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208
| section
dict | text
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32.7k
|
---|---|---|---|---|---|
300 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " アルゼンチン",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1960年よりF-86F 28機を運用する。フォークランド紛争の際は既に予備兵器となっていたが、チリの参戦に備えて現役に復帰した。しかし、結局チリは参戦しなかったため戦闘に参加していない。その後、1986年に全機が退役する。 |
301 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " イギリス",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | ホーカー ハンターが配備されるまでの繋ぎとして、カナディア製のセイバー Mk.4をセイバー F.4として428機取得。 |
302 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " イタリア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | イギリスからセイバー Mk.4を導入。コンゴ動乱ではフィリピン空軍パイロットの操縦により国連軍から参戦した。 |
303 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " インドネシア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1973年にオーストラリア空軍の中古機(CAC社製)を無償提供された。 |
304 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " エチオピア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1960年よりエチオピア空軍がF-86Fを運用する。 |
305 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " 韓国",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1955年よりアメリカで製造されたF-86F及びRF-86Fを取得し、大韓民国空軍にて122機が運用された。 |
306 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " コロンビア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | アメリカ空軍の余剰となったF-86F、及び少数のセイバー Mk.6を運用。 |
307 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " スペイン",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | アメリカで製造されたF-86F 270機を運用。1972年退役。 |
308 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " タイ",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1962年より40機のF-86Fを運用する。 |
309 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " 台湾",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1950-60年代の台湾空軍の主力戦闘機としてF-86Fを320機、RF-86Fを7機運用した。1977年に全機が退役。 |
310 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " チュニジア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1969年にアメリカ空軍の中古機(F-86F)を導入。 |
311 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " デンマーク",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 3個飛行隊でF-86Dを運用。 |
312 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " 西ドイツ",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 西ドイツ空軍がカナディア製のセイバーMk.5/Mk.6を運用。 |
313 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ノルウェー",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1957年から1958年にかけてF-86Fを取得し、ノルウェー空軍にて運用する。 |
314 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " パキスタン",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1950年代にアメリカから供与を受ける。第二次/第三次印パ戦争においてインド空軍のハンターやナットとの空中戦を繰り広げ、1度の出撃で、ハンターを5機撃墜 するなど、撃墜も記録している。供給元のアメリカが禁輸措置を取ったため、イランが西ドイツから取得した機体を同国がパキスタンに転売する形でカナディア製セイバーを導入するなど戦力維持に努めた。しかし、後継機としてミラージュIIIやJ-6が導入された事もあって1980年代には飛行不能になり、退役した。 |
315 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " バングラデシュ",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 第三次印パ戦争で、バングラデシュ空軍が旧東パキスタンに配備していたパキスタンのF-86を鹵獲。旧ソ連からMiG-21が供与されるまで、独自に再生して使用した。 |
316 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ビルマ",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | パキスタン空軍の中古のカナディア製セイバー4を1970年代に12機購入。資金やスペアパーツの不足で1980年代には退役したという。 |
317 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " フィリピン",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | フィリピン空軍が1957年に50機のF-86Fの運用を開始する。1970年代前半頃退役。 |
318 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " フランス",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | F-86Kを取得。 |
319 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ベネズエラ",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | アメリカで製造されたF-86Fを運用した。 |
320 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ペルー",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1955年にアメリカで製造されたF-86Fを導入し、1979年に全機が退役する。 |
321 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ベルギー",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1955年、評価用にF-86F、5機の供与を受ける。 |
