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産業革命 (フランス)
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阿保神社
阿保神社(あおじんじゃ)は、大阪府松原市阿保5丁目にある神社。海泉池の北側に位置する。祭神は菅原道真(本殿)、阿保親王(阿保親王社)、市杵島姫命(厳島神社)の三神。旧社格は村社。境内には1200年前の阿保親王お手植えと伝わる大くすの木、めおとくすの木、社務所横のくすの木の3本のご神木がそびえる。 阿保神社、屯倉神社、柴籬神社、布忍神社、我堂八幡宮(ここまで松原市)、阿麻美許曽神社(大阪府東住吉区)の6社で「開運松原六社参り」を行っている。 海泉池の北側に展開する阿保集落にある阿保親王邸宅跡の西方にあり、創建は明らかではない。社伝によると本殿は慶長13年(1608年)の再建を記す棟札があったと伝えるが現在では所在不明であり、その後の記録も見出されていない。「阿保(あお)」の名は阿保親王に由来し、本殿前には「史跡阿保親王住居址」の石碑が建つ。阿保茶屋の近くにある稚児が池(親王池)は、阿保親王が農民のために築いたと伝わる。 1872年(明治5年)には近代社格制度で村社に列せられた。明治・大正・昭和にかけて、松原では村人らによる村相撲が盛んであり、阿保神社、屯倉神社、柴籬神社などの神社に土俵が設けられた。 2022年(令和4年)1月、約150年ぶりに大鳥居が建て替えられた。
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阿保神社(あおじんじゃ)は、大阪府松原市阿保5丁目にある神社。海泉池の北側に位置する。祭神は菅原道真(本殿)、阿保親王(阿保親王社)、市杵島姫命(厳島神社)の三神。旧社格は村社。境内には1200年前の阿保親王お手植えと伝わる大くすの木、めおとくすの木、社務所横のくすの木の3本のご神木がそびえる。 阿保神社、屯倉神社、柴籬神社、布忍神社、我堂八幡宮(ここまで松原市)、阿麻美許曽神社(大阪府東住吉区)の6社で「開運松原六社参り」を行っている。
{{otheruses|大阪府松原市の神社(あおじんじゃ)|埼玉県神川町の神社(あぼじんじゃ)|阿保神社 (神川町)}} {{神社 |名称 = 阿保神社 |画像 = [[File:阿保神社 松原市阿保5丁目 Ao-jinja 2014.1.23 - panoramio.jpg|280px]] |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]阿保5-4-19 | 緯度度 =34|緯度分 =34|緯度秒 =55.58 | 経度度 =135|経度分 =33|経度秒 =25.77 |祭神 = [[菅原道真]]<br />[[阿保親王]]<br />[[イチキシマヒメ|市杵島姫命]] |神体 = |社格 = 旧村社 |創建 = 不詳 |宮司 = |本殿 = 流造 |別名 = |札所等 = |例祭 = |神事 = |地図 = Japan Osaka }} '''阿保神社'''(あおじんじゃ)は、[[大阪府]][[松原市]]阿保5丁目にある[[神社]]<ref>{{Cite web |url=https://www.osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/matsubara-city/06027aojinja.html |title=阿保神社(あおじんじゃ) |access-date=2023-10-02 |publisher=大阪府神社庁 |website=大阪府神社庁ホームページ}}</ref>。海泉池の北側に位置する<ref name="松原市1978">{{Cite book|和書 |title=松原市史資料集 第9号 (松原市の考古誌) |year=1978 |publisher=松原市 |pages=62-63 |month=3 |author=松原市 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/9574139/1/37 |access-date=2023-11-02 |author2=島田暁}}</ref>。祭神は[[菅原道真]](本殿)、[[阿保親王]](阿保親王社)、[[イチキシマヒメ|市杵島姫命]](厳島神社)の三神。旧社格は村社<ref name="井上正雄1922">{{Cite book|和書 |title=大阪府全志 巻之四 |year=1922 |publisher=清文堂出版 |author=井上正雄 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/9573105 |pages=681-682}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=松原市史資料集第8号 壱村限取調調 |year=1977 |publisher=松原市役所 |page=52}}</ref>。境内には1200年前の阿保親王お手植えと伝わる大くすの木、めおとくすの木、社務所横のくすの木の3本のご神木がそびえる<ref name=":0">{{Cite web |title=阿保神社 |url=https://ao-shrine.com/ |website=阿保神社 |access-date=2023-10-01 |language=ja}}</ref>。 阿保神社、[[屯倉神社]]、[[柴籬神社]]、[[布忍神社]]、[[我堂八幡宮]](ここまで松原市)、[[阿麻美許曽神社]](大阪府東住吉区)の6社で「開運松原六社参り」を行っている<ref name="開運松原六社参り">{{Cite web |title=開運松原六社参り |url=https://matsubara-kanko.net/enjoy/rokusya/ |website=松原市観光協会 |access-date=2023-10-01 |language=ja |publisher=松原市観光協会}}</ref><ref>{{Cite journal ja-jp |author = 来村多加史 |year = 2012 |title = 開運松原六社参りの役割と展開 |url = https://hannan-u.repo.nii.ac.jp/records/408 |format = PDF |journal = 阪南論集. 人文・自然科学編 |volume = 47 |issue = 2 |publisher = 阪南大学学会 |issn = 03881822 |pages = 137-142 }}</ref>。 == 祭神 == * [[菅原道真]](すがわらのみちざね) * [[阿保親王]](あぼしんのう) * [[イチキシマヒメ|市杵島姫命]](いちきしまひめのみこと) == 由緒 == [[海泉池]]の北側に展開する阿保集落にある[[阿保親王]]邸宅跡の西方にあり<ref name=外観/>、創建は明らかではない。社伝によると本殿は慶長13年(1608年)の再建を記す棟札があったと伝えるが現在では所在不明であり、その後の記録も見出されていない<ref name=":1">{{Cite book|和書 |title=大阪府の近世社寺建築 |year=1987 |publisher=大阪府教育委員会文化財保護課 |page=407}}</ref>。「阿保(あお)」の名は阿保親王に由来し<ref name=":0" /><ref name="井上正雄1922"/>、本殿前には「史跡阿保親王住居址」の石碑が建つ<ref>{{Cite book|和書 |title=松原歴史ウォーク 1北東コース |year=2015 |publisher=松原市 |page=6 |author=西田孝司 |month=10 |author2=松原市教育委員会 |location=大阪府松原市 |url=https://web.d-library.jp/matsubara/g0102/libcontentsinfo/?conid=158583&m=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%EF%BC%91%E3%80%80%E5%8C%97%E6%9D%B1%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9+1+%28%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%29}}</ref>。阿保茶屋の近くにある稚児が池(親王池)は、阿保親王が農民のために築いたと伝わる<ref name="松原市1985p186">{{Cite book|和書 |author=松原市史編さん委員会 |title=松原市史 第1巻 |year=1985 |publisher=松原市 |page=186}}</ref><ref name="井上正雄1922"/>。 1872年(明治5年)には[[近代社格制度]]で村社に列せられた<ref 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|language=ja}}</ref>。今後の修復保存事業のために、[[咲くやこの花館]]の久山敦名誉館長の協力を得て植物名の同定作業を行っている<ref name="花の天井画"/>。 * 阿保親王社 : かつて公垣内にあった阿保親王の御殿跡から阿保神社に合祀された神社であり、阿保神社の拝殿の東側にある<ref name="井上正雄1922"/><ref name="文化遺産オンライン阿保親王社・厳島神社 社殿">{{Cite web |title=阿保親王社・厳島神社 社殿 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/593203 |website=文化遺産オンライン |access-date=2023-10-01 |language=ja}}</ref>。 * 厳島神社 : 小字・蛭半才の弁天山にあった神社を、1873年(明治6年)阿保神社に合祀した<ref name="文化遺産オンライン阿保親王社・厳島神社 社殿"/>。市杵島姫命を祀る。 * 大鳥居 : 2022年(令和4年)1月に再建<ref name=外観>{{Cite web |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/598020 |title=阿保神社外観 |publisher =文化遺産オンライン |accessdate=2023-10-04}}</ref>。 * 社務所 * 遥拝所 * 手水舎 * 大くすの木 : 幹周4.85メートル、樹高20メートルで、推定樹齢は300年以上である<ref name="松原の郷土を知る会2015">{{Cite book|和書 |title=松原の樹木 |date=2015年3月30日 |year=2015 |publisher=松原の郷土を知る会,一般財団法人松原市文化情報振興事業団 |page=2 |url=http://doi.org/10.24484/sitereports.129995 |author=松原の郷土を知る会 |access-date=2023-10-02 |location=松原市上田7丁目11-19}}</ref>。阿保親王お手植えと伝わり、松原市制施行60周年を記念して発行された『[[doi:10.24484/sitereports.88615|まつばらいろはかるた]]』には「楠大樹 千年と伝う 阿保神社」という絵札がある<ref name="文化遺産オンライン『まつばらいろはかるた』絵札">{{Cite web |title=『まつばらいろはかるた』絵札 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/593470 |website=文化遺産オンライン |access-date=2023-10-01 |language=ja}}</ref><ref name="まつばらいろはかるた|松原市ホームページ">{{Cite web |url=https://www.city.matsubara.lg.jp/bunka/bunkazai/5/5661.html |title=まつばらいろはかるた |access-date=2023-10-02 |website=松原市ホームページ |language=ja}}</ref>。松原市の社寺林では最も多くの社寺でみられるのが[[クスノキ]]である<ref name="松原市1985p50">{{Cite book|和書 |author=松原市史編さん委員会 |title=松原市史 第1巻 |year=1985 |publisher=松原市 |page=50-51}}</ref>。 * めおとくすの木 * 社務所横のくすの木 <gallery> 阿保神社 松原市阿保5丁目 Ao-jinja 2014.1.23 - panoramio (1).jpg|鳥居 阿保神社境内の阿保親王社・厳島神社 松原市阿保5丁目 2014.1.23 - panoramio.jpg|阿保親王社・厳島神社 阿保神社のクスノキ 松原市阿保5丁目 2014.1.23 - panoramio.jpg|大くすの木 </gallery> == 現地情報 == * [[大阪府]][[松原市]]阿保5-4-19 * [[近鉄南大阪線]][[河内松原駅]]より北へ800メートル(徒歩15分) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * 松原市史編さん委員会『松原市史 第1巻』松原市、1985年 * 『松原市史資料集第8号 壱村限取調調』松原市役所、1977年 * 松原市、島田暁『松原市史資料集 第9号 (松原市の考古誌)』松原市、1978年 * 井上正雄『大阪府全志 巻之四』清文堂出版、1922年 * 『大阪府の近世社寺建築』大阪府教育委員会文化財保護課、1987年 * 『松原歴史ウォーク 1北東コース』松原市、2015年 * 松原警察署編集委員会『松原警察署史 土地の歴史と人のくらし』松原警察署、1984年 == 外部リンク == {{Commonscat|Ao-jinja (Matsubara)}} * {{Official|https://ao-shrine.com/}} * [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/598020 阿保神社外観] - 文化遺産オンライン * [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/550561 阿保神社のくす] - 文化遺産オンライン * [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/593203 阿保親王社・厳島神社 社殿] - 文化遺産オンライン {{DEFAULTSORT:あほしんしや}} [[Category:大阪府の神社]] [[Category:大阪府の旧村社]] [[Category:松原市の建築物]] [[Category:松原市の歴史]]
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松原市民図書館
松原市民図書館(まつばらしみんとしょかん)は、大阪府松原市の公共図書館の総称。松原市民松原図書館(読書の森)を中央館とし、地域館として松原市民天美西図書館、松原市民天美図書館、松原市民情報ライブラリー、松原市民三宅図書館、松原市民恵我図書館の5館がある。 子ども文庫を源流として図書館設置運動が行われたことに特色があり、行政主導で優れた図書館作りを行った東京都の日野市立図書館と対比させて、「東の日野、西の松原」と呼ばれたこともある。 松原市は大阪市のベッドタウンとして発展し、高度経済成長期に人口が急増した自治体である。1970年(昭和45年)7月には松原市に「雨の日文庫」が誕生し、1972年(昭和47年)4月には松原子ども文庫連絡会が発足し、1973年(昭和48年)7月には松原市中央公民館に地域文庫「松ぼっくり」が誕生した。 1972年(昭和47年)時点で松原市が策定していた10年計画の中に図書館の建設は含まれておらず、移動図書館車の運行開始の予定もなかったが、大阪市立図書館長を務めていた森耕一(松原市在住)の意見などもあり、1974年(昭和49年)4月には移動図書館車の運行を開始した。車両には長新太のイラストが描かれており、初代車両の積載量は約2500冊だった。移動図書館車の運行開始と同時に、地域文庫「松ぼっくり」が松原市に移管され、松原市立中央公民館に中央公民館図書室が開設された。 1973年(昭和48年)の大阪府においては、43市町村のうち17市町(30市のうち16市、13町村のうち1町)に図書館が設置されているに過ぎず、さらに大阪府南部の自治体では図書館の設置が遅れていた(北高南低)。1975年(昭和50年)1月には松原市図書館設置計画審議会が発足し、1976年(昭和51年)11月には図書館設置計画審議会答申が提出された。1977年(昭和52年)4月には松原市図書館条例を制定し、組織としての松原市民図書館が発足すると、図書館サービスの拠点として中央公民館図書室(松原駅前分館)を、布忍公民館に布忍分室を開設した。1978年(昭和53年)5月には布忍分室を休室し、7月には三宅公民館に三宅分室を開設したが、1979年(昭和54年)4月には布忍分室を新町分室として再開設した。 1980年(昭和55年)7月、建物としての松原市民松原図書館が開館した。公民館、文化会館、体育館などが集まる場所にあり、鉄筋コンクリート造2階建ての建物の外壁には化粧煉瓦が用いられていた。松原図書館は中央館としての機能を果たすべく設置されたが、あくまでも「本格的な地域館」という位置づけだった。巨大な中央館を建設するのではなく、地域館・分館・分室・移動図書館を組み合わせることによって図書館サービス網を構築したのが松原市の特色である。松原市は「市立図書館」という名称を主張したが、松原子ども文庫連絡会が「市民図書館」という名称を提案し、最終的には松原子ども文庫連絡会の提案通りの名称となった。 この後には立て続けに地域館を開設しており、1981年(昭和56年)5月には松原市民天美図書館が、1982年(昭和57年)5月には松原市民恵我図書館が、1984年(昭和59年)5月には松原市民三宅図書館が、1985年(昭和60年)5月には松原市民松原南図書館が、1988年(昭和63年)6月には天美西図書館が開館している。この間の1985年(昭和60年)4月には松原図書館と松原南図書館がオンラインで結ばれ、1986年(昭和61年)5月には全地域館がオンラインで結ばれた。 平成に入ってからも、1993年(平成5年)11月には情報ライブラリーが、2000年(平成12年)4月には新町図書館が開館した。2006年(平成18年)4月には松原市にメインキャンパスを置く阪南大学図書館と相互利用を開始した。移動図書館車は買い替えを経て1974年(昭和49年)から運行を続けていたが、2007年(平成19年)3月に運行を終了して役目を終えた。 2009年(平成21年)4月には大阪市と図書館の相互利用を開始し、2012年(平成24年)7月には松原市、八尾市、柏原市、東大阪市、富田林市、河内長野市、羽曳野市、藤井寺市、大阪狭山市の9市で図書館の相互利用を開始した。また、2017年(平成29年)には南河内3町村(千早赤阪村、太子町、河南町)の図書館及び図書室との相互利用を開始した。 2011年(平成23年)3月には松原市民図書館協議会によって「これからの松原市民図書館のあり方について」答申され、2013年(平成25年)5月には松原市図書館適正配置等検討委員会によって「図書館の適正配置及び規模、ならびに市民サービスの充実などについて」答申された。2010年代には複数の地域館を休止・廃止しており、2015年(平成27年)4月1日には新町図書館を廃止、松原南図書館を休止し、2016年(平成28年)6月29日には松原南図書館を廃止している。2017年(平成29年)7月には「松原市新図書館建設方針」を策定し、1980年(昭和55年)から使用していた建物に変わる図書館の建設に着手した。 2018年(平成30年)11月には松原図書館新館の建設工事に着工し、2019年(令和元年)11月11日には松原図書館が移転準備のための長期休館に入った。この間の2019年(令和元年)7月1日には松原図書館に指定管理者制度が導入され、図書館流通センターを中心とするTRC松原グループが指定管理者となった。2020年(令和2年)1月26日、松原市民松原図書館の新館(読書の森)が開館した。「読書の森」と命名したのは地元の小学生である。開館と同時にWi-Fi接続サービスやインターネット予約サービスも開始しており、その他には自動貸出機、読書通帳機、書籍除菌機、予約棚、RoBoHoNなども導入されている。 2020年(令和2年)前半には新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し、3月2日から5月18日には臨時休館した。4月6日以降には緊急事態宣言の発出に伴う特別措置として予約本の宅配サービスを実施している。コロナ禍においては2021年(令和3年)1月14日から2月28日にも時間短縮開館となり、同年4月25日から6月20日にも臨時休館した。2021年(令和3年)12月29日には天美図書館が移転準備のための長期休館に入り、2022年(令和4年)2月1日に天美図書館が移転開館した。 松原市は設計・施工一体型のプロポーザル方式で事業者の選定を行い、高野洋平と森田祥子が主宰するMARU。architectureと鴻池組が設計を、鴻池組が施工を担当した。松原市周辺には多数の古墳やため池があるため、田井城今池親水公園にもとから存在したため池を埋め立てずに残し、古墳のようにため池の端に図書館が建てられた。MARU。architectureは公共施設から民間施設まで幅広い建物を設計しており、図書館を含む土佐市複合文化施設 つなーでを設計した経験はあるが、図書館単独施設の設計は松原市民松原図書館が初である。 赤みを帯びたコンクリートの外壁を採用した、壁面が傾斜したり不定形な輪郭を持つことが建物の特徴である。建物や池の周囲には遊歩道が整備され、建物内には屋外テラスや池を見渡せる閲覧席が設置されるなど、親水空間としての機能が強く意識されている。また、池の水面で冷却された風が建物内を循環する工夫がなされている。 1階は主に一般書と地域資料の書架、2階は雑誌・新聞などのブラウジングコーナーや自習室、3階は児童書の書架がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "松原市民図書館(まつばらしみんとしょかん)は、大阪府松原市の公共図書館の総称。松原市民松原図書館(読書の森)を中央館とし、地域館として松原市民天美西図書館、松原市民天美図書館、松原市民情報ライブラリー、松原市民三宅図書館、松原市民恵我図書館の5館がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "子ども文庫を源流として図書館設置運動が行われたことに特色があり、行政主導で優れた図書館作りを行った東京都の日野市立図書館と対比させて、「東の日野、西の松原」と呼ばれたこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "松原市は大阪市のベッドタウンとして発展し、高度経済成長期に人口が急増した自治体である。1970年(昭和45年)7月には松原市に「雨の日文庫」が誕生し、1972年(昭和47年)4月には松原子ども文庫連絡会が発足し、1973年(昭和48年)7月には松原市中央公民館に地域文庫「松ぼっくり」が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)時点で松原市が策定していた10年計画の中に図書館の建設は含まれておらず、移動図書館車の運行開始の予定もなかったが、大阪市立図書館長を務めていた森耕一(松原市在住)の意見などもあり、1974年(昭和49年)4月には移動図書館車の運行を開始した。車両には長新太のイラストが描かれており、初代車両の積載量は約2500冊だった。移動図書館車の運行開始と同時に、地域文庫「松ぼっくり」が松原市に移管され、松原市立中央公民館に中央公民館図書室が開設された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1973年(昭和48年)の大阪府においては、43市町村のうち17市町(30市のうち16市、13町村のうち1町)に図書館が設置されているに過ぎず、さらに大阪府南部の自治体では図書館の設置が遅れていた(北高南低)。1975年(昭和50年)1月には松原市図書館設置計画審議会が発足し、1976年(昭和51年)11月には図書館設置計画審議会答申が提出された。1977年(昭和52年)4月には松原市図書館条例を制定し、組織としての松原市民図書館が発足すると、図書館サービスの拠点として中央公民館図書室(松原駅前分館)を、布忍公民館に布忍分室を開設した。1978年(昭和53年)5月には布忍分室を休室し、7月には三宅公民館に三宅分室を開設したが、1979年(昭和54年)4月には布忍分室を新町分室として再開設した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1980年(昭和55年)7月、建物としての松原市民松原図書館が開館した。公民館、文化会館、体育館などが集まる場所にあり、鉄筋コンクリート造2階建ての建物の外壁には化粧煉瓦が用いられていた。松原図書館は中央館としての機能を果たすべく設置されたが、あくまでも「本格的な地域館」という位置づけだった。巨大な中央館を建設するのではなく、地域館・分館・分室・移動図書館を組み合わせることによって図書館サービス網を構築したのが松原市の特色である。松原市は「市立図書館」という名称を主張したが、松原子ども文庫連絡会が「市民図書館」という名称を提案し、最終的には松原子ども文庫連絡会の提案通りの名称となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "この後には立て続けに地域館を開設しており、1981年(昭和56年)5月には松原市民天美図書館が、1982年(昭和57年)5月には松原市民恵我図書館が、1984年(昭和59年)5月には松原市民三宅図書館が、1985年(昭和60年)5月には松原市民松原南図書館が、1988年(昭和63年)6月には天美西図書館が開館している。この間の1985年(昭和60年)4月には松原図書館と松原南図書館がオンラインで結ばれ、1986年(昭和61年)5月には全地域館がオンラインで結ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "平成に入ってからも、1993年(平成5年)11月には情報ライブラリーが、2000年(平成12年)4月には新町図書館が開館した。2006年(平成18年)4月には松原市にメインキャンパスを置く阪南大学図書館と相互利用を開始した。移動図書館車は買い替えを経て1974年(昭和49年)から運行を続けていたが、2007年(平成19年)3月に運行を終了して役目を終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2009年(平成21年)4月には大阪市と図書館の相互利用を開始し、2012年(平成24年)7月には松原市、八尾市、柏原市、東大阪市、富田林市、河内長野市、羽曳野市、藤井寺市、大阪狭山市の9市で図書館の相互利用を開始した。また、2017年(平成29年)には南河内3町村(千早赤阪村、太子町、河南町)の図書館及び図書室との相互利用を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)3月には松原市民図書館協議会によって「これからの松原市民図書館のあり方について」答申され、2013年(平成25年)5月には松原市図書館適正配置等検討委員会によって「図書館の適正配置及び規模、ならびに市民サービスの充実などについて」答申された。2010年代には複数の地域館を休止・廃止しており、2015年(平成27年)4月1日には新町図書館を廃止、松原南図書館を休止し、2016年(平成28年)6月29日には松原南図書館を廃止している。2017年(平成29年)7月には「松原市新図書館建設方針」を策定し、1980年(昭和55年)から使用していた建物に変わる図書館の建設に着手した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)11月には松原図書館新館の建設工事に着工し、2019年(令和元年)11月11日には松原図書館が移転準備のための長期休館に入った。この間の2019年(令和元年)7月1日には松原図書館に指定管理者制度が導入され、図書館流通センターを中心とするTRC松原グループが指定管理者となった。2020年(令和2年)1月26日、松原市民松原図書館の新館(読書の森)が開館した。「読書の森」と命名したのは地元の小学生である。開館と同時にWi-Fi接続サービスやインターネット予約サービスも開始しており、その他には自動貸出機、読書通帳機、書籍除菌機、予約棚、RoBoHoNなども導入されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)前半には新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し、3月2日から5月18日には臨時休館した。4月6日以降には緊急事態宣言の発出に伴う特別措置として予約本の宅配サービスを実施している。コロナ禍においては2021年(令和3年)1月14日から2月28日にも時間短縮開館となり、同年4月25日から6月20日にも臨時休館した。2021年(令和3年)12月29日には天美図書館が移転準備のための長期休館に入り、2022年(令和4年)2月1日に天美図書館が移転開館した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "松原市は設計・施工一体型のプロポーザル方式で事業者の選定を行い、高野洋平と森田祥子が主宰するMARU。architectureと鴻池組が設計を、鴻池組が施工を担当した。松原市周辺には多数の古墳やため池があるため、田井城今池親水公園にもとから存在したため池を埋め立てずに残し、古墳のようにため池の端に図書館が建てられた。MARU。architectureは公共施設から民間施設まで幅広い建物を設計しており、図書館を含む土佐市複合文化施設 つなーでを設計した経験はあるが、図書館単独施設の設計は松原市民松原図書館が初である。", "title": "各館" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "赤みを帯びたコンクリートの外壁を採用した、壁面が傾斜したり不定形な輪郭を持つことが建物の特徴である。建物や池の周囲には遊歩道が整備され、建物内には屋外テラスや池を見渡せる閲覧席が設置されるなど、親水空間としての機能が強く意識されている。また、池の水面で冷却された風が建物内を循環する工夫がなされている。", "title": "各館" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1階は主に一般書と地域資料の書架、2階は雑誌・新聞などのブラウジングコーナーや自習室、3階は児童書の書架がある。", "title": "各館" } ]
松原市民図書館(まつばらしみんとしょかん)は、大阪府松原市の公共図書館の総称。松原市民松原図書館(読書の森)を中央館とし、地域館として松原市民天美西図書館、松原市民天美図書館、松原市民情報ライブラリー、松原市民三宅図書館、松原市民恵我図書館の5館がある。 子ども文庫を源流として図書館設置運動が行われたことに特色があり、行政主導で優れた図書館作りを行った東京都の日野市立図書館と対比させて、「東の日野、西の松原」と呼ばれたこともある。
{{図書館 |名称 = 松原市民図書館 |英名 = Matsubara Civic Library |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = |開館 = 1970年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = 松原市図書館条例 |館長 = |職員数 = |公式サイト = [http://www.trc-matsubara.jp/ 松原市民図書館] |備考 = }} '''松原市民図書館'''(まつばらしみんとしょかん)は、[[大阪府]][[松原市]]の[[公共図書館]]の総称。'''松原市民松原図書館(読書の森)'''を中央館とし、地域館として松原市民天美西図書館、松原市民天美図書館、松原市民情報ライブラリー、松原市民三宅図書館、松原市民恵我図書館の5館がある。 [[子ども文庫]]を源流として図書館設置運動が行われたことに特色があり、行政主導で優れた図書館作りを行った東京都の[[日野市立図書館]]と対比させて、「東の日野、西の松原」と呼ばれたこともある<ref>日本図書館協会出版委員会『図書館員に勧めたいこの1冊』日本図書館協会、1997年、pp.63-65<!--『松原の市民図書館 子ども文庫から図書館システムへ』日本図書館研究会、1984年--></ref>。 == 歴史 == === 図書館活動(1970年~1980年) === [[File:Matsubara Civic Library interior 2021-08 ac (1).jpg|thumb|松原市における図書館活動の歴史]] 松原市は[[大阪市]]の[[ベッドタウン]]として発展し、[[高度経済成長]]期に人口が急増した自治体である<ref name="日本図書館研究会1984p22">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年、pp.22</ref>。1970年(昭和45年)7月には松原市に「雨の日文庫」が誕生し、1972年(昭和47年)4月には松原[[子ども文庫]]連絡会が発足し、1973年(昭和48年)7月には松原市中央公民館に地域文庫「松ぼっくり」が誕生した<ref name="活動報告2021p1">『[http://www.trc-matsubara.jp/about/docs/katudouhoukoku2021.pdf 松原市民図書館 活動報告 2021年度]』松原市民図書館、2022年、pp.1-3</ref>。 1972年(昭和47年)時点で松原市が策定していた10年計画の中に図書館の建設は含まれておらず、移動図書館車の運行開始の予定もなかったが、[[大阪市立図書館]]長を務めていた[[森耕一]](松原市在住)の意見などもあり<ref name="日本図書館研究会1984p57">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年、pp.57-58</ref>、1974年(昭和49年)4月には[[移動図書館]]車の運行を開始した<ref name="日本図書館研究会1984p128">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年、pp.128-134</ref>。車両には[[長新太]]のイラストが描かれており、初代車両の積載量は約2500冊だった<ref name="日本図書館研究会1984p128"/>。移動図書館車の運行開始と同時に、地域文庫「松ぼっくり」が松原市に移管され、松原市立中央公民館に中央[[公民館#公民館図書室|公民館図書室]]が開設された<ref name="活動報告2021p1"/>。 1973年(昭和48年)の大阪府においては、43市町村のうち17市町(30市のうち16市、13町村のうち1町)に図書館が設置されているに過ぎず、さらに大阪府南部の自治体では図書館の設置が遅れていた(北高南低)<ref name="日本図書館研究会1984p38">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年、p.34</ref>。1975年(昭和50年)1月には松原市図書館設置計画審議会が発足し、1976年(昭和51年)11月には図書館設置計画審議会答申が提出された<ref name="活動報告2021p1"/>。1977年(昭和52年)4月には松原市図書館条例を制定し、組織としての松原市民図書館が発足すると、図書館サービスの拠点として中央公民館図書室(松原駅前分館)を、布忍公民館に布忍分室を開設した<ref name="活動報告2021p1"/>。1978年(昭和53年)5月には布忍分室を休室し、7月には三宅公民館に三宅分室を開設したが、1979年(昭和54年)4月には布忍分室を新町分室として再開設した<ref name="活動報告2021p1"/>。 === 初代松原図書館開館後(1980年~2020年) === {{bar box |title=貸出冊数の変遷 |titlebar=#DDD |left1=年 |right2=冊数 |width=280px |float=right |bars= {{bar percent|1975|orange|26|196,265}} {{bar percent|1980|orange|69|518,222}} {{bar percent|1985|orange|84|628,244}} {{bar percent|1990|orange|78|585,921}} {{bar percent|1995|orange|94|700,255}} {{bar percent|2000|orange|100|746,467}} {{bar percent|2005|orange|89|665,871}} {{bar percent|2010|orange|92|688,052}} {{bar percent|2015|orange|68|511,940}} {{bar percent|2020|orange|66|489,544}} }} 1980年(昭和55年)7月、建物としての松原市民松原図書館が開館した<ref name="活動報告2021p1"/>。公民館、文化会館、体育館などが集まる場所にあり、[[鉄筋コンクリート造]]2階建ての建物の外壁には化粧煉瓦が用いられていた<ref name="日本図書館研究会1984p128"/>。松原図書館は中央館としての機能を果たすべく設置されたが、あくまでも「本格的な地域館」という位置づけだった<ref name="日本図書館研究会1984p128"/>。巨大な中央館を建設するのではなく、地域館・分館・分室・移動図書館を組み合わせることによって図書館サービス網を構築したのが松原市の特色である<ref name="日本図書館研究会1984">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年</ref>。松原市は「市立図書館」という名称を主張したが、松原子ども文庫連絡会が「市民図書館」という名称を提案し、最終的には松原子ども文庫連絡会の提案通りの名称となった<ref name="日本図書館研究会1984p71">『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年、p.71</ref>。 この後には立て続けに地域館を開設しており、1981年(昭和56年)5月には松原市民天美図書館が、1982年(昭和57年)5月には松原市民恵我図書館が、1984年(昭和59年)5月には松原市民三宅図書館が、1985年(昭和60年)5月には松原市民松原南図書館が、1988年(昭和63年)6月には天美西図書館が開館している<ref name="活動報告2021p1"/>。この間の1985年(昭和60年)4月には松原図書館と松原南図書館がオンラインで結ばれ、1986年(昭和61年)5月には全地域館がオンラインで結ばれた<ref name="活動報告2021p1"/>。 平成に入ってからも、1993年(平成5年)11月には情報ライブラリーが、2000年(平成12年)4月には新町図書館が開館した<ref name="活動報告2021p1"/>。2006年(平成18年)4月には松原市にメインキャンパスを置く[[阪南大学]]図書館と相互利用を開始した<ref name="活動報告2021p1"/>。移動図書館車は買い替えを経て1974年(昭和49年)から運行を続けていたが、2007年(平成19年)3月に運行を終了して役目を終えた<ref name="活動報告2021p1"/>。 2009年(平成21年)4月には[[大阪市]]と図書館の相互利用を開始し、2012年(平成24年)7月には松原市、[[八尾市]]、[[柏原市]]、[[東大阪市]]、[[富田林市]]、[[河内長野市]]、[[羽曳野市]]、[[藤井寺市]]、[[大阪狭山市]]の9市で図書館の相互利用を開始した<ref name="活動報告2021p1"/>。また、2017年(平成29年)には南河内3町村([[千早赤阪村]]、[[太子町 (大阪府)|太子町]]、[[河南町]])の図書館及び図書室との相互利用を開始した<ref name="活動報告2021p1"/>。 2011年(平成23年)3月には松原市民図書館協議会によって「これからの松原市民図書館のあり方について」答申され、2013年(平成25年)5月には松原市図書館適正配置等検討委員会によって「図書館の適正配置及び規模、ならびに市民サービスの充実などについて」答申された<ref name="活動報告2021p1"/>。2010年代には複数の地域館を休止・廃止しており、2015年(平成27年)4月1日には新町図書館を廃止、松原南図書館を休止し、2016年(平成28年)6月29日には松原南図書館を廃止している<ref name="活動報告2021p1"/>。2017年(平成29年)7月には「松原市新図書館建設方針」を策定し、1980年(昭和55年)から使用していた建物に変わる図書館の建設に着手した<ref name="活動報告2021p1"/>。 === 読書の森開館後(2020年~) === 2018年(平成30年)11月には松原図書館新館の建設工事に着工し、2019年(令和元年)11月11日には松原図書館が移転準備のための長期休館に入った<ref name="活動報告2021p1"/>。この間の2019年(令和元年)7月1日には松原図書館に指定管理者制度が導入され、[[図書館流通センター]]を中心とするTRC松原グループが指定管理者となった。2020年(令和2年)1月26日、松原市民松原図書館の新館(読書の森)が開館した<ref name="活動報告2021p1"/>。「読書の森」と命名したのは地元の小学生である<ref name="trc">[https://www.trc.co.jp/topics/event/e_matsubara.html 2020年1月26日(日)松原市民松原図書館「読書の森」が移転・新築オープンしました] 図書館流通センター</ref>。開館と同時に[[Wi-Fi]]接続サービスやインターネット予約サービスも開始しており<ref name="活動報告2021p1"/>、その他には自動貸出機、読書通帳機、書籍除菌機、予約棚、[[RoBoHoN]]なども導入されている<ref name="trc"/>。 2020年(令和2年)前半には[[新型コロナウイルス感染症]]の流行が拡大し、3月2日から5月18日には臨時休館した<ref name="活動報告2021p1"/>。4月6日以降には[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]の発出に伴う特別措置として予約本の宅配サービスを実施している<ref name="活動報告2021p1"/>。[[コロナ禍]]においては2021年(令和3年)1月14日から2月28日にも時間短縮開館となり、同年4月25日から6月20日にも臨時休館した<ref name="活動報告2021p1"/>。2021年(令和3年)12月29日には天美図書館が移転準備のための長期休館に入り、2022年(令和4年)2月1日に天美図書館が移転開館した<ref name="活動報告2021p1"/>。 == 各館 == === 松原市民松原図書館(読書の森) === {{建築物 |名称 = 松原市民松原図書館(読書の森)<br><small>Matsubara Civic Matsubara Library</small> |旧名称 = |画像 = [[File:Matsubara Civic Library 2021-08 ac (8).jpg|280px]] |画像説明 = |用途 = |旧用途 = |設計者 = [[MARU。architecture]]、[[鴻池組]] |構造設計者 = |設備設計者 = |施工 = [[鴻池組]] |建築主 = |事業主体 = |管理運営 = [[図書館流通センター|TRC]]松原グループ |構造形式 = [[鉄筋コンクリート構造|RC造]](一部[[鉄骨造|S造]]) |敷地面積=1,643.57 |敷地面積ref= |敷地面積備考= |建築面積=1,043.24 |建築面積ref= |建築面積備考= |延床面積=2,987.33 |延床面積ref= |延床面積備考= |階数 = 地下1階、地上3階 |高さ = |エレベーター数 = |戸数 = |駐車台数 = |着工 = 2018年11月 |竣工 = |開館開所 = 2020年1月26日 |改築 = |解体 = |所在地郵便番号 = |所在地 = |緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) = |経度度 = |経度分 = |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) = |地図国コード = |座標右上表示 = |位置図種類 = |文化財指定 = |指定日 = |備考 = }} ==== 設計 ==== 松原市は設計・施工一体型の[[プロポーザル方式]]で事業者の選定を行い、高野洋平と森田祥子が主宰する[[MARU。architecture]]と[[鴻池組]]が設計を、鴻池組が施工を担当した<ref name="土木学会デザイン賞">[http://design-prize.sakura.ne.jp/archives/result/1742 松原市民松原図書館] 土木学会デザイン賞</ref>。松原市周辺には多数の[[古墳]]や[[ため池]]があるため、田井城今池親水公園にもとから存在したため池を埋め立てずに残し、古墳のようにため池の端に図書館が建てられた<ref>[https://maruarchi.com/matsubara/ 松原市民松原図書館] MARU。architecture</ref>。MARU。architectureは公共施設から民間施設まで幅広い建物を設計しており、図書館を含む[[土佐市複合文化施設 つなーで]]を設計した経験はあるが、図書館単独施設の設計は松原市民松原図書館が初である<ref>[https://www.japandesign.ne.jp/interview/maru-vw-1/ 共存をテーマに、多様性を柔らかく包み込む空間を生み出す MARU。architecture] JDN、2021年12月3日</ref>。 ==== 建物 ==== 赤みを帯びた[[コンクリート]]の外壁を採用した、壁面が傾斜したり不定形な輪郭を持つことが建物の特徴である<ref name="土木学会デザイン賞"/>。建物や池の周囲には遊歩道が整備され、建物内には屋外テラスや池を見渡せる閲覧席が設置されるなど、親水空間としての機能が強く意識されている<ref name="土木学会デザイン賞"/>。また、池の水面で冷却された風が建物内を循環する工夫がなされている<ref>「松原市民松原図書館」『新建築』2020年5月号、pp.136-137</ref>。 ==== 施設 ==== 1階は主に一般書と[[地域資料]]の書架、2階は雑誌・新聞などのブラウジングコーナーや自習室、3階は[[児童書]]の書架がある<ref>[http://www.trc-matsubara.jp/about/post-8.html 読書の森について] 松原市民図書館</ref>。 * 1階 - 一般開架 * 2階 - ブラウジングコーナー、閉架書庫 * 3階 - 児童開架 <gallery> Matsubara Civic Library interior 2021-08 ac (2).jpg|1階「一般書と地域資料のフロア」 Matsubara Civic Matsubara Library 松原市民松原図書館雑誌コーナー.jpg|2階「雑誌と新聞・ブラウジングのフロア」 Matsubara Civic Matsubara Library 松原市民図書館3階児童コーナー.jpg|3階「こどもの本とえほんのフロア」 Matsubara Civic Matsubara Library 松原市立松原図書館屋上広場.jpg|屋上広場 </gallery> ==== 受賞歴 ==== * 2020年 ** [[日本建築家協会]]優秀建築選<ref name="受賞情報">[http://www.trc-matsubara.jp/about/post-8.html 受賞情報] 松原市民図書館</ref> ** [[日本サインデザイン賞]] 金賞・審査委員賞<ref name="受賞情報"/> ** [[グッドデザイン賞]] 公共の建築・空間部門<ref name="受賞情報"/> ** [[AACA賞]] 奨励賞<ref name="受賞情報"/> * 2021年 ** おおさか環境にやさしい建築賞<ref name="受賞情報"/> ** [[BCS賞]]<ref name="受賞情報"/> ** [[日本空間デザイン賞]] 銅賞<ref name="受賞情報"/> ** [[土木学会]]デザイン賞 奨励賞<ref name="受賞情報"/> * 2022年 ** [[日本建築学会作品選奨]]<ref name="受賞情報"/> ** [[全日本建設技術協会|全建賞]] 一般枠建築部門<ref name="受賞情報"/> {{-}} === 松原市民天美西図書館 === {{図書館 |名称 = 松原市民天美西図書館 |英名 = |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = 346.09 |開館 = 1988年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]天美西1-18-28 |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = |館長 = |職員数 = |公式サイト = |備考 = }} [[File:Matsubara Civic Amami Nishi Library ac.jpg|thumb|left|松原市民天美西図書館]] {{-}} === 松原市民天美図書館 === {{図書館 |名称 = 松原市民天美図書館 |英名 = |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = 263.14 |開館 = 2022年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]天美東7-85 |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = |館長 = |職員数 = |公式サイト = |備考 = }} [[File:Matsubara Civic Amami Library ac.jpg|thumb|left|松原市民天美図書館]] {{-}} === 松原市民情報ライブラリー === {{図書館 |名称 = 松原市民情報ライブラリー |英名 = |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = 194.53 |開館 = 1993年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]上田7-11-19 |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = |館長 = |職員数 = |公式サイト = |備考 = }} [[File:Matsubara Civic Information Library ac.jpg|thumb|left|松原市民情報ライブラリー]] {{-}} === 松原市民三宅図書館 === {{図書館 |名称 = 松原市民三宅図書館 |英名 = |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = 314.09 |開館 = 1984年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]三宅中3-17-15 |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = |館長 = |職員数 = |公式サイト = |備考 = }} [[File:Matsubara Civic Miyake Library ac (1).jpg|thumb|left|松原市民三宅図書館]] {{-}} === 松原市民恵我図書館 === {{図書館 |名称 = 松原市民恵我図書館 |英名 = |画像 = |画像説明 = |正式名称 = |愛称 = |前身 = |専門分野 = |事業主体 = [[松原市]] |管理運営 = |建物設計 = |延床面積 = 550.62 |開館 = 1982年 |閉館 = |所在地郵便番号 = |所在地 = [[大阪府]][[松原市]]一津屋1-10-15 |蔵書数 = |蔵書数年 = |貸出数 = |貸出数年 = |来館者数 = |来館者数年 = |貸出者数 = |貸出者数年 = |年運営費 = |条例 = |館長 = |職員数 = |公式サイト = |備考 = }} [[File:Matsubara Civic Ega Library ac.jpg|thumb|left|松原市民恵我図書館]] {{-}} == 利用案内 == <!--{{bar box |title=蔵書冊数の変遷 |titlebar=#DDD |left1=年 |right2=冊数 |width=280px |float=right |bars= {{bar percent|1975|blue|7|35,304}} {{bar percent|1980|blue|33|166,452}} {{bar percent|1985|blue|60|301,756}} {{bar percent|1990|blue|77|384,303}} {{bar percent|1995|blue|91|457,109}} {{bar percent|2000|blue|97|483,726}} {{bar percent|2005|blue|100|500,455}} {{bar percent|2010|blue|96|480,175}} {{bar percent|2015|blue|79|393,344}} {{bar percent|2020|blue|90|448,641}} }}--> ; 松原市民松原図書館 * 開館時間 - 午前9時から午後9時 * 休館日 - 3月・8月・12月をのぞく第3木曜日、年末年始 ; 地域館 * 開館時間 : 午前10時から午後5時30分 * 休館日 : 月曜日、第3木曜日、祝日、年末年始 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 『[http://www.trc-matsubara.jp/about/docs/katudouhoukoku2021.pdf 松原市民図書館 活動報告 2021年度]』松原市民図書館、2022年 * 『松原の市民図書館』日本図書館研究会、1984年 == 関連項目 == * [[大阪府の図書館一覧]] == 外部リンク == {{Commonscat|Matsubara Civic Library}} * {{official|http://www.trc-matsubara.jp/}} {{大阪府の図書館}} {{デフォルトソート:まつはらしみんとしよかん}} [[Category:大阪府の市町村立図書館]] [[Category:松原市の教育]] [[Category:松原市の建築物]]
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天野街道
天野街道(あまのかいどう)とは、大阪府大阪狭山市から河内長野市を結ぶ街道である。西高野街道と堺市岩室で分岐して、「女人高野」とも呼ばれる天野山金剛寺への参詣道である。 かつては熊野参詣にも利用され、西高野街道の旧経路と考えられる。 西高野街道と天野街道の分岐点を示す道標があり、陶器山の尾根筋上を南下し、大野の穴地蔵を経て、天野川の段丘上を進み、金剛寺に至る。 平成7年度 建設省(国土交通省) 「手づくり郷土賞」 平成9年度 「大阪の道99選」
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "天野街道(あまのかいどう)とは、大阪府大阪狭山市から河内長野市を結ぶ街道である。西高野街道と堺市岩室で分岐して、「女人高野」とも呼ばれる天野山金剛寺への参詣道である。 かつては熊野参詣にも利用され、西高野街道の旧経路と考えられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "西高野街道と天野街道の分岐点を示す道標があり、陶器山の尾根筋上を南下し、大野の穴地蔵を経て、天野川の段丘上を進み、金剛寺に至る。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "平成7年度 建設省(国土交通省) 「手づくり郷土賞」", "title": "賞・選考" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "平成9年度 「大阪の道99選」", "title": "賞・選考" } ]
天野街道(あまのかいどう)とは、大阪府大阪狭山市から河内長野市を結ぶ街道である。西高野街道と堺市岩室で分岐して、「女人高野」とも呼ばれる天野山金剛寺への参詣道である。 かつては熊野参詣にも利用され、西高野街道の旧経路と考えられる。 西高野街道と天野街道の分岐点を示す道標があり、陶器山の尾根筋上を南下し、大野の穴地蔵を経て、天野川の段丘上を進み、金剛寺に至る。
'''天野街道'''(あまのかいどう)とは、[[大阪府]][[大阪狭山市]]から[[河内長野市]]を結ぶ[[街道]]である。[[西高野街道]]と[[堺市]][[岩室]]で分岐して、「[[女人高野]]」とも呼ばれる[[金剛寺 (河内長野市)|天野山金剛寺]]への[[参詣道]]である。 かつては[[熊野参詣]]にも利用され、[[西高野街道]]の旧経路と考えられる。 西高野街道と天野街道の分岐点を示す[[道標]]があり、[[陶器山]]の尾根筋上を南下し、大野の[[穴地蔵]]を経て、[[天野川]]の[[段丘]]上を進み、金剛寺に至る<ref>{{Cite web|url=http://www.mydoo.net/shoukoukai/amanokaido_osanpo_map.pdf |title=天野街道お散歩MAP |format=PDF |publisher =大阪狭山市商工会 |accessdate=2023-10-01}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=大阪狭山市史編さん委員会、大阪狭山市教育委員会教育部歴史文化グループ市史編さん担当 |title=大阪狭山市史 |publisher=大阪狭山市役所 |date=2014-03-31 |page=76610-12 |isbn=}}</ref>。 == 成り立ち・歴史 == {{節スタブ}} == 経由地(市町村) == ; [[大阪狭山市]] ; [[河内長野市]] == 賞・選考== [[平成7年]]度 [[建設省]]([[国土交通省]]) 「[[手づくり郷土賞]]」<ref>{{Cite web |url=https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/list/list_h7.html |title=手づくり郷土賞これまでの受賞一覧 |publisher =国土交通省 |accessdate=2023-10-01}}</ref> [[平成9年]]度 「[[大阪の道99選]]」 == 関連項目 == * [[日本の古代道路]] * [[西高野街道]] * [[金剛寺 (河内長野市)]] * [[女人高野]] == 出典 == {{Reflist}} {{japanese-history-stub}} {{Road-stub}} {{DEFAULTSORT:あまのかいとう}} [[Category:街道]] [[Category:大阪府の交通史]] [[Category:大阪府の道路]]
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帰還者の魔法は特別です
『帰還者の魔法は特別です』(きかんしゃのまほうはとくべつです、朝: 귀환자의 마법은 특별해야 합니다、英: A Returner's Magic Should Be Special)は、Usonanによるウェブ小説。2016年9月2日から2019年8月3日までカカオページにて連載された。また、Wookjakgaによるウェブトゥーンが2018年5月19日からカカオページにて連載されているほか、日本でもデジタル版が2019年7月4日にピッコマにて連載され、紙版が2021年8月20日からKADOKAWAにより発売された。 「影の世界」ーーそれは絶えず世界を侵食し、すべてを黒い霧で覆い尽くそうとする異次元空間。世界を救う方法はただ一つ、浸食が進む前に「影の世界」を「攻略」すること。 人類は幾度もその脅威を乗り越えてきたが、10年前に発生した最悪の災害「影の迷宮」はあまりにも強大で、世界は滅亡へと向かっていた。 青年魔法使いのデジール・アルマンは、影の世界で起きた戦争で多くの仲間を失う。 その後、5人の仲間と共に「影の迷宮」最後のボス、流星級破滅竜ボロミア・ナポールをついに倒すことが出来たが、同時にナポールの心臓内部に大量に溜まっていたマナが行き場を失い大爆発。 デジールは死を覚悟し、意識を手放したーーが、気付くと、13年前の魔法学院「ヘブリオン学園」の入学試験当日に戻っていた。 入学試験で、かつての仲間であるロマンティカやアゼストに再会し、思わず声をかけてしまったデジール。しかし、彼女たちに過去の記憶は無かった。 「二度とあんな絶望は繰り返さない!」デジールは決意を固め、仲間と世界を救うため、影の迷宮による悲惨な結末を回避すべく行動を開始する。 2023年3月25日に開催された「AnimeJapan 2023」にてテレビアニメ化が発表された。2023年10月から12月までTOKYO MXほかにて放送された。また、第2期制作が決定している。 2023年10月6日より音泉にて毎月1回『帰還者のラジオは特別です』が配信される。担当パーソナリティはロマンティカ役の鈴代紗弓とプラム役の藤原夏海。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『帰還者の魔法は特別です』(きかんしゃのまほうはとくべつです、朝: 귀환자의 마법은 특별해야 합니다、英: A Returner's Magic Should Be Special)は、Usonanによるウェブ小説。2016年9月2日から2019年8月3日までカカオページにて連載された。また、Wookjakgaによるウェブトゥーンが2018年5月19日からカカオページにて連載されているほか、日本でもデジタル版が2019年7月4日にピッコマにて連載され、紙版が2021年8月20日からKADOKAWAにより発売された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "「影の世界」ーーそれは絶えず世界を侵食し、すべてを黒い霧で覆い尽くそうとする異次元空間。世界を救う方法はただ一つ、浸食が進む前に「影の世界」を「攻略」すること。 人類は幾度もその脅威を乗り越えてきたが、10年前に発生した最悪の災害「影の迷宮」はあまりにも強大で、世界は滅亡へと向かっていた。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "青年魔法使いのデジール・アルマンは、影の世界で起きた戦争で多くの仲間を失う。 その後、5人の仲間と共に「影の迷宮」最後のボス、流星級破滅竜ボロミア・ナポールをついに倒すことが出来たが、同時にナポールの心臓内部に大量に溜まっていたマナが行き場を失い大爆発。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "デジールは死を覚悟し、意識を手放したーーが、気付くと、13年前の魔法学院「ヘブリオン学園」の入学試験当日に戻っていた。 入学試験で、かつての仲間であるロマンティカやアゼストに再会し、思わず声をかけてしまったデジール。しかし、彼女たちに過去の記憶は無かった。 「二度とあんな絶望は繰り返さない!」デジールは決意を固め、仲間と世界を救うため、影の迷宮による悲惨な結末を回避すべく行動を開始する。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年3月25日に開催された「AnimeJapan 2023」にてテレビアニメ化が発表された。2023年10月から12月までTOKYO MXほかにて放送された。また、第2期制作が決定している。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2023年10月6日より音泉にて毎月1回『帰還者のラジオは特別です』が配信される。担当パーソナリティはロマンティカ役の鈴代紗弓とプラム役の藤原夏海。", "title": "テレビアニメ" } ]
『帰還者の魔法は特別です』は、Usonanによるウェブ小説。2016年9月2日から2019年8月3日までカカオページにて連載された。また、Wookjakgaによるウェブトゥーンが2018年5月19日からカカオページにて連載されているほか、日本でもデジタル版が2019年7月4日にピッコマにて連載され、紙版が2021年8月20日からKADOKAWAにより発売された。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 帰還者の魔法は特別です | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = [[アドベンチャー]]、[[ファンタジー]] }} {{Infobox animanga/Novel | 著者 = Usonan | イラスト = Wookjakga | 出版社 = D&C Media | 他出版社 = [[角川書店]] | 掲載誌 = [[カカオページ]] | レーベル = | 開始日 = 2016年9月2日 | 終了日 = 2019年8月3日 | 巻数 = 全8巻 | 話数 = | インターネット = 1 }} {{Infobox animanga/Manga | 作者 = Usonan | 作画 = Wookjakga | 出版社 = [[KADOKAWA]] | 他出版社 = | 掲載誌 = {{flagicon|KOR}} カカオページ<br />{{flagicon|JPN}} [[ピッコマ]] | レーベル = [[MFコミックス]] | 開始日 = 2018年5月19日 | 終了日 = | 巻数 = 既刊3巻(2023年10月23日現在) | 話数 = | インターネット = 1 }} {{Infobox animanga/TVAnime | 原作 = Usonan、Wookjakga | 監督 = 川口太詩 | シリーズ構成 = [[鴻野貴光]] | 脚本 = 鴻野貴光 | キャラクターデザイン = [[加藤裕美]] | 音楽 = [[東大路憲太]] | アニメーション制作 = [[アルボアニメーション]] | 製作 = [[アニプレックス]]<br />[[クランチロール]]<br />D&C WEBTOON Biz<br />Kakao piccoma | 放送局 = [[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]ほか | 放送開始 = 第1期:2023年10月8日 | 放送終了 = 12月24日 | 話数 = 第1期:全12話 }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]] | ウィキポータル = [[Portal:文学|文学]]・[[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]] }} 『'''帰還者の魔法は特別です'''』(きかんしゃのまほうはとくべつです、{{Lang-ko-short|귀환자의 마법은 특별해야 합니다}}、{{Lang-en-short|A Returner's Magic Should Be Special}})は、Usonanによる[[オンライン小説|ウェブ小説]]。2016年9月2日から2019年8月3日まで[[カカオページ]]にて連載された。また、Wookjakgaによる[[ウェブトゥーン]]が2018年5月19日からカカオページにて連載されているほか、[[日本]]でもデジタル版が2019年7月4日に[[ピッコマ]]にて連載され<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/338344|title=ラスボスの討伐に失敗、死んだと思いきや13年前の世界に戻るピッコマ新連載|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-07-04|accessdate=2023-10-01}}</ref>、紙版が2021年8月20日から[[KADOKAWA]]により発売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/441827|title=災害発生まで3年、過去に戻った男が世界を救おうと奮闘「帰還者の魔法は特別です」1巻|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-08-20|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 == あらすじ == 「影の世界」ーーそれは絶えず世界を侵食し、すべてを黒い霧で覆い尽くそうとする異次元空間。世界を救う方法はただ一つ、浸食が進む前に「影の世界」を「攻略」すること。 人類は幾度もその脅威を乗り越えてきたが、10年前に発生した最悪の災害「影の迷宮」はあまりにも強大で、世界は滅亡へと向かっていた。 青年魔法使いのデジール・アルマンは、影の世界で起きた戦争で多くの仲間を失う。 その後、5人の仲間と共に「影の迷宮」最後のボス、流星級破滅竜ボロミア・ナポールをついに倒すことが出来たが、同時にナポールの心臓内部に大量に溜まっていたマナが行き場を失い大爆発。 デジールは死を覚悟し、意識を手放したーーが、気付くと、13年前の魔法学院「ヘブリオン学園」の入学試験当日に戻っていた。 入学試験で、かつての仲間であるロマンティカやアゼストに再会し、思わず声をかけてしまったデジール。しかし、彼女たちに過去の記憶は無かった。 「二度とあんな絶望は繰り返さない!」デジールは決意を固め、仲間と世界を救うため、影の迷宮による悲惨な結末を回避すべく行動を開始する。 == 登場人物 == ; デジール・アルマン : 声 - [[寺島拓篤]]<ref name="staffcast">{{Cite web|和書|url=https://returners-magic.com/staffcast/|title=STAFF&CAST|work=TVアニメ「帰還者の魔法は特別です」公式サイト|accessdate=2023-10-01}}</ref> : 本作の主人公<ref name="natalie20230325">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/518148|title=「帰還者の魔法は特別です」が今年TVアニメ化、主人公役は寺島拓篤|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-03-25|accessdate=2023-10-01}}</ref>である青年魔法使い。 : 相手の魔法を解析して分解・逆利用する「逆算」魔法を使える。 : 「影の迷宮」の戦争によって世界滅亡の間際、どういうわけか13年前の世界に帰還し、ヘブリオン学園に再び入学。そこで仲間を集め滅亡を繰り返させないために立ち向かおうとする。 ; ロマンティカ・エル : 声 - [[鈴代紗弓]]{{R|staffcast}} : 魔法使い。属性は風。自信家。元々はデジールの仲間だったが帰還前に起きた戦争で死亡した。 : 貴族なのだが、元は商人の平民が金で地位を買った、という経緯を持つ家系であるため貴族としては認められておらず、ヘブリオン学園内では冷遇されている。 : ロマンティカの出自を知らない生徒によってブルームーンに勧誘されるが、その後の酷い待遇を知っているデジールによって阻止され、「あんたの秘密を暴いてやる」という名目でデジールのグループに入った。 : その後のランキング戦ではブルームーンに勧誘した生徒が出自を知ったことで逆恨みを受け襲撃されるが、返り討ちにする。 ; プラム・シュナイザー : 声 - [[藤原夏海]]{{R|staffcast}} : 俊足で見た目は小動物のような剣士。 : 幼少期より剣術の腕を磨き上げ、平民でありながら剣士としての実力は貴族にも劣らない存在。 : 貴族の父親と平民の母親の間に生まれ、いざこざを避ける為母親のもとで、父親に一切会うことも無く育てられた。 : 餞別として特殊な素材で作られたレイピアを託されているのだが、一切会うことの無かった父親の愛情は信じる事が出来ず、デジールと出会った当初は無理に大剣を使って戦っていた。 : 後にデジールの介入でレイピアの刀身に刻まれた文字を知り、父親の愛情を信じられるようになった。またその関係でデジールのことが大好きになった。 ; アゼスト・キングスクラウン : 声 - [[瀬戸麻沙美]]{{R|staffcast}} : 貴族。属性は氷。ヘブリオン学園のグループの中で最高峰であるブルームーンに所属している。表情が動くことが少ないため感情が分かりづらいが、実は負けず嫌いな性格。 : 帰還前に起きた世界滅亡のきっかけである「影の迷宮」ではデジールと共に最後まで戦い切り、共にマナの大爆発に巻き込まれた。しかし彼女はタイムスリップをしておらず、帰還前の記憶は無い。 : 魔法使いとしては高ランクであり、騎士を上回る剣の腕を持つ。またデジールとの戦闘中に、今までやったこともない最高難易度の魔法剣を成功させるなど、驚異的な成長速度を持つ。 : 強すぎて対等な相手がいないことに退屈している節があり、入学試験において帰還後のデジールに敗北することで対抗心を燃やし始めた。 : ランキング戦で再びデジールに負けたことをきっかけに、ブルームーンに愛想を尽かし脱退。デジールのグループに入った。 ; ブリジット : ヘブリオン学園の教授。平民を見下す差別意識が多い教師達の中で、数少ない平民にも平等に接する人。 ; ラパエル : 剣聖。 == 書誌情報 == * Usonan(原作)・Wookjakga(漫画)『帰還者の魔法は特別です』[[KADOKAWA]]〈[[MFコミックス]]〉、既刊3巻(2023年10月23日現在) *# 2021年8月20日発売、{{ISBN2|978-4-04-680661-1}} *# 2022年7月23日発売、{{ISBN2|978-4-04-681538-5}} *# 2023年10月23日発売、{{ISBN2|978-4-04-682945-0}} == テレビアニメ == {{放送前の番組|section=1|date=2023年12月24日}} 2023年3月25日に開催された「[[AnimeJapan|AnimeJapan 2023]]」にてテレビアニメ化が発表された{{R|natalie20230325}}。2023年10月から12月まで[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]ほかにて放送された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/543184|title=「帰還者の魔法は特別です」第1話の冒頭約5分を公開、新たなキャラクターPVも|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-09-30|accessdate=2023-10-01}}</ref>。また、第2期制作が決定している<ref name="natalie231224">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/554546|title=「帰還者の魔法は特別です」2期制作決定、凛々しいデジールのビジュアル&PV公開|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-24|accessdate=2023-12-24}}</ref>。 === スタッフ === * 原作 - Usonan{{R|staffcast}}、Wookjakga(D&C WEBTOON Biz. 発行){{R|staffcast}} * 監督 - 川口太詩{{R|staffcast}} * シリーズ構成・脚本 - [[鴻野貴光]]{{R|staffcast}} * キャラクターデザイン - [[加藤裕美]]{{R|staffcast}} * プロップデザイン - 橋口翔太郎{{R|staffcast}} * 色彩設計 - 松山愛子{{R|staffcast}} * 美術監督 - 岩瀬栄治{{R|staffcast}} * 美術デザイン - 金平和茂{{R|staffcast}}、平澤晃弘{{R|staffcast}}、奥村泰浩{{R|staffcast}}、藤瀬智康{{R|staffcast}} * 3DCGディレクター - 熊井啓太 * 撮影監督 - 今泉秀樹{{R|staffcast}} * 編集 - 兼重涼子{{R|staffcast}} * 音響監督 - [[濱野高年]]{{R|staffcast}} * 音響効果 - [[小山恭正]]{{R|staffcast}} * 音響制作 - [[マジックカプセル]]{{R|staffcast}} * 音楽 - [[東大路憲太]]{{R|staffcast}} * 音楽制作 - [[アニプレックス]] * 音楽プロデューサー - [[山内真治]] * チーフプロデューサー - [[中山信宏]] * プロデューサー - 古橋宗太、髙橋佳那子、カク・ヘウン、パク・ジンヘ、キム・アヨン * アニメーションプロデューサー - カルキ ラジーブ * アニメーション制作 - [[アルボアニメーション]]{{R|staffcast}} * 製作 - アニプレックス、[[クランチロール]]、D&C WEBTOON Biz、Kakao piccoma === 主題歌 === ; 「GET BACK」<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/544166|title=FLOWが「帰還者の魔法は特別です」オープニング曲をシングルリリース|website=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2023-10-07|accessdate=2023-10-19}}</ref> : [[FLOW]]による第1期オープニングテーマ。作詞はKOHSHI ASAKAWA、作曲はTAKESHI ASAKAWA、編曲はFLOW。 ; 「6を撫でる」<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/541349|title=ももすももすがアニメ「帰還者の魔法は特別です」EDテーマ担当、新曲「6を撫でる」が流れるPV公開|website=音楽ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-09-16|accessdate=2023-10-19}}</ref> : [[ももすももす]]による第1期エンディングテーマ。作詞・作曲はももすももす。 === 各話リスト === {{エピソードリスト/base/header | LineColor = #1BABB6 | Number = 話数 | Title = {{nobr|サブタイトル}} | Aux1 = {{nobr|絵コンテ}} | Aux2 = {{nobr|演出}} | Aux3 = {{nobr|作画監督}} | Aux4 = {{nobr|総作画監督}} | Aux5 = 初放送日 | TableStyle = font-size:small }} {{エピソードリスト/base | Chapter = 第1期 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第一話 | Title = 破滅 | Aux1 = 川口太詩 | Aux1RowSpan = 2 | Aux2 = {{nobr|川口太詩}} | Aux2RowSpan = 3 | Aux3 = {{hlist-comma|関藤寛生|橋口翔太郎|阪口詩織|高橋宏郁}} | Aux3RowSpan = 2 | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織}} | Aux4RowSpan = 2 | Aux5 = '''2023年'''<br />10月8日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第二話 | Title = 試験 | Aux5 = {{nobr|10月15日}} }} {{エピソードリスト/base | Number = 第三話 | Title = 仲間 | Aux1 = {{nobr|橋口翔太郎}} | Aux3 = {{hlist-comma|松本勝次|森悦史|飯飼一幸|林隆祥|宮かなえ|高橋宏郁|秋山優香|川口太詩}} | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織|川口太詩}} | Aux5 = 10月22日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第四話 | Title = 結成 | Aux1 = 樋口香里 | Aux2 = 黒瀬大輔 | Aux3 = {{hlist-comma|前田義弘|飯飼一幸|ふたふさ|菊池一真|堤将太|高橋宏郁|秋山優香}} | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織}} | Aux4RowSpan = 2 | Aux5 = 10月29日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第五話 | Title = {{ruby|細剣|レイピア}} | Aux1 = [[宮崎なぎさ]] | Aux2 = 北川正人 | Aux3 = {{hlist-comma|櫻井拓郎|法村勝太|簾畑由実|森悦史|飯飼一幸|松本勝次|福江光恵|松本純子|秋山優香|高橋宏郁|稲垣茉莉子}} | Aux5 = 11月5日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第六話 | Title = 本戦 | Aux1 = [[須永司]] | Aux2 = 川口太詩 | Aux2RowSpan = 2 | Aux3 = {{hlist-comma|阪口詩織|法村勝太|稲垣茉莉子|石川樹|秋山優香|関藤寛生|KO SEO YOUNG|KIM JEONG-RIM|AR CREATIVE}} | Aux4 = 阪口詩織 | Aux5 = 11月12日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第七話 | Title = 魔獣 | Aux1 = 宮崎なぎさ | Aux3 = {{hlist-comma|阪口詩織|関藤寛生|高橋宏郁|橋口翔太郎}} | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織}} | Aux4RowSpan = 4 | Aux5 = 11月19日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第八話 | Title = 激突 | Aux1 = 須永司 | Aux2 = 黒瀬大輔 | Aux3 = {{hlist-comma|高橋宏郁|関藤寛生|秋山優香|石川樹|法村勝太|Ko Seoyoung|Kim Jungrim|Hwang youseon|Park Sanho}} | Aux5 = 11月26日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第九話 | Title = 決着 | Aux1 = {{hlist-comma|川口太詩|阪口詩織}} | Aux2 = 川口太詩 | Aux3 = {{hlist-comma|高橋宏郁|阪口詩織|田仲太朗}} | Aux5 = 12月3日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第十話 | Title = 休息 | Aux1 = 宮崎なぎさ | Aux1RowSpan = 2 | Aux2 = 北川正人 | Aux3 = {{hlist-comma|稲垣茉莉子|橋口翔太郎|高橋宏郁|関藤寛生}} | Aux5 = 12月10日 }} {{エピソードリスト/base | Number = {{nobr|第十一話}} | Title = 襲撃 | Aux2 = 川口太詩 | Aux2RowSpan = 2 | Aux3 = {{hlist-comma|高橋宏郁|阪口詩織|田仲太朗|関藤寛生|能地清|飯飼一幸|川口太詩}} | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織|川口太詩}} | Aux5 = 12月17日 }} {{エピソードリスト/base | Number = 第十二話 | Title = アンチメイジ | Aux1 = {{hlist-comma|川口太詩|阪口詩織}} | Aux3 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織|関藤寛生|高橋宏郁|橋口翔太郎}} | Aux4 = {{hlist-comma|田仲太朗|阪口詩織}} | Aux5 = 12月24日 }} {{エピソードリスト/base/footer}} === 放送局 === {{放送期間 | season = 第1期 | 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考 | 2023年10月8日 - 12月24日 | 日曜 0:00 - 0:30(土曜深夜) | [[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]] | [[東京都]] | | | | [[日本BS放送|BS11]] | [[全国放送|日本全域]] | [[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS放送]] / 『[[ANIME+]]』枠 | | | [[群馬テレビ]] | [[群馬県]] | | | | [[とちぎテレビ]] | [[栃木県]] | | | 日曜 3:08 - 3:38(土曜深夜) | [[毎日放送]] | [[広域放送|近畿広域圏]] | 『[[アニメシャワー]]』第3部 | 2023年10月13日 - 12月24日 | 日曜 1:55 - 2:25(土曜深夜) | [[中京テレビ放送|中京テレビ]] | [[広域放送|中京広域圏]] | 初回は金曜 2:39 - 3:09(木曜深夜)に放送 | 2023年10月13日 - 12月29日 | 金曜 20:00 - 20:30 | [[アニメシアターX|AT-X]] | 日本全域 | [[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]] / [[文字多重放送|字幕放送]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.at-x.com/program/32265|title=週間番組表 (2023/10/09〜2023/10/15)|website=AT-X|publisher=エー・ティー・エックス|accessdate=2023-10-08}}</ref> / リピート放送あり | ref={{Cite web|和書|url=https://returners-magic.com/onair/|title=ONAIR|work=TVアニメ「帰還者の魔法は特別です」公式サイト|accessdate=2023-10-08}} | refname=onair }} {{放送期間 | season = 第1期 | media=インターネット | 配信開始日 | 配信時間 | 配信サイト | | | 2023年10月8日 | {{nobr|日曜 0:30(土曜深夜) 更新}} | {{flatlist|class=hlist-pipe| * [[ドコモ・アニメストア|dアニメストア]](本店・ニコニコ支店・for Prime Video) * [[U-NEXT]] * [[アニメ放題]] }} || | {{nobr|2023年10月10日}} | 火曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe| * [[フジテレビオンデマンド|FOD]] * [[ABEMA|ABEMAビデオ]] * [[バンダイチャンネル]] * [[Hulu]] * [[Lemino]] * [[Amazon Prime Video]] * [[ニコニコチャンネル]] * [[Netflix]] * [[DMM TV]] }} || | | 火曜 22:00 - 22:30 | ABEMA || | | 火曜 23:30 - 水曜 0:00 | [[ニコニコ生放送]] || | 2023年10月11日 | 水曜 0:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe| * [[TELASA]] * [[ジュピターエンタテインメント|J:COMオンデマンド]] * milplus * [[auスマートパス|スマートパスプレミアム]] }} || | refname=onair }} === BD / DVD === {| class="wikitable" style="font-size:small;" border="1" ! rowspan="2"|巻 !! rowspan="2"|発売日<ref>{{Cite web|和書|url=https://returners-magic.com/bddvd/|title=Blu-ray&DVD|website=TVアニメ「帰還者の魔法は特別です」公式サイト|accessdate=2023-10-08}}</ref>!! rowspan="2"|収録話 !! colspan="2"|規格品番 |- ! BD !! DVD |- ! colspan="5"|第1期 |- | 1 || 2024年1月10日予定 || 第1話 - 第2話 || ANZX-16201/2 || ANZB-16201/2 |- | 2 || 2024年2月7日予定 || 第3話 - 第4話 || ANZX-16203/4 || ANZB-16203/4 |- | 3 || 2024年3月6日予定 || 第5話 - 第6話 || ANZX-16205/6 || ANZB-16205/6 |- | 4 || 2024年4月3日予定 || 第7話 - 第8話 || ANZX-16207/8 || ANZB-16207/8 |- | 5 || 2024年5月1日予定 || 第9話 - 第10話 || ANZX-16209/10 || ANZB-16209/10 |- | 6 || 2024年6月5日予定 || 第11話 - 第12話 || ANZX-16211/2 || ANZB-16211/2 |} === WEBラジオ === 2023年10月6日より[[音泉]]にて毎月1回『帰還者のラジオは特別です』が配信される。担当パーソナリティはロマンティカ役の[[鈴代紗弓]]とプラム役の[[藤原夏海]]。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official|1=https://page.kakao.com/content/48930098|name=カカオページによるウェブ小説}}{{ko icon}} * {{Official|1=https://page.kakao.com/content/51185123|name=カカオページによるウェブトゥーン}}{{ko icon}} * [https://piccoma.com/web/product/8944 ピッコマによるウェブトゥーンの日本語版](アクセスは日本国内からのみ可能) * {{Official|1=https://returners-magic.com/|name=TVアニメ「帰還者の魔法は特別です」公式サイト}} * {{Twitter|returners_magic|TVアニメ『帰還者の魔法は特別です』公式}} {{アルボアニメーション}} {{デフォルトソート:きかんしやのまほうはとくへつてす}} [[Category:2016年の小説]] [[Category:韓国のファンタジー小説]] [[Category:冒険小説]] [[Category:漫画作品 き|かんしやのまほうはとくへつてす]] [[Category:2018年の漫画]] [[Category:韓国の漫画]] [[Category:メディアファクトリーの漫画]] [[Category:冒険漫画]] [[Category:ファンタジー漫画]] [[Category:アニメ作品 き|かんしやのまほうはとくへつてす]] [[Category:2023年のテレビアニメ]] [[Category:UHFアニメ]] [[Category:アルボアニメーション]] [[Category:アニプレックスのアニメ作品]] [[Category:crunchyrollのアニメ作品]] [[Category:MFコミックスのアニメ作品]] [[Category:日本と韓国の合作アニメ]] [[Category:小説を原作とするアニメ作品]] [[Category:冒険アニメ]] [[Category:ファンタジーアニメ]] [[Category:継続中の作品]]
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2023年のワールドシリーズ
2023年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第119回ワールドシリーズ(英語: 119th World Series)は、10月27日から11月1日にかけて計5試合が開催された。その結果、テキサス・レンジャーズ(アメリカンリーグ)がアリゾナ・ダイヤモンドバックス(ナショナルリーグ)を4勝1敗で下し、球団創設63年目で初の優勝を果たした。 地区優勝を逃した中で高勝率の球団にポストシーズン出場枠を与えるワイルドカード制度が1994年に導入されて以来、該当球団どうしがワールドシリーズで対戦するのは2014年以来9年ぶり3度目。ブルース・ボウチーは、2014年シリーズではナショナルリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツで、今シリーズではアメリカンリーグのレンジャーズで、それぞれ監督を務めてチームを優勝へ導いた。ジャイアンツ監督時代のボウチーは2010年と2012年にも優勝しており、今シリーズ制覇によりボウチーは、シリーズ優勝回数が4回に達した史上6人目の監督かつ両リーグの球団をシリーズで優勝させた史上3人目の監督となった。レンジャーズの初優勝により、シリーズ優勝経験がない球団は全30球団中残り5球団となった。シリーズMVPには、第1戦の9回裏に同点の2点本塁打を放つなど、5試合で打率.286・3本塁打・6打点・OPS 1.137という成績を残したレンジャーズのコーリー・シーガーが選出された。 2022年、MLB機構が金融持株会社のキャピタル・ワンと契約を締結し、同社はこの年から5年間ワールドシリーズの冠スポンサーとなった。よって大会名はワールドシリーズ presented by キャピタル・ワン(英語: World Series presented by Capital One)となる。 10月23日にまずアメリカンリーグでレンジャーズ(西地区)が、そして24日にはナショナルリーグでダイヤモンドバックス(西地区)が、それぞれリーグ優勝を決めてワールドシリーズへ駒を進めた。 この2球団は、ここ数シーズンの結果が以下の点で共通している。 両球団とも低迷から急速な躍進を遂げており、100敗シーズンの翌々年にシリーズ進出は歴代最速タイ、シリーズ進出前年の両球団合算勝率.438は歴代2位の低さ、シリーズ進出直前3シーズンの通算勝率はレンジャーズが.391で歴代4位、ダイヤモンドバックスが.393で同5位の低さである。 レンジャーズGMのクリス・ヤングと助監督のウィル・ベナブル、ダイヤモンドバックスGMのマイク・ヘイゼンはいずれもプリンストン大学出身であり、在学中に野球部監督スコット・ブラッドリーの下でプレイした経験を持つ。特に両GMはブラッドリー監督就任1年目の1998年、最上級生で主将を務めるヘイゼンが高校生のヤングを勧誘するために大学で出迎えたときからの顔見知りで、今シリーズで両者の対戦が決まった際には、ブラッドリーの携帯電話にグループメッセージでふたりから「監督、ぜひ観にいらしてください。席はご用意できます」と送信されてきたという。 ワールドシリーズの第1・2・6・7戦を本拠地で開催できる "ホームフィールド・アドバンテージ" は、レギュラーシーズンの勝率がより高いほうの球団に与えられる。ポストシーズン進出12球団のアドバンテージ優先順位は以下の通り。 10月23日、まずレンジャーズがワールドシリーズ進出を決めた。勝ち残っていた球団のなかではレンジャーズの優先順位が最も高かったので、この時点で対戦相手に関係なくアドバンテージが確定、開催地は第1・2・6・7戦がグローブライフ・フィールド、第3・4・5戦がナショナルリーグ優勝球団の本拠地となった。 ワールドシリーズでこの2チームが対戦するのは、今回が初めてとなる。ダイヤモンドバックスが創設された1998年以降、レギュラーシーズン中のインターリーグではレンジャーズが通算で28勝25敗・勝率.528と勝ち越している。ただし、2023年は5月2日・3日にレンジャーズの本拠地・グローブライフ・フィールドで2試合、8月21日・22日にダイヤモンドバックスの本拠地・チェイス・フィールドで2試合が組まれ、ダイヤモンドバックスが合計で3勝1敗とした。 両チームの出場選手登録(ロースター)は以下の通り。 レンジャーズは、リーグ優勝決定戦からのロースター変更はない。ダイヤモンドバックスは、リーグ優勝決定戦のロースターから投手のスレイド・セコーニを外し、内野手のジェイス・ピーターソンを加えた。地区シリーズからリーグ優勝決定戦へ進む際にはピーターソンに代えてセコーニを登録していたため、地区シリーズと同じロースターに戻したということになる。その理由について、ダイヤモンドバックスのトーリ・ロブロ監督は「ある救援投手を休ませるためにといって13人目の投手を入れておくよりも、野手に左打者の選択肢を持っておくほうが勝利に資すると判断した」と説明している。セコーニもリーグ優勝決定戦では2試合2.0イニングで無失点だったが、いずれもチームが5点以上離された敗色濃厚な場面での登板だった。 レンジャーズには過去にワールドシリーズ優勝を経験したことがある選手が5人おり、2018年から2022年まで直近5年の各シリーズ優勝経験者がひとりずつ揃っている。そのうち救援投手のウィル・スミスは、2021年シリーズはアトランタ・ブレーブスで、2022年シリーズはヒューストン・アストロズで、それぞれ優勝を経験している。全て異なる3球団から3年連続でシリーズに出場するのは、W・スミスが史上3人目となる。これに対してダイヤモンドバックスにはワールドシリーズ出場の経験者すらふたりしかおらず、優勝経験者はいない。そのうち、内野手のエバン・ロンゴリアは新人時代の2008年シリーズにタンパベイ・レイズの一員として出場し敗退して以来、15年ぶり2度目のシリーズ出場を迎える。シリーズ出場間隔が15年以上空いたのはロンゴリアが史上4人目であり、野手では初となる。 MLB.comが所属記者・アナリスト58人にどちらがシリーズを制するか予想させたところ、レンジャーズ勝利予想が30人に対してダイヤモンドバックス勝利予想が28人とほぼ互角の結果となった。同様の企画は他の媒体でも行われ、FOXスポーツでは4人の予想がふたりずつに分かれた。だがそれ以外ではレンジャーズ支持が多く、ESPNでは12人中9人、CBSスポーツでは6人中4人、NBCスポーツでは7人中5人、『USAトゥデイ』では5人中4人、The Athleticでは30人中19人がレンジャーズの勝利を予想した。 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"全5試合の平均視聴率は4.7%で、前年から1.4ポイント下降し、2020年の5.2%も下回って歴代最低となった。シリーズを通しての、全米および出場両チームの本拠地都市圏における視聴率等は以下の通り。", "title": "テレビ中継" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "今シリーズの視聴率が低迷した理由については、以下のような要因が指摘されている。", "title": "テレビ中継" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その一方で裏番組との視聴率争いでは、クイズ番組やオーディション番組、ドラマなどの娯楽番組に対しては8年連続でどの番組よりも高い視聴率を記録しており、マルビヒルも「我々の望みはふたつあって、そのうち『長いシリーズ』は叶わなかったが『娯楽番組より高い視聴率』は達成できた」と一定の評価を下している。", "title": "テレビ中継" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "日本での生中継の放送は、日本放送協会(NHK)の衛星放送チャンネル \"BS1\" で行われた。実況は早瀬雄一が、解説は井口資仁が務めた。NHKのアナウンサーや解説者がスタジオで映像を観ながらではなく、実際に現地へ赴いて球場の放送ブースからワールドシリーズの実況・解説を行うのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行を挟んで2019年以来4年ぶりである。井口は選手としても2005年シリーズに出場した経験を持つが、それから18年後の今回、解説者という別の立場から開催都市の雰囲気や試合を直に目にしたことで、ワールドシリーズが持つ価値を再認識したという。", "title": "テレビ中継" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "解説者の古田敦也は、NHK中継の出演者ではないが今シリーズに合わせて渡米し、第3戦の試合前にチェイス・フィールドで自身と井口、ダイヤモンドバックス監督トーリ・ロブロの3人で肩を組んで撮影した写真をInstagramに投稿した。古田は日本プロ野球のヤクルトスワローズでロブロと2000年にチームメイトだった縁から、2023年のスプリングトレーニングでダイヤモンドバックス臨時コーチを務めており、その際にもしチームがワールドシリーズへ進出したら再渡米すると約束していた。テレビ朝日はシリーズの中継こそしていないものの、古田がロブロとの旧交を温めつつシリーズを現地取材する様子を11月5日の『サンデーLIVE!!』で詳報した。", "title": "テレビ中継" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "イギリスでは、TNTスポーツがポストシーズン全試合の放映権を持つ。しかし今シリーズでは、MLB機構の国際市場開拓戦略により第1戦の放映権が英国放送協会(BBC)へ移されたため、史上初めてBBC系列でのワールドシリーズ中継が実現した。BBCは双方向サービス \"レッドボタン\" で英国夏時間10月28日午前0時30分から生中継を行い、さらに同日の午前5時15分と午後8時25分、翌29日午後2時40分からの計3度再放送したほか、BBCスポーツのウェブサイトや \"iPlayer\" などインターネット放送の視聴手段も用意した。第2戦以降のTNTスポーツがMLBによって製作・提供されるアメリカ合衆国外向け英語放送用の映像・音声を使用したのに対し、第1戦のBBCはそれとは異なる独自の映像・音声を製作し、実況にはメラニー・ニューマンを、解説にはライアン・ローランドスミスとゼイビア・スクラッグスを起用した。", "title": "テレビ中継" } ]
2023年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第119回ワールドシリーズは、10月27日から11月1日にかけて計5試合が開催された。その結果、テキサス・レンジャーズ(アメリカンリーグ)がアリゾナ・ダイヤモンドバックス(ナショナルリーグ)を4勝1敗で下し、球団創設63年目で初の優勝を果たした。 地区優勝を逃した中で高勝率の球団にポストシーズン出場枠を与えるワイルドカード制度が1994年に導入されて以来、該当球団どうしがワールドシリーズで対戦するのは2014年以来9年ぶり3度目。ブルース・ボウチーは、2014年シリーズではナショナルリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツで、今シリーズではアメリカンリーグのレンジャーズで、それぞれ監督を務めてチームを優勝へ導いた。ジャイアンツ監督時代のボウチーは2010年と2012年にも優勝しており、今シリーズ制覇によりボウチーは、シリーズ優勝回数が4回に達した史上6人目の監督かつ両リーグの球団をシリーズで優勝させた史上3人目の監督となった。レンジャーズの初優勝により、シリーズ優勝経験がない球団は全30球団中残り5球団となった。シリーズMVPには、第1戦の9回裏に同点の2点本塁打を放つなど、5試合で打率.286・3本塁打・6打点・OPS 1.137という成績を残したレンジャーズのコーリー・シーガーが選出された。 2022年、MLB機構が金融持株会社のキャピタル・ワンと契約を締結し、同社はこの年から5年間ワールドシリーズの冠スポンサーとなった。よって大会名はワールドシリーズ presented by キャピタル・ワンとなる。
{{Infobox World Series Expanded |year=2023 |image=[[File:231031-F-XK427-1001 Reserve A-10 Warthogs Flyover 2023 World Series.jpg|300px]]<br />第4戦試合前の[[チェイス・フィールド]]の様子。開閉式の屋根が開かれ、[[アメリカ空軍]][[A-10 (航空機)|A-10CサンダーボルトII]] 4機がフライオーバーのため上空を飛行中 |champion=[[テキサス・レンジャーズ]] |champion_lg=[[アメリカンリーグ|AL]] |champion_abr=TEX |champion_win=4 |champion_app=12年ぶり3回目 |champion_gm=[[クリス・ヤング (投手)|クリス・ヤング]] |champion_mgr=[[ブルース・ボウチー]] |champion_game=90勝72敗・勝率.556<br />[[アメリカンリーグ西地区|AL西地区]]2位=[[2023年のアメリカンリーグワイルドカードシリーズ|第2ワイルドカード]] |champion_share=選手1人あたり50万6263ドル<ref name="playersshare">"[https://apnews.com/article/mlb-postseason-shares-rangers-diamondbacks-058327fb9ab12c24ba3cdcad72413f24 World Series champion Rangers’ full share $506,263, MLB postseason pool a record $107.8 million]," ''[[AP通信|Associated Press News]]'', November 22, 2023. 2023年11月22日閲覧。</ref> |runnerup=[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]] |runnerup_lg=[[ナショナルリーグ|NL]] |runnerup_abr=ARI |runnerup_win=1 |runnerup_app=22年ぶり2回目 |runnerup_gm=[[マイク・ヘイゼン]] |runnerup_mgr=[[トーリ・ロブロ]] |runnerup_game=84勝78敗・勝率.519<br />[[ナショナルリーグ西地区|NL西地区]]2位=[[2023年のナショナルリーグワイルドカードシリーズ|第3ワイルドカード]] |runnerup_share=選手1人あたり31万3634ドル<ref name="playersshare" /> |date=10月27日–11月1日 |attendance=5試合合計:23万{{0}}388人<br />1試合平均:{{0}}4万6078人 |MVP=[[コーリー・シーガー]](TEX) |crew_chief_umpire=[[ビル・ミラー (審判員)|ビル・ミラー]](第6戦を除く)、<br />[[アルフォンソ・マルケス]](第6戦のみ)<ref>"[https://www.mlb.com/press-release/press-release-umpires-for-the-119th-world-series-announced UMPIRES FOR THE 119th WORLD SERIES ANNOUNCED]," ''MLB.com'', October 26, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref> |ALCS='''TEX 4'''–3 [[ヒューストン・アストロズ|HOU]] |NLCS='''ARI 4'''–3 [[フィラデルフィア・フィリーズ|PHI]] |us_network=[[フォックス放送|FOX]] |us_play-by-play=[[ジョー・デービス]] |us_color_commentator=[[ジョン・スモルツ]] |us_ratings=4.7%(前年比1.4ポイント下降) }} 2023年の[[野球]]において、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグベースボール(MLB)]]優勝決定戦の'''第119回[[ワールドシリーズ]]'''({{lang-en|119th World Series}})は、10月27日から11月1日にかけて計5試合が開催された。その結果、[[テキサス・レンジャーズ]]([[アメリカンリーグ]])が[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]([[ナショナルリーグ]])を4勝1敗で下し、球団創設63年目で初の優勝を果たした。 地区優勝を逃した中で高勝率の球団に[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]出場枠を与える[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]制度が{{mlby|1994|d=y}}に導入されて以来、該当球団どうしがワールドシリーズで対戦するのは[[2014年のワールドシリーズ|2014年]]以来9年ぶり3度目<ref>Scott Allen, "[https://www.washingtonpost.com/sports/2023/10/26/rangers-diamondbacks-world-series-exciting/ Nine reasons to be excited about the Rangers-Diamondbacks World Series]," ''[[ワシントン・ポスト|The Washington Post]]'', October 26, 2023. 2023年11月3日閲覧。</ref>。[[ブルース・ボウチー]]は、2014年シリーズではナショナルリーグの[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]で、今シリーズではアメリカンリーグのレンジャーズで、それぞれ監督を務めてチームを優勝へ導いた。ジャイアンツ監督時代のボウチーは[[2010年のワールドシリーズ|2010年]]と[[2012年のワールドシリーズ|2012年]]にも優勝しており、今シリーズ制覇によりボウチーは、シリーズ優勝回数が4回に達した史上6人目の監督かつ両リーグの球団をシリーズで優勝させた史上3人目の監督となった<ref group="注">監督としてのシリーズ優勝回数は、[[ウォルター・オルストン]]や[[ジョー・トーリ]]と並び、7回の[[ケーシー・ステンゲル]]と[[ジョー・マッカーシー]]、5回の[[コニー・マック]]に次ぐ。両リーグ球団でのシリーズ優勝は、[[スパーキー・アンダーソン]]と[[トニー・ラルーサ]]が過去に達成している。</ref><ref>Stephen Hawkins, "[https://apnews.com/article/bruce-bochy-world-series-championships-rangers-diamondbacks-147363a0f2ce2028931397776ffbbc92 Bochy adds to legacy with 4th World Series title, and 1st for Rangers, in his return to majors]," ''Associated Press News'', November 2, 2023. 2023年11月3日閲覧。</ref>。レンジャーズの初優勝により、シリーズ優勝経験がない球団は全30球団中残り5球団となった<ref>[[:en:Dayn Perry|Dayn Perry]], "[https://www.cbssports.com/mlb/news/which-mlb-teams-have-never-won-world-series-only-five-teams-remain-on-list-as-rangers-celebrate-first-title/ Which MLB teams have never won World Series? Only five teams remain on list as Rangers celebrate first title]," ''[[CBSスポーツ|CBSSports.com]]'', November 2, 2023. 2023年11月3日閲覧。</ref>。[[ワールドシリーズ最優秀選手賞|シリーズMVP]]には、第1戦の9回裏に同点の2点[[本塁打]]を放つなど、5試合で[[打率]].286・3本塁打・6[[打点]]・[[OPS (野球)|OPS]] 1.137という成績を残したレンジャーズの[[コーリー・シーガー]]が選出された。 {{mlby|2022|d=y}}、MLB機構が[[金融持株会社]]の[[キャピタル・ワン]]と契約を締結し、同社はこの年から5年間ワールドシリーズの[[冠スポンサー]]となった<ref>Jabari Young, "[https://www.cnbc.com/2022/03/28/mlb-reaches-125-million-sponsorship-deal-with-capital-one.html MLB reaches a $125 million sponsorship deal with Capital One]," ''[[CNBC]]'', March 28, 2022. 2023年10月1日閲覧。</ref>。よって大会名は'''ワールドシリーズ presented by キャピタル・ワン'''({{lang-en|World Series presented by Capital One}})となる。 == ワールドシリーズまでの道のり == {{See also|1=2023年のメジャーリーグベースボール|2=2023年のテキサス・レンジャーズ|3=2023年のアリゾナ・ダイヤモンドバックス}} === 両チームの2023年 === {{節スタブ}} 10月23日にまず[[アメリカンリーグ]]でレンジャーズ([[アメリカンリーグ西地区|西地区]])が、そして24日には[[ナショナルリーグ]]でダイヤモンドバックス([[ナショナルリーグ西地区|西地区]])が、それぞれ[[リーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝]]を決めてワールドシリーズへ駒を進めた。 この2球団は、ここ数シーズンの結果が以下の点で共通している<ref>[[宇根夏樹]] 「[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9ceb169df7f4513ffd4edf987b4e3003dc236fcf 2年前は100敗以上、前年も負け越しの2チームが、前年のリーグ優勝チームを倒してワールドシリーズへ]」 『[[Yahoo!ニュース]]』、2023年10月25日。2023年10月25日閲覧。</ref>。 * {{mlby|2020|d=y}}・{{mlby|2021|d=y}}の2年連続で地区最下位。2021年は100敗以上を喫する * {{mlby|2022|d=y}}も負け越しで地区4位 * 2023年は地区2位に浮上し、[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]としてポストシーズン進出 * 今ポストシーズンは[[ワイルドカードシリーズ]]2勝0敗→[[ディビジョンシリーズ|地区シリーズ]]3勝0敗→リーグ優勝決定戦4勝3敗で勝ち抜け。リーグ優勝決定戦では[[2022年のワールドシリーズ|前年ワールドシリーズ]]出場球団を下す 両球団とも低迷から急速な躍進を遂げており、100敗シーズンの翌々年にシリーズ進出は歴代最速タイ<ref group="注">他には[[1914年のワールドシリーズ|1914年]]の[[アトランタ・ブレーブス|ボストン・ブレーブス]]、[[1967年のワールドシリーズ|1967年]]の[[ボストン・レッドソックス]]や[[1969年のワールドシリーズ|1969年]]の[[ニューヨーク・メッツ]]、[[2008年のワールドシリーズ|2008年]]の[[タンパベイ・レイズ]]が記録しており、レンジャーズとダイヤモンドバックスが15年ぶり5・6球団目。このような球団どうしがシリーズで直接対決するのは、今回が初めてとなる。</ref>、シリーズ進出前年の両球団合算勝率.438は歴代2位の低さ<ref group="注">[[1991年のワールドシリーズ|1991年シリーズ]]に次ぐ。そのシリーズに出場したアトランタ・ブレーブスと[[ミネソタ・ツインズ]]は、{{mlby|1990|d=y}}はそれぞれ65勝97敗と74勝88敗で、合算勝率は.429だった。</ref>、シリーズ進出直前3シーズンの通算勝率はレンジャーズが.391で歴代4位、ダイヤモンドバックスが.393で同5位の低さである<ref group="注">1914年のブレーブスが{{mlby|1911|d=y}}44勝107敗5分→{{mlby|1912|d=y}}52勝101敗2分→{{mlby|1913|d=y}}69勝82敗3分で.363、1991年のブレーブスが{{mlby|1988|d=y}}54勝106敗→{{mlby|1989|d=y}}63勝97敗1分→1990年65勝97敗で.378、[[2006年のワールドシリーズ|2006年]]の[[デトロイト・タイガース]]が{{mlby|2003|d=y}}43勝119敗→{{mlby|2004|d=y}}72勝90敗→{{mlby|2005|d=y}}71勝91敗で.383。レンジャーズとダイヤモンドバックスはこの3球団に次ぐ。</ref><ref>Theo DeRosa and Andrew Simon, "[https://www.mlb.com/news/quickest-turnarounds-to-make-the-world-series From 100 losses to World Series in record time]," ''MLB.com'', October 25, 2023. 2023年10月26日閲覧。</ref>。 レンジャーズ[[ゼネラルマネージャー|GM]]の[[クリス・ヤング (投手)|クリス・ヤング]]と助監督の[[ウィル・ベナブル]]、ダイヤモンドバックスGMの[[マイク・ヘイゼン]]はいずれも[[プリンストン大学]]出身であり、在学中に[[プリンストン・タイガース|野球部]]監督[[スコット・ブラッドリー (野球)|スコット・ブラッドリー]]の下でプレイした経験を持つ。特に両GMはブラッドリー監督就任1年目の{{by|1998年}}、最上級生で主将を務めるヘイゼンが高校生のヤングを勧誘するために大学で出迎えたときからの顔見知りで、今シリーズで両者の対戦が決まった際には、ブラッドリーの[[携帯電話]]にグループメッセージでふたりから「監督、ぜひ観にいらしてください。席はご用意できます」と送信されてきたという<ref>[[:en:Tom Verducci|Tom Verducci]], "[https://www.si.com/mlb/2023/10/25/rangers-diamondbacks-world-series-princeton-roots Unlikely Rangers–Diamondbacks World Series Has Deep Princeton Roots]," ''[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]]'', October 25, 2023. 2023年10月26日閲覧。</ref>。 === ホームフィールド・アドバンテージ === ワールドシリーズの第1・2・6・7戦を本拠地で開催できる "[[ホームアドバンテージ|ホームフィールド・アドバンテージ]]" は、レギュラーシーズンの勝率がより高いほうの球団に与えられる。[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]進出12球団のアドバンテージ優先順位は以下の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px" !rowspan="2" style="width:5em"|優先順位!!rowspan="2" style="width:16em"|球団!!rowspan="2" colspan="2"|レギュラーシーズン成績!!rowspan="2"|ポストシーズン結果||style="border-left:hidden" colspan="3"| |- !WCS!!DS!!LCS |- |style="text-align:left"|{{0}}1||[[アトランタ・ブレーブス]]||104勝58敗・勝率.642||[[ナショナルリーグ東地区|NL東地区]]優勝||[[2023年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|地区シリーズ(DS)]]敗退||免除||1勝3敗||- |- |style="text-align:left"|{{0}}2||[[ボルチモア・オリオールズ]]||101勝61敗・勝率.623||[[アメリカンリーグ東地区|AL東地区]]優勝||[[2023年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|地区シリーズ(DS)]]敗退||免除||0勝3敗||- |- |style="text-align:left"|{{0}}3||[[ロサンゼルス・ドジャース]]||100勝62敗・勝率.617||[[ナショナルリーグ西地区|NL西地区]]優勝||[[2023年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|地区シリーズ(DS)]]敗退||免除||0勝3敗||- |- |style="text-align:left"|{{0}}4{{ref label|tbrmil|※1|※1}}||[[タンパベイ・レイズ]]||{{0}}99勝63敗・勝率.611||[[アメリカンリーグ東地区|AL東地区]]2位=第1ワイルドカード||[[2023年のアメリカンリーグワイルドカードシリーズ|ワイルドカードシリーズ(WCS)]]敗退||0勝2敗||-||- |- |style="text-align:left"|{{0}}5{{ref label|tbrmil|※1|※1}}||[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]||{{0}}92勝70敗・勝率.568||[[ナショナルリーグ中地区|NL中地区]]優勝||[[2023年のナショナルリーグワイルドカードシリーズ|ワイルドカードシリーズ(WCS)]]敗退||0勝2敗||-||- |- |style="text-align:left; background-color:#CCFFCC"|{{0}}'''6'''{{ref label|tbrmil|※1|※1}}{{ref label|hoteph|※2|※2}}||style="background-color:#CCFFCC"|'''[[テキサス・レンジャーズ]]'''||style="background-color:#CCFFCC"|{{0}}'''90勝72敗・勝率.556'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''[[アメリカンリーグ西地区|AL西地区]]2位=第2ワイルドカード'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''ワールドシリーズ進出'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''2勝0敗'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''3勝0敗'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''4勝3敗''' |- |style="text-align:left"|{{0}}7{{ref label|tbrmil|※1|※1}}{{ref label|hoteph|※2|※2}}||[[フィラデルフィア・フィリーズ]]||{{0}}90勝72敗・勝率.556||[[ナショナルリーグ東地区|NL東地区]]2位=第1ワイルドカード||[[2023年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦(LCS)]]敗退||2勝0敗||3勝1敗||3勝4敗 |- |style="text-align:left"|{{0}}8{{ref label|tbrmil|※1|※1}}{{ref label|hoteph|※2|※2}}||[[ヒューストン・アストロズ]]||{{0}}90勝72敗・勝率.556||[[アメリカンリーグ西地区|AL西地区]]優勝||[[2023年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦(LCS)]]敗退||免除||3勝1敗||3勝4敗 |- |style="text-align:left"|{{0}}9{{ref label|tbrmil|※1|※1}}||[[トロント・ブルージェイズ]]||{{0}}89勝73敗・勝率.549||[[アメリカンリーグ東地区|AL東地区]]2位=第3ワイルドカード||[[2023年のアメリカンリーグワイルドカードシリーズ|ワイルドカードシリーズ(WCS)]]敗退||0勝2敗||-||- |- |style="text-align:left"|10{{ref label|tbrmil|※1|※1}}||[[ミネソタ・ツインズ]]||{{0}}87勝75敗・勝率.537||[[アメリカンリーグ中地区|AL中地区]]優勝||[[2023年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|地区シリーズ(DS)]]敗退||2勝0敗||1勝3敗||- |- |style="text-align:left"|11{{ref label|miaari|※3|※3}}||[[マイアミ・マーリンズ]]||{{0}}84勝78敗・勝率.519||[[ナショナルリーグ東地区|NL東地区]]3位=第2ワイルドカード||[[2023年のナショナルリーグワイルドカードシリーズ|ワイルドカードシリーズ(WCS)]]敗退||0勝2敗||-||- |- |style="text-align:left; background-color:#CCFFCC"|'''12'''{{ref label|miaari|※3|※3}}||style="background-color:#CCFFCC"|'''[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]'''||style="background-color:#CCFFCC"|{{0}}'''84勝78敗・勝率.519'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''[[ナショナルリーグ西地区|NL西地区]]2位=第3ワイルドカード'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''ワールドシリーズ進出'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''2勝0敗'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''3勝0敗'''||style="background-color:#CCFFCC"|'''4勝3敗''' |} : {{smaller|{{note label|tbrmil|※1|※1}} 同一リーグ内の[[ディビジョンシリーズ|地区シリーズ]]や[[リーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦]]などでは、勝率に関係なく地区優勝球団は[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]球団より上位に位置づけられるが、ワールドシリーズだけはこれに当てはまらない。}} : {{smaller|{{note label|hoteph|※2|※2}} レギュラーシーズンでフィリーズはレンジャーズに対しては0勝3敗と負け越し、アストロズに対しては2勝1敗と勝ち越した。したがって、今シリーズの顔合わせがレンジャーズ対フィリーズとなった場合にはレンジャーズに、アストロズ対フィリーズとなった場合にはフィリーズにアドバンテージが与えられる。}} : {{smaller|{{note label|miaari|※3|※3}} マーリンズがダイヤモンドバックスに対し、シーズン中の直接対決6試合を4勝2敗と勝ち越しているため、マーリンズが上位となる。}} 10月23日、まずレンジャーズがワールドシリーズ進出を決めた。勝ち残っていた球団のなかではレンジャーズの優先順位が最も高かったので、この時点で対戦相手に関係なくアドバンテージが確定、開催地は第1・2・6・7戦が[[グローブライフ・フィールド]]、第3・4・5戦が[[ナショナルリーグ]]優勝球団の本拠地となった。 == 両チームの過去の対戦 == ワールドシリーズでこの2チームが対戦するのは、今回が初めてとなる。ダイヤモンドバックスが創設された{{mlby|1998|d=y}}以降、レギュラーシーズン中の[[インターリーグ]]ではレンジャーズが通算で28勝25敗・勝率.528と勝ち越している<ref>"[https://www.baseball-reference.com/teams/head2head-games.cgi?team1=TEX&team2=ARI&from=1997&to=2023 Head-to-Head Records]," ''Baseball-Reference.com''. 2023年10月25日閲覧。</ref>。ただし、{{mlby|2023|d=y}}は5月2日・3日にレンジャーズの本拠地・[[グローブライフ・フィールド]]で2試合、8月21日・22日にダイヤモンドバックスの本拠地・[[チェイス・フィールド]]で2試合が組まれ、ダイヤモンドバックスが合計で3勝1敗とした。 == ロースター == 両チームの[[ロースター (MLB)|出場選手登録(ロースター)]]は以下の通り。 * 名前の横の<sup>★</sup>は[[2023年のMLBオールスターゲーム|この年のオールスターゲーム]]に選出された選手を、<sup>#</sup>はレギュラーシーズン開幕後に入団した選手を、<sup>◎</sup>は[[リーグチャンピオンシップシリーズ最優秀選手賞|リーグ優勝決定戦MVP]]受賞者を示す。 * 年齢は今シリーズ開幕時点でのもの。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px;" !colspan="9" style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|テキサス・レンジャーズ||colspan="9" style="color:#FFFFFF; background-color:#A71930"|アリゾナ・ダイヤモンドバックス |- !rowspan="2"|守備位置||rowspan="2"|背番号||rowspan="2"|出身||rowspan="2" style="width:14em"|選手||rowspan="2"|投||rowspan="2"|打||rowspan="2"|年齢||colspan="2"|ワールドシリーズ経験||rowspan="2"|守備位置||rowspan="2"|背番号||rowspan="2"|出身||rowspan="2" style="width:14em"|選手||rowspan="2"|投||rowspan="2"|打||rowspan="2"|年齢||colspan="2"|ワールドシリーズ経験 |- !出場||優勝||出場||優勝 |- |rowspan="14"|投手||61||{{Flagicon|USA}}||[[コディ・ブラッドフォード]]||左||左||25||初||なし||rowspan="12"|投手||50||{{Flagicon|DOM}}||[[ミゲル・カストロ]]||右||右||28||初||なし |- |46||{{Flagicon|USA}}||[[ブロック・バーク]]{{ref label|mstobb|※1|※1}}||左||左||27||初||なし||65||{{Flagicon|DOM}}||[[ルイス・フリアス]]||右||右||25||初||なし |- |45||{{Flagicon|CUB}}||[[アロルディス・チャップマン]]<sup>#</sup>||左||左||35||{{0}}7年ぶり2回目||1回||23||{{Flagicon|USA}}||[[ザック・ガレン]]<sup>★</sup>||右||右||28||初||なし |- |33||{{Flagicon|USA}}||[[デーン・ダニング]]||右||右||28||初||なし||37||{{Flagicon|USA}}||[[ケビン・ジンケル]]||右||左||29||初||なし |- |17||{{Flagicon|USA}}||[[ネイサン・イオバルディ]]<sup>★</sup>||右||右||33||{{0}}5年ぶり2回目||1回||29||{{Flagicon|USA}}||[[メリル・ケリー]]||右||右||35||初||なし |- |22||{{Flagicon|USA}}||[[ジョン・グレイ (野球)|ジョン・グレイ]]||右||右||31||初||なし||35||{{Flagicon|USA}}||[[ジョー・マンティプリー]]||左||右||32||初||なし |- |44||{{Flagicon|USA}}||[[アンドリュー・ヒーニー]]||左||左||32||初||なし||24||{{Flagicon|USA}}||[[カイル・ネルソン (野球)|カイル・ネルソン]]||左||左||27||初||なし |- |25||{{Flagicon|DOM}}||[[ホセ・ルクラーク]]||右||右||29||初||なし||19||{{Flagicon|USA}}||[[ライン・ネルソン]]||右||右||25||初||なし |- |52||{{Flagicon|USA}}||[[ジョーダン・モンゴメリー]]<sup>#</sup>||左||左||30||初||なし||32||{{Flagicon|USA}}||[[ブランドン・ファート]]||右||右||25||初||なし |- |54||{{Flagicon|VEN}}||[[マーティン・ペレス]]||左||左||32||初||なし||57||{{Flagicon|USA}}||[[アンドリュー・サールフランク]]||左||左||26||初||なし |- |66||{{Flagicon|USA}}||[[ジョシュ・スボーツ]]||右||右||29||初||なし||38||{{Flagicon|USA}}||[[ポール・シーウォルド]]<sup>#</sup>||右||右||33||初||なし |- |31||{{Flagicon|USA}}||[[マックス・シャーザー]]<sup>#</sup>{{ref label|mstobb|※1|※1}}||右||右||39||{{0}}4年ぶり3回目||1回||81||{{Flagicon|USA}}||[[ライアン・トンプソン (投手)|ライアン・トンプソン]]<sup>#</sup>||右||右||31||{{0}}3年ぶり2回目||なし |- |51||{{Flagicon|USA}}||[[ウィル・スミス (投手)|ウィル・スミス]]||左||右||34||{{0}}3年連続3回目||2回||rowspan="2"|捕手||11||{{Flagicon|VEN}}||[[ホセ・ヘレーラ (捕手)|ホセ・ヘレーラ]]||右||両||26||初||なし |- |35||{{Flagicon|USA}}||[[クリス・ストラットン]]<sup>#</sup>||右||右||33||初||なし||14||{{Flagicon|VEN}}||[[ガブリエル・モレノ]]||右||右||23||初||なし |- |rowspan="3"|捕手||18||{{Flagicon|USA}}||[[ミッチ・ガーバー]]||右||右||32||初||なし||rowspan="8"|内野手||10||{{Flagicon|USA}}||[[ジョーダン・ロウラー]]||右||右||21||初||なし |- |11||{{Flagicon|USA}}||[[オースティン・ヘッジス]]<sup>#</sup>||右||右||31||初||なし||3||{{Flagicon|USA}}||[[エバン・ロンゴリア]]||右||右||38||15年ぶり2回目||なし |- |28||{{Flagicon|USA}}||[[ジョナ・ハイム]]<sup>★</sup>||右||両||28||初||なし||4||{{Flagicon|DOM}}||[[ケーテル・マルテ]]<sup>◎</sup>||右||両||30||初||なし |- |rowspan="6"|内野手||20||{{Flagicon|DOM}}||[[エセキエル・デュラン]]{{ref label|agtoed|※2|※2}}||右||右||24||初||なし||2||{{Flagicon|DOM}}||[[ヘラルド・ペルドモ]]<sup>★</sup>||右||両||24||初||なし |- |6||{{Flagicon|USA}}||[[ジョシュ・ヤン]]<sup>★</sup>||右||右||25||初||なし||6||{{Flagicon|USA}}||[[ジェイス・ピーターソン]]<sup>#</sup>||右||左||33||初||なし |- |30||{{Flagicon|USA}}||[[ナサニエル・ロウ]]||右||左||28||初||なし||15||{{Flagicon|PUR}}||[[エマヌエル・リベラ]]||右||右||27||初||なし |- |5||{{Flagicon|USA}}||[[コーリー・シーガー]]<sup>★</sup>||右||左||29||{{0}}3年ぶり3回目||1回||26||{{Flagicon|USA}}||[[ペイビン・スミス]]||左||左||27||初||なし |- |2||{{Flagicon|USA}}||[[マーカス・セミエン]]<sup>★</sup>||右||右||33||初||なし||53||{{Flagicon|USA}}||[[クリスチャン・ウォーカー (野球)|クリスチャン・ウォーカー]]||右||右||32||初||なし |- |47||{{Flagicon|USA}}||[[ジョシュ・スミス (内野手)|ジョシュ・スミス]]||右||左||26||初||なし||rowspan="4"|外野手||7||{{Flagicon|USA}}||[[コービン・キャロル]]<sup>★</sup>||左||左||23||初||なし |- |rowspan="5"|外野手||32||{{Flagicon|USA}}||[[エバン・カーター]]||右||左||21||初||なし||12||{{Flagicon|CUB}}||[[ルルデス・グリエル・ジュニア|ルルデス・グリエルJr.]]<sup>★</sup>||右||右||30||初||なし |- |53||{{Flagicon|CUB}}||[[アドリス・ガルシア]]<sup>★◎</sup>{{ref label|agtoed|※2|※2}}||右||右||30||初||なし||28||{{Flagicon|USA}}||[[トミー・ファム]]<sup>#</sup>||右||右||35||初||なし |- |4||{{Flagicon|USA}}||[[ロビー・グロスマン]]||左||両||34||初||なし||5||{{Flagicon|USA}}||[[アレク・トーマス]]||左||左||23||初||なし |- |16||{{Flagicon|USA}}||[[トラビス・ジャンコウスキー]]||右||左||32||初||なし||colspan="9" rowspan="2"| |- |3||{{Flagicon|DOM}}||[[レオディ・タベラス]]||右||両||25||初||なし |} : {{smaller|{{note label|mstobb|※1|※1}} 第3戦終了後にシャーザーが故障のためロースターを外れ、第4戦からはバークが代わりに登録された。}} : {{smaller|{{note label|agtoed|※2|※2}} 第3戦終了後にガルシアが故障のためロースターを外れ、第4戦からはデュランが代わりに登録された。}} レンジャーズは、[[2023年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦]]からのロースター変更はない<ref>Kennedi Landry, "[https://www.mlb.com/rangers/news/rangers-set-2023-world-series-roster Rangers announce roster, no changes from ALCS]," ''Official Texas Rangers Website'', October 28, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。ダイヤモンドバックスは、[[2023年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦]]のロースターから投手の[[スレイド・セコーニ]]を外し、内野手の[[ジェイス・ピーターソン]]を加えた。[[2023年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|地区シリーズ]]からリーグ優勝決定戦へ進む際にはピーターソンに代えてセコーニを登録していたため、地区シリーズと同じロースターに戻したということになる。その理由について、ダイヤモンドバックスの[[トーリ・ロブロ]]監督は「ある救援投手を休ませるためにといって13人目の投手を入れておくよりも、野手に左打者の選択肢を持っておくほうが勝利に資すると判断した」と説明している<ref>Paul Casella, "[https://www.mlb.com/dbacks/news/d-backs-set-2023-world-series-roster D-backs set World Series roster in advance of Game 1]," ''Official Arizona Diamondbacks Website'', October 28, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。セコーニもリーグ優勝決定戦では2試合2.0イニングで無失点だったが、いずれもチームが5点以上離された敗色濃厚な場面での登板だった。 レンジャーズには過去にワールドシリーズ優勝を経験したことがある選手が5人おり、[[2018年のワールドシリーズ|2018年]]から[[2022年のワールドシリーズ|2022年]]まで直近5年の各シリーズ優勝経験者がひとりずつ揃っている<ref name="ringholder">宇根夏樹 「[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d32e6d6fd5da6218ed83460642ead6751a99b373 『ワールドシリーズ優勝リング』をすでに持っている選手は、レンジャーズに5人、Dバックスは0人]」 『Yahoo!ニュース』、2023年10月27日。2023年10月28日閲覧。</ref>。そのうち救援投手の[[ウィル・スミス (投手)|ウィル・スミス]]は、[[2021年のワールドシリーズ|2021年シリーズ]]は[[アトランタ・ブレーブス]]で、2022年シリーズは[[ヒューストン・アストロズ]]で、それぞれ優勝を経験している。全て異なる3球団から3年連続でシリーズに出場するのは、W・スミスが史上3人目となる<ref group="注">過去のふたりは、[[1986年のワールドシリーズ|1986年]]レッドソックス→[[1987年のワールドシリーズ|1987年]]ツインズ→[[1988年のワールドシリーズ|1988年]][[オークランド・アスレチックス]]の[[ドン・ベイラー]]と、[[2007年のワールドシリーズ|2007年]]レッドソックス→2008年レイズ→[[2009年のワールドシリーズ|2009年]][[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[エリック・ヒンスキー]]である。その間の優勝経験はベイラーが1987年のみ、ヒンスキーが2007年と2009年なので、W・スミスは史上初の3球団にまたがる個人3連覇となる可能性がある。</ref><ref>Shawn McFarland, "[https://www.dallasnews.com/sports/rangers/2023/10/26/texas-rangers-reliever-will-smith-has-shot-at-world-series-history/ Texas Rangers reliever Will Smith has shot at World Series history]," ''[[ダラス・モーニングニュース|Dallas News]]'', October 26, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。これに対してダイヤモンドバックスにはワールドシリーズ出場の経験者すらふたりしかおらず、優勝経験者はいない<ref name="ringholder" />。そのうち、内野手の[[エバン・ロンゴリア]]は新人時代の[[2008年のワールドシリーズ|2008年シリーズ]]に[[タンパベイ・レイズ]]の一員として出場し敗退して以来、15年ぶり2度目のシリーズ出場を迎える。シリーズ出場間隔が15年以上空いたのはロンゴリアが史上4人目であり、野手では初となる<ref group="注">過去の3人は、[[1909年のワールドシリーズ|1909年]]→[[1925年のワールドシリーズ|1925年]]で16年空いた[[ベーブ・アダムズ]]、[[1965年のワールドシリーズ|1965年]]→[[1982年のワールドシリーズ|1982年]]で17年空いた[[ジム・カート]]、[[1979年のワールドシリーズ|1979年]]→[[1995年のワールドシリーズ|1995年]]で16年空いた[[デニス・マルティネス]]。</ref><ref>Marc Topkin, "[https://www.tampabay.com/sports/rays/2023/10/25/evan-longoria-arizona-diamondbacks-world-series-jason-bartlett-dan-wheeler/ Former Ray Evan Longoria returns to World Series with Diamondbacks]," ''[[タンパベイ・タイムズ|Tampa Bay Times/St. Pete Times]]'', October 25, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。 == 開幕前の予想 == MLB.comが所属記者・アナリスト58人にどちらがシリーズを制するか予想させたところ、レンジャーズ勝利予想が30人に対してダイヤモンドバックス勝利予想が28人とほぼ互角の結果となった<ref>MLB.com, "[https://www.mlb.com/news/2023-world-series-predictions Experts pick World Series winner, MVP and more]," ''MLB.com'', October 28, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。同様の企画は他の媒体でも行われ、[[FOXスポーツ]]では4人の予想がふたりずつに分かれた<ref>Deesha Thosar, Jake Mintz, Jordan Shusterman and Rowan Kavner, "[https://www.foxsports.com/stories/mlb/rangers-or-diamondbacks-world-series-predictions-5-burning-questions Rangers or Diamondbacks? World Series predictions, 5 burning questions]," ''[[FOXスポーツ|FOX Sports]]'', October 27, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。だがそれ以外ではレンジャーズ支持が多く、[[ESPN]]では12人中9人<ref>ESPN, "[https://www.espn.com/mlb/story/_/id/38735090/2023-world-series-preview-predictions-rangers-diamondbacks-intel-odds-mvp 2023 World Series preview: Predictions, inside intel, odds]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', October 27, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>、[[CBSスポーツ]]では6人中4人<ref>R.J. Anderson, "[https://www.cbssports.com/mlb/news/2023-world-series-predictions-expert-picks-for-rangers-vs-diamondbacks-which-wild-card-team-wins-the-title/ 2023 World Series predictions, expert picks for Rangers vs. Diamondbacks: Which wild-card team wins the title?]," ''CBSSports.com'', October 27, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>、[[NBCスポーツ]]では7人中5人<ref>Rotoworld Staff, "[https://www.nbcsports.com/news/2023-world-series-predictions-diamondbacks-vs-rangers 2023 World Series Predictions: Diamondbacks vs. Rangers]," ''[[NBCスポーツ|NBC Sports]]'', October 27, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>、『[[USAトゥデイ]]』では5人中4人<ref>USA TODAY Sports, "[https://www.usatoday.com/story/sports/mlb/playoffs/2023/10/27/2023-world-series-predictions-texas-rangers-arizona-diamondbacks/71321353007/ 2023 World Series predictions: Rangers can win first championship in franchise history]," ''[[USAトゥデイ|USA TODAY]]'', October 27, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>、''[[:en:The Athletic|The Athletic]]''では30人中19人がレンジャーズの勝利を予想した<ref>The Athletic MLB Staff, "[https://theathletic.com/4998471/2023/10/26/diamondbacks-rangers-world-series-predictions/ Diamondbacks-Rangers World Series predictions: Our experts make their picks]," ''[[:en:The Athletic|The Athletic]]'', October 26, 2023. 2023年10月28日閲覧。</ref>。 == 試合結果 == 2023年のワールドシリーズは10月27日に開幕し、途中に移動日を挟んで6日間で5試合が行われた。日程・結果は以下の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px" !日付||試合||ビジター球団(先攻)||スコア||ホーム球団(後攻)||colspan="2"|開催球場 |- |10月27日(金)||第1戦||アリゾナ・ダイヤモンドバックス||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|5-'''6x'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''テキサス・レンジャーズ'''||rowspan="2"|グローブライフ・フィールド||rowspan="7"|{{Location map+|USA|width=350|caption=|places= {{Location map~|USA|lat=32.747361|long=-97.084167|position=bottom|label={{nowrap|[[グローブライフ・フィールド|グローブライフ・<br />フィールド]]}}}} {{Location map~|USA|lat=33.445278|long=-112.066944|position=top|label={{nowrap|[[チェイス・フィールド|チェイス・<br />フィールド]]}}}} }} |- |10月28日(土)||第2戦||style="color:#FFFFFF; background-color:#A71930"|'''アリゾナ・ダイヤモンドバックス'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#A71930"|'''9'''-1||テキサス・レンジャーズ |- |10月29日(日)|| ||colspan="3" style="border-left:hidden; border-right:hidden"|移動日|| |- |10月30日(月)||第3戦||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''テキサス・レンジャーズ'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''3'''-1||アリゾナ・ダイヤモンドバックス||rowspan="3"|チェイス・フィールド |- |10月31日(火)||第4戦||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''テキサス・レンジャーズ'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''11'''-7||アリゾナ・ダイヤモンドバックス |- |11月{{0}}1日(水)||第5戦||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''テキサス・レンジャーズ'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278"|'''5'''-0||アリゾナ・ダイヤモンドバックス |- !colspan="6"|優勝:テキサス・レンジャーズ(4勝1敗 / 球団創設63年目で初) |} === 第1戦 10月27日 === {{External media |width=280px |video1=[https://www.youtube.com/watch?v=acSB_pQJyCo 動画共有サイト "YouTube" にMLB公式アカウントが投稿したハイライト映像(英語、12分52秒)] }} * [[グローブライフ・フィールド]]([[テキサス州]][[アーリントン (テキサス州)|アーリントン]]) {{Linescore| |Road={{nowrap|アリゾナ・ダイヤモンドバックス}}|RoadAbr=ARI |R1=0|R2=0|R3=3|R4=1|R5=1|R6=0|R7=0|R8=0|R9=0|R10=0|R11=0|RR=5|RH=8|RE=0 |Home={{nowrap|'''テキサス・レンジャーズ'''}}|HomeAbr=TEX |H1=2|H2=0|H3=1|H4=0|H5=0|H6=0|H7=0|H8=0|H9=2|H10=0|H11=1x|HR=6|HH=9|HE=0 |WP=[[ホセ・ルクラーク]](1勝)|LP=[[ミゲル・カストロ]](1敗)|SV= |RoadHR=[[トミー・ファム]]1号ソロ|HomeHR=[[コーリー・シーガー]]1号2ラン、[[アドリス・ガルシア]]1号ソロ |PU=[[D.J.レイバーン]] |BU=一塁: [[アルフォンソ・マルケス]]、二塁: [[デビッド・ラックリー]]、三塁: [[ブライアン・ナイト]] |OU=左翼: [[ビック・カラパッツァ]]、右翼: [[ビル・ミラー (審判員)|ビル・ミラー]] |Note2=試合開始時刻: [[中部夏時間]]([[UTC-5]])午後7時7分 試合時間: 4時間2分 観客: 4万2472人 気温: 73°F(22.8°C)<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/d-backs-vs-rangers/2023/10/27/748542 MLB.com Gameday] / [https://www.espn.com/mlb/game/_/gameId/401581101 ESPN.com] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/TEX/TEX202310270.shtml Baseball-Reference.com] / [https://www.fangraphs.com/boxscore.aspx?date=2023-10-27&team=Rangers&dh=0&season=2023 FanGraphs] }} {{Baseball Lineup Card |v_team=アリゾナ・ダイヤモンドバックス|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=A71930 |v_pos1=右|v_name1=[[コービン・キャロル|C・キャロル]]|v_bat1=左 |v_pos2=二|v_name2=[[ケーテル・マルテ|K・マルテ]]|v_bat2=両 |v_pos3=捕|v_name3=[[ガブリエル・モレノ|G・モレノ]]|v_bat3=右 |v_pos4=一|v_name4=[[クリスチャン・ウォーカー (野球)|C・ウォーカー]]|v_bat4=右 |v_pos5=DH|v_name5=[[トミー・ファム|T・ファム]]|v_bat5=右 |v_pos6=左|v_name6=[[ルルデス・グリエル・ジュニア|L・グリエルJr.]]|v_bat6=右 |v_pos7=中|v_name7=[[アレク・トーマス|A・トーマス]]|v_bat7=左 |v_pos8=三|v_name8=[[エバン・ロンゴリア|E・ロンゴリア]]|v_bat8=右 |v_pos9=遊|v_name9=[[ヘラルド・ペルドモ|G・ペルドモ]]|v_bat9=両 |v_name10=[[ザック・ガレン|Z・ガレン]]|v_throw=右 |v_c=[[ガブリエル・モレノ|G・モレノ]]|v_1b=[[クリスチャン・ウォーカー (野球)|C・ウォーカー]]|v_2b=[[ケーテル・マルテ|K・マルテ]]|v_3b=[[エバン・ロンゴリア|E・ロンゴリア]]|v_ss=[[ヘラルド・ペルドモ|G・ペルドモ]]|v_lf=[[ルルデス・グリエル・ジュニア|L・グリエルJr.]]|v_cf=[[アレク・トーマス|A・トーマス]]|v_rf=[[コービン・キャロル|C・キャロル]]|v_dh=[[トミー・ファム|T・ファム]] |h_team=テキサス・レンジャーズ|h_textcolor=FFFFFF|h_bgcolor=003278 |h_pos1=二|h_name1=[[マーカス・セミエン|M・セミエン]]|h_bat1=右 |h_pos2=遊|h_name2=[[コーリー・シーガー|C・シーガー]]|h_bat2=左 |h_pos3=左|h_name3=[[エバン・カーター|E・カーター]]|h_bat3=左 |h_pos4=右|h_name4=[[アドリス・ガルシア|A・ガルシア]]|h_bat4=右 |h_pos5=DH|h_name5=[[ミッチ・ガーバー|M・ガーバー]]|h_bat5=右 |h_pos6=捕|h_name6=[[ジョナ・ハイム|J・ハイム]]|h_bat6=両 |h_pos7=一|h_name7=[[ナサニエル・ロウ|N・ロウ]]|h_bat7=左 |h_pos8=三|h_name8=[[ジョシュ・ヤン|J・ヤン]]|h_bat8=右 |h_pos9=中|h_name9=[[レオディ・タベラス|L・タベラス]]|h_bat9=両 |h_name10=[[ネイサン・イオバルディ|N・イオバルディ]]|h_throw=右 |h_c=[[ジョナ・ハイム|J・ハイム]]|h_1b=[[ナサニエル・ロウ|N・ロウ]]|h_2b=[[マーカス・セミエン|M・セミエン]]|h_3b=[[ジョシュ・ヤン|J・ヤン]]|h_ss=[[コーリー・シーガー|C・シーガー]]|h_lf=[[エバン・カーター|E・カーター]]|h_cf=[[レオディ・タベラス|L・タベラス]]|h_rf=[[アドリス・ガルシア|A・ガルシア]]|h_dh=[[ミッチ・ガーバー|M・ガーバー]] }} === 第2戦 10月28日 === {{External media |width=280px |video1=[https://www.youtube.com/watch?v=B0m-w6eZ7wE 動画共有サイト "YouTube" にMLB公式アカウントが投稿したハイライト映像(英語、10分19秒)] }} * [[グローブライフ・フィールド]]([[テキサス州]][[アーリントン (テキサス州)|アーリントン]]) {{Linescore| |Road={{nowrap|'''アリゾナ・ダイヤモンドバックス'''}}|RoadAbr=ARI |R1=0|R2=0|R3=0|R4=2|R5=0|R6=0|R7=2|R8=3|R9=2|RR=9|RH=16|RE=0 |Home={{nowrap|テキサス・レンジャーズ}}|HomeAbr=TEX |H1=0|H2=0|H3=0|H4=0|H5=1|H6=0|H7=0|H8=0|H9=0|HR=1|HH=4|HE=0 |WP=[[メリル・ケリー]](1勝)|LP=[[ジョーダン・モンゴメリー]](1敗)|SV= |RoadHR=[[ガブリエル・モレノ]]1号ソロ|HomeHR=[[ミッチ・ガーバー]]1号ソロ |PU=[[クイン・ウォルコット]] |BU=一塁: [[デビッド・ラックリー]]、二塁: [[ブライアン・ナイト]]、三塁: [[ビック・カラパッツァ]] |OU=左翼: [[ビル・ミラー (審判員)|ビル・ミラー]]、右翼: [[D.J.