[背景音楽|BGM]]の演奏のほか、即興ソングの伴奏を務めることもある。
=== スタッフ ===
* 音響 - [[サンプラー]]を使い、即興でシーンに[[効果音]]を入れる。構成で決められた音楽を流す役割も持つ。
* 照明 - 劇場の照明のコントロールを行う。舞台上の照明を消す([[暗転]]させる)ことにより、即興シーンを終了させる役割も持つ。
== 本公演 ==
* '''第1回公演「はじまりの前。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/238 |title=「はじまりの前。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatformインプロカンパニーPlatform}}</ref>
** 2011年10月15(土)~16日(日)、全4回
** 劇場:絵空箱(東京都)
* '''第2回公演「愛とか恋とか。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/237 |title=「愛とか恋とか。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
** 2012年6月15日(金)~17日(日)、全5回
** 劇場:宇宙館(東京都)
* '''第3回公演「IBRⅡ Give your partner good end」<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/ibr2 |title=IBRⅡ Give your partner good time |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>'''
** 2013年5月31日(金)~6月2日(日)、全5回
** 劇場:[[SPACE 雑遊|SPACE雑遊]](東京都)
** [[即興塾]]本公演として2010年に上演された「IBR」の再演。
* '''第4回公演「とらわれのみ。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/235 |title=「とらわれのみ。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
** 2013年11月29日(金)~12月1日(日)、全5回
** 劇場:pit北/区域(東京都)
** 主演:回替わり(干場明日美、江島ゆき、三浦麻理恵、住吉美紅、早さきえこ)
* '''第5回公演「ままごとの次第。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/platform-5 |title=「ままごとの次第。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**東京公演:2014年8月21日(木)~24日(日)、全7回
***劇場:ザ☆キッチンNAKANO(東京都)
**関西公演:2014年9月13日(土)~14日(日)、全3回
***劇場:町劇Akashi(兵庫県)
* '''第6回公演「いと、といと。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/6th.htm |title=「いと、といと。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2015年3月4日(水)~8日(日)、全9回
** 劇場:ART THEATER かもめ座(東京都)
** 主演:小原敬生
** 当公演から始まる「いと、といと。」シリーズについては [[#シリーズ作品]]参照。
* '''第7回公演「その探偵の名、」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/tantei.htm |title=「その探偵の名、」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2015年9月23日(水)~27日(日)、全8回
** 劇場:[[シアターグリーン]]BASE THEATER(東京都)
** 主演:安見 謙一郎
** ポアロ、ホームズの2チーム。当公演から始まる「その探偵の名、」シリーズについては [[#シリーズ作品]]参照。
* '''第8回公演「正義のみかた。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/seiginomikata |title=「正義のみかた。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**東京公演:2016年3月2日(水)〜3月7日(月)、全10回
*** 劇場:[[ワーサルシアター八幡山劇場]](東京都)
*** Angle、Friendの2バージョン
** 明石公演:2016年5月13日(金)〜5月15日(日)、全5回
*** 劇場:町劇Akashi(兵庫県)
*** Akashiバージョンのみ
** 主演:斉藤慎介
* '''第9回公演「ヒドラの匣。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/hidoranohako |title=「ヒドラの匣。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2016年10月6日(木)~16日(日)、全15回
** 劇場:ワーサルシアター八幡山劇場(東京都)
** 主演:戸草内淳基
* '''第10回公演「めくる、くる、くる。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/mekurukurukuru |title=「めくる、くる、くる。」 |access-date=2023-10-21 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2017年5月12日(金)~21日(日)、全13回
** 劇場:[[上野ストアハウス]](東京都)
** 主演:住吉美紅
* '''第11回公演「いと、といと。〜りりあん〜」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/itoririan |title=「いと、といと。りりあん」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2017年12月5日(火)~10日(日)、全10回
** 劇場:シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
** 主演:宮嶋野乃花
** あんずジャム、あんず飴の2バージョン。
* '''第12回公演「その探偵の名、〜エコソン少年の殺人〜」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/tantei12 |title=「その探偵の名、〜エコソン少年の殺人〜」 |access-date=2023-10-23 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2018年5月19日(土)~27日(日)、全15回
** 劇場:シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
** 主演:石戸貞義
** オレンジピップス、ブルーガーネット、イエローフェイスのトリプルキャスト。平日限定短編「レディメイの失踪」はレッドサイクルとホワイトマスクのダブルキャスト。
* '''第13回公演「きみのせい。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/kiminosei |title=「きみのせい。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2018年11月8日(木)~13日(水)、全10回
** 劇場:ウッディシアター中目黒(東京都)
** 主演:早さきえこ
** WAVE、PHOTONのダブルキャスト
* '''第14回公演「シュウマツの予定。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/syuumatu |title=「シュウマツの予定。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2019年4月30日(火)~5月7日(火)、全13回
** 劇場:上野ストアハウス(東京都)
** 主演:住吉美紅、戸草内淳基、小暮美幸(所属:劇団だるま座(当時))、柴田和人
** AceとJokerの2バージョン
* '''第15回・16回公演「ふしあわせ。」''' <ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/husiawase |title=「ふしあわせ。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
** 2019年12月4日(水)〜15日(日)
** 劇場:ワーサルシアター八幡山劇場(東京都)
** 初回・大千秋楽に特別な短編、序章・終章を追加上演する序章終章形式を初めて採用。
** '''第15回公演「セイジャの行進。」'''(全9回)
*** 主演:石巻遥菜
*** ナーガ、ウロボロスの2バージョン
** '''第16回公演「サイアイの君。」'''(全9回)
*** 主演: 斉藤らいふ
*** スカラベ、ベルゼの2バージョン
* '''第17回公演「その探偵の名、~2人の名探偵と3つの謎~」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/2tantei3nazo |title=「その探偵の名、~2人の名探偵と3つの謎~」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
** 2020年4月30日(木)~5月4日(月)※中止
** 劇場:シアターシャイン(東京都)
** 主演:戸草内淳基(「その恋人の座、」バージョン)、住吉美紅(「ある老人の死、」バージョン)、石戸貞義(「あの栄光の日、」バージョン)
** [[コロナ禍]]により延期し、同年9月にミニステージ有料配信を実施。以降本公演の実施は無期延期としていたが、のちに本公演としての中止を発表<ref>{{Cite tweet|number=1636252517133844480|user=impro_plafo|title=【2020年からの延期公演について】第19回公演「その探偵の名、2人の名探偵と3つの謎」について2020年5月に上演断念、延期公演である2020年9月もオンライン配信となったのち無期延期とお知らせしておりましたが当初の規模で行うことが運営・経営面で困難であること及び状況の変化でキャスト過半数が|access-date=2023-10-22}}</ref>
* '''第18回公演「RACE」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/race-TOP |title=「RACE」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2020年12月10日(木)~13日(日)、全8回
** 劇場:配信公演のため、非公開
** 主演: なし
** クラウドファンディング成功による、無料生配信・無観客公演。カラビナ、ザイルチームのダブルキャスト編成
* '''第19回公演「いと、といと。〜ふちかざり〜」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/fuchikazari-TOP |title=「いと、といと。〜ふちかざり〜」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2021年4月29日(木)~5月4日(火)、全10回
** 劇場:ステージカフェ下北沢亭(東京都)より配信
** 主演:伊藤綾佳(所属:ファンタスティック学園)(大正ろまんバージョン)、進藤恵太(昭和れとろバージョン)
** クラウドファンディング成功による、無料生配信・無観客公演。序章終章形式。
* '''第20回公演「正義のみかた。〜作戦決行!ふたまるまる〜」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/seigi200-top-1 |title=「正義のみかた。〜作戦決行!ふたまるまる〜」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2021年12月1日(水)~12月5日(日)、全10回
** 劇場:JOYJOY THEATRE(東京都)より配信
** 主演:斉藤らいふ(黄色いりんごバージョン)、住吉美紅(赤いはっさくバージョン)
** クラウドファンディング成功による、無料生配信・無観客公演。序章終章形式。
* '''第21回公演「ヒトノコトバカリ。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/hitonokotobakari |title=「ヒトノコトバカリ。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2022年5月5日(木)~8日(日)、全10回
** 劇場:配信公演のため非公開
** 主演:宮嶋恵悟(ハカリゴトバージョン)、早さきえこ(コトバガリバージョン)
** クラウドファンディング成功による、無料生配信・無観客公演。序章はなく、終章のみ大千秋楽にて上演。
* '''第22回公演「ヒドラの景。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/hidoranokage/hidoranokage-main |title=「ヒドラの景。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2022年11月24日(木)〜11月27(日)、全10回
** 劇場:JOYJOY THEATRE(東京都)
** 主演:戸草内淳基
** 有観客公演と、クラウドファンディング成功による無料生配信のハイブリッド。ヒトトオリと、イッセイチダイの2バージョン。
* '''第23回公演「オリニフレテ。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/orinifurete-main |title=「オリニフレテ。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2023年5月3日(水)〜5月7日(日)、全12回
** 劇場:川崎H &Bシアター(神奈川県)
** 主演:村田結香(女囚編)、植野龍二(男囚編)
** 有観客公演と、クラウドファンディング成功による無料生配信のハイブリッド。序章終章形式。
* '''第24回公演「コウカイする男。」'''<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/koukaisuruotoko |title=「コウカイする男。」 |access-date=2023-10-22 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
**2023年11月2日(木)~11月5日(日)、全10回
** 劇場:JOYJOY THEATRE(東京都)
** 主演:石戸貞義
** 有観客公演と、クラウドファンディング成功による無料生配信のハイブリッド。序章はなく、終章のみ大千秋楽にて上演。
* '''第25回公演「めくる、くる、くる。~ある夫婦のお伽話~」'''
** 2024年5月2日(木)~6日(月)
** 劇場:上野ストアハウス(東京)
** 主演:住吉美紅
== シリーズ作品 ==
Platformの公演作品においては、第6回公演にて初演の「いと、といと。」がその後シリーズ化されるなど、いくつかのシリーズ作品が存在する。その中でも公演数の多い、「いと、といと。」及び「その探偵の名、」シリーズについて記載する。
=== 「いと、といと。」シリーズ ===
初演は第6回公演「いと、といと。」。2作目以降は糸にちなむ語句を用いたサブタイトルがつけられる。主人公が運命の恋人や友人を、その候補者達の中から見つけ出すという構成が特徴。
* 2015年3月 - 第6回公演「いと、といと。」 主人公/高尾小鳥(演:小原敬生)
* 2015年5月 - 「いと、といと。~あやとり~」 主人公/酉井綾子(演:干場明日美)<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/impro-platform/entry-12044931372.html |title=『いと、といと。~あやとり~』終演いたしました |access-date=2023-11-10 |publisher=Ameba Blog}}</ref>
* 2017年7月 - 「いと、といと。~れーすあみ~」 主人公/陽野紫帆(演:早さきえこ)、大谷りり(演:住吉美紅)<ref>{{Cite tweet|number=859008717190086656|user=mikumin|title=そんなわけで!公開しますね💕女優マインドproject「イシュタル」参加作品「いと、といと。❤︎れーすあみ❤︎」2017年7/13(木)〜16(日)全7回です。全員女性のいと、といと。主人公は大谷りりor陽野紫帆のダブルキャスト。#ゆりとゆり#プラフォ|access-date=2023-11-10}}</ref>
* 2017年10月 - 全国ツアー「いと、といと。~ことりあやとり~」 主人公/高尾小鳥(演:小原敬生)、酉井綾子(演:干場明日美)<ref>{{Cite web |url=http://plafo.info/next/itokotoriayatori |title=「いと、といと。~ことりあやとり~」 |access-date=2023-11-10 |publisher=インプロカンパニーPlatform}}</ref>
* 2017年12月 - 第11回公演「いと、といと。〜りりあん〜」 主人公/大谷あん(演:宮嶋野乃花)
* 2019年2月 - 「いと、といと。~つなひき~」 主人公/大谷あん(演:宮嶋野乃花)<ref>劇団万能グローブガラパゴスダイナモスとのコラボレーション公演、「こんなガラパ見たことない~東京編~」において1回限りの「いと、といと。~りりあん~」番外編として上演された。
{{Cite tweet|number=1097650212393213952|user=impro_plafo|title=【世紀のコラボショー今日開幕!】いよいよ本日14時より下北沢亭様にて『こんなガラパ見たことない~東京編~』を上演致します✨当日券ございますのでまだご予約間に合います💨世紀の大コラボを見逃すなっ‼️👀|access-date=2023-10-23}}</ref>
* 2020年6月 - 「いと、といと。~らんけーぶる~」 主人公/後木爽太(演:戸草内淳基) アクサガ3の後半短編として配信上演。<ref>{{Cite tweet|number=1268322493133012992|user=impro_plafo|title=🔥ACTIMELEE SAGA3🔥【無料生配信&録画販売となりました】その日一番おもしろい表現者を決めるインプロ(即興芝居)ショー!|access-date=2023-10-23}}</ref>
* 2020年8月 - 「いと、といと。~つなひき~」 主人公/小出まりな(伊藤綾佳(所属:ファンタスティック学園))<ref>配信イベント「下北沢、久しぶりだな!」の中で上演された。2019年の「つなひき」とは同名だが別演目。
{{Cite tweet|number=1290796321230729216|user=plafoentame|title=【キャラクター相関図】8/20-23 配信上演「いと、といと。〜つなひき〜」相関図 もつれ合う赤い糸、まさかの不倫!?見逃さないでねー! チケットはここからだよ 生視聴チケット 各回800円|access-date=2023-10-23}}</ref>
* 2021年4月 - 第19回公演「いと、といと。〜ふちかざり〜」主人公/羽根木小夜(伊藤綾佳(所属:ファンタスティック学園)、巣箱陽太(演:進藤恵太)
* 2023年7月 - アクサガ2023同時上演作品「いと、といと。~はんぶん~」 主人公/大谷りり(演:住吉美紅)<ref>{{Cite tweet|number=1681251514197872641|user=impro_plafo|title=🔥アクサガ2023🔥インプロバトルショー 様々な場で活躍中の初インプロの俳優 勢いのある若手インプロバイザー サポートをしつつ爪を研ぐベテランプレイヤー総勢13名の激闘をご覧あれ!|access-date=2023-11-10}}</ref>
=== 「その探偵の名、」シリーズ ===
初演は第7回公演「その探偵の名、」。2作目以降は事件の概要を示すサブタイトルがつけられる。殺人事件の犯人を容疑者の中から見つけ出すという構成が特徴。
* 2015年9月 - 第7回公演「その探偵の名、」 被害者/チープルック(演:安見 謙一郎)
* 2018年5月 - 第12回公演「その探偵の名、〜エコソン少年の殺人〜」被害者/ロックドドア(演:石戸貞義)
* 2020年9月 - 「その探偵の名、~2人の名探偵と3つの謎~」被害者/シャッターイングラス(演:戸草内淳基)、ビューティーグロス(演:住吉美紅)、ロックドドア(演:石戸貞義)
* 2022年2月 - 「その探偵の名、~消された新郎~」 被害者/チョーク(演:宮嶋恵悟)<ref>{{Cite tweet|number=1481163535359287297|user=impro_plafo|title=【オーディション公演】その探偵の名、消された新郎 Platformオーディション最終審査。このメンバーで作る最後の公演。生配信無料視聴 アーカイブご購入で永久視聴可能 公演の応援ショップはこちらです↓|access-date=2023-10-23}}</ref>
* 2022年7月 - 「その探偵の名、~銀幕の裏で~」 被害者/ドレイクドレイク(演:植野龍二)<ref>アクサガ2022内で上演。{{Cite tweet|number=1534859292825645056|user=impro_plafo|title=🔥#アクサガ2022🔥視聴チケット購入サイト公開! ※ご購入スタートは6/11(土)10:00より 【発売開始まであと2日】|access-date=2023-10-23}}</ref>
* 2023年8月 - 「その探偵の名、~名前のない感情~」被害者/シャッターインダブリュ(演:戸草内淳基)名前のない演劇祭緑にて上演。<ref>名前のない演劇祭緑への参加作品。{{Cite tweet|number=1681251552928092160|user=impro_plafo|title=🕵️演劇祭参加🕵️毎回犯人が変わる、即興ミステリー「その探偵の名、」|access-date=2023-10-23}}</ref>
== 本公演以外の公演・活動 ==
* Platform杯学生シアタースポーツ大会 - 若い世代にインプロを体験してもらうためのイベントとして2014年より開始<ref name=":2" />。2023年現在、コロナ禍の影響で2019年を最後に実施されていない。
* アクサガ(アクティミリー・サーガ) - 各所の俳優にインプロの基礎稽古からショー出演を短期間で経験してもらうためのイベント。2018年以降不定期にて開催。
* 梟月村人狼 - 「最も残酷な人狼舞台」をコンセプトとした[[汝は人狼なりや?|人狼ゲーム]]コンテンツ。
* マーダーミステリー公演・配信
* プラフォVote ([[座・シトラス]]のVote Showとのコラボレーション公演)
== クラウドファンディング ==
2017年の本公演全国ツアー実施の資金募集以来、多くのクラウドファンディングを実施。特に2020年以降はコロナ禍における公演の延期による資金難<ref name=":1" />に端を発し、「その探偵の名、2人の名探偵と3つの謎」以降、2023年10月時点で2023年11月本公演「コウカイする男。」まで本公演のたびにクラウドファンディングを実施し、いずれも目標を達成している。
* 2017年1月 - 「いと、といと。」全国ツアー実施(総支援金額1,370,000円/目標金額1,000,000円) <ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/11246 |title=インプロカンパニーPlatform全国ツアー! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp) |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2018年5月 - 第6回学生シアタースポーツ大会 公演費用(総支援金額550,000円/目標金額500,000円) <ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/74197 |title=学生シアスポ2018クラウドファンディング |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2020年4月 - 本公演「その探偵の名、2人の名探偵と3つの謎」(総支援金額2,629,000円/目標金額1,500,000円)<ref name=":1">{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/253173 |title=Platform【即興劇で世界に元気を】公演延期で赤字150万からの再出発! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp) |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2020年5月 - 「ACTIMELEE SAGA3」「梟月村人狼」の配信公演実施 (総支援金額869,000円/目標金額400,000円) <ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/276134 |title=Platform【即興劇で世界に元気を】ふたたび笑顔で会うために - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp) |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2020年10月 - 本公演「RACE」(総支援金額 1,804,500円/目標金額1,000,000円)<ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/326343 |title=【Platform RACE】この即興劇が、あなたに届きますように |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2021年3月 - 本公演「いと、といと。〜ふちかざり〜」(総支援金額 3,271,000円/目標金額2,000,000円)<ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/402127 |title=日本でここしか観られない即興の劇、あなたといっしょに創ります【Platform】 |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2021年10月 - 本公演「正義のみかた。〜作戦決行!ふたまるまる〜」(総支援金額 3,914,700円/目標金額2,000,000円) <ref>{{Cite web |url=https://camp-fire.jp/projects/view/496770 |title=みんなでつくろう正義のみかた!あなたのアイデアから戦隊ヒーローが生まれます |access-date=2023-10-21 |publisher=CAMPFIRE}}</ref>
* 2022年3月 - 本公演「ヒトノコトバカリ。」(総支援金額 2,810,400円/目標金額2,200,000円)<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/hitonokotobakali |title=画面の前のあなたと共に【即興】で、誰も見たことが無い物語を作ります。 配信公演【ヒトノコトバカリ。】応援プロジェクト |access-date=2023-10-21 |publisher=MOTION GALLERY}}</ref>
* 2022年10月 - 本公演「ヒドラの景。」(総支援金額 3,050,700円/目標金額2,300,000円)<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/hidoranokage |title=【即興】で、誰も見たことが無い物語を作ります。公演【ヒドラの景。】応援プロジェクト |access-date=2023-10-21 |publisher=MOTION GALLERY}}</ref>
* 2023年3月 - 本公演「オリニフレテ。」(総支援金額 3,111,000円/目標金額2,300,000円)<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/orinihurete |title=【即興】で、誰も見たことが無い物語を作ります。 公演【オリニフレテ。】応援プロジェクト |access-date=2023-10-21 |publisher=MOTION GALLERY}}</ref>
* 2023年9月 - 本公演「コウカイする男。」 (総支援金額2,742,000円/目標金額2,000,000円)<ref>{{Cite web |url=https://motion-gallery.net/projects/koukai |title=【即興】で、誰も見たことが無い物語を作ります。 公演【コウカイする男。】応援プロジェクト |access-date=2023-10-21 |publisher=MOTION GALLERY}}</ref>
== 関連項目 ==
* [[日本の劇団一覧]]
* [[即興劇]]
*[[座・シトラス]]
*[[シアタースポーツ]]
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [http://www.plafo.info/ インプロカンパニー Platform 公式ホームページ]
* {{Twitter|impro_plafo}}
*{{YouTube channel|platform7920}}
* [https://kyougetumura.amebaownd.com/ 梟月村HP]
* [https://impro.global/ International Theatresports Institute(国際シアタースポーツ協会)公式ウェブサイト]
* [https://com.nicovideo.jp/community/co3445933 インプロカンパニーPlatform]
{{DEFAULTSORT:いんふろかんはにーふらつとふおーむ}}
[[Category:日本の劇団]]
[[Category:即興]]
[[Category:21世紀の日本の設立]]
[[Category:2010年設立の組織]] | 2023-10-21T12:58:57Z | 2023-12-24T14:22:01Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Cite tweet",
"Template:Twitter",
"Template:YouTube channel",
"Template:Infobox 組織"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BCPlatform |
4,844,787 | 李宜相 | 李 宜相(イ・ウィサン、朝鮮語: 이의상、1889年9月15日 - 1968年12月18日)は、大韓民国の公務員、政治家。初代韓国国会議員。
忠清北道陰城郡出身。官立漢城外国語学校英語部卒。道支部税関主任官を務めたほか、農業に携わった。政界では、大韓独立促成国民会陰城郡支部長を務めた。
初代総選挙に陰城選挙区から大韓独立促成国民会所属として出馬して当選し、国会議員を1期務めた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "李 宜相(イ・ウィサン、朝鮮語: 이의상、1889年9月15日 - 1968年12月18日)は、大韓民国の公務員、政治家。初代韓国国会議員。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "忠清北道陰城郡出身。官立漢城外国語学校英語部卒。道支部税関主任官を務めたほか、農業に携わった。政界では、大韓独立促成国民会陰城郡支部長を務めた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "初代総選挙に陰城選挙区から大韓独立促成国民会所属として出馬して当選し、国会議員を1期務めた。",
"title": "経歴"
}
] | 李 宜相は、大韓民国の公務員、政治家。初代韓国国会議員。 | '''李 宜相'''(イ・ウィサン、{{Lang-ko|이의상}}、[[1889年]][[9月15日]] - [[1968年]][[12月18日]])は、[[大韓帝国]]の[[公務員]]、[[大韓民国]]の[[政治家]]。[[大韓民国制憲議会|制憲韓国国会]]議員。
== 経歴 ==
[[忠清北道]][[陰城郡]]出身。[[官立漢城外国語学校]]英語部卒。大韓帝国では{{仮リンク|度支部|ko|탁지부}}の[[税関]]主事を務めた。その後は[[農業]]に携わり<ref name=":0">{{Cite web |url=https://db.history.go.kr/item/level.do?setId=3&totalCount=3&itemId=im&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&types=&searchSubjectClass=&position=0&levelId=im_108_03519&searchKeywordType=BI&searchKeywordMethod=EQ&searchKeyword=%EC%9D%B4%EC%9D%98%EC%83%81&searchKeywordConjunction=AND |title=자료일람 {{!}} 한국사데이터베이스 |access-date=2023-10-21 |publisher=韓国史データベース}}</ref>、陰城酒造を営んだ<ref>{{Cite web |url=https://db.history.go.kr/id/hs_003_1949_00_22_0690 |title=한국근현대회사조합자료 - 陰成酒造(株) |access-date=2023/10/21 |website=한국사 데이터베이스}}</ref>。解放後は政界で[[大韓独立促成国民会]]陰城郡支部長を務めた<ref name=":1">{{Cite web |title=대한민국헌정회 |url=https://rokps.or.kr/profile/profile_view.asp?idx=1136&page=1 |website=rokps.or.kr |access-date=2023-10-21}}</ref>。
1948年の[[初代総選挙 (大韓民国)|初代総選挙]]に陰城選挙区から大韓独立促成国民会所属として出馬して当選したが、1950年の[[第2代総選挙 (大韓民国)|第2代総選挙]]では次点で落選した<ref name=":0" />。国会議員を1期務めた<ref name=":1" />。
== 脚注 ==
{{DEFAULTSORT:い ういさん}}
<references />
[[Category:大韓帝国の人物]]
[[Category:韓国の国会議員]]
[[Category:忠清北道出身の人物]]
[[Category:1889年生]]
[[Category:1968年没]] | 2023-10-21T13:10:41Z | 2023-10-21T14:03:57Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Lang-ko"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%9C%E7%9B%B8 |
4,844,789 | 戸上村 | 戸上村(とのうえむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、臼杵市の一部にあたる。
大野川・三重川の右岸、野津川の下流域一帯に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "戸上村(とのうえむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、臼杵市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大野川・三重川の右岸、野津川の下流域一帯に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 戸上村(とのうえむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の豊後大野市、臼杵市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年3月28日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 犬飼町、[[長谷村 (大分県)|長谷村]]、'''戸上村''' → [[犬飼町]]
| 現在の自治体 = [[豊後大野市]]、[[臼杵市]]
| よみがな = とのうえむら
| 自治体名 = 戸上村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 =
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[野津町]]、[[南野津村]]、[[三重町]]、犬飼町、[[大分郡]][[大南町]]
| 所在地 = 大野郡戸上村大字西寒田
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''戸上村'''(とのうえむら{{R|変遷}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[豊後大野市]]、[[臼杵市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
[[大野川]]・三重川の右岸、野津川の下流域一帯に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治26年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡烏岳村、千塚村、藤小野村、西寒田村、柚野木村、久原村、大寒村が合併して村制施行し、'''戸上村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』517頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』591頁。</ref>。旧村名を継承した烏岳、千塚、藤小野、西寒田、柚野木、久原、大寒の7大字を編成{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)3月28日、大野郡犬飼町、長谷村と合併し、'''[[犬飼町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業{{R|角川}}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:とのうえむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:臼杵市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T13:27:36Z | 2023-10-21T13:27:36Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E4%B8%8A%E6%9D%91 |
4,844,792 | タコツボ文化 | タコツボ文化(タコツボぶんか)は、日本文化はどのようであるかを表す言葉。
丸山眞男によって提唱された概念。タコツボとはそれぞれに孤立した壷が1本の網で並列に連なっている形であり、日本の学問や文化や組織は欧米と比較すればこのような形であるとされる。このようなタコツボ文化となっているならば、共通の根を切り捨てた形で専門が分かれ、その専門の中で仲間の集団を作っているため、集団の相互間での意思疎通が困難であるとされている。
欧米では包括的、総合的な学問から専門化が進んできたのに対して、日本では欧米で既に専門化していた学問を明治になってから取り入れている。このことから日本では共通の基盤の無い形で専門が分かれ、それぞれが仲間集団を作り、互いに通じ合えなくなっている。学問だけでなく企業などの組織もこのようになっている。
岩本愛吉は、日本では1887年の学位令により博士は法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5つが定められたのに対して、西洋では哲学博士のみで、このような学位の制度で日本がタコツボ文化となった可能性を指摘する。
現代人の多くはソーシャル・ネットワーキング・サービスで自らの狭い興味のみの情報を集めるようになっているという形でタコツボ文化が今の世に通じている。映画やライブや展示会などで普段フォローしていない分野のものを終了してから知って残念に思うことがある。このように文化もタコツボ化している。文化の情報全体を扱う雑誌のようなメディアが存在していた時代よりもタコツボ化が進んでいる。
2021年の日刊工業新聞の記事では、新型コロナウイルスの対策では学術分野のタコツボ型が弱点として露呈されているということが掲載される。新型コロナウイルス対策の際には、社会や経済への影響を最小化するには多様な分野の知が連携して革新的な技術を創出する必要があるのだが、それがタコツボ型によって妨げられていたと指摘される。
久保利英明は電力会社の企業統治で問題であるのは、取締役会や監査役会が機能せず、不正が発覚した際には社長や会長や相談役による隠蔽体質で会社が動いてしまうことであるとする。電力会社の取締役会は会社の不祥事を自分たちで正す意識が欠けており、会社が事業部ごとの縦割り組織になっている。取締役に就任するのは各事業部の出世した人間であるが、それを選任するのは同じ事業部で先に偉くなった先輩。このようになっている企業はタコツボ文化であり、そのような企業の取締役には、よその問題には口は挟まないという意識が働くようになっている。タコツボ化は不正の3要素の温床となるともしている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "タコツボ文化(タコツボぶんか)は、日本文化はどのようであるかを表す言葉。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "丸山眞男によって提唱された概念。タコツボとはそれぞれに孤立した壷が1本の網で並列に連なっている形であり、日本の学問や文化や組織は欧米と比較すればこのような形であるとされる。このようなタコツボ文化となっているならば、共通の根を切り捨てた形で専門が分かれ、その専門の中で仲間の集団を作っているため、集団の相互間での意思疎通が困難であるとされている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "欧米では包括的、総合的な学問から専門化が進んできたのに対して、日本では欧米で既に専門化していた学問を明治になってから取り入れている。このことから日本では共通の基盤の無い形で専門が分かれ、それぞれが仲間集団を作り、互いに通じ合えなくなっている。学問だけでなく企業などの組織もこのようになっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "岩本愛吉は、日本では1887年の学位令により博士は法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5つが定められたのに対して、西洋では哲学博士のみで、このような学位の制度で日本がタコツボ文化となった可能性を指摘する。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "現代人の多くはソーシャル・ネットワーキング・サービスで自らの狭い興味のみの情報を集めるようになっているという形でタコツボ文化が今の世に通じている。映画やライブや展示会などで普段フォローしていない分野のものを終了してから知って残念に思うことがある。このように文化もタコツボ化している。文化の情報全体を扱う雑誌のようなメディアが存在していた時代よりもタコツボ化が進んでいる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2021年の日刊工業新聞の記事では、新型コロナウイルスの対策では学術分野のタコツボ型が弱点として露呈されているということが掲載される。新型コロナウイルス対策の際には、社会や経済への影響を最小化するには多様な分野の知が連携して革新的な技術を創出する必要があるのだが、それがタコツボ型によって妨げられていたと指摘される。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "久保利英明は電力会社の企業統治で問題であるのは、取締役会や監査役会が機能せず、不正が発覚した際には社長や会長や相談役による隠蔽体質で会社が動いてしまうことであるとする。電力会社の取締役会は会社の不祥事を自分たちで正す意識が欠けており、会社が事業部ごとの縦割り組織になっている。取締役に就任するのは各事業部の出世した人間であるが、それを選任するのは同じ事業部で先に偉くなった先輩。このようになっている企業はタコツボ文化であり、そのような企業の取締役には、よその問題には口は挟まないという意識が働くようになっている。タコツボ化は不正の3要素の温床となるともしている。",
"title": "概要"
}
] | タコツボ文化(タコツボぶんか)は、日本文化はどのようであるかを表す言葉。 | '''タコツボ文化'''(タコツボぶんか)は、[[日本]][[文化]]はどのようであるかを表す言葉。
== 概要 ==
[[丸山眞男]]によって提唱された[[概念]]。[[タコツボ]]とはそれぞれに[[孤立]]した[[壷]]が1本の[[網]]で並列に連なっている形であり、日本の[[学問]]や[[文化]]や組織は欧米と比較すればこのような形であるとされる。このようなタコツボ文化となっているならば、共通の根を切り捨てた形で[[専門]]が分かれ、その専門の中で仲間の集団を作っているため、集団の相互間での[[意思疎通]]が困難であるとされている<ref>{{Cite web |title=タコツボ文化(たこつぼぶんか)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%84%E3%83%9C%E6%96%87%E5%8C%96-1558884 |website=コトバンク |access-date=2023-10-21 |language=ja |last=日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref>。
[[欧米]]では包括的、総合的な学問から専門化が進んできたのに対して、日本では欧米で既に専門化していた学問を[[明治]]になってから取り入れている。このことから日本では共通の基盤の無い形で専門が分かれ、それぞれが仲間集団を作り、互いに通じ合えなくなっている。学問だけでなく[[企業]]などの組織もこのようになっている<ref>{{Cite web |title=大企業ほど"部署間対立"が起きる根本原因 隣の部署の仕事内容を知っているか (2ページ目) |url=https://president.jp/articles/-/28591 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2019-05-13 |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>。
岩本愛吉は、日本では[[1887年]]の学位令により[[博士]]は法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5つが定められたのに対して、西洋では哲学博士のみで、このような[[学位]]の制度で日本がタコツボ文化となった可能性を指摘する<ref>{{Cite web |url=https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/P46-54.pdf |title=モダンメディア67巻2号2021[グローバル化時代の医療・検査事情] |access-date=2023-10-21 |publisher=栄研化学}}</ref>。
現代人の多くは[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]で自らの狭い興味のみの情報を集めるようになっているという形でタコツボ文化が今の世に通じている。[[映画]]や[[ライブ]]や[[展示会]]などで普段フォローしていない分野のものを終了してから知って残念に思うことがある。このように文化もタコツボ化している。文化の情報全体を扱う[[雑誌]]のような[[メディア]]が存在していた時代よりもタコツボ化が進んでいる<ref>{{Cite web |title=【新書のきゅうしょ】より強化する「タコツボ文化」 丸山真男著「日本の思想」(岩波新書・1961年)(1/2ページ) |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20190618-TLKPSQJ4EBIGJJPMHGELTGFVOY/ |website=zakzak:夕刊フジ公式サイト |date=2019-06-18 |access-date=2023-10-21 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。
[[2021年]]の[[日刊工業新聞]]の記事では、[[新型コロナウイルス]]の対策では学術分野のタコツボ型が弱点として露呈されているということが掲載される。新型コロナウイルス対策の際には、[[社会]]や[[経済]]への影響を最小化するには多様な分野の知が連携して革新的な技術を創出する必要があるのだが、それがタコツボ型によって妨げられていたと指摘される<ref>{{Cite web |title=産業春秋/タコツボ型文化の打破 |url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00589504 |website=日刊工業新聞電子版 |access-date=2023-10-21 |first=NIKKAN KOGYO |last=SHIMBUN,LTD}}</ref>。
[[久保利英明]]は[[電力会社]]の企業統治で問題であるのは、[[取締役会]]や[[監査役会]]が機能せず、[[不正]]が発覚した際には[[社長]]や[[会長]]や[[相談役]]による隠蔽体質で会社が動いてしまうことであるとする。電力会社の取締役会は会社の不祥事を自分たちで正す意識が欠けており、会社が[[事業部]]ごとの縦割り組織になっている。取締役に就任するのは各事業部の出世した人間であるが、それを選任するのは同じ事業部で先に偉くなった先輩。このようになっている企業はタコツボ文化であり、そのような企業の取締役には、よその問題には口は挟まないという意識が働くようになっている<ref>{{Cite web |title=企業の持病「たこつぼ文化」壊すためには 久保利英明氏:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASN5X3GD3N4SPLFA00R.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2020-05-30 |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>。タコツボ化は不正の3要素の温床となるともしている<ref>{{Cite web |title=企業不祥事と 「タコツボ」 - 日本取締役協会 |url=https://www.jacd.jp/news/column/column-opinion/210312_post-234.html |website=www.jacd.jp |access-date=2023-10-21}}</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
[[Category:丸山眞男]]
{{DEFAULTSORT:たこつほふんか}}
[[Category:日本の文化]] | 2023-10-21T13:37:04Z | 2023-10-21T13:37:04Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%84%E3%83%9C%E6%96%87%E5%8C%96 |
4,844,793 | シアタースポーツ | シアタースポーツ (英:Editing Theatresports)は即興劇の形態の一つであり、試合形式を用いることでドラマチックな展開を生むことを目的としている。
演じ手として舞台上で試合に参加するチームは、観客の提案に基づいたシーンを演じ、観客または審査員による評価を受ける。1977年に演出家のキース・ジョンストン(英語: Keith Johnstone)によって開発された。ジョンストンがプロレスで観客のヒート(悪役レスラーへの反感などの観客の反応)を生み出すテクニックを観察したことがきっかけで生まれたと言われている。
1984年にアメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーで始まったコメディスポーツは、従来のシアタースポーツよりも更にスポーツ競技の形式を取り入れている。(例えば、点数の加算や反則を与える審判員がおかれる。) | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "シアタースポーツ (英:Editing Theatresports)は即興劇の形態の一つであり、試合形式を用いることでドラマチックな展開を生むことを目的としている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "演じ手として舞台上で試合に参加するチームは、観客の提案に基づいたシーンを演じ、観客または審査員による評価を受ける。1977年に演出家のキース・ジョンストン(英語: Keith Johnstone)によって開発された。ジョンストンがプロレスで観客のヒート(悪役レスラーへの反感などの観客の反応)を生み出すテクニックを観察したことがきっかけで生まれたと言われている。",
"title": "解説"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "1984年にアメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーで始まったコメディスポーツは、従来のシアタースポーツよりも更にスポーツ競技の形式を取り入れている。(例えば、点数の加算や反則を与える審判員がおかれる。)",
"title": "派生物"
}
] | シアタースポーツ は即興劇の形態の一つであり、試合形式を用いることでドラマチックな展開を生むことを目的としている。 | [[ファイル:Theatresports_in_Florence_004.jpg|サムネイル|イタリアのフィレンツェで行われた競技会でのシアタースポーツのチーム及び審判員。]]
'''シアタースポーツ''' (英:Editing Theatresports)は[[即興劇]]の形態の一つであり<ref>[https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/manage/wp-content/uploads/2018/04/32_1.pdf 日本における「インプロ」の導入と展開 ―1990年代を中心として]</ref>、試合形式を用いることでドラマチックな展開を生むことを目的としている。
== 解説 ==
演じ手として舞台上で試合に参加するチームは、観客の提案に基づいたシーンを演じ、観客または審査員による評価を受ける。1977年に演出家の{{日本語版にない記事リンク|キース・ジョンストン|en|Keith Johnstone}}によって開発された。
ジョンストンが[[プロレス]]で観客のヒート(悪役レスラーへの反感などの観客の反応)を生み出すテクニックを観察したことがきっかけで生まれたと言われている{{要出典|date=April 2011}}。
== 派生物 ==
1984年にアメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーで始まった[[コメディスポーツ]]は、従来のシアタースポーツよりも更にスポーツ競技の形式を取り入れている<ref>{{cite web |url=http://www.comedysportz.com/history.htm |title=ComedySportz History |publisher=World Comedy League |accessdate=2006-09-16}}</ref>。(例えば、点数の加算や反則を与える審判員がおかれる。)
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 出典 ==
* Johnstone, Keith (1987). ''Impro: Improvisation and the Theatre''. Taylor & Francis. {{ISBN|0-87830-117-8}}.
* Johnstone, Keith (1999). ''Impro For Storytellers''. Faber UK. {{ISBN|0-571-19099-5}} (paperback).
* Keith Johnstone on [https://web.archive.org/web/20070627092251/http://www.keithjohnstone.com/improv.php the origins of Theatresports and how a typical show runs].
* [https://web.archive.org/web/20070930165543/http://www.canadianencyclopedia.ca/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1SEC864487 "Theatre, English-Language"]. ''[[The Canadian Encyclopedia]]''. Historica Foundation of Canada, 2006.
* Clark, Andrew (1999). "Comedians Without a Net". ''[[Maclean's]]'', 1999-09-08, Vol. 112, Issue 32.
* Sillars, Les. "The Global Moose". ''[[Alberta Report]]'', 1995-08-28, Vol. 22 Issue 37, pp36–37.
* [http://www.albertaviews.ab.ca/issues/2005/sept05/unscripted.pdf "Unscripted"], Chris Wiebe, ''Alberta Views'' magazine, September 2005.
== 参考 ==
* Foreman, Kathleen and Martini, Clem (1996). ''Something Like a Drug: An Unauthorized Oral History of Theatresports''. Players Press. {{ISBN|0-88734-918-8}} (paperback).
== 外部リンク ==
{{Commons category}}
* [http://www.Theatresports.org/ International Theatre sports Institute]
* [http://www.keithjohnstone.com/ Keith Johnstone's official website]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しあたーすぽーつ}}
[[Category:演劇のジャンル]]
[[Category:即興]]
[[Category:1977年生]] | 2023-10-21T13:39:40Z | 2023-11-05T10:54:29Z | false | false | false | [
"Template:ISBN",
"Template:Commons category",
"Template:日本語版にない記事リンク",
"Template:要出典",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84 |
4,844,794 | 慈愛 (アンドレア・デル・サルト) | 『慈愛」は、イタリア盛期ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの署名と年記のある1518年制作の絵画である。板上に油彩で描かれたが、キャンバスに移転されている。主題は、キリスト教の中でも最も重要な美徳である「慈愛」である。作品は、パリのルーヴル美術館に所蔵されている。
アンドレア・デル・サルトは、フランスで亡くなったレオナルド・ダ・ヴィンチの代わりにフランスに招聘された。本作は、アンドレア・デル・サルトがフランスにおいてフランソワ1世の時代のフォンテーヌブロー派の様式で描いた数少ない作品のうちの1点である。とりわけ本作は確実に画家に帰属される唯一の作品であり、制作年は1518年6月から1519年3月までに限定される。それは、画面下部左側にあるカルトゥーシュ (銘板) に「ANDREAS. SARTUS. FLORENTINUS. ME PINXIT MDXVIII」という銘文があるからである。
作品は、「慈愛」の擬人像を伝統的な要素とともに表している。それらの要素とは、彼女が保護し、授乳する子供たち、彼女の足元の炎の出ている壺、画面下部手前にある豊穣の象徴ザクロである。割れたザクロは、寛容さ、神への熱烈な愛も象徴する。また、「慈愛」の赤色の服は、燃えるような隣人愛の体現であるように思わせる。
画面は、当時のトスカーナ地方の美術の原理、すなわちレオナルドとラファエロによってすでに使い尽くされたピラミッド型構図にしたがって構築されている。「慈愛」の人物像は、脚を右側に曲げて座している。2人の子供は「慈愛」の膝の上に抱かれ、1人は授乳されている。3人目の子供はクッションの上に横たわり、「慈愛」の青色の衣服の裾によりかかっている。人物像の彫塑性はミケランジェロを想起させる。ピラミッド型構図とスフマートの技法は、レオナルドの『聖アンナと聖母子』 (ルーヴル美術館) の影響を示唆する。
背景の理想的な風景は右側に下降している小高い丘を表している。丘の上には、木々、城、小さな人物像が見える。
白亜 (チョーク) 色に特徴づけられる色彩の使用は、同時代のロッソ・フィオレンティーノとヤコポ・ダ・ポントルモがマニエリスム的な歪曲表現に向かった危機の端緒を垣間見せている。
アンドレア・デル・サルトは、伝統的な主題を牧歌的な家族の光景に変容させている。本作は、長い間待望されていた継嗣誕生を祝った寓意画であるとの解釈もある。「慈愛」の顔立ちは、フランソワ1世の妻クロードに似ている。(彼女は、作品が描かれた前年に結婚したアンドレア・デル・サルトの妻ルクレツィアに似ているともいわれる) 。が木の実を差し出している左側の子供はシャルロット王女を理想化した姿で、寝ている子供は平和な裡に休むフランス国を象徴しているのかもしれない。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『慈愛」は、イタリア盛期ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの署名と年記のある1518年制作の絵画である。板上に油彩で描かれたが、キャンバスに移転されている。主題は、キリスト教の中でも最も重要な美徳である「慈愛」である。作品は、パリのルーヴル美術館に所蔵されている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "アンドレア・デル・サルトは、フランスで亡くなったレオナルド・ダ・ヴィンチの代わりにフランスに招聘された。本作は、アンドレア・デル・サルトがフランスにおいてフランソワ1世の時代のフォンテーヌブロー派の様式で描いた数少ない作品のうちの1点である。とりわけ本作は確実に画家に帰属される唯一の作品であり、制作年は1518年6月から1519年3月までに限定される。それは、画面下部左側にあるカルトゥーシュ (銘板) に「ANDREAS. SARTUS. FLORENTINUS. ME PINXIT MDXVIII」という銘文があるからである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "作品は、「慈愛」の擬人像を伝統的な要素とともに表している。それらの要素とは、彼女が保護し、授乳する子供たち、彼女の足元の炎の出ている壺、画面下部手前にある豊穣の象徴ザクロである。割れたザクロは、寛容さ、神への熱烈な愛も象徴する。また、「慈愛」の赤色の服は、燃えるような隣人愛の体現であるように思わせる。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "画面は、当時のトスカーナ地方の美術の原理、すなわちレオナルドとラファエロによってすでに使い尽くされたピラミッド型構図にしたがって構築されている。「慈愛」の人物像は、脚を右側に曲げて座している。2人の子供は「慈愛」の膝の上に抱かれ、1人は授乳されている。3人目の子供はクッションの上に横たわり、「慈愛」の青色の衣服の裾によりかかっている。人物像の彫塑性はミケランジェロを想起させる。ピラミッド型構図とスフマートの技法は、レオナルドの『聖アンナと聖母子』 (ルーヴル美術館) の影響を示唆する。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "背景の理想的な風景は右側に下降している小高い丘を表している。丘の上には、木々、城、小さな人物像が見える。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "白亜 (チョーク) 色に特徴づけられる色彩の使用は、同時代のロッソ・フィオレンティーノとヤコポ・ダ・ポントルモがマニエリスム的な歪曲表現に向かった危機の端緒を垣間見せている。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "アンドレア・デル・サルトは、伝統的な主題を牧歌的な家族の光景に変容させている。本作は、長い間待望されていた継嗣誕生を祝った寓意画であるとの解釈もある。「慈愛」の顔立ちは、フランソワ1世の妻クロードに似ている。(彼女は、作品が描かれた前年に結婚したアンドレア・デル・サルトの妻ルクレツィアに似ているともいわれる) 。が木の実を差し出している左側の子供はシャルロット王女を理想化した姿で、寝ている子供は平和な裡に休むフランス国を象徴しているのかもしれない。",
"title": "作品"
}
] | 『慈愛」は、イタリア盛期ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの署名と年記のある1518年制作の絵画である。板上に油彩で描かれたが、キャンバスに移転されている。主題は、キリスト教の中でも最も重要な美徳である「慈愛」である。作品は、パリのルーヴル美術館に所蔵されている。 | {{Infobox artwork
|image_file = La_Charité_-_Andrea_del_Sarto_-_Musée_du_Louvre_Peintures_INV_712.jpg
|image_size = 350px
|title = 慈愛
| other_language_1 = [[フランス語]]
| other_title_1 = La Charité
| other_language_2 = [[英語]]
| other_title_2 = Charity
|artist = [[アンドレア・デル・サルト]]
|year = 1518年
|type = 板上に[[油彩]]
|height_metric = 185
|width_metric = 137
|city = [[パリ]]
|museum = [[ルーヴル美術館]]
}}
『'''慈愛'''』(じあい、{{lang-fr-short|La Charité}}, {{lang-en-short|Charity}})は、[[イタリア]]盛期[[ルネサンス]]の画家[[アンドレア・デル・サルト]]の署名と年記のある1518年制作の絵画である。板上に[[油彩]]で描かれたが、[[キャンバス]]に移転されている<ref name="ReferenceVP">ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて 2011年、109項。</ref><ref name="ReferenceNH">NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動 1985年、104項。</ref>。主題は、[[キリスト教]]の中でも最も重要な美徳である「慈愛」である<ref name="ReferenceVP" />。作品は、パリの[[ルーヴル美術館]]に所蔵されている<ref name="ReferenceVP" /><ref name="ReferenceNH" /><ref name="louvre">{{Cite web |title=La Charité|url=https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010061601|publisher=Musée du Louvre |access-date=2023/10/21}}</ref>。
== 歴史 ==
アンドレア・デル・サルトは、[[フランス]]で亡くなった[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の代わりにフランスに招聘された。本作は、アンドレア・デル・サルトがフランスにおいて[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]のために<ref name="louvre" />[[フォンテーヌブロー派]]の様式で描いた数少ない作品のうちの1点である。とりわけ本作は確実に画家に帰属される唯一の作品であり<ref name="ReferenceNH" />、制作年は1518年6月から1519年3月までに限定される。それは、画面下部左側にある[[カルトゥーシュ]] (銘板) に「<small>ANDREAS. </small><small>SARTUS. FLORENTINUS. ME PINXIT MDXVIII</small>」という[[銘文]]があるからである。
== 作品 ==
「慈愛」は授乳する母親や、子供たちをいく人も守るように抱える母親像で示されることが多い<ref name="ReferenceVP" />。作品は「慈愛」の擬人像を伝統的な要素とともに表している。それらの要素とは、彼女が保護し、授乳する子供たち以外に彼女の足元の炎の出ている壺<ref name="ReferenceVP" />、画面下部手前にある豊穣の象徴[[ザクロ]]である。割れたザクロは、寛容さ、神への熱烈な愛も象徴する<ref name="ReferenceVP" />。また、「慈愛」の赤色の服は、燃えるような隣人愛の体現であるように思わせる<ref name="ReferenceVP" />。
画面は、当時の[[トスカーナ地方]]の美術の原理、すなわちレオナルドと[[ラファエロ]]によってすでに使い尽くされた[[ピラミッド]]型構図にしたがって構築されている<ref name="ReferenceNH" />。「慈愛」の人物像は、脚を右側に曲げて座している。2人の子供は「慈愛」の膝の上に抱かれ、1人は授乳されている。3人目の子供はクッションの上に横たわり、「慈愛」の青色の衣服の裾によりかかっている。人物像の彫塑性は[[ミケランジェロ]]を想起させる。ピラミッド型構図と[[スフマート]]の技法は、レオナルドの『[[聖アンナと聖母子]]』 (ルーヴル美術館) の影響を示唆する<ref name="ReferenceNH" />。
背景の理想的な風景は右側に下降している小高い丘を表している。丘の上には、木々、城、小さな人物像が見える。
[[白亜]] (チョーク) 色に特徴づけられる色彩の使用は、同時代の[[ロッソ・フィオレンティーノ]]と[[ヤコポ・ダ・ポントルモ]]がマニエリスム的な歪曲表現に向かった危機の端緒を垣間見せている。
アンドレア・デル・サルトは、伝統的な主題を牧歌的な家族の光景に変容させている<ref name="ReferenceVP" />。本作は、長い間待望されていた継嗣誕生を祝った寓意画であるとの解釈もある<ref name="ReferenceVP" />。「慈愛」の顔立ちは、フランソワ1世の妻クロードに似ている<ref name="ReferenceVP" />(彼女は、作品が描かれた前年に結婚したアンドレア・デル・サルトの妻ルクレツィアに似ているともいわれる<ref name="ReferenceNH" />)。木の実を差し出している左側の子供はシャルロット王女を理想化した姿で、寝ている子供は平和な裡に休むフランス国を象徴しているのかもしれない<ref name="ReferenceVP" />。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* ヴァンサン・ポマレッド監修・解説『ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて』、[[ディスカヴァー・トゥエンティワン]]、2011年刊行、ISBN 978-4-7993-1048-9
* [[中山公男]]・[[佐々木英也]]責任編集『NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動』、[[日本放送出版協会]]、1985年刊行 ISBN 4-14-008424-3
== 外部リンク ==
* [https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010061601 ルーヴル美術館公式サイト、アンドレア・デル・サルト『慈愛』 (フランス語)]
{{アンドレア・デル・サルト}}
{{DEFAULTSORT:しあいあんとれあてるさると}}
[[Category:アンドレア・デル・サルトの作品]]
[[Category:ルーヴル所蔵品]]
[[Category:1510年代の絵画]]
[[Category:寓意画]] | 2023-10-21T13:42:38Z | 2023-10-21T14:50:02Z | false | false | false | [
"Template:Infobox artwork"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E6%84%9B_(%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88) |
4,844,795 | 皐月芋網 | 皐月 芋網(さつき いもねっと、5月19日 - )は、日本の成人向け漫画家。
2011年にpixiv経由で声がかかり、デビューする。ペンネームの由来は自身のウェブサイト「satsukiimonet」に由来している。CLAMPファンであり、作品に自分の別の作品のキャラが登場するのはCLAMPから受けた影響だと述べている。
新野安は、『ツマフェス〜兄嫁ネトラセ公認種つけ〜』について、徹底してヒロイン目線で男性の魅力が描かれており、底抜けに明るく、またヒロインの相手となる4人の男性が互いの男性器を褒め合うシーンはまるでBLのようだと述べた。また、ハーレムものの男女逆転のようだともし、近年の寝取られの流行とジェンダーの変化を背景とした傑作と評した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "皐月 芋網(さつき いもねっと、5月19日 - )は、日本の成人向け漫画家。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2011年にpixiv経由で声がかかり、デビューする。ペンネームの由来は自身のウェブサイト「satsukiimonet」に由来している。CLAMPファンであり、作品に自分の別の作品のキャラが登場するのはCLAMPから受けた影響だと述べている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "新野安は、『ツマフェス〜兄嫁ネトラセ公認種つけ〜』について、徹底してヒロイン目線で男性の魅力が描かれており、底抜けに明るく、またヒロインの相手となる4人の男性が互いの男性器を褒め合うシーンはまるでBLのようだと述べた。また、ハーレムものの男女逆転のようだともし、近年の寝取られの流行とジェンダーの変化を背景とした傑作と評した。",
"title": "評価"
}
] | 皐月 芋網は、日本の成人向け漫画家。 | '''皐月 芋網'''(さつき いもねっと、[[5月19日]] - )は、日本の[[成人向け漫画|成人向け]][[漫画家]]。
== 概要 ==
2011年に[[pixiv]]経由で声がかかり、デビューする。ペンネームの由来は自身のウェブサイト「satsukiimonet」に由来している。[[CLAMP]]ファンであり、作品に自分の別の作品のキャラが登場するのはCLAMPから受けた影響だと述べている<ref name=:1>{{Cite book |和書 |title=[[コミックアンリアル]] Vol.64 |publisher=[[キルタイムコミュニケーション]] |date=2016-11-11 |page=484}}</ref>。
== 評価 ==
[[新野安]]は、『ツマフェス〜兄嫁ネトラセ公認種つけ〜』について、徹底してヒロイン目線で男性の魅力が描かれており、底抜けに明るく、またヒロインの相手となる4人の男性が互いの男性器を褒め合うシーンはまるで[[ボーイズラブ|BL]]のようだと述べた。また、[[ハーレムもの]]の男女逆転のようだともし、近年の[[寝取られ]]の流行とジェンダーの変化を背景とした傑作と評した<ref>{{Cite book |和書|title=エロマンガベスト100+|publisher=[[三才ブックス]] |date=2022-05-10|page=147|isbn=978-4-86-673314-2}}</ref>。
== 作品 ==
=== 漫画 ===
* LOVEこめっ(2013年5月24日、[[茜新社]] ISBN 978-4-86-349361-2)
* おねShowTime!(2015年6月27日、茜新社 ISBN 978-4-86-349509-8)
* 都市伝説ビッチ 女子怪(2016年11月30日、[[キルタイムコミュニケーション]] ISBN 978-4-79-920978-3)
* 痴的生活(2020年3月31日、[[ワニマガジン社]] ISBN 978-4-86-269700-4)
* ツマフェス〜兄嫁ネトラセ公認種つけ〜(2021年12月25日、ワニマガジン社 ISBN 978-4-86-269821-6)
=== OVA ===
* 都市伝説シリーズ([[メリー・ジェーン (ブランド)|メリー・ジェーン]])
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の成人向け漫画家の一覧]]
== 外部リンク ==
* {{pixiv|247563}}
{{DEFAULTSORT:さつきいもねつと}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:成人向け漫画家]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T13:44:05Z | 2023-12-31T18:06:03Z | false | false | false | [
"Template:Cite book",
"Template:Pixiv",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%90%E6%9C%88%E8%8A%8B%E7%B6%B2 |
4,844,799 | 島田村 (愛知県愛知郡) | 島田村(しまだむら)は、かつて愛知県愛知郡に存在した村。
古代、年魚市潟の海底には起伏があり、その隆起していたところは島となっていた。こうしたところにつけられた名称が「嶋つ田」であり、島田となった。
『愛知郡村邑全図』より。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "島田村(しまだむら)は、かつて愛知県愛知郡に存在した村。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "古代、年魚市潟の海底には起伏があり、その隆起していたところは島となっていた。こうしたところにつけられた名称が「嶋つ田」であり、島田となった。",
"title": "地名の由来"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "『愛知郡村邑全図』より。",
"title": "地理"
}
] | 島田村(しまだむら)は、かつて愛知県愛知郡に存在した村。 | {{日本の町村 (廃止)
|廃止日=[[1889年]]10月1日([[明治]]22年)
|廃止理由=合併
|廃止詳細=
|現在の自治体=[[名古屋市]]
|自治体名=島田村
|区分=村
|都道府県=愛知県
| 支庁 =
| 郡 =
| コード =
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 =
| 人口の出典 =
| 人口の時点 =
| 隣接自治体 =
| 木 =
| 花 =
| シンボル名 =
| 鳥など =
| 郵便番号 =
| 所在地 =
| 外部リンク =
| InternetArchive =
| 緯度度 = | 緯度分 = | 緯度秒 =
| 経度度 = | 経度分 = | 経度秒 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''島田村'''(しまだむら)は、かつて[[愛知県]][[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]に存在した[[村]]。
== 地名の由来 ==
古代、[[年魚市潟]]の海底には起伏があり、その隆起していたところは[[島]]となっていた。こうしたところにつけられた名称が「嶋つ田」であり、島田となった<ref>{{Cite web |title=名古屋市:天白区の町名の由来(天白区) |url=https://www.city.nagoya.jp/tempaku/page/0000000410.html |website=www.city.nagoya.jp |access-date=2023-10-21}}</ref>。
== 地理 ==
『愛知郡村邑全図』より<ref>{{Cite book|和書 |title=愛知郡村邑全図 |publisher=尾張藩}}</ref>。
=== 河川===
*[[天白川 (愛知県)|米野木川]](天白川)
*[[地蔵川 (名古屋市)|地蔵川]] - 村域を南北に縦断していた。
*[[大根川 (愛知県)|大根川]] - 大根川から用水をとっていた<ref>{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf |title=過去から学ぶ 防災マップ |access-date=2023-10-21 |publisher=天白区}}</ref>。
=== 湖沼 ===
*双子池(ニ子池)
*(島田)新池
*西ノ入池
*大根池
*●池(不明) - 大根池と新池の間に存在した。
== 脚注 ==
{{reflist}}
{{DEFAULTSORT:しまたむら}}
[[Category:愛知県の市町村 (廃止)]]
[[Category:1889年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T14:00:07Z | 2023-10-22T01:53:05Z | false | false | false | [
"Template:Stub",
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E6%9D%91_(%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E6%84%9B%E7%9F%A5%E9%83%A1) |
4,844,800 | 川登村 | 川登村(かわのぼりむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市の一部にあたる。
野津川と支流・垣河内川流域の山間部に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "川登村(かわのぼりむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "野津川と支流・垣河内川流域の山間部に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 川登村(かわのぼりむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年3月28日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 野津町、'''川登村'''、[[南野津村]] → [[野津町]]
| 現在の自治体 = [[臼杵市]]
| よみがな = かわのぼりむら
| 自治体名 = 川登村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 3918
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = 野津町、南野津村、[[南海部郡]][[因尾村]]・[[中野村 (大分県)|中野村]]・[[明治村 (大分県南海部郡)|明治村]]、臼杵市
| 所在地 = 大野郡川登村大字清水原
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''川登村'''(かわのぼりむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[臼杵市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
野津川と支流・垣河内川流域の山間部に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡清水原村、岩屋村、西神野村、白岩村、垣河内村、落谷村、泊村が合併して村制施行し、'''川登村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』240頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』292頁。</ref>。旧村名を継承した清水原、岩屋、西神野、白岩、垣河内、落谷、泊の7大字を編成{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)3月28日、大野郡野津町、南野津村と合併し'''[[野津町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業、半紙、椎茸、木炭{{R|角川}}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:かわのほりむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:臼杵市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T14:00:25Z | 2023-10-21T14:00:25Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%99%BB%E6%9D%91 |
4,844,803 | ジョン・アレン・チャウ | ジョン・アレン・チャウ(英語: John Allen Chau、1991年12月18日 - 2018年11月17日)は、福音派の中国系アメリカ人宣教師(福音宣教師)。
2018年、1000年以上にわたって外部との接触を拒絶していることで知られる、インドの北センチネル島に不法侵入して宣教を試みるも、原住民(センチネル族)によって殺害された。
