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ウンガダイ (ホルチン部)
ウンガダイ (翁阿岱) は明朝末期からアイシン (後金) 初期の蒙古ノン・ホルチン部領袖。元朝太祖・チンギス・カンの弟・ジョチ・カサルの16世孫、ボルジギン氏。 女真のイェヘ (一説には蒙古トゥメト部の後裔) と策応してハダ領地を屡々襲撃した。後、イェヘなどと聯合し、圧倒的な兵数を以てマンジュ (満洲国=建州部) のヌルハチを攻めたが、惨敗した。マンジュに使者を派遣して和解し、子・オーバの代で帰順した。 明と清の史書にみられる「恍忽太」(または恍惚太) と「翁阿岱」(または翁果岱など) の二つの人物名は、どちらもノン・ホルチン部のウンガダイを指すとされる。後者はマンジュのヌルハチが関係した戦役にみえる名前で、『明實錄』や『東夷考略』などにはみえない。一方、前者は「西虜恍忽太」や「北虜恍忽太」、「哈屯恍惚太」として現れる。「北虜」は明朝の北京からみて北、「西虜」は「東虜=女真」に対して西の意味なので、結局はどちらも同じ範囲を指し、具体的には主にトゥメト部やホルチン部、ハルハ部などの旧満洲一帯にいた蒙古民族 (『明史』の韃靼) を指す。「哈屯」については、満洲語の「katun」(蒙古語 ("Khatun"からの借用語) が漢籍で「哈屯」と表記され、「女皇」や「奥方」の意味を表すため、或いはここでもその意味かも知れないが、不明。本記事ではこの二つの表記で表される人物を同一人物とみなして扱う。 万暦11 (1583) 年旧暦7月、イェヘ東西城主 (チンギヤヌ、ヤンギヌ) に従ってハダを襲撃。 万暦11 (1583) 年旧暦12月、イェヘ東西城主に従って再びハダを襲撃。 万暦12 (1584) 年、イェヘ東西城主が明朝の策略にかかり死亡。 万暦21 (1593) 年、イェヘ新東西城主 (ブジャイ、ナリムブル) がフルン四部 (イェヘ、ハダ、ホイファ、ウラ)、ホルチン部、更にホルチン部の支配下にあったシベ部、グヮルチャ部など、都合九部を糾合してマンジュへ侵攻。ウンガダイは九部の一角として参戦したが、聯合軍はグレの山 (現遼寧省新賓満族自治県)で惨敗した。(→「古勒山の戦」) 万暦36 (1608) 年、ヌルハチがウラ要塞の中で最も堅牢なイハン・アリン城に派兵し攻撃。ウンガダイはウラ国主・ブジャンタイの要請に応じ、ウラ軍とともに都城・ウラ・ホトンを出発したが、マンジュ兵の攻勢を見て、戦わず撤退。(→「宜罕山の戦」) その後ウンガダイはマンジュに使者を派遣し和親を求めた。 天命9 (1624) 年、子・オーバ (後のトゥシェート・ハン) が一族を率いてアイシン (後金) に帰順した。 ----- *『清實錄』にはこれ以降にも順治8 (1651) 年の記事まで「翁阿岱」という人物が現れるが、天命9 (1624) 年に子・オーバが一族を率いて帰順しているところから推察すれば、恐らくこれ以前にウンガダイは死去したものと考えられる。従い、本記事ではそれ以降の「翁阿岱」を別人物とみなし、省略する。 ジョチ・カサル:元太祖・チンギス・カンの弟、ホルチン部始祖。
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ウンガダイ (翁阿岱) は明朝末期からアイシン (後金) 初期の蒙古ノン・ホルチン部領袖。元朝太祖・チンギス・カンの弟・ジョチ・カサルの16世孫、ボルジギン氏?。 女真のイェヘ (一説には蒙古トゥメト部の後裔) と策応してハダ領地を屡々襲撃した。後、イェヘなどと聯合し、圧倒的な兵数を以てマンジュ (満洲国=建州部) のヌルハチを攻めたが、惨敗した。マンジュに使者を派遣して和解し、子・オーバの代で帰順した。
{|class=floatright |+ ウンガダイ |- ! colspan="2" | 名称表記 |- | [[満洲文字|満文]] || {{ManchuSibeUnicode|ᡠᠩᡤᠠᡩᠠᡳ}} |- | 転写 || unggadai |- | 漢文|| * 恍忽太(東夷考略, 明神宗實錄)<sup>?</sup> * 翁阿岱(滿洲實錄) * 恍惚太(清史稿-223) * 瓮阿代(清史稿-223) * 翁果岱(清史稿-518) |- |称号 |[[巴図魯|バートル]]・[[ホンタイジ (称号)|ホンタイジ]] |- ! colspan="2" | 生歿即位 |- | 出生年 || [[明]][[嘉靖]]年間<sup>?</sup> |- | 即位年 || 明[[万暦]]年間<sup>?</sup> |- | 死歿年 || [[清]][[後金|天命]]年間<sup>?</sup> |- ! colspan="2" | 血筋(主要人物) |- |祖先 |[[ジョチ・カサル|ジョチ・カサル]] |- | 従兄弟 || マングス(ホルチン・ベイレ) |- |従兄弟 |ミンガン(ホルチン・ベイレ) |- |子 |オーバ(トゥシェート・ハン) |- |子 |ブダジ(ジャサクト郡王) |} '''ウンガダイ''' (翁阿岱) は[[明|明朝]]末期からアイシン ([[後金]]) 初期の[[蒙古]][[ホルチン|ノン・ホルチン部]]領袖。[[元 (王朝)|元朝]]太祖・[[チンギス・カン|チンギス・カン]]の弟・[[ジョチ・カサル|ジョチ・カサル]]の16世孫<ref name=":0">[[:zh:翁果岱|维基百科]]はウンガダイについて「[[ジョチ・カサル|合撒儿]]<sup>カサル</sup>之十七世孙」としているが、子・オーバ (奥巴) についても「[[ジョチ・カサル|合撒儿]]<sup>カサル</sup>十七世孙」としている。『清史稿』では「[[ジョチ・カサル|哈布圖哈薩爾]]<sup>カサル</sup>十四傳至奎蒙克塔斯哈喇」としている為、ここでは16世孫とする。</ref>、[[ボルジギン氏]]<sup>?</sup>。 [[女真]]のイェヘ (一説には蒙古[[トゥメト|トゥメト部]]の後裔) と策応して[[ハダ (女真国家)|ハダ]]領地を屡々襲撃した。後、イェヘなどと聯合し、圧倒的な兵数を以てマンジュ (満洲国=[[建州女直|建州部]]) の[[ヌルハチ]]を攻めたが、惨敗した。マンジュに使者を派遣して和解し、子・オーバの代で帰順した。 == 人名表記 == 明と清の史書にみられる「恍忽太」(または恍惚太) と「翁阿岱」(または翁果岱など) の二つの人物名は、どちらも[[ホルチン|ノン・ホルチン部]]の'''ウンガダイ'''を指すとされる。<ref>{{Cite journal|title=ジュセンーマンジュ史箚記二題|journal=立命館東洋文學|issue=40|page=7|chapter=(1)シベという族名の語源について}}</ref>後者は[[建州女直|マンジュ]]の[[ヌルハチ]]が関係した戦役にみえる名前で、『明實錄』や『東夷考略』などにはみえない。一方、前者は「西虜<u>恍忽太</u>」<ref>{{Cite book |title=東夷考略 |publisher=不詳 |chapter=海西女直通攷 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/東夷考略#海西女直通攷}}</ref>や「北虜<u>恍忽太</u>」<ref>{{Cite book |title=明神宗實錄 |publisher=不詳 |chapter=萬曆十六年四月 / 8日 |volume=197}}</ref>、「哈屯<u>恍惚太</u>」<ref>{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |chapter=萬 |volume=223 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷223#萬}}</ref>として現れる。「北虜」は明朝の北京からみて北、「西虜」は「東虜=[[女真]]」に対して西の意味なので、結局はどちらも同じ範囲を指し、具体的には主に[[トゥメト|トゥメト部]]や[[ホルチン|ホルチン部]]、[[ハルハ|ハルハ部]]などの[[満洲|旧満洲]]一帯にいた[[蒙古|蒙古民族]] (『明史』の[[タタール#韃靼|韃靼]]) を指す。<ref>漢籍にみえるそれぞれの表記を[[普通話]][[拼音]]で表すと、①恍忽太 (huǎnghūtài)、②恍惚太 (huǎnghūtài)、③翁果岱 (wēngguǒdài)、④翁阿岱 (wēng'ādài)、⑤瓮阿代 (wèng'ādài) となる。④-⑤は明らかに同系統。①-②は間に「hu」、③は「guo」をそれぞれ挟むが、満洲語では屡々「h」と「g」が[[子音交替|交替]]するため、これも同系統とみられる。①は明代史料にみられ、②と⑤は『清史稿』-223、③は『清史稿』-518、④は『滿洲實錄』-2,3でそれぞれみられる。『清史稿』は明側の歴史事項には②③の同系統の表記を用い、清側の歴史事項には⑤の異系統の表記を用いている。</ref>「哈屯」については、[[満洲語]]の「katun」([[モンゴル語|蒙古語]] ("[[ハトゥン|Khatun]]"からの借用語) が漢籍で「哈屯」と表記され、「女皇」や「奥方」の意味を表すため、或いはここでもその意味かも知れないが、不明。本記事ではこの二つの表記で表される人物を同一人物とみなして扱う。 == 年表 == [[万暦]]11 (1583) 年旧暦7月、イェヘ東西城主 ([[チンギヤヌ]]、[[ヤンギヌ]]) に従って[[ハダ (女真国家)|ハダ]]を襲撃。<ref name=":1">{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |quote=(萬暦)……十一年七月,挾煖兔、恍惚太等萬騎來攻。……十二月,楊吉砮等復挾蒙古科爾沁貝勒瓮阿岱等萬騎來攻,…… |chapter=萬 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷223#扈爾干子岱善 |volume=223}}</ref> 万暦11 (1583) 年旧暦12月、イェヘ東西城主に従って再び[[ハダ (女真国家)|ハダ]]を襲撃。<ref name=":1" /> 万暦12 (1584) 年、イェヘ東西城主が明朝の策略にかかり死亡。 万暦21 (1593) 年、イェヘ新東西城主 (ブジャイ、ナリムブル) が[[海西女直|フルン四部]] (イェヘ、[[ハダ (女真国家)|ハダ]]、[[ホイファ]]、[[ウラ (女真国家)|ウラ]])、[[ホルチン|ホルチン部]]、更にホルチン部の支配下にあった[[シベ族|シベ部]]、グヮルチャ部など、都合九部を糾合してマンジュへ侵攻。'''ウンガダイ'''は九部の一角として参戦したが、聯合軍はグレの山 (現[[遼寧省]][[新賓満族自治県]])<ref>[[:zh:翁果岱|维基百科]]は「辽宁新宾胜利村」としているが、正しくは「[[遼寧省]][[撫順市]][[新賓満族自治県]]上夾河鎮古楼村」。詳しくは「[[古勒山の戦#比定地|古勒山の戦]]」を参照。</ref>で惨敗した。(→「[[古勒山の戦]]」) 万暦36 (1608) 年、ヌルハチが[[ウラ (女真国家)|ウラ]]要塞の中で最も堅牢なイハン・アリン城に派兵し攻撃。'''ウンガダイ'''はウラ国主・[[ブジャンタイ (ウラナラ氏)|ブジャンタイ]]の要請に応じ、ウラ軍とともに都城・[[烏拉部故城|ウラ・ホトン]]を出発したが、マンジュ兵の攻勢を見て、戦わず撤退。(→「[[宜罕山の戦]]」) その後'''ウンガダイ'''はマンジュに使者を派遣し和親を求めた。<ref name=":2">{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |volume=518 |chapter=科爾沁 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷518#科爾沁}}</ref> [[天命 (後金)|天命]]9 (1624) 年、子・オーバ (後のトゥシェート・ハン) が一族を率いてアイシン ([[後金]]) に帰順した。<ref name=":2" /> <nowiki>-----</nowiki> *『清實錄』にはこれ以降にも[[順治]]8 (1651) 年の記事まで「翁阿岱」という人物が現れるが、[[天命 (後金)|天命]]9 (1624) 年に子・オーバが一族を率いて帰順しているところから推察すれば、恐らくこれ以前に'''ウンガダイ'''は死去したものと考えられる。従い、本記事ではそれ以降の「翁阿岱」を別人物とみなし、省略する。 == 族譜 == [[ジョチ・カサル|ジョチ・カサル]]:[[元 (王朝)|元]]太祖・[[チンギス・カン|チンギス・カン]]の弟、[[ホルチン|ホルチン部]]始祖。<ref name=":2" /> * 子 ** 孫 *** 曾孫 **** 玄孫 ***** 来孫 ****** 昆孫 ******* 仍孫 ******** 雲孫 ********* 八世孫 ********** 九世孫 *********** 十世孫 ************ 11世孫 ************* 12世孫・図美尼雅哈斉<ref>{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |volume=519 |chapter=阿嚕科爾沁 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷519#阿嚕科爾沁}}</ref> ************** 13世孫・クイメンク・タスハラ<ref>名:クイメンク・タスハラ (奎蒙克・塔斯哈喇)。</ref> *************** 14世孫・ボディダラ<ref>名:ボディダラ (博弟達喇)、号:ジョルゴル・ノヤン (卓爾郭勒諾顔)。</ref>:クイメンクタスハラの子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・ジジク<ref>ボディダラ長子:名・ジジク (斉斉克)、号・バートル・ノヤン (巴図爾・諾顔)。</ref>:ボディダラの長子。<ref name=":2" /> ***************** 16世孫<ref name=":0" />・'''ウンガダイ''':ジジクの子。<ref name=":2" /> ****************** 17世孫・オーバ<ref>名:オーバ (奥巴)。</ref>:ウンガダイの子。トゥシェート・ハン (土謝図・汗)。<ref name=":2" /> ****************** 17世孫・ブダジ:ウンガダイの子。ジャサクト郡王。<ref>{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |chapter=藩部世表一-科爾沁部扎薩克多羅扎薩克圖郡王 |volume=209}}</ref> **************** 15世孫・ナムサイ<ref>ボディダラ次子:名・ナムサイ (納穆賽)、号・ドラル・ノヤン (都喇勒・諾顔)。</ref>:ボディダラの次子。<ref name=":2" /> ***************** 16世孫・マングス<ref name=":2" /> ***************** 16世孫・ミンガン<ref name=":2" /> **************** 15世孫・ウバシ<ref>ボディダラ三子:名・ウバシ (烏巴什)、号・エトファン・ノヤン (鄂特歓・諾顔)。</ref>:ボディダラの三子。<ref name=":2" />→[[ゴルロス|ゴルロス部]] (郭爾羅斯) **************** 15世孫・ウヤンダイホトゴル<ref>ボディダラ四子:名・ウヤンダイホトゴル (烏延岱科托果爾)。</ref>:ボディダラの四子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・トドバートルハラ<ref>ボディダラ五子:名・トドバートルハラ (托多巴図爾喀喇)。</ref>:ボディダラの五子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・バイシン<ref>ボディダラ六子:名・バイシン (拝新)。</ref>:ボディダラの六子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・エルジグ・ジョリクト<ref>ボディダラ七子:名・エルジグ・ジョリクト (額勒済格・卓哩克図)。</ref>:ボディダラの七子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・アイナガ<ref>ボディダラ八子:名・アイナガ (愛納噶)、号・チェチェン・ノヤン (車臣・諾顔)。</ref>:ボディダラの八子。<ref name=":2" />→[[ドルベト (モンゴル)|ドルベト部]] (杜爾伯特) **************** 15世孫・アミン<ref>ボディダラ九子:名・アミン (阿敏)、号・バガ・ノヤン (巴噶諾顔)。</ref>:ボディダラの九子。<ref name=":2" />→[[ジャライト|ジャライト部]] (扎賚特) *************** 14世孫・ノムンダラ<ref>名:ノムンダラ (諾捫達喇)、号:ガルジク・ノヤン (噶勒済庫諾顔)。</ref>:クイメンクタスハラの子。<ref name=":2" /> **************** 15世孫・ジェグルド<ref>名:ジェグルドゥ (哲格爾徳)。</ref>:ノムンダラの子。<ref name=":2" /> == 参照先・脚註 == <references /> == 参照史料・文献 == === 史籍 === * 茅瑞徵『東夷考略』「[https://zh.wikisource.org/wiki/東夷考略#海西女直通攷 海西女直通攷]」1621 (漢文) *燕京図書館 ([[ハーバード大学]]) 所蔵版 * 顧秉謙『[[明実録|神宗顯皇帝實錄]]』1630 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * 編者不詳『滿洲實錄』巻2-3, 1781 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * [[趙爾巽]], 他100余名『[[清史稿]]』巻518「[https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷518#科爾沁 科爾沁]」, 清史館, 1928 (漢文) *中華書局版 === 研究書 === * 高文徳, 蔡志純『蒙古世系』中国社会科学出版社, 1979 (中国語) *[[:zh:翁果岱#参考文献|维基百科]]より引用。 * [[宮脇淳子]]『モンゴルの歴史 : 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水歴史全書) 刀水書房, 2002 *カタカナ表記の参照先 ([[ホルチン#参考資料|Wikipedia]]) === 論文 === * 『立命館東洋文學』第40号, 増井 寛也「ジュセンーマンジュ史箚記二題」立命館大学, 2017 === Webサイト === * 栗林均「[http://hkuri.cneas.tohoku.ac.jp モンゴル諸語と満洲文語の資料検索システム]」東北大学 * 「[https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mql/login.html 明實錄、朝鮮王朝実録、清實錄資料庫]」[[中央研究院歴史語言研究所]] ([[台湾]]) {{DEFAULTSORT:うんかたい}} [[Category:ボルジギン氏]] [[Category:清朝のモンゴルの人物]]
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朝鮮魔術師
『朝鮮魔術師』(ちょうせんまじゅつし、韓: 조선마술사、英: The Magician)は、2015年に韓国で公開された映画である。 『朝鮮魔術師』は、キム・デスンが監督し、魔術師と朝鮮の王女の2人がさまざまな困難を克服していくファンタジー、サスペンス仕立ての少し切ない恋愛映画である。 天才魔術師ファニ役を除隊後初の復帰作となるユ・スンホが演じ、実在の王女"義順公主(朝鮮語版、英語版)(의순공주)"をモデルとし、清国に嫁ぐことになっている朝鮮の王女チョンミョン役をコ・アラが演じている。 韓国では、公開初日(30日)に観客動員数(115,466人)が興行ランキング2位を獲得した(映画振興委員会・映画館入場券統合ネットワークの集計)、翌年1月3日には観客動員数が50万を超える。 日本では、「韓国映画セレクション2016 AUTUMN」で紹介される3作品の一つとして2016年10月22日から上映、日本語吹替版付の「朝鮮魔術師」DVDセットがソニー・ピクチャーズ エンタテインメントより2017年02月08日に発売される。 平安道最大の遊郭でキタクらと一緒に舞台にたっており、義州の自慢で朝鮮時代最高の天才魔術師と称されているファニは、過去の清国での過酷な記憶がトラウマとなり明るい未来を描けずにいる。清国に政略結婚のため嫁ぐことになっている王女チョンミョンは、宮中に心を許せる者もなく、自分の運命を悲観している。清国に向かう途中、義州で街中を彷徨っていると、ファニに助けられる。後日ファニは、舞台を観に来たチョンミョンと出会い、心惹かれ合うものを感じ、2人は逢瀬を重ねる。そんな中、ファニはチョンミョンの立ちふるまいから高貴の出の女性ではないかと気付きはじめる。
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『朝鮮魔術師』(ちょうせんまじゅつし、韓: 조선마술사、英: The Magician)は、2015年に韓国で公開された映画である。
{{Infobox Film | 作品名 = 朝鮮魔術師 | 原題 = {{Lang|ko|조선마술사}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = キム・デスン | 脚本 = キム・デスン<br />チョ・ジョンファ | 原案 = | 原作 = | 製作 = | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[ユ・スンホ]]<br />[[Ara|コ・アラ]]<br />[[クァク・ドウォン]]<br />{{仮リンク|イ・ギョンヨン|ko|이경영 (1960년)|en|Lee Geung-young}}<br />[[チョ・ユニ]]<br />{{仮リンク|パク・チョルミン (俳優)|label=パク・チョルミン|ko|박철민 (배우)|en|Park Chul-min}} | 音楽 = | 主題歌 = | 撮影 = | 編集 = | 制作会社 = With Us Film | 製作会社 = | 配給 = {{flagicon|KOR}}{{仮リンク|ロッテエンターテインメント|ko|롯데엔터테인먼트|en|Lotte Entertainment}}<br />{{Flagicon|JPN}}ツイン | 公開 = {{Flagicon|KOR}}2015年12月30日<br />{{Flagicon|JPN}}2016年10月22日 | 上映時間 = 122分 | 製作国 = {{KOR}} | 言語 = {{ISO639言語名|kor}} | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} {{朝鮮の事物 |title = 朝鮮魔術師 |picture-type = |picture = |caption = |hangeul = 조선마술사 |chosŏn'gŭl = |hanja = 朝鮮魔術師 |katakana = チョソン マジシャ |hiragana = ちょうせん まじゅつし(まじしゃん) |latin = |rr = Joseon masulsa |mr = |alphabet-type = |alphabet = Joseon Magician }} 『'''朝鮮魔術師'''』(ちょうせんまじゅつし、{{Lang-ko-kr-short|조선마술사}}、{{Lang-en-short|The Magician}})は、2015年に[[大韓民国|韓国]]で公開された映画である<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2032619 |title=ユ・スンホ&Ara&チョ・ユニら、映画「朝鮮魔術師」制作報告会に出席 |date=2015-11-11 |accessdate=2023-09-08 |website=Kstyle news |publisher=LINE}}</ref>。 == 概要 == 『朝鮮魔術師』は、キム・デスンが監督し、魔術師と[[李氏朝鮮|朝鮮]]の王女の2人がさまざまな困難を克服していくファンタジー、サスペンス仕立ての少し切ない[[恋愛映画]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2034096 |title=ユ・スンホ&Ara主演の「朝鮮魔術師」韓国で12月30日公開 |date=2015-12-03 |accessdate=2023-09-08 |website=Kstyle news |publisher=LINE}}</ref>。 天才魔術師ファニ役を除隊後初の復帰作となる[[ユ・スンホ]]が演じ<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2015173 |title=ユ・スンホ、除隊後初の復帰作「朝鮮魔術師」台本読み合わせ現場を公開 |date=2015-03-02 |accessdate=2023-09-08 |website=Kstyle news |publisher=LINE}}</ref>、実在の王女"{{仮リンク|義順公主|ko|의순공주|en|Princess Uisun}}({{Lang|ko|의순공주}})"をモデルとし、[[清国]]に嫁ぐことになっている朝鮮の王女チョンミョン役を[[Ara|コ・アラ]]が演じている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kbsworld.ne.jp/program/detail?prSn=994 |website=KBS World |publisher=KBS Japan |accessdate=2023-09-08 |title=朝鮮魔術師}}</ref>。 韓国では、公開初日(30日)に観客動員数(115,466人)が興行ランキング2位を獲得した(映画振興委員会・映画館入場券統合ネットワークの集計)<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2035976 |title=ユ・スンホ主演「朝鮮魔術師」公開初日に興行成績2位を記録…下半期のラブストーリー映画の中でトップのスコア |date=2015-12-31 |accessdate=2023-09-08 |website=Kstyle news |publisher=LINE}}</ref>、翌年1月3日には観客動員数が50万を超える<ref>{{Cite web|和書|url=https://k-plaza.com/2016/01/yoo-seung-ho-18.html |date=2016-01-04 |accessdate=2023-09-08 |website=K PLAZA |title=ユ・スンホ主演映画「朝鮮魔術師」、観客動員数50万人を突破で安定の人気}}</ref>。 日本では、「韓国映画セレクション2016 AUTUMN」で紹介される3作品の一つとして2016年10月22日から上映<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/193697 |title=韓国2015年公開作3本が東京と大阪で上映、JYJユチョン参加のドキュメンタリーも |date=2016-06-06 |accessdate=2023-09-08 |website=映画ナタリー |publisher=Natasha}}</ref>、日本語吹替版付の「朝鮮魔術師」DVDセットが[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]より2017年02月08日に発売される<ref>{{Cite web|url=https://www.allcinema.net/soft/996681 |title=【DVD】朝鮮魔術師 |accessdate=2023-09-08 |website=allcinema}}</ref>。 == あらすじ == {{要あらすじ}} [[平安道]]最大の遊郭でキタクらと一緒に舞台にたっており、[[義州郡|義州]]の自慢で[[李氏朝鮮|朝鮮時代]]最高の天才魔術師と称されているファニは、過去の[[清国]]での過酷な記憶がトラウマとなり明るい未来を描けずにいる。[[清国]]に[[政略結婚]]のため嫁ぐことになっている王女チョンミョンは、宮中に心を許せる者もなく、自分の運命を悲観している。清国に向かう途中、義州で街中を彷徨っていると、ファニに助けられる。後日ファニは、舞台を観に来たチョンミョンと出会い、心惹かれ合うものを感じ、2人は逢瀬を重ねる。そんな中、ファニはチョンミョンの立ちふるまいから高貴の出の女性ではないかと気付きはじめる。 == キャスト == ; 天才魔術師ファニ : 演 - [[ユ・スンホ]] : 美しい容姿と[[李氏朝鮮|朝鮮時代]]最高の天才魔術師と称されている。過去のトラウマから明るい未来を描けずにいる。 ; 王女チョンミョン : 演 - [[Ara|コ・アラ]] : [[清国]]に[[政略結婚]]のため嫁ぐことになっている王女。もともと王族の血統だが親が身分の低い両班出身であり、宮中で心許せる者がいない状況にある。 ; 清国の魔術師グィモル : 演 - [[クァク・ドウォン]] : 清国の最高の魔術師。過去の経緯からファニを恨んでおり、ファニを付け狙っている。 ; 護衛武官アン・ドンフィ : 演 - {{仮リンク|イ・ギョンヨン|ko|이경영 (1960년)|en|Lee Geung-young}} : 清国へ王女を連れて行く使節団の護衛武官。 ; [[妓生]]ボウム : 演 - [[チョ・ユニ]] : ファニの義姉。話術など多彩な才能があり、美貌を兼ね備えているが視覚障害を持つ。 ; 芸人頭キタク : 演 - {{仮リンク|パク・チョルミン (俳優)|label=パク・チョルミン|ko|박철민 (배우)|en|Park Chul-min}} : ファニと一緒に舞台にたっている。陰に陽にファニを応援している。 == キャスト(日本語吹替版) == * 天才魔術師ファニ : 演 - ユ・スンホ (吹替 - [[宮野真守]]) * 王女チョンミョン : 演 - コ・アラ (吹替 - [[飯塚雅弓]]) * 清国の魔術師クィモル : 演 - クァク・ドウォン (吹替 - [[山田浩貴]]) * 護衛武官アン・ドンフィ : 演 - イ・ギョンヨン (吹替 - [[上別府仁資]]) * 妓生ポウム : 演 - チョ・ユニ (吹替 - [[中原麻衣]]) * 芸人頭キタク : パク・チョルミン (吹替 - [[渡邉隼人]]) == スタッフ == * 監督 - キム・デスン * 脚本 - キム・デスン、チョ・ジョンファ * 撮影 - チョ・サンユン * 美術 - チョ・ファソン * 音楽 - パン・ジュンソク * 衣装 - チョ・サンギョン == 派生商品 == * DVD『朝鮮魔術師』(2017年2月8日、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{YouTube|SQcNYjr3YEw|映画『朝鮮魔術師』予告編}} - シネマトゥデイ * {{IMDb title|4471636|The Magician}} {{Normdaten}} {{Movie-stub}} {{DEFAULTSORT:ちようせんましゆつし}} [[Category:2015年の映画]] [[Category:韓国の恋愛映画]] [[Category:韓国の歴史映画]]
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増田彩乃
増田 彩乃(ますだ あやの、2003年5月26日 - )は、日本のタレント、モデル。愛知県出身。 2020年12月、女子高生ミスコン2020にてSNOW賞を受賞。 2021年、JCミスコン・女子高生ミスコンの2020年度ファイナリスト15人により構成されたアイドルグループA♡Zで芸能界デビュー。 2022年5月30日、アイドルグループLapilazのメンバーとなる。2023年7月8日をもって卒業。 特技は運動。
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増田 彩乃は、日本のタレント、モデル。愛知県出身。
{{複数の問題 |特筆性=2023年9月8日 (金) 13:47 (UTC)|分野=人物 |存命人物の出典明記=2023年9月8日 (金) 13:47 (UTC) }} {{女性モデル | モデル名 = 増田 彩乃 | ふりがな = ますだ あやの | 画像ファイル = | 画像コメント = | 別名義 = | 愛称 = | 生年 = 2003 | 生月 = 5 | 生日 = 26 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 出身地 = {{JPN}}・[[愛知県]] | 死没地 = | 血液型 = | 瞳の色 = | 毛髪の色 = | 時点 = [[2023年]] | 身長 = 157 | 体重 = | バスト = | ウエスト = | ヒップ = | カップ = | 股下 = | 靴 = 24 | 身体備考 = | デビュー = [[2021年]] | モデル内容 = 一般 | 活動備考 = [[A♡Z]]、Lapilaz元メンバー | 他の活動 = [[タレント]] | 事務所 = LUV | その他 = | FMD = | IMDb = }} '''増田 彩乃'''(ますだ あやの、[[2003年]][[5月26日]] - )は、[[日本]]の[[タレント]]、[[モデル (職業)|モデル]]。[[愛知県]]出身。LUV所属。 == 経歴 == 2020年12月、『[[女子高生ミスコン|女子高生ミスコン2020]]』にてSNOW賞を受賞<ref>[https://deview.co.jp/News?am_article_id=2180128 “日本一かわいい女子高生”を決めるコンテスト 愛知県出身の高校2年・増田彩乃さんがSNOW賞を受賞]</ref>。2021年、[[女子高生ミスコン#JCミスコン|JCミスコン]]・女子高生ミスコンの2020年度ファイナリスト15人により構成されたアイドルグループ「[[A♡Z]]」のメンバーとして芸能界デビュー<ref>{{Cite web|和書|title=“日本一かわいい女子高生”&“日本一かわいい女子中学生”でユニット結成 デビューが決定<A◆Z> - モデルプレス|url=https://mdpr.jp/news/detail/2498882?s=09|website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース|accessdate=2021-04-24|language=ja}}</ref>。 2022年5月30日、アイドルグループ「Lapilaz」のメンバーとなる。2023年7月8日を以て卒業<ref>[https://www.instagram.com/p/Cue32FRp-2g/?igshid=MmU2YjMzNjRlOQ== 2023年7月10日インスタグラム]</ref>。 == 人物 == 特技は運動。 == 出演 == === テレビ === * [[今日、好きになりました。]] 第35・37・42弾(2021年5月10日 - 6月7日・7月26日 - 9月6日・2022年2月21日 - 3月28日、[[ABEMA]]) === MV === * [[YOAKE]]「で?」 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://luv.co.jp/talent/ayano_masuda/ 増田彩乃] LUV * {{Twitter|m_ayano26}} * {{Instagram|m_ayano26}} * {{TikTok|m_ayano26}}} {{DEFAULTSORT:ますた あやの}} [[Category:日本のTikToker]] [[Category:日本の女性タレント]] [[Category:日本の女性アイドル]] [[Category:日本の女性ファッションモデル]] [[Category:東京ガールズコレクション出演モデル]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:2003年生]] [[Category:存命人物]]
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山本村 (広島県)
山本村(やまもとむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐南区の一部にあたる。 山本川流域の山沿いに位置していた。 中世武田氏の居城・金山城(佐東銀山城、武田山)の山麓に位置していたため。
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山本村(やまもとむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐南区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1943年11月3日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 祇園町、[[長束村]]、'''山本村'''、[[原村 (広島県安佐郡)|原村]] → [[祇園町]] | 現在の自治体 = [[広島市]] | よみがな = やまもとむら | 自治体名 = 山本村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 広島県 | 郡 = [[安佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 1228 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1940年 | 隣接自治体 = [[伴村]]、[[安村]]、祇園町、長束村、広島市 | 所在地 = 安佐郡山本村大字東山本 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''山本村'''(やまもとむら)は、[[広島県]][[安佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[広島市]][[安佐南区]]の一部にあたる。 == 地理 == 山本川流域の山沿いに位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、[[沼田郡]]東山本村、西山本村が合併して村制施行し、'''山本村'''が発足<ref name=角川>『角川日本地名大辞典 34 広島県』583頁。</ref><ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』828頁。</ref>。旧村名を継承した東山本、西山本の2大字を編成{{R|角川}}。 *[[1898年]](明治31年)10月1日、郡の統合により[[安佐郡]]に所属{{R|角川}}{{R|変遷}}。 *[[1943年]](昭和18年)11月3日、安佐郡祇園町、長束村、原村と合併し、'''[[祇園町]]'''が継続して廃止された{{R|角川}}{{R|変遷}}。 === 地名の由来 === 中世[[武田氏]]の居城・金山城([[佐東銀山城]]、武田山)の山麓に位置していたため{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、畳表、茣蓙{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[広島県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:やまもとむら}} [[Category:沼田郡]] [[Category:安佐郡]] [[Category:広島市域の廃止市町村]] [[Category:安佐南区の歴史]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1943年廃止の日本の市町村]]
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山田家 (伯爵家)
山田家(やまだけ)は、清原氏の末裔と伝わる武家・士族・華族だった日本の家。室町時代には大内氏に仕え、戦国時代に大内氏が滅亡した後には毛利氏に仕えた。近世にも長州藩主毛利家の家臣であったが、近代に山田顕義を出し、その勲功により華族の伯爵家に列せられた。 山田伯爵家所蔵の記録によれば、天武天皇の皇子舎人親王の玄孫清原有雄の子孫とされるが、他に照合できる資料がなく不明。同記録によれば、天武天皇から数えて24代の山田対馬守通村の代に周防国守護大内義弘に仕えるようになり、30代の山田対馬守言直の代の天正初め頃に毛利輝元の麾下となったことが記されている。 言直以降の系譜は毛利家藩譜にも記載されている。その最初の人物は山田與四郎である。それによれば、彼は天正8年(1580年)閏3月6日に毛利輝元から市允に任じられ、慶長15年(1610年)12月29日に宗瑞(輝元の隠居後の名前)より対馬守(士格称号)を与えられている。この人物は山田伯爵家の記録にある30代山田対馬守言直と同一人と思われる。 彼以降、山田家は長州藩士家として続いた。長州藩内における山田家の家格は大組士(馬廻り)。家禄は成直の代に52石、之包の代の元禄14年(1701年)12月28日に50石加増があって都合102石となっている。 また成直の弟直之の系譜が山田分家として出き、本家と同じく大組士の藩士となった。この分家は当初42石だったが、恒治の代に萩城修理と毛利元就法会の功で72石に加増され、さらに龔之が藩政への功労で142石に加増され、家禄の上では本家をしのぐようになった。龔之は村田光賢(村田清風の弟)の三男だった。本家にも彼の次男が養子に入ったため、幕末の山田家は村田家の係累として藩内で知られていた。 龔之の長男亦介(公章)は、幕末に勤王志士であったが、長州藩内で俗論派(幕府恭順派)が一時権力を握った際に処刑されて一時期士籍を剥奪されて家禄を没収されているが、慶応元年(1865年)の俗論派の失脚で、同年5月に藩主の命により遺児鶴太郎にお家再興が許され、旧扶持127石が与え直されている。 一方、龔之の次男顕行は、山田本家の顕政の養子に入り、山田本家を相続しており、この顕行が山田顕義の父である。 山田顕義は、幕末維新期に国事に奔走し、戊辰戦争における東征大総督参謀としての功、および函館鎮定の際の陸海軍総参謀としての功により、明治2年(1869年)に賞典禄600石を下賜された。同年から兵部省に出仕し、兵部大丞に任官し、陸軍軍人としては陸軍中将まで累進する。また参議、工部卿、内務卿、司法卿などを歴任。明治17年(1884年)7月7日に功により華族の伯爵位を授けられた。明治18年(1885年)に第1次伊藤内閣に司法大臣として入閣して以後、第1次松方内閣まで4代の内閣で司法大臣として留任し続けた。「法典伯」との異名をとるほどの熱意をもって民法をはじめとした法典整備に尽力した。神道の擁護や教育にも熱心で、皇典講究所の所長に就任し、また日本法律学校(のちの日本大学)や国学院の創設者となった。 弟に河上治養の養子に入った繁栄があり、男子がなかった顕義は繁栄の長男である久雄を養子にもらった。明治25年(1892年)11月11日に顕義が死去した後、同年12月8日に久雄が家督と爵位を相続した。 しかし久雄は明治30年(1897年)4月12日に若くして死去。そのため久雄の父である繁栄が山田家の戸籍に戻り、家督と爵位を継いだ。繁栄は大佐まで昇進した陸軍軍人であった。その繁栄も明治39年(1906年)に死去したことで男系は絶えた。会津松平子爵家の松平容保三男英夫が顕義の三女梅子と結婚していたため、彼が繁栄の養子として山田家の家督と爵位を相続した。英夫は陸軍軍人として中佐まで昇進し、予備役入り後には貴族院の伯爵議員に当選して務めている。彼の代の昭和前期に山田伯爵家の住居は東京市麻布区笄町にあった。 これ以降の山田家は男系の血統では会津松平家の分家筋となり、山田家の血統は女系で継いでいる。 英夫・梅子夫妻の長男である顕定(明治42年(1909年)3月18日生、昭和59年(1984年)3月25日没)は、日本大学法学部の教授を務めた。その息子に顕喜(昭和16年(1941年)8月10日生)があり、彼はNHKに勤務していた。彼の代の平成前期に山田家の住居は東京都東村山市富士見町にあった。さらにその息子に顕隆(昭和51年(1976年)2月8日生)がある。 山田伯爵家所蔵の記録によれば 天武天皇-舎人親王-三原王-小倉王-貞代王-有雄-海雄-房則-深養父-春光-元輔-致信-正高-正道-通次-是次-通良-家通-広通-通里-通増-通豊-通秀-通村-通末-方通-方貞-方明-言輔-言直と続き、言直の代の天正初めの頃に毛利氏に仕えたという。ただしここまでの系図には照合できる資料がない。 毛利家の家臣となって以降の系図は毛利家藩譜にも記載されているので明らかである。以下の通りである。
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山田家(やまだけ)は、清原氏の末裔と伝わる武家・士族・華族だった日本の家。室町時代には大内氏に仕え、戦国時代に大内氏が滅亡した後には毛利氏に仕えた。近世にも長州藩主毛利家の家臣であったが、近代に山田顕義を出し、その勲功により華族の伯爵家に列せられた。
{{日本の氏族 |家名= 山田家 |家紋= |家紋名称= |本姓= '''称'''・[[清原氏]] |家祖= |種別= [[武家]]<br/>[[士族]]<br/>[[華族]]([[伯爵]]) |出身地= |根拠地= [[周防国]]<br/>[[長門国]]<br/>[[東京市]][[麻布区]]<br/>[[東京都]][[東村山市]] |人物= [[山田顕義]] |支流= }} '''山田家'''(やまだけ)は、[[清原氏]]の末裔と伝わる[[武家]]・[[士族]]・[[華族]]だった[[日本]]の[[家]]。[[室町時代]]には[[大内氏]]に仕え、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に大内氏が滅亡した後には[[毛利氏]]に仕えた{{sfn|日本大学|1963|p=14}}。近世にも[[長州藩]]主[[毛利家]]の家臣であったが、近代に[[山田顕義]]を出し、その勲功により[[華族]]の[[伯爵]]家に列せられた{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。 == 歴史 == === 封建時代 === 山田伯爵家所蔵の記録によれば、[[天武天皇]]の皇子[[舎人親王]]の玄孫[[清原有雄]]の子孫とされるが、他に照合できる資料がなく不明{{sfn|日本大学|1963|p=14}}。同記録によれば、天武天皇から数えて24代の[[山田通村|山田対馬守通村]]の代に[[周防国]][[守護大名|守護]][[大内義弘]]に仕えるようになり、30代の[[山田言直|山田対馬守言直]]の代の[[天正]]初め頃に[[毛利輝元]]の麾下となったことが記されている{{sfn|日本大学|1963|p=14}}。 言直以降の系譜は毛利家藩譜にも記載されている{{sfn|日本大学|1963|p=15}}。その最初の人物は山田與四郎である。それによれば、彼は天正8年(1580年)閏3月6日に毛利輝元から[[市允]]に任じられ、慶長15年(1610年)12月29日に宗瑞(輝元の隠居後の名前)より[[対馬守]](士格称号)を与えられている。この人物は山田伯爵家の記録にある30代山田対馬守言直と同一人と思われる{{sfn|日本大学|1963|p=15}}。 彼以降、山田家は[[長州藩]]士家として続いた。長州藩内における山田家の家格は大組士([[馬廻り]]){{sfn|日本大学|1963|p=18}}。家禄は[[山田成直|成直]]の代に52石{{sfn|日本大学|1963|p=15/20}}、[[山田之包|之包]]の代の元禄14年(1701年)12月28日に50石加増があって都合102石となっている{{sfn|日本大学|1963|p=15/20}}。 また成直の弟[[山田直之|直之]]の系譜が山田分家として出き、本家と同じく大組士の藩士となった。この分家は当初42石だったが、[[山田恒治|恒治]]の代に[[萩城]]修理と[[毛利元就]]法会の功で72石に加増され、さらに[[山田龔之|龔之]]が藩政への功労で142石に加増され、家禄の上では本家をしのぐようになった{{sfn|日本大学|1963|p=16/20}}。龔之は[[村田光賢]]([[村田清風]]の弟)の三男だった。本家にも彼の次男が養子に入ったため、幕末の山田家は[[村田家]]の係累として藩内で知られていた{{sfn|日本大学|1963|p=18}}。 龔之の長男[[山田亦介|亦介]](公章)は、幕末に勤王志士であったが、長州藩内で俗論派(幕府恭順派)が一時権力を握った際に処刑されて一時期士籍を剥奪されて家禄を没収されているが、慶応元年(1865年)の俗論派の失脚で、同年5月に藩主の命により遺児[[山田鶴太郎|鶴太郎]]にお家再興が許され、旧扶持127石が与え直されている{{sfn|日本大学|1963|p=21}}。 一方、龔之の次男[[山田顕行|顕行]]は、山田本家の[[山田顕政|顕政]]の養子に入り、山田本家を相続しており、この顕行が[[山田顕義]]の父である{{sfn|日本大学|1963|p=16/18}}。 === 明治以降 === [[File:Yamada akiyoshi 1.jpg|thumb|180px|山田顕義]] 山田顕義は、幕末維新期に国事に奔走し、戊辰戦争における東征大総督参謀としての功、および函館鎮定の際の陸海軍総参謀としての功により、明治2年(1869年)に[[賞典禄]]600石を下賜された。同年から[[兵部省]]に出仕し、[[兵部大丞]]に任官し、陸軍軍人としては[[陸軍中将]]まで累進する。また[[参議]]、[[工部卿]]、[[内務卿]]、[[司法卿]]などを歴任{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=797}}<ref name="山田顕義">{{Kotobank|山田顕義|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref>。明治17年(1884年)7月7日に功により[[華族]]の[[伯爵]]位を授けられた{{sfn|小田部雄次|2006|p=326}}。明治18年(1885年)に[[第1次伊藤内閣]]に[[司法大臣]]として入閣して以後、[[第1次松方内閣]]まで4代の[[内閣]]で司法大臣として留任し続けた<ref name="山田顕義"/>。「法典伯」との異名をとるほどの熱意をもって[[民法]]をはじめとした法典整備に尽力した<ref name="山田顕義"/>。[[神道]]の擁護や教育にも熱心で、[[皇典講究所]]の所長に就任し、また[[日本法律学校]](のちの[[日本大学]])や[[国学院]]の創設者となった<ref name="山田顕義"/>。 弟に[[河上治養]]の養子に入った[[山田繁栄|繁栄]]があり{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}、男子がなかった顕義は繁栄の長男である[[山田久雄|久雄]]を養子にもらった。明治25年(1892年)11月11日に顕義が死去した後、同年12月8日に久雄が家督と爵位を相続した{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=797}}。 しかし久雄は明治30年(1897年)4月12日に若くして死去{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。そのため久雄の父である繁栄が山田家の戸籍に戻り{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}、家督と爵位を継いだ{{sfn|華族大鑑刊行会|1990|p=91}}。繁栄は大佐まで昇進した陸軍軍人であった{{sfn|華族大鑑刊行会|1990|p=91}}。その繁栄も明治39年(1906年)に死去したことで男系は絶えた。[[会津松平家|会津松平]][[子爵]]家の[[松平容保]]三男[[山田英夫 (伯爵)|英夫]]が顕義の三女[[山田梅子|梅子]]と結婚していたため、彼が繁栄の養子として山田家の家督と爵位を相続した。英夫は陸軍軍人として[[中佐]]まで昇進し、予備役入り後には[[貴族院 (日本)|貴族院]]の伯爵議員に当選して務めている{{sfn|華族大鑑刊行会|1990|p=92}}。彼の代の昭和前期に山田伯爵家の住居は[[東京市]][[麻布区]][[笄町]]にあった{{sfn|華族大鑑刊行会|1990|p=91}}。 これ以降の山田家は男系の血統では会津松平家の分家筋となり、山田家の血統は女系で継いでいる{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。 英夫・梅子夫妻の長男である[[山田顕定|顕定]](明治42年(1909年)3月18日生、昭和59年(1984年)3月25日没)は、[[日本大学]]法学部の教授を務めた{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。その息子に[[山田顕喜|顕喜]](昭和16年(1941年)8月10日生)があり、彼は[[NHK]]に勤務していた。彼の代の平成前期に山田家の住居は[[東京都]][[東村山市]][[富士見町 (東村山市)|富士見町]]にあった{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。さらにその息子に[[山田顕定|顕隆]](昭和51年(1976年)2月8日生)がある{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}。 {{-}} == 系図 == 山田伯爵家所蔵の記録によれば [[天武天皇]]-[[舎人親王]]-[[三原王]]-[[小倉王]]-[[貞代王]]-[[清原有雄|有雄]]-海雄-房則-深養父-春光-元輔-致信-正高-正道-通次-是次-通良-家通-広通-通里-通増-通豊-通秀-通村-通末-方通-方貞-方明-言輔-言直と続き、言直の代の[[天正]]初めの頃に[[毛利氏]]に仕えたという。ただしここまでの系図には照合できる資料がない{{sfn|日本大学|1963|p=14}}。 毛利家の家臣となって以降の系図は毛利家藩譜にも記載されているので明らかである。以下の通りである{{sfn|日本大学|1963|p=15}}。 ; 実線は実子、点線(縦)は養子。系図は『山田顕義伝』{{sfn|日本大学|1963|p=15}}および『[[平成新修旧華族家系大成]] 下巻』{{sfn|霞会館華族家系大成編輯委員会|1996|p=796}}に準拠。 {{familytree/start|style="font-size:100%"}} {{familytree |01||01=[[山田言直|山田與四郎]]}} {{familytree ||!}} {{familytree |01||01=[[山田万蔵|万蔵]]}} {{familytree ||!}} {{familytree |01||01=[[山田彦右衛門尉|彦右衛門尉]]}} {{familytree ||)|-|-|-|.}} {{familytree |border=0|01||02|01={{small|〔'''山田本家'''〕}}|02={{small|〔'''山田分家'''〕}}}} {{familytree |01||02|01=[[山田成直|成直]]|02=[[山田直之|直之]]}} {{familytree ||!||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田直通|直通]]|02=[[山田興之|興之]]}} {{familytree ||!||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田直通|之包]]|02=[[山田興直|興直]]}} {{familytree ||!||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田信政|信政]]|02=[[山田直恒|直恒]]}} {{familytree ||!||||:}} {{familytree |01||02||01=[[山田重之|重之]]|02=[[山田直政 (長州藩士)|直政]]<ref group="†">山田本家の[[山田重之]]次男。山田分家に養子に入るも本家に嗣子がなくなったため本家に戻る</ref>}} {{familytree ||!||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田直政 (長州藩士)|直政]]|02=[[山田恒治|恒治]]}} {{familytree ||!||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田五郎助|五郎助]]|02=[[山田渚|渚]]}} {{familytree ||:||||:}} {{familytree |01||02||01=[[山田與四郎|與四郎]]<ref group="†">山田分家の[[山田恒治]]次男。</ref>|02=[[山田龔之|龔之]]<ref group="†">[[村田光賢]]([[村田清風]]の弟)の三男。</ref>}} {{familytree ||:||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田彦右衛門|彦右衛門]]<ref group="†">山田分家の[[山田恒治]]三男。</ref>|02=[[山田亦介|公章(亦介)]]}} {{familytree ||:||||!}} {{familytree |01||02||01=[[山田七兵衛|七兵衛]]<ref group="†">[[長新兵衛]]次男。</ref>|02=[[山田鶴太郎|鶴太郎]]<ref group="†">父処刑後、一時士籍奪われるも慶応元年(1865年)に再興</ref>}} {{familytree ||:|}} {{familytree |01||01=[[山田吉左衛門|吉左衛門]]<ref group="†">先代とのつながり不明。</ref>}} {{familytree ||:|}} {{familytree |01||01=[[山田顕政|顕政]]<ref group="†">先代とのつながり不明。</ref>}} {{familytree ||:|}} {{familytree |01||01=[[山田顕正|顕正]]<ref group="†">[[山田龔之]]次男。[[山田亦介]]異母弟</ref>}} {{familytree ||)|-|-|-|.}} {{familytree |border=0|01|||!|01={{small|〔'''山田伯爵家'''〕}}}} {{familytree |01||02||01='''[[山田顕義]]'''|02=[[山田繁栄|繁栄]]<ref group="†">[[河上治養]]の養子に入るも後に山田伯爵家に復籍</ref>}} {{familytree ||)|-|-|-|.}} {{familytree ||:||||!}} {{familytree |01||02|01=[[山田久雄|久雄]]<ref group="†">[[山田顕義|顕義]]の弟[[山田繁栄|繁栄]]の子</ref>|02=[[山田梅子|梅子]]}} {{familytree ||:|}} {{familytree |01||01=[[山田繁栄|繁栄]]<ref group="†">[[山田顕義|顕義]]の弟、久雄の父だが、久雄が先だったので相続</ref>}} {{familytree ||:|}} {{familytree |01||01=[[山田英夫 (伯爵)|英夫]]<ref group="†">[[松平容保]]三男。[[山田顕義|顕義]]の三女[[山田梅子|梅子]]と結婚。</ref>}} {{familytree ||)|-|-|-|v|-|-|-|v|-|-|-|.|}} {{familytree |01||02|||03||04|01=[[山田顕定|顕定]]|02=千代子|03=貞夫|04=緑}} {{familytree ||)|-|-|-|.}} {{familytree |01||02||01=[[山田顕喜|顕喜]]|02=南千子}} {{familytree ||)|-|-|-|.}} {{familytree |01||02||01=[[山田顕定|顕隆]]|02=留美子}} {{familytree/end}} ; 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4,825,409
高田利貞
高田 利貞(たかだ としさだ、1890年(明治23年)3月30日 - 1957年(昭和32年)12月25日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1890年(明治23年)に鹿児島県で生まれた。陸軍士官学校第25期卒業。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第1軍高級副官に就任し、日中戦争に出動した。1939年(昭和14年)11月に河南省特務機関長に転じ、情報戦を指揮した。1941年(昭和16年)8月には歩兵第138連隊長(第13軍・第116師団・歩兵第130旅団)に就任し、兵站基地である安慶の守備に任じた。 1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将進級と同時に留守第2師団司令部附となり、4月15日に東京陸軍少年飛行兵学校長に就任した。1944年(昭和19年)7月12日に編制された独立混成第64旅団(第16方面軍・第32軍)の旅団長に7月14日に就任。徳之島に司令部を置き、奄美群島の守備に任じた。沖縄戦では航空基地の整備や防空戦闘などで第6航空軍に協力。第32軍への連絡、補給などの中継などでも貢献した。
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高田 利貞は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
{{基礎情報 軍人 | 氏名 = 高田 利貞 | 各国語表記 = | 生年月日 = [[1890年]][[3月30日]] | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1890|3|30|1957|12|25}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 渾名 = | 生誕地 = {{JPN}} [[鹿児島県]] | 死没地 = | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = [[1913年]] - [[1945年]] | 最終階級 = [[File:帝國陸軍の階級―肩章―少将.svg|35px]] [[少将|陸軍少将]] | 除隊後 = | 墓所 = | 署名 = }} '''高田 利貞'''(たかだ としさだ、[[1890年]]([[明治]]23年)[[3月30日]]{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}} - [[1957年]]([[昭和]]32年)[[12月25日]]{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}})は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 == 経歴 == [[1890年]](明治23年)に[[鹿児島県]]で生まれた{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]第25期卒業{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[1938年]](昭和13年)[[7月15日]]に[[大佐|陸軍歩兵大佐]]進級と同時に[[第1軍 (日本軍)|第1軍]]高級副官に就任し{{sfn|外山|1981|loc=340頁|ref=jinji}}、[[日中戦争]]に出動した{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[1939年]](昭和14年)11月に河南省[[特務機関]]長に転じ{{sfn|外山|1981|loc=340頁|ref=jinji}}、情報戦を指揮した{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[1941年]](昭和16年)8月には[[歩兵第138連隊]]長([[第13軍 (日本軍)|第13軍]]・[[第116師団 (日本軍)|第116師団]]・歩兵第130旅団)に就任し{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}{{sfn|外山|1981|loc=340頁|ref=jinji}}、兵站基地である[[安慶市|安慶]]の守備に任じた{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。 [[1943年]](昭和18年)[[3月1日]]に陸軍少将進級と同時に[[留守第2師団]]司令部附となり{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}{{sfn|外山|1981|loc=340頁|ref=jinji}}、[[4月15日]]に[[東京陸軍航空学校|東京陸軍少年飛行兵学校]]長に就任した{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[1944年]](昭和19年)[[7月12日]]に編制された独立混成第64旅団([[第16方面軍 (日本軍)|第16方面軍]]・[[第32軍 (日本軍)|第32軍]]){{sfn|藤井|2020|loc=184頁|ref=heidan}}の旅団長に[[7月14日]]に就任{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[徳之島]]に司令部を置き{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}、[[奄美群島]]の守備に任じた{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。[[沖縄戦]]では航空基地の整備や防空戦闘などで[[第6航空軍 (日本軍)|第6航空軍]]に協力{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。第32軍への連絡、補給などの中継などでも貢献した{{sfn|福川|2001|loc=421頁|ref=shokan}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} ==参考文献== * {{Citation|和書|author = 福川秀樹 編著|authorlink = | translator = | title = 日本陸軍将官辞典| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 2001| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829502738| ncid = |ref = shokan}} * {{Citation|和書|author = 外山操 編|authorlink = | translator = | title = 陸海軍将官人事総覧 陸軍篇| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 1981| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829500026| ncid = |ref = jinji}} * {{Citation|和書|author = 藤井非三四 著|authorlink = | translator = | title = 知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史| publisher = 国書刊行会| series = | volume = | edition = | date = 2020| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4336065977| ncid = |ref = heidan}} {{DEFAULTSORT:たかた としさた}} [[Category:大日本帝国陸軍少将]] [[Category:陸軍士官学校 (日本)出身の人物]] [[Category:日中戦争の人物]] [[Category:太平洋戦争の人物]] [[Category:鹿児島県出身の人物]] [[Category:1890年生]] [[Category:1957年没]]
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4,825,411
姫塚古墳 (飯田市)
姫塚古墳(ひめづかこふん)は、長野県飯田市松尾上溝(まつおあげみぞ)にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち松尾単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 長野県南部、天竜川支流の松川南岸の舌状段丘北端部(標高422メートル)に築造された古墳である。現在までに宅地・田地利用によって墳丘裾部は削平されているほか、墳丘上には祠が祀られる。これまでに石室実測調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。 墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。墳丘外表からは須恵器片が出土している。また墳丘周囲には幅7.5メートルの周溝(盾形か)が巡らされる。石室全長4.2メートル以上を測る小型の石室であるが、石室内面には赤色顔料の塗布が顕著に認められる。石室内の副葬品は詳らかでないが、江戸時代に前方部から七鈴鏡が出土したという。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半(または6世紀初頭)頃と推定される。 古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 墳丘の規模は次の通り。 埋葬施設としては後円部において片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り。 石室の石材は川原石。石室内面には赤色顔料の塗布が認められる。現在は羨道上部に祠参道の石橋が架けられ、羨道開口部周辺は後世に改変されている。 (記事執筆に使用していない関連文献)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "姫塚古墳(ひめづかこふん)は、長野県飯田市松尾上溝(まつおあげみぞ)にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち松尾単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "長野県南部、天竜川支流の松川南岸の舌状段丘北端部(標高422メートル)に築造された古墳である。現在までに宅地・田地利用によって墳丘裾部は削平されているほか、墳丘上には祠が祀られる。これまでに石室実測調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。墳丘外表からは須恵器片が出土している。また墳丘周囲には幅7.5メートルの周溝(盾形か)が巡らされる。石室全長4.2メートル以上を測る小型の石室であるが、石室内面には赤色顔料の塗布が顕著に認められる。石室内の副葬品は詳らかでないが、江戸時代に前方部から七鈴鏡が出土したという。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半(または6世紀初頭)頃と推定される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "墳丘の規模は次の通り。", "title": "墳丘" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "埋葬施設としては後円部において片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り。", "title": "埋葬施設" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "石室の石材は川原石。石室内面には赤色顔料の塗布が認められる。現在は羨道上部に祠参道の石橋が架けられ、羨道開口部周辺は後世に改変されている。", "title": "埋葬施設" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "(記事執筆に使用していない関連文献)", "title": "関連文献" } ]
姫塚古墳(ひめづかこふん)は、長野県飯田市松尾上溝(まつおあげみぞ)にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち松尾単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。
{{日本の古墳 |名称 = 姫塚古墳 |画像 = [[File:Himezuka Kofun (Iida), funkyu.jpg|280px]]<br/>後円部墳丘 |別名 = |所属 = [[飯田古墳群]](松尾単位群)<br/>上溝古墳群 |所在地 = [[長野県]][[飯田市]]松尾上溝3366-1ほか |緯度度 = 35|緯度分 = 30|緯度秒 = 11.80 |経度度 = 137|経度分 = 50|経度秒 = 48.18 |ISO = JP-20 |形状 = [[前方後円墳]] |規模 = 墳丘長40m(推定復元50m以上)<br/>高さ5.4m(後円部) |埋葬施設 = 片袖式[[横穴式石室]] |出土品 = 七鈴鏡・[[須恵器]] |陪塚 = |築造時期 = [[6世紀]]前半 |被葬者 = |陵墓 = |史跡 = 国の[[史跡]]「飯田古墳群」に包含 |有形文化財 = |特記事項 = |地図 = Japan Nagano |アイコン = 前方後円墳-南西 |ラベル = 姫塚古墳 |ラベル位置 = top }} '''姫塚古墳'''(ひめづかこふん)は、[[長野県]][[飯田市]]松尾上溝(まつおあげみぞ)にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。[[飯田古墳群]](うち松尾単位群)を構成する古墳の1つ。国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 == 概要 == 長野県南部、[[天竜川]]支流の[[松川 (飯田市)|松川]]南岸の舌状段丘北端部(標高422メートル)に築造された古墳である。現在までに宅地・田地利用によって墳丘裾部は削平されているほか、墳丘上には祠が祀られる。これまでに石室実測調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。 墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。埋葬施設は片袖式の[[横穴式石室]]で、南方向に開口する。墳丘外表からは[[須恵器]]片が出土している{{Sfn|飯田古墳群 範囲確認調査報告書|2023}}。また墳丘周囲には幅7.5メートルの周溝(盾形か)が巡らされる{{Sfn|飯田古墳群 範囲確認調査報告書|2023}}。石室全長4.2メートル以上を測る小型の石室であるが、石室内面には赤色顔料の塗布が顕著に認められる。石室内の副葬品は詳らかでないが、[[江戸時代]]に前方部から七鈴鏡が出土したという。築造時期は[[古墳時代]]後期の[[6世紀]]前半<ref name="飯田市"/>(または6世紀初頭{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}})頃と推定される。 古墳域は[[2016年]]([[平成]]28年)に国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 === 来歴 === * [[享保]]年間([[1716年|1716]]-[[1736年]])以前、前方部から七鈴鏡の出土(現在は個人蔵)<ref name="飯田市">[https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/himeduka.html 姫塚古墳](飯田市ホームページ)。</ref>。 * [[1983年|1983]]・[[1984年]]([[昭和]]58・59年)、石室実測調査([[白石太一郎]]ら、[[1988年]]に報告)。 * [[2016年]]([[平成]]28年)10月3日、国の[[史跡]]に指定(史跡「飯田古墳群」のうち)。 * [[2019年|2019]]-[[2020年]]度([[令和]]元-2年度)、範囲確認調査(飯田市教育委員会、[[2023年]]に報告){{Sfn|飯田古墳群 範囲確認調査報告書|2023}}。 == 墳丘 == 墳丘の規模は次の通り{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * 墳丘長:40メートル(推定復元50メートル以上{{Sfn|飯田古墳群 範囲確認調査報告書|2023}}) * 後円部 ** 直径:23.6メートル ** 高さ:5.4メートル * 前方部 ** 幅:23.6メートル ** 高さ:5.2メートル <gallery> Himezuka Kofun (Iida), funcho.jpg|後円部墳頂の祠 </gallery> == 埋葬施設 == [[File:Himezuka Kofun (Iida), 3D-P.jpg|thumb|300px|right|{{center|石室パース図}}]] [[File:Himezuka Kofun (Iida), 3D-N.jpg|thumb|250px|right|{{center|石室展開図}}]] 埋葬施設としては後円部において片袖式[[横穴式石室]]が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * 石室全長:4.2メートル以上 * 玄室:長さ2.9メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル * 羨道:長さ1.3メートル以上、幅1.1メートル、高さ1.2メートル 石室の石材は川原石。石室内面には赤色顔料の塗布が認められる。現在は羨道上部に祠参道の石橋が架けられ、羨道開口部周辺は後世に改変されている。 <gallery> Himezuka Kofun (Iida), 3D-B.jpg|石室俯瞰図 Himezuka Kofun (Iida), genshitsu-1.jpg|玄室(奥壁方向) Himezuka Kofun (Iida), genshitsu-2.jpg|玄室(開口部方向) Himezuka Kofun (Iida), entrance.jpg|開口部 </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == {{small|(記事執筆に使用した文献)}} * 史跡説明板(飯田市教育委員会、2017年設置) * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2007|chapter=姫塚古墳|url=http://sitereports.nabunken.go.jp/9271 |title=飯田における古墳の出現と展開 -資料編-|publisher=飯田市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。 * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2023|chapter=姫塚古墳の調査|url=|title=飯田古墳群 範囲確認調査報告書 -令和元~3年度-|publisher=飯田市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|飯田古墳群 範囲確認調査報告書|2023}}}} == 関連文献 == {{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}} * {{Cite journal|和書|author=[[白石太一郎]]|title=伊那谷の横穴式石室(一)|date=1988-7|journal=信濃|publisher=信濃史学会|volume=40|number=7|pages=669-687|url=|naid=|doi=|ref=}} == 外部リンク == {{Commonscat|Himezuka Kofun (Iida)}} * [https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/himeduka.html 姫塚古墳] - 飯田市ホームページ {{デフォルトソート:ひめつかこふん いいたし}} [[Category:飯田古墳群]] [[Category:長野県の古墳]] [[Category:飯田市の歴史]] [[Category:前方後円墳]] [[Category:長野県にある国指定の史跡]]
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原村 (広島県安佐郡)
原村(はらむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐南区の一部にあたる。 古川の流域に位置していた。
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原村(はらむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐南区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1943年11月3日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 祇園町、[[長束村]]、[[山本村 (広島県)|山本村]]、'''原村''' → [[祇園町]] | 現在の自治体 = [[広島市]] | よみがな = はらむら | 自治体名 = 原村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 広島県 | 郡 = [[安佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 2440 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1940年 | 隣接自治体 = 長束村、祇園町、[[古市町 (広島県)|三川村]]、[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[戸坂村]] | 所在地 = 安佐郡原村 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''原村'''(はらむら)は、[[広島県]][[安佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[広島市]][[安佐南区]]の一部にあたる。 == 地理 == 古川の流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、[[沼田郡]][[西原村 (広島県)|西原村]]、[[東原村]]が発足<ref>『市町村名変遷辞典』598、654頁。</ref>。 *[[1898年]](明治31年)10月1日、郡の統合により上記2村は[[安佐郡]]に所属{{R|角川}}{{R|変遷}}。 *[[1920年]](大正9年)4月1日、上記2村が合併して'''原村'''が発足<ref name=角川>『角川日本地名大辞典 34 広島県』655頁。</ref><ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』636-637頁。</ref>。旧村名を継承した西原、東原の2大字を編成{{R|角川}}。 *[[1943年]](昭和18年)11月3日、安佐郡祇園町、長束村、山本村と合併し、'''[[祇園町]]'''が継続して廃止された{{R|角川}}{{R|変遷}}。 == 産業 == *農業、養蚕{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[広島県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:はらむら}} [[Category:安佐郡]] [[Category:広島市域の廃止市町村]] [[Category:安佐南区の歴史]] [[Category:1920年設置の日本の市町村]] [[Category:1943年廃止の日本の市町村]]
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嶋中行雄
嶋中 行雄(しまなか ゆきお)は、日本の実業家。東京都出身。株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)元代表取締役社長。 東京都出身。上智大学外国語学部卒業。1976年、株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)に入社。その後、同社において海外室室長、取締役、副社長を歴任。1985年、嶋中書店創業。1994年、45年間に渡り社長を務めた父親の嶋中鵬二の後任として、代表取締役社長に就任。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "嶋中 行雄(しまなか ゆきお)は、日本の実業家。東京都出身。株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)元代表取締役社長。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東京都出身。上智大学外国語学部卒業。1976年、株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)に入社。その後、同社において海外室室長、取締役、副社長を歴任。1985年、嶋中書店創業。1994年、45年間に渡り社長を務めた父親の嶋中鵬二の後任として、代表取締役社長に就任。", "title": "人物・経歴" } ]
嶋中 行雄は、日本の実業家。東京都出身。株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)元代表取締役社長。
'''嶋中 行雄'''(しまなか ゆきお)は、[[日本]]の[[実業家]]。[[東京都]]出身。[[株式会社]][[中央公論社]](現・株式会社[[中央公論新社]])元[[代表取締役]][[社長]]。 == 人物・経歴 == [[東京都]]出身<ref name="example">[https://www.nikkei.com/compass/content/NIRKDB19940207NSS0212/article 中央公論社、社長に嶋中行雄氏] 日経産業新聞 2023年9月8日閲覧</ref>。[[上智大学外国語学部]]卒業<ref name="example"></ref>。[[1976年]]、[[株式会社]][[中央公論社]](現・株式会社[[中央公論新社]])に入社<ref name="example"></ref>。その後、同社において海外室室長、[[取締役]]、[[副社長]]を歴任<ref name="example"></ref>。[[1985年]]、[[嶋中書店]]創業。[[1994年]]、45年間に渡り社長を務めた父親の[[嶋中鵬二]]の後任として、[[代表取締役]][[社長]]に就任<ref name="example"></ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:しまなか ゆきお}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:中央公論新社の人物]] [[Category:上智大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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一宮市尾西市民会館
一宮市尾西市民会館(いちのみやしびさいしみんかいかん)は、愛知県一宮市にある文化施設。 尾西市の施設として、1970年(昭和45年)12月、尾西市民会館として開館。2005年(平成17年)4月1日に一宮市が尾西市を編入することに伴い一宮市尾西市民会館に改称する。 建物はRC構造3階建。延床面積は3,869.87m ロビー兼用。広さは714m。
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一宮市尾西市民会館(いちのみやしびさいしみんかいかん)は、愛知県一宮市にある文化施設。
{{ホール概要 |名称= 一宮市尾西市民会館 |画像= [[File:Ichinomiya City Bisai Shimin Kaikan ac.jpg|250px]] |通称= |正式名称= |旧名称= 尾西市民会館 |完成年= |完成月= |完成日= |開館年=1970 |開館月= |開館日= |開館公演= |収容人数= |客席= 823席 |延床面積= 3869.87 |設備= 大ホール、展示場 |用途= 音楽コンサート、演劇、展示 |旧用途= |運営= |所在地= [[愛知県]][[一宮市]]東五城字大平裏43-1 | 緯度度 = | 経度度 = | 郵便番号= 498-0008 |アクセス= |HP=[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/ 一宮市尾西市民会館] }} '''一宮市尾西市民会館'''(いちのみやしびさいしみんかいかん)は、[[愛知県]][[一宮市]]にある文化施設。 == 概要 == [[尾西市]]の施設として、[[1970年]](昭和45年)12月、'''尾西市民会館'''として開館<ref name="できごと">{{Cite web|和書|url=https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/sougouseisaku/koho/1044318/1044319/1000223/1002735.html |title= 一宮市の主なできごと 旧・尾西市(昭和30年~) |publisher= 一宮市 |accessdate=2023-09-08}}</ref><ref name="条例">{{Cite web|和書|url=https://www2.city.ichinomiya.aichi.jp/reiki/reiki_honbun/p900RG00000323.html?id=j1 |title= 一宮市市民会館条例 |publisher= 一宮市 |accessdate=2023-09-08}}</ref>。[[2005年]](平成17年)4月1日に一宮市が尾西市を編入することに伴い'''一宮市尾西市民会館'''に改称する。 建物は[[鉄筋コンクリート構造|RC構造]]3階建。延床面積は3,869.87m<sup>2</sup><ref name="syoukougyou29">{{Cite web|和書|url=https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/579/howthefacilityshuldbe2.pdf |title= 一宮市公共施設 個別施設計画(施設のあり方計画) |format=PDF |publisher=一宮市 |accessdate=2023-09-08}}</ref> == 施設概要 == ; 大ホール * 客席:固定席823席、車いす席4席<ref name="ホール">[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/facility/hall/index.html 施設案内ホール]</ref> * 舞台(間口17.0m、奥行12.0m、高さ7.0m)<ref name="ホール" /> * 楽屋4室<ref name="フロアーマップ" >[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/facility/floormap/index.html フロアーマップ]</ref> * 浴室1室<ref name="フロアーマップ" /> * 控室<ref name="フロアーマップ" /> ; 展示場 ロビー兼用。広さは714m<sup>2</sup><ref name="展示場">[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/facility/exhibition/index.html 施設案内展示場]</ref>。 == 利用案内 == * 使用時間: ** 8:30 - 21:30(大ホール)<ref name="利用">[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/service/index.html 利用案内]</ref><ref name="条例"/> ** 9:00 - 19:00(展示場)<ref name="利用"/><ref name="条例"/> * 休館日:毎月第1・第3火曜日、年末年始(12月29日 - 1月3日)<ref name="利用"/><ref name="条例"/> == 交通アクセス == === 公共交通機関 === * [[名鉄バス]]「尾西庁舎」バス停下車、徒歩約1分 ** [[名古屋鉄道]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]・[[名鉄尾西線|尾西線]][[名鉄一宮駅]]、[[東海旅客鉄道|JR東海]][[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]][[尾張一宮駅]]([[一宮駅バスターミナル]])より【20】尾張中島、【21】起、【26】蓮池、【27】西中島行き。 * [[i-バス]]【150】尾西北コース、【160】尾西南コース「尾西庁舎」バス停下車、徒歩約1分 === 自動車 === * [[岐阜県道・愛知県道18号大垣一宮線|県道18号大垣一宮線]]「尾西庁舎北」交差点を南下、約100m。 * 駐車場 406台<ref>[https://ichinomiya-hall.jp/bisai/access/index.html#nav_parkingMap 駐車場案内図]</ref> == 周辺施設 == * 一宮市役所尾西庁舎 * [[一宮市立尾西図書館]] * [[尾西郵便局]] * [[いちい信用金庫]]尾西支店 * 泰玄会病院 == 脚注 == {{Reflist}} {{脚注ヘルプ}} == 関連項目 == * [[日本のコンサートホールの一覧]] == 外部リンク == * [https://ichinomiya-hall.jp/bisai/ 一宮市尾西市民会館] {{architecture-stub}} {{DEFAULTSORT:いちのみやしひさいしみんかいかん}} [[Category:1970年開業の施設]] [[Category:一宮市の文化]] [[Category:一宮市の建築物]] [[Category:愛知県のホール]] [[Category:愛知県のコンサートホール]]
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山口眞季
山口 眞季(やまぐち まき、1997年10月15日 - )は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリス所属。 2020年、日本ハンドボールリーグのソニーセミコンダクタマニュファクチャリングへ加入。 2023年6月、三重バイオレットアイリスに移籍。
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山口 眞季は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリス所属。
{{別人|山口真季}} {{ハンドボール選手 | 名前 = 山口 眞季 | 本名 = | アルファベット表記 = Maki YAMAGUCHI | 画像 = | 画像サイズ = <!-- デフォルトは200px --> | 画像の説明 = | 所属チーム名 = 三重バイオレットアイリス | 所属リーグ = {{Flagicon|JPN}} [[日本ハンドボールリーグ]] | Pictogram = white | 役職 = | 背番号 = 28 | 愛称 = | 国 = {{JPN}} | 出身地 = [[大阪府]] | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1997|10|15}} | 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|||}}テンプレートを使用 --> | 身長 = 173 | 体重 = 70 | 出身 = [[大阪市立市岡東中学校]]<br />[[四天王寺中学校・高等学校|四天王寺高等学校]]<br />[[東京女子体育大学ハンドボール部|東京女子体育大学]] | ポジション = LB | 利き腕 = 右 | ユース年 = | ユース = | 年1 = 2019-2023 | クラブ1 = {{Flagicon|JPN}} [[ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング BLUE SAKUYA|ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング]] | 監督年1 = | 監督チーム1 = |年2=2023-|クラブ2={{Flagicon|JPN}} [[三重バイオレットアイリス]]}} '''山口 眞季'''(やまぐち まき、[[1997年]][[10月15日]] - )は、[[大阪府]]出身の[[ハンドボール]]選手。[[日本ハンドボールリーグ]]の[[三重バイオレットアイリス]]所属<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=山口眞季選手 移籍新加入のお知らせ |url=http://www.mie-visc.jp/news/20230612 |website=三重バイオレットアイリス |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref>。 == 経歴 == [[2020年]]、[[日本ハンドボールリーグ]]の[[ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング BLUE SAKUYA|ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング]]へ加入<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング - チーム情報詳細 {{!}} 第45回日本ハンドボールリーグ |url=https://www.jhl.handball.jp/jhl45/teams/women/sony.html |website=www.jhl.handball.jp |access-date=2023-09-08}}</ref>。 [[2023年]]6月、[[三重バイオレットアイリス]]に移籍。 == 詳細情報 == === 年度別成績 === {| class="wikitable" style="text-align:center;" ! 年 ! チーム ! 試合 ! style="font-size:smaller"|フィールド<br />得点 ! 率 ! 7m ! 合計 ! 警告 ! 退場 ! 失格 |- |2020-21 | rowspan="3" |[[ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング BLUE SAKUYA|ソニー]] |14 |2/3 | .667 |0/0 |2/3 |0 |2 |0 |- |2021-22 |2 |2/4 |.500 |0/0 |2/4 |0 |0 |0 |- |2022-23 |9 |2/4 |.500 |0/0 |2/4 |0 |3 |0 |- ! colspan="2" | [[日本ハンドボールリーグ|JHL]]:4年 | 25 || 6/11 || .545 || 0/0 || 6/11 || 0 || 5 ||0 |} === 記録 === * フィールドゴール初得点:2021年2月7日、対[[飛騨高山ブラックブルズ岐阜|飛騨高山ブラックブルズ]]戦([[岐阜アリーナ|OKBぎふ清流アリーナ]])<ref>{{Cite web|和書|title=試合結果 {{!}} 日本ハンドボールリーグ |url=https://www.jhl.handball.jp/jhl45/results/sokuho18.html?3 |website=www.jhl.handball.jp |access-date=2023-09-08}}</ref> === 背番号 === * 8 (2019年 - 2023年)<ref name=":1" /> * 28(2023年 - )<ref name=":0" /> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://sony-bluesakuya.blog.ss-blog.jp/ MVI Handball 三重バイオレットアイリス] (mie-visc.jp) * [https://japanhandballleague.jp/ JHL:日本ハンドボールリーグ] (japanhandballleague.jp) {{Handball-stub}} {{DEFAULTSORT:やまくち まき}} [[Category:日本の女子ハンドボール選手]] [[Category:存命人物]] [[Category:1997年生]] [[Category:三重バイオレットアイリスの選手]] [[Category:東京女子体育大学出身の人物]] [[Category:神奈川県出身のスポーツ選手]]
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シルビア・ヌワカロール
シルビア・チネロ・ヌワカロール(Sylvia Chinelo Nwakalor、1999年8月12日 - )はイタリアの女子バレーボール選手。ポジションはオポジット。イタリア代表。V.LEAGUE DIVISION1の東レアローズに所属している。 レッコ出身。2014年、イタリアセリエB1のVolleyrò Casal de Pazziに入団し3年間プレーした。2017年、Club Italiaへ加入し、2018/19シーズンはセリエA1でリーグを戦った。2019/20シーズンからはイル・ビゾンテ・フィレンツェと契約し、4年間在籍。2020/21シーズンはセリエA1リーグ7位、イタリアカップ5位の成績となった。2021/22シーズンのリーグは8位だった。2023/24シーズンは日本のV.League Division1の東レアローズへの入団が発表された。 アンダーカテゴリーの代表として2015年のU-18欧州選手権で銀メダルを獲得した。2018年、シニアのイタリア代表に初選出され同年の世界選手権に出場した。このときはセカンドリベロでの登録だった。2019年、欧州選手権では銅メダルを獲得した。2021年、地元開催されたネーションズリーグではチームトップの173得点をあげる活躍をみせた。同年9月の2021年バレーボール女子欧州選手権では金メダルを獲得した。2022年、ネーションズリーグで金メダルを獲得した。同年10月の世界選手権では銅メダルを獲得した。2023年、ネーションズリーグではレギュラーとして活躍し6位となった。
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シルビア・チネロ・ヌワカロールはイタリアの女子バレーボール選手。ポジションはオポジット。イタリア代表。V.LEAGUE DIVISION1の東レアローズに所属している。
{{バレーボール選手 |本名=シルビア・チネロ・ヌワカロール |ラテン文字=Sylvia Chinelo Nwakalor |画像= |国籍={{ITA}} |生年月日={{生年月日と年齢|1999|08|12}} |出身地={{Flagicon|ITA}} [[レッコ (レッコ県)|レッコ]] |ポジション=[[オポジット|OP]] |所属={{Flagicon|JPN}} [[東レアローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]] |背番号=15 |身長=179cm |体重=75kg |利き手=右 |スパイク=330cm |ブロック=312cm |獲得メダル= {{MedalCountry|{{ITAwv}}}} {{MedalCompetition|[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]}} {{MedalSilver|[[2018年バレーボール女子世界選手権|2018]]|横浜}} {{MedalBronze|[[2022年バレーボール女子世界選手権|2022]]|アペルドールン}} {{MedalCompetition|[[バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]}} {{MedalGold|[[2022年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|2022]]|アンカラ}} {{MedalCompetition|[[バレーボール欧州選手権|欧州選手権]]}} {{MedalBronze|[[2019年バレーボール女子欧州選手権|2019]]|アンカラ}} {{MedalGold|[[2021年バレーボール女子欧州選手権|2021]]|ベオグラード}} }} '''シルビア・チネロ・ヌワカロール'''(Sylvia Chinelo Nwakalor、[[1999年]][[8月12日]] - )は[[イタリア]]の女子[[バレーボール]]選手。ポジションは[[オポジット]]。[[バレーボールイタリア女子代表|イタリア代表]]。[[V.LEAGUE]] DIVISION1の[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]]に所属している。 ==来歴== * クラブチーム [[レッコ (レッコ県)|レッコ]]出身。2014年、イタリアセリエB1のVolleyrò Casal de Pazziに入団し3年間プレーした。2017年、Club Italiaへ加入し、2018/19シーズンはセリエA1でリーグを戦った。2019/20シーズンからは[[イル・ビゾンテ・フィレンツェ]]と契約し、4年間在籍。2020/21シーズンはセリエA1リーグ7位、イタリアカップ5位の成績となった。2021/22シーズンのリーグは8位だった。2023/24シーズンは日本のV.League Division1の[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]]への入団が発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toray-arrows.jp/women/schedule/topics/detail.html?key=73CD333D06E138CE49258A230028A7E6 |title=新外国人選手の加入について(ご報告) |accessdate=2023-09-08 |date=2023-09-08}}</ref>。 * 代表チーム アンダーカテゴリーの代表として2015年のU-18欧州選手権で銀メダルを獲得した。2018年、シニアの[[バレーボールイタリア女子代表|イタリア代表]]に初選出され同年の[[2018年バレーボール女子世界選手権|世界選手権]]に出場した。このときはセカンドリベロでの登録だった。2019年、[[2019年バレーボール女子欧州選手権|欧州選手権]]では銅メダルを獲得した。2021年、地元開催された[[2021年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]ではチームトップの173得点をあげる活躍をみせた<ref>{{Cite web |url=https://en.volleyballworld.com/volleyball/competitions/vnl-2021/statistics/women/best-scorers/ |title=BEST SCORERS |accessdate=2023-09-08 |date=2021-06-25}}</ref>。同年9月の[[2021年バレーボール女子欧州選手権]]では金メダルを獲得した<ref>{{Cite web |url=https://eurovolley.cev.eu/en/articles/2021-women/italy-triumph-as-the-new-european-champions/ |title=Italy triumph as the new European champions! |accessdate=2023-09-08 |date=2021-09-04}}</ref>。2022年、[[2022年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]で金メダルを獲得した。同年10月の[[2022年バレーボール女子世界選手権|世界選手権]]では銅メダルを獲得した<ref>{{Cite web |url=https://en.volleyballworld.com/volleyball/competitions/women-worldchampionship-2022/news/italy-shut-out-usa-for-bronze |title=Italy shut out USA for bronze |accessdate=2023-09-08 |date=2022-10-15}}</ref>。2023年、[[2023年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]ではレギュラーとして活躍し6位となった。 ==球歴== * [[バレーボール世界選手権|世界選手権]] - 2018年、2022年 * [[バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]] - 2019年、2021年、2022年、2023年 * オリンピック予選 - 2019年、2023年 * [[バレーボール欧州選手権|欧州選手権]] - 2019年、2021年、2023年 ==所属クラブ== * {{Flagicon|ITA}} Volleyrò Casal de Pazzi(2014-2017年) * {{Flagicon|ITA}} Club Italia(2017-2019年) * {{Flagicon|ITA}} [[イル・ビゾンテ・フィレンツェ]](2019-2023年) * {{Flagicon|JPN}} [[東レアローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]](2023-) ==脚注== {{Reflist}} ==外部リンク== * [http://japan2018.fivb.com/en/competition/teams/ita-italy/players/sylvia-chinelo-nwakalor?id=68932 FIVB公式プロフィール] * [https://www-old.cev.eu/PlayerDetail.aspx?PlayerID=60183 CEVプロフィール] * [https://www.vleague.jp/women/player_detail/4900 ヌワカロール シルビアチネロ|Vリーグ オフィシャルサイト] {{2018年バレーボール世界選手権イタリア女子代表}} {{2022年バレーボール世界選手権イタリア女子代表}} {{東レアローズ (女子バレーボール)}} {{Volleybio-stub}} {{DEFAULTSORT:ぬわかろおる しるひあ}} [[Category:イタリアの女子バレーボール選手]] [[Category:バレーボールイタリア女子代表選手]] [[Category:東レアローズ (女子)の選手]] [[Category:ロンバルディア州出身の人物]] [[Category:1999年生]] [[Category:存命人物]]
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佐原 (横須賀市)
佐原(さはら)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は佐原一丁目から佐原五丁目。住居表示実施済区域。 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、北東に池田町、東に内川、南東に久村、南西に岩戸、西に大矢部、北西に森崎と接している。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、佐原5-5-15の地点で12万3000円/mとなっている。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。なお、二丁目は秘匿の為、一丁目と合算されている。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
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佐原(さはら)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は佐原一丁目から佐原五丁目。住居表示実施済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 佐原 |種類 = [[町丁]] |画像 = Image.shounangakuin.jpg |画像サイズ = 260px |画像説明 = 湘南学院高等学校 <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 14 | 緯度秒 = 7.23 | 経度度 = 139 | 経度分 = 41 | 経度秒 = 3.43 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[久里浜|久里浜地区]] |人口 = 5754 |世帯数 = 2869 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 1.816 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0835<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390835|title=佐原の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''佐原'''(さはら)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。現行行政地名は佐原一丁目から佐原五丁目。[[住居表示]]実施済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、北東に[[池田町 (横須賀市)|池田町]]、東に[[内川 (横須賀市)|内川]]、南東に[[久村 (横須賀市)|久村]]、南西に[[岩戸 (横須賀市)|岩戸]]、西に[[大矢部]]、北西に[[森崎 (横須賀市)|森崎]]と接している。 === 河川 === *[[平作川]] === 地価 === 住宅地の地価は、[[2023年]]([[令和]]5年)[[1月1日]]の[[公示地価]]によれば、佐原5-5-15の地点で12万3000円/m{{sup|2}}となっている<ref name="chika">{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0|title=国土交通省地価公示・都道府県地価調査|publisher=国土交通省|language=日本語|accessdate=2023-08-09}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。なお、二丁目は秘匿の為、一丁目と合算されている{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |佐原一丁目・二丁目 |style="text-align:right"|478世帯 |style="text-align:right"|978人 |- |佐原三丁目 |style="text-align:right"|621世帯 |style="text-align:right"|1,166人 |- |佐原四丁目 |style="text-align:right"|867世帯 |style="text-align:right"|1,705人 |- |佐原五丁目 |style="text-align:right"|903世帯 |style="text-align:right"|1,905人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|2,869世帯 |style="text-align:right"|5,754人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=8000 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[1995年]](平成7年)<ref name="jinko1995">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000023630093|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=6,386 |label2=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=6,271 |label3=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=6,189 |label4=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=6,193 |label5=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data5=5,983 |label6=[[2020年]](令和2年)<ref name="jinko2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032163289|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2022-02-20|language=ja}}</ref> |data6=5,742 }} === 世帯数の変遷 === [[国勢調査]]による世帯数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=世帯数推移 |data_max=3000 |label_type=年 |data_type=世帯数 |label1=[[1995年]](平成7年){{r|jinko1995}} |data1=2,186 |label2=[[2000年]](平成12年){{r|jinko2000}} |data2=2,254 |label3=[[2005年]](平成17年){{r|jinko2005}} |data3=2,294 |label4=[[2010年]](平成22年){{r|jinko2010}} |data4=2,393 |label5=[[2015年]](平成27年){{r|jinko2015}} |data5=2,450 |label6=[[2020年]](令和2年){{r|jinko2020}} |data6=2,486 }} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8115/tugakukuikiitiranhyou.html|title=通学区域一覧表|publisher=横須賀市|date=2022-03-07|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 {| class="wikitable" !丁目!!番・番地等!!小学校!!中学校 |- ||佐原一丁目||全域||rowspan=3|[[横須賀市立大矢部小学校]]||rowspan=5|[[横須賀市立久里浜中学校]] |- ||佐原二丁目||全域 |- ||佐原三丁目||全域 |- ||佐原四丁目||全域||rowspan=2|[[横須賀市立明浜小学校]] |- ||佐原五丁目||全域 |} == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!!事業所数!!従業員数 |- |佐原一丁目 |style="text-align:right"|64事業所 |style="text-align:right"|975人 |- |佐原二丁目 |style="text-align:right"|20事業所 |style="text-align:right"|694人 |- |佐原三丁目 |style="text-align:right"|68事業所 |style="text-align:right"|706人 |- |佐原四丁目 |style="text-align:right"|53事業所 |style="text-align:right"|405人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|205事業所 |style="text-align:right"|2,780人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=1000 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727451|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=193 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068160|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=205 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=4000 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=2,732 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=2,780 }} == 交通 == *[[神奈川県道27号横須賀葉山線]] == 施設 == *[[湘南学院高等学校]] *[[神奈川県立横須賀南高等学校]] *[[横須賀南警察署]] 佐原交番 *[[常勝寺 (横須賀市)|常勝寺]] *[[正覚寺 (横須賀市)|正覚寺]] == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 239-0835{{r|postal}}(集配局 : [[久里浜郵便局]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-07-17}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 関連項目 == *[[佐原]](曖昧さ回避) {{横須賀市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=神奈川県}} {{DEFAULTSORT:さはら}} [[Category:横須賀市の町・字]] [[Category:久里浜]]
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2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数一覧
2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数一覧は、韓国の平昌郡で開催された2018年平昌パラリンピックにおけるメダル受賞数の一覧である。 クロスカントリースキー競技の男子1.5kmスプリントクラシカル立位で、同記録により銅メダルが2人に授与された。 開催国の韓国、クロアチア、カザフスタン、中国は冬季パラリンピックで初めての金メダルを獲得した。 * 開催国/地域 (韓国)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数一覧は、韓国の平昌郡で開催された2018年平昌パラリンピックにおけるメダル受賞数の一覧である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "クロスカントリースキー競技の男子1.5kmスプリントクラシカル立位で、同記録により銅メダルが2人に授与された。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "開催国の韓国、クロアチア、カザフスタン、中国は冬季パラリンピックで初めての金メダルを獲得した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "* 開催国/地域 (韓国)", "title": "一覧表" } ]
2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数一覧は、韓国の平昌郡で開催された2018年平昌パラリンピックにおけるメダル受賞数の一覧である。 クロスカントリースキー競技の男子1.5kmスプリントクラシカル立位で、同記録により銅メダルが2人に授与された。 開催国の韓国、クロアチア、カザフスタン、中国は冬季パラリンピックで初めての金メダルを獲得した。
{{Infobox award |name = 2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数 |location = {{flagIOC|KOR}}・[[平昌郡]] |award2_type = 最多メダル受賞数| |award2_winner = {{flagIOC|USA|2018 Winter|36}} |award1_type = 最多金メダル受賞数 |award1_winner = {{flagIOC|USA|2018 Winter|13}} |previous = [[2014年ソチパラリンピックのメダル受賞数一覧|2014]] |main = パラリンピックのメダル受賞数一覧 |next = [[2022年北京パラリンピックのメダル受賞数一覧|2022]] }} '''2018年平昌パラリンピックのメダル受賞数一覧'''は、韓国の平昌郡で開催された2018年平昌パラリンピックにおけるメダル受賞数の一覧である。 クロスカントリースキー競技の男子1.5kmスプリントクラシカル立位で、同記録により銅メダルが2人に授与された<ref>{{cite web |url=https://www.pyeongchang2018.com/en/game-time/results/PWG2018/resPWG2018/pdf/PWG2018/CCS/PWG2018_CCS_C92A_CCSMSPRINT--12050-----------------.pdf |title=Cross-Country Skiing - Men's 1.5km Sprint Classic, Standing |publisher=Atos |format=PDF |access-date=18 March 2018 |archive-date=19 March 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180319034802/https://www.pyeongchang2018.com/en/game-time/results/PWG2018/resPWG2018/pdf/PWG2018/CCS/PWG2018_CCS_C92A_CCSMSPRINT--12050-----------------.pdf |url-status=dead }}</ref>。 開催国の韓国、クロアチア、カザフスタン、中国は冬季パラリンピックで初めての金メダルを獲得した<ref>{{cite web|url=https://www.paralympic.org/news/pyeongchang-2018-china-face-norway-wheelchair-curling-final|title=PyeongChang 2018: China to face Norway in wheelchair curling final|date=16 March 2018|access-date=18 March 2018}}</ref>。 ==一覧表== <onlyinclude>{{Medals table | caption = | host = 韓国<ref>{{cite web |url=https://www.pyeongchang2018.com/en/game-time/results/PWG2018/en/general/medal-standings.htm |title=Medal Standings |work=Pyeongchang 2018 Paralympics |accessdate=9 March 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180310135928/https://www.pyeongchang2018.com/en/game-time/results/PWG2018/en/general/medal-standings.htm |archive-date=10 March 2018 |url-status=dead }}</ref> | show_limit = | remaining_link = | flag_template = flagIPC | event = 2018 Winter | team = | gold_USA = 13 | silver_USA = 15 | bronze_USA = 8 | gold_NPA = 8 | silver_NPA = 10 | bronze_NPA = 6 | gold_CAN = 8 | silver_CAN = 4 | bronze_CAN = 16 | gold_FRA = 7 | silver_FRA = 8 | bronze_FRA = 5 | gold_GER = 7 | silver_GER = 8 | bronze_GER = 4 | gold_UKR = 7 | silver_UKR = 7 | bronze_UKR = 8 | gold_SVK = 6 | silver_SVK = 4 | bronze_SVK = 1 | gold_BLR = 4 | silver_BLR = 4 | bronze_BLR = 4 | gold_JPN = 3 | silver_JPN = 4 | bronze_JPN = 3 | gold_NED = 3 | silver_NED = 3 | bronze_NED = 1 | gold_SUI = 3 | silver_SUI = 0 | bronze_SUI = 0 | gold_ITA = 2 | silver_ITA = 2 | bronze_ITA = 1 | gold_GBR = 1 | silver_GBR = 4 | bronze_GBR = 2 | gold_NOR = 1 | silver_NOR = 3 | bronze_NOR = 4 | gold_AUS = 1 | silver_AUS = 0 | bronze_AUS = 3 | gold_FIN = 1 | silver_FIN = 0 | bronze_FIN = 2 | gold_KOR = 1 | silver_KOR = 0 | bronze_KOR = 2 | host_KOR = yes | gold_NZL = 1 | silver_NZL = 0 | bronze_NZL = 2 | gold_CRO = 1 | silver_CRO = 0 | bronze_CRO = 1 | gold_CHN = 1 | silver_CHN = 0 | bronze_CHN = 0 | gold_KAZ = 1 | silver_KAZ = 0 | bronze_KAZ = 0 | gold_AUT = 0 | silver_AUT = 2 | bronze_AUT = 5 | gold_ESP = 0 | silver_ESP = 1 | bronze_ESP = 1 | gold_SWE = 0 | silver_SWE = 1 | bronze_SWE = 0 | gold_BEL = 0 | silver_BEL = 0 | bronze_BEL = 1 | gold_POL = 0 | silver_POL = 0 | bronze_POL = 1 }}</onlyinclude> ==脚注== <references /> ==外部リンク== *[https://web.archive.org/web/20180308135255/https://www.pyeongchang2018.com/en/paralympics/index PyeongChang 2018] {{デフォルトソート:ひよんちやんはらりんひつく2018のめたるしゆしようすうちいらん}} [[Category:2018年平昌パラリンピック|めたるしゆしようすいちらん]] [[Category:韓国関連一覧]] [[Category:パラリンピック関連一覧]]
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アル・マルヒーヤSC
アル・マルヒーヤ・スポーツクラブ(アラビア語: نادي المرخية الرياضي、Al Markhiya Sports Club)は、カタールのスポーツクラブ。本項では主として著名なサッカー部門について記述する。 1995年にアル・イッティファークの名称で設立され、2004年に現在のクラブ名に改称した。 2002年に初めて1部に昇格。近年では2021-22シーズンのセカンドディヴィジョンリーグで優勝し、スターズリーグに復帰を果たしている。スターズリーグに復帰した2022-23シーズンは7位で残留した。
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アル・マルヒーヤ・スポーツクラブは、カタールのスポーツクラブ。本項では主として著名なサッカー部門について記述する。
{{サッカークラブ | font-color = | background-color = | クラブ名 = アル・マルヒーヤSC | 原語表記 = نادي المرخية الرياضي | 呼称 = | 愛称 = | カラー = | 創設 = 1995 | リーグ = [[カタール・スターズリーグ]] | ディビジョン = | クラブライセンス = | ホームタウン = [[ドーハ]] | スタジアム = アル・マルヒーヤ・スタジアム | キャパ = | 法人名 = | 代表 = アリー・アル=ムサイフリー<ref>{{Cite web|url= https://www.qsl.qa/en/al-markhiya|title=Al Markhiya|website=Qatar Stars League|accessdate=2023-9-7}}</ref> | 監督 = | HP = https://almarkhiyasc.qa }} '''アル・マルヒーヤ・スポーツクラブ'''({{Lang-ar|نادي المرخية الرياضي}}、Al Markhiya Sports Club)は、[[カタール]]のスポーツクラブ。本項では主として著名な[[サッカー]]部門について記述する。 == 概要 == 1995年にアル・イッティファークの名称で設立され、2004年に現在のクラブ名に改称した<ref>{{Cite web|url= https://www.qfa.qa/al-markhiya/|title=Al Markhiya Club|publisher=Qatar Football Association |accessdate=2023-9-8}}</ref>。 2002年に初めて1部に昇格。近年では2021-22シーズンのセカンドディヴィジョンリーグで優勝し、[[カタール・スターズリーグ|スターズリーグ]]に復帰を果たしている<ref>{{Cite web|url= https://www.kooora.com/?c=22932|title=دوري الدرجة الثانية القطري |website=KOOORA.com |accessdate=2023-9-8}}</ref>。スターズリーグに復帰した2022-23シーズンは7位で残留した。 == 歴代所属選手 == *{{Flagicon|BFA}} [[アラン・トラオレ]] 2017-2018 *{{Flagicon|QAT}} [[タラール・アル=ブルーシー]] 2018-2019 *{{Flagicon|FRA}} [[ムハマドゥ=ナビ・サール]] 2023- == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://almarkhiyasc.qa نادي المرخية الرياضي](公式サイト、アラビア語) {{DEFAULTSORT:あるまるひいや}} [[Category:カタールのサッカークラブ]]
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画鋲 (バンド)
画鋲(がびょう)は、日本のショートコア・パンクバンド。グループ魂のドラマー「石鹸」こと三宅弘城、グループ魂のギタリストである「暴動」こと宮藤官九郎、 LTD EXHAUST、199X=3のベーシストであるよーかいくんの3人からなる。 2018年4月16日、恵比寿LIQUIDROOMでの「三宅ロックフェスティバルvol.2」にて11曲を演奏。このイベントは2018年1月に三宅の50歳を祝って新宿ロフトで行われたイベントの第2弾であった。 その後、2018年9月にTSUTAYA O-EAST、島根県松江市古墳の丘古曾志公園で行われたシネマジェットフェスなどで演奏。 2019年に入ると、亜無亜危異の東北ツアーのゲスト、怒髪天の『大怒髪展』への参加、7月には新潟県苗場スキー場での「FUJI ROCK FESTIVAL '19」に出演。同月に公式サイト、公式ツイッター、公式インスタグラムを開設。10月9日にはデビューアルバムとラストアルバムの2枚を同時発売。THE STALIN、外道、亜無亜危異などのカバーや替え歌が収録された。10月18日にdues新宿にて発売記念のワンマンライブを行った。 2023年9月3日にはCLUB Queで「これはこれで三宅ロックフェスだからvol.5」に出演。
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画鋲(がびょう)は、日本のショートコア・パンクバンド。グループ魂のドラマー「石鹸」こと三宅弘城、グループ魂のギタリストである「暴動」こと宮藤官九郎、 LTD EXHAUST、199X=3のベーシストであるよーかいくんの3人からなる。
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | Name = 画鋲 | Img = | Img_capt = | Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | Background = band | Alias = | Origin = {{JPN}} | Genre = [[パンク・ロック]] | Years_active = [[2018年]] - | Label = 押しピンレコード | Production = | Associated_acts = | Influences = | URL = [http://gabyo-punk.com/ 公式ウェブサイト] | Current_members = [[三宅弘城]](ドラムス)<br />[[宮藤官九郎]](ギター)<br />[[よーかいくん]](ベース、ボーカル) | Past_members = | Notable_instruments = }} '''画鋲'''(がびょう)は、[[日本]]のショートコア・[[パンク・ロック|パンクバンド]]。[[グループ魂]]の[[ドラマー]]「石鹸」こと[[三宅弘城]]、[[グループ魂]]の[[ギタリスト]]である「暴動」こと[[宮藤官九郎]]、 [[LTD EXHAUST]]、[[199X=3]]の[[ベーシスト]]であるよーかいくんの3人からなる。 == 来歴 == [[2018年]][[4月16日]]、[[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]][[LIQUIDROOM]]での「三宅ロックフェスティバルvol.2」にて11曲を演奏。このイベントは2018年1月に三宅の50歳を祝って[[新宿ロフト]]で行われたイベントの第2弾であった<ref>{{Cite web|和書|title=【ライブレポート】グループ魂、The Birthdayや画鋲との対バンにミチロウもサプライズ参戦 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000154094 |website=BARKS |date=2018-04-18 |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=三宅ロックフェスティバルvol.1 |url=https://otonakeikaku.net/stage/323/ |website=大人計画 OFFICIAL WEBSITE |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref>。 その後、2018年9月にTSUTAYA O-EAST、[[島根県]][[松江市]]古墳の丘古曾志公園で行われた[[シマネジェットフェス|シネマジェットフェス]]などで演奏<ref>{{Cite web|和書|title=ギターウルフ主催"シマネジェットフェス・ヤマタノオロチライジング2018"、第2弾出演アーティスト12組決定。後夜祭アーティスト追加発表も |url=https://skream.jp/news/2018/06/shimanejettfes2018_2nd_lineup.php |website=Skream! 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト |access-date=2023-09-08 |first=Skream! Editorial |last=Department}}</ref>。 2019年に入ると、[[亜無亜危異]]の東北ツアーのゲスト、[[怒髪天]]の『大怒髪展』への参加、7月には[[新潟県]][[苗場スキー場]]での「[[フジロックフェスティバル|FUJI ROCK FESTIVAL]] '19」に出演。同月に公式サイト、公式[[Twitter|ツイッター]]、公式[[Instagram|インスタグラム]]を開設。10月9日にはデビューアルバムとラストアルバムの2枚を同時発売<ref>{{Cite web|和書|title=宮藤官九郎擁するパンクバンド、画鋲がデビューアルバムとラストアルバムを同時発売 |url=https://natalie.mu/music/news/342442 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-09-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。[[ザ・スターリン|THE STALIN]]、[[外道 (バンド)|外道]]、亜無亜危異などのカバーや替え歌が収録された<ref>{{Cite web|和書|title=【発売中!!】宮藤官九郎率いるショートコアパンクバンド"画鋲" 1stアルバムとラストアルバム同時発売|ニュース&インフォメーション|PUNK|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.net |url=https://diskunion.net/punk/ct/news/article/1/82830 |website=ディスクユニオン通販サイト |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref>。10月18日にdues新宿にて発売記念のワンマンライブを行った<ref>{{Cite web|和書|title=画鋲デビュー&ラストアルバムのレコ発ミニライブ開催 |url=https://natalie.mu/music/news/349397 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-09-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。 2023年9月3日にはCLUB Queで「これはこれで三宅ロックフェスだからvol.5」に出演<ref>{{Cite web|和書|title=三宅弘城 |url=https://otonakeikaku.net/artist/6/ |website=大人計画 OFFICIAL WEBSITE |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref>。 == ディスコグラフィ == * '''『画鋲ファースト』''' (押しピンレコード/OSP-1) #画鋲 #こうねんき #けんたいき #だんせいき #てきれいき #ガスタンク #びーとるず #解剖室 #えんけん #くさるな #とんでもねえ #YouTubeにあげたらコロス! #画鋲ビート #SNS #どですかでん #ワン&オンリー *'''『画鋲ラスト』''' (押しピンレコード/OSP-2) #ペヤング #おばさん #モーターヘッド #パンクたるもの #ししゅんき #チョコレート #どないしよ #すんまへん #全裸万象 #ちんこいらなくね? #うんこもれそう #めいだいまえ #ちゃうんけ #赤いチャーハン #ええやんけ #画鋲ファースト #ノット・サティスファイド(Bonus Track) == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official website|http://gabyo-punk.com/|画鋲オフィシャルホームページ}} * {{Instagram|gabyou03}} * {{Twitter|gabyo_punk}} {{グループ魂}} {{大人計画}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かひよう}} [[Category:宮藤官九郎]] [[Category:大人計画]] [[Category:日本のパンク・ロック・バンド]]
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中原村 (広島県)
中原村(なかはらむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐北区の一部にあたる。 太田川、根谷川の流域に位置していた。東部は白木山に連なる山地。 合併村名の文字を組み合わせたもの。
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中原村(なかはらむら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐北区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1942年7月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 可部町、'''中原村''' → [[可部町]] | 現在の自治体 = [[広島市]] | よみがな = なかはらむら | 自治体名 = 中原村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 広島県 | 郡 = [[安佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 3112 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1940年 | 隣接自治体 = 可部町、[[三入村]]、[[深川村]]、[[落合村 (広島県)|落合村]]、[[八木村 (広島県)|八木村]]、[[亀山村 (広島県)|亀山村]] | 所在地 = 安佐郡中原村大字中野 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''中原村'''(なかはらむら{{R|変遷}})は、[[広島県]][[安佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[広島市]][[安佐北区]]の一部にあたる。 == 地理 == [[太田川]]、根谷川の流域に位置していた。東部は[[白木山 (広島県)|白木山]]に連なる山地{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、[[高宮郡]]中野村、上原村、中島村、城村が合併して村制施行し、'''中原村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』563頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 34 広島県』583頁。</ref>。旧村名を継承した中野、上原、中島、城の4大字を編成{{R|角川}}。 *[[1898年]](明治31年)10月1日、郡の統合により[[安佐郡]]に所属{{R|変遷}}{{R|角川}}。 *[[1942年]](昭和17年)7月1日、安佐郡可部町と合併し、'''[[可部町]]'''が継続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 === 地名の由来 === 合併村名の文字を組み合わせたもの{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、清酒醸造、鋳物工業{{R|角川}} == 交通 == === 鉄道 === *1910年(明治43年)広軽便鉄道(現[[可部線]])横川~可部(当村中島)間が開通{{R|角川}}。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[広島県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:なかはらむら}} [[Category:高宮郡]] [[Category:安佐郡]] [[Category:広島市域の廃止市町村]] [[Category:安佐北区の歴史]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1942年廃止の日本の市町村]] [[Category:合成地名]]
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法王経
『法王経』(ほうおうきょう)は、具名を『仏説法王経』(ぶっせつほうおうきょう)といい、大正新脩大蔵経巻85 疑似部 に収蔵される偽経である。そのテキストは、オーレル・スタインの第2次探検隊が持ち帰った敦煌文献の漢文『法王経』を底本としているが、首部に欠落がある。「於其光□□□□□□□□□菩薩□□□□□□□□即從坐起。繞佛三匝却住一面。五體投地悲泣流涕而白佛言。天中尊如來欲入涅槃。時欲將至。若滅度後千五百歳。五濁衆生多作惡業專行十惡。如此衆生福徳力薄」。矢吹慶輝が、このスタイン本を発見し、その成立を664年以前と推定し、さらに本書に廣本と略本があったと想定し、矢吹慶輝編著『鳴沙餘韻解説 : 燉煌出土未傳古逸佛典開寶』(岩波書店 1933年)で紹介した。沖本克己は、664-695年の間に唐で撰述され、初期禅宗に思想的影響を与えた、いわゆる禅宗系偽経の一種とする。禅宗は中国で発達した宗派であるが、『法王経』は中国に留まらずに敦煌、チベットにも流布し、チベット大蔵経にも入蔵されている。作者は全く不明であるが、内容から判断して北宗禅と関連した人物ではないかと推定している。 この経の主張する内容は、経の冒頭にある「末法の衆生云々」の語句に対する仏の以下の言葉に表れている。「善男子よ。汝能く諸衆生の爲に是の如き事を問う。大利益を得るを思議す可から不。我當に汝の爲に分別し眞實大乘決定了義を宣説せん。何を以ての故に。衆生を度する故に。諸の衆生を令て煩惱を離しめる故に。地獄苦から出て淨土に生ぜしむる故に。解脱し生死を超えること必定の故に。汝等皆當に一心なり。汝の爲に宣説す。爾の時、大衆は皆な大歡喜踊躍せり。異口同音に倶に言を發聲し。佛に慈悲を我が爲に宣説願う。佛言わく。諸の善男子よ。解脱を求めんと欲するなら當に攀縁(はんえん、すがること)を斷ずるべし。一心無二にして心相を有するを捨てよ。心性の體は空なり。心性の中に於いては染ること無く捨てること無し。若し取捨無ければ即ち得る所無し。若し得る所無ければ即ち菩提と名づける。何を以ての故に。衆多の煩惱は皆な一心より生ずる。心が若し不生なら煩惱も不生なり。」 『法王経』の最後の段落に、『法王経』と名付ける理由が説かれている。「我れ此法を諸法中に於いて最第一と爲し、諸乘中に於いて最大乘王と爲すと説く。是の故に此經名を法王と爲す。又此の經を法王菩薩に付囑された故を以て法王と名づく。汝等大衆是の經を持する者は即ち諸難を脱す。」。
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『法王経』(ほうおうきょう)は、具名を『仏説法王経』(ぶっせつほうおうきょう)といい、大正新脩大蔵経巻85 疑似部 に収蔵される偽経である。そのテキストは、オーレル・スタインの第2次探検隊が持ち帰った敦煌文献の漢文『法王経』を底本としているが、首部に欠落がある。「於其光□□□□□□□□□菩薩□□□□□□□□即從坐起。繞佛三匝却住一面。五體投地悲泣流涕而白佛言。天中尊如來欲入涅槃。時欲將至。若滅度後千五百歳。五濁衆生多作惡業專行十惡。如此衆生福徳力薄」。矢吹慶輝が、このスタイン本を発見し、その成立を664年以前と推定し、さらに本書に廣本と略本があったと想定し、矢吹慶輝編著『鳴沙餘韻解説 : 燉煌出土未傳古逸佛典開寶』で紹介した。沖本克己は、664-695年の間に唐で撰述され、初期禅宗に思想的影響を与えた、いわゆる禅宗系偽経の一種とする。禅宗は中国で発達した宗派であるが、『法王経』は中国に留まらずに敦煌、チベットにも流布し、チベット大蔵経にも入蔵されている。作者は全く不明であるが、内容から判断して北宗禅と関連した人物ではないかと推定している。
『'''法王経'''』(ほうおうきょう)は、具名を『'''仏説法王経'''』(ぶっせつほうおうきょう)といい、[[大正新脩大蔵経]]巻85 [[疑似部 (大正蔵)|疑似部]] に収蔵される[[偽経]]である<ref>SATデータベース 佛説法王經(No.2883) T2883_.85.1384c03 - 1390a18 </ref>。そのテキストは、[[オーレル・スタイン]]の第2次探検隊が持ち帰った[[敦煌文献]]の漢文『法王経』<ref>大英博物館蔵敦煌文献スタイン2692号</ref>を底本としているが、首部に欠落がある。「於其光□□□□□□□□□菩薩□□□□□□□□即從坐起。繞佛三匝却住一面。五體投地悲泣流涕而白佛言。天中尊如來欲入涅槃。時欲將至。若滅度後千五百歳。五濁衆生多作惡業專行十惡。如此衆生福徳力薄<ref>この[[末法]]の衆生云々の語句が『法王経』成立の契機(後述)の1つとなる。</ref>」。[[矢吹慶輝]]が、このスタイン本を発見し、その成立を664年以前と推定し、さらに本書に廣本と略本があったと想定し、矢吹慶輝編著『鳴沙餘韻解説 : 燉煌出土未傳古逸佛典開寶』(岩波書店 1933年)で紹介した<ref>[[田中良昭]] 程正*『敦煌禪宗文獻分類目録 Ⅲ注抄・僞經論類(1)』(*テイ セイ、[[駒澤大学]]仏教学部 禅学科)</ref>。沖本克己<ref>オキモトカツミ、昭和18年兵庫県西宮市生。昭和43年花園大学文学部仏教学科卒業。昭和48年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。昭和48年東京大学文学部助手。昭和51年花園大学文学部講師。昭和53年同助教授。昭和63年同教授。平成20年同退職。現在、花園大学名誉教授・文学博士 </ref>は、664-695年の間<ref>沖本は、『大周刊定衆経目録』(武周録、695年)の「偽経目録」がこの経名「法王経一巻」の初出であることから、664年から695年までの間と推定した。</ref>に[[唐]]で撰述され、初期禅宗に思想的影響を与えた、いわゆる禅宗系偽経の一種とする。[[禅宗]]は中国で発達した宗派であるが、『法王経』は中国に留まらずに[[敦煌]]、[[チベット]]にも流布し、[[チベット大蔵経]]にも入蔵されている。作者は全く不明であるが、内容から判断して北宗禅と関連した人物ではないかと推定している<ref>沖本克己「禪思想形成史の研究」花園大学国際禅学研究所 研究報告 第5冊 ISBN 4-938796-32-5 1998年3月31日〔非売品〕、第3章 敦煌発現の禅宗文献について 第3節『法王経』(巻末に校訂全文テキスト添付)p.278-303 [http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st05/st05_0303.pdf pdf] p.279,289 。(「禅文化研究所紀要10号」1978/6/20 p.27~61 掲載の沖本克己『禅宗史に於ける偽経―『法王経』について―』の補筆再掲)</ref>。 == 概要 == この経の主張する内容は、経の冒頭にある「[[末法]]の衆生云々」の語句に対する仏の以下の言葉に表れている。「善男子よ。汝能く諸衆生の爲に是の如き事を問う。大利益を得るを思議す可から不。我當に汝の爲に分別し眞實大乘決定了義を宣説せん。何を以ての故に。衆生を度する故に。諸の衆生を令て煩惱を離しめる故に。地獄苦から出て淨土に生ぜしむる故に。解脱し生死を超えること必定の故に。汝等皆當に一心なり。汝の爲に宣説す。爾の時、大衆は皆な大歡喜踊躍せり。異口同音に倶に言を發聲し。佛に慈悲を我が爲に宣説願う。佛言わく。諸の善男子よ。解脱を求めんと欲するなら當に攀縁(はんえん、すがること)を斷ずるべし。一心無二にして心相を有するを捨てよ。心性の體は空なり。心性の中に於いては染ること無く捨てること無し。若し取捨無ければ即ち得る所無し。若し得る所無ければ即ち菩提と名づける。何を以ての故に。衆多の煩惱は皆な一心より生ずる。心が若し不生なら煩惱も不生なり。<ref>善男子。汝能爲諸衆生問如是事。得大利益不可思議。我當爲汝分別宣説眞實大乘決定了義。何以故。度衆生故。令諸衆生離煩惱故。出地獄苦生淨土故。必定解脱超生死故。汝等皆當一心。爲汝宣説。爾時大衆皆大歡喜踊躍。異口同音倶發聲言。願佛慈悲爲我宣説。佛言。諸善男子。欲求解脱當斷攀縁。一心無二捨有心相。心性體空。於心性中無染無捨。若無取捨即無所得。若無所得即名菩提。何以故。衆多煩惱皆一心生。心若不生煩惱不生。(T2883_.85.1384c14 - 1384c24)</ref><ref>沖本克己「禪思想形成史の研究」p.291 </ref>」 『法王経』の最後の段落に、『法王経』と名付ける理由が説かれている。「我れ此法を諸法中に於いて最第一と爲し、諸乘中に於いて最大乘王と爲すと説く。是の故に此經名を法王と爲す。又此の經を法王菩薩に付囑された故を以て法王と名づく。汝等大衆是の經を持する者は即ち諸難を脱す。」<ref> 我説此法於諸法中最爲第一。於諸乘中最爲大乘王。是故此經名爲法王。又以此經付囑法王菩薩故名法王。汝等大衆持是經者即脱諸難。(SATデータベース T2883_.85.1390a06 - 1390a09)</ref><ref>程正『英藏敦煌文獻から發見された禪籍について : S6980以降を中心に (2)』駒澤大學佛教學部研究紀要76 82[147]-65[164], 2018-03 [http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/37993/ pdf] p.71[157]-70[159] </ref>。 == 注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} {{DEFAULTSORT:ほうおうきょう}} [[Category:中国仏教]] [[Category:偽経]] [[Category:疑似部 (大正蔵)]] {{Buddhism-stub}} {{Buddhism2}}
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大達吉五郎
大達 吉五郎(おおだて きちごろう、1883年(明治16年)8月5日 - 1958年5月31日)は大阪府出身の元大相撲力士。本名、草野吉太郎。年寄4代大鳴戸。 大阪府東成郡天王寺村出身。朝日山に入門し1909年幕下付出で初土俵、1910年(明治43年)夏に十両、1913年(大正2年)春入幕。169センチ、108キロほどの体格で右四つ、やぐら投げを得意とし、1917年春、2枚目で6勝2敗1分1預の成績を挙げ、翌場所小結昇進。1919年(大正8年)夏、3枚目で大関宮城山を破るなど7勝0敗3分と土つかずの成績。翌1920年春に関脇昇進。その後も上位で奮闘したが1922年(大正11年)春、小結で2勝4敗の成績となりこれを最後に引退。その後竜神事件で3代大鳴戸(元凰車)が廃業し、1925年春に年寄大鳴戸を襲名。勝負検査役も務めた。1927年の東西合併で年寄として相撲協会に加入する。その後も長く平年寄で在籍した。 1958年74歳で死去。東西合併で加入した大阪相撲の年寄としては最後の在籍者であった。 背中に鯉の刺青を入れていたという。
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大達 吉五郎は大阪府出身の元大相撲力士。本名、草野吉太郎。年寄4代大鳴戸。
'''大達 吉五郎'''(おおだて きちごろう、[[1883年]](明治16年)8月5日 - [[1958年]]5月31日)は大阪府出身の元大相撲力士。本名、草野吉太郎。年寄4代大鳴戸。 == 略歴 == 大阪府[[東成郡]][[天王寺村]]出身。朝日山に入門し1909年幕下付出で初土俵、[[1910年]](明治43年)夏に十両、[[1913年]](大正2年)春入幕。169センチ、108キロほどの体格で右四つ、やぐら投げを得意とし、1917年春、2枚目で6勝2敗1分1預の成績を挙げ、翌場所小結昇進。[[1919年]](大正8年)夏、3枚目で大関宮城山を破るなど7勝0敗3分と土つかずの成績。翌[[1920年]]春に関脇昇進。その後も上位で奮闘したが1922年(大正11年)春、小結で2勝4敗の成績となりこれを最後に引退。その後竜神事件で3代大鳴戸(元凰車)が廃業し、1925年春に年寄[[大鳴戸]]を襲名。勝負検査役も務めた。1927年の東西合併で年寄として相撲協会に加入する。その後も長く平年寄で在籍した。 1958年74歳で死去。東西合併で加入した大阪相撲の年寄としては最後の在籍者であった。 背中に鯉の刺青を入れていたという<ref>{{Cite book|和書 |title=相撲五十年 |year=1955年 |publisher=時事通信社 |author=相馬基}}</ref>。 == エピソード == * 1921年頃、病気で巡業を休んでいた大達が途中から一行に合流することになった。三重の桑名の巡業地に「ゲンキニナッタツギノスモウハドコカ」と電報を打つと、「コノチキョウハネダチ アスヨコスカ」と返信。[[横須賀市|横須賀]]と考え向かったがどこにも相撲場がない。もう一度どこだと電報を打つと、「キヨウアスヨコスカ スグコイ」と返信。ところが組合の行司が大阪の自宅に打ったから妻は浮気をしてると思いカンカン。一方大達はやけになって料亭で散財。金がなくなり「ワシコノチデマイゴ 100エンスグオクレ」。返信は「シラナイヨ」「ホントニマイゴダ タスケテクレ」「イマシラベル シバラクマテ」。やがて妻から来た手紙によると、横須賀は横須賀でも愛知県[[幡豆郡]][[横須賀村]]であった。結局尾張で興行中の一行に追いついたのは家を出て6日後の事だった<ref>{{Cite book|和書 |title=大相撲意外史 |year=1979年 |publisher=千人社 |last=小島 |first=貞二}}</ref>。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * 雑誌相撲 2005年10月号 『年寄名跡の代々 193 大鳴戸代々の巻 中』 [[Category:大阪府出身の大相撲力士]] [[Category:大坂相撲]] [[Category:1883年生]] [[Category:1958年没]]
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コジモ・イル・ヴェッキオのメダルを持つ男の肖像
『コジモ・イル・ヴェッキオのメダルを持つ男の肖像』(コジモ・イル・ヴェッキオのメダルをもつおとこのしょうぞう、伊: Ritratto d'uomo con medaglia di Cosimo il Vecchio de' Medici, 英: Portrait of a Man with a Medal of Cosimo the Elder)は、イタリアの盛期ルネサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェッリが1475年ごろに制作した絵画である。テンペラ。両手にコジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチの姿が刻まれたメダルを持つ若い男性を描いている。この男性の正体は長年謎のままとなっており、様々な説が唱えられている。現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている。 画面の中央で若い男性が鑑賞者を見つめながら風景を背に座っている。男性は胸の前で両手で四角形の形を作り、その手の中に金色のメダルを持っている。このメダルにはコジモ・デ・メディチの横顔が刻まれている。メダルは本物の金属製のメダルを石膏で模倣したパスティリア(英語版)であり、褐色がかった金色で塗られ、肖像画にはめ込まれている。メダルの図柄が左右反転していないため、ボッティチェッリは石膏を制作するためにオリジナルの型を入手したか、メダルから鋳造したと考えられる。このメダルは、おそらく金細工師・彫刻家のドナテッロによってデザインされ、1465年に鋳造された「パテル・パトリエとしてのコジモ・デ・メディチ」と呼ばれるものと同じであると思われる。 古い目録では肖像画はフィリッピーノ・リッピの作と見なされている。本作品を最初にボッティチェッリに帰属したのは美術史家ジョヴァンニ・モレッリであり、ヴィルヘルム・フォン・ボーデ(英語版)を除くすべての研究者によって受け入れられた。制作年代は研究者がモデルの男性をどう解釈するかによって変化しているが、おおむね1470年から1477年の間で一致している。 肖像画に描かれた若い男性の特定についてはいまだ合意がなされておらず、かなりの憶測が飛び交っている。1900年に美術史家のジョージ・ノーブル・プランケット(英語版)はこの男性の正体を色彩豊かに推測した。 私にはこの男がフィレンツェを裏切ったことでメディチ家に消えない汚点を残したピエロであると痛いほどに分かってしまう。あの貪欲な小さな目、卑しい鼻、身勝手さを抑制するだけのすぼめた動物の口、まるでそれが自身の名誉の勲章であるかのように、一族の創設者の記念碑を掲げるやり方がまさにそうだ! モデルがメダルの制作者の肖像である可能性は美術史家ヤーコプ・ブルクハルト、ヴァルター・フリードレンダー(英語版)、ジャン・ド・フォヴィル(Jean de Foville)らによって指摘されている(ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、ニッコロ・ディ・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(英語版)、クリストフォロ・ディ・ジェレミア(英語版))。またコジモ・デ・メディチを含むメディチ家の一員も主張されている。美術史家グイド・コルニーニ(Guido Cornini)はこうした他の美術史家の説に加えて、ボッティチェッリの兄弟アントニオ・ボッティチェリ(Antonio Botticelli)の可能性が高いと考えた。この主張は男性がボッティチェリの『東方三博士の礼拝 』(Adorazione dei Magi)に描かれている画家の自画像とよく似ていることに基づいている。ボッティチェッリと同様にアントニオもメディチ家の宮廷で働いており、メダルを鋳直し、鍍金を施したことが知られている。この肖像画が描かれたとき彼は40歳くらいだったと思われる。反対に、直接交差する視線は鏡を見ている画家のものであった可能性がある。 フレデリック・ハート(英語版)はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(英語版)ではないかと示唆した。この人物の肖像画は2つのメダルに描かれており、その横顔はたがいにかなり異なっているが、そのうちの1つは本作品に似ている。その一方でロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチはパラティーナ美術館に所蔵されているまったく異なる容貌をした他のボッティチェリの肖像画のモデルであると主張されている。 1982年、トーマス・ラルフ・マートン(英語版)のコレクションからオークションに登場した、ボッティチェッリの絵画『ラウンデルを持つ青年の肖像』(Giovane uomo con in mano una medaglia)のモデルが、確証はないもののジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノと特定された。この肖像画では若い男性が本作品と同じようなポーズで、古い絵画から人物像を切り取って制作された丸いメダリオン(コジモではなくひげを生やした聖人)を掲げていることから対作品ではないかという憶測を引き起こし、したがって本作品に描かれた男性はおそらく彼の兄ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチであることが指摘された。長く暗い巻き毛と顔の特徴は、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの別の表現と推定されているボッティチェッリの『プリマヴェーラ』(Primavera)のメルクリウスのものと似ている。 ショーン・コノリー(Sean Connolly)は2004年の著書『ボッティチェッリ』(Botticelli)で、一部の研究者は男性がメディチ家の信奉者だったのではないかと考えているが、「このモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』とほとんど同じくらい神秘的である」と指摘している。ウフィツィ美術館のグロリア・フォッシ(Gloria Fossi)は2001年にこの人物を「ルネサンスで最も謎めいたモデルの1人」と呼んでいる。 この肖像画は枢機卿カルロ・デ・メディチ(英語版)のコレクションで初めて記録され、1666年に枢機卿が死去した際にウフィツィ美術館に収蔵された。1991年に修復された。