レイバーン]] |Note2=試合開始時刻: [[中部夏時間]]([[UTC-5]])午後7時5分 試合時間: 2時間59分 観客: 4万2500人 気温: 74°F(23.3°C)<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/d-backs-vs-rangers/2023/10/28/748541 MLB.com Gameday] / [https://www.espn.com/mlb/game/_/gameId/401581100 ESPN.com] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/TEX/TEX202310280.shtml Baseball-Reference.com Baseball-Reference.com] / [https://www.fangraphs.com/boxscore.aspx?date=2023-10-28&team=Rangers&dh=0&season=2023 FanGraphs] }} {{Baseball Lineup Card |v_team=アリゾナ・ダイヤモンドバックス|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=A71930 |v_pos1=二|v_name1=[[ケーテル・マルテ|K・マルテ]]|v_bat1=両 |v_pos2=右|v_name2=[[コービン・キャロル|C・キャロル]]|v_bat2=左 |v_pos3=捕|v_name3=[[ガブリエル・モレノ|G・モレノ]]|v_bat3=右 |v_pos4=一|v_name4=[[クリスチャン・ウォーカー (野球)|C・ウォーカー]]|v_bat4=右 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|Note2=試合開始時刻: [[山岳部標準時]]([[UTC-7]])午後5時3分 試合時間: 2時間51分 観客: 4万8517人 気温: 78°F(25.6°C)<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/rangers-vs-d-backs/2023/10/30/748540 MLB.com Gameday] / [https://www.espn.com/mlb/game/_/gameId/401581099 ESPN.com] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/ARI/ARI202310300.shtml Baseball-Reference.com] / [https://www.fangraphs.com/boxscore.aspx?date=2023-10-30&team=Diamondbacks&dh=0&season=2023 FanGraphs] }} {{Baseball Lineup Card |v_team=テキサス・レンジャーズ|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=003278 |v_pos1=二|v_name1=[[マーカス・セミエン|M・セミエン]]|v_bat1=右 |v_pos2=遊|v_name2=[[コーリー・シーガー|C・シーガー]]|v_bat2=左 |v_pos3=右|v_name3=[[アドリス・ガルシア|A・ガルシア]]|v_bat3=右 |v_pos4=左|v_name4=[[エバン・カーター|E・カーター]]|v_bat4=左 |v_pos5=DH|v_name5=[[ミッチ・ガーバー|M・ガーバー]]|v_bat5=右 |v_pos6=捕|v_name6=[[ジョナ・ハイム|J・ハイム]]|v_bat6=両 |v_pos7=一|v_name7=[[ナサニエル・ロウ|N・ロウ]]|v_bat7=左 |v_pos8=三|v_name8=[[ジョシュ・ヤン|J・ヤン]]|v_bat8=右 |v_pos9=中|v_name9=[[レオディ・タベラス|L・タベラス]]|v_bat9=両 |v_name10=[[マックス・シャーザー|M・シャーザー]]|v_throw=右 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78°F(25.6°C)<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/rangers-vs-d-backs/2023/10/31/748535 MLB.com Gameday] / [https://www.espn.com/mlb/game/_/gameId/401581098 ESPN.com] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/ARI/ARI202310310.shtml Baseball-Reference.com] / [https://www.fangraphs.com/boxscore.aspx?date=2023-10-31&team=Diamondbacks&dh=0&season=2023 FanGraphs] }} {{Baseball Lineup Card |v_team=テキサス・レンジャーズ|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=003278 |v_pos1=二|v_name1=[[マーカス・セミエン|M・セミエン]]|v_bat1=右 |v_pos2=遊|v_name2=[[コーリー・シーガー|C・シーガー]]|v_bat2=左 |v_pos3=DH|v_name3=[[ミッチ・ガーバー|M・ガーバー]]|v_bat3=右 |v_pos4=左|v_name4=[[エバン・カーター|E・カーター]]|v_bat4=左 |v_pos5=三|v_name5=[[ジョシュ・ヤン|J・ヤン]]|v_bat5=右 |v_pos6=一|v_name6=[[ナサニエル・ロウ|N・ロウ]]|v_bat6=左 |v_pos7=捕|v_name7=[[ジョナ・ハイム|J・ハイム]]|v_bat7=両 |v_pos8=中|v_name8=[[レオディ・タベラス|L・タベラス]]|v_bat8=両 |v_pos9=右|v_name9=[[トラビス・ジャンコウスキー|T・ジャンコウスキー]]|v_bat9=左 |v_name10=[[アンドリュー・ヒーニー|A・ヒーニー]]|v_throw=左 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[https://www.mlb.com/gameday/rangers-vs-d-backs/2023/11/01/748534 MLB.com Gameday] / [https://www.espn.com/mlb/game/_/gameId/401581097 ESPN.com] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/ARI/ARI202311010.shtml Baseball-Reference.com] / [https://www.fangraphs.com/boxscore.aspx?date=2023-11-01&team=Diamondbacks&dh=0&season=2023 FanGraphs] }} {{Baseball Lineup Card |v_team=テキサス・レンジャーズ|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=003278 |v_pos1=二|v_name1=[[マーカス・セミエン|M・セミエン]]|v_bat1=右 |v_pos2=遊|v_name2=[[コーリー・シーガー|C・シーガー]]|v_bat2=左 |v_pos3=左|v_name3=[[エバン・カーター|E・カーター]]|v_bat3=左 |v_pos4=DH|v_name4=[[ミッチ・ガーバー|M・ガーバー]]|v_bat4=右 |v_pos5=三|v_name5=[[ジョシュ・ヤン|J・ヤン]]|v_bat5=右 |v_pos6=一|v_name6=[[ナサニエル・ロウ|N・ロウ]]|v_bat6=左 |v_pos7=捕|v_name7=[[ジョナ・ハイム|J・ハイム]]|v_bat7=両 |v_pos8=中|v_name8=[[レオディ・タベラス|L・タベラス]]|v_bat8=両 |v_pos9=右|v_name9=[[トラビス・ジャンコウスキー|T・ジャンコウスキー]]|v_bat9=左 |v_name10=[[ネイサン・イオバルディ|N・イオバルディ]]|v_throw=右 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Bush throws first pitch]," ''MLB.com'', October 27, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[イバン・ロドリゲス]]<ref name="game1cfp" /> |- |第2戦||パール・ピーターソン<br />([[:en:Boys & Girls Clubs of America|ボーイズ・アンド・ガールズ・<br />クラブ・オブ・アメリカ]])<ref>"[https://www.mlb.com/video/pearle-peterson-honors-america Pearle Peterson honors America]," ''MLB.com'', October 28, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[エイドリアン・ベルトレ]]<ref name="game2cfp">"[https://www.mlb.com/video/adrian-beltre-s-first-pitch Adrián Beltré's first pitch]," ''MLB.com'', October 28, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[ファーガソン・ジェンキンス]]<ref name="game2cfp" /> |- |第3戦||[[ジョーダン・スパークス]]<ref>"[https://www.mlb.com/video/jordin-sparks-honors-america Jordin Sparks honors America]," ''MLB.com'', October 30, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[ランディ・ジョンソン]]<ref name="game3cfp">"[https://www.mlb.com/video/randy-johnson-tosses-first-pitch Randy Johnson tosses first pitch]," ''MLB.com'', October 30, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[ルイス・ゴンザレス (1967年生の外野手)|ルイス・ゴンザレス]]<ref name="game3cfp" /> |- |rowspan="2"|第4戦||rowspan="2"|[[ミッキー・ガイトン]]<ref>"[https://www.mlb.com/video/mickey-guyton-sings-anthem Mickey Guyton sings anthem]," ''MLB.com'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||マドックス・カーミーン、<br />エイミー・ギボンズ<br />([[悪性腫瘍|癌]]サバイバー)<ref name="game4cfp1">"[https://www.mlb.com/video/stand-up-to-cancer-first-pitches Stand Up To Cancer first pitches]," ''MLB.com'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[トニー・ビーズリー]]、<br />[[ライアン・トンプソン (投手)|ライアン・トンプソン]]<ref name="game4cfp1" /> |- |[[ジョン・ラーム]]<ref name="game4cfp2">"[https://www.mlb.com/video/jon-rahm-tosses-first-pitch Jon Rahm tosses first pitch]," ''MLB.com'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||[[メリル・ケリー]]<ref name="game4cfp2" /> |- |第5戦||[[ダイナ・ジェーン]]<br />([[フィフス・ハーモニー]])<ref>"[https://www.mlb.com/video/dinah-jane-honors-america Dinah Jane honors America]," ''MLB.com'', November 1, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||タイラー・モルドバン<br />([[フェニックス市警察]])<ref name="game5cfp">Kyra O'Connor, "[https://www.12news.com/article/sports/mlb/diamondbacks/phoenix-police-officer-tyler-moldovan-throws-first-pitch-world-series-game-5/75-95b084a8-58ff-4451-8e09-97495e3706af Standing ovation for Phoenix police officer throwing first pitch at World Series Game 5]," ''[[:en:KPNX|12news.com]]'', November 1, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||不明 |} 第2戦前の国歌独唱と第4戦前の始球式のうちのひとつは、いずれもMLBが協賛する[[非営利団体]]の活動と結びついたものである。第2戦前に登場したパール・ピーターソンは[[ワシントン州]][[スクイム]]在住の高校生で、校外活動促進団体 "[[:en:Boys & Girls Clubs of America|ボーイズ・アンド・ガールズ・クラブ・オブ・アメリカ]]"(BGCA)[[オリンピック半島]]支部の利用者である。彼女は5月のBGCA全米総会でその歌唱力を評価されて表彰を受けて以来、[[アメリカ合衆国東海岸|東海岸]]の[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]から[[アメリカ合衆国南部|南部]]の[[ジョージア州]][[アトランタ]]や[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の[[イリノイ州]][[シカゴ]]、[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]の[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]に至るまで全米各地を股にかけて歌を披露してきた<ref>Matthew Nash, "[https://www.peninsuladailynews.com/news/sequim-teen-to-sing-at-world-series-game/ Sequim teen to sing at World Series game]," ''[[:en:Peninsula Daily News|Peninsula Daily News]]'', October 26, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。10月に入りニューヨークでのBGCA催事で歌唱したところ、そこに出席していたMLB幹部の目に留まって今回の抜擢につながった<ref>Martín Gallegos, "[https://www.mlb.com/news/pearle-peterson-national-anthem-world-series-game-2-2023 High school senior rocks anthem, reps Boys & Girls Club at WS]," ''MLB.com'', October 29, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。また、第4戦前の始球式のうちのひとつでは、MLBが協賛する[[悪性腫瘍|悪性腫瘍(癌)]]研究支援の[[慈善団体]] "[[:en:Stand Up to Cancer|Stand Up to Cancer]]" との合同企画により、癌との闘病経験を持つ両球団ファンが事前にひとりずつ選ばれてボールを投じた。ダイヤモンドバックスのファン代表エイミー・ギボンズは、BGCA前[[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]支部長で、[[卵巣腫瘍]]を克服した<ref>Alyson Footer, "[https://www.mlb.com/news/stand-up-to-cancer-2023-world-series SU2C connects fans, players in moment of tribute]," ''MLB.com'', November 1, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。レンジャーズのファン代表マドックス・カーミーンは13歳の少年で、ここ5年の間に[[急性骨髄性白血病]]を2度発症して入院しており、その間には[[エルビス・アンドラス]]らレンジャーズの選手たちの慰問を受けたこともある<ref>Rebecca Lopez, "[https://www.wfaa.com/article/sports/mlb/rangers/texas-teenager-two-time-leukemia-cancer-survivor-throwing-out-first-pitch-world-series/287-123b5ca9-7dc0-429a-a695-c4a6d7ccd08f Texas teenager who is a two-time Leukemia cancer survivor throwing out first pitch at World Series]," ''[[:en:WFAA|wfaa.com]]'', November 1, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。 ダイヤモンドバックスの本拠地球場[[チェイス・フィールド]]で行われる第4戦の前、もうひとつの始球式には[[ゴルフ|ゴルファー]]の[[ジョン・ラーム]]が登場した。ラームは[[アリゾナ州立大学]]出身で、この年4月には[[グランドスラム (ゴルフ)|4大メジャー大会]]のうちのひとつ、[[マスターズ・トーナメント]]を制した。今回の始球式ではマスターズ優勝者の証であるグリーンジャケットを身にまとい、同じ大学出身でダイヤモンドバックス投手の[[メリル・ケリー]]を捕手役にしてボールを投じたが、その投球は右打席の方向へ大きく逸れた。このあとラームは[[Twitter]]で「少ーーーーーし外れたかな{{絵文字フォント|⚾😂}}」と振り返り、また後日その投球の出来について訊かれると「10点満点で6〜7点はあげていい」と述べた<ref>Alex Myers, "[https://www.golfdigest.com/story/jon-rahm-reveals-what-went-wrong-with-world-series-first-pitch-and-its-not-what-you-think Jon Rahm reveals what went wrong with his World Series first pitch (And it's not what you think)]," ''[[ゴルフダイジェスト (アメリカ合衆国の雑誌)|GolfDigest.com]]'', November 1, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。ただ、今シリーズに姿を見せたマスターズ優勝経験者はラームが初めてではない。レンジャーズの本拠地球場[[グローブライフ・フィールド]]で行われた第1戦には、いずれも[[テキサス大学オースティン校]]出身の2015年大会王者[[ジョーダン・スピース]]と2022年大会王者[[スコッティ・シェフラー]]が観戦に訪れている<ref>Gabrielle Herzig, "[https://www.si.com/golf/news/jon-rahm-first-pitch-world-series-green-jacket-diamondbacks-rangers Jon Rahm Fired the First Pitch at World Series Game 4 While Wearing His Masters Green Jacket]," ''Sports Illustrated'', November 1, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。 第5戦前の始球式には、[[フェニックス市警察]]のタイラー・モルドバンが起用された。2021年12月14日未明、当時22歳の新人警官モルドバンは危険運転の通報を受けて現場へ向かい、車から降りた運転手と思しき男を追跡したところ、その男から頭部への1発を含む計8発の銃撃を受けて重体に陥った<ref>Peter Valencia, "[https://www.kold.com/2021/12/15/phoenix-police-say-officer-tyler-moldovan-was-shot-8-times-including-once-head/ Phoenix police say Officer Tyler Moldovan was shot 8 times, including once to the head]," ''[[:en:KOLD-TV|KOLD]]'', December 16, 2021. 2023年12月27日閲覧。</ref>。一時は生存も絶望視される状態だったが一命をとりとめ、2022年1月に救急搬送先の病院から[[リハビリテーション|リハビリ]]施設へ転院、同年6月には自宅へ戻った<ref>KTAR.com, "[https://ktar.com/story/5087106/nearly-6-months-after-shooting-phoenix-officer-tyler-moldovan-heading-home/ Nearly 6 months after shooting, Phoenix Officer Tyler Moldovan returns home]," ''[[:en:KTAR-FM|KTAR.com]]'', Junuary 2, 2022. 2023年12月27日閲覧。</ref>。その後も[[車椅子]]生活となりながら、2023年4月6日にはダイヤモンドバックスのレギュラーシーズン本拠地開幕戦で始球式に起用され、妻チェルシーやダイヤモンドバックスOB[[ルイス・ゴンザレス (1967年生の外野手)|ルイス・ゴンザレス]]の介助のもと立ち上がってボールを投じた<ref>Alexis Cortez, "[https://www.azfamily.com/2023/04/07/phoenix-officer-tyler-moldovan-throws-out-first-pitch-d-backs-home-opener/ Phoenix officer Tyler Moldovan throws out first pitch at D-backs home opener]," ''[[:en:KTVK|AZ Family]]'', April 7, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。それから7か月後、今シリーズ第5戦がチェイス・フィールドで行われる年内最後の試合となったため、球団は「彼の始球式から始まったシーズンだから、掉尾を飾るには彼に戻ってきてもらうのがふさわしい」と、モルドバンを再び始球式に起用した<ref>Tannya Barba, Associated Press, "[https://www.abc15.com/sports/most-memorable-moments-in-the-d-backs-2023-world-series-run Most memorable moments in the D-backs 2023 World Series run]," ''[[:en:KNXV-TV|ABC15 Arizona]]'', November 3, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。今回の始球式ではチェルシーやゴンザレスのほかに[[フェニックス市長]][[ケイト・ガイエゴ]]や暫定警察長マイケル・サリバンも立ち会い、観衆が拍手と歓声で出迎えるなか、モルドバンは車椅子から立ち上がっただけでなく、そこから[[歩行器]]につかまって本塁方向へ歩みを進めたあとにボールを投じた<ref name="game5cfp" />。 == テレビ中継 == === アメリカ合衆国 === [[アメリカ合衆国]]におけるテレビ中継は[[フォックス放送|FOX]]が放送した。実況は[[ジョー・デービス]]が、解説は[[ジョン・スモルツ]]が、フィールドリポートは[[ケン・ローゼンタール]]と[[トム・バードゥッチ]]が、それぞれ務めた。MLBではこの年より[[投球]]間の時間制限 "[[ピッチクロック]]" が採用されたが、シーズンを通して続けたことで観るほうの違和感もなくなったと判断され、今シリーズ中継では画面上にクロックの表示がされなかった<ref>Tom Verducci, "[https://www.si.com/mlb/2023/11/04/the-pitch-timer-saved-the-world-series-rangers-diamondbacks The Pitch Timer Saved the World Series, and You Didn't Even Notice]," ''Sports Illustrated'', November 4, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。試合前には[[ケビン・バークハート]]進行のコーナーがあり、[[デレク・ジーター]]や[[デビッド・オルティーズ]]、[[アレックス・ロドリゲス]]が出演して試合の見所などを語った。 全5試合の平均[[視聴率]]は4.7%で、[[2022年のワールドシリーズ|前年]]から1.4ポイント下降し、[[2020年のワールドシリーズ|2020年]]の5.2%も下回って歴代最低となった<ref name="averatings">"[https://apnews.com/world-series-ratings-8af1429906b97974992323b19339762f World Series Ratings]," ''Associated Press News'', November 3, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。シリーズを通しての、全米および出場両チームの本拠地都市圏における視聴率等は以下の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px" !style="width:3em" rowspan="2"|試合||style="width:6em" rowspan="2"|日付||colspan="3"|全米||style="color:#FFFFFF; background-color:#003278" colspan="2"|テキサス州ダラス||style="color:#FFFFFF; background-color:#A71930" colspan="2"|アリゾナ州フェニックス |- !style="width:6em"|視聴率||style="width:6em"|占拠率||style="width:6em"|視聴者数||style="width:6em"|視聴率||style="width:6em"|占拠率||style="width:6em"|視聴率||style="width:6em"|占拠率 |- |style="text-align:left"|第1戦<ref name="game1final">[[:en:Son of the Bronx|Douglas Pucci]], "[https://programminginsider.com/friday-ratings-fox-airs-game-one-of-the-mlb-world-series/ Friday Ratings: Fox Airs Game One of the MLB World Series]," ''Programming Insider'', October 28, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref><ref>{{Twitter status2|FOXSportsPR|1719117826605158625|2023年10月31日|accessdate=2023-11-05}}</ref>||10月27日(金)||4.6%||15%||917万人||19.4%||52%||16.9%||46% |- |style="text-align:left"|第2戦<ref name="game2final">Douglas Pucci, "[https://programminginsider.com/saturday-ratings-fox-leads-with-mlb-world-series-game-two-nbc-close-runner-up-with-big-ten-football/ Saturday Ratings: Fox Leads with MLB World Series Game Two, NBC Close Runner-Up with Big Ten Football]," ''Programming Insider'', October 29, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||10月28日(土)||4.0%||12%||815万人||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明 |- |style="text-align:left"|第3戦<ref name="game3final">Douglas Pucci, "[https://programminginsider.com/monday-ratings-nfl-monday-night-football-on-abc-and-espn-unsurprisingly-tops-mlb-world-series-game-three-on-fox/ Monday Ratings: NFL ‘Monday Night Football’ on ABC and ESPN Unsurprisingly Tops MLB World Series Game Three on Fox]," ''Programming Insider'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref><ref name="ybgame3a4">Jason Clinkscales, "[https://www.yardbarker.com/mlb/articles/rangers_game_4_win_continues_low_ratings_trend_for_world_series/s1_13132_39474203 Rangers' Game 4 win continues low ratings trend for World Series]," ''[[:en:Yardbarker|Yardbarker]]'', November 1, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||10月30日(月)||4.2%||11%||813万人||20.3%||47%||18.1%||45% |- |style="text-align:left"|第4戦<ref name="game4final">Douglas Pucci, "[https://programminginsider.com/tuesday-ratings-fox-scares-up-halloween-victory-despite-limited-mlb-world-series-viewership/ Tuesday Ratings: Fox Scares Up Halloween Victory Despite Limited MLB World Series Viewership]," ''Programming Insider'', November 1, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref><ref name="ybgame3a4" />||10月31日(火)||4.5%||13%||848万人||19.7%||50%||12.7%||36% |- |style="text-align:left"|第5戦<ref name="game5final">Douglas Pucci, "[https://programminginsider.com/wednesday-ratings-fox-wins-as-texas-rangers-earn-their-first-ever-mlb-world-series-title/ Wednesday Ratings: Fox Wins as Texas Rangers Earn Their First-Ever MLB World Series Title]," ''Programming Insider'', November 2, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>||11月{{0}}1日(水)||6.0%||17%||1148万人||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明||style="text-align:center"|不明 |- |style="text-align:center" colspan="2"|平均<ref name="averatings" /><ref name="apjoereedy">Joe Reedy, "[https://apnews.com/article/world-series-rangers-diamondbacks-fox-f0eb9837a3d8bfa529fed811a6417057 World Series averaged 9.11 million viewers, making it the least-watched Fall Classic in TV history]," ''Associated Press News'', November 3, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref><ref>{{Twitter status2|FOXSportsPR|1720194090787299579|2023年11月3日|accessdate=2023-11-05}}</ref>||4.7%||14%||911万人||20.3%||51%||16.0%||43% |} {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px" |- !colspan="3"|今シリーズ||colspan="2"|[[2022年のワールドシリーズ|前年]]との比較||colspan="4"|[[裏番組|同時間帯最高視聴率番組]]との比較 |- !試合||放送時間||視聴率||視聴率||変動||番組||放送局||放送時間||視聴率 |- |style="text-align:left"|第1戦<ref name="game1final" />||午後{{0}}8時00分〜{{0}}0時15分||style="text-align:right"|4.6%||style="text-align:right"|5.8%||1.2ポイント下降||『[[ザ・プライス・イズ・ライト]]』([[再放送]])||[[CBS]]||午後{{0}}8時00分〜{{0}}9時00分||style="text-align:right"|1.8% |- |style="text-align:left"|第2戦<ref name="game2final" />||午後{{0}}7時58分〜11時{{0}}5分||style="text-align:right"|4.6%||不明||不明||''[[:en:College Football on NBC Sports|Big Ten Saturday Night]]''<ref group="注">[[カレッジフットボール]]中継番組。この日は[[オハイオステート・バックアイズ]]([[オハイオ州立大学]])対[[ウィスコンシン・バジャーズ]]([[ウィスコンシン大学マディソン校]])戦を放送した。[[AP通信]]の[[:en:AP Poll|記者投票ランキング]]では、[[全米大学体育協会]](NCAA)[[ディビジョンIフットボール・ボウル・サブディビジョン]]全133校中オハイオステートが3位、ウィスコンシンがランク外(26位以下)だった。</ref>||[[NBC]]||午後{{0}}7時33分〜11時00分||style="text-align:right"|2.6% |- |style="text-align:left"|第3戦<ref name="game3final" />||午後{{0}}7時57分〜10時55分||style="text-align:right"|4.2%||style="text-align:right"|6.2%||2.0ポイント下降||『[[マンデーナイトフットボール]]』||[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]||午後{{0}}8時13分〜11時21分||style="text-align:right"|4.8% |- |style="text-align:left"|第4戦<ref name="game4final" />||午後{{0}}7時58分〜11時19分||style="text-align:right"|4.5%||style="text-align:right"|6.6%||2.1ポイント下降||『[[ザ・ヴォイス (オーディション番組)|ザ・ヴォイス]]』||[[NBC]]||午後{{0}}9時00分〜10時00分||style="text-align:right"|3.1% |- |style="text-align:left"|第5戦<ref name="game5final" />||午後{{0}}7時57分〜11時12分||style="text-align:right"|6.0%||style="text-align:right"|7.0%||1.0ポイント下降||『[[サバイバー (アメリカのテレビ番組)|サバイバー]]』||[[CBS]]||午後{{0}}8時00分〜{{0}}9時30分||style="text-align:right"|2.7% |- |style="text-align:left"|第6戦||colspan="2"|(なし)||style="text-align:right"|6.2%||-||colspan="4"|- |- |colspan="2"|平均||style="text-align:right"|4.7%||style="text-align:right"|6.1%||1.4ポイント下降||style="text-align:right" colspan="4"|[註]放送時間は[[東部夏時間]]。[[中部夏時間]]は-1時間、[[山岳部標準時]]は-3時間 |} 今シリーズの視聴率が低迷した理由については、以下のような要因が指摘されている。 * '''全米人気に欠ける出場球団''':全米規模の人気がある球団は[[ニューヨーク・ヤンキース]]や[[ボストン・レッドソックス]]、[[ロサンゼルス・ドジャース]]など一部に限られ、レンジャーズやダイヤモンドバックスはそこには入らない<ref>[[:en:Dan Shaughnessy|Dan Shaughnessy]], "[https://www.bostonglobe.com/2023/10/31/sports/world-series-dan-shaughnessy/ This World Series threatens to take apathy toward baseball to an even lower level]," ''[[ボストン・グローブ|The Boston Globe]]'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。両球団の本拠地都市圏も、テレビ視聴世帯数では前年出場球団の本拠地都市圏を下回っているうえ<ref name="forbesbad">Dan Freedman, "[https://www.forbes.com/sites/danfreedman/2023/11/03/rangers--diamondbacks-x-5-games--historically-bad-ratings/ Rangers + Diamondbacks x 5 Games = Historically Bad Ratings]," ''[[フォーブス (雑誌)|Forbes]]'', November 3, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>、全米の48%を占める[[東部標準時|東部時間帯]]地域から外れているため、東部大都市の住民の興味を引くことができない<ref name="sportico">Anthony Crupi, "[https://www.sportico.com/business/media/2023/world-series-ratings-plunge-1234744087/ WORLD SERIES RATINGS PLUNGE WON'T MATTER IF FOX LANDS A GAME 6]," ''[[:en:Penske Media Corporation|Sportico]]'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。FOXの戦略・分析担当上級副社長マイク・マルビヒルは、今シリーズの対戦カードについて「出場球団が入れ替わって新王者が誕生するのは、球界にとって健全なこと」としたうえで「短期的にみれば、全米人気を持たない球団どうしの対戦では視聴率を稼げないのも確かだ」と述べた<ref name="apjoereedy" />。 * '''スター選手不在''':野球はその競技特性上、ひとりの選手が試合結果に与える影響は[[アメリカンフットボール]]や[[バスケットボール]]と比べて小さいため、勝利にはスター選手の活躍よりもチームの総合力が求められる<ref>Maury Brown, "[https://www.forbes.com/sites/maurybrown/2023/11/02/from-lowest-viewed-world-series-to-espn-opt-out-to-rsns-how-mlbs-media-landscape-looks/?sh=4bd7c60e5142 From Lowest-Viewed World Series To ESPN Opt Out To RSNs, How MLB's Media Landscape Looks]," ''Forbes'', November 2, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。スター選手を擁するチームが順当に勝ち上がる可能性は他競技より低く、今シリーズには[[大谷翔平]]や[[アーロン・ジャッジ]]<ref name="disturbing">Paul Sullivan, "[https://www.chicagotribune.com/sports/ct-world-series-texas-rangers-arizona-diamondbacks-20231101-d6pbfqolvjd7bhm6ljphxjwdc4-story.html Column: This World Series continues a disturbing trend of diminishing audiences. Why is no one watching?]," ''[[シカゴ・トリビューン|Chicago Tribune]]'', November 1, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>、[[ブライス・ハーパー]]や[[ムーキー・ベッツ]]などのような人気選手がいなかった<ref name="forbesbad" />。特にダイヤモンドバックスには、熱心な野球ファンでもなければ知らないような選手が多い<ref name="disturbing" />。 * '''[[裏番組]]のアメリカンフットボール中継''':ワールドシリーズは前年の2022年より、開幕日を[[金曜日]]に設定した。これは第2戦と第3戦の間の移動日を[[日曜日]]に、第5戦と第6戦の間の移動日を[[木曜日]]にすることで、シリーズ中継が他メディアによる[[NFL]]中継の裏番組となるのを回避するためである<ref>Gabe Lacques, "[https://www.usatoday.com/story/sports/mlb/2022/10/27/mlb-world-series-schedule-2022-nfl-sunday/10610463002/ 'Choose your battles': How the NFL chased MLB World Series off football's holy day]," ''USA TODAY'', October 27, 2022. 2023年11月5日閲覧。</ref>。ただこれでは第1戦(と、シリーズが長引けば第6戦)が、1週間のなかで最も視聴率をとりにくいとされる金曜日開催とならざるを得ない<ref name="apjoereedy" />。また、NFL中継との視聴率競争を完全に回避することはできず、[[月曜日]]の第3戦は[[ESPN]]『[[マンデーナイトフットボール]]』(MNF)と重なる。この日MNFは[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]との[[サイマル放送]]を実施し、両局合計で平均視聴者数1520万人と、FOXのシリーズ第3戦を大きく超える数字を残した<ref>Brad Adgate, "[https://www.forbes.com/sites/bradadgate/2023/11/02/texas-rangers-win-its-first-world-series-amid-record-low-ratings/?sh=33b91d08632c Texas Rangers Win Its First World Series Amid Record Low Ratings]," ''Forbes'', November 2, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。また第2戦が開催された[[土曜日]]は、番組単位でこそシリーズ中継が最も多くの視聴者を獲得しているが、[[カレッジフットボール]]中継は[[NBC]]とABCがそれぞれ別の試合で行っており、合計の平均視聴者数は953万人と、こちらもシリーズ中継を上回った<ref group="注">ABCの中継番組 ''[[:en:Saturday Night Football|Saturday Night Football]]'' では、[[コロラド・バッファローズ]]([[コロラド大学ボルダー校]])対[[UCLAブルーインズ]]([[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]])戦を放送した。AP通信の記者投票ランキングではUCLAが23位、コロラドがランク外だった。</ref><ref>Jason Clinkscales, "[https://www.yardbarker.com/mlb/articles/diamondbacks_game_2_win_least_watched_world_series_game_on_record/s1_13132_39467724 Diamondbacks' Game 2 win least-watched World Series game on record]," ''Yardbarker'', October 31, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。 * '''シリーズの早期決着''':シリーズは第7戦へ近づくごとに視聴者数が増える傾向にある。直近10年をみても、第6戦は第5戦より視聴者数が平均で14%増えている<ref name="sportico" />。しかし今シリーズはそこまで行かず、5試合で決着した。 * '''[[テレビ離れ]]''':大学1〜2年生くらいの若者のなかには、野球に興味があっても[[ケーブルテレビ]]の有料視聴契約をしていないため試合中継を観る習慣がなく、[[:en:Jomboy (sports media)|Jomboy]]のようなインフルエンサーが[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]にアップする細切れの動画で満足する、という例がみられるという<ref>J.P. Hoornstra, "[https://www.ocregister.com/2023/11/01/hoornstra-with-ratings-plummeting-what-is-the-future-of-world-series-broadcasts/ Hoornstra: With ratings plummeting, what is the future of World Series broadcasts?]," ''[[:en:The Orange County Register|Orange County Register]]'', November 2, 2023. 2023年11月5日閲覧。</ref>。 その一方で裏番組との視聴率争いでは、[[クイズ番組]]や[[オーディション番組]]、[[テレビドラマ|ドラマ]]などの娯楽番組に対しては8年連続でどの番組よりも高い視聴率を記録しており、マルビヒルも「我々の望みはふたつあって、そのうち『長いシリーズ』は叶わなかったが『娯楽番組より高い視聴率』は達成できた」と一定の評価を下している<ref name="apjoereedy" />。 === 日本 === {{See also|メジャーリーグ中継 (NHK)}} [[日本]]での生中継の放送は、[[日本放送協会|日本放送協会(NHK)]]の[[衛星放送]]チャンネル "[[NHK BS1|BS1]]" で行われた。実況は[[早瀬雄一]]が、解説は[[井口資仁]]が務めた<ref>「[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202310280830001301100 MLB2023 ワールドシリーズ第1戦 『ダイヤモンドバックス』対『レンジャーズ』]」「[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202310290840001301100 MLB2023 ワールドシリーズ第2戦 『ダイヤモンドバックス』対『レンジャーズ』]」「[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202310310855001301100 MLB2023 ワールドシリーズ第3戦 『レンジャーズ』対『ダイヤモンドバックス』]」「[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202311010855001301100 MLB2023 ワールドシリーズ第4戦 『レンジャーズ』対『ダイヤモンドバックス』]」および「[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202311020855001301100 MLB2023 ワールドシリーズ第5戦 『レンジャーズ』対『ダイヤモンドバックス』]」 『[[日本放送協会|NHKクロニクル]]』。2023年12月27日閲覧。</ref>。NHKのアナウンサーや解説者がスタジオで映像を観ながらではなく、実際に現地へ赴いて球場の放送ブースからワールドシリーズの実況・解説を行うのは、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行]]を挟んで[[2019年のワールドシリーズ|2019年]]以来4年ぶりである。井口は選手としても[[2005年のワールドシリーズ|2005年シリーズ]]に出場した経験を持つが、それから18年後の今回、解説者という別の立場から開催都市の雰囲気や試合を直に目にしたことで、ワールドシリーズが持つ価値を再認識したという<ref>「[https://www.sanspo.com/article/20231103-FN5WJUF3LFLWPL23C7AA4EMFPA/ 【井口資仁氏WS観戦記】強力打線で打ち勝ったレンジャーズ 来季は日本選手の出場に期待]」 『[[サンケイスポーツ|サンスポ]]』、2023年11月3日。2023年12月27日閲覧。</ref>。 解説者の[[古田敦也]]は、NHK中継の出演者ではないが今シリーズに合わせて渡米し、第3戦の試合前に[[チェイス・フィールド]]で自身と井口、ダイヤモンドバックス監督[[トーリ・ロブロ]]の3人で肩を組んで撮影した写真を[[Instagram]]に投稿した<ref>OTTO! 編集部 「[https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/798823 井口資仁さんがワールドシリーズ舞台に登場! 古田敦也さんと〝元ヤクルト〟の指揮官を激励3ショット]」 『[[西日本スポーツ|西スポWEB OTTO!]]』、2023年10月31日。2023年12月27日閲覧。</ref>。古田は[[日本野球機構|日本プロ野球]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]でロブロと[[2000年のヤクルトスワローズ|2000年にチームメイトだった]]縁から、{{mlby|2023|d=y}}の[[スプリングトレーニング]]でダイヤモンドバックス臨時コーチを務めており、その際にもしチームがワールドシリーズへ進出したら再渡米すると約束していた<ref>[[杉浦大介]]・通信員 「[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/10/31/kiji/20231031s00001007131000c.html 古田敦也氏 ヤクルト時代の元同僚、Dバックス・ロブロ監督に対面 果たした約束とは…]」 『[[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]]』、2023年10月31日。2023年12月27日閲覧。</ref>。[[テレビ朝日]]はシリーズの中継こそしていないものの、古田がロブロとの旧交を温めつつシリーズを現地取材する様子を11月5日の『[[サンデーLIVE!!]]』で詳報した<ref>「[https://news.tv-asahi.co.jp/news_sports/articles/900000714.html 涙の誓い『我々はやる』古田敦也が見たダイヤモンドバックス快進撃のウラ側]」 『[[テレビ朝日|テレ朝news]]』、2023年11月5日。2023年12月27日閲覧。</ref>。 === イギリス === {{multiple image|align=right|total_width=270|image1=Ryan Rowland-Smith on August 21, 2008.jpg|image2=Xavier Scruggs on August 15, 2015.jpg|footer=[[英国放送協会|BBC]]系列のシリーズ第1戦中継で解説を務めたのは、いずれも元選手の[[ライアン・ローランドスミス]]{{smaller|(左。写真は2008年8月21日、[[シアトル・マリナーズ]]在籍時に撮影)}}と[[ゼイビア・スクラッグス]]{{smaller|(写真は2015年8月15日、[[マイナーリーグベースボール|マイナーリーグ]]AAA級[[メンフィス・レッドバーズ|メンフィス]]在籍時に撮影)}}だった}} [[イギリス]]では、[[:en:TNT Sports (United Kingdom)|TNTスポーツ]]が[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]全試合の放映権を持つ。しかし今シリーズでは、MLB機構の国際市場開拓戦略により第1戦の放映権が[[英国放送協会|英国放送協会(BBC)]]へ移されたため、史上初めてBBC系列でのワールドシリーズ中継が実現した<ref name="bbconair">Erik Bacharach, "[https://www.sportsbusinessjournal.com/Articles/2023/11/06/mlb-global.aspx MLB: Global Series Success]," ''[[:en:List of Advance subsidiaries|Sports Business Journal]]'', November 3, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。BBCは[[双方向放送|双方向サービス]] "[[BBCレッドボタン|レッドボタン]]" で[[英国夏時間]]10月28日午前0時30分から生中継を行い、さらに同日の午前5時15分と午後8時25分、翌29日午後2時40分からの計3度[[再放送]]したほか<ref>"[https://www.bbc.co.uk/programmes/m001s6d8 Game 1: Texas Rangers v Arizona Diamondbacks]," ''[[英国放送協会|BBC]]''. 2023年12月27日閲覧。</ref>、[[BBCスポーツ]]のウェブサイトや "[[BBC iPlayer|iPlayer]]" など[[インターネット放送]]の視聴手段も用意した<ref>Jack Johnson, "[https://talksport.com/sport/1590546/2023-world-series-live-stream-tv-channel-date-uk-time-full-schedule/ 2023 World Series LIVE: Date, UK start time, full schedule and how to follow MLB showpiece as the Texas Rangers face Arizona Diamondbacks]," ''[[:en:Talksport|talkSPORT]]'', October 25, 2023. 2023年12月27日閲覧。</ref>。第2戦以降のTNTスポーツがMLBによって製作・提供される[[アメリカ合衆国]]外向け[[英語]]放送用の映像・音声を使用したのに対し、第1戦のBBCはそれとは異なる独自の映像・音声を製作し、実況には[[メラニー・ニューマン]]を、解説には[[ライアン・ローランドスミス]]と[[ゼイビア・スクラッグス]]を起用した<ref name="bbconair" />。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == {{Commonscat|2023 World Series}} * [https://www.foxsports.com/mlb/2023-world-series FOX Sports]{{En icon}} * [https://www.baseball-almanac.com/ws/yr2023ws.shtml Baseball Almanac]{{En icon}} * [https://www.baseball-reference.com/postseason/2023_WS.shtml Baseball-Reference.com]{{En icon}} * {{IMDb title|29295309|2023 World Series}} {{ワールドシリーズ}} {{2023年のメジャーリーグベースボール}} {{2023 テキサス・レンジャーズ}} {{Texas Rangers}} {{Arizona Diamondbacks}} {{MLB-stub}} {{DEFAULTSORT:わあるとしりいす2023}} [[Category:ワールドシリーズ|2023]] [[Category:2023年のメジャーリーグベースボール]] [[Category:2023年10月]] [[Category:2023年11月]] [[Category:テキサス・レンジャーズ]] [[CAtegory:2023年のテキサス州のスポーツ]] [[Category:テキサス州アーリントンのスポーツ競技大会]] [[Category:アリゾナ・ダイヤモンドバックス]] [[Category:2023年のアリゾナ州のスポーツ]] [[Category:フェニックスのスポーツ競技大会]]
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エフリンB3
An Error has occurred retrieving Wikidata item for infobox エフリンB3(英: ephrin B3)は、ヒトではEFNB3遺伝子にコードされるタンパク質である。 エフリンB3はエフリンファミリーに属し、脳の発生や維持に重要である。エフリンに対する受容体として機能するEph受容体やEph関連受容体は、受容体型チロシンキナーゼの中で最大のサブファミリーを構成している。一般的にEph受容体は1つのキナーゼドメインに加え、システインリッチドメインと2つのフィブロネクチンIII型リピートを含む細胞外領域を持つ。エフリンとEph受容体に関しては、Eph Nomenclature Committee (1997)によって構造と配列関係に基づいた命名がなされている。エフリンは、GPIアンカーによって膜に固定されたエフリンA(EFNA)と膜貫通タンパク質であるエフリンB(EFNB)に分類される。エフリンBには細胞内テールが存在し、C末端に高度に保存されたチロシン残基とPDZ結合モチーフが含まれている。このテールは逆行性シグナル伝達機構として機能し、受容体を有する細胞だけでなく、リガンドを有する細胞の側でもシグナル伝達が引き起こされる。受容体-リガンド間の相互作用によってチロシン残基はリン酸化され、PDZドメイン含有タンパク質がリクルートされる。Eph受容体の側も同様に、細胞外ドメインの配列の類似性やエフリンA、エフリンBに対する結合親和性に基づいて2つのグループへの分類がなされている。 エフリンB3は発生過程のさまざまなイベント、特に神経系におけるイベントを媒介している可能性が示唆されている。エフリンB3を介した逆行性シグナルは出生後の神経系の発生過程において、軸索の刈り込み、シナプスや樹状突起スパインの形成に重要である。さらに、EFNB3の発現レベルは他の脳領域と比較して前脳のいくつかの領域で特に高く、前脳の機能に重要な役割を果たしている可能性がある。エフリンB3を介したシグナル伝達は海馬でのシナプス可塑性(英語版)に必要であり、このことはエフリンB3が学習や記憶に重要な役割を果たしている可能性を示唆している。また、エフリンB3は成体の脳室下帯(英語版)(SVZ)において神経幹細胞の増殖を調節していることが示されている。
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An Error has occurred retrieving Wikidata item for infobox エフリンB3は、ヒトではEFNB3遺伝子にコードされるタンパク質である。 エフリンB3はエフリンファミリーに属し、脳の発生や維持に重要である。エフリンに対する受容体として機能するEph受容体やEph関連受容体は、受容体型チロシンキナーゼの中で最大のサブファミリーを構成している。一般的にEph受容体は1つのキナーゼドメインに加え、システインリッチドメインと2つのフィブロネクチンIII型リピートを含む細胞外領域を持つ。エフリンとEph受容体に関しては、Eph Nomenclature Committee (1997)によって構造と配列関係に基づいた命名がなされている。エフリンは、GPIアンカーによって膜に固定されたエフリンA(EFNA)と膜貫通タンパク質であるエフリンB(EFNB)に分類される。エフリンBには細胞内テールが存在し、C末端に高度に保存されたチロシン残基とPDZ結合モチーフが含まれている。このテールは逆行性シグナル伝達機構として機能し、受容体を有する細胞だけでなく、リガンドを有する細胞の側でもシグナル伝達が引き起こされる。受容体-リガンド間の相互作用によってチロシン残基はリン酸化され、PDZドメイン含有タンパク質がリクルートされる。Eph受容体の側も同様に、細胞外ドメインの配列の類似性やエフリンA、エフリンBに対する結合親和性に基づいて2つのグループへの分類がなされている。 エフリンB3は発生過程のさまざまなイベント、特に神経系におけるイベントを媒介している可能性が示唆されている。エフリンB3を介した逆行性シグナルは出生後の神経系の発生過程において、軸索の刈り込み、シナプスや樹状突起スパインの形成に重要である。さらに、EFNB3の発現レベルは他の脳領域と比較して前脳のいくつかの領域で特に高く、前脳の機能に重要な役割を果たしている可能性がある。エフリンB3を介したシグナル伝達は海馬でのシナプス可塑性に必要であり、このことはエフリンB3が学習や記憶に重要な役割を果たしている可能性を示唆している。また、エフリンB3は成体の脳室下帯(SVZ)において神経幹細胞の増殖を調節していることが示されている。
{{Infobox_gene}} '''エフリンB3'''({{Lang-en-short|ephrin B3}})は、ヒトでは''EFNB3''[[遺伝子]]にコードされる[[タンパク質]]である<ref name="pmid9126477">{{cite journal|date=May 1997|title=cDNA cloning, chromosomal localization, and expression pattern of EPLG8, a new member of the EPLG gene family encoding ligands of EPH-related protein-tyrosine kinase receptors|journal=Genomics|volume=41|issue=1|pages=17–24|doi=10.1006/geno.1997.4615|pmid=9126477|vauthors=Tang XX, Pleasure DE, Ikegaki N|doi-access=free}}</ref><ref name="entrez">{{cite web |title=Entrez Gene: EFNB3 ephrin-B3 |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?Db=gene&Cmd=ShowDetailView&TermToSearch=1949 |access-date=2023-09-30}}</ref>。 エフリンB3は[[エフリン]]ファミリーに属し、[[脳]]の発生や維持に重要である。エフリンに対する[[受容体]]として機能する[[Eph受容体]]やEph関連受容体は、[[受容体型チロシンキナーゼ]]の中で最大のサブファミリーを構成している。一般的にEph受容体は1つの[[プロテインキナーゼ|キナーゼ]]ドメインに加え、[[システイン]]リッチドメインと2つの[[フィブロネクチンIII型ドメイン|フィブロネクチンIII型リピート]]を含む細胞外領域を持つ。エフリンとEph受容体に関しては、Eph Nomenclature Committee (1997)によって構造と配列関係に基づいた命名がなされている。エフリンは、[[GPIアンカー]]によって膜に固定されたエフリンA(EFNA)と[[膜貫通型タンパク質|膜貫通タンパク質]]であるエフリンB(EFNB)に分類される。エフリンBには細胞内テールが存在し、C末端に高度に保存された[[チロシン]]残基とPDZ結合モチーフが含まれている<ref name="Klein">{{cite journal|last=Klein|first=Rudiger|date=November 15, 2012|title=Eph/ephrin signalling during development|url=https://zenodo.org/record/896526|journal=Development|volume=139|issue=22|pages=4105–9|doi=10.1242/dev.074997|pmid=23093422|doi-access=free}}</ref>。このテールは逆行性シグナル伝達機構として機能し、受容体を有する細胞だけでなく、リガンドを有する細胞の側でもシグナル伝達が引き起こされる。受容体-リガンド間の相互作用によってチロシン残基は[[リン酸化]]され、[[PDZドメイン]]含有タンパク質がリクルートされる<ref name="Klein" />。Eph受容体の側も同様に、細胞外ドメインの配列の類似性やエフリンA、エフリンBに対する結合親和性に基づいて2つのグループへの分類がなされている<ref name="entrez" />。 エフリンB3は発生過程のさまざまなイベント、特に[[神経系]]におけるイベントを媒介している可能性が示唆されている。エフリンB3を介した逆行性シグナルは出生後の神経系の発生過程において、[[軸索]]の刈り込み、[[シナプス]]や[[樹状突起スパイン]]の形成に重要である<ref name="Rodger 2012">{{cite journal|last=Rodger|first=Jennifer|year=2012|title=Should I Stay or Should I Go? Ephs and Ephrins in Neuronal Migration|journal=Neurosignals|volume=20|issue=3|pages=190–201|doi=10.1159/000333784|pmid=22456188|author2=Lorena Salvatore|author3=Paolo Migani|doi-access=free}}</ref>。さらに、''EFNB3''の発現レベルは他の脳領域と比較して[[前脳]]のいくつかの領域で特に高く、前脳の機能に重要な役割を果たしている可能性がある。エフリンB3を介したシグナル伝達は[[海馬 (脳)|海馬]]での{{仮リンク|シナプス可塑性|en|Synaptic plasticity|redirect=1}}に必要であり、このことはエフリンB3が学習や記憶に重要な役割を果たしている可能性を示唆している<ref name="Hruska 2012">{{cite journal|last=Hruska|first=Martin|year=2012|title=Ephrin regulation of synapse formation, function and plasticity|journal=Molecular and Cellular Neuroscience|volume=50|issue=1|pages=35–44|doi=10.1016/j.mcn.2012.03.004|pmc=3631567|pmid=22449939|author2=Matthew B. Dalva}}</ref>。また、エフリンB3は成体の{{仮リンク|脳室下帯|en|Subventricular zone}}(SVZ)において[[神経幹細胞]]の増殖を調節していることが示されている<ref name="Rodger 2012" /><ref>{{cite journal|last=Ricard|first=Jerome|year=2006|title=EphrinB3 regulates cell proliferation and survival in adult neurogenesis|journal=Molecular and Cellular Neuroscience|volume=31|issue=4|pages=713–22|doi=10.1016/j.mcn.2006.01.002|pmid=16483793|author2=Jessica Salinas|author3=Lissette Garcia|author4=Daniel J. Liebl|s2cid=206830930}}</ref>。 == 出典 == {{reflist}} == 関連文献 == {{refbegin | 2}} *{{cite journal | vauthors=Flanagan JG, Vanderhaeghen P |title=The ephrins and Eph receptors in neural development. |journal=Annu. Rev. Neurosci. |volume=21 |pages= 309–45 |year= 1998 |pmid= 9530499 |doi= 10.1146/annurev.neuro.21.1.309 }} *{{cite journal | author=Zhou R |title=The Eph family receptors and ligands. |journal=Pharmacol. Ther. |volume=77 |issue= 3 |pages= 151–81 |year= 1998 |pmid= 9576626 |doi=10.1016/S0163-7258(97)00112-5 }} *{{cite journal | vauthors=Holder N, Klein R |title=Eph receptors and ephrins: effectors of morphogenesis. |journal=Development |volume=126 |issue= 10 |pages= 2033–44 |year= 1999 |doi=10.1242/dev.126.10.2033 |pmid= 10207129 }} *{{cite journal | author=Wilkinson DG |title=Eph receptors and ephrins: regulators of guidance and assembly |journal=Int. Rev. Cytol. |volume=196 |pages= 177–244 |year= 2000 |pmid= 10730216 |doi=10.1016/S0074-7696(00)96005-4 | series=International Review of Cytology | isbn=978-0-12-364600-2 }} *{{cite journal | vauthors=Xu Q, Mellitzer G, Wilkinson DG |title=Roles of Eph receptors and ephrins in segmental patterning |journal=Philos. Trans. R. Soc. Lond. B Biol. Sci. |volume=355 |issue= 1399 |pages= 993–1002 |year= 2001 |pmid= 11128993 |doi= 10.1098/rstb.2000.0635 | pmc=1692797 }} *{{cite journal | author=Wilkinson DG |title=Multiple roles of EPH receptors and ephrins in neural development |journal=Nat. Rev. Neurosci. |volume=2 |issue= 3 |pages= 155–64 |year= 2001 |pmid= 11256076 |doi=10.1038/35058515 |s2cid=205014301 }} *{{cite journal | vauthors=Gale NW, Flenniken A, Compton DC |title=Elk-L3, a novel transmembrane ligand for the Eph family of receptor tyrosine kinases, expressed in embryonic floor plate, roof plate and hindbrain segments |journal=Oncogene |volume=13 |issue= 6 |pages= 1343–52 |year= 1996 |pmid= 8808709 |display-authors=etal}} *{{cite journal | author= Ephnomenclaturecommittee|title=Unified nomenclature for Eph family receptors and their ligands, the ephrins. Eph Nomenclature Committee |journal=Cell |volume=90 |issue= 3 |pages= 403–4 |year= 1997 |pmid= 9267020 |doi=10.1016/S0092-8674(00)80500-0 |s2cid=26773768 |doi-access=free }} *{{cite journal | vauthors=Bergemann AD, Zhang L, Chiang MK |title=Ephrin-B3, a ligand for the receptor EphB3, expressed at the midline of the developing neural tube |journal=Oncogene |volume=16 |issue= 4 |pages= 471–80 |year= 1998 |pmid= 9484836 |doi= 10.1038/sj.onc.1201557 |display-authors=etal|doi-access=free }} *{{cite journal | vauthors=Brückner K, Pablo Labrador J, Scheiffele P |title=EphrinB ligands recruit GRIP family PDZ adaptor proteins into raft membrane microdomains |journal=Neuron |volume=22 |issue= 3 |pages= 511–24 |year= 1999 |pmid= 10197531 |doi=10.1016/S0896-6273(00)80706-0 |display-authors=etal|doi-access=free }} *{{cite journal | vauthors=Liu W, Ahmad SA, Jung YD |title=Coexpression of ephrin-Bs and their receptors in colon carcinoma |journal=Cancer |volume=94 |issue= 4 |pages= 934–9 |year= 2002 |pmid= 11920461 |doi=10.1002/cncr.10122 |s2cid=25734266 |display-authors=etal|doi-access=free }} *{{cite journal | vauthors=Takemoto M, Fukuda T, Sonoda R |title=Ephrin-B3-EphA4 interactions regulate the growth of specific thalamocortical axon populations in vitro |journal=Eur. J. Neurosci. |volume=16 |issue= 6 |pages= 1168–72 |year= 2002 |pmid= 12383247 |doi=10.1046/j.1460-9568.2002.02166.x |s2cid=7540058 |display-authors=etal}} *{{cite journal | vauthors=Strausberg RL, Feingold EA, Grouse LH |title=Generation and initial analysis of more than 15,000 full-length human and mouse cDNA sequences |journal=Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. |volume=99 |issue= 26 |pages= 16899–903 |year= 2003 |pmid= 12477932 |doi= 10.1073/pnas.242603899 | pmc=139241 |bibcode=2002PNAS...9916899M |display-authors=etal|doi-access=free }} {{refend}} {{DEFAULTSORT:えふりんB3}} [[Category:タンパク質]]
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中武蔵村
中武蔵村(なかむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の東部、武蔵川上流と支流吉広川・狭間川流域に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中武蔵村(なかむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国東半島の東部、武蔵川上流と支流吉広川・狭間川流域に位置していた。", "title": "地理" } ]
中武蔵村(なかむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1954年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 武蔵町、'''中武蔵村'''、[[旭日村]](一部)→ [[武蔵町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = なかむさしむら | 自治体名 = 中武蔵村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 3228 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[豊崎村 (大分県)|豊崎村]]、[[国東町]]、旭日村、武蔵町、[[西安岐町]]、[[西武蔵村]] | 所在地 = 東国東郡中武蔵村大字手野 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''中武蔵村'''(なかむさしむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の東部、武蔵川上流と支流吉広川・狭間川流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡手野村、吉広村、麻田村、狭間村、丸小野村が合併して村制施行し、'''中武蔵村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』565頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』605頁。</ref>。旧村名を継承した手野、吉広、麻田、狭間、丸小野の5大字を編成{{R|角川}}。 *[[1891年]](明治24年)6月20日、東国東郡[[武蔵町|武蔵村]]と境界の一部を変更(大字手野の一部を武蔵村に、武蔵村大字志和利の一部をそれぞれ編入){{R|角川}}。 *[[1954年]](昭和29年)3月31日、東国東郡武蔵町、旭日村(一部)と合併し'''[[武蔵町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、薪炭{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:なかむさしむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1954年廃止の日本の市町村]]
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瑞慶覧真弓
瑞慶覧 真弓(ずけらん まゆみ、1980年6月9日 - )は、日本の女優。沖縄県出身。
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瑞慶覧 真弓は、日本の女優。沖縄県出身。
{{DISPLAYTITLE:瑞慶覧真弓}} {{別人|x1=女優・落語家の|山本真由美|x2=元女子プロレスラーの|山元真由美|x3=オウム真理教の|山本まゆみ}} {{複数の問題 |特筆性=2023年10月1日 (日) 11:58 (UTC)|分野=人物 |存命人物の出典明記=2023年10月1日 (日) 11:58 (UTC) |一次資料=2023年10月1日 (日) 11:58 (UTC) |単一の出典=2023年10月1日 (日) 11:58 (UTC) |wikify=2023年10月1日 (日) 11:58 (UTC) }} '''瑞慶覧 真弓'''(ずけらん まゆみ、[[1980年]][[6月9日]]<ref name=":0">{{Cite web|title=山本 真弓|url=https://khroma-tic.com/?page_id=9988|website=khromatic management|accessdate=2023-10-01|language=ja}}</ref> - )は、[[日本]]の[[俳優|女優]]。[[沖縄県]]出身。 == 出演 == === テレビドラマ === * 日本テレビ「[[癒やしのお隣さんには秘密がある]]」 * フジテレビ「[[この素晴らしき世界]]」 * テレビ東京「[[ブラックポストマン]]」 * 関西テレビ放送「[[転職の魔王様]]」 * テレビ朝日「[[ハヤブサ消防団]]」 * 日本テレビ「[[THE突破ファイル]]」 * 日本テレビ「[[ザ!世界仰天ニュース]]」 == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://khroma-tic.com/?page_id=9988 瑞慶覧 真弓 - khromatic management] {{Actor-substub}} {{DEFAULTSORT:やまもと まゆみ}} [[Category:日本の女優]] [[Category:沖縄県出身の人物]] [[Category:1980年生]] [[Category:存命人物]]
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キング・ザ・ランド
『キング・ザ・ランド』(朝: 킹더랜드)は、2023年6月17日から8月6日までJTBCで放送された大韓民国のテレビドラマである。高級ホテルを舞台に後継者競争に巻き込まれた御曹司と笑顔を絶やさないホテルウーマンの恋物語を描く。 短大卒だったチョン・サラン(ユナ)は持ち前の笑顔を武器に、難関だったキングホテルの試験に合格。しかし、上司や先輩からは短大出身を理由に毛嫌いされる一日を過ごすばかりだった。一方の英国留学帰りの御曹司ク・ウォン(ジュノ)は、英国にいる間に受け取った手紙で母親のことを知るために韓国に帰国。サランはホテルのジムでウォンと最悪の出会いを果たすことになる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『キング・ザ・ランド』(朝: 킹더랜드)は、2023年6月17日から8月6日までJTBCで放送された大韓民国のテレビドラマである。高級ホテルを舞台に後継者競争に巻き込まれた御曹司と笑顔を絶やさないホテルウーマンの恋物語を描く。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "短大卒だったチョン・サラン(ユナ)は持ち前の笑顔を武器に、難関だったキングホテルの試験に合格。しかし、上司や先輩からは短大出身を理由に毛嫌いされる一日を過ごすばかりだった。一方の英国留学帰りの御曹司ク・ウォン(ジュノ)は、英国にいる間に受け取った手紙で母親のことを知るために韓国に帰国。サランはホテルのジムでウォンと最悪の出会いを果たすことになる。", "title": "あらすじ" } ]
『キング・ザ・ランド』は、2023年6月17日から8月6日までJTBCで放送された大韓民国のテレビドラマである。高級ホテルを舞台に後継者競争に巻き込まれた御曹司と笑顔を絶やさないホテルウーマンの恋物語を描く。
{{基礎情報 テレビ番組 |番組名=キング・ザ・ランド |ジャンル=[[ロマンティック・コメディ]] |脚本 = チェ・ロム |演出 = イム・ヒョヌク |音楽 = ムン・ソンナム |出演者=[[ジュノ (2PM)|ジュノ]]<br/>[[ユナ (少女時代)|ユナ]]<br/>コ・ウォニ<br/>[[キム・ガウン]]<br/>アン・セハ<br/>キム・ジェウォン |言語 = [[朝鮮語]] |放送局=[[JTBC]] |放送国={{KOR}} |放送開始日=[[2023年]][[6月17日]] |放送終了日=2023年[[8月6日]] |放送時間 =(土・日)22:30 - 23:50 |放送枠 = [[:ko:JTBC 토일 드라마|JTBC土日ドラマ]] |放送回数=16話 }} {{朝鮮の事物| | title= キング・ザ・ランド | caption= | hangeul= 킹더랜드 | hanja= | hiragana= | katakana= | latin= | alphabet-type= [[英語|英]]題 | alphabet= King the Land }} 『'''キング・ザ・ランド'''』({{lang-ko-short|킹더랜드}})は、[[2023年]][[6月17日]]から[[8月6日]]まで[[JTBC]]で放送された[[大韓民国]]のテレビドラマである。高級ホテルを舞台に後継者競争に巻き込まれた御曹司と笑顔を絶やさないホテルウーマンの恋物語を描く。 == あらすじ == 短大卒だったチョン・サラン([[ユナ (少女時代)|ユナ]])は持ち前の笑顔を武器に、難関だったキングホテルの試験に合格。しかし、上司や先輩からは短大出身を理由に毛嫌いされる一日を過ごすばかりだった。一方の[[英国]]留学帰りの御曹司ク・ウォン(ジュノ)は、英国にいる間に受け取った手紙で母親のことを知るために韓国に帰国。サランはホテルのジムでウォンと最悪の出会いを果たすことになる<ref>{{Cite web|url= https://www.oricon.co.jp/special/63726/|title= 韓国ドラマ『キング・ザ・ランド』キャスト・登場人物・出演者一覧|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 == キャスト == === 主要人物 === ; ク・ウォン - [[ジュノ (2PM)|ジュノ]]([[2PM]]) : キンググループ御曹司。英国留学帰りから程なくして、キングホテル本部長に就任する。笑顔が苦手。サランとは不仲だったが、後に惹かれ合う。 ; チョン・サラン - [[ユナ (少女時代)|ユナ]]([[少女時代 (音楽グループ)|少女時代]]) : キングホテル従業員。心優しい性格で、7年間連続の優秀ホテリアに選ばれた。ウォンと最悪の出会いを果たしたが、後に惹かれる。笑顔で顧客を出迎える<ref>{{Cite web|url= https://www.wowkorea.jp/profile/video/1245.html|title= キング・ザ・ランド|website=wowkorea|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 ; オ・ピョンファ - [[コ・ウォニ]] : キング・エアーの[[客室乗務員]]。サランの親友。 ; カン・ダウル - [[キム・ガウン]] : キンググループ系列の免税店「アルランガ」のチーム長。サランの親友。 ; ノ・サンシク - [[アン・セハ]] : ウォンの秘書。インターン生活でウォンと親しくなり、英国留学まで同行。 ; イ・ロウン - [[キム・ジェウォン]] : キング・エアーの客室乗務員。後に先輩のピョンファに好意を抱く。 === ウォンの家族 === ; ク・イルン - [[ソン・ビョンホ]] : キンググループ会長。ウォンとファランの父。 ; ク・ファラン - [[キム・ソニョン (ミュージカル女優)|キム・ソニョン]] : キンググループ常務。ウォンの異母姉。グループの後釜を巡って、ウォンと対立。 === その他 === ; チャ・スンヒ - [[キム・ヨンオク (1937年生の女優)|キム・ヨンオク]] : サランの祖母で唯一の肉親。[[クッパ (料理)|クッパ]]店経営。 ; キム・スニ - [[コン・イェジ]] : キングホテル支配人。低い経歴を持つサランを毛嫌いする。 == 日本での放送 == *日本では2023年6月17日~8月6日([[Netflix]])まで配信された。 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [https://www.netflix.com/jp/title/81671440 キング・ザ・ランド] - Netflix {{DEFAULTSORT:きんくさらんと}} [[Category:JTBCのテレビドラマ]] [[Category:2023年のテレビドラマ]] [[Category:韓国の恋愛ドラマ]] [[Category:宿泊施設を舞台としたテレビドラマ]] [[Category:韓国のコメディドラマ]]
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米村竜一
米村 竜一(よねむら りゅういち、2000年8月10日 - )は、日本の俳優。福岡県出身。khromatic management所属。
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米村 竜一は、日本の俳優。福岡県出身。khromatic management所属。
{{ActorActress | 芸名 = 米村 竜一 | ふりがな = よねむら りゅういち | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[福岡県]] | 死没地 = | 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> | 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 2000 | 生月 = 8 | 生日 = 10 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = 俳優 | ジャンル = テレビドラマ ほか | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = | 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意 --> | 所属劇団 = | 事務所 = khromatic management | 公式サイト = [https://khroma-tic.com/?page_id=9974 プロフィール] | 主な作品 = <!-- 誰もが認める代表作品を記述 --> | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''米村 竜一'''(よねむら りゅういち、[[2000年]][[8月10日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]<ref name=":0">{{Cite web|title=米村 竜一|url=https://khroma-tic.com/?page_id=9974|website=khromatic management|accessdate=2023-10-01|language=ja}}</ref>。[[福岡県]]出身。khromatic management所属。 == 出演 == === テレビドラマ === * TBSテレビ「[[恋愛のすゝめ]]」 * TBSテレビ「[[下克上球児]]」 * 日本テレビ「[[THE突破ファイル]]」 * 日本テレビ「[[癒やしのお隣さんには秘密がある]]」 * フジテレビ「[[#僕たちの校内放送]]」 * TBSテレビ「[[トリリオンゲーム]]」 * TBSテレビ「[[18/40〜ふたりなら夢も恋も〜]]」 * フジテレビ「[[この素晴らしき世界]]」 * 日本テレビ [[24時間テレビ 愛は地球を救う46]] 「[[虹色のチョーク 知的障がい者と歩んだ町工場のキセキ]]」 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://khroma-tic.com/?page_id=9974 米村竜一] - khromatic management {{DEFAULTSORT:よねむら りゆういち}} [[Category:21世紀日本の俳優]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
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南安岐村
南安岐村(みなみあきむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の東部、安岐川支流・荒木川流域の丘陵地に位置していた。
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南安岐村(みなみあきむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1954年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 安岐町、[[西安岐町]]、'''南安岐村'''、[[西武蔵村]]、[[朝来村 (大分県)|朝来村]]、[[奈狩江村]](一部)→ [[安岐町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = みなみあきむら | 自治体名 = 南安岐村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 2525 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 西安岐町、安岐町、奈狩江村、[[速見郡]][[杵築町 (大分県)|杵築町]]・[[北杵築村]] | 所在地 = 東国東郡南安岐村大字下山口 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''南安岐村'''(みなみあきむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の東部、安岐川支流・荒木川流域の丘陵地に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡西本村、下山口村、山口村、大添村が合併して村制施行し、'''南安岐村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』758頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』786頁。</ref>。旧村名を継承した西本、下山口、山口、大添の4大字を編成{{R|角川}}。 *[[1954年]](昭和29年)3月31日、東国東郡安岐町、西安岐町、西武蔵村、朝来村、奈狩江村(一部)と合併し'''[[安岐町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:みなみあきむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1954年廃止の日本の市町村]]
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南方町 (宮崎市)
南方町(みなみかたちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0037。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置するに属する。大淀川左岸の低地帯に位置し、低地は主に住宅街・農地となっている。 北・西方を池内町、北東方を新名爪、東方を芳士、南東方を花ケ島町と接する 宇佐宮領宮崎庄の一部が鎌倉時代に「北方・南方・池内方」の3方に分かれ、その後北方が「下北方・上北方」に分かれた、とされる。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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南方町(みなみかたちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0037。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 南方町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 南方町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 57 | lats = 41.9 | latNS = N | longd = 131 | longm = 25 | longs = 29.7 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 538 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0037 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800037|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''南方町'''(みなみかたちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0037'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置するに属する。[[大淀川]]左岸の低地帯に位置し、低地は主に住宅街・農地となっている。 北・西方を[[池内町 (宮崎市)|池内町]]、北東方を[[新名爪]]、東方を[[芳士]]、南東方を[[花ケ島町]]と接する == 地名の由来 == 宇佐宮領宮崎庄の一部が鎌倉時代に「北方・南方・[[池内町 (宮崎市)|池内方]]」の3方に分かれ、その後北方が「[[下北方町|下北方]]・[[上北方]]」に分かれた、とされる<ref name=":03">{{Cite web |title=大淀川流域 地名いわれ事典 |url=http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/iware/index.htm |website=www.qsr.mlit.go.jp |access-date=2023-09-29 |publisher=国土交通省宮崎河川国道事務所}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} *1924年 - 宮崎市制により大字南方が成立。 *1927年 - 大字下南方より、南方町が成立。大字南方は消滅。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |南方町 |263世帯 |538人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |南方町 |[[宮崎市立池内小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道9号宮崎西環状線]](宮崎外環状線) == 施設 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452011010.html 宮崎県宮崎市南方町(452011010) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:みなみかたちよう}}
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アオザル
アオザル(Cercopithecus mitis)は、オナガザル科に分類される霊長類。アフリカの森林に広く分布するグエノン。複数の亜種が存在し、そうした亜種のなかには独立種もいると考えられる。 ブルンジ、ルワンダ、エスワティニ、モザンビーク、マラウィ、南アフリカ東部、ソマリア、ジンバブエ東部、タンザニア、アンゴラ西部と東端、エチオピア南西部、ケニア西部、コンゴ民主共和国東部から南西部と北東部、ザンビア北部、南スーダン南部、ウガンダに分布する。回廊林、ウッドランドサバンナ、低地性の常緑熱帯雨林、水辺林、山地林、半落葉林に生息する 。 体長は、雄が39-71 cm(センチメートル)、雌が2.7-5.4cm。尾長は54-95cm。体重は、雄が5.9ー9kg(キログラム)、雌が2.7-5.4kg。全身が青みがかった灰色を基調とした毛色。 果実を主食とし、若葉、成熟葉、昆虫、花、つぼみ、種子を食す。また、カエルやネズミなどを食べることも知られている。樹上性が強く、地上に降りることがほとんどない。1年を通じて出産は観察されているが、調査地ごとに出産時期のピークが異なる。天敵は猛禽類やチンパンジーなどで、おとなの雄が大きな警戒音を発する。 さまざまなタイプが知られており、これを亜種や種にする議論が続いている。体毛の色や模様はタイプによってさまざまである。 など。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アオザル(Cercopithecus mitis)は、オナガザル科に分類される霊長類。アフリカの森林に広く分布するグエノン。複数の亜種が存在し、そうした亜種のなかには独立種もいると考えられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ブルンジ、ルワンダ、エスワティニ、モザンビーク、マラウィ、南アフリカ東部、ソマリア、ジンバブエ東部、タンザニア、アンゴラ西部と東端、エチオピア南西部、ケニア西部、コンゴ民主共和国東部から南西部と北東部、ザンビア北部、南スーダン南部、ウガンダに分布する。回廊林、ウッドランドサバンナ、低地性の常緑熱帯雨林、水辺林、山地林、半落葉林に生息する 。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "体長は、雄が39-71 cm(センチメートル)、雌が2.7-5.4cm。尾長は54-95cm。体重は、雄が5.9ー9kg(キログラム)、雌が2.7-5.4kg。全身が青みがかった灰色を基調とした毛色。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "果実を主食とし、若葉、成熟葉、昆虫、花、つぼみ、種子を食す。また、カエルやネズミなどを食べることも知られている。樹上性が強く、地上に降りることがほとんどない。1年を通じて出産は観察されているが、調査地ごとに出産時期のピークが異なる。天敵は猛禽類やチンパンジーなどで、おとなの雄が大きな警戒音を発する。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "さまざまなタイプが知られており、これを亜種や種にする議論が続いている。体毛の色や模様はタイプによってさまざまである。", "title": "亜種" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "など。", "title": "亜種" } ]
アオザル(Cercopithecus mitis)は、オナガザル科に分類される霊長類。アフリカの森林に広く分布するグエノン。複数の亜種が存在し、そうした亜種のなかには独立種もいると考えられる。
{{生物分類表 |省略 = 哺乳綱 |名称 = アオザル |画像=[[ファイル:Blue monkey (Cercopithecus mitis stuhlmanni) pair.jpg|250px|アオザル]] |画像キャプション = '''アオザル''' | status = LC | status_system = IUCN3.1 | status_ref = <ref name="iucn">{{cite iucn |author=Butynski, T.M. |author2=de Jong, Y.A. |date=2023 |title=''Cercopithecus mitis'' |volume=2023 |page=e.T4221A196007901 |doi=10.2305/IUCN.UK.2019-3.RLTS.T4221A196007901.en |access-date=1 October 2023}}</ref> |目 = [[霊長目]] [[w:Primate|Primates]] |科 = [[オナガザル科]] [[w:Old_World_monkey|Cercopithecidae]] |亜科 = [[オナガザル亜科]]<br />[[w:Cercopithecinae|Cercopithecinae]] |属 = [[オナガザル属]] [[w:Cercopithecus|Cercopithecus]] |種 = '''アオザル'''{{Snamei|C.mitis|Cercopithecus mitis}} |学名 = {{Snamei||Cercopithecus mitis}}<br />{{Sname|Johann Wolf (naturalist)|Wolf}}, [[1822年|1822]]<ref name="iucn" /> |和名 = アオザル、ブルーモンキー |英名 = Blue monkey |生息図 = [[File:Cercopithecus mitis distribution map.png|240px]] |生息図キャプション = アオザル }} '''アオザル'''(''{{Sname||Cercopithecus mitis}}'')は、[[オナガザル科]]に分類される[[霊長類]]。[[アフリカ]]の森林に広く分布するグエノン。複数の[[亜種]]が存在し、そうした亜種のなかには独立種もいると考えられる。 == 分布 == [[ブルンジ]]、[[ルワンダ]]、[[エスワティニ]]、[[モザンビーク]]、[[マラウィ]]、[[南アフリカ]]東部、[[ソマリア]]、[[ジンバブエ]]東部、[[タンザニア]]<ref name="iucn" />、[[アンゴラ]]西部と東端、[[エチオピア]]南西部、[[ケニア]]西部、[[コンゴ民主共和国]]東部から南西部と北東部、[[ザンビア]]北部、[[南スーダン]]南部、[[ウガンダ]]に分布する<ref name="iucn" /><ref name=sname."yugawa"/>。回廊林、ウッドランドサバンナ、低地性の常緑熱帯雨林、水辺林、山地林、半落葉林に生息する <ref name=sname."yugawa">京都大学霊長類研究所 編『世界で一番美しいサルの図鑑』湯本貴和 全体監修・古市剛史「アフリカ」監修、エクスナレッジ、2017年、178頁。</ref>。 == 形態 == 体長は、雄が39-71&nbsp;cm([[センチメートル]])、雌が2.7-5.4㎝。尾長は54-95cm。体重は、雄が5.9ー9㎏([[キログラム]])、雌が2.7-5.4㎏<ref name=sname.neo/>。全身が青みがかった灰色を基調とした毛色<ref name=sname.neo/><ref name=sname."yugawa"/>。 == 生態 == 果実を主食とし、若葉、成熟葉、昆虫、花、つぼみ<ref name=sname."yugawa"/>、種子<ref name=sname.neo>『小学館の図鑑NEO 新版 動物』 小学館 2016年 50頁</ref>を食す。また、カエルやネズミなどを食べることも知られている。樹上性が強く、地上に降りることがほとんどない。1年を通じて出産は観察されているが、調査地ごとに出産時期のピークが異なる。天敵は[[猛禽類]]や[[チンパンジー]]などで、おとなの雄が大きな警戒音を発する<ref name=sname."yugawa"/>。 == 亜種 == さまざまなタイプが知られており、これを亜種や種にする議論が続いている。体毛の色や模様はタイプによってさまざまである<ref name=sname."yugawa"/>。 *''Cercopithecus mitis albogularis'' *''Cercopithecus mitis boutourlinii'' *''Cercopithecus mitis elgonis'' *''Cercopithecus mitis erythrarchus'' *''Cercopithecus mitis heymansi'' *''Cercopithecus mitis kolbi'' *''Cercopithecus mitis labiatus'' *''Cercopithecus mitis manyaraensis'' *''Cercopithecus mitis mitis'' *''Cercopithecus mitis moloneyi'' *''Cercopithecus mitis opitsthosticus'' *''Cercopithecus mitis schoutedeni'' *''Cercopithecus mitis stuhlmanni'' など。 == ギャラリー == <gallery> 画像:Blue Monkey - Mount Meru - Tanzania (43401331024).jpg|タンザニアの個体。 画像:Blue Monkey, Lake Manyara.jpg|亜種 ''C. m. manyaraensis'' 画像:Blue Monkey.jpg|亜種 ''C. m. manyaraensis''。ヘンリードーリー動物園での写真。 画像:Sykes' Monkey Banana.jpg|亜種 ''C. m. albogularis'' 画像:Blue monkey (Cercopithecus mitis stuhlmanni) walking.jpg|亜種 ''C. m. stuhlmanni'' 画像:Blue monkey (Cercopithecus mitis stuhlmanni).jpg|亜種 ''C. m. stuhlmanni''。ケニアの個体。 画像:Blue monkeys fresco, Akrotiri, 17th c BC, MPTh, 226278.jpg|紀元前17世紀の[[ギリシャ]]の壁画。[[w:Museum of Prehistoric Thera|Museum of Prehistoric Thera]]に所蔵されている。 画像:Golden monkey (Cercopithecus kandti) eating.jpg|タケを食べる様子。ルワンダの写真。 画像:Flickr - ggallice - Blue monkeys.jpg|マラワィの写真。 画像:Cercopithecus mitis kolbi 230529740.jpg|亜種 ''C. m. kolbi'' 画像:Cercopithecus mitis albogularis 254025886.jpg|亜種 ''C. m. albogularis'' 画像:Cercopithecus mitis Mara 2012-08 --3.JPG|マサイマラ国立公園の写真。 画像:Cercopithecus mitis labiatus 302132620.jpg|亜種 ''C. m. labiatus'' 画像:Cercopithecus mitis erythrarchus 246940526.jpg|亜種 ''C. m. erythrarchus'' </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Commons|Cercopithecus mitis}} {{Wikispecies|Cercopithecus mitis}} {{Animal-stub}} {{DEFAULTSORT:あおさる}} [[Category:霊長目]] [[Category:オナガザル科]]
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池内町 (宮崎市)
池内町(いけうちちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0041。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。大淀川左岸の低地帯に位置し、低地は主に住宅街・農地となっているが、多くは山林が占める。 北東方を大字広原、東方を新名爪・南方町・花ケ島町、南方を下北方町、南西方を平和が丘東町・平和か丘北町、西方を大字上北方、北西方を大字瓜生野と接する 宇佐宮領宮崎庄の一部が鎌倉時代に「北方・南方・池内方」の3方に分かれ、その後北方が「下北方・上北方」に分かれた、とされる。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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池内町(いけうちちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0041。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 池内町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 池内町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 58 | lats = 26.8 | latNS = N | longd = 131 | longm = 24 | longs = 44.5 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1447 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0041 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800041|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''池内町'''(いけうちちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0041'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。[[大淀川]]左岸の低地帯に位置し、低地は主に住宅街・農地となっているが、多くは山林が占める。 北東方を[[広原 (宮崎市)|大字広原]]、東方を[[新名爪]]・[[南方町 (宮崎市)|南方町]]・[[花ケ島町]]、南方を[[下北方町]]、南西方を[[平和が丘東町]]・[[平和が丘北町]]、西方を[[上北方|大字上北方]]、北西方を[[瓜生野 (宮崎市)|大字瓜生野]]と接する == 地名の由来 == 宇佐宮領宮崎庄の一部が鎌倉時代に「北方・[[南方町 (宮崎市)|南方]]・池内方」の3方に分かれ、その後北方が「[[下北方町|下北方]]・[[上北方]]」に分かれた、とされる<ref name=":03">{{Cite web |title=大淀川流域 地名いわれ事典 |url=http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/iware/index.htm |website=www.qsr.mlit.go.jp |access-date=2023-09-29 |publisher=国土交通省宮崎河川国道事務所}}</ref>。 == 歴史 == {{節スタブ}} *1924年 - 宮崎市制により大字池内が成立。 *1927年 - 大字池内より、池内町が成立。大字池内は消滅。 *1970年 - 池内町より、[[平和が丘東町]]・[[平和が丘北町]]・[[平和が丘西町]]が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |池内町 |714世帯 |1447人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |池内町 |[[宮崎市立池内小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道9号宮崎西環状線]] (宮崎外環状線) * [[宮崎県道44号宮崎高鍋線]] == 施設 == * [[宮崎市立池内小学校]] * 古賀総合病院 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010960.html 宮崎県宮崎市池内町(452010960) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:いけうちちよう}}
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4,836,059
西武蔵村
西武蔵村(にしむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島東部の両子山南東斜面、安岐川支流・両子川流域に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "西武蔵村(にしむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国東半島東部の両子山南東斜面、安岐川支流・両子川流域に位置していた。", "title": "地理" } ]
西武蔵村(にしむさしむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1954年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 安岐町、[[西安岐町]]、[[南安岐村]]、'''西武蔵村'''、[[朝来村 (大分県)|朝来村]]、[[奈狩江村]](一部)→ [[安岐町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = にしむさしむら | 自治体名 = 西武蔵村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 2491 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[伊美町]]、[[上国崎村]]、[[豊崎村 (大分県)|豊崎村]]、[[中武蔵村]]、西安岐町、朝来村、[[西国東郡]][[豊後高田市|高田町]] | 所在地 = 東国東郡西武蔵村大字富清 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''西武蔵村'''(にしむさしむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]東部の[[両子山]]南東斜面、[[安岐川]]支流・両子川流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡両子村、富清村、糸永村が合併して村制施行し、'''西武蔵村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』600頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』630頁。</ref>。旧村名を継承した両子、富清、糸永の3大字を編成{{R|角川}}。 *[[1918年]](大正7年)1月、電気点灯{{R|角川}}。 *[[1954年]](昭和29年)3月31日、東国東郡安岐町、西安岐町、南安岐村、朝来村、奈狩江村(一部)と合併し'''[[安岐町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、養蚕、木材、木炭、竹材、椎茸{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:にしむさしむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1954年廃止の日本の市町村]]
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羽咋道路
羽咋道路(はくいどうろ)は、石川県羽咋市四柳町から羽咋郡宝達志水町二口に至る延長6.7 km(キロメートル)の国道159号のバイパス道路である。 羽咋道路は、並行する現道の急カーブや幅員狭小、歩道未整備箇所や渋滞などの課題に対しバイパス事業を整備するものとして国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所により2008年度(平成20年度)に事業化された。 羽咋道路パンフレットに基づく諸元は以下の通り。 現道の西側にバイパスを整備する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "羽咋道路(はくいどうろ)は、石川県羽咋市四柳町から羽咋郡宝達志水町二口に至る延長6.7 km(キロメートル)の国道159号のバイパス道路である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "羽咋道路は、並行する現道の急カーブや幅員狭小、歩道未整備箇所や渋滞などの課題に対しバイパス事業を整備するものとして国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所により2008年度(平成20年度)に事業化された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "羽咋道路パンフレットに基づく諸元は以下の通り。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現道の西側にバイパスを整備する。", "title": "路線状況" } ]
羽咋道路(はくいどうろ)は、石川県羽咋市四柳町から羽咋郡宝達志水町二口に至る延長6.7 km(キロメートル)の国道159号のバイパス道路である。
{{Otheruses|[[国道159号]]の[[バイパス道路]]|[[国道415号]]の[[バイパス道路]]|[[羽咋バイパス]]}} {{Infobox road |種別・系統 = [[一般国道]] |アイコン = {{Ja Route Sign|159|width=100}} |名前 = 羽咋道路 |名前の補足 = [[国道159号]][[バイパス道路|バイパス]] |副名 = |副名の補足 = |地図画像 = |総距離 = 6.7&nbsp;[[キロメートル|km]] |制定年 = |開通年 = [[2025年]](予定) - |廃止年 = |起点 = [[石川県]][[羽咋市]]四柳町 |起点方角 = |終点 = 石川県[[羽咋郡]][[宝達志水町]]二口 |終点方角 = |接続する主な道路 =<!--国道以上の幹線国道を記述-->[[ファイル:Japanese National Route Sign 0415.svg|24px|国道415号]][[国道415号]][[羽咋バイパス]] }} '''羽咋道路'''(はくいどうろ)は、[[石川県]][[羽咋市]]四柳町から[[羽咋郡]][[宝達志水町]]二口に至る延長6.7&nbsp;km([[キロメートル]])の[[国道159号]]の[[バイパス道路]]である<ref name=pamphlet>{{Cite web |和書 |url=https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/douro/doc/hakuiBP.pdf |format=PDF |title=一般国道159号 羽咋道路 |publisher=[[国土交通省]][[北陸地方整備局]]金沢河川国道事務所 |date=2022-12 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 == 概要 == 羽咋道路は、並行する現道の急カーブや幅員狭小、歩道未整備箇所や渋滞などの課題に対しバイパス事業を整備するものとして[[国土交通省]][[北陸地方整備局]]金沢河川国道事務所により[[2008年]]度([[平成]]20年度)に事業化された<ref name=pamphlet />。 === 路線データ === 羽咋道路パンフレット<ref name=pamphlet />に基づく諸元は以下の通り。 * 起点 - [[石川県]][[羽咋市]]四柳町(国道159号[[鹿島バイパス (石川県)|鹿島バイパス]]終点・現道交点) * 終点 - 石川県[[羽咋郡]][[宝達志水町]]二口(二口交差点、[[国道415号]][[羽咋バイパス]]交点) * 路線延長 - 6.7&nbsp;[[キロメートル|km]] * 車線数 - 4車線 * 幅員 - 27.0&nbsp;[[メートル|m]] (3.5&nbsp;m + 2.0&nbsp;m + 2×3.25&nbsp;m + 3.0&nbsp;m + 2×3.25&nbsp;m + 2.0&nbsp;m + 3.5&nbsp;m) * [[道路構造令|規格]] - 第3種第2級 * 設計速度 - 60&nbsp;[[キロメートル毎時|km/h]] * 整備主体 - [[国土交通省]][[北陸地方整備局]]金沢河川国道事務所 == 歴史 == * [[2001年]]度([[平成]]13年度) - 都市計画決定(終点側延長3.4&nbsp;km)<ref name=pamphlet />。 * [[2008年]]度(平成20年度) - 事業化<ref name=pamphlet />。 * [[2012年]]度(平成24年度) - 用地着手<ref name=SaihyokaR4>{{Cite web |和書 |url=https://www.hrr.mlit.go.jp/johokokai/hyouka/hyouka01/r04/r04_1/shiryo/03.pdf |format=PDF |title=道路事業の再評価説明資料 〔国道159号 羽咋道路〕 |page=5 |publisher=国土交通省北陸地方整備局 |work=令和4年度 第1回 北陸地方整備局 事業評価監視委員会 |date=2022-08 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 * [[2014年]](平成26年)8月 - 道路構造規格縮小し、幅員を28.0&nbsp;mから27.0&nbsp;mに変更<ref name=SaihyokaH26>{{Cite web |和書 |url=https://www.hrr.mlit.go.jp/johokokai/hyouka/hyouka01/h26/h26_1/shiryo/02.pdf |format=PDF |title=道路事業の再評価説明資料 〔国道159号 羽咋道路〕 |page=5 |publisher=国土交通省北陸地方整備局 |work=平成26年度 第1回 北陸地方整備局 事業評価監視委員会 |date=2014-08 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 * [[2015年]]度(平成27年度) - 工事着手<ref name=SaihyokaR4 />。 * [[2025年]]([[令和]]7年) - 羽咋市四柳町 - 同市志々見町間延長3.3&nbsp;km開通予定<ref name=Press20230426>{{Cite web |和書 |url=https://www.hrr.mlit.go.jp/press/2023/4/230426dourobu.pdf |format=PDF |title=令和5年度当初予算により、新たなステップに進む道路事業をお知らせします。 |publisher=国土交通省北陸地方整備局 |date=2023-04-26 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 == 路線状況 == 現道の西側にバイパスを整備する<ref name=pamphlet />。 === 主要構造物 ===<!-- 酒井川橋は函渠に変更 --> * 飯山川橋 * 吉崎川橋 == 地理 == === 通過する自治体 === * [[石川県]] ** [[羽咋市]] - [[羽咋郡]][[宝達志水町]] === 交差する道路 === * [[石川県道234号函屋酒井線]] * [[石川県道232号若部千里浜インター線]] * 石川県道232号若部千里浜インター線(バイパス) * [[国道415号]][[羽咋バイパス]] === 接続するバイパスの位置関係 === * [[国道159号]] ** (七尾方面) [[七尾バイパス]] - [[鹿島バイパス (石川県)|鹿島バイパス]] - '''羽咋道路''' - 現道 - [[押水バイパス]](金沢方面) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本のバイパス道路一覧]] == 外部リンク == * [https://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/ 国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所] - 整備主体 {{国道159号}} {{DEFAULTSORT:はくいとうろ}} [[Category:国道159号|159はくいとうろ]] [[Category:石川県の道路]] [[Category:羽咋市の交通]] [[Category:宝達志水町]]
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平和が丘北町
平和が丘北町(へいわがおかきたまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0046。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。大淀川左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を池内町、南西を平和が丘西町、南東を平和が丘東町と接する。 平和が丘団地に由来する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "平和が丘北町(へいわがおかきたまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0046。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。大淀川左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "北を池内町、南西を平和が丘西町、南東を平和が丘東町と接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "平和が丘団地に由来する。", "title": "地名の由来" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。", "title": "小・中学校の学区" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "宮交グループの運営するバスが営業している。", "title": "交通" } ]
平和が丘北町(へいわがおかきたまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0046。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 平和が丘北町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 平和が丘北町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 57 | lats = 33.5 | latNS = N | longd = 131 | longm = 24 | longs = 49.5 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 665 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0046 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800046|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''平和が丘北町'''(へいわがおかきたまち)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0046'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。[[大淀川]]左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を[[池内町 (宮崎市)|池内町]]、南西を[[平和が丘西町]]、南東を[[平和が丘東町]]と接する。 == 地名の由来 == 平和が丘団地に由来する。 == 歴史 == {{節スタブ}} *1970年 - 池内町より、'''平和が丘北町'''・[[平和が丘東町]]・[[平和が丘西町]]が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |平和が丘北町 |310世帯 |665人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |平和が丘北町 |[[宮崎市立池内小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道9号宮崎西環状線]] (宮崎外環状線) * [[宮崎県道44号宮崎高鍋線]] == 施設 == * 宮崎平和が丘郵便局 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010980.html 宮崎県宮崎市平和が丘北町(452010980) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:へいわかおかきたまち}}
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静岡放送アニメ番組一覧 (アニメ6区枠開設前)
本項では、静岡放送(SBSテレビ)でアニメ6区枠開設以前に放送されていた深夜アニメ作品を取り上げる。 ただし、TBS系列全国同時ネット放送作品、また、全日帯の放送作品については省略する。 アニメ6区枠開設後の放送作品はアニメ6区を参照。 本項ではウィキペディアのガイドライン「深夜番組の放送日時または配信日時」に則り、当日未明として分類する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本項では、静岡放送(SBSテレビ)でアニメ6区枠開設以前に放送されていた深夜アニメ作品を取り上げる。 ただし、TBS系列全国同時ネット放送作品、また、全日帯の放送作品については省略する。 アニメ6区枠開設後の放送作品はアニメ6区を参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本項ではウィキペディアのガイドライン「深夜番組の放送日時または配信日時」に則り、当日未明として分類する。", "title": "番組一覧" } ]
本項では、静岡放送(SBSテレビ)でアニメ6区枠開設以前に放送されていた深夜アニメ作品を取り上げる。 ただし、TBS系列全国同時ネット放送作品、また、全日帯の放送作品については省略する。 アニメ6区枠開設後の放送作品はアニメ6区を参照。
{{Pathnav|静岡放送|frame = 1}} 本項では、[[静岡放送]](SBSテレビ)で[[アニメ6区]]枠開設以前に放送されていた[[深夜アニメ]]作品を取り上げる。<br><br> ただし、[[TBS系列]]全国[[同時ネット]]放送作品、また、[[全日|全日帯]]の放送作品については省略する。<br><br> アニメ6区枠開設後の放送作品は[[アニメ6区]]を参照。<br> == 番組一覧 == 本項ではウィキペディアのガイドライン[[Wikipedia:JPE/N#深夜番組の放送日時または配信日時|「深夜番組の放送日時または配信日時」]]に則り、当日未明として分類する。<br> {| class="wikitable" style="font-size:small;" !作品名 !放送期間 !放送時間 !製作局<br>or<br>放送形態 !備考 |- ! colspan="5" |火曜未明〈月曜深夜〉 |- |[[バスカッシュ!]]<ref>{{Cite web |url=https://basquash.com/animation/ |title=ON AIR INFO |access-date=2023-10-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200218032258/http://basquash.com/animation/onair.html |archive-date=2020-02-18}}</ref> |2009年4月7日 - 10月6日 |0:59 - 1:29 |[[毎日放送]] | |- |[[秘密結社鷹の爪 カウントダウン|秘密結社鷹の爪カウントダウン]] |2009年10月13日<br /> - 12月29日 |1:29 - 1:59 |[[テレビ朝日]]<br>毎日放送<br>静岡放送 |静岡放送が製作委員会に参加。 |- |[[ラブライブ!サンシャイン!! (テレビアニメ)|ラブライブ!サンシャイン!!]] (第1期) |2016年7月5日 - 9月27日 |1:58 - 2:28 |[[UHFアニメ]] |舞台地の県。 |- |[[おそ松さん]] (第1期) |2017年10月3日<br /> - 2018年3月20日 |不明 | rowspan="2" |[[テレビ東京]]<br>[[アニメシアターX|AT-X]] |第1話は1:58 - 2:28に放送。<ref name=":0">{{Cite web |title=今日25:58は おそ松さん(再)スタート! |url=https://twitter.com/sbs_shinya/status/914837625751695360 |website=X (旧Twitter) |access-date=2023-10-03 |language=ja |last=@sbs_shinya}}</ref><br>再放送。 |- |おそ松さん (第2期) |2018年4月10日 - 9月25日 |1:58 - 2:28 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:01 - 2:31に放送。</ref>。 |- |[[深夜!天才バカボン]] |2018年10月2日 - 12月18日 |2:13 - 2:43 |テレビ東京 | |- |[[けものフレンズ (アニメ)|けものフレンズ]] |2019年1月8日 - 4月9日 |2:29 - 2:59 | rowspan="2" |テレビ東京<br>AT-X | |- |[[けものフレンズ2]]<ref name=":1">{{Cite web |title=ONAIR |url=https://kemono-friends.jp/anime/onair/ |website=けものフレンズプロジェクト |access-date=2023-10-03 |language=ja}}</ref> |2019年4月16日 - 7月2日 |1:50 - 2:20 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:28 - 2:58に放送。</ref>。 |- |[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]]<ref>{{Cite web |title=ON AIR |url=https://kaguya.love/1st/onair/ |website=TVアニメ『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』公式サイト |access-date=2023-10-03 |language=ja}}</ref> |2019年7月9日 - 9月24日 |1:50 - 2:20 |毎日放送 | |- ! colspan="5" |水曜未明〈火曜深夜〉 |- |[[To Heart]] |1999年4月7日 - 6月30日 |1:30 - 2:00 |UHFアニメ | |- |[[けいおん!]] |2010年4月21日 - 10月13日 |1:20 - 1:50 | rowspan="2" |[[TBSテレビ|TBS]] | |- |けいおん! |2011年10月12日<br /> - 2012年1月4日 |2:25 - 2:55 |再放送。 |- |[[夏色キセキ]]<ref>{{Cite web |title=放送情報 |url=https://www.natsuiro-kiseki.jp/onair/index.html |website=夏色キセキ |access-date=2023-10-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120411105241/https://www.natsuiro-kiseki.jp/onair/index.html |archive-date=2010-04-11}}</ref> |2012年4月11日 - 7月4日 |1:55 - 2:25 |毎日放送 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:50 - 3:20に放送。</ref>。 |- |[[勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。]]<ref>{{Cite web |title=「勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。」【勇しぶ】オフィシャルサイト |url=http://yu-sibu.com/ |website=「勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。」【勇しぶ】オフィシャルサイト |access-date=2023-10-03}}</ref> |2013年10月9日 - 12月25日 |2:03 - 2:33 | rowspan="4" |UHFアニメ |原作者の在住地。 |- |[[ラブライブ! (テレビアニメ)|ラブライブ!]] (第1期) |2015年1月7日 - 4月1日 | rowspan="4" |2:16 - 2:46 | |- |ラブライブ! (第2期)<ref>{{Cite web |title=ラブライブ!Official Web Site |url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ |website=ラブライブ!Official Web Site |access-date=2023-10-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150911191305/https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ |archive-date=2015-09-11}}</ref> |2015年4月8日 - 7月1日 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:17 - 2:47に放送。</ref>。 |- |[[ガールズ&パンツァー]]<ref>{{Cite web |title=7月よりテレビ東京他にてTVシリーズ放送決定&劇場版 新キャスト発表!など、新情報まとめ |url=https://girls-und-panzer.at.webry.info/201506/article_3.html |website=ウェブリブログ |access-date=2023-10-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150607013058/https://girls-und-panzer.at.webry.info/201506/article_3.html |archive-date=2015-06-07}}</ref> |2015年7月8日 - 9月23日 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:31 - 3:01に放送。</ref>。 |- |[[進撃!巨人中学校]]<ref>{{Cite web |title=放送情報 |url=http://kyojinchu.tv/onair/ |website=TVアニメ「進撃!巨人中学校」公式サイト |access-date=2023-10-03 |language=ja}}</ref> |2015年10月14日<br /> - 12月30日 | rowspan="2" |毎日放送 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:31 - 3:01に放送。</ref>。 |- |[[ハイキュー!! セカンドシーズン|ハイキュー!!セカンドシーズン]]<ref>{{Cite web |title=ON AIR 放送情報/配信情報 |url=http://www.j-haikyu.com/anime/onair.html |website=アニメ「ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校」 |access-date=2023-10-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160304120146/http://www.j-haikyu.com/anime/onair.html |archive-date=2016-03-04}}</ref> |2016年1月13日 - 6月29日 |2:11 - 2:41 |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:29 - 2:59に放送。</ref>。 |- |[[あまんちゅ!]]<ref>{{Cite web |title=放送局情報 |url=http://amanchu-anime.com/onair.html |website=TVアニメ「あまんちゅ!」シリーズ公式サイト |access-date=2023-10-03 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20160706202723/http://amanchu-anime.com/onair.html |archive-date=2016-07-06}}</ref> |2016年7月13日 - 9月28日 |2:30 - 3:00 |AT-X<br>[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]] |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:15 - 2:45に放送。</ref>。 |- |ハイキュー!!烏野高校vs白鳥沢学園高校 |2016年10月19日<br /> - 12月21日 |2:26 - 2:56 |毎日放送 | |- |[[ガヴリールドロップアウト]] |2017年1月11日 - 3月29日 |2:28 - 2:58 |AT-X | |- |[[カブキブ!]] |2017年4月12日 - 6月28日 |2:43 - 3:13 |TBS | |- |[[BanG Dream! 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(第2期) |2018年10月3日 - 12月26日 |2:13 - 2:43 |- |[[弱虫ペダル]] |2019年1月9日 - 9月25日 |2:03 - 2:33 |テレビ東京 | |- ! colspan="5" |木曜未明〈水曜深夜〉 |- |けいおん! |2009年4月23日 - 7月16日 |1:29 - 1:59 |TBS | |- |おそ松さん (第1期) |2016年4月14日 - 8月25日 |1:38 - 2:08 |テレビ東京<br>AT-X | |- ! colspan="5" |金曜未明〈木曜深夜〉 |- |進撃の巨人 |2014年8月1日<br /> - 2015年2月13日 |2:33 - 3:03 |毎日放送 | |- |[[攻殻機動隊 ARISE|攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE]] |2015年4月10日 - 6月26日 |1:48 - 2:18 | rowspan="3" |UHFアニメ |放送時間変更有<ref group="注">初回は2:16 - 2:46に放送。</ref>。 |- |[[ハルチカ 〜ハルタとチカは青春する〜|ハルチカ~ハルタとチカは青春する~]] |2016年1月8日 - 3月25日 |1:41 - 2:11 |放送時間変更有<ref group="注">初回は1:36 - 2:06に放送。</ref>。 |- |[[鬼滅の刃 (アニメ)|鬼滅の刃]] |2019年4月12日 - 10月11日 |2:03 - 2:33 | |- ! colspan="5" |土曜未明〈金曜深夜〉 |- |[[コードギアス 反逆のルルーシュ]] |2006年10月7日<br /> - 2007年3月31日 |2:15 - 2:45 |毎日放送 | |- |[[銀河鉄道物語 ~永遠への分岐点~]] |2006年10月14日<br /> - 2007年4月7日 |2:45 - 3:15 |[[中部日本放送]] | |- |[[DARKER THAN BLACK -黒の契約者-]] |2007年4月7日 - 9月29日 | rowspan="3" |2:15 - 2:45 | rowspan="3" |毎日放送 | |- |[[マクロスF]] |2008年4月5日 - 9月27日 | |- |[[黒執事 (アニメ)|黒執事]] |2008年10月4日<br /> - 2009年3月28日 | |- |[[うみものがたり 〜あなたがいてくれたコト〜]] |2009年7月4日 - 9月26日 | rowspan="2" |2:10 - 2:40 |中部日本放送 | |- |黒執事Ⅱ |2010年7月3日 - 9月18日 |毎日放送 | |- ! colspan="5" |日曜未明〈土曜深夜〉 |- |進撃の巨人Season2 |2017年4月9日 - 6月25日 |2:08 - 2:38 |毎日放送 | |} == 単発一覧 == {| class="wikitable" !<small>作品名</small> !<small>放送期間</small> !<small>放送時間</small> !<small>製作局</small><br><small>or</small><br><small>放送形態</small> !<small>備考</small> |- ! colspan="5" |<small>火曜未明〈月曜深夜〉</small> |- |<small>映画けいおん!</small> |<small>2013年12月23日 - 12月24日</small> |<small>11:50 - 2:12</small> |<small>TBS</small> | |- ! colspan="5" |<small>水曜未明〈火曜深夜〉</small> |- |<small>「キリングバイツ」放送直前特番</small> |<small>2018年1月10日</small> |<small>2:28 - 2:58</small> |<small>UHFアニメ</small> | |- ! colspan="5" |<small>金曜未明〈木曜深夜〉</small> |- |<small>コードギアス 反逆のルルーシュ STAGE24&25 スペシャル</small> |<small>2007年8月3日</small> |<small>2:44 - 3:14</small> |<small>毎日放送</small> | |- |<small>『ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期放送直前特番〜私たち、輝きたい!!〜』</small> |<small>2017年10月5日</small> |<small>1:54 - 2:24</small> |<small>UHFアニメ</small> | |- ! colspan="5" |<small>土曜未明〈金曜深夜〉</small> |- |<small>「劇場版『進撃の巨人』前編~紅蓮の弓矢~</small> |<small>2015年8月1日</small> |<small>2:25 - 4:19</small> |<small>毎日放送</small> | |- ! colspan="5" |<small>日曜未明〈土曜深夜〉</small> |- |<small>「[[青の祓魔師 (アニメ)|青の祓魔師]]」第11.5話(映画公開記念 特別番外編「クロの家出」)</small> |<small>2012年12月30日</small> |<small>4:15 - 4:45</small> |<small>毎日放送</small> | |} == 放送日時不明作品一覧 == {| class="wikitable" !<small>作品名</small> !<small>放送期間</small> !<small>放送時間</small> !<small>製作局</small><br><small>or</small><br><small>放送形態</small> !<small>備考</small> |- |<small>[[MAZE☆爆熱時空]]</small> |<small>1997年 -</small> |<small>不明</small> |<small>テレビ東京</small> | |- |<small>[[吸血姫美夕 (テレビアニメ)|吸血姫美夕]]</small> |<small>1997年 - 1998年</small> |<small>不明</small> | rowspan="5" |<small>UHFアニメ</small> | |- |<small>レジェンド・オブ・バサラ</small> |<small>1998年 -</small> |<small>不明</small> | |- |<small>[[同級生2]]</small> |<small>1998年7月 -</small> |<small>水曜 1:30 - 2:00〈火曜深夜〉</small> | |- |<small>[[下級生 (ゲーム)|下級生]]</small> |<small>1998年9月 -</small> |<small>水曜 1:30 - 2:00〈火曜深夜〉</small> | |- |<small>[[ブギーポップは笑わない (アニメ)|ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom]]</small> |<small>2000年 -</small> |<small>土曜 2:05 - 2:35〈金曜深夜〉</small> | |- |<small>[[アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝|アニメ浪曲紀行清水次郎長伝]]</small> |<small>2000年 -</small> |<small>不明</small> |<small>毎日放送</small> | |- |<small>[[サクラ大戦 (テレビアニメ)|サクラ大戦TV]]</small> |<small>2000年7月 - 2001年1月</small> |<small>土曜 2:00 - 2:30〈金曜深夜〉</small> |<small>TBS</small><small>毎日放送</small> | |- |<small>[[幻想魔伝 最遊記]]</small> |<small>2000年7月28日 - 2001年</small> |<small>土曜 2:30 - 3:00〈金曜深夜〉</small> |<small>テレビ東京</small> | |- | rowspan="2" |<small>[[RAVE (漫画)|RAVE]]</small> | rowspan="2" |<small>2001年10月26日 - 2002年11月</small> |<small>土曜 2:35 - 3:05〈金曜深夜〉</small> | rowspan="2" |<small>TBS</small><br><small>毎日放送</small><br><small>中部日本放送</small> |<small>第1話から第25話まで</small> |- |<small>土曜 2:15 - 2:45〈金曜深夜〉</small> |<small>第26話から</small> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 注釈 === {{Reflist|group=注}} == 外部リンク == * [https://www.at-s.com/sbstv/ SBSテレビトップ] - SBSテレビ 静岡放送 - アットエス * [https://www.twitter/sbs_shinya SBSテレビ深夜編成(静岡放送)] - X (旧Twitter) {{Anime-stub}}{{深夜番組レーベル}} {{DEFAULTSORT:しすおかほうそうあにめはんくみいちらん}} [[Category:静岡放送のテレビ番組]] [[Category:テレビアニメの放送枠]] [[Category:ローカルテレビ局の深夜アニメ|枠]]
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平和が丘東町
平和が丘東町(へいわがおかひがしまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0042。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。大淀川左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を平和が丘北町、東を池内町、南を下北方町、西を平和が丘西町と接する。 平和が丘団地に由来する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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平和が丘東町(へいわがおかひがしまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0042。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 平和が丘東町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 平和が丘東町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 57 | lats = 19.5 | latNS = N | longd = 131 | longm = 24 | longs = 54.8 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 581 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0042 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800042|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''平和が丘東町'''(へいわがおかひがしまち)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0042'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。[[大淀川]]左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を[[平和が丘北町]]、東を[[池内町 (宮崎市)|池内町]]、南を[[下北方町]]、西を[[平和が丘西町]]と接する。 == 地名の由来 == 平和が丘団地に由来する。 == 歴史 == {{節スタブ}} *1970年 - 池内町より、'''平和が丘東町'''・[[平和が丘西町]]・[[平和が丘北町]]が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |平和が丘東町 |293世帯 |581人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |平和が丘東町 |[[宮崎市立池内小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道44号宮崎高鍋線]] == 施設 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010990.html 宮崎県宮崎市平和が丘東町(452010990) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:へいわかおかひかしまち}}
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平和が丘西町