1991年12月18日、アラバマ州スコッツボロ(英語版)で三兄弟の末っ子として生まれる。母は大学生向けのキリスト教親睦団体カイ・アルファ(英語版)のオーガナイザーを務めていたリンダ・アダムス=チャウであり、父は文化大革命によってアメリカに逃れてきた中国系アメリカ人の精神科医パトリック・チャウであった。 チャウは幼少期からキャンプやハイキング、旅行を好み、様々なクラブ活動やチャリティ、その他の課外活動で優れた様子を見せていた。デイヴィッド・リヴィングストンやブルース・オルソン(英語版)といった多くの探検家や宣教師に憧れていた 。
2014年、オクラホマ州オーラル・ロバーツ大学(英語版)を理学の学士号を得て優秀な成績で卒業した 。在学中は大学サッカーチームの監督も務めた。
彼は事件が起きた2018年のアンダマン諸島・北センチネル島への宣教活動以前から、メキシコや南アフリカ、イラク領クルディスタンといった地域への宣教旅行に参加していた。そのような旅行の一環として2015年と2016年にはアンダマン諸島も訪れていたが、この時は北センチネル島には関わらなかった。
2017年、チャウはカンザスシティを拠点とする福音派団体「オール・ネイションズ」(All Nations)が主催する「ブートキャンプ」(軍隊における新兵訓練施設のスラング)と称される宣教師養成訓練に参加した。 ニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば、この訓練ではスタッフ扮する模擬槍を振り回す敵対的な原住民および、彼らが住む集落に接触するためのものも含まれていたという。 この年、彼はセンチネル族の改宗を志したと伝えられている。
2018年10月、チャウはアンダマン・ニコバル諸島に渡航すると主都であるポートブレアに拠点を構え、コミュニケーション用のピクチャーカードや原住民であるセンチネル族への贈り物、医療器具、その他の必需品を含む、初接触時の準備を進めた。 また予防接種や検疫を受け、さらに医療や言語の訓練も受けた。
11月、チャウはセンチネル族と接触して共に生活することを目的に、北センチネル島に向けて出発した 。 2018年8月にインド内務省は観光促進として、同諸島の29の有人島を制限区域許可(Restricted Area Permit、RAP)が必要な地域から外していた。 しかし、その場合でも当局の許可なく北センチネル島を訪問することは、1956年に制定された原住民部族保護政策の下、依然として違法であった。 このため、チャウは2人の漁師に2万5000ルピ(335.47米ドル)を支払い、島に連れて行ってもらうよう雇った。 この漁師たちは事件後に逮捕された。
チャウはセンチネル族を改宗させたいという明確な願望を持ち、このために命や法的なリスクを負うことも自覚していた。残された彼の日記には以下のようなものがある。
11月15日、チャウは漁船によって島の岸から500-700メートルほど離れた場所に到着した。漁師たちは、これ以上島に近づかないように警告したが、チャウは防水保護された聖書を持ってカヌーで島に向かった。チャウは島民とコミュニケーションを図り、贈り物をしようとしたが、敵対的な反応に直面し、この最初の訪問は撤退を余儀なくされた。
別の訪問では島民から愉しみ、当惑、敵意の入り混じった反応を受けたとチャウは記録に残している。彼は礼拝の歌を歌ったり、コサ語(アフリカ南部で話されている言語)で話しかけたが、彼らはしばしば黙り込んだ。他のコミュニケーションの試みでは、彼らは笑うだけであった。 チャウは、彼らは「多くの甲高い音」とジェスチャーでコミュニケーションを取ったと述べている。 彼の最後の手紙によれば、彼が魚や贈り物を渡そうとしたとき、少年が金属製の矢を放ち、胸の前にあった聖書を貫いたという。結局、再撤退を余儀なくされた。
11月17日、結果として最後の訪問となったこの日、チャウは漁師たちに自分を見捨てるように指示した。 その後、漁師たちは島民がチャウの遺体を引きずっている光景を目撃し、さらに翌日には海岸に埋葬されるところを目撃した。
チャウの死を確認した漁師たちはポートブレアに戻ると、首都に住む友人のキリスト教伝道師に彼の日記を渡した。 またアメリカにいる彼の家族にも連絡し、家族は在チェンナイ米国総領事館に支援を求めた。 アンダマン州政府には11月19日に通知された。 11月21日、警察長官は北センチネル島への一般人の立ち入りを制限する声明を発表した。
原住民との衝突を伴う遭遇の可能性もある中、インド当局は遺体回収を試みたが、発見できなかった。 回収作業は何度か行われたが、最終的には断念された。『ガーディアン』紙に掲載された、この事件に携わった人類学者のコメントによれば、捜査当局と島民との衝突のリスクが大きすぎ、これ以上の試みは正当化できなかったという。 ただ、彼の死自体は殺人事件として立件された。
チャウが原住民であるセンチネル族に病原体を持ち込む可能性を無視して島を訪れたことは、サバイバル・インターナショナル(英語版)などから批判が起きた。島外との接触を断っていたセンチネル族にとって外部の病原体は致命的な結果をもたらす可能性があった。 チャウを訓練したオール・ネイションズは、チャウの死に哀悼の意を表明する一方で、彼を殉教者と表現したため、ソーシャルメディアから批難を浴びた。チャウの父親も、宣教師団体が極端なキリスト教的ビジョンを植え付けたせいで息子に死をもたらしたと批難した。
この事件についてマウラナ・アブル・カラム・アザド記念アジア研究所(英語版)のM.サシクマールは、殺人罪という法的次元の話題と、被害者の行動を美化するようなメディア報道に疑問を呈した。彼は、同種の事件の再発防止のため、地元の漁民も含めてより厳格に処断することが、北センチネル島への不干渉政策を継続する上で一罰百戒になると述べた。
ドイツのトリーア大学(英語版、ドイツ語版)の文化人類学教授ミヒャエル・シェーンフートは、チャウ殺害に対するメディアの反応に文化的関心を抱いた。彼は、今回の一件を、現代世界と孤絶した原住民(未接触部族)との間の適切な関係に関する大きな議論の一部になると述べている。また、彼はセンチネル族のような孤立したグループとの接触は、未だ専門家の間でも論争になるテーマだとしている。ただし、今回の一件のような無分別な接触は、隔離されたコミュニティの無防備な免疫システムに対して致命的な感染症リスクをもたらす恐れがあるために禁じられていると補足している。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ジョン・アレン・チャウ(英語: John Allen Chau、1991年12月18日 - 2018年11月17日)は、福音派の中国系アメリカ人宣教師(福音宣教師)。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2018年、1000年以上にわたって外部との接触を拒絶していることで知られる、インドの北センチネル島に不法侵入して宣教を試みるも、原住民(センチネル族)によって殺害された。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "1991年12月18日、アラバマ州スコッツボロ(英語版)で三兄弟の末っ子として生まれる。母は大学生向けのキリスト教親睦団体カイ・アルファ(英語版)のオーガナイザーを務めていたリンダ・アダムス=チャウであり、父は文化大革命によってアメリカに逃れてきた中国系アメリカ人の精神科医パトリック・チャウであった。 チャウは幼少期からキャンプやハイキング、旅行を好み、様々なクラブ活動やチャリティ、その他の課外活動で優れた様子を見せていた。デイヴィッド・リヴィングストンやブルース・オルソン(英語版)といった多くの探検家や宣教師に憧れていた 。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2014年、オクラホマ州オーラル・ロバーツ大学(英語版)を理学の学士号を得て優秀な成績で卒業した 。在学中は大学サッカーチームの監督も務めた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "彼は事件が起きた2018年のアンダマン諸島・北センチネル島への宣教活動以前から、メキシコや南アフリカ、イラク領クルディスタンといった地域への宣教旅行に参加していた。そのような旅行の一環として2015年と2016年にはアンダマン諸島も訪れていたが、この時は北センチネル島には関わらなかった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2017年、チャウはカンザスシティを拠点とする福音派団体「オール・ネイションズ」(All Nations)が主催する「ブートキャンプ」(軍隊における新兵訓練施設のスラング)と称される宣教師養成訓練に参加した。 ニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば、この訓練ではスタッフ扮する模擬槍を振り回す敵対的な原住民および、彼らが住む集落に接触するためのものも含まれていたという。 この年、彼はセンチネル族の改宗を志したと伝えられている。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2018年10月、チャウはアンダマン・ニコバル諸島に渡航すると主都であるポートブレアに拠点を構え、コミュニケーション用のピクチャーカードや原住民であるセンチネル族への贈り物、医療器具、その他の必需品を含む、初接触時の準備を進めた。 また予防接種や検疫を受け、さらに医療や言語の訓練も受けた。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "11月、チャウはセンチネル族と接触して共に生活することを目的に、北センチネル島に向けて出発した 。 2018年8月にインド内務省は観光促進として、同諸島の29の有人島を制限区域許可(Restricted Area Permit、RAP)が必要な地域から外していた。 しかし、その場合でも当局の許可なく北センチネル島を訪問することは、1956年に制定された原住民部族保護政策の下、依然として違法であった。 このため、チャウは2人の漁師に2万5000ルピ(335.47米ドル)を支払い、島に連れて行ってもらうよう雇った。 この漁師たちは事件後に逮捕された。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "チャウはセンチネル族を改宗させたいという明確な願望を持ち、このために命や法的なリスクを負うことも自覚していた。残された彼の日記には以下のようなものがある。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "11月15日、チャウは漁船によって島の岸から500-700メートルほど離れた場所に到着した。漁師たちは、これ以上島に近づかないように警告したが、チャウは防水保護された聖書を持ってカヌーで島に向かった。チャウは島民とコミュニケーションを図り、贈り物をしようとしたが、敵対的な反応に直面し、この最初の訪問は撤退を余儀なくされた。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "別の訪問では島民から愉しみ、当惑、敵意の入り混じった反応を受けたとチャウは記録に残している。彼は礼拝の歌を歌ったり、コサ語(アフリカ南部で話されている言語)で話しかけたが、彼らはしばしば黙り込んだ。他のコミュニケーションの試みでは、彼らは笑うだけであった。 チャウは、彼らは「多くの甲高い音」とジェスチャーでコミュニケーションを取ったと述べている。 彼の最後の手紙によれば、彼が魚や贈り物を渡そうとしたとき、少年が金属製の矢を放ち、胸の前にあった聖書を貫いたという。結局、再撤退を余儀なくされた。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "11月17日、結果として最後の訪問となったこの日、チャウは漁師たちに自分を見捨てるように指示した。 その後、漁師たちは島民がチャウの遺体を引きずっている光景を目撃し、さらに翌日には海岸に埋葬されるところを目撃した。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "チャウの死を確認した漁師たちはポートブレアに戻ると、首都に住む友人のキリスト教伝道師に彼の日記を渡した。 またアメリカにいる彼の家族にも連絡し、家族は在チェンナイ米国総領事館に支援を求めた。 アンダマン州政府には11月19日に通知された。 11月21日、警察長官は北センチネル島への一般人の立ち入りを制限する声明を発表した。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "原住民との衝突を伴う遭遇の可能性もある中、インド当局は遺体回収を試みたが、発見できなかった。 回収作業は何度か行われたが、最終的には断念された。『ガーディアン』紙に掲載された、この事件に携わった人類学者のコメントによれば、捜査当局と島民との衝突のリスクが大きすぎ、これ以上の試みは正当化できなかったという。 ただ、彼の死自体は殺人事件として立件された。",
"title": "北センチネル島への宣教活動"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "チャウが原住民であるセンチネル族に病原体を持ち込む可能性を無視して島を訪れたことは、サバイバル・インターナショナル(英語版)などから批判が起きた。島外との接触を断っていたセンチネル族にとって外部の病原体は致命的な結果をもたらす可能性があった。 チャウを訓練したオール・ネイションズは、チャウの死に哀悼の意を表明する一方で、彼を殉教者と表現したため、ソーシャルメディアから批難を浴びた。チャウの父親も、宣教師団体が極端なキリスト教的ビジョンを植え付けたせいで息子に死をもたらしたと批難した。",
"title": "彼の行動への批判"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "この事件についてマウラナ・アブル・カラム・アザド記念アジア研究所(英語版)のM.サシクマールは、殺人罪という法的次元の話題と、被害者の行動を美化するようなメディア報道に疑問を呈した。彼は、同種の事件の再発防止のため、地元の漁民も含めてより厳格に処断することが、北センチネル島への不干渉政策を継続する上で一罰百戒になると述べた。",
"title": "彼の行動への批判"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "ドイツのトリーア大学(英語版、ドイツ語版)の文化人類学教授ミヒャエル・シェーンフートは、チャウ殺害に対するメディアの反応に文化的関心を抱いた。彼は、今回の一件を、現代世界と孤絶した原住民(未接触部族)との間の適切な関係に関する大きな議論の一部になると述べている。また、彼はセンチネル族のような孤立したグループとの接触は、未だ専門家の間でも論争になるテーマだとしている。ただし、今回の一件のような無分別な接触は、隔離されたコミュニティの無防備な免疫システムに対して致命的な感染症リスクをもたらす恐れがあるために禁じられていると補足している。",
"title": "彼の行動への批判"
}
] | ジョン・アレン・チャウは、福音派の中国系アメリカ人宣教師(福音宣教師)。 2018年、1000年以上にわたって外部との接触を拒絶していることで知られる、インドの北センチネル島に不法侵入して宣教を試みるも、原住民(センチネル族)によって殺害された。 | {{Infobox 人物
| 氏名 = ジョン・アレン・チャウ<br/>John Allen Chau
| 画像 = [[:w:File:John Allen Chau.jpg|画像]]
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 出生名 =
| 生年月日 = {{生年月日|1991|12|18}}<ref>{{cite web |title=Christian Martyr: John Allen Chau |url=https://www.covenantjourney.org/details/john-allen-chau |publisher=Covenant Journey |date=November 21, 2018 |access-date=2020-04-24 |archive-date=December 3, 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20191203045629/https://www.covenantjourney.org/details/john-allen-chau |url-status=live }}</ref>
| 生誕地 = {{USA}}・[[アラバマ州]]{{仮リンク|スコッツボロ|en|Scottsboro, Alabama}}
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1991|12|08|2018|11|17}}
| 死没地 = {{IND}}・[[アンダマン・ニコバル諸島]][[北センチネル島]]
| 死因 = [[センチネル族]]による殺害
| 墓地 = {{IND}}・[[アンダマン・ニコバル諸島]][[北センチネル島]][[海岸]]
| 国籍 = {{USA}}
| 別名 =
| 民族 =
| 市民権 =
| 教育 = {{仮リンク|オーラル・ロバーツ大学|en|Oral Roberts University}}<ref>{{cite web |last1=Gettleman |first1=Jeffrey |author-link1=Jeffrey Gettleman |last2=Kumar |first2=Hari |last3=Schultz |first3=Kai |title=A Man's Last Letter Before Being Killed on a Forbidden Island |url=https://www.nytimes.com/2018/11/23/world/asia/andaman-missionary-john-chau.html |work=The New York Times |date=November 23, 2018 |access-date=2020-04-24 |archive-date=November 26, 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181126181038/https://www.nytimes.com/2018/11/23/world/asia/andaman-missionary-john-chau.html |url-status=live }}</ref>
| 職業 = [[福音宣教]]
| 活動期間 =
| 著名な実績 =
}}
'''ジョン・アレン・チャウ'''({{Lang-en|'''John Allen Chau'''}}、[[1991年]][[12月18日]] - [[2018年]][[11月17日]])は、[[福音派]]の[[中国系アメリカ人]][[宣教師]]([[福音宣教|福音宣教師]])。
[[2018年]]、1000年以上にわたって外部との接触を拒絶していることで知られる、[[インド]]の[[北センチネル島]]に不法侵入して[[宣教]]を試みるも、原住民([[センチネル族]])によって殺害された<ref name="Sasikumar2019"/><ref>{{Cite web|url=https://www.cnn.com/2018/11/22/asia/north-sentinel-island-john-allen-chau-diary-intl/index.html|title='You guys might think I'm crazy': Diary of US 'missionary' reveals last days in remote island|first=Euan|last=McKirdy|publisher=CNN|date=November 22, 2018|access-date=2020-03-24|archive-date=July 28, 2022|archive-url=https://web.archive.org/web/20220728055723/https://www.cnn.com/2018/11/22/asia/north-sentinel-island-john-allen-chau-diary-intl/index.html|url-status=live}}</ref>。
== 経歴 ==
1991年12月18日、[[アラバマ州]]{{仮リンク|スコッツボロ|en|Scottsboro, Alabama}}で三兄弟の末っ子として生まれる。母は大学生向けのキリスト教親睦団体{{仮リンク|カイ・アルファ|en|Chi Alpha}}のオーガナイザーを務めていたリンダ・アダムス=チャウであり、父は[[文化大革命]]によってアメリカに逃れてきた中国系アメリカ人の精神科医パトリック・チャウであった<ref name="Perry">{{Cite web|last=Perry|first=Alex|date=July 24, 2019|title=The Last Days of John Allen Chau|url=https://www.outsideonline.com/2400030/john-allen-chau-life-death-north-sentinel|access-date=2020-03-24|website=[[Outside (magazine)|Outside]]|archive-date=January 10, 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200110041039/https://www.outsideonline.com/2400030/john-allen-chau-life-death-north-sentinel|url-status=live}}</ref>。
チャウは幼少期からキャンプやハイキング、旅行を好み、様々なクラブ活動やチャリティ、その他の課外活動で優れた様子を見せていた。[[デイヴィッド・リヴィングストン]]や{{仮リンク|ブルース・オルソン|en|Bruce Olson}}といった多くの探検家や宣教師に憧れていた<ref name="Conroy" /> 。
2014年、[[オクラホマ州]]{{仮リンク|オーラル・ロバーツ大学|en|Oral Roberts University}}を理学の学士号を得て優秀な成績で卒業した<ref>{{Citation |title=Whole Leaders For The Whole World |url=https://oru.edu/news/oru_news/20181127-reflections-on-alumnus-john-chau.php?locale=en |language=en |access-date=2022-11-08 |archive-date=July 27, 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220727104444/https://oru.edu/news/oru_news/20181127-reflections-on-alumnus-john-chau.php?locale=en |url-status=live }}</ref> 。在学中は大学サッカーチームの監督も務めた<ref>ORU Men's Soccer. (2022). Retrieved 27 July 2022, from https://twitter.com/orumsoccer/status/1065364614010077185 {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20220727104921/https://twitter.com/orumsoccer/status/1065364614010077185 |date=July 27, 2022 }}</ref>。
彼は事件が起きた2018年の[[アンダマン諸島]]・[[北センチネル島]]への宣教活動以前から、メキシコや南アフリカ、[[クルディスタン地域|イラク領クルディスタン]]といった地域への宣教旅行に参加していた。そのような旅行の一環として2015年と2016年にはアンダマン諸島も訪れていたが、この時は北センチネル島には関わらなかった<ref name="Conroy">{{Cite web|last=Conroy|first=J. Oliver|url=https://www.theguardian.com/world/2019/feb/03/john-chau-christian-missionary-death-sentinelese|title=The life and death of John Chau, the man who tried to convert his killers|work=The Guardian|date=February 3, 2019|access-date=2020-07-01|archive-date=June 18, 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200618043501/https://www.theguardian.com/world/2019/feb/03/john-chau-christian-missionary-death-sentinelese|url-status=live}}</ref>。
== 北センチネル島への宣教活動 ==
[[File:Gallery-1491391768-north-sentinel-island.jpg|thumb|290px|上空から撮影した[[北センチネル島]]]]
=== 準備 ===
2017年、チャウはカンザスシティを拠点とする福音派団体「オール・ネイションズ」(All Nations)が主催する「[[ブートキャンプ]]」(軍隊における新兵訓練施設のスラング)と称される宣教師養成訓練に参加した<ref name=NewsComAu/>。
ニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば、この訓練ではスタッフ扮する模擬槍を振り回す敵対的な原住民および、彼らが住む集落に接触するためのものも含まれていたという<ref name=Gettleman>{{cite news |last=Gettleman |first=Jeffrey |date=30 November 2018 |title=John Chau aced missionary boot camp. Reality proved a harsher test |newspaper=[[The New York Times]] |url=https://www.nytimes.com/2018/11/30/world/asia/john-chau-andaman-missionary.html |access-date=2020-06-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181228011950/https://www.nytimes.com/2018/11/30/world/asia/john-chau-andaman-missionary.html |archive-date=2018-12-28}}</ref>。
この年、彼は[[センチネル族]]の改宗を志したと伝えられている。
2018年10月、チャウは[[アンダマン・ニコバル諸島]]に渡航すると主都である[[ポートブレア]]に拠点を構え、コミュニケーション用のピクチャーカードや原住民である[[センチネル族]]への贈り物、医療器具、その他の必需品を含む、初接触時の準備を進めた<ref name=Conroy/>。
また予防接種や検疫を受け<ref>{{cite magazine |title=What John Allen Chau's missions agency wants you to know |date=28 November 2018 |magazine=[[Christianity Today]] |url=https://www.christianitytoday.com/ct/2018/november-web-only/all-nations-john-allen-chau-north-sentinel-island.html |access-date=2020-03-24}}</ref>、さらに医療や言語の訓練も受けた<ref name=Stetzer>{{cite news |last=Stetzer |first=Ed |author-link=Ed Stetzer |date=28 November 2018 |title=Slain missionary John Chau prepared much more than we thought, but are missionaries still fools? |newspaper=[[The Washington Post]] |url=https://www.washingtonpost.com/religion/2018/11/28/slain-missionary-john-chau-prepared-much-more-than-we-thought-his-case-is-still-quandary-us-missionaries/ |access-date=2020-03-24 |archive-date=March 24, 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200324092719/https://www.washingtonpost.com/religion/2018/11/28/slain-missionary-john-chau-prepared-much-more-than-we-thought-his-case-is-still-quandary-us-missionaries/ |url-status=live }}</ref>。
11月、チャウはセンチネル族と接触して共に生活することを目的に、北センチネル島に向けて出発した<ref>{{cite web |last=Bonner |first=David |date=8 December 2018 |title=John Allen Chau is no Jim Elliot. The story of John Chau illustrates the dangers of indoctrination in evangelical culture and being naïve |website=Wondering Eagle |type=blog |via=WordPress |url=https://wonderingeagle.wordpress.com/2018/12/08/john-allen-chau-is-no-jim-elliot-the-story-of-john-chau-illustrates-the-dangers-of-indoctrination-in-evangelical-culture-and-being-naive/ |access-date=2020-03-24 |archive-date=March 24, 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200324092721/https://wonderingeagle.wordpress.com/2018/12/08/john-allen-chau-is-no-jim-elliot-the-story-of-john-chau-illustrates-the-dangers-of-indoctrination-in-evangelical-culture-and-being-naive/ |url-status=live }}</ref><ref name="NewsComAu">{{cite news |title=Police face off with Sentinelese tribe as they struggle to recover slain missionary's body |date=November 26, 2018 |website=News.com.au |url=https://www.news.com.au/travel/travel-updates/incidents/police-faceoff-with-sentinelese-tribe-as-they-struggle-to-recover-slain-missionarys-body/news-story/a88d3780059939a5e11ebcfb556327ac |access-date=2020-03-24 |archive-date=November 26, 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181126034539/https://www.news.com.au/travel/travel-updates/incidents/police-faceoff-with-sentinelese-tribe-as-they-struggle-to-recover-slain-missionarys-body/news-story/a88d3780059939a5e11ebcfb556327ac |url-status=live }}</ref> 。
2018年8月にインド内務省は観光促進として、同諸島の29の有人島を制限区域許可(Restricted Area Permit、RAP){{refn|group="注釈"|インドの法律において、対象地域について、外国人または地域外に居住しているインド国民に対し、入域の際に当局の許可を必要とする制度。}}が必要な地域から外していた<ref>{{cite news |title=Restricted Area Permit eased for foreigners visiting 29 Andaman and Nicobar Islands |url=https://www.gktoday.in/topic/restricted-area-permit-eased-foreigners-visiting-29-andaman-nicobar-islands/ |access-date=2022-06-05 |website=www.gktoday.in |archive-date=June 5, 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220605184214/https://www.gktoday.in/topic/restricted-area-permit-eased-foreigners-visiting-29-andaman-nicobar-islands/ |url-status=live }}</ref><ref>{{cite press release |title=NCST to visit A&N Islands from 4th to 6th December 2018, to investigate and monitor the issue of U.S. national feared killed by protected tribes |date=28 Nov 2018 |via=Press Information Bureau (pib.gov.in) |url=https://pib.gov.in/PressReleseDetail.aspx?PRID=1554140 |access-date=2022-06-05}}</ref>。
しかし、その場合でも当局の許可なく北センチネル島を訪問することは、1956年に制定された原住民部族保護政策の下、依然として違法であった<ref>{{cite news |title=Protecting the Sentinelese |website=Drishti IAS |lang=en |url=https://www.drishtiias.com/daily-updates/daily-news-analysis/protecting-the-sentinelese |access-date=2022-06-05 |archive-date=June 5, 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220605184214/https://www.drishtiias.com/daily-updates/daily-news-analysis/protecting-the-sentinelese |url-status=live }}</ref><ref>{{cite press release |title=Primitive tribals in hilly / forest areas |date=2 Dec 2019 |publisher=Ministry of Tribal Affairs |via=Press Information Bureau (pib.gov.in) |url=https://pib.gov.in/PressReleseDetail.aspx?PRID=1594553 |access-date=2022-06-05}}</ref><ref>{{cite news |last1=Osborne |first1=Mark |last2=Joglekar |first2=Rahul |date=26 November 2018 |title=John Allen Chau detailed efforts to convert islanders to Christianity in final diary entries: 'You guys might think I'm crazy' |publisher=[[ABCニュース (アメリカ)|ABC News]] |url=https://abcnews.go.com/International/john-allen-chau-detailed-efforts-convert-islanders-christianity/story?id=59401238 |access-date=2020-03-24 |archive-date=March 24, 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200324104906/https://abcnews.go.com/International/john-allen-chau-detailed-efforts-convert-islanders-christianity/story?id=59401238 |url-status=live }}</ref>。
このため、チャウは2人の漁師に2万5000ルピ(335.47米ドル)を支払い、島に連れて行ってもらうよう雇った<ref name=ndtv>{{cite news |last=Banerjie |first=Monideepa |date=22 November 2018 |title=American paid fishermen Rs. 25,000 for fatal trip to Andamans island |website=[[NDTV|New Delhi Television]] |url=https://www.ndtv.com/india-news/us-tourist-john-chau-paid-fishermen-rs-25-000-for-fatal-trip-to-sentinelese-island-1951387 |access-date=2020-03-24 |archive-date=November 21, 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181121234914/https://www.ndtv.com/india-news/us-tourist-john-chau-paid-fishermen-rs-25-000-for-fatal-trip-to-sentinelese-island-1951387 |url-status=live }}</ref>。
この漁師たちは事件後に逮捕された<ref>{{cite news |last=Eustachewich |first=Lia |date=23 November 2018 |title=Cops arrest suspects believed to help US missionary on fatal trip |newspaper=[[The New York Post]] |url=https://nypost.com/2018/11/23/cops-arrest-suspects-believed-to-help-us-missionary-on-fatal-trip/ |access-date=2020-03-24 |archive-date=November 24, 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181124013359/https://nypost.com/2018/11/23/cops-arrest-suspects-believed-to-help-us-missionary-on-fatal-trip/ |url-status=live }}</ref>。
チャウはセンチネル族を改宗させたいという明確な願望を持ち、このために命や法的なリスクを負うことも自覚していた。残された彼の日記には以下のようなものがある<ref>{{cite web |last=Gjelten |first=Tom |date=27 November 2018 |title=Killing of American missionary ignites debate over how to evangelize |publisher=[[National Public Radio]] |via=NPR.org |lang=en |url=https://www.npr.org/2018/11/27/671285330/killing-of-american-missionary-ignites-debate-over-how-to-evangelize |access-date=2020-07-16 |archive-date=July 12, 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200712093658/https://www.npr.org/2018/11/27/671285330/killing-of-american-missionary-ignites-debate-over-how-to-evangelize |url-status=live }}</ref><ref name=NDTV_Satan>{{cite news |last=Slater |first=Joanna |date=23 November 2018 |title='Satan's last {{nobr|stronghold ... ?’}} U.S. man wrote before death on Andaman island |website=[[NDTV|New Delhi Television]] |url=https://www.ndtv.com/india-news/fear-and-faith-inside-the-last-days-of-an-us-man-john-allen-chau-killed-by-remote-tribe-1952049 |access-date=27 November 2018 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20181127044142/https://www.ndtv.com/india-news/fear-and-faith-inside-the-last-days-of-an-us-man-john-allen-chau-killed-by-remote-tribe-1952049 |archive-date=27 November 2018}}</ref><ref name=cnn>{{cite news |last=Chavez |first=Nicole |date=25 November 2018 |title=Indian authorities struggle to retrieve U.S. missionary feared killed on remote island |website=[[CNN]] |lang=en-US |url=https://www.cnn.com/2018/11/25/asia/missionary-john-chau-north-sentinel-island-sentinelese/index.html |access-date=25 November 2018 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20181125131356/https://www.cnn.com/2018/11/25/asia/missionary-john-chau-north-sentinel-island-sentinelese/index.html |archive-date=25 November 2018}}</ref><ref name=":1"/>。
* 「主よ、この島は[[サタン]]の最後の砦であり、誰もあなたの御名を聞いたことがなく、聞く機会さえなかったのでしょうか?」
* 「この部族の永遠の命はもうすぐである」
* 「この人々にイエスを伝えること(declare)は価値があることだと考えます。たとえ私が殺されることになっても、どうか彼らや神に怒りを向けないでください(中略)私の遺体を回収しないでください」
=== 原住民との接触と死 ===
11月15日、チャウは漁船によって島の岸から500-700メートルほど離れた場所に到着した。漁師たちは、これ以上島に近づかないように警告したが、チャウは防水保護された聖書を持ってカヌーで島に向かった。チャウは島民とコミュニケーションを図り<ref name=Wapo21NovGod>{{cite news |last=Slater |first=Joanna |date=21 November 2018 |title='God, I don't want to die', U.S. missionary wrote before he was killed by remote tribe on Indian island |newspaper=[[The Washington Post]] |url=https://www.washingtonpost.com/world/2018/11/21/american-believed-dead-after-encounter-with-remote-indian-tribe-hostile-outsiders/ |access-date=22 November 2018 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20181121184510/https://www.washingtonpost.com/world/2018/11/21/american-believed-dead-after-encounter-with-remote-indian-tribe-hostile-outsiders/ |archive-date=21 November 2018}}</ref>、贈り物をしようとしたが、敵対的な反応に直面し、この最初の訪問は撤退を余儀なくされた<ref name=":1">{{cite news |title=US tourist killed by tribe in Andaman and Nicobar's North Sentinel Island, seven arrested in connection with murder |date=21 November 2018 |website=firstpost.com |url=https://www.firstpost.com/india/us-tourist-killed-by-tribe-in-andaman-and-nicobars-north-sentinel-island-seven-arrested-in-connection-with-murder-5590841.html |url-status=live |access-date=22 November 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181122005834/https://www.firstpost.com/india/us-tourist-killed-by-tribe-in-andaman-and-nicobars-north-sentinel-island-seven-arrested-in-connection-with-murder-5590841.html |archive-date=22 November 2018}}</ref><ref name=nytimes>{{cite news |author1=Gettleman, Jeffrey |author2=Kumar, Hari |author3=Schultz, Kai |date=23 November 2018 |title=A man's last letter before being killed on a forbidden island |newspaper=[[The New York Times]] |url=https://www.nytimes.com/2018/11/23/world/asia/andaman-missionary-john-chau.html |url-status=live |access-date=26 November 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181126181038/https://www.nytimes.com/2018/11/23/world/asia/andaman-missionary-john-chau.html |archive-date=26 November 2018}}</ref>。
別の訪問では島民から愉しみ、当惑、敵意の入り混じった反応を受けたとチャウは記録に残している。彼は礼拝の歌を歌ったり、[[コサ語]](アフリカ南部で話されている言語)で話しかけたが、彼らはしばしば黙り込んだ。他のコミュニケーションの試みでは、彼らは笑うだけであった<ref name=nytimes/>。
チャウは、彼らは「多くの甲高い音」とジェスチャーでコミュニケーションを取ったと述べている<ref name=spokesman>{{cite news |first1=Joanna |last1=Slater |first2=Annie |last2=Gowen |date=23 November 2018 |title=Fear and faith: Inside the last days of an American missionary died on tribe's remote Indian Ocean island |newspaper=[[The Washington Post]] |url=http://www.spokesman.com/stories/2018/nov/23/fear-and-faith-inside-the-last-days-of-an-american/ |access-date=26 November 2018 |archive-date=25 November 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181125210606/http://www.spokesman.com/stories/2018/nov/23/fear-and-faith-inside-the-last-days-of-an-american/|url-status=live}}</ref>。
彼の最後の手紙によれば、彼が魚や贈り物を渡そうとしたとき、少年が金属製の矢を放ち、胸の前にあった聖書を貫いたという。結局、再撤退を余儀なくされた。
11月17日、結果として最後の訪問となったこの日、チャウは漁師たちに自分を見捨てるように指示した<ref name=scmp>{{cite news |agency=Reuters |date=22 Nov 2018 |title=U.S. man killed by remote tribe was trying to spread Christianity |newspaper=[[South China Morning Post]] |lang=en |url=https://www.scmp.com/news/asia/south-asia/article/2174420/why-are-they-so-angry-us-man-john-allen-chau-killed-remote |access-date=24 November 2018 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20181123175329/https://www.scmp.com/news/asia/south-asia/article/2174420/why-are-they-so-angry-us-man-john-allen-chau-killed-remote |archive-date=23 November 2018 |quote=Notes by John Allen Chau, shot dead with arrows last week on India’s North Sentinel Island, show he hoped to ‘establish the kingdom of Jesus on the island’. Chau’s notes reveal bafflement at ‘aggressive’ responses from the tribe when he had ‘been so nice to them’.}}</ref>。
その後、漁師たちは島民がチャウの遺体を引きずっている光景を目撃し、さらに翌日には海岸に埋葬されるところを目撃した<ref name=ndtv/>。
=== 死後の対応 ===
チャウの死を確認した漁師たちはポートブレアに戻ると、首都に住む友人のキリスト教伝道師に彼の日記を渡した<ref name=ndtv/>。
またアメリカにいる彼の家族にも連絡し、家族は在[[チェンナイ]]米国総領事館に支援を求めた<ref name=ndtv/>。
アンダマン州政府には11月19日に通知された<ref name=ndtv/>。
11月21日、警察長官は北センチネル島への一般人の立ち入りを制限する声明を発表した<ref name=ndtv/>。
原住民との衝突を伴う遭遇の可能性もある中、インド当局は遺体回収を試みたが、発見できなかった<ref name=NewsComAu/>。
回収作業は何度か行われたが、最終的には断念された。『ガーディアン』紙に掲載された、この事件に携わった人類学者のコメントによれば、捜査当局と島民との衝突のリスクが大きすぎ、これ以上の試みは正当化できなかったという<ref>{{cite news |last1=Safi |first1=Michael |last2=Giles |first2=Denis |date=November 28, 2018 |title=India has no plans to recover body of US missionary killed by tribe |newspaper=[[The Guardian]] |url=https://www.theguardian.com/world/2018/nov/28/india-body-john-allen-chau-missionary-killed-by-sentinelese-tribe |access-date=2020-04-24 |archive-date=November 28, 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181128225414/https://www.theguardian.com/world/2018/nov/28/india-body-john-allen-chau-missionary-killed-by-sentinelese-tribe |url-status=live }}</ref>。
ただ、彼の死自体は殺人事件として立件された<ref>{{cite news |title='Incredibly dangerous' to retrieve body from North Sentinel |date=26 November 2018 |series=John Allen Chau |website=[[BBC News]] |url=https://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-46345231 |access-date=2020-06-15 |archive-date=October 10, 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211010024736/https://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-46345231 |url-status=live }}</ref>。
== 彼の行動への批判 ==
チャウが原住民であるセンチネル族に[[病原体]]を持ち込む可能性を無視して島を訪れたことは、{{仮リンク|サバイバル・インターナショナル|en|Survival International}}などから批判が起きた。島外との接触を断っていたセンチネル族にとって外部の病原体は致命的な結果をもたらす可能性があった<ref name=Perry/><ref>{{cite news |last=Elonai |first=Maisha |date=28 November 2018 |title=John Allen Chau was brave. He was also reckless |newspaper=[[The Washington Post]] |url=https://www.washingtonpost.com/opinions/john-allen-chau-was-brave-he-was-also-reckless/2018/11/27/ddb9200c-f1b0-11e8-99c2-cfca6fcf610c_story.html |access-date=March 28, 2020 |archive-date=January 29, 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220129192739/https://www.washingtonpost.com/opinions/john-allen-chau-was-brave-he-was-also-reckless/2018/11/27/ddb9200c-f1b0-11e8-99c2-cfca6fcf610c_story.html |url-status=live }}</ref><ref>{{cite press release |title=Statement on killing of American man John Allen Chau by Sentinelese tribe, Andaman Islands |date=21 November 2018 |publisher=[[Survival International]] |url=https://www.survivalinternational.org/news/12031 |access-date=March 28, 2020 |via=survivalinternational.org}}</ref><ref>{{cite press release |title=Missionary claims that John Chau did not pose a threat to the Sentinelese – Survival responds |date=29 November 2018 |lang=en |publisher=[[Survival International]] |url=https://www.survivalinternational.org/news/12042 |access-date=5 May 2020 |via=survivalinternational.org}}</ref>。
チャウを訓練したオール・ネイションズは、チャウの死に哀悼の意を表明する一方で、彼を殉教者と表現したため、ソーシャルメディアから批難を浴びた。チャウの父親も、宣教師団体が極端なキリスト教的ビジョンを植え付けたせいで息子に死をもたらしたと批難した<ref name=Conroy/>。
この事件について{{仮リンク|マウラナ・アブル・カラム・アザド記念アジア研究所|en|Maulana Abul Kalam Azad Institute of Asian Studies}}のM.サシクマールは、殺人罪という法的次元の話題と、被害者の行動を美化するようなメディア報道に疑問を呈した。彼は、同種の事件の再発防止のため、地元の漁民も含めてより厳格に処断することが、北センチネル島への不干渉政策を継続する上で一罰百戒になると述べた<ref name=Sasikumar2019>{{cite journal |last=Sasikumar |first=M. |year=2019 |title=The Sentinelese of North Sentinel island: A reappraisal of tribal scenario in an Andaman Island in the context of killing of an American Preacher |journal=[[Journal of the Anthropological Survey of India]] |volume=68 |issue=1 |pages=56–69 |doi=10.1177/2277436X19844882 |doi-access=free}}</ref>。
ドイツの{{仮リンク|トリーア大学|en|University of Trier|de|Universität Trier}}の文化人類学教授ミヒャエル・シェーンフートは、チャウ殺害に対するメディアの反応に文化的関心を抱いた。彼は、今回の一件を、現代世界と孤絶した原住民([[未接触部族]])との間の適切な関係に関する大きな議論の一部になると述べている。また、彼はセンチネル族のような孤立したグループとの接触は、未だ専門家の間でも論争になるテーマだとしている<ref name="Schönhuth-2019">{{cite journal |last=Schönhuth |first=M. |year=2019 |title=Dead missionaries, wild Sentinelese: An anthropological review of a global media event |journal=[[Anthropology Today]] |volume=35 |issue=4 |pages=3–6 |doi=10.1111/1467-8322.12514 |doi-access=free}}</ref>。ただし、今回の一件のような無分別な接触は、隔離されたコミュニティの無防備な免疫システムに対して致命的な感染症リスクをもたらす恐れがあるために禁じられていると補足している<ref name="Schönhuth-2019" />。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
{{DEFAULTSORT:ちやう しよん}}
[[Category:1991年生]]
[[Category:2018年没]]
[[Category:中国系アメリカ人]]
[[Category:アメリカ合衆国のプロテスタント宣教師]]
[[Category:キリスト教の殉教者]]
[[Category:オーラル・ロバーツ大学出身の人物]] | 2023-10-21T14:06:40Z | 2023-12-10T15:49:58Z | false | false | false | [
"Template:Cite press release",
"Template:Refn",
"Template:Reflist",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Cite magazine",
"Template:Webarchive",
"Template:Cite news",
"Template:Infobox 人物",
"Template:Lang-en",
"Template:仮リンク",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Citation"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A6 |
4,844,805 | エジプトとマレーシアの関係 | エジプトとマレーシアの関係(エジプトとマレーシアのかんけい)では、エジプトとマレーシアの二国間外交関係について解説する。エジプトはクアラルンプールに大使館を、マレーシアはカイロに大使館を設置しており、官民ともに関係は良好である。
多くのマレー人学生がアル=アズハル大学で学んでいることもあって、両国は1957年のマラヤ連邦独立以来良好な関係を築いており、1959年に外交関係を樹立した。1979年には、当時副大統領だったホスニー・ムバーラクがマレーシアを公式訪問したほか、2003年にはマハティール・ビン・モハマド大統領がエジプトを訪問している。なお、在エジプトマレーシア大使館が設置される1960年以前にも両者の交流は行われており、1930年にエジプトでマレー人協会が組織された。なお、この協会は1959年に、初代エジプト大統領のガマール・アブドゥル=ナーセルから本部を提供されている。
エジプトとマレーシアは、共同投資と両国間の経済関係の強化に関する経済協力協定を締結している 。また、2012年9月には、ニューヨークで開催された国際連合総会において、マレーシアの外務大臣アニファ・アマン(英語版)と、エジプトのモハメド・カメル・アムル(英語版)が、技術とエネルギーの分野においても二国間貿易と投資を強化することに合意し、双方の貿易大臣による訪問にも合意した 。カメル・アムルは、エジプトの社会経済や政治を発展させるためにマレーシアから学びたいと表明しており、マレーシアもそれを歓迎する旨を表明した。民間分野でも、ハラール基準、適合性評価(英語版)、中小企業、商標についての問題を議論し、周知するための特別作業部会が設置されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "エジプトとマレーシアの関係(エジプトとマレーシアのかんけい)では、エジプトとマレーシアの二国間外交関係について解説する。エジプトはクアラルンプールに大使館を、マレーシアはカイロに大使館を設置しており、官民ともに関係は良好である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "多くのマレー人学生がアル=アズハル大学で学んでいることもあって、両国は1957年のマラヤ連邦独立以来良好な関係を築いており、1959年に外交関係を樹立した。1979年には、当時副大統領だったホスニー・ムバーラクがマレーシアを公式訪問したほか、2003年にはマハティール・ビン・モハマド大統領がエジプトを訪問している。なお、在エジプトマレーシア大使館が設置される1960年以前にも両者の交流は行われており、1930年にエジプトでマレー人協会が組織された。なお、この協会は1959年に、初代エジプト大統領のガマール・アブドゥル=ナーセルから本部を提供されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "エジプトとマレーシアは、共同投資と両国間の経済関係の強化に関する経済協力協定を締結している 。また、2012年9月には、ニューヨークで開催された国際連合総会において、マレーシアの外務大臣アニファ・アマン(英語版)と、エジプトのモハメド・カメル・アムル(英語版)が、技術とエネルギーの分野においても二国間貿易と投資を強化することに合意し、双方の貿易大臣による訪問にも合意した 。カメル・アムルは、エジプトの社会経済や政治を発展させるためにマレーシアから学びたいと表明しており、マレーシアもそれを歓迎する旨を表明した。民間分野でも、ハラール基準、適合性評価(英語版)、中小企業、商標についての問題を議論し、周知するための特別作業部会が設置されている。",
"title": "経済関係"
}
] | エジプトとマレーシアの関係(エジプトとマレーシアのかんけい)では、エジプトとマレーシアの二国間外交関係について解説する。エジプトはクアラルンプールに大使館を、マレーシアはカイロに大使館を設置しており、官民ともに関係は良好である。 | {{Infobox Bilateral relations|エジプトとマレーシアの|Egypt|Malaysia|filetype=svg}}'''エジプトとマレーシアの関係'''(エジプトとマレーシアのかんけい)では、[[エジプト]]と[[マレーシア]]の二国間[[外交]]関係について解説する。エジプトは[[クアラルンプール]]に大使館を<ref>{{cite web |url=http://www.mfa.gov.eg/english/embassies/Egyptian_Embassy_Malaysia/Pages/default.aspx |title=Site of the Embassy of Egypt in Kuala Lumpur - Malaysia |publisher=Embassy of Egypt in Kuala Lumpur |access-date=20 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140107162657/http://www.mfa.gov.eg/english/embassies/Egyptian_Embassy_Malaysia/Pages/default.aspx |archive-date=7 January 2014 |url-status=dead}}</ref>、マレーシアは[[カイロ]]に大使館を設置しており<ref>{{cite web |url=http://www.kln.gov.my/web/egy_cairo/ |title=Official Website of Embassy of Malaysia, Cairo |publisher=Ministry of Foreign Affairs, Malaysia |access-date=20 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230615054338/https://www.kln.gov.my/web/egy_cairo/ |archive-date=15 June 2023}}</ref>、官民ともに関係は良好である<ref>{{cite book |author=Jan Stark |title=Malaysia and the Developing World: The Asian Tiger on the Cinnamon Road |url=https://books.google.com/books?id=s83yX5QuNbEC&pg=PA77 |date=25 January 2013 |publisher=Routledge |isbn=978-0-415-69914-3 |pages=77–}}</ref>。
== 歴史 ==
多くのマレー人学生が[[アル=アズハル大学]]で学んでいることもあって、両国は1957年の[[マラヤ連邦]]独立以来良好な関係を築いており<ref>{{cite web |url=http://www.mfa.gov.eg/English/Embassies/Egyptian_Embassy_Malaysia/bilateralrelations/Pages/History.aspx |title=Bilateral Relations |publisher=Embassy of Egypt in Kuala Lumpur |access-date=20 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140107162703/http://www.mfa.gov.eg/English/Embassies/Egyptian_Embassy_Malaysia/bilateralrelations/Pages/History.aspx |archive-date=7 January 2014 |url-status=dead}}</ref>、1959年に外交関係を樹立した<ref>{{Cite web |url=https://www.sis.gov.eg/Story/180253/Egypt-and-Malaysia?lang=en-us |title=Egypt and Malaysia |access-date=2023-10-20 |publisher=State Information Service Your Gateway to Egypt |date=2023-05-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231020135332/https://www.sis.gov.eg/Story/180253/Egypt-and-Malaysia?lang=en-us |archive-date=2023-10-20}}</ref>。1979年には、当時副大統領だった[[ホスニー・ムバーラク]]がマレーシアを公式訪問したほか、2003年には[[マハティール・ビン・モハマド]]大統領がエジプトを訪問している<ref name="em">{{cite web |url=http://www.mfa.gov.eg/English/EgyptianForeignPolicy/EgyptianAsianRelation/News/Pages/NewsDetails.aspx?Source=6781921f-3993-444a-859e-ee26ce851de8&newsID=b1b5d194-8528-4e39-874e-b7f786820055 |title=Relations between Egypt and Malaysia |publisher=Arab Republic of Egypt Ministry of Foreign Affairs |date=13 December 2005 |access-date=20 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140107162706/http://www.mfa.gov.eg/English/EgyptianForeignPolicy/EgyptianAsianRelation/News/Pages/NewsDetails.aspx?Source=6781921f-3993-444a-859e-ee26ce851de8&newsID=b1b5d194-8528-4e39-874e-b7f786820055 |archive-date=7 January 2014 |url-status=dead}}</ref>。なお、在エジプトマレーシア大使館が設置される1960年以前にも両者の交流は行われており、1930年にエジプトでマレー人協会が組織された<ref name="em" />。なお、この協会は1959年に、初代エジプト大統領の[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]から本部を提供されている<ref name="em" />。
== 経済関係 ==
エジプトとマレーシアは、共同投資と両国間の経済関係の強化に関する経済協力協定を締結している<ref>{{cite web |url=http://www.amwalalghad.com/en/investment-news/industry-trade/13713-egypt-malaysia-sign-economic-cooperation-agreement-to-enhance-intra-trade.html |title=Egypt, Malaysia Sign Economic Cooperation Agreement To Enhance Intra-trade |author=Ayman Saleh |publisher=Amwal Al Ghad |date=23 January 2013 |access-date=2023-10-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130127031600/http://www.amwalalghad.com/en/investment-news/industry-trade/13713-egypt-malaysia-sign-economic-cooperation-agreement-to-enhance-intra-trade.html |archive-date=27 January 2013 |url-status=dead}}</ref> 。また、2012年9月には、[[ニューヨーク]]で開催された[[国際連合総会]]において、マレーシアの外務大臣{{仮リンク|アニファ・アマン|en|Anifah Aman}}と、エジプトの{{仮リンク|モハメド・カメル・アムル|en|Mohamed Kamel Amr}}が、技術とエネルギーの分野においても二国間貿易と投資を強化することに合意し、双方の貿易大臣による訪問にも合意した<ref name=":0">{{cite web |url=http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2012/10/1/nation/20121001165924&sec=nation |title=Malaysia, Egypt to step up bilateral trade and investments |work=The Star |date=1 October 2012 |access-date=2023-10-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121001134400/http://thestar.com.my/news/story.asp?file=%2F2012%2F10%2F1%2Fnation%2F20121001165924&sec=nation |url-status=dead |archive-date=1 October 2012 |df=dmy-all}}</ref> 。カメル・アムルは、エジプトの社会経済や政治を発展させるためにマレーシアから学びたいと表明しており、マレーシアもそれを歓迎する旨を表明した<ref name=":0" />。民間分野でも、[[ハラール]]基準、{{仮リンク|適合性評価|en|Conformance testing}}、[[中小企業]]、[[商標]]についての問題を議論し、周知するための特別作業部会が設置されている<ref>{{cite web |url=http://halalfocus.net/malaysia-egypt-form-working-groups-to-address-private-sector-s-concern/ |title=Malaysia-Egypt Form Working Groups To Address Private Sector's Concern |author=Jeffri Mohd Rafiee, [http://halalfocus.net/author/hamid/ hamid] |publisher=Halal Focus |date=18 October 2009 |access-date=2023-10-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231021012518/https://halalfocus.net/malaysia-egypt-form-working-groups-to-address-private-sector-s-concern/ |archive-date=2023-10-21}}</ref>。
== 参考文献 ==
{{reflist|30em}}
{{normdaten}}
{{DEFAULTSORT:えしふととまれえしあのかんけい}}
[[Category:マレーシアの二国間関係|えしふと]]
[[Category:エジプトの二国間関係|まれえしあ]] | 2023-10-21T14:11:23Z | 2023-10-29T02:10:44Z | false | false | false | [
"Template:Normdaten",
"Template:Sakujo/本体",
"Template:Copyrights",
"Template:Infobox Bilateral relations",
"Template:仮リンク",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82 |
4,844,808 | トキタビ | 『トキタビ』とは、フジテレビ系列にて2023年10月7日から放送されている旅バラエティ番組。放送時間は、10:53 - 11:21(JST)に放送されている。TOKIOの冠番組。
見逃し配信はフジテレビの放送日時基準。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『トキタビ』とは、フジテレビ系列にて2023年10月7日から放送されている旅バラエティ番組。放送時間は、10:53 - 11:21(JST)に放送されている。TOKIOの冠番組。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "見逃し配信はフジテレビの放送日時基準。",
"title": "ネット局"
}
] | 『トキタビ』とは、フジテレビ系列にて2023年10月7日から放送されている旅バラエティ番組。放送時間は、10:53 - 11:21(JST)に放送されている。TOKIOの冠番組。 | {{出典の明記|date=2023年10月}}
{{告知|提案|日本国内のバラエティ・情報・報道番組などの記事の放送リスト・ネット局の記述添削(テレビアニメ・ドラマは除く)による改訂案|プロジェクト‐ノート:放送または配信の番組#日本国内のバラエティ・情報・報道番組などの記事の放送リスト・ネット局の記述添削(テレビアニメ・ドラマは除く)による改訂案|date=2023年12月}}
{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = トキタビ
| 画像 =
| 画像説明 =
| ジャンル = [[旅番組]] / [[バラエティ番組]]
| 放送時間 = [[土曜日]] 10:53 - 11:21
| 放送枠 =
| 放送分 = 28
| 放送期間 = [[2023年]][[10月7日]] -
| 放送回数 =
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作局 = [[フジテレビジョン|フジテレビ]]
| 企画 =
| 製作総指揮 =
| 監修 =
| 演出 =
| 原作 =
| 脚本 =
| プロデューサー =
| 出演者 = [[TOKIO]]<br />([[城島茂]]・[[国分太一]]・[[松岡昌宏]])
| ナレーター =
| 音声形式 =
| 映像形式 = [[文字多重放送]]
| OPテーマ =
| EDテーマ =
| 外部リンク = https://www.fujitv.co.jp/TOKITABI/
| 外部リンク名 = 公式サイト
| 特記事項 =
| 前作 = [[TOKIOカケル]]
| 次作 =
| 関連番組 = [[メントレ]]・[[5LDK]]
}}
『'''トキタビ'''』とは、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]にて[[2023年]][[10月7日]]から放送されている[[旅番組|旅]][[バラエティ番組]]。放送時間は、10:53 - 11:21([[日本標準時|JST]])に放送されている。[[TOKIO]]の[[冠番組]]。
== 概要 ==
{{節stub}}
== 出演 ==
* [[TOKIO]]([[城島茂]]・[[国分太一]]・[[松岡昌宏]])
== 放送リスト ==
{{節stub}}
== ネット局 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
!放送対象地域!!放送局!!系列!!放送日時!!字幕放送!!放送期間!!遅れ!!脚注
|-
|[[広域放送|関東広域圏]]||[[フジテレビジョン|フジテレビ]](CX)
|rowspan=15|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]||rowspan=2|土曜 10:53 - 11:21||rowspan=18|○||rowspan=2|2023年10月7日 - ||'''制作局'''||
|-
|[[島根県]]・[[鳥取県]]||[[山陰中央テレビジョン放送|さんいん中央テレビ]](TSK)||rowspan=1|同時ネット
|
|-
|[[北海道]]||[[北海道文化放送]](UHB)||水曜 0:25 - 0:55(火曜深夜)||2023年10月25日 - ||rowspan=16|遅れネット||
|-
|[[岩手県]]||[[岩手めんこいテレビ]](mit)||月曜 0:30 - 1:00(日曜深夜)||2023年10月23日 - ||
|-
|[[山形県]]||[[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]](SAY)||水曜 0:25 - 0:55(火曜深夜)||2023年10月18日 - ||
|-
|[[福島県]]||[[福島テレビ]](FTV)||土曜 0:55 - 1:25(金曜深夜)||rowspan=2|2023年10月21日 - ||
|-
|[[新潟県]]||[[NST新潟総合テレビ]]||土曜 2:00 - 2:30(金曜深夜)||
|-
|[[長野県]]||[[長野放送]](NBS)||月曜 0:30 - 1:00(日曜深夜)||2023年10月23日 - ||
|-
|[[富山県]]||[[富山テレビ放送|富山テレビ]](BBT)||土曜 10:25 - 10:55||2023年10月28日<ref>『北日本新聞』2023年10月28日付、テレビ欄。</ref> - ||
|-
|[[福井県]]||[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]](FTB)||金曜 0:25 - 0:55(木曜深夜)||2023年10月20日 - ||
|-
|中京広域圏||[[東海テレビ放送|東海テレビ]](THK)||土曜 10:25 - 10:55||2023年10月14日 - ||
|-
|[[静岡県]]||[[テレビ静岡]](SUT)||金曜 0:25 - 0:55(木曜深夜)||2023年10月20日 - ||
|-
|[[岡山県・香川県の放送|岡山県・香川県]]||[[岡山放送]](OHK)||土曜 16:30 - 17:00||2023年10月28日 - ||
|-
|[[愛媛県]]||[[テレビ愛媛]](EBC)||金曜 0:35 - 1:05(木曜深夜)||2023年10月20日 - ||
|-
|[[福岡県]]||[[テレビ西日本]](TNC)||金曜 0:25 - 0:55(木曜深夜)||2023年10月27日 - ||
|-
|[[大分県]]||[[テレビ大分]](TOS)||フジテレビ系列・<br/>[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]||土曜 9:55 - 10:25||2023年10月21日 - ||
|-
|[[鹿児島県]]||[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]](KTS)||rowspan=15|フジテレビ系列||金曜 0:25 - 0:55(木曜深夜)||2023年10月20日 - ||
|-
|[[広島県]]||[[テレビ新広島]](TSS)||月曜 0:30 - 1:00(日曜深夜)||2023年11月13日 - ||
|}
=== ネット配信 ===
見逃し配信はフジテレビの放送日時基準。
* [[フジテレビオンデマンド|FOD]] - 放送終了後全話配信
* [[TVer]] - 放送終了後1週間配信
== スタッフ ==
*演出/加藤智章(フジテレビ)
*ディレクター/夫馬教行、秋山将慶、犬飼義啓、奥野祐士
*構成/渡辺健久、[[酒井健作]]、鹿谷忠弘
*ナレーション/[[佐々木恭子]](フジテレビアナウンサー)
*CAM/才沢誠二、浦谷清顕
*VL/美斎津友洋
*CA/川村悠斗
*美術プロデューサー/楫野淳司
*メイク/藤田真央
*スタイリスト/九
*アートディレクター/邨山直也(フジテレビ)
*ロゴデザイン/岩田祐一
*編集/井上三郎、渡邉茂樹
*MA/水野学、石塚翔子
*音響効果/大貫孝輔
*TK/石井成子
*デスク/瀬川桃花
*広報/深田梨沙(フジテレビ)
*美術協力/[[フジアール]]
*技術協力/エスパシオ、[[IMAGICA Lab.]]
