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---|---|---|---|---|---|---|
344 | 田中久仁彦 | 人物 | ゲームソフト制作会社の日本ファルコムに入社。同社の従業員としてゲームのイラストやキャラクターデザインを手掛けるようになる。退社後フリーに。1991年に商業誌デビュー。 | [
"日本ファルコム",
"1991年"
] | [
36392,
454937
] | [
66313,
1318700
] |
345 | 鶴田洋久 | null | 鶴田 洋久(つるた ひろひさ、1964年 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。東京デザイナー学院卒業。代表作はアニメ化もされた「なつきクライシス」。漫画家の円英智 は小学5年生から、萩原一至 は専門学校から、それぞれ親交を持つ。 | [
"1964年",
"日本",
"漫画家",
"埼玉県",
"専門学校東京デザイナー学院",
"なつきクライシス",
"萩原一至"
] | [
1222,
1384029,
441064,
286174,
240528,
632637,
154
] | [
1930,
4821051,
1270848,
771753,
629622,
1946570,
348
] |
347 | 内藤泰弘 | null | 内藤 泰弘(ないとう やすひろ、ローマ字表記:Yasuhiro Nightow、1967年4月8日 - )は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。法政大学社会学部卒業。トイトライブ主宰の一人。作品に『トライガン』などがある。 | [
"内藤泰弘",
"1967年",
"日本",
"漫画家",
"神奈川県",
"横浜市",
"トライガン"
] | [
153,
1219,
1384029,
441064,
624163,
312198,
16019
] | [
347,
1927,
4821051,
1270848,
1917527,
852212,
26555
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 幼少期よりインドア派で、幼稚園ではスヌーピーのマンガを描いていた。 | [] | [] | [] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 大学2年生の頃に初めて描いたストーリー漫画は「サンディと迷いの森の仲間たち(1989年5月発行)」。500部刷った後鴨葱スウィッチブレイドというサークルで同人誌即売会まんが ギャラリー&マーケットに初参加した際は持って行った100部が完売し、コミティア代表の中村公彦からも絶賛を受けている。大学卒業後は住宅会社にて営業職を3年あまり経験し、専業作家となる。 | [
"ストーリー漫画",
"1989年",
"同人誌即売会",
"まんが ギャラリー&マーケット",
"COMITIA"
] | [
46995,
973,
10433,
269168,
532492
] | [
86124,
1578,
17275,
719604,
1612226
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 1990年ふゅーじょんぷろだくと『リトルボーイ』1990年夏号に同人誌「サンディと迷いの森の仲間たち」が再録される。1994年3月、集英社『スーパージャンプ』に「CALL XXXX」が掲載される。徳間書店『ファミリーコンピュータMagazine』でゲーム『サムライスピリッツ』の漫画化作品を連載。 | [
"1990年",
"同人誌",
"1994年",
"集英社",
"スーパージャンプ",
"徳間書店",
"ファミリーコンピュータMagazine",
"漫画"
] | [
487716,
7518,
962,
7923,
178552,
8834,
117474,
571599
] | [
1450076,
12539,
1560,
13232,
432706,
14622,
260819,
1737920
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 1995年から『トライガン』を徳間書店『月刊少年キャプテン』で連載開始。同作品は1997年1月の『キャプテン』の廃刊によって中断したものの、増刊と単行本描き下ろしでひとまず完結。同年10月に掲載誌を少年画報社『ヤングキングアワーズ』に移し、『トライガン・マキシマム』として連載再開。2007年に10年に及ぶ連載を終結した。2009年には『トライガン・マキシマム』で星雲賞を受賞。 | [
"1995年",
"トライガン",
"徳間書店",
"月刊少年キャプテン",
"1997年",
"少年画報社",
"ヤングキングアワーズ",
"2007年",
"2009年"
] | [
655728,
16019,
8834,
200758,
655646,
24998,
100172,
382272,
1215
] | [
2025673,
26555,
14622,
501201,
2025310,
43287,
211609,
1069779,
1917
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 初めて買ってもらった漫画の単行本は『天才バカボン』。中学生時代に高橋留美子の『うる星やつら』、細野不二彦の『さすがの猿飛』などの洗礼を受け、中学2年生で大友克洋の『さよならにっぽん』に衝撃を受ける。大学生時代には『ドラゴンボール』で鳥山明にはまる。 | [
"漫画",
"高橋留美子",
"細野不二彦",
"さすがの猿飛",
"洗礼",
"大友克洋",
"鳥山明"
] | [
571599,
83,
707,
71413,
14921,
286,
101
] | [
1737920,
229,
1205,
141392,
24846,
610,
247
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 好きなアニメは『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』、『機動戦士ガンダム』、『獣兵衛忍風帖』など。 | [
"機動戦士ガンダム",
"獣兵衛忍風帖"
] | [
194281,
237498
] | [
482926,
619620
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 相当のアメコミファンであり、スポーンのフィギュアをわざわざアメリカのトイザらスまで買い付けにいくほど熱心なコレクター。フィギュア収集としては、S.I.C.等も集めている。また海外の新進気鋭のアメコミのイラストレーター達とも親交が深く、度々パーティに招かれ、出向いている。 | [
"トイザらス",
"S.I.C.",
"アメリカン・コミックス",
"イラストレーター"
] | [
44851,
96459,
79212,
138
] | [
81700,
202051,
159010,
328
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 絵柄はアメコミから強い影響を受けており、大ゴマや見開きを使った大胆な構図と視線誘導を特徴とする。 | [
"アメリカン・コミックス"
] | [
79212
] | [
159010
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | アクションフィギュアのリボルテックに使用される「リボルバージョイント」の開発者の1人でもある。 | [
"アクションフィギュア",
"リボルテック"
] | [
162865,
366596
] | [
389563,
1018479
] |
347 | 内藤泰弘 | 略歴 | 『ヤングキングアワーズ』の同僚作家の平野耕太や六道神士とは、言わば戦友の仲。 | [
"ヤングキングアワーズ",
"平野耕太",
"六道神士"
] | [
100172,
620,
111
] | [
211609,
1086,
259
] |
348 | 萩原一至 | null | 萩原 一至(はぎわら かずし、1963年4月4日 - )は、日本の漫画家、同人作家。血液型はO型。代表作は『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』等。 | [
"1963年",
"日本",
"漫画家"
] | [
1223,