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『コジモ・イル・ヴェッキオのメダルを持つ男の肖像』は、イタリアの盛期ルネサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェッリが1475年ごろに制作した絵画である。テンペラ。両手にコジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチの姿が刻まれたメダルを持つ若い男性を描いている。この男性の正体は長年謎のままとなっており、様々な説が唱えられている。現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている。
{{Infobox 絵画作品 | image_file = Portrait of a Man with a Medal of Cosimo the Elder - Sandro Botticelli.jpg | image_size = 380px | title = {{small|コジモ・イル・ヴェッキオのメダルを持つ男の肖像}} | other_language_1 = [[イタリア語]] | other_title_1 = Ritratto d'uomo con medaglia di Cosimo il Vecchio de' Medici | other_language_2 = [[英語]] | other_title_2 = Portrait of a Man with a Medal of Cosimo the Elder | artist = [[サンドロ・ボッティチェッリ]] | year = 1475年ごろ | type = [[テンペラ]]、板 | height = 57.5 | width = 44 | city = [[フィレンツェ]] | museum = [[ウフィツィ美術館]] }} 『'''コジモ・イル・ヴェッキオのメダルを持つ男の肖像'''』(コジモ・イル・ヴェッキオのメダルをもつおとこのしょうぞう、{{lang-it-short|Ritratto d'uomo con medaglia di Cosimo il Vecchio de' Medici}}, {{lang-en-short|Portrait of a Man with a Medal of Cosimo the Elder}})は、[[イタリア]]の[[盛期ルネサンス]]の巨匠[[サンドロ・ボッティチェッリ]]が1475年ごろに制作した絵画である。[[テンペラ]]。両手に[[コジモ・デ・メディチ|コジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチ]]の姿が刻まれたメダルを持つ若い男性を描いている。この男性の正体は長年謎のままとなっており、様々な説が唱えられている。現在は[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]に所蔵されている<ref>『西洋絵画作品名辞典』p.699。</ref><ref>ブルーノ・サンティ 1994年、p.13。</ref><ref name=UF>{{cite web|title=ritratto d'uomo con medaglia di Cosimo il Vecchio de' Medici |accessdate=2023/09/08 |url=https://catalogo.uffizi.it/it/29/ricerca/detailiccd/1185224/ |publisher=[[ウフィツィ美術館]]公式サイト}}</ref><ref>{{cite web|title=ritratto d'uomo con medaglia di Cosimo il Vecchio de' Medici |accessdate=2023/09/08 |url=https://catalogo.beniculturali.it/detail/HistoricOrArtisticProperty/0900188553 |publisher=イタリア文化財総合目録公式サイト}}</ref><ref name=CTV>{{cite web|title=Botticelli |accessdate=2023/09/08 |url=https://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/46 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref>。 == 作品 == [[File:Scuola fiorentina, medaglia di cosimo il vecchio.jpg|thumb|おそらく[[ドナテッロ]]のデザインによるメダル。]] 画面の中央で若い男性が鑑賞者を見つめながら風景を背に座っている。男性は胸の前で両手で四角形の形を作り、その手の中に金色のメダルを持っている。このメダルにはコジモ・デ・メディチの横顔が刻まれている。メダルは本物の金属製のメダルを[[石膏]]で模倣した{{ill|パスティリア|en|Pastiglia}}であり、褐色がかった金色で塗られ、肖像画にはめ込まれている<ref>Scher 2010, p.27.</ref>。メダルの図柄が左右反転していないため、ボッティチェッリは石膏を制作するためにオリジナルの型を入手したか、メダルから鋳造したと考えられる<ref>Randolph 2002, p.18.</ref>。このメダルは、おそらく金細工師・彫刻家の[[ドナテッロ]]によってデザインされ、1465年に鋳造された「パテル・パトリエとしてのコジモ・デ・メディチ」と呼ばれるものと同じであると思われる<ref>Avery 1994, p.85.</ref><ref>Flaten 2012, p.16.</ref>。 古い目録では肖像画は[[フィリッピーノ・リッピ]]の作と見なされている。本作品を最初にボッティチェッリに帰属したのは[[美術史家]][[ジョヴァンニ・モレッリ]]であり、{{ill|ヴィルヘルム・フォン・ボーデ|en|Wilhelm von Bode}}を除くすべての研究者によって受け入れられた<ref name=UF />。制作年代は研究者がモデルの男性をどう解釈するかによって変化しているが、おおむね1470年から1477年の間で一致している<ref name=UF />。 == モデル == 肖像画に描かれた若い男性の特定についてはいまだ合意がなされておらず、かなりの憶測が飛び交っている。1900年に[[美術史家]]の{{ill|ジョージ・ノーブル・プランケット|en|George Noble Plunkett}}はこの男性の正体を色彩豊かに推測した。{{Bquote|私にはこの男がフィレンツェを裏切ったことでメディチ家に消えない汚点を残した[[ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ|ピエロ]]であると痛いほどに分かってしまう。あの貪欲な小さな目、卑しい鼻、身勝手さを抑制するだけのすぼめた動物の口、まるでそれが自身の名誉の勲章であるかのように、一族の創設者の記念碑を掲げるやり方がまさにそうだ!<ref>Plunkett 1900, p.52.</ref>}} [[File:Sandro Botticelli 083.jpg|thumb|230px|left|ボッティチェッリの『[[東方三博士の礼拝 (ボッティチェッリ、フィレンツェ)|東方三博士の礼拝 ]]』の自画像とされる部分。]] モデルがメダルの制作者の肖像である可能性は美術史家[[ヤーコプ・ブルクハルト]]、{{ill|ヴァルター・フリードレンダー|en|Walter Friedländer}}、ジャン・ド・フォヴィル({{it|Jean de Foville}})らによって指摘されている([[ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ]]、{{ill|ニッコロ・ディ・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ|en|Niccolò di Giovanni Fiorentino}}、{{ill|クリストフォロ・ディ・ジェレミア|en|Cristoforo di Geremia}})<ref name=UF />。またコジモ・デ・メディチを含むメディチ家の一員も主張されている。美術史家グイド・コルニーニ({{it|Guido Cornini}})はこうした他の美術史家の説に加えて、ボッティチェッリの兄弟アントニオ・ボッティチェリ({{it|Antonio Botticelli}})の可能性が高いと考えた<ref name=C18>Cornini 1998, p.18.</ref><ref name=BS10>ブルーノ・サンティ 1994年、p.10。</ref>。この主張は男性がボッティチェリの『[[東方三博士の礼拝 (ボッティチェッリ、フィレンツェ)|東方三博士の礼拝 ]]』({{it|Adorazione dei Magi}})に描かれている画家の[[自画像]]とよく似ていることに基づいている<ref name=BS10 />。ボッティチェッリと同様にアントニオもメディチ家の宮廷で働いており<ref>Capretti 2002, p.14.</ref>、メダルを鋳直し、鍍金を施したことが知られている<ref name=C18 /><ref name=BS10 />。この肖像画が描かれたとき彼は40歳くらいだったと思われる。反対に、直接交差する視線は鏡を見ている画家のものであった可能性がある<ref>Dalli Regoli 1968, p.58.</ref>。 [[File:Lorenzo il popolano, xv century.jpg|thumb|210px|一説に{{ill|ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ|en|Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici|label=ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ}}を描いたとされる『若い男の肖像』。[[パラティーナ美術館]]所蔵。]] {{ill|フレデリック・ハート|en|Frederick Hartt}}は{{ill|ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ|en|Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici}}ではないかと示唆した。この人物の肖像画は2つのメダルに描かれており、その横顔はたがいにかなり異なっているが、そのうちの1つは本作品に似ている。その一方でロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチは[[パラティーナ美術館]]に所蔵されているまったく異なる容貌をした他のボッティチェリの肖像画のモデルであると主張されている<ref>Hartt 1987, p.334.</ref>。 [[File:Botticelli - Portrait of a young man holding a medallion.jpg|thumb|210px|ボッティチェッリの『[[ラウンデルを持つ青年の肖像]]』。個人蔵。]] 1982年、{{ill|トーマス・ラルフ・マートン|en|Thomas Ralph Merton}}のコレクションから[[オークション]]に登場した、ボッティチェッリの絵画『[[ラウンデルを持つ青年の肖像]]』({{it|Giovane uomo con in mano una medaglia}})のモデルが、確証はないものの[[ジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノ]]と特定された。この肖像画では若い男性が本作品と同じようなポーズで、古い絵画から人物像を切り取って制作された丸いメダリオン(コジモではなくひげを生やした[[聖人]])を掲げていることから対作品ではないかという憶測を引き起こし、したがって本作品に描かれた男性はおそらく彼の兄ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチであることが指摘された<ref>Hartt 1969, p.291.</ref><ref>Legouix 2004, p.62.</ref><ref>Kidwell 1989.</ref>。長く暗い巻き毛と顔の特徴は、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの別の表現と推定されているボッティチェッリの『[[プリマヴェーラ]]』({{it|Primavera}})の[[メルクリウス]]のものと似ている。<!--現在配置されているメダルは元の挿入物ではない可能性があり、それはコジモの別のメダルだったのかもしれない。もしそうなら、心臓の上のメダルの意味は、単にポポラーニ分家のコジモ家に対する忠誠を表しているだけかもしれない<ref>{{Cite web |url=https://www.laetitiana.co.uk/single-post/2017/08/10/15th-Century-Florentine-Portraits |title=15th Century Florentine Portraits}}</ref>。--> ショーン・コノリー({{en|Sean Connolly}})は2004年の著書『ボッティチェッリ』({{en|Botticelli}})で、一部の研究者は男性がメディチ家の信奉者だったのではないかと考えているが、「このモデルは[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の『[[モナ・リザ]]』とほとんど同じくらい神秘的である」と指摘している<ref>Connolly 2004, p.15.</ref>。ウフィツィ美術館のグロリア・フォッシ({{it|Gloria Fossi}})は2001年にこの人物を「ルネサンスで最も謎めいたモデルの1人」と呼んでいる<ref name=F126>Fossi 2001, p.126.</ref>。 == 来歴 == この肖像画は[[枢機卿]]{{ill|カルロ・デ・メディチ (枢機卿)|en|Carlo de' Medici (cardinal)|label=カルロ・デ・メディチ}}のコレクションで初めて記録され、1666年に枢機卿が死去した際にウフィツィ美術館に収蔵された<ref name=CTV /><ref name=F126 />。1991年に修復された<ref name=UF />。 == ギャラリー == <gallery widths="220px" heights="180px" perrow="3" style="font-size:smaller"> Hombre con medalla 02.JPG|ディテール Galería Uffizi, Florencia, Italia, 2022-09-18, DD 41.jpg|額縁 </gallery> == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * 『西洋絵画作品名辞典』[[黒江光彦]]監修、[[三省堂]](1994年) * バルバラ・ダイムリング『ボッティチェッリ(ニューベーシック・アートシリーズ)』 [[タッシェン]](2001年) * ブルーノ・サンティ『ボッティチェッリ イタリア・ルネサンスの巨匠たち14』関根秀一訳、[[東京書籍]](1994年) *{{cite book |last=Avery |first=Charles |title=Donatello: An Introduction |year=1994 |publisher=IconEditions |location=New York, New York |isbn=0-06-430311-X |page=85}} * {{cite book|last=Capretti|first=Elena|title=Botticelli|url=https://books.google.com/books?id=JzR-DLmn-qsC&pg=PA14|accessdate=30 June 2010|date=1 January 2002|publisher=Giunti Editore Firenze Italy|isbn=978-88-09-21433-0}} * {{cite book|last=Connolly|first=Sean|title=Botticelli|url=https://books.google.com/books?id=_GGGfb1nx4QC&pg=PA15|accessdate=29 June 2010|date=October 2004|publisher=Gareth Stevens|isbn=978-0-8368-5648-4}} * {{cite book|last=Cornini|first=Guido|title=Botticelli. Ediz. inglese|url=https://books.google.com/books?id=J1vNX_BdJxYC&pg=PA18|accessdate=29 June 2010|year=1998|publisher=Giunti Editore Firenze Italy|isbn=978-88-09-76266-4}} * {{cite book|last=Dalli Regoli|first=Gigetta| |title=Uffizi: Florence |url=https://archive.org/details/uffiziflorence00dall |url-access=registration |year=1968 |publisher=Newsweek |page=[https://archive.org/details/uffiziflorence00dall/page/58 58]}} * Flaten, Arne R., ''Medals and Plaquettes in the Ulrich Middeldorf Collection at the Indiana University Art Museum: 15th to 20th Centuries'', p. 16, 2012, Indiana University Press, {{ISBN|0253001161}}, 9780253001160, [https://books.google.com/books?id=hoptfjU3vCEC&pg=PA16 google books], catalogues a slightly smaller variant. * Fossi, Gloria, ''Galleria degli Uffizi.'' 2001. * {{ill|フレデリック・ハート|en|Frederick Hartt|label=Hartt, Frederick}}, ''History of Italian Renaissance Art'', p. 334, (2nd edn.)1987, Thames & Hudson (US Harry N Abrams), {{ISBN|0500235104}} * Hartt F. (1969) ''A History of Italian Renaissance Art'', p.291. * Kidwell, C. (1989) ''Marullus: soldier poet of the Renaissance'', London: Duckworth. * Legouix, Susan, ''Botticelli'', 2004 (revd edn), Chaucer Press, {{ISBN|1904449212}} * {{cite book||author={{ill|ジョージ・ノーブル・プランケット|en|George Noble Plunkett|label=Plunkett, George Noble}}|title=Sandro Botticelli|url=https://books.google.com/books?id=7ALWAAAAMAAJ&pg=PA52|accessdate=29 June 2010|year=1900|publisher=G. Bell and sons}} *{{cite book|last=Randolph|first=Adrian W. B.|title=Engaging Symbols: gender, politics, and public art in fifteenth-century Florence|url=https://books.google.com/books?id=ArSU39x6IBwC&pg=PA99|accessdate=30 June 2010|year=2002|publisher=Yale University Press|isbn=978-0-300-09212-7}} *{{cite book|last=Scher|first=Stephen K.|title=Perspectives on the Renaissance medal|url=https://books.google.com/books?id=QpU-vMwbdTgC&pg=PA27|accessdate=30 June 2010|year=2000|publisher=Taylor & Francis|isbn=978-0-8153-2074-6}} == 外部リンク == {{Commonscat|Portrait of a Man with a Medal of Cosimo the Elder}} * [https://catalogo.uffizi.it/it/29/ricerca/detailiccd/1185224/ ウフィツィ美術館公式サイト, サンドロ・ボッティチェッリ『コジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチのメダルを持つ男の肖像』] {{サンドロ・ボッティチェッリ}} {{DEFAULTSORT:こしもいるうえつきおのめたるをもつおとこのしようそう}} [[Category:サンドロ・ボッティチェリの作品]] [[Category:1470年代の絵画]] [[Category:肖像画]] [[Category:メディチ家]] [[Category:ウフィツィ美術館所蔵の絵画]]
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神明町 (横須賀市)
神明町(しんめいちょう)は、神奈川県横須賀市の地名。丁目の設定のない単独町名である。住居表示未実済区域。 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、面積の半数以上はくりはま花の国である。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
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神明町(しんめいちょう)は、神奈川県横須賀市の地名。丁目の設定のない単独町名である。住居表示未実済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 神明町 |種類 = [[町丁]] |画像 = Kurihama Flower World 1.JPG |画像サイズ = 270px |画像説明 = くりはま花の国入口 <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 13 | 緯度秒 = 19.4 | 経度度 = 139 | 経度分 = 42 | 経度秒 = 15.09 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[久里浜|久里浜地区]] |人口 = 75 |世帯数 = 42 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 1.059 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0832<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390832|title=神明町の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''神明町'''(しんめいちょう)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。丁目の設定のない単独町名である。[[住居表示]]未実済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、面積の半数以上は[[くりはま花の国]]である。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[町丁]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |神明町 |style="text-align:right"|42世帯 |style="text-align:right"|75人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=300 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[1995年]](平成7年)<ref name="jinko1995">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000023630093|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=122 |label2=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=103 |label3=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=184 |label4=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=197 |label5=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 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ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話
ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話について解説する。 主に1930年代に『ウィアード・テールズ』(以下WT)誌に掲載された。ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(以下HPL)と大きく関係する。 もともとクトゥルフ神話のシリーズとして書かれてはおらず、他シリーズの1作品が神話要素を含んでいる短編が一定量を占める。ハワードのヒロイック・ファンタジーは複数シリーズ同士で年表を作ることが可能で、そこに神話作品も加わる。大まかな時系列順ではキング・カル、英雄コナン(ハイボリア時代)、ブラン・マク・モーン、ターロウ・オブライエンとなる。 アーサー・マッケンの影響を受けている。またHPLとの交流があり、最初期神話『夜の末裔』から既にHPLと相互の影響がある。「蛇人間」がハワード・HPL・スミス3作家を繋げる際に中核を担っており、流れがハワードとHPLの没後に加速して「クトゥルフ神話」として統合されるに至る。 非人間種族(仮称・大地の妖蛆)をテーマとする作品が4作品ある。また特定の固有名詞が複数の作品で異なる意味で使い回されている。加えて、複数の作品に登場する怪物たちを全てゴル=ゴロスとする解釈がある。 ストーリーにもパターンがあり、輪廻転生前の記憶が蘇ったり、碑を崇める非人間種族が登場したり、人間以前の太古の支配者が今なお潜んでいるといった作品が複数ある。作劇として、アイデアを使い回す、非神話アイデアを神話に作り変えるなどが行われている。 倉阪鬼一郎は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している。 東雅夫は作品個別に解説があり、さらに「ハワードの正調神話作品は、総じて作者の本領を十全に発揮するものとはなっていない憾みがあるが、これはおそらく神話作品の定石によったのではハワードの持ち前の“狂おしき闘争本能”が不完全燃焼に終わらざるをえないためではないだろうか」と付け加える。 朱鷺田祐介は「ハワードは特に独自の神格を生み出すというよりも、独自の解釈で、神話要素を取り込んだ恐怖小説やヒロイック・ファンタジーを書いた」と解説する。 倉阪・東の両名は後期3作『妖蛆の谷』『闇の種族』『大地の妖蛆』に着目しており、倉阪はラヴクラフト・スクールとヒロイック・ファンタジーが融合した「特異な作品群」「まぎれもないハワードの」神話と評し、東は「神話風味のヒロイック・ファンタジー作品」「蛮族の英雄たちと邪神の眷属との荒ぶる戦いが狂熱のうちに活写されている」と評する。 邦題が複数ある場合の優先はクト、黒の碑の順とする。ただし表題作になっている『黒の碑』のみ例外とする。 5作家によるリレー共作『彼方よりの挑戦』で第4章を書いている。 またオーガスト・ダーレスが合作名義で『黒の詩人』という作品を発表している。 WT1929年8月号に掲載された。 キング・カルシリーズ3作の第1作である超古代ヒロイック・ファンタジー。クトゥルフ神話というより先行作品だろうとも言われている。ヴァルーシアの蛇人間の初出であり、本作を読んだHPLは『闇に囁くもの』でヴァルーシアの蛇人間について言及を行った。 WT1931年4・5月合併号に掲載された。en:The Children of the Night アーサー・マッケンの影響を受けており、またHPLとの交流を経て生まれた作品である。ハワード『影の王国』→HPL『闇に囁くもの』→本作という流れを経ており、HPL作品に登場する魔道書「ネクロノミコン」や邪神の固有名詞が借用されている。 コンラッドとキロワン教授(英語版)の2人は後続作品にも登場する。 特記すべきは、「無名祭祀書」が最初に登場した作品であること。またハワードの邪神であるゴル=ゴロスが名前だけ初登場している。 主人公の言葉を借りる形で、エドガー・アラン・ポー『アッシャー家の崩壊』、アーサー・マッケン『黒い石印』、HPL『クトゥルーの呼び声』が賞賛されている。 蔵書家コンラッドの書斎に6人が集い、喧々囂々の議論が交わされる。そして話題は、イギリス最古の種族である、小柄で非人間的な、トロールや矮人伝説のモデルとなった種族へと移る。 コンラッドが新石器時代の槌を取り出し、他に類のない珍しいものだと、皆に披露する。ケトリックが槌を手に取り、使い方のコツを掴もうとする。ところが、槌がケトリックの手の中で「蛇のように」ねじれて飛び出し、そばで見ていたわたしの頭に命中し、わたしは昏倒する。わたしは気が付くと古代人の格好をして、暗い森の中に横たわっていた。近くには5人の男の惨殺死体が転がっており、周囲には悪鬼どもが屯していた。 わたし=アリテラは、仲間5人と狩猟のために森に来ていたことを思い出す。皆が休んで眠っている間、わたしは見張り役を務めていたのだが、自分も眠ってしまった。その隙に仲間5人は悪鬼種族「夜の末裔ども」に殺され、わたしは失態に蒼ざめる。わたしは復讐心から単独で敵の集団に襲い掛かり、何人も虐殺した挙句、そのまま敵の村を襲撃する。部族の神イル=マリネンに、わたしは血の生贄を捧げ続ける。だが数には勝てず、わたしは全身に、悪鬼どもの石剣や槍による攻撃を浴び、ついに絶命する。 我に返ったわたしは安楽椅子に寝かされており、5人が心配そうにのぞき込んでいる。ケトリックの黄色い目を見たとたん、わたしの奥底から敵意が沸き起こり、わたしはケトリックに襲い掛かり首を絞める。コンラッドはわたしが発狂したと判断し、ケトリックを部屋の外に避難させる。コンラッドたちは、わたしの頭に槌が当たったせいで正気を失ったと考える一方、わたしはケトリックが「夜の末裔」の末裔であるとして殺意をむき出しにする。 6人全員が、イギリス人またはイギリス人の血を引くアメリカ人。 WT1931年10月号に掲載された。ターロウ・オブライエンシリーズ3作の1つであり、『暗黒の男』の続編にあたる。2022年に翻訳された。 バル・サゴスの神々ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカが登場する。ハワードが創造したこの2神については本作品で全て語られているのだが、後の「クトゥルフ神話」では解釈とアレンジが作用して難解なことになっている。 WT1931年11月号に掲載された。創元推理文庫から出ている短編集の表題作であり、表紙のイラストになっている。 ハワードが創造した狂詩人ジャスティン・ジョフリの初出作品である。冒頭部にてジョフリの詩が引用されており、この手法は後の作品でも用いられることになる。また「無名祭祀書」が登場する。 東雅夫は「奇怪な黒い石にまつわる伝説に、異民族間の抗争をからめて描いているあたりに、ヒロイック・ファンタジー作家としてのハワードの関心の所在が示されている」と解説している。 朱鷺田祐介は「ハワード神話作品の頂点」と評し、「優れた恐怖作品であるとともに、古代の邪教信仰と、オスマントルコの東欧侵攻を絡めた歴史伝奇ロマンに仕上がっている。特に主人公が見る悪夢の場面はハワードならではの迫力がある」と解説している。 16世紀以前、ハンガリーの村ズトゥルタンには、マジャール=スラヴと太古からの原住民の混血である人々が住んでいた。邪教を信奉する彼らは、近隣の村から幼児や女性をさらい、神に生贄として捧げる。やがて侵攻してきたオスマン・トルコ軍のセリム・バハトゥル将軍は、住民の所業を知ると彼らを皆殺しにし、近くの洞窟に潜んでいたヒキガエルのような怪物と戦う。セリム将軍はその状況を巻物に記録するも、戦争でポーランド人領主のボリス伯爵に討たれる。伯爵は巻物から村の事実を知り、恐怖に震える。ボリス伯爵は奇襲を受けて死に、遺体と巻物は崩れる城に置き去りとなる。やがて低地の村の者達が移り住み、村はシュトレゴイカバール(魔女の村)という名前に変更される。不気味な碑は残されるが、正体を知る者はいなくなる。 19世紀のドイツの隠秘家フォン・ユンツトは、黒の碑のことを「黒の書」(無名祭祀書)に記す。また20世紀になるとアメリカの詩人ジャスティン・ジョフリが村を訪れ、碑にまつわる詩を詠む。 1931年、わたしはフォン・ユンツトの「黒の書」を読むうち、「黒の碑」に関する記述に興味をもつ。またジョフリについても調べた結果、その碑がハンガリーの山奥シュトレゴイカバールに立つ不吉なモノリスであることを突き止める。わたしは休暇を利用し、村を訪れる。村では、血の繋がらない前の村の住民達による邪神崇拝にまつわる噂が、400年経った現在でも伝わっていた。碑を壊そうとした者には災いがふりかかり、真夏の夜に碑に近づいたことで発狂した者もいたそうである。碑の近くで眠ったある者は、悪夢に苛まされるようになった。 6月23日の夏至の夜(聖ヨハネ祭の前夜)、わたしは碑の傍らで眠気に襲われ、夢の中でグロテスクな狂宴の光景を幻視する。女子供が人身御供に捧げられ、裸体の男女が踊り狂い、黒の碑の頂上には巨大な蛙に似た化物が座り込む。目覚めたわたしは、これがただの夢ではなく過去の映像だと考え、ボリス伯爵の城跡にはセリム将軍が記した巻物があるはずだと思い至る。わたしは城跡を暴き、伯爵の亡骸と小箱を見つける。 小箱の中には巻物と邪神像が収められており、わたしは巻物を解読してこれらを証拠と確信する。人間が必ずしも地球の支配者ではないことを理解したわたしは、黒の碑のような外世界への扉や、似たような怪物が他にもいるかもしれないことに思いを馳せる。わたしは巻物と邪神像を小箱に納め直し、石の重しをつけて河へと投げ込む。 邦訳の異なる固有名詞は、『クトゥルー4』『黒の碑』の順で記す。 WT1931年12月号に掲載された。 剣と魔法の冒険歴史小説。ターロウ・オブライエンシリーズの1つであり、『バル・サゴスの神々』の前日譚である。 ブラン・マク・モーンのシリーズとクロスオーバーしており、ブランの最期が言及されている。過去作『夜の末裔』で言及あるブラン崇拝にまつわる短編であり、タイトルの<暗黒の男>とは、死後に神格化したブランを指す呼称である。 WT1932年2月号に掲載された。 「無名祭祀書」が重要な役まわりを果たしており、文献に複数の版があり内容が異なる(情報が抜け落ちる)ために初版を探すというストーリーが展開される。冒頭にジャスティン・ジョフリの詩が引用されている。 1793年に中米ホンジュラスの密林を訪れたスペイン人冒険家のフアン・ゴンザレスは、「地下に異常なものが隠された神殿」という原住民の伝説を、懐疑的に記録する。100年以上後、ドイツ人神秘家のフォン・ユンツトはこの神殿を訪れ、「蟇の神殿」と名付けたうえで著書「無名祭祀書」に記録する。この文献は版を重ねる中で、誤訳や検閲により情報が抜け落ちる。20世紀、山師タスマンが偶然神殿に迷い入るも、時間も道具もなく引き返す。タスマンは「無名祭祀書」の第3版で、神殿とミイラへの簡単な言及をみつけ、かつての神殿のことだと察する。第2版には、誤訳だらけの中で「宝玉は鍵である」と記載されていた。タスマンは財宝伝説の裏付けをとるべく、初版を読まねばならないと結論付ける。 その後、タスマンはロンドン在住の考古学者であるわたし(語り手)に、「無名祭祀書」の初版の入手を要求する。タスマンはかつて、わたしの研究に難癖をつけて信用を傷つけようとしたことがあったが、本が見つかれば先の非難を全面撤回して誌上に謝罪広告を掲載すると言われ、わたしは要求を受け入れる。後日、わたしが入手した初版本から神殿の記述を確認したタスマンは、急いで中米へと向かい、神殿に入る。彼はミイラの持つ「蟇形の宝玉」を奪い取って祭壇の隠し扉を開いたが、中に財宝などは無く、失意の彼は宝玉だけを持ち帰る。 タスマンはわたしを呼び出し、探検の顛末を語る。タスマンは中米からずっと何かに追跡されており、言動も要領を得ない。さらに屋根の上からは、蹄を踏み鳴らすような足音が響く。わたしはタスマンが完全に狂っていると確信しつつ、本を読み返して「眠れるものを乱すなかれ」「神殿の神こそ、神殿の霊宝なり」という言葉から、タスマンが持ち帰った宝玉が神そのものであり、彼が封印を解いてしまったことに気づく。 その後、タスマンは頭部を砕かれて死ぬ。現場には蹄の跡と粘液が残され、宝玉は無くなっていた。 『ストレンジ・テールズ』1932年6月号に掲載された。 古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。輪廻転生前の記憶が蘇り、主人公のモノローグがシームレスに古代に移行するという構成をとっている。 後にシリーズ化する「英雄コナン」が最初に登場した作品。だがあくまで初期版であり、後のコナンとは設定が大きく異なっており、実質的に名前が同じだけの別人である。「略奪者コナン」はゲール人で、「英雄コナン」はハイボリア時代(英語版)のキンメリア人(アトランティス人の子孫)と設定されている。 彼女エリナが愛しているのが、おれジョン・オブライエンと彼リチャードのどちらなのか、彼女が明言しないために、おれにはわからない。おれは、エリナへの思慕とリチャードへの憎悪を募らせ、気が狂いそうになる。そんな折に、恋敵リチャードが一人きりで<ダゴンの洞窟>に遊山に行くと聞き、おれは彼を謀殺すべく後を追う。矮人族が掘ったと伝説されている洞窟に、おれは今まで一度も来た事などないにもかかわらず、妙な見覚えを感じる。おれは階段で足を踏み外し、転げ落ちて失神する。目を覚ますと、自分の姿が変わっていた。腰布を巻き、皮草履を履き、足元には幅広の鉄剣が落ちている。そうか、おれは略奪者コナンであったと、己の耄碌を呆れる。おれはブリトン人に攻撃を仕掛けている最中であり、敵の女たちの中に惚れた女がいたために、追いかけていたことを思い出す。 恋敵ヴェルトーリクスが、彼女タメラを逃がして、おれの前に立ちはだかる。2人は武器を打ち合うも、両者致命打には至らない。女は、洞窟に逃げ込むように男に言う。男は、忌まわしい洞窟に入るのはやめて森に逃げるように言うが、女は洞窟に入り込む。男はおれを無視して飛び去り、洞窟に駆け込んだ女を追う。おれと男は、洞窟の入口付近でなお戦い続けるも、洞窟の奥から女の絶叫が響くと、男は戦いをやめ、女を追って奥に入り込む。おれは、ひょっとするとこの洞窟こそ、かの忌まわしき<魔の夜の末裔>の洞窟である可能性に思い至る。 洞窟内の一室で、おれは髑髏を積み上げた祭壇と、伝説の<黒の碑>をみつける。その横では、タメラとヴェルトーリクスの2人が縛られており、さらに悪鬼のごとき原始人が1人いた。おれは、生き残るためにはもはやヴェルトーリクスと共闘するしかないと判断し、原始人を斬殺して、ヴェルトーリクスとタメラの縄を切り、3人で道すらわからない地下道に逃げ込む。背後からは、悪鬼の仲間たちの気配が迫りくる。おれは女の護衛を恋敵に任せて先行させ、自分は悪鬼たちの足止めを図る。だが迷路のような地下道を進んだヴェルトーリクスとタメラは、崖の袋小路へと追い詰められ、抱擁し合い崖下の激流に身を投げる。別ルートを行ったおれは、離れた場所から2人の最期を見届ける。 呆然とするおれ=コナンは、いつの間にかジョン・オブライエンに戻っていた。今までの異様な記憶は、階段から落ちたショックで見た夢か? だがおれは、この洞窟が、記憶の洞窟と同じであることに気づく。あの悪鬼どもは20世紀の現代にもまだいるのだろうかという疑問を抱きつつ、記憶をたどり地下道を進むと、そこにはリチャードとエリナがいた。2人はおれに気づいておらず、おれはポケットの中の拳銃を掴む。エリナには、おぼろげに前世タメラの記憶があるらしく、洞窟の光景に覚えがあると言う。続いてエリナはリチャードに、自分が愛しているのはリチャードだと明言し、それを聞いたおれはここに至ってようやく自分こそが異物だったのだと理解する。 2人の前に、1匹の悪鬼が姿を現す。そいつを見たおれは、闇の種族の最後の1匹だと察する。悪鬼は2人に襲い掛かろうとし、リチャードはエリナを守るべく素手で悪鬼に立ち向かう。おれは拳銃を構え、悪鬼を射殺する。 WT1932年11月号に掲載された。en:Worm of the Earth ブラン・マク・モーンのシリーズの1つ。古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、ローマ属州時代のブリトン島(ブリタンニア)を舞台に、蛮族の豪傑がローマに対抗するために邪神の眷属の力を借りようとするストーリーが展開される。ブランの死後の出来事は『暗黒の男』『夜の末裔』に続いていく。 ハワードが、HPLから固有名詞を借りて登場させている。ルルイエとダゴンの名前が出ているほか、初期の版ではクトゥルフの名前が出ていたが後の版では無くなっている。 はるかな古代、ブリテン島には、<闇の種族>が住んでいたが、後から来たピクト人に追いやられ、ひっそりと隠れ住むようになる。ローマも台頭しブリテンに進出する。 3世紀。ピクト王ブラン・マク・モルンは、ピクト大使パルタ・マク・オツナと身分を装い、敵情を視察すべくエボラクムに滞在していた。あるとき、ピクト人の男が死罪を宣告されるが、その裁判はローマ人側に一方的に有利な判決であった。刑場にて、ローマ総督スラは、処刑をパルタに見せつけ、尊大にふるまう。総督の側近である将官ヴァレリウスが、十字架上の男を嘲笑すると、男はヴァレリウスの顔に唾をはきかける。ヴァレリウスが激昂して剣を抜き男を刺し殺すと、スラ総督は「できるだけ苦しめて死なせたいのに、即死を与えてやるなどとは軽率だ」と言う。ピクトを侮辱され、ブランは怒りを押し殺す。 夜、夢に現れた老ゴナルに対し、ブランは「邪神の力を借りてスラに復讐する」と主張する。ゴナルはブランの判断を狂気とたしなめるが、ブランは聞き入れない。ブランはヴァレリウスを暗殺して男の仇を取り、もはや仮の名で潜伏するつもりもなく、馬を飛ばして西方に向かう。ブランの作戦は、北のゲール族をそそのかして挙兵させ、ローマ軍を北と西に誘導し、西に来るスラ総督を待ち伏せすることである。 ブランは沼地で、異民族の魔女と出会う。<ダゴンの浦>の魔女、沼地の妖女アトラは、古い闇の種族との混血であり、忌まれ差別を受けていた。「邪神に接触する扉を探している」「復讐のために邪神の力を借りる」と言うブランを、アトラは狂っているのかと問う。アトラは彼がブラン王と見抜いており、「あたしは半分は人間だ」「いくら忌まれようとも、心がある」「呪われたあたしに、王との愛の接吻をくれ」と言う。ピクト王と魔女の取引は成立した。 ブランは「ダゴンの塚」の洞窟に入り、髑髏の祭壇と黒の碑を見つける。ブランは碑を抱えて持ち帰り、ダゴンの沼に投げ込んで隠す。ブランが碑を盗んだことを感づいた<やつら>は、ブランとアトラを取り囲む。無数の悪鬼に包囲されたブランは、啖呵を切り「黒の碑を渡す代わりに、邪神の力を貸せ」と言い、悪鬼たちを脅す。ピクト王と闇の種族の取引は成立した。 ブランは沼から碑を回収し、予測通りならばスラが来ているであろう要塞塔に偵察に行くも、その塔は消え失せていた。生存者の兵士から、地の底から現れた「蛆虫」が塔の礎石を破壊したことや、スラ総督が悲鳴を上げていたという証言を得たブランはようやく、己が召喚した存在の危険性に気づく。 ブランは碑を携え、悪鬼たちとの取引場所、石柱群「ダゴンの環」に行く。アトラが先に来ており、悪鬼たちもやって来て、「暗黒の渦」からスラが姿を現す。スラは拷問を受けていたわけではなかったものの、やつらのあまりの忌まわしさに耐えきれず、精神が崩壊していた。ブランはスラを惨殺してやろうと考えていたが、彼の惨状を見て考えを改め、一刀のもとに首を刎ね、介錯する。 アトラは「こいつらがそんなに忌まわしいものか、そんなやつらの手を借りる人間と比べてもか」と言う。ブランは態度を豹変させ、おぞましさで一杯となり、悪鬼の一人に碑を力任せに投げつけ、ぶつける。掌を返して逃げようとするブランを、アトラは嘲笑する。ブランは忌まわしい邪悪から離れ、戦場の血で己の身と心を清めようと、北に馬を飛ばす。 WT1934年2月号に掲載された。 古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。語り手のジェームズ・アリスンは『恐怖の庭』にも登場する。ブラン・マク・モーンの輪廻転生譚でもある。 北欧だが、ブリテン島とは明言されていない。また闇の種族への言及はあるが直接登場はせず、邪神の方が登場している。ほかには「旧支配者」や「宇宙的恐怖」など、HPLから語を借用してきている。 倉阪鬼一郎は「おそらくは作者の狂気の然しめるところにより、太古の英雄の記憶を持つ主人公が直接古代で戦うという異様な構造になっている。ここに登場する怪物の描写は、ラヴクラフトと甲乙つけがたいぐちゃぐちゃどろどろぶりだが、結末がまったく違う。ハワードの場合は、英雄が怪物に矢を射かけ、あまっさえスサノオノミコトよろしく斬り殺してしまう」「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と解説する。 わたし、ジェームズ・アリスンは、アーリア人の男性として、何度も輪廻転生を続けてきた。ブラン・マク・モーンもニオルドも、わたしの前世である。 全男子500名が兵士を務めるアサ神族は、放浪の末に<妖蛆の国>に迷い込んだ際にピクト族と遭遇し、戦いへと発展する。わたし(ニオルド)はグロムという強敵と闘って勝利するも、気まぐれからとどめを刺さず、手当てして帰してやる。するとピクトの者たちはアサの強さに感服し、両部族間で和約が成立する。 わたしはグロムと友になり、共に狩りに出るようになる。グロムは、ピクト族は「密林の大蛇サーダ」と<廃墟の谷>を恐れ近づかないと語る。曰く、古代ピクトの部族が谷に入り込んだところ、そっくり消え去ってしまったという。 わたしは剣歯虎を狩った際に死にかけ、数ヶ月間生死の境をさまよう。その間に、アサの民族から、ニオルドの友・ブラギの一族が分離独立を果たし、<廃墟の谷>に移り住む。古潭を信じるピクト族は諫めるも、アサの者たちは一笑に付しただけであった。やがて恢復したわたしが谷を訪問したところ、小屋はぺちゃんこに潰れ、人体の残骸が散乱しており、彼らは全滅していた。巨大な芋虫がごとき足跡が、谷の下の方に続いている。わたしが剣を抜いて足跡を追跡しているところにグロムが助けに来る。 わたしは密林に赴き、知恵をしぼって大蛇サーダを討ち取り、毒を採取する。続いて谷に行き、ブラギ一族の仇である「蛆のような怪物」に、サーダの毒矢を射かけ、剣で致命傷を与える。妖蛆は地下の闇へと転がり落ちて絶命する。傷を負ったわたしは、グロムに己の雄姿を語り継ぐよう言い残して落命する。 WT1936年12月号に掲載された。 中東の砂漠を舞台としたアクション神話作品。登場人物たちは20世紀前半のアウトロー冒険家や盗賊であり、ライフルを主武装とする。 WTに発表され、日本語にも邦訳されている版は、決定稿だが、大幅に書き替えられる前の初期稿も存在する。初期稿はクトゥルフ神話要素がずっと少なく、また1972年になり発表された。 古代、アッシュールバニパル王宮の魔道士ズトゥルタンは、魔物を眠らせて宝石を盗む。魔道士は預言の力を振るい、いつしか宝石は王に敬意を表して「アッシュールバニパルの焔」と呼ばれるようになる。だが王国は邪悪なものに襲われ、民衆は鬼神の祟りと叫びたてたことで、王は魔道士に宝石を魔物に返却するよう命じる。魔道士は拒否し、叛逆都市カラ=シェールに逃げ込むが、そこで都市の王と宝石の奪い合いになり殺される。だが、魔道士は死ぬ間際に魔物を解放しており、偽王は呪いを受けて死に、宝石を握ったままミイラとなる。叛逆都市は荒廃し無人となる。 20世紀、スティーヴ・クラーニイとヤル・アリという2人組の冒険家は「アッシュールバニパルの焔の話」の噂を聞き、眉唾と思いつつも、伝説を追って暗黒の都市カラ=シェールを探す。しかし砂嵐でラクダを失い、続いて盗賊に襲われ、水も尽き、命からがら古代都市にたどり着く。2人は玉座に宝石をつかんだ骸骨を見つけ、ヤル・アリは宝石を持ち帰ろうとするスティーヴを止める。そこへ盗賊たちが大勢で古代都市にたどり着き、2人は制圧される。 盗賊の頭領は旧敵ヌレディンであった。ヌレディンは宝玉を己のものにしようとするが、配下の盗賊達は呪いを怖れて反対する。ヌレディンが迷信と一蹴して宝石を掴むと、壁に黒い穴が空き、触手が伸びてきてヌレディンを掴む。アラブ人盗賊達は悲鳴を上げて逃げ出し、縛られたスティーヴとヤル・アリは見たら死ぬものが来たことを察し、悪臭と冷気に耐えて微動だにせず、ひたすら怪物が去るのを待つ。2人が目を開けたとき、骸骨が宝石を再び握り、ヌレディンの生首と怪物の足跡が残されていた。 2人は宝石を諦め、なんとか縄を切ると、盗賊の馬で遺跡から逃げ出す。スティーヴは、人類以前に地球を支配していた物たちが異次元で生き永らえているという真実に思い至る。 東雅夫は「ハワード得意のテンポよい冒険活劇調で展開される、神話大系の中ではやや毛色の変わった作品。<インディ・ジョーンズ>シリーズの先駆!?」と解説している。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、本作はその典型と解説している。 朱鷺田祐介は「コナンの作者らしい暴力と魔術に満ちた現代秘境冒険物語」と解説し、続けて「ラヴクラフトの『無名都市』からイマジネーションを受けたものであることがわかる」。と付け加えている。 倉阪鬼一郎は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と評し、例として古代都市を登場させたこの作品を挙げて「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している。 WT1937年2月号に掲載された、ハワードが生前に最後に発表したクトゥルフ神話作品である。 語り手のキロワン教授(英語版)とコンラッドは、過去作『夜の末裔』から引き続いての登場人物である。 東雅夫は「典型的な<妖術師物語>の一編だが、マリク・タウス、コスなど、独自の神話アイテムが盛り込まれている」と解説している。 HPLが創造した神話用語「コス」をハワードが導入している。固有名詞コスは、HPL設定では主にドリームランドの用語であるが、ハワードは地名として用いている。この固有名詞は、リン・カーターが神の名前(大地の神々の一柱)としているという、難解で複雑なことになっている。またハワード神話らしく、「カトゥルス」への言及もある。 老オカルティストのジョン・グリムランは、唯一の友であるジョン・コンラッドに遺言状を渡し、死ぬまで決して開封しないことや、死んだら正確に指示に従うことを約束させる。1930年3月10日、グリムランは発作に倒れ、コンラッドに遺言状を破り捨てるようわめきながら、苦痛に悶えて息を引き取る。コンラッドは遺言状を開封して、約束通りに指示に従うことにする。 遺言状には「書庫の黒檀のテーブルに遺体を置き、周囲に7本の蝋燭を灯し、別途記す呪文を唱える」よう指示があり、墓は不要とされていた。またグリムランの財産は、マリク・タウスという東洋人に全て譲ると取り決められていた。怖くなったコンラッドは友人のキロワンに助けを求める。キロワンは、マリク・タウスは人名どころか絵空事の悪神の名であると、困惑する。 コンラッドはキロワンを伴ってグリムランの屋敷に戻る。すると蝋燭に火が灯されており、グリムランの友人を名乗る東洋人がいた。コンラッドとキロワンは男の雰囲気に呑まれ、彼の事務的な指図にぼんやり従う。コンラッドが読み上げる呪文の紙には、グリムランが悪魔と契約して長命を得たことや、今夜が悪魔への支払いの期日だということなどが書かれていた。コンラッドの声は震え、読み進めるごとに蝋燭が1本ずつ消えていき、キロワンも恐怖に身動きができない。コンラッドが読み終わると同時に、最後の蝋燭の炎が消え、部屋は闇に包まれる。奇怪な叫び声が上がり、悪臭がたれこめ、混乱したコンラッドが明かりをつけると、東洋人とグリムランの死体が消えていた。 2人が炎上する屋敷から脱出した際、巨大な生物がグリムランの死体を掴んで空を飛んでいた。 没後の1970年に発表された。 ハワードは1936年に死去したが、後にグレン・ロードがコレクターを経て正式な遺産著作物管理者となり、残されていた多数の原稿・断片・完成稿などが発見される。これらの遺稿は、1960年代後半に起こったハワードのリバイバルブームに拍車をかけた。本作もそれら未発表であった作品の1つであり、1970年にセミプロジン『ウィアード・ブック』3号に発表された。 那智史郎は単行本解題にて「ラヴクラフトの小説に出てくる無力な主人公とはちがってヒーローが怪物を切り刻んでしまう」と解説している。 東雅夫は「『ダニッチの怪』風の異次元怪物養育譚だが、主人公が先祖伝来の破邪の剣をひっさげて妖術師の屋敷に乗りこみ、蹄をもつグロテスクな怪物をめった切りにするあたりが、いかにもハワードらしい」と解説している。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、そのうえで本作は(神話から)「無理やりハワード世界に移行する」と言い「たしかに痛快だが、相手方の魔物が迫力不足になってしまう嫌いがある。ままならないものである」と解説している。 近所で猫が消える事件が多発し、マージョリーの愛猫ボゾも姿を消す。彼女の婚約者マイケルは近隣に話を聞くうちに、半年ほど前に引っ越してきたジョン・スタークという学者と知り合う。マイケルはスタークの屋敷で奇妙な物音を聞き、尋ねられたスタークはペットが成長しているのだと回答する。マイケルはマージョリーに犬を与え、彼女は飼い猫と同じボゾという名前を付ける。時が過ぎるにつれ、犬や幼児、さらには浮浪者まで姿を消す。街は恐怖に震え、市当局は市民に警告を発し、警備を強化する。 マイケルがスタークに対して抱いていた疑念は、足を悪くしているはずの彼が松葉杖をついていなかったことに気づいたことを契機にさらに深まる。夜、ボロボロに傷ついたボゾが、マイケルの元にやって来る。ボゾはスターク邸へとマイケルを導く。マイケルは、スタークが電話でマージョリーをおびき出したのだと理解し、完全に敵とみなす。マイケルは家宝の大剣を構えて屋敷に突入し、縛られているマージョリーを発見する。屋敷じゅうに奇怪な蹄の足音が響き渡る中、マージョリーは、スタークが何かに餌を与えて育てているらしいことを証言する。マイケルはマージョリーとボゾを逃がし、単身で屋敷の奥へと切り込む。巨大化した怪物は、既にスタークを食い殺していた。マイケルは怪物と対峙し、負傷しつつも、怪物を切り刻んで殺す。しかし倒された怪物の死体は、不可解な化学反応を起こしながら、発光する流動体となり、少しずつ広がろうとする。マイケルは屋敷に火をつけて全てを燃やし、マージョリーとボゾを連れて生還を果たす。 『ファンタジー・マガジン』1935年9月3周年記念号に掲載されたリレー共作。5人の作家が書いており、内訳はC・L・ムーア、エイブラハム・メリット、HPL、ハワード、フランク・ベルナップ・ロングで構成され、ハワードは4章を担当した。 オーガスト・ダーレスが補作したもの。1971年に発表された。 ジャスティン・ジョフリを掘り下げている。またキロワンとコンラッドと同名の人物が登場する。ただし本作のキロワンはフルネーム不明で、またコンラッドは「ジェームズ・コンラッド」という名前になっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話について解説する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "主に1930年代に『ウィアード・テールズ』(以下WT)誌に掲載された。ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(以下HPL)と大きく関係する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "もともとクトゥルフ神話のシリーズとして書かれてはおらず、他シリーズの1作品が神話要素を含んでいる短編が一定量を占める。ハワードのヒロイック・ファンタジーは複数シリーズ同士で年表を作ることが可能で、そこに神話作品も加わる。大まかな時系列順ではキング・カル、英雄コナン(ハイボリア時代)、ブラン・マク・モーン、ターロウ・オブライエンとなる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "アーサー・マッケンの影響を受けている。またHPLとの交流があり、最初期神話『夜の末裔』から既にHPLと相互の影響がある。「蛇人間」がハワード・HPL・スミス3作家を繋げる際に中核を担っており、流れがハワードとHPLの没後に加速して「クトゥルフ神話」として統合されるに至る。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "非人間種族(仮称・大地の妖蛆)をテーマとする作品が4作品ある。また特定の固有名詞が複数の作品で異なる意味で使い回されている。加えて、複数の作品に登場する怪物たちを全てゴル=ゴロスとする解釈がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ストーリーにもパターンがあり、輪廻転生前の記憶が蘇ったり、碑を崇める非人間種族が登場したり、人間以前の太古の支配者が今なお潜んでいるといった作品が複数ある。作劇として、アイデアを使い回す、非神話アイデアを神話に作り変えるなどが行われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "倉阪鬼一郎は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "東雅夫は作品個別に解説があり、さらに「ハワードの正調神話作品は、総じて作者の本領を十全に発揮するものとはなっていない憾みがあるが、これはおそらく神話作品の定石によったのではハワードの持ち前の“狂おしき闘争本能”が不完全燃焼に終わらざるをえないためではないだろうか」と付け加える。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "朱鷺田祐介は「ハワードは特に独自の神格を生み出すというよりも、独自の解釈で、神話要素を取り込んだ恐怖小説やヒロイック・ファンタジーを書いた」と解説する。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "倉阪・東の両名は後期3作『妖蛆の谷』『闇の種族』『大地の妖蛆』に着目しており、倉阪はラヴクラフト・スクールとヒロイック・ファンタジーが融合した「特異な作品群」「まぎれもないハワードの」神話と評し、東は「神話風味のヒロイック・ファンタジー作品」「蛮族の英雄たちと邪神の眷属との荒ぶる戦いが狂熱のうちに活写されている」と評する。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "邦題が複数ある場合の優先はクト、黒の碑の順とする。ただし表題作になっている『黒の碑』のみ例外とする。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "5作家によるリレー共作『彼方よりの挑戦』で第4章を書いている。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "またオーガスト・ダーレスが合作名義で『黒の詩人』という作品を発表している。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "WT1929年8月号に掲載された。", "title": "1:影の王国" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "キング・カルシリーズ3作の第1作である超古代ヒロイック・ファンタジー。クトゥルフ神話というより先行作品だろうとも言われている。ヴァルーシアの蛇人間の初出であり、本作を読んだHPLは『闇に囁くもの』でヴァルーシアの蛇人間について言及を行った。", "title": "1:影の王国" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "WT1931年4・5月合併号に掲載された。en:The Children of the Night", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "アーサー・マッケンの影響を受けており、またHPLとの交流を経て生まれた作品である。ハワード『影の王国』→HPL『闇に囁くもの』→本作という流れを経ており、HPL作品に登場する魔道書「ネクロノミコン」や邪神の固有名詞が借用されている。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "コンラッドとキロワン教授(英語版)の2人は後続作品にも登場する。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "特記すべきは、「無名祭祀書」が最初に登場した作品であること。またハワードの邪神であるゴル=ゴロスが名前だけ初登場している。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "主人公の言葉を借りる形で、エドガー・アラン・ポー『アッシャー家の崩壊』、アーサー・マッケン『黒い石印』、HPL『クトゥルーの呼び声』が賞賛されている。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "蔵書家コンラッドの書斎に6人が集い、喧々囂々の議論が交わされる。そして話題は、イギリス最古の種族である、小柄で非人間的な、トロールや矮人伝説のモデルとなった種族へと移る。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "コンラッドが新石器時代の槌を取り出し、他に類のない珍しいものだと、皆に披露する。ケトリックが槌を手に取り、使い方のコツを掴もうとする。ところが、槌がケトリックの手の中で「蛇のように」ねじれて飛び出し、そばで見ていたわたしの頭に命中し、わたしは昏倒する。わたしは気が付くと古代人の格好をして、暗い森の中に横たわっていた。近くには5人の男の惨殺死体が転がっており、周囲には悪鬼どもが屯していた。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "わたし=アリテラは、仲間5人と狩猟のために森に来ていたことを思い出す。皆が休んで眠っている間、わたしは見張り役を務めていたのだが、自分も眠ってしまった。その隙に仲間5人は悪鬼種族「夜の末裔ども」に殺され、わたしは失態に蒼ざめる。わたしは復讐心から単独で敵の集団に襲い掛かり、何人も虐殺した挙句、そのまま敵の村を襲撃する。部族の神イル=マリネンに、わたしは血の生贄を捧げ続ける。だが数には勝てず、わたしは全身に、悪鬼どもの石剣や槍による攻撃を浴び、ついに絶命する。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "我に返ったわたしは安楽椅子に寝かされており、5人が心配そうにのぞき込んでいる。ケトリックの黄色い目を見たとたん、わたしの奥底から敵意が沸き起こり、わたしはケトリックに襲い掛かり首を絞める。コンラッドはわたしが発狂したと判断し、ケトリックを部屋の外に避難させる。コンラッドたちは、わたしの頭に槌が当たったせいで正気を失ったと考える一方、わたしはケトリックが「夜の末裔」の末裔であるとして殺意をむき出しにする。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "6人全員が、イギリス人またはイギリス人の血を引くアメリカ人。", "title": "2:夜の末裔" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "WT1931年10月号に掲載された。ターロウ・オブライエンシリーズ3作の1つであり、『暗黒の男』の続編にあたる。2022年に翻訳された。", "title": "3:バル・サゴスの神々" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "バル・サゴスの神々ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカが登場する。ハワードが創造したこの2神については本作品で全て語られているのだが、後の「クトゥルフ神話」では解釈とアレンジが作用して難解なことになっている。", "title": "3:バル・サゴスの神々" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "WT1931年11月号に掲載された。創元推理文庫から出ている短編集の表題作であり、表紙のイラストになっている。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ハワードが創造した狂詩人ジャスティン・ジョフリの初出作品である。冒頭部にてジョフリの詩が引用されており、この手法は後の作品でも用いられることになる。また「無名祭祀書」が登場する。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "東雅夫は「奇怪な黒い石にまつわる伝説に、異民族間の抗争をからめて描いているあたりに、ヒロイック・ファンタジー作家としてのハワードの関心の所在が示されている」と解説している。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "朱鷺田祐介は「ハワード神話作品の頂点」と評し、「優れた恐怖作品であるとともに、古代の邪教信仰と、オスマントルコの東欧侵攻を絡めた歴史伝奇ロマンに仕上がっている。特に主人公が見る悪夢の場面はハワードならではの迫力がある」と解説している。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "16世紀以前、ハンガリーの村ズトゥルタンには、マジャール=スラヴと太古からの原住民の混血である人々が住んでいた。邪教を信奉する彼らは、近隣の村から幼児や女性をさらい、神に生贄として捧げる。やがて侵攻してきたオスマン・トルコ軍のセリム・バハトゥル将軍は、住民の所業を知ると彼らを皆殺しにし、近くの洞窟に潜んでいたヒキガエルのような怪物と戦う。セリム将軍はその状況を巻物に記録するも、戦争でポーランド人領主のボリス伯爵に討たれる。伯爵は巻物から村の事実を知り、恐怖に震える。ボリス伯爵は奇襲を受けて死に、遺体と巻物は崩れる城に置き去りとなる。やがて低地の村の者達が移り住み、村はシュトレゴイカバール(魔女の村)という名前に変更される。不気味な碑は残されるが、正体を知る者はいなくなる。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "19世紀のドイツの隠秘家フォン・ユンツトは、黒の碑のことを「黒の書」(無名祭祀書)に記す。また20世紀になるとアメリカの詩人ジャスティン・ジョフリが村を訪れ、碑にまつわる詩を詠む。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1931年、わたしはフォン・ユンツトの「黒の書」を読むうち、「黒の碑」に関する記述に興味をもつ。またジョフリについても調べた結果、その碑がハンガリーの山奥シュトレゴイカバールに立つ不吉なモノリスであることを突き止める。わたしは休暇を利用し、村を訪れる。村では、血の繋がらない前の村の住民達による邪神崇拝にまつわる噂が、400年経った現在でも伝わっていた。碑を壊そうとした者には災いがふりかかり、真夏の夜に碑に近づいたことで発狂した者もいたそうである。碑の近くで眠ったある者は、悪夢に苛まされるようになった。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "6月23日の夏至の夜(聖ヨハネ祭の前夜)、わたしは碑の傍らで眠気に襲われ、夢の中でグロテスクな狂宴の光景を幻視する。女子供が人身御供に捧げられ、裸体の男女が踊り狂い、黒の碑の頂上には巨大な蛙に似た化物が座り込む。目覚めたわたしは、これがただの夢ではなく過去の映像だと考え、ボリス伯爵の城跡にはセリム将軍が記した巻物があるはずだと思い至る。わたしは城跡を暴き、伯爵の亡骸と小箱を見つける。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "小箱の中には巻物と邪神像が収められており、わたしは巻物を解読してこれらを証拠と確信する。人間が必ずしも地球の支配者ではないことを理解したわたしは、黒の碑のような外世界への扉や、似たような怪物が他にもいるかもしれないことに思いを馳せる。わたしは巻物と邪神像を小箱に納め直し、石の重しをつけて河へと投げ込む。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "邦訳の異なる固有名詞は、『クトゥルー4』『黒の碑』の順で記す。", "title": "4:黒の碑" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "WT1931年12月号に掲載された。", "title": "5:暗黒の男" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "剣と魔法の冒険歴史小説。ターロウ・オブライエンシリーズの1つであり、『バル・サゴスの神々』の前日譚である。", "title": "5:暗黒の男" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ブラン・マク・モーンのシリーズとクロスオーバーしており、ブランの最期が言及されている。過去作『夜の末裔』で言及あるブラン崇拝にまつわる短編であり、タイトルの<暗黒の男>とは、死後に神格化したブランを指す呼称である。", "title": "5:暗黒の男" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "WT1932年2月号に掲載された。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "「無名祭祀書」が重要な役まわりを果たしており、文献に複数の版があり内容が異なる(情報が抜け落ちる)ために初版を探すというストーリーが展開される。冒頭にジャスティン・ジョフリの詩が引用されている。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1793年に中米ホンジュラスの密林を訪れたスペイン人冒険家のフアン・ゴンザレスは、「地下に異常なものが隠された神殿」という原住民の伝説を、懐疑的に記録する。100年以上後、ドイツ人神秘家のフォン・ユンツトはこの神殿を訪れ、「蟇の神殿」と名付けたうえで著書「無名祭祀書」に記録する。この文献は版を重ねる中で、誤訳や検閲により情報が抜け落ちる。20世紀、山師タスマンが偶然神殿に迷い入るも、時間も道具もなく引き返す。タスマンは「無名祭祀書」の第3版で、神殿とミイラへの簡単な言及をみつけ、かつての神殿のことだと察する。第2版には、誤訳だらけの中で「宝玉は鍵である」と記載されていた。タスマンは財宝伝説の裏付けをとるべく、初版を読まねばならないと結論付ける。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "その後、タスマンはロンドン在住の考古学者であるわたし(語り手)に、「無名祭祀書」の初版の入手を要求する。タスマンはかつて、わたしの研究に難癖をつけて信用を傷つけようとしたことがあったが、本が見つかれば先の非難を全面撤回して誌上に謝罪広告を掲載すると言われ、わたしは要求を受け入れる。後日、わたしが入手した初版本から神殿の記述を確認したタスマンは、急いで中米へと向かい、神殿に入る。彼はミイラの持つ「蟇形の宝玉」を奪い取って祭壇の隠し扉を開いたが、中に財宝などは無く、失意の彼は宝玉だけを持ち帰る。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "タスマンはわたしを呼び出し、探検の顛末を語る。タスマンは中米からずっと何かに追跡されており、言動も要領を得ない。さらに屋根の上からは、蹄を踏み鳴らすような足音が響く。わたしはタスマンが完全に狂っていると確信しつつ、本を読み返して「眠れるものを乱すなかれ」「神殿の神こそ、神殿の霊宝なり」という言葉から、タスマンが持ち帰った宝玉が神そのものであり、彼が封印を解いてしまったことに気づく。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "その後、タスマンは頭部を砕かれて死ぬ。現場には蹄の跡と粘液が残され、宝玉は無くなっていた。", "title": "6:屋根の上に" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『ストレンジ・テールズ』1932年6月号に掲載された。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。輪廻転生前の記憶が蘇り、主人公のモノローグがシームレスに古代に移行するという構成をとっている。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "後にシリーズ化する「英雄コナン」が最初に登場した作品。だがあくまで初期版であり、後のコナンとは設定が大きく異なっており、実質的に名前が同じだけの別人である。「略奪者コナン」はゲール人で、「英雄コナン」はハイボリア時代(英語版)のキンメリア人(アトランティス人の子孫)と設定されている。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "彼女エリナが愛しているのが、おれジョン・オブライエンと彼リチャードのどちらなのか、彼女が明言しないために、おれにはわからない。おれは、エリナへの思慕とリチャードへの憎悪を募らせ、気が狂いそうになる。そんな折に、恋敵リチャードが一人きりで<ダゴンの洞窟>に遊山に行くと聞き、おれは彼を謀殺すべく後を追う。矮人族が掘ったと伝説されている洞窟に、おれは今まで一度も来た事などないにもかかわらず、妙な見覚えを感じる。おれは階段で足を踏み外し、転げ落ちて失神する。目を覚ますと、自分の姿が変わっていた。腰布を巻き、皮草履を履き、足元には幅広の鉄剣が落ちている。そうか、おれは略奪者コナンであったと、己の耄碌を呆れる。おれはブリトン人に攻撃を仕掛けている最中であり、敵の女たちの中に惚れた女がいたために、追いかけていたことを思い出す。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "恋敵ヴェルトーリクスが、彼女タメラを逃がして、おれの前に立ちはだかる。2人は武器を打ち合うも、両者致命打には至らない。女は、洞窟に逃げ込むように男に言う。男は、忌まわしい洞窟に入るのはやめて森に逃げるように言うが、女は洞窟に入り込む。男はおれを無視して飛び去り、洞窟に駆け込んだ女を追う。おれと男は、洞窟の入口付近でなお戦い続けるも、洞窟の奥から女の絶叫が響くと、男は戦いをやめ、女を追って奥に入り込む。おれは、ひょっとするとこの洞窟こそ、かの忌まわしき<魔の夜の末裔>の洞窟である可能性に思い至る。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "洞窟内の一室で、おれは髑髏を積み上げた祭壇と、伝説の<黒の碑>をみつける。その横では、タメラとヴェルトーリクスの2人が縛られており、さらに悪鬼のごとき原始人が1人いた。おれは、生き残るためにはもはやヴェルトーリクスと共闘するしかないと判断し、原始人を斬殺して、ヴェルトーリクスとタメラの縄を切り、3人で道すらわからない地下道に逃げ込む。背後からは、悪鬼の仲間たちの気配が迫りくる。おれは女の護衛を恋敵に任せて先行させ、自分は悪鬼たちの足止めを図る。だが迷路のような地下道を進んだヴェルトーリクスとタメラは、崖の袋小路へと追い詰められ、抱擁し合い崖下の激流に身を投げる。別ルートを行ったおれは、離れた場所から2人の最期を見届ける。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "呆然とするおれ=コナンは、いつの間にかジョン・オブライエンに戻っていた。今までの異様な記憶は、階段から落ちたショックで見た夢か? だがおれは、この洞窟が、記憶の洞窟と同じであることに気づく。あの悪鬼どもは20世紀の現代にもまだいるのだろうかという疑問を抱きつつ、記憶をたどり地下道を進むと、そこにはリチャードとエリナがいた。2人はおれに気づいておらず、おれはポケットの中の拳銃を掴む。エリナには、おぼろげに前世タメラの記憶があるらしく、洞窟の光景に覚えがあると言う。続いてエリナはリチャードに、自分が愛しているのはリチャードだと明言し、それを聞いたおれはここに至ってようやく自分こそが異物だったのだと理解する。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2人の前に、1匹の悪鬼が姿を現す。そいつを見たおれは、闇の種族の最後の1匹だと察する。悪鬼は2人に襲い掛かろうとし、リチャードはエリナを守るべく素手で悪鬼に立ち向かう。おれは拳銃を構え、悪鬼を射殺する。", "title": "7:闇の種族" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "WT1932年11月号に掲載された。en:Worm of the Earth", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ブラン・マク・モーンのシリーズの1つ。古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、ローマ属州時代のブリトン島(ブリタンニア)を舞台に、蛮族の豪傑がローマに対抗するために邪神の眷属の力を借りようとするストーリーが展開される。ブランの死後の出来事は『暗黒の男』『夜の末裔』に続いていく。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ハワードが、HPLから固有名詞を借りて登場させている。ルルイエとダゴンの名前が出ているほか、初期の版ではクトゥルフの名前が出ていたが後の版では無くなっている。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "はるかな古代、ブリテン島には、<闇の種族>が住んでいたが、後から来たピクト人に追いやられ、ひっそりと隠れ住むようになる。ローマも台頭しブリテンに進出する。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "3世紀。ピクト王ブラン・マク・モルンは、ピクト大使パルタ・マク・オツナと身分を装い、敵情を視察すべくエボラクムに滞在していた。あるとき、ピクト人の男が死罪を宣告されるが、その裁判はローマ人側に一方的に有利な判決であった。刑場にて、ローマ総督スラは、処刑をパルタに見せつけ、尊大にふるまう。総督の側近である将官ヴァレリウスが、十字架上の男を嘲笑すると、男はヴァレリウスの顔に唾をはきかける。ヴァレリウスが激昂して剣を抜き男を刺し殺すと、スラ総督は「できるだけ苦しめて死なせたいのに、即死を与えてやるなどとは軽率だ」と言う。ピクトを侮辱され、ブランは怒りを押し殺す。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "夜、夢に現れた老ゴナルに対し、ブランは「邪神の力を借りてスラに復讐する」と主張する。ゴナルはブランの判断を狂気とたしなめるが、ブランは聞き入れない。ブランはヴァレリウスを暗殺して男の仇を取り、もはや仮の名で潜伏するつもりもなく、馬を飛ばして西方に向かう。ブランの作戦は、北のゲール族をそそのかして挙兵させ、ローマ軍を北と西に誘導し、西に来るスラ総督を待ち伏せすることである。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ブランは沼地で、異民族の魔女と出会う。<ダゴンの浦>の魔女、沼地の妖女アトラは、古い闇の種族との混血であり、忌まれ差別を受けていた。「邪神に接触する扉を探している」「復讐のために邪神の力を借りる」と言うブランを、アトラは狂っているのかと問う。アトラは彼がブラン王と見抜いており、「あたしは半分は人間だ」「いくら忌まれようとも、心がある」「呪われたあたしに、王との愛の接吻をくれ」と言う。ピクト王と魔女の取引は成立した。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ブランは「ダゴンの塚」の洞窟に入り、髑髏の祭壇と黒の碑を見つける。ブランは碑を抱えて持ち帰り、ダゴンの沼に投げ込んで隠す。ブランが碑を盗んだことを感づいた<やつら>は、ブランとアトラを取り囲む。無数の悪鬼に包囲されたブランは、啖呵を切り「黒の碑を渡す代わりに、邪神の力を貸せ」と言い、悪鬼たちを脅す。ピクト王と闇の種族の取引は成立した。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ブランは沼から碑を回収し、予測通りならばスラが来ているであろう要塞塔に偵察に行くも、その塔は消え失せていた。生存者の兵士から、地の底から現れた「蛆虫」が塔の礎石を破壊したことや、スラ総督が悲鳴を上げていたという証言を得たブランはようやく、己が召喚した存在の危険性に気づく。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ブランは碑を携え、悪鬼たちとの取引場所、石柱群「ダゴンの環」に行く。アトラが先に来ており、悪鬼たちもやって来て、「暗黒の渦」からスラが姿を現す。スラは拷問を受けていたわけではなかったものの、やつらのあまりの忌まわしさに耐えきれず、精神が崩壊していた。ブランはスラを惨殺してやろうと考えていたが、彼の惨状を見て考えを改め、一刀のもとに首を刎ね、介錯する。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "アトラは「こいつらがそんなに忌まわしいものか、そんなやつらの手を借りる人間と比べてもか」と言う。ブランは態度を豹変させ、おぞましさで一杯となり、悪鬼の一人に碑を力任せに投げつけ、ぶつける。掌を返して逃げようとするブランを、アトラは嘲笑する。ブランは忌まわしい邪悪から離れ、戦場の血で己の身と心を清めようと、北に馬を飛ばす。", "title": "8:大地の妖蛆" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "WT1934年2月号に掲載された。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "古代ヒロイック・ファンタジーの短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。語り手のジェームズ・アリスンは『恐怖の庭』にも登場する。ブラン・マク・モーンの輪廻転生譚でもある。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "北欧だが、ブリテン島とは明言されていない。また闇の種族への言及はあるが直接登場はせず、邪神の方が登場している。ほかには「旧支配者」や「宇宙的恐怖」など、HPLから語を借用してきている。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "倉阪鬼一郎は「おそらくは作者の狂気の然しめるところにより、太古の英雄の記憶を持つ主人公が直接古代で戦うという異様な構造になっている。ここに登場する怪物の描写は、ラヴクラフトと甲乙つけがたいぐちゃぐちゃどろどろぶりだが、結末がまったく違う。ハワードの場合は、英雄が怪物に矢を射かけ、あまっさえスサノオノミコトよろしく斬り殺してしまう」「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と解説する。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "わたし、ジェームズ・アリスンは、アーリア人の男性として、何度も輪廻転生を続けてきた。ブラン・マク・モーンもニオルドも、わたしの前世である。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "全男子500名が兵士を務めるアサ神族は、放浪の末に<妖蛆の国>に迷い込んだ際にピクト族と遭遇し、戦いへと発展する。わたし(ニオルド)はグロムという強敵と闘って勝利するも、気まぐれからとどめを刺さず、手当てして帰してやる。するとピクトの者たちはアサの強さに感服し、両部族間で和約が成立する。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "わたしはグロムと友になり、共に狩りに出るようになる。グロムは、ピクト族は「密林の大蛇サーダ」と<廃墟の谷>を恐れ近づかないと語る。曰く、古代ピクトの部族が谷に入り込んだところ、そっくり消え去ってしまったという。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "わたしは剣歯虎を狩った際に死にかけ、数ヶ月間生死の境をさまよう。その間に、アサの民族から、ニオルドの友・ブラギの一族が分離独立を果たし、<廃墟の谷>に移り住む。古潭を信じるピクト族は諫めるも、アサの者たちは一笑に付しただけであった。やがて恢復したわたしが谷を訪問したところ、小屋はぺちゃんこに潰れ、人体の残骸が散乱しており、彼らは全滅していた。巨大な芋虫がごとき足跡が、谷の下の方に続いている。わたしが剣を抜いて足跡を追跡しているところにグロムが助けに来る。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "わたしは密林に赴き、知恵をしぼって大蛇サーダを討ち取り、毒を採取する。続いて谷に行き、ブラギ一族の仇である「蛆のような怪物」に、サーダの毒矢を射かけ、剣で致命傷を与える。妖蛆は地下の闇へと転がり落ちて絶命する。傷を負ったわたしは、グロムに己の雄姿を語り継ぐよう言い残して落命する。", "title": "9:妖蛆の谷" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "WT1936年12月号に掲載された。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "中東の砂漠を舞台としたアクション神話作品。登場人物たちは20世紀前半のアウトロー冒険家や盗賊であり、ライフルを主武装とする。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "WTに発表され、日本語にも邦訳されている版は、決定稿だが、大幅に書き替えられる前の初期稿も存在する。初期稿はクトゥルフ神話要素がずっと少なく、また1972年になり発表された。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "古代、アッシュールバニパル王宮の魔道士ズトゥルタンは、魔物を眠らせて宝石を盗む。魔道士は預言の力を振るい、いつしか宝石は王に敬意を表して「アッシュールバニパルの焔」と呼ばれるようになる。だが王国は邪悪なものに襲われ、民衆は鬼神の祟りと叫びたてたことで、王は魔道士に宝石を魔物に返却するよう命じる。魔道士は拒否し、叛逆都市カラ=シェールに逃げ込むが、そこで都市の王と宝石の奪い合いになり殺される。だが、魔道士は死ぬ間際に魔物を解放しており、偽王は呪いを受けて死に、宝石を握ったままミイラとなる。叛逆都市は荒廃し無人となる。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "20世紀、スティーヴ・クラーニイとヤル・アリという2人組の冒険家は「アッシュールバニパルの焔の話」の噂を聞き、眉唾と思いつつも、伝説を追って暗黒の都市カラ=シェールを探す。しかし砂嵐でラクダを失い、続いて盗賊に襲われ、水も尽き、命からがら古代都市にたどり着く。2人は玉座に宝石をつかんだ骸骨を見つけ、ヤル・アリは宝石を持ち帰ろうとするスティーヴを止める。そこへ盗賊たちが大勢で古代都市にたどり着き、2人は制圧される。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "盗賊の頭領は旧敵ヌレディンであった。ヌレディンは宝玉を己のものにしようとするが、配下の盗賊達は呪いを怖れて反対する。ヌレディンが迷信と一蹴して宝石を掴むと、壁に黒い穴が空き、触手が伸びてきてヌレディンを掴む。アラブ人盗賊達は悲鳴を上げて逃げ出し、縛られたスティーヴとヤル・アリは見たら死ぬものが来たことを察し、悪臭と冷気に耐えて微動だにせず、ひたすら怪物が去るのを待つ。2人が目を開けたとき、骸骨が宝石を再び握り、ヌレディンの生首と怪物の足跡が残されていた。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2人は宝石を諦め、なんとか縄を切ると、盗賊の馬で遺跡から逃げ出す。スティーヴは、人類以前に地球を支配していた物たちが異次元で生き永らえているという真実に思い至る。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "東雅夫は「ハワード得意のテンポよい冒険活劇調で展開される、神話大系の中ではやや毛色の変わった作品。<インディ・ジョーンズ>シリーズの先駆!?」と解説している。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、本作はその典型と解説している。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "朱鷺田祐介は「コナンの作者らしい暴力と魔術に満ちた現代秘境冒険物語」と解説し、続けて「ラヴクラフトの『無名都市』からイマジネーションを受けたものであることがわかる」。と付け加えている。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "倉阪鬼一郎は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と評し、例として古代都市を登場させたこの作品を挙げて「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している。", "title": "10:アッシュールバニパルの焔" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "WT1937年2月号に掲載された、ハワードが生前に最後に発表したクトゥルフ神話作品である。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "語り手のキロワン教授(英語版)とコンラッドは、過去作『夜の末裔』から引き続いての登場人物である。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "東雅夫は「典型的な<妖術師物語>の一編だが、マリク・タウス、コスなど、独自の神話アイテムが盛り込まれている」と解説している。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "HPLが創造した神話用語「コス」をハワードが導入している。固有名詞コスは、HPL設定では主にドリームランドの用語であるが、ハワードは地名として用いている。この固有名詞は、リン・カーターが神の名前(大地の神々の一柱)としているという、難解で複雑なことになっている。またハワード神話らしく、「カトゥルス」への言及もある。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "老オカルティストのジョン・グリムランは、唯一の友であるジョン・コンラッドに遺言状を渡し、死ぬまで決して開封しないことや、死んだら正確に指示に従うことを約束させる。1930年3月10日、グリムランは発作に倒れ、コンラッドに遺言状を破り捨てるようわめきながら、苦痛に悶えて息を引き取る。コンラッドは遺言状を開封して、約束通りに指示に従うことにする。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "遺言状には「書庫の黒檀のテーブルに遺体を置き、周囲に7本の蝋燭を灯し、別途記す呪文を唱える」よう指示があり、墓は不要とされていた。またグリムランの財産は、マリク・タウスという東洋人に全て譲ると取り決められていた。怖くなったコンラッドは友人のキロワンに助けを求める。キロワンは、マリク・タウスは人名どころか絵空事の悪神の名であると、困惑する。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "コンラッドはキロワンを伴ってグリムランの屋敷に戻る。すると蝋燭に火が灯されており、グリムランの友人を名乗る東洋人がいた。コンラッドとキロワンは男の雰囲気に呑まれ、彼の事務的な指図にぼんやり従う。コンラッドが読み上げる呪文の紙には、グリムランが悪魔と契約して長命を得たことや、今夜が悪魔への支払いの期日だということなどが書かれていた。コンラッドの声は震え、読み進めるごとに蝋燭が1本ずつ消えていき、キロワンも恐怖に身動きができない。コンラッドが読み終わると同時に、最後の蝋燭の炎が消え、部屋は闇に包まれる。奇怪な叫び声が上がり、悪臭がたれこめ、混乱したコンラッドが明かりをつけると、東洋人とグリムランの死体が消えていた。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "2人が炎上する屋敷から脱出した際、巨大な生物がグリムランの死体を掴んで空を飛んでいた。", "title": "11:墓はいらない" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "没後の1970年に発表された。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "ハワードは1936年に死去したが、後にグレン・ロードがコレクターを経て正式な遺産著作物管理者となり、残されていた多数の原稿・断片・完成稿などが発見される。これらの遺稿は、1960年代後半に起こったハワードのリバイバルブームに拍車をかけた。本作もそれら未発表であった作品の1つであり、1970年にセミプロジン『ウィアード・ブック』3号に発表された。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "那智史郎は単行本解題にて「ラヴクラフトの小説に出てくる無力な主人公とはちがってヒーローが怪物を切り刻んでしまう」と解説している。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "東雅夫は「『ダニッチの怪』風の異次元怪物養育譚だが、主人公が先祖伝来の破邪の剣をひっさげて妖術師の屋敷に乗りこみ、蹄をもつグロテスクな怪物をめった切りにするあたりが、いかにもハワードらしい」と解説している。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、そのうえで本作は(神話から)「無理やりハワード世界に移行する」と言い「たしかに痛快だが、相手方の魔物が迫力不足になってしまう嫌いがある。ままならないものである」と解説している。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "近所で猫が消える事件が多発し、マージョリーの愛猫ボゾも姿を消す。彼女の婚約者マイケルは近隣に話を聞くうちに、半年ほど前に引っ越してきたジョン・スタークという学者と知り合う。マイケルはスタークの屋敷で奇妙な物音を聞き、尋ねられたスタークはペットが成長しているのだと回答する。マイケルはマージョリーに犬を与え、彼女は飼い猫と同じボゾという名前を付ける。時が過ぎるにつれ、犬や幼児、さらには浮浪者まで姿を消す。街は恐怖に震え、市当局は市民に警告を発し、警備を強化する。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "マイケルがスタークに対して抱いていた疑念は、足を悪くしているはずの彼が松葉杖をついていなかったことに気づいたことを契機にさらに深まる。夜、ボロボロに傷ついたボゾが、マイケルの元にやって来る。ボゾはスターク邸へとマイケルを導く。マイケルは、スタークが電話でマージョリーをおびき出したのだと理解し、完全に敵とみなす。マイケルは家宝の大剣を構えて屋敷に突入し、縛られているマージョリーを発見する。屋敷じゅうに奇怪な蹄の足音が響き渡る中、マージョリーは、スタークが何かに餌を与えて育てているらしいことを証言する。マイケルはマージョリーとボゾを逃がし、単身で屋敷の奥へと切り込む。巨大化した怪物は、既にスタークを食い殺していた。マイケルは怪物と対峙し、負傷しつつも、怪物を切り刻んで殺す。しかし倒された怪物の死体は、不可解な化学反応を起こしながら、発光する流動体となり、少しずつ広がろうとする。マイケルは屋敷に火をつけて全てを燃やし、マージョリーとボゾを連れて生還を果たす。", "title": "12:闇に潜む顎" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "『ファンタジー・マガジン』1935年9月3周年記念号に掲載されたリレー共作。5人の作家が書いており、内訳はC・L・ムーア、エイブラハム・メリット、HPL、ハワード、フランク・ベルナップ・ロングで構成され、ハワードは4章を担当した。", "title": "番外:彼方よりの挑戦" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "オーガスト・ダーレスが補作したもの。1971年に発表された。", "title": "番外:黒の詩人" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "ジャスティン・ジョフリを掘り下げている。またキロワンとコンラッドと同名の人物が登場する。ただし本作のキロワンはフルネーム不明で、またコンラッドは「ジェームズ・コンラッド」という名前になっている。", "title": "番外:黒の詩人" } ]
ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話について解説する。
'''ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話'''について解説する。 ==概要== 主に1930年代に『[[ウィアード・テールズ]]』(以下WT)誌に掲載された。[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]](以下HPL)と大きく関係する。 もともとクトゥルフ神話のシリーズとして書かれてはおらず、他シリーズの1作品が神話要素を含んでいる短編が一定量を占める。ハワードの[[ヒロイック・ファンタジー]]は複数シリーズ同士で年表を作ることが可能で、そこに神話作品も加わる。大まかな時系列順では[[キング・カル]]、[[英雄コナン]](ハイボリア時代)、[[ブラン・マク・モーン]]、[[ターロウ・オブライエン]]となる。 [[アーサー・マッケン]]の影響を受けている<ref name="Jinten4-491">事典四「アーサー・マッケン」490-491ページ。</ref>。またHPLとの交流があり、最初期神話『夜の末裔』から既にHPLと相互の影響がある。「[[ヴァルーシアの蛇人間|蛇人間]]」がハワード・HPL・スミス3作家を繋げる際に中核を担っており、流れがハワードとHPLの没後に加速して「クトゥルフ神話」として統合されるに至る。 非人間種族(仮称・[[大地の妖蛆]])をテーマとする作品が4作品ある。また特定の固有名詞が複数の作品で異なる意味で使い回されている。加えて、複数の作品に登場する怪物たちを全てゴル=ゴロスとする解釈がある。 {{Main|大地の妖蛆|ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカ}} ストーリーにもパターンがあり、輪廻転生前の記憶が蘇ったり、碑を崇める非人間種族が登場したり、人間以前の太古の支配者が今なお潜んでいるといった作品が複数ある。作劇として、アイデアを使い回す、非神話アイデアを神話に作り変えるなどが行われている。 ==評価== [[倉阪鬼一郎]]は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している<ref name="Kurasaka">黒の碑「解説」([[倉坂鬼一郎]]・1991年)350-358ページ。</ref>。 [[東雅夫]]は作品個別に解説があり、さらに「ハワードの正調神話作品は、総じて作者の本領を十全に発揮するものとはなっていない憾みがあるが、これはおそらく神話作品の定石によったのではハワードの持ち前の“狂おしき闘争本能”が不完全燃焼に終わらざるをえないためではないだろうか」と付け加える<ref name="Jinten4-473">事典四「ロバート・アーヴィン・ハワード」473-475ページ。</ref>。 [[朱鷺田祐介]]は「ハワードは特に独自の神格を生み出すというよりも、独自の解釈で、神話要素を取り込んだ恐怖小説や[[ヒロイック・ファンタジー]]を書いた」と解説する<ref name="Tokita">新紀元社『クトゥルフ神話ガイドブック』([[朱鷺田祐介]])156-158ページ。</ref>。 倉阪・東の両名は後期3作『妖蛆の谷』『闇の種族』『大地の妖蛆』に着目しており、倉阪はラヴクラフト・スクールとヒロイック・ファンタジーが融合した「特異な作品群」「まぎれもないハワードの」神話と評し<ref name="Kurasaka" />、東は「神話風味のヒロイック・ファンタジー作品」「蛮族の英雄たちと邪神の眷属との荒ぶる戦いが狂熱のうちに活写されている」と評する<ref name="Jinten4-473" />。 ==作品== ===作品一覧=== 邦題が複数ある場合の優先はクト、黒の碑の順とする。ただし表題作になっている『黒の碑』のみ例外とする。 {|class="wikitable" |+ ハワードのクトゥルフ神話作品一覧 !英語原題!!邦訳題!!初出!!邦訳収録!!シリーズ!!備考 |- |The Shadow Kingdom||[[影の王国]]||[[ウィアード・テイルズ|WT]]1929/08||失われし者たちの谷、他||カル|| |- |The Children of the Night||夜の末裔||WT1931/04・05||ウィアード3||キロワン|| |- |The Gods of Bal Sagoth||[[バル=サゴスの神々|バル・サゴスの神々]]||WT1931/10||幻想と怪奇11||ターロウ|| |- |The Black Stone||黒の碑||WT1931/11||クト4、黒の碑、他||無名祭祀書|| |- |The Dark Man||暗黒の男||WT1931/12||失われし者たちの谷||ターロウ|| |- |The Thing on the Roof||屋根の上に||WT1932/02||クト8、黒の碑、他||無名祭祀書|| |- |The Children of the Night||闇の種族||[[ストレンジ・テールズ|ST]]1932/06||黒の碑、他||コナン外伝|| |- |Worm of the Earth||大地の妖蛆||WT1932/11||黒の碑||ブラン|| |- |The Valleyof the Worm||妖蛆の谷||WT1934/02||黒の碑、他||アリスン|| |- |The Fire of Asshurbanipal||アッシュールバニパルの焔||WT1936/12||クト7、黒の碑、他|| |- |Dig Me No Grave||墓はいらない||WT1937/02||クト5、黒の碑||キロワン|| |- |Usurp the Night||闇に潜む顎||没後1970||真ク3、新ク5|| |- |} 5作家によるリレー共作『[[彼方よりの挑戦]]』で第4章を書いている。 また[[オーガスト・ダーレス]]が合作名義で『[[黒の詩人]]』という作品を発表している。 ===収録=== ; 暗黒神話大系シリーズ クトゥルー : 青心社文庫・全13巻。クトゥルフ神話作品のアンソロジーであり、ハワードの神話も収録されている。 ; 黒の碑 クトゥルー神話譚 : ハワードの短編集。[[創元推理文庫]]、[[夏来健次]]訳、1991年刊行。1987年にアメリカで刊行された単行本『Cthulhu: The Mythos and Kindred Horrors』の邦訳版。序文は[[デヴィッド・ドレイク|デイヴィッド・ドレイク]]<ref group="注">邦訳されたクトゥルフ神話作品に『[[蠢く密林]]』がある。</ref>、日本語版解説は[[倉阪鬼一郎]]。 : 『死都アーカム(詩)』『'''黒の碑'''』『'''アッシュールバニパル王の火の石'''』『'''屋上の怪物'''』『'''われ埋葬にあたわず'''』『聖都の壁に静寂降り(詩)』『'''妖蛆の谷'''』『獣の影』『老ガーフィールドの心臓』『'''闇の種族'''』『'''大地の妖蛆'''』『[[鳩は地獄から来る]]』『顕ける窓より(詩)』の13編を収録。3編の詩は神話詩である。 ; 真ク・リトル・リトル神話大系 / 新編真ク・リトル・リトル神話大系 : 国書刊行会。クトゥルフ神話作品のアンソロジー。真クは全10巻、新クは全7巻。 ; 怪奇幻想小説シリーズ ウィアード : 青心社文庫・全4巻。絶版。 ; 失われし者たちの谷 : ハワードの短編集。ナイトランド叢書・書苑新社。2015年刊行。 ; 幻想と怪奇 : [[新紀元社]]。2020年から刊行中。[[幻想と怪奇|1970年代に歳月社から刊行された専門誌]]と同じ名前を冠する。 ; NAMELESS CULTS : 洋書・未訳・ISBN 1568821301。[[ロバート・M・プライス]]が編纂しケイオシアム社から2001年に刊行された。ハワード中心の神話短編集。タイトルは無名祭祀書を意味する。 ==用語== ; [[無名祭祀書]] : 版が3つある。著者はフォン・ユンツト。19世紀に書かれた。 : HPLが諸設定を付与した。HPLの『[[永劫より]]』と[[リン・カーター]]の『[[陳列室の恐怖]]』にて、[[ムー大陸]]とクトゥルフ一族に関連した書物に位置付けられる。 ; [[ヴァルーシアの蛇人間]] : 古代の知的爬虫類。 : [[クラーク・アシュトン・スミス]]の蛇人間に影響を与えたという説がある。HPLの無名都市爬虫類、ハワード蛇人間、スミス蛇人間の3種族は、3作家の異なる世界観を「クトゥルフ神話」という[[シェアードワールド]]として体系化するにあたり中枢を担った。 : 後のクトゥルフ神話ではハワード蛇人間とスミス蛇人間がほぼ統合され、追加設定まで付与されている。言ってしまえば、ハワード蛇人間は、クトゥルフ神話蛇人間の重要な元ネタではあるが、元ネタの1つでしかない。 ; [[大地の妖蛆]] : 仮称(正式な名称がない)。蛇人間が退化した成れの果てらしい。黒の碑と怪物的な神を崇める。ヒトとの混血がいる。 : ハワード神話において主要な悪役を担う。4作品『夜の末裔』『闇の種族』『大地の妖蛆』『妖蛆の谷』に登場しており、[[倉阪鬼一郎]]・[[東雅夫]]の両名がハワードの神話として着目する作品にはこいつらが登場する<ref name="Kurasaka" /><ref name="Jinten4-473" />。また他の短編で言及ある非人間種族もこいつらである可能性がある。 ; [[ゴル=ゴロス]] : 暗黒神。明確な登場がない。鳥の神グロス=ゴルカとも関連する。 : 後に[[ロバート・M・プライス]]が、ハワードの複数作品(バル=サゴスの神々、黒の碑、屋根の上に)に登場する怪物は全てゴル=ゴロスであり作品群が連作であったと解釈した。さらに[[リン・カーター]]の解釈が起因しゴル=ゴロスとグロス=ゴルカの2神は設定が混乱している。 ==1:影の王国== WT1929年8月号に掲載された。 {{Main|影の王国}} [[キング・カル]]シリーズ3作の第1作である超古代[[ヒロイック・ファンタジー]]。クトゥルフ神話というより先行作品だろうとも言われている<ref name="Jinten4-473" />。[[ヴァルーシアの蛇人間]]の初出であり、本作を読んだHPLは『[[闇に囁くもの]]』でヴァルーシアの蛇人間について言及を行った。 ==2:夜の末裔== WT1931年4・5月合併号に掲載された<ref>青心社『ウィアード3』56ページ。</ref>。[[:en:The Children of the Night]] [[アーサー・マッケン]]の影響を受けており<ref name="Jinten4-491" />、またHPLとの交流を経て生まれた作品である。ハワード『[[影の王国]]』→HPL『[[闇に囁くもの]]』→本作という流れを経ており、HPL作品に登場する魔道書「[[ネクロノミコン]]」や邪神の固有名詞が借用されている。 コンラッドと{{仮リンク|キロワン教授|en|John Kirowan}}の2人は後続作品にも登場する<ref name="Jiten4-347">事典四「墓はいらない」347-348ページ。</ref>。 特記すべきは、「[[無名祭祀書]]」が最初に登場した作品であること<ref>SBクリエイティブ『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』[[森瀬繚]]「無名祭祀書」190-191ページ。</ref><ref name="Jinten4-473" />。またハワードの邪神である[[ゴル=ゴロス]]が名前だけ初登場している<ref>SBクリエイティブ『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』[[森瀬繚]]「ゴル=ゴロス」120ページ。</ref>。 主人公の言葉を借りる形で、[[エドガー・アラン・ポー]]『[[アッシャー家の崩壊]]』、[[アーサー・マッケン]]『[[黒い石印]]』、HPL『[[クトゥルフの呼び声 (小説)|クトゥルーの呼び声]]』が賞賛されている<ref>青心社『ウィアード3』61ページ。</ref><ref name="Jinten4-491" />。 ===2あらすじ=== 蔵書家コンラッドの書斎に6人が集い、喧々囂々の議論が交わされる<ref group="注">タヴェラル「フォン・ユンツトは狂ってる」コンラッド「いや、正気だったのさ」キロワン「[[クトゥルー]]、[[ヨグ=ソトース]]、[[ツァトゥグァ]]、[[ゴル=ゴロス]]、[[ブラン・マク・モーン|ブラン]]崇拝などが、かつて存在したのは認めよう。現代まで残っているなど、莫迦げている」クレマンツ「ぼくの若い頃の友人は、夢見ながらうわごとで、ブラン崇拝について喋っていたよ」タヴェラル「ピクト人か」</ref>。そして話題は、イギリス最古の種族である、小柄で非人間的な、[[トロール]]や[[矮人]]伝説のモデルとなった種族へと移る。 コンラッドが[[新石器時代]]の槌を取り出し、他に類のない珍しいものだと、皆に披露する。ケトリックが槌を手に取り、使い方のコツを掴もうとする。ところが、槌がケトリックの手の中で「蛇のように」ねじれて飛び出し、そばで見ていたわたしの頭に命中し、わたしは昏倒する。わたしは気が付くと古代人の格好をして、暗い森の中に横たわっていた。近くには5人の男の惨殺死体が転がっており、周囲には悪鬼どもが屯していた。 わたし=アリテラは、仲間5人と狩猟のために森に来ていたことを思い出す。皆が休んで眠っている間、わたしは見張り役を務めていたのだが、自分も眠ってしまった。その隙に仲間5人は悪鬼種族「夜の末裔ども」に殺され、わたしは失態に蒼ざめる。わたしは復讐心から単独で敵の集団に襲い掛かり、何人も虐殺した挙句、そのまま敵の村を襲撃する。部族の神[[イルマリネン|イル=マリネン]]に、わたしは血の生贄を捧げ続ける。だが数には勝てず、わたしは全身に、悪鬼どもの石剣や槍による攻撃を浴び、ついに絶命する。 我に返ったわたしは安楽椅子に寝かされており、5人が心配そうにのぞき込んでいる。ケトリックの黄色い目を見たとたん、わたしの奥底から敵意が沸き起こり、わたしはケトリックに襲い掛かり首を絞める。コンラッドはわたしが発狂したと判断し、ケトリックを部屋の外に避難させる。コンラッドたちは、わたしの頭に槌が当たったせいで正気を失ったと考える一方、わたしはケトリックが「夜の末裔」の末裔であるとして殺意をむき出しにする。 ===2登場人物=== ;20世紀 6人全員が、[[イギリス人]]またはイギリス人の血を引く[[アメリカ人]]。 *ジョン・オドンネル(わたし) - [[エドガー・アラン・ポー|ポオ]]と[[アーサー・マッケン|マッケン]]と[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト|ラヴクラフト]]を怪奇小説の三巨匠と評価する。昏倒した拍子に、前世の記憶が蘇る。 *コンラッド - 部屋の主。蔵書家であり、「[[無名祭祀書]]」を持っている。 *{{仮リンク|キロワン教授|en|John Kirowan}} - 人類学者。ラテン語版[[ネクロノミコン]]を読んだ。 *クレマンツ - 作家であり、詩雑誌の編集長。 *タヴェラル - 無名祭祀書を読んだ。 *ケトリック - つり目で、瞳は琥珀色(ほとんど黄色)。何らかの隔世遺伝と思われるが、貴族に連なる家系には混血の介在した痕跡がなく、謎である。 ;過去 *アリテラ(わたし) - [[アーリア人]]。「剣の種族」の若者。 *フォン・ユンツト - 19世紀のドイツ人神秘家。「[[無名祭祀書]]」の著者。ギリシア語版[[ネクロノミコン]]を読んでいたらしい。 *[[ブラン・マク・モーン]] - 3世紀スコットランド、古代[[ブラン・マク・モーン#ハワードの作品におけるピクト|ピクト人]]の蛮王。闇の帝国を支配する王であると、神格化されてカルトが結成された。詳細は『暗黒の男』を参照。 *「夜の末裔」 - 矮躯の古代人。名称は「剣の種族」による呼称。剣の種族にもピクト人にも、同様に嫌悪され、害獣のように森の奥へと追いやられた。 ===2収録=== *青心社『ウィアード3』[[三宅初江]]訳 ===2関連作品=== *[[最も忌まわしきもの]] - [[リン・カーター]]の神話作品。[[ヴァルーシアの蛇人間|蛇人間]]ものとされるが、「夜の末裔」に重要なヒントがある。 ==3:バル・サゴスの神々== WT1931年10月号に掲載された<ref name="Turlogh">時系列と発表順が逆になっている。</ref>。[[ターロウ・オブライエン]]シリーズ3作の1つであり、『暗黒の男』の続編にあたる<ref name="Turlogh" />。2022年に翻訳された。 バル・サゴスの神々[[ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカ]]が登場する。ハワードが創造したこの2神については本作品で全て語られているのだが、後の「クトゥルフ神話」では解釈とアレンジが作用して難解なことになっている。 {{Main|ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカ}} ==4:黒の碑== WT1931年11月号に掲載された。創元推理文庫から出ている短編集の表題作であり、表紙のイラストになっている。 ハワードが創造した狂詩人ジャスティン・ジョフリの初出作品である。冒頭部にてジョフリの詩が引用されており、この手法は後の作品でも用いられることになる。また「無名祭祀書」が登場する。 [[東雅夫]]は「奇怪な黒い石にまつわる伝説に、異民族間の抗争をからめて描いているあたりに、[[ヒロイック・ファンタジー]]作家としてのハワードの関心の所在が示されている」<ref>事典四「黒い石」334-335ページ。</ref>と解説している。 [[朱鷺田祐介]]は「ハワード神話作品の頂点」と評し、「優れた恐怖作品であるとともに、古代の邪教信仰と、[[オスマントルコ]]の東欧侵攻を絡めた歴史伝奇ロマンに仕上がっている。特に主人公が見る悪夢の場面はハワードならではの迫力がある」と解説している<ref name="Tokita" />。 ===4あらすじ=== 16世紀以前、[[ハンガリー]]の村ズトゥルタンには、[[マジャール]]=[[スラヴ]]と太古からの原住民の混血である人々が住んでいた。邪教を信奉する彼らは、近隣の村から幼児や女性をさらい、神に生贄として捧げる。やがて侵攻してきた[[オスマン・トルコ]]軍のセリム・バハトゥル将軍は、住民の所業を知ると彼らを皆殺しにし、近くの洞窟に潜んでいたヒキガエルのような怪物と戦う。セリム将軍はその状況を巻物に記録するも、戦争でポーランド人領主のボリス伯爵に討たれる。伯爵は巻物から村の事実を知り、恐怖に震える。ボリス伯爵は奇襲を受けて死に、遺体と巻物は崩れる城に置き去りとなる。やがて低地の村の者達が移り住み、村はシュトレゴイカバール(魔女の村)という名前に変更される。不気味な碑は残されるが、正体を知る者はいなくなる。 19世紀のドイツの隠秘家フォン・ユンツトは、黒の碑のことを「黒の書」([[無名祭祀書]])に記す。また20世紀になるとアメリカの詩人ジャスティン・ジョフリが村を訪れ、碑にまつわる詩を詠む。 1931年、わたしはフォン・ユンツトの「黒の書」を読むうち、「黒の碑」に関する記述に興味をもつ。またジョフリについても調べた結果、その碑がハンガリーの山奥シュトレゴイカバールに立つ不吉な[[モノリス]]であることを突き止める。わたしは休暇を利用し、村を訪れる。村では、血の繋がらない前の村の住民達による邪神崇拝にまつわる噂が、400年経った現在でも伝わっていた。碑を壊そうとした者には災いがふりかかり、真夏の夜に碑に近づいたことで発狂した者もいたそうである。碑の近くで眠ったある者は、悪夢に苛まされるようになった。 [[6月23日]]の[[夏至]]の夜([[聖ヨハネ祭]]の前夜)、わたしは碑の傍らで眠気に襲われ、夢の中でグロテスクな狂宴の光景を幻視する。女子供が人身御供に捧げられ、裸体の男女が踊り狂い、黒の碑の頂上には巨大な蛙に似た化物が座り込む。目覚めたわたしは、これがただの夢ではなく過去の映像だと考え、ボリス伯爵の城跡にはセリム将軍が記した巻物があるはずだと思い至る。わたしは城跡を暴き、伯爵の亡骸と小箱を見つける。 小箱の中には巻物と邪神像が収められており、わたしは巻物を解読してこれらを証拠と確信する。人間が必ずしも地球の支配者ではないことを理解したわたしは、黒の碑のような外世界への扉や、似たような怪物が他にもいるかもしれないことに思いを馳せる。わたしは巻物と邪神像を小箱に納め直し、石の重しをつけて河へと投げ込む。 ===4登場人物・用語=== 邦訳の異なる固有名詞は、『クトゥルー4』『黒の碑』の順で記す。 *わたし - 語り手。「黒の書」とジョフリの詩から、「黒の碑」に興味を持ち、ハンガリーのシュトレゴイカバール(シュトレゴイカヴァール)村に赴き、狂宴の蜃気楼を見る。 *フォン・ユンツト - 19世紀ドイツのオカルティスト。著書「[[無名祭祀書]]」にて、黒の碑を「鍵」の一つと表現する。最終的には怪死を遂げる。 *ジャスティン・ジョフリ(ジャスティン・ジェフリー) - ニューヨークの天才詩人。シュトレゴイカバール村を訪れ、奇怪な詩を詠む。1926年に精神病院で死去した。 *宿屋の主人 - 10年ほど前に泊まったジョフリのことを語る。 *宿屋の主人の甥 - 子供の頃に黒い碑に近づいたことで、ずっと悪夢に苛まれるようになった。黒の碑を頭頂につけた巨大な城を幻視する。 *教師 - 村きっての教養人。黒の碑を研究しており、村と碑の歴史を解説する。 *セリム・バハトゥル(セリム・バハドゥール) - ズトゥルタン(ズスルタン)旧村を根絶したトルコ軍の指揮官。書家でもあり、様子を巻物に記す。 *ボリス・ウラディノフ伯爵 - [[ポーランド人]]領主。セリム将軍を討ち、巻物を入手する。その直後敵軍に奇襲され、遺体と巻物は崩れる城に取り残される。 *黒い石(黒の碑) - 八角形、高さ16フィート(5メートル)、表面には謎の古代文字が刻まれた[[モノリス]]。太古に、おそらく非人間種族が築いたもの。1年に1度、夏至の夜、過去の映像を蜃気楼として再演する。 *「鍵」「扉」 - フォン・ユンツトは黒の碑を「鍵」の一つと表現した。何の鍵で、何が扉なのかは、わたしが理解することになる。他の作品でもこの表現は用いられる。 ===4収録=== *[[創元推理文庫]]『黒の碑』[[夏来健次]]訳「黒の碑」 *[[青心社]]『クトゥルー4』[[東谷真知子]]訳「黒い石」 *[[国書刊行会]]『スカル・フェイス』[[鏡明]]訳「黒い石」 ===4関連項目=== *[[モハーチの戦い]] - 1526年に、トルコがハンガリーに侵攻した戦い。 *[[夏の夜の夢|真夏の夜の夢]] - [[シェイクスピア]]の戯曲。夏至の日に魔力が強まり妖精が活発化する。舞台はギリシャ。 ===関連作品=== *[[黒の詩人]] - ダーレス補作。黒の碑の悪夢のような幻視を、ジョフリが10歳のときに別の場所で経験したとある。 *[[邪神帝国]]4章「夜の子の宴」 - [[朝松健]]の神話作品。 ==5:暗黒の男== WT1931年12月号に掲載された<ref name="Turlogh" />。 剣と魔法の冒険歴史小説。[[ターロウ・オブライエン]]シリーズの1つであり、『バル・サゴスの神々』の前日譚である<ref name="Turlogh" />。 [[ブラン・マク・モーン]]のシリーズとクロスオーバーしており、ブランの最期が言及されている。過去作『夜の末裔』で言及あるブラン崇拝にまつわる短編であり、タイトルの<暗黒の男>とは、死後に神格化したブランを指す呼称である。 {{Main|ターロウ・オブライエン}} ==6:屋根の上に== WT1932年2月号に掲載された。 「[[無名祭祀書]]」が重要な役まわりを果たしており<ref>事典四「屋根の上に」336ページ。</ref>、文献に複数の版があり内容が異なる(情報が抜け落ちる)ために初版を探すというストーリーが展開される。冒頭にジャスティン・ジョフリの詩が引用されている。 ===6あらすじ=== 1793年に中米[[ホンジュラス]]の密林を訪れたスペイン人冒険家のフアン・ゴンザレスは、「地下に異常なものが隠された神殿」という原住民の伝説を、懐疑的に記録する。100年以上後、ドイツ人神秘家のフォン・ユンツトはこの神殿を訪れ、「蟇の神殿」と名付けたうえで著書「無名祭祀書」に記録する。この文献は版を重ねる中で、誤訳や検閲により情報が抜け落ちる。20世紀、山師タスマンが偶然神殿に迷い入るも、時間も道具もなく引き返す。タスマンは「無名祭祀書」の第3版で、神殿とミイラへの簡単な言及をみつけ、かつての神殿のことだと察する。第2版には、誤訳だらけの中で「宝玉は鍵である」と記載されていた。タスマンは財宝伝説の裏付けをとるべく、初版を読まねばならないと結論付ける。 その後、タスマンはロンドン在住の考古学者であるわたし(語り手)に、「無名祭祀書」の初版の入手を要求する。タスマンはかつて、わたしの研究に難癖をつけて信用を傷つけようとしたことがあったが、本が見つかれば先の非難を全面撤回して誌上に謝罪広告を掲載すると言われ、わたしは要求を受け入れる。後日、わたしが入手した初版本から神殿の記述を確認したタスマンは、急いで中米へと向かい、神殿に入る。彼はミイラの持つ「蟇形の宝玉」を奪い取って祭壇の隠し扉を開いたが、中に財宝などは無く、失意の彼は宝玉だけを持ち帰る。 タスマンはわたしを呼び出し、探検の顛末を語る。タスマンは中米からずっと何かに追跡されており、言動も要領を得ない。さらに屋根の上からは、蹄を踏み鳴らすような足音が響く。わたしはタスマンが完全に狂っていると確信しつつ、本を読み返して「眠れるものを乱すなかれ」「神殿の神こそ、神殿の霊宝なり」という言葉から、タスマンが持ち帰った宝玉が神そのものであり、彼が封印を解いてしまったことに気づく。 その後、タスマンは頭部を砕かれて死ぬ。現場には蹄の跡と粘液が残され、宝玉は無くなっていた。 ===6登場人物・用語=== *わたし - 語り手。ロンドン在住の考古学者。題材は[[ユカタン]]。タスマンの依頼で「無名祭祀書」の初版を入手する。 *タスマン - 考古学界で悪評高い山師。強欲で軽率な性格をしており、「無名祭祀書」の初版を入手するも、熟読しなかった。 *フアン・ゴンザレス - 18世紀末のスペインの冒険家。ホンジュラスの神殿について懐疑的に記す。 *フォン・ユンツト - 19世紀前半のドイツの神秘家。著書「無名祭祀書」に「蟇の神殿」を記録する。著書内で「鍵」という言葉を多用する。一般的には、狂人の妄想と評される。 *ジャスティン・ジョフリ - 1926年に死去した狂詩人。詩『旧世界より』にて、屋根の上で蹄を打ち鳴らす怪物を詠む。 *「蟇の神殿」/「大蟾宮」<ref group="注">創元推理文庫『黒の碑』版の訳。</ref> - [[インディオ]]以前にホンジュラスの密林に住んでいた民族(古代人または非人間種族)が築いた。触角と蹄を備えて嘲笑する神を祀る。宝玉を鍵として用いることで、隠し通路が開く。 *「赤い宝玉」 - 神官のミイラが身につけていた真紅の宝玉。蟇の形に加工されている。銅の鎖には文字が刻まれており、ハンガリーの[[黒の碑]]の文字に似ている。 ===6収録=== *[[国書刊行会]]『ク・リトル・リトル神話集』[[赤井敏夫]]訳「破風の上のもの」 *[[青心社]]『クトゥルー8』[[後藤敏夫]]訳「屋根の上に」 *[[創元推理文庫]]『黒の碑』[[夏来健次]]訳「屋上の怪物」 ===6関連作品=== *[[ダニッチの怪]] - HPL神話・1929年発表。[[ネクロノミコン]]に複数の版があり内容が異なる(情報が抜け落ちる)ために旧版を探すというストーリーが展開される。 *[[永劫より]] - HPL神話・1935年発表。HPLが「[[無名祭祀書]]」を用いた。 ===6関連項目=== *[[オルメカ文明]] - 紀元前1200年ごろから紀元前後にかけて中米に実在した文明。蟇の神殿は、似ておらず、さらに古いとされる。 ==7:闇の種族== 『[[ストレンジ・テールズ]]』1932年6月号に掲載された。 古代[[ヒロイック・ファンタジー]]の短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。[[輪廻転生]]前の記憶が蘇り、主人公のモノローグがシームレスに古代に移行するという構成をとっている。 後にシリーズ化する「[[英雄コナン]]」が最初に登場した作品。だがあくまで初期版であり、後のコナンとは設定が大きく異なっており、実質的に名前が同じだけの別人である。「略奪者コナン」は[[ゲール人]]で、「英雄コナン」は{{仮リンク|ハイボリア時代|en|Hyborian Age}}のキンメリア人<ref group="注">ハワード設定のキンメリア人であり、歴史上の[[キンメリア人]]とは名前が同じだけの別物。</ref>(アトランティス人の子孫)と設定されている。 ===7あらすじ=== 彼女エリナが愛しているのが、おれジョン・オブライエンと彼リチャードのどちらなのか、彼女が明言しないために、おれにはわからない。おれは、エリナへの思慕とリチャードへの憎悪を募らせ、気が狂いそうになる。そんな折に、恋敵リチャードが一人きりで<[[父なるダゴンと母なるヒュドラ|ダゴン]]の洞窟>に遊山に行くと聞き、おれは彼を謀殺すべく後を追う。矮人族が掘ったと伝説されている洞窟に、おれは今まで一度も来た事などないにもかかわらず、妙な見覚えを感じる。おれは階段で足を踏み外し、転げ落ちて失神する。目を覚ますと、自分の姿が変わっていた。腰布を巻き、皮草履を履き、足元には幅広の鉄剣が落ちている。そうか、おれは[[英雄コナン|略奪者コナン]]であったと、己の耄碌を呆れる。おれはブリトン人に攻撃を仕掛けている最中であり、敵の女たちの中に惚れた女がいたために、追いかけていたことを思い出す。 恋敵ヴェルトーリクスが、彼女タメラを逃がして、おれの前に立ちはだかる。2人は武器を打ち合うも、両者致命打には至らない。女は、洞窟に逃げ込むように男に言う。男は、忌まわしい洞窟に入るのはやめて森に逃げるように言うが、女は洞窟に入り込む。男はおれを無視して飛び去り、洞窟に駆け込んだ女を追う。おれと男は、洞窟の入口付近でなお戦い続けるも、洞窟の奥から女の絶叫が響くと、男は戦いをやめ、女を追って奥に入り込む。おれは、ひょっとするとこの洞窟こそ、かの忌まわしき<魔の夜の末裔>の洞窟である可能性に思い至る。 洞窟内の一室で、おれは髑髏を積み上げた祭壇と、伝説の<黒の碑>をみつける。その横では、タメラとヴェルトーリクスの2人が縛られており、さらに悪鬼のごとき原始人が1人いた。おれは、生き残るためにはもはやヴェルトーリクスと共闘するしかないと判断し、原始人を斬殺して、ヴェルトーリクスとタメラの縄を切り、3人で道すらわからない地下道に逃げ込む。背後からは、悪鬼の仲間たちの気配が迫りくる。おれは女の護衛を恋敵に任せて先行させ、自分は悪鬼たちの足止めを図る。だが迷路のような地下道を進んだヴェルトーリクスとタメラは、崖の袋小路へと追い詰められ、抱擁し合い崖下の激流に身を投げる。別ルートを行ったおれは、離れた場所から2人の最期を見届ける。 呆然とするおれ=コナンは、いつの間にかジョン・オブライエンに戻っていた。今までの異様な記憶は、階段から落ちたショックで見た夢か? だがおれは、この洞窟が、記憶の洞窟と同じであることに気づく。あの悪鬼どもは20世紀の現代にもまだいるのだろうかという疑問を抱きつつ、記憶をたどり地下道を進むと、そこにはリチャードとエリナがいた。2人はおれに気づいておらず、おれはポケットの中の拳銃を掴む。エリナには、おぼろげに前世タメラの記憶があるらしく、洞窟の光景に覚えがあると言う。続いてエリナはリチャードに、自分が愛しているのはリチャードだと明言し、それを聞いたおれはここに至ってようやく自分こそが異物だったのだと理解する。 2人の前に、1匹の悪鬼が姿を現す。そいつを見たおれは、闇の種族の最後の1匹だと察する。悪鬼は2人に襲い掛かろうとし、リチャードはエリナを守るべく素手で悪鬼に立ち向かう。おれは拳銃を構え、悪鬼を射殺する。 ===7登場人物=== ;20世紀 *ジョン・オブライエン(おれ) - 語り手。アメリカ南西部生まれ。 *リチャード・ブレント - ブロンドのイギリス人。明るく容姿端麗。 *エリナ・ブランド - 想い人。 ;古代 *[[英雄コナン|コナン]](おれ) - [[ゲール人]]の略奪者。筋骨隆々。武器は鉄剣。 *ヴェルトーリクス - [[ブリトン人]]。タメラの恋人。痩躯敏捷の戦士。武器は青銅の斧。 *タメラ - ブリトン人。ヴェルトーリクスの恋人で、コナンに恋慕されている。 *「闇の種族」 - ブリテン島に最初に住んだ民族であるが、後にやって来た異民族に敗れて地底へと追いやられ、小鬼や妖精や小人や魔女伝説の原型となった。 ===7収録=== *創元推理文庫『黒の碑』[[夏来健次]]訳 *新紀元社『愛蔵版英雄コナン全集2』[[中村融 (SF)|中村融]]訳(2022)※雑誌掲載時のテキストを底本とする ===7関連作品=== *[[英雄コナン]] - キンメリアの英雄コナンを主人公とする。 ==8:大地の妖蛆== WT1932年11月号に掲載された。[[:en:Worm of the Earth]] [[ブラン・マク・モーン]]のシリーズの1つ。古代[[ヒロイック・ファンタジー]]の短編であり、ローマ属州時代のブリトン島([[ブリタンニア]])を舞台に、蛮族の豪傑がローマに対抗するために邪神の眷属の力を借りようとするストーリーが展開される。ブランの死後の出来事は『暗黒の男』『夜の末裔』に続いていく。 ハワードが、HPLから固有名詞を借りて登場させている。[[ルルイエ]]と[[父なるダゴンと母なるヒュドラ|ダゴン]]の名前が出ているほか、初期の版では[[クトゥルフ]]の名前が出ていたが後の版では無くなっている<ref>SBクリエイティブ『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』[[森瀬繚]]「蛇人間」148-149ページ。</ref>。 ===8あらすじ=== はるかな古代、ブリテン島には、<闇の種族>が住んでいたが、後から来た[[ブラン・マク・モーン#ハワードの作品におけるピクト|ピクト人]]に追いやられ、ひっそりと隠れ住むようになる。ローマも台頭しブリテンに進出する。 3世紀。ピクト王[[ブラン・マク・モーン|ブラン・マク・モルン]]は、ピクト大使パルタ・マク・オツナと身分を装い、敵情を視察すべく{{仮リンク|エボラクム|en|Eboracum}}に滞在していた。あるとき、ピクト人の男が死罪を宣告されるが、その裁判はローマ人側に一方的に有利な判決であった。刑場にて、ローマ総督スラは、処刑をパルタに見せつけ、尊大にふるまう。総督の側近である将官ヴァレリウスが、十字架上の男を嘲笑すると、男はヴァレリウスの顔に唾をはきかける。ヴァレリウスが激昂して剣を抜き男を刺し殺すと、スラ総督は「できるだけ苦しめて死なせたいのに、即死を与えてやるなどとは軽率だ」と言う。ピクトを侮辱され、ブランは怒りを押し殺す。 夜、夢に現れた老ゴナルに対し、ブランは「邪神の力を借りてスラに復讐する」と主張する。ゴナルはブランの判断を狂気とたしなめるが、ブランは聞き入れない。ブランはヴァレリウスを暗殺して男の仇を取り、もはや仮の名で潜伏するつもりもなく、馬を飛ばして西方に向かう。ブランの作戦は、北の[[ゲール族]]をそそのかして挙兵させ、ローマ軍を北と西に誘導し、西に来るスラ総督を待ち伏せすることである。 ブランは沼地で、異民族の魔女と出会う。<[[父なるダゴンと母なるヒュドラ|ダゴン]]の浦>の魔女、沼地の妖女アトラは、古い闇の種族との混血であり、忌まれ差別を受けていた。「邪神に接触する扉を探している」「復讐のために邪神の力を借りる」と言うブランを、アトラは狂っているのかと問う。アトラは彼がブラン王と見抜いており、「あたしは半分は人間だ」「いくら忌まれようとも、心がある」「呪われたあたしに、王との愛の接吻をくれ」と言う。ピクト王と魔女の取引は成立した。 ブランは「ダゴンの塚」の洞窟に入り、髑髏の祭壇と黒の碑を見つける。ブランは碑を抱えて持ち帰り、ダゴンの沼に投げ込んで隠す。ブランが碑を盗んだことを感づいた<やつら>は、ブランとアトラを取り囲む。無数の悪鬼に包囲されたブランは、啖呵を切り「黒の碑を渡す代わりに、邪神の力を貸せ」と言い、悪鬼たちを脅す。ピクト王と闇の種族の取引は成立した。 ブランは沼から碑を回収し、予測通りならばスラが来ているであろう要塞塔に偵察に行くも、その塔は消え失せていた。生存者の兵士から、地の底から現れた「蛆虫」が塔の礎石を破壊したことや、スラ総督が悲鳴を上げていたという証言を得たブランはようやく、己が召喚した存在の危険性に気づく。 ブランは碑を携え、悪鬼たちとの取引場所、[[ストーンサークル|石柱群]]「ダゴンの環」に行く。アトラが先に来ており、悪鬼たちもやって来て、「暗黒の渦」からスラが姿を現す。スラは拷問を受けていたわけではなかったものの、やつらのあまりの忌まわしさに耐えきれず、精神が崩壊していた。ブランはスラを惨殺してやろうと考えていたが、彼の惨状を見て考えを改め、一刀のもとに首を刎ね、介錯する。 アトラは「こいつらがそんなに忌まわしいものか、そんなやつらの手を借りる人間と比べてもか」と言う。ブランは態度を豹変させ、おぞましさで一杯となり、悪鬼の一人に碑を力任せに投げつけ、ぶつける。掌を返して逃げようとするブランを、アトラは嘲笑する。ブランは忌まわしい邪悪から離れ、戦場の血で己の身と心を清めようと、北に馬を飛ばす。 ===8登場人物=== ;ピクト族 *[[ブラン・マク・モーン|ブラン・マク・モルン]] - 蛮族ピクトの大王。ブリトンからローマを追い払ってピクト古代王国を再興することを悲願とする。一人称は[[朕]]。 **パルタ・マク・オツナ - ピクトのローマ大使。ブラン王の偽名。 *グロム - パルタの従僕。[[せむし]]の大男。ブラン王の使者として、北のコルマク太子のもとに赴く。 *老ゴナル - ピクト國王の最高助言者。月神教の高僧・妖術師。邪神の力を利用しようとするブランを諫める。 *死刑囚 - ピクトの民。ローマの悪徳商人に騙され、殴ったことで逮捕され、ローマ側に有利なだけの裁判で死罪を宣告された。 ;ローマ軍 *ティトゥス・スラ - ローマ帝国領エボラクム(現代英国の[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]])の軍政[[属州総督|総督]]。ローマの力を誇るがあまり尊大な態度をとる。 *ヴァレリウス - 若い将官。ピクトの死刑囚を愚弄したところ、思わぬ反撃に遭い、激昂して斬り殺す。頭を冷やすために数日間の禁牢を命じられ、牢に侵入してきたブランに暗殺される。 *カイウス・カミルス - 西の要塞で国境警備をしている。スラ総督により、対コルマク戦の指揮官に任命される。 ;その他 *コルマク・ナ・コナハト - 北の[[ゲール族]]の太子。ローマのスラ総督を敵視する。 *アトラ - 沼地の妖女と呼ばれる魔女。黄色い目と蛇のような雰囲気の女。人間と闇の種族の混血であり、差別を受けている。 *「大地の妖蛆」 - ブリテン先住の古代人。ピクトに敗れて追いやられた。邪神([[ルルイエ]]の暗黒神、名状しがたきもの<ref group="注">これらは作中における表現そのまま。</ref>)を崇拝する。 *怪物 - 召喚された邪神。蛆虫と表現される。詳細不明。 *[[父なるダゴンと母なるヒュドラ|ダゴン]] - 謎の固有名詞。邪神の名前であるらしい。「ダゴンの浦」「ダゴンの塚」「ダゴンの沼」「ダゴンの環」など、地名に冠されている。ダゴンの沼には、不気味な水棲生物が棲む。 ===8収録=== *創元推理文庫『黒の碑』[[夏来健次]]訳「大地の妖蛆」 ===8関連作品=== *闇の帝王 - [[ブラン・マク・モーン]]2編のもう一つ。ブランが[[キング・カル]]と邂逅する。カルの宿敵が[[ヴァルーシアの蛇人間]]という点でも繋がっている。 ==9:妖蛆の谷== WT1934年2月号に掲載された。 古代[[ヒロイック・ファンタジー]]の短編であり、蛮族の豪傑と邪神の眷属の戦いを描いている。語り手のジェームズ・アリスンは『恐怖の庭』にも登場する。[[ブラン・マク・モーン]]の輪廻転生譚でもある。 北欧だが、ブリテン島とは明言されていない。また闇の種族への言及はあるが直接登場はせず、邪神の方が登場している。ほかには「[[旧支配者]]」<ref>黒の碑「妖蛆の谷」149ページ。</ref>や「宇宙的恐怖」<ref>黒の碑「妖蛆の谷」159ページ。</ref>など、HPLから語を借用してきている。 [[倉阪鬼一郎]]は「おそらくは作者の狂気の然しめるところにより、太古の英雄の記憶を持つ主人公が直接古代で戦うという異様な構造になっている。ここに登場する怪物の描写は、ラヴクラフトと甲乙つけがたいぐちゃぐちゃどろどろぶりだが、結末がまったく違う。ハワードの場合は、英雄が怪物に矢を射かけ、あまっさえスサノオノミコトよろしく斬り殺してしまう」「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と解説する<ref name="Kurasaka" />。 ===9あらすじ=== わたし、ジェームズ・アリスンは、[[アーリア人]]の男性として、何度も輪廻転生を続けてきた。[[ブラン・マク・モーン]]<ref>黒の碑「妖蛆の谷」133ページ。</ref>もニオルドも、わたしの前世である。 全男子500名が兵士を務める[[アース神族|アサ神族]]は、放浪の末に<妖蛆の国>に迷い込んだ際に[[ブラン・マク・モーン#ハワードの作品におけるピクト|ピクト族]]と遭遇し、戦いへと発展する。わたし(ニオルド)はグロムという強敵と闘って勝利するも、気まぐれからとどめを刺さず、手当てして帰してやる。するとピクトの者たちはアサの強さに感服し、両部族間で和約が成立する。 わたしはグロムと友になり、共に狩りに出るようになる。グロムは、ピクト族は「密林の大蛇サーダ」と<廃墟の谷>を恐れ近づかないと語る。曰く、古代ピクトの部族が谷に入り込んだところ、そっくり消え去ってしまったという。 わたしは剣歯虎を狩った際に死にかけ、数ヶ月間生死の境をさまよう。その間に、アサの民族から、ニオルドの友・ブラギの一族が分離独立を果たし、<廃墟の谷>に移り住む。古潭を信じるピクト族は諫めるも、アサの者たちは一笑に付しただけであった。やがて恢復したわたしが谷を訪問したところ、小屋はぺちゃんこに潰れ、人体の残骸が散乱しており、彼らは全滅していた。巨大な芋虫がごとき足跡が、谷の下の方に続いている。わたしが剣を抜いて足跡を追跡しているところにグロムが助けに来る。 わたしは密林に赴き、知恵をしぼって大蛇サーダを討ち取り、毒を採取する。続いて谷に行き、ブラギ一族の仇である「蛆のような怪物」に、サーダの毒矢を射かけ、剣で致命傷を与える。妖蛆は地下の闇へと転がり落ちて絶命する。傷を負ったわたしは、グロムに己の雄姿を語り継ぐよう言い残して落命する。 ===9登場人物=== *ジェームズ・アリスン - 語り手の現代人。病で死が目前に迫っている。自らの前世をニオルドと称し、古潭を語る。 *ニオルド - 主人公。[[アース神族|アサ神族]]。勇猛な豪傑。 *グロム - ピクト人の戦士。ニオルドとは、好敵手として出会い、親友となる。 *ブラギ - アサ神族。ニオルドの友人。民族から分離して己の部族を立ち上げた。 *剣歯虎 - 古代生物。猫頭で、胴体部は熊に近いという猛獣。 *大蛇サーダ - 古代生物。密林に棲む巨蛇。エジプト人の[[セト]]、セム人の[[レヴィアタン|レヴィヤタン]]や[[サタン]]の原型となった獣。 *「蛆」 - 異界の生物。はるか古代に、半人類種族が崇めた邪神。 *半人類 - 毛深い半人半鬼。谷に石柱群を建造し、邪神を崇めた。 ===9収録=== *創元推理文庫『黒の碑』[[夏来健次]]訳「妖蛆の谷」 *[[ソノラマ文庫]]『剣と魔法の物語』[[山崎紀子]]訳「妖虫の谷」 ===9関連作品=== *恐怖の庭 - ジェームズ・アリスンを語り手とする。日本では『[[幻想と怪奇]]12』(1974。旧シリーズ)に収録。 ==10:アッシュールバニパルの焔== WT1936年12月号に掲載された。 中東の砂漠を舞台としたアクション神話作品。登場人物たちは20世紀前半のアウトロー冒険家や盗賊であり、ライフルを主武装とする。 WTに発表され、日本語にも邦訳されている版は、決定稿だが、大幅に書き替えられる前の初期稿も存在する。初期稿はクトゥルフ神話要素がずっと少なく、また1972年になり発表された<ref>『Tales of the Lovecraft Mythos』『El Borak and Other Desert Adventures』などに収録。日本では未訳。</ref>。 ===10あらすじ=== 古代、アッシュールバニパル王宮の魔道士ズトゥルタンは、魔物を眠らせて宝石を盗む。魔道士は預言の力を振るい、いつしか宝石は王に敬意を表して「アッシュールバニパルの焔」と呼ばれるようになる。だが王国は邪悪なものに襲われ、民衆は鬼神の祟りと叫びたてたことで、王は魔道士に宝石を魔物に返却するよう命じる。魔道士は拒否し、叛逆都市カラ=シェールに逃げ込むが、そこで都市の王と宝石の奪い合いになり殺される。だが、魔道士は死ぬ間際に魔物を解放しており、偽王は呪いを受けて死に、宝石を握ったままミイラとなる。叛逆都市は荒廃し無人となる。 20世紀、スティーヴ・クラーニイとヤル・アリという2人組の冒険家は「アッシュールバニパルの焔の話」の噂を聞き、眉唾と思いつつも、伝説を追って暗黒の都市カラ=シェールを探す。しかし砂嵐でラクダを失い、続いて盗賊に襲われ、水も尽き、命からがら古代都市にたどり着く。2人は玉座に宝石をつかんだ骸骨を見つけ、ヤル・アリは宝石を持ち帰ろうとするスティーヴを止める。そこへ盗賊たちが大勢で古代都市にたどり着き、2人は制圧される。 盗賊の頭領は旧敵ヌレディンであった。ヌレディンは宝玉を己のものにしようとするが、配下の盗賊達は呪いを怖れて反対する。ヌレディンが迷信と一蹴して宝石を掴むと、壁に黒い穴が空き、触手が伸びてきてヌレディンを掴む。アラブ人盗賊達は悲鳴を上げて逃げ出し、縛られたスティーヴとヤル・アリは見たら死ぬものが来たことを察し、悪臭と冷気に耐えて微動だにせず、ひたすら怪物が去るのを待つ。2人が目を開けたとき、骸骨が宝石を再び握り、ヌレディンの生首と怪物の足跡が残されていた。 2人は宝石を諦め、なんとか縄を切ると、盗賊の馬で遺跡から逃げ出す。スティーヴは、人類以前に地球を支配していた物たちが異次元で生き永らえているという真実に思い至る。 ===10登場人物=== *スティーヴ・クラーニイ - アメリカ人冒険家。屈強なアウトロー。 *ヤル・アリ - アフガニスタン人冒険家。大柄な老齢な男で、腹の据わった古強者。[[アラー]]を敬い、鬼神を怖れる。 *ヌレディン・エル・メクル - 盗賊の頭。数年前にスティーヴとトラブルになり、顔に傷を負った。部下は2種類おり、[[イエメン]]時代からの部下と、現地の[[ベドウィン]]族。ベトゥイン族は鬼神を怖れる。 *[[アッシュールバニパル]]王 - 紀元前7世紀の[[アッシリア王]]。ギリシア語名:サルダナパロス。 *魔道士ズトゥルタン - 王宮魔道士。魔物から宝石を盗み、預言の力を得る。力ずくで宝石を奪われ、死に際に呪いをかける<ref group="注">[[クトゥルフ]]、[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]、[[ヨグ=ソトース]]など、あらゆる太古の存在に呼びかけたとされる。</ref>。 *叛逆王 - 叛逆都市の王。ズトゥルタンを殺して宝石を奪うが、呪いにより死ぬ。骸骨が宝石を握ったまま玉座に残される。 ===10用語=== *「邪悪の都市」 - 太古の呪いのかかった死者の都であり、アラブ人[[アブドゥル・アルハザード]]の「[[ネクロノミコン]]」に記される。アッシリア人が[[ニネヴェ]]を模して築いたとされる都市にして、王国への叛逆者が王を名乗って支配していた叛逆都市でもある。[[バアル|バール]]の神像を祀る。アラブ名:ベレド=エル=ジン(魔物の都市)、トルコ名:カラ=シェール(暗黒の都市)。 *「アッシュールバニパルの焔」 - 脈をうつかのように輝く赤い宝石。地獄の凍りついた焔から刻みぬかれたと伝説される。宝石を奪おうとした者は邪神の怒りを買う。 *怪物 - 直立して歩くが、ヒキガエルに似ており、翼と触腕を持つ。スティーヴが見たのは背中のみで、正面を見たら発狂していただろうと言われる。 ===10評価・解釈=== [[東雅夫]]は「ハワード得意のテンポよい冒険活劇調で展開される、神話大系の中ではやや毛色の変わった作品。<[[インディ・ジョーンズ]]>シリーズの先駆!?」と解説している<ref name="Jinten4-347">事典四「アッシュールバニパルの焔」347ページ。</ref>。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、本作はその典型と解説している。<ref name="Jinten4-473" /> [[朱鷺田祐介]]は「[[英雄コナン|コナン]]の作者らしい暴力と魔術に満ちた現代秘境冒険物語」と解説し、続けて「ラヴクラフトの『[[無名都市]]』からイマジネーションを受けたものであることがわかる」。と付け加えている<ref name="Tokita"/>。 [[倉阪鬼一郎]]は、HPLと対比して「ハワードの“動”とラヴクラフトの“静”」と評し、例として古代都市を登場させたこの作品を挙げて「ラヴクラフトにとっては古代はあくまでも憧憬の対象だが、ハワードには主たる活躍の舞台だったのである」と表現している<ref name="Kurasaka" />。 ===10収録=== *[[青心社]]『クトゥルー7』[[岩村光博]]訳「アッシュールバニパルの焔」 *[[創元推理文庫]]『黒の碑』[[夏来健次]]訳「アッシュールバニパル王の火の石」 *国書刊行会『スカル・フェイス』[[野村芳夫]]訳「アシャーバニパルの炎宝」 *ソノラマ文庫『剣と魔法の物語』[[山崎紀子]]訳「砂漠の魔都」 ===10関連作品=== *[[無名都市]] - HPL神話作品。[[ネクロノミコン]]と狂えるアラブ人[[アブドゥル・アルハザード]]が最初に言及された作品でもある。 *『アルハザードの遺産』[[青心社]]、新熊昇著「アッシュールバニパルの焔の由来」 ==11:墓はいらない== WT1937年2月号に掲載された、ハワードが生前に最後に発表した[[クトゥルフ神話]]作品である。 語り手の{{仮リンク|キロワン教授|en|John Kirowan}}とコンラッドは、過去作『[[夜の末裔]]』から引き続いての登場人物である<ref name="Jiten4-347" />。 [[東雅夫]]は「典型的な<妖術師物語>の一編だが、マリク・タウス、[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]など、独自の神話アイテムが盛り込まれている」<ref name="Jiten4-347" />と解説している。 HPLが創造した神話用語「[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]」をハワードが導入している。固有名詞コスは、HPL設定では主に[[ドリームランド (クトゥルフ神話)|ドリームランド]]の用語であるが、ハワードは地名として用いている。この固有名詞は、[[リン・カーター]]が神の名前([[地球本来の神々|大地の神々]]の一柱)としているという、難解で複雑なことになっている<ref group="注">クトゥルフ神話では珍しい現象ではない。類例として、[[ハスター]]関連の固有名詞の扱いが挙げられる。</ref>。またハワード神話らしく、「カトゥルス」への言及もある<ref group="注">本来は、ハワードの別作品に登場する仇役の名前。読者に「[[クトゥルフ]]と似た名前だが、何か関係あるか?」と指摘されたことで、初めてハワードはクトゥルフを知り興味を持ち、HPLとの親交や神話世界への参入が始まったという逸話がある。</ref>。 ===11あらすじ=== 老オカルティストのジョン・グリムランは、唯一の友であるジョン・コンラッドに遺言状を渡し、死ぬまで決して開封しないことや、死んだら正確に指示に従うことを約束させる。1930年3月10日、グリムランは発作に倒れ、コンラッドに遺言状を破り捨てるようわめきながら、苦痛に悶えて息を引き取る。コンラッドは遺言状を開封して、約束通りに指示に従うことにする。 遺言状には「書庫の黒檀のテーブルに遺体を置き、周囲に7本の蝋燭を灯し、別途記す呪文を唱える」よう指示があり、墓は不要とされていた。またグリムランの財産は、マリク・タウスという東洋人に全て譲ると取り決められていた。怖くなったコンラッドは友人のキロワンに助けを求める。キロワンは、マリク・タウスは人名どころか絵空事の悪神の名であると、困惑する。 コンラッドはキロワンを伴ってグリムランの屋敷に戻る。すると蝋燭に火が灯されており、グリムランの友人を名乗る東洋人がいた。コンラッドとキロワンは男の雰囲気に呑まれ、彼の事務的な指図にぼんやり従う。コンラッドが読み上げる呪文の紙には、グリムランが悪魔と契約して長命を得たことや、今夜が悪魔への支払いの期日だということなどが書かれていた。コンラッドの声は震え、読み進めるごとに蝋燭が1本ずつ消えていき、キロワンも恐怖に身動きができない。コンラッドが読み終わると同時に、最後の蝋燭の炎が消え、部屋は闇に包まれる。奇怪な叫び声が上がり、悪臭がたれこめ、混乱したコンラッドが明かりをつけると、東洋人とグリムランの死体が消えていた。 2人が炎上する屋敷から脱出した際、巨大な生物がグリムランの死体を掴んで空を飛んでいた。 ===11登場人物=== *{{仮リンク|キロワン|en|John Kirowan}} - 主人公の一人。語り手。 *ジョン・コンラッド - 主人公の一人。グリムランの唯一の友人であり、死を看取り遺言を託された。一方で、秘かにグリムランの過去を調べていた。 *ジョン・グリムラン - 陰鬱な老オカルティスト。1630年3月10日に生まれ、50歳で悪魔と契約し、250年の命を得るも、支払いの刻限が迫ることに恐怖していた。最終的には契約の対価に全てを取り立てられる。 *東洋人 - 鋭い目と黄色のローブの男。グリムランの友人を名乗る。 *村の老人 - グリムランが、屋敷に引っ越してきてから20年間まったく老け込んでいないようだと証言する。 *フォン・ベーンク教授 - [[ウィーン]]の教授。80歳以上の高齢。コンラッドからグリムランの存命を聞き驚く。50年前に、50歳ほどのグリムランに会ったことがある。 *「コスの黒き城の帝」 - グリムランが契約した暗黒神。死の町[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]に住まう、翼ある存在らしい。中東の邪悪神[[マラク・ターウース|マリク・タウス]]の名で呼ばれ、真鍮製の[[孔雀]]の偶像で崇拝され、回教徒からは[[イブリース|シャイターン(悪魔)]]とみなされる。貌を秘め隠すとされ、他の異称に[[ベリアル|サタナス]]、[[ベルゼブブ]]、アポレオン、[[アンラ・マンユ|アーリマン]]、[[エデン]]の蛇、[[サタン|セイタン]]などがある。<ref group="注">二次資料、ダニエル・ハームズ『エンサイクロペディア・クトゥルフ』では[[ナイアーラトテップ]]説が出ている。新紀元社『エンサイクロペディア・クトゥルフ』【コス】118ページ。</ref> ===11収録=== *青心社『クトゥルー5』[[児玉喜子]]訳「墓はいらない」 *創元推理文庫『黒の碑』[[夏来健次]]訳「われ埋葬にあたわず」 ===関連項目=== *[[マラク・ターウース]] - 中東の神・悪魔。本作のマリク・タウス(コス帝)の元ネタ。 ==12:闇に潜む顎== 没後の1970年に発表された。 ハワードは1936年に死去したが、後に[[グレン・ロード]]がコレクターを経て正式な遺産著作物管理者となり、残されていた多数の原稿・断片・完成稿などが発見される。これらの遺稿は、1960年代後半に起こったハワードのリバイバルブームに拍車をかけた。本作もそれら未発表であった作品の1つであり、1970年に[[セミプロジン]]『ウィアード・ブック』3号に発表された。 ===12評価=== [[那智史郎]]は単行本解題にて「ラヴクラフトの小説に出てくる無力な主人公とはちがってヒーローが怪物を切り刻んでしまう」と解説している。<ref>新ク5「解題」314ページ。</ref> [[東雅夫]]は「『[[ダニッチの怪]]』風の異次元怪物養育譚だが、主人公が先祖伝来の破邪の剣をひっさげて妖術師の屋敷に乗りこみ、蹄をもつグロテスクな怪物をめった切りにするあたりが、いかにもハワードらしい」と解説している。また同書ではハワードの持ち味とクトゥルフ神話の相性の悪さを指摘し、そのうえで本作は(神話から)「無理やりハワード世界に移行する」と言い「たしかに痛快だが、相手方の魔物が迫力不足になってしまう嫌いがある。ままならないものである」と解説している。<ref name="Jinten4-473" /> ===12あらすじ=== 近所で猫が消える事件が多発し、マージョリーの愛猫ボゾも姿を消す。彼女の婚約者マイケルは近隣に話を聞くうちに、半年ほど前に引っ越してきたジョン・スタークという学者と知り合う。マイケルはスタークの屋敷で奇妙な物音を聞き、尋ねられたスタークはペットが成長しているのだと回答する。マイケルはマージョリーに犬を与え、彼女は飼い猫と同じボゾという名前を付ける。時が過ぎるにつれ、犬や幼児、さらには浮浪者まで姿を消す。街は恐怖に震え、市当局は市民に警告を発し、警備を強化する。 マイケルがスタークに対して抱いていた疑念は、足を悪くしているはずの彼が[[松葉杖]]をついていなかったことに気づいたことを契機にさらに深まる。夜、ボロボロに傷ついたボゾが、マイケルの元にやって来る。ボゾはスターク邸へとマイケルを導く。マイケルは、スタークが電話でマージョリーをおびき出したのだと理解し、完全に敵とみなす。マイケルは家宝の大剣を構えて屋敷に突入し、縛られているマージョリーを発見する。屋敷じゅうに奇怪な蹄の足音が響き渡る中、マージョリーは、スタークが何かに餌を与えて育てているらしいことを証言する。マイケルはマージョリーとボゾを逃がし、単身で屋敷の奥へと切り込む。巨大化した怪物は、既にスタークを食い殺していた。マイケルは怪物と対峙し、負傷しつつも、怪物を切り刻んで殺す。しかし倒された怪物の死体は、不可解な化学反応を起こしながら、発光する流動体となり、少しずつ広がろうとする。マイケルは屋敷に火をつけて全てを燃やし、マージョリーとボゾを連れて生還を果たす。 ===12登場人物=== *マイケル・ストラング - 主人公。[[十字軍]]騎士の末裔で、家には大剣が伝わっている。 *マージョリー・アッシュ - マイケルの婚約者。20歳。 *ボゾ(猫) - マージョリーの飼い猫。品種は[[マルタ猫]]。冒頭で行方不明になる。 *ボゾ(犬) - 忠誠心の高い[[ブルドッグ]]。猫を失ったマージョリーに、マイケルが与えた。 *ジョン・スターク - 半年ほど前に引っ越してきた学者。妖術師であり、肢体不自由を装っている。怪物に餌として猫や犬を与えて育てていたが、人間の味を覚えさせたことで、取り返しがつかなくなる。 *怪物 - 外世界から来た吸血生物。蹄があり、どんな獣にも似ていない。食べるほど巨大化する。異次元の存在だが、現実世界に具現化したために剣が効く。 ===12収録=== *[[国書刊行会]]『真ク・リトル・リトル神話大系3』[[山本明]]訳 *国書刊行会『新編真ク・リトル・リトル神話大系5』山本明訳 ===12関連作品=== *[[英雄コナン]] - ハワードの非神話作品。60年代後半にリバイバルブームとなっていた。 ==番外:彼方よりの挑戦== 『ファンタジー・マガジン』1935年9月3周年記念号に掲載されたリレー共作。5人の作家が書いており、内訳は[[C・L・ムーア]]、[[エイブラハム・メリット]]、HPL、ハワード、[[フランク・ベルナップ・ロング]]で構成され、ハワードは4章を担当した。 ==番外:黒の詩人== [[オーガスト・ダーレス]]が補作したもの。1971年に発表された。 ジャスティン・ジョフリを掘り下げている。またキロワンとコンラッドと同名の人物が登場する。ただし本作のキロワンはフルネーム不明で、またコンラッドは「ジェームズ・コンラッド」という名前になっている。 ==関連項目== ;ハワード関連 *[[キング・カル]] / [[ブラン・マク・モーン]] / [[ターロウ・オブライエン]] / [[英雄コナン]] *[[無名祭祀書]] / [[ヴァルーシアの蛇人間]] / [[大地の妖蛆]] / [[ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカ]] ;ハワード以外 *[[アーサー・マッケン]] / [[黒い石印]] *[[クトゥルフ神話]] / [[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]] / [[クラーク・アシュトン・スミス]] / [[オーガスト・ダーレス]] *[[闇に囁くもの]] *[[永劫より]] / [[クトゥルーの子供たち]] / [[クトゥルフの一族]] *[[ダゴン]] / [[クトゥルフ]] / [[ルルイエ]] / [[コス (クトゥルフ神話)]] == 脚注 == 【凡例】 *クト:[[青心社]]文庫『暗黒神話大系クトゥルー』、全13巻 *黒の碑:[[創元推理文庫]]『黒の碑』 *真ク:[[国書刊行会]]『真ク・リトル・リトル神話大系』、全10巻 *新ク:国書刊行会『新編真ク・リトル・リトル神話大系』、全7巻 *事典四:[[東雅夫]]『クトゥルー神話事典』(第四版、2013年、学研) {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist}} {{ロバート・E・ハワード}} {{クトゥルフ神話}} {{DEFAULTSORT:}} [[Category:クトゥルフ神話]] [[Category:ロバート・E・ハワードの短編小説]]
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ネクスト・トゥ・ノーマル
ネクスト・トゥ・ノーマル(Next to Normal)は、ブライアン・ヨーキーが作詞、トム・キットが作曲した2008年のアメリカのロック・ミュージカルである。ストーリーは、双極性障害の悪化に苦闘する母親と、彼女の病気への対処が家族に与える影響を中心に描かれている。このミュージカルは、喪失の悲しみ、うつ病、自殺、薬物乱用、現代の精神医学における倫理、郊外生活の裏側などを取り上げている。 ネクスト・トゥ・ノーマルは、何度かワークショップ公演を行った後、2008年1月にオフ・ブロードウェイ・デビュー。アウター・クリティックス・サークル賞の優秀作曲賞を受賞、ドラマ・デスク賞の優秀女優賞(アリス・リプリー)と優秀作曲賞にノミネートされた。オフ・ブロードウェイでの上演後、2008年11月から2009年1月までヴァージニアに仮設されたアリーナ・ステージで上演された。 2009年4月にブロードウェイで開幕。同年のトニー賞で11部門にノミネートされ、最優秀作曲賞、最優秀オーケストレーション賞、アリス・リプリーの最優秀ミュージカル主演女優賞の3部門を受賞した。また、2010年のピューリッツァー賞演劇部門も受賞し、ミュージカル史上8作目の栄誉となった。ピューリッツァー委員会は、キットとヨーキーに賞を授与するにあたり、この作品を「郊外に住む家族の精神疾患を扱った力強いロック・ミュージカルであり、ミュージカルの題材の幅を広げた」と評価した。 重大なネタバレを含む。 郊外に住む双極性障害の母親ダイアナ・グッドマンは、門限を破った息子ゲイブの帰りを深夜まで待ち続けている。ダイアナの娘ナタリーは成績優秀な高校生で、近々行われるテストの勉強に集中しすぎている。ダイアナはそんな娘に休息をとるよう勧める。やがてゲイブが帰宅し、夫のダンが起きてきて、家族が一日の支度を始める("Just Another Day")。ダイアナは家族のために食事を用意するが、ダンとナタリーは、彼女がキッチンいっぱいにサンドイッチのパンを広げていることに気づき、彼女を止める。ダンが混乱したダイアナを助け、ナタリーとゲイブは学校へ向かう。 ナタリーは、学校の音楽室で次のピアノの発表会の練習をしながら、溜め込んだ怒りとフラストレーションを爆発させ(『Everything Else』)、そこで遠くからナタリーに想いを寄せていた同級生のヘンリーと出会う。一方、ダイアナは何度も精神科医を訪れ、さまざまな薬を処方されるが、どれも身体が衰弱する副作用があることが判明する。ダンは彼女を車の中で待ちながら、自分自身の正気を疑っている("Who's Crazy?/ My Psychopharmacologist and I")。ダイアナは、あらゆる感情を麻痺させ取り除く薬を投与され、医師から容態が安定したと宣告される。 ナタリーとヘンリーのロマンチックなひと時を見届けた後("Perfect For You")、ダイアナは以前の生活が失われたことを嘆き、新しい薬のおかげで何も感じないのとは対照的に、痛みと喜びの中で活き活きと生きていた日々を懐かしむ("I Miss the Mountains")。ゲイブの提案で、彼女は薬をすべて流して捨ててしまう。 ダンはヘンリーを招待し、家族で夕食を囲む("It's Gonna Be Good")。ダイアナがゲイブのバースデーケーキをテーブルに運んでくると、ダンは彼女に、ゲイブは本当は16年近く前に亡くなっていることを優しく思い出させる。これまでショーで見ていたゲイブは彼女の幻覚にすぎなかった("He's Not Here")。 動揺したナタリーが寝室に駆け込むと、ダンは食卓を片付け、ダイアナは薬をやめたことを打ち明ける。彼が彼女に理解を示そうとすると、彼女は私の苦しみを理解できるはずがないと怒り出す("You Don't Know")。ダンはできる限りの手助けをさせてほしいと懇願し、これまで誠実に忍耐強く向き合ってきたことを思い出させようとするが、ダイアナにしか見えないゲイブの幻影に邪魔される。ダイアナは息子の側につき、ダンの申し出を拒絶する("I Am the One")。 2階で、ナタリーはヘンリーに、死んだゲイブに執着する母への気持ちを打ち明ける。ダイアナは二人の会話を耳にし、ナタリーに「あなたをできる限り愛している」と言う("Superboy and the Invisible Girl")。 ダイアナは新しい医者にトークセラピーと催眠術を受ける。治療中にダイアナはゲイブに会うが、ゲイブは自分を消し去ることは決してできないと主張する("I'm Alive")。ダイアナは、ナタリーが生まれたときに彼女を病院で抱くことができなかった、と病気の影響を詳しく語る。 一方、ナタリーは大事なピアノの発表会で両親が客席にいないことを知り、失敗してしまう("Make Up Your Mind/ Catch Me I'm Falling")。 ダイアナの主治医は彼女に、家に帰ってナタリーと過ごし、ゲイブを解放するためにゲイブの古いものを箱に詰めて片付けるよう勧める。ダイアナはそれに同意するが、地下室の箱を整理しているときにゲイブの幻覚に直面する("I Dreamed a Dance")。ゲイブは、彼女が彼の世界に一緒に来るように誘う("There's a World")。 ダイアナは自殺未遂で入院し、ドクター・マッデンは、電気けいれん療法が最後の治療の選択肢だとダンに告げる。ダンは妻の自殺未遂の後始末をするため家に戻るが、ダイアナと過ごした年月を回想しているうちに、自分自身の精神崩壊を間一髪で防いだ("I've Been")。ナタリーは、父親が医師の勧めるショック療法に同意したことを知り憤慨する。病院に戻ると、ダイアナは確認書類にサインさせようとしたスタッフに逆らい、ショック療法を映画『カッコーの巣の上で(原題:One Flew Over the Cuckoo's Nest)』の描写になぞらえていた("Didn't I see This Movie?")。しかし、部屋を片付けた後、ダンは彼女に「普通に戻るにはこれしかない」と、この治療の必要性を納得させる("A Light in the Dark")。ダイアナはしぶしぶ同意し、書類にサインする。 ダイアナは2週間にわたってECTを受ける。一方、ナタリーはドラッグの実験をし、頻繁にクラブに行くが、毎晩ヘンリーに助けられて無事に帰宅する。ある時、彼女は母親と幻覚を共有しているように見え、二人の感情の類似性が浮き彫りになる("Wish I Were Here")。ダイアナが病院から帰宅すると、彼女はショック療法によって、亡くなった息子の記憶も含めて過去19年間の記憶を失ったことが明らかになる("Song of Forgetting")。この曲の中で、ナタリーはこの「治療」の効果について不安を訴え、彼女の心は「純粋すぎて何もわからない」と主張するが、ダンはダイアナの記憶がいずれ戻ることに希望を持ち続ける。クラブで気絶しているナタリーを見つけ、家まで送ったヘンリーは、今度の学校のダンスにナタリーを誘うが、彼女は即座に断る("Hey #1")。 ダンは、ダイアナの記憶喪失についてドクター・マッデンに質問し、それがECTの比較的一般的な副作用であることを知る("Seconds and Years")。ゲイブの死は生涯のうつ病の始まりだったため、ダンは彼女にそれを思い出させることをためらう。彼とナタリーはダイアナが昔の生活の写真や思い出を整理するのを手伝うが、ゲイブの存在については一切触れないようにする("Better Than Before")。しかしダイアナはその後、束の間ゲイブと向き合い、彼女が人生の重要な部分を忘れていることをほのめかされる("Aftershocks")。 ヘンリーは再びナタリーをダンスに誘うが、また断られる("Hey #2")。 ダイアナはドクター・マッデンを訪ねる。ドクターは、ダンがまだ彼女に息子のことを伝えていないとは知らずに、息子の存在を明かしてしまう("You Don't Know (reprise)")。それを知ったダイアナは家に戻り、ゲイブの古い持ち物を探し、赤ん坊だったゲイブが眠る時に使ったオルゴールを見つける。息子が死んだ夜のことを思い出した彼女を見つけたダンは、しぶしぶ、息子は医者の誰もが見落とした病気で死んだのだと思い出させる("How Could I Ever Forget?")。 ダイアナは混乱しながらも、10代になったゲイブの幻覚を見たことを思い出し、ダンは必死になって、医者に行ってさらに電気けいれん療法を受けようと言う。(”It's Gonna Be Good (reprise)")2人は激しい口論になり、ナタリーはそのピークを目撃する。ナタリーが2階の寝室に駆け上がると、ヘンリーが彼女と話をしようと待っていた。ダイアナは、自分がダンにどれほど苦労をさせ、2人でいることに痛みを味わせてきたか、それにもかかわらずなぜあなたはここに留まるのかと問い詰める。ダンは彼女に結婚の誓いを思い出させ、彼女がどんなに突き放そうとも2人の関係を貫くと約束する。2階では、ヘンリーがナタリーに同じような誓いを立てる("Why Stay?/A Promise")。しかしダイアナは再びゲイブを見かけ、すぐに彼に魅了され、ダンから心が離れていく("I'm Alive - Reprise")。 ダンは留まるよう懇願するが、ダイアナはその場を去り、ドクター・マッデンを訪ねる。何年治療を続けても病状が良くならないことに苛立ち、息子を失った悲しみは本当に薬で癒すべきものなのかと考える("The Break")。ドクター・マッデンは、ショック療法や他の薬物療法を提案するが、彼女はその場を去る("Make Up Your Mind/Catch Me I'm Falling (reprise)")。外に戻ると、彼女はナタリーと心を通わせ、2人の共通点に気づき、おそらく初めてナタリーとつながりを持とうと努力する。ふたりは抱き合い、どうにかして普通と変わらない生活を手に入れようと決め、ダイアナはヘンリーに会うためにナタリーをダンス会場まで送る(「Maybe」)。ヘンリーとダンスをしながらナタリーは、いつか母親と同じ問題を抱えることになるのではないかと不安を口にするが、ヘンリーは何があっても彼女のそばにいると約束し、2人はキスをする("Hey #3/ Perfect For You (reprise)")。 ダイアナは家に戻り、ダンをまだ愛しているが、最終的には2人とも自分で自分の悲しみに折り合いをつけなければならない、と別れを告げる("So Anyway")。打ちひしがれたダンは、彼女に尽くしてきた年月を振り返り、初めてゲイブを見る("I Am the One (reprise)")。2人は抱き合い、ダンはこのショーで初めて、そして唯一ゲイブの名前を口にする。ゲイブは姿を消し、ナタリーは家に戻ると母親がいないことに気づく。 ナタリーはヘンリーと交際を続け、ダイアナは一時的に両親と同居し、まだ落ち込んではいるが、かつてないほど希望に満ちている。ダンはドクター・マッデンを訪ね、彼が相談できる精神科医を紹介してもらう。ゲイブは最後にもう一度観客の前に姿を現し、今度は、これまでの脅迫的で不吉な人格とは対照的に、希望のメッセージを伝え、家族は新しい生活に適応していく( "Light" )。 注:これらの説明は、脚本の「登場人物」のセクションから引用したものである。 注:曲目はプログラムには記載されていない 2008 オフ・ブロードウェイ 2009 Broadway ネクスト・トゥ・ノーマルは、ダイアナ・グッドマンという一人の女性の精神疾患との闘いと、その病気が家族全体に及ぼす影響を描いている。第2幕では、ダイアナが電気けいれん療法(ECT)後に記憶喪失になることで、これらの影響はある時は軽減され、またある時は悪化する。キットとヨーキーは2002年にこのミュージカルの脚本を書き始め、2008年まで書き続けたが、その後、双極性うつ病の理解と治療に変化があった。しかし、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)の最新版では、ダイアナは「精神病性特徴を伴う」双極性障害と診断されるようになっている。また、双極性障害は現在、双極性I型とII型に分けられている。 双極性障害は躁病(または軽躁病)とうつ病を併発する障害で、治ることはなく、主に精神薬理学的、心理療法的、生物学的手段によって治療される。まず、一般に薬物療法として知られる精神薬理学的療法であるが、これは抗精神病薬、抗けいれん薬、抗うつ薬などを使用し、患者の気分を安定させることを目的とする。そのような薬物には、気分安定薬のリチウム、ベンゾジアゼピン系のアチバンやバリウムなどがあり、これらはすべて歌詞の中で言及されている。特に「My Psychopharmacologist and I(精神薬理学者と私)」という歌では、ダイアナが一度にたくさんの異なる薬物を処方され、眠気から性的機能障害に至るまで、その副作用とともに言及されている。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法に導く。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法的アプローチに導く。3つ目に取り上げるのは、脳に電流を流すことで発作を誘発する電気けいれん療法(ECT)である。 自殺未遂の後、ダイアナはECTを受けるよう説得され、その後記憶を失う(ゲイブの記憶も含めて)。ECTはしばしば、信じられないほど病状が重く治療抵抗性が極めて強いうつ病患者や、非常に深刻な自殺願望や精神病症状を含むうつ病患者、あるいは妊娠中の女性に対する最後の選択肢とみなされる。このやり方は劇中でも当てはまり、ダイアナが「There's a World」の歌の中で自殺をほのめかすゲイブの幻覚を見た後、初めてECTが勧められる。 このミュージカルは、電気ショック療法を受ける女性とその家族への影響を描いた10分間のワークショップ・スケッチ『Feeling Electric』として1998年に始まった。BMIリーマン・エンゲル・ミュージカル・シアター・ワークショップに参加していたヨーキーが、このアイデアをキットに持ち込んだ。キットはこの短編のためにロック・スコアを書いたが、その内容は医療行為に対して非常に批判的なものだった。ヨーキーもキットも他のプロジェクトに移ったが、「フィーリング・エレクトリックに戻り続け」、最終的には長編ミュージカルに発展させた。この作品は2002年にワシントン州アイサッカのヴィレッジ・シアターで上演され、その後ニューヨークのいくつかの劇場で上演された。 キャストはダンにノーバート・レオ・ブッツ、ダイアナにシェリー・レネ・スコット、ゲイブにベンジャミン・シュレイダー、ナタリーにアーニャ・シングルトン、ドクター・マッデンにグレッグ・ノートン。その後、2002年末にニューヨークのミュージカル・マンデーズ・シアター・ラボで上演された。 2005年、ヴィレッジ・シアターで再びワークショップを行い、ダイアナをエイミー・スペンガー、ダンをジェイソン・コリンズ、ナタリーをメアリー・フェイバー、ドクター・マッデンをデーヴン・メイが演じた。 2005年9月、このミュージカルはニューヨーク・ミュージカル・シアター・フェスティバルで上演され、ダイアナはスぺンガー、ダンはジョー・キャシディ、ナタリーはアナリー・アシュフォード、ゲイブはベンジャミン・シュレイダー、ドクター・マッデンはアンソニー・ラップが演じた。これがプロデューサーのデヴィッド・ストーンの目に留まった。 セカンド・ステージ・シアターはその後、2006年と2007年の両方でこの作品のワークショップを行い、ダンにキャシディ、その後グレッグ・エデルマン、ダイアナにアリス・リプリー、ナタリーにメアリー・フェイバー、その後フィービー・ストロール、ドクター・マッデン/ファインにラップ、ヘンリーにスカイラー・アスティンを起用した. 一方、ストーンとチームに加わっていた演出家マイケル・グライフの勧めで、クリエイターたちは医療体制への批判よりも家族の痛みに焦点を当てた。 ネクスト・トゥ・ノーマル』は、2008年1月16日から3月16日までオフ・ブロードウェイのセカンド・ステージ・シアターで初演され、演出はグライフ、演出助手はアンソニー・ラップ、音楽演出はセルジオ・トルヒーヨが担当した。 キャストは、ダイアナがリプリー、ダンがブライアン・ダーシー・ジェームズ、ゲイブがアーロン・トヴェイト、ナタリーがジェニファー・ダミアーノ、ヘンリーがアダム・チャンラー=ベラット、ドクター・マッデン/ファインがエイサ・ソマーズ。一家の姓はブラウンからグッドマンに変更された。 評価は分かれたが、 少なくとも1人の批評家は、双極性障害の治療について無責任なメッセージを押し付けており、ペーソスとコメディの適切なバランスが取れていないと批判した。批評家たちは、ショーが内部的に混乱していることを指摘し、チームは原題曲「Feeling Electric」の削除を含め、脚本と楽譜の両方に大きな変更を加えることにした。そして、苦い真実に立ち向かうダイアナとその家族の感情にストーリーを集中させた。 この書き直されたミュージカルは、2008年11月21日から2009年1月18日まで、アリーナ・ステージ(通常はワシントンD.C.にあるが、主要施設の改修期間中はバージニアで営業)で、グライフ演出のもと地方劇場で上演された。J.ロバート・スペンサーがダン役、ルイス・ホブソンがドクター・マッデン/ファインを引き継ぎ、その他の役はオフ・ブロードウェイ公演時の役者が戻ってきた。. このプロダクションは絶賛され、批評家たちは「コミカルな歌や派手な演出ナンバー」が、この物語の感情的な内容を引き立てる歌に置き換えられていることに気づいた。 ネクスト・トゥ・ノーマルは、2009年3月27日にブロードウェイのブース・シアターでプレビューが始まり、4月15日に初日を迎えた。アリーナ・ステージで上演された全キャストが、グライフの指揮のもと再び戻ってきた。このミュージカルは当初、より大きなロングエーカー・シアターで上演される予定だったが、プロデューサーのデヴィッド・ストーンによると、「ブース・シアターが空いたとき...『ネクスト・トゥ・ノーマル』にふさわしいスペースだと確信した」。 レビューは非常に好意的だった。ニューヨーク・タイムズ』紙のベン・ブラントリーは、ブロードウェイのプロダクションを「勇敢で、息をのむようなミュージカルだ。気持ちのいいミュージカルをはるかに超えて、すべてを感じるミュージカルだ」ローリング・ストーン誌は、「今シーズン最高の新作ミュージカルだ。ーダントツで」 ネクスト・トゥ・ノーマルは、『カーテン・アップ』の2009年年間ベストテンに選ばれた。. この公演は、2010年1月3日に終わる週の9公演で興行収入550,409ドルを記録し、ブース・シアターの新記録を樹立した。それまでの記録は、2006年に上演されたブライアン・フリールの『フェイス・ヒーラー』の興行収入530,702ドルだった。. その1年後、ネクスト・トゥ・ノーマルはブロードウェイ最終週(2011年1月16日終了週)、8公演で552,563ドルの興行収入を上げ、この記録を再び塗り替えた。 プロデューサーたちは、ブロードウェイでの上演1周年記念日の数日後に、400万ドルの初期投資を回収した。 ネクスト・トゥ・ノーマルは上演終了時点で31,764,486ドルの興行収入を上げ、ブース・シアターで上演されたすべての演目の中で最も多く、最も競合する『I'm Not Rappaport』の2倍の金額を稼いだ。 上演中に代わったキャストには、ダイアナ役のマリン・マジー、ダン役のブライアン・ダーシー・ジェームズ 後にジェイソン・ダニーリー, ゲイブ役のカイル・ディーン・マッセイ、ナタリー役のメーガン・フェイヒ。 ジョン・ケニックは2010年11月、"ブロードウェイでの上演を終えるにあたって、息をのむような輝きを放っている "と書いている。 ブロードウェイ公演は、21回のプレビューと733回の通常公演を経て、2011年1月16日に幕を閉じた。 2022年10月、マイケル・ロングハースト演出による新演出で、ドンマー・ウェアハウスでロンドン初演を迎えることが発表された。2023年1月、主役のダイアナ・グッドマン役をカイシー・レヴィが演じることが発表された。 2023年6月にフルキャスト発表。ドクター・マッデンにトレヴァー・ディオン・ニコラス、ダンにジェイミー・パーカー、ナタリーにエレノア・ワージントン・コックス、ゲイブにジャック・ウォルフ、ヘンリーにジャック・オフレシオ。UKプレミア公演は2023年8月12日から10月7日まで。 注:以下は、ミュージカルの公式主要プロダクションの主要キャストである。