*制作協力/[[ディコンプレックス|D:COMPLEX]]、[[ザ・スピングラス|SPIN GLASS]]
*制作統括/[[太田一平 (プロデューサー)|太田一平]](フジテレビ)
*制作進行/勝又郁乃
*プロデューサー/鈴木浩史、安部公代(SPIN GLASS)、竹岡直弘(フジテレビ)
*チーフプロデューサー/清水泰貴(フジテレビ)
*制作/フジテレビ編成制作局制作センター第二制作室
*制作著作/[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 出典 ==
{{節stub}}
== 関連項目 ==
* [[TOKIOカケル]](前身番組)
* [[5LDK]]
* [[メントレG]]
* [[ジャニーズ事務所]]
== 外部リンク ==
* [https://www.fujitv.co.jp/TOKITABI/ トキタビ] - 番組公式サイト
* {{Twitter|tokitabi_info|【公式】トキタビ}}
* {{Instagram|tokitabi_official|トキタビ【公式】}}
{{前後番組
|放送局=フジテレビ
|放送枠=土曜10:53 - 11:21
|番組名=トキタビ<br/>(2023年10月7日 - )
|前番組=[[いただきハイジャンプ]]<br/>※10:25 - 11:05<br/>【10:25 - 10:53に縮小して継続】<hr>[[KinKi Kidsのブンブブーン]]<br/>※11:05 - 11:50<br/>【11:21 - 11:50に縮小して継続】
|次番組=
}}
{{TOKIO}}
{{Tv-stub}}
{{DEFAULTSORT:ときたひ}}
[[Category:2023年のテレビ番組 (日本)]]
[[Category:フジテレビの紀行・旅番組]]
[[Category:フジテレビのバラエティ番組]]
[[Category:TOKIO]]
[[Category:テレビのアイドル番組]]
[[Category:ジャニーズ関連の放送番組]]
[[Category:継続中の作品]] | 2023-10-21T14:18:55Z | 2023-12-28T09:59:06Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Instagram",
"Template:前後番組",
"Template:Tv-stub",
"Template:告知",
"Template:節stub",
"Template:Notelist2",
"Template:Reflist",
"Template:Twitter",
"Template:TOKIO",
"Template:出典の明記",
"Template:基礎情報 テレビ番組"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%83%93 |
4,844,809 | 金魚と鯉の郷広場 | 金魚と鯉の郷広場(きんぎょとこいのさとひろば)は、熊本県玉名郡長洲町にある公園である。
1995年にオープンした自然公園で、長洲町特産の金魚と[[鯉]をテーマにしている。館内にある「金魚の館」では様々な種類の金魚を鑑賞することができるほか、金魚すくいを楽しむことも可能。ほかにはアスレチック、芝生の広場、せせらぎ川などがあり、多くの家族連れでにぎわう。
毎年5月のゴールデンウィーク期間中には「火の国長洲金魚まつり」の会場となる。特に「九州金魚すくい選手権」が有名で、2023年には個人戦に400名が参加した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "金魚と鯉の郷広場(きんぎょとこいのさとひろば)は、熊本県玉名郡長洲町にある公園である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "1995年にオープンした自然公園で、長洲町特産の金魚と[[鯉]をテーマにしている。館内にある「金魚の館」では様々な種類の金魚を鑑賞することができるほか、金魚すくいを楽しむことも可能。ほかにはアスレチック、芝生の広場、せせらぎ川などがあり、多くの家族連れでにぎわう。",
"title": "概説"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "毎年5月のゴールデンウィーク期間中には「火の国長洲金魚まつり」の会場となる。特に「九州金魚すくい選手権」が有名で、2023年には個人戦に400名が参加した。",
"title": "概説"
}
] | 金魚と鯉の郷広場(きんぎょとこいのさとひろば)は、熊本県玉名郡長洲町にある公園である。 | [[File:Goldfish_and_Carp_Park_01.jpg|thumb|300px|金魚の館]]
'''金魚と鯉の郷広場'''(きんぎょとこいのさとひろば)は、[[熊本県]][[玉名郡]][[長洲町]]にある[[公園]]である。
== 概説 ==
[[1995年]]にオープンした自然公園で、長洲町特産の[[金魚]]と[[鯉]]をテーマにしている<ref name="kumamotopref">[https://kumamoto.guide/spots/detail/11205 金魚と鯉の郷広場|【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと]</ref>。館内にある「金魚の館」では様々な種類の金魚を鑑賞することができるほか、[[金魚すくい]]を楽しむことも可能<ref>[https://tuuutotamana.com/kingyotokoinosato/ 「金魚と鯉の郷広場」は遊具がたくさん!水遊びもできる人気スポットです[熊本県玉名郡長洲町]</ref>。ほかには[[アスレチック]]、[[芝生]]の[[広場]]、せせらぎ川などがあり、多くの家族連れでにぎわう<ref name="kumamotopref"></ref>。
毎年5月の[[ゴールデンウィーク]]期間中には「火の国長洲金魚まつり」の会場となる。特に「九州金魚すくい選手権」が有名で、2023年には個人戦に400名が参加した<ref>[https://kumanichi.com/articles/1035159 金魚すくい、400人が腕前競う 熊本・長洲町でイベント 最終日の4日は団体戦]熊本日日新聞 2023年5月3日</ref>。
== 交通アクセス ==
* [[JR九州]][[鹿児島本線]][[長洲駅]]より徒歩24分(1.9㎞)。
* マイカーの場合、[[九州自動車道]][[南関インターチェンジ]]から22㎞。
* 駐車場あり
== ギャラリー ==
<gallery>
File:Goldfish_and_Carp_Park_03.jpg|修景池
File:Goldfish_and_Carp_Park_04.jpg|せせらぎ広場
File:Goldfish_and_Carp_Park_05.jpg|大型遊具
</gallery>
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
*[https://www.town.nagasu.lg.jp/kankou/kiji0033906/index.html 金魚と鯉の郷広場|長洲町ホームページ]
{{Pref-stub|pref=熊本県}}
{{デフォルトソート:きんきよとこいのさとひろは}}
[[Category:熊本県の公園]]
[[Category:長洲町]]
[[Category:キンギョ]] | 2023-10-21T14:21:00Z | 2023-10-22T12:59:55Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Pref-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AD%9A%E3%81%A8%E9%AF%89%E3%81%AE%E9%83%B7%E5%BA%83%E5%A0%B4 |
4,844,812 | バリー・イェルヴァートン (初代エイヴォンモア子爵) | 初代エイヴォンモア子爵バリー・イェルヴァートン(英語: Barry Yelverton, 1st Viscount Avonmore PC (Ire) KC、1736年5月28日 – 1805年8月19日)は、アイルランド王国出身の裁判官、政治家、貴族。アイルランド愛国党(英語版)に属するアイルランド庶民院議員であり、1782年にアイルランドの立法権を制限するポイニングス法(英語版)を改正するイェルヴァートン法の法案を提出して、アイルランドの立法権を取り戻したことで知られた。同年よりアイルランド法務長官(英語版)(1782年 – 1783年)、アイルランド財務府裁判所主席裁判官(英語版)(1783年 – 1805年)を歴任したほか、1800年合同法を支持した。
フランシス・イェルヴァートン(Francis Yelverton、1705年 – 1746年3月27日)と妻エリザベス(Elizabeth、1717年11月16日 – 1804年、ジョナス・バリーの娘)の息子として、1736年5月28日に生まれた。プロテスタントの家族だったが、裕福ではなかったという。チャールヴィル・スクール(Charleville School)で教育を受けた後、1753年にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1755年に奨学金を得て、1757年にB.A.の学位を、1761年にLLBの学位を修得、1774年にLLDの学位を授与された。ダブリン大学在学中にアンドルー・バック(Andrew Buck)が設立したハイバーニアン・アカデミー(Hibernian Academy、ハイバーニアンは「アイルランド人」の意味)で助教を務める必要があったほど家系の厳しい状態であり、1761年に結婚した妻の家族が裕福だったおかげで卒業できた。1759年10月10日にミドル・テンプルに入学、1764年にダブリンで弁護士資格免許を取得した。
目立たない見た目だったが、修辞表現に長け、教養もあったためアイルランド大法官(英語版)の初代リフォード男爵ジェームズ・ヒューイット(英語版)に評価され、1772年に勅選弁護士(英語版)とキングス・インズ(英語版)の評議員(英語版)に選出された。『オックスフォード英国人名事典』によれば、弁護士として華々しく成功したわけではなく、安定して名声を高めた形だった。ただし、イェルヴァートンの演説文は19世紀末時点でほとんど現存しないとされる。
1774年にドニゴール・バラ選挙区(英語版)でアイルランド庶民院議員に当選した。1776年の総選挙ではドニゴール・バラ、ベルファスト(英語版)、キャリクファーガス(英語版)の3選挙区で当選して、キャリクファーガスの代表として議員を務めることを選択した。ドニゴール・バラでは第2代アラン伯爵アーサー・ゴアの支持を、キャリクファーガスでは第5代ドニゴール伯爵アーサー・チチェスターの支持を受けての当選だった。1783年の総選挙でも再選した。
このように当選は後援者のおかげだったものの、その後援者の意思を汲んで庶民院で活動したわけではなく、代わりにヘンリー・グラタンらのアイルランド愛国党(英語版)に与し、アメリカ独立戦争初期より政府に反対したほか、1778年のカトリック解放法案を支持、1779年の自由貿易論争(グレートブリテンと比較して不利な貿易制限の撤廃を目指す論争)でアイルランド議会が主導権を握れるよう尽力、1780年にはアイルランド枢密院(英語版)のアイルランドにおける議会立法の改正権・否決権の撤廃法案を提出して否決された。
1781年秋にヨークタウンの戦いでのイギリス軍敗北の報せがアイルランドに届いたことでイギリス政府の求心力が弱まり、イェルヴァートンはイギリス政府と交渉して、1781年12月にアイルランド議会がイギリス政府を支持すると表明するよう議案を出し、その代償としてイギリス政府がイェルヴァートンによるポイニングス法(英語版)(アイルランドの立法権を制限する15世紀の法律)の改正に中立にとどまることを約束した。イェルヴァートンは同12月にポイニングス法改正法案を提出、法案は1782年3月より審議されたが、ヨークタウンの敗戦によるイギリス政府の求心力低下は深刻で、もはやアイルランド議会で反対論を盛り上げる力もなく、法案は可決されアイルランドは立法権を取り戻した。この法案は一般的には「イェルヴァートン法」(Yelverton's act)として知られている。
1782年7月にポートランド公爵がアイルランド総督に就任すると、イェルヴァートンはアイルランド法務長官(英語版)に任命された。この時代のアイルランド法務長官は庶民院を主導することが求められ、イェルヴァートンのすぐれた演説を期待しての任命とされた。しかし「世相に疎い」とも評されており、1783年11月にヘンリー・フラッドが選挙法改正法案を提出したときにそれに反対したものの、同年12月にはアイルランド財務府裁判所主席裁判官(英語版)に追いやられた。裁判官としては1797年にユナイテッド・アイリッシュメンのウィリアム・オー(英語版)に死刑判決を下したことで知られる。
以降はアイルランド大法官への昇進を狙い、1789年の摂政法危機(国王ジョージ3世が精神疾患により政務を執れなかったとき、摂政任命をめぐる政争)ではアイルランドの(グレートブリテンから独立した)摂政任命権の有無について議論があり、グラタンやアイルランドにおけるホイッグ党は摂政任命権があると主張し、イェルヴァートンもそれを支持した。この主張が通るとイェルヴァートンがアイルランド大法官に任命されることは大方の予想だったが、結局失敗に終わった。
1794年にフィッツウィリアム伯爵(英語版)がアイルランド総督に就任すると、イェルヴァートンは再び大法官への任命に期待したが、1795年6月15日にアイルランド貴族であるコーク県におけるエイヴォンモアのイェルヴァートン男爵に叙された程度だった。
1800年合同法にも賛成の立場をとったことで、1800年12月29日/1801年1月1日、アイルランド貴族であるティペラリー県におけるデリー・アイランドのエイヴォンモア子爵に叙された。この叙爵にはポートランド公爵が反対したという。
1805年8月19日にダブリン県フォースフィールド(Forthfield)で死去、息子ウィリアム・チャールズ(英語版)が爵位を継承した。遺体はダブリン近郊のラスファーナム(英語版)に埋葬された。
裁判官としての評価はよくなく、『英国人名事典』では第一印象に判決を左右されやすいと評し、『オックスフォード英国人名事典』では公正さを目指したものの判決を急ぎがちと評している。
この時代のアイルランド議会は高名な演説者が輩出しており、『英国人名事典』によれば論理はフラッドに、簡潔さはグラタンに、パトス(感情を呼び起こす力)はジョン・フィルポット・カラン(英語版)に分があったが、力強さはイェルヴァートンが最も優れていたという。グラタンもグレートブリテン庶民院における演説でイェルヴァートンの演説の力強さを称えている。友人関係ではフィルポットの後援者でありながら親しい友人でもあったという。
ヒュー・ダグラス・ハミルトンによる肖像画がキングス・インズに、ジョージ・フランシス・ジョセフ(英語版)による肖像画がダブリン大学トリニティ・カレッジに現存する。
1761年7月、メアリー・ニュージェント(Mary Nugent、1733年3月28日 – 1802年、ウィリアム・ニュージェントの娘)と結婚、3男1女をもうけた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "初代エイヴォンモア子爵バリー・イェルヴァートン(英語: Barry Yelverton, 1st Viscount Avonmore PC (Ire) KC、1736年5月28日 – 1805年8月19日)は、アイルランド王国出身の裁判官、政治家、貴族。アイルランド愛国党(英語版)に属するアイルランド庶民院議員であり、1782年にアイルランドの立法権を制限するポイニングス法(英語版)を改正するイェルヴァートン法の法案を提出して、アイルランドの立法権を取り戻したことで知られた。同年よりアイルランド法務長官(英語版)(1782年 – 1783年)、アイルランド財務府裁判所主席裁判官(英語版)(1783年 – 1805年)を歴任したほか、1800年合同法を支持した。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "フランシス・イェルヴァートン(Francis Yelverton、1705年 – 1746年3月27日)と妻エリザベス(Elizabeth、1717年11月16日 – 1804年、ジョナス・バリーの娘)の息子として、1736年5月28日に生まれた。プロテスタントの家族だったが、裕福ではなかったという。チャールヴィル・スクール(Charleville School)で教育を受けた後、1753年にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1755年に奨学金を得て、1757年にB.A.の学位を、1761年にLLBの学位を修得、1774年にLLDの学位を授与された。ダブリン大学在学中にアンドルー・バック(Andrew Buck)が設立したハイバーニアン・アカデミー(Hibernian Academy、ハイバーニアンは「アイルランド人」の意味)で助教を務める必要があったほど家系の厳しい状態であり、1761年に結婚した妻の家族が裕福だったおかげで卒業できた。1759年10月10日にミドル・テンプルに入学、1764年にダブリンで弁護士資格免許を取得した。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "目立たない見た目だったが、修辞表現に長け、教養もあったためアイルランド大法官(英語版)の初代リフォード男爵ジェームズ・ヒューイット(英語版)に評価され、1772年に勅選弁護士(英語版)とキングス・インズ(英語版)の評議員(英語版)に選出された。『オックスフォード英国人名事典』によれば、弁護士として華々しく成功したわけではなく、安定して名声を高めた形だった。ただし、イェルヴァートンの演説文は19世紀末時点でほとんど現存しないとされる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "1774年にドニゴール・バラ選挙区(英語版)でアイルランド庶民院議員に当選した。1776年の総選挙ではドニゴール・バラ、ベルファスト(英語版)、キャリクファーガス(英語版)の3選挙区で当選して、キャリクファーガスの代表として議員を務めることを選択した。ドニゴール・バラでは第2代アラン伯爵アーサー・ゴアの支持を、キャリクファーガスでは第5代ドニゴール伯爵アーサー・チチェスターの支持を受けての当選だった。1783年の総選挙でも再選した。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "このように当選は後援者のおかげだったものの、その後援者の意思を汲んで庶民院で活動したわけではなく、代わりにヘンリー・グラタンらのアイルランド愛国党(英語版)に与し、アメリカ独立戦争初期より政府に反対したほか、1778年のカトリック解放法案を支持、1779年の自由貿易論争(グレートブリテンと比較して不利な貿易制限の撤廃を目指す論争)でアイルランド議会が主導権を握れるよう尽力、1780年にはアイルランド枢密院(英語版)のアイルランドにおける議会立法の改正権・否決権の撤廃法案を提出して否決された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "1781年秋にヨークタウンの戦いでのイギリス軍敗北の報せがアイルランドに届いたことでイギリス政府の求心力が弱まり、イェルヴァートンはイギリス政府と交渉して、1781年12月にアイルランド議会がイギリス政府を支持すると表明するよう議案を出し、その代償としてイギリス政府がイェルヴァートンによるポイニングス法(英語版)(アイルランドの立法権を制限する15世紀の法律)の改正に中立にとどまることを約束した。イェルヴァートンは同12月にポイニングス法改正法案を提出、法案は1782年3月より審議されたが、ヨークタウンの敗戦によるイギリス政府の求心力低下は深刻で、もはやアイルランド議会で反対論を盛り上げる力もなく、法案は可決されアイルランドは立法権を取り戻した。この法案は一般的には「イェルヴァートン法」(Yelverton's act)として知られている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "1782年7月にポートランド公爵がアイルランド総督に就任すると、イェルヴァートンはアイルランド法務長官(英語版)に任命された。この時代のアイルランド法務長官は庶民院を主導することが求められ、イェルヴァートンのすぐれた演説を期待しての任命とされた。しかし「世相に疎い」とも評されており、1783年11月にヘンリー・フラッドが選挙法改正法案を提出したときにそれに反対したものの、同年12月にはアイルランド財務府裁判所主席裁判官(英語版)に追いやられた。裁判官としては1797年にユナイテッド・アイリッシュメンのウィリアム・オー(英語版)に死刑判決を下したことで知られる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "以降はアイルランド大法官への昇進を狙い、1789年の摂政法危機(国王ジョージ3世が精神疾患により政務を執れなかったとき、摂政任命をめぐる政争)ではアイルランドの(グレートブリテンから独立した)摂政任命権の有無について議論があり、グラタンやアイルランドにおけるホイッグ党は摂政任命権があると主張し、イェルヴァートンもそれを支持した。この主張が通るとイェルヴァートンがアイルランド大法官に任命されることは大方の予想だったが、結局失敗に終わった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "1794年にフィッツウィリアム伯爵(英語版)がアイルランド総督に就任すると、イェルヴァートンは再び大法官への任命に期待したが、1795年6月15日にアイルランド貴族であるコーク県におけるエイヴォンモアのイェルヴァートン男爵に叙された程度だった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "1800年合同法にも賛成の立場をとったことで、1800年12月29日/1801年1月1日、アイルランド貴族であるティペラリー県におけるデリー・アイランドのエイヴォンモア子爵に叙された。この叙爵にはポートランド公爵が反対したという。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "1805年8月19日にダブリン県フォースフィールド(Forthfield)で死去、息子ウィリアム・チャールズ(英語版)が爵位を継承した。遺体はダブリン近郊のラスファーナム(英語版)に埋葬された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "裁判官としての評価はよくなく、『英国人名事典』では第一印象に判決を左右されやすいと評し、『オックスフォード英国人名事典』では公正さを目指したものの判決を急ぎがちと評している。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "この時代のアイルランド議会は高名な演説者が輩出しており、『英国人名事典』によれば論理はフラッドに、簡潔さはグラタンに、パトス(感情を呼び起こす力)はジョン・フィルポット・カラン(英語版)に分があったが、力強さはイェルヴァートンが最も優れていたという。グラタンもグレートブリテン庶民院における演説でイェルヴァートンの演説の力強さを称えている。友人関係ではフィルポットの後援者でありながら親しい友人でもあったという。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "ヒュー・ダグラス・ハミルトンによる肖像画がキングス・インズに、ジョージ・フランシス・ジョセフ(英語版)による肖像画がダブリン大学トリニティ・カレッジに現存する。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1761年7月、メアリー・ニュージェント(Mary Nugent、1733年3月28日 – 1802年、ウィリアム・ニュージェントの娘)と結婚、3男1女をもうけた。",
"title": "家族"
}
] | 初代エイヴォンモア子爵バリー・イェルヴァートンは、アイルランド王国出身の裁判官、政治家、貴族。アイルランド愛国党に属するアイルランド庶民院議員であり、1782年にアイルランドの立法権を制限するポイニングス法を改正するイェルヴァートン法の法案を提出して、アイルランドの立法権を取り戻したことで知られた。同年よりアイルランド法務長官、アイルランド財務府裁判所主席裁判官を歴任したほか、1800年合同法を支持した。 | [[File:Barry Yelverton, 1st Viscount Avonmore.jpg|thumb|バリー・イェルヴァートン]]
初代[[エイヴォンモア子爵]]'''バリー・イェルヴァートン'''({{lang-en|Barry Yelverton, 1st Viscount Avonmore}} {{post-nominals|country=GBR|PCi|KC}}、[[1736年]][[5月28日]] – [[1805年]][[8月19日]])は、[[アイルランド王国]]出身の裁判官、政治家、貴族。{{仮リンク|アイルランド愛国党|en|Irish Patriot Party}}に属する{{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons}}議員であり、1782年にアイルランドの立法権を制限する{{仮リンク|ポイニングス法|en|Poynings' Law (on certification of acts)}}を改正するイェルヴァートン法の法案を提出して、アイルランドの立法権を取り戻したことで知られた<ref name="ODNB" />。同年より{{仮リンク|アイルランド法務長官|en|Attorney-General for Ireland}}(1782年 – 1783年)、{{仮リンク|アイルランド財務府裁判所主席裁判官|en|Chief Baron of the Irish Exchequer}}(1783年 – 1805年)を歴任したほか、[[合同法 (1800年)|1800年合同法]]を支持した<ref name="DIB" />。
== 生涯 ==
=== 弁護士として ===
フランシス・イェルヴァートン({{lang|en|Francis Yelverton}}、1705年 – 1746年3月27日)と妻エリザベス({{lang|en|Elizabeth}}、1717年11月16日 – 1804年、ジョナス・バリーの娘<ref name="Debrett1847">{{Cite book2|language=en|editor-last=Collen|editor-first=Henry|title=Debrett's Genealogical Peerage of Great Britain and Ireland|location=London|publisher=William Pickering|date=1847|page=46|url=https://books.google.com/books?id=m19HAQAAMAAJ&pg=PA46}}</ref>)の息子として、1736年5月28日に生まれた<ref name="Cokayne">{{Cite book2|language=en|editor1-last=Cokayne|editor1-first=George Edward|editor1-link=ジョージ・エドワード・コケイン|editor2-last=Gibbs|editor2-first=Vicary|editor2-link=ヴィカリー・ギブス (セント・オールバンズ選挙区の庶民院議員)|year=1910|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing)|volume=1|edition=2nd|location=London|publisher=The St. Catherine Press, Ltd.|pages=47–48|url=https://archive.org/details/completepeerageo01coka/page/47}}</ref><ref name="DIB">{{Cite encyclopedia|language=en|url=https://www.dib.ie/biography/yelverton-barry-a9161|title=Yelverton, Barry|encyclopedia=[[アイルランド人名事典|Dictionary of Irish Biography]]|last=O'Brien|first=Gerard|publisher=Cambridge University Press|location=United Kingdom|date=October 2009|editor-last=McGuire|editor-first=James|editor2-last=Quinn|editor2-first=James|doi=10.3318/dib.009161.v1}}</ref>。プロテスタントの家族だったが、裕福ではなかったという<ref name="DIB" />。チャールヴィル・スクール({{lang|en|Charleville School}})で教育を受けた後<ref name="ODNB">{{Cite ODNB|id=30212|title=Yelverton, Barry, first Viscount Avonmore|last=Kelly|first=James|date=24 May 2007|orig-date=23 September 2004}}</ref>、1753年に[[ダブリン大学]][[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ]]に入学<ref name="DIB" />、1755年に奨学金を得て<ref name="DNB">{{Cite DNB|wstitle=Yelverton, Barry|volume=63|pages=314–315|last=Falkiner|first=Caesar Litton|author-link=シーザー・リットン・フォーキナー}}</ref>、1757年に[[学士(教養)|B.A.]]の学位を、1761年に[[学士(法学)|LLB]]の学位を修得、1774年に[[博士(法学)|LLD]]の学位を授与された<ref name="Cokayne" />。ダブリン大学在学中にアンドルー・バック({{lang|en|Andrew Buck}})が設立したハイバーニアン・アカデミー({{lang|en|Hibernian Academy}}、ハイバーニアンは「アイルランド人」の意味)で助教を務める<ref name="EB1911">{{Cite EB1911|wstitle=Avonmore, Barry Yelverton, 1st Viscount|volume=3|page=67}}</ref>必要があったほど家計の厳しい状態であり、1761年に結婚した妻の家族が裕福だったおかげで卒業できた<ref name="DIB" />。1759年10月10日に[[ミドル・テンプル]]に入学、1764年に[[ダブリン]]で弁護士資格免許を取得した<ref name="Cokayne" />。
目立たない見た目だったが<ref name="EB1911" />、修辞表現に長け、教養もあったため{{仮リンク|アイルランド大法官|en|Lord High Chancellor of Ireland}}の{{仮リンク|ジェームズ・ヒューイット (初代リフォード子爵)|en|James Hewitt, 1st Viscount Lifford|label=初代リフォード男爵ジェームズ・ヒューイット}}に評価され<ref name="DNB" /><ref name="DIB" />、1772年に{{仮リンク|勅選弁護士|en|King's Counsel}}と{{仮リンク|キングス・インズ|en|King's Inns}}の{{仮リンク|評議員 (法曹院)|en|Bencher|label=評議員}}に選出された<ref name="Cokayne" />。『[[オックスフォード英国人名事典]]』によれば、弁護士として華々しく成功したわけではなく、安定して名声を高めた形だった<ref name="ODNB" />。ただし、イェルヴァートンの演説文は19世紀末時点でほとんど現存しないとされる<ref name="DNB" />。
=== 愛国党議員として ===
1774年に{{仮リンク|ドニゴール・バラ選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Donegal Borough (Parliament of Ireland constituency)|label=ドニゴール・バラ選挙区}}で{{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons}}議員に当選した<ref name="UHF">{{Cite web2|language=en|website=Ulster Historical Foundation|title=Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800|url=https://www.ancestryireland.com/family-records/biographies-of-the-members-of-the-irish-parliament/?search1=Barry&search2=Yelverton&search3=&submit=Search|access-date=21 October 2023}}</ref>。1776年の総選挙ではドニゴール・バラ、{{仮リンク|ベルファスト選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Belfast (Parliament of Ireland constituency)|label=ベルファスト}}、{{仮リンク|キャリクファーガス選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Carrickfergus (Parliament of Ireland constituency)|label=キャリクファーガス}}の3選挙区で当選して、キャリクファーガスの代表として議員を務めることを選択した<ref name="UHF" />。ドニゴール・バラでは[[アーサー・ゴア (第2代アラン伯爵)|第2代アラン伯爵アーサー・ゴア]]の支持を<ref name="ODNB" />、キャリクファーガスでは[[アーサー・チチェスター (初代ドニゴール侯爵)|第5代ドニゴール伯爵アーサー・チチェスター]]の支持を受けての当選だった<ref name="DIB" />。1783年の総選挙でも再選した<ref name="UHF" />。
このように当選は後援者のおかげだったものの、その後援者の意思を汲んで庶民院で活動したわけではなく<ref name="DIB" />、代わりに[[ヘンリー・グラタン]]らの{{仮リンク|アイルランド愛国党|en|Irish Patriot Party}}に与し、[[アメリカ独立戦争]]初期より政府に反対したほか、1778年の[[カトリック解放]]法案を支持、1779年の自由貿易論争(グレートブリテンと比較して不利な貿易制限の撤廃を目指す論争<ref>{{Cite web2|language=en|url=https://www.parliament.uk/about/living-heritage/evolutionofparliament/legislativescrutiny/parliamentandireland/overview/meeting-irelands-terms/|title=Meeting Ireland's terms|website=Meeting ireland's terms|access-date=21 October 2023}}</ref>)でアイルランド議会が主導権を握れるよう尽力、1780年には{{仮リンク|アイルランド枢密院|en|Privy Council of Ireland}}のアイルランドにおける議会立法の改正権・否決権の撤廃法案を提出して否決された<ref name="DIB" />。
1781年秋に[[ヨークタウンの戦い]]でのイギリス軍敗北の報せがアイルランドに届いたことでイギリス政府の求心力が弱まり、イェルヴァートンはイギリス政府と交渉して、1781年12月にアイルランド議会がイギリス政府を支持すると表明するよう議案を出し、その代償としてイギリス政府がイェルヴァートンによる{{仮リンク|ポイニングス法|en|Poynings' Law (on certification of acts)}}(アイルランドの立法権を制限する15世紀の法律)の改正に中立にとどまることを約束した<ref name="DIB" />。イェルヴァートンは同12月にポイニングス法改正法案を提出、法案は1782年3月より審議されたが、ヨークタウンの敗戦によるイギリス政府の求心力低下は深刻で、もはやアイルランド議会で反対論を盛り上げる力もなく、法案は可決されアイルランドは立法権を取り戻した<ref name="DIB" />。この法案は一般的には「イェルヴァートン法」({{lang|en|Yelverton's act}})として知られている<ref name="ODNB" />。
=== 官職就任以降 ===
1782年7月に[[ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公爵)|ポートランド公爵]]が[[アイルランド総督 (ロード・レフテナント)|アイルランド総督]]に就任すると、イェルヴァートンは{{仮リンク|アイルランド法務長官|en|Attorney-General for Ireland}}に任命された<ref name="DIB" />。この時代のアイルランド法務長官は庶民院を主導することが求められ、イェルヴァートンのすぐれた演説を期待しての任命とされた<ref name="ODNB" />。しかし「世相に疎い」とも評されており<ref name="ODNB" />、1783年11月に[[ヘンリー・フラッド]]が選挙法改正法案を提出したときにそれに反対したものの<ref name="DIB" />、同年12月には{{仮リンク|アイルランド財務府裁判所主席裁判官|en|Chief Baron of the Irish Exchequer}}に追いやられた<ref name="DNB" />。裁判官としては1797年に[[ユナイテッド・アイリッシュメン]]の{{仮リンク|ウィリアム・オー (ユナイテッド・アイリッシュメン)|en|William Orr (United Irishman)|label=ウィリアム・オー}}に死刑判決を下したことで知られる<ref name="DNB" />。
以降はアイルランド大法官への昇進を狙い<ref name="ODNB" />、1789年の摂政法危機(国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]が精神疾患により政務を執れなかったとき、摂政任命をめぐる政争)ではアイルランドの(グレートブリテンから独立した)摂政任命権の有無について議論があり、グラタンやアイルランドにおける[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]は摂政任命権があると主張し、イェルヴァートンもそれを支持した<ref name="DNB" />。この主張が通るとイェルヴァートンがアイルランド大法官に任命されることは大方の予想だったが、結局失敗に終わった<ref name="ODNB" />。
1794年に{{仮リンク|ウィリアム・フィッツウィリアム (第4代フィッツウィリアム伯爵)|en|William Fitzwilliam, 4th Earl Fitzwilliam|label=フィッツウィリアム伯爵}}がアイルランド総督に就任すると、イェルヴァートンは再び大法官への任命に期待したが<ref name="ODNB" />、1795年6月15日に[[アイルランド貴族]]である[[コーク県]]におけるエイヴォンモアの'''イェルヴァートン男爵'''に叙された程度だった<ref name="Cokayne" />。
[[合同法 (1800年)|1800年合同法]]にも賛成の立場をとったことで<ref name="DNB" />、1800年12月29日<ref name="Cokayne" />/1801年1月1日<ref>{{Cite book2|language=en|last=Sainty|first=John Christopher|author-link=ジョン・セインティ (公務員)|title=Peerage Creations: Chronological Lists of Creations in the Peerages of England and Great Britain 1649–1800 and of Ireland 1603–1898|page=132|date=2008|publisher=The Parliamentary History Yearbook Trust|isbn=978-1-4051-8043-6}}</ref>、アイルランド貴族である[[ティペラリー県]]におけるデリー・アイランドの'''エイヴォンモア子爵'''に叙された<ref name="Cokayne" />。この叙爵にはポートランド公爵が反対したという<ref name="ODNB" />。
1805年8月19日に[[ダブリン県]]フォースフィールド({{lang|en|Forthfield}})で死去、息子{{仮リンク|ウィリアム・イェルヴァートン (第2代エイヴォンモア子爵)|en|William Yelverton, 2nd Viscount Avonmore|label=ウィリアム・チャールズ}}が爵位を継承した<ref name="Cokayne" />。遺体はダブリン近郊の{{仮リンク|ラスファーナム|en|Rathfarnham}}に埋葬された<ref name="ODNB" />。
== 人物 ==
裁判官としての評価はよくなく、『[[英国人名事典]]』では第一印象に判決を左右されやすいと評し<ref name="DNB" />、『[[オックスフォード英国人名事典]]』では公正さを目指したものの判決を急ぎがちと評している<ref name="ODNB" />。
この時代のアイルランド議会は高名な演説者が輩出しており、『英国人名事典』によれば論理はフラッドに、簡潔さはグラタンに、{{仮リンク|パトス|en|Pathos}}(感情を呼び起こす力)は{{仮リンク|ジョン・フィルポット・カラン|en|John Philpot Curran}}に分があったが、力強さはイェルヴァートンが最も優れていたという<ref name="DNB" />。グラタンも[[庶民院 (イギリス)|グレートブリテン庶民院]]における演説でイェルヴァートンの演説の力強さを称えている<ref name="DNB" />。友人関係ではフィルポットの後援者でありながら親しい友人でもあったという<ref name="DNB" />。
[[ヒュー・ダグラス・ハミルトン]]による肖像画がキングス・インズに、{{仮リンク|ジョージ・フランシス・ジョセフ|en|George Francis Joseph}}による肖像画がダブリン大学トリニティ・カレッジに現存する<ref name="DIB" />。
== 家族 ==
1761年7月、メアリー・ニュージェント({{lang|en|Mary Nugent}}、1733年3月28日 – 1802年、ウィリアム・ニュージェントの娘)と結婚<ref name="Cokayne" />、3男1女をもうけた<ref name="DIB" />。
*{{仮リンク|ウィリアム・イェルヴァートン (第2代エイヴォンモア子爵)|en|William Yelverton, 2nd Viscount Avonmore|label=ウィリアム・チャールズ}}(1762年4月5日 – 1814年11月28日) - 第2代エイヴォンモア子爵<ref name="Cokayne" />
*バリー(1763年11月22日 – 1824年5月<ref name="Debrett1847" />)
*{{仮リンク|ウィリアム・アグリオンビー・イェルヴァートン|en|Walter Aglionby Yelverton|label=ウィリアム・アグリオンビー}}(1772年1月26日 – 1824年6月3日) - 1791年11月28日、セシリア・イェルヴァートン({{lang|en|Cecilia Yelverton}}、1801年没、ジョージ・イェルヴァートンの娘)と結婚、子供あり<ref name="Lodge1846">{{Cite book2|language=en|editor-last=Lodge|editor-first=Edmund|editor-link=エドマンド・ロッジ|title=The Peerage of the British Empire as at Present Existing|edition=15th|date=1846|location=London|publisher=Saunders and Otley|page=34|url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=3zEEAAAAQAAJ&pg=PA34}}</ref>
*アン・マリア(1775年9月28日 – 1865年4月27日) - 1791年5月21日、[[ジョン・ビンガム (初代クランモリス男爵)|初代クランモリス男爵ジョン・ビンガム]]と結婚、子供あり<ref>{{Cite book2|editor1-last=Cokayne|editor1-first=George Edward|editor1-link=ジョージ・エドワード・コケイン|editor2-last=Gibbs|editor2-first=Vicary|editor2-link=ヴィカリー・ギブス (セント・オールバンズ選挙区の庶民院議員)|editor3-last=Doubleday|editor3-first=H. Arthur|year=1913|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts)|volume=3|edition=2nd|location=London|publisher=The St. Catherine Press, Ltd.|language=en|page=226|url=https://archive.org/details/completepeerageo03coka/page/226}}</ref>
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
*{{OL author}}
{{S-start}}
{{S-par|ie}}
{{S-bef|before=[[アーサー・ゴア (第2代アラン伯爵)|サッドリー子爵]]|before2=リチャード・ゴア}}
{{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons|label=庶民院}}議員({{仮リンク|ドニゴール・バラ選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Donegal Borough (Parliament of Ireland constituency)|label=ドニゴール・バラ選挙区}}選出)|years=1774年 – 1776年|with=リチャード・ゴア 1774年 – 1776年|with2=[[ジェームズ・カフ (初代ティローリー男爵)|ジェームズ・カフ]] 1776年}}
{{S-aft|after={{仮リンク|ヘンリー・ヴォーン・ブルック|en|Henry Vaughan Brooke}}|after2=[[ジェームズ・カフ (初代ティローリー男爵)|ジェームズ・カフ]]}}
{{S-bef|before=[[ヘンリー・スケッフィントン (第3代マッセリーン伯爵)|ヘンリー・スケッフィントン閣下]]|before2={{仮リンク|ジョージ・ハミルトン (アイルランドの裁判官)|en|George Hamilton (Irish judge)|label=ジョージ・ハミルトン}}}}
{{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons|label=庶民院}}議員({{仮リンク|ベルファスト選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Belfast (Parliament of Ireland constituency)|label=ベルファスト選挙区}}選出)|years=1776年 – 1777年|with=[[ヘンリー・スケッフィントン (第3代マッセリーン伯爵)|ヘンリー・スケッフィントン閣下]]}}
{{S-aft|after=[[ヘンリー・スケッフィントン (第3代マッセリーン伯爵)|ヘンリー・スケッフィントン閣下]]|after2=アレグザンダー・クルックシャンク}}
{{S-bef|before=ジョン・チチェスター|before2=コンウェイ・リチャード・ドブス}}
{{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons|label=庶民院}}議員({{仮リンク|キャリクファーガス選挙区 (アイルランド庶民院)|en|Carrickfergus (Parliament of Ireland constituency)|label=キャリクファーガス選挙区}}選出)|years=1776年 – 1783年|with=コンウェイ・リチャード・ドブス}}
{{S-aft|after=コンウェイ・リチャード・ドブス|after2={{仮リンク|ワデル・カニンガム|en|Waddell Cunningham}}}}
{{S-legal}}
{{S-bef|before={{仮リンク|ジョン・スコット (初代クロンメル伯爵)|en|John Scott, 1st Earl of Clonmell|label=ジョン・スコット}}}}
{{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド法務長官|en|Attorney-General for Ireland}}|years=1782年 – 1783年}}
{{S-aft|after={{仮リンク|ジョン・フィッツギボン (初代クレア伯爵)|en|John FitzGibbon, 1st Earl of Clare|label=ジョン・フィッツギボン}}}}
{{S-bef|before={{仮リンク|ウォルター・ハッシー・バー|en|Walter Hussey Burgh}}}}
{{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド財務府裁判所主席裁判官|en|Chief Baron of the Irish Exchequer}}|years=1783年 – 1805年}}
{{S-aft|after=[[スタンディッシュ・オグレイディ (初代ギラモア子爵)|スタンディッシュ・オグレイディ]]}}
{{S-reg|ie}}
{{S-new|rows=2|creation}}
{{S-ttl|title=[[エイヴォンモア子爵]]|years=1801年 – 1805年}}
{{S-aft|rows=2|after={{仮リンク|ウィリアム・イェルヴァートン (第2代エイヴォンモア子爵)|en|William Yelverton, 2nd Viscount Avonmore|label=ウィリアム・チャールズ・イェルヴァートン}}}}
{{S-ttl|title=[[イェルヴァートン男爵]]|years=1795年 – 1805年}}
{{S-end}}
{{Authority control}}
{{DEFAULTSORT:えいうおんもあ01}}
[[Category:アイルランドの裁判官]]
[[Category:アイルランドの弁護士]]
[[Category:ドニゴール県選出のアイルランド庶民院議員]]
[[Category:アントリム県選出のアイルランド庶民院議員]]
[[Category:アイルランドの枢密顧問官]]
[[Category:ミドル・テンプル出身の人物]]
[[Category:ダブリン大学トリニティ・カレッジ出身の人物]]
[[Category:1736年生]]
[[Category:1805年没]] | 2023-10-21T14:26:11Z | 2023-11-28T14:17:13Z | false | false | false | [
"Template:Cite encyclopedia",
"Template:S-start",
"Template:S-ttl",
"Template:S-aft",
"Template:S-legal",
"Template:S-end",
"Template:S-reg",
"Template:Authority control",
"Template:Lang-en",
"Template:Post-nominals",
"Template:仮リンク",
"Template:Cite ODNB",
"Template:Cite book2",
"Template:S-bef",
"Template:Lang",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web2",
"Template:OL author",
"Template:S-new",
"Template:Cite DNB",
"Template:Cite EB1911",
"Template:S-par"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3_(%E5%88%9D%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%A2%E5%AD%90%E7%88%B5) |
4,844,814 | 南野津村 | 南野津村(みなみのつむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市、豊後大野市の一部にあたる。
大野川支流・三重川、野津川にはさまれた山間部に位置していた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "南野津村(みなみのつむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市、豊後大野市の一部にあたる。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "大野川支流・三重川、野津川にはさまれた山間部に位置していた。",
"title": "地理"
}
] | 南野津村(みなみのつむら)は、大分県大野郡にあった村。現在の臼杵市、豊後大野市の一部にあたる。 | {{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1955年3月28日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = 野津町、[[川登村]]、'''南野津村''' → [[野津町]]
| 現在の自治体 = [[臼杵市]]、[[豊後大野市]]
| よみがな = みなみのつむら
| 自治体名 = 南野津村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 大分県
| 郡 = [[大野郡 (大分県)|大野郡]]
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 4465
| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1950年
| 隣接自治体 = [[三重町]]、[[戸上村]]、野津町、川登村、[[南海部郡]][[因尾村]]
| 所在地 = 大野郡南野津村大字吉田
| 座標 =
| 位置画像 =
| 特記事項 =
}}
'''南野津村'''(みなみのつむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[大野郡 (大分県)|大野郡]]にあった[[村]]。現在の[[臼杵市]]、[[豊後大野市]]の一部にあたる。
== 地理 ==
[[大野川]]支流・三重川、野津川にはさまれた山間部に位置していた{{R|角川}}。
== 歴史 ==
*[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、大野郡西畑村、秋山村、東谷村、吉田村、前河内村が合併して村制施行し、'''南野津村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』764頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』790頁。</ref>。旧村名を継承した西畑、秋山、東谷、吉田、前河内の5大字を編成{{R|角川}}。
*[[1955年]](昭和30年)3月28日、大野郡野津町、川登村と合併し'''[[野津町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。
== 産業 ==
*農業、林業、畜産業{{R|角川}}
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県
* 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
== 関連項目 ==
* [[大分県の廃止市町村一覧]]
{{デフォルトソート:みなみのつむら}}
[[Category:大野郡 (大分県)]]
[[Category:臼杵市域の廃止市町村]]
[[Category:豊後大野市域の廃止市町村]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年廃止の日本の市町村]] | 2023-10-21T14:27:24Z | 2023-10-21T14:27:24Z | false | false | false | [
"Template:日本の町村 (廃止)",
"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%87%8E%E6%B4%A5%E6%9D%91 |
4,844,818 | 稲垣嗣夫 | 稲垣 嗣夫(いながき つぐお、1942年〈昭和17年〉3月11日 - )は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。
兵庫県出身。19764年に甲南大学理学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。1991年に取締役に就任し、1994年2月に常務、1995年2月に専務を経て、2003年2月に社長に就任。2008年2月に会長に就任。2018年に兵庫県功労者表彰を受賞。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "稲垣 嗣夫(いながき つぐお、1942年〈昭和17年〉3月11日 - )は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "兵庫県出身。19764年に甲南大学理学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。1991年に取締役に就任し、1994年2月に常務、1995年2月に専務を経て、2003年2月に社長に就任。2008年2月に会長に就任。2018年に兵庫県功労者表彰を受賞。",
"title": "来歴・人物"
}
] | 稲垣 嗣夫は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 | '''稲垣 嗣夫'''(いながき つぐお、[[1942年]]〈[[昭和]]17年〉[[3月11日]] - )は、日本の[[経営者]]。[[神戸新聞社]]社長を務めた。
== 来歴・人物 ==
[[兵庫県]]出身{{Sfn|『人事興信録』第45版:上|p=い250}}。[[1964年]]に[[甲南大学]]理学部を卒業し、同年に[[神戸新聞社]]に入社した{{Sfn|『人事興信録』第45版:上|p=い250}}。[[1991年]]に取締役に就任し、[[1994年]]2月に常務、[[1995年]]2月に専務を経て、[[2003年]]2月に社長に就任{{Sfn|『人事興信録』第45版:上|p=い250}}。[[2008年]]2月に会長に就任{{Sfn|『人事興信録』第45版:上|p=い250}}。[[2018年]]に兵庫県功労者表彰を受賞<ref>[https://www.konan-u.ac.jp/news/archives/19770 【神戸新聞:5/3】兵庫県功労者表彰で学園関係者が受賞|大学総合|ニュース|甲南大学]</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=人事興信録|others=興信データ株式會社|publisher=興信データ|edition=45|number=上|date=2009|ref={{SfnRef|『人事興信録』第45版:上}}}}
{{people-stub}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:いなかき つくお}}
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:神戸新聞社の人物]]
[[Category:甲南大学出身の人物]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1942年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T14:34:40Z | 2023-10-21T14:34:59Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:People-stub",
"Template:Normdaten",
"Template:Sfn"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E5%97%A3%E5%A4%AB |
4,844,819 | カイレン・ウィリアムズ | カイレン・ローレンス・ウィリアムズ(Kyren Lawrence Williams, 2000年8月26日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのロサンゼルス・ラムズに所属している。ポジションはランニングバック。
ノートルダム大学に進学し、1年目の2019年シーズンは4試合に出場した。
2020年シーズンから先発を務め、1,125ラン獲得ヤード、13のラッシングTD、35レシーブ、313レシーブ獲得ヤード、1つのレシービングTDを記録した。
2021年シーズンは1,002ラン獲得ヤード、14のラッシングTD、42レシーブ、359レシーブ獲得ヤード、3つのレシービングTDを記録した。シーズン終了後、2022年のNFLドラフトにアーリーエントリーした。
2022年のNFLドラフトにて全体164位でロサンゼルス・ラムズから指名され、その後ルーキー契約を結んだ。
シーズン開幕前、2022年6月7日の練習中に足を骨折し、手術を受けた。
開幕後、9月28日の試合で足首を捻挫して離脱した。11月12日に復帰した。このシーズンは139ラン獲得ヤード、9レシーブ、76レシーブ獲得ヤードを記録した。
第6週のアリゾナ・カージナルス戦で158ラン獲得ヤード、1つのラッシングTDを記録し、勝利に貢献した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "カイレン・ローレンス・ウィリアムズ(Kyren Lawrence Williams, 2000年8月26日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのロサンゼルス・ラムズに所属している。ポジションはランニングバック。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ノートルダム大学に進学し、1年目の2019年シーズンは4試合に出場した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2020年シーズンから先発を務め、1,125ラン獲得ヤード、13のラッシングTD、35レシーブ、313レシーブ獲得ヤード、1つのレシービングTDを記録した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2021年シーズンは1,002ラン獲得ヤード、14のラッシングTD、42レシーブ、359レシーブ獲得ヤード、3つのレシービングTDを記録した。シーズン終了後、2022年のNFLドラフトにアーリーエントリーした。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2022年のNFLドラフトにて全体164位でロサンゼルス・ラムズから指名され、その後ルーキー契約を結んだ。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "シーズン開幕前、2022年6月7日の練習中に足を骨折し、手術を受けた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "開幕後、9月28日の試合で足首を捻挫して離脱した。11月12日に復帰した。このシーズンは139ラン獲得ヤード、9レシーブ、76レシーブ獲得ヤードを記録した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "第6週のアリゾナ・カージナルス戦で158ラン獲得ヤード、1つのラッシングTDを記録し、勝利に貢献した。",
"title": "経歴"
}
] | カイレン・ローレンス・ウィリアムズは、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのロサンゼルス・ラムズに所属している。ポジションはランニングバック。 | {{Infobox NFLplayer
|選手名 = カイレン・ウィリアムズ
|欧文表記 = Kyren Williams
|写真ファイル名 = Kyren Williams (2021).jpg
|写真サイズ = 250
|キャプション = [[ノートルダム大学]]でのウィリアムズ<br>(2021年)
|現所属チーム = ロサンゼルス・ラムズ
|背番号 = 23
|役職 =
|ポジション = [[ランニングバック]]
|他のポジション =
|生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|8|26}}
|没年月日 = <!--{{死亡年月日と没年齢||||||}}-->
|出身国 = USA
|出身地 = [[ミズーリ州]][[セントルイス]]
|身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|5|9}}
|体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|208}}
|高校 = セントジョン・ビアニー高等学校
|大学 = [[ノートルダム大学]]
|ドラフト年 = 2022
|巡目 = 5
|全体 = 164
|所属年1 = [[2022年のNFL|2022]]-
|所属1 = [[ロサンゼルス・ラムズ]]
|その他受賞 =
* オールアメリカンセカンドチーム - [[スポーティングニュース|SN]] (2021)
* [[アトランティック・コースト・カンファレンス|ACC]]新人王 (2020)
* ACC攻撃部門新人王 (2020)
* オールACCセカンドチーム (2020)
|年度 = 2022年
|成績名1 = ラン獲得ヤード
|成績値1 = 139
|成績名2 = 平均ラン獲得ヤード
|成績値2 = 4.0
|成績名3 = ラッシング[[タッチダウン|TD]]
|成績値3 =
|成績名4 = レシーブ数
|成績値4 = 9
|成績名5 = レシーブ獲得ヤード
|成績値5 = 76
|成績名6 = レシービングTD
|成績値6 =
|NFL殿堂 =
|カレッジフットボール殿堂 =
|nfl = kyren-williams
|pfr = WillKy02
}}
'''カイレン・ローレンス・ウィリアムズ'''('''Kyren Lawrence Williams''', [[2000年]][[8月26日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ミズーリ州]][[セントルイス]]出身のプロ[[アメリカンフットボール]]選手。[[NFL]]の[[ロサンゼルス・ラムズ]]に所属している。ポジションは[[ランニングバック]]。
== 経歴 ==
=== カレッジ ===
[[ノートルダム大学]]に進学し、1年目の2019年シーズンは4試合に出場した。
2020年シーズンから先発を務め、1,125ラン獲得ヤード、13のラッシングTD、35レシーブ、313レシーブ獲得ヤード、1つのレシービングTDを記録した<ref>{{Cite web |title=BenFred: Breakout season at Notre Dame puts St. Louis local Williams in mix for 2021 Heisman |url=https://www.stltoday.com/sports/college/benfred-breakout-season-at-notre-dame-puts-st-louis-local-williams-in-mix-for-2021/article_62d757f0-38b5-5f01-8231-327258cdeda1.html |website=STLtoday.com |date=2021-01-09 |access-date=2023-10-21 |language=en |first=Ben |last=Frederickson}}</ref>。
2021年シーズンは1,002ラン獲得ヤード、14のラッシングTD、42レシーブ、359レシーブ獲得ヤード、3つのレシービングTDを記録した。シーズン終了後、[[2022年のNFLドラフト]]に[[アーリーエントリー]]した<ref>{{Cite web |title=Notre Dame RB Kyren Williams declares for 2022 NFL draft, will skip bowl game |url=https://draftwire.usatoday.com/2021/12/10/nfl-news-draft-notre-dame-kyren-williams-declares-skip-bowl-game/ |website=The Draft Wire |date=2021-12-11 |access-date=2023-10-21 |language=en-US}}</ref>。
==== 個人成績 ====
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
! colspan="14" style="{{CollegePrimaryStyle|Notre Dame Fighting Irish}}"| ノートルダム
|-
! rowspan="2"| シーズン
! colspan="2"| 試合
! colspan="5"| ラン
! colspan="5"| レシーブ
|-
! GP !! GS !! Att !! Yds !! Avg !! Lng !! TD !! Rec !! Yds !! Avg !! Lng !! TD
|-
! 2019
| 4 || 0 || 4 || 26 || '''6.5''' || 14 || 0 || 1 || 3 || 3.0 || 3 || 0
|-
! 2020
| '''12''' || '''12''' || '''211''' || '''1,125''' || 5.3 || 65 || 13 || 35 || 313 || '''8.9''' || '''75''' || 1
|-
! 2021
| '''12''' || '''12''' || 204 || 1,002 || 4.9 || '''91''' || '''14''' || '''42''' || '''359''' || 8.5 || 55 || '''3'''
|-
! |[https://www.sports-reference.com/cfb/players/kyren-williams-1.html 通算] || 28 || 24 || 419 || 2,153 || 5.1 || 91 || 27 || 78 || 675 || 8.7 || 75 || 4
|}
=== ロサンゼルス・ラムズ ===
{{NFL predraft
| height ft = 5
| height in = 9 1/4
| weight = 194
| dash = 4.65
| ten split = 1.57
| twenty split = 2.69
| shuttle = 4.33
| cone drill = 7.07
| vertical = 32.0
| broad ft = 9
| broad in = 8
| bench =
| arm span = 28 5/8
| hand span = 9
| wonderlic =
| note = All values from NFL Combine/Pro Day<ref>{{cite web |url=https://www.nfl.com/prospects/kyren-williams/32005749-4c41-5359-809b-caeaa1db84d0 |title=Kyren Williams Draft and Combine Prospect Profile |website=NFL.com |access-date=2023-10-21}}</ref><ref>{{cite web |url=https://draftscout.com/dsprofile.php?PlayerId=1029867&DraftYear=2022 |title=Kyren Williams, Notre Dame, RB, 2022 NFL Draft Scout, NCAA College Football |website=draftscout.com |access-date=2023-10-21}}</ref>
}}
[[2022年のNFLドラフト]]にて全体164位で[[ロサンゼルス・ラムズ]]から指名され、その後ルーキー契約を結んだ<ref>{{Cite web |title=Rams select RB Kyren Williams with 164th pick in the 2022 NFL Draft |url=https://www.therams.com/news/kyren-williams-nfl-draft-running-back-notre-dame |website=www.therams.com |access-date=2023-10-21 |language=en-US}}</ref>。
==== 2022年シーズン ====
シーズン開幕前、2022年6月7日の練習中に足を骨折し、手術を受けた<ref>{{Cite web |title=Sean McVay Announces Rams Rookie Suffered Broken Foot |url=https://www.si.com/nfl/2022/06/07/sean-mcvay-rams-rookie-running-back-kyren-williams-broken-foot |website=Sports Illustrated |date=2022-06-07 |access-date=2023-10-21 |language=en-us |first=Zach |last=Koons}}</ref>。
開幕後、9月28日の試合で足首を捻挫して離脱した<ref>{{Cite web |title=McVay: Kyren Williams suffered high ankle sprain which will require surgery and sideline him for 6-8 weeks, plus updates on Brian Allen, Joe Noteboom and Matthew Orzech |url=https://www.therams.com/news/kyren-williams-injury-update-bills-high-ankle-sprain-brian-allen-joe-noteboom |website=www.therams.com |access-date=2023-10-21 |language=en-US}}</ref>。11月12日に復帰した。このシーズンは139ラン獲得ヤード、9レシーブ、76レシーブ獲得ヤードを記録した<ref>{{Cite web |title=Kyren Williams Stats, Height, Weight, Position, Draft, College |url=https://www.pro-football-reference.com/players/W/WillKy02.htm |website=Pro-Football-Reference.com |access-date=2023-10-21 |language=en}}</ref>。
==== 2023年シーズン ====
第6週の[[アリゾナ・カージナルス]]戦で158ラン獲得ヤード、1つのラッシングTDを記録し、勝利に貢献した。
== 詳細情報 ==
=== 年度別成績 ===
==== レギュラーシーズン ====
{| class= "wikitable" style="text-align:center;"
|-
! rowspan="2"| シーズン
! rowspan="2"| チーム
! colspan="2"| 試合
! colspan="5"| ラン
! colspan="5"| レシーブ
! colspan="2"| ファンブル
|-
! GP !! GS !! Att !! Yds !! Avg !! Lng !! TD !! Rec !! Yds !! Avg !! Lng !! TD !! Fum !! Lost
|-
! [[2022年のNFL|2022]] !! rowspan=1|[[ロサンゼルス・ラムズ|LAR]]
| 10 || 0 || 35 || 139 || 4.0 || 17 || 0 || 9 || 76 || 8.4 || 15 || 0 || 0 || 0
|-
! colspan="2" | [https://www.pro-football-reference.com/players/W/WillKy02.htm 通算]
| 10 || 0 || 35 || 139 || 4.0 || 17 || 0 || 9 || 76 || 8.4 || 15 || 0 || 0 || 0
|}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{commons category}}
{{footballstats|pfr=W/WillKy02}}
* [https://www.therams.com/team/players-roster/kyren-williams/ Los Angeles Rams bio]
* [https://und.com/roster/kyren-williams-2/ Notre Dame Fighting Irish bio]
{{ロサンゼルス・ラムズ ロースター|state=collapsed}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ういりあむす かいれん}}
[[Category:NFL選手]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]]
[[Category:アメリカンフットボールのランニングバック]]
[[Category:ノートルダム大学出身のアメリカンフットボール選手]]
[[Category:ロサンゼルス・ラムズの選手]]
[[Category:セントルイス出身の人物]]
[[Category:2000年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T14:35:03Z | 2023-10-21T14:46:02Z | false | false | false | [
"Template:Footballstats",
"Template:ロサンゼルス・ラムズ ロースター",
"Template:Normdaten",
"Template:Infobox NFLplayer",
"Template:NFL predraft",
"Template:Reflist",
"Template:Commons category"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA |
4,844,824 | 石田裕揮 | 石田 裕揮(いしだ ひろき)は、日本の漫画家、イラストレーター。イラストレーターとしては「ガガイモ」名義で活動している。
『明日ちゃんのセーラー服』にも共通する、人物の日常を切り抜いた細かな仕草の描写を得意とする。石田は同作に触れて強い衝撃を受けたことを明かしている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "石田 裕揮(いしだ ひろき)は、日本の漫画家、イラストレーター。イラストレーターとしては「ガガイモ」名義で活動している。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "『明日ちゃんのセーラー服』にも共通する、人物の日常を切り抜いた細かな仕草の描写を得意とする。石田は同作に触れて強い衝撃を受けたことを明かしている。",
"title": "特徴"
}
] | 石田 裕揮は、日本の漫画家、イラストレーター。イラストレーターとしては「ガガイモ」名義で活動している。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 石田 裕揮
| ふりがな = いしだ ひろき
| 別名義 = ガガイモ{{R|prtimes20220916}}
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 =
| 生地 =
| 国籍 = <!-- [[日本]] 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
| 生年 =
| 没年 =
| 職業 = [[漫画家]]
| 活動期間 =
| ジャンル =
| 代表作 = <!-- 「代表作を挙げた出典」に基づき記載 -->
| 受賞 = <!-- 出版社の賞など。新人賞については基本的に記載しません -->
| 公式サイト =
}}
'''石田 裕揮'''(いしだ ひろき)は、日本の[[漫画家]]{{R|prtimes20220916}}、[[イラストレーター]]<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/comic/news/358234 |title=現代のイラストレーター150人紹介する「ILLUSTRATION 2020」発売 |newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher=ナターシャ |date=2019-12-05 |accessdate=2023-10-21}}</ref>。{{要出典範囲|date=2023-10-22|イラストレーターとしては}}「'''ガガイモ'''」名義で活動している<ref name="prtimes20220916">{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003737.000018131.html|title=【ガガイモ×ヴィレッジヴァンガード】〜コラボグッズ発売決定!!〜|website=PR TIMES|date=2022-09-16|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