平和が丘西町(へいわがおかにしまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0047。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。大淀川左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を池内町、北東を平和が丘北町、東を平和が丘東町、南を下北方町、西を大字上北方と接する。 平和が丘団地に由来する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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平和が丘西町(へいわがおかにしまち)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0047。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 平和が丘西町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 平和が丘西町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 57 | lats = 22.2 | latNS = N | longd = 131 | longm = 24 | longs = 45.1 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1060 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0047 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800047|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''平和が丘西町'''(へいわがおかにしまち)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0047'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北西側に位置する。[[大淀川]]左岸の丘陵部に位置する『平和が丘団地』を構成する町の一つ。 北を[[池内町 (宮崎市)|池内町]]、北東を[[平和が丘北町]]、東を[[平和が丘東町]]、南を[[下北方町]]、西を[[上北方|大字上北方]]と接する。 == 地名の由来 == 平和が丘団地に由来する。 == 歴史 == {{節スタブ}} *1970年 - 池内町より、'''平和が丘西町'''・[[平和が丘東町]]・[[平和が丘北町]]が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |平和が丘西町 |553世帯 |1060人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |平和が丘西町 |[[宮崎市立池内小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道9号宮崎西環状線]] (宮崎外環状線) == 施設 == * 宮崎平和が丘郵便局 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452011100.html 宮崎県宮崎市平和が丘北町(452011100) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:へいわかおかにしまち}}
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朝来村 (大分県)
朝来村(あさくむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の東部、安岐川支流・朝来野川流域の山間部に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "朝来村(あさくむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国東半島の東部、安岐川支流・朝来野川流域の山間部に位置していた。", "title": "地理" } ]
朝来村(あさくむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1954年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 安岐町、[[西安岐町]]、[[南安岐村]]、[[西武蔵村]]、'''朝来村'''、[[奈狩江村]](一部)→ [[安岐町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = あさくむら | 自治体名 = 朝来村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 2682 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 西武蔵村、西安岐町、[[速見郡]][[北杵築村]]、[[西国東郡]][[朝田村 (大分県)|朝田村]]・[[田原村 (大分県)|田原村]]・[[豊後高田市|高田町]] | 所在地 = 東国東郡朝来村大字朝来 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''朝来村'''(あさくむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の東部、[[安岐川]]支流・朝来野川流域の山間部に位置していた{{R|角川}}。 *山岳:[[両子山]]{{R|角川}} == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡明治村、朝来村、矢川村が合併して村制施行し、'''朝来村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』15頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』77頁。</ref>。旧村名を継承した明治、朝来、矢川の3大字を編成{{R|角川}}。 *[[1922年]](大正11年)朝来水力電気株式会社設立、字弁分に発電所建設{{R|角川}}。 *[[1954年]](昭和29年)3月31日、東国東郡安岐町、西安岐町、南安岐村、西武蔵村、奈狩江村(一部)と合併し'''[[安岐町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:あさくむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1954年廃止の日本の市町村]]
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花ケ島町
花ケ島町(はながしまちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0036。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。大淀川左岸の低地帯に位置する。中心地は旧国道10号の市道であり、ロードサイド店舗が多く、殊に自動車販売店の本社が当地に集中する。日豊本線沿線は住宅街であり、当地から住居表示で派生した地区もある。宮崎北バイパス周辺は農地が多く、ロードサイド店舗が並ぶ。 北方を大字芳士、東方を村角町・桜町・東大宮・大島町、南方を北権現町、西方を神宮東・南花ケ島町・下北方町・池内町・南方町と接する。下北方町内に飛び地を有する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 JR日豊本線が通過しており、宮崎神宮駅の軌道部分が当地にかかる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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花ケ島町(はながしまちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0036。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 花ケ島町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = Miyazaki_Hanagashima_Post_office.JPG | imagesize = 250px | image_caption = 宮崎花ケ島郵便局 | image_map = | map_caption = 花ケ島町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 57 | lats = 07.2 | latNS = N | longd = 131 | longm = 25 | longs = 52.3 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 4644 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0036 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800036|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''花ケ島町'''(はながしまちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0036'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。[[大淀川]]左岸の低地帯に位置する。中心地は旧[[国道10号]]の市道であり、ロードサイド店舗が多く、殊に自動車販売店の本社が当地に集中する。[[日豊本線]]沿線は住宅街であり、当地から[[住居表示]]で派生した地区もある。[[宮崎北バイパス]]周辺は農地が多く、ロードサイド店舗が並ぶ。 北方を[[芳士|大字芳士]]、東方を[[村角町]]・[[桜町 (宮崎市)|桜町]]・[[東大宮 (宮崎市)|東大宮]]・[[大島町 (宮崎市)|大島町]]、南方を[[北権現町]]、西方を[[神宮東]]・[[南花ケ島町]]・[[下北方町]]・[[池内町 (宮崎市)|池内町]]・[[南方町 (宮崎市)|南方町]]と接する。下北方町内に飛び地を有する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1924年 - 宮崎市制により大字花ヶ島が成立。 *1927年 - 大字花ヶ島より、花ケ島町・南花ケ島町・[[北権現町]]・神宮町・神宮東町が成立。大字花ヶ島が消滅。 *1982年 - 花ヶ島町・大島町・村角町のそれぞれ一部をもって東大宮1丁目-4丁目が成立 *2006年 - 花ヶ島町・村角町・東大宮2丁目のそれぞれ一部をもって桜町が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |花ケ島町 |2289世帯 |4644人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |花ケ島町の一部 |[[宮崎市立大宮小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |- |花ケ島町の一部 |[[宮崎市立東大宮小学校]] | rowspan="2" |[[宮崎市立東大宮中学校]] |- |花ケ島町の一部 |[[宮崎市立住吉南小学校]] |} == 交通 == === 鉄道 === JR[[日豊本線]]が通過しており、[[宮崎神宮駅]]の軌道部分が当地にかかる。 === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[国道10号]]([[宮崎北バイパス]]) * [[宮崎県道9号宮崎西環状線]] * [[宮崎内環状線]] == 施設 == * JRA[[宮崎競馬場|宮崎育成牧場]](旧宮崎競馬場) * 宮崎トヨタ自動車販売 * 宮崎トヨペット * 宮崎日産自動車 * Honda Cars 宮崎 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452011110.html 宮崎県宮崎市花ケ島町 (452011110) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:はなかしまちよう}}
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1912年ストックホルムオリンピックの飛込競技
1912年ストックホルムオリンピックの飛込競技では4種目が行われた。オリンピックで、飛込の女子種目が初めて行われた。1912年7月6日から7月15日まで行われた。 10の国から57人(男子43人、女子14人)が参加した(男子は9の国から、女子は3の国から参加)。
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1912年ストックホルムオリンピックの飛込競技では4種目が行われた。オリンピックで、飛込の女子種目が初めて行われた。1912年7月6日から7月15日まで行われた。
{{Infobox Olympic event | event = Diving | games = 1912夏季 | image = [[File:Diving pictogram.svg|100px]] | image_size = | caption = | venue = [[Djurgårdsbrunnsviken]] | dates = {{Start date|df=yes|1912|07|06}}から<br /> {{End date|df=yes|1912|07|15}} | num_events = 4 | competitors = 57 | nations = 10 | teams = | win_value = | gold = | goldNOC = | silver = | silverNOC = | bronze = | bronzeNOC = | prev = [[1908年ロンドンオリンピックの飛込競技|1908]] | next = [[1920年アントワープオリンピックの飛込競技|1920]] }} [[1912年ストックホルムオリンピック]]の[[オリンピックの飛込競技|飛込競技]]では4種目が行われた。オリンピックで、飛込の女子種目が初めて行われた。1912年7月6日から7月15日まで行われた<ref>{{cite sports-reference |url=https://www.sports-reference.com/olympics/summer/1912/DIV/ |title=Diving at the 1912 Stockholm Summer Games |access-date=11 May 2020}}</ref>。 ==競技結果== ===男子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |3m飛板飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ポール・ギュンター|en|Paul Günther}}|GER|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ハンス・ルーバー|en|Hans Luber}}|GER|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|クルト・ベーレンス|en|Kurt Behrens}}|GER|1912夏季}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|エリック・アドラーツ|en|Erik Adlerz}}|SWE|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|アルバート・ザナー|en|Albert Zürner}}|GER|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|グスタフ・ブロムグレン|en|Gustaf Blomgren}}|SWE|1912夏季}} |- |素高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|エリック・アドラーツ|en|Erik Adlerz}}|SWE|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ヤルマール・ヨハンソン|en|Hjalmar Johansson}}|SWE|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ヨン・ヤンソン|en|John Jansson}}|SWE|1912夏季}} |} ===女子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|レタ・ヨハンソン|en|Greta Johansson}}|SWE|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|リサ・レグネル|en|Lisa Regnell}}|SWE|1912夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|イサベラ・ホワイト|en|Isabelle White}}|GBR|1912夏季}} |} ==参加国== 10の国から57人(男子43人、女子14人)が参加した(男子は9の国から、女子は3の国から参加)。 * {{flagIOC|AUT|1912夏季|1}} <small>(men:0 women:1)</small> * {{flagIOC|CAN|1912夏季|2}} <small>(men:2 women:0)</small> * {{flagIOC|FIN|1912夏季|6}} <small>(men:6 women:0)</small> * {{flagIOC|GER|1912夏季|4}} <small>(men:4 women:0)</small> * {{flagIOC|GBR|1912夏季|3}} <small>(men:2 women:1)</small> * {{flagIOC|ITA|1912夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|NOR|1912夏季|3}} <small>(men:3 women:0)</small> * {{flagIOC|RUS|1912夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|SWE|1912夏季|34}} <small>(men:22 women:12)</small> * {{flagIOC|USA|1912夏季|2}} <small>(men:2 women:0)</small> ==各国メダル数== {{Medals table | caption = | host = | flag_template = flagIOC | event = 1912夏季 | team = | gold_SWE = 3 | silver_SWE = 2 | bronze_SWE = 2 | gold_GER = 1 | silver_GER = 2 | bronze_GER = 1 | gold_GBR = 0 | silver_GBR = 0 | bronze_GBR = 1 }} ==出典== {{Reflist}} * {{cite web | title=Olympic Medal Winners | publisher=[[International Olympic Committee]] |url=http://www.olympic.org/uk/athletes/results/search_r_uk.asp | access-date=20 November 2006 }} * {{cite web|url=http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/1912/1912.pdf |archive-url=https://web.archive.org/web/20080410231505/http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/1912/1912.pdf |url-status=dead |archive-date=10 April 2008 |title=The Official Report of the Olympic Games of Stockholm 1912 |access-date=23 December 2006 |author=Swedish Olympic Committee |author-link=Swedish Olympic Committee |author2=Erik Bergvall |author2-link=Erik Bergvall |date=December 1913 |format=pdf |publisher=Wahlström & Widstrand }} {{1912年ストックホルムオリンピックの実施競技}} {{オリンピック飛込競技}} {{DEFAULTSORT:すとつくほるむおりんひつく1912のとひこみきようき}} [[Category:1912年ストックホルムオリンピックの各競技|とひこみ]] [[Category:オリンピックの飛込競技|1912]]
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和田義雄
和田 義雄(わだ よしお、1887年(明治20年)10月23日 - 1962年(昭和37年)7月8日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1887年(明治20年)に長野県で生まれた。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第30期卒業。米国駐在を経て、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍騎兵大佐進級と同時に騎兵第5連隊長に着任。1934年(昭和9年)3月に騎兵第13連隊長に転じ、1936年(昭和11年)3月に陸軍騎兵学校教官に就任した。 1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将に進級し、騎兵第3旅団長に着任。1938年(昭和13年)7月に騎兵監部附となり、1939年(昭和14年)8月1日に軍馬補充部本部長に就任して10月2日に陸軍中将に進級した。1941年(昭和16年)3月1日に待命、3月31日に予備役に編入された。
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和田 義雄は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
{{基礎情報 軍人 | 氏名 = 和田 義雄 | 各国語表記 = | 生年月日 = [[1887年]][[10月23日]] | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1887|10|23|1962|7|8}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 渾名 = | 生誕地 = {{JPN}} [[長野県]] | 死没地 = | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = [[1909年]] - [[1941年]] | 最終階級 = [[File:帝國陸軍の階級―肩章―中将.svg|35px]] [[中将|陸軍中将]] | 除隊後 = | 墓所 = | 署名 = }} '''和田 義雄'''(わだ よしお、[[1887年]]([[明治]]20年)[[10月23日]]{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}} - [[1962年]]([[昭和]]37年)[[7月8日]]{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}})は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == [[1887年]](明治20年)に[[長野県]]で生まれた{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}。[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]第21期、[[陸軍大学校]]第30期卒業{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}。米国駐在を経て{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}、[[1932年]](昭和7年)[[8月8日]]に[[大佐|陸軍騎兵大佐]]進級と同時に騎兵第5連隊長に着任{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}。[[1934年]](昭和9年)3月に[[騎兵第1旅団_(日本軍)#騎兵第13連隊|騎兵第13連隊]]長に転じ{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}、[[1936年]](昭和11年)3月に[[陸軍騎兵学校]]教官に就任した{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}。 [[1937年]](昭和12年)[[8月2日]]に陸軍少将に進級し{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}、騎兵第3旅団長に着任{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}。[[1938年]](昭和13年)7月に[[教育総監#騎兵監部|騎兵監部]]附となり{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}、[[1939年]](昭和14年)[[8月1日]]に[[軍馬補充部]]本部長に就任して[[10月2日]]に陸軍中将に進級した{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}{{sfn|外山|1981|loc=262頁|ref=jinji}}。[[1941年]](昭和16年)[[3月1日]]に待命{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}、[[3月31日]]に[[予備役]]に編入された{{sfn|福川|2001|loc=807頁|ref=shokan}}。 == 栄典 == ;勲章等 * [[1940年]](昭和15年)[[8月15日]] - [[記念章#賞勲局所管の記念章|紀元二千六百年祝典記念章]]<ref>『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} ==参考文献== * {{Citation|和書|author = 福川秀樹 編著|authorlink = | translator = | title = 日本陸軍将官辞典| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 2001| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829502738| ncid = |ref = shokan}} * {{Citation|和書|author = 外山操 編|authorlink = | translator = | title = 陸海軍将官人事総覧 陸軍篇| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 1981| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829500026| ncid = |ref = jinji}} {{DEFAULTSORT:わた よしお}} [[Category:大日本帝国陸軍中将]] [[Category:陸軍士官学校 (日本)出身の人物]] [[Category:陸軍大学校出身の人物]] [[Category:陸軍騎兵学校の教員]] [[Category:日中戦争の人物]] [[Category:長野県出身の人物]] [[Category:1887年生]] [[Category:1962年没]]
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先斗町筆香
先斗町 筆香 (ぽんとちょう ふでか、1903年(明治36年)4月1日 - 没年不明)は、日本の女性歌手。 戦前に芸者歌手として活躍した。 1903年(明治36年)4月1日、東京市で生まれる。長唄を杵屋君繁に、常磐津を常磐津文字八に師事。京都の先斗町で芸者になり、人気を博した。歌手としては、コロムビアからもレコード発売したが、後にビクターの専属歌手となった。1930年(昭和5年)に発売した「鴨川小唄」は今でも地元先斗町でテーマソングとして歌い継がれている。 国立国会図書館サーチでは、1930年から1935年6月までレコード活動が確認できる。その後は不明。
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先斗町 筆香 (ぽんとちょう ふでか、1903年4月1日 - 没年不明)は、日本の女性歌手。 戦前に芸者歌手として活躍した。
{{出典の明記|date=2023年10月1日 (日) 11:55 (UTC)}} '''先斗町 筆香''' (ぽんとちょう ふでか、[[1903年]]([[明治]]36年)[[4月1日]] - 没年不明)は、[[日本]]の女性[[歌手]]。 戦前に[[芸者歌手]]として活躍した。 == 経歴 == 1903年(明治36年)4月1日、[[東京市]]で生まれる。[[長唄]]を杵屋君繁に、[[常磐津節|常磐津]]を常磐津文字八に師事。[[京都]]の[[先斗町]]で芸者になり、人気を博した。[[1930年]](昭和5年)、[[ビクター]]から歌手デビュー。同年発売した『鴨川小唄』は今でも地元先斗町でテーマソングとして歌い継がれている。<ref>https://kyonoshiki.wordpress.com/2015/02/22/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B0%8F%E5%94%84%EF%BC%8E%E9%B4%A8%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%94%84/</ref>同年8月、10月には[[コロムビア]]からもレコードを数枚発売したが、最終的にビクターの専属歌手となった。 [[流行歌]]、[[民謡]]、[[新民謡]]、[[小唄]]、[[端唄]]など幅広いジャンルの曲を発売した。[[国立国会図書館]]サーチでは、1930年から[[1935年]]6月までレコード活動が確認できる。<ref>https://iss.ndl.go.jp/sp/search?any=%E5%85%88%E6%96%97%E7%94%BA%E7%AD%86%E9%A6%99&op_id=1</ref>その後は不明。 ==ディスコグラフィー== <ref>https://iss.ndl.go.jp/sp/search?any=%E5%85%88%E6%96%97%E7%94%BA%E7%AD%86%E9%A6%99&op_id=1</ref> ※ここでは主な作品のみ明記する。 '''コロムビア''' *『加茂川セレナーデ/大原女小唄』1930年(昭和5年) '''ビクター''' *『鴨川小唄』『ぽんぽん先斗町』1930年(昭和5年) *『さくら幻想曲』1931年(昭和6年) *『大阪の四季』1932年(昭和7年) *『大大阪地下鉄小唄』『サイナぶし』『舞妓すがた』1933年(昭和8年) *『逢いたかったのよ』『忘れちゃ嫌だわよ』『憎い男と』1934年(昭和9年) *『ヨサコイ節』『うす墨』1935年(昭和10年) == 脚注 == {{Reflist}} {{Singer-substub}} {{DEFAULTSORT:ほんとしよう ふてか}} [[Category:芸者歌手]] [[Category:1903年生]] [[Category:没年不明]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:日本の女性歌手]]
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ヴァルティスラフ10世 (ポメラニア公)
ヴァルティスラフ10世(ドイツ語:Wartislaw X., 1435年 - 1478年12月17日)またはヴァルチスワフ10世(ポーランド語:Warcisław X)は、ポメラニア=ヴォルガスト=バルト公(在位:1457年 - 1478年)。ポメラニア公ヴァルティスラフ9世とゾフィー・フォン・ザクセン=ラウエンブルクの次男。 1457年に父ヴァルティスラフ9世が亡くなった後、ヴァルティスラフ10世はバルトとリューゲンを受け取ったが、1459年に兄のエーリヒ2世がスウプスク(シュトルプ)公領を手に入れた後に、エーリヒ2世からヴォルガスト公領も継承した。 ヴァルティスラフ10世は2度結婚した。最妃は妃はブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ヨハンとバルバラ・フォン・ザクセンの娘エリーザベトで、ポメラニア=シュチェチン公ヨアヒム1世の未亡人で最後のシュチェチン公オットー3世の母であった。この結婚は、ヴァルティスラフ10世が未成年で公領を継承したオットー3世の後見人を短期間務めたことを意味した。ヴァルティスラフ10世とエリーザベト間の2人の息子、すなわちエアトマールとスヴァンティボルは1464年に同じ疫病で亡くなり、オットー3世も亡くなった。エリーザベトはおそらく1465年にブランデンブルクのために行った政治的活動を理由に夫に離婚された。離婚後にヴァルティスラフ10世は、1472年にメクレンブルク=シュタルガルト公ハインリヒとマルガレーテ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの娘マグダレーネと結婚した。この結婚では子供は生まれなかった。 オットー3世の死後、ブランデンブルク辺境伯との戦争の後に、わずかな領土の損失と選帝侯の主権を受け入れて、兄エーリヒ2世とともにシュチェチン公領を継承したが、実際にはこの公領の権力は兄エーリヒ2世が握っていた。1474年にエーリヒ2世が亡くなった後、ヴァルティスラフ10世は甥のボギスラフ10世と共同で統治した。ブランデンブルクとの戦いを指揮し、ガルツとその周辺地域を取り戻した。 ヴァルティスラフ10世は1478年12月17日にバルトで死去し、領地は甥のボギスラフ10世が継承し、ポメラニア公領を統一した。ヴァルティスラフ10世はノイエンカンプ(ノヴォポレ、現在のフランツブルク)のシトー会修道院に埋葬された。
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ヴァルティスラフ10世またはヴァルチスワフ10世は、ポメラニア=ヴォルガスト=バルト公。ポメラニア公ヴァルティスラフ9世とゾフィー・フォン・ザクセン=ラウエンブルクの次男。
{{基礎情報 皇族・貴族 | 人名 = ヴァルティスラフ10世 | 各国語表記 = Wartislaw X. | 家名・爵位 = [[ポメラニア公]] | 画像 = WartislausX.JPG | 画像サイズ = | 画像説明 = | 在位 = [[1457年]] - [[1478年]] | 続柄 = | 称号 = | 全名 = | 身位 = | 敬称 = | 出生日 = [[1435年]] | 生地 = | 死亡日 = [[1478年]][[12月17日]] | 没地 = {{HRR}}<br>[[File:Grunwald Słupsk i Szczecin.svg|25px]] [[ポメラニア公国|ポメラニア公領]]、バルト{{Sfn|Rymar|2005|pp=379-382}} | 埋葬日 = | 埋葬地 = {{HRR}}<br>[[File:Grunwald Słupsk i Szczecin.svg|25px]] [[ポメラニア公国|ポメラニア公領]]、ノイエンカンプ修道院 | 配偶者1 = [[エリーザベト・フォン・ブランデンブルク (1425-1465)|エリーザベト・フォン・ブランデンブルク]] | 配偶者2 = マグダレーネ・フォン・メクレンブルク=シュタルガルト | 子女 = スヴァンティボル<br>エアトマール | 家名 = [[ポメラニア家|グリフ家]] | 父親 = [[ポメラニア公]][[ヴァルティスラフ9世 (ポメラニア公)|ヴァルティスラフ9世]] | 母親 = ゾフィー・フォン・ザクセン=ラウエンブルク | 栄典 = | 役職 = | 宗教 = | サイン = }} '''ヴァルティスラフ10世'''([[ドイツ語]]:Wartislaw X., [[1435年]] - [[1478年]][[12月17日]])または'''ヴァルチスワフ10世'''([[ポーランド語]]:Warcisław X)は、[[ポメラニア公|ポメラニア=ヴォルガスト=バルト公]](在位:[[1457年]] - 1478年)。[[ポメラニア公]][[ヴァルティスラフ9世 (ポメラニア公)|ヴァルティスラフ9世]]とゾフィー・フォン・ザクセン=ラウエンブルクの次男。 == 生涯 == 1457年に父ヴァルティスラフ9世が亡くなった後、ヴァルティスラフ10世はバルトとリューゲンを受け取ったが{{Sfn|Szymański|2006|p=402}}、1459年に兄の[[エーリヒ2世 (ポメラニア公)|エーリヒ2世]]がスウプスク(シュトルプ)公領を手に入れた後に、エーリヒ2世からヴォルガスト公領も継承した{{Sfn|Rymar|2005|p=379}}{{Sfn|Kozłowski|Podralski|1985|p=61}}。 ヴァルティスラフ10世は2度結婚した。最妃は妃は[[バイロイト侯領|ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯]][[ヨハン (ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯)|ヨハン]]とバルバラ・フォン・ザクセンの娘[[エリーザベト・フォン・ブランデンブルク (1425-1465)|エリーザベト]]で{{Sfn|Rymar|2005|pp=379-380, 424-426}}、ポメラニア=シュチェチン公[[ヨアヒム1世 (ポメラニア公)|ヨアヒム1世]]の未亡人で最後のシュチェチン公[[オットー3世 (ポメラニア公)|オットー3世]]の母であった。この結婚は、ヴァルティスラフ10世が未成年で公領を継承したオットー3世の後見人を短期間務めたことを意味した。ヴァルティスラフ10世とエリーザベト間の2人の息子、すなわちエアトマールとスヴァンティボルは1464年に同じ疫病で亡くなり、オットー3世も亡くなった{{Sfn|Rymar|2005|pp=398, 425-426}}。エリーザベトはおそらく1465年にブランデンブルクのために行った政治的活動を理由に夫に離婚された。離婚後にヴァルティスラフ10世は、1472年にメクレンブルク=シュタルガルト公ハインリヒとマルガレーテ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの娘マグダレーネと結婚した。この結婚では子供は生まれなかった{{Sfn|Rymar|2005|pp=379-382}}。 オットー3世の死後、ブランデンブルク辺境伯との戦争の後に、わずかな領土の損失と選帝侯の主権を受け入れて、兄エーリヒ2世とともにシュチェチン公領を継承したが、実際にはこの公領の権力は兄エーリヒ2世が握っていた。1474年にエーリヒ2世が亡くなった後、ヴァルティスラフ10世は甥の[[ボギスラフ10世 (ポメラニア公)|ボギスラフ10世]]と共同で統治した。ブランデンブルクとの戦いを指揮し、ガルツとその周辺地域を取り戻した{{Sfn|Kozłowski|Podralski|1985|p=61}}。 ヴァルティスラフ10世は1478年12月17日にバルトで死去し、領地は甥のボギスラフ10世が継承し、ポメラニア公領を統一した。ヴァルティスラフ10世はノイエンカンプ(ノヴォポレ、現在のフランツブルク)のシトー会修道院に埋葬された{{Sfn|Rymar|2005|pp=379-382}}{{Sfn|Szymański|2006|p=402}}。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{cite book|first1=Kazimierz |last1=Kozłowski |first2=Jerzy |last2=Podralski |title=Gryfici. Książęta Pomorza Zachodniego |year=1985 |isbn=83-03-00530-8 |location=Szczecin |publisher=Krajowa Agencja Wydawnicza |oclc=189424372}} * {{cite book|first=Edward |last=Rymar |title=Rodowód książąt pomorskich |year=2005 |isbn=83-87879-50-9 |location=Szczecin |publisher=Książnica Pomorska im. Stanisława Staszica |oclc=69296056}} * {{cite book|last=Szymański |first=J.W. |title=Książęcy ród Gryfitów |location=Goleniów |publisher=Kielce |year=2006 |ISBN=83-7273-224-8}} * {{ADB|41|213|214|Wartislav X.|Max Bär|ADB:Wartislaw X.}} * {{cite web|author=Madsen U. |url=http://www.ruegenwalde.com/greifen/war-10/war-10.htm |title=Wartislaw X. Herzog von Pommern-Rügen und Barth |language=de |accessdate=2012-06-25}} {{先代次代|[[ポメラニア公の一覧|ポメラニア=バルト=リューゲン公]]|1457年 - 1478年|[[ヴァルティスラフ9世 (ポメラニア公)|ヴァルティスラフ9世]]|[[ボギスラフ10世 (ポメラニア公)|ボギスラフ10世]]}} {{先代次代|[[ポメラニア公の一覧|ポメラニア=ヴォルガスト公]]|1474年 - 1478年|[[エーリヒ2世 (ポメラニア公)|エーリヒ2世]]|[[ボギスラフ10世 (ポメラニア公)|ボギスラフ10世]]}} {{DEFAULTSORT:うあるていすらふ10}} [[Category:ポメラニア公]] [[Category:グリフ家]] [[Category:1435年生]] [[Category:1478年没]]
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南花ケ島町
南花ケ島町(みなみはながしまちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0055。 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。宮崎神宮の北西方、大淀川左岸の低地帯に位置する。中心地は旧国道10号の市道であり、ロードサイド店舗が並ぶが、側道に入ると住宅地が並ぶ、 東方を花ケ島町、南方を神宮東3丁目、南西方を神宮、西方を下北方町と接する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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南花ケ島町(みなみはながしまちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。大宮地域自治区に属している。郵便番号は880-0055。
{{Pathnav|日本|宮崎県|宮崎市|frame=1}}{{Infobox settlement | name = 南花ケ島町 | settlement_type = 町・丁 | image_skyline = Japan_National_Route_10_near_Miyazaki-Jingu_Station_2.jpg | imagesize = 250px | image_caption = 国道10号旧道分岐部 | image_map = | map_caption = 南花ケ島町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 56 | lats = 30.7 | latNS = N | longd = 131 | longm = 25 | longs = 47.2 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[大宮地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1023 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0055 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800055|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''南花ケ島町'''(みなみはながしまちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[大宮地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0055'''<ref name="postal" />。 == 地理 == 宮崎市の中北部、大宮地域自治区の北側に位置する。[[宮崎神宮]]の北西方、[[大淀川]]左岸の低地帯に位置する。中心地は旧[[国道10号]]の市道であり、ロードサイド店舗が並ぶが、側道に入ると住宅地が並ぶ、 東方を[[花ケ島町]]、南方を[[神宮東]]3丁目、南西方を[[神宮 (宮崎市)|神宮]]、西方を[[下北方町]]と接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1927年 - 大字下北方、花ケ島より、南花ケ島町が成立。 *1974年 - 南花ヶ島町・神宮東町・神宮町・御船町・江平町1丁目~3丁目・をもって神宮東が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |南花ケ島町 |527世帯 |1023人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |南花ケ島町の一部 |[[宮崎市立大宮小学校]] |[[宮崎市立大宮中学校]] |- |南花ケ島町の一部 |[[宮崎市立東大宮小学校]] |[[宮崎市立東大宮中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[国道10号]]([[宮崎北バイパス]]) * [[宮崎内環状線]] == 施設 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452011120.html 宮崎県宮崎市南花ケ島町 (452011120) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:みなみはなかしまちよう}}
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エル・アギラ・デ・ベラクルス (ソフトボール)
エル・アギラ・デ・ベラクルス(西: El Águila de Veracruz)は、メキシコのベラクルス州ベラクルスを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するエル・アギラ・デ・ベラクルスのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
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エル・アギラ・デ・ベラクルスは、メキシコのベラクルス州ベラクルスを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
{{For|野球チーム|エル・アギラ・デ・ベラクルス}} {{ソフトボールチーム | チーム名 = エル・アギラ・デ・ベラクルス | 正式名 = | 愛称 = | 略称 = | 運営母体 = | メインスポンサー = | 創設年 = 1903年<ref group="注">野球チームとして。</ref> | 解散年 = | リーグ = [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] | 本拠地 = {{Flagicon|MEX}} [[ベラクルス州]][[ベラクルス]] | 過去の本拠地 = | オーナー = | 代表 = | 部長 = | GM = | 監督 = | シーズン = | 順位 = | リーグ優勝回数 = | リーグ優勝年 = | 公式サイト = | Twitter = }} '''エル・アギラ・デ・ベラクルス'''({{Lang-es-short|El Águila de Veracruz}})は、[[メキシコ]]の[[ベラクルス州]][[ベラクルス]]を拠点とする女子[[ソフトボール]]チーム。[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)所属。 == 概要 == メキシコの[[プロ野球]]リーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]](LMB)に所属する[[エル・アギラ・デ・ベラクルス]]のソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)に参加<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsc.org/ja/news/80233 |title=メキシコ・ソフトボールリーグ 2024年に初の開幕シーズン  メキシコ野球リーグが支援 |access-date=2023-09-30 |publisher=[[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]] |date=2023-09-21}}</ref>。 == タイトル == なし == 歴代所属選手 == {{see also|Category:エル・アギラ・デ・ベラクルスの選手 (ソフトボール)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[エル・アギラ・デ・ベラクルス]] * [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] == 外部リンク == {{節スタブ}} {{Normdaten}} {{Sports-stub}} {{DEFAULTSORT:えるあきらてへらくるす}} [[Category:メキシコのソフトボールチーム]] [[Category:ベラクルス州のスポーツ]]
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ジュリア・バーグマン
ジュリア・イザベラ・バーグマン(Júlia Isabelle Bergmann、女性、2001年2月21日 - )は、ブラジルのバレーボール選手。ポジションはアウトサイドヒッター。ブラジル代表。 2019年、アメリカ合衆国のジョージア工科大学に進学。2021/22シーズンのNCAA女子バレーボール選手権においてベスト8へ導き自身はベストアウトサイドヒッター賞を受賞した。卒業後の2023/24シーズンはトルコリーグのトゥルク・ハヴァ・ヨラーリと契約した。 アンダーカテゴリーの代表として2016年、U-18南米選手権で金メダルを獲得した。2017年、U-20世界選手権に出場した。2019年、シニア代表に初選出され同年のネーションズリーグでデビューした。2022年に代表へ復帰すると同年のネーションズリーグで銀メダルを獲得した。2023年、南米選手権で金メダルを獲得した。パリ五輪予選では攻守に活躍をみせ五輪出場権の獲得に貢献した。 ブラジル人の母とドイツ人の父のもとにミュンヘンで生まれ育った。2011年にブラジルのブルスクへ移り、バレーボールを始めた。Amplo高校を卒業し、進学したジョージア工科大学では物理学を専攻していた。
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ジュリア・イザベラ・バーグマンは、ブラジルのバレーボール選手。ポジションはアウトサイドヒッター。ブラジル代表。
{{バレーボール選手 |本名=ジュリア・イザベラ・バーグマン |ラテン文字=Júlia Isabelle Bergmann |画像= |国籍={{BRA}} |生年月日={{生年月日と年齢|2001|02|21}} |出身地={{Flagicon|GER}} [[ミュンヘン]] |ポジション=[[アウトサイドヒッター|OH]] |所属={{Flagicon|TUR}} [[トゥルク・ハヴァ・ヨラーリ]] |背番号=7 |身長=196cm |体重=78kg |利き手=右 |スパイク=310cm |ブロック=295cm |獲得メダル= {{MedalCountry|{{BRAwv}}}} {{MedalCompetition|[[バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]}} {{MedalSilver|[[2019年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|2019]]|南京}} {{MedalSilver|[[2022年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|2022]]|アンカラ}} {{MedalCompetition|[[バレーボール南米選手権|南米選手権]]}} {{MedalGold|[[w:2023 Women's South American Volleyball Championship|2023]]|レシフェ}} }} '''ジュリア・イザベラ・バーグマン'''(Júlia Isabelle Bergmann、女性、[[2001年]][[2月21日]] - )は、[[ブラジル]]の[[バレーボール]]選手。ポジションは[[アウトサイドヒッター]]。[[バレーボールブラジル女子代表|ブラジル代表]]。 ==来歴== * クラブチーム 2019年、アメリカ合衆国の[[ジョージア工科大学]]に進学。2021/22シーズンの[[NCAA女子バレーボール選手権]]においてベスト8へ導き自身はベストアウトサイドヒッター賞を受賞した。卒業後の2023/24シーズンはトルコリーグの[[トゥルク・ハヴァ・ヨラーリ]]と契約した。 * 代表チーム アンダーカテゴリーの代表として2016年、U-18南米選手権で金メダルを獲得した。2017年、U-20世界選手権に出場した。2019年、シニア代表に初選出され同年の[[2019年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]でデビューした。2022年に代表へ復帰すると同年の[[2022年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]で銀メダルを獲得した。2023年、[[w:2023 Women's South American Volleyball Championship|南米選手権]]で金メダルを獲得した。[[2024年パリオリンピックのバレーボール競技・女子予選|パリ五輪予選]]では攻守に活躍をみせ五輪出場権の獲得に貢献した。 ==私生活== ブラジル人の母とドイツ人の父のもとに[[ミュンヘン]]で生まれ育った。2011年にブラジルの[[ブルスキ]]へ移り、バレーボールを始めた。Amplo高校を卒業し、進学したジョージア工科大学では物理学を専攻していた<ref>{{Cite web |url=https://volleyballmag.com/vnl-brazil-julia-bergmann-060322/ |title=Georgia Tech star Julia Bergmann right at home with Brazilian national team |accessdate=2023-10-01 |date=2022-06-03}}</ref>。 ==球歴== * [[バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]] - 2019年、2022年、2023年 * [[バレーボール南米選手権|南米選手権]] - 2023年 * オリンピック予選 - 2023年 ==所属クラブ== * {{Flagicon|USA}} [[ジョージア工科大学]](2019-2023年) * {{Flagicon|TUR}} [[トゥルク・ハヴァ・ヨラーリ]](2023-) ==脚注== {{Reflist}} ==外部リンク== * [https://en.volleyballworld.com/en/vnl/2019/women/teams/bra-brazil/players/julia_isabelle_bergmann?id=71711 FIVB公式プロフィール] * [https://en.volleyballworld.com/volleyball/competitions/vnl-2022/players/162999 Volleyball Worldプロフィール] {{Volleybio-stub}} {{DEFAULTSORT:はあくまん しゆりあ}} [[Category:ブラジルの女子バレーボール選手]] [[Category:バレーボールブラジル女子代表選手]] [[Category:ミュンヘン出身の人物]] [[Category:2001年生]] [[Category:存命人物]]
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オルメカス・デ・タバスコ (ソフトボール)
オルメカス・デ・タバスコ(西: Olmecas de Tabasco)は、メキシコのタバスコ州ビヤエルモサを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するオルメカス・デ・タバスコのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
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オルメカス・デ・タバスコは、メキシコのタバスコ州ビヤエルモサを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
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女性の肖像 (ポッライオーロ)
『女性の肖像』(じょせいのしょうぞう、伊: Ritratto femminile、英: Portrait of a Woman)は、1475年ごろに板上にテンペラで描かれた絵画である。作品は、初期イタリア・ルネサンスの画家アントニオ・デル・ポッライオーロ、ないしピエロ・デル・ポッライオーロに、とりわけ後者に帰属される傾向があるが、保存状態がよくないために帰属の問題を難しくしている。1861年以来、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されているが、当時からずっとピエロ・デラ・フランチェスカ、若い時期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、コジモ・ロッセッリに誤って帰属されてきた。 本作は、一連の横顔の女性の肖像画のうちの1点であり、ミラノのポルディペッツォーリ美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館、絵画館 (ベルリン) にも同様の肖像画が所蔵されている。美術史家のバーナード・ベレンソンは、これらの作品の中で優れたものをアントニオ・デル・ポッライオーロに、それ以外のものをピエロ・デル・ポッライオーロに帰属しており、優れた作品の中でも拙い部分はピエロの手になるとしている。 ほかの美術史家たちは、これらの作品のすべてをピエロに帰属しているが、その根拠として『画家・彫刻家・建築家列伝』を著したマニエリスム期の画家・伝記作家のジョルジョ・ヴァザーリがアントニオを版画家、彫刻家としてのみ言及し、画家としては言及していないからである。さらに別の美術史家たちは、横顔の肖像画をすべてピエロに帰属し、ほかの神話的主題、戦闘場面の絵画をアントニオに帰属している。 横顔の肖像画は、古代ローマの硬貨に描かれた肖像に触発されたもので、本作が描かれた1475年まで流行していた。空を思わせるラピスラズリの青色を背景に、宝石で装飾された複雑な髪形の金髪の若い女性の顔が際立っている。彼女の社会的地位は、その服装と宝石類により強調されている。本作はおそらく彼女の結婚のためのものであった。 暗赤色のベルベットの上着の縁は金糸で編まれ、多色の飾りがついている。上着の下の長袖のチュニックの腕の部分には15世紀に流行していたザクロのモティーフがあるが、ザクロは多産の象徴であった。また、上着がゆったりと腹部に垂れていることは、母になることへの願望と見なすことができる。女性は首に真珠のネックレスを掛け、胸には金、エナメル、宝石でできている、天使を描いた飾りを着けている。科学と迷信の境界が曖昧だった時代には、宝石類は単なる装飾ではなく、お守りでもあった。 画家は、モデルの女性の華やかな容貌の魅力あふれる優美さを熟練した絵筆でとらえている。衣服の織地の美しさ、宝石類、柔らかな髪の描写は、次の世紀のアーニョロ・ブロンズイーノの作品の先駆けとなっている。
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『女性の肖像』は、1475年ごろに板上にテンペラで描かれた絵画である。作品は、初期イタリア・ルネサンスの画家アントニオ・デル・ポッライオーロ、ないしピエロ・デル・ポッライオーロに、とりわけ後者に帰属される傾向があるが、保存状態がよくないために帰属の問題を難しくしている。1861年以来、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されているが、当時からずっとピエロ・デラ・フランチェスカ、若い時期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、コジモ・ロッセッリに誤って帰属されてきた。
{{Infobox artwork |image_file =Antonio_Pollaiuolo_004.jpg |image_size =300px |title = 女性の肖像 |other_language_1 = [[イタリア語]] |other_title_1 = Ritratto femminile |other_language_2 = [[英語]] |other_title_2 = Portrait of a Woman |artist = [[ピエロ・デル・ポッライオーロ]]に帰属 |year = 1475年ごろ |type = 板上に[[テンペラ]] |height_metric = 55 |width_metric = 34 |city = [[フィレンツェ]] |museum = [[ウフィツィ美術館]] }} 『'''女性の肖像'''』(じょせいのしょうぞう、{{Lang-it-short|Ritratto femminile}}、{{Lang-en-short|Portrait of a Woman}})は、1475年ごろに板上に[[テンペラ]]で描かれた絵画である。作品は、初期[[イタリア]]・[[ルネサンス]]の画家[[アントニオ・デル・ポッライオーロ]]<ref name="ReferenceLB">ルチアーノ・ベルティ、アンナ・マリーア・ペトリオーリ・トファニ、カテリーナ・カネヴァ 1994年、46項。</ref><ref name="ReferenceLU">ルチャーノ・ベルティ、39項。</ref>、ないし[[ピエロ・デル・ポッライオーロ]]に、とりわけ後者に帰属される傾向があるが、保存状態がよくないために帰属の問題を難しくしている<ref name="ReferenceGU">{{cite web|title=Portrait of a Lady|accessdate=2023-10-01|url=https://www.uffizi.it/en/artworks/portrait-of-a-lady-pollaiolo|publisher=[[ウフィツィ美術館]]公式サイト(英語)}}</ref>。1861年以来、[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]に所蔵されている<ref name="ReferenceLB" /><ref name="ReferenceLU" /><ref name="ReferenceGU" /><ref>{{Cite web |url=http://www.polomuseale.firenze.it/catalogo/scheda.asp?nctn=00285481&value=1 |title=Catalogue entry|access-date=2023/10/01}}</ref>が、当時からずっと[[ピエロ・デラ・フランチェスカ]]、若い時期の[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]、[[コジモ・ロッセッリ]]に誤って帰属されてきた<ref>{{In lang|it}} Aldo Galli, ''I Pollaiolo'', collana "Galleria delle arti" n.7, 5 Continents Editions, Milano 2005.</ref>。 == 帰属 == 本作は、一連の横顔の女性の肖像画のうちの1点であり、[[ミラノ]]の[[ポルディ・ペッツォーリ美術館|ポルディペッツォーリ美術館]]、[[ニューヨーク]]の[[メトロポリタン美術館]]、[[ボストン]]の[[イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館]]、[[絵画館 (ベルリン)]] にも同様の肖像画が所蔵されている<ref>{{In lang|it}} Gloria Fossi, ''Uffizi'', Giunti, Firenze 2004. {{ISBN2|88-09-03675-1}}</ref>。[[美術史家]]の[[バーナード・ベレンソン]]は、これらの作品の中で優れたものを[[アントニオ・デル・ポッライオーロ]]に、それ以外のものをピエロ・デル・ポッライオーロに帰属しており、優れた作品の中でも拙い部分はピエロの手になるとしている。 ほかの美術史家たちは、これらの作品のすべてをピエロに帰属しているが、その根拠として『[[画家・彫刻家・建築家列伝]]』を著した[[マニエリスム]]期の画家・伝記作家の[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]がアントニオを[[版画]]家、[[彫刻]]家としてのみ言及し、画家としては言及していないからである。さらに別の美術史家たちは、横顔の肖像画をすべてピエロに帰属し、ほかの神話的主題、戦闘場面の絵画をアントニオに帰属している<ref>{{In lang|it}} AA.VV., ''Galleria degli Uffizi'', collana ''I Grandi Musei del Mondo'', Roma 2003.</ref>。 == 作品 == 横顔の肖像画は、[[古代ローマ]]の硬貨に描かれた肖像に触発されたもので、本作が描かれた1475年まで流行していた<ref name="ReferenceGU" />。空を思わせる[[ラピスラズリ]]の青色を背景に<ref name="ReferenceLB" /><ref name="ReferenceLU" />、宝石で装飾された複雑な髪形の金髪の若い女性の顔が際立っている。彼女の社会的地位は、その服装と宝石類により強調されている。本作はおそらく彼女の結婚のためのものであった<ref name="ReferenceGU" />。 暗赤色の[[ベルベット]]の上着の縁は金糸で編まれ、多色の飾りがついている。上着の下の長袖の[[チュニック]]の腕の部分には15世紀に流行していた[[ザクロ]]のモティーフがあるが、ザクロは多産の象徴であった。また、上着がゆったりと腹部に垂れていることは、母になることへの願望と見なすことができる<ref name="ReferenceGU" />。女性は首に真珠のネックレスを掛け、胸には金、エナメル、宝石でできている、[[天使]]を描いた飾りを着けている。科学と迷信の境界が曖昧だった時代には、宝石類は単なる装飾ではなく、お守りでもあった<ref name="ReferenceGU" />。 画家は、モデルの女性の華やかな容貌の魅力あふれる優美さを熟練した絵筆でとらえている。衣服の織地の美しさ、宝石類、柔らかな髪の描写は、次の世紀の[[アーニョロ・ブロンズィーノ|アーニョロ・ブロンズイーノ]]の作品の先駆けとなっている<ref name="ReferenceLB" />。 == ギャラリー == <gallery> File:Piero Pollaiuolo 001.jpg|『[[若い女性の肖像 (ポッライオーロ)|若い女性の肖像 (ミラノ)]]』、[[ポルディ・ペッツォーリ美術館]]、[[ミラノ]] File:Antonio Pollaiuolo 005.jpg|『若い女性の肖像』、[[メトロポリタン美術館]]、[[ニューヨーク]] File:Pollaiuolo, Portrait of a Young Woman, berlin.jpg|『[[若い女性の横顔の肖像 (ポッライオーロ)|若い女性の横顔の肖像]]』、[[絵画館 (ベルリン)]] </gallery> == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * ルチアーノ・ベルティ、アンナ・マリーア・ペトリオーリ・トファニ、カテリーナ・カネヴァ『ウフィツィ美術館』、[[みすず書房]]、1994年 ISBN 4-622-02709-7 * ルチャーノ・ベルティ『ウフィツィ』、ベコッチ出版社 {{ISBN2| 88-8200-0230}} == 外部リンク == * [https://www.uffizi.it/en/artworks/portrait-of-a-lady-pollaiolo ウフィツィ美術館公式サイト、ピエロ・デル・ポッライオーロに帰属『女性の肖像』 (英語)] {{ピエロ・デル・ポッライオーロ}} {{DEFAULTSORT:しよせいのしようそうほつらいおおろ}} [[Category:ピエロ・デル・ポッライオーロの作品]] [[Category:ウフィツィ美術館所蔵の絵画]] [[Category:女性の肖像画]] [[Category:1470年代の絵画]]
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高洲町 (宮崎市)
高洲町(たかすちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0862。 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街および工業地となっている。北を大王町、東を中西町、南を出来島町、西を永楽町、南東を高洲町、南西を前原町に囲まれた住宅地である。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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高洲町(たかすちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0862。
{{Infobox settlement | name = 高洲町 | settlement_type = 町丁 | image_skyline = 大淀川河口南岸より北岸を望む - panoramio.jpg | imagesize = 250px | image_caption = 大淀川河口南岸より眺めた高洲町・宮崎港 | image_map = | map_caption = 高洲町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 53 | lats = 58.0 | latNS = N | longd = 131 | longm = 26 | longs = 45.0 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[檍地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1859 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0852 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800852|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''高洲町'''(たかすちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[檍地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0852<ref name="postal" />'''。 == 地理 == 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。[[大淀川]]河口北岸にあり、住宅街および工業地となっている。北を[[中西町 (宮崎市)|中西町]]・[[田代町 (宮崎市)|田代町]]・[[小戸町]]、東を[[港 (宮崎市)|港1丁目]]、西を[[出来島町 (宮崎市)|出来島町]]と接する。大淀川を挟んで[[城ケ崎 (宮崎市)|城ケ崎]]4丁目、[[田吉|大字田吉]]、[[赤江 (宮崎市)|大字赤江]]と接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1927年 - [[瀬頭|大字瀬頭]]から高洲町が成立。 *1951年 - 高洲町・[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から[[小戸町]]が成立。 *1955年 - 高洲町・[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から[[中西町 (宮崎市)|中西町]]・[[田代町 (宮崎市)|田代町]]が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |高洲町 |1016世帯 |1859人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |潮見町 |[[宮崎市立潮見小学校]] |[[宮崎市立宮崎中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * 市道吉村通線([[宮崎内環状線]]) * [[宮崎県道10号宮崎インター佐土原線]]([[一ツ葉道路]]南線) == 施設 == * 宮崎市上下水道局宮崎終末処理場 * 赤江大橋 * 一ツ葉大橋 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010410.html 宮崎県宮崎市高洲町 (452010410) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:たかすちよう}}
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スルタネス・デ・モンテレイ (ソフトボール)
スルタネス・デ・モンテレイ(西: Sultanes de Monterrey)は、メキシコのヌエボ・レオン州モンテレイを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するスルタネス・デ・モンテレイのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
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スルタネス・デ・モンテレイは、メキシコのヌエボ・レオン州モンテレイを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
{{For|野球チーム|スルタネス・デ・モンテレイ}} {{ソフトボールチーム | チーム名 = スルタネス・デ・モンテレイ | 正式名 = | 愛称 = | 略称 = | 運営母体 = | メインスポンサー = | 創設年 = 1939年<ref group="注">野球チームとして。</ref> | 解散年 = | リーグ = [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] | 本拠地 = {{Flagicon|MEX}} [[ヌエボ・レオン州]][[モンテレイ (メキシコ)|モンテレイ]] | 過去の本拠地 = | オーナー = | 代表 = | 部長 = | GM = | 監督 = | シーズン = | 順位 = | リーグ優勝回数 = | リーグ優勝年 = | 公式サイト = | Twitter = }} '''スルタネス・デ・モンテレイ'''({{Lang-es-short|Sultanes de Monterrey}})は、[[メキシコ]]の[[ヌエボ・レオン州]][[モンテレイ (メキシコ)|モンテレイ]]を拠点とする女子[[ソフトボール]]チーム。[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)所属。 == 概要 == メキシコの[[プロ野球]]リーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]](LMB)に所属する[[スルタネス・デ・モンテレイ]]のソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)に参加<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsc.org/ja/news/80233 |title=メキシコ・ソフトボールリーグ 2024年に初の開幕シーズン  メキシコ野球リーグが支援 |access-date=2023-09-30 |publisher=[[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]] |date=2023-09-21}}</ref>。 == タイトル == なし == 歴代所属選手 == {{see also|Category:スルタネス・デ・モンテレイの選手 (ソフトボール)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[スルタネス・デ・モンテレイ]] * [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] == 外部リンク == {{節スタブ}} {{Normdaten}} {{Sports-stub}} {{DEFAULTSORT:するたねすてもんてれい}} [[Category:メキシコのソフトボールチーム]] [[Category:モンテレイのスポーツ]]
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OKAWARI
OKAWARI(おかわり)は、日本の漫画家。 数年以上に渡り活躍している作家の一人だが体調を崩しているようで2022年には2回緊急入院した。
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OKAWARI(おかわり)は、日本の漫画家。
{{複数の問題 |存命人物の出典明記=2023-10-05 |一次資料=2023-10-05 |特筆性=2023-10-05|分野=人物 }} {{Infobox 漫画家 | 名前 = OKAWARI | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}} | 国籍 = [[日本]] | 生年 = | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = - | ジャンル = | 代表作 = | 受賞 = | 公式サイト = }} '''OKAWARI'''(おかわり)は、[[日本]]の[[漫画家]]。 == 人物 == 数年以上に渡り活躍している作家の一人だが体調を崩しているようで<ref>「寝取り願望」のあとがきより</ref><ref>「妄想手淫少女」のあとがきより</ref>2022年には2回緊急入院した<ref>「恋ごころー肉欲強化ー」のあとがきより</ref>。 == 作品リスト == * 恋ごころー肉欲強化ー * のぞき団地 * パニックプラス α * 妄想手淫少女 * OL達は妄想中 * こじらせて30歳処女 * 寝取り願望 * オトナになる薬 * 快楽学園 * ISANE -BREAK AWAY- == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[日本の成人向け漫画家の一覧]] == 外部リンク == * {{Twitter|@okawari44}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おかわり}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:成人向け漫画家]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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漫画におけるLGBT
本項では漫画におけるLGBTについて述べる。漫画出版が盛んないずれの国においても初期にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のテーマが表立って描かれることはなく、受け手の解釈によって読み取られるのみだった。やがて20世紀後半から21世紀の初めにかけてLGBTのキャラクターが包摂され始め、カミングアウトの困難さ、社会的な偏見、ゲイ同士の恋愛といった題材も描かれるようになった。 各国の漫画はLGBTのテーマにそれぞれ異なるアプローチを取ってきた。米国のコミックブック出版では1954年から1989年までコミックス倫理規定委員会(コミックス・コード)が自主規制を行っており、少しでも同性愛を感じさせる描写は行えなかった。キャラクターの性的志向や性自認を描くにも遠回しにほのめかすか、サブテキストとして暗黙の裡に示すしかなかった。1970年代に至って、コードに準拠しないアンダーグラウンド・コミックの中からLGBT当事者による自伝的・政治的な作品が現れ、独立したゲイコミックの文化が発展した。新聞配信のコミックストリップでも1970年代後半からオープンリー・ゲイのキャラクターが登場し始め、1980年代を通して一般化していった。コードの規制が緩和された1990年代以降にはコミックブック出版で主流のスーパーヒーロー作品でも現代的なLGBTの描写が見られるようになり、ゲイのキャラクターをメインにしたタイトルも数多く創刊された。2010年代には多様な出版形態によるLGBTQコミック全般が「コミックでもっとも急速に発展している分野」と呼ばれている。 ヨーロッパでは言語ごとの市場が小さく、ニッチなゲイコミックが米国のように発展することはなかった。とはいえ、フランス、スペイン、ドイツ、オランダなど各国で重要なLGBT漫画の作家が活動している。 日本では1970年代に異性愛女性が読む少女漫画の中から同性愛を描く作品が登場し、ボーイズラブやガールズラブと呼ばれる独自のジャンルへと派生して漫画同人誌文化や商業メディアに幅広く浸透していった。ただしそれらの作品は同性愛を理想化する傾向があり、必ずしもリアルなLGBTを描くものではなかった。少年漫画・青年漫画でもやや遅れてジェンダーのゆらぎを描く作品は描かれている。また異性愛男性向けアダルト漫画において性的ファンタジーとしての間性的なキャラクターが描かれることも多い。ゲイ当事者によるゲイ漫画(英語版)は1980年代から商業的な同性愛雑誌で発表され始めた。1990年代に一般メディアで「ゲイブーム」が起きて以降はLGBT当事者による自伝的な作品も現れ、2010年代後半からは一般誌でLGBTテーマが扱われることが増えた。 米国の漫画は19世紀末に新聞紙上のコミックストリップとして生まれ、1930年代にコミックブック形式の漫画出版が成立した。コミックブックは32ページ前後の定期刊行物で、現在では主に専門のコミックショップで売られている。これらは別個の出版文化であって、一般紙誌に掲載されるコミックストリップは読者層が広くジャーナリズムの要素も持つ一方、コミックブックは若者のサブカルチャーと見なされがちである。さらに近年の新たな流れとして書店で販売される書籍形式のグラフィックノベルが台頭している。 LGBT関連のコミックの中でも、ゲイ男性向けのエロティックなジャンルは長い歴史を持っている。トム・オブ・フィンランドの筆名で知られるトウコ・ラークソネンは盛り上がった筋肉や巨大なペニスのように男性性が誇張されたイラストレーションを専門とするフェティッシュアート(英語版)作家で、「最初のゲイ漫画家」とされている。ラークソネンは欧州で1940年代から違法な性的コミックの通信販売をアンダーグラウンドで行っていた。1957年からは米国の男性ヌード誌(ビーフケーキ・マガジン(英語版))の『フィジーク・ピクトリアル(英語版)』にイラストレーションを寄稿した。1960年代にわいせつ法が緩和されると、ラークソネンのエロティカはゲイコミュニティや芸術界に受容されていった。ほかに初期の同性愛雑誌で活動していた作画家にはジョージ・クエンタンス(英語版)やドム・オレフドス(英語版)(筆名エチエンヌ)がいる。 1930年代から1950年代にかけて違法に出版されていたティファナ・バイブル(有名キャラクターを無許諾で使用するポルノ・コミック)には同性愛を描くものもあった。 ポルノグラフィ以外で最初にLGBTのテーマを扱い始めたのは、独立系の小出版社や自己出版によるアンダーグラウンドなコミックブックだった。それらは一般の流通経路に乗らず、商業作品のように内容の規制を受けなかった。アンダーグラウンド・コミック運動の火付け役となった『ザップ・コミックス(英語版)』誌の第3号 (1968) に掲載されたS・クレイ・ウィルソン(英語版)の “Captain Pissgums and His Pervert Pirates”(→飲尿船長と変態海賊団)は同性間の性行為を克明に描いており、ほかの漫画家がタブーの題材に挑戦するきっかけを作った。しかし初期のアンダーグラウンド・コミックは異性愛者男性が主体で、ゲイが登場するとしても奇妙な口調のカリカチュアか、コミカルな異性装者であるのが普通だった。 1969年に起きたストーンウォールの反乱とゲイ解放運動の高まりはLGBTコミックが描かれる土壌を作った。1972年に創刊されたフェミニズム系コミック誌の草分け Wimmen's Comix(英語版) 第1号には、ポルノグラフィではないコミックとして初めてオープンなレズビアンを描いた "Sandy Comes Out"(→サンディのカミングアウト)が掲載されていた。その作者トリナ・ロビンスが異性愛者であったことは、LGBT当事者を刺激して自分の物語を描くよう促した。刺激された中にはレズビアンテーマの単発コミックとして最初の Come Out Comix (1972) を描いたメアリー・ウィングズ(英語版)や、レズビアンを主人公とする最初の定期誌 Dynamite Damsels (1976) を発刊したロバータ・グレゴリー(英語版)らがいる。 カウンターカルチャー運動の流れを汲むアンダーグラウンド・コミックは1970年代半ばに衰退したが、ゲイコミックのサブカルチャーは保たれた。一般コミックブックの流通に乗った最初のゲイコミックとされているのは Gay Heartthrobs(英語版) 誌である。内容はキャンプなエロティカで、1970年代半ばに数号が発行されたが販売面で苦戦した。重要なシリーズとしては1980年にハワード・クルーズ(英語版)が発刊した Gay Comix(英語版) がある。LGBTの作家を集めたコミック誌でゲイ解放運動とは密接なつながりがあった。初期には恋愛やカミングアウト、社会的抑圧やセックスを題材にした自伝的な作品が中心だったが、後にはスーパーヒーローやゾンビのようなエンターテインメント寄りのテーマも扱うようになった。非主流のLGBTコミックについての情報も載せられていた。ハワード・クルーズはこの時期の「最も重要なゲイ漫画家」とみなされており、ゲイカルチャー外の『ヘビー・メタル』、Raw(英語版)、『ヴィレッジ・ヴォイス』などでもLGBTテーマの作品を描いていた。1995年に出版されたクルーズの Stuck Rubber Baby(英語版) は公民権運動の最中に育ったゲイの少年を主人公とする長編書籍で、主流文化に受け入れられた最初のゲイコミックの一つである。 1986年から2004年まで刊行された Meatmen(英語版) は多数の作画家や漫画家によるアンソロジー書籍のシリーズで、ハワード・クルーズ、ジェフ・クレル(英語版)、ブラッド・パーカー(英語版)、ジョン・ブラックバーン(英語版)、ジョン・メイシー(英語版)、トム・オブ・フィンランドら当時の重要なゲイ漫画家が寄稿していた。Meatmen はジェンダーバランスに注意が払われていた Gay Comics と比べて男性寄りの内容で、直接的な性描写や荒っぽい笑いが特徴だった。 1980年代以降に盛んになった自主制作コピー本(ミニコミック(英語版))シーンでは、Hothead Paisan: Homicidal Lesbian Terrorist(英語版) など、パンクのクィアコア(英語版)から影響を受けたLGBTQ+作家が一般的なゲイコミュニティよりもラディカルな作品を描いていた。 ゲイ解放運動とともに数多く創刊されたゲイ専門の出版物にはLGBTテーマを広く扱うコミックストリップが掲載されていた。ジョー・ジョンソンやショーン(英語版)らは初期からユーモア作品を描いていた。1980年代後半からはハワード・クルーズの Wendel 、ドネラン(英語版)の It's a Gay Life 、ティム・バレラ(英語版)の Leonard and Larry などが『アドヴォケート』のような全国的なゲイ雑誌に配信された。ニューオーリンズの Impact 紙に連載されたロン・ウィリアムズの Quarter Scenes など、地方紙が独自のコミック作品を掲載することもある。大衆文化におけるレズビアン表象の先駆的作品として特筆すべき作品に、LGBTコミックの元老と呼ばれるアリソン・ベクダル(英語版)によって1983年から2008年にかけて描かれた Dykes to Watch Out For(英語版)(→レズビアンに気を付けて)がある。同作は社会批判・政治批判に加えて多様な社会階級のキャラクターが登場することで知られている。ベクダルは2006年にクローゼット・ゲイだった父親との関係を綴った長篇メモワール『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』を出した。同書は『タイム』誌によって同年の一般書籍のベストに挙げられるなど主流メディアから高く評価され、LGBTを表現するコミックの新しい潮流を生み出した。ベクダル以降のコミックストリップ作品としては Chelsea Boys(英語版) や、実写映画化された The Mostly Unfabulous Social Life of Ethan Green(英語版) 、A Couple of Guys(英語版) 、Jane's World(英語版) が挙げられる。 2000年代にはウェブコミックの登場によってクィア・コミックはさらに活発になった。一般社会においてもクィア文化への関心が高まった。トランスジェンダーの作家がオープンに活動を始めたのはこの時期で、同性愛者よりもかなり遅かった。近年ではクィア専門ではないオルタナティヴ系出版社からもクィアなテーマを正面から扱った作品が出るようになった。2012年に漫画家ジャスティン・ホール(英語版)はLGBTコミックの歴史を振り返る書籍 No Straight Lines(英語版) を出版し、クィア文化が社会の主流文化に溶け込んでいく時代の流れと連動してほかのコミックとは別の並行世界に存在していたゲイコミックがほかの分野に浸透し始めたと書いている。 初期のコミックストリップは表立ってゲイを取り扱っていなかったが、クィアなサブテキストが読み取られている作品もある。ジョージ・ヘリマンによる『クレイジー・カット』(1913–1944) はネコとネズミとイヌが三角関係の恋愛を演じる作品で、主人公のクレイジーは性別があいまいにされておりジェンダークィアと見ることができる。ミルトン・カニフ(英語版)の Terry and the Pirates(英語版)(1938–1939年シリーズ)に登場する男装の女性悪役サンジャクは主人公のガールフレンドを狙っているレズビアンと解釈されることがある。 広く配信されるコミックストリップ作品で最初にLGBTテーマやゲイのキャラクターを描いたのはギャリー・トゥルードーの『ドゥーンズベリー』である。1976年に同作で登場したアンディ・リッピンコット(英語版)はゲイ男性で、1982年にゲイ解放運動家として再登場した。その後作中でHIVに感染し、1990年に死亡した。AIDSの問題がコミックストリップで扱われたのはそれが初めてだった。トゥルードーは一連のストーリーによりピューリッツァー賞のノミネートを受けた。一方で、同作を掲載していた900紙以上のうち3紙がこの展開を「悪趣味」だとして掲載を拒否した。それから2年後、以前から読者に親しまれていた別のキャラクターがゲイだったと明かされ、批判を恐れない作品という評価を固めた。 リン・ジョンストン(英語版)の『良かれ悪しかれ(英語版)』は1993年に主人公一家の隣人の少年がゲイをカミングアウトするストーリーを描いて激しい論争を招いた。反同性愛的な読者は掲載紙の購読停止を宣言し、ジョンストンは家族も含めて殺人予告を受けた。配信紙1400紙のうち40紙ほどが問題の回を差し替えるよう要求し、約20紙が連載を打ち切った。しかしやがてゲイ当事者やその家族から好意的な手紙が届くようになり、最終的にジョンストンが受け取った反応の7割がポジティブなものだった。同作は1994年にピューリッツァー賞時事漫画部門(英語版)最終選考作品に挙げられ、受賞は逃したものの「同性愛者少年のカミングアウトと家族や友人の反応をセンシティブに描いたこと」が選考委員会によって称えられた。 新聞配信作品に求められるのは穏当な家族向けの内容であり、通信社は漫画家に政治性を出さないよう求めたり、LGBTのキャラクターの数に上限を設けることがある。21世紀に入っても前世紀からあまり大きな変化は見られないが、Candorville(英語版) や『ブーンドックス』などは例外的にLGBTを大きく扱っている。保守的な傾向の作品 Mallard Fillmore(英語版) は批判的な切り口でゲイを取り上げることがある。雑誌は新聞よりも制約が緩く、マット・グレイニングの『ライフ・イン・ヘル(英語版)』などゲイの主要キャラクターを持つ作品の例がある。 「メインストリーム・コミック」とは、歴史的にコミックブック出版の主流を占めてきたスーパーヒーローものとその周辺のジャンル作品を意味する。 マーベル・コミックスとDCコミックスの2大出版社を中心とするメインストリーム作品は20世紀の大部分にわたってゲイの登場人物を排除しており、包摂性の欠如を批判されてきた。そのような状況をもたらした大きな原因は、1954年に精神科医フレデリック・ワーサムが書いた『無垢なる者たちへの誘惑(英語版)』である。当時のコミックが子どもに有害な影響を与えていると批判する内容の書籍で、問題とされた中に性役割の否定やヒーローの同性愛があった。ワーサムは女性の役割に従わないワンダーウーマンが男性嫌悪のレズビアンだと主張し、バットマンと助手のロビンの関係が子供を同性愛的なファンタジーに導くと書いた。ワーサムが招いた世論の高まりを受けて業界団体によってコミックス倫理規定委員会 (コミックス・コード) が設置され、事実上の検閲を行い始めた。不倫の美化や性描写などと並んで「一切の性的倒錯」が禁止事項に挙げられ、コミックス・コードの認可を受けたタイトルでは同性愛を描くことはできなくなった。しかし直接的な描写を避けることで暗にLGBTのテーマを描く作品もあった。初期の例には『キャプテン・アメリカ』の幼馴染の男性がゲイだったという1982年の作品がある。またヒーローやヴィランがSF的な手段で性転換するエピソードは実際のところよく描かれていた。 コミックス・コードの規制は時代とともに緩められていき、1989年にはLGBTの描写が可能になった。この時期、一般メディアでゲイとレズビアンの露出が飛躍的に増加するのと軌を一にして、メインストリームのスーパーヒーロー・コミックでも同性愛のキャラクターが登場し始めた。当初はサブ的な役割でしかなかったが、次第にストーリーの中心を占めるキャラクターも現れた。2010年代にその動きは加速し、ストーリーや題材の多様性も増した。2013年ごろには当時全米で議論を呼んでいた同性婚が率先して作中に取り入れられた。それを促進したマーベル・コミックス編集長アクセル・アロンゾ(英語版)は、スーパーヒーローという存在が他者と異なっていることにともなう試練と苦難の物語において、最も力強いメタファーとなると語っている。このトレンドは現実のLGBT人口比を作品に反映するものとして基本的に支持されており、LGBTのコミュニティやGLAADのような団体から歓迎されている反面、宗教右派団体など保守層からは批判を受けている。作品がアイデンティティ政治の場になっているとして反発するコミックファンもおり、特に既存のキャラクターの性的指向を変更する措置には議論が寄せられている。 クィア理論の分析によると、オルタナティヴ・コミックがLGBT文化の独自性を強調する一方、メインストリーム・コミックのLGBTキャラクターは異性愛中心の社会に同化しているように描かれる傾向がある。アリソン・ヤングは、メインストリーム・コミックには性的少数者の存在をストーリーで直接描く「統合主義的」なものと、バットマンとロビンの関係に密かにホモエロティシズム(英語版)を込めるような「同性愛規範的(英語版)」なものがあると書いている。 Encyclopedia of Gay Histories and Cultures (→ゲイの歴史と文化の百科事典)(2000) によれば、DCコミックスの作品にはゴールデンエイジ(英語版)(1930-1950年代)からすでにゲイのサブテキストが存在しており、当時の読者は女性だけで住むアマゾン族や、男性ヒーローとサイドキック(少年助手)の間に同性愛を読み取っていた。特にバットマンとロビンの関係は同性愛の観点からの関心(英語版)が持たれている。フレデリック・ワーサムは『無垢なるものへの誘惑』でバットマンのコミックは心理学から見ると同性愛的であると主張し、成熟した「バットマン」と若き友人「ロビン」の冒険にはほのかな同性間性愛の空気が漂っていると書いた。アンディ・メドハーストは、バットマンが「同性愛者とみなされて攻撃を受けた架空のキャラクターとして最初期の一人」であり、また「1960年代のテレビ版『バットマン』がキャンプ(同性愛的な美意識)の基準となった」という点でゲイから関心が深いと書いている。制作にかかわったクリエイターの多くはバットマンがゲイだということを否定しているものの、代表的なバットマン作家の一人フランク・ミラーは、バットマンが性衝動を犯罪との闘いに昇華したキャラクターであり、敵役ジョーカーはそれを脅かす同性愛恐怖の権化なのだという解釈を示している。 DCで初めて明確にゲイとして描かれたキャラクターは女性的なヒスパニック男性のヒーローエストラーニョ(英語版)である。1987年に登場して短期間活躍したが、オネエ風の言葉遣いや、HIVウイルスを武器とするヴィランに殺されるなど、戯画的ともいえる描き方だった。コミックス・コードの制約が解かれた1989年前後には、一般人キャラクターの同性愛者を共感的に描く作品が現れ始め、アマゾン族の間の同性愛が作中で言及された。成人読者向けシリーズ『ヘルブレイザー(英語版)』の主人公ジョン・コンスタンティンがバイセクシュアルだと発言する例もあった。『サンドマン』(1991) や『リージョン・オブ・スーパーヒーローズ』(1992) ではトランスセクシュアルのテーマが扱われた。1993年にはトランスジェンダーの原作者レイチェル・ポラック(英語版)が『ドゥーム・パトロール(英語版)』誌に起用されてLGBTテーマを多く取り入れた。 LGBTを大きく扱った作品で顕著なものとしては、『グリーンランタン』誌で主人公をサポートするゲイ男性がヘイトクライムの対象にされるストーリー (2002) がある。これにより同誌の原作者ジャッド・ウィニック(英語版)はGLAAD賞を2度、ゲイラクティック・スペクトラム賞を1度受賞したが、読者からは反発も寄せられた。バットマン型の自警主義ヒーローミッドナイター(英語版)と、その恋人でスーパーマン型の超人ヒーローアポロ(英語版)のように、主役級の扱いを受ける同性愛者のヒーローも現れた。2006年にはレズビアン女性のキャラクター(ケイト・ケイン(英語版))に伝統あるヒーロー名バットウーマン(英語版)が与えられ、一般メディアから注目を受けた。 DCは2011年に「THE NEW 52(英語版)」と銘打って全タイトル規模のリローンチを行った。このときレズビアンのバットウーマンが個人誌を得たほか、バイセクシュアルのアフリカ系女性を主人公にした『ヴードゥー(英語版)』も創刊された。グリーンランタンの一人で1940年代から活躍してきたアラン・スコット(英語版)もオープンなゲイ男性として再設定された。2015年には女性ヴィランコンビのポイズン・アイビーとハーレイ・クインが公式にノンモノガミー(英語版)な恋人同士とされた。2016年の新たなリローンチ「DCリバース(英語版)」では、DCの中心的なキャラクターの一人ワンダーウーマンがバイセクシュアルだと明言された。主要なヒーローの関連キャラクターにLGBTが割り当てられる例は多く、アクアマンのサイドキックであるアクアラッド(英語版)(2代目(英語版))、バットマンの弟子ロビン(3代目)、スーパーマンの息子で2代目のジョナサン・ケントがそれぞれゲイやバイセクシュアルだとされた。 マーベル・コミックスはDCと比べてLGBTテーマを取り入れるのに積極的ではなく、ゲイキャラクターの導入も慎重に行われてきた。ジム・シューター(英語版)が編集長を務めていた1980年代には「マーベル・ユニバースにゲイは存在しない」方針があったと伝えられている。時代が下って作品に同性カップルが登場し始めてからも、DCと異なり「成人向け」レーベルであってもキス以上の性的な描写は行われていない。 マーベルの中でも1963年に始まった『X-メン』シリーズは多様性と関係が深い。同作は超能力を持つミュータント(英語版)集団が一般人の偏見と闘う物語で、公民権運動のメタファーと解釈されて多様な読者の支持を集めてきた。クリス・クレアモント(英語版)が原作を書いていた1980年代以降は、明言されないながらもゲイ解放運動の要素がストーリーに取り入れられ、一部のキャラクターの間の同性愛を匂わせる描写も行われた。X-メン関連誌『アルファフライト』で1979年に登場したノーススター(英語版)はマーベルのメジャーなキャラクターで最初に公にされたゲイ男性である。作者ジョン・バーン(英語版)は当初から一貫して暗にノーススターをゲイとして描いていたが、同性愛を物語の焦点にしようという試みはジム・シューターから許可されなかった。明確なカミングアウトが実現したのは1992年の『アルファフライト』第106号のことだった。この号は社会変化の兆しとしてニューヨーク・タイムズ紙など一般マスコミによって報道された。その後もノーススターのセクシュアリティはあまり掘り下げられないままだったが、2012年の『アストニッシングXーメン(英語版)』第51号で恋人と結婚するところが描かれた。これはメインストリーム・コミックで最初の同性婚とされている。ほかにX-メン系列誌で早くから暗にLGBTとして描かれていたキャラクターにはキティ・プライドやレイチェル・サマーズ(英語版)、ミスティークがいる。 マーベルは2002年に成人読者向けインプリントのMax(英語版)から西部劇シリーズ『ローハイドキッド(英語版)』の新作を出した。マーベルはキッドを自社初のゲイの単独誌主人公として積極的にプロモーションしたが、作中ではゲイであることがほのめかされるばかりで明確な描写はなかった。同作は保守層から拒絶され、LGBTコミュニティからも微温性を批判された。『ローハイドキッド』以降マーベルは一時LGBTのレプリゼンテーションに及び腰になったという見方がある。キッド自身も実はゲイではなくそう装っていただけだと受け取れる公式の文章が出ている。 2003年、日本漫画を読んでいる層を対象にした新インプリントのツナミ(英語版)から『ランナウェイズ(英語版)』が発刊された。原作はブライアン・K・ヴォーン(英語版)による。多様なバックグラウンドを持ったティーンエイジャーを主人公とする異色作で、この時期のマーベルとしては珍しくLGBTのチームメンバーを大きく扱っていた。同作のテレビドラマ版も、LGBTQのレプリゼンテーションに消極的なマーベルの映像作品フランチャイズ(MCU)の中では特に目立つ存在となった。 2005年に創刊された『ヤング・アベンジャーズ(英語版)』誌は当初メンバーにゲイが2人含まれていた(ハルクリング(英語版)とウィッカン(英語版))。同誌の読者欄では一部の読者と作者の間でティーンのゲイヒーローの是非を巡って長い議論が行われた。同誌はマーベルで初めてGLAADメディア賞コミックブック部門を受賞している。2013年にリローンチされた『ヤング・アベンジャーズ』誌では、ミス・アメリカ(英語版)やロキなどほかのチームメンバーの多くもLGBTとして描かれた。原作者キーロン・ギレン(英語版)を始めとする制作チームは再びGLAAD賞を受けた。 2015年4月、『X-メン』の古参メンバーアイスマンがゲイだったというストーリーが発表された。2017年にアイスマンは初の単独レギュラー誌を与えられ、ヒーロー活動とともにオープンリー・ゲイ男性としての生活が語られた。同誌は読者からヘイトを向けられ、2018年初頭に打ち切られたが、同年中に再創刊がアナウンスされた。この時期にもクィアなキャラクターが単独主人公となるマーベル作品は多くなく、アイスマンやアロマンティック(英語版)・アセクシュアルのワスプ(英語版)などがあるのみである。 2010年9月、アーチー・コミックスは『ヴェロニカ(英語版)』誌第202号で初めてオープンリー・ゲイの少年ケヴィン・ケラー(英語版)を登場させた。「アーチー」は設定や人間関係がほとんど変化しない長寿シリーズだが、同社経営者ジョン・ゴールドウォーターはアーチー・コミックスの世界を今日的でインクルーシヴなものにするためという意図を語った。ケヴィンはファンに受け入れられ、スピンオフ誌が発刊されたほか、成人後に同性婚を行うエピソードも描かれた。 1980年ごろからコミック専門店市場の成立によって小規模なインディー・コミックの商業出版が可能になり、『エルフクエスト(英語版)』(1978) や『ラブ・アンド・ロケッツ』(1982) など、LGBTを扱う多様なジャンルのコミックが世に出はじめた。コリーン・ドラン(英語版)は日本の漫画やアニメから影響を受けた漫画家として最初期の一人で、ゲイ同士の恋愛ドラマ A Distant Soil(英語版) (1979) によってゲイラクティック・スペクトラム賞に何度もノミネートされている。テリー・ムーア(英語版)が自己出版するロマンチックコメディ Strangers in Paradise(英語版) (1993) は暗い過去を持つレズビアン女性と親友の女性の関係を描いた作品で、アイズナー賞やGLAAD賞を受けている。 1990年代にはマリブ・コミックス(英語版)、イメージ・コミックス、IDWパブリッシング、やや遅れてダークホース・コミックスのようにメインストリーム・コミックの二大巨頭に迫る規模のインディー出版社が現れた。それらの出版社はコミックス・コードに準拠せず、作者に創作上の自由を与えたため従来よりもLGBT要素を含む作品が多かった。GLAAD賞を受けたイメージの Rat Queens(英語版) は「女性キャストによる『指輪物語』」とされるファンタジー作品で、主人公の一人にレズビアンのハーフリングがいる。LGBTの中でもトランスセクシュアルはメインストリーム・コミックで扱われることが少ないが、ブーム!スタジオズ(英語版)は2014年に Lumberjanes(英語版) などで全年齢向け作品として初めてリアルなトランス女性の主人公を登場させた。 21世紀には、コミック専門店で売られるコミックブックと並ぶ新たな出版形態として、一般書店で売られるコミック書籍(グラフィックノベル)が急速に伸長した。メインストリーム・コミックがスーパーヒーローやユーモアものを中心としているのに対し、グラフィックノベルではジャンルが限定されず、自伝のようなノンフィクションや文学的な作品も描かれている。この出版カテゴリからは各国でLGBTを扱った作品が増加傾向にある。一般の文芸出版社がこの分野に進出することも多く、伝統的に男性が多数を占めている従来のコミック界を選ばず書下ろしグラフィックノベルで作品を発表するLGBTQのコミック作家も増えている。従来のコミックブックが対象読者としていなかったヤングアダルト以下のジャンルでも、ケイ・オニール(英語版)の The Tea Dragon Society(英語版) やティリー・ウォルデン(英語版)の On a Sunbeam(英語版) などのクィアなグラフィックノベル作品が注目されている。 コミック作家やキャラクターにLGBTが目立ち始めるとコミックファンダムでもそれに対応する動きが現れた。コミコンやゲイラクシーコン(英語版)のようにコミックやLGBTのコンベンションでは関連するパネルがよく開かれており、LGBTコミック専門のブースもある。2015年にはLGBTQコミックギークの大規模なコンベンションであるフレームコン(英語版)が設立された。1997年に開設されたゲイリーグのようにLGBTのコミックファンが交流するオンラインコミュニティもある。2003年設立のプリズム・コミックス(英語版)はLGBTのコミック作家や業界関係者、ファンのネットワークとなるNPOであり、Web上でオウンドメディアを運営している。 GLAADメディア賞は1992年にコミックブック部門を設置した。それ以来、DCのフラッシュを皮切りに『グリーンランタン』や『オーソリティ(英語版)』、マーベルの『ヤング・アベンジャーズ』などのメインストリーム作品が同賞を受けてきた。しかしこれらの授賞はLGBT当事者のファンや作家から作品内容より話題性を重視しているという批判も行われている。ゲイラクティック・スペクトラム賞(英語版)はSF、ファンタジー、ホラー作品を対象にした賞で、「その他の作品」部門にコミックも含まれている。ラムダ文学財団(英語版)は1988年以来LGBTテーマの文学賞を授与しており、2013年にグラフィックノベルを対象に含めた。プリズム・コミックスは2005年から「クィア出版助成金」によってLGBTコミックの制作・出版を支援している。 欧州大陸の漫画はテーマ、語り方、視覚的にショッキングな題材において米国より自由だとされている。コミックス・コードに当たるものが存在しないため、米国と比べるとLGBTテーマを取り入れることへの批判は少ない。米国人漫画家が描きたいものを描くためにヨーロッパで活動することを選ぶ例もあり、スタン・ドレイク(英語版)とレオナルド・スター(英語版)がフランスで出版した Kelly Green (1982–93) は、ゲイ男性を誘惑するため女性主人公を男装させたり、ゲイの脇役を出したりしていた。1980年代半ば以降、欧州コミックは米国コミックの人気に後塵を拝している。漫画の社会的認知や産業規模で米国や日本に並ぶのはフランスだけである。 20世紀初頭、フランスとベルギーの漫画(バンド・デシネ)は子どもの読み物とみなされていた。そのため大人向けのテーマや性的なテーマは少なくとも1960年代まで制限されていた。しかし、初期の子供向けバンド・デシネ『タンタンの冒険』や『アステリックス』、『アリックス(英語版)』は読者から性的ないしLGBT的なサブテキストを読み取られていた。ただし2009年にタンタンシリーズの主人公がゲイに見立てられたときには、作者エルジェのスタジオ(英語版)が否定の声明を出している。ジャック・マルタン(フランス語版)による歴史漫画の名作『アリックス』も、同性間の親密な関係を扱っていたり、10代の少年の全裸が描かれるなど、現在の目から見て同性愛的なサブテキストが読み取れると評されているが、やはり作者マルタンは否定している。 1960年代にはタブーを打破しようとする作品も現れたが、バンド・デシネが子供のためのものだとする1949年の法律によって直接的に性を描くことは禁じられていた。1964年に刊行された『バーバレラ(英語版)』アルバム(単行本)は裸体の絵を修正しなければならなかった。1960年代の後半にはバンド・デシネが大人の芸術形式だという見方が広まり、1970年代には主流紙が社会批評や風刺を描いた作品を掲載するようになった。しかし依然として「ポルノグラフィ」として発禁にされるアンソロジー誌もあった。 1970年代にバンド・デシネを描き始め、1992年にアングレーム国際漫画祭グランプリを受賞したフランク・マルジュラン(フランス語版)の代表作「ルシアン(フランス語版)」は労働者階級の異性愛者男性を主体にしたユーモア作品だが、主要登場人物の男性性を強調する文脈でステレオタイプ的なLGBT描写を行っていた。文学者集団の中でゲイがファッショナブルに見られているという風刺もあった。 ファブリス・ノー(フランス語版)が1994年から長期にわたって描き続けた Journal(→日誌)は、フランスの小都市で芸術家の卵として活動するゲイ男性の生活を通じてレプリゼンテーション、アイデンティティ、創作活動のようなテーマを追求した作品で、コミック研究者バート・ビーティによってこれまで出版された中でもっとも野心的な自伝コミックの連作と評価されている。同作は1997年にアングレーム国際漫画祭新人賞を受け、2010年には漫画際の会場で回顧展が開かれている。 ベルギーの漫画で同性愛者のキャラクターは2010年代にいたるまで脇役としても少数にとどまっている。ヤンやジャン・デュフォー(フランス語版)のような原作者は一般向け作品に同性愛者やバイセクシュアルのキャラクターを取り入れている。トム・ブーデン(英語版)は同国の重要なゲイコミック作家で、ゲイシーンを描いたギャグ漫画 Flikkerzicht で知られている。トランスジェンダーが扱われることはさらに少ないが、Benoît Feroumontの Giselle & Beatrice (2013) は魔法によるジェンダー転換を題材にしたユーモア作品である。 スペインの漫画は米国コミックと比べて型にとらわれず多様だとされている。スペインのコミックブック出版は1980年代の初めにブームを迎えた。フランシスコ・フランコの独裁政権の終わりとともに訪れたカウンターカルチャーの機運(モビーダ・マドリレーニャ(スペイン語版))と同時期のことだった。ナサリオ・ルケ(スペイン語版)による Anarcoma はゲイで異性装者の探偵を主人公にしたノワールで、セクシュアリティやジェンダーについての社会通念に挑戦していた当時のコミックを代表する作品とみなされている。掲載誌 El Vibora(スペイン語版) は同性愛やトランスジェンダー売春のようなテーマを中心としており、アンダーグラウンド指向を強く持ちながら広い読者層から支持されていた。ただし、クィア芸術(英語版)の研究者ヘマ・ペレス=サンチェスは、スキャンダラスな性描写と女性嫌悪を売り物にしていた同誌は男性中心文化を脅かすものではなく、同時期に Madriz(スペイン語版) 誌でクィア思想やフェミニズムを表現していたコミック作品の方が大きな文化的影響力があったと書いている。 オープンリー・ゲイのラルフ・ケーニヒ(ドイツ語版)はドイツ国外でもっともよく知られているドイツ人漫画家であり、欧州を代表するクィア漫画家とみなされている。同性愛者と異性愛者が互いに持つ偏見をアイロニックに描くユーモア作品で知られており、代表作にゲイカップルを主人公にした "Konrad und Paul" などがある。ケーニヒは1970年代にミュンヘンのアンダーグラウンド誌 Zomix やゲイ雑誌 Rosa Flieder にゲイシーンを題材にしたコミックストリップを描き始めた。1981年にゲイ出版社 Verlag rosa Winkel から SchwulComix(→ゲイコミックス) などのコミックブックを出し始め、1987年には長編 Kondom des Grauens(→キラーコンドーム)を描いた。当初はカルト的な人気でしかなかったが、大手出版社から出した Der bewegte Mann (1987) とその映画版がヒットしたことで一般に認知されるようになった。2012年時点でケーニヒの作品は14の言語に翻訳されて500万部以上が発行されており、複数が映画化されている。 英国のコミックは20世紀の大部分にわたって子ども向けのメディアと見なされており、成人向けの内容は描かれなかった。読者の年齢層が高いバイオレントなコミック誌 2000 AD(英語版) は例外の一つである。同誌初のオープンリー・ゲイの主人公は1992年に登場した吸血鬼ハンターのデヴリン・ウォーである。同誌で人気を集めていたマッチョで荒々しいジャッジ・ドレッド(英語版)の対極として作られたキャンプで気障なキャラクターだった。 ロシアのコミック文化は1990年代にスキャンレーションとして流入した日本漫画に大きな影響を受けており、2000年代半ばには百合やボーイズラブといったジャンルの作品がファンによって描かれるようになった。レズビアンの恋愛を題材にしたアンナ・ルッドの Клуб (→The Club)(2016) から商業出版への進出が始まり、2019年には主流の書籍出版社からスラブ民話に題材をとったやおい作品 Immortal が出た。しかしこれらの動向はロシア社会の「政治化されたホモフォビア」によって強い圧力を受けている。2013年に成立した同性愛宣伝禁止法は「非伝統的な性的関係」の表現を規制するもので、子供向け作品でLGBTを描くことは違法とされた。2022年には大人向け作品も規制対象に含められた。 英語圏の国々や多くのアジア国家と比べると、日本では年齢制限のないポップカルチャーでセクシュアリティやジェンダーを扱うことに法的・慣習的な制約が少ない。これは日本国外のLGBT当事者が日本の漫画に惹かれる理由の一つとなっている。 『日本のゲイ・エロティック・アート』を著した漫画家田亀源五郎によると、日本のゲイアートの源流は戦後の性風俗雑誌である。その中でも特に男性同性愛を大きく扱っていた『風俗奇譚』(1960-1974) は、米国のジョージ・クエンタンスやトム・オブ・フィンランドのほか、三島剛(英語版)、平野剛(英語版)、大川辰次(英語版)などによるエロティックなイラストレーションを掲載していた。これら第一世代のゲイアート作家は共通して表情に愁いを帯び、どこか情念的な翳りのようなものを秘めている(田亀)日本的な美学を感じさせる男性を描いていた。1971年には最初のゲイ専門商業誌『薔薇族』、続いて『さぶ』や『アドン』が創刊され、三島らに活躍の場を提供した。1980年代になると欧米ゲイ文化の影響やフェティシズムの細分化といった流れの上で多様な作風の第二世代アーティストが現れ、初期にあった翳りのようなものは薄れていった。 初期のゲイ雑誌はグラビアと文通欄が主力で漫画は重視されていなかった。ストーリー漫画が掲載され始めたのは1970年代後半のことだった。当初は少女漫画に影響を受けた作品が多く、やがてエロティックな劇画風の作品も現れた。初期の代表的な描き手には山口正児や海藤仁、山川純一、竹本小太郎などがいる。ゲイ外の雑誌で活動していた南伸坊、吉田光彦、土屋進のような漫画家が寄稿することもあった。1990年代には一般メディアで「ゲイブーム」が起き、LGBTの存在が社会的に認知され始めた。ゲイ雑誌界においても従来の雑誌に代わって『Badi』や『G-men』のようにゲイのライフスタイルや社会的な話題までを広く扱う新興誌が現れ、掲載される漫画のテーマも広がっていった。これらの専門誌はゲイの交際相手を探すための媒体という側面が強かったが、後年にはインターネットによってその役割を奪われ、2020年までにほとんどが発行を止めた。ゲイ男性向けのハードコアポルノは同人誌が主要な発表の場となった。 レズビアン向けの商業誌はゲイ雑誌ほど市場が大きくなく、1995年の『フリーネ』以降数誌が創刊されたがいずれも短命に終わっている。 ゲイ雑誌に掲載される漫画は 8–24ページの読み切りが典型的だった。内容は雑誌や時代によって一定せず、1990年代後半の『G-men』や『さぶ』がもっぱらプロットに乏しいポルノを載せていた一方、2010年ごろの『Badi』誌では日常系・ユーモア・エロのように幅広いジャンルの作品が見られた。一般の出版社や同人誌、インターネットのように発表媒体が多様化していくと自伝的・内省的な作品も増えていった。1980年代から2010年代にわたる作品の分析によると、ゲイの恋愛を描いた作品では1990年代まで社会的抑圧によるゲイ・アイデンティティの揺らぎを扱う作品が多かったが、それ以降は異性愛社会の存在が後景化し、ゲイコミュニティ内のドラマが主体となった。 田亀源五郎は日本のゲイ漫画史で大きな役割を果たした漫画家で、「マッチョのファンタジー」を好むゲイ男性向けの『G-men』誌の創刊と編集にも携わっていた。初の長編『嬲り者』(1994) はゲイ漫画の単行本として画期的なヒットとなった。筋肉質な男性間の支配関係や拷問といった田亀のSMエロティカは追随者を多く生み出した。ゲイアート作家として世界的に高く評価されており、ゲイアート史に関する著作もある。2014年からは一般のコミック誌でも活動を始め、異性愛者が同性愛者の家族と向き合う様子を描いた『弟の夫』(2014) によって日本国内外で多くの賞を受けた。そのほか代表的なゲイ漫画家には児雷也や山田参助が挙げられる。 山川純一は1980年代に『薔薇族』に描いていたがゲイの間ではほとんど話題にならずに消えた漫画家だった。2000年代初頭にインターネット掲示板で山川の短編「くそみそテクニック」(1987) をコメディとして読むことが流行し、同性愛を笑う「野獣先輩」などのミームの先駆けとなった。山川は一般のサブカルチャーファンに広く知られるようになり、2023年には作品のアニメ化が発表された。 男性同性愛を描くやおい(ボーイズラブとも)や女性同性愛を描く百合(ガールズラブとも)は1970年代の少女漫画から派生したジャンルで、現在ではさまざまな媒体に広がっている。日本国外でも多くの言語でオリジナルのやおいや百合作品が描かれている。 同性愛を最初に描き始めたのは竹宮恵子、萩尾望都、山岸涼子など「24年組」と呼ばれる女性漫画家の集団だった。初期の代表的な作品には、フランスの男子中学生の同性愛関係を描いた『風と木の詩』(1976)、ドイツのギムナジウムを舞台にした『トーマの心臓』(1974)、聖徳太子を再解釈した『日出処の天子』(1980) があり、いずれも現代日本とはかけ離れた舞台設定で中性的な美少年を中心に据えていた。これらは少女漫画に「少年愛」という美意識を植え付けたのに加えて、漫画表現の上でも文学的な内面描写を発展させ、男性も含めた漫画ファンに広く注目された。 1978年に創刊された『JUNE』(当初は『Comic JUN』)は男性同性愛を中心とする女性向け商業誌の草分けで、文学とポルノグラフィ的な少年愛表現を組み合わせた「耽美系」と呼ばれるジャンルを生み出した。幅広い背景の漫画家が参加していたが、同誌の作風を方向づけたのは竹宮恵子と小説家の中島梓だった。『JUNE』は読者参加型の投稿誌という性格が強く、竹宮らの創作教室コーナーからは西炯子、津田雅美、羅川真里茂など次世代の漫画家が輩出されている。 1970年代半ばは漫画同人誌文化が開花した時期でもあった。後に数十万人規模に成長する同人誌即売会コミックマーケットは1975年にはじまったが、そのころから参加者の多くを女性が占めていた。「やおい」という言葉は坂田靖子や波津彬子らの同人活動の中から生まれ、男性同性愛を描くジャンルという意味で定着した。1978年ごろには『闘将ダイモス』のような男児向けアニメ作品の男性登場人物を用いた性的な二次創作(アニパロ)が同人作品の主流となり、1980年代半ばには『キャプテン翼』ブームによって爆発的に発展した。この時期に活躍していた同人作家に高河ゆんやCLAMPがいる。同人出身の尾崎南が一般少女誌に連載したやおい作品『絶愛-1989-』(1989) は国際的なヒットとなった。 1990年代には商業出版社が大々的にこのジャンルに参入し、同人作家を起用してオリジナルの作品を出版するようになった。「ボーイズラブ (BL)」というラベルはここで登場した。非日常的な舞台設定ではなく学校生活のような身近な題材が増え、耽美系に見られた家庭内の葛藤や孤独といったテーマは薄れて、「萌え」や明るいセックスを描く作風が人気を集めた。ここまでに成立した、2人の男性が出会いから関係を深めてハッピーエンドに至る物語の型が2020年代まで商業BLの主流となっている。その一方でジャンルの発展とともにテーマの深化や設定の多様化も進んでおり、トランスジェンダーやオネエといった従来避けられていた属性や、オメガバースのような新しいサブジャンルが登場している。2000年代以降はよしながふみのようにBL出身で一般誌にも描く漫画家が現れ、ドラマCDやゲーム、舞台、アニメのように幅広いメディアのエンターテインメントにBLの要素が浸透した。BLの中でも突出したヒット作である『純情ロマンチカ』(2003) は、関連書籍の累計発行部数が1500万部を超え、多方面にメディア展開されている。2010年代には男性間の恋愛をテーマにした漫画原作のドラマが複数放映されている。 百合的な関係性は少女漫画の黎明期において学校の先輩後輩間の結びつき(エス)という形ですでに描かれていた。明確な女性間の恋愛は1970年代に山岸涼子らによって描かれ始めた。しばらくは狭いサブジャンルにとどまっており、定型的な悲劇のストーリーが踏襲され続けていたが、90年代に入ると女性性や同性愛を肯定的に捉えた作品がメジャーになっていった。小中学生向けの少女誌で連載されたヒット作『美少女戦士セーラームーン』もその流れにある。2000年代には少女小説『マリア様がみてる』によって男性読者も巻き込んだ百合ブームが起き、専門誌『コミック百合姫』(2005) も創刊された。2010年代にはエンターテインメントのジャンルとしての百合やガールズラブが定着した一方で、レズビアンの自認を持つキャラクターが描かれることが多くなり、自伝やエッセイ的な作品も描かれている。 日本のファンはボーイズラブをファンタジーとみなし、現実の同性愛を取り巻く問題を反映させることを好まない傾向がある。社会的なホモフォビアが描かれる場合にもメインキャラクターの愛情の純粋さを示すためのプロット装置とされるのが一般的である。レイチェル・ソーン(英語版)はやおいが基本的にロマンス物語として読まれており、政治的なテーマは読者にとって興ざめなのではないかと書いている。ジャンルそのものの登場人物の描写がステレオタイプ的・同性愛嫌悪的であり、ゲイに関する問題を無視していると批判されることもある。溝口彰子は、登場人物が自分は異性愛者だと主張したり、同性間に「攻め・受け」といった疑似的なジェンダー役割が割り当てられる従来のやおい作品にはホモフォビアや異性愛規範の要素があると指摘している。その一方、批評家の中にはやおいがクィアな価値観を提示しており、日本社会のジェンダー規範やセクシュアリティ規範に挑戦しているという者もいる。藤本由香里は少女漫画で発生した少年愛を現実社会のジェンダーの抑圧、性に対するさまざまな忌避から逃れるための装置としており、ポルノグラフィ的なやおいへの発展を少女たちが「性を遊ぶ」ことを可能にし、受動から能動へと視点を転換させる可能性を開いたと書いている。溝口は2000年代以降ジャンルそのものについて自覚的・内省的な作家によって社会的なミソジニー、ホモフォビア、異性愛規範を克服することを目指す「進化形のBL」が描かれ始めたと主張している。 初期の少年愛作品では筋肉やひげのような生々しい男性の肉体の描写はタブーとされており、現実的なゲイを描くことは志向されていなかった。1992年にゲイ活動家の佐藤雅樹は当時のやおい同人作品がゲイの性を商品化しており男性同性愛者を、異性愛社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込める抑圧的な表現だと批判して、実作者やファンの間に「やおい論争」を引き起こした。ただし実際にはやおいとゲイ漫画のファンは初期から一部で重なっていた。ジャンルの成熟と多様化とともにリアリズムを取り入れる女性向け作品も増え、作家・作風の越境が進んでいる。LGBT当事者の側にオタク文化が浸透し、一般のコミックファンとの意識の差が小さくなった面もある。 大手出版社による漫画雑誌文化が確立する以前の貸本漫画ではとみ新蔵、辰巳ヨシヒロ、上村一夫、宮谷一彦のような作家が同性愛や異性装の題材を描くことがあった。青年劇画誌がブームになった1970年代半ば以降に中小出版社から乱立されたエロ劇画誌には、宮西計三やひさうちみちおらによるホモエロティックな作品が載っていた。しかしこれらは個別の作家による創作活動で、少女漫画のように大きなムーブメントが生まれることはなかった。 一般の男性向け作品で同性愛は笑いの種とされるのが普通だった。丁寧語や女言葉でしゃべったり「乙女の心を持つ」とされるなど、同性愛男性のステレオタイプに沿った「オカマキャラ」には、ギャグ漫画では『マカロニほうれん荘』(1977) の「きんどーさん」、冒険ものでは『ドラゴンボール』(1984) のフリーザ、『ONE PIECE』(1997) の「カマバッカ王国」といった例がある。それらはキャラクター類型の一つとして少年向け作品で長年にわたって使われたが、具体的な性的指向については強く匂わされるばかりで、同性愛を正面から描くことは避けられていた。21世紀に入ると性的少数者の描写にはもっと繊細な取り扱いが要求され始めた。 少年誌では『ストップ!! ひばりくん!』(1981)、青年誌では『変』(1991) を皮切りにジェンダーやセクシュアリティのゆらぎを扱う作品が描かれ始めた。『ストップ!! ひばりくん!』の作者江口寿史は「女の子のように可愛い男の子」が少年の恋愛対象となることを当初ギャグとして発想したが、その可愛さは読者にストレートに受け入れられ、男女を問わず高い人気を集めることになった。同作は後に「男の娘」と名付けられる性別越境の先駆けとされており、当時の女装愛好者の間でも影響が大きかった。それ以降、1980年代から1990年代にかけては『らんま1/2』(1987)、『ふたば君チェンジ♡』(1990)、『♂ティンクル♀アイドル☆スター』(1990) のように主人公が性転換したり、異性装を行うジャンルが少年誌で連載された。特にファンタジーやユーモアの要素がある場合には性役割の規範が弱かった。2000年代初頭、ゲームやアダルト漫画で女装少年キャラクターがブームとなり、少年誌でも『ハヤテのごとく!』(2004) 以降に女装主人公のジャンルが定着した。2010年代には「男の娘」の呼び名が一般に浸透し、『わぁい!』(2010) など専門のコミック誌が創刊された。隣接するトランスセクシュアルのジャンルも一部で活性化した。ただし「男の娘」表象は多数派である異性愛男性に支えられており、男性に課せられる社会的規範を逃れたいという欲求に基づくが異性愛制度を否定するものではないと評されている。この時期にはまた性自認や性的指向と切り離されたファッションやコスプレとしての女装が社会的な認知を得るようになった。 2010年代にはジェンダーマイノリティへの社会的認知が進み、LGBT当事者の目線から描かれた作品が増えた。『きのう何食べた?』(2007) は青年誌でリアルなゲイの生活を描いた作品として画期的だった。2014年の『弟の夫』はニッチなゲイ作家だった田亀源五郎の青年誌進出作として注目を集めた。空想的なファンタジーではなく普遍的な思春期の悩みの一つとして性自認を扱う作品はこのころのトレンドで、『放浪息子』(2002) を嚆矢として『青のフラッグ』(2017) や『ボーイズ・ラン・ザ・ライオット』(2020) などが描かれている。2016年、トランスジェンダー男性を主人公にしたスポーツ漫画『ECHOES』が宝島社の新人賞『このマンガがすごい!』大賞を受賞した。性選択をテーマにしたSF『境界のないセカイ』(2014) は、批判の可能性を恐れた講談社の意向で連載中止になり(後にKADOKAWAで復活)、LGBT団体やメディアから過剰な自主規制を懸念する声も上がった。2010年代後半にはトミムラコタ、新井祥などLGBT当事者によるエッセイ漫画が数多く出版されている。 男性向けのアダルト漫画にはトランスジェンダーもしくはインターセクシュアルの男性キャラクターが性的欲望の対象とされたり、受動的なセックスのファンタジーの主役となるジャンルがある。その源流は米国産のポルノグラフィに見られるシーメールだが、日本のエロ漫画に移入されるとふたなり、性転換、女装、ショタのように多彩なサブジャンルが生み出された。永山薫によるとそれらは特定の性的指向や性自認と結びついたものではなく、男性読者が一時的に女性性を疑似体験するためのエンターテインメント表現であり、その背景には戦後一貫して進行するマチズモの崩壊とそれに伴う、性的嗜好の多様化、細分化があるという。純然たる男性間の性行為を描いたゲイ向けのエロ漫画とは読者層が異なり、男性の作家・読者の間には同性愛忌避も根強い。 漫画というメディアを用いてLGBTと関連するセーフセックスなどの問題を啓発する試みも行われている。AIDSを題材にしたコミックストリップ形式の作品はフランスの Liberation 誌に1986年に掲載されたイラストレーションにまでさかのぼる。同作は単純な人物図を用いて危険な行為を説明していた。英米では1987年と1988年に Strip AIDS(英語版) が刊行されている。政治運動としての出版物にはアラン・ムーアによる AARGH(英語版) がある。英国政府が提出した「同性愛の奨励」を禁じる法案に抗議するためのもので、英国、米国、カナダの一流漫画家が寄稿していた。これらの作品はコミックという形式とユーモアによって一般的な教材よりも肯定的なメッセージを伝えると評されている。AIDS予防を訴える内容のフィクション作品としては、フランス語の La Sida(→The AIDS)(1995) が良く知られている。アルフレッド・フルニエ研究所から "Prevention Sourire" シリーズの一環として発行された子供向けの作品で、HIV感染を「緑色の小さなモンスター」で比喩的に表すようなユーモアによって題材が和らげられている。南アメリカの作家ハイメ・コルテスによる Sexile はHIV感染予防の啓蒙家でトランスジェンダーのアデラ・ヴァスケス(英語版)をモデルにした作品で、AIDSプロジェクト・ロサンゼルス(英語版)から英語とスペイン語で発行された。ジェンダー自認や性体験、キューバ革命政権下での抑圧、HIV/AIDSへの意識向上が語られる内容だった。 それらの啓発的なコミックは、HIVを伝統的な異性愛への脅威として描くことを優先するあまり同性愛を周縁化しており、LGBTコミュニティにとってのHIVの重要性という観点が欠けていると批判されてきた。問題の大元にあるのは、コミックが子供のメディアだという通念があるため社会の主流である異性愛規範に沿って描かなければならず、LGBTと自認する子供が自己投影できるキャラクターを登場させられない点だとされている。スイスの啓蒙的なコミックブック Jo (1991) なども対象年齢が高いにもかかわらず同性愛を明示的に描いていない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本項では漫画におけるLGBTについて述べる。漫画出版が盛んないずれの国においても初期にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のテーマが表立って描かれることはなく、受け手の解釈によって読み取られるのみだった。やがて20世紀後半から21世紀の初めにかけてLGBTのキャラクターが包摂され始め、カミングアウトの困難さ、社会的な偏見、ゲイ同士の恋愛といった題材も描かれるようになった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "各国の漫画はLGBTのテーマにそれぞれ異なるアプローチを取ってきた。米国のコミックブック出版では1954年から1989年までコミックス倫理規定委員会(コミックス・コード)が自主規制を行っており、少しでも同性愛を感じさせる描写は行えなかった。キャラクターの性的志向や性自認を描くにも遠回しにほのめかすか、サブテキストとして暗黙の裡に示すしかなかった。1970年代に至って、コードに準拠しないアンダーグラウンド・コミックの中からLGBT当事者による自伝的・政治的な作品が現れ、独立したゲイコミックの文化が発展した。新聞配信のコミックストリップでも1970年代後半からオープンリー・ゲイのキャラクターが登場し始め、1980年代を通して一般化していった。コードの規制が緩和された1990年代以降にはコミックブック出版で主流のスーパーヒーロー作品でも現代的なLGBTの描写が見られるようになり、ゲイのキャラクターをメインにしたタイトルも数多く創刊された。2010年代には多様な出版形態によるLGBTQコミック全般が「コミックでもっとも急速に発展している分野」と呼ばれている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ヨーロッパでは言語ごとの市場が小さく、ニッチなゲイコミックが米国のように発展することはなかった。とはいえ、フランス、スペイン、ドイツ、オランダなど各国で重要なLGBT漫画の作家が活動している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本では1970年代に異性愛女性が読む少女漫画の中から同性愛を描く作品が登場し、ボーイズラブやガールズラブと呼ばれる独自のジャンルへと派生して漫画同人誌文化や商業メディアに幅広く浸透していった。ただしそれらの作品は同性愛を理想化する傾向があり、必ずしもリアルなLGBTを描くものではなかった。少年漫画・青年漫画でもやや遅れてジェンダーのゆらぎを描く作品は描かれている。また異性愛男性向けアダルト漫画において性的ファンタジーとしての間性的なキャラクターが描かれることも多い。ゲイ当事者によるゲイ漫画(英語版)は1980年代から商業的な同性愛雑誌で発表され始めた。1990年代に一般メディアで「ゲイブーム」が起きて以降はLGBT当事者による自伝的な作品も現れ、2010年代後半からは一般誌でLGBTテーマが扱われることが増えた。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "米国の漫画は19世紀末に新聞紙上のコミックストリップとして生まれ、1930年代にコミックブック形式の漫画出版が成立した。コミックブックは32ページ前後の定期刊行物で、現在では主に専門のコミックショップで売られている。これらは別個の出版文化であって、一般紙誌に掲載されるコミックストリップは読者層が広くジャーナリズムの要素も持つ一方、コミックブックは若者のサブカルチャーと見なされがちである。さらに近年の新たな流れとして書店で販売される書籍形式のグラフィックノベルが台頭している。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "LGBT関連のコミックの中でも、ゲイ男性向けのエロティックなジャンルは長い歴史を持っている。トム・オブ・フィンランドの筆名で知られるトウコ・ラークソネンは盛り上がった筋肉や巨大なペニスのように男性性が誇張されたイラストレーションを専門とするフェティッシュアート(英語版)作家で、「最初のゲイ漫画家」とされている。ラークソネンは欧州で1940年代から違法な性的コミックの通信販売をアンダーグラウンドで行っていた。1957年からは米国の男性ヌード誌(ビーフケーキ・マガジン(英語版))の『フィジーク・ピクトリアル(英語版)』にイラストレーションを寄稿した。1960年代にわいせつ法が緩和されると、ラークソネンのエロティカはゲイコミュニティや芸術界に受容されていった。ほかに初期の同性愛雑誌で活動していた作画家にはジョージ・クエンタンス(英語版)やドム・オレフドス(英語版)(筆名エチエンヌ)がいる。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1930年代から1950年代にかけて違法に出版されていたティファナ・バイブル(有名キャラクターを無許諾で使用するポルノ・コミック)には同性愛を描くものもあった。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ポルノグラフィ以外で最初にLGBTのテーマを扱い始めたのは、独立系の小出版社や自己出版によるアンダーグラウンドなコミックブックだった。それらは一般の流通経路に乗らず、商業作品のように内容の規制を受けなかった。アンダーグラウンド・コミック運動の火付け役となった『ザップ・コミックス(英語版)』誌の第3号 (1968) に掲載されたS・クレイ・ウィルソン(英語版)の “Captain Pissgums and His Pervert Pirates”(→飲尿船長と変態海賊団)は同性間の性行為を克明に描いており、ほかの漫画家がタブーの題材に挑戦するきっかけを作った。しかし初期のアンダーグラウンド・コミックは異性愛者男性が主体で、ゲイが登場するとしても奇妙な口調のカリカチュアか、コミカルな異性装者であるのが普通だった。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1969年に起きたストーンウォールの反乱とゲイ解放運動の高まりはLGBTコミックが描かれる土壌を作った。1972年に創刊されたフェミニズム系コミック誌の草分け Wimmen's Comix(英語版) 第1号には、ポルノグラフィではないコミックとして初めてオープンなレズビアンを描いた \"Sandy Comes Out\"(→サンディのカミングアウト)が掲載されていた。その作者トリナ・ロビンスが異性愛者であったことは、LGBT当事者を刺激して自分の物語を描くよう促した。刺激された中にはレズビアンテーマの単発コミックとして最初の Come Out Comix (1972) を描いたメアリー・ウィングズ(英語版)や、レズビアンを主人公とする最初の定期誌 Dynamite Damsels (1976) を発刊したロバータ・グレゴリー(英語版)らがいる。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "カウンターカルチャー運動の流れを汲むアンダーグラウンド・コミックは1970年代半ばに衰退したが、ゲイコミックのサブカルチャーは保たれた。一般コミックブックの流通に乗った最初のゲイコミックとされているのは Gay Heartthrobs(英語版) 誌である。内容はキャンプなエロティカで、1970年代半ばに数号が発行されたが販売面で苦戦した。重要なシリーズとしては1980年にハワード・クルーズ(英語版)が発刊した Gay Comix(英語版) がある。LGBTの作家を集めたコミック誌でゲイ解放運動とは密接なつながりがあった。初期には恋愛やカミングアウト、社会的抑圧やセックスを題材にした自伝的な作品が中心だったが、後にはスーパーヒーローやゾンビのようなエンターテインメント寄りのテーマも扱うようになった。非主流のLGBTコミックについての情報も載せられていた。ハワード・クルーズはこの時期の「最も重要なゲイ漫画家」とみなされており、ゲイカルチャー外の『ヘビー・メタル』、Raw(英語版)、『ヴィレッジ・ヴォイス』などでもLGBTテーマの作品を描いていた。1995年に出版されたクルーズの Stuck Rubber Baby(英語版) は公民権運動の最中に育ったゲイの少年を主人公とする長編書籍で、主流文化に受け入れられた最初のゲイコミックの一つである。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1986年から2004年まで刊行された Meatmen(英語版) は多数の作画家や漫画家によるアンソロジー書籍のシリーズで、ハワード・クルーズ、ジェフ・クレル(英語版)、ブラッド・パーカー(英語版)、ジョン・ブラックバーン(英語版)、ジョン・メイシー(英語版)、トム・オブ・フィンランドら当時の重要なゲイ漫画家が寄稿していた。Meatmen はジェンダーバランスに注意が払われていた Gay Comics と比べて男性寄りの内容で、直接的な性描写や荒っぽい笑いが特徴だった。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1980年代以降に盛んになった自主制作コピー本(ミニコミック(英語版))シーンでは、Hothead Paisan: Homicidal Lesbian Terrorist(英語版) など、パンクのクィアコア(英語版)から影響を受けたLGBTQ+作家が一般的なゲイコミュニティよりもラディカルな作品を描いていた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ゲイ解放運動とともに数多く創刊されたゲイ専門の出版物にはLGBTテーマを広く扱うコミックストリップが掲載されていた。ジョー・ジョンソンやショーン(英語版)らは初期からユーモア作品を描いていた。1980年代後半からはハワード・クルーズの Wendel 、ドネラン(英語版)の It's a Gay Life 、ティム・バレラ(英語版)の Leonard and Larry などが『アドヴォケート』のような全国的なゲイ雑誌に配信された。ニューオーリンズの Impact 紙に連載されたロン・ウィリアムズの Quarter Scenes など、地方紙が独自のコミック作品を掲載することもある。大衆文化におけるレズビアン表象の先駆的作品として特筆すべき作品に、LGBTコミックの元老と呼ばれるアリソン・ベクダル(英語版)によって1983年から2008年にかけて描かれた Dykes to Watch Out For(英語版)(→レズビアンに気を付けて)がある。同作は社会批判・政治批判に加えて多様な社会階級のキャラクターが登場することで知られている。ベクダルは2006年にクローゼット・ゲイだった父親との関係を綴った長篇メモワール『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』を出した。同書は『タイム』誌によって同年の一般書籍のベストに挙げられるなど主流メディアから高く評価され、LGBTを表現するコミックの新しい潮流を生み出した。ベクダル以降のコミックストリップ作品としては Chelsea Boys(英語版) や、実写映画化された The Mostly Unfabulous Social Life of Ethan Green(英語版) 、A Couple of Guys(英語版) 、Jane's World(英語版) が挙げられる。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2000年代にはウェブコミックの登場によってクィア・コミックはさらに活発になった。一般社会においてもクィア文化への関心が高まった。トランスジェンダーの作家がオープンに活動を始めたのはこの時期で、同性愛者よりもかなり遅かった。近年ではクィア専門ではないオルタナティヴ系出版社からもクィアなテーマを正面から扱った作品が出るようになった。2012年に漫画家ジャスティン・ホール(英語版)はLGBTコミックの歴史を振り返る書籍 No Straight Lines(英語版) を出版し、クィア文化が社会の主流文化に溶け込んでいく時代の流れと連動してほかのコミックとは別の並行世界に存在していたゲイコミックがほかの分野に浸透し始めたと書いている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "初期のコミックストリップは表立ってゲイを取り扱っていなかったが、クィアなサブテキストが読み取られている作品もある。ジョージ・ヘリマンによる『クレイジー・カット』(1913–1944) はネコとネズミとイヌが三角関係の恋愛を演じる作品で、主人公のクレイジーは性別があいまいにされておりジェンダークィアと見ることができる。ミルトン・カニフ(英語版)の Terry and the Pirates(英語版)(1938–1939年シリーズ)に登場する男装の女性悪役サンジャクは主人公のガールフレンドを狙っているレズビアンと解釈されることがある。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "広く配信されるコミックストリップ作品で最初にLGBTテーマやゲイのキャラクターを描いたのはギャリー・トゥルードーの『ドゥーンズベリー』である。1976年に同作で登場したアンディ・リッピンコット(英語版)はゲイ男性で、1982年にゲイ解放運動家として再登場した。その後作中でHIVに感染し、1990年に死亡した。AIDSの問題がコミックストリップで扱われたのはそれが初めてだった。トゥルードーは一連のストーリーによりピューリッツァー賞のノミネートを受けた。一方で、同作を掲載していた900紙以上のうち3紙がこの展開を「悪趣味」だとして掲載を拒否した。それから2年後、以前から読者に親しまれていた別のキャラクターがゲイだったと明かされ、批判を恐れない作品という評価を固めた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "リン・ジョンストン(英語版)の『良かれ悪しかれ(英語版)』は1993年に主人公一家の隣人の少年がゲイをカミングアウトするストーリーを描いて激しい論争を招いた。反同性愛的な読者は掲載紙の購読停止を宣言し、ジョンストンは家族も含めて殺人予告を受けた。配信紙1400紙のうち40紙ほどが問題の回を差し替えるよう要求し、約20紙が連載を打ち切った。しかしやがてゲイ当事者やその家族から好意的な手紙が届くようになり、最終的にジョンストンが受け取った反応の7割がポジティブなものだった。同作は1994年にピューリッツァー賞時事漫画部門(英語版)最終選考作品に挙げられ、受賞は逃したものの「同性愛者少年のカミングアウトと家族や友人の反応をセンシティブに描いたこと」が選考委員会によって称えられた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "新聞配信作品に求められるのは穏当な家族向けの内容であり、通信社は漫画家に政治性を出さないよう求めたり、LGBTのキャラクターの数に上限を設けることがある。21世紀に入っても前世紀からあまり大きな変化は見られないが、Candorville(英語版) や『ブーンドックス』などは例外的にLGBTを大きく扱っている。保守的な傾向の作品 Mallard Fillmore(英語版) は批判的な切り口でゲイを取り上げることがある。雑誌は新聞よりも制約が緩く、マット・グレイニングの『ライフ・イン・ヘル(英語版)』などゲイの主要キャラクターを持つ作品の例がある。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "「メインストリーム・コミック」とは、歴史的にコミックブック出版の主流を占めてきたスーパーヒーローものとその周辺のジャンル作品を意味する。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "マーベル・コミックスとDCコミックスの2大出版社を中心とするメインストリーム作品は20世紀の大部分にわたってゲイの登場人物を排除しており、包摂性の欠如を批判されてきた。そのような状況をもたらした大きな原因は、1954年に精神科医フレデリック・ワーサムが書いた『無垢なる者たちへの誘惑(英語版)』である。当時のコミックが子どもに有害な影響を与えていると批判する内容の書籍で、問題とされた中に性役割の否定やヒーローの同性愛があった。ワーサムは女性の役割に従わないワンダーウーマンが男性嫌悪のレズビアンだと主張し、バットマンと助手のロビンの関係が子供を同性愛的なファンタジーに導くと書いた。ワーサムが招いた世論の高まりを受けて業界団体によってコミックス倫理規定委員会 (コミックス・コード) が設置され、事実上の検閲を行い始めた。不倫の美化や性描写などと並んで「一切の性的倒錯」が禁止事項に挙げられ、コミックス・コードの認可を受けたタイトルでは同性愛を描くことはできなくなった。しかし直接的な描写を避けることで暗にLGBTのテーマを描く作品もあった。初期の例には『キャプテン・アメリカ』の幼馴染の男性がゲイだったという1982年の作品がある。またヒーローやヴィランがSF的な手段で性転換するエピソードは実際のところよく描かれていた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "コミックス・コードの規制は時代とともに緩められていき、1989年にはLGBTの描写が可能になった。この時期、一般メディアでゲイとレズビアンの露出が飛躍的に増加するのと軌を一にして、メインストリームのスーパーヒーロー・コミックでも同性愛のキャラクターが登場し始めた。当初はサブ的な役割でしかなかったが、次第にストーリーの中心を占めるキャラクターも現れた。2010年代にその動きは加速し、ストーリーや題材の多様性も増した。2013年ごろには当時全米で議論を呼んでいた同性婚が率先して作中に取り入れられた。それを促進したマーベル・コミックス編集長アクセル・アロンゾ(英語版)は、スーパーヒーローという存在が他者と異なっていることにともなう試練と苦難の物語において、最も力強いメタファーとなると語っている。このトレンドは現実のLGBT人口比を作品に反映するものとして基本的に支持されており、LGBTのコミュニティやGLAADのような団体から歓迎されている反面、宗教右派団体など保守層からは批判を受けている。作品がアイデンティティ政治の場になっているとして反発するコミックファンもおり、特に既存のキャラクターの性的指向を変更する措置には議論が寄せられている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "クィア理論の分析によると、オルタナティヴ・コミックがLGBT文化の独自性を強調する一方、メインストリーム・コミックのLGBTキャラクターは異性愛中心の社会に同化しているように描かれる傾向がある。アリソン・ヤングは、メインストリーム・コミックには性的少数者の存在をストーリーで直接描く「統合主義的」なものと、バットマンとロビンの関係に密かにホモエロティシズム(英語版)を込めるような「同性愛規範的(英語版)」なものがあると書いている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "Encyclopedia of Gay Histories and Cultures (→ゲイの歴史と文化の百科事典)(2000) によれば、DCコミックスの作品にはゴールデンエイジ(英語版)(1930-1950年代)からすでにゲイのサブテキストが存在しており、当時の読者は女性だけで住むアマゾン族や、男性ヒーローとサイドキック(少年助手)の間に同性愛を読み取っていた。特にバットマンとロビンの関係は同性愛の観点からの関心(英語版)が持たれている。フレデリック・ワーサムは『無垢なるものへの誘惑』でバットマンのコミックは心理学から見ると同性愛的であると主張し、成熟した「バットマン」と若き友人「ロビン」の冒険にはほのかな同性間性愛の空気が漂っていると書いた。アンディ・メドハーストは、バットマンが「同性愛者とみなされて攻撃を受けた架空のキャラクターとして最初期の一人」であり、また「1960年代のテレビ版『バットマン』がキャンプ(同性愛的な美意識)の基準となった」という点でゲイから関心が深いと書いている。制作にかかわったクリエイターの多くはバットマンがゲイだということを否定しているものの、代表的なバットマン作家の一人フランク・ミラーは、バットマンが性衝動を犯罪との闘いに昇華したキャラクターであり、敵役ジョーカーはそれを脅かす同性愛恐怖の権化なのだという解釈を示している。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "DCで初めて明確にゲイとして描かれたキャラクターは女性的なヒスパニック男性のヒーローエストラーニョ(英語版)である。1987年に登場して短期間活躍したが、オネエ風の言葉遣いや、HIVウイルスを武器とするヴィランに殺されるなど、戯画的ともいえる描き方だった。コミックス・コードの制約が解かれた1989年前後には、一般人キャラクターの同性愛者を共感的に描く作品が現れ始め、アマゾン族の間の同性愛が作中で言及された。成人読者向けシリーズ『ヘルブレイザー(英語版)』の主人公ジョン・コンスタンティンがバイセクシュアルだと発言する例もあった。『サンドマン』(1991) や『リージョン・オブ・スーパーヒーローズ』(1992) ではトランスセクシュアルのテーマが扱われた。1993年にはトランスジェンダーの原作者レイチェル・ポラック(英語版)が『ドゥーム・パトロール(英語版)』誌に起用されてLGBTテーマを多く取り入れた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "LGBTを大きく扱った作品で顕著なものとしては、『グリーンランタン』誌で主人公をサポートするゲイ男性がヘイトクライムの対象にされるストーリー (2002) がある。これにより同誌の原作者ジャッド・ウィニック(英語版)はGLAAD賞を2度、ゲイラクティック・スペクトラム賞を1度受賞したが、読者からは反発も寄せられた。バットマン型の自警主義ヒーローミッドナイター(英語版)と、その恋人でスーパーマン型の超人ヒーローアポロ(英語版)のように、主役級の扱いを受ける同性愛者のヒーローも現れた。2006年にはレズビアン女性のキャラクター(ケイト・ケイン(英語版))に伝統あるヒーロー名バットウーマン(英語版)が与えられ、一般メディアから注目を受けた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "DCは2011年に「THE NEW 52(英語版)」と銘打って全タイトル規模のリローンチを行った。このときレズビアンのバットウーマンが個人誌を得たほか、バイセクシュアルのアフリカ系女性を主人公にした『ヴードゥー(英語版)』も創刊された。グリーンランタンの一人で1940年代から活躍してきたアラン・スコット(英語版)もオープンなゲイ男性として再設定された。2015年には女性ヴィランコンビのポイズン・アイビーとハーレイ・クインが公式にノンモノガミー(英語版)な恋人同士とされた。2016年の新たなリローンチ「DCリバース(英語版)」では、DCの中心的なキャラクターの一人ワンダーウーマンがバイセクシュアルだと明言された。主要なヒーローの関連キャラクターにLGBTが割り当てられる例は多く、アクアマンのサイドキックであるアクアラッド(英語版)(2代目(英語版))、バットマンの弟子ロビン(3代目)、スーパーマンの息子で2代目のジョナサン・ケントがそれぞれゲイやバイセクシュアルだとされた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "マーベル・コミックスはDCと比べてLGBTテーマを取り入れるのに積極的ではなく、ゲイキャラクターの導入も慎重に行われてきた。ジム・シューター(英語版)が編集長を務めていた1980年代には「マーベル・ユニバースにゲイは存在しない」方針があったと伝えられている。時代が下って作品に同性カップルが登場し始めてからも、DCと異なり「成人向け」レーベルであってもキス以上の性的な描写は行われていない。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "マーベルの中でも1963年に始まった『X-メン』シリーズは多様性と関係が深い。同作は超能力を持つミュータント(英語版)集団が一般人の偏見と闘う物語で、公民権運動のメタファーと解釈されて多様な読者の支持を集めてきた。クリス・クレアモント(英語版)が原作を書いていた1980年代以降は、明言されないながらもゲイ解放運動の要素がストーリーに取り入れられ、一部のキャラクターの間の同性愛を匂わせる描写も行われた。X-メン関連誌『アルファフライト』で1979年に登場したノーススター(英語版)はマーベルのメジャーなキャラクターで最初に公にされたゲイ男性である。作者ジョン・バーン(英語版)は当初から一貫して暗にノーススターをゲイとして描いていたが、同性愛を物語の焦点にしようという試みはジム・シューターから許可されなかった。明確なカミングアウトが実現したのは1992年の『アルファフライト』第106号のことだった。この号は社会変化の兆しとしてニューヨーク・タイムズ紙など一般マスコミによって報道された。その後もノーススターのセクシュアリティはあまり掘り下げられないままだったが、2012年の『アストニッシングXーメン(英語版)』第51号で恋人と結婚するところが描かれた。これはメインストリーム・コミックで最初の同性婚とされている。ほかにX-メン系列誌で早くから暗にLGBTとして描かれていたキャラクターにはキティ・プライドやレイチェル・サマーズ(英語版)、ミスティークがいる。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "マーベルは2002年に成人読者向けインプリントのMax(英語版)から西部劇シリーズ『ローハイドキッド(英語版)』の新作を出した。マーベルはキッドを自社初のゲイの単独誌主人公として積極的にプロモーションしたが、作中ではゲイであることがほのめかされるばかりで明確な描写はなかった。同作は保守層から拒絶され、LGBTコミュニティからも微温性を批判された。『ローハイドキッド』以降マーベルは一時LGBTのレプリゼンテーションに及び腰になったという見方がある。キッド自身も実はゲイではなくそう装っていただけだと受け取れる公式の文章が出ている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2003年、日本漫画を読んでいる層を対象にした新インプリントのツナミ(英語版)から『ランナウェイズ(英語版)』が発刊された。原作はブライアン・K・ヴォーン(英語版)による。多様なバックグラウンドを持ったティーンエイジャーを主人公とする異色作で、この時期のマーベルとしては珍しくLGBTのチームメンバーを大きく扱っていた。同作のテレビドラマ版も、LGBTQのレプリゼンテーションに消極的なマーベルの映像作品フランチャイズ(MCU)の中では特に目立つ存在となった。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2005年に創刊された『ヤング・アベンジャーズ(英語版)』誌は当初メンバーにゲイが2人含まれていた(ハルクリング(英語版)とウィッカン(英語版))。同誌の読者欄では一部の読者と作者の間でティーンのゲイヒーローの是非を巡って長い議論が行われた。同誌はマーベルで初めてGLAADメディア賞コミックブック部門を受賞している。2013年にリローンチされた『ヤング・アベンジャーズ』誌では、ミス・アメリカ(英語版)やロキなどほかのチームメンバーの多くもLGBTとして描かれた。原作者キーロン・ギレン(英語版)を始めとする制作チームは再びGLAAD賞を受けた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2015年4月、『X-メン』の古参メンバーアイスマンがゲイだったというストーリーが発表された。2017年にアイスマンは初の単独レギュラー誌を与えられ、ヒーロー活動とともにオープンリー・ゲイ男性としての生活が語られた。同誌は読者からヘイトを向けられ、2018年初頭に打ち切られたが、同年中に再創刊がアナウンスされた。この時期にもクィアなキャラクターが単独主人公となるマーベル作品は多くなく、アイスマンやアロマンティック(英語版)・アセクシュアルのワスプ(英語版)などがあるのみである。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2010年9月、アーチー・コミックスは『ヴェロニカ(英語版)』誌第202号で初めてオープンリー・ゲイの少年ケヴィン・ケラー(英語版)を登場させた。「アーチー」は設定や人間関係がほとんど変化しない長寿シリーズだが、同社経営者ジョン・ゴールドウォーターはアーチー・コミックスの世界を今日的でインクルーシヴなものにするためという意図を語った。ケヴィンはファンに受け入れられ、スピンオフ誌が発刊されたほか、成人後に同性婚を行うエピソードも描かれた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1980年ごろからコミック専門店市場の成立によって小規模なインディー・コミックの商業出版が可能になり、『エルフクエスト(英語版)』(1978) や『ラブ・アンド・ロケッツ』(1982) など、LGBTを扱う多様なジャンルのコミックが世に出はじめた。コリーン・ドラン(英語版)は日本の漫画やアニメから影響を受けた漫画家として最初期の一人で、ゲイ同士の恋愛ドラマ A Distant Soil(英語版) (1979) によってゲイラクティック・スペクトラム賞に何度もノミネートされている。テリー・ムーア(英語版)が自己出版するロマンチックコメディ Strangers in Paradise(英語版) (1993) は暗い過去を持つレズビアン女性と親友の女性の関係を描いた作品で、アイズナー賞やGLAAD賞を受けている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1990年代にはマリブ・コミックス(英語版)、イメージ・コミックス、IDWパブリッシング、やや遅れてダークホース・コミックスのようにメインストリーム・コミックの二大巨頭に迫る規模のインディー出版社が現れた。それらの出版社はコミックス・コードに準拠せず、作者に創作上の自由を与えたため従来よりもLGBT要素を含む作品が多かった。GLAAD賞を受けたイメージの Rat Queens(英語版) は「女性キャストによる『指輪物語』」とされるファンタジー作品で、主人公の一人にレズビアンのハーフリングがいる。LGBTの中でもトランスセクシュアルはメインストリーム・コミックで扱われることが少ないが、ブーム!スタジオズ(英語版)は2014年に Lumberjanes(英語版) などで全年齢向け作品として初めてリアルなトランス女性の主人公を登場させた。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "21世紀には、コミック専門店で売られるコミックブックと並ぶ新たな出版形態として、一般書店で売られるコミック書籍(グラフィックノベル)が急速に伸長した。