1384029,
441064
] | [
1931,
4821051,
1270848
] |
348 | 萩原一至 | 来歴 | 東京都中野区白鷺に生まれ、千葉県千葉市に転居。高校1年生を3回繰り返し(留年、退学、再入学、留年)、17歳で家出。アパートを借りてアルバイト生活。同年のひと夏、50ccバイクで北海道を半周する一人旅に出て、高校を中退。 | [
"東京都",
"中野区",
"千葉県",
"千葉市",
"北海道"
] | [
287014,
10753,
287012,
5215,
184
] | [
774362,
17819,
774353,
8208,
436
] |
348 | 萩原一至 | 来歴 | 数年後実家に戻り東京デザイナー学院デザイン科に入学、後にアニメーション科に編入。学内向けに募集されたダーティ・松本のアシスタントに応募。学校に通いながら約2年間のアシスタント修行を始める。東デ2年生の時、アニメーション科のクラスメートであった鶴田洋久、由美もりおと共に合作マンガ企画「MADE GENIUS」を始め、最初の漫画を描く。 | [
"専門学校東京デザイナー学院",
"ダーティ・松本",
"鶴田洋久",
"漫画"
] | [
240528,
782431,
152,
571599
] | [
629622,
2487355,
345,
1737920
] |
348 | 萩原一至 | 来歴 | 東京デザイナー学院を卒業したのち22歳の時、『週刊少年ジャンプ』(以下、WJと表記)の募集広告を見てまつもと泉のアシスタントとなる。同じアシスタントとして本多将、岡崎武士、当時まつもと泉の担当で後に『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』(以下、BASTARD!!と表記)の初代担当として同作品に多大な影響を与える事となる高橋俊昌と出会う。この時、まつもとが倒れた週にアシスタント達だけでまるまる作画してしまったという逸話を残す。 | [
"専門学校東京デザイナー学院",
"週刊少年ジャンプ",
"まつもと泉",
"岡崎武士",
"高橋俊昌"
] | [
240528,
210823,
836,
6705,
59746
] | [
629622,
533062,
1384,
10974,
114918
] |
348 | 萩原一至 | 来歴 | 24歳の時、アシスタントの仕事の合間をぬって『パロディーコミック プロジェクトA子 2』(1987年8月・ラポート株式会社刊)に、『プロジェクトA子』のパロディー漫画「GOOD WEATHER」(全14ページ)を執筆。『プロジェクトA子』とほぼ同時期、『週刊少年ジャンプ Summer Special』(週刊少年ジャンプ増刊、1987年)に公式的なデビュー作品となる「微熱口紅(びねつるーじゅ)」を掲載。同作は読者アンケートにて好評を博し、ジャンプ本誌で2作目の読み切りを描くことが決定する。この〆切のため直近に迫っていた『きまぐれオレンジ☆ロード』の最終回に参加する事なく、まつもと泉のスタジオを退所した。 | [
"プロジェクトA子",
"1987年",
"ラポート",
"漫画",
"週刊少年ジャンプ",
"口紅",
"きまぐれオレンジ☆ロード",
"まつもと泉"
] | [
120666,
628112,
88178,
571599,
210823,
141856,
152043,
836
] | [
270037,
1931422,
181105,
1737920,
533062,
329779,
359428,
1384
] |
348 | 萩原一至 | 来歴 | 『WJ』1987年47号に2作目の読切「WIZARD!!〜爆炎の征服者〜」発表。『週刊少年ジャンプ Winter Special』(週刊少年ジャンプ増刊、1988年・年初)に掲載された読切「VIRGIN・TYRANT(ヴァージン・タイラント)」をはさんで、『WJ』1988年14号より『BASTARD!!』の連載を開始。 | [
"1987年",
"週刊少年ジャンプ",
"1988年"
] | [
628112,
210823,
402
] | [
1931422,
533062,
778
] |
348 | 萩原一至 | 活動 | 左利きで、作画に非常にこだわりを持ち高いクオリティと緻密な画面を好む漫画家。スクリーントーンを多用したその作風は、1980年代から1990年なかばにかけて日本のコミック業界に影響を与え、今でも現在の角川・電撃系列のコミックにその影響を見ることが出来る。 | [
"漫画家",
"スクリーントーン",
"1980年代",
"1990年",
"日本"
] | [
441064,
9263,
474,
487716,
1384029
] | [
1270848,
15344,
902,
1450076,
4821051
] |
348 | 萩原一至 | 活動 | 制作にこだわるあまり、遅筆なことで知られる。1988年〜1989年の『WJ』の『BASTARD!!』の連載にて、週刊連載を経験しているが、その当時から休載することがしばしばあった。2001年以降は不定期にて『ウルトラジャンプ』(以下、UJと表記)で同作を連載しているが、そこでも未完成原稿が掲載されることが目立っている。 | [
"1988年",
"1989年",
"2001年",
"ウルトラジャンプ"
] | [
402,
973,
430,
159266
] | [
778,
1578,
813,
379490
] |
348 | 萩原一至 | 活動 | また商業誌で連載を持つプロの漫画家でありながら、同人作家としても活躍し、定期的に同人活動を行うことも知られている。 | [
"漫画家"
] | [
441064
] | [
1270848
] |
348 | 萩原一至 | 活動 | 過去から現在を通して、描いている連載作品は『BASTARD!!』のみである。好きな漫画家は永井豪と手塚治虫と答えており、youtubeでも「三つ目がとおるの続編が同人誌で出たら欲しい」と答えている。 | [
"漫画家",
"永井豪",
"手塚治虫",
"YouTube",
"三つ目がとおる",
"同人誌"
] | [
441064,
504,
208,
325568,
46475,
7518
] | [
1270848,
941,
493,
894212,
84970,
12539
] |
349 | 舞井武依 | null | 舞井 武依(ぶい ぶい、4月29日 - )は、日本の漫画家。代表作に『魔王の子供達』、『怪獣王女』など。 | [
"日本",
"漫画家"
] | [
1384029,
441064
] | [
4821051,
1270848
] |
349 | 舞井武依 | 概要 | SF、ファンタジー、ホラーを自己流に換骨奪胎し、意表を突くギミック、ディテールに富んだ世界観、テンションの高いラブコメなどを4ページ程度の狭い誌面に詰め込むスタイルで人気を博す。 | [
"ギミック (プロレス)"
] | [
133339
] | [
305570
] |
349 | 舞井武依 | 概要 | 『ペンギンクラブ』や『漫画ホットミルク』といった成人向け漫画雑誌の巻末に黒・赤2色刷り4ページで連載されることが多かった。当初はオマケ的存在だったが、オリジナリティの高い作品にファンが付き、巻末が舞井武依の定位置となった。 | [
"漫画ホットミルク",
"成人向け漫画",
"舞井武依"
] | [
452994,
28106,
155
] | [
1311716,
49939,
349
] |
349 | 舞井武依 | 概要 | 1回を4ページに収める必要があるため必然的に作品は高密度になり、物語もハイペースで進む。細かくオチを付けたり、登場人物が割とすぐに極端な行動に走りやすいといったスタイルも、4ページ漫画という環境が育んだと言える。 | [
"漫画"
] | [
571599
] | [
1737920
] |
349 | 舞井武依 | 概要 | 背景として凝った世界設定を行なっている事が窺えるが、それを説明するような誌面の余裕が無いため、本編は物語に集中している。しかし、これは作品としてはむしろ望ましいバランスと言える。単行本には設定の解説を収録しているものがある。 | [] | [] | [] |
349 | 舞井武依 | 概要 | デビュー当時は極めて健全な作風だったが、発表媒体の影響か、または読者層への配慮か、次第にきわどいネタが出てくるようになる。基本的に冗談の範囲内ではあるが、人造人間ゾンビーナの博士が口走る奇言に至っては成年向けフィクションに慣れ親しんだ読者以外には理解が困難かも知れない。 | [] | [] | [] |