== 来歴 ==
2019年10月、『[[ハルタ (漫画誌)|ハルタ]]』([[KADOKAWA]])Vol.68より風呂とランニングを題材とした『ふろラン』の連載を開始し{{R|natalie20191015}}、2021年10月にVol.88にて完結を迎える{{R|natalie20211015}}。
== 作風 ==
『[[明日ちゃんのセーラー服]]』にも共通する、人物の日常を切り抜いた細かな仕草の描写を得意とする。石田は同作に触れて強い衝撃を受けたことを明かしている<ref>{{Cite web |和書|url=https://myjitsu.jp/enta/archives/104981 |title=ヤンマガ読切“ジェネリック明日ちゃん”に賛否! 漫画家を狂わせる濃密フェチ漫画 |publisher=[[日本ジャーナル出版]] |date=2022-06-10 |accessdate=2023-10-21}}</ref>。
== 作品リスト ==
=== 連載 ===
* ふろラン(『ハルタ』Vol.68<ref name="natalie20191015">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/351533|title=走る&お風呂の快感「ふろラン」、女子の裏の顔描く「LADY ARTI」ハルタ新連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-10-15|accessdate=2023-10-22}}</ref> - Vol.88<ref name="natalie20211015">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/449524|title=クラスメイトは全員動物?しりもとの学園コメディ「ようこそにんげん」、ハルタで|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-10-15|accessdate=2023-10-22}}</ref>、[[KADOKAWA]]、全2巻)
=== 読み切り ===
* タイトル不明(『ハルタ』Vol.56特典小冊子『変身フェローズ』<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/291179|title=原鮎美が2つの顔持つヒロイン引き連れハルタ帰還、付録は「ヒナまつり」かるた後編|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-07-14|accessdate=2023-10-22}}</ref>)
* 鯉系女子〜リケジョ〜(『ハルタ』Vol.61<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/320118|title=森薫のメイド愛が爆発!約1年ぶり「シャーリー」、描き下ろしポスターなどハルタに|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-02-15|accessdate=2023-10-22}}</ref>)
* 七海ちゃんは待ち焦がれる(『[[週刊ヤングマガジン]]』2022年27号<ref>{{Cite web|和書|url=https://magazine.yanmaga.jp/ym/2022/2022-27.html|title=ヤングマガジン27号|website=ヤングマガジン公式サイト|publisher=講談社|accessdate=2023-10-22}}</ref>)
=== その他 ===
* 『ハルタ』Vol.67 - カバーイラスト<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/343267|title=入江亜季、九井諒子らが描き下ろし!ハルタ付録に“おおきいすてきポストカード”|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-08-10|accessdate=2023-10-22}}</ref>
* キドジロウ『嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい 〜余はパンツが見たいぞ〜』第1巻付属『嫌な顔されながらスペシャルなおパンツ見せてもらいたいイラスト小冊子』(2019年9月<ref name="natalie20190919">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/348257|title=「嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい」1巻、小冊子の特典も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-09-19|accessdate=2023-10-22}}</ref>) - イラストとコメント収録、ガガイモ名義{{R|natalie20190919}}
* ハルタぬり絵帳(『ハルタ』Vol.80<ref name="natalie20201215">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/408917|title=ハルタぬり絵大会開催!冨明仁、長蔵ヒロコ、九井諒子らと“合作”できるぬりえ帳|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-12-15|accessdate=2023-10-22}}</ref>) - ぬり絵用イラスト掲載{{R|natalie20201215}}
* たーぼえんじん『女騎士とケモミミの子』第1巻応援イラスト(2022年9月<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/492807|title=種族を超えた師弟の絆、殺伐とした世界を2人で生きる「女騎士とケモミミの子」1巻|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-08|accessdate=2023-10-22}}</ref>)
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|gagaimo_man|ガガイモ/石田}}
{{DEFAULTSORT:いした ひろき}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:日本のイラストレーター]]
[[Category:生年未記載]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T14:42:44Z | 2023-10-22T05:46:56Z | false | false | false | [
"Template:Twitter",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E8%A3%95%E6%8F%AE |
4,844,827 | いるか座ガンマ星 | いるか座γ星(いるかざガンマせい、γ Delphini、γ Del)は、いるか座γ星といるか座γ星の2つの恒星からなる、いるか座の二重星である。2つの恒星は、物理的に結び付いた真の連星と考えられる。2つの恒星の色の対比に特徴がある二重星で、観望対象として人気がある。合成等級は3.87と、肉眼でもみえる明るさである。
いるか座α星、β星、γ星、δ星の4つの恒星からなるひし形のアステリズムは、「ヨブの棺」と呼ばれ、いるか座γ星はその中で北東の頂点を担っている。
中国では、いるか座γ星はヒョウタンを意味する瓠瓜(拼音: Hù Guā)という星官を、いるか座α星、いるか座δ星、いるか座β星、いるか座ζ星(英語版)と共に形成する。いるか座γ星自身は、瓠瓜二(拼音: Hù Guā èr)すなわち瓠瓜の2番星と呼ばれる。
年周視差に基づいているか座γ星の太陽からの距離を計算すると、約116光年となる。また、いるか座γ星は、ウォルフ630(英語版)運動星団の一員ではないかともいわれる。
いるか座γ星が二重星であることを最初に記録したのは、ヴィルヘルム・シュトルーヴェといわれ、現代の重星カタログにはそのことを示すカタログ名(STF 2727)が記載されている。しかし、18世紀にクリスチャン・マイヤーや、ウィリアム・ハーシェルが発表した二重星カタログにも、いるか座γ星が二重星であるという記述がある。
いるか座γ星は、小望遠鏡でも容易に分解できる魅力的な二重星で、アルビレオ、アルマクなどの有名どころの二重星に次いで人気がある。2つの恒星の色の対比に特徴があり、データ的にはγ星が黄色、γ星が(黄)白色で、色の違いは微妙だが、2つ並べてみると観測者によって捉え方は様々で、特に暗い方のγ星は、エメラルド、灰色、灰色がかった薄紫、緑がかった薄紫、くすんだ黄緑、くすんだ青など様々に記録されており、緑がかってみえることが多いようである。
γ星とγ星は、200年にわたって監視され、共通する固有運動の下にある物理的に結びついた連星であると考えられている。相対位置の変化から、軌道要素も近似的に求められており、軌道長半径はおよそ450 au、離心率は0.9にもなる極端な楕円軌道をとり、最接近時は連星間距離が38 auにまで縮まり、軌道周期はおよそ5,200年と見積もられる。
主星のγ星は、スペクトル型がK1 IVに分類される橙色準巨星で、質量は太陽の約1.72倍、半径は太陽の約6.43倍、表面の有効温度は4,900 K程度と推定される。伴星のγ星は、スペクトル型がF7 Vに分類されるF型主系列星で、質量は太陽の約1.57倍、半径は太陽の約2.21倍、表面の有効温度は6,300 K程度と推定される。質量の違いはそう大きくないが、主系列段階のγに対して、γ星は巨星への進化の途についており、γも遠くない将来に主系列段階を終えると考えられる。年齢は、およそ22億年と推定されている。
γ星は、視線速度の精密な測定から、1.44年の変動周期が検出されている。周期が発生する原因として、蓋然性の高い仮説は、脈動、自転、惑星の存在が挙げられる。推定されるγ星の質量、半径、視線速度(vsini=2.9km/s)からすると、1.44年という周期は脈動や自転で生じる基礎的な周期よりずっと長く、その差を埋める仕組みを考え出す必要がある一方、惑星が存在するとすれば説明は可能である。仮定上の惑星は、質量が木星の7割以上、軌道長半径は1.5 auと見積もられ、この軌道であれば、γの重力の影響があっても安定して存在しうる。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "いるか座γ星(いるかざガンマせい、γ Delphini、γ Del)は、いるか座γ星といるか座γ星の2つの恒星からなる、いるか座の二重星である。2つの恒星は、物理的に結び付いた真の連星と考えられる。2つの恒星の色の対比に特徴がある二重星で、観望対象として人気がある。合成等級は3.87と、肉眼でもみえる明るさである。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "いるか座α星、β星、γ星、δ星の4つの恒星からなるひし形のアステリズムは、「ヨブの棺」と呼ばれ、いるか座γ星はその中で北東の頂点を担っている。",
"title": "位置"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "中国では、いるか座γ星はヒョウタンを意味する瓠瓜(拼音: Hù Guā)という星官を、いるか座α星、いるか座δ星、いるか座β星、いるか座ζ星(英語版)と共に形成する。いるか座γ星自身は、瓠瓜二(拼音: Hù Guā èr)すなわち瓠瓜の2番星と呼ばれる。",
"title": "位置"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "年周視差に基づいているか座γ星の太陽からの距離を計算すると、約116光年となる。また、いるか座γ星は、ウォルフ630(英語版)運動星団の一員ではないかともいわれる。",
"title": "位置"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "いるか座γ星が二重星であることを最初に記録したのは、ヴィルヘルム・シュトルーヴェといわれ、現代の重星カタログにはそのことを示すカタログ名(STF 2727)が記載されている。しかし、18世紀にクリスチャン・マイヤーや、ウィリアム・ハーシェルが発表した二重星カタログにも、いるか座γ星が二重星であるという記述がある。",
"title": "外見"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "いるか座γ星は、小望遠鏡でも容易に分解できる魅力的な二重星で、アルビレオ、アルマクなどの有名どころの二重星に次いで人気がある。2つの恒星の色の対比に特徴があり、データ的にはγ星が黄色、γ星が(黄)白色で、色の違いは微妙だが、2つ並べてみると観測者によって捉え方は様々で、特に暗い方のγ星は、エメラルド、灰色、灰色がかった薄紫、緑がかった薄紫、くすんだ黄緑、くすんだ青など様々に記録されており、緑がかってみえることが多いようである。",
"title": "外見"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "γ星とγ星は、200年にわたって監視され、共通する固有運動の下にある物理的に結びついた連星であると考えられている。相対位置の変化から、軌道要素も近似的に求められており、軌道長半径はおよそ450 au、離心率は0.9にもなる極端な楕円軌道をとり、最接近時は連星間距離が38 auにまで縮まり、軌道周期はおよそ5,200年と見積もられる。",
"title": "星系"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "主星のγ星は、スペクトル型がK1 IVに分類される橙色準巨星で、質量は太陽の約1.72倍、半径は太陽の約6.43倍、表面の有効温度は4,900 K程度と推定される。伴星のγ星は、スペクトル型がF7 Vに分類されるF型主系列星で、質量は太陽の約1.57倍、半径は太陽の約2.21倍、表面の有効温度は6,300 K程度と推定される。質量の違いはそう大きくないが、主系列段階のγに対して、γ星は巨星への進化の途についており、γも遠くない将来に主系列段階を終えると考えられる。年齢は、およそ22億年と推定されている。",
"title": "星系"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "γ星は、視線速度の精密な測定から、1.44年の変動周期が検出されている。周期が発生する原因として、蓋然性の高い仮説は、脈動、自転、惑星の存在が挙げられる。推定されるγ星の質量、半径、視線速度(vsini=2.9km/s)からすると、1.44年という周期は脈動や自転で生じる基礎的な周期よりずっと長く、その差を埋める仕組みを考え出す必要がある一方、惑星が存在するとすれば説明は可能である。仮定上の惑星は、質量が木星の7割以上、軌道長半径は1.5 auと見積もられ、この軌道であれば、γの重力の影響があっても安定して存在しうる。",
"title": "星系"
}
] | いるか座γ星は、いるか座γ1星といるか座γ2星の2つの恒星からなる、いるか座の二重星である。2つの恒星は、物理的に結び付いた真の連星と考えられる。2つの恒星の色の対比に特徴がある二重星で、観望対象として人気がある。合成等級は3.87と、肉眼でもみえる明るさである。 | {{天体 基本
| 色 = 恒星
| 和名 = いるか座γ星
| 英名 = [[:en:Gamma Delphini|γ Delphini]]
| 画像ファイル = Gamma Delphini.png
| 星座 = [[いるか座]]
}}
{{天体 位置
| 色 = 恒星
| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|20|46|39.39048}}{{R|simbad}}
| 赤緯 = {{DEC|+16|07|27.6456}}{{R|simbad}}
| 星図位置画像 = Delphinus constellation map.svg
| 位置画像left = 30
| 位置画像top = 26
| 画像説明 = いるか座γ星の位置(赤丸)
}}
{{天体 物理
| 色 = 恒星
| 年齢 = 2.2 {{e|9}} [[年]]{{R|ivl99}}
}}
{{天体 軌道
| 色 = 恒星
| 軌道長半径 = 450 [[天文単位|au]]{{R|ivl99}}
| 近点距離 = 38 au{{R|ivl99}}
| 遠点距離 =
| 離心率 = 0.916 ± 0.021{{R|ivl99}}
| 軌道周期 = 5,200 年{{R|ivl99}}
| 軌道傾斜角 = 137 ± 10 [[度 (角度)|度]]{{R|ivl99}}
}}
{{天体 別名称
| 色 = 恒星
| 別名称 = いるか座12番星{{R|kostjuk04}}、ADS 14279, [[フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ|STF]] 2727{{R|simbad}}
}}
{{天体 終了|恒星}}
{{天体 基本
| 色 = 恒星
| 和名 = いるか座γ<sup>2</sup>星
| 視等級 = 4.27{{R|bsc5}}
}}
{{天体 位置
| 色 = 恒星
| 視線速度 = -6.17 km/s{{R|simbad_2}}
| 固有運動 = 赤経: -30.476 [[秒 (角度)|ミリ秒]]/[[年]]{{R|simbad_2}}<br />赤緯: -197.504 ミリ秒/年{{R|simbad_2}}
| parallax = 28.1359
| p_error = 0.1445
| parallax_footnote = {{R|simbad_2}}
| 絶対等級 =
}}
{{天体 物理
| 色 = 恒星
| 半径 = 6.43 [[太陽半径|''R''<sub>☉</sub>]]{{R|ivl99}}
| 質量 = 1.72 [[太陽質量|''M''<sub>☉</sub>]]{{R|ivl99}}
| 表面重力log = 2.98 ± 0.13 [[CGS単位系|cgs]]{{R|cr12}}
| 自転速度 = 2.9 km/s{{R|toyota09}}
| スペクトル分類 = K1 IV{{R|bsc5}}
| 光度 =
| 有効温度 = 4,889 ± 56 [[ケルビン|K]]{{R|cr12}}
| 色指数_BV = 1.04{{R|bsc5}}
| 色指数_UB = 0.97{{R|bsc5}}
| 色指数_RI = 0.48{{R|bsc5}}
| 金属量 = 0.12 ± 0.07{{R|cr12}}
}}
{{天体 別名称
| 色 = 恒星
| 別名称 = [[掃天星表|BD]]+15 4255A, [[基本星表|FK5]] 1541, [[ヘンリー・ドレイパーカタログ|HD]] 197964, [[ヒッパルコス星表|HIP]] 102532, [[輝星星表|HR]] 7948, IRC +20482, LSPM J2046+1607E, LTT 16076, [[スミソニアン天文台星表|SAO]] 106476{{R|simbad_2}}
}}
{{天体 終了|恒星}}
{{天体 基本
| 色 = 恒星
| 和名 = いるか座γ<sup>1</sup>星
| 視等級 = 5.14{{R|bsc5}}
}}
{{天体 位置
| 色 = 恒星
| 視線速度 = -6.97 km/s{{R|simbad_1}}
| 固有運動 = 赤経: -11.702 ミリ秒/年{{R|simbad_1}}<br />赤緯: -203.994 ミリ秒/年{{R|simbad_1}}
| parallax = 27.8884
| p_error = 0.0887
| parallax_footnote = {{R|simbad_1}}
| 絶対等級 =
}}
{{天体 物理
| 色 = 恒星
| 半径 = 2.21 ''R''<sub>☉</sub>{{R|ivl99}}
| 質量 = 1.57 ''M''<sub>☉</sub>{{R|ivl99}}
| 表面重力log = 3.71 ± 0.08 cgs{{R|cr12}}
| 自転速度 = 6.1 km/s{{R|toyota09}}
| スペクトル分類 = F7 V{{R|bsc5}}
| 光度 =
| 有効温度 = 6,307 ± 61 K{{R|cr12}}
| 色指数_BV = 0.49{{R|bsc5}}
| 色指数_UB = 0.08{{R|bsc5}}
| 金属量 = 0.11 ± 0.05{{R|cr12}}
}}
{{天体 重星
| 色 = 恒星
| 主星 = いるか座γ<sup>2</sup>星
| 元期 = 2012.705 年{{R|mhh13}}
| 位置角 = 265.7 度{{R|mhh13}}
| 角距離 = 8.99 秒{{R|mhh13}}
}}
{{天体 別名称
| 色 = 恒星
| 別名称 = BD+15 4255B, HD 197963, HIP 102531, HR 7947, LSPM J2046+1607W, LTT 16077, SAO 106475{{R|simbad_1}}
}}
{{天体 終了|恒星}}
'''いるか座γ星'''(いるかざガンマせい、γ Delphini、γ Del)は、'''いるか座γ<sup>1</sup>星'''と'''いるか座γ<sup>2</sup>星'''の2つの[[恒星]]からなる、[[いるか座]]の[[二重星]]である{{R|jk}}。2つの恒星は、物理的に結び付いた真の[[連星]]と考えられる{{R|jk}}。2つの恒星の色の対比に特徴がある二重星で、観望対象として人気がある{{R|jk|ashford17}}。[[見かけの等級|合成等級]]は3.87と、[[肉眼]]でもみえる明るさである{{R|jk}}。
== 位置 ==
[[いるか座アルファ星|いるか座α星]]、[[いるか座ベータ星|β星]]、γ星、[[いるか座デルタ星|δ星]]の4つの恒星からなるひし形の[[アステリズム]]は、「ヨブの棺」と呼ばれ、いるか座γ星はその中で北東の頂点を担っている{{R|irst|ashford17}}。
[[中国語|中国]]では、いるか座γ星は[[ヒョウタン]]を意味する[[女宿|{{Lang|zh|瓠瓜}}]]({{ピン音|Hù Guā}})という[[星官]]を、いるか座α星、いるか座δ星、いるか座β星、{{仮リンク|いるか座ゼータ星|en|Zeta Delphini|label=いるか座ζ星}}と共に形成する{{R|aeea|wylie}}。いるか座γ星自身は、{{Lang|zh|瓠瓜二}}({{ピン音|Hù Guā èr}})すなわち瓠瓜の2番星と呼ばれる{{R|aeea|wylie}}。
[[年周視差]]に基づいているか座γ星の[[太陽]]からの距離を計算すると、約116[[光年]]となる{{R|simbad_1|simbad_2}}{{R|注dist|group="注"}}。また、いるか座γ星は、{{仮リンク|へびつかい座V1054星|en|V1054 Ophiuchi|label=ウォルフ630}}[[運動星団]]の一員ではないかともいわれる{{R|bf90}}。
== 外見 ==
いるか座γ星が二重星であることを最初に記録したのは、[[フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ|ヴィルヘルム・シュトルーヴェ]]といわれ、現代の重星カタログにはそのことを示すカタログ名('''STF 2727''')が記載されている{{R|bch|wds}}。しかし、18世紀に[[クリスチャン・マイヤー]]や、[[ウィリアム・ハーシェル]]が発表した二重星カタログにも、いるか座γ星が二重星であるという記述がある{{R|mayer|schlimmer07|herschel}}。
いるか座γ星は、小[[望遠鏡]]でも容易に分解できる魅力的な二重星で、[[アルビレオ]]、[[アルマク]]などの有名どころの二重星に次いで人気がある{{R|bch|jk}}。2つの恒星の色の対比に特徴があり、データ的にはγ<sup>2</sup>星が黄色、γ<sup>1</sup>星が(黄)白色で、色の違いは微妙だが、2つ並べてみると観測者によって捉え方は様々で、特に暗い方のγ<sup>1</sup>星は、[[エメラルド]]、灰色、灰色がかった薄紫、緑がかった薄紫、くすんだ黄緑、くすんだ青など様々に記録されており、緑がかってみえることが多いようである{{R|jk|bch|elger|ashford17}}。
== 星系 ==
γ<sup>1</sup>星とγ<sup>2</sup>星は、200年にわたって監視され、共通する[[固有運動]]の下にある物理的に結びついた連星であると考えられている{{R|jk|bch}}。相対位置の変化から、[[軌道要素]]も近似的に求められており、[[軌道長半径]]はおよそ450 [[天文単位|au]]、[[離心率]]は0.9にもなる極端な[[楕円軌道]]をとり、最接近時は連星間距離が38 auにまで縮まり、[[軌道周期]]はおよそ5,200[[年]]と見積もられる{{R|jk|ivl99}}。
主星のγ<sup>2</sup>星は、[[スペクトル型]]がK1 IVに分類される橙色[[準巨星]]で、[[質量]]は[[太陽質量|太陽]]の約1.72倍、[[半径]]は[[太陽半径|太陽]]の約6.43倍、表面の[[有効温度]]は4,900 [[K]]程度と推定される{{R|bsc5|teg04|ivl99}}。伴星のγ<sup>1</sup>星は、スペクトル型がF7 Vに分類される[[F型主系列星]]で、質量は太陽の約1.57倍、半径は太陽の約2.21倍、表面の有効温度は6,300 K程度と推定される{{R|bsc5|ivl99}}。質量の違いはそう大きくないが、[[主系列星|主系列]]段階のγ<sup>1</sup>に対して、γ<sup>2</sup>星は巨星への進化の途についており、γ<sup>1</sup>も遠くない将来に主系列段階を終えると考えられる{{R|jk}}。年齢は、およそ22億年と推定されている{{R|ivl99}}。
γ<sup>2</sup>星は、[[視線速度]]の精密な測定から、1.44年の変動周期が検出されている{{R|ivl99}}。周期が発生する原因として、蓋然性の高い仮説は、[[脈動変光星|脈動]]、[[恒星の自転|自転]]、[[太陽系外惑星|惑星]]の存在が挙げられる{{R|ivl99}}。推定されるγ<sup>2</sup>星の質量、半径、視線速度({{Math|''v''sin''i''{{=}}2.9}}km/s)からすると、1.44年という周期は脈動や自転で生じる基礎的な周期よりずっと長く、その差を埋める仕組みを考え出す必要がある一方、惑星が存在するとすれば説明は可能である{{R|ivl99}}。仮定上の惑星は、質量が[[木星質量|木星]]の7割以上、軌道長半径は1.5 auと見積もられ、この軌道であれば、γ<sup>1</sup>の重力の影響があっても安定して存在しうる{{R|ivl99}}。
{{OrbitboxPlanet begin
| table_ref = {{R|ivl99}}
| period_unit = 年
}}
{{OrbitboxPlanet hypothetical
| exoplanet = b
| mass = ≤ 0.7
| period = 1.44
| semimajor = 1.5
| eccentricity =
}}
{{Orbitbox end}}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist |group="注" |refs=
}}
=== 出典 ===
{{Reflist |refs=
<ref name="simbad">{{Cite web |url=https://simbad.cds.unistra.fr/simbad/sim-id?Ident=gamma+Delphini |title=gam Del -- Double or Multiple Star |work=[[SIMBAD]] |publisher=[[ストラスブール天文データセンター|CDS]] |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="simbad_1">{{Cite web |url=https://simbad.cds.unistra.fr/simbad/sim-id?Ident=gamma1+Delphini |title=gam01 Del -- High Proper Motion Star |work=SIMBAD |publisher=CDS |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="simbad_2">{{Cite web |url=https://simbad.cds.unistra.fr/simbad/sim-id?Ident=gamma2+Delphini |title=gam02 Del -- High Proper Motion Star |work=SIMBAD |publisher=CDS |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="bsc5">{{Citation |last1=Hoffleit |first1=D. |last2=Warren |first2=W. H., Jr. |date=1995-11 |title=[[輝星星表|Bright Star Catalogue]], 5th Revised Ed. |work=VizieR On-line Data Catalog: V/50 |bibcode=1995yCat.5050....0H }}</ref>
<ref name="ivl99">{{Citation |last1=Irwin |first1=Alan W. |last2=VandenBerg |first2=Don A. |last3=Larson |first3=Ana M. |date=1999 |contribution=A Program for the Analysis of Long-Period Binaries: The Case of γ Delphini |title=Precise Stellar Radial Velocities |editor1-last=Hearnshaw |editor1-first=J. B. |editor2-last=Scarfe |editor2-first=C. D. |journal=ASP Conference Series |volume=185 |pages=297-307 |isbn=1-58381-011-0 |bibcode=1999ASPC..185..297I }}</ref>
<ref name="kostjuk04">{{Citation |last=Kostjuk |first=N. D. |date=2004-04 |title=HD-DM-GC-HR-HIP-Bayer-Flamsteed Cross Index |work=VizieR On-line Data Catalog: IV/27A |bibcode=2004yCat.4027....0K }}</ref>
<ref name="cr12">{{Citation |last1=Chanamé |first1=Julio |last2=Ramírez |first2=Iván |date=2012-02 |title=Toward Precise Ages for Single Stars in the Field. Gyrochronology Constraints at Several Gyr Using Wide Binaries. I. Ages for Initial Sample |journal=[[アストロフィジカルジャーナル|Astrophysical Journal]] |volume=746 |issue=1 |page=102 |doi=10.1088/0004-637X/746/1/102 |bibcode=2012ApJ...746..102C }}</ref>
<ref name="toyota09">{{Citation |author=Toyota, Eri; et al. |date=2009-02 |title=Radial Velocity Search for Extrasolar Planets in Visual Binary Systems |journal=[[欧文研究報告|Publications of the Astronomical Society of Japan]] |volume=61 |issue=1 |pages=19-28 |doi=10.1093/pasj/61.1.19 |bibcode=2009PASJ...61...19T }}</ref>
<ref name="mhh13">{{Citation |last1=Mason |first1=Brian D. |last2=Hartkopf |first2=William I. |last3=Hurowitz |first3=Haley M. |date=2013-09 |title=Speckle Interferometry at the U.S. Naval Observatory. XIX |journal=[[アストロノミカルジャーナル|Astronomical Journal]] |volume=146 |issue=3 |page=56 |doi=10.1088/0004-6256/146/3/56 |bibcode=2013AJ....146...56M }}</ref>
<ref name="jk">{{Cite web |url=http://stars.astro.illinois.edu/sow/gammadel.html |title=GAMMA DEL (Gamma Delphini) |last=Kaler |first=James B. |website=Stars |publisher=[[イリノイ大学|University of Illinois]] |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="aeea">{{Cite web |url=http://aeea.nmns.edu.tw/2006/0607/ap060704.html |title=中國古代的星象系統 (65): 女宿天區 |date=2006-07-04 |website=AEEA 天文教育資訊網 |publisher=[[國立自然科學博物館]] |accessdate=2023-10-19 |language=zh }}</ref>
<ref name="wylie">{{Cite book |last=Wylie |first=Alexander |chapter=Part III.— Scientific |title=Chinese researches |page=121 |date=1897 |place=[[上海|Shanghai]] |url=https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.279856 }}</ref>
<ref name="ashford17">{{Cite web |url=https://astronomynow.com/2017/06/24/seeing-double-in-the-summer-sky/ |title=Seeing double in the summer sky |date=2017-06-24 |last=Ashford |first=Ade |website=Astronomy Now |publisher=Pole Star Publications Ltd. |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="irst">{{Cite web |url=http://www.ianridpath.com/startales/delphinus.html |title=Delphinus - The dolphin |last=Ridpath |first=Ian |authorlink=イアン・リドパス |website=Ian Ridpath's Star Tales |accessdate=2023-10-19 }}</ref>
<ref name="bf90">{{Citation |last1=Boesgaard |first1=Ann Merchant |last2=Friel |first2=Eileen D. |date=1990-03-10 |title=Chemical composition of open clusters. I. Fe/H from high-resolution spectroscopy |journal=Astrophysical Journal |volume=351 |pages=467-479 |doi=10.1086/168484 |bibcode=1990ApJ...351..467B }}</ref>
<ref name="bch">{{Cite book |和書 |author=R. バーナム Jr. |authorlink=ロバート・バーナム・ジュニア |translator=[[斉田博]] |date=1988-02-10 |title=星百科大事典 改訂版 |publisher=[[地人書館]] |page=190 |isbn=4-8052-0266-1 }}</ref>
<ref name="wds">{{Citation |author=Mason, Brian D.; et al. |date=2023-05 |title=[[ワシントン重星カタログ|The Washington Visual Double Star Catalog]] |work=VizieR On-line Data Catalog: '''B/wds''' |bibcode=2023yCat....102026M }}</ref>
<ref name="mayer">{{Citation |last=Mayer |first=Christiano |author-link=クリスチャン・マイヤー |title=De Novis In Coelo Sidereo Phaenomenis: In Miris Stellarum Fixarum Comitibus Mannhemii In Specula Nova Electorali Recens Detectis |page=27 |date=1779 |publisher=Typographia Elector. Aulica & Academica |place=Mannheim |url=https://books.google.co.jp/books?id=kII_AAAAcAAJ }}</ref>
<ref name="schlimmer07">{{Citation |last=Schlimmer |first=J. S. |date=2007 |title=Christian Mayer’s Double Star Catalog of 1779 |journal=Journal of Double Star Observations |volume=3 |issue=4 |pages=151-158 |bibcode=2007JDSO....3..151S |url=http://www.jdso.org/volume3/number4/Schlimmer.pdf }}</ref>
<ref name="herschel">{{Citation |last=Herschel |first=William |author-link=ウィリアム・ハーシェル |date=1782 |title=XII. Catalogue of double stars |journal=[[フィロソフィカル・トランザクションズ|Philosophical Transactions of the Royal Society of London]] |volume=72 |pages=112-162 |doi=10.1098/rstl.1782.0014 }}</ref>
<ref name="elger">{{Citation |last=Elger |first=Thomas G. E. |date=1872 |title=Notes on the Colours of the Components of γ Delphini |journal=[[王立天文学会月報|Monthly Notices of the Royal Astronomical Society]] |volume=33 |pages=103- |doi=10.1093/mnras/33.2.103 |bibcode=1872MNRAS..33..103E }}</ref>
<ref name="teg04">{{Citation |last1=Thorén |first1=P. |last2=Edvardsson |first2=B. |last3=Gustafsson |first3=B. |date=2004-10 |title=Subgiants as probes of galactic chemical evolution |journal=[[アストロノミー・アンド・アストロフィジックス|Astronomy & Astrophysics]] |volume=425 |issue=1 |pages=187-206 |doi=10.1051/0004-6361:20040421 |bibcode=2004A&A...425..187T }}</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[いるか座の恒星の一覧]]
* [[へびつかい座36番星]]
== 外部リンク ==
* {{Cite web |url=http://epsilon-lyrae.de/Doppelsterne/Galerie/Delphinus.html |title=Doppelsterne im Sternbild Delphinus (Delphin) |website=epsilon-lyrae.de |accessdate=2023-10-19 }}
{{DEFAULTSORT:いるかさかんませい}}
[[Category:恒星]]
[[Category:連星]]
[[Category:いるか座|かんませい]]
[[Category:フラムスティード天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-10-21T14:46:24Z | 2023-11-11T01:20:46Z | false | false | false | [
"Template:天体 軌道",
"Template:R",
"Template:Math",
"Template:OrbitboxPlanet hypothetical",
"Template:天体 別名称",
"Template:天体 重星",
"Template:仮リンク",
"Template:OrbitboxPlanet begin",
"Template:天体 基本",
"Template:天体 物理",
"Template:ピン音",
"Template:天体 位置",
"Template:天体 終了",
"Template:Lang",
"Template:Orbitbox end",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B%E5%BA%A7%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E%E6%98%9F |
4,844,836 | 阿彦哲郎物語 | あらすじ
阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連邦だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品です。
キャスト
阿彦哲郎 小笠原瑛作
スルム・カシュクバエフ
アサナリ・アシモフ
佐野史将
秀子 かざり
スタッフ
監督 佐野伸寿
エルダル・カバーロフ
アリア・ウヴァリジャノバ
プロデューサー アリア・ウヴァリジャノバ
吉村秀一
製作 ボリス・チェルダバエフ
アリア・ウヴァリジャノバ
吉村秀一
佐野伸寿
津田英俊
撮影 サマト・シャリポフ
美術 ヌルブラト・ジャバコフ
写真 松元隼人
配給 Studio-D Japan
製作 2022年
製作国 日本・カザフスタン合作
上映時間 112分
映倫区分G | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "あらすじ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連邦だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品です。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "キャスト",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "阿彦哲郎 小笠原瑛作",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "スルム・カシュクバエフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "アサナリ・アシモフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "佐野史将",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "秀子 かざり",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "スタッフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "監督 佐野伸寿",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "エルダル・カバーロフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "アリア・ウヴァリジャノバ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "プロデューサー アリア・ウヴァリジャノバ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "吉村秀一",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "製作 ボリス・チェルダバエフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "アリア・ウヴァリジャノバ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "吉村秀一",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "佐野伸寿",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "津田英俊",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "撮影 サマト・シャリポフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "美術 ヌルブラト・ジャバコフ",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "写真 松元隼人",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "配給 Studio-D Japan",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "製作 2022年",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "製作国 日本・カザフスタン合作",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "上映時間 112分",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "映倫区分G",
"title": null
}
] | あらすじ 阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連邦だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品です。 キャスト 阿彦哲郎 小笠原瑛作 スルム・カシュクバエフ アサナリ・アシモフ 佐野史将 秀子 かざり スタッフ 監督 佐野伸寿 エルダル・カバーロフ アリア・ウヴァリジャノバ プロデューサー アリア・ウヴァリジャノバ 吉村秀一 製作 ボリス・チェルダバエフ アリア・ウヴァリジャノバ 吉村秀一 佐野伸寿 津田英俊 撮影 サマト・シャリポフ 美術 ヌルブラト・ジャバコフ 写真 松元隼人 配給 Studio-D Japan 製作 2022年 製作国 日本・カザフスタン合作 上映時間 112分 映倫区分G | あらすじ
阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連邦だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品です。
キャスト
阿彦哲郎 小笠原瑛作
スルム・カシュクバエフ
アサナリ・アシモフ
佐野史将
秀子 かざり
スタッフ
監督 佐野伸寿
エルダル・カバーロフ
アリア・ウヴァリジャノバ
プロデューサー アリア・ウヴァリジャノバ
吉村秀一
製作 ボリス・チェルダバエフ
アリア・ウヴァリジャノバ
吉村秀一
佐野伸寿
津田英俊
撮影 サマト・シャリポフ
美術 ヌルブラト・ジャバコフ
写真 松元隼人
配給 Studio-D Japan
製作 2022年
製作国 日本・カザフスタン合作
上映時間 112分
映倫区分G
== 外部リンク[編集] ==
* 株式会社蒼龍舎
* Studio-D Japan | 2023-10-21T15:09:05Z | 2023-10-21T19:03:05Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BD%A6%E5%93%B2%E9%83%8E%E7%89%A9%E8%AA%9E |
4,844,838 | ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代 | 『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』(ちっちゃいサムライ みうらまさおのこどもじだい)は、2023年カザフスタン・日本・キルギス公開、日本・カザフスタンの映画。
第二次世界大戦が終わった直後、北海道に疎開していた14歳の三浦正雄は家族を探す為、住んでいた樺太に向かうがソ連領土となっていたので乗っていた船が拿捕され、逮捕されてしまう。そこからソ連だったカザフスタンに流刑となる。彼は夜空に寒さで震えているところをとある教師に見つかり、そのまま彼の家で過ごす事となる。流刑となった三浦正雄は53年もの間、カザフスタンで過ごし、地元の漁師から魚取りや狩猟を習い、バルハシ湖やイリ河流域で育ち、大自然と知り合った人々から様々な事を学び、人間として大きく成長していく。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』(ちっちゃいサムライ みうらまさおのこどもじだい)は、2023年カザフスタン・日本・キルギス公開、日本・カザフスタンの映画。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "第二次世界大戦が終わった直後、北海道に疎開していた14歳の三浦正雄は家族を探す為、住んでいた樺太に向かうがソ連領土となっていたので乗っていた船が拿捕され、逮捕されてしまう。そこからソ連だったカザフスタンに流刑となる。彼は夜空に寒さで震えているところをとある教師に見つかり、そのまま彼の家で過ごす事となる。流刑となった三浦正雄は53年もの間、カザフスタンで過ごし、地元の漁師から魚取りや狩猟を習い、バルハシ湖やイリ河流域で育ち、大自然と知り合った人々から様々な事を学び、人間として大きく成長していく。",
"title": "あらすじ"
}
] | 『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』は、2023年カザフスタン・日本・キルギス公開、日本・カザフスタンの映画。 | {{複数の問題
|出典の明記=2023年10月21日 (土) 19:18 (UTC)
|特筆性=2023年10月21日 (土) 19:18 (UTC)
}}
『'''ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代'''』(ちっちゃいサムライ みうらまさおのこどもじだい)は、2023年カザフスタン・日本・キルギス公開、[[日本]]・[[カザフスタン]]の映画<ref>{{Cite web|title=『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』|url=http://joji.uplink.co.jp/movie/2023/19303/|website=アップリンク吉祥寺|access-date=2023-10-19|last=アップリンク吉祥寺}}</ref><ref>{{Cite web|title=ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代 : 作品情報|url=https://eiga.com/movie/100271/|website=映画.com|access-date=2023-10-19|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代 - 作品情報・映画レビュー -|url=https://www.kinejun.com/cinema/view/98998|website=キネマ旬報WEB|access-date=2023-10-19|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=写真【1/1枚】 ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代|url=https://hitocinema.mainichi.jp/films-info/miura-masao/photo/1|website=hitocinema.mainichi.jp|access-date=2023-10-19|language=ja}}</ref>。
== あらすじ ==
[[第二次世界大戦]]が終わった直後、[[北海道]]に疎開していた14歳の[[三浦正雄]]は家族を探す為、住んでいた樺太に向かうが[[ソビエト連邦|ソ連]]領土となっていたので乗っていた船が拿捕され、逮捕されてしまう。そこからソ連だった[[カザフスタン]]に流刑となる。彼は夜空に寒さで震えているところをとある教師に見つかり、そのまま彼の家で過ごす事となる。流刑となった[[三浦正雄]]は53年もの間、[[カザフスタン]]で過ごし、地元の漁師から魚取りや狩猟を習い、[[バルハシ湖]]や[[イリ川|イリ河]]流域で育ち、[[大自然]]と知り合った人々から様々な事を学び、人間として大きく成長していく。
== キャスト ==
* 三浦正雄:佐野史将
* ウブライ:[[アクタン・アリム・クバト]]
* マリヤム:[[サマル・イスリャモヴァ]]
* アマン:オルジャス・ジャクプベック
* ニーナ:アルジャン・マラート
* カエサル:オルジャス・マラート
* 三浦義雄:[[小笠原瑛作]]
* 日本陸軍将校:木下順介<ref>{{Cite web |title=Junsuke Kinoshitaa 木下順介 • Official website |url=http://junsukekinoshita.com/ |access-date=2023-10-25 |language=ja}}</ref>
* 三浦一家
* 三浦ニーナ
* 三浦亜里沙(タケ子役も)
* 三浦ユーロ
== スタッフ ==
=== 主要スタッフ ===
==== 日本 ====
* 原作・脚本・監督・製作:[[佐野伸寿]]
* 製作:吉村秀一([http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎])
* 津田英俊([http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎])
* 音声:スワラプロ
==== カザフスタン ====
* 監督(共同監督):[[エルラン・ヌルムハンベトフ]]
* 製作:アセリ・エルジャノヴァ(Film Film Film)
* 撮影監督・製作:ムラト・ヌグマノフ
* 撮影:アラン・ヌグマノフ
* 美術:アリア・シャマノフ
* 衣装:ビグル
* 編集・監督浦:アミール・アメノフ
* 音声監督:アンドレイ・ウラズネフ
=== その他 ===
* 札幌撮影スタッフ
* 札幌映像撮影:[https://www.nice-sapporo.jp NICE]
* 劇用馬:[https://makomanai-jyouba.com 真駒内乗馬クラブ]
* [http://sd-japan.jp Studio-D Japan]
* [http://soruysha.co.jp 蒼龍舎]
* 写真 [https://www.facebook.com/JpPhotographer/ 松元隼人]
* 和装 [https://tutahu.com 伝ふプロジェクト]
* 宿泊 [https://rembrandt-style.com/sapporo レンブラントスタイル札幌]
* 製作 2023年
* 製作国 日本・カザフスタン・キルギスタン
* 配給 [http://sd-japan.jp Studio-D Japan]
* 上映時間 110分
== 脚注 ==
{{脚注の使い方}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人]]
== 外部リンク ==
* [http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎]
* [http://sd-japan.jp Studio-D Japan]
* [https://joji.uplink.co.jp/movie/2023/19303 アップリンク吉祥寺]
{{デフォルトソート:ちつちやいさむらいみうらまさおのこともしたい}}
[[Category:日本と海外の合作映画]]
[[Category:カザフスタンの映画作品]]
[[Category:2023年の映画]]
[[Category:ソビエト連邦を舞台とした作品]]
[[Category:カザフスタンを舞台とした映画作品]]
[[Category:昭和時代戦後]]
[[Category:日ソ関係]]
[[Category:漁業を題材とした作品]] | 2023-10-21T15:11:23Z | 2023-11-30T02:34:53Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:複数の問題",
"Template:脚注の使い方",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%84%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4_%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%AD%A3%E9%9B%84%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B%E6%99%82%E4%BB%A3 |
4,844,839 | ドリーミング (アボリジニの文化) | ドリーミング(英: Dreaming)は、オーストラリア先住民族アボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観を内包した概念を指す言葉。
この言葉はオーストラリアの人類学者フランシス・ジェームズ・ギレン(英語版)が発案し、仕事仲間であるウォルター・ボールドウィン・スペンサー(英語版)がその表現を採用した。
アボリジニの多くは、天地創造の時代をドリームタイム(英: Dreamtime)とも呼ぶ。
ドリーミングは、アボリジニでない外部の人間の持つ一般的な歴史観や時間の観念とは異なる価値観で、アランダ族の話していたアランダ語の「アルチェリンガ(alcheringa)」という概念に基づいて解釈されている。
「ドリーミング」という言葉自体は1896年、当時アマチュアの民俗学者であったフランシス・ギレンが民俗学の報告書で使用したのが最初である。ギレンはその後、スペンサーと共著で、1899年に『Native Tribes of Central Australia』を出版した。この著作の中で、ギレンらは「アルチェリンガ」を「部族の伝承の最も古いものの中で扱われている、はるか遠い過去につけられた名前」と述べている。その5年後に出版した『Northern Tribes of Central Australia』においては、はるか遠い時代を「ドリームタイム(the dream time)」と呼んだ。これは彼ら曰くカイテチェ族(英語版)やウンマジェラ族(英語版)が使っていると断言する「alcheri」という「夢」を意味する言葉に結びつけたものである。
ただ、「アルチェリンガ」の翻訳であるというのは誤解または誤訳に基づく解釈だという意見も存在し、一部の学者はこの語は本来「永遠の、創造されざる」という意味に近いと指摘している。ドイツのルーテル教会牧師であるカール・ストレーロウ(英語版)は、1908年に『Die Aranda(The Arrente)』を著し、その中でギレンとスペンサーの著作に対する疑義を掲げた。ストレーロウは、語源が不明な単語「アルトジラ(altjira)」を挙げ、この語がアランダ族において「始まりのない永遠の存在」と説明されていることを指摘した。上アランダ語において、「夢を見る」という意味に相当する動詞は「altjirerama」であり、転じて「神を見る」という意味であった。ストレーロウは、この単語が「altjirrinja」というやや珍しい名詞であり、ギレンとスペンサーはこの語を転訛させて誤った語源を付けたと説いた。ストレーロウは「原住民は、彼らの歴史上の特定点を示す「ドリームタイム」について何も知らない」と結論付けた。
ストレーロウは「アルトジラ」または「アルトジラ・マラ(Altjira mara、マラは「善」を意味する)」の語を、アランダ語における「世界と人類の永遠の創造主」という意味の言葉として挙げた。ストレーロウの描写では、アルトジラは背の高い屈強な男で、美しく長い髪と赤い肌を持ち、さらにエミューの脚を持っているという。そして同じく赤い肌、かつ犬の脚を持った妻を多数抱え、また子供も持っているとしている。アルトジラらは天空の、天の川が流れる地に在住するとストレーロウは説明している。しかし、ストレーロウが執筆に際して証言を求めた知人らは何十年来のキリスト教改宗者であり、このためアルトジラは宣教師によってもたらされたキリスト教の神を表す言葉ではないかとの指摘もされている。1926年、スペンサーはストレーロウの結論に対する反証、および自身らの著作に対する暗黙の批判に異議を唱えるべく、実地調査を行った。その中でスペンサーは、1890年代からアルトジラという単語が「神」ではなく、「過去の時代に関連する」または「永遠の」という用法で使われていることを発見した。
学者のサム・ギルは、ストレーロウのアルトジラの説明は曖昧であり、ある時は至高の存在を、またある時はトーテム(崇敬物)であるが至高の存在ではないと表現していることを発見した。ギルはこの論争を、スペンサーらの「アボリジニの人々は宗教以前の「発達段階」にある(したがって至高の存在を信じることができない)」という文化進化論的な信念と、宣教師であるストレーロウの「神聖な存在への信仰という概念が布教への有効な切り口となる」という考え方とが衝突したものと考えている。
言語学者デイヴィッド・キャンベル・ムーアは、ギレンとスペンサーの「ドリームタイム」の訳自体に批判的で、以下のように述べている。
「ドリームタイム」は「夢」と「アルトジラ」の語源的なつながりに基づく誤訳であり、それは限られた地域でのみ通用する概念である。「夢」と「アルトジラ」には意味論的な関係があるが、「夢」が「アルトジラ」の本質を捉えているとするのは幻想である。
アルチェリンガのほか、西部砂漠文化圏(英語版)で話されているピジャンジャジャラ語には「ジュクルパ(Jukurrpa)」という単語があり、その言葉はドリームタイム(ここでは天地創造の時代を指す)、およびその時代に繰り広げられた物語(ドリーミングストーリー)の両方を内包、さらにそこから導き出される掟、寝ているときに見る夢そのもの、それ以外の物語をも意味している。
このほかにも、同様のドリーミングに通じる各部族の言語には以下のようなものがある。
「ドリーミング」の他の言語への翻訳のほとんどは、dreamという英単語の翻訳に基づいている。フランス語の「Espaces de rêves(「夢の空間」)」や、クロアチア語の「Snivanje(「夢を見る」という動詞から派生した動名詞)」などがその例である。日本語においても、「ドリームタイム」を「夢の時代」と直訳している事例が見受けられる。ただ、ドリーミングの概念は英単語のdreamでは説明不十分であり、アボリジニでない外部からの観点でその文化を説明するのは困難である。
外部の人類学者らは、ドリーミングについて様々な解釈をした。人類学者のウィリアム・エドワード・ハンリー・スタナー(英語版)は、この言葉を「複合的な意味」と考えたほうが外部の人間には理解しやすいだろうと述べている。オーストラリア国立大学の名誉上級講師であるクリスティーン・ジュディス・ニコラスは「生きるためのルール、道徳的規範、自然環境と相互作用するためのルールを提供する包括的な概念」と解説した。
ドリーミングはしばしば特定の場所、年齢や性別、スキングループ(スキンネーム)と呼ばれるアボリジニの親族関係などに結び付けられる。これはドリーミングを題材にした芸術作品にも表れており、たとえば画家テオ(フェイ)・ナンガラ・ハドソンは『ピキリイ・ジュクルパ(Pikilyi Jukurrpa)』を描いているが、これはノーザンテリトリーにあるヴォーン・スプリングス、ワルピリ族の言葉で「ピキリイ(Pikilyi)」と呼ばれる泉に関する作品である。泉には虹蛇の夫婦が棲んでおり、妻はナパナンカ(Napananka)の、夫はジャパンガルディ(Japangardi)のスキングループにそれぞれ属しており、これはワルピリの文化においては禁忌の関係、禁断の恋仲である。ナンガラはこのピキリイのドリーミングを父方から受け継ぎ、また母方からはユパルリ(Yuparli)のドリーミングを受け継いでいる。
ドリーミングの概念はかつては学術的な用語に留まっていたが、1970年代以降は元来の文化として戻っていった。1990年代には大衆文化や観光を通じて独自の価値観に転じ、アボリジニの使う英語の語彙において「自己実現的な学術的予言(英語版)」という意味で広く浸透している。のちにドリームタイムの概念はオーストラリア独自の文脈を飛び越え、世界的な大衆文化の中に溶け込んでいる。一方、ニコラスはこの「ドリーミング」「ドリームタイム」という呼称を「特有の認識論的・宇宙論的・存在論的枠組みを構成する、この意味的に豊かで形而上学的な単語概念を、一様に矮小化した」と論じ、「オーストラリアのメインストリームにおいても大げさなニューエイジムーブメントの亜種として扱われている」と述べている。
ドリーミング、およびドリームタイムと呼ばれる神話の時代の概念は独特で、アボリジニ外部の人間が抱く一般的な時間概念とは大きく異なる。『ブリタニカ百科事典』によれば、ドリーミングは「始まりはあるが、終わりを予見できない神話の時代」とある。人類学者のアドルファス・ペーター・エルキン(英語版)はドリーミングを「過去は......現在であり、ここであり、今である」と表現、デボラ・バード・ローズ(英語版)は「すべてのドリーミングは、すべての時間に存在する。同時発生的な一連のできごとであり、継続するものである」とした。
また、スタナーはドリーミングの時間構造を「あらゆるとき(Everywhen)」と定義している。一方、宗教学者のトニー・スウェインは、ドリーミングにおけるいかなる時間概念をも否定し、それを「持続するできごと」と呼ぶことを提案している。
アボリジニのアミニズム信仰のなかで、天地創造の神話、ドリームタイムに対する信仰は特に篤い。大地や人間、植物、動物などはすべてドリームタイムに創造されたとしている。特に大地に対する信仰が強く、自分の生まれた土地とその地が持つ物語に強い帰属意識を持つ。人類学者の保苅実は「大地こそが、一般的にドリーミングと呼ばれているアボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観をもっとも集約したかたちで表現した概念である」と考えた。
世界はまず大地があり、そこに人間や精霊、動物の姿をしたドリーミングの登場人物らが現れ、様々な旅路を進み、その結果地形を形成し、人間や動植物を、そして言語や儀式も創っていったという。地形はただの被造物ではなく、地形そのものがドリーミングと考えられた。それらのドリーミングはトーテム(崇敬物)の役割を果たし、それを通じて人類は神話の存在や動植物と同種のものとして扱われ、時間の始まりから現在、そして未来へと途切れることのない不滅のアイデンティティを与えられている。
旅を終えた登場人物らは疲れ果てて大地に還り、水場や丘、岩場などに姿を変えた。天空の星々の間に向かったものもあった。神話の登場人物らは永遠の存在とされ、たとえば物語の中で殺されたり、地形へと姿を変えたりしたとしても、その本質は衰えないものとされた。特に神話の存在が地形に変容した土地は神聖なものとして、儀式の中心地に据えられた。ドリームタイムの登場人物の軌跡は物語に留まらず、アボリジニの法と倫理にもなった。
旅路に際し、ドリームタイムの登場人物らは歌いながら軌跡を描いた。その道筋は、ドリーミングトラック(Dreaming tracks)またはソングライン(songlines)と呼ばれているネットワークを形成している。これらの知識は、各民族の上層が保持して伝えられてきた。
ドリームタイムの登場人物は、人間に限らず動物も含めてアボリジニの祖先と考えられている。このため、たとえば自身の祖先をドリームタイムに登場したワラビーだとする人々は、実在のワラビーとは兄弟に当たり、ワラビーを殺して食べることは共食いだと考えている。ドリーミングはあらゆる種にあると考えられ、たとえばウィルスや水疱瘡といった病原体ですらドリーミングがあり、キンバリー高原には「お金」のドリーミングを持つ人々もいる。
カール・ストレーロウの子で、自身もアボリジニ文化の研究者となったテッド・ストレーロウ(英語版)は、ドリームタイムの「神話」の研究について、「無数の回廊と通路からなる迷宮に入りこむこと」と表現した。
生命力の概念は聖地とも紐づけられており、聖地で行われる儀式はそこを創ったドリームタイムの再現でもあり、生命力を新たに生み出すための必要なことと考えられた。各個人のドリーミングは生まれる前から存在し、死後も保持されるものと考えられている。生前も没後も子供の魂はドリーミングの中にあり、母親を通して生まれることで初めて生命が宿ると考えられている。アボリジニの文化においては、子供の魂は妊娠5か月目の胎児に宿ると考えられている。母親が胎内で胎児が初めて動くのを感じると、それは母親が立っているその土地の精霊の仕業だと考えられた。子供は誕生と同時にその土地の特別な管理者と考えられ、その土地の物語やソングラインを教えられた。物理学者で作家のフレッド・アラン・ウルフ(英語版)は自著において「ブラックフェラ(英語版)(肌の黒いオーストラリア先住民)は自身のトーテムや、自身の生まれた場所をドリーミングと見なしているかもしれない。または民族の掟をドリーミングと見なすこともある」と述べている。
アボリジニの民族音楽ジャンルのひとつにワンガ(英語版)があるが、これは歌と踊りで死と再生をテーマとして表現している。ワンガは日常生活や、ニュイドジ(nyuidj、死霊)のドリーミングから着想される。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ドリーミング(英: Dreaming)は、オーストラリア先住民族アボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観を内包した概念を指す言葉。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "この言葉はオーストラリアの人類学者フランシス・ジェームズ・ギレン(英語版)が発案し、仕事仲間であるウォルター・ボールドウィン・スペンサー(英語版)がその表現を採用した。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "アボリジニの多くは、天地創造の時代をドリームタイム(英: Dreamtime)とも呼ぶ。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "ドリーミングは、アボリジニでない外部の人間の持つ一般的な歴史観や時間の観念とは異なる価値観で、アランダ族の話していたアランダ語の「アルチェリンガ(alcheringa)」という概念に基づいて解釈されている。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "「ドリーミング」という言葉自体は1896年、当時アマチュアの民俗学者であったフランシス・ギレンが民俗学の報告書で使用したのが最初である。ギレンはその後、スペンサーと共著で、1899年に『Native Tribes of Central Australia』を出版した。この著作の中で、ギレンらは「アルチェリンガ」を「部族の伝承の最も古いものの中で扱われている、はるか遠い過去につけられた名前」と述べている。その5年後に出版した『Northern Tribes of Central Australia』においては、はるか遠い時代を「ドリームタイム(the dream time)」と呼んだ。これは彼ら曰くカイテチェ族(英語版)やウンマジェラ族(英語版)が使っていると断言する「alcheri」という「夢」を意味する言葉に結びつけたものである。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "ただ、「アルチェリンガ」の翻訳であるというのは誤解または誤訳に基づく解釈だという意見も存在し、一部の学者はこの語は本来「永遠の、創造されざる」という意味に近いと指摘している。ドイツのルーテル教会牧師であるカール・ストレーロウ(英語版)は、1908年に『Die Aranda(The Arrente)』を著し、その中でギレンとスペンサーの著作に対する疑義を掲げた。ストレーロウは、語源が不明な単語「アルトジラ(altjira)」を挙げ、この語がアランダ族において「始まりのない永遠の存在」と説明されていることを指摘した。上アランダ語において、「夢を見る」という意味に相当する動詞は「altjirerama」であり、転じて「神を見る」という意味であった。ストレーロウは、この単語が「altjirrinja」というやや珍しい名詞であり、ギレンとスペンサーはこの語を転訛させて誤った語源を付けたと説いた。ストレーロウは「原住民は、彼らの歴史上の特定点を示す「ドリームタイム」について何も知らない」と結論付けた。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "ストレーロウは「アルトジラ」または「アルトジラ・マラ(Altjira mara、マラは「善」を意味する)」の語を、アランダ語における「世界と人類の永遠の創造主」という意味の言葉として挙げた。ストレーロウの描写では、アルトジラは背の高い屈強な男で、美しく長い髪と赤い肌を持ち、さらにエミューの脚を持っているという。そして同じく赤い肌、かつ犬の脚を持った妻を多数抱え、また子供も持っているとしている。アルトジラらは天空の、天の川が流れる地に在住するとストレーロウは説明している。しかし、ストレーロウが執筆に際して証言を求めた知人らは何十年来のキリスト教改宗者であり、このためアルトジラは宣教師によってもたらされたキリスト教の神を表す言葉ではないかとの指摘もされている。1926年、スペンサーはストレーロウの結論に対する反証、および自身らの著作に対する暗黙の批判に異議を唱えるべく、実地調査を行った。その中でスペンサーは、1890年代からアルトジラという単語が「神」ではなく、「過去の時代に関連する」または「永遠の」という用法で使われていることを発見した。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "学者のサム・ギルは、ストレーロウのアルトジラの説明は曖昧であり、ある時は至高の存在を、またある時はトーテム(崇敬物)であるが至高の存在ではないと表現していることを発見した。ギルはこの論争を、スペンサーらの「アボリジニの人々は宗教以前の「発達段階」にある(したがって至高の存在を信じることができない)」という文化進化論的な信念と、宣教師であるストレーロウの「神聖な存在への信仰という概念が布教への有効な切り口となる」という考え方とが衝突したものと考えている。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "言語学者デイヴィッド・キャンベル・ムーアは、ギレンとスペンサーの「ドリームタイム」の訳自体に批判的で、以下のように述べている。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "「ドリームタイム」は「夢」と「アルトジラ」の語源的なつながりに基づく誤訳であり、それは限られた地域でのみ通用する概念である。「夢」と「アルトジラ」には意味論的な関係があるが、「夢」が「アルトジラ」の本質を捉えているとするのは幻想である。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "アルチェリンガのほか、西部砂漠文化圏(英語版)で話されているピジャンジャジャラ語には「ジュクルパ(Jukurrpa)」という単語があり、その言葉はドリームタイム(ここでは天地創造の時代を指す)、およびその時代に繰り広げられた物語(ドリーミングストーリー)の両方を内包、さらにそこから導き出される掟、寝ているときに見る夢そのもの、それ以外の物語をも意味している。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "このほかにも、同様のドリーミングに通じる各部族の言語には以下のようなものがある。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "「ドリーミング」の他の言語への翻訳のほとんどは、dreamという英単語の翻訳に基づいている。フランス語の「Espaces de rêves(「夢の空間」)」や、クロアチア語の「Snivanje(「夢を見る」という動詞から派生した動名詞)」などがその例である。日本語においても、「ドリームタイム」を「夢の時代」と直訳している事例が見受けられる。ただ、ドリーミングの概念は英単語のdreamでは説明不十分であり、アボリジニでない外部からの観点でその文化を説明するのは困難である。",
"title": "語源"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "外部の人類学者らは、ドリーミングについて様々な解釈をした。人類学者のウィリアム・エドワード・ハンリー・スタナー(英語版)は、この言葉を「複合的な意味」と考えたほうが外部の人間には理解しやすいだろうと述べている。オーストラリア国立大学の名誉上級講師であるクリスティーン・ジュディス・ニコラスは「生きるためのルール、道徳的規範、自然環境と相互作用するためのルールを提供する包括的な概念」と解説した。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "ドリーミングはしばしば特定の場所、年齢や性別、スキングループ(スキンネーム)と呼ばれるアボリジニの親族関係などに結び付けられる。これはドリーミングを題材にした芸術作品にも表れており、たとえば画家テオ(フェイ)・ナンガラ・ハドソンは『ピキリイ・ジュクルパ(Pikilyi Jukurrpa)』を描いているが、これはノーザンテリトリーにあるヴォーン・スプリングス、ワルピリ族の言葉で「ピキリイ(Pikilyi)」と呼ばれる泉に関する作品である。泉には虹蛇の夫婦が棲んでおり、妻はナパナンカ(Napananka)の、夫はジャパンガルディ(Japangardi)のスキングループにそれぞれ属しており、これはワルピリの文化においては禁忌の関係、禁断の恋仲である。ナンガラはこのピキリイのドリーミングを父方から受け継ぎ、また母方からはユパルリ(Yuparli)のドリーミングを受け継いでいる。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "ドリーミングの概念はかつては学術的な用語に留まっていたが、1970年代以降は元来の文化として戻っていった。1990年代には大衆文化や観光を通じて独自の価値観に転じ、アボリジニの使う英語の語彙において「自己実現的な学術的予言(英語版)」という意味で広く浸透している。のちにドリームタイムの概念はオーストラリア独自の文脈を飛び越え、世界的な大衆文化の中に溶け込んでいる。一方、ニコラスはこの「ドリーミング」「ドリームタイム」という呼称を「特有の認識論的・宇宙論的・存在論的枠組みを構成する、この意味的に豊かで形而上学的な単語概念を、一様に矮小化した」と論じ、「オーストラリアのメインストリームにおいても大げさなニューエイジムーブメントの亜種として扱われている」と述べている。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "ドリーミング、およびドリームタイムと呼ばれる神話の時代の概念は独特で、アボリジニ外部の人間が抱く一般的な時間概念とは大きく異なる。『ブリタニカ百科事典』によれば、ドリーミングは「始まりはあるが、終わりを予見できない神話の時代」とある。人類学者のアドルファス・ペーター・エルキン(英語版)はドリーミングを「過去は......現在であり、ここであり、今である」と表現、デボラ・バード・ローズ(英語版)は「すべてのドリーミングは、すべての時間に存在する。同時発生的な一連のできごとであり、継続するものである」とした。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "また、スタナーはドリーミングの時間構造を「あらゆるとき(Everywhen)」と定義している。一方、宗教学者のトニー・スウェインは、ドリーミングにおけるいかなる時間概念をも否定し、それを「持続するできごと」と呼ぶことを提案している。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "アボリジニのアミニズム信仰のなかで、天地創造の神話、ドリームタイムに対する信仰は特に篤い。大地や人間、植物、動物などはすべてドリームタイムに創造されたとしている。特に大地に対する信仰が強く、自分の生まれた土地とその地が持つ物語に強い帰属意識を持つ。人類学者の保苅実は「大地こそが、一般的にドリーミングと呼ばれているアボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観をもっとも集約したかたちで表現した概念である」と考えた。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "世界はまず大地があり、そこに人間や精霊、動物の姿をしたドリーミングの登場人物らが現れ、様々な旅路を進み、その結果地形を形成し、人間や動植物を、そして言語や儀式も創っていったという。地形はただの被造物ではなく、地形そのものがドリーミングと考えられた。それらのドリーミングはトーテム(崇敬物)の役割を果たし、それを通じて人類は神話の存在や動植物と同種のものとして扱われ、時間の始まりから現在、そして未来へと途切れることのない不滅のアイデンティティを与えられている。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "旅を終えた登場人物らは疲れ果てて大地に還り、水場や丘、岩場などに姿を変えた。天空の星々の間に向かったものもあった。神話の登場人物らは永遠の存在とされ、たとえば物語の中で殺されたり、地形へと姿を変えたりしたとしても、その本質は衰えないものとされた。特に神話の存在が地形に変容した土地は神聖なものとして、儀式の中心地に据えられた。ドリームタイムの登場人物の軌跡は物語に留まらず、アボリジニの法と倫理にもなった。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "旅路に際し、ドリームタイムの登場人物らは歌いながら軌跡を描いた。その道筋は、ドリーミングトラック(Dreaming tracks)またはソングライン(songlines)と呼ばれているネットワークを形成している。これらの知識は、各民族の上層が保持して伝えられてきた。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "ドリームタイムの登場人物は、人間に限らず動物も含めてアボリジニの祖先と考えられている。このため、たとえば自身の祖先をドリームタイムに登場したワラビーだとする人々は、実在のワラビーとは兄弟に当たり、ワラビーを殺して食べることは共食いだと考えている。ドリーミングはあらゆる種にあると考えられ、たとえばウィルスや水疱瘡といった病原体ですらドリーミングがあり、キンバリー高原には「お金」のドリーミングを持つ人々もいる。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "カール・ストレーロウの子で、自身もアボリジニ文化の研究者となったテッド・ストレーロウ(英語版)は、ドリームタイムの「神話」の研究について、「無数の回廊と通路からなる迷宮に入りこむこと」と表現した。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "生命力の概念は聖地とも紐づけられており、聖地で行われる儀式はそこを創ったドリームタイムの再現でもあり、生命力を新たに生み出すための必要なことと考えられた。各個人のドリーミングは生まれる前から存在し、死後も保持されるものと考えられている。生前も没後も子供の魂はドリーミングの中にあり、母親を通して生まれることで初めて生命が宿ると考えられている。アボリジニの文化においては、子供の魂は妊娠5か月目の胎児に宿ると考えられている。母親が胎内で胎児が初めて動くのを感じると、それは母親が立っているその土地の精霊の仕業だと考えられた。子供は誕生と同時にその土地の特別な管理者と考えられ、その土地の物語やソングラインを教えられた。物理学者で作家のフレッド・アラン・ウルフ(英語版)は自著において「ブラックフェラ(英語版)(肌の黒いオーストラリア先住民)は自身のトーテムや、自身の生まれた場所をドリーミングと見なしているかもしれない。または民族の掟をドリーミングと見なすこともある」と述べている。",