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"ダイアナは混乱しながらも、10代になったゲイブの幻覚を見たことを思い出し、ダンは必死になって、医者に行ってさらに電気けいれん療法を受けようと言う。(”It's Gonna Be Good (reprise)\")2人は激しい口論になり、ナタリーはそのピークを目撃する。ナタリーが2階の寝室に駆け上がると、ヘンリーが彼女と話をしようと待っていた。ダイアナは、自分がダンにどれほど苦労をさせ、2人でいることに痛みを味わせてきたか、それにもかかわらずなぜあなたはここに留まるのかと問い詰める。ダンは彼女に結婚の誓いを思い出させ、彼女がどんなに突き放そうとも2人の関係を貫くと約束する。2階では、ヘンリーがナタリーに同じような誓いを立てる(\"Why Stay?/A Promise\")。しかしダイアナは再びゲイブを見かけ、すぐに彼に魅了され、ダンから心が離れていく(\"I'm Alive - Reprise\")。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ダンは留まるよう懇願するが、ダイアナはその場を去り、ドクター・マッデンを訪ねる。何年治療を続けても病状が良くならないことに苛立ち、息子を失った悲しみは本当に薬で癒すべきものなのかと考える(\"The Break\")。ドクター・マッデンは、ショック療法や他の薬物療法を提案するが、彼女はその場を去る(\"Make Up Your Mind/Catch Me I'm Falling (reprise)\")。外に戻ると、彼女はナタリーと心を通わせ、2人の共通点に気づき、おそらく初めてナタリーとつながりを持とうと努力する。ふたりは抱き合い、どうにかして普通と変わらない生活を手に入れようと決め、ダイアナはヘンリーに会うためにナタリーをダンス会場まで送る(「Maybe」)。ヘンリーとダンスをしながらナタリーは、いつか母親と同じ問題を抱えることになるのではないかと不安を口にするが、ヘンリーは何があっても彼女のそばにいると約束し、2人はキスをする(\"Hey #3/ Perfect For You (reprise)\")。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ダイアナは家に戻り、ダンをまだ愛しているが、最終的には2人とも自分で自分の悲しみに折り合いをつけなければならない、と別れを告げる(\"So Anyway\")。打ちひしがれたダンは、彼女に尽くしてきた年月を振り返り、初めてゲイブを見る(\"I Am the One (reprise)\")。2人は抱き合い、ダンはこのショーで初めて、そして唯一ゲイブの名前を口にする。ゲイブは姿を消し、ナタリーは家に戻ると母親がいないことに気づく。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ナタリーはヘンリーと交際を続け、ダイアナは一時的に両親と同居し、まだ落ち込んではいるが、かつてないほど希望に満ちている。ダンはドクター・マッデンを訪ね、彼が相談できる精神科医を紹介してもらう。ゲイブは最後にもう一度観客の前に姿を現し、今度は、これまでの脅迫的で不吉な人格とは対照的に、希望のメッセージを伝え、家族は新しい生活に適応していく( \"Light\" )。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "注:これらの説明は、脚本の「登場人物」のセクションから引用したものである。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "注:曲目はプログラムには記載されていない", "title": "ミュージカルナンバー" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2008 オフ・ブロードウェイ", "title": "ミュージカルナンバー" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2009 Broadway", "title": "ミュージカルナンバー" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ネクスト・トゥ・ノーマルは、ダイアナ・グッドマンという一人の女性の精神疾患との闘いと、その病気が家族全体に及ぼす影響を描いている。第2幕では、ダイアナが電気けいれん療法(ECT)後に記憶喪失になることで、これらの影響はある時は軽減され、またある時は悪化する。キットとヨーキーは2002年にこのミュージカルの脚本を書き始め、2008年まで書き続けたが、その後、双極性うつ病の理解と治療に変化があった。しかし、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)の最新版では、ダイアナは「精神病性特徴を伴う」双極性障害と診断されるようになっている。また、双極性障害は現在、双極性I型とII型に分けられている。", "title": "精神疾患の描写" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "双極性障害は躁病(または軽躁病)とうつ病を併発する障害で、治ることはなく、主に精神薬理学的、心理療法的、生物学的手段によって治療される。まず、一般に薬物療法として知られる精神薬理学的療法であるが、これは抗精神病薬、抗けいれん薬、抗うつ薬などを使用し、患者の気分を安定させることを目的とする。そのような薬物には、気分安定薬のリチウム、ベンゾジアゼピン系のアチバンやバリウムなどがあり、これらはすべて歌詞の中で言及されている。特に「My Psychopharmacologist and I(精神薬理学者と私)」という歌では、ダイアナが一度にたくさんの異なる薬物を処方され、眠気から性的機能障害に至るまで、その副作用とともに言及されている。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法に導く。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法的アプローチに導く。3つ目に取り上げるのは、脳に電流を流すことで発作を誘発する電気けいれん療法(ECT)である。", "title": "精神疾患の描写" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "自殺未遂の後、ダイアナはECTを受けるよう説得され、その後記憶を失う(ゲイブの記憶も含めて)。ECTはしばしば、信じられないほど病状が重く治療抵抗性が極めて強いうつ病患者や、非常に深刻な自殺願望や精神病症状を含むうつ病患者、あるいは妊娠中の女性に対する最後の選択肢とみなされる。このやり方は劇中でも当てはまり、ダイアナが「There's a World」の歌の中で自殺をほのめかすゲイブの幻覚を見た後、初めてECTが勧められる。", "title": "精神疾患の描写" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "このミュージカルは、電気ショック療法を受ける女性とその家族への影響を描いた10分間のワークショップ・スケッチ『Feeling Electric』として1998年に始まった。BMIリーマン・エンゲル・ミュージカル・シアター・ワークショップに参加していたヨーキーが、このアイデアをキットに持ち込んだ。キットはこの短編のためにロック・スコアを書いたが、その内容は医療行為に対して非常に批判的なものだった。ヨーキーもキットも他のプロジェクトに移ったが、「フィーリング・エレクトリックに戻り続け」、最終的には長編ミュージカルに発展させた。この作品は2002年にワシントン州アイサッカのヴィレッジ・シアターで上演され、その後ニューヨークのいくつかの劇場で上演された。 キャストはダンにノーバート・レオ・ブッツ、ダイアナにシェリー・レネ・スコット、ゲイブにベンジャミン・シュレイダー、ナタリーにアーニャ・シングルトン、ドクター・マッデンにグレッグ・ノートン。その後、2002年末にニューヨークのミュージカル・マンデーズ・シアター・ラボで上演された。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2005年、ヴィレッジ・シアターで再びワークショップを行い、ダイアナをエイミー・スペンガー、ダンをジェイソン・コリンズ、ナタリーをメアリー・フェイバー、ドクター・マッデンをデーヴン・メイが演じた。 2005年9月、このミュージカルはニューヨーク・ミュージカル・シアター・フェスティバルで上演され、ダイアナはスぺンガー、ダンはジョー・キャシディ、ナタリーはアナリー・アシュフォード、ゲイブはベンジャミン・シュレイダー、ドクター・マッデンはアンソニー・ラップが演じた。これがプロデューサーのデヴィッド・ストーンの目に留まった。 セカンド・ステージ・シアターはその後、2006年と2007年の両方でこの作品のワークショップを行い、ダンにキャシディ、その後グレッグ・エデルマン、ダイアナにアリス・リプリー、ナタリーにメアリー・フェイバー、その後フィービー・ストロール、ドクター・マッデン/ファインにラップ、ヘンリーにスカイラー・アスティンを起用した. 一方、ストーンとチームに加わっていた演出家マイケル・グライフの勧めで、クリエイターたちは医療体制への批判よりも家族の痛みに焦点を当てた。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ネクスト・トゥ・ノーマル』は、2008年1月16日から3月16日までオフ・ブロードウェイのセカンド・ステージ・シアターで初演され、演出はグライフ、演出助手はアンソニー・ラップ、音楽演出はセルジオ・トルヒーヨが担当した。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "キャストは、ダイアナがリプリー、ダンがブライアン・ダーシー・ジェームズ、ゲイブがアーロン・トヴェイト、ナタリーがジェニファー・ダミアーノ、ヘンリーがアダム・チャンラー=ベラット、ドクター・マッデン/ファインがエイサ・ソマーズ。一家の姓はブラウンからグッドマンに変更された。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "評価は分かれたが、 少なくとも1人の批評家は、双極性障害の治療について無責任なメッセージを押し付けており、ペーソスとコメディの適切なバランスが取れていないと批判した。批評家たちは、ショーが内部的に混乱していることを指摘し、チームは原題曲「Feeling Electric」の削除を含め、脚本と楽譜の両方に大きな変更を加えることにした。そして、苦い真実に立ち向かうダイアナとその家族の感情にストーリーを集中させた。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "この書き直されたミュージカルは、2008年11月21日から2009年1月18日まで、アリーナ・ステージ(通常はワシントンD.C.にあるが、主要施設の改修期間中はバージニアで営業)で、グライフ演出のもと地方劇場で上演された。J.ロバート・スペンサーがダン役、ルイス・ホブソンがドクター・マッデン/ファインを引き継ぎ、その他の役はオフ・ブロードウェイ公演時の役者が戻ってきた。. このプロダクションは絶賛され、批評家たちは「コミカルな歌や派手な演出ナンバー」が、この物語の感情的な内容を引き立てる歌に置き換えられていることに気づいた。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ネクスト・トゥ・ノーマルは、2009年3月27日にブロードウェイのブース・シアターでプレビューが始まり、4月15日に初日を迎えた。アリーナ・ステージで上演された全キャストが、グライフの指揮のもと再び戻ってきた。このミュージカルは当初、より大きなロングエーカー・シアターで上演される予定だったが、プロデューサーのデヴィッド・ストーンによると、「ブース・シアターが空いたとき...『ネクスト・トゥ・ノーマル』にふさわしいスペースだと確信した」。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "レビューは非常に好意的だった。ニューヨーク・タイムズ』紙のベン・ブラントリーは、ブロードウェイのプロダクションを「勇敢で、息をのむようなミュージカルだ。気持ちのいいミュージカルをはるかに超えて、すべてを感じるミュージカルだ」ローリング・ストーン誌は、「今シーズン最高の新作ミュージカルだ。ーダントツで」", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ネクスト・トゥ・ノーマルは、『カーテン・アップ』の2009年年間ベストテンに選ばれた。.", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この公演は、2010年1月3日に終わる週の9公演で興行収入550,409ドルを記録し、ブース・シアターの新記録を樹立した。それまでの記録は、2006年に上演されたブライアン・フリールの『フェイス・ヒーラー』の興行収入530,702ドルだった。.", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "その1年後、ネクスト・トゥ・ノーマルはブロードウェイ最終週(2011年1月16日終了週)、8公演で552,563ドルの興行収入を上げ、この記録を再び塗り替えた。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "プロデューサーたちは、ブロードウェイでの上演1周年記念日の数日後に、400万ドルの初期投資を回収した。 ネクスト・トゥ・ノーマルは上演終了時点で31,764,486ドルの興行収入を上げ、ブース・シアターで上演されたすべての演目の中で最も多く、最も競合する『I'm Not Rappaport』の2倍の金額を稼いだ。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "上演中に代わったキャストには、ダイアナ役のマリン・マジー、ダン役のブライアン・ダーシー・ジェームズ 後にジェイソン・ダニーリー, ゲイブ役のカイル・ディーン・マッセイ、ナタリー役のメーガン・フェイヒ。 ジョン・ケニックは2010年11月、\"ブロードウェイでの上演を終えるにあたって、息をのむような輝きを放っている \"と書いている。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ブロードウェイ公演は、21回のプレビューと733回の通常公演を経て、2011年1月16日に幕を閉じた。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2022年10月、マイケル・ロングハースト演出による新演出で、ドンマー・ウェアハウスでロンドン初演を迎えることが発表された。2023年1月、主役のダイアナ・グッドマン役をカイシー・レヴィが演じることが発表された。 2023年6月にフルキャスト発表。ドクター・マッデンにトレヴァー・ディオン・ニコラス、ダンにジェイミー・パーカー、ナタリーにエレノア・ワージントン・コックス、ゲイブにジャック・ウォルフ、ヘンリーにジャック・オフレシオ。UKプレミア公演は2023年8月12日から10月7日まで。", "title": "プロダクション" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "注:以下は、ミュージカルの公式主要プロダクションの主要キャストである。", "title": "キャスト" } ]
ネクスト・トゥ・ノーマル(Next to Normal)は、ブライアン・ヨーキーが作詞、トム・キットが作曲した2008年のアメリカのロック・ミュージカルである。ストーリーは、双極性障害の悪化に苦闘する母親と、彼女の病気への対処が家族に与える影響を中心に描かれている。このミュージカルは、喪失の悲しみ、うつ病、自殺、薬物乱用、現代の精神医学における倫理、郊外生活の裏側などを取り上げている。 ネクスト・トゥ・ノーマルは、何度かワークショップ公演を行った後、2008年1月にオフ・ブロードウェイ・デビュー。アウター・クリティックス・サークル賞の優秀作曲賞を受賞、ドラマ・デスク賞の優秀女優賞(アリス・リプリー)と優秀作曲賞にノミネートされた。オフ・ブロードウェイでの上演後、2008年11月から2009年1月までヴァージニアに仮設されたアリーナ・ステージで上演された。 2009年4月にブロードウェイで開幕。同年のトニー賞で11部門にノミネートされ、最優秀作曲賞、最優秀オーケストレーション賞、アリス・リプリーの最優秀ミュージカル主演女優賞の3部門を受賞した。また、2010年のピューリッツァー賞演劇部門も受賞し、ミュージカル史上8作目の栄誉となった。ピューリッツァー委員会は、キットとヨーキーに賞を授与するにあたり、この作品を「郊外に住む家族の精神疾患を扱った力強いロック・ミュージカルであり、ミュージカルの題材の幅を広げた」と評価した。
{{Infobox musical|music=トム・キット|lyrics=ブライアン・ヨーキー|book=ブライアン・ヨーキー|basis=|productions=2008 [[オフ・ブロードウェイ]]<br />2008 ヴァージニア<br />2009 [[ブロードウェイ]]<br />2010 北米ツアー<br />2023 ロンドン|awards=[[トニー賞]]作曲賞<br />[[ピューリッツァー賞]]}} ネクスト・トゥ・ノーマル(Next to Normal)は、ブライアン・ヨーキーが作詞、トム・キットが作曲した2008年のアメリカのロック・ミュージカルである。ストーリーは、双極性障害の悪化に苦闘する母親と、彼女の病気への対処が家族に与える影響を中心に描かれている。このミュージカルは、喪失の悲しみ、うつ病、自殺、薬物乱用、現代の精神医学における倫理、郊外生活の裏側などを取り上げている。 ネクスト・トゥ・ノーマルは、何度かワークショップ公演を行った後、2008年1月にオフ・ブロードウェイ・デビュー。アウター・クリティックス・サークル賞の優秀作曲賞を受賞、ドラマ・デスク賞の優秀女優賞(アリス・リプリー)と優秀作曲賞にノミネートされた。オフ・ブロードウェイでの上演後、2008年11月から2009年1月までヴァージニアに仮設されたアリーナ・ステージで上演された。 2009年4月にブロードウェイで開幕。同年のトニー賞で11部門にノミネートされ、最優秀作曲賞、最優秀オーケストレーション賞、アリス・リプリーの最優秀ミュージカル主演女優賞の3部門を受賞した。また、2010年のピューリッツァー賞演劇部門も受賞し、ミュージカル史上8作目の栄誉となった。ピューリッツァー委員会は、キットとヨーキーに賞を授与するにあたり、この作品を「郊外に住む家族の精神疾患を扱った力強いロック・ミュージカルであり、ミュージカルの題材の幅を広げた」と評価した。<ref>{{Cite web |author=Hetrick |first=Adam |title=''Next to Normal'' Wins 2010 Pulitzer Prize for Drama |url=https://www.playbill.com/article/next-to-normal-wins-2010-pulitzer-prize-for-drama-com-167584 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=April 12, 2010}}</ref> == あらすじ == ''重大なネタバレを含む。'' === 第一幕 === 郊外に住む双極性障害の母親ダイアナ・グッドマンは、門限を破った息子ゲイブの帰りを深夜まで待ち続けている。ダイアナの娘ナタリーは成績優秀な高校生で、近々行われるテストの勉強に集中しすぎている。ダイアナはそんな娘に休息をとるよう勧める。やがてゲイブが帰宅し、夫のダンが起きてきて、家族が一日の支度を始める("Just Another Day")。ダイアナは家族のために食事を用意するが、ダンとナタリーは、彼女がキッチンいっぱいにサンドイッチのパンを広げていることに気づき、彼女を止める。ダンが混乱したダイアナを助け、ナタリーとゲイブは学校へ向かう。 ナタリーは、学校の音楽室で次のピアノの発表会の練習をしながら、溜め込んだ怒りとフラストレーションを爆発させ(『Everything Else』)、そこで遠くからナタリーに想いを寄せていた同級生のヘンリーと出会う。一方、ダイアナは何度も精神科医を訪れ、さまざまな薬を処方されるが、どれも身体が衰弱する副作用があることが判明する。ダンは彼女を車の中で待ちながら、自分自身の正気を疑っている("Who's Crazy?/ My Psychopharmacologist and I")。ダイアナは、あらゆる感情を麻痺させ取り除く薬を投与され、医師から容態が安定したと宣告される。 ナタリーとヘンリーのロマンチックなひと時を見届けた後("Perfect For You")、ダイアナは以前の生活が失われたことを嘆き、新しい薬のおかげで何も感じないのとは対照的に、痛みと喜びの中で活き活きと生きていた日々を懐かしむ("I Miss the Mountains")。ゲイブの提案で、彼女は薬をすべて流して捨ててしまう。 ダンはヘンリーを招待し、家族で夕食を囲む("It's Gonna Be Good")。ダイアナがゲイブのバースデーケーキをテーブルに運んでくると、ダンは彼女に、ゲイブは本当は16年近く前に亡くなっていることを優しく思い出させる。これまでショーで見ていたゲイブは彼女の幻覚にすぎなかった("He's Not Here")。 動揺したナタリーが寝室に駆け込むと、ダンは食卓を片付け、ダイアナは薬をやめたことを打ち明ける。彼が彼女に理解を示そうとすると、彼女は私の苦しみを理解できるはずがないと怒り出す("You Don't Know")。ダンはできる限りの手助けをさせてほしいと懇願し、これまで誠実に忍耐強く向き合ってきたことを思い出させようとするが、ダイアナにしか見えないゲイブの幻影に邪魔される。ダイアナは息子の側につき、ダンの申し出を拒絶する("I Am the One")。 2階で、ナタリーはヘンリーに、死んだゲイブに執着する母への気持ちを打ち明ける。ダイアナは二人の会話を耳にし、ナタリーに「あなたをできる限り愛している」と言う("Superboy and the Invisible Girl")。 ダイアナは新しい医者にトークセラピーと催眠術を受ける。治療中にダイアナはゲイブに会うが、ゲイブは自分を消し去ることは決してできないと主張する("I'm Alive")。ダイアナは、ナタリーが生まれたときに彼女を病院で抱くことができなかった、と病気の影響を詳しく語る。 一方、ナタリーは大事なピアノの発表会で両親が客席にいないことを知り、失敗してしまう("Make Up Your Mind/ Catch Me I'm Falling")。 ダイアナの主治医は彼女に、家に帰ってナタリーと過ごし、ゲイブを解放するためにゲイブの古いものを箱に詰めて片付けるよう勧める。ダイアナはそれに同意するが、地下室の箱を整理しているときにゲイブの幻覚に直面する("I Dreamed a Dance")。ゲイブは、彼女が彼の世界に一緒に来るように誘う("There's a World")。 ダイアナは自殺未遂で入院し、ドクター・マッデンは、電気けいれん療法が最後の治療の選択肢だとダンに告げる。ダンは妻の自殺未遂の後始末をするため家に戻るが、ダイアナと過ごした年月を回想しているうちに、自分自身の精神崩壊を間一髪で防いだ("I've Been")。ナタリーは、父親が医師の勧めるショック療法に同意したことを知り憤慨する。病院に戻ると、ダイアナは確認書類にサインさせようとしたスタッフに逆らい、ショック療法を映画『カッコーの巣の上で(原題:One Flew Over the Cuckoo's Nest)』の描写になぞらえていた("Didn't I see This Movie?")。しかし、部屋を片付けた後、ダンは彼女に「普通に戻るにはこれしかない」と、この治療の必要性を納得させる("A Light in the Dark")。ダイアナはしぶしぶ同意し、書類にサインする。 === 第二幕 === ダイアナは2週間にわたってECTを受ける。一方、ナタリーはドラッグの実験をし、頻繁にクラブに行くが、毎晩ヘンリーに助けられて無事に帰宅する。ある時、彼女は母親と幻覚を共有しているように見え、二人の感情の類似性が浮き彫りになる("Wish I Were Here")。ダイアナが病院から帰宅すると、彼女はショック療法によって、亡くなった息子の記憶も含めて過去19年間の記憶を失ったことが明らかになる("Song of Forgetting")。この曲の中で、ナタリーはこの「治療」の効果について不安を訴え、彼女の心は「純粋すぎて何もわからない」と主張するが、ダンはダイアナの記憶がいずれ戻ることに希望を持ち続ける。クラブで気絶しているナタリーを見つけ、家まで送ったヘンリーは、今度の学校のダンスにナタリーを誘うが、彼女は即座に断る("Hey #1")。 ダンは、ダイアナの記憶喪失についてドクター・マッデンに質問し、それがECTの比較的一般的な副作用であることを知る("Seconds and Years")。ゲイブの死は生涯のうつ病の始まりだったため、ダンは彼女にそれを思い出させることをためらう。彼とナタリーはダイアナが昔の生活の写真や思い出を整理するのを手伝うが、ゲイブの存在については一切触れないようにする("Better Than Before")。しかしダイアナはその後、束の間ゲイブと向き合い、彼女が人生の重要な部分を忘れていることをほのめかされる("Aftershocks")。 ヘンリーは再びナタリーをダンスに誘うが、また断られる("Hey #2")。 ダイアナはドクター・マッデンを訪ねる。ドクターは、ダンがまだ彼女に息子のことを伝えていないとは知らずに、息子の存在を明かしてしまう("You Don't Know (reprise)")。それを知ったダイアナは家に戻り、ゲイブの古い持ち物を探し、赤ん坊だったゲイブが眠る時に使ったオルゴールを見つける。息子が死んだ夜のことを思い出した彼女を見つけたダンは、しぶしぶ、息子は医者の誰もが見落とした病気で死んだのだと思い出させる("How Could I Ever Forget?")。 ダイアナは混乱しながらも、10代になったゲイブの幻覚を見たことを思い出し、ダンは必死になって、医者に行ってさらに電気けいれん療法を受けようと言う。(”It's Gonna Be Good (reprise)")2人は激しい口論になり、ナタリーはそのピークを目撃する。ナタリーが2階の寝室に駆け上がると、ヘンリーが彼女と話をしようと待っていた。ダイアナは、自分がダンにどれほど苦労をさせ、2人でいることに痛みを味わせてきたか、それにもかかわらずなぜあなたはここに留まるのかと問い詰める。ダンは彼女に結婚の誓いを思い出させ、彼女がどんなに突き放そうとも2人の関係を貫くと約束する。2階では、ヘンリーがナタリーに同じような誓いを立てる("Why Stay?/A Promise")。しかしダイアナは再びゲイブを見かけ、すぐに彼に魅了され、ダンから心が離れていく("I'm Alive - Reprise")。 ダンは留まるよう懇願するが、ダイアナはその場を去り、ドクター・マッデンを訪ねる。何年治療を続けても病状が良くならないことに苛立ち、息子を失った悲しみは本当に薬で癒すべきものなのかと考える("The Break")。ドクター・マッデンは、ショック療法や他の薬物療法を提案するが、彼女はその場を去る("Make Up Your Mind/Catch Me I'm Falling (reprise)")。外に戻ると、彼女はナタリーと心を通わせ、2人の共通点に気づき、おそらく初めてナタリーとつながりを持とうと努力する。ふたりは抱き合い、どうにかして普通と変わらない生活を手に入れようと決め、ダイアナはヘンリーに会うためにナタリーをダンス会場まで送る(「Maybe」)。ヘンリーとダンスをしながらナタリーは、いつか母親と同じ問題を抱えることになるのではないかと不安を口にするが、ヘンリーは何があっても彼女のそばにいると約束し、2人はキスをする("Hey #3/ Perfect For You (reprise)")。 ダイアナは家に戻り、ダンをまだ愛しているが、最終的には2人とも自分で自分の悲しみに折り合いをつけなければならない、と別れを告げる("So Anyway")。打ちひしがれたダンは、彼女に尽くしてきた年月を振り返り、初めてゲイブを見る("I Am the One (reprise)")。2人は抱き合い、ダンはこのショーで初めて、そして唯一ゲイブの名前を口にする。ゲイブは姿を消し、ナタリーは家に戻ると母親がいないことに気づく。 ナタリーはヘンリーと交際を続け、ダイアナは一時的に両親と同居し、まだ落ち込んではいるが、かつてないほど希望に満ちている。ダンはドクター・マッデンを訪ね、彼が相談できる精神科医を紹介してもらう。ゲイブは最後にもう一度観客の前に姿を現し、今度は、これまでの脅迫的で不吉な人格とは対照的に、希望のメッセージを伝え、家族は新しい生活に適応していく( "Light" )。 == 登場人物 == ''注:これらの説明は、脚本の「登場人物」のセクションから引用したものである。'' * ダイアナ:郊外に住む母親。聡明。双極性障害で幻覚を見る。30代か40代 * ゲイブ:ダイアナの息子。ティーンエイジャー。 * ダン:ダイアナの夫。ハンサム。誠実。一途。疲れている。30代か40代 * ナタリー:ダイアナの娘。16歳で、完璧であろうとしている。うまくいってはいない * ヘンリー:ミュージシャン。ロマンチスト。酔っ払い。怠け者。哲学王。17歳。 * ドクター・マッデン:年齢を感じさせない若さ。自信家。ロックスター。 * ドクター・ファイン:精神薬理学者。.<ref>{{Cite book |title=Next to normal |last=Kitt |first=Tom |date=2010 |publisher=Theatre Communications Group |others=Yorkey, Brian., Rapp, Anthony. |isbn=9781559363709 |edition=1st |location=New York |oclc=456179050}}</ref> == ミュージカルナンバー == 注:曲目はプログラムには記載されていない '''2008 オフ・ブロードウェイ'''{{Col-begin}} {{Col-2}} ; 第一幕 * "Prelude" – Orchestra * "Preprise – Let There Be Light" – Dan, Natalie, Diana * "Just Another Day" – Diana, Natalie, Gabe, Dan * "Everything Else" – Natalie * "More... And More... And More" – Diana, Natalie, Gabe, Henry, Doctor Madden * "The Cavalry" – Dan * "Who's Crazy"/ " My Psychopharmacologist and I" – Dan, Doctor Fine, Diana * "Perfect For You" – Henry, Natalie * "I Miss the Mountains" – Diana * "It's Gonna Be Good" – Dan, Natalie, Henry, Diana * "He's Not Here" – Dan * "You Don't Know" – Diana * "I Am the One" – Dan, Gabe, Diana * "Superboy and the Invisible Girl" – Natalie, Diana, Gabe * "Open Your Eyes" – Doctor Madden * "I'm Alive" – Gabe * "Make Up Your Mind"/ "Catch Me I'm Falling" – Doctor Madden, Diana, Dan, Natalie, Gabe, Henry * "A Good Step" – Orchestra * "I Dreamed a Dance" – Diana, Gabe * "There's a World" – Gabe * "In the Light" – Dan * "E.C.T." – Orchestra * "I've Been" – Dan, Gabe * "Didn't I See This Movie?" – Diana * "A Light in the Dark" – Dan, Diana * "Feeling Electric" – Diana, Gabe, Dan, Doctor Madden, Natalie, Henry {{Col-break}} ; 第二幕 * "Growing Up Unstable" – Natalie * "Song of Forgetting" – Dan, Diana, Natalie * "Hey #1" – Henry, Natalie * "Seconds and Years" – Doctor Madden, Dan, Diana * "Getting Better" – Doctor Madden, Diana, Natalie * "Better Than Before" – Doctor Madden, Dan, Natalie, Diana * "Aftershocks" – Gabe * "Hey #2" – Henry, Natalie * "You Don't Know" (Reprise) – Diana, Doctor Madden * "Music Box" – Gabe * "How Could I Ever Forget?" – Diana, Dan * "It's Gonna Be Good" (Reprise) – Dan, Diana * "Why Stay?"/ "A Promise" – Diana, Natalie, Dan, Henry * "I'm Alive" (Reprise) – Gabe * "The Break" – Diana * "Make Up Your Mind"/ "Catch Me I'm Falling" (Reprise) – Doctor Madden, Diana, Gabe * "Everything" – Diana, Natalie * "Hey #3”/ "Perfect For You" (Reprise) – Henry, Natalie * "So Anyway" – Diana * "I Am the One" (Reprise) – Dan, Gabe * "Finale (Let There Be Light)" – Diana, Dan, Natalie, Gabe, Henry, Doctor Madden {{Col-end}}'''2009 Broadway'''{{Col-begin}} {{Col-2}} ; 第一幕 * "Prelude" – Orchestra * "Just Another Day" – Diana, Natalie, Gabe, Dan * "Everything Else" – Natalie * "Who's Crazy" / "My Psychopharmacologist and I" – Dan, Doctor Fine, Diana * "Perfect for You" – Henry, Natalie * "I Miss the Mountains" – Diana * "It's Gonna Be Good" – Dan, Natalie, Henry, Diana * "He's Not Here" – Dan * "You Don't Know" – Diana * "I Am the One" – Dan, Gabe, Diana * "Superboy and the Invisible Girl" – Natalie, Diana, Gabe * "I'm Alive" – Gabe * "Make Up Your Mind" / "Catch Me I'm Falling" – Doctor Madden, Diana, Dan, Natalie, Gabe, Henry * "I Dreamed a Dance" – Diana, Gabe * "There's a World" – Gabe * "I've Been" – Dan, Gabe * "Didn't I See This Movie?" – Diana * "A Light in the Dark" – Dan, Diana {{Col-break}} ; 第二幕 * "Wish I Were Here" – Diana, Natalie * "Song of Forgetting" – Dan, Diana, Natalie * "Hey #1" – Henry, Natalie * "Seconds and Years" – Doctor Madden, Dan, Diana * "Better Than Before" – Doctor Madden, Dan, Natalie, Diana * "Aftershocks" – Gabe * "Hey #2" – Henry, Natalie * "You Don't Know" (Reprise) – Diana, Doctor Madden * "How Could I Ever Forget?" – Diana, Dan * "It's Gonna Be Good" (Reprise) – Dan, Diana * "Why Stay?" / "A Promise" – Diana, Natalie, Dan, Henry * "I'm Alive" (Reprise) – Gabe * "The Break" – Diana * "Make Up Your Mind" / "Catch Me I'm Falling" (Reprise) – Doctor Madden, Diana, Gabe * "Maybe (Next to Normal)" – Diana, Natalie * "Hey #3" / "Perfect for You" (Reprise) – Henry, Natalie * "So Anyway" – Diana * "I Am the One" (Reprise) – Dan, Gabe * "Light" – Diana, Dan, Natalie, Gabe, Henry, Doctor Madden {{Col-end}} == 精神疾患の描写 == === 双極性障害 === ''ネクスト・トゥ・ノーマル''は、ダイアナ・グッドマンという一人の女性の精神疾患との闘いと、その病気が家族全体に及ぼす影響を描いている。第2幕では、ダイアナが電気けいれん療法(ECT)後に記憶喪失になることで、これらの影響はある時は軽減され、またある時は悪化する。キットとヨーキーは2002年にこのミュージカルの脚本を書き始め、2008年まで書き続けたが、その後、双極性うつ病の理解と治療に変化があった。しかし、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)の最新版では、ダイアナは「精神病性特徴を伴う」双極性障害と診断されるようになっている。また、双極性障害は現在、双極性Ⅰ型とⅡ型に分けられている。 === 治療 === 双極性障害は躁病(または軽躁病)とうつ病を併発する障害で、治ることはなく、主に精神薬理学的、心理療法的、生物学的手段によって治療される。まず、一般に薬物療法として知られる精神薬理学的療法であるが、これは抗精神病薬、抗けいれん薬、抗うつ薬などを使用し、患者の気分を安定させることを目的とする。そのような薬物には、気分安定薬のリチウム、ベンゾジアゼピン系のアチバンやバリウムなどがあり、これらはすべて歌詞の中で言及されている。特に「My Psychopharmacologist and I(精神薬理学者と私)」という歌では、ダイアナが一度にたくさんの異なる薬物を処方され、眠気から性的機能障害に至るまで、その副作用とともに言及されている。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法に導く。ダイアナの精神科医は、彼女を誘導瞑想や催眠療法的アプローチに導く。3つ目に取り上げるのは、脳に電流を流すことで発作を誘発する電気けいれん療法(ECT)である。 自殺未遂の後、ダイアナはECTを受けるよう説得され、その後記憶を失う(ゲイブの記憶も含めて)。ECTはしばしば、信じられないほど病状が重く治療抵抗性が極めて強いうつ病患者や、非常に深刻な自殺願望や精神病症状を含むうつ病患者、あるいは妊娠中の女性に対する最後の選択肢とみなされる。このやり方は劇中でも当てはまり、ダイアナが「There's a World」の歌の中で自殺をほのめかすゲイブの幻覚を見た後、初めてECTが勧められる。 == プロダクション == === ディベロップメント === このミュージカルは、電気ショック療法を受ける女性とその家族への影響を描いた10分間のワークショップ・スケッチ『Feeling Electric』として1998年に始まった。BMIリーマン・エンゲル・ミュージカル・シアター・ワークショップに参加していたヨーキーが、このアイデアをキットに持ち込んだ。キットはこの短編のためにロック・スコアを書いたが、その内容は医療行為に対して非常に批判的なものだった。ヨーキーもキットも他のプロジェクトに移ったが、「フィーリング・エレクトリックに戻り続け」、最終的には長編ミュージカルに発展させた。この作品は2002年にワシントン州アイサッカのヴィレッジ・シアターで上演され、その後ニューヨークのいくつかの劇場で上演された。<ref name="Columbia">Getlin, Josh. "The Ballad of Kitt &Yorkey", ''Columbia Magazine'', [[Columbia University]], Fall 2010, pp. 22–23</ref> キャストはダンにノーバート・レオ・ブッツ、ダイアナにシェリー・レネ・スコット、ゲイブにベンジャミン・シュレイダー、ナタリーにアーニャ・シングルトン、ドクター・マッデンにグレッグ・ノートン。その後、2002年末にニューヨークのミュージカル・マンデーズ・シアター・ラボで上演された。<ref>{{Cite web |author=Jones |first=Kenneth |title=''Feeling Electric'', Butz and Larsen Sing Electro-Shock Therapy Musical Oct. 7 |url=https://www.playbill.com/article/feeling-electric-butz-and-larsen-sing-electro-shock-therapy-musical-oct-7-com-108707 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=October 4, 2002}}</ref> 2005年、ヴィレッジ・シアターで再びワークショップを行い、ダイアナをエイミー・スペンガー、ダンをジェイソン・コリンズ、ナタリーをメアリー・フェイバー、ドクター・マッデンをデーヴン・メイが演じた。<ref>{{Cite web |author=Jones |first=Kenneth |title=Musical Workshop of ''Feeling Electric'', About a Frazzled Family, Stars a Bat Boy and a Lois Lane in Seattle |url=https://www.playbill.com/article/musical-workshop-of-feeling-electric-about-a-frazzled-family-stars-a-bat-boy-and-a-lois-lane-in-seattle-com-126595 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=June 21, 2005}}</ref> 2005年9月、このミュージカルはニューヨーク・ミュージカル・シアター・フェスティバルで上演され、ダイアナはスぺンガー、ダンはジョー・キャシディ、ナタリーはアナリー・アシュフォード、ゲイブはベンジャミン・シュレイダー、ドクター・マッデンは[[アンソニー・ラップ]]が演じた。これがプロデューサーのデヴィッド・ストーンの目に留まった。<ref>{{Cite web |author=Jones |first=Kenneth |url=https://www.playbill.com/article/rapp-spanger-help-spark-premiere-of-feeling-electric-sept-14-24-in-nymf-com-128006 |title=Rapp & Spanger Help Spark Premiere of ''Feeling Electric'' Sept. 14-24 in NYMF |website=Playbill |date=September 14, 2005 |access-date=January 7, 2023}}</ref> セカンド・ステージ・シアターはその後、2006年と2007年の両方でこの作品のワークショップを行い、ダンにキャシディ、その後グレッグ・エデルマン、ダイアナにアリス・リプリー、ナタリーにメアリー・フェイバー、その後フィービー・ストロール、ドクター・マッデン/ファインにラップ、ヘンリーにスカイラー・アスティンを起用した.{{要出典|date=February 2009}} 一方、ストーンとチームに加わっていた演出家マイケル・グライフの勧めで、クリエイターたちは医療体制への批判よりも家族の痛みに焦点を当てた。 === オフ・ブロードウェイとバージニア (2008–09) === ネクスト・トゥ・ノーマル』は、2008年1月16日から3月16日までオフ・ブロードウェイのセカンド・ステージ・シアターで初演され、演出はグライフ、演出助手はアンソニー・ラップ、音楽演出はセルジオ・トルヒーヨが担当した。 キャストは、ダイアナがリプリー、ダンがブライアン・ダーシー・ジェームズ、ゲイブがアーロン・トヴェイト、ナタリーがジェニファー・ダミアーノ、ヘンリーがアダム・チャンラー=ベラット、ドクター・マッデン/ファインがエイサ・ソマーズ。一家の姓はブラウンからグッドマンに変更された。<ref>{{Cite web |author=Hernandez |first=Ernio |title=New Musical ''Next to Normal'' Closes Off-Broadway March 16 |url=https://www.playbill.com/article/new-musical-next-to-normal-closes-off-broadway-march-16-com-148437 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=March 16, 2008}}</ref> 評価は分かれたが、<ref>{{Cite web |author=Dziemianowicz |first=Joe |title=The high & low notes of a bipolar mom in 'Next to Normal' |url=https://www.nydailynews.com/entertainment/music-arts/high-notes-bipolar-mom-normal-article-1.306721 |website=New York Daily News |access-date=January 7, 2023 |date=February 13, 2008}}</ref><ref>{{Cite web |author=Brantley |first=Ben |title=There, Amid the Music, a Mind Is on the Edge |url=https://www.nytimes.com/2008/02/14/theater/reviews/14normal.html |website=The New York Times |access-date=January 7, 2023 |date=February 14, 2008}}</ref> 少なくとも1人の批評家は、双極性障害の治療について無責任なメッセージを押し付けており、ペーソスとコメディの適切なバランスが取れていないと批判した。批評家たちは、ショーが内部的に混乱していることを指摘し、チームは原題曲「Feeling Electric」の削除を含め、脚本と楽譜の両方に大きな変更を加えることにした。そして、苦い真実に立ち向かうダイアナとその家族の感情にストーリーを集中させた。 この書き直されたミュージカルは、2008年11月21日から2009年1月18日まで、アリーナ・ステージ(通常はワシントンD.C.にあるが、主要施設の改修期間中はバージニアで営業)で、グライフ演出のもと地方劇場で上演された。J.ロバート・スペンサーがダン役、ルイス・ホブソンがドクター・マッデン/ファインを引き継ぎ、その他の役はオフ・ブロードウェイ公演時の役者が戻ってきた。.<ref>{{Cite web |author=Gans |first=Andrew |title=Chanler-Berat, Damiano, Hobson, Tveit Will Join Ripley and Spencer in Arena's ''Next to Normal'' |url=https://www.playbill.com/article/chanler-berat-damiano-hobson-tveit-will-join-ripley-and-spencer-in-arenas-next-to-normal-com-154172 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=October 10, 2008}}</ref> このプロダクションは絶賛され、批評家たちは「コミカルな歌や派手な演出ナンバー」が、この物語の感情的な内容を引き立てる歌に置き換えられていることに気づいた。 === ブロードウェイ (2009–11) === ''ネクスト・トゥ・ノーマル''は、2009年3月27日にブロードウェイのブース・シアターでプレビューが始まり、4月15日に初日を迎えた。アリーナ・ステージで上演された全キャストが、グライフの指揮のもと再び戻ってきた。このミュージカルは当初、より大きなロングエーカー・シアターで上演される予定だったが、プロデューサーのデヴィッド・ストーンによると、「ブース・シアターが空いたとき...『ネクスト・トゥ・ノーマル』にふさわしいスペースだと確信した」。<ref>{{Cite web |author=Gans |first=Andrew |title=''Next to Normal'', with Entire Arena Cast, to Play Broadway's Longacre |url=https://www.playbill.com/article/next-to-normal-with-entire-arena-cast-to-play-broadways-longacre-com-158091 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=February 17, 2009}}</ref><ref>{{Cite web |author=Gans |first=Andrew |title=''Next to Normal'' Will Now Play the Booth Theatre |url=https://www.playbill.com/article/next-to-normal-will-now-play-the-booth-theatre-com-158357 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=February 24, 2009}}</ref> レビューは非常に好意的だった。ニューヨーク・タイムズ』紙のベン・ブラントリーは、ブロードウェイのプロダクションを「勇敢で、息をのむようなミュージカルだ。気持ちのいいミュージカルをはるかに超えて、すべてを感じるミュージカルだ」<ref>{{Cite web |author=Brantley |first=Ben |title=Fragmented Psyches, Uncomfortable Emotions: Sing Out! |url=https://www.nytimes.com/2009/04/16/theater/reviews/16norm.html |website=The New York Times |access-date=January 7, 2023 |date=April 15, 2009}}</ref>ローリング・ストーン誌は、「今シーズン最高の新作ミュージカルだ。ーダントツで」<ref>[https://web.archive.org/web/20090420033908/http://www.rollingstone.com/blogs/traverstake/2009/04/next-to-normal-proves-that-roc.php#more "The Travers Take: ''next to normal'' Proves that Rock is Thriving on Broadway"], rollingstone.com, April 16, 2009 </ref> ''ネクスト・トゥ・ノーマル''は、『カーテン・アップ』の2009年年間ベストテンに選ばれた。. この公演は、2010年1月3日に終わる週の9公演で興行収入550,409ドルを記録し、ブース・シアターの新記録を樹立した。それまでの記録は、2006年に上演されたブライアン・フリールの『フェイス・ヒーラー』の興行収入530,702ドルだった。.<ref>{{Cite web |author=Sierra |first=Gabrielle |title=NEXT TO NORMAL Breaks Box Office Record at the Booth Theatre |url=https://www.broadwayworld.com/article/NEXT-TO-NORMAL-Breaks-Box-Office-Record-at-the-Booth-Theatre-20100104 |website=BroadwayWorld |date=January 4, 2010 |access-date=2023-09-08}}</ref> その1年後、''ネクスト・トゥ・ノーマル''はブロードウェイ最終週(2011年1月16日終了週)、8公演で552,563ドルの興行収入を上げ、この記録を再び塗り替えた。<ref>{{Cite web |author=Sierra |first=Gabrielle |title=NEXT TO NORMAL Breaks Box Office Record at Booth Theatre |url=https://www.broadwayworld.com/article/NEXT-TO-NORMAL-Breaks-Box-Office-Record-at-Booth-Theatre-20110118 |website=BroadwayWorld |date=January 18, 2011 |access-date=2023-9-8}}</ref> プロデューサーたちは、ブロードウェイでの上演1周年記念日の数日後に、400万ドルの初期投資を回収した。<ref>{{Cite web |author=Healy |first=Patrick |title=Broadway's Unlikely Hit Gives Hope to the Bold |url=https://www.nytimes.com/2010/03/29/theater/29normal.html |website=The New York Times |date=March 28, 2010 |access-date=2023-9-8}}</ref> ''ネクスト・トゥ・ノーマル''は上演終了時点で31,764,486ドルの興行収入を上げ、ブース・シアターで上演されたすべての演目の中で最も多く、最も競合する『I'm Not Rappaport』の2倍の金額を稼いだ。<ref>{{Cite web |url=http://broadwayworld.com/grossestheater.cfm?theater=BOOTH&sortby=totaltotalGross&orderby=asc |title=BOOTH Broadway Grosses |website=broadwayworld.com |access-date=November 16, 2017}}</ref> 上演中に代わったキャストには、ダイアナ役のマリン・マジー、ダン役のブライアン・ダーシー・ジェームズ<ref>{{Cite web |author=Gans |first=Andrew |title=Brian d'Arcy James Will Rejoin ''Normal'' Cast in May |url=https://www.playbill.com/article/brian-darcy-james-will-rejoin-normal-cast-in-may-com-164609 |website=Playbill |date=April 22, 2010 |access-date=2023-9-8}}</ref> 後にジェイソン・ダニーリー, ゲイブ役のカイル・ディーン・マッセイ、ナタリー役のメーガン・フェイヒ。<ref>{{Cite web |author=Healy |first=Patrick |title=For 'Next to Normal,' a Real-Life Couple |url=https://archive.nytimes.com/artsbeat.blogs.nytimes.com/2010/06/03/new-casting-announced-for-next-to-normal/ |website=The New York Times |access-date=January 7, 2023 |date=June 3, 2010}}</ref> ジョン・ケニックは2010年11月、"ブロードウェイでの上演を終えるにあたって、息をのむような輝きを放っている "と書いている。 ブロードウェイ公演は、21回のプレビューと733回の通常公演を経て、2011年1月16日に幕を閉じた。<ref>{{Cite web |author=Diamond |first=Robert |title=NEXT TO NORMAL to Close on Broadway January 16 |url=https://www.broadwayworld.com/article/NEXT-TO-NORMAL-to-Close-on-Broadway-January-16-20101110 |website=BroadwayWorld |date=November 10, 2010 |access-date=2023-9-8}}</ref><ref>{{Cite web |author=Hetrick |first=Adam |title=''Next to Normal'' to Close on Broadway Jan 16, 2011 |url=https://www.playbill.com/article/next-to-normal-to-close-on-broadway-jan-16-2011-com-173473 |website=Playbill |access-date=January 7, 2023 |date=November 10, 2010}}</ref> === ロンドン(2003) === 2022年10月、マイケル・ロングハースト演出による新演出で、ドンマー・ウェアハウスでロンドン初演を迎えることが発表された。<ref>{{Cite web |title=”Next to Normal” UK premiere announced in Donmar Warehouse season |url=https://www.whatsonstage.com/london-theatre/news/donmar-warehouse-2023-season-next-to-normal_57567.html/ |date=2022-10-10 |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref>2023年1月、主役のダイアナ・グッドマン役をカイシー・レヴィが演じることが発表された。<ref>{{Cite web |title=Caissie Levy Will Lead the London Premiere of NEXT TO NORMAL at Donmar Warehouse |url=https://www.broadwayworld.com/article/Caissie-Levy-Will-Lead-the-London-Premiere-of-NEXT-TO-NORMAL-at-Donmar-Warehouse-20230126 |website=BroadwayWorld.com |access-date=2023-09-09 |language=en |first=Stephi |last=Wild}}</ref> 2023年6月にフルキャスト発表。ドクター・マッデンにトレヴァー・ディオン・ニコラス、ダンにジェイミー・パーカー、ナタリーにエレノア・ワージントン・コックス、ゲイブにジャック・ウォルフ、ヘンリーにジャック・オフレシオ。<ref>{{Cite web |title=Next to Normal announces UK premiere cast |url=https://www.whatsonstage.com/news/next-to-normal-announces-uk-premiere-cast_1363687/ |date=2023-06-16 |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref>UKプレミア公演は2023年8月12日から10月7日まで。 == キャスト == ''注:以下は、ミュージカルの公式主要プロダクションの主要キャストである。'' {| class="wikitable" width="80%" ! rowspan="2" |役名 !オフ・ブロードウェイ !ブロードウェイ !北米ツアー !ロンドン |- !'''<small>2008</small>''' !<small>2009</small> !<small>2010</small> !<small>2023</small> |- ! scope="row" |ダイアナ・グッドマン | colspan="3" align="center" |アリス・リプリー | align="center" |ケイシー・レヴィ |- ! scope="row" |ダン・グッドマン | align="center" |[[ブライアン・ダーシー・ジェームズ]] | align="center" |J.ロバート・スペンサー | align="center" |エイサ・サマーズ | align="center" |ジェイミー・パーカー |- ! scope="row" |ナタリー・グッドマン | colspan="2" align="center" |ジェニファー・ダミアーノ | align="center" |エマ・ハントン | align="center" |エレノア・ワージントン・コックス |- ! scope="row" |ガブリエル "ゲイブ"・グッドマン | colspan="2" align="center" |[[アーロン・トヴェイト]] | align="center" |カート・ハンセン | align="center" |ジャック・ウォルフ |- ! scope="row" |ヘンリー | colspan="2" align="center" |アダム・チャンラー=ベラット | align="center" |プレストン・サドリア | align="center" |ジャック・オフレシオ |- ! scope="row" |ドクター・マッデン/ドクター・ファイン | align="center" |エイサ・サマーズ | align="center" |ルイス・ホブソン | align="center" |ジェレミー・クシュナー | align="center" |トレヴァー・ディオン・ニコラス |} ; 特筆すべきブロードウェイのリプレイスメント * ガブリエル・"ゲイブ"・グッドマン: [[カイル・ディーン・マーシー]] * ダン・グッドマン: [[ブライアン・ダーシー・ジェームズ]]、 Jason Danieley * ダイアナ・グッドマン: Marin Mazzie * ナタリー・グッドマン: Meghann Fahy == 文学的参照と引用 == * 第1幕で、ゲイブは『ライ麦畑でつかまえて』のペーパーバックを読む。カイル・ディーン・マーシーは "一晩に1ページくらい読むよ "と言った。喪失を悲しむサリンジャーの小説は、喪失者である登場人物によって読まれる。『ライ麦畑』の中でホールデンは、白血病で死んだ弟アリーを失った喪失感に苦しんでいる。 * ダイアナは息子の部屋にあったものを整理するとき、箱の中からオルゴールを拾い上げると、その下に『おやすみなさい おつきさま』があるのを見つける。 * ナタリーは学校で勉強している『アルジャーノンに花束を』のハードカバーを持っている。この小説も『ネクスト・トゥ・ノーマル』も心理実験を扱っている。 * ダイアナは "Did't I see This Movie? "という歌の中で、『カッコーの巣の上で』、シルヴィア・プラス、フランシス・ファーマーを暗示している。これは、映画でも虐待の一形態として登場する彼女の電気けいれん療法に関してであり、ダイアナが信頼できる語り手なのか、電気けいれん療法は倫理的なものなのかという疑問を引き起こす。 * ダイアナはまた、ネクスト・トゥ・ノーマルと似たような問題による夫婦間のストレスを扱ったエドワード・アルビーの戯曲『 バージニア・ウルフなんかこわくない 』を朗読している。アリス・リプリーは自身のYouTubeサイトで、アルビーの戯曲をバイブルとしてダイアナにインスピレーションを与えていると語っている。 == 主な賞とノミネート == === オリジナルのオフブロードウェイ作品 === {| class="wikitable" width="100%" style="font-size:small;" ! width="5%" |Year ! width="33%" |Award Ceremony ! width="21%" |Category ! width="30%" |Nominee ! width="11%" |Result |- | rowspan="10" align="center" |2008 | rowspan="2" align="center" |ドラマ・リーグ・アワード | colspan="2" |ミュージカル作品賞 |{{Nom}} |- |優秀パフォーマンス賞 |[[ブライアン・ダーシー・ジェームズ]] |{{Nom}} |- | rowspan="2" align="center" |[[ドラマ・デスク・アワード]] |ミュージカル女優賞 |アリス・リプリー | {{Nom}} |- |作曲賞 |トム・キット | {{Nom}} |- | rowspan="3" align="center" |アウタークリティックスサークル賞 |ミュージカル主演女優賞 |アリス・リプリー |{{Nom}} |- | colspan="2" |オフブロードウェイミュージカル作品賞 |{{Nom}} |- | colspan="2" |楽曲賞 |{{Won}} |- | rowspan="3" align="center" |ルシール・ローテル賞 | colspan="2" |作品賞 |{{Nom}} |- |助演男優賞 |[[アーロン・トヴェイト]] |{{Nom}} |- |照明デザイン賞 |ケビン・アダムス |{{Nom}} |} === オリジナルのバージニア作品 === {| class="wikitable" width="100%" ! width="5%" |Year ! width="20%" |Award Ceremony ! width="35%" |Category ! width="27%" |Nominee ! width="13%" |Result |- | rowspan="5" align="center" |2009 | rowspan="5" align="center" |ヘレン・ヘイズ賞 | colspan="2" rowspan="1" |非常駐プロダクション 作品賞 | {{Won}} |- | rowspan="1" |非常駐プロダクション 主演女優賞 | rowspan="1" |アリス・リプリー | {{Won}} |- | rowspan="1" |非常駐プロダクション 主演男優賞 | rowspan="1" |J. ロバート・スペンサー | {{Nom}} |- | rowspan="2" |非常駐プロダクション 助演俳優賞 | rowspan="1" |ジェニファー・ダミアーノ | {{Nom}} |- | rowspan="1" |[[アーロン・トヴェイト]] | {{Won}} |} === オリジナルのブロードウェイ作品 === {| class="wikitable" width="100%" ! width="5%" |Year ! width="20%" |Award Ceremony ! width="30%" |Category ! width="30%" |Nominee ! width="15%" |Result |- | rowspan="11" align="center" |2009 | rowspan="11" |[[第63回トニー賞]] | colspan="2" |[[トニー賞 ミュージカル作品賞|ミュージカル作品賞]] | {{Nom}} |- |ミュージカル脚本賞 |ブライアン・ヨーキー | {{Nom}} |- |オリジナル楽曲賞 |トム・キットとブライアン・ヨーキー | {{Won}} |- |[[トニー賞 ミュージカル主演男優賞|ミュージカル主演男優賞]] |J. ロバート・スペンサー | {{Nom}} |- |[[トニー賞 ミュージカル主演女優賞|ミュージカル主演女優賞]] |アリス・リプリー | {{Won}} |- |ミュージカル助演女優賞 |ジェニファー・ダミアーノ | {{Nom}} |- |ミュージカル演出賞 |マイケル・グライフ | {{Nom}} |- |編曲賞 |マイケル・スタロビンとトム・キット | {{Won}} |- |ミュージカル装置デザイン賞 |マーク・ウェンドランド | {{Nom}} |- |ミュージカル照明デザイン賞 |ケビン・アダムス | {{Nom}} |- |ミュージカル音響デザイン賞 |ブライアン・ローナン | {{Nom}} |- | rowspan="1" align="center" |2010 | colspan="3" |[[ピューリッツァー賞 戯曲部門]] | {{Won}} |} == 引用 == {{Reflist}} [[Category:ブロードウェイ・ミュージカル]] [[Category:オフ・ブロードウェイ・ミュージカル]]
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ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカ
ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカは、クトゥルフ神話に登場する神。 初登場はロバート・E・ハワードの1931年作品『バル=サゴスの神々』。アトランティスの残滓と伝わる大西洋上の古王国バル=サゴスで崇められていた。 ハワード神話の無名の邪神たちについても解説する。 この2神がクトゥルフ神話の神々の一員となったのはリン・カーターとロバート・M・プライスによるが、その経緯は少々複雑なものになっている。 WT1931年10月号に掲載されたハワードの短編。エリンの戦士ターロウ・オブライエンのシリーズの1つ。 大西洋上の島にあった古王国バル=サゴスで崇められる神々が登場する。 神々と言われているが、作中で登場・言及があるのは2神のみ。 ハワード神話のクリーチャー種族の例はヴァルーシアの蛇人間と大地の妖蛆であるが、個別の作品には個別の邪神・怪物が登場している。そしてハワードは怪物に名前をつけなかった。それら名前のない邪神たちについて解説する。 ゴル=ゴロスの神像、怪鳥グロス=ゴルカ、ゴル=ゴロスの神官が造り出した怪物が登場する。 蟇蛙じみた怪物。ハンガリーのズトゥルタン村で、半人間の者たちによって「黒の碑」と共に崇拝された。神官の装身具として黄金の小偶像が作られた。狂宴で御名(らしきもの)を呼ばれたが、語り手は聞き取れず、名は不明である。16世紀に同地を訪れたトルコ軍に発見され、イスラムの聖剣と太古の呪文で退治された。ジャスティン・ジョフリの詩に暗示される。 固有名詞ズトゥルタンが地名に使われており、またズトゥルタンとは彼ら半人間を指す呼称でもある。作中では黒の碑に刻まれた記号群が中米ユカタン半島のとある巨岩に刻まれていたものに似ているという説明がある。 触角と蹄を備え、嘲笑する怪物。悪臭ある粘液を残す。中米ホンジュラス密林の「蟇の神殿」で古代人に崇拝された。神殿遺跡では大神官のミイラが「蟇形の赤い宝玉」を持っており、この宝玉は地下神殿の宝の鍵だという。宝玉を吊るす銅の鎖には古代文字が刻まれており、ハンガリーの黒の碑に刻まれている文字に似ている。ジャスティン・ジョフリの詩に暗示される。無名祭祀書の初版には「神殿の神こそ神殿の霊宝なり」と記されており、宝玉を持ち帰った人物は怪死を遂げた。 この神を崇めていた古代人の詳細は不明である。中米原住民とは異なり、白人の到来以前に絶滅している。断片的な描写から大地の妖蛆とおぼしい。 先述したように、古代文字を介して、ハンガリーの黒の碑(黒の碑)、中米ユカタン半島(黒の碑)、中米ホンジュラスの蟇の神殿(本作)が関係性がほのめかされている。 暗黒のものども。黒の碑を神体とする集団。ダゴンやルルイエ(やクトゥルフ)の名に連なる。 「大地の妖蛆」のようであるが、本作ではかなり化物じみた強力なやつらとして描写されており、他作品よりも明らかに強い。 「蛆」と表現される。小山ほどもある巨体で、白くブヨブヨしており、幅広の平べったい触手、肉質の触角、一本の長い口吻、他にも奇怪な器官類を具える。リング状の中に40個の眼が密集し、1個がさらに無数の複眼で構成され、玉虫色の色彩に絶え間なく変化する。邪悪な知能を有する。 大地の妖蛆に召喚された怪物であり、地底を移動する。最終的にアサ神族の勇者ニオルドに討伐された。 異次元に隠れ潜む。目撃者によると「見たのは背中だけ」「巨大で黒々とした影のよう」「蟇に似ており、翼と触腕がある」、また足跡は「はっきりした形のない大きな足跡で、人間のものでも獣のものでもない、鉤爪のある不格好なもの」。 赤い宝石(アッシュールバニパルの焔と名付けられる)を守護する魔物である。元は未開の洞窟に住んでいたが、宝玉が移動したため、古代都市カラ=シェールに潜むようになる。宝石を盗もうとした者を殺す。クトゥルフ、コス、ヨグ=ソトースなどに連なる太古の支配者であるらしい。 プライスは言及していない。ただ個別の要素は『黒の碑』『屋根の上に』の怪物に似ている。朱鷺田祐介はツァトゥグァと解釈している。 固有名詞ズトゥルタンが人名に使われており、この怪物から宝玉を盗んだ魔道士の名である。また本作では固有名詞コスが神名に使われている(本当に神名とするかは解釈次第)。 有翼で爪ある怪物。人に化ける。コスの暗黒王マリク・タウスに連なる。 本作では固有名詞コスが地名に使われている。 外世界から来た吸血生物。蹄があり、どんな獣にも似ていない。食べるほど巨大化する。外傷で殺された後も、発光する流動体と化して周囲に広がろうとする。最終的には焼き滅ぼされている。 闇の神ゴル=ゴロス、または鳥の神ゴル=ゴロス。 名前の初出はWT1931年4・5月合併号掲載作品『夜の末裔』で、掘り下げがあったのがWT1931年10月号掲載作品『バル=サゴスの神々』である。バル=サゴスで崇拝されていた神々の中ではもっとも強大であるという。ハワードの作品ではゴル=ゴロスの姿は明らかにされていない。 『夜の末裔』ではゴル=ゴロスへの言及があり、登場人物が20世紀までゴル=ゴロス信仰が生き残っているとは思えないという旨の発言をしている。だが並んで名を挙げられているクトゥルフの信仰が生き残っているのだから、ゴル=ゴロス信仰についてもわからない。 リン・カーターの『The Fishers from Outside(外世界からの漁師)』に鳥の神が登場するが、初期版では鳥の神ゴル=ゴロスだが、没後の修正版では鳥の神グロス=ゴルカとなり、2通りある。ゴル=ゴロスがグロス=ゴルカに変わった。カーターの遺著管理人ロバート・M・プライスによると、前者はカーターの間違いだったのだと言い、同作の再録時に全て置き換えた。 またプライスは、ハワードの『黒の碑』『屋上の怪物』に登場する魔物もゴル=ゴロスであるという説を提唱する。この説が広まり、容姿が不明であった(鳥は間違いであった)ゴル=ゴロスは、今日ではヒキガエルのような姿をしていると見なされることが多い。 世界各地の黒の碑カルトの大地の妖蛆どもが信仰する神が、ゴル=ゴロスであるらしい。ハワード神話に登場する半人間が、大地の妖蛆と判明しているパターンと、大地の妖蛆かどうか不明なパターンがあるため、このあたりも曖昧である。 カーター設定に基づくと、ゴル=ゴロス(またはグロス=ゴルカ)はムノムクアの兄弟である。カーターの『深淵への降下』(エイボンの書の一部という体裁)ではゴル=ゴロスの眷属としてシャンタク鳥の長クームヤーガが挙げられている。クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』でもほぼプライス説に準拠する。。 その一方で、クラーク・アシュトン・スミスが創造した邪神ツァトゥグァは、ヒキガエルに形容され、また知名度が高い。そのためにゴル=ゴロスなどハワード神話に登場する何体かの怪物は、プライス説のゴル=ゴロスを採用せずに、ツァトゥグァと同一視・混同されることがある。 鳥の神グロス=ゴルカ。 『バル=サゴスの神々』のグロス=ゴルカは怪鳥であり、作中で退治されている。 カーターの『The Fishers from Outside』(未訳)にて、鳥の神グロス=ゴルカが登場する(初期の版ではゴル=ゴロスの名前だったが、修正されてグロス=ゴルカの名前になった)。他の説明はゴル=ゴロスと重複するため割愛する。 クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』では、グロス=ゴルカには外世界からの漁師(あの世からの漁夫)が奉仕する。 グロス=ゴルカ(またはゴル=ゴロス)には鳥の眷属がいる。シャンタク鳥、外世界からの漁師、クームヤーガのことであるが、設定が錯綜しており、カーターとクトゥルフ神話TRPGで別物となっているため、併記する。
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"名前の初出はWT1931年4・5月合併号掲載作品『夜の末裔』で、掘り下げがあったのがWT1931年10月号掲載作品『バル=サゴスの神々』である。バル=サゴスで崇拝されていた神々の中ではもっとも強大であるという。ハワードの作品ではゴル=ゴロスの姿は明らかにされていない。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『夜の末裔』ではゴル=ゴロスへの言及があり、登場人物が20世紀までゴル=ゴロス信仰が生き残っているとは思えないという旨の発言をしている。だが並んで名を挙げられているクトゥルフの信仰が生き残っているのだから、ゴル=ゴロス信仰についてもわからない。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "リン・カーターの『The Fishers from Outside(外世界からの漁師)』に鳥の神が登場するが、初期版では鳥の神ゴル=ゴロスだが、没後の修正版では鳥の神グロス=ゴルカとなり、2通りある。ゴル=ゴロスがグロス=ゴルカに変わった。カーターの遺著管理人ロバート・M・プライスによると、前者はカーターの間違いだったのだと言い、同作の再録時に全て置き換えた。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "またプライスは、ハワードの『黒の碑』『屋上の怪物』に登場する魔物もゴル=ゴロスであるという説を提唱する。この説が広まり、容姿が不明であった(鳥は間違いであった)ゴル=ゴロスは、今日ではヒキガエルのような姿をしていると見なされることが多い。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "世界各地の黒の碑カルトの大地の妖蛆どもが信仰する神が、ゴル=ゴロスであるらしい。ハワード神話に登場する半人間が、大地の妖蛆と判明しているパターンと、大地の妖蛆かどうか不明なパターンがあるため、このあたりも曖昧である。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "カーター設定に基づくと、ゴル=ゴロス(またはグロス=ゴルカ)はムノムクアの兄弟である。カーターの『深淵への降下』(エイボンの書の一部という体裁)ではゴル=ゴロスの眷属としてシャンタク鳥の長クームヤーガが挙げられている。クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』でもほぼプライス説に準拠する。。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "その一方で、クラーク・アシュトン・スミスが創造した邪神ツァトゥグァは、ヒキガエルに形容され、また知名度が高い。そのためにゴル=ゴロスなどハワード神話に登場する何体かの怪物は、プライス説のゴル=ゴロスを採用せずに、ツァトゥグァと同一視・混同されることがある。", "title": "ゴル=ゴロス" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "鳥の神グロス=ゴルカ。", "title": "グロス=ゴルカ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "『バル=サゴスの神々』のグロス=ゴルカは怪鳥であり、作中で退治されている。", "title": "グロス=ゴルカ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "カーターの『The Fishers from Outside』(未訳)にて、鳥の神グロス=ゴルカが登場する(初期の版ではゴル=ゴロスの名前だったが、修正されてグロス=ゴルカの名前になった)。他の説明はゴル=ゴロスと重複するため割愛する。", "title": "グロス=ゴルカ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』では、グロス=ゴルカには外世界からの漁師(あの世からの漁夫)が奉仕する。", "title": "グロス=ゴルカ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "グロス=ゴルカ(またはゴル=ゴロス)には鳥の眷属がいる。シャンタク鳥、外世界からの漁師、クームヤーガのことであるが、設定が錯綜しており、カーターとクトゥルフ神話TRPGで別物となっているため、併記する。", "title": "鳥の眷属" } ]
ゴル=ゴロスとグロス=ゴルカは、クトゥルフ神話に登場する神。 初登場はロバート・E・ハワードの1931年作品『バル=サゴスの神々』。アトランティスの残滓と伝わる大西洋上の古王国バル=サゴスで崇められていた。 ハワード神話の無名の邪神たちについても解説する。
'''ゴル=ゴロス'''と'''グロス=ゴルカ'''は、[[クトゥルフ神話]]に登場する神。 初登場はロバート・E・ハワードの1931年作品『バル=サゴスの神々』。アトランティスの残滓と伝わる大西洋上の古王国バル=サゴスで崇められていた。 ハワード神話の無名の邪神たちについても解説する。 == 概説 == この2神がクトゥルフ神話の神々の一員となったのは[[リン・カーター]]と[[ロバート・M・プライス]]によるが、その経緯は少々複雑なものになっている。 ==「バル=サゴスの神々」== WT1931年10月号に掲載されたハワードの短編。エリンの戦士[[ターロウ・オブライエン]]のシリーズの1つ。 大西洋上の島にあった古王国バル=サゴスで崇められる神々が登場する。 神々と言われているが、作中で登場・言及があるのは2神のみ。 ;ゴル=ゴロス (Gol-goroth) :暗黒神。バル=サゴスで崇拝される神々の主神とされる。本作では石像しか登場せず、その姿も明らかでない。 ;グロス=ゴルカ (Groth-golka) :鳥の神。怪鳥の姿をしている。ターロックとアゼルスタンに討ち取られた。 ==ハワード神話の邪神== ハワード神話のクリーチャー種族の例は[[ヴァルーシアの蛇人間]]と[[大地の妖蛆]]であるが、個別の作品には個別の邪神・怪物が登場している。そしてハワードは怪物に名前をつけなかった。それら名前のない邪神たちについて解説する。 ===バル・サゴスの神々=== ゴル=ゴロスの神像、怪鳥グロス=ゴルカ、ゴル=ゴロスの神官が造り出した怪物が登場する。 ===黒の碑=== 蟇蛙じみた怪物。[[ハンガリー]]のズトゥルタン村で、半人間の者たちによって「黒の碑」と共に崇拝された。神官の装身具として黄金の小偶像が作られた。狂宴で御名(らしきもの)を呼ばれたが、語り手は聞き取れず、名は不明である。16世紀に同地を訪れたトルコ軍に発見され、イスラムの聖剣と太古の呪文で退治された。ジャスティン・ジョフリの詩に暗示される。<ref>クト4『黒い石』/黒の碑「黒の碑」</ref> 固有名詞ズトゥルタンが地名に使われており、またズトゥルタンとは彼ら半人間を指す呼称でもある。作中では黒の碑に刻まれた記号群が中米[[ユカタン半島]]のとある巨岩に刻まれていたものに似ているという説明がある。 *プライス説ではゴル=ゴロスとされる。ヒキガエルに似ていることで[[ツァトゥグァ]]の化身とする説については、プライスが否定している。 *[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフ神話TRPG]]において、本作の怪物はゴル=ゴロスとされる。 ===屋根の上に=== 触角と蹄を備え、嘲笑する怪物。悪臭ある粘液を残す。中米[[ホンジュラス]]密林の「蟇の神殿」で古代人に崇拝された。神殿遺跡では大神官のミイラが「蟇形の赤い宝玉」を持っており、この宝玉は地下神殿の宝の鍵だという。宝玉を吊るす銅の鎖には古代文字が刻まれており、ハンガリーの黒の碑に刻まれている文字に似ている。ジャスティン・ジョフリの詩に暗示される。無名祭祀書の初版には「神殿の神こそ神殿の霊宝なり」と記されており、宝玉を持ち帰った人物は怪死を遂げた。<ref>クト8『屋根の上に』/黒の碑「屋上の怪物」</ref> この神を崇めていた古代人の詳細は不明である。中米原住民とは異なり、白人の到来以前に絶滅している。断片的な描写から大地の妖蛆とおぼしい。 先述したように、古代文字を介して、ハンガリーの黒の碑(黒の碑)、中米ユカタン半島(黒の碑)、中米ホンジュラスの蟇の神殿(本作)が関係性がほのめかされている。 *プライス説ではゴル=ゴロスとされる。 *[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|クトゥルフ神話TRPG]]において、本作の怪物が「[[ツァトゥグァ]]の末裔(Scions of Tsathoggua)」と名付けられた。しかしツァトゥグァの末裔の解説ではゴル=ゴロスとの関係が示唆され、混同もある。なおプライスはツァトゥグァ説を否定している。 ===大地の妖蛆=== 暗黒のものども。黒の碑を神体とする集団。[[ダゴン]]や[[ルルイエ]](や[[クトゥルフ]])の名に連なる。<ref>黒の碑「大地の妖蛆」</ref> 「大地の妖蛆」のようであるが、本作ではかなり化物じみた強力なやつらとして描写されており、他作品よりも明らかに強い。 ===妖蛆の谷=== 「蛆」と表現される。小山ほどもある巨体で、白くブヨブヨしており、幅広の平べったい触手、肉質の触角、一本の長い口吻、他にも奇怪な器官類を具える。リング状の中に40個の眼が密集し、1個がさらに無数の複眼で構成され、玉虫色の色彩に絶え間なく変化する。邪悪な知能を有する。<ref>黒の碑「妖蛆の谷」</ref> 大地の妖蛆に召喚された怪物であり、地底を移動する。最終的に[[アース神族|アサ神族]]の勇者ニオルドに討伐された。 ===アッシュールバニパルの焔=== 異次元に隠れ潜む。目撃者によると「見たのは背中だけ」「巨大で黒々とした影のよう」「蟇に似ており、翼と触腕がある」、また足跡は「はっきりした形のない大きな足跡で、人間のものでも獣のものでもない、鉤爪のある不格好なもの」。<ref>クト7『アッシュールバニパルの焔』/黒の碑「アッシュールバニパル王の火の石」</ref> 赤い宝石([[アッシュールバニパル]]の焔と名付けられる)を守護する魔物である。元は未開の洞窟に住んでいたが、宝玉が移動したため、古代都市カラ=シェールに潜むようになる。宝石を盗もうとした者を殺す。[[クトゥルフ]]、[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]、[[ヨグ=ソトース]]などに連なる太古の支配者であるらしい。 プライスは言及していない。ただ個別の要素は『黒の碑』『屋根の上に』の怪物に似ている。[[朱鷺田祐介]]は[[ツァトゥグァ]]と解釈している。 固有名詞ズトゥルタンが人名に使われており、この怪物から宝玉を盗んだ魔道士の名である。また本作では固有名詞[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]が神名に使われている(本当に神名とするかは解釈次第)。 ===墓はいらない=== 有翼で爪ある怪物。人に化ける。コスの暗黒王[[マラク・ターウース|マリク・タウス]]に連なる。<ref>クト5「墓はいらない」/黒の碑「われ埋葬にあたわず」</ref> 本作では固有名詞[[コス (クトゥルフ神話)|コス]]が地名に使われている。 ===闇に潜む顎=== 外世界から来た吸血生物。蹄があり、どんな獣にも似ていない。食べるほど巨大化する。外傷で殺された後も、発光する流動体と化して周囲に広がろうとする。最終的には焼き滅ぼされている。<ref>真ク3/新ク5「闇に潜む顎」</ref> ==ゴル=ゴロス== 闇の神ゴル=ゴロス、または鳥の神ゴル=ゴロス。 ===ハワードのゴル=ゴロス=== 名前の初出はWT1931年4・5月合併号掲載作品『[[夜の末裔]]』で、掘り下げがあったのがWT1931年10月号掲載作品『バル=サゴスの神々』である。バル=サゴスで崇拝されていた神々の中ではもっとも強大であるという。ハワードの作品ではゴル=ゴロスの姿は明らかにされていない。 『夜の末裔』ではゴル=ゴロスへの言及があり、登場人物が20世紀までゴル=ゴロス信仰が生き残っているとは思えないという旨の発言をしている。だが並んで名を挙げられているクトゥルフの信仰が生き残っているのだから、ゴル=ゴロス信仰についてもわからない。 ===カーターとプライスのゴル=ゴロス=== [[リン・カーター]]の『The Fishers from Outside([[外世界からの漁師]])』に鳥の神が登場するが、初期版では鳥の神ゴル=ゴロスだが、没後の修正版では鳥の神グロス=ゴルカとなり、2通りある。'''ゴル=ゴロスがグロス=ゴルカに変わった。'''カーターの遺著管理人[[ロバート・M・プライス]]によると、前者はカーターの間違いだったのだと言い、同作の再録時に全て置き換えた<ref name="Xoth">『[[:en:The Xothic Legend Cycle: The Complete Mythos Fiction of Lin Carter|The Xothic Legend Cycle]] (ISBN 156882078X)』P179</ref>。 またプライスは、ハワードの『黒の碑』『屋上の怪物』に登場する魔物もゴル=ゴロスであるという説を提唱する。この説が広まり、容姿が不明であった(鳥は間違いであった)ゴル=ゴロスは、今日ではヒキガエルのような姿をしていると見なされることが多い。 世界各地の黒の碑カルトの大地の妖蛆どもが信仰する神が、ゴル=ゴロスであるらしい。ハワード神話に登場する半人間が、大地の妖蛆と判明しているパターンと、大地の妖蛆かどうか不明なパターンがあるため、このあたりも曖昧である。 カーター設定に基づくと、ゴル=ゴロス(またはグロス=ゴルカ)は[[ムノムクア]]の兄弟である。カーターの『[[深淵への降下]]』([[エイボンの書]]の一部という体裁)ではゴル=ゴロスの眷属として[[シャンタク鳥]]の長クームヤーガが挙げられている。クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』でもほぼプライス説に準拠する<ref>マレ6th「ゴル=ゴロス、黒い石の神」171-172ページ。</ref>。<ref>マレ7th「ゴル=ゴロス、黒い石の守護神」109-111ページ。</ref>。 ===ゴル=ゴロスではなくツァトゥグァ説=== その一方で、[[クラーク・アシュトン・スミス]]が創造した邪神[[ツァトゥグァ]]は、ヒキガエルに形容され、また知名度が高い。そのためにゴル=ゴロスなどハワード神話に登場する何体かの怪物は、プライス説のゴル=ゴロスを採用せずに、ツァトゥグァと同一視・混同されることがある。 ==グロス=ゴルカ== 鳥の神グロス=ゴルカ。 『バル=サゴスの神々』のグロス=ゴルカは怪鳥であり、作中で退治されている。 カーターの『The Fishers from Outside』(未訳)にて、鳥の神グロス=ゴルカが登場する(初期の版ではゴル=ゴロスの名前だったが、修正されてグロス=ゴルカの名前になった)。他の説明はゴル=ゴロスと重複するため割愛する。 クトゥルフ神話TRPGのモンスターガイド『マレウス・モンストロルム』では、グロス=ゴルカには外世界からの漁師(あの世からの漁夫)が奉仕する<ref name="M6">マレ6th「グロス=ゴールカ、鳥の形をした魔神」170-171ページ。</ref><ref name="M7">マレ7th「グロス=ゴールカ、鳥の形をした魔神」107-109ページ。</ref>。 ==鳥の眷属== グロス=ゴルカ(またはゴル=ゴロス)には鳥の眷属がいる。[[シャンタク鳥]]、外世界からの漁師、クームヤーガのことであるが、設定が錯綜しており、カーターとクトゥルフ神話TRPGで別物となっているため、併記する。 {{Main|シャンタク鳥}} *リン・カーター - シャンタク鳥の異称が外世界からの漁師である。外世界からの漁師の長がクームヤーガである。クームヤーガは一本足に一つ目の外世界からの漁師(シャンタク鳥)である。クームヤーガは鳥の神ゴル=ゴロスまたはグロス=ゴルカに仕える。 *マレウス・モンストロルム<ref name="M6" /><ref name="M7" /> - シャンタク鳥と外世界からの漁師は別種生物である。外世界からの漁師は一本足の鳥である。外世界からの漁師が鳥の神グロス=ゴルカに仕える。クームヤーガは出てこない。 ==関連項目== *[[ロバート・E・ハワードのクトゥルフ神話]] *ゴル=ゴロス関連:[[大地の妖蛆]]、[[ツァトゥグァ]] *鳥の神関連:[[シャンタク鳥]]・[[外世界からの漁師]] == 脚注 == 【凡例】 *クト:[[青心社]]文庫『暗黒神話大系クトゥルー』、全13巻 *黒の碑:[[創元推理文庫]]『黒の碑』 *真ク:[[国書刊行会]]『真ク・リトル・リトル神話大系』、全10巻 *新ク:国書刊行会『新編真ク・リトル・リトル神話大系』、全7巻 *事典四:[[東雅夫]]『クトゥルー神話事典』(第四版、2013年、学研) *マレ:KADOKAWAエンターブレイン『マレウス・モンストロルム』、[[クトゥルフの呼び声 (TRPG)|CoC]]6版版単巻、7版版全2巻 {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist}} {{ロバート・E・ハワード}} {{クトゥルフ神話/作中事項}} {{DEFAULTSORT:こるころすとくろすこるか}} [[Category:クトゥルフ神話の神]]
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ウィリアム・ダウンズ (初代ダウンズ男爵)
初代ダウンズ男爵ウィリアム・ダウンズ(英語: William Downes, 1st Baron Downes PC (Ire)、1751年 – 1826年3月3日)は、イギリスの裁判官、貴族。アイルランド庶民院議員(在任:1790年 – 1792年)、アイルランド首席裁判官(英語版)(在任:1803年 – 1822年)を務めた。裁判官として有能な人物で首席裁判官に任命されるに至ったが、常に政府を支持したため同時代の人物の間では人気がなかった。 ロバート・ダウンズ(英語版)と妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ツイッグ(Twigg)、トマス・ツイッグの娘)の息子として、1751年にダブリンのドニーブルック・キャッスル(英語版)で生まれた。1754年6月24日、父が決闘で死去した。1768年にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1773年にB.A.の学位を修得した後、同年11月3日にミドル・テンプルに入学、1776年6月にアイルランドでの弁護士資格免許を取得した。 弁護士として1788年にジョナー・バリントン(英語版)の弟を殺害した容疑をかけられたロバート・ロロ・ギレスピー(英語版)の弁護をして無罪を勝ち取るなど弁護士業で成功を収め、勤勉で有能という評価を得たため、政府の手配により1790年から1792年までドニゴール・バラ選挙区(英語版)の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた。1792年3月、アイルランド王座裁判所(英語版)の裁判官に任命されるとともに庶民院議員を退任した。同年、キングス・インズ(英語版)の評議員(英語版)に選出された。 1803年9月にアイルランド首席裁判官(英語版)のキルワーデン子爵(英語版)が殺害されると、その後任として就任、同年11月1日にアイルランド枢密院(英語版)の枢密顧問官に任命された。首席裁判官としての任命は適任であると当時広く受け入れられた。首席裁判官の在任期間は19年間と長かったが、『オックスフォード英国人名事典』によれば、現存する判決書は少ない。 1806年にダブリン大学副総長(英語版)の初代リーズデイル男爵が辞任すると、総長のカンバーランド=テヴィオットデイル公爵によりその後任に指名された。就任とともにLL.D.の名誉学位を授与され、以降1816年に辞任するまで副総長を務めた。 1813年にジョン・マギー(John Magee)の文書誹毀罪裁判で裁判官を務めたとき、マギーの弁護士ダニエル・オコンネルが陳述で政府を攻撃した。ダウンズはオコンネルの陳述を止めなかったが、アイルランド主席政務官(英語版)のロバート・ピールから批判され、オコンネルもダウンズに感謝せず、ダウンズを「悪党」「頑迷」などと批判した。 1822年2月21日に引退とともに3,800ポンドの年金を与えられた。同年12月10日、アイルランド貴族であるキングス・カウンティにおけるアガンヴィルのダウンズ男爵に叙された。ダウンズは生涯未婚であり、爵位にはダウンズの男系男子が断絶した場合、おばの孫にあたるサー・ユリシーズ・バーグ(英語版)およびその男系男子が継承できるとする特別残余権(special remainder)が定められた。また、1800年合同法の施行以降、新しいアイルランド貴族爵位の創設には3つのアイルランド貴族爵位の廃絶が必要であり、ダウンズ男爵位の創設はダブリン伯爵、ティローリー男爵、タラ男爵位の廃絶を根拠とした。 1805年ごろにダブリンのスティローガン(英語版)で不動産を購入した後、引退以降も同地に住み、1826年3月3日に生涯未婚のまま同地で死去した。1802年5月に死去した親友ウィリアム・タンカーヴィル・チェンバレン(英語版)と同じく、ダブリンの聖アン教会(英語版)に埋葬された。爵位は特別残余権に基づきサー・ユリシーズ・バーグ(英語版)が継承した。 弁護士としては有能な人物で、裁判官としても公正で貫禄のある人物だったが、常に政府を支持したため人気がなく、初代クロンメル伯爵ジョン・スコット(英語版)はダウンズを嫌い、ジョン・フィルポット・カラン(英語版)もダウンズを軽蔑した。 私的にはまじめな性格でほとんど笑わず、女性を寄せ付けずに避けた。第5代準男爵サー・エドワード・クロスビー(英語版)とは親友だったが、クロスビーは1798年アイルランド反乱(英語版)に参加した廉で1798年6月に処刑された。裁判官のウィリアム・タンカーヴィル・チェンバレン(英語版)とも親友であり、死後も遺体がチェンバレンの隣に埋葬された。教会の碑文によれば、2人は「一緒に勉強し、一緒に住み、同じ裁判所の裁判官になり、生き残った方の望みにより同じ墓に眠る」という。
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初代ダウンズ男爵ウィリアム・ダウンズは、イギリスの裁判官、貴族。アイルランド庶民院議員、アイルランド首席裁判官を務めた。裁判官として有能な人物で首席裁判官に任命されるに至ったが、常に政府を支持したため同時代の人物の間では人気がなかった。
[[File:William Downes, 1st Baron Downes.jpg|thumb|初代ダウンズ男爵。{{仮リンク|ジョン・カマーフォード|en|John Comerford}}の絵画に基づく、{{仮リンク|トマス・ゴフ・ラップトン|en|Thomas Goff Lupton}}による[[メゾチント]]。]] 初代[[ダウンズ男爵]]'''ウィリアム・ダウンズ'''({{lang-en|William Downes, 1st Baron Downes}} {{post-nominals|country=GBR|PCi}}、[[1751年]] – [[1826年]][[3月3日]])は、[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]の裁判官、貴族。{{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons}}議員(在任:1790年 – 1792年)、{{仮リンク|アイルランド首席裁判官|en|Lord Chief Justice of Ireland}}(在任:1803年 – 1822年)を務めた<ref name="Cokayne" />。裁判官として有能な人物で首席裁判官に任命されるに至ったが、常に政府を支持したため同時代の人物の間では人気がなかった<ref name="DIB" />。 == 生涯 == [[File:William, 1st Baron Downes by Hugh Douglas Hamilton.jpg|thumb|right|[[ヒュー・ダグラス・ハミルトン]]による肖像画。]] {{仮リンク|ロバート・ダウンズ (政治家)|en|Robert Downes (politician)|label=ロバート・ダウンズ}}と妻エリザベス({{lang|en|Elizabeth}}、旧姓ツイッグ({{lang|en|Twigg}})、トマス・ツイッグの娘)の息子として、1751年に[[ダブリン]]の{{仮リンク|ドニーブルック (ダブリン)|en|Donnybrook, Dublin|label=ドニーブルック・キャッスル}}で生まれた<ref name="Cokayne">{{Cite book2|language=en|editor1-last=Cokayne|editor1-first=George Edward|editor1-link=ジョージ・エドワード・コケイン|editor2-last=Gibbs|editor2-first=Vicary|editor2-link=ヴィカリー・ギブス (セント・オールバンズ選挙区の庶民院議員)|editor3-last=Doubleday|editor3-first=H. Arthur|year=1916|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart)|volume=4|edition=2nd|location=London|publisher=The St. Catherine Press, Ltd.|pages=455–456|url=https://archive.org/details/completepeerageo04coka/page/455}}</ref>。1754年6月24日、父が決闘で死去した<ref>{{Cite web2|language=en|website=Ulster Historical Foundation|title=Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800 - Robert Downes|url=https://www.ancestryireland.com/family-records/biographies-of-the-members-of-the-irish-parliament/?search1=Robert&search2=Downes&search3=&submit=Search|access-date=8 September 2023}}</ref>。1768年に[[ダブリン大学]][[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ]]に入学、1773年に[[学士(教養)|B.A.]]の学位を修得した後、同年11月3日に[[ミドル・テンプル]]に入学、1776年6月にアイルランドでの弁護士資格免許を取得した<ref name="DIB">{{Cite encyclopedia|language=en|url=https://www.dib.ie/biography/downes-william-a2740|title=Downes, William|encyclopedia=[[アイルランド人名事典|Dictionary of Irish Biography]]|last=Geoghegan|first=Patrick M.|publisher=Cambridge University Press|location=United Kingdom|date=2009|editor-last=McGuire|editor-first=James|editor2-last=Quinn|editor2-first=James|doi=10.3318/dib.002740.v1}}</ref>。 弁護士として1788年に{{仮リンク|ジョナー・バリントン|en|Jonah Barrington (judge)|label=ジョナー・バリントン}}の弟を殺害した容疑をかけられた{{仮リンク|ロバート・ロロ・ギレスピー|en|Robert Rollo Gillespie}}の弁護をして無罪を勝ち取るなど弁護士業で成功を収め、勤勉で有能という評価を得たため、政府の手配により1790年から1792年まで{{仮リンク|ドニゴール・バラ選挙区 (アイルランド王国)|en|Donegal Borough (Parliament of Ireland constituency)|label=ドニゴール・バラ選挙区}}の代表として{{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons}}議員を務めた<ref name="ODNB">{{Cite ODNB|id=7976|title=Downes, William, first Baron Downes|last=Osborough|first=W. N.|date=3 January 2008|orig-date=23 September 2004}}</ref><ref>{{Cite web2|language=en|website=Ulster Historical Foundation|title=Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800 - William Downes|url=https://www.ancestryireland.com/family-records/biographies-of-the-members-of-the-irish-parliament/?search1=William&search2=Downes&search3=&submit=Search|access-date=8 September 2023}}</ref>。1792年3月、{{仮リンク|アイルランド王座裁判所|en|Court of King's Bench (Ireland)}}の裁判官に任命されるとともに庶民院議員を退任した<ref name="DNB">{{Cite DNB|wstitle=Downes, William|volume=15|page=395|last=Blacker|first=Beaver Henry|author-link=ビーヴァー・ヘンリー・ブラッカー}}</ref>。同年、{{仮リンク|キングス・インズ|en|King's Inns}}の{{仮リンク|評議員 (法曹院)|en|Bencher|label=評議員}}に選出された<ref name="DNB" />。 1803年9月に{{仮リンク|アイルランド首席裁判官|en|Lord Chief Justice of Ireland}}の{{仮リンク|アーサー・ウルフ (初代キルワーデン子爵)|en|Arthur Wolfe, 1st Viscount Kilwarden|label=キルワーデン子爵}}が殺害されると、その後任として就任<ref name="DNB" />、同年11月1日に{{仮リンク|アイルランド枢密院|en|Privy Council of Ireland}}の枢密顧問官に任命された<ref name="Cokayne" />。首席裁判官としての任命は適任であると当時広く受け入れられた<ref name="ODNB" />。首席裁判官の在任期間は19年間と長かったが、『[[オックスフォード英国人名事典]]』によれば、現存する判決書は少ない<ref name="ODNB" />。 1806年に{{仮リンク|ダブリン大学総長|en|Chancellor of the University of Dublin|label=ダブリン大学副総長}}の[[ジョン・フリーマン=ミットフォード (初代リーズデイル男爵)|初代リーズデイル男爵]]が辞任すると、総長の[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー王)|カンバーランド=テヴィオットデイル公爵]]によりその後任に指名された<ref name="DNB" />。就任とともに[[博士(法学)|LL.D.]]の名誉学位を授与され、以降1816年に辞任するまで副総長を務めた<ref name="DNB" />。 1813年にジョン・マギー({{lang|en|John Magee}})の文書誹毀罪裁判で裁判官を務めたとき、マギーの弁護士[[ダニエル・オコンネル]]が陳述で政府を攻撃した<ref name="ODNB" />。ダウンズはオコンネルの陳述を止めなかったが、{{仮リンク|アイルランド主席政務官|en|Chief Secrertary for Ireland}}の[[ロバート・ピール]]から批判され、オコンネルもダウンズに感謝せず、ダウンズを「悪党」「頑迷」などと批判した<ref name="ODNB" />。 1822年2月21日に引退とともに3,800ポンドの年金を与えられた<ref name="DNB" />。同年12月10日、[[アイルランド貴族]]であるキングス・カウンティにおける'''アガンヴィルのダウンズ男爵'''に叙された<ref name="Cokayne" /><ref name="Gazette">{{London Gazette|issue=17878|pages=2043–2044|date=14 December 1822}}</ref>。ダウンズは生涯未婚であり、爵位にはダウンズの男系男子が断絶した場合、おばの孫にあたる{{仮リンク|ユリシーズ・ド・バーグ (第2代ダウンズ男爵)|en|Ulysses Burgh, 2nd Baron Downes|label=サー・ユリシーズ・バーグ}}およびその男系男子が継承できるとする特別残余権({{lang|en|special remainder}})が定められた<ref name="Cokayne" /><ref name="Gazette" />。また、[[合同法 (1800年)|1800年合同法]]の施行以降、新しいアイルランド貴族爵位の創設には3つのアイルランド貴族爵位の廃絶が必要であり、ダウンズ男爵位の創設は[[ダブリン伯爵]]、[[ティローリー男爵]]、[[タラ男爵]]位の廃絶を根拠とした<ref name="Cokayne" />。 1805年ごろにダブリンの{{仮リンク|スティローガン|en|Stillorgan}}で不動産を購入した後<ref name="ODNB" />、引退以降も同地に住み、1826年3月3日に生涯未婚のまま同地で死去した<ref name="DNB" />。1802年5月に死去した親友{{仮リンク|ウィリアム・タンカーヴィル・チェンバレン|en|William Tankerville Chamberlain}}と同じく、ダブリンの{{仮リンク|聖アン教会 (ドーソン・ストリート)|en|St. Ann's Church, Dawson Street|label=聖アン教会}}に埋葬された<ref name="DNB" />。爵位は特別残余権に基づき{{仮リンク|ユリシーズ・ド・バーグ (第2代ダウンズ男爵)|en|Ulysses Burgh, 2nd Baron Downes|label=サー・ユリシーズ・バーグ}}が継承した<ref name="Cokayne" />。 == 人物 == 弁護士としては有能な人物で、裁判官としても公正で貫禄のある人物だったが、常に政府を支持したため人気がなく、{{仮リンク|ジョン・スコット (初代クロンメル伯爵)|en|John Scott, 1st Earl of Clonmell|label=初代クロンメル伯爵ジョン・スコット}}はダウンズを嫌い、{{仮リンク|ジョン・フィルポット・カラン|en|John Philpot Curran}}もダウンズを軽蔑した<ref name="DIB" />。 私的にはまじめな性格でほとんど笑わず、女性を寄せ付けずに避けた<ref name="DIB" />。{{仮リンク|エドワード・クロスビー (第5代準男爵)|en|Sir Edward Crosbie, 5th Baronet|label=第5代準男爵サー・エドワード・クロスビー}}とは親友だったが、クロスビーは{{仮リンク|1798年アイルランド反乱|en|Irish Rebellion of 1798}}に参加した廉で1798年6月に処刑された<ref name="ODNB" />。裁判官の{{仮リンク|ウィリアム・タンカーヴィル・チェンバレン|en|William Tankerville Chamberlain}}とも親友であり、死後も遺体がチェンバレンの隣に埋葬された<ref name="DNB" />。教会の碑文によれば、2人は「一緒に勉強し、一緒に住み、同じ裁判所の裁判官になり、生き残った方の望みにより同じ墓に眠る」という<ref name="DNB" />。 == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == *{{OL author}} *{{UK National Archives ID}} {{S-start}} {{S-par|ie}} {{S-bef|before=ヘンリー・ハットン|before2=[[ジョン・エヴァンス=フリーク (第2代準男爵)|サー・ジョン・エヴァンス=フリーク準男爵]]}} {{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons|label=庶民院}}議員({{仮リンク|ドニゴール・バラ選挙区 (アイルランド王国)|en|Donegal Borough (Parliament of Ireland constituency)|label=ドニゴール・バラ選挙区}}選出)|years=[[1790年アイルランド総選挙|1790年]] – 1792年|with=ハンフリー・バトラー}} {{S-aft|after=ハンフリー・バトラー|after2= ウィリアム・ケラー}} {{S-legal}} {{S-bef|before={{仮リンク|アーサー・ウルフ (初代キルワーデン子爵)|en|Arthur Wolfe, 1st Viscount Kilwarden|label=キルワーデン子爵}}}} {{S-ttl|title={{仮リンク|アイルランド首席裁判官|en|Lord Chief Justice of Ireland}}|years=1803年 – 1822年}} {{S-aft|after={{仮リンク|チャールズ・ケンダル・ブッシュ|en|Charles Kendal Bushe}}}} {{S-aca}} {{S-bef|before=[[ジョン・フリーマン=ミットフォード (初代リーズデイル男爵)|リーズデイル男爵]]}} {{S-ttl|title={{仮リンク|ダブリン大学総長|en|Chancellor of the University of Dublin|label=ダブリン大学副総長}}|years=1806年 – 1816年}} {{S-aft|after={{仮リンク|トマス・マナーズ=サットン (初代マナーズ男爵)|en|Thomas Manners-Sutton, 1st Baron Manners|label=マナーズ男爵}}}} {{S-reg|ie}} {{S-new|creation}} {{S-ttl|title=[[ダウンズ男爵]]|years=1822年 – 1826年}} {{S-aft|after={{仮リンク|ユリシーズ・ド・バーグ (第2代ダウンズ男爵)|en|Ulysses Burgh, 2nd Baron Downes|label=ユリシーズ・バーグ}}}} {{S-end}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:たうんす01}} [[Category:アイルランドの裁判官]] [[Category:アイルランドの枢密顧問官]] [[Category:ドニゴール県選出のアイルランド庶民院議員]] [[Category:アイルランド貴族の男爵]] [[Category:ダブリン大学トリニティ・カレッジ出身の人物]] [[Category:ミドル・テンプル出身の人物]] [[Category:1751年生]] [[Category:1826年没]]
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メロディー・セクストン
メロディー・セクストン(Melodie Sexton)は、アメリカのR&B歌手。 ニューヨークで生まれたセクストンは、3歳のときに父親の教会で歌い始めた。彼女はプロの歌手となり、ソルト・ン・ペパ、リヴィング・カラー、ブレンダ・K・スターなどのアーティストのバック・ボーカルを担当した。最終的に、1990年から日本へと移住した。セクストンは、1992年にデビュー・アルバム『ビューティフル・ドリーム』をソニー・ミュージック・レコードからリリースした。 その後、日本のハウス・ミュージック・グループ、GTSとコラボレーションすることになった。セクストンは、1996年のチャカ・カーンのカバー曲「スルー・ザ・ファイア」で初めてGTSと歌い、日本のチャートであるTOKIO HOT 100において47位まで上昇。1998年のシングル「Brand New World」で再びGTSとペアを組み、アメリカ・ビルボード・ダンス・クラブ・ソング・チャートで37位まで上昇した。その後、セクストンは日本のR&B歌手であるAIによる2007年のアルバム『DON'T STOP A.I.』にボーカリストとして参加している。このアルバムはオリコン・アルバム・チャートで初登場4位を記録し、最終的に日本レコード協会によってゴールド認定された。 他にも、小室哲哉、TRF、佐野元春、井上陽水、CHAGE and ASKA、浜崎あゆみ、SPEEDといったアーティストたちのレコーディングやツアーに参加している。
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メロディー・セクストンは、アメリカのR&B歌手。
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |Name = メロディー・セクストン<br />Melodie Sexton |Img = |Img_capt = |Img_size = |Landscape = |Background = solo_singer |Birth_name = |Alias = |Born = |Died = |Origin = {{USA}} [[ニューヨーク]] |Instrument = [[ボーカル]] |Genre = [[リズム・アンド・ブルース|R&B]]、[[ソウルミュージック|ソウル]] |Occupation = [[歌手]] |Years_active = |Label = [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー]] |Associated_acts = |URL = |Notable_instruments = }} '''メロディー・セクストン'''('''Melodie Sexton''')は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]歌手<ref>{{cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/melodie-sexton-mn0001072719|title=Melodie Sexton|publisher=AllMusic|accessdate=September 08 2023}}</ref><ref name=Feature@>{{cite web|url=http://m.koreatimes.co.kr/phone/news/view.jsp?req_newsidx=2812|title=J-Pop Stars to Gather, Party in Seoul|website=The Korea Times|date=May 13, 2007 |accessdate=September 08 2023}}</ref><ref name=Bio>{{Cite web|和書|url=http://www.artimage.co.jp/artist/melodie-sexton|title=Melodie Sexton|language=Japanese|website=Armitage.co.jp|accessdate=September 08 2023}}</ref>。 == 概要 == [[ニューヨーク]]で生まれたセクストンは、3歳のときに父親の教会で歌い始めた。彼女はプロの歌手となり、[[ソルト・ン・ペパ]]、[[リヴィング・カラー]]、[[ブレンダ・K・スター]]などのアーティストのバック・ボーカルを担当した。最終的に、1990年から日本へと移住した。セクストンは、1992年にデビュー・アルバム『ビューティフル・ドリーム』を[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージック・レコード]]からリリースした<ref name=MA>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/prof/16126/|title=Melodie Sexton|website=Oricon.jp|accessdate=September 08 2023}}</ref><ref name=Bio /><ref name=Feature@ />。 その後、日本の[[ハウス (音楽)|ハウス・ミュージック]]・グループ、[[GTS (DJグループ)|GTS]]とコラボレーションすることになった。セクストンは、1996年の[[チャカ・カーン]]のカバー曲「スルー・ザ・ファイア」で初めてGTSと歌い、日本のチャートである[[TOKIO HOT 100]]において47位まで上昇。1998年のシングル「Brand New World」で再びGTSとペアを組み、アメリカ・[[ビルボード]]・ダンス・クラブ・ソング・チャートで37位まで上昇した<ref name=Feature>{{cite web|url=http://www.artimage.co.jp/english/gts-en|title=GTS|website=Armitage.co.jp|accessdate=September 08 2023}}</ref><ref>{{cite web|url=http://player.listenlive.co/22041/en/artist/35_90c879b6-b4d1-4632-b66a-cdd4ed766cde/biography|title=GTS|website=Listen Live.co|accessdate=September 08 2023}}</ref><ref>{{cite magazine|url=https://www.billboard.com/artist/gts/chart-history/dsi/|title=GTS Featuring Melodie Sexton: Brand New World (Dance Club Songs)|magazine=Billboard}}</ref><ref>{{cite magazine|url=https://books.google.com/books?id=qwkEAAAAMBAJ&q=melodie+sexton+tokio+hot+100&pg=RA1-PA83|title=GTS Featuring Melodie Sexton: Through The Fire (Tokio Hot 100)|magazine=Billboard|date=June 15, 1996}}</ref><ref name=Bio />。その後、セクストンは日本のR&B歌手である[[AI (歌手)|AI]]による2007年のアルバム『[[DON'T STOP A.I.]]』にボーカリストとして参加している。このアルバムは[[オリコン]]・アルバム・チャートで初登場4位を記録し、最終的に[[日本レコード協会]]によってゴールド認定された<ref name="booklet">{{cite AV media notes |title=Don't Stop Ai |others=[[AI (歌手)|Ai]] |year=2007 |language=Japanese |publisher=Universal Music Japan |location=Tokyo, Japan}}</ref><ref name="OricSubsc">{{cite web |title=AI: DON'T STOP A.I.|url=https://www.oricon.co.jp/prof/1374/products/739965/1/| website=Oricon.co.jp|accessdate=September 08 2023}}</ref><ref name="RIAJcert">{{Cite web|和書| title=ゴールドディスク認定 |trans-title=Gold disc certification (December 2007) | url=http://www.riaj.or.jp/f/data/cert/gd.html#read-list-6| work=[[RIAJ]] |language=Japanese | date=January 2008 | accessdate=June 10, 2018}}</ref>。 他にも、[[小室哲哉]]、[[TRF]]、[[佐野元春]]、[[井上陽水]]、[[CHAGE and ASKA]]、[[浜崎あゆみ]]、[[SPEED]]といったアーティストたちのレコーディングやツアーに参加している<ref name=Bio />。 == ディスコグラフィ == === スタジオ・アルバム === *『ビューティフル・ドリーム』 - ''Beautiful Dream'' (1992年) *『VOICE IN THE SNOW』 - ''Voice In The Snow'' (1994年) *『メロディーズ・メロディ』 - ''Melodie's Melody'' (1995年) * ''Ever Green'' (1998年) *『MS4』 - ''MS4'' (1999年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 外部リンク == * [http://www.artimage.co.jp/artist/melodie-sexton Melodie Sexton - ARTIMAGE(所属事務所)] * {{Discogs artist|152721-Melodie-Sexton}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せくすとん めろていい}} [[Category:アメリカ合衆国の女性歌手]] [[Category:存命人物]]
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宮崎県道410号木浦木小林停車場線
宮崎県道410号木浦木小林停車場線(みやざきけんどう410ごう きうらぎこばやしていしゃじょうせん)は、宮崎県小林市を通る一般県道である。 小林市東方からJR九州吉都線 小林駅に至る。
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宮崎県道410号木浦木小林停車場線は、宮崎県小林市を通る一般県道である。
{{Infobox road |種別・系統 = [[都道府県道|一般県道]] |アイコン = {{Ja Pref Route Sign|pref=宮崎|number=410|width=100}} |名前 = 宮崎県道410号 木浦木小林停車場線<br />一般県道 木浦木小林停車場線 |名前の補足 = |副名 = |副名の補足 = |地図画像 = |総延長 = |実延長 = |制定年 = [[1965年]]([[昭和]]40年) |開通年 = |廃止年 = |起点 = [[小林市]]東方【{{Coord|32|2|55.0|N|130|59|14.1|E|region:JP-45|name=県道410号起点}}】 |終点 = 小林市本町【{{Coord|31|59|29.3|N|130|58|33.8|E|region:JP-45|name=県道410号終点}}】 |接続する主な道路 = [[ファイル:Japanese National Route Sign 0265.svg|24px]] [[国道265号]]<br />[[ファイル:Japanese National Route Sign 0221.svg|24px]] [[国道221号]]<br />{{Ja Pref Route Sign|number=53|width=25|align=left}} [[宮崎県道53号京町小林線]]<!-- 主要地方道以上を記載 --> }} '''宮崎県道410号木浦木小林停車場線'''(みやざきけんどう410ごう きうらぎこばやしていしゃじょうせん)は、[[宮崎県]][[小林市]]を通る[[都道府県道|一般県道]]である。 == 概要 == [[小林市]]東方から[[九州旅客鉄道|JR九州]][[吉都線]] [[小林駅 (宮崎県)|小林駅]]に至る。 === 路線データ === {{座標一覧}} * 起点:小林市東方 * 終点:小林市本町([[九州旅客鉄道|JR九州]][[吉都線]] [[小林駅 (宮崎県)|小林駅]]前、[[宮崎県道53号京町小林線]]終点) == 歴史 == * [[1965年]]([[昭和]]40年)[[3月31日]] - 宮崎県告示第244号の2<ref>{{Cite web|和書|url=https://en3-jg.d1-law.com/miyazaki-ken/d1w_reiki/H340902500244.002/H340902500244.002.html |title=県道路線認定(昭和40年3月31日告示244号の2) |publisher=宮崎県法規集([[第一法規]]株式会社) |accessdate=2023-09-08}}</ref>により路線認定される。当時の整理番号は143。 == 路線状況 == === 重複区間 === * [[国道265号]](小林市真方・大手橋交差点 - 小林市細野・本町交差点) * [[国道221号]]・[[国道268号]](小林市細野・本町交差点 - 小林市細野・小林商工会議所交差点) * [[宮崎県道53号京町小林線]](小林市 細野・小林商工会議所交差点 - 小林市本町・[[小林駅 (宮崎県)|小林駅]]前(終点)) === 道路施設 === ==== 橋梁 ==== * 大手橋(石氷川、小林市) == 地理 == === 通過する自治体 === * [[宮崎県]] ** [[小林市]] === 交差する道路 === {|class="wikitable" style="font-size:small" |- !style="border-bottom:3px solid green"|交差する道路 !style="border-bottom:3px solid green" colspan="2"|交差する場所 |- |[[宮崎県道404号石阿弥陀五日市線]] |真方 | |- |[[国道265号]] ''重複区間起点'' |真方 |大手橋交差点 |- |国道265号 ''重複区間終点''<br />[[国道221号]] ''重複区間起点''<br />[[国道268号]] ''重複区間起点'' |細野 |本町交差点 |- |国道221号 ''重複区間終点''<br />国道268号 ''重複区間終点''<br />[[宮崎県道53号京町小林線]] ''重複区間起点'' |細野 |小林商工会議所交差点 |- |宮崎県道53号京町小林線 ''重複区間終点'' |本町 |[[小林駅 (宮崎県)|小林駅]]前 / 終点 |} === 沿線 === * 小林市役所 西小林出張所 * [[九州旅客鉄道|JR九州]][[吉都線]] [[小林駅 (宮崎県)|小林駅]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[宮崎県の県道一覧]] {{Road-stub}} {{DEFAULTSORT:みやさきけんとう410}} [[Category:宮崎県道|410]]
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長瀬 (横須賀市)
長瀬(ながせ)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は長瀬一丁目から長瀬三丁目。住居表示実施済区域。 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、南西に久里浜、北西に久比里、北東に西浦賀と接している。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、長瀬1-13-13の地点で10万7000円/mとなっている。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
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長瀬(ながせ)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は長瀬一丁目から長瀬三丁目。住居表示実施済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 長瀬 |種類 = [[町丁]] |画像 = <!--- 関連する画像ファイル ---> |画像サイズ = 270px |画像説明 = <!--- 画像の説明 ---> <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 13 | 緯度秒 = 43.04 | 経度度 = 139 | 経度分 = 43 | 経度秒 = 10.93 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[久里浜|久里浜地区]] |人口 = 2658 |世帯数 = 1144 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 0.657 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0826<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390826|title=長瀬の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''長瀬'''(ながせ)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。現行行政地名は長瀬一丁目から長瀬三丁目。[[住居表示]]実施済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、南西に[[久里浜 (横須賀市の町名)|久里浜]]、北西に[[久比里]]、北東に[[西浦賀]]と接している。 === 河川 === *[[平作川]] === 地価 === 住宅地の地価は、[[2023年]]([[令和]]5年)[[1月1日]]の[[公示地価]]によれば、長瀬1-13-13の地点で10万7000円/m{{sup|2}}となっている<ref name="chika">{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0|title=国土交通省地価公示・都道府県地価調査|publisher=国土交通省|language=日本語|accessdate=2023-08-09}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |長瀬一丁目 |style="text-align:right"|651世帯 |style="text-align:right"|1,514人 |- |長瀬二丁目 |style="text-align:right"|400世帯 |style="text-align:right"|1,001人 |- |長瀬三丁目 |style="text-align:right"|93世帯 |style="text-align:right"|143人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|1,144世帯 |style="text-align:right"|2,658人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=3000 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[1995年]](平成7年)<ref name="jinko1995">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000023630093|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=2,408 |label2=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=2,326 |label3=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=2,625 |label4=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=2,549 |label5=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data5=2,568 |label6=[[2020年]](令和2年)<ref name="jinko2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032163289|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2022-02-20|language=ja}}</ref> |data6=2,640 }} === 世帯数の変遷 === [[国勢調査]]による世帯数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=世帯数推移 |data_max=2000 |label_type=年 |data_type=世帯数 |label1=[[1995年]](平成7年){{r|jinko1995}} |data1=806 |label2=[[2000年]](平成12年){{r|jinko2000}} |data2=773 |label3=[[2005年]](平成17年){{r|jinko2005}} |data3=869 |label4=[[2010年]](平成22年){{r|jinko2010}} |data4=882 |label5=[[2015年]](平成27年){{r|jinko2015}} |data5=894 |label6=[[2020年]](令和2年){{r|jinko2020}} |data6=941 }} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8115/tugakukuikiitiranhyou.html|title=通学区域一覧表|publisher=横須賀市|date=2022-03-07|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 *丁目、番・番地等 : 一丁目〜三丁目、各全域 **小学校 : [[横須賀市立久里浜小学校]] **中学校 : [[横須賀市立神明中学校]] == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!!事業所数!!従業員数 |- |長瀬一丁目 |style="text-align:right"|20事業所 |style="text-align:right"|164人 |- |長瀬二丁目 |style="text-align:right"|6事業所 |style="text-align:right"|450人 |- |長瀬三丁目 |style="text-align:right"|21事業所 |style="text-align:right"|793人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|47事業所 |style="text-align:right"|1,407人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=500 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727451|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=36 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068160|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=47 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=2000 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=681 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=1,407 }} == 交通 == {{節スタブ}} == 施設 == *[[港湾空港技術研究所]] *[[国土技術政策総合研究所]] 横須賀庁舎 *[[横浜刑務所横須賀刑務支所]] *[[久里浜少年院]] == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 239-0826{{r|postal}}(集配局 : [[久里浜郵便局]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-07-17}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 関連項目 == *[[長瀬]](曖昧さ回避) {{横須賀市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=神奈川県}} {{DEFAULTSORT:なかせ}} [[Category:横須賀市の町・字]] [[Category:久里浜]]
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靴磨き選手権大会
靴磨き選手権大会(くつみがきせんしゅけんたいかい)は、革靴を制限時間内に磨き、その完成度を競う日本のコンテスト。 2018年より、コロナ禍の2021年および2022年を除いて毎年決勝が東京都で開催されている。 靴磨き世界大会(WORLD CHAMPIONSHIP OF SHOESHINE、ロンドン)とは、運営者・審査方法・審査基準の全てが異なる独立した大会である。 「鏡面磨き」と呼ばれる靴のつま先や踵部分にワックスで光沢を出す手法が、一貫して本大会の主要な審査対象だが、各回で審査方法が部分的に改変されている。すでに履かれた靴は革の状態などの個体差が大きく、競技で使用すると参加者によって条件が違うという状況が起こるため、本大会では主催者が用意した新品の短靴を使用している。 2017年、長谷川裕也(第1回靴磨き世界大会チャンピオン)が、日本でも靴磨きの大会を開催したいと立案した。 2018年に銀座三越伊勢丹の主催で第1回靴磨き選手権大会が開催される。以降、2020年の第3回までは銀座三越伊勢丹が、2023年の第4回は一般社団法人日本皮革製品メンテナンス協会が主催している。 第1回のみ靴関連企業従事者に参加資格が限定されたが、第2回以降はアマチュアも応募可能となった。実態としては、靴関連企業従事者が参加者の大半を構成している。 事前に行われた予選の参加者20名から選ばれた上位4名と、協賛企業の推薦者8名を合わせた計12名で準決勝のトーナメントを実施。 勝ち抜いた3名で決勝を行った。準決勝・決勝ともに制限時間20分で靴両足を仕上げた。 予選の審査員は長谷川裕也。準決勝・決勝は各協賛企業の代表者と靴雑誌編集長、服飾ジャーナリストなど有識者を含めた7名が審査。 審査基準は の4項目計16点満点で採点された。 靴磨きの道具は、クリーナー、クリーム、ワックスは主催が用意した新品のみ使用可能で、参加者は仕上げ用のクロスのみ自前で持ち込むことができた。 両足を20分で仕上げるという制限時間は、汚れ落としから鏡面磨きに至る通常の工程を踏むには短いとされる。その為、主催者もクリームで保革した状態の靴を用意し、参加者もそれを前提にワックスを塗布する段階から作業を開始したが、第1回大会優勝者の石見豪は汚れ落としから全工程を行った。 前年10月に行われた予選の参加者46名のうち上位24名が2回戦に進出。さらに2回戦の上位12名が決勝に出場した。いずれもトーナメント戦で、組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 予選と2回戦は制限時間10分で靴片足を仕上げ、決勝は制限時間20分で両足を仕上げた。 審査基準は下記3項目 審査は、靴製造企業社長・靴ケア製品企業社長、靴雑誌編集長、服飾ジャーナリスト、第1回 優勝者などの有識者8名が行った。 今大会より前回にはなかった審査が加わり、8名の審査員が付けた点のうち最大と最小を省いた6名の点数の平均を参加者の得点とした。 靴磨きの道具については、クリーナー、クリーム、ワックスは主催が用意した新品のみ使用可能で、参加者は仕上げ用のクロスに加えてブラシ3本を自前で持ち込むことができた。 2019年大会のみ、決勝と同日にシューカラーリング・エキシビジョンマッチが行われた。参加者4名が「銀座」をテーマに90分以内に短靴を染め、美的感覚を競った。靴はカラーリング専用のもの(無地のホールカット)が用いられた。審査員による投票の他に、銀座三越伊勢丹のインスタグラムアカウントの高評価ボタンによるオーディエンス票があった。 応募者67名が書類と動画を事前に提出し、選考を通過した32名が予選に進出。予選上位16名が準決勝に選出され、さらに上位4名で決勝をおこなった。いずれもトーナメント戦で、組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 予選と2回戦は制限時間10分で靴片足を仕上げ、決勝は制限時間20分で両足を仕上げた。 審査基準は、第2回のルールを踏襲しつつ厳密化した。既存の光沢や所作を評価する項目をテクニカルポイントとし、さらに表現力を評価するアーティスティックポイントを加えた得点制で実施された。テクニカルポイントの内訳は、光沢及び透明感4点、光沢や色味のグラデーション4点、仕上げの美しさ3点、所作6点。アーティスティックポイントは、表現力4点。 靴製造企業社長、靴ケア製品企業社長、靴雑誌編集長、服飾ジャーナリスト、第1回大会優勝者、第3回靴磨き世界大会チャンピオンのなど有識者8名が審査員を務めた。大会アドバイザーには服飾研修家の飯野高広を迎えた。 靴磨きの道具については、第2回大会を踏襲。大会立案者の長谷川裕也は、大会のテーマソングを作り会場で披露した。 コロナ禍を経て3年ぶりの開催された第4回大会では、初めて大阪でも予選が行われた。 本大会におけるもう一つの大きな変革として、鏡面磨きを簡易にし大幅な時間短縮ができる道具である、各社ハイシャインワックスの使用が認められたことがあげられる。 参加者は希望の会場を選ぶことが出来、大阪・東京ともに先着順で各32名・合計64名がエントリー。いずれもトーナメント戦で、グループの組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 (大阪会場)阪急うめだ本店うめだホール (東京会場)阪急メンズ東京 予選1st Roundでは32名から12名に2nd Roundでは6名まで絞られ、2会場合計12名が決勝進出を果たした。 各グループ同ブランド、同モデル、同素材、同カラーの新品の靴を大会認定の靴磨き道具を使用して、1st Roundでは片足を10分、2nd Roundでは両足を20分で磨いた。2nd Round以降は、仕上げた後に1分間のプレゼンテーションタイムが設けられた。 採点は、80点のテクニカルポイントと20点のプレゼンテーションポイントからなる得点制で実施。Final Roundでは会場の観客による5点のオーディエンスポイントも加えられた。 大会史上初めて、鏡面磨きの大幅な時間短縮を可能にするハイシャインワックスの使用が認められた。 これに合わせて、審査の厳密化を図るために、コンディショニング(保革等のメンテナンス要素)についても細分化された審査項目が設けられた。 審査は第4回大会を通して、長谷川裕也(大会発起人、BriftH代表)、石見豪(第1回大会優勝者、THE WAY THINGS GO代表)、斗谷 諒(第2回大会カラーリング部門優勝者)、藤澤宣彰(フローリウォネ主宰)の4名が担当。ブラインド審査(靴の仕上がりのみを見る)が初めて導入された。 テクニカルポイントは、靴磨き職人として求められる基本的な技術を測る下記の7項目からなる。 1 コンディショニング力 2 光沢感 3 透明度 4 グラデーション 5 光沢の均一性 6 ゴミや傷がついていないか 7 左右差が無いか(1st Roundは片足のみのため無) プレゼンテーションポイントは、靴磨き職人としての魅力を高める表現力を1ワクワク感と2説得力という2項目に分けて評価された。 ※第1回のみ審査員特別賞を佐藤我久が受賞。
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靴磨き選手権大会(くつみがきせんしゅけんたいかい)は、革靴を制限時間内に磨き、その完成度を競う日本のコンテスト。 2018年より、コロナ禍の2021年および2022年を除いて毎年決勝が東京都で開催されている。 靴磨き世界大会とは、運営者・審査方法・審査基準の全てが異なる独立した大会である。
{{出典の明記|date=2023年9月8日 (金) 15:28 (UTC)}} '''靴磨き選手権大会'''(くつみがきせんしゅけんたいかい)は、[[革靴]]を制限時間内に磨き、その完成度を競う[[日本]]のコンテスト。 2018年より、コロナ禍の2021年および2022年を除いて毎年決勝が[[東京都]]で開催されている。 靴磨き世界大会(WORLD CHAMPIONSHIP OF SHOESHINE、[[ロンドン]])とは、運営者・審査方法・審査基準の全てが異なる独立した大会である。 == 審査対象 == 「鏡面磨き」と呼ばれる靴のつま先や踵部分にワックスで光沢を出す手法が、一貫して本大会の主要な審査対象だが、各回で審査方法が部分的に改変されている。すでに履かれた靴は革の状態などの個体差が大きく、競技で使用すると参加者によって条件が違うという状況が起こるため、本大会では主催者が用意した新品の短靴を使用している。 == 大会の歴史 == 2017年、長谷川裕也(第1回靴磨き世界大会チャンピオン)が、日本でも靴磨きの大会を開催したいと立案した<ref>竹川圭[https://forzastyle.com/articles/-/63803 NHK「仕事の流儀」で注目。世界一の靴磨き職人の挑戦。] - FORZA STYLE(2022年2月5日)2023年9月9日閲覧。</ref>。 2018年に銀座[[三越伊勢丹]]の主催で第1回靴磨き選手権大会が開催される。以降、2020年の第3回までは銀座三越伊勢丹が、2023年の第4回は一般社団法人日本皮革製品メンテナンス協会が主催している。 第1回のみ靴関連企業従事者に参加資格が限定されたが、第2回以降はアマチュアも応募可能となった。実態としては、靴関連企業従事者が参加者の大半を構成している。 === 第1回(2018年) === 事前に行われた予選の参加者20名から選ばれた上位4名と、協賛企業の推薦者8名を合わせた計12名で準決勝のトーナメントを実施。 勝ち抜いた3名で決勝を行った。準決勝・決勝ともに制限時間20分で靴両足を仕上げた。 予選の審査員は長谷川裕也。準決勝・決勝は各協賛企業の代表者と靴雑誌編集長、服飾ジャーナリストなど有識者を含めた7名が審査。 審査基準は #鏡面磨きの光沢感 #磨きあがった靴の美しさの全体感 #所作 (各項目5ポイント) #誰に磨いてもらいたいかという特別評価(1ポイント) の4項目計16点満点で採点された。 靴磨きの道具は、クリーナー、クリーム、ワックスは主催が用意した新品のみ使用可能で、参加者は仕上げ用のクロスのみ自前で持ち込むことができた。 両足を20分で仕上げるという制限時間は、汚れ落としから鏡面磨きに至る通常の工程を踏むには短いとされる。その為、主催者もクリームで保革した状態の靴を用意し、参加者もそれを前提にワックスを塗布する段階から作業を開始したが、第1回大会優勝者の石見豪は汚れ落としから全工程を行った。 === 第2回(2019年) === 前年10月に行われた予選の参加者46名のうち上位24名が2回戦に進出。さらに2回戦の上位12名が決勝に出場した。いずれもトーナメント戦で、組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 予選と2回戦は制限時間10分で靴片足を仕上げ、決勝は制限時間20分で両足を仕上げた。 審査基準は下記3項目 #靴の光沢感 #バランス感 #所作 審査は、靴製造企業社長・靴ケア製品企業社長、靴雑誌編集長、服飾ジャーナリスト、第1回 優勝者などの有識者8名が行った。 今大会より前回にはなかった審査が加わり、8名の審査員が付けた点のうち最大と最小を省いた6名の点数の平均を参加者の得点とした。 靴磨きの道具については、クリーナー、クリーム、ワックスは主催が用意した新品のみ使用可能で、参加者は仕上げ用のクロスに加えてブラシ3本を自前で持ち込むことができた。 ==== カラーリング部門 ==== 2019年大会のみ、決勝と同日にシューカラーリング・エキシビジョンマッチが行われた。参加者4名が「銀座」をテーマに90分以内に短靴を染め、美的感覚を競った。靴はカラーリング専用のもの(無地のホールカット)が用いられた。審査員による投票の他に、銀座三越伊勢丹のインスタグラムアカウントの高評価ボタンによるオーディエンス票があった。 === 第3回(2020年) === 応募者67名が書類と動画を事前に提出し、選考を通過した32名が予選に進出。予選上位16名が準決勝に選出され、さらに上位4名で決勝をおこなった。いずれもトーナメント戦で、組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 予選と2回戦は制限時間10分で靴片足を仕上げ、決勝は制限時間20分で両足を仕上げた。 審査基準は、第2回のルールを踏襲しつつ厳密化した。既存の光沢や所作を評価する項目をテクニカルポイントとし、さらに表現力を評価するアーティスティックポイントを加えた得点制で実施された。テクニカルポイントの内訳は、光沢及び透明感4点、光沢や色味のグラデーション4点、仕上げの美しさ3点、所作6点。アーティスティックポイントは、表現力4点。 靴製造企業社長、靴ケア製品企業社長、靴雑誌編集長、服飾ジャーナリスト、第1回大会優勝者、第3回靴磨き世界大会チャンピオンのなど有識者8名が審査員を務めた。大会アドバイザーには服飾研修家の飯野高広を迎えた。 靴磨きの道具については、第2回大会を踏襲。大会立案者の長谷川裕也は、大会のテーマソングを作り会場で披露した。 === 第4回 (2023年) === コロナ禍を経て3年ぶりの開催された第4回大会では、初めて大阪でも予選が行われた。 本大会におけるもう一つの大きな変革として、鏡面磨きを簡易にし大幅な時間短縮ができる道具である、各社ハイシャインワックスの使用が認められたことがあげられる。 == 会場 == 参加者は希望の会場を選ぶことが出来、大阪・東京ともに先着順で各32名・合計64名がエントリー。いずれもトーナメント戦で、グループの組み合わせは参加者本人による抽選で決定。 (大阪会場)阪急うめだ本店うめだホール (東京会場)阪急メンズ東京 予選1st Roundでは32名から12名に2nd Roundでは6名まで絞られ、2会場合計12名が決勝進出を果たした。 == 審査方法 == 各グループ同ブランド、同モデル、同素材、同カラーの新品の靴を大会認定の靴磨き道具を使用して、1st Roundでは片足を10分、2nd Roundでは両足を20分で磨いた。2nd Round以降は、仕上げた後に1分間のプレゼンテーションタイムが設けられた。 採点は、80点のテクニカルポイントと20点のプレゼンテーションポイントからなる得点制で実施。Final Roundでは会場の観客による5点のオーディエンスポイントも加えられた。 === テクニカルポイント === 大会史上初めて、鏡面磨きの大幅な時間短縮を可能にするハイシャインワックスの使用が認められた。 これに合わせて、審査の厳密化を図るために、コンディショニング(保革等のメンテナンス要素)についても細分化された審査項目が設けられた。 審査は第4回大会を通して、長谷川裕也(大会発起人、BriftH代表)、石見豪(第1回大会優勝者、THE WAY THINGS GO代表)、斗谷 諒(第2回大会カラーリング部門優勝者)、藤澤宣彰(フローリウォネ主宰)の4名が担当。ブラインド審査(靴の仕上がりのみを見る)が初めて導入された。 テクニカルポイントは、靴磨き職人として求められる基本的な技術を測る下記の7項目からなる。 ①   コンディショニング力 ②   光沢感 ③   透明度 ④   グラデーション ⑤   光沢の均一性 ⑥   ゴミや傷がついていないか ⑦   左右差が無いか(1st Roundは片足のみのため無) === プレゼンテーションポイント === プレゼンテーションポイントは、靴磨き職人としての魅力を高める表現力を①ワクワク感と②説得力という2項目に分けて評価された。 == 受賞者 == {| class="wikitable" |+ !開催回 !優勝 !第2位 !第3位 |- |'''第1回 2018年''' |石見 豪 THE WAY THINGS GO |山地 惣介 Brift H (当時) |杉村 祐太 Y's Shoeshine |- |'''第2回 2019年''' |<u>靴磨き</u> 寺島 直希 THE WAY THINGS GO (当時) <u>カラーリング</u>''' '''斗谷 諒 |岡嶋 翔太 R&D |新井田 隆 Brift H |- |'''第3回 2020年''' |細見 大輔 THE WAY THINGS GO(当時) |なかじま なかじ Freestyle Shoeshine |樺澤 幹人 Glayage Kyoto |} ※第1回のみ審査員特別賞を佐藤我久が受賞。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == *[https://mitsukoshi.mistore.jp/store/ginza/event/shoeshinefesta/index.html 2018年大会の案内] - 三越伊勢丹(銀座三越) *[https://www.imn.jp/post/108057200504 【イベントレポート】靴磨き選手権大会、第2回の優勝者が決まる] - 三越伊勢丹(2019年2月23日、ISETAN men's NET) *[https://www.imn.jp/post/108057202052 靴磨き“日本ナンバーワン”は誰の手に──「靴磨き選手権大会 2020」が銀座三越にて開催決定!] - 三越伊勢丹(2019年12月16日、ISETAN men's NET) *[https://precious.jp/articles/-/17405 銀座三越にて「靴磨き選手権2020」が開催!高度な競り合いが示す、靴磨きの成熟!32名の靴磨きが一同に会し、技を競う] - Men's Precious(2020年2月24日) *靴磨き選手権大会 一般社団法人日本皮革製品メンテナンス協会 <nowiki>https://jlpma.net/championship/</nowiki> {{DEFAULTSORT:くつみかきせんしゆけんたいかい}} [[Category:東京都の行事・イベント]] [[Category:2018年開始のイベント]] [[Category:靴]]