メインストリーム・コミックがスーパーヒーローやユーモアものを中心としているのに対し、グラフィックノベルではジャンルが限定されず、自伝のようなノンフィクションや文学的な作品も描かれている。この出版カテゴリからは各国でLGBTを扱った作品が増加傾向にある。一般の文芸出版社がこの分野に進出することも多く、伝統的に男性が多数を占めている従来のコミック界を選ばず書下ろしグラフィックノベルで作品を発表するLGBTQのコミック作家も増えている。従来のコミックブックが対象読者としていなかったヤングアダルト以下のジャンルでも、ケイ・オニール(英語版)の The Tea Dragon Society(英語版) やティリー・ウォルデン(英語版)の On a Sunbeam(英語版) などのクィアなグラフィックノベル作品が注目されている。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "コミック作家やキャラクターにLGBTが目立ち始めるとコミックファンダムでもそれに対応する動きが現れた。コミコンやゲイラクシーコン(英語版)のようにコミックやLGBTのコンベンションでは関連するパネルがよく開かれており、LGBTコミック専門のブースもある。2015年にはLGBTQコミックギークの大規模なコンベンションであるフレームコン(英語版)が設立された。1997年に開設されたゲイリーグのようにLGBTのコミックファンが交流するオンラインコミュニティもある。2003年設立のプリズム・コミックス(英語版)はLGBTのコミック作家や業界関係者、ファンのネットワークとなるNPOであり、Web上でオウンドメディアを運営している。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "GLAADメディア賞は1992年にコミックブック部門を設置した。それ以来、DCのフラッシュを皮切りに『グリーンランタン』や『オーソリティ(英語版)』、マーベルの『ヤング・アベンジャーズ』などのメインストリーム作品が同賞を受けてきた。しかしこれらの授賞はLGBT当事者のファンや作家から作品内容より話題性を重視しているという批判も行われている。ゲイラクティック・スペクトラム賞(英語版)はSF、ファンタジー、ホラー作品を対象にした賞で、「その他の作品」部門にコミックも含まれている。ラムダ文学財団(英語版)は1988年以来LGBTテーマの文学賞を授与しており、2013年にグラフィックノベルを対象に含めた。プリズム・コミックスは2005年から「クィア出版助成金」によってLGBTコミックの制作・出版を支援している。", "title": "米国の漫画" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "欧州大陸の漫画はテーマ、語り方、視覚的にショッキングな題材において米国より自由だとされている。コミックス・コードに当たるものが存在しないため、米国と比べるとLGBTテーマを取り入れることへの批判は少ない。米国人漫画家が描きたいものを描くためにヨーロッパで活動することを選ぶ例もあり、スタン・ドレイク(英語版)とレオナルド・スター(英語版)がフランスで出版した Kelly Green (1982–93) は、ゲイ男性を誘惑するため女性主人公を男装させたり、ゲイの脇役を出したりしていた。1980年代半ば以降、欧州コミックは米国コミックの人気に後塵を拝している。漫画の社会的認知や産業規模で米国や日本に並ぶのはフランスだけである。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "20世紀初頭、フランスとベルギーの漫画(バンド・デシネ)は子どもの読み物とみなされていた。そのため大人向けのテーマや性的なテーマは少なくとも1960年代まで制限されていた。しかし、初期の子供向けバンド・デシネ『タンタンの冒険』や『アステリックス』、『アリックス(英語版)』は読者から性的ないしLGBT的なサブテキストを読み取られていた。ただし2009年にタンタンシリーズの主人公がゲイに見立てられたときには、作者エルジェのスタジオ(英語版)が否定の声明を出している。ジャック・マルタン(フランス語版)による歴史漫画の名作『アリックス』も、同性間の親密な関係を扱っていたり、10代の少年の全裸が描かれるなど、現在の目から見て同性愛的なサブテキストが読み取れると評されているが、やはり作者マルタンは否定している。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1960年代にはタブーを打破しようとする作品も現れたが、バンド・デシネが子供のためのものだとする1949年の法律によって直接的に性を描くことは禁じられていた。1964年に刊行された『バーバレラ(英語版)』アルバム(単行本)は裸体の絵を修正しなければならなかった。1960年代の後半にはバンド・デシネが大人の芸術形式だという見方が広まり、1970年代には主流紙が社会批評や風刺を描いた作品を掲載するようになった。しかし依然として「ポルノグラフィ」として発禁にされるアンソロジー誌もあった。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1970年代にバンド・デシネを描き始め、1992年にアングレーム国際漫画祭グランプリを受賞したフランク・マルジュラン(フランス語版)の代表作「ルシアン(フランス語版)」は労働者階級の異性愛者男性を主体にしたユーモア作品だが、主要登場人物の男性性を強調する文脈でステレオタイプ的なLGBT描写を行っていた。文学者集団の中でゲイがファッショナブルに見られているという風刺もあった。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ファブリス・ノー(フランス語版)が1994年から長期にわたって描き続けた Journal(→日誌)は、フランスの小都市で芸術家の卵として活動するゲイ男性の生活を通じてレプリゼンテーション、アイデンティティ、創作活動のようなテーマを追求した作品で、コミック研究者バート・ビーティによってこれまで出版された中でもっとも野心的な自伝コミックの連作と評価されている。同作は1997年にアングレーム国際漫画祭新人賞を受け、2010年には漫画際の会場で回顧展が開かれている。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ベルギーの漫画で同性愛者のキャラクターは2010年代にいたるまで脇役としても少数にとどまっている。ヤンやジャン・デュフォー(フランス語版)のような原作者は一般向け作品に同性愛者やバイセクシュアルのキャラクターを取り入れている。トム・ブーデン(英語版)は同国の重要なゲイコミック作家で、ゲイシーンを描いたギャグ漫画 Flikkerzicht で知られている。トランスジェンダーが扱われることはさらに少ないが、Benoît Feroumontの Giselle & Beatrice (2013) は魔法によるジェンダー転換を題材にしたユーモア作品である。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "スペインの漫画は米国コミックと比べて型にとらわれず多様だとされている。スペインのコミックブック出版は1980年代の初めにブームを迎えた。フランシスコ・フランコの独裁政権の終わりとともに訪れたカウンターカルチャーの機運(モビーダ・マドリレーニャ(スペイン語版))と同時期のことだった。ナサリオ・ルケ(スペイン語版)による Anarcoma はゲイで異性装者の探偵を主人公にしたノワールで、セクシュアリティやジェンダーについての社会通念に挑戦していた当時のコミックを代表する作品とみなされている。掲載誌 El Vibora(スペイン語版) は同性愛やトランスジェンダー売春のようなテーマを中心としており、アンダーグラウンド指向を強く持ちながら広い読者層から支持されていた。ただし、クィア芸術(英語版)の研究者ヘマ・ペレス=サンチェスは、スキャンダラスな性描写と女性嫌悪を売り物にしていた同誌は男性中心文化を脅かすものではなく、同時期に Madriz(スペイン語版) 誌でクィア思想やフェミニズムを表現していたコミック作品の方が大きな文化的影響力があったと書いている。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "オープンリー・ゲイのラルフ・ケーニヒ(ドイツ語版)はドイツ国外でもっともよく知られているドイツ人漫画家であり、欧州を代表するクィア漫画家とみなされている。同性愛者と異性愛者が互いに持つ偏見をアイロニックに描くユーモア作品で知られており、代表作にゲイカップルを主人公にした \"Konrad und Paul\" などがある。ケーニヒは1970年代にミュンヘンのアンダーグラウンド誌 Zomix やゲイ雑誌 Rosa Flieder にゲイシーンを題材にしたコミックストリップを描き始めた。1981年にゲイ出版社 Verlag rosa Winkel から SchwulComix(→ゲイコミックス) などのコミックブックを出し始め、1987年には長編 Kondom des Grauens(→キラーコンドーム)を描いた。当初はカルト的な人気でしかなかったが、大手出版社から出した Der bewegte Mann (1987) とその映画版がヒットしたことで一般に認知されるようになった。2012年時点でケーニヒの作品は14の言語に翻訳されて500万部以上が発行されており、複数が映画化されている。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "英国のコミックは20世紀の大部分にわたって子ども向けのメディアと見なされており、成人向けの内容は描かれなかった。読者の年齢層が高いバイオレントなコミック誌 2000 AD(英語版) は例外の一つである。同誌初のオープンリー・ゲイの主人公は1992年に登場した吸血鬼ハンターのデヴリン・ウォーである。同誌で人気を集めていたマッチョで荒々しいジャッジ・ドレッド(英語版)の対極として作られたキャンプで気障なキャラクターだった。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ロシアのコミック文化は1990年代にスキャンレーションとして流入した日本漫画に大きな影響を受けており、2000年代半ばには百合やボーイズラブといったジャンルの作品がファンによって描かれるようになった。レズビアンの恋愛を題材にしたアンナ・ルッドの Клуб (→The Club)(2016) から商業出版への進出が始まり、2019年には主流の書籍出版社からスラブ民話に題材をとったやおい作品 Immortal が出た。しかしこれらの動向はロシア社会の「政治化されたホモフォビア」によって強い圧力を受けている。2013年に成立した同性愛宣伝禁止法は「非伝統的な性的関係」の表現を規制するもので、子供向け作品でLGBTを描くことは違法とされた。2022年には大人向け作品も規制対象に含められた。", "title": "欧州の漫画" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "英語圏の国々や多くのアジア国家と比べると、日本では年齢制限のないポップカルチャーでセクシュアリティやジェンダーを扱うことに法的・慣習的な制約が少ない。これは日本国外のLGBT当事者が日本の漫画に惹かれる理由の一つとなっている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "『日本のゲイ・エロティック・アート』を著した漫画家田亀源五郎によると、日本のゲイアートの源流は戦後の性風俗雑誌である。その中でも特に男性同性愛を大きく扱っていた『風俗奇譚』(1960-1974) は、米国のジョージ・クエンタンスやトム・オブ・フィンランドのほか、三島剛(英語版)、平野剛(英語版)、大川辰次(英語版)などによるエロティックなイラストレーションを掲載していた。これら第一世代のゲイアート作家は共通して表情に愁いを帯び、どこか情念的な翳りのようなものを秘めている(田亀)日本的な美学を感じさせる男性を描いていた。1971年には最初のゲイ専門商業誌『薔薇族』、続いて『さぶ』や『アドン』が創刊され、三島らに活躍の場を提供した。1980年代になると欧米ゲイ文化の影響やフェティシズムの細分化といった流れの上で多様な作風の第二世代アーティストが現れ、初期にあった翳りのようなものは薄れていった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "初期のゲイ雑誌はグラビアと文通欄が主力で漫画は重視されていなかった。ストーリー漫画が掲載され始めたのは1970年代後半のことだった。当初は少女漫画に影響を受けた作品が多く、やがてエロティックな劇画風の作品も現れた。初期の代表的な描き手には山口正児や海藤仁、山川純一、竹本小太郎などがいる。ゲイ外の雑誌で活動していた南伸坊、吉田光彦、土屋進のような漫画家が寄稿することもあった。1990年代には一般メディアで「ゲイブーム」が起き、LGBTの存在が社会的に認知され始めた。ゲイ雑誌界においても従来の雑誌に代わって『Badi』や『G-men』のようにゲイのライフスタイルや社会的な話題までを広く扱う新興誌が現れ、掲載される漫画のテーマも広がっていった。これらの専門誌はゲイの交際相手を探すための媒体という側面が強かったが、後年にはインターネットによってその役割を奪われ、2020年までにほとんどが発行を止めた。ゲイ男性向けのハードコアポルノは同人誌が主要な発表の場となった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "レズビアン向けの商業誌はゲイ雑誌ほど市場が大きくなく、1995年の『フリーネ』以降数誌が創刊されたがいずれも短命に終わっている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ゲイ雑誌に掲載される漫画は 8–24ページの読み切りが典型的だった。内容は雑誌や時代によって一定せず、1990年代後半の『G-men』や『さぶ』がもっぱらプロットに乏しいポルノを載せていた一方、2010年ごろの『Badi』誌では日常系・ユーモア・エロのように幅広いジャンルの作品が見られた。一般の出版社や同人誌、インターネットのように発表媒体が多様化していくと自伝的・内省的な作品も増えていった。1980年代から2010年代にわたる作品の分析によると、ゲイの恋愛を描いた作品では1990年代まで社会的抑圧によるゲイ・アイデンティティの揺らぎを扱う作品が多かったが、それ以降は異性愛社会の存在が後景化し、ゲイコミュニティ内のドラマが主体となった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "田亀源五郎は日本のゲイ漫画史で大きな役割を果たした漫画家で、「マッチョのファンタジー」を好むゲイ男性向けの『G-men』誌の創刊と編集にも携わっていた。初の長編『嬲り者』(1994) はゲイ漫画の単行本として画期的なヒットとなった。筋肉質な男性間の支配関係や拷問といった田亀のSMエロティカは追随者を多く生み出した。ゲイアート作家として世界的に高く評価されており、ゲイアート史に関する著作もある。2014年からは一般のコミック誌でも活動を始め、異性愛者が同性愛者の家族と向き合う様子を描いた『弟の夫』(2014) によって日本国内外で多くの賞を受けた。そのほか代表的なゲイ漫画家には児雷也や山田参助が挙げられる。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "山川純一は1980年代に『薔薇族』に描いていたがゲイの間ではほとんど話題にならずに消えた漫画家だった。2000年代初頭にインターネット掲示板で山川の短編「くそみそテクニック」(1987) をコメディとして読むことが流行し、同性愛を笑う「野獣先輩」などのミームの先駆けとなった。山川は一般のサブカルチャーファンに広く知られるようになり、2023年には作品のアニメ化が発表された。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "男性同性愛を描くやおい(ボーイズラブとも)や女性同性愛を描く百合(ガールズラブとも)は1970年代の少女漫画から派生したジャンルで、現在ではさまざまな媒体に広がっている。日本国外でも多くの言語でオリジナルのやおいや百合作品が描かれている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "同性愛を最初に描き始めたのは竹宮恵子、萩尾望都、山岸涼子など「24年組」と呼ばれる女性漫画家の集団だった。初期の代表的な作品には、フランスの男子中学生の同性愛関係を描いた『風と木の詩』(1976)、ドイツのギムナジウムを舞台にした『トーマの心臓』(1974)、聖徳太子を再解釈した『日出処の天子』(1980) があり、いずれも現代日本とはかけ離れた舞台設定で中性的な美少年を中心に据えていた。これらは少女漫画に「少年愛」という美意識を植え付けたのに加えて、漫画表現の上でも文学的な内面描写を発展させ、男性も含めた漫画ファンに広く注目された。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "1978年に創刊された『JUNE』(当初は『Comic JUN』)は男性同性愛を中心とする女性向け商業誌の草分けで、文学とポルノグラフィ的な少年愛表現を組み合わせた「耽美系」と呼ばれるジャンルを生み出した。幅広い背景の漫画家が参加していたが、同誌の作風を方向づけたのは竹宮恵子と小説家の中島梓だった。『JUNE』は読者参加型の投稿誌という性格が強く、竹宮らの創作教室コーナーからは西炯子、津田雅美、羅川真里茂など次世代の漫画家が輩出されている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1970年代半ばは漫画同人誌文化が開花した時期でもあった。後に数十万人規模に成長する同人誌即売会コミックマーケットは1975年にはじまったが、そのころから参加者の多くを女性が占めていた。「やおい」という言葉は坂田靖子や波津彬子らの同人活動の中から生まれ、男性同性愛を描くジャンルという意味で定着した。1978年ごろには『闘将ダイモス』のような男児向けアニメ作品の男性登場人物を用いた性的な二次創作(アニパロ)が同人作品の主流となり、1980年代半ばには『キャプテン翼』ブームによって爆発的に発展した。この時期に活躍していた同人作家に高河ゆんやCLAMPがいる。同人出身の尾崎南が一般少女誌に連載したやおい作品『絶愛-1989-』(1989) は国際的なヒットとなった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "1990年代には商業出版社が大々的にこのジャンルに参入し、同人作家を起用してオリジナルの作品を出版するようになった。「ボーイズラブ (BL)」というラベルはここで登場した。非日常的な舞台設定ではなく学校生活のような身近な題材が増え、耽美系に見られた家庭内の葛藤や孤独といったテーマは薄れて、「萌え」や明るいセックスを描く作風が人気を集めた。ここまでに成立した、2人の男性が出会いから関係を深めてハッピーエンドに至る物語の型が2020年代まで商業BLの主流となっている。その一方でジャンルの発展とともにテーマの深化や設定の多様化も進んでおり、トランスジェンダーやオネエといった従来避けられていた属性や、オメガバースのような新しいサブジャンルが登場している。2000年代以降はよしながふみのようにBL出身で一般誌にも描く漫画家が現れ、ドラマCDやゲーム、舞台、アニメのように幅広いメディアのエンターテインメントにBLの要素が浸透した。BLの中でも突出したヒット作である『純情ロマンチカ』(2003) は、関連書籍の累計発行部数が1500万部を超え、多方面にメディア展開されている。2010年代には男性間の恋愛をテーマにした漫画原作のドラマが複数放映されている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "百合的な関係性は少女漫画の黎明期において学校の先輩後輩間の結びつき(エス)という形ですでに描かれていた。明確な女性間の恋愛は1970年代に山岸涼子らによって描かれ始めた。しばらくは狭いサブジャンルにとどまっており、定型的な悲劇のストーリーが踏襲され続けていたが、90年代に入ると女性性や同性愛を肯定的に捉えた作品がメジャーになっていった。小中学生向けの少女誌で連載されたヒット作『美少女戦士セーラームーン』もその流れにある。2000年代には少女小説『マリア様がみてる』によって男性読者も巻き込んだ百合ブームが起き、専門誌『コミック百合姫』(2005) も創刊された。2010年代にはエンターテインメントのジャンルとしての百合やガールズラブが定着した一方で、レズビアンの自認を持つキャラクターが描かれることが多くなり、自伝やエッセイ的な作品も描かれている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本のファンはボーイズラブをファンタジーとみなし、現実の同性愛を取り巻く問題を反映させることを好まない傾向がある。社会的なホモフォビアが描かれる場合にもメインキャラクターの愛情の純粋さを示すためのプロット装置とされるのが一般的である。レイチェル・ソーン(英語版)はやおいが基本的にロマンス物語として読まれており、政治的なテーマは読者にとって興ざめなのではないかと書いている。ジャンルそのものの登場人物の描写がステレオタイプ的・同性愛嫌悪的であり、ゲイに関する問題を無視していると批判されることもある。溝口彰子は、登場人物が自分は異性愛者だと主張したり、同性間に「攻め・受け」といった疑似的なジェンダー役割が割り当てられる従来のやおい作品にはホモフォビアや異性愛規範の要素があると指摘している。その一方、批評家の中にはやおいがクィアな価値観を提示しており、日本社会のジェンダー規範やセクシュアリティ規範に挑戦しているという者もいる。藤本由香里は少女漫画で発生した少年愛を現実社会のジェンダーの抑圧、性に対するさまざまな忌避から逃れるための装置としており、ポルノグラフィ的なやおいへの発展を少女たちが「性を遊ぶ」ことを可能にし、受動から能動へと視点を転換させる可能性を開いたと書いている。溝口は2000年代以降ジャンルそのものについて自覚的・内省的な作家によって社会的なミソジニー、ホモフォビア、異性愛規範を克服することを目指す「進化形のBL」が描かれ始めたと主張している。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "初期の少年愛作品では筋肉やひげのような生々しい男性の肉体の描写はタブーとされており、現実的なゲイを描くことは志向されていなかった。1992年にゲイ活動家の佐藤雅樹は当時のやおい同人作品がゲイの性を商品化しており男性同性愛者を、異性愛社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込める抑圧的な表現だと批判して、実作者やファンの間に「やおい論争」を引き起こした。ただし実際にはやおいとゲイ漫画のファンは初期から一部で重なっていた。ジャンルの成熟と多様化とともにリアリズムを取り入れる女性向け作品も増え、作家・作風の越境が進んでいる。LGBT当事者の側にオタク文化が浸透し、一般のコミックファンとの意識の差が小さくなった面もある。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "大手出版社による漫画雑誌文化が確立する以前の貸本漫画ではとみ新蔵、辰巳ヨシヒロ、上村一夫、宮谷一彦のような作家が同性愛や異性装の題材を描くことがあった。青年劇画誌がブームになった1970年代半ば以降に中小出版社から乱立されたエロ劇画誌には、宮西計三やひさうちみちおらによるホモエロティックな作品が載っていた。しかしこれらは個別の作家による創作活動で、少女漫画のように大きなムーブメントが生まれることはなかった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "一般の男性向け作品で同性愛は笑いの種とされるのが普通だった。丁寧語や女言葉でしゃべったり「乙女の心を持つ」とされるなど、同性愛男性のステレオタイプに沿った「オカマキャラ」には、ギャグ漫画では『マカロニほうれん荘』(1977) の「きんどーさん」、冒険ものでは『ドラゴンボール』(1984) のフリーザ、『ONE PIECE』(1997) の「カマバッカ王国」といった例がある。それらはキャラクター類型の一つとして少年向け作品で長年にわたって使われたが、具体的な性的指向については強く匂わされるばかりで、同性愛を正面から描くことは避けられていた。21世紀に入ると性的少数者の描写にはもっと繊細な取り扱いが要求され始めた。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "少年誌では『ストップ!! ひばりくん!』(1981)、青年誌では『変』(1991) を皮切りにジェンダーやセクシュアリティのゆらぎを扱う作品が描かれ始めた。『ストップ!! ひばりくん!』の作者江口寿史は「女の子のように可愛い男の子」が少年の恋愛対象となることを当初ギャグとして発想したが、その可愛さは読者にストレートに受け入れられ、男女を問わず高い人気を集めることになった。同作は後に「男の娘」と名付けられる性別越境の先駆けとされており、当時の女装愛好者の間でも影響が大きかった。それ以降、1980年代から1990年代にかけては『らんま1/2』(1987)、『ふたば君チェンジ♡』(1990)、『♂ティンクル♀アイドル☆スター』(1990) のように主人公が性転換したり、異性装を行うジャンルが少年誌で連載された。特にファンタジーやユーモアの要素がある場合には性役割の規範が弱かった。2000年代初頭、ゲームやアダルト漫画で女装少年キャラクターがブームとなり、少年誌でも『ハヤテのごとく!』(2004) 以降に女装主人公のジャンルが定着した。2010年代には「男の娘」の呼び名が一般に浸透し、『わぁい!』(2010) など専門のコミック誌が創刊された。隣接するトランスセクシュアルのジャンルも一部で活性化した。ただし「男の娘」表象は多数派である異性愛男性に支えられており、男性に課せられる社会的規範を逃れたいという欲求に基づくが異性愛制度を否定するものではないと評されている。この時期にはまた性自認や性的指向と切り離されたファッションやコスプレとしての女装が社会的な認知を得るようになった。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2010年代にはジェンダーマイノリティへの社会的認知が進み、LGBT当事者の目線から描かれた作品が増えた。『きのう何食べた?』(2007) は青年誌でリアルなゲイの生活を描いた作品として画期的だった。2014年の『弟の夫』はニッチなゲイ作家だった田亀源五郎の青年誌進出作として注目を集めた。空想的なファンタジーではなく普遍的な思春期の悩みの一つとして性自認を扱う作品はこのころのトレンドで、『放浪息子』(2002) を嚆矢として『青のフラッグ』(2017) や『ボーイズ・ラン・ザ・ライオット』(2020) などが描かれている。2016年、トランスジェンダー男性を主人公にしたスポーツ漫画『ECHOES』が宝島社の新人賞『このマンガがすごい!』大賞を受賞した。性選択をテーマにしたSF『境界のないセカイ』(2014) は、批判の可能性を恐れた講談社の意向で連載中止になり(後にKADOKAWAで復活)、LGBT団体やメディアから過剰な自主規制を懸念する声も上がった。2010年代後半にはトミムラコタ、新井祥などLGBT当事者によるエッセイ漫画が数多く出版されている。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "男性向けのアダルト漫画にはトランスジェンダーもしくはインターセクシュアルの男性キャラクターが性的欲望の対象とされたり、受動的なセックスのファンタジーの主役となるジャンルがある。その源流は米国産のポルノグラフィに見られるシーメールだが、日本のエロ漫画に移入されるとふたなり、性転換、女装、ショタのように多彩なサブジャンルが生み出された。永山薫によるとそれらは特定の性的指向や性自認と結びついたものではなく、男性読者が一時的に女性性を疑似体験するためのエンターテインメント表現であり、その背景には戦後一貫して進行するマチズモの崩壊とそれに伴う、性的嗜好の多様化、細分化があるという。純然たる男性間の性行為を描いたゲイ向けのエロ漫画とは読者層が異なり、男性の作家・読者の間には同性愛忌避も根強い。", "title": "日本の漫画" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "漫画というメディアを用いてLGBTと関連するセーフセックスなどの問題を啓発する試みも行われている。AIDSを題材にしたコミックストリップ形式の作品はフランスの Liberation 誌に1986年に掲載されたイラストレーションにまでさかのぼる。同作は単純な人物図を用いて危険な行為を説明していた。英米では1987年と1988年に Strip AIDS(英語版) が刊行されている。政治運動としての出版物にはアラン・ムーアによる AARGH(英語版) がある。英国政府が提出した「同性愛の奨励」を禁じる法案に抗議するためのもので、英国、米国、カナダの一流漫画家が寄稿していた。これらの作品はコミックという形式とユーモアによって一般的な教材よりも肯定的なメッセージを伝えると評されている。AIDS予防を訴える内容のフィクション作品としては、フランス語の La Sida(→The AIDS)(1995) が良く知られている。アルフレッド・フルニエ研究所から \"Prevention Sourire\" シリーズの一環として発行された子供向けの作品で、HIV感染を「緑色の小さなモンスター」で比喩的に表すようなユーモアによって題材が和らげられている。南アメリカの作家ハイメ・コルテスによる Sexile はHIV感染予防の啓蒙家でトランスジェンダーのアデラ・ヴァスケス(英語版)をモデルにした作品で、AIDSプロジェクト・ロサンゼルス(英語版)から英語とスペイン語で発行された。ジェンダー自認や性体験、キューバ革命政権下での抑圧、HIV/AIDSへの意識向上が語られる内容だった。", "title": "啓発的漫画" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "それらの啓発的なコミックは、HIVを伝統的な異性愛への脅威として描くことを優先するあまり同性愛を周縁化しており、LGBTコミュニティにとってのHIVの重要性という観点が欠けていると批判されてきた。問題の大元にあるのは、コミックが子供のメディアだという通念があるため社会の主流である異性愛規範に沿って描かなければならず、LGBTと自認する子供が自己投影できるキャラクターを登場させられない点だとされている。スイスの啓蒙的なコミックブック Jo (1991) なども対象年齢が高いにもかかわらず同性愛を明示的に描いていない。", "title": "啓発的漫画" } ]
本項では漫画におけるLGBTについて述べる。漫画出版が盛んないずれの国においても初期にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のテーマが表立って描かれることはなく、受け手の解釈によって読み取られるのみだった。やがて20世紀後半から21世紀の初めにかけてLGBTのキャラクターが包摂され始め、カミングアウトの困難さ、社会的な偏見、ゲイ同士の恋愛といった題材も描かれるようになった。 各国の漫画はLGBTのテーマにそれぞれ異なるアプローチを取ってきた。米国のコミックブック出版では1954年から1989年までコミックス倫理規定委員会(コミックス・コード)が自主規制を行っており、少しでも同性愛を感じさせる描写は行えなかった。キャラクターの性的志向や性自認を描くにも遠回しにほのめかすか、サブテキストとして暗黙の裡に示すしかなかった。1970年代に至って、コードに準拠しないアンダーグラウンド・コミックの中からLGBT当事者による自伝的・政治的な作品が現れ、独立したゲイコミックの文化が発展した。新聞配信のコミックストリップでも1970年代後半からオープンリー・ゲイのキャラクターが登場し始め、1980年代を通して一般化していった。コードの規制が緩和された1990年代以降にはコミックブック出版で主流のスーパーヒーロー作品でも現代的なLGBTの描写が見られるようになり、ゲイのキャラクターをメインにしたタイトルも数多く創刊された。2010年代には多様な出版形態によるLGBTQコミック全般が「コミックでもっとも急速に発展している分野」と呼ばれている。 ヨーロッパでは言語ごとの市場が小さく、ニッチなゲイコミックが米国のように発展することはなかった。とはいえ、フランス、スペイン、ドイツ、オランダなど各国で重要なLGBT漫画の作家が活動している。 日本では1970年代に異性愛女性が読む少女漫画の中から同性愛を描く作品が登場し、ボーイズラブやガールズラブと呼ばれる独自のジャンルへと派生して漫画同人誌文化や商業メディアに幅広く浸透していった。ただしそれらの作品は同性愛を理想化する傾向があり、必ずしもリアルなLGBTを描くものではなかった。少年漫画・青年漫画でもやや遅れてジェンダーのゆらぎを描く作品は描かれている。また異性愛男性向けアダルト漫画において性的ファンタジーとしての間性的なキャラクターが描かれることも多い。ゲイ当事者によるゲイ漫画は1980年代から商業的な同性愛雑誌で発表され始めた。1990年代に一般メディアで「ゲイブーム」が起きて以降はLGBT当事者による自伝的な作品も現れ、2010年代後半からは一般誌でLGBTテーマが扱われることが増えた。
本項では'''[[漫画]]における[[LGBT]]'''について述べる。漫画出版が盛んないずれの国においても初期にはLGBT([[レズビアン]]、[[ゲイ]]、[[両性愛|バイセクシュアル]]、[[トランスジェンダー]])のテーマが表立って描かれることはなく、受け手の解釈によって読み取られるのみだった。やがて20世紀後半から21世紀の初めにかけてLGBTのキャラクターが包摂され始め、[[カミングアウト]]の困難さ、社会的な[[差別|偏見]]、ゲイ同士の恋愛といった題材も描かれるようになった。 各国の漫画はLGBTのテーマにそれぞれ異なるアプローチを取ってきた。[[アメリカン・コミックス|米国]]の[[コミックブック]]出版では1954年から1989年まで[[コミックス倫理規定委員会]](コミックス・コード)が[[表現の自主規制|自主規制]]を行っており、少しでも[[同性愛]]を感じさせる描写は行えなかった{{sfn|Nyberg|1998|pp=143, 175–176}}。キャラクターの[[性的志向]]や[[性自認]]を描くにも遠回しにほのめかすか、[[サブテキスト]]として暗黙の裡に示すしかなかった。1970年代に至って、コードに準拠しない[[アンダーグラウンド・コミックス|アンダーグラウンド・コミック]]の中からLGBT当事者による自伝的・政治的な作品が現れ、独立したゲイコミックの文化が発展した。新聞配信の[[コミックストリップ]]でも1970年代後半から[[オープンリーゲイ|オープンリー・ゲイ]]のキャラクターが登場し始め、1980年代を通して一般化していった。コードの規制が緩和された1990年代以降にはコミックブック出版で主流のスーパーヒーロー作品でも現代的なLGBTの描写が見られるようになり、ゲイのキャラクターをメインにしたタイトルも数多く創刊された。2010年代には多様な出版形態によるLGBTQコミック全般が「コミックでもっとも急速に発展している分野」と呼ばれている<ref name=inrussia>{{cite web|url=https://imagetextjournal.com/we-are-here-queer-comics-in-russia/|accessdate=2023-10-25|title=‘We Are Here’: Queer Comics in Russia|publisher=ImageTexT|date=2023-10-25}}</ref><ref name=parisreview/>。 [[ユーロ・コミックス|ヨーロッパ]]では言語ごとの市場が小さく、ニッチなゲイコミックが米国のように発展することはなかった。とはいえ、[[フランス]]、[[スペイン]]、[[ドイツ]]など各国で重要なLGBT漫画の作家が活動している{{sfn|Hall|2013|loc="File Under Queer"}}。 [[日本の漫画|日本]]では1970年代に異性愛女性が読む[[少女漫画]]の中から同性愛を描く作品が登場し、[[ボーイズラブ]]や[[百合 (ジャンル)|ガールズラブ]]と呼ばれる独自のジャンルへと派生して漫画[[同人誌]]文化や商業メディアに幅広く浸透していった。ただしそれらの作品は同性愛を理想化する傾向があり、必ずしもリアルなLGBTを描くものではなかった{{sfn|秦|2014|p=55}}。[[少年漫画]]・[[青年漫画]]でもやや遅れてジェンダーのゆらぎを描く作品は描かれている。また異性愛男性向け[[成人向け漫画|アダルト漫画]]において性的ファンタジーとしての[[ふたなり|間性]]的なキャラクターが描かれることも多い。ゲイ当事者による{{仮リンク|ゲイ漫画|en|Bara (genre)}}は1980年代から商業的な[[ゲイ雑誌|同性愛雑誌]]で発表され始めた。1990年代に一般メディアで「[[日本における同性愛#ゲイ・ブーム|ゲイブーム]]」が起きて以降はLGBT当事者による自伝的な作品も現れ、2010年代後半からは一般誌でLGBTテーマが扱われることが増えた。 == 米国の漫画 == 米国の漫画は19世紀末に新聞紙上の[[コミックストリップ]]として生まれ、1930年代に[[コミックブック]]形式の漫画出版が成立した<ref name=couch>{{cite journal|url=https://www.imageandnarrative.be/inarchive/narratology/chriscouch.htm|accessdate=2023-10-29|title=The Publication and Formats of Comics, Graphic Novels, and Tankobon|first=Chris |last=Couch|journal=Image and Narrative|year=2000}}</ref>。コミックブックは32ページ前後の定期刊行物で<ref>{{cite web|url=https://www.adazing.com/how-many-pages-are-in-a-comic-book/|accessdate=2023-10-29|title=How Many Pages Are In A Comic Book? Tips For Comic Writers|publisher=Adazing Publishing}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.formaxprinting.com/blog/2013/10/six-things-to-consider-when-printing-a-comic-book-or-graphic-novel|accessdate=2023-10-29|title=Six Things to Consider When Printing a Comic Book |publisher= Formax Printing}}</ref>、現在では主に専門のコミックショップで売られている<ref name=couch/>。これらは別個の出版文化であって、一般紙誌に掲載されるコミックストリップは読者層が広くジャーナリズムの要素も持つ一方、コミックブックは若者のサブカルチャーと見なされがちである<ref name=couch/>。さらに近年の新たな流れとして書店で販売される書籍形式の[[グラフィックノベル]]が台頭している<ref name=couch/>。 === 初期の同性愛雑誌 === [[ファイル:Tom_of_Finland_-_Tattooed_Sailor_and_the_Hoods_2.jpg|サムネイル|『フィジーク・ピクトリアル』誌に掲載された[[トム・オブ・フィンランド]]のイラストレーション (1962)。]] LGBT関連のコミックの中でも、ゲイ男性向けのエロティックなジャンルは長い歴史を持っている<ref name=pw2012>{{cite web|url=https://www.publishersweekly.com/pw/by-topic/industry-news/comics/article/53549-fantagraphics-debuts-no-straight-lines-four-decades-of-queer-comics.html|accessdate=2023-10-09|title=Fantagraphics Debuts ‘No Straight Lines: Four Decades of Queer Comics’|publisher=Publishers Weekly|date=2012-08-14}}</ref>。[[トム・オブ・フィンランド]]の筆名で知られるトウコ・ラークソネンは盛り上がった筋肉や巨大なペニスのように男性性が誇張された[[イラストレーション]]を専門とする{{仮リンク|フェティッシュアート|en|Fetish art}}作家で、「最初のゲイ漫画家」とされている{{sfn|Hall|2013|loc="No Straight Lines"}}<ref>{{Citation|title=Tom of Finland: Ennennäkemätöntä – Unforeseen|last=Arell|first=Berndt|last2=Mustola|first2=Kati|year=2006|publisher=Like|isbn=952-471-843-X}}</ref>。ラークソネンは欧州で1940年代から違法な性的コミックの通信販売をアンダーグラウンドで行っていた。1957年からは米国の男性ヌード誌({{仮リンク|フィジーク・マガジン|en|Physique magazine|label=ビーフケーキ・マガジン}})の『{{仮リンク|フィジーク・ピクトリアル|en|Physique Pictorial}}』にイラストレーションを寄稿した。1960年代にわいせつ法が緩和されると、ラークソネンのエロティカはゲイコミュニティや芸術界に受容されていった<ref name=bookriot>{{cite web|url=https://bookriot.com/beyond-bechdel-a-brief-history-of-queer-comics/|accessdate=2023-10-21|title=Beyond Bechdel: A Brief History of Queer Comics|publisher=Book Riot|date=2016-05-05}}</ref>。ほかに初期の同性愛雑誌で活動していた作画家には{{仮リンク|ジョージ・クエンタンス|en|George Quaintance}}や{{仮リンク|ドム・オレフドス|en|Dom Orejudos}}(筆名エチエンヌ)がいる。 1930年代から1950年代にかけて違法に出版されていた[[ティファナ・バイブル]](有名キャラクターを無許諾で使用する[[ポルノグラフィ|ポルノ]]・コミック)には同性愛を描くものもあった<ref>{{cite web|url=https://gayleague.com/lgbt-comics-timeline/pre-stonewall/|accessdate=2023-12-21|title=Pre-Stonewall|publisher=GAY LEAGUE}}</ref>。 === アンダーグラウンド・コミック/ゲイコミック === ポルノグラフィ以外で最初にLGBTのテーマを扱い始めたのは、独立系の小出版社や自己出版による[[アンダーグラウンド・コミックス|アンダーグラウンド]]なコミックブックだった{{sfn|Slade|2001|p=941}}。それらは一般の流通経路に乗らず、商業作品のように内容の規制を受けなかった。アンダーグラウンド・コミック運動の火付け役となった『{{仮リンク|ザップ・コミックス|en|Zap Comix}}』誌<ref>{{cite web|url=https://www.tcj.com/the-50th-anniversary-of-underground-comix/|accessdate=2023-10-15|title=The 50th Anniversary of Underground Comix|publisher=The Comics Journal|date=2018-10-03}}</ref>の第3号 (1968) に掲載された{{仮リンク|S・クレイ・ウィルソン|en|S. Clay Wilson}}の “Captain Pissgums and His Pervert Pirates”{{翻訳|飲尿船長と変態海賊団}}は同性間の性行為を克明に描いており、ほかの漫画家がタブーの題材に挑戦するきっかけを作った<ref>{{cite web|url=https://www.tcj.com/notes-on-s-clay-wilson/|accessdate=2023-10-15|title=Notes on S. Clay Wilson|publisher=The Comics Journal|date=2011-04-22 }}</ref>。しかし初期のアンダーグラウンド・コミックは異性愛者男性が主体で<ref name=bookriot/>、ゲイが登場するとしても奇妙な口調の[[カリカチュア]]か、コミカルな[[異性装|異性装者]]であるのが普通だった。 1969年に起きた[[ストーンウォールの反乱]]と[[ゲイ解放運動]]の高まりはLGBTコミックが描かれる土壌を作った<ref name=pw2012/>。1972年に創刊されたフェミニズム系コミック誌の草分け {{仮リンク|ウィミンズ・コミックス|en|Wimmen's Comix|label=''Wimmen's Comix''}} 第1号には、[[ポルノグラフィ]]ではないコミックとして初めてオープンなレズビアンを描いた "Sandy Comes Out"{{翻訳|サンディのカミングアウト}}が掲載されていた<ref name=pw2012/>{{sfn|Kaplan|2006|p=86}}。その作者[[トリナ・ロビンス]]が異性愛者であったことは、LGBT当事者を刺激して自分の物語を描くよう促した。刺激された中にはレズビアンテーマの単発コミックとして最初の ''Come Out Comix'' (1972) を描いた{{仮リンク|メアリー・ウィングズ|en|Mary Wings}}や<ref name=pw2012/>、レズビアンを主人公とする最初の定期誌 ''Dynamite Damsels'' (1976) を発刊した{{仮リンク|ロバータ・グレゴリー|en|Roberta Gregory}}らがいる{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}。 [[ファイル: Loz howard cruse.png|サムネイル|180ピクセル|[[ハワード・クルーズ]](2015年)。]] [[1960年代のカウンターカルチャー|カウンターカルチャー]]運動の流れを汲むアンダーグラウンド・コミックは1970年代半ばに衰退したが{{sfn|中垣|2015|p=42}}、ゲイコミックのサブカルチャーは保たれた<ref name=bookriot/>。一般コミックブックの流通に乗った最初のゲイコミックとされているのは {{仮リンク|ゲイ・ハートスロブズ|en|Gay Heart Throbs|label=''Gay Heartthrobs''}} 誌である。内容は[[キャンプ (様式)|キャンプ]]な[[エロティカ]]で{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}、1970年代半ばに数号が発行されたが販売面で苦戦した{{sfn|Slade|2001|p=941}}。重要なシリーズとしては1980年に{{仮リンク|ハワード・クルーズ|en|Howard Cruse}}が発刊した {{仮リンク|ゲイ・コミックス|en|Gay Comix|label=''Gay Comix''}}{{efn2|誌名を "Comix"と綴るのは[[アンダーグラウンド・コミック]]の時代に特有の慣習である。非主流コミックの文化が[[オルタナティヴ・コミック]]に移行すると同誌も ''Gay Comics'' に改名された{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}。}} がある{{sfn|Greyson|2007|p=131}}<ref name=nbc>{{cite web|url=https://www.nbcnews.com/nbc-out/out-pop-culture/no-straight-lines-unearths-hidden-history-queer-comic-books-rcna66991|accessdate=2023-10-21|title='No Straight Lines' unearths the hidden history of queer comic books|date=2023-01-24}}</ref>。LGBTの作家を集めたコミック誌でゲイ解放運動とは密接なつながりがあった。初期には恋愛やカミングアウト、社会的抑圧やセックスを題材にした自伝的な作品が中心だったが{{sfn|Rothschild|1995b|p=64}}、後にはスーパーヒーローやゾンビのようなエンターテインメント寄りのテーマも扱うようになった。非主流のLGBTコミックについての情報も載せられていた{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}{{sfn|Haggerty|2005|p=209}}。ハワード・クルーズはこの時期の「最も重要なゲイ漫画家」とみなされており、ゲイカルチャー外の『[[メタル・ユルラン|ヘビー・メタル]]』、{{仮リンク|Raw (コミック)|en|Raw (comics magazine)|label=''Raw''}}、『[[ヴィレッジ・ヴォイス]]』などでもLGBTテーマの作品を描いていた{{sfn|Rothschild|1995b|p=63}}。1995年に出版されたクルーズの {{仮リンク|スタック・ラバー・ベイビー|en|Stuck Rubber Baby|label=''Stuck Rubber Baby''}} は[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|公民権運動]]の最中に育ったゲイの少年を主人公とする長編書籍で、主流文化に受け入れられた最初のゲイコミックの一つである<ref name=nbc/>。 1986年から2004年まで刊行された {{仮リンク|ミートマン|en|Meatmen (comics)|label=''Meatmen''}} は多数の作画家や漫画家によるアンソロジー書籍のシリーズで、ハワード・クルーズ、{{仮リンク|ジェフ・クレル|en|Jeff Krell}}、{{仮リンク|ブラッド・パーカー|en|Brad Parker (artist)}}、{{仮リンク|ジョン・ブラックバーン|en|John Blackburn (cartoonist)}}、{{仮リンク|ジョン・メイシー|en|Jon Macy}}、トム・オブ・フィンランドら当時の重要なゲイ漫画家が寄稿していた{{sfn|Slade|2001|p=941}}。''Meatmen'' はジェンダーバランスに注意が払われていた ''Gay Comics'' と比べて男性寄りの内容で、直接的な性描写や荒っぽい笑いが特徴だった{{sfn|Rothschild|1995b|p=70}}。 1980年代以降に盛んになった自主制作コピー本({{仮リンク|ミニコミック|en|Minicomic}})シーンでは、{{仮リンク|ホットヘッド・パイザン|en|Hothead Paisan|label=''Hothead Paisan: Homicidal Lesbian Terrorist''}} など、[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]の{{仮リンク|クィアコア|en|Queercore}}から影響を受けたLGBTQ+作家が一般的なゲイコミュニティよりもラディカルな作品を描いていた{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}<ref name=bookriot/>。 [[ファイル: Alison Bechdel at Politics and Prose.jpg|サムネイル|180ピクセル|[[アリソン・ベクダル]](2012年)。]] ゲイ解放運動とともに数多く創刊されたゲイ専門の出版物にはLGBTテーマを広く扱うコミックストリップが掲載されていた。[[ジョー・ジョンソン (漫画家)|ジョー・ジョンソン]]や{{仮リンク|ショーン (漫画家)|en|Sean (cartoonist)|label=ショーン}}らは初期から1コマ漫画を描いていた<ref name=bookriot/>。1980年代後半からはハワード・クルーズの ''Wendel'' 、{{仮リンク|ドネラン|en|Donelan (cartoonist)}}の ''It's a Gay Life'' 、{{仮リンク|ティム・バレラ|en|Tim Barela}}の ''Leonard and Larry'' などが『[[アドボケート (雑誌)|アドヴォケート]]』のような全国的なゲイ雑誌に配信された。ニューオーリンズの ''Impact'' 紙に連載されたロン・ウィリアムズの ''Quarter Scenes'' など、地方紙が独自のコミック作品を掲載することもある{{sfn|Donovan|2005|p=209}}。{{行内引用|大衆文化におけるレズビアン表象の先駆的作品}}として特筆すべき作品に{{sfn|中垣|2015|p=48}}、{{行内引用|LGBTコミックの元老}}と呼ばれる{{仮リンク|アリソン・ベクダル|en|Alison Bechdel}}によって1983年から2008年にかけて描かれた {{仮リンク|ダイクス・トゥ・ウォッチ・アウト・フォー|en|Dykes to Watch Out For|label=''Dykes to Watch Out For''}}{{翻訳|レズビアンに気を付けて}}がある。同作は社会批判・政治批判に加えて多様な社会階級のキャラクターが登場することで知られている{{sfn|Thalheimer|2004 |p=250}}{{sfn|Bongco|2000|p=208}}。ベクダル以降のコミックストリップ作品としては {{仮リンク|チェルシー・ボーイズ|en|Chelsea Boys|label=''Chelsea Boys''}} や、実写映画化された {{仮リンク|ザ・モストリー・アンファビュラス・ソーシャル・ライフ・オブ・イーサン・グリーン|en|The Mostly Unfabulous Social Life of Ethan Green|label=''The Mostly Unfabulous Social Life of Ethan Green''}} 、{{仮リンク|ア・カップル・オブ・ガイズ|en|A Couple of Guys|label=''A Couple of Guys''}} 、{{仮リンク|ジェーンズ・ワールド|en|Jane's World|label=''Jane's World''}} が挙げられる{{sfn|Young|2001|p=188}}。ベクダルは2006年に[[クローゼット (性的指向)|クローゼット]]・ゲイだった父親との関係を綴った長篇書籍『[[ファン・ホーム ある家族の悲喜劇]]』を出した。同書は『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌によって同年の一般書籍のベストに挙げられるなど主流メディアから高く評価され{{sfn|Hall|2013|loc="A New Millennium"}}、LGBTを表現するコミックの新しい潮流を生み出した<ref name=parisreview>{{cite web|url=https://www.theparisreview.org/blog/2017/12/11/rise-queer-comics/|accessdate=2023-10-15|title=The Rise of Queer Comics|publisher= The Paris Review |date=2023-10-14}}</ref>。 2000年代にはウェブコミックの登場によってクィア・コミックはさらに活発になった。一般社会においてもクィア文化への関心が高まった<ref name=bookriot/>。[[トランスジェンダー]]の作家がオープンに活動を始めたのはこの時期で、同性愛者よりもかなり遅かった{{sfn|Hall|2013|loc="A New Millennium"}}。近年ではクィア専門ではないオルタナティヴ系出版社からもクィアなテーマを正面から扱った作品が出るようになった<ref name=tcj2014/><ref name=cbr2020>{{cite web|url=https://www.cbr.com/good-lgbtq-comics-rep-look-indies/|accessdate=2023-10-21|title=For Good LGBTQ Comics Rep, Look to Indies|date=2020-04-08|publisher=CBR}}</ref>。2012年に漫画家{{仮リンク|ジャスティン・ホール (漫画家)|en|Justin Hall (cartoonist)|label=ジャスティン・ホール}}はLGBTコミックの歴史を振り返る書籍 {{仮リンク|ノー・ストレート・ラインズ|en|No Straight Lines|label=''No Straight Lines''}} を出版し<ref name=pw2012/><ref>{{cite web|url=https://www.publishersweekly.com/978-1-60699-506-8|accessdate=2023-10-09|title=No Straight Lines|publisher=Publishers Weekly}}</ref>、クィア文化が社会の主流文化に溶け込んでいく時代の流れと連動して{{行内引用|ほかのコミックとは別の並行世界に存在していた}}ゲイコミックがほかの分野に浸透し始めたと書いている<ref name=tcj2014>{{cite web|publisher=The Comics Journal|title=What Was So Queer About Comics in 2014?|date=2015-01-14|accessdate=2023-10-30|url=https://www.tcj.com/what-was-so-queer-about-comics-in-2014/}}</ref>。 === コミックストリップ === [[ファイル: Krazy Kat 1917-12-24.gif|サムネイル|中央|700ピクセル|『[[クレイジー・カット]]』1917年12月24日作品。ネコのクレイジーは自分が男性とも女性とも決めかねると発言しつつ、ネズミ男性のイグナッツに一方的に恋をする<ref>{{cite web|title=The Gender Fluidity of Krazy Kat|url=https://www.newyorker.com/books/page-turner/the-gender-fluidity-of-krazy-kat|publisher= The New Yorker|date=2017-01-19|accessdate=2023-10-29}}</ref>。]] {{clear}} 初期のコミックストリップは表立ってゲイを取り扱っていなかったが、クィアなサブテキストが読み取られている作品もある。[[ジョージ・ヘリマン]]による『[[クレイジー・カット]]』(1913–1944) はネコとネズミとイヌが[[三角関係]]の恋愛を演じる作品で、主人公のクレイジーは性別があいまいにされており[[ジェンダークィア]]と見ることができる<ref name=parisreview>{{cite web|url=https://www.theparisreview.org/blog/2017/12/11/rise-queer-comics/|accessdate=2023-10-15|title=The Rise of Queer Comics|publisher= The Paris Review |date=2023-10-14}}</ref>。{{仮リンク|ミルトン・カニフ|en|Milton Caniff}}の {{仮リンク|テリー・アンド・ザ・パイレーツ|en|Terry and the Pirates|label=''Terry and the Pirates''}}(1938–1939年シリーズ)に登場する[[男装]]の女性悪役サンジャクは主人公のガールフレンドを狙っているレズビアンと解釈されることがある<ref name="Applegate">{{Citation|title=''Coming Out in the Comic Strips''|last=Applegate|first=David|url=http://cagle.msnbc.com/hogan/features/out/out.asp|archive-url=https://web.archive.org/web/20090203045438/http://cagle.msnbc.com/hogan/features/out/out.asp|archive-date=2009-02-03|publisher=MSNBC|access-date=2023-10-15}}</ref><ref name=tms>{{cite web|url=https://www.themarysue.com/lgbt-history-in-mainstream-comics-part-1/|accessdate=2023-12-18|title=A Little History: LGBT Representation in Mainstream American Comics, Part 1|publisher=The Mary Sue|date=2014-05-15|first=Alan|last=Kistler}}</ref>。 広く配信されるコミックストリップ作品で最初にLGBTテーマやゲイのキャラクターを描いたのは[[ギャリー・トゥルードー]]の『[[ドゥーンズベリー]]』である。1976年に同作で登場した{{仮リンク|アンディ・リッピンコット|en|Andy Lippincott}}はゲイ男性で、1982年にゲイ解放運動家として再登場した<ref name=tms2>{{cite web|url=https://www.themarysue.com/lgbt-history-in-mainstream-comics-part-2/|accessdate=2023-12-18|title=LGBT History In Mainstream Comics: A History Part 2 |publisher=The Mary Sue|date=2014-05-16|first=Alan|last=Kistler}}</ref>。その後作中で[[ヒト免疫不全ウイルス|HIV]]に感染し、1990年に死亡した。[[後天性免疫不全症候群|AIDS]]の問題がコミックストリップで扱われたのはそれが初めてだった<ref name="Applegate" />{{sfn|Haggerty|2000|pp=208-209}}。トゥルードーは一連のストーリーにより[[ピューリッツァー賞]]のノミネートを受けた<ref>{{Cite news |title=Doonesbury comic highlights sacrifices of war |url=http://www.projo.com/yourlife/content/projo_20040423_lostleg.294a0a.html |newspaper=The Providence Journal|date=2004-04-23 |accessdate=2023-10-15|archivedate=2011-05-23|archiveurl= https://web.archive.org/web/20110523060936/http://www.projo.com/yourlife/content/projo_20040423_lostleg.294a0a.html }}</ref>。一方で、同作を掲載していた900紙以上のうち3紙がこの展開を「悪趣味」だとして掲載を拒否した<ref>{{Cite news |title=3 Papers Cut Doonesbury AIDS Story |url=http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=MH&s_site=miami&p_multi=MH&p_theme=realcities&p_action=search&p_maxdocs=200&p_topdoc=1&p_text_direct-0=0EB33BF1D4D7C5FB&p_field_direct-0=document_id&p_perpage=10&p_sort=YMD_date:D |newspaper=Miami Herald |date=1989-04-10|accessdate=2023-10-10|archive-url=https://web.archive.org/web/20181024073801/http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=MH&s_site=miami&p_multi=MH&p_theme=realcities&p_action=search&p_maxdocs=200&p_topdoc=1&p_text_direct-0=0EB33BF1D4D7C5FB&p_field_direct-0=document_id&p_perpage=10&p_sort=YMD_date:D |archive-date=2018-10-24}}</ref>。それから2年後、以前から読者に親しまれていた別のキャラクターがゲイだったと明かされ、批判を恐れない作品という評価を固めた<ref name="Applegate" />{{sfn|Sewell|2001|p=258}}。 {{仮リンク|リン・ジョンストン|en|Lynn Johnston}}の『{{仮リンク|良かれ悪しかれ|en|For Better or for Worse}}』は1993年に主人公一家の隣人の少年がゲイをカミングアウトするストーリーを描いて激しい論争を招いた{{sfn|Haggerty|2000|pp=208-209}}。反同性愛的な読者は掲載紙の購読停止を宣言し、ジョンストンは家族も含めて殺人予告を受けた<ref>{{Cite news |url=http://www.macleans.ca/news/canada/lynn-johnston-drew-the-best-and-worst-of-life/ |title=Lynn Johnston drew the best and worst of life: Canada's Stories |date=2014-06-29 |newspaper=Macleans.ca |access-date=2017-06-07 |language=en-US}}</ref>{{sfn|Booker|2014|p=1047}}。配信紙1400紙のうち40紙ほどが問題の回を差し替えるよう要求し、約20紙が連載を打ち切った<ref name="Applegate" /><ref>{{Cite web|title=Floridian: Comic controversy|last=Zucco|first=Tom|date=2001-09-04|url=http://www.sptimes.com/News/090401/Floridian/Comic_controversy.shtml|journal=St. Petersburg Times|access-date=2023-10-15|archiveurl= https://web.archive.org/web/20090423081150/http://www.sptimes.com/News/090401/Floridian/Comic_controversy.shtml |archivedate=2009-04-23}}</ref><ref>{{Cite web|title=Lawrence Poirier: The First Gay Character in A Syndicated Comic Strip Comes Out|last=Johnston|first=Lynn|url=http://www.fborfw.com/features/lawrence/index.php?page=three|publisher=FBoFW.com|access-date=2023-10-15}}</ref>。しかしやがてゲイ当事者やその家族から好意的な手紙が届くようになり、最終的にジョンストンが受け取った反応の7割がポジティブなものだった<ref>{{cite web|url=https://www.fborfw.com/features/lawrence/index.php?page=five|accessdate=2023-10-21|title=Lawrence Poirier: The First Gay Character in A Syndicated Comic Strip Comes Out|publisher=lynn Johnston}}</ref>。同作は1994年に{{仮リンク|ピューリッツァー賞イラストレーテッド・リポーティング・アンド・コメンタリー部門|en|Pulitzer Prize for Illustrated Reporting and Commentary|label=ピューリッツァー賞時事漫画部門}}最終選考作品に挙げられ、受賞は逃したものの「同性愛者少年のカミングアウトと家族や友人の反応をセンシティブに描いたこと」が選考委員会によって称えられた<ref>{{Cite web |url=http://www.pulitzer.org/bycat/Editorial-Cartooning |archive-url=https://web.archive.org/web/20151224115117/http://www.pulitzer.org/bycat/Editorial-Cartooning |url-status=dead |title=Editorial Cartooning |archive-date=2015-12-24|website=www.pulitzer.org|accessdate=2023-10-10}}</ref>。 [[コミック・ストリップのシンジケート配信|新聞配信]]作品に求められるのは穏当な家族向けの内容であり<ref name=backlot/>、[[通信社]]は漫画家に政治性を出さないよう求めたり、LGBTのキャラクターの数に上限を設けることがある{{sfn|Sewell|2001|p=263}}。21世紀に入っても前世紀からあまり大きな変化は見られないが、{{仮リンク|キャンドーヴィル|en|Candorville|label=''Candorville''}} や『[[ブーンドックス (漫画)|ブーンドックス]]』などは例外的にLGBTを大きく扱っている<ref name=backlot>{{Cite book|title=The Cartoon Closet|last=Hartinger|first=Brent|date=2008-05-18|url=http://www.thebacklot.com/the-cartoon-closet/05/2008/|publisher=AfterElton.com|access-date=2023-10-15|archivedate=2015-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150905205144/http://www.thebacklot.com/the-cartoon-closet/05/2008/}}</ref>。保守的な傾向の作品 {{仮リンク|マラード・フィルモア|en|Mallard Fillmore|label=''Mallard Fillmore''}} は批判的な切り口でゲイを取り上げることがある<ref name=backlot/>。雑誌は新聞よりも制約が緩く、[[マット・グレイニング]]の『{{仮リンク|ライフ・イン・ヘル|en|Life in Hell}}』などゲイの主要キャラクターを持つ作品の例がある<ref name=backlot/>。 === メインストリーム・コミック === {{main|:en:LGBT themes in American mainstream comics}} 「メインストリーム・コミック」とは、歴史的に[[コミックブック]]出版の主流を占めてきた[[スーパーヒーロー]]ものとその周辺のジャンル作品を意味する{{sfn|Ayres|2021|p=215}}。 [[マーベル・コミックス]]と[[DCコミックス]]の2大出版社を中心とするメインストリーム作品は20世紀の大部分にわたってゲイの登場人物を排除しており、[[インクルーシブ社会|包摂性]]の欠如を批判されてきた<ref name="aftereltongaycom"/>。そのような状況をもたらした大きな原因は、1954年に精神科医[[フレデリック・ワーサム]]が書いた『{{仮リンク|セダクション・オブ・ジ・イノセント|en|Seduction of the Innocent|label=無垢なる者たちへの誘惑}}』である。当時のコミックが子どもに有害な影響を与えていると批判する内容の書籍で、問題とされた中に[[性役割]]の否定やヒーローの同性愛があった<ref name=aande>{{cite web|url=https://www.history.com/news/how-the-code-authority-kept-lgbt-characters-out-of-comics|accessdate=2023-10-15|title=How the “Code Authority” Kept LGBT Characters Out of Comics|publisher=A&E Television Networks|date=2020-06-22}}</ref>。ワーサムは女性の役割に従わない[[ワンダーウーマン]]が[[ミサンドリー|男性嫌悪]]のレズビアンだと主張し{{sfn|Wertham|1954|pp=192-193}}、[[バットマン (架空の人物)|バットマン]]と助手の[[ロビン (バットマン)|ロビン]]の関係が{{行内引用|子供を同性愛的なファンタジーに導く}}と書いた{{sfn|Wertham|1954|pp=189–190}}。ワーサムが招いた世論の高まりを受けて業界団体によって[[コミックス倫理規定委員会]] (コミックス・コード) が設置され、事実上の検閲を行い始めた{{efn2|米国漫画文化の強い影響下にあるカナダにおいても同様の議論が起こり、センセーショナルな{{仮リンク|クライム・コミック|en|Crime comics|label=犯罪コミック}}やわいせつ表現は刑法で禁じられることになった{{sfn|Greyson|2007|p=131}}。}}。不倫の美化や性描写などと並んで「一切の性的倒錯」が禁止事項に挙げられ、コミックス・コードの認可を受けたタイトルでは同性愛を描くことはできなくなった。しかし直接的な描写を避けることで暗にLGBTのテーマを描く作品もあった<ref name=aande/>。初期の例には『[[キャプテン・アメリカ]]』の幼馴染の男性がゲイだったという1982年の作品がある<ref name=seattletimes2021>{{cite web|url=https://www.seattletimes.com/entertainment/books/from-supermans-bisexual-son-to-harley-quinn-and-poison-ivy-lgbtq-representation-is-increasing-in-mainstream-comics/|accessdate=2023-11-07|title=From Superman’s bisexual son to Harley Quinn and Poison Ivy, LGBTQ+ representation is increasing in mainstream comics|publisher=The Seattle Times|date=2021-12-01}}</ref>。またヒーローや[[悪役|ヴィラン]]がSF的な手段で性転換するエピソードは実際のところよく描かれていた<ref>{{cite web|url=https://screenrant.com/superman-dc-universe-swapped-genders-versions-prank/|accessdate=2023-10-14|title=The DC Universe Swapped Gender Just to Screw with Superman|date=2020-11-21|publisher=Screen Rant}}</ref><ref name=transhistory>{{cite web|url= https://www.autostraddle.com/the-complete-history-of-transgender-characters-in-american-comic-books-316126/?all=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200625172748/https://www.autostraddle.com/the-complete-history-of-transgender-characters-in-american-comic-books-316126/?all=1|archivedate=2020-06-25|accessdate=2023-10-14|title=The Complete History of Transgender Characters in American Comic Books|date=2015-11-17|publisher=Auto Straddle}}</ref>。 コミックス・コードの規制は時代とともに緩められていき、1989年にはLGBTの描写が可能になった<ref name=aande/>。この時期、一般メディアでゲイとレズビアンの露出が飛躍的に増加するのと軌を一にして{{sfn|Franklin|2001|p=238}}、メインストリームのスーパーヒーロー・コミックでも同性愛のキャラクターが登場し始めた{{sfn|Franklin|2001|p=222}}。当初はサブ的な役割でしかなかったが、次第にストーリーの中心を占めるキャラクターも現れた<ref name="aftereltongaycom">{{cite web|title=Gay Comics 101|last=Palmer|first=Joe|date=2006-10-16|url=http://www.afterelton.com/print/2006/10/gaycomics.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20090322195553/http://www.afterelton.com/print/2006/10/gaycomics.html|archive-date=2009-03-22|publisher=AfterElton.com|access-date=2023-10-08}}</ref>。2010年代にその動きは加速し、ストーリーや題材の多様性も増した<ref name=seattletimes2021/>。2013年ごろには当時全米で議論を呼んでいた[[同性婚]]が率先して作中に取り入れられた。それを促進したマーベル・コミックス編集長{{仮リンク|アクセル・アロンゾ|en|Axel Alonso}}は、スーパーヒーローという存在が{{行内引用|他者と異なっていることにともなう試練と苦難の物語において、最も力強いメタファーとなる}}と語っている<ref name=esquire>{{cite web|url=https://www.esquire.com/entertainment/a22857/gay-superheroes/|accessdate=2023-12-21|title=Gay Superheroes - Why Your Comics Are Getting Gayer|date=2013-06-02|publisher=Esquire}}</ref>。このトレンドは現実のLGBT人口比を作品に反映するものとして基本的に支持されており<ref name=seattletimes2021/>、LGBTのコミュニティや[[GLAAD]]のような団体から歓迎されている反面、[[宗教右派]]団体など[[保守|保守層]]からは批判を受けている<ref name="aftereltongaycom"/><ref name="greenlaterncrit"/>。作品が[[アイデンティティ政治]]の場になっているとして反発するコミックファンもおり<ref name="greenlaterncrit">{{Cite web |url=http://www.bostonphoenix.com/boston/news_features/top/features/documents/02404906.htm |title=Comic relief |publisher=Boston Phoenix |access-date=2023-10-09 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20100202073041/http://bostonphoenix.com/boston/news_features/top/features/documents/02404906.htm |archive-date=2010-02-02}}</ref>、特に既存のキャラクターの[[性的指向]]を変更する措置には議論が寄せられている<ref>{{cite web|url=https://www.sportskeeda.com/comics/news-dc-faces-severe-backlash-introducing-gay-robin|accessdate=2023-10-12|title=DC faces severe backlash after introducing gay Robin|date=2023-03-31|publisher=Sportskeeda}}</ref><ref name=gayleague2020/>。 [[クィア理論]]の分析によると、オルタナティヴ・コミックが[[LGBTの文化|LGBT文化]]の独自性を強調する一方、メインストリーム・コミックのLGBTキャラクターは[[異性愛規範|異性愛中心]]の社会に同化しているように描かれる傾向がある{{sfn|McAllister et al.|2001|p=11}}。アリソン・ヤングは、メインストリーム・コミックには性的少数者の存在をストーリーで直接描く「統合主義的<!--integrationist-->」なものと、バットマンとロビンの関係に密かに{{仮リンク|ホモエロティシズム|en|Homoeroticism}}を込めるような「{{仮リンク|ホモノーマティヴィティ|en|Homonormativity|label=同性愛規範的}}」なものがあると書いている{{sfn|Young|2005|p=186}}。 ==== DCコミックス ==== ''Encyclopedia of Gay Histories and Cultures'' {{翻訳|ゲイの歴史と文化の百科事典}}(2000) によれば、[[DCコミックス]]の作品には{{仮リンク|アメリカン・コミックスのゴールデンエイジ|en|Golden Age of Comic Books|label=ゴールデンエイジ}}(1930-1950年代)からすでにゲイの[[サブテキスト]]が存在しており、当時の読者は女性だけで住む[[アマゾーン|アマゾン族]]や、男性ヒーローと[[サイドキック]](少年助手)の間に同性愛を読み取っていた{{sfn|Donovan|2000|pp=208-209}}。特に[[バットマン (架空の人物)|バットマン]]と[[ロビン (バットマン)|ロビン]]の関係は{{仮リンク|バットマンシリーズにおける同性愛|en|Homosexuality in the Batman franchise|label=同性愛の観点からの関心}}が持たれている<ref name=bulletin2002>{{Cite web |url=http://comicsbulletin.com/batman-gay/ |title=Is Batman Gay? |website=Comics Bulletin |date=2002-02-02 |accessdate=2023-10-10|last=Donald |first=Alan |archive-date=2008-12-01|archive-url=https://web.archive.org/web/20081201072032/http://www.comicsbulletin.com/panel/106070953757230.htm }}</ref>。フレデリック・ワーサムは『無垢なるものへの誘惑』で{{行内引用|バットマンのコミックは心理学から見ると同性愛的である}}と主張し、{{行内引用|成熟した「バットマン」と若き友人「ロビン」の冒険にはほのかな同性間性愛の空気が漂っている}}と書いた{{sfn|Wertham|1954|pp=189–190}}。アンディ・メドハーストは、バットマンが「同性愛者とみなされて攻撃を受けた架空のキャラクターとして最初期の一人」であり、また「1960年代の[[バットマン (テレビドラマ)|テレビ版『バットマン』]]が[[キャンプ (様式)|キャンプ]](同性愛的な美意識)の基準となった」という点でゲイから関心が深いと書いている{{sfn|Medhurst|1991|p=150}}。制作にかかわったクリエイターの多くはバットマンがゲイだということを否定しているものの<ref name=bulletin2002/>、代表的なバットマン作家の一人[[フランク・ミラー]]は、バットマンが性衝動を犯罪との闘いに[[昇華 (心理学)|昇華]]したキャラクターであり、敵役[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]はそれを脅かす{{行内引用|[[ホモフォビア|同性愛恐怖]]の権化}}なのだという解釈を示している{{sfn|Sharrett|1991|pp=37-38}}。 DCで初めて明確にゲイとして描かれたキャラクターは女性的な[[ヒスパニック]]男性のヒーロー{{仮リンク|エストラーニョ|en|Extraño}}である。1987年に登場して短期間活躍したが{{sfn|Donovan|2000|pp=208-209}}、[[オネエ]]風の言葉遣いや<ref name=tms2/>、[[ヒト免疫不全ウイルス|HIVウイルス]]を武器とするヴィランに殺されるなど、戯画的ともいえる描き方だった<ref>{{cite web|url=https://www.cbr.com/dc-redeemed-their-first-gay-superhero-extrano/|accessdate=2023-10-27|title=DC's First Out Gay Hero Had A Rough Start, But Greatly Improved|publisher=CBR|date=2022-04-23}}</ref>。コミックス・コードの制約が解かれた1989年前後には、一般人キャラクターの同性愛者を共感的に描く作品が現れ始め{{sfn|Franklin|2001|p=225}}、[[アマゾーン|アマゾン族]]の間の同性愛が作中で言及された<ref name=aande/>。成人読者向けシリーズ『{{仮リンク|ヘルブレイザー|en|Hellblazer}}』の主人公[[ジョン・コンスタンティン]]が[[バイセクシュアル]]だと発言する例もあった<ref>{{cite web|url=https://www.cbr.com/justice-league-dark-apokolips-war-john-constantine-bisexual-bispecieal-matt-ryan/|accessdate=2023-10-10|title=Matt Ryan Says Constantine Isn't Just Bisexual - He's 'Bi-Specieal'|publisher=CBR|date=2020-05-07}}</ref>。『[[サンドマン (ヴァーティゴ)|サンドマン]]』(1991) や『[[リージョン・オブ・スーパーヒーローズ]]』(1992) では[[トランスセクシュアル]]のテーマが扱われた{{Sfn|Donovan|2000|p=209}}。1993年には[[トランスジェンダー]]の原作者{{仮リンク|レイチェル・ポラック|en|Rachel Pollack}}が『{{仮リンク|ドゥーム・パトロール|en|Doom Patrol}}』誌に起用されてLGBTテーマを多く取り入れた<ref>{{Cite web |url=https://www.comicmix.com/2015/10/27/joe-corallo-coagula-dcs-first-and-only-transgender-superhero/ |title=Coagula, DC's First And Only Transgender Superhero |last=Corallo |first=Joe |date=2015-10-27 |publisher=ComicMix|language=en |access-date=2023-10-10|url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20201024093816/https://www.comicmix.com/2015/10/27/joe-corallo-coagula-dcs-first-and-only-transgender-superhero/ |archive-date=2020-10-24}}</ref>。 LGBTを大きく扱った作品で顕著なものとしては、『[[グリーンランタン]]』誌で主人公をサポートするゲイ男性が[[ヘイトクライム]]の対象にされるストーリー (2002) がある<ref name="greenlaterncrit"/>{{sfn|Young|2005|p=187}}。これにより同誌の原作者{{仮リンク|ジャッド・ウィニック|en|Judd Winick}}はGLAAD賞を2度、ゲイラクティック・スペクトラム賞を1度受賞したが、読者からは反発も寄せられた<ref name="greenlaterncrit" />。[[バットマン (架空の人物)|バットマン]]型の自警主義ヒーロー{{仮リンク|ミッドナイター|en|Midnighter}}と、その恋人で[[スーパーマン (架空の人物)|スーパーマン]]型の超人ヒーロー{{仮リンク|アポロ (DCコミックス)|en|Apollo (DC Comics)|label=アポロ}}のように、主役級の扱いを受ける同性愛者のヒーローも現れた{{sfn|Lendrum|2005}}{{efn2|いずれのキャラクターも初出は[[ジム・リー]]の出版社{{仮リンク|ワイルドストーム|en|Wildstorm}}からだったが、同社が買収されたことで現在はDC所属となっている。}}。2006年にはレズビアン女性のキャラクター({{仮リンク|ケイト・ケイン|en|Kate Kane}})に伝統あるヒーロー名{{仮リンク|バットウーマン (架空の人物)|en|Batwoman|label=バットウーマン}}が与えられ、一般メディアから注目を受けた<ref>{{Cite journal|title=Queering the Comics|last=Ferber|first=Lawrence|date=July 18, 2006|journal=The Advocate|page=51}}</ref><ref name="Advocate 1019">{{Citation|title=Don't Mask, Do Tell|last=Colón|first=Suzan|date=2008-11-18|url=http://www.advocate.com/issue_story_ektid63952.asp|archive-url=https://web.archive.org/web/20081025052645/http://www.advocate.com/issue_story_ektid63952.asp|archive-date=2008-10-25|journal=|The Advocate|pages=18, Issue #1019|access-date=2023-10-15}}</ref><ref>{{Cite journal|title=Outed in Batman's Backyard|last=Mangels|first=Andy|date=May 27, 2003|journal=The Advocate|page=62}}</ref><ref>{{Cite web|title=DC readies lesbian Batwoman for take-off|last=Flood|first=Alison|date=2009-02-11|url=https://www.theguardian.com/books/2009/feb/11/lesbian-batwoman-dc-comics|publisher=The Guardian|accessdate=2023-10-15}}</ref><ref>{{Citation|title=ICv2: Batwoman takes over 'Detective'|url=https://icv2.com/articles/comics/view/14269/batwoman-takes-over-detective|archive-url=https://web.archive.org/web/20211023051852/https://icv2.com/articles/comics/view/14269/batwoman-takes-over-detective|archive-date=2021-10-23|access-date=2023-10-15}}</ref>。 DCは2011年に「{{仮リンク|THE NEW 52|en|The New 52}}」と銘打って全タイトル規模のリローンチを行った。このときレズビアンのバットウーマンが個人誌を得たほか、バイセクシュアルのアフリカ系女性を主人公にした『{{仮リンク|ヴードゥー (コミック)|en|Voodoo (Wildstorm)|label=ヴードゥー}}』も創刊された<ref>{{Cite web |url=https://www.advocate.com/arts-entertainment/features/2011/07/18/and-out-closet |title=Up, Up and Out of the Closet |date=2011-07-18 |access-date=2023-10-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110718192501/http://www.advocate.com/Arts_and_Entertainment/Features/Up%2C_Up_and_Out_of_the_Closet/ |archive-date=2011-07-18}}</ref>。[[グリーンランタン]]の一人で1940年代から活躍してきた{{仮リンク|アラン・スコット (架空の人物)|en|Alan Scott|label=アラン・スコット}}もオープンなゲイ男性として再設定された<ref name=gayleague2020>{{cite web|url=https://gayleague.com/alan-scott-a-gay-hero-in-the-golden-age/|accessdate=2023-10-14|title=Alan Scott: A Gay Hero In The Golden Age|publisher=Gay Leagure|date=2020-07-28}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.theguardian.com/books/2012/jun/01/green-lantern-gay-dc-comics |location=London |newspaper=The Guardian |first=Alison |last=Flood |title=Green Lantern to be reintroduced as gay by DC Comics |date=2012-06-01}}</ref>{{efn2|ただしこのときゲイだとされたのは、DCユニバースに複数存在する並行世界の一つに住むアラン・スコットである。アラン・スコットが本流世界でゲイをカミングアウトしたのは2020年のことだった<ref name=shopro2021>{{cite web|url=https://note.com/shoprobooks/n/n5b232b09b3de?magazine_key=m17722c853566|accessdate=2023-10-22|title=【おしえて!キャプテン】#11 新スーパーマンがバイセクシャルを表明! DCコミックスでのLGBTQ+の描かれ方とは?|publisher=小学館集英社プロダクション|date=2021-11-17}}</ref>。}}。2015年には女性ヴィランコンビの[[ポイズン・アイビー]]と[[ハーレイ・クイン]]が公式に{{仮リンク|ノンモノガミー|en|Non-monogamy}}な恋人同士とされた<ref>{{Cite web |url=https://kotaku.com/dc-comics-harley-quinn-poison-ivy-are-girlfriends-w-1711038615 |date=2015-06-12 |access-date=2023-10-14|title=DC Comics: Harley Quinn & Poison Ivy Are Girlfriends "Without Monogamy" |first=Evan|last= Narcisse |website=Kotaku}}</ref>。2016年の新たなリローンチ「{{仮リンク|DCリバース|en|DC Rebirth}}」では、DCの中心的なキャラクターの一人[[ワンダーウーマン]]がバイセクシュアルだと明言された<ref>{{cite web|url=https://www.cbr.com/wonder-woman-bisexual-superhero/|accessdate=2023-10-12|title=Wonder Woman: The Iconic Hero Was the First Bisexual Superhero|date=2019-10-30|publisher=CBR}}</ref>。主要なヒーローの関連キャラクターにLGBTが割り当てられる例は多く、[[アクアマン]]のサイドキックである{{仮リンク|アクアラッド|en|Aqualad}}({{仮リンク|カルダラーム|en|Kaldur'ahm|label=2代目}})、[[バットマン (架空の人物)|バットマン]]の弟子[[ロビン (バットマン)|ロビン]]([[ティム・ドレイク|3代目]])、[[スーパーマン (架空の人物)|スーパーマン]]の息子で2代目の[[ジョナサン・サミュエル・ケント|ジョナサン・ケント]]がそれぞれゲイやバイセクシュアルだとされた<ref>{{cite web|url=https://www.npr.org/2021/10/11/1044002955/superman-son-comes-out-queer-dc-comics|accessdate=2023-10-12|title=Superman's son is bisexual in an upcoming DC comic|publisher=NPR|date=2021-10-11}}</ref>。 ==== マーベル・コミックス ==== [[ファイル:5.30.19MarjorieLiuByLuigiNovi72.jpg|左|サムネイル|メインストリーム・コミックで初めて同性婚を描いた『アストニッシングX-メン』第51号 (2012) に原作者[[マージョリー・リュー]]がサインしている。]] [[マーベル・コミック|マーベル・コミックス]]はDCと比べてLGBTテーマを取り入れるのに積極的ではなく、ゲイキャラクターの導入も慎重に行われてきた{{sfn|Donovan|2000|pp=208-209}}。{{仮リンク|ジム・シューター|en|Jim Shooter}}が編集長を務めていた1980年代には「マーベル・ユニバースにゲイは存在しない」方針があったと伝えられている<ref name="prismmverv2006">{{Citation|title=In and Out: A Brief History of Marvel's 2006 Gay Policies|last=Mangels|first=Andy|year=2006|url=http://prismcomics.org/display.php?id=1304|archive-url=https://web.archive.org/web/20100316054502/http://prismcomics.org/display.php?id=1304|archive-date=2010-03-16|publisher=Prism Comics|access-date=2023-10-12}}</ref><ref name=in>{{cite web|url=https://inmagazine.ca/2019/04/the-marvel-cinematic-universe-keeps-avoiding-lgbt-representation/|accessdate=2023-10-22|title=The Marvel Cinematic Universe Keeps Avoiding LGBT Representation |publisher= IN Magazine|date=2019-04-26}}</ref>。時代が下って作品に同性カップルが登場し始めてからも、DCと異なり「成人向け」レーベルであってもキス以上の性的な描写は行われていない<ref name=gay101>{{cite web|url=http://www.afterelton.com/print/2006/10/gaycomics.html |title=Gay Comics 101 |last=Palmer |first=Joe |date=2006-10-16 |publisher=AfterElton.com |accessdate=2023-10-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090322195553/http://www.afterelton.com/print/2006/10/gaycomics.html |archive-date=2009-03-22 }}</ref>。 マーベルの中でも1963年に始まった『[[X-メン]]』シリーズは[[多様性]]と関係が深い。同作は超能力を持つ{{仮リンク|ミュータント (マーベル・コミックス)|en|Mutant (Marvel Comics)|label=ミュータント}}集団が一般人の偏見と闘う物語で、[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|公民権運動]]の[[メタファー]]と解釈されて多様な読者の支持を集めてきた<ref name=syfywire2019/>。{{仮リンク|クリス・クレアモント|en|Chris Claremont}}が原作を書いていた1980年代以降は、明言されないながらも[[ゲイ解放運動]]の要素がストーリーに取り入れられ、一部のキャラクターの間の同性愛を匂わせる描写も行われた<ref name=syfywire2019>{{cite web|url=https://www.syfy.com/syfy-wire/x-men-as-a-queer-metaphor|accessdate=2023-10-14|title=X-Men as a queer metaphor |publisher= SYFY WIRE|date=2019-04-15}}</ref><ref name=conversation2019/>。X-メン関連誌『[[アルファフライト]]』で1979年に登場した{{仮リンク|ノーススター (架空の人物)|en|Northstar (character)|label=ノーススター}}はマーベルのメジャーなキャラクターで最初に公にされたゲイ男性である。作者{{仮リンク|ジョン・バーン (漫画家)|en|John Byrne|label=ジョン・バーン}}は当初から一貫して暗にノーススターをゲイとして描いていたが<ref name=conversation2019/>、同性愛を物語の焦点にしようという試みはジム・シューターから許可されなかった<ref name=tms/>。明確なカミングアウトが実現したのは1992年の『アルファフライト』第106号のことだった<ref name=conversation2019>{{cite web|url=https://theconversation.com/how-a-canadian-superhero-brought-queer-representation-to-marvel-comics-128597|accessdate=2023-10-14|title=How a Canadian superhero brought queer representation to Marvel Comics|date=2019-12-17|publisher=The Conversation}}</ref><ref name=shopro2022b>{{cite web|url=https://note.com/shoprobooks/n/n08e28c3ae7c4|accessdate=2023-10-22|title=【おしえて!キャプテン】#19 マーベル・コミックスのLGBTQ+(後編)|publisher=小学館集英社プロダクション|date=2022-06-29}}</ref>。この号は社会変化の兆しとして[[ニューヨーク・タイムズ]]紙など一般マスコミによって報道された<ref name=tms2/>。その後もノーススターのセクシュアリティはあまり掘り下げられないままだったが<ref name=shopro2022b/>、2012年の『{{仮リンク|アストニッシングXーメン|en|Astonishing X-Men}}』第51号で恋人と結婚するところが描かれた。これはメインストリーム・コミックで最初の[[同性婚]]とされている<ref>{{Cite web |last=Moore |first=Matt |title=Marvel Comics plans wedding for gay hero Northstar |url=https://www.sfgate.com/news/article/Marvel-Comics-plans-wedding-for-gay-hero-Northstar-11457336.php |website=San Francisco Chronicle |access-date=2022-04-03|date=2012-05-22}}</ref>。ほかにX-メン系列誌で早くから暗にLGBTとして描かれていたキャラクターには[[キティ・プライド]]や{{仮リンク|レイチェル・サマーズ|en|Rachel Summers}}、[[ミスティーク]]がいる<ref name=syfywire2019/><ref name=gamesradar/>。 マーベルは2002年に成人読者向け[[インプリント]]の{{仮リンク|Max (コミック)|en|Max (comics)|label=Max}}から西部劇シリーズ『{{仮リンク|ローハイドキッド|en|Rawhide Kid}}』の新作を出した<ref>{{Citation|title=Comic Book First: Gay Gunslinger|date=2002-12-11|url=https://www.cbsnews.com/news/comic-book-first-gay-gunslinger/|publisher=CBS News|access-date=2009-03-21}}</ref>。マーベルはキッドを自社初のゲイの単独誌主人公として積極的にプロモーションしたが、作中ではゲイであることがほのめかされるばかりで明確な描写はなかった{{sfn|Lendrum|2005|pp=289-290}}。同作は保守層から拒絶され、LGBTコミュニティからも微温性を批判された<ref name=afterelton20081016>{{cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090512104517/http://www.afterelton.com/blog/lylemasaki/week-in-gay-geek-53-wonder-woman-day-diane-von-furstenberg-new-mutants-anole|archivedate=2009-05-12|date=2008-10-16|url= http://www.afterelton.com/blog/lylemasaki/week-in-gay-geek-53-wonder-woman-day-diane-von-furstenberg-new-mutants-anole |accessdate=2023-10-13|title=The Week in Gay Geek: Diane von Furstenberg teams with Diana Prince. | publisher=AfterElton.com}}</ref>。『ローハイドキッド』以降マーベルは一時LGBTのレプリゼンテーションに及び腰になったという見方がある<ref name=afterelton20081016/>。キッド自身も実はゲイではなくそう装っていただけだと受け取れる公式の文章が出ている<ref name="aftereltongaycom"/><ref name="prismmverv2006"/>。 2003年、[[日本の漫画|日本漫画]]を読んでいる層を対象にした新インプリントの{{仮リンク|ツナミ (マーベル・コミックス)|en|Tsunami (Marvel Comics)|label=ツナミ}}から『{{仮リンク|ランナウェイズ (コミック)|en|Runaways (comics)|label=ランナウェイズ}}』が発刊された<ref>{{cite web|url=https://icv2.com/articles/comics/view/2264/marvel-manga-style|accessdate=2023-10-14|title=Marvel 'Manga Style'|publisher= ICv2|date=2003-01-22}}</ref>。原作は{{仮リンク|ブライアン・K・ヴォーン|en|Brian K. Vaughan}}による。多様なバックグラウンドを持ったティーンエイジャーを主人公とする異色作で、この時期のマーベルとしては珍しくLGBTのチームメンバーを大きく扱っていた<ref>{{cite web|url=https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/runaways-marvel-everything-know-hulus-920393/|accessdate=2023-10-14|title=‘Runaways’ Marvel: Everything to Know About Hulu’s New Project|publisher=The Hollywood Reporter|date=2023-10-14}}</ref>。同作の[[ランナウェイズ (テレビドラマ)|テレビドラマ版]]も、LGBTQのレプリゼンテーションに消極的なマーベルの映像作品フランチャイズ([[マーベル・シネマティック・ユニバース|MCU]])の中では特に目立つ存在となった<ref>{{cite web|url=https://gizmodo.com/runaways-queer-representation-is-still-making-marvels-m-1841028439|accessdate=2023-10-13|title=Runaways' Queer Representation Makes Marvel's Movies Look Dated|date=2020-01-17}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.chsglobe.com/45290/reviews/lgbtq-representation-in-marvel/|accessdate=2023-10-15| publisher=The Globe |title= LGBTQ Representation in Marvel|date=2022-04-25}}</ref>。 2005年に創刊された『{{仮リンク|ヤング・アベンジャーズ|en|Young Avengers}}』誌は当初メンバーにゲイが2人含まれていた({{仮リンク|ハルクリング|en|Hulkling}}と{{仮リンク|ウィッカン (架空の人物)|en|Wiccan (character)|label=ウィッカン}})。同誌の[[アメリカン・コミックスの読者欄|読者欄]]では一部の読者と作者の間でティーンのゲイヒーローの是非を巡って長い議論が行われた。同誌はマーベルで初めてGLAADメディア賞コミックブック部門を受賞している<ref name="washblade">{{Citation|title=Marvel disputes gay advisory|date=2006-09-15|url=http://www.washblade.com/print.cfm?content_id=9119|archive-url=https://web.archive.org/web/20070319230657/http://www.washblade.com/print.cfm?content_id=9119|archive-date=2007-03-19|journal=The Washington Blade|access-date=2023-10-12}}</ref><ref>{{Citation|title=In print: Young Avengers|last=McKenzie|first=Chaos|date=2006-04-27|url=https://xtramagazine.com/culture/in-print-young-avengers-21765|publisher=Xtra Magazine|access-date=2022-04-03}}</ref>。2013年にリローンチされた『ヤング・アベンジャーズ』誌では、{{仮リンク|アメリカ・チャベス|en|America Chavez|label=ミス・アメリカ}}や[[ロキ (マーベル・コミック)|ロキ]]などほかのチームメンバーの多くもLGBTとして描かれた。原作者{{仮リンク|キーロン・ギレン|en|Kieron Gillen}}を始めとする制作チームは再びGLAAD賞を受けた<ref>{{Cite web |last=Heinberg |first=Allan |title=Young Avengers Wins the GLAAD Media Award |url=http://www.ign.com/articles/2014/04/14/young-avengers-wins-the-glaad-media-award |publisher=IGN |access-date=2023-10-15 |date=2014-04-14}}</ref>。 2015年4月、『[[X-メン]]』の古参メンバー[[アイスマン (マーベル・コミック)|アイスマン]]がゲイだったというストーリーが発表された<ref>{{Cite web |url=http://www.cnn.com/2015/04/21/entertainment/ice-man-gay-feat-xmen/ |title='X-Men' character Iceman outed as gay |website=CNN |date=21 April 2015 |access-date=2023-10-15|url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20161027064456/http://www.cnn.com/2015/04/21/entertainment/ice-man-gay-feat-xmen/ |archive-date=2016-10-27}}</ref>。2017年にアイスマンは初の単独レギュラー誌を与えられ、ヒーロー活動とともにオープンリー・ゲイ男性としての生活が語られた<ref>{{Cite web |url=http://nerdist.com/iceman-creative-team-talks-the-x-men-heros-first-ongoing-series-and-coming-out/ |title=ICEMAN Creative Team Talks the X-MEN Hero's First Ongoing Series and Coming Out|accessdate=2023-10-10|publisher=Nerdist|date=2016-11-29}}</ref>。同誌は読者からヘイトを向けられ<ref name=seattletimes2021/>、2018年初頭に打ち切られたが<ref>{{Cite web |url=https://www.newsarama.com/37878-hawkeye-iceman-join-wave-of-marvel-titles-canceled.html |title=HAWKEYE & ICEMAN Join Wave of MARVEL Titles Canceled |last=Arrant |first=Chris |date=2017-12-20|archiveurl= https://web.archive.org/web/20171227203835/https://www.newsarama.com/37878-hawkeye-iceman-join-wave-of-marvel-titles-canceled.html |archivedate=2017-12-27|website=Newsarama |access-date=2023-10-15}}</ref>、同年中に再創刊がアナウンスされた。この時期にもクィアなキャラクターが単独主人公となるマーベル作品は多くなく、アイスマンや{{仮リンク|アロマンティシズム|en|Aromanticism|label=アロマンティック}}・[[無性愛|アセクシュアル]]の{{仮リンク|ナディア・ヴァン・ダイン|en|Nadia van Dyne|label=ワスプ}}などがあるのみである<ref name=shopro2022b/><ref>{{Cite web |url=https://www.cbr.com/iceman-sina-grace-ongoing-series/ |title=Marvel Revives Iceman Ongoing Series with New #1 |last=Staley |first=Brandon |date=2018-06-13|website=Comic Book Resources |access-date=2023-10-14}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.hollywoodreporter.com/news/general-news/wasp-iceman-comic-books-coming-back-form-marvel-1119896/ |title=Marvel Revives ‘Wasp,’ ‘Iceman’ Comic Book Series|date=2018-06-13|accessdate=2023-09-24 |publisher=The Hollywood Reporter}}</ref>。 ==== アーチー・コミックス ==== 2010年9月、アーチー・コミックスは『{{仮リンク|ヴェロニカ・ロッジ|en|Veronica Lodge|label=ヴェロニカ}}』誌第202号で初めてオープンリー・ゲイの少年{{仮リンク|ケヴィン・ケラー|en|Kevin Keller}}を登場させた<ref>{{Cite web |publisher=Archie Comics |url=http://www.archiecomics.com/blog/news/2010/04/archie-comics-introduces-first-openly-gay-character.html |title=Archie Comics introduces Kevin Keller |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20100427191053/http://www.archiecomics.com/blog/news/2010/04/archie-comics-introduces-first-openly-gay-character.html |archive-date=2010-04-27|accessdate=2023-10-15}}</ref>。「[[アーチー・コミック|アーチー]]」は設定や人間関係がほとんど変化しない長寿シリーズだが<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.escapistmagazine.com/veronica-leaves-archie-for-openly-gay-character/ |title=Veronica Leaves Archie for Openly Gay Character |publisher=The Escapist|first=Tom|last= Goldman |date= 2010-04-23 |accessdate=2023-10-10}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.firstcomicsnews.com/kevin-keller-archie-and-the-new-riverdale/ |title=Kevin Keller, Archie and the New Riverdale |first=Mark |last=Haney |date=2010-09-12|publisher=First Comics News |access-date=2023-10-14|archive-url=https://web.archive.org/web/20110724133648/http://www.firstcomicsnews.com/?p=13870 |archive-date=2011-07-24}}</ref>、同社経営者ジョン・ゴールドウォーターは{{行内引用|アーチー・コミックスの世界を今日的でインクルーシヴなものにするため}}という意図を語った<ref name=":0" />。ケヴィンはファンに受け入れられ、スピンオフ誌が発刊されたほか<ref>{{cite web|url=https://www.cbr.com/kevin-keller-1/|accessdate=2023-10-14|title=Kevin Keller #1|date=2012-02-09|publisher=CBR}}</ref>、成人後に同性婚を行うエピソードも描かれた<ref>{{cite web|url=https://www.huffpost.com/entry/kevin-keller-gay-archie-comic-wedding_n_1113035|accessdate=2023-10-14|title=Kevin Keller, Gay Archie Character, Gets Married In January Issue (PHOTO)|date=2011-11-25|publisher=HuffPost}}</ref>。 ==== その他の出版社 ==== [[ファイル:2.28.14Qu33rSigningByLuigiNovi6.jpg|サムネイル|マンハッタンのコミック専門店において、LGBTコミックのアンソロジー ''Qu33r'' の執筆者によるサイン会が行われている(2014年)。]] 1980年ごろから[[ダイレクト・マーケット|コミック専門店市場]]の成立によって小規模なインディー・コミックの商業出版が可能になり<ref>{{cite web|url=https://www.vulture.com/article/100-most-influential-pages-comic-book-history.html|accessdate=2023-10-27|title=The 100 Most Influential Pages in Comic Book History|publisher=vulture|date=2018-04-16}}</ref>、『{{仮リンク|エルフクエスト|en|Elfquest}}』(1978) や『[[ラブ・アンド・ロケッツ]]』(1982) など、LGBTを扱う多様なジャンルのコミックが世に出はじめた{{sfn|Thalheimer|2004|p=250}}。{{仮リンク|コリーン・ドラン|en|Colleen Doran}}は[[日本の漫画]]や[[アニメ]]から影響を受けた漫画家として最初期の一人で{{sfn|杉本|2015|pp=155, 165-166}}、ゲイ同士の恋愛ドラマ {{仮リンク|ア・ディスタント・ソイル|en|A Distant Soil|label=''A Distant Soil''}} (1979) によってゲイラクティック・スペクトラム賞に何度もノミネートされている<ref>{{Cite web |url=http://adistantsoil.com/reviews-press/ |title=Reviews/Press &#124; A Distant Soil by Colleen Doran |publisher=Adistantsoil.com |date=2009-03-06 |access-date=2010-07-07}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.indyworld.com/comics/doran.html |title=Interview with Colleen Doran by Jeff Mason |publisher=Indyworld.com |access-date=2010-07-07 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/19980612153307/http://www.indyworld.com/comics/doran.html |archive-date=1998-06-12}}</ref><ref name="locspecsf2001">{{Cite web |url=http://www.spectrumawards.org/2001.htm |title=2001 Gaylactic Spectrum Awards |access-date=2008-11-13 |year=2008 |publisher=Gaylactic Spectrum Award Foundation |archive-date=2015-07-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150715002835/http://www.spectrumawards.org/2001.htm |url-status=dead}}</ref>。{{仮リンク|テリー・ムーア (漫画家)|en|Terry Moore (cartoonist)|label=テリー・ムーア}}が自己出版する[[ロマンチックコメディ]] {{仮リンク|ストレンジャーズ・イン・パラダイス|en|Strangers in Paradise|label=''Strangers in Paradise''}} (1993) は暗い過去を持つレズビアン女性と親友の女性の関係を描いた作品で、[[アイズナー賞]]やGLAAD賞を受けている<ref>{{cite web|url=https://screenrant.com/strangers-in-paradise-comic-book-movie/|accessdate=2023-10-23|title=Strangers in Paradise Adaptation in the Works|date=2023-10-23|publisher=Screen Rant}}</ref>。 1990年代には{{仮リンク|マリブ・コミックス|en|Malibu Comics}}、[[イメージ・コミック|イメージ・コミックス]]、[[IDWパブリッシング]]、やや遅れて[[ダークホースコミックス|ダークホース・コミックス]]のようにメインストリーム・コミックの二大巨頭に迫る規模のインディー出版社が現れた。それらの出版社はコミックス・コードに準拠せず、作者に創作上の自由を与えたため従来よりもLGBT要素を含む作品が多かった{{sfn|Lopes|2009|p=139}}。GLAAD賞を受けたイメージの {{仮リンク|ラット・クイーンズ|en|Rat Queens|label=''Rat Queens''}} は「女性キャストによる『[[指輪物語]]』」とされるファンタジー作品で、主人公の一人にレズビアンの[[ハーフリング]]がいる<ref>{{cite web|url=https://www.cbr.com/rat-queens-wins-glaad-media-award/|accessdate=2023-10-23|title='Rat Queens' wins GLAAD Media Award|date=2015-03-23|publisher=CBR}}</ref>。LGBTの中でも[[トランスセクシュアル]]はメインストリーム・コミックで扱われることが少ないが<ref name=gamesradar>{{cite web|url=https://www.gamesradar.com/most-iconic-lgbtq-superheroes/|accessdate=2023-10-17|title=Most iconic LGBTQIA+ superheroes in comic books |publisher= GamesRadar+|date=2022-03-16}}</ref>、{{仮リンク|ブーム!スタジオズ|en|Boom! Studios}}は2014年に {{仮リンク|ランバージェーンズ|en|Lumberjanes|label=''Lumberjanes''}} などで全年齢向け作品として初めてリアルなトランス女性の主人公を登場させた<ref name=transhistory/>。 === グラフィックノベル === 21世紀には、コミック専門店で売られるコミックブックと並ぶ新たな出版形態として、一般書店で売られるコミック書籍([[グラフィックノベル]])が急速に伸長した<ref>{{cite web|url=https://www.publishersweekly.com/pw/by-topic/industry-news/comics/article/69033-from-the-fringes-to-the-mainstream-ten-years-of-growth-in-graphic-novel-publishing.html|accessdate=2023-10-21|title=From the Fringes to the Mainstream: Ten Years of Growth In Graphic Novel Publishing|date=2015-12-23|publisher=Publishers Weekly}}</ref>。メインストリーム・コミックがスーパーヒーローやユーモアものを中心としているのに対し、グラフィックノベルではジャンルが限定されず、自伝のようなノンフィクションや文学的な作品も描かれている{{sfn|Baetens and Grey|2018|p=238}}。この出版カテゴリからは各国でLGBTを扱った作品が増加傾向にある<ref name=hara/>。一般の文芸出版社がこの分野に進出することも多く、伝統的に男性が多数を占めている従来のコミック界を選ばず書下ろしグラフィックノベルで作品を発表するLGBTQのコミック作家も増えている{{sfn|Baetens and Grey|2018|p=238}}{{sfn|Greyson|2007|p=132}}。従来のコミックブックが対象読者としていなかった[[ヤングアダルト]]以下のジャンルでも<ref>{{cite web|url=https://imagetextjournal.com/the-absence-of-queer-vocabulary-exploration-of-queerness-in-western-childrens-comics/|accessdate=2023-10-25|title=The Absence of Queer Vocabulary: Exploration of Queerness in Western Children’s Comics|publisher= ImageTexT|last=Cynthia|first=Jessica|last2=Wibowo|first2=Pricilla|date=2021}}</ref>、{{仮リンク|ケイ・オニール|en|Kay O’Neill}}の {{仮リンク|ザ・ティー・ドラゴン・ソサエティ|en|The Tea Dragon Society|label=''The Tea Dragon Society''}} や{{仮リンク|ティリー・ウォルデン|en|Tille Walden}}の {{仮リンク|オン・ア・サンビーム|en|On a Sunbeam|label=''On a Sunbeam''}} などのクィアなグラフィックノベル作品が注目されている<ref>{{cite web|url=https://biblioottawalibrary.ca/en/blogs/50-years-pride-literary-landmarks-over-last-50-years|accessdate=2023-10-21|title=50 Years of Pride: a literary landmarks over the last 50 years |publisher= Ottawa Public Library|date=2021-08-12}}</ref>。 === ファンダムと賞 === コミック作家やキャラクターにLGBTが目立ち始めるとコミックファンダムでもそれに対応する動きが現れた。[[サンディエゴ・コミコン|コミコン]]や{{仮リンク|ゲイラクシーコン|en|Gaylaxicon}}のようにコミックやLGBTのコンベンションでは関連するパネルがよく開かれており、LGBTコミック専門のブースもある<ref>{{cite web|archive-url=https://web.archive.org/web/20160129095514/http://www.gaylesbiantimes.com/?id=12683 |archive-date=2016-01-29 |date=2016-01-29 |url=http://www.gaylesbiantimes.com/?id=12683 |title=Comic-Con: Gay comic-dom still runs strong|accessdate=2023-10-21|publisher=Gay & Lesbian Times}}</ref>。2015年にはLGBTQコミック[[ギーク]]の大規模なコンベンションである{{仮リンク|フレームコン|en|Flame Con}}が設立された<ref name=parisreview/>。1997年に開設されたゲイリーグのようにLGBTのコミックファンが交流するオンラインコミュニティもある<ref>{{cite web|url=https://gayleague.com/about-us/|accessdate=2023-10-22|title=About Us |publisher= GAY LEAGUE}}</ref>。2003年設立の{{仮リンク|プリズム・コミックス|en|Prism Comics}}はLGBTのコミック作家や業界関係者、ファンのネットワークとなる[[NPO]]であり、Web上でオウンドメディアを運営している<ref>{{cite web|url=https://www.prismcomics.org/about/|accessdate=2023-10-22|title=ABOUT PRISM COMICS |publisher=Prism Comics}}</ref>。 [[GLAADメディア賞]]は1992年にコミックブック部門を設置した。それ以来、DCの[[フラッシュ (DCコミックス)|フラッシュ]]を皮切りに『[[グリーンランタン]]』や『{{仮リンク|オーソリティ (コミック)|en|The Authority (comics)|label=オーソリティ}}』、マーベルの『ヤング・アベンジャーズ』などのメインストリーム作品が同賞を受けてきた。しかしこれらの授賞はLGBT当事者のファンや作家から作品内容より話題性を重視しているという批判も行われている{{sfn|Lopes|2009|p=140}}。{{仮リンク|ゲイラクティック・スペクトラム賞|en|Gaylactic Spectrum Awards}}はSF、ファンタジー、ホラー作品を対象にした賞で、「その他の作品」部門にコミックも含まれている<ref>{{cite web |url=http://www.locusmag.com/1999/News/News06b.html |title= Books and Publishing June 1999|accessdate=2023-10-21|year=2003 |publisher=Locus Publications}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.locusmag.com/2003/News/News07Log4.html |title=News Log July 2003 |accessdate=2023-10-21|year=2003 |publisher=Locus Publications}}</ref><ref name=GSAr>{{cite web |url=http://www.spectrumawards.org/rules.htm |title=Gaylactic Spectrum Award Official Rules|accessdate=2023-10-21|date=2000–2008 |publisher=Gaylactic Spectrum Award Foundation |archive-date=2009-01-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20090123001447/http://spectrumawards.org/rules.htm }}</ref>。{{仮リンク|ラムダ文学財団|en|Lambda Literary Foundation}}は1988年以来LGBTテーマの文学賞を授与しており、2013年にグラフィックノベルを対象に含めた<ref>{{cite web|url=https://lambdaliterary.org/awards/lammys-directory-1988-present/|accessdate=2023-10-23|title=Lammys Directory: 1988-Present|publisher=Lambda Literary }}</ref>。プリズム・コミックスは2005年から「クィア出版助成金」によってLGBTコミックの制作・出版を支援している<ref>{{cite web|url=https://www.prismcomics.org/grant/|accessdate=2023-10-23|title=QUEER PRESS GRANT |publisher= Prism Comics}}</ref>。 == 欧州の漫画 == [[ユーロ・コミックス|欧州大陸の漫画]]は{{行内引用|テーマ、語り方、視覚的にショッキングな題材}}において米国より自由だとされている{{sfn|Bongco|2000|p=20}}。コミックス・コードに当たるものが存在しないため、米国と比べるとLGBTテーマを取り入れることへの批判は少ない。米国人漫画家が描きたいものを描くためにヨーロッパで活動することを選ぶ例もあり、{{仮リンク|スタン・ドレイク|en|Stan Drake}}と{{仮リンク|レオナルド・スター|en|Leonard Starr}}がフランスで出版した ''Kelly Green'' (1982–93) は、ゲイ男性を誘惑するため女性主人公を男装させたり、ゲイの脇役を出したりしていた{{sfn|Rothschild|1995b|p=27}}。1980年代半ば以降、欧州コミックは米国コミックの人気に後塵を拝している{{sfn|Bongco|2000|p=20}}。漫画の社会的認知や産業規模で米国や日本に並ぶのはフランスだけである{{sfn|Jobs|2007|p=232}}。 === フランス・ベルギー === 20世紀初頭、フランスと[[ベルギー漫画|ベルギー]]の漫画([[バンド・デシネ]])は子どもの読み物とみなされていた。そのため大人向けのテーマや性的なテーマは少なくとも1960年代まで制限されていた{{sfn|Miller|2008|p=19}}。しかし、初期の子供向けバンド・デシネ『[[タンタンの冒険]]』や『[[アステリックス]]』、『{{仮リンク|アリックス (バンド・デシネ)|en|The Adventures of Alix|label=アリックス}}』は読者から性的ないしLGBT的なサブテキストを読み取られていた<ref>{{Cite web |url=http://www.auracan.com/Indiscretions/indis.php?actu=227 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160303191219/http://www.auracan.com/Indiscretions/indis.php?actu=227 |url-status=dead |title=Actualité Bande Dessinée : Alix et les gays |archive-date=2016-03-03|accessdate=2023-10-15|website=www.auracan.com}}</ref>。ただし2009年に[[タンタン (キャラクター)|タンタン]]シリーズの主人公がゲイに見立てられたときには<ref>{{Cite news |url=http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/article5461005.ece |newspaper=The Times |location=London |title=Of course Tintins gay Ask Snowy |first=Matthew |last=Parris |date=2009-01-07 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20110517105906/http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/article5461005.ece |archivedate=2011-05-17|access-date=2023-10-15}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.liberation.fr/livres/0101312012-asterix-est-il-gay |archive-url=https://web.archive.org/web/20120406093821/http://www.liberation.fr/livres/0101312012-asterix-est-il-gay |url-status=dead |title=liberation.fr |accessdate=2023-10-15|archive-date=2012-04-06, 2012}}</ref>、作者[[エルジェ]]の{{仮リンク|ステュディオ・エルジェ|en|Studios Hergé|label=スタジオ}}が否定の声明を出している<ref>{{Cite web |last=De Sarkar |first=Dipankar |title=The secret of Tintin at 80 |url=https://www.hindustantimes.com/books/the-secret-of-tintin-at-80/story-iuo0yBDWYzCIzQXZUoqy3J.html |website=Hindustan Times |access-date=2023-10-15|date=2009-01-10|archive-url=https://archive.today/20220403151431/https://www.hindustantimes.com/books/the-secret-of-tintin-at-80/story-iuo0yBDWYzCIzQXZUoqy3J.html |archive-date=2022-04-03}}</ref>。{{仮リンク|ジャック・マルタン (漫画家)|fr|Jacques Martin (auteur)|label=ジャック・マルタン}}による歴史漫画の名作『アリックス』も、同性間の親密な関係を扱っていたり、10代の少年の全裸が描かれるなど、現在の目から見て同性愛的なサブテキストが読み取れると評されているが、やはり作者マルタンは否定している{{sfn|Miller|2008|p=35}}{{sfn|Dennis|2007|p=239}}。 1960年代にはタブーを打破しようとする作品も現れたが、バンド・デシネが子供のためのものだとする1949年の法律によって直接的に性を描くことは禁じられていた。1964年に刊行された『{{仮リンク|バーバレラ (バンド・デシネ)|en|Barbarella (character)|label=バーバレラ}}』アルバム(単行本)は裸体の絵を修正しなければならなかった{{sfn|Miller|2008|p=35}}。1960年代の後半にはバンド・デシネが大人の芸術形式だという見方が広まり、1970年代には主流紙が社会批評や風刺を描いた作品を掲載するようになった。しかし依然として「ポルノグラフィ」として発禁にされるアンソロジー誌もあった{{sfn|Miller|2008|pp=27-28}}。 1970年代にバンド・デシネを描き始め、1992年に[[アングレーム国際漫画祭]][[アングレーム国際漫画祭 グランプリ|グランプリ]]を受賞した{{仮リンク|フランク・マルジュラン|fr|Frank Margerin}}<ref>{{cite web|url=https://www.lambiek.net/artists/m/margerin.htm|accessdate=2023-06-05|title=Frank Margerin|website=Lambiek Comiclopedia|date=2022-10-20}}</ref><ref>{{cite web|url=https://archives.bdangouleme.com/193,frank-margerin-1992|accessdate=2023-10-20|title=47e Festival de la Bande Dessinée d'Angoulême – à venir - Du 30 janvier au 2 février 2020 - Frank Margerin, 1992|publisher=9e ART+, organisateur du Festival de la Bande Dessinée d'Angoulême 9eART+}}</ref>の代表作「{{仮リンク|ルシアン (バンド・デシネ)|fr|Lucien (bande dessinée)|label=ルシアン}}」は労働者階級の異性愛者男性を主体にしたユーモア作品だが、主要登場人物の男性性を強調する文脈でステレオタイプ的なLGBT描写を行っていた{{sfn|Miller|2008|pp=186-188}}。文学者集団の中でゲイがファッショナブルに見られているという風刺もあった{{sfn|Miller|2008|p=194}}。 {{仮リンク|ファブリス・ノー|fr|Fabrice Neaud}}が1994年から長期にわたって描き続けた ''Journal''{{翻訳|日誌}}は、フランスの小都市で芸術家の卵として活動するゲイ男性の生活を通じてレプリゼンテーション、アイデンティティ、創作活動のようなテーマを追求した作品で{{sfn|Beaty|2007|pp=161-162}}<ref>{{cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061218152059/http://www.prismcomics.org/display.php?id=1151|title= François Peneaud's Recommended Top Ten Comics for LGBT Readers|archivedate=2006-12-18|accessdate=2023-10-18|publisher=Prism Comics|date=2006-12-18|url=http://www.prismcomics.org/display.php?id=1151}}</ref>、コミック研究者バート・ビーティによって{{行内引用|これまで出版された中でもっとも野心的な自伝コミックの連作}}と評価されている{{sfn|Beaty|2007|p=161}}。同作は1997年にアングレーム国際漫画祭新人賞を受け、2010年には漫画際の会場で回顧展が開かれている<ref>{{cite web|url=https://wordswithoutborders.org/contributors/view/fabrice-neaud/|accessdate=2023-10-19|title=Fabrice Neaud |publisher=Words Without Borders}}</ref>。 ベルギーの漫画で同性愛者のキャラクターは2010年代にいたるまで脇役としても少数にとどまっている。ヤンや{{仮リンク|ジャン・デュフォー|fr|Jean Dufaux}}のような原作者は一般向け作品に同性愛者やバイセクシュアルのキャラクターを取り入れている。{{仮リンク|トム・ブーデン|en|Tom Bouden}}は同国の重要なゲイコミック作家で、ゲイシーンを描いたギャグ漫画 ''Flikkerzicht'' で知られている。トランスジェンダーが扱われることはさらに少ないが、[[:fr:Benoît Feroumont|Benoît Feroumont]]の ''Giselle & Beatrice'' (2013) は魔法によるジェンダー転換を題材にしたユーモア作品である<ref>{{cite web|url=https://www.europecomics.com/women-belgian-comics-invisibility-objectification-pt2/|accessdate=2023-12-19|title=LGBTQAI+ in Belgian Comics: Pink Pages|publisher= Europe Comics|date=2020-05-20|first=Geert |last=De Weyer}}</ref>。 === スペイン === スペインの漫画は米国コミックと比べて型にとらわれず多様だとされている{{sfn|Sabin|1993|p=40}}。スペインのコミックブック出版は1980年代の初めにブームを迎えた。[[フランシスコ・フランコ]]の独裁政権の終わりとともに訪れた[[カウンターカルチャー]]の機運({{仮リンク|モビーダ・マドリレーニャ|es|Movida madrileña}})と同時期のことだった{{sfn|Pérez-Sánchez|2007|p=145}}。{{仮リンク|ナサリオ・ルケ|es|Nazario Luque}}による [[:es:Anarcoma|''Anarcoma'']] はゲイで異性装者の探偵を主人公にした[[ノワール]]で{{sfn|Sabin|1993|p=40}}、セクシュアリティやジェンダーについての社会通念に挑戦していた当時のコミックを代表する作品とみなされている{{sfn|Pérez-Sánchez|2007|p=143}}。掲載誌 {{仮リンク|エル・ビボラ|es|El Víbora|label=''El Vibora''}} は同性愛やトランスジェンダー売春のようなテーマを中心としており、アンダーグラウンド指向を強く持ちながら広い読者層から支持されていた{{sfn|Pérez-Sánchez|2007|pp=172, 178}}。ただし、{{仮リンク|クィア芸術|en|Queer art}}の研究者ヘマ・ペレス=サンチェスは<ref>{{cite web|url=https://www.research.miami.edu/stories/pride/perez-sanchez/index.html|accessdate=2023-10-20|title=Pride Profile: Gema Pérez-Sánchez|publisher= University of Miami}}</ref>、スキャンダラスな性描写と女性嫌悪を売り物にしていた同誌は男性中心文化を脅かすものではなく、同時期に {{仮リンク|マドリス (雑誌)|es|Madriz (revista)|label=''Madriz''}} 誌でクィア思想やフェミニズムを表現していたコミック作品の方が大きな文化的影響力があったと書いている{{sfn|Pérez-Sánchez|2007|pp=182-183}}。 === ドイツ === [[ファイル: Ralf König-Das Ursula-Projekt-11000 Jungfrauen-Kölnisches Stadtmuseum-1340.jpg|サムネイル|260ピクセル|ラルフ・ケーニヒ(左)と作品のパネル(2015年)。]] オープンリー・ゲイの{{仮リンク|ラルフ・ケーニヒ|de|Ralf König}}はドイツ国外でもっともよく知られているドイツ人漫画家であり<ref>{{cite web|url=https://www.europecomics.com/creator-spotlight-ralf-konig/|accessdate=2023-12-19|title=Creator Spotlight: Ralf König|publisher= Europe Comics|date=2022-03-28}}</ref>、欧州を代表するクィア漫画家とみなされている{{sfn|Hall|2013|loc="Comics Come Out"}}。同性愛者と異性愛者が互いに持つ偏見をアイロニックに描くユーモア作品で知られており、代表作にゲイカップルを主人公にした "Konrad und Paul" などがある<ref name=goethe/>。ケーニヒは1970年代にミュンヘンのアンダーグラウンド誌 ''Zomix'' やゲイ雑誌 ''Rosa Flieder'' に[[LGBTの文化|ゲイシーン]]を題材にしたコミックストリップを描き始めた<ref name=goethe/>。1981年にゲイ出版社 Verlag rosa Winkel<ref>{{cite web|url=https://europeancollections.wordpress.com/2018/05/24/lgbt-publishing-in-germany-bibliothek-rosa-winkel/|accessdate=2023-10-21|title=LGBT publishing in Germany: Bibliothek rosa Winkel |publisher= European languages across borders, Cambridge University Libraries |date=2023-10-21}}</ref> から ''SchwulComix''{{翻訳|ゲイコミックス}} などのコミックブックを出し始め、1987年には長編 ''Kondom des Grauens''{{翻訳|[[キラーコンドーム]]}}を描いた<ref name=koenig>{{Cite web|publisher= ralf-koenig.de |title=English biography|url=http://www.ralf-koenig.de/comic.php?u=22&info=English-biography|archiveurl= https://web.archive.org/web/20110807191217/https://www.ralf-koenig.de/comic.php?u=22&info=English-biography|archivedate=2011-08-07|accessdate=2023-10-15}}</ref>。当初はカルト的な人気でしかなかったが、大手出版社から出した ''Der bewegte Mann'' (1987) とその[[:en:Der bewegte Mann|映画版]]がヒットしたことで一般に認知されるようになった<ref name=goethe>{{Cite web|title=Ralf König bio|last=Schneider|first=Matthias|accessdate=2023-10-15|url=http://www.goethe.de/kue/lit/prj/com/pch/chk/en549418.htm|publisher=goethe-institut|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120205044212/http://www.goethe.de/kue/lit/prj/com/pch/chk/en549418.htm |archivedate=2012-02-05}}</ref>。2012年時点でケーニヒの作品は14の言語に翻訳されて500万部以上が発行されており、複数が映画化されている<ref name="Lambiek König bio">{{Cite web|title=Ralf König|last=Lambiek|url=http://lambiek.net/artists/k/konig_r.htm|journal=Comiclopedia|publisher=Lambiek|accessdate=2023-10-15}}</ref>。 === 英国 === 英国のコミックは20世紀の大部分にわたって子ども向けのメディアと見なされており、成人向けの内容は描かれなかった{{sfn|Sabin|1993|p=32|ps=, "The market for children's comics in the 1990s is probably less than half the size it was in the mid-1960s, though despite the advent of adult comics, it still forms the mainstay of the industry "}}。読者の年齢層が高いバイオレントなコミック誌 {{仮リンク|2000 AD|en|2000 AD (comics)|label=''2000 AD''}} は例外の一つである{{sfn|Sabin|1993|p=21}}。同誌初のオープンリー・ゲイの主人公は1992年に登場した吸血鬼ハンターのデヴリン・ウォーである。同誌で人気を集めていたマッチョで荒々しい{{仮リンク|ジャッジ・ドレッド (コミック)|en|Judge Dredd|label=ジャッジ・ドレッド}}の対極として作られた[[キャンプ (様式)|キャンプ]]で気障なキャラクターだった<ref>"The Curse of Devlin Waugh" (introduction to "Red Tide Prologue" by David Bishop, ''Judge Dredd Megazine'' #201, 2003)</ref><ref>{{cite web|url=https://2000ad.com/news/the-2000-ad-abc-35-devlin-waugh/|accessdate=2023-12-20|title=The 2000 AD ABC #35: Devlin Waugh|date=2016-11-14|publisher=2000 AD}}</ref>。 === ロシア === ロシアのコミック文化は1990年代に[[スキャンレーション]]として流入した[[日本の漫画|日本漫画]]に大きな影響を受けており、2000年代半ばには[[百合 (ジャンル)|百合]]や[[ボーイズラブ]]といったジャンルの作品がファンによって描かれるようになった。レズビアンの恋愛を題材にしたアンナ・ルッドの ''Клуб'' {{翻訳|The Club}}(2016) から商業出版への進出が始まり<ref name=inrussia/>{{sfn|Magera & Tarasyuk|2021|pp=133-134}}、2019年には主流の書籍出版社からスラブ民話に題材をとった[[やおい]]作品 ''Immortal'' が出た<ref name=artshelp>{{cite web|url=https://www.artshelp.com/immortal-russian-comic-anti-lgbtq-laws-koriandr/|accessdate=2023-10-25|title=Immortal: Russian Comic Defies Anti-LGBTQ Laws|date=|publisher=Arts Help}}</ref>。しかしこれらの動向はロシア社会の「政治化された[[ホモフォビア]]」によって強い圧力を受けている<ref name=inrussia/>。2013年に成立した[[ロシアにおける同性愛宣伝禁止法|同性愛宣伝禁止法]]は「非伝統的な性的関係」の表現を規制するもので、子供向け作品でLGBTを描くことは違法とされた<ref name=inrussia/>。2022年には大人向け作品も規制対象に含められた<ref name=artshelp/>。 == 日本の漫画 == 英語圏の国々や多くのアジア国家と比べると、日本では年齢制限のないポップカルチャーでセクシュアリティやジェンダーを扱うことに法的・慣習的な制約が少ない。これは日本国外のLGBT当事者が[[日本の漫画]]に惹かれる理由の一つとなっている{{sfn|Orbaugh|2020|p=38|ps=, note 1.}}。 === ゲイ漫画 === [[ファイル: Gengoroh Tagame Dedicace Paris 2015.JPG|サムネイル|[[田亀源五郎]](2015年)。]] 『日本のゲイ・エロティック・アート』を著した漫画家[[田亀源五郎]]によると、日本のゲイアートの源流は[[戦後]]の性風俗雑誌である<ref name=gayeroticart/>。その中でも特に男性同性愛を大きく扱っていた『[[風俗奇譚]]』(1960-1974) は、米国のジョージ・クエンタンスやトム・オブ・フィンランドのほか、{{仮リンク|三島剛|en|Go Mishima}}、{{仮リンク|平野剛|en|Go Hirano}}、{{仮リンク|大川辰次|en|Tatsuji Okawa}}などによるエロティックなイラストレーションを掲載していた。これら第一世代のゲイアート作家は共通して{{行内引用|表情に愁いを帯び、どこか情念的な翳りのようなものを秘めている(田亀)}}日本的な美学を感じさせる男性を描いていた<ref name=gayeroticart/>。1971年には最初の[[ゲイ雑誌|ゲイ専門商業誌]]『[[薔薇族]]』、続いて『[[さぶ (雑誌)|さぶ]]』や『[[アドン (雑誌)|アドン]]』が創刊され、三島らに活躍の場を提供した<ref name=gayeroticart/>。1980年代になると欧米ゲイ文化の影響や[[フェティシズム]]の細分化といった流れの上で多様な作風の第二世代アーティストが現れ、初期にあった翳りのようなものは薄れていった<ref name=gayeroticart/>。 初期のゲイ雑誌はグラビアと文通欄が主力で漫画は重視されていなかった<ref name=CJ/>。ストーリー漫画が掲載され始めたのは1970年代後半のことだった。当初は少女漫画に影響を受けた作品が多く、やがてエロティックな劇画風の作品も現れた{{sfn|田亀|2020|p=154}}。初期の代表的な描き手には山口正児や海藤仁、[[山川純一]]、[[竹本小太郎]]などがいる。ゲイ外の雑誌で活動していた[[南伸坊]]、[[吉田光彦]]、土屋進のような漫画家が寄稿することもあった<ref name=gayeroticart>{{cite web|url=https://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/tachiyomi/4939015580/gairon.html|accessdate=2023-10-26|title=立ち読み 日本のゲイ・エロティック・アート|publisher=スタジオ・ポット/ポット出版|archivedate=2009-01-31|archiveurl= https://web.archive.org/web/20090131084106/https://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/tachiyomi/4939015580/gairon.html|date=2005-05-01}}</ref>{{sfn|田亀|2016}}。1990年代には一般メディアで「ゲイブーム」が起き、LGBTの存在が社会的に認知され始めた。