"title": "解釈"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "アボリジニの民族音楽ジャンルのひとつにワンガ(英語版)があるが、これは歌と踊りで死と再生をテーマとして表現している。ワンガは日常生活や、ニュイドジ(nyuidj、死霊)のドリーミングから着想される。",
"title": "解釈"
}
] | ドリーミングは、オーストラリア先住民族アボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観を内包した概念を指す言葉。 この言葉はオーストラリアの人類学者フランシス・ジェームズ・ギレンが発案し、仕事仲間であるウォルター・ボールドウィン・スペンサーがその表現を採用した。 アボリジニの多くは、天地創造の時代をドリームタイムとも呼ぶ。 | {{Otheruses|[[アボリジニ]]の文化|その他の用法|ドリーミング}}
[[File:Aboriginal art Carnarvon Gorge.jpg|thumb|300px|カーナーヴォン渓谷のステンシル・アート。これは記念碑、トーテム的祖先のサインや呼びかけ、あるいはドリーミングの物語の記録の可能性がある{{sfn|Walsh|1979|pp=33–41}}]]
'''ドリーミング'''({{lang-en-short|Dreaming}})は、[[オーストラリア]]先住民族[[アボリジニ]]の神話体系、法概念、霊的世界観を内包した概念を指す言葉{{sfn|保苅|2004|p=62}}。
この言葉はオーストラリアの[[人類学者]]{{仮リンク|フランシス・ジェームズ・ギレン|en|Francis James Gillen}}が発案し、仕事仲間である{{仮リンク|ウォルター・ボールドウィン・スペンサー|en|Walter Baldwin Spencer}}がその表現を採用した。
アボリジニの多くは、天地創造の時代を'''ドリームタイム'''({{lang-en-short|Dreamtime}})とも呼ぶ{{sfn|Encyclopædia Britannica}}。
== 語源 ==
=== 発案 ===
ドリーミングは、アボリジニでない外部の人間の持つ一般的な歴史観や時間の観念とは異なる価値観で、{{仮リンク|アランダ族|en|Arrernte people}}の話していた[[アランディック諸語|アランダ語]]の「アルチェリンガ(alcheringa)」という概念に基づいて解釈されている。
「ドリーミング」という言葉自体は1896年、当時アマチュアの民俗学者であったフランシス・ギレンが民俗学の報告書で使用したのが最初である。ギレンはその後、スペンサーと共著で、1899年に『Native Tribes of Central Australia』を出版した{{sfn|James|2015|p=36}}。この著作の中で、ギレンらは「アルチェリンガ」を「部族の伝承の最も古いものの中で扱われている、はるか遠い過去につけられた名前」と述べている{{sfn|Spencer|Gillen|1899|p=73 n.1, 645}}{{efn|"[T]he dim past to which the natives give the name of the 'Alcheringa'." (p.119)}}。その5年後に出版した『Northern Tribes of Central Australia』においては、はるか遠い時代を「'''ドリームタイム(the dream time)'''」と呼んだ。これは彼ら曰く{{仮リンク|カイテチェ族|en|Kaytetye people}}や{{仮リンク|アンマティエル|en|Anmatyerr|label=ウンマジェラ族}}が使っていると断言する「alcheri」という「夢」を意味する言葉に結びつけたものである{{sfn|Spencer|Gillen|1904|p=745}}。
=== 批判 ===
[[File:The Rising Milky Way over Uluru.jpg|thumb|[[ウルル]]にかかる[[天の川]]。カール・ストレーロウによれば、天の川は創造神の住居に通じているとしている。]]
ただ、「アルチェリンガ」の翻訳であるというのは誤解または誤訳に基づく解釈だという意見も存在し、一部の学者はこの語は本来「永遠の、創造されざる」という意味に近いと指摘している{{sfn|Swain|1993|p=21}}。[[ドイツ]]の[[ルーテル教会]][[牧師]]である{{仮リンク|カール・ストレーロウ|en|Carl Strehlow}}は、1908年に『Die Aranda(The Arrente)』を著し、その中でギレンとスペンサーの著作に対する疑義を掲げた。ストレーロウは、語源が不明な単語「アルトジラ(altjira)」を挙げ、この語がアランダ族において「始まりのない永遠の存在」と説明されていることを指摘した。上アランダ語において、「夢を見る」という意味に相当する[[動詞]]は「altjirerama」であり、転じて「神を見る」という意味であった。ストレーロウは、この単語が「altjirrinja」というやや珍しい[[名詞]]であり、ギレンとスペンサーはこの語を転訛させて誤った語源を付けたと説いた。ストレーロウは「原住民は、彼らの歴史上の特定点を示す「ドリームタイム」について何も知らない」と結論付けた{{sfn|Hill|2003|pp=140–141}}{{efn|歴史家のバリー・ヒルは、ストレーロウに情報を提供していたのはモーゼス(チャルカボタ)という[[キリスト教]]に改宗した人物であり、そのためキリスト教への接触以前の信仰に関する情報が不正確で、その情報を採用したのは方法論として正しくないと述べている。}}。
ストレーロウは「アルトジラ」または「アルトジラ・マラ(Altjira mara、マラは「善」を意味する)」の語を、アランダ語における「世界と人類の永遠の[[創造主]]」という意味の言葉として挙げた。ストレーロウの描写では、アルトジラは背の高い屈強な男で、美しく長い髪と赤い肌を持ち、さらにエミューの脚を持っているという。そして同じく赤い肌、かつ犬の脚を持った妻を多数抱え、また子供も持っているとしている。アルトジラらは天空の、[[天の川]]が流れる地に在住するとストレーロウは説明している{{sfn|Gill|1998|pp=93–103}}。しかし、ストレーロウが執筆に際して証言を求めた知人らは何十年来のキリスト教改宗者であり、このためアルトジラは宣教師によってもたらされたキリスト教の神を表す言葉ではないかとの指摘もされている{{sfn|Gill|1998|pp=93–103}}。1926年、スペンサーはストレーロウの結論に対する反証、および自身らの著作に対する暗黙の批判に異議を唱えるべく、実地調査を行った。その中でスペンサーは、1890年代からアルトジラという単語が「神」ではなく、「過去の時代に関連する」または「永遠の」という用法で使われていることを発見した{{sfn|Gill|1998|pp=93–103}}。
学者のサム・ギルは、ストレーロウのアルトジラの説明は曖昧であり、ある時は至高の存在を、またある時は[[トーテム]](崇敬物)であるが至高の存在ではないと表現していることを発見した。ギルはこの論争を、スペンサーらの「アボリジニの人々は宗教以前の「発達段階」にある(したがって至高の存在を信じることができない)」という文化進化論的な信念と、宣教師であるストレーロウの「神聖な存在への信仰という概念が布教への有効な切り口となる」という考え方とが衝突したものと考えている{{sfn|Gill|1998|pp=93–103}}。
言語学者デイヴィッド・キャンベル・ムーアは、ギレンとスペンサーの「ドリームタイム」の訳自体に批判的で、以下のように述べている{{sfn|Moore|2016|pp=85–108}}。<blockquote>「ドリームタイム」は「夢」と「アルトジラ」の語源的なつながりに基づく誤訳であり、それは限られた地域でのみ通用する概念である。「夢」と「アルトジラ」には{{仮リンク|意味論|en|Semantics}}的な関係があるが、「夢」が「アルトジラ」の本質を捉えているとするのは幻想である。</blockquote>
=== 他言語における表現 ===
アルチェリンガのほか、{{仮リンク|西部砂漠文化圏|en|Western Desert cultural bloc}}で話されている[[ピチャンチャチャラ語|ピジャンジャジャラ語]]には「ジュクルパ(Jukurrpa)」という単語があり、その言葉はドリームタイム(ここでは天地創造の時代を指す)、およびその時代に繰り広げられた物語(ドリーミングストーリー)の両方を内包、さらにそこから導き出される掟、寝ているときに見る夢そのもの、それ以外の物語をも意味している{{sfn|白石|1993|p=58}}{{sfn|Nicholls_a|2014}}{{sfn|nma}}。
このほかにも、同様のドリーミングに通じる各部族の言語には以下のようなものがある。
* Ngarrankarni または Ngarrarngkarni - {{仮リンク|ギジャ族|en|Gija people}}{{sfn|Nicholls_a|2014}}
* Jukurrpa または Tjukurpa / Tjukurrpa - {{仮リンク|ワルピリ族|en|Warlpiri people}}および[[ピチャンチャチャラ語|ピジャンジャジャラ語]]{{sfn|Nicholls_a|2014}}{{sfn|Nicholls_b|2014}}<ref>{{cite web |url=https://www.jukurrpadesigns.com.au/jukurrpa-meaning|website=Jukurrpa Designs|title=Jukurrpa|access-date=2 July 2020}}</ref>
* Ungud または Wungud - {{仮リンク|ンガリニン族|en|Ngarinyin}}{{sfn|Nicholls_a|2014}}
* Manguny - {{仮リンク|マルトゥ・ワンカ方言|en|Martu Wangka dialect}}{{sfn|Nicholls_a|2014}}
* Wongar - 北東[[アーネムランド]]{{sfn|Nicholls_a|2014}}
* Daramoolen - {{仮リンク|ングンナワル語|en|Ngunnawal language}}および{{仮リンク|ンガリゴ語|en|Ngarigo language}}{{sfn|Nicholls_b|2014}}
* Nura - [[ダルク語]]{{sfn|Nicholls_b|2014}}
* Nyitting - {{仮リンク|ヌーンガル語|en|Noongar language}}<ref>{{Cite web |title=Spirituality |url=https://www.noongarculture.org.au/spirituality/ |access-date=2023-03-12 |website=Kaartdijin Noongar}}</ref>
=== 他言語への翻訳 ===
「ドリーミング」の他の言語への翻訳のほとんどは、dreamという英単語の翻訳に基づいている。[[フランス語]]の「Espaces de rêves(「夢の空間」)」や、[[クロアチア語]]の「Snivanje(「夢を見る」という動詞から派生した[[動名詞]])」などがその例である{{sfn|Nicholls_c|2014}}。日本語においても、「ドリームタイム」を「夢の時代」と直訳している事例が見受けられる{{sfn|ナイル|1995|p=36}}{{sfn|チャトウィン|1994|p=7}}。ただ、ドリーミングの概念は英単語のdreamでは説明不十分であり、アボリジニでない外部からの観点でその文化を説明するのは困難である{{sfn|Nicholls_a|2014}}。
== 解釈 ==
[[File:Ku-ring-gai Chase - petroglyph.jpg|thumb|right|200px|ク・リン・ガイ・チェイス・ペトログリフ。ワラタ・トラックを経由し、[[バイアーメ]]を描いている。バイアーメはいくつかの民族において天空の神、創造神とされている。]]
[[File:Bibbulmun Track Markings.jpg|thumb|200px|ワウガルと呼ばれる中央に黒い蛇が描かれた黄色い三角形は、[[西オーストラリア州]]カラマンダと[[オールバニ (西オーストラリア州)|オールバニ]]を結ぶ「ビブルムン・トラック」のトレイルマーカー(道しるべ)である。ヌーンガー族はワウガルが[[スワン川]]を形成し、[[ダーリング崖]]に象徴されるとしている。]]
外部の人類学者らは、ドリーミングについて様々な解釈をした。人類学者の{{仮リンク|ウィリアム・エドワード・ハンリー・スタナー|en|William Edward Hanley Stanner}}は、この言葉を「複合的な意味」と考えたほうが外部の人間には理解しやすいだろうと述べている{{sfn|Nicholls_a|2014}}。[[オーストラリア国立大学]]の名誉上級講師であるクリスティーン・ジュディス・ニコラスは「生きるためのルール、道徳的規範、自然環境と相互作用するためのルールを提供する包括的な概念」と解説した{{sfn|Nicholls_a|2014}}。
ドリーミングはしばしば特定の場所、年齢や性別、スキングループ(スキンネーム)と呼ばれるアボリジニの親族関係などに結び付けられる。これはドリーミングを題材にした芸術作品にも表れており、たとえば画家テオ(フェイ)・ナンガラ・ハドソンは『ピキリイ・ジュクルパ(Pikilyi Jukurrpa)』を描いているが、これは[[ノーザンテリトリー]]にあるヴォーン・スプリングス、ワルピリ族の言葉で「ピキリイ(Pikilyi)」と呼ばれる[[泉]]に関する作品である。泉には[[虹蛇]]の夫婦が棲んでおり、妻はナパナンカ(Napananka)の、夫はジャパンガルディ(Japangardi)のスキングループにそれぞれ属しており、これはワルピリの文化においては禁忌の関係、禁断の恋仲である。ナンガラはこのピキリイのドリーミングを父方から受け継ぎ、また母方からはユパルリ(Yuparli)のドリーミングを受け継いでいる<ref>{{Cite web |title=Theo Nangala Hudson – Pikilyi Jukurrpa – Kilim (S) |url=https://songlinesaustralia.com/product/theo-nangala-hudson-pikilyi-jukurrpa-kilim-s/ |website=songlinesaustralia.com |access-date=2023-10-20}}</ref><ref>{{Cite web |title=Theo (Faye) Nangala Hudson |url=https://www.kateowengallery.com/artists/The741/Theo-Faye-Nangala-Hudson.htm |website=Kate Owen Gallery |access-date=2023-10-20}}</ref>。
ドリーミングの概念はかつては学術的な用語に留まっていたが、1970年代以降は元来の文化として戻っていった。1990年代には大衆文化や観光を通じて独自の価値観に転じ、アボリジニの使う英語の語彙において「{{仮リンク|自己成就的予言|en|Self-fulfilling prophecy|label=自己実現的な学術的予言}}」という意味で広く浸透している{{sfn|Swain|1993|p=21}}。のちにドリームタイムの概念はオーストラリア独自の文脈を飛び越え、世界的な大衆文化の中に溶け込んでいる。一方、ニコラスはこの「ドリーミング」「ドリームタイム」という呼称を「特有の認識論的・宇宙論的・存在論的枠組みを構成する、この意味的に豊かで形而上学的な単語概念を、一様に矮小化した」と論じ、「オーストラリアのメインストリームにおいても大げさな[[ニューエイジ]]ムーブメントの亜種として扱われている」と述べている{{sfn|Nicholls_a|2014}}。
=== 時間の概念 ===
ドリーミング、およびドリームタイムと呼ばれる神話の時代の概念は独特で、アボリジニ外部の人間が抱く一般的な時間概念とは大きく異なる。『[[ブリタニカ百科事典]]』によれば、ドリーミングは「始まりはあるが、終わりを予見できない神話の時代」とある{{sfn|Encyclopædia Britannica}}。人類学者の{{仮リンク|アドルファス・ペーター・エルキン|en|A. P. Elkin}}はドリーミングを「過去は……現在であり、ここであり、今である」と表現{{sfn|保苅|2004|p=177}}、{{仮リンク|デボラ・バード・ローズ|en|Deborah Bird Rose}}は「すべてのドリーミングは、すべての時間に存在する。同時発生的な一連のできごとであり、継続するものである」{{sfn|保苅|2004|p=177}}とした。
また、スタナーはドリーミングの時間構造を「あらゆるとき(Everywhen)」と定義している{{sfn|保苅|2004|p=177}}{{sfn|Nicholls_a|2014}}。一方、宗教学者のトニー・スウェインは、ドリーミングにおけるいかなる時間概念をも否定し、それを「持続するできごと」と呼ぶことを提案している{{sfn|保苅|2004|p=177}}。
=== 信仰 ===
アボリジニのアミニズム信仰のなかで、天地創造の神話、ドリームタイムに対する信仰は特に篤い。大地や人間、植物、動物などはすべてドリームタイムに創造されたとしている{{sfn|ナイル|1995|p=36}}。特に大地に対する信仰が強く、自分の生まれた土地とその地が持つ物語に強い帰属意識を持つ{{sfn|白石|1993|pp=51-66}}。人類学者の[[保苅実]]は「大地こそが、一般的にドリーミングと呼ばれているアボリジニの神話体系、法概念、霊的世界観をもっとも集約したかたちで表現した概念である」と考えた{{sfn|保苅|2004|p=62}}。
世界はまず大地があり、そこに人間や精霊、動物の姿をしたドリーミングの登場人物らが現れ、様々な旅路を進み、その結果地形を形成し、人間や動植物を、そして言語や儀式も創っていったという{{sfn|保苅|2004|p=63}}{{sfn|nma}}。地形はただの被造物ではなく、地形そのものがドリーミングと考えられた{{sfn|保苅|2004|p=63}}。それらのドリーミングは[[トーテム]](崇敬物)の役割を果たし、それを通じて人類は神話の存在や動植物と同種のものとして扱われ、時間の始まりから現在、そして未来へと途切れることのない不滅のアイデンティティを与えられている{{sfn|Encyclopædia Britannica}}。
旅を終えた登場人物らは疲れ果てて大地に還り、水場や丘、岩場などに姿を変えた{{sfn|ナイル|1995|p=39}}<ref>{{cite web |last=Korff |first=Jens |title=What is the 'Dreamtime' or the 'Dreaming'? |website=Creative Spirits |date=8 February 2019 |url=https://www.creativespirits.info/aboriginalculture/spirituality/what-is-the-dreamtime-or-the-dreaming |access-date=2 July 2020}}</ref>。天空の星々の間に向かったものもあった{{sfn|nma}}。神話の登場人物らは永遠の存在とされ、たとえば物語の中で殺されたり、地形へと姿を変えたりしたとしても、その本質は衰えないものとされた。特に神話の存在が地形に変容した土地は神聖なものとして、儀式の中心地に据えられた{{sfn|Encyclopædia Britannica}}。ドリームタイムの登場人物の軌跡は物語に留まらず、アボリジニの法と倫理にもなった{{sfn|保苅|2004|p=63}}{{sfn|nma}}。
旅路に際し、ドリームタイムの登場人物らは歌いながら軌跡を描いた{{sfn|ナイル|1995|p=39}}。その道筋は、'''ドリーミングトラック'''(Dreaming tracks)または'''[[ソングライン]]'''(songlines)と呼ばれているネットワークを形成している。これらの知識は、各民族の上層が保持して伝えられてきた{{sfn|nma}}。
ドリームタイムの登場人物は、人間に限らず動物も含めてアボリジニの祖先と考えられている。このため、たとえば自身の祖先をドリームタイムに登場した[[ワラビー]]だとする人々は、実在のワラビーとは兄弟に当たり、ワラビーを殺して食べることは共食いだと考えている{{sfn|チャトウィン|1994|pp=24-25}}。ドリーミングはあらゆる種にあると考えられ、たとえば[[ウィルス]]や[[水疱瘡]]といった病原体ですらドリーミングがあり、[[キンバリー地域|キンバリー高原]]には「お金」のドリーミングを持つ人々もいる{{sfn|チャトウィン|1994|pp=24-25}}。
カール・ストレーロウの子で、自身もアボリジニ文化の研究者となった{{仮リンク|テッド・ストレーロウ|en|Ted Strehlow}}は、ドリームタイムの「神話」の研究について、「無数の回廊と通路からなる迷宮に入りこむこと」と表現した{{sfn|チャトウィン|1994|p=123}}。
=== 死生観 ===
生命力の概念は聖地とも紐づけられており、聖地で行われる儀式はそこを創ったドリームタイムの再現でもあり、生命力を新たに生み出すための必要なことと考えられた<ref>{{cite web |title=The Dreaming: Sacred sites| website=Working with Indigenous Australians |url=http://www.workingwithindigenousaustralians.info/content/Culture_2_The_Dreaming.html |access-date=2 July 2020}}</ref>。各個人のドリーミングは生まれる前から存在し、死後も保持されるものと考えられている。生前も没後も子供の魂はドリーミングの中にあり、母親を通して生まれることで初めて生命が宿ると考えられている。アボリジニの文化においては、子供の魂は妊娠5か月目の[[胎児]]に宿ると考えられている{{sfn|Bates|1992}}。母親が胎内で胎児が初めて動くのを感じると、それは母親が立っているその土地の精霊の仕業だと考えられた。子供は誕生と同時にその土地の特別な管理者と考えられ、その土地の物語やソングラインを教えられた。[[物理学者]]で作家の{{仮リンク|フレッド・アラン・ウルフ|en|Fred Alan Wolf}}は自著において「{{仮リンク|ブラックフェラ|en|Blackfella}}(肌の黒いオーストラリア先住民)は自身のトーテムや、自身の生まれた場所をドリーミングと見なしているかもしれない。または民族の掟をドリーミングと見なすこともある」と述べている{{sfn|Wolf|1994|p=14}}。
アボリジニの民族音楽ジャンルのひとつに{{仮リンク|ワンガ|en|Wangga}}があるが、これは歌と踊りで[[死]]と再生をテーマとして表現している{{sfn|Marett|2005|p=1}}。ワンガは日常生活や、ニュイドジ(nyuidj、死霊)のドリーミングから着想される{{sfn|Povinelli|2002|p=200}}。
== 関連項目 ==
* {{仮リンク|アボリジニの神話と宗教|en|Australian Aboriginal religion and mythology}}
== 脚注 ==
=== 参考文献 ===
*{{cite book |和書
|title=ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践
|author=[[保苅実]] |date=2004
|publisher=[[御茶の水書房]]
|url=https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E2%80%95%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AE%9F%E8%B7%B5-%E4%BF%9D%E8%8B%85-%E5%AE%9F/dp/4275003349
|isbn=978-4275003348
|ref={{SfnRef|保苅|2004}}
}}
*{{cite book |和書
|title=精霊の民アボリジニー
|series=世界人権問題叢書
|author=白石理恵 |date=1993
|publisher=[[明石書店]]
|url=https://www.akashi.co.jp/book/b63535.html
|isbn=978-4750305165
|ref={{SfnRef|白石|1993}}
}}
*{{cite book |和書
|title=オーストラリアのアボリジニー
|series=世界の先住民 10―いまはわたしの国といえない
|author=リチャード・ナイル (著)、柏木里美 (翻訳) |date=1995
|publisher=[[リブリオ出版]]
|url=https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E2%80%95%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84-10-%E6%9F%8F%E6%9C%A8-%E9%87%8C%E7%BE%8E/dp/4897844118/ref=sr_1_8?qid=1697756384&s=books&sr=1-8
|isbn=978-4897844114
|ref={{SfnRef|ナイル|1995}}
}}
*{{cite book |和書
|title=ソングライン
|author= ブルース・チャトウィン (著)、芹沢真理子 (翻訳) |date=1994
|publisher=[[めるくまーる]]
|url=https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4839700788
|ref={{SfnRef|チャトウィン|1994}}
}}
*{{cite book
|title=A Place for Strangers: Towards a History of Australian Aboriginal Being
|last=Swain |first=Tony |date=1993
|publisher=[[Cambridge University Press]]
|url=https://books.google.com/books?id=B040KquZAEIC&pg=PA21
|isbn=978-0-521-44691-4
|ref=harv
}}
*{{Cite book |chapter=Tjukurpa Time
|last=James |first=Diana |date=2015
|title=Long History, Deep Time: Deepening Histories of Place
|editor1-last=McGrath |editor1-first=Ann
|editor2-last=Jebb |editor2-first=Mary Anne
|publisher=Australian National University Press
|chapter-url=https://books.google.com/books?id=6nDSCgAAQBAJ&pg=PA36
|pages=33–46
|isbn=9781--925-02253-7
|ref=harv
}}
*{{cite book |title=Native Tribes of Central Australia
|last1=Spencer |first1=Baldwin
|last2=Gillen |first2=F. J.
|date=1899
|publisher=Macmillan & Co
|url=https://archive.org/details/nativetribesofce00spenuoft
|ref=harv
}}
*{{cite book |title=The northern tribes of central Australia
|last1=Spencer |first1=Baldwin
|last2=Gillen |first2=F. J.
|date=1904
|publisher=Macmillan & Co
|url=https://archive.org/details/northerntribesc00gillgoog
|ref=harv
}}
*{{cite book |title=Broken Song: T G H Strehlow and Aboriginal Possession
|last=Hill |first=Barry |date=2003
|publisher=Knopf-Random House
|isbn=978-1-742-74940-2
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=Storytracking: Texts, Stories & Histories in Central Australia
|last=Gill |first=Sam D.
|publisher=Oxford University Press
|url=https://books.google.com/books?id=IlfnCwAAQBAJ&q=altjira
|date=1998 |pages=93–103
|isbn=978-0195115871
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=Altjira, Dream and God
|last=Moore |first=David
|url=https://www.researchgate.net/publication/306037801
|date=1 January 2016 |pages=85–108
|isbn=978-1472443830
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=Aboriginal Perth and Bibbulmun biographies and legends
|last=Bates |first=Daisy |date=1992
|series=Aboriginal studies series
|url=https://catalogue.nla.gov.au/catalog/1057019
|publisher=Hesperion Press
|isbn=0859051358
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=The Dreaming Universe: a mind-expanding journey into the realm where psyche and physics meet
|last=Wolf |first=Fred Alan |date=1994
|url=https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B001PO64UA
|publisher=Simon & Schuster |location=New York
|isbn=0-671-74946-3
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=Songs, Dreamings, and Ghosts: The Wangga of North Australia
|last=Marett |first=Allan |date=2005
|publisher=Wesleyan University Press |location=Middletown, Connecticut
|url=https://books.google.com/books?id=oFhUE_AlE8QC&q=wangga
|page=1
|isbn=978-0-8195-6618-8
|ref=harv
}}
*{{Cite book |title=The Cunning of Recognition: Indigenous Alterities and the Making of Australian Multiculturalism
|last=Povinelli |first=Elizabeth A. |date=2002
|publisher=Duke University Press |location=Durham, North Carolina
|url=https://archive.org/details/cunningofrecogni0000povi |url-access=registration
|page=[https://archive.org/details/cunningofrecogni0000povi/page/200 200]
|isbn=978-0-8223-2868-1
|ref=harv
}}
*{{Cite journal |title=Mutilated hands or signal stencils? A consideration of irregular hand stencils from Central Queensland
|last=Walsh |first=G. L.
|journal=Australian Archaeology
|date=1979 |volume=9 |number=9 |pages=33–41
|doi=10.1080/03122417.1979.12093358 |hdl=2328/708 |url=https://dspace2.flinders.edu.au/xmlui/bitstream/handle/2328/708/1979009033041_FINAL.pdf
|hdl-access=free
|ref=harv
}}
=== ウェブサイト ===
* {{Cite journal|和書|author=[[保苅実]] |date=1999 |url=https://doi.org/10.20764/asaj.12.0_48 |title=アボリジニが語った白人の起源「ジャッキー・バンダマラ」 : グリンジの歴史実践にみるリアリティー |journal=オーストラリア研究 |ISSN=09198911 |publisher=オーストラリア学会 |volume=12 |pages=48-61 |doi=10.20764/asaj.12.0_48 |CRID=1390282680803139072 |accessdate=2023-10-27 |ref=保苅}}
*{{Cite web
|title='Dreamtime' and 'The Dreaming': An introduction
|last=Nicholls |first=Christine Judith
|website=The Conversation
|url=http://theconversation.com/dreamtime-and-the-dreaming-an-introduction-20833
|date=22 January 2014 |access-date=7 January 2019
|ref={{SfnRef|Nicholls_a|2014}}
}}
*{{Cite web |title='Dreamings' and dreaming narratives: What's the relationship?
|last=Nicholls |first=Christine Judith
|website=The Conversation
|url=http://theconversation.com/dreamings-and-dreaming-narratives-whats-the-relationship-20837
|date=5 February 2014 |access-date=7 January 2019
|ref={{SfnRef|Nicholls_b|2014}}
}}
*{{Cite web |title='Dreamtime' and 'The Dreaming': Who dreamed up these terms?
|last=Nicholls |first=Christine Judith
|website=The Conversation
|url=http://theconversation.com/dreamtime-and-the-dreaming-who-dreamed-up-these-terms-20835
|date=28 January 2014 |access-date=7 January 2019
|ref={{SfnRef|Nicholls_c|2014}}
}}
*{{cite encyclopedia| title=the Dreaming
|encyclopedia=[[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]
|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/171252/the-Dreaming
|access-date=2023-10-21
|ref={{harvid|Encyclopædia Britannica}}
}}
*{{cite web
|title=Jukurrpa
|url=https://www.nma.gov.au/exhibitions/yiwarra-kuju-canning-stock-route/artworks/jukurrpa
|website=[[オーストラリア国立博物館|National Museum of Australia]]
|date=7 January 2020
|access-date=2023-10-21
|ref={{SfnRef|nma}}
}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{DEFAULTSORT:とりいみんく}}
[[Category:オーストラリアの文化]]
[[Category:アボリジニの神話]]
[[Category:先住民族の文化]] | 2023-10-21T15:12:25Z | 2023-11-01T09:05:16Z | false | false | false | [
"Template:Cite book",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Reflist",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Sfn",
"Template:仮リンク",
"Template:Efn",
"Template:Cite encyclopedia",
"Template:Notelist",
"Template:Otheruses"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96) |
4,844,840 | 阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人 | 『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』(あひこてつろうものがたり せんそうのとらわれびと)は2023年公開予定、日本・カザフスタンの映画。
阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』(あひこてつろうものがたり せんそうのとらわれびと)は2023年公開予定、日本・カザフスタンの映画。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "阿彦哲郎は第二次世界大戦後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連だったカザフスタンの収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品。",
"title": "あらすじ"
}
] | 『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』は2023年公開予定、日本・カザフスタンの映画。 | {{複数の問題
|出典の明記=2023年10月21日 (土) 19:11 (UTC)
|特筆性=2023年10月21日 (土) 19:11 (UTC)
}}
『'''阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人'''』(あひこてつろうものがたり せんそうのとらわれびと)は2023年公開予定、[[日本]]・[[カザフスタン]]の映画<ref>{{Cite web|title=『阿彦哲郎物語 戦争の囚われ人』『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』|url=http://joji.uplink.co.jp/movie/2023/19303/|website=アップリンク吉祥寺|access-date=2023-10-19|last=アップリンク吉祥寺}}</ref>。
== あらすじ ==
[[阿彦哲郎]]は[[第二次世界大戦]]後、家族が北海道に引き上げた後も労働者として樺太に残らざるを得なかった。彼は進駐してきたソ連軍に捕まり、青年学校に在籍していたというだけでソ連刑法第58条、いわゆる内乱の罪で逮捕され、当時、ソ連だった[[カザフスタン]]の収容所に収監された。彼がたどり着いた所は国内犯(政治犯)として様々な民族、境遇の溜まり場だった。「日本に帰って再び家族と会いたい」。その思いを胸に秘め、辛い作業に耐え、生き残り、収容所から釈放されるまでの日々を描いた作品。
== キャスト ==
* [[阿彦哲郎]] - [[小笠原瑛作]]
* スルム・カシュクバエフ
* 佐野史将
* 秀子 -[[かざり]]
* アカジャン: スルム・カシュカバエフ
* アカジャンの父: アサナリ・アシモフ
* グリツァイ曹長: アルテム・シュロフ
* バー店員(書記): マキシム・カスペロビッチ
* マナヒ: イスベック・アブリマジノフ
* 看守隊長: ロマン・チェフナドスキー
* 収容所長イワン・セルゲイビッチ:ビクトル・アシャニン
* ブラーチ(医者): セルゲイ・ウフィンツェム
* クロコジール(ワニ): ガブリエル・コーエン
* グヌース(よだれかけ):コンスタンチン・ディフノフ
* ネーメッツ(ドイツ人):ブラチスラフ・ブカトキン
* チノーブニク(役人):リナト・ムハメトシン
* バスマチ:ルステム・サファロフ
* ジャージャ(おじさん):セルゲイ・ウテシェフ
* バーテンダー:アレクサンドル・ルシノビッチ
* カザフ人看守:マラト・サルセンバエフ
* 班長(甘えん坊):ドミトリー・バグランツェフ
* 秀子に似た女囚:アデル・マフムート
* ドイツ人1:ルドルフ・アンス
* ドイツ人2:アントン・ドゥダレフ
* フランス人1:デニス・クルバチャエフ
* フランス人2:コンスタンチン・パリゴフ
* イタリア人1:イゴリ・ミツケビッチ
* イタリア人2:サンカル・カイナルリ
* 老囚人:アディルジャン・トゥラバエフ
* タルガット(羊飼い):アイバル・タンギット
* サバーク(犬):ユーリー・ゴリン
* 囚人13分隊員:ダニン・バブシキン
* 囚人13分隊員:ドミトリー・ザバロチン
* 囚人13分隊員:ミハイル・サバコニン
* 囚人13分隊員:ドミリ・パスペロフ
* 囚人13分隊員:ドミートリー・リトビノフ
* 囚人13分隊員:ニコライ・クルツェフ
* 囚人13分隊員:アリハン・ナルベコフ
* 囚人13分隊員:ウラジーミル・ラック
* 囚人13分隊員:テメルハン・ジャケエフ
* 囚人13分隊員:サケン・モルダフメトフ
* 囚人13分隊員:パーベル・ザブローディン
* 囚人13分隊員:コンスタンチン・パリゴフ
* 囚人13分隊員:デニス・クルボチャエフ
* 囚人音楽隊:セルゲイ・ルーキン
* 囚人音楽隊:アレクセイ・ベンジ
* 囚人音楽隊:アントン・マルチェンコ
* 囚人音楽隊:リナト・ジムコフ
* 囚人音楽隊:イーゴリ・ペレベーゼフ
* 囚人音楽隊:アレクセイ・ゴスチェフ
* 囚人音楽隊:サケン・ベルギバエ
* KGB:ワレーリー・ザテイキン
* KGB:ザウル・アリエフ
* KGB:アレクサンドル・べリャエフ
* KGB:アレクサンドル・クリュコフ
* 新たに到着した囚人:トレベック・ツラリエフ
* 新たに到着した囚人:ザキル・ナビエフ
* 新たに到着した囚人:ムラト・ナスベコフ
* 新たに到着した囚人:ハサン・ムカノフ
* 新たに到着した囚人:ゲオルギー・プィリコフ
* 新たに到着した囚人:ドミトリー・クリキン
* 新たに到着した囚人:アレクサンドル・セメノフ
* 新たに到着した囚人:セルゲイ・ベデニ
* 新たに到着した囚人:サビル・オスマノフ
* 新たに到着した囚人:アビル・テルベルディエフ
* 新たに到着した囚人:レオニド・シャロフ
* 新たに到着した囚人:ミロン・ワセレンコ
* 新たに到着した囚人:エルメクバイ・カイナロフ
* 新たに到着した囚人:ニコライ・チカロフ
* 新たに到着した囚人:アスカル・ウィマナリエフ
* 新たに到着した囚人:ダウト・ビバルパノフ
* 新たに到着した囚人:ビターリー・パシュキン
* 新たに到着した囚人:デニス・アッパリン
* 新たに到着した囚人:ビクトル・カラバエフ
* 新たに到着した囚人:ビクトル・チェルニコフ
* 新たに到着した囚人:アレクサンドル・セメホフ
* 新たに到着した囚人:べヒット・タジメノフ
* 新たに到着した囚人:アレクサンドル・ソロキン
* 新たに到着した囚人:アレクサンドル・オシン
* 新たに到着した囚人:ミハイル・サラフディノフ
* 新たに到着した囚人:ドミトリー・マカロフ
* 新たに到着した囚人:アレクセイ・スクリルコ
* 新たに到着した囚人:アレクセイ・ニッケル
* 新たに到着した囚人:ビタリー・ベリンスキー
* 看守:ルスナック・マキシム
* 看守:クヤノフ・チムール
* 看守:サリホフ・マルレン
* 看守:イスカンデル・アナトーリー
* 看守:ラドゥーリン・アマノフ
* 看守:アディレット・サイフッラエフ
* 看守:ジョマルト・バルバザロ
* 看守:チムール・エルタコフ
* 看守:ショフラット・ハジメトフ
* 看守:ミハイル・リンチェフスキー
* 看守:ドミトリー・ペールロフ
* 看守:サグンディク・サディコフ
* 看守:イーゴリ・モホビコフ
* 看守:キリル・アブチニコフ
* 看守:アズマット・アシモフ
* 看守:エルケブラン・フアンディック
* 看守:アルチュール・イスマイロフ
* 女囚:ナジェジュダ・チェルノワ
* 女囚:アンナ・ベリボイ
* 女囚:ナタリヤ・ブタコワ
* 女囚:ナジェジュダ・コゾレゾワ
* 女囚:ユリヤ・カラチェワ
* 女囚:ナタリヤ・メドベデワ
* 看護婦:イリーナ・ケリブレル
* 看護婦:アナスタシア・チェルノワ
* 看護婦:オレシャ・ボイコ
== スタッフ ==
* 監督
** [[佐野伸寿]]
** エルダル・カバーロフ
** アリア・ウヴァリジャノバ
* プロデューサー
** アリア・ウヴァリジャノバ
** 吉村秀一([http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎])
* 製作
** ボリス・チェルダバエフ
** アリア・ウヴァリジャノバ
** 吉村秀一([http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎])
** 津田英俊([http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎])
** [[佐野伸寿]]
* 撮影監督 - サマト・シャリポフ
* 美術監督 - ヌルブラト・ジャバコフ
* 音声監督 -バヒト・ニヤリザエフ
* 編集監督 -アスラン・スレイメノフンゲ
* 作曲-アクマラル・メルゲンゲ
* セカンドユニット -第二監督:オリガ・シュッポ
* セカンドユニット -製作担当:マラト・ダウトバーエフ
* セカンドユニット -キャスティングディレクター:マフバット・サルクトパエフ
* セカンドユニット -撮影オペレーター :メイル・ジャケバイ
* セカンドユニット -照明技師:クアト・ビセムビノフ
* セカンドユニット -照明助手チーフ:エルラン・モルダグロフ
* セカンドユニット -現場録音技師:ウラジーミル・モスノフ
* セカンドユニット -アートディレクター :エルキン・スレイメノフ
* セカンドユニット -装飾担当:サケン・セイフーラ
* セカンドユニット -デザイナー及び衣装担当 :マディナ・アミルハノヴァ
* セカンドユニット -ヘアメイク担当:イリナ・ジンチェンコ
* セカンドユニット -小道具担当:ベリク・ジュマバエフ
* サードユニット -助監督チーフ:ナズグル・ムルズフメトヴァ
* サードユニット -助監督セカンド:ヌリスラム・アルハド
* サードユニット -撮影助手セカンド :ヤン・ロジオノフ
* サードユニット -撮影助手サード:ジャンドーソフ・ドスタノフ
* サードユニット -撮影助手フォース:ラファエル・アブザロフ
* サードユニット -撮影部応援(フォーカス):イリヤス・イマンバーエフ
* サードユニット -VE(ビデオ・エンジニア):アントン・ミチン
* サードユニット -照明助手セカンド:バヒトジャン・べケンバエフ
* サードユニット -照明部応援:イリヤス・ビセムビノフ
* サードユニット -録音助手セカンド:アルマス・ベイセベコフ
* サードユニット -録音部応援:アザマット・バイムカノフ
* サードユニット -美術助手:アルマス・セルガジノフ
* サードユニット -美術応援:ジャニベク・リスバエフ
* サードユニット -装飾助手:エリス・エラフィン
* サードユニット -装飾部応援:エレザル・エラフィノフ
* サードユニット -衣装助手(ドレッサー):アレクサンドラ・ゾラトヴァ
* サードユニット -衣装助手:スタムベック・アイゲリム
* サードユニット -ヘアメイク助手:アレクサンドラ・ネミテシェヴァ
* サードユニット -ヘアメイク部応援 :アレクサンドル・ツァツィナ
* サードユニット -小道具助手:ハシヤト・カリモヴァ
* サードユニット -小道具(消え物担当):アデリ・シュマノフ
* サードユニット -調教師(ハンドラー):ビャチェスラフ・ジュハレフ
* サードユニット -編集助手:ニコリャ・トリムバセビッチ
* 写真 - [https://www.facebook.com/JpPhotographer/ 松元隼人]
* 配給 - [http://sd-japan.jp Studio-D Japan]
* 小笠原瑛作等身大パネル製作 [https://www.sasaki-kougeisya.com 株式会社佐々木工藝舎]
* 製作 - 2022年
* 製作国 - 日本・カザフスタン合作
* 上映時間 - 112分
* 映倫区分G
== 脚注 ==
{{脚注の使い方}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代]]
== 外部リンク ==
* [http://soruysha.co.jp 株式会社蒼龍舎]
** [http://sd-japan.jp Studio-D Japan]
** [https://joji.uplink.co.jp/movie/2023/19303 アップリンク吉祥寺]
{{デフォルトソート:あひこてつろうものかたりせんそうのとらわれひと}}
[[Category:日本と海外の合作映画]]
[[Category:カザフスタンの映画作品]]
[[Category:2022年の映画]]
[[Category:ソビエト連邦を舞台とした作品]]
[[Category:カザフスタンを舞台とした映画作品]]
[[Category:昭和時代戦後]]
[[Category:日ソ関係]]
[[Category:刑務所を舞台とした映画作品]] | 2023-10-21T15:13:02Z | 2023-12-17T17:10:59Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:複数の問題",
"Template:脚注の使い方",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BD%A6%E5%93%B2%E9%83%8E%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%9B%9A%E3%82%8F%E3%82%8C%E4%BA%BA |
4,844,850 | ダラス・エスコベド | ダラス・エスコベド(Dallas Escobedo、1992年4月12日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身の女子ソフトボール選手(投手)。豊田自動織機シャイニングベガ所属。ソフトボールメキシコ代表。ニックネームはダルパル、ダル。
8歳の時にソフトボールを始める。アリゾナ州立大学(アリゾナステート・サンデビルズ(英語版))では2011年のWCWS(英語版)優勝に貢献した。2014年のNPFドラフト全体1位でペンシルベニア・リベリオン(英語版)から指名を受け入団。その後はテキサス・チャージ(英語版)、スクラップ・ヤード・ファストピッチ(英語版)などでプレーをした。
2019年から日本リーグの豊田自動織機シャイニングベガに所属。初年度は19試合に登板して10勝6敗・防御率1.14・奪三振153の成績を残し、10月20日のNECプラットフォームズレッドファルコンズ戦ではノーヒットノーランも達成した。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で短縮シーズン(22試合→11試合)となった2020年は、全11試合に登板して7勝4敗・防御率0.96・奪三振68。最多勝利投手賞とベストナイン賞(投手)を受賞した。
JDリーグ初年度となった2022年は、20試合に登板して10勝7敗・防御率0.90・奪三振135。JDリーグの個人表彰タイトルの獲得はならなかったが、奪三振数は西地区で最多であった。
ユース時代はアメリカ代表としてプレーしており、2011年の世界ジュニア選手権では世界一を経験した。
その後、メキシコ代表として2016年、2018年の世界選手権、2019年の東京オリンピック予選(英語版)などに出場。いずれの大会もエースとして活躍し、同国初のオリンピック出場の立役者となった。
2021年の東京オリンピックもメキシコ代表のエースとして臨んだ。7月21日に行われた初戦のカナダ戦にエスコベドは先発したが、4回4失点で敗戦投手となった。第2戦の日本戦は登板機会がなく、第3戦のアメリカ戦では先発したが敗戦投手となり、チームは3連敗を喫した。7月25日の第4戦・イタリア戦でエスコベドは3度目の先発を任されると、イタリア打線を1安打に抑え、5-0で完封勝利を収めた。この勝利はメキシコ代表の記念すべきオリンピック初勝利となった。続く第5戦のオーストラリア戦でも完投勝利をあげ、オリンピック初出場の同国代表を4位に導いた。なお、7月27日に行われたカナダとの3位決定戦では登板機会がなく、メキシコは2-3で敗れた。
投球の大半はムービングファストボールで、ナチュラルな変化を含め打者の手元で微妙に動くボールを自在に操る。大崩れすることのない安定感溢れるピッチングが持ち味。ソフトボールマガジンが実施した「選手が選ぶ何でもランキング」の変化球投手部門では3位にランクインしており、「手元で変化する、ボールがなくなる」、「振っても当たらない変化球」、「面白いくらい動いていた」などと評されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ダラス・エスコベド(Dallas Escobedo、1992年4月12日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身の女子ソフトボール選手(投手)。豊田自動織機シャイニングベガ所属。ソフトボールメキシコ代表。ニックネームはダルパル、ダル。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "8歳の時にソフトボールを始める。アリゾナ州立大学(アリゾナステート・サンデビルズ(英語版))では2011年のWCWS(英語版)優勝に貢献した。2014年のNPFドラフト全体1位でペンシルベニア・リベリオン(英語版)から指名を受け入団。その後はテキサス・チャージ(英語版)、スクラップ・ヤード・ファストピッチ(英語版)などでプレーをした。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2019年から日本リーグの豊田自動織機シャイニングベガに所属。初年度は19試合に登板して10勝6敗・防御率1.14・奪三振153の成績を残し、10月20日のNECプラットフォームズレッドファルコンズ戦ではノーヒットノーランも達成した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "新型コロナウイルス感染拡大の影響で短縮シーズン(22試合→11試合)となった2020年は、全11試合に登板して7勝4敗・防御率0.96・奪三振68。最多勝利投手賞とベストナイン賞(投手)を受賞した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "JDリーグ初年度となった2022年は、20試合に登板して10勝7敗・防御率0.90・奪三振135。JDリーグの個人表彰タイトルの獲得はならなかったが、奪三振数は西地区で最多であった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "ユース時代はアメリカ代表としてプレーしており、2011年の世界ジュニア選手権では世界一を経験した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "その後、メキシコ代表として2016年、2018年の世界選手権、2019年の東京オリンピック予選(英語版)などに出場。いずれの大会もエースとして活躍し、同国初のオリンピック出場の立役者となった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "2021年の東京オリンピックもメキシコ代表のエースとして臨んだ。7月21日に行われた初戦のカナダ戦にエスコベドは先発したが、4回4失点で敗戦投手となった。第2戦の日本戦は登板機会がなく、第3戦のアメリカ戦では先発したが敗戦投手となり、チームは3連敗を喫した。7月25日の第4戦・イタリア戦でエスコベドは3度目の先発を任されると、イタリア打線を1安打に抑え、5-0で完封勝利を収めた。この勝利はメキシコ代表の記念すべきオリンピック初勝利となった。続く第5戦のオーストラリア戦でも完投勝利をあげ、オリンピック初出場の同国代表を4位に導いた。なお、7月27日に行われたカナダとの3位決定戦では登板機会がなく、メキシコは2-3で敗れた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "投球の大半はムービングファストボールで、ナチュラルな変化を含め打者の手元で微妙に動くボールを自在に操る。大崩れすることのない安定感溢れるピッチングが持ち味。ソフトボールマガジンが実施した「選手が選ぶ何でもランキング」の変化球投手部門では3位にランクインしており、「手元で変化する、ボールがなくなる」、「振っても当たらない変化球」、「面白いくらい動いていた」などと評されている。",
"title": "選手としての特徴"
}
] | ダラス・エスコベドは、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身の女子ソフトボール選手(投手)。豊田自動織機シャイニングベガ所属。ソフトボールメキシコ代表。ニックネームはダルパル、ダル。 | {{ソフトボール選手
| 選手名 = ダラス・エスコベド
| 本名 =
| 英語表記 = Dallas Escobedo
| 所属球団 = 豊田自動織機シャイニングベガ
| 役職 =
| 背番号 = 44
| 選手写真ファイル名 = Dallas Escobedo (Shining Vega).jpg
| 写真サイズ = 275
| 写真のコメント =
| 国籍 = {{USA}}<br />{{MEX}}
| 出身地 = {{USA}} [[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1992|4|12}}<!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} -->
| 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} -->
| 身長 = 183
| 体重 =
| 利き腕 = 右
| 打席 = 右
| 守備位置 = [[投手]]
| 初出場 =
| 最終出場 =
| 経歴 =
* {{仮リンク|セントメリーズ高校 (アリゾナ州)|en|St. Mary's High School (Phoenix, Arizona)|label=セントメリーズ高校}}
* {{仮リンク|アリゾナステート・サンデビルズ (ソフトボール)|en|Arizona State Sun Devils softball|label=アリゾナ州立大学}} (2011 - 2014)
* [[豊田自動織機シャイニングベガ]] (2019 - )
| 代表チーム = {{sbw|MEX}}
| 五輪 = [[2020年東京オリンピックのソフトボール競技|2021]]
| 世界選手権 = [[第15回世界女子ソフトボール選手権|2016]]・[[第16回世界女子ソフトボール選手権|2018]]
| パンアメリカン大会 =
| medaltemplates = <!-- 獲得メダル -->
}}
[[File:Dallas Escobedo in 2013.jpg|thumb|right|[[アリゾナ州立大学]]時代 (2013年)]]
'''ダラス・エスコベド'''('''Dallas Escobedo'''、[[1992年]][[4月12日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]出身の女子[[ソフトボール]]選手([[投手]])。[[豊田自動織機シャイニングベガ]]所属。[[ソフトボール女子メキシコ代表|ソフトボールメキシコ代表]]。ニックネームは'''ダルパル'''、'''ダル'''。
== 経歴 ==
=== アメリカ時代 ===
8歳の時にソフトボールを始める<ref>[https://wowcollection.jdleague.jp/player/dallas_escobedo/ Wow! Collection] [[JDリーグ]]</ref>。[[アリゾナ州立大学]]({{仮リンク|アリゾナステート・サンデビルズ (ソフトボール)|en|Arizona State Sun Devils softball|label=アリゾナステート・サンデビルズ}})では2011年の{{仮リンク|ウィメンズ・カレッジ・ワールドシリーズ|en|Women's College World Series|label=WCWS}}優勝に貢献した。2014年の[[ナショナル・プロ・ファストピッチ|NPF]]ドラフト全体1位で{{仮リンク|ペンシルベニア・リベリオン|en|Pennsylvania Rebellion}}から指名を受け入団。その後は{{仮リンク|テキサス・チャージ|en|Texas Charge}}、{{仮リンク|スクラップ・ヤード・ファストピッチ|en|Scrap Yard Fast Pitch}}などでプレーをした<ref>[https://sports.toyota-shokki.co.jp/softball/staffmembers/ スタッフ&メンバー] [[豊田自動織機シャイニングベガ]]</ref>。
=== 日本リーグ時代 ===
2019年から[[日本女子ソフトボールリーグ|日本リーグ]]<ref group="注">2022年からは[[JDリーグ]]。</ref>の[[豊田自動織機シャイニングベガ]]に所属。初年度は19試合に登板して10勝6敗・防御率1.14・奪三振153の成績を残し、10月20日の[[NECプラットフォームズレッドファルコンズ]]戦では[[ノーヒットノーラン]]も達成した。
[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響で短縮シーズン(22試合→11試合)となった2020年は、全11試合に登板して7勝4敗・防御率0.96・奪三振68。最多勝利投手賞とベストナイン賞(投手)を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://jsl-women.com/news/2020%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%80%80%E7%AC%AC53%E5%9B%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%EF%BC%91%E9%83%A8%E5%80%8B%E4%BA%BA%E8%A1%A8%E5%BD%B0%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%AE%9A%EF%BC%81/1748/ |title=2020年度 第53回日本女子ソフトボールリーグ1部個人表彰選手が決定! |access-date=2023-10-15 |publisher=[[日本女子ソフトボールリーグ|JSL]] |date=2020-11-09}}</ref><ref name=":0" />。
=== JDリーグ時代 ===
[[JDリーグ]]初年度となった2022年は、20試合に登板して10勝7敗・防御率0.90・奪三振135。JDリーグの個人表彰タイトルの獲得はならなかったが、奪三振数は西地区で最多であった<ref group="注">リーグ全体では[[デンソーブライトペガサス]]の[[カーリー・フーバー]](奪三振198)に次ぐ2位。</ref>。
=== 代表チーム ===
ユース時代は[[ソフトボール女子アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]としてプレーしており、2011年の[[WBSC U-18女子ソフトボールワールドカップ|世界ジュニア選手権]]では世界一を経験した。
その後、[[ソフトボール女子メキシコ代表|メキシコ代表]]として[[第15回世界女子ソフトボール選手権|2016年]]、[[第16回世界女子ソフトボール選手権|2018年]]の[[WBSC女子ソフトボールワールドカップ|世界選手権]]、2019年の{{仮リンク|2020年東京オリンピックのソフトボール競技・予選|en|Softball at the 2020 Summer Olympics – Qualification#Americas Qualifying Event|label=東京オリンピック予選}}などに出場。いずれの大会もエースとして活躍し、同国初の[[オリンピックのソフトボール競技|オリンピック]]出場の立役者となった<ref name=":0">{{Cite web |url=http://www.softball.or.jp/news/woman-2021/report/0712.html |title=「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)ソフトボール競技」出場チーム紹介 |access-date=2023-10-15 |publisher=[[日本ソフトボール協会]] |date=2021-07-12}}</ref>。
2021年の[[2020年東京オリンピックのソフトボール競技|東京オリンピック]]も[[ソフトボール女子メキシコ代表|メキシコ代表]]のエースとして臨んだ。7月21日に行われた初戦の[[ソフトボール女子カナダ代表|カナダ]]戦にエスコベドは先発したが、4回4失点で敗戦投手となった。第2戦の[[ソフトボール女子日本代表|日本]]戦は登板機会がなく、第3戦の[[ソフトボール女子アメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦では先発したが敗戦投手となり、チームは3連敗を喫した。7月25日の第4戦・[[ソフトボール女子イタリア代表|イタリア]]戦でエスコベドは3度目の先発を任されると、イタリア打線を1安打に抑え、5-0で完封勝利を収めた。この勝利は[[ソフトボール女子メキシコ代表|メキシコ代表]]の記念すべき[[オリンピックのソフトボール競技|オリンピック]]初勝利となった。続く第5戦の[[ソフトボール女子オーストラリア代表|オーストラリア]]戦でも完投勝利をあげ、オリンピック初出場の同国代表を4位に導いた。なお、7月27日に行われた[[ソフトボール女子カナダ代表|カナダ]]との3位決定戦では登板機会がなく、メキシコは2-3で敗れた<ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6275 2021/7/21 MEX 0-4 CAN] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref><ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6277 2021/7/22 MEX 2-3 JPN] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref><ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6280 2021/7/24 USA 2-0 MEX] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref><ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6284 2021/7/25 ITA 0-5 MEX] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref><ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6287 2021/7/26 MEX 4-1 AUS] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref><ref>[https://www.wbsc.org/en/events/2021-softball-olympic-games/schedule-and-results/box-score/6288 2021/7/27 MEX 2-3 CAN] [[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]]</ref>。
== 選手としての特徴 ==
投球の大半はムービングファストボールで、ナチュラルな変化を含め打者の手元で微妙に動くボールを自在に操る。大崩れすることのない安定感溢れるピッチングが持ち味<ref name=":0" />。ソフトボールマガジンが実施した「選手が選ぶ何でもランキング」の変化球投手部門では3位にランクインしており、「手元で変化する、ボールがなくなる」、「振っても当たらない変化球」、「面白いくらい動いていた」などと評されている<ref>{{Cite web |url=https://riseball.sakura.ne.jp/wp/index.php/2020/09/27/escobedo/ |title=ダラス・エスコベド 投手 後半開幕節 |access-date=2023-10-15 |publisher=RISEBALL |date=2020-10-28}}</ref>。
== 受賞歴 ==
=== [[日本女子ソフトボールリーグ|日本リーグ]]個人表彰 ===
* 2020年 - 最多勝利投手賞(7勝4敗)、ベストナイン賞(投手)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* {{Olympedia}}
* {{Twitter|dalpal12|Dallas Escobedo Magee}}
* {{Instagram|dalpal12|Dallas Escobedo Magee, OLY}}
* [https://wowcollection.jdleague.jp/player/dallas_escobedo/ Wow! Collection] - [[JDリーグ]]
{{Normdaten}}
{{Sportspeople-stub}}
{{DEFAULTSORT:えすこへと たらす}}
[[Category:アメリカ合衆国のソフトボール選手]]
[[Category:メキシコのソフトボール選手]]
[[Category:オリンピックソフトボールメキシコ代表選手]]
[[Category:豊田自動織機シャイニングベガの選手]]
[[Category:メキシコ系アメリカ人のスポーツ選手]]
[[Category:在日外国人のスポーツ選手]]
[[Category:アリゾナ州立大学出身の人物]]
[[Category:フェニックス出身の人物]]
[[Category:1992年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T15:57:58Z | 2023-12-11T00:27:53Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:Twitter",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Olympedia",
"Template:Instagram",
"Template:Normdaten",
"Template:ソフトボール選手",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist2",
"Template:Sportspeople-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%99%E3%83%89 |
4,844,870 | Bety | Bety(ベティ)は、日本の6人組アイドルグループ。シャイニングウィル所属。
2021年12月に、元全力少女Rの百川晴香の新ユニットとして活動を開始。2023年9月から6人体制で活動中。
秋葉原、五反田などの定期公演ほかでライブパーフォーマンスをするアイドルグループ。
グループ名は「Beautiful Earth Try with You」の頭文字4つから作られた。
フォーメーションにおいて「センター」は固定されない。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "Bety(ベティ)は、日本の6人組アイドルグループ。シャイニングウィル所属。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2021年12月に、元全力少女Rの百川晴香の新ユニットとして活動を開始。2023年9月から6人体制で活動中。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "秋葉原、五反田などの定期公演ほかでライブパーフォーマンスをするアイドルグループ。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "グループ名は「Beautiful Earth Try with You」の頭文字4つから作られた。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "フォーメーションにおいて「センター」は固定されない。",
"title": "メンバー"
}
] | Bety(ベティ)は、日本の6人組アイドルグループ。シャイニングウィル所属。 2021年12月に、元全力少女Rの百川晴香の新ユニットとして活動を開始。2023年9月から6人体制で活動中。 秋葉原、五反田などの定期公演ほかでライブパーフォーマンスをするアイドルグループ。 グループ名は「Beautiful Earth Try with You」の頭文字4つから作られた。 | {{otheruses||その他|ベティ}}
{{特筆性|音楽|date=2023-11}}
{{Infobox Musician
|名前 = Bety
|画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
|画像説明 = <!-- 画像の説明文 -->
|画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
|画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
|背景色 = group
|出生名 = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
|別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません -->
|出生 = <!-- 個人のみ --><!-- {{生年月日と年齢|XXXX|XX|XX}} 出生地が出身地と異なる場合、生年月日の後に記入 -->
|出身地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
|死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
|学歴 = <!-- 個人のみ -->
|ジャンル = 女性アイドルグループ
|職業 = <!-- 個人のみ -->
|担当楽器 = <!-- 個人のみ -->
|活動期間 = 2021年12月 -
|レーベル =
|配偶者 = <!-- 個人のみ -->
|著名な家族 = <!-- 個人のみ -->
|事務所 = [[シャイニングウィル]]
|共同作業者 =
|公式サイト =
|メンバー = [[#現メンバー|後述]]
|旧メンバー = [[#旧メンバー|後述]]
|著名使用楽器 = <!-- 個人のみ -->
}}
'''Bety'''(ベティ)は、[[日本]]の6人組アイドルグループ。[[シャイニングウィル]]所属。
2021年12月に、元[[全力少女R]]の[[百川晴香]]の新ユニットとして活動を開始。2023年9月から6人体制で活動中。
秋葉原、五反田などの定期公演ほかでライブパーフォーマンスをするアイドルグループ。
グループ名は「Beautiful Earth Try with You」の頭文字4つから作られた。
== 略歴 ==
* 2021年12月7日 - 全メンバーが公開され、百川晴香をリーダーとする7名体制で始動。
* 2022年6月 - 2名(森崎りな、椿うらら)が卒業。
* 2023年5月12日 - 4名(松居李々花、清水美来、山本美羽、関口南那)が卒業。同26日、新メンバー4名(志麻ほの花、うり、花咲心菜、西永彩奈)が加入し、5人体制へ。<ref>{{Cite web |url=https://ascii.jp/elem/000/004/139/4139356/ |title=百川晴香&西永彩奈の最強ペアが復活。アイドルグループ「Bety」第二章の幕開け! |publisher =ASCII |date=2023-06-02 |accessdate=2023-10-22}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.rbbtoday.com/article/2023/05/28/209373.html |title=アイドルグループ・Betyが「新生お披露目公演」を開催、メンバーが意気込みを語る |publisher =エンタメRBB |date=2023-05-28 |accessdate=2023-10-22}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.bubkaweb.com/2023/05/74270/ |title=アイドルグループ『Bety』西永彩奈、百川晴香は「本当に大好きな友達」 |publisher = |date=2023-05-27 |accessdate=2023-10-22}}</ref>
* 2023年9月 - 期間限定メンバー 西永彩奈が卒業。新メンバー2名(宮内桃子、結貴漓南)が加入し、6名体制へ。
* 2023年11月3日、新メンバー1名(西野ひかり)が加入し、7人体制へ。
== メンバー ==
フォーメーションにおいて「センター」は固定されない。
=== 現メンバー ===
* {{Color|#ff3300|赤色}} - [[百川晴香]](ももかわ はるか) リーダー
* {{Color|#FC3|黄色}} - 志麻ほの花(しま ほのか)
* {{Color|#008000|緑色}} - うり
* {{Color|#ff98cc|ピンク色}} - 花咲心菜(はなさき ここな)
* 白色 - 宮内桃子(みやうち ももこ)
* {{Color|#0000ff|青色}} - 結貴漓南(ゆうき りな)
* {{Color|#FFA500|オレンジ色}} - 西野ひかり(にしの ひかり)
=== 旧メンバー ===
* 森崎りな、椿うらら(2021年12月7日 - 2022年6月)
* 松居李々花、清水美来、山本美羽、関口南那(2021年12月7日 - 2023年5月12日)
* [[西永彩奈]]({{Color|#a757a8|紫色}} / 2023年5月26日 - 9月)
== 作品 ==
=== 楽曲 ===
* クロップ
* ヤケド未満
* バカでもわかる恋愛論
* 人生革命
* スタートは突然に
* Kiralila
* トコトン夏
* 命を叫んでたい
* Crescendo!