349 | 舞井武依 | 概要 | あかほりさとるが舞井作品のファンだったことから、1997年に二人の共同企画という形でラジオドラマ『超々学園アカデミニャン』が放送された。 | [
"あかほりさとる",
"1997年"
] | [
33798,
655646
] | [
61439,
2025310
] |
349 | 舞井武依 | 単行本 | 一つの作品が複数の単行本に分散して収録されている場合があるため、注意が必要。 | [] | [] | [] |
350 | 幻超二 | null | 幻超二(まぼろしちょうじ、1969年3月16日 - )は、日本の漫画家。岡山県出身。代表作に『ゴルゴーン』、『辺境自警隊』などがある。 | [
"幻超二",
"1969年",
"日本",
"漫画家",
"岡山県",
"ゴルゴーン"
] | [
156,
524320,
1384029,
441064,
164,
16275
] | [
350,
1585935,
4821051,
1270848,
377,
26949
] |
350 | 幻超二 | null | 陰影のはっきりした画風が特色。東京アニメーター学院時代に電光石火轟に学ぶ。1990年代からサルコイドーシスという難病に罹り、網膜剥離により片目はほぼ失明状態になって作品の発表はごく少なくなっている。同人誌活動が主体であるが、作品水準は極めて高いと評価される。2006年冬コミのペーパーでコミケ参加休止を宣言している。 | [
"東京アニメーター学院専門学校",
"1990年代",
"サルコイドーシス",
"網膜剥離",
"失明",
"同人誌",
"2006年",
"コミックマーケット"
] | [
340051,
905,
227081,
28337,
39568,
7518,
293184,
8129
] | [
937245,
1484,
584265,
50431,
71870,
12539,
793034,
13552
] |
350 | 幻超二 | null | 山本弘によるソードワールド小説『サーラの冒険』シリーズ本編では挿絵を担当した。 | [
"ソード・ワールドRPG"
] | [
50135
] | [
93535
] |
351 | 美衣暁 | null | 美衣 暁(みい あきら、1963年4月26日 -)は、日本の男性漫画家。三重県津市出身。三重高田高校出身。主に成人向けのストーリー漫画など執筆していた。 | [
"1963年",
"日本",
"漫画家",
"三重県",
"津市",
"ストーリー漫画"
] | [
1223,
1384029,
441064,
470338,
6564,
46995
] | [
1931,
4821051,
1270848,
1378874,
10728,
86124
] |
351 | 美衣暁 | 概要 | 高校入学後、美術部に入部した後に漫画同好会を設立し初代会長となったとのこと。高校卒業後、上京し東京デザイナー学院に入学したが中退した。その後アシスタントやデザイナーなどの仕事を経て、一般向けの雑誌では佐江明名義にて秋田書店のヤングチャンピオンなどで執筆していた。成人向けでは美衣暁名義にてメディアックスやフランス書院、久保書店などの各成人向け雑誌にて2000年頃まで作品を発表していた。その後しばらくは同人活動を行っていたが、現在は本人HPのプロフィールや日記などによると三重県の実家に戻り療養中で、漫画の執筆活動は行っていないとの事。 | [
"漫画",
"専門学校東京デザイナー学院",
"美衣暁",
"秋田書店",
"フランス書院",
"久保書店",
"2000年",
"三重県"
] | [
571599,
240528,
157,
28805,
111730,
468269,
957,
470338
] | [
1737920,
629622,
351,
51566,
242928,
1369978,
1547,
1378874
] |
351 | 美衣暁 | 概要 | 代表作である『LUNATIC NIGHT』は1996年~1997年頃ビデオアニメ化(計3作)された。 | [
"1996年",
"1997年"
] | [
932,
655646
] | [
1520,
2025310
] |
352 | 三浦建太郎 | null | 三浦 建太郎(みうら けんたろう、1966年〈昭和41年〉7月11日 - 2021年〈令和3年〉5月6日)は、日本の漫画家。千葉県出身、日本大学藝術学部美術学科卒。代表作はダーク・ファンタジー作品『ベルセルク』。本名は非公表。 | [
"1966年",
"昭和",
"2021年",
"令和",
"日本",
"漫画家",
"千葉県",
"日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科",
"ダーク・ファンタジー"
] | [
1220,
1115,
7868,
1144773,
1384029,
441064,
287012,
782495,
244799
] | [
1928,
1789,
13130,
3925995,
4821051,
1270848,
774353,
2487539,
643486
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 日芸入学後、第34回少年マガジン新人漫画賞入選作となった『再び』(『週刊少年マガジン』1985年8月21日号/第36号掲載)、及び『NOA』(『フレッシュマガジン』1985年第3号掲載)で商業誌デビューを果たした。 | [
"漫画",
"週刊少年マガジン",
"1985年"
] | [
571599,
2625,
628110
] | [
1737920,
4152,
1931419
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 漫画家の森恒二、技来静也は高校の同級生であり、森とは高校時代に合作で漫画を描いており、『週刊少年サンデー』の最終選考に残ったことがあるという。技来は高校では漫画を描いてなかったため当時はあまり交流は無かったが、大学の学園祭をきっかけに親しくなり初期の三浦のアシスタントを務めた。 | [
"漫画家",
"森恒二",
"技来静也",
"漫画",
"週刊少年サンデー"
] | [
441064,
238511,
400962,
571599,
2626
] | [
1270848,
623427,
1129470,
1737920,
4154
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 1984年、漫画家の森川ジョージのもとに臨時のアシスタントとして入るも、持参していた『ベルセルク』のアイディアスケッチを見た森川は既に自分以上の実力を備え三浦自身の作品を作るべきと判断し、1日で帰らされている。森川の作品『一矢NOW』第1話で描かれている学校はこの時の三浦の手によるものである。 | [
"1984年",
"漫画家",
"森川ジョージ"
] | [
266,
441064,
1199
] | [
583,
1270848,
1890
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 1988年、大学在学中にプロトタイプの短編『ベルセルク』を『コミコミ』11月号に投稿し(単行本14巻に収録)、翌年の卒業後に本格的に漫画家として活動を始めた。『月刊アニマルハウス』(『ヤングアニマル』の前身)で武論尊原作の『王狼』『王狼伝』『ジャパン』を、並行して『ベルセルク』を連載開始した。1992年以降は『ベルセルク』を『ヤングアニマル』で不定期に連載していたが、完結の見通しは立っておらず、自身でも「死ぬまでに頭の中の全てを出せるのか」と語っていた。2021年に技来静也と対談した際には「これから畳もうかな」と、ストーリーが終盤に差し掛かっていることを示唆した発言をしていた。 | [
"1988年",
"漫画家",
"ヤングアニマル",
"武論尊",
"王狼伝",
"1992年",
"2021年",
"技来静也"
] | [
402,
441064,
9718,
19229,
817937,
463599,
7868,
400962
] | [
778,
1270848,
16056,
33025,
2619708,
1349811,
13130,
1129470
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 2021年5月6日、急性大動脈解離のため死去。54歳没。訃報は同月20日に白泉社公式サイトで公表された。 | [
"2021年",
"大動脈解離",
"白泉社"
] | [
7868,
83761,
9712
] | [
13130,
170281,
16046
] |