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金田東
金田東(かねだひがし)は、千葉県木更津市の金田地区にある町丁。現行行政地名は金田東一丁目から金田東六丁目。郵便番号は290-0081。 木更津市北部の金田地区に位置する。 多機能な施設が集約する場所と多様なライフスタイルに応じた住宅地が調和した都市を目指し、千葉県及びUR都市再生機構が実施している金田地区土地区画整理事業(かずさアクアシティ)のうち、UR都市再生機構が実施した木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業の区域に該当する。 町丁内には三井アウトレットパーク木更津といった大規模商業施設や、キサラピアといった娯楽施設が、建設計画地を含めて70ha近く占めている一方、55haは一般住宅用として確保されるなど、土地利用は多方面に渡っている。 木更津市北部にある金田地区の中でも、かなり海沿いの町丁である。東京湾アクアラインの千葉県側の玄関口である木更津金田インターチェンジに接しているという利点を活かして、三井アウトレットパーク木更津、カインズ木更津金田店などの商業施設が多く立地している他、周辺には金田さざなみ公園といった海沿いを遊歩できる公園がある。また、住宅地としての利用も図られており、整然とした住環境が整備されている他、金田東中央公園といった公園施設の整備も為されている。 用途地域の指定は以下の通りである。 木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業によって計画されていた土地利用方針は以下の通りである。 2023年(令和5年)1月1日の国土交通省地価公示によると、木更津市金田東4丁目19番5で61,200円/mとなっている。 北は東京湾と中島、東は牛込と中野、南は坂戸市場と万石、西は中島と瓜倉(金田西)及び中島と接する。 旧地名との対照は以下の通りである。 2023年(令和5年)4月1日現在の世帯数及び人口の詳細は以下の通りである。 市立小学校・市立中学校及び県立高等学校の通学区域は以下の通りである。 町丁内に鉄道は通っていないが、最寄りの駅はJR東日本内房線袖ケ浦駅である。 町丁内の停留所を通過する高速路線バスは以下の通りである。 町丁内の停留所を通過するバスは以下のとおりである。 町丁内に高速道路は通っていない。最寄りの高速道路とインターチェンジは東京湾横断道路の木更津金田インターチェンジである。 町丁内に国道は通っていない。 特になし
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金田東(かねだひがし)は、千葉県木更津市の金田地区にある町丁。現行行政地名は金田東一丁目から金田東六丁目。郵便番号は290-0081。
{{Pathnav|日本|関東地方|千葉県|木更津市|frame=1}} {{Infobox settlement | name = 金田東 | settlement_type = [[町丁]] | image_skyline = 三井アウトレットパーク 木更津 - panoramio (12).jpg | imagesize = 270px | image_caption = [[三井アウトレットパーク木更津]] | image_map = | map_caption = 金田東の位置 | pushpin_map = Japan Chiba# | latd = 35 | latm = 26 | lats = 15.2 | latNS = N | longd = 139 | longm = 55 | longs = 38.6 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Chiba Prefecture.svg|border|25px]] [[千葉県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:千葉県木更津市市章.svg|border|25px]] [[木更津市]] | subdivision_type3 = [[地区]] | subdivision_name3 = 金田地区 | established_title1 = <!--- 設置 ---> | established_date1 = <!--- 設置日 ---> | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[4月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenreibetsu/r05/documents/jtyoaza206.xlsx|title=令和5年度千葉県市町村町丁字別世帯数人口(木更津市)|publisher=千葉県|date=2023-4-1|accessdate=2023-8-16}}</ref> | population_total = 2984 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 292-0009<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2920009|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2022-11-07}}</ref> | area_code = 0438<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2017-05-29}}</ref> | registration_plate = [[千葉運輸支局|袖ケ浦]] | footnotes = ※座標は五井駅西口付近 }} '''金田東'''(かねだひがし)は、[[千葉県]][[木更津市]]の金田地区にある[[町丁]]。現行行政地名は金田東一丁目から金田東六丁目。[[郵便番号]]は290-0081<ref name="postal"/>。 == 概要 == 木更津市北部の金田地区に位置する<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=金田地区土地区画整理事業(かずさアクアシティ) |url=http://www.pref.chiba.lg.jp/tosei/aqualine/aquacity/index.html |website=千葉県 |access-date=2023-09-08 |language=ja |last=千葉県}}</ref>。 多機能な施設が集約する場所と多様なライフスタイルに応じた住宅地が調和した都市を目指し、千葉県及び[[UR都市再生機構]]が実施している金田地区土地区画整理事業([[かずさアクアシティ]])のうち、UR都市再生機構が実施した木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業の区域に該当する<ref name=":0" />。 町丁内には[[三井アウトレットパーク 木更津|三井アウトレットパーク木更津]]といった大規模商業施設や、[[キサラピア]]といった娯楽施設が、建設計画地を含めて70ha近く占めている一方、55haは一般住宅用として確保されるなど、土地利用は多方面に渡っている<ref name=":0" />。 == 地理 == 木更津市北部にある金田地区の中でも、かなり海沿いの町丁である<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kisarazu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/163/r4tiikibetu6.pdf |title=金田地区 |access-date=2023-09-01 |publisher=木更津市}}</ref>。東京湾アクアラインの千葉県側の玄関口である木更津金田インターチェンジに接しているという利点を活かして、三井アウトレットパーク木更津、カインズ木更津金田店などの商業施設が多く立地している他、周辺には金田さざなみ公園といった海沿いを遊歩できる公園がある<ref name=":1" />。また、住宅地としての利用も図られており、整然とした住環境が整備されている他、金田東中央公園といった公園施設の整備も為されている<ref name=":0" />。 === 都市計画 === 用途地域の指定は以下の通りである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kisarazu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/174/2022.12tokeizu1.pdf |title=木更津市都市計画図 |access-date=2023-09-01 |publisher=木更津市}}</ref>。 {| class="wikitable" !用途 !範囲 |- |'''[[第一種低層住居専用地域]]''' |4丁目・6丁目の各大半、3丁目・5丁目の各一部 |- |'''[[第一種住居地域]]''' |1丁目の大半、4丁目・5丁目の一部 |- |'''[[第二種住居地域]]''' |2丁目の一部 |- |'''[[準住居地域]]''' |1丁目・2丁目・4丁目・5丁目・6丁目の各一部 |- |'''[[近隣商業地域]]''' |3丁目の大半、5丁目・6丁目の各一部 |- |'''[[準工業地域]]''' |5丁目の一部 |} === 土地利用 === 木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業によって計画されていた土地利用方針は以下の通りである<ref name=":0" />。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" |- !colspan="3"|種別 !面積 !割合 |- |rowspan="4" style="text-align:center;"|公共用地 |colspan="2" style="text-align:center;"|道路 |26.3ha |16.9% |- |colspan="2" style="text-align:center;"|公園 ・緑地 |5.0ha |3.2% |- |colspan="2" style="text-align:center;"|水路等 |0.1ha |0.1% |-style="background-color:#cf9;" |colspan="2" style="text-align:center;"|計 |31.4ha |20.2% |- | rowspan="9" style="text-align:center;" |宅地 | rowspan="4" style="text-align:center;" |宅地用地 |style="text-align:center;"|一般住宅用地 |40.8ha |26.2% |- |style="text-align:center;"|沿道利用施設用地 |12.8ha |8.2% |- |style="text-align:center;"|住宅先行建設区 |0.9ha |0.6% |- style="background-color:#cff;" | style="text-align:center;" |小計 |54.5ha |35.0% |- |rowspan="4" style="text-align:center;"|施設用地 |style="text-align:center;"|工業・流通等施設用地 |4.9ha |3.1% |- |style="text-align:center;"|計画建設用地 |60.3ha |38.8% |- |style="text-align:center;"|その他公益的施設用地 |4.5ha |2.9% |-style="background-color:#cff;" |style="text-align:center;"|小計 |69.7ha |44.8% |-style="background-color:#9cf;" |colspan="2" style="text-align:center;"|計 |124.2ha |79.8% |-style="background-color:#ddd;" |colspan="3" style="text-align:center;"|合計 |155.6ha |100.0% |} === 地価 === [[2023年]]([[令和]]5年)1月1日の国土交通省地価公示によると、木更津市金田東4丁目19番5で61,200円/m<sup>2</sup>となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice_/html/2023/12/2023122060038.html |title=鑑定評価書(木更津-38) |access-date=2023-09-01 |publisher=国土交通省}}</ref>。 === 隣接町丁字 === 北は[[東京湾]]と[[中島 (木更津市)|中島]]、東は[[牛込 (木更津市)|牛込]]と[[中野 (木更津市)|中野]]、南は[[坂戸市場]]と[[万石 (木更津市)|万石]]、西は中島と[[瓜倉]](金田西)及び中島と接する<ref name=":1" />。 == 歴史 == === 地名の由来 === {{節スタブ}} 旧地名との対照は以下の通りである<ref>{{Cite web|和書|title=千葉県年齢別・町丁字別人口平成27年度・利用上の注意 |url=http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenreibetsu/h27/chuui.html |website=千葉県 |access-date=2023-09-08 |language=ja |last=千葉県}}</ref>。 {| class="wikitable" !現町丁字 !旧町丁字 |- |金田東一丁目 |中島の一部 |- |金田東二丁目 |中島の一部、牛込の一部 |- |金田東三丁目 |中島の一部、中野の一部 |- |金田東四丁目 |中島の一部、中野の一部 |- |金田東五丁目 |中島の一部 |- |金田東六丁目 |中島の一部 |} === 沿革 === *[[1998年]](平成18年)1月30日 - 木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業(以下:金田東土地区画整理事業)計画決定<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.chiba.lg.jp/tosei/shigaichiseibi/kukakuseiri/documents/r3tikubetuitiran.pdf |title=土地区画整理事業一覧 |access-date=2023-09-01 |publisher=千葉県}}</ref>。 *[[2000年]](平成12年)1月27日 - 金田東土地区画整理事業の事業認可が下りる<ref name=":2" />。 *[[2003年]](平成15年)4月5日 - 金田東土地区画整理事業の仮換地指定<ref name=":2" />。 *[[2014年]](平成26年)11月4日 - 金田東土地区画整理事業の換地処分実施<ref name=":2" />。 == 世帯数と人口 == [[2023年]]([[令和]]5年)[[4月1日]]現在の世帯数及び人口の詳細は以下の通りである<ref name="population" /><ref group="注釈">'''太字'''は最高値もしくは最低値。</ref>。 {| class="wikitable" ! rowspan="2" |町丁字 ! rowspan="2" |世帯数 ! rowspan="2" |人口総数 ! colspan="6" |人口 ! rowspan="2" |世帯人員 |- ! colspan="2" |若年 ! colspan="2" |生産年齢 ! colspan="2" |高齢 |- |金田東一丁目 | style="text-align:right;" |474世帯 | style="text-align:right;" |904人 | style="text-align:right;" |146人 | style="text-align:right;" |16.15% | style="text-align:right;" |641人 | style="text-align:right;" |70.91% | style="text-align:right;" |117人 | style="text-align:right;" |12.94% | style="text-align:right;" |1.91人 |- |金田東二丁目 | style="text-align:right;" |0世帯 | style="text-align:right;" |0人 | style="text-align:right;" |0人 | style="text-align:right;" |0.00% | style="text-align:right;" |0人 | style="text-align:right;" |0.00% | style="text-align:right;" |0人 | style="text-align:right;" |0.00% | style="text-align:right;" |0.00人 |- |金田東三丁目 | style="text-align:right;" |62世帯 | style="text-align:right;" |154人 | style="text-align:right;" |44人 | style="text-align:right;" |28.58% | style="text-align:right;" |100人 | style="text-align:right;" |64.94% | style="text-align:right;" |10人 | style="text-align:right;" |6.49% | style="text-align:right;" |2.48人 |- |金田東四丁目 | style="text-align:right;" |466世帯 | style="text-align:right;" |949人 | style="text-align:right;" |220人 | style="text-align:right;" |23.18% | style="text-align:right;" |628人 | style="text-align:right;" |66.17% | style="text-align:right;" |101人 | style="text-align:right;" |10.64% | style="text-align:right;" |2.04人 |- |金田東五丁目 | style="text-align:right;" |276世帯 | style="text-align:right;" |595人 | style="text-align:right;" |145人 | style="text-align:right;" |24.37% | style="text-align:right;" |406人 | style="text-align:right;" |68.24% | style="text-align:right;" |44人 | style="text-align:right;" |7.39% | style="text-align:right;" |2.16人 |- |金田東六丁目 | style="text-align:right;" |369世帯 | style="text-align:right;" |772人 | style="text-align:right;" |184人 | style="text-align:right;" |23.83% | style="text-align:right;" |532人 | style="text-align:right;" |68.91% | style="text-align:right;" |56人 | style="text-align:right;" |7.25% | style="text-align:right;" |2.09人 |- style="background-color:#cf9;" | style="text-align:center;" |全体 | style="text-align:right;" |1,647世帯 | style="text-align:right;" |3,374人 | style="text-align:right;" |739人 | style="text-align:right;" |21.90% | style="text-align:right;" |2,307人 | style="text-align:right;" |68.38% | style="text-align:right;" |328人 | style="text-align:right;" |9.72% | style="text-align:right;" |2.05人 |} == 通学区域 == 市立小学校・市立中学校及び[[千葉県高等学校一覧#県立高等学校|県立高等学校]]の通学区域は以下の通りである<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kisarazu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/253/01.pdf |title=小学校・中学校の所在地及び通学区域一覧 |publisher=木更津市 |accessdate=2023-09-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町丁字 !番地 !小学校 !中学校 !高等学校 |- |金田東一丁目 |全域 | rowspan="6" |[[木更津市立金田小学校]] | rowspan="6" |[[木更津市立金田中学校]] | rowspan="6" |第9学区 |- |金田東二丁目 |全域 |- |金田東三丁目 |全域 |- |金田東四丁目 |全域 |- |金田東五丁目 |全域 |- |金田東六丁目 |全域 |} == 施設 == *金田さざなみ公園 *[[木更津市金田地域交流センター]] *木更津市公共下水道金田東雨水ポンプ場 *[[木更津かんらんしゃパーク キサラピア]] *[[三井アウトレットパーク木更津]] *[[東京インテリア家具]]木更津店 *[[カインズ]]木更津金田 *[[スポーツデポ]]木更津金田店 *[[ベイシア]]木更津金田店 *[[オートバックス]]木更津金田店 *木更津ベイヘリポート *[[ドウシシャ]]関東物流センター *シンプレスジャパン株式会社 == 交通 == === 鉄道 === 町丁内に鉄道は通っていないが、最寄りの駅は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[内房線]][[袖ケ浦駅]]である。 === バス === ==== 高速路線バス ==== 町丁内の停留所を通過する高速路線バスは以下の通りである<ref name=":2" group="注釈" /><ref name=":3" group="注釈" />。 {| class="wikitable" !運行会社 !系統 !運行区間 !経由 !備考 |- | rowspan="4" |'''[[小湊鐵道]]''' |高35系統 |木更津駅西口 - 成田空港 |木更津金田BT、MOP木更津 | |- |高52系統 |センター北 - MOP木更津 |たまプラーザ |<ref group="注釈">土休日1往復のみ</ref> |- |高53系統 |池袋駅東口 - MOP木更津 | rowspan="4" | |<ref group="注釈">[[COVID-19]]関連による運休</ref> |- |高60系統 | rowspan="2" |羽田空港 - MOP木更津 | rowspan="2" | |- | colspan="2" |'''[[京浜急行バス]]''' |- | rowspan="2" |'''小湊鐵道''' |高62系統 |渋谷マークシティ - MOP木更津 |<ref name=":4" group="注釈">毎日1往復のみ</ref> |- |高72系統 | rowspan="2" |亀有駅・新小岩駅 - MOP木更津 | rowspan="2" |一之江駅、葛西駅 |<ref group="注釈">小湊鐵道の運行区間は「新小岩 - MOP木更津」で、亀有駅は経由しない。</ref> |- | colspan="2" |'''[[京成バス]]''' |<ref group="注釈">京成バスの運行区間は「亀有駅・新小岩駅 - MOP木更津」</ref> |- |'''小湊鐵道''' |ア01系統 | rowspan="2" |川崎駅東口 - MOP木更津 | rowspan="7" | | rowspan="2" |<ref name=":5" group="注釈">2社合計で毎日2往復</ref> |- | colspan="2" |'''[[川崎鶴見臨港バス]]''' |- |'''小湊鐵道''' |ア02系統 | rowspan="2" |横浜駅東口 - MOP木更津 | rowspan="2" |<ref name=":5" group="注釈" /> |- | colspan="2" |'''京浜急行バス''' |- | rowspan="2" |'''小湊鐵道''' |ア04系統 |品川駅東口 - MOP木更津 |<ref name=":4" group="注釈" /> |- |ア05系統 | rowspan="2" |新宿駅西口 - MOP木更津 | rowspan="2" | |- | colspan="2" |'''[[小田急バス]]''' |} ==== 一般路線バス ==== 町丁内の停留所を通過するバスは以下のとおりである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kominato-bus.com/route/map/kisaradu.pdf |title=木更津中心部エリア路線図 |access-date=2023-09-01 |publisher=小湊鐵道}}</ref><ref group="注釈" name=":2">「BT」は「バスターミナル」のこと。</ref><ref group="注釈" name=":3">「MOP木更津」は「三井アウトレットパーク木更津バスターミナルA」</ref>。 {| class="wikitable" |- !運行会社 !系統 !運行区間 !経由 !備考 |- | rowspan="10" |'''[[小湊鐵道]]''' |木40系統 |木更津駅西口 - MOP木更津 |金田中学校、キサラピア | |- |木41系統 |木更津駅西口 - MOP木更津 |金田中学校、中島郵便局 |<ref name=":0" group="注釈">木41系統と木45系統は同区間運行</ref> |- |木42系統 |巌根駅 - MOP木更津 |金田中学校、キサラピア | |- |木43系統 |袖ケ浦駅北口 - MOP木更津 |大袖橋、金田中島東 |<ref name=":1" group="注釈">木43系統と木46系統は同区間運行</ref> |- |木44系統 |木更津駅西口 - MOP木更津 |巌根駅、高柳、小櫃橋、金田中島東 | |- |木45系統 |木更津駅西口 - MOP木更津 |金田中学校、中島郵便局 |<ref name=":0" group="注釈" /> |- |木46系統 |袖ケ浦駅北口 - MOP木更津 |金田中島東 |<ref name=":1" group="注釈" /> |- |木47系統 |木更津金田BT - 袖ケ浦BT |中島郵便局、MOP木更津 | rowspan="3" | |- |木52系統 |木更津駅西口 - 袖ケ浦駅北口 |金田中学校、キサラピア、MOP木更津、金田中島東 |- |木53系統 |木更津駅西口 - 袖ケ浦駅北口駅北口 |コストコ木更津、木更津金田BT、MOP木更津、金田中島東 |} === 道路 === ==== 高速道路 ==== 町丁内に高速道路は通っていない。最寄りの高速道路とインターチェンジは[[東京湾横断道路]]の[[木更津金田インターチェンジ]]である。 ==== 国道 ==== 町丁内に国道は通っていない。 ==== 県道 ==== * [[千葉県道87号袖ケ浦中島木更津線]] ==== 主要市道 ==== 特になし == 脚注 == === 注釈 === <references group="注釈" responsive="" /> === 出典 === <references responsive="" /> == 関連項目 == * [[金田|金田 (曖昧さ回避)]] [[Category:木更津市の町・字]] {{木更津市の大字}} {{DEFAULTSORT:かねたひかし}}
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仲村美緒
仲村 美緒(なかむら みお、1966年8月4日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター、ジャズシンガー。東京都出身。 芸名を仲村澪、AZU、風間美緒と変遷。 東京都荒川区で生まれ、東京都[[狛江市]で育ち、狛江第6小学校、狛江第2中学校、東京都立狛江高等学校を卒業。玉川大学文学部芸術学科演劇専攻を3年で中退。 大学在学中に劇団プロジェクトMの旗揚げに参加。 81プロデュース、オフィスワット、メセナスなどへの所属を経てフリー。
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仲村 美緒は、日本の俳優、声優、ナレーター、ジャズシンガー。東京都出身。 芸名を仲村澪、AZU、風間美緒と変遷。
{{ActorActress | 芸名 = 仲村 美緒 | ふりがな = なかむら みお | 画像ファイル = | 画像サイズ = 120px | 画像コメント = | 本名 = 風間 美緒 | 別名義 = AZU<br />仲村 澪<br />風間 美緒 | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]][[荒川区]] | 死没地 = | 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> | 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 1966 | 生月 = 8 | 生日 = 4 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = 俳優、声優、ジャズシンガー | ジャンル = | 活動期間 = 1985年 - | 活動内容 = 舞台、声優 ほか | 配偶者 = | 著名な家族 = 父:[[仲村秀生]](声優)<br />伯母:[[日本のアナウンサー一覧|麻生アヤ]](フリーアナウンサー・[[テレビせとうち]]元アナウンス部長) | 所属劇団 = | 事務所 = | 公式サイト = https://kokoro-iyasuwa.jimdosite.com/ | 主な作品 = <!-- 誰もが認める代表作品を記述 --> | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''仲村 美緒'''(なかむら みお、1966年8月4日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター、ジャズシンガー。東京都出身。 芸名を仲村澪、AZU、風間美緒と変遷。 == 略歴 == 東京都[[荒川区]]で生まれ、東京都[[狛江市]]で育ち、狛江第6小学校、狛江第2中学校、[[東京都立狛江高等学校]]を卒業。[[玉川大学]]文学部芸術学科演劇専攻を3年で中退。 大学在学中に劇団プロジェクトMの旗揚げに参加。 [[81プロデュース]]、[[オフィス・ワット|オフィスワット]]、メセナスなどへの所属を経てフリー。 == 出演 == === 演劇 === * 『黄昏時の伝説』於:[[アートシアター新宿]] * 『真昼の決闘』於:[[大塚ジェルスホール]] * 『M版・真夏の夜の夢』於:大塚ジェルスホール * 『明け方の貴方Ⅱストリッパー物語』(つかこうへい作)於:大塚ジェルスホール * 『日本風雲録』於:大塚ジェルスホール『M版・ふしぎの国のアリス』於:[[下北沢駅前劇場]] * 『ストリッパー物語’89』(再演)於:[[シアターグリーン|池袋シアターグリーン]] * 劇団銀河計画を設立『蒲田に原爆を落とす日』於:シアターモリエール(作・プロデュース・主演) * 『1の1の6』(劇団300さんじゅうまる公演)於:[[ベニサンピット]] * 『帰郷~街で暮らす人のために』(プロフジェクトMのに客演)於:[[文芸座ル・ピリエ]] * 『ヒロシマ・レクイエム~音楽と映像と朗読による構成詩』(共演:仲村秀生、麻生美代子、池田昌子、石丸博也)於:[[北沢タウンホール|下北沢タウンホール]] * 『琥珀の夢』(プレイヤーズチーム輝公演 故・土屋統吾郎演出)於:[[シアターサンモール]] * 『キャバレー・私たち夢売ってます』(以下オフィスプロジェクトM)於:[[タイニイアリス|タイニイ・アリス]]『私が住んでいる町』於:[[ポケットスクエア|ザ・ポケット]] * 『おもしろい宝島』於:タイニイ・アリス * 『キャバレー’99私たち夢売ってます』於:ザ・ポケット === 書籍・雑誌インタビュー === * [[テアトロ]] 89年4月号 * [[NIPPONアイドル探偵団|NIPPONアイドル探偵団’91]]・小劇場のアイドル === TV === *[[11PM]] * [[火曜サスペンス劇場の放映作品一覧 (放送日順)|火曜サスペンス劇場]]『[http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-22332 暗闇からの愛]』 * アニマムンディ *[[中居正広の金曜日のスマイルたちへ]] === アテレコ・アニメ === *『[[黄昏のチャイナタウン]]』リンダ *『[[刑事コロンボ]]』『新刑事コロンボ』 *『[[それいけ!アンパンマン|それいけアンパンマン]]』#184カレールー#209#262ランラン *『[[らんま1/2の登場人物|らんま1/2]]』 *『[[おにいさまへ…|おにいさまへ]]』 *『[[フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ|フランダースの犬]]』 *『[[風人物語]]』保険医柊子先生 * 『[[ドクター (映画)|ドクター]]』 * 『神鳥伝説』 * 『[[ザ・シークレット・ハンター|ザ・シークレットハンター]]』 * 『[[ドクタークイン 大西部の女医物語|ドクター・クイン]]』 * 『ピッツバーグ警察日記』 * 『[[プロジェクトS]]』 * 『[[バック・ビート]]』 * 『愛の果てに』 * 『名犬ファング』 * 『[[ベイウォッチ]]』 * 『[[バイオグラフィー・レナードニモイ]]』 === ナレーション・声の出演 === *ベネッセスタードーム *JTB *ヤクルトきになる野菜 *エアーニッポン *食物の歴史 *シーク・イシバシ *白泉社月刊MOE *千歳空港ガイド *ペントハウスインフォメーション *日本の祭り百科 *少年工科学校 *教育出版教材・アレキサンダとゼンマイネズミ(朗読) *キューピー・ヴェルデつぶコーンスープ *NHK・真夜中の王国 *MX・東京ファイル23 *HONDA *男女共同参画社会 *防犯協会・ココロのトビラ *パンクリエストニック *キングジム・テプラ *ユニーアピタ *TBSチャンネル番組スポット *NHK-BS告知 *中国モンゴル緑化支援事業 *正進社中学道徳 * NHK・誰が地球を守るのか * NHK・WHO’S MADONNA * 三菱自動車キャンターエコハイブリッド *スカパー・[[旅チャンネル]]~地元の人が教える二泊三日の旅 *市川團十郎プロデュース[[源氏物語千年紀|『源氏物語千年紀]]~京都・上賀茂に水の源流を求めて』 === ゲーム === *[[謎王]] *DS9 *ザ・シェフ === VP・イメージビデオ出演 === * 三菱自動車教育用 * 興研イメージビデオ * 日立ゴミ処理機 * [[寒川神社]] * JA共済 * 看護教育ビデオ * ディズニーシー・オリエンタルランド === ジャズボーカル === * 都内ライブハウス、クラブ、銀座サンクなど * 那覇『ライブイン天妃』15周年祭ライブ * 株式会社琉薬創業60周年記念パーティー * 他ライブ出演多数 == 外部リンク == * [https://ameblo.jp/kazamamio/ AZU WORLD] * [https://kokoro-iyasuwa.jimdosite.com/ トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]公式サイト] {{DEFAULTSORT:なかむら みお}} [[Category:21世紀日本の俳優]] [[Category:日本の舞台女優]] [[Category:日本の女性声優]] [[Category:日本の女性ジャズ歌手]] [[Category:過去の81プロデュース所属者]]
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1956年メルボルンオリンピックの体操競技・男子鉄棒
1956年メルボルンオリンピックの体操競技・男子鉄棒(1956年メルボルンオリンピックのたいそうきょうぎ・だんしてつぼう)は、1956年メルボルンオリンピックの体操競技で行われた男子8種目のうちの1つである。18の国から63人が出場し(1952年の185人から激減した)、団体に参加する国は最大6人が出場し、他の国は最大3人の選手が出場できた。日本の小野喬が金メダルを獲得し、竹本正男が銅メダルを獲得した。ソビエト連邦(ソ連)のユーリ・チトフ(英語版)が銀メダルを獲得した。日本とソ連は鉄棒で初めてのメダルを獲得した。また、小野の金メダルは日本の体操競技として初めてのものでもあった。 オリンピックでこの種目が行われるのは9回目である。この種目は、器具を用いる種目が行われなかった1900年パリオリンピック、1908年ロンドンオリンピック、1912年ストックホルムオリンピック、1920年アントワープオリンピックを除くオリンピックにおいては行われている。1952年の前大会でこの種目に出場していた10人の選手のうち、4人が本大会においても出場した。4人は5位であったソ連のViktor Chukarin、7位であったドイツのヘルムート・バンツ(英語版)、9位であったフィンランドのBerndt Lindfors、ソ連のワレンチン・ムラトフである。ムラトフは1954年の世界選手権で優勝しており、そのときはバンツとソ連のボリス・シャハリンが2位であった。 オーストラリアとカナダがこの種目に初出場し、東ドイツと西ドイツが初めて東西統一ドイツとして出場した。アメリカは最多の8回目の出場であった(1896年のみ出場していない)。 時間はオーストラリア東部標準時 (UTC+10)
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1956年メルボルンオリンピックの体操競技・男子鉄棒(1956年メルボルンオリンピックのたいそうきょうぎ・だんしてつぼう)は、1956年メルボルンオリンピックの体操競技で行われた男子8種目のうちの1つである。18の国から63人が出場し(1952年の185人から激減した)、団体に参加する国は最大6人が出場し、他の国は最大3人の選手が出場できた。日本の小野喬が金メダルを獲得し、竹本正男が銅メダルを獲得した。ソビエト連邦(ソ連)のユーリ・チトフが銀メダルを獲得した。日本とソ連は鉄棒で初めてのメダルを獲得した。また、小野の金メダルは日本の体操競技として初めてのものでもあった。
{{Pathnav|1956年メルボルンオリンピックの体操競技}} {{Infobox Olympic event |event = 男子鉄棒 |games = 1956夏季 |image = [[File:Yuri Titov, Takashi Ono, Masao Takemoto 1956.jpg|300px]] |caption = 表彰式。左からチトフ、小野、竹本 |venue = [[:en:Festival Hall (Melbourne)|Festival Hall]] |dates = 12月3–7日 |competitors = 63 |nations = 18 |win_value = 19.60 |win_label = 優勝スコア |longnames = yes |gold = [[小野喬]] |goldNOC = JPN |silver = {{仮リンク|ユーリ・チトフ|en|Yuri Titov}} |silverNOC = URS |bronze = [[竹本正男]] |bronzeNOC = JPN |prev = [[1952年ヘルシンキオリンピックの体操競技・男子鉄棒|1952]] |next = [[1960年ローマオリンピックの体操競技・男子鉄棒|1960]]}} '''1956年メルボルンオリンピックの体操競技・男子鉄棒'''(1956年メルボルンオリンピックのたいそうきょうぎ・だんしてつぼう)は、[[1956年メルボルンオリンピックの体操競技]]で行われた男子8種目のうちの1つである。18の国から63人が出場し(1952年の185人から激減した)、団体に参加する国は最大6人が出場し、他の国は最大3人の選手が出場できた<ref name=Olympedia/>。日本の[[小野喬]]が金メダルを獲得し、[[竹本正男]]が銅メダルを獲得した。[[ソビエト連邦]](ソ連)の{{仮リンク|ユーリ・チトフ|en|Yuri Titov}}が銀メダルを獲得した。日本とソ連は鉄棒で初めてのメダルを獲得した。また、小野の金メダルは日本の体操競技として初めてのものでもあった。 ==背景== オリンピックでこの種目が行われるのは9回目である。この種目は、器具を用いる種目が行われなかった[[1900年パリオリンピック]]、[[1908年ロンドンオリンピック]]、[[1912年ストックホルムオリンピック]]、[[1920年アントワープオリンピック]]を除くオリンピックにおいては行われている。1952年の前大会でこの種目に出場していた10人の選手のうち、4人が本大会においても出場した。4人は5位であったソ連の[[Viktor Chukarin]]、7位であった[[ドイツ]]の{{仮リンク|ヘルムート・バンツ|en|Helmut Bantz}}、9位であったフィンランドの[[:en:Berndt Lindfors|Berndt Lindfors]]、ソ連の[[ワレンチン・ムラトフ]]である。ムラトフは1954年の世界選手権で優勝しており、そのときはバンツとソ連の[[ボリス・シャハリン]]が2位であった<ref name=Olympedia>{{cite web |url=https://www.olympedia.org/results/70193 |work=Olympedia |title=Horizontal Bar, Men |access-date=9 December 2020}}</ref>。 [[オーストラリア]]と[[カナダ]]がこの種目に初出場し、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]と[[西ドイツ]]が初めて[[オリンピックの東西統一ドイツ選手団|東西統一ドイツ]]として出場した。アメリカは最多の8回目の出場であった(1896年のみ出場していない)。 ==日程== <small>時間は[[オーストラリア時間|オーストラリア東部標準時]] ([[UTC+10]])</small> {| class="wikitable" ! 日 ! 時間 ! ラウンド |- style=background:lemonchiffon | 1956年12月3日 - 7日 || '''8:00''' || '''決勝''' |} ==結果== {| class="wikitable sortable" style="text-align:center" ! 順位 !! 選手 !! 国 !! 規定種目 !! 自由種目 !! 合計 |- | {{gold01}} ||align=left| [[小野喬]] ||align=left| {{flagIOC|JPN|1956夏季}} || 9.75 || 9.85 || '''19.60''' |- | {{silver02}} ||align=left| {{仮リンク|ユーリ・チトフ|en|Yuri Titov}} ||align=left| {{flagIOC|URS|1956夏季}} || 9.70 || 9.70 || '''19.40''' |- | {{bronze03}} ||align=left| [[竹本正男]] ||align=left| {{flagIOC|JPN|1956夏季}} || 9.70 || 9.60 || '''19.30''' |- |rowspan=2| 4 ||align=left| {{仮リンク|ビクトル・チュカリン|en|Viktor Chukarin}} ||align=left| {{flagIOC|URS|1956夏季}} || 9.55 || 9.70 || '''19.25''' |- |align=left| {{仮リンク|パーヴェル・ストルボフ|en|Pavel Stolbov}} ||align=left| {{flagIOC|URS|1956夏季}} || 9.55 || 9.70 || '''19.25''' |- | 6 ||align=left| {{仮リンク|ヘルムート・バンツ|en|Helmut Bantz}} ||align=left| {{flagIOC|EUA|1956夏季}} || 9.50 || 9.65 || '''19.15''' |- | 7 ||align=left| {{仮リンク|ジャック・ベックナー|en|Jack Beckner}} ||align=left| {{flagIOC|USA|1956夏季}} || 9.40 || 9.60 || '''19.00''' |- | 8 ||align=left| {{仮リンク|アリベルト・アザリャン|en|Albert Azaryan}} ||align=left| {{flagIOC|URS|1956夏季}} || 9.40 || 9.55 || '''18.95''' |- | 9 ||align=left| 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ここがロドスだ、ここで跳べ
「ここがロドスだ、ここで跳べ」(ここがロドスだ、ここでとべ。ラテン語: Hic Rhodus, hic salta)は、イソップ寓話にもとづくラテン語の成句。 ペリー・インデックス33番の寓話(中務哲郎訳の題は「法螺吹」)はこのような話である。ある五種競技の選手が外国旅行から帰り、海外での自分の成績のほら話をした。特にロドス島で大変な跳躍の記録を出し、ロドスへ出かけて聞いてみればそれが本当であることがわかると言った。しかし聞いていた人のひとりは「実際にそんな力があるのなら、ロドスへ出かけるまでもない。ここをロドスとして跳んでみろ」と言った。教訓は「事実による証明が手近にある時は、言葉は要らない」であり、「論より証拠」に近い。 エラスムス『古典名句集』ではわずかに異なる「Hic Rhodus, hic saltus.」の形で載せられている。 特に有名な使用例はヘーゲル『法の哲学』(1821年初版)の序文だが、ここではイソップ寓話の意味も、その教訓も本来のイソップ寓話からかけ離れている。 ヘーゲルによると哲学は「現在的かつ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうち立てることではない」とし、「哲学が現実の世界を越え出ると思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外に出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである」と述べた後にギリシア語とラテン語でこの成句を引用している。 さらにヘーゲルはこの成句を「ここが薔薇だ、ここで踊れ」(Hier ist die Rose, hier tanze)とも言いかえている。これはギリシア語のロドス(Ῥόδος)と薔薇を意味するロドン(ῥόδον)の駄洒落、およびラテン語のsaltoに「跳ねる」と「踊る」の2つの意味があることに由来する。ヘーゲルは十字架を苦しみ、薔薇を喜びのしるしとして使用し、理性という薔薇によって現実と和解することを意味する。 マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年初版)の第1章で、プロレタリア革命は現在のところうまくいかないように見えるが、いずれ引き返せなくなる状況が生まれ、諸関係が「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と叫ぶことになると言っている。マルクスは本来の成句のほかにヘーゲルによって「ロドス・跳べ」が「薔薇・踊れ」に変更されたバージョンも引いており、ヘーゲルを踏まえていることが明らかである。
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「ここがロドスだ、ここで跳べ」は、イソップ寓話にもとづくラテン語の成句。
{{Otheruses||[[AKB48]]のアルバム|ここがロドスだ、ここで跳べ!}} 「'''ここがロドスだ、ここで跳べ'''」(ここがロドスだ、ここでとべ。{{lang-la|Hic Rhodus, hic salta}})は、[[イソップ寓話]]にもとづく[[ラテン語]]の成句。 == 概要 == [[ペリー・インデックス]]33番の寓話([[中務哲郎]]訳の題は「法螺吹」)はこのような話である。ある[[五種競技]]の選手が外国旅行から帰り、海外での自分の成績のほら話をした。特に[[ロドス島]]で大変な跳躍の記録を出し、ロドスへ出かけて聞いてみればそれが本当であることがわかると言った。しかし聞いていた人のひとりは「実際にそんな力があるのなら、ロドスへ出かけるまでもない。ここをロドスとして跳んでみろ」と言った{{sfn|中務|1999|pp=46-47}}。教訓は「事実による証明が手近にある時は、言葉は要らない」{{sfn|中務|1999|pp=46-47}}であり、「論より証拠」に近い。 [[デジデリウス・エラスムス|エラスムス]]『古典名句集』ではわずかに異なる「{{lang|la|Hic Rhodus, hic saltus.}}」の形で載せられている<ref>{{cite book|last=Erasmus|first=Desiderius|authorlink=デジデリウス・エラスムス|first2=Paulus|last2=Manutius|authorlink2=パウルス・マヌティウス|url=https://archive.org/details/ARes05501/page/n725/mode/2up|chapter=Hic rhodus, hic saltus.|title=Adagia|year=1578|location=Venetia|publisher=Hieronymus Polus|page=1191}}</ref>。 == 使用 == 特に有名な使用例は[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]『[[法の哲学]]』(1821年初版)の序文だが、ここではイソップ寓話の意味も、その教訓も本来のイソップ寓話からかけ離れている。 ヘーゲルによると哲学は「現在的かつ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうち立てることではない{{sfn|藤野訳|2001|p=23}}」とし、「哲学が現実の世界を越え出ると思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外に出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである」{{sfn|藤野訳|2001|p=27}}と述べた後にギリシア語とラテン語でこの成句を引用している。 さらにヘーゲルはこの成句を「ここが薔薇だ、ここで踊れ」({{de|Hier ist die Rose, hier tanze}})とも言いかえている{{sfn|藤野訳|2001|p=28}}。これはギリシア語のロドス([[wikt:en:Ῥόδος|{{lang|grc|Ῥόδος}}]])と薔薇を意味するロドン([[wikt:en:ῥόδον|{{lang|grc|ῥόδον}}]])の駄洒落、およびラテン語の[[wikt:en:salto#Latin|salto]]に「跳ねる」と「踊る」の2つの意味があることに由来する{{sfn|植村訳|2008|p=205注14}}。ヘーゲルは十字架を苦しみ、薔薇を喜びのしるしとして使用し、理性という薔薇によって現実と和解することを意味する<ref>上の文につけられた藤野の注45による。</ref>。 [[カール・マルクス|マルクス]]は『[[ルイ・ボナパルトのブリュメール18日]]』(1852年初版)の第1章で、[[プロレタリア革命]]は現在のところうまくいかないように見えるが、いずれ引き返せなくなる状況が生まれ、諸関係が「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と叫ぶことになると言っている{{sfn|植村訳|2008|p=22}}。マルクスは本来の成句のほかにヘーゲルによって「ロドス・跳べ」が「薔薇・踊れ」に変更されたバージョンも引いており、ヘーゲルを踏まえていることが明らかである。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{cite book|和書|author=ヘーゲル|authorlink=ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|title=法の哲学 1|year=2001|origyear=1967|translator=[[藤野渉]]・赤沢正敏|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公クラシックス]]|isbn=4121600185|ref={{sfnref|藤野訳|2001}}}} * {{cite book|和書|author=カール・マルクス|authorlink=カール・マルクス|title=ルイ・ボナパルトのブリュメール18日 &#x5b;初版&#x5d;|year=2008|origyear=1996|translator=[[植村邦彦]]|series=[[平凡社ライブラリー]]|publisher=[[平凡社]]|isbn=9784582766493|ref={{sfnref|植村訳|2008}}}} * {{cite book|和書|translator=[[中務哲郎]]|title=イソップ寓話集|year=1999|publisher=[[岩波文庫]]|isbn=400321031X|ref={{sfnref|中務|1999}}}} {{イソップ寓話}} {{DEFAULTSORT:ここかろとすた ここてとへ}} [[Category:イソップ寓話]] [[Category:陸上競技を題材とした作品]] [[Category:ラテン語の成句]]
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板野正輝
板野 正輝(いたの まさき)は、日本の俳優、声優、ナレーター。
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板野 正輝は、日本の俳優、声優、ナレーター。
{{複数の問題 |特筆性=2023年9月8日 (金) 16:09 (UTC)|分野=人物 |存命人物の出典皆無=2023年9月8日 (金) 16:09 (UTC) }} {{声優|ふりがな=いたのまさき|名前=板野正輝|出身地=東京都|職業=俳優、声優、ナレーター|所属=フリー}} '''板野 正輝'''(いたの まさき)は、[[日本]]の俳優、声優、ナレーター。 == 出演 == === 配信ドラマ  === * さらば、銃よ 警視庁特別銃装班(2023年、Lemino) - 六甲照也 役 === 映画 === * [[アクトレス・モンタージュ]] === ドラマCD === * 僕のおまわりさん3 === 吹き替え === * [[フロッグ (映画)|フロッグ]](アレック役) * [[アニー・イン・ザ・ターミナル]] (イリング役) * [[ローン・レンジャー (2013年の映画)|ローン・レンジャー]](スキニー役) * 瞳の奥に * [[ちいさなプリンセス ソフィア]] * [[カンフー・パンダシリーズ]] * パシフィック・リム: 暗黒の大陸 == 外部リンク == * {{Twitter|itako120|板野正輝}} * {{Instagram|itako120|板野正輝}} {{DEFAULTSORT:いたの まさき}} [[Category:日本の男性声優]] [[Category:日本の男優]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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慣性半径
慣性半径(かんせいはんけい、en:Radius of gyration)とは、ある回転軸回りの物体の、ある1点にその物体の全ての質量を集めても、その物体の元の質量分布での慣性モーメントと変わらない、点と回転軸との距離として定義される半径。 数学的には、慣性半径は物体の各微小領域の、回転軸ないしは重心との距離に対する二乗平均平方根距離となる。点質量と回転軸との垂直距離と考えてもよい。また、動く点の軌跡を物体として捉える事もでき、その場合にはその点がどのくらい移動したかを表現する代表的な指標として利用することも出来る。 n個の粒子からなる物体を考える。それぞれの粒子の質量を m {\displaystyle m} 、ある回転軸からの垂直距離を r 1 , r 2 , r 3 , ... , r n {\displaystyle r_{1},r_{2},r_{3},\dots ,r_{n}} とする。その時、その物体のある回転軸に対する慣性モーメント I {\displaystyle I} は以下のように表せる。 ここで全ての粒子の質量が</math>m</math>で等しいとすると、慣性モーメントは I = m ( r 1 2 + r 2 2 + ⋯ + r n 2 ) {\displaystyle I=m(r_{1}^{2}+r_{2}^{2}+\cdots +r_{n}^{2})} として表すことが出来る。 その物体の総質量を M {\displaystyle M} とすると、 m = M / n {\displaystyle m=M/n} となるから、以下のように変形できる。 慣性半径を R g 2 {\displaystyle R_{\mathrm {g} }^{2}} とすると、慣性半径の定義から上の式を変形して以下の式を得る。 これを以下のように変形すると、慣性半径が各質点の二乗平均平方根距離であることを導ける。 ( s {\displaystyle s} , 単位 : nm ないしは m): n個の質点からなる高分子において、各質点の質量を m i {\displaystyle m_{i}} , i {\displaystyle i} =1,2,..., n {\displaystyle n} とする。それらが重心から距離 s i {\displaystyle s_{i}} だけ離れている時、慣性半径は全ての質点について s i 2 {\displaystyle s_{i}^{2}} を質量平均した値の平方根となる。すなわち、 構造工学における応用は断面回転半径を参照。 機械工学における応用は断面回転半径を参照。 高分子科学においては慣性半径は高分子鎖の空間的な大きさを表現するのに使われる。 ある単一の重合度Nのホモポリマーのある時刻での慣性半径は以下のように定義される。 ここで、 r m e a n {\displaystyle \mathbf {r} _{\mathrm {mean} }} はモノマー単位の平均座標である。 以下に示す通り、慣性半径は各モノマー間の距離の平均二乗距離に比例する長さとしても定義できる。 3つめの方法として、慣性半径は慣性モーメントテンソルの3つの主モーメントの和としても計算することが出来る。 高分子鎖のコンフォメーションは実質的にほぼ無数にあり、時々刻々と変化するため、高分子科学で議論される慣性半径はあるサンプルの全ての高分子の一定時間における平均ということになる。そのため、慣性半径は時間平均ないしはアンサンブルとして測定される。 ここで、 ⟨ ... ⟩ {\displaystyle \langle \ldots \rangle } はアンサンブル平均を表す。 エントロピーに支配されたポリマー鎖(シータ条件とも呼ばれる)は三次元のランダムウォークに従うと考えられている。その時の慣性半径は以下の式で与えられる。 ここで、 a N {\displaystyle aN} は経路長(contour長)であるが、実効的なセグメント長である a {\displaystyle a} はポリマー鎖のしなやかさによって数桁変化する事が知られており、それに応じて N {\displaystyle N} も変化する。 慣性半径が重要な特性である理由の一つは、慣性半径が静的光散乱法や、小角中性子散乱や小角X線散乱などで実験的に測定出来ることがある。この事によって、高分子物理の理論家は彼らのモデルが実際と合致しているかどうかを確かめることが出来る。流体力学的半径は数値的に近い概念であり、動的光散乱法で実験的に測定することが出来る。 高分子科学における慣性半径 R g 2 {\displaystyle R_{\mathrm {g} }^{2}} の2つの定義が一致する事を示すために、まず最初の定義の内部の積を書き下す事から始める。 r m e a n {\displaystyle \mathbf {r} _{\mathrm {mean} }} の定義を利用して、和の計算を実行すると以下の式となる。 一方、2つ目の定義の積を同じように計算すると、以下のように計算できる。 最後の変形は、i,jについてそれぞれ和を展開することで以下のように変形できる事を利用した。こうして、2つ目の定義と1つ目の定義が一致することが示せた。 データ分析において慣性半径は地理的な広がりを含む多数の異なる統計を計算するために利用されている。地理的な場所はソーシャルメディアのユーザーから収集され、典型的に彼らがどのユーザーについて言及するかを調査するのに利用されている。この指標はソーシャルメディアでのあるユーザー集団がどのようにプラットフォームを使うかを理解するのに有益になりうる。
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慣性半径とは、ある回転軸回りの物体の、ある1点にその物体の全ての質量を集めても、その物体の元の質量分布での慣性モーメントと変わらない、点と回転軸との距離として定義される半径。
'''慣性半径'''(かんせいはんけい、[[:en:Radius of gyration]])とは、ある[[回転軸]]回りの物体の、ある1点にその物体の全ての質量を集めても、その物体の元の質量分布での[[慣性モーメント]]と変わらない、点と回転軸との距離として定義される[[半径]]。 ==数学的表現== 数学的には、慣性半径は物体の各微小領域の、回転軸ないしは重心<ref>回転軸との距離を取ることが一般的だが、一部の応用領域では重心との距離として取る場合がある。</ref>との距離に対する[[二乗平均平方根]]距離となる。点質量と回転軸との垂直距離と考えてもよい。また、動く点の軌跡を物体として捉える事もでき、その場合にはその点がどのくらい移動したかを表現する代表的な指標として利用することも出来る。 n個の粒子からなる物体を考える。それぞれの粒子の質量を<math>m</math>、ある回転軸からの垂直距離を<math>r_1, r_2, r_3, \dots , r_n</math>とする。その時、その物体のある回転軸に対する慣性モーメント<math>I</math>は以下のように表せる。 :<math>I = m_1 r_1^2 + m_2 r_2^2 + \cdots + m_n r_n^2</math> : ここで全ての粒子の質量が<math>m</math>で等しいとすると、慣性モーメントは<math>I=m(r_1^2+r_2^2+\cdots+r_n^2)</math>として表すことが出来る。 その物体の総質量を<math>M</math>とすると、<math>m = M/n</math>となるから、以下のように変形できる。 :<math>I=M(r_1^2+r_2^2+\cdots+r_n^2)/n</math> 慣性半径を<math>R_{\mathrm{g}}^2</math>とすると、慣性半径の定義から上の式を変形して以下の式を得る。 :<math>MR_{\mathrm{g}}^2=M(r_1^2+r_2^2+\cdots+r_n^2)/n</math> : これを以下のように変形すると、慣性半径が各質点の二乗平均平方根距離であることを導ける。 :<math>R_{\mathrm{g}}^2=(r_1^2+r_2^2+\cdots+r_n^2)/n</math> : {{Quote box | title = [[International Union of Pure and Applied Physics|IUPAP]] での定義 | quote = 高分子科学における'''慣性半径''' (<math>s</math>, 単位 : nm ないしは m): n個の質点からなる高分子において、各質点の質量を<math>m_i</math>, <math>i</math>=1,2,…,<math>n</math>とする。それらが重心から距離<math>s_i</math>だけ離れている時、慣性半径は全ての質点について<math>s_i^2</math>を質量平均した値の平方根となる。すなわち、 :<math> s=\left(\sum_{i=1}^{n} m_i s_i^2 / \sum_{i=1}^{n} m_i \right)^{1/2} </math> Note: 各質点は高分子を構成する骨格ごとに計算するのが一般的である。例えば、ポリメチレンでは–CH<sub>2</sub>–を単位として計算する。<ref>{{cite journal |author1=Stepto, R. |author2=Chang, T. |author3=Kratochvíl, P. |author4=Hess, M. |author5=Horie, K. |author6=Sato, T. |author7=Vohlídal, J. |title=Definitions of terms relating to individual macromolecules, macromolecular assemblies, polymer solutions, and amorphous bulk polymers (IUPAC Recommendations 2014). |journal=Pure Appl Chem |date=2015 |volume=87 |issue=1 |page=71 |doi=10.1515/pac-2013-0201 |url=https://www.degruyter.com/downloadpdf/j/pac.2015.87.issue-1/pac-2013-0201/pac-2013-0201.pdf}}</ref> | align = right | width = 30% }} ==構造工学での応用== [[構造工学]]における応用は[[断面回転半径]]を参照。 ==機械工学での応用== [[機械工学]]における応用は[[断面回転半径]]を参照。 ==分子での応用== [[高分子物理学|高分子科学]]においては慣性半径は[[高分子]][[理想鎖|鎖]]の空間的な大きさを表現するのに使われる。 ある単一の重合度Nのホモポリマーのある時刻での慣性半径は以下のように定義される。<ref>{{Cite journal|last=Fixman|first=Marshall|date=1962|title=Radius of Gyration of Polymer Chains|journal=The Journal of Chemical Physics|volume=36|issue=2|pages=306–310|doi=10.1063/1.1732501|bibcode=1962JChPh..36..306F}}</ref> :<math> R_\mathrm{g}^2 \ \stackrel{\mathrm{def}}{=}\ \frac{1}{N} \sum_{k=1}^{N} \left|\mathbf{r}_k - \mathbf{r}_\mathrm{mean} \right|^2 </math> ここで、<math>\mathbf{r}_\mathrm{mean}</math>はモノマー単位の[[平均]]座標である。 以下に示す通り、慣性半径は各モノマー間の距離の平均二乗距離に比例する長さとしても定義できる。 :<math> R_\mathrm{g}^2 \ \stackrel{\mathrm{def}}{=}\ \frac{1}{2N^2} \sum_{i,j} \left| \mathbf{r}_i - \mathbf{r}_j \right|^2 </math> 3つめの方法として、慣性半径は慣性モーメントテンソルの3つの主モーメントの和としても計算することが出来る。 高分子鎖の[[コンフォメーション]]は実質的にほぼ無数にあり、時々刻々と変化するため、高分子科学で議論される慣性半径はあるサンプルの全ての高分子の一定時間における平均ということになる。そのため、慣性半径は時間平均ないしは[[統計集団|アンサンブル]]として測定される。 :<math> R_{\mathrm{g}}^2 \ \stackrel{\mathrm{def}}{=}\ \frac{1}{N} \left\langle \sum_{k=1}^{N} \left| \mathbf{r}_k - \mathbf{r}_\mathrm{mean} \right|^2 \right\rangle </math> ここで、<math>\langle \ldots \rangle</math>は[[統計集団|アンサンブル平均]]を表す。 エントロピーに支配されたポリマー鎖(シータ条件とも呼ばれる)は三次元のランダムウォークに従うと考えられている。その時の慣性半径は以下の式で与えられる。 :<math>R_\mathrm{g} = \frac{1}{\sqrt{6}\ } \ \sqrt{N}\ a</math> ここで、<math>aN</math>は経路長(contour長)であるが、実効的なセグメント長である<math>a</math>はポリマー鎖のしなやかさによって数桁変化する事が知られており、それに応じて<math>N</math>も変化する。 慣性半径が重要な特性である理由の一つは、慣性半径が静的光散乱法や、[[中性子散乱|小角中性子散乱]]や[[X線小角散乱|小角X線散乱]]などで実験的に測定出来ることがある。この事によって、高分子物理の理論家は彼らのモデルが実際と合致しているかどうかを確かめることが出来る。流体力学的半径は数値的に近い概念であり、動的光散乱法で実験的に測定することが出来る。 ===2つの定義が一致する事の導出=== 高分子科学における慣性半径<math>R_{\mathrm{g}}^2</math>の2つの定義が一致する事を示すために、まず最初の定義の内部の積を書き下す事から始める。 :<math> R_{\mathrm{g}}^{2} \ \stackrel{\mathrm{def}}{=}\ \frac{1}{N} \sum_{k=1}^{N} \left( \mathbf{r}_{k} - \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \right)^{2} = \frac{1}{N} \sum_{k=1}^{N} \left[ \mathbf{r}_{k} \cdot \mathbf{r}_{k} + \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} - 2 \mathbf{r}_{k} \cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \right] </math> <math>\mathbf{r}_{\mathrm{mean}}</math>の定義を利用して、和の計算を実行すると以下の式となる。 :<math> R_{\mathrm{g}}^{2} \ \stackrel{\mathrm{def}}{=}\ -\mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} + \frac{1}{N} \sum_{k=1}^{N} \left( \mathbf{r}_{k} \cdot \mathbf{r}_{k} \right) </math> 一方、2つ目の定義の積を同じように計算すると、以下のように計算できる。 :<math> \begin{align} R_{\mathrm{g}}^{2} \ &\stackrel{\mathrm{def}}{=}\ \frac{1}{2N^2} \sum_{i,j} \left| \mathbf{r}_i - \mathbf{r}_j \right|^2 \\ &= \frac{1}{2N^2} \sum_{i,j} \left( \mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{i} - 2 \mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{j} + \mathbf{r}_{j} \cdot \mathbf{r}_{j} \right) \\ &= \frac{1}{2N^2} \left[ N \sum_{i} \left(\mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{I} \right) - 2 \sum_{i,j} \left(\mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{j} \right) + N \sum_{j} \left( \mathbf{r}_{j} \cdot \mathbf{r}_{j}\right) \right] \\ &= \frac{1}{N} \sum_{k}^{N} \left( \mathbf{r}_{k} \cdot \mathbf{r}_{k} \right)- \frac{1}{N^2} \sum_{i,j} \left(\mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{j} \right) \\ &= \frac{1}{N} \sum_{k}^{N} \left(\mathbf{r}_{k} \cdot \mathbf{r}_{k} \right)- \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \end{align} </math> 最後の変形は、i,jについてそれぞれ和を展開することで以下のように変形できる事を利用した。こうして、2つ目の定義と1つ目の定義が一致することが示せた。 :<math> \begin{align} \frac{1}{N^2}\sum_{i,j} \left(\mathbf{r}_{i} \cdot \mathbf{r}_{j} \right) &= \frac{1}{N^2} \sum_{i} \mathbf{r}_{i} \cdot \left( \sum_{j} \mathbf{r}_{j} \right) \\ &= \frac{1}{N} \sum_{i} \mathbf{r}_{i}\cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \\ &= \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \cdot \mathbf{r}_{\mathrm{mean}} \end{align} </math> ==地理的なデータ分析での応用== データ分析において慣性半径は地理的な広がりを含む多数の異なる統計を計算するために利用されている。地理的な場所はソーシャルメディアのユーザーから収集され、典型的に彼らがどのユーザーについて言及するかを調査するのに利用されている。この指標はソーシャルメディアでのあるユーザー集団がどのようにプラットフォームを使うかを理解するのに有益になりうる。 :<math> R_{\mathrm{g}} = \sqrt{\frac{\sum_{i=1}^{N}m_i(r_i-r_{C})^2}{\sum_{i=1}^{N}m_i}} </math> == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * Grosberg AY and Khokhlov AR. (1994) ''Statistical Physics of Macromolecules'' (translated by Atanov YA), AIP Press. {{ISBN|1-56396-071-0}} * Flory PJ. (1953) ''Principles of Polymer Chemistry'', Cornell University, pp.&nbsp;428–429 (Appendix C of Chapter X). {{数学}} {{DEFAULTSORT:かんせいはんけい}} [[Category:高分子化学]] [[Category:固体力学]] [[Category:応用力学]] [[Category:構造力学]] [[Category:応用物理学と学際物理学]]
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ワンナラット・ワッダーリマー
ワンナラット・ワッダーリマー(タイ語: วรรณรัตน์ วัฒดาลิมมา、英語: Wannarat Wattadalimma、1999年12月12日 - )は、’’’サニー’’’(タイ語: ซันนี่、英語: Sunny)という愛称で知られるタイの俳優。 2021年放送のテレビドラマ『Top Secret Together』で俳優としてデビューする。 2022年、チュラーロンコーン大学政治学部を卒業。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ワンナラット・ワッダーリマー(タイ語: วรรณรัตน์ วัฒดาลิมมา、英語: Wannarat Wattadalimma、1999年12月12日 - )は、’’’サニー’’’(タイ語: ซันนี่、英語: Sunny)という愛称で知られるタイの俳優。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2021年放送のテレビドラマ『Top Secret Together』で俳優としてデビューする。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2022年、チュラーロンコーン大学政治学部を卒業。", "title": "人物" } ]
ワンナラット・ワッダーリマーは、’’’サニー’’’という愛称で知られるタイの俳優。
{{ActorActress | 芸名 = Wannarat Wattadalimma | ふりがな = | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = วรรณรัตน์ วัฒดาลิมมา | 別名義 = | 出身地 = {{THA}} | 身長 = 186cm | 血液型 = | 生年 = 1999 | 生月 = 12 | 生日 = 12 | 職業 = [[俳優]] | 活動期間 = 2021–現在 | 事務所 = Me Mind Y | 主な作品 = サイロム役:''Wedding Plan'' }} '''ワンナラット・ワッダーリマー'''({{Lang-th|วรรณรัตน์ วัฒดาลิมมา}}、{{Lang-en|Wannarat Wattadalimma}}、1999年12月12日 - )は、’’’サニー’’’({{Lang-th|ซันนี่}}、{{Lang-en|Sunny}})という愛称で知られるタイの俳優。 == 人物 == 2021年放送のテレビドラマ『Top Secret Together』で俳優としてデビューする。 2022年、[[チュラーロンコーン大学]]政治学部を卒業<ref>{{Cite web|url=https://www.instagram.com/p/CjsNpV0rN5z/|title=投稿 |accessdate=2023-9-8|publisher=sunnywnrt|website=Instagram}}</ref>。 == フィルモグラフィー == ===テレビドラマ=== {| class="wikitable" |+ !年 !作品名 !役名 !役どころ |- ! rowspan=“1” scope="row" | 2021 |''Top Secret Together'' |MaiEak |主演 |- ! rowspan="2" scope="row" | 2023 |''Wedding Plan'' |サイロム |主演<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=FTI29qlruLg|title=OFFICIAL TRAILER l Wedding Plan The Series แผนการ (รัก) ร้ายของนายเจ้าบ่าว|accessdate=2023-9-8|publisher=MeMindY Official|website=YouTube}}</ref> |- |''Thank You Teacher'' |Nueng |助演 |- |} == ディスコグラフィー == {| class="wikitable sortable" |- ! 年 ! タイトル ! アーティスト ! 備考 |- ! rowspan="2" scope="row" | 2023 |You คู่ Me |Sunny Wannarat&Pak Naphat |「Wedding Plan」OST |- |คลั่งรัก (My one and only) |Sunny Wannarat |「Wedding Plan」OST |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|sunnywnrt}} * {{Instagram|sunnywnrt}} {{デフォルトソート:わんらなつと わつたりまあ}} [[Category:タイの男優]] [[Category:チュラーロンコーン大学出身の人物]] [[Category:1999年生]] [[Category:存命人物]]
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ノーマン・ジェイ
ノーマン・ジェイ(Norman Jay MBE、出生名:ノーマン・バーナード・ジョゼフ Norman Bernard Joseph、1957年11月6日 - )は、イギリスのクラブDJ、ラジオパーソナリティ、サウンド・システムDJ。彼は1980年代はじめに、免許を受けずに一連の「ウェアハウス」パーティーを開催したことで有名になり、さらに、当時は海賊放送だった Kiss FM に参加したことを通して広く知られるようになった。彼は「レア・グルーヴ」という表現を生み出した人物と広く認められている。 ジェイは、ロンドンのノッティング・ヒルで、西インド諸島系の両親のもとに生まれた。8歳のときに最初のギグを、知り合いの10歳の誕生日パーティーでおこなったが、この時はブルー・ビート(英語版)、スカ、ジャズといった父親のレコード・コレクションの影響を受けていた。やがて彼は、「ソウルフルなあらゆるもの、特にアメリカ黒人のサウンドへの愛を展開させた」。 1970年代はじめ、ジェイは、兄弟であるジョーイ・ジェイ (Joey Jay) と組んでサウンド・システムを作り上げ、「グレイト・トリビュレーション (Great Tribulation)」と名付けた。1979年にニューヨークへ旅行する機会を得たことをきっかけに、彼はこの取り組みを、もっと真剣な方向に向かわせることを決意した。1980年、サウンド・システムはシックの曲にちなんで「グッド・タイムズ (Good Times)」と改名され、ノッティング・ヒル・カーニバル(英語版)にデビューした。グッド・タイムズは、カーニバルの場にソウルやディスコ音楽を持ち込んだとして、当初一部からは反発も招きつつも、当時は「先駆的 (pioneering)」と見なされた。このサウンド・システムは、以降30年間にわたってカーニバルで人気の出し物となり、1991年以降はラドブルック・グローブ(英語版)のウェスト・ロウ (West Row) とサザン・ロウ (Southern Row) の角で催された。1990年代以降、このサウンド・システムは、ロンドン・トランスポート(英語版)のバスにも載った。2014年には、地区の再開発によってグッド・タイムズは長年使っていた場所を失い、以降カーニバルには参加しなくなった。その代わり、グッド・タイムズは国内各地で催される昼夜の行事にサウンド・システムを提供するようになった。 ジェイは、1985年10月にロンドンの海賊放送 Kiss FM の創設メンバーの一人となって、創設者のゴードン・マック (Gordon Mac) やジョージ・パワー (George Power) とともに番組をもち、名声を確立した。海賊放送における彼の番組であった『The Original Rare Groove Show』こそが、「レア・グルーヴ」という表現を生み出した。1990年9月、Kiss 100 が合法的に発足した際には、ジェイはやがて一連の『ミュージカリアム (Musiquarium)』番組へと発展する最初の番組を手がけた。彼は、1993年10月に、このラジオ局を離れた。 1997年4月、ジェイはBBCロンドンに加わり、『ジャイアント45 (Giant 45)』というラジオ番組を始めた。この番組は、2008年2月まで続いた。 2006年と2007年を通して、ジェイは BBC Radio 2 で『ザ・ファンキー・ファクトリー (The Funky Factory)』という一連の番組を担当した。 その後の彼は、ソーホー・ラジオ(英語版)でレギュラー番組をもっている。 ラジオへの出演に加え、ジェイはロンドンの各地で、「シェイクン・フィンガーポップ (Shake 'n' Fingerpop)」と題した非合法のウェアハウス・パーティーの開催に関わった。 ジェイは、イギリスで最初のパラダイス・ガレージ・スタイルのクラブとしてカムデンのディングウォールズ(英語版)に開店した「ハイ・オン・ホープ (High On Hope)」の共同創設者の一人となった。1989年から1994年まで、彼はホクストン(英語版)の「バス・クレフ (Bass Clef)」でも夜のイベントを運営していた。 さらに、2000年代はじめには The Big Chill フェスティバルの常連でもあった。 ジェイは、1990年にDJジャイルス・ピーターソンとともにレコードレーベル「トーキング・ラウド」を設立し、アシッドジャズ/シーンの先端に立った。 2000年、彼はサウンド・システムに関連する『Good times』と題した5枚のコンピレーション・アルバムの最初の1枚を出した。この動きは、他の多数のスピン・オフのコンピレーションを生み出すことになった。 彼は、2004年のザ・シェイプシフターズ(英語版)の曲「Lola's Theme」のリミックスを担当し、この曲のビデオにも登場した。 ジェイは、2002年に、音楽への貢献に対して大英帝国勲章 (MBE) を贈られた。
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ノーマン・ジェイは、イギリスのクラブDJ、ラジオパーソナリティ、サウンド・システムDJ。彼は1980年代はじめに、免許を受けずに一連の「ウェアハウス」パーティーを開催したことで有名になり、さらに、当時は海賊放送だった Kiss FM に参加したことを通して広く知られるようになった。彼は「レア・グルーヴ」という表現を生み出した人物と広く認められている。
{{混同|ノーマン・ジェイ・コールマン}} {{Infobox musical artist | name = ノーマン・ジェイ | honorific_suffix = [[大英帝国勲章|MBE]] | image = Norman Jay MBE.jpg | image_size = 250px | background = non_vocal_instrumentalist | caption = | birth_name = Norman Bernard Joseph | birth_date = {{Birth date and age|df=yes|1957|11|06}} | birth_place = {{ENG}} [[ロンドン]]、[[ノッティング・ヒル]] | occupation = [[DJ]]、レーベル・オーナー、[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]、[[リミックス|リミキサー]] | genre = [[ソウルミュージック|ソウル]]、[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]、[[ブギー (音楽ジャンル)|ブギー]]、[[アシッドジャズ]]、[[ハウス (音楽)|ハウス]] | website = {{URL|www.normanjaymbe.com}} }} '''ノーマン・ジェイ'''(Norman Jay [[大英帝国勲章|MBE]]、出生名:'''ノーマン・バーナード・ジョゼフ''' Norman Bernard Joseph、1957年11月6日 - )は、[[イギリス]]の[[ディスクジョッキー#クラブやフェスにおけるDJ|クラブDJ]]、[[ラジオパーソナリティ]]、[[サウンド・システム]]DJ。彼は[[1980年代]]はじめに、免許を受けずに一連の「ウェアハウス」パーティーを開催したことで有名になり、さらに、当時は海賊放送だった [[:en:Kiss (UK radio station)|Kiss FM]] に参加したことを通して広く知られるようになった。彼は「[[レア・グルーヴ]]」という表現を生み出した人物と広く認められている。 == 背景 == ジェイは、[[ロンドン]]の[[ノッティング・ヒル]]で、[[西インド諸島]]系の両親のもとに生まれた。8歳のときに最初のギグを、知り合いの10歳の誕生日パーティーでおこなったが、この時は{{仮リンク|ブルー・ビート・レコード|label=ブルー・ビート|en|Blue Beat Records}}、[[スカ]]、[[ジャズ]]といった父親のレコード・コレクションの影響を受けていた<ref name="jaywebsite">{{cite web|url=http://www.normanjaymbe.com/biography|title=Norman Jay - Biography|work=Normanjaymbe.com|accessdate=2023-09-08}}</ref>。やがて彼は、「ソウルフルなあらゆるもの、特にアメリカ黒人のサウンドへの愛を展開させた」<ref name="clashcoll">{{cite web|url=https://www.clashmusic.com/features/collections-norman-jay|title=Collections: Norman Jay|author=Robin Murray|work=Clash Magazine|date=13 November 2015|accessdate=2023-09-08}}</ref>。 == 経歴 == === サウンド・システム === [[1970年代]]はじめ、ジェイは、兄弟であるジョーイ・ジェイ (Joey Jay) と組んで[[サウンド・システム]]を作り上げ、「グレイト・トリビュレーション (Great Tribulation)」と名付けた。[[1979年]]に[[ニューヨーク]]へ旅行する機会を得たことをきっかけに、彼はこの取り組みを、もっと真剣な方向に向かわせることを決意した。[[1980年]]、サウンド・システムは[[シック (バンド)|シック]]の曲にちなんで「グッド・タイムズ (Good Times)」と改名され、{{仮リンク|ノッティング・ヒル・カーニバル|en|Notting Hill Carnival}}にデビューした<ref name="redbulldaily">{{cite web|url=http://daily.redbullmusicacademy.com/2018/01/norman-jay-interview|title=Norman Jay MBE: These Are The Good Times|work=Red Bull Music Academy Daily|date=9 January 2018|author=Bill Brewster|archiveurl=https://archive.today/20190404190402/http://daily.redbullmusicacademy.com/2018/01/norman-jay-interview|archivedate=4 April 2019|access-date=6 December 2018|url-status=live}}</ref><ref name="guardian">{{cite news|url=https://www.theguardian.com/culture/2002/jun/23/nottinghillcarnival2002.nottinghillcarnival|title=Interview with Norman Jay, the godfather of club culture|date=23 June 2002|author=Sean O'Hagan|work=The Guardian}}</ref>。グッド・タイムズは、カーニバルの場に[[ソウルミュージック|ソウル]]や[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]音楽を持ち込んだとして、当初一部からは反発も招きつつも、当時は「先駆的 (pioneering)」と見なされた<ref name="donletts">{{cite web|url=https://www.redbull.com/gb-en/don-letts-notting-hill-carnival-music-history|title=Don Letts traces the musical history of Notting Hill Carnival|date=20 August 2018|author=Josie Roberts|work=Red Bull Music Academy|archiveurl=https://archive.today/20190404190528/https://www.redbull.com/gb-en/don-letts-notting-hill-carnival-music-history|archivedate=4 April 2019|access-date=7 December 2018|url-status=live}}</ref><ref name="indep">{{cite web|url=https://www.independent.co.uk/news/media/meet-the-king-of-the-carnival-413618.html |archive-url=https://ghostarchive.org/archive/20220621/https://www.independent.co.uk/news/media/meet-the-king-of-the-carnival-413618.html |archive-date=21 June 2022 |url-access=subscription |url-status=live|title=Meet the king of the carnival|work=The Independent|author= Ian Burrell|date=28 August 2006}}</ref>。このサウンド・システムは、以降30年間にわたってカーニバルで人気の出し物となり、[[1991年]]以降は{{仮リンク|ラドブルック・グローブ|en|Ladbroke Grove}}のウェスト・ロウ (West Row) とサザン・ロウ (Southern Row) の角で催された。[[1990年代]]以降、このサウンド・システムは、{{仮リンク|ロンドン・トランスポート|en|London Transport (brand)}}のバスにも載った。[[2014年]]には、地区の再開発によってグッド・タイムズは長年使っていた場所を失い、以降カーニバルには参加しなくなった。その代わり、グッド・タイムズは国内各地で催される昼夜の行事にサウンド・システムを提供するようになった<ref name="standard">{{cite news|url=https://www.standard.co.uk/go/london/music/norman-jay-mbe-playing-notting-hill-carnival-was-more-memorable-than-obamas-inauguration-a2920911.html|title=DJ Norman Jay: Playing Notting Hill Carnival was more memorable than Obama's inauguration|date=25 August 2015|work=Evening Standard|author=David Ellis}}</ref>。 === ラジオ === ジェイは、[[1985年]]10月にロンドンの[[海賊放送]] [[:en:Kiss (UK radio station)|Kiss FM]] の創設メンバーの一人となって、創設者のゴードン・マック (Gordon Mac) やジョージ・パワー (George Power) とともに番組をもち、名声を確立した。海賊放送における彼の番組であった『''The Original Rare Groove Show''』こそが、「[[レア・グルーヴ]]」という表現を生み出した<ref name="redbulldaily"></ref>。[[1990年]]9月、[[:en:Kiss 100|Kiss 100]] が合法的に発足した際には、ジェイはやがて一連の『ミュージカリアム (''Musiquarium'')』番組へと発展する最初の番組を手がけた<ref name="campfireconvention">{{cite web|url=https://campfireconvention.uk/bugle/features/stormin-norman-jays-big-chill-special-revives-memories|title=Stormin' Norman Jay's Big Chill special revives memories|work=Campfireconvention.uk|date=10 April 2018|author=Pete Lawrence}}</ref>。彼は、[[1993年]]10月に、このラジオ局を離れた。 [[1997年]]4月、ジェイは[[BBCロンドン]]に加わり、『ジャイアント45 (''Giant 45'')』というラジオ番組を始めた<ref name="bbc">{{cite web|url=https://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2005/05/04/norman_jay_person_profile.shtml|title=BBC - London - TV and Radio - Norman Jay|date=4 May 2005|work=BBC News|url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060623050202/http://www.bbc.co.uk/london/content/articles/2005/05/04/norman_jay_person_profile.shtml|archivedate=23 June 2006|accessdate=2023-09-08}}</ref>。この番組は、[[2008年]]2月まで続いた<ref name="jaybbclondon">{{cite news |url=https://www.theguardian.com/media/2008/feb/18/bbc.radio1 |newspaper=The Guardian |title=DJ Norman Jay leaves BBC London | author=John Plunkett |date=18 February 2008}}</ref>。 [[2006年]]と[[2007年]]を通して、ジェイは [[:en:BBC Radio 2|BBC Radio 2]] で『ザ・ファンキー・ファクトリー (''The Funky Factory'')』という一連の番組を担当した<ref name="funkfact">{{cite web|url=https://www.bbc.co.uk/radio2/shows/funkfactory/index.shtml|title=BBC - Radio 2 - Shows - Norman Jay's Funk Factory| work= BBC Radio | date=13 November 2007| archiveurl=https://web.archive.org/web/20071215025746/http://www.bbc.co.uk/radio2/shows/funkfactory/index.shtml|archivedate=15 December 2007|url-status=dead|accessdate=2023-09-08}}</ref>。 その後の彼は、{{仮リンク|ソーホー・ラジオ|en|Soho Radio}}でレギュラー番組をもっている<ref name="sohoradio">{{cite web|url=http://www.sohoradiolondon.com/presenters/norman-jay-mbe/|title=Norman Jay MBE - Soho Radio London|work=Soho Radio London|accessdate=2023-09-08}}</ref>。 === ウェアハウス・パーティーとクラブ・ナイト === ラジオへの出演に加え、ジェイはロンドンの各地で、「シェイクン・フィンガーポップ (Shake 'n' Fingerpop)」と題した非合法のウェアハウス・パーティーの開催に関わった<ref name="clash">{{cite web|url=http://www.clashmusic.com/features/norman-jay-interview|title=Norman Jay Interview - Features - Clash Magazine|author=Miguel Cullen|date=10 February 2011|work=Clash Magazine|accessdate=2023-09-08}}</ref>。 ジェイは、イギリスで最初の[[パラダイス・ガレージ]]・スタイルのクラブとして[[カムデン・タウン|カムデン]]の{{仮リンク|ディングウォールズ|en|Dingwalls}}に開店した「ハイ・オン・ホープ (High On Hope)」の共同創設者の一人となった<ref name="redbulldaily"></ref><ref name="guardian"></ref>。[[1989年]]から[[1994年]]まで、彼は{{仮リンク|ホクストン|en|Hoxton}}の「バス・クレフ (Bass Clef)」でも夜のイベントを運営していた<ref name="indeclef">{{cite news|url=https://www.independent.co.uk/life-style/dying-note-of-a-10-year-jam-session-hoxton-became-a-mecca-for-jazz-fans-when-peter-ind-opened-the-1435496.html |archive-url=https://ghostarchive.org/archive/20220621/https://www.independent.co.uk/life-style/dying-note-of-a-10-year-jam-session-hoxton-became-a-mecca-for-jazz-fans-when-peter-ind-opened-the-1435496.html |archive-date=21 June 2022 |url-access=subscription |url-status=live|title=Dying note of a 10-year jam session: Hoxton became a mecca for jazz fans|work= The Independent|author=Helen Nowicka |date=13 May 1994}}</ref>。 さらに、[[2000年代]]はじめには [[:en:The Big Chill (music festival)|The Big Chill]] フェスティバルの常連でもあった<ref name="campfireconvention"></ref>。 === レコード・レーベルとプロデュース === ジェイは、[[1990年]]にDJ[[ジャイルス・ピーターソン]]とともに[[レコードレーベル]]「[[トーキング・ラウド]]」を設立し、[[アシッドジャズ]]/シーンの先端に立った<ref name="guardian"></ref>。 [[2000年]]、彼はサウンド・システムに関連する『''Good times''』と題した5枚の[[コンピレーション・アルバム]]の最初の1枚を出した。この動きは、他の多数のスピン・オフのコンピレーションを生み出すことになった。 彼は、[[2004年]]の{{仮リンク|ザ・シェイプシフターズ|en|The Shapeshifters}}の曲「[[:en:Lola's Theme|Lola's Theme]]」のリミックスを担当し、この曲のビデオにも登場した。 == ディスコグラフィ== === コンピレーション・アルバム === *''Good Times'' ([[:en:Nuphonic|Nuphonic]], 2000) *''Good Times 2'' (Nuphonic, 2001) *''Good Times 3'' ([[:en:React Music Limited|React]], 2003) *''Good Times 4'' (Resist, 2004) *''Good Times 5'' (Resist, 2005) *''Giant 45'' (React, 2004) *''Skank & Boogie'' (Sunday Best, 2015) *''Mister Good Times'' (Sunday Best, 2017) === シングル === *"Message in a Dream" (High On Hope Records, 1996) - affiliated to Resolution Records === おもなリミックス === *[[:en:Azzido Da Bass|Azzido Da Bass]] - "[[:en:Dooms Night|Dooms Night]]" (Club Tools, 2000) *Los Jugaderos - "What You Doing to This Girl" ([[:en:Junior Boy's Own|Junior Boy's Own]], 2003) *[[:en:The Shapeshifters|The Shapeshifters]] - "[[:en:Lola's Theme|Lola's Theme]]" ([[:en:Positiva Records|Positiva Recors]], 2004) === おもなミックス === *Journeys by DJ - ''Desert Island Mix'' (with [[:en:Gilles Peterson|Gilles Peterson]]) ([[:en:Journeys by D|JJourneys by DJ]], 1997) *Miss Moneypenny's Presents... - ''Norman Jay'' (Miss Moneypenny's Music, 1999) *[[:en:BBC Radio 1|BBC Radio 1]] - ''[[:en:Essential Mix|Essential Mix]]'' (BBC, 1994/1999/2000) == 栄誉 == ジェイは、[[2002年]]に、音楽への貢献に対して[[大英帝国勲章]] (MBE) を贈られた<ref name="guardian"></ref><ref name="bandwall">{{cite web|url=https://bandonthewall.org/2018/05/a-conversation-with-norman-jay-mbe/|title='I'm not in search of the perfect beat': a conversation with DJ Norman Jay MBE|work=Bandonthewall.org|date=12 May 2018|accessdate=2023-09-08}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連文献 == * ''Mister Good Times'', Dialogue Books, 2019 == 外部リンク == * {{Official website|www.normanjaymbe.com}} * {{Discogs artist|Norman+Jay}} * [https://web.archive.org/web/20060709064728/http://www.normanjay.com/ Archived Website] at [[Wayback Machine]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しえい のおまん}} [[Category:イギリスのDJ]] [[Category:大英帝国勲章受章者]] [[Category:ケンジントン・アンド・チェルシー区出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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ジミー・マ
ジミー・マ(英語: Jimmy Ma、中国語: 馬 駿明、1995年10月11日 - )は、アメリカ合衆国、ニューヨーク出身の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。 主な戦績は、2023年四大陸選手権9位、2022年四大陸選手権10位、2023年全米選手権5位、2021年ゴールデンスピン3位、2018年USクラシック3位など。 グレートネックノース高等学校卒業。フォーダム大学では金融やコンピューターサイエンスを学んでいた。 2004年、8歳の誕生日を迎える前にスケートを始める。幼いころは、地元グレートネックのパークウッドスポーツコンプレックスやマンハッタンのチェルシーピアを拠点として練習をしていた。 初めてのスケートでは、顔から落ちてしまったこともあり『スケートが大嫌いだった』と語っており、フィギュアスケートに打ち込むようになるとは思わなかったが、日々コーチや両親の励ましによって、徐々に情熱を注げるようになったと語っている。 幼い頃からバレエのトレーニングを受けていたため、クラシック音楽のプログラムを得意としていたが、型破りな楽曲を選択することで多くの注目を集めることがあり、2018年全米選手権ではショートプログラムにて、ヒップホップベースのパフォーマンスを多く取り入れた演技を披露した。 日本のアニメにも造詣があり、2022年四大陸選手権のフリースケーティングでは、日本の人気アニメ「進撃の巨人」の曲を使用しており、演技後は、「鬼滅の刃」主人公の衣装を連想させる、緑と黒の市松模様のマスクを着用するとともに、「進撃の巨人」の作中に出てくるポーズまで披露した。 10年以上に渡りクラシックピアノの勉強もしており、コンサートピアニストでもある。カーネギーホールやリンカーン・センターの慈善イベントで演奏したこともある。 全米選手権ジュニアクラスでは、ショートプログラムにて57.88点獲得で4位、フリースケーティングにて118.21点獲得で3位となり、トータル176.09点獲得で4位に入る。 ガルデナスプリング杯ジュニアクラスでは、ショートプログラムにて55.08点で2位、フリースケーティングにて98.90点獲得で3位となり、トータル153.98点獲得で3位となり、表彰台に立った。 ISUジュニアグランプリシリーズデビュー戦は、ジュニアグランプリシリーズリガ杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭の3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷。続く3回転ループと2回転アクセルも着氷させて、56.31点獲得で10位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転ルッツを成功させるも、3回転を予定していたループジャンプが2回転となり、3回転フリップが回転不足となり転倒、演技後半の3回転ルッツでも転倒となる。その後は三連続ジャンプを含めて成功させて、フリースケーティング15位となる91.48点獲得。トータル147.79点獲得で13位となった。 全米選手権では、ショートプログラムにて63.46点獲得で2位に着ける。フリースケーティングにて119.27点獲得で3位となり、トータル182.73点獲得で3位と初の表彰台に上がった。 ジュニアグランプリシリーズ参戦二年目のジュニアグランプリシリーズメ~テレ杯では、ショートプログラムにて冒頭の2回転アクセルは成功させるも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプがミスとなり、3回転ルッツでも2回転となった上で回転不足との判定を受けるなど、得点を伸ばせず 47.81点獲得で14位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転トウループとコンビネーションジャンプ2つは着氷するも、3つのジャンプで転倒とジャンプでのミスが重なり、フリースケーティング4位となる91.90点獲得に留まる。トータル139.71点獲得で14位と、順位を伸ばせなかった。 全米選手権では、シニアクラスに出場。ショートプログラムでは59.09点獲得で16位、フリースケーティングでは105.65点獲得で18位、トータル164.74点獲得で18位となった。 東部地区フィギュアスケート選手権大会で1位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて51.95点獲得で15位、フリースケーティングにて109.68点獲得で17位、トータル161.63点獲得で16位となった。 東部地区フィギュアスケート選手権大会で3位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて70.41点獲得で15位、フリースケーティングにて110.66点獲得で21位、トータル181.07点獲得で20位となった。 東部地区フィギュアスケート選手権大会で3位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて3回転アクセルを成功させて、75.28点獲得で11位に着ける。フリースケーティングでは、ジャンプにミスはあったものの147.13点獲得で11位、トータル222.41点獲得で11位となり、国際スケート連盟非公認ながら200点を超える得点を獲得した。 シーズン初戦は、フィラデルフィアサマーインターナショナルに出場。ショートプログラムにて67.32点獲得で4位に着けると、フリースケーティングにて131.56点獲得で2位となり、トータル198.88点獲得で2位と順位を上げた。 次戦は、チャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭で4回転トウループに挑むも転倒。続く3回転アクセルを加点2点以上で成功させる。演技後半の3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで軽微なエッジエラーとの判定を受けるものの、73.21点獲得で4位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがミスとなるものの、続く3回転ループと3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。演技後半も、単独の3回転アクセルと3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップが1回転となるものの、フリースケーティング3位となる132.89点を獲得。トータル206.10点獲得で自己ベストを20点以上更新して3位に入り、国際スケート連盟公認大会で初の表彰台に上がった。 グランプリシリーズデビューとなった、グランプリシリーズスケートアメリカでは、ショートプログラムにて冒頭の4回転トウループで転倒、3回転アクセルは成功させるが、コンビネーションジャンプにミスが出てしまい71.53点獲得で7位スタートとなる。 フリースケーティングでは、4回転トウループで転倒。続く3回転ループは着氷するも、3回転アクセルでも転倒となる。演技後半で挑んだ3回転アクセルが1回転半となり、3回転フリップでも転倒するなど、ジャンプ7本中5本で減点となる。ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、113.53点獲得で12位。トータル185.06点獲得で12位と、ほろ苦いグランプリシリーズデビューとなった。 東部地区フィギュアスケート選手権大会で2位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて74.84点獲得で10位に着け、フリースケーティングでは、132.08点獲得で11位。トータル206.92点獲得で10位となった。 シーズン初戦は、チャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転アクセルは加点付きで成功するも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで転倒。67.34点獲得で6位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループは転倒となるが、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを高い加点で成功させる。演技後半のアクセルジャンプでのミスはあったものの、3回転ルッツからの三連続ジャンプと単独の3回転フリップを成功させて、フリースケーティングの自己ベスト更新となる132.96点を獲得。トータル200.30点獲得で6位となった。 シーズン二戦目は、チャレンジャーシリーズフィンランディア杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループの着氷が乱れ、ステップアウトとなる。続く3回転アクセルは成功させるが、連続3回転を予定していたジャンプでセカンドジャンプが2回転となり、その後のスピンでもバランスを崩してしまい、 66.48点獲得で8位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを加点付きで成功させると、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプも成功させる。3回転ループで転倒するも、単独の3回転アクセルも成功させる。演技後半の3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させて勢いに乗ると、その後のジャンプも成功させて、フリースケーティング2位となる147.01点獲得して自己ベストを更新。トータルでも自己ベストを更新する213.49点を獲得して4位と、ショートプログラムから順位を上げた。 東部地区フィギュアスケート選手権大会では200点超えの得点を獲得して1位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて71.54点獲得で12位、フリースケーティングにて122.31点獲得で13位、トータル193.85点獲得で13位となった。 新型コロナウイルスの影響で、制限付きで開催されることとなったグランプリシリーズでは、スケートアメリカに出場。ショートプログラムにて63.36点獲得で11位、フリースケーティングにて133.62点獲得で10位、トータル196.98点獲得で10位となる。 全米選手権では、ショートプログラムにて 82.30点を獲得して6位に着ける。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。3回転アクセルも2本を着氷させて148.48点獲得で8位となり、トータル230.78点獲得で6位と、シニアキャリアの最高成績となった。 シーズン初戦のクランベリー杯では、ショートプログラムにて4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツ、3回転アクセルとジャンプすべてを成功させて78.30点獲得で2位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く単独の4回転トウループも成功させる。その後のジャンプで細かなミスはあったものの、スピンすべてでレベル4を獲得するなど、152.29点を獲得 。ISU非公認ながら自己ベストを上回る得点を獲得しフリースケーティング2位となり、トータル230.59点獲得で2位と、表彰台に上がった。 二戦目は、USインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを2点以上の高い加点で成功させる。続く3回転ルッツ・3回転アクセルも成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら自己ベストを上回る84.07点を獲得して2位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプのミスはあったものの、フリースケーティング2位となる149.51点を獲得。トータル233.58点獲得で2位に入り、二戦連続で表彰台に上がった。 グランプリシリーズは、第一線のスケートアメリカに出場。ショートプログラムでは、演技冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。続く3回転ルッツを成功させて、演技後半の3回転アクセルも加点付きで成功させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなどISU公認の自己ベストを更新する84.52点獲得で、ネイサン・チェンを上回り3位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを加点2点以上の出来栄えで成功させる。続く単独の4回転トウループで着氷が乱れステップアウトとなる。3回転ループは成功させるが、3回転アクセルの着氷が乱れ、演技後半の3回転アクセルが1回転半となるなど、ジャンプのミスが続く。フリースケーティング10位となる143.60点獲得に留まるが、トータルでは自己ベストを更新する228.12点獲得で5位に入った。 ISUチャレンジャーシリーズは第九戦のワルシャワ杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループと3回転アクセルがミスとなり、71.49点獲得で10位となる。フリースケーティングでは、ジャンプ7本中6本でミスとなり得点を伸ばせず、123.60点獲得で19位。トータル195.09点獲得で16位となった。 チャレンジャーシリーズ二戦目は、最終戦のゴールデンスピンに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループの着氷が乱れる。その後は演技を立て直し、3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転アクセルを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。 80.84点獲得で5位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の4回転トウループを加点2点以上の出来栄えで成功させる。その後も、3回転ループと3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功。演技後半の3回転アクセルで着氷が乱れ、3回転フリップで軽微なエッジエラーとの判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティングの自己ベストを更新する170.13点を獲得。トータルでもスケートアメリカでマークした自己ベストを20点以上更新する250.97点獲得で3位と、表彰台に上がった。 全米選手権では、ショートプログラムにて、すべてのジャンプを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら初の90点台となる91.62点獲得で5位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させるが、続く2回目の4回転トウループで転倒。その後も、ジャンプでのミスが続き、スピンすべてでレベル4を獲得するも、得点は135.36点獲得に留まりフリースケーティング8位。トータルでは226.98点獲得で6位となった。 全米選手権の成績により、初のISUチャンピオンシップとなる、四大陸選手権の代表に選出された。四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭の4回転トウループの着氷がステップアウトになり手を着いてしまう。続く3回転フリップ-2回転トウループは着氷させるが、3回転アクセルも着氷でステップアウトしてしまう。スピンとステップではレベル4で揃えるも、ジャンプのミスが響き69.98点獲得で9位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプで着氷が乱れるも。続く単独の4回転トウループを高い加点で成功させる。3回転アクセルで着氷が乱れて手を着いてしまい、演技後半の2回目の3回転アクセルで転倒となる。スピンすべてでレベル4を獲得をするが、3回転アクセル2本がミスとなるなど得点を伸ばせず、145.14点獲得で9位。トータル215.12点獲得で10位となった。 シーズン初戦は、チャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、続く3回転ルッツに2回転トウループをつけてコンビネーションジャンプとするが、ルッツジャンプの着氷が乱れる。演技後半の3回転アクセルを決めて、69.88点獲得で8位となる。 フリースケーティングでは、演技冒頭の4回転トウループが2回転となるが、続く4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の3回転アクセル、3回転ルッツを成功させる。3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプの2回転トウループがジャンプの繰り返し違反となるが、その後は三連続ジャンプと3回転フリップを着氷させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティング3位となる146.88点を獲得して、トータル216.76点獲得で5位と、ショートプログラムから順位を上げた。 グランプリシリーズ初戦は、第二戦のスケートカナダに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、3回転の連続ジャンプで2回転ルッツをつけてリカバリーするも、演技後半の3回転アクセルでも転倒となり、61.73点獲得で9位と出遅れる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループでオーバーターンとなるが、続く3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。3回転ループは2回転となったが、3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプと、3回転ルッツ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップでのミスはあったが、フリースケーティング9位となる142.66点を獲得。トータルでは204.39点獲得で10位となった。 グランプリシリーズ二戦目は、MKジョン・ウィルソン杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループを着氷させるがセカンドジャンプに繋げられず、3回転ルッツに2回転トウループをつけてリカバリー。3回転アクセルがステップアウトとあるも、スピン・ステップはレベル4で揃え、77.72点獲得で6位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがステップアウトとなり、2回目の4回転トウループが2回転となる。その後は2本の3回転アクセルを成功させるなど演技をまとめて136.75点獲得で7位となり、トータル214.47点獲得で7位となった。 全米選手権では、ショートプログラムにて73.88点を獲得して7位に着けると、フリースケーティングでは、169.21点獲得で5位となり、トータルでは243.09点獲得で5位と、全米選手権で過去最高位の成績となった。 全米選手権の成績により、四大陸選手権の代表に選出。二年連続での出場となった四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭回転トウループをGOE2.99点を引き出す出来栄えで成功させる。続く3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷。演技後半の3回転アクセルが僅かな回転不足との判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなど、ショートプログラムで自己ベストを更新する86.64点を獲得して3位に着ける。ISUチャンピオンシップ初の表彰台を目指して臨んだフリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒、2本目の4回転トウループは回転が抜けて2回転となる。続く3回転アクセルでも回転が抜けて1回転半となり、演技後半の3回転アクセルはステップアウトとなる。その後は、3回転ルッツからの三連続ジャンプと3回転フリップを着氷。コレオシークエンスでは会場を盛り上げ、フリースケーティング13位となる134.40点を獲得。トータルでは221.04点獲得で9位となった。 シーズン最終戦は、プランタン杯に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにミスはあったものの、80.94点獲得で首位に立つ。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒。その後はジャンプで細かいミスはあったものの、フリースケーティング1位となる141.79点を獲得。トータル222.73点獲得で国際大会初優勝となった。 シーズン初戦は、クランベリー杯に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにてミスはあったものの、83.05点獲得で首位に立つ。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプでのミスはあったが、139.44点獲得で3位となり、トータル222.49点獲得で3位に入った。 二戦目は、チャレンジャーシリーズオータムクラシックに出場。 ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷させるも、演技後半の3回転アクセルで手を着いてしまい、66.03点獲得で9位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させる。続く2本目の4回転トウループはステップアウトとなり、コンビネーションジャンプに繋げられず、3回転アクセルは転倒となる。その後の3回転ループでの4分の1回転不足や、3連続ジャンプの3回転サルコウでのステップアウトなどジャンプでのミスがあり、フリースケーティング9位となる125.05点獲得に留まる。トータル191.08点獲得で9位と順位を伸ばせなかった。 国際試合三戦目は、上海杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭に予定していた4回転トウループが2回転となり得点にならず、3回転ルッツに3回転トウループをつけてリカバリーに成功するも、3回転アクセルで転倒してしまい得点を伸ばせず、62.30点獲得で5位となる。フリースケーティングでは、3回転アクセルが1回転半となるミスなど、ジャンプ7本中4本で減点となるミスがあり、137.03点獲得で5位。トータル199.33点獲得で5位となった。 グランプリシリーズ初戦は、中国杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く3回転ルッツを成功させる。演技後半の3回転アクセルが転倒となるが、スピンすべてでレベル4を獲得。77.29点獲得で7位に着ける。 フリースケーティングでは、コンビネーションジャンプを予定していた冒頭の4回転トウループが2回転となり、2本目の4回転トウループがス着氷が乱れる。スピンすべてでレベル4を獲得するも、ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、127.87点獲得で7位となる。トータル205.16点獲得で9位と、ショートプログラムから順位を落とした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ジミー・マ(英語: Jimmy Ma、中国語: 馬 駿明、1995年10月11日 - )は、アメリカ合衆国、ニューヨーク出身の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "主な戦績は、2023年四大陸選手権9位、2022年四大陸選手権10位、2023年全米選手権5位、2021年ゴールデンスピン3位、2018年USクラシック3位など。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "グレートネックノース高等学校卒業。フォーダム大学では金融やコンピューターサイエンスを学んでいた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2004年、8歳の誕生日を迎える前にスケートを始める。幼いころは、地元グレートネックのパークウッドスポーツコンプレックスやマンハッタンのチェルシーピアを拠点として練習をしていた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "初めてのスケートでは、顔から落ちてしまったこともあり『スケートが大嫌いだった』と語っており、フィギュアスケートに打ち込むようになるとは思わなかったが、日々コーチや両親の励ましによって、徐々に情熱を注げるようになったと語っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "幼い頃からバレエのトレーニングを受けていたため、クラシック音楽のプログラムを得意としていたが、型破りな楽曲を選択することで多くの注目を集めることがあり、2018年全米選手権ではショートプログラムにて、ヒップホップベースのパフォーマンスを多く取り入れた演技を披露した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本のアニメにも造詣があり、2022年四大陸選手権のフリースケーティングでは、日本の人気アニメ「進撃の巨人」の曲を使用しており、演技後は、「鬼滅の刃」主人公の衣装を連想させる、緑と黒の市松模様のマスクを着用するとともに、「進撃の巨人」の作中に出てくるポーズまで披露した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "10年以上に渡りクラシックピアノの勉強もしており、コンサートピアニストでもある。カーネギーホールやリンカーン・センターの慈善イベントで演奏したこともある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "全米選手権ジュニアクラスでは、ショートプログラムにて57.88点獲得で4位、フリースケーティングにて118.21点獲得で3位となり、トータル176.09点獲得で4位に入る。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ガルデナスプリング杯ジュニアクラスでは、ショートプログラムにて55.08点で2位、フリースケーティングにて98.90点獲得で3位となり、トータル153.98点獲得で3位となり、表彰台に立った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ISUジュニアグランプリシリーズデビュー戦は、ジュニアグランプリシリーズリガ杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭の3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷。続く3回転ループと2回転アクセルも着氷させて、56.31点獲得で10位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転ルッツを成功させるも、3回転を予定していたループジャンプが2回転となり、3回転フリップが回転不足となり転倒、演技後半の3回転ルッツでも転倒となる。その後は三連続ジャンプを含めて成功させて、フリースケーティング15位となる91.48点獲得。トータル147.79点獲得で13位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて63.46点獲得で2位に着ける。フリースケーティングにて119.27点獲得で3位となり、トータル182.73点獲得で3位と初の表彰台に上がった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ジュニアグランプリシリーズ参戦二年目のジュニアグランプリシリーズメ~テレ杯では、ショートプログラムにて冒頭の2回転アクセルは成功させるも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプがミスとなり、3回転ルッツでも2回転となった上で回転不足との判定を受けるなど、得点を伸ばせず 47.81点獲得で14位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転トウループとコンビネーションジャンプ2つは着氷するも、3つのジャンプで転倒とジャンプでのミスが重なり、フリースケーティング4位となる91.90点獲得に留まる。トータル139.71点獲得で14位と、順位を伸ばせなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "全米選手権では、シニアクラスに出場。ショートプログラムでは59.09点獲得で16位、フリースケーティングでは105.65点獲得で18位、トータル164.74点獲得で18位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "東部地区フィギュアスケート選手権大会で1位となり、全米選手権に進出。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて51.95点獲得で15位、フリースケーティングにて109.68点獲得で17位、トータル161.63点獲得で16位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "東部地区フィギュアスケート選手権大会で3位となり、全米選手権に進出。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", 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フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがミスとなるものの、続く3回転ループと3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。演技後半も、単独の3回転アクセルと3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップが1回転となるものの、フリースケーティング3位となる132.89点を獲得。トータル206.10点獲得で自己ベストを20点以上更新して3位に入り、国際スケート連盟公認大会で初の表彰台に上がった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "グランプリシリーズデビューとなった、グランプリシリーズスケートアメリカでは、ショートプログラムにて冒頭の4回転トウループで転倒、3回転アクセルは成功させるが、コンビネーションジャンプにミスが出てしまい71.53点獲得で7位スタートとなる。 フリースケーティングでは、4回転トウループで転倒。続く3回転ループは着氷するも、3回転アクセルでも転倒となる。演技後半で挑んだ3回転アクセルが1回転半となり、3回転フリップでも転倒するなど、ジャンプ7本中5本で減点となる。ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、113.53点獲得で12位。トータル185.06点獲得で12位と、ほろ苦いグランプリシリーズデビューとなった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "東部地区フィギュアスケート選手権大会で2位となり、全米選手権に進出。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて74.84点獲得で10位に着け、フリースケーティングでは、132.08点獲得で11位。トータル206.92点獲得で10位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "シーズン初戦は、チャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転アクセルは加点付きで成功するも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで転倒。67.34点獲得で6位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループは転倒となるが、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを高い加点で成功させる。演技後半のアクセルジャンプでのミスはあったものの、3回転ルッツからの三連続ジャンプと単独の3回転フリップを成功させて、フリースケーティングの自己ベスト更新となる132.96点を獲得。トータル200.30点獲得で6位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "シーズン二戦目は、チャレンジャーシリーズフィンランディア杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループの着氷が乱れ、ステップアウトとなる。続く3回転アクセルは成功させるが、連続3回転を予定していたジャンプでセカンドジャンプが2回転となり、その後のスピンでもバランスを崩してしまい、 66.48点獲得で8位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを加点付きで成功させると、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプも成功させる。3回転ループで転倒するも、単独の3回転アクセルも成功させる。演技後半の3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させて勢いに乗ると、その後のジャンプも成功させて、フリースケーティング2位となる147.01点獲得して自己ベストを更新。トータルでも自己ベストを更新する213.49点を獲得して4位と、ショートプログラムから順位を上げた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "東部地区フィギュアスケート選手権大会では200点超えの得点を獲得して1位となり、全米選手権に進出。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて71.54点獲得で12位、フリースケーティングにて122.31点獲得で13位、トータル193.85点獲得で13位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "新型コロナウイルスの影響で、制限付きで開催されることとなったグランプリシリーズでは、スケートアメリカに出場。ショートプログラムにて63.36点獲得で11位、フリースケーティングにて133.62点獲得で10位、トータル196.98点獲得で10位となる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて 82.30点を獲得して6位に着ける。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。3回転アクセルも2本を着氷させて148.48点獲得で8位となり、トータル230.78点獲得で6位と、シニアキャリアの最高成績となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "シーズン初戦のクランベリー杯では、ショートプログラムにて4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツ、3回転アクセルとジャンプすべてを成功させて78.30点獲得で2位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く単独の4回転トウループも成功させる。その後のジャンプで細かなミスはあったものの、スピンすべてでレベル4を獲得するなど、152.29点を獲得 。ISU非公認ながら自己ベストを上回る得点を獲得しフリースケーティング2位となり、トータル230.59点獲得で2位と、表彰台に上がった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "二戦目は、USインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを2点以上の高い加点で成功させる。続く3回転ルッツ・3回転アクセルも成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら自己ベストを上回る84.07点を獲得して2位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプのミスはあったものの、フリースケーティング2位となる149.51点を獲得。トータル233.58点獲得で2位に入り、二戦連続で表彰台に上がった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "グランプリシリーズは、第一線のスケートアメリカに出場。ショートプログラムでは、演技冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。続く3回転ルッツを成功させて、演技後半の3回転アクセルも加点付きで成功させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなどISU公認の自己ベストを更新する84.52点獲得で、ネイサン・チェンを上回り3位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを加点2点以上の出来栄えで成功させる。続く単独の4回転トウループで着氷が乱れステップアウトとなる。3回転ループは成功させるが、3回転アクセルの着氷が乱れ、演技後半の3回転アクセルが1回転半となるなど、ジャンプのミスが続く。フリースケーティング10位となる143.60点獲得に留まるが、トータルでは自己ベストを更新する228.12点獲得で5位に入った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ISUチャレンジャーシリーズは第九戦のワルシャワ杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループと3回転アクセルがミスとなり、71.49点獲得で10位となる。フリースケーティングでは、ジャンプ7本中6本でミスとなり得点を伸ばせず、123.60点獲得で19位。トータル195.09点獲得で16位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "チャレンジャーシリーズ二戦目は、最終戦のゴールデンスピンに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループの着氷が乱れる。その後は演技を立て直し、3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転アクセルを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。 80.84点獲得で5位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の4回転トウループを加点2点以上の出来栄えで成功させる。その後も、3回転ループと3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功。演技後半の3回転アクセルで着氷が乱れ、3回転フリップで軽微なエッジエラーとの判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティングの自己ベストを更新する170.13点を獲得。トータルでもスケートアメリカでマークした自己ベストを20点以上更新する250.97点獲得で3位と、表彰台に上がった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて、すべてのジャンプを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら初の90点台となる91.62点獲得で5位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させるが、続く2回目の4回転トウループで転倒。その後も、ジャンプでのミスが続き、スピンすべてでレベル4を獲得するも、得点は135.36点獲得に留まりフリースケーティング8位。トータルでは226.98点獲得で6位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "全米選手権の成績により、初のISUチャンピオンシップとなる、四大陸選手権の代表に選出された。四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭の4回転トウループの着氷がステップアウトになり手を着いてしまう。続く3回転フリップ-2回転トウループは着氷させるが、3回転アクセルも着氷でステップアウトしてしまう。スピンとステップではレベル4で揃えるも、ジャンプのミスが響き69.98点獲得で9位スタートとなる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプで着氷が乱れるも。続く単独の4回転トウループを高い加点で成功させる。3回転アクセルで着氷が乱れて手を着いてしまい、演技後半の2回目の3回転アクセルで転倒となる。スピンすべてでレベル4を獲得をするが、3回転アクセル2本がミスとなるなど得点を伸ばせず、145.14点獲得で9位。トータル215.12点獲得で10位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "シーズン初戦は、チャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、続く3回転ルッツに2回転トウループをつけてコンビネーションジャンプとするが、ルッツジャンプの着氷が乱れる。演技後半の3回転アクセルを決めて、69.88点獲得で8位となる。 フリースケーティングでは、演技冒頭の4回転トウループが2回転となるが、続く4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の3回転アクセル、3回転ルッツを成功させる。3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプの2回転トウループがジャンプの繰り返し違反となるが、その後は三連続ジャンプと3回転フリップを着氷させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティング3位となる146.88点を獲得して、トータル216.76点獲得で5位と、ショートプログラムから順位を上げた。 グランプリシリーズ初戦は、第二戦のスケートカナダに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、3回転の連続ジャンプで2回転ルッツをつけてリカバリーするも、演技後半の3回転アクセルでも転倒となり、61.73点獲得で9位と出遅れる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループでオーバーターンとなるが、続く3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。3回転ループは2回転となったが、3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプと、3回転ルッツ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップでのミスはあったが、フリースケーティング9位となる142.66点を獲得。トータルでは204.39点獲得で10位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "グランプリシリーズ二戦目は、MKジョン・ウィルソン杯に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループを着氷させるがセカンドジャンプに繋げられず、3回転ルッツに2回転トウループをつけてリカバリー。3回転アクセルがステップアウトとあるも、スピン・ステップはレベル4で揃え、77.72点獲得で6位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがステップアウトとなり、2回目の4回転トウループが2回転となる。その後は2本の3回転アクセルを成功させるなど演技をまとめて136.75点獲得で7位となり、トータル214.47点獲得で7位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "全米選手権では、ショートプログラムにて73.88点を獲得して7位に着けると、フリースケーティングでは、169.21点獲得で5位となり、トータルでは243.09点獲得で5位と、全米選手権で過去最高位の成績となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "全米選手権の成績により、四大陸選手権の代表に選出。二年連続での出場となった四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭回転トウループをGOE2.99点を引き出す出来栄えで成功させる。続く3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷。演技後半の3回転アクセルが僅かな回転不足との判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなど、ショートプログラムで自己ベストを更新する86.64点を獲得して3位に着ける。ISUチャンピオンシップ初の表彰台を目指して臨んだフリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒、2本目の4回転トウループは回転が抜けて2回転となる。続く3回転アクセルでも回転が抜けて1回転半となり、演技後半の3回転アクセルはステップアウトとなる。その後は、3回転ルッツからの三連続ジャンプと3回転フリップを着氷。コレオシークエンスでは会場を盛り上げ、フリースケーティング13位となる134.40点を獲得。トータルでは221.04点獲得で9位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "シーズン最終戦は、プランタン杯に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにミスはあったものの、80.94点獲得で首位に立つ。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒。その後はジャンプで細かいミスはあったものの、フリースケーティング1位となる141.79点を獲得。トータル222.73点獲得で国際大会初優勝となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "シーズン初戦は、クランベリー杯に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにてミスはあったものの、83.05点獲得で首位に立つ。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプでのミスはあったが、139.44点獲得で3位となり、トータル222.49点獲得で3位に入った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "二戦目は、チャレンジャーシリーズオータムクラシックに出場。 ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷させるも、演技後半の3回転アクセルで手を着いてしまい、66.03点獲得で9位となる。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させる。続く2本目の4回転トウループはステップアウトとなり、コンビネーションジャンプに繋げられず、3回転アクセルは転倒となる。その後の3回転ループでの4分の1回転不足や、3連続ジャンプの3回転サルコウでのステップアウトなどジャンプでのミスがあり、フリースケーティング9位となる125.05点獲得に留まる。トータル191.08点獲得で9位と順位を伸ばせなかった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "国際試合三戦目は、上海杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭に予定していた4回転トウループが2回転となり得点にならず、3回転ルッツに3回転トウループをつけてリカバリーに成功するも、3回転アクセルで転倒してしまい得点を伸ばせず、62.30点獲得で5位となる。フリースケーティングでは、3回転アクセルが1回転半となるミスなど、ジャンプ7本中4本で減点となるミスがあり、137.03点獲得で5位。トータル199.33点獲得で5位となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "グランプリシリーズ初戦は、中国杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く3回転ルッツを成功させる。演技後半の3回転アクセルが転倒となるが、スピンすべてでレベル4を獲得。77.29点獲得で7位に着ける。 フリースケーティングでは、コンビネーションジャンプを予定していた冒頭の4回転トウループが2回転となり、2本目の4回転トウループがス着氷が乱れる。スピンすべてでレベル4を獲得するも、ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、127.87点獲得で7位となる。トータル205.16点獲得で9位と、ショートプログラムから順位を落とした。", "title": "経歴" } ]
ジミー・マは、アメリカ合衆国、ニューヨーク出身の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。 主な戦績は、2023年四大陸選手権9位、2022年四大陸選手権10位、2023年全米選手権5位、2021年ゴールデンスピン3位、2018年USクラシック3位など。