* innocence
== 主なライブ ==
=== 2023年 ===
* 新生Betyお披露目公演 ~スタートは突然に~(2023年5月26日)<ref>{{Cite web |title=新生Bety お披露目公演〜スタートは突然に〜 |url=https://t.livepocket.jp/e/2og4k?utm_source=Facebook&utm_medium=social&utm_campaign=223879&utm_content=evt |website=LivePocket-Ticket- |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>
* Bety1stワンマン西永彩奈卒業公演〜いつでも帰ってきてね〜(2023年9月18日)<ref>{{Cite web |title=Bety1stワンマン西永彩奈卒業公演〜いつでも帰ってきてね〜 |url=https://t.livepocket.jp/e/ksyui?utm_source=Facebook&utm_medium=social&utm_campaign=235756&utm_content=evt |website=LivePocket-Ticket- |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>
* Bety単独公演 〜新体制初披露公演〜(2023年9月21日)
* 百晴祭2023(2023年11月3日)
== 出演 ==
=== ラジオ ===
* Betyの『べ』しゃり場!!(2023年9月7日~、[[エフエム富士|FM FUJI]])
=== ウェブテレビ ===
*SHAKE UP WALLOP 火曜日 bety スペシャル(2023年11月7日~、[[WALLOP]])
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://bety.themedia.jp/ Bety 公式サイト]
* [https://twitter.com/Bety_info Bety公式info] - Twitter
{{DEFAULTSORT:へてい}}
[[Category:日本の女性アイドルグループ]]
[[Category:2021年に結成した音楽グループ]]
[[Category:6人組の音楽グループ]] | 2023-10-21T17:09:03Z | 2023-11-09T23:57:48Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Otheruses",
"Template:特筆性",
"Template:Infobox Musician",
"Template:Color",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Bety |
4,844,872 | ゴンサロ・ボルジェス | ゴンサロ・ボルジェス(Gonçalo Borges, 2001年3月29日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。FCポルト所属。ポジションはフォワード。
2019年8月11日、リーガプロのSCコヴィリャン(英語版)戦でFCポルトBデビューを果たした。
2021年12月15日、タッサ・ダ・リーガのリオ・アヴェFC戦でトップチームデビューを果たした。2022年1月16日、ベレネンセスSAD戦でリーグ戦初出場し、8分間プレーした。この出場により、ポルトがリーグ優勝をしたため優勝メダルを獲得した。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "ゴンサロ・ボルジェス(Gonçalo Borges, 2001年3月29日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。FCポルト所属。ポジションはフォワード。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2019年8月11日、リーガプロのSCコヴィリャン(英語版)戦でFCポルトBデビューを果たした。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2021年12月15日、タッサ・ダ・リーガのリオ・アヴェFC戦でトップチームデビューを果たした。2022年1月16日、ベレネンセスSAD戦でリーグ戦初出場し、8分間プレーした。この出場により、ポルトがリーグ優勝をしたため優勝メダルを獲得した。",
"title": "経歴"
}
] | ゴンサロ・ボルジェスは、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。FCポルト所属。ポジションはフォワード。 | {{ポルトガル語圏の姓名|アルブケルケ|ボルジェス}}
{{サッカー選手
| 名前 = ゴンサロ・ボルジェス
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像の説明 =
| 本名 = Gonçalo Óscar Albuquerque Borges
| 愛称 =
| カタカナ表記 =
| アルファベット表記 = Gonçalo Borges
| 原語名 =
| 原語表記 =
| 国 = {{POR}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|2001|3|29}}
| 出身地 = [[リスボン]]
| 身長 = 184cm
| 体重 =
| 所属チーム名 = {{Flagicon|POR}} [[FCポルト]]
| ポジション = [[フォワード (サッカー)|FW]]
| 背番号 = 70
| 利き足 =
| ユースクラブ1 = {{Flagicon|POR}} [[SLベンフィカ]] | ユース年1 = 2010-2015
| ユースクラブ2 = {{Flagicon|POR}} [[FCポルト]] | ユース年2 = 2015-2019
| クラブ1 = {{Flagicon|POR}} [[FCポルトB]] | 年1 = 2019- | 出場1 = 78 | 得点1 = 11
| クラブ2 = {{Flagicon|POR}} [[FCポルト]] | 年2 = 2021- | 出場2 = 17 | 得点2 = 0
| クラブ成績更新日 = 2023年9月30日
| 代表1 = {{fbu|16|POR|name=ポルトガル U-16}} | 代表年1 = 2016 | 代表出場1 = 2 | 代表得点1 = 0
| 代表2 = {{fbu|17|POR|name=ポルトガル U-17}} | 代表年2 = 2018 | 代表出場2 = 3 | 代表得点2 = 0
| 代表3 = {{fbu|18|POR|name=ポルトガル U-18}} | 代表年3 = 2019 | 代表出場3 = 4 | 代表得点3 = 0
| 代表4 = {{fbu|21|POR|name=ポルトガル U-21}} | 代表年4 = 2021-2022 | 代表出場4 = 2 | 代表得点4 = 0
| 代表成績更新日 = 2022年3月30日
| 監督年1 =
| 監督チーム1 =
| medaltemplates =
}}
'''ゴンサロ・ボルジェス'''(Gonçalo Borges, [[2001年]][[3月29日]] - )は、[[ポルトガル]]・[[リスボン]]出身の[[プロサッカー選手|サッカー選手]]。[[FCポルト]]所属。ポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。
== 経歴 ==
2019年8月11日、[[セグンダ・リーガ|リーガプロ]]の{{仮リンク|SCコヴィリャン|en|S.C. Covilhã}}戦で[[FCポルトB]]デビューを果たした<ref>{{cite web|publisher=Soccerway|url=https://int.soccerway.com/matches/2019/08/11/portugal/liga-de-honra/sc-covilha/porto-b/3065083/|title=Game Report by Soccerway|date=11 August 2019|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
2021年12月15日、[[タッサ・ダ・リーガ]]の[[リオ・アヴェFC]]戦でトップチームデビューを果たした。2022年1月16日、[[ベレネンセスSAD]]戦でリーグ戦初出場し、8分間プレーした。この出場により、ポルトがリーグ優勝をしたため優勝メダルを獲得した<ref>{{cite web | url=https://maisfutebol.iol.pt/fc-porto/ruben-semedo/fc-porto-tres-festejaram-a-distancia-quatro-ainda-querem-ser-campeoes | title=FC Porto: Três festejaram à distância, quatro ainda querem ser campeões |accessdate=2023-10-22}}</ref>。
== タイトル ==
; FCポルトユース
* [[UEFAユースリーグ]] : 2018-19<ref name=youth>{{cite news|url=https://www.dn.pt/desportos/interior/fc-porto-e-campeao-europeu-sub-19-10845534.html|title=FC Porto é campeão Europeu Sub-19|trans-title=FC Porto are Under-19 European champions|newspaper=Diário de Notícias|last=Almeida|first=Isaura|language=pt|date=29 April 2019|access-date=15 September 2019}}</ref>
; FCポルト
* [[プリメイラ・リーガ]] : 2021-22<ref>{{cite web|url=https://portugoal.net/club-news/2577-zaidu-winner-takes-porto-to-the-title-away-to-bitter-rivals-benfica|title=Zaidu winner takes Porto to the title away to bitter rivals Benfica|publisher=PortuGOAL|first=Patrick|last=Ribeiro|date=7 May 2022|access-date=7 May 2022}}</ref>
* [[タッサ・デ・ポルトガル]] : 2022-23
* [[タッサ・ダ・リーガ]] : 2022-23
* [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]] : 2022<ref>{{cite web|url=https://portugoal.net/club-news/2677-porto-beat-tondela-3-0-in-the-portuguese-super-cup|title=Porto beat Tondela 3–0 in the Portuguese Super Cup|publisher=PortuGOAL|first=Matthew|last=Marshall|date=30 July 2022|access-date=31 July 2022}}</ref>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Sports links}}
{{FCポルトのメンバー}}
{{DEFAULTSORT:ほるしえす こんさろ}}
[[Category:ポルトガルのサッカー選手]]
[[Category:FCポルトBの選手]]
[[Category:FCポルトの選手]]
[[Category:リスボン出身の人物]]
[[Category:2001年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T17:18:23Z | 2023-10-21T17:22:23Z | false | false | false | [
"Template:ポルトガル語圏の姓名",
"Template:サッカー選手",
"Template:仮リンク",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Cite news",
"Template:FCポルトのメンバー"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B9 |
4,844,874 | 花 (藤井風の曲) | 「花」(はな、英語: Hana)は、日本のシンガーソングライター・藤井風の14作目の配信限定シングル。2023年10月13日にHEHN RECORDS / ユニバーサルミュージックより発売された。
2023年10月12日より放送が開始されたフジテレビ系木曜劇場『いちばんすきな花』の主題歌として書き下ろされた楽曲。10月10日、本楽曲が、テレビドラマ『いちばんすきな花』の主題歌に決定し、ドラマの第1話放送後の10月13日、14曲目の配信シングルとしてリリースされることが発表された。
ドラマ第4話放送後の11月3日には『花 EP』がサプライズリリースされた。
本楽曲の起用にあたって、藤井は以下のようにコメントしている。
この物語の主人公達は、人生の色んな答えを探している気がしました。
彼らに自分を重ねることのできる人はとても多いと思うし、僕も勝手に彼らの仲間になったつもりで、一緒に答えを探しにいこうと思いました。そしたら今までにないほど、真っ直ぐでピュアな曲へと導いてもらえたような気がします。貴重な機会に心から感謝しています。
どんな物語が待っているのか、彼らは何を見つけるのか、いち視聴者として、そして密かに仲間として、とても楽しみにしています。
本楽曲は、2023年6月から7月にかけて開催されたアジアツアー「Fujii Kaze and the piano Asia Tour 2023」の移動中、ドラマの台本を読みながら、マレーシア行きの飛行機の中でメロディーを、帰りの飛行機の中で歌詞を制作した。楽器は一切使うことなく、ボールペンのノック音でリズムをとりながら制作を進めたという。
また、本楽曲は、プロデューサーとしてA・G・クックが参加している。A・G・クックは、2021年にリリースされた「One Last Kiss」や、2023年7月にリリースされた「Gold 〜また逢う日まで〜」でも、共同プロデュースとして制作に参加していた。2022年4月、藤井はA・G・クックとの交流の様子をInstagramに投稿していた。
『花 EP』(はな イーピー)は、日本のシンガーソングライター・藤井風の5作目の配信限定EP。2023年11月3日にHEHN RECORDS / ユニバーサルミュージックより発売された。
ドラマ第4話放送後の11月3日、サプライズリリースされた6作目となる配信限定EP。表題曲「花」の他、楽曲のインスト音源、デモ音源、また、ドラマで複数回エンディングテーマとして使用されたピアノの弾き語りによるバージョンがバラードバージョンとして収録されている。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "「花」(はな、英語: Hana)は、日本のシンガーソングライター・藤井風の14作目の配信限定シングル。2023年10月13日にHEHN RECORDS / ユニバーサルミュージックより発売された。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2023年10月12日より放送が開始されたフジテレビ系木曜劇場『いちばんすきな花』の主題歌として書き下ろされた楽曲。10月10日、本楽曲が、テレビドラマ『いちばんすきな花』の主題歌に決定し、ドラマの第1話放送後の10月13日、14曲目の配信シングルとしてリリースされることが発表された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "ドラマ第4話放送後の11月3日には『花 EP』がサプライズリリースされた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "本楽曲の起用にあたって、藤井は以下のようにコメントしている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "この物語の主人公達は、人生の色んな答えを探している気がしました。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "彼らに自分を重ねることのできる人はとても多いと思うし、僕も勝手に彼らの仲間になったつもりで、一緒に答えを探しにいこうと思いました。そしたら今までにないほど、真っ直ぐでピュアな曲へと導いてもらえたような気がします。貴重な機会に心から感謝しています。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "どんな物語が待っているのか、彼らは何を見つけるのか、いち視聴者として、そして密かに仲間として、とても楽しみにしています。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "本楽曲は、2023年6月から7月にかけて開催されたアジアツアー「Fujii Kaze and the piano Asia Tour 2023」の移動中、ドラマの台本を読みながら、マレーシア行きの飛行機の中でメロディーを、帰りの飛行機の中で歌詞を制作した。楽器は一切使うことなく、ボールペンのノック音でリズムをとりながら制作を進めたという。",
"title": "楽曲制作"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "また、本楽曲は、プロデューサーとしてA・G・クックが参加している。A・G・クックは、2021年にリリースされた「One Last Kiss」や、2023年7月にリリースされた「Gold 〜また逢う日まで〜」でも、共同プロデュースとして制作に参加していた。2022年4月、藤井はA・G・クックとの交流の様子をInstagramに投稿していた。",
"title": "楽曲制作"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "『花 EP』(はな イーピー)は、日本のシンガーソングライター・藤井風の5作目の配信限定EP。2023年11月3日にHEHN RECORDS / ユニバーサルミュージックより発売された。",
"title": "花 EP"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "ドラマ第4話放送後の11月3日、サプライズリリースされた6作目となる配信限定EP。表題曲「花」の他、楽曲のインスト音源、デモ音源、また、ドラマで複数回エンディングテーマとして使用されたピアノの弾き語りによるバージョンがバラードバージョンとして収録されている。",
"title": "花 EP"
}
] | 「花」は、日本のシンガーソングライター・藤井風の14作目の配信限定シングル。2023年10月13日にHEHN RECORDS / ユニバーサルミュージックより発売された。 | {{Infobox Song
| Name = 花
| Artist = [[藤井風]]
| Type = [[音楽配信|配信限定]][[シングル]]
| English_title = Hana<ref>{{Citation|title=Genius English Translations – 藤井風 (Fujii Kaze) - 花 (Hana) (English Translation)|url=https://genius.com/Genius-english-translations-fujii-kaze-hana-english-translation-lyrics|access-date=2023-10-21}}</ref>
| Released = {{start date|2023|10|13}}
| Format = {{Hlist-comma|[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]]|[[音楽配信#定額制音楽配信|ストリーミング]]}}
| Genre = [[J-POP]]
| Length = 4分7秒
| Label = HEHN RECORDS / [[ユニバーサルミュージック (日本)#UNIVERSAL SIGMA(ユニバーサル・シグマ)|UNIVERSAL SIGMA]]
| Writer = [[藤井風]]
| Composer = 藤井風
| Producer = [[A・G・クック]]
| Chart position = * [[Billboard JAPAN]]
** 週間7位 {{Smaller|([[Billboard Japan Hot 100|Hot 100]])}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2023&month=10&day=30|title= Hot 100|date= 2023-10-25|work= Billboard JAPAN|accessdate= 2023-10-26}}</ref>
** 週間2位 {{Smaller|([[Billboard Japan Download Songs|Download Songs]])}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=dlsongs&year=2023&month=10&day=23|title= Download Songs|date= 2023-10-18|work= Billboard JAPAN|accessdate= 2023-10-22}}</ref>
** 週間9位 {{Smaller|([[Billboard Japan Streaming Songs|Streaming Songs]])}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=stsongs&year=2023&month=11&day=20|title= Streaming Songs|date= 2023-11-15|work= Billboard JAPAN|accessdate= 2023-11-16}}</ref>
* [[オリコンチャート|オリコン]]
** 週間3位 {{Smaller|(週間デジタルシングル)}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.oricon.co.jp/rank/dis/w/2023-10-23/|title= 週間デジタルシングル(単曲)|date= 2023-10-23|work= ORICON NEWS|accessdate= 2023-10-22}}</ref>
** 週間9位 {{Smaller|(週間ストリーミング)}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.oricon.co.jp/rank/st/w/2023-10-30/|title= 週間ストリーミング|date= 2023-10-30|work= ORICON NEWS|accessdate= 2023-10-26}}</ref>
** 週間6位 {{Smaller|(週間合算シングル)}}<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.oricon.co.jp/rank/cos/w/2023-11-13/|title= 週間合算シングル|date= 2023-11-13|work= ORICON NEWS|accessdate= 2023-11-16}}</ref>
| Misc = {{Extra chronology 2
| Artist = [[藤井風]] [[シングル]]
| Type = single
| Last single = {{unbulleted list|[[Workin' Hard]]|(2023年)}}
| This single = {{unbulleted list|'''花'''|(2023年)}}
| Next single = -
}}{{external music video|{{YouTube|SfPkl7lol7g|"花" Official Video}}
}}
}}
「'''花'''」(はな、[[英語]]: ''Hana'')は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]・[[藤井風]]の14作目の[[音楽配信|配信限定]][[シングル]]。[[2023年]][[10月13日]]にHEHN RECORDS / [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]より発売された。
== 概要 ==
2023年10月12日より放送が開始された[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系[[木曜劇場]]『[[いちばんすきな花]]』の主題歌として書き下ろされた楽曲。10月10日、本楽曲が、[[テレビドラマ]]『いちばんすきな花』の主題歌に決定し、ドラマの第1話放送後の10月13日、14曲目の[[音楽配信|配信]]シングルとしてリリースされることが発表された<ref name=":0">{{Cite web |title=藤井 風、ドラマ『いちばんすきな花』書き下ろし主題歌「花」デジタルリリース ジャケ写&新アー写も |url=https://realsound.jp/2023/10/post-1455848.html |website=Real Sound|リアルサウンド |date=2023-10-10 |access-date=2023-10-10 |language=ja}}</ref>。
ドラマ第4話放送後の11月3日には『[[花 (藤井風の曲)#花 EP|花 EP]]』がサプライズリリースされた<ref name=":3">{{Cite web |title=藤井 風、『いちばんすきな花』主題歌“Ballad”バージョンなどを収録したEP『花 EP』サプライズリリース |url=https://realsound.jp/2023/11/post-1479186.html |website=Real Sound|リアルサウンド |date=2023-11-03 |access-date=2023-11-02 |language=ja}}</ref><ref name=":4">{{Cite web |title=藤井風「花 EP」をサプライズリリース、「いちばんすきな花」4話で披露の弾き語りバージョンも収録 |url=https://natalie.mu/music/news/547740 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-02 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。
本楽曲の起用にあたって、藤井は以下のようにコメントしている<ref name=":0" />。<blockquote>この物語の主人公達は、人生の色んな答えを探している気がしました。
彼らに自分を重ねることのできる人はとても多いと思うし、僕も勝手に彼らの仲間になったつもりで、一緒に答えを探しにいこうと思いました。そしたら今までにないほど、真っ直ぐでピュアな曲へと導いてもらえたような気がします。貴重な機会に心から感謝しています。
どんな物語が待っているのか、彼らは何を見つけるのか、いち視聴者として、そして密かに仲間として、とても楽しみにしています。</blockquote>
== 楽曲制作 ==
本楽曲は、2023年6月から7月にかけて開催されたアジアツアー「Fujii Kaze and the piano Asia Tour 2023」の移動中、ドラマの台本を読みながら、マレーシア行きの飛行機の中でメロディーを、帰りの飛行機の中で歌詞を制作した。楽器は一切使うことなく、ボールペンのノック音でリズムをとりながら制作を進めたという<ref>{{Cite web |title=藤井風 新ドラマ主題歌は楽器なしで作詞作曲 「ボールペンのカチカチって音でリズムを」佐久間アナ明かす |url=https://news.livedoor.com/article/detail/25139936/ |website=ライブドアニュース |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>。
また、本楽曲は、[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]として[[A・G・クック]]が参加している<ref name=":1">{{Cite web |title=藤井風の新曲にA.G.クック参加 |url=https://natalie.mu/music/news/544813 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-10-21 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。A・G・クックは、2021年にリリースされた「[[One Last Kiss]]」や、2023年7月にリリースされた「[[Gold 〜また逢う日まで〜]]」でも、共同プロデュースとして制作に参加していた<ref name=":2">{{Cite web |title=藤井 風、ドラマ『いちばんすきな花』主題歌に表れた最新モード 聴き心地のよさを増幅させる“脱力”によるグルーヴ |url=https://realsound.jp/2023/10/post-1461862.html |website=Real Sound|リアルサウンド |date=2023-10-16 |access-date=2023-10-21 |language=ja}}</ref>。2022年4月、藤井はA・G・クックとの交流の様子を[[Instagram]]に投稿していた<ref name=":1" />。
== 花 EP ==
{{Infobox Album
| Name = 花 EP
| Type = ミニ・アルバム
| Artist = [[藤井風]]
| Released = {{start date|2023|11|03}}
| Format = {{unbulleted list|[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]]|[[音楽配信#定額制音楽配信|ストリーミング]]}}
| Genre = [[J-POP]]
| Length = 16分30秒
| Label = HEHN RECORDS / [[ユニバーサルミュージック (日本)#UNIVERSAL SIGMA(ユニバーサル・シグマ)|UNIVERSAL SIGMA]]
| Producer =
| Last album = {{unbulleted list|[[きらり (曲)#リミックス|Kirari Remixes (Asia Edition)]]|(2022年)}}
| This album = {{unbulleted list|'''花 EP'''|(2023年)}}
| Next album = -
| Misc = {{external music video|Type=EP|{{YouTube|SfPkl7lol7g|"花" Official Video}}}}
}}
『'''花 EP'''』(はな イーピー)は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]・[[藤井風]]の5作目の[[音楽配信|配信限定]][[コンパクト盤|EP]]。[[2023年]][[11月3日]]にHEHN RECORDS / [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]より発売された。
=== 概要 ===
ドラマ第4話放送後の11月3日、サプライズリリースされた6作目となる配信限定EP<ref name=":3" /><ref name=":4" />。表題曲「花」の他、楽曲のインスト音源、デモ音源、また、ドラマで複数回エンディングテーマとして使用されたピアノの弾き語りによるバージョンがバラードバージョンとして収録されている。
=== 収録内容 ===
{{tracklist
|total_length=16:30
|title1=花
|length1=4:07
|title2=花 (Instrumental)
|length2=4:07
|title3=花 (Ballad)
|length3=4:08
|title4=花 (demo)
|length4=4:08
|writer=Fujii Kaze
|headline=EP『花 EP』}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 外部リンク ==
* {{公式サイト|https://www.fujitv.co.jp/ichibansukina_hana/|いちばんすきな花}} - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]
* {{YouTube|SfPkl7lol7g|"花" Official Video}}
* [https://fujiikaze.com/music/%e8%8a%b1/ fujiikaze.com : 花]
{{藤井風}}
{{フジテレビ木曜劇場主題歌 2020年代前半}}
{{デフォルトソート:はな}}
[[Category:藤井風]]
[[Category:藤井風の楽曲]]
[[Category:2023年のシングル]]
[[Category:ユニバーサルミュージックジャパンのシングル]]
[[Category:フジテレビ木曜10時枠の連続ドラマの主題歌]]
[[Category:花を題材とした楽曲]]
[[Category:楽曲 は|な]] | 2023-10-21T17:36:50Z | 2023-12-29T04:58:01Z | false | false | false | [
"Template:Tracklist",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:YouTube",
"Template:藤井風",
"Template:フジテレビ木曜劇場主題歌 2020年代前半",
"Template:Sakujo/本体",
"Template:Copyrights",
"Template:公式サイト",
"Template:Infobox Song",
"Template:Infobox Album"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1_(%E8%97%A4%E4%BA%95%E9%A2%A8%E3%81%AE%E6%9B%B2) |
4,844,880 | 米村恒輝 | 米村 恒輝(よねむら こうき、2000年2月22日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。
北海道富良野市出身。幼馴染に新設されたバレーボール部に誘われて中学1年生からバレーボールを始める。
東海大学付属札幌高等学校、東海大学湘南キャンパスを経て、2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するサフィルヴァ北海道(現・北海道イエロースターズ)の内定選手となった。内定選手としてV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
2022年、大学卒業後に、サフィルヴァ北海道に入団した。
2023年、サフィルヴァ北海道のチーム名が北海道イエロースターズの変更となり、2023-24シーズンも同チームと契約を結んだ。しかし、その後に、V1男子に所属するヴォレアス北海道に育成型期限付き移籍となり、V1でプレーすることとなった。同シーズンのV1男子の試合に出場し、V1デビューを果たした。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "米村 恒輝(よねむら こうき、2000年2月22日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "北海道富良野市出身。幼馴染に新設されたバレーボール部に誘われて中学1年生からバレーボールを始める。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "東海大学付属札幌高等学校、東海大学湘南キャンパスを経て、2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するサフィルヴァ北海道(現・北海道イエロースターズ)の内定選手となった。内定選手としてV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2022年、大学卒業後に、サフィルヴァ北海道に入団した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2023年、サフィルヴァ北海道のチーム名が北海道イエロースターズの変更となり、2023-24シーズンも同チームと契約を結んだ。しかし、その後に、V1男子に所属するヴォレアス北海道に育成型期限付き移籍となり、V1でプレーすることとなった。同シーズンのV1男子の試合に出場し、V1デビューを果たした。",
"title": "来歴"
}
] | 米村 恒輝は、日本の男子バレーボール選手である。 | {{バレーボール選手
| 本名 = 米村 恒輝
| ラテン文字 = Koki Yonemura
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|2|22}}
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[北海道]][[富良野市]]
| 原語名 =
| 原語表記 =
| 身長 = 187cm
| 体重 = 76kg
| 血液型 = B型
| 所属 = [[ヴォレアス北海道]]
| 背番号 = 4
| 愛称 = コウキ
| 役職 =
| ポジション = [[アウトサイドヒッター|OH]]
| 指高 = 243cm
| 利き手 = 右
| スパイク = 335cm
| ブロック = 315cm<ref name="チームの顔" />
| 獲得メダル =
}}
'''米村 恒輝'''(よねむら こうき、[[2000年]][[2月22日]] - )は、[[日本]]の男子[[バレーボール]]選手である。
== 来歴 ==
[[北海道]][[富良野市]]出身。幼馴染に新設されたバレーボール部に誘われて中学1年生からバレーボールを始める<ref name="チームの顔">{{Cite journal |和書|year=2023 |month=11 |title=ヴォレアス北海道 |publisher=[[日本文化出版]] |journal=2023-24 V.LEAGUE公式プログラム チームの顔 |page=54 |asin=B0CK8R2P19}}</ref>。
[[東海大学付属札幌高等学校]]、[[東海大学]]湘南キャンパスを経て、2021-22シーズン、[[V.LEAGUE]] DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するサフィルヴァ北海道(現・[[北海道イエロースターズ]])の内定選手となった<ref>{{Cite web |和書 |url=https://safilva-vc.com/archives/1457 |title=内定選手のお知らせ(米村 恒輝 選手) |access-date=2023-10-22 |publisher=[[北海道イエロースターズ|サフィルヴァ北海道]] |date=2021-12-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230406092905/https://safilva-vc.com/archives/1457 |archive-date=2023-04-06}}</ref>。内定選手として[[2021-22 V.LEAGUE DIVISION2 MEN|V2男子]]の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
2022年、大学卒業後に、サフィルヴァ北海道に入団した。
2023年、サフィルヴァ北海道のチーム名が北海道イエロースターズの変更となり、2023-24シーズンも同チームと契約を結んだ<ref>{{Cite web |和書|url=https://twitter.com/yellowstars_vb/status/1677611035136765954 |title=北海道イエロースターズのポスト |access-date=2023-10-22 |publisher=[[Twitter|X(Twitter)]] |date=2023-07-08}}</ref>。しかし、その後に、V1男子に所属する[[ヴォレアス北海道]]に育成型期限付き移籍となり、V1でプレーすることとなった<ref>{{Cite web |和書|url=https://twitter.com/yellowstars_vb/status/1701914465124733065 |title=北海道イエロースターズのポスト |access-date=2023-10-22 |publisher=[[Twitter|X(Twitter)]] |date=2023-09-13}}</ref><ref>{{Cite web |和書|url=https://voreas.co.jp/9461 |title=【2023-24契約情報】米村恒輝選手 |access-date=2023-10-22 |publisher=[[ヴォレアス北海道]] |date=2023-09-13}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=V1ヴォレアス北海道、OH米村恒輝がV2北海道イエロースターズからレンタルで入団 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2023-09-13 |url=https://hochi.news/articles/20230913-OHT1T51247.html?page=1 |access-date=2023-10-22}}</ref>。同シーズンの[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 MEN|V1男子]]の試合に出場し、V1デビューを果たした。
== 所属チーム ==
* [[東海大学付属札幌高等学校]](2015-2018年)
* [[東海大学]]湘南キャンパス(2018-2022年)
* [[北海道イエロースターズ|サフィルヴァ北海道/北海道イエロースターズ]](2022年-)
** [[ヴォレアス北海道]](2023年-)
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* {{Sports links}}
{{ヴォレアス北海道}}
{{デフォルトソート:よねむら こうき}}
[[Category:日本の男子バレーボール選手]]
[[Category:北海道イエロースターズの選手]]
[[Category:ヴォレアス北海道の選手]]
[[Category:東海大学出身の人物]]
[[Category:東海大学付属札幌高等学校出身の人物]]
[[Category:北海道出身のスポーツ選手]]
[[Category:2000年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T18:03:52Z | 2023-10-21T18:44:11Z | false | false | false | [
"Template:バレーボール選手",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Cite news",
"Template:Sports links",
"Template:ヴォレアス北海道"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%9D%91%E6%81%92%E8%BC%9D |
4,844,881 | 村松一郎 | 村松 一郎(むらまつ いちろう、1956年(昭和31年) - )は、日本の官僚。麻生太郎首相の内閣総理大臣秘書官。早稲田大学商学部卒業。
早稲田大学商学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の麻生太郎の秘書を務め、総務大臣・外務大臣などの秘書官を歴任した。また総務大臣秘書官であった2004年(平成16年)3月1日には自宅が銃撃される事件の被害にも遭った。
2008年(平成20年)9月24日に麻生太郎が内閣総理大臣に就任したことに伴い、内閣総理大臣秘書官に任命され、翌年の2009年(平成21年)9月16日まで務めた。任期中の同年2月2日には歯科医の息子の大学医学部進学を巡り元文部省(現在の文部科学省)審議官を歯科医に紹介した問題が発覚し厳重注意の処分となった。
麻生太郎の首相退任後も秘書を務め、2012年(平成24年)12月26日から2021年(令和3年)10月4日までは麻生の財務大臣秘書官を務めた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "村松 一郎(むらまつ いちろう、1956年(昭和31年) - )は、日本の官僚。麻生太郎首相の内閣総理大臣秘書官。早稲田大学商学部卒業。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "早稲田大学商学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の麻生太郎の秘書を務め、総務大臣・外務大臣などの秘書官を歴任した。また総務大臣秘書官であった2004年(平成16年)3月1日には自宅が銃撃される事件の被害にも遭った。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2008年(平成20年)9月24日に麻生太郎が内閣総理大臣に就任したことに伴い、内閣総理大臣秘書官に任命され、翌年の2009年(平成21年)9月16日まで務めた。任期中の同年2月2日には歯科医の息子の大学医学部進学を巡り元文部省(現在の文部科学省)審議官を歯科医に紹介した問題が発覚し厳重注意の処分となった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "麻生太郎の首相退任後も秘書を務め、2012年(平成24年)12月26日から2021年(令和3年)10月4日までは麻生の財務大臣秘書官を務めた。",
"title": "経歴"
}
] | 村松 一郎は、日本の官僚。麻生太郎首相の内閣総理大臣秘書官。早稲田大学商学部卒業。 | {{Infobox 人物
|氏名 = 村松 一郎
|ふりがな = むらまつ いちろう
|画像 =
|画像サイズ = <!-- 省略値は180x180px -->
|画像説明 =
|生年月日 = {{Birth year and age|1956}}
|生誕地 = {{JPN}}
|没年月日 =
|死没地 =
|職業 = [[内閣総理大臣秘書官]]
|出身校 = [[早稲田大学]][[商学部]]卒業
|配偶者 =
|子供 =
|親 =
}}
'''村松 一郎'''(むらまつ いちろう、[[1956年]]([[昭和]]31年) - )は、[[日本]]の[[官僚]]。[[麻生太郎]][[内閣総理大臣|首相]]の[[内閣総理大臣秘書官]]。[[早稲田大学]][[商学部]]卒業。
== 経歴 ==
[[早稲田大学]][[商学部]]卒業。大学卒業後は[[衆議院議員]]の[[麻生太郎]]の秘書を務め、[[総務大臣]]・[[外務大臣]]などの秘書官を歴任した。また総務大臣秘書官であった[[2004年]]([[平成]]16年)[[3月1日]]には自宅が銃撃される事件の被害にも遭った<ref>{{cite web|url=https://access-journal.jp/25580|title=麻生太郎を巡る闇?『秘書官銃撃事件と私学利権』|publisher=アクセスジャーナル|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
[[2008年]]([[平成]]20年)[[9月24日]]に麻生太郎が[[内閣総理大臣]]に就任したことに伴い、[[内閣総理大臣秘書官]]に任命され、翌年の[[2009年]](平成21年)[[9月16日]]まで務めた。任期中の同年[[2月2日]]には歯科医の息子の大学医学部進学を巡り元[[文部省]](現在の[[文部科学省]])審議官を歯科医に紹介した問題が発覚し厳重注意の処分となった<ref>{{cite web|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2009-02-20/KFCSTA1A1I4I01|title=麻生首相:秘書官の進学相談報道、疑惑を持たれぬよう注意し|publisher=Bloomberg|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
麻生太郎の首相退任後も秘書を務め、[[2012年]](平成24年)[[12月26日]]から[[2021年]]([[令和]]3年)[[10月4日]]までは麻生の[[財務大臣]]秘書官を務めた<ref>{{cite web|url=https://www.j-cast.com/tv/2013/03/07168639.html?p=all|title=麻生太郎が「ポスト安倍」狙ってる?「薬が効かなくなってきてる。長く持たない」|publisher=J-CAST|accessdate=2023-10-21}}</ref>。
== 脚注 ==
<references />
{{people-stub}}
{{デフォルトソート:むらまつ いちろう}}
[[Category:内閣総理大臣秘書官]]
[[Category:早稲田大学出身の人物]]
[[Category:麻生太郎]]
[[Category:1956年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T18:04:09Z | 2023-10-21T18:04:09Z | false | false | false | [
"Template:Infobox 人物",
"Template:Cite web",
"Template:People-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%9D%BE%E4%B8%80%E9%83%8E |
4,844,882 | 谷尻勝将 | 谷尻 勝将(たにじり かっしょう、1999年10月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。
京都府京都市出身。父親の影響小学3年生からバレーボールを始める。
東山高等学校、福山平成大学を経て、2021-22シーズン、2022年に入ってからV.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するヴォレアス北海道に入団した。
2022-23シーズンにV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。同シーズン、チームはV1昇格を果たした。
2023-24シーズン、V1男子の試合に出場し、V1デビューを果たした。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "谷尻 勝将(たにじり かっしょう、1999年10月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "京都府京都市出身。父親の影響小学3年生からバレーボールを始める。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "東山高等学校、福山平成大学を経て、2021-22シーズン、2022年に入ってからV.LEAGUE DIVISION2 MEN(V2男子)に所属するヴォレアス北海道に入団した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2022-23シーズンにV2男子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。同シーズン、チームはV1昇格を果たした。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2023-24シーズン、V1男子の試合に出場し、V1デビューを果たした。",
"title": "来歴"
}
] | 谷尻 勝将は、日本の男子バレーボール選手である。 | {{バレーボール選手
| 本名 = 谷尻 勝将
| ラテン文字 = Kassho Tanijiri
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1999|10|1}}
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[京都府]][[京都市]]
| 原語名 =
| 原語表記 =
| 身長 = 180cm
| 体重 = 70kg
| 血液型 = O型
| 所属 = [[ヴォレアス北海道]]
| 背番号 = 16
| 愛称 = カッショウ
| 役職 =
| ポジション = [[リベロ (バレーボール)|L]]
| 指高 = 230cm
| 利き手 = 右<ref name="チームの顔" />
| スパイク = 320cm
| ブロック =
| 獲得メダル =
}}
'''谷尻 勝将'''(たにじり かっしょう、[[1999年]][[10月1日]] - )は、[[日本]]の男子[[バレーボール]]選手である。
== 来歴 ==
[[京都府]][[京都市]]出身。父親の影響小学3年生からバレーボールを始める<ref name="チームの顔">{{Cite journal |和書|year=2023 |month=11 |title=ヴォレアス北海道 |publisher=[[日本文化出版]] |journal=2023-24 V.LEAGUE公式プログラム チームの顔 |page=54 |asin=B0CK8R2P19}}</ref>。
[[東山中学校・高等学校|東山高等学校]]、[[福山平成大学]]を経て、2021-22シーズン、2022年に入ってから[[V.LEAGUE]] DIVISION2 MEN(V2男子)に所属する[[ヴォレアス北海道]]に入団した<ref>{{Cite web |url=https://voreas.co.jp/6899 |title=【新入団選手契約情報】谷尻勝将選手 |access-date=2023-10-22 |publisher=[[ヴォレアス北海道]] |date=2022-02-25}}</ref>。
2022-23シーズンに[[2022-23 V.LEAGUE DIVISION2 MEN|V2男子]]の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。同シーズン、チームはV1昇格を果たした。
2023-24シーズン、[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 MEN|V1男子]]の試合に出場し、V1デビューを果たした。
== 所属チーム ==
* [[東山中学校・高等学校|東山高等学校]](2015-2018年)
* [[福山平成大学]](2018-2022年)
* [[ヴォレアス北海道]](2022年-)
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* {{Sports links}}
{{ヴォレアス北海道}}
{{デフォルトソート:たにしり かつしよう}}
[[Category:日本の男子バレーボール選手]]
[[Category:ヴォレアス北海道の選手]]
[[Category:東山高等学校出身の人物]]
[[Category:京都府出身のスポーツ選手]]
[[Category:京都市出身の人物]]
[[Category:1999年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-10-21T18:31:53Z | 2023-10-21T18:31:53Z | false | false | false | [
"Template:ヴォレアス北海道",
"Template:バレーボール選手",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite web",
"Template:Sports links"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B0%BB%E5%8B%9D%E5%B0%86 |
4,844,888 | 演劇及び文化創造集団C.A.W | 演劇及び文化創造集団C.A.W(えんげきおよびぶんかそうぞうしゅうだんカウ)は、北海道苫小牧市を拠点に活動する文化創造集団。演劇を軸に、その他文化創造活動にも携わるため劇団と名乗っていない。2016年5月設立。代表は鈴木英之。北海道胆振唯一の北海道演劇集団加盟団体。
稽古場兼小劇場である苫小牧演劇堂も運営している。
2015年12月に苫小牧市文化交流センターにて市民公募による演劇『ラスムッセン〜樽前を生き抜いた男〜』が上演され、翌年2016年3月にも、ほぼ前回同様の出演者で再演された。この時の出演者が中心となり2016年5月、苫小牧にて継続的に舞台表現を発信する目的で演劇及び文化創造集団C.A.Wが設立された。
稽古場は当初、苫小牧市日新町にあったヒアラタアートスタジオ。その後、スタジオ老朽化に伴い2020年に現在の稽古場・苫小牧演劇堂に拠点を移した。
2023年10月現在、団員は16名。
苫小牧市錦岡167-1に所在する稽古場兼小劇場。
舞台・客席等は常設せずフリースペースとなっており、催し物に応じて、舞台・客席・音響・照明を配置できるのが特徴。演劇に限らず、音楽ライブやイベントでの利用もある。
2021年3月の第15回公演『麻婆豆腐に御飯』がこけら落とし公演となった。
キャパシティは、舞台設置時40 - 70人程度。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "演劇及び文化創造集団C.A.W(えんげきおよびぶんかそうぞうしゅうだんカウ)は、北海道苫小牧市を拠点に活動する文化創造集団。演劇を軸に、その他文化創造活動にも携わるため劇団と名乗っていない。2016年5月設立。代表は鈴木英之。北海道胆振唯一の北海道演劇集団加盟団体。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "稽古場兼小劇場である苫小牧演劇堂も運営している。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2015年12月に苫小牧市文化交流センターにて市民公募による演劇『ラスムッセン〜樽前を生き抜いた男〜』が上演され、翌年2016年3月にも、ほぼ前回同様の出演者で再演された。この時の出演者が中心となり2016年5月、苫小牧にて継続的に舞台表現を発信する目的で演劇及び文化創造集団C.A.Wが設立された。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "稽古場は当初、苫小牧市日新町にあったヒアラタアートスタジオ。その後、スタジオ老朽化に伴い2020年に現在の稽古場・苫小牧演劇堂に拠点を移した。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2023年10月現在、団員は16名。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "苫小牧市錦岡167-1に所在する稽古場兼小劇場。",
"title": "苫小牧演劇堂"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "舞台・客席等は常設せずフリースペースとなっており、催し物に応じて、舞台・客席・音響・照明を配置できるのが特徴。演劇に限らず、音楽ライブやイベントでの利用もある。",
"title": "苫小牧演劇堂"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "2021年3月の第15回公演『麻婆豆腐に御飯』がこけら落とし公演となった。",
"title": "苫小牧演劇堂"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "キャパシティは、舞台設置時40 - 70人程度。",
"title": "苫小牧演劇堂"
}
] | 演劇及び文化創造集団C.A.W(えんげきおよびぶんかそうぞうしゅうだんカウ)は、北海道苫小牧市を拠点に活動する文化創造集団。演劇を軸に、その他文化創造活動にも携わるため劇団と名乗っていない。2016年5月設立。代表は鈴木英之。北海道胆振唯一の北海道演劇集団加盟団体。 稽古場兼小劇場である苫小牧演劇堂も運営している。 | {{出典の明記|date=2023年10月22日 (日) 16:03 (UTC)}}
'''演劇及び文化創造集団C.A.W'''(えんげきおよびぶんかそうぞうしゅうだんカウ)は、[[北海道]][[苫小牧市]]を拠点に活動する文化創造集団。[[演劇]]を軸に、その他文化創造活動にも携わるため[[劇団]]と名乗っていない。[[2016年]]5月設立<ref>{{Cite news|和書|title=<苫小牧>生で見る熱量感じて 節目の20回目公演 演劇及び文化創造集団C.A.W代表・鈴木英之さん(48)|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/804207/|newspaper=北海道新聞|date=2023-02-19|accessdate=2023-10-22}}</ref>。代表は[[鈴木英之 (俳優)|鈴木英之]]。北海道[[胆振]]唯一の[[北海道演劇集団]]加盟団体。
稽古場兼小劇場である[[#苫小牧演劇堂|苫小牧演劇堂]]<ref>{{Cite web|url=https://lasens.com/database/theater-2987.html|title=苫小牧演劇堂|accessdate=2023-10-25}}</ref>も運営している。
== 沿革 ==
2015年12月に苫小牧市文化交流センターにて市民公募による演劇『ラスムッセン〜樽前を生き抜いた男〜』が上演され、翌年2016年3月にも、ほぼ前回同様の出演者で再演された。この時の出演者が中心となり2016年5月、苫小牧にて継続的に舞台表現を発信する目的で演劇及び文化創造集団C.A.Wが設立された。
稽古場は当初、苫小牧市日新町にあったヒアラタアートスタジオ。その後、スタジオ老朽化に伴い2020年に現在の稽古場・苫小牧演劇堂に拠点を移した。
2023年10月現在、団員は16名<ref>{{Cite web|url=https://tomakomaicaw.jimdofree.com/c-a-w%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC/|title=C.A.W団員|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
== 定期公演 ==
*2015年12月・2016年3月(C.A.W前身公演)『ラスムッセン〜樽前を生き抜いた男〜』
*第1回公演(2016年8月)『イカレル☆ヒト』
*第2回公演(2016年12月)『ホシコ〜星をもつ馬』
*第3回公演(2017年2月)映画撮影協力公演『叫び』
*第4回公演(2017年4月)『サン★たつ』
*第5回公演(2017年6月)『我が愛しのカーテンコール』
*第6回公演(2017年9月)『プレゼント ペイン』
*第7回公演(2017年12月)『DUCK』
*第8回公演(2018年2月)『光は東方より』
*第9回公演(2018年6月)『あの世のイキカタこの世のイキカタ』
*第10回公演(2018年8月)『キープ オン フライング!』
*第11回公演(2018年12月)『曇天に輝く』
*第12回公演(2019年3月)再演『キープ オン フライング!』
*第13回公演(2019年7月)『夢の館の夢たちの夢』
*第14回公演(2019年12月)『そして、足あとを越えて』
*※2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から全公演中止。
*第15回公演(2021年3月)『麻婆豆腐に御飯』
*第16回公演(2021年12月)『キープ オン フライング!2』
*第17回公演(2022年6月)『偽物』
*第18回公演(2022年9月)『令和版 光は東方より』苫小牧公演<ref>{{Cite news|和書|title=11日の本番へ猛稽古 第18回公演「令和版光は東方より」 演劇及び文化創造集団C・A・W|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/86562/|newspaper=苫小牧民報|date=2022-09-1|accessdate=2023-10-23}}</ref>
*第18回公演(2022年10月)『令和版 光は東方より』白老公演<ref>{{Cite news|和書|title=10日、白老で公演 苫小牧の劇団「C.A.W」|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/89385/|newspaper=苫小牧民報|date=2022-10-5|accessdate=2023-10-23}}</ref>
*第19回公演(2022年12月)『KAMI』<ref>{{Cite news|和書|title=紙とネットを駆使するライターの物語「C.A.W」稽古に熱 17、18日に市内で「KAMI」公演|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/773829/|newspaper=北海道新聞|date=2022-12-12|accessdate=2023-10-22}}</ref>
*第20回公演(2023年2月)『世界を色鮮やかにする方法を僕らは知っている。』<ref>{{Cite news|和書|title=劇団カウ、25、26日に第20回公演
|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/100231|newspaper=苫小牧民報|date=2023-02-17|accessdate=2023-10-23}}</ref>
*第21回公演(2023年9月)『紡いだ風を纏って』<ref>{{Cite news|和書|title=16、17日に第21回公演 劇団カウ 道央の村が舞台|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/117772/|newspaper=苫小牧民報|date=2023-09-14|accessdate=2023-10-23}}</ref>
*第22回公演(2023年12月)『サンタの足跡』
== 定期公演以外の主な活動 ==
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2016 in とまこまい MC(2016年7月)
* [[加藤多一]]文芸講演会 企画開催(2016年11月)
* 苫小牧宮沢賢治の会発足記念イベント 朗読(2017年3月)
* リレーサウンド in とまこまい2017 司会・朗読(2017年5月)
* 宮沢賢治詩碑完成記念シンポジウム パネリストC.A.W[[鈴木英之_(俳優)|鈴木英之]](2017年5月)
* 苫小牧ドキュメンタリーフェスティバル2017 共催(2017年5月)
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2017とまこまい MC(2017年7月)
* 映画『憲法を武器として 恵庭事件 50年目の真実』 出演(2017年)<ref>{{Cite web|url=http://eniwahanketsu50.com/index.html|title=憲法を武器として 恵庭事件 知られざる50年目の真実|公式サイト|accessdate=2023-10-24}}</ref>
* 映画『チャルカ〜未来を紡ぐ糸車〜』上映会 共催(2017年11月)
* 篠崎月美舞踊公演 会場・舞台スタッフ(2018年4月)
* TVドラマ『その時あなたはどうする〜特殊詐欺多発〜』 出演(2018年)
* 宮沢賢治詩碑建立1周年記念イベント 出演・後援(2018年5月)
* 一日だけのリレー・フォー・ライフ MC・出演(2018年5月)
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2018とまこまい MC(2018年7月)
* 朗読劇「二重被爆の姉と弟」(2019年7月)<ref>{{Cite news|和書|title=「二重被爆」朗読劇で「核無き世界」|url=https://www.asahi.com/sp/articles/ASM7046YZM70IIPE00L.html|newspaper=朝日新聞|date=2019-8-1|accessdate=2023-10-24}}</ref>
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2019とまこまい MC(2019年8月)
* 映画「日高線と生きる」撮影協力公演 朗読劇『銀河鉄道の夜』(2021年7月)<ref>{{Cite news|和書|title=「銀河鉄道の夜」熱演 劇団「C・A・W」が朗読劇 記録映画撮影兼ね公演|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/53268/|newspaper=苫小牧民報|date=2021-07-20|accessdate=2023-10-25}}</ref>
* テントでエンタメ 演劇『アイヌ民話スズメの恩返し』(2021年10月)由仁町にて上演
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2022とまこまい MC(2022年7月)
* TOMAKOMAI朗読プロジェクト『明日〜1945年8月8日 長崎〜』苫小牧、白老にて上演(2023年5月)
* リレー・フォー・ライフ・ジャパン2023とまこまい MC(2023年7月)
== 苫小牧演劇堂 ==
苫小牧市錦岡167-1に所在する稽古場兼小劇場。
舞台・客席等は常設せずフリースペースとなっており、催し物に応じて、舞台・客席・音響・照明を配置できるのが特徴。演劇に限らず、音楽ライブやイベントでの利用もある。
2021年3月の第15回公演『麻婆豆腐に御飯』がこけら落とし公演となった<ref>{{Cite news|和書|title=劇団カウ・新拠点「苫小牧演劇堂」 20、21日にこけら落とし公演、本番へ稽古に熱熱|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/42555/|newspaper=苫小牧民報|date=2021-03-8|accessdate=2023-10-22}}</ref><ref>{{Cite news|和書|title=久しぶりの観劇楽しむ 劇団C・A・W 「苫小牧演劇堂」こけら落とし|url=https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/43842/|newspaper=苫小牧民報|date=2021-03-24|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
キャパシティは、舞台設置時40 - 70人程度。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* [http://www.tomakomaicaw.jimdo.com/ 演劇及び文化創造集団C.A.W] - 公式サイト
* {{Twitter|C_A_W0520}}
'''苫小牧演劇堂'''
* [https://tomakomaiengekido.jimdofree.com/ 苫小牧演劇堂] - 公式サイト
* {{Twitter|toma_engekido|苫小牧演劇堂}}
{{DEFAULTSORT:えんけきおよひふんかそうそうしゆうたんかう}}
[[Category:日本の劇団|かう]]
[[Category:2016年設立の組織]] | 2023-10-21T19:39:40Z | 2023-12-26T04:44:40Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:Cite web",
"Template:Twitter"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E5%8A%87%E5%8F%8A%E3%81%B3%E6%96%87%E5%8C%96%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%9B%86%E5%9B%A3C.A.W |
4,844,890 | 川北篤 | 川北 篤(かわきた あつし)は、日本の植物学者、東京大学大学院理学系研究科教授。学位は、博士(人間・環境学、京都大学)。2021年から東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を務めている。
2002年に京都大学理学部を卒業、2007年に京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程を修了した。同年11月に同大学院自然環境動態論講座の助教に着任すると、准教授を経て2018年、東京大学に教授として異動した。
2021年4月からは、東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を務めている。植物園の施設は老朽化が著しいため「植物標本館」の新設が計画されているが、費用は20億円に上ると予想されている。これについて川北は「東大だから金がある、と思われているかもしれないが、ここまでの計画を実現するのは『夢物語』です」と話している。
中学・高校時代はサッカーに熱中していた。「人と違うことをしたい」という精神から、東京の高校で周囲が東京大学志望が多く、物理選択が主流だった中で、京都大学の生物選択の道を選んだ。
京都大学入学後に生態学の屋外授業を受講したことで、生態学への興味、植物への好奇心が芽生えた。それからの学生時代は、サッカーサークルを辞め、ラーメン屋のアルバイトで植物を求める旅のための費用を捻出した。全国を旅しながら調査していた中で、メイガと花粉に関する論文を執筆した。そうした経験から、いつの間にか研究者を志すようになっていた。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "川北 篤(かわきた あつし)は、日本の植物学者、東京大学大学院理学系研究科教授。学位は、博士(人間・環境学、京都大学)。2021年から東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を務めている。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2002年に京都大学理学部を卒業、2007年に京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程を修了した。同年11月に同大学院自然環境動態論講座の助教に着任すると、准教授を経て2018年、東京大学に教授として異動した。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2021年4月からは、東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を務めている。植物園の施設は老朽化が著しいため「植物標本館」の新設が計画されているが、費用は20億円に上ると予想されている。これについて川北は「東大だから金がある、と思われているかもしれないが、ここまでの計画を実現するのは『夢物語』です」と話している。",
"title": "来歴"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "中学・高校時代はサッカーに熱中していた。「人と違うことをしたい」という精神から、東京の高校で周囲が東京大学志望が多く、物理選択が主流だった中で、京都大学の生物選択の道を選んだ。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "京都大学入学後に生態学の屋外授業を受講したことで、生態学への興味、植物への好奇心が芽生えた。それからの学生時代は、サッカーサークルを辞め、ラーメン屋のアルバイトで植物を求める旅のための費用を捻出した。全国を旅しながら調査していた中で、メイガと花粉に関する論文を執筆した。そうした経験から、いつの間にか研究者を志すようになっていた。",
"title": "人物"
}
] | 川北 篤は、日本の植物学者、東京大学大学院理学系研究科教授。学位は、博士(人間・環境学、京都大学)。2021年から東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を務めている。 | {{別人|北篤|x1=元[[プロ野球選手]]の}}
{{Infobox Scientist
| name = 川北 篤
| native_name = かわきた あつし
| residence = {{JPN}}
| birth_date =
| birth_place =
| nationality =
| field = [[植物生態学]]<br>植物[[進化学]]
| workplaces = [[東京大学大学院理学系研究科附属植物園]]
| alma_mater = [[京都大学]]
| known_for =
| doctoral_advisor = 加藤真
| awards = [[種生物学会]]片岡奨励賞
}}
'''川北 篤'''(かわきた あつし)は、[[日本]]の[[植物学者]]、[[東京大学]][[東京大学理学部|大学院理学系研究科]][[教授]]。[[学位]]は、[[博士]](人間・環境学、[[京都大学]])。2021年から[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園]]園長を務めている。
== 来歴 ==
[[File:Bunkyou Koishikawa Botanical Main Building 1.JPG|thumb|植物園本館]]
2002年に[[京都大学]][[京都大学大学院理学研究科|理学部]]を卒業、2007年に[[京都大学大学院人間・環境学研究科]]博士課程を修了した<ref>{{Cite web |url=https://gendai.media/list/author/atsushikawakita |title=川北篤 |access-date=2023-10-22 |publisher=[[講談社]] |website=[[ブルーバックス]]}}</ref>。同年11月に同大学院自然環境動態論講座の[[助教]]に着任すると<ref>{{Cite press release|title=京都大学総合人間学部広報|publisher=人間・環境学研究科 総合人間学部広報委員会|date=|url=https://www.h.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/01/bulletin42.pdf|format=PDF|language=ja}}</ref>、[[准教授]]を経て2018年、[[東京大学]]に[[教授]]として異動した<ref name="東大新聞">{{Cite interview |subject=川北篤 |date=2020-04-21 |interviewer=村松光太郎 |title=「積極的探究で独自の経験を」京大から東大へ、植物学者・川北篤教授インタビュー |url=https://www.todaishimbun.org/kawakita20200504/ |work=東大新聞オンライン |publisher=[[東京大学新聞社]] |access-date=2023-10-22|language=ja}}</ref>。
2021年4月からは、[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園]]園長を務めている<ref>{{Cite web |url=https://koishikawa-bg.jp/overview/ |title=小石川植物園について |access-date=2023-10-22 |publisher=小石川植物園}}</ref>。植物園の施設は老朽化が著しいため「植物標本館」の新設が計画されているが、費用は20億円に上ると予想されている。これについて川北は「東大だから金がある、と思われているかもしれないが、ここまでの計画を実現するのは『夢物語』です」と話している<ref>{{Cite news|和書 |title=植物標本80万点、保管もう限界 朝ドラ舞台の東大植物園、老朽化が深刻 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2023-09-15 |edition=夕刊 |last=渡辺 |first=芳枝 |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15742592.html |page=1}}{{要購読}}</ref>。
== 人物 ==
中学・高校時代は[[サッカー]]に熱中していた。「人と違うことをしたい」という精神から、東京の高校で周囲が[[東京大学]]志望が多く、物理選択が主流だった中で、[[京都大学]]の生物選択の道を選んだ<ref name="東大新聞"/>。
京都大学入学後に生態学の屋外授業を受講したことで、[[生態学]]への興味、[[植物]]への好奇心が芽生えた。それからの学生時代は、サッカーサークルを辞め、ラーメン屋のアルバイトで植物を求める旅のための費用を捻出した。全国を旅しながら調査していた中で、[[メイガ]]と[[花粉]]に関する論文を執筆した。そうした経験から、いつの間にか研究者を志すようになっていた<ref name="東大新聞"/>。
== 受賞歴 ==
* 2007年 - 第1回[[種生物学会]]片岡奨励賞<ref>{{Cite web |url=https://www.speciesbiology.org/award/kataoka.html |title=種生物学会片岡奨励賞 |access-date=2023-10-21 |publisher=[[種生物学会]]}}</ref>
== 著書 ==
=== 共編著 ===
* 「奇跡の共進化─カンコノキ属における絶対送粉共生系の発見と進化史研究」、奥山雄大、川北篤「系統解析プロトコル─塩基配列から分子系統樹へ」、「共進化研究のための共種分化解析法」、[[種生物学会]] 編、横山潤、堂囿いくみ 責任編集『共進化の生態学:生物間相互作用が織りなす多様性』[[文一総合出版]]〈種生物学研究〉、2008年、192-200頁、313-340頁、341-354頁。{{isbn2|9784829910696}}。
* 種生物学会 編、川北篤、奥山雄大 責任編集『種間関係の生物学:共生・寄生・捕食の新しい姿』文一総合出版〈種生物学研究〉、2012年。{{isbn2|9784829962008}}。
* 「系統樹から適応進化を読み解く」、[[日本生態学会]]、森長真一、工藤洋 編『エコゲノミクス:遺伝子からみた適応』 [[共立出版]] 〈シリーズ現代の生態学〉、2012年、36-55頁。{{isbn2|9784320057401}}。
* 有村源一郎、矢﨑一史、髙林純示、川北篤 『植物アロマサイエンスの最前線:植物はなぜ香りを発するのか』[[フレグランスジャーナル社]]、2014年。{{isbn2|9784894792425}}。
* E. Toby Kiers, Anthony R. Ives & Atsushi Kawakita "Global change and mutualisms" ''Mutalism'', [[Oxford University Press]], 2015, pp. 241–267, {{Doi|10.1093/acprof:oso/9780199675654.003.0013}}
* 「奄美大島で発見されたカンコノキとハナホソガの絶対送粉共生」、水田拓 編著『奄美群島の自然史学:亜熱帯島嶼の生物多様性』[[東海大学出版部]]、2016年、77-92頁。{{isbn2|9784486020882}}。
* Makoto Kato & Atsushi Kawakita. ''Obligate Pollination Mutualism''. [[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]], 2017.