352 | 三浦建太郎 | 略歴 | 未完となった『ベルセルク』は2022年6月24日発売のヤングアニマル13号から、三浦の親友で生前に最終回までの展開を聞かされていた森恒二が監修を行い、弟子が所属するスタジオ我画の手により連載が再開された。 | [
"2022年",
"ヤングアニマル",
"森恒二"
] | [
7829,
9718,
238511
] | [
13073,
16056,
623427
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 両親は共にデザイナーであり、高校時代から漫画を描き続けていた三浦に対して理解を示していた。 | [
"漫画"
] | [
571599
] | [
1737920
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 音楽家の平沢進の熱狂的なファンで、執筆中には必ず聴いていたとのこと。これがきっかけでアニメ及びゲーム版『ベルセルク』の音楽は平沢が担当している(劇場版は主題歌のみ担当)。平沢は三浦と親交の深いミュージシャンである。平沢は三浦が亡くなった当日、自身の公式ホームページ「三浦建太郎先生の訃報に接して」と追悼文を届けた。 | [
"平沢進",
"三浦建太郎"
] | [
25124,
158
] | [
43562,
352
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 学生時代、柔道を始めたばかりで初段の相手を吹っ飛ばしたというほど腰が強かった。 | [
"柔道"
] | [
8264
] | [
13783
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 永井豪の『バイオレンスジャック』や武論尊(原作)、原哲夫(作画)の『北斗の拳』、特に栗本薫の大河小説『グイン・サーガ』のファンであり、栗本薫追悼コメントでは「最後の恐竜」という題で画一的な"細身・聖剣 / 魔剣・空中戦"といった美少女ファンタジーが溢れていることに時代的な観点と日本の特性から理解を示しつつも、過去のものとされつつあるグイン・サーガに見られるような「重力と距離」を簡単に手放したくないとし、「グイン・サーガを血肉に育った者の一人として、八〇年代発の数少ない現存のファンタジー作品「ベルセルク」を描ききりたい」と公言していた。 | [
"永井豪",
"バイオレンスジャック",
"武論尊",
"原哲夫",
"恐竜",
"日本"
] | [
504,
132267,
19229,
535,
479372,
1384029
] | [
941,
302538,
33025,
978,
1417402,
4821051
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 他にも少年時代から少女漫画を愛読しており、『ベルセルク』に影響を及ぼしていると発言していた(藤本由香里『少女まんが魂』での対談より)。 | [
"少女漫画",
"藤本由香里"
] | [
211,
301583
] | [
496,
819716
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | 『スター・ウォーズ』からも多大な影響を受けていた。高校の時に映画館で『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』の予告編が流れた際に、前の席で騒いでいた観客を叱責したことがあったが、温厚な三浦が怒ったのを森恒二が見たのは後にも先にもその一度きりだったという | [
"映画館",
"ジェダイ",
"森恒二"
] | [
15592,
75308,
238511
] | [
25888,
150186,
623427
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | エロゲーマーであることを自認しており、尚且つ『真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜』にはまっていた(巻末コメントより)。 | [
"アダルトゲーム",
"真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜"
] | [
3624,
552971
] | [
5631,
1671775
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | ニコニコ動画のヘビーユーザーであると『ヤングアニマル』誌の巻末コメントに寄せていた。それを知った株式会社インターネットは、同サービスの時報を利用して自社商品のVOCALOIDソフト『がくっぽいど』のパッケージイラストの依頼をかけた。三浦はこれに応えて同製品のイメージキャラクター「神威がくぽ」を無償でデザインした。 | [
"ニコニコ動画",
"ヤングアニマル",
"インターネット (企業)",
"VOCALOID",
"がくっぽいど"
] | [
453620,
9718,
339836,
406986,
536626
] | [
1313981,
16056,
936651,
1151582,
1624312
] |
352 | 三浦建太郎 | 人物 | シミュレーションゲーム『THE IDOLM@STER』のファンで、好きなキャラは如月千早。休載の際にXbox 360を購入した。 | [
"シミュレーションゲーム",
"Xbox 360"
] | [
1431,
401332
] | [
2221,
1130692
] |
352 | 三浦建太郎 | アシスタント | 緻密な画風のためアシスタントには高い画力、集中力が要求されていた。尚、アシスタントで現在『ヤングアニマル』で執筆中の技来静也は高校の同級生であった。 | [
"ヤングアニマル",
"技来静也"
] | [
9718,
400962
] | [
16056,
1129470
] |
353 | 皆川亮二 | null | 皆川 亮二(みながわ りょうじ、1964年7月5日 - )(本名同じ)は、日本の漫画家。東京都墨田区出身。 | [
"1964年",
"日本",
"漫画家",
"東京都",
"墨田区"
] | [
1222,
1384029,
441064,
287014,
7542
] | [
1930,
4821051,
1270848,
774362,
12594
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | 高校時代に、同級生だった神崎将臣に誘われ漫画を描き始める(後に神崎のアシスタントも経験)。 | [
"神崎将臣",
"漫画"
] | [
370,
571599
] | [
732,
1737920
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | 1988年、「HEAVEN」(小学館『週刊少年サンデー』に掲載)が第22回小学館新人コミック大賞少年部門に入選しデビュー。 | [
"1988年",
"小学館",
"週刊少年サンデー",
"小学館新人コミック大賞"
] | [
402,
7926,
2626,
431682
] | [
778,
13237,
4154,
1238517
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | 代表作は、アニメ化もされた『スプリガン』、第44回小学館漫画賞を受賞した『ARMS』など。 | [
"小学館漫画賞"
] | [
68624
] | [
135180
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | デビューから一貫して『週刊少年サンデー』など小学館の雑誌で執筆活動を続けてきたが、『D-LIVE!!』連載終了後は小学館以外にも、集英社や講談社、スクウェア・エニックスなど、他の出版社でも執筆するようになり、ゲームのキャラクターデザインなども手がけたりしている。 | [
"週刊少年サンデー",
"小学館",
"集英社",
"講談社",
"スクウェア・エニックス"
] | [
2626,
7926,
7923,
4894,
405672
] | [
4154,
13237,
13232,
7688,
1146609
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | 影響を受けた漫画家は、高橋留美子・望月三起也・大友克洋。とくに高橋留美子の影響が大きく、高校時代、高橋の漫画が好きで、高橋の絵の模写ばかりしていた。その絵を同級生だった神崎将臣に褒めてもらい、その縁で漫画を描き始めたことから、高橋留美子のことを「漫画家になる道筋を間接的に作ってくれた恩人」「僕の世界を変えてくれた人」と語っている。ちなみに、漫画を描き始めた頃は、高橋留美子の劣化コピーのような作品ばかり描いていたという。 | [