{{Infobox フィギュアスケート選手 | 名前 = ジミー・マ | ラテン文字 = Jimmy MA | ピクトグラム = File:US figure skater pictogram.png | 画像 = | キャプション = | 通称 = | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1995|10|11}} | 没年月日 = | 代表国 = {{USA}} | 出生地 = [[ニューヨーク州|ニューヨーク]]・[[クイーンズ区|クイーンズ]]<ref name ="BIO">{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/bios/isufs00034363.htm|title=ISU Home Figure Skating Entries & Results Biographies|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-09}}</ref> | 出身地 = [[ニューヨーク州|ニューヨーク]]・{{lang|en|[[:en:Great Neck, New York|グレートネック]]}} | 居住地= | 死没地 = | 親族 = | 身長 = 164㎝<ref name ="BIO"/> | 体重 = | 血液型 = | 趣味 = [[料理]]<ref name ="BIO"/><br />[[掃除]]<ref name ="BIO"/><br />[[コンピュータゲーム|ビデオゲーム]]<ref name ="BIO"/> | 学歴 = | コーチ = オルガ・ガニチェワ<br />アレクセイ・レトフ | 元コーチ = [[ペーター・ケイン]]<br />ダーリーン・ケイン<br />[[ニコライ・モロゾフ]]<br />[[エレイン・ザヤック]]<br />リュー・ホンユン<br />スティーブン・ライス | 振付師 = [[ニコライ・モロゾフ]]<br />アダム・ブレイク<br />[[ブノワ・リショー]] | 元振付師 = [[ジョシュア・ファリス]]<br />[[ミーシャ・ジー]]<br />ジョシュ・バブ | 所属 = ボストンSC<ref name ="BIO"/> | 元所属 = ニューヨークSC | 練習拠点 = | 元練習拠点 = | 練習時間 = | 開始 = 2004年<ref name ="BIO"/> | 引退 = | 世界ランキング = 118位[[:en:2018–19 ISU World Standings| 2018-19]]<br/>73位[[:en:2019–20 ISU World Standings and Season's World Ranking| 2019-20]]<br>62位 [[:en:2020–21 ISU World Standings and Season's World Ranking| 2020-21]]<br>34位 [[:en:2021–22 ISU World Standings and Season's World Ranking| 2021-22]]<br>22位[[:en:2022–23 ISU World Standings and Season's World Ranking| 2022-23]] | シーズンランク = 61位 2018-19[http://www.isuresults.com/ws/wr2018-19/wrmen.htm]<br>67位 2019-20[http://www.isuresults.com/ws/wr2019-20/wrmen.htm]<br>20位 2021-22[http://results.isu.org/ws/wr2021-22/wrmen.htm]<br>23位 2022-23[https://results.isu.org/ws/wr2022-23/wrmen.htm] | シーズンベスト = 57位 2018-19[http://www.isuresults.com/isujsstat/sb2018-19/sbtsmto.htm]<br>54位 2019-20[http://www.isuresults.com/isujsstat/sb2019-20/sbtsmto.htm]<br>30位 2021-22[http://results.isu.org/isujsstat/sb2021-22/sbtsmto.htm]<br>37位 2022-23[https://results.isu.org/isujsstat/sb2022-23/sbtsmto.htm] | ISUサイト = http://www.isuresults.com/bios/isufs00034363.htm | SP 使用曲 = Hernando's Hideaway<br>作曲:ジェリー・ロス<br>アニメ『[[カウボーイビバップ]]』より<br>Tank!<br>作曲:[[菅野よう子]] | FS 使用曲 = モーツァルトメドレー<br>作曲:[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]] | 合計 スコア = 250.97 | 合計 年 = 2021 ゴールデンスピン | SP スコア = 86.64 | SP 年 = [[2023年四大陸フィギュアスケート選手権|2023 四大陸選手権]] | FS スコア = 170.13 | FS 年 = 2021 ゴールデンスピン | 旧 合計 スコア = | 旧 合計 年 = | 旧 SP スコア = | 旧 SP 年 = | 旧 FS スコア = | 旧 FS 年 = | 大会成績 = | medaltemplates = }} '''ジミー・マ'''({{lang-en|Jimmy Ma}}、{{lang-zh|馬 駿明}}、[[1995年]][[10月11日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]、[[ニューヨーク州|ニューヨーク]]出身の[[男性]][[フィギュアスケート]]選手(男子[[シングルスケーティング|シングル]])。 主な戦績は、[[2023年四大陸フィギュアスケート選手権|2023年四大陸選手権]]9位、[[2022年四大陸フィギュアスケート選手権|2022年四大陸選手権]]10位、2023年[[全米フィギュアスケート選手権|全米選手権]]5位、2021年ゴールデンスピン3位、[[2018年USインターナショナルクラシック|2018年USクラシック]]3位など。 == 人物 == グレートネックノース高等学校卒業<ref name ="Great Neck">{{Cite web |url=https://greatneckrecord.com/figure-skater-turns-a-half-million-heads/|title=Figure Skater Turns A Half Million Heads|publisher=Great Neck Record|accessdate=2023-09-13}}</ref>。フォーダム大学では金融や[[計算機科学|コンピューターサイエンス]]を学んでいた<ref name ="Great Neck"/><ref name ="GOLDEN">{{Cite web |url=https://www.goldenskate.com/forum/threads/jimmy-ma.68648/|title=Jimmy Ma|publisher=GOLDEN SKATE|accessdate=2023-09-13}}</ref>。 2004年、8歳の誕生日を迎える前にスケートを始める。幼いころは、地元グレートネックのパークウッドスポーツコンプレックスや[[マンハッタン]]のチェルシーピアを拠点として練習をしていた<ref name ="Great Neck"/>。 初めてのスケートでは、顔から落ちてしまったこともあり『スケートが大嫌いだった』と語っており、フィギュアスケートに打ち込むようになるとは思わなかったが、日々コーチや両親の励ましによって、徐々に情熱を注げるようになったと語っている<ref name ="Great Neck"/>。 幼い頃から[[バレエ]]のトレーニングを受けていたため、クラシック音楽のプログラムを得意としていたが、型破りな楽曲を選択することで多くの注目を集めることがあり、2018年[[全米フィギュアスケート選手権|全米選手権]]では[[ショートプログラム]]にて、[[ヒップホップ]]ベースのパフォーマンスを多く取り入れた演技を披露した<ref name ="GOLDEN"/>。 日本の[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]にも造詣があり、[[2022年四大陸フィギュアスケート選手権|2022年四大陸選手権]]の[[フリースケーティング]]では、日本の人気アニメ「[[進撃の巨人]]」の曲を使用しており、演技後は、「[[鬼滅の刃 (アニメ)|鬼滅の刃]]」主人公の衣装を連想させる、緑と黒の[[市松模様]]のマスクを着用するとともに、「進撃の巨人」の作中に出てくるポーズまで披露した<ref>{{Cite news|title=フィギュア米選手、鬼滅マスク&進撃ポーズで写った“アニメ愛感じる1枚”を海外紹介|newspaper=THE ANSWER|date=2022-01-25|url=https://the-ans.jp/news/213964/|accessdate=2023-09-13|publisher=Creative2}}</ref>。 10年以上に渡りクラシック[[ピアノ]]の勉強もしており<ref name ="Great Neck"/>、[[コンサート]][[ピアニスト]]でもある。[[カーネギーホール]]や[[リンカーン・センター]]の慈善イベントで演奏したこともある<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20180630072904/http://web.icenetwork.com/skaters/profile/jimmy_ma/|title=skaters profile Jimmy Ma|publisher=icenetwork|accessdate=2023-09-13}}</ref>。 == 経歴 == === ジュニア時代 === ==== 2012-13シーズン ==== [[全米フィギュアスケート選手権|全米選手権]]ジュニアクラスでは、[[ショートプログラム]]にて57.88点獲得で4位、[[フリースケーティング]]にて118.21点獲得で3位となり、トータル176.09点獲得で4位に入る。 [[2013年ガルデナスプリング杯|ガルデナスプリング杯]]ジュニアクラスでは、ショートプログラムにて55.08点で2位、フリースケーティングにて98.90点獲得で3位となり、トータル153.98点獲得で3位となり、[[表彰台]]に立った。 ==== 2013-14シーズン ==== [[ISUジュニアグランプリシリーズ]]デビュー戦は、[[2013/2014 ISUジュニアグランプリシリーズ|ジュニアグランプリシリーズリガ杯]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の3回転[[ルッツジャンプ|ルッツ]]-3回転[[トウループジャンプ|トウループ]]のコンビネーションジャンプを着氷。続く3回転[[ループジャンプ|ループ]]と2回転[[アクセルジャンプ|アクセル]]も着氷させて、56.31点獲得で10位となる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/jgplat2013/jgplat2013_JuniorMen_SP_Scores.pdf|title=ISU JGP Riga Cup 2013 JUNIOR MEN SHORT PROGRAM JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-13}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転ルッツを成功させるも、3回転を予定していたループジャンプが2回転となり、3回転[[フリップジャンプ|フリップ]]が回転不足となり転倒、演技後半の3回転ルッツでも転倒となる。その後は三連続ジャンプを含めて成功させて、フリースケーティング15位となる91.48点獲得<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/jgplat2013/jgplat2013_JuniorMen_FS_Scores.pdf|title=ISU JGP Riga Cup 2013 JUNIOR MEN FREE SKATING JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-13}}</ref>。トータル147.79点獲得で13位となった。 全米選手権では、ショートプログラムにて63.46点獲得で2位に着ける。フリースケーティングにて119.27点獲得で3位となり、トータル182.73点獲得で3位と初の表彰台に上がった。 ==== 2014-15シーズン ==== ジュニアグランプリシリーズ参戦二年目の[[2014/2015 ISUジュニアグランプリシリーズ|ジュニアグランプリシリーズメ~テレ杯]]では、ショートプログラムにて冒頭の2回転アクセルは成功させるも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプがミスとなり、3回転ルッツでも2回転となった上で回転不足との判定を受けるなど、得点を伸ばせず 47.81点獲得で14位となる<ref>{{Cite web|url=http://www.isuresults.com/results/jgpjpn2014/jgpjpn2014_JuniorMen_SP_Scores.pdf|title=ISU JGP Nagoya TV Cup 2014JUNIOR MEN SHORT PROGRAM JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-13}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の3回転トウループとコンビネーションジャンプ2つは着氷するも、3つのジャンプで転倒とジャンプでのミスが重なり、フリースケーティング4位となる91.90点獲得に留まる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/jgpjpn2014/jgpjpn2014_JuniorMen_FS_Scores.pdf|title=ISU JGP Nagoya TV Cup 2014JUNIOR MEN FREE SKATING JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-13}}</ref>。トータル139.71点獲得で14位と、順位を伸ばせなかった。 全米選手権では、シニアクラスに出場。ショートプログラムでは59.09点獲得で16位、フリースケーティングでは105.65点獲得で18位、トータル164.74点獲得で18位となった。 === シニア移行後 === ==== 2015-16シーズン ==== 東部地区フィギュアスケート選手権大会で1位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて51.95点獲得で15位、フリースケーティングにて109.68点獲得で17位、トータル161.63点獲得で16位となった。 ==== 2016-17シーズン ==== 東部地区フィギュアスケート選手権大会で3位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて70.41点獲得で15位、フリースケーティングにて110.66点獲得で21位、トータル181.07点獲得で20位となった。 ==== 2017-18シーズン ==== 東部地区フィギュアスケート選手権大会で3位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて3回転アクセルを成功させて、75.28点獲得で11位に着ける<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20180108034831/http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2018/26192/SEGM035.html|title=2018 U.S. Figure Skating Championships Championship Men / Short Program Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-13}}</ref>。フリースケーティングでは、ジャンプにミスはあったものの147.13点獲得で11位<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20180110022923/http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2018/26192/SEGM036.html|title=2018 U.S. Figure Skating Championships Championship Men / Free Skate Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-13}}</ref>、トータル222.41点獲得で11位となり、[[国際スケート連盟]]非公認ながら200点を超える得点を獲得した。 ==== 2018-19シーズン ==== シーズン初戦は、[[フィラデルフィアサマーインターナショナル]]に出場。ショートプログラムにて67.32点獲得で4位に着けると、フリースケーティングにて131.56点獲得で2位となり、トータル198.88点獲得で2位と順位を上げた。 次戦は、[[2018/2019 ISUチャレンジャーシリーズ|チャレンジャーシリーズ]][[2018年USインターナショナルクラシック|USインターナショナルクラシック]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭で4回転トウループに挑むも転倒。続く3回転アクセルを加点2点以上で成功させる。演技後半の3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで軽微なエッジエラーとの判定を受けるものの、73.21点獲得で4位に着ける<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20180917071856/http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2018/28067/SEGM003.html|title=2018 U.S. International Figure Skating Classic Senior Men / Short Program Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-13}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがミスとなるものの、続く3回転ループと3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。演技後半も、単独の3回転アクセルと3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップが1回転となるものの、フリースケーティング3位となる132.89点を獲得<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20180918050130/http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2018/28067/SEGM004.html|title=2018 U.S. International Figure Skating Classic Senior Men / Free Skating Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-13}}</ref>。トータル206.10点獲得で自己ベストを20点以上更新して3位に入り、国際スケート連盟公認大会で初の表彰台に上がった。 [[ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]デビューとなった、[[2018/2019 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]][[2018年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]では、ショートプログラムにて冒頭の4回転トウループで転倒、3回転アクセルは成功させるが、コンビネーションジャンプにミスが出てしまい71.53点獲得で7位スタートとなる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season1819/gpusa2018/gpusa2018_Men_SP_Scores.pdf|title=ISU GP 2018 Skate America MEN SHORT PROGRAM JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-14}}</ref>。 フリースケーティングでは、4回転トウループで転倒。続く3回転ループは着氷するも、3回転アクセルでも転倒となる。演技後半で挑んだ3回転アクセルが1回転半となり、3回転フリップでも転倒するなど、ジャンプ7本中5本で減点となる。ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、113.53点獲得で12位<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season1819/gpusa2018/gpusa2018_Men_FS_Scores.pdf|title=ISU GP 2018 Skate America MEN FREE SKATING JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-14}}</ref>。トータル185.06点獲得で12位と、ほろ苦いグランプリシリーズデビューとなった。 東部地区フィギュアスケート選手権大会で2位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて74.84点獲得で10位に着け、フリースケーティングでは、132.08点獲得で11位。トータル206.92点獲得で10位となった。 ==== 2019-20シーズン ==== シーズン初戦は、[[2019/2020 ISUチャレンジャーシリーズ|チャレンジャーシリーズ]][[2019年USインターナショナルクラシック|USインターナショナルクラシック]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転アクセルは加点付きで成功するも、3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションジャンプで転倒。67.34点獲得で6位スタートとなる<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20190920071245/https://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2019/28725/SEGM003.html|title=2019 U.S. International Figure Skating Classic Championship Men / Short Program Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-14}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループは転倒となるが、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプを高い加点で成功させる。演技後半のアクセルジャンプでのミスはあったものの、3回転ルッツからの三連続ジャンプと単独の3回転フリップを成功させて、フリースケーティングの自己ベスト更新となる132.96点を獲得<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20190921073709/https://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2019/28725/SEGM004.html|title=2019 U.S. International Figure Skating Classic Championship Men / Free Skating Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-14}}</ref>。トータル200.30点獲得で6位となった。 シーズン二戦目は、チャレンジャーシリーズ[[2019年フィンランディア杯|フィンランディア杯]]に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループの着氷が乱れ、ステップアウトとなる。続く3回転アクセルは成功させるが、連続3回転を予定していたジャンプでセカンドジャンプが2回転となり、その後のスピンでもバランスを崩してしまい、 66.48点獲得で8位スタートとなる<ref>{{Cite web |url=https://www.figureskatingresults.fi/results/1920/CSFIN2019/CSFIN2019_Men_SP_Scores.pdf|title=CS Finlandia Trophy Espoo 2019 MEN SHORT PROGRAM JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=FINNISH FIGURE SKATING ASSOCIATION|accessdate=2023-09-14}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを加点付きで成功させると、続く3回転アクセル-3回転トウループのコンビネーションジャンプも成功させる。3回転ループで転倒するも、単独の3回転アクセルも成功させる。演技後半の3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させて勢いに乗ると、その後のジャンプも成功させて、フリースケーティング2位となる147.01点獲得して自己ベストを更新<ref>{{Cite web |url=https://www.figureskatingresults.fi/results/1920/CSFIN2019/CSFIN2019_Men_FS_Scores.pdf|title=CS Finlandia Trophy Espoo 2019 MEN FREE SKATING JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=FINNISH FIGURE SKATING ASSOCIATION|accessdate=2023-09-14}}</ref>。トータルでも自己ベストを更新する213.49点を獲得して4位と、ショートプログラムから順位を上げた。 東部地区フィギュアスケート選手権大会では200点超えの得点を獲得して1位となり、全米選手権に進出。 全米選手権では、ショートプログラムにて71.54点獲得で12位、フリースケーティングにて122.31点獲得で13位、トータル193.85点獲得で13位となった。 ==== 2020-21シーズン ==== 新型コロナウイルスの影響で、制限付きで開催されることとなった[[2020/2021 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]では、スケートアメリカに出場。ショートプログラムにて63.36点獲得で11位、フリースケーティングにて133.62点獲得で10位、トータル196.98点獲得で10位となる<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2020/29710/CAT001SEG002.html|title=ISU GP 2020 Guaranteed Rate Skate America Men|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref>。 全米選手権では、ショートプログラムにて 82.30点を獲得して6位に着ける。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。3回転アクセルも2本を着氷させて148.48点獲得で8位となり<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2021/27989/SEGM004.html|title=2021 Toyota U.S. Figure Skating Championships Championship Men / Free Skate Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref>、トータル230.78点獲得で6位と、シニアキャリアの最高成績となった。 ==== 2021-22シーズン ==== シーズン初戦のクランベリー杯では、ショートプログラムにて4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転ルッツ、3回転アクセルとジャンプすべてを成功させて78.30点獲得で2位に着ける<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2021/30084/SEGM007.html|title=2021 Cranberry Cup International Senior Men / Short Program Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く単独の4回転トウループも成功させる。その後のジャンプで細かなミスはあったものの、スピンすべてでレベル4を獲得するなど、152.29点を獲得<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2021/30084/SEGM008.html|title=2021 Cranberry Cup International Senior Men / Free Skating Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref> 。ISU非公認ながら自己ベストを上回る得点を獲得しフリースケーティング2位となり、トータル230.59点獲得で2位と、表彰台に上がった。 二戦目は、USインターナショナルクラシックに出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを2点以上の高い加点で成功させる。続く3回転ルッツ・3回転アクセルも成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら自己ベストを上回る84.07点を獲得して2位に着ける<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2021/30212/SEGM001.html|title=2021 U.S. International Figure Skating Classic Senior Men / Short Program Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプのミスはあったものの、フリースケーティング2位となる149.51点を獲得<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2021/30212/SEGM002.html|title=2021 U.S. International Figure Skating Classic Senior Men / Free Skating Judges' Details|publisher=U.S. Figure Skating|accessdate=2023-09-15}}</ref>。トータル233.58点獲得で2位に入り、二戦連続で表彰台に上がった。 [[2021/2022 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]は、第一線の[[2021年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]に出場。ショートプログラムでは、演技冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。続く3回転ルッツを成功させて、演技後半の3回転アクセルも加点付きで成功させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなどISU公認の自己ベストを更新する84.52点獲得で、[[ネイサン・チェン]]を上回り3位に着ける<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2122/gpusa2021/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=2021 Guaranteed Rate Skate America JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-16}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを加点2点以上の出来栄えで成功させる。続く単独の4回転トウループで着氷が乱れステップアウトとなる。3回転ループは成功させるが、3回転アクセルの着氷が乱れ、演技後半の3回転アクセルが1回転半となるなど、ジャンプのミスが続く。フリースケーティング10位となる143.60点獲得に留まるが<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2122/gpusa2021/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=2021 Guaranteed Rate Skate America JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-16}}</ref>、トータルでは自己ベストを更新する228.12点獲得で5位に入った。 [[ISUチャレンジャーシリーズ]]は第九戦の[[ワルシャワ杯]]に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループと3回転アクセルがミスとなり、71.49点獲得で10位となる。フリースケーティングでは、ジャンプ7本中6本でミスとなり得点を伸ばせず、123.60点獲得で19位。トータル195.09点獲得で16位となった。 チャレンジャーシリーズ二戦目は、最終戦の[[ゴールデンスピン]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループの着氷が乱れる。その後は演技を立て直し、3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプ、3回転アクセルを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得<ref>{{Cite web |url=http://granuli.hr/gs2021/html/53GS2021_MEN_SP_Scores.pdf|title=ISU CS 53rd GOLDEN SPIN OF ZAGREB 2021 MEN SHORT PROGRAM JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=croskate.hr|accessdate=2023-09-16}}</ref>。 80.84点獲得で5位に着ける。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の4回転トウループを加点2点以上の出来栄えで成功させる。その後も、3回転ループと3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功。演技後半の3回転アクセルで着氷が乱れ、3回転フリップで軽微なエッジエラーとの判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティングの自己ベストを更新する170.13点を獲得<ref>{{Cite web |url=http://granuli.hr/gs2021/html/53GS2021_MEN_SP_Scores.pdf|title=ISU CS 53rd GOLDEN SPIN OF ZAGREB 2021 MEN FREE SKATING JUDGES DETAILS PER SKATER|publisher=croskate.hr|accessdate=2023-09-16}}</ref>。トータルでも[[2021年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]でマークした自己ベストを20点以上更新する250.97点獲得で3位と、表彰台に上がった。 全米選手権では、ショートプログラムにて、すべてのジャンプを成功させて、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。ISU非公認ながら初の90点台となる91.62点獲得で5位に着ける<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2022/29546/SEGM015.html|title=2022 TOYOTA U.S. Figure Skating Championships|publisher=U.S. Figure Skating Championship Men / Short Program Judges' Details|accessdate=2023-09-16}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させるが、続く2回目の4回転トウループで転倒。その後も、ジャンプでのミスが続き、スピンすべてでレベル4を獲得するも、得点は135.36点獲得に留まりフリースケーティング8位<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2022/29546/SEGM016.html|title=2022 TOYOTA U.S. Figure Skating Championships|publisher=U.S. Figure Skating Championship Men / Free Skate Judges' Details|accessdate=2023-09-16}}</ref>。トータルでは226.98点獲得で6位となった。 全米選手権の成績により、初のISUチャンピオンシップとなる、[[2022年四大陸フィギュアスケート選手権|四大陸選手権]]の代表に選出された。四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭の4回転トウループの着氷がステップアウトになり手を着いてしまう。続く3回転フリップ-2回転トウループは着氷させるが、3回転アクセルも着氷でステップアウトしてしまう。スピンとステップではレベル4で揃えるも、ジャンプのミスが響き69.98点獲得で9位スタートとなる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2122/fc2022/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title= Four Continents Figure Skating Championships 2022 JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプのセカンドジャンプで着氷が乱れるも。続く単独の4回転トウループを高い加点で成功させる。3回転アクセルで着氷が乱れて手を着いてしまい、演技後半の2回目の3回転アクセルで転倒となる。スピンすべてでレベル4を獲得をするが、3回転アクセル2本がミスとなるなど得点を伸ばせず、145.14点獲得で9位<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2122/fc2022/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title= Four Continents Figure Skating Championships 2022 JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>。トータル215.12点獲得で10位となった。 ==== 2022-23シーズン ==== シーズン初戦は、[[2022/2023 ISUチャレンジャーシリーズ|チャレンジャーシリーズ]][[2022年USインターナショナルクラシック|USインターナショナルクラシック]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、続く3回転ルッツに2回転トウループをつけてコンビネーションジャンプとするが、ルッツジャンプの着氷が乱れる。演技後半の3回転アクセルを決めて、69.88点獲得で8位となる<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2022/csusa2022/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=2022 U.S. INTERNATIONAL FIGURE SKATING CLASSIC JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>。 フリースケーティングでは、演技冒頭の4回転トウループが2回転となるが、続く4回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプと単独の3回転アクセル、3回転ルッツを成功させる。3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプの2回転トウループがジャンプの繰り返し違反となるが、その後は三連続ジャンプと3回転フリップを着氷させる。スピン・ステップすべてでレベル4を獲得。フリースケーティング3位となる146.88点を獲得して、トータル216.76点獲得で5位<ref>{{Cite web |url=https://ijs.usfigureskating.org/leaderboard/results/2022/csusa2022/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=2022 U.S. INTERNATIONAL FIGURE SKATING CLASSIC JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>と、ショートプログラムから順位を上げた。 [[2022/2023 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]初戦は、第二戦の[[2022年スケートカナダ|スケートカナダ]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒、3回転の連続ジャンプで2回転ルッツをつけてリカバリーするも、演技後半の3回転アクセルでも転倒となり、61.73点獲得で9位と出遅れる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/gpcan2022/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating Skate Canada International JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループでオーバーターンとなるが、続く3回転ルッツからの三連続ジャンプを成功させる。3回転ループは2回転となったが、3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプと、3回転ルッツ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。最後のジャンプである3回転フリップでのミスはあったが、フリースケーティング9位となる142.66点を獲得<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/gpcan2022/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating Skate Canada International JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-17}}</ref>。トータルでは204.39点獲得で10位となった。 グランプリシリーズ二戦目は、[[2022年MKジョン・ウィルソン杯|MKジョン・ウィルソン杯]]に出場。ショートプログラムでは、4回転トウループを着氷させるがセカンドジャンプに繋げられず、3回転ルッツに2回転トウループをつけてリカバリー。3回転アクセルがステップアウトとあるも、スピン・ステップはレベル4で揃え、77.72点獲得で6位に着ける<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/gpgbr2022/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating MK John Wilson Trophy JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループがステップアウトとなり、2回目の4回転トウループが2回転となる。その後は2本の3回転アクセルを成功させるなど演技をまとめて136.75点獲得で7位となり<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/gpgbr2022/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating MK John Wilson Trophy JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>、トータル214.47点獲得で7位となった。 全米選手権では、ショートプログラムにて73.88点を獲得して7位に着けると、フリースケーティングでは、169.21点獲得で5位となり、トータルでは243.09点獲得で5位と、全米選手権で過去最高位の成績となった。 全米選手権の成績により、[[2023年四大陸フィギュアスケート選手権|四大陸選手権]]の代表に選出。二年連続での出場となった四大陸選手権では、ショートプログラムにて、冒頭回転トウループをGOE2.99点を引き出す出来栄えで成功させる。続く3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷。演技後半の3回転アクセルが僅かな回転不足との判定を受けるものの、スピン・ステップすべてでレベル4を獲得するなど、ショートプログラムで自己ベストを更新する86.64点を獲得して3位に着ける<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/fc2023/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Four Continents Figure Skating Championships 2023 JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>。ISUチャンピオンシップ初の表彰台を目指して臨んだフリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒、2本目の4回転トウループは回転が抜けて2回転となる。続く3回転アクセルでも回転が抜けて1回転半となり、演技後半の3回転アクセルはステップアウトとなる。その後は、3回転ルッツからの三連続ジャンプと3回転フリップを着氷。コレオシークエンスでは会場を盛り上げ、フリースケーティング13位となる134.40点を獲得<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2223/fc2023/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Four Continents Figure Skating Championships 2023 JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>。トータルでは221.04点獲得で9位となった。 シーズン最終戦は、[[プランタン杯]]に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにミスはあったものの、80.94点獲得で首位に立つ<ref>{{Cite web |url=https://coupeduprintemps.com/CDP2023/CDP/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU COUPE DU PRINTEMPS 2023 JUDGES DETAILS PER SKATER SENIOR MEN SHORT PROGRAM|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループで転倒。その後はジャンプで細かいミスはあったものの、フリースケーティング1位となる141.79点を獲得<ref>{{Cite web |url=https://coupeduprintemps.com/CDP2023/CDP/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU COUPE DU PRINTEMPS 2023 JUDGES DETAILS PER SKATER SENIOR MEN FREE SKATING|publisher=ISU - International Skating Union|accessdate=2023-09-18}}</ref>。トータル222.73点獲得で国際大会初優勝となった。 ==== 2023-24シーズン ==== シーズン初戦は、クランベリー杯に出場。ショートプログラムでは、3回転アクセルにてミスはあったものの、83.05点獲得で首位に立つ。フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させる。その後はジャンプでのミスはあったが、139.44点獲得で3位となり、トータル222.49点獲得で3位に入った。 二戦目は、[[2023/2024 ISUチャレンジャーシリーズ|チャレンジャーシリーズ]][[2023年オータムクラシック|オータムクラシック]]に出場。 ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループで転倒。3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを着氷させるも、演技後半の3回転アクセルで手を着いてしまい、66.03点獲得で9位となる<ref>{{Cite web |url=https://skatecanada.ca/results/23aci/cscan2023/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=Challenger Series Autumn Classic JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=Skate Canada|accessdate=2023-09-22}}</ref>。 フリースケーティングでは、冒頭の4回転トウループを成功させる。続く2本目の4回転トウループはステップアウトとなり、コンビネーションジャンプに繋げられず、3回転アクセルは転倒となる。その後の3回転ループでの4分の1回転不足や、3連続ジャンプの3回転サルコウでのステップアウトなどジャンプでのミスがあり、フリースケーティング9位となる125.05点獲得に留まる<ref>{{Cite web |url=https://skatecanada.ca/results/23aci/cscan2023/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=Challenger Series Autumn Classic JJUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=Skate Canada|accessdate=2023-09-22}}</ref>。トータル191.08点獲得で9位と順位を伸ばせなかった。 国際試合三戦目は、上海杯に出場。ショートプログラムでは、冒頭に予定していた4回転トウループが2回転となり得点にならず、3回転ルッツに3回転トウループをつけてリカバリーに成功するも、3回転アクセルで転倒してしまい得点を伸ばせず、62.30点獲得で5位となる。フリースケーティングでは、3回転アクセルが1回転半となるミスなど、ジャンプ7本中4本で減点となるミスがあり、137.03点獲得で5位。トータル199.33点獲得で5位となった。 [[2023/2024 ISUグランプリシリーズ|グランプリシリーズ]]初戦は、[[2023年中国杯|中国杯]]に出場。ショートプログラムでは、冒頭の4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させて、続く3回転ルッツを成功させる。演技後半の3回転アクセルが転倒となるが、スピンすべてでレベル4を獲得。77.29点獲得で7位に着ける<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2324/gpchn2023/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating - Cup of China JUDGES DETAILS PER SKATER MEN SHORT PROGRAM|publisher=Skate Canada|accessdate=2023-11-15}}</ref>。 フリースケーティングでは、コンビネーションジャンプを予定していた冒頭の4回転トウループが2回転となり、2本目の4回転トウループがス着氷が乱れる。スピンすべてでレベル4を獲得するも、ジャンプのミスが響き得点を伸ばせず、127.87点獲得で7位となる<ref>{{Cite web |url=http://www.isuresults.com/results/season2324/gpchn2023/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf|title=ISU Grand Prix of Figure Skating - Cup of China JUDGES DETAILS PER SKATER MEN FREE SKATING|publisher=Skate Canada|accessdate=2023-11-15}}</ref>。トータル205.16点獲得で9位と、ショートプログラムから順位を落とした。 == 主な戦績 == * [[File:International_Skating_Union.svg|18px]]マークが付いている大会はISU公認の国際大会 {| class="wikitable" style="text-align: center;" |- ! 大会/年 ! 2012-13 ! 2013-14 ! 2014-15 ! 2015-16 ! 2016-17 ! 2017-18 ! 2018-19 ! 2019-20 ! 2020-21 ! 2021-22 ! 2022-23 ! 2023-24 |- ! colspan="13" style="background-color: #ffdead; " |国際大会(シニア) |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[四大陸フィギュアスケート選手権|四大陸選手権]] | | | | | | | | | | 10 | 9 | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[中国杯|GP中国杯]] | | | | | | | | | | | | 9 |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[2023年エスポーグランプリ|GPエスポー]] | | | | | | | | | | | | 11 |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[スケートアメリカ|GPスケートアメリカ]] | | | | | | | 12 | | 10 | 5 | | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[スケートカナダ|GPスケートカナダ]] | | | | | | | | | | | 9 | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[2022年MKジョン・ウィルソン杯|GPイギリス]] | | | | | | | | | | | 7 | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[スケートカナダオータムクラシック|CSオータムクラシック]] | | | | | | | | | | | | 9 |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[フィンランディア杯|CSフィンランディア杯]] | | | | | | | | 4 | | | | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[ゴールデンスピン|CSゴールデンスピン]] | | | | | | | | | | style="background:#cc9966" | 3 | | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[USインターナショナルクラシック|CS USクラシック]] | | | | | | | style="background:#cc9966" | 3 | | | | | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[ワルシャワ杯|CSワルシャワ杯]] | | | | | | | | | | 16 | | |- | style="text-align:left" | クランベリー杯 | | | | | | | | | | style="background:#c0c0c0" | 2 | | style="background:#cc9966" | 3 |- | style="text-align:left" |[[フィラデルフィアサマーインターナショナル|フィラデルフィアサマー]] | | | | | | | style="background:#c0c0c0" | 2 | | | | | |- | style="text-align:left" |[[プランタン杯]] | | | | | | | | | | | style="background:#ffd700" | 1 | |- | style="text-align:left" |上海杯 | | | | | | | | | | | | 5 |- ! colspan="13" style="background-color: #ffdead; " |国際大会(ジュニア) |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[ISUジュニアグランプリシリーズ|JGPメ~テレ杯]] | | | 14 | | | | | | | | | |- | style="text-align:left" |[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]] [[ISUジュニアグランプリシリーズ|JGPリガ杯]] | | 13 | | | | | | | | | | |- | style="text-align:left" | [[ガルデナスプリング杯|エーニャスプリング杯]] | style="background:#cc9966" | 3 | | | | | | | | | | | |- ! colspan="13" style="background-color: #ffdead; " |国内大会 |- | style="text-align:left" | [[全米フィギュアスケート選手権|全米選手権]] | style="background:#d1c571" | 4 J | style="background:#cc9966" | 3 J | 18 | 16 | 20 | 11 | 10 | 13 | 6 | 6 | 5 | |} * J - ジュニアクラス === 詳細 === *パーソナルベストは'''太字'''で表示 {{F.SkatersCompetitionResults|2023| {{F.SkatersRbC|2023|11|17||19|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2023/2024 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2023年エスポーグランプリ|エスポーグランプリ]]|[[エスポー (フィンランド)|エスポー]]|11|191.26|3|80.19|11|111.07}}| {{F.SkatersRbC|2023|11|10||12|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2023/2024 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2023年中国杯|中国杯]]|[[重慶市|重慶]]|9|205.16|7|77.29|10|127.87}}| {{F.SkatersRbC|2023|10|3||5|2023年上海杯|[[上海市|上海]]|5|199.33|5|62.30|4| 137.03}}| {{F.SkatersRbC|2023|9|14||16|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2023/2024 ISUチャレンジャーシリーズ|ISUチャレンジャーシリーズ]] [[2023年オータムクラシック|オータムクラシック]]|[[:en:Pierrefonds, Quebec|ピエールフォン]]|9|191.08|9|66.03|9|125.05}}| {{F.SkatersRbC|2023|9|9||13|2023年クランベリー杯|ノーウッド|3|222.49|1|83.05|3|139.44}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2022| {{F.SkatersRbC|2023|3|17||19|[[プランタン杯|2023年プランタン杯]]|[[ルクセンブルク]]|1|222.73|1|80.94|1|141.79}}| {{F.SkatersRbC|2023|2|7||12|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2023年四大陸フィギュアスケート選手権]]|[[コロラドスプリングス]]|9|221.04|3|'''86.64'''|13|134.40}}| {{F.SkatersRbC|2023|1|23||29|2023年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[ナッシュビル]]|5|243.09|7|73.88|5|169.21}}| {{F.SkatersRbC|2022|11|11||13|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2022/2023 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2022年MKジョン・ウィルソン杯|MKジョン・ウィルソン杯]]|[[シェフィールド]]|7|214.47|6|77.72|7|136.75}}| {{F.SkatersRbC|2022|10|28||30|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2022/2023 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2022年スケートカナダ|スケートカナダ]]|[[ミシサガ (オンタリオ州)|ミシサガ]]|9|204.39|9|61.73|9|142.66}}| {{F.SkatersRbC|2022|9|13||16|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2022/2023 ISUチャレンジャーシリーズ|ISUチャレンジャーシリーズ]] [[2022年USインターナショナルクラシック|USクラシック]]|[[レークプラシッド (ニューヨーク州)|レークプラシッド]]|5|216.76|8|69.88|3|146.88}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2021| {{F.SkatersRbC|2022|1|18||23|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2022年四大陸フィギュアスケート選手権]]|[[タリン]]|10|215.12|9|69.98|9|145.14}}| {{F.SkatersRbC|2022|1|3||9|2022年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[ナッシュビル]]|6|226.98|5|91.62|8|135.36}}| {{F.SkatersRbC|2021|12|7||11|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[ISUチャレンジャーシリーズ]] ゴールデンスピン|[[シサク]]|3|'''250.97'''|5|80.84|2|'''170.13'''}}| {{F.SkatersRbC|2021|11|17||20|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[ISUチャレンジャーシリーズ]] ワルシャワ杯|[[ワルシャワ]]|16|195.09|10|71.49|19|123.60}}| {{F.SkatersRbC|2021|10|22||24|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2021/2022 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2021年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]|[[ラスベガス]]|5|228.12|3|84.52|10|143.60}}| {{F.SkatersRbC|2021|9|14||17|2021年USクラシック|ノーウッド|2|233.58|2|84.07|2|149.51}}| {{F.SkatersRbC|2021|8|11||15|2021年クランベリー杯|ノーウッド|2|230.59|2|78.30|2|152.29}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2020| {{F.SkatersRbC|2021|1|14||21|2021年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[ラスベガス]]|6|230.78|6|82.30|8|148.48}}| {{F.SkatersRbC|2020|10|23||24|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2020/2021 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] スケートアメリカ|[[ラスベガス]]|10|196.98|11|63.36|10|133.62}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2019| {{F.SkatersRbC|2020|1|20||26|2020年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]|12|193.85|12|71.54|13|122.31}}| {{F.SkatersRbC|2019|12|5||7|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2019/2020 ISUチャレンジャーシリーズ|ISUチャレンジャーシリーズ]] [[2019年フィンランディア杯|フィンランディア杯]]|[[エスポー (フィンランド)|エスポー]]|4|213.49|8|66.48|2|147.01}}| {{F.SkatersRbC|2019|9|17||22|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2019/2020 ISUチャレンジャーシリーズ|ISUチャレンジャーシリーズ]] [[2019年USインターナショナルクラシック|USクラシック]]|[[ソルトレイクシティ]]|6|200.30|6|67.34|6|132.96}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2018| {{F.SkatersRbC|2019|1|19||27|2019年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[デトロイト]]|10|206.92|10|74.84|11|132.08}}| {{F.SkatersRbC|2018|10|26||28|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2018/2019 ISUグランプリシリーズ|ISUグランプリシリーズ]] [[2018年スケートアメリカ]]|[[エバレット (ワシントン州)|エバレット]]|12|185.06|7|71.85|12|113.53|}}| {{F.SkatersRbC|2018|9|20||22|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2018/2019 ISUチャレンジャーシリーズ|ISUチャレンジャーシリーズ]] [[2018年USインターナショナルクラシック|USクラシック]]|[[ソルトレークシティ]]|3|206.10|4|73.21|3|132.89}} {{F.SkatersRbC|2018|9|20||22|[[フィラデルフィアサマーインターナショナル|フィラデルフィアサマー]]|[[フィラデルフィア]]|2|198.88|4|67.32|2|131.56}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2017| {{F.SkatersRbC|2017|12|28|2018年1|7|2018年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[サンノゼ]]|11|222.41|11|75.28|11|147.13}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2016| {{F.SkatersRbC|2017|1|14||22|2017年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]|20|181.07|15|70.41|21|110.66}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2015| {{F.SkatersRbC|2016|1|15||24|2016年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[セントポール (ミネソタ州)|セントポール]]|16|161.63|15|51.95|17|109.68}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2014| {{F.SkatersRbC|2015|1|18||25|2015年[[全米フィギュアスケート選手権]]|[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]|18|164.74|16|59.09|18|105.65}} {{F.SkatersRbC|2014|9|10||14|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2014/2015 ISUジュニアグランプリシリーズ|ISUジュニアグランプリ メ~テレ杯]]|[[長久手市|長久手]]|14|139.71|14|47.81|14|91.90}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2013| {{F.SkatersRbC|2014|1|5||12|2014年[[全米フィギュアスケート選手権]]ジュニアクラス|[[ボストン]]|3|182.73|2|63.46|3|119.27}}| {{F.SkatersRbC|2013|8|28||31|[[ファイル:International Skating Union.svg|18px]][[2013/2014 ISUジュニアグランプリ|ISUジュニアグランプリ リガ杯]]|[[リガ]]|13|147.79|10|56.31|15|91.48}}| }} {{F.SkatersCompetitionResults|2012| {{F.SkatersRbC|2013|4|1||3|[[2013年ガルデナスプリング杯]]ジュニアクラス|[[セルヴァ・ディ・ヴァル・ガルデーナ]]|3|153.98|2|55.08|3|98.90}}| {{F.SkatersRbC|2013|1|20||27|2013年[[全米フィギュアスケート選手権]]ジュニアクラス|[[オマハ (ネブラスカ州)|オマハ]]|4|176.09|4|57.88|3|118.21}}| }} == プログラム使用曲 == {| class="wikitable" style="text-align:center" ! シーズン ! SP ! FS ! EX |- | 2023-2024 | Hernando's Hideaway<br /><small>作曲:ジェリー・ロス<br />演奏:ビリー・メイのリコ・マンボ・オーケストラ</small><br />アニメ『[[カウボーイビバップ]]』より<br />Tank!<br /><small>作曲:[[菅野よう子]]<br />振付:アダム・ブレイク、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | モーツァルトメドレー<br /><small>作曲:[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]</small> | |- | 2022-2023 | 映画『[[ブラック・スワン (映画)|ブラック・スワン]]』より<br /><small>作曲:[[クリント・マンセル]]<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]</small><hr />Warriors<br /><small>演奏:2WEI<br />歌唱: エッダ・ヘイズ<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]、アダム・ブレイク、[[ブノワ・リショー]]</small> | 『[[ベルガマスク組曲]]』より<br />月の光<br /><small>作曲:[[クロード・ドビュッシー]]</small><br />Volcano<br /><small>歌唱:Woodkid<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]、アダム・ブレイク、[[ブノワ・リショー]]</small> | Movie Star<br /><small>作曲:アンソニー・ルッソ、ケーリン・ベア、スコット・クイン、MZMC、ジェイ・キム<br />歌唱:[[CIX (音楽グループ)|CIX]]</small> |- | 2021-2022 | 映画『[[ブラック・スワン (映画)|ブラック・スワン]]』より<br /><small>作曲:[[クリント・マンセル]]<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | アニメ『[[進撃の巨人 (アニメ)|進撃の巨人]]』より<br />Vogel im Käfig<br />T-Kt<br /><small>作曲:[[澤野弘之]]</small><br />Ashes on the Fire<br /><small>作曲:KOHTA YAMAMOTO<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | |- | 2020-2021 | [[カム・トゥゲザー]]<br /><small>作曲:[[レノン=マッカートニー]]<br />歌唱:[[ゲイリー・クラーク・ジュニア]]<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]、[[ミーシャ・ジー]]</small> | The Catalyst<br /><small>作曲:[[リンキン・パーク]]<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]、[[ミーシャ・ジー]]</small> | |- | 2019-2020 | Harder, Better, Faster, Stronger<br /><small>作曲:[[トーマ・バンガルテル]]、エドウィン・バードソング、[[ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト]]<br />演奏:[[ダフト・パンク]]</small><br />Stronger<br /><small>作曲:[[カニエ・ウェスト]]、[[トーマ・バンガルテル]]、エドウィン・バードソング、[[ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト]]<br />振付:サミュエル・シュイナード、[[パスカーレ・カメレンゴ]]、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | ブルース・フォー・クルック<br /><small>作曲:[[エディ・ルイス]]<br />振付:サミュエル・シュイナード、[[パスカーレ・カメレンゴ]]、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | |- | 2018-2019 | Mi Gente<br /><small>作曲:[[J・バルヴィン]]<br />振付:[[ジョシュア・ファリス]]、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | [[ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第2番]]<br /><small>作曲:[[セルゲイ・ラフマニノフ]]<br />振付:[[ジョシュア・ファリス]]、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | |- | 2017-2018 | Propaganda<br />Turn Down for What<br /><small>作曲:[[DJスネーク]]<br />振付:[[ジョシュア・ファリス]]、[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | rowspan="2"| [[ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)#第3楽章|アレグロ・スケルツァンド]]<br /><small>作曲:[[セルゲイ・ラフマニノフ]]<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | |- | 2016-2017 | 『エミネムメドレー』<br />Till I Collapse<br />The Real Slim Shady | |- | 2015-2016 | Tsunami<br /><small>作曲:ナイルズ・ホロウェル・ダール<br />振付:[[ニコライ・モロゾフ]]</small> | Praeludium and Allegro<br /><small>作曲:[[フリッツ・クライスラー]]</small><br />[[夜想曲 (ショパン)|ノクターン]]<br /><small>作曲:[[フレデリック・ショパン]]</small><br />シャコンヌト短調<small><br />作曲:[[トマソ・アントニオ・ヴィターリ]]<br />振付:[[ジェフリー・バトル]]</small> | |- | 2014-2015 | グラン・ギニョール<br /><small>演奏:バホフォンド<br />振付:ジョシュ・バブ</small> | [[アディオス・ノニーノ]]<br /><small>作曲:[[アストル・ピアソラ]]<br />振付:ジョシュ・バブ</small> | |- | 2013-2014 | rowspan="2"|Montserrat<br /><small>作曲:オルケスタ・デル・プラタ<br />演奏:[[バホフォンド]]<br />振付:ジョシュ・バブ</small> | The Way<br /><small>作曲:ザック・ヘムジー<br />振付:ジョシュ・バブ</small> | |- | 2012-2013 | Heart of Courage<br />Lacrimosa Dominae<br /><small>作曲:[[トーマス・バーガーセン]]<br />振付:ジョシュ・バブ</small> | |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{commonscat|Jimmy Ma}} * {{isu name|00034363}} * [https://usfigureskatingfanzone.com/roster.aspx?rp_id=96 Jimmy Ma] -U.S. Figure Skating * {{Twitter|ma_jimmy}} * {{Instagram|jimmy_mf_ma}} {{Figure-skating-bio-stub}} {{DEFAULTSORT:ま しみい}} [[Category:アメリカ合衆国の男子シングルスケーティング選手]] [[Category:四大陸フィギュアスケート選手権アメリカ合衆国代表選手]] [[Category:クイーンズ出身の人物]] [[Category:中国系アメリカ人のフィギュアスケート選手]] [[Category:1995年生]] [[Category:存命人物]]
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ゆずの花
ゆずの花(ゆずのはな)は、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)に所属のお笑いコンビ、2022年6月結成。
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ゆずの花(ゆずのはな)は、ソニー・ミュージックアーティスツに所属のお笑いコンビ、2022年6月結成。
{{複数の問題 |存命人物の出典皆無=2023年9月8日 (金) 18:11 (UTC) |雑多な内容の箇条書き=2023年9月8日 (金) 18:11 (UTC) }} {{Infobox お笑いコンビ|コンビ名=ゆずの花|メンバー=[[MORIYAMA]]、ゆず姉|結成年=2022年6月|事務所=[[SMA NEET Project]]|現在の活動状況=ライブ|芸種=漫才・コント・ものまね}} '''ゆずの花'''(ゆずのはな)は、[[SMA NEET Project|ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)]]に所属の[[お笑いコンビ]]、[[2022年]][[6月]]結成。 == メンバー == === [[MORIYAMA]] (もりやま) === * 本名 森山 智生(もりやま ともを) * 1984年8月26日生まれ * 身長175cm、体重105キロ、血液型O型 * 元[[モンチャック]]、すっぴんピエロ * [[愛知県]][[名古屋市]]出身 * [[帝京大学]]文学部心理学科卒 * 趣味が料理、バドミントン、エゴサーチ * 特技が10分間瞬きしないでいられる。[[貴乃花光司|貴乃花]]のモノマネ === ゆず姉(ゆずねぇ)=== * 本名 金田 優子(かねだ ゆうこ) * 1980年8月28日生まれ * 身長168cm、体重53キロ、血液型O型 * 元[[姫くり]] * [[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]]出身 * [[東京都立三鷹高等学校]]卒業 * 趣味が合唱(ママさんコーラスグループノイエブルーメン在籍) * 特技 [[アンパンマン]]のキャラクターを全部言える * [[英語検定]]3級、アンパンマン検定1級をもっている。 * モノマネレパートリー [[杏 (女優)|杏]]、[[浅田舞]]、[[東尾理子]]、[[森口博子]]、[[陣内貴美子]]、[[勇者ライディーン]]他多数 - 浅田舞のモノマネは本人公認もいただいている == 受賞歴 == === MORIYAMA === * [[R-1ぐらんぷり]] 2012 準決勝進出 * R-1ぐらんぷり 2013 準決勝進出 * R-1ぐらんぷり 2020 準決勝進出 * SMAホープ大賞審査員特別賞(2019年) - 審査員はダウンタウンの松本人志 * [[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ2023ファイナリスト]] === ゆず姉 === * [[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜第17回ファイナリスト]] == 出演 == === TV === ==== MORIYAMA ==== * [[ぐるぐるナインティナイン|ぐるナイおもしろ荘 ~若手芸人を大売り出し 誰か使ってスペシャル~]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])- 2013年1月1日(2012年12月31日深夜) * [[TBSテレビ|TBS]] [[水曜日のダウンタウン]] * [[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|細かすぎて伝わらないモノマネ選手権2023]] ==== ゆず姉 ==== * 日本テレビ [[エンタの神様]](姫くりとして) *日本テレビ [[ウチのガヤがすみません!]] *[[ものまねグランプリ]] *[[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|とんねるずのみなさんのおかげでした・博士と助手細かすぎて伝わらないモノマネ選手権ファイナリスト]] *爆笑ものまね紅白歌合戦 *[[コサキン・天海の超発掘!ものまねバラエティー マネもの|マネもの]] *[[ネタパレ]] *[[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ]] *Jテレスタイル はいだしょうこ&ゆず姉と見る劇場版「それいけ!アンパンマン」特集 *j:com「府中大國魂神社例大祭くらやみ祭2016生中継」レポーター === CM === ==== ゆず姉 ==== *ホットペッパーグルメ『グルメサマ会編』 *サントリー プレシャス === ラジオ === ==== ゆず姉 ==== * [[FM湘南ナパサ]]『湘南エンタメタウン!ゆず姉のねぇねぇサンデー』 == 外部リンク == * [https://twitter.com/tttmmmmjjjjjjj ゆずの花告知専用] - Twitter * [https://twitter.com/yuzu%20nee0828 ゆず姉@ゆずの花]- Twitter {{ソニー・ミュージックアーティスツ}} {{DEFAULTSORT:ゆすのはな}} [[Category:日本の男女お笑いコンビ]] [[Category:SMA NEET Project]]
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並木徹
並木 徹(なみき とおる、1944年9月25日 - )は、日本の通商産業省(現・経済産業省)官僚。 満洲に生まれ、福岡県で育つ。1963年福岡県立修猷館高等学校を経て、1967年東京大学工学部電気工学科を卒業。 1967年4月通商産業省に入省。1981年8月大臣官房企画調査官、同年10月工業技術院(現・産業技術総合研究所)技術調査課長、1984年6月海外電力調査会ワシントン事務所長、1987年6月資源エネルギー庁公益事業部技術課長、1990年6月工業技術院総務部総務課長、1992年6月大臣官房参事官(立地公害局担当)、1993年6月資源エネルギー庁長官官房審議官、1996年6月大臣官房技術総括審議官を経て、1997年7月環境立地局(現・産業技術環境局)長に就任。 1998年8月安田火災海上(現・損害保険ジャパン)顧問を経て、2000年6月電源開発取締役、2002年4月同常務取締役、2004年6月特任顧問。 2000年1月日本エネルギー学会会長、2005年原子力発電技術機構理事長を務めた。
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並木 徹は、日本の通商産業省(現・経済産業省)官僚。
'''並木 徹'''(なみき とおる、[[1944年]][[9月25日]]<ref name=jinji>『人事興信録第43版』(興信データ、2005年) ナ-194頁</ref> - )は、[[日本]]の[[経済産業省|通商産業省]](現・経済産業省)[[官僚]]。 ==経歴== [[満洲]]に生まれ<ref name=gas>高圧ガス第37巻第8号(高圧ガス保安協会、2000年)57頁</ref>、[[福岡県]]で育つ<ref name=jinji/>。1963年[[福岡県立修猷館高等学校]]を経て<ref>『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員211頁</ref>、1967年[[東京大学]][[東京大学大学院工学系研究科・工学部|工学部]]電気工学科を卒業<ref name=jinji/>。 1967年4月[[経済産業省|通商産業省]]に入省。1981年8月大臣官房企画調査官、同年10月[[産業技術総合研究所|工業技術院]](現・産業技術総合研究所)技術調査課長、1984年6月[[海外電力調査会]][[ワシントンD.C.|ワシントン]]事務所長、1987年6月[[資源エネルギー庁]]公益事業部技術課長、1990年6月工業技術院総務部総務課長、1992年6月大臣官房参事官(立地公害局担当)、1993年6月資源エネルギー庁長官官房審議官、1996年6月大臣官房[[技術総括審議官]]を経て、1997年7月[[産業技術環境局|環境立地局]](現・産業技術環境局)長に就任<ref name=jinji/><ref name=gas/>。 1998年8月[[損害保険ジャパン|安田火災海上]](現・損害保険ジャパン)顧問を経て、2000年6月[[電源開発]]取締役、2002年4月同常務取締役、2004年6月特任顧問<ref name=jinji/>。 2000年1月[[日本エネルギー学会]]会長<ref name=gas/>、2005年原子力発電技術機構理事長を務めた<ref name=atomic>[https://www.jaif.or.jp/news_db/data/2006/0914-2-7.html 「「原子力情勢の今」を読む 原産協会理事に聞く④」原子力産業新聞2006年9月14日 第2347号(日本原子力産業協会)](2023年9月9日閲覧)</ref>。 ==出典== {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:なみき とおる}} [[Category:日本の経産官僚]] [[Category:電源開発の人物]] [[Category:SOMPOホールディングスグループの人物]] [[Category:日本の原子力関連人物]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:福岡県立修猷館高等学校出身の人物]] [[Category:満洲国出身の人物]] [[Category:1944年生]] [[Category:存命人物]]
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DMARC
Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance (DMARC)は、電子メール認証プロトコルの一つ。電子メールのドメイン所有者が、保有するドメインを認証を通さずに利用されること(なりすましメール、フィッシングメール、詐欺メールその他の脅威)を防止できることを目的に設計された。 DMARCのDNSエントリが公開されると、メールを受信するサーバは送られてくる電子メールを、ドメイン所有者DNSエントリで公開した指示に従って検証することができるようになる。認証に成功した電子メールは配送され、信頼できるものとなる。検証に失敗した場合は、DMARCレコードの指示に従って、配送あるいは隔離(quarantine)、拒否(reject)を行う。 DMARCは既存の2つの電子メール認証メカニズム(SPFとDKIM)を拡張したものである。ドメインの管理者はDNSレコードを利用し、エンドユーザに示されるFrom:フィールドの確認方法、受信者が検証失敗時にどう対処すべきか、ポリシに従って実行されるアクションを報告するメカニズムをどう提供するか等を明記する。 DMARCはIETFが2015年3月に公開したRFC 7489によって定義されている。分類は"Informational"。 送信者のドメインはDMARCポリシにより、送信者の電子メールがSPFまたはDKIM、あるいはその両方によって保護されていることを示し、それらの認証方法を通過せず拒否または隔離するときに受信者がどうすべきかを指示することができる。 これらのポリシは当該ドメインの権威DNSサーバにおいてTXTレコードとして公開される。 DMARCは電子メールがスパムあるいは詐欺メールであるかどうかを直接判断するものではない。その代わりに、DMARCはメッセージがDKIMまたはSPFの検証を通過するだけでなく、アラインメントをも通過することを必要とする。DMARCの下では、DKIMまたはSPFを通過してもアラインメントを通過しなければfailとなる。 DMARCを設定することにより、正規の送信者からのメッセージの配信量を改善することができる。 DMARCはメッセージのFrom:フィールド("RFC5322.From"ともいう)に含まれるドメインが、その他の認証されたドメイン名と"アライン"(=連携)していることを確認することによって動作する。SPFかDKIMのアラインメントチェックを通過すると、DMARCアラインメント検査通過となる。 アラインメントは、strictあるいはrelaxedで指定される。strictアラインメントでは、ドメイン名は一意に識別可能でなければならない。relaxedアラインメントでは、トップレベル組織ドメインが一致しなければならない。組織ドメインは公開DNSサフィックスリストを確認することで探し出し、それを次のDNSラベルに加える。例えば、"a.b.c.d.example.com.au"と"example.com.au"は同じ組織ドメインを持つ。なぜなら、レジストラが顧客に".com.au"の名前を提供しているからである。これはドメイン境界に関するIETFのワーキンググループが存在したときのDMARCの仕様ではあるが、今では組織ドメインはPublic Suffix List(PSL)から見つけることができる。 SPFとDKIM同様に、DMARCはドメイン所有者(DNSドメインを変更する権限を有する実体あるいはその集合)の概念を利用する。 SPFは配送サーバのIPアドレスが、SMTPのMAIL FROMコマンドで指定されたドメインの所有者によって認可されたものかどうかを確認する(MAIL FROMに含まれるアドレスはバウンスアドレス、エンベロープFrom、RFC5321.MailFrom等と呼称される)。これに加えて、DMARCはRDC5321.MailFromが5322.Fromと連携していることを確認する。 DKIMでは、電子メールのメッセージの一部にディジタル署名を施すことができ、そのときFromフィールドを署名範囲に加えなければならない。DKIM署名メールヘッダには、d=(ドメイン)とs=(セレクタ)タグが署名検証用の公開鍵をどのDNSから手に入れるかを明記される。署名が有効であれば、署名者がドメイン所有者であることが証明され、署名以降にFromフィールドが改ざんされていないことを保証する。DKIM署名はメッセージ中に含まれることもある。DMARCが必要とするのは、d=タグで指定されたドメインが、From:ヘッダフィールドで指定された送信者のドメインと連携している、有効な署名である。 DMARCはDNSを用いて、_dmarcサブドメインラベルを付けて公開される。例えば_dmarc.example.comのようになる。これをexample.comのSPFや、selector._domainkey.example.comのDKIMと比較する。 TXTレコードは、SPFやDKIMと同様に、name=valueという形式のタグを含み、それぞれのタグはセミコロンで区切られる。以下はその例である: ここで、vはバージョン、pはポリシ(後述)である。spはサブドメインポリシ、pctはポリシを適用する「悪い」電子メールの割合、ruaは集計レポートを送るURIである。この例では、エンティティはexample.comのDNSドメインをSPFまたはDKIMあるいはその両方でのfail率を監視し、電子メールがexample.comのサブドメインから送信されることを想定していない。注意すべき点は、サブドメインはそれ自身のDMARCレコードを公開できることである。組織ドメインのレコードにフォールバックする前にそれを確認しなければならない。 DMARCプロトコルは、メール管理者が、全くDMARCを実装していない状態から厳格な設定を完了する状態まで徐々に移行できるよう、様々な移行段階を提供している。 段階的な採用という概念は、DMARCの目標が最も強固な設定だと仮定しているが、それはすべてのドメインについて当てはまるわけではない。その意図の有無に関わらず、このメカニズムによって素晴らしい柔軟性が実現される。 3つのポリシが存在する: 公開されたポリシは、DMARCチェックをfailしたメッセージの一部にのみ適用することによって、「軽減」することができる。受信者はシンプルなベルヌーイサンプリングアルゴリズムによって事前に設定された割合のメッセージを選択することを求められる。残りのメッセージにはより低いポリシ(p=quarantineならnone、p=rejectならquarantine)を適用する。p=quarantine; pct=0;は、From:フィールドを書き換えないメーリングリストに強制的にFrom:フィールドを書き換えるのに使われる。 サブドメインポリシと、sp=、新しく追加されたno-domainポリシによって、特定のサブドメインのポリシを微調整することが可能になる。 DMARCは2タイプのレポートを生成することができる。集計レポートはruaに引き続いて指定されるアドレスに送信される。フォレンジックレポートはrufタグに引き続いて指定されるアドレスに送信される。これらのメールアドレスはURI mailtoのフォーマット(例: mailto:[email protected] )で指定する必要がある。複数のアドレスを指定も有効となるが、それぞれが完全なURIフォーマットで指定され、カンマで区切られる必要がある。 対象となる電子メールアドレスは外部ドメインのものでもよい。この場合、対象ドメインはDMARCレコードを設定し、レポートを受け取ることに同意しなければならない。そうしなければレポート機能をDoS攻撃に利用されかねない。例えば、receiver.exampleと書いておくと、From: [email protected]からのメッセージを受け取ることができ、また受け取る意思を示していることになる。ruf=mailto:[email protected]という記述を見つけると、ターゲットによって管理される名前空間内の、それを裏付けるDNSレコードを探す。以下のように指定する: 集計レポートはふつう、1日1回XML形式で送られる。電子メールのサブジェクトは"Report Domain"、すなわちレポートが生成されたDNSドメイン名と、"Submitter"、すなわちレポートを発行するエンティティである。ペイロードは"!"で区切られた長いファイルネームを連結したものであり、レポートを発行する受信者、Unix形式のタイムスタンプで記されたレポート対象の開始/終了区間、任意の識別子、利用可能な可逆圧縮方式(.zip等) に基づく拡張子等を含む。 例: example.com!example.org!1475712000!1475798400.xml.gz. XMLはヘッダによって構成され、レコードの後にレポートが参照するポリシとレポートのメタデータが続く。レコードはデータベースに関係として挿入することができ、表形式で見ることができる。XMLスキーマは仕様のAppendix Cで定義されており、元のレコードはdmarc.orgに例示されている。データの性質をうまく説明するべく、以下に関係の例を貼り付けてある。DMARCレコードはXSLを用いることにより直接HTMLに変換することも可能である。 各行は送信元IPと認証結果によって分類され、それぞれのグループにいくつ振り分けられたか(count)が渡される。 一番左のSPFとDKIMという見出しの列は、アラインメントを考慮したDMARCの結果を示しており、passかfailのいずれかである。 一番右の似たような見出しは、メッセージの送信に与したと主張するドメインと、(カッコに示したものは)識別子のアラインメントによらず、元のプロトコル(SPFかDKIM)に基づいて主張される認証ステータスである。 右側のSPFの列は2列になっている部分があるが、一方はReturn-Path:テストで、もう一方はHELOテストである。DKIMは各メッセージ中の署名ごとに一度のみ現れる。 例の中では、第1行はexample.orgからのメインのメールフロー、第2行はDKIMグリッチ(転送中の小さな変化によって生じる署名の破壊)である。 第3行と第4行は、それぞれ転送者とメーリングリストの典型的な失敗例である。DMARC認証は最後の行でのみ失敗している。example.orgがstrictポリシを指定した場合にメッセージのDispositionに影響を受ける。 dispositionはメッセージに実際に適用されたポリシ(none、quarantine、reject)を反映している。これとともに、表には書かれていないが、DMARCはポリシのオーバーライドを提供する。受信者が要求されたポリシと異なるポリシを適用する理由として、既に仕様によってポリシが与えられていることが挙げられる: フォレンジックレポート(異常レポート)はリアルタイムに生成され、foタグに指定された値に基づき、SPFまたはDKIMあるいはその両方でfailとなったそれぞれのメッセージの編集されたコピーを含む。これらのフォーマットはAbuse Reporting Format(英語版)の拡張であり、"message/rfc822"または"text/rfc822-headers"を含む点で通常のバウンスのフォーマットと似ている。 フォレンジックレポートは他に以下のものを含む: 電子メールの転送にはいくつかの異なるタイプが存在し、その一部はSPFに違反する。これは電子メールの転送がDMARC認証の結果に影響する理由の一つである。 メーリングリストは、オリジナルの作成者のドメインによるDKIM署名が正しいのに検証失敗する際のよくある原因である。例えばサブジェクトヘッダに接頭辞を加えることによって生じる。多くの回避策があり、メーリングリストソフトウェアパッケージはこの解決に取り組んでいる。 この回避策はメーリングリストの標準ワークフローであり続けており、いくつかの巨大メーリングリストオペレータに採用されているものの、メーリングリストがフッタとサブジェクトのプレフィックスを付けられなくなるという弊害もある。メールソフトが署名付きヘッダを並び替えたり変更したりしないように慎重に設定する必要がある。間違った設定を行ったメールサーバは、リストIDをメーリングリストに送られるメッセージのDKIMに挿入してしまい、リストオペレータが受信を拒否したり、From:を書き換えることをできなくしたりせざるを得なくなる。 最もよく使われる回避策は、From:ヘッダフィールドを書き換えることである。オリジナルの作成者のアドレスはReply-Toフィールドに加えられる。 書き換えは、単に.INVALIDを追加するものから、不透明なIDが利用されている部分に一時的なユーザIDを割り当て、ユーザの実際のメールアドレスをリストに把握されないためにドメイン名を追加するものまで多岐にわたる。 加えて、作成者とリスト(あるいはリストオペレータ)の両方を表示するよう、表示名を変更することもできる。これらの例は、それぞれ、以下のような結果になる: 最終行のRepli-To:はreply-to-author機能が使えるように設定しておかなければならない。これはreply-to-list機能がFrom:ヘッダフィールド内の変更によって実現される場合を想定したものである。このようにして、これらのフィールドの元々の意味が入れ替わる。 作成者を変更することは通常は正当ではなく、そのデータの意味と見た目の想定された関係や、その自動的な利用を損なうことになる。メーリングリストを仕事の調整のために用い、From:フィールドを添付ファイルの作成者として割り当てるツールを配備するコミュニティが存在している。 ラップされたメッセージを解釈できるメールクライアントを使う場合、メッセージのラッピングは上手く動作する。ただ、いくつかの国で法的にそうせざるを得ない場合や、日常的にSPF認証に失敗することがすべての認証をより脆弱なものとしている場合を除けば、何も変更しないのが最も明白な解決法だと思われる。 From;ヘッダフィールドをDKIM連携を通過するために変更することによって、RFC 5322の3.6.2節「'From'フィールドにはメッセージの作成者、すなわち、メッセージの作成した責任を持つ人またはシステムあるいはその集合のメールボックス(群)を指定する」に準拠しない状態になり得る。メールボックスは作成者のメールアドレスを指す。Sender:ヘッダはメールが別の集団を代表して送られてきたことを示すことができるが、DMARCはFromドメインのポリシのみをチェックし、Senderドメインのポリシは無視する。 ADSP(英語版)とDMARC はともに、多くのユーザエージェントがSenderフィールドを受信者に表示しないという非技術的な理由により、Senderフィールドを利用することを拒否している。 DMARCのドラフト仕様は2012年1月30日から維持されている。 2013年10月、GNU Mailman 2.1.16がリリースされ、p=rejectのDMARCポリシを設定したドメインからの送信者を処理できるオプションが追加された。この変更は、(純粋なトランザクションメールドメインとは対照的に)人間のユーザによってドメインに適用される限定的なポリシについて予想される相互運用性の問題を予期しようとしたものであった。 2014年4月、YahooはDMARCポリシをp=rejectに変更し、それによって一部のメーリングリストで誤作動が起きた。数日後、AOLもDMARCポリシをp=rejectに変更した。これらの動きは大きな混乱を招き、メールボックスプロバイダは自身のセキュリティ上の不備のコストをサードパーティに押し付けたことで非難された。2020年に、公式DMARCwikiのFAQでは、メーリングリストがstrictDMARCポリシのドメインからのメッセージを処理するためのいくつかの提案を掲載しており、その中ではメーリングリストが"From"ヘッダを自身のドメインのアドレスに変更するというものが最も多く実装されている。 2014年8月に、DMARCの問題に対処するためのIETFのワーキンググループが結成され、相互運用性の懸念と標準仕様と文書の改訂続行の取り組みを始めた。その間に、既存のDMARCの仕様は多くの人々に合意を得て実装されたeditorial状態となっていた。2015年3月、Independent Submission Streamに"Informational"(非標準)カテゴリでRFC 7489として公開された。 2017年3月、en:Federal Trade CommissionがビジネスにおけるDMARCの利用に関する調査を公開した。569のビジネスの3分の1がDMARCの設定を実装しており、10%未満がサーバに未認証のメッセージを拒否させるようDMARCを設定しているが、大多数はSPFを実装していることが調査によって判明した。 DMARCの仕様策定に貢献した組織:
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"アラインメントは、strictあるいはrelaxedで指定される。strictアラインメントでは、ドメイン名は一意に識別可能でなければならない。relaxedアラインメントでは、トップレベル組織ドメインが一致しなければならない。組織ドメインは公開DNSサフィックスリストを確認することで探し出し、それを次のDNSラベルに加える。例えば、\"a.b.c.d.example.com.au\"と\"example.com.au\"は同じ組織ドメインを持つ。なぜなら、レジストラが顧客に\".com.au\"の名前を提供しているからである。これはドメイン境界に関するIETFのワーキンググループが存在したときのDMARCの仕様ではあるが、今では組織ドメインはPublic Suffix List(PSL)から見つけることができる。", "title": "アラインメント(連携)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "SPFとDKIM同様に、DMARCはドメイン所有者(DNSドメインを変更する権限を有する実体あるいはその集合)の概念を利用する。", "title": "アラインメント(連携)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "SPFは配送サーバのIPアドレスが、SMTPのMAIL FROMコマンドで指定されたドメインの所有者によって認可されたものかどうかを確認する(MAIL FROMに含まれるアドレスはバウンスアドレス、エンベロープFrom、RFC5321.MailFrom等と呼称される)。これに加えて、DMARCはRDC5321.MailFromが5322.Fromと連携していることを確認する。", "title": "アラインメント(連携)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "DKIMでは、電子メールのメッセージの一部にディジタル署名を施すことができ、そのときFromフィールドを署名範囲に加えなければならない。DKIM署名メールヘッダには、d=(ドメイン)とs=(セレクタ)タグが署名検証用の公開鍵をどのDNSから手に入れるかを明記される。署名が有効であれば、署名者がドメイン所有者であることが証明され、署名以降にFromフィールドが改ざんされていないことを保証する。DKIM署名はメッセージ中に含まれることもある。DMARCが必要とするのは、d=タグで指定されたドメインが、From:ヘッダフィールドで指定された送信者のドメインと連携している、有効な署名である。", "title": "アラインメント(連携)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "DMARCはDNSを用いて、_dmarcサブドメインラベルを付けて公開される。例えば_dmarc.example.comのようになる。これをexample.comのSPFや、selector._domainkey.example.comのDKIMと比較する。", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "TXTレコードは、SPFやDKIMと同様に、name=valueという形式のタグを含み、それぞれのタグはセミコロンで区切られる。以下はその例である:", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ここで、vはバージョン、pはポリシ(後述)である。spはサブドメインポリシ、pctはポリシを適用する「悪い」電子メールの割合、ruaは集計レポートを送るURIである。この例では、エンティティはexample.comのDNSドメインをSPFまたはDKIMあるいはその両方でのfail率を監視し、電子メールがexample.comのサブドメインから送信されることを想定していない。注意すべき点は、サブドメインはそれ自身のDMARCレコードを公開できることである。組織ドメインのレコードにフォールバックする前にそれを確認しなければならない。", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "DMARCプロトコルは、メール管理者が、全くDMARCを実装していない状態から厳格な設定を完了する状態まで徐々に移行できるよう、様々な移行段階を提供している。 段階的な採用という概念は、DMARCの目標が最も強固な設定だと仮定しているが、それはすべてのドメインについて当てはまるわけではない。その意図の有無に関わらず、このメカニズムによって素晴らしい柔軟性が実現される。", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "3つのポリシが存在する:", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "公開されたポリシは、DMARCチェックをfailしたメッセージの一部にのみ適用することによって、「軽減」することができる。受信者はシンプルなベルヌーイサンプリングアルゴリズムによって事前に設定された割合のメッセージを選択することを求められる。残りのメッセージにはより低いポリシ(p=quarantineならnone、p=rejectならquarantine)を適用する。p=quarantine; pct=0;は、From:フィールドを書き換えないメーリングリストに強制的にFrom:フィールドを書き換えるのに使われる。", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "サブドメインポリシと、sp=、新しく追加されたno-domainポリシによって、特定のサブドメインのポリシを微調整することが可能になる。", "title": "DNSレコード" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "DMARCは2タイプのレポートを生成することができる。集計レポートはruaに引き続いて指定されるアドレスに送信される。フォレンジックレポートはrufタグに引き続いて指定されるアドレスに送信される。これらのメールアドレスはURI mailtoのフォーマット(例: mailto:[email protected] )で指定する必要がある。複数のアドレスを指定も有効となるが、それぞれが完全なURIフォーマットで指定され、カンマで区切られる必要がある。", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "対象となる電子メールアドレスは外部ドメインのものでもよい。この場合、対象ドメインはDMARCレコードを設定し、レポートを受け取ることに同意しなければならない。そうしなければレポート機能をDoS攻撃に利用されかねない。例えば、receiver.exampleと書いておくと、From: [email protected]からのメッセージを受け取ることができ、また受け取る意思を示していることになる。ruf=mailto:[email protected]という記述を見つけると、ターゲットによって管理される名前空間内の、それを裏付けるDNSレコードを探す。以下のように指定する:", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "集計レポートはふつう、1日1回XML形式で送られる。電子メールのサブジェクトは\"Report Domain\"、すなわちレポートが生成されたDNSドメイン名と、\"Submitter\"、すなわちレポートを発行するエンティティである。ペイロードは\"!\"で区切られた長いファイルネームを連結したものであり、レポートを発行する受信者、Unix形式のタイムスタンプで記されたレポート対象の開始/終了区間、任意の識別子、利用可能な可逆圧縮方式(.zip等) に基づく拡張子等を含む。 例: example.com!example.org!1475712000!1475798400.xml.gz.", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "XMLはヘッダによって構成され、レコードの後にレポートが参照するポリシとレポートのメタデータが続く。レコードはデータベースに関係として挿入することができ、表形式で見ることができる。XMLスキーマは仕様のAppendix Cで定義されており、元のレコードはdmarc.orgに例示されている。データの性質をうまく説明するべく、以下に関係の例を貼り付けてある。DMARCレコードはXSLを用いることにより直接HTMLに変換することも可能である。", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "各行は送信元IPと認証結果によって分類され、それぞれのグループにいくつ振り分けられたか(count)が渡される。 一番左のSPFとDKIMという見出しの列は、アラインメントを考慮したDMARCの結果を示しており、passかfailのいずれかである。 一番右の似たような見出しは、メッセージの送信に与したと主張するドメインと、(カッコに示したものは)識別子のアラインメントによらず、元のプロトコル(SPFかDKIM)に基づいて主張される認証ステータスである。 右側のSPFの列は2列になっている部分があるが、一方はReturn-Path:テストで、もう一方はHELOテストである。DKIMは各メッセージ中の署名ごとに一度のみ現れる。 例の中では、第1行はexample.orgからのメインのメールフロー、第2行はDKIMグリッチ(転送中の小さな変化によって生じる署名の破壊)である。 第3行と第4行は、それぞれ転送者とメーリングリストの典型的な失敗例である。DMARC認証は最後の行でのみ失敗している。example.orgがstrictポリシを指定した場合にメッセージのDispositionに影響を受ける。", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "dispositionはメッセージに実際に適用されたポリシ(none、quarantine、reject)を反映している。これとともに、表には書かれていないが、DMARCはポリシのオーバーライドを提供する。受信者が要求されたポリシと異なるポリシを適用する理由として、既に仕様によってポリシが与えられていることが挙げられる:", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "フォレンジックレポート(異常レポート)はリアルタイムに生成され、foタグに指定された値に基づき、SPFまたはDKIMあるいはその両方でfailとなったそれぞれのメッセージの編集されたコピーを含む。これらのフォーマットはAbuse Reporting Format(英語版)の拡張であり、\"message/rfc822\"または\"text/rfc822-headers\"を含む点で通常のバウンスのフォーマットと似ている。", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "フォレンジックレポートは他に以下のものを含む:", "title": "レポート" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "電子メールの転送にはいくつかの異なるタイプが存在し、その一部はSPFに違反する。これは電子メールの転送がDMARC認証の結果に影響する理由の一つである。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "メーリングリストは、オリジナルの作成者のドメインによるDKIM署名が正しいのに検証失敗する際のよくある原因である。例えばサブジェクトヘッダに接頭辞を加えることによって生じる。多くの回避策があり、メーリングリストソフトウェアパッケージはこの解決に取り組んでいる。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この回避策はメーリングリストの標準ワークフローであり続けており、いくつかの巨大メーリングリストオペレータに採用されているものの、メーリングリストがフッタとサブジェクトのプレフィックスを付けられなくなるという弊害もある。メールソフトが署名付きヘッダを並び替えたり変更したりしないように慎重に設定する必要がある。間違った設定を行ったメールサーバは、リストIDをメーリングリストに送られるメッセージのDKIMに挿入してしまい、リストオペレータが受信を拒否したり、From:を書き換えることをできなくしたりせざるを得なくなる。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "最もよく使われる回避策は、From:ヘッダフィールドを書き換えることである。オリジナルの作成者のアドレスはReply-Toフィールドに加えられる。 書き換えは、単に.INVALIDを追加するものから、不透明なIDが利用されている部分に一時的なユーザIDを割り当て、ユーザの実際のメールアドレスをリストに把握されないためにドメイン名を追加するものまで多岐にわたる。 加えて、作成者とリスト(あるいはリストオペレータ)の両方を表示するよう、表示名を変更することもできる。これらの例は、それぞれ、以下のような結果になる:", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "最終行のRepli-To:はreply-to-author機能が使えるように設定しておかなければならない。これはreply-to-list機能がFrom:ヘッダフィールド内の変更によって実現される場合を想定したものである。このようにして、これらのフィールドの元々の意味が入れ替わる。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "作成者を変更することは通常は正当ではなく、そのデータの意味と見た目の想定された関係や、その自動的な利用を損なうことになる。メーリングリストを仕事の調整のために用い、From:フィールドを添付ファイルの作成者として割り当てるツールを配備するコミュニティが存在している。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ラップされたメッセージを解釈できるメールクライアントを使う場合、メッセージのラッピングは上手く動作する。ただ、いくつかの国で法的にそうせざるを得ない場合や、日常的にSPF認証に失敗することがすべての認証をより脆弱なものとしている場合を除けば、何も変更しないのが最も明白な解決法だと思われる。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "From;ヘッダフィールドをDKIM連携を通過するために変更することによって、RFC 5322の3.6.2節「'From'フィールドにはメッセージの作成者、すなわち、メッセージの作成した責任を持つ人またはシステムあるいはその集合のメールボックス(群)を指定する」に準拠しない状態になり得る。メールボックスは作成者のメールアドレスを指す。Sender:ヘッダはメールが別の集団を代表して送られてきたことを示すことができるが、DMARCはFromドメインのポリシのみをチェックし、Senderドメインのポリシは無視する。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ADSP(英語版)とDMARC はともに、多くのユーザエージェントがSenderフィールドを受信者に表示しないという非技術的な理由により、Senderフィールドを利用することを拒否している。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "DMARCのドラフト仕様は2012年1月30日から維持されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2013年10月、GNU Mailman 2.1.16がリリースされ、p=rejectのDMARCポリシを設定したドメインからの送信者を処理できるオプションが追加された。この変更は、(純粋なトランザクションメールドメインとは対照的に)人間のユーザによってドメインに適用される限定的なポリシについて予想される相互運用性の問題を予期しようとしたものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2014年4月、YahooはDMARCポリシをp=rejectに変更し、それによって一部のメーリングリストで誤作動が起きた。数日後、AOLもDMARCポリシをp=rejectに変更した。これらの動きは大きな混乱を招き、メールボックスプロバイダは自身のセキュリティ上の不備のコストをサードパーティに押し付けたことで非難された。2020年に、公式DMARCwikiのFAQでは、メーリングリストがstrictDMARCポリシのドメインからのメッセージを処理するためのいくつかの提案を掲載しており、その中ではメーリングリストが\"From\"ヘッダを自身のドメインのアドレスに変更するというものが最も多く実装されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2014年8月に、DMARCの問題に対処するためのIETFのワーキンググループが結成され、相互運用性の懸念と標準仕様と文書の改訂続行の取り組みを始めた。その間に、既存のDMARCの仕様は多くの人々に合意を得て実装されたeditorial状態となっていた。2015年3月、Independent Submission Streamに\"Informational\"(非標準)カテゴリでRFC 7489として公開された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2017年3月、en:Federal Trade CommissionがビジネスにおけるDMARCの利用に関する調査を公開した。569のビジネスの3分の1がDMARCの設定を実装しており、10%未満がサーバに未認証のメッセージを拒否させるようDMARCを設定しているが、大多数はSPFを実装していることが調査によって判明した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "DMARCの仕様策定に貢献した組織:", "title": "歴史" } ]
Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance (DMARC)は、電子メール認証プロトコルの一つ。電子メールのドメイン所有者が、保有するドメインを認証を通さずに利用されること(なりすましメール、フィッシングメール、詐欺メールその他の脅威)を防止できることを目的に設計された。 DMARCのDNSエントリが公開されると、メールを受信するサーバは送られてくる電子メールを、ドメイン所有者DNSエントリで公開した指示に従って検証することができるようになる。認証に成功した電子メールは配送され、信頼できるものとなる。検証に失敗した場合は、DMARCレコードの指示に従って、配送あるいは隔離(quarantine)、拒否(reject)を行う。 DMARCは既存の2つの電子メール認証メカニズム(SPFとDKIM)を拡張したものである。ドメインの管理者はDNSレコードを利用し、エンドユーザに示されるFrom:フィールドの確認方法、受信者が検証失敗時にどう対処すべきか、ポリシに従って実行されるアクションを報告するメカニズムをどう提供するか等を明記する。 DMARCはIETFが2015年3月に公開したRFC 7489によって定義されている。分類は"Informational"。
{{about|電子メールの検証システム|the telephony junction point|:en:demarcation point}} {{distinguish|:en:dMarc Broadcasting}} '''Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance''' ('''DMARC''')は、[[送信ドメイン認証|電子メール認証]]プロトコルの一つ。[[電子メール]]の[[ドメイン名|ドメイン]]所有者が、保有するドメインを認証を通さずに利用されること(なりすましメール、フィッシングメール、詐欺メールその他の脅威)を防止できることを目的に設計された。 DMARCの[[DNS]]エントリが公開されると、メールを受信する[[サーバ]]は送られてくる電子メールを、ドメイン所有者DNSエントリで公開した指示に従って検証することができるようになる。認証に成功した電子メールは配送され、信頼できるものとなる。検証に失敗した場合は、DMARCレコードの指示に従って、何も指定しない(none)、隔離(quarantine)、もしくは拒否(reject)を行う。 DMARCは既存の2つの電子メール認証メカニズム([[Sender Policy Framework|SPF]]と[[DKIM]])を拡張したものである。ドメインの管理者はDNSレコードを利用し、エンドユーザに示される<code>From:</code>フィールドの確認方法、受信者が検証失敗時にどう対処すべきか、ポリシに従って実行されるアクションを報告するメカニズムをどう提供するか等を明記する。 DMARCは[[Internet Engineering Task Force|IETF]]が2015年3月に公開した{{IETF RFC|7489}}によって定義されている。分類は"Informational"。<ref name="rfc7489">{{cite IETF |title=Domain-based Message Authentication, Reporting, and Conformance (DMARC) |rfc=7489 |author1= [[Murray Kucherawy]] |author2= Elizabeth Zwicky |date=18 March 2015 |publisher=[[Internet Engineering Task Force|IETF]]}}</ref> ==概要== 送信者のドメインはDMARCポリシにより、送信者の電子メールがSPFまたはDKIM、あるいはその両方によって保護されていることを示し、それらの認証方法を通過せず拒否または隔離するときに受信者がどうすべきかを指示することができる。<ref>{{Cite web |url=https://blogs.msdn.microsoft.com/tzink/2016/09/27/how-we-moved-microsoft-com-to-a-pquarantine-dmarc-record/ |title=How we moved microsoft.com to a p=quarantine DMARC record |author=Terry Zink |access-date=2016-09-27 |website=[[MSDN]] blog |quote=If that sounds like a lot of work, that’s because it was}}</ref> これらのポリシは当該ドメインの権威DNSサーバにおいてTXTレコードとして公開される。 DMARCは電子メールが[[スパム_(メール)|スパム]]あるいは詐欺メールであるかどうかを直接判断するものではない。その代わりに、DMARCはメッセージがDKIMまたはSPFの検証を通過するだけでなく、アラインメントをも通過することを必要とする。DMARCの下では、DKIMまたはSPFを通過してもアラインメントを通過しなければfailとなる。 DMARCを設定することにより、正規の送信者からのメッセージの配信量を改善することができる。<ref>{{Cite web|title = Bulk Senders Guidelines – Gmail Help|url = https://support.google.com/mail/answer/81126?hl=en#authentication|website = support.google.com|access-date = 2015-04-24}}</ref> == アラインメント(一致) == DMARCはメッセージの<code>From:</code>フィールド("RFC5322.From"<ref name="rfc7489" />ともいう)に含まれるドメインが、その他の認証されたドメイン名と"アライン"(=一致)していることを確認することによって動作する。SPFかDKIMのアラインメントチェックを通過すると、DMARCアラインメント検査通過となる。 アラインメントは、strictあるいはrelaxedで指定される。strictモードでは、メールアドレスのドメイン名がサブドメインまで一致しなければならない。relaxedモードでは、APEX(ネイキッドドメイン)が一致していれば良い。組織ドメインは公開DNSサフィックスリストを確認することで探し出し、それを次のDNSラベルに加える。例えば、"a.b.c.d.example.com.au"と"example.com.au"は同じ組織ドメインを持つ。なぜなら、レジストラが顧客に".com.au"の名前を提供しているからである。これはドメイン境界に関するIETFのワーキンググループが存在したときのDMARCの仕様ではあるが、今では組織ドメインはPublic Suffix List(PSL)から見つけることができる。<ref>{{cite mailing list |url=https://www.mail-archive.com/[email protected]/msg16926.html |author=John Levine |author-link=John Levine |title=Use of the public suffix list |date=2 November 2017 |mailing-list=Mailman developers}}</ref> SPFとDKIM同様に、DMARCはドメイン所有者(DNSドメインを変更する権限を有する実体あるいはその集合)の概念を利用する。 SPFは配送サーバのIPアドレスが、SMTPのHELOまたはEHLOコマンドから派生する"HELO"アイデンティティ、もしくはSMTP MAILコマンドから派生する"MAIL FROM"アイデンティティでのドメイン名に基づいて、DNSのTXTで設定されたSPFレコードに存在するか認可のチェックを行う。これに加えて、DMARCはReturn-Path(RDC5321.MailFrom)がヘッダFrom(5322.From)と一致していることを確認する。<ref name="rfc7489"/> DKIMでは、電子メールのメッセージの一部に[[ディジタル署名]]を施すことができ、そのときFromフィールドを署名範囲に加えなければならない。DKIM署名メールヘッダには、<code>d=</code>(ドメイン)と<code>s=</code>(セレクタ)タグが署名検証用の公開鍵をどのDNSから手に入れるかを明記される。署名が有効であれば、署名者がドメイン所有者であることが証明され、<!--{{refn| group=note|That is, the entity that applied the signature and specified the <code>d=</code> domain could cause a corresponding DNS record to be published, possibly by providing the public key and appropriate authorization to the entity that actually controls the DNS entry.}}-->署名以降にFromフィールドが改ざんされていないことを保証する。DKIM署名はメッセージ中に含まれることもある。DMARCが必要とするのは、<code>d=</code>タグで指定されたドメインが、<code>From:</code>ヘッダフィールドで指定された送信者のドメインと連携している、有効な署名である。 == DNSレコード == DMARCはDNSを用いて、<code>_dmarc</code>サブドメインラベルを付けて公開される。例えば<code>_dmarc.example.com</code>のようになる。これを<code>example.com</code>のSPFや、<code>selector._domainkey.example.com</code>のDKIMと比較する。 TXTレコードは、SPFやDKIMと同様に、<code>name=value</code>という形式のタグを含み、それぞれのタグはセミコロンで区切られる。以下はその例である: <nowiki>"v=DMARC1;p=none;sp=quarantine;pct=100;rua=mailto:[email protected];"</nowiki> ここで、<code>v</code>はバージョン、<code>p</code>はポリシ(後述)である。<code>sp</code>はサブドメインポリシ、<code>pct</code>はポリシを適用する「悪い」電子メールの割合、<code>rua</code>は集計レポートを送るURIである。この例では、エンティティはexample.comのDNSドメインをSPFまたはDKIMあるいはその両方でのfail率を監視し、電子メールがexample.comのサブドメインから送信されることを想定していない。注意すべき点は、サブドメインはそれ自身のDMARCレコードを公開できることである。組織ドメインのレコードにフォールバックする前にそれを確認しなければならない。 ===段階的採用=== DMARCプロトコルは、メール管理者が、全くDMARCを実装していない状態から厳格な設定を完了する状態まで徐々に移行できるよう、様々な移行段階を提供している。<ref>{{cite | url=https://support.google.com/a/answer/10032473?hl=en| title=Tutorial: Recommended DMARC rollout| website=google.com}}</ref><ref>{{cite web| url=https://www.cyber.gc.ca/en/guidance/implementation-guidance-email-domain-protection#anna4| title=Implementation Guidance: Email Domain Protection| accessdate=2021-08-12| website=cyber.gc.ca}}</ref><ref>{{cite| url=https://www.cisco.com/c/dam/en/us/td/docs/security/phishing_protection-and-domain_protection/dp_user_guide.pdf| title=User Guide for Cisco Domain Protection| date=2021-05-25| website=cisco.com}}</ref> 段階的な採用という概念は、DMARCの目標が最も強固な設定だと仮定しているが、それはすべてのドメインについて当てはまるわけではない。その意図の有無に関わらず、このメカニズムによって素晴らしい柔軟性が実現される。 ====ポリシ==== 3つのポリシが存在する: * '''none'''はエントリレベルのポリシである。受信者は特別な取り扱いを必要としないが、ドメインがフィードバックレポートを受け取ることを可能にする。 * '''quarantine''' はDMARCチェックでfailとなったメッセージを、受信者が怪しいものとして扱うことを要求する。メッセージにフラグを付ける、メッセージを迷惑メールフォルダに入れるなど、受信者によって実装手段が異なる。 * '''reject''' はDMARCチェックでfailとなったメッセージを完全に拒否することを受信者に要求する。 公開されたポリシは、DMARCチェックをfailしたメッセージの一部にのみ適用することによって、「軽減」することができる。受信者はシンプルな[[:en:Bernoulli_sampling|ベルヌーイサンプリング]]アルゴリズムによって事前に設定された割合のメッセージを選択することを求められる。残りのメッセージにはより低いポリシ(<code>p=quarantine</code>ならnone、<code>p=reject</code>ならquarantine)を適用する。<code>p=quarantine; pct=0;</code>は、From:フィールドを書き換えない[[メーリングリスト]]に強制的にFrom:フィールドを書き換えるのに使われる。<ref>{{cite mailing list| url=http://lists.dmarc.org/pipermail/dmarc-discuss/2018-October/004166.html| title="p=none" vs. "p=quarantine; pct=0"| date=9 October 2018| author=Jonathan Kamens| website=dmarc.org}}</ref> サブドメインポリシと、<code>sp=</code>、新しく追加されたno-domainポリシ<ref>{{cite IETF |title=Experimental Domain-Based Message Authentication, Reporting, and Conformance (DMARC) Extension for Public Suffix Domains |rfc=9091| author=Scott Kitterman| editor=Tim Wicinski| date=26 July 2021 |publisher=[[Internet Engineering Task Force|IETF]]}}</ref>によって、特定のサブドメインのポリシを微調整することが可能になる。 == レポート == DMARCは2タイプのレポートを生成することができる。集計レポートは<code>rua</code>に引き続いて指定されるアドレスに送信される。フォレンジックレポートは<code>ruf</code>タグに引き続いて指定されるアドレスに送信される。これらのメールアドレスは[[URI]] [[mailto]]のフォーマット(例: <nowiki>mailto:[email protected]</nowiki> )で指定する必要がある。複数のアドレスを指定も有効となるが、それぞれが完全なURIフォーマットで指定され、カンマで区切られる必要がある。 対象となる電子メールアドレスは外部ドメインのものでもよい。この場合、対象ドメインはDMARCレコードを設定し、レポートを受け取ることに同意しなければならない。そうしなければレポート機能をDoS攻撃に利用されかねない。例えば、<code>receiver.example</code>と書いておくと、<code>From: [email protected]</code>からのメッセージを受け取ることができ、また受け取る意思を示していることになる。<code><nowiki>ruf=mailto:[email protected]</nowiki></code>という記述を見つけると、ターゲットによって管理される名前空間内の、それを裏付けるDNSレコードを探す。以下のように指定する: sender.example._report._dmarc.thirdparty.example IN TXT "v=DMARC1;" === 集計レポート === 集計レポートはふつう、1日1回[[XML]]形式で送られる。電子メールのサブジェクトは"Report Domain"、すなわちレポートが生成されたDNSドメイン名と、"Submitter"、すなわちレポートを発行するエンティティである。ペイロードは"!"で区切られた長いファイルネームを連結したものであり、レポートを発行する受信者、Unix形式のタイムスタンプで記されたレポート対象の開始/終了区間、任意の識別子、利用可能な可逆圧縮方式(<code>.zip</code>等) に基づく拡張子等を含む。<ref>{{cite web |url=https://dmarc.org/wiki/FAQ#What_is_the_rationale_for_choosing_ZIP_for_the_aggregate_reports.3F |website=DMARC.org |title=What is the rationale for choosing ZIP for the aggregate reports? |year=2012 |access-date=2019-04-03 |quote=Once GZIP is registered as a MIME application type with IANA, the DMARC group will consider it as inclusion in the draft}}</ref> 例: <code>example.com!example.org!1475712000!1475798400.xml.gz</code>. XMLはヘッダによって構成され、レコードの後にレポートが参照するポリシとレポートのメタデータが続く。レコードはデータベースに[[関係_(データベース)|関係]]として挿入することができ、表形式で見ることができる。XMLスキーマは仕様のAppendix Cで定義されており、<ref>{{cite IETF | title = Domain-based Message Authentication, Reporting, and Conformance (DMARC) | rfc = 7489 | sectionname = DMARC XML Schema | appendix=C | editor1 = Murray S. Kucherawy | editor1-link=Murray Kucherawy |editor2=Elizabeth Zwicky | date = March 2015 | publisher = [[Internet Engineering Task Force|IETF]] | access-date = 3 March 2019 }}</ref>元のレコードはdmarc.orgに例示されている。<ref name="dmarc.org">{{cite web|title=I need to implement aggregate reports, what do they look like?|url=https://dmarc.org/wiki/FAQ#I_need_to_implement_aggregate_reports.2C_what_do_they_look_like.3F|website=DMARC.org|access-date=2016-05-26}}</ref>データの性質をうまく説明するべく、以下に関係の例を貼り付けてある。DMARCレコードは[[XSL]]を用いることにより直接HTMLに変換することも可能である。 {| class="wikitable" |+ DMARCの集計レコード(表形式) ! Source IP !! Count ! Disposition !! SPF !! DKIM ! Header from ! SPF domain (result) ! DKIM domain (result) ! &nbsp; |- | 192.0.2.1 || 12 | none || {{yes|Pass}} || {{yes|Pass}} | example.org | {{yes|example.org (Pass)}} | {{yes|example.org (Pass)}} | &nbsp; |- | 192.0.2.1 || 1 | none || {{yes|Pass}} || {{failure|Fail}} | example.org | {{yes|example.org (Pass)}} | {{failure|example.org (Fail)}} | &nbsp; |- | 192.0.2.28 || 42 | none || {{failure|Fail}} || {{yes|Pass}} | example.org | {{failure|example.org (Fail)}} | {{yes|example.org (Pass)}} | {{yes|forwarder.example (Pass)}} |- | 192.0.2.82 || 21 | none || {{failure|Fail}} || {{failure|Fail}} | example.org | {{yes|discusslist.example (Pass)}} | {{failure|example.org (Fail)}} | {{yes|discusslist.example (Pass)}} |- ! colspan="9" style="text-align: left;" | ... |} 各行は送信元IPと認証結果によって分類され、それぞれのグループにいくつ振り分けられたか(count)が渡される。 一番左の'''SPF'''と'''DKIM'''という見出しの列は、アラインメントを考慮したDMARCの結果を示しており、passかfailのいずれかである。 一番右の似たような見出しは、メッセージの送信に与したと主張するドメインと、(カッコに示したものは)識別子のアラインメントによらず、元のプロトコル(SPFかDKIM)に基づいて主張される認証ステータスである。 右側のSPFの列は2列になっている部分があるが、一方は<code>Return-Path:</code>テストで、もう一方は<code>HELO</code>テストである。DKIMは各メッセージ中の署名ごとに一度のみ現れる。 例の中では、第1行はexample.orgからのメインのメールフロー、第2行はDKIMグリッチ(転送中の小さな変化によって生じる署名の破壊)である。 第3行と第4行は、それぞれ転送者とメーリングリストの典型的な失敗例である。DMARC認証は最後の行でのみ失敗している。example.orgがstrictポリシを指定した場合にメッセージのDispositionに影響を受ける。 '''disposition'''はメッセージに実際に適用されたポリシ(''none''、''quarantine''、''reject'')を反映している。これとともに、表には書かれていないが、DMARCはポリシのオーバーライドを提供する。受信者が要求されたポリシと異なるポリシを適用する理由として、既に仕様によってポリシが与えられていることが挙げられる: ; ''forwarded'' :同じ[[バウンスメール|バウンス]]のアドレスである限り、基本的にDKIMに違反しない ; ''sampled out'' :送信者が一部のメッセージだけにしかポリシを適用しないことを選択したから ; ''trusted forwarder'' :メッセージがローカルで既知のソースから送られて来た ; ''mailing list'' :受信者がヒューリスティックにメーリングリストから送られてくるメッセージを決定する ; ''local policy'' :受信者は所望のポリシーを適用することが許されるが、そのことを送信者に知らせたほうが良い ; ''other'' :上記のいずれも適用されない場合、コメントフィールドに詳しく記すことができる === フォレンジックレポート === フォレンジックレポート(異常レポート)はリアルタイムに生成され、<code>fo</code>タグに指定された値に基づき、SPFまたはDKIMあるいはその両方でfailとなったそれぞれのメッセージの編集されたコピーを含む。これらのフォーマットは{{仮リンク|Abuse Reporting Format|en|Abuse Reporting Format}}の拡張であり、"message/rfc822"または"text/rfc822-headers"を含む点で通常のバウンスのフォーマットと似ている。 フォレンジックレポートは他に以下のものを含む: * 送信元IPアドレス * Fromメールアドレス * 受信者のメールアドレス * メールのサブジェクト行 * SPFとDKIMの認証結果 * 受信時刻 * 電子メールのメッセージヘッダ(送信元ホスト、電子メールID、DKIM署名、その他カスタムヘッダ情報)<ref>{{Cite |url=https://glockapps.com/tutorials/dmarc-monitoring-reporting/|title = The Ultimate Guide to DMARC Reporting in 2022|date = 2019-08-23}}</ref> ==互換性== ===フォワーダ=== 電子メールの転送にはいくつかの異なるタイプが存在し、その一部はSPFに違反する。<ref>{{cite IETF |title=Interoperability Issues between Domain-based Message Authentication, Reporting, and Conformance (DMARC) and Indirect Email Flows |rfc=7960 |sectionname=Alias |section=3.2.1 |editor1=Franck Martin |editor2=Eliot Lear |editor3=Tim Draegen |editor4=Elizabeth Zwicky |editor5=Kurt Andersen |date=September 2016 |publisher=[[Internet Engineering Task Force|IETF]] |access-date=14 March 2017 }}</ref>これは電子メールの転送がDMARC認証の結果に影響する理由の一つである。<ref>{{Cite |url=https://blog.progist.net/how-does-email-forwarding-affect-dmarc-authentication-results/|title=How does email forwarding affect DMARC authentication results?|date=2023-01-06|work=progist.net}}</ref> ===メーリングリスト=== メーリングリストは、オリジナルの作成者のドメインによるDKIM署名が正しいのに検証失敗する際のよくある原因である。例えばサブジェクトヘッダに接頭辞を加えることによって生じる。多くの回避策があり<ref>{{cite | url=https://wiki.asrg.sp.am/wiki/Mitigating_DMARC_damage_to_third_party_mail| title=Mitigating DMARC damage to third party mail| author=[[Anti-Spam Research Group]]}}</ref><ref>[https://dmarc.org/wiki/FAQ#senders dmarc.org wiki]</ref>、メーリングリストソフトウェアパッケージはこの解決に取り組んでいる。<ref name="Mark Sapiro"/> ====すべてのメッセージの変更を無効化==== この回避策はメーリングリストの標準ワークフローであり続けており、いくつかの巨大メーリングリストオペレータに採用されているものの、メーリングリストがフッタとサブジェクトのプレフィックスを付けられなくなるという弊害もある。<ref>{{Cite |url=https://lists.debian.org/debian-devel-announce/2015/08/msg00003.html|title=Upcoming changes for lists.debian.org|website=lists.debian.org}}</ref>メールソフトが署名付きヘッダを並び替えたり変更したりしないように慎重に設定する必要がある。間違った設定を行ったメールサーバは、リストIDをメーリングリストに送られるメッセージのDKIMに挿入してしまい、リストオペレータが受信を拒否したり、From:を書き換えることをできなくしたりせざるを得なくなる。 ====<code>From:</code>書き換え==== 最もよく使われる回避策は、<code>From:</code>ヘッダフィールドを書き換えることである。オリジナルの作成者のアドレスは<code>Reply-To</code>フィールドに加えられる。<ref>{{cite web |url=http://www.spamresource.com/2014/04/run-email-discussion-list-heres-how-to.html |title=Spam Resource: Run an email discussion list? Here's how to deal with DMARC |author=Al Iverson |date=2014-04-09 |website=spamresource.com |access-date=18 April 2014}}</ref> 書き換えは、単に<code>.INVALID</code>を追加するものから{{refn| group=note| INVALID is a top level domain reserved by {{IETF RFC|2606}} for this kind of usage.}}、不透明なIDが利用されている部分に一時的なユーザIDを割り当て、ユーザの実際のメールアドレスをリストに把握されないためにドメイン名を追加するものまで多岐にわたる。 加えて、作成者とリスト(あるいはリストオペレータ)の両方を表示するよう、表示名を変更することもできる。<ref name="Threadable" />これらの例は、それぞれ、以下のような結果になる: <syntaxhighlight lang="email"> From: John Doe <[email protected]> From: John Doe <[email protected]> From: John Doe via MailingList <[email protected]> Reply-To: John Doe <[email protected]> </syntaxhighlight> 最終行の<code>Repli-To:</code>はreply-to-author機能が使えるように設定しておかなければならない。これはreply-to-list機能が<code>From:</code>ヘッダフィールド内の変更によって実現される場合を想定したものである。このようにして、これらのフィールドの元々の意味が入れ替わる。 作成者を変更することは通常は正当ではなく、そのデータの意味と見た目の想定された関係や、その自動的な利用を損なうことになる。メーリングリストを仕事の調整のために用い、<code>From:</code>フィールドを添付ファイルの作成者として割り当てるツールを配備するコミュニティが存在している。<ref>{{cite mailing list |url=https://mailarchive.ietf.org/arch/msg/ietf/qLMLIcG6mwUfZPkamLVYqM9jPSU |title=Realistic responses to DMARC |date=18 December 2016 |access-date=14 March 2017 |mailing-list=IETF-Discussion |author=Theodore Ts'o |author-link=Theodore Ts'o |quote= The fact that the from field is not rewritten is IMPORTANT because rewriting the from field would break the 'git am' command, since it uses the From: field to fill in the [[git]] commit's from field}}</ref> ====その他の回避策==== ラップされたメッセージを解釈できるメールクライアントを使う場合、メッセージのラッピングは上手く動作する。ただ、いくつかの国で法的にそうせざるを得ない場合や、日常的にSPF認証に失敗することがすべての認証をより脆弱なものとしている場合を除けば、何も変更しないのが最も明白な解決法だと思われる。<ref name="Mitigating">{{cite web |url=http://wiki.asrg.sp.am/wiki/Mitigating_DMARC_damage_to_third_party_mail |title=Mitigating DMARC damage to third party mail |author=John Levine |author-link=John Levine |date=31 May 2014 |work=wiki |publisher=[[Anti-Spam Research Group|ASRG]] |access-date=2014-06-01}}</ref> ===Senderフィールド=== <code>From;</code>ヘッダフィールドをDKIM連携を通過するために変更することによって、{{IETF RFC|5322}}の3.6.2節「'From'フィールドにはメッセージの作成者、すなわち、メッセージの作成した責任を持つ人またはシステムあるいはその集合のメールボックス(群)を指定する」に準拠しない状態になり得る。メールボックスは作成者のメールアドレスを指す。<code>Sender:</code>ヘッダはメールが別の集団を代表して送られてきたことを示すことができるが、DMARCはFromドメインのポリシのみをチェックし、Senderドメインのポリシは無視する。{{refn|group=note|Use of the Sender field by remailers is mentioned (in the context of DKIM, not DMARC) in sections B.1.4 and B.2.3 of {{IETF RFC|4871}}.}} {{仮リンク|ADSP|en|Author_Domain_Signing_Practices}}<!-- citation pending-->とDMARC<ref name="Kucherawy2013">{{cite web|last1=Kucherawy|first1=M.| author1-link=Murray Kucherawy| last2=Zwicky|first2=E.| title=Domain-based Message Authentication, Reporting and Conformance (DMARC) [draft 01]| at=Appendix A.3, Sender Header Field| url=https://tools.ietf.org/html/draft-kucherawy-dmarc-base-01#appendix-A.3| publisher=IETF| access-date=2016-05-24|date=15 July 2013}}</ref> はともに、多くのユーザエージェントがSenderフィールドを受信者に表示しないという非技術的な理由により、Senderフィールドを利用することを拒否している。 ==歴史== DMARCのドラフト仕様は2012年1月30日から維持されている。<ref>[https://dmarc.org/about/history/ "History"], dmarc.org</ref> 2013年10月、[[GNU Mailman]] 2.1.16がリリースされ、<code>p=reject</code>のDMARCポリシを設定したドメインからの送信者を処理できるオプションが追加された。<ref name="Mark Sapiro">{{cite web |url=http://wiki.list.org/DEV/DMARC |title=Mailman and DMARC |author=Mark Sapiro |date=16 October 2013 |website=list.org |access-date=13 August 2015}}</ref>この変更は、(純粋なトランザクションメールドメインとは対照的に)人間のユーザによってドメインに適用される限定的なポリシについて予想される相互運用性の問題を予期しようとしたものであった。 2014年4月、[[Yahoo]]はDMARCポリシを<code>p=reject</code>に変更し、それによって一部のメーリングリストで誤作動が起きた。<ref>{{cite web |url=http://www.pcworld.com/article/2141120/yahoo-email-antispoofing-policy-breaks-mailing-lists.html |title=Yahoo email anti-spoofing policy breaks mailing lists |author=Lucian Constantin |date= 8 April 2014 |publisher=[[PC World]] |access-date=15 April 2014}}</ref><ref>{{cite | url=https://wordtothewise.com/2014/04/yahoo-statement-dmarc-policy/| title=Yahoo Statement on DMARC policy| author=Laura Atkins| date=April 12, 2014| publisher=wordtothewise.com}}</ref>数日後、[[AOL]]もDMARCポリシを<code>p=reject</code>に変更した。<ref>{{cite web |url=http://postmaster-blog.aol.com/2014/04/22/aol-mail-updates-dmarc-policy-to-reject/ |title=AOL Mail updates DMARC policy to 'reject' |author=Vishwanath Subramanian |date=22 April 2014 |publisher=[[AOL]] |access-date=13 August 2015 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150813145754/http://postmaster-blog.aol.com/2014/04/22/aol-mail-updates-dmarc-policy-to-reject/ |archive-date=13 August 2015 |url-status=dead }}</ref>これらの動きは大きな混乱を招き、メールボックスプロバイダは自身のセキュリティ上の不備のコストをサードパーティに押し付けたことで非難された。<ref>{{cite mailing list |url=https://mailarchive.ietf.org/arch/msg/ietf/kL24edUthAOuHuwK3ZnpFkCXduI |title=DMARC and ietf.org |date=13 August 2016 |access-date=10 October 2016 |mailing-list=IETF |author=John Levine |author-link=John Levine }}</ref>2020年に、公式DMARCwikiのFAQでは、メーリングリストがstrictDMARCポリシのドメインからのメッセージを処理するためのいくつかの提案を掲載しており<ref>{{cite web|title=FAQ in DMARC wiki|url=https://dmarc.org/wiki/FAQ|access-date=2020-07-15}}</ref>、その中ではメーリングリストが"From"ヘッダを自身のドメインのアドレスに変更するというものが最も多く実装されている。 2014年8月に、DMARCの問題に対処するための[[IETF]]のワーキンググループが結成され、相互運用性の懸念と標準仕様と文書の改訂続行の取り組みを始めた。<ref>{{cite mailing list |url=https://mailarchive.ietf.org/arch/msg/ietf-announce/wcJEsW2nQaShjli9XfqayvIVW14 |title=WG Action: Formed Domain-based Message Authentication, Reporting & Conformance (dmarc) |date=11 August 2014 |access-date=10 October 2016 |mailing-list= IETF-Announce<!-- |no author, auto-generated by the IESG --> }}</ref>その間に、既存のDMARCの仕様は多くの人々に合意を得て実装されたeditorial状態となっていた。2015年3月、Independent Submission Streamに"Informational"(非標準)カテゴリで{{IETF RFC|7489}}として公開された。<ref>{{cite |url=https://dmarc.org/|title=DMARC FAQ|website=dmarc.org}}</ref> 2017年3月、[[:en:Federal Trade Commission]]がビジネスにおけるDMARCの利用に関する調査を公開した。<ref>{{cite |url=https://www.ftc.gov/system/files/documents/reports/businesses-can-help-stop-phishing-protect-their-brands-using-email-authentication-ftc-staff/email_authentication_staff_perspective.pdf |title=Businesses Can Help Stop Phishing and Protect their Brands Using Email Authentication |date=3 March 2017 |publisher=Federal Trade Commission}}</ref>569のビジネスの3分の1がDMARCの設定を実装しており、10%未満がサーバに未認証のメッセージを拒否させるようDMARCを設定しているが、大多数はSPFを実装していることが調査によって判明した。 === 貢献者 === DMARCの仕様策定に貢献した組織: <ref>{{cite IETF|draft=draft-kucherawy-dmarc-base-01|appendix=E|sectionname=Acknowledgements|title=Domain-based Message Authentication, Reporting, and Conformance (DMARC)|last1=Kucherawy|first1=Murray|last2=Zwicky|first2=Elizabeth}}</ref><ref>[http://www.dmarc.org/ DMARC Contributors] (PDF)</ref> * Receivers: [[AOL]], [[Comcast]], [[Google]] ([[Gmail]]), [[Mail.Ru]], [[Microsoft]] ([[Outlook.com]], [[Hotmail]]),<ref>{{cite web|last=Vitaldevara|first=Krish|title=Outlook.com increases security with support for DMARC and EV certificates|url=http://blogs.office.com/b/microsoft-outlook/archive/2012/12/10/outlook-com-increases-security-with-support-for-dmarc-and-ev-certificates.aspx|work=Outlook Blog|publisher=Microsoft|access-date=12 December 2012|date=10 December 2012}}</ref> [[Netease]] (163.com, 126.com, 188.com, yeah.net), [[XS4ALL]], [[Yahoo]], [[Yandex]] * Senders: [[American Greetings]], [[Bank of America]], [[Facebook]], [[Fidelity Investments]], [[JPMorganChase]], [[LinkedIn]],<ref>{{cite web|last=Martin|first=Franck|title=DMARC: a new tool to detect genuine emails|url=http://engineering.linkedin.com/email/dmarc-new-tool-detect-genuine-emails|work=LinkedIn Engineering Blog|publisher=Linkedin|access-date=17 August 2013|date=20 September 2012}}</ref> [[PayPal]], [[Twitter]]<ref>{{cite web |url=https://blog.twitter.com/2013/introducing-dmarc-for-twittercom-emails |title=Introducing DMARC for Twitter.com emails |author=Josh Aberant |date=21 February 2013 |website=twitter.com |access-date=10 April 2014}}</ref> * Intermediaries & Vendors:<ref name="History – dmarc.org">{{Cite web|title=History – dmarc.org|url=https://dmarc.org/about/history/|access-date=2020-09-23|website=dmarc.org}}</ref> [[Agari]] (Founder/CEO Patrick R. Peterson),<ref name="History – dmarc.org"/> Cloudmark,<ref name="History – dmarc.org"/> [https://dmarcadvisor.com/ DMARC Advisor],<ref name="History – dmarc.org" /> [[Red Sift]],<ref name="History – dmarc.org"/> [[ReturnPath]],<ref name="History – dmarc.org"/> [[Trusted Domain Project]],<ref name="History – dmarc.org"/> [https://progist.net/products/prodmarc.html ProDMARC], <ref name="History – dmarc.org" /> ==関連項目== * {{仮リンク|Authenticated Received Chain|en|Authenticated Received Chain)}}(ARC) * {{仮リンク|Author Domain Signing Practices|en|Author Domain Signing Practices}} * {{仮リンク|Brand Indicators for Message Identification|en|Brand Indicators for Message Identification}}(BIMI) * [[DomainKeys Identified Mail]] (DKIM) * [[送信ドメイン認証]] * {{仮リンク|Comparison of mail servers|en|Comparison of mail servers#Antispam features}} - DMARC対応メールサーバ * [[Sender Policy Framework]] (SPF) ==注釈== {{Reflist|group=note}} ==参考文献== {{Reflist| refs= <ref name="Threadable">{{cite web|title=How Threadable solved the DMARC problem|url=http://blog.threadable.com/how-threadable-solved-the-dmarc-problem|website=Threadable Blog|access-date=2016-05-21}}</ref> <!-- not used <ref name="Listserv">{{cite web|title=LISTSERV® Inventor Develops Seamless Solution to DMARC Hassles|url=http://www.lsoft.com/news/2014/listserv160-2014a-us.asp|website=L-Soft Press Releases|access-date=2016-05-22}}</ref>--> }} == 外部リンク == * {{Official website|https://dmarc.org/}} * The Anti Spam Research Group wiki: [https://wiki.asrg.sp.am/wiki/Mitigating_DMARC_damage_to_third_party_mail Mitigating DMARC damage to third party mail] [[Category:電子メール認証]] [[Category:電子メールのプロトコル]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/DMARC