* 種生物学会 編 、川北篤 責任編集『花と動物の共進化をさぐる:身近な植物に隠れていた新しい花の姿』文一総合出版、2021年。{{isbn2|9784829962084}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Wikispecies|Atsushi Kawakita}}
* {{Youtube|C6zRf0Xdzuk|PLANET SOCIAL~SPOTLIGHT~緑の命を、未来へつなぐ~日本の近代植物学発祥の地「小石川植物園」/Guest: 川北篤さん}}
* {{東京大学 focus people|k0001_00073|川北 篤}}
* {{JGLOBAL ID|200901090866784792|川北 篤}}
* {{Kaken|id=80467399|name=川北 篤}}
* {{Researchmap|read0201505|川北 篤}}
* {{日本の研究.com|175940}}
* {{研究者リゾルバー|1000080467399}}
{{Normdaten}}
{{Scientist-stub}}
[[Category:21世紀日本の植物学者]]
[[Category:東京大学の教員]]
[[Category:博士(人間・環境学)取得者]]
[[Category:京都大学出身の人物]]
[[Category:存命人物]]
{{デフォルトソート:かわきたあつし}} | 2023-10-21T20:11:21Z | 2023-12-30T08:37:32Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Wikispecies",
"Template:Youtube",
"Template:JGLOBAL ID",
"Template:Normdaten",
"Template:Isbn2",
"Template:Cite web",
"Template:Cite press release",
"Template:要購読",
"Template:Researchmap",
"Template:研究者リゾルバー",
"Template:Infobox Scientist",
"Template:Doi",
"Template:Cite news",
"Template:東京大学 focus people",
"Template:日本の研究.com",
"Template:Scientist-stub",
"Template:混同",
"Template:Cite interview",
"Template:Kaken"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8C%97%E7%AF%A4 |
4,844,893 | SEGA feat. HATSUNE MIKU Project | SEGA feat. HATSUNE MIKU Project(せが ふぃーちゃりんぐ はつねみく ぷろじぇくと)とは、セガと初音ミク(クリプトン・フューチャー・メディア)のコラボレーションプロジェクト。
2007年9月、セガがクリプトン社に「初音ミクのゲーム企画」を打診。クリプトンの音声合成プロジェクト責任者・佐々木渉(wat.)によると、「東京ゲームショウ2007」の現場から電話でゲーム化の話を持ちかけられて熱く語られたが、会場の爆音で殆ど聞き取れず、実際に会ってゆっくり話そうという流れになったとのこと。
しかし当時のセガは初音ミクをどう扱えばいいか分からず、恋愛ゲームや育成ゲーム(企画候補名:歌姫育成計画)、ミクが様々な登場人物と関わっていくストーリー有りのリズムゲームなど、企画の方向性を巡ってクリプトン側とも議論を重ね、しばらく試行錯誤することになり、2008年5月に正式プロジェクトとして発足する。
2008年8月29日、PSP用リズムゲーム『初音ミク -Project DIVA-(仮称)』の制作が発表。本作は2009年7月2日に発売され、その後の初音ミクの進化に繋がる重要な布石となった。なお、プロジェクトのアニバーサリー(周年記念日)は『DIVA』の発売日からカウントされている。
『DIVA』以後も初音ミクのメディアミックスに一部関わっており、ゲームやライブ、グッズを展開している。
2009年12月24日に公式ブログ『週刊ディーヴァ・ステーション』がオープン。当初は『DIVA』の情報サイトだったが、現在ではプロジェクト全体の情報を発信している。
2020年、開発体制にCraft Eggを迎えて誕生したソーシャルゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」がリリース。クリプトン社はプロデューサーに近い立場でプロセカの立ち上げから深く関与している。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "SEGA feat. HATSUNE MIKU Project(せが ふぃーちゃりんぐ はつねみく ぷろじぇくと)とは、セガと初音ミク(クリプトン・フューチャー・メディア)のコラボレーションプロジェクト。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "2007年9月、セガがクリプトン社に「初音ミクのゲーム企画」を打診。クリプトンの音声合成プロジェクト責任者・佐々木渉(wat.)によると、「東京ゲームショウ2007」の現場から電話でゲーム化の話を持ちかけられて熱く語られたが、会場の爆音で殆ど聞き取れず、実際に会ってゆっくり話そうという流れになったとのこと。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "しかし当時のセガは初音ミクをどう扱えばいいか分からず、恋愛ゲームや育成ゲーム(企画候補名:歌姫育成計画)、ミクが様々な登場人物と関わっていくストーリー有りのリズムゲームなど、企画の方向性を巡ってクリプトン側とも議論を重ね、しばらく試行錯誤することになり、2008年5月に正式プロジェクトとして発足する。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "2008年8月29日、PSP用リズムゲーム『初音ミク -Project DIVA-(仮称)』の制作が発表。本作は2009年7月2日に発売され、その後の初音ミクの進化に繋がる重要な布石となった。なお、プロジェクトのアニバーサリー(周年記念日)は『DIVA』の発売日からカウントされている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "『DIVA』以後も初音ミクのメディアミックスに一部関わっており、ゲームやライブ、グッズを展開している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2009年12月24日に公式ブログ『週刊ディーヴァ・ステーション』がオープン。当初は『DIVA』の情報サイトだったが、現在ではプロジェクト全体の情報を発信している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2020年、開発体制にCraft Eggを迎えて誕生したソーシャルゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」がリリース。クリプトン社はプロデューサーに近い立場でプロセカの立ち上げから深く関与している。",
"title": "概要"
}
] | SEGA feat. HATSUNE MIKU Projectとは、セガと初音ミク(クリプトン・フューチャー・メディア)のコラボレーションプロジェクト。 | {{Pathnavbox|
* {{Pathnav|ピアプロキャラクターズ|初音ミク|初音ミクのメディア展開}}
}}
'''SEGA feat. HATSUNE MIKU Project'''(せが ふぃーちゃりんぐ はつねみく ぷろじぇくと)とは、[[セガ]]と[[初音ミク]]([[クリプトン・フューチャー・メディア]])のコラボレーションプロジェクト。
== 概要 ==
2007年9月{{Sfn|DIVAマスターブック|2010|p=116-117}}、セガがクリプトン社に「初音ミクのゲーム企画」を打診{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=16-19}}。クリプトンの音声合成プロジェクト責任者・佐々木渉(wat.)によると、「東京ゲームショウ2007」の現場から電話でゲーム化の話を持ちかけられて熱く語られたが、会場の爆音で殆ど聞き取れず、実際に会ってゆっくり話そうという流れになったとのこと{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=80-83}}。
しかし当時のセガは初音ミクをどう扱えばいいか分からず、恋愛ゲームや育成ゲーム(企画候補名:歌姫育成計画{{Sfn|初音ミクアーカイブ|2019|p=308-311}})、ミクが様々な登場人物と関わっていくストーリー有りのリズムゲームなど、企画の方向性を巡ってクリプトン側とも議論を重ね{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=80-83}}、しばらく試行錯誤することになり{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=16-19}}、2008年5月に正式プロジェクトとして発足する{{Sfn|DIVAマスターブック|2010|p=116-117}}。
2008年8月29日、PSP用リズムゲーム『[[初音ミク -Project DIVA-]](仮称)』の制作が発表{{Sfn|DIVAマスターブック|2010|p=118-119}}。本作は2009年7月2日に発売され、その後の初音ミクの進化に繋がる重要な布石となった{{Sfn|ヨミミク新聞|2017|p=2009年版}}。なお、プロジェクトのアニバーサリー(周年記念日)は『DIVA』の発売日からカウントされている<ref name="ディーヴァステーション2014617">[https://info.miku.sega.jp/1151 『SEGA feat. HATSUNE MIKU Project』5周年シーズンスタート! 東京ジョイポリスでの記念イベントも開催です!- セガ]</ref>。
『DIVA』以後も[[初音ミクのメディア展開|初音ミクのメディアミックス]]に一部関わっており、ゲームやライブ、グッズを展開している。
2009年12月24日に公式ブログ『週刊ディーヴァ・ステーション』がオープン{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=80-83}}。当初は『DIVA』の情報サイトだったが、現在ではプロジェクト全体の情報を発信している{{Sfn|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015|p=80-83}}。
2020年、開発体制に[[Craft Egg]]を迎えて誕生したソーシャルゲーム「[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]」がリリース<ref name="2023.0331">[https://www.segasammy.co.jp/ja/ir/individual/interviews/archive/archive_20230331/ 『2023.3.31 ユーザー数1,000万人を突破した「プロセカ」ヒットの裏側に迫る』- セガ] </ref>。クリプトン社はプロデューサーに近い立場でプロセカの立ち上げから深く関与している<ref name="2023.0331"/>。
== ゲーム ==
=== [[初音ミク -Project DIVA-]]シリーズ ===
{{Div col|2}}
*初音ミク -Project Diva-(2009年7月2日、[[PlayStation Portable|PSP]])
*初音ミク -Project DIVA- 2nd(2010年7月19日、PSP)
*初音ミク -Project DIVA- Arcade(2010年6月23日、アーケード)
*初音ミク -Project DIVA- ドリーミーシアター(2010年6月24日、[[PlayStation 3|PS3]])
*初音ミク -Project DIVA- ドリーミーシアター 2nd(2011年8月4日、PS3)
*初音ミク -Project DIVA- extend(2011年11月10日、PSP)
*初音ミク -Project DIVA- f(2012年8月30日、[[PlayStation Vita|PS Vita]])
*初音ミク -Project DIVA- ドリーミーシアター extend(2012年9月13日、PS3)
*初音ミク -Project DIVA- F(2013年3月7日、PS3)
*初音ミク -Project DIVA- Arcade Future Tone(2013年11月21日、アーケード)
*初音ミク -Project DIVA- F 2nd(2014年3月27日、PS3・PS Vita)
*初音ミク -Project DIVA X-(2016年3月24日、PS Vita)
*初音ミク Project DIVA Future Tone(2016年6月23日、[[PlayStation 4|PS4]])
*初音ミク -Project DIVA X HD-(2016年8月25日、PS4)
*初音ミク Project DIVA Future Tone DX(2017年11月22日、PS4)
*初音ミク Project DIVA MEGA 39's(2020年2月13日、[[Nintendo Switch|Switch]])
*初音ミク Project DIVA MEGA 39's+ (2022年5月27日、[[Steam]])
{{Div col end}}
=== [[初音ミク Project mirai]]シリーズ ===
*初音ミク and Future Stars Project mirai(2012年3月8日、[[ニンテンドー3DS|3DS]])
*初音ミク Project mirai 2(2013年11月28日、3DS)
*初音ミク Project mirai でらっくす(2015年5月28日、3DS)
=== 単発系・ソーシャルゲーム ===
*ミクフリック(iOS)
*ミクフリック/02(iOS)
*初音ミク ライブステージ プロデューサー(Android・iOS)
*初音ミク VRフューチャーライブ(PSVR)
*[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]](Android・iOS)
== 主なイベント ==
*ミクFES'09(夏):協力
*{{Anchors|ミクの日感謝祭 39's Giving Day}}ミクの日感謝祭 39's Giving Day:主催
*初音ミク ライブパーティー:協力(2011、2013)
*ミクの日大感謝祭:主催([[MAGES.|MAGES]]と共催)
**初音ミクライブパーティー2012(ミクパ♪)
**初音ミクコンサート 最後のミクの日感謝祭
*Project DIVA発売記念イベント
**夏の終わりの39祭り‐水と光と音のスペシャルステージ‐
**初音ミク ミニライブ DAIBA de DIVA:主催
**初音ミク -Project DIVA- F × 千本桜 in JOYPOLIS ..他
*[[初音ミク「マジカルミライ」]]:協力
*MIKU EXPO:協賛
*プロジェクトセカイ 感謝祭:主催(カラパレと共催)
*プロジェクトセカイ COLORFUL LIVE:主催(クリプトン、カラパレと共催)
*セカイシンフォニー:特別協力
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
'''公式媒体'''
* {{Cite web|title=SEGA feat. HATSUNE MIKU Project 初音ミク×セガ プロジェクト 公式サイト |url=https://web.archive.org/web/20221104044617/https://miku.sega.jp/|publisher=セガ |accessdate=2022年11月4日 |ref={{SfnRef|初音ミク×セガ公式サイト}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2010 |title=初音ミク -Project DIVA- マスターブック |publisher=ソフトバンククリエイティブ |isbn=978-4797356601 |ref={{SfnRef|DIVAマスターブック|2010}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2015 |title=SEGA feat. HATSUNE MIKU Project 5th Anniversary Book |publisher=KADOKAWA/エンターブレイン |isbn=978-4047302051 |ref={{SfnRef|SEGA feat. 初音ミク5周年ブック|2015}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2014 |title=初音ミク -Project DIVA- F 2nd メモリアルファンブック |publisher=KADOKAWA/エンターブレイン |isbn=978-4047297456 |ref={{SfnRef|Project DIVA F2メモリアルファンブック|2014}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2017 |title=読売新聞号外 ヨミミク新聞(2007年~2017年) |publisher=読売新聞 |ref={{SfnRef|ヨミミク新聞|2017}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2017 |title=初音ミク 10th Anniversary Book |publisher=KADOKAWA |isbn=978-4047347724 |ref={{SfnRef|ミク10th Anniversary Book|2017}} }}
* {{Cite book|和書 |date=2019 |title=初音ミク アーカイブ |publisher=グッドスマイルカンパニー |ref={{SfnRef|初音ミクアーカイブ|2019}} }}
{{初音ミク}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:せかふいちゃりんくはつねみくふろしえくと}}
[[Category:初音ミク]]
[[Category:セガのゲームソフト]]
[[Category:VOCALOIDのマルチメディア]] | 2023-10-21T20:15:27Z | 2023-12-31T16:04:49Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Cite book",
"Template:Normdaten",
"Template:Anchors",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist2",
"Template:Reflist",
"Template:Pathnavbox",
"Template:Sfn",
"Template:Div col",
"Template:Div col end",
"Template:初音ミク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/SEGA_feat._HATSUNE_MIKU_Project |
4,844,894 | Here (JUNNAの曲) | 「Here」(ヒア)は、日本の女性シンガーJUNNAの1枚目のシングルである。2017年11月1日にフライングドッグより発売された。
JUNNAが2017年6月21日にミニアルバム『Vai! Ya! Vai!』でソロデビューを果たしたのち、同年11月1日に発売された。この11月1日はJUNNAの誕生日11月2日の前日であり、16歳最後の楽曲が「Here」であった。表題曲「Here」はヤマザキコレ原作のテレビアニメ『魔法使いの嫁 SEASON1』第1クールのオープニングテーマに用いられた。カップリング曲は「Steppin' Out」と「ソラノスミカ」。いずれも前作『Vai! Ya! Vai!』にはないタイプの楽曲であり、それぞれ雰囲気の全く異なるものとなっている。
主人公・羽鳥智世の深い孤独と一歩踏み出そうとする強さを歌っている。作詞は岩里祐穂、作曲および編曲は白戸佑輔。JUNNAの迫力あるボーカルと、民族音楽を取り入れた変拍子を特徴とする、複雑かつ個性的な楽曲である。具体的にはAメロとBメロは4拍子、サビは6拍子、間奏は7拍子と変化する。
JUNNAは岩里祐穂の歌詞について「作品の世界観をそのまま表現した感情を乗せやすい歌詞」であり、AメロとBメロでは智世の孤独が、サビでは智世の心に秘めている強さが描かれていることから、彼女の孤独と強さの両方を表現しようと思ったと話している。3回あるサビについては、段階的に歌うことで智世の変化を表現し、特にアカペラから始まる最後のサビに最も力を入れて歌ったことや、それぞれのサビでも羽鳥の孤独と強さを歌い分けようと思ったことを話している。ミュージックビデオでは、赤いドレスを着たJUNNAが裸足で荒野を歩きながら、力強く歌う姿が撮影された。
2017年9月29日にシングルのジャケットが公開された。また同時にYouTubeではミュージックビデオのフルバージョンが3日間限定で公開された。10月2日にはフライングドッグのホームページで収録曲の試聴がスタートし、YouTubeでショートバージョンが公開された。11月1日に発売されると、iTunes、レコチョク、mora、オリコン、MySound、うたパス、dミュージックの各配信サイトのデイリーチャートで発売日1位10冠を達成した。
2018年10月31日に発売された1stアルバム『17才が美しいなんて、誰が言った。』に初収録された。
活動5周年および「JUNNA 5th Anniversary Live」を控えた2022年5月11日に、ミュージックビデオのフルバージョンが公開された。
作詞は「ワルキューレ」で「LOVE! THUNDER GLOW」の作詞を担当したサエキけんぞう。作曲はh-wonder。パワフルかつ疾走感のある楽曲で、殻を壊して無重力の宇宙を駆けようと歌いかける。全体的に明るく、Bメロで雰囲気ががらりと変わり、サビで再び明るくなる。JUNNAはワルキューレを思い出させるが、それよりもずっと明るい楽曲であり、世界が開けていく感じを意識して歌ったと話している。
矢吹香那の作詞・作曲によるバラード。伴奏はピアノのみ。ピアノを演奏したのは編曲を担当した島田昌典であり、島田のピアノとともに1発録りで収録したという。歌詞は同じ夢を追いかけた「君」の旅立ちに際して、自身の秘めた思いを伝えるというもの。JUNNAは好きな人の背中を押す感じを意識して歌ったと話している。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "「Here」(ヒア)は、日本の女性シンガーJUNNAの1枚目のシングルである。2017年11月1日にフライングドッグより発売された。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "JUNNAが2017年6月21日にミニアルバム『Vai! Ya! Vai!』でソロデビューを果たしたのち、同年11月1日に発売された。この11月1日はJUNNAの誕生日11月2日の前日であり、16歳最後の楽曲が「Here」であった。表題曲「Here」はヤマザキコレ原作のテレビアニメ『魔法使いの嫁 SEASON1』第1クールのオープニングテーマに用いられた。カップリング曲は「Steppin' Out」と「ソラノスミカ」。いずれも前作『Vai! Ya! Vai!』にはないタイプの楽曲であり、それぞれ雰囲気の全く異なるものとなっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "主人公・羽鳥智世の深い孤独と一歩踏み出そうとする強さを歌っている。作詞は岩里祐穂、作曲および編曲は白戸佑輔。JUNNAの迫力あるボーカルと、民族音楽を取り入れた変拍子を特徴とする、複雑かつ個性的な楽曲である。具体的にはAメロとBメロは4拍子、サビは6拍子、間奏は7拍子と変化する。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "JUNNAは岩里祐穂の歌詞について「作品の世界観をそのまま表現した感情を乗せやすい歌詞」であり、AメロとBメロでは智世の孤独が、サビでは智世の心に秘めている強さが描かれていることから、彼女の孤独と強さの両方を表現しようと思ったと話している。3回あるサビについては、段階的に歌うことで智世の変化を表現し、特にアカペラから始まる最後のサビに最も力を入れて歌ったことや、それぞれのサビでも羽鳥の孤独と強さを歌い分けようと思ったことを話している。ミュージックビデオでは、赤いドレスを着たJUNNAが裸足で荒野を歩きながら、力強く歌う姿が撮影された。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2017年9月29日にシングルのジャケットが公開された。また同時にYouTubeではミュージックビデオのフルバージョンが3日間限定で公開された。10月2日にはフライングドッグのホームページで収録曲の試聴がスタートし、YouTubeでショートバージョンが公開された。11月1日に発売されると、iTunes、レコチョク、mora、オリコン、MySound、うたパス、dミュージックの各配信サイトのデイリーチャートで発売日1位10冠を達成した。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2018年10月31日に発売された1stアルバム『17才が美しいなんて、誰が言った。』に初収録された。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "活動5周年および「JUNNA 5th Anniversary Live」を控えた2022年5月11日に、ミュージックビデオのフルバージョンが公開された。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "作詞は「ワルキューレ」で「LOVE! THUNDER GLOW」の作詞を担当したサエキけんぞう。作曲はh-wonder。パワフルかつ疾走感のある楽曲で、殻を壊して無重力の宇宙を駆けようと歌いかける。全体的に明るく、Bメロで雰囲気ががらりと変わり、サビで再び明るくなる。JUNNAはワルキューレを思い出させるが、それよりもずっと明るい楽曲であり、世界が開けていく感じを意識して歌ったと話している。",
"title": "楽曲解説"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "矢吹香那の作詞・作曲によるバラード。伴奏はピアノのみ。ピアノを演奏したのは編曲を担当した島田昌典であり、島田のピアノとともに1発録りで収録したという。歌詞は同じ夢を追いかけた「君」の旅立ちに際して、自身の秘めた思いを伝えるというもの。JUNNAは好きな人の背中を押す感じを意識して歌ったと話している。",
"title": "楽曲解説"
}
] | 「Here」(ヒア)は、日本の女性シンガーJUNNAの1枚目のシングルである。2017年11月1日にフライングドッグより発売された。 | {{Infobox Single
| Name = Here
| Artist = [[JUNNA]]
| Album = [[17才が美しいなんて、誰が言った。]]
| B-side = Steppin' Out<br/>ソラノスミカ
| Format = [[マキシシングル]]
| Released = [[2017年]][[11月1日]]
| Recorded = {{JAP}}
| Genre = [[Jポップ]]<br/>[[アニメソング]]
| Length = 4分23秒
| Label = [[フライングドッグ]]
| Lyricist = [[岩里祐穂]]
| Composer = [[白戸佑輔]]
| Producer =
| Chart position = * 14位<ref name=os>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/prof/682035/products/1249260/1/ |title=オリコンシングルランキング |accessdate=2023/10/21 }}</ref>
* 登場回数16回([[オリコン]])<ref name=os />
* 9位{{small|([[Billboard Japan Hot 100]])}}<ref>{{cite web|title=Hot 100 |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2017&month=11&day=13 |publisher=Billboard JAPAN公式サイト}}</ref>
* 16位{{small|(Billboard Japan Top Singles Sales)}}<ref>{{cite web|title=Top Singles Sales |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=sales&year=2017&month=11&day=13 |publisher=Billboard JAPAN公式サイト}}</ref>
* 2位{{small|([[Billboard Japan Download Songs]])}}<ref>{{cite web|title=Download Songs |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=dlsongs&year=2017&month=11&day=13 |publisher=Billboard JAPAN公式サイト}}</ref>
* 3位{{small|([[Billboard Japan Hot Animation]])}}<ref>{{cite web|title=Hot Animation |accessdate=2023/010/21 |url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=anime&year=2017&month=11&day=13 |publisher=Billboard JAPAN公式サイト}}</ref>
----
* {{small|総合デイリーランキング}}
** 1位{{small|([[iTunes]] SONGランキング)}}<ref name=AR>{{cite web|title=JUNNA、1stシングル「Here」が各配信サイト・デイリーチャートで発売日首位10冠を獲得 |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.anime-recorder.com/16/99297/ |publisher=Anime Recorder}}</ref>
** 1位{{small|([[レコチョク]])}}<ref name=AR />
** 1位{{small|([[mora]])}}<ref name=AR />
* {{small|デイリーランキング}}
** 1位{{small|(オリコンミュージックストア)}}<ref name=AR />
** 1位{{small|(MySound)}}<ref name=AR />
** 1位{{small|(うたパス Music Store)}}<ref name=AR />
** 1位{{small|(dミュージック)}}<ref name=AR />
* {{small|ハイレゾデイリーランキング}}
** 1位{{small|(レコチョク)}}<ref name=AR />
** 1位{{small|(mora)}}<ref name=AR />
** 1位{{small|(うたパス Music Store)}}<ref name=AR />
| Last single =
| This single = '''Here'''<br/>(2017年)
| Next single = 紅く、絶望の花。<br/>(2018年)
| Misc = {{External music video|{{YouTube|lMfg2izo8xs|JUNNA 「Here」 Music Video (short ver.)}}<br/>{{YouTube|SNUOYgeuwso|JUNNA 「Here」 Music Video (Full ver.)}}}}
{{Extra track listing
| Album = 17才が美しいなんて、誰が言った。
| Type = スタジオ・アルバム
| prev_track = 赤い果実
| prev_no = 10
| this_track = '''Here 〜album version〜'''
| track_no = 11
| next_track = CONTRAST
| next_no = 12
}}}}
「'''Here'''」(ヒア)は、[[日本]]の[[女性]][[シンガー]][[JUNNA]]の1枚目の[[マキシシングル|シングル]]である。[[2017年]][[11月1日]]に[[フライングドッグ]]より発売された。
== 概要 ==
JUNNAが2017年[[6月21日]]に[[ミニアルバム]]『Vai! Ya! Vai!』でソロデビューを果たしたのち、同年11月1日に発売された。この11月1日はJUNNAの誕生日11月2日の前日であり、16歳最後の楽曲が「Here」であった<ref name=AKB>{{cite web|title=JUNNAが、ソロとして初めてのアニメ主題歌をリリース。今回も迫力のボーカルが炸裂! |accessdate=2023/10/21 |url=https://akiba-souken.com/article/31983/ |publisher=アキバ総研}}</ref>。表題曲「Here」は[[ヤマザキコレ]]原作の[[テレビアニメ]]『[[魔法使いの嫁|魔法使いの嫁 SEASON1]]』第1クールのオープニングテーマに用いられた。カップリング曲は「Steppin' Out」と「ソラノスミカ」<ref name=os />。いずれも前作『Vai! Ya! Vai!』にはないタイプの楽曲であり、それぞれ雰囲気の全く異なるものとなっている<ref name=LA>{{cite web|title=TVアニメ『魔法使いの嫁』OPテーマ「Here」リリース記念、JUNNAインタビュー |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.lisani.jp/0000063634/?show_more=1 |publisher=[[リスアニ!]]}}</ref>。
== 楽曲解説 ==
===「Here」===
主人公・羽鳥智世の深い孤独と一歩踏み出そうとする強さを歌っている。[[作詞]]は[[岩里祐穂]]、[[作曲]]および[[編曲]]は[[白戸佑輔]]。JUNNAの迫力あるボーカルと、[[民族音楽]]を取り入れた[[変拍子]]を特徴とする、複雑かつ個性的な楽曲である<ref name=AKB /><ref name=LA />。具体的には[[Aメロ]]とBメロは4拍子、[[サビ]]は6拍子、間奏は7拍子と変化する<ref name=AKB />。
JUNNAは岩里祐穂の歌詞について「作品の世界観をそのまま表現した感情を乗せやすい歌詞」であり、AメロとBメロでは智世の孤独が、サビでは智世の心に秘めている強さが描かれていることから、彼女の孤独と強さの両方を表現しようと思ったと話している。3回あるサビについては、段階的に歌うことで智世の変化を表現し、特に[[アカペラ]]から始まる最後のサビに最も力を入れて歌ったことや、それぞれのサビでも羽鳥の孤独と強さを歌い分けようと思ったことを話している<ref name=AKB /><ref name=LA />。ミュージックビデオでは、赤いドレスを着たJUNNAが裸足で荒野を歩きながら、力強く歌う姿が撮影された<ref name=LA />。
2017年9月29日にシングルのジャケットが公開された。また同時に[[YouTube]]では[[ミュージックビデオ]]のフルバージョンが3日間限定で公開された。10月2日にはフライングドッグのホームページで収録曲の試聴がスタートし<ref>{{cite web|title=JUNNA、アニメ『魔法使いの嫁』オープニングテーマ曲「Here」のMVを3日間限定でフル尺公開 |accessdate=2023/10/21 |url=https://spice.eplus.jp/articles/149414 |publisher=SPICE(スパイス)}}</ref><ref>{{cite web|title=JUNNA、アニメ「魔法使いの嫁」OP曲のMVをフル尺で |accessdate=2023/10/21 |url=https://natalie.mu/music/news/250800 |publisher=音楽ナタリー}}</ref>、YouTubeでショートバージョンが公開された<ref>{{cite web|title=JUNNA 「Here」Music Video (short ver.) |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.youtube.com/watch?v=lMfg2izo8xs |publisher=[[YouTube]]公式サイト}}</ref>。11月1日に発売されると、[[iTunes]]、[[レコチョク]]、[[mora]]、[[オリコン]]、MySound、うたパス、dミュージックの各配信サイトのデイリーチャートで発売日1位10冠を達成した<ref name=AR />。
[[2018年]][[10月31日]]に発売された1st[[スタジオ・アルバム|アルバム]]『[[17才が美しいなんて、誰が言った。]]』に初収録された。
活動5周年および「JUNNA 5th Anniversary Live」を控えた2022年5月11日に、ミュージックビデオのフルバージョンが公開された<ref>{{cite web|title=JUNNA 「Here」 Music Video (Full ver.) (TVアニメ「魔法使いの嫁」オープニングテーマ) |accessdate=2023/10/21 |url=https://www.youtube.com/watch?v=SNUOYgeuwso |publisher=YouTube公式サイト}}</ref>。
===「Steppin' Out」===
作詞は「[[ワルキューレ (マクロスΔ)|ワルキューレ]]」で「LOVE! THUNDER GLOW」の作詞を担当した[[サエキけんぞう]]。作曲は[[h-wonder]]。パワフルかつ疾走感のある楽曲で、殻を壊して無重力の宇宙を駆けようと歌いかける。全体的に明るく、Bメロで雰囲気ががらりと変わり、サビで再び明るくなる。JUNNAはワルキューレを思い出させるが、それよりもずっと明るい楽曲であり、世界が開けていく感じを意識して歌ったと話している<ref name=AKB />。
===「ソラノスミカ」===
[[矢吹香那]]の作詞・作曲による[[バラード]]。伴奏は[[ピアノ]]のみ。ピアノを演奏したのは編曲を担当した[[島田昌典]]であり、島田のピアノとともに1発録りで収録したという<ref name=AKB /><ref name=LA />。歌詞は同じ夢を追いかけた「君」の旅立ちに際して、自身の秘めた思いを伝えるというもの。JUNNAは好きな人の背中を押す感じを意識して歌ったと話している<ref name=AKB />。
== 収録曲 ==
{{tracklist
| collapsed =
| headline = CD
| total_length = auto
| writing_credits =
| lyrics_credits = yes
| music_credits = yes
| arrangements_credits = yes
| title1 = Here
| note1 = テレビアニメ『[[魔法使いの嫁]]』OPテーマ
| length1 = 4:23
| lyrics1 = [[岩里祐穂]]
| music1 = [[白戸佑輔]]
| arranger1 = 白戸佑輔
| title2 = Steppin' Out
| note2 =
| length2 = 4:51
| lyrics2 = [[サエキけんぞう]]
| music2 = [[h-wonder]]
| arranger2 = h-wonder
| title3 = ソラノスミカ
| note3 =
| lyrics3 = [[矢吹香那]]
| music3 = 矢吹香那
| arranger3 = [[島田昌典]]
| length3 = 5:31
| title4 = Here
| note4 = [[オフヴォーカル|instrumental]]
| length4 = 4:12
| title5 = Steppin' Out
| note5 = instrumental
| length5 = 4:51
| title6 = ソラノスミカ
| note6 = instrumental
| length6 = 5:26
}}
== 収録アルバム ==
{| class="wikitable"
! 曲名 !! アルバム !! 発売日 !! 備考
|-
| Here 〜album version〜 || 『[[17才が美しいなんて、誰が言った。]]』|| [[2018年]][[10月31日]]|| [[スタジオ・アルバム|オリジナルアルバム]]
|}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* 「[[You (May'nの曲)|You]]」- [[May'n]]
* 「[[月のもう半分]]」- [[AIKI (歌手)|AIKI]] & [[AKINO (歌手)|AKINO]] from [[bless4]]
== 外部リンク ==
* [https://junnarockyou.com/jp/disco/ JUNNA公式サイト, ディスコグラフィー]
{{デフォルトソート:ひあ}}
[[Category:楽曲 ひ|あ]]
[[Category:岩里祐穂が制作した楽曲]]
[[Category:白戸佑輔が制作した楽曲]]
[[Category:2017年のデビュー・シングル]]
[[Category:フライングドッグの楽曲]]
[[Category:テレビアニメ主題歌]] | 2023-10-21T20:21:34Z | 2023-11-06T11:39:31Z | false | false | false | [
"Template:Infobox Single",
"Template:Tracklist",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Here_(JUNNA%E3%81%AE%E6%9B%B2) |
4,844,899 | ゼン・アンド・ナウ (ザ・フーのアルバム) | 『ゼン・アンド・ナウ』(Then and Now)は、イングランドのロック・バンドであるザ・フーが2004年に発表したコンピレーション・アルバムである。
ザ・フーの歴史は、1964年にピート・タウンゼント(ギター、ヴォーカル)、ロジャー・ダルトリー(リード・ヴォーカル)、ジョン・エントウィッスル(ベース・ギター、ヴォーカル)、キース・ムーン(ドラムス)の顔ぶれで始まった。1978年にムーンが死去すると、彼等は元フェイセズのケニー・ジョーンズを迎えて活動を続けたが、1983年に解散した。
1996年、タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルが再結集。彼等は6月29日にロンドンのハイド・パークで開かれたプリンス・トラスト(Prince's Trust)の慈善コンサート"Master Of Music"に出演して、アルバム『四重人格』(1973年)を完全再演し、引き続いて7月16日から22日まで、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで『四重人格』コンサートを計6回行なった。さらに彼等は10月13日から12月11日までアメリカ、カナダ、イングランド、1997年4月から8月までヨーロッパ、アメリカ、カナダで『四重人格』ツアーを行なった。
1999年10月、タウンゼントら3人は、『四重人格』ツアーに参加したザック・スターキー(ドラムス)とジョン・バンドリック(英語版)(キーボード)をツアー・メンバーに迎えてザ・フーを再結成。彼等は29日にアメリカのインターネット企業であるピクセロン・コム社(英語版)がラスベガスのMGMグランドで開いたiBASH '99、30日と31日にはニール・ヤング夫妻が主催するブリッジ・スクール・ベネフィット(英語版)に出演。11月にはシカゴのハウス・オブ・ブルース、12月にはロンドン西部のシェパーズ・ブッシュのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで、それぞれ二回づつコンサートを開いた。2000年は6月から10月までアメリカ・カナダ・ツアー、10月から11月までイギリス・ツアーを行なった。2001年10月20日には、アメリカ同時多発テロ事件の被害者の為にマジソン・スクウェア・ガーデンで開かれたザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ(英語版)に出演した。
2002年6月、アメリカ・ツアーの開始直前にエントウィッスルが滞在先のラスベガスで急死。タウンゼントとダルトリーはピノ・パラディーノ(ベース・ギター)、サイモン・タウンゼント(英語版)(ギター、ヴォーカル)、スターキー、バンドリックと共にツアーを行なった。
2004年、彼等は18曲の既発表曲と2曲の新曲を収録した本作を発表。新曲の発表は、タウンゼントのソロ・アルバム『アイアン・マン』(1989年)に収録された「ディグ」以来、15年ぶりだった。
全18曲の内訳は以下の通り。
※『ア・クイック・ワン』(1966年)と『イッツ・ハード』(1982年)の収録曲は含まれていない。
作詞・作曲の記載がない曲はピート・タウンゼント作である。
Disc One
Disc Two | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『ゼン・アンド・ナウ』(Then and Now)は、イングランドのロック・バンドであるザ・フーが2004年に発表したコンピレーション・アルバムである。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ザ・フーの歴史は、1964年にピート・タウンゼント(ギター、ヴォーカル)、ロジャー・ダルトリー(リード・ヴォーカル)、ジョン・エントウィッスル(ベース・ギター、ヴォーカル)、キース・ムーン(ドラムス)の顔ぶれで始まった。1978年にムーンが死去すると、彼等は元フェイセズのケニー・ジョーンズを迎えて活動を続けたが、1983年に解散した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "1996年、タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルが再結集。彼等は6月29日にロンドンのハイド・パークで開かれたプリンス・トラスト(Prince's Trust)の慈善コンサート\"Master Of Music\"に出演して、アルバム『四重人格』(1973年)を完全再演し、引き続いて7月16日から22日まで、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで『四重人格』コンサートを計6回行なった。さらに彼等は10月13日から12月11日までアメリカ、カナダ、イングランド、1997年4月から8月までヨーロッパ、アメリカ、カナダで『四重人格』ツアーを行なった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "1999年10月、タウンゼントら3人は、『四重人格』ツアーに参加したザック・スターキー(ドラムス)とジョン・バンドリック(英語版)(キーボード)をツアー・メンバーに迎えてザ・フーを再結成。彼等は29日にアメリカのインターネット企業であるピクセロン・コム社(英語版)がラスベガスのMGMグランドで開いたiBASH '99、30日と31日にはニール・ヤング夫妻が主催するブリッジ・スクール・ベネフィット(英語版)に出演。11月にはシカゴのハウス・オブ・ブルース、12月にはロンドン西部のシェパーズ・ブッシュのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで、それぞれ二回づつコンサートを開いた。2000年は6月から10月までアメリカ・カナダ・ツアー、10月から11月までイギリス・ツアーを行なった。2001年10月20日には、アメリカ同時多発テロ事件の被害者の為にマジソン・スクウェア・ガーデンで開かれたザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ(英語版)に出演した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "2002年6月、アメリカ・ツアーの開始直前にエントウィッスルが滞在先のラスベガスで急死。タウンゼントとダルトリーはピノ・パラディーノ(ベース・ギター)、サイモン・タウンゼント(英語版)(ギター、ヴォーカル)、スターキー、バンドリックと共にツアーを行なった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2004年、彼等は18曲の既発表曲と2曲の新曲を収録した本作を発表。新曲の発表は、タウンゼントのソロ・アルバム『アイアン・マン』(1989年)に収録された「ディグ」以来、15年ぶりだった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "全18曲の内訳は以下の通り。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "※『ア・クイック・ワン』(1966年)と『イッツ・ハード』(1982年)の収録曲は含まれていない。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "作詞・作曲の記載がない曲はピート・タウンゼント作である。",
"title": "収録曲"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "Disc One",
"title": "参加ミュージシャン"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "Disc Two",
"title": "参加ミュージシャン"
}
] | 『ゼン・アンド・ナウ』は、イングランドのロック・バンドであるザ・フーが2004年に発表したコンピレーション・アルバムである。 | {{Infobox Album
| Name = ゼン・アンド・ナウ
| Type = [[コンピレーション・アルバム]]
| Artist = [[ザ・フー]]
| Released = [[2004年]][[5月]]
| Recorded = 1964年-2004年
| Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]
| Length = 77分20秒
| Label = [[ポリドール・レコード]]<br />{{flagicon|USA}}[[ゲフィン・レコード]]
| Producer =
| Reviews =
| Chart position =
| Certification =
| Last album = Live at the Royal Albert Hall<br />(2003年)
| This album = '''ゼン・アンド・ナウ'''<br />(2004年)
| Next album = [[エンドレス・ワイヤー]]<br />(2006年)
}}
『'''ゼン・アンド・ナウ'''』(''Then and Now'')は、[[イングランド]]の[[ロック (音楽)|ロック]]・[[バンド (音楽)|バンド]]である[[ザ・フー]]が2004年に発表した[[コンピレーション・アルバム]]である<ref>{{Cite web |url=https://www.thewho.com/music/then-and-now/ |title=thewho.com |access-date=2023年10月23日}}</ref>。
== 概要 ==
=== 経緯 ===
ザ・フーの歴史は、1964年に[[ピート・タウンゼント]](ギター、ヴォーカル)、[[ロジャー・ダルトリー]](リード・ヴォーカル)、[[ジョン・エントウィッスル]](ベース・ギター、ヴォーカル)、[[キース・ムーン]](ドラムス)の顔ぶれで始まった<ref group="注釈">タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスル、[[:en:Doug_Sandom|ダグ・サンダム]](ドラムス)からなるザ・ディトゥアーズが2月にザ・フーと改名。サンダムが去った後、数人の後任を経て4月にムーンが加入した。つまり厳密には、ザ・フーの歴史の最初の2か月間は、ムーンがいなかったことになる。</ref>。1978年にムーンが死去すると、彼等は元[[フェイセズ]]の[[ケニー・ジョーンズ]]を迎えて活動を続けたが、1983年に解散した<ref group="注釈">彼等は1985年7月の[[ライヴ・エイド]]、1988年2月の[[英国レコード産業協会]](BPIアワード)の授賞式で一時的に再結成して数曲を演奏。1989年には、タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルが結集して、結成25周年を記念して''The Kids Are Alright Tour''と銘打ったツアーをザ・フーの名義で行なった。</ref>。
1996年、タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルが再結集。彼等は6月29日に[[ロンドン]]の[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイド・パーク]]で開かれたプリンス・トラスト([[:en:Prince's_Trust|Prince's Trust]])の慈善コンサート"Master Of Music"に出演して、アルバム『[[四重人格]]』(1973年)を完全再演し{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|p=284}}、引き続いて7月16日から22日まで、ニューヨークの[[マジソン・スクウェア・ガーデン]]で『四重人格』コンサートを計6回行なった{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=284-285}}。さらに彼等は10月13日から12月11日までアメリカ、カナダ、イングランド、1997年4月から8月までヨーロッパ、アメリカ、カナダで『四重人格』ツアーを行なった{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=285-290}}。
1999年10月、タウンゼントら3人は、『四重人格』ツアーに参加した[[ザック・スターキー]]<ref group="注釈">1994年に行なわれたダルトリーのソロ・コンサート・ツアーに参加した。</ref>(ドラムス)と{{仮リンク|ジョン・バンドリック|en|John Bundrick}}<ref group="注釈">1977年にタウンゼントと[[ロニー・レーン]]の共作アルバム『[[ラフ・ミックス]]』の製作に参加したのを皮切りに、ザ・フーとタウンゼントのレコーディングや様々なライブ活動に関与してきた。</ref>(キーボード)をツアー・メンバーに迎えてザ・フーを再結成。彼等は29日にアメリカの[[インターネット]]企業である{{仮リンク|ピクセロン・コム社|en|Pixelon}}が[[ラスベガス]]の[[MGMグランド]]で開いた[[:en:Pixelon|iBASH '99]]{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=291-292}}、30日と31日には[[ニール・ヤング]]夫妻が主催する{{仮リンク|ブリッジ・スクール・ベネフィット|en|Bridge School Benefit}}{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|p=292}}に出演。11月には[[シカゴ]]のハウス・オブ・ブルース{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=292-294}}、12月にはロンドン西部の[[シェパーズ・ブッシュ]]の[[シェパーズ・ブッシュ・エンパイア]]{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=294-295}}で、それぞれ二回づつコンサートを開いた<ref>{{Cite web |url=https://www.thewho.com/music/live-blues-bush-1999/ |title=thewho.com |access-date=2023年10月30日}}</ref>。2000年は6月から10月までアメリカ・カナダ・ツアー{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=296-300}}、10月から11月までイギリス・ツアーを行なった{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|pp=300-301}}<ref>{{Cite web |url=https://www.thewho.com/music/live-at-the-royal-albert-hall/ |title=thewho.com |access-date=2023年10月30日}}</ref><ref group="注釈">ツアー最終日の11月27日には、ロンドンの[[ロイヤル・アルバート・ホール]]で、ダルトリーが支援する[[:en:Teenage_Cancer_Trust|ティーンエイジ・キャンサー・トラスト]]の慈善コンサートに出演した。</ref>。2001年10月20日には、[[アメリカ同時多発テロ事件]]の被害者の為にマジソン・スクウェア・ガーデンで開かれた{{仮リンク|ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ|en|The Concert for New York City}}に出演した{{Sfb|McMichael|Lyons|2004|p=301}}。
2002年6月、アメリカ・ツアーの開始直前にエントウィッスルが滞在先のラスベガスで急死。タウンゼントとダルトリーは[[ピノ・パラディーノ]]<ref group="注釈">1993年にタウンゼントのソロ・ツアーに参加。</ref>(ベース・ギター)、{{仮リンク|サイモン・タウンゼント|en|Simon Townshend}}<ref group="注釈">タウンゼントの実弟。</ref>(ギター、ヴォーカル)、スターキー、バンドリックと共にツアーを行なった<ref group="注釈">正式メンバーはタウンゼントとダルトリーの二人。彼等はゲストを招いてアルバム『[[エンドレス・ワイヤー|エンドレス・ワイアー]]』(2006年)と[[:en:Who_(album)|''Who'']](2019年)を発表し、2023年現在に至るまで様々なツアー・メンバーを招いてコンサート活動を行なっている。</ref>。
2004年、彼等は18曲の既発表曲と2曲の新曲を収録した本作を発表。新曲の発表は、タウンゼントのソロ・アルバム『[[アイアン・マン (ピート・タウンゼントのアルバム)|アイアン・マン]]』(1989年)に収録された「ディグ」以来、15年ぶりだった<ref group="注釈">カヴァーを含めると、'[[:en:Two_Rooms:_Celebrating_the_Songs_of_Elton_John_&_Bernie_Taupin|Two Rooms: Celebrating the Songs of Elton John & Bernie Taupin]]'(1991年)に提供された「[[:en:Saturday_Night's_Alright_for_Fighting|土曜の夜は僕の生きがい]]」以来、約13年ぶりのことだった。</ref>。
=== 内容 ===
==== 既発表曲 ====
全18曲の内訳は以下の通り。
* 『[[マイ・ジェネレーション (アルバム)|マイ・ジェネレーション]]』(1965年)から2曲。
* 『[[セル・アウト]]』(1967年)から1曲。
* 『[[トミー (アルバム)|トミー]]』(1969年)から2曲。
* 『[[ライヴ・アット・リーズ|ライブ・アット・リーズ]]』(1970年)から1曲。
* 『[[フーズ・ネクスト]]』(1971年)から2曲。
* 『[[四重人格]]』(1973年)から2曲。
* 『[[ザ・フー・バイ・ナンバーズ]]』(1975年)から1曲。
* 『[[フー・アー・ユー (アルバム)|フー・アー・ユー]]』(1978年)から1曲。
* 『[[フェイス・ダンシズ]]』(1980年)から1曲。
* シングルのみが5曲<ref group="注釈">編集アルバムへの収録を除く。</ref>。
※『[[ア・クイック・ワン]]』(1966年)と『[[イッツ・ハード]]』(1982年)の収録曲は含まれていない。
==== 新曲 ====
* ''[[:en:Real_Good_Looking_Boy|Real Good Looking Boy]]''
* ''[[:en:Old_Red_Wine|Old Red Wine]]''
*: 'Real Good Looking Boy'<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.thewho.com/music/real-good-looking-boy/ |title=thewho.com |access-date=2023年11月11日}}</ref>は[[エルヴィス・プレスリー]]に捧げられた曲で、「[[好きにならずにいられない]]」の前奏が使用されている{{Sfb|Townshend|2013|p=475}}。同曲はスターキー、バンドリック、[[グレッグ・レイク]](ベース・ギター)、サイモン・タウンゼントを招いて録音された。'Old Red Wine'<ref name=":0" />はエントウィッスルに捧げられた曲で、スターキー、バンドリック、パラディーノを招いて録音された。プロデューサーは二曲ともサイモン・タウンゼントが担当した。
== 収録曲 ==
作詞・作曲の記載がない曲は[[ピート・タウンゼント]]作である。
{{Tracklist|headline=Disc One|title1=[[アイ・キャント・エクスプレイン]](I Can't Explain)|length1=2:06|title2=[[マイ・ジェネレイション]](My Generation)|length2=3:18|title3=キッズ・アー・オールライト(The Kids Are Alright)|length3=2:46|title4=[[恋のピンチ・ヒッター]](Substitute)|length4=3:48|title5=[[アイム・ア・ボーイ]](I'm a Boy)|length5=2:37|collapsed=yes|total_length=auto|extra_column=録音年月日及び場所・プロデュ―サー・オリジナル|extra1={{Bulleted list
|1964年11月、パイ・スタジオ(Pye Studios)、ロンドン
|{{仮リンク|シェル・タルミー|en|Shel Talmy}}
|シングル『アイ・キャント・エクスプレイン』A面({{flagicon|GB}}1965年1月5日、{{flagicon|USA}}1964年12月)
}}|writing_credits=yes|extra2={{Bulleted list
|1965年10月、IBC スタジオ、ロンドン
|シェル・タルミー
|アルバム『[[マイ・ジェネレーション (アルバム)|マイ・ジェネレイション]]』({{flagicon|GB}}1965年12月、{{flagicon|USA}}1966年4月)
}}|extra3={{Bulleted list
|1965年10月、IBC スタジオ、ロンドン
|シェル・タルミー
|アルバム『[[マイ・ジェネレーション (アルバム)|マイ・ジェネレイション]]』
}}|extra4={{Bulleted list
|1966年2月、サウンド・スタジオ、ロンドン
|ザ・フー
|シングル『恋のピンチ・ヒッター』A面({{flagicon|GB}}1966年3月14日、{{flagicon|USA}}1966年4月2日)
}}|extra5={{Bulleted list
|1966年7月‐8月、IBC スタジオ、ロンドン
|キット・ランバート
|シングル『アイム・ア・ボーイ』A面({{flagicon|GB}}1966年8月26日、{{flagicon|USA}}1966年12月)
}}|length6=2:11|length7=4:07|length8=3:20|length9=3:02|title6=[[ハッピー・ジャック]](Happy Jack)|title7=[[恋のマジック・アイ]](I Can See for Miles)|title8=[[マジック・バス]](Magic Bus)|title9=[[ピンボールの魔術師]](Pinball Wizard)|title10=[[シー・ミー・フィール・ミー]](See Me, Feel Me)|extra6={{Bulleted list
|1966年11月、リージェント・サウンド・スタジオとCBSスタジオ、ロンドン
|キット・ランバート
|シングル『ハッピー・ジャック』A面({{flagicon|GB}}1966年12月6日、{{flagicon|USA}}1967年3月18日)
}}|extra7={{Bulleted list
|1967年5月‐9月、CBSスタジオ、ロンドン; タレントマスターズ・スタジオ、ニューヨーク; ゴールド・スター・スタジオ、ロサンゼルス
|キット・ランバート
|アルバム『[[セル・アウト]]』(({{flagicon|GB}}1967年12月15日、{{flagicon|USA}}1968月1月6日)
}}|extra8={{Bulleted list
|1968年5月、アドビジョン・スタジオ、ロンドン
|キット・ランバート
|シングル『マジック・バス』A面({{flagicon|GB}}1968年10月11日、{{flagicon|USA}}1968月7月27日)
}}|extra9={{Bulleted list
|1969年2月、モーガン・スタジオ、ロンドン
|キット・ランバート
|アルバム『[[トミー (アルバム)|トミー]]』({{flagicon|GB}}1969年5月23日、{{flagicon|USA}}1969月5月17日)
}}|extra10={{Bulleted list
|1969年初頭、IBCスタジオ、ロンドン
|キット・ランバート
|アルバム『[[トミー (アルバム)|トミー]]』
}}|length10=3:26|note3=Single edit}}
{{Tracklist|headline=Disc Two|title1=サマータイム・ブルース(Summertime Blues)|title2=ビハインド・ブルー・アイズ(Behind Blue Eyes)|title3=[[無法の世界]](Won't Get Fooled Again)|title4=5:15(5:15)|title5=[[愛の支配]](Love, Reign o'er Me)|collapsed=yes|total_length=auto|extra_column=録音年月日及び場所・プロデュ―サー(アソシエイト・プロデューサー)・オリジナル|extra1={{Bulleted list
|1970年2月14日、リーズ大学に設置されたパイ・スタジオ所有の移動式スタジオ
|ザ・フー
|アルバム『[[ライヴ・アット・リーズ]]』({{flagicon|GB}}1970年5月、{{flagicon|USA}}1970年5月)
}}|writing_credits=yes|extra2={{Bulleted list
|1971年5月‐6月、オリンピック・スタジオ、ロンドン
|ザ・フー(グリン・ジョンズ)
|アルバム『[[フーズ・ネクスト]]』({{flagicon|GB}}1971年8月、{{flagicon|USA}}1971年8月)
}}|extra3={{Bulleted list