"漫画家",
"高橋留美子",
"望月三起也",
"大友克洋",
"漫画",
"神崎将臣"
] | [
441064,
83,
64592,
286,
571599,
370
] | [
1270848,
229,
126122,
610,
1737920,
732
] |
353 | 皆川亮二 | 概要 | 漫画家の藤田和日郎とはデビューが同期であり、新人コミック大賞の授賞式でも隣同士で座っていたこと、またお互いに高橋留美子が好きだったことから仲が良い。 | [
"漫画家",
"藤田和日郎",
"高橋留美子"
] | [
441064,
781,
83
] | [
1270848,
1311,
229
] |
364 | 秋田県 | null | 秋田県(あきたけん、旧字体・異体字:秋田縣・穐田縣・龝田縣)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は秋田市。 | [
"字体",
"日本",
"東北地方",
"都道府県庁所在地",
"秋田市"
] | [
141279,
1384029,
595,
19725,
20705
] | [
328081,
4821051,
1057,
34134,
35947
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 秋田県の海岸は、遠浅で上陸しやすく、海岸付近には身を隠せる防風林が多いため、密入を図る工作員にとって、絶好の場所である。夜間は人が少なく、近隣住民に見られ無い上、八峰町には無人島である雄島が海岸近くにあり、北朝鮮の工作員に中継点として使われているという。 | [
"防風林",
"八峰町",
"無人島"
] | [
150373,
107687,
78709
] | [
354671,
230812,
157875
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 秋田県は日本海に面しており、気候区分は日本海側気候に分類される。日本海側気候の中でも秋田県の特徴として沿岸部の冬季の降水量はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。 | [
"日本海側気候",
"日照時間"
] | [
111114,
255138
] | [
240979,
675602
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 内陸部では低温のため、同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に県内陸部のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず(鹿角市と仙北市などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する暖流の突発的な大気潮汐によって生み出された寒冷渦や極低気圧からもたらされる暴風雪や「ドカ雪」と呼ばれる豪雪がしばし見られることもある。 | [
"山形県",
"新潟県",
"豪雪地帯",
"日照時間",
"放射冷却",
"鹿角市",
"仙北市",
"緯度",
"ケッペンの気候区分",
"亜寒帯湿潤気候",
"大気潮汐",
"寒冷低気圧",
"極低気圧"
] | [
287010,
179,
28173,
255138,
155659,
20951,
137812,
21464,
11563,
105032,
617070,
552824,
335925
] | [
774338,
424,
50072,
675602,
369302,
36365,
318245,
37157,
19223,
223327,
1891526,
1671315,
924927
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 一方で、夏季は高温多湿でどんよりとしており梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く季節風は奥羽山脈の山々に遮られ、フェーン現象が発生することがある。太平洋側に冷害をもたらすと言われるやませも高温乾燥した風となり、県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日や猛暑日になることもある。特に仙北市周辺では、この風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる(生保内節)。 | [
"梅雨",
"太平洋",
"奥羽山脈",
"フェーン現象",
"冷害",
"気温",
"猛暑",
"仙北市"
] | [
6362,
3442,
98114,
21525,
82570,
7309,
380945,
137812
] | [
10336,
5330,
206358,
37256,
167332,
12140,
1065413,
318245
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2023年11月1日現在。 | [
"三種町",
"八峰町",
"日本の市町村の廃置分合",
"2023年"
] | [
107689,
107687,
129497,
7869
] | [
230819,
230812,
294706,
13131
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 | [
"都市雇用圏"
] | [
151234
] | [
357188
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。 | [
"由利郡",
"衆議院",
"秋田市"
] | [
20806,
2824,
20705
] | [
36134,
4435,
35947
] |
364 | 秋田県 | 地理・地域 | 地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。 | [
"日本の市町村の廃置分合",
"2006年",
"平成",
"推計人口"
] | [
129497,
293184,
1323885,
263894
] | [
294706,
793034,
4597053,
704202
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 現在の秋田県は、令制国での出羽国と陸奥国の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの羽後国と陸中国の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある。 | [
"令制国",
"出羽国",
"明治",
"羽後国",
"陸中国",
"飛鳥時代",
"斉明天皇",
"658年",
"阿倍比羅夫",
"土崎港"
] | [
11898,
7794,
1126,
428301,
11526,
7775,
10808,
11061,
68715,
148531
] | [
19848,
13015,
1803,
1227229,
19161,
12979,
17943,
18379,
135395,
349106
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | その後、天平5年12月26日(734年2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に天平宝字年間ごろには、「秋田城」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。 | [
"734年",
"庄内地方",
"出羽柵",
"天平宝字",
"中世",
"日本",
"三津七湊"
] | [
30196,
55583,
93056,
50877,
16586,
1384029,
171408
] | [
54264,
105378,
193962,
95264,
27550,
4821051,
413662
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術からナイフ形石器、細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。 | [