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ゲストダイアン
ゲストダイアンは朝日放送テレビ(ABCテレビ)で2023年9月16日から2023年10月7日まで放送されていたバラエティ番組。 この番組では、お笑いコンビのダイアンの冠番組ではあるが、そのダイアンの立場は、MCではなく「ゲスト」で、毎回週替わりにMCが登場する仕組みとなっている。 ※カッコ内は番組内のサブタイトル。
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ゲストダイアンは朝日放送テレビ(ABCテレビ)で2023年9月16日から2023年10月7日まで放送されていたバラエティ番組。 この番組では、お笑いコンビのダイアンの冠番組ではあるが、そのダイアンの立場は、MCではなく「ゲスト」で、毎回週替わりにMCが登場する仕組みとなっている。
{{複数の問題 |一次資料 = 2023年9月 |単一の出典 = 2023年9月 |特筆性 = 2023年9月 }} {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = ゲストダイアン | 画像 = <!--入力例:Example.svg--> | 画像サイズ = <!--pxを含まない入力例:200--> | 画像サイズ自動補正比 = | 画像の代替テキスト = | 画像説明 = | 別名 = | ジャンル = バラエティ番組 | 原作 = | 原案 = | 企画 = | 構成 = | 脚本 = <!--「作」も使用可--> | 台本 = | 総監督 = | 監督 = <!--「ディレクター」も使用可--> | 演出 = | 監修 = | クリエイティブ・ディレクター = | 司会者 = | 出演者 = [[ダイアン]] | 審査員 = | 声の出演 = | ナレーター = | アナウンサー = | テーマ曲作者 = | 音楽 = | 作曲 = | OPテーマ = | EDテーマ = | 国・地域 = | 言語 = | 時代設定 = | シーズン数 = | シリーズ数 = | 話数 = | 各話リスト = | 各話の長さ = <!--「製作」ヘッダ--> | 製作総指揮 = <!--「エグゼクティブ・プロデューサー」・「チーフ・プロデューサー」・「制作統括」も使用可--> | プロデューサー = <!--「プロデュース」も使用可--> | 制作プロデューサー = | 撮影地 = | 撮影監督 = | 撮影体制 = | 編集 = | 制作 = | 製作 = [[朝日放送テレビ]] | 配給 = | 製作費 = <!--「放送」ヘッダ--> | ヘッダ = 放送 <!--既定値は「放送」--> | ネット配信 = | 放送チャンネル = <!--「放送局」も使用可--> | 映像形式 = | 音声形式 = | 放送国 = | 放送期間 = 2023年9月16日-2023年10月7日 | 放送時間 = 毎週土曜日 16:00-16:30 | 放送枠 = | 放送分 = | 放送回数 = | 外部リンク = https://www.asahi.co.jp/guest_daian/ | 外部リンク名 = 『ゲストダイアン』公式サイト | 副次的外部リンク = https://twitter.com/guest_daian | 副次的外部リンク名 = 『ゲストダイアン』公式X(Twitter) <!--シリーズ番組ヘッダ--> | ヘッダ1 = | ネット配信1 = | 司会者1 = | 出演者1 = | 審査員1 = | 声の出演1 = | ナレーター1 = | アナウンサー1 = | OPテーマ1 = | EDテーマ1 = | 放送チャンネル1 = <!--「放送局1」も使用可--> | 映像形式1 = | 音声形式1 = | 放送国1 = | 放送期間1 = | 放送時間1 = | 放送枠1 = | 各話の長さ1 = <!--「放送分1」も使用可--> | 放送回数1 = | 外部リンク1 = | 外部リンク名1 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> <!--以下、数字は「20」まで--> <!--「番組年表」ヘッダ--> | 前作 = | 次作 = | 関連番組 = <!--脚注--> | 特記事項 = }} '''ゲストダイアン'''は[[朝日放送テレビ]](ABCテレビ)で2023年9月16日から2023年10月7日まで放送されていたバラエティ番組。 この番組では、お笑いコンビのダイアンの冠番組ではあるが、そのダイアンの立場は、MCではなく「ゲスト」で、毎回週替わりにMCが登場する仕組みとなっている<ref>{{Cite news|title=ダイアンが毎回“ゲスト”出演する冠新番組 MCは東出昌大、片岡鶴太郎、照英、永尾柚乃|newspaper=お笑いナタリー|date=2023-09-04|author=|url=https://natalie.mu/owarai/news/539552|access-date=2023-09-09}}</ref>。 == 放送時間 == * 毎週土曜日 16:00-16:30 == 出演者 == * [[ダイアン]] === MC === ※カッコ内は番組内のサブタイトル。 * 第1回(2023年9月16日):[[東出昌大]](あつまれ ひがしでの森)<ref>{{Cite news|title=「ゲストダイアン」初回は東出昌大MC「あつまれ ひがしでの森」、不慣れな野営にダイアン不安|newspaper=お笑いナタリー|date=2023-09-14|url=https://natalie.mu/owarai/news/541019|access-date=2023-09-17}}</ref><ref>{{Cite news|title=ダイアン“冠ゲスト番組”始動 初回は山小屋生活中・東出昌大MC『あつまれ ひがしでの森』【コメントあり】|newspaper=オリコンニュース|date=2023-09-14|url=https://www.oricon.co.jp/news/2294837/full/|access-date=2023-09-17}}</ref> * 第2回(2023年9月23日):[[片岡鶴太郎]](鶴ちゃんのヨガ夢中)<ref>{{Cite news |和書 |title= ゴイゴイスーと片岡鶴太郎のヨガが奇跡の融合|newspaper= お笑いナタリー|date= 2023-09-22|author= |url= https://natalie.mu/owarai/news/541985|access-date=2023-09-22}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title= ダイアン津田「ゴイゴイスー」×片岡鶴太郎のヨガが融合|newspaper= オリコンニュース|date= 2023-09-22|author= |url= https://www.oricon.co.jp/news/2295789/full/|access-date=2023-09-22}}</ref> * 第3回(2023年9月30日):[[照英]](照英の熱血!金魚塾)<ref>{{Cite news |和書 |title= ダイアン耐えがたい、照英の金魚の説明が長いロケ|newspaper= お笑いナタリー|date= 2023-09-29|author= |url= https://natalie.mu/owarai/news/542887|access-date=2023-09-29}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title= 照英、金魚3000匹飼うほどの愛好家だった ド派手な金魚柄スーツ&ネクタイで汗だく…筋肉透ける|newspaper= オリコンニュース|date= 2023-09-29|author= |url= https://www.oricon.co.jp/news/2296694/full/|access-date=2023-09-29}}</ref> * 第4回(2023年10月7日):永尾柚乃(ゆのちゃんのてれび)<ref>{{Cite news |和書 |title= ダイアン以外の出演者はみんな子供、番組ADも子供|newspaper= お笑いナタリー|date= 2023-10-06|author= |url= https://natalie.mu/owarai/news/543844|access-date=2023-10-07}}</ref> == スタッフ == *ナレーター:新里春樹(#4) *構成:岸本尚久 *SW:中住鉄兵(#4) *CAM:深野高史、土橋康弘、中田具樹、小林智幸(共に#4) *CA:佐藤虹、清水翔太(共に#4) *LD:相澤裕一(#4) *照明:山鬼大輝(#4) *VE:滝沢祐太郎(#4) *MIX:籠谷暖夫(#4) *AUD:飯田一馬(#4) *VTRオペ:桂芳幹(#4) *TM:小西剛生(#4) *EED:大中帆菜、中野亜海 *MA:野口嵩仁 *SE:浜田梨沙子(#4) *美術:小林沙奈美 *協力:チョコフィルム、SOUND-K【毎週】、まいど、イロとイロ、東京衣裳(まいど以降→#3,4)、[[アイネックス (技術プロダクション)|i-NEX]]、[[関西東通]]、ライズアップ(共に#4) *PR:朝比茂信(朝日放送テレビ) *デスク:板倉とわか *AD:中村友香 *ディレクター:喜多治揮・木村小夏(朝日放送テレビ)、米澤のぞ美(ABCリブラ)、植田政成([[ディーレック]]) *演出:大迫浩幹(朝日放送テレビ) *プロデューサー:髙木伸也(朝日放送テレビ)、山中修平・谷垣和歌子(吉本興業) *制作協力:[[吉本興業]] *制作著作:ABC TV === 過去のスタッフ === *ナレーター:[[武田和歌子]](#1,2)、[[藤崎健一郎]](#3) *CAM:岡田陽、加島祥太朗(共に#1)、西川真(#1,3)、高砂よういち、小澤拓史、渡部孝二(共に#2)、飯田祥子(#3) *CA:松本拓弥(#1)、斎藤新一(#2)、菅野龍弥(#3) *MIX:菅野龍也(#1) *AUD:吉田正志(#2)、藤原尉智(#3) *VE:廣瀬直樹(#2) *照明技師:長谷川英樹、宮淳之介(共に#2) *SE:片岡幸司(#1,2)、増田泰士(#3) *監修:岡本信明(#3) *AD:田中千城(#1) == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://www.asahi.co.jp/guest_daian/ 『ゲストダイアン』公式サイト] * [https://twitter.com/guest_daian 『ゲストダイアン』公式X(Twitter)] {{前後番組 | 放送局 = [[朝日放送テレビ]] | 放送枠 = 土曜 16:00 - 16:30 | 番組名 = ゲストダイアン | 前番組 = [[遊び追求!イッコタス]] | 次番組 = [[見取り図の寄り道タクシー]] }} {{tv-substub}} {{DEFAULTSORT:けすとたいあん}} [[Category:朝日放送テレビのバラエティ番組]]
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くまもとLive touch
くまもとLive touch(くまもとライブ タッチ)は熊本朝日放送で2023年10月2日から放送開始の熊本県内向けのニュース情報番組。 2012年4月から掲げてきた『くまパワ』ブランドの役割と『くまパワ!』の放送枠を受け継ぎ、新しい熊本県内向けのニュース情報番組として放送開始。 この番組のコンセプトを『新たなニュースのカタチ』と掲げ、「いまにふれる、いまがわかる。熊本の最前線」を伝えるもので、視聴者が気になっている「時事」「旬」「トレンド」を取り上げ、「カタい話題もよりカジュアル」に、ニュースや情報をわかりやすく伝えるもの。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "くまもとLive touch(くまもとライブ タッチ)は熊本朝日放送で2023年10月2日から放送開始の熊本県内向けのニュース情報番組。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2012年4月から掲げてきた『くまパワ』ブランドの役割と『くまパワ!』の放送枠を受け継ぎ、新しい熊本県内向けのニュース情報番組として放送開始。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "この番組のコンセプトを『新たなニュースのカタチ』と掲げ、「いまにふれる、いまがわかる。熊本の最前線」を伝えるもので、視聴者が気になっている「時事」「旬」「トレンド」を取り上げ、「カタい話題もよりカジュアル」に、ニュースや情報をわかりやすく伝えるもの。", "title": "概要" } ]
くまもとLive touchは熊本朝日放送で2023年10月2日から放送開始の熊本県内向けのニュース情報番組。
{{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = くまもとLive touch | 画像 = <!--入力例:Example.svg--> | 画像サイズ = <!--pxを含まない入力例:200--> | 画像サイズ自動補正比 = | 画像の代替テキスト = | 画像説明 = | 別名 = | ジャンル = ニュース情報番組 | 原作 = | 原案 = | 企画 = | 構成 = | 脚本 = <!--「作」も使用可--> | 台本 = | 総監督 = | 監督 = <!--「ディレクター」も使用可--> | 演出 = | 監修 = | クリエイティブ・ディレクター = | 司会者 = | 出演者 = | 審査員 = | 声の出演 = | ナレーター = | アナウンサー = | テーマ曲作者 = | 音楽 = | 作曲 = | OPテーマ = | EDテーマ = | 国・地域 = | 言語 = | 時代設定 = | シーズン数 = | シリーズ数 = | 話数 = | 各話リスト = | 各話の長さ = <!--「製作」ヘッダ--> | 製作総指揮 = <!--「エグゼクティブ・プロデューサー」・「チーフ・プロデューサー」・「制作統括」も使用可--> | プロデューサー = <!--「プロデュース」も使用可--> | 制作プロデューサー = | 撮影地 = | 撮影監督 = | 撮影体制 = | 編集 = | 制作 = | 製作 = [[熊本朝日放送]] | 配給 = | 製作費 = <!--「放送」ヘッダ--> | ヘッダ = 放送 <!--既定値は「放送」--> | ネット配信 = | 放送チャンネル = <!--「放送局」も使用可--> | 映像形式 = | 音声形式 = | 放送国 = | 放送期間 = 2023年10月2日- | 放送時間 = 平日 18:15-19:00 | 放送枠 = | 放送分 = 45 | 放送回数 = | 外部リンク = https://www.kab.co.jp/touch/ | 外部リンク名 = 『くまもとLive touch』公式サイト | 副次的外部リンク = | 副次的外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト2」--> <!--シリーズ番組ヘッダ--> | ヘッダ1 = | ネット配信1 = | 司会者1 = | 出演者1 = | 審査員1 = | 声の出演1 = | ナレーター1 = | アナウンサー1 = | OPテーマ1 = | EDテーマ1 = | 放送チャンネル1 = <!--「放送局1」も使用可--> | 映像形式1 = | 音声形式1 = | 放送国1 = | 放送期間1 = | 放送時間1 = | 放送枠1 = | 各話の長さ1 = <!--「放送分1」も使用可--> | 放送回数1 = | 外部リンク1 = | 外部リンク名1 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> <!--以下、数字は「20」まで--> <!--「番組年表」ヘッダ--> | 前作 = | 次作 = | 関連番組 = <!--脚注--> | 特記事項 = }} '''くまもとLive touch'''(くまもとライブ タッチ)は[[熊本朝日放送]]で2023年10月2日から放送開始の熊本県内向けのニュース情報番組。 == 概要 == 2012年4月から掲げてきた『くまパワ』ブランドの役割と『[[くまパワ!]]』の放送枠を受け継ぎ、新しい熊本県内向けのニュース情報番組として放送開始。 この番組のコンセプトを『新たなニュースのカタチ』と掲げ、「いまにふれる、いまがわかる。熊本の最前線」を伝えるもので、視聴者が気になっている「時事」「旬」「トレンド」を取り上げ、「カタい話題もよりカジュアル」に、ニュースや情報をわかりやすく伝えるもの<ref>{{Cite web|和書|url= https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000050.000085285.html|title= 新番組「くまもとLive touch」KAB熊本朝日放送で10月2日(月)より放送スタート 熊本の夕方に新番組がスタート!「時事」「旬」「トレンド」の最前線を県民に届けます。|publisher= KAB熊本朝日放送|date= 2023-09-06|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 放送時間 == * 平日 18:15-19:00 == 出演者 == === 月曜-木曜 === * 田中杜旺(熊本朝日放送アナウンサー) * 佐藤由季(熊本朝日放送アナウンサー) === 金曜 === * 井上聖貴(熊本朝日放送アナウンサー) * [[渕上彩夏]] == 脚注 == <references /> {{前後番組 | 放送局 = [[熊本朝日放送]] | 放送枠 = 平日 18:15-19:00 | 番組名 = くまもとLive touch | 前番組 = [[くまパワ!]] | 次番組 = }} {{テレビ朝日系列夕方ローカルニュース}} {{熊本県内テレビ局の夕方ニュース番組}} {{tv-substub}} {{DEFAULTSORT:くまもとらいふたつち}} [[Category:熊本朝日放送のテレビ番組]] [[Category:スーパーJチャンネル]]
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高岡1号墳
高岡1号墳(たかおかいちごうふん、高岡第1号古墳)は、長野県飯田市座光寺にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち座光寺単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 長野県南部、天竜川西岸の河岸段丘の緩傾斜地(標高440メートル)に築造された古墳である。現在までに良好に墳丘を遺存し、後円部墳頂には高岡神社が所在する。1982年(昭和57年)に石室実測調査が実施されている。 墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘長は72.3メートルを測り、飯田古墳群では飯沼天神塚古墳(飯田市上郷飯沼)に次ぐ規模になる。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(人物(巫女1)・家形か・蓋形・馬形埴輪)が認められる。埋葬施設は横穴式石室(竪穴系横口式石室)で、南西方向に開口する。墳丘規模に比して小型の石室で、石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴式石室から横穴式石室への過渡期の竪穴系横口式石室の特徴を示す。副葬品としては金環・玉類・馬具・須恵器片・土師器片の出土が知られる。 築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される。下伊那地方における代表的な首長墓の1つであり、導入期の石室を有する点で注目される古墳である。 古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 墳丘の規模は次の通り。 埋葬施設としては後円部において横穴式石室(竪穴系横口式石室)が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は、石室全長5.6メートル、奥壁幅2.0メートル、開口部幅1.85メートル、玄室高さ約1.7メートルを測る。 石室は、最下段に平石を立て並べ、その上に小型の石を2段積みすることによって構築される。石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴系横口式石室の特徴を示す。開口部両側には門柱状に平石を立てる。また石室の壁面には赤色顔料の塗布が認められる。なお石室奥には穴が開けられているが、これは近代に養蚕に利用された際のものになる。 導入段階の古式の横穴式石室であるが、座光寺地域では同様の石室が北本城古墳・畦地1号墳でも知られる。 古墳からの出土品は次の通り。 (記事執筆に使用していない関連文献)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高岡1号墳(たかおかいちごうふん、高岡第1号古墳)は、長野県飯田市座光寺にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち座光寺単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "長野県南部、天竜川西岸の河岸段丘の緩傾斜地(標高440メートル)に築造された古墳である。現在までに良好に墳丘を遺存し、後円部墳頂には高岡神社が所在する。1982年(昭和57年)に石室実測調査が実施されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘長は72.3メートルを測り、飯田古墳群では飯沼天神塚古墳(飯田市上郷飯沼)に次ぐ規模になる。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(人物(巫女1)・家形か・蓋形・馬形埴輪)が認められる。埋葬施設は横穴式石室(竪穴系横口式石室)で、南西方向に開口する。墳丘規模に比して小型の石室で、石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴式石室から横穴式石室への過渡期の竪穴系横口式石室の特徴を示す。副葬品としては金環・玉類・馬具・須恵器片・土師器片の出土が知られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半頃と推定される。下伊那地方における代表的な首長墓の1つであり、導入期の石室を有する点で注目される古墳である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "墳丘の規模は次の通り。", "title": "墳丘" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "埋葬施設としては後円部において横穴式石室(竪穴系横口式石室)が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は、石室全長5.6メートル、奥壁幅2.0メートル、開口部幅1.85メートル、玄室高さ約1.7メートルを測る。", "title": "埋葬施設" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "石室は、最下段に平石を立て並べ、その上に小型の石を2段積みすることによって構築される。石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴系横口式石室の特徴を示す。開口部両側には門柱状に平石を立てる。また石室の壁面には赤色顔料の塗布が認められる。なお石室奥には穴が開けられているが、これは近代に養蚕に利用された際のものになる。", "title": "埋葬施設" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "導入段階の古式の横穴式石室であるが、座光寺地域では同様の石室が北本城古墳・畦地1号墳でも知られる。", "title": "埋葬施設" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "古墳からの出土品は次の通り。", "title": "出土品" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "(記事執筆に使用していない関連文献)", "title": "関連文献" } ]
高岡1号墳(たかおかいちごうふん、高岡第1号古墳)は、長野県飯田市座光寺にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち座光寺単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。
{{日本の古墳 |名称 = 高岡1号墳 |画像 = [[File:Takaoka Kofun Group-1, funkyu.jpg|280px]]<br/>墳丘(左に前方部、右に後円部・石室開口部) |別名 = 高岡第1号古墳 |所属 = [[飯田古墳群]](座光寺単位群) |所在地 = [[長野県]][[飯田市]]座光寺3338-1ほか |緯度度 = 35|緯度分 = 32|緯度秒 = 6.28 |経度度 = 137|経度分 = 51|経度秒 = 46.90 |ISO = JP-20 |形状 = [[前方後円墳]] |規模 = 墳丘長72.3m<br/>高さ6.3m(前方部) |埋葬施設 = [[横穴式石室]](竪穴系横口式石室) |出土品 = 金環・玉類・馬具・[[須恵器]]・[[土師器]]・[[埴輪]] |陪塚 = |築造時期 = [[6世紀]]前半 |被葬者 = |陵墓 = |史跡 = 国の[[史跡]]「飯田古墳群」に包含 |有形文化財 = |特記事項 = |地図 = Japan Nagano |アイコン = 前方後円墳-南西 |ラベル = 高岡1号墳 |ラベル位置 = top }} '''高岡1号墳'''(たかおかいちごうふん、高岡第1号古墳)は、[[長野県]][[飯田市]]座光寺にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。[[飯田古墳群]](うち座光寺単位群)を構成する古墳の1つ。国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 == 概要 == 長野県南部、[[天竜川]]西岸の河岸段丘の緩傾斜地(標高440メートル)に築造された古墳である。現在までに良好に墳丘を遺存し、後円部墳頂には高岡神社が所在する。[[1982年]]([[昭和]]57年)に石室実測調査が実施されている。 墳形は前方部が発達した前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘長は72.3メートルを測り、飯田古墳群では[[飯沼天神塚古墳]](飯田市上郷飯沼)に次ぐ規模になる。墳丘外表では[[葺石]]のほか、[[円筒埴輪]](朝顔形埴輪含む)・[[形象埴輪]](人物(巫女1)・家形か・蓋形・馬形埴輪)が認められる。埋葬施設は[[横穴式石室]](竪穴系横口式石室)で、南西方向に開口する。墳丘規模に比して小型の石室で、石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴式石室から横穴式石室への過渡期の竪穴系横口式石室の特徴を示す。副葬品としては金環・玉類・馬具・[[須恵器]]片・[[土師器]]片の出土が知られる。 築造時期は、[[古墳時代]]後期の[[6世紀]]前半頃と推定される<ref name="飯田市">[https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/takaokadai1go.html 高岡第1号古墳](飯田市ホームページ)。</ref>{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。下伊那地方における代表的な首長墓の1つであり、導入期の石室を有する点で注目される古墳である。 古墳域は[[2016年]]([[平成]]28年)に国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 === 来歴 === * [[1960年]](昭和35年)2月11日、長野県指定史跡に指定。 * [[1982年]]([[昭和]]57年)、県史編纂事業に伴う墳丘測量・石室実測調査(松尾昌彦ら、1982年に報告)。 * [[2016年]]([[平成]]28年)10月3日、国の[[史跡]]に指定(史跡「飯田古墳群」のうち)。 == 墳丘 == 墳丘の規模は次の通り{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * 墳丘長:約72.3メートル * 後円部 ** 直径:約35.2メートル ** 高さ:6.2メートル * 前方部 ** 幅:約35.7メートル ** 高さ:6.3メートル <gallery> Takaoka Kofun Group-1, funcho.jpg|後円部墳頂の高岡神社社殿 Takaoka Kofun Group-1, kouenbu.jpg|前方部から後円部を望む Takaoka Kofun Group-1, zenpoubu.jpg|後円部から前方部を望む 高岡1号墳出土 埴輪.JPG|出土埴輪<br/>{{small|飯田市考古博物館展示。}} </gallery> == 埋葬施設 == [[File:Takaoka Kofun Group-1, 3D-P.jpg|thumb|300px|right|{{center|石室パース図}}]] [[File:Takaoka Kofun Group-1, 3D-N.jpg|thumb|250px|right|{{center|石室展開図}}]] 埋葬施設としては後円部において[[横穴式石室]](竪穴系横口式石室)が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は、石室全長5.6メートル、奥壁幅2.0メートル、開口部幅1.85メートル、玄室高さ約1.7メートルを測る{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 石室は、最下段に平石を立て並べ、その上に小型の石を2段積みすることによって構築される。石室入り口よりも玄室の床面が低いという、竪穴系横口式石室の特徴を示す。開口部両側には門柱状に平石を立てる。また石室の壁面には赤色顔料の塗布が認められる{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。なお石室奥には穴が開けられているが、これは[[近代]]に養蚕に利用された際のものになる<ref name="飯田市"/>。 導入段階の古式の横穴式石室であるが、座光寺地域では同様の石室が北本城古墳・畦地1号墳でも知られる<ref name="飯田市"/>。 <gallery> Takaoka Kofun Group-1, 3D-B.jpg|石室俯瞰図 Takaoka Kofun Group-1, sekishitsu-1.jpg|石室内部(奥壁方向) Takaoka Kofun Group-1, sekishitsu-2.jpg|石室内部(開口部方向) Takaoka Kofun Group-1, entrance.jpg|開口部 </gallery> == 出土品 == 古墳からの出土品は次の通り{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * 金環 1 * 玉類 ** 切子玉 5 ** 管玉 2 ** 小玉 3 ** 勾玉 1 * 馬具 ** 辻金具 2 ** 杏葉片 2 ** 鉸具片 2 ** 鎖 1 ** 留金具 1 ** 金具 1 * [[須恵器]]片 1 * [[土師器]]片 22 == 関連施設 == * 飯田市考古博物館(飯田市上郷別府) - 高岡1号墳の出土埴輪を保管・展示。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == {{small|(記事執筆に使用した文献)}} * 史跡説明板(飯田市教育委員会、2017年設置) * {{Cite book|和書|author=|year=1983|chapter=高岡1号古墳|title=長野県史 考古資料編 全1巻(3) 主要遺跡(中・南信)|publisher=長野県|isbn=|ref={{Harvid|長野県史 考古資料編 全1巻(3)|1983}}}} * {{Cite book|和書|editor=|author=小林秀夫|year=1989|chapter=高岡1号墳|title=[[日本古墳大辞典]]|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4490102607|ref={{Harvid|高岡1号墳(古墳)|1989}}}} * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2007|chapter=高岡1号古墳|url=http://sitereports.nabunken.go.jp/9271 |title=飯田における古墳の出現と展開 -資料編-|publisher=飯田市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。 == 関連文献 == {{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}} * {{Cite journal|和書|author=松尾昌彦・川名広文・高崎光司・伊波寿賀子|title=飯田市周辺における前方後円墳の実測調査|date=1982-11|journal=信濃|publisher=信濃史学会|volume=34|number=11|pages=867-898|url=|naid=|doi=|ref=}} * {{Cite journal|和書|author=[[白石太一郎]]|title=伊那谷の横穴式石室(一)|date=1988-7|journal=信濃|publisher=信濃史学会|volume=40|number=7|pages=669-687|url=|naid=|doi=|ref=}} == 外部リンク == {{Commonscat|Takaoka Kofun Group|高岡古墳群}} * [https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/takaokadai1go.html 高岡第1号古墳] - 飯田市ホームページ {{デフォルトソート:たかおかいちこうふん}} [[Category:飯田古墳群]] [[Category:長野県の古墳]] [[Category:飯田市の歴史]] [[Category:前方後円墳]] [[Category:長野県にある国指定の史跡]]
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ポントゥス・アルムクヴィスト
ポンティス・スクル・エリック・アルムクヴィスト(Pontus Skule Erik Almqvist, 1999年7月10日 - )は、スウェーデン・セーデルマンランド県ニュヒェーピング出身のプロサッカー選手。セリエA・USレッチェ所属。ポジションはFW。 IFKノルシェーピンなどのユースチームをわたり歩きながら、2015年から2年間はイギリスに渡り、ナイキ・サッカーアカデミー(英語版)に入所。2016年にスウェーデンに帰国し、IFKノルシェーピンとプロ契約を締結。翌2017年9月23日のハルムスタッズBK戦でプロデビュー。以降は下部リーグへのローン移籍を経て、2020年シーズンよりトップチームに定着。同年シーズンはシーズン途中まで5ゴールを決めた。 2020年10月15日、FCロストフと5年契約を締結。移籍後も主力として活躍していたが、2022年2月に2022年ロシアのウクライナ侵攻が勃発。これを受けてFIFAとUEFAは、ロシアリーグでプレーする外国籍選手に対する救済法を施行。アルムクヴィストもこの権利を行使し、3月17日にFCユトレヒトがアルムクヴィストを2021-22シーズン終了までのローン移籍で獲得したと発表。同シーズンは9試合で起用された。 2022年7月5日、MKSポゴニ・シュチェチンに1年間のローン移籍で加入したことが発表。2022-23シーズンはエクストラクラサで27試合5ゴールを記録した。 2023年6月22日、USレッチェに1年間のローン移籍で加入したことが発表。2023-24シーズン開幕戦となった8月20日のSSラツィオ戦では、後半35分に1-1の同点に追い付く移籍後初ゴールを決め、更に2分後にはフェデリコ・ディ・フランチェスコもゴールを決め、2-1の開幕戦逆転勝利に貢献した。 2017年から3年間、ユース世代のスウェーデン代表でプレーした。
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ポンティス・スクル・エリック・アルムクヴィストは、スウェーデン・セーデルマンランド県ニュヒェーピング出身のプロサッカー選手。セリエA・USレッチェ所属。ポジションはFW。
{{サッカー選手 | 名前 = ポントゥス・アルムクヴィスト | 画像 = 9Almqvist1.jpg | 画像サイズ = 200px | 画像の説明 = [[MKSポゴニ・シュチェチン]]時代 (2023年 | 本名 = ポントゥス・スクル・エリック・アルムクヴィスト<br>Pontus Skule Erik Almqvist | 愛称 = | カタカナ表記 = | アルファベット表記 = Pontus Almqvist | 原語名 = | 原語表記 = | 国 = {{SWE}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1999|07|10}} | 出身地 = [[ニュヒェーピング]] | 身長 = 183cm | 体重 = 78kg | ポジション = [[フォワード (サッカー)|FW]] | 所属チーム名 = {{Flagicon|ITA}} [[USレッチェ]] | 背番号 = 7 | 利き足 = 左足 | ユース年1 = 2011-2013 | ユースクラブ1 = {{Flagicon|SWE}} ニュヒェーピングBIS | ユース年2 = 2014 | ユースクラブ2 = {{Flagicon|SWE}} [[シリアンスカFC]] | ユース年3 = 2014 | ユースクラブ3 = {{Flagicon|SWE}} [[IFKノルシェーピン]] | ユース年4 = 2015-2016 | ユースクラブ4 = {{Flagicon|ENG}} {{仮リンク|ナイキ・サッカーアカデミー|en|Nike Academy}} | ユース年5 = 2016 | ユースクラブ5 = {{Flagicon|SWE}} IFKノルシェーピン | 年1 = 2017-2020 | クラブ1 = {{Flagicon|SWE}} [[IFKノルシェーピン]] | 出場1 = 28 | 得点1 = 5 | 年2 = 2017 | クラブ2 = →{{Flagicon|SWE}} {{仮リンク|IFシルヴィア|en|IF Sylvia}} (loan) | 出場2 = 3 | 得点2 = 1 | 年3 = 2018 | クラブ3 = →{{Flagicon|SWE}} [[ヴァールベリBoIS]] (loan) | 出場3 = 4 | 得点3 = 0 | 年4 = 2018 | クラブ4 = →{{Flagicon|SWE}} {{仮リンク|ノルビーIF|en|Norrby IF}} (loan) | 出場4 = 14 | 得点4 = 1 | 年5 = 2019 | クラブ5 = →{{Flagicon|SWE}} IFシルヴィア (loan) | 出場5 = 6 | 得点5 = 2 | 年6 = 2020- | クラブ6 = {{Flagicon|RUS}} [[FCロストフ]] | 出場6 = 37 | 得点6 = 3 | 年7 = 2022 | クラブ7 = →{{Flagicon|NED}} [[FCユトレヒト]] (loan) | 出場7 = 9 | 得点7 = 0 | 年8 = 2022-2023 | クラブ8 = →{{Flagicon|POL}} [[MKSポゴニ・シュチェチン]] (loan) | 出場8 = 27 | 得点8 = 5 | 年9= 2023- | クラブ9 = →{{Flagicon|ITA}} [[USレッチェ]] (loan) | 出場9 = 3 | 得点9 = 1 | クラブ成績更新日 = 2023年9月9日 | 代表年1 = 2017-2019 | 代表1 = {{SWEf}} U-19 | 代表出場1 = 2 | 代表得点1 = 0 | 代表年2 = 2020 | 代表2 = {{SWEf}} U-21 | 代表出場2 = 5 | 代表得点2 = 2 | 代表成績更新日 = 2023年9月9日 | 監督年1 = | 監督チーム1 = }} '''ポンティス・スクル・エリック・アルムクヴィスト'''('''Pontus Skule Erik Almqvist''', [[1999年]][[7月10日]] - )は、[[スウェーデン]]・[[セーデルマンランド県]][[ニュヒェーピング]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[USレッチェ]]所属。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。 == クラブ経歴 == [[IFKノルシェーピン]]などのユースチームをわたり歩きながら、2015年から2年間は[[イギリス]]に渡り、{{仮リンク|ナイキ・サッカーアカデミー|en|Nike Academy}}に入所。2016年にスウェーデンに帰国し、IFKノルシェーピンとプロ契約を締結<ref>{{Cite web|url=https://www.unisportstore.com/blog/5652-nike-academy-pontus-almqvist-signs-for-top-club/|title=Pontus Almqvist signs for IFK Norrköping | Nike Academy to pro contract|publisher=Uni Sport|accessdate=2023年9月9日|date=2016年11月5日|language=en}}</ref>。翌2017年9月23日の[[ハルムスタッズBK]]戦でプロデビュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.soccerway.com/matches/2017/09/23/sweden/allsvenskan/halmstads-bollklubb/ildrottsforening-kamraterna-norrkoping/2380340/|title=ハルムスタード VS. ノルシェーピン 2 - 1|publisher=Soccerway|accessdate=2023年9月9日|date=2017年9月23日|language=}}</ref>。以降は下部リーグへのローン移籍を経て、2020年シーズンよりトップチームに定着。同年シーズンはシーズン途中まで5ゴールを決めた。 2020年10月15日、[[FCロストフ]]と5年契約を締結<ref>{{Cite web|url=https://www.tellerreport.com/sports/2020-10-15-allsvenskan-duo-ready-for-russian-fc-rostov.HJZZ9zfUDP.html|title=Allsvenskan duo ready for Russian FC Rostov|publisher=Teller Report|accessdate=2023年9月9日|date=2020年10月16日|language=en}}</ref>。移籍後も主力として活躍していたが、2022年2月に[[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]が勃発。これを受けて[[FIFA]]と[[UEFA]]は、[[ロシアサッカー・プレミアリーグ|ロシアリーグ]]でプレーする外国籍選手に対する救済法を施行。アルムクヴィストもこの権利を行使し、3月17日に[[FCユトレヒト]]がアルムクヴィストを2021-22シーズン終了までのローン移籍で獲得したと発表<ref>{{Cite web|url=https://www.fcutrecht.nl/nieuws/2022/maart/pontus-almqvist-maakt-seizoen-af-bij-fc-utrecht|title=Pontus Almqvist maakt seizoen af bij FC Utrecht|website=FC Utrecht|accessdate=2023年9月9日|date=2022年3月17日|language=nl}}</ref>。同シーズンは9試合で起用された。 2022年7月5日、[[MKSポゴニ・シュチェチン]]に1年間のローン移籍で加入したことが発表<ref>{{Cite web|url=https://pogonszczecin.pl/newsy/20220705114554/pontus-almqvist-nowym-zawodnikiem-pogoni|title=Pontus Almqvist nowym zawodnikiem Pogoni!|website=Pogoń Szczecin|accessdate=2023年9月9日|date=2022年7月5日|language=pl}}</ref>。2022-23シーズンは[[エクストラクラサ]]で27試合5ゴールを記録した。 2023年6月22日、[[USレッチェ]]に1年間のローン移籍で加入したことが発表<ref>{{Cite web|url=https://www.uslecce.it/news/156864253446/almqvist-in-giallorosso|title=ALMQVIST IN GIALLOROSSO|website=US Lecce|accessdate=2023年9月9日|date=2023年6月17日|language=it}}</ref>。[[セリエA (サッカー) 2023-2024|2023-24シーズン]]開幕戦となった8月20日の[[SSラツィオ]]戦では、後半35分に1-1の同点に追い付く移籍後初ゴールを決め、更に2分後には[[フェデリコ・ディ・フランチェスコ]]もゴールを決め、2-1の開幕戦逆転勝利に貢献した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20230821/1801209.html|title=ラツィオ鎌田がセリエAデビュー! レッチェに敗戦も“サッリボール”への適応を見せる|publisher=サッカーキング|accessdate=2023年9月9日|date=2023年8月21日|language=}}</ref>。 == 代表経歴 == 2017年から3年間、ユース世代の[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]でプレーした。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *{{Sports links}} {{USレッチェのメンバー}} {{デフォルトソート:あるむくういすと ほんとうす}} [[Category:スウェーデンのサッカー選手]] [[Category:IFKノルシェーピンの選手]] [[Category:ヴァールベリBoISの選手]] [[Category:ロストフの選手]] [[Category:FCユトレヒトの選手]] [[Category:MKSポゴニ・シュチェチンの選手]] [[Category:USレッチェの選手]] [[Category:セーデルマンランド県出身の人物]] [[Category:1999年生]] [[Category:存命人物]]
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チーク・トゥ・チーク
「チーク・トゥ・チーク」(英語: Cheek to Cheek)はジャズのスタンダード・ナンバーの1曲。邦題としては「頬よせて」、「頬に頬よせて」、「頬よせあって」などがある。 作詞・作曲はアーヴィング・バーリン。1935年のアメリカ合衆国のミュージカル映画『トップ・ハット』のために書き下ろされた楽曲である。映画ではフレッド・アステアが歌い、ジンジャー・ロジャースと踊った。受賞は逃しているが第8回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされた。 歌詞の内容は、女性との出会いを「まるで天国にいるようだ」と例え、一緒に踊ると「幸せを見つけたようだ」「胸が高鳴る」といったような現実離れしたドラマティックな展開を見せる。ダンスシーンに相応しい軽快なテンポが魅力的であり、まさにフレッド・アステアのために書かれた曲と言えるだろう。 本曲の構成は変則的でありヴァースが存在しない。 となっており、計72小節の構成となっている。 1938年の映画『世紀の楽団』でも劇中歌として使用されている。
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「チーク・トゥ・チーク」はジャズのスタンダード・ナンバーの1曲。邦題としては「頬よせて」、「頬に頬よせて」、「頬よせあって」などがある。
「'''チーク・トゥ・チーク'''」({{lang-en|Cheek to Cheek}})は[[ジャズ]]の[[スタンダード・ナンバー]]の1曲。邦題としては「'''頬よせて'''」、「'''頬に頬よせて'''」、「'''頬よせあって'''」{{R|名曲}}などがある。 == 概要 == 作詞・作曲は[[アーヴィング・バーリン]]。[[1935年]]の[[アメリカ合衆国]]の[[ミュージカル映画]]『[[トップ・ハット]]』のために書き下ろされた楽曲である。映画では[[フレッド・アステア]]が歌い、[[ジンジャー・ロジャース]]と踊った{{R|名曲}}。受賞は逃しているが[[第8回アカデミー賞]][[アカデミー歌曲賞|歌曲賞]]にノミネートされた{{R|名曲}}。 歌詞の内容は、女性との出会いを「まるで天国にいるようだ」と例え、一緒に踊ると「幸せを見つけたようだ」「胸が高鳴る」といったような現実離れしたドラマティックな展開を見せる{{R|名曲}}。ダンスシーンに相応しい軽快なテンポが魅力的であり、まさにフレッド・アステアのために書かれた曲と言えるだろう{{R|名曲}}。 == 楽曲の構成 == 本曲の構成は変則的であり[[ヴァース‐コーラス形式|ヴァース]]が存在しない{{R|名曲}}。 #[[Aメロ]](16[[小節]]) #Aメロ(16小節) #Bメロ(8小節) #Bメロ(8小節) #Cメロ(8小節) #Aメロ(16小節) となっており、計72小節の構成となっている{{R|名曲}}。 == 主なカバー == [[1938年]]の映画『[[世紀の楽団]]』でも劇中歌として使用されている{{R|名曲}}。 *[[エラ・フィッツジェラルド]]&[[ルイ・アームストロング]] - 『{{仮リンク|エラ・アンド・ルイ|en|Ella and Louis}}』(1956年) エラとルイの声質は大きく違うのに奇跡的なマッチングをしている。ルイのトランペット演奏は[[オブリガート (ポピュラー音楽)|オブリガート]]に留まり、歌唱が主{{R|名曲}}。 *[[アーマッド・ジャマル]] - 『アーマッド・ジャマルVol.4』(1958年) ストレートな演奏であるが、得意な転調は健在{{R|名曲}}。 *[[バディ・リッチ]] - 『プレイタイム』(1961年) ハードでアップテンポに仕上げている{{R|名曲}}。 == 出典 == {{Reflist|refs= <ref name="名曲">{{Cite book|和書|page=25|chapter=チーク・トゥ・チーク|title=ジャズ・スタンダード名曲徹底ガイド|volume=下|author=CDジャーナル(編)|authorlink=CDジャーナル|year=2004|publisher=[[音楽出版社]]|isbn=978-4900340947}}</ref> }} {{song-stub}} {{DEFAULTSORT:ちいくとうちいく}} [[Category:1930年代のジャズ・スタンダード]] [[Category:アメリカ合衆国の歌]] [[Category:1935年の楽曲]] [[Category:アーヴィング・バーリンの楽曲]] [[Category:映画挿入歌]] [[Category:楽曲 ち|いくとうちいく]]
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五菱・宏光
宏光(英: Wuling Hongguang)は、上汽通用五菱汽車が生産・販売しているコンパクトMPVである。 2013年から2017年の間、インドでは「シボレー・エンジョイ」の名称で販売されていた。 2010年の北京モーターショーで発表。5/7/8人乗りのMPVで、駆動方式はFR。エンジンは1.2L P-TECと1.5L P-TEC DVVTでトランスミッションは5速MTのみ。 インドでは2012年のニューデリーオートエクスポにて「シボレー・MPVコンセプト」として出展され、2013年5月9日から「シボレー・エンジョイ」として発売開始された。エンジョイは中国からCKDキットがインドに輸出されて現地組立が行われる。2017年には、GMのインド撤退に先駆け、販売が停止された。 2013年8月6日にはインド向けエンジョイと同じ外観を持った車種が「五菱・宏光S」として発売開始された。全長が若干伸ばされて4,400 mmとなっている。宏光Sの1.5L車のみ2014年8月6日に4速ATが追加設定された。 2015年1月9日に「五菱宏光V」が発売開始された。外観が全面的に刷新されて、ヒンジドアからスライドドアへ変更されている。外寸は全長4,415mm-4,435mm×全幅1,685mm×全高1,850mm、ホイールベース2,720mm。パワートレーンは従来型と同じ。 2代目にあたる「宏光 S」は2018年に発売され、初代の宏光 Sは「宏光 S 経典版(Classic)」として併売される。パワートレインは初代にも用いられた1.5リッターエンジンに5速MTを組み合わせた。 本モデルは中国で2015年から2017年にかけて生産され、2017年から現在までインドネシアで「五菱・コンフェロ」と「五菱・フォルモ」として生産されている。 本モデルは宏光のプラットフォームを使用したSUVとして2017年より生産されている。 高級仕様として2019年より販売されている。 2020年より販売されている電気マイクロカーである。ヨーロッパでは、「Freze Nikrob EV」として販売されている。
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宏光は、上汽通用五菱汽車が生産・販売しているコンパクトMPVである。 2013年から2017年の間、インドでは「シボレー・エンジョイ」の名称で販売されていた。
{{混同|五菱・宏光ミニEV|x1=[[上汽通用五菱汽車]]が生産・販売する[[電気自動車|電気]][[マイクロカー]]である}} '''宏光'''({{Lang-en-short|''Wuling Hongguang''}})は、[[上汽通用五菱汽車]]が生産・販売しているコンパクトMPVである。 2013年から2017年の間、インドでは「'''シボレー・エンジョイ'''」の名称で販売されていた<ref>{{cite web |url=http://media.gm.com/media/in/en/chevrolet/vehicles/enjoy/Enjoy.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160112071114/http://media.gm.com/media/in/en/chevrolet/vehicles/enjoy/Enjoy.html|title=Chevrolet Enjoy|language=英語|publisher=General Motors|accessdate=2023-09-09 |archivedate=2016-01-12}}</ref>。 == 初代 == {{Infobox_自動車のスペック表 | 車種= | 車名= | 車名補= | 1枚目画像の説明= | 1枚目画像名= Wuling Hongguang China 2012-04-15.jpg | 2枚目画像の説明= | 2枚目画像名= Wuling Hongguang Shishi 02 2022-03-13.jpg | 3枚目画像の説明= | 3枚目画像名= | 製造国= {{PRC}} | 販売期間= 2010年 - | 設計統括= | デザイン= | 乗車定員= | ボディタイプ= 5ドアワゴン | エンジン= | エンジン位置= | モーター= | 最高出力= | 最大トルク= | トランスミッション= 5速[[マニュアルトランスミッション|MT]] | 駆動方式= [[後輪駆動|FR]] | サスペンション= | 全長= 4,400 mm | 全幅= 1,680 mm | 全高= 1,750-1,770 mm | ホイールベース= 2,720 mm | 車両重量= 1,130-1,260 kg | 最大積載量= | 自由項目1(項目名)= | 自由項目1(内容)= | 自由項目2(項目名)= | 自由項目2(内容)= | 別名= シボレー・エンジョイ(インド) | 先代= | 後継= | プラットフォーム= }} 2010年の[[北京モーターショー]]で発表。5/7/8人乗りのMPVで、駆動方式は[[後輪駆動|FR]]。エンジンは1.2L P-TECと1.5L P-TEC DVVTでトランスミッションは5速MTのみ。 [[インド]]では2012年の[[ニューデリーオートエクスポ]]にて「シボレー・MPVコンセプト」として出展され、2013年5月9日から「シボレー・エンジョイ」として発売開始された<ref>{{cite web|title=五菱宏光“变脸”雪佛兰Enjoy在印度上市|url=http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=459|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140829063643/http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=459|publisher=上汽通用五菱汽車|language=中国語|date=2013-05-13|accessdate=2023-09-09|archivedate=2014-08-29}}</ref>。エンジョイは中国から[[ノックダウン生産|CKDキット]]がインドに輸出されて現地組立が行われる。2017年には、GMのインド撤退に先駆け、販売が停止された<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/gm-hyundai-motor-india-idJPKBN2ZS01X|title=現代自、GMのインド工場買収へ 生産能力を増強|publisher=[[ロイター|REUTERS]]|date=2023-08-17 |accessdate=2023-09-09}}</ref>。 === 五菱・宏光 S === 2013年8月6日にはインド向けエンジョイと同じ外観を持った車種が「五菱・宏光S」として発売開始された<ref>{{cite web|title=五菱宏光S上市 售价61800元-69800元|url=http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=466|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150702194603/http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=466|publisher=上汽通用五菱汽車|language=中国語|date=2013-08-06|accessdate=2023-09-09|archivedate=2015-07-02}}</ref>。全長が若干伸ばされて4,400 mmとなっている。宏光Sの1.5L車のみ2014年8月6日に4速[[オートマチックトランスミッション|AT]]が追加設定された<ref>{{cite web|title=售7.38-7.93万元 五菱宏光S自动挡上市|url=http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=925|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150225164238/http://www.sgmw.com.cn/news_detail.htm?id=925|publisher=上汽通用五菱汽車|language=中国語|date=2014-08-06|accessdate=2023-09-09|archivedate=2015-02-25}}</ref>。 <gallery> File:Wuling Hongguang S Shishi 01 2022-06-10.jpg|五菱・宏光 S File:Wuling Hongguang S 02 China 2019-03-17.jpg|五菱・宏光 S </gallery> === 五菱・宏光 V === 2015年1月9日に「五菱宏光V」が発売開始された。外観が全面的に刷新されて、ヒンジドアからスライドドアへ変更されている。外寸は全長4,415mm-4,435mm×全幅1,685mm×全高1,850mm、ホイールベース2,720mm。パワートレーンは従来型と同じ。 <gallery> File:Wuling Hongguang V China 2015-04-15.jpg|五菱・宏光 V File:Wuling Hongguang V 02 China 2016-04-01.jpg|五菱・宏光 V </gallery> {{-}} == 2代目 == {{Infobox_自動車のスペック表 | 車種= | 車名= 五菱・宏光 S(2代目) | 車名補= | 1枚目画像の説明= | 1枚目画像名= 2018 Wuling Hongguang S (front).jpg | 2枚目画像の説明= | 2枚目画像名= 2018 Wuling Hongguang S (rear).jpg | 3枚目画像の説明= | 3枚目画像名= | 製造国= {{PRC}} | 販売期間= 2018年 - | 設計統括= | デザイン= | 乗車定員= | ボディタイプ= 5ドアワゴン | エンジン= | エンジン位置= | モーター= | 最高出力= | 最大トルク= | トランスミッション= 6速[[マニュアルトランスミッション|MT]]<br>5速MT | 駆動方式= [[後輪駆動|FR]] | サスペンション= | 全長= 4,420 mm | 全幅= 1,685 mm | 全高= 1,755-1,770 mm | ホイールベース= 2,720 mm | 車両重量= 1,215-1,275 kg | 最大積載量= | 自由項目1(項目名)= | 自由項目1(内容)= | 自由項目2(項目名)= | 自由項目2(内容)= | 別名= | 先代= | 後継= | プラットフォーム= }} 2代目にあたる「宏光 S」は2018年に発売され、初代の宏光 Sは「宏光 S 経典版(Classic)」として併売される。パワートレインは初代にも用いられた1.5リッターエンジンに5速MTを組み合わせた。 {{-}} == 派生車種 == === 五菱・宏光 S1 === 本モデルは中国で2015年から2017年にかけて生産され、2017年から現在までインドネシアで「五菱・コンフェロ」と「五菱・フォルモ」として生産されている。 <gallery> File:Wuling Hongguang S1.jpg|五菱・宏光 S1 File:2015 Wuling Hongguang S1 (rear).jpg|五菱・宏光 S1 </gallery> === 五菱・宏光 S3 === 本モデルは宏光のプラットフォームを使用したSUVとして2017年より生産されている。 <gallery> File:2017 Wuling Hongguang S3 (front).jpg|五菱・宏光 S3 File:2017 Wuling Hongguang S3 (rear).jpg|五菱・宏光 S3 </gallery> === 五菱・宏光 プラス === 高級仕様として2019年より販売されている。 <gallery> File:2019 Wuling Hongguang Plus.jpg|五菱・宏光 プラス File:Wuling Hongguang Plus IMG010.jpg|五菱・宏光 プラス </gallery> === 五菱・宏光 ミニ EV === {{main|五菱・宏光ミニEV}} 2020年より販売されている電気マイクロカーである。ヨーロッパでは、「Freze Nikrob EV」として販売されている。 <gallery> File:Wuling Hongguang Mini 003.jpg|五菱・宏光ミニEV File:NIKROB (cropped).jpg|Freze Nikrob EV </gallery> {{-}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[上汽通用五菱汽車]] * [[五菱・宏光ミニEV]] == 外部リンク == * [https://www.sgmw.com.cn/hongguang_s.html 经典款五菱宏光S_MPV-上汽通用五菱官方网站]{{cn icon}} - 上汽通用五菱汽車 * [https://www.sgmw.com.cn/xinhongguang_s.html 新五菱宏光S_图片_配置_报价_新五菱宏光S官网【上汽通用五菱】]{{cn icon}} - 上汽通用五菱汽車 * [https://www.chevrolet.co.in/enjoy-mpv/features-specs/model-specification.html Chevrolet Enjoy Model Mileage, Features and Specification - Chevrolet India]{{en icon}} - Chevrolet India {{デフォルトソート:ううりんほんかん}} [[Category:中国車の車種]]
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品川駅街区地区
品川駅街区地区(しながわえきがいくちく)は、東京都港区の品川駅で計画されている開発計画及び土地区画整理事業である。事業主体はJR東日本と京急で、土地区画整理事業の施工者は都市再生機構。 2019年のダイヤ改正によって廃止された山手線の留置線の跡地(旧品川電車区)で京浜急行電鉄が行っている泉岳寺駅〜新馬場駅間の連続立体交差事業によって整備される京急本線品川駅の新ホームの直上およびその周辺に建設される。 開発計画は北街区と南街区に分かれており、北街区にはJR東日本によって事務所や店舗、駅施設などで構成される地上28階、地下3階、高さ約150m、延べ面積約165,000m2の超高層ビルが、南街区には京浜急行電鉄によって事務所や店舗、宿泊施設、集会場、駅施設などで構成される地上28階、地下2階、高さ約150m、延べ面積約201,000m2の超高層ビルなどが整備される計画となっている。全体の敷地面積は約33,500平方メートルで、延べ面積は約374,300平方メートルとなる。 また、北街区と南街区の間には中央自由通路を延伸し、品川駅西口地区へと繋がる計画となっている。2025年度に着工し、全体の竣工は2036年度を予定している。
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品川駅街区地区(しながわえきがいくちく)は、東京都港区の品川駅で計画されている開発計画及び土地区画整理事業である。事業主体はJR東日本と京急で、土地区画整理事業の施工者は都市再生機構。
{{暫定記事名|date=2023-09-09}} '''品川駅街区地区'''(しながわえきがいくちく)は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[品川駅]]で計画されている開発計画及び[[土地区画整理事業]]である<ref name="UR">[https://www.ur-net.go.jp/toshisaisei/urbanr/lrmhph000000c9cl-att/shinagawa03.pdf 品川駅北周辺地区・品川駅街区地区]</ref>。事業主体は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]と[[京浜急行電鉄|京急]]で、土地区画整理事業の施工者は[[都市再生機構]]<ref name="UR" />。 == 概要 == [[2019年]]のダイヤ改正によって廃止された[[山手線]]の留置線の跡地(旧[[東京総合車両センター|品川電車区]]<ref>[https://railf.jp/japan_railfan_magazine/2020/708/708-112.html プレイバック展望館 品川電車区-1|鉄道ファン2020年4月号] - 鉄道ファン・railf.jp</ref>)で[[京浜急行電鉄]]が行っている[[泉岳寺駅]]〜[[新馬場駅]]間の[[連続立体交差事業]]によって整備される[[京急本線]]品川駅の新ホームの直上およびその周辺に建設される<ref name="tetsudo">{{Cite web|和書|url=https://www.tetsudo.com/news/2961/|title=京急・JR東、品川駅街区地区の開発計画を発表 京急線品川駅上部に高層ビル建設へ|website=tetsudo.com|date=2023-08-29|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 開発計画は北街区と南街区に分かれており、北街区には[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]によって事務所や店舗、駅施設などで構成される地上28階、地下3階、高さ約150m、延べ面積約165,000㎡の超高層ビルが、南街区には[[京浜急行電鉄]]によって事務所や店舗、宿泊施設、集会場、駅施設などで構成される地上28階、地下2階、高さ約150m、延べ面積約201,000㎡の超高層ビルなどが整備される計画となっている。全体の敷地面積は約33,500平方メートルで、延べ面積は約374,300平方メートルとなる。 また、北街区と南街区の間には中央自由通路を延伸し、[[品川駅西口地区]]へと繋がる計画となっている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.chisou.go.jp/tiiki/kokusentoc/tokyoken/tokyotoshisaisei/dai26/siryou1.pdf|format=PDF|title=都市再生特別地区(品川駅街区地区) 都市計画(素案)の概要|publisher=京浜急行電鉄、東日本旅客鉄道|accessdate=2023-09-09}}</ref>。[[2025年]]度に着工し、全体の竣工は[[2036年]]度を予定している<ref name="tetsudo" />。 == 出典 == {{Reflist}} {{Pref-stub|pref=東京都}} {{Architecture-stub}} {{DEFAULTSORT:しなかわえきかいくちく}} [[Category:東京都の再開発地区]] [[Category:東日本旅客鉄道]] [[Category:京浜急行電鉄]] [[Category:都市再生機構]] [[Category:土地区画整理事業]] [[Category:品川駅]]
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2023年のドイツグランプリ (ロードレース)
2023年ドイツグランプリは、ロードレース世界選手権の2023年シーズン第7戦として、6月17日から18日までドイツ・ザクセン州ケムニッツのザクセンリンクで開催されたイベント。
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2023年ドイツグランプリは、ロードレース世界選手権の2023年シーズン第7戦として、6月17日から18日までドイツ・ザクセン州ケムニッツのザクセンリンクで開催されたイベント。
{{Infobox Grand Prix motorcycle race report | Grand Prix = ドイツ | flag = Germany | Location = [[ザクセンリンク]] | Course_mi = 2.281 | Course_km = 3.671 | Race_No = 7 | Season_No = 20 | Date = 6月17-18日 | Year = 2023 | Image = Sachsenring.svg |Pole_Rider_MotoGP = [[フランチェスコ・バニャイア]] |Pole_Rider_MotoGP_Country = ITA |Pole_Time_MotoGP = 1:21.409 |Fast_Rider_MotoGP = [[ヨハン・ザルコ]] |Fast_Rider_MotoGP_Country = FRA |Fast_Time_MotoGP = 1:21.225 on lap 8 |First_Rider_MotoGP = [[ホルヘ・マルティン]] |First_Rider_MotoGP_Country = ESP |Second_Rider_MotoGP = フランチェスコ・バニャイア |Second_Rider_MotoGP_Country= ITA |Third_Rider_MotoGP = ヨハン・ザルコ |Third_Rider_MotoGP_Country = FRA |Pole_Rider_Moto2 = [[ペドロ・アコスタ]] |Pole_Rider_Moto2_Country = ESP |Pole_Time_Moto2 = 1:23.858 |Fast_Rider_Moto2 = ペドロ・アコスタ |Fast_Rider_Moto2_Country = ESP |Fast_Time_Moto2 = 1:23.673 on lap 3 |First_Rider_Moto2 = ペドロ・アコスタ |First_Rider_Moto2_Country = ESP |Second_Rider_Moto2 = [[トニー・アルボリーノ]] |Second_Rider_Moto2_Country = ITA |Third_Rider_Moto2 = [[ジェイク・ディクソン]] |Third_Rider_Moto2_Country = GBR |Pole_Rider_Moto3 = [[佐々木歩夢]] |Pole_Rider_Moto3_Country = JPN |Pole_Time_Moto3 = 1:25.130 |Fast_Rider_Moto3 = [[ダニエル・オルガード]] |Fast_Rider_Moto3_Country = ESP |Fast_Time_Moto3 = 1:25.694 on lap 3 |First_Rider_Moto3 = [[デニズ・オンジュ]] |First_Rider_Moto3_Country = TUR |Second_Rider_Moto3 = 佐々木歩夢 |Second_Rider_Moto3_Country = JPN |Third_Rider_Moto3 = [[ダニエル・オルガード]] |Third_Rider_Moto3_Country = ESP }} '''2023年[[ドイツグランプリ (ロードレース)|ドイツグランプリ]]'''は、[[ロードレース世界選手権]]の[[2023年のMotoGP|2023年]]シーズン第7戦として、6月17日から18日まで[[ドイツ]]・[[ザクセン州]][[ケムニッツ]]の[[ザクセンリンク]]で開催されたイベント。 == 参考文献 == *{{cite web | title = MotoGP Official Website | url = https://www.motogp.com/en/calendar/2023/event/Germany | accessdate = 15 June 2023 }} {{MotoGP_race_report | Name_of_race = {{flagicon|FRA}} [[ドイツグランプリ (ロードレース)|ドイツグランプリ]] | Year_of_race = 2023 | Previous_race_in_season = [[2023年イタリアグランプリ (ロードレース)|2023年イタリアグランプリ]] | Next_race_in_season = [[2023年オランダグランプリ (ロードレース)| 2023年オランダグランプリ]] | Previous_year's_race = [[2022年のドイツグランプリ (ロードレース)|2022年ドイツグランプリ]] | Next_year's_race = [[2024年ドイツグランプリ (ロードレース)|2024年ドイツグランプリ]] }} {{DEFAULTSORT:といつくらんふり2023}} [[Category:ロードレース世界選手権のレースレポート]] [[Category:2023年のロードレース世界選手権]] [[Category:2023年のドイツのスポーツ]] [[Category:ドイツグランプリ (ロードレース)|2023]] [[Category:2023年6月]]
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塚原二子塚古墳
塚原二子塚古墳(つかばらふたごづかこふん)は、長野県飯田市桐林にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち竜丘単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 長野県南部、天竜川支流の臼井川・袋洞沢川の間の小段丘上(標高405m)に築造された古墳である。一帯にはかつて古墳16基が分布して塚原古墳群を形成し、本古墳はその盟主的存在であったが、現在では本古墳以外の多くは失われている。現在までに良好に墳丘を遺存しており、1980年(昭和55年)・2007-2009年度(平成19-21年度)に発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を南南西方向に向ける。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(蓋形埴輪など)が認められる。また墳丘周囲には盾形の周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全長は86メートルにおよぶ。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、後円部墳頂における竪穴式石室と推定される。副葬品も明らかでないが、かつて金銅製冑が出土したという伝承がある。築造時期は古墳時代中期の5世紀後半(または5世紀末/5世紀後半-末)頃と推定される。 古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 墳丘の規模は次の通り。 墳丘外表では葺石が認められるが、通常のように墳丘の傾斜に沿って積み上げるのではなく、階段状(石垣状)に積み上げ、外見的には基壇状を呈する独特の構造として注目される。 墳丘の周囲には盾形の周溝が巡らされ、後円部側ではその外側にも外周溝が認められる(二重周溝)。
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塚原二子塚古墳(つかばらふたごづかこふん)は、長野県飯田市桐林にある古墳。形状は前方後円墳。飯田古墳群(うち竜丘単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。
{{日本の古墳 |名称 = 塚原二子塚古墳 |画像 = [[File:Tsukabara Futagozuka Kofun, funkyu.jpg|280px]]<br/>墳丘(右に前方部、左奥に後円部) |別名 = 塚原1号墳 |所属 = [[飯田古墳群]](竜丘単位群)<br/>塚原古墳群 |所在地 = [[長野県]][[飯田市]]桐林3046-1ほか |緯度度 = 35|緯度分 = 27|緯度秒 = 53.50 |経度度 = 137|経度分 = 49|経度秒 = 14.47 |ISO = JP-20 |形状 = [[前方後円墳]] |規模 = 墳丘長73m |埋葬施設 = (推定)[[竪穴式石室]] |出土品 = [[埴輪]]、(伝)金銅製冑 |陪塚 = |築造時期 = [[5世紀]]後半 |被葬者 = |陵墓 = |史跡 = 国の[[史跡]]「飯田古墳群」に包含 |有形文化財 = |特記事項 = |地図 = Japan Nagano |アイコン = 前方後円墳-南南西 |ラベル = 塚原<br/>二子塚古墳 |ラベル位置 = top }} '''塚原二子塚古墳'''(つかばらふたごづかこふん)は、[[長野県]][[飯田市]]桐林にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。[[飯田古墳群]](うち竜丘単位群)を構成する古墳の1つ。国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 == 概要 == 長野県南部、[[天竜川]]支流の臼井川・袋洞沢川の間の小段丘上(標高405m)に築造された古墳である。一帯にはかつて古墳16基が分布して塚原古墳群を形成し、本古墳はその盟主的存在であったが、現在では本古墳以外の多くは失われている。現在までに良好に墳丘を遺存しており、[[1980年]]([[昭和]]55年)・[[2007年|2007]]-[[2009年]]度([[平成]]19-21年度)に発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を南南西方向に向ける。墳丘外表では[[葺石]]のほか、[[円筒埴輪]](朝顔形埴輪含む)・[[形象埴輪]](蓋形埴輪など)が認められる。また墳丘周囲には盾形の周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全長は86メートルにおよぶ。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、後円部墳頂における[[竪穴式石室]]と推定される。副葬品も明らかでないが、かつて金銅製冑が出土したという伝承がある{{Sfn|飯田古墳群|2012}}。築造時期は[[古墳時代]]中期の[[5世紀]]後半<ref name="飯田市">[https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/futagoduka.html 塚原二子塚古墳](飯田市ホームページ)。</ref>(または5世紀末<ref name="説明板">史跡説明板。</ref>/5世紀後半-末{{Sfn|飯田古墳群|2012}})頃と推定される。 古墳域は[[2016年]](平成28年)に国の[[史跡]]に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。 === 来歴 === * [[1957年]]([[昭和]]32年)、耕作時にくびれ部付近で埴輪列の出土{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * [[1968年]](昭和43年)11月19日、飯田市指定史跡に指定。 * [[1980年]](昭和55年)、墳丘測量調査{{Sfn|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}。 * [[1990年]]度([[平成]]2年度)、市道建設に伴う後円部北側の発掘調査(飯田市教育委員会)。 * [[2007年|2007]]-[[2009年]]度(平成19-21年度)、範囲確認調査(飯田市教育委員会、[[2012年]]に報告){{Sfn|飯田古墳群|2012}}。 * [[2016年]](平成28年)10月3日、国の[[史跡]]に指定(史跡「飯田古墳群」のうち)。 == 墳丘 == [[File:Tsukabara Futagozuka Kofun, funcho.jpg|thumb|250px|right|{{center|後円部墳頂}}]] 墳丘の規模は次の通り{{Sfn|飯田古墳群|2012}}。 * 古墳総長:86メートル - 周溝を含めた全長。 * 墳丘長:73メートル * 後円部 ** 直径:44メートル ** 高さ:6.2メートル(西側)、7.5-7.6メートル(東側) * 前方部 ** 幅:38メートル ** 高さ:6.0-6.2メートル(西側)、7.4メートル(東側) 墳丘外表では葺石が認められるが、通常のように墳丘の傾斜に沿って積み上げるのではなく、階段状(石垣状)に積み上げ、外見的には基壇状を呈する独特の構造として注目される{{Sfn|飯田古墳群|2012}}。 墳丘の周囲には盾形の周溝が巡らされ、後円部側ではその外側にも外周溝が認められる(二重周溝){{Sfn|飯田古墳群|2012}}<ref name="説明板"/>。 <gallery> Tsukabara Futagozuka Kofun, kouenbu.jpg|前方部から後円部を望む Tsukabara Futagozuka Kofun, zenpoubu.jpg|後円部から前方部を望む 塚原二子塚古墳出土 円筒埴輪.JPG|円筒埴輪<br/>{{small|飯田市考古博物館展示。}} </gallery> == ギャラリー == <gallery> Uchiyamazuka Kofun, funkyu.jpg|内山塚古墳(塚原2号墳、円墳) Tsukabara Kofun Group-3, funkyu.jpg|塚原3号墳(帆立貝形古墳) Kagamizuka Kofun (Iida), funkyu.jpg|鏡塚古墳(塚原4号墳、帆立貝形古墳) Yoroizuka Kofun (Iida), funkyu.jpg|鎧塚古墳(塚原5号墳、帆立貝形古墳) </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == * 史跡説明板(飯田市教育委員会、2017年設置) * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1979|chapter=塚原二子塚古墳|title=[[日本歴史地名大系]] 20 長野県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490204|ref={{Harvid|塚原二子塚古墳(平凡社)|1979}}}} * {{Cite book|和書|editor=|author=小林正春|year=2002|chapter=二子塚古墳 > 塚原二子塚古墳|title=[[日本古墳大辞典|続 日本古墳大辞典]]|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4490105991|ref={{Harvid|塚原二子塚古墳(続古墳)|2002}}}} * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2007|chapter=塚原二子塚古墳|url=http://sitereports.nabunken.go.jp/9271 |title=飯田における古墳の出現と展開 -資料編-|publisher=飯田市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|飯田における古墳の出現と展開 資料編|2007}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。 * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2012|chapter=塚原二子塚古墳範囲確認調査報告|url=|title=飯田古墳群|publisher=飯田市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|飯田古墳群|2012}}}} == 外部リンク == {{Commonscat|Tsukabara Futagozuka Kofun}} * [https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/futagoduka.html 塚原二子塚古墳] - 飯田市ホームページ {{デフォルトソート:つかはらふたこつかこふん}} [[Category:飯田古墳群]] [[Category:長野県の古墳]] [[Category:飯田市の歴史]] [[Category:前方後円墳]] [[Category:長野県にある国指定の史跡]]
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けむたい姉とずるい妹
『けむたい姉とずるい妹』(けむたいあねとずるいいもうと、英語: Annoying and cunning sisters)は、ばったんによる日本の漫画作品。『Kiss』(講談社)にて、2021年10月号から2023年10月号まで連載された。 異父妹と恋人を奪い合い絶縁状態となった姉が、母親の葬式をきっかけに妹と現在は彼女の夫となった元彼と一つ屋根の下で暮らすことになり巻き起こる出来事が描かれる。 2023年10月より、テレビ東京系列にてテレビドラマが放送された。 2023年10月9日から11月27日まで、テレビ東京系列の「ドラマプレミア23」枠にて放送された。主演は栗山千明。
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『けむたい姉とずるい妹』は、ばったんによる日本の漫画作品。『Kiss』(講談社)にて、2021年10月号から2023年10月号まで連載された。 異父妹と恋人を奪い合い絶縁状態となった姉が、母親の葬式をきっかけに妹と現在は彼女の夫となった元彼と一つ屋根の下で暮らすことになり巻き起こる出来事が描かれる。 2023年10月より、テレビ東京系列にてテレビドラマが放送された。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = けむたい姉とずるい妹 | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = [[ヤング・レディース]] }} {{Infobox animanga/Manga | 作者 = ばったん | 出版社 = [[講談社]] | 他出版社 = | 掲載誌 = [[Kiss (雑誌)|Kiss]] | レーベル = KC KISS | 開始号 = 2021年10月号 | 終了号 = 2023年10月号 | 開始日 = 2021年8月25日{{R|natalie210825}} | 終了日 = 2023年8月24日<ref>{{Cite web2|df=ja|title=Kiss 2023年10月号|url=https://kisscomic.com/kiss/2023/10|website=Kiss|publisher=講談社|accessdate=2023-09-09}}</ref> | 巻数 = 全5巻 | 話数 = 全20話 | その他 = }} {{Infobox animanga/TVDrama | 原作 = ばったん | 監督 = [[井樫彩]]、[[戸田彬弘]] | 脚本 = 大林利江子、今西祐子 | 音楽 = | 制作 = [[テレビ東京]]、[[大映テレビ]] | 製作 = 「けむたい姉とずるい妹」製作委員会 | 放送局 = [[TXNネットワーク|テレビ東京系列]] | 放送開始 = 2023年10月9日 | 放送終了 = 11月27日 | 話数 = 全8話 | その他 = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:テレビドラマ|テレビドラマ]] | ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:テレビ|テレビ]]・[[Portal:ドラマ|ドラマ]] }} 『'''けむたい姉とずるい妹'''』(けむたいあねとずるいいもうと、{{lang-en|''Annoying and cunning sisters''}})は、ばったんによる[[日本]]の[[漫画作品]]。『[[Kiss (雑誌)|Kiss]]』([[講談社]])にて、2021年10月号から2023年10月号まで連載された<ref name="natalie210825">{{Cite news2|df=ja|title=「姉の友人」のばったんがKissで新連載、絶縁状態の姉妹描く「けむたい姉とずるい妹」|url=https://natalie.mu/comic/news/442361|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2021-08-25|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="kiss202310">{{Cite journal|和書|date=2023-08-24|journal=Kiss|volume=2023年10月号|publisher=講談社|asin=B0CDJSCFTP}}表紙より。</ref>。 異父妹と恋人を奪い合い絶縁状態となった姉が、母親の葬式をきっかけに妹と現在は彼女の夫となった元彼と一つ屋根の下で暮らすことになり巻き起こる出来事が描かれる。 2023年10月より、[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]にて[[#テレビドラマ|テレビドラマ]]が放送された<ref name="rs230909">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2023/09/post-1427244.html|title=栗山千明主演で『けむたい姉とずるい妹』実写ドラマ化 共演に馬場ふみか&栁俊太郎|date=2023-09-09|website=Real Sound映画部|publisher=blueprint|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == あらすじ == <!-- 外部サイトや書籍からのコピペ・丸写しによる著作権侵害はしないでください。削除の対象となり、投稿者はブロックされる可能性もあります。 --> {{要あらすじ}} == 登場人物 == ; 東郷 じゅん(とうごう じゅん) : 異父姉妹の姉。職業は教師。真面目で道徳心が強い。 ; 三島 らん(みしま らん) : 異父姉妹の妹。母親の愛情を集めた姉を妬んで生きてきた。 ; 三島 律(みしま りつ) : らんの夫。じゅんの高校時代の元カレで姉妹を狂わす存在。 == 書誌情報 == * ばったん『けむたい姉とずるい妹』 [[講談社]]〈KC KISS〉、全5巻 *# 2022年2月10日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/465210|title=1人の男をめぐる姉妹不倫バトル、ばったん「けむたい姉とずるい妹」1巻|website=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-02-10|accessdate=2023-09-24}}</ref><ref group="講">{{Cite web2|title=『けむたい姉とずるい妹(1)』(ばったん)|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000360469|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-09-09}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-526508-6}} *# 2022年7月13日発売<ref group="講">{{Cite web2|title=『けむたい姉とずるい妹(2)』(ばったん)|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000367262|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-09-09}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-528528-2}} *# 2022年12月13日発売<ref group="講">{{Cite web2|title=『けむたい姉とずるい妹(3)』(ばったん)|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000370316|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-09-09}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-529874-9}} *# 2023年5月12日発売<ref group="講">{{Cite web2|title=『けむたい姉とずるい妹(4)』(ばったん)|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000375260|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-09-09}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-531443-2}} *# 2023年10月13日発売<ref group="講">{{Cite web2|title=『けむたい姉とずるい妹(5)』(ばったん)|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000380265|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-10-14}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-532929-0}} == テレビドラマ == {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = けむたい姉とずるい妹 | 画像 = <!--入力例:Example.svg--> | 画像サイズ = <!--pxを含まない入力例:200--> | 画像サイズ自動補正比 = | 画像の代替テキスト = | 画像説明 = | 別名 = | ジャンル = [[連続ドラマ]] | 原作 = ばったん | 原案 = | 構成 = | 企画 = | 脚本 = 大林利江子<br />今西祐子 | 台本 = | 総監督 = | 監督 = [[井樫彩]]<br />[[戸田彬弘]] | 演出 = | 監修 = | クリエイティブ・ディレクター = | 司会者 = | 出演者 = [[栗山千明]]<br />[[馬場ふみか]]<br />[[栁俊太郎]]<br />[[桜田通]]<br />[[雛形あきこ]]<!--<br />--> | 審査員 = | 声の出演 = | ナレーター = | アナウンサー = | テーマ曲作者 = | 音楽 = 鷹尾まさき | 作曲 = | OPテーマ = [[大塚愛]]<br />「マイナーなキス(川谷絵音より)」 | EDテーマ = [[フレンズ (バンド)|フレンズ]]<br />「煙のジャンクション」 | 国・地域 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 時代設定 = | シーズン数 = | シリーズ数 = | 話数 = | 各話リスト = | 各話の長さ = <!--「製作」ヘッダ--> | チーフ・プロデューサー = 大和健太郎 | プロデューサー = 中島叶([[テレビ東京]])<br />八木亜未([[大映テレビ]])<br />塙太志(大映テレビ) | 制作プロデューサー = | 撮影地 = | 撮影監督 = | 撮影体制 = | 編集 = | 制作 = テレビ東京<br />大映テレビ | 製作 = 「けむたい姉とずるい妹」製作委員会 | 配給 = | 製作費 = <!--「放送」ヘッダ--> | ヘッダ = 放送 | ネット配信 = | 放送チャンネル = [[TXNネットワーク|テレビ東京系列]] | 映像形式 = [[文字多重放送#テレビ放送における文字多重放送|文字多重放送]] | 音声形式 = [[ステレオ放送]] | 放送国 = {{JPN}} | 放送期間 = 2023年10月9日 - 11月27日 | 放送時間 = 月曜 23:06 - 23:55 | 放送枠 = [[ドラマプレミア23]] | 放送分 = 49 | 放送回数 = 8 | 外部リンク = https://www.tv-tokyo.co.jp/kemuzuru/ | 外部リンク名 = 公式サイト | 副次的外部リンク = | 副次的外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト2」--> <!--「番組年表」ヘッダ-->| 前作 = | 次作 = | 関連番組 = <!--脚注--> | 特記事項 = }} 2023年10月9日から11月27日まで、[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]の「[[ドラマプレミア23]]」枠にて放送された{{R|rs230909}}。主演は[[栗山千明]]{{R|rs230909}}。 === あらすじ(テレビドラマ) === <!-- 外部サイトや書籍からのコピペ・丸写しによる著作権侵害はしないでください。削除の対象となり、投稿者はブロックされる可能性もあります。 --> {{要あらすじ}} === キャスト === ==== 主要人物 ==== ; 東郷じゅん(とうごう じゅん) : 演 - [[栗山千明]](10歳時:横須賀京香、少女期:[[山田愛奈]]) : 異父姉妹の姉。原作とは異なり、職業は心療内科医。真面目で道徳心が強い。 ; 三島らん(みしま らん) : 演 - [[馬場ふみか]]{{R|rs230909}}(7歳時:馬込瑚子、少女期:[[藤村木音]]) : 異父姉妹の妹。母親の愛情を集めた姉を妬んで生きてきた。 ; 三島律(みしま りつ) : 演 - [[栁俊太郎]]{{R|rs230909}}(少年期:村田凪) : らんの夫。じゅんの高校時代の元カレで姉妹を狂わす存在。 ==== 周辺人物 ==== ; 二宮ひかる(にのみや ひかる) : 演 - [[桜田通]]<ref name="oricon230924">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2295897/full/|title=桜田通、栗山千明&馬場ふみか姉妹のいとこ役 メンズメイクにも挑戦「少しだけご注目いただけたら」|website=ORICON NEWS|publisher=[[オリコン#企業グループ|oricon ME]]|date=2023-09-24|accessdate=2023-09-24}}</ref> : じゅんとらんのいとこ。メイク好き。 ; 東郷由里子(とうごう ゆりこ) : 演 - [[雛形あきこ]]{{R|oricon230924}} : じゅんとらんの亡き母。 ; 安藤みち : 演 - [[森脇英理子]] : ; 三島朝子 : 演 - [[渡辺真起子]] : ; 田辺やよい : 演 - [[大浦千佳]] : じゅんの同僚。 : === スタッフ === * 原作 - ばったん『けむたい姉とずるい妹』([[講談社]]『KissKC』刊){{R|rs230909}} * 脚本 - 大林利江子、今西祐子{{R|rs230909}} * 音楽 - 鷹尾まさき * オープニングテーマ - [[大塚愛]]「マイナーなキス(川谷絵音より)」([[avex trax]])<ref name="natalie230930">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/543125|title=栗山千明主演ドラマ「けむたい姉とずるい妹」OP曲を大塚愛、ED曲をフレンズが担当|website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2023-09-30|accessdate=2023-09-30}}</ref> * エンディングテーマ - [[フレンズ (バンド)|フレンズ]]「煙のジャンクション」(Lychee Label){{R|natalie230930}} * 監督 - [[井樫彩]]、[[戸田彬弘]]{{R|rs230909}} * チーフプロデューサー - 大和健太郎{{R|rs230909}} * プロデューサー - 中島叶([[テレビ東京]])、八木亜未([[大映テレビ]])、塙太志(大映テレビ){{R|rs230909}} * 制作 - テレビ東京、大映テレビ{{R|rs230909}} * 製作著作 - 「けむたい姉とずるい妹」製作委員会{{R|rs230909}} === 放送日程 === {| class="wikitable" style="text-align:center" !話数!!放送日!!サブタイトル<ref>[https://tver.jp/series/sr4wcsi4pg TVer けむたい姉とずるい妹]</ref>!!脚本!!監督 |- |第1話||10月{{0}}9日||私の元カレは、妹の旦那||rowspan="3"|大林利江子||rowspan="2"|井樫彩 |- |第2話||10月16日||お姉ちゃんになりたかった |- |第3話||10月23日||手に入らなかったものは、美しい||戸田彬弘 |- |第4話||10月30日||この男は、私のものだ||rowspan="2"|今西祐子||井樫彩 |- |第5話||11月{{0}}6日||私/あたし、だけを見て||rowspan="2"|戸田彬弘 |- |第6話||11月13日||新たな呪いの幕開け||rowspan="3"|大林利江子 |- |第7話||11月20日||大っ嫌い!…でも||rowspan="2"|井樫彩 |- |最終話||11月27日||家族って、めんどくさい |} === 放送局 === {{放送期間 | 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考 | 2023年10月9日 - 11月27日 | 月曜 23:06 - 23:55 | [[テレビ東京]] | [[広域放送|関東広域圏]] | '''製作局''' | | | [[テレビ北海道]] | [[北海道]] | | | | [[テレビ愛知]] | [[愛知県]] | | | | [[テレビ大阪]] | [[大阪府]] | | | | [[テレビせとうち]] |[[岡山県・香川県の放送|岡山県・香川県]] | | | | [[TVQ九州放送]] | [[福岡県]] | | | | [[岐阜放送]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zf-web.com/tv/drama/kemuzuru/post.html|title=ドラマプレミア23 けむたい姉とずるい妹|website=ぎふチャン|publisher=[[岐阜放送]]|accessdate=2023-10-06}}</ref> | [[岐阜県]] | 独立局 | 2023年12月9日 - | 土曜 0:20 - 1:15(金曜深夜)| [[新潟テレビ21]] | [[新潟県]] | }} === ネット配信 === {| class="wikitable" style="font-size:small;" !配信開始月 !配信サイト{{R|rs230909}} !配信料金 !備考 |- | rowspan="4" |2023年10月 |[[テレビ東京オンデマンド|ネットもテレ東]] | rowspan="2" |広告付き無料 | rowspan="2" |見逃し配信 |- |[[TVer]] |- |[[U-NEXT]] | rowspan="2" |[[サブスクリプション|定額制有料]] | rowspan="2" |独占見放題配信 |- |[[Lemino]] |} {{前後番組 | 放送局 = [[テレビ東京]][[TXNネットワーク|系列]] | 放送枠 = [[ドラマプレミア23]] | 番組名 = けむたい姉とずるい妹<br />(2023年10月9日 - 11月27日) | 前番組 = [[やわ男とカタ子#テレビドラマ|やわ男とカタ子]]<br />(2023年8月7日 - 9月25日) | 次番組 = [[SHUT UP (テレビドラマ)|SHUT UP]]<br />(2023年12月4日 - ) }} {{ドラマプレミア23}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 講談社コミックプラス === * 以下の出典は『[https://kc.kodansha.co.jp/ 講談社コミックプラス]』に基づく。書誌情報の発売日の出典としている。 {{Reflist|group="講"}} == 外部リンク == {{dl2 | 漫画 | * [https://kisscomic.com/c/kemuzuru/ けむたい姉とずるい妹|Kiss] - 講談社 | テレビドラマ | * [https://www.tv-tokyo.co.jp/kemuzuru/ 【ドラマプレミア23】けむたい姉とずるい妹 <nowiki>|</nowiki> テレビ東京] ** {{Twitter|tx_premiere23|ドラマプレミア23『けむたい姉とずるい妹』【テレ東公式】}} ** {{Instagram|tx_premiere23|【公式】ドラマプレミア23 けむたい姉とずるい妹}} }} {{manga-stub}} {{tv-stub}} {{デフォルトソート:けむたいあねとするいいもうと}} [[Category:漫画作品 け|むたいあねとするいいもうと]] [[Category:2021年の漫画]] [[Category:Kiss]] [[Category:医師を主人公とした漫画作品]] [[Category:兄弟姉妹を題材とした漫画作品]] [[Category:不倫を題材とした漫画作品]] [[Category:復讐を題材とした漫画作品]] [[Category:2023年のテレビドラマ]] [[Category:ドラマプレミア23]] [[Category:漫画を原作とするテレビドラマ]] [[Category:医師を主人公としたテレビドラマ]] [[Category:兄弟姉妹を題材としたテレビドラマ]] [[Category:不倫を題材としたテレビドラマ]] [[Category:復讐を題材としたテレビドラマ]] [[Category:日本の恋愛ドラマ]] [[Category:大映テレビ]]
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ジョズエ・カルドゥッチ (駆逐艦)
ジョズエ・カルドゥッチ(Giosuè Carducci)はイタリア王立海軍の駆逐艦。 イタリアが第二次世界大戦に参戦した当時、カルドゥッチは同型艦のアルフィエーリ、ジョベルティ、オリアーニともに第9駆逐艦隊を構成していた。 1940年6月12日の深夜2時に同部隊の艦、第1巡洋艦隊(重巡洋艦ザラ、フィウメ、ゴリツィア)、第8巡洋艦隊(軽巡洋艦ドゥーカ・デッリ・アブルッツィおよびガリバルディ)第16駆逐艦隊(ダ・レッコ(イタリア語版)、ペッサーニョ(イタリア語版)、ウゾディマーレ(イタリア語版))とともにイオニア海の哨戒のためにターラントを出航した。 7月2日に同型艦部隊、第1巡洋艦隊(ザラ、フィウメ、ゴリツィア)、軽巡洋艦バンデ・ネーレおよびコレオーニ、第10駆逐艦隊(マエストラーレ、グレカーレ、リベッチオ、シロッコ)とともに、リビヤから帰還する護送船団(トリポリあらナポリに向かう水雷艇プロチオーネ(イタリア語版)、オルサ(イタリア語版)、ペガソ(イタリア語版)に護衛された兵員輸送船エスペニアおよびヴィクトリア)の間接護衛任務についた。 7月7日の午後に同型艦部隊および第2艦隊の残り(ポーラ)、第1、第2、第3および第7巡洋艦隊の全11隻、第10、第11、第12および第13駆逐艦隊とともに出航し、その後第1艦隊と合流して7月9日のカラブリア沖海戦に参加した。戦闘中にイタリア艦隊が後退する際に、第9駆逐艦隊は魚雷による反撃のために派遣され、13,500メートルの距離から合計5発を発射したが、命中させることはできなかった。 7月30日から8月1日にかけて、同型艦部隊、巡洋艦ポーラ、ザラ、フィウメ、ゴリツィア、トレント、ダ・バルビアーノ(イタリア語版)、アルベルト・ディ・ジュッサーノ、エウジェニオ・ディ・サヴォイア、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ、アッテンドーロ、モンテクッコリ、第12、第13、第15駆逐艦隊の11隻とともにリビヤに向かう貨物船10隻、駆逐艦4隻および水雷艇12隻からなる船団の間接護衛任務についた。 11月27日の昼頃、ポーラ、第1巡洋艦隊および第9駆逐艦隊の同型艦とともにナポリを出航し、決着がつかなかったスパルティヴェント岬沖海戦に参加した。 1940年12月には、アルフィエーリおよびジョベルティとともにイタリア王国陸軍の作戦行動を支援するために、アルバニアおよびギリシャの沿岸部を砲撃した。 1971年1月6日、アルフィエーリ、ジョベルティ、駆逐艦フルミーネおよび第14水雷艇部隊(パルテノーペ(イタリア語版)、パラーデ(イタリア語版)、アルタイル(イタリア語版)、アンドロメダ)とともにポルト・パレルモ(アルバニア)のギリシャ軍駐屯地を砲撃した。 3月26日の11時、第9駆逐艦隊の同型艦および第1艦隊(ザラ、ポーラ、フィウメ)とともにヴィトリオ・キニゴー中佐の指揮のもとターラントを出航し、戦艦ヴィットリオ・ヴェネト、第3巡洋艦隊(トレント、ボルツァーノ)、第8巡洋艦隊(ガリバルディ、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ)第13駆逐艦隊(グラナティエーレ、ベルサリエーレ、フチリエーレ、アルピーノ)、第16駆逐艦隊(ダ・レッコ、ペッサーニョ)、第12駆逐艦隊(コラッツィエーレ、カラビニエーレ、アスカリ)とともに、後にマタパン岬沖海戦と呼ばれることになる「ガウド」作戦に参加した。 この戦闘中、3月28日の夕方にポーラが雷撃機による攻撃で航行不能となった。イタリア艦隊の司令官アンジェロ・イアキーノ提督は第1艦隊と第9駆逐艦隊の全艦を損傷した巡洋艦を救助するために差し向けたが、22時27分にポーラの近辺に到着したときに、英戦艦バーラム、ヴァリアント、ウォースパイトから、まずザラ、フィウメ、アルフィエーリ、カルドゥッチが砲撃を受け、次にポーラ(英駆逐艦からの魚雷攻撃も受けた)が攻撃された。戦闘開始時に、戦列の最後尾に位置し、その前にカルドゥッチがいた。ある程度の深刻な損傷を被ったもののどうにか後退し、無傷のジョベルティとともに撤退することができたが、これは煙幕を張って部隊の退却を隠蔽し、イギリス艦隊に向かったカルドゥッチの犠牲によるものだった。その直後の23:45にカルドゥッチは英戦艦の斉射を受けて大破し、生存者は艦を放棄した。英駆逐艦ハヴォックは炎上して漂流するカルドゥッチを視認し、魚雷攻撃で止めを刺し、カルドゥッチは爆発した。 一部が海中におり、一部が救命艇にのった沈没船の生存者は、洋上に数日間取り残され殆どが死亡した。艦長のジノッキオ中佐(武功金勲章)は生存者をまとめ、落胆と狂気が彼らを襲うのを防ぐために歌を歌わせ、船乗りの祈りを唱えさせた。 戦闘で沈没した艦の生存者を派遣された病院船グラディスカ(イタリア語版)は、4月2日の14:12に北緯35度56分、東経21度14分の海上で2艘の救命艇を発見し、カルドゥッチの生存者21名を救出した。グラディスカは4月3日の12:38から14:06の間にカルドゥッチの4艘の救命艇を発見し、合計14名の生存者を救出した。 カルドゥッチの乗組員総計204名のうち、169名が死亡ないし行方不明となり、ジノッキオ艦長を含む35名が救出された。 カルドゥッチは合計38回の任務を遂行し(海戦7回、沿岸砲撃3回、船団護衛4回、訓練7回、その他17回)、14,856カイリを航海した。 ヴィンチェンツォ・ノヴァーリ中佐(1898年10月30日生まれ、1940年6月10日 - 1940年10月28日) アルベルト・ジノッキオ中佐(1901年11月29日、スペツィア生まれ、1940年10月29日 - 1941年3月28日)
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ジョズエ・カルドゥッチはイタリア王立海軍の駆逐艦。
{{Infobox 艦艇 |名称. = ジョズエ・カルドゥッチ |画像 = nave_carducci.jpg |画像説明 = 駆逐艦カルドゥッチ |艦種 = [[駆逐艦]] |級名 = [[アルフレード・オリアーニ級駆逐艦|アルフレード・オリアーニ級]] |建造所 = [[オート・メラーラ|OTA]]([[リヴォルノ]]) |その他 = |発注 = |起工 = 1936年 |進水 = 1936年10月28日 |竣工 = |就役 = 1937年11月1日 |運用者 = {{flagicon|ITA1861}}[[イタリア海軍|イタリア王立海軍]]<br />{{Navy|FRA}} |除籍 = |最後 = 1941年3月8日に戦闘中沈没 |基準排水量 = 1,750 [[トン|t]] |常備排水量 = |満載排水量 = 2,450 t |全長 = 106.7 [[メートル|m]] |全幅 = 10.25 m |吃水 = 4.3 m |主缶 = [[ボイラー]]3基 |主機 = [[ギアード・タービン方式|ギアード]][[蒸気タービン]]2基 |推進器 = 2軸スクリュー |出力 = 48,000 [[馬力|shp]] |速力 = 39 [[ノット]](実際には33-34 ノット) |航続距離 = 2,190 [[カイリ]](18 ノット) |乗員 = 士官7名、下士官以下176名 |兵装 = *[[アンサルド]]Model 1926 50口径120mm砲 x4 *15口径12cm照明弾発射砲 x2 *[[ブレダM35 20mm機関砲]] x8 *533 mm 3連[[魚雷発射管]] x6 *[[爆雷]]投射機 x2 *機雷投下機 x1 |モットー = |Note = 諸元は1940年のもの |Ref. = [https://web.archive.org/web/20080517102738/http://www.regiamarinaitaliana.it/Ct%20classe%20Poeti.html ] および [http://www.trentoincina.it/dbunita2.php?short_name=Carducci ] を参照している }} '''ジョズエ・カルドゥッチ'''('''''Giosuè Carducci''''')は[[イタリア海軍|イタリア王立海軍]]の[[駆逐艦]]。 == 艦歴 == イタリアが[[第二次世界大戦]]に参戦した当時、カルドゥッチは同型艦の[[ヴィットーリオ・アルフィエーリ (駆逐艦)|アルフィエーリ]]、[[ヴィンチェンツォ・ジョベルティ (駆逐艦)|ジョベルティ]]、[[アルフレード・オリアーニ (駆逐艦)|オリアーニ]]ともに第9駆逐艦隊を構成していた。 1940年6月12日の深夜2時に同部隊の艦、第1巡洋艦隊([[重巡洋艦]][[ザラ (重巡洋艦)|ザラ]]、[[フィウメ (重巡洋艦)|フィウメ]]、[[ゴリツィア (重巡洋艦)|ゴリツィア]])、第8巡洋艦隊(軽巡洋艦[[ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ (軽巡洋艦)|ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ]]および[[ジュゼッペ・ガリバルディ (軽巡洋艦)|ガリバルディ]])第16駆逐艦隊({{仮リンク|ニコローゾ・ダ・レッコ (駆逐艦)|label=ダ・レッコ|it|Nicoloso da Recco (cacciatorpediniere)}}、{{仮リンク|エマヌエーレ・ペッサーニョ (駆逐艦)|label=ペッサーニョ|it|Emanuele Pessagno (cacciatorpediniere)}}、{{仮リンク|アントニオット・ウゾディマーレ (駆逐艦)|label=ウゾディマーレ|it|Antoniotto Usodimare (cacciatorpediniere)}})とともに[[イオニア海]]の哨戒のために[[ターラント]]を出航した<ref>[http://www.naval-history.net/xDKWW2-4006-19JUN02.htm 1 June, Saturday<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。 7月2日に同型艦部隊、第1巡洋艦隊(ザラ、フィウメ、ゴリツィア)、[[軽巡洋艦]][[ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ (軽巡洋艦)|バンデ・ネーレ]]および[[バルトロメオ・コレオーニ (軽巡洋艦)|コレオーニ]]、第10駆逐艦隊([[マエストラーレ (駆逐艦)|マエストラーレ]]、[[グレカーレ (駆逐艦)|グレカーレ]]、[[リベッチオ (駆逐艦)|リベッチオ]]、[[シロッコ (駆逐艦)|シロッコ]])とともに、[[リビヤ]]から帰還する護送船団([[トリポリ]]あら[[ナポリ]]に向かう[[水雷艇]]{{仮リンク|プロチオーネ (水雷艇)|label=プロチオーネ|it|Procione (torpediniera)}}、{{仮リンク|オルサ (水雷艇)|label=オルサ|it|Orsa (torpediniera)}}、{{仮リンク|ペガソ (水雷艇)|label=ペガソ|it|Pegaso (torpediniera)}}に護衛された兵員輸送船エスペニアおよびヴィクトリア)の間接護衛任務についた<ref>[http://www.naval-history.net/xDKWW2-4007-20JUL01.htm Naval Events, 1-14 July 1940<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。 7月7日の[[午後]]に同型艦部隊および第2艦隊の残り([[ポーラ (重巡洋艦)|ポーラ]])、第1、第2、第3および第7巡洋艦隊の全11隻、第10、第11、第12および第13駆逐艦隊とともに出航し、その後第1艦隊と合流して7月9日の[[カラブリア沖海戦]]に参加した。戦闘中にイタリア艦隊が後退する際に、第9駆逐艦隊は[[魚雷]]による反撃のために派遣され、13,500メートルの距離から合計5発を発射したが、命中させることはできなかった<ref>{{Harvnb|Giorgerini|pp. 172-185}}.</ref><ref name="trentoincina">[http://www.trentoincina.it/dbunita.php?unit=Oriani Trentoincina<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。 7月30日から8月1日にかけて、同型艦部隊、巡洋艦ポーラ、ザラ、フィウメ、ゴリツィア、[[トレント (重巡洋艦)|トレント]]、{{仮リンク|アルベリコ・ダ・バルビアーノ (軽巡洋艦)|label=ダ・バルビアーノ|it|Alberico da Barbiano (incrociatore)}}、[[アルベルト・ディ・ジュッサーノ (軽巡洋艦|アルベルト・ディ・ジュッサーノ]]、[[エウジェニオ・ディ・サヴォイア (軽巡洋艦)|エウジェニオ・ディ・サヴォイア]]、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ、[[ムツィオ・アッテンドーロ (軽巡洋艦)|アッテンドーロ]]、[[ライモンド・モンテクッコリ (軽巡洋艦)|モンテクッコリ]]、第12、第13、第15駆逐艦隊の11隻とともにリビヤに向かう貨物船10隻、駆逐艦4隻および水雷艇12隻からなる船団の間接護衛任務についた<ref>[http://www.naval-history.net/xDKWW2-4007-20JUL02.htm Naval Events 15-31 July 1940<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。 11月27日の昼頃、ポーラ、第1巡洋艦隊および第9駆逐艦隊の同型艦とともに[[ナポリ]]を出航し、決着がつかなかった[[スパルティヴェント岬沖海戦]]に参加した<ref name="trentoincina"/><ref>Giorgio Giorgerini, ''La guerra italiana sul mare. La marina tra vittoria e sconfitta 1940-1943'', pp. 231 e ss.</ref>。 1940年[[12月]]には、アルフィエーリおよびジョベルティとともに[[イタリア陸軍|イタリア王国陸軍]]の作戦行動を支援するために、[[アルバニア]]および[[ギリシャ]]の沿岸部を砲撃した<ref name="trentoincina"/>。 [[1971年]]1月6日、アルフィエーリ、ジョベルティ、駆逐艦[[フルミーネ (駆逐艦)|フルミーネ]]および第14水雷艇部隊({{仮リンク|パルテノーペ (水雷艇)|label=パルテノーペ|it|Partenope (torpediniera)}}、{{仮リンク|パラーデ (水雷艇)|label=パラーデ|it|Pallade (torpediniera)}}、{{仮リンク|アルタイル (水雷艇)|label=アルタイル|it|Altair (torpediniera)}}、アンドロメダ)とともにポルト・パレルモ(アルバニア)のギリシャ軍駐屯地を砲撃した<ref name="trentoincina"/><ref>[http://www.naval-history.net/xDKWW2-4101-28JAN01.htm 1941<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。 === マタパン岬沖海戦 === 3月26日の11時、第9駆逐艦隊の同型艦および第1艦隊(ザラ、ポーラ、フィウメ)とともにヴィトリオ・キニゴー中佐の指揮のもと[[ターラント]]を出航し、[[戦艦]][[ヴィットリオ・ヴェネト (戦艦)|ヴィットリオ・ヴェネト]]、第3巡洋艦隊([[トレント (重巡洋艦)|トレント]]、[[ボルツァーノ (重巡洋艦)|ボルツァーノ]])、第8巡洋艦隊(ガリバルディ、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ)第13駆逐艦隊([[グラナティエーレ (駆逐艦)|グラナティエーレ]]、[[ベルサリエーレ (駆逐艦)|ベルサリエーレ]]、[[フチリエーレ (駆逐艦)|フチリエーレ]]、[[アルピーノ (駆逐艦)|アルピーノ]])、第16駆逐艦隊(ダ・レッコ、ペッサーニョ)、第12駆逐艦隊([[コラッツィエーレ (駆逐艦)|コラッツィエーレ]]、[[カラビニエーレ (駆逐艦)|カラビニエーレ]]、[[アスカリ (駆逐艦)|アスカリ]])とともに、後に[[マタパン岬沖海戦]]と呼ばれることになる「ガウド」作戦に参加した<ref name="Giorgerini">{{Harvnb|Giorgerini|pp. 286-313}}.</ref>。 この戦闘中、3月28日の夕方にポーラが雷撃機による攻撃で航行不能となった<ref name="Giorgerini"/>。イタリア艦隊の司令官[[アンジェロ・イアキーノ]][[提督]]は第1艦隊と第9駆逐艦隊の全艦を損傷した巡洋艦を救助するために差し向けたが、22時27分にポーラの近辺に到着したときに、英戦艦[[バーラム (戦艦)|バーラム]]、[[ヴァリアント (戦艦)|ヴァリアント]]、[[ウォースパイト (戦艦)|ウォースパイト]]から、まずザラ、フィウメ、アルフィエーリ、カルドゥッチが砲撃を受け、次にポーラ(英駆逐艦からの魚雷攻撃も受けた)が攻撃された<ref name="Giorgerini"/><ref name="Rocca">{{Harvnb|Gianni Rocca|pp. 126-137}}.</ref>。戦闘開始時に、戦列の最後尾に位置し、その前にカルドゥッチがいた。ある程度の深刻な損傷を被ったもののどうにか後退し、無傷のジョベルティとともに撤退することができたが、これは[[煙幕]]を張って部隊の退却を隠蔽し、イギリス艦隊に向かったカルドゥッチの犠牲によるものだった<ref name="Giorgerini"/><ref name="Rocca"/>。その直後の23:45に<ref>[http://www.danieleranocchia.it/naval_history/mediterraneo.htm Le Operazioni Navali nel Mediterraneo<!-- Titolo generato automaticamente -->] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20030718172936/http://www.danieleranocchia.it/naval_history/mediterraneo.htm |data=18 luglio 2003 }}</ref>カルドゥッチは英戦艦の[[斉射]]を受けて大破し、生存者は艦を放棄した。英駆逐艦ハヴォックは炎上して漂流するカルドゥッチを視認し、魚雷攻撃で止めを刺し、カルドゥッチは爆発した<ref name="Giorgerini"/><ref name="Rocca"/>。 一部が海中におり、一部が救命艇にのった沈没船の生存者は、洋上に数日間取り残され殆どが死亡した。艦長のジノッキオ中佐(武功金勲章)は生存者をまとめ、落胆と狂気が彼らを襲うのを防ぐために歌を歌わせ、船乗りの祈りを唱えさせた<ref name="Rocca"/>。 戦闘で沈没した艦の生存者を派遣された[[病院船]]{{仮リンク|グラディスカ (病院船)|label=グラディスカ|it|Gradisca (nave ospedale)}}は、4月2日の14:12に北緯35度56分、東経21度14分の海上で2艘の救命艇を発見し、カルドゥッチの生存者21名を救出した<ref name="In soccorso ai superstiti di Matapan">[http://www.trentoincina.it/mostrapost.php?id=344 In soccorso dei naufraghi di Matapan<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref>。グラディスカは4月3日の12:38から14:06の間にカルドゥッチの4艘の救命艇を発見し、合計14名の生存者を救出した<ref name="In soccorso ai superstiti di Matapan"/>。 カルドゥッチの乗組員総計204名のうち、169名が死亡ないし行方不明となり、ジノッキオ艦長を含む35名が救出された<ref name="Rocca"/><ref name="In soccorso ai superstiti di Matapan"/><ref>[http://www.regiamarina.net/matapan.asp?nid=120&lid=2 Vittime<!-- Titolo generato automaticamente -->]</ref><ref>per altra fonte ([http://www.capodomo.it/paese/Matapan.htm]) i morti furono 171, ferma restando la cifra dei 35 superstiti</ref>。 カルドゥッチは合計38回の任務を遂行し(海戦7回、沿岸砲撃3回、船団護衛4回、訓練7回、その他17回)、14,856カイリを航海した<ref>[http://www.regiamarinaitaliana.it/Ct%20classe%20Poeti.html Ct classe Poeti<!-- Titolo generato automaticamente -->] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080517102738/http://www.regiamarinaitaliana.it/Ct%20classe%20Poeti.html |data=17 maggio 2008 }}</ref>。 === 艦長 === ヴィンチェンツォ・ノヴァーリ中佐(1898年10月30日生まれ、1940年6月10日 - 1940年10月28日) アルベルト・ジノッキオ中佐(1901年11月29日、スペツィア生まれ、1940年10月29日 - 1941年3月28日) == 脚注 == {{Reflist}} === 関連項目 === * [[イタリア海軍艦艇一覧]] {{DEFAULTSORT:しよすえかるどうつち}} [[category:イタリアの駆逐艦]] [[Category:第二次世界大戦の駆逐艦]] [[Category:1936年進水船]] [[Category:1937年竣工船]]
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4,825,595
大室244号墳
大室244号墳(おおむろにひゃくよんじゅうよんごうふん、将軍塚古墳)は、長野県長野市松代町大室にある古墳。形状は円墳。大室古墳群(うち大室谷支群 村東単位支群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「大室古墳群」のうち)。 長野県北部、千曲川東岸の大室谷の入り口部緩斜面上(標高約360メートル)に築造された古墳である。約500基におよぶ大室古墳群のなかでも最大級の規模を有する。1984年度(昭和59年度)に明治大学による発掘調査が、1998年度(平成10年度)以降に史跡整備に伴う発掘調査が実施されている。 墳形は円形で、直径21メートル・高さ8メートルを測る。墳丘は2段築成で、土石混合墳丘である。墳丘外表は、一般的には見られない特異な「石垣状石積み」で覆われる。また墳丘周囲には大室古墳群では唯一となる周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては直径30メートルにおよぶ。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長11.7メートルを測る古墳群中最大規模の大型石室であり、良好な状態で遺存する。石室羨道部の発掘調査では、副葬品として金銅製鈴・須恵器・土師器が検出されている。 築造時期は、古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭頃と推定される。大室古墳群の中では大型墳丘・周溝・大型石室・石垣状石積みに特異性を示す、盟主的な古墳として重要視される古墳になる。 古墳域は1997年(平成9年)に国の史跡に指定された(史跡「大室古墳群」のうち)。現在では史跡整備のうえで、墳丘外観が復元された状態で公開されている。 埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り。 羨道の発掘調査では、金銅製鈴・須恵器・土師器が検出されている。金銅製鈴は外径5.1センチメートルを測る大型品であり、土器類には底部穿孔壺や脚付長頸壺が含まれる。
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大室244号墳(おおむろにひゃくよんじゅうよんごうふん、将軍塚古墳)は、長野県長野市松代町大室にある古墳。形状は円墳。大室古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「大室古墳群」のうち)。
{{日本の古墳 |名称 = 大室244号墳 |画像 = [[File:Omuro Kofun Group (Nagano)-244, funkyu.jpg|280px]]<br/>復元墳丘・石室開口部 |別名 = 将軍塚古墳/大塚穴 |所属 = [[大室古墳群 (長野市)|大室古墳群]]<br/>(大室谷支群 村東単位支群) |所在地 = [[長野県]][[長野市]]松代町大室 |緯度度 = 36|緯度分 = 35|緯度秒 = 38.62 |経度度 = 138|経度分 = 13|経度秒 = 33.45 |ISO = JP-20 |形状 = [[円墳]] |規模 = 直径21m<br/>高さ8m |埋葬施設 = 両袖式[[横穴式石室]] |出土品 = 金銅製鈴・[[須恵器]]・[[土師器]] |陪塚 = |築造時期 = [[6世紀]]末-[[7世紀]]初頭 |被葬者 = |陵墓 = |史跡 = 国の[[史跡]]「大室古墳群」に包含 |有形文化財 = |特記事項 = |地図 = Japan Nagano |アイコン = 円墳 |ラベル = 大室<br/>244号墳 |ラベル位置 = top }} '''大室244号墳'''(おおむろにひゃくよんじゅうよんごうふん、将軍塚古墳)は、[[長野県]][[長野市]]松代町大室にある[[古墳]]。形状は[[円墳]]。[[大室古墳群 (長野市)|大室古墳群]](うち大室谷支群 村東単位支群)を構成する古墳の1つ。国の[[史跡]]に指定されている(史跡「大室古墳群」のうち)。 == 概要 == 長野県北部、[[千曲川]]東岸の大室谷の入り口部緩斜面上(標高約360メートル)に築造された古墳である。約500基におよぶ大室古墳群のなかでも最大級の規模を有する。[[1984年]]度([[昭和]]59年度)に[[明治大学]]による発掘調査が、[[1998年]]度([[平成]]10年度)以降に史跡整備に伴う発掘調査が実施されている。 墳形は円形で、直径21メートル・高さ8メートルを測る<ref name="長野市文化財">[http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page4772.html 大室244号墳](長野市文化財データベース)。</ref>。墳丘は2段築成で、土石混合墳丘である{{Sfn|国史跡 大室古墳群|2008}}。墳丘外表は、一般的には見られない特異な「石垣状石積み」で覆われる{{Sfn|国史跡 大室古墳群|2008}}。また墳丘周囲には大室古墳群では唯一となる周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては直径30メートルにおよぶ<ref name="長野市文化財"/>。埋葬施設は両袖式の[[横穴式石室]]で、南西方向に開口する。石室全長11.7メートルを測る古墳群中最大規模の大型石室であり、良好な状態で遺存する。石室羨道部の発掘調査では、副葬品として金銅製鈴・[[須恵器]]・[[土師器]]が検出されている。 築造時期は、[[古墳時代]]後期-[[終末期古墳|終末期]]の[[6世紀]]末-[[7世紀]]初頭頃と推定される<ref name="長野市文化財"/>。大室古墳群の中では大型墳丘・周溝・大型石室・石垣状石積みに特異性を示す、盟主的な古墳として重要視される古墳になる<ref name="長野市文化財"/>。 古墳域は[[1997年]](平成9年)に国の[[史跡]]に指定された(史跡「大室古墳群」のうち)。現在では史跡整備のうえで、墳丘外観が復元された状態で公開されている。 === 来歴 === * [[1984年]]度([[昭和]]59年度)、石室羨道部の発掘調査([[明治大学]])。 * [[1997年]]([[平成]]9年)7月28日、国の[[史跡]]に指定(史跡「大室古墳群」のうち)。 * [[1998年|1998]]-[[1999年]]度(平成10-11年度)、史跡整備に伴う墳丘測量・試掘調査(長野市教育委員会、[[2008年]]に報告)。 * [[2001年|2001]]-[[2003年]]度(平成13-15年度)、史跡整備に伴う発掘調査(長野市教育委員会、2008年に報告)。 == 埋葬施設 == [[File:Omuro Kofun Group (Nagano)-244, 3D-P.jpg|thumb|300px|right|{{center|石室パース図}}]] [[File:Omuro Kofun Group (Nagano)-244, 3D-N.jpg|thumb|250px|right|{{center|石室展開図}}]] 埋葬施設としては両袖式[[横穴式石室]]が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り<ref name="長野市文化財"/>。 * 石室全長:11.7メートル * 玄室:長さ6.5メートル、幅2.3メートル(奥壁)、高さ2.5メートル 羨道の発掘調査では、金銅製鈴・[[須恵器]]・[[土師器]]が検出されている。金銅製鈴は外径5.1センチメートルを測る大型品であり、土器類には底部穿孔壺や脚付長頸壺が含まれる<ref name="長野市文化財"/>。 <gallery> Omuro Kofun Group (Nagano)-244, 3D-B.jpg|石室俯瞰図 Omuro Kofun Group (Nagano)-244, genshitsu-1.jpg|玄室(奥壁方向) Omuro Kofun Group (Nagano)-244, genshitsu-2.jpg|玄室(開口部方向) Omuro Kofun Group (Nagano)-244, entrance.jpg|開口部 大室244号墳出土 台付壺.JPG|台付壺<br/>{{small|[[明治大学博物館]]展示。}} </gallery> == 関連施設 == * [[明治大学博物館]]([[東京都]][[千代田区]]) - 大室244号墳の出土品を保管・展示。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == * 史跡説明板(長野市教育委員会) * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2008|chapter=|url=https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/855/84700.pdf|title=国史跡 大室古墳群 -史跡整備事業にともなう遺構確認調査概要報告書(2) エントランスゾーンA・E区 遺構編-|publisher=長野市・長野市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|国史跡 大室古墳群|2008}}}} - リンクは長野市ホームページ。 == 関連項目 == * [[大室古墳群 (長野市)]] == 外部リンク == * [https://www.city.nagano.nagano.jp/n604000/contents/p002942.html 244号墳] - 長野市ホームページ * [http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page4772.html 大室244号墳] - 長野市文化財データベース {{デフォルトソート:おおむろにひやくよんしゆうよんこうふん}} [[Category:長野県の古墳]] [[Category:長野市の歴史]] [[Category:円墳]] [[Category:長野県にある国指定の史跡]]
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BLONDIE GIRL
『BLONDIE GIRL』(ブロンディー・ガール)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。 自身初のミニ・アルバム。 3曲目と4曲目は、1983年8月17日に渋谷公会堂で開催された「HEAVY METAL REVOLUTION」に出演した際のライブ音源である。 1983年のアルバム『EARTHSHAKER』の2010年リマスター盤に、ボーナス・トラックとして収録された。 2017年11月8日には、Blu-spec CD仕様で再発売した。
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『BLONDIE GIRL』(ブロンディー・ガール)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。
{{Infobox Album | Name = BLONDIE GIRL | Type = [[ミニ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[1983年]][[10月5日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 20分25秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|EARTHSHAKER]]<br />(1983年) | This album = '''BLONDIE GIRL'''<br />(1983年) | Next album = [[FUGITIVE]]<br />([[1984年]]) | Misc = }} 『'''BLONDIE GIRL'''』(ブロンディー・ガール)は、[[EARTHSHAKER]]の[[コンパクト盤|ミニ・アルバム]]。 == 概要 == 自身初のミニ・アルバム<ref name="ガール">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4590497/ブロンディー・ガール|title=ブロンディー・ガール|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/5|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 3曲目と4曲目は、1983年[[8月17日]]に[[渋谷公会堂]]で開催された「HEAVY METAL REVOLUTION」に出演した際のライブ音源である<ref name="ガール"/><ref name="徹底解説"/>。 1983年のアルバム『EARTHSHAKER』の[[2010年]]リマスター盤に、[[ボーナス・トラック]]として収録された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/36235|title=EARTHSHAKER初期6作品がメンバー監修リマスターで復刻|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000066219|title=アースシェイカー、珠玉の名曲たちを魂込めてリ・レコーディングした新作登場|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2017年]][[11月8日]]には、[[ブルースペックCD|Blu-spec CD]]仕様で再発売した<ref name="ガール"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/blondie-girl/4117081694|title=アースシェイカー / ブロンディー・ガール [Blu-spec CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == #'''BLONDIE GIRL''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]] #'''I NEED THE WOMAN''' #*作詞:西田昌史 / 作曲:[[石原慎一郎]] #'''EARTHSHAKER (LIVE)''' #'''MARIONETTE (LIVE)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3542/ ブロンディー・ガール] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふろんていかある}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:1983年のミニ・アルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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EXCITING MINI
『EXCITING MINI』(エキサイティング・ミニ)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。本項では『EXCITING MINI 2』(エキサイティング・ミニ・ツー)についても触れる。 3曲目と4曲目は、1984年3月18日に渋谷公会堂で開催された「ON TOUR '84 FUGITIVE」のライブ音源である。 1983年のアルバム『FUGITIVE』の2010年リマスター盤に、ボーナス・トラックとして収録された。 2017年11月8日には、Blu-spec CD仕様で再発売した。 収録曲の「LOVE DREAMER」は、デビュー前から存在していた重要曲であり、メンバーは大事にしていた。また、「TAKE MY HEART」は、ベーシストの甲斐貴之がボーカルを担当している。 1985年のアルバム『PASSION』の2010年リマスター盤に、ボーナス・トラックとして収録された。 2017年11月8日には、Blu-spec CD仕様で再発売した。
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『EXCITING MINI』(エキサイティング・ミニ)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。本項では『EXCITING MINI 2』(エキサイティング・ミニ・ツー)についても触れる。
『'''EXCITING MINI'''』(エキサイティング・ミニ)は、[[EARTHSHAKER]]の[[コンパクト盤|ミニ・アルバム]]。本項では『'''EXCITING MINI 2'''』(エキサイティング・ミニ・ツー)についても触れる。 == EXCITING MINI == {{Infobox Album | Name = EXCITING MINI | Type = [[ミニ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[1984年]][[12月1日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 37分25秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[MIDNIGHT FLIGHT]]<br />(1984年) | This album = '''EXCITING MINI'''<br />(1984年) | Next album = [[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|PASSION]]<br />([[1985年]]) | Misc = }} === 概要 === 3曲目と4曲目は、1984年[[3月18日]]に[[渋谷公会堂]]で開催された「ON TOUR '84 FUGITIVE」のライブ音源である<ref name="ミニ">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/exciting-mini/4117081695|title=アースシェイカー / エキサイティング・ミニ [Blu-spec CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="エキサイ">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4590500/エキサイティング・ミニ|title=エキサイティング・ミニ|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/5|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 1983年のアルバム『[[FUGITIVE]]』の[[2010年]]リマスター盤に、[[ボーナス・トラック]]として収録された<ref name="監修">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/36235|title=EARTHSHAKER初期6作品がメンバー監修リマスターで復刻|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="珠玉">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000066219|title=アースシェイカー、珠玉の名曲たちを魂込めてリ・レコーディングした新作登場|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2017年]][[11月8日]]には、[[ブルースペックCD|Blu-spec CD]]仕様で再発売した<ref name="ミニ"/><ref name="エキサイ"/>。 === 収録曲 === #'''MORE''' #'''RADIO MAGIC''' #'''記憶の中 (LIVE)''' #'''FUGITIVE (LIVE)''' == EXCITING MINI 2 == {{Infobox Album | Name = EXCITING MINI 2 | Type = [[ミニ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[1985年]][[12月18日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 17分56秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|PASSION]]<br />(1985年) | This album = '''EXCITING MINI 2'''<br />(1985年) | Next album = [[LIVE IN 武道館#アルバム|LIVE IN 武道館]]<br />([[1986年]]) | Misc = }} === 概要 === 収録曲の「LOVE DREAMER」は、デビュー前から存在していた重要曲であり、メンバーは大事にしていた<ref name="ミニ2">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/exciting-mini-2/4117081696|title=アースシェイカー / エキサイティング・ミニ2 [Blu-spec CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="ティング">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4590502/エキサイティング・ミニII|title=エキサイティング・ミニII|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。また、「TAKE MY HEART」は、[[ベーシスト]]の甲斐貴之が[[ボーカル]]を担当している<ref name="ミニ2"/><ref name="ティング"/>。 1985年のアルバム『PASSION』の[[2010年]]リマスター盤に、[[ボーナス・トラック]]として収録された<ref name="監修"/><ref name="珠玉"/>。 [[2017年]][[11月8日]]には、[[ブルースペックCD|Blu-spec CD]]仕様で再発売した<ref name="ミニ2"/><ref name="ティング"/>。 === 収録曲 === #'''LOVE DREAMER''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]] #'''TAKE MY HEART''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|夢の果てを]] (REMIX VERSION)''' #'''WALL (REMIX VERSION)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3545/ エキサイティング・ミニ] - KING RECORDS * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3547/ エキサイティング・ミニ Ⅱ] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えきさいていんくみに}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:1984年のミニ・アルバム]] [[Category:1985年のミニ・アルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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LIVE IN 武道館
『LIVE IN 武道館』(ライブ・イン・ぶどうかん)は、EARTHSHAKERのライブ・アルバム及び映像作品。 1986年1月16日に、「PASSION TOUR」のフィナーレとして行われた自身初の日本武道館公演の模様を収録している。 制作は東映ビデオ、販売は東映が行っている。 2008年11月5日には、デビュー25周年を記念して、DVD化され再発売した。 自身初のライブ・アルバム。 1986年1月17日に、「PASSION TOUR」のフィナーレとして行われた日本武道館公演の模様を収録してい る。 2007年3月7日には、廉価盤として再発売した。 2010年10月6日には、以前のCD化ではカットされていた2曲を収録し、メンバー立会いのもと、リマスタリングを行い、紙ジャケット、SHM-CD仕様で再発売した。 2017年11月8日には、Blu-spec CD仕様で再発売した。
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『LIVE IN 武道館』(ライブ・イン・ぶどうかん)は、EARTHSHAKERのライブ・アルバム及び映像作品。
『'''LIVE IN 武道館'''』(ライブ・イン・ぶどうかん)は、[[EARTHSHAKER]]の[[ライブ・アルバム]]及び[[映像作品]]。 == 映像作品 == {{Infobox Album | Name = LIVE IN 武道館 | Type = ライブ・ビデオ | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[1986年]][[3月21日]] | Recorded = 1986年[[1月16日]]、[[日本武道館]] | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 78分 | Label = [[東映]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = PASSION THE MOVIE<br />([[1985年]]) | This album = '''LIVE IN 武道館'''<br />(1986年) | Next album = AFTER SHOCK<br/> ([[1987年]]) | Misc = }} === 概要 === 1986年1月16日に、「'''PASSION TOUR'''」のフィナーレとして行われた自身初の日本武道館公演の模様を収録している<ref name="DVDで復活!">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/earthshaker/20459|title=アースシェイカー、伝説の一夜を収めた『ライヴ・イン 武道館』がDVDで復活!|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="武道館">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/4208080154|title=アースシェイカー / ライヴ・イン 武道館 [DVD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="ライヴ・イン">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2461380/アースシェイカー-ライヴ・イン-武道館|title=アースシェイカー ライヴ・イン 武道館|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 制作は[[東映ビデオ]]、販売は[[東映]]が行っている。 [[2008年]][[11月5日]]には、デビュー25周年を記念して、[[DVD]]化され再発売した<ref name="DVDで復活!"/><ref name="武道館"/><ref name="ライヴ・イン"/>。 === 収録曲 === #'''[[FUGITIVE|MORE]]''' #'''記憶の中''' #'''[[MIDNIGHT FLIGHT|ざわめく時へと]]''' #'''[[PASSION|WHISKY AND WOMAN]]''' #'''MIDNIGHT FLIGHT''' #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|夢の果てを]]''' #'''THE NIGHT WE HAD''' #'''流れた赤い血はなぜ!~ドラム・ソロ''' #'''TAKE MY HEART''' #'''T-O-K-Y-O''' #'''RADIO MAGIC''' #'''FUGITIVE''' #'''COME ON''' #'''ありがとう君に''' == アルバム == {{Infobox Album | Name = LIVE IN 武道館 | Type = [[ライブ・アルバム]] | Artist = EARTHSHAKER | Released = 1986年[[4月25日]] | Recorded = 1986年[[1月17日]]、日本武道館 | Genre = ハードロック <br /> ヘヴィメタル | Length = 72分 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[EXCITING MINI#EXCITING MINI 2|EXCITING MINI 2]]<br />(1985年) | This album = '''LIVE IN 武道館'''<br />(1986年) | Next album = [[OVER RUN]]<br />(1986年) | Misc = }} === 概要 === 自身初のライブ・アルバム<ref name="再発">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/1140000165|title=アースシェイカー / ライヴ・イン武道館 [再発][廃盤]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="廃盤">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/live-in-budohkan/3199101777|title=アースシェイカー / ライヴ・イン武道館 [再発][廃盤]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="SHM-CD">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/live-in-budohkan/4110080484|title=アースシェイカー / ライヴ・イン・武道館 [紙ジャケット仕様] [2CD] [SHM-CD] [限定]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="Blu-spec CD">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/live-in-budohkan/4117081410|title=アースシェイカー / ライヴ・イン武道館 [2CD] [Blu-spec CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="完全生産限定盤">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2754367/ライヴ・イン武道館<完全生産限定盤>|title=ライヴ・イン武道館<完全生産限定盤>|publisher=タワーレコード|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="イン武道館">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4590503/ライヴ・イン武道館|title=ライヴ・イン武道館|publisher=タワーレコード|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 1986年1月17日に、「'''PASSION TOUR'''」のフィナーレとして行われた日本武道館公演の模様を収録してい る<ref name="再発"/><ref name="廃盤"/><ref name="SHM-CD"/><ref name="Blu-spec CD"/><ref name="完全生産限定盤"/><ref name="イン武道館"/>。 [[2007年]][[3月7日]]には、[[廉価版|廉価盤]]として再発売した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/-/13828|title=ジャパメタ名門レーベル “ネクサス”の名盤20Wが廉価再発|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2010年]][[10月6日]]には、以前のCD化ではカットされていた2曲を収録し、メンバー立会いのもと、リマスタリングを行い、紙ジャケット、[[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]仕様で再発売した<ref name="SHM-CD"/><ref name="完全生産限定盤"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/36235|title=EARTHSHAKER初期6作品がメンバー監修リマスターで復刻|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2022-09-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000066219|title=アースシェイカー、珠玉の名曲たちを魂込めてリ・レコーディングした新作登場|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2017年]][[11月8日]]には、[[ブルースペックCD|Blu-spec CD]]仕様で再発売した<ref name="Blu-spec CD"/><ref name="イン武道館"/>。 === 収録曲 === ==== DISC 1 ==== #'''MORE''' #'''記憶の中''' #'''ざわめく時へと''' #'''WHISKY AND WOMAN''' #'''MIDNIGHT FLIGHT''' #'''夢の果てを''' #'''THE NIGHT WE HAD''' ==== DISC 2 ==== #'''流れた赤い血はなぜ!~ドラム・ソロ'''<ref name="未収録" group="注">2010年盤、2017年盤を除く再発売盤には未収録である。</ref> #'''TAKE MY HEART''' #'''T-O-K-Y-O''' #'''RADIO MAGIC''' #'''FUGITIVE'''<ref name="未収録" group="注"/> #'''COME ON''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3548/ ライヴ・イン武道館] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らいふいんふとうかん}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:1986年のライブ・ビデオ]] [[Category:1986年のライブ・アルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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SHAKER'S SHAKES
『SHAKER'S SHAKIES』(シェイカーズ・シェイキーズ)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。 キーボーディストの永川敏郎が加入して5人編成となった初のアルバム。 収録曲の「置きざりし刻~"モア"」は、1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲「MORE」のニュー・バージョンであり、リアレンジを加え、アコースティック・ピアノ・バージョンとなっている。また、「ありがとう君に」は、初の日本武道館ライブの音源である。 元々は5曲が収録されたミニ・アルバムであったが、CD化の際に1985年のミニ・アルバム『EXCITING MINI 2』の収録曲4曲が追加された。 1986年のアルバム『OVER RUN』の2010年リマスター盤に、ボーナス・トラックとして収録された。 2017年11月8日には、Blu-spec CD仕様で再発売した。 (全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