322 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ボリビア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1973年、ベネズエラ空軍からF-86Fを取得し、運用した。1993年に退役。 |
323 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ホンジュラス",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | ユーゴスラビア空軍から取得したセイバー Mk.4を少数運用していた。 |
324 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " マレーシア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 1969年にオーストラリア空軍の中古機(CAC社製)を無償提供された。1976年に退役。 |
325 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " 南アフリカ共和国",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | 朝鮮戦争参戦時にアメリカからF-86Fを貸与され運用。戦後は独自にセイバー Mk.6を取得した。 |
326 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": " ユーゴスラビア",
"h2": "運用国",
"h3": null,
"h4": null
} | イギリスからセイバー Mk.4を取得。同国は社会主義国でありながら、スターリン主義を非難した事から、旧東側から孤立化して旧ソ連からの軍備供与が停止された。このためユーゴスラビアと米英が接近し、米英からの軍備供与にこぎ着けた。1950年代にF-86やF-84、T-33などを米国から供与された経緯を持つ。 |
327 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "概要"
} | 日本においては、航空自衛隊の主力戦闘機としてF-86Fを435機、全天候型戦闘機としてF-86Dを122機配備した。F-86Fのうち18機は偵察機RF-86Fに改造された。航空自衛隊での正式な愛称は旭光(きょっこう)。
ブルーインパルスの初代機体として採用され、1964年東京オリンピックの開会式にて国立競技場の大空に五色の五輪マークを描いたことでも有名で、長年に亘って活躍したことから「ハチロク」と呼ばれて親しまれた。 |
328 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "導入経緯"
} | 1954年の航空自衛隊の発足に際し、アメリカの相互防衛協力関係強化を目的に相互安全保障法(MSA)に基づく相互防衛援助計画(MDAP)を開始する。T-6練習機やC-46輸送機などの第1次供与に続き、F-86FやT-33ジェット練習機を日本国内での航空機組み立てを決定する。F-86Fが選ばれたのは、極東の資本主義圏の最先端にいた日本が、共産軍の空からの侵攻を最も警戒していたためであった。
国産化はT-33が79機にF-86Fが70機とし、それぞれ川崎航空機と新三菱重工が担当することが決定する。だが、当時のF-86Fの価格は約1億5000万円とされ、約7億円という当時の防衛庁に割り振られた年度航空機購入予算では賄えるわけもなく、すべてMSA援助に頼ることとなった。1955年6月に日米両国政府間で交渉が行われ、同年8月6日に防衛庁長官が新三菱重工に70機のノックダウン生産の内示書が手渡された。
第1次生産分(ノックダウン生産)70機の製造は1956年3月11日に新三菱重工第5工場でスタートし、1号機は予定より早く完成し、8月9日に初飛行を成功させている。その後、第2次生産分で110機、第3次生産分で120機が製造された。
また、上記の生産機分が揃うまでの処置として、アメリカ軍のF-86Fの供与も開始された。第1陣は築城基地にて9機が引き渡され、1956年には更に171機が供与される。ちなみにこれら供与された機体は主翼の形状が異なるなど、規格や仕様が同一でなく問題も多かったとされる(後述)。 |
329 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "機体"
} | 航空自衛隊では3種のF-86を運用した。
F-86F
1954年(昭和29年)に誕生した航空自衛隊の主力戦闘機として、翌1955年(昭和30年)にF-86F-25/-30が28機、F-86F-40が152機の計180機のF-86Fが米空軍から供与された。続いて「小麦資金」を財源とし、同年から1957年(昭和32年)まで三菱重工業にてF-86F-40を70機ノックダウン生産、続いて国産品を使用したライセンス生産第2次生産分で110機、ほぼ全ての部品を国産化した第3次生産分(生産できない部品は米国の無償援助)で120機、1961年(昭和36年)までに総勢480機が配備された。
一方で、機数を急激に増やしたためパイロットや整備員の育成が追いつかずにいた。このため供与された機体の内の40機が、使用されずに木更津基地に格納された。だが、これが防衛費の無駄であると問題となり、1962年(昭和37年)2月から1964年(昭和39年)までに使われずにいた計45機を米国へ返還したため、空自はF-86Fを計435機運用する形となった。-25/30仕様の機体は後に三菱によって-40仕様に改修されるが、内18機はRF-86Fへの改造に際して-40仕様に改修されている(後述) |
330 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "機体"
} | 1955年(昭和30年)12月1日に空自は、パイロット・整備員の育成と供与された機体が揃ってきたことから、浜松基地にF-86Fを装備するパイロット育成を第一任務とした、空自初の航空団である「航空団」(後の第1航空団)の編成が行われた。同時に浜松基地では、ジェット機運用のための整備工事が進められた。翌1956年(昭和31年)1月10日、供与機による訓練が行われていた築城基地にて第1飛行隊が新編され、同年8月24日に浜松基地へ移駐となる。8月25日には第2飛行隊も新編され、同年9月より国産F-86Fの引き渡し が開始された。10月11日には浜松基地にて第2航空団と隷下の第3飛行隊が組織される。
その後、1961年(昭和36年)までに第4、第5、第6、第7、第8、第9、第10飛行隊が編成された。
F-86D
1958年(昭和33年)から供与が始まり、1968年(昭和43年)まで運用が行われた。
RF-86F
F-104J/DJの導入によって余剰となるF-86Fのうち、-25/-30の中から18機が写真偵察機のRF-86Fに改造され、1961年(昭和36年)11月6日から1962年(昭和37年)3月にかけて引き渡された。
計画自体は1953年まで遡り、当時アメリカ軍立川基地兵站部に勤務する日本人技師チームに、F-86Fをベースとした写真偵察機の製作「ヘイメーカー計画」の設計を命じた。 |
331 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "機体"
} | その後、1960年に偵察機を欲していた航空自衛隊に、この「ヘイメーカー計画」の設計図がもたらされたのが始まりとなる。ただ、偵察機自体は以前から考えられていたものだが、資金面の問題から新造機の導入ではなく、現存機の改造という形になった。三菱重工小牧南工場にて、仕様などの違いから使用されずにいた初期供与機のF-86F 18機と整備教材用1機の計19機が「RF-86F」へと改造された。オリジナルのRF-86は主翼が-30仕様であり、この初期供与機も-30仕様の機体だったが、航空自衛隊では偵察機への改造に際して-40仕様に改修している。なお、機首部分にある銃口部は機関銃を撤去したため、威嚇用ダミーとなった。
カメラは長焦点40インチの「K-22」を2台と、短焦点6インチの「K-17」の2種類を搭載する。主翼付け根付近左右にK-22の涙滴状フェアリングが、機首下部にK-17の四角いフェアリングが備わる。また、それぞれにカメラレンズのための窓とシャッターが設置されている。
1961年12月に偵察航空隊第501飛行隊へ配備が行われた。RF-4Eの導入により異機種運用となったが、後に航空総隊司令部飛行隊に配置替えとなる。その航空総隊司令部飛行隊所属機も1979年10月に退役となり、全機のRF-86Fが退役した。 |
332 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "運用国",
"h3": "日本におけるF-86",
"h4": "退役"