"ナイフ形石器",
"細石器",
"縄文時代"
] | [
356281,
314914,
302640
] | [
987101,
860731,
823031
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1,000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている。 | [
"1969年",
"昭和",
"大仙市",
"石核",
"発掘調査"
] | [
524320,
1115,
76101,
354856,
107229
] | [
1585935,
1789,
151857,
983171,
229628
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。 | [
"2000年",
"縄文時代",
"ストーンサークル",
"1931年",
"昭和",
"1951年",
"1952年",
"考古学",
"発掘調査",
"鹿角市",
"太平洋戦争"
] | [
957,
302640,
276702,
1632,
1115,
1656,
1657,
646,
107229,
20951,
672787
] | [
1547,
823031,
742282,
2536,
1789,
2561,
2562,
1118,
229628,
36365,
2084285
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 西日本では、この縄文人に加え弥生時代ごろから弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。 | [
"弥生時代",
"弥生人",
"ユーラシア",
"大和民族",
"近畿地方",
"8世紀",
"日本",
"東北地方"
] | [
470126,
356764,
15114,
76878,
662350,
2678,
1384029,
595
] | [
1377971,
988597,
25167,
153619,
2047703,
4231,
4821051,
1057
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 8世紀前半の奈良時代に出羽の秋田地域は、朝廷によって日本海沿岸の北辺地域の交易や征服などの拠点とされた。出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田市寺内)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年ごろに秋田城に改称される。このころから「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。このころになると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀ごろの平安時代には太政官の命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。 | [
"8世紀",
"奈良時代",
"出羽柵",
"山形県",
"庄内地方",
"734年",
"秋田市",
"続日本紀",
"760年",
"780年",
"大和民族",
"北東北",
"墾田",
"豪族",
"9世紀",
"平安時代"
] | [
2678,
2055,
93056,
287010,
55583,
30196,
20705,
46961,
30237,
30243,
76878,
136273,
90056,
80305,
2720,
450414
] | [
4231,
3202,
193962,
774338,
105378,
54264,
35947,
86001,
54307,
54313,
153619,
314019,
185757,
161599,
4276,
1302925
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 元慶2年(878年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。 | [
"元慶",
"878年",
"元慶の乱",
"藤原保則",
"俘囚",
"豪族"
] | [
50962,
23954,
152677,
157502,
7792,
80305
] | [
95484,
41292,
361149,
374171,
13013,
161599
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。 | [
"豪族",
"蝦夷地",
"武士"
] | [
80305,
12624,
9621
] | [
161599,
21104,
15894
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 北上川中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(永承6年(1051年) - 康平5年(1062年))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。 | [
"北上川",
"前九年の役",
"永承",
"1051年",
"1062年",
"秋田城介",
"武士",
"源頼義",
"豪族",
"清原光頼"
] | [
29993,
72080,
51397,
23749,
23742,
93418,
9621,
62676,
80305,
82662
] | [
53793,
142933,
96357,
40961,
40954,
194825,
15894,
121527,
161599,
167569
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年/寛治元年(1087年))である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。 | [
"清原家衡",
"出羽国",
"横手市",
"雄物川町沼館",
"源義家",
"金沢柵",
"金沢中野",
"後三年の役",
"永保",
"1083年",
"応徳",
"寛治",
"1087年",
"藤原清衡",
"奥州藤原氏"
] | [
69791,
7794,
20277,
1329004,
53974,
754931,
1316777,
72090,
75944,
23731,
75943,
75941,
17306,
69550,
60398
] | [
137759,
13015,
35234,
4617115,
101531,
2383758,
4567685,
142946,
151480,
40943,
151479,
151476,
28804,
137202,
116421
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。 | [
"奥州藤原氏",
"藤原清衡",
"藤原秀衡",
"11世紀",
"12世紀",
"豪族",
"藤原氏",
"押領使",
"比内郡",
"秋田郡",
"由利郡",
"出羽国",
"奥州合戦",
"御家人",
"常滑焼",
"太平洋",
"珠洲焼",
"陶磁器",
"在地領主"
] | [
60398,
69550,
80314,
2718,
1574,
80305,
16733,
61103,
623684,
200470,
20806,
7794,
91494,
19962,
288146,
3442,
293912,
40234,
584100
] | [
116421,
137202,
161658,
4274,
2452,
161599,
27828,
117993,
1915907,
500428,
36134,
13015,
190044,
34617,
777570,
5330,
795351,
73018,
1778753
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は文治5年(1189年)、19万の軍勢を率いて奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。 | [
"藤原氏",
"鎌倉幕府",
"源頼朝",
"文治",
"1189年",
"奥州合戦",
"藤原泰衡",
"蝦夷地",
"河田次郎"
] | [
16733,
5388,
114781,
49422,
3158,
91494,
69350,