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『SHAKER'S SHAKIES』(シェイカーズ・シェイキーズ)は、EARTHSHAKERのミニ・アルバム。
{{Infobox Album | Name = SHAKER'S SHAKIES | Type = [[ミニ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[1987年]][[4月21日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 27分42秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[OVER RUN]]<br />([[1986年]]) | This album = '''SHAKER'S SHAKIES'''<br />(1987年) | Next album = [[AFTER SHOCK]]<br />(1987年) | Misc = }} 『'''SHAKER'S SHAKIES'''』(シェイカーズ・シェイキーズ)は、[[EARTHSHAKER]]の[[コンパクト盤|ミニ・アルバム]]。 == 概要 == [[キーボーディスト]]の[[永川敏郎]]が加入して5人編成となった初のアルバム<ref name="シェイカーズ">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/shakers-shakies/4117081412|title=アースシェイカー / シェイカーズ・シェイキーズ [Blu-spec CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="シェイキーズ">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4590505/シェイカーズ・シェイキーズ|title=シェイカーズ・シェイキーズ|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/5|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 収録曲の「置きざりし刻~"モア"」は、[[1984年]]のアルバム『[[FUGITIVE]]』収録曲「MORE」のニュー・バージョンであり、リアレンジを加え、アコースティック・ピアノ・バージョンとなっている<ref name="シェイカーズ"/><ref name="シェイキーズ"/><ref name="徹底解説"/>。また、「[[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|ありがとう君に]]」は、初の[[日本武道館]]ライブの音源である<ref name="シェイカーズ"/><ref name="シェイキーズ"/><ref name="徹底解説"/>。 元々は5曲が収録されたミニ・アルバムであったが、CD化の際に[[1985年]]のミニ・アルバム『[[EXCITING MINI#EXCITING MINI 2|EXCITING MINI 2]]』の収録曲4曲が追加された<ref name="徹底解説"/>。 1986年のアルバム『OVER RUN』の[[2010年]]リマスター盤に、[[ボーナス・トラック]]として収録された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/36235|title=EARTHSHAKER初期6作品がメンバー監修リマスターで復刻|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000066219|title=アースシェイカー、珠玉の名曲たちを魂込めてリ・レコーディングした新作登場|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2017年]][[11月8日]]には、[[ブルースペックCD|Blu-spec CD]]仕様で再発売した<ref name="シェイカーズ"/><ref name="シェイキーズ"/>。 == 収録曲 == (全作詞(特記以外):[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''SHADOW''' #'''心までは''' #'''ORANGE AGENT''' #*作曲:永川敏郎 #:[[器楽曲|インストゥルメンタル]]曲。 #'''置きざりし刻~MORE''' #'''LOVE DREAMER''' #*作曲:西田昌史 #'''TAKE MY HEART''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|夢の果てを]] (REMIX VERSION)''' #'''WALL (REMIX VERSION)''' #'''ありがとう君に(武道館ライブ)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3551/ シェイカーズ・シェイキーズ] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しえいかあすしえいきいす}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:1987年のミニ・アルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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スケエンスティア
スケエンスティア(学名:Scheenstia)は中生代の魚類の一つ。 後期ジュラ紀から前期白亜紀にかけてヨーロッパ(ベルギー、ドイツ、スペイン、スイス、フランス、イギリス)に生息していた。かつては多くの種がレピドテス属に分類されていたが、2012年に再分類が行われ、ほとんどの種がスケエンスティア属へと移動された。 Scheenstia maximusで全長1.5m。 殻を持った生物を食べるのに都合の良い丸い形をした歯を持つ。顎の中に控えている歯はacrodin capが上下逆の状態になっており、萌出時に180°回転する。この歯は中世ヨーロッパではトードストーンと呼ばれ、特殊な効能を持つとされ宝飾品などに利用された。 バリオニクスの体内から酸によって損傷したスケエンスティアが発見されており、獣脚類の魚食行動の最初の証拠となった。
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スケエンスティアは中生代の魚類の一つ。 後期ジュラ紀から前期白亜紀にかけてヨーロッパ(ベルギー、ドイツ、スペイン、スイス、フランス、イギリス)に生息していた。かつては多くの種がレピドテス属に分類されていたが、2012年に再分類が行われ、ほとんどの種がスケエンスティア属へと移動された。
{{生物分類表 |名称 = スケエンスティア | fossil_range = [[後期ジュラ紀]]–[[前期白亜紀]], {{fossilrange|150|125}} |画像 = [[File: Scheenstia lower jaw.jpg |250px]] |画像キャプション =スケエンスティアの下顎の化石 |省略=条鰭綱 |亜綱 = [[新鰭亜綱]] [[w:Neopterygii|Neopterygii]] |目 = [[ガー目]] [[w: Lepisosteiformes | Lepisosteiformes]]|科 = レピドテス科[[w: Lepidotidae | Lepidotidae]] |属 = '''スケエンスティア''' ''[[w: Scheenstia | Scheenstia]]'' López-Arbarello & Sferco, 2011 |下位分類名=種|下位分類= *''S. mantelli'' <small>(Agassiz, 1833)</small><br> *''S. laevis'' <small>(Agassiz, 1837)</small> *''S. maximus'' <small>(Wagner, 1863)</small> *''S. decoratus'' <small>(Wagner, 1863)</small> *''S. degenhardti'' <small>(Branco, 1885)</small> *''S. hauchecornei'' <small>(Wagner, 1863)</small> *''S. zappi'' <small>López-Arbarello & Sferco, 2011</small> *''S. bernissartensis '' <small>(Traquair, 1911)</small> }} '''スケエンスティア'''([[学名]]:''{{sname||Scheenstia}}'')は中生代の魚類の一つ。 [[後期ジュラ紀]]から[[前期白亜紀]]にかけて[[ヨーロッパ]]([[ベルギー]]<ref> L. F. du Pauw. 1902. Notes sur les Fouilles du Charbonnage de Bernissart. Découverte, Solidification et Montage des Iguanodons [Notes on the excavations of the Bernissart coal mine. Discovery, solidification, and mounting of the Iguanodons] 1-25</ref>、[[ドイツ]]<ref> A. López-Arbarello and E. Sfercoa. 2009. New Semionotiform (Actinopterygii, Neopterygii) from the Late Jurassic of Southern Germany. Journal of Systematic Palaeontology 9:197-215 </ref>、[[スペイン]]<ref> J. Royo y Gómez. 1926. Los vertebrados del Cretácico Español de facies Weáldica [The vertebrates of the Spanish Cretaceous from the Wealden facies]. Boletin del Instituto Geológico de España 47:171-176</ref><ref> F. Beltrán. 1918. [Una excursión realizada con sus alumnos a Morella, con el objeto de ver las pinturas rupestres recientemente encontradas y estudiar la Geología de la comarca] [An excursion made with his students to Morella, with the intention of seeing recently foundcave paintings and studying the geology of the region]. Boletin de la Real Sociedad Española de Historia Natural 18:134</ref>、[[スイス]]<ref> A. S. Woodward. 1895. Catalogue of the Fossil Fishes in the British Museum (Natural History), Part III 1-544</ref>、[[フランス]]<ref> {{Cite web |title=Fossilworks: Gateway to the Paleobiology Database |url=http://www.fossilworks.org/cgi-bin/bridge.pl?a=collectionSearch&taxon_no=241986&max_interval=Jurassic&country=France&is_real_user=1&basic=yes&type=view&match_subgenera=1 |website=www.fossilworks.org |access-date=2023-09-09}} </ref>、[[イギリス]]<ref> K. A. Kermack, P. M. Lees, and F. Mussett. 1965. Aegialodon dawsoni, a new trituberculosectorial tooth from the Lower Wealden. Proceedings of the Royal Society of London. Series B (Biological Sciences) 162(989):535-554 </ref><ref> P. Austen, D. Brockhurst, and K. Honeysett. 2010. Vertebrate fauna from Ashdown Brickworks, Bexhill, East Sussex. Wealden News (8)13-23 </ref>)に生息していた。かつては多くの種が[[レピドテス]]属に分類されていたが、2012年に再分類が行われ、ほとんどの種がスケエンスティア属へと移動された<ref name=":0"> https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3394768/</ref>。 ==特徴== [[ファイル:2013-03 Naturkundemuseum Berlin Dickschupperfisch Scheenstia maximus anagoria.jpg|左|サムネイル|''Scheenstia maximus'']] Scheenstia maximusで全長1.5m<ref name=":0" />。 殻を持った生物を食べるのに都合の良い丸い形をした歯を持つ。顎の中に控えている歯はacrodin capが上下逆の状態になっており、萌出時に180°回転する<ref> {{Cite journal|last=Leuzinger|first=Léa|last2=Cavin|first2=Lionel|last3=López‐Arbarello|first3=Adriana|last4=Billon‐Bruyat|first4=Jean‐Paul|editor-last=Smith|editor-first=Andrew|date=2020-01|title=Peculiar tooth renewal in a Jurassic ray‐finned fish (Lepisosteiformes, † Scheenstia sp.)|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/pala.12446|journal=Palaeontology|volume=63|issue=1|pages=117–129|language=en|doi=10.1111/pala.12446|issn=0031-0239}}</ref>。この歯は中世ヨーロッパではトードストーンと呼ばれ、特殊な効能を持つとされ宝飾品などに利用された<ref> Gregorová, R., Bohatý, M., Stehlíková, D., Duffin, Ch., 2020: “Crapaudine” (Scheenstia teeth) - the jewel of Kings. – Acta Musei Moraviae, Scientiae geologicae, 105, 2, 277–294 (with Czech summary).</ref>。 [[バリオニクス]]の体内から酸によって損傷したスケエンスティアが発見されており、獣脚類の魚食行動の最初の証拠となった<ref> {{Cite book |title=Bulletin of the Natural History Museum. Geology series |url=https://www.biodiversitylibrary.org/item/113710 |publisher=Intercept |date=1996 |location=Andover |volume=v.52-53 (1996-1997) |last=Natural History Museum (London, England) |first2=England) |last2=Natural History Museum (London}}</ref>。 == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:すけえんすていあ}} [[Category:ベルギー産の化石]] [[Category:ドイツ産の化石]] [[Category:スイス産の化石]] [[Category:フランス産の化石]] [[Category:イギリス産の化石]] [[Category:スペイン産の化石]] [[Category:2011年に記載された化石分類群]]
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MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER
『MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER』(モア・アースシェイカー・イン・バンクーバー)は、EARTHSHAKERのライブ・アルバム。 前作『Yesterday & Tomorrow』より7年の時を経てリリースされた。 新曲である「絆」「GOOD-BYE TO THE PAST」「愛の歌う声を聞いてみるかい」の3曲の他、2000年6月のカナダ・バンクーバーでのライブ音源9曲の計12曲を収録している。
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『MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER』(モア・アースシェイカー・イン・バンクーバー)は、EARTHSHAKERのライブ・アルバム。
{{Infobox Album | Name = MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER | Type = [[ライブ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2000年]][[11月1日]] | Recorded = 2000年6月<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/more-earthshaker-in-vancouver/3200120455|title=アースシェイカー / MORE~EARTHSHAKER IN VANCOUVER|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/2|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>(#4-12) | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = | Label = WIDE TREAD | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[Yesterday & Tomorrow]]<br />([[1993年]]) | This album = '''MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER'''<br />(2000年) | Next album = [[Birthday (EARTHSHAKERのアルバム)|Birthday]]<br />([[2001年]]) | Misc = }} 『'''MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER'''』(モア・アースシェイカー・イン・バンクーバー)は、[[EARTHSHAKER]]の[[ライブ・アルバム]]。 == 概要 == 前作『Yesterday & Tomorrow』より7年の時を経てリリースされた<ref name="徹底解説"/>。 新曲である「絆」「GOOD-BYE TO THE PAST」「愛の歌う声を聞いてみるかい」の3曲の他、2000年6月の[[カナダ]]・[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]でのライブ音源9曲の計12曲を収録している<ref name="徹底解説"/>。 == 収録曲 == #'''絆''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]] #:後に再録[[ベスト・アルバム]]『[[earthshaker.jp/type A]]』に収録された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/earthshakerjp-type-a/3202091330|title=アースシェイカー / earthshaker.jp / type A [2CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/item/930226/earthshaker-jp-type-A|title=earthshaker.jp/type A|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 #'''GOOD-BYE TO THE PAST''' #*作詞:西田昌史 / 作曲:[[石原慎一郎]] #'''愛の歌う声を聞いてみるかい''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''[[MIDNIGHT FLIGHT|RADIO MAGIC]]''' #'''[[REAL (EARTHSHAKERのアルバム)|REAL WORLD]]''' #'''[[OVER RUN|GAMBLER]]''' #'''ざわめく時へと''' #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|WALL]]''' #'''EARTHSHAKER''' #'''[[FUGITIVE|MORE]]''' #'''SAY GOODBYE''' #'''[[TREACHERY|走りぬけた夜の数だけ]]''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もあああすしえいかあいんはんくうはあ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2000年のライブ・アルバム]]
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Birthday (EARTHSHAKERのアルバム)
『Birthday』(バースデー)は、EARTHSHAKERの13枚目のオリジナル・アルバム。 フルアルバムとしては、1993年のアルバム『REAL』以来、8年ぶりであり、再結成後の初のオリジナル・アルバムである。 (全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『Birthday』(バースデー)は、EARTHSHAKERの13枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "フルアルバムとしては、1993年のアルバム『REAL』以来、8年ぶりであり、再結成後の初のオリジナル・アルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『Birthday』(バースデー)は、EARTHSHAKERの13枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = Birthday | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2001年]][[11月28日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 50分49秒 | Label = WIDE TREAD | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER]]<br />([[2000年]]) | This album = '''Birthday'''<br />(2001年) | Next album = [[earthshaker.jp/type A]]<br />([[2002年]]) | Misc = }} 『'''Birthday'''』(バースデー)は、[[EARTHSHAKER]]の13枚目の[[オリジナル・アルバム]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/goods/detail/18961|title=Birthday|work=[[Billboard JAPAN]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 概要 == フルアルバムとしては、[[1993年]]のアルバム『[[REAL (EARTHSHAKERのアルバム)|REAL]]』以来、8年ぶりであり、再結成後の初のオリジナル・アルバムである<ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/3|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == (全作詞(特記以外):[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''Birthday Song''' #'''マシンガン・マッシュルーム''' #:後に再録[[ベスト・アルバム]]『earthshaker.jp/type A』に収録された<ref name="type A">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/earthshakerjp-type-a/3202091330|title=アースシェイカー / earthshaker.jp / type A [2CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="jp">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/930226/earthshaker-jp-type-A|title=earthshaker.jp/type A|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 #'''Try to hold on''' #'''家路''' #*作曲:西田昌史 #:後に再録ベスト・アルバム『earthshaker.jp/type A』に収録された<ref name="type A"/><ref name="jp"/>。 #'''灰になるまで''' #*作詞:石原慎一郎 #'''溜息と沈黙''' #'''TOUGH''' #'''アシオト''' #'''瞳に残る炎''' #*作詞:石原慎一郎 #'''七つの色と空''' #'''誇りであるために''' #*作曲:西田昌史 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はあすてい}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2001年のアルバム]]
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Earthshaker.jp/type A
『earthshaker.jp/type A』(アースシェイカー・ドット・ジェイピー・スラッシュ・タイプ・エー)は、EARTHSHAKERのセルフカバー・ベスト・アルバム。 デビュー20周年記念してリリースされた2枚組新録ベスト・アルバムであり、ファンとメンバーが選んだ代表曲で構成されている。 「DISC 1」を〈+ side〉、「DISC 2」を〈- side〉と表記している。 〈- side〉には、〈+ side〉収録曲のカラオケ・ヴァージョン(minus Vocal)、ギター・ソロ抜きテイク(minus Guitar)を収録している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『earthshaker.jp/type A』(アースシェイカー・ドット・ジェイピー・スラッシュ・タイプ・エー)は、EARTHSHAKERのセルフカバー・ベスト・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー20周年記念してリリースされた2枚組新録ベスト・アルバムであり、ファンとメンバーが選んだ代表曲で構成されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「DISC 1」を〈+ side〉、「DISC 2」を〈- side〉と表記している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "〈- side〉には、〈+ side〉収録曲のカラオケ・ヴァージョン(minus Vocal)、ギター・ソロ抜きテイク(minus Guitar)を収録している。", "title": "概要" } ]
『earthshaker.jp/type A』(アースシェイカー・ドット・ジェイピー・スラッシュ・タイプ・エー)は、EARTHSHAKERのセルフカバー・ベスト・アルバム。
{{小文字}} {{Infobox Album | Name = earthshaker.jp/type A | Type = [[ベスト・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2002年]][[11月28日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 70分32秒〈+ side〉<br />76分57秒〈- side〉 | Label = WIDE TREAD | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[Birthday (EARTHSHAKERのアルバム)|Birthday]]<br />([[2001年]]) | This album = '''earthshaker.jp/type A'''<br />(2002年) | Next album = [[そこにある詩]]<br />([[2003年]]) | Misc = }} 『'''earthshaker.jp/type A'''』(アースシェイカー・ドット・ジェイピー・スラッシュ・タイプ・エー)は、[[EARTHSHAKER]]の[[セルフカバー]]・[[ベスト・アルバム]]。 == 概要 == デビュー20周年記念してリリースされた2枚組新録ベスト・アルバムであり、ファンとメンバーが選んだ代表曲で構成されている<ref name="type A">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/earthshakerjp-type-a/3202091330|title=アースシェイカー / earthshaker.jp / type A [2CD]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/item/930226/earthshaker-jp-type-A|title=earthshaker.jp/type A|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/goods/detail/18992|title=earthshaker.jp/type A|work=[[Billboard JAPAN]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 「DISC 1」を〈+ side〉、「DISC 2」を〈- side〉と表記している。 〈- side〉には、〈+ side〉収録曲のカラオケ・ヴァージョン(minus Vocal)、ギター・ソロ抜きテイク(minus Guitar)を収録している<ref name="type A"/>。 == 収録曲 == === 〈+ side〉 === #'''RADIO MAGIC''' #:[[1984年]]のアルバム『[[MIDNIGHT FLIGHT]]』収録曲。 #'''FUGITIVE''' #:1984年のアルバム『[[FUGITIVE]]』収録曲。 #'''ありがとう君に''' #:[[1985年]]のアルバム『[[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|PASSION]]』収録曲。 #'''流れた赤い血はなぜ''' #:1985年のアルバム『PASSION』収録曲。 #'''マシンガン・マッシュルーム''' #:2001年のアルバム『Birthday』収録曲。 #'''LABYRINTH''' #:[[1993年]]のアルバム『[[REAL (EARTHSHAKERのアルバム)|REAL]]』収録曲。 #'''NATURAL HEART''' #:[[1990年]]のアルバム『[[PRETTY GOOD!]]』収録曲。 #'''記憶の中''' #:1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲。 #'''MORE''' #:1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲。 #'''絆''' #:[[2000年]]のアルバム『[[MORE EARTHSHAKER IN VANCOUVER]]』収録曲。 #'''TAKE MY HEART''' #:[[1987年]]の[[コンパクト盤|ミニ・アルバム]]『[[SHAKER'S SHAKES|SHAKER'S SHAKIES]]』収録曲。 #'''WALL''' #:[[1983年]]のアルバム『[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|EARTHSHAKER]]』収録曲。 #'''走り抜けた夜の数だけ''' #:[[1989年]]のアルバム『[[TREACHERY]]』収録曲。 #'''家路''' #:2001年のアルバム『Birthday』収録曲。 === 〈- side〉 === #'''RADIO MAGIC <minus Vocal>''' #'''ありがとう君に <minus Vocal>''' #'''流れた赤い血はなぜ <minus Vocal>''' #'''NATURAL HEART <minus Vocal>''' #'''記憶の中 <minus Vocal>''' #'''MORE <minus Vocal>''' #'''絆 <minus Vocal>''' #'''TAKE MY HEART <minus Vocal>''' #'''走り抜けた夜の数だけ <minus Vocal>''' #'''家路 <minus Vocal>''' #'''FUGITIVE <minus Vocal&Guitar>''' #'''RADIO MAGIC <minus Guitar>''' #'''流れた赤い血はなぜ <minus Guitar>''' #'''MORE <minus Guitar>''' #'''WALL <minus Guitar>''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ああすしえいかあとつとしえいひいすらつしゆたいふええ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2002年のベスト・アルバム]] [[Category:2002年のセルフカバー・アルバム]]
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舟倉 (横須賀市)
舟倉(ふなぐら)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は舟倉一丁目から舟倉二丁目。住居表示実施済区域。 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、南東に若宮台と久比里、南に久里浜、南西に内川、北西に池田町、北に吉井と接している。 住宅地の地価は、2022年(令和4年)7月1日の公示地価によれば、舟倉1-23-12の地点で10万9000円/mとなっている。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "舟倉(ふなぐら)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は舟倉一丁目から舟倉二丁目。住居表示実施済区域。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、南東に若宮台と久比里、南に久里浜、南西に内川、北西に池田町、北に吉井と接している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "住宅地の地価は、2022年(令和4年)7月1日の公示地価によれば、舟倉1-23-12の地点で10万9000円/mとなっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "国勢調査による人口の推移。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "国勢調査による世帯数の推移。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。", "title": "学区" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。", "title": "事業所" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "経済センサスによる事業所数の推移。", "title": "事業所" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "経済センサスによる従業員数の推移。", "title": "事業所" } ]
舟倉(ふなぐら)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は舟倉一丁目から舟倉二丁目。住居表示実施済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 舟倉 |種類 = [[町丁]] |画像 = <!--- 関連する画像ファイル ---> |画像サイズ = 270px |画像説明 = <!--- 画像の説明 ---> <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 14 | 緯度秒 = 24.49 | 経度度 = 139 | 経度分 = 41 | 経度秒 = 56.86 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[久里浜|久里浜地区]] |人口 = 2979 |世帯数 = 1339 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 0.447 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0805<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390805|title=舟倉の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''舟倉'''(ふなぐら)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。現行行政地名は舟倉一丁目から舟倉二丁目。[[住居表示]]実施済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、南東に[[若宮台]]と[[久比里]]、南に[[久里浜 (横須賀市の町名)|久里浜]]、南西に[[内川 (横須賀市)|内川]]、北西に[[池田町 (横須賀市)|池田町]]、北に[[吉井 (横須賀市)|吉井]]と接している。 === 河川 === *[[平作川]] === 地価 === 住宅地の地価は、[[2022年]]([[令和]]4年)[[7月1日]]の[[公示地価]]によれば、舟倉1-23-12の地点で10万9000円/m{{sup|2}}となっている<ref name="chika">{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0|title=国土交通省地価公示・都道府県地価調査|publisher=国土交通省|language=日本語|accessdate=2023-08-09}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |舟倉一丁目 |style="text-align:right"|856世帯 |style="text-align:right"|1,692人 |- |舟倉二丁目 |style="text-align:right"|483世帯 |style="text-align:right"|1,287人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|1,339世帯 |style="text-align:right"|2,979人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=5000 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=2493 |label2=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=2828 |label3=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=3145 |label4=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=3168 |label5=[[2020年]](令和2年)<ref name="jinko2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032163289|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2022-02-20|language=ja}}</ref> |data5=2991 }} === 世帯数の変遷 === [[国勢調査]]による世帯数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=世帯数推移 |data_max=2000 |label_type=年 |data_type=世帯数 |label1=[[2000年]](平成12年){{r|jinko2000}} |data1=979 |label2=[[2005年]](平成17年){{r|jinko2005}} |data2=1114 |label3=[[2010年]](平成22年){{r|jinko2010}} |data3=1209 |label4=[[2015年]](平成27年){{r|jinko2015}} |data4=1258 |label5=[[2020年]](令和2年){{r|jinko2020}} |data5=1231 }} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8115/tugakukuikiitiranhyou.html|title=通学区域一覧表|publisher=横須賀市|date=2022-03-07|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 {| class="wikitable" !丁目!!番・番地等!!小学校!!中学校 |- ||舟倉一丁目||全域||[[横須賀市立久里浜小学校]]||rowspan=2|[[横須賀市立久里浜中学校]] |- ||舟倉二丁目||全域||[[横須賀市立大塚台小学校]] |} == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!!事業所数!!従業員数 |- |舟倉一丁目 |style="text-align:right"|45事業所 |style="text-align:right"|884人 |- |舟倉二丁目 |style="text-align:right"|24事業所 |style="text-align:right"|425人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|69事業所 |style="text-align:right"|1,309人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=500 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727451|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=80 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068160|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=69 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=2000 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=1653 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=1309 }} == 交通 == *[[国道134号]] == 施設 == *[[京急ファインテック]] 久里浜事業所 *[[ケーヨー|ケーヨーデイツー]] 久里浜店<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keiyo.co.jp/shoplist/1502/|title=久里浜店|publisher=ケーヨー|accessdate=2023-09-09}}</ref> == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 239-0805{{r|postal}}(集配局 : [[久里浜郵便局]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-07-17}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 関連項目 == *[[舟倉]](曖昧さ回避) {{横須賀市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=神奈川県}} {{DEFAULTSORT:ふなくら}} [[Category:横須賀市の町・字]] [[Category:久里浜]]
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4,825,612
日本著作権協議会
日本著作権協議会(にほんちょさくけんきょうぎかい)は1949年12月に結成され、2003年8月に解散、同年10月に破産した団体。権利者の団体と使用者の団体が相互の協議をするために結成された。1950年4月に文部省から社団法人として認可された。1951年からの『著作権台帳』の刊行で知られる。 幹事長・事務局長を務め結成時役員の一人だった北村治久が設立した有限会社著作権協議会編集局に対して後年敗訴し、協議会は解散した。 事務局を東京都千代田区の市政会館に置いた。 1949年6月設立の著作権審議会(これは行政機関ではない)が前身。 1951年から『著作権台帳』を刊行。1979年度に「著作権貢献賞」を創設。 この他、権利者・使用者間の著作権紛争を処理し、著作権関係の政策提言を行った。 中島健蔵、北村治久、末弘厳太郎らが結成した。大家重夫によれば、末松は発足後早くに死亡し、中島は実務に関与しておらず、実質的には北村のみが創業者だった。元早川書房の宮田昇によれば、北村と大塚光幸が共同で創立した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本著作権協議会(にほんちょさくけんきょうぎかい)は1949年12月に結成され、2003年8月に解散、同年10月に破産した団体。権利者の団体と使用者の団体が相互の協議をするために結成された。1950年4月に文部省から社団法人として認可された。1951年からの『著作権台帳』の刊行で知られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "幹事長・事務局長を務め結成時役員の一人だった北村治久が設立した有限会社著作権協議会編集局に対して後年敗訴し、協議会は解散した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "事務局を東京都千代田区の市政会館に置いた。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1949年6月設立の著作権審議会(これは行政機関ではない)が前身。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1951年から『著作権台帳』を刊行。1979年度に「著作権貢献賞」を創設。", "title": "事業" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "この他、権利者・使用者間の著作権紛争を処理し、著作権関係の政策提言を行った。", "title": "事業" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "中島健蔵、北村治久、末弘厳太郎らが結成した。大家重夫によれば、末松は発足後早くに死亡し、中島は実務に関与しておらず、実質的には北村のみが創業者だった。元早川書房の宮田昇によれば、北村と大塚光幸が共同で創立した。", "title": "人物" } ]
日本著作権協議会(にほんちょさくけんきょうぎかい)は1949年12月に結成され、2003年8月に解散、同年10月に破産した団体。権利者の団体と使用者の団体が相互の協議をするために結成された。1950年4月に文部省から社団法人として認可された。1951年からの『著作権台帳』の刊行で知られる。 幹事長・事務局長を務め結成時役員の一人だった北村治久が設立した有限会社著作権協議会編集局に対して後年敗訴し、協議会は解散した。 事務局を東京都千代田区の市政会館に置いた。 1949年6月設立の著作権審議会(これは行政機関ではない)が前身。
{{混同|日本著作者団体協議会}} '''日本著作権協議会'''(にほんちょさくけんきょうぎかい)は1949年12月に結成され<ref>[https://www.jpo.go.jp/seido/s_ishou/pdf/isyou_seido_ayumi/3bu.pdf 第3部 意匠制度 120 年史年表 - Japan Patent Office]</ref>、2003年8月に解散、同年10月に破産した団体<ref name=ooya>[[大家重夫]]「法人名義著作物たるべき著作物の他名義への変更 -(社)日本著作権協議会の破産による解散を期に-」『牛木理一先生古希記念 意匠法及び周辺法の現代的課題』2005年、pp.545-572</ref>。権利者の団体と使用者の団体が相互の協議をするために結成された<ref name=ndl/>。1950年4月に[[文部省]]から[[社団法人]]として認可された<ref name=ooya/>。1951年からの『[[著作権台帳]]』の刊行で知られる<ref name=ooya/><ref name=kitamura>『北村治久・人と歩み 戦後著作権運動史の一側面』、p.10</ref>。 幹事長・事務局長を務め<ref>[[日本職員録]] 第5版、団体「に」の部、日本著作権協議会</ref>結成時役員の一人だった[[北村治久]]が設立した有限会社[[著作権協議会編集局]]に対して後年敗訴し、協議会は解散した<ref name=ooya/>。 事務局を東京都千代田区の[[市政会館]]に置いた<ref>[https://www.jagat.or.jp/past_archives/story/2180.html 業界電話帳 - 公益社団法人日本印刷技術協会]</ref>。 1949年6月設立の'''著作権審議会'''(これは行政機関ではない)が前身<ref name=ndl>国立国会図書館調査立法考査局「著作権関係団体の動向」(1950年10月)、第5章 日本著作権協議会</ref>。 ==事業== {{see also|著作権台帳}} 1951年から『[[著作権台帳]]』を刊行<ref name=kitamura/>。1979年度に「[[著作権貢献賞]]」を創設<ref>「著作権貢献賞2人が受賞 元NHK・赤田さん 元芸団協・棚野さん」東京新聞2015年12月19日[http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201512/CK2015121902000209.html]</ref>。 この他、権利者・使用者間の著作権紛争を処理し、著作権関係の政策提言を行った<ref name=ndl/>。 ==人物== [[中島健蔵]]<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=col_view&id=3000000044 中島文庫] - レファ協 2004年09月11日 15時24分</ref>、[[北村治久]]、[[末弘厳太郎]]らが結成した<ref name=ooya/><ref name=kitamura/>。[[大家重夫]]によれば、末松は発足後早くに死亡し、中島は実務に関与しておらず、実質的には北村のみが創業者だった<ref name=ooya/>。元[[早川書房]]の宮田昇によれば、北村と[[大塚光幸]]が共同で創立した<ref>[http://www.sogensha.co.jp/shouwa/2015/08/post-9.html 受難の占領下の翻訳出版 その1 - 【創元社】 巷説 昭和の翻訳出版] [https://web.archive.org/web/20160920073106/http://www.sogensha.co.jp/shouwa/2015/08/post-9.html archive]</ref>。 ==刊行物== *[[文化人名録]] ==出典== <references/> ==外部リンク== * [https://web.archive.org/web/*/http://www.jc-right.or.jp/html/* www.jc-right.or.jp - Internet Archive Wayback Machine] {{company-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にほんちよさくけんきようきかい}} [[Category:著作権に関連する組織]] [[Category:出版に関する組織]] [[Category:解散した社団法人]] [[Category:1949年設立の組織]] [[Category:2003年廃止の組織]]
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4,825,613
そこにある詩
『そこにある詩』(そこにあるうた)は、EARTHSHAKERの14枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー20周年を記念してリリースされたオリジナル・アルバムである。 新たな試みとして、曲のタイトルを全て日本語にしている。 (全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『そこにある詩』(そこにあるうた)は、EARTHSHAKERの14枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー20周年を記念してリリースされたオリジナル・アルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "新たな試みとして、曲のタイトルを全て日本語にしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『そこにある詩』(そこにあるうた)は、EARTHSHAKERの14枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = そこにある詩 | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2003年]][[4月16日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 48分54秒 | Label = WIDE TREAD | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[earthshaker.jp/type A]]<br />([[2002年]])  | This album = '''そこにある詩'''<br />(2003年) | Next album = [[Faith (EARTHSHAKERのアルバム)|Faith]]<br />([[2004年]]) | Misc = }} 『'''そこにある詩'''』(そこにあるうた)は、[[EARTHSHAKER]]の14枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー20周年を記念してリリースされたオリジナル・アルバムである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/3203030809|title=アースシェイカー / そこにある詩|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://billboard-japan.com/goods/detail/19005|title=そこにある詩|work=[[Billboard JAPAN]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 新たな試みとして、曲のタイトルを全て日本語にしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/3|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == (全作詞(特記以外):[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''風の音''' #'''強く咲け''' #*作曲:西田昌史 #'''そこにある詩''' #'''明日を指差す魂''' #'''想いのかけら''' #*作詞:石原慎一郎 #'''とどめの弾丸''' #'''ありったけの愛''' #'''君へ...''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''百戦錬磨のヒーロー''' #*作詞:石原慎一郎 #'''さだめ''' #*作曲:西田昌史 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:そこにあるうた}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2003年のアルバム]]
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Faith (EARTHSHAKERのアルバム)
『Faith』(フェイス)は、EARTHSHAKERの15枚目のオリジナル・アルバム。 前作より1年ぶり、再結成後4枚目のアルバムである。 「戸惑いと月明かりの中で」は、ベーシストの甲斐貴之がボーカルを担当している。 (全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『Faith』(フェイス)は、EARTHSHAKERの15枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "前作より1年ぶり、再結成後4枚目のアルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「戸惑いと月明かりの中で」は、ベーシストの甲斐貴之がボーカルを担当している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(全作詞(特記以外):西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『Faith』(フェイス)は、EARTHSHAKERの15枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = Faith | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2004年]][[5月19日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 53分21秒 | Label = [[アップフロントワークス|zetima]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[そこにある詩]]<br />([[2003年]])  | This album = '''Faith'''<br />(2004年) | Next album = [[AIM (EARTHSHAKERのアルバム)|AIM]]<br />([[2007年]]) | Misc = }} 『'''Faith'''』(フェイス)は、[[EARTHSHAKER]]の15枚目の[[オリジナル・アルバム]]<ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/item/1095611/Faith|title=Faith|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{cite web|url=https://billboard-japan.com/goods/detail/87346|title=Faith|work=[[Billboard JAPAN]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 概要 == 前作より1年ぶり、再結成後4枚目のアルバムである<ref>{{cite web|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/faith/3204040145|title=EARTHSHAKER / Faith|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 「戸惑いと月明かりの中で」は、[[ベーシスト]]の甲斐貴之が[[ボーカル]]を担当している<ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == (全作詞(特記以外):[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''灼熱の夜''' #*作曲:西田昌史 #'''挑戦者''' #'''鎖つながれても''' #'''あの日聴いた歌に抱かれ''' #*作曲:西田昌史 #'''酔いどれ蕾''' #'''Ever''' #*作詞:石原慎一郎 #'''嘘と刃物''' #'''操れない感情''' #'''闘魂''' #*作曲:西田昌史 #'''戸惑いと月明かりの中で''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''ひとつのミス''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふえいす}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2004年のアルバム]]
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4,825,615
AIM (EARTHSHAKERのアルバム)
『AIM』(エーアイエム)は、EARTHSHAKERの16枚目のオリジナル・アルバム。 前作の『Faith』以来、約3年ぶりのアルバムである。また、DANGER CRUEレーベルに移籍後初のアルバムである。 80年代のサウンドを踏襲しているのが特徴である。 初回限定盤には、デビュー前のレア音源を収録したCDと、1980年と1981年に大阪BAHAMAで行ったライブ映像を収録したDVDが付属している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『AIM』(エーアイエム)は、EARTHSHAKERの16枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "前作の『Faith』以来、約3年ぶりのアルバムである。また、DANGER CRUEレーベルに移籍後初のアルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "80年代のサウンドを踏襲しているのが特徴である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "初回限定盤には、デビュー前のレア音源を収録したCDと、1980年と1981年に大阪BAHAMAで行ったライブ映像を収録したDVDが付属している。", "title": "概要" } ]
『AIM』(エーアイエム)は、EARTHSHAKERの16枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = AIM | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2007年]][[2月21日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 47分27秒 | Label = [[デンジャークルー・レコード|DANGER CRUE]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[Faith (EARTHSHAKERのアルバム)|Faith]]<br />([[2004年]]) | This album = '''AIM'''<br />(2007年) | Next album = [[Quarter (EARTHSHAKERのアルバム)|Quarter]]<br />([[2008年]]) | Misc = }} 『'''AIM'''』(エーアイエム)は、[[EARTHSHAKER]]の16枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == 前作の『Faith』以来、約3年ぶりのアルバムである<ref name="ボーナス">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/earthshaker/13764|title=アースシェイカー、貴重なボーナス付きで新作発表|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="エイム">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/aim/4106120682|title=アースシェイカー / AIM(エイム)|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="限定">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/aim/4106120681|title=アースシェイカー / AIM(エイム) [2CD+DVD] [限定]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="通常盤">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2173545/AIM<通常盤>|title=AIM<通常盤>|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。また、[[デンジャークルー・レコード|DANGER CRUE]]レーベルに移籍後初のアルバムである<ref name="ボーナス"/>。 80年代のサウンドを踏襲しているのが特徴である<ref name="ボーナス"/><ref name="エイム"/><ref name="限定"/><ref name="通常盤"/><ref name="初回限定盤">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2173547/AIM--%5b2CD+DVD%5d<初回限定盤>|title=AIM [2CD+DVD]<初回限定盤>|publisher=タワーレコード|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 初回限定盤には、デビュー前のレア音源を収録した[[コンパクトディスク|CD]]と、[[1980年]]と[[1981年]]に大阪BAHAMAで行ったライブ映像を収録した[[DVD]]が付属している<ref name="ボーナス"/><ref name="初回限定盤"/>。 == 収録曲 == === DISC 1 CD(初回限定盤・通常盤共通) === #'''TO・BI・RA''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]]、[[石原慎一郎]] #'''The Same''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''遥か''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''Sully''' #*作詞・作曲:[[天野月]]、石原慎一郎 #'''情熱の華''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''吐息''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''Tomorrow''' #*作詞・作曲:甲斐貴之、石原慎一郎 #'''志''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''陽炎''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''STARS HIGHWAY''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''a wish''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 === DISC 2 CD(初回限定盤のみ) === #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|EARTHSHAKER]] (1982年 京都ワタナベ楽器REC)''' #'''412 (1982年 京都ワタナベ楽器REC)''' #'''[[FUGITIVE]] (1982年 京都ワタナベ楽器REC)''' #'''I FEEL ALL SADNESS (1982年 京都ワタナベ楽器REC)''' #'''MARIONETTE (1981年 鈴鹿REC)''' #'''[[BLONDIE GIRL]] (1981年 鈴鹿REC)''' === DISC 3 DVD(初回限定盤のみ) === #'''STARS HIGHWAY (1980年8月 大阪BAHAMA)''' #'''イマージュ (1980年8月 大阪BAHAMA)''' #'''PHOENIX (1980年8月 大阪BAHAMA)''' #'''GET OUT (1980年8月 大阪BAHAMA)''' #'''Drum Solo (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''BLACK MAGIC (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''MARIONETTE (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''LOCK UP (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''みんなの歌 (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''THE LONG WAY (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''LOVE DREAMER (1980年後半 大阪BAHAMA)''' #'''SHINY DAY (1981年前半 大阪BAHAMA)''' #'''BYE BYE (1981年前半 大阪BAHAMA)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ええあいえむ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2007年のアルバム]]
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Quarter (EARTHSHAKERのアルバム)
『Quarter』(クォーター)は、EARTHSHAKERの17枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー25周年を記念した「メモリアル・アルバム」としてリリースされた。 タイトルの「Quarter」には、「25周年」「メンバー4人が集まって初めて100%のシェイカーが完成」という、2つの意味が込められている。 初回生産限定盤には、2007年5月に名古屋で行なわれた公演と、同年12月に日本武道館で行なわれた公演の模様を収録したDVDが付属している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『Quarter』(クォーター)は、EARTHSHAKERの17枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー25周年を記念した「メモリアル・アルバム」としてリリースされた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "タイトルの「Quarter」には、「25周年」「メンバー4人が集まって初めて100%のシェイカーが完成」という、2つの意味が込められている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "初回生産限定盤には、2007年5月に名古屋で行なわれた公演と、同年12月に日本武道館で行なわれた公演の模様を収録したDVDが付属している。", "title": "概要" } ]
『Quarter』(クォーター)は、EARTHSHAKERの17枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = Quarter | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2008年]][[3月12日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 45分45秒 | Label = [[デンジャークルー・レコード|DANGER CRUE]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[AIM (EARTHSHAKERのアルバム)|AIM]]<br />([[2007年]]) | This album = '''Quarter'''<br />(2008年) | Next album = [[The course of Life]]<br />([[2009年]]) | Misc = }} 『'''Quarter'''』(クォーター)は、[[EARTHSHAKER]]の17枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー25周年を記念した「メモリアル・アルバム」としてリリースされた<ref name="集大成">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/earthshaker/18104|title=“JAPAN HEAVY METAL FANTASY”出演も控えたアースシェイカー、25周年の集大成作が発売|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="クォーター">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/quarter/4108010629|title=アースシェイカー / クォーター|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="限定">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/quarter/4108010628|title=アースシェイカー / クォーター [CD+DVD] [限定]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/item/2369334/Quarter|title=Quarter|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="初回生産限定盤">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2369333/Quarter-%5bCD+DVD%5d<初回生産限定盤>|title=Quarter [CD+DVD]<初回生産限定盤>|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 タイトルの「Quarter」には、「25周年」「メンバー4人が集まって初めて100%のシェイカーが完成」という、2つの意味が込められている<ref name="集大成"/><ref name="クォーター"/><ref name="限定"/><ref name="徹底解説"/>。 初回生産限定盤には、2007年5月に[[名古屋市|名古屋]]で行なわれた公演と、同年12月に[[日本武道館]]で行なわれた公演の模様を収録した[[DVD]]が付属している<ref name="集大成"/><ref name="限定"/>{{refnest|group="注"|1曲目から5曲目が5月の映像、6曲目から9曲目が12月の映像である<ref name="限定"/>。}}。 == 収録曲 == === DISC 1 CD(初回限定盤・通常盤共通) === #'''愛の技''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]] #'''欠片''' #*作詞・作曲:西田昌史、[[石原慎一郎]] #'''嵐のLIFETIME''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''未来図''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''QUARTER''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''K?R?K?R''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''ロシアンルーレット''' #*作詞・作曲:[[天野月]]、石原慎一郎 #'''Hello Hello''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''雪の季節に''' #*作詞・作曲:甲斐貴之 #'''SMI''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''WILL''' #*作詞・作曲:天野月、石原慎一郎 #'''時空''' #*作詞・作曲:西田昌史 === DISC 2 DVD(初回限定盤のみ) === #'''[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|EARTHSHAKER]]''' #'''[[AIM (EARTHSHAKERのアルバム)|TO・BI・RA]]''' #'''[[そこにある詩|強く咲け]]''' #'''[[MIDNIGHT FLIGHT|RADIO MAGIC]]''' #'''[[FUGITIVE|MORE]]''' #'''T・O・K・Y・O''' #'''FUGITIVE''' #'''MORE''' #'''RADIO MAGIC''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くおおたあ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2008年のアルバム]]
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The course of Life
『The course of Life』(ザ・コース・オブ・ライフ)は、EARTHSHAKERの18枚目のオリジナル・アルバム。 前作『Quarter』から1年8カ月ぶりのアルバム。 初回限定盤には、オリジナル・アルバムの他にセルフカバーのアコースティック・アルバム『be grateful』と、2009年1月に行われたL.A.ガンズ来日公演にゲスト出演した際の共演ライブの模様及び、ボーカルのフィル・ルイス(英語版)とステッペンウルフの「BORN TO BE WILD」をセッションした映像を収録したDVDを付属している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『The course of Life』(ザ・コース・オブ・ライフ)は、EARTHSHAKERの18枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "前作『Quarter』から1年8カ月ぶりのアルバム。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "初回限定盤には、オリジナル・アルバムの他にセルフカバーのアコースティック・アルバム『be grateful』と、2009年1月に行われたL.A.ガンズ来日公演にゲスト出演した際の共演ライブの模様及び、ボーカルのフィル・ルイス(英語版)とステッペンウルフの「BORN TO BE WILD」をセッションした映像を収録したDVDを付属している。", "title": "概要" } ]
『The course of Life』(ザ・コース・オブ・ライフ)は、EARTHSHAKERの18枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = The course of Life | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2009年]][[11月11日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 39分43秒 | Label = [[デンジャークルー・レコード|DANGER CRUE]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[Quarter (EARTHSHAKERのアルバム)|Quarter]]<br />([[2008年]]) | This album = '''The course of Life'''<br />(2009年) | Next album = [[BACK TO NEXUS]]<br />([[2010年]]) | Misc = }} 『'''The course of Life'''』(ザ・コース・オブ・ライフ)は、[[EARTHSHAKER]]の18枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == 前作『Quarter』から1年8カ月ぶりのアルバム<ref name="初回盤のみ">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/22113|title=EARTHSHAKER新作、初回盤のみレアなCD&DVD付属|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 初回限定盤には、オリジナル・アルバムの他に[[セルフカバー]]のアコースティック・アルバム『'''be grateful'''』と、2009年1月に行われた[[L.A.ガンズ]]来日公演にゲスト出演した際の共演ライブの模様及び、[[ボーカル]]の{{仮リンク|フィル・ルイス (音楽)|label=フィル・ルイス|en|Phil Lewis}}と[[ステッペンウルフ]]の「[[ワイルドでいこう!|BORN TO BE WILD]]」をセッションした映像を収録した[[DVD]]を付属している<ref name="初回盤のみ"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2616033/The-course-of-Life-[2CD+DVD]<初回生産限定盤>|title=The course of Life [2CD+DVD]<初回生産限定盤>|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == === DISC 1 CD『The course of Life』(初回限定盤・通常盤共通) === #'''Survive''' #*作詞・作曲:[[西田昌史]]、[[石原慎一郎]] #'''Over the Rainbow''' #*作詞・作曲:西田昌史、石原慎一郎 #'''Crossroad''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''ぼくのいろ''' #*作詞・作曲:[[天野月]]、石原慎一郎 #'''Devil's Cake''' #*作詞・作曲:天野月、石原慎一郎 #'''星''' #*作詞・作曲:石原慎一郎 #'''陽のあたる場所へ''' #*作詞・作曲:天野月、石原慎一郎 #'''純情 Never Dies''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''命証 uta''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''The course of Life''' #*作詞・作曲:西田昌史 === DISC 2 CD『be grateful』(初回限定盤のみ) === #'''ありがとう君に (SM COLLECTION)''' #:[[1985年]]のアルバム『[[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|PASSION]]』収録曲。 #'''MORE''' #:[[1984年]]のアルバム『[[FUGITIVE]]』収録曲。 #'''すべて忘れても''' #:[[1989年]]のアルバム『[[TREACHERY]]』収録曲。 #'''RADIO MAGIC (SM COLLECTION)''' #:1984年のアルバム『[[MIDNIGHT FLIGHT]]』収録曲。 #'''22時''' #:1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲。 #'''A way of time''' #:新曲<ref name="初回盤のみ"/>。 #'''GARAGE''' #:[[1987年]]のアルバム『[[AFTER SHOCK]]』収録曲。ライブ音源である。 #'''CHEAP TROUBLE''' #:[[1988年]]のアルバム『[[SMASH (EARTHSHAKERのアルバム)|SMASH]]』収録曲。ライブ音源である。 #'''Say Goodbye''' #:[[1988年]]のアルバム『[[REAL (EARTHSHAKERのアルバム)|REAL]]』収録曲。ライブ音源である。 === DISC 3 DVD『YOKOTA CLUB NIGHT presents L.A. GUNS 20TH ANNIVERSARY TOUR L.A. GUNS×EARTHSHAKER』(初回限定盤のみ) === #'''LABYRINTH''' #'''FUGITIVE''' #'''T-O-K-Y-O''' #'''[[Birthday (EARTHSHAKERのアルバム)|マシンガン・マッシュルーム]]''' #'''K?R?K?R''' #'''裏切りのロックンロール''' #'''走り抜けた夜の数だけ''' #'''MORE''' #'''RADIO MAGIC''' #'''BORN TO BE WILD (with Phil Lewis)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さこおすおふらいふ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2009年のアルバム]] [[Category:2009年のセルフカバー・アルバム]] [[Category:アコースティック・アルバム]]
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BACK TO NEXUS
『BACK TO NEXUS』(バック・トゥ・ネクサス)は、EARTHSHAKERのセルフカバー・ベスト・アルバム。 デビュー当時に所属していたNEXUSレーベルに復帰し、NEXUSレーベルより発表された楽曲をリレコーディングしたアルバムである。 代表曲の「GAMBLER」「MORE」「記憶の中」「RADIO MAGIC」の他、新曲の「BACK TO NEXUS」など全14曲を収録している。 本作について、西田は、「ナツメロ集ではありません。常にツアーで、いくつかの曲をやりながら僕らとともに成長してきた」と、石原は、「当時のイメージを壊さないように微妙なサジ加減でシンセの音を入れたり...。苦労しました」と語っている。 ★は、初リレコーディング曲。
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『BACK TO NEXUS』(バック・トゥ・ネクサス)は、EARTHSHAKERのセルフカバー・ベスト・アルバム。
{{Infobox Album | Name = BACK TO NEXUS | Type = [[ベスト・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2010年]][[11月28日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 65分32秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[The course of Life]]<br />([[2009年]]) | This album = '''BACK TO NEXUS'''<br />(2010年) | Next album = [[PRAY FOR THE EARTH]]<br />([[2011年]]) | Misc = }} 『'''BACK TO NEXUS'''』(バック・トゥ・ネクサス)は、[[EARTHSHAKER]]の[[セルフカバー]]・[[ベスト・アルバム]]。 == 概要 == デビュー当時に所属していたNEXUSレーベルに復帰し、NEXUSレーベルより発表された楽曲をリレコーディングしたアルバムである<ref name="古巣KING">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/41226|title=EARTSHAKER、古巣KINGから新作「BACK TO NEXUS」|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="珠玉">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000066219|title=アースシェイカー、珠玉の名曲たちを魂込めてリ・レコーディングした新作登場|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/back-to-nexus/4110091316|title=アースシェイカー / バック・トゥ・ネクサス|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="BACK TO NEXUS">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2792261/BACK-TO-NEXUS|title=BACK TO NEXUS|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 代表曲の「GAMBLER」「MORE」「記憶の中」「RADIO MAGIC」の他、新曲の「BACK TO NEXUS」など全14曲を収録している<ref name="古巣KING"/><ref name="珠玉"/><ref name="BACK TO NEXUS"/><ref name="徹底解説"/>。 本作について、西田は、「ナツメロ集ではありません。常にツアーで、いくつかの曲をやりながら僕らとともに成長してきた」と、石原は、「当時のイメージを壊さないように微妙なサジ加減でシンセの音を入れたり…。苦労しました」と語っている<ref name="徹底解説"/>。 == 収録曲 == ★は、初リレコーディング曲<ref name="BACK TO NEXUS"/>。 #'''BACK TO NEXUS''' #*作曲:[[石原慎一郎]] #:新曲。[[器楽曲|インストゥルメンタル]]曲。 #'''GAMBLER'''★ #:[[1986年]]のアルバム『[[OVER RUN]]』収録曲。 #'''夢の果てを'''★ #:[[1983年]]のアルバム『[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|EARTHSHAKER]]』収録曲。初リレコーディングである #'''WHISKY AND WOMAN''' #:[[1985年]]のアルバム『[[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|PASSION]]』収録曲。 #'''MORE''' #:[[1984年]]のアルバム『[[FUGITIVE]]』収録曲。 #'''SHINY DAY'''★ #:1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲。 #'''I FEEL ALL SADNESS'''★ #:1983年のアルバム『EARTHSHAKER』収録曲。 #'''THE NIGHT WE HAD'''★ #:1985年のアルバム『PASSION』収録曲。 #'''EARTHSHAKER''' #:1983年のアルバム『EARTHSHAKER』収録曲。 #'''記憶の中''' #:1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲。 #'''ざわめく時へと'''★ #:1984年のアルバム『[[MIDNIGHT FLIGHT]]』収録曲。初リレコーディングである<ref name="BACK TO NEXUS"/>。 #'''ただ悲しく'''★ #:1984年のアルバム『MIDNIGHT FLIGHT』収録曲。初リレコーディングである<ref name="BACK TO NEXUS"/>。 #'''いま君にまた逢えて'''★ #:1986年のアルバム『OVER RUN』収録曲。初リレコーディングである<ref name="BACK TO NEXUS"/>。 #'''RADIO MAGIC''' #:1984年のアルバム『MIDNIGHT FLIGHT』収録曲。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-1629/ バック・トゥ・ネクサス] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はつくとうねくさす}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2010年のベスト・アルバム]] [[Category:2010年のセルフカバー・アルバム]] [[Category:キングレコードのベスト・アルバム]]
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舟倉
舟倉(ふなくら)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "舟倉(ふなくら)", "title": null } ]
舟倉(ふなくら)
'''舟倉'''(ふなくら) == 地名 == *[[舟倉 (横須賀市)]] - [[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。 *[[舟倉 (富山市)]] - [[富山県]][[富山市]]の地名。 == 姓・人名 == *[[舟倉由佑子]] - [[俳優|女優]]。 == 関連項目 == * {{Prefix}} *{{intitle}} {{Aimai}} {{デフォルトソート:ふなくら}} [[Category:日本語の姓]] [[Category:同名の地名]] [[Category:日本の地名]]
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PRAY FOR THE EARTH
『PRAY FOR THE EARTH』(プレイ・フォー・ジ・アース)は、EARTHSHAKERの19枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー当時に所属していたNEXUSレーベルに復帰後初のオリジナル・アルバムである。 アルバムの表題曲であり、2011年6月に先行配信されたBSフジ『フォーミュラ・ニッポン2011』のテーマソング「PRAY FOR THE EARTH」に加え、2011年に再レコーディングした3曲「COME ON」「T-O-K-Y-O」「WALL」の3曲を含む計12曲が収録されている。 ボーカルの西田は、本作について「EARTHSHAKER史上最もメロディアスなアルバム」と語っている。 (全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『PRAY FOR THE EARTH』(プレイ・フォー・ジ・アース)は、EARTHSHAKERの19枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー当時に所属していたNEXUSレーベルに復帰後初のオリジナル・アルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アルバムの表題曲であり、2011年6月に先行配信されたBSフジ『フォーミュラ・ニッポン2011』のテーマソング「PRAY FOR THE EARTH」に加え、2011年に再レコーディングした3曲「COME ON」「T-O-K-Y-O」「WALL」の3曲を含む計12曲が収録されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ボーカルの西田は、本作について「EARTHSHAKER史上最もメロディアスなアルバム」と語っている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "(全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『PRAY FOR THE EARTH』(プレイ・フォー・ジ・アース)は、EARTHSHAKERの19枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = PRAY FOR THE EARTH | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2011年]][[9月7日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 56分40秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[BACK TO NEXUS]]<br />([[2010年]]) | This album = '''PRAY FOR THE EARTH'''<br />(2011年) | Next album = [[THE EARTHSHAKER]]<br />([[2013年]]) | Misc = }} 『'''PRAY FOR THE EARTH'''』(プレイ・フォー・ジ・アース)は、[[EARTHSHAKER]]の19枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー当時に所属していたNEXUSレーベルに復帰後初のオリジナル・アルバムである<ref name="史上最高">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/55896|title=EARTHSHAKER史上最高メロディアスCDとベスト同時発売|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="プレイ">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/2903630/プレイ・フォー・ジ・アース|title=プレイ・フォー・ジ・アース|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="徹底解説">{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 アルバムの表題曲であり、2011年6月に先行配信された[[BSフジ]]『[[フォーミュラ・ニッポン]]2011』のテーマソング「PRAY FOR THE EARTH」に加え、2011年に再レコーディングした3曲「[[PASSION (EARTHSHAKERのアルバム)|COME ON]]」「[[MIDNIGHT FLIGHT|T-O-K-Y-O]]」「[[EARTHSHAKER (1983年のアルバム)|WALL]]」の3曲を含む計12曲が収録されている<ref name="史上最高"/><ref name="プレイ"/><ref name="徹底解説"/><ref name="祈り">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000072962|title=アースシェイカー、大地への祈りを込めた渾身のニューアルバムをリリース|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000073502|title=アースシェイカー、最新アルバム『プレイ・フォー・ジ・アース』特別ロング・インタビュー|work=BARKS|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="EARTH">{{Cite web |url=https://youngguitar.jp/music_reviews/earthshaker-pray-for-the-earth |title=PRAY FOR THE EARTH/EARTHSHAKER |work=[[YOUNG GUITAR]] |accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/earthshaker/39553|title=アースシェイカー、富士スピードウェイで震災復興支援ライヴを開催! |work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/pray-for-the-earth/4111061367|title=アースシェイカー / プレイ・フォー・ジ・アース|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[ボーカル]]の西田は、本作について「EARTHSHAKER史上最もメロディアスなアルバム」と語っている<ref name="史上最高"/><ref name="祈り"/><ref name="EARTH"/>。 == 収録曲 == (全作詞:[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''KINGDOM STORY''' #'''火の鳥''' #*作曲:西田昌史 #'''COLOR''' #'''PRAY FOR THE EARTH''' #'''COME ON''' #'''BITTER SWEET''' #'''ANSWER''' #'''T-O-K-Y-O''' #'''WALL''' #*作曲:甲斐貴之 #'''VAMPIRE''' #*作曲:西田昌史 #'''PRAY FOR THE EARTH ~WE'RE WITH YOU~''' #'''PRAY FOR THE EARTH''' #:[[器楽曲|インストゥルメンタル]]曲。[[ボーナス・トラック]]として収録。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-1712/ プレイ・フォー・ジ・アース] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふれいふおおしああす}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2011年のアルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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THE EARTHSHAKER
『THE EARTHSHAKER』(ジ・アースシェイカー)は、EARTHSHAKERの20枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー30周年記念アルバムであり、デビュー日と同日にリリースされた。 新たな試みとして、10分を越える大作「切り取られた夜」にもチャレンジしている。 本作及び、5月22日にリリースされた西田昌史のソロ・アルバム『MARCY』及び、石原慎一郎のソロ・アルバム『SHARA』を購入すると、『EARTHSHAKER 未発表ライブ映像DVD』がプレゼントされた。 (全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『THE EARTHSHAKER』(ジ・アースシェイカー)は、EARTHSHAKERの20枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー30周年記念アルバムであり、デビュー日と同日にリリースされた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "新たな試みとして、10分を越える大作「切り取られた夜」にもチャレンジしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "本作及び、5月22日にリリースされた西田昌史のソロ・アルバム『MARCY』及び、石原慎一郎のソロ・アルバム『SHARA』を購入すると、『EARTHSHAKER 未発表ライブ映像DVD』がプレゼントされた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "(全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『THE EARTHSHAKER』(ジ・アースシェイカー)は、EARTHSHAKERの20枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = THE EARTHSHAKER | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2013年]][[6月21日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 51分37秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[PRAY FOR THE EARTH]]<br />([[2011年]]) | This album = '''THE EARTHSHAKER'''<br />(2013年) | Next album = [[BIRD (EARTHSHAKERのアルバム)|BIRD]]<br />([[2015年]]) | Misc = }} 『'''THE EARTHSHAKER'''』(ジ・アースシェイカー)は、[[EARTHSHAKER]]の20枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー30周年記念アルバムであり、デビュー日と同日にリリースされた<ref name="30周年">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/91124|title=EARTHSHAKER30周年新作とMARCY&SHARAソロ作|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000090494|title=EARTHSHAKER、デビュー30周年にバンド・ソロ名義の新作を3作リリース|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000092434|title=【インタビュー】EARTHSHAKER、変わることのないポテンシャルの高さで証明してみせた自らの信念とロック魂|work=BARKS|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://youngguitar.jp/music_reviews/earthshaker-the-earthshaker |title=THE EARTHSHAKER/EARTHSHAKER |work=[[YOUNG GUITAR]] |accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/-/51873|title=EARTHSHAKERよりSHARA&MARCYのソロ作が登場、アニメ『超音戦士ボーグマン』テーマ曲も再び|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="デビュー">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/-/51873|title=デビュー30周年を迎えるアースシェイカー、新作にオリジナル・コーヒーやニコ生も|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/the-earthshaker/4113042009|title=EARTHSHAKER / THE EARTHSHAKER|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tower.jp/item/3243659/THE-EARTHSHAKER|title=THE EARTHSHAKER|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 新たな試みとして、10分を越える大作「切り取られた夜」にもチャレンジしている<ref name="デビュー"/>。 本作及び、[[5月22日]]にリリースされた[[西田昌史]]のソロ・アルバム『MARCY』及び、[[石原慎一郎]]のソロ・アルバム『SHARA』を購入すると、『EARTHSHAKER 未発表ライブ映像DVD』がプレゼントされた<ref name="30周年"/>。 == 収録曲 == (全作曲(特記以外):石原慎一郎) #'''放熱''' #*作詞:[[天野月]] #'''Hand''' #*作詞:西田昌史 #'''月に叢雲花に風''' #*作詞:天野月 / 作曲:西田昌史 #'''僕の詩、その証を君へ''' #*作詞:西田昌史 #'''作りかけのForever''' #*作詞:[[マイクスギヤマ]] / 作曲:西田昌史 #'''美しき世界''' #*作詞:西田昌史 #'''約束''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''エンジン''' #*作詞:天野月 #'''SING IT NOW TOGETHER''' #*作詞:マイクスギヤマ #'''切り取られた夜''' #*作詞:西田昌史 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-1913/ THE EARTHSHAKER] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しああすしえいかあ}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2013年のアルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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BIRD (EARTHSHAKERのアルバム)
『BIRD』(バード)は、EARTHSHAKERの21枚目のオリジナル・アルバム。 コラボレーション色が強いアルバムであり、前作から引き続き参加している、天野月、マイクスギヤマの他に、ZIGGYの森重樹一、あさき、96が楽曲提供を行った。 収録曲の「MORE 2015」は、1984年のアルバム『FUGITIVE』収録曲の「MORE」を新たなアレンジで新録音した楽曲であり、パチンコ新機種『CR 燃える闘魂アントニオ猪木~格闘技世界一決定戦~』のタイアップ・ソングとなった。また、「夕星の芒野と消ゆ」は、KONAMIのアーケードゲーム機『GITADORA』の新シリーズの課題曲に搭載された。 (全作曲(特記以外):石原慎一郎)
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『BIRD』(バード)は、EARTHSHAKERの21枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = BIRD | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2015年]][[3月11日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 50分58秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[THE EARTHSHAKER]]<br />([[2013年]]) | This album = '''BIRD'''<br />(2015年) | Next album = [[THE STORY GOES ON]]<br />([[2018年]]) | Misc = }} 『'''BIRD'''』(バード)は、[[EARTHSHAKER]]の21枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == コラボレーション色が強いアルバムであり、前作から引き続き参加している、[[天野月]]、[[マイクスギヤマ]]のほかに、[[ZIGGY]]の[[森重樹一]]、[[あさき]]、[[黒沢ダイスケ|96]]が楽曲提供を行った<ref name="勢参加">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/91124|title=EARTHSHAKER、森重樹一や「GITADORA」勢参加の新作|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="KONAMI">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/earthshaker/65061|title=アースシェイカー新作『BIRD』発売、KONAMI『GITADORA』との共演も|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="BIRD">{{Cite web|和書|url=https://amass.jp/52355/|title=EARTHSHAKERが新アルバム『BIRD』を3月発売|publisher=amass|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 収録曲の「MORE 2015」は、[[1984年]]のアルバム『[[FUGITIVE]]』収録曲の「MORE」を新たなアレンジで新録音した楽曲であり、[[パチンコ]]新機種『CR 燃える闘魂[[アントニオ猪木]]~[[格闘技]]世界一決定戦~』のタイアップ・ソングとなった<ref name="BIRD"/><ref>{{Cite web|和書 |url=https://youngguitar.jp/music_reviews/earthshaker-bird |title=BIRD/EARTHSHAKER |work=[[YOUNG GUITAR]] |accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/bird/4114122310|title=アースシェイカー / バード|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/3782381/バード|title=バード|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://renote.net/articles/12328/page/4|title=EARTHSHAKER(アースシェイカー)の徹底解説まとめ|work=RENOTE|accessdate=2023-09-09}}</ref>。また、「夕星の芒野と消ゆ」は、[[コナミアミューズメント|KONAMI]]の[[アーケードゲーム]]機『[[GITADORA]]』の新シリーズの課題曲に搭載された<ref name="勢参加"/><ref name="KONAMI"/>。 == 収録曲 == (全作曲(特記以外):石原慎一郎) #'''THE BIRD''' #*作詞:[[天野月]] #'''TRIGGER EFFECT''' #*作詞:天野月 #'''MORE 2015''' #*作詞:西田昌史 #'''夕星の芒野と消ゆ''' #*作詞:[[あさき]] / 作曲:[[黒沢ダイスケ|96]] #'''One Soldier''' #*作詞:天野月 #'''愛しき人''' #*作詞:西田昌史 #'''月下美人''' #*作詞:[[森重樹一]] / 作曲:西田昌史 #'''8Roundのボクサー''' #*作詞:[[マイクスギヤマ]] #'''強くある為に''' #*作詞・作曲:西田昌史 #'''TABOO''' #*作詞:西田昌史 #'''IT'S NOT OVER YET!''' #*作詞:西田昌史 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3168/ BIRD] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はあと}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2015年のアルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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THE STORY GOES ON
『THE STORY GOES ON』(ザ・ストーリー・ゴーズ・オン)は、EARTHSHAKERの22枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー35周年記念アルバムであり、 西田昌史のソロ・アルバム『GARAGE』と同時リリースされた。 キーボーディストの永川敏郎がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された。 (全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『THE STORY GOES ON』(ザ・ストーリー・ゴーズ・オン)は、EARTHSHAKERの22枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー35周年記念アルバムであり、 西田昌史のソロ・アルバム『GARAGE』と同時リリースされた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "キーボーディストの永川敏郎がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『THE STORY GOES ON』(ザ・ストーリー・ゴーズ・オン)は、EARTHSHAKERの22枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = THE STORY GOES ON | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2018年]][[11月7日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 46分54秒 | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[BIRD (EARTHSHAKERのアルバム)|BIRD]]<br />([[2015年]]) | This album = '''THE STORY GOES ON'''<br />(2018年) | Next album = [[40 (アルバム)|40]]<br />([[2023年]]) | Misc = }} 『'''THE STORY GOES ON'''』(ザ・ストーリー・ゴーズ・オン)は、[[EARTHSHAKER]]の22枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー35周年記念アルバムであり、 [[西田昌史]]のソロ・アルバム『GARAGE』と同時リリースされた<ref name="同時発売">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/307058|title=EARTHSHAKERの35周年記念盤、“西田昌史がピアノで歌うEARTHSHAKER”と同時発売|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="躍動感">{{Cite web|和書|url=https://youngguitar.jp/music_reviews/earthshaker-the-story-goes-on|title=THE STORY GOES ON/EARTHSHAKER キーボードを含む5人編成の躍動感ほとばしる35周年記念作|work=[[YOUNG GUITAR]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="STORY">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/the-story-goes-on/4118081621|title=アースシェイカー / THE STORY GOES ON|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="GOES">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4783210/THE-STORY-GOES-ON|title=THE STORY GOES ON|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="11月">{{Cite web|和書|url=https://amass.jp/110369/|title=アースシェイカーが35周年記念アルバム『THE STORY GOES ON』を11月発売、MARCYソロ・アルバムも|publisher=amass|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://amass.jp/113056/|title=アースシェイカーの35周年記念アルバム『THE STORY GOES ON』が全曲リスニング可|publisher=amass|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[キーボーディスト]]の[[永川敏郎]]がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された<ref name="同時発売"/><ref name="躍動感"/><ref name="STORY"/><ref name="GOES"/><ref name="11月"/>。 == 収録曲 == (全作詞:[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''THE STORY GOES ON''' #'''DREAM OUT LOUD''' #*作曲:西田昌史 #'''愛の歌よ泣かないでくれ''' #'''BRIGHT LIGHT AND SHADOW''' #'''旅人のララバイ''' #*作曲:[[永川敏郎]] #'''KICK TO THE HEART''' #'''PRIDE AND DESTINY''' #*作曲:西田昌史 #'''#9''' #:[[器楽曲|インストゥルメンタル]]曲であり、「ナンバーナイン」と読む<ref name="同時発売"/>。 #'''狂おしく激しきこの夢と''' #'''星に願いを''' #*作曲:永川敏郎 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-3751/ THE STORY GOES ON] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さすとおりいこおすおん}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2018年のアルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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40 (アルバム)
『40』(フォーティ)は、EARTHSHAKERの23枚目のオリジナル・アルバム。 デビュー40周年記念アルバムである。 前作に引き続き、キーボーディストの永川敏郎がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された。 (全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『40』(フォーティ)は、EARTHSHAKERの23枚目のオリジナル・アルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "デビュー40周年記念アルバムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "前作に引き続き、キーボーディストの永川敏郎がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(全作詞:西田昌史、全作曲(特記以外):石原慎一郎)", "title": "収録曲" } ]
『40』(フォーティ)は、EARTHSHAKERの23枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = 40 | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[EARTHSHAKER]] | Released = [[2023年]][[9月6日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = | Label = [[キングレコード|NEXUS / キングレコード]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[THE STORY GOES ON]]<br />([[2018年]]) | This album = '''40'''<br />(2023年) | Next album = | Misc = }} 『'''40'''』(フォーティ)は、[[EARTHSHAKER]]の23枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == デビュー40周年記念アルバムである<ref name="40周年">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/534544|title=デビュー40周年のEARTHSHAKER、アルバム発売&全国ツアー開催|work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="記念">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000237543|title=アースシェイカー、デビュー40周年を記念したニューアルバム発売決定|work=[[BARKS]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="発売">{{Cite web|和書|url=https://amass.jp/168448/|title=アースシェイカー デビュー40周年記念アルバム『40』発売 全国ツアー&40周年記念ライヴも決定|publisher=amass|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="公開">{{Cite web|和書|url=https://amass.jp/169430/|title=アースシェイカー デビュー40周年記念アルバム『40』全曲公開|publisher=amass|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="タワレコ">{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/5755413/40|title=40|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="リリース!">{{Cite web|和書|url=https://burrn.online/news/20230726_06-copy.html|title=EARTHSHAKERがデビュー40周年記念のニュー・アルバム「40」を9月6日にリリース!|publisher=[[BURRN!|BURRN! ONLINE]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="金字塔">{{Cite web|和書|url=https://news.kingrecords.co.jp/2023/07/17938/|title=メロディアス・ロックの金字塔”アースシェイカー” デビュー40周年記念となるニュー・アルバム「40」2023年9月6日発売決定|publisher=KING RECORDS TODAY|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 前作に引き続き、[[キーボーディスト]]の[[永川敏郎]]がレコーディングに全面参加し、5人編成で制作された<ref name="40周年"/><ref name="記念"/><ref name="発売"/><ref name="公開"/><ref name="タワレコ"/><ref name="リリース!"/><ref name="金字塔"/>。 == 収録曲 == (全作詞:[[西田昌史]]、全作曲(特記以外):[[石原慎一郎]]) #'''儚き夢よ''' #'''HEY! Mr. JOKER''' #'''IT'S SHOWTIME''' #'''旅路の果てまで''' #*作曲:西田昌史 #'''点と線''' #'''OUR GLORY DAYS''' #'''永遠に消えぬ約束''' #*作曲:西田昌史 #'''ANGEL''' #*作曲:[[永川敏郎]] #'''傷跡''' #'''SONG OF LOVE''' #*作曲:永川敏郎 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICS-4110/ 40] - KING RECORDS {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふおおてい}} [[Category:EARTHSHAKERのアルバム]] [[Category:2023年のアルバム]] [[Category:キングレコードのアルバム]]
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著作権審議会
著作権審議会
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著作権審議会 文化審議会著作権分科会(日本の国の機関)の前身 日本著作権協議会(日本の民間団体)の前身
'''著作権審議会''' *[[文化審議会#著作権分科会|文化審議会著作権分科会]](日本の国の機関)の前身 *[[日本著作権協議会]](日本の民間団体)の前身 {{DEFAULTSORT:ちよさくけんしんきかい}} {{Aimai}}
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若宮台
若宮台(わかみやだい)は、神奈川県横須賀市の地名。丁目の設定のない単独町名である。住居表示実施済区域。 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、東に光風台、南に久比里、西に舟倉、北西に吉井、北東に西浦賀と接している。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、若宮台31-15の地点で12万4000円/mとなっている。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
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若宮台(わかみやだい)は、神奈川県横須賀市の地名。丁目の設定のない単独町名である。住居表示実施済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 若宮台 |種類 = [[町丁]] |画像 = <!--- 関連する画像ファイル ---> |画像サイズ = 270px |画像説明 = <!--- 画像の説明 ---> <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 14 | 緯度秒 = 14.87 | 経度度 = 139 | 経度分 = 42 | 経度秒 = 16.97 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[久里浜|久里浜地区]] |人口 = 2088 |世帯数 = 973 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 0.193 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0829<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390829|title=若宮台の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''若宮台'''(わかみやだい)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。丁目の設定のない単独町名である。[[住居表示]]実施済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南東部にある久里浜地区に属し、東に[[光風台 (横須賀市)|光風台]]、南に[[久比里]]、西に[[舟倉 (横須賀市)|舟倉]]、北西に[[吉井 (横須賀市)|吉井]]、北東に[[西浦賀]]と接している。 === 地価 === 住宅地の地価は、[[2023年]]([[令和]]5年)[[1月1日]]の[[公示地価]]によれば、若宮台31-15の地点で12万4000円/m{{sup|2}}となっている<ref name="chika">{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0|title=国土交通省地価公示・都道府県地価調査|publisher=国土交通省|language=日本語|accessdate=2023-08-09}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[町丁]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |若宮台 |style="text-align:right"|973世帯 |style="text-align:right"|2,088人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=3000 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=2,239 |label2=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=2,164 |label3=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=2,189 |label4=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=2,121 |label5=[[2020年]](令和2年)<ref name="jinko2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032163289|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2022-02-20|language=ja}}</ref> |data5=2,046 }} === 世帯数の変遷 === [[国勢調査]]による世帯数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=世帯数推移 |data_max=1000 |label_type=年 |data_type=世帯数 |label1=[[2000年]](平成12年){{r|jinko2000}} |data1=840 |label2=[[2005年]](平成17年){{r|jinko2005}} |data2=843 |label3=[[2010年]](平成22年){{r|jinko2010}} |data3=883 |label4=[[2015年]](平成27年){{r|jinko2015}} |data4=881 |label5=[[2020年]](令和2年){{r|jinko2020}} |data5=868 }} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8115/tugakukuikiitiranhyou.html|title=通学区域一覧表|publisher=横須賀市|date=2022-03-07|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 *番・番地等 : 全域 **小学校 : [[横須賀市立久里浜小学校]] **中学校 : [[横須賀市立久里浜中学校]] == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[町丁]]!!事業所数!!従業員数 |- |若宮台 |style="text-align:right"|9事業所 |style="text-align:right"|26人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=100 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727451|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=11 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068160|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=9 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=100 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=40 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=26 }} == 施設 == {{節スタブ}} == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 239-0829{{r|postal}}(集配局 : [[久里浜郵便局]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-07-17}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} {{横須賀市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=神奈川県}} {{DEFAULTSORT:わかみやたい}} [[Category:横須賀市の町・字]] [[Category:久里浜]]
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テンション (曲)
「テンション」(Tension) はオーストラリアの歌手カイリー・ミノーグの楽曲で16枚目のスタジオ・アルバム『テンション』に収録されている。この曲はアルバムのセカンド・シングルとして2023年8月31日にBMGとミノーグの会社デアノートから発売された。「テンション」はミノーグ、アニヤ・ジョーンズ、カミーユ・パーセル、ジョン・グリーン、ダック・ブラックウェルと長年のコラボレーターであるリチャード・スタッナードによって制作された。 2023年8月30日、リード・シングル「パダム・パダム」の発売と商業的成功の後にミノーグはアルバムのタイトル・トラックを31日にセカンド・シングルとして発売する事を発表した。 リバティ・デュンウォースはNMEへの寄稿の中で曲を「ダンス・ミュージックにインスパイアされたトラックであり、曲からはミノーグは1990年代のハウス・ミュージックと2000年代のクラブ・クラシックスからのインスパイアに周波を合わせている事が分かる」と評した 。ステレオ・ガムのジェームス・レティグは曲の事を「小刻みに滑らかなダンス・ソング」と定義づけたが、前作「パダム・パダム」と比べてミームになるようなフックは無いとした。スラント・マガジンのアレクサ・キャンプは「テンション」について2007年のアルバム『X』に収録されている曲を思い出させると言い、アルバムの中でももっとも前向きなトラックだと語った。 「テンション」はARIAチャートで46位に初登場した。 イギリスではシングルのセールス・チャート、ダウンロード・チャート、フィジカル・チャートのそれぞれで1位になった。メインのシングルチャート(セールスとストリーミング数の合算)では19位に初登場し、ミノーグにとって同地での53曲目のトップ40シングルになった。 曲のミュージック・ビデオは2023年9月1日に公開され、ソフィー・ミュラーが監督した。ビデオではミノーグが未来的なコントロール・ルームにおり、曲に合わせて踊るホログラムの巨大なミノーグを操っている。ビデオの最初にネオンとブロックハウスを混ぜ合わせような場所へと歩いてゆき、ビデオの最後ではその場所から同じように出ていく。 デジタル・ダウンロード / ストリーミング CD / カセット・シングル
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「テンション」(Tension) はオーストラリアの歌手カイリー・ミノーグの楽曲で16枚目のスタジオ・アルバム『テンション』に収録されている。この曲はアルバムのセカンド・シングルとして2023年8月31日にBMGとミノーグの会社デアノートから発売された。「テンション」はミノーグ、アニヤ・ジョーンズ、カミーユ・パーセル、ジョン・グリーン、ダック・ブラックウェルと長年のコラボレーターであるリチャード・スタッナードによって制作された。
{{Infobox Single | Name = テンション | Artist = [[カイリー・ミノーグ]] | Album = [[テンション (アルバム)|テンション]] | Released = [[2023年]][[8月31日]] | Genre = *[[ダンス・ポップ]]<ref name="NME 1" /> * [[ハウス (音楽)|ハウス]]<ref name="NME 1" /> * [[エレクトロ・ポップ]]<ref>{{cite magazine |last=Kreps |first=Daniel |title=Kylie Minogue Amps Up the 'Tension,' Unveils Title Track From New Album |url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/kylie-minogue-tension-new-song-1234815700/amp/ |magazine=[[Rolling Stone]] |access-date=31 August 2023 |location=United States |issn=0035-791X |date=31 August 2023}}</ref> |Length = 03分36秒 |Label = *デアノート *[[BMG]] |Writer = *カイリー・ミノーグ *アニヤ・ジョーンズ *カミーユ・パーセル *ジョン・グリーン *リチャード・スタッナード *ダック・ブラックウェル |Producer = リチャード・スタッナード | Last single = [[パダム・パダム]]<br/>(2023年) | This single = '''テンション'''<br />(2023年) | Next single = {{External music video|{{YouTube|8-aEr4WRPYk|「Tension」}}}} }} 「'''テンション'''」(Tension) は[[オーストラリア]]の[[歌手]][[カイリー・ミノーグ]]の楽曲で16枚目のスタジオ・アルバム『[[テンション (アルバム)|テンション]]』に収録されている。この曲はアルバムのセカンド・シングルとして2023年8月31日に[[BMG]]とミノーグの会社デアノートから発売された。「テンション」はミノーグ、アニヤ・ジョーンズ、カミーユ・パーセル、ジョン・グリーン、ダック・ブラックウェルと長年のコラボレーターであるリチャード・スタッナードによって制作された。 == 背景 == 2023年8月30日、リード・シングル「パダム・パダム」の発売と商業的成功の後にミノーグはアルバムのタイトル・トラックを31日にセカンド・シングルとして発売する事を発表した<ref>{{cite magazine |last=Mendelsohn |first=Jon |title=Kylie Minogue Teases New Single Ahead of 'Tension' Release |url=https://americansongwriter.com/kylie-minogue-teases-new-single-ahead-of-tension-release/ |magazine=American Songwriter |access-date=30 August 2023 |location=United States |issn=0896-8993 |oclc=17342741 |date=30 August 2023}}</ref><ref>{{cite magazine |last=James |first=Alastair |title=Kylie teases new single 'Tension' and everyone's excited! |url=https://www.attitude.co.uk/culture/kylie-teases-new-single-tension-445144/ |magazine=Attitude |access-date=30 August 2023 |location=United Kingdom |issn=1353-1875 |date=30 August 2023}}</ref><ref name="Billboard 1">{{cite magazine |last=Daw |first=Stephen |title=Kylie Minogue Ratchets Up the ''Tension'' With New Single Announcement: 'Are You Ready?' |url=https://www.billboard.com/music/pop/kylie-minogue-new-single-tension-release-date-1235403365/ |magazine=[[Billboard (magazine)|Billboard]] |access-date=30 August 2023 |location=United States |issn=0006-2510 |date=30 August 2023}}</ref><ref>{{cite web |last=Varvaris |first=Mary |title=Kylie Minogue to Drop New Single Overnight |url=https://themusic.com.au/news/kylie-minogue-to-drop-new-single-overnight/R3D1W1pdXF8/31-08-23 |website=The Music |access-date=30 August 2023 |location=Australia |language=en |date=31 August 2023}}</ref>。 == 受容 == リバティ・デュンウォースはNMEへの寄稿の中で曲を「ダンス・ミュージックにインスパイアされたトラックであり、曲からはミノーグは1990年代のハウス・ミュージックと2000年代のクラブ・クラシックスからのインスパイアに周波を合わせている事が分かる」と評した<ref name="NME 1">{{cite web |last=Dunworth |first=Liberty |title=Kylie Minogue shares club-ready new single 'Tension' |url=https://www.nme.com/news/music/kylie-minogue-shares-club-ready-new-single-tension-listen-3491480 |website=[[NME]] |access-date=31 August 2023 |location=United Kingdom |date=31 August 2023}}</ref> 。ステレオ・ガムのジェームス・レティグは曲の事を「小刻みに滑らかなダンス・ソング」と定義づけたが、前作「パダム・パダム」と比べてミームになるようなフックは無いとした<ref>{{cite web |last=Rettig |first=James |title=Kylie Minogue Shares New Single "Tension": Listen |url=https://www.stereogum.com/2234790/kylie-minogue-tension/music/ |website=[[Stereogum]] |access-date=1 September 2023 |location=United States |language=en |oclc=1142733705 |date=31 August 2023}}</ref>。スラント・マガジンのアレクサ・キャンプは「テンション」について2007年のアルバム『X』に収録されている曲を思い出させると言い、アルバムの中でももっとも前向きなトラックだと語った<ref name="Slant 1">{{cite web |last=Camp |first=Alexa |title=Kylie Minogue Reaches for a Heady Climax on 'Tension' |url=https://www.slantmagazine.com/music/kylie-minogue-tension-single-review/ |website=Slant Magazine |access-date=31 August 2023 |location=United States |date=31 August 2023}}</ref>。 == 商業的反応 == 「テンション」は[[ARIAチャート]]で46位に初登場した<ref>{{cite web|url=https://www.aria.com.au/charts/singles-chart/2023-09-11 |title=ARIA Top 50 Singles Chart |publisher=[[Australian Recording Industry Association]] |date=11 September 2023 |access-date=9 September 2023}}</ref>。 イギリスではシングルのセールス・チャート、ダウンロード・チャート、フィジカル・チャートのそれぞれで1位になった<ref>{{cite web|url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-sales-chart/20230908/7509/ |title=Official Singles Sales Chart |access-date=9 September 2023}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.officialcharts.com/charts/singles-downloads-chart/20230908/7000/ |title=Official Singles Downloads Chart |access-date=9 September 2023}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.officialcharts.com/charts/physical-singles-chart/20230908/1/ |title=Official Physical Singles Chart |access-date=9 September 2023}}</ref>。メインのシングルチャート(セールスとストリーミング数の合算)では19位に初登場し、ミノーグにとって同地での53曲目のトップ40シングルになった<ref>{{cite web|url=https://www.officialcharts.com/chart-news/kylie-minogues-tension-becomes-uks-best-selling-single-of-the-week/ |title=Kylie Minogue's Tension becomes UK's best-selling single of the week |author=Griffiths, George |date=8 September 2023 |access-date=9 September 2023}}</ref>。 == ミュージック・ビデオ == 曲のミュージック・ビデオは2023年9月1日に公開され、ソフィー・ミュラーが監督した<ref>{{cite magazine |last=James |first=Alastair |title=Kylie releases music video for new single 'Tension' and we're living |url=https://www.attitude.co.uk/culture/kylie-tension-music-video-445365/ |website=[[Attitude (magazine)|Attitude]] |access-date=1 September 2023 |location=United Kingdom |issn=1353-1875 |date=1 September 2023}}</ref>。ビデオではミノーグが未来的なコントロール・ルームにおり、曲に合わせて踊るホログラムの巨大なミノーグを操っている。ビデオの最初にネオンとブロックハウスを混ぜ合わせような場所へと歩いてゆき、ビデオの最後ではその場所から同じように出ていく。 == フォーマットと収録曲 == '''デジタル・ダウンロード / ストリーミング''' #テンション - 3:36 #パダム・パダム – 2:46 '''CD / カセット・シングル'''<ref name="CD single"/><ref name="Casssingle"/> #テンション – 3:36 #テンション(エクステンデッド・ミックス) – 4:40 == チャート == {| class="wikitable sortable plainrowheaders" style="text-align:center" |+ ! scope="col"| チャート (2023年) ! scope="col"| 最高位 |- ! scope="row"| オーストラリア ([[ARIA Charts|ARIA]])<ref>{{cite web|url=https://www.aria.com.au/charts/singles-chart/2023-09-11|title=ARIA Top 50 Singles Chart|publisher=[[Australian Recording Industry Association]]|date=11 September 2023|access-date=8 September 2023}}</ref> | 46 |- ! scope="row"| オーストラリア インディ ([[Australian Independent Record Labels Association|AIR]])<ref>{{cite web|url=https://air.org.au/chart/100-independent-singles-16-october-2023/|title=100% Independent Singles – 16 October 2023|publisher=[[Australian Independent Record Labels Association]]|date=16 October 2023|access-date=20 October 2023}}</ref> | 1 |- ! scope="row"| カナダ デジタル・ソング・セールス (''[[Billboard (magazine)|Billboard]]'')<ref name="Canada"/> | 47 |- ! scope="row"| コロンビア (Monitor Latino)<ref name="Colombia">{{cite web|url=http://charts.monitorlatino.com/top20/Print/colombia/anglo/20231020|title=Top 20 Guatemala Anglo – Anglo – Del 20 al 26 de Octubre, 2023|publisher=[[Monitor Latino]]|language=es|access-date=20 October 2023}}</ref> | 12 |- ! scope="row"| クロアチア (HRT)<ref name="Croatia">{{cite web|url=https://www.top-lista.hr/www/airplay-radio-chart-top40-39-tjedan-25-09-2023/|title=Airplay Radio Chart Top40 – 39. tjedan (25.09.2023.)|publisher=[[Hrvatska radiotelevizija|HRT]]|access-date=14 October 2023}}</ref> | 28 |- ! scope="row"| ドイツ ダウンロード ([[GfK Entertainment charts|Official German Charts]])<ref name="Germany">{{cite web|url=http://www.mtv.de/charts/pcbqpc/downloads-charts-single|title=Offizielle Download Charts Single (04.09.2023)|publisher=[[MTV Germany]]|access-date=12 September 2023|archive-date=12 September 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20230912000216/https://www.mtv.de/info/b45gik/download-charts-single|url-status=live}}</ref> | 30 |- ! scope="row"| グアテマラ ([[Monitor Latino]])<ref name="Guatemala">{{cite web|url=http://charts.monitorlatino.com/top20/Print/guatemala/anglo/20231001|title=Top 20 Guatemala Anglo – Anglo – Del 1 al 7 de Octubre, 2023|publisher=[[Monitor Latino]]|language=es|access-date=1 October 2023}}</ref> | 15 |- {{single chart|Ireland4|34|date=20230908|rowheader=true|access-date=8 September 2023}} |- ! scope="row"| イタリア インディ (Radiomonitor)<ref name="Italy">{{cite web|url=https://radioairplay.fm/classifiche-musicali/classifiche/italia/radio-airplay-indipendenti/|title=Italy Independent - Radio Airplay Chart - Week 41.2023 - from 06/10/2023 to 12/10/2023|publisher=[[Radiomonitor]] (provided by Radioairplay.fm)|language=it|access-date=14 October 2023}}</ref> | 21 |- ! scope="row"| ラトビア (EHR)<ref name="Latvia">{{cite web|url=https://www.ehrhiti.lv/topi/ehr-top-40|title=EHR TOP 40 - 2023.10.13|publisher=[[European Hit Radio]]|access-date=13 October 2023|archive-date=13 October 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20231013172648/https://www.ehrhiti.lv/topi/ehr-top-40|url-status=live}}</ref> | 8 |- ! scope="row"| ラトビア エアプレイ (LAIPA)<ref>{{cite web|url=https://www.parmuziku.lv/muzikas-zinas/latvija/latvijas-radio-stacijas-speletakas-dziesmas-top-41-nedela-9828|title=Latvijas radio stacijās spēlētākās dziesmas TOP 41. nedēļa|language=lv|publisher=[[Latvian Music Producers Association|LAIPA]]|access-date=16 October 2023|date=16 October 2023}}</ref> | 2 |- ! 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scope="col"| 地域 ! scope="col"| 日付 ! scope="col"| フォーマット ! scope="col"| レーベル ! scope="col"| 出典 |- ! scope="row" rowspan="3"| 全世界 | 2023年8月31日 | {{hlist|デジタル・ダウンロード|ストリーミング}} | rowspan="3"| {{hlist|デアノート|[[BMG]]}} | style="text-align:center;"| <ref name="Billboard 1" /> |- | 2023年9月7日 | {{hlist|CDシングル}} | style="text-align:center;"| <ref name="CD single">{{cite web|url=https://music.kylie.com/product/121271|title=Kylie Tension CD single + Tension CD single alternative artwork|publisher=Kylie Official Store|accessdate=4 September 2023}}</ref> |- | 2023年9月12日 | {{hlist|カセット・テープ}} | style="text-align:center;"| <ref name="Casssingle">{{cite web|url=https://music.kylie.com/product/121393|title=Kylie – Tension Cassette Single|publisher=Kylie Official Store|access-date=7 September 2023|archive-date=7 September 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20230907231253/https://music.kylie.com/product/121393|url-status=live}}</ref> |- |} == 脚注 == {{Reflist|refs= <ref name="Canada">{{Cite magazine|url=https://www.billboard.com/artist/kylie-minogue/chart-history/cns/|title=Kylie Minogue Chart History (Canadian Digital Song Sales)|magazine=[[Billboard (magazine)|Billboard]]|access-date=12 September 2023}}</ref> }} {{カイリー・ミノーグ}} [[Category:2023年の楽曲]] [[Category:2023年のシングル]] [[Category:カイリー・ミノーグの楽曲]]
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中条市
もしかして のいずれかではありませんか?
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もしかして 胎内市 中条町 のいずれかではありませんか?