} | 1962年(昭和37年)から後継の主力戦闘機F-104Jが配備後は、F-86F飛行隊の解散が始まり、支援戦闘機として、要撃戦闘機としてのF-104Jの補完と、能力不足ながらロケット弾や爆弾を用いた対艦攻撃の任務についた。しかし、国産のF-1の配備が始まり、1977年(昭和52年)10月1日に第3飛行隊が、1980年(昭和55年)2月29日に第8飛行隊が、11月13日に第6飛行隊がF-1に機種転換をしたことにより、実戦部隊からは退いた。旧F-86F部隊のうち、支援戦闘機部隊となった第3・第6・第8飛行隊以外はすべて解隊された。最後までF-86Fを運用していた入間基地の総隊司令部飛行隊では、1982年(昭和57年)3月15日に引退セレモニーを実施し、全機退役した。
小牧基地に展示されるF-86F
F-86Fブルーインパルス仕様機(1981年) |
333 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": "F-86F-40-NA",
"h2": "諸元",
"h3": null,
"h4": null
} | 全幅:11.3m
全長:11.4m
全高:4.5m
主翼面積:26.7m
最大離陸重量:6,300 kg
空虚重量:5,046kg
エンジン:J47-GE-27
推力:26.3 kN
最高速度:570knot(1,105 km/h)
実用上昇限度:14,330m
航続距離:2,454 km
固定武装:12.7mm AN/M3機関銃×6門
爆弾:最大900kg
乗員:1名 |
334 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "現存する機体",
"h3": null,
"h4": null
} | 多数が現存する機体であり、各国ごとに運用された当時の機体番号が異なるため、型と製造番号の順に並べてある。
F-86D系列は除いてある。
名称は試作段階とA-1-NAまではP-86表記だが、A-5-NA以降はF-86表記に改められたため、その表記にならった。
日本をはじめ米国外でも世界各地で展示されているが、他サイトに掲載されていてもここにないものにはスクラップとして解体廃棄されたものや情報の足りていないものがある。掲載しているものでも、廃棄されている、または廃棄予定のものが含まれる可能性がある。
非公開には、個人・法人や軍隊の所有で基地祭ないし航空祭等イベント時のみといった不定期公開のものも含む。
日本で運用された機体のうち、日本で組み立てられた機体はF-86F-40-MITまたはF-86F-40-NA-231/F-86F-40-NA-238と表記されるが、前者に統一した。 |
335 | 100,008 | 93,413,024 | F-86 (戦闘機) | {
"dt": null,
"h2": "現存する機体",
"h3": "海外製セイバー",
"h4": null
} | CL-13B Mk.VIの製造番号はS6-xxxxとも表される。 |
336 | 1,000,080 | 85,001,383 | アカエリシトド | {
"dt": null,
"h2": null,
"h3": null,
"h4": null
} | アカエリシトド (赤襟鵐・学名Zonotrichia capensis)は、スズメ目ホオジロ科に分類される鳥類の一種。 |
337 | 1,000,080 | 85,001,383 | アカエリシトド | {
"dt": null,
"h2": "形態",
"h3": null,
"h4": null
} | 全長13.5~15cm、体重20~25g。成鳥は短い灰色の嘴を持ち、頭頂部は灰色で黒い帯にはさまれ、黒い過眼線があり、頬の下にも黒い線が走る。後頭と胸の両側は赤茶色で、翼には2本の白い翼帯がある。喉は白く、腹部は汚白色で脇にかけて茶色くなり、胸に黒い斑点がある。
若鳥の羽の色は不明瞭で、頭部の模様もはっきりせず、薄い黄土色の地に茶色い縞が入る。赤茶色の「襟」は無く、腹部に縞がある。 |
338 | 1,000,080 | 85,001,383 | アカエリシトド | {
"dt": null,
"h2": "分布",
"h3": null,
"h4": null
} | メキシコの東南端からフエゴ島にかけての山岳地帯とイスパニョーラ島に分布するが、アマゾン盆地では見られない。 |
339 | 1,000,080 | 85,001,383 | アカエリシトド | {
"dt": null,
"h2": "生態",
"h3": null,
"h4": null
} | 高度600mから4000mの地帯に多く見られるが、ところによってはより低い地点で見られることもある。農耕地、庭園、公園、灌木の多い二次植生など開けた場所を好み、都市部や郊外にも生息する。
巣は植物性の材料を用い、細い草を敷いた杯型で、地上のからみあった植生、灌木や木の低い所、壁のくぼみになどに母鳥が作る。褐色の斑点のある緑がかった青色の卵を2、3個産み、母鳥が12から14日間抱卵する。雛の給餌には父鳥も参加する。
アカエリシトドは25から29の亜種に分けられている。一般的に沿岸部の森林に生息する個体は小柄で、中型の個体はアンデス地方に見られ、大型で黒っぽい個体はテプイ(ギアナ高地のテーブルマウンテン)に分布する。最大の亜種Z. c. perezchincillaeは腹部が灰色で、赤茶色の襟は黒点の帯となって胸まで伸びており、別種とされる可能性がある。
アカエリシトドの鳴き声は地方によって変異が大きいが、鋭い「ツィップ」は共通している。低い所にとまって発する雄のさえずりは、普通音節を不明瞭に続けて口笛を吹くような「ティー・ティーオー、エ・エ・エ・エ・エ」または「ティーオー、ティー」で、最後にふるえ音が来る場合がある。
地上に落ちた種子、穀類、昆虫類、クモを食べる。つがいで小さな縄張りを保つか、小規模な群れをつくる。性質はおとなしく、人を恐れない。 |
340 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": null,
"h2": null,
"h3": null,
"h4": null
} | 金 慶珠(キム・キョンジュ、朝: 김경주、1967年 - )は、大韓民国 ソウル特別市出身の言語学者。学位は博士(学術)。東海大学教養学部国際学科教授。専門は、社会言語学、メディア論、朝鮮半島の文化と社会に関する研究。芸能事務所ホリプロ所属。 |
341 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": null,
"h2": "人物",
"h3": null,
"h4": null
} | ソウル特別市生まれの韓国人だが、幼少期を兵庫県芦屋市で過ごすなど(父親の仕事の都合で小学生時代に4年間、西宮に住んでいた)日韓両国に長い在住経験を持つ。 日韓両国語の母語話者であるネイティブスピーカー。
地上波テレビ番組への出演や韓国の新聞・ラジオにも寄稿や出演を行っている。 |
342 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": null,
"h2": "略歴",
"h3": null,
"h4": null
} | 梨花女子大学校社会学科卒業。
韓国外国語大学校大学院修士課程修了。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
2002年4月に東海大学外国語教育センター専任講師就任。2007年4月に東海大学総合教育センター准教授、2009年から東海大学教養学部国際学科准教授。2016年に同教授に昇格。
2005年6月に東京大学に博士論文「場面描写談話における話者の視点、日韓両言語の表現構造とその中間言語への影響について」を提出し博士(学術)の学位を取得。同年、韓国仏教文化財団より韓日仏教文化学術賞を受賞。
その他、日本の国際交流基金の日韓文化交流懇談会委員。
2006年4月より2012年3月まで6年間、朝日ニュースター『ニュースの深層』月曜日のキャスターを務めた |
343 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": null,
"h2": "主張",
"h3": null,
"h4": null
} | 従軍慰安婦問題については、軍の関与も強制性も、河野談話という日本政府の公式見解で認めているのだから、韓国の主張の方が正当性があるとしている。
竹島問題については、領土問題は実効支配している方が強いため、韓国の主張の方が正当性があるとしている。
日本における嫌韓の高まりは、日本と中国の力関係の逆転により、日本人の排外主義の対象が、中国から弱い韓国に矛先が変更されたためと分析している。 |
344 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": "東海大学",
"h2": "著作",
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} | 東海大学『談話構成における話者の「視点」』2004-2005。 - 文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書。