ゲイ雑誌界においても従来の雑誌に代わって『[[Badi]]』や『[[G-men (雑誌)|G-men]]』のようにゲイのライフスタイルや社会的な話題までを広く扱う新興誌が現れ<ref name=gayeroticart/>{{sfn|若松|2018}}、掲載される漫画のテーマも広がっていった<ref name=CJ>{{cite web|url=https://courrier.jp/news/archives/86250/|accessdate=2023-11-16|title=フランス紙が日本の「ポルノグラフィーの闘士」を異例の大特集! 田亀源五郎、ゲイと漫画と日本社会を語る|publisher=クーリエ・ジャポン|date=2017-05-24}}</ref>。これらの専門誌はゲイの交際相手を探すための媒体という側面が強かったが{{sfn|田亀|2017|p=214}}、後年にはインターネットによってその役割を奪われ、2020年までにほとんどが発行を止めた<ref>{{cite web|url=https://the-new-tokyo.com/gayculture05/|accessdate=2023-10-26|title=【第5回/ゲイカルチャーの未来】世界各国で賞賛されるジャパニーズ・ゲイ・アートの巨人/田亀源五郎インタビュー|publisher=newTOKYO|date=2020-08-20}}</ref>。ゲイ男性向けのハードコアポルノは同人誌が主要な発表の場となった{{sfn|田亀|2017|p=214}}。 [[レズビアン雑誌|レズビアン向けの商業誌]]はゲイ雑誌ほど市場が大きくなく、1995年の『フリーネ』以降数誌が創刊されたがいずれも短命に終わっている{{sfn|竜|2015|pp=143-144}}。 ゲイ雑誌に掲載される漫画は 8–24ページの[[読み切り]]が典型的だった{{sfn|McLelland|2000|p=136}}。内容は雑誌や時代によって一定せず、1990年代後半の『G-men』や『さぶ』がもっぱらプロットに乏しいポルノを載せていた一方{{sfn|Baudinette|2016|pp=110-112}}{{sfn|McLelland|2000|p=136}}、2010年ごろの『Badi』誌では[[スライス・オブ・ライフ|日常系]]・[[ギャグ漫画|ユーモア]]・エロのように幅広いジャンルの作品が見られた{{sfn|Baudinette|2016|pp=115-116}}。一般の出版社や同人誌、インターネットのように発表媒体が多様化していくと自伝的・内省的な作品も増えていった{{sfn|Baudinette|2016|p=110}}。1980年代から2010年代にわたる作品の分析によると、ゲイの恋愛を描いた作品では1990年代まで社会的抑圧によるゲイ・アイデンティティの揺らぎを扱う作品が多かったが、それ以降は異性愛社会の存在が後景化し、ゲイコミュニティ内のドラマが主体となった{{sfn|斎藤|2019|pp=49-50}}。 [[田亀源五郎]]は日本のゲイ漫画史で大きな役割を果たした漫画家で、「マッチョのファンタジー」を好むゲイ男性向けの『G-men』誌の創刊と編集にも携わっていた{{sfn|McLelland|2000|pp=139-140}}。初の長編『嬲り者』(1994) はゲイ漫画の単行本として画期的なヒットとなった{{sfn|田亀|2017|p=111}}。筋肉質な男性間の支配関係や拷問といった田亀の[[SM (性風俗)|SM]]エロティカは追随者を多く生み出した{{sfn|Baudinette|2016|p=118}}。ゲイアート作家として世界的に高く評価されており、ゲイアート史に関する著作もある。2014年からは一般のコミック誌でも活動を始め<ref>{{cite web|url=https://www.itmedia.co.jp/ebook/articles/1506/05/news013.html|accessdate=2023-10-26|title=ゲイアートの巨匠は“一般誌”で何を伝えるか:『弟の夫』田亀源五郎インタビュー(1/2 ページ)|publisher= ITmedia eBook USER|date=2015-06-05}}</ref>、異性愛者が同性愛者の家族と向き合う様子を描いた『[[弟の夫]]』(2014) によって日本国内外で多くの賞を受けた<ref>{{cite web|url=https://mediag.bunka.go.jp/article/article-12220/ |accessdate=2023-10-31|title=互いを認め合うことで、この世界は少し生きやすくなる『弟の夫』|publisher=メディア芸術カレントコンテンツ|date=2018-02-23}}</ref><ref>{{cite web|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000157.000014531.html|accessdate=2023-10-29|title=『弟の夫』の田亀源五郎がドイツの世界的マンガ賞「ルドルフ・ダークス賞」ベストアーティスト賞を受賞!|website=PR Times |date=2019-10-20}}</ref>。そのほか代表的なゲイ漫画家には[[児雷也 (漫画家)|児雷也]]や[[山田参助]]が挙げられる{{sfn|永山|2014|p=345}}。 [[山川純一]]は1980年代に『[[薔薇族]]』に描いていたがゲイの間ではほとんど話題にならずに消えた漫画家だった{{sfn|竜|2015|pp=114-119}}。2000年代初頭に[[電子掲示板|インターネット掲示板]]で山川の短編「[[くそみそテクニック]]」(1987) をコメディとして読むことが流行し、同性愛を笑う「[[コートコーポレーション#『真夏の夜の淫夢』|野獣先輩]]」などの[[インターネットミーム|ミーム]]の先駆けとなった<ref name=bunka>{{cite web|url=https://bunkaonline.jp/archives/3403/2|accessdate=2023-12-23|title=山川純一:「ハッテン場から愛をこめて」連載5|first=サムソン|last=高橋|publisher=実話BUNKAオンライン|date=2023-12-22}}</ref>。山川は一般のサブカルチャーファンに広く知られるようになり{{sfn|竜|2015|pp=114-119}}<ref>{{cite web|和書|url=https://otapol.com/2019/07/post-71865.html|accessdate=2023-11-05|title=薔薇族の人びと ~ヤマジュンとの出会いは、ぼくの運の強さ!|publisher=おたぽる|last=伊藤|first=文學|date=2019-07-16}}</ref>、2023年には作品のアニメ化が発表された<ref name=bunka/>。 === 女性向け漫画 === {{See also|少年愛 (少女漫画)|やおい|ボーイズラブ|百合 (ジャンル)}} 男性同性愛を描く[[やおい]]([[ボーイズラブ]]とも)や女性同性愛を描く[[百合 (ジャンル)|百合]](ガールズラブとも)は1970年代の[[少女漫画]]から派生したジャンルで、現在ではさまざまな媒体に広がっている。日本国外でも多くの言語でオリジナルのやおいや百合作品が描かれている<ref name="bonking">{{Cite web |last=McLelland |first=Mark |url=http://blogs.arts.unimelb.edu.au/refractory/2006/12/04/why-are-japanese-girls%E2%80%99-comics-full-of-boys-bonking1-mark-mclelland |archive-url=https://web.archive.org/web/20080415173709/http://blogs.arts.unimelb.edu.au/refractory/2006/12/04/why-are-japanese-girls%E2%80%99-comics-full-of-boys-bonking1-mark-mclelland |archive-date=2008-04-15 |title=Why are Japanese Girls' Comics full of Boys Bonking? |accessdate=2023-10-23|website=Refractory: A Journal of Entertainment Media Vol. 10, 2006/2007}}</ref><ref name = "about">“Interview: Erica Friedman”, About.com, 2008-03-11時点におけるアーカイブ(url: <nowiki>https://web.archive.org/web/20080311234853/http://manga.about.com/od/mangaartistswriters/a/EFriedman.htm</nowiki>)。2023年10月6日閲覧。</ref>。 同性愛を最初に描き始めたのは[[竹宮恵子]]、[[萩尾望都]]、[[山岸涼子]]など「[[24年組]]」と呼ばれる女性漫画家の集団だった{{sfn|Baudinette|2016|p=110}}。初期の代表的な作品には、フランスの男子中学生の同性愛関係を描いた『[[風と木の詩]]』(1976)、ドイツの[[ギムナジウム]]を舞台にした『[[トーマの心臓]]』(1974)、[[厩戸王|聖徳太子]]を再解釈した『[[日出処の天子]]』(1980) があり{{sfn| Lunsing |2000|p=494}}<ref name="bonking"/>、いずれも現代日本とはかけ離れた舞台設定で中性的な美少年を中心に据えていた<ref name="Yaoi Debate"/>。これらは少女漫画に「[[少年愛 (少女漫画)|少年愛]]」という美意識を植え付けたのに加えて、漫画表現の上でも文学的な内面描写を発展させ{{sfn|石田|2008|pp=58-61}}、男性も含めた漫画ファンに広く注目された{{sfn|石田|2008|pp=17-21}}。 1978年に創刊された『[[JUNE (雑誌)|JUNE]]』(当初は『Comic JUN』)は男性同性愛を中心とする女性向け商業誌の草分けで、文学とポルノグラフィ的な少年愛表現を組み合わせた「耽美系」と呼ばれるジャンルを生み出した{{sfn|石田|2008|pp=204-211}}。幅広い背景の漫画家が参加していたが、同誌の作風を方向づけたのは竹宮恵子と小説家の[[中島梓]]だった{{sfn|石田|2008|pp=214, 220-236}}。『JUNE』は読者参加型の投稿誌という性格が強く、竹宮らの創作教室コーナーからは[[西炯子]]、[[津田雅美]]、[[羅川真里茂]]など次世代の漫画家が輩出されている{{sfn|石田|2008|pp=236-238}}{{sfn|石田|2012|p=168}}{{sfn|藤本|2020|p=7}}。 1970年代半ばは漫画[[同人誌]]文化が開花した時期でもあった{{sfn|伊藤|2007|pp=215-218}}。後に数十万人規模に成長する同人誌即売会[[コミックマーケット]]は1975年にはじまったが、そのころから参加者の多くを女性が占めていた{{sfn|金田|2014|p=78}}。「[[やおい]]」という言葉は[[坂田靖子]]や[[波津彬子]]らの同人活動の中から生まれ、男性同性愛を描くジャンルという意味で定着した{{sfn|伊藤|2007|pp=215-218}}。1978年ごろには『[[闘将ダイモス]]』のような男児向け[[アニメ]]作品の男性登場人物を用いた性的な[[二次創作]](アニパロ)が同人作品の主流となり、1980年代半ばには『[[キャプテン翼]]』ブームによって爆発的に発展した{{sfn|伊藤|2007|pp=223-227}}。この時期に活躍していた同人作家に[[高河ゆん]]や[[CLAMP]]がいる{{sfn|金田|2014|p=79}}。同人出身の[[尾崎南]]が一般少女誌に連載したやおい作品『[[絶愛-1989-]]』(1989) は国際的なヒットとなった{{sfn|藤本|2020|p=11}}。 1990年代には商業出版社が大々的にこのジャンルに参入し、同人作家を起用してオリジナルの作品を出版するようになった。「[[ボーイズラブ]] (BL)」というラベルはここで登場した。非日常的な舞台設定ではなく学校生活のような身近な題材が増え、耽美系に見られた家庭内の葛藤や孤独といったテーマは薄れて、「[[萌え]]」や明るいセックスを描く作風が人気を集めた{{sfn|金田|2014|pp=79-80}}{{sfn|松井|2014|p=131}}{{sfn|西原|2020|p=47}}。ここまでに成立した、2人の男性が出会いから関係を深めてハッピーエンドに至る物語の型が2020年代まで商業BLの主流となっている{{sfn|堀&守|2020|pp=62}}。その一方でジャンルの発展とともにテーマの深化や設定の多様化も進んでおり、[[トランスジェンダー]]や[[オネエ言葉|オネエ]]といった従来避けられていた属性や、[[オメガバース]]のような新しいサブジャンルが登場している{{sfn|堀&守|2020|pp=63-70}}。2000年代以降は[[よしながふみ]]のようにBL出身で一般誌にも描く漫画家が現れ{{sfn|金田|2014|p=80}}、ドラマCDやゲーム、舞台、アニメのように幅広いメディアのエンターテインメントにBLの要素が浸透した{{sfn|堀&守|2020|pp=70-72}}。BLの中でも突出したヒット作である『[[純情ロマンチカ]]』(2003) は{{sfn|溝口|2015|p=21}}、関連書籍の累計発行部数が1500万部を超え、多方面にメディア展開されている<ref>{{cite web|url=https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/25024/|accessdate=2023-12-12|title=待っていましたっ!累計1500万部を突破した大人気BL作品『純情ロマンチカ』が舞台化決定!!|publisher=ちるちる|date=2021-01-06}}</ref>。2010年代には男性間の恋愛をテーマにした漫画原作のドラマが複数放映されている<ref>{{cite web|url=https://realsound.jp/movie/2019/04/post-346480_2.html|accessdate=2023-11-17|title=男性同士のラブストーリー映像化群はBLが原作かベースに|publisher=Real Sound|date=2019-04-12}}</ref>。 百合的な関係性は少女漫画の黎明期において学校の先輩後輩間の結びつき([[エス (文化)|エス]])という形ですでに描かれていた{{sfn|フリードマン|2014}}。明確な女性間の恋愛は1970年代に[[山岸涼子]]らによって描かれ始めた。しばらくは狭いサブジャンルにとどまっており、定型的な悲劇のストーリーが踏襲され続けていたが、90年代に入ると女性性や同性愛を肯定的に捉えた作品がメジャーになっていった。小中学生向けの少女誌で連載されたヒット作『[[美少女戦士セーラームーン]]』もその流れにある。2000年代には[[少女小説]]『[[マリア様がみてる]]』によって男性読者も巻き込んだ百合ブームが起き、専門誌『[[コミック百合姫]]』(2005) も創刊された{{sfn|藤本|2014}}。2010年代にはエンターテインメントのジャンルとしての百合や[[ガールズラブ]]が定着した一方で{{sfn|藤本|2014}}、レズビアンの自認を持つキャラクターが描かれることが多くなり{{sfn|フリードマン|2014}}、自伝やエッセイ的な作品も描かれている{{sfn|藤本|2014}}。 日本のファンはボーイズラブをファンタジーとみなし、現実の同性愛を取り巻く問題を反映させることを好まない傾向がある{{sfn|長池|2014|p=123}}。社会的な[[ホモフォビア]]が描かれる場合にもメインキャラクターの愛情の純粋さを示すためのプロット装置とされるのが一般的である{{sfn|Vincent|2007}}<ref>{{Cite web |last=Brenner |first=Robyn |url=http://www.libraryjournal.com/article/CA6477427.html |title=Romance by Any Other Name |archive-url=https://web.archive.org/web/20110607130508/http://www.libraryjournal.com/article/CA6477427.html |archive-date=2011-06-07|accessdate=2023-10-21}}</ref>。{{仮リンク|レイチェル・ソーン|en|Rachel Thorn}}はやおいが基本的にロマンス物語として読まれており、政治的なテーマは読者にとって興ざめなのではないかと書いている{{sfn|Thorn|2004|pp=179-180}}。ジャンルそのものの登場人物の描写がステレオタイプ的・同性愛嫌悪的であり<ref name="Yaoi Debate">{{Cite web |last=Lunsing |first=Wim |url=http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue12/lunsing.html |title=Yaoi Ronsō: Discussing Depictions of Male Homosexuality in Japanese Girls' Comics, Gay Comics and Gay Pornography |archive-url=https://web.archive.org/web/20080324025952/http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue12/lunsing.html |archive-date=2008-03-24 |website=Intersections: Gender, History and Culture in the Asian Context Issue 12 |date=January 2006|accessdate=2023-10-22}}</ref>{{sfn|Vincent|2007}}、ゲイに関する問題を無視していると批判されることもある<ref name="Korean Fandom">{{Citation|title=Reading Yaoi Comics: An Analysis of Korean Girls' Fandom|last=Noh|first=Sueen|year=2002|url=http://moongsil.com/study/yaoi_eng.pdf|archive-url=https://web.archive.org/web/20070928081809/http://moongsil.com/study/yaoi_eng.pdf|archive-date=2007-09-28|work=presented at Korean Society for Journalism and Communication Studies Annual Meeting Fall 1998}}</ref>。溝口彰子は、登場人物が自分は異性愛者だと主張したり、同性間に「[[カップリング (同人)|攻め・受け]]」といった疑似的なジェンダー役割が割り当てられる従来のやおい作品にはホモフォビアや異性愛規範の要素があると指摘している{{sfn|前川|2020|pp=225-226}}。その一方、批評家の中にはやおいがクィアな価値観を提示しており、日本社会のジェンダー規範やセクシュアリティ規範に挑戦しているという者もいる{{sfn|Thorn|2004|pp=179-180}}{{sfn|Walker|2006|p=843}}{{sfn|Wood|2006}}。[[藤本由香里]]は少女漫画で発生した少年愛を{{行内引用|現実社会のジェンダーの抑圧、性に対するさまざまな忌避から逃れるための装置}}としており、ポルノグラフィ的なやおいへの発展を{{行内引用|少女たちが「性を遊ぶ」ことを可能にし、受動から能動へと視点を転換させる可能性を開いた}}と書いている{{sfn|藤本|2007|p=38}}。溝口は2000年代以降{{行内引用|ジャンルそのものについて自覚的・内省的な作家}}によって社会的なミソジニー、ホモフォビア、異性愛規範を克服することを目指す「進化形のBL」が描かれ始めたと主張している{{sfn|溝口|2015|pp=136-138}}。 初期の少年愛作品では筋肉やひげのような生々しい男性の肉体の描写はタブーとされており{{sfn|吉本|2007|p=248}}、現実的なゲイを描くことは志向されていなかった。1992年にゲイ活動家の佐藤雅樹は当時のやおい同人作品がゲイの性を商品化しており{{行内引用|男性同性愛者を、異性愛社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込める}}抑圧的な表現だと批判して{{sfn|溝口|2015|pp=59, 100, 113}}、実作者やファンの間に「やおい論争」を引き起こした{{sfn|前川|2020|p=222}}<ref name="Yaoi Debate"/>。ただし実際にはやおいとゲイ漫画のファンは初期から一部で重なっていた{{sfn|石田|2014|p=169}}{{sfn|前川|2020|pp=227-231}}。ジャンルの成熟と多様化とともにリアリズムを取り入れる女性向け作品も増え、作家・作風の越境が進んでいる{{sfn|吉本|2007|p=248}}。LGBT当事者の側に[[おたく|オタク]]文化が浸透し、一般のコミックファンとの意識の差が小さくなった面もある{{sfn|竜|2015|p=141}}。 === 男性向け漫画 === {{See also|男の娘}} 大手出版社による漫画雑誌文化が確立する以前の[[貸本漫画]]では[[とみ新蔵]]、[[辰巳ヨシヒロ]]、[[上村一夫]]、[[宮谷一彦]]のような作家が同性愛や異性装の題材を描くことがあった{{sfn|永山|2014|pp=334-335}}。[[劇画|青年劇画誌]]がブームになった1970年代半ば以降に中小出版社から乱立された[[エロ劇画誌]]には{{sfn|永山|2014|p=52}}、[[宮西計三]]や[[ひさうちみちお]]らによるホモエロティックな作品が載っていた。しかしこれらは個別の作家による創作活動で、少女漫画のように大きなムーブメントが生まれることはなかった{{sfn|永山|2014|pp=334-335}}。 一般の男性向け作品で同性愛は笑いの種とされるのが普通だった{{sfn|永山|2014|pp=334-335}}。丁寧語や女言葉でしゃべったり「乙女の心を持つ」とされるなど、同性愛男性のステレオタイプに沿った「[[おかま|オカマ]]キャラ」には、ギャグ漫画では『[[マカロニほうれん荘]]』(1977) の「きんどーさん」、冒険ものでは『[[ドラゴンボール]]』(1984) の[[フリーザ]]、『[[ONE PIECE]]』(1997) の「カマバッカ王国」といった例がある。オカマキャラは[[ストックキャラクター|キャラクター類型]]の一つとして少年向け作品で長年にわたって使われたが、具体的な[[性的指向]]については強く匂わされるばかりで、同性愛を正面から描くことは避けられていた。21世紀に入ると性的少数者の描写にはもっと繊細な取り扱いが要求され始めた{{sfn|小林|2018|pp=198-202}}。 少年誌では『[[ストップ!! ひばりくん!]]』(1981)、青年誌では『[[変 (漫画)|変]]』(1991) を皮切りにジェンダーやセクシュアリティのゆらぎを扱う作品が描かれ始めた{{sfn|永山|2014|p=336}}。『ストップ!! ひばりくん!』の作者[[江口寿史]]は「女の子のように[[可愛い]]男の子」が少年の恋愛対象となることを当初ギャグとして発想したが、その可愛さは読者にストレートに受け入れられ、男女を問わず高い人気を集めることになった{{sfn|堀|2016|pp=222-226}}。同作は後に「[[男の娘]]」と名付けられる性別越境の先駆けとされており、当時の[[女装]]愛好者の間でも影響が大きかった{{sfn|堀|2016|pp=222, 229}}。それ以降、1980年代から1990年代にかけては『[[らんま1/2]]』(1987)、『[[ふたば君チェンジ♡]]』(1990)、『[[♂ティンクル×2♀アイドル☆スター|♂ティンクル<sup>2</sup>♀アイドル☆スター]]』(1990) のように主人公が性転換したり、異性装を行うジャンルが少年誌で連載された<ref>{{cite web|url=https://otomejuku.jp/media/705/|accessdate=2023-12-06|title=「時代が許さなかった」数十年前のメディアでのトランスジェンダー事情を振り返る |publisher=乙女塾|date=2020-08-14}}</ref>。特にファンタジーやユーモアの要素がある場合には性役割の規範が弱かった<ref>{{Citation|title=Anime, mon amour: forget Pokémon—Japanese animation explodes with gay, lesbian, and trans themes|url=http://www.thefreelibrary.com/Anime,+mon+amour:+forgetPokémon--Japanese+animation+explodes+with...-a0110809191|publisher=The Free Library|access-date=2023-10-24}}</ref>。2000年代初頭、ゲームやアダルト漫画で女装少年キャラクターがブームとなり、少年誌でも『[[ハヤテのごとく!]]』(2004) 以降に女装主人公のジャンルが定着した{{sfn|川本|2014|pp=139-140}}。2010年代には「男の娘」の呼び名が一般に浸透し、『[[わぁい!]]』(2010) など専門のコミック誌が創刊された{{sfn|川本|2014|pp=142-144}}。隣接する[[TSF (ジャンル)|トランスセクシュアル]]のジャンルも一部で活性化した{{sfn|吉本|2015|p=219}}。ただし「男の娘」表象は多数派である異性愛男性に支えられており{{sfn|樋口|2015|pp=85-86}}、男性に課せられる社会的規範を逃れたいという欲求に基づくが異性愛制度を否定するものではないと評されている{{sfn|樋口|2015}}。この時期にはまた[[性同一性|性自認]]や性的指向と切り離されたファッションや[[コスプレ]]としての女装が社会的な認知を得るようになった{{sfn|佐伯|2015|pp=80-83}}。 2010年代にはジェンダーマイノリティへの社会的認知が進み、LGBT当事者の目線から描かれた作品が増えた<ref name=frau/>。『[[きのう何食べた?]]』(2007) は青年誌でリアルなゲイの生活を描いた作品として画期的だった<ref>{{cite web|和書|url=https://manba.co.jp/manba_magazines/23411|accessdate=2023-12-07|title=LGBTQについて考えるマンガ|テーマ別に読む[本当に面白いマンガ] 第2回|publisher=マンバ通信|date=2023-12-07}}</ref>。2014年の『弟の夫』はニッチなゲイ作家だった田亀源五郎の青年誌進出作として注目を集めた<ref name=kaiyou2017>{{cite web|和書|url=https://kai-you.net/article/44963|accessdate=2023-11-16|title=ゲイ・エロティック・アートの巨匠 田亀源五郎と担当編集に聞く『弟の夫』の現場 「無自覚の差別」とは何か?|publisher= KAI-YOU.net|date=2017-08-31}}</ref>。空想的なファンタジーではなく普遍的な思春期の悩みの一つとして性自認を扱う作品はこのころのトレンドで、『[[放浪息子]]』(2002) を嚆矢として『[[青のフラッグ]]』(2017) や『[[ボーイズ・ラン・ザ・ライオット]]』(2020) などが描かれている<ref name=frau>{{cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/87676?page=3|accessdate=2021-09-26|title=リボンの騎士、大奥、青のフラッグ…漫画における「ジェンダー描写」を考える|publisher=FRaU|date=2023-12-07}}</ref>。2016年、トランスジェンダー男性を主人公にした[[スポーツ漫画]]『[[新波歩|ECHOES]]』が[[宝島社]]の新人賞『[[このマンガがすごい!]]』大賞を受賞した<ref>{{cite web|和書|url=https://diversity-studies.com/2016/12/13/%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E3%80%8E%E3%81%93%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%8C%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%EF%BC%81%E3%80%8F%E5%A4%A7%E8%B3%9E%E3%81%AB%E3%80%81%E5%AE%9F%E4%BD%93%E9%A8%93/|accessdate=2023-12-06|title=宝島社『このマンガがすごい!』大賞に、実体験をもとにトランスジェンダーを描いた『ECHOES(エコーズ)』|publisher=Diversity Studies|date=2016-12-13}}</ref><ref>{{cite web|和書|url=https://konomanga.jp/interview/88292-2|accessdate=2023-12-06|title=第7回『このマンガがすごい!』大賞 受賞記念インタビュー 歩『ECHOES』 大賞史上最高の評価を得たトランスジェンダー×バスケの心地よい融合|publisher=このマンガがすごい!WEB|date=2016-12-09}}</ref>。性選択をテーマにしたSF『[[境界のないセカイ]]』(2014) は、批判の可能性を恐れた[[講談社]]の意向で連載中止になり<ref>{{cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1503/26/news090.html|accessdate=2023-12-07|title=「境界のないセカイ」問題、「経緯は作者のブログにあった通り」と樹林編集長 複雑な思いをTwitterで吐露|publisher= ITmedia NEWS|date=2015-03-26}}</ref>(後に[[KADOKAWA]]で復活<ref>{{cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/02/news164.html|accessdate=2023-12-07|title=「境界のないセカイ」、少年エースで連載再開 単行本も発売|publisher= ITmedia NEWS|date=2015-04-02}}</ref>)、LGBT団体やメディアから過剰な自主規制を懸念する声も上がった<ref>{{cite web|和書|url=https://tablo.jp/archives/2728|accessdate=2023-12-07|title=性的マイノリティを描いた漫画『境界のないセカイ』 コミック化中止騒動を考察|publisher=TABLO|date=2015-04-02}}</ref>。2010年代後半にはトミムラコタ、[[新井祥]]などLGBT当事者によるエッセイ漫画が数多く出版されている<ref name=hara>{{cite web|和書|url=https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14065/|accessdate=2023-12-18|title=越境するグラフィックノベル第2回 セクシュアリティ|last=原|first=正人|publisher=メディア芸術カレントコンテンツ|date=2018-12-06}}</ref>。 男性向けの[[成人向け漫画|アダルト漫画]]には[[トランスジェンダー]]もしくは[[インターセックス|インターセクシュアル]]の男性キャラクターが性的欲望の対象とされたり、受動的なセックスの主役となるジャンルがある{{sfn|永山|2014|p=349}}。その源流は米国産の[[ポルノグラフィ]]に見られる[[ニューハーフ|シーメール]]だが{{sfn|永山|2014|p=342}}、日本のエロ漫画に移入されると[[ふたなり]]、[[性転換]]、[[女装]]、[[ショタ]]のように多彩なサブジャンルが生み出された{{sfn|永山|2014|p=349}}。[[永山薫]]によるとそれらは特定の性的指向や性自認と結びついたものではなく{{sfn|永山|2014|p=349}}、男性読者が一時的に女性性を疑似体験するためのエンターテインメント表現であり{{sfn|永山|2014|p=341}}、その背景には{{行内引用|戦後一貫して進行するマチズモの崩壊とそれに伴う、性的嗜好の多様化、細分化}}があるという{{sfn|永山|2014|pp=420-421}}。純然たる男性間の性行為を描いたゲイ向けのエロ漫画とは読者層が異なり{{sfn|永山|2014|p=345}}、男性のアダルト漫画家・読者の間には同性愛忌避も根強い{{sfn|永山|2015|pp=153-154}}。 == 啓発的漫画 == 漫画というメディアを用いてLGBTと関連する[[セーファーセックス|セーフセックス]]などの問題を啓発する試みも行われている{{sfn|Pollak|1994|p=22}}。[[AIDS]]を題材にしたコミックストリップ形式の作品はフランスの ''Liberation'' 誌に1986年に掲載されたイラストレーションにまでさかのぼる。同作は単純な人物図を用いて危険な行為を説明していた{{sfn|Forsdick|2005|p=195}}。英米では1987年と1988年に {{仮リンク|ストリップAIDS|en|Strip AIDS|label=''Strip AIDS''}} が刊行されている。政治運動としての出版物には[[アラン・ムーア]]による {{仮リンク|AARGH (Artists Against Rampant Government Homophobia)|en|AARGH (Artists Against Rampant Government Homophobia)|label=''AARGH''}} がある。英国政府が提出した「同性愛の奨励」を禁じる法案に抗議するためのもので、英国、米国、カナダの一流漫画家が寄稿していた{{sfn|Rothschild|1995b|p=59}}。これらの作品はコミックという形式とユーモアによって一般的な教材よりも肯定的なメッセージを伝えると評されている{{sfn|Pollak|1994|p=22}}。AIDS予防を訴える内容のフィクション作品としては、フランス語の ''La Sida''{{翻訳|The AIDS}}(1995) が良く知られている。アルフレッド・フルニエ研究所から "Prevention Sourire" シリーズの一環として発行された子供向けの作品で、HIV感染を「緑色の小さなモンスター」で比喩的に表すようなユーモアによって題材が和らげられている{{sfn|Forsdick|2005|p=192}}。南アメリカの作家ハイメ・コルテスによる ''Sexile'' はHIV感染予防の啓蒙家で[[トランスジェンダー]]の{{仮リンク|アデラ・ヴァスケス|en|Adela Vázquez}}をモデルにした作品で、{{仮リンク|APLAヘルス|en|APLA Health|label=AIDSプロジェクト・ロサンゼルス}}から英語とスペイン語で発行された。ジェンダー自認や性体験、[[キューバ革命]]政権下での抑圧、HIV/AIDSへの意識向上が語られる内容だった{{sfn|Tensuan|2009|pp=}}。 それらの啓発的なコミックは、HIVを伝統的な異性愛への脅威として描くことを優先するあまり同性愛を周縁化しており、LGBTコミュニティにとってのHIVの重要性という観点が欠けていると批判されてきた。問題の大元にあるのは、コミックが子供のメディアだという通念があるため社会の主流である[[異性愛規範]]に沿って描かなければならず、LGBTと自認する子供が自己投影できるキャラクターを登場させられない点だとされている{{sfn|Forsdick|2005|p=193}}。スイスの啓蒙的なコミックブック ''Jo'' (1991) なども対象年齢が高いにもかかわらず同性愛を明示的に描いていない{{sfn|Forsdick|2005|p=194}}。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 参考文献 == {{Refbegin|colwidth=40em}} * {{Cite book|title=Alan Moore: A Critical Guide|year=2021|publisher=Bloomsbury Publishing|first=Jackson|last=Ayres|edition=Kindle|isbn=978-1-3500-6048-7|asin= B08VD5YKNZ |ref={{sfnref|Ayres|2021}}}} * {{cite book|title=The Cambridge Companion to the Novel|pages=238–253|doi=10.1017/9781316659694.015|publisher=Cambridge University Press|year=2018|chapter=13 - The Graphic Novel|last=Baetens|first=Yan|last2=Frey|first2=Hugo|ref={{sfnref|Baetens and Frey|2018}} |editor-last=Bulson|editor-first=Eric}} * {{cite book|title=Manga Vision: Cultural and Communicative Perspectives|url=https://www.academia.edu/2654198/An_evaluation_of_physicality_in_the_bara_manga_of_B%C3%A1di_magazine|pages=107–124|publisher=Monash University Publishing|year=2016|chapter=An Evaluation of Physicality in the ''Bara'' Manga of ''Bádi'' Magazine|last=Baudinette|first=Thomas|ref={{sfnref|Baudinette|2016}} |editor-last=Pasfield-Neofitou|editor-first=Sarah|editor-last2=Sell|editor-first2=Cathy}} * {{Cite book|title=Unpopular Culture: Transforming the European Comic Book in the 1990s|last=Beaty|first=Bart|year=2007|publisher=University of Toronto Press|url= https://archive.org/details/unpopularculture0000beat |isbn=978-0-8020-9412-4 |ref={{sfnref|Beaty|2007}}}} * {{Cite book|title=Reading Comics: Language, Culture, and the Concept of the Superhero in Comic Books|last=Bongco|first=Mila|year=2000|publisher=Taylor & Francis|isbn=978-0-8153-3344-9|ref={{sfnref|Bongco|2000}}}} * {{Cite book |title=Comics through Time: A History of Icons, Idols, and Ideas |last=Booker |first=M. Keith |publisher=ABC-CLIO |year=2014 |isbn=9780313397516|ref={{sfnref|Booker|2014}} }} *{{Cite book|title=We Boys Together: Teenagers in Love before Girl-craziness|last=Dennis|first=Jeffery P.|year=2007|publisher=Vanderbilt University Press|isbn=978-0-8265-1557-5|ref={{sfnref|Dennis|2007}}}} *{{cite book|last=Drazen|first=Patrick|year= 2002|chapter="A Very Pure Thing": Gay and Pseudo-Gay Themes|title=Anime Explosion! The What, Why & Wow of Japanese Animation |publisher= Bridge Press |isbn=1-880656-72-8|ref={{sfnref|Drazen|2002}}}} *{{Cite book|title=The Francophone Bande Dessinée|last=Forsdick|first=Charles|year=2005|publisher=Rodopi|isbn=978-90-420-1776-4|ref={{sfnref|Forsdick|2005}}}} * {{cite book|title=Superhero Comics|publisher=Bloomsbury Academic |year=2019|first=Chris|last=Gavaler |isbn=9781474226349|ref={{sfnref|Gavaler|2019}}}} * {{cite journal|last=Greyson|first=Devon|title=GLBTQ Content in Comics/Graphic Novels for Teens|journal=Collection Building|year=2007|doi= 10.1108/01604950710831942|pages=130-134 |volume=26|issue=4|ref={{sfnref|Greyson|2007}}}} * {{Cite book|title= Encyclopedia of Gay Histories and Cultures|editor-last= Haggerty| editor-first= George E.|year= 2000|publisher= Taylor & Francis|isbn= 978-0-8153-1880-4|url= https://archive.org/details/encyclopediaofga00ghag|ref={{sfnref|Haggerty|2000}}}} **{{cite book|chapter=Comic Strips and Books|pages=208-209|last=Donovan|first=James M. |ref={{sfnref|Donovan|2000}}}} **{{cite book|chapter=Japanese Literature|page=494|last=Lunsing|first=Wim|ref={{sfnref|Lunsing|2000}}}} *{{Cite book |title=No Straight Lines: Four Decades of Queer Comics|isbn=978-1606997185 |last=Hall |first=Justin |year= 2013 |edition=Kindle, sample|asin= B013XRZA4M|publisher=Fantagraphics Books|ref={{sfnref|Hall|2013}}}} *{{Cite book|title=Riding the New Wave: Youth and the Rejuvenation of France After the Second World War|last=Jobs|first=Richard Ivan|year=2007|url=https://archive.org/details/ridingnewwaveyou0000jobs/page/232|publisher=Stanford University Press|isbn=978-0-8047-5452-1|ref={{sfnref|Jobs|2007}}}} * {{cite book |title= Masters of the Comic Book Universe Revealed!: Will Eisner, Stan Lee, Neil Gaiman and More|last= Kaplan|first=Arie |year=2006 |publisher= Chicago Review Press|isbn=9781556526336|ref={{sfnref|Kaplan|2006}}|url=https://archive.org/details/mastersofcomicbo0000kapl}} *{{Cite journal|title=Queering Super-Manhood: The Gay Superhero in Contemporary Mainstream Comic Books|last=Lendrum|first=Rob|quote=''When Batman and Superman team up they are called "the World's Finest." Midnighter and Apollo are constructed with this bit of comic history in mind.''|url=https://theloganinstitute.files.wordpress.com/2015/01/robertlendrum-queeringsuper-manhood.pdf|journal=International Journal of Comic Art|volume=7|issue=1|date=Spring 2005|pages=287-303 |access-date=2023-10-10|ref={{sfnref|Lendrum|2005}}}} * {{Cite book|title= Demanding Respect: The Evolution of the American Comic Book|last= Lopes|first= Paul |year= 2009|publisher= Temple University Press|isbn=978-1-59213-443-4|url= https://books.google.co.jp/books?id=yYInVE6OLiQC&hl|ref={{sfnref|Lopes|2009}}}} *{{cite journal|title=Women’s Comics in Russia: Initiated by Manga|last=Magera|first=Yu. A.|last2=Tarasyuk|first2=Yu. B|journal=Russian Japanology Review|year=2021|pages=113-141|doi= 10.24412/2658-6444-2021-2-113-141|issue=2|ref={{sfnref|Magera & Tarasyuk|2021}}}} *{{Cite book|title=Comics & ideology|url= https://archive.org/details/comicsideology0000unse |editor-last=McAllister|editor-first=Matthew P. |editor-last2=Sewell |editor-first2=Edward H., Jr. |editor-last3=Gordon |editor-first3=Ian|year=2001|publisher=Peter Lang|isbn= 978-0820452494|ref={{sfnref|McAllister et al.|2001}}}} **{{cite book|chapter=Coming Out in Comic Books: Letter Columns, Readers, and Gay and Lesbian Characters|pages=221-250|last=Franklin|first=Morris E. 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Aviva |year= 1995|publisher= Libraries Unlimited|isbn=978-1-56308-086-9|ref={{sfnref|Rothschild|1995a}}}} * {{Cite book|title=Graphic Novels: A Bibliographic Guide to Book-length Comics |last=Rothschild|first=D. Aviva|isbn=1563080869 |url= https://archive.org/details/graphicnovelsbib0000roth/mode/2up |year=1995|publisher=Englewood|ref={{sfnref|Rothschild|1995b}}}} *{{Cite book|title=Adult comics: an introduction|last=Sabin|first=Roger|year=1993|publisher=Taylor & Francis|isbn=978-0-415-04419-6|ref={{sfnref|Sabin|1993}}}} * {{Cite book|title= Pornography and sexual representation: a reference guide|last= Slade|first= Joseph W. |year= 2001|publisher= Greenwood Publishing Group|isbn=978-0-313-31521-3|ref={{sfnref|Slade|2001}}}} *{{Cite journal|last=Tensuan|first=Theresa|date=2009|title=Crossing the Lines: Graphic (Life) Narratives and Co-Laborative Political Transformations|url=http://scholarship.haverford.edu/english_facpubs|journal=Biography|volume=32|issue=1|doi=|pages=173–189|ref={{sfnref|Tensuan|2009}}}} *{{Cite book|title=Encyclopedia of Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender History in America |editor-last=Stein|editor-first=Marc|year=2004|publisher=Charles Scribner's Sons|url=https://archive.org/details/encyclopediaofle0001unse_c3g4|isbn=978-0-684-31262-0| chapter=Comics and Comic Books|pages=249-252|last=Thalheimer|first=Anne N. |ref={{sfnref|Stein|2004}}}} *{{Cite book|title=Manga: The Complete Guide|url= https://archive.org/details/mangacompletegui0000thom_l3e2 |last=Thompson|first=Jason|year=2007|publisher=Del Rey|isbn=978-0-345-48590-8|ref={{sfnref|Thompson|2007}}}} * {{Cite book |year=2004 |first=Rachel |last=Thorn |chapter=Girls and Women Getting Out of Hand |title=Fanning the Flames: Fans and Consumer Culture in Contemporary Japan |url= https://archive.org/details/fanningflamesfan0000unse |editor-first=William W. |editor-last=Kelly |publisher=SUNY Press |isbn=9780791460320 |pages=169-188|ref={{sfnref|Thorn|2004}}}} *{{Cite book|title=Gay Comics|last=Triptow|first=Robert|year=1989|publisher=Plume; New American Library|isbn=0-452-26229-1|ref={{sfnref|Triptow|1989}}}} *{{Cite book|last=Vincent |first=Keith |year=2007 |title= Mechademia 2: Networks of Desire |chapter=A Japanese Electra and her Queer Progeny |isbn=9780816652662 |publisher=University of Minnesota Press|ref={{sfnref|Vincent|2007}}|pages=64–79}} *{{Cite journal|title=Beautiful, Borrowed, and Bent: 'Boys' Love' as Girls' Love in Shôjo Manga'|last=Welker|first=James|year=2006|postscript=.|journal=Signs: Journal of Women in Culture and Society|volume=31|issue=3|page=843|doi=10.1086/498987|ref={{sfnref|Welker|2006}}}} * {{cite book|title= Seduction of the Innocent |last=Wertham|first=Fredric |year=1954|publisher=Rinehart & Company|url= https://archive.org/details/fredricwerthamseductionoftheinnocent19542ndprinting|ref={{sfnref|Wertham|1954}}}} * {{Cite thesis |first=Jeff |last=Williams |title=Culture, Theory, and Graphic Fiction |degree=Ph.D|publisher=Texas Tech University |year=1999 |url=http://etd.lib.ttu.edu/theses/available/etd-09262008-31295014159130/unrestricted/31295014159130.pdf |accessdate=2009-06-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110720062350/http://etd.lib.ttu.edu/theses/available/etd-09262008-31295014159130/unrestricted/31295014159130.pdf |archivedate=2011-07-20 |ref={{sfnref|Williams|1999}}}} *{{Cite journal|title=Straight" Women, Queer Texts: Boy-Love Manga and the Rise of a Global Counterpublic|last=Wood|first=Andrea|year=2006|postscript=.|journal=WSQ: Women's Studies Quarterly|volume=34|issue=1/2|pages=394–414|ref={{sfnref|Wood|2006}}}} * {{Cite book|title=Youth, education, and sexualities: an international encyclopedia|editor-last=Sears|editor-first=James Thomas|year=2005|publisher=Greenwood Publishing Group|url= https://archive.org/details/youtheducationse00jame|last=Young|first=Allison J. 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ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ (ソフトボール)
ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ(西: Diablos Rojos del México)は、メキシコの首都メキシコシティを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するディアブロス・ロホス・デル・メヒコのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
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ディアブロス・ロホス・デル・メヒコは、メキシコの首都メキシコシティを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
{{For|野球チーム|ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ}} {{ソフトボールチーム | チーム名 = ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ | 正式名 = | 愛称 = | 略称 = | 運営母体 = | メインスポンサー = | 創設年 = 1940年<ref group="注">野球チームとして。</ref> | 解散年 = | リーグ = [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] | 本拠地 = {{Flagicon|MEX}} [[メキシコシティ]] | 過去の本拠地 = | オーナー = | 代表 = | 部長 = | GM = | 監督 = | シーズン = | 順位 = | リーグ優勝回数 = | リーグ優勝年 = | 公式サイト = | Twitter = }} '''ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ'''({{Lang-es-short|Diablos Rojos del México}})は、[[メキシコ]]の首都[[メキシコシティ]]を拠点とする女子[[ソフトボール]]チーム。[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)所属。 == 概要 == メキシコの[[プロ野球]]リーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]](LMB)に所属する[[ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ]]のソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)に参加<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsc.org/ja/news/80233 |title=メキシコ・ソフトボールリーグ 2024年に初の開幕シーズン  メキシコ野球リーグが支援 |access-date=2023-09-30 |publisher=[[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]] |date=2023-09-21}}</ref>。 == タイトル == なし == 歴代所属選手 == {{see also|Category:ディアブロス・ロホス・デル・メヒコの選手 (ソフトボール)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ディアブロス・ロホス・デル・メヒコ]] * [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] == 外部リンク == {{節スタブ}} {{Normdaten}} {{Sports-stub}} {{DEFAULTSORT:ていあふろすろほすてるめひこ}} [[Category:メキシコのソフトボールチーム]] [[Category:メキシコシティのスポーツ]]
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2023年のグランドチャンピオンシップ (独立リーグ)
2023年のグランドチャンピオンシップ(2023ねんのグランドチャンピオンシップ)は、2023年9月29日から10月1日まで、日本独立リーグ野球機構(IPBL)に所属する5つの独立リーグ(四国アイランドリーグplus・ベースボール・チャレンジ・リーグ〈ルートインBCリーグ〉・九州アジアリーグ〈ヤマエグループ 九州アジアリーグ〉・北海道フロンティアリーグ・日本海リーグ)優勝チームおよび開催県枠1チームが参加して、野球独立リーグ日本一の座をかけて行われたグランドチャンピオンシップである。 前年に続いてトーナメント制で実施されたが、新たに日本海リーグが加わったことにより、開催方式は前年から変更された。 3日間のトーナメントの結果、火の国サラマンダーズ(九州アジアリーグ)が2年連続での優勝を達成した。 「※」は過去出場歴あり。「※※」は過去優勝歴あり。 前回に続いて1箇所の球場で集中開催する形となり、全試合が愛媛県松山市の松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)で開催された。開催地発表の時点では、開催日は9月30日から10月1日までの3日間とのみ発表され、日程の詳細は未発表だった。 9月11日に日程の詳細と組み合わせが発表され、以下の内容となった。この時点では優勝チームが未確定のリーグがあり、「優勝チーム」という表現が使用された。また「開催県枠」の愛媛マンダリンパイレーツがリーグ優勝の場合は、リーグの準優勝球団に出場権を与えるとした。前年と異なり、予備日や3位決定戦は設けられなかった。 準々決勝出場チームは開催県枠の愛媛、新加入の富山(NBL)以外は前年の順位が低かったリーグから選ばれている。 その後、四国ILのリーグチャンピオンシップ出場チームが徳島と愛媛に決定したため、9月19日発表の開催要項では四国のリーグチャンピオンシップの結果にかかわらず、愛媛が地元枠、徳島が四国IL代表枠で出場するとされた。 入場者数については、1日2試合の場合、第2試合にしか記載がない。 9月29日 開始10:30 9月29日 開始14:30 入場者数:664人 9月30日 開始10:30 9月30日 開始14:00 入場者数:1008人 10月1日 開始11:00 入場者数565人 今年度はYahoo!JAPANのスポーツナビで試合の速報とライブ配信が実施された。
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2023年のグランドチャンピオンシップ(2023ねんのグランドチャンピオンシップ)は、2023年9月29日から10月1日まで、日本独立リーグ野球機構(IPBL)に所属する5つの独立リーグ優勝チームおよび開催県枠1チームが参加して、野球独立リーグ日本一の座をかけて行われたグランドチャンピオンシップである。 前年に続いてトーナメント制で実施されたが、新たに日本海リーグが加わったことにより、開催方式は前年から変更された。 3日間のトーナメントの結果、火の国サラマンダーズ(九州アジアリーグ)が2年連続での優勝を達成した。
'''2023年のグランドチャンピオンシップ'''(2023ねんのグランドチャンピオンシップ)は、[[2023年]][[9月29日]]から[[10月1日]]まで、[[日本独立リーグ野球機構]](IPBL)に所属する5つの[[独立リーグ]]([[四国アイランドリーグplus]]・[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]]〈ルートインBCリーグ〉・[[九州アジアリーグ]]〈ヤマエグループ 九州アジアリーグ〉・[[北海道フロンティアリーグ]]・[[日本海リーグ]])優勝チームおよび開催県枠1チームが参加して、[[野球]]独立リーグ日本一の座をかけて行われた[[グランドチャンピオンシップ (独立リーグ)|グランドチャンピオンシップ]]である。 前年に続いてトーナメント制で実施されたが、新たに日本海リーグが加わったことにより、開催方式は前年から変更された。 3日間のトーナメントの結果、[[火の国サラマンダーズ]](九州アジアリーグ)が2年連続での優勝を達成した<ref>{{Cite news|url=https://www.kkt.jp/nnn/news1005z732oasvmho2l27.html|title=【速報】火の国サラマンダーズ プロ野球独立リーググランドチャンピオンシップ連覇|newspaper=[[熊本県民テレビ]]|date=2023-10-01|accessdate=2023-10-01}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://kumanichi.com/articles/1188407|title=野球・独立リーグ日本一決定戦 熊本のサラマンダーズ2連覇 埼玉に6―1|newspaper=[[熊本日日新聞]]|date=2023-10-01|accessdate=2023-10-04}}</ref>。 == 参加チーム == 「※」は過去出場歴あり。「※※」は過去優勝歴あり。 *[[火の国サラマンダーズ]](九州アジアリーグ)※※ *[[埼玉武蔵ヒートベアーズ]](ベースボール・チャレンジ・リーグ) *[[徳島インディゴソックス]](四国アイランドリーグplus)※※ *[[石狩レッドフェニックス]](北海道フロンティアリーグ) *[[富山GRNサンダーバーズ]](日本海リーグ)※ *[[愛媛マンダリンパイレーツ]](四国アイランドリーグplus・開催県枠)※※ == 日程 == 前回に続いて1箇所の球場で集中開催する形となり、全試合が[[愛媛県]][[松山市]]の[[松山中央公園野球場]](坊っちゃんスタジアム)で開催された<ref name="ipbl230630">[https://www.ipbl-japan.com/news/447 日本独立リーググランドチャンピオンシップ2023開催のお知らせ] - 日本独立リーグ野球機構(2023年6月30日)2023年10月1日閲覧。</ref>。開催地発表の時点では、開催日は9月30日から10月1日までの3日間とのみ発表され、日程の詳細は未発表だった<ref name="ipbl230630"/>。 9月11日に日程の詳細と組み合わせが発表され、以下の内容となった<ref name="ipbl230911">[https://www.ipbl-japan.com/news/457 日本独立リーググランドチャンピオンシップ2023 準々決勝および準決勝の組み合わせに関してのお知らせ] - 日本独立リーグ野球機構(2023年9月11日)2023年9月11日閲覧。</ref>。この時点では優勝チームが未確定のリーグがあり、「優勝チーム」という表現が使用された<ref name="ipbl230911"/>。また「開催県枠」の愛媛マンダリンパイレーツがリーグ優勝の場合は、リーグの準優勝球団に出場権を与えるとした<ref name="ipbl230911"/>。前年と異なり、予備日や3位決定戦は設けられなかった<ref name="ipbl230911"/>。 *日程 **準々決勝(2試合) - 9月29日 **準決勝(2試合) - 9月30日 **決勝 - 10月1日 *組み合わせ **準々決勝第1試合:愛媛 vs HFL優勝チーム **準々決勝第2試合:四国IL優勝チーム vs 富山 **準決勝第1試合:火の国 vs 準々決勝第1勝者 **準決勝第2試合:埼玉 vs 準々決勝第2勝者 準々決勝出場チームは開催県枠の愛媛、新加入の富山(NBL)以外は前年の順位が低かったリーグから選ばれている。 その後、四国ILのリーグチャンピオンシップ出場チームが徳島と愛媛に決定したため<ref>[https://www.iblj.co.jp/news/18370/ 年間総合優勝決定戦 「トリドール杯 チャンピオンシップ」開催日程について] - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2023年9月16日)2023年9月19日閲覧。</ref>、9月19日発表の開催要項では四国のリーグチャンピオンシップの結果にかかわらず、愛媛が地元枠、徳島が四国IL代表枠で出場するとされた<ref>[https://www.ipbl-japan.com/news/464 日本独立リーググランドチャンピオンシップ2023 開催概要のお知らせ] - 日本独立リーグ野球機構(2023年9月19日)2023年9月19日閲覧。</ref>。 == トーナメント表 == {{6TeamBracket | seeds = no | RD1 = 準々決勝 | RD1-team1 =[[愛媛マンダリンパイレーツ]] | RD1-score1 =4 | RD1-team2 =[[石狩レッドフェニックス]] | RD1-score2 =1 | RD1-team3 =[[徳島インディゴソックス]] | RD1-score3 =9 | RD1-team4 =[[富山GRNサンダーバーズ]] | RD1-score4 =6 | RD2 = 準決勝 | RD2-team1 =[[火の国サラマンダーズ]] | RD2-score1 =9 | RD2-team2 =愛媛マンダリンパイレーツ | RD2-score2 =2 | RD2-team3 =[[埼玉武蔵ヒートベアーズ]] | RD2-score3 =6 | RD2-team4 =徳島インディゴソックス | RD2-score4 =3 | RD3 = 決勝 | RD3-team1 =火の国サラマンダーズ | RD3-score1 =6 | RD3-team2 =埼玉武蔵ヒートベアーズ | RD3-score2 =1 }} == 試合結果 == 入場者数については、1日2試合の場合、第2試合にしか記載がない。 === 準々決勝第1 === 9月29日 開始10:30<ref name="ilgcs">[https://www.iblj.co.jp/game/2023-gcs/ 2023年シーズン グランドチャンピオンシップ] - 四国アイランドリーグplus</ref> {{Linescore |Road=[[石狩レッドフェニックス]] |RoadAbr=石 |R1=0|R2=0|R3=0|R4=0|R5=0|R6=0|R7=0|R8=1|R9=0|RR=1|RH=6|RE=1 |Home=[[愛媛マンダリンパイレーツ]] |HomeAbr=愛 |H1=0|H2=0|H3=0|H4=0|H5=2|H6=0|H7=0|H8=2|H9=x|HR=4|HH=7|HE=0 |RSP=野口、増田 - 蟹澤 |HSP=田島、山田、内海、菊田 - 矢野 |WP=田島 |LP=野口 |SV= |RoadHR= |HomeHR= |PU= |BU= |OU= |Note1= |Note2=試合時間:2時間50分<ref name="ilgcs1">[https://www.iblj.co.jp/game/18427/ 9/29 愛媛MP - 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徳島] - 四国アイランドリーグplus</ref> {{Linescore |Road=[[埼玉武蔵ヒートベアーズ]] |RoadAbr=埼 |R1=2|R2=0|R3=3|R4=0|R5=1|R6=0|R7=0|R8=0|R9=0|RR=6|RH=12|RE=0 |Home=徳島インディゴソックス |HomeAbr=徳 |H1=0|H2=0|H3=0|H4=1|H5=0|H6=0|H7=0|H8=1|H9=1|HR=3|HH=6|HE=1 |RSP=太田、菅原、竹内、石田、倉橋、[[芦田丈飛|芦田]] - 町田 |HSP=池戸、齋藤、マルティネス、山崎 - 古本 |WP=菅原 |LP=池戸 |SV= |RoadHR=金子、[[片山博視|片山]] |HomeHR= |PU= |BU= |OU= |Note1= |Note2=試合時間:3時間25分 }} === 決勝 === 10月1日 開始11:00<ref name="sn">[https://baseball.yahoo.co.jp/ipbl/game/2021019719/top 2023年10月1日 火の国サラマンダーズ vs 埼玉武蔵ヒートベアーズ] - スポーツナビ</ref> 入場者数565人<ref name="sn"/> {{Linescore |Road={{Nowrap|埼玉武蔵ヒートベアーズ}} |RoadAbr=埼 |R1=0|R2=1|R3=0|R4=0|R5=0|R6=0|R7=0|R8=0|R9=0|RR=1|RH=4|RE=1 |Home=火の国サラマンダーズ |HomeAbr=火 |H1=1|H2=0|H3=0|H4=0|H5=3|H6=0|H7=0|H8=2|H9=x|HR=6|HH=11|HE=0 |RSP=小野寺、加納、[[石田駿|石田]] - 町田 |HSP=宮澤、下川、山口翔 - 有田、深草 |WP=宮澤 |LP=小野寺 |SV= |RoadHR= |HomeHR= |PU= |BU= |OU= |Note1= |Note2=試合時間:3時間23分 }} == ネット中継 == 今年度は[[Yahoo!JAPAN]]のスポーツナビで試合の速報とライブ配信が実施された<ref>[https://www.ipbl-japan.com/news/479 グランドチャンピオンシップ2023 試合中継および速報に関して] - 日本独立リーグ野球機構(2023年9月25日)2023年10月1日閲覧。</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *{{Cite news|url=https://www.hb-nippon.com/2023/10/12/2477732/ |title=【独立】今年は火の国が優勝 グラチャンではドラフト候補が多く登場|newspaper=高校野球ドットコム|date=2023-10-12|accessdate=2023-10-22}} {{日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップ}} {{DEFAULTSORT:くらんとちやんひおんしつふ2023とくりつりいく}} [[Category:日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップ]] [[Category:2023年の野球]] [[Category:2023年の日本のスポーツ]] [[Category:徳島インディゴソックス]] [[Category:愛媛マンダリンパイレーツ]] [[Category:埼玉武蔵ヒートベアーズ]] [[Category:火の国サラマンダーズ]] [[Category:石狩レッドフェニックス]] [[Category:富山GRNサンダーバーズ]] [[Category:松山市のスポーツ史]] [[Category:2023年9月]] [[Category:2023年10月]] [[Category:2023年の愛媛県]]
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市川真人 (バスケットボール)
市川 真人(いちかわ まさと、2001年9月20日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。 静岡県出身。 静岡学園高校時代は全国大会には縁がなかったが、2年次にU-22日本代表合宿に選ばれ、以降も年代別代表に選出。 白鷗大に進学も留学生に圧倒されプレータイムも限られ2023年に中退、ベルテックス静岡の練習生となる。 8月、ベルテックス静岡に特別指定選手登録される。 9月から始まる杭州アジア大会の日本代表に選ばれ出場。
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市川 真人は、日本の男子バスケットボール選手である。
{{バスケットボール選手 |名前=市川 真人 |英語名=Masato Ichikawa |所属チーム名=ベルテックス静岡 |背番号=15 |ポジション=[[センター (バスケットボール)|C]]/[[パワーフォワード|PF]] |リーグ=[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|B.LEAGUE]] |誕生日={{生年月日と年齢|2001|09|20}} |国={{JPN}} |出身地={{Flag|静岡県}} | 血液型 = <!-- 血液型には信頼できる情報源が出典として必要です --> | 血液型備考 = |身長=206cm |身長備考=<ref name="BLG">[https://www.bleague.jp/roster%20detail/?PlayerID=51000307 市川真人] - B.LEAGUE</ref> |体重=106kg |体重備考=<ref name="BLG" /> |高校=[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高等学校]] |大学=[[白鷗大学]] |所属年1=2023- |所属1=[[ベルテックス静岡]]※ |特別指定選手=yes |jpbl=51000307 | CAP数 = | show-medals = yes | medaltemplates = }} '''市川 真人'''(いちかわ まさと、[[2001年]][[9月20日]] - )は、[[日本]]の男子[[バスケットボール]]選手である。 == 来歴 == [[静岡県]]出身。 [[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高校]]時代は全国大会には縁がなかったが、2年次にU-22日本代表合宿に選ばれ、以降も年代別代表に選出<ref name="ats20230929">{{Cite news |title=未完の大器 ベルテックス静岡・市川真人 杭州アジア大会初代表で奮闘 |url=https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1326366.html |newspaper=みんなの静岡新聞 |date=2023-09-29 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 [[白鷗大学|白鷗大]]に進学も留学生に圧倒されプレータイムも限られ2023年に中退、[[ベルテックス静岡]]の練習生となる<ref name="ats20230929" />。 8月、ベルテックス静岡に[[特別指定選手]]登録される<ref>{{Cite news |title=B2ベルテックス静岡 市川(静岡学園高出)を特別指定登録 |url=https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1304787.html |newspaper=みんなの静岡新聞 |date=2023-08-26 |accessdate=2023-10-01 }}</ref>。 9月から始まる[[2022年アジア競技大会|杭州アジア大会]]の日本代表に選ばれ出場<ref name="ats20230929" />。 == 日本代表歴 == * 2022年杭州アジア大会 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本のバスケットボール選手一覧]] * [[白鷗大学の人物一覧]] * [[静岡県出身の人物一覧]] == 外部リンク == * [https://www.bleague.jp/roster%20detail/?PlayerID=51000307 市川真人] - B.LEAGUE {{ベルテックス静岡}} {{2022年アジア競技大会バスケットボール男子日本代表}} {{DEFAULTSORT:いちかわ まさと}} [[Category:日本の男子バスケットボール選手]] [[Category:アジア競技大会バスケットボール日本代表選手]] [[Category:特別指定選手としてベルテックス静岡に登録された選手]] [[Category:静岡県出身のスポーツ選手]] [[Category:2001年生]] [[Category:存命人物]]
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吉本芽以
吉本 芽以(よしもと めい、3月21日 - )は、日本の女子ラグビーユニオン選手。 4歳からラグビーを始めた。 2020年、追手門学院高校卒業後、追手門学院大学に入る。 2023年、追手門学院大学ラグビー部の主将に就任。同年10月1日に行われた2023年ラグビー女子日本代表のイタリア遠征女子イタリア代表戦にて途中出場で女子日本代表初キャップを獲得した。
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吉本 芽以は、日本の女子ラグビーユニオン選手。
{{Infobox Rugby biography | 名前 = 吉本 芽以 | 画像 = | キャプション = | フルネーム = | 愛称 = | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2002|3|21}} | 出身地 = {{JPN}} | 没年月日 = | 死去地 = | 身長 = {{height|m=1.68}} | 体重 = {{convert|65|kg|stlb|abbr=on}} | 職業 = | 配偶者 = | 子供 = | 親族 = | 学校 = [[追手門学院中学校・高等学校|追手門学院高校]] | 大学 = [[追手門学院大学]] | ポジション = [[ラグビーのポジション#セカンドロー|ロック]]、[[ラグビーのポジション#バックロー|ナンバーエイト]] | アマチュア年 = 2017-2020<br>2020- | アマチュアクラブ = [[追手門学院中学校・高等学校|追手門学院高校]]<br>[[追手門学院大学|追手門学院Venus]] | アマチュア更新日 = | クラブ年 = | クラブ = | クラブ出場 = | クラブ得点 = | クラブ更新日 = | 在籍チーム = | 州代表年 = | 州代表 = | 州代表出場 = | 州代表得点 = | 州代表更新日 = | スーパーラグビー年 = | スーパーラグビー = | スーパーラグビー出場 = | スーパーラグビー得点 = | スーパーラグビー所属チーム = | スーパーラグビー更新日 = | 国代表 = {{ruw|JPN}} | 国代表年 = 2023- | 国代表出場 = 1 | 国代表得点 = 0 | 国代表更新日 = 2023年10月1日 | 国セブンズ代表 = | 国セブンズ年 = | 国セブンズ出場 = | 国セブンズ代表更新日 = | コーチクラブ = | コーチ年 = | コーチ更新日 = | module = }} '''吉本 芽以'''(よしもと めい、[[2002年]][[3月21日]]<ref>[https://www.rugby-japan.jp/japan-womens/member/detail/419377 吉本芽以|15人制女子日本代表|日本ラグビーフットボール協会]</ref> - )は、[[日本]]の女子[[ラグビーユニオン]]選手。 == プロフィール == *ポジションは[[ラグビーのポジション#セカンドロー|ロック(LO)]]、[[ラグビーのポジション#バックロー|ナンバーエイト(No8)]]。 *身長 168cm、体重 65kg *[[ラグビー女子日本代表|女子日本代表]][[キャップ]]は1。(2023年10月現在) == 略歴 == 4歳からラグビーを始めた<ref>[https://rugbyjapan365.jp/%E5%A5%B3%E5%AD%90/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E6%9C%80%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B12020%EF%BC%88%EF%BC%94%EF%BC%89%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%81%8C%E5%BE%85%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%A6%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E7%A7%BB%E7%B1%8D%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%92%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF 女子ラグビー・最新情報2020(4)シーズン再開が待てない] . Rugbyjapan365(2020年7月6日). 2023年10月1日閲覧。</ref>。 [[2020年]]、[[追手門学院中学校・高等学校|追手門学院高校]]卒業後、[[追手門学院大学]]に入る。 [[2023年]]、追手門学院大学ラグビー部の主将に就任<ref>[https://www.oppen.co.jp/activity/2023/02/24/641/ 追手門学院大学・女子ラグビー部が本社へ 表敬訪問され、スキンケアセミナーを受講されました。] . OPPEN COSMETICS(2023年2月24日). 2023年10月1日閲覧。</ref>。同年[[10月1日]]に行われた[[2023年ラグビー女子日本代表のイタリア遠征]][[ラグビー女子イタリア代表|女子イタリア代表]]戦にて途中出場で女子日本代表初キャップを獲得した<ref>[https://www.rugby-japan.jp/match/25545/print 女子日本代表イタリア遠征 女子イタリア代表戦] . 日本ラグビーフットボール協会. 2023年10月1日閲覧。</ref>。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == *[[ラグビー女子日本代表]] *[[追手門学院中学校・高等学校]] *[[追手門学院大学]] == 外部リンク == * {{Twitter|iam_mei_}} {{デフォルトソート:よしもと めい}} [[Category:日本の女子ラグビーユニオン選手]] [[Category:ラグビー女子日本代表選手]] [[Category:追手門学院大学の人物]] [[Category:2002年生]] [[Category:存命人物]]
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ブラボス・デ・レオン (ソフトボール)
ブラボス・デ・レオン(西: Bravos de León)は、メキシコのグアナフアト州レオンを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するブラボス・デ・レオンのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ブラボス・デ・レオン(西: Bravos de León)は、メキシコのグアナフアト州レオンを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するブラボス・デ・レオンのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なし", "title": "タイトル" } ]
ブラボス・デ・レオンは、メキシコのグアナフアト州レオンを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
{{For|野球チーム|ブラボス・デ・レオン}} {{ソフトボールチーム | チーム名 = ブラボス・デ・レオン | 正式名 = | 愛称 = | 略称 = | 運営母体 = | メインスポンサー = | 創設年 = 1978年<ref group="注">野球チームとして。</ref> | 解散年 = | リーグ = [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] | 本拠地 = {{Flagicon|MEX}} [[グアナフアト州]][[レオン (メキシコ)|レオン]] | 過去の本拠地 = | オーナー = | 代表 = | 部長 = | GM = | 監督 = | シーズン = | 順位 = | リーグ優勝回数 = | リーグ優勝年 = | 公式サイト = | Twitter = }} '''ブラボス・デ・レオン'''({{Lang-es-short|Bravos de León}})は、[[メキシコ]]の[[グアナフアト州]][[レオン (メキシコ)|レオン]]を拠点とする女子[[ソフトボール]]チーム。[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)所属。 == 概要 == メキシコの[[プロ野球]]リーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]](LMB)に所属する[[ブラボス・デ・レオン]]のソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)に参加<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsc.org/ja/news/80233 |title=メキシコ・ソフトボールリーグ 2024年に初の開幕シーズン  メキシコ野球リーグが支援 |access-date=2023-09-30 |publisher=[[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]] |date=2023-09-21}}</ref>。 == タイトル == なし == 歴代所属選手 == {{see also|Category:ブラボス・デ・レオンの選手 (ソフトボール)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ブラボス・デ・レオン]] * [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] == 外部リンク == {{節スタブ}} {{Normdaten}} {{Sports-stub}} {{DEFAULTSORT:ふらほすてれおん}} [[Category:メキシコのソフトボールチーム]] [[Category:レオン (メキシコ)]]
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4,836,111
西安岐町
西安岐町(にしあきまち)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の東部、安岐川の下流域に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "西安岐町(にしあきまち)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国東半島の東部、安岐川の下流域に位置していた。", "title": "地理" } ]
西安岐町(にしあきまち)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1954年3月31日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 安岐町、'''西安岐町'''、[[南安岐村]]、[[西武蔵村]]、[[朝来村 (大分県)|朝来村]]、[[奈狩江村]](一部)→ [[安岐町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = にしあきまち | 自治体名 = 西安岐町 | 区分 = 町 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 4791 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 朝来村、西武蔵村、[[中武蔵村]]、[[武蔵町]]、安岐町、南安岐村、[[速見郡]][[北杵築村]] | 所在地 = 東国東郡西安岐町大字瀬戸田 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''西安岐町'''(にしあきまち{{R|変遷}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の東部、[[安岐川]]の下流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡掛樋村、山浦村、吉松村、瀬戸田村、成久村、中園村が合併して村制施行し、'''西安岐村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』584頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』623頁。</ref>。旧村名を継承した掛樋・山浦・吉松・瀬戸田・成久・中園の6大字と、油留木(元掛樋村字油留木)を加えた7大字を編成{{R|角川}}。 *[[1923年]](大正12年)4月1日、町制施行し'''西安岐町'''となる{{R|変遷}}{{R|角川}}。 *[[1954年]](昭和29年)3月31日、東国東郡安岐町、南安岐村、西武蔵村、朝来村、奈狩江村(一部)と合併し'''[[安岐町]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:にしあきまち}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1923年設置の日本の市町村]] [[Category:1954年廃止の日本の市町村]]
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中西町 (宮崎市)
中西町(なかにしちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0853。 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街となっている。北を一の宮町、東を田代町、南を高洲町、西を潮見町に接する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中西町(なかにしちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0853。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街となっている。北を一の宮町、東を田代町、南を高洲町、西を潮見町に接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。", "title": "小・中学校の学区" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "宮交グループの運営するバスが営業している。", "title": "交通" } ]
中西町(なかにしちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0853。
{{Infobox settlement | name = 中西町 | settlement_type = 町丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 中西町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 54 | lats = 14.2 | latNS = N | longd = 131 | longm = 26 | longs = 39.0 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[檍地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1759 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0853 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800853|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''中西町'''(なかにしちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[檍地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0853<ref name="postal" />'''。 == 地理 == 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。[[大淀川]]河口北岸にあり、住宅街となっている。北を[[一の宮町 (宮崎市)|一の宮町]]、東を[[田代町 (宮崎市)|田代町]]、南を[[高洲町 (宮崎市)|高洲町]]、西を[[潮見町 (宮崎市)|潮見町]]に接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1955年 - 高洲町・[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から'''中西町'''が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |中西町 |901世帯 |1759人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |中西町 |[[宮崎市立潮見小学校]] |[[宮崎市立宮崎中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道10号宮崎インター佐土原線]] * [[宮崎県道11号宮崎島之内線]] ([[宮崎内環状線]]) == 施設 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010370.html 宮崎県宮崎市中西町 (452010370) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:なかにしちよう}}
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モティカ
モティカ(もてぃか)は、日本の漫画家。 潜入捜査官のシチュエーションは好きと述べており、それだけに「潜入捜査官はセックスもお仕事です。」のプロットを頂いたときには喜んだという。 映画やゲームの影響で子供の頃から銃が大好きで射撃場で銃を撃ってみたいのも夢の一つと述べている。
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モティカ(もてぃか)は、日本の漫画家。
{{Infobox 漫画家 | 名前 = モティカ | 画像 = | 画像サイズ = | 脚注 = | 本名 = | 生地 = {{JPN}} | 国籍 = [[日本]] | 生年 = | 没年 = | 職業 = [[漫画家]] | 活動期間 = - | ジャンル = | 代表作 = | 受賞 = | 公式サイト = }} '''モティカ'''(もてぃか)は、[[日本]]の[[漫画家]]。 == 人物 == 潜入捜査官のシチュエーションは好きと述べており、それだけに「潜入捜査官はセックスもお仕事です。」のプロットを頂いたときには喜んだという<ref>「潜入捜査官はセックスもお仕事です。」のあとがきより</ref>。 映画やゲームの影響で子供の頃から銃が大好きで射撃場で銃を撃ってみたいのも夢の一つと述べている<ref>「変態志願 私がチ○ポ中毒になった理由」のフリートークより</ref>。 == 作品リスト == * ネトラレ汗だくSEX~無防備な彼女が快楽に溺れる真夏日 * [[潜入捜査官はセックスもお仕事です。]]2019年6月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://blastpub.jp/comicsdetail?pid=18230|title=潜入捜査官はセックスもお仕事です。|publisher=ブラスト出版|accessdate=2023-10-07}}</ref>、{{ISBN2|978-4-434-25949-4}} ** 潜入捜査官はセックスもお仕事です。国際犯罪編 ** 潜入捜査官はセックスもお仕事です。 ソープ嬢体験入店編 * [[社員旅行で泥酔エッチ!〜温泉のナカで熱いの入ってるぅ…]] * 先生、放課後ラブホでHしよ…? * 変態志願 私がチ○ポ中毒になった理由 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[日本の成人向け漫画家の一覧]] == 外部リンク == * {{Twitter|@mothicaw}} * {{pixiv|1067241}} {{Manga-artist-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もていか}} [[Category:日本の漫画家]] [[Category:成人向け漫画家]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
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レオネス・デ・ユカタン (ソフトボール)
レオネス・デ・ユカタン(西: Leones de Yucatán)は、メキシコのユカタン州メリダを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。 メキシコのプロ野球リーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(LMB)に所属するレオネス・デ・ユカタンのソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)に参加。 なし
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レオネス・デ・ユカタンは、メキシコのユカタン州メリダを拠点とする女子ソフトボールチーム。リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル(LMS)所属。
{{For|野球チーム|レオネス・デ・ユカタン}} {{ソフトボールチーム | チーム名 = レオネス・デ・ユカタン | 正式名 = | 愛称 = | 略称 = | 運営母体 = | メインスポンサー = | 創設年 = 1954年<ref group="注">野球チームとして。</ref> | 解散年 = | リーグ = [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] | 本拠地 = {{Flagicon|MEX}} [[ユカタン州]][[メリダ (ユカタン州)|メリダ]] | 過去の本拠地 = | オーナー = | 代表 = | 部長 = | GM = | 監督 = | シーズン = | 順位 = | リーグ優勝回数 = | リーグ優勝年 = | 公式サイト = | Twitter = }} '''レオネス・デ・ユカタン'''({{Lang-es-short|Leones de Yucatán}})は、[[メキシコ]]の[[ユカタン州]][[メリダ (ユカタン州)|メリダ]]を拠点とする女子[[ソフトボール]]チーム。[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)所属。 == 概要 == メキシコの[[プロ野球]]リーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]](LMB)に所属する[[レオネス・デ・ユカタン]]のソフトボールチーム。2024年に創設された同国の女子ソフトボールリーグ、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]](LMS)に参加<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsc.org/ja/news/80233 |title=メキシコ・ソフトボールリーグ 2024年に初の開幕シーズン  メキシコ野球リーグが支援 |access-date=2023-09-30 |publisher=[[世界野球ソフトボール連盟|WBSC]] |date=2023-09-21}}</ref>。 == タイトル == なし == 歴代所属選手 == {{see also|Category:レオネス・デ・ユカタンの選手 (ソフトボール)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[レオネス・デ・ユカタン]] * [[リーガ・メヒカーナ・デ・ソフトボル]] == 外部リンク == {{節スタブ}} {{Normdaten}} {{Sports-stub}} {{DEFAULTSORT:れおねすてゆかたん}} [[Category:メキシコのソフトボールチーム]] [[Category:メリダ (ユカタン州)]]
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懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜
『懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜』(なつかしいつきはあたらしいつき ボリューム2 リアレンジ アンド リミックスワークス)は、日本のロックバンド、サカナクションの2枚組コンピレーション・アルバム。ビクターエンタテインメント内のレーベルNF Recordsより2023年9月6日に発売された。 2021年10月22日、サカナクションは2019年末から続いたコロナ禍における経験をコンセプトとした二部構成の音楽プロジェクト『アダプト』と『アプライ』の始動を告知した。第一部の「アダプト」は2021年から2022年にかけて無観客配信ライブ、アリーナ・ツアー、コンセプト・アルバムのリリース、そしてホール・ツアーの開催をもってプロジェクトを締めくくる予定であることが発表され、これらのうち2022年3月30日のコンセプト・アルバムのリリースまでは予定通り行われた。 しかしプロジェクトの進行とともに、バンドのリーダー・山口一郎が複合的な体調不良に悩まされるようになり、さらにそうした中でもサカナクションが関わる企画が複数同時進行する状況へのプレッシャーから精神的にも追い詰められる状況が続いていた。 山口以外のメンバーも5月初頭にバンドのメジャーデビュー15周年を記念した配信ライブを終えたあとは「お腹いっぱい」といえるような状態になったと語っており、バンド全体でもそれまでのペースで活動を続けることがやや困難な状況にあった。 こうした中、「アダプト」プロジェクトの最終章と位置づけられたツアー「SAKANAQUARIUM アダプト NAKED」の序盤の公演が、先の山口の事情や他メンバーのプライベートでのトラブルなどによってリハーサルを充分に行えなかったことなどを理由に、延期となることが発表された。 その後、7月初頭に山口が音楽活動を休止し休養に入ることが発表された。この発表以降、山口が受け持っていたレギュラー番組にはしばらく他のメンバーが出演するようになり、休止を発表するより以前から開催が決定していたバンドでのイベントは出演中止、または山口を除く4人で出演するなどの対応が取られ、サカナクションの5人による表立った活動が行われなくなった。 バンドメンバー全員での活動が停止した当時の山口以外のメンバーは、山口の復帰にはおそらく長い時間がかかるであろうことを予期したうえで、自分たちまで精神的に挫折することのないよう、多くの音楽を聴いたり他の芸術作品を鑑賞するなど、それぞれにできることを努力していたことを語っている。特に草刈については、山口が休養し始めてから既存楽曲のリアレンジ作業に熱中していたと振り返っている。 一時期すべてのレギュラー番組への出演を休止していた山口は2022年9月からレギュラー番組に復帰し、SNSでの投稿などから徐々に露出の機会を増やしていった。 2023年2月17日にはバンドが不定期で主催しているイベント「NF」にメンバーの江島と出演し、これが休止を発表して以降初めての対面でのイベント出演となった。 同月の20日にはテレビ番組に主演し、この二日後に発売するライブ映像作品のプロモーションを行った。その後、6月から7月にかけて全国5都市で開催された「NF#15 NF1ROOM」に連続して出演し、対面でのパフォーマンスに復帰していった。 2023年7月、バンドの再始動に向けた一作としてコンピレーションアルバム『懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜』のリリースが発表された。同時にこのアルバムのリリースツアーの開催が発表されたがこれは山口が一人で出演するものとなっており、メンバー全員が揃ってライブパフォーマンスを行うのはまだ先のこととなっている。 今作は2015年8月にリリースされたコンピレーション・アルバム『懐かしい月は新しい月 〜Coupling & Remix works〜』の第2弾としてリリースされたアルバムとなっている。Disc 1に『月の現 〜Rearrange works〜』、Disc 2に『月の幻 〜Remix works〜』というタイトルがつけられており、配信・ストリーミングサイトではそれぞれが独立した2枚のアルバムとしてリリースされているが、この『月の〇〇』というタイトルも前作を踏襲したものとなっている。 今作はCD 2枚組の通常盤のほかに、初回生産限定盤A(Blu-ray付属)、初回生産限定盤B(DVD付属)、さらにファンクラブ会員限定で発売された完全生産限定盤(NF member -Limited Edition-)も発売された。初回生産限定版および完全生産限定盤に付属するBlu-rayまたはDVDには2021年7月20日に開催された山口の単独公演「NF OFFLINE」のZepp Haneda公演の模様が収録されている。また、完全生産限定盤にのみ付属するCDには2022年10月に開催されたアンダーワールドとのダブルヘッドライン公演で演奏された曲目をスタジオで収録した音源が収録されている。詳細な曲目については#収録内容を参照。 今作のリリースが発表されたと同時にアルバムツアー「懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"」の開催が発表された。2023年10月から2024年1月にかけて全国10都市で10公演が行われる。ツアーの総合演出には田中裕介が「アダプト」から引き続き担当する。またこのツアーはサカナクションのメンバー全員が楽曲を演奏するものではなく山口が単独で全国の会場を回ることがアナウンスされている。 今作のアートディレクションは田中裕介が担当し、ジャケットなどのデザインは田中と同じCaviar所属の村井達雄が担当した。プロモーション映像やデジタル版アルバムのジャケットは京都の妙心寺の塔頭寺院の一つである春光院にて撮影され、モデルとしてエモン久瑠美が起用されている。 今作はCD2枚組で合計23曲が収録されている。 Disc 1 「月の現 〜Rearrange works〜」には7作目のオリジナルアルバム『834.194』のリリース後に演奏または発表された音源と、今作のために新たに制作された音源が収録されている。曲名の後ろに「-Rearrange 2019-」とある2曲は「あいちトリエンナーレ2019」における音楽プログラムの一つとして行われた公演『暗闇 -KURAYAMI-』で演奏された楽曲である。「-Rearrange 2020-」とある6曲は2020年にバンドのECサイトからのみ期間限定で予約可能であったライブ映像のボックス・セット『LIVE FISH -COMPLETE BOX-』に付属したボーナスCD『Rearrange Package』に収録された楽曲である。また、「ユリイカ -Rearrange 2021-」は2021年に開催されたツアー「NF OFFLINE」で演奏された「ユリイカ」のアレンジバージョンとなっている。 Disc 2「月の幻 〜Remix works〜」の7曲は全曲とも今作が初収録となっている。前作『懐かしい月は新しい月』ではそれ以前に発表されたすべてのリミックス音源が収録されたが、前作と今作の間にシングルのカップリング曲として発表された「インナーワールド (AOKI takamasa Remix)」と「ルーキー (Hiroshi Fujiwara Remix)」は収録されていない。 初回生産限定盤および完全生産限定盤にのみ付属するDisc 3「NF OFFLINE -LIVE at Zepp Haneda 2021.07.20-」に収録されたライブ映像では山口がスピッツの「チェリー」を歌唱する一幕があり、この部分も収録するにあたり草野マサムネの名前もアルバムのライナーノーツ内でクレジットされている。
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『懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜』は、日本のロックバンド、サカナクションの2枚組コンピレーション・アルバム。ビクターエンタテインメント内のレーベルNF Recordsより2023年9月6日に発売された。
{{Infobox Album | Name = 懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜 | Type = [[コンピレーション・アルバム]] | Artist = [[サカナクション]] | Released = 2023年9月26日 | Recorded = | Genre = [[J-POP]]<ref name="TR_VIZL-2213"/> | Length = 236分59秒<small>(ディスク3枚計)<ref name="TR_VIZL-2213"/><ref name="TR_VIZL-2214"/></small><br/>119分59秒<small>(CD2枚計)<ref name="TR_VICL-65865-6"/></small> | Label = NF Records<br/><small>([[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]])</small> | Chart position = *デイリー2位<small>([[オリコンチャート|オリコン]]デイリーアルバム)<ref group="統計" name="rank_ori_Al_d20230905" /></small> *週間8位<small>(オリコン週間アルバム)<ref group="統計" name="rank_ori_Al_w1sep2023" /></small> *週間13位<small>(月の現 〜Rearrange works〜)(オリコン週間デジタルアルバム)<ref group="統計" name="rank_ori_digiAl_w1sep2023" /></small> *週間16位<small>(月の幻 〜Remix works〜)(オリコン週間デジタルアルバム)<ref group="統計" name="rank_ori_digiAl_w1sep2023" /></small> *週間9位<small>(オリコン週間合算アルバム)<ref group="統計" name="rank_ori_coAl_w1sep2023" /></small><!-- *月間0位<small>(オリコン月間アルバム)</small> *月間0位<small>(オリコン月間ROCKアルバム)</small> --> | Last album = [[アダプト (サカナクション)#コンセプト・アルバム『アダプト』|アダプト]]<br/>(2023年) | This album = '''懐かしい月は新しい月 Vol. 2<br/>〜Rearrange & Remix works〜''' <br/>([[2015年]]) | Next album = - | EAN = {{Unbulleted list| | {{EAN|4988002932603}}<small>(初回生産限定盤A)</small><ref name="bbj_VIZL-2213"/> | {{EAN|4988002932610}}<small>(初回生産限定盤B)</small><ref name="bbj_VIZL-2214"/> | {{EAN|4988002932627}}<small>(通常盤)</small><ref name="bbj_VICL-65865-6"/> }} }} {{ external media | align = right | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=3sdjSeWRmao サカナクション / 懐かしい月は新しい月 2023 -teaser movie vol.2-] }} <!----------以下、記事本文----------> 『'''懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜'''』(なつかしいつきはあたらしいつき ボリューム2 リアレンジ アンド リミックスワークス)は、日本の[[バンド (音楽)|ロックバンド]]、[[サカナクション]]の2枚組[[コンピレーション・アルバム]]。[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]]内のレーベルNF Recordsより[[2023年]][[9月6日]]に発売された。 == 背景とリリース == === 山口の活動休止によるバンドの停滞 === 2021年10月22日、サカナクションは2019年末から続いた[[コロナ禍]]における経験をコンセプトとした二部構成の音楽プロジェクト『[[アダプト (サカナクション)|アダプト]]』と『アプライ』の始動を告知した<ref name="Mnat_450541" />。第一部の「アダプト」は2021年から2022年にかけて無観客配信ライブ、アリーナ・ツアー、コンセプト・アルバムのリリース、そしてホール・ツアーの開催をもってプロジェクトを締めくくる予定であることが発表され<ref name="Mnat_468162" />、これらのうち2022年3月30日のコンセプト・アルバムのリリースまでは予定通り行われた。 しかしプロジェクトの進行とともに、バンドのリーダー・[[山口一郎 (歌手)|山口一郎]]が複合的な体調不良に悩まされるようになり<ref name="Chunichi_472535" /><ref group="広報" name="IYtw_20220602" />、さらにそうした中でもサカナクションが関わる企画が複数同時進行する状況<ref name="PRT_tiktok" /><ref name="PHP_NFRaoyama" /><ref name="PHP_NFRPHP" /><ref name="Mnat_466764" /><ref name="Mnat_475127" />へのプレッシャーから精神的にも追い詰められる状況が続いていた<ref group="SOL" name="SOL_20220527" />。 山口以外のメンバーも5月初頭にバンドのメジャーデビュー15周年を記念した配信ライブを終えたあとは「お腹いっぱい」といえるような状態になったと語っており<ref group="SOL" name="SOL_20221223" />、バンド全体でもそれまでのペースで活動を続けることがやや困難な状況にあった。 こうした中、「アダプト」プロジェクトの最終章と位置づけられたツアー「SAKANAQUARIUM アダプト NAKED」の序盤の公演が、先の山口の事情や他メンバーのプライベートでのトラブル{{Sfn|小田慶郎|2022}}<ref group="広報" name="SCweb_2229" />などによってリハーサルを充分に行えなかったことなどを理由に、延期となることが発表された<ref name="Mnat_480083" /><ref group="広報" name="SCweb_2230" />。 その後、7月初頭に山口が音楽活動を休止し休養に入ることが発表された<ref group="広報" name="SCweb_2237" /><ref name="OriNews_2240878" /><ref>{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202207010001096.html |title= サカナクション山口一郎が休養 極度の倦怠感続き医師から「休養が必要」と診断 8公演延期に |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2022-07-01 |accessdate= 2022-07-01 }}</ref>。この発表以降、山口が受け持っていたレギュラー番組にはしばらく他のメンバーが出演するようになり<ref group="SOL" name="SOL_20220708" />、休止を発表するより以前から開催が決定していたバンドでのイベントは出演中止<ref name="Mnat_487660" />、または山口を除く4人で出演するなどの対応が取られ<ref name="TRNews_UWxS" />、サカナクションの5人による表立った活動が行われなくなった{{efn2|name=naked|延期を告知していた「アダプト NAKED」ツアーは最終的に全公演が開催中止となった<ref group="広報" name="SCweb_2322" /><ref name="TRNews_UWxS" /><ref name="OriNews_2250094"/>}}。 バンドメンバー全員での活動が停止した当時の山口以外のメンバーは、山口の復帰にはおそらく長い時間がかかるであろうことを予期したうえで、自分たちまで精神的に挫折することのないよう、多くの音楽を聴いたり他の芸術作品を鑑賞するなど、それぞれにできることを努力していたことを語っている<ref name="fender_ks" /><ref group="SOL" name="SOL_20221223" />。特に草刈については、山口が休養し始めてから既存楽曲のリアレンジ作業に熱中していたと振り返っている<ref name="fender_ks" />。 === 山口の活動再開・バンド再始動に向けて === 一時期すべてのレギュラー番組への出演を休止していた山口は2022年9月からレギュラー番組に復帰し<ref group="SOL" name="SOL_20220930" />、SNSでの投稿などから徐々に露出の機会を増やしていった<ref name="OriNews_2257302" />。 2023年2月17日にはバンドが不定期で主催しているイベント「NF」にメンバーの江島と出演し<ref name="Mnat_511093" />、これが休止を発表して以降初めての対面でのイベント出演となった<ref group="SOL" name="SOL_20230224" />。 同月の20日にはテレビ番組に主演し<ref name="tft_259145" />、この二日後に発売するライブ映像作品<ref name="TR_adptonline" />のプロモーションを行った。その後、6月から7月にかけて全国5都市で開催された「NF#15 NF1ROOM」に連続して出演し<ref group="SOL" name="SOL_20230602" />、対面でのパフォーマンスに復帰していった。 2023年7月、バンドの再始動に向けた一作<ref group="広報" name="SCweb_moon2" />としてコンピレーションアルバム『懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜』のリリースが発表された<ref name="Mnat_531336" />。同時にこのアルバムのリリースツアーの開催が発表されたがこれは山口が一人で出演するものとなっており<ref name="Mnat_531336" />、メンバー全員が揃ってライブパフォーマンスを行うのはまだ先のこととなっている。 == コンセプト == 今作は2015年8月にリリースされたコンピレーション・アルバム『懐かしい月は新しい月 〜Coupling & Remix works〜』の第2弾としてリリースされたアルバムとなっている<ref name="Mnat_531336" />。Disc 1に『月の現 〜Rearrange works〜』、Disc 2に『月の幻 〜Remix works〜』というタイトルがつけられており、配信・ストリーミングサイトではそれぞれが独立した2枚のアルバムとしてリリースされているが<ref group="広報" name="jvc_41821" /><ref group="広報" name="jvc_41822" />、この『月の〇〇』というタイトルも前作を踏襲したものとなっている。 == プロモーションとマーケティング == === 商品展開 === 今作はCD 2枚組の通常盤のほかに、初回生産限定盤A(Blu-ray付属)、初回生産限定盤B(DVD付属)、さらにファンクラブ会員限定で発売された完全生産限定盤(NF member -Limited Edition-)も発売された<ref name="Mnat_531336" />。初回生産限定版および完全生産限定盤に付属するBlu-rayまたはDVDには2021年7月20日に開催された山口の単独公演「NF OFFLINE」の[[Zepp Haneda]]公演の模様が収録されている<ref name="skream_moon2" />。また、完全生産限定盤にのみ付属するCDには2022年10月に開催された[[アンダーワールド (バンド)|アンダーワールド]]とのダブルヘッドライン公演<ref name="Mnat_490022" />で演奏された曲目をスタジオで収録した音源が収録されている<ref name="skream_moon2" />。詳細な曲目については[[#収録内容]]を参照。 === ツアー === {{ external media | align = right | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=4QEjaY_UtmU サカナクション / 懐かしい月は新しい月 2023 -teaser movie-] }} 今作のリリースが発表されたと同時にアルバムツアー「'''懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"'''」の開催が発表された<ref name="Mnat_531336" />。2023年10月から2024年1月にかけて全国10都市で10公演が行われる。ツアーの総合演出には[[田中裕介 (映像作家)|田中裕介]]が「アダプト」から引き続き担当する<ref name="Mnat_531336" /><ref name="bbj_106528" />。またこのツアーはサカナクションのメンバー全員が楽曲を演奏するものではなく山口が単独で全国の会場を回ることがアナウンスされている<ref name="Mnat_531336" />。 == アートワーク == [[File:Myoshinj shunkoin02s2000.jpg|thumb|right|200px|アートワークとなる映像および写真が撮影された[[妙心寺]]の[[春光院]]]] {{ external media |image1=[https://sakanaction.jp/static/sakanaquarium/fanclub-pc/feature/moon/images/TsukiNoUtsutsu.jpg 「月の現」ジャケット画像(アルバム特設ウェブサイト)] |image2=[https://sakanaction.jp/static/sakanaquarium/fanclub-pc/feature/moon/images/TsukiNoMaboroshi.jpg 「月の幻」ジャケット画像(アルバム特設ウェブサイト)] }} 今作のアートディレクションは田中裕介が担当し、ジャケットなどのデザインは田中と同じCaviar所属の村井達雄が担当した<ref name="AN_moon2" />。プロモーション映像やデジタル版アルバムのジャケットは京都の[[妙心寺]]の[[塔頭]]寺院の一つである[[春光院]]にて撮影され<ref name="AN_moon2" />、モデルとしてエモン久瑠美が起用されている。 == 収録内容 == 今作はCD2枚組で合計23曲が収録されている。 Disc 1 「月の現 〜Rearrange works〜」には7作目のオリジナルアルバム『[[834.194]]』のリリース後に演奏または発表された音源と、今作のために新たに制作された音源が収録されている<ref name="Mnat_531336" />。曲名の後ろに「-Rearrange 2019-」とある2曲は「[[あいちトリエンナーレ#あいちトリエンナーレ2019|あいちトリエンナーレ2019]]」における音楽プログラムの一つとして行われた公演『[[SAKANAQUARIUM 暗闇#2019年の公演|暗闇 -KURAYAMI-]]』で演奏された楽曲である{{efn2|name=vixl298|今作以外でこの音源は「[[SAKANAQUARIUM 2019 "834.194" 6.1ch Sound Around Arena Session -LIVE at PORTMESSE NAGOYA 2019.06.14-]]」の限定盤の特典映像の中で聴くことができる}}。「-Rearrange 2020-」とある6曲は2020年にバンドのECサイトからのみ期間限定で予約可能であったライブ映像のボックス・セット『[[LIVE FISH -COMPLETE BOX-]]』に付属したボーナスCD『Rearrange Package』に収録された楽曲である。また、「ユリイカ -Rearrange 2021-」は2021年に開催されたツアー「NF OFFLINE」で演奏された「ユリイカ」のアレンジバージョンとなっている。 Disc 2「月の幻 〜Remix works〜」の7曲は全曲とも今作が初収録となっている。前作『懐かしい月は新しい月』ではそれ以前に発表されたすべてのリミックス音源が収録されたが<ref name="Mnat_151170" />、前作と今作の間にシングルのカップリング曲として発表された「インナーワールド (AOKI takamasa Remix)」{{efn2|name=innerremix|11thシングル「[[新宝島 (曲)|新宝島]]」に収録されている}}と「ルーキー (Hiroshi Fujiwara Remix)」{{efn2|name=rookieremix|12thシングル「[[多分、風。]]」に収録されている}}は収録されていない。 初回生産限定盤および完全生産限定盤にのみ付属するDisc 3「NF OFFLINE -LIVE at Zepp Haneda 2021.07.20-」に収録されたライブ映像では山口が[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]の「[[チェリー (曲)|チェリー]]」を歌唱する一幕があり、この部分も収録するにあたり[[草野マサムネ]]の名前もアルバムのライナーノーツ内でクレジットされている<ref name="AN_moon2" />。 {{tracklist | id = | collapsed = | headline = 月の現 〜Rearrange works〜 | extra_column = | total_length = 78:56 | 1 = | all_writing = | all_lyrics = | all_music = | all_arrangements = | 2 = | writing_credits = | lyrics_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | music_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | arrangements_credits = <!--ページには表示させませんが一応書いておきます--> | #1 = | title1 = インナーワールド -Rearrange 2023- | note1 = | writer1 = | lyrics1 = | music1 = | arranger1 = | extra1 = | length1 = 5:52 | #2 = | title2 = 新宝島 -Rearrange 2020- | note2 = | writer2 = | lyrics2 = | music2 = | arranger2 = | extra2 = | length2 = 4:31 | #3 = | title3 = アルデバラン -Rearrange 2023- | note3 = | writer3 = | lyrics3 = | music3 = | arranger3 = | extra3 = | length3 = 4:39 | #4 = | title4 = 夜の東側 -Rearrange 2020- | note4 = | writer4 = | lyrics4 = | music4 = | arranger4 = | extra4 = | length4 = 3:40 | #5 = | title5 = ホーリーダンス -Rearrange 2023- | note5 = | writer5 = | lyrics5 = | music5 = | arranger5 = | extra5 = | length5 = 6:30 | #6 = | title6 = ユリイカ -Rearrange 2021- | note6 = | writer6 = | lyrics6 = | music6 = | arranger6 = | extra6 = | length6 = 5:10 | #7 = | title7 = アドベンチャー -Rearrange 2023- | note7 = | writer7 = | lyrics7 = | music7 = | arranger7 = | extra7 = | length7 = 4:33 | #8 = | title8 = エンドレス -Rearrange 2023- | note8 = | writer8 = | lyrics8 = | music8 = | arranger8 = | extra8 = | length8 = 3:22 | #9 = | title9 = 茶柱 -Rearrange 2019- | note9 = | writer9 = | lyrics9 = | music9 = | arranger9 = | extra9 = | length9 = 5:55 | #10 = | title10 = サンプル -Rearrange 2023- | note10 = | writer10 = | lyrics10 = | music10 = | arranger10 = | extra10 = | length10 = 6:46 | #11 = | title11 = 三日月サンセット -Rearrange 2020- | note11 = | writer11 = | lyrics11 = | music11 = | arranger11 = | extra11 = | length11 = 4:05 | #12 = | title12 = ボイル -Rearrange 2023- | note12 = | writer12 = | lyrics12 = | music12 = | arranger12 = | extra12 = | length12 = 3:52 | #13 = | title13 = ナイロンの糸 -Rearrange 2019- | note13 = | writer13 = | lyrics13 = | music13 = | arranger13 = | extra13 = | length13 = 6:38 | #14 = | title14 = シーラカンスと僕 -Rearrange 2020- | note14 = | writer14 = | lyrics14 = | music14 = | arranger14 = | extra14 = | length14 = 3:51 | #15 = | title15 = 忘れられないの -Rearrange 2020- | note15 = | writer15 = | lyrics15 = | music15 = | arranger15 = | extra15 = | length15 = 4:11 | #16 = | title16 = 白波トップウォーター -Rearrange 2020- | note16 = | writer16 = | lyrics16 = | music16 = | arranger16 = | extra16 = | length16 = 5:16 }} {{tracklist | id = | collapsed = | headline = 月の幻 〜Remix works〜 | extra_column = リミキサー | total_length = 41:03 | 1 = | all_writing = | all_lyrics = | all_music = | all_arrangements = | 2 = | writing_credits = | lyrics_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | music_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | arrangements_credits = <!--ページには表示させませんが一応書いておきます--> | #1 = | title1 = エンドレス (YonYon Remix) | note1 = | writer1 = | lyrics1 = | music1 = | arranger1 = | extra1 = YonYon | length1 = 4:21 | #2 = | title2 = ナイロンの糸 (Kuniyuki Takahashi Long Dub Version) | note2 = | writer2 = | lyrics2 = | music2 = | arranger2 = | extra2 = Kuniyuki Takahashi | length2 = 8:31 | #3 = | title3 = 新宝島 (hf remix) | note3 = | writer3 = | lyrics3 = | music3 = | arranger3 = | extra3 = 藤原ヒロシ | length3 = 4:08 | #4 = | title4 = フクロウ (hf remix) | note4 = | writer4 = | lyrics4 = | music4 = | arranger4 = | extra4 = 藤原ヒロシ | length4 = 5:58 | #5 = | title5 = years (Floating Points Remix) | note5 = | writer5 = | lyrics5 = | music5 = | arranger5 = | extra5 = Floating Points | length5 = 5:45 | #6 = | title6 = フレンドリー (Cornelius Remix) | note6 = | writer6 = | lyrics6 = | music6 = | arranger6 = | extra6 = 小山田圭吾 | length6 = 5:02 | #7 = | title7 = 目が明く藍色 (agraph remix) | note7 = | writer7 = | lyrics7 = | music7 = | arranger7 = | extra7 = agraph | length7 = 7:15 }} {{tracklist | id = | collapsed = yes | headline = NF OFFLINE -LIVE at Zepp Haneda 2021.07.20-{{efn2|name=nxy742|初回生産限定盤、完全生産限定盤(NF member -Limited Edition-)にのみ収録}} | extra_column = | total_length = 117:37 | 1 = | all_writing = | all_lyrics = | all_music = | all_arrangements = | 2 = | writing_credits = | lyrics_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | music_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | arrangements_credits = <!--ページには表示させませんが一応書いておきます--> | #1 = | title1 = 新宝島 | note1 = | writer1 = | lyrics1 = | music1 = | arranger1 = | extra1 = | length1 = | #2 = | title2 = ドキュメント | note2 = | writer2 = | lyrics2 = | music2 = | arranger2 = | extra2 = | length2 = | #3 = | title3 = 忘れられないの | note3 = | writer3 = | lyrics3 = | music3 = | arranger3 = | extra3 = | length3 = | #4 = | title4 = フクロウ | note4 = | writer4 = | lyrics4 = | music4 = | arranger4 = | extra4 = | length4 = | #5 = | title5 = ネプトゥーヌス | note5 = | writer5 = | lyrics5 = | music5 = | arranger5 = | extra5 = | length5 = | #6 = | title6 = ユリイカ | note6 = | writer6 = | lyrics6 = | music6 = | arranger6 = | extra6 = | length6 = | #7 = | title7 = 茶柱 | note7 = | writer7 = | lyrics7 = | music7 = | arranger7 = | extra7 = | length7 = | #8 = | title8 = ナイロンの糸 | note8 = | writer8 = | lyrics8 = | music8 = | arranger8 = | extra8 = | length8 = | #9 = | title9 = シーラカンスと僕 | note9 = | writer9 = | lyrics9 = | music9 = | arranger9 = | extra9 = | length9 = | #10 = | title10 = 白波トップウォーター | note10 = | writer10 = | lyrics10 = | music10 = | arranger10 = | extra10 = | length10 = | #11 = | title11 = ユリイカ(アンコール) | note11 = | writer11 = | lyrics11 = | music11 = | arranger11 = | extra11 = | length11 = | #12 = | title12 = グッドバイ | note12 = | writer12 = | lyrics12 = | music12 = | arranger12 = | extra12 = | length12 = }} {{tracklist | id = | collapsed = yes | headline = Laptop live set at TOKYO GARDEN THEATER 2022/10/04-2022/10/05 -Studio Recording-{{efn2|name=ncy802|完全生産限定盤(NF member -Limited Edition-)にのみ収録}} | extra_column = | total_length = 64:35 | 1 = | all_writing = | all_lyrics = | all_music = | all_arrangements = | 2 = | writing_credits = | lyrics_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | music_credits = <!--yesか空欄かコメントアウト--> | arrangements_credits = <!--ページには表示させませんが一応書いておきます--> | #1 = | title1 = 834.194 2022 | note1 = | writer1 = | lyrics1 = | music1 = | arranger1 = | extra1 = | length1 = 7:01 | #2 = | title2 = 塔 NAKED ver. | note2 = | writer2 = | lyrics2 = | music2 = | arranger2 = | extra2 = | length2 = 3:27 | #3 = | title3 = 着床 2022 | note3 = | writer3 = | lyrics3 = | music3 = | arranger3 = | extra3 = | length3 = 3:27 | #4 = | title4 = ユリイカ -Rearrange 2021- | note4 = | writer4 = | lyrics4 = | music4 = | arranger4 = | extra4 = | length4 = 4:54 | #5 = | title5 = 「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」Remix | note5 = | writer5 = | lyrics5 = | music5 = | arranger5 = | extra5 = | length5 = 6:13 | #6 = | title6 = minnanouta Remix 2022 | note6 = | writer6 = | lyrics6 = | music6 = | arranger6 = | extra6 = | length6 = 5:12 | #7 = | title7 = INORI 2022 | note7 = | writer7 = | lyrics7 = | music7 = | arranger7 = | extra7 = | length7 = 5:21 | #8 = | title8 = 僕と花 Remix 2022 | note8 = | writer8 = | lyrics8 = | music8 = | arranger8 = | extra8 = | length8 = 6:28 | #9 = | title9 = 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』Remix | note9 = | writer9 = | lyrics9 = | music9 = | arranger9 = | extra9 = | length9 = 6:24 | #10 = | title10 = Ame (B) Remix 2022 | note10 = | writer10 = | lyrics10 = | music10 = | arranger10 = | extra10 = | length10 = 3:56 | #11 = | title11 = SORATO 2022 | note11 = | writer11 = | lyrics11 = | music11 = | arranger11 = | extra11 = | length11 = 6:06 | #12 = | title12 = グッドバイ Remix 2022 | note12 = | writer12 = | lyrics12 = | music12 = | arranger12 = | extra12 = | length12 = 6:07 }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|refs= <ref group="注" name=""></ref> }} === 出典 === {{Refbegin}} {{Reflist|3|refs= <!-----------------------------------------------infobox album内の注釈-----------------------------------------------> <ref name="TR_VIZL-2213">{{Cite web2 | date = | url = https://tower.jp/item/5758295 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜 [2CD+Blu-ray Disc]<初回生産限定盤A> | publisher = タワーレコード株式会社 | website = タワーレコードオンライン | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="TR_VIZL-2214">{{Cite web2 | date = | url = https://tower.jp/item/5758273 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜 [2CD+DVD]<初回生産限定盤B> | publisher = タワーレコード株式会社 | website = タワーレコードオンライン | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="TR_VICL-65865-6">{{Cite web2 | date = | url = https://tower.jp/item/5758310 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜<通常盤> | publisher = タワーレコード株式会社 | website = タワーレコードオンライン | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="bbj_VIZL-2213">{{Cite web2 | date = | url = https://www.billboard-japan.com/goods/detail/718729 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜(2CD+Blu-ray 初回生産限定盤A) | publisher = 阪神コンテンツリンク | website = Billboard Japan | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="bbj_VIZL-2214">{{Cite web2 | date = | url = https://www.billboard-japan.com/goods/detail/718730 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜(2CD+DVD 初回生産限定盤B) | publisher = 阪神コンテンツリンク | website = Billboard Japan | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="bbj_VICL-65865-6">{{Cite web2 | date = | url = https://www.billboard-japan.com/goods/detail/718731 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol.2 〜Rearrange & Remix works〜(2CD 通常盤) | publisher = 阪神コンテンツリンク | website = Billboard Japan | accessdate = 2023-09-11 }}</ref> <ref name="Mnat_450541">{{Cite web2 | date = 2021-10-22 | url = https://natalie.mu/music/news/450541 | title = サカナクション、アルバム2作にわたる大型プロジェクト「アダプト」「アプライ」始動 | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2022-02-11 }}</ref> <ref name="Mnat_468162">{{Cite web2 | date = 2022-03-04 | url = https://natalie.mu/music/news/468162 | title = サカナクションのアルバム「アダプト」収録曲発表、6月から全国ホールツアー開催 | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2022-03-05 }}</ref> <ref name="Chunichi_472535">{{Cite web2 | date = 2022-05-18 | url = https://www.chunichi.co.jp/article/472535 | title = サカナクション・山口一郎 背中と脇腹がヒリヒリ…「病院行ったら帯状疱疹だった」と告白 | publisher = 中日新聞社 | website = 中日新聞Web | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230930153940/https://www.chunichi.co.jp/article/472535 | archivedate = 2023-10-01 | quote = }}</ref> <ref name="PRT_tiktok">{{Cite web2 | date = 2022-04-01 | url = https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000639.000030435.html | title = TikTokとSpotifyが共同でアーティストを応援するプログラム「Buzz Tracker」を開始!Monthly Artist 第一弾にサカナクションが決定! | publisher = PR TIMES | website = PR TIMES | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220401080851/https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000639.000030435.html | archivedate = 2022-04-01 | quote = }}</ref> <ref name="PHP_NFRaoyama">{{Cite web2 | date = 2022-05-19 | url = https://www.pierreherme.co.jp/journal/nfrgmtxaoyama/ | title = NFRGMT×Aoyama(仮) | publisher = ペーアッシュ パリ ジャポン 株式会社 | website = ピエール・エルメ・パリ | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230930161930/https://www.pierreherme.co.jp/journal/nfrgmtxaoyama/ | archivedate = 2023-10-01 | quote = }}</ref> <ref name="PHP_NFRPHP">{{Cite web2 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publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2022-06-14 }}</ref> <ref name="OriNews_2240878">{{Cite web2 | date = 2022-07-01 | url = https://www.oricon.co.jp/news/2240878/full/ | title = サカナクション・山口一郎、体調不良で一定期間休養へ | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2022-07-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220701112649/https://www.oricon.co.jp/news/2240878/full/ | archivedate = 2022-07-01 }}</ref> <ref name="Mnat_487660">{{Cite web2 | date = 2022-07-30 | url = https://natalie.mu/music/news/487660 | title = サカナクション、全国ホールツアーのうち6月の公演を延期 | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2022-07-30 }}</ref> <ref name="TRNews_UWxS">{{Cite web2 | date = 2022-09-21 | url = https://tower.jp/article/news/2022/09/21/tg014 | title = サカナクション、山口一郎(Vo/Gt)の体調不良により全国ツアーを中止。UNDERWORLD(アンダーワールド)とのライヴは4人でのDJセットで出演 | publisher = タワーレコード株式会社 | website = タワーレコードオンライン | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230930171634/https://tower.jp/article/news/2022/09/21/tg014 | archivedate = 2023-10-01 }}</ref> <ref name="OriNews_2250094">{{Cite web2 | date = 2022-9-20 | url = https://www.oricon.co.jp/news/2250094/full/ | title = サカナクション、10月からの全国ツアーを中止 ボーカル山口一郎の体調が回復に至らず | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2022-9-26 | archiveurl =https://web.archive.org/web/20220926125351/https://www.oricon.co.jp/news/2250094/full/ | archivedate = 2022-9-26 }}</ref> <ref name="fender_ks">{{Cite web2 | date = 2023-08-16 | url = https://fendernews.jp/cover-2023-kusakariami-2/ | title = Cover Artist 草刈愛美(サカナクション) -後編- | publisher = Fender | website = FenderNews | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl =https://web.archive.org/web/20230907181815/https://fendernews.jp/cover-2023-kusakariami-2/ | archivedate = 2023-09-07 }}</ref> <ref name="Mnat_511093">{{Cite web2 | date = 2022-01-31 | url = https://natalie.mu/music/news/511093 | title = サカナクション山口による配信クラブイベントにLicaxxx、YonYon、真鍋大度ら | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref name="OriNews_2257302">{{Cite web2 | date = 2022-11-17 | url = https://www.oricon.co.jp/news/2257302/full/ | title = サカナクション山口一郎、休養理由を明かす「まったくベッドから動けない」 “いい一郎の日”に復活報告 | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20221117044758/https://www.oricon.co.jp/news/2257302/full/ | archivedate = 2022-11-17 }}</ref> <ref name="tft_259145">{{Cite web2 | date = 2023-03-20 | url = https://www.thefirsttimes.jp/news/0000259145/ | title = 『スッキリ』で“七三&メガネ&スーツ”の山口一郎(サカナクション)が桜中継 | publisher = [[THE FIRST TAKE]] | website = THE FIRST TIMES | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20231001063128/https://www.thefirsttimes.jp/news/0000259145/ | archivedate = 2023-10-01 | quote = }}</ref> <ref name="TR_adptonline">{{Cite web2 | date = 2022-11-16 | url = https://tower.jp/article/feature_item/2022/11/16/0706 | title = サカナクション|ライブBlu-ray&DVD『SAKANAQUARIUM アダプト ONLINE』2023年2月22日発売 | publisher = タワーレコード株式会社 | website = タワーレコードオンライン | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20221116140344/https://tower.jp/article/feature_item/2022/11/16/0706 | archivedate = 2022-11-16 }}</ref> <ref name="Mnat_531336">{{Cite web2 | date = 2023-07-03 | url = https://natalie.mu/music/news/531336 | title = サカナクションのリアレンジ&リミックス集第2弾にCorneliusら参加、山口一郎単独ツアー決定 | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref name="skream_moon2">{{Cite web2 | date = 2023-07-03 | url = https://skream.jp/news/2023/07/sakanaction_ntat2_release.php | title = サカナクション 、リアレンジ&リミックス・アルバム『懐かしい月は新しい月 Vol. 2 ~Rearrange & Remix works~』9/6リリース。山口一郎(Vo/Gt)単独ツアー開催決定 | publisher = 激ロックエンタテインメント | website = Skream! | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref name="Mnat_490022">{{Cite web2 | date = 2022-08-18 | url = https://natalie.mu/music/news/490022 | title = サカナクション×Underworld対バンライブ、振替公演は10月に | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref name="bbj_106528">{{Cite web2 | date = 2021-12-03 | url = https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/106528/2 | title = サカナクション、新曲「プラトー」ミュージックライブビデオ公開 | publisher = 阪神コンテンツリンク | website = Billboard Japan | accessdate = 2022-02-14 }}</ref> <!----------------------------------アートワークに関する脚注----------------------------------> <ref name="AN_moon2">{{Cite album-notes | 和書 | title = 懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜 | title-link = | others = サカナクション | year = 2023 | url = | first = | last = | authorlink = | page = | pages = | at = | type = CDブックレット | publisher = NF Records(ビクターエンタテインメント) | id = VIZL-2213<!--, {{全国書誌番号|}} --> | location = 日本,東京 | ref = | isbn = }}</ref> <ref name="Mnat_151170">{{Cite web2 | date = 2015-06-19 | url = https://natalie.mu/music/news/151170 | title = サカナクション、未発表音源入りカップリング&リミックス集発表 | publisher = 株式会社ナターシャ | website = 音楽ナタリー | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> }} {{Refend}} <!-------------------------------------------------------------------> === TOKYO FM『SCHOOL OF LOCK!』の放送後記 === {{Reflist|group="SOL"|2|refs= <ref group="SOL" name="SOL_20220527">{{cite episode | title = 「先週お休みだった山口一郎先生からの近況報告。」 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=18973 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2022-05-27 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="SOL" name="SOL_20221223">{{cite episode | title = 『2022年のフェイバリットソングス (w/副担任's)』 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=20118 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2022-12-23 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="SOL" name="SOL_20220708">{{cite episode | title = 「このクラスの副担任、江島啓一先生が授業を担当していきます!」 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=19207 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2022-07-08 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="SOL" name="SOL_20220930">{{cite episode | title = 「山口一郎先生が3ヶ月ぶりに戻ってきました。」 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=19662 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2022-09-30 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="SOL" name="SOL_20230224">{{cite episode | title = 「生徒から届いたメッセージを紹介しながら、一郎先生の近況報告をします。」 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=20457 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2023-02-24 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="SOL" name="SOL_20230602">{{cite episode | title = 「開催直前『NF#15 NF1ROOM』を一郎先生が解説していくぞ!」 | url = https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=20942 | series = サカナLOCKS! | credits = 横川涼, 井手美穂, 諏訪勝 | network = JFM | station = TOKYO FM | airdate = 2023-06-02 | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> }} === バンド公式・所属事務所・関係者による告知 === {{Reflist|group="広報"|3|refs= <ref group="広報" name="IYtw_20220602">{{Cite web2 | date = 2022-06-02 | url = https://twitter.com/SAKANAICHIRO/status/1532355370018304000 | title = ここ数週間で、皮膚科行って、整形外科行って、耳鼻科行って、ペインクリニック行って、昨日、肛門科行きました痔です。でももう元気です。 | publisher = 山口一郎 | website = 山口一郎個人ツイッター | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220602181447/https://twitter.com/SAKANAICHIRO/status/1532355370018304000 | archivedate = 2022-06-02 }}</ref> <ref group="広報" name="SCweb_2229">{{Cite web2 | date = 2022-06-01 | url = https://sakanaction.jp/news/detail/2229 | title = ご報告 | publisher = サカナクション | website = サカナクション公式サイト | accessdate = 2022-06-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220601183900/https://sakanaction.jp/news/detail/2229 | archivedate = 2022-06-02 }}</ref> <ref group="広報" name="SCweb_2230">{{Cite web2 | date = 2022-06-02 | url = https://sakanaction.jp/news/detail/2230 | title = SAKANAQUARIUM アダプト NAKED の大阪・京都公演について | publisher = サカナクション | website = サカナクション公式サイト | accessdate = 2022-06-02 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220602120018/https://sakanaction.jp/news/detail/2230 | archivedate = 2022-06-02 }}</ref> <ref group="広報" name="SCweb_2237">{{Cite web2 | date = 2022-07-01 | url = https://sakanaction.jp/news/detail/2237 | title = サカナクション 山口一郎の休養に関するお知らせと公演延期のご案内 | publisher = サカナクション | website = サカナクション公式サイト | accessdate = 2022-07-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220701111845/https://sakanaction.jp/news/detail/2237 | archivedate = 2022-07-01 }}</ref> <ref group="広報" name="SCweb_2322">{{Cite web2 | date = 2022-9-20 | url = https://sakanaction.jp/news/detail/2322 | title = Creativeman presents UNDERWORLD × SAKANACTION公演、 全国ツアー「SAKANAQUARIUM アダプト NAKED」に関するご案内 | publisher = サカナクション | website = サカナクション公式サイト | accessdate = 2022-9-26 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20220926125132/https://sakanaction.jp/news/detail/2322 | archivedate = 2022-9-26 }}</ref> <ref group="広報" name="SCweb_moon2">{{Cite web2 | date = | url = https://sakanaction.jp/feature/moon | title = 「懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"」「懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜」特設サイト | publisher = サカナクション | website = サカナクション公式サイト | accessdate = 2023-10-01 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20231001072756/https://sakanaction.jp/feature/moon | archivedate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="広報" name="jvc_41821">{{Cite web2 | date = | url = https://sakanaction.jp/feature/moon | title = 月の現 〜 Rearrange works 〜 | publisher = ビクターエンタテインメント | website = ビクターエンタテインメント公式サイト | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> <ref group="広報" name="jvc_41822">{{Cite web2 | date = | url = https://sakanaction.jp/feature/moon | title = 月の幻 〜 Remix works 〜 | publisher = ビクターエンタテインメント | website = ビクターエンタテインメント公式サイト | accessdate = 2023-10-01 }}</ref> }} === CD・DVD・Blu-rayのチャートと売り上げ === {{Reflist|group="統計"|3|refs= <!----------------------------------infobox album内の脚注----------------------------------> <!----------------------------------アルバム『834.194』のチャートに関する脚注----------------------------------> <ref group="統計" name="rank_ori_Al_d20230905">{{Cite web | date = 2023-09-06 | url = https://www.oricon.co.jp/rank/ja/d/2023-09-05/ | title = 2023年9月6日付のデイリーアルバムランキング情報 | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2023-9-6 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230911140912/https://www.oricon.co.jp/rank/ja/d/2023-09-05/ | archivedate = 2023-9-6<!-- | deadlinkdate = --> | language = 日本語 }}</ref> <ref group="統計" name="rank_ori_Al_w1sep2023">{{Cite web | date = 2023-09-13 | url = https://www.oricon.co.jp/rank/ja/w/2023-09-18/ | title = 2023年9月18日付の週間アルバムランキング情報 | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2023-9-17 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230913020501/https://www.oricon.co.jp/rank/ja/w/2023-09-18/ | archivedate = 2023-9-17<!-- | deadlinkdate = --> | language = 日本語 }}</ref> <ref group="統計" name="rank_ori_digiAl_w1sep2023">{{Cite web | date = 2023-09-13 | url = https://www.oricon.co.jp/rank/dia/w/2023-09-18/p/2/ | title = 2023年9月18日付の週間デジタルアルバムランキング情報 | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2023-09-18 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230913022219/https://www.oricon.co.jp/rank/dia/w/2023-09-18/p/2/ | archivedate = 2023-09-13<!-- | deadlinkdate = --> | language = 日本語 }}</ref> <ref group="統計" name="rank_ori_coAl_w1sep2023">{{Cite web | date = 2023-09-18 | url = https://www.oricon.co.jp/rank/coa/w/2023-09-18/ | title = 2023年9月18日付の合算アルバムランキング情報 | publisher = オリコン株式会社 | website = Oricon News | accessdate = 2023-9-17 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20230916153646/https://www.oricon.co.jp/rank/coa/w/2023-09-18/ | archivedate = 2023-9-16<!-- | deadlinkdate = --> | language = 日本語 }}</ref> }} == 参考文献 == <!-- [[WP:GENREF]]に従い、節内では著者名別の五十音順かつ同一著者は年代順に並べる。 --> <div class="references-small"> {{Refbegin|1}} === 書籍 === * {{Cite journal |和書 | author = 小田慶郎 | editor = 加藤晃彦 | title = 週刊文春 六月九日号 | year = 2022 | date = 2022-06-09 | journal = [[週刊文春]] | volume = 64 | issue = 22 | pages = 118 - 119 | publisher = [[文藝春秋]] | asin = B0B2VXBGS6 | ref = {{SfnRef|小田慶郎|2022}} }} {{Refend}} == 外部リンク == * [https://sakanaction.jp/feature/moon 「懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"」「懐かしい月は新しい月 Vol. 2 〜Rearrange & Remix works〜」特設サイト] {{Authority control}} {{サカナクション}} {{DEFAULTSORT:なつかしいつきはあたらしいつきほりゆうむ2}} [[Category:2023年のアルバム]] [[Category:サカナクションのアルバム]] [[Category:ビクターエンタテインメントのアルバム]]