12624,
136027
] | [
27828,
8466,
252115,
91627,
4908,
190044,
136710,
21104,
313388
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。 | [
"豪族",
"藤原氏",
"鎌倉幕府",
"御家人",
"地頭",
"成田氏",
"安保氏",
"秋元氏",
"奈良氏",
"浅利氏",
"平賀氏",
"小野寺氏",
"由利郡"
] | [
80305,
16733,
5388,
19962,
23510,
217151,
598191,
523376,
1354517,
444323,
442383,
48782,
20806
] | [
161599,
27828,
8466,
34617,
40587,
552720,
1827618,
1582777,
4716583,
1282574,
1275884,
90159,
36134
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に統一し最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。 | [
"安東氏",
"津軽地方",
"安東愛季",
"横手盆地",
"戸沢氏",
"前田氏",
"本堂氏",
"小野寺氏",
"由利郡",
"地頭",
"小笠原氏",
"豪族",
"由利十二頭"
] | [
81069,
80968,
81071,
89110,
58305,
76918,
408008,
48782,
20806,
23510,
48640,
80305,
266237
] | [
163684,
163368,
163686,
183652,
111504,
153711,
1155137,
90159,
36134,
40587,
89782,
161599,
711133
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7年から慶長8年の期間にかけてほとんどの大名が常陸国に転封され、鎌倉時代以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。 | [
"慶長",
"1600年",
"関ヶ原の戦い",
"征夷大将軍",
"小野寺氏",
"常陸国",
"転封",
"鎌倉時代"
] | [
16183,
5643,
563135,
2588,
48782,
7813,
135839,
131356
] | [
26805,
8867,
1704409,
4096,
90159,
13048,
312888,
299798
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 慶長7年(1602年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)などと入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹義宣が常陸国から転封され、久保田藩を立藩する。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移した。また、一国一城令の例外として、横手城・大館城が支城として存続した(檜山城・角館城などは破却)。組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。 | [
"慶長",
"1602年",
"秋田郡",
"秋田実季",
"安東氏",
"改姓",
"関ヶ原の戦い",
"常陸国",
"転封",
"久保田藩",
"秋田市",
"一国一城令",
"横手城",
"檜山安東氏城館跡",
"角館城",
"家老",
"郡代"
] | [
16183,
3519,
200470,
81073,
81069,
356465,
563135,
7813,
135839,
84970,
20705,
115821,
64927,
307975,
142595,
99982,
151558
] | [
26805,
5476,
500428,
163688,
163684,
987648,
1704409,
13048,
312888,
173300,
35947,
255195,
126757,
839983,
331939,
211151,
358154
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 常陸時代には54万石の大身大名であった佐竹氏は、明治まで表高20万石の久保田藩を治めることになった。実高は新田開発などで田地が増し、40万石くらいであったとされる。領内に存在した院内銀山や阿仁銅山などの諸鉱山、および全国的に著名な秋田杉なども久保田藩の収入源となったが、常陸時代以来の過大な家臣団が財政を圧迫し、幾度も財政改革を行う必要に迫られた。 | [
"佐竹氏",
"明治",
"久保田藩",
"新田",
"院内銀山",
"阿仁鉱山"
] | [
25877,
1126,
84970,
195544,
354454,
502507
] | [
45301,
1803,
173300,
486629,
982036,
1506298
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 久保田藩からは思想家の佐藤信淵・平田篤胤・安藤昌益や、秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦(曙山)・小田野直武らが出ている。「エレキテル」で知られる博物学者の平賀源内は、久保田藩の依頼で技術指導のため阿仁鉱山を訪れ、途中立ち寄った角館で小田野直武に遠近法を伝えたといわれる。享保年間には鈴木定行と加藤政貞の2名が古来の観音信仰にもとづき、秋田六郡三十三観音霊場の古跡をたずね、巡礼歌を添えた巡礼記をのこした。 | [
"久保田藩",
"佐藤信淵",
"平田篤胤",
"安藤昌益",
"秋田蘭画",
"佐竹義敦",
"小田野直武",
"エレキテル",
"博物学",
"平賀源内",
"阿仁鉱山",
"遠近法",
"享保",
"秋田六郡三十三観音霊場"
] | [
84970,
223971,
92758,
134404,
439235,
125061,
59852,
44633,
666,
6341,
502507,
84537,
10284,
1032660
] | [
173300,
574143,
193261,
308734,
1264067,
281861,
115164,
81259,
1150,
10301,
1506298,
172192,
17032,
3503385
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 元和8年(1622年)、山形藩主最上氏が改易され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち由利郡には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた六郷政乗(2万石)、岩城吉隆(2万石)、仁賀保挙誠(1万石)、打越光久(3,000石)などが入部し、それぞれ本荘藩、亀田藩、仁賀保藩、旗本になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって讃岐国高松藩主だったがお家騒動で改易された生駒高俊(1万石)が転封され、矢島藩となっている。 | [
"1622年",
"最上氏",
"改易",
"天領",
"由利郡",
"関ヶ原の戦い",
"転封",
"六郷政乗",
"佐竹義隆",
"仁賀保挙誠",
"本荘藩",
"亀田藩",
"仁賀保藩",
"旗本",
"由利十二頭",
"讃岐国",
"お家騒動",
"生駒高俊",
"矢島藩"
] | [
29028,
48097,
135180,
12638,
20806,
563135,
135839,
102013,
92292,
159611,
102011,
97540,
159607,
117017,
266237,
443613,
22951,
82601,
95708
] | [
52018,
88645,
311061,
21133,
36134,
1704409,
312888,
215937,
192223,
380455,
215933,
204871,
380448,
259610,
711133,
1280324,
39681,
167415,
200214