李元徳 共編著「日韓のメディア言説における視点」『日韓の共通認識 日本は韓国にとって何なのか?』東海大学文明研究所 監修、東海大学出版会、2007年8月5日。ISBN 978-4-486-01761-5。 - 文献あり。
東海大学教養学部国際学科 編「メディアリテラシー」『国際学のすすめ グローバル時代を生きる人のために』(第4版)東海大学出版会、2013年10月20日。ISBN 978-4-486-02008-0。 - 索引あり。 |
345 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
"dt": "単著",
"h2": "著作",
"h3": null,
"h4": null
} | 『場面描写と視点 日韓両言語の談話構成とその習得』東海大学出版会、2008年2月20日。ISBN 978-4-486-01786-8。 - 文献あり。
『歪みの国・韓国』祥伝社〈祥伝社新書 320〉、2013年5月31日。ISBN 978-4-396-11320-9。
『日本が誤解される理由』東浩紀との対談を巻末に収録、イースト・プレス〈イースト新書 018〉、2013年12月8日。ISBN 978-4-7816-5018-0。
『嫌韓の論法』 (ベスト新書) (KKベストセラーズ、2014年10月9日) ISBN 978-4584124468
『恨の国・韓国』 (祥伝社新書) (祥伝社、2015年5月1日) ISBN 978-4396114060 |
346 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
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"h2": "著作",
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} | 井上和彦 共著『悪韓論vs悪日論 日本と韓国はどちらが嘘をついているのか』双葉社〈双葉新書 077〉、2014年1月17日。ISBN 978-4-575-15427-6。
香山リカ 共著 『叩かれ女の正論』 (イースト新書) (イースト・プレス、2015年8月9日) ISBN 978-4781650562 |
347 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
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"h2": "出演",
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} | ニュースの深層 (2006年4月~2012年3月、朝日ニュースター) - 月曜日キャスター
ビートたけしのTVタックル (2008年7月~、テレビ朝日) コメンテーター
朝まで生テレビ! (2008年7月26日、2009年4月25日、2011年10月22日、2012年7月28日・9月1日・10月20日、2013年8月10日・9月15日、2014年1月1日・4月26日・5月31日、2015年8月15日、テレビ朝日) パネラー
なかよしテレビ (2011年~2012年、フジテレビ) レギュラー
サンデースクランブル (2011年12月18日・2014年5月4日、テレビ朝日)
たかじんのそこまで言って委員会 (2012年1月22日・4月8日・4月15日・6月24日、2013年9月15日、2014年3月16日・6月22日・6月29日、2015年3月29日、読売テレビ) パネラー
ネプリーグSP (2012年3月26日、フジテレビ)
ゴールデンアワー (2012年4月~2012年9月、TOKYO MX) 月曜MC
ノンストップ! (2012年4月~2013年3月、フジテレビ) コメンテーター
新報道2001 (2012年8月~、フジテレビ)
ワイド!スクランブル (2011年1月~、テレビ朝日) コメンテーター
いま世界は (2012年~、BS朝日) 月一コメンテーター
たかじんNOマネーBLACK (2013年1月12日・2015年1月24日、テレビ大阪)
上田晋也の緊急報道!(2013年6月2日、TBS)
行列のできる法律相談所 (2013年6月16日、日本テレビ) |
348 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
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} | 情報ライブ ミヤネ屋 (2013年6月18日・2014年5月6日、読売テレビ)
ゲーム&クイズバラエティ ペケ×ポン (2013年9月13日・10月18日・11月29日、フジテレビ)
激論!コロシアム 〜これでいいのか?ニッポン〜 (2013年9月14日、テレビ愛知)
モーニングCROSS (2014年4月~2020年、TOKYO MX) コメンテーター
カツヤマサヒコSHOW (2014年4月19日、サンテレビ)
報道LIVE あさチャン!サタデー (2014年6月~、TBS) コメンテーター
BSフジLIVE プライムニュース (2014年6月20日・2015年6月3日・8月10日・10月9日・11月3日・12月17日・2016年1月13日・2月5日など、BSフジ) コメンテーター
チマタの噺 (2015年1月13日、2015年3月24日・5月19日・9月29日、2016年1月12日、テレビ東京)
白熱ライブ ビビット (2015年4月~、TBS) 隔週金曜コメンテーター
そこまで言って委員会NP (2015年6月21日・2016年1月24日・2月28日・3月27日・5月8日、読売テレビ) パネラー
みんなのニュース (2015年6月22日・2015年8月14日、フジテレビ) コメンテーター
橋下×羽鳥の番組 (2016年7月4日・7月11日、テレビ朝日)
バイキング 月曜日コーナーレギュラー・不定期出演
ゴゴスマ〜GO GO!Smile!〜(CBCテレビ) 月曜コメンテーター・不定期出演
だから殺せなかった(2022年1月9日 - 、WOWOW)- ワイドショーコメンテイター役 |
349 | 1,000,082 | 95,936,703 | 金慶珠 | {
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} | 大竹まことゴールデンラジオ (2012年6月25日、2013年11月25日、2015年6月1日、文化放送) |
350 | 1,000,084 | 81,476,264 | ロリ・パウロ・サンドリ | {
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} | ロリ・パウロ・サンドリ(ポルトガル語: Lori Paulo Sandri、1949年1月29日 - 2014年10月3日)は、ブラジル出身のサッカー選手、サッカー指導者。通称ロリ・サンドリ(Lori Sandri)、もしくはロリ(Lori)。選手時代のポジションはボランチ。 |
351 | 1,000,084 | 81,476,264 | ロリ・パウロ・サンドリ | {
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} | ECアグア・ヴェルデ(ポルトガル語版) 1966-1968
リオ・ブランコ-PR(ポルトガル語版) 1969
CAセレト(ポルトガル語版) 1970
アトレチコ・パラナエンセ 1971-1972
ロンドリーナEC 1973
ピニェイロス-PR 1974-1976 |
352 | 1,000,084 | 81,476,264 | ロリ・パウロ・サンドリ | {
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} | ウベラバSC(ポルトガル語版) 1977-1978
アトレチコ・パラナエンセ 1979
クリシューマEC 1981
ボタフォゴFC 1982
アトレチコ・パラナエンセ 1983
サンタクルスFC 1984
グアラニFC 1985-1986
クリシューマEC 1987
アル・シャバブ 1988-1989
アル・イテファク 1990
クリシューマEC 1991
アル・シャバブ 1992-1993
アル・イテファク 1994
クリシューマEC 1994
スポルチ・レシフェ 1995
コリチーバFC 1995
アル・アイン 1996
UAE代表 1997
ECジュベントゥージ 1998
アル・ヒラル 1999
コリチーバFC 2000
ボタフォゴFC 2001
ゴイアスEC 2001
東京ヴェルディ1969 ヘッドコーチ 2002
東京ヴェルディ1969 2002-2003
クリシューマEC 2003
ECヴィトーリア 2003
クリシューマEC 2004
グアラニFC 2004
SCインテルナシオナル 2004
パラナ・クルーベ 2005
アトレチコ・ミネイロ 2005-2006
アメリカ-RN 2007
セルトンジーニョFC 2008
CSマリティモ 2008-2009.2
サンタクルスFC 2010