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一の宮町 (宮崎市)
一の宮町(いちのみやちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0854。 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街となっている。北を吉村町、東を日ノ出町、南を中西町、西を大王町に接する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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一の宮町(いちのみやちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0854。
{{Infobox settlement | name = 一の宮町 | settlement_type = 町丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 一の宮町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 54 | lats = 23.9 | latNS = N | longd = 131 | longm = 26 | longs = 41.0 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[檍地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 547 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0854 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800854|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''一の宮町'''(いちのみやちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[檍地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0854<ref name="postal" />'''。 == 地理 == 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。[[大淀川]]河口北岸にあり、住宅街となっている。北を[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]、東を[[日ノ出町 (宮崎市)|日ノ出町]]、南を[[中西町 (宮崎市)|中西町]]、西を[[大王町 (宮崎市)|大王町]]に接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1949年 - [[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から一の宮町が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |一の宮町 |322世帯 |547人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |一の宮町 |[[宮崎市立潮見小学校]] |[[宮崎市立宮崎中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道10号宮崎インター佐土原線]] * [[宮崎県道11号宮崎島之内線]] ([[宮崎内環状線]]) == 施設 == * 後田川緑道公園 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010390.html 宮崎県宮崎市一の宮町 (452010390) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:いちのみやちよう}}
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田代町 (宮崎市)
田代町(たしろちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0855。 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街となっている。北を日ノ出町、東を小戸町、南を高洲町、西を中西町に接する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "田代町(たしろちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0855。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。大淀川河口北岸にあり、住宅街となっている。北を日ノ出町、東を小戸町、南を高洲町、西を中西町に接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。", "title": "小・中学校の学区" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "宮交グループの運営するバスが営業している。", "title": "交通" } ]
田代町(たしろちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0855。
{{Infobox settlement | name = 田代町 | settlement_type = 町丁 | image_skyline = | imagesize = 250px | image_caption = | image_map = | map_caption = 田代町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 54 | lats = 11.1 | latNS = N | longd = 131 | longm = 26 | longs = 55.2 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[檍地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 1634 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0855 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800855|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''田代町'''(たしろちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[檍地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0855<ref name="postal" />'''。 == 地理 == 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。[[大淀川]]河口北岸にあり、住宅街となっている。北を[[日ノ出町 (宮崎市)|日ノ出町]]、東を[[小戸町]]、南を[[高洲町 (宮崎市)|高洲町]]、西を[[中西町 (宮崎市)|中西町]]に接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *1955年 - 高洲町・[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から田代町が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |田代町 |951世帯 |1634人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |田代町 |[[宮崎市立宮崎港小学校]] |[[宮崎市立宮崎中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道10号宮崎インター佐土原線]]([[一ツ葉道路]]南線) ** 一ツ葉大橋北交差点 == 施設 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010420.html 宮崎県宮崎市田代町 (452010420) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:たしろちよう}}
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日ノ出町 (宮崎市)
田代町(たしろちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0856。 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。県道に沿って再開発・区画整理が進む住宅街となっている。北を吉村町・稗原町・新栄町、東を港2丁目、南を田代町・小戸町、西を一の宮町に接する。 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 宮交グループの運営するバスが営業している。
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田代町(たしろちょう)とは、宮崎県宮崎市内の地名。檍地域自治区に属している。郵便番号は880-0856。
{{Infobox settlement | name = 日ノ出町 | settlement_type = 町丁 | image_skyline = Miyazaki_Marine_High_School.JPG | imagesize = 250px | image_caption = [[宮崎海洋高等学校]] | image_map = | map_caption = 日ノ出町の位置 | pushpin_map = Japan Miyazaki | latd = 31 | latm = 54 | lats = 21.1 | latNS = N | longd = 131 | longm = 27 | longs = 04.5 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Miyazaki Prefecture.svg|border|25px]] [[宮崎県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Miyazaki, Miyazaki.svg|border|25px]] [[宮崎市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = [[檍地域自治区]] | established_title1 = | established_date1 = | area_footnotes = <!--- 面積(<ref>) ---> | area_total_km2 = <!--- 面積 ---> | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of = [[2023年]]([[令和]]5年)[[9月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/city/statistics/population/12314.html|title=地域自治区別・町丁大字別 人口・世帯数 |publisher=宮崎市|language=日本語|accessdate=2023-10-01}}</ref> | population_total = 625 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 880-0856 <ref name="postal">{{Cite web |url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=8800855|title=郵便番号|publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2023-10-01}}</ref> | area_code = 0985<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2023-10-01}}</ref> | registration_plate = [[宮崎運輸支局|宮崎]] | footnotes = }}'''田代町'''(ひのでちょう)とは、[[宮崎県]][[宮崎市]]内の地名。[[檍地域自治区]]に属している。郵便番号は'''880-0856<ref name="postal" />'''。 == 地理 == 宮崎市の中心部、檍地域自治区に属する。県道に沿って再開発・区画整理が進む住宅街となっている。北を[[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]・[[稗原町 (宮崎市)|稗原町]]・[[新栄町 (宮崎市)|新栄町]]、東を[[港 (宮崎市)|港]]2丁目、南を[[田代町 (宮崎市)|田代町]]・[[小戸町]]、西を[[一の宮町 (宮崎市)|一の宮町]]に接する。 == 地名の由来 == {{節スタブ}} == 歴史 == {{節スタブ}} *昭和20年代 - [[吉村町 (宮崎市)|吉村町]]から日ノ出町が成立。 == 世帯数と人口 == 2023年(令和5年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population" />。 {| class="wikitable" ![[町丁]] ![[世帯|世帯数]] ![[人口]] |- |日ノ出町 |346世帯 |625人 |} == 小・中学校の学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref>{{Cite web |url=https://ops-jg.d1-law.com/opensearch/SrJbF01/init?jctcd=8A91AC49CB&houcd=H346920100001&no=5&totalCount=20&fromJsp=SrMj |title=宮崎市立小中学校の通学区域に関する規則 |publisher=宮崎市 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 {| class="wikitable" !町名 !小学校 !中学校 |- |日ノ出町 |[[宮崎市立宮崎港小学校]] |[[宮崎市立宮崎中学校]] |} == 交通 == === バス === 宮交グループ<ref>宮交グループ http://www.miyakoh.co.jp/</ref>の運営するバスが営業している。 === 道路 === * [[宮崎県道10号宮崎インター佐土原線]] == 施設 == * [[宮崎県立宮崎海洋高等学校]] * 宮崎日ノ出郵便局 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[宮崎市の地名]] == 外部リンク == * [https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/ 宮崎市] * [https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/45/452010470.html 宮崎県宮崎市日ノ出町 (452010470) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット] {{宮崎市の町・字}} [[Category:宮崎市の町・字]] {{DEFAULTSORT:ひのてちよう}}
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インドの競馬
インドの競馬(インドのけいば)では、インドにおける競馬について記述する。 インドにおける競馬は200年以上の歴史を有する。最初の競馬場は、1777年にマドラス(現在のタミル・ナードゥ州チェンナイ)に開設された。現在までにインドでは競馬および馬産が発展し、6つのターフクラブが運営する9か所の競馬場で競走が開催されている。 以下の6つのターフクラブがターフ・オーソリティーズ・オブ・インディアを構成する。 年間の競走開催数は6つのターフクラブ合計で2500前後。 ターフクラブをまたぐ大競走としてはイギリスのクラシック競走に範を取った5つのクラシック競走が行われる。インド2000ギニー(3歳牡牝)とインド1000ギニー(3歳牝)はムンバイ競馬場で12月に開催される。 年をまたいでインドオークスは1月末、インドダービーは2月の第1日曜日にムンバイ競馬場で開催され、最終戦のインドセントレジャーは9月にプネー競馬場開催である。 また、3月第一週の週末に、6つのターフクラブが持ち回りで主催するインド・ターフ招待ウィークエンド(Indian Turf Invitation Weekend)が開催される。 インドでは、インド国外に拠点を置き、客にインド・ルピーでの入出金を認めている「オフショアサイト」と呼ばれるウェブサイトを除き、賭博は厳重に禁止されているとされる。そうでありながら、競馬と宝くじは対面販売とオンラインのいずれでも合法である。すなわち、インド最高裁判所は、KRラクシュマナン博士対タミル・ナードゥ州事件(AIR 1996 SC 1153)において、競馬は運(luck)のみに基づいているのではなく、技術(skill)にも基づいていると判示した。賭博の全面禁止規定に対するこの例外の判例に基づいて、いくつかの州では認可されたブックメーカーを特別に営業許可する法律を制定している。 2010年代のサラブレッド生産頭数は1200頭程度。生産牧場はパンジャーブ州からグジャラート州までのインド北西部とカルナータカ州、タミル・ナードゥ州など南部に分布している。 日本の馬産とのかかわりでは1968年に顕彰馬ハクチカラが日本軽種馬協会によってインドに種牡馬として寄贈されたことが有名。2010年にはサンデーサイレンスのラストクロップ(最後の世代)であるウインレジェンドが重賞未勝利ながらインドに種牡馬として輸入され、「インドのフランケル」の異名を持つサーセシルをはじめ10頭以上のクラシック競走勝ち馬を輩出した。その後、2018年にフィエロ(マイルCS2着)、2022年にサトノインプレッサ(毎日杯1着)とディープインパクト産駒の種牡馬が相次いで輸入された。 なお、2020年代には日本の馬産地である北海道浦河町で、より待遇のよい職場を求めて来日するインド人の牧場従業員が増加している。 インドは『国際セリ名簿基準書』のパートII国であり、国内格付けでG1、G2、G3のグループ競走に格付けされている競走は、同基準書のパートIIに記載されていて、国際的にはブラックタイプで記載することのできるリステッド競走とみなされる。 『国際セリ名簿基準書』にローカルG1の国内格付け(IND G1)が記載されている競走の一覧は次のとおり。インドの競馬シーズンは毎年11月に始まるためそのシーズンにおける開催順に配列する。
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インドの競馬(インドのけいば)では、インドにおける競馬について記述する。
{{Pathnav|競馬|frame=1}} '''インドの競馬'''(インドのけいば)では、[[インド]]における[[競馬]]について記述する。 == 歴史 == *[[1769年]]、カルカッタ(現在の[[コルカタ]])の近郊で[[イギリス]]人が初めて競馬を開催する<ref name="jairs">{{Cite web |url=https://www.jairs.jp/contents/courses/india.html |title=インドの競馬場 |publisher=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |accessdate=2023-10-01}}</ref> *[[1777年]]、マドラス(現在の[[チェンナイ]])に最初の[[競馬場]](現[[チェンナイ競馬場]])開設<ref name="horsingaround">{{cite news |title=235 years on, city horsing around in betting circles |url=http://www.newindianexpress.com/cities/chennai/235-years-on-city-horsing-around-in-betting-circles/2013/06/10/article1628038.ece |first=Shyam |last=Balasubramanian |date=2013-06-10 |agency=The New Indian Express |location=Chennai |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 *[[1800年]]、最初の競馬統括機関であるボンベイ・ターフクラブ(現在のロイヤル・ウェスタン・インディア・ターフクラブ)設立<ref name="jairs" />。 *[[1820年]]、[[カルカッタ競馬場]]開設<ref name="jairs" />。 *[[1847年]]、ロイヤル・カルカッタ・ターフクラブ設立<ref name="jairs" />。 == 特徴 == インドにおける競馬は200年以上の歴史を有する。最初の競馬場は、[[1777年]]にマドラス(現在の[[タミル・ナードゥ州]][[チェンナイ]])に開設された<ref name="horsingaround" />。現在までにインドでは競馬および馬産が発展し、6つのターフクラブが運営する9か所の[[競馬場]]で競走が開催されている。 === 競馬統括機関 === 以下の6つのターフクラブがターフ・オーソリティーズ・オブ・インディアを構成する<ref name="jairs" /><ref>{{Cite web |url=https://www.asianracing.org/member/india |title=Turf Authorities of India |publisher=Asian Racing Federation |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 *ロイヤル・ウェスタン・インディア・ターフクラブ([[マハーラーシュトラ州]][[ムンバイ]]・[[プネー]]) *ロイヤル・カルカッタ・ターフクラブ([[西ベンガル州]][[コルカタ]]) *マドラス・レースクラブ([[タミル・ナードゥ州]][[チェンナイ]]・[[ウダカマンダラム|ウーティ]]) *バンガロール・ターフクラブ([[カルナータカ州]][[ベンガルール]]) *ハイデラバード・レースクラブ([[テランガーナ州]][[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]) *マイソール・レースクラブ(カルナータカ州[[マイスール]]) === 競走 === [[File:Mysore Turf Club.jpg|thumb|マイソール競馬場]] 年間の競走開催数は6つのターフクラブ合計で2500前後<ref name="statistics">{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/Default.asp?section=Resources&area=4 |title=Facts and Figures |publisher=International Federation of Horseracing Authorities |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 ターフクラブをまたぐ大競走としては[[イギリス]]の[[クラシック (競馬)|クラシック競走]]に範を取った5つのクラシック競走が行われる。[[インド2000ギニー]](3歳牡牝)と[[インド1000ギニー]](3歳牝)は[[ムンバイ競馬場]]で12月に開催される。 年をまたいで[[インドオークス]]は1月末、[[インドダービー]]は2月の第1日曜日にムンバイ競馬場で開催され、最終戦の[[インドセントレジャー]]は9月に[[プネー競馬場]]開催である<ref name=":0">{{Cite web |date=2022-09-29 |title=Top Horse Race Betting Sites in India: Legal and Trusted |url=https://legalbetindia.in/horse-race-betting-sites/ |access-date=2023-10-01 |website=LegalBet India}}</ref>。 また、3月第一週の週末に、6つのターフクラブが持ち回りで主催するインド・ターフ招待ウィークエンド(Indian Turf Invitation Weekend)が開催される<ref name="jairs" />。 === 馬券 === [[File:Stands at Mysore Turf Club.jpg|thumb|マイソール競馬場のスタンド]] インドでは、インド国外に拠点を置き、客に[[インド・ルピー]]での入出金を認めている「オフショアサイト」と呼ばれるウェブサイトを除き、[[賭博]]は厳重に禁止されているとされる。そうでありながら、競馬と[[宝くじ]]は対面販売とオンラインのいずれでも合法である<ref name=":0" />。すなわち、[[インド最高裁判所]]は、KRラクシュマナン博士対タミル・ナードゥ州事件(AIR 1996 SC 1153)において、競馬は運(luck)のみに基づいているのではなく、技術(skill)にも基づいていると判示した。賭博の全面禁止規定に対するこの例外の判例に基づいて、いくつかの州では認可された[[ブックメーカー]]を特別に営業許可する法律を制定している<ref>{{cite web |last1=Sayta |first1=Jay |title=A primer on horse racing laws in India |url=https://glaws.in/2013/05/12/a-primer-on-horse-racing-laws-in-india/ |website=Glaws India |date=2013-05-12 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 === 馬産 === 2010年代のサラブレッド生産頭数は1200頭程度<ref name="statistics" />。生産牧場は[[パンジャーブ州 (インド)|パンジャーブ州]]から[[グジャラート州]]までのインド北西部と[[カルナータカ州]]、[[タミル・ナードゥ州]]など南部に分布している<ref>{{Cite web |url=https://www.indianstudbook.com/breeding_establisment.php |title=Breeding Establishments in India - Statewise |publisher=Indian Stud Book |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 日本の馬産とのかかわりでは[[1968年]]に[[JRA顕彰馬|顕彰馬]][[ハクチカラ]]が[[日本軽種馬協会]]によってインドに[[種牡馬]]として寄贈されたことが有名<ref>{{Cite web |url=https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=22&cid=2 |title=日本ダービー馬、米国重賞初制覇 世界に挑んだサムライサラブレッド~Part4・アメリカ編~ |publisher=netkeiba.com |accessdate=2023-10-01}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jbba.jp/about/history.html |title=協会のあゆみ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。[[2010年]]には[[サンデーサイレンス]]のラストクロップ(最後の世代)である[[ウインレジェンド]]が[[重賞]]未勝利ながらインドに種牡馬として輸入され<ref>{{Cite web |url=https://www.indiarace.com/Home/articleDetail?articleId=6275 |title=NEW STALLIONS |author=Srinivas Nargolkar |date=2022-09-17 |publisher=indianrace.com |accessdate=2023-10-01}}</ref>、「インドの[[フランケル (競走馬)|フランケル]]」の異名を持つ[[サーセシル]]をはじめ10頭以上の[[クラシック (競馬)|クラシック競走]]勝ち馬を輩出した<ref>{{Cite web |url=https://www.indianstudbook.com/hallOFFame.php |title=Hall of Fame Stallions |publisher=Indian Stud Book |accessdate=2023-10-01}}</ref>。その後、[[2018年]]に[[フィエロ (競走馬)|フィエロ]]([[マイルチャンピオンシップ|マイルCS]]2着)<ref>{{Cite web |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=132457 |title=昨年引退したフィエロがインドで種牡馬入り |date=2018-01-27 |publisher=netkeiba.com |accessdate=2023-10-11}}</ref>、[[2022年]]に[[サトノインプレッサ]]([[毎日杯]]1着)<ref>{{cite web |url=https://dir.netkeiba.com/keibamatome/detail.html?no=3429 |title=2022年に日本へ輸入・日本から輸出された種牡馬の一覧(シャトル種牡馬含む) |publisher=netkeiba.com |accessdate=2023-10-11}}</ref>と[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]産駒の種牡馬が相次いで輸入された。 なお、[[2020年代]]には日本の馬産地である[[北海道]][[浦河町]]で、より待遇のよい職場を求めて来日するインド人の牧場従業員が増加している<ref>{{Cite news |url=https://sodane.hokkaido.jp/column/202308091100003647.html |title=「浦河が好き」北海道浦河町でインド人急増の理由 インド人材が競走馬育成の救世主に…本格的カレー店も登場 |date=2023-08-09 |agency=HTB北海道ニュース |accessdate=2023-10-01}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://news.sp.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=52281 |title=インド人275人の町 |author=田中哲実 |work=生産地便り |publisher=netkeiba.com |date=2022-12-22 |accessdate=2023-10-01}}</ref>。 == 著名な競走馬 == *[[ダークレジェンド]](Dark Legend 1914年生) - イギリス産馬。1917年の[[ダービーステークス|英ダービー]]で3着に入った後インドに滞在してヴァイスロイズカップ([[インドの総督|インド総督]]杯)などに勝利した<ref>{{Cite web |url=https://www.facebook.com/Royal-Calcutta-Turf-Club-105607299522268/videos/dark-legend/420435555692308/ |title=Dark Legend |author=Royal Calcutta Turf Club |website=Facebook |date=2022-02-11 |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 *ローズロイヤル(Rose Royal 1961年生) - 1964/1965年シーズンの1000ギニー、オークス、ダービーに勝利し牝馬クラシック三冠を達成した<ref name="sawhy1">{{Cite web |url=https://www.rwitc.com/viewArticles.php?id=2030 |title=Some interesting anecdotes of The Indian Derby |author=Bob Sawhny |date=2015-01-15 |publisher=Royal Western India Turf Club |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 *[[スクワンダラー]](Squanderer 1973 年生) - 1976/1977年シーズンの三冠馬で、生涯成績19戦18勝。同じくラシッド・バイラムジー調教師が管理した[[イリューシヴピンパーネル]]と並んで「インド史上最強馬」と呼ばれる<ref name="sawhy2">{{Cite web |url=https://www.rwitc.com/viewArticles.php?id=639 |title=Squanderer Was the Greatest Indian Thoroughbred |author=Bob Sawhny |date=2015-01-15 |publisher=Royal Western India Turf Club |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 *[[オウンオピニオン]](Own Opinion 1975年生) - 1979年のインドターフ招待カップなど多くの大レースに勝利した名馬。1981年の[[第1回ジャパンカップ]]に招待され、インド史上唯一の日本遠征馬となった<ref>{{Cite news |url=https://www.indiatoday.in/magazine/sport/story/19830930-mam-ramaswamy-indias-biggest-racehorse-owner-771050-2013-07-17 |title=M.A.M. Ramaswamy: India's biggest racehorse owner |last1=Chaki |first1=Tapan |last2=Venkatramani |first2=S.H. |date=2983-09-30 |newspaper=India Today |accessdate=203-10-02}}</ref>。日本では「インドの[[シンザン]]」の通称で有名<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/opinion-d/2013/11/18/2p_0006505915.shtml |title=覚えてますか“インドのシンザン” |author=関口秀之 |date=2013-11-18 |newspaper=デイリースポーツ |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 *[[イリューシヴピンパーネル]](Elusive Pimpernel 1991年生) - 1994/1995年シーズンの2000ギニーとダービーを無敗で制し、脚部不安でセントレジャーを回避し三冠達成はならなかったものの23戦22勝の成績を残した「インド史上最強馬」<ref name="sawhy2" />。 *[[ミスティカル (競走馬)|ミスティカル]](Mystical 2002年生) - インド国内8連勝で2007年の[[ドバイワールドカップカーニバル]]に遠征し、インド調教馬として初めて[[アラブ首長国連邦]]で勝利した<ref>{{Cite news |url=https://gulfnews.com/sport/horse-racing/indias-mystical-turns-on-the-style-1.168155 |title=India's Mystical turns on the style |last=Wilson |first=Leslie |date=2007-03-26 |newspaper=Gulf News |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 *[[ジャクリーン (競走馬)|ジャクリーン]](Jacqueline 2006年生) - 2009/2010年シーズンの1000ギニー、2000ギニー、オークス、ダービーのクラシック4連勝を達成しインド史上最高賞金額を獲得した「インド史上最強牝馬」<ref name="sawhy1" />。 *[[サーセシル]](Sir Cecil 2015年生) - 日本産種牡馬[[ウインレジェンド]]の代表産駒で、2018年にデビューからインド2000ギニーまで8連勝した。通称「インドの[[フランケル (競走馬)|フランケル]]」<ref>{{Cite web |url=https://www.jairs.jp/contents/newsprot/2019/2/1.html |title="インドのフランケル"と呼ばれるサーセシル、インドダービー挑戦へ(インド) |date=2019-01-17 |publisher=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 == 主な競走 == インドは『[[国際セリ名簿基準委員会|国際セリ名簿基準書]]』のパートII国であり、国内格付けでG1、G2、G3のグループ競走に格付けされている競走は、同基準書のパートIIに記載されていて、国際的には[[競馬の競走格付け#ブラックタイプ方式|ブラックタイプ]]で記載することのできる[[競馬の競走格付け#リステッド競走|リステッド競走]]とみなされる<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/default.asp?section=Resources&area=8 |title=2023 International Cataloguing Standards Book |publisher=International Federation of Horseracing Authorities |accessdate=2023-10-02}}</ref>。 『国際セリ名簿基準書』にローカルG1の国内格付け(IND G1)が記載されている競走の一覧は次のとおり。インドの競馬シーズンは毎年11月に始まるためそのシーズンにおける開催順に配列する。 {| class="wikitable" |- !開催月 !競走名 !開催地 !style="white-space: nowrap;"|馬場・距離 !style="white-space: nowrap;"|出走条件 |- |style="white-space: nowrap;"|12月中旬 |インド1000ギニー |ムンバイ |芝1600m |3歳牝 |- |12月中旬 |インド2000ギニー |ムンバイ |芝1600m |3歳 |- |1月上旬 |カルカッタダービー |カルカッタ |芝2400m |4歳 |- |1月中旬 |南インドダービー |チェンナイ |芝2400m |4歳 |- |1月中旬 |インドオークス |ムンバイ |芝2400m |4歳牝 |- |1月下旬 |インディアンチャンピオンカップ |カルカッタ |芝2000m |4歳以上 |- |1月下旬 |バンガロールダービー |バンガロール |芝2400m |4歳 |- |1月下旬 |ゴルコンダダービー |style="white-space: nowrap;"|ハイデラバード |芝2400m |4歳 |- |2月上旬 |インドダービー |ムンバイ |芝2400m |4歳 |- |2月下旬 |ブリーダーズマルチミリオン |ムンバイ |芝1400m |3歳 |- |3月上旬 |ステイヤーズカップ |持ち回り |芝3000m |4歳以上 |- |3月上旬 |スプリンターズカップ |持ち回り |芝1200m |4歳以上 |- |3月上旬 |インドターフ招待カップ |持ち回り |芝2400m |4歳以上 |- |3月上旬 |スーパーマイルカップ |持ち回り |芝1600m |4歳以上 |- |5月上旬 |ニルギリスダービー |ウーティ |芝1600m |3歳 |- |6月中旬 |フィリーズチャンピオンシップ |バンガロール |芝1600m |3歳牝 |- |6月下旬 |コルツチャンピオンシップ |バンガロール |芝1600m |3歳牡騸 |- |7月中旬 |バンガロールサマーダービー |バンガロール |芝2000m |3歳 |- |9月下旬 |インドセントレジャー |プネー |芝2800m |4歳 |- |10月上旬 |デカンダービー |ハイデラバード |芝2000m |3歳 |- |10月中旬 |プネーダービー |プネー |芝2000m |3歳 |- |10月下旬 |マイソールダービー |マイソール |芝2000m |3歳 |- !出典 | colspan="4" | *{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/default.asp?section=Resources&area=8 |title=2023 International Cataloguing Standards Book |publisher=International Federation of Horseracing Authorities |accessdate=2023-10-02}} *{{Cite web |url=https://www.indianstudbook.com/patternrace_result.php |title=Pattern Race Results |publisher=Indian Stud Book |accessdate=2023-10-02}} |} == 主な競馬場 == *[[カルカッタ競馬場]] *[[ハイデラバード競馬場]] *[[バンガロール競馬場]] *[[ムンバイ競馬場]] *[[チェンナイ競馬場]] *[[マイソール競馬場]] == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == *[http://www.indiarace.com India Race] *[http://www.equineindia.com Equine India] [[Category:インドの競馬|*]] [[Category:各国の競馬|いんと]]
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ディプロドクス亜科
ディプロドクス亜科(ディプロドクスあか、学名 Diplodocinae)は、約1億6120万年から1億3640万年前の後期ジュラ紀から前期白亜紀の北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、南アメリカに存在したディプロドクス科の竜脚類の亜科。この亜科の属には、トルニエリア、スーパーサウルス、レインクパル(英語版)、ガレアモプス、ディプロドクス、バロサウルスが含まれる。 以下のクラドグラムはTschopp, Mateus and Benson (2015)によるディプロドク亜科の系統解析に基づく。
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ディプロドクス亜科は、約1億6120万年から1億3640万年前の後期ジュラ紀から前期白亜紀の北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、南アメリカに存在したディプロドクス科の竜脚類の亜科。この亜科の属には、トルニエリア、スーパーサウルス、レインクパル、ガレアモプス、ディプロドクス、バロサウルスが含まれる。 以下のクラドグラムはTschopp, Mateus and Benson (2015)によるディプロドク亜科の系統解析に基づく。
{{生物分類表 | 名称 = ディプロドクス亜科 <br/>Diplodocinae | fossil_range = [[中生代]][[後期ジュラ紀]] - [[前期白亜紀]], {{fossil range|155|136.4}} | 画像 = [[File:WLA hmns Diplodocus.jpg|250px|]] | 画像キャプション = [[ガレアモプス]]の全身骨格 | 地質時代 = [[後期ジュラ紀]] | 地質時代2 = [[前期白亜紀]] | 省略 = 恐竜上目 | 目 = [[竜盤類|竜盤目]] {{sname||Saurischia}} | 亜目 = [[絶滅|†]][[竜脚形亜目]] {{sname||Sauropoda}} | 下目 = [[竜脚下目]] {{sname||Sauropoda}} | 下目階級なし = [[新竜脚類]] {{sname||Neosauropoda}} | 上科 = [[ディプロドクス上科]] {{sname||Diplodocoidea}} | 科 = [[ディプロドクス科]] {{sname||Diplodocidae}} | 亜科 = '''ディプロドクス亜科''' {{sname||Diplodocinae}} | 学名 = '''Diplodocinae''' <br/>{{AUY|Janensch|1929}} | 和名 = '''ディプロドクス亜科''' | 下位分類名 = [[属 (分類学)|属]]<ref name="tschoppetal15"/> | 下位分類 = * [[バロサウルス]] * [[ディンヘイロサウルス]] * [[ディプロドクス]] * [[ガレアモプス]] * [[カアテドクス]]? * {{仮リンク|レインクパル|en|Leinkupal}} * [[スーパーサウルス]] * [[トルニエリア]] }} '''ディプロドクス亜科'''(ディプロドクスあか、[[学名]] '''Diplodocinae''')は、約1億6120万年から1億3640万年前の[[後期ジュラ紀]]から[[前期白亜紀]]の[[北アメリカ]]、[[ヨーロッパ]]、[[アフリカ]]、[[南アメリカ]]に存在した[[ディプロドクス科]]の[[竜脚類]]の[[亜科 (分類学)|亜科]]。この亜科の[[属 (分類学)|属]]には、[[トルニエリア]]、[[スーパーサウルス]]、{{仮リンク|レインクパル|en|Leinkupal}}、[[ガレアモプス]]、[[ディプロドクス]]、[[バロサウルス]]が含まれる<ref name="tschoppetal15"/>。 以下の[[クラドグラム]]はTschopp, Mateus and Benson (2015)によるディプロドク亜科の系統解析に基づく<ref name="tschoppetal15">{{Cite journal | doi = 10.7717/peerj.857| title = A specimen-level phylogenetic analysis and taxonomic revision of Diplodocidae (Dinosauria, Sauropoda)| journal = PeerJ| volume = 3| pages = e857| year = 2015| last1 = Tschopp | first1 = E. | last2 = Mateus | first2 = O. V. | last3 = Benson | first3 = R. B. J. | pmid=25870766 | pmc=4393826}}</ref>。 {{clade| style=font-size:85%;line-height:85% |label1=[[ディプロドクス科]] |1={{clade |1=[[アンフィコエリアス|アンフィコエリアス・アルタス]] |2={{clade |1=[[アパトサウルス亜科]] |label2='''ディプロドクス亜科''' |2={{clade |1=Unnamed species |2={{clade |1=[[トルニエリア|トルニエリア・アフリカナ]] |2={{clade |1={{clade |1=[[ディンヘイロサウルス|スーパーサウルス・ロリンハネンシス]]([[ディンヘイロサウルス]]) |2=[[スーパーサウルス|スーパーサウルス・ヴィヴィアナ]] }} |2={{clade |1={{仮リンク|レインクパル|label=レインクパル・ラティカウダ|en|Leinkupal}} |2={{clade |1=[[ガレアモプス|ガレアモプス・ハイ]] |2={{clade |1={{clade |1=[[ディプロドクス|ディプロドクス・カーネギー]] |2=[[ディプロドクス|ディプロドクス・ハロールム]] }} |2={{clade |1=[[カアテドクス|カアテドクス・シベリ]] |2=[[バロサウルス|バロサウルス・レントゥス]] }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[絶滅した動物一覧]] *[[化石爬虫類の一覧]] *[[恐竜の一覧]] *[[竜脚類]] {{Taxonbar|from=Q2295403}} {{デフォルトソート:ていふろとくすあか}} [[Category:竜脚類]] [[Category:ディプロドクス科]] [[Category:1929年に記載された化石分類群]]
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1920年アントワープオリンピックの飛込競技
1920年アントワープオリンピックの飛込競技では5種目が行われた。女子3m飛板飛込が初めて行われた。1920年8月22日から8月29日まで行われた。 14の国から53人(男子35人、女子18人)が参加した。男子は13の国、女子は6の国から参加した。
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1920年アントワープオリンピックの飛込競技では5種目が行われた。女子3m飛板飛込が初めて行われた。1920年8月22日から8月29日まで行われた。
{{Infobox Olympic event | event = 飛込競技 | games = 1920夏季 | image = [[File:Diving pictogram.svg|100px]] | image_size = | caption = | venue = [[Stade Nautique d'Antwerp]] | dates = {{Start date|df=yes|1920|08|22}}から<br /> {{End date|df=yes|1920|08|29}} | num_events = 5 | competitors = 53 | nations = 14 | teams = | win_value = | gold = | goldNOC = | silver = | silverNOC = | bronze = | bronzeNOC = | prev = [[1912年ストックホルムオリンピックの飛込競技|1912]] | next = [[1924年パリオリンピックの飛込競技|1924]] }} [[1920年アントワープオリンピック]]の[[オリンピックの飛込競技|飛込競技]]では5種目が行われた。女子3m飛板飛込が初めて行われた。1920年8月22日から8月29日まで行われた<ref>{{cite sports-reference |url=https://www.sports-reference.com/olympics/summer/1920/DIV/ |title=Diving at the 1920 Antwerp Summer Games |access-date=11 May 2020}}</ref>。 ==競技結果== ===男子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |3m飛板飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ルイス・キューン|en|Louis Kuehn}}|USA|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|[[クラレンス・ピンクストン]]|USA|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ルイス・バルバッハ|en|Louis Balbach}}|USA|1920夏季}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|[[クラレンス・ピンクストン]]|USA|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|エリック・アドラーツ|en|Erik Adlerz}}|SWE|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ハリー・プリースト|en|Harry Prieste}}|USA|1920夏季}} |- |素高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|アルヴィド・ワールマン|en|Arvid Wallman}}|SWE|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ニルス・スコグルンド|en|Nils Skoglund}}|SWE|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ヨン・ヤンソン|en|John Jansson}}|SWE|1920夏季}} |} ===女子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |3m飛板飛込 |{{flagIOCathlete|[[アイリーン・リギン]]|USA|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|[[ヘレン・ウェインライト]]|USA|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|セルマ・ペイン|en|Thelma Payne}}|USA|1920夏季}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ステファニー・クラウセン|en|Stefanie Clausen}}|DEN|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ベアトリクス・アームストロング|en|Beatrice Armstrong}}|GBR|1920夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|エバ・オリバー|en|Eva Olliwier}}|SWE|1920夏季}} |} ==参加国== 14の国から53人(男子35人、女子18人)が参加した。男子は13の国、女子は6の国から参加した。 * {{flagIOC|AUS|1920夏季|1}} <small>(men:0 women:1)</small> * {{flagIOC|BEL|1920夏季|3}} <small>(men:3 women:0)</small> * {{flagIOC|BRA|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|CAN|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|DEN|1920夏季|5}} <small>(men:3 women:2)</small> * {{flagIOC|FIN|1920夏季|3}} <small>(men:3 women:0)</small> * {{flagIOC|FRA|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|GBR|1920夏季|5}} <small>(men:3 women:2)</small> * {{flagIOC|ITA|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|JPN|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|NOR|1920夏季|4}} <small>(men:2 women:2)</small> * {{flagIOC|SWE|1920夏季|12}} <small>(men:8 women:4)</small> * {{flagIOC|SUI|1920夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|USA|1920夏季|14}} <small>(men:7 women:7)</small> ==各国メダル数== {{Medals table | caption = | host = | flag_template = flagIOC | event = 1920夏季 | team = | gold_USA = 3 | silver_USA = 2 | bronze_USA = 3 | gold_SWE = 1 | silver_SWE = 2 | bronze_SWE = 2 | gold_DEN = 1 | silver_DEN = 0 | bronze_DEN = 0 | gold_GBR = 0 | silver_GBR = 1 | bronze_GBR = 0 }} ==出典== {{reflist}} * {{cite web | title=Olympic Medal Winners | publisher=[[International Olympic Committee]] |url=http://www.olympic.org/uk/athletes/results/search_r_uk.asp | access-date=20 November 2006 }} * {{cite web|url=http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/1920/1920.pdf |title=Olympic Games Antwerp 1920 - Official Report |access-date=23 December 2006 |author=Belgian Olympic Committee |year=1957 |format=pdf |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20110505163318/http://www.la84foundation.org/6oic/OfficialReports/1920/1920.pdf |archive-date=5 May 2011 }} {{1920年アントワープオリンピックの実施競技}} {{オリンピック飛込競技}} {{DEFAULTSORT:あんとわあふおりんひつく1920のとひこみきようき}} [[Category:1920年アントワープオリンピックの各競技|とひこみ]] [[Category:オリンピックの飛込競技|1920]]
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道後館
道後館(どうごかん)は、愛媛県松山市道後多幸町(道後温泉)にあるホテルである。 瀬戸内海汽船グループの四国道後館が運営している。 建物の風格のある特徴的なデザインの外観は、建築家の黒川紀章の設計によるもので、船をイメージしてデザインしたと言われている。高台に位置しており、西側からは重要文化財であり、現存12天守のひとつでもある松山城を望むことが出来るのが特徴となっている。
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道後館(どうごかん)は、愛媛県松山市道後多幸町(道後温泉)にあるホテルである。
{{Hotel |名称 = |正式名称 = |画像 = <!-- 画像ファイル名 --> |画像サイズ = |画像説明 = <!-- 画像の説明文 --> |チェーン = |デベロッパー = |設計 = [[黒川紀章]] |施工 = |運営 = 株式会社四国道後館 |所有者 = |前身 = |敷地面積 = |建築面積 = |延べ床面積 = |最低階 = |最高階 = |最頂部 = |レストラン数 = |部屋数 = 90 |シングル数 = |ダブル数 = |ツイン数 = 8 |和室数 = 81 |スイート数 = |駐車場 = 60 |開業日 = [[1983年]]11月 |改装 = [[1989年]]9月 |閉業日 = |最寄駅 = [[伊予鉄道]][[道後温泉駅]] |最寄IC = [[松山インターチェンジ|松山IC]] |所在地郵便番号 = 790-0841 |所在地 = [[愛媛県]][[松山市]]道後多幸町7-26 | 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = | 経度度 = |経度分 = |経度秒 = |座標右上表示 = |HP = http://www.dogokan.co.jp/ |補足 = }} '''道後館'''(どうごかん)は、[[愛媛県]][[松山市]]道後多幸町([[道後温泉]])にある[[ホテル]]である。 ==概要== [[瀬戸内海汽船]]グループの四国道後館が運営している。 建物の風格のある特徴的なデザインの外観は、建築家の[[黒川紀章]]の設計によるもので、船をイメージしてデザインしたと言われている<ref name="ehime">[https://www.travel.co.jp/guide/article/40117/ 日本最古の道後温泉を引く老舗の高級宿「道後館」で贅沢な滞在を] - トラベルjp、2023年10月1日閲覧。</ref>。高台に位置しており、西側からは重要文化財であり、現存12天守のひとつでもある[[松山城]]を望むことが出来るのが特徴となっている<ref name="ehime"></ref>。 ==館内施設== ;1階 *ロビー *喫茶ラウンジ扇 *おみやげ処 丁字屋 *足湯 *カラオケラウンジ・カラオケボックス 瑠璃 ;2階 *大広間 千歳(宴会場・コンベンションスペース) *料亭街 小広間 *料亭「四季・花数寄」 *湯けむりの道 *休憩処 湯上がり茶屋 *大浴場 *エステサロン美人屋 ;3階 *茶室 儒安堂 *会議室 ==アクセス== *[[松山自動車道]][[松山インターチェンジ]]より車で約20分。 *[[伊予鉄道]][[道後温泉駅]]より徒歩で約6分。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==外部リンク== *[http://www.dogokan.co.jp/ 【公式】道後館] {{DEFAULTSORT:とうこかん}} [[Category:愛媛県のホテル]] [[Category:松山市の建築物]]
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桜町 (安城市)
桜町(さくらまち)は、愛知県安城市の地名。 安城市中央部に位置する。東は御幸本町・花ノ木町、西は横山町、北は大東町に接する。 市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。 国勢調査による人口および世帯数の推移。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "桜町(さくらまち)は、愛知県安城市の地名。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "安城市中央部に位置する。東は御幸本町・花ノ木町、西は横山町、北は大東町に接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国勢調査による人口および世帯数の推移。", "title": "歴史" } ]
桜町(さくらまち)は、愛知県安城市の地名。
{{Pathnav|日本|愛知県|安城市|'''桜町'''|hide=1|frame=1}} {{Infobox settlement | name = 桜町 | settlement_type = [[町丁]] | image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル ---> | imagesize = 270px | image_caption = <!--- 画像の説明 ---> | image_map = | map_caption = 桜町の位置 | pushpin_map = Japan Aichi | latd = 34 | latm = 57 | lats = 38.74 | latNS = N | longd = 137 | longm = 4 | longs = 44.11 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}} | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Anjo, Aichi.svg|border|25px]][[安城市]] | established_title1 = 町名制定 | established_date1 = | area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23212|title=愛知県安城市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-08-26}}</ref> | area_total_km2 = 0.365590399 | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在 | population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}} | population_total = 2620 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[郵便番号]] | postal_code = 446-0041<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232120&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県安城市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-08-26}}</ref> | area_code = 0566<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref> | registration_plate = [[愛知運輸支局|三河]] | footnotes = }} '''桜町'''(さくらまち)は、[[愛知県]][[安城市]]の地名。 == 地理 == 安城市中央部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}}。東は[[御幸本町 (安城市)|御幸本町]]・[[花ノ木町 (安城市)|花ノ木町]]、西は[[横山町 (安城市)|横山町]]、北は[[大東町 (安城市)|大東町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}}。 === 学区 === 市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB">{{Cite web|url=https://www.city.anjo.aichi.jp/manabu/gakko/kyoikushisetsu/gakku.html|title=小中学校区一覧(町別50音順)|author=安城市役所教育振興部学校教育課学事係|publisher=安城市|date=2022-04-07|accessdate=2023-10-01}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。 {| class="wikitable" !番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校 |- ||全域||[[安城市立桜町小学校]]||[[安城市立安城南中学校]]||[[愛知県の高校入試#三河学区|三河学区]] |} === 河川 === * 長田川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 花ノ木用水{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} == 歴史 == === 町名の由来 === === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。 {| class="wikitable" |- |1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|632世帯<br>1663人||<div style="width:63.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:166.3px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|794世帯<br>2178人||<div style="width:79.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:217.8px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|917世帯<br>2394人||<div style="width:91.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:239.4px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|985世帯<br>2551人||<div style="width:98.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:255.1px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|1024世帯<br>2590人||<div style="width:102.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:259px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|1084世帯<br>2620人||<div style="width:108.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:262px;height:10px;background:#9999ff"></div> |} === 沿革 === * 1960年(昭和35年) - 安城市安城町の一部により、同市桜町が成立{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=606}}。 == 交通 == * JR東海道本線{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * [[愛知県道岡崎刈谷線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} == 施設 == * 安城市役所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 市民会館{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 文化センター{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 商工会議所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * [[安城市立桜町小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 安城公園{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === WEB === {{Reflist|group="WEB"|refs=}} === 書籍 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}} == 関連項目 == * [[安城市の町名]] == 外部リンク == * {{commonscat-inline}} {{Geographic Location | Northwest<!--北西--> = | North<!--北--> = [[大東町 (安城市)|大東町]] | Northeast<!--北東--> = | West<!--西--> = [[横山町 (安城市)|横山町]] | Centre<!--中央--> = 桜町 | East<!--東--> = [[御幸本町 (安城市)|御幸本町]]・[[花ノ木町 (安城市)|花ノ木町]] | Southwest<!--南西--> = | South<!--南--> = | Southeast<!--南東--> = }} {{安城市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=愛知県}} {{デフォルトソート:さくらまち}} [[Category:安城市の町名]] [[Category:1960年制定の町・字]]
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旧黒澤家住宅 (群馬県)
旧黒澤家住宅(きゅうくろさわけじゅうたく)は、群馬県多野郡上野村にある古民家である。1970年(昭和45年)6月17日、国の重要文化財に指定された。1979年(昭和54年)から上野村所有。 黒澤家は桓武平氏の流れをくむと伝え、黒澤左馬助重時は弘治2年(1556年)ごろに北条氏の家臣として下野皆川城主であったという。北条氏滅亡後に現在の地に移住し、江戸時代には上野村から万場町までの地域の大総代(大庄屋に相当)を務めた。 旧黒澤家住宅の建築年代に関する記録はないが、前身建物が約200年前ごろに火災で焼失し、その後建てられたという伝承があり、建築様式からみて19世紀中頃の建築と推定される。 旧黒澤家住宅は、1階床上に13室を有し、「トボーグチ」「ムラゲンカン」「式台」という3つの玄関を南面に設けるなど、通常の農家建築とは異なる特徴を有する。 東第2間、軒桁より1間奥まった位置にある潜り戸のついた幅1間の片開きの大戸が「トボーグチ」で、家族や近所の住人が利用する玄関であった。「トボーグチ」を入ると東西3間南北3間の土間「ダイドコロ」となっており、建物規模の割に土間が狭い点も通常の農家と異なる。「ダイドコロ」北西角には径1.15尺(約35センチ)の大黒柱が位置し、直接棟木を支持している。「ダイドコロ」北の床上は、東西3間南北2間の「オカッテ」となっており、中央に囲炉裏を備える。「オカッテ」北は東西2間半南北2間の「ヒロシキ」となる。 東第4・5間に東西2間南北1間半の広さで設けられているのが「ムラゲンカン」で、村役人などが出入りした。「ムラゲンカン」から入ると東西3間半南北4間半(畳31枚分)に及ぶ最大の部屋「チャノマ」があり、東側は「ダイドコロ」と「オカッテ」に接続している。「チャノマ」北寄りに囲炉裏があり、「チャノマ」北側2間は吹き抜けとなっており、北東に2階への階段がある。吹き抜け部西側の鴨居上には高さ2メートルに達する豪華な神棚が設けられている。「チャノマ」南、「ムラゲンカン」西は南北1間半東西1間半の「化粧ベヤ」となっており「チャノマ」から接続する。「チャノマ」北側は東を東西1間半南北2間の「ナンド」(昭和55・56年の修理以前は「ミソベヤ」となっていた)、西を東西2間南北2間の「キャクマ」とする。 「化粧ベヤ」の西が東西2間南北1間の、第三の玄関「式台」で、代官などが駕籠を乗付けるために低い位置に床板が張られている。「式台」北は東西2間南北2間で北側に幅半間の床を備えた「オシラス」と称する部屋である。「オシラス」北は東西2間南北2間半の「女ベヤ」で、東の「チャノマ」と接続する。「女ベヤ」の北が東西2間南北2間で床・平書院を備えた「主人ベヤ」で、「女ベヤ」と「キャクマ」に接続する。 「オシラス」「女ベヤ」の西は幅半間の廊下となっており、「休息の間」「中の間」「中段の間」に接続する。 「休息の間」「中の間」「中段の間」「上段の間」は南北2間東西2間の座敷を南北に4室続き間としもので、最も北の「上段の間」は床・違い棚・平書院を備え、「中段の間」との境の欄間には透かし彫りの彫刻を施す。 4室の西は幅半間の廊下で、北の突き当たりは下屋の便所につながる。また下屋の東側の便所には、「主人ベヤ」と「キャクマ」から北に張り出した廊下を介して連絡する。 「休息の間」「中の間」「中段の間」「上段の間」「主人ベヤ」は竿縁天井となっている。 2階は吹き抜け部と続き間の上方を除き広い板の間となっていて、南側に窓を並べて養蚕のための空間となっている。
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旧黒澤家住宅(きゅうくろさわけじゅうたく)は、群馬県多野郡上野村にある古民家である。1970年(昭和45年)6月17日、国の重要文化財に指定された。1979年(昭和54年)から上野村所有。
{{日本の民家 | 名称 = 旧黒澤家住宅 | 画像 = File:Kurosawa Old Private House Main building.jpg | 所在地 = 群馬県多野郡上野村楢原甲200 | 位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|36|5|13.6|N|138|44|9.5|E|region:JP-10_scale:10000|display=inline,title}} | 類型 = 庄屋宅 | 形式・構造 = 木造二階建、切妻造、板葺石置屋根 | 敷地面積 = | 延床面積 = | 建築年 = 19世紀中期 | 文化財 = 国の重要文化財 }}'''旧黒澤家住宅'''(きゅうくろさわけじゅうたく)は、[[群馬県]][[多野郡]][[上野村]]にある[[古民家]]である。[[1970年]]([[昭和]]45年)6月17日、国の[[重要文化財]]に指定された{{Sfn|村田|2002|pp=107-109}}。[[1979年]](昭和54年)から上野村所有{{Sfn|財団法人文化財建造物保存技術協会|1982|p=5}}。 == 概要 == 黒澤家は[[桓武平氏]]の流れをくむと伝え、黒澤左馬助重時は[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])ごろに[[後北条氏|北条氏]]の家臣として[[下野国|下野]][[皆川城]]主であったという{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。北条氏滅亡後に現在の地に移住し、[[江戸時代]]には上野村から[[万場町]]までの地域の大総代(大[[庄屋]]に相当)を務めた{{Sfn|村田|2002|pp=107-109}}{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。 旧黒澤家住宅の建築年代に関する記録はないが、前身建物が約200年前ごろに火災で焼失し、その後建てられたという伝承があり、建築様式からみて[[19世紀]]中頃の建築と推定される{{Sfn|財団法人文化財建造物保存技術協会|1982|p=1}}。 == 構造 == === 形式・規模{{Sfn|財団法人文化財建造物保存技術協会|1982|pp=1-2}} === * 形式 木造二階建、[[切妻造]]、板葺石置屋根 * 桁行 11間半(21.803メートル) * 梁間 8間半(15.940メートル) * 軒高 5.0メートル * 棟高 8.7メートル * 建築面積 348.458平方メートル === 間取り{{Sfn|財団法人文化財建造物保存技術協会|1982|pp=18-23}} === 旧黒澤家住宅は、1階床上に13室を有し、「トボーグチ」「ムラゲンカン」「式台」という3つの玄関を南面に設けるなど、通常の[[農家]]建築とは異なる特徴を有する{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。 東第2間、軒桁より1間奥まった位置にある[[潜り戸]]のついた幅1間の片開きの大戸が「トボーグチ」で、家族や近所の住人が利用する玄関であった{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「トボーグチ」を入ると東西3間南北3間の[[土間]]「ダイドコロ」となっており、建物規模の割に土間が狭い点も通常の農家と異なる{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「ダイドコロ」北西角には径1.15尺(約35センチ)の大黒柱が位置し、直接棟木を支持している{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「ダイドコロ」北の床上は、東西3間南北2間の「オカッテ」となっており、中央に[[囲炉裏]]を備える。「オカッテ」北は東西2間半南北2間の「ヒロシキ」となる。 東第4・5間に東西2間南北1間半の広さで設けられているのが「ムラゲンカン」で、[[村役人]]などが出入りした{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「ムラゲンカン」から入ると東西3間半南北4間半([[畳]]31枚分)に及ぶ最大の部屋「チャノマ」があり、東側は「ダイドコロ」と「オカッテ」に接続している。「チャノマ」北寄りに囲炉裏があり、「チャノマ」北側2間は吹き抜けとなっており、北東に2階への階段がある。吹き抜け部西側の[[鴨居]]上には高さ2メートルに達する豪華な[[神棚]]が設けられている{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「チャノマ」南、「ムラゲンカン」西は南北1間半東西1間半の「化粧ベヤ」となっており「チャノマ」から接続する。「チャノマ」北側は東を東西1間半南北2間の「[[納戸|ナンド]]」(昭和55・56年の修理以前は「ミソベヤ」となっていた)、西を東西2間南北2間の「キャクマ」とする。 「化粧ベヤ」の西が東西2間南北1間の、第三の玄関「式台」で、[[代官]]などが[[駕籠]]を乗付けるために低い位置に床板が張られている{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。「式台」北は東西2間南北2間で北側に幅半間の[[床の間|床]]を備えた「[[お白洲|オシラス]]」と称する部屋である。「オシラス」北は東西2間南北2間半の「女ベヤ」で、東の「チャノマ」と接続する。「女ベヤ」の北が東西2間南北2間で床・[[書院造|平書院]]を備えた「主人ベヤ」で、「女ベヤ」と「キャクマ」に接続する。 「オシラス」「女ベヤ」の西は幅半間の廊下となっており、「休息の間」「中の間」「中段の間」に接続する。 「休息の間」「中の間」「中段の間」「上段の間」は南北2間東西2間の[[座敷]]を南北に4室続き間としもので、最も北の「上段の間」は床・違い棚・平書院を備え、「中段の間」との境の[[欄間]]には透かし彫りの彫刻を施す{{Sfn|村田|2002|pp=107-109}}{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。 4室の西は幅半間の廊下で、北の突き当たりは下屋の便所につながる。また下屋の東側の便所には、「主人ベヤ」と「キャクマ」から北に張り出した廊下を介して連絡する。 「休息の間」「中の間」「中段の間」「上段の間」「主人ベヤ」は竿縁天井となっている{{Sfn|財団法人文化財建造物保存技術協会|1982|p=2}}。 2階は吹き抜け部と続き間の上方を除き広い板の間となっていて、南側に窓を並べて[[養蚕業|養蚕]]のための空間となっている{{Sfn|群馬県文化財研究会|2008|pp=97-100}}。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書 |title=群馬県の民家 |date=1971-3-25 |year=1971 |publisher=群馬県教育委員会 |editor=群馬県教育委員会}} *{{Cite book|和書 |title=上州の重要民家をたずねる(西毛編) |date=2008-11-11 |year=2008 |publisher=あさを社 |pages=97-100 |editor=群馬県文化財研究会 |isbn=978-4-87024-480-1}} *{{Cite book|和書 |title=重要文化財 黒澤家住宅修理工事報告書 |date=1982-3-31 |year=1982 |publisher=群馬県上野村 |editor=財団法人文化財建造物保存技術協会}} *{{Cite book|和書 |title=群馬の古建築ー寺社建築・民家・近代化遺産・その他ー |date=2002-7-10 |year=2002 |publisher=みやま文庫 |pages=107-109 |last=村田 |author=村田敬一 |first=敬一}} {{DEFAULTSORT:きゆうくろさわけしゆうたく}} [[Category:群馬県の民家]] [[Category:群馬県の重要文化財]] [[Category:重要文化財 (建造物)]] [[Category:江戸時代の建築]] [[Category:19世紀の建築物]]
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1924年パリオリンピックの飛込競技
1924年パリオリンピックの飛込競技では、5種目が行われた。1924年7月14日から7月20日まで行われた。 14の国から71人(男子45人、女子26人)が参加した。男子は13の国、女子は9の国から参加した。
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1924年パリオリンピックの飛込競技では、5種目が行われた。1924年7月14日から7月20日まで行われた。
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岸田寿夫
岸田 寿夫(きしだ としお、1917年8月15日 - 2007年12月8日)は、日本の経営者。大同特殊鋼社長を務めた。 滋賀県出身。1945年に東京帝国大学第二工学部冶金学科を卒業し、1946年に大同製鋼(のちの大同特殊鋼)に入社。1975年2月に取締役に就任し、1980年9月に常務、1982年9月に専務を経て、1984年9月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1992年6月に取締役相談役に就任し、1994年6月に相談役に就任。 1993年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2007年12月8日に心不全のために死去。90歳没。
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病気の病原体説
病気の病原体説(びょうきのびょうげんたいせつ、英: germ theory of disease)は、多くの病気について、現在受け入れられている科学的理論である。これは、「病原体(pathogens)」あるいは「病原菌(germs)」として知られる微生物が、病気を引き起こす可能性があるとする。こうした小さな生物は、拡大しなければ見えないほど小さいが、人間、他の動物、その他の生きている宿主に侵入する。それらは宿主の中で成長し、増殖することで病気を引き起こすことがある。「病原体」という用語は、細菌だけでなく、原生生物や真菌類などのあらゆる種類の微生物、あるいはウイルス、プリオン、ウイロイドなど、病気を引き起こす非生存病原体も指す。病原体によって引き起こされる病気は感染症(infectious diseases)と呼ばれる。病原体が病気の主な原因である場合でも、環境因子や遺伝的因子が、病気の重症度や、宿主となる個体が病原体に暴露されたときに感染するかどうかに影響することが多い。病原体とは病気の媒介物質のことで、ヒトや動物を問わず、ある個体から別の個体へ感染する可能性がある。感染症は、病原微生物(ウイルス、細菌、真菌類)や寄生生物などの生物学的病原体によって引き起こされる。 病原体説の基本的な形式は、1546年にジローラモ・フラカストロ(Girolamo Fracastoro、1476/8年頃-1553)によって提案され、1762年にマルクス・アントニウス・プレンツィス(英語版)(Marcus Antonius von Plenciz、1705-1786)によって拡張された。しかし、このような見解はヨーロッパでは軽蔑され、ガレノス(Galen, or Aelius Galenus, or Claudius Galenus、西暦129-216年頃)の瘴気説が科学者や医師の間で支配的であった。 19世紀初頭までに、天然痘の予防接種はヨーロッパでは一般的なものとなったが、医師たちはそれが機能する仕組みも、その原理を他の病気に応用する方法も知らなかった。1850年代後半に、ルイ・パスツールの研究によって過度期が始まった。この研究はその後、1880年代にロベルト・コッホによって拡張された。その10年間の終わりには、瘴気説は病原体説に対抗するために尽力していた。1890年代に、ウイルスが発見された。やがて細菌学の「黄金時代」が訪れ、病原体説は、多くの病気の原因となる実際の生物の特定へと急速につながった。 瘴気説(しょうきせつ、miasma theory)は、19世紀末に病原体説が主流になるまでは、感染症伝播に対する有力な理論であったが、現在では、病気の正しい説明として科学界に受け入れられていない。これは、コレラ、クラミジア感染症、黒死病などの病気は、腐敗した有機物から発生する有害な「悪い空気」である瘴気(古希: μίασμα、pollution(汚染)の意)によって引き起こされるとした。瘴気とは、腐敗した物質の粒子(miasmata)が満ちた有毒な蒸気や霧のことで、悪臭を放つことで識別できると考えられていた。この理論では、病気は汚染された水、汚れた空気、劣悪な衛生状態といった環境要因の産物であると仮定した。理論によれば、こうした感染症は個人間で伝染するのではなく、そのような気体が発生する地域内の人々に影響を及ぼすという。 ヘブライ語聖書の最初の5巻に含まれるモーセの律法には、病気の蔓延における伝染病に関する最も古い考察が記録されており、古典的な医学の伝統やヒポクラテスの著作とは対照的であった。具体的には、ハンセン病と性病に関する隔離と洗浄に関する指示を記している。 古代、ギリシャの歴史家トゥキュディデス(紀元前460年頃 - 紀元前400年頃)は、アテネの疫病(英語版)についての記述の中で、感染者から他の人に病気が広がる可能性があることを初めて記した。 直接接触によって感染するのではない伝染病の伝播に関する説の一つに、空気中に存在し飛散する胞子のような「種子」(英: seeds、ラテン語:semina)によって伝播するというものがあった。ローマの詩人ルクレティウス(Lucretius、紀元前99年頃 - 紀元前55年頃)は、その詩『事物の本性について(英語版)(De rerum natura)』(紀元前56年頃)の中で、世界にはさまざまな「種子」が存在し、その中には吸入または摂取すると病気になるものもあると述べている。 ローマの政治家マルクス・テレンティウス・ウァッロ(Marcus Terentius Varro、紀元前116 - 27年)は、『農業論3巻(Rerum rusticarum libri III)』(紀元前36年)の中で次のように書いている。『なぜなら、そこには目には見えないが、空気中に浮遊して口や鼻から体内に侵入し、重篤な病気を引き起こす、ある種の微細な生物が繁殖しているからである』。 ギリシャの医師ガレノス(西暦129-200/216年頃)は、著書『初期原因について(On Initial Causes)』(西暦175年頃)の中で、患者の中には「熱病の種子」を持っている者がいるかもしれないと推測した。彼は著書『さまざまな種類の熱病について(On the Different Types of Fever)』(西暦175年頃)の中で、疫病は空気中に存在する「ある種の疫病の種子」によって広まると推測した。また、ガレノスは、著書『疫学(Epidemics)』(西暦176-178年頃)の中で、患者が発熱から回復する過程で再発することがあるのは、患者の体内に何らかの「病気の種子」が潜んでいるからであり、患者が医師の治療計画に従わなければ、病気が再発するだろうと説明した。 接触伝染説の基本的な形は、中世イスラム世界の医学(英語版)にまでさかのぼる。この理論は、ペルシャの医師(英語版)イブン・スィーナー(Ibn Sina、980-1037、欧州ではアヴィセンナ(Avicenna)として知られる)が『医学典範(The Canon of Medicine)』(1025年)の中で提唱したもので、後の16世紀まで欧州で最も権威ある医学書となった。イブン・スィーナーは、『El-Kanun(エル・カヌン)』第4巻で流行病について論じ、古典的な瘴気説を概説し、彼自身の初期の接触伝染説との融合を試みた。彼は、人が呼吸によって他人に病気を伝染させる可能性があることに言及し、結核の伝染について指摘し、水や排泄物を介した病気の伝染について論じた。 目に見えない伝染病の概念は、その後、アイユーブ朝サルタン国時代のイスラム学者によって議論され、彼らはそれらをナジャサット(英語版)(najasat、不浄な物質)と呼んだ。イスラム法学者のイブン・アル=ハジ・アル=アブダリ(英語版)(Ibn al-Hajj al-Abdari、1250年頃-1336年)は、イスラムの食事(英語版)と衛生 (en:英語版) について論じる中で、病原体が水、食物、衣服を汚染し、水道を介して広がる可能性について警告しており、あるいは、病原体が目に見えない粒子であることを示唆していた可能性がある。 中世初期には、セビリャのイシドールス(Isidorus Hispalensis、560頃-636)が、著書『自然について(On the Nature of Things)』(西暦613年頃)の中で『疫病を媒介する種子(pestifera semina)』について言及した。その後、1345年、イタリア、ボローニャのトンマーゾ・デル・ガルボ(英語版)(Tommaso del Garbo、1305頃-1370年)は、著書『ガレノスの書物に関する有用な注釈(Commentaria non-parum utilia in libros Galeni)』の中で、ガレノスの『疫病の種子』について言及した。 1546年、イタリアの医師ジローラモ・フラカストロは、伝染病の性質、主要な病原体の分類、およびこれらの症状の予防と治療に関する理論を網羅した3巻からなる本『病原体と接触伝染病について(De Contagione et Contagiosis Morbis)』を出版した。フラカストロは、感染した宿主との直接接触、媒介物(英語版)による間接接触、または空気中の粒子を介して伝播する『病気の種子』のせいだと主張した。 1668年、イタリアの医師フランチェスコ・レディ(Francesco Redi、1626-1697)は、無生物から生物が発生するという自然発生説を否定する実験的証拠を発表した。彼は、ウジはむき出しになった腐った肉からしか発生しないことを観察した。肉をガーゼで覆った瓶に入れておくと、ウジはガーゼの表面に現れた。これは後に、腐った肉の臭いが網目を通り抜け、卵を産むハエを引き寄せるのだと理解された。 微生物が初めて直接観察されたのは、1670年代と言われている。アントニ・ファン・レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek、1632-1723)は、微生物学の初期の先駆者であり、「微生物学の父」と呼ばれている。レーウェンフックは、顕微鏡を使用して細菌(1674年)、酵母細胞、一滴の水に生息する生命(藻類など)、毛細血管内を循環する血球を初めて観察し、記述したと言われている。「細菌(bacteria)」という言葉はまだ存在しなかったので、彼はこれらの微細な生命体を「小さな動物」という意味の「微小動物(英語版)(animalcules)」と呼んだ。彼は、雨水、池の水、井戸水、人間の口や腸など、さまざまな出所から、これらの「非常に小さな微小動物」を分離することができた。 しかし、ドイツのイエズス会司祭で学者でもあったアタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher、1602-1680)は、それ以前に、このような微生物を観察していたかもしれない。1646年に書かれた彼の著書のひとつには『顕微鏡で見た自然界のあらゆるものの素晴らしい構造について』という章があり、『酢や牛乳が無数のミミズで溢れているなど誰が信じるだろうか』と書かれている。キルヒャーは、腐敗した死体、肉、乳、分泌物などに見られる不可視の微生物を「寄生虫(worms)」と定義した。顕微鏡を用いた研究によって、病気や腐敗(分解)は目に見えない生命体の存在によって引き起こされるという、おそらく彼が初めて抱く信念につながった。1646年、キルヒャーは、「発熱患者の血液中から多くのものを発見することができた」と記した。1656年、腺ペストがローマを襲った(英語版)とき、キルヒャーはペスト犠牲者の血液を顕微鏡で観察した。彼は、血液中に「小さな寄生虫」あるいは「微小動物」が存在することに注目し、この病気は微生物によって引き起こされたと結論づけた。彼は、感染症を微視的病原体に起因するものとした最初の人であり、創案した病原体説を著書『疫病と呼ばれる伝染病の物理医学的な考察(英語版)(Scrutinium Physico-Medicum)』(ローマ、1658年)で概説した。病気は微生物によって引き起こされるというキルヒャーの結論は正しかったが、彼が顕微鏡で見たものは実際には赤血球か白血球であり、病原菌であるペスト菌そのものではなかったと推定されている。キルヒャーはまた、隔離、検疫、感染者の着衣の焼却、病原体の吸入を防ぐフェイスマスクの着用など、病気の蔓延を防ぐための衛生対策も提案した。生物が血液の中に侵入し、存在することを最初に提唱したのはキルヒャーであった。 1700年、フランスの医師ニコラス・アンドリー(英語版)(Nicolas Andry、1658-1742)は、彼が「ワーム(worms)」と呼ぶ微生物が、天然痘やその他の病気の原因であると主張した。 1720年、イギリスの植物学者リチャード・ブラッドリー(英語版)(Richard Bradley、1688-1732)は、疫病とすべての流行性ジステンパーは、顕微鏡を使わなければ観察することができない生き物である「毒虫(poisonous insects)」によって引き起こされると理論化した。 1762年、オーストリアの医師マルクス・アントニウス・プレンツィス(英語版)が『Opera medico-physica』という本を出版した。その中で、土壌や空気中にいる特定の微小動物が、特定の病気を引き起こす原因となるという伝染病理論を概説した。プレンツィスは、流行性と伝染病を合わせ持つ病気(はしかや赤痢のような)と、伝染性はあるが流行性はない病気(狂犬病やハンセン病のような)の差異に着目した。本書はアントニ・ファン・レーウェンフックの言葉を引用して、このような微小動物がいかに偏在しているかを示し、潰瘍性創傷に病原体が存在することを記述した点で他に類を見ないものであった。結局、プレンシスの理論は科学界には受け入れられなかった。 19世紀初頭、イタリアの昆虫学者アゴスティーノ・バッシー(Agostino Bassi、1773-1856)は、絹生産の崩壊に対する経済的懸念を受け、カイコの幼虫にカビの白斑ができることからフランス語で硬化病(英語版)(muscardine、白いボンボンの一種)、イタリア語でカルチナッチョ(calcinaccio、瓦礫)またはマル・デル・セーニョ(mal del segno、悪い兆候)と呼ばれるカイコの病気を研究した。1835年から1836年にかけて、バッシーは真菌の胞子が個体間で病気を媒介するという研究結果を発表した。病気にかかった幼虫を迅速に除去し、養殖場の表面を消毒することを推奨したバッシーは、現代の予防医療に用いられている方法の概略を示した。イタリアの博物学者ジュゼッペ・ガブリエル・バルサモ=クリヴェリは、原因真菌の名前をバッシーに献名し、現在は白きょう病菌(英語版)(Beauveria bassiana)に分類されている。 1838年、フランスの熱帯医学専門家ルイ=ダニエル・ボーペルテュイ(英語版)(Louis-Daniel Beauperthuy、1808-1871)は、病気に関する顕微鏡検査の先駆者であり、すべての感染症は「微小動物」の寄生感染によるものであるという独自の理論を展開した。彼は友人のアデル・ド・ロッサヴィル(M. Adele de Rosseville)の協力を得て、自らの理論をパリのフランス科学アカデミーで正式に発表した。1853年までに、彼は、マラリアと黄熱病は蚊によって媒介されると確信していた。彼は黄熱病を媒介する特定の蚊のグループを、実際の媒介蚊であるネッタイシマカ(Aedes aegypti)と同定できる、「striped-legged mosquito」の国内種とまで特定した。1854年、彼は自身の理論を、「クマナ官報(Gaceta Oficial de Cumana)」に発表した。彼の報告は公的委員会によって評価されたが、彼の理論は破棄された。 1847年、オーストリアのウィーン総合病院(英語版)(Allgemeines Krankenhaus)に勤務していたハンガリーの産科医イグナーツ・センメルヴェイス(Ignaz Semmelweis、1818-1865)は、医師や医学生が介助した出産後の分娩後感染症(英語版)(産褥熱、さんじょくねつ)による妊産婦死亡率が劇的に高いことに気づいた。しかし、助産師が立ち会った場合は比較的安全であった。さらに調査を進めたセンメルヴェイスは、産褥熱と医師による産婦の診察との間に関連性を見い出し、これらの医師が通常、剖検(検死のこと)から直接来ていることにも気づいた。センメルヴェイスは、産褥熱は接触伝染病(英語版)であり、その発症には剖検で出た物質が関与していると主張し、医師らに妊婦を診察する前に塩素化石灰水で手を洗うことを強制させた。彼は、その後の死亡率が、1年間で18%から2.2%へと急激に減少したことを記録した。この証拠にもかかわらず、彼と彼の理論は、当時の医学界のほとんどから否定(英語版)された。 恐竜の化石(英語版)を発見したことで著名なサセックス州の医師ギデオン・マンテル(Gideon Mantell、1790-1852)は、顕微鏡とともに多くの時間を過ごし、著書『微小動物についての考察(Thoughts on Animalcules)』(1850年)の中で、おそらく「人類を苦しめる最も深刻な病気の多くは、目に見えない微小動物の特異な状態によって生じる」と推測した。 イギリスの医師ジョン・スノウ(John Snow、1813-1858)は、1854年のブロード・ストリートで大流行したコレラ(英語版)の研究により、「近代疫学の祖」と見なされている人物である。スノウは、イタリアの解剖学者ジョバンニ・マリア・ランチージ(英語版)(1654-1720、Giovanni Maria Lancisi)が18世紀初頭に書いた、沼地の瘴気がマラリアを蔓延させると主張する著作を批判し、腐敗した生物による悪気がすべての症例に存在するわけではないと反論した。スノウは、1849年に出版した小冊子『コレラの伝染様式(On the Mode of Communication of Cholera)』の中で、コレラは糞口経路で広がり、人間の下部消化管で複製されると提案した。 1855年に出版された同書の第2版で、スノウは、コレラはヒトの上皮細胞よりも小さな細胞によって引き起こされると理論化し、ロベルト・コッホが1884年に細菌種ビブリオ・コレラ(Vibrio cholerae)が原因菌であることを確認するに至った。生物学的起源に着目したスノウは、水の沸騰とろ過を推奨し、現代の水道水の煮沸勧告(英語版)の先例を作った。 スノウは、テムズ川から下水で汚染された水を供給していたサザーク・アンド・ヴォクソール水道会社(英語版)に関連する特定の給水ポンプとコレラ患者を結びつける統計分析を通じて、この水道会社から水を供給されていた地域では、上流のシージング・ウェルズ(英語版)からより清潔な水を引いていたランベス水道会社(英語版)のポンプを使用していた地域の14倍の死者が出ていたことを示した。スノウは、セント・ジェームズ教区(英語版)の保護委員会を説得して、汚染されたポンプのハンドルを撤去させたことで賞賛を受けたが、彼は、おびえた住民がこの地域から非難したため、感染者はすでに減少していたと指摘した。 19世紀半ば、フランスの微生物学者ルイ・パスツール(Louis Pasteur、1822-1895)は、女性生殖器をホウ酸で処理することで、粘膜の損傷を避けながら、産褥熱(英語版)の原因となる微生物を死滅させられることを示した。 パスツールは、レディの研究を基に、栄養寒天(英語版)を入れたスワンネック‐フラスコ(英語版)を作り、自然発生説を反証した。フラスコの内容物が発酵するのは、湾曲した首を外して外気と直接接触しているときだけであることから、パスツールは、細菌が環境にコロニー形成するには伝染部位間を移動しなければならないことを証明した。 パスツールは、バッシーと同様に、カイコに褐色の斑点を生じさせる病気である微粒子病(pébrine)について研究し、病原体理論の研究を発展させた。1857年にスイスの植物学者カール・ネーゲリが微粒子病原体 Nosema bombycis を発見したことを受け、パスツールはこの発見を応用し、換気の改善や、疾病監視(英語版)の初期形態である原蚕種のスクリーニングを推奨した。 1884年、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホ(Robert Koch、1843-1910)は、特定の微生物と病気との因果関係を立証するための4つの判定基準を発表した。現在これはコッホの原則として知られている。 コッホは生前、この原則が普遍的に適用できるわけではないことを認識していた。たとえば、コレラの無症候性保菌者は第1の原則に反する。同じ理由で、第3の原則には「必ず」ではなく「すべきである」と明記している。なぜなら、病原体に対する過去の曝露の違いにより、ある病原体に暴露されたすべての宿主生物が感染するとは限らないからである。さらに、ウイルスは偏性細胞内寄生体であるため、純粋培養で増殖させることはできず、第2の仮説を満たすことは不可能でなる。同様に、プリオンとして知られる病原体のミスフォールドタンパク質は、自己複製するのではなく、他のタンパク質にその構造を伝達することによってのみ伝播する。 コッホの原則は、相関関係は因果関係を含意しないことを強調するという点で、歴史的重要性を持ち続けているが、多くの病原体は原則の基準をすべて満たさなくても、特定の疾患の原因物質として受け入れられている。1988年、アメリカの微生物学者スタンリー・ファルコー(英語版)(Stanley Falkow、1934-2018)は、コッホの原則の分子版(英語版)を発表し、微生物遺伝子と病原性因子との相関関係を確立した。 細菌の発酵に関するパスツールの論文を読んだイギリスの外科医ジョセフ・リスター(Joseph Lister、1827-1912)は、骨が皮膚を突き破る開放骨折は、環境微生物にさらされるため感染しやすいことに気づいた。彼は、フェノール(石炭酸)が効果的な消毒薬として、負傷部位に塗布できることを発見した。
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"19世紀初頭までに、天然痘の予防接種はヨーロッパでは一般的なものとなったが、医師たちはそれが機能する仕組みも、その原理を他の病気に応用する方法も知らなかった。1850年代後半に、ルイ・パスツールの研究によって過度期が始まった。この研究はその後、1880年代にロベルト・コッホによって拡張された。その10年間の終わりには、瘴気説は病原体説に対抗するために尽力していた。1890年代に、ウイルスが発見された。やがて細菌学の「黄金時代」が訪れ、病原体説は、多くの病気の原因となる実際の生物の特定へと急速につながった。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "瘴気説(しょうきせつ、miasma theory)は、19世紀末に病原体説が主流になるまでは、感染症伝播に対する有力な理論であったが、現在では、病気の正しい説明として科学界に受け入れられていない。これは、コレラ、クラミジア感染症、黒死病などの病気は、腐敗した有機物から発生する有害な「悪い空気」である瘴気(古希: μίασμα、pollution(汚染)の意)によって引き起こされるとした。瘴気とは、腐敗した物質の粒子(miasmata)が満ちた有毒な蒸気や霧のことで、悪臭を放つことで識別できると考えられていた。この理論では、病気は汚染された水、汚れた空気、劣悪な衛生状態といった環境要因の産物であると仮定した。理論によれば、こうした感染症は個人間で伝染するのではなく、そのような気体が発生する地域内の人々に影響を及ぼすという。", "title": "瘴気説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ヘブライ語聖書の最初の5巻に含まれるモーセの律法には、病気の蔓延における伝染病に関する最も古い考察が記録されており、古典的な医学の伝統やヒポクラテスの著作とは対照的であった。具体的には、ハンセン病と性病に関する隔離と洗浄に関する指示を記している。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "古代、ギリシャの歴史家トゥキュディデス(紀元前460年頃 - 紀元前400年頃)は、アテネの疫病(英語版)についての記述の中で、感染者から他の人に病気が広がる可能性があることを初めて記した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "直接接触によって感染するのではない伝染病の伝播に関する説の一つに、空気中に存在し飛散する胞子のような「種子」(英: seeds、ラテン語:semina)によって伝播するというものがあった。ローマの詩人ルクレティウス(Lucretius、紀元前99年頃 - 紀元前55年頃)は、その詩『事物の本性について(英語版)(De rerum natura)』(紀元前56年頃)の中で、世界にはさまざまな「種子」が存在し、その中には吸入または摂取すると病気になるものもあると述べている。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ローマの政治家マルクス・テレンティウス・ウァッロ(Marcus Terentius Varro、紀元前116 - 27年)は、『農業論3巻(Rerum rusticarum libri III)』(紀元前36年)の中で次のように書いている。『なぜなら、そこには目には見えないが、空気中に浮遊して口や鼻から体内に侵入し、重篤な病気を引き起こす、ある種の微細な生物が繁殖しているからである』。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ギリシャの医師ガレノス(西暦129-200/216年頃)は、著書『初期原因について(On Initial Causes)』(西暦175年頃)の中で、患者の中には「熱病の種子」を持っている者がいるかもしれないと推測した。彼は著書『さまざまな種類の熱病について(On the Different Types of Fever)』(西暦175年頃)の中で、疫病は空気中に存在する「ある種の疫病の種子」によって広まると推測した。また、ガレノスは、著書『疫学(Epidemics)』(西暦176-178年頃)の中で、患者が発熱から回復する過程で再発することがあるのは、患者の体内に何らかの「病気の種子」が潜んでいるからであり、患者が医師の治療計画に従わなければ、病気が再発するだろうと説明した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "接触伝染説の基本的な形は、中世イスラム世界の医学(英語版)にまでさかのぼる。この理論は、ペルシャの医師(英語版)イブン・スィーナー(Ibn Sina、980-1037、欧州ではアヴィセンナ(Avicenna)として知られる)が『医学典範(The Canon of Medicine)』(1025年)の中で提唱したもので、後の16世紀まで欧州で最も権威ある医学書となった。イブン・スィーナーは、『El-Kanun(エル・カヌン)』第4巻で流行病について論じ、古典的な瘴気説を概説し、彼自身の初期の接触伝染説との融合を試みた。彼は、人が呼吸によって他人に病気を伝染させる可能性があることに言及し、結核の伝染について指摘し、水や排泄物を介した病気の伝染について論じた。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "目に見えない伝染病の概念は、その後、アイユーブ朝サルタン国時代のイスラム学者によって議論され、彼らはそれらをナジャサット(英語版)(najasat、不浄な物質)と呼んだ。イスラム法学者のイブン・アル=ハジ・アル=アブダリ(英語版)(Ibn al-Hajj al-Abdari、1250年頃-1336年)は、イスラムの食事(英語版)と衛生 (en:英語版) について論じる中で、病原体が水、食物、衣服を汚染し、水道を介して広がる可能性について警告しており、あるいは、病原体が目に見えない粒子であることを示唆していた可能性がある。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "中世初期には、セビリャのイシドールス(Isidorus Hispalensis、560頃-636)が、著書『自然について(On the Nature of Things)』(西暦613年頃)の中で『疫病を媒介する種子(pestifera semina)』について言及した。その後、1345年、イタリア、ボローニャのトンマーゾ・デル・ガルボ(英語版)(Tommaso del Garbo、1305頃-1370年)は、著書『ガレノスの書物に関する有用な注釈(Commentaria non-parum utilia in libros Galeni)』の中で、ガレノスの『疫病の種子』について言及した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1546年、イタリアの医師ジローラモ・フラカストロは、伝染病の性質、主要な病原体の分類、およびこれらの症状の予防と治療に関する理論を網羅した3巻からなる本『病原体と接触伝染病について(De Contagione et Contagiosis Morbis)』を出版した。フラカストロは、感染した宿主との直接接触、媒介物(英語版)による間接接触、または空気中の粒子を介して伝播する『病気の種子』のせいだと主張した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1668年、イタリアの医師フランチェスコ・レディ(Francesco Redi、1626-1697)は、無生物から生物が発生するという自然発生説を否定する実験的証拠を発表した。彼は、ウジはむき出しになった腐った肉からしか発生しないことを観察した。肉をガーゼで覆った瓶に入れておくと、ウジはガーゼの表面に現れた。これは後に、腐った肉の臭いが網目を通り抜け、卵を産むハエを引き寄せるのだと理解された。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "微生物が初めて直接観察されたのは、1670年代と言われている。アントニ・ファン・レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek、1632-1723)は、微生物学の初期の先駆者であり、「微生物学の父」と呼ばれている。レーウェンフックは、顕微鏡を使用して細菌(1674年)、酵母細胞、一滴の水に生息する生命(藻類など)、毛細血管内を循環する血球を初めて観察し、記述したと言われている。「細菌(bacteria)」という言葉はまだ存在しなかったので、彼はこれらの微細な生命体を「小さな動物」という意味の「微小動物(英語版)(animalcules)」と呼んだ。彼は、雨水、池の水、井戸水、人間の口や腸など、さまざまな出所から、これらの「非常に小さな微小動物」を分離することができた。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "しかし、ドイツのイエズス会司祭で学者でもあったアタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher、1602-1680)は、それ以前に、このような微生物を観察していたかもしれない。1646年に書かれた彼の著書のひとつには『顕微鏡で見た自然界のあらゆるものの素晴らしい構造について』という章があり、『酢や牛乳が無数のミミズで溢れているなど誰が信じるだろうか』と書かれている。キルヒャーは、腐敗した死体、肉、乳、分泌物などに見られる不可視の微生物を「寄生虫(worms)」と定義した。顕微鏡を用いた研究によって、病気や腐敗(分解)は目に見えない生命体の存在によって引き起こされるという、おそらく彼が初めて抱く信念につながった。1646年、キルヒャーは、「発熱患者の血液中から多くのものを発見することができた」と記した。1656年、腺ペストがローマを襲った(英語版)とき、キルヒャーはペスト犠牲者の血液を顕微鏡で観察した。彼は、血液中に「小さな寄生虫」あるいは「微小動物」が存在することに注目し、この病気は微生物によって引き起こされたと結論づけた。彼は、感染症を微視的病原体に起因するものとした最初の人であり、創案した病原体説を著書『疫病と呼ばれる伝染病の物理医学的な考察(英語版)(Scrutinium Physico-Medicum)』(ローマ、1658年)で概説した。病気は微生物によって引き起こされるというキルヒャーの結論は正しかったが、彼が顕微鏡で見たものは実際には赤血球か白血球であり、病原菌であるペスト菌そのものではなかったと推定されている。キルヒャーはまた、隔離、検疫、感染者の着衣の焼却、病原体の吸入を防ぐフェイスマスクの着用など、病気の蔓延を防ぐための衛生対策も提案した。生物が血液の中に侵入し、存在することを最初に提唱したのはキルヒャーであった。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1700年、フランスの医師ニコラス・アンドリー(英語版)(Nicolas Andry、1658-1742)は、彼が「ワーム(worms)」と呼ぶ微生物が、天然痘やその他の病気の原因であると主張した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1720年、イギリスの植物学者リチャード・ブラッドリー(英語版)(Richard Bradley、1688-1732)は、疫病とすべての流行性ジステンパーは、顕微鏡を使わなければ観察することができない生き物である「毒虫(poisonous insects)」によって引き起こされると理論化した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1762年、オーストリアの医師マルクス・アントニウス・プレンツィス(英語版)が『Opera medico-physica』という本を出版した。その中で、土壌や空気中にいる特定の微小動物が、特定の病気を引き起こす原因となるという伝染病理論を概説した。プレンツィスは、流行性と伝染病を合わせ持つ病気(はしかや赤痢のような)と、伝染性はあるが流行性はない病気(狂犬病やハンセン病のような)の差異に着目した。本書はアントニ・ファン・レーウェンフックの言葉を引用して、このような微小動物がいかに偏在しているかを示し、潰瘍性創傷に病原体が存在することを記述した点で他に類を見ないものであった。結局、プレンシスの理論は科学界には受け入れられなかった。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "19世紀初頭、イタリアの昆虫学者アゴスティーノ・バッシー(Agostino Bassi、1773-1856)は、絹生産の崩壊に対する経済的懸念を受け、カイコの幼虫にカビの白斑ができることからフランス語で硬化病(英語版)(muscardine、白いボンボンの一種)、イタリア語でカルチナッチョ(calcinaccio、瓦礫)またはマル・デル・セーニョ(mal del segno、悪い兆候)と呼ばれるカイコの病気を研究した。1835年から1836年にかけて、バッシーは真菌の胞子が個体間で病気を媒介するという研究結果を発表した。病気にかかった幼虫を迅速に除去し、養殖場の表面を消毒することを推奨したバッシーは、現代の予防医療に用いられている方法の概略を示した。イタリアの博物学者ジュゼッペ・ガブリエル・バルサモ=クリヴェリは、原因真菌の名前をバッシーに献名し、現在は白きょう病菌(英語版)(Beauveria bassiana)に分類されている。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1838年、フランスの熱帯医学専門家ルイ=ダニエル・ボーペルテュイ(英語版)(Louis-Daniel Beauperthuy、1808-1871)は、病気に関する顕微鏡検査の先駆者であり、すべての感染症は「微小動物」の寄生感染によるものであるという独自の理論を展開した。彼は友人のアデル・ド・ロッサヴィル(M. Adele de Rosseville)の協力を得て、自らの理論をパリのフランス科学アカデミーで正式に発表した。1853年までに、彼は、マラリアと黄熱病は蚊によって媒介されると確信していた。彼は黄熱病を媒介する特定の蚊のグループを、実際の媒介蚊であるネッタイシマカ(Aedes aegypti)と同定できる、「striped-legged mosquito」の国内種とまで特定した。1854年、彼は自身の理論を、「クマナ官報(Gaceta Oficial de Cumana)」に発表した。彼の報告は公的委員会によって評価されたが、彼の理論は破棄された。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1847年、オーストリアのウィーン総合病院(英語版)(Allgemeines Krankenhaus)に勤務していたハンガリーの産科医イグナーツ・センメルヴェイス(Ignaz Semmelweis、1818-1865)は、医師や医学生が介助した出産後の分娩後感染症(英語版)(産褥熱、さんじょくねつ)による妊産婦死亡率が劇的に高いことに気づいた。しかし、助産師が立ち会った場合は比較的安全であった。さらに調査を進めたセンメルヴェイスは、産褥熱と医師による産婦の診察との間に関連性を見い出し、これらの医師が通常、剖検(検死のこと)から直接来ていることにも気づいた。センメルヴェイスは、産褥熱は接触伝染病(英語版)であり、その発症には剖検で出た物質が関与していると主張し、医師らに妊婦を診察する前に塩素化石灰水で手を洗うことを強制させた。彼は、その後の死亡率が、1年間で18%から2.2%へと急激に減少したことを記録した。この証拠にもかかわらず、彼と彼の理論は、当時の医学界のほとんどから否定(英語版)された。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "恐竜の化石(英語版)を発見したことで著名なサセックス州の医師ギデオン・マンテル(Gideon Mantell、1790-1852)は、顕微鏡とともに多くの時間を過ごし、著書『微小動物についての考察(Thoughts on Animalcules)』(1850年)の中で、おそらく「人類を苦しめる最も深刻な病気の多くは、目に見えない微小動物の特異な状態によって生じる」と推測した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "イギリスの医師ジョン・スノウ(John Snow、1813-1858)は、1854年のブロード・ストリートで大流行したコレラ(英語版)の研究により、「近代疫学の祖」と見なされている人物である。スノウは、イタリアの解剖学者ジョバンニ・マリア・ランチージ(英語版)(1654-1720、Giovanni Maria Lancisi)が18世紀初頭に書いた、沼地の瘴気がマラリアを蔓延させると主張する著作を批判し、腐敗した生物による悪気がすべての症例に存在するわけではないと反論した。スノウは、1849年に出版した小冊子『コレラの伝染様式(On the Mode of Communication of Cholera)』の中で、コレラは糞口経路で広がり、人間の下部消化管で複製されると提案した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1855年に出版された同書の第2版で、スノウは、コレラはヒトの上皮細胞よりも小さな細胞によって引き起こされると理論化し、ロベルト・コッホが1884年に細菌種ビブリオ・コレラ(Vibrio cholerae)が原因菌であることを確認するに至った。生物学的起源に着目したスノウは、水の沸騰とろ過を推奨し、現代の水道水の煮沸勧告(英語版)の先例を作った。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "スノウは、テムズ川から下水で汚染された水を供給していたサザーク・アンド・ヴォクソール水道会社(英語版)に関連する特定の給水ポンプとコレラ患者を結びつける統計分析を通じて、この水道会社から水を供給されていた地域では、上流のシージング・ウェルズ(英語版)からより清潔な水を引いていたランベス水道会社(英語版)のポンプを使用していた地域の14倍の死者が出ていたことを示した。スノウは、セント・ジェームズ教区(英語版)の保護委員会を説得して、汚染されたポンプのハンドルを撤去させたことで賞賛を受けたが、彼は、おびえた住民がこの地域から非難したため、感染者はすでに減少していたと指摘した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "19世紀半ば、フランスの微生物学者ルイ・パスツール(Louis Pasteur、1822-1895)は、女性生殖器をホウ酸で処理することで、粘膜の損傷を避けながら、産褥熱(英語版)の原因となる微生物を死滅させられることを示した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "パスツールは、レディの研究を基に、栄養寒天(英語版)を入れたスワンネック‐フラスコ(英語版)を作り、自然発生説を反証した。フラスコの内容物が発酵するのは、湾曲した首を外して外気と直接接触しているときだけであることから、パスツールは、細菌が環境にコロニー形成するには伝染部位間を移動しなければならないことを証明した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "パスツールは、バッシーと同様に、カイコに褐色の斑点を生じさせる病気である微粒子病(pébrine)について研究し、病原体理論の研究を発展させた。1857年にスイスの植物学者カール・ネーゲリが微粒子病原体 Nosema bombycis を発見したことを受け、パスツールはこの発見を応用し、換気の改善や、疾病監視(英語版)の初期形態である原蚕種のスクリーニングを推奨した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1884年、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホ(Robert Koch、1843-1910)は、特定の微生物と病気との因果関係を立証するための4つの判定基準を発表した。現在これはコッホの原則として知られている。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "コッホは生前、この原則が普遍的に適用できるわけではないことを認識していた。たとえば、コレラの無症候性保菌者は第1の原則に反する。同じ理由で、第3の原則には「必ず」ではなく「すべきである」と明記している。なぜなら、病原体に対する過去の曝露の違いにより、ある病原体に暴露されたすべての宿主生物が感染するとは限らないからである。さらに、ウイルスは偏性細胞内寄生体であるため、純粋培養で増殖させることはできず、第2の仮説を満たすことは不可能でなる。同様に、プリオンとして知られる病原体のミスフォールドタンパク質は、自己複製するのではなく、他のタンパク質にその構造を伝達することによってのみ伝播する。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "コッホの原則は、相関関係は因果関係を含意しないことを強調するという点で、歴史的重要性を持ち続けているが、多くの病原体は原則の基準をすべて満たさなくても、特定の疾患の原因物質として受け入れられている。1988年、アメリカの微生物学者スタンリー・ファルコー(英語版)(Stanley Falkow、1934-2018)は、コッホの原則の分子版(英語版)を発表し、微生物遺伝子と病原性因子との相関関係を確立した。", "title": "発展" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "細菌の発酵に関するパスツールの論文を読んだイギリスの外科医ジョセフ・リスター(Joseph Lister、1827-1912)は、骨が皮膚を突き破る開放骨折は、環境微生物にさらされるため感染しやすいことに気づいた。彼は、フェノール(石炭酸)が効果的な消毒薬として、負傷部位に塗布できることを発見した。", "title": "発展" } ]
病気の病原体説は、多くの病気について、現在受け入れられている科学的理論である。これは、「病原体(pathogens)」あるいは「病原菌(germs)」として知られる微生物が、病気を引き起こす可能性があるとする。こうした小さな生物は、拡大しなければ見えないほど小さいが、人間、他の動物、その他の生きている宿主に侵入する。それらは宿主の中で成長し、増殖することで病気を引き起こすことがある。「病原体」という用語は、細菌だけでなく、原生生物や真菌類などのあらゆる種類の微生物、あるいはウイルス、プリオン、ウイロイドなど、病気を引き起こす非生存病原体も指す。病原体によって引き起こされる病気は感染症と呼ばれる。病原体が病気の主な原因である場合でも、環境因子や遺伝的因子が、病気の重症度や、宿主となる個体が病原体に暴露されたときに感染するかどうかに影響することが多い。病原体とは病気の媒介物質のことで、ヒトや動物を問わず、ある個体から別の個体へ感染する可能性がある。感染症は、病原微生物(ウイルス、細菌、真菌類)や寄生生物などの生物学的病原体によって引き起こされる。 病原体説の基本的な形式は、1546年にジローラモ・フラカストロによって提案され、1762年にマルクス・アントニウス・プレンツィスによって拡張された。しかし、このような見解はヨーロッパでは軽蔑され、ガレノスの瘴気説が科学者や医師の間で支配的であった。 19世紀初頭までに、天然痘の予防接種はヨーロッパでは一般的なものとなったが、医師たちはそれが機能する仕組みも、その原理を他の病気に応用する方法も知らなかった。1850年代後半に、ルイ・パスツールの研究によって過度期が始まった。この研究はその後、1880年代にロベルト・コッホによって拡張された。その10年間の終わりには、瘴気説は病原体説に対抗するために尽力していた。1890年代に、ウイルスが発見された。やがて細菌学の「黄金時代」が訪れ、病原体説は、多くの病気の原因となる実際の生物の特定へと急速につながった。