|1971年4月‐5月、 ローリング・ストーンズの移動式スタジオ、バークシャー、スターグローヴス; オリンピック・スタジオ、ロンドン
|ザ・フー(グリン・ジョンズ)
|アルバム『[[フーズ・ネクスト]]』
}}|extra4={{Bulleted list
|1973年6月、ザ・キッチン、バタシー
|ザ・フー
|アルバム『[[四重人格]]』({{flagicon|GB}}1973年11月、{{flagicon|USA}}1973年10月)
}}|extra5={{Bulleted list
|1973年6月、オリンピック・スタジオ、ロンドン
|ザ・フー
|アルバム『[[四重人格]]』
}}|title6=スクイーズ・ボックス(Squeeze Box)|title7=[[フー・アー・ユー]](Who Are You)|title8=ユー・ベター・ユー・ベット(You Better You Bet)|title9=リアル・グッド・ルッキング・ボーイ(Real Good Looking Boy)|title10=オールド・レッド・ワイン(Old Red Wine)|extra6={{Bulleted list
|1975年5月‐6月、シェパートン・スタジオに設置されたアイランド・スタジオ所有の移動式スタジオ
|グリン・ジョンズ
|アルバム『[[ザ・フー・バイ・ナンバーズ]]』({{flagicon|GB}}1975年10月3日、{{flagicon|USA}}1975年10月25日)
}}|extra7={{Bulleted list
|1977年10月‐12月、ランポート・スタジオ、ロンドン; イール・パイ・スタジオ、ゴーリング
|グリン・ジョンズ
|アルバム『[[フー・アー・ユー (アルバム)|フー・アー・ユー]]』({{flagicon|GB}}1978年8月18日、{{flagicon|USA}}1978年8月18日)
}}|extra8={{Bulleted list
|1980年11月、オディッセイ・スタジオ、ロンドン
|{{仮リンク|ビル・シムジク|en|Bill Szymczyk}}
|アルバム『[[フェイス・ダンシズ]]』({{flagicon|GB}}1981年3月16日、{{flagicon|USA}}1981年3月16日)
}}|extra9={{Bulleted list
|2003年–2004年、イール・パイ・スタジオ、ゴーリング
|サイモン・タウンゼント
|本作
}}|extra10={{Bulleted list
|2004年、イール・パイ・スタジオ、ゴーリング
|サイモン・タウンゼント
|本作
}}|length1=3:25|length2=3:41|length3=8:32|length4=5:02|length5=3:10|length6=2:42|length7=5:05|length8=5:37|length9=5:42|length10=3:43|note1=Live|note5=Single edit|note7=Single edit|writer1=Eddie Cochran, Jerry Capehart|writer9=Pete Townshend, Luigi Creatore, Hugo E. Peretti, George David Weiss}}
== 参加ミュージシャン ==
Disc One
*[[ロジャー・ダルトリー|Roger Daltrey]] - ヴォーカル
*[[ピート・タウンゼント|Pete Townshend]] - ギター、キーボード、ヴォーカル
*[[ジョン・エントウィッスル|John Entwistle]] - ベース・ギター、金管楽器、ヴォーカル
*[[キース・ムーン|Keith Moon]] - ドラムス
Disc Two
*Roger Daltrey - ヴォーカル
*Pete Townshend - ギター、キーボード、ヴォーカル
*John Entwistle - ベース・ギター、金管楽器、ヴォーカル (#1-8)
*Keith Moon - ドラムス (#1-7)
*[[ケニー・ジョーンズ|Kenney Jones]] - ドラムス (#8)
*[[ザック・スターキー|Zak Starkey]] - ドラムス (#9, 10)
*[[グレッグ・レイク|Greg Lake]] - ベース・ギター (#9)
*[[ピノ・パラディーノ|Pino Palladino]] - ベース・ギター (#10)
*[[:en:John Bundrick|John "Rabbit" Bundrick]] - キーボード (#8-10)
*[[:en:Simon Townshend|Simon Townshend]] - ギター、キーボード (#9)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|25em}}
== 参考文献 ==
* {{cite book|title=The Who Concert File|first=Joe|last=McMichael|coauthors=Lyons, 'Irish' Jack|year=2004|publisher=Omnibus Press|isbn=1-84449-009-2}}
* {{cite book|title=Who I Am|first=Pete|last=Townshend|year=2013|publisher=HarperCollins|ISBN=978-0-00-747916-0}}
{{Album-stub}}
{{ザ・フー}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:せん あんと なう}}
[[Category:2004年のコンピレーション・アルバム]]
[[Category:ザ・フーのアルバム]] | 2023-10-21T21:00:37Z | 2023-11-24T11:49:01Z | false | false | false | [
"Template:Infobox Album",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web",
"Template:Album-stub",
"Template:Normdaten",
"Template:Sfb",
"Template:仮リンク",
"Template:Tracklist",
"Template:Reflist",
"Template:Notelist",
"Template:Cite book",
"Template:ザ・フー"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A6_(%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0) |
4,844,903 | UFC 294 | UFC 294: Makhachev vs. Volkanovski 2(ユーエフシー・ツーナインティフォー:マカチェフ・バーサス・ヴォルカノフスキー・ツー)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。2023年10月21日、アブダビ・ヤス島のファイトアイランド内エティハド・アリーナで開催された。
本大会はライト級王者イスラム・マカチェフとフェザー級王者アレクサンダー・ヴォルカノフスキーによるUFC世界ライト級タイトルマッチが組まれた。
負傷などによるカードの変更は以下の通り。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "UFC 294: Makhachev vs. Volkanovski 2(ユーエフシー・ツーナインティフォー:マカチェフ・バーサス・ヴォルカノフスキー・ツー)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。2023年10月21日、アブダビ・ヤス島のファイトアイランド内エティハド・アリーナで開催された。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "本大会はライト級王者イスラム・マカチェフとフェザー級王者アレクサンダー・ヴォルカノフスキーによるUFC世界ライト級タイトルマッチが組まれた。",
"title": "大会概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "負傷などによるカードの変更は以下の通り。",
"title": "試合結果"
}
] | UFC 294: Makhachev vs. Volkanovski 2は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。2023年10月21日、アブダビ・ヤス島のファイトアイランド内エティハド・アリーナで開催された。 | {{Infobox MMA event
| 大会名 = UFC 294: Makhachev vs. Volkanovski 2
| 画像 = UFC294poster.jpg
| シリーズ = [[UFC]]
| 主催 = [[ウィリアム・モリス・エンデヴァー・エンターテイメント|WME]]-[[インターナショナル・マネジメント・グループ|IMG]]
| 開催年月日 = [[2023年]][[10月21日]]
| 開催地 = {{UAE}}<br />[[アブダビ]]・[[ヤス島]]
| 会場 = [[エティハド・アリーナ]]
| 開始時刻 =
| 試合数 = 全13試合
| 放送局 = [[ペイ・パー・ビュー]]<br />[[ESPN+]]
| 日本の放送局 = [[U-NEXT]]
| 入場者数 =
| 入場収益 =
| PPV購入数 =
| PPV収益 =
| 報酬総額 =
| 備考 =
| 前大会 = [[UFC Fight Night: Yusuff vs. Barboza]]
| 次大会 = [[UFC Fight Night: Almeida vs. Lewis]]
}}
'''UFC 294: Makhachev vs. Volkanovski 2'''(ユーエフシー・ツーナインティフォー:マカチェフ・バーサス・ヴォルカノフスキー・ツー)は、[[アメリカ合衆国]]の[[総合格闘技]]団体「[[UFC]]」の大会の一つ。[[2023年]][[10月21日]]、[[アブダビ]]・[[ヤス島]]のファイトアイランド内[[エティハド・アリーナ]]で開催された。
== 大会概要 ==
本大会はライト級王者[[イスラム・マカチェフ]]とフェザー級王者[[アレクサンダー・ヴォルカノフスキー]]によるUFC世界ライト級タイトルマッチが組まれた<ref>[https://www.mmafighting.com/platform/amp/2023/10/10/23912292/charles-oliveira-out-alexander-volkanovski-now-faces-islam-makhachev-in-ufc-294-main-event Charles Oliveira out; Alexander Volkanovski now faces Islam Makhachev in UFC 294 main event] MMA Fighting 2023年10月11日</ref>。
== 試合結果 ==
=== プレリミナリーカード ===
; 第1試合 ミドル級 5分3R
: ○ {{Flagicon|RUS}} シャラ・マゴメドフ vs. {{Flagicon|BRA}} ブルーノ・シウバ ×
: 3R終了 判定3-0(30-27、30-27、30-27)
; 第2試合 116.6ポンド契約 5分3R
: ○ {{Flagicon|RUS}} ビクトリア・ドゥダコバ vs. {{Flagicon|USA}} [[ジン・ユウ・フライ]] ×
: 3R終了 判定3-0(30-27、30-27、30-27)
: ※ドゥダコバの体重超過により女子ストロー級から変更。
; 第3試合 フェザー級 5分3R
: ○ {{Flagicon|TJK}} ムハンマド・ナイモフ vs. {{Flagicon|ENG}} ナサニエル・ウッド ×
: 3R終了 判定3-0(29-28、29-28、29-28)
; 第4試合 159.5ポンド契約 5分3R
: ○ {{Flagicon|USA}} マイク・ブリーデン vs. {{Flagicon|IND}} アンシュル・ジュブリ ×
: 3R 3:00 KO(右ストレート)
: ※ブリーデンの体重超過によりライト級から変更。
; 第5試合 ミドル級 5分3R
: ○ {{Flagicon|USA}} セドリケス・ドゥマス vs. {{Flagicon|MAR}} アブー・アツァイター ×
: 3R終了 判定3-0(29-28、29-28、29-28)
; 第6試合 バンタム級 5分3R
: - {{Flagicon|AFG}} ジャビッド・バシャラート vs. {{Flagicon|USA}} [[ビクター・ヘンリー]] -
: 2R 0:15 ノーコンテスト(ローブロー)
; 第7試合 ライト級 5分3R
: ○ {{Flagicon|USA}} トレバー・ピーク vs. {{Flagicon|UAE}} モハンマド・ヤヒヤ ×
: 3R終了 判定3-0(29-28、30-27、30-27)
; 第8試合 フライ級 5分3R
: ○ {{Flagicon|GBR}} [[ムハンマド・モカエフ]] vs. {{Flagicon|USA}} [[ティム・エリオット]] ×
: 3R 3:03 [[肩固め]]
=== メインカード ===
; 第9試合 バンタム級 5分3R
: ○ {{Flagicon|RUS}} [[サイード・ヌルマゴメドフ]] vs. {{Flagicon|TJK}} ムイン・ガフロフ ×
: 1R 1:13 [[ニンジャチョーク]]
; 第10試合 ミドル級 5分3R
: ○ {{Flagicon|RUS}} [[イクラム・アリスケロフ]] vs. {{Flagicon|BRA}} [[ワーレイ・アウベス]] ×
: 1R 2:07 TKO(左飛び膝蹴り→スタンドパンチ連打)
; 第11試合 ライトヘビー級 5分3R
: - {{Flagicon|RUS}} [[マゴメド・アンカラエフ]] vs. {{Flagicon|BRA}} [[ジョニー・ウォーカー (格闘家)|ジョニー・ウォーカー]] -
: 1R 3:13 ノーコンテスト(反則の膝蹴りによるドクターストップ)
; 第12試合 ミドル級 5分3R
: ○ {{Flagicon|SWE}} [[カムザット・チマエフ]] vs. {{Flagicon|NGR}} [[カマル・ウスマン]] ×
: 3R終了 判定2-0(29-27、29-27、28-28)
; 第13試合 UFC世界ライト級タイトルマッチ 5分5R
: ○ {{Flagicon|RUS}} [[イスラム・マカチェフ]] vs. {{Flagicon|AUS}} [[アレクサンダー・ヴォルカノフスキー]] ×
: 1R 3:06 KO(左ハイキック→パウンド)
: ※マカチェフが2度目の王座防衛に成功。
=== 各賞 ===
: '''ファイト・オブ・ザ・ナイト''':該当無し
: '''パフォーマンス・オブ・ザ・ナイト''':[[イスラム・マカチェフ]]、[[イクラム・アリスケロフ]]、[[サイード・ヌルマゴメドフ]]、[[ムハンマド・モカエフ]]、
: 各選手にはボーナスとして5万ドルが授与された。
=== カード変更 ===
負傷などによるカードの変更は以下の通り。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[UFCの大会一覧]]
== 外部リンク ==
* {{UFC試合結果|ufc-294}}
* [https://gonkaku.jp/articles/15176 GONG KAKUTOGIによる試合結果]
* {{SHERDOG試合結果|UFC-294-Makhachev-vs-Volkanovski-2-97019}}
{{UFCの大会}}
{{DEFAULTSORT:UFC 294}}
[[Category:UFCの大会]]
[[Category:UFCのアラブ首長国連邦大会]]
[[Category:2023年のアラブ首長国連邦]]
[[Category:2023年の総合格闘技]]
[[Category:アブダビのスポーツ競技大会]]
[[Category:2023年10月]] | 2023-10-21T22:02:32Z | 2023-10-24T02:34:11Z | false | false | false | [
"Template:Infobox MMA event",
"Template:Flagicon",
"Template:Reflist",
"Template:UFC試合結果",
"Template:SHERDOG試合結果",
"Template:UFCの大会"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/UFC_294 |
4,844,905 | 百合にはさまる男は死ねばいい!? | 『百合にはさまる男は死ねばいい!?』(ゆりにはさまるおとこはしねばいい!?)は蓬餅による日本の漫画作品。『LINEマンガ』にて毎週水曜日に連載中。略称は「百合はさ」。
元は蓬餅がTwitterやPixivで「吹奏楽部トランペットパートの1stと2ndの感情デカ漫画」として個人的に投稿していた作品だったが、2021年3月31日より現在のタイトルで『LINEマンガ』での16週間限定のトライアル連載を開始。同年7月21日に本連載が決定し、同年12月22日より正式な連載を開始した。
『次にくるマンガ大賞2023』でWebマンガ部門19位受賞。
自身が1stを吹く事に誇りを持っている吹奏楽部部員・片桐千早のもとに、全国レベルの高校で1stを吹いていた相川響が転校してくる。互いに音楽を通して高め合っていく中、次第に特別な感情が芽生えていく。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "『百合にはさまる男は死ねばいい!?』(ゆりにはさまるおとこはしねばいい!?)は蓬餅による日本の漫画作品。『LINEマンガ』にて毎週水曜日に連載中。略称は「百合はさ」。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "元は蓬餅がTwitterやPixivで「吹奏楽部トランペットパートの1stと2ndの感情デカ漫画」として個人的に投稿していた作品だったが、2021年3月31日より現在のタイトルで『LINEマンガ』での16週間限定のトライアル連載を開始。同年7月21日に本連載が決定し、同年12月22日より正式な連載を開始した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "『次にくるマンガ大賞2023』でWebマンガ部門19位受賞。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "自身が1stを吹く事に誇りを持っている吹奏楽部部員・片桐千早のもとに、全国レベルの高校で1stを吹いていた相川響が転校してくる。互いに音楽を通して高め合っていく中、次第に特別な感情が芽生えていく。",
"title": "あらすじ"
}
] | 『百合にはさまる男は死ねばいい!?』(ゆりにはさまるおとこはしねばいい!?)は蓬餅による日本の漫画作品。『LINEマンガ』にて毎週水曜日に連載中。略称は「百合はさ」。 | {{Infobox animanga/Header
| タイトル = 百合にはさまる男は死ねばいい!?
| 画像=
| ジャンル = [[吹奏楽]]<br/>[[青春]]<br />[[恋愛漫画]]<br/>[[百合 (ジャンル)|百合]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = 蓬餅
| 出版社 = [[幻冬社]]
| 掲載誌 = [[LINEマンガ]]
| レーベル = [[バーズコミックス]]
| 開始日 = 2021年3月31日
| 終了日 =
| 巻数 = 既刊3巻(2023年9月22日現在)
| 話数 =
| インターネット = 1
}}
{{Infobox animanga/Footer
| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]
| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]
}}
『'''百合にはさまる男は死ねばいい!?'''』(ゆりにはさまるおとこはしねばいい!?)は蓬餅による日本の漫画作品。『[[LINEマンガ]]』にて毎週水曜日に連載中。略称は「百合はさ」<ref>{{cite web|url=https://realsound.jp/book/2023/09/post-1430170.html|title=『ぱいのこ』『百合はさ』ーーアニメ化決定&マンガ賞受賞など話題作続々! LINEマンガ インディーズ発の名作紹介|=website=Real Sound|accessdate=2023-10-22|date=2023-09-12}}</ref>。
== 概要 ==
元は蓬餅が[[Twitter]]や[[Pixiv]]で「吹奏楽部トランペットパートの1stと2ndの感情デカ漫画」として個人的に投稿していた作品だったが<ref>{{cite web|url=https://www.pixiv.net/artworks/80738073|title=#オリジナル 【前編】吹奏楽部トランペットパートの1stと2ndの感情デカ漫画 - 蓬餅のマンガ|website=pixiv|accessdate=2023-10-22|date=2020-04-12}}</ref>、2021年3月31日より現在のタイトルで『LINEマンガ』での16週間限定のトライアル連載を開始<ref>{{cite web|url=https://www.pixiv.net/artworks/88063104|title=#吹奏楽部 【連載情報!】トランペットパート1st2ndの感情漫画について - 蓬餅のマンガ|website=pixiv|accessdate=2023-10-22|date=2021-02-26}}</ref>。同年7月21日に本連載が決定し<ref>{{cite tweet|user=4049forever|number=1417762835338186754|title=改めまして 『百合にはさまる男は死ねばいい!?』LINEマンガさんにて本連載決定いたしました…|accessdate=2023-10-22}}</ref>、同年12月22日より正式な連載を開始した<ref>{{cite tweet|user=4049forever|number=1473627668596035597|title=『百合はさ』本連載開始告知絵&本編3話分…|accessdate=2023-10-22}}</ref>。
『[[次にくるマンガ大賞]]2023』でWebマンガ部門19位受賞<ref>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/special/64878/|title=【話題のマンガ試し読み】「次にくるマンガ大賞」入賞 女子高生の“百合”作品が人気を増す理由「女性同士の連帯・友情・恋愛関係に心惹かれる方が増えるのはうれしい」 | ORICON NEWS|accessdate=2023-10-22|date=2023-09-25}}</ref>。
== あらすじ ==
{{節stub}}
自身が1stを吹く事に誇りを持っている吹奏楽部部員・'''片桐千早'''のもとに、全国レベルの高校で1stを吹いていた'''相川響'''が転校してくる。互いに音楽を通して高め合っていく中、次第に特別な感情が芽生えていく。
== 登場人物 ==
{{節stub}}
=== 主要人物 ===
; 片桐 千早(かたぎり ちはや)
: 南陵高校3年生の吹奏楽部部員で、担当楽器は[[トランペット]]。
: 朝も昼も自主練するほど努力を惜しまず、1stを吹くことに誇りを持っている。それと同時に音楽にひたむきな相川のことを尊敬しており、同じ高みを目指せる自身の"唯一"になると感じている。
; 相川 響(あいかわ ひびき)
: 全国レベルの強豪校・仙北高校からの転校生。3年生。片桐と同じく担当楽器はトランペットで、転校前も1stを吹いていた。
: 音楽一家に生まれ、飄々としているが類まれなる努力に裏打ちされた確かな技術を持つ。周囲の期待を浴び続け、音楽を続けることに苦しんでいる。改めて心から音楽を好きになるため真っ直ぐな音色を吹く片桐に近づいたが、純粋な気持ちで自身の音に向き合い好いてくれる片桐の隣で吹くことに喜びを感じている。
; 日向 尊(ひゅうが みこと)
: 2年生。相川に一目惚れする。進路に揺れ動く相川に対し、普通の高校生として共に過ごすことで音楽以外の選択肢を与えるという契約を持ちかけ、コンクールまでの期間限定で相川と付き合う。
=== 南陵高校吹奏楽部の関係者 ===
; 片桐 千早(かたぎり ちはや)
: {{Main|#主要人物}}
; 相川響(あいかわ ひびき)
: {{Main|#主要人物}}
; 吉田 のの花(よしだ ののか)
: 2年生。担当楽器はトランペット。
: 長い間片桐を尊敬しており、部活に対して軽い態度でかつ片桐の隣にいる相川を良く思っていない。
; 深海 ミツル(しんかい みつる)
: 吹奏楽部の指揮を務めている講師1年目。26歳。[[レズビアン]]。
: 元々は[[ピアニスト]]の道を歩んでいた。
; 森園 咲(もりぞの さき)
: 高校音楽教師4年目の吹奏楽部顧問。26歳。
: ピアニスト時代からの深海のファンだが、本人の前ではそのことを隠している。
=== 主要人物の家族 ===
; 片桐 飛鳥(かたぎり あすか)
: 千早の弟の中学3年生。同じく吹奏楽部部員で、主に[[バスクラリネット]]をやっている。相川と音を奏でることにこだわる姉を案じている。
== 書誌情報 ==
* 蓬餅 『百合にはさまる男は死ねばいい!?』 幻冬社〈バーズコミックス〉、既刊3巻(2023年9月22日現在)
*# 2023年5月24日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gentosha-comics.net/book/b625089.html|title=百合にはさまる男は死ねばいい!? (1)|website=幻冬社コミックス|publisher=幻冬社|accessdate=2023-10-22}}</ref>、{{ISBN2| 9784344852242}}
*# 2023年5月24日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gentosha-comics.net/book/b625090.html|title=百合にはさまる男は死ねばいい!? (2)|website=幻冬社コミックス|publisher=幻冬社|accessdate=2023-10-22}}</ref>、{{ISBN2| 9784344852259}}
*# 2023年9月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gentosha-comics.net/book/b631974.html|title=百合にはさまる男は死ねばいい!? (3)|website=幻冬社コミックス|publisher=幻冬社|accessdate=2023-10-22}}</ref>、{{ISBN2|9784344853003}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://manga.line.me/product/periodic?id=Z0001152 百合にはさまる男は死ねばいい!?] - [[LINEマンガ]]
* {{Twitter|4049forever|蓬餅}}
{{デフォルトソート:ゆりにはさまるおとこはしねはいい}}
[[Category:漫画作品 ゆ|りにはさまるおとこはしねはいい]]
[[Category:2021年の漫画]]
[[Category:LINEマンガ]]
[[Category:Twitter掲載漫画作品]]
[[Category:高等学校を舞台とした漫画作品]]
[[Category:吹奏楽を題材とした漫画作品]]
[[Category:恋愛漫画]]
[[Category:百合漫画]]
[[Category:継続中の作品]] | 2023-10-21T22:24:30Z | 2023-10-22T22:16:21Z | false | false | false | [
"Template:Main",
"Template:ISBN2",
"Template:Cite web",
"Template:Infobox animanga/Footer",
"Template:節stub",
"Template:Reflist",
"Template:Cite tweet",
"Template:Twitter",
"Template:Infobox animanga/Header",
"Template:Infobox animanga/Manga"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%90%88%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%95%E3%81%BE%E3%82%8B%E7%94%B7%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%81%AD%E3%81%B0%E3%81%84%E3%81%84!%3F |
4,844,912 | アウトストラーダ A52 | アウトストラーダ A52は、ミラノ北環状線とも呼ばれる、ミラノ郊外北部に接するイタリアのアウトストラーダである。 ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社、アウトストラーデ・イタリア、及び、SATAPにより管理されている。コローニョ・モンツェーゼを東の起点とし、チニゼッロ・バルサモ、パデルノ・ドゥニャーノを通り、ローで終わっている。 A50(ミラノ西環状線)、A51(ミラノ東環状線)、A58(ミラノ東外環状線)、と共にイタリア最大の一都市周囲の環状道路系を構成し、その総延長は120 キロメートル(以下 km と表記する) である。4本の環状線に加えて、A1とA4のミラノ都市圏を通る部分を加えると、その延長は144 km である。
ミラノ北環状線は、ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社により着工され、30年の歳月をかけアウトストラーデ・イタリアにより完成した。この道路は、A4、ミラノ東環状線とともに高度に都市化され工業化されたブリアンツァの地域間を接続する機能を持っている。建設工事は終始資金不足に悩まされ、そのために工期が延びた。 最初の工区である、コローニョ・モンツェーゼからパデルノ・ドゥニャーノまでは1994年に完成した。2005年3月から2008年にかけて、ローの区間、フィエラ・ディ・ミラノとA8を接続する西側の最初の区間が建設され、ミラノ万博に向けて2015年にバランザーテまでが完成した。上記の両区間の間のバランザーテとパデルノ・ドゥニャーノの間は、その後しばらくは、モンツァとローをつなぐ県道がその役割を担っていた。2009年2月9日に、A52を完成させるための、予定費用4.28億ユーロの事前計画がANASにより承認された。 パデルノ・ドゥニャーノとローの区間の工事は、2014年に開始された。工事区間は3つのロットに分割され、ロット1はアウトストラーデ・イタリアが、ロット2、3はミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社が担当した。2015年4月27日から、ミラノ万博を視野に入れ、片側2車線の連絡道路が一時的に開通され、東西区間が接続し交通流が確保された。2022年11月14日に、国道35号線を跨ぐ高架橋とパデルノ・ドゥニャーノ近くのフォニカトンネルの公式な開通式が行われ、アウトストラーダ全線が完成した。翌朝、車道外側の工事はまだ完了していなかったが、北環状線の最後の区間の供用が開始された。 この工事の完了により、2つの重要な目的が達成された。それは、A4のミラノ都市部の代替経路の構築と、A50-A51-A52の3つの環状線をひとつにつなぐことである。 A52は、ミラノ環状線の中では唯一、まだ出口番号が設定されていない道路である。
この道路の総延長は約26 km であり、片側2車線および緊急車線の構成である。密集した都市圏を通るため、カーブが多く、16箇所の出入口と4箇所のジャンクションを持つ。最高速度は、区間により60 キロメートル毎時(以下 km/h と表記する)から90 km/h までの幅がある。 この道路は、セスト・サン・ジョヴァンニ近郊で、ミラノ東環状線から分岐してはじまる。この道路へはミラノ東環状線の北行きのみから進入でき、この道路からはミラノ東環状線の南行きにのみ進入できる。セスト・サン・ジョヴァンニ本線料金所を通過した後、4 km から12 km まで、および、17 km から20 km までは、周辺地域の環境への影響を低減するために堀割構造で建設されている。 モンツァでA4とジャンクションにより接続し、チニゼッロ・バルサモで国道36号線を横断し、スーペルストラーダ ミラノ - メーダ - レンターテを跨ぐ。 パデルノ・ドゥニャーノを通過した後、道路に近い地区の騒音と環境への影響を軽減するための防音トンネルを通過する。 バランザーテ近郊では、国道233号線と交差し、A8とジャンクションにより接続し、ボッラーテ刑務所、ローの見本市、万博エリアの間を曲がりながら進む。万博エリアでは再度A4とジャンクションにより接続する。 最後に、ミラノ西環状線とジャンクションにより接続し、その先は道なりに国道33号デル・センピオーネ線となり、レニャーノ方面に進んでいる。
| [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "アウトストラーダ A52は、ミラノ北環状線とも呼ばれる、ミラノ郊外北部に接するイタリアのアウトストラーダである。 ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社、アウトストラーデ・イタリア、及び、SATAPにより管理されている。コローニョ・モンツェーゼを東の起点とし、チニゼッロ・バルサモ、パデルノ・ドゥニャーノを通り、ローで終わっている。 A50(ミラノ西環状線)、A51(ミラノ東環状線)、A58(ミラノ東外環状線)、と共にイタリア最大の一都市周囲の環状道路系を構成し、その総延長は120 キロメートル(以下 km と表記する) である。4本の環状線に加えて、A1とA4のミラノ都市圏を通る部分を加えると、その延長は144 km である。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "ミラノ北環状線は、ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社により着工され、30年の歳月をかけアウトストラーデ・イタリアにより完成した。この道路は、A4、ミラノ東環状線とともに高度に都市化され工業化されたブリアンツァの地域間を接続する機能を持っている。建設工事は終始資金不足に悩まされ、そのために工期が延びた。 最初の工区である、コローニョ・モンツェーゼからパデルノ・ドゥニャーノまでは1994年に完成した。2005年3月から2008年にかけて、ローの区間、フィエラ・ディ・ミラノとA8を接続する西側の最初の区間が建設され、ミラノ万博に向けて2015年にバランザーテまでが完成した。上記の両区間の間のバランザーテとパデルノ・ドゥニャーノの間は、その後しばらくは、モンツァとローをつなぐ県道がその役割を担っていた。2009年2月9日に、A52を完成させるための、予定費用4.28億ユーロの事前計画がANASにより承認された。 パデルノ・ドゥニャーノとローの区間の工事は、2014年に開始された。工事区間は3つのロットに分割され、ロット1はアウトストラーデ・イタリアが、ロット2、3はミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社が担当した。2015年4月27日から、ミラノ万博を視野に入れ、片側2車線の連絡道路が一時的に開通され、東西区間が接続し交通流が確保された。2022年11月14日に、国道35号線を跨ぐ高架橋とパデルノ・ドゥニャーノ近くのフォニカトンネルの公式な開通式が行われ、アウトストラーダ全線が完成した。翌朝、車道外側の工事はまだ完了していなかったが、北環状線の最後の区間の供用が開始された。 この工事の完了により、2つの重要な目的が達成された。それは、A4のミラノ都市部の代替経路の構築と、A50-A51-A52の3つの環状線をひとつにつなぐことである。 A52は、ミラノ環状線の中では唯一、まだ出口番号が設定されていない道路である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "この道路の総延長は約26 km であり、片側2車線および緊急車線の構成である。密集した都市圏を通るため、カーブが多く、16箇所の出入口と4箇所のジャンクションを持つ。最高速度は、区間により60 キロメートル毎時(以下 km/h と表記する)から90 km/h までの幅がある。 この道路は、セスト・サン・ジョヴァンニ近郊で、ミラノ東環状線から分岐してはじまる。この道路へはミラノ東環状線の北行きのみから進入でき、この道路からはミラノ東環状線の南行きにのみ進入できる。セスト・サン・ジョヴァンニ本線料金所を通過した後、4 km から12 km まで、および、17 km から20 km までは、周辺地域の環境への影響を低減するために堀割構造で建設されている。 モンツァでA4とジャンクションにより接続し、チニゼッロ・バルサモで国道36号線を横断し、スーペルストラーダ ミラノ - メーダ - レンターテを跨ぐ。 パデルノ・ドゥニャーノを通過した後、道路に近い地区の騒音と環境への影響を軽減するための防音トンネルを通過する。 バランザーテ近郊では、国道233号線と交差し、A8とジャンクションにより接続し、ボッラーテ刑務所、ローの見本市、万博エリアの間を曲がりながら進む。万博エリアでは再度A4とジャンクションにより接続する。 最後に、ミラノ西環状線とジャンクションにより接続し、その先は道なりに国道33号デル・センピオーネ線となり、レニャーノ方面に進んでいる。",
"title": "現在の状況"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "行程"
}
] | アウトストラーダ A52は、ミラノ北環状線とも呼ばれる、ミラノ郊外北部に接するイタリアのアウトストラーダである。
ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社、アウトストラーデ・イタリア、及び、SATAPにより管理されている。コローニョ・モンツェーゼを東の起点とし、チニゼッロ・バルサモ、パデルノ・ドゥニャーノを通り、ローで終わっている。
A50(ミラノ西環状線)、A51(ミラノ東環状線)、A58(ミラノ東外環状線)、と共にイタリア最大の一都市周囲の環状道路系を構成し、その総延長は120 キロメートル(以下 km と表記する) である。4本の環状線に加えて、A1とA4のミラノ都市圏を通る部分を加えると、その延長は144 km である。 | {{Infobox_road
|種別・系統= [[アウトストラーダ]]
|アイコン=[[File:(IT) Autostrada A52 Tangenziale nord di Milano.png|100px]]
|名前=アウトストラーダ A52<br>Autostrada A52
|副名=ミラノ北環状線<br>Tangenziale Nord di Milano
|開通年=1994年<ref>{{Cite web | url=https://www.serravalle.it/media/2136_Carta%20Servizi_01_2023.pdf | page=4 | title=CARTA DEI SERVIZI 2023| accessdate=April 21, 2023}}</ref>
|起点=[[アウトストラーダ A51]] ([[コローニョ・モンツェーゼ]], [[ミラノ県]])
|終点=[[アウトストラーダ A50]] ([[ロー (イタリア)|ロー]], [[ミラノ県]])
|総距離=26 [[キロメートル|km]]<ref>{{Cite web | url=https://www.automap.it/autostrade/mappa-tangenziale-milano-nord-a52 | title=Autostrada A52 Tangenziale Nord Milano | accessdate=May 6, 2023}}</ref>
|地図画像=[[File:Italia - mappa autostrada A52.svg|250px]] [[File:Mappa A52 Tangenziale Nord di Milano.png|250px]]
}}
'''アウトストラーダ A52'''は、'''ミラノ北環状線'''とも呼ばれる、[[ミラノ]]郊外北部に接する[[イタリア]]の[[アウトストラーダ]]である。
[[:it:Milano Serravalle-Milano Tangenziali|ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社]]、[[アウトストラーデ・イタリア]]、及び、[[:it:SATAP|SATAP]]により管理されている。[[コローニョ・モンツェーゼ]]を東の起点とし、[[チニゼッロ・バルサモ]]、[[パデルノ・ドゥニャーノ]]を通り、[[ロー (イタリア)|ロー]]で終わっている。
[[アウトストラーダ A50|A50]](ミラノ西環状線)、[[アウトストラーダ A51|A51]](ミラノ東環状線)、[[:it:Autostrada A58|A58]](ミラノ東外環状線)、と共にイタリア最大の一都市周囲の環状道路系を構成し、その総延長は120 [[キロメートル]](以下 km と表記する) である<ref group="注釈">A50:33 km, A51 29.4 km, A52:26 km, A58:32 km, 以上合計:120.4 km</ref>。4本の環状線に加えて、[[アウトストラーダ A1|A1]]と[[アウトストラーダ A4|A4]]のミラノ都市圏を通る部分を加えると、その延長は144 km である<ref group="注釈">A1:6.9 km, A4:17 km, 合計:23.9 km</ref>。
== 歴史 ==
ミラノ北環状線は、[[:it:Milano Serravalle-Milano Tangenziali|ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社]]により着工され、30年の歳月をかけ[[アウトストラーデ・イタリア]]により完成した。この道路は、[[アウトストラーダ A4|A4]]、[[アウトストラーダ A51|ミラノ東環状線]]とともに高度に都市化され工業化された[[ブリアンツァ]]の地域間を接続する機能を持っている。建設工事は終始資金不足に悩まされ、そのために工期が延びた。
最初の工区である、[[コローニョ・モンツェーゼ]]<ref group="注釈">{{ウィキ座標度分秒|45|31|16.99|N|9|15|38.90|E}}</ref>から[[パデルノ・ドゥニャーノ]]<ref group="注釈">{{ウィキ座標度分秒|45|33|44.13|N|9|10|43.18|E}}</ref>までは1994年に完成した<ref>{{Cite web | url=https://www.serravalle.it/pagina8100_la-storia.html | title=La Storia | accessdate=May 23, 2023}}</ref>。2005年3月から2008年にかけて、[[ロー (イタリア)|ロー]]の区間、[[:it:Fiera di Milano|フィエラ・ディ・ミラノ]]<ref group="注釈">{{ウィキ座標度分秒|45|31|16.10|N|9|3|59.67|E}}</ref>と[[アウトストラーダ A8|A8]]を接続する西側の最初の区間<ref group="注釈">{{ウィキ座標度分秒|45|31|47.93|N|9|5|58.21|E}}</ref>が建設され、[[ミラノ国際博覧会 (2015年)|ミラノ万博]]に向けて2015年に[[バランザーテ]]までが完成した<ref>{{Cite web | url=https://www.autostrade.it/it/la-nostra-rete/piano-investimenti-interventi-in-corso/a8-nuova-fiera-di-milano | title=A8 Nuova Fiera di Milano | accessdate=May 6, 2023}}</ref>。上記の両区間の間の[[バランザーテ]]と[[パデルノ・ドゥニャーノ]]の間は、その後しばらくは、[[モンツァ]]と[[ロー (イタリア)|ロー]]をつなぐ県道がその役割を担っていた。2009年2月9日に、A52を完成させるための、予定費用4.28億ユーロの事前計画が[[ANAS]]により承認された。
<!--
パデルノ・ドゥニャーノから、ロー までの区間は、2022年11月15日に開通した
<ref>{{Cite web | url=https://www.serravalle.it/archivio4_news_0_4179.html#:~:text=L'apertura%20completa%20al%20traffico,6.00%20del%2015%20novembre%202022 | title=Apertura completa A52 Tangenziale Nord Rho-Monza | accessdate=May 25, 2023}}</ref>
<ref>{{Cite web | url=https://www.serravalle.it/pagina7953_a52-tangenziale-nord-di-milano.html | title=A52 – Riqualificazione della SP46 Rho-Monza dal termine della A52 Tangenziale Nord al ponte sulla ferrovia Milano-Varese | accessdate=May 25, 2023}}</ref>
-->
[[パデルノ・ドゥニャーノ]]と[[ロー (イタリア)|ロー]]の区間の工事は、2014年に開始された。工事区間は3つのロットに分割され、ロット1は[[アウトストラーデ・イタリア]]が、ロット2、3は[[:it:Milano Serravalle-Milano Tangenziali|ミラノ・セッラヴァッレ - ミラノ環状線株式会社]]が担当した<ref> {{Cite web | url=https://www.affaritaliani.it/static/upload/pres/0003/presentazione_agnoloni_assimpredil-ance_20-novembre.pdf | Page=6 | title=Riqualificazione della SP46 Rho-Monza | accessdate=June 2, 2023 }} </ref>。2015年4月27日から、[[ミラノ国際博覧会 (2015年)|ミラノ万博]]を視野に入れ、片側2車線の連絡道路が一時的に開通され、東西区間が接続し交通流が確保された。2022年11月14日に、[[:it:Strada statale 35 dei Giovi#Superstrada Milano-Meda-Lentate|国道35号線]]を跨ぐ高架橋と[[パデルノ・ドゥニャーノ]]近くのフォニカトンネルの公式な開通式が行われ、アウトストラーダ全線が完成した<ref>{{Cite web | url=https://tg24.sky.it/milano/2022/11/14/autostrada-rho-monza-apertura |title=Autostrada Rho-Monza, oggi l'apertura dopo sette anni di lavori |accessdate=June 2, 2023}}</ref><ref>{{Cite web | url=https://primamilanoovest.it/cronaca/rho-monza-inaugurata-la-galleria-di-paderno/| title=Rho-Monza: inaugurata la galleria di Paderno | accessdate=June 2, 2023}}</ref>。翌朝、車道外側の工事はまだ完了していなかったが、北環状線の最後の区間の供用が開始された。
この工事の完了により、2つの重要な目的が達成された。それは、[[アウトストラーダ A4|A4]]の[[ミラノ]]都市部の代替経路の構築と、[[アウトストラーダ A50|A50]]-[[アウトストラーダ A51|A51]]-A52の3つの環状線をひとつにつなぐことである。
A52は、[[ミラノ]]環状線の中では唯一、まだ[[:en:Exit number|出口番号]]が設定されていない道路である<ref group="注釈">11と12のみ設定されている</ref>。
==現在の状況==
この道路の総延長は約26 km であり、片側2車線および緊急車線の構成である。密集した都市圏を通るため、カーブが多く、16箇所の出入口と4箇所のジャンクションを持つ。最高速度は、区間により60 [[キロメートル毎時]](以下 km/h と表記する)から90 km/h までの幅がある。
この道路は、[[セスト・サン・ジョヴァンニ]]近郊で、[[アウトストラーダ A51|ミラノ東環状線]]から分岐してはじまる。この道路へは[[アウトストラーダ A51|ミラノ東環状線]]の北行きのみから進入でき、この道路からは[[アウトストラーダ A51|ミラノ東環状線]]の南行きにのみ進入できる。[[セスト・サン・ジョヴァンニ]]本線料金所を通過した後、4 km から12 km まで、および、17 km から20 km までは、周辺地域の環境への影響を低減するために堀割構造で建設されている。
[[モンツァ]]で[[アウトストラーダ A4|A4]]とジャンクションにより接続し、[[チニゼッロ・バルサモ]]で[[:it:Strada statale 36 del Lago di Como e dello Spluga|国道36号線]]を横断し、[[:it:Strada statale 35 dei Giovi#Superstrada Milano-Meda-Lentate|スーペルストラーダ ミラノ - メーダ - レンターテ]]を跨ぐ。
[[パデルノ・ドゥニャーノ]]を通過した後、道路に近い地区の騒音と環境への影響を軽減するための防音トンネルを通過する<ref group="注釈">{{ウィキ座標度分秒|45|33|35.11|N|9|10|16.05|E}}</ref><ref>{{Cite web | url=https://www.stradeeautostrade.it/gallerie-e-tunnelling/s-p-46-rho-monza-la-galleria-fonica-di-paderno-dugnano/ | title=S.P. 46 “Rho-Monza”: la galleria fonica di Paderno Dugnano | accessdate=October 8, 2023}}</ref><ref>{{Cite web | url=https://amp.monzatoday.it/attualita/inaugurazione-rho-monza-prolungamento-tangenziale-nord.html | title=Una galleria di cristallo e 4 tunnel: apre il prolungamento della tangenziale Nord | accessdate=October 8, 2023}}</ref>。
[[バランザーテ]]近郊では、[[:it:Strada statale 233 Varesina|国道233号線]]と交差し、[[アウトストラーダ A8|A8]]とジャンクションにより接続し、[[ボッラーテ]]刑務所、[[ロー (イタリア)|ロー]]の見本市、万博エリアの間を曲がりながら進む。万博エリアでは再度[[アウトストラーダ A4|A4]]とジャンクションにより接続する。
最後に、[[アウトストラーダ A50|ミラノ西環状線]]とジャンクションにより接続し、その先は道なりに[[:it:Strada statale 33 del Sempione|国道33号デル・センピオーネ線]]となり、[[レニャーノ]]方面に進んでいる。
==行程==
{| class="wikitable"
|-
|- align="center" bgcolor="08842C" style="color: white;font -size:100%;"
| colspan="5" | '''[[File:Autostrada A52 Italia.svg|30px]] TANGENZIALE NORD DI MILANO'''
|-
!style="text-align:center"|種別
!style="text-align:center"|方面
!style="text-align:center"|'''↓[[キロメートル|km]]↓'''
!style="text-align:center"|'''↑[[キロメートル|km]]↑'''
!style="text-align:center"|地域
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|17px]]
| [[File:Autostrada A51 Italia.svg|24px]] [[アウトストラーダ A51|Tangenziale Est di Milano]]<ref group="注釈">A51との接続は[[ボローニャ]]方面のみ</ref>
| align="right" | 0.0
| align="right" | 26.0
| rowspan="5" align="center"|[[ミラノ県|MI]]
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[セスト・サン・ジョヴァンニ|Sesto San Giovanni]] sud<br>[[コローニョ・モンツェーゼ|Cologno Monzese]]<ref group="注釈">[[ロー (イタリア)|ロー]]方面は入口、[[ボローニャ]]方面は出口のみ</ref>
| align="right" | 1.0
| align="right" |25.4
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[セスト・サン・ジョヴァンニ|Sesto San Giovanni]]<br>[[File:Milano linea M1.svg|24px]][[:it:Sesto Marelli|Marelli]]<br>[[File:Milano linea M1.svg|24px]][[セスト・プリモ・マッジョ駅|Sesto 1º Maggio]]
| align="right" | 3.1
| align="right" | 24.7
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|24px]]
| [[File:Autostrada A4 Italia.svg|23px]][[ヴェネツィア|Venezia]]<ref group="注釈">ロー方面はA4東行きへの出口のみ、ボローニャ方面はA4東行きからの入口のみ</ref>
| align="right" | 3.4
| align="right" | 22.1
|-
| [[File:Italian traffic signs - stazione.svg|24px]]
| セスト・サン・ジョヴァンニ本線料金所<ref group="注釈">料金 €2.60</ref>
| align="right" | 3.6
| align="right" | 22.2
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|24px]]
| [[File:Autostrada A4 Italia.svg|23px]][[トリノ|Torino]]<br>[[モンツァ|Monza]]<br>[[:it:Sant'Alessandro (Monza)|S. Alessandro]]<br>[[ミラノ・マルペンサ空港|Malpensa]][[File:Italian traffic signs - icona aeroporto.svg|24px]]
| align="right" | 4.3
| align="right" | 21.8
| rowspan="4" align="center"|[[モンツァ・エ・ブリアンツァ県|MB]]
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[モンツァ|Monza]] [[:it:Sant'Alessandro (Monza)|Sant'Alessandro]]<ref group="注釈">ロー方面は入口のみ</ref>
| align="right" | 4.5
| align="right" | 21.3
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[モンツァ|Monza]][[File:Italian traffic signs - centro città.svg|24px]]<br>[[セスト・サン・ジョヴァンニ|Sest. S. G.]] nord
| align="right" | 5.3
| align="right" | 20.3
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[チニゼッロ・バルサモ|Cinisello Balsamo]]<br>Robecco<br>Zona Commerciale<ref group="注釈">ロー方面は入口のみ、ボローニャ方面は出口のみ</ref>
| align="right" | 6.0
| align="right" | 19.9
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[File:Strada Statale 36 Italia.svg|34px]]Lecco<br>[[モンツァ|Monza]] [[:it:Villa Reale di Monza|Villa Reale]]
| align="right" | 6.1
| align="right" | 19.6
| rowspan="3" align="center"|[[ミラノ県|MI]]
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[チニゼッロ・バルサモ|Cinisello Balsamo]] sud<br>Viale Brianza<br>[[ミラノ|Milano]] [[:it:Viale Zara|Viale Zara]]
| align="right" | 6.4
| align="right" | 19.3
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[File:Strada Provinciale 151 Italia.svg|34px]][[チニゼッロ・バルサモ|Cinisello Balsamo]] nord<br>[[ムッジョ|Muggiò]]
| align="right" | 8.1
| align="right" | 17.7
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[File:Strada Provinciale 131 Italia.svg|34px]][[ノーヴァ・ミラネーゼ|Nova Milanese]]
| align="right" | 9.6
| align="right" | 16.1
| align="center" |[[モンツァ・エ・ブリアンツァ県|MB]]
|-
| [[File:AB-Tank.svg|16px]]
| チニゼッロ・バルサモ北サービスエリア
| align="right" | 10.7
| align="right" | -
| rowspan="13" align="center"|[[ミラノ県|MI]]
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]<!--<br>[[File:MA Route 10.svg|24px]]-->
| [[File:Strada Provinciale 9 Italia.svg|34px]]Vecchia Valassina<br>[[エルバ (ロンバルディア州)|Erba]]
| align="right" | 11.3
| align="right" | 14.1
|-
| [[File:AB-Kreuz-blaugrün.svg|24px]]<br>[[File:MA Route 11.svg|24px]]
| [[File:Strada Statale 35 Italia.svg|35px]][[コモ|Como]]-[[メーダ|Meda]]<br>[[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]]autostrada<br>[[コルマーノ|Cormano]]<br>Cusano Milanino<br>[[File:Strada Statale 35 Italia.svg|35px]][[ミラノ|Milano]]
| align="right" | 12.3
| align="right" | 11.7
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[File:Strada Provinciale 44 Italia.svg|34px]]<ref group="注釈">ボローニャ方面入口のみ</ref>
| align="right" | -
| align="right" | 10.8
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]<br>[[File:MA Route 12.svg|24px]]
| [[コルマーノ|Cormano]]<br>[[ボッラーテ|Bollate]]
| align="right" | 15.9
| align="right" | 9.5
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[ボッラーテ|Bollate]]<br>[[ノヴァーテ・ミラネーゼ|Novate]]
| align="right" | 18.9
| align="right" | 6.3
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[バランザーテ|Baranzate]]
| align="right" | 20.5
| align="right" | 5.1
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|24px]]
| [[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]]Varese<br>[[File:Italian traffic signs - icona aeroporto.svg|24px]][[ミラノ・マルペンサ空港|Malpensa]]<br> [[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]][[File:Autostrada A26 Italia.svg|24px]]Gravellona T.<br>[[File:Autostrada A9 Italia.svg|24px]][[コモ|Como]]-[[:it:Chiasso|Chiasso]]<ref group="注釈">ロー方面からは、ひとつ前のBaranzateの出口分岐で取付け道に入る必要あり</ref>
| align="right" | 21.3
| align="right" | 4.0
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[:it:Mazzo (Rho)|Mazzo di Rho]]<br>[[ミラノ国際博覧会 (2015年)|Expo]] [[:it:Cascina Triulza|Triulza]]
| align="right" | 22.1
| align="right" | 3.1
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|24px]]
| [[:it:Fieramilano|Fieramilano]] est-sud
| align="right" | 23.0
| align="right" | 2,5
|-
| [[File:AB-AS-grün.svg|24px]]
| [[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]]Varese<br>[[File:Autostrada A9 Italia.svg|24px]][[コモ|Como]]<br>[[ペーロ|Pero]]-[[ミラノ|Milano]]<br>[[:it:Fieramilano|Fieramilano]]<br>[[File:Italian traffic signs - icona aeroporto.svg|24px]][[ミラノ・マルペンサ空港|Malpensa]]
| align="right" | 25.1
| align="right" | 2.1
|-
| [[File:AB-Kreuz-grün.svg|24px]]
| [[File:Autostrada A50 Italia.svg|24px]] [[アウトストラーダ A50|Tangenziale Ovest]]<br>[[ボローニャ|Bologna]]<br>[[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]][[トリノ|Torino]]<br>[[File:Autostrada A8 Italia.svg|24px]][[ヴェネツィア|Venezia]]<br>[[File:Autostrada A7 Italia.svg|23px]][[ジェノヴァ|Genova]]<br>[[File:Italian traffic signs - icona aeroporto.svg|24px]][[:it:Linate|Linate]]
| align="right" | 25.9
| align="right" | 0,0
|-
| [[File:Italian traffic signs - strada a viabilità ordinaria.svg|24px]]
| [[File:Strada Statale 33 Italia.svg|34px]] [[ロー (イタリア)|Rho]] - [[レニャーノ|Legnano]]
| align="right" | 26.0
| align="right" | 0.0
|-
|}
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Notelist|2}}
===出典===
{{Reflist|2}}
==関連項目==
* [[アウトストラーダ]]
* [[アウトストラーダ一覧]]
* [[アウトストラーダ A1]]
* [[アウトストラーダ A4]]
* [[アウトストラーダ A8]]
* [[アウトストラーダ A50]]
* [[アウトストラーダ A51]]
* [[:it:Autostrada A58|アウトストラーダ A58]]
<!--
==外部リンク==
-->
{{Autostrade}}
{{デフォルトソート:あうとすとらあたA52}}
[[Category:アウトストラーダ|A52]]
[[Category:ロンバルディア州の交通]] | 2023-10-21T23:15:01Z | 2023-10-21T23:21:15Z | false | false | false | [
"Template:Infobox road",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist",
"Template:ウィキ座標度分秒",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Autostrade"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%80_A52 |
Subsets and Splits
No community queries yet
The top public SQL queries from the community will appear here once available.