ECノロエスチ 2011
ボタフォゴ-SP 2012 |
353 | 1,000,085 | 97,494,693 | タチイヌノフグリ | {
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} | タチイヌノフグリ(立犬の陰嚢、Veronica arvensis)はオオバコ科クワガタソウ属の雑草。ヨーロッパ・アフリカ原産で、世界中に外来種(帰化植物)として分布している。
オオイヌノフグリに似ているが、茎が直立しており、和名の由来となっている。花が小さい上に、開花している時間が短いために目立たない。 |
354 | 1,000,085 | 97,494,693 | タチイヌノフグリ | {
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} | ヨーロッパからアフリカを原産地とする。
北アフリカ、アジア(日本を含む)、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカに移入分布する。
|
355 | 1,000,088 | 97,626,815 | 石川錬治郎 | {
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} | 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。前秋田県議会議員(国民新党)。国民新党秋田県支部代表、日本未来の党秋田県連副代表を務めた。元秋田市長。 |
356 | 1,000,088 | 97,626,815 | 石川錬治郎 | {
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} | 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。
千葉大学園芸学部助手などを経て、1990年、秋田市長選挙に立候補し初当選(以後3期連続当選)。最初の選挙は高田前市長の支持政党である自民党・民社党(自民党は市政与党)の候補を倒して当選しているため、非共産の革新候補の扱いであった。秋田市交通局および秋田市ガス局の民間への移管や秋田市消防本部における救急救命の整備、秋田県では初となる中高一貫校の開設、現在も継承されている各地域への市民サービスセンターの整備などに尽力。ユニークなものとして、月に1回、市民と直接電話で意見や提言などを聞く市長ホットラインを開設していた。3期目途中の2001年、女性への現金授受問題が取り沙汰される中、妻の介護を理由に辞任。
2005年8月、国民新党の結党に参加。2007年4月、秋田県議会議員選挙に立候補し初当選。2011年4月、秋田県議会選挙に立候補し2期目を目指すも落選。なお2011年に落選するまで石川は唯一の国民新党所属の都道府県議会議員であった。
2012年11月、国民新党秋田県支部の政党組織を解消して日本未来の党に合流した。
2013年5月、日本未来の党秋田県連の解散に伴い、同党を離党。上にもあるように選挙で相乗り推薦は受けたり、自民党の秋田市議団が与党になったことはあるものの、一貫して自民党に属したことはなく、何度も選挙で自民候補と対立構図になっていた。
2021年10月29日、東京都内の病院で死去。82歳没。死没日をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。 |
357 | 1,000,088 | 97,626,815 | 石川錬治郎 | {
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"h2": "選挙歴",
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} | 1983年 参議院議員選挙に日本社会党より立候補し、落選
1986年 参議院議員選挙に日本社会党より立候補し、落選
1989年 秋田市長選挙に立候補し落選
1990年 現職の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選(以後3期連続当選)
2003年 第43回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し落選
2005年 第44回衆議院議員総選挙に国民新党より立候補し落選
2007年 秋田県議会議員選挙に国民新党より立候補し初当選
2011年 秋田県議会議員選挙に国民新党より立候補し落選
2015年 秋田県議会議員選挙に無所属で立候補し落選 |
358 | 1,000,088 | 97,626,815 | 石川錬治郎 | {
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} | 国民新党所属の議員及び党員
江田五月 |
359 | 1,000,089 | 96,473,280 | 船橋市立湊町小学校 | {
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} | 船橋市立湊町小学校(ふなばししりつ みなとちょうしょうがっこう)は、千葉県船橋市湊町一丁目にある公立小学校。 |
360 | 1,000,089 | 96,473,280 | 船橋市立湊町小学校 | {
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"h2": "交通",
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} | JR総武本線船橋駅下車 徒歩15分
京成電鉄京成本線京成船橋駅下車 徒歩15分
京成電鉄京成本線大神宮下駅下車 徒歩約10分 |
361 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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} | 八木駅(やぎえき)は、京都府南丹市八木町八木上野にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。駅番号はJR-E14。「嵯峨野線」の愛称区間に含まれている。
旧八木町の中心部にある。電化前は通勤利用客向けに一部の急行が停車していたが、同列車の電化に伴う特急昇格後に特急停車駅から外され、普通・快速(快速は亀岡駅 - 園部駅間各駅停車)のみの停車駅となった。 |
362 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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} | 1899年(明治32年)8月15日:京都鉄道の嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅) - 園部駅間延伸により開業。旅客・貨物の取り扱いを開始。
1907年(明治40年)8月1日:京都鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。京都線の所属となる。
1912年(明治45年)3月1日:線路名称改定。京都線が山陰本線に編入され、当駅もその所属となる。
1971年(昭和46年)11月1日:貨物の取り扱いを廃止。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「嵯峨野線」の愛称を使用開始。
1992年(平成4年)11月1日:みどりの窓口営業開始。
2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。簡易型自動改札機で対応。
2009年(平成21年) 3月14日:当駅から園部駅まで複線化。 9月6日:当駅から並河駅まで複線化。交換設備廃止。
2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
2021年(令和3年)4月10日:橋上駅舎の供用開始。 |
363 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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"h2": "駅構造",
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} | 相対式ホーム2面2線を持つ橋上駅である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。
亀岡駅が管理し、JR西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅である。営業は日中時間帯のみで、早朝・深夜は無人となる。また、ICOCAの利用が可能である(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。 |