{{もしかして|胎内市|中条町}}{{Short pages monitor}}<!-- 以下のコメントは、[[Template:Long comment]]をsubst展開(ソースに「subst:Long comment」を二重の中括弧で括った上で追加)することによって挿入された長いコメント(<!--と-->(実際には不等号は半角です)で囲まれた部分のことです)です。このコメントは、編集画面においてのみ表示され、閲覧画面においては表示されないような仕組みになっています。このコメントは、ソフトリダイレクトなどの、特別な事情があるために、どうしても非常に短い状態にならざるを得ない記事に挿入されています。[[特別:短いページ]]には、テスト投稿やサブスタブ記事のように、メンテナンスを必要とする極めて短い記事がページサイズの小さい順に並べられています。しかし、この特別ページにソフトリダイレクトなどの、必然的にページサイズが小さくなってしまうようなページへのリンクが大量に並んでしまうと、[[特別:短いページ]]本来の役割を損なってしまう恐れがあります。この長いコメントを挿入していることで、ソフトリダイレクトのようなページが[[特別:短いページ]]に載らないようにし、[[特別:短いページ]]が使いやすく保たれています。このコメントの必要性・有用性を理解しないままコメントや{{Short pages monitor}}を除去したり、短く改変したりすることは、どうか控えてくださるようご協力をお願い申し上げます。それを理解した上で、もし除去する必要がある場合は、必ずこのコメントと一緒に、{{Short pages monitor}}も除去するようにしてください。なお、{{Short pages monitor}}は、[[Template:Long comment]]をsubst展開して使用した記事を追跡するためのテンプレートです。 --> {{DEFAULTSORT:なかしようし}}
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レスリー・ハンター
レスリー・ハンターとして知られるジョージ・レスリー・ハンター(George Leslie Hunter、1877年8月7日 - 1931年12月7日)は、スコットランド生まれの画家である。20世紀初めに「スコティッシュ・カラリスト(Scottish Colourists)」として、論じられる4人のスコットランドの画家の一人である。 スコットランドのビュート島のロスシー(Rothesay)で生まれた。5人兄弟の末子で幼い頃から絵を描く才能を示し、13歳のころ、母親の知人から絵を学んだ。15歳の時、姉と兄が、20代の若さで相次いで亡くなり、両親は、アメリカに移住することに決め、家族はカリフォルニアに移住し、サンフランシスコに住んだ。家族の農場で暮らしたが農業には興味を示さず、絵を続けた。19歳になった1896年には新聞や雑誌のイラストなどを描いて生活費を得るようになった。ブレット・ハート(Bret Harte: 1836-1902)やジャック・ロンドン(1876-1916)といった「San Francisco Bohemian Club」 に属していた文学者たちとも知り合った。カリフォルニアで発行されていた月刊誌「Overland Monthly」にも挿絵を描き、1899年にフルページの単色の挿絵を「G. Leslie Hunter」の署名で発表し、その後レスリーの名前で活動した。 1902年にメイナード・ディクソン(Maynard Dixon: 1875-1946)やアーサー・パットナム(Arthur Putnam: 1873-1930)といったカリフォルニアの画家たちと美術家グループを結成した。 1904年に、イラストレータとして稼いだ資金でパリに渡り、パリで油絵を描くようになった。1905年にサンフランシスコに戻り、最初の個展を開き、翌年も個展を開くが、これら初期の作品は1906年のサンフランシスコ地震による火災で失われた。その少し後に、ハンターはスコットランドに移り、グラスゴーに住むようになった。グラスゴーでもイラストレータとして働き、オランダ絵画の影響を受けて、黒い背景の静物画なども描いていた。 1908年に再びパリに渡り、美術収集家のガートルード・スタインとその兄のレオ・スタインがパリで開いたフォービズム作品やパブロ・ピカソの初期の作品が含まれる展示会を知人と訪れ、新しい美術に強い影響を受けた。1914年には以前から印象派の画家たちが集まって活動したフランス、パ=ド=カレー県のエタプル(Étaples)に旅し、自らのスタイルを確立し始めたが、第一次世界大戦が始まり、スコットランドに戻った。 グラスゴーの画商のアレキサンダー・リード(Alexander Reid)にハンターの作品は注目されるようになり、1915年にグラスゴーのリードの画廊で個展を開いた。1920年代になって、ハンターと共に「スコティッシュ・カラリスト」と呼ばれるようになるスコットランドの画家、フランシス・カデルや、ジョン・ダンカン・ファーガソン、サミュエル・ペプローと、関わるようになった。「スコティッシュ・カラリスト」という呼称が広く使われるようになるのはハンターの没後の1940年代になってからである。1922年からハンターは再び、パリやヴェネツィア、フィレンツェ、リヴィエラなどへの旅を始め、多くの風景画を描き、ジョン・ダンカン・ファーガソンと何度か同行した。1924年のパリの Galerie Barbazangesで開かれた「スコットランド現代画家展(Les Peintres de l'Ecosse Moderne)」という展覧会に4人の画家ははじめて一緒に出展した。 1927年から1929年の間は、南フランスのサン・ポール・ド・ヴァンスで過ごし、描いた作品を画商のリードに送り、グラスゴーとロンドンで展示会が 企画された。1929年にはニューヨークのフェラルギル画廊でも展示会が開かれ高い評価を得た。1929年に重度のうつ病に悩まされることになり、9月に妹がスコットランドへ連れ帰り、治療を受けた。病気から回復後は友人の肖像画を多く描き、水彩による風景画も描いた。 1931年に胆嚢炎の手術に伴う敗血症でグラスゴーで没した。
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レスリー・ハンターとして知られるジョージ・レスリー・ハンターは、スコットランド生まれの画家である。20世紀初めに「スコティッシュ・カラリスト」として、論じられる4人のスコットランドの画家の一人である。
{{Infobox 芸術家 | bgcolour = #6495ED | name = レスリー・ハンター<br>Leslie Hunter | image = File:GL Hunter.jpg | imagesize = 250px | caption = | birthdate = {{birth date|1877|8|7}} | location = [[ロスシー]] | deathdate = {{death date and age|1931|12|7|1877|8|7}} | deathplace = [[グラスゴー]] | field = | training = | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = }} [[File:George-Leslie-Hunter-Etaples.jpg|thumb|250px|レスリー・ハンター作 「エタプル」(c.1900)]] '''レスリー・ハンター'''として知られる'''ジョージ・レスリー・ハンター'''(George Leslie Hunter、[[1877年]][[8月7日]] - [[1931年]][[12月7日]])は、[[スコットランド]]生まれの画家である。20世紀初めに「[[スコティッシュ・カラリスト]](Scottish Colourists)」として、論じられる4人のスコットランドの画家の一人である<ref name="exploreart"> « The Scottish Colourists » , Explore Art (consulté le 8 décembre 2010).</ref><ref name="billcliffe">{Billcliffe, Roger, The Scottish colourists: Cadell, Fergusson, Hunter and Peploe, Murray, J, 1996, 76–80 p. (ISBN 0-7195-5437-3).</ref>。 == 略歴 == スコットランドの[[ビュート島]]の[[ロスシー]](Rothesay)で生まれた。5人兄弟の末子で幼い頃から絵を描く才能を示し、13歳のころ、母親の知人から絵を学んだ<ref name="smith & marriner" />。15歳の時、姉と兄が、20代の若さで相次いで亡くなり、両親は、アメリカに移住することに決め、家族は[[カリフォルニア]]に移住し、サンフランシスコに住んだ<ref name="smith & marriner">Mackenzie, Jill C, The Scottish Colourists: Hunter, Duncan R Miller Fine Arts, p. 3.</ref><ref name="richard-green">« George Leslie Hunter » [archive du 10 octobre 2010], Portland Gallery (consulté le 9 décembre 2010).</ref>。家族の農場で暮らしたが農業には興味を示さず、絵を続けた。19歳になった1896年には新聞や雑誌のイラストなどを描いて生活費を得るようになった。ブレット・ハート(Bret Harte: 1836-1902)や[[ジャック・ロンドン]](1876-1916)といった「San Francisco Bohemian Club」 に属していた文学者たちとも知り合った。カリフォルニアで発行されていた月刊誌「Overland Monthly」にも挿絵を描き、1899年にフルページの単色の挿絵を「G. Leslie Hunter」の署名で発表し、その後レスリーの名前で活動した。 1902年にメイナード・ディクソン(Maynard Dixon: 1875-1946)やアーサー・パットナム(Arthur Putnam: 1873-1930)といったカリフォルニアの画家たちと美術家グループを結成した<ref name="hagerty">{{Ouvrage |langue=en|nom1=Hagerty, Donald J|titre=The Life of Maynard Dixon|passage=62|éditeur=Gibbs Smith|année=2010|isbn=978-1-4236-0379-5}}.</ref>。 1904年に、イラストレータとして稼いだ資金で[[パリ]]に渡り、パリで油絵を描くようになった。1905年にサンフランシスコに戻り、最初の個展を開き、翌年も個展を開くが、これら初期の作品は1906年の[[サンフランシスコ地震]]による火災で失われた。その少し後に、ハンターはスコットランドに移り、[[グラスゴー]]に住むようになった。グラスゴーでもイラストレータとして働き、オランダ絵画の影響を受けて、黒い背景の静物画なども描いていた。 1908年に再びパリに渡り、美術収集家の[[ガートルード・スタイン]]とその兄のレオ・スタインがパリで開いたフォービズム作品やパブロ・ピカソの初期の作品が含まれる展示会を知人と訪れ、新しい美術に強い影響を受けた。1914年には以前から印象派の画家たちが集まって活動したフランス、[[パ=ド=カレー県]]のエタプル(Étaples)に旅し、自らのスタイルを確立し始めたが、第一次世界大戦が始まり、スコットランドに戻った。 グラスゴーの画商のアレキサンダー・リード(Alexander Reid)にハンターの作品は注目されるようになり、1915年にグラスゴーのリードの画廊で個展を開いた<ref name="scottish-gallery.co.uk"> « (George) Leslie Hunter » , sur scottish-places.info (consulté le 9 décembre 2010).</ref>。1920年代になって、ハンターと共に「スコティッシュ・カラリスト」と呼ばれるようになるスコットランドの画家、[[フランシス・カデル (画家)|フランシス・カデル]]や、ジョン・ダンカン・ファーガソン、[[サミュエル・ペプロー]]と、関わるようになった。「スコティッシュ・カラリスト」という呼称が広く使われるようになるのはハンターの没後の1940年代になってからである。1922年からハンターは再び、パリやヴェネツィア、フィレンツェ、リヴィエラなどへの旅を始め、多くの風景画を描き、ジョン・ダンカン・ファーガソンと何度か同行した。1924年のパリの Galerie Barbazangesで開かれた「スコットランド現代画家展(Les Peintres de l'Ecosse Moderne)」という展覧会に4人の画家ははじめて一緒に出展した。 1927年から1929年の間は、南フランスの[[サン・ポール・ド・ヴァンス]]で過ごし、描いた作品を画商のリードに送り、グラスゴーとロンドンで展示会が 企画された。1929年にはニューヨークのフェラルギル画廊でも展示会が開かれ高い評価を得た。1929年に重度のうつ病に悩まされることになり、9月に妹がスコットランドへ連れ帰り、治療を受けた。病気から回復後は友人の肖像画を多く描き、水彩による風景画も描いた。 1931年に胆嚢炎の手術に伴う敗血症でグラスゴーで没した。 ==作品== <gallery mode="nolines" widths="210" heights="140" style="font-size:smaller"> File:Hunter House Boats Lomond.jpg|"House Boats, Loch Lomond"(1924) File:Hunterboats.jpg|ローワ-・ラーゴのボート File:Leslie Hunter - The Beach Largo at Low Tide.jpg|干潮時の[[ラーゴ (スコットランド)|ラーゴ]]の海岸 </gallery> <gallery mode="nolines" widths="190" heights="190" style="font-size:smaller"> File:Still Life of Apples and Yellow Roses.jpg|黄色いバラとリンゴのある静物画 File:Hunter flowers.jpg|緑の花瓶の花と果物のある静物画 File:Interior figure hunter.jpg|人物のいる室内 (c.1910) File:Dr Tom J Honeyman by Leslie Hunter c.1930.jpg|肖像画 </gallery> == 参考文献 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はんたあ れすりい}} [[Category:19世紀スコットランドの画家]] [[Category:20世紀スコットランドの画家]] [[Category:アーガイル・アンド・ビュート出身の人物]] [[Category:1877年生]] [[Category:1931年没]]
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坂下定夫
坂下 定夫(さかした さだお、1950年11月24日 - )は静岡県出身のプロゴルファー。 伊東商業高校卒業で、同校の先輩には中村稔・土山録志・岩下吉久がいる。 坂下は1972年にプロ入りし、1973年の静岡オープンでプロ初優勝を飾ったが、ツアー競技として賞金ランキングに加算される前年の大会であったためシード入りを果たすことはできなかった。 1975年の総武国際オープンでは2日目に単独首位に立ち、1976年の賞金ランキング46位がベストであった。 1982年の中日クラウンズでは3日目に藤木三郎、ジョニー・ミラー(アメリカ)、鷹巣南雄と共に4バーディ、ノーボギーで急浮上してイーブンパーの3位タイで並び、最終日には藤木・呂西鈞(中華民国)と並んでの5位タイでフィニッシュ。 1991年の水戸グリーンオープンでは中村輝夫・福沢孝秋と共に2位タイに入り、1996年の静岡オープンを最後にレギュラーツアーから引退。 2001年からシニア入りし、参戦2シーズン目の2002年にはファンケルクラシックで最終日にベストスコアの5アンダー67の好スコアをマークして前日までの37位から一気に31人をごぼう抜きして4位タイに躍進、この成績が大きく物を言って賞金ランキング24位に入り、初のシード入りを果たした。
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坂下 定夫は静岡県出身のプロゴルファー。
{{ゴルファー |名前=坂下 定夫 |ラテン文字=Sadao SAKASHITA |画像= |国籍={{JPN}} |生年月日={{生年月日と年齢|1950|11|24}} |没年月日= |出身地=[[静岡県]] |身長=168cm |体重=64kg |血液型= |利き手= |経歴= |プロ転向= |優勝歴= |初優勝= |賞金王= |ベストスコア= |世界ランキング最高位= |賞金ランキング最高位= }} '''坂下 定夫'''(さかした さだお、[[1950年]][[11月24日]] - )は[[静岡県]]出身<ref name="2002坂下定夫">[https://www.pga.or.jp/data/2003/data/senshu.html 2003年シニア選手紹介]</ref>の[[プロゴルファー]]。 == 来歴 == [[静岡県立伊東商業高等学校|伊東商業高校]]卒業で<ref name="2002坂下定夫" />、同校の先輩には[[中村稔 (ゴルファー)|中村稔]]<ref>[http://www.smile-pga.jp/profile/?id=000676 PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会]</ref>・[[土山録志]]<ref>[http://www.smile-pga.jp/profile/?id=000618 土山 録志 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会]</ref>・[[岩下吉久]]<ref>[http://www.smile-pga.jp/profile/?id=000104#profile 岩下 吉久 イワシタ ヨシヒサ YOSHIHISA IWASHITA]</ref>がいる。 坂下は[[1972年]]にプロ入りし、[[1973年]]の[[静岡オープンゴルフトーナメント|静岡オープン]]でプロ初優勝を飾ったが、ツアー競技として賞金ランキングに加算される前年の大会であったためシード入りを果たすことはできなかった<ref name="2002坂下定夫" />。 [[1975年]]の[[キリンオープンゴルフ|総武国際オープン]]では2日目に単独首位に立ち<ref>[https://photobank.mainichi.co.jp/kiji_detail.php?id=P20040206dd1dd1phj264000 坂下定夫 プロゴルファー 総武国際オープンで単独トップに立つ(著作権・スポニチ)]</ref>、[[1976年]]の賞金ランキング46位がベストであった<ref name="2002坂下定夫" />。 [[1982年]]の[[中日クラウンズ]]では3日目に[[藤木三郎]]、[[ジョニー・ミラー]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、[[鷹巣南雄]]と共に4バーディ、ノーボギーで急浮上してイーブンパーの3位タイで並び、最終日には藤木・[[:en:Lu Hsi-chuen|呂西鈞]]([[中華民国]])と並んでの5位タイでフィニッシュ<ref>[https://hicbc.com/special/crowns/new/history/timeline/1980-1989/cup23/ 中日クラウンズ | CBCレビ | クラウンズの歴史]</ref>。[[かながわオープン]]<ref>[https://www.yokohama-cc.jp/history/ 歴史 | 横浜カントリークラブ]</ref>では[[豊田明夫]]・[[青木功]]・[[杉原輝雄]]・鷹巣南雄・[[栗原孝]]・[[中村通]]に次ぎ、[[矢部昭]]・[[山本善隆]]・[[尾崎直道]]・[[森憲二]]と並んでの7位タイに入った<ref>朝日新聞縮刷版p175 昭和57年7月5日朝刊19面</ref> [[1991年]]の[[水戸グリーンオープンゴルフトーナメント|水戸グリーンオープン]]では[[中村彰男 (ゴルファー)|中村輝夫]]・[[福沢孝秋]]と共に2位タイに入り<ref>[https://www.mgcc.jp/history/ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ]</ref>、[[1996年]]の静岡オープン<ref>[https://www.jgto.org/player/398/result?proama_kbn_cd=1&year=1996 坂下 定夫選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>を最後にレギュラーツアーから引退。 [[2001年]]からシニア入りし、参戦2シーズン目の[[2002年]]には[[ファンケルクラシック]]で最終日にベストスコアの5アンダー67の好スコアをマークして前日までの37位から一気に31人をごぼう抜きして4位タイに躍進、この成績が大きく物を言って賞金ランキング24位に入り、初のシード入りを果たした<ref name="2002坂下定夫" />。 == 主な優勝 == * 1973年 - 静岡オープン * 1989年 - インペリアルオープン == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://www.jgto.org/player/398/profile 坂下 定夫選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さかした さたお}} [[Category:日本の男子プロゴルファー]] [[Category:静岡県出身の人物]] [[Category:1950年生]] [[Category:存命人物]]
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霧島スマートインターチェンジ
霧島スマートインターチェンジ(きりしまスマートインターチェンジ)は、鹿児島県霧島市において事業中の東九州自動車道のスマートインターチェンジである。名称は仮称である。 本線直結型で建設され、利用可能車種はETC搭載の全車種で24時間運用、上下線ともに出入可となる予定。
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霧島スマートインターチェンジ(きりしまスマートインターチェンジ)は、鹿児島県霧島市において事業中の東九州自動車道のスマートインターチェンジである。名称は仮称である。
{{暫定記事名|date=2023年9月}} {{高速道路施設 |施設名 = 霧島スマートインターチェンジ(仮称) |色 = #CCC <!--- 供用開始しましたら、この行を削除してください。---> |画像ファイル = |画像説明 = |道路名1 = {{Ja Exp Route Sign|E78}} [[東九州自動車道]] |番号1 = |標識1 = |起点1 = [[奈留インターチェンジ|奈留IC]] |距離1 = 90.3 |前の施設1 = [[国分インターチェンジ|国分IC]] |距離A1 = 2.0 |次の施設1 = [[隼人東インターチェンジ|隼人東IC]] |距離B1 = 2.8 |一般道 = |供用開始日 = |通行台数 = |郵便番号 = |住所 = [[鹿児島県]][[霧島市]] |座標 = |備考 = }} '''霧島スマートインターチェンジ'''(きりしまスマートインターチェンジ)は、[[鹿児島県]][[霧島市]]において事業中の[[東九州自動車道]]の[[スマートインターチェンジ]]である。名称は仮称である。 == 概要 == 本線直結型で建設され<ref name="press20230908">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001630067.pdf|title=スマートインターチェンジ等の高速道路会社への事業許可および準備段階調査着手について|date=2023-09-08|accessdate=2023-09-09|publisher=国土交通省道路局|format=PDF}}</ref>、利用可能車種は[[ETC]]搭載の全車種で24時間運用<ref name="press20230908" />、上下線ともに出入可となる予定<ref name="press20230908" />。 == 道路 == * {{Ja Exp Route Sign|E78}} [[東九州自動車道]] == 沿革 == * [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月8日]] : [[国土交通省]]より新規事業化<ref name="press20230908" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city-kirishima.jp/doboku/machizukuri/doro/sic/shinkijigyouka.html|title=霧島スマートインターチェンジ(仮称)の新規事業化について|date=2023-09-08|accessdate=2023-09-09|publisher=霧島市}}</ref>。 == 隣 == ; {{Ja Exp Route Sign|E78}} [[東九州自動車道]] : (40)[[国分インターチェンジ|国分IC]] - '''霧島スマートIC'''(仮称・事業中) - (41)[[隼人東インターチェンジ|隼人東IC]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[日本のインターチェンジ一覧 か行]] == 外部リンク == * [https://www.w-nexco.co.jp/ 西日本高速道路株式会社] * [http://www.city-kirishima.jp/index.html 霧島市] {{東九州自動車道}} {{Road-stub}} {{デフォルトソート:未きりしますまあといんたあちえんし}} [[Category:日本のインターチェンジ き|りしま]] [[Category:鹿児島県のインターチェンジ|きりしま]] [[Category:スマートインターチェンジ|未きりしま]] [[Category:東九州自動車道]] [[Category:霧島市の交通]]
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エド・オリバー
エドワード・オリバー(Edward Oliver, 1997年12月12日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州マークスビル(英語版)出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのバッファロー・ビルズに所属している。ポジションはディフェンシブタックル。 ヒューストン大学では1年目の2016年シーズンから先発を務め、60タックル、5サックを記録。カレッジで最も優れたディフェンシブラインマンに贈られるビル・ウィリス賞を史上初めて1年生で受賞した。 2017年シーズンは73タックル、5.5サックを記録してオールアメリカンファーストチームに選出され、アウトランド賞を受賞した。 2018年シーズンは54タックル、3サックを記録し、3年連続でオールアメリカンファーストチームに選出された。シーズン終了後、2019年のNFLドラフトにアーリーエントリーした。 2019年のNFLドラフトでは一時全体1位指名を予想されていたが、最終的にはやや評価を落として全体9位でバッファロー・ビルズから指名され、その後4年総額1,970万ドルのルーキー契約を結んだ。 第7週のマイアミ・ドルフィンズ戦でライアン・フィッツパトリックからキャリア初となるサックを記録した。第13週のダラス・カウボーイズ戦ではダック・プレスコットから2サックを記録した。このシーズンは43タックル、5サックを記録した。 第2週のドルフィンズ戦でフィッツパトリックからサックを記録した。このシーズンは33タックル、3サックを記録した。 このシーズンは41タックル、4サックを記録した。 開幕前にビルズから5年目の契約オプションを行使された。第12週のデトロイト・ライオンズ戦では2つのロスタックル、1つのフォースファンブルを記録して勝利に貢献し、AFCの週間最優秀守備選手に選出された。 2023年7月3日にビルズと4年総額6,800万ドルの契約延長に合意した。 馬術が趣味。 2020年3月16日に飲酒運転および不法な武器所持により逮捕され、翌日に釈放されるまで拘留された。証拠不十分だったため7月に告訴が取り下げられた。後に本人は不当な逮捕だったと主張しており、アルコールチェッカーの数値は0%だったと述べている。
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エドワード・オリバーは、アメリカ合衆国ルイジアナ州マークスビル出身のプロアメリカンフットボール選手。NFLのバッファロー・ビルズに所属している。ポジションはディフェンシブタックル。
{{Infobox NFLplayer |選手名 = エド・オリバー |欧文表記 = Ed Oliver |写真ファイル名 = Ed Oliver 2021 (cropped).jpg |写真サイズ = 250 |キャプション = [[バッファロー・ビルズ]]でのオリバー<br>(2021年) |現所属チーム = バッファロー・ビルズ |背番号 = 91 |役職 = |ポジション = [[ディフェンシブタックル]] |他のポジション = |生年月日 = {{生年月日と年齢|1997|12|12}} |没年月日 = <!--{{死亡年月日と没年齢||||||}}--> |出身国 = USA |出身地 = [[ルイジアナ州]]{{仮リンク|マークスビル (ルイジアナ州)|en|Marksville, Louisiana|label=マークスビル}} |身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|1}} |体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|288}} |高校 = ウェストフィールド高等学校 |大学 = [[ヒューストン・クーガーズ|ヒューストン大学]] |ドラフト年 = 2019 |巡目 = 1 |全体 = 9 |所属年1 = [[2019年のNFL|2019]]- |所属1 = [[バッファロー・ビルズ]] |その他受賞 = * NFLオールルーキーチーム (2019) * 2× コンセンサスオールアメリカン (2017, 2018) * 3× オールアメリカンファーストチーム (2016-2018) * [[アメリカン・アスレチック・カンファレンス|AAC]]最優秀守備選手賞 (2017) * AAC新人王 (2016) * アウトランド賞 (2017) * ビル・ウィリス賞 (2016) * 3× オールAACファーストチーム (2016-2018) * AACオールフレッシュマンチーム (2016) |年度 = 2022年 |成績名1 = [[タックル (フットボール)|タックル]] |成績値1 = 151 |成績名2 = [[QBサック|サック]] |成績値2 = 14.5 |成績名3 = フォースファンブル |成績値3 = 4 |成績名4 = ファンブルリカバー |成績値4 = 1 |成績名5 = [[インターセプト (アメリカンフットボール)|インターセプト]] |成績値5 = |成績名6 = パスディフレクション |成績値6 = 11 |NFL殿堂 = |カレッジフットボール殿堂 = |nfl = Ed-Oliver |pfr = OlivEd00 }} '''エドワード・オリバー'''('''Edward Oliver''', [[1997年]][[12月12日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ルイジアナ州]]{{仮リンク|マークスビル (ルイジアナ州)|en|Marksville, Louisiana|label=マークスビル}}出身のプロ[[アメリカンフットボール]]選手。[[NFL]]の[[バッファロー・ビルズ]]に所属している。ポジションは[[ディフェンシブタックル]]。 == 経歴 == === カレッジ === [[ファイル:Ed Oliver (30234801636) (cropped).jpg|thumb|250px|[[ヒューストン・クーガーズ|ヒューストン大学]]でのオリバー<br>(2016年)]] [[ヒューストン・クーガーズ|ヒューストン大学]]では1年目の2016年シーズンから先発を務め、60タックル、5サックを記録。カレッジで最も優れたディフェンシブラインマンに贈られるビル・ウィリス賞を史上初めて1年生で受賞した<ref>{{Cite web |title=UH DT Ed Oliver named 2016 Bill Willis Award winner |url=https://www.click2houston.com/sports/2016/12/06/uh-dt-ed-oliver-named-2016-bill-willis-award-winner/ |website=KPRC |date=2016-12-06 |access-date=2023-09-09 |language=en |first=Randy |last=McIlvoy}}</ref>。 2017年シーズンは73タックル、5.5サックを記録してオールアメリカンファーストチームに選出され、アウトランド賞を受賞した。 2018年シーズンは54タックル、3サックを記録し、3年連続でオールアメリカンファーストチームに選出された。シーズン終了後、[[2019年のNFLドラフト]]に[[アーリーエントリー]]した。 ==== 個人成績 ==== {|class="wikitable" style="text-align:center;" |! colspan="18" style="{{CollegePrimaryStyle|Houston Cougars}};" |{{center|'''ヒューストン'''}} |- ! rowspan="2"| シーズン ! rowspan="2"| チーム ! rowspan="2"| ポジション ! rowspan="2"| 試合 ! colspan="5"| タックル ! colspan="5"| インターセプト ! colspan="4"| ファンブル |- ! Solo !! Ast !! Total !! Loss !! Sack !! Int !! Yards !! Avg !! TD !! PD !! FR !! Yards !! TD !! FF |- ! 2016 !! rowspan=3|[[ヒューストン・クーガーズ|ヒューストン]] !! rowspan=3|[[ディフェンシブタックル|DT]] | 12 || 46 || 19 || 65 || 22.0 || 5.0 || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 6 || 0 || 0 || 0 || 2 |- ! 2017 | 12 || 47 || 26 || 73 || 16.5 || 5.5 || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 3 || 1 || 0 || 0 || 2 |- ! 2018 | 8 || 29 || 25 || 54 || 14.5 || 3.0 || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 2 || 0 || 0 || 0 || 1 |} === バッファロー・ビルズ === {{NFL predraft | height ft = 6 | height in = 1+7/8 | weight = 287 | dash = | ten split = | twenty split = | shuttle = | cone drill = | vertical = 36 | broad ft = 10 | broad in = 0 | bench = | arm span = 31+3/4 | hand span = 9+1/4 | wonderlic = 20 | note = All values from NFL Combine<ref>{{cite web|title=Edward Oliver Combine Profile|url=https://www.nfl.com/prospects/ed-oliver?id=32194f4c-4929-0385-df1c-0f8e40559b5a|work=NFL.com|access-date=2023-09-09}}</ref> }} [[2019年のNFLドラフト]]では一時全体1位指名を予想されていたが、最終的にはやや評価を落として全体9位で[[バッファロー・ビルズ]]から指名され、その後4年総額1,970万ドルのルーキー契約を結んだ<ref>{{Cite web |title=Bills use No. 9 pick on former Houston DT Ed Oliver |url=https://www.nfl.com/news/bills-use-no-9-pick-on-former-houston-dt-ed-oliver-0ap3000001028056 |website=NFL.com |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web |title=Ed Oliver Agrees to 4-Year Rookie Contract with Bills |url=https://bleacherreport.com/articles/2833809-ed-oliver-agrees-to-4-year-rookie-contract-with-bills |website=Bleacher Report |access-date=2023-09-09 |language=en |first=Joseph |last=Zucker}}</ref>。 ==== 2019年シーズン ==== 第7週の[[マイアミ・ドルフィンズ]]戦で[[ライアン・フィッツパトリック]]からキャリア初となるサックを記録した<ref>{{Cite web |title=Dolphins 21-31 Bills (Oct 20, 2019) Game Recap |url=https://www.espn.com/nfl/recap/_/gameId/401127942 |website=ESPN |access-date=2023-09-09 |language=en}}</ref>。第13週の[[ダラス・カウボーイズ]]戦では[[ダック・プレスコット]]から2サックを記録した<ref>{{Cite web |title=Bills rookie Ed Oliver enjoys breakout performance in victory over Cowboys |url=https://buffalonews.com/sports/bills/bills-rookie-ed-oliver-enjoys-breakout-performance-in-victory-over-cowboys/article_b99b84ab-c844-5d2f-8b5d-27cbda1bf11d.html |website=Buffalo News |date=2019-11-29 |access-date=2023-09-09 |language=en |first=Jason |last=Wolf}}</ref>。このシーズンは43タックル、5サックを記録した。 ==== 2020年シーズン ==== 第2週のドルフィンズ戦でフィッツパトリックからサックを記録した<ref>{{Cite web |title=Bills 31-28 Dolphins (Sep 20, 2020) Game Recap |url=https://www.espn.com/nfl/recap/_/gameId/401220122 |website=ESPN |access-date=2023-09-09 |language=en}}</ref>。このシーズンは33タックル、3サックを記録した。 ==== 2021年シーズン ==== このシーズンは41タックル、4サックを記録した。 ==== 2022年シーズン ==== 開幕前にビルズから5年目の契約オプションを行使された<ref>{{Cite web |title=Bills exercise DT Ed Oliver's fifth-year option |url=https://www.buffalobills.com/news/bills-exercise-dt-ed-oliver-s-fifth-year-option |website=www.buffalobills.com |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref>。第12週の[[デトロイト・ライオンズ]]戦では2つのロスタックル、1つのフォースファンブルを記録して勝利に貢献し、[[アメリカン・フットボール・カンファレンス|AFC]]の週間最優秀守備選手に選出された<ref>{{Cite web |title=Eagles QB Jalen Hurts, Raiders RB Josh Jacobs lead Players of the Week |url=https://www.nfl.com/news/players-of-the-week-2022-week-12-jalen-hurts-josh-jacobs |website=NFL.com |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref>。 ==== 2023年シーズン ==== 2023年7月3日にビルズと4年総額6,800万ドルの契約延長に合意した<ref>{{Cite web|和書|title=ビルズとDTエド・オリバーが4年95億で契約延長に合意 |url=https://nfljapan.com/headlines/89271 |website=NFL日本公式サイト |access-date=2023-09-09 |language=ja |first=NFL |last=JAPAN.COM}}</ref>。 == 人物 == [[馬術]]が趣味<ref>{{Cite web |title=Ed Oliver on how his horse Oreo helped him take on 300-pound linemen |url=https://ftw.usatoday.com/2019/03/ed-oliver-nfl-combine-horse-bull |website=For The Win |date=2019-03-02 |access-date=2023-09-09 |language=en-US}}</ref>。 2020年3月16日に[[飲酒運転]]および不法な武器所持により逮捕され、翌日に釈放されるまで拘留された<ref>{{Cite web |title=Bills DT Oliver arrested on DWI, gun charges |url=https://www.espn.com/nfl/story/_/id/29185936/bills-lineman-ed-oliver-arrested-dwi-gun-charges |website=ESPN.com |date=2020-05-17 |access-date=2023-09-09 |language=en}}</ref>。証拠不十分だったため7月に告訴が取り下げられた<ref>{{Cite web |title=Charges dismissed against Bills' Ed Oliver after DWI arrest in May due to lack of evidence, per report |url=https://www.cbssports.com/nfl/news/charges-dismissed-against-bills-ed-oliver-after-dwi-arrest-in-may-due-to-lack-of-evidence-per-report/ |website=CBSSports.com |date=2020-07-22 |access-date=2023-09-09 |language=en}}</ref>。後に本人は不当な逮捕だったと主張しており、[[アルコールチェッカー]]の数値は0%だったと述べている<ref>{{Cite web |title=Bills' Oliver feels violated by unwarranted arrest |url=https://www.espn.com/nfl/story/_/id/29633175/bills-ed-oliver-says-feels-violated-unwarranted-arrest |website=ESPN.com |date=2020-08-10 |access-date=2023-09-09 |language=en}}</ref>。 == 詳細情報 == === 年度別成績 === {| class="wikitable" |- ! colspan="2"| 呼称説明 |- | style="background:#cfecec; width:3em;"| | リーグ最多 |- | style="width:3em;"| '''太字''' | キャリアハイ |} ==== レギュラーシーズン ==== {| class="wikitable" style="text-align: center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! rowspan="2"| チーム ! colspan="2"| 試合 ! colspan="7"| タックル ! colspan="6"| インターセプト ! colspan="5"| ファンブル |- ! {{abbr|GP|Games played}} !! {{abbr|GS|Games started}} !! {{abbr|Cmb|Total tackles}} !! {{abbr|Solo|Solo tackles}} !! {{abbr|Ast|Assists on tackles}} !! {{abbr|TFL|Tackles for loss}} !! {{abbr|QBH|Quarterback hits}} !! {{abbr|Sck|Sacks}} !! {{abbr|Sfty|Safety touchdowns}} !! {{abbr|PD|Passes defended}} !! {{abbr|Int|Defensive interceptions}} !! {{abbr|Yds|Defensive interceptions yardage return}} !! {{abbr|Y/I|Yards per defensive interception}} !! {{abbr|Lng|Longest defensive interception return}} !! {{abbr|TD|Defensive interceptions returned for touchdown}} !! {{abbr|FF|Forced fumbles}} !! {{abbr|FR|Fumbles recovered}} !! {{abbr|Yds|Fumble recoveries yardage return}} !! {{abbr|Y/R|Yards per fumble recoveries}} !! 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[[2019年のNFL|2019]] !!rowspan=4| [[バッファロー・ビルズ|BUF]] | 16 || 7 || '''43''' || 24 || '''19''' || 5 || 8 || '''5.0''' || 0 || 2 || 0 || 0 || — || 0 || 0 || '''1''' || 0 || 0 || — || 0 |- ! [[2020年のNFL|2020]] | 16 || 16 || 33 || 23 || 10 || 6 || 6 || 3.0 || 0 || '''3''' || 0 || 0 || — || 0 || 0 || '''1''' || 0 || 0 || — || 0 |- ! [[2021年のNFL|2021]] | '''17''' || '''17''' || 41 || '''29''' || 12 || '''10''' || '''14''' || 4.0 || 0 || '''3''' || 0 || 0 || — || 0 || 0 || '''1''' || 0 || 0 || — || 0 |- ! [[2022年のNFL|2022]] | 13 || 13 || 34 || 20 || 14 || 9 || '''14''' || 2.5 || style="background:#cfecec;"|'''1''' || '''3''' || 0 || 0 || — || 0 || 0 || '''1''' || '''1''' || 0 || '''0.0''' || 0 |- ! colspan="2"| [https://www.pro-football-reference.com/players/O/OlivEd00.htm 通算] !! 62 !! 53 !! 151 !! 96 !! 55 !! 30 !! 42 !! 14.5 !! 1 !! 11 !! 0 !! 0 !! — !! 0 !! 0 !! 4 !! 1 !! 0 !! 0.0 !! 0 |} ==== ポストシーズン ==== {| class="wikitable" style="text-align: center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! rowspan="2"| チーム ! colspan="2"| 試合 ! colspan="7"| タックル ! colspan="6"| インターセプト ! colspan="5"| ファンブル |- ! {{abbr|GP|Games played}} !! {{abbr|GS|Games started}} !! {{abbr|Cmb|Total tackles}} !! {{abbr|Solo|Solo tackles}} !! {{abbr|Ast|Assists on tackles}} !! {{abbr|TFL|Tackles for loss}} !! {{abbr|QBH|Quarterback hits}} !! {{abbr|Sck|Sacks}} !! {{abbr|Sfty|Safety touchdowns}} !! {{abbr|PD|Passes defended}} !! {{abbr|Int|Defensive interceptions}} !! {{abbr|Yds|Defensive interceptions yardage return}} !! {{abbr|Y/I|Yards per defensive interception}} !! {{abbr|Lng|Longest defensive interception return}} !! {{abbr|TD|Defensive interceptions returned for touchdown}} !! {{abbr|FF|Forced fumbles}} !! {{abbr|FR|Fumbles recovered}} !! {{abbr|Yds|Fumble recoveries yardage return}} !! {{abbr|Y/R|Yards per fumble recoveries}} !! {{abbr|TD|Fumble recoveries returned for touchdown}} |- ! 2019 !! rowspan=4|BUF | 1 || 0 || 4 || 0 || '''4''' || 0 || 0 || 0.0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 |- ! 2020 | '''3''' || '''3''' || '''8''' || '''5''' || 3 || 1 || 0 || 0.0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 |- ! 2021 | 2 || 2 || 5 || 4 || 1 || '''2''' || 2 || '''1.0''' || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 |- ! 2022 | 2 || 1 || 4 || 2 || 2 || 1 || '''3''' || '''1.0''' || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || — || 0 |- ! colspan="2"| [https://www.pro-football-reference.com/players/O/OlivEd00.htm 通算] !! 8 !! 6 !! 21 !! 11 !! 10 !! 4 !! 5 !! 2.0 !! 0 !! 0 !! 0 !! 0 !! — !! 0 !! 0 !! 0 !! 0 !! 0 !! — !! 0 |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commons category|Ed Oliver}} * {{Football stats}} [https://www.sports-reference.com/cfb/players/ed-oliver-2.html Sports Reference (college)] *{{Twitter}} *[http://www.uhcougars.com/sports/m-footbl/mtt/ed_oliver_1016842.html Houston Cougars bio] *[https://www.buffalobills.com/team/players-roster/ed-oliver/ Buffalo Bills bio] {{バッファロー・ビルズ ロースター|state=collapsed}} {{2019年のNFLドラフト}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おりはあ えと}} [[Category:NFL選手]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アメリカンフットボールのディフェンシブラインマン]] [[Category:ヒューストン大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:バッファロー・ビルズの1巡目指名選手|2019]] [[Category:バッファロー・ビルズの選手]] [[Category:ルイジアナ州の人物]] [[Category:1997年生]] [[Category:存命人物]]
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狩小川村
狩小川村(かこがわ そん / むら)は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐北区の一部にあたる。 白木山の南方、三篠川の流域に位置していた。 合併村名の各一文字を組み合わせたもの。
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狩小川村は、広島県安佐郡にあった村。現在の広島市安佐北区の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = [[深川村]]、'''狩小川村'''、[[落合村 (広島県)|落合村]]、[[口田村]] → [[高陽町]] | 現在の自治体 = [[広島市]] | よみがな = かこがわそん | 自治体名 = 狩小川村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 広島県 | 郡 = [[安佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 3143 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[三入村]]、深川村、[[福木村]]、[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[瀬野村]]、[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]][[西志和村]]、[[高田郡]][[三田村 (広島県)|三田村]] | 所在地 = 安佐郡狩小川村大字狩留家 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''狩小川村'''(かこがわ そん{{R|変遷}} / むら{{R|角川}})は、[[広島県]][[安佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[広島市]][[安佐北区]]の一部にあたる。 == 地理 == [[白木山 (広島県)|白木山]]の南方、三篠川の流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、[[高宮郡]]狩留家村、小河原村、上深川村が合併して村制施行し、'''狩小川村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』180頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 34 広島県』228-229頁。</ref>。旧村名を継承した狩留家、小河原、上深川の3大字を編成{{R|角川}}。 *[[1898年]](明治31年)10月1日、郡の統合により[[安佐郡]]に所属{{R|変遷}}{{R|角川}}。 *[[1955年]](昭和30年)3月31日、安佐郡深川村、落合村、口田村と合併し、町制施行し'''[[高陽町]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 === 地名の由来 === 合併村名の各一文字を組み合わせたもの{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、養蚕{{R|角川}} == 交通 == === 鉄道 === *1913年(大正4年)芸備鉄道(現[[芸備線]])広島~志和地間開通、[[狩留家駅]]開設{{R|角川}}。1948年(昭和23年)[[上深川駅]]開設{{R|角川}}。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[広島県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:かこかわそん}} [[Category:高宮郡]] [[Category:安佐郡]] [[Category:広島市域の廃止市町村]] [[Category:安佐北区の歴史]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]] [[Category:合成地名]]
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朝日交通
朝日交通(あさひこうつう) 日本の交通に関する企業の商号。
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朝日交通(あさひこうつう) 日本の交通に関する企業の商号。
'''朝日交通'''(あさひこうつう) [[日本]]の[[交通]]に関する[[企業]]の[[商号]]。 == 株式会社 == * [[朝日交通 (呉市)|朝日交通株式会社]] - [[広島県]][[呉市]]に本社を置く企業(法人番号:3240001025473)。タクシー・バス事業者<ref>[https://asahi-kotsu.co.jp/about 会社概要] 朝日交通株式会社、2023年9月9日閲覧。</ref>。 * 朝日交通株式会社 - [[北海道]][[札幌市]]西区に本社を置く企業(法人番号:1430001000616) * 朝日交通株式会社 - [[東京都]][[江戸川区]]に本社を置く企業(法人番号:9011701008710) * 朝日交通株式会社 - [[新潟県]][[新発田市]]に本社を置く企業(法人番号:2110001012436) * 朝日交通株式会社 - [[長野県]][[飯田市]]に本社を置く企業(法人番号:6100001022184) * 朝日交通株式会社 - [[大阪府]][[大阪市]]城東区に本社を置く企業(法人番号:5140001047410) == 有限会社 == * 朝日交通有限会社 - [[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]に本社を置く企業(法人番号:3021002010131) * [[朝日交通 (真岡市)|有限会社朝日交通]] - [[栃木県]][[真岡市]]に本社を置く企業(法人番号:9060002016955) * [[朝日交通 (栃木市)|有限会社朝日交通]] - かつて栃木県[[栃木市]]に本社を置いていた企業(法人番号:6060002035116) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{aimai}} {{DEFAULTSORT:あさひこうつう}} [[Category:同名の企業]]
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グリーンハイツ
グリーンハイツ(Green heights)は、直訳すると「緑の高台」。日本においては、新興住宅地や集合住宅の名称に用いられている。
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グリーンハイツは、直訳すると「緑の高台」。日本においては、新興住宅地や集合住宅の名称に用いられている。 グリーンハイツ (横須賀市) - 神奈川県横須賀市 グリーンハイツ (福井市) - 福井県福井市 グリーンハイツ (土佐清水市) - 高知県土佐清水市 船橋グリーンハイツ - 千葉県船橋市 みはたグリーンハイツ - 三重県伊賀市 下山グリーンハイツ - 京都府船井郡京丹波町 多田グリーンハイツ - 兵庫県川西市
'''グリーンハイツ'''(Green heights)は、直訳すると「緑の高台」。日本においては、新興住宅地や集合住宅の名称に用いられている。 ; 町・字 * [[グリーンハイツ (横須賀市)]] - 神奈川県横須賀市 * [[グリーンハイツ (福井市)]] - 福井県福井市 * [[グリーンハイツ (土佐清水市)]] - 高知県土佐清水市 ; その他の新興住宅地 * [[船橋グリーンハイツ]] - 千葉県船橋市 * みはたグリーンハイツ - 三重県伊賀市 * 下山グリーンハイツ - 京都府船井郡京丹波町 * [[多田グリーンハイツ]] - 兵庫県川西市 == 関連項目 == * {{Prefix}} * {{intitle}} * [[緑台 (曖昧さ回避)]] * [[みどり台 (曖昧さ回避)]] * [[緑丘 (曖昧さ回避)]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:くりいんはいつ}} [[Category:同名の地名]]
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Burning Hammer
『Burning Hammer』(バーニング・ハンマー)はSEX MACHINEGUNSのベスト・アルバム。 収録曲が全てライブ・バージョンで構成されたベスト・アルバムである。 初回仕様盤と通常盤の2形態が用意され、初回限定盤には「みかんのうた」スタジオ録音バージョンなどを収録した特典CDが付属している。
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『Burning Hammer』(バーニング・ハンマー)はSEX MACHINEGUNSのベスト・アルバム。
{{Infobox Album | Name = Burning Hammer | Type = [[ベスト・アルバム]] | Artist = [[SEX MACHINEGUNS]] | Released = [[2001年]][[10月31日]] | Recorded = | Genre = [[ヘヴィメタル]]<br />[[スピードメタル]] | Length = 78分47秒 | Label = [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]] / EXPRESS | Producer = | Reviews = | Chart position = *7位<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/27822/products/460459/1/|title=Burning Hammer|work=ORICON MUSIC|accessdate=2023-09-09}}</ref>([[オリコンチャート|オリコン]]) | Certification = | Last album = [[Barbe-Q★マイケル]]<br />(2001年) | This album = '''Burning Hammer'''<br />(2001年) | Next album = [[IGNITION (SEX MACHINEGUNSのアルバム)|IGNITION]]<br />([[2002年]]) | Misc = }} 『'''Burning Hammer'''』(バーニング・ハンマー)は[[SEX MACHINEGUNS]]のベスト・アルバム<ref name="/">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/burning-hammer/3201081057|title=SEX MACHINEGUNS / Burning Hammer [再発]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="限定">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/burning-hammer/3201081056|title=SEX MACHINEGUNS / Burning Hammer [2CD] [限定]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="バーニングハンマー">{{Cite web|和書|url=https://www.hmv.co.jp/artist_SEX-MACHINEGUNS_000000000092622/item_バーニングハンマー_896251|title=バーニングハンマー|work=HMV&BOOKS online|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/718961/バーニングハンマー|title=バーニングハンマー|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/goods/detail/242328|title=バーニングハンマー|work=[[Billboard JAPAN]]|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 概要 == 収録曲が全てライブ・バージョンで構成されたベスト・アルバムである<ref name="/"/><ref name="限定"/><ref name="バーニングハンマー"/>。 初回仕様盤と通常盤の2形態が用意され、初回限定盤には「[[みかんのうた]]」スタジオ録音バージョンなどを収録した特典CDが付属している<ref name="限定"/><ref name="バーニングハンマー"/>。 == 収録曲 == === DISC 1 CD(初回限定盤・通常盤共通) === #'''Introduction''' #'''みかんのうた''' #'''TEKKEN II''' #'''MC'''<ref name="収録" group="注">初回限定盤のみ収録。</ref> #'''JAPAN''' #'''High Speed SAMURAI''' #'''エステティシャン''' # '''Iron Cross''' #'''Kiss''' #'''Scorpion Death Rock''' #'''MC'''<ref name="収録" group="注"/> #'''ファミレスボンバー''' #'''桜島''' #'''BURN ~愛の炎を燃やせ~''' #'''食べたい なめたい 危険地帯''' #'''ONIGUNSOW''' #'''German Power''' === DISC 2 CD(初回限定盤のみ) === #'''SEX MACHINEGUN''' #'''みかんのうた (Studio Live)''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はあにんくはんまあ}} [[Category:SEX MACHINEGUNSのアルバム]] [[Category:2001年のベスト・アルバム]] [[Category:エキスプレスのアルバム]]
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津久井 (横須賀市)
津久井(つくい)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は津久井一丁目から津久井五丁目。住居表示実施済区域。 横須賀市の南部にある北下浦地区に属し、北西に須軽谷、北に武、東に長沢とグリーンハイツ、西に三浦市と接している。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、津久井1-20-26の地点で10万3000円/mとなっている。 2023年(令和5年)4月1日現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。 国勢調査による人口の推移。 国勢調査による世帯数の推移。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。 経済センサスによる事業所数の推移。 経済センサスによる従業員数の推移。
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津久井(つくい)は、神奈川県横須賀市の地名。現行行政地名は津久井一丁目から津久井五丁目。住居表示実施済区域。
{{Pathnav|日本|神奈川県|横須賀市|frame=1}} {{Infobox 日本の町・字 |名称 = 津久井 |種類 = [[町丁]] |画像 = Keikyu Tsukuihama sta 005.jpg |画像サイズ = 270px |画像説明 = 津久井浜駅(2018年1月) <!--- | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 12 | 緯度秒 = 20.98 | 経度度 = 139 | 経度分 = 39 | 経度秒 = 51.83 ---><!--- 座標はwikidataから呼び出してるのでコメントアウトしてますが、万が一に備えて、残してください ---> |座標位置備考=<!--座標位置の情報--> |座標右上表示 = no |地図ズーム = 12 |都道府県 = 神奈川県 |市町村 = [[File:Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg|border|25px]] [[横須賀市]] |地区 = [[北下浦|北下浦地区]] |人口 = 6088 |世帯数 = 2982 |人口時点 = [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在<ref name="population">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/documents/j2304b.xlsx|format=XLSX|title=オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)|publisher=横須賀市|language=日本語|quote=[https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/shisei/opendata/index.html (ファイル元のページ)]|date=2023-04-27|accessdate=2023-08-28}}([[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス|CC-BY-4.0]])</ref> |面積 = 3.15 |面積時点 = {{r|population}} |標高 = <!--- 標高 ---> |標高備考 = <!--- 標高(<ref>) ---> |設置日 = <!--- 設置日 ---> |郵便番号 = 239-0843<ref name="postal">{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2390843|title=津久井の郵便番号|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-08-29}}</ref> |市外局番 = 046([[日本の市外局番#番号区画|横須賀MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2019-06-24}}</ref> |ナンバープレート = [[神奈川運輸支局|横浜]] |備考 = }} '''津久井'''(つくい)は、[[神奈川県]][[横須賀市]]の地名。現行行政地名は津久井一丁目から津久井五丁目。[[住居表示]]実施済区域<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2740/jhyouji/tyoumei.html|title=横須賀市の町名一覧|publisher=横須賀市|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 == 地理 == 横須賀市の南部にある北下浦地区に属し、北西に[[須軽谷]]、北に[[武 (横須賀市)|武]]、東に[[長沢 (横須賀市)|長沢]]と[[グリーンハイツ (横須賀市)|グリーンハイツ]]、西に[[三浦市]]と接している。 === 河川 === *津久井川 === 地価 === 住宅地の地価は、[[2023年]]([[令和]]5年)[[1月1日]]の[[公示地価]]によれば、津久井1-20-26の地点で10万3000円/m{{sup|2}}となっている<ref name="chika">{{Cite web|和書|url=https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=2&TYP=0|title=国土交通省地価公示・都道府県地価調査|publisher=国土交通省|language=日本語|accessdate=2023-08-09}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[4月1日]]現在(横須賀市発表)の世帯数と人口は以下の通りである{{r|population}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |津久井一丁目 |style="text-align:right"|783世帯 |style="text-align:right"|1,628人 |- |津久井二丁目 |style="text-align:right"|1,322世帯 |style="text-align:right"|2,533人 |- |津久井三丁目 |style="text-align:right"|544世帯 |style="text-align:right"|1,166人 |- |津久井四丁目 |style="text-align:right"|174世帯 |style="text-align:right"|342人 |- |津久井五丁目 |style="text-align:right"|159世帯 |style="text-align:right"|419人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|2,982世帯 |style="text-align:right"|6,088人 |} === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=人口推移 |data_max=9000 |label_type=年 |data_type=人口 |label1=[[1995年]](平成7年)<ref name="jinko1995">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000023630093|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data1=7,741 |label2=[[2000年]](平成12年)<ref name="jinko2000">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025137597|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data2=6,757 |label3=[[2005年]](平成17年)<ref name="jinko2005">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000025513790|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data3=6,652 |label4=[[2010年]](平成22年)<ref name="jinko2010">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000012671702|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data4=6,766 |label5=[[2015年]](平成27年)<ref name="jinko2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031522046|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-08-16|language=ja}}</ref> |data5=6,596 |label6=[[2020年]](令和2年)<ref name="jinko2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000032163289|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2022-02-20|language=ja}}</ref> |data6=6,111 }} === 世帯数の変遷 === [[国勢調査]]による世帯数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=世帯数推移 |data_max=4000 |label_type=年 |data_type=世帯数 |label1=[[1995年]](平成7年){{r|jinko1995}} |data1=2,572 |label2=[[2000年]](平成12年){{r|jinko2000}} |data2=2,490 |label3=[[2005年]](平成17年){{r|jinko2005}} |data3=2,561 |label4=[[2010年]](平成22年){{r|jinko2010}} |data4=2,732 |label5=[[2015年]](平成27年){{r|jinko2015}} |data5=2,788 |label6=[[2020年]](令和2年){{r|jinko2020}} |data6=2,658 }} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)<ref name="school">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8115/tugakukuikiitiranhyou.html|title=通学区域一覧表|publisher=横須賀市|date=2022-03-07|accessdate=2023-08-29}}</ref>。 *丁目、番・番地等 : **小学校 : [[横須賀市立津久井小学校]] **中学校 : [[横須賀市立北下浦中学校]] == 事業所 == [[2021年]](令和3年)現在の[[経済センサス]]調査による事業所数と従業員数は以下の通りである{{r|keizai2021}}。 {| class="wikitable" ![[丁目]]!!事業所数!!従業員数 |- |津久井一丁目 |style="text-align:right"|53事業所 |style="text-align:right"|528人 |- |津久井二丁目 |style="text-align:right"|53事業所 |style="text-align:right"|269人 |- |津久井三丁目 |style="text-align:right"|13事業所 |style="text-align:right"|73人 |- |津久井四丁目 |style="text-align:right"|8事業所 |style="text-align:right"|173人 |- |津久井五丁目 |style="text-align:right"|11事業所 |style="text-align:right"|97人 |- |style="text-align:center"|計 |style="text-align:right"|138事業所 |style="text-align:right"|1,140人 |} === 事業者数の変遷 === 経済センサスによる事業所数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=事業者数推移 |data_max=1000 |label_type=年 |data_type=事業者数 |label1=[[2016年]](平成28年)<ref name="keizai2016">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000031727451|title=経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果|publisher=総務省統計局|date=2018-06-28|accessdate=2019-10-23|language=ja}}</ref> |data1=143 |label2=[[2021年]](令和3年)<ref name="keizai2021">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?stat_infid=000040068160|title=経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)|publisher=総務省統計局|date=2023-06-27|accessdate=2023-09-15|language=ja}}</ref> |data2=138 }} === 従業員数の変遷 === 経済センサスによる従業員数の推移。<!--- data_maxがdataより超えたらdata_maxも変更してください。---> {{Bar chart |title=従業員数推移 |data_max=2000 |label_type=年 |data_type=従業員数 |label1=[[2016年]](平成28年){{r|keizai2016}} |data1=819 |label2=[[2021年]](令和3年){{r|keizai2021}} |data2=1,140 }} == 交通 == === 鉄道 === *[[京浜急行電鉄]] [[京急久里浜線|久里浜線]] **[[津久井浜駅]] === 道路 === *[[国道134号]] == 施設 == *[[神奈川県立津久井浜高等学校]] *[[横須賀市立津久井小学校]] *横須賀津久井郵便局<ref>{{Cite web|和書|url=https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300102278000/|title=横須賀津久井郵便局|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-09-09}}</ref> == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 239-0843{{r|postal}}(集配局 : [[久里浜郵便局]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2022年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2023-07-17}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 関連項目 == *[[津久井]](曖昧さ回避) {{横須賀市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=神奈川県}} {{DEFAULTSORT:つくい}} [[Category:横須賀市の町・字]] [[Category:北下浦]]
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マグヌス1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)
マグヌス1世(Magnus I., 1470年1月1日 - 1543年8月1日)は、ザクセン=ラウエンブルク公(在位:1507年 - 1543年)。 マグヌス1世はザクセン=ラウエンブルク公ヨハン5世とブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世の娘ドロテア・フォン・ブランデンブルクの次男としてラッツェブルクで生まれた。 1481年、父ヨハン5世は、1407年以降3,000ラインギルダーの担保としてハンブルクに質入れされていたザクセン=ラウエンブルクの飛び地ラント・ハーデルンを買い戻した。その後、ヨハン5世は息子マグヌス1世をハーデルンの副摂政に任命し、1498年には摂政とした。 1484年、マグヌス1世は収入を増やすため、ヴェーザー川河口の北海の湿地にあったフリース人の自由農民の事実上の自治領である豊かなラント・ヴルステンを征服しようと手を伸ばしたが、失敗した。マグヌスは、1180年にザクセン公ハインリヒ獅子公が皇帝により廃位されてザクセン公領が分割され、アスカーニエン家が縮小されたザクセン公領を与えられるまでヴルステンもザクセン領であったという口実により、自分の暴力行為を正当化しようとした。一方でブレーメン大司教はヴルステンを大司教領であると主張し、警戒した。 マグヌスは摂政になった後、ヴルステン征服を再び新たに計画した。1498年11月24日、マグヌスは父ヨハン5世およびブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ハインリヒ4世と同盟を結び、ヴルステンを征服した。ハインリヒ4世は3,000人の傭兵を送り、傭兵らは征服に成功した後にヴルステンの自由農民を略奪することで報酬を得ることとなっていた。ブレーメン大司教ヨハン・ローデはこれに備え、ハンブルクの3人の市長(次期、現任、前任)である、ヨハネス・フーゲ、ヘルメン・ランゲンベック、ヘニング・ブリングと11月16日に防衛同盟を締結した。ハンブルクは、エルベ川経由でハンブルクへの自由な往来を守るための軍事前哨基地であった飛び地リッツビュッテルを失うことを恐れ、この都市はマグヌスの攻撃に備える拠点となった。 ローデはブレーメン、ハンブルク、シュターデの市民らに訴え、市民はエルベ川とヴェーザー川の下流域が自由な海上貿易のための場と考えたため、3都市はローデを支持し、ローデはさらにディットマールシェンの自由農民を獲得し、ブレーメンの緩やかな支配下に置いた。5月1日、ローデはヴルステン、ハンブルクおよびブレーメンの代表者を集め、4月に傭兵団の助けを借りて西隣のブチアディンゲンを征服したオルデンブルク伯ヨハン5世による再度の侵攻に備えてヴルステンのための防衛同盟を締結した。 このようにしてヴルステンは西からはオルデンブルクの、東からはマグヌスの脅威にさらされた。両者との戦争を避けるために、ローデはマグヌスとの関係を改善しようとしたが無駄に終わった。8月1日、ローデ、ブレーメン大聖堂の聖堂参事会、大司教領の高位聖職者、およびブレーメン、ブクステフーデ、ハンブルク、シュターデの各都市は、ヴルステンやハーデルンの侵攻に対する防衛のために1,300人の戦士と装備を供給する戦争同盟を締結した。一方、ブレーメンのミニステリアーレと貴族は全員棄権した。大臣や貴族の多くはむしろマグヌスの側に立った。1499年9月9日、ローデはヨハン5世とマグヌスに対し攻撃を開始した。連合軍はハーデルンの地を難なく征服し、マグヌスを破り、ハーデルンからマグヌスを追い出すことができた。 1499年11月20日までにマグヌスはオルデンブルクで軍事行動を行う前にトーマス・スレンツが指揮するオランダ人および東フリース人からなる傭兵を雇った。大司教領への侵攻はブレーメンで撃退されたが、11月末までに上流のフェルデン周辺のフェルデン大司教領でヴェーザー川を渡ることに成功し、大司教領を荒らし、特に修道院の略奪を行い、リューネブルク・ツェレ目指して北東へ向かった。リューネブルクの国境を越えた後、傭兵隊は西に向きを変え、要塞化されたブクステフーデとシュターデを迂回してブレーメン大司教領内に入り、田園地帯と修道院(アルトクロスターおよびノイクロスター、どちらも今日のブクステフーデ、ヒンメルプフォルテン修道院の所在地)を荒廃させた。 大司教軍がフェルデを確保したため、傭兵隊は南に迂回した。最終的に12月24日にレーエのヴェーザー川下流に到着した傭兵隊がヴルステンへの侵攻を試みたが、そこにいた自由農民たちは12月26日ヴェッデヴァルデン付近で傭兵隊の攻撃を撃退した。そこで傭兵隊は北東に進路を変え、ノイエンヴァルデ女子修道院から略奪を行いハーデルンに入り、1500年初めにマグヌスのためにハーデルンを奪還した。この侵攻によりハーデルンの住民は、大司教領の農村部の住民と同様に、虐殺、略奪、放火を受けた。 12月初旬までに、ローデはハインリヒ1世に助けを求めたが、実際にはハインリヒ1世はマグヌスと同盟を結んでいた。その見返りとして、ローデはハインリヒ1世の12歳の息子クリストフを大司教補佐に任命することを約束せねばならなかったが、これは通常、そしてこの場合は確実に次期大司教位の確約を意味した。これはハインリヒ1世の権力圏拡大の野望を達成させるものであったため、ハインリヒ1世は寝返り、大司教座を軍事的に支援するためマグヌスおよびヨハン5世との同盟を破棄した。 ハインリヒ1世とその軍隊は、傭兵隊と戦うこととなった。マグヌスは傭兵らに給料を支払うことができず、このため傭兵らはハーデルンの住民に対してさらに抑圧的な態度をとり、マグヌスは「自分が呼んだ精霊」を取り除くことができない魔術師の見習いのような状況となった。1500年1月中旬までに、デンマーク王ハンスは衛兵隊を雇い、ホルシュタインにおける安全な行動を保証した。ハンスはディットマールシェンを服従させるために傭兵隊を雇った。1500年2月17日のヘミングシュテットの戦いにおいてディットマールシェンの住民は傭兵隊を完全に撃破し、ディットマールシェンを服従させるというハンスの夢は潰えた。 マグヌスとブレーメンの対立は、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公エーリヒ1世とハインリヒ1世の息子の大司教補佐クリストフ(1511年時点でブレーメン大司教)の調停によって解決された。こうしてローデとマグヌスは1500年1月20日に和平を締結した。ハーデルンはマグヌスに返還されたが、ヴルステンの住民は8月18日にローデに臣従の礼を取り、ローデはその見返りとして自治権を認めたため、実際には以前と比べて状況はほとんど変わらなかった。 父の晩年にマグヌスは公領を統治し、1507年に父の跡を継いでザクセン公となった。その統治の最初の数年間は、ブレーメン大司教領およびその補佐司教であるラッツェブルク大司教領としばしば対立した。1509年のカタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルとの結婚を通じて、マグヌスはカタリーナの父であるブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ1世(かつての同盟者)との絆をさらに強めた。 マグヌスはザクセン=ラウエンブルクとザクセン=ヴィッテンベルクの間の選挙権に関する対立において従順な立場をとった最初のザクセン=ラウエンブルク公であった。マグヌスは、黒と銀の盾に赤い選挙剣(ドイツ語:Kurschwerter)を紋章に描くことを控えた。選挙剣は帝国大元帥の職を示しており、前皇帝の死後に新皇帝を選出するという重要な権利に加え、選帝侯としての特権に関連していた。 神聖ローマ皇帝カール5世は、1530年11月12日のアウクスブルクの帝国議会で、マグヌスにザクセン公領、エンゲルン、ヴェストファーレン(正式名称であるが口語でザクセン=ラウエンブルク)と関連するレガリアを委ねた。しかし勅許状には、マグヌスはザクセン選帝侯位も要求していたが、「心を打つ理由により」当時はそれが実現できなかったと説明されている。すでに1425年8月1日に神聖ローマ皇帝ジギスムントがヴェッティン家にザクセン選帝侯領を委ねていた。 1531年、マグヌスは公領内に宗教改革を導入し、ルター派に改宗し、家臣の多くも同様に改宗した。マグヌスは1543年に亡くなり、ラッツェブルクに埋葬された。 マグヌスは1509年11月17日から20日の間にブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ハインリヒ4世の娘カタリーナ(1488年 - 1563年7月29日)とヴォルフェンビュッテルにおいて結婚し、6人の子供をもうけた。
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マグヌス1世は、ザクセン=ラウエンブルク公。
{{基礎情報 皇族・貴族 | 人名 = マグヌス1世 | 各国語表記 = Magnus I. | 家名・爵位 = [[ザクセン=ラウエンブルク]]公 | 画像 = MagnusISaLauenb.JPG | 画像サイズ = | 画像説明 = マグヌス1世(1520年ごろ) | 在位 = [[1507年]] - [[1543年]] | 続柄 = | 称号 = | 全名 = | 身位 = | 敬称 = | 出生日 = {{生年月日と年齢|1470|1|1|no}} | 生地 = {{HRR}}<br>[[ザクセン=ラウエンブルク]]公領、ラッツェブルク | 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1470|1|1|1543|8|1}} | 没地 = {{HRR}}<br>[[ザクセン=ラウエンブルク]]公領、ラッツェブルク | 埋葬日 = | 埋葬地 = {{HRR}}<br>[[ザクセン=ラウエンブルク]]公領、ラッツェブルク | 配偶者1 = [[カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1488–1563)|カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル]] | 子女 = [[フランツ1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|フランツ1世]]<br>[[ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|ドロテア]]<br>[[カタリーナ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|カタリーナ]]<br>[[クララ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|クララ]]<br>ゾフィー | 家名 = [[アスカーニエン家]] | 父親 = [[ザクセン=ラウエンブルク]]公[[ヨハン5世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|ヨハン5世]] | 母親 = ドロテア・フォン・ブランデンブルク | 栄典 = | 役職 = | 宗教 = | サイン = }} '''マグヌス1世'''(Magnus I., [[1470年]][[1月1日]] - [[1543年]][[8月1日]])は、[[ザクセン=ラウエンブルク]]公(在位:[[1507年]] - 1543年)。 == 生涯 == === 生い立ち === マグヌス1世は[[ザクセン=ラウエンブルク]]公[[ヨハン5世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|ヨハン5世]]とブランデンブルク選帝侯[[フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ2世]]の娘ドロテア・フォン・ブランデンブルクの次男としてラッツェブルクで生まれた。 1481年、父ヨハン5世は、1407年以降3,000ラインギルダーの担保として[[ハンブルク]]に質入れされていたザクセン=ラウエンブルクの飛び地ラント・ハーデルンを買い戻した{{Sfn|Boeselager|1995|p=331}}。その後、ヨハン5世は息子マグヌス1世をハーデルンの副摂政に任命し、1498年には摂政とした{{Sfn|Boeselager|1995|p=332}}。 === ラント・ハーデルンの支配 === 1484年、マグヌス1世は収入を増やすため、[[ヴェーザー川]]河口の北海の湿地にあった[[フリース人]]の自由農民の事実上の自治領である豊かなラント・ヴルステンを征服しようと手を伸ばしたが、失敗した{{Sfn|Krause|1881|p=184}}{{Sfn|Schütz|1995|p=266}}。マグヌスは、1180年にザクセン公[[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ獅子公]]が皇帝により廃位されてザクセン公領が分割され、アスカーニエン家が縮小されたザクセン公領を与えられるまでヴルステンもザクセン領であったという口実により、自分の暴力行為を正当化しようとした{{Sfn|Schulze|1974|p=480}}。一方でブレーメン大司教はヴルステンを大司教領であると主張し、警戒した。 マグヌスは摂政になった後、ヴルステン征服を再び新たに計画した{{Sfn|Krause|1881|p=184}}。1498年11月24日、マグヌスは父ヨハン5世および[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク]]公[[ハインリヒ1世 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このようにしてヴルステンは西からはオルデンブルクの、東からはマグヌスの脅威にさらされた。両者との戦争を避けるために、ローデはマグヌスとの関係を改善しようとしたが無駄に終わった{{Sfn|Schütz|1995|p=266}}。8月1日、ローデ、ブレーメン大聖堂の聖堂参事会、大司教領の高位聖職者、およびブレーメン、[[ブクステフーデ]]、ハンブルク、シュターデの各都市は、ヴルステンやハーデルンの侵攻に対する防衛のために1,300人の戦士と装備を供給する戦争同盟を締結した{{Sfn|Schütz|1995|p=266}}。一方、ブレーメンの[[ミニステリアーレ]]と貴族は全員棄権した。大臣や貴族の多くはむしろマグヌスの側に立った{{Sfn|Schütz|1995|p=267}}。1499年9月9日、ローデはヨハン5世とマグヌスに対し攻撃を開始した{{Sfn|Schütz|1995|p=267}}。連合軍はハーデルンの地を難なく征服し、マグヌスを破り、ハーデルンからマグヌスを追い出すことができた{{Sfn|Krause|1881|p=184}}{{Sfn|Schulze|1974|p=480}}。 1499年11月20日までにマグヌスはオルデンブルクで軍事行動を行う前にトーマス・スレンツが指揮するオランダ人および東フリース人からなる傭兵を雇った{{Sfn|Krause|1881|p=184}}{{Sfn|Schütz|1995|p=267}}。大司教領への侵攻はブレーメンで撃退されたが、11月末までに上流の[[フェルデン (アラー)|フェルデン]]周辺のフェルデン大司教領でヴェーザー川を渡ることに成功し、大司教領を荒らし、特に修道院の略奪を行い、リューネブルク・ツェレ目指して北東へ向かった{{Sfn|Krause|1881|pp=185seq}}{{Sfn|Schütz|1995|pp=267seq}}。リューネブルクの国境を越えた後、傭兵隊は西に向きを変え、要塞化された[[ブクステフーデ]]とシュターデを迂回してブレーメン大司教領内に入り、田園地帯と修道院(アルトクロスターおよびノイクロスター、どちらも今日のブクステフーデ、[[ヒンメルプフォルテン]]修道院の所在地)を荒廃させた{{Sfn|Schütz|1995|p=268}}。 大司教軍が[[ブレーマーフェルデ|フェルデ]]を確保したため、傭兵隊は南に迂回した{{Sfn|Schütz|1995|p=268}}。最終的に12月24日にレーエのヴェーザー川下流に到着した傭兵隊がヴルステンへの侵攻を試みたが、そこにいた自由農民たちは12月26日ヴェッデヴァルデン付近で傭兵隊の攻撃を撃退した{{Sfn|Schütz|1995|p=268}}{{Sfn|Krause|1881|p=185}}。そこで傭兵隊は北東に進路を変え、ノイエンヴァルデ女子修道院から略奪を行いハーデルンに入り、1500年初めにマグヌスのためにハーデルンを奪還した。この侵攻によりハーデルンの住民は、大司教領の農村部の住民と同様に、虐殺、略奪、放火を受けた{{Sfn|Boeselager|1995|pp=334seq}}。 12月初旬までに、ローデはハインリヒ1世に助けを求めたが、実際にはハインリヒ1世はマグヌスと同盟を結んでいた{{Sfn|Schleif|1972|p=20}}。その見返りとして、ローデはハインリヒ1世の12歳の息子クリストフを大司教補佐に任命することを約束せねばならなかったが、これは通常、そしてこの場合は確実に次期大司教位の確約を意味した{{Sfn|Schleif|1972|p=20}}。これはハインリヒ1世の権力圏拡大の野望を達成させるものであったため、ハインリヒ1世は寝返り、大司教座を軍事的に支援するためマグヌスおよびヨハン5世との同盟を破棄した{{Sfn|Schütz|1995|p=268}}。 ハインリヒ1世とその軍隊は、傭兵隊と戦うこととなった。マグヌスは傭兵らに給料を支払うことができず、このため傭兵らはハーデルンの住民に対してさらに抑圧的な態度をとり、マグヌスは「自分が呼んだ精霊」を取り除くことができない魔術師の見習いのような状況となった。1500年1月中旬までに、デンマーク王[[ハンス (デンマーク王)|ハンス]]は衛兵隊を雇い、ホルシュタインにおける安全な行動を保証した。ハンスはディットマールシェンを服従させるために傭兵隊を雇った{{Sfn|Krause|1881|p=185}}。1500年2月17日のヘミングシュテットの戦いにおいてディットマールシェンの住民は傭兵隊を完全に撃破し、ディットマールシェンを服従させるというハンスの夢は潰えた{{Sfn|Schütz|1995|p=269}}。 マグヌスとブレーメンの対立は、[[カレンベルク侯領|ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公]][[エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)|エーリヒ1世]]とハインリヒ1世の息子の大司教補佐クリストフ(1511年時点でブレーメン大司教)の調停によって解決された。こうしてローデとマグヌスは1500年1月20日に和平を締結した{{Sfn|Schütz|1995|p=268}}。ハーデルンはマグヌスに返還されたが、ヴルステンの住民は8月18日にローデに臣従の礼を取り、ローデはその見返りとして自治権を認めたため、実際には以前と比べて状況はほとんど変わらなかった。 === ザクセン公として === 父の晩年にマグヌスは公領を統治し、1507年に父の跡を継いでザクセン公となった。その統治の最初の数年間は、ブレーメン大司教領およびその補佐司教であるラッツェブルク大司教領としばしば対立した。1509年の[[カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1488–1563)|カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル]]との結婚を通じて、マグヌスはカタリーナの父であるブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ1世(かつての同盟者)との絆をさらに強めた。 マグヌスはザクセン=ラウエンブルクとザクセン=ヴィッテンベルクの間の選挙権に関する対立において従順な立場をとった最初のザクセン=ラウエンブルク公であった。マグヌスは、黒と銀の盾に赤い選挙剣(ドイツ語:Kurschwerter)を紋章に描くことを控えた。選挙剣は帝国大元帥の職を示しており、前皇帝の死後に新皇帝を選出するという重要な権利に加え、[[選帝侯]]としての特権に関連していた。 [[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]は、1530年11月12日のアウクスブルクの帝国議会で、マグヌスに[[ザクセン公国|ザクセン公領]]、エンゲルン、ヴェストファーレン(正式名称であるが口語でザクセン=ラウエンブルク)と関連する[[レガリア]]を委ねた。しかし勅許状には、マグヌスはザクセン選帝侯位も要求していたが、「心を打つ理由により」当時はそれが実現できなかったと説明されている。すでに1425年8月1日に神聖ローマ皇帝[[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]が[[ヴェッティン家]]に[[ザクセン選帝侯領]]を委ねていた。 1531年、マグヌスは公領内に[[宗教改革]]を導入し、[[ルター派]]に改宗し、家臣の多くも同様に改宗した。マグヌスは1543年に亡くなり、ラッツェブルクに埋葬された。 == 結婚と子女 == マグヌスは1509年11月17日から20日の間に[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク]]公[[ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ハインリヒ4世]]の娘[[カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1488–1563)|カタリーナ]](1488年 - 1563年7月29日)と[[ヴォルフェンビュッテル]]において結婚し、6人の子供をもうけた。 * [[フランツ1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|フランツ1世]](1510年 - 1581年) - ザクセン=ラウエンブルク公 * [[ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|ドロテア]](1511年 - 1571年) - 1525年に[[デンマーク=ノルウェー]]王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]と結婚 * [[カタリーナ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|カタリーナ]](1513年 - 1535年) - 1531年に[[スウェーデン王]][[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]と結婚 * [[クララ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|クララ]](1518年 - 1576年) - 1547年にギフホルン公[[フランツ (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|フランツ]]と結婚 * ゾフィー(1521年 - 1571年5月13日) - 1537年1月1日にオルデンブルク=デルメンホルスト伯アントン1世と結婚 * ウルズラ(1523年頃 - 1577年12月31日) - 1551年5月14日に[[メクレンブルク公]][[ハインリヒ5世 (メクレンブルク=シュヴェリーン公)|ハインリヒ5世]]と結婚 == 脚注 == {{Reflist|3}} == 参考文献 == * {{cite book|first=Elke Freifrau von |last=Boeselager |chapter=Das Land Hadeln bis zum Beginn der frühen Neuzeit |title=Geschichte des Landes zwischen Elbe und Weser |others=Hans-Eckhard Dannenberg und Heinz-Joachim Schulze (eds.) |location=Stade |publisher=Landschaftsverband der ehem. Herzogtümer Bremen und Verden |year=1995|volume=vol. II 'Mittelalter (einschl. Kunstgeschichte)'|ISBN=978-3-9801919-8-2 |pages=321–388}} * {{cite book|first=Michael |last=Schütz |chapter=Die Konsolidierung des Erzstiftes unter Johann Rode |title=Geschichte des Landes zwischen Elbe und Weser |others=Hans-Eckhard Dannenberg und Heinz-Joachim Schulze (eds.) |location=Stade |publisher=Landschaftsverband der ehem. Herzogtümer Bremen und Verden |year=1995|volume=vol. II 'Mittelalter (einschl. Kunstgeschichte)'|ISBN=978-3-9801919-8-2 |pp=263–278}} * {{ADB|20|72||Magnus I. (Herzog von Sachsen-Lauenburg)|Otto von Heinemann|ADB:Magnus I. (Herzog von Sachsen-Lauenburg)}} * {{ADB|14|183|185|Johann III. (Erzbischof von Bremen)|Karl Ernst Hermann Krause|ADB:Johann III. (Erzbischof von Bremen)}} * {{cite book|first=Karl |last=Schleif |title=Regierung und Verwaltung des Erzstifts Bremen |location=Hamburg |publisher=no publ. |year=1972}}, (=Schriftenreihe des Landschaftsverbandes der ehemaligen Herzogtümer Bremen und Verden; vol. 1), zugl.: Hamburg, Univ., Diss., 1968. * {{NDB|10|480|481|Johann III.|Heinz-Joachim Schulze|103120815}} {{先代次代|[[ザクセン=ラウエンブルク]]公|1507年 - 1543年|[[ヨハン5世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|ヨハン5世]]|[[フランツ1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|フランツ1世]]}} {{DEFAULTSORT:まくぬす1}} [[Category:ザクセン=ラウエンブルク公]] [[Category:ザクセン=ラウエンブルク家]] [[Category:1470年生]] [[Category:1543年没]]
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戦慄怪奇ワールド コワすぎ!
『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』は、2023年9月8日に公開された日本のホラー映画。監督は白石晃士。 2012年から続く『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズの8年ぶりの新作であり、シリーズを締めくくる最終作として制作された。これまでの作品(『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』および『戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!』)との間にはキャラクターの共通性はあるが、物語上の直接的な連続性は前提されていない。撮影は静岡県小山町で行われた。 シリーズの新作が制作されていることはかねてより白石監督のTwitterなどで明らかにされていたが、2023年7月4日、『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』として同年9月8日から新宿ピカデリーほか全国の劇場で公開されることが発表された。公開に先立ち、8月22日には新宿ピカデリーにて完成披露舞台挨拶が行われた。また、公開翌日の9月9日にはヒューマントラストシネマ渋谷で、9月10日には池袋シネマ・ロサで舞台挨拶が行われた。合わせて、ヒューマントラストシネマ渋谷では9月8日からシリーズ過去作の特集上映(一部の回は発声上映)も実施された。 本作の公開にあたり、シリーズのファンを公言するVtuberの因幡はねるが公式アンバサダーに任命された。因幡のYouTubeチャンネルへの動画の掲載、白石監督の生配信への出演といった宣伝活動が実施された。 コロナ禍の影響もあり、倒産の危機にあった怪奇系ドキュメンタリーのプロデューサー、工藤仁(大迫茂生)のもとに、1本の動画が送られてくる。ネットでバズることを目的に心霊スポットとされる廃墟へと忍び込んだ3人の若者、遥(福永朱梨)、絢音(小倉綾乃)、大輝(梁瀬泰希)が投稿したものであった。そこには不可解な現象、そして仁王立ちの「赤い女」に睨まれ、追いかけられる姿が収められていた。この廃墟でスクープ映像を撮ることによって大儲けができるのではないかと目論んだ工藤は、かつての仲間、ディレクターの市川実穂(久保山智夏)とカメラマンの田代正嗣(白石晃士)を呼び集め、霊能者の鬼村伊三(木村圭作)とともに、廃墟へと向かう。
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『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』は、2023年9月8日に公開された日本のホラー映画。監督は白石晃士。
{{Infobox Film | 作品名 = 戦慄怪奇ワールド コワすぎ! | 原題 = | 画像 = | 画像解説 = | 監督 = [[白石晃士]] | 製作 = 吉原豊 | プロデューサー = 三上真弘、田坂公章 | 脚本 = 白石晃士 | 出演者 = [[大迫茂生]]、[[久保山智夏]]、白石晃士 | 音楽 = | 主題歌 = | 撮影 = 白石晃士 | 編集 = 宮崎歩 | 配給 = [[アルバトロス・フィルム]] | 公開 = {{Flagicon|JPN}} [[2023年]][[9月8日]] | 上映時間 = 78分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''戦慄怪奇ワールド コワすぎ!'''』は、[[2023年]][[9月8日]]に公開された日本のホラー映画。監督は[[白石晃士]]。 == 概要 == 2012年から続く『[[戦慄怪奇ファイル コワすぎ!]]』シリーズの8年ぶりの新作であり、シリーズを締めくくる最終作として制作された<ref name=":0">{{Citation|title=【白石晃士監督】いよいよ明日公開!監督に映画「戦慄怪奇ワールド コワすぎ!」について聞いてみよう!!!#コワすぎ公式アンバサダー【因幡はねる / ななしいんく】|url=https://www.youtube.com/watch?v=zRaPyLPFu04|language=ja-JP|access-date=2023-09-09}}</ref>。これまでの作品(『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』および『戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!』)との間にはキャラクターの共通性はあるが、物語上の直接的な連続性は前提されていない。撮影は[[静岡県]][[小山町]]で行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fuji-oyama.jp/studiotownoyama_202009081035006.html|title=ロケ情報|publisher=小山町|accessdate=2023-10-21}}</ref>。 シリーズの新作が制作されていることはかねてより白石監督のTwitterなどで明らかにされていたが<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/shiraishikouji/status/1566264541675106304 |url=https://twitter.com/shiraishikouji/status/1566264541675106304 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>、2023年7月4日、『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』として同年9月8日から[[新宿ピカデリー]]ほか全国の劇場で公開されることが発表された<ref>{{Cite web|和書|title=「コワすぎ!」シリーズ8年ぶりの新作! 全身血まみれ“赤い女”の恐怖を描く長編映画、9月8日公開 : 映画ニュース |url=https://eiga.com/news/20230704/16/ |website=映画.com |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。公開に先立ち、8月22日には新宿ピカデリーにて完成披露舞台挨拶が行われた<ref>{{Cite web|和書|title=【舞台挨拶レポート】「戦慄怪奇ワールド コワすぎ!」は“原点回帰”、白石晃士とキャストが好きな過去作語る |url=https://natalie.mu/eiga/news/537897 |website=映画ナタリー |access-date=2023-09-09 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。また、公開翌日の9月9日には[[ヒューマントラストシネマ渋谷]]で<ref>{{Cite web|和書|title=大迫茂生、久保山智夏、白石監督、“赤い女”、霊媒師まで登壇!9/9開催『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』舞台挨拶レポート! |url=https://cowai.jp/event/11622/ |website=cowai.jp |date=2023-09-09 |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>、9月10日には[[池袋シネマ・ロサ]]で舞台挨拶が行われた<ref>{{Cite web|和書|title=『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』イベント情報 |url=https://www.cinemarosa.net/kowasugi.htm |website=www.cinemarosa.net |access-date=2023-09-11}}</ref>。合わせて、ヒューマントラストシネマ渋谷では9月8日からシリーズ過去作の特集上映(一部の回は[[応援上映|発声上映]])も実施された<ref>{{Cite web|和書|title=「コワすぎ!」旧作全シリーズ 特集上映 |url=https://ttcg.jp/human_shibuya/movie/1017500.html |website=ヒューマントラストシネマ渋谷 |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。 本作の公開にあたり、シリーズのファンを公言するVtuberの[[因幡はねる]]が公式アンバサダーに任命された<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kowasugi_movie/status/1691420723934310400 |url=https://twitter.com/kowasugi_movie/status/1691420723934310400 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。因幡のYouTubeチャンネルへの動画の掲載、白石監督の生配信への出演といった宣伝活動が実施された<ref name=":0" />。 == あらすじ == コロナ禍の影響もあり、倒産の危機にあった怪奇系ドキュメンタリーのプロデューサー、工藤仁(大迫茂生)のもとに、1本の動画が送られてくる。ネットでバズることを目的に心霊スポットとされる廃墟へと忍び込んだ3人の若者、遥(福永朱梨)、絢音(小倉綾乃)、大輝(梁瀬泰希)が投稿したものであった。そこには不可解な現象、そして仁王立ちの「赤い女」に睨まれ、追いかけられる姿が収められていた。この廃墟でスクープ映像を撮ることによって大儲けができるのではないかと目論んだ工藤は、かつての仲間、ディレクターの市川実穂(久保山智夏)とカメラマンの田代正嗣(白石晃士)を呼び集め、霊能者の鬼村伊三(木村圭作)とともに、廃墟へと向かう。 == キャスト == * 工藤仁 - [[大迫茂生]] * 市川実穂 - [[久保山智夏]] * 田代正嗣 - [[白石晃士]] * 呉見遥 - 福永朱梨 * 大倉絢音 - 小倉綾乃 * 柳井大輝 - 梁瀬泰希 * 赤い女/北条琴子 - 南條琴美 * 鬼村伊三 - [[木村圭作]] * 珠緒 - [[桑名里瑛]] * 吉田悠軌 - [[吉田悠軌]] == スタッフ == * 監督・脚本・撮影・音響効果 - 白石晃士 * 製作 - 吉原豊 * プロデューサー - 三上真弘、田坂公章 * ラインプロデューサー - [[姫田伸也]] * 助監督 - 山口晋策 * 録音・整音 - [[根本飛鳥]] * 特殊造型・イラスト - 相蘇敬介 * 編集・合成 - 宮崎歩 * 配給 - [[アルバトロス・フィルム]] * 制作プロダクション - レスパスフィルム * 製作委員会 - [[ニューセレクト]]、[[ジェンコ]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://kowasugi.com/ 映画『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』公式サイト] * {{Allcinema title|390116}} * {{Kinejun title|98664}} {{白石晃士監督作品}} {{Movie-stub}} {{DEFAULTSORT:せんりつかいきわあるどこわすぎ}} [[Category:2023年の映画]] [[Category:日本のホラー映画]] [[Category:モキュメンタリー映画]] [[Category:白石晃士の監督映画]] [[Category:小山町で製作された映画作品]] [[Category:長大な項目名]]
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安間帆乃香
安間 帆乃香(あんま ほのか、2004年6月28日 - )は、静岡県磐田市出身の女子サッカー選手。なでしこリーグ・静岡SSUボニータ所属。ポジションはゴールキーパー。 磐田東高等学校でプレー。高校卒業後、静岡産業大学に進学した。同大のサッカー部に所属。また、なでしこリーグ・静岡SSUボニータでもプレーしている。
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安間 帆乃香は、静岡県磐田市出身の女子サッカー選手。なでしこリーグ・静岡SSUボニータ所属。ポジションはゴールキーパー。
{{サッカー選手|名前=安間 帆乃香|愛称=ほのか|アルファベット表記=ANMA Honoka|カタカナ表記=アンマ ホノカ|生年月日=[[2004年]][[6月28日]]|出身地={{Flagicon|JPN}}[[静岡県]][[磐田市]]|身長=158cm|体重=54kg|ポジション=GK|所属チーム名={{Flagicon|JPN}}静岡SSUボニータ|背番号=31|ユースクラブ1={{Flagicon|JPN}}[[磐田東高等学校]]|ユース年1=2020-2022|ユースクラブ2={{Flagicon|JPN}}[[静岡産業大学]]|ユース年2=2023-|クラブ1={{Flagicon|JPN}}[[静岡SSUボニータ]]|年1=2023-}} '''安間 帆乃香'''(あんま ほのか、[[2004年]][[6月28日]] - )は、[[静岡県]][[磐田市]]出身の[[女子サッカー選手]]。[[なでしこリーグ]]・[[静岡SSUボニータ]]所属。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。 == 経歴 == [[磐田東中学校・高等学校|磐田東高等学校]]でプレー。高校卒業後、[[静岡産業大学]]に進学した。[[静岡産業大学|同大]]のサッカー部に所属。また、[[なでしこリーグ]]・[[静岡SSUボニータ]]でもプレーしている。 == 外部リンク == {{DEFAULTSORT:あんま ほのか}} [[Category:2004年生]] [[Category:静岡県出身のスポーツ選手]] [[Category:磐田東高等学校出身の人物]] [[Category:静岡産業大学の人物]] [[Category:静岡SSUアスレジーナの選手]] [[Category:存命人物]]
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ウォンラウィー・ナティートン
ウォンラウィー・ナティートン(タイ語: วงศ์รวี นทีธร、英語: Wongravee Nateetorn、1998年6月25日 - )は、スカイ(タイ語: สกาย、英語: Sky)という愛称で知られるタイの俳優。 2014年放送のテレビドラマ『ThirTEEN Terrors』にて俳優としてデビューする。2015年放送のテレビドラマ『Hormones Season 3』 にて初主演。 バンコクにある中高一貫校の男子校、スアンクラーブ・ウィッタヤライ校で中等教育を修了後、タンマサート大学リベラルアーツ学部を卒業。
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ウォンラウィー・ナティートンは、スカイという愛称で知られるタイの俳優。
{{ActorActress | 芸名 =Wongravee Nateetorn | ふりがな = ウォンラウィー・ナティートン | 本名 = วงศ์รวี นทีธร | 出身地 = | 国籍 = {{flag|Thailand}} | 別名義 = スカイ | 主な作品 = My Ambulance (2019) | 生年 = 1998 | 生月 = 6 | 生日 = 25 | 身長 = 181cm | 血液型 = | 職業 = [[俳優]] | 活動期間 = 2014 - 現在 | 事務所 = [[ナダオ・バンコク]](2014-2022)<br />[[GMMTV]](2023-) | 画像ファイル = }} '''ウォンラウィー・ナティートン'''({{Lang-th| วงศ์รวี นทีธร}}、{{Lang-en| Wongravee Nateetorn}}、[[1998年]][[6月25日]] - )は、'''スカイ'''({{Lang-th|สกาย}}、{{Lang-en|Sky}})という愛称で知られる[[タイ王国|タイ]]の[[俳優]]。 == 人物 == 2014年放送のテレビドラマ『ThirTEEN Terrors』にて俳優としてデビューする。2015年放送のテレビドラマ『Hormones Season 3』 にて初主演。 バンコクにある中高一貫校の男子校、スアンクラーブ・ウィッタヤライ校で中等教育を修了後、[[タンマサート大学]]リベラルアーツ学部を卒業<ref>{{Cite web|url= https://www.instagram.com/p/CdkDazmrP1k/ |title=投稿|accessdate=2023-9-9|publisher=Instagram}}</ref>。 == フィルモグラフィー == ===テレビドラマ=== {| class="wikitable" |+ !年 !作品名 !役名 !役どころ |- ! rowspan="1" scope="row" | 2014 |''ThirTEEN Terrors'' |Gap |脇役 |- ! rowspan="1" scope="row" | 2015 |''Hormones Season 3'' |Pala |主演 |- ! rowspan="1" scope="row" | 2016 |''I Hate You, I Love You'' |Jo |主演 |- ! rowspan="1" scope="row" | 2017 |''Project S: Side by Side'' |Dong |主演 |- ! rowspan="2" scope="row" | 2019 |''Project 17: Side By Side'' | |ゲスト出演 |- |''My Ambulance'' |Chalarm |主演<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=JOCIPuwL5AE|title=รักฉุดใจนายฉุกเฉิน My Ambulance [OFFICIAL TRAILER]|accessdate=2023-9-9|publisher=Nadao Bangkok|website=YouTube}}</ref> |- ! rowspan="1" scope="row" | 2024 |''High School Frenemy'' |Saint |主演<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=2MxyRIGVJZs|title=High School Frenemy มิตรภาพ คราบศัตรู GMMTV 2024 PART 1|accessdate=2023-10-27|publisher=GMMTV|website=YouTube}}</ref> |} ===映画=== {| class="wikitable" |+ !年 !作品名 !役名 !役どころ |- ! rowspan="2" scope="row" | 2022 |''The Lost Lotteries'' |Tay |主演<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=o-11JnKxHB0|title=The Lost Lotteries | Official Trailer Netflix|accessdate=2023-9-9|publisher=Netflix Asia|website=YouTube}}</ref> |- |''OMG! Oh My Girl'' |Guy |主演<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=VKk6UvyysU8|title=OMG! OH MY GIRL Official International Trailer|accessdate=2023-9-9|publisher=GDH|website=YouTube}}</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|skywongraveee}} * {{Instagram|skywongravee}} {{DEFAULTSORT:うおんらうい なていとん}} [[Category:タイの男優]] [[Category:1998年生]] [[Category:存命人物]]
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1994-95シーズン ジェノアCFC
1994-95シーズン ジェノアCFC は、ジェノアの1994-95シーズンの成績を詳述する。 このシーズン、三浦知良、アントニオ・マニコーネらが加入したが、3度監督が交代するなど、低迷。セリエAの残留をかけたプレーオフでPK戦の末にパドヴァに敗れ、1995-96シーズンからセリエBでプレーすることが決まった。 PK戦によりジェノアが来期セリエBに降格。
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1994-95シーズン ジェノアCFC は、ジェノアの1994-95シーズンの成績を詳述する。
{{Pathnav|ジェノアCFC|frame=1}} {{Infobox football club season | クラブ = [[ジェノアCFC|ジェノア]] | シーズン = 1994-95 | 代表者 = {{Flagicon|ITA}} アルド・スピネッリ | 監督 = {{Flagicon|ITA}} [[フランコ・スコーリオ]]<ref name=goalkazu>{{cite web|url=https://www.goal.com/it/notizie/kazu-miura-il-bomber-eterno-del-sol-levante-che-fu-meteora-in-serie-a/1exqautwbnuhq1pj3eacfvr155|title=Kazu Miura, il bomber eterno del Sol Levante che fu meteora in Serie A|website=GOAL|date=2022-2-2|accessdate=2023-9-9}}</ref><br>[[ジュゼッペ・マルキオーロ]]<ref name=goalkazu/><br>[[クラウディオ・マゼーリ]]<ref name=goalkazu/> | スタジアム = [[スタディオ・ルイジ・フェッラーリス]] | リーグ = [[セリエA (サッカー)|セリエA]] | リーグ成績 = 15位、プレーオフに敗れてセリエB降格 | カップ1 = [[コッパ・イタリア]] | カップ成績1 = 3回戦敗退 | リーグ最多得点者 = [[トマーシュ・スクラビー]] 12点 | シーズン最多得点者 = [[トマーシュ・スクラビー]] 14点 | 最多観客動員 = | 最少観客動員 = | 平均観客動員 = | 最大差勝利試合 = | 最大差敗戦試合 = | 前シーズン = [[ジェノアCFC 1993-94|1993-94]] | 次シーズン = [[ジェノアCFC 1995-96|1995-96]] }} '''1994-95シーズン ジェノアCFC '''は、[[ジェノアCFC|ジェノア]]の1994-95シーズンの成績を詳述する。 == 概要 == このシーズン、[[三浦知良]]、[[アントニオ・マニコーネ]]らが加入したが、3度監督が交代するなど、低迷<ref name=goalkazu/>。セリエAの残留をかけたプレーオフでPK戦の末に[[カルチョ・パドヴァ|パドヴァ]]に敗れ、1995-96シーズンからセリエBでプレーすることが決まった<ref name=goal/>。 == 所属選手 == *<ref>{{cite web|url=https://www.transfermarkt.com/genua-cfc/kader/verein/252/saison_id/1994|title=Genoa 1994/95 |website=Transfermarkt|accessdate=2023-9-9}}</ref> * GK ** [[ステファノ・タッコーニ]] (シーズン前半終了後に引退)<ref>{{cite web|url=https://www.goal.com/it/notizie/stefano-tacconi-langelo-di-ponte-felcino-i-successi-con-la/11ci9h058gkvg1upp0nz32belu|title=Stefano Tacconi 'L'angelo di Ponte Felcino': i successi con la Juventus e vice-Zenga in Nazionale|website=GOAL|date=2023-5-13|accessdate=2023-1}}</ref> ** [[ジャンパオロ・スパニョーロ]] ** [[ルジェーロ・スペランツァ]] ** [[ガブリエーレ・スピネッタ]] ** [[ダヴィデ・ミチェッロ]] * DF ** [[ニコラ・カリコラ]] ** [[ジャンルカ・シニョリーニ]] ** [[ジョヴァンニ・フランチーニ]] ** [[ファビオ・ガランテ]] ** [[ヴィンチェンツォ・トレンテ]] (キャプテン) ** [[ダニエーレ・デッリ・カーリ]] ** [[ジャンルカ・フランチェスコーニ]] ** [[ダヴィデ・クレモネージ]] ** [[アレッサンドロ・トゥローネ]] * MF ** [[マリオ・ボルトラッツィ]] ** [[ジェンナーロ・ルオートロ]] ** [[ヨン・ファント・シップ]] ** [[アントニオ・マニコーネ]] ** [[ダリオ・マルコリン]] ** [[ロベルト・オノラーティー]] ** [[ピエール・ジョヴァンニ・ルトツィトッ]] ** [[エリオ・シニョレリ]] * FW ** [[トマーシュ・スクラビー]] ** [[ミケーレ・パドヴァーノ]] (シーズン開幕後に移籍) ** [[三浦知良]] ** [[マッシモ・チョッチ]] ** [[マルコ・ナッピ]] ** [[ロベルト・カストリーナ]] ** [[ミルコ・パリアリーニ]] == 順位表 == * <ref>{{cite web|url=https://www.transfermarkt.com/serie-a/startseite/wettbewerb/IT1/saison_id/1994|title=Serie A 1994/95 |website=Transfermarkt|accessdate=2023-9-9}}</ref> <onlyinclude>{{#invoke:Sports table|main|style=WDL |source=[http://www.legaseriea.it/en/serie-a/league-table/1994-95 Serie A] |team1=CRE |team2=PAD |team3=GEN |team4=FOG |team5=REA |team6=BRE |win_CRE=11 |draw_CRE=8|loss_CRE=15|gf_CRE=35|ga_CRE=38<!-- Cremonese --> |win_FOG=8|draw_FOG=10 |loss_FOG=16|gf_FOG=32|ga_FOG=50<!-- Foggia --> |win_GEN=10 |draw_GEN=10|loss_GEN=14|gf_GEN=34|ga_GEN=49<!-- Genoa --> |win_PAD=12|draw_PAD=4|loss_PAD=18|gf_PAD=37|ga_PAD=58<!-- Padova --> |win_REA=4|draw_REA=6|loss_REA=24|gf_REA=24|ga_REA=56<!-- Reggiana --> |win_BRE=2|draw_BRE=6|loss_BRE=26|gf_BRE=18|ga_BRE=65<!-- Brescia --> |name_BAR=[[ASバーリ|バーリ]] |name_BRE=[[ブレシア・カルチョ|ブレシア]]|status_BRE=R |name_CRE=[[USクレモネーゼ|クレモネーゼ]] |name_FOG=[[カルチョ・フォッジャ1920|フォッジャ]]|status_FOG=R |name_PAD=[[カルチョ・パドヴァ|パドヴァ]] |name_GEN=[[ジェノアCFC|ジェノア]]|status_GEN=R |name_REA=[[ACレッジャーナ1919|レッジャーナ]]|status_REA=R <!--Update team qualifications here (defined below)--> |result1=CLGS|result2=UC |result4=UC |result5=UC |result6=UC |result3=COPPA |result14=RTB1 |result15=RTB2 |result16=REL |result17=REL |result18=REL |col_RTB1= |text_RTB1=セリエA残留プレーオフに勝利し、セリエA残留 |col_RTB2=red1 |text_RTB2=セリエA残留プレーオフに敗れ、セリエB降格 |col_REL=red1 |text_REL=セリエB降格 }}</onlyinclude> == プレーオフ == PK戦により[[ジェノアCFC|ジェノア]]が来期セリエBに降格<ref name=goal/>。 {{football box |date=1995年6月10日 |time= |team1=[[ジェノアCFC|ジェノア]] |score=1–1 |aet=yes |report= |team2=[[カルチョ・パドヴァ|パドヴァ]] |goals1=[[トマーシュ・スクラビー]] {{goal|29}} |goals2=[[ゴラン・ヴラオヴィッチ]] {{goal|19|PK}} |penalties1=[[ヨン・ファント・シップ]] {{pengoal}}<br />[[ジェンナーロ・ルオートロ]] {{pengoal}}<br />[[ファビオ・ガランテ]] {{penmiss}}<br />[[マリオ・ボルトラッツィ]] {{pengoal}}<br />[[トマーシュ・スクラビー]] {{pengoal}} |penaltyscore=4–5 |penalties2={{pengoal}} [[:en:Andrea Cuicchi|アンドレア・クイッチ]]<br />{{pengoal}} [[:en:Carlo Perrone (footballer, born July 1960)|カルロ・ペローネ]]<br />{{pengoal}} [[ゴラン・ヴラオヴィッチ]]<br />{{pengoal}} [[:en:David Balleri|ダヴィド・バレッリ]]<br />{{pengoal}} [[:en:Michel Kreek|ミシェル・クリーク]] |stadium=[[スタディオ・アルテミオ・フランキ (フィレンツェ)|スタディオ・アルテミオ・フランキ]] |attendance= |referee= }} == リーグ戦得点ランキング == * [[トマーシュ・スクラビー]] : 12得点<ref name=goal>{{cite web|url=https://www.goal.com/it/notizie/tomas-skuhravy-il-gigante-ceco-che-rese-grande-il-genoa/blt9d835312360e21cb|title=Tomas Skuhravy, 'Il Gigante ceco' che rese grande il Genoa|website=GOAL|date=2022-9-7|accessdate=2023-8-7}}</ref> * [[ヨン・ファント・シップ]] : 5得点 * [[ジェンナーロ・ルオートロ]] : 3得点 * [[ロベルト・オノラーティー]] : 3得点 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:しえのあ}} [[Category:1994年のサッカー]] [[Category:1995年のサッカー]] [[Category:ジェノアCFC]]
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巻胡花
巻 胡花(まき こはる、2003年4月21日 - )は、熊本県出身の女子サッカー選手。WEリーグ・サンフレッチェ広島レジーナ所属。ポジションはゴールキーパー。 広島県文教大学附属高等学校でプレーしていた。 2021年1月24日、WEリーグ・サンフレッチェ広島レジーナに加入。
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巻 胡花は、熊本県出身の女子サッカー選手。WEリーグ・サンフレッチェ広島レジーナ所属。ポジションはゴールキーパー。
{{サッカー選手 | 名前 = 巻 胡花 | 画像 = <!-- WEリーグ、なでしこリーグ所属選手の画像を掲載しないで下さい。 --> | 画像サイズ = <!-- デフォルトは200px --> | 画像の説明 = | 本名 = | 愛称 = | カタカナ表記 = マキ コハル | アルファベット表記 = MAKI Koharu | 国 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2003|4|21}}<ref name="Regina">{{Cite web|和書|title=巻 胡花 {{!}} レジーナ選手 |url=https://www.sanfrecce.co.jp/regina/team/regina-players/detail/21 |website=サンフレッチェ広島レジーナ オフィシャルサイト |access-date=2023-09-15 |language=ja}}</ref> | 出身地 = [[熊本県]]<ref name="Regina" /> | 身長 = 171cm<ref name="Regina" /> | 体重 = 56kg<ref name="Regina" /> | 所属チーム名 = {{flagicon|JPN}} [[サンフレッチェ広島レジーナ]] | ポジション = [[ゴールキーパー (サッカー)|GK]] | 背番号 = 21 | 利き足 = | ユース年1 = | ユースクラブ1 = [[MELSA熊本FC]] | ユース年2 = 2019-2021 | ユースクラブ2 = [[広島文教大学附属高等学校]] | 年1 = 2021- | クラブ1 = {{flagicon|JPN}} [[サンフレッチェ広島レジーナ]] | 出場1 = 0 | 得点1 = 0 <!-- 国内リーグ戦の成績に限る --> | クラブ成績更新日 = 2023年9月9日 }} '''巻 胡花'''(まき こはる、[[2003年]][[4月21日]] - )は、[[熊本県]]出身の[[女子サッカー]]選手。[[WEリーグ]]・[[サンフレッチェ広島レジーナ]]所属。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。 == 経歴 == === ユース === [[広島文教大学附属高等学校|広島県文教大学附属高等学校]]でプレーしていた。 === サンフレッチェ広島レジーナ === 2021年1月24日、[[日本女子プロサッカーリーグ|WEリーグ]]・[[サンフレッチェ広島レジーナ]]に加入<ref>{{Cite web|和書|title=巻胡花選手 広島文教大学附属高等学校サッカー部より加入のお知らせ |url=https://www.sanfrecce.co.jp/news/regina/6887 |website=サンフレッチェ広島レジーナ オフィシャルサイト |date=2022-01-24 |access-date=2023-09-09 |language=ja}}</ref>。 == 個人成績 == === クラブ === {{サッカー選手国内成績表 top|yy}} {{サッカー選手国内成績表 th|日本|yy|w}} |- |[[2021-22シーズンのWEリーグ|2021-22]]||rowspan="3"|[[サンフレッチェ広島レジーナ]]||rowspan="3"|21||rowspan="3"|[[日本女子プロサッカーリーグ|WE]]||0||0||colspan="2"|-||0||0||0||0 |- |[[2022-23シーズンのWEリーグ|2022-23]]||0||0||0||0||0||0||0||0 |- |[[2023-24シーズンのWEリーグ|2023-24]]|| || || || || || || || {{サッカー選手国内成績表 通算始|1|日本|1部}}0||0||0||0||0||0||0||0 {{サッカー選手国内成績表 通算終}}0||0||0||0||0||0||0||0 |} <!--出場試合数と得点はシーズン後に記入すること--> == 脚注 == === 出典 === <references /> == 外部リンク == {{サンフレッチェ広島レジーナのメンバー}} {{DEFAULTSORT:まき こはる}} [[Category:2003年生]] [[Category:熊本県出身のスポーツ選手]] [[Category:日本の女子サッカー選手]] [[Category:広島文教大学附属大学出身の人物]] [[Category:サンフレッチェ広島レジーナの選手]] [[Category:存命人物]]
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カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1488-1563)
カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(Katharina von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1488年 - 1563年6月29日)は、ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世の妃。 カタリーナは、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ1世(1463年 - 1514年)とポメラニア公エーリヒ2世の娘カタリーナ・フォン・ポンメルン(1465年 - 1526年)との間に生まれた娘である。 1509年11月20日にヴォルフェンビュッテルにおいてザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世(1470年 - 1543年)と結婚した。父ハインリヒ1世は、自分だけでは持参金を支払うことができないと判断し、女性税(Fräuleinsteuer)を徴収させるため1509年に議会を召集した。長い交渉の末、議会はカタリーナの持参金と宝石の資金として3回の不動産税を認めた。 カタリーナは厳格なカトリック教徒であり、ブラウンシュヴァイク家の親戚と密接な関係を保った。スウェーデン王グスタフ1世は、カトリックのドイツ諸侯がデンマーク王クリスチャン2世を支持するのを阻止するためにカタリーナの娘と結婚することとなった。 長男フランツ1世の結婚の際、カタリーナは後に長男の義母となるカタリーナ・フォン・メクレンブルクと交渉を始めたが、ヴェッティン家の当主であるザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒはこれを知らされず、不利益を被った。
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カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルは、ザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世の妃。
{{基礎情報 皇族・貴族 | 人名 = カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル | 各国語表記 = Katharina von Braunschweig-Wolfenbüttel | 家名・爵位 = | 画像 = Catherine of Brunswick-Wolfenbüttel, Duchess of Saxe-Lauenburg.jpg | 画像サイズ = | 画像説明 = カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(1520年ごろ) | 在位 = | 続柄 = | 称号 = | 全名 = | 身位 = | 敬称 = | 出生日 = [[1488年]] | 生地 = | 死亡日 = [[1563年]][[6月29日]] | 没地 = {{HRR}}<br>[[ザクセン=ラウエンブルク]]公領、ノイハウス | 埋葬日 = | 埋葬地 = | 配偶者1 = [[ザクセン=ラウエンブルク]]公[[マグヌス1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|マグヌス1世]] | 子女 = [[#子女|本文参照]] | 家名 = [[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家]] | 父親 = [[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領|ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公]][[ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ハインリヒ1世]] | 母親 = カタリーナ・フォン・ポンメルン=ヴォルガスト | 栄典 = | 役職 = | 宗教 = [[キリスト教]][[カトリック]] | サイン = }} '''カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル'''(Katharina von Braunschweig-Wolfenbüttel, [[1488年]] - [[1563年]][[6月29日]])は、[[ザクセン=ラウエンブルク]]公[[マグヌス1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|マグヌス1世]]の妃。 == 生涯 == カタリーナは、[[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領|ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公]][[ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ハインリヒ1世]](1463年 - 1514年)と[[ポメラニア公]]エーリヒ2世の娘カタリーナ・フォン・ポンメルン(1465年 - 1526年)との間に生まれた娘である。 1509年11月20日にヴォルフェンビュッテルにおいて[[ザクセン=ラウエンブルク]]公[[マグヌス1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|マグヌス1世]](1470年 - 1543年)と結婚した。父ハインリヒ1世は、自分だけでは持参金を支払うことができないと判断し、女性税(Fräuleinsteuer)を徴収させるため1509年に議会を召集した。長い交渉の末、議会はカタリーナの持参金と宝石の資金として3回の不動産税を認めた。 カタリーナは厳格なカトリック教徒であり、ブラウンシュヴァイク家の親戚と密接な関係を保った。[[スウェーデン王]][[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]は、カトリックのドイツ諸侯が[[デンマーク王]][[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]を支持するのを阻止するためにカタリーナの娘と結婚することとなった<ref>Ivo Asmus, Heiko Droste, Jens E. Olesen: ''Joint Acquaintances: Sweden and Germany in the early modern period'', LIT Verlag Münster, 2003, p. 18</ref>。 長男[[フランツ1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|フランツ1世]]の結婚の際、カタリーナは後に長男の義母となるカタリーナ・フォン・メクレンブルクと交渉を始めたが、[[ヴェッティン家]]の当主である[[ザクセン選帝侯]][[ヨハン・フリードリヒ (ザクセン選帝侯)|ヨハン・フリードリヒ]]はこれを知らされず、不利益を被った<ref>Anne-Simone Knöfel: ''Dynasty, and Prestige: The marriage policy of the Wettin family'', Böhlau Verlag Cologne Weimar, 2009, p. 128</ref>。 == 子女 == * [[フランツ1世 (ザクセン=ラウエンブルク公)|フランツ1世]](1510年 - 1581年) - ザクセン=ラウエンブルク公。1540年に[[ザクセン公]][[ハインリヒ4世 (ザクセン公)|ハインリヒ4世]]の娘[[ジビッレ・フォン・ザクセン]]と結婚。 * [[ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|ドロテア]](1511年 - 1571年) - 1525年に[[デンマーク=ノルウェー]]王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]と結婚 * [[カタリーナ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|カタリーナ]](1513年 - 1535年) - 1531年に[[スウェーデン王]][[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]と結婚 * [[クララ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|クララ]](1518年 - 1576年) - 1547年にギフホルン公[[フランツ (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|フランツ]]と結婚 * ゾフィー(1521年 - 1571年) - 1537年にオルデンブルク=デルメンホルスト伯アントン1世(1505年 - 1573年)と結婚 * ウルズラ(1523年 - 1577年) - 1551年に[[メクレンブルク公]]ハインリヒ5世と結婚 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * William Havemann: ''History of the territories of Brunswick and Lüneburg'', Volume 3, Dieterich, 1857, p. 138 {{DEFAULTSORT:かたりな ふらうんしゆうあいく うおるふえんひゆつてる}} [[Category:ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル家]] [[Category:1488年生]] [[Category:1563年没]] [[Category:長大な項目名]]
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ネイス
ネイス株式会社(NEIS Co., Ltd.)は、東京都千代田区富士見1丁目に本拠を置く、子ども向けの体操教室を中心に事業展開を行う企業。運動特化型施設である体操教室のチェーン展開、運動器具製造、イベント開催などの事業展開を行う。発達障害を持つ子どもも参加できる教室を開校、多くの反響を呼んだ。 日本最大級の体操教室専門に首都圏の商業施設を中心にチェーン展開を行う。事業内容は、体操教室を軸として、商品開発、発達支援の三本柱で構成され、「ネイス体操教室」が主軸を占める。創業者・南友介が元日本代表の体操選手であり、その経験を生かし2010年に創業。「運動・教育・子育てを通して、新たな価値創造」を目指し、"すこやかなカラダ"、"しなやかなココロ" を育てることに重点を置いた「ネイス体操教室」を首都圏中心に2023年8月時点で86校を開校する。 対象年齢は、主に1歳10ヶ月から小学6年生までで、3歳までを対象とする未就園児クラス、小学6年生までを対象とする幼児児童クラス、小学2年生から成人までが受講できるバク転教室を開講する。創業後2-3年目からは、教室で使用する器具の自社開発に着手。けがをしないよう強化スポンジを使用したカラフルなとび箱やなどを開発。これは、当初は各メーカーや海外からも器具を購入していたものの、安全性や品質、デザインなどに満足できなかったことによるもので、現在では教室で使用する90%以上の器具を自社開発で賄う。さらに、外販の需要も高まり、チームラボのアミューズメントパークで使用するマットやスイミングスクールのイベントに使用する水上アスレチックなどの製造も手掛けるに至った。 また、事業が拡大する中で、教室内でケガを誘発する恐れがあるとされるADHDなどの発達障害を持つ子どもの受け入れを断らねばならない状況が生じたが、そういった子どもたちにも体を動かす機会をつくれないか、と考え「ネイスぷらす」という名称の発達障害のある子どもを対象とする店舗を開発し、2021年5月に開校。多くの反響を呼び、FC展開でも取り入れる方針を示した。「ネイス体操教室」の標準的な面積は35坪以上で、会員制を採用しており、週1回以上の来館が見込めNSC(ネイバーフッド型ショッピングセンター)との親和性が高い。RSC(リージョナル型ショッピングセンター)の場合は、施設内にイベントスペースでオリンピアンなどの人気ゲストを招いたイベントなどのかたちで集客力強化に貢献ができるという。SDGsにも注力し、「ネイスのSDGs基本方針」を定めている。 同社の創業者である南友介は、関西高校、日本体育大学と体操競技で知られる学校出身で、現役時代は体操選手として全日本高校選抜選手権大会に出場、個人総合3位の成績を収めたほか、アテネオリンピック団体金メダリストの冨田洋之、水鳥寿思とともに、海外の試合にも出場。日本体育大学進学後、2000年の全日本選手権種目別平行棒で準優勝した。しかし、ケガのため大学卒業後は体操を辞め、実業の道へ。選手として挫折を経験した体操を事業化することに対して、二宮清純の問いに対して南は、自分自身が幼少期に両親に褒められたことで自己肯定感を持つことができたことで、その後の競技生活のモチベーションや人生における心の支えになった経験を踏まえ、同様に体操を通じ、子どもの心を豊かにし、笑顔あふれる教室を作りたいと考えたと述べている。著書に『子どもの才能は脳育体操で目覚めさせる!』『マンガでわかる!"発達っ子"が見ている世界』がある。また日本バク転協会の代表理事を務める。 出典
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ネイス株式会社は、東京都千代田区富士見1丁目に本拠を置く、子ども向けの体操教室を中心に事業展開を行う企業。運動特化型施設である体操教室のチェーン展開、運動器具製造、イベント開催などの事業展開を行う。発達障害を持つ子どもも参加できる教室を開校、多くの反響を呼んだ。
{{基礎情報 会社 |社名 = ネイス株式会社 |英文社名 = NEIS Co., Ltd. |ロゴ = |画像 = |画像説明 = |種類 = |機関設計 = |市場情報 = 非上場 |略称 = |国籍 = {{JPN}} |本社郵便番号 = 102-0071 |本社所在地 = 東京都千代田区富士見1-3-11 富士見デュープレックスビズ3F <ref name="company">{{Cite web|和書|date=|url=https://ne-is.com/company/|title=企業詳細|publisher=ネイス株式会社|accessdate=2023-9-9}}</ref> |本社緯度度 = |本社緯度分 = |本社緯度秒 = |本社N(北緯)及びS(南緯) = |本社経度度 = |本社経度分 = |本社経度秒 = |本社E(東経)及びW(西経) = |座標右上表示 = Yes |本社地図国コード = |本店郵便番号 = |本店所在地 = |本店緯度度 = |本店緯度分 = |本店緯度秒 = |本店N(北緯)及びS(南緯) = |本店経度度 = |本店経度分 = |本店経度秒 = |本店E(東経)及びW(西経) = |本店地図国コード = |設立 =2010年9月1日<ref name="company"/> |業種 = [[サービス業]] |法人番号 = 9011401021245 |統一金融機関コード = |SWIFTコード = |事業内容 = 体操教室の運営、FC展開、児童発達支援、放課後等デイサービス事業、ネイスプロダクツ事業 |代表者 = 南 友介(代表取締役)<ref name="company"/> |資本金 = 3,800万円<ref name="company"/> |発行済株式総数 = |売上高 = |営業利益 = |経常利益 = |純利益 = |純資産 = |総資産 = |従業員数 = 300人<ref name="company"/> |支店舗数 = |決算期 = |会計監査人 = |所有者 = |主要株主 = |主要部門 = |主要子会社 = |関係する人物 = 南 友介(創業者) |外部リンク = https://ne-is.com/ |特記事項 = }} '''ネイス株式会社'''(NEIS Co., Ltd.)は、[[東京都]][[千代田区]]富士見1丁目に本拠を置く、[[子ども]]向けの[[体操]][[教室]]を中心に事業展開を行う[[企業]]。運動特化型施設である体操教室のチェーン展開、運動器具製造、[[イベント]]開催などの事業展開を行う<ref name="cha">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.challengers.tv/seijun/2022/03/6738.html|title=二宮清純の視点|publisher=挑戦者たち|accessdate=2023-9-9}}</ref>。[[発達障害]]を持つ子どもも参加できる教室を開校、多くの反響を呼んだ<ref name="seijun">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.challengers.tv/seijun/2022/03/6854.html|title=二宮清純の視点 - 後編「個性」を生かす場所づくり~カラダとココロを育む教室~(後編)|publisher=挑戦者たち|accessdate=2023-9-9}}</ref><ref name="MAINICHI">『毎日新聞』2022年2月28日「体操ノウハウ支援に生かす」</ref>。 == 概要 == 日本最大級の体操教室専門に[[首都圏]]の[[商業施設]]を中心にチェーン展開を行う。事業内容は、体操教室を軸として、商品開発、発達支援の三本柱で構成され、「ネイス体操教室」が主軸を占める。創業者・南友介が元日本代表の体操選手であり、その経験を生かし2010年に創業。「[[運動]]・[[教育]]・[[子育て]]を通して、新たな価値創造」を目指し、"すこやかなカラダ"、"しなやかなココロ" を育てることに重点を置いた「ネイス体操教室」を首都圏中心に2023年8月時点で86校を開校する<ref name="cha"/><ref name="ninomiyasports">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.ninomiyasports.com/archives/98990|title=南友介(ネイス代表取締役)<前編>「『褒められる経験』が子どもを伸ばす」|publisher=SportsCommunications|accessdate=2023-9-9}}</ref>。 対象年齢は、主に1歳10ヶ月から小学6年生までで<ref name="course">{{Cite web|和書|url=https://neis-gym.com/course/)|title=ネイス体操教室コース紹介|accessdate=2023-9-5}}</ref>、3歳までを対象とする未就園児クラス、小学6年生までを対象とする幼児児童クラス、小学2年生から成人までが受講できるバク転教室を開講する。創業後2-3年目からは、教室で使用する器具の自社開発に着手。けがをしないよう強化スポンジを使用したカラフルなとび箱やなどを開発。これは、当初は各メーカーや海外からも器具を購入していたものの、安全性や品質、デザインなどに満足できなかったことによるもので、現在では教室で使用する90%以上の器具を自社開発で賄う。さらに、外販の需要も高まり、チームラボの[[アミューズメントパーク]]で使用するマットやスイミングスクールのイベントに使用する水上アスレチックなどの製造も手掛けるに至った<ref name="shogyo">『商業施設新聞』(2022年4月19日)</ref>。 また、事業が拡大する中で、教室内でケガを誘発する恐れがあるとされる[[ADHD]]などの[[発達障害]]を持つ子どもの受け入れを断らねばならない状況が生じたが、そういった子どもたちにも体を動かす機会をつくれないか、と考え「'''ネイスぷらす'''」という名称の発達障害のある子どもを対象とする店舗を開発し、2021年5月に開校。多くの反響を呼び、FC展開でも取り入れる方針を示した。「ネイス体操教室」の標準的な面積は35坪以上で、会員制を採用しており、週1回以上の来館が見込めNSC(ネイバーフッド型ショッピングセンター)との親和性が高い。RSC(リージョナル型ショッピングセンター)の場合は、施設内にイベントスペースでオリンピアンなどの人気ゲストを招いたイベントなどのかたちで集客力強化に貢献ができるという<ref name="shogyo"/>。SDGsにも注力し、「ネイスのSDGs基本方針」を定めている<ref name="sdgs">{{Cite web|和書|date=|url=https://ne-is.com/sdgs/|title=SDGs活動|publisher=ネイス株式会社|accessdate=2023-9-9}}</ref><ref name="seijun"/>。 == 創業者 == 同社の創業者である南友介は、[[関西高校]]、[[日本体育大学]]と体操競技で知られる学校出身で、現役時代は体操選手として全日本高校選抜選手権大会に出場、個人総合3位の成績を収めたほか、[[アテネオリンピック]]団体[[金メダリスト]]の[[冨田洋之]]、[[水鳥寿思]]とともに、海外の試合にも出場。日本体育大学進学後、2000年の全日本選手権種目別平行棒で準優勝した。しかし、[[ケガ]]のため大学卒業後は体操を辞め、実業の道へ。選手として挫折を経験した体操を事業化することに対して、[[二宮清純]]の問いに対して南は、自分自身が幼少期に両親に褒められたことで[[自己肯定感]]を持つことができたことで、その後の競技生活の[[モチベーション]]や人生における心の支えになった経験を踏まえ、同様に体操を通じ、子どもの心を豊かにし、笑顔あふれる教室を作りたいと考えたと述べている。著書に『子どもの才能は脳育体操で目覚めさせる!』『マンガでわかる!"発達っ子"が見ている世界』がある。また日本バク転協会の代表理事を務める<ref name="cha"/><ref name="ninomiyasports"/><ref name="gendai">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/271768|title=ネイス 南友介社長|publisher=日刊ゲンダイ|accessdate=2023-9-9}}</ref><ref name="baku">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.japan-bakuten.or.jp/about.html|title=日本バク転協会の趣旨・目的|publisher=一般社団法人日本バク転協会|accessdate=2023-9-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://amzn.asia/d/7rPpAjz|title=マンガでわかる!”発達っ子”が見ている世界 単行本 – 2022/10/21(Amazon)|accessdate=2023-9-5}}</ref>。 == 事業内容 == *体操教室事業 *児童発達支援、放課後等デイサービス事業 *ネイスプロダクツ事業 <ref name="introduction">{{Cite web|和書|date=|url=https://ne-is.com/introduction/#introduction|title=事業展開|publisher=ネイス株式会社|accessdate=2023-9-9}}</ref> == 沿革 == * [[2011年]] - 2月、 ネイス体操教室1号校となる東川口校を開校<ref name="gendai2">{{Cite web|和書|date=2020/04/19|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/272095|title=資金・人脈なしで出発…体操教室25店舗までの復活物語<後>|publisher=月刊ゲンダイ|accessdate=2023-9-9}}</ref>。 * [[2012年]] - オリジナルエアートランポリン開発・製造開始。 * [[2014年]] - 5月、オリジナル器具開発部署を分社化、バックヤード株式会社設立。 * [[2015年]] - 10月、埼玉・川口本社移転。 * [[2017年]] **4月、本社内にてコールセンター部門開設。 **7月、プライバシーマーク認定。 * [[2018年]] - 6月、東京本部開設・東京都文京区。 * [[2019年]] **1月、埼玉県経営革新モデル企業に認定、埼玉県知事より認定書を受ける。 **7月、東京本部を北区に移転。 * [[2020年]] - 1月、FC加盟募集・のれん分け独立制度開始。 * [[2021年]] **5月、発達支援施設「ネイスぷらす越谷校」開所。 **6月、東京本部を新宿区に移転。東京本部へ本社登記を変更。 **9月、大阪堺市に関西1号校目オープンと共に大阪支社開設。 * [[2023年]] - 8月30日、本社を東京都千代田区富士見1-3-11に移転。 出典<ref name="company"/> == 所在地 == === 本社 === :東京都千代田区富士見1-3-11 富士見デュープレックスビズ3F === 支社 === *埼玉支社 :埼玉県川口市戸塚6-16-11 NKビル201 *大阪支社 :大阪府大阪市天王寺区大道1丁目7-13 スカイアット天王寺ビル7F ==脚注== === 出典 === <references/> == 外部リンク == *[https://ne-is.com/ ネイス株式会社] *{{Facebook|clubneis|ネイス体操教室}} *{{Twitter|clubneis|ネイス体操教室}} *{{Instagram|neis_gymclass|ネイス体操教室}} {{DEFAULTSORT:ねいす}} [[Category:2010年設立の企業]] [[Category:千代田区の企業]] [[Category:フランチャイズ]] [[Category:体操]]
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銅川路駅
座標: 北緯31度15分9.25秒 東経121度23分33.91秒 / 北緯31.2525694度 東経121.3927528度 / 31.2525694; 121.3927528 銅川路駅(どうせんろえき)は中華人民共和国上海市普陀区真如鎮街道、大渡河路と銅川路の交差点に位置する、上海軌道交通14号線と15号線の乗換駅である。15号線は2021年1月23日、14号線は2021年12月30日に開業した。 銅川路駅は14号線と15号線の乗換駅で、それぞれ島式ホーム1面2線を有する。 ※全ての路線において案内上ののりば番号は設定されていない。 銅川路駅には5箇所の出口がある。
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銅川路駅(どうせんろえき)は中華人民共和国上海市普陀区真如鎮街道、大渡河路と銅川路の交差点に位置する、上海軌道交通14号線と15号線の乗換駅である。15号線は2021年1月23日、14号線は2021年12月30日に開業した。
{{coord|31|15|9.25|N|121|23|33.91|E|type:railwaystation|display=title}} {{駅情報 |社色=transparent |文字色=black |ローマ字=Tongchuang Road |画像=SM L15 Tongchuan Road Station.jpg |所属路線1={{Color|#616020|■}}[[上海軌道交通14号線|14号線]] |所属路線2={{Color|#CAB48F|■}}[[上海軌道交通15号線|15号線]] |開業年月日=[[2021年]][[1月23日]] |乗入路線数=2 |起点駅1=[[封浜駅|封浜]]|キロ程1=9.77 |前の駅1=[[真光路駅|真光路]] |次の駅1=[[真如駅|真如]] |駅間A1=1.31 |駅間B1=0.92 |キロ程2=11.92 |起点駅2=[[顧村公園駅|顧村公園]] |前の駅2=[[上海西駅]] |次の駅2=[[梅嶺北路駅|梅嶺北路]] |駅間A2=1.40 |駅間B2=0.67 |ホーム=島式1面2線(14号線・15号線) |駅構造=[[地下駅]] |所属事業者=[[上海地下鉄]] |所在地={{CHN}}[[上海市]][[普陀区 (上海市)|普陀区]]真如鎮街道大渡河路銅川路 |よみがな=どうせんろ}} '''銅川路駅'''(どうせんろえき)は[[中華人民共和国]][[上海市]][[普陀区 (上海市)|普陀区]][[真如鎮街道]]、[[大渡河路]]と[[銅川路]]の交差点に位置する、[[上海軌道交通]][[上海軌道交通14号線|14号線]]と[[上海軌道交通15号線|15号線]]の乗換駅である。15号線は2021年1月23日<ref>{{cite web |title=1月23日起上海地铁15号线开通初期运营 |url=http://service.shmetro.com/yygg/3128.htm |access-date=2023-09-15 |archive-date=2021-01-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210121023229/http://service.shmetro.com/yygg/3128.htm |dead-url=no}}</ref>、14号線は2021年12月30日<ref name="開通">{{cite news |title=14号线、18号线一期北段12月30日起开通初期运营 |url=http://www.shmetro.com/node49/202112/con115636.htm |accessdate=2023-09-15 |archive-date=2021-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211230061347/http://www.shmetro.com/node49/202112/con115636.htm |newspaper= |date=}}</ref>に開業した。 == 駅構造 == [[ファイル:Structure_of_Tongchuan_Road.jpg|サムネイル|銅川路駅駅構造立体図]] 銅川路駅は14号線と15号線の乗換駅で、それぞれ島式ホーム1面2線を有する。 === のりば === ※全ての路線において案内上ののりば番号は設定されていない。 {| class="wikitable" !番線<!--事業者側による呼称--> !路線 !行先 !備考 |- | colspan="4" style="background-color:#f0efea;border-top:solid 3px #616020"|'''14号線ホーム(地下2階)''' |- !西方面 | rowspan="2" |[[ファイル:SML14.svg|リンク=|20x20ピクセル|14]] 14号線 |[[封浜駅|封浜]]方面 | |- !東方面 |[[桂橋路駅|桂橋路]]方面 | |- | colspan="4" style="background-color:#f0ebe1;border-top:solid 3px #CAB48F"|'''15号線ホーム(地下3階)''' |- !北方面 | rowspan="2" |[[ファイル:SML15.svg|リンク=|20x20ピクセル|15]] 15号線 |[[顧村公園駅|顧村公園]]方面 | |- !南方面 |[[紫竹高新区駅|紫竹高新区]]方面 | |} == 駅出口 == 銅川路駅には5箇所の出口がある。 * 1号出口 - 大渡河路東側 * 2号出口 - 銅川路南側、大渡川路東側、[[華東師範大学第二附属中学]](普陀校区) * 3号出口 - 銅川路南側、上海市普陀区人民政府 * 4号出口 - 銅川路北側、普陀区図書館 * 5号出口 - 大渡河路西側、上海市体育宮 == 歴史 == * [[2021年]][[1月23日]] - 15号線開業。 * [[2021年]][[12月30日]] - 14号線開業。 == 隣の駅 == ; 上海地下鉄 : [[ファイル:SML14.svg|リンク=|20x20ピクセル|14]] 14号線 :: [[真光路駅]] - '''銅川路駅''' - [[真如駅]] : [[ファイル:SML15.svg|リンク=|20x20ピクセル|15]] 15号線 :: [[上海西駅|上海西駅駅]] - '''銅川路駅''' - [[梅嶺北路駅]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[中華人民共和国の鉄道]] {{上海軌道交通14号線}} {{DEFAULTSORT:とうせんろえき}} [[Category:上海地下鉄の駅]] [[Category:上海市普陀区の鉄道駅]]
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イズミヤショッピングセンター神戸玉津
イズミヤショッピングセンター神戸玉津(イズミヤショッピングセンターこうべたまつ、英: Izumiya Shopping Center Kobe-Tamatsu)は、エイチ・ツー・オー商業開発が管理・運営するショッピングセンターである。所在地は神戸市西区森友3丁目7番3号。中核店舗はイズミヤと無印良品。開業時はスーパーセンター業態の店舗だった。
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イズミヤショッピングセンター神戸玉津は、エイチ・ツー・オー商業開発が管理・運営するショッピングセンターである。所在地は神戸市西区森友3丁目7番3号。中核店舗はイズミヤと無印良品。開業時はスーパーセンター業態の店舗だった。
{{商業施設 |社色 = |文字色 = #000 |名称 = イズミヤショッピングセンター神戸玉津 |外国語表記 = ''Izumiya Shopping Center Kobe-Tamatsu'' |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |正式名称 = |所在地郵便番号 = 651-2132 |所在地 = [[兵庫県]][[神戸市]][[西区 (神戸市)|西区]]森友3丁目7番3号 |位置 = |開業日 = [[2006年]]([[平成]]18年)[[4月7日]]<ref name="nissyoku">{{Cite web|和書|url=https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-9642-0039|title=イズミヤ、SuC「イズミヤ神戸玉津店」オープン|website=日本食糧新聞|publisher=株式会社日本食糧新聞社|date=2006-04-19|accessdate=2023-09-09}}</ref> |閉店日 = |施設所有者 = |施設管理者 = [[イズミヤ|エイチ・ツー・オー商業開発]] |敷地面積 = |商業施設面積 = 15,000 |延床面積 = |店舗数 = 29 |中核店舗 = [[イズミヤ]]<br/>[[良品計画|無印良品]] |営業時間 = 10:00 - 20:00 (一部テナントを除く) |駐車台数 = 1,035 |前身 = イズミヤスーパーセンター神戸玉津 |外部リンク = [https://h2o-scdev.co.jp/SC/kobetamatsu/index.html/ イズミヤショッピングセンター神戸玉津] |商圏人口 = |グループ社色 = #fff |グループ文字色 = red |グループ文字フォント = 'Arial Black','Fira Sans ExtraBold',sans-serif |グループ = Izumiya }} '''イズミヤショッピングセンター神戸玉津'''(イズミヤショッピングセンターこうべたまつ、{{lang-en-short|Izumiya Shopping Center Kobe-Tamatsu}})は、[[イズミヤ|エイチ・ツー・オー商業開発]]が管理・運営する[[ショッピングセンター]]である。所在地は[[神戸市]][[西区 (神戸市)|西区]]森友3丁目7番3号。中核店舗は[[イズミヤ]]と[[無印良品]]。開業時は[[スーパーセンター]]業態の店舗だった<ref name="nissyoku" />。 == 沿革 == * 2006年4月7日に、国内5店舗目となる「イズミヤスーパーセンター」として開業<ref name="nissyoku" />。開業当初はスーパーセンター業態の店舗であった為、1階の殆どをイズミヤが直営していた。 * しかし、運営企業の再編等により2021年に改装。この時は直営売場の一部に[[ココカラファイン]]が出店した<ref>{{Cite web|和書|url=https://h2o-scdev.co.jp/SC/kobetamatsu/index.html/|title=イズミヤ神戸玉津店の直営食料品・衣料品・住居関連売り場が改装のため10月10日で閉場するみたい!順次リフレッシュオープン|website=明石じゃーなる|publisher=|date=2021-09-27|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 * また、2023年にも改装工事を実施。無印良品や[[モスバーガー]]が出店する等、2021年とは異なり大幅に改装。店舗外装もリニューアルし、「イズミヤスーパーセンター」の看板を撤去。新たに「イズミヤSC」の看板が設置された。イズミヤが4面使用していた店舗最上部の看板も、イズミヤ2面・無印良品2面に変更された。 == 営業時間 == ** 平日:10:00~20:00 ** 土・日・祝:9:00~20:00 == 交通アクセス == * 公共交通機関 ** [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]] ([[JR神戸線]])「[[明石駅]]」よりバスで「玉津環境センター前」下車、徒歩1分または「変電所前」下車、徒歩5分 == 主なテナント == * [[イズミヤ]] * [[ココカラファイングループ|ココカラファイン]] * [[良品計画|無印良品]] * [[セリア (100円ショップ)|セリア]] * [[メガネスーパー]] * [[ハニーズ]] * [[マックハウス]] * [[モスバーガー]] * [[日本ケンタッキー・フライド・チキン|ケンタッキーフライドチキン]] * [[麦の穂|ビアードパパ]] * [[バスキン・ロビンス|サーティワンアイスクリーム]] * [[ダイヤクリーニング]] * [[ジュエルカフェ]] * [[カメラのキタムラ]] * [[タカヨシ|わくわく広場]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[カナート西神戸|イズミヤショッピングセンター西神戸]] - イズミヤSC神戸玉津の近隣 (西神戸・東播磨エリア) にあるSC * [[エキソアレ西神中央]] - 同上 * [[イオン明石ショッピングセンター]] - 同上 * [[アリオ加古川]] - 同上 * [[ニッケパークタウン]] - 同上 == 外部リンク == * {{Official|https://h2o-scdev.co.jp/SC/kobetamatsu/index.html}} * {{Twitter|izumiya_tamatsu}} {{デフォルトソート:いすみやしよつひんくせんたあこうへだつ}} [[Category:神戸市のショッピングセンター]] [[Category:神戸市西区の建築物]] [[Category:2006年開業の施設]] [[Category:イズミヤ]]
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デヨン
デヨン(韓:대영、英:Daeyoung、2005年6月21日 - )は大韓民国大邱広域市出身の歌手。男性アイドルグループNCTのメンバー。本名はキム・デヨン(韓:김대영、漢:金大煐、英:Kim Daeyoung)。SMエンタテインメント所属。 2005年6月21日、大韓民国大邱広域市で生まれる。 練習生になって1ヶ月経った頃に公開された、NCT 127の『Ay-Yo』のミュージックビデオを見て、ジェヒョンに憧れを持ち、アイドルになる夢を育てた。 8月17日より、追加練習生としてプレデビューリアリティ番組『NCT Universe: LASTART』に出演した。 9月7日、NCT NEW TEAMのメンバーとしてデビューが決定した。 10月8日、所属ユニットNCT NEW TEAMがプレデビューシングル「Hands Up」を発売した。 明るくて、おしゃべりな性格。兄が2人いる。MBTI性格診断はENFP型。身長180cm。 ニックネームは「デン」。座右の銘は「それでも」。「木のように成長したい」という思いから、デヨンを表す絵文字には「木(落葉樹)」が使われている。 趣味は、歌を歌うこと、ピアノ、読書、ランニング。ピアノは6歳の時に始めて、8年間習っていた。特技は肉を焼くこと、料理。 ロールモデルはキュヒョン(SUPER JUNIOR)、ジェヒョン(NCT)、チャン・ジニョン(元Black Beat)。 一番大切にしているものはカメラ。
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デヨンは大韓民国大邱広域市出身の歌手。男性アイドルグループNCTのメンバー。本名はキム・デヨン。SMエンタテインメント所属。
{{特殊文字|説明=[[ハングル]]}} {{Infobox Musician | Name = デヨン | Background = singer | Origin = {{KOR}}・[[大邱広域市]] | Genre = [[J-POP]]<br/>[[K-POP]] | Years_active = [[2023年]] - 現在 | Label = [[カカオエンターテインメント]]<br/>[[avex trax]] | Production = [[エスエム・エンタテインメント|SMエンタテインメント]] | URL = [https://nct-jp.net/ nct-jp.net] (日本) | Associated_acts = [[NCT (音楽グループ)]]<br/>NCT NEW TEAM | Occupation = [[歌手]] | Img = | Born = {{生年月日と年齢|2005|6|21}} }} '''デヨン'''([[朝鮮語|韓]]:대영、[[英語|英]]:Daeyoung、[[2005年]][[6月21日]] - <ref>{{Cite web|title=MUSICIAN|url=https://www.smtown.com/artist/musician/10986|website=SMTOWN|accessdate=2023-10-21}}</ref> )は[[大韓民国]][[大邱広域市]]出身の[[歌手]]。男性アイドルグループ[[NCT (音楽グループ)|NCT]]のメンバー。本名は'''キム・デヨン'''([[朝鮮語|韓]]:{{lang|ko|김대영}}、[[朝鮮における漢字|漢]]:金大煐、[[英語|英]]:Kim Daeyoung)。[[エスエム・エンタテインメント|SMエンタテインメント]]所属。 == 来歴 == 2005年6月21日、大韓民国大邱広域市で生まれる。 === SMエンタ入社 === 2023年1月3日、SMエンタテインメントに入社した<ref>{{Cite web|和書|date=2023-12-15|url=https://www.youtube.com/watch?v=rinBf5MRB9w|title=NCT Universe : LASTART PRE-DEBUT TOUR VCR Behind the Scenes|website=YouTube|accessdate=2023-12-16}}</ref>。 練習生になって1ヶ月経った頃に公開された、NCT 127の『[[2 Baddies|Ay-Yo]]』のミュージックビデオを見て、[[ジェヒョン]]に憧れを持ち、アイドルになる夢を育てた<ref name="story">{{Cite tweet|user=SM_NCTUniverse|number=1692462840488026132|title=Show Me Your Story|accessdate=2023-08-25}}</ref>。 === NCTデビュー(2023年 - )=== ==== 2023年 ==== 8月17日より、追加練習生としてプレデビューリアリティ番組『[[NCT Universe: LASTART]]』に出演した。 9月7日、'''NCT NEW TEAM'''のメンバーとしてデビューが決定した<ref>{{Cite web|和書|date=2023-09-07|url=https://mdpr.jp/k-enta/detail/3937602|title=NCT新チーム、デビューメンバー決定 緊急会議で1人追加|website=モデルプレス|accessdate=2023-09-12}}</ref>。 10月8日、所属ユニットNCT NEW TEAMがプレデビューシングル'''「[[Hands Up (NCT NEW TEAMの曲)|Hands Up]]」'''を発売した<ref>{{Cite web|和書|date=2023-10-07|url=https://www.wowkorea.jp/news/read/410853.html|title=「NCT NEW TEAM」(仮称)、8日午前0時に日本プレデビューシングル「Hands Up」を発売へ|website=wowKorea|accessdate=2023-10-16}}</ref>。 == 人物 == === 性格・ニックネーム === 明るくて、おしゃべりな性格<ref name="universe">{{Cite tweet|user=SM_NCTUniverse|number=1692461833922461834|title=Show Me Your Universe|date=2023-08-18|accessdate=2023-08-25}}</ref>。兄が2人いる。MBTI性格診断はENFP型<ref name="universe"/>。身長180cm。 ニックネームは「デン」<ref name="universe"/>。座右の銘は「それでも」<ref name="universe"/>。「木のように成長したい」という思いから、デヨンを表す絵文字には「木(落葉樹)」が使われている<ref>{{Cite web|date=2023-10-04|url=https://www.instagram.com/p/Cx-TcBgL7rG/?hl=ja|title=대영이에요🌳|website=Instagram|accessdate=2023-10-27}}</ref>。 === 趣味・嗜好 === 趣味は、歌を歌うこと、ピアノ、読書<ref name="taste">{{Cite tweet|user=SM_NCTUniverse|number=1692462337545085027|title=Show Me Your Taste|date=2023-08-18|accessdate=2023-08-25}}</ref>、ランニング<ref>{{Cite web|date=2023-11-04|url=https://weverse.io/nctnewteam/artist/2-129127343|title=오늘 오랜만에 한강에 러닝하러왔어여!!|website=Weverse|accessdate=2023-11-04}}</ref>。ピアノは6歳の時に始めて、8年間習っていた。特技は肉を焼くこと<ref >{{Cite web|date=2023-11-24|url=https://www.youtube.com/watch?v=1SqkKQdUgYM|title=WE GO! WE FLY! EP. 2|website=YouTube|accessdate=2023-11-24}}</ref>、料理。 ロールモデルは[[キュヒョン]]([[SUPER JUNIOR]])、[[ジェヒョン]](NCT)、チャン・ジニョン(元Black Beat)<ref name="story"/>。 一番大切にしているものはカメラ<ref name="taste"/>。 == 出演 == === テレビ番組 === *日本テレビ『NCT Universe: LASTART』(2023年) === スペシャルステージ === *パク・ヒョシン「Wild Flower」- NCT Universe: LASTART(2023年8月31日)- {{YouTube|KwYCPDMpMoI|パフォーマンスビデオ}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == {{Commonscat|Kim Dae-young}} * [https://nct-jp.net/ 公式ウェブサイト(日本)] {{Normdaten}} {{NCT (音楽グループ)}} {{DEFAULTSORT:てよん}} [[Category:韓国の男性ポップ歌手]] [[Category:大邱広域市出身の人物]] [[Category:2005年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:NCTのメンバー]]
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戦争 (FLATBACKERのアルバム)
『戦争』(アクシデント)は、FLATBACKERの1枚目のオリジナル・アルバム。 FLATBACKERのデビュー・アルバム。 ヘヴィメタルにパンクやハードコアの要素を取り入れている。 2004年9月22日には、廉価盤として再発売した。 2005年3月16日には、デビュー20周年を記念して、デジタル・リマスタリングを施し、紙ジャケット仕様で再発売した。 (全作詞:MASAKI / 作曲:SHOYO(#1-3,5,7,8)、TARO(#4,6,9,10) / 全編曲:FLATBACKER)
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『戦争』(アクシデント)は、FLATBACKERの1枚目のオリジナル・アルバム。
{{Infobox Album | Name = 戦争 | Type = [[スタジオ・アルバム]] | Artist = [[FLATBACKER]] | Released = [[1985年]][[8月21日]] | Recorded = | Genre = [[ハードロック]] <br /> [[ヘヴィメタル]] | Length = 37分20秒 | Label = [[Invitation (レーベル)|Invitation]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = | This album = '''戦争'''<br />(1985年) | Next album = [[餌 (FLATBACKERのアルバム)|餌]]<br />([[1986年]]) | Misc = }} 『'''戦争'''』(アクシデント)は、[[FLATBACKER]]の1枚目の[[オリジナル・アルバム]]。 == 概要 == FLATBACKERのデビュー・アルバム<ref name="/">{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/4105011459|title=FLATBACKER / 戦争(アクシデント) [紙ジャケット仕様] [廃盤]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref name="戦争">{{Cite web|和書|url=https://www.hmv.co.jp/artist_Flatbacker_000000000013255/item_戦争_1505143|title=戦争|work=HMV&BOOKS online|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[ヘヴィメタル]]に[[パンク・ロック|パンク]]や[[ハードコア・パンク|ハードコア]]の要素を取り入れている<ref name="/"/><ref name="戦争"/>。 [[2004年]][[9月22日]]には、[[廉価版|廉価盤]]として再発売した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/disc/-/4104070350|title=FLATBACKER / 戦争(アクシデント) [限定][廃盤]|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hmv.co.jp/artist_Flatbacker_000000000013255/item_戦争_1823079|title=戦争|work=HMV&BOOKS online|accessdate=2023-09-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/-/7094|title=1,500円で名盤が買える新シリーズ~J-POP編|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 [[2005年]][[3月16日]]には、デビュー20周年を記念して、[[デジタル・リマスタリング]]を施し、[[紙ジャケット]]仕様で再発売した<ref name="/"/><ref name="戦争"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/news/-/8199|title=E・Z・O、前身バンド時代も含めた全作品をリマスター&紙ジャケ化!|work=CD Journal|accessdate=2023-09-09}}</ref>。 == 収録曲 == (全作詞:[[山田雅樹|MASAKI]] / 作曲:SHOYO(#1-3,5,7,8)、TARO(#4,6,9,10) / 全編曲:FLATBACKER) #'''Hard Blow''' #'''Deathwish''' #'''ミミズ''' #'''Dance''' #'''追放''' #'''宣戦布告''' #'''Accident''' #'''Gas''' #'''なだれ''' #'''Camouflage''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Album-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あくしてんと}} [[Category:1985年のアルバム]] [[Category:ビクターエンタテインメントのアルバム]]
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