[[File:Cholera bacteria SEM.jpg|thumb|upright=1.3|[[コレラ]]の[[細菌|原因菌]]である[[コレラ菌]](''Vibrio cholerae'')の[[走査型電子顕微鏡]]画像]]'''病気の病原体説'''(びょうきのびょうげんたいせつ、{{Lang-en-short|germ theory of disease}})は、多くの病気について、現在受け入れられている[[科学理論|科学的理論]]である。これは、「[[病原体]](''pathogens'')」あるいは「病原菌(''germs'')」として知られる[[微生物]]が、病気を引き起こす可能性があるとする。こうした小さな生物は、拡大しなければ見えないほど小さいが、人間、他の動物、その他の生きている宿主に侵入する。それらは宿主の中で成長し、増殖することで病気を引き起こすことがある。「病原体」という用語は、[[細菌]]だけでなく、[[原生生物]]や[[真菌類]]などのあらゆる種類の微生物、あるいは[[ウイルス]]、[[プリオン]]、[[ウイロイド]]など、病気を引き起こす非生存病原体も指す<ref>{{cite web|url=http://www.oxforddictionaries.com/definition/english/germ|title=Definition of Germ in English from the Oxford dictionary|work=Oxford Dictionaries|access-date=5 April 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20160406155449/http://www.oxforddictionaries.com/definition/english/germ|archive-date=6 April 2016|url-status=dead}}</ref>。病原体によって引き起こされる病気は[[感染症]](infectious diseases)と呼ばれる。病原体が病気の主な原因である場合でも、環境因子や遺伝的因子が、病気の重症度や、[[宿主]]となる個体が病原体に暴露されたときに感染するかどうかに影響することが多い。病原体とは病気の媒介物質のことで、ヒトや動物を問わず、ある個体から別の個体へ感染する可能性がある。感染症は、病原微生物(ウイルス、細菌、真菌類)や[[寄生生物]]などの生物学的病原体によって引き起こされる。 病原体説の基本的な形式は、1546年に[[ジローラモ・フラカストロ]](Girolamo Fracastoro、1476/8年頃-1553)によって提案され、1762年に{{Ill2|マルクス・アントニウス・プレンツィス|en|Marcus Antonius Plencic}}(Marcus Antonius von Plenciz、1705-1786)によって拡張された。しかし、このような見解はヨーロッパでは軽蔑され、[[ガレノス]](Galen, or Aelius Galenus, or Claudius Galenus、西暦129-216年頃)の[[瘴気説]]が科学者や医師の間で支配的であった。 19世紀初頭までに、[[天然痘ワクチン|天然痘の予防接種]]はヨーロッパでは一般的なものとなったが、医師たちはそれが機能する仕組みも、その原理を他の病気に応用する方法も知らなかった。1850年代後半に、[[ルイ・パスツール]]の研究によって過度期が始まった。この研究はその後、1880年代に[[ロベルト・コッホ]]によって拡張された。その10年間の終わりには、瘴気説は病原体説に対抗するために尽力していた。1890年代に、ウイルスが発見された。やがて[[細菌学]]の「黄金時代」が訪れ、病原体説は、多くの病気の原因となる実際の生物の特定へと急速につながった<ref>{{Cite book |last1=Susser |first1=Mervyn |title=Chapter 10: Germ Theory, Infection, and Bacteriology |last2=Stein |first2=Zena |date=August 2009 |work=Eras in Epidemiology: The Evolution of Ideas |publisher=[[:en:Oxford University Press|Oxford University Press]] |isbn=9780199863754 |pages=107–122 |language=en |doi=10.1093/acprof:oso/9780195300666.003.0010}}</ref>。 == 瘴気説 == [[File:Cholera art.jpg|thumb|{{Ill2|ロバート・シーモア|en|Robert Seymour (illustrator)}}が描いた19世紀のコレラ流行の図。毒気の形で病気が蔓延する様子が描かれている。]] {{Main|[[瘴気説]]}} 瘴気説(しょうきせつ、miasma theory)は、19世紀末に病原体説が主流になるまでは、感染症伝播に対する有力な理論であったが、現在では、病気の正しい説明として科学界に受け入れられていない。これは、[[コレラ]]、[[性器クラミジア感染症|クラミジア感染症]]、[[黒死病]]などの病気は、腐敗した有機物から発生する有害な「悪い空気」である[[瘴気]]({{Lang-grc-short|μίασμα}}、pollution(汚染)の意)によって引き起こされるとした<ref>{{citation |contribution=miasma theory |title=A Dictionary of Public Health | veditors = Last JM |publisher=[[:en:Oxford University Press|Oxford University Press]] |year=2007 |location=Westminster College, Pennsylvania |url=https://archive.org/details/dictionaryofpubl0000last |isbn=9780195160901 |url-access=registration }}</ref>。瘴気とは、腐敗した物質の粒子(miasmata)が満ちた有毒な蒸気や霧のことで、悪臭を放つことで識別できると考えられていた。この理論では、病気は汚染された水、汚れた空気、劣悪な衛生状態といった環境要因の産物であると仮定した。理論によれば、こうした感染症は個人間で伝染するのではなく、そのような気体が発生する地域内の人々に影響を及ぼすという<ref>{{cite journal | vauthors = Tsoucalas G, Spengos K, Panayiotakopoulos G, Papaioannou T, Karamanou M | title = Epilepsy, Theories and Treatment Inside Corpus Hippocraticum | journal = Current Pharmaceutical Design | volume = 23 | issue = 42 | pages = 6369–6372 | date = 2018-02-15 | pmid = 29076418 | doi = 10.2174/1381612823666171024153144 }}</ref>。 == 発展 == <!-- 注「古代インド」の小節は、英語版では削除された。(理由: 病原体説ではなく、感染症伝播であるため。) === 古代インド === [[紀元前6世紀|紀元前6世紀頃]]に書かれた[[サンスクリット語]]の医学書『{{Ill2|スシュルタ・サンヒター|en|Sushruta Samhita}}(''Sushruta Samhita'')』の中で、古代インドの医師[[スシュルタ]](Sushruta)は、病理学に関する「ニダナ・スターナ(Nidána Sthána)」の章を書き、『ハンセン病、発熱、消耗、目の病気、その他の感染症は、性交渉、身体的接触、食事や睡眠をともにする、一緒に座る、衣服・花冠・軟膏を共有することによって、人から人へと広がる。』と説いた<ref>{{Cite web |last=Prabhu |first=Maya |date=September 21, 2022 |title=5 Ancient Diseases and What the Ancients Said About Them |url=https://www.gavi.org/vaccineswork/5-ancient-diseases-and-what-ancients-said-about-them |access-date=January 22, 2023 |website=[[:en:GAVI|GAVI]]}}</ref><ref>{{Cite book |last=Sushruta |url=https://archive.org/details/englishtranslati00susruoft/page/n3/mode/2up |title=Sushruta Samhita |publisher=Kaviraj Kunja Lal Bhishagratna |year=1911 |volume=2 |location=[[:en:Kolkata|Kolkata]] |pages=35–42 |language=en |oclc=956546750}}</ref>。 --> === 古代ユダヤ === [[ヘブライ語聖書]]の最初の5巻に含まれる[[モーセの律法]]には、病気の蔓延における伝染病に関する最も古い考察が記録されており、古典的な医学の伝統や[[ヒポクラテス]]の著作とは対照的であった。具体的には、[[ハンセン病]]と[[性病]]に関する隔離と洗浄に関する指示を記している<ref>{{cite book | vauthors = McGrew RE |title=Encyclopedia of medical history |date=1985 |publisher=Macmillan |location=London |isbn=978-0-333-28802-3}}</ref>。 === 古代ギリシャとローマ === 古代、ギリシャの歴史家[[トゥキュディデス]](紀元前460年頃 - 紀元前400年頃)は、{{Ill2|アテネの疫病|en|Plague of Athens}}についての記述の中で、感染者から他の人に病気が広がる可能性があることを初めて記した<ref>Singer, Charles and Dorothea (1917) "The scientific position of Girolamo Fracastoro [1478?–1553] with especial reference to the source, character and influence of his theory of infection," ''Annals of Medical History'', '''1''' : 1–34; [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015016778261;view=1up;seq=28 see p. 14.]</ref><ref>Thucydides with Richard Crawley, trans., ''History of the Peloponnesian War'' (London, England: J.M. Dent & Sons, Ltd., 1910), Book III, § 51, [https://archive.org/stream/pelocrawleyr00thucuoft#page/130/mode/2up pp. 131–32.] From pp. 131–32: " … there was the awful spectacle of men dying like sheep, through having caught the infection in nursing each other. This caused the greatest mortality. On the one hand, if they were afraid to visit each other, they perished from neglect; indeed many houses were emptied of their inmates for want of a nurse: on the other, if they ventured to do so, death was the consequence."</ref>。 直接接触によって感染するのではない伝染病の伝播に関する説の一つに、空気中に存在し飛散する[[胞子]]のような「種子」({{Lang-en-short|seeds}}、[[ラテン語]]:''semina'')によって伝播するというものがあった。ローマの詩人[[ルクレティウス]](Lucretius、紀元前99年頃 - 紀元前55年頃)は、その詩『{{Ill2|事物の本性について|en|On the Nature of Things}}(''De rerum natura)''』''(''紀元前56年頃)の中で、世界にはさまざまな「種子」が存在し、その中には吸入または摂取すると病気になるものもあると述べている<ref name="Nutton_1983">{{cite journal | vauthors = Nutton V | title = The seeds of disease: an explanation of contagion and infection from the Greeks to the Renaissance | journal = Medical History | volume = 27 | issue = 1 | pages = 1–34 | date = January 1983 | pmid = 6339840 | pmc = 1139262 | doi = 10.1017/s0025727300042241 }}</ref><ref>Lucretius with Rev. John S. Watson, trans., ''On the Nature of Things'' (London, England: Henry G. Bohn, 1851), Book VI, lines 1093–1130, pp. 291–92; [https://archive.org/stream/onnaturethingsd00carugoog#page/n320/mode/2up see especially p. 292.] From p. 292: "This new malady and pest, therefore, either suddenly falls into the water, or penetrates into the very corn, or into other food of men and cattle. Or even, as may be the case, the infection remains suspended in the air itself; and when, as we breathe, we inhale the air mingled with it, we must necessarily absorb those ''seeds of disease'' into our body."</ref>。 ローマの政治家[[マルクス・テレンティウス・ウァッロ]](Marcus Terentius Varro、紀元前116 - 27年)は、『農業論3巻(''Rerum rusticarum libri III)』''(紀元前36年)の中で次のように書いている。『なぜなら、そこには目には見えないが、空気中に浮遊して口や鼻から体内に侵入し、重篤な病気を引き起こす、ある種の微細な生物が繁殖しているからである』<ref>{{cite book | vauthors = Varro MT, Storr-Best L | title = Varro on Farming | location = London, England | publisher = G. Bell and Sons, Ltd. | date = 1912 | volume = Book 1 | chapter = XII | chapter-url = https://archive.org/stream/onfarmingmterent00varruoft#page/38/mode/2up/search/diseases | page = 9 }}</ref>。 ギリシャの医師[[ガレノス]](西暦129-200/216年頃)は、著書『初期原因について(''On Initial Causes'')』(西暦175年頃)の中で、患者の中には「熱病の種子」を持っている者がいるかもしれないと推測した<ref name="Nutton_1983" />{{rp|4}}。彼は著書『さまざまな種類の熱病について(''On the Different Types of Fever'')』(西暦175年頃)の中で、疫病は空気中に存在する「ある種の疫病の種子」によって広まると推測した<ref name="Nutton_1983" />{{rp|6}}。また、ガレノスは、著書『疫学(''Epidemics'')』(西暦176-178年頃)の中で、患者が発熱から回復する過程で再発することがあるのは、患者の体内に何らかの「病気の種子」が潜んでいるからであり、患者が医師の治療計画に従わなければ、病気が再発するだろうと説明した<ref name="Nutton_1983" />{{rp|7}}。 === 中世 === 接触伝染説の基本的な形は、{{Ill2|中世イスラム世界の医学|en|Medicine in the medieval Islamic world}}にまでさかのぼる。この理論は、{{Ill2|古代イランの医学|en|Ancient Iranian medicine|label=ペルシャの医師}}[[イブン・スィーナー]](Ibn Sina、980-1037、欧州ではアヴィセンナ(Avicenna)として知られる)が『[[医学典範]](''The Canon of Medicine'')』(1025年)の中で提唱したもので、後の16世紀まで欧州で最も権威ある医学書となった。イブン・スィーナーは、『''El-Kanun''(エル・カヌン)』第4巻で[[エピデミック|流行病]]について論じ、古典的な瘴気説を概説し、彼自身の初期の接触伝染説との融合を試みた。彼は、人が呼吸によって他人に病気を伝染させる可能性があることに言及し、[[結核]]の伝染について指摘し、水や排泄物を介した病気の伝染について論じた<ref name="Encyclopedia of the Black Death">{{cite book| vauthors = Byrne JP |url=https://books.google.com/books?id=5KtDfvlSrDAC&pg=PA29|title=Encyclopedia of the Black Death|date=2012|publisher=[[:en:ABC-CLIO|ABC-CLIO]]|isbn=9781598842531|page=29}}</ref>。 目に見えない伝染病の概念は、その後、[[アイユーブ朝]]サルタン国時代の[[ウラマー|イスラム学者]]によって議論され、彼らはそれらを{{Ill2|ナジス|en|Najis|label=ナジャサット}}(''najasat''、不浄な物質)と呼んだ。[[イスラム法学|イスラム法学者]]の{{Ill2|1=イブン・アル=ハジ・アル=アブダリ|2=en|3=Ibn al-Haj al-Abdari}}(Ibn al-Hajj al-Abdari、1250年頃-1336年)は、{{Ill2|イスラム教の食事法|en|Islamic dietary laws|label=イスラムの食事}}と衛生{{Enlink|Islamic hygienical jurisprudence|英語版|en}}について論じる中で、病原体が水、食物、衣服を汚染し、水道を介して広がる可能性について警告しており、あるいは、病原体が目に見えない粒子であることを示唆していた可能性がある<ref>{{cite book | vauthors = Reid MH |title=Law and Piety in Medieval Islam |date=2013 |publisher=[[:en:Cambridge University Press|Cambridge University Press]] |isbn=9781107067110 |pages=106, 114, 189–190 |url=https://books.google.com/books?id=5fJ4AAAAQBAJ}}</ref>。 中世初期には、[[セビリャのイシドールス]](''Isidorus Hispalensis''、560頃-636)が、著書『自然について(''On the Nature of Things'')』(西暦613年頃)の中で『疫病を媒介する種子(''pestifera semina'')』について言及した<ref name="Nutton_1983" />{{rp|20}}。その後、1345年、イタリア、ボローニャの{{Ill2|トンマーゾ・デル・ガルボ|en|Tommaso del Garbo}}(Tommaso del Garbo、1305頃-1370年)は、著書『ガレノスの書物に関する有用な注釈(''Commentaria non-parum utilia in libros Galeni'')』の中で、ガレノスの『疫病の種子』について言及した<ref name="Nutton_1983" />{{rp|214}}。 1546年、イタリアの医師ジローラモ・フラカストロは、伝染病の性質、主要な病原体の分類、およびこれらの症状の予防と治療に関する理論を網羅した3巻からなる本『病原体と接触伝染病について(''De Contagione et Contagiosis Morbis'')』<!-- 英語版では「On Contagion and Contagious Diseases」 -->を出版した。フラカストロは、感染した宿主との直接接触、{{Ill2|媒介物|en|Fomite}}による間接接触、または空気中の粒子を介して伝播する『病気の種子』のせいだと主張した<ref>{{Cite web |last=Morgan |first=Ewan |date=January 22, 2021 |title=The Physician Who Presaged the Germ Theory of Disease Nearly 500 Years Ago |url=https://www.scientificamerican.com/article/the-physician-who-presaged-the-germ-theory-of-disease-nearly-500-years-ago/ |access-date=2023-01-18 |website=[[:en:Scientific American|Scientific American]] |language=en}}</ref>。 === 近世 === 1668年、イタリアの医師[[フランチェスコ・レディ]](Francesco Redi、1626-1697)は、無生物から生物が発生するという[[自然発生説]]を否定する実験的証拠を発表した。彼は、[[蛆|ウジ]]はむき出しになった腐った肉からしか発生しないことを観察した。肉をガーゼで覆った瓶に入れておくと、ウジはガーゼの表面に現れた。これは後に、腐った肉の臭いが網目を通り抜け、卵を産むハエを引き寄せるのだと理解された<ref>{{Cite book |last=Redi |first=Francesco |url=https://www.biodiversitylibrary.org/itempdf/250569 |title=Esperienze Intorno alla Generazione degl' Insetti |year=1668 |location=[[:en:Florence, Italy|Florence, Italy]] |language=it |trans-title=Experiments on the Generation of Insects |doi=10.5962/bhl.title.149072 |lccn=18018365 |oclc=9363778}}</ref><ref>{{Cite journal |last=Parke |first=Emily C. |date=2014-03-01 |title=Flies from meat and wasps from trees: Reevaluating Francesco Redi's spontaneous generation experiments |url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1369848614000028 |journal=Studies in History and Philosophy of Science Part C: Studies in History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences |language=en |volume=45 |pages=34–42 |doi=10.1016/j.shpsc.2013.12.005 |issn=1369-8486 |pmid=24509515}}</ref>。 微生物が初めて直接観察されたのは、1670年代と言われている。[[アントニ・ファン・レーウェンフック]](Antonie van Leeuwenhoek、1632-1723)は、[[微生物学]]の初期の先駆者であり、「微生物学の父」と呼ばれている。レーウェンフックは、[[顕微鏡]]を使用して細菌(1674年)、[[酵母]]細胞、一滴の水に生息する生命([[藻類]]など)、[[毛細血管]]内を循環する血球を初めて観察し、記述したと言われている。「細菌(bacteria)」という言葉はまだ存在しなかったので、彼はこれらの微細な生命体を「小さな動物」という意味の「{{Ill2|微小動物|en|Animalcule}}(animalcules)」と呼んだ。彼は、雨水、池の水、井戸水、人間の口や腸など、さまざまな出所から、これらの「非常に小さな微小動物」を分離することができた。 しかし、ドイツのイエズス会司祭で学者でもあった[[アタナシウス・キルヒャー]](Athanasius Kircher、1602-1680)は、それ以前に、このような微生物を観察していたかもしれない。1646年に書かれた彼の著書のひとつには『顕微鏡で見た自然界のあらゆるものの素晴らしい構造について』という章があり、『酢や牛乳が無数のミミズで溢れているなど誰が信じるだろうか』と書かれている。キルヒャーは、腐敗した死体、肉、乳、分泌物などに見られる不可視の微生物を「寄生虫(worms)」と定義した。顕微鏡を用いた研究によって、病気や腐敗(分解)は目に見えない生命体の存在によって引き起こされるという、おそらく彼が初めて抱く信念につながった。1646年、キルヒャーは、「発熱患者の血液中から多くのものを発見することができた」と記した。1656年、[[腺ペスト]]が{{Ill2|1629–1631 イタリアの疫病|en|1629–1631 Italian plague|label=ローマを襲った}}とき、キルヒャーはペスト犠牲者の血液を顕微鏡で観察した。彼は、血液中に「小さな寄生虫」あるいは「微小動物」が存在することに注目し、この病気は微生物によって引き起こされたと結論づけた。彼は、感染症を微視的病原体に起因するものとした最初の人であり、創案した病原体説を著書『{{Ill2|疫病と呼ばれる伝染病の物理医学的な考察|en|Scrutinium Physico-Medicum}}(''Scrutinium Physico-Medicum'')』(ローマ、1658年)で概説した<ref>{{cite web|url=http://www.mjt.org/exhibits/kircher.html|title=The Life and Work of Athanaseus Kircher, S.J.|work=mjt.org|access-date=18 April 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20160417200844/http://www.mjt.org/exhibits/kircher.html|archive-date=17 April 2016|url-status=live}}</ref>。病気は微生物によって引き起こされるというキルヒャーの結論は正しかったが、彼が顕微鏡で見たものは実際には[[赤血球]]か[[白血球]]であり、病原菌である[[ペスト菌]]そのものではなかったと推定されている。キルヒャーはまた、[[隔離]]、[[検疫]]、感染者の着衣の焼却、病原体の吸入を防ぐ[[マスク|フェイスマスク]]の着用など、病気の蔓延を防ぐための衛生対策も提案した。生物が血液の中に侵入し、存在することを最初に提唱したのはキルヒャーであった。 1700年、フランスの医師{{Ill2|ニコラス・アンドリー|en|Nicolas Andry}}(Nicolas Andry、1658-1742)は、彼が「ワーム(worms)」と呼ぶ微生物が、[[天然痘]]やその他の病気の原因であると主張した<ref>{{Cite journal|title=The History of the Germ Theory|journal=The British Medical Journal|volume= 1 |year=1888|page=312 |issue= 1415 | url = https://archive.org/stream/britishmedicaljo11888brit#page/312/mode/2up}}</ref>。 1720年、イギリスの植物学者{{Ill2|リチャード・ブラッドリー (植物学者)|en|Richard Bradley (botanist)|label=リチャード・ブラッドリー}}(Richard Bradley、1688-1732)は、疫病とすべての流行性[[ジステンパー]]は、顕微鏡を使わなければ観察することができない生き物である「毒虫(poisonous insects)」によって引き起こされると理論化した<ref name="Santer">{{cite journal | vauthors = Santer M | title = Richard Bradley: a unified, living agent theory of the cause of infectious diseases of plants, animals, and humans in the first decades of the 18th century | journal = Perspectives in Biology and Medicine | volume = 52 | issue = 4 | pages = 566–78 | date = 2009 | pmid = 19855125 | doi = 10.1353/pbm.0.0124 | s2cid = 22544615 }}</ref>。 1762年、オーストリアの医師{{Ill2|マルクス・アントニウス・プレンツィス|en|Marcus Antonius Plencic}}が『''Opera medico-physica''』という本を出版した<ref>{{Cite web |title=Marci Antonii Plenciz, Medici Vindobonensis, Opera Medico Physica : In Quatuor Tractatus Digesta, Quorum Primus Conntagii Morborum Ideam Novam Una Cum Additamento De Lue Bovina, Annno 1761. Epidemice Grassante, Sistit. Secundus De Variolis, Tertius De Scarlatina, Quartus De Terræ Motu, Sed Præcipue Illo Horribili Agit. Qui Prima Novembris Anno 1755. Europam, Africam, Et Americam Conquassabat. Tractatus IV, De Terræmotu - Deutsche Digitale Bibliothek |url=http://www.deutsche-digitale-bibliothek.de/item/LWQMCPO32KAMCNSEYTLS77FOBBPE4BFA |website=www.deutsche-digitale-bibliothek.de |access-date=2023-10-01 |language=de}}</ref>。その中で、土壌や空気中にいる特定の微小動物が、特定の病気を引き起こす原因となるという伝染病理論を概説した。プレンツィスは、流行性と伝染病を合わせ持つ病気([[麻疹|はしか]]や[[赤痢]]のような)と、伝染性はあるが流行性はない病気([[狂犬病]]やハンセン病のような)の差異に着目した<ref>{{cite book | vauthors = Winslow CE | date = 1967 | title = Conquest of Epidemic Disease: A Chapter in the History of Ideas | publisher = Hafner Publishing Co Ltd. | isbn = 978-0028548807 }}</ref>。本書はアントニ・ファン・レーウェンフックの言葉を引用して、このような微小動物がいかに偏在しているかを示し、潰瘍性創傷に病原体が存在することを記述した点で他に類を見ないものであった。結局、プレンシスの理論は科学界には受け入れられなかった。 === 19世紀と20世紀 === {{See also|{{ill2|19世紀の病原体理論の主要人物|en|Germ theory's key 19th century figures}}}} ==== アゴスティーノ・バッシー、イタリア ==== 19世紀初頭、イタリアの昆虫学者[[アゴスティーノ・バッシー]](Agostino Bassi、1773-1856)は、絹生産の崩壊に対する経済的懸念を受け、[[カイコ]]の幼虫にカビの白斑ができることからフランス語で{{Ill2|硬化病|en|Muscardine}}(muscardine、白い[[ボンボン菓子|ボンボン]]の一種)、イタリア語でカルチナッチョ(calcinaccio、瓦礫)またはマル・デル・セーニョ(mal del segno、悪い兆候)と呼ばれるカイコの病気を研究した。1835年から1836年にかけて、バッシーは真菌の胞子が個体間で病気を媒介するという研究結果を発表した。病気にかかった幼虫を迅速に除去し、養殖場の表面を消毒することを推奨したバッシーは、現代の[[予防医療]]に用いられている方法の概略を示した<ref>{{Cite book |last=Bassi |first=Agostino |url=https://www.biodiversitylibrary.org/itempdf/257074 |title=Del Mal del Segno, Calcinaccio o Moscardino : Malattia che Affligge i Bachi da Seta |year=1836 |location=[[:en:Lodi, Lombardy|Lodi, Lombardy]] |language=it |trans-title=Bad Sign, Rubble, or Muscardine: Disease that Afflicts Silkworms |doi=10.5962/bhl.title.152962}}</ref>。イタリアの博物学者[[ジュゼッペ・ガブリエル・バルサモ=クリヴェリ]]は、原因真菌の名前をバッシーに献名し、現在は{{Ill2|白きょう病菌|en|Beauveria bassiana|label=}}(''Beauveria bassiana'')に分類されている<ref name=":1">{{Cite web |last=Lovett |first=Brian |date=December 6, 2019 |title=Sick or Silk: How Silkworms Spun the Germ Theory of Disease |url=https://asm.org/Articles/2019/December/Sick-or-Silk-How-Silkworms-Spun-the-Germ-Theory-of |website=[[:en:American Society for Microbiology|American Society for Microbiology]] |access-date=2023-01-22}}</ref>。 ==== ルイ・ダニエル・ボーペルテュイ、フランス ==== 1838年、フランスの熱帯医学専門家{{Ill2|ルイ=ダニエル・ボーペルテュイ|en|Louis-Daniel Beauperthuy}}(Louis-Daniel Beauperthuy、1808-1871)は、病気に関する顕微鏡検査の先駆者であり、すべての感染症は「微小動物」の寄生感染によるものであるという独自の理論を展開した。彼は友人のアデル・ド・ロッサヴィル(M. Adele de Rosseville)の協力を得て、自らの理論をパリの[[フランス科学アカデミー]]で正式に発表した。1853年までに、彼は、[[マラリア]]と[[黄熱病]]は蚊によって媒介されると確信していた。彼は黄熱病を媒介する特定の蚊のグループを、実際の媒介蚊である[[ネッタイシマカ]](''Aedes aegypti'')と同定できる、「striped-legged mosquito」の国内種とまで特定した。1854年、彼は自身の理論を、「クマナ官報(Gaceta Oficial de Cumana)」に発表した。彼の報告は公的委員会によって評価されたが、彼の理論は破棄された<ref>{{cite journal|last1=Agramonte|first1=A|title=The inside history of a great medical discovery. 1915|journal=Military Medicine|date=2001|volume=166|issue=9 Suppl|pages=68–78|pmid=11569397|doi=10.1093/milmed/166.suppl_1.68|doi-access=free}}</ref>。 ==== イグナーツ・センメルヴェイス、オーストリア ==== 1847年、オーストリアの{{Ill2|ウィーン総合病院|en|Vienna General Hospital}}(''Allgemeines Krankenhaus'')に勤務していた[[ハンガリー]]の[[産科学|産科医]][[センメルヴェイス・イグナーツ|イグナーツ・センメルヴェイス]](Ignaz Semmelweis、1818-1865)は、医師や医学生が介助した出産後の{{Ill2|産褥熱|en|Postpartum infections|redirect=1|label=分娩後感染症}}(産褥熱、さんじょくねつ)による妊産婦死亡率が劇的に高いことに気づいた。しかし、[[助産師]]が立ち会った場合は比較的安全であった。さらに調査を進めたセンメルヴェイスは、産褥熱と医師による産婦の診察との間に関連性を見い出し、これらの医師が通常、[[剖検]](検死のこと)から直接来ていることにも気づいた。センメルヴェイスは、産褥熱は{{Ill2|接触伝染病|en|Contagious disease}}であり、その発症には剖検で出た物質が関与していると主張し、医師らに妊婦を診察する前に塩素化石灰水で手を洗うことを強制させた。彼は、その後の死亡率が、1年間で18%から2.2%へと急激に減少したことを記録した。この証拠にもかかわらず、彼と彼の理論は、当時の医学界のほとんどから{{Ill2|イグナーツ・センメルヴェイスに対する現代の反応|en|Contemporary reaction to Ignaz Semmelweis|label=否定}}された<ref>{{cite journal | vauthors = Carter KC | title = Ignaz Semmelweis, Carl Mayrhofer, and the rise of germ theory | journal = Medical History | volume = 29 | issue = 1 | pages = 33–53 | date = January 1985 | pmid = 3883083 | pmc = 1139480 | doi = 10.1017/S0025727300043738 }}</ref>。 ==== ギデオン・マンテル、イギリス ==== {{Ill2|恐竜の化石を含む層序単元の一覧|en|Lists of dinosaur-bearing stratigraphic units|label=恐竜の化石}}を発見したことで著名なサセックス州の医師[[ギデオン・マンテル]](Gideon Mantell、1790-1852)は、顕微鏡とともに多くの時間を過ごし、著書『微小動物についての考察(''Thoughts on Animalcules'')』(1850年)の中で、おそらく「人類を苦しめる最も深刻な病気の多くは、目に見えない微小動物の特異な状態によって生じる」と推測した<ref>From p. 90 of "The invisible world revealed by the microscope or, thoughts on animalcules.", second edition, 1850 (May have appeared in first edition, too. (Revise date in article to 1846, if so.))</ref>。 ==== ジョン・スノウ、イギリス ==== {{Main|{{ill2|ブロード・ストリートのコレラの大発生|en|1854 Broad Street cholera outbreak}}}} イギリスの医師[[ジョン・スノウ (医師)|ジョン・スノウ]](John Snow、1813-1858)は、1854年の{{ill2|ブロード・ストリートのコレラの大発生|en|1854 Broad Street cholera outbreak|label=ブロード・ストリートで大流行したコレラ}}の研究により、「近代[[疫学]]の祖」と見なされている人物である<ref>{{Cite journal |last=Snowise |first=Neil G. |date=2021-05-07 |title=Memorials to John Snow - Pioneer in Anaesthesia and Epidemiology |journal=Journal of Medical Biography |volume=31 |issue=1 |publisher=[[:en:SAGE Publishing|SAGE Publishing]] |pages= 47–50|doi=10.1177/09677720211013807 |issn=1758-1087 |pmid=33960862|s2cid=233985110 |pmc=9925902 }}</ref>。スノウは、イタリアの解剖学者{{Ill2|ジョバンニ・マリア・ランチージ|en|Giovanni Maria Lancisi}}(1654-1720、Giovanni Maria Lancisi)が18世紀初頭に書いた、沼地の瘴気がマラリアを蔓延させると主張する著作を批判し、腐敗した生物による悪気がすべての症例に存在するわけではないと反論した。スノウは、1849年に出版した小冊子『コレラの伝染様式(''On the Mode of Communication of Cholera'')』の中で、コレラは[[糞口経路]]で広がり、人間の下部[[消化管]]で複製されると提案した<ref name=":0">{{Cite book |last=Snow |first=John |url=https://wellcomecollection.org/works/uqa27qrt |title=On the Mode of Communication of Cholera |publisher=[[:en:John Churchill (publisher)|John Churchill]] |year=1855 |edition=2nd |location=[[:en:London|London]]}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=コレラの感染様式について |date=2022/03/15 |year=2022 |publisher=Iwanami Shoten |isbn=9784003395011}}</ref>。 1855年に出版された同書の第2版で、スノウは、コレラはヒトの[[上皮細胞]]よりも小さな細胞によって引き起こされると理論化し、ロベルト・コッホが1884年に細菌種[[コレラ菌|ビブリオ・コレラ]](''Vibrio cholerae'')が原因菌であることを確認するに至った。生物学的起源に着目したスノウは、水の沸騰とろ過を推奨し、現代の水道水の{{Ill2|煮沸勧告|en|Boil-water advisory}}の先例を作った<ref name=":0" />。 スノウは、[[テムズ川]]から下水で汚染された水を供給していた{{Ill2|サザーク・アンド・ヴォクソール水道会社|en|Southwark and Vauxhall Waterworks Company}}に関連する特定の給水ポンプとコレラ患者を結びつける統計分析を通じて、この水道会社から水を供給されていた地域では、上流の{{Ill2|シージング・ウェルズ|en|Seething Wells}}からより清潔な水を引いていた{{Ill2|ランベス水道会社|en|Lambeth Waterworks Company}}のポンプを使用していた地域の14倍の死者が出ていたことを示した。スノウは、{{Ill2|セント・ジェームズ (シティ・オブ・ウェストミンスター)|en|セント・ジェームズ|label=セント・ジェームズ教区}}の保護委員会を説得して、汚染されたポンプのハンドルを撤去させたことで賞賛を受けたが、彼は、おびえた住民がこの地域から避難したため、感染者はすでに減少していたと指摘した<ref name=":0" />。 ==== ルイ・パスツール、フランス ==== [[File:Experiment Pasteur English.jpg|thumb|upright=1.2|ルイ・パスツールの[[自然発生説|自然発生]]実験は、液体の栄養素が、空気そのものではなく空気中の粒子によって腐ることを示した。これらの実験結果は病原体説を裏付けるものであった。]] 19世紀半ば、フランスの微生物学者[[ルイ・パスツール]](Louis Pasteur、1822-1895)は、[[女性生殖器系|女性生殖器]]を[[ホウ酸]]で処理することで、[[粘膜]]の損傷を避けながら、{{Ill2|産褥熱|en|Postpartum infections|redirect=1}}の原因となる微生物を死滅させられることを示した<ref>{{Cite journal |last=Pasteur |first=Louis |date=May 3, 1880 |others=Translated by H.C. Ernst |title=Extension Of The Germ Theory To The Etiology Of Certain Common Disease |url=https://sourcebooks.fordham.edu/mod/1880pasteur-germ.asp |journal=[[:en:Comptes rendus de l'Académie des Sciences|Comptes rendus de l'Académie des Sciences]] |publisher=[[:en:French Academy of Sciences|French Academy of Sciences]] |volume=90 |pages=1033–44 |via=[[:en:Fordham University|Fordham University]] Modern History Sourcebook}}</ref>。 パスツールは、レディの研究を基に、{{Ill2|栄養寒天|en|Nutrient agar}}を入れた{{Ill2|スワンネック‐フラスコ|en|Swan neck flask}}を作り、自然発生説を反証した。フラスコの内容物が[[発酵]]するのは、湾曲した首を外して外気と直接接触しているときだけであることから、パスツールは、細菌が環境にコロニー形成するには伝染部位間を移動しなければならないことを証明した<ref name=":2">{{Cite web |title=The Middle Years 1862-1877 |url=https://www.pasteur.fr/en/institut-pasteur/history/middle-years-1862-1877?language=fr |access-date=January 22, 2023 |website=[[:en:Pasteur Institute|Pasteur Institute]]| date=10 November 2016 }}</ref>。 パスツールは、バッシーと同様に、カイコに褐色の斑点を生じさせる病気である[[微粒子病]](pébrine)について研究し、病原体理論の研究を発展させた<ref name=":1" />。1857年にスイスの植物学者[[カール・ネーゲリ]]が微粒子病原体 ''[[:en:Nosema bombycis|Nosema bombycis]]'' を発見したことを受け、パスツールはこの発見を応用し、換気の改善や、{{Ill2|疾病監視|en|Disease surveillance}}の初期形態である原蚕種の[[スクリーニング (医学)|スクリーニング]]を推奨した<ref name=":2" />。 ==== ロベルト・コッホ、ドイツ ==== 1884年、ドイツの細菌学者[[ロベルト・コッホ]](Robert Koch、1843-1910)は、特定の微生物と病気との[[因果関係]]を立証するための4つの判定基準を発表した。現在これは[[コッホの原則]]として知られている<ref>{{cite journal | vauthors = Walker L, Levine H, Jucker M | title = Koch's postulates and infectious proteins | journal = Acta Neuropathologica | volume = 112 | issue = 1 | pages = 1–4 | date = July 2006 | pmid = 16703338 | pmc = 8544537 | doi = 10.1007/s00401-006-0072-x | s2cid = 22210933 }}</ref>。 # その微生物は、病気に罹患しているすべての生物で豊富に存在しなければならないが、健康な生物では存在してはならない。 # その微生物は病気の生物から単離され、純粋[[細胞培養|培養]]で増殖したものでなければならない。 # 培養された微生物を健康な生物に持ち込むと、病気を引き起こすはずである。 # その微生物は、接種され発病した実験宿主から再分離され、元の特定の病原体と同一であることが確認されなければならない。 コッホは生前、この原則が普遍的に適用できるわけではないことを認識していた。たとえば、コレラの[[無症候性保菌者]]は第1の原則に反する。同じ理由で、第3の原則には「必ず」ではなく「すべきである」と明記している。なぜなら、病原体に対する過去の曝露の違いにより、ある病原体に暴露されたすべての宿主生物が感染するとは限らないからである<ref name="Koch1884">{{cite book |title=Mittheilungen aus dem Kaiserlichen Gesundheitsamte |vauthors=Koch R |year=1884 |volume=2 |pages=1–88 |chapter=Die Aetiologie der Tuberkulose}}</ref><ref name="Koch 1893">{{cite journal |vauthors=Koch R |year=1893 |title=Über den augenblicklichen Stand der bakteriologischen Choleradiagnose |url=https://zenodo.org/record/2077681 |journal=Zeitschrift für Hygiene und Infektionskrankheiten |language=de |volume=14 |pages=319–33 |doi=10.1007/BF02284324 |s2cid=9388121}}</ref><!-- see also: Conferenz zur Erörterung der Cholerafrage im Kaiserlichen Gesundheitsamt [Conference to discuss the matter of cholera at the Imperial Health Office]. ''Deutsche Medizinische Wochenschrift'' 10 (1884), pages 499-507, 519-532 -->。さらに、ウイルスは[[偏性細胞内寄生体]]であるため、純粋培養で増殖させることはできず、第2の仮説を満たすことは不可能でなる<ref>{{cite book |title=Robert Koch: a life in medicine and bacteriology | vauthors = Brock TD |year=1999 |publisher=American Society of Microbiology Press |location=Washington DC |isbn=1-55581-143-4 |author-link=Thomas D. Brock }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Evans AS | title = Causation and disease: the Henle-Koch postulates revisited | journal = The Yale Journal of Biology and Medicine | volume = 49 | issue = 2 | pages = 175–195 | date = May 1976 | pmid = 782050 | pmc = 2595276 }}</ref>。同様に、[[プリオン]]として知られる病原体のミスフォールド[[タンパク質]]は、自己複製するのではなく、他のタンパク質にその構造を伝達することによってのみ伝播する<ref>{{cite journal | vauthors = Inglis TJ | title = Principia aetiologica: taking causality beyond Koch's postulates | journal = Journal of Medical Microbiology | volume = 56 | issue = Pt 11 | pages = 1419–1422 | date = November 2007 | pmid = 17965339 | doi = 10.1099/jmm.0.47179-0 | doi-access = free }}</ref>。 コッホの原則は、[[相関関係と因果関係|相関関係は因果関係を含意しない]]ことを強調するという点で、歴史的重要性を持ち続けているが、多くの病原体は原則の基準をすべて満たさなくても、特定の疾患の原因物質として受け入れられている<ref>{{cite journal | vauthors = Jacomo V, Kelly PJ, Raoult D | title = Natural history of Bartonella infections (an exception to Koch's postulate) | journal = Clinical and Diagnostic Laboratory Immunology | volume = 9 | issue = 1 | pages = 8–18 | date = January 2002 | pmid = 11777823 | pmc = 119901 | doi = 10.1128/CDLI.9.1.8-18.2002 }}</ref>。1988年、アメリカの微生物学者{{Ill2|スタンリー・ファルコー|en|Stanley Falkow}}(Stanley Falkow、1934-2018)は、{{Ill2|分子におけるコッホの原則|en|Molecular Koch's postulates|label=コッホの原則の分子版}}を発表し、微生物遺伝子と[[病原性因子]]との相関関係を確立した<ref>{{cite journal | vauthors = Falkow S | title = Molecular Koch's postulates applied to microbial pathogenicity | journal = Reviews of Infectious Diseases | volume = 10 | issue = Suppl 2 | pages = S274–S276 | year = 1988 | pmid = 3055197 | doi = 10.1093/cid/10.Supplement_2.S274 | url = http://pdfs.semanticscholar.org/acbf/3cc939b002c9eda19269219be1a42fc69b12.pdf | url-status = dead | s2cid = 13602080 | archive-url = https://web.archive.org/web/20190303112739/http://pdfs.semanticscholar.org/acbf/3cc939b002c9eda19269219be1a42fc69b12.pdf | archive-date = 2019-03-03 }}</ref>。 ==== ジョセフ・リスター、イギリス ==== 細菌の発酵に関するパスツールの論文を読んだイギリスの外科医[[ジョゼフ・リスター|ジョセフ・リスター]](Joseph Lister、1827-1912)は、骨が皮膚を突き破る[[開放骨折]]は、環境微生物にさらされるため感染しやすいことに気づいた。彼は、[[フェノール]](石炭酸)が効果的な消毒薬として、負傷部位に塗布できることを発見した<ref>{{Cite journal |last1=Pitt |first1=Dennis |last2=Aubin |first2=Jean-Michel |date=October 1, 2012 |title=Joseph Lister: Father of Modern Surgery |url=https://www.canjsurg.ca/content/55/5/E8.2 |journal=[[:en:Canadian Journal of Surgery|Canadian Journal of Surgery]] |volume=55 |issue=5 |pages=E8–E9 |doi=10.1503/cjs.007112 |pmc=3468637 |pmid=22992425}}</ref>。 == 参考項目 == {{Portal|生物学}} * [[アレクサンダー・フレミング]] - スコットランドの医師および微生物学者で、抗生物質ペニシリンの発見者として知られる * [[細胞説]] - 生物は細胞から構成され、すべての細胞は既存の細胞から生じるという19世紀半ばに初めて提唱された科学理論 * [[疫学]] - 集団における健康状態や疾病状態の分布を研究・分析する学問 * {{Ill2|病原体説の否認主義|en|Germ theory denialism}} - 病気の病原体説は間違っているという偽科学的信念(アントワーヌ・ベシャンのモデルが正しいとする主張も含む) * {{Ill2|病原体の発見|en|Discovery of disease-causing pathogens}} - 病気を引き起こす病原体の発見に関するさまざまな活動の概要 * [[ロバート・フック]] - イギリスの科学者で、顕微鏡を使って微生物を発見した最初の2人のうちの1人(もう1人はアントニ・ファン・レーウェンフック) * [[ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョウ]] - ドイツの医師、病理学者、生物学者で、白血病の発見者として知られる * {{Ill2|ザイモティック病|en|Zymotic disease}} - 急性感染症を指す19世紀の医学用語 * [[感染症の歴史]] と [[ペストの歴史]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * William C. Campbell [http://germtheorytimeline.info/ The Germ Theory Timeline] {{医学史}} <!-- {{History of biology}} --> {{公衆衛生}} {{Authority control}} [[Category:生物学の理論]] [[Category:感染症]] [[Category:微生物学]] {{DEFAULTSORT:ひようきのひょうけんたいせつ}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E7%97%85%E5%8E%9F%E4%BD%93%E8%AA%AC
4,836,143
D・イマーン
D・イマン(D. Imman、1983年1月24日 - )は、インドのタミル語映画で活動する作曲家、プレイバックシンガー。2002年に『Thamizhan』で音楽監督デビューし、これまでに100本以上の映画の作曲を手掛けている。国家映画賞、フィルムフェア賞 南インド映画部門、南インド国際映画賞、タミル・ナードゥ州映画賞、ヴィジャイ・アワード、エジソン賞(英語版)、アーナンダ・ヴィカタン映画賞(英語版)、ジー・シネ・アワード・タミルを受賞しており、トロント大学のタミル語講座アンバサダーも務めている。 15歳の時から映画音楽の仕事に従事し、マヘーシュ・マハデーヴァン(英語版)やアーディティヤン(英語版)に師事してキーボードの演奏技術を学んだ。同じころにテレビプロデューサーのクッティ・パドミニ(英語版)の目に留まり、『Krishnadasi』のテーマソングと背景音楽を任された。これをきっかけに『Kolangal』『Police Diary』『Mandhira Vaasal』の音楽を手掛けるようになり、さらにカールティク(英語版)、ミーナ主演の『Kaadhale Swasam』の映画音楽を担当する機会を得た。その後、同作のアルバムに感銘を受けたG・ヴェンカテーシュワラン(英語版)に誘われて『Thamizhan』の音楽監督に起用された。 2003年には『Whistle』の作曲を手掛け、挿入歌の「Azhagiya Asura」は観客から人気を集めた。2004年にはスンダル・C(英語版)の『Giri』に参加し、挿入歌の「Dai Kaiyaa Vechukittu」が人気を集めた。プラブ・ソロモン(英語版)の『Mynaa』でも映画音楽が高い評価を受け、映画の興行的な成功により、イマンにはより大きな企画のオファーがくるようになった。2012年と2014年には再びプラブ・ソロモンの『Kumki』『Kayal』に参加して高い評価を得ており、同時期にはスセーンティラン(英語版)の『Pandiya Naadu』『Jeeva』でも高い評価を得ている。2014年にはヴィジャイ主演の『ジッラ 修羅のシマ(英語版)』の作曲を手掛けている。2019年にはアジット・クマール、ナヤンターラ主演の『永遠の絆(英語版)』の作曲を手掛けた。このほか、シヴァカールティケーヤン(英語版)主演の『Manam Kothi Paravai』『Varuthapadatha Valibar Sangam』『ラジニムルガン(英語版)』『Seemaraja』『Namma Veettu Pillai』にも参加しており、2021年にはラジニカーント主演の『Annaatthe』の作曲を手掛けた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "D・イマン(D. Imman、1983年1月24日 - )は、インドのタミル語映画で活動する作曲家、プレイバックシンガー。2002年に『Thamizhan』で音楽監督デビューし、これまでに100本以上の映画の作曲を手掛けている。国家映画賞、フィルムフェア賞 南インド映画部門、南インド国際映画賞、タミル・ナードゥ州映画賞、ヴィジャイ・アワード、エジソン賞(英語版)、アーナンダ・ヴィカタン映画賞(英語版)、ジー・シネ・アワード・タミルを受賞しており、トロント大学のタミル語講座アンバサダーも務めている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "15歳の時から映画音楽の仕事に従事し、マヘーシュ・マハデーヴァン(英語版)やアーディティヤン(英語版)に師事してキーボードの演奏技術を学んだ。同じころにテレビプロデューサーのクッティ・パドミニ(英語版)の目に留まり、『Krishnadasi』のテーマソングと背景音楽を任された。これをきっかけに『Kolangal』『Police Diary』『Mandhira Vaasal』の音楽を手掛けるようになり、さらにカールティク(英語版)、ミーナ主演の『Kaadhale Swasam』の映画音楽を担当する機会を得た。その後、同作のアルバムに感銘を受けたG・ヴェンカテーシュワラン(英語版)に誘われて『Thamizhan』の音楽監督に起用された。", "title": "キャリア" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2003年には『Whistle』の作曲を手掛け、挿入歌の「Azhagiya Asura」は観客から人気を集めた。2004年にはスンダル・C(英語版)の『Giri』に参加し、挿入歌の「Dai Kaiyaa Vechukittu」が人気を集めた。プラブ・ソロモン(英語版)の『Mynaa』でも映画音楽が高い評価を受け、映画の興行的な成功により、イマンにはより大きな企画のオファーがくるようになった。2012年と2014年には再びプラブ・ソロモンの『Kumki』『Kayal』に参加して高い評価を得ており、同時期にはスセーンティラン(英語版)の『Pandiya Naadu』『Jeeva』でも高い評価を得ている。2014年にはヴィジャイ主演の『ジッラ 修羅のシマ(英語版)』の作曲を手掛けている。2019年にはアジット・クマール、ナヤンターラ主演の『永遠の絆(英語版)』の作曲を手掛けた。このほか、シヴァカールティケーヤン(英語版)主演の『Manam Kothi Paravai』『Varuthapadatha Valibar Sangam』『ラジニムルガン(英語版)』『Seemaraja』『Namma Veettu Pillai』にも参加しており、2021年にはラジニカーント主演の『Annaatthe』の作曲を手掛けた。", "title": "キャリア" } ]
D・イマンは、インドのタミル語映画で活動する作曲家、プレイバックシンガー。2002年に『Thamizhan』で音楽監督デビューし、これまでに100本以上の映画の作曲を手掛けている。国家映画賞、フィルムフェア賞 南インド映画部門、南インド国際映画賞、タミル・ナードゥ州映画賞、ヴィジャイ・アワード、エジソン賞、アーナンダ・ヴィカタン映画賞、ジー・シネ・アワード・タミルを受賞しており、トロント大学のタミル語講座アンバサダーも務めている。
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> |名前 = D・イマーン<br />D. Imman |画像 = DSC00325 copy-lowres.jpg |画像説明 = |画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> |画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> |背景色 = maker |出生名 = Immanuel Vasanth Dinakaran<ref>{{cite news |url=http://www.newindianexpress.com/entertainment/tamil/%E2%80%98Maybe-I-Needn%E2%80%99t-have-Shortened-my-Name%E2%80%99/2014/12/25/article2586963.ece |title='Maybe I Needn't have Shortened my Name' |work=[[The New Indian Express]] |date=25 December 2014 |accessdate=25 October 2015}}</ref> |別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません --> |出生 = {{生年月日と年齢|1983|1|24}} |出身地 = {{IND}} [[タミル・ナードゥ州]][[チェンナイ]] |死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |学歴 = |ジャンル = |職業 =[[作曲家]]、[[音楽監督]]、[[プレイバックシンガー]] |活動期間 = 2002年 - |レーベル = |配偶者 = |著名な家族 = <!-- 個人のみ --> |事務所 = |共同作業者 = |公式サイト = |著名使用楽器 = <!-- 個人のみ --> }} '''D・イマーン'''(D. Imman、[[1983年]][[1月24日]]<ref>{{cite web|url=http://www.chennaionline.com/chat/celebchat/17imman-profile.asp |title=Profile of Music Director D Imman |work=Chennai Online |accessdate=21 May 2010 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071211105635/http://www.chennaionline.com/chat/celebchat/17imman-profile.asp |date=15 October 2003 |archivedate=11 December 2007 }}</ref> - )は、[[インド]]の[[タミル語映画]]で活動する[[作曲家]]、[[プレイバックシンガー]]。2002年に『[[:en:Thamizhan|Thamizhan]]』で音楽監督デビューし、これまでに100本以上の映画の作曲を手掛けている。[[国家映画賞]]、[[フィルムフェア賞 南インド映画部門]]、[[南インド国際映画賞]]、[[タミル・ナードゥ州映画賞]]、[[ヴィジャイ・アワード]]、{{仮リンク|エジソン賞 (インド)|en|Edison Awards (India)|label=エジソン賞}}、{{仮リンク|アーナンダ・ヴィカタン映画賞|en|Ananda Vikatan Cinema Awards}}、ジー・シネ・アワード・タミルを受賞しており、[[トロント大学]]のタミル語講座アンバサダーも務めている<ref>{{cite news |url=http://newindianexpress.com/entertainment/tamil/article59868.ece |title=I prefer melody to pacy songs: Imman |date=20 April 2009 |work=[[The New Indian Express]] |accessdate=21 May 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.andhracafe.com/index.php?m=show&id=13436|title=- Imman, the Tamil music director to watch|date=28 November 2006|work=andhracafe.com|accessdate=21 May 2010|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110707141744/http://www.andhracafe.com/index.php?m=show&id=13436|archivedate=7 July 2011|url-status=dead}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.thehindu.com/features/metroplus/winning-streak/article5196468.ece |title=Winning streak |newspaper=[[The Hindu]] |first1=Udhav |last1=Naig |date= 3 October 2013|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 == キャリア == 15歳の時から映画音楽の仕事に従事し、{{仮リンク|マヘーシュ・マハデーヴァン|en|Mahesh Mahadevan}}や{{仮リンク|アーディティヤン|en|Adithyan}}に師事してキーボードの演奏技術を学んだ<ref name="ss" />。同じころにテレビプロデューサーの{{仮リンク|クッティ・パドミニ|en|Kutty Padmini}}の目に留まり、『[[:en:Krishnadasi (2000 TV series)|Krishnadasi]]』のテーマソングと背景音楽を任された<ref name="ss">{{cite news |url=http://silverscreen.in/features/factory-made-the-d-imman-interview/ |title=Factory Made: The D Imman Interview |work=Silverscreen India |author=Vandhana |date=17 February 2015 |accessdate=25 October 2015}}</ref>。これをきっかけに『Kolangal』『Police Diary』『Mandhira Vaasal』の音楽を手掛けるようになり、さらに{{仮リンク|カールティク (俳優)|en|Karthik (actor)|label=カールティク}}、[[ミーナ (女優)|ミーナ]]主演の『Kaadhale Swasam』の映画音楽を担当する機会を得た<ref>{{Cite web|url=http://www.dinakaran.com/cinema/english/cinenews/2001/june/14-06.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041118135616/http://www.dinakaran.com/cinema/english/cinenews/2001/june/14-06.htm|archivedate=18 November 2004|title=Dinakaran|accessdate=2023-09-30}}</ref>。その後、同作のアルバムに感銘を受けた{{仮リンク|G・ヴェンカテーシュワラン|en|G. Venkateswaran}}に誘われて『[[:en:Thamizhan|Thamizhan]]』の音楽監督に起用された<ref name="ss"/>。 2003年には『[[:en:Whistle (2003 film)|Whistle]]』の作曲を手掛け、挿入歌の「Azhagiya Asura」は観客から人気を集めた<ref name="hin">{{cite news |url=http://www.thehindu.com/features/cinema/interview-with-imman/article6711006.ece |title=Imman on a mission |date=20 December 2014 |first1=Vishal |last1=Menon |work=[[The Hindu]] |accessdate=25 October 2015}}</ref>。2004年には{{仮リンク|スンダル・C|en|Sundar C.}}の『[[:en:Giri (film)|Giri]]』に参加し、挿入歌の「Dai Kaiyaa Vechukittu」が人気を集めた。{{仮リンク|プラブ・ソロモン|en|Prabhu Solomon}}の『[[:en:Mynaa|Mynaa]]』でも映画音楽が高い評価を受け、映画の興行的な成功により、イマンにはより大きな企画のオファーがくるようになった<ref name="ss"/>。2012年と2014年には再びプラブ・ソロモンの『[[:en:Kumki (film)|Kumki]]』『[[:en:Kayal (film)|Kayal]]』に参加して高い評価を得ており、同時期には{{仮リンク|スセーンティラン|en|Suseenthiran}}の『[[:en:Pandiya Naadu|Pandiya Naadu]]』『[[:en:Jeeva (2014 film)|Jeeva]]』でも高い評価を得ている。2014年には[[ヴィジャイ]]主演の『{{仮リンク|ジッラ 修羅のシマ|en|Jilla}}』の作曲を手掛けている。2019年には{{仮リンク|アジット・クマール|en|Ajith Kumar}}、[[ナヤンターラ]]主演の『{{仮リンク|永遠の絆 (映画)|en|Viswasam|label=永遠の絆}}』の作曲を手掛けた。このほか、[[シヴァカールティケーヤン]]主演の『[[:en:Manam Kothi Paravai|Manam Kothi Paravai]]』『[[:en:Varuthapadatha Valibar Sangam|Varuthapadatha Valibar Sangam]]』『{{仮リンク|ラジニムルガン|en|Rajinimurugan}}』『[[:en:Seemaraja|Seemaraja]]』『[[:en:Namma Veettu Pillai|Namma Veettu Pillai]]』にも参加しており<ref name="hin"/>、2021年には[[ラジニカーント]]主演の『[[:en:Annaatthe|Annaatthe]]』の作曲を手掛けた<ref>{{Cite web |title=Thalaivar 168: Music composer D Imman roped in for Rajinikanth-Siva's film? |url=https://www.cinemaexpress.com/stories/news/2019/oct/13/thalaivar-168-music-composer-d-imman-roped-in-for-rajinikanth-siruthai-sivas-film-14859.html |accessdate=2021-10-04 |website=[[Cinema Express]] |language=en}}</ref>。 == ディスコグラフィー == {{main|{{仮リンク|D・イマーンのディスコグラフィー|en|D. Imman discography}}}} == 受賞歴 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !年 !部門 !作品名 !結果 !出典 |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|栄誉賞 |- | 2021年 | {{仮リンク|カライマーマニ賞|en|Kalaimamani}} | {{N/a}} | {{won}} | <ref>{{Cite news|date=2021-02-20|title=T.N. govt. announces Kalaimamani awards for 2019, 2020|language=en-IN|work=The Hindu|url=https://www.thehindu.com/news/national/tamil-nadu/tn-govt-announces-kalaimamani-awards-for-2019-2020/article33885249.ece|accessdate=2022-01-16|issn=0971-751X}}</ref> |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|[[国家映画賞]] |- | {{仮リンク|第67回国家映画賞|en|67th National Film Awards|label=2021年}} | {{仮リンク|国家映画賞 音楽監督賞|en|National Film Award for Best Music Direction|label=歌曲部門音楽監督賞}} | 『永遠の絆』 | {{won}} | <ref>{{Cite news|author=The Hindu Net Desk|date=2021-03-22|title=67th National Film Awards: Complete list of winners|language=en-IN|work=The Hindu|url=https://www.thehindu.com/entertainment/movies/67th-national-film-awards-complete-list-updating/article34131921.ece|accessdate=2021-03-22|issn=0971-751X}}</ref> |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|[[フィルムフェア賞 南インド映画部門]] |- | {{仮リンク|第60回フィルムフェア賞 南インド映画部門|en|60th Filmfare Awards South|label=2013年}} | rowspan=4 |{{仮リンク|フィルムフェア賞 タミル語映画部門音楽監督賞|en|Filmfare Award for Best Music Director – Tamil|label=タミル語映画部門音楽監督賞}} | 『Kumki』 | {{won}} | <ref>{{Cite web|url=https://www.filmfare.com/news/list-of-winners-at-the-60th-idea-filmfare-awards-south-3745.html|title = List of Winners at the 60th Idea Filmfare Awards (South)|accessdate=2023-10-01}}</ref> |- | {{仮リンク|第61回フィルムフェア賞 南インド映画部門|en|61st Filmfare Awards South|label=2014年}} | 『[[:en:Varuthapadatha Valibar Sangam|Varuthapadatha Valibar Sangam]]』 | rowspan=3 {{nom}} | |- | {{仮リンク|第65回フィルムフェア賞 南インド映画部門|en|65th Filmfare Awards South|label=2018年}} | 『[[:en:Bogan (film)|Bogan]]』 | |- | {{仮リンク|第67回フィルムフェア賞 南インド映画部門|en|67th Filmfare Awards South|label=2022年}} | 『Annaatthe』 | |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|[[南インド国際映画賞]] |- | {{仮リンク|第2回南インド国際映画賞|en|2nd South Indian International Movie Awards|label=2013年}} | rowspan=5 |タミル語映画部門音楽監督賞 | 『Kumki』 | rowspan=4 {{nom}} | |- | {{仮リンク|第3回南インド国際映画賞|en|3rd South Indian International Movie Awards|label=2014年}} | 『Varuthapadatha Valibar Sangam』 | |- | {{仮リンク|第4回南インド国際映画賞|en|4th South Indian International Movie Awards|label=2015年}} | 『[[:en:Rummy (2014 film)|Rummy]]』 | |- | {{仮リンク|第7回南インド国際映画賞|en|7th South Indian International Movie Awards|label=2018年}} | 『Bogan』 | |- | {{仮リンク|第11回南インド国際映画賞|en|11th South Indian International Movie Awards|label=2023年}} | 『永遠の絆』 | {{won}} | <ref>{{Cite web|last=Desk|first=India com Entertainment|date=2021-09-20|title=SIIMA 2021 Full Winners' List: Mahesh Babu&nbsp;— Rashmika Mandanna Win Best Actor And Actress Award|url=https://www.india.com/entertainment/siima-2021-full-winners-list-mahesh-babu-rashmika-mandanna-win-best-actor-and-actress-award-4968951/|accessdate=2021-10-14|website=India News, Breaking News {{!}} India.com|language=en}}</ref> |- | {{仮リンク|第6回南インド国際映画賞|en|6th South Indian International Movie Awards|label=2017年}} | タミル語映画部門男性プレイバックシンガー賞 | {{ubl|「Ennamma Ippadi Pannrengale Maa」|『ラジニムルガン』}} | {{nom}} | |- ! 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colspan="5" style="background: #eedd82;"|{{仮リンク|エジソン賞 (インド)|en|Edison Awards (India)|label=エジソン賞}} |- | 2012年 | 音楽監督賞 | 『Kumki』 | {{won}} | |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|{{仮リンク|アーナンダ・ヴィカタン映画賞|en|Ananda Vikatan Cinema Awards}} |- | 2012年 | 音楽監督賞 | 『Kumki』 | {{won}} | |- ! colspan="5" style="background: #eedd82;"|ジー・シネ・アワード・タミル |- | 2019年 | フェイバリット音楽監督賞 | 『永遠の絆』 | {{won}} | |- |} == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{IMDb name|1300033|D. Imman}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:いまあん てい}} [[Category:インドの映画音楽の作曲家]] [[Category:タミル語映画のプレイバックシンガー]] [[Category:カライマーマニ賞受賞者]] [[Category:国家映画賞受賞者]] [[Category:フィルムフェア賞 南インド映画部門受賞者]] [[Category:南インド国際映画賞受賞者]] [[Category:タミル・ナードゥ州映画賞受賞者]] [[Category:チェンナイ出身の人物]] [[Category:1983年生]] [[Category:存命人物]]
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木下浩次
木下 浩次(きのした ひろじ、1919年8月7日 - 2006年4月12日)は、日本の経営者。大同特殊鋼社長、会長を務めた。熊本県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1975年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1982年9月に大同特殊鋼副社長に就任し、1986年5月には社長に昇格。1988年5月に会長に就任し、1992年6月に相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年4月8日左腎腫瘍のために死去。86歳没。
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木下 浩次は、日本の経営者。大同特殊鋼社長、会長を務めた。熊本県出身。
'''木下 浩次'''(きのした ひろじ、[[1919年]][[8月7日]] - [[2006年]][[4月12日]])は、[[日本]]の[[経営者]]。[[大同特殊鋼]]社長、会長を務めた{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。[[熊本県]]出身{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。 == 経歴 == [[1943年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]経済学部を卒業し、同年に[[日本製鐵]]に入社{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。[[1975年]]5月に取締役に就任し、[[1979年]]6月に常務、[[1982年]]6月に専務を経て、[[1982年]]9月に[[大同特殊鋼]]副社長に就任し、[[1986年]]5月には社長に昇格{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。[[1988年]]5月に会長に就任し、[[1992年]]6月に相談役に就任{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。 [[1987年]]11月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章し、[[1991年]]11月に[[瑞宝章|勲二等瑞宝章]]を受章{{sfn|人事興信所|1999|loc=き18頁|ref=jinji-40-jo}}。 [[2006年]][[4月8日]][[左腎腫瘍]]のために死去<ref>2006年 4月18日 日本経済新聞 朝刊 p39</ref>。{{没年齢|1919|8|7|2006|4|12}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第40版 上|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1999|pages = |url = |ref = jinji-40-jo}} {{People-substub}} {{先代次代|大同特殊鋼社長|1986年 - 1988年|[[秋田正彌]]|[[岸田寿夫]] }} {{デフォルトソート:きのした ひろし}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:日本製鐵の人物]] [[Category:大同特殊鋼の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:勲二等瑞宝章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:熊本県出身の人物]] [[Category:1919年生]] [[Category:2006年没]]
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オノラ1世・ド・サヴォワ
オノラ1世・ド・サヴォワ(Honorat I de Savoie, 1538年10月 マルセイユ - 1572年10月11日 アヴィニョン)は、ヴァロワ朝時代フランスの廷臣・軍人。タンド伯(フランス語版)及びソムリーヴ伯。1566年に父親から引き継いだプロヴァンス州知事(フランス語版)及びプロヴァンスの大セネシャル(フランス語版)の職を務めた。 タンド伯クロード・ド・サヴォワとその最初の妻マリー・ド・シャバンヌの間の次男として、1538年10月マルセイユのフランス国王居館で誕生。母はオノラの出産時に産褥死した。10月30日ノートルダム=デザクール教会(フランス語版)で洗礼を受け、叔父のヴィラール伯オノラと姉のルネが洗礼の代父母を務めた。 1562年、王母カトリーヌ・ド・メディシスはプロヴァンス州のプロテスタント勢力に対抗するため、オノラをプロヴァンス州統監(英語版)に任命した。州知事であったオノラの父クロードが、後妻フランソワーズ・ド・フォワ=カンダルの影響で同州のプロテスタント派の頭目となっており、これに対抗させるためであった。オノラは自らの正統性を証明すべくエクス=アン=プロヴァンスで高等法院を開催するよう王母に命じられるが、高等法院は結局プロテスタント側に牛耳られる事態となった。 オノラは州統監ながら自前の軍勢を持っていなかったため、プロヴァンスのカトリック派の頭目カルセス伯ジャン・ド・ポンテヴェス(フランス語版)の協力を得て軍を結集しエクスの町を占領した。この余勢を駆って在地の多くのカトリック勢力がさらに集まって連携を取るようになった。クロードはプロテスタント側の勢いを取り戻すべく奔走し、ペルテュイ(英語版)を占領、ここを拠点にシストロンを奪回した。この間、ユグノーの闘士フランソワ・ド・ボーモン(英語版)がクロードを軍事面で支えた。オノラは父の反撃の前にオランジュをあらかじめ占領していたが、プロテスタント側の軍勢に奪回された。今度はカルセス伯やスーズ伯フランソワ・ド・ラ・ボーム(ドイツ語版)らプロヴァンスの在地領主の軍勢に傭兵隊長セルベローニ(Fabrizio Serbelloni)率いる教皇庁からの援軍も加わったカトリックの大軍勢が集まり、再びオランジュを占領した。町では略奪と殺戮が繰り広げられ、司教館でも金品が根こそぎ持ち去られた。 オノラのカトリック側軍勢がシストロンを奪回すると、クロードは滞在していたバルスロネットの渓谷を出てシストロンを包囲し、投降した息子オノラを捕虜とした。しかしオノラは監獄を脱出し、クロードは息子を追跡させたが捕縛できず、オノラはカトリック軍勢と合流した。そしてオノラのカトリック軍が再びシストロンを包囲・占領する。抵抗を諦めたクロードはトリノに亡命し、プロヴァンス州はカトリック側に制圧された。しかしオノラはこの優位を上手く活用できず、軍事的成功としてはサン=ジルを征服するに留まり、カトリック軍勢はフランソワ・ド・ボーモンのプロテスタント軍勢に急襲され大きな損害を被る。ボーモンの追撃を振り切るため、オノラはやむなくローヌ川に架かる橋を破却せねばならなかった。 50名の重騎兵隊の隊長として、1565年11月12日聖ミシェル騎士団(英語版)騎士に叙任された。1566年4月23日に父が死ぬと同時にタンド伯爵位を、5日後の4月28日にプロヴァンス州知事及びプロヴァンスの大セネシャルの職を引き継いだ。 オノラは次にニームの征服を狙ったが、失敗に終わった。プロテスタント側がシストロンを再び占領したため、奪回すべく包囲作戦を行うが、敗北し、逆にシストロンの守備隊から追撃を受けた。しかしカルセス伯の策略が功を奏し、追手は撃退された。オノラはエクス=アン=プロヴァンスに戻るが、そこで軍資金を提供しているスーズ伯からの要求を呑み、ヴネサン伯領(英語版)の諸都市の征服に赴くことを決める。オノラとスーズ伯は同伯領の大半の都市を征服したが、配下の兵は略奪と殺戮を行ったため、エクスの高等法院はこれに異議を唱え、シストロンのプロテスタント達は憤激した。この出来事によってオノラの評判は地に落ちた。彼はエクスの高等法院の許可を得て3000名の軍団を編成し、国王軍の一部として供出した。彼はこの軍団を引き連れて国王軍の指揮官に加わるつもりだったが、アンジュー公爵がこの軍団の指揮権を取り上げてしまったため、プロヴァンスへの帰郷を余儀なくされた。 オノラは1572年10月1日にサロン=ド=プロヴァンスで病に倒れたが、本家のサヴォイア公爵宛の手紙には、体調は回復しつつあると報告している。彼は病を押してアヴィニョンに向かい、同市で年明けに迎えたばかりの2番目の妻と再会したが、その数日後の10月11日に34歳で亡くなった。タンド伯爵位などは伯父のヴィラール侯オノラが継いたが、祖父ルネ・ド・サヴォワから一族が世襲してきたプロヴァンス州の知事及び大セネシャルの職位はもはやサヴォワ=タンド家のものではなくなった。大セネシャル職はカルセス伯に、州知事職はガスパール・ド・ソー=タヴァンヌ(英語版)に引き継がれた。 オノラは生涯に2度結婚したが、いずれの妻との間にも子を授からなかった。
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オノラ1世・ド・サヴォワは、ヴァロワ朝時代フランスの廷臣・軍人。タンド伯及びソムリーヴ伯。1566年に父親から引き継いだプロヴァンス州知事及びプロヴァンスの大セネシャルの職を務めた。
[[file:Honorat I de Savoie, seigneur de Sommerive.png|thumb|タンド伯オノラ1世]] '''オノラ1世・ド・サヴォワ'''('''Honorat I<sup>er</sup> de Savoie''', [[1538年]]10月 [[マルセイユ]] - [[1572年]][[10月11日]] [[アヴィニョン]])は、[[ヴァロワ朝]]時代フランスの廷臣・軍人。{{仮リンク|タンド伯領|fr|Comté de Tende|label=タンド伯}}及び[[ソンマリーヴァ・デル・ボスコ|ソムリーヴ]]伯。1566年に父親から引き継いだ{{仮リンク|プロヴァンス州知事の一覧|fr|Liste des gouverneurs de Provence|label=プロヴァンス州知事}}及び{{仮リンク|プロヴァンスの大セネシャル|fr|Grand sénéchal de Provence|label=プロヴァンスの大セネシャル}}の職を務めた。 == 生涯 == === 出自 === タンド伯[[クロード・ド・サヴォワ]]とその最初の妻マリー・ド・シャバンヌの間の次男として、1538年10月マルセイユのフランス国王居館で誕生。母はオノラの出産時に産褥死した。10月30日{{仮リンク|ノートルダム=デザクール教会|fr|Église Notre-Dame-des-Accoules|label=ノートルダム=デザクール教会}}で洗礼を受け、叔父のヴィラール伯[[オノラ2世・ド・サヴォワ|オノラ]]と姉のルネが洗礼の代父母を務めた。 === 業績 === 1562年、王母[[カトリーヌ・ド・メディシス]]はプロヴァンス州のプロテスタント勢力に対抗するため、オノラをプロヴァンス{{仮リンク|リュートナン=ジェネラル (フランス)|en|Lieutenant-General (France)|label=州統監}}に任命した。州知事であったオノラの父クロードが、後妻フランソワーズ・ド・フォワ=カンダルの影響で同州のプロテスタント派の頭目となっており、これに対抗させるためであった。オノラは自らの正統性を証明すべく[[エクス=アン=プロヴァンス]]で[[高等法院 (フランス)|高等法院]]を開催するよう王母に命じられるが、高等法院は結局プロテスタント側に牛耳られる事態となった。 オノラは州統監ながら自前の軍勢を持っていなかったため、プロヴァンスのカトリック派の頭目カルセス伯{{仮リンク|ジャン5世・ド・ポンテヴェス|fr|Jean V de Pontevès|label=ジャン・ド・ポンテヴェス}}の協力を得て軍を結集しエクスの町を占領した。この余勢を駆って在地の多くのカトリック勢力がさらに集まって連携を取るようになった。クロードはプロテスタント側の勢いを取り戻すべく奔走し、{{仮リンク|ペルテュイ|en|Pertuis|label=ペルテュイ}}を占領、ここを拠点に[[シストロン]]を奪回した。この間、ユグノーの闘士{{仮リンク|フランソワ・ド・ボーモン|en|François de Beaumont|label=フランソワ・ド・ボーモン}}がクロードを軍事面で支えた。オノラは父の反撃の前に[[オランジュ]]をあらかじめ占領していたが、プロテスタント側の軍勢に奪回された。今度はカルセス伯やスーズ伯{{仮リンク|フランソワ・ド・ラ・ボーム|de|François de La Baume|label=フランソワ・ド・ラ・ボーム}}らプロヴァンスの在地領主の軍勢に傭兵隊長セルベローニ(Fabrizio Serbelloni)率いる教皇庁からの援軍も加わったカトリックの大軍勢が集まり、再びオランジュを占領した。町では略奪と殺戮が繰り広げられ、司教館でも金品が根こそぎ持ち去られた。 オノラのカトリック側軍勢がシストロンを奪回すると、クロードは滞在していた[[バルスロネット]]の渓谷を出てシストロンを包囲し、投降した息子オノラを捕虜とした。しかしオノラは監獄を脱出し、クロードは息子を追跡させたが捕縛できず、オノラはカトリック軍勢と合流した。そしてオノラのカトリック軍が再びシストロンを包囲・占領する。抵抗を諦めたクロードはトリノに亡命し、プロヴァンス州はカトリック側に制圧された。しかしオノラはこの優位を上手く活用できず、軍事的成功としては[[サン=ジル (ガール県)|サン=ジル]]を征服するに留まり、カトリック軍勢はフランソワ・ド・ボーモンのプロテスタント軍勢に急襲され大きな損害を被る。ボーモンの追撃を振り切るため、オノラはやむなく[[ローヌ川]]に架かる橋を破却せねばならなかった。 50名の重騎兵隊の隊長として、1565年11月12日{{仮リンク|聖ミシェル騎士団|en|Order of Saint Michael|label=聖ミシェル騎士団}}騎士に叙任された。1566年4月23日に父が死ぬと同時にタンド伯爵位を、5日後の4月28日にプロヴァンス州知事及びプロヴァンスの大セネシャルの職を引き継いだ。 オノラは次に[[ニーム (フランス)|ニーム]]の征服を狙ったが、失敗に終わった。プロテスタント側がシストロンを再び占領したため、奪回すべく包囲作戦を行うが、敗北し、逆にシストロンの守備隊から追撃を受けた。しかしカルセス伯の策略が功を奏し、追手は撃退された。オノラはエクス=アン=プロヴァンスに戻るが、そこで軍資金を提供しているスーズ伯からの要求を呑み、{{仮リンク|ヴネサン伯領|en|Comtat Venaissin|label=ヴネサン伯領}}の諸都市の征服に赴くことを決める。オノラとスーズ伯は同伯領の大半の都市を征服したが、配下の兵は略奪と殺戮を行ったため、エクスの高等法院はこれに異議を唱え、シストロンのプロテスタント達は憤激した。この出来事によってオノラの評判は地に落ちた。彼はエクスの高等法院の許可を得て3000名の軍団を編成し、国王軍の一部として供出した。彼はこの軍団を引き連れて国王軍の指揮官に加わるつもりだったが、[[アンリ3世 (フランス王)|アンジュー公爵]]がこの軍団の指揮権を取り上げてしまったため、プロヴァンスへの帰郷を余儀なくされた。 === 死去 === オノラは1572年10月1日に[[サロン=ド=プロヴァンス]]で病に倒れたが、本家の[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|サヴォイア公爵]]宛の手紙には、体調は回復しつつあると報告している。彼は病を押して[[アヴィニョン]]に向かい、同市で年明けに迎えたばかりの2番目の妻と再会したが、その数日後の10月11日に34歳で亡くなった。タンド伯爵位などは伯父のヴィラール侯オノラが継いたが、祖父[[ルネ・ド・サヴォワ]]から一族が世襲してきたプロヴァンス州の知事及び大セネシャルの職位はもはやサヴォワ=タンド家のものではなくなった。大セネシャル職はカルセス伯に、州知事職は{{仮リンク|ガスパール・ド・ソー|en|Gaspard de Saulx|label=ガスパール・ド・ソー=タヴァンヌ}}に引き継がれた。 == 結婚 == オノラは生涯に2度結婚したが、いずれの妻との間にも子を授からなかった。 *1558年3月1日、王母カトリーヌ・ド・メディシスの従兄弟にあたる元帥{{仮リンク|ピエロ・ストロッツィ|en|Piero Strozzi|label=ピエロ・ストロッツィ}}の娘クラリーチェ・ストロッツィと結婚。 *1572年1月1日、叔母[[マドレーヌ・ド・サヴォワ]]の娘エレオノール・ド・モンモランシーとその夫のテュレンヌ子爵フランソワ3世・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの間の娘、マルグリート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュと再婚。 == 参考文献 == * Régis de la Colombière: ''Notice sur les comtes de Tende. Gouverneurs de Provence.'' In: ''Revue de Marseille et de Provence.'' 1864, S. 415 * Henri de Panisse-Passis: ''Les comtes de Tende de la maison de Savoie.'' Librairie Firmin-Didot et Cie, 1889, S. 66, 117, 131f * Jean Duquesne: ''Dictionnaire des Gouverneurs de Province.'' Éditions Christian, Paris 2002, ISBN 2864960990, S. 186 * Claude-Francois Achard: ''Dictionnaire de la Provence et du comté Venaissin dédié à Monseigneur le maréchal prince de Beauvau par une société de gens de lettres contenant la seconde partie & dernière partie de l'Histoire des hommes illustres de la Provence.'' Band 4, S. 193–196, Imprimerie de Jean Mossy, Marseille, 1787 {{DEFAULTSORT:おのら1 さうおあ}} [[Category:フランスの軍人]] [[Category:ユグノー戦争の人物]] [[Category:ヴァロワ朝の人物]] [[Category:タンド伯]] [[Category:サヴォワ=タンド家]] [[Category:1538年生]] [[Category:1572年没]]
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1928年アムステルダムオリンピックの飛込競技
1928年アムステルダムオリンピックの飛込競技では4種目が行われた。今大会で、男子素高飛込(plain high diving)が除外された。1928年8月6日から8月11日まで行われた。 17の国から61人(男子38人、女子23人)が出場した。男子は16の国から、女子は9の国から出場した。
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1928年アムステルダムオリンピックの飛込競技では4種目が行われた。今大会で、男子素高飛込(plain high diving)が除外された。1928年8月6日から8月11日まで行われた。
{{Infobox Olympic event | event = 飛込競技 | games = 1928夏季 | image = [[File:Diving pictogram.svg|100px]] | image_size = | caption = | venue = [[Olympic Sports Park Swim Stadium]] | dates = {{Start date|df=yes|1928|08|06}}から<br /> {{End date|df=yes|1928|08|11}} | num_events = 4 | competitors = 61 | nations = 17 | teams = | win_value = | gold = | goldNOC = | silver = | silverNOC = | bronze = | bronzeNOC = | prev = [[1924年パリオリンピックの飛込競技|1924]] | next = [[1932年ロサンゼルスオリンピックの飛込競技|1932]] }} [[1928年アムステルダムオリンピック]]の[[オリンピックの飛込競技|飛込競技]]では4種目が行われた。今大会で、男子素高飛込(plain high diving)が除外された。1928年8月6日から8月11日まで行われた<ref>{{cite sports-reference |url=https://www.sports-reference.com/olympics/summer/1928/DIV/ |title=Diving at the 1928 Amsterdam Summer Games |access-date=12 May 2020}}</ref>。 ==競技結果== ===男子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |3m飛板飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ピーター・デジャルディンズ|en|Pete Desjardins}}|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|マイケル・ガリツィン|en|Michael Galitzen}}|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ファリド・シマイカ|en|Farid Simaika}}|EGY|1928夏季}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ピーター・デジャルディンズ|en|Pete Desjardins}}|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ファリド・シマイカ|en|Farid Simaika}}|EGY|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|マイケル・ガリツィン|en|Michael Galitzen}}|USA|1928夏季}} |} ===女子=== {| {{MedalistTable|type=種目}} |- |3m飛板飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ヘレン・ミーニー|en|Helen Meany}}|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|[[ドロシー・ポイントン=ヒル]]|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|[[ジョージア・コールマン]]|USA|1928夏季}} |- |10m高飛込 |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|エリザベス・ベッカー=ピンクストン|en|Elizabeth Becker-Pinkston}}|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|[[ジョージア・コールマン]]|USA|1928夏季}} |{{flagIOCathlete|{{仮リンク|ローラ・ショークヴィスト|en|Laura Sjöqvist}}|SWE|1928夏季}} |} ==参加国== 17の国から61人(男子38人、女子23人)が出場した。男子は16の国から、女子は9の国から出場した。 * {{flagIOC|AUS|1928夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|AUT|1928夏季|2}} <small>(men:1 women:1)</small> * {{flagIOC|CAN|1928夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|TCH|1928夏季|2}} <small>(men:2 women:0)</small> * {{flagIOC|DEN|1928夏季|1}} <small>(men:0 women:1)</small> * {{flagIOC|EGY|1928夏季|2}} <small>(men:2 women:0)</small> * {{flagIOC|FIN|1928夏季|2}} <small>(men:1 women:1)</small> * {{flagIOC|FRA|1928夏季|4}} <small>(men:3 women:1)</small> * {{flagIOC|GER|1928夏季|9}} <small>(men:5 women:4)</small> * {{flagIOC|GBR|1928夏季|7}} <small>(men:4 women:3)</small> * {{flagIOC|ITA|1928夏季|3}} <small>(men:3 women:0)</small> * {{flagIOC|JPN|1928夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|MEX|1928夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|NED|1928夏季|7}} <small>(men:3 women:4)</small> * {{flagIOC|SWE|1928夏季|8}} <small>(men:5 women:3)</small> * {{flagIOC|SUI|1928夏季|1}} <small>(men:1 women:0)</small> * {{flagIOC|USA|1928夏季|9}} <small>(men:4 women:5)</small> ==各国メダル数== {{Medals table | caption = | host = | flag_template = flagIOC | event = 1928夏季 | team = | gold_USA = 4 | silver_USA = 3 | bronze_USA = 2 | gold_EGY = 0 | silver_EGY = 1 | bronze_EGY = 1 | gold_SWE = 0 | silver_SWE = 0 | bronze_SWE = 1 }} ==出典== {{Reflist}} {{1928年アムステルダムオリンピックの実施競技}} {{オリンピック飛込競技}} {{DEFAULTSORT:あむすてるたむおりんひつく1928のとひこみきようき}} [[Category:1928年アムステルダムオリンピックの各競技|とひこみ]] [[Category:オリンピックの飛込競技|1928]]
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二宮茂明 (大蔵官僚)
二宮茂明 (にのみやしげあき 1951年2月18日- ) は日本の大蔵官僚 愛媛県出身。 1969年(昭和44年)私立愛光高等学校卒業。 1973年(昭和48年)京都大学経済学部卒業 1973年 (昭和48年) 4月 大蔵省入省 1978年 (昭和53年) 7月 防府税務署長 1983年 (昭和58年) 5月 日本貿易振興会フランクフルト事務所長 1989年 (平成元年) 6月 名古屋国税局直税部長 1990年 (平成 2年) 7月 東京国税局査察部長 1992年 (平成 4年)7月 国税庁課税部酒税課長 1995年 (平成 7年)6月 銀行局保険部保険第一課長 1997年 (平成 9年) 7月 北陸財務局長 1998年 (平成10年) 7月 日本たばこ産業(株) 出向 2000年 (平成12年) 6月 大蔵省大臣官房参事官兼内閣審議官(内政審議室) 2001年 (平成13年) 1月 財務省関東財務局長 2002年 (平成14年) 7月 国民生活金融公庫理事 2005年 (平成17年) 6月 群馬銀行取締役 2005年 (平成17年) 6月 財団法人群馬経済研究所代表理事・理事長 2010年 (平成22年) 2月 一般財団法人群馬経済研究所代表理事・理事長 2016年 (平成28年) 6月~現在 群栄化学工業(株) 監査役 (株)UEX 監査役 フロンティア・マネジメント(株) 常勤顧問
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二宮茂明 は日本の大蔵官僚
{{独自研究 |date = 2023-9}} {{官僚 |人名 = 二宮 茂明 |各国語表記 = にのみや しげあき |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |国略称 = {{JPN}} |生年月日 = {{生年月日と年齢|1951|2|18}} |出生地 = {{JPN}}・[[愛媛県]] |没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |死没地 = |出身校 = [[京都大学大学院経済学研究科・経済学部|京都大学経済学部]] |前職 = |現職 = |所属政党 = |称号・勲章 = |配偶者 = |子女 = |親族(政治家) = |サイン = |ウェブサイト = |サイトタイトル = |国旗 = |職名 = |就任日 = |退任日 = }} '''二宮 茂明'''(にのみや しげあき、[[1951年]][[2月18日]] - ) は、[[日本]]の[[大蔵省]]・[[財務省]]に勤務した[[官僚]]。[[愛媛県]]出身。 == 来歴 == [[愛光中学校・高等学校|私立愛光高等学校]]を経て、[[1973年]]に[[京都大学大学院経済学研究科・経済学部|京都大学経済学部]]を卒業した。 卒業と同年4月に大蔵省に入り、1990年に[[東京国税局]][[査察部]]長、1992年に[[国税庁]]課税部酒税課長など、税務関連の役職を歴任した。1995年6月から[[銀行局]]保険部保険第一課長、1997年には[[北陸財務局]]長を務めた後、1998年に[[日本たばこ産業]]に出向する。 2000年に[[財務省大臣官房|大蔵省大臣官房]][[参事官]]兼[[審議官|内閣審議官]](内政審議室)として復帰。以後[[財務省]]への省庁再編後は2001年から[[関東財務局]]長を務めた。 2002年7月に[[国民生活金融公庫]]の理事に転じる。 2005年に[[群馬銀行]]取締役および[[財団法人]]群馬経済研究所代表理事・理事長となる。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にのみや しけあき}} [[Category:1951年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:愛媛県出身の人物]] [[Category:京都大学出身の人物]] [[Category:日本の財務官僚]] [[Category:関東財務局長]]
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イル・ビゾンテ・フィレンツェ
イル・ビゾンテ・フィレンツェ(Il Bisonte Firenze)はイタリアのトスカーナ州フィレンツェを本拠地とするスポーツクラブチームであり、2023/24シーズンはイタリアセリエAのA1に所属している。 1975年にVolleyball Arci San Cascianoとして設立。当初はユースチームに重点を置いて活動していた。1986年にチーム名をAzzurra Volley San Cascianoとし、セリエB2に到達。2002年にセリエB1リーグへ昇格。2004年にメインスポンサーが見つかり、チーム名をIl Bisonte Azzurra Volley San Cascianoとした。2011/12シーズンにセリエB1で優勝を果たし、2012/13シーズンよりセリエA2リーグへ昇格。2013/14シーズンにセリエA2リーグで準優勝した。2014/15シーズンからはセリエA1リーグへの昇格を果たし、ホームアリーナをネルソン・マンデラ・フォーラムに変更した。初年度のリーグでは10位となった。2016/17シーズンセリエA1リーグでは8位、2018/19、2020/21シーズンのセリエA1リーグ7位と徐々に成績を安定させている。 2023-24年シーズンの登録選手は次の通り。
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イル・ビゾンテ・フィレンツェはイタリアのトスカーナ州フィレンツェを本拠地とするスポーツクラブチームであり、2023/24シーズンはイタリアセリエAのA1に所属している。
{{バレーボールチーム |チーム名=イル・ビゾンテ・フィレンツェ |原語表記= |総称=Il Bisonte Firenze |画像=Il Bisonte Volley Firenze.png |ホームタウン={{Flagicon|ITA}} [[フィレンツェ]] |クラブカラー=青、白 |創設年=1975年 |所属リーグ=[[セリエA (バレーボール)|イタリアセリエA]] |代表者={{Flagicon|ITA}} Elio Sità |監督={{Flagicon|ITA}} Carlo Parisi |ホームアリーナ=Nelson Mandela Forum |ホームページ=[https://www.ilbisonte.com/pages/il-bisonte-firenze-florence 公式サイト] }} '''イル・ビゾンテ・フィレンツェ'''(Il Bisonte Firenze)は、[[イタリア]]の[[トスカーナ州]][[フィレンツェ]]を本拠地とするスポーツクラブチームであり、2023/24シーズンは[[セリエA (バレーボール)|イタリアセリエA]]のA1に所属している。 ==歴史== 1975年に'''Volleyball Arci San Casciano'''として設立。当初はユースチームに重点を置いて活動していた。1986年にチーム名をAzzurra Volley San Cascianoとし、セリエB2に到達。2002年にセリエB1リーグへ昇格。2004年にメインスポンサーが見つかり、チーム名を'''Il Bisonte Azzurra Volley San Casciano'''とした。2011/12シーズンにセリエB1で優勝を果たし、2012/13シーズンよりセリエA2リーグへ昇格。2013/14シーズンにセリエA2リーグで準優勝した。2014/15シーズンからはセリエA1リーグへの昇格を果たし、ホームアリーナをネルソン・マンデラ・フォーラムに変更した。初年度のリーグでは10位となった。2016/17シーズンセリエA1リーグでは8位、2018/19、2020/21シーズンのセリエA1リーグ7位と徐々に成績を安定させている。 == 主な成績 == ; [[File:Scudetto.svg|20px|Scudetto]] [[セリエA (バレーボール)|セリエA]] * 2018/19シーズン、2020/21シーズン - 7位 * 2016/17シーズン、2021/22シーズン - 8位 == 登録選手 == 2023-24年シーズンの登録選手は次の通り。 {{バレーボールのポジション}} {| style="background-color:#FFFFFF; font-size: 95%; border: gray solid 1px; border-collapse: collapse;" cellpadding="3" cellspacing="0" border="1" !背番号!!国籍/名前!!ポジション!!身長 |- |align=center|1 |{{flagicon|ITA}} Beatrice Agrifoglio |セッター |align=center|1.78 |- |align=center|3 |{{flagicon|ITA}} Manuela Ribechi |リベロ |align=center|1.70 |- |align=center|4 |{{flagicon|JPN}} [[石川真佑]] |アウトサイドヒッター |align=center|1.73 |- |align=center|6 |{{flagicon|ITA}} [[ジュリア・レオナルディ]] |リベロ |align=center|1.64 |- |align=center|7 |{{flagicon|ITA}} Ilaria Battistoni |セッター |align=center|1.74 |- |align=center|8 |{{flagicon|GER}} Lina Alsmeier |アウトサイドヒッター |align=center|1.89 |- |align=center|9 |{{flagicon|CUB}} Ailama Cesé |アウトサイドヒッター |align=center|1.90 |- |align=center|11 |{{flagicon|SWE}} [[アレクサンドラ・ラジック]] |アウトサイドヒッター |align=center|1.88 |- |align=center|12 |{{flagicon|ITA}} Alessia Mazzaro |ミドルブロッカー |align=center|1.84 |- |align=center|13 |{{flagicon|ITA}} Emma Graziani |ミドルブロッカー |align=center|1.88 |- |align=center|24 |{{flagicon|UKR}} [[アナスタシア・クライドゥバ]] |オポジット |align=center|1.94 |- |align=center|26 |{{flagicon|USA}} Lauren Stivrins |ミドルブロッカー |align=center|1.88 |} == 主な歴代所属選手 == {{Col-begin}} {{Col-3}} * {{Flagicon|ITA}} [[バレンティーナ・ティロッツィ]] * {{Flagicon|ITA}} [[キアラ・ディウリオ]] * {{Flagicon|ITA}} [[インドレ・ソロカイテ]] * {{Flagicon|ITA}} [[ベアトリーチェ・パロッキアーレ]] * {{Flagicon|ITA}} [[カルロッタ・カンビ]] * {{Flagicon|ITA}} [[アリス・デグラディ]] * {{Flagicon|ITA}} [[シルビア・ヌワカロール]] * {{Flagicon|ITA}} [[テリー・エンウェオンウ]] * {{Flagicon|ITA}} [[サラ・ファール]] * {{Flagicon|USA}} [[ハンナ・タップ]] * {{Flagicon|USA}} [[チアカ・オグボグ]] * {{Flagicon|USA}} [[ラーマット・アルハッサン]] {{Col-3}} * {{Flagicon|SRB}} [[ナターシャ・クルスマノビッチ]] * {{Flagicon|SRB}} [[ティヤナ・マレセビッチ]] * {{Flagicon|SRB}} [[ナジャ・ニンコビッチ]] * {{Flagicon|SRB}} [[ミナ・ポポビッチ]] * {{Flagicon|CRO}} [[セナ・ウーシッチ]] * {{Flagicon|CRO}} [[イバナ・ミロシュ]] * {{Flagicon|BEL}} [[イルカ・ファンデフェイフェル]] * {{Flagicon|BEL}} [[セリーヌ・ファンヘステル]] * {{Flagicon|BEL}} [[ブリット・ヘルボッツ]] * {{Flagicon|CZE}} [[テレサ・バンジュロバ]] * {{Flagicon|AZE}} [[オジナ・バイラモワ]] * {{Flagicon|FRA}} Amandha Marine Sylves {{Col-3}} * {{Flagicon|NED}} [[ラウラ・ダイケマ]] * {{Flagicon|NED}} [[イフォン・ベリエン]] * {{Flagicon|NED}} [[ニカ・ダールデロップ]] * {{Flagicon|NED}} [[ジョリエン・クノレマ]] * {{Flagicon|GER}} [[ヤナ・ポル]] * {{Flagicon|GER}} [[ルイーザ・リップマン]] * {{Flagicon|PUR}} [[ステファニー・エンライト]] * {{Flagicon|PUR}} [[ダリ・サンタナ]] * {{Flagicon|CAN}} [[エミリー・マグリオ]] * {{Flagicon|CAN}} Alicia Ogoms * {{Flagicon|JPN}} [[橋本直子]] {{Col-end}} == 脚注 == {{Reflist}} ==外部リンク== * [https://azzurravolleyfirenze.it/ 公式サイト] * {{Twitter|IlBisonteVolley}} * {{Facebook|ilbisontevolleyfirenze}} * {{Instagram|ilbisontevolleyfirenze}} {{SerieA1wv}} {{DEFAULTSORT:いる ひそんて ふいれんつえ}} [[Category:イタリアの女子バレーボールクラブ]] [[Category:トスカーナ州のスポーツチーム]] [[Category:フィレンツェ]] [[Category:1975年設立のスポーツチーム]]
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奈狩江村
奈狩江村(なかりえむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の杵築市の一部にあたる。 合併村のうち奈多、狩宿、守江の各一文字を組み合わせたもの。横城村の文字が加わらなかったため一時紛糾した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "奈狩江村(なかりえむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の杵築市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "合併村のうち奈多、狩宿、守江の各一文字を組み合わせたもの。横城村の文字が加わらなかったため一時紛糾した。", "title": "歴史" } ]
奈狩江村(なかりえむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の杵築市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年4月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = '''奈狩江村'''、[[速見郡]][[杵築町 (大分県)|杵築町]]・[[八坂村 (大分県)|八坂村]]・[[北杵築村]] → [[杵築市]] | 現在の自治体 = 杵築市 | よみがな = なかりえむら | 自治体名 = 奈狩江村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 5783 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[安岐町]]、速見郡杵築町 | 所在地 = 東国東郡奈狩江村字狩宿 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''奈狩江村'''(なかりえむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[杵築市]]の一部にあたる。 == 地理 == *半島:[[国東半島]] *海洋:[[伊予灘]] == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡横城村、奈多村、狩宿村、守江村が合併して村制施行し、'''奈狩江村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』567頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』610頁。</ref>。旧村名を継承した横城、奈多、狩宿、守江の4大字を編成{{R|角川}}。 *[[1903年]](明治36年)守江[[郵便局]]開設{{R|角川}} *[[1954年]](昭和29年)3月31日、大字横城字荒巻が速見郡安岐町、[[西安岐町]]、[[南安岐村]]、[[西武蔵村]]、[[朝来村 (大分県)|朝来村]]と合併して、速見郡'''[[安岐町]]'''を新設。 *[[1955年]](昭和30年)4月1日、速見郡杵築町、八坂村、北杵築村と合併し、市制施行して'''[[杵築市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 === 地名の由来 === 合併村のうち奈多、狩宿、守江の各一文字を組み合わせたもの{{R|角川}}。横城村の文字が加わらなかったため一時紛糾した{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、漁業 == 交通 == === 鉄道 === *[[1922年]](大正11年)国東線(のち[[大分交通国東線]])が開通し、灘手、守江、東守江、狩宿、奈多、北奈多に停留場を開設{{R|角川}}。 === 港湾 === *[[守江港]]{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{DEFAULTSORT:なかりえむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:杵築市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]] [[Category:合成地名]]
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大塚昌助
大塚 昌助(おおつか まさすけ)は、日本の歯学者。 東京歯科大学卒業。 1963年3月30日に博士(歯学)を取得。 2015年度に薬事関係功労者知事感謝状を授与。 2018年度に日本歯科理工学会功労賞受賞。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大塚 昌助(おおつか まさすけ)は、日本の歯学者。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東京歯科大学卒業。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1963年3月30日に博士(歯学)を取得。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2015年度に薬事関係功労者知事感謝状を授与。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2018年度に日本歯科理工学会功労賞受賞。", "title": "概要" } ]
大塚 昌助は、日本の歯学者。
'''大塚 昌助'''(おおつか まさすけ)は、[[日本]]の[[歯学者]]。 == 概要 == [[東京歯科大学]]卒業<ref>{{Cite web |url=https://tdc-alumni.jp/?wpdmact=process&did=MzkxLmhvdGxpbms= |title=東京歯科大学同窓会会報 第374号 |access-date=2023-10-1 |publisher=東京歯科大学同窓会}}</ref>。 [[1963年]][[3月30日]]に[[博士(歯学)]]を取得<ref>{{Cite web |url=http://sc.chat-shuffle.net/dissertations/articles/91429 |title=歯科用銀ろうに関する研究 |access-date=1963-3-30 |publisher=論文relation}}</ref>。 [[2015年]]度に薬事関係功労者知事感謝状を授与<ref>{{Cite web |title=【事務局便り】151028 平成27年度東京都薬事関係功労者知事感謝状受賞のお知らせ {{!}} 日本歯科材料工業協同組合 |url=https://www.jdma.jp/archives/8067 |access-date=2023-10-01 |language=ja |last=jdma_webmaster}}</ref>。 [[2018年]]度に日本歯科理工学会功労賞受賞<ref>{{Cite web |url=https://www.jsdmd.jp/award/file/service_list.pdf |title=日本歯科理工学会功労賞歴代受賞者 |access-date=2023-10-1 |publisher=日本歯科理工学会}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} [[Category:東京歯科大学出身の人物]] [[Category:日本の歯学者]] {{DEFAULTSORT:おおつかまさすけ}}
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柴田信一
柴田 信一(しばた のぶかず、1890年(明治23年)9月25日 - 1963年(昭和38年)2月19日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。 1890年(明治23年)に和歌山県で生まれた。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第33期卒業。ドイツ駐在を経て、1934年(昭和9年)8月に浜松陸軍飛行学校幹事に就任し、1935年(昭和10年)7月18日に飛行第5連隊長に転じ、8月1日に陸軍航空兵大佐に進級した。1937年(昭和12年)7月に飛行第1大隊長を経て、1938年(昭和13年)4月15日に航空局航務課長に就任した。 同年7月15日に陸軍少将進級と同時に陸軍航空本部附となり、航空局参与に就任した。12月10日に浜松陸軍飛行学校幹事に転じ、1940年(昭和15年)7月16日に航空局技術部航務課長を経て、12月2日に鉾田陸軍飛行学校長に着任。1941年(昭和16年)8月に陸軍中将に進級し、1942年(昭和17年)12月1日に待命、12月28日に予備役に編入された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "柴田 信一(しばた のぶかず、1890年(明治23年)9月25日 - 1963年(昭和38年)2月19日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1890年(明治23年)に和歌山県で生まれた。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第33期卒業。ドイツ駐在を経て、1934年(昭和9年)8月に浜松陸軍飛行学校幹事に就任し、1935年(昭和10年)7月18日に飛行第5連隊長に転じ、8月1日に陸軍航空兵大佐に進級した。1937年(昭和12年)7月に飛行第1大隊長を経て、1938年(昭和13年)4月15日に航空局航務課長に就任した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "同年7月15日に陸軍少将進級と同時に陸軍航空本部附となり、航空局参与に就任した。12月10日に浜松陸軍飛行学校幹事に転じ、1940年(昭和15年)7月16日に航空局技術部航務課長を経て、12月2日に鉾田陸軍飛行学校長に着任。1941年(昭和16年)8月に陸軍中将に進級し、1942年(昭和17年)12月1日に待命、12月28日に予備役に編入された。", "title": "経歴" } ]
柴田 信一は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。
{{基礎情報 軍人 | 氏名 = 柴田 信一 | 各国語表記 = | 生年月日 = [[1890年]][[9月25日]] | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1890|9|25|1963|2|19}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 渾名 = | 生誕地 = {{JPN}} [[和歌山県]] | 死没地 = | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = [[1912年]] - [[1942年]] | 最終階級 = [[File:帝國陸軍の階級―肩章―中将.svg|35px]] [[中将|陸軍中将]] | 除隊後 = | 墓所 = | 署名 = }} '''柴田 信一'''(しばた のぶかず{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[1890年]]([[明治]]23年)[[9月25日]]{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}} - [[1963年]]([[昭和]]38年)[[2月19日]]{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}})は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。[[金鵄勲章|功四級]]{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}。 == 経歴 == [[1890年]](明治23年)に[[和歌山県]]で生まれた{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}。[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]第24期、[[陸軍大学校]]第33期卒業{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}。ドイツ駐在を経て{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[1934年]](昭和9年)8月に[[浜松陸軍飛行学校]]幹事に就任し{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[1935年]](昭和10年)[[7月18日]]に[[飛行第5戦隊 (日本軍)|飛行第5連隊]]長に転じ{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[8月1日]]に[[大佐|陸軍航空兵大佐]]に進級した{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}。[[1937年]](昭和12年)7月に飛行第1大隊長を経て{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[1938年]](昭和13年)[[4月15日]]に[[航空局]]航務課長に就任した{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}。 同年[[7月15日]]に陸軍少将進級と同時に[[陸軍航空本部]]附となり{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}、航空局参与に就任した{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}。[[12月10日]]に浜松陸軍飛行学校幹事に転じ{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}、[[1940年]](昭和15年)[[7月16日]]に航空局技術部航務課長を経て{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}、[[12月2日]]に[[鉾田陸軍飛行学校]]長に着任{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}。[[1941年]](昭和16年)8月に陸軍中将に進級し{{sfn|外山|1981|loc=311頁|ref=jinji}}、[[1942年]](昭和17年)[[12月1日]]に待命{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}、[[12月28日]]に[[予備役]]に編入された{{sfn|福川|2001|loc=370頁|ref=shokan}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} ==参考文献== * {{Citation|和書|author = 福川秀樹 編著|authorlink = | translator = | title = 日本陸軍将官辞典| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 2001| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829502738| ncid = |ref = shokan}} * {{Citation|和書|author = 外山操 編|authorlink = | translator = | title = 陸海軍将官人事総覧 陸軍篇| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 1981| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829500026| ncid = |ref = jinji}} {{DEFAULTSORT:しはた のふかす}} [[Category:大日本帝国陸軍中将]] [[Category:陸軍士官学校 (日本)出身の人物]] [[Category:陸軍大学校出身の人物]] [[Category:浜松陸軍飛行学校の教員]] [[Category:鉾田陸軍飛行学校の教員]] [[Category:太平洋戦争の人物]] [[Category:功四級金鵄勲章受章者]] [[Category:和歌山県出身の人物]] [[Category:1890年生]] [[Category:1963年没]]
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秋田正彌
秋田 正彌(あきた まさや、1917年3月29日 - 2001年8月7日)は、日本の経営者。大同特殊鋼社長を務めた。広島県出身。 1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に大同製鋼(のちの大同特殊鋼)に入社。1967年8月に取締役に就任し、1970年8月に常務、1973年8月に専務を経て、1978年9月に副社長に就任し、1982年9月には社長に昇格。1986年5月に取締役相談役に就任し、1998年6月に相談役に就任。 1974年3月に大河内記念技術賞を受賞し、1983年4月に藍綬褒章を受章。 2001年8月7日老衰のために死去。84歳没。
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秋田 正彌は、日本の経営者。大同特殊鋼社長を務めた。広島県出身。
'''秋田 正彌'''(あきた まさや、[[1917年]][[3月29日]] - [[2001年]][[8月7日]])は、[[日本]]の[[経営者]]。[[大同特殊鋼]]社長を務めた{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。[[広島県]]出身{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。 == 経歴 == [[1947年]]に[[東京大学]]工学部機械工学科を卒業し、同年に大同製鋼(のちの[[大同特殊鋼]])に入社{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。[[1967年]]8月に取締役に就任し、[[1970年]]8月に常務、[[1973年]]8月に専務を経て、[[1978年]]9月に副社長に就任し、[[1982年]]9月には社長に昇格{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。[[1986年]]5月に取締役相談役に就任し、[[1998年]]6月に相談役に就任{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。 [[1974年]]3月に[[大河内記念会|大河内記念技術賞]]を受賞し、[[1983年]]4月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章{{sfn|人事興信所|1999|loc=あ95頁|ref=jinji-40-jo}}。 [[2001年]][[8月7日]][[老衰]]のために死去<ref>2001年 8月8日 日本経済新聞 朝刊 p35</ref>。{{没年齢|1917|3|29|2001|8|7}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第40版 上|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1999|pages = |url = |ref = jinji-40-jo}} {{People-substub}} {{先代次代|大同特殊鋼社長|1982年 - 1986年|[[武田喜三]]|[[木下浩次]] }} {{デフォルトソート:あきた まさや}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:大同特殊鋼の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:1917年生]] [[Category:2001年没]]
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清水寺 (甲州市)
清水寺(せいすいじ)は、山梨県甲州市にある寺院。宗派は臨済宗向嶽寺派。山号は秀森山。本尊は如意輪観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場第18番札所。 寺伝によれば、天平年間(729年 – 749年)に、行基が諸国行脚でこの地を訪れた際、木の下で休んでいると、樹林の中から経典を唱える声が聞こえ、その清泉の中に如意輪観世音菩薩の姿があったという。そして、如意輪観音を自彫し、当寺の小山の上に祠を立てて安置し創建したと伝わっている。そこで、当寺にある小山が霊鷲山のように秀麗な山であることから秀森山と号し、清泉水中に観音像を拝したことから清水寺と号した。 その後の寺伝は不明であるが、明治6年(1873年)に本寺の庫裏を使用し「秀森学校」が開校し、地域の人の教育の場となった。その後明治10年(1877年)に井尻小学校が本寺に開校し、明治43年(1910年)に現在の井尻小学校の場所へ移転した。 当寺は「秀森山」と称されて親しまれ、さらに本尊の如意輪観世音菩薩は、甲斐国三十三観音霊場の18番札所の本尊として信仰を集め、現在でも毎年3月18日に観音祭りが行われている。平成19年(2007年)に全国の清水寺が集まる全国清水寺ネットワークが本寺で開催された。
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清水寺(せいすいじ)は、山梨県甲州市にある寺院。宗派は臨済宗向嶽寺派。山号は秀森山。本尊は如意輪観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場第18番札所。
{{日本の寺院 |名称 = 清水寺 |画像 = [[File:Seisui-ji Temple Kosyu City.jpg|280px]]<br />観音堂 |所在地 = [[山梨県]][[甲州市]][[塩山市|塩山]]上井尻542 |位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|35|42|31.6|N|138|42|49.6|E|scale:10000_region:JP-19_type:landmark|display=inline,title}} |山号 = 秀森山 |宗旨 = |宗派 = [[臨済宗向嶽寺派]] |寺格 = |本尊 = [[如意輪観世音]] |創建年 = [[天平]]年間([[729年]] – [[749年]]) |開山 = 伝・[[行基]] |開基 = |中興年 = |中興 = |正式名 = 秀森山清水寺 |別称 = 秀森山(ひでもりさん) |札所等 = [[甲斐国三十三観音霊場]]18番札所 |文化財 = |公式HP = https://br-promotion.jp/seisuiji/ |公式HP名 = 秀森山清水寺 }} '''清水寺'''(せいすいじ)は、[[山梨県]][[甲州市]]にある[[寺院]]。[[宗派]]は[[臨済宗向嶽寺派]]。[[山号]]は秀森山。[[本尊]]は[[如意輪観世音菩薩]]。甲斐国三十三観音霊場第18番札所。 == 概要 == 寺伝によれば、[[天平]]年間([[729年]] – [[749年]])に、[[行基]]が諸国行脚でこの地を訪れた際、木の下で休んでいると、樹林の中から[[経典]]を唱える声が聞こえ、その清泉の中に如意輪観世音菩薩の姿があったという。そして、如意輪観音を自彫し、当寺の小山の上に祠を立てて安置し創建したと伝わっている。そこで、当寺にある小山が[[霊鷲山]]のように秀麗な山であることから秀森山と号し、清泉水中に観音像を拝したことから清水寺と号した<ref>市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年</ref>。 その後の寺伝は不明であるが、[[明治]]6年([[1873年]])に本寺の庫裏を使用し「秀森学校」が開校し、地域の人の教育の場となった。その後[[明治]]10年([[1877年]])に井尻小学校が本寺に開校し、[[明治]]43年([[1910年]])に現在の井尻小学校の場所へ移転した<ref>塩山市史編纂委員会『塩山市史』史料編 第3巻近現代 塩山市 1995年</ref>。 当寺は「秀森山」と称されて親しまれ、さらに本尊の如意輪観世音菩薩は、[[甲斐国三十三観音霊場]]の18番札所の本尊として信仰を集め、現在でも毎年3月18日に観音祭りが行われている<ref>藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年</ref>。[[平成]]19年([[2007年]])に全国の[[清水寺]]が集まる全国清水寺ネットワークが本寺で開催された。 ==伽藍== * 観音堂 * 庫裏 == 御詠歌 == :井尻なる :きよき清水を :汲み上げて :秀森山と :いそぐこの度 == 前後の札所 == ;[[甲斐国三十三観音霊場]] :17 [[瑞岩寺 (甲府市) |瑞岩寺]] -<small></small>- '''18 清水寺''' -<small></small>- 19 [[清水寺 (山梨市) |清水寺]] ==参考文献== *市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年 *相沢晋夫『はるかなり遍路の旅』トリオ 1988年 *塩山市史編纂委員会『塩山市史』史料編 第3巻近現代 [[塩山市]] 1995年 *藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年 ==脚注== {{reflist}} {{DEFAULTSORT:せいすいし こうしゆうし}} [[Category:山梨県の寺]] [[Category:臨済宗向嶽寺派の寺院]] [[Category:甲州市の歴史]] [[Category:甲州市の建築物]]
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清水寺 (山梨市)
清水寺(せいすいじ)は、山梨県山梨市にある寺院。宗派は真言宗智山派。山号は岩泉山。本尊は千手観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場第19番札所。 寺伝によれば、旱魃祈願のために行基が創建したという。当初は滝之沢というところにあり真福寺と称し、石清水とも称していた。その後の寺歴は明らかではないが、大永元年(1521年)に実成が滝之沢から霞森山のふもとの現在地に移して中興した。『甲斐国志』によれば、普賢寺本尊台座の「堂社並岸泉寺、自大永二年至天文廿二年再興」という銘文を記録している。「岸泉寺」とは清水寺を指すことから、本寺は大永年間(1521年 – 1528年)から天文年間(1532年 – 1555年)に普賢寺や大井俣窪八幡神社とともに再建された。 その後火災にあったが、江戸時代の寛永十年本末帳によれば、大井俣窪八幡神社の別当寺である普賢寺を本寺として、寺領を寄進されていることがわかる。その後、明治時代の廃仏毀釈により本寺の普賢寺が廃寺となった後、普賢寺の寺物を多く所蔵している。 本尊の千手観世音菩薩は「石清水観音」と称され、その名称から雨乞いの利益で知られ、文久2年(1862年)には、祈祷の結果大雨が降ったという。本寺の石清水観音は、甲斐国三十三観音霊場の19番札所の本尊として信仰を集め、現在でも毎年3月29日に観音祭りが行われている。
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清水寺(せいすいじ)は、山梨県山梨市にある寺院。宗派は真言宗智山派。山号は岩泉山。本尊は千手観世音菩薩。甲斐国三十三観音霊場第19番札所。
{{日本の寺院 |名称 = 清水寺 |画像 = [[File:Seisui-ji Temple Yamanashi City.jpg|280px]]<br />本堂 |所在地 = [[山梨県]][[山梨市]]市川573 |位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|35|42|48.5|N|138|41|5.3|E|scale:10000_region:JP-19_type:landmark|display=inline,title}} |山号 = 岩泉山 |宗旨 = |宗派 = [[真言宗智山派]] |寺格 = |本尊 = [[千手観世音菩薩]] |創建年 = 不詳 |開山 = 伝・[[行基]] |開基 = |中興年 = [[大永]]元年([[1521年]]) |中興 = 実成 |正式名 = 岩泉山清水寺 |別称 = 石清水観音 |札所等 = [[甲斐国三十三観音霊場]]19番札所 |文化財 = |公式HP = |公式HP名 = }} '''清水寺'''(せいすいじ)は、[[山梨県]][[山梨市]]にある[[寺院]]。[[宗派]]は[[真言宗智山派]]。[[山号]]は岩泉山。[[本尊]]は[[千手観世音菩薩]]。甲斐国三十三観音霊場第19番札所。 == 概要 == 寺伝によれば、[[旱魃]]祈願のために[[行基]]が創建したという。当初は滝之沢というところにあり真福寺と称し、石清水とも称していた<ref>市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年</ref>。その後の寺歴は明らかではないが、[[大永]]元年([[1521年]])に実成が滝之沢から霞森山のふもとの現在地に移して中興した。『甲斐国志』によれば、普賢寺本尊台座の「堂社並岸泉寺、自大永二年至天文廿二年再興」という銘文を記録している。「岸泉寺」とは清水寺を指すことから、本寺は[[大永]]年間([[1521年]] – [[1528年]])から[[天文]]年間([[1532年]] – [[1555年]])に普賢寺や[[大井俣窪八幡神社]]とともに再建された。 その後火災にあったが、[[江戸時代]]の寛永十年本末帳によれば、[[大井俣窪八幡神社]]の[[別当寺]]である普賢寺を本寺として、寺領を寄進されていることがわかる。その後、[[明治時代]]の[[廃仏毀釈]]により本寺の普賢寺が廃寺となった後、普賢寺の寺物を多く所蔵している<ref>山梨市史編さん委員会 編『山梨市史』文化財・社寺編 山梨市 2005年</ref>。 本尊の[[千手観世音菩薩]]は「石清水観音」と称され、その名称から[[雨乞い]]の利益で知られ、[[文久]]2年([[1862年]])には、祈祷の結果大雨が降ったという。本寺の石清水観音は、[[甲斐国三十三観音霊場]]の19番札所の本尊として信仰を集め、現在でも毎年3月29日に観音祭りが行われている<ref>藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年</ref>。 == 文化財 == ;山梨県指定有形文化財 * 木造釈迦如来坐像 昭和58年12月7日指定 * 木造勝軍地蔵騎馬像 平成29年3月2日指定 ;山梨市指定有形文化財 * 木造千手観音菩薩立像 平成19年3月31日指定 == 伽藍 == * 山門 * 本堂 * 庫裏 == 御詠歌 == :岩清水 :流れをとえば :きよたきの :さこそ浄土も :ゆかしかるらん == 前後の札所 == ;[[甲斐国三十三観音霊場]] :18 [[清水寺 (甲州市) |清水寺]] -<small></small>- '''19 清水寺''' -<small></small>- 20 [[光雲寺 (山梨市) |光雲寺]] ==参考文献== *市川忠三/坂上繁旦 共著『甲斐三十三観音順礼記』霊場復興会 1975年 *相沢晋夫『はるかなり遍路の旅』トリオ 1988年 *山梨市史編さん委員会 編『山梨市史』文化財・社寺編 山梨市 2005年 *藤巻勝『甲斐国三十三ヶ所順礼記』サンニチ印刷 2005年 ==脚注== {{reflist}} {{DEFAULTSORT:せいすいし やまなしし}} [[Category:山梨県の寺]] [[Category:真言宗智山派の寺院]] [[Category:山梨市の歴史]] [[Category:山梨市の建築物]]
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道後温泉 ふなや
道後温泉 ふなや(どうごおんせん ふなや)は、愛媛県松山市道後湯之町にあるホテルである。 江戸時代に創業した道後地区(道後温泉)で最も老舗の旅館である。名称の「ふなや」は江戸寛永年間の創業当時は「鮒屋旅館」と名乗っていたことが由来である。 皇族も宿泊する皇室御用達の老舗温泉宿であり、また夏目漱石・正岡子規など文人にも好まれ、ホテル内には正岡子規が句に詠んだ庭園“詠風庭”がある。
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道後温泉 ふなやは、愛媛県松山市道後湯之町にあるホテルである。
{{Hotel |名称 = 道後温泉 ふなや |正式名称 = |画像 = <!-- 画像ファイル名 --> |画像サイズ = |画像説明 = <!-- 画像の説明文 --> |チェーン = |デベロッパー = |設計 = |施工 = |運営 = 株式会社時の名所 |所有者 = |前身 = |敷地面積 = |建築面積 = |延べ床面積 = |最低階 = |最高階 = |最頂部 = |レストラン数 = |部屋数 = 58 |シングル数 = |ダブル数 = |ツイン数 = |和室数 = |スイート数 = |駐車場 = 50 |開業日 = |改装 = [[1993年]]5月 |閉業日 = |最寄駅 = [[伊予鉄道]][[道後温泉駅]] |最寄IC = [[松山インターチェンジ|松山IC]] |所在地郵便番号 = 790-0842  |所在地 = [[愛媛県]][[松山市]]道後湯之町1-33 | 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = | 経度度 = |経度分 = |経度秒 = |座標右上表示 = |HP = https://www.dogo-funaya.co.jp/ |補足 = }}'''道後温泉 ふなや'''(どうごおんせん ふなや)は、[[愛媛県]][[松山市]]道後湯之町にある[[ホテル]]である。 ==概要== [[江戸時代]]に創業した道後地区([[道後温泉]])で最も老舗の旅館である<ref>『愛媛新聞』2018年9月11日朝刊「道後再考第2部 宿泊施設の歩み(1) 江戸期の隆盛 湯治客や遍路客迎える」</ref>。名称の「ふなや」は江戸寛永年間の創業当時は「鮒屋旅館」と名乗っていたことが由来である<ref>[https://www.travel.co.jp/guide/article/28979/ 文豪に愛され皇室に選ばれた 道後温泉の老舗旅館「ふなや」] - トラベルjp、2023年10月1日閲覧。</ref>。 [[皇族]]も宿泊する皇室御用達の老舗温泉宿であり、また[[夏目漱石]]・[[正岡子規]]など文人にも好まれ、ホテル内には正岡子規が句に詠んだ庭園“詠風庭”がある<ref>[https://oniwa.garden/dogo-onsen-funaya/ 道後温泉ふなや庭園“詠風庭”-皇室御用達の温泉宿...愛媛県松山市の庭園] - 庭園情報メディアおにわさん、2023年10月1日閲覧。</ref>。 ==沿革== *[[1627年]] - 「鮒屋」創業。 *[[1915年]] - [[渋沢栄一]]が宿泊する。 *[[1930年]] - [[新渡戸稲造]]が宿泊する。 *[[1931年]] - [[与謝野鉄幹]]・[[与謝野晶子|晶子]]夫妻のが宿泊する。 *[[1950年]] - [[昭和天皇]]が「御巡幸」にて宿泊する。 *[[1956年]] - 政府登録国際観光旅館(106号)として認承。 *[[1963年]] - 鉄筋4階建の新館を落成。 *[[1966年]] - 昭和天皇・皇后が「[[植樹祭]]」にて宿泊する。 *[[1974年]] - 天皇・皇后(現:上皇・上皇后)が「献血大会」にて宿泊する。 *[[1980年]] - 天皇・皇后(現:上皇・上皇后)が「高校総体」にて宿泊する。 *[[1990年]] - 皇太子徳仁(現:天皇)が「[[国民文化祭]]」にて宿泊する。 *[[1993年]] - 全面改装。天皇・皇后(現:上皇・上皇后)が「[[全国豊かな海づくり大会]]」にて宿泊する。 *[[1999年]] - 皇太子・皇太子妃(現:天皇・皇后)が「[[しまなみ海道]]開通」にて宿泊する。 *[[2004年]] - 秋篠宮・同妃(現:秋篠宮皇嗣・同妃)が「全国生涯学習フェスティバル」にて宿泊する。 *[[2008年]] - 皇太子(現:天皇)が「[[全国育樹祭]]」にて宿泊する。 *[[2009年]] - 高円宮妃が「日本海洋少年団全国大会」にて宿泊する。 *[[2012年]] - 秋篠宮(現:秋篠宮皇嗣)が「湧水保全フォーラム全国大会」にて宿泊する。 *[[2017年]] **彬子女王が「[[第72回国民体育大会|愛顔つなぐえひめ国体]]」にて宿泊する。 **眞子内親王が「愛顔つなぐえひめ国体」にて宿泊する。 **秋篠宮・同妃(現:秋篠宮皇嗣・同妃)が「愛顔つなぐえひめ国体」にて宿泊する。 **皇太子(現:天皇)が「愛顔つなぐえひめ大会」にて宿泊する。 **高円宮妃が「愛顔つなぐえひめ大会」にて宿泊する。 ==館内施設== *レストラン葵苔 *カフェ ガーデンテラス こもれび *川席 *クラブラウンジ *倶楽部「淡月」 *個室・和宴会場 *洋宴会場 *洋個室 *会議室・展示会室 *詠風庭(庭園) *ふなやの湯(温泉) ==アクセス== *[[伊予鉄道城南線]][[道後温泉駅]]から徒歩で約3分。 *[[四国旅客鉄道]](JR四国)[[松山駅 (愛媛県)|松山駅]]から車で約20分。 *[[松山自動車道]][[松山インターチェンジ]]より車で約25分。 == 脚注 == <references /> ==外部リンク== *[https://www.dogo-funaya.co.jp/ 【公式】道後温泉 ふなや] {{デフォルトソート:とうこおんせんふなや}} [[Category:愛媛県のホテル]] [[Category:松山市の建築物]]
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内田彩 (曖昧さ回避)
内田 彩 (うちだ あや) 内田 あや (うちだ あや)
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内田 彩 内田彩 - 声優 内田彩(AV女優)- AV女優 内田 あや (うちだ あや) 内田あや - 歌手
''' 内田 彩 '''(うちだ あや) * [[内田彩]] - [[声優]] * [[内田彩 (AV女優)]] - [[AV女優]] ''' 内田 あや '''(うちだ あや) * [[内田あや]] - [[歌手]] {{人名の曖昧さ回避}} {{DEFAULTSORT:うちた あや}}
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武田喜三
武田 喜三(たけだ きぞう、1911年7月30日 - 1987年1月5日)は、日本の経営者、工学博士。大同特殊鋼社長、会長を務めた。 京都府出身。1935年に京都帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に日本製鐵八幡製鉄所に入社。1961年に取締役に就任し、1963年に常務、1968年3月に専務、1970年3月に新日本製鐵専務を経て、1973年に大同製鋼社長に就任し、1976年9月には大同特殊鋼社長に就任。1982年9月に取締役相談役を経て、1984年9月に相談役に就任。 1965年4月に事業功労賞を受賞し、1975年4月に製鉄功労賞を受賞した。1977年4月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 1987年1月5日、心不全のために死去。75歳没。
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武田 喜三は、日本の経営者、工学博士。大同特殊鋼社長、会長を務めた。
'''武田 喜三'''(たけだ きぞう、[[1911年]][[7月30日]] - [[1987年]][[1月5日]])は、[[日本]]の[[経営者]]、[[博士(工学)|工学博士]]。[[大同特殊鋼]]社長、会長を務めた。 == 経歴 == [[京都府]]出身{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。[[1935年]]に[[京都大学|京都帝国大学]]工学部冶金学科を卒業し、同年に[[日本製鉄九州製鉄所|日本製鐵八幡製鉄所]]に入社{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。[[1961年]]に取締役に就任し、[[1963年]]に常務、[[1968年]]3月に専務、[[1970年]]3月に[[新日本製鐵]]専務を経て、[[1973年]]に[[大同特殊鋼|大同製鋼]]社長に就任し、[[1976年]]9月には[[大同特殊鋼]]社長に就任{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。[[1982年]]9月に取締役相談役を経て、[[1984年]]9月に相談役に就任{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。 [[1965年]]4月に事業功労賞を受賞し、[[1975年]]4月に製鉄功労賞を受賞した{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。[[1977年]]4月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章し、[[1982年]]11月に[[瑞宝章|勲二等瑞宝章]]を受章した{{sfn|人事興信所|1985|loc=た310頁|ref=jinji-33-ge}}。 [[1987年]][[1月5日]]、[[心不全]]のために死去<ref>1987年 1月6日 日本経済新聞 朝刊 p31</ref>。{{没年齢|1911|7|30|1987|1|6}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第33版 下|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1985|pages = |url = |ref = jinji-33-ge}} {{People-substub}} {{Normdaten}} {{先代次代|大同特殊鋼社長|1973年 - 1982年|[[石井健一郎]]|[[秋田正彌]]}} {{デフォルトソート:たけた きそう}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:工学博士取得者]] [[Category:日本製鐵の人物]] [[Category:新日本製鐵の人物]] [[Category:大同特殊鋼の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:勲二等瑞宝章受章者]] [[Category:京都大学出身の人物]] [[Category:京都府出身の人物]] [[Category:1911年生]] [[Category:1987年没]]
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ママコチャ (競走馬)
ママコチャ(欧字名:Mama Cocha、2019年4月5日 - )は、日本の競走馬。2023年のスプリンターズステークスの勝ち馬である。 ノーザンファームの生産で、父クロフネ・母ブチコと同様に金子真人ホールディングスの所有馬となった。インカ神話の海の女神(ママ・コチャ)から採って「ママコチャ」と命名され、栗東トレーニングセンターの池江泰寿厩舎に預けられた。 6月26日阪神芝1400mの2歳新馬戦で福永祐一を背に2番人気で出走。道中中団のやや後ろでレースを進めるも直線で伸び切れず8着に敗れる。なお、この新馬戦には後に重賞を勝利するドンフランキーとアグリも出走していた。9月18日中京芝1600mの2歳未勝利戦3着を挟み、10月24日阪神芝1400mの2歳未勝利戦では2番手追走から直線で抜け出すと後続に2馬身半差をつけ3戦目で初勝利を挙げる。重賞初挑戦となったファンタジーステークスでは道中4番手追走から直線で懸命に脚を伸ばしたがウォーターナビレラの3着に敗れ、2歳シーズンを終えた。 2月5日のエルフィンステークスでは4番手追走から脚を伸ばすも先に抜け出したアルーリングウェイを捕えられず2着。その後、6月19日阪神芝1400mの3歳上1勝クラスでは3番手追走から最後の直線で逃げ粘るエイシンピクセルをクビ差かわして2勝目を挙げる。7月30日の豊栄特別では好位追走から直線で抜け出すと後続に3馬身半差をつけ快勝。続く納屋橋ステークスでは道中2・3番手追走から直線で内を突いて抜け出し3連勝となり、オープン入りする。12月17日のターコイズステークスでは好位追走も伸びあぐねて5着に終わる。 4月8日の阪神牝馬ステークスではスタートでの出遅れが響いて9着に敗れる。続く5月28日のリステッド・安土城ステークスでは好位追走から直線で抜け出すと最後はビーアストニッシドに3馬身差をつけ、タイレコードで快勝してオープン特別初勝利となった。8月20日の北九州記念では中団追走から直線で鋭く脚を伸ばすも、逃げるジャスパークローネを捕えきれず2着に敗れた。10月1日のスプリンターズステークスでは好位の3番手追走から直線で抜け出すと最後は内から伸びてきたマッドクールとの叩き合いをハナ差で制し、G1初制覇を果たした。 以下の内容は、netkeiba.comの情報およびJBISサーチの情報に基づく。
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ママコチャは、日本の競走馬。2023年のスプリンターズステークスの勝ち馬である。