364 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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"h2": "駅構造",
"h3": "のりば",
"h4": null
} | 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
以前は上下線のホームの間に中線があり、これを2番線として扱っていたため、現在の2番のりばが「3番のりば」を名乗っていた。中線はその後、園部駅までの複線化完成に伴って分岐部が撤去され、使用不可となった。その後、残る中線もすべて撤去された。これを受けて2009年(平成21年)11月1日(亀岡駅 - 並河駅間の複線化当日)より「3番のりば」は「2番のりば」に改称された。
単線だった頃も一線スルー化がなされていなかったため、前後の駅とは異なり、当初から発着番線は方向別で分けられていた。 |
365 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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"h2": "利用状況",
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} | 1日の平均乗車人員は以下の通りである。 |
366 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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"h2": "駅周辺",
"h3": null,
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} | 南丹市役所八木支所(旧:八木町役場)
南丹市立図書館 八木図書室
国道9号
国道477号
京都中部総合医療センター
八木郵便局
京都信用金庫八木支店
京都銀行八木支店
南丹市立八木西小学校
南丹市立八木中学校
京都府立丹波支援学校 |
367 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
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"h2": "駅周辺",
"h3": "バス路線",
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} | 京阪京都交通 |
368 | 100,009 | 97,900,077 | 八木駅 | {
"dt": "西日本旅客鉄道(JR西日本)",
"h2": "隣の駅",
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} | E 嵯峨野線(山陰本線) ■ 快速・■ 普通 千代川駅 (JR-E13) - 八木駅 (JR-E14) - 吉富駅 (JR-E15)
福知山方面へ(吉富方)は、ここから立木駅まで船井郡1町になる前の旧瑞穂町を除く5町を通行することになる。旧・船井郡には11駅存在する。 |
369 | 1,000,092 | 47,378,295 | フェンサー | {
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} | フェンサー (Fencer)
フェンサー - フェンシング選手のこと。
フェンサー (護衛空母) - イギリス海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。
フェンサー - ソ連の戦闘爆撃機、Su-24 (航空機)のNATOコードネーム |
370 | 1,000,093 | 78,258,934 | イカにもスミにも | {
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} | 『イカにもスミにも』は、1987年4月7日から1991年3月19日まで毎日放送(MBSテレビ)で放送されたトークバラエティ番組。放送時間は毎週火曜 23:50 - 25:15 (JST) 。 |
371 | 1,000,093 | 78,258,934 | イカにもスミにも | {
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"h2": "概要",
"h3": null,
"h4": null
} | 当時毎日放送のアナウンサーだった角淳一と関西のお笑いタレントたちが、政治・経済・スポーツ・芸能などについてまったりと語り合っていた深夜番組である。この路線が、1999年に同局でスタートした午後の情報ワイド番組『ちちんぷいぷい』へと引き継がれている。
各出演者の席には白黒2色のイカの人形があり、本音を語るときには黒いイカ人形を、建前を語るときには白いイカ人形を出すことになっていた。後に、怒っているときに出す赤いイカ人形も登場した。 |
372 | 1,000,093 | 78,258,934 | イカにもスミにも | {
"dt": null,
"h2": "出演者",
"h3": null,
"h4": null
} | 角淳一(当時毎日放送アナウンサー)
浜村淳
横山ノック
上岡龍太郎
桂文珍
月亭八方
景山民夫
中島らも
大島渚
ほか
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編集 |
373 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": null,
"h3": null,
"h4": null
} | 株式会社ユーケープロジェクト(UK.PROJECT INC.)は、日本のレコード会社、および芸能事務所、音楽出版社。
傘下に多数のインディーズレーベルが存在する。 |
374 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
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"h2": "沿革",
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"h4": null
} | 1987年9月、知られざるもの(Unknown)を見つけることをテーマに「UK.PROJECT」発足
1989年4月、初の作品を発売
1990年9月、下北沢に移転
1991年12月、「株式会社ユーケープロジェクト」設立
1994年、東芝EMIと契約
1994年10月、ライブハウス「下北沢CLUB Que」設立
1997年、東芝EMIと契約解消
1997年4月、CDショップ「ハイラインレコーズ」オープン(当初はスペースシャワーネットワークの子会社)
1999年11月、移転
2000年、子会社「株式会社ライトエージェント」設立
2002年、子会社「株式会社ハイライン」(ハイラインレコーズの運営を継承)設立
2003年7月、「株式会社ジダイ」設立
2005年3月、ライブハウス「Zher the ZOO YOYOGI」設立
2006年9月、「風知空知」開店
2008年7月、CDショップ「ハイラインレコーズ」閉店
2008年9月、株式会社ジダイを「株式会社ユーケーピーエム」に改称 |
375 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "Aaron field(1997年9月 - )",
"h4": null
} | BENTROOT (1998年〜1999年)
Caravan (2003年〜2005年)→rhythm zone→Slow Flow Music
Crunched Grind (1997年〜1999年)
enamel the evening calls (2003年)
F.size.free (2004年)
FLIP-FLAP (2001年〜2002年)
FULLSCRATCH (1998年〜2002年)→Flying High→cutting edge→PIZZA OF DEATH RECORDS/TIGHT RECORDS
LIONOTE. (2004年〜2009年)
mammy Sino (2007年〜2008年)
MIX PANTHER (2003年〜2004年)
ORGEL (2004年〜2007年)
S★CREATERS (1999年〜2002年)
SOBUT (1996年〜)
Spinna B-ILL (2002年〜2009年) Spinna B-ill & The Cavemans (2002年〜2005年)2005年解散 Spinna B-ill meets Kenji Jammer (2009年)
WRONG SCALE (2000年〜2003年)→K-plan→asian gothic→2009年2月2日解散
薫 (くゆら) (2009年〜2010年)
福廊 (2010年)