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉・雷電爲右エ門らがこの地を訪れている。文化元年(1804年)の象潟地震で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、蚶満寺住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。 | [
"本荘藩",
"松尾芭蕉",
"雷電爲右エ門",
"1804年",
"象潟地震",
"蚶満寺",
"住職"
] | [
102011,
3428,
72185,
5839,
818284,
339865,
10505
] | [
215933,
5292,
143199,
9349,
2621109,
936722,
17376
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 明治維新時点で後の秋田県下に政庁を置いていた藩は以下の5つ(石高は戊辰戦争直前の値)。この他に盛岡藩領と旗本領(仁賀保二千石家・千石家=旧仁賀保藩主の分家、生駒伊勢居地家=矢島藩主の分家、六郷氏=本荘藩主の分家)があった。 | [
"明治維新",
"石高",
"戊辰戦争",
"盛岡藩",
"二千石",
"生駒氏"
] | [
2873,
131184,
12557,
12648,
541781,
400449
] | [
4516,
299381,
21004,
21151,
1640914,
1128028
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | 慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は朝敵扱いされた会津藩・庄内藩の赦免嘆願のため奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は新政府側へ転向したため(前後して久保田新田藩=後の岩崎藩、本荘藩、矢島藩および現山形県の新庄藩も転向)、他の奥州諸侯の標的とされて秋田戦争が勃発した。佐賀藩や鹿児島藩などの救援を受けて最終的に勝利したものの、大館城・横手城・本荘城と矢島陣屋・仁賀保陣屋は落城し、広範囲の土地が荒廃した。 | [
"慶応",
"1868年",
"戊辰戦争",
"久保田藩",
"朝敵",
"会津藩",
"庄内藩",
"奥羽越列藩同盟",
"勤王",
"本荘藩",
"矢島藩",
"山形県",
"秋田戦争",
"佐賀藩",
"薩摩藩",
"横手城",
"本荘城",
"陣屋"
] | [
16656,
2850,
12557,
84970,
55843,
3755,
50662,
12248,
31308,
102011,
95708,
287010,
705947,
44460,
12637,
64927,
368236,
55727
] | [
27669,
4474,
21004,
173300,
105882,
5856,
94758,
20460,
56664,
215933,
200214,
774338,
2207100,
80948,
21132,
126757,
1024755,
105660
] |
364 | 秋田県 | 歴史 | また、亀田藩も久保田藩に同調して新政府軍へ転向したが、山口藩から派遣された監軍の横暴な振る舞いに堪えかね、新政府軍が本荘・亀田を見捨てた際に同盟軍へ再加入して久保田方面の新政府軍を攻撃した。しかし新政府軍の反撃で亀田城も焼失することになった。 | [
"亀田藩",
"久保田藩",
"長州藩"
] | [
97540,
84970,
15738
] | [
204871,
173300,
26102
] |
364 | 秋田県 | 人口 | ※以下特記しないものは2018年 | [
"2018年"
] | [
7823
] | [
13067
] |
364 | 秋田県 | 人口 | 秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)で、全国38位。人口増減率は6年連続全国最下位で、全国的にも最も人口減少が進んでいる地域の一つである。出生から死亡を引いた自然増減率、転入者から転出者を引いた社会増減率共に全国最下位だった。 | [
"2019年"
] | [
7825
] | [
13069
] |
364 | 秋田県 | 人口 | 1956年には135万人いた人口が、2017年に100万人を割りこんだ。1955年から2015年にかけての人口増減率は-19.5%で、-22.9%の島根県に次ぐ全国46位である。国立社会保障・人口問題研究所は、2045年にかけ人口が更に41.2%減少すると予測している。これは次点で37.0%の減少が予測されている青森県や、減少率1位だった島根県の23.8%減少よりかなり大きい。 | [
"1956年",
"2017年",
"1955年",
"2015年",
"島根県",
"国立社会保障・人口問題研究所",
"青森県"
] | [
1659,
7884,
1230,
7882,
173,
556098,
589281
] | [
2564,
13146,
1938,
13144,
405,
1681679,
1796640
] |
364 | 秋田県 | 人口 | 死亡率は7年連続全国1位と高い反面、出生率は24年連続全国最下位である。高齢化率が全国1位で、年少人口比率も全国最下位と、少子高齢化が進んでいる。婚姻率も24年連続最下位、乳児死亡率は全国2位、周産期死亡率も全国3位。自殺率も2017年は全国1位だったが、2018年は改善して1位を返上した。しかし、2019年には再び全国1位となっている。 | [
"高齢化",
"周産期死亡率",
"2017年",
"2018年",
"2019年"
] | [
15850,
335795,
7884,
7823,
7825
] | [
26300,
924516,
13146,
13067,
13069
] |
364 | 秋田県 | 人口 | 1人の女性が生涯で産む子供の数を比較した合計特殊出生率は1.33で全国42位となっている。この数値は通常都市部で低く、地方で高い傾向にあるが、秋田県はこれに当てはまっていない。大都市圏の大阪府、千葉県、埼玉県よりも低く、神奈川県に並んでいる。秋田県の合計特殊出生率は複雑な経過を辿っており、1925年時点では6.12と全国トップレベルの高さだったが、高度経済成長期に急速に低下し、1970年には1.88と全国最下位に転落した(同年の東京都は1.96)。その後1990年代には全国水準よりやや高い程度で安定したが、2000年代以降は全国的な回復傾向に乗れず、2010年に1.30と過去最低を記録し、全国40位となった。以後も低い状態が続いており、2015年は1.35で東京都と北海道に次いで低かった。2019年も1.33と低水準になっている。 | [
"合計特殊出生率",
"大阪府",
"千葉県",
"埼玉県",
"神奈川県",
"1925年",
"高度経済成長",
"1970年",
"東京都",
"1990年代",
"2000年代",
"2010年",
"2015年",
"北海道",
"2019年"
] | [
52149,
160159,
287012,
286174,
624163,
1626,
18708,
143437,
287014,
905,
901,
663972,
7882,
184,
7825
] | [
97756,
382164,
774353,
771753,
1917527,
2530,
31432,
334514,
774362,
1484,
1479,
2053712,
13144,
436,
13069
] |
364 | 秋田県 | 政治 | 人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の空洞化など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという。また、高齢化の影響で人口10万人あたりの自殺率が平成7年から平成26年の19年間(1995年~2014年)で最下位の状態が続いていたが、県・市町村のレベルでそれぞれ対策を行った結果、平成26年度にワースト1位を脱却した。 | [
"日本",
"過疎",
"平成",
"1995年",
"2014年"
] | [
1384029,
58217,
1323885,
655728,
6812
] | [
4821051,
111333,
4597053,
2025673,
11183
] |
Subsets and Splits
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