若林ケン (2009年〜2010年) |
376 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "ATSUGUA RECORDS(2003年 - )",
"h4": null
} | COIL (2009年)→Imperial Records→rhythm zone→sandwich/Atsugua 岡本定義 (2010年)
Dr.StrangeLove (2004年)Superfood Records→ポニーキャニオン→ATSUGUA RECORDS
FAITH (2017年)→BORDER-LESS RECORDS→バップ→2021年解散
Jeff Peterson (2011年〜2013年)
MAGUMI AND THE BREATHLESS (2014年)
mi-gu (2003年〜2006年)
アナム&マキ (2005年)Wea→HOLE & ROLL→ATSUGUA RECORDS→ユニバーサルミュージック→RESERVOTION RECORDS→NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン→2008年12月31日活動休止
越野竜太 (2012年)
長澤知之 (2005年〜2017年)→Au(g)tunes
元ちとせ (2010年)→エピックレコードジャパン→アリオラジャパン→ユニバーサルミュージック
松室政哉 (2016年)→ユニバーサルミュージック
野狐禅 (2009年)→SPEEDSTAR RECORDS→2009年解散
らぞく (2009年〜) |
377 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "Beat Surfers(2008年 - )",
"h4": null
} | BITE THE LUNG (2008年)→CITRON RECORDINGS
COTO (2017年〜)
GalapagosS (2016年)
HONDALADY (2015年)2018年12月8日活動休止
NESS (2015年)
Proxyon (2016年)
内田雄一郎 (2017年〜)
小林写楽 (2016年〜)
中野テルヲ (2016年〜) |
378 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "BLUE BALLS RECORDS(2004年 - )",
"h4": null
} | BLOODEST SAXOPHONE (2004年〜) |
379 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "climb records(2016年 - )",
"h4": null
} | OJI (2016年〜) |
380 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "DAIZAWA RECORDS(2001年 - )",
"h4": null
} | 該当項目参照 |
381 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "DECKRECレーベル(1999年2月 - )",
"h4": null
} | Gasoline (2003年)
Count Phantom (2016年)
KING BROTHERS (2000年)
IGUWANNAS (2002年〜2009年)
POLYSICS (1999年〜2000年)→キューンレコード
Scoobie Do (1999年〜2001年)→SPEEDSTAR RECORDS→自主レーベルCHAMP RECORDS
Switch Trout (2000年)
THE BUNNIES (2002年)
THE LET'S GO's (2016年)→Sazanami Label
THE OUTS (2004年)
THE MIGHTY MOGULS(ザマイティムガルズ) (2001年)
THE MINNESOTA VOODOO MEN (2001年)
THE NEATBEATS (2000年〜2001年)
THE STRIKES (2007年)
The 5.6.7.8's (2002年)
WATUSI ZOMBIE (2013年) |
382 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "DECKRECレーベル(1999年2月 - )",
"h4": null
} | Yaung Skins (2002年)
我妻三輪子 (2015年)
インパスターズ (2002年)
うみのて (2012年〜2015年)2015年12月24日活動完結
倉内太 (2012年〜2014年)
黒猫チェルシー (2009年)→Sony Music Associated Records→Sony Music Records→2018年9月30日活動休止
毛皮のマリーズ (2006年〜2008年)→JESUS RECORDS→日本コロムビア→2011年12月31日解散
静岡ロックンロール組合 (2008年)
住所不定無職 (2011年〜2013年) Magic, Drums & Love (2015年〜)
ショボーレスリー (2000年)
ザ・スピンドルス (2001年〜2003年)
ドメニコドモランテ (2000年〜2001年)
ハウリンハチマ (2001年)
ミステルズ (2006年)
夜のストレンジャーズ (2003年〜2007年) |
383 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "FAMIRES RECORDS(2001年 - )",
"h4": null
} | TOMOVSKY (2001年〜)自主レーベル |
384 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "RX-RECORDS(2005年 - )",
"h4": null
} | 該当項目参照 |
385 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "TV-FREAK RECORDS(1997年7月 - )",
"h4": null
} | CLEAR (2003年)
Coquettish (2015年)
CRUTCH (2000年)
G.D.FLICKERS (2004年)
GELUGUGU (1998年)→Sony Records→キティMME→cutting edge→ネオプレックス→THREECODE MUSIC
GREST (2000年)
J Navarro & The Traitors (2017年〜)
Lonesome Dove Woodrows (2011年)
MU330(エムユースリーサーティー) (2001年)
RED CLAW SCORPIONS (2013年)
REDEMPTION97(リデンプションナインティセブン) (2009年)
STEREO ZOMBIES (2001年)
Storm (2000年〜2003年)
the arounds (2012年)
THE AUTOCRATICS (2010年〜2012年) |
386 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "TV-FREAK RECORDS(1997年7月 - )",
"h4": null
} | THE CIRCULATORS (2003年〜2006年)
The Peacocks (2000年〜2004年)
POTSHOT (1997年,2000年〜2005年,2015年〜) POTSHOT 1997 (2012年)
ROCKET K (2002年)
RYOJI & THE LAST CHORDS (2006年〜) レーベルオーナー
SKA FREAKS (2010年〜)
SKA PUNK ZOMBIES (2014年〜)
TV-ADDICTIONS (2011年〜2012年)
U CAN'T SAY NO! (2000年)
WiTH MY FOOT (1998年)
XARTS (1998年)
YOUNG PUNCH (1997年〜1998年)2002年解散
うつみようこ (2001年〜2002年)
ニューロティカ (2000年〜2002年,2006年)→BUG ROCK RECORDS→NR RECORDS |
387 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "UK.PROJECT inc.",
"h4": null
} | 54 NUDE HONEYS (1998年〜2003年)2007年解散
BEYONDS (2006年〜2007年)
BLOODEST SAXOPHONE (2003年)→BLUE BALLS RECORDS
BORIS (2002年)
BURGER NUDS (2017年〜)再結成
DAD MOM GOD (2013年)SEXY STONES RECORDS→アリオラジャパン→UK.PROJECT inc.
DATS (2015年)→RALLYE→SME Records
FOE (2000年)
HATE HONEY (1998年)2006年3月25日解散
herpiano (2012年)
JUSTY-NASTY (1993年)ベストアルバム・トリビュートアルバムのみ
KETTLES (2011年〜2013年)
KING BROTHERS (2004年)
KNOWZ DADA ROAR (2007年)
LASTORDERZ (2011年)
MARBLE DIAMOND (2000年〜2002年)
MODERN DOLLZ (2002年)
MO'SOME TONEBENDER (2000年,2015年) 百々和宏 (2016年)
odol (2015年〜)
OGRE YOU ASSHOLE(OYAとの共同制作) (2007年〜2008年)→バップ→P-VINE
SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER (2015年)再結成
SPARKY (2002年)
stylus (2004年)
The dadadadys (2017年〜)
the equal lights (2016年〜) |
388 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "UK.PROJECT inc.",
"h4": null
} | THE ROMANTIC SIX (2012年)
THE SAX NIGHT (2008年〜2010年)
the shes gone (2018年〜)
THE★米騒動 (2011年〜2014年)2014年5月14日無期限活動休止
thee michelle gun elephant (1993年)→日本コロムビア→ユニバーサルミュージック→2003年10月11日解散
Tommy & The Bonjaskys (2008年)
UNISON SQUARE GARDEN (2008年)→トイズファクトリー
アポジーズ (1999年)
有山じゅんじ (1990年)
エコエコサイクルズ (1990年)
おとぎ話 (2007年〜2010年,2012年)UK.PROJECT inc.→ROSE RECORDS→UK.PROJECT inc.→felicity
勝手にしやがれ (2001年〜2003年,2012年〜)GRANDE PAPA→エピックレコードジャパン→tearbridge records→UK.PROJECT inc. 武藤昭平 with ウエノコウジ (2011年〜)
KFK(旧名:カフカ) (2015年)→DAIZAWA RECORDS
餃子大王 (1990年〜1993年,2002年)
ショコラータ (1997年)
スメルマン (2010年)
ゾンビちゃん (2013年)
つばき (2012年〜) つばきフレンズ (2012年,2017年〜) 一色徳保 (2015年)2017年5月9日脳腫瘍のため逝去
渡辺大知・峯田和伸・岸田繁 (2009年)映画『色即ぜねれいしょん』主題歌
ワタナベイビー (2005年) |
389 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "初恋妄℃学園(2002年12月 - )",
"h4": null
} | 銀杏BOYZ (2005年〜) 敏感少年隊 (2006年) 銀杏BOYZと壊れたバイブレーターズ (2010年)
GOING STEADY (2002年〜2003年)2003年1月15日解散
水中、それは苦しい (2006年) |
390 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "主な傘下レーベルの所属・元所属アーティスト",
"h3": "W's Project(2021年 - )",
"h4": null
} | WurtS (2021年〜) |
391 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "123RECORDS(1996年 - 2008年)",
"h4": null
} | ART-SCHOOL(2001年〜2002年)→東芝EMI→VeryApe Records→ポニーキャニオン→キューンレコード→Warszawa-Label
euphoria(2003年〜2008年)
PHUKET FINE(2000年)
organic stereo(2008年)
福田美香(1996年〜1997年) |
392 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "BENTEN LABEL(1997年 - 2011年)",
"h4": null
} | AMPPEZ(2006年)
BLEACH (2000年)→EMIミュージック・ジャパン→ハイ・ウェーブ→2009年6月10日解散
DROOP(1997年)
noodles(1998年)→DELICIOUS LABEL
Petty Booka(2008年)
ソープランド揉美山(2003年)
ロリータ18号(1997年〜2011年) |
393 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "berry records(1997年 - 2011年)",
"h4": null
} | CECIL(2000年〜2004年)→2006年実質的活動休止。
GUITAR VADER(2000年〜2001年)
HARCO(1997年)
west clox(2007年)
アラカキヒロコ(2011年) |
394 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "Blowout Records(2002年 - 2014年)",
"h4": null
} | THE THRILL(2002年〜2014年) |
395 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "DECCAPYES(2015年)",
"h4": null
} | The HIGH(2015年) |
396 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "EINSTEIN RECORDS(1999年 - 2009年)",
"h4": null
} | AMATERAS(2006年)
Disco Volante(2007年)
Lump(2005年)
New Westminster(2001年)
PAIFUKU(2005年)
SARCASTIC+ZOOKEEPER(2005年〜2006年)
SALT30(2004年)
SOFTBALL(1999年〜2001年)→cutting edge→2003年4月2日解散。
Unfinal(2001年〜2002年)
秋茜 -AKIAKANE-(2004年〜2009年)
自鳴琴(2004年)
サイクロン(2002年〜2003年)→CAFEONTHE BEACH→OFFICE REDEYE→2012年9月11日解散。
最終列車(2007年) |
397 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "GRAPE VILLAGE RECORDS(2003年 - 2004年)",
"h4": null
} | Asimov(2004年)
HOLiDAYS(2003年) |
398 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "HATCHERY(2001年)",
"h4": null
} | THE BOOM(2001年) |
399 | 1,000,095 | 97,194,002 | UKプロジェクト | {
"dt": null,
"h2": "過去に存在したレーベル",
"h3": "IFF RECORDINGS(2002年 - 2010年)",
"h4": null
} | apple fish Monday(2006年)
ARTS(2008年)
DASHING STRAIGHT(2002年)
SKA★ROCKETS(2004年〜2010年)
赤崎コンパ大學(2006年)
白☆星(2003年) |