{{現役競走馬}} {{競走馬 |名=ママコチャ |英={{lang|en|Mama Cocha}}<ref name="jbis"/> |画=[[File:2023年スプリンターズステークス.jpg|250px]] |説= 2023年スプリンターズステークスを優勝したママコチャ |性=[[牝馬|牝]]<ref name="jbis"/> |色=[[鹿毛]]<ref name="jbis"/> |種=[[サラブレッド]]<ref name="jbis"/> |生={{生年月日と馬齢|p=0|2019|04|05}}<ref name="jbis"/> |死= |登= |抹= |父=[[クロフネ]]<ref name="jbis"/> |母=[[ブチコ]]<ref name="jbis"/> |母父=[[キングカメハメハ]]<ref name="jbis"/> |国={{JPN}}([[北海道]][[安平町]])<ref name="jbis"/> |産=[[ノーザンファーム]]<ref name="jbis"/> |主=[[金子真人|金子真人ホールディングス]](株)<ref name="jbis"/> |調=[[池江泰寿]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<ref name="jbis"/> |冠= |績=14戦6勝<ref name="jbis"/> |金=2億9114万9000円<ref name="jbis"/><br />(2023年12月23日現在) |medaltemplates= {{MedalGI|[[スプリンターズステークス|スプリンターズS]]|2023年}} {{MedalListed|安土城ステークス|2023年}} }} '''ママコチャ'''(欧字名:{{lang|en|Mama Cocha}}、[[2019年]][[4月5日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001310713/|title=ママコチャ|work=JBISサーチ|publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-12-23}}</ref>。[[2023年]]の[[スプリンターズステークス]]の勝ち馬である。 == 戦績 == [[ノーザンファーム]]の生産で、父[[クロフネ]]・母[[ブチコ]]と同様に[[金子真人|金子真人ホールディングス]]の所有馬となった。[[インカ神話]]の海の女神([[ママ・コチャ]])から採って「ママコチャ」と命名され、[[栗東トレーニングセンター]]の[[池江泰寿]]厩舎に預けられた<ref>{{Cite web|url=https://www.jra.go.jp/JRADB/accessU.html?CNAME=pw01dud002019105394/D9|title=競走馬情報 - ママコチャ|website=jra.go.jp|publisher=[[日本中央競馬会]]|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 === 2歳(2021年) === 6月26日阪神芝1400mの2歳新馬戦で[[福永祐一]]を背に2番人気で出走。道中中団のやや後ろでレースを進めるも直線で伸び切れず8着に敗れる。なお、この新馬戦には後に重賞を勝利する[[ドンフランキー]]と[[アグリ (競走馬)|アグリ]]も出走していた。9月18日中京芝1600mの2歳未勝利戦3着を挟み、10月24日阪神芝1400mの2歳未勝利戦では2番手追走から直線で抜け出すと後続に2馬身半差をつけ3戦目で初勝利を挙げる。重賞初挑戦となった[[ファンタジーステークス]]では道中4番手追走から直線で懸命に脚を伸ばしたが[[ウォーターナビレラ]]の3着に敗れ、2歳シーズンを終えた<ref>[https://hochi.news/articles/20211106-OHT1T51145.html?page=1  【ファンタジーS】ソダシの全妹ママコチャは3着どまり 藤岡佑介騎手「枠なりの競馬になった」]スポーツ報知、2021年11月6日配信・閲覧</ref>。 === 3歳(2022年) === 2月5日の[[エルフィンステークス]]では4番手追走から脚を伸ばすも先に抜け出したアルーリングウェイを捕えられず2着。その後、6月19日阪神芝1400mの3歳上1勝クラスでは3番手追走から最後の直線で逃げ粘るエイシンピクセルをクビ差かわして2勝目を挙げる。7月30日の豊栄特別では好位追走から直線で抜け出すと後続に3馬身半差をつけ快勝。続く納屋橋ステークスでは道中2・3番手追走から直線で内を突いて抜け出し3連勝となり、オープン入りする。12月17日の[[ターコイズステークス]]では好位追走も伸びあぐねて5着に終わる<ref>[https://www.sanspo.com/race/article/general/20221217-GOCFB4N3CJDUXL22OZKEHUCQBY/  【ターコイズS】ソダシの全妹ママコチャは5着で連勝ストップ 松山「思ったよりはじけませんでした」]サンケイスポーツ、2022年12月17日配信・閲覧</ref>。 === 4歳(2023年) === 4月8日の[[阪神牝馬ステークス]]ではスタートでの出遅れが響いて9着に敗れる<ref>[https://hochi.news/articles/20230408-OHT1T51207.html?page=1  【阪神牝馬S】ママコチャ9着 全姉ソダシとの対決切符獲得逃す 松山弘平騎手「出遅れて厳しい流れに」]スポーツ報知、2023年4月8日配信・閲覧</ref>。続く5月28日のリステッド・安土城ステークスでは好位追走から直線で抜け出すと最後は[[ビーアストニッシド]]に3馬身差をつけ、タイレコードで快勝してオープン特別初勝利となった<ref>[https://www.sanspo.com/race/article/general/20230528-KG3BIBW3JZIZFIKADQ5PIEPCXQ/  【安土城S】ソダシの全妹ママコチャがタイレコードの完勝でオープン初V]サンケイスポーツ、2023年5月28日配信・閲覧</ref>。8月20日の[[北九州記念]]では中団追走から直線で鋭く脚を伸ばすも、逃げる[[ジャスパークローネ]]を捕えきれず2着に敗れた<ref>[https://www.sanspo.com/race/article/general/20230821-EE6VYN3UUZNPPOC4KZ4QEEWNYA/  【北九州記念】1番人気のママコチャは半馬身及ばず2着]サンケイスポーツ、2023年8月20日配信・閲覧</ref>。10月1日のスプリンターズステークスでは好位の3番手追走から直線で抜け出すと最後は内から伸びてきたマッドクールとの叩き合いをハナ差で制し、G1初制覇を果たした<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202309300001473.html  【スプリンターズS】ソダシ全妹ママコチャ、鼻差の接戦制してG1初制覇]日刊スポーツ、2023年10月1日配信・閲覧</ref>。年内最終戦の[[阪神カップ]]は1番人気に支持されたが、伸びきれず5着に敗れた。 == 競走成績 == 以下の内容は、[[netkeiba.com]]の情報<ref>{{Cite web|title=ママコチャの競走成績 {{!}} 競走馬データ - netkeiba|url=https://db.netkeiba.com/horse/result/2019105394/|website=netkeiba.com|accessdate=2023-10-02|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001310713/record/|title=ママコチャ 競走成績|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2023-10-02}}</ref>の情報に基づく。 {| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;" ! 競走日 !! nowrap| 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量<br />[kg] !! 1着馬(2着馬)!!馬体重<br />[kg] |- | [[2021年|2021.]][[6月26日|{{0}}6.26]] | [[阪神競馬場|阪神]] | [[新馬|2歳新馬]] | | 芝1400m(良) | 17 | 8 | 17 | {{0|00}}4.0{{0}}(2人) | {{0}}8着 | {{0|R}}1:24.8(34.5) | {{0|-}}0.6 | {{0}}[[福永祐一]] | 54 | タガノフィナーレ | 468 |- | {{0|0000.}}[[9月18日|{{0}}9.18]] | [[中京競馬場|中京]] | 2歳未勝利 | | 芝1600m(不) | 13 | 3 | 4 | {{0|00}}4.1{{0}}(2人) | {{0}}{{color|darkgreen|3着}} | {{0|R}}1:36.9(35.9) | {{0|-}}0.1 | {{0}}[[岩田望来]] | 54 | ピンクマクフィー | 478 |- | {{0|0000.}}[[10月24日|10.24]] | 阪神 | 2歳未勝利 | | 芝1400m(良) | 16 | 5 | 10 | {{0|00}}4.1{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:20.9(34.9) | {{Nowiki|-}}0.4 | {{0}}[[松山弘平]] | 54 | ([[ジャングロ]]) | 468 |- | {{0|0000.}}[[11月6日|11.{{0}}6]] | 阪神 | [[ファンタジーステークス|ファンタジーS]] | {{GIII}} | 芝1400m(良) | 10 | 8 | 9 | {{0|00}}4.4{{0}}(3人) | {{0}}{{color|darkgreen|3着}} | {{0|R}}1:21.5(34.8) | {{0|-}}0.4 | {{0}}[[藤岡佑介]] | 54 | [[ウォーターナビレラ]] | 468 |- | [[2022年|2022.]][[2月5日|{{0}}2.{{0}}5]] | 中京 | [[エルフィンステークス|エルフィンS]] | {{L}} | 芝1600m(良) | 10 | 2 | 2 | {{0|00}}4.5{{0}}(3人) | {{0}}{{color|darkblue|2着}} | {{0|R}}1:34.2(34.8) | {{0|-}}0.2 | {{0}}岩田望来 | 54 | アルーリングウェイ | 466 |- | {{0|0000.}}[[6月19日|{{0}}6.19]] | 阪神 | 3歳上1勝クラス | | 芝1400m(良) | 13 | 8 | 12 | {{0|00}}1.3{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:20.3(34.0) | {{Nowiki|-}}0.1 | {{0}}松山弘平 | 52 | (エイシンピクセル) | 470 |- | {{0|0000.}}[[7月30日|{{0}}7.30]] | [[新潟競馬場|新潟]] | 豊栄特別 | 2勝 | 芝1600m(良) | 18 | 5 | 9 | {{0|00}}2.6{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:31.7(33.3) | {{Nowiki|-}}0.6 | {{0}}松山弘平 | 52 |(ヴァモスロード) | 482 |- | {{0|0000.}}[[9月18日|{{0}}9.18]] | 中京 | 納屋橋S | 3勝 | 芝1600m(良) | 13 | 1 | 1 | {{0|00}}1.3{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:33.4(33.2) | {{Nowiki|-}}0.1 | {{0}}松山弘平 | 53 | (ヴィルヘルム) | 484 |- | {{0|0000.}}[[12月17日|12.17]] | [[中山競馬場|中山]] | [[ターコイズステークス|ターコイズS]] | {{GIII}} | 芝1600m(良) | 16 | 1 | 2 | {{0|00}}3.2{{0}}(1人) | {{0}}5着 | {{0|R}}1:33.7(34.7) | {{0|-}}0.2 | {{0}}松山弘平 | 53 | [[ミスニューヨーク]] | 478 |- | [[2023年|2023.]][[4月8日|{{0}}4.{{0}}8]] | 阪神 | [[阪神牝馬ステークス|阪神牝馬S]] | {{GII}} | 芝1600m(稍) | 12 | 5 | 5 | {{0|00}}5.0{{0}}(3人) | {{0}}9着 | {{0|R}}1:34.6(34.7) | {{0|-}}0.7 | {{0}}松山弘平 | 55 | [[サウンドビバーチェ]] | 484 |- | {{0|0000.}}[[5月28日|{{0}}5.28]] | [[京都競馬場|京都]] | 安土城S | L | 芝1400m(良) | 18 | 6 | 12 | {{0|00}}3.1{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:19.0(33.0) | {{Nowiki|-}}0.5 | {{0}}[[鮫島克駿]] | 54 | ([[ビーアストニッシド]]) | 484 |- | {{0|0000.}}[[8月20日|{{0}}8.20]] | [[小倉競馬場|小倉]] | [[北九州記念]] | {{GIII}} | 芝1200m(良) | 18 | 5 | 9 | {{0|00}}3.0{{0}}(1人) | {{0}}{{color|darkblue|2着}} | {{0|R}}1:07.4(33.9) | {{0|-}}0.1 | {{0}}鮫島克駿 | 55.5 | [[ジャスパークローネ]] | 492 |- | {{0|0000.}}[[10月1日|10.{{0}}1]] | 中山 | [[スプリンターズステークス|スプリンターズS]] | {{GI}} | 芝1200m(良) | 16 | 3 | 6 | {{0|00}}4.9{{0}}(3人) | {{0}}{{color|darkred|1着}} | {{0|R}}1:08.0(34.5) | {{0|-}}0.0 | {{0}}[[川田将雅]] | 56 | (マッドクール) | 490 |- | {{0|0000.}}[[12月23日|12.23]] | 阪神 | [[阪神カップ|阪神C]] | {{GII}} | 芝1400m(良) | 17 | 7 | 13 | {{0|00}}3.1{{0}}(1人) | {{0}}5着 | {{0|R}}1:19.5(34.9) | {{0|-}}0.2 | {{0}}川田将雅 | 56 | [[ウインマーベル]] | 486 |} * 競走成績は2023年12月23日現在 == 血統表 == {{競走馬血統表 |name = ママコチャ |ref1 = <ref name="jbis_p">{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001310713/pedigree/ |title=血統情報:5代血統表|ママコチャ|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2023-10-01}}</ref>, <ref name="nk_p">{{Cite web|title=ママコチャの血統表|競走馬データ - netkeiba |url=https://db.netkeiba.com/horse/ped/2019105394/ |website=netkeiba.com |accessdate=2023-10-01 |language=ja}}</ref> |mlin = [[デピュティミニスター系]] |ref2 = <ref name="nk_p" /> |flin = |FN = [[2号族|2-w]] |ref3 = <ref name="jbis_p" />, <ref name="nk_p" /> |inbr = Northern Dancer 5x5=6.25% |ref4 = <ref name="jbis_p" />, <ref name="nk_p" /> |f = *[[クロフネ]]<br />アメリカ 芦毛 1998 |m = [[ブチコ]]<br />白毛 2012 |ff = *[[フレンチデピュティ]]<br />French Deputy<br />アメリカ 栗毛 1992 |fm = *ブルーアヴェニュー<br />Blue Avenue<br />アメリカ 芦毛 1990 |mf = [[キングカメハメハ]]<br />鹿毛 2001 |mm = [[シラユキヒメ]]<br />白毛 1996 |fff = [[デピュティミニスター|Deputy Minister]] |ffm = Mitterand |fmf = Classic Go Go |fmm = Eliza Blue |mff = [[キングマンボ|Kingmambo]] |mfm = *マンファス<br />Manfath |mmf = *[[サンデーサイレンス]]<br />Sunday Silence |mmm = *ウェイブウインド<br />Wave Wind |ffff = [[ヴァイスリージェント|Vice Regent]] |fffm = Mint Copy |ffmf = Hold Your Peace |ffmm = Laredo Lass |fmff = Pago Pago |fmfm = Classic Perfection |fmmf = [[アイスカペイド|Icecapade]] |fmmm = *コレラ(USA) |mfff = [[ミスタープロスペクター|Mr. Prospector]] |mffm = [[ミエスク|Miesque]] |mfmf = *[[ラストタイクーン (競走馬)|ラストタイクーン]] |mfmm = Pilot Bird |mmff = [[ヘイロー (競走馬)|Halo]] |mmfm = [[ウィッシングウェル|Wishing Well]] |mmmf = Topsider |mmmm = Storm and Sunshine |}} * 全姉に2020年[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]、2021年[[桜花賞]]、2022年[[ヴィクトリアマイル]]を優勝した[[ソダシ]]([[白毛]])がいる。 * 母、祖母ともに白毛。 * 母はJRAで[[ダート]]4勝、祖母は未勝利。 * 母の半姉にJpnII[[関東オークス]]など[[ダートグレード競走]]3勝の[[ユキチャン]](白毛)、その孫に[[小倉2歳ステークス]]・[[ファンタジーステークス]]・[[チューリップ賞]]・[[シルクロードステークス]]・[[京王杯スプリングカップ]]・[[セントウルステークス]]を優勝した[[メイケイエール]]([[鹿毛]])がいる。 * その他に母の半姉マシュマロの子に白毛として史上初めてJRA重賞勝利([[レパードステークス]]・[[函館記念]])の[[ハヤヤッコ]]がいる。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} <references /> == 外部リンク == * {{競走馬成績|netkeiba=2019105394|yahoo=2019105394|jbis=0001310713}} {{スプリンターズステークス勝ち馬}} {{デフォルトソート:ままこちや}} [[Category:2019年生 (競走馬)|日ままこちや]] [[Category:サラブレッド]] [[Category:日本生産の競走馬]] [[Category:日本調教の競走馬]]
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生地竹之助
生地 竹之助(おいじ たけのすけ、1894年(明治27年)1月16日 - 1959年(昭和34年)3月6日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 1894年(明治27年)に和歌山県で生まれた。陸軍経理学校第9期主計候補生として1915年(大正4年)5月19日に卒業した。1939年(昭和14年)8月に陸軍航空技術研究所所員に就任し、1941年(昭和16年)3月に陸軍主計大佐に進級した。1942年(昭和17年)4月に奉天陸軍糧秣支廠長に転じ、1944年(昭和19年)2月19日に北方軍司令部附となり、3月10日に第27軍経理部長に就任した。 1945年(昭和20年)1月29日に東北軍管区経理部長兼第11方面軍経理部長に就任し、6月10日に陸軍主計少将に進級。終戦時は宮城県仙台に位置した。1946年(昭和21年)3月30日に予備役に編入された。
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生地 竹之助は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。
{{基礎情報 軍人 | 氏名 = 生地 竹之助 | 各国語表記 = | 生年月日 = [[1894年]][[1月16日]] | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1894|1|16|1959|3|6}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 渾名 = | 生誕地 = {{JPN}} [[和歌山県]] | 死没地 = | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = [[1915年]] - [[1946年]] | 最終階級 = [[File:帝國陸軍の階級―肩章―少将.svg|35px]] [[少将|陸軍主計少将]] | 除隊後 = | 墓所 = | 署名 = }} '''生地 竹之助'''(おいじ たけのすけ、[[1894年]]([[明治]]27年)[[1月16日]]{{sfn|福川|2001|loc=138頁|ref=shokan}} - [[1959年]]([[昭和]]34年)[[3月6日]]{{sfn|福川|2001|loc=138頁|ref=shokan}})は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 == 経歴 == [[1894年]](明治27年)に[[和歌山県]]で生まれた{{sfn|福川|2001|loc=138頁|ref=shokan}}。[[陸軍経理学校]]第9期主計候補生として[[1915年]](大正4年)[[5月19日]]に卒業した{{sfn|柴田・中村|1981|loc=635頁|ref=keiribu}}。[[1939年]](昭和14年)8月に[[陸軍航空技術研究所]]所員に就任し{{sfn|外山|1981|loc=527頁|ref=jinji}}、[[1941年]](昭和16年)3月に[[大佐|陸軍主計大佐]]に進級した{{sfn|外山|1981|loc=526頁|ref=jinji}}。[[1942年]](昭和17年)4月に[[奉天陸軍糧秣支廠]]長に転じ{{sfn|外山|1981|loc=527頁|ref=jinji}}、[[1944年]](昭和19年)[[2月19日]]に[[北部軍 (日本軍)|北方軍]]司令部附となり<ref>{{アジア歴史資料センター|C12120902900|第32号 昭和19年2月21日 陸軍異動通報}}</ref>、[[3月10日]]に[[第27軍 (日本軍)|第27軍]]経理部長に就任した{{sfn|外山|1981|loc=527頁|ref=jinji}}。 [[1945年]](昭和20年)[[1月29日]]に[[東北軍管区]]経理部長兼[[第11方面軍 (日本軍)|第11方面軍]]経理部長に就任し<ref>{{アジア歴史資料センター|C12120932500|第22号 昭和20年1月30日 陸軍異動通報}}</ref>、[[6月10日]]に陸軍主計少将に進級{{sfn|外山|1981|loc=526頁|ref=jinji}}。終戦時は[[宮城県]][[仙台市|仙台]]に位置した{{sfn|柴田・中村|1981|loc=597頁|ref=keiribu}}。[[1946年]](昭和21年)[[3月30日]]に[[予備役]]に編入された{{sfn|外山|1981|loc=527頁|ref=jinji}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} ==参考文献== * {{Citation|和書|author = 柴田隆一・中村賢治 著|authorlink = |translator = |title = 陸軍経理部|publisher = 芙蓉書房出版|series = |volume = |edition = |date = 1981|pages = |url = |doi = |id = |isbn = |ncid = |ref = keiribu}} * {{Citation|和書|author = 福川秀樹 編著|authorlink = | translator = | title = 日本陸軍将官辞典| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 2001| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829502738| ncid = |ref = shokan}} * {{Citation|和書|author = 外山操 編|authorlink = | translator = | title = 陸海軍将官人事総覧 陸軍篇| publisher = 芙蓉書房出版| series = | volume = | edition = | date = 1981| pages = | url = | doi = | id = | isbn = 4829500026| ncid = |ref = jinji}} {{DEFAULTSORT:おいし たけのすけ}} [[Category:大日本帝国陸軍少将]] [[Category:陸軍経理学校出身の人物]] [[Category:太平洋戦争の人物]] [[Category:和歌山県出身の人物]] [[Category:1894年生]] [[Category:1959年没]]
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菅安社
菅安社(すがやすしゃ)は、愛知県あま市蜂須賀にある神社である。 創建年は不詳。「蜂須賀村由来記」によると空海が菅安(現在のあま市蜂須賀菅安)で白山大権現に出会ったことで白山社を祀ったのが始まりとされている。 その後、1954年(昭和29年)に現在地に移設された際に菅安社と改名した。菅安社の北隣には蜂須賀氏の居城であった蜂須賀城址がある。
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菅安社(すがやすしゃ)は、愛知県あま市蜂須賀にある神社である。
{{神社 |名称= 菅安社 |画像= {{画像募集中|cat=あま市}} |所在地= [[愛知県]][[あま市]]蜂須賀北本郷1343番地1 |位置= |祭神= [[天照大神]]<br />[[菊理姫神]] |社格= 旧村社 |創建= 不詳 |本殿= |別名= |例祭= |神事= |}} '''菅安社'''(すがやすしゃ)は、[[愛知県]][[あま市]]蜂須賀にある[[神社]]である<ref>{{cite web|url=https://yaokami.jp/1233319/|title=菅安社|publisher=八百万の神|accessdate=2023-10-1}}</ref>。 == 歴史 == 創建年は不詳。「蜂須賀村由来記」によると[[空海]]が菅安(現在のあま市蜂須賀菅安)で白山大権現に出会ったことで白山社を祀ったのが始まりとされている<ref name=":0">{{cite web|url=https://sites.google.com/site/kayatsujinja/jian-wu-shenogo-an-nei/sugayasusya|title=菅安社|publisher=漬物祖神萱津神社|accessdate=2023-10-1}}</ref>。 その後、[[1954年]]([[昭和]]29年)に現在地に移設された際に菅安社と改名した。また「八幡社」と「八劔社」も合祀された<ref name=":0" />。 菅安社の南隣には[[蜂須賀氏]]の居城であった[[蜂須賀城]]址がある<ref>{{cite web|url=https://www.mapion.co.jp/phonebook/M06005/23237/ILSP0061166399_ipclm/|title=菅安社|publisher=マピオン|accessdate=2023-10-1}}</ref>。 == 祭神 == * [[天照大神]] * [[菊理姫神]] == 交通 == * [[名古屋鉄道|名鉄]][[名鉄津島線|津島線]]「[[青塚駅]]」より徒歩で約15分。 * [[東名阪自動車道]]「[[蟹江インターチェンジ]]」より約15分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://sites.google.com/site/kayatsujinja/jian-wu-shenogo-an-nei/sugayasusya 菅安社] - 漬物祖神萱津神社 {{shinto-stub}} {{DEFAULTSORT:すかやすしや}} [[category:愛知県の神社]] [[Category:愛知県の旧村社]] [[Category:あま市の歴史]] [[Category:あま市の建築物]]
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冨田寛治
冨田 寛治(とみた かんじ、1929年9月30日 - 2014年9月16日)は、日本の経営者。大同特殊鋼社長、会長を務めた。 愛知県出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大同製鋼(のちの大同特殊鋼)入社。 1982年9月に取締役に就任し、1984年5月に常務、1988年6月に専務、1990年6月に副社長を経て、1992年6月には社長に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月に相談役に就任。 2014年9月16日肺炎のために死去。84歳没。
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冨田 寛治は、日本の経営者。大同特殊鋼社長、会長を務めた。
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住友彰
住友 彰(すみとも あきら、1912年 - 2011年8月16日)は、日本の土木技術者。専門はトンネル工学。 福岡市に生まれる。1930年福岡県中学修猷館を経て、1935年九州帝国大学工学部土木工学科を卒業。 1935年内務省技師となり、下関工事事務所に勤務。1937年下関市と門司市(現・北九州市)の海底を結ぶ関門国道トンネルの調査工事の下関側責任者となり、戦中の工事休眠期間中は他事務所へ転任。工事が再開されると、併任のまま関門国道工事に携わる。戦前、戦中から、1958年の完成まで、21年間にわたって一貫してトンネル工事の調査から設計施工までを幹部として関わり、関門国道トンネルの完成に尽くした。建設省関門国道工事事務所第5代所長、九州地方建設局(現・九州地方整備局)長などを務めた。 1959年官僚的な仕事を嫌い建設省を退官し、住友道路研究所を設立し代表取締役・所長となる。橋梁コンサルタント代表取締役社長も務めた。
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住友 彰は、日本の土木技術者。専門はトンネル工学。
'''住友 彰'''(すみとも あきら、[[1912年]] - [[2011年]][[8月16日]])は、[[日本]]の[[土木工学|土木]]技術者。専門は[[トンネル]]工学<ref name=kagaku>『事典 日本の科学者-科学技術を築いた5000人』(日外アソシエーツ、2014年)436頁</ref>。 == 経歴 == [[福岡市]]に生まれる<ref name=kagaku/>。1930年[[福岡県立修猷館高等学校|福岡県中学修猷館]]を経て<ref>『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員24頁</ref>、1935年[[九州大学|九州帝国大学]][[工学部]]土木工学科を卒業<ref>『九州帝国大学一覧(昭和10年)』(九州帝国大学、1935年)393頁</ref>。 1935年[[内務省 (日本)|内務省]]技師となり、下関工事事務所に勤務。1937年[[下関市]]と[[門司市]](現・[[北九州市]])の海底を結ぶ[[関門トンネル (国道2号)|関門国道トンネル]]の調査工事の下関側責任者となり、戦中の工事休眠期間中は他事務所へ転任。工事が再開されると、併任のまま関門国道工事に携わる。戦前、戦中から、1958年の完成まで、21年間にわたって一貫してトンネル工事の調査から設計施工までを幹部として関わり、関門国道トンネルの完成に尽くした。[[建設省]]関門国道工事事務所第5代所長、[[九州地方整備局|九州地方建設局]](現・九州地方整備局)長などを務めた<ref name=kagaku/>。 1959年官僚的な仕事を嫌い建設省を退官し、住友道路研究所を設立し代表取締役・所長となる<ref>「トンネルに生きる((株)住友道路 住友彰氏)」トンネルと地下第1巻第3号(土木工学社、1970年)3-6頁</ref>。橋梁コンサルタント代表取締役社長も務めた<ref>住友彰「ひとこと 設計と設計変更」道路:road engineering & management review平成2年6月号(日本道路協会、1990年)63頁</ref>。 == 受賞歴 == * 土木学会賞(1958年)「関門海底国道トンネル」 == 著書 == * 『トンネルの設計と施工』(伊吹山四郎共著、金原出版、1968年) * 『道路設計の基本:これからの一般道路を主として』(遠藤作次共著、[[地人書館]]、1968年) == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:すみとも あきら}} [[Category:日本の土木技術者]] [[Category:日本の土木工学者]] [[Category:日本の国土交通官僚]] [[Category:日本の内務官僚]] [[Category:九州大学出身の人物]] [[Category:福岡県立修猷館高等学校出身の人物]] [[Category:福岡市出身の人物]] [[Category:1912年生]] [[Category:2011年没]]
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熊毛村
熊毛村(くまげむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の北部に位置していた。
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熊毛村(くまげむら)は、大分県東国東郡にあった村。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年4月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = [[伊美町]]、'''熊毛村''' → [[国見町 (大分県)|国見町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = くまげむら | 自治体名 = 熊毛村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 3954 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 伊美町、[[国東町]] | 所在地 = 東国東郡熊毛村大字小熊毛 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''熊毛村'''(くまげむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[村]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の北部に位置していた{{R|角川}}。 *海洋:[[伊予灘]] *河川:大熊毛川{{R|角川}} == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡岐部村、小熊毛村、大熊毛村、向田村が合併して村制施行し、'''熊毛村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』285頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』77頁。</ref>。旧村名を継承した岐部、小熊毛、大熊毛、向田の4大字を編成{{R|角川}}。 *[[1955年]](昭和30年)4月1日、東国東郡伊美町と合併し'''[[国見町 (大分県)|国見町]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、漁業 == 交通 == === 港湾 === *熊毛港{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:くまけむら}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]]
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幸福な森
『幸福な森』(英語: The Happy Forest)は、アーノルド・バックスが作曲した交響詩。1914年にピアノ曲として作曲され、1922年に管弦楽編曲された。ハーバート・ファージョン(英語版)による同名の寓話から霊感を受けているが、その話は神秘的な存在が見るものを喜ばせる田舎の田園詩である。バックスは出来事の筋書きをなぞるのではなく、話の持つ雰囲気を想起させるような形で話を取り扱っている。 バックスの弟のクリフォードは四半期に一度刊行される雑誌『Orpheus』の編集者を務めていた。この雑誌では著作家のハーバート・ファージョン(英語版)が活動しており、レヴューのスケッチや軽い韻文などの作家として知られていた。ファージョン自身が「散文詩」(prose-poem)と呼んだ短い短編小説『幸福な森』は、「勇ましい」羊飼いたちとサテュロスが集まる牧歌的な飾り気のない情景を描いたもので、「自然詩」(Nature Poem)と評されていた。これに触発されたバックスは同名のピアノ曲を作曲することになる。1914年5月に完成されたその作品はファージョンに献呈された。 第一次世界大戦後にバックスは同曲にオーケストレーションを施した。バックスの伝記作家であるルイス・フォアマンのコメントするところでは、穏やかな田舎の情景もバックスがそこに書いた音楽も、戦争体験を積んだ後には得られなくなってしまったものであり、曲にオーケストレーションを行っていたバックスは「取り戻すことのできない世界を再訪」していたのだという。管弦楽版はユージン・グーセンスに捧げられ、グーセンスの指揮により1923年7月3日にロンドンのクイーンズ・ホールで初演された。また1925年のプロムスではヘンリー・ウッドの指揮によって紹介されている。 開始部は「快活かつ幻想的に」と指定され、弱音器を付けたホルンとハープが中心となって中庸のテンポで演奏し始めるが、音楽はたちまち速度を増していく。曲はスケルツォとトリオの形式をとり、後者の抒情性が両端部分の熱狂と対比される。『マンチェスター・ガーディアン』紙の評論家は、曲が「興味深い細部の詰め込みが非常に密であるが故、全体としての効果ははじめ聴衆から逃げていってしまいがちである」と述べている。『タイムズ』紙は次のように書いている。「[曲は]色彩と運動の情事であるが、ありふれた春の牧歌ではなく、幻想的ななにものか(中略)木々が息づき、どんなことでも起こり得る、ドイツのおとぎ話へ付けるのに適切な楽曲である。」曲にはファージョンのテクストに関連する標題的筆致が多くみられるものの、聴衆が曲を楽しむにあたりそれらを把握している必要は全くないとフォアマンは記している。この作品は筋書きを標題的に表現したものというより、主として物語の持つ雰囲気を想起させるものとなっている。 本作は作曲者の生前には録音の機会を得られなかった。初録音は1969年にエドワード・ダウンズの指揮、ロンドン交響楽団の演奏でRCAビクターに行われた。グラハム・パーレットが収集したバックスのディスコグラフィーには、その後に生まれた4種の録音の詳細が紹介されいてる。
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『幸福な森』は、アーノルド・バックスが作曲した交響詩。1914年にピアノ曲として作曲され、1922年に管弦楽編曲された。ハーバート・ファージョンによる同名の寓話から霊感を受けているが、その話は神秘的な存在が見るものを喜ばせる田舎の田園詩である。バックスは出来事の筋書きをなぞるのではなく、話の持つ雰囲気を想起させるような形で話を取り扱っている。
{{Portal クラシック音楽}} 『'''幸福な森'''』(こうふくなもり、{{lang-en|The Happy Forest}})は、[[アーノルド・バックス]]が作曲した[[交響詩]]。1914年にピアノ曲として作曲され、1922年に管弦楽編曲された。{{仮リンク|ハーバート・ファージョン|en|Herbert Farjeon}}による同名の寓話から霊感を受けているが、その話は神秘的な存在が見るものを喜ばせる田舎の田園詩である。バックスは出来事の筋書きをなぞるのではなく、話の持つ雰囲気を想起させるような形で話を取り扱っている。 == 概要 == バックスの弟の[[クリフォード・バックス|クリフォード]]は四半期に一度刊行される雑誌『Orpheus』の編集者を務めていた。この雑誌では著作家の{{仮リンク|ハーバート・ファージョン|en|Herbert Farjeon}}が活動しており、[[レヴュー (演芸)|レヴュー]]のスケッチや軽い韻文などの作家として知られていた。ファージョン自身が「散文詩」(prose-poem)と呼んだ短い短編小説『幸福な森』は、「勇ましい」羊飼いたちと[[サテュロス]]が集まる牧歌的な飾り気のない情景を描いたもので、「自然詩」(Nature Poem)と評されていた。これに触発されたバックスは同名のピアノ曲を作曲することになる。1914年5月に完成されたその作品はファージョンに献呈された<ref name=naxos>Anderson, Keith (2000). Notes to Naxos CD 8.553608, OCLC 841925996</ref>。 [[第一次世界大戦]]後にバックスは同曲にオーケストレーションを施した。バックスの伝記作家であるルイス・フォアマンのコメントするところでは、穏やかな田舎の情景もバックスがそこに書いた音楽も、戦争体験を積んだ後には得られなくなってしまったものであり、曲にオーケストレーションを行っていたバックスは「取り戻すことのできない世界を再訪」していたのだという<ref name=chandos>Foreman, Lewis (2008). Notes to Chandos CD CHAN10446, OCLC 611485439</ref>。管弦楽版は[[ユージン・グーセンス]]に捧げられ、グーセンスの[[指揮 (音楽)|指揮]]により1923年7月3日に[[ロンドン]]の[[クイーンズ・ホール]]で初演された<ref name=times>"Miss Harrison's Orchestral Concert", ''The Times'', 4 July 1923, p. 12</ref>。また1925年の[[BBCプロムス|プロムス]]では[[ヘンリー・ウッド]]の指揮によって紹介されている<ref name=mg>"A New Work by Arnold Bax", ''The Manchester Guardian'', 23 September 1925, p. 4</ref>。 == 楽曲構成 == 開始部は「快活かつ幻想的に」と指定され、弱音器を付けたホルンとハープが中心となって中庸のテンポで演奏し始めるが、音楽はたちまち速度を増していく。曲は[[スケルツォ]]と[[複合三部形式|トリオ]]の形式をとり、後者の抒情性が両端部分の熱狂と対比される<ref name=naxos/><ref name=chandos/>。『[[ガーディアン|マンチェスター・ガーディアン]]』紙の評論家は、曲が「興味深い細部の詰め込みが非常に密であるが故、全体としての効果ははじめ聴衆から逃げていってしまいがちである」と述べている<ref name=mg/>。『[[タイムズ]]』紙は次のように書いている。「[曲は]色彩と運動の情事であるが、ありふれた春の牧歌ではなく、幻想的ななにものか(中略)木々が息づき、どんなことでも起こり得る、ドイツのおとぎ話へ付けるのに適切な楽曲である<ref name=times/>。」曲にはファージョンのテクストに関連する[[標題音楽|標題的]]筆致が多くみられるものの、聴衆が曲を楽しむにあたりそれらを把握している必要は全くないとフォアマンは記している<ref name=chandos/>。この作品は筋書きを標題的に表現したものというより、主として物語の持つ雰囲気を想起させるものとなっている<ref name=naxos/>。 == 録音史 == 本作は作曲者の生前には録音の機会を得られなかった。初録音は1969年に[[エドワード・ダウンズ]]の指揮、[[ロンドン交響楽団]]の演奏で[[RCAレコード|RCAビクター]]に行われた<ref>[https://www.worldcat.org/oclc/33080495 "Symphony No 3 and The Happy Forest"], WorldCat, retrieved 7 October 2015</ref>。グラハム・パーレットが収集したバックスのディスコグラフィーには、その後に生まれた4種の録音の詳細が紹介されいてる<ref name=disco>Parlett, Graham. [http://arnoldbax.com/discography/ "Discography"], The Sir Arnold Bax Website, retrieved 7 October 2015</ref>。 == 出典 == {{Reflist|30em}} == 外部リンク == * {{allmusic|class=composition |id=mc0002367322}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こうふくなもり}} [[Category:バックスの楽曲]] [[Category:交響詩]] [[Category:1914年の楽曲]] [[Category:1922年の楽曲]]
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十一月の森
『11月の森』(英語: November Woods)は、アーノルド・バックスが1917年に作曲した交響詩。表向きは音楽による自然描写という体裁を取っているが、作品には結婚生活の崩壊およびピアニストのハリエット・コーエンとの不倫関係に起因する作曲者の荒れた精神状態を伝える部分がある。作曲者自身によると本作は標題音楽ではなく、絵を描いたり話を物語るというよりも雰囲気を想起させるものであるという。 この作品は1917年11月に完成を迎え、ハミルトン・ハーティが指揮するハレ管弦楽団によって1920年11月18日にマンチェスターで初演された。『マンチェスター・ガーディアン』紙のサミュエル・ラングフォードは曲の「構想の雄大さと独自性」について言及し、ワーグナーの影響について指摘しつつも、本作はワーグナー音楽が持つ原始的な感覚を欠く代わりに「強烈に人間」であるという魅力を有すると考えた。ハーティは翌月にもクイーンズ・ホールで開催されたロイヤル・フィルハーモニック協会の演奏会で本作を取り上げている。『タイムズ』紙の匿名の評論家の書くところでは「全体は技巧的でかなり舞台がかった『自然のままの森』の描写で我々に感銘を与え、曲の音楽的着想の実際の価値へと大いに引き出されていた。」 バックスはキャリア初期においては、非常に巨大な編成の管弦楽を用いて曲を書く傾向があった。この作品では次の編成となっている。 フルート3、ピッコロ、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ハープ2、ティンパニ、シンバル、バスドラム、グロッケンシュピール、チェレスタ、弦五部。 分析家のパーマーは「開始部分では、震える木管とハープ、そして弱音器を付けた弦楽器が移り変わる色彩を繊細に提示する」と述べ、この作品は編成が大きいにもかかわらずバックスの全作品の中で最も精緻なオーケストレーションになっているとコメントしている。また、パーマーはチェロに重なるオーボエや、ファゴット並びにコーラングレと共に演奏するヴィオラなど、楽器の組み合わせにも注意を促している。 本作はバックスの他の交響詩同様に自然から着想を得ている。彼は標題的内容の存在を否定し、この作品は「秋の深まった自然の湿った嵐模様の音楽という印象で捉えられるかもしれないが、曲全体とその起こりは当時の私自身が渦中にいた、ある非常に厄介な経験と繋がっているのである(略)」と明言している。彼が仄めかす経験とは結婚生活の破綻、並びにピアニストのハリエット・コーエンとの情事のことである。コメンテーターのキース・アンダーソンによると、穏やかな第2主題はかつての日々の落ち着いていた心情を示しているのではないかということである。 激しい吹雪を思わせる開始部分に続き、ハープのグリッサンドと素早く機敏な木管の主題を得て、弱音器を付けたチェロが旋律要素を前進させていく。第1主題である半音階的に下降する3音からなる音型が作品の最初の部分では支配的で、これが展開されると第2主題のアンダンテ・コン・モートがコーラングレ、ファゴット、ヴィオラによって奏されてハープとチェレスタが色彩を添える。中間部ではピアニッシモの弦楽器とホルンの高音が先導する形で、ソナタ形式の展開と再現が簡潔に行われる。朗々としたクライマックスを経ると音楽は開始部と同じト短調へ回帰し、バスクラリネットが静かに消えていき曲を終結に導く。 演奏時間は約16-17分である。 本作は作曲者の生前に録音されることはなかった。初録音は1967年11月にエイドリアン・ボールトの指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によってリリタレーベルへと行われた。グラハム・パーレットが集計したバックスのディスコグラフィーでは、その後に生まれた6種類の録音の詳細が紹介されている。
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『11月の森』は、アーノルド・バックスが1917年に作曲した交響詩。表向きは音楽による自然描写という体裁を取っているが、作品には結婚生活の崩壊およびピアニストのハリエット・コーエンとの不倫関係に起因する作曲者の荒れた精神状態を伝える部分がある。作曲者自身によると本作は標題音楽ではなく、絵を描いたり話を物語るというよりも雰囲気を想起させるものであるという。
{{Portal クラシック音楽}} 『'''十一月の森'''』(じゅういちがつのもり、{{lang-en|November Woods}})は、[[アーノルド・バックス]]が1917年に作曲した[[交響詩]]。表向きは音楽による自然描写という体裁を取っているが、作品には結婚生活の崩壊およびピアニストの[[ハリエット・コーエン]]との不倫関係に起因する作曲者の荒れた精神状態を伝える部分がある。作曲者自身によると本作は[[標題音楽]]ではなく、絵を描いたり話を物語るというよりも雰囲気を想起させるものであるという。 == 概要 == この作品は1917年11月に完成を迎え、[[ハミルトン・ハーティ]]が[[指揮 (音楽)|指揮]]する[[ハレ管弦楽団]]によって1920年11月18日に[[マンチェスター]]で初演された。『[[ガーディアン|マンチェスター・ガーディアン]]』紙の[[サミュエル・ラングフォード]]は曲の「構想の雄大さと独自性」について言及し、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の影響について指摘しつつも、本作はワーグナー音楽が持つ原始的な感覚を欠く代わりに「強烈に人間」であるという魅力を有すると考えた<ref>Langford, Samuel. "The Hallé Concerts", ''The Manchester Guardian'', 19 November 1920, p. 11</ref>。ハーティは翌月にも[[クイーンズ・ホール]]で開催された[[ロイヤル・フィルハーモニック協会]]の演奏会で本作を取り上げている。『[[タイムズ]]』紙の匿名の評論家の書くところでは「全体は技巧的でかなり舞台がかった『自然のままの森』の描写で我々に感銘を与え、曲の音楽的着想の実際の価値へと大いに引き出されていた<ref>"An Arnold-Bax Tone Poem", ''The Times'', 17 December 1920, p. 10</ref>。」 == 楽器編成 == バックスはキャリア初期においては、非常に巨大な編成の管弦楽を用いて曲を書く傾向があった<ref>Bowen, York. [https://www.jstor.org/stable/730227 "Arnold Bax: 1883–1953"], ''Music & Letters'', January 1954, p. 6 {{subscription}}</ref>。この作品では次の編成となっている。 [[フルート]]3、[[ピッコロ]]、[[オーボエ]]2、[[コーラングレ]]、[[クラリネット]]3、[[バスクラリネット]]、[[ファゴット]]2、[[コントラファゴット]]、[[ホルン]]4、[[トランペット]]3、[[トロンボーン]]3、[[チューバ]]、[[ハープ]]2、[[ティンパニ]]、[[シンバル]]、[[バスドラム]]、[[グロッケンシュピール]]、[[チェレスタ]]、[[弦楽合奏|弦五部]]<ref name=palmer/>。 分析家のパーマーは「開始部分では、震える木管とハープ、そして弱音器を付けた弦楽器が移り変わる色彩を繊細に提示する」と述べ、この作品は編成が大きいにもかかわらずバックスの全作品の中で最も精緻な[[管弦楽法|オーケストレーション]]になっているとコメントしている<ref name=palmer/>。また、パーマーはチェロに重なるオーボエや、ファゴット並びにコーラングレと共に演奏するヴィオラなど、楽器の組み合わせにも注意を促している<ref name=palmer/>。 == 楽曲構成 == 本作はバックスの他の交響詩同様に自然から着想を得ている。彼は標題的内容の存在を否定し、この作品は「秋の深まった自然の湿った嵐模様の音楽という印象で捉えられるかもしれないが、曲全体とその起こりは当時の私自身が渦中にいた、ある非常に厄介な経験と繋がっているのである(略)」と明言している<ref>Foreman, p. 152</ref>。彼が仄めかす経験とは結婚生活の破綻、並びにピアニストの[[ハリエット・コーエン]]との情事のことである<ref name=palmer>Palmer, John. [http://www.allmusic.com/composition/november-woods-tone-poem-for-orchestra-mc0002362220 "November Woods, tone poem for orchestra"], All Music, retrieved 7 October 2015</ref>。コメンテーターのキース・アンダーソンによると、穏やかな第2主題はかつての日々の落ち着いていた心情を示しているのではないかということである<ref name=naxos>Anderson, Keith (1999). Notes to Naxos CD 8.554093, OCLC 593839237</ref>。 激しい吹雪を思わせる開始部分に続き、ハープの[[グリッサンド]]と素早く機敏な木管の主題を得て、弱音器を付けたチェロが旋律要素を前進させていく。第1主題である半音階的に下降する3音からなる音型が作品の最初の部分では支配的で、これが展開されると第2主題の[[wikt:andante|アンダンテ]]・[[wikt:con moto|コン・モート]]がコーラングレ、ファゴット、ヴィオラによって奏されてハープとチェレスタが色彩を添える。中間部ではピアニッシモの弦楽器とホルンの高音が先導する形で、[[ソナタ形式]]の展開と再現が簡潔に行われる。朗々としたクライマックスを経ると音楽は開始部と同じ[[ト短調]]へ回帰し、バスクラリネットが静かに消えていき曲を終結に導く<ref name=palmer/><ref name=naxos/>。 演奏時間は約16-17分である<ref name=naxos/>。 == 録音史 == 本作は作曲者の生前に録音されることはなかった。初録音は1967年11月に[[エイドリアン・ボールト]]の指揮、[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]によって[[リリタ]]レーベルへと行われた<ref name=d>Stuart, Philip. [http://www.charm.rhul.ac.uk/discography/decca.html ''Decca Classical, 1929–2009''], Centre for the History and Analysis of Recorded Music, retrieved 7 October 2015</ref>。グラハム・パーレットが集計したバックスのディスコグラフィーでは、その後に生まれた6種類の録音の詳細が紹介されている<ref name=disco>Parlett, Graham. [http://arnoldbax.com/discography/ "Discography"], The Sir Arnold Bax Website, retrieved 7 October 2015</ref>。 == 出典 == {{Reflist|30em}} == 外部リンク == * {{IMSLP2|work=November_Woods%2C_GP_191_(Bax%2C_Arnold)}} * {{allmusic|class=composition |id=mc0002362220}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆういちかつのもり}} [[Category:バックスの楽曲]] [[Category:交響詩]] [[Category:1917年の楽曲]]
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ジョリエン・クノレマ
ジョリエン・クノレマ(Jolien Knollema、女性、2003年1月5日 - )はオランダの女子バレーボール選手。ポジションはアウトサイドヒッター。オランダ代表。 フローニンゲン出身。2018年、SuDoSa-Destoへ入団。2019/20シーズンからはEurospedで2年間プレーした。2021/22シーズンはイタリアセリエA1のイル・ビゾンテ・フィレンツェへ移籍した。2023/24シーズンはドイツブンデスリーガのアリアンツ MTV シュトゥットガルトと契約した。 アンダーカテゴリーの代表として2021年のU-20世界選手権に出場し4位となり、自身はベストアウトサイドヒッター賞を受賞した。2022年にシニア代表に初選出され、同年の世界選手権に出場した。2023年、ネーションズリーグではエースとして活躍をみせ、同年8-9月の欧州選手権では銅メダルを獲得した。また、パリ五輪予選に出場した。
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ジョリエン・クノレマはオランダの女子バレーボール選手。ポジションはアウトサイドヒッター。オランダ代表。
{{バレーボール選手 |本名=ジョリエン・クノレマ |ラテン文字=Jolien Knollema |国籍={{NED}} |生年月日={{生年月日と年齢|2003|01|05}} |出身地={{Flagicon|NED}} [[フローニンゲン]] |ポジション=[[アウトサイドヒッター|OH]] |所属={{Flagicon|GER}} [[アリアンツ MTV シュトゥットガルト]] |背番号=10 |身長=189cm |体重= |利き手=右 |スパイク= |ブロック= |獲得メダル= {{MedalCountry|{{NEDwv}}}} {{MedalCompetition|[[バレーボール欧州選手権]]}} {{MedalBronze|[[2023年バレーボール女子欧州選手権|2023]]|ブリュッセル}} }} '''ジョリエン・クノレマ'''(Jolien Knollema、女性、[[2003年]][[1月5日]] - )は[[オランダ]]の女子[[バレーボール]]選手。ポジションは[[アウトサイドヒッター]]。[[バレーボールオランダ女子代表|オランダ代表]]。 ==来歴== * クラブチーム [[フローニンゲン]]出身。2018年、SuDoSa-Destoへ入団。2019/20シーズンからはEurospedで2年間プレーした。2021/22シーズンはイタリアセリエA1の[[イル・ビゾンテ・フィレンツェ]]へ移籍した。2023/24シーズンはドイツブンデスリーガの[[アリアンツ MTV シュトゥットガルト]]と契約した。 * 代表チーム アンダーカテゴリーの代表として2021年のU-20世界選手権に出場し4位となり、自身はベストアウトサイドヒッター賞を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://worldofvolley.com/latest_news/fivb/302402/wch-u20-w-unstoppable-italy-grab-the-world-championship-u-20-crown.html |title=WCH U20 W: Unstoppable Italy grab the World Championship U 20 crown! |accessdate=2023-10-01 |date=2021-07-19}}</ref>。2022年にシニア代表に初選出され、同年の[[2022年バレーボール女子世界選手権|世界選手権]]に出場した。2023年、[[2023年FIVB女子バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]]ではエースとして活躍をみせ、同年8-9月の[[2023年バレーボール女子欧州選手権|欧州選手権]]では銅メダルを獲得した。また、[[2024年パリオリンピックのバレーボール競技・女子予選|パリ五輪予選]]に出場した。 ==球歴== * [[バレーボール世界選手権|世界選手権]] - 2022年 * [[バレーボール欧州選手権|欧州選手権]] - 2023年 * [[バレーボールネーションズリーグ|ネーションズリーグ]] - 2022年、2023年 ==受賞歴== * 2021年 U-20世界選手権 ベストアウトサイドヒッター賞 ==所属クラブ== * {{Flagicon|NED}} SuDoSa-Desto(2018-2019年) * {{Flagicon|NED}} Eurosped(2019-2021年) * {{Flagicon|ITA}} [[イル・ビゾンテ・フィレンツェ]](2021-2023年) * {{Flagicon|GER}} [[アリアンツ MTV シュトゥットガルト]](2023-) ==脚注== {{Reflist}} ==外部リンク== * [https://en.volleyballworld.com/volleyball/competitions/women-worldchampionship-2022/players/167482 VolleyballWorldのプロフィール] {{2022年バレーボール世界選手権オランダ女子代表}} {{DEFAULTSORT:くのれま しよりえん}} [[Category:オランダの女子バレーボール選手]] [[Category:バレーボールオランダ女子代表選手]] [[Category:2003年生]] [[Category:存命人物]]
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グリコアーモンドチョコレート
グリコアーモンドチョコレートは江崎グリコが1958年(昭和33年)より販売してたロングセラー商品。アーモンドを使用したチョコレート菓子商品名であった。 チョコレートひと山に1粒のアーモンドが入ったチョコレート菓子。アーモンドを丸ごと1粒入れたチョコレート菓子としては日本初であった。 1952年8月にモンドセレクションのナッツ部門で第1位入賞している。 後継商品に2011年に発売開始されたアーモンドピークがある。 1922年(大正11年)にグリコを、1933年(昭和8年)にビスコを発売し、子供向け栄養菓子の分野で順調に業績を伸ばす江崎グリコは、1955年(昭和30年)にアーモンドグリコを販売、日本においてそれまで無名であったアーモンドを知らしめると共に大人向けの菓子の市場に切り込んでいった。 それまでキャラメルやビスケット類が主力であった日本の菓子業界は、昭和30年代後半よりチョコレートに注目するようになり、銀紙で包装された板チョコ商品が主流として販売されるようになっていた。 江崎グリコもチョコレート分野への進出を決め、研究を重ねた。当時、砕いたアーモンドをチョコレートに混ぜたような製品はあったが、江崎グリコの研究陣が到達したのは「チョコレートひと山に1粒のアーモンドを丸ごと入れる」という贅沢な商品であった。使用するアーモンドはカリフォルニア産のノンパレル種(Nonpareil)で、アーモンド香を引き立てるためにローストした。チョコレート市場調査で人気の高かったミルクチョコレート。既存のチョコレート製品との違いを明確にするため、パッケージはラベルを巻くのではなく箱入りにし、箱をセロファンで包むことで高級感を演出することになった。 新機軸の製品であるが故に、製造現場では混乱が起きる。最も大きいものが、チョコレートひと山に1粒ずつアーモンドを入れる製造機械の開発であった。少しでも早く画期的な新製品を市場に投入したい営業サイドからは「味が変わらないのならば、砕いたアーモンドを入れるようにすれば良いのではないか」という意見もあったが、それに反対し、砕いたアーモンドを入れるのは他社でもできるとひと山1粒に拘ったのが創業社長の江崎利一であった。 テストセールは行わず、1958年(昭和33年)2月、京阪神地区でグリコアーモンドチョコレートの販売が開始される。製造の機械化は完成しておらず、チョコレートをしゃもじで金型に詰めてへらでならし、アーモンドを1粒ずつピンセットで金型のチョコレートに入れるという手作業の製造工程を残したままでの見切り発車であった。更に、当時のアーモンドのグラム単価はチョコレートの2倍以上しており、高級感を出すため箱入りやセロファン包装を選んだこともコスト高につながった結果、当時の板チョコ商品と比べるとかなりの割高商品となり、特約店からの前評判は今一つだった。 対策として、江崎グリコでは店頭での販促と広告キャンペーンを行った。短期間で主要店舗にそのまま陳列されるよう専用陳列台に製品をセットしたものを用意し、主要新聞4紙に大々的な広告を出稿すると共い、5万名を対象にした実物見本進呈キャペーンを実施。また、製品の中に券を封入し、「山小屋が当たる」キャンペーンも行った。 結果、グリコアーモンドチョコレートの売り上げは好調なものとなり、同年4月にはひと山に1粒ずつアーモンドを入れる機械の開発も完了し、同年10月には首都圏での発売に踏み切った。首都圏販売にあたっても、連続的な新聞広告と電車内に吊り広告を打つと共に、宣伝のためにラジオ番組を企画して、三木鶏郎作詞作曲によるCMソングをラジオやテレビで繰り返し放送した。グリコアーモンドチョコレートは首都圏でもヒット商品となり、江崎グリコは1962年には東京工場を増設することになる。 1箱10粒入りのスライド式の箱に入った商品と、プルトップ型と呼ばれる箱に4本入りの商品があった。前者は上述のようなひと山1粒の形状であるが、 後者はチョコートの台座にアーモンド1粒を乗せてチョコレートでコーディングされたものが1本に2ブロックとなっていた。 「カリッと青春」、「ひとつぶの青春」をキャッチコピー、キャッチフレーズにアイドルを起用したCMも話題となった。以下に起用されたアイドルの例を挙げる。 CMソングとして使用された楽曲を以下に例示する。
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グリコアーモンドチョコレートは江崎グリコが1958年(昭和33年)より販売してたロングセラー商品。アーモンドを使用したチョコレート菓子商品名であった。
'''グリコアーモンドチョコレート'''は[[江崎グリコ]]が[[1958年]](昭和33年)より販売してた[[ロングセラー]]商品。[[アーモンド]]を使用した[[チョコレート]]菓子商品名であった。 == 概要 == チョコレートひと山に1粒のアーモンドが入ったチョコレート菓子{{R|クロ}}。アーモンドを丸ごと1粒入れたチョコレート菓子としては日本初であった{{R|ピーク}}。 [[1952年]]8月に[[モンドセレクション]]のナッツ部門で第1位入賞している{{R|クロ}}。 後継商品に2011年に発売開始された[[アーモンドピーク]]がある{{R|ピーク}}。 == 歴史 == 1922年(大正11年)に[[グリコ (菓子)|グリコ]]を、1933年(昭和8年)に[[ビスコ (菓子)|ビスコ]]を発売し、子供向け栄養菓子の分野で順調に業績を伸ばす江崎グリコは、1955年(昭和30年)に[[アーモンドグリコ]]を販売、日本においてそれまで無名であったアーモンドを知らしめると共に大人向けの菓子の市場に切り込んでいった{{R|NTT}}。 それまで[[キャラメル]]や[[ビスケット]]類が主力であった日本の菓子業界は、昭和30年代後半よりチョコレートに注目するようになり、銀紙で[[包装]]された[[板チョコ]]商品が主流として販売されるようになっていた{{R|クロ|NTT}}。 江崎グリコもチョコレート分野への進出を決め、研究を重ねた{{R|NTT}}。当時、砕いたアーモンドをチョコレートに混ぜたような製品はあったが、江崎グリコの研究陣が到達したのは「チョコレートひと山に1粒のアーモンドを丸ごと入れる」という贅沢な商品であった{{R|クロ|NTT}}。使用するアーモンドはカリフォルニア産のノンパレル種({{lang|en|Nonpareil}})で、アーモンド香を引き立てるためにローストした{{R|NTT}}。チョコレート市場調査で人気の高かった[[ミルクチョコレート]]{{R|NTT}}。既存のチョコレート製品との違いを明確にするため、パッケージはラベルを巻くのではなく箱入りにし、箱を[[セロファン]]で包むことで高級感を演出することになった{{R|NTT}}。 新機軸の製品であるが故に、製造現場では混乱が起きる{{R|NTT}}。最も大きいものが、チョコレートひと山に1粒ずつアーモンドを入れる製造機械の開発であった{{R|NTT}}。少しでも早く画期的な新製品を市場に投入したい営業サイドからは「味が変わらないのならば、砕いたアーモンドを入れるようにすれば良いのではないか」という意見もあったが、それに反対し、砕いたアーモンドを入れるのは他社でもできるとひと山1粒に拘ったのが創業社長の[[江崎利一]]であった{{R|NTT|松崎}}。 テストセールは行わず、1958年(昭和33年)2月、[[京阪神地区]]でグリコアーモンドチョコレートの販売が開始される{{R|NTT}}。製造の機械化は完成しておらず、チョコレートを[[しゃもじ]]で[[金型]]に詰めて[[へら]]でならし、アーモンドを1粒ずつ[[ピンセット]]で金型のチョコレートに入れるという手作業の製造工程を残したままでの見切り発車であった{{R|NTT}}。更に、当時のアーモンドのグラム単価はチョコレートの2倍以上しており、高級感を出すため箱入りやセロファン包装を選んだこともコスト高につながった結果、当時の板チョコ商品と比べるとかなりの割高商品となり、特約店からの前評判は今一つだった{{R|NTT}}。 対策として、江崎グリコでは店頭での販促と広告キャンペーンを行った{{R|NTT}}。短期間で主要店舗にそのまま陳列されるよう専用陳列台に製品をセットしたものを用意し、主要新聞4紙に大々的な広告を出稿すると共い、5万名を対象にした実物見本進呈キャペーンを実施{{R|NTT}}。また、製品の中に券を封入し、「山小屋が当たる」キャンペーンも行った{{R|NTT}}。 結果、グリコアーモンドチョコレートの売り上げは好調なものとなり、同年4月にはひと山に1粒ずつアーモンドを入れる機械の開発も完了し、同年10月には首都圏での発売に踏み切った{{R|NTT}}。首都圏販売にあたっても、連続的な新聞広告と電車内に吊り広告を打つと共に、宣伝のためにラジオ番組を企画して、[[三木鶏郎]]作詞作曲による[[CMソング]]をラジオやテレビで繰り返し放送した{{R|NTT}}。グリコアーモンドチョコレートは首都圏でもヒット商品となり、江崎グリコは1962年には東京工場を増設することになる{{R|NTT}}。 == 商品展開 == 1箱10粒入りのスライド式の箱に入った商品と、プルトップ型と呼ばれる箱に4本入りの商品があった{{R|ニッポン}}。前者は上述のようなひと山1粒の形状であるが、 後者はチョコートの台座にアーモンド1粒を乗せてチョコレートでコーディングされたものが1本に2ブロックとなっていた{{R|ニッポン}}。 ;バリエーションの例 :*ロースト - 最初に発売されたもの。アーモンドを焙焼してある{{R|ニッポン}}。 :*フライド - アーモンドの表面を砂糖漬けにして揚げたもの{{R|ニッポン}}。 :*XO - ローストしたアーモンドに[[ブランデー]]を添えたもの。プルトップ型のみ販売{{R|ニッポン}}。 :*XA - アーモンドを[[アップル・ブランデー]]クリームでコーティングしたもの{{R|ニッポン}}。 :*カフェオレ - アーモンドをコーヒークリームでコーティングしたもの。プルトップ型のみ販売{{R|ニッポン}}。 == CM == <!-- 追記するなら、出典もお願いします。 --> 「カリッと青春」、「ひとつぶの青春」を[[キャッチコピー]]、キャッチフレーズに[[アイドル]]を起用したCMも話題となった{{R|クロ|ピーク|Get}}。以下に起用されたアイドルの例を挙げる。 *[[飯野おさみ]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[片瀬きよみ]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[藤岡弘、|藤岡弘]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[ジュディ・オング]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[新藤恵美]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[近藤正臣]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[山口百恵]]{{R|クロ}} *[[三浦友和]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[松田聖子]]{{R|クロ}} *[[田原俊彦]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} *[[小泉今日子]]{{R|クロ}} *[[渡辺徹 (俳優)|渡辺徹]]{{要出典|date=2023年10月2日 (月) 13:25 (UTC)}} === CMソング === <!-- 追記するなら、出典もお願いします。 --> CMソングとして使用された楽曲を以下に例示する。 *グリコアーモンドチョコレートのうた *1973年 『[[青春のバラード〜ひとつぶの涙]]』[[森田健作]]{{R|SBS}} *1977年 『[[愛のメモリー (曲)|愛のメモリー]]』[[松崎しげる]]{{R|SBS}} *1978年 『[[季節の中で]]』[[松山千春]]{{R|SBS}} *1980年 『[[ハッとして!Good]]』[[田原俊彦]]{{R|SBS}} *1984年 『[[恋人達のペイヴメント]]』[[THE ALFEE]]{{R|SBS}} == 出典 == {{Reflist|refs= <ref name="NTT">{{Cite web|和書|publisher=[[NTTコムウェア]]|url=https://www.nttcom.co.jp/comzine/no033/long_seller/index.html|work=ニッポン・ロングセラー考|website=COMZINE|title=グリコ アーモンドチョコレート|year=2006|accessdate=2023-10-01}}</ref> <ref name="クロ">{{Cite book|和書|page=23|title=日本お菓子クロニクル|year=2023|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=978-4777830053}}</ref> <ref name="ピーク">{{Cite press release|language=ja|publisher=[[江崎グリコ]]|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000245.000001124.html|title=「アーモンドピーク」が発売から10年、初めての大幅リニューアルを実施 新「アーモンドピーク」 2021年9月21日(火)発売|date=2021-10-01|accessdate=2023-10-02}}</ref> <ref name="Get">{{Cite web|和書|publisher=[[GetNavi]]|url=http://news.line.me/detail/oa-getnavi/e851ba31459d|website=[[LINE NEWS]]|title=時代と共に姿を消した「スナック菓子」はこんなにあった…|date=2017-08-07|accessdate=2023-10-02}}</ref> <ref name="ニッポン">{{Cite web|和書|publisher=[[ニッポン放送]]|url=https://news.1242.com/article/137052|title=チビッ子の憧れ…グリコ幻のアーモンドチョコレート|date=2018-02-15|accessdate=2023-10-02}}</ref> <ref name="松崎">{{Cite book|和書|chapter=さらに受け継がれてゆくエポックメーカーの血|title=私が選んだ後継者|author=松崎隆司|year=2007|publisher=[[すばる舎]]|isbn=978-4883996056}}</ref> <ref name="SBS">{{Cite web|和書|publisher=[[静岡放送]]|url=http://www.at-s.com/sbsradio/program/ongakudo/detail/1062150.html|title=<2017年1月29日>「昭和のグリコアーモンドチョコCMソング」特集|date=2017-02-20|work=[[林哲司&半田健人 昭和音楽堂]]|accessdate=2023-10-02}}</ref> }} == 関連項目 == *[[アーモンドチョコレート]] {{Food-stub}} {{DEFAULTSORT:くりこああもんとちよこれえと}} [[Category:江崎グリコの製品]] [[Category:江崎グリコの歴史]] [[Category:チョコレート菓子の商品名]] [[Category:アーモンド料理]] [[Category:1958年設立]]
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高橋慶帆
高橋 慶帆(たかはし けいはん、2003年10月13日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 千葉県旭市で、イラン人の父と日本人の母の間に生まれる。小学2年からサッカーをしていたが怪我をきっかけに中学2年でバレーに転向した。2019年、市立習志野高校に進学した。高校時代は3年連続で春高バレーに出場。2022年、法政大学に進学した。 2023年度バレーボール日本男子代表に選出され、FIVB男子バレーボールネーションズリーグの日本代表登録メンバーに選出された。その後、アジア競技大会に出場した。 2023年11月15日、ジェイテクトSTINGSへの入部が発表された。ジェイテクトにとって大学4年生内定選手以外の現役大学生との契約は初である。全日本インカレ終了後から2023-24 V1男子終了までジェイテクトの選手としてプレーする。 「ケイハン」はペルシャ語で「世界」を意味する。 4歳年上の兄がいる。
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高橋 慶帆は、日本の男子バレーボール選手。
{{バレーボール選手 | 本名 = 高橋 慶帆 | ラテン文字 = Keihan Takahashi | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 国籍 = {{JPN}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|2003|10|13}} | 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[千葉県]][[旭市]]<ref>{{Cite web |title=این ایرانی دشمن شماره یک تیم ملی والیبال ایران! |trans-title=このイラン人はイラン代表チームの一番の敵だ!|url=https://www.varzesh3.com/news/1967209/%D8%A7%DB%8C%D9%86-%D8%A7%DB%8C%D8%B1%D8%A7%D9%86%DB%8C-%D8%AF%D8%B4%D9%85%D9%86-%D8%B4%D9%85%D8%A7%D8%B1%D9%87-%DB%8C%DA%A9-%D8%AA%DB%8C%D9%85-%D9%85%D9%84%DB%8C-%D9%88%D8%A7%D9%84%DB%8C%D8%A8%D8%A7%D9%84-%D8%A7%DB%8C%D8%B1%D8%A7%D9%86 |language=fa|accessdate=2023-10-1}}</ref> | 原語名 = | 原語表記 = | 身長 = 194cm | 体重 = 83kg | 血液型 = | 所属 = [[法政大学]] | 背番号 = 31([[バレーボール日本男子代表|日本代表]])<br /> 14([[法政大学]])<ref name="月バレ20231024" /><br /> 24([[ジェイテクトSTINGS|ジェイテクト]]) | 愛称 = | 役職 = | ポジション = [[アウトサイドヒッター|OH]] | 指高 = 250cm | 利き手 = | スパイク = 360cm | ブロック = 325cm<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.getsuvolley.com/japan_men/japan2023_men_takahashi_keihan |title=高橋慶帆 |access-date=2023-11-22 |website=[[月刊バレーボール|月バレ.com]] |publisher=[[日本文化出版]]}}</ref> | 獲得メダル = {{MedalCountry | {{vb|JPN}} }} {{MedalCompetition | [[アジア競技大会バレーボール競技|アジア競技大会]]}} {{MedalBronze | 2023年{{Enlink |Volleyball at the 2022 Asian Games – Men ||en |a=on}} | 男子バレーボール}} }} '''高橋 慶帆'''(たかはし けいはん、[[2003年]][[10月13日]] - )は、日本の男子[[バレーボール]]選手。 == 来歴 == [[千葉県]][[旭市]]で、[[イラン|イラン人]]の父と日本人の母の間に生まれる<ref name=":0">{{Cite web |last=勝部晃多 |title=【バレー】高橋慶帆、ペルシャ語で「世界」意味する名の19歳イケメンスパイカー - バレーボール : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/sports/news/202305090001825.html |access-date=2023-09-29 |website=nikkansports.com}}</ref>。小学2年から[[サッカー]]をしていたが怪我をきっかけに中学2年でバレーに転向した<ref name=":0" />。2019年、[[習志野市立習志野高等学校|市立習志野高校]]に進学した。高校時代は3年連続で[[春高バレー]]に出場<ref>{{Cite web |title=バレー - 法政大学・高橋慶帆 競技7年目の「龍神」選出は成長の通過点 高さを武器に世界へ {{!}} 4years. #学生スポーツ |url=https://4years.asahi.com/article/14903114 |website=4years |date=2023-05-12 |access-date=2023-10-01 |language=ja}}</ref><ref name=":0" />。2022年、[[法政大学]]に進学した。 2023年度[[バレーボール日本男子代表]]に選出され<ref name="月バレ20231024">{{Cite web|和書|url=https://www.getsuvolley.com/231024_takahashi_keihan|title= 高橋慶帆が大学バレーにカムバック「代表で先輩方から吸収したことを、今度は自分から発信できるように」|website=月バレ.com【月刊バレーボール】|publisher=日本文化出版|data=2023-10-24|accessdate=2023-10-23}}</ref>、[[2023年FIVB男子バレーボールネーションズリーグ|FIVB男子バレーボールネーションズリーグ]]の日本代表登録メンバーに選出された<ref>{{Cite web |title=Keihan Takahashi » clubs :: Volleybox |url=https://volleybox.net/keihan-takahashi-p82736/indoor_tournaments|accessdate=2023-10-1}}</ref>。その後、[[2022年アジア競技大会|アジア競技大会]]に出場した<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.jva.or.jp/international2023/asiangamesmen/ |title=第19回アジア競技大会(2022/杭州) |access-date=2023-11-15 |publisher=[[日本バレーボール協会]]}}</ref>。 2023年11月15日、[[ジェイテクトSTINGS]]への入部が発表された。ジェイテクトにとって大学4年生内定選手以外の現役大学生との契約は初である。[[全日本バレーボール大学男女選手権大会|全日本インカレ]]終了後から[[2023-24 V.LEAGUE DIVISION1 MEN|2023-24 V1男子]]終了までジェイテクトの選手としてプレーする<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.jtekt-stings.jp/news/post_283.html |title=高橋慶帆 選手入部のお知らせ |access-date=2023-11-15 |publisher=[[ジェイテクトSTINGS]] |date=2023-11-15}}</ref>。同年12月23日、V1男子の[[VC長野トライデンツ]]戦で途中出場し、Vリーグデビューを果たした。デビュー戦で4得点を挙げた<ref>{{Cite news |和書|title=高橋慶帆 Vリーグデビュー途中出場で4得点 Vリーグ1部ジェイテクト |newspaper=[[スポーツニッポン]] |dat2023-12-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2023/12/23/kiji/20231223s00070000362000c.html |access-date=2023-12-23}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=Vリーグデビューの高橋慶帆「いい準備ができて入れた」4得点でストレート勝ちに貢献 |newspaper=[[スポーツニッポン]] |dat2023-12-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2023/12/23/kiji/20231223s00070000386000c.html |access-date=2023-12-23}}</ref>。 == 人物 == 「ケイハン」は[[ペルシア語|ペルシャ語]]で「世界」を意味する<ref name=":0" />。 4歳年上の兄がいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/general/2023/10/14/0016917662.shtml|title=「超絶イケメン」海外メディアも認めるネット騒然の日本バレーの新星、高橋慶帆20歳に 祝福に感謝綴る|website=デイリースポーツonline|publisher=デイリースポーツ|data=2023-10-14|accessdate=2023-10-14}}</ref><ref group="注釈">兄<!--アルタ-->のInstagramに生年(1999年)が記されている。</ref>。 == 球歴 == * [[バレーボール日本男子代表|日本代表]](2023年) ** [[アジア競技大会バレーボール競技|アジア競技大会]] - 2023年{{Enlink |Volleyball at the 2022 Asian Games – Men ||en |a=on}} == 所属チーム == * [[習志野市立習志野高等学校]](2019-2022年) * [[法政大学]](2022年-) ** [[ジェイテクトSTINGS]](2023年-) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Sports links}} {{DEFAULTSORT:たかはし けいはん}} [[Category:日本男子代表バレーボール選手]] [[Category:千葉県出身のスポーツ選手]] [[Category:法政大学の人物]] [[Category:習志野市立習志野高等学校出身の人物]] [[Category:イラン系日本人]] [[Category:2003年生]] [[Category:存命人物]]
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ウロコオリス形亜目
ウロコオリス形亜目(Anomaluromorpha)は齧歯目に属す亜目。 3科4属9種の現生種と1科の化石群が属す。
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ウロコオリス形亜目(Anomaluromorpha)は齧歯目に属す亜目。
{{生物分類表 |名称 = ウロコオリス形亜目 | fossil_range = [[始新世]]後期~現在<ref name=":0">{{Cite web|title=Fossilworks: Anomaluroidea|url=http://www.fossilworks.org/cgi-bin/bridge.pl?a=taxonInfo&taxon_no=41969|access-date=17 December 2021|website=fossilworks.org}}</ref><ref>{{Cite web|title=Mindat.org|url=https://www.mindat.org/taxon-P41969.html|access-date=2021-06-12|website=www.mindat.org}}</ref> {{fossilrange|40|0}} |画像 = [[File:Springharelg.jpg|250px]] |画像キャプション ={{Snamei||Pedetes capensis}} [[トビウサギ]] |省略 = 哺乳綱 |下綱=[[有胎盤類]] {{Sname||Placentalia}} |巨目=[[北方真獣類]] {{Sname||Boreoeutheria}} |上目=[[真主齧類]] {{Sname||Euarchontoglires}} |大目=[[グリレス類]] {{Sname||Glires}} |中目=[[単歯類]] {{Sname||Simplicidentata}} |目 = [[齧歯目]] {{Sname||Rodentia}} |亜目='''ウロコオリス形亜目''' {{Sname||Anomaluromorpha}}<br> Bugge, 1974 |和名 = ウロコオリス形亜目<ref name="kawada_et_al">[[川田伸一郎]]他 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.58.S1 世界哺乳類標準和名目録]」『哺乳類科学』第58巻 別冊、日本哺乳類学会、2018年、1-53頁。</ref> }} '''ウロコオリス形亜目'''({{Sname||Anomaluromorpha}})は[[齧歯目]]に属す亜目<ref name="carleton_musser">Michael D. Carleton and Guy G. Musser, “[http://www.departments.bucknell.edu/biology/resources/msw3/browse.asp?id=12200001 Order Rodentia],” In Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (eds.), ''[[Mammal Species of the World]]'' (3rd ed.), Volume 2, Johns Hopkins University Press, 2005, Pages 745-752.</ref>。 == 科 == 3科4属9種の現生種と1科の化石群が属す。 *†{{Sname||Parapedetidae}} *[[トビウサギ科]] {{Sname||Pedetidae}} *[[ウロコオリス科]] {{Sname||Anomaluridae}} *[[:en:Zenkerellinae|Zenkerellidae]]科 == 含まれる可能性のある分類群 == *†{{Snamei||Diatomys}} *†{{Sname||Zegdoumyidae}} ==詳細文献== {{Ref begin|30em|indent=yes}} * {{Cite book | last1 = Carleton | first1 = M. D. | last2 = Musser | first2 = G. G. | chapter = Order Rodentia | title = Mammal Species of the World A Taxonomic and Geographic Reference | editor1-last = Wilson | editor1-first = D. E. | editor2-last = Reeder | editor2-first = D. M. | location = Baltimore | publisher = Johns Hopkins University Press | year = 2005 | pages = 745–752 | isbn = 978-0-8018-8221-0 }} * {{Cite book | last1 = McKenna | first1 = M. C. | last2 = Bell | first2 = S. K. | title = Classification of Mammals Above the Species Level | year = 1997 | publisher = Columbia University Press | location = New York | isbn = 0-231-11013-8 }} * {{Cite journal | last1 = Montgelard | first1 = C. | last2 = Bentz | first2 = S. | last3 = Tirard | first3 = C. | last4 = Vernaeu | first4 = O. | last5 = Catzeflis |first5=F. M. | title = Molecular systematics of Sciurognathi: the mitochondrial cytochrome b and 12S rRNA genes support the Anomaluroidea (Pedetidae and Anomaluridae) | journal = Molecular Phylogenetics and Evolution | year = 2002 | volume = 22 | issue = 2 | pages = 220–233 | doi = 10.1006/mpev.2001.1056 | pmid = 11820843 }} {{Ref end}} ==脚注== {{Reflist}} {{Taxonbar}} [[Category:齧歯目]] {{デフォルトソート:うろこおりすけいあもく}}
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鈴木亭一
鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、日本の経営者。日本特殊陶業社長を務めた。 静岡県出身。1944年に名古屋経済専門学校を卒業し、同年に日本特殊陶業に入社。1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。
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鈴木 亭一は、日本の経営者。日本特殊陶業社長を務めた。
'''鈴木 亭一'''(すずき ていいち、[[1925年]][[1月3日]] - )は、日本の[[経営者]]。[[日本特殊陶業]]社長を務めた。 == 来歴・人物 == [[静岡県]]出身{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=す98頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1944年]]に[[名古屋経済専門学校]](現[[名古屋大学経済学部]])を卒業し、同年に[[日本特殊陶業]]に入社{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=す98頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1977年]]に取締役に就任し、[[1981年]]6月に常務、[[1983年]]6月に専務を経て、[[1985年]]6月に社長に就任{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=す98頁|ref=jinji-42-jo}}<ref>1985年 5月23日 日本経済新聞 朝刊 p13</ref>。[[1993年]]6月に会長に就任し、[[1997年]]6月に相談役に就任{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=す98頁|ref=jinji-42-jo}}。 [[1987年]]11月に[[褒章|藍綬褒章]]を受章し、[[1996年]]4月に[[瑞宝章|勲三等瑞宝章]]を受章{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=す98頁|ref=jinji-42-jo}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 興信データ株式會社| title = 人事興信録 第42版 上| publisher = 興信データ| series = | volume = | edition = | date = 2003年| pages = | url = |ref = jinji-42-jo}} {{先代次代|日本特殊陶業社長|1985年 - 1993年|[[小川修次]]|[[岡村鐘雄]]}} {{people-stub}} {{デフォルトソート:すすき ていいち}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:日本特殊陶業|人]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:勲三等瑞宝章受章者]] [[Category:名古屋大学出身の人物]] [[Category:静岡県出身の人物]] [[Category:1925年生]] [[Category:存命人物]]
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THE BOOK 3
『THE BOOK 3』(ザ・ブック3)は、2023年10月4日にソニー・ミュージックエンタテインメントから発売されたYOASOBIの4作目のEP。 2022年以降にリリースされた「ミスター」から「勇者」までの日本語の配信シングル8曲の他、ライブで披露されている「祝福」のイントロダクションとなる「Interlude "Awakening"」、「アイドル」のイントロダクションとなる「Interlude "Worship"」が収録されている。
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『THE BOOK 3』(ザ・ブック3)は、2023年10月4日にソニー・ミュージックエンタテインメントから発売されたYOASOBIの4作目のEP。
{{出典の明記|date=2023年10月4日 (水) 13:47 (UTC)|ソートキー=音さふつく3}} {{Infobox Album | Name = THE BOOK 3 | Type = [[EP]] | Artist = [[YOASOBI]] | Released = [[2023年]][[10月4日]] | Recorded = | Genre = [[J-POP]] | Length = | Label = YOASOBI / [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]] | Producer = | Last album = [[はじめての - EP]]<br/>(2023年) | This album = '''THE BOOK 3'''<br/>([[2023年]]) | Next album = | Certification = | Chart position= * '''[[オリコンチャート]]''' ** 週間2位<ref>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/rank/ja/w/2023-10-16/|title=週間 アルバムランキング|date=2023-10-16|accessdate=2023-10-15|publisher=ORICON NEWS}}</ref> ** 週間1位{{small|(デジタルアルバム)}}<ref>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/news/2298054/full/|title=YOASOBI、デジタル2冠達成 シングル「勇者」、アルバム『THE BOOK 3』ともに1位【オリコンランキング】|date=2023-10-11|accessdate=2023-10-15|publisher=ORICON NEWS}}</ref> * '''[[Billboard Japan]]''' ** 週間2位{{small|([[Billboard Japan Hot Albums|Hot Albums]])}}<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot_albums&year=2023&month=10&day=16|title=“Billboard Japan Hot Albums 2023/10/11 公開|date=2023-10-11|accessdate=2023-10-15|publisher=Billboard Japan}}</ref> ** 週間1位{{small|(Billboard Japan Download Albums)}}<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=dlalbums&year=2023&month=10&day=16|title=“Billboard Japan Download Albums 2023/10/11 公開"|date=2023-10-16|accessdate=2023-10-15|publisher=Billboard Japan}}</ref> | EAN = | Misc = {{Singles | Name = THE BOOK 3 | Type = EP | Single 1 = [[ミスター (YOASOBIの曲)|ミスター]] | Single 1 date = {{Start date|2022|2|16}} | Single 2 = [[祝福_(YOASOBIの曲)|祝福]] | Single 2 date = {{Start date|2022|11|9}} | Single 3 = [[海のまにまに]] | Single 3 date = {{Start date|2022|11|18}} | Single 4 = [[アドベンチャー (YOASOBIの曲)|アドベンチャー]] | Single 4 date = {{Start date|2023|2|15}} | Single 5 = [[セブンティーン (YOASOBIの曲)|セブンティーン]] | Single 5 date = {{Start date|2023|3|27}} | Single 6 = [[アイドル (YOASOBIの曲)|アイドル]] | Single 6 date = {{Start date|2023|4|12}} | Single 7 = [[好きだ (曲)|好きだ]] | Single 7 date = {{Start date|2022|5|30}} | Single 8 = [[勇者 (YOASOBIの曲)|勇者]] | Single 8 date = {{Start date|2023|9|29}}}} {{external music video|1={{YouTube|3EIfF1RHaN4|YOASOBI 3rd EP『THE BOOK 3』全曲トレーラー}}|Type=EP|Upper caption=全曲トレーラー}} {{external music video|{{YouTube|2-c0DFt6vK4|「ミスター」}}<br />{{YouTube|3eytpBOkOFA|「祝福」}}<br />{{YouTube|7G0ovtPqHnI|「海のまにまに」}}<br />{{YouTube|Av3xaZkVpJs|「アドベンチャー」}}<br />{{YouTube|0yoM7ETNPIY|「セブンティーン」}}<br />{{YouTube|ZRtdQ81jPUQ|「アイドル」}}<br />{{YouTube|WQ6ePunO8uY|「好きだ」}}<br />{{YouTube|OIBODIPC_8Y|「勇者」}}|Type = EP}} }} 『'''THE BOOK 3'''』(ザ・ブック3)は、[[2023年]][[10月4日]]に[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]から発売された[[YOASOBI]]の4作目の[[コンパクト盤|EP]]<ref name=":3">{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/542713 |title=YOASOBI「葬送のフリーレン」オープニングテーマ、アニメ初回放送日に配信 |newspaper=音楽ナタリー |date=2023-09-27 |accessdate=2023-09-30}}</ref>。 == 概要 == [[2022年]]以降にリリースされた「[[ミスター (YOASOBIの曲)|ミスター]]」から「[[勇者 (YOASOBIの曲)|勇者]]」までの日本語の配信シングル8曲の他、ライブで披露されている「[[祝福 (YOASOBIの曲)|祝福]]」のイントロダクションとなる「Interlude "Awakening"」、「[[アイドル (曲)|アイドル]]」のイントロダクションとなる「Interlude "Worship"」が収録されている。 == 収録内容 == {{tracklist | headline = | total_length = 29:26 | arrangements_credits = | all_writing = [[Ayase]] | all_arrangements = [[Ayase]] | title1 = [[勇者 (YOASOBIの曲)|勇者]] | note1 = | arranger1 = | length1 = 3:14 | title2 = Interlude "Awakening" | note2 = | arranger2 = | length2 = 0:48 | title3 = [[祝福 (YOASOBIの曲)|祝福]] | note3 = | arranger3 = | length3 = 3:12 | title4 = [[海のまにまに]] | note4 = | arranger4 = | length4 = 4:16 | title5 = [[ミスター (YOASOBIの曲)|ミスター]] | note5 = | arranger5 = | length5 = 3:05 | title6 = Interlude "Worship" | note6 = | arranger6 = | length6 = 1:07 | title7 = [[アイドル (YOASOBIの曲)|アイドル]] | note7 = | arranger7 = | length7 = 3:31 | title8 = [[セブンティーン (YOASOBIの曲)|セブンティーン]] | note8 = | arranger8 = | length8 = 3:18 | title9 = [[アドベンチャー (YOASOBIの曲)|アドベンチャー]] | note9 = | arranger9 = | length9 = 3:18 | title10 = [[好きだ (曲)|好きだ]] | note10 = | arranger10 = | length10 = 3:37 | total = 29:26 }} ==タイアップ== ;勇者 :日本テレビ系アニメ『[[葬送のフリーレン]]』オープニングテーマ<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/comic/news/539165 |title=アニメ「葬送のフリーレン」は日本テレビの新アニメ枠で、主題歌はYOASOBI&milet |date=2023-09-01 |newspaper=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |accessdate=2023-09-01}}</ref> ;祝福 :[[毎日放送]]・[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系]]アニメ『[[機動戦士ガンダム 水星の魔女]]』Season1オープニングテーマ、Season2最終話エンディングテーマ<ref>{{cite tweet|author=YOASOBI|user=YOASOBI_staff|number=1675421187093196800|date=2023-07-02|title=機動戦士ガンダム #水星の魔女 最終話「目一杯の祝福を君に」エンディングテーマ #YOASOBI祝福 でした。|access-date=2023-07-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.gundam.info/news/video-music/01_8715.html |title=『機動戦士ガンダム 水星の魔女』10月2日より放送開始!OPテーマはYOASOBI「祝福」&最新予告PVも公開! |website=GUNDAM.INFO |date=2022-09-04 |accessdate=2022-09-04}}</ref> ;ミスター :「[[ミュシャ]]展 マルチ・アーティストの先駆者」イメージソング<ref>{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000156.000027592.html |title=「ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者」4/8(土)より福岡市美術館で開催! |website=PRTIMES |date=2023-01-30 |accessdate=2023-08-12}}</ref> ;アイドル :TVアニメ『[[【推しの子】 (アニメ)|【推しの子】]]』オープニングテーマ<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/122083 |title=YOASOBI、アニメ『【推しの子】』オープニングテーマを担当 |website=Billboard JAPAN |date=2023-02-19 |accessdate=2023-02-19}}</ref> ;アドベンチャー :[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]「ユニ春」CMソング<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/510338 |title=YOASOBI制作のUSJ「ユニ春」テーマ曲は「アドベンチャー」、CMにパークを楽しむ山崎天 |newspaper=音楽ナタリー |publisher=ナターシャ |date=2023-01-23 |accessdate=2023-01-26}}</ref> ;好きだ :[[クラシエホームプロダクツ]]「[[いち髪]]」「日本の四季」篇、「秋の髪」篇、「春の髪」篇CMソング<ref>{{Cite press release|title=「いち髪」が提案する理想の髪“ほどきたくなる絹髪”を体現する新イメージキャラクターに永野芽郁さんが就任 ~ 新CM「日本の四季」篇 9月9日(金)から放映開始|publisher=クラシエホームプロダクツ株式会社|date=2022-09-07|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000417.000007954.html|和書|accessdate=2023-06-07}}</ref><ref>{{Cite press release|title=「永野芽郁」さん出演の「いち髪」新CM「秋の髪」篇10月28日(金)から放映 ~日本の四季、それぞれに着目した新シリーズ第一弾~|publisher=クラシエホームプロダクツ株式会社|date=2022-10-26|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000429.000007954.html|和書|accessdate=2023-07-26}}</ref><ref>{{Cite press release|title=「永野芽郁」さん出演の「いち髪」新CM「春の髪」篇 3月10日(金)から放映 ~日本の四季、それぞれに着目したCMシリーズ~|publisher=クラシエホームプロダクツ株式会社|date=2023-03-09|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000449.000007954.html|和書|accessdate=2023-07-26}}</ref> == クレジット == {{節スタブ}} {{col-begin}} {{col-2}} ; 勇者 : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : ; 祝福 : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : ; 海のまにまに : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : {{col-2}} ; ミスター : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : ; アイドル : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : ; セブンティーン : Music / Lyrics : : Vocal : : Guitar : : Chorus : : Novel : {{col-2}} {{col-end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|3}} {{YOASOBI}} {{Album-stub}} {{DEFAULTSORT:さふつく3}} [[Category:2023年のミニ・アルバム]] [[Category:YOASOBIのアルバム]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_BOOK_3
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大日山 (京都市)
大日山(だいにちやま)は、京都市左京区にある標高326 mの山。付近の町名に京都市左京区粟田口大日山町がある。 この山には旧九条山浄水場(大日山貯水池)があった。琵琶湖疏水(第一疏水)が1890年(明治23年)に完成した後、京都御所ではここから分水して蒸気ポンプを設置して防火用水としていた。しかし、水量や圧力が不足していたため、御所水道とともに大日山に貯水池を整備し、有事にはこの貯水池に揚水することで高圧での送水が可能となった。大日山貯水池は旧御所水道ポンプ室などとともに、1947年(昭和22年)に宮内省から京都市へ無償譲渡され工事が加えられ、九条山浄水場として運用されていたが、1987年(昭和62年)4月に全面休止、1996年(平成8年)4月に使用廃止となった。 大日山には京都市の市営墓地である京都市大日山墓地もある。
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大日山(だいにちやま)は、京都市左京区にある標高326 mの山。付近の町名に京都市左京区粟田口大日山町がある。
'''大日山'''(だいにちやま)は、[[京都市]][[左京区]]にある[[標高]]326 [[メートル|m]]の[[山]]。付近の町名に京都市左京区粟田口大日山町がある。 == 施設 == この山には旧九条山浄水場(大日山貯水池)があった<ref name="r02">{{Cite web|url=https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotonenpo/pdf/r02/2-7.pdf|title=京都御所消火設備整備工事|publisher=宮内庁|date=|accessdate=2023-10-01}}</ref>。[[琵琶湖疏水]](第一疏水)が[[1890年]](明治23年)に完成した後、[[京都御所]]ではここから分水して蒸気ポンプを設置して防火用水としていた<ref name="r02" />。しかし、水量や圧力が不足していたため、[[御所水道]]とともに大日山に貯水池を整備し、有事にはこの貯水池に揚水することで高圧での送水が可能となった<ref name="r02" />。大日山貯水池は旧御所水道ポンプ室などとともに、[[1947年]](昭和22年)に[[宮内省]]から京都市へ無償譲渡され工事が加えられ、九条山浄水場として運用されていたが、[[1987年]](昭和62年)4月に全面休止、[[1996年]](平成8年)4月に使用廃止となった<ref name="r02" />。 大日山には京都市の市営墓地である京都市大日山墓地もある<ref>{{Cite web|url=https://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000003851.html|title=市営墓地の概要|publisher=京都市|date=|accessdate=2023-10-01}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:たいにちやま}} [[Category:京都府の山]] [[Category:左京区の地理]]
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カルメン (バンド)
カルメン(Carmen)は、1970年から1975年まで活動したアメリカとイギリスのバンド。彼らのスタイルは、ロック、プログレッシブ、フラメンコの音楽とダンスを融合したものであった。カルメンのファースト・アルバム『宇宙の血と砂』は、『ローリング・ストーン』誌の史上最も偉大なプログレッシブ・ロック・アルバム50枚のリストで46位にランクされている。 このグループは、フラメンコギターの訓練を受けたメキシコ系アメリカ人でカリフォルニアンであるデヴィッド・クラーク・アレンによって結成された。当初はロサンゼルスの7人組バンドだったが、1973年1月にイギリスのロンドンに拠点を移し、すぐにメンバーはクインテットとして安定した。 ロンドンで彼らは、当時のロック・スター数名と親交を深め、その中にはデヴィッド・ボウイ(ミッドナイト・スペシャル「1980フロア・ショー」に出演させて彼らを国際的に紹介した)、マーク・ボラン(ポール・フェントンが彼のスタジオおよびツアーでのドラマーとなった)、ブライアン・フェリーなどがいた。プロデューサーのトニー・ヴィスコンティの協力を得て、カルメンは3枚のアルバム、『宇宙の血と砂』(1973年)、『舞姫 - スペインの恋物語』(1974年)、『ジプシーの涙』(1975年) をリリースした。1975年の初めまでに、バンドは最大の成功を収め、サンタナ、ブルー・オイスター・カルト、エレクトリック・ライト・オーケストラのコンサートでオープニング・アクトとして演奏し、ジェスロ・タルの前座として3か月間ツアーを行った。その後、グループがロングビュー・ファームで『ジプシーの涙』のレコーディング中に一連の不幸な出来事が発生した。ポール・フェントンは膝に重傷を負い、長年にわたってドラマーとしてのキャリアを止めることとなった。カルメンとトニー・ヴィスコンティは音楽関係に終止符を打ち、バンドのマネージャーも去った。カルメンは1975年、最後のアルバムを完成させた直後に解散し、ジョン・グラスコックはジェスロ・タルに加入した。 カルメンのステージ・パフォーマンスでは、ロベルト・アマラルとアンジェラ・アレンが特別に増幅されたステージ・フロアで踊り、彼らのフラメンコ・サパテアードが音楽に不可欠でパーカッシブなアクセントとなった。彼らのサウンドにはスペインの影響があり、フラメンコ風のアコースティック・ギターの間奏、時折入るスペイン語の歌詞、フェデリコ・ガルシーア・ロルカを彷彿とさせる裏切られた愛のテーマ、カスタネットなどがあり、これらすべてが伝統的なロックのリズム・セクションによってサポートされている。 最初の2枚のアルバムは、2006年10月にエンジェル・エアー・レコードから2枚組CDセットとして再発された。カルメンの3枚目のアルバム『ジプシーの涙』も2007年5月にエンジェル・エアー・レコードから同じく2枚組CDセットとして再発された。2枚目のCDは『Widescreen』と題され、デヴィッド・クラーク・アレンによる新しいインストゥルメンタル音楽が収録されている。 デヴィッドがローレンス・エリオット=ポッターと結成したバンド、ワイドスクリーン(Widescreen)は、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、エリアデス・オチョア、オホス・デ・ブルッホをサポートし、イギリスのフェスティバル・サーキットで長年定期的に演奏した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カルメン(Carmen)は、1970年から1975年まで活動したアメリカとイギリスのバンド。彼らのスタイルは、ロック、プログレッシブ、フラメンコの音楽とダンスを融合したものであった。カルメンのファースト・アルバム『宇宙の血と砂』は、『ローリング・ストーン』誌の史上最も偉大なプログレッシブ・ロック・アルバム50枚のリストで46位にランクされている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "このグループは、フラメンコギターの訓練を受けたメキシコ系アメリカ人でカリフォルニアンであるデヴィッド・クラーク・アレンによって結成された。当初はロサンゼルスの7人組バンドだったが、1973年1月にイギリスのロンドンに拠点を移し、すぐにメンバーはクインテットとして安定した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ロンドンで彼らは、当時のロック・スター数名と親交を深め、その中にはデヴィッド・ボウイ(ミッドナイト・スペシャル「1980フロア・ショー」に出演させて彼らを国際的に紹介した)、マーク・ボラン(ポール・フェントンが彼のスタジオおよびツアーでのドラマーとなった)、ブライアン・フェリーなどがいた。プロデューサーのトニー・ヴィスコンティの協力を得て、カルメンは3枚のアルバム、『宇宙の血と砂』(1973年)、『舞姫 - スペインの恋物語』(1974年)、『ジプシーの涙』(1975年) をリリースした。1975年の初めまでに、バンドは最大の成功を収め、サンタナ、ブルー・オイスター・カルト、エレクトリック・ライト・オーケストラのコンサートでオープニング・アクトとして演奏し、ジェスロ・タルの前座として3か月間ツアーを行った。その後、グループがロングビュー・ファームで『ジプシーの涙』のレコーディング中に一連の不幸な出来事が発生した。ポール・フェントンは膝に重傷を負い、長年にわたってドラマーとしてのキャリアを止めることとなった。カルメンとトニー・ヴィスコンティは音楽関係に終止符を打ち、バンドのマネージャーも去った。カルメンは1975年、最後のアルバムを完成させた直後に解散し、ジョン・グラスコックはジェスロ・タルに加入した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "カルメンのステージ・パフォーマンスでは、ロベルト・アマラルとアンジェラ・アレンが特別に増幅されたステージ・フロアで踊り、彼らのフラメンコ・サパテアードが音楽に不可欠でパーカッシブなアクセントとなった。彼らのサウンドにはスペインの影響があり、フラメンコ風のアコースティック・ギターの間奏、時折入るスペイン語の歌詞、フェデリコ・ガルシーア・ロルカを彷彿とさせる裏切られた愛のテーマ、カスタネットなどがあり、これらすべてが伝統的なロックのリズム・セクションによってサポートされている。", "title": "音楽" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "最初の2枚のアルバムは、2006年10月にエンジェル・エアー・レコードから2枚組CDセットとして再発された。カルメンの3枚目のアルバム『ジプシーの涙』も2007年5月にエンジェル・エアー・レコードから同じく2枚組CDセットとして再発された。2枚目のCDは『Widescreen』と題され、デヴィッド・クラーク・アレンによる新しいインストゥルメンタル音楽が収録されている。", "title": "ディスコグラフィ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "デヴィッドがローレンス・エリオット=ポッターと結成したバンド、ワイドスクリーン(Widescreen)は、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、エリアデス・オチョア、オホス・デ・ブルッホをサポートし、イギリスのフェスティバル・サーキットで長年定期的に演奏した。", "title": "ディスコグラフィ" } ]
カルメン(Carmen)は、1970年から1975年まで活動したアメリカとイギリスのバンド。彼らのスタイルは、ロック、プログレッシブ、フラメンコの音楽とダンスを融合したものであった。カルメンのファースト・アルバム『宇宙の血と砂』は、『ローリング・ストーン』誌の史上最も偉大なプログレッシブ・ロック・アルバム50枚のリストで46位にランクされている。
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |Name = カルメン<br />Carmen |Img = Carmen band members.jpg |Img_capt = |Img_size = |Landscape = |Background = group_or_band |Alias = |Origin = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]] |Genre = [[プログレッシブ・ロック]]、フラメンコ・ロック |Years_active = [[1970年]] - [[1975年]] |Label = [[EMI]]、[[マーキュリー・レコード|マーキュリー]]、[[エンジェル・エアー・レコード|エンジェル・エアー]] |Associated_acts = |URL = |Current_members = |Past_members = デヴィッド・クラーク・アレン<br />アンジェラ・アレン<br />ロベルト・アマラル<br />ジョン・グラスコック<br />ポール・フェントン<br />ブライアン・グラスコック<br />デニス・トレロトラ<br />アダム・ムーディ<br />マーク・ムーディ<br />ヴィセンテ<br />リック・チャベス<br />マーク・アンソニー<br />ナイジェル・グリッグス }} '''カルメン'''('''Carmen''')は、1970年から1975年まで活動したアメリカとイギリスのバンド。彼らのスタイルは、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[プログレッシブ・ロック|プログレッシブ]]、[[フラメンコ]]の音楽とダンスを融合したものであった。カルメンのファースト・アルバム『宇宙の血と砂』は、『[[ローリング・ストーン]]』誌の史上最も偉大なプログレッシブ・ロック・アルバム50枚のリストで46位にランクされている<ref>{{cite magazine|url=https://www.rollingstone.com/music/lists/50-greatest-prog-rock-albums-of-all-time-20150617/carmen-fandangos-in-space-1973-20150616|title=50 Greatest Prog Rock Albums of All Time|magazine=[[Rolling Stone]]|accessdate=12 August 2017}}</ref>。 == 略歴 == このグループは、[[フラメンコギター]]の訓練を受けたメキシコ系アメリカ人で[[カリフォルニア州|カリフォルニアン]]であるデヴィッド・クラーク・アレンによって結成された。当初は[[ロサンゼルス]]の7人組バンドだったが、1973年1月に[[イギリス]]の[[ロンドン]]に拠点を移し、すぐにメンバーはクインテットとして安定した。 ロンドンで彼らは、当時のロック・スター数名と親交を深め、その中には[[デヴィッド・ボウイ]](ミッドナイト・スペシャル「1980フロア・ショー」に出演させて彼らを国際的に紹介した)、[[マーク・ボラン]](ポール・フェントンが彼のスタジオおよびツアーでのドラマーとなった)、[[ブライアン・フェリー]]などがいた。プロデューサーの[[トニー・ヴィスコンティ]]の協力を得て、カルメンは3枚のアルバム、『宇宙の血と砂』(1973年)、『舞姫 - スペインの恋物語』(1974年)、『ジプシーの涙』(1975年) をリリースした。1975年の初めまでに、バンドは最大の成功を収め、[[カルロス・サンタナ|サンタナ]]、[[ブルー・オイスター・カルト]]、[[エレクトリック・ライト・オーケストラ]]のコンサートでオープニング・アクトとして演奏し、[[ジェスロ・タル]]の前座として3か月間ツアーを行った。その後、グループがロングビュー・ファームで『ジプシーの涙』のレコーディング中に一連の不幸な出来事が発生した。ポール・フェントンは膝に重傷を負い、長年にわたってドラマーとしてのキャリアを止めることとなった。カルメンとトニー・ヴィスコンティは音楽関係に終止符を打ち、バンドのマネージャーも去った。カルメンは1975年、最後のアルバムを完成させた直後に解散し、ジョン・グラスコックはジェスロ・タルに加入した。 == 音楽 == カルメンのステージ・パフォーマンスでは、ロベルト・アマラルとアンジェラ・アレンが特別に増幅されたステージ・フロアで踊り、彼らのフラメンコ・サパテアードが音楽に不可欠でパーカッシブなアクセントとなった。彼らのサウンドにはスペインの影響があり、フラメンコ風のアコースティック・ギターの間奏、時折入るスペイン語の歌詞、[[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]を彷彿とさせる裏切られた愛のテーマ、カスタネットなどがあり、これらすべてが伝統的なロックのリズム・セクションによってサポートされている。 == メンバー == * デヴィッド・クラーク・アレン (David Clark Allen) - リード・ボーカル、アコースティック・フラメンコ・ギター、エレクトリック・ギター、シンセサイザー、メロトロン、ピアノ、バッキング・ボーカル、歌詞 (1970年-1975年) * アンジェラ・アレン (Angela Allen) - リード・ボーカル、シンセサイザー、メロトロン、ピアノ、バック・ボーカル、ダンサー (1970年-1975年) * ロベルト・アマラル (Roberto Amaral) - リードおよびバック・ボーカル、作詞、ダンサー (1971年-1975年) * ジョン・グラスコック (John Glascock) - ベース、ベースペダル、シンセサイザー、リードおよびバック・ボーカル、歌詞 (1972年-1975年) * ポール・フェントン (Paul Fenton) - ドラム、パーカッション、バック・ボーカル (1973年-1975年) * ブライアン・グラスコック (Brian Glascock) - ドラム (1970年-1973年) * デニス・トレロトラ (Dennis Trerotola) - リード・ボーカル (1970年-1971年) * アダム・ムーディ (Adam Moody) - ギター (1970年-1971年) * マーク・ムーディ (Mark Moody) - ベース (1970年-1971年) * ヴィセンテ (Vicente) - ダンサー (1970年-1971年) * リック・チャベス (Rick Chavez) - ギター (1971年-1972年) * マーク・アンソニー (Mark Anthony) - ギター、作詞/音楽 (1970年-1972年) * ナイジェル・グリッグス (Nigel Griggs) - ベース (1971年-1972年) ※ナイジェルは、1977年から1984年までスプリット・エンズというバンドでベースを演奏し、1986年から1992年までシュネル・フェンスターでも演奏した<ref name="geocities.jp">{{cite web|url=http://music.geocities.jp/carmen_slrz1040/|title=CARMEN Dancing On A cold Wind Fandango In Spase プログレッシブロックの部屋です!!|website=Music.geocities.jp|accessdate=12 August 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20160528021426/http://music.geocities.jp/carmen_slrz1040/|archive-date=28 May 2016|url-status=dead}}</ref>。 == ディスコグラフィ == 最初の2枚のアルバムは、2006年10月にエンジェル・エアー・レコードから2枚組CDセットとして再発された。カルメンの3枚目のアルバム『ジプシーの涙』も2007年5月にエンジェル・エアー・レコードから同じく2枚組CDセットとして再発された。2枚目のCDは『Widescreen』と題され、デヴィッド・クラーク・アレンによる新しいインストゥルメンタル音楽が収録されている<ref>A review of this 2 CD set is available [http://www.getreadytorock.com/reviews2007/carmen2.htm here].</ref>。 デヴィッドがローレンス・エリオット=ポッターと結成したバンド、ワイドスクリーン(Widescreen)は、[[ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ]]、エリアデス・オチョア、[[オホス・デ・ブルッホ]]をサポートし、イギリスのフェスティバル・サーキットで長年定期的に演奏した。 === アルバム === *『宇宙の血と砂』 - ''Fandangos in Space'' (1973年) *『舞姫 - スペインの恋物語』 - ''Dancing on a Cold Wind'' (1974年) *『ジプシーの涙』 - ''The Gypsies'' (1975年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{cite web|url=http://www.studiowner.com/essays/essay.asp?books=0&pagnum=82|title=Diary of a Studio Owner|website=Studiowner.com|accessdate=12 August 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20160304035305/http://www.studiowner.com/essays/essay.asp?books=0&pagnum=82|archive-date=4 March 2016|url-status=dead}} * {{cite web|url=http://www.davidclarkallen.com|title=DAVID CLARK ALLEN - Composer - founder of CARMEN - flamenco rock|website=www.davidclarkallen.com|accessdate=12 August 2017}} * {{Discogs artist|1184756-Carmen-19}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かるめん}} [[Category:アメリカ合衆国のプログレッシブ・ロック・バンド]] [[Category:イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド]]
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ケルチ橋
ケルチ橋は次のものを指す。
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ケルチ橋は次のものを指す。 ケルチ鉄道橋(1944-1945) クリミア大橋(2018-)
'''ケルチ橋'''は次のものを指す。 *[[ケルチ鉄道橋]](1944-1945) *[[クリミア大橋]](2018-) {{aimai}} {{DEFAULTSORT:けるちはし}} [[Category:ロシアの鉄道橋]] [[Category:ロシアの道路橋]] [[Category:ロシアの国境]] [[Category:ウクライナの国境]] [[Category:国際橋]] [[Category:鉄道道路併用橋]] [[Category:アーチ橋]] [[Category:クラスノダール地方]] [[Category:クリミア]] [[Category:2022年ロシアのウクライナ侵攻で損傷破壊された物体]]
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大日山 (曖昧さ回避)
大日山(だいにちさん、だいにちやま、おおひやま)
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大日山(だいにちさん、だいにちやま、おおひやま)
'''大日山'''(だいにちさん、だいにちやま、おおひやま) == 山 == * [[大日山]] - 福井・石川県境にある山。 * [[大日山 (京都市)]] * 大日山 - [[稲村ヶ岳]]の一部。 * 大日山 - [[静岡県]][[周智郡]][[森町 (静岡県)|森町]]にある山。[[太田川 (静岡県)|太田川]]の源流。 == 山号 == * [[日龍峰寺|大日山日龍峰寺]] * [[法王寺 (基隆市)|大日山法王寺]] * [[眞言寺 (一宮市)|大日山眞言寺]] * [[恩山寺|大日山密嚴寺]] * [[日龍峰寺|大日山日龍峰寺]] * [[妙浄寺 (山梨県南部町)|大日山妙楽寺]] * [[栖雲寺 (志摩市)|大日山栖雲寺]] * [[密厳寺 (北海道本別町)|大日山密厳寺]] * [[美江寺|大日山美江寺]] == 古墳 == * [[大日山35号墳]] == 四股名 == * [[大日山廣司]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:たいにち}} [[Category:同名の山]] [[Category:日本の地名]]
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阿哈出
阿哈出は古論氏女真族。明朝初期、胡里改部の領袖。永楽初年に設置された建州衛の初代衛主とされる。 阿哈出が率いた胡里改部は、もとは元朝が現在の黒龍江省ハルピン市イラン県附近に設置した五つのトゥメン (万戸) の一つで、火児阿トゥメンと呼ばれた。阿哈出は明朝初年に南下して房州 (現黒龍江省東寧県大城子古城)に移住し、永楽元年 (1403) 旧暦11月、明朝が建州衛軍民指揮使司を設置したことに伴い、指揮使 (正三品) に就任した。永楽7年 (1409) 旧暦7月の入貢が史料にみえる最後の記録である。 阿哈出 主に『明太宗實錄』などにみえる呼称。稻葉岩吉『清朝全史』(大正3) では「阿哈出」とルビが振られているが、清末頃の中国語の読みを片仮名表記しただけの可能性もある。 於虚出 『朝鮮王朝實錄』にみえる呼称。尚、『朝鮮王朝實錄』では「阿哈出」も使われている。 李思誠 明朝より下賜されたとされる漢名。明代に編纂された『東夷考略』(1621年) の記述には指揮として功績をあげたため下賜されたとあり、清代に編纂された『柳邊紀略』(1707年) の記述には永楽8年 (1410) 旧暦8月に下賜されたとある。稻葉岩吉は阿哈出の死亡時期を永楽7年 (1409) 以前とし、漢名下賜については永楽8年 (1410) より前のことと推論している。尚、『明實錄』には、子・釈家奴らに漢名を下賜した記述はみられるものの、阿哈出に漢名を下賜した話はみえない。 李誠善 明朝より下賜されたとされる漢名。『明英宗實錄』に李満住 (釈家奴の子) の祖父を「李誠善」と呼称している記述がみられる。『清史稿』の記述でも「李誠善」としている。尚、『明英宗實錄』の別の記述は、漢名「李誠善」を下賜されたのは孫の撒満荅失里であるとしている。
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阿哈出は古論氏女真族。明朝初期、胡里改部の領袖。永楽初年に設置された建州衛の初代衛主とされる。
{|class=floatright |+ 阿哈出 |- ! colspan="2" | 名称表記 |- | colspan="2" | *阿哈出 (明實錄) *於虚出 (李朝實錄) *李思誠 (東夷考略, 柳邊紀略) |- ! colspan="2" | 出生死歿 |- | 出生年 || 不詳 ([[洪武]]年間<sup>?</sup>) |- | 死歿年 || ⇥ 永楽7年<sup>?</sup> |- ! colspan="2" | 一族姻戚 |- | 子 || [[釈加奴|釈家奴]] (李顕忠) |- | 子 || 猛哥不花 (毛憐衛主) |- | 娘婿 || [[永楽帝]]<sup>?</sup> |} '''阿哈出'''(アハチュ)は古論氏<ref>[[:zh:阿哈出#参考资料|维基百科]]は完顏氏とする。典拠は張士尊の「建州卫在浑江地区的活动及王甲部族源考」(『明史研究』第十辑) とあるが、詳細不明。</ref>[[女真|女真族]]。<ref name=":2">{{Cite book |title=朝鮮王朝實錄 |publisher=不詳 |quote=……火兒阿豆漫古論阿哈出…… |volume=8 |chapter=太祖實錄四年 (1395) 七月至十二月十二月14日段733 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@10^1178890133^809^^^0211002000733^@@1943839183#top}}</ref>[[明|明朝]]初期、胡里改部の領袖。永楽初年に設置された[[建州衛]]の初代衛主とされる。 == 略歴 == 阿哈出が率いた胡里改部は、もとは[[元 (王朝)|元朝]]が現在の[[黒龍江省]][[ハルピン市]][[依蘭県|イラン県]]附近に設置した五つの[[トゥメン]] (万戸) の一つで、火児阿トゥメンと呼ばれた。<ref name=":2" />阿哈出は明朝初年に南下して房州 (現[[黒竜江省|黒龍江省]][[東寧市|東寧県]]大城子古城)<ref>かつて鳳州という名前で知られた古城子は現[[吉林省]][[通化市]][[梅河口市]]山城鎮に位置し、別称として房州とも呼ばれた。ここでの房州はまた別の地域を指すようだが、引用元の[[:zh:阿哈出#参考资料|维基百科]]に典拠なし。</ref>に移住し、[[永楽 (明)|永楽]]元年 (1403) 旧暦11月、明朝が[[建州衛]]軍民[[明朝の官職#衛指揮使司|指揮使司]]を設置したことに伴い、[[明朝の官職#衛指揮使司|指揮使]] (正三品) に就任した。<ref>{{Cite book |title=太宗明實錄 |publisher=不詳 |chapter=永樂元年十一月至閏十一月十一月27日段8035 |volume=25 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@8^477873168^809^^^0211001008035^@@2103496431#top}}</ref>永楽7年 (1409) 旧暦7月の入貢が史料にみえる最後の記録である。<ref>{{Cite book |title=明太宗實錄 |publisher=不詳 |chapter=永樂七年七月7日段9693 |volume=94 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@8^477873168^809^^^0211001009693^@@309463469#top}}</ref><ref>[[维基百科]]に「永乐三年(1405年)十月、永乐七年(1409年)七月,又先后朝贡。」とあるが、典拠不詳。特に永楽3年については明實錄、朝鮮實錄、東夷考略、柳邊紀略、いづれにもみあたらない。永楽3年旧暦12月に入貢した記録はあるが、引率者は阿哈出ではない。</ref> == 呼称 == '''阿哈出''' 主に『[[明実録|明太宗實錄]]』などにみえる呼称。[[稲葉岩吉|稻葉岩吉]]『清朝全史』([[1914年|大正3]]) では「阿哈出<sup>アハチュ</sup>」とルビが振られている<ref>{{Cite book |title=清朝全史 |publisher=早稲田大学出版部 |page=31 |volume=上 |chapter=建州女眞の本地}}</ref>が、清末頃の中国語の読みを片仮名表記しただけの可能性もある。<ref>参考:後述するように李氏朝鮮では「於虚出」とも呼ばれた。「於」も「虚」もオ段の音であり、ア段の「阿」「哈」とは異なる。また、「出」は朝鮮語では「チュル」と発音されるため、実際の発音に則して敢えて「出」を当てたとすれば、「アハチュル」または「オホチュル」のような発音であった可能性も考えられる。</ref> '''於虚出''' 『[[朝鮮王朝実録|朝鮮王朝實錄]]』にみえる呼称。<ref>{{Cite book |title=朝鮮王朝實錄 |publisher=不詳 |quote=……及大明立建州衛以於虛出爲指揮…… |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@30^1870266448^809^^^0211002002807^@@1154691906#top |chapter=太宗實錄六年 (1406) 正月至六月二月18日段2807 |volume=11}}</ref><ref>参考:現代韓国語の発音では「於 어 (eo) 虚 허 (heo) 出 출 (chul)」(オホチュル)。</ref>尚、『朝鮮王朝實錄』では「阿哈出」も使われている。<ref>{{Cite book |title=朝鮮王朝實錄 |publisher=不詳 |chapter=太祖實錄四年 (1395) 七月至十二月十二月14日段733 |volume=8 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@30^1870266448^809^^^0211002000733^@@2033417411#top}}</ref> '''李思誠''' 明朝より下賜されたとされる[[漢語|漢名]]。明代に編纂された『東夷考略』([[1621年]]) の記述<ref>{{Cite book |title=東夷考略 |publisher=不詳 |quote=……指揮阿哈出以功賜姓名李思誠其子釋家奴曰李顯忠…… |chapter=女直通攷 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/東夷考略#女直通攷}}</ref>には指揮として功績をあげたため下賜されたとあり、清代に編纂された『柳邊紀略』([[1707年]]) の記述<ref>{{Cite book |title=柳邊紀略 |publisher=不詳 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/柳邊紀略#建州 |volume=2}}</ref>には永楽8年 (1410) 旧暦8月に下賜されたとある。[[稲葉岩吉|稻葉岩吉]]は阿哈出の死亡時期を永楽7年 (1409) 以前とし、漢名下賜については永楽8年 (1410) より前のことと推論している。<ref>{{Cite book |title=滿洲歷史地理 |publisher=南滿洲鐵道株式會社 |pages=553-554 |last=箭内 |first=亙 |volume=2 |chapter=第八篇 - 一.緒言 - イ.建州衞}}</ref>尚、『明實錄』には、子・[[釈加奴|釈家奴]]らに漢名を下賜した記述<ref name=":0">{{Cite book |title=明太宗實錄 |publisher=不詳 |chapter=永樂八年八月21日段10012 |volume=107 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@9^1100577378^809^^^0211001010012^@@1333011142#top}}</ref>はみられるものの、阿哈出に漢名を下賜した話はみえない。 '''李誠善''' 明朝より下賜されたとされる漢名。『[[明実録|明英宗實錄]]』に李満住 ([[釈家奴]]の子) の祖父を「李誠善」と呼称している記述<ref>{{Cite book |title=明英宗實錄 |publisher=不詳 |quote=○勑諭建州衛掌衛事都指揮僉事李滿住曰昔我祖宗臨御之日爾祖李誠善爾父釋迦奴皆善事…… |volume=卷八十九 |chapter=正統七年二月13日段18906 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@17^1158034350^809^^^0211001018906^@@1385822388#top}}</ref>がみられる。『[[清史稿]]』の記述<ref>{{Cite book |title=清史稿 |publisher=清史館 |chapter=阿哈出 |url=https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷222#設建州衞 |volume=222}}</ref>でも「李誠善」としている。<ref>[[:zh:阿哈出|维基百科]]も阿哈出の漢名を「李誠善」としているが、典拠不詳。</ref>尚、『明英宗實錄』の別の記述<ref name=":1">{{Cite book |title=明英宗實錄 |publisher=不詳 |chapter=正統二年五月13日段17368 |volume=30 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@9^1100577378^809^^^0211001017368^@@87135978#top}}</ref>は、漢名「李誠善」を下賜されたのは孫の撒満荅失里であるとしている。 == 子孫 == * [[釈加奴|釈家奴]] (漢名:李顕忠)<ref name=":0" />:二代目[[建州衛]]衛主。[[明朝の官職#都指揮使司|都指揮僉事]] (正三品) を務めた。 ** [[李満住]] ([[女真語]]名不詳):釈家奴の子。三代目建州衛衛主。 * 猛哥不花 (/ 莽哥不花):毛憐衛衛主。[[明朝の官職#五軍都督府|右軍都督府僉事]] (正二品) を務めた。 ** 撒満荅失里 (漢名:李誠善):莽哥不花の子。毛憐衛衛主。<ref name=":1" /> ** 官保奴<ref>{{Cite book |title=明宣宗實錄 |publisher=不詳 |chapter=宣德五年三月12日段15012 |volume=64 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@9^1100577378^809^^^0211001015012^@@1660932320#top}}</ref> * 娘:『朝鮮王朝實錄』に、燕王時代の[[永楽帝]]に嫁いだという記述<ref>{{Cite book |title=朝鮮王朝實錄 |publisher=不詳 |quote=……參政於虛出於建州衛者也初帝爲燕王時納於虛出女及卽位除建州衛參政欲使招諭野人賜書慰之…… |chapter=太宗實錄四年 (1404) 七月至十二月十二月3日段2504 |volume=8 |url=https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@24^1659130166^809^^^0211002002504^@@858761307#top}}</ref>がみられるが、明朝側史料にはみられない。 == 脚註 == <references /> == 参照 == === 文献 === * [[楊士奇]]『太宗文皇帝實錄』1430 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * 蹇義『仁宗昭皇帝實錄』1430 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * 楊士奇『宣宗章皇帝實錄』1438 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * 陳文『英宗睿皇帝實錄』1467 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 * 『[[朝鮮王朝実録|朝鮮王朝實錄]]』(太祖・太宗) 1603再刊 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版 === 研究書 === * [[稲葉岩吉|稻葉岩吉]]『清朝全史』上巻, 早稲田大学出版部, 1914 * [[箭内亙]]『滿洲歷史地理』巻2, [[南満洲鉄道|南滿洲鐵道株式會社]], 1913 * [[趙爾巽]], 他100余名『[[清史稿]]』清史館, 1928 (漢文) *[[中華書局]]版 === Webサイト === * 「[https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mql/login.html 明實錄、朝鮮王朝実録、清實錄資料庫]」[[中央研究院歴史語言研究所]] ([[台湾]]) {{DEFAULTSORT:あはちゆ}} [[Category:生没年不詳]] [[Category:明朝女真人]] [[Category:ヌルハチ]] [[Category:完顔氏]]
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キニナル金曜日
『キニナル金曜日』(キニナルきんようび)は、2017年4月7日から2023年6月30日までTBSテレビで放送されていたTBSショッピングの通販番組。 MCは、FUJIWARA藤本と杉崎美香が務め、FUJIWARA原西は、役立つ豆知識や雑学を伝える専門家軍団・キニナルティーチャーを率いるキニナルマスターとして出演した。
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『キニナル金曜日』(キニナルきんようび)は、2017年4月7日から2023年6月30日までTBSテレビで放送されていたTBSショッピングの通販番組。
{{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = キニナル金曜日 | 画像 = <!-- [[ファイル:|200px]] ※「ファイル:」の後に画像ファイルを貼る。画像サイズの変更は「200px」の数字を変える。 --> | 画像説明 = | ジャンル = [[テレビショッピング]] | 放送時間 = [[金曜日|金曜]] 9:55 - 10:25 | 放送分 = | 放送枠 = | 放送期間 = [[2017年]][[4月7日]] - [[2023年]][[6月30日]] | 放送回数 = | 放送国 = {{JPN}} | 制作局 = [[TBSテレビ]] | 企画 = | 製作総指揮 = | 監督 = | 演出 = | 原作 = | 脚本 = | プロデューサー = | 出演者 = [[FUJIWARA]]<br />[[杉崎美香]] | ナレーター = | 音声 = | 字幕 = | データ放送 = | OPテーマ = | EDテーマ = | 時代設定 = | 外部リンク = | 外部リンク名 = | 特記事項 = }} 『'''キニナル金曜日'''』(キニナルきんようび)は、[[2017年]][[4月7日]]<ref name="natalie">{{Cite web|url=https://natalie.mu/owarai/news/226392|title=FUJIWARA出演の新通販バラエティ、藤本「すぐ終わるジンクス払拭する」|date=2017-3-28|accessdate=2023-10-1|publisher=お笑いナタリー}}</ref>から[[2023年]][[6月30日]]まで[[TBSテレビ]]で放送されていた[[TBSグロウディア#TBSショッピング|TBSショッピング]]の[[テレビショッピング|通販番組]]。 == 出演者 == * [[FUJIWARA]] * [[杉崎美香]] MCは、FUJIWARA[[藤本敏史|藤本]]と杉崎美香が務め、FUJIWARA[[原西孝幸|原西]]は、役立つ豆知識や雑学を伝える専門家軍団・キニナルティーチャーを率いるキニナルマスターとして出演した{{r|natalie}}。 == 関連番組 == * 納得!買い得!グッとラック!キニナルマーケット([[グッとラック!]]内で放送)([[TBSスパークル]]制作、2019年9月 - 2020年9月24日) - MC: [[村上知子]]([[森三中]])、[[板倉俊之]]([[インパルス (お笑いコンビ)|インパルス]]、声の出演) ※買い運!おびマルシェの後継番組 ** 納得!買い得!キニナルマーケット([[Let's!美バディ]]→[[プチブランチ]]内で放送)(TBSスパークル制作、2020年9月28日 - 2022年12月27日) - MC: 村上知子(森三中)、板倉俊之(インパルス、声の出演) * キニナルチョイス(プチブランチ内で放送)(2023年1月4日 - ) - MC:[[松嶋尚美]] ※キニナルマーケットの後継番組 ** ひるおびショッピング キニナルチョイス([[ひるおび]]内で放送)(2023年3月 - ) - MC:松嶋尚美 ** もっとキニナルチョイス(2023年7月 - ) - MC:松嶋尚美 ※キニナル金曜日の後継番組 == 出典 == {{Reflist}} {{前後番組 |放送局=[[TBSテレビ]] |放送枠=金曜9:55 - 10:25 |番組名=キニナル金曜日<br />(2017年4月7日 - 2023年6月30日) |前番組=[[買いテキ!通販ツウ]] |次番組=[[もっとキニナルチョイス]] }} {{FUJIWARA}} {{デフォルトソート:きになるきんようひ}} [[Category:TBSの情報・ワイドショー番組]] [[Category:テレビの通販番組]] [[Category:2017年のテレビ番組 (日本)]] [[Category:TBSスパークル制作のテレビ番組]]
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伊美町
伊美町(いみまち)は、大分県東国東郡にあった町。現在の国東市の一部にあたる。 国東半島の北部、伊美川河口に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "伊美町(いみまち)は、大分県東国東郡にあった町。現在の国東市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国東半島の北部、伊美川河口に位置していた。", "title": "地理" } ]
伊美町(いみまち)は、大分県東国東郡にあった町。現在の国東市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年4月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = '''伊美町'''、[[熊毛村]] → [[国見町 (大分県)|国見町]] | 現在の自治体 = [[国東市]] | よみがな = いみまち | 自治体名 = 伊美町 | 区分 = 町 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[東国東郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 5381 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[安岐町]]、[[国東町]]、熊毛村、[[竹田津町]]、[[西国東郡]][[真玉町]]、[[豊後高田市]] | 所在地 = 東国東郡伊美町大字伊美 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''伊美町'''(いみまち{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[東国東郡]]にあった[[町]]。現在の[[国東市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[国東半島]]の北部、伊美川河口に位置していた{{R|角川}}。 *海洋:[[周防灘]]{{R|角川}} == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、東国東郡中村、伊美村、櫛来村が合併して村制施行し、'''伊美村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』285頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』132-133頁。</ref>。旧村名を継承した中、伊美、櫛来の3大字を編成{{R|変遷}}{{R|角川}}。 *[[1940年]](昭和15年)12月23日、東国東郡[[上伊美村]]を編入{{R|角川}}。大字赤根、千灯、野田の3大字を加えて6大字となる。 *[[1951年]](昭和26年)1月1日、町制施行し'''伊美町'''となる{{R|角川}}。 *[[1955年]](昭和30年)4月1日、東国東郡熊毛村と合併し'''[[国見町 (大分県)|国見町]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、漁業{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:いみまち}} [[Category:東国東郡]] [[Category:国東市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]]
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篠目町
篠目町(ささめちょう)は、愛知県安城市の地名。 安城市北西部に位置する。東は住吉町4丁目・住吉町・今池町3丁目、西は井杭山町・二本木新町、南は池浦町、北は知立市に接する。 市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。 国勢調査による人口および世帯数の推移。
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篠目町(ささめちょう)は、愛知県安城市の地名。
{{Pathnav|日本|愛知県|安城市|'''篠目町'''|hide=1|frame=1}} {{Infobox settlement | name = 篠目町 | settlement_type = [[町丁]] | image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル ---> | imagesize = 270px | image_caption = <!--- 画像の説明 ---> | image_map = | map_caption = 篠目町の位置 | pushpin_map = Japan Aichi | latd = 34 | latm = 58 | lats = 39.83 | latNS = N | longd = 137 | longm = 4 | longs = 17.65 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = {{Flag|愛知県}} | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Anjo, Aichi.svg|border|25px]][[安城市]] | established_title1 = 町名制定 | established_date1 = | area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23212|title=愛知県安城市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-08-26}}</ref> | area_total_km2 = 1.970303444 | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在 | population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}} | population_total = 6402 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[郵便番号]] | postal_code = 446-0073<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232120&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県安城市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-08-26}}</ref> | area_code = 0566<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref> | registration_plate = [[愛知運輸支局|三河]] | footnotes = }} '''篠目町'''(ささめちょう)は、[[愛知県]][[安城市]]の地名。 == 地理 == 安城市北西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}}。東は[[住吉町 (安城市)|住吉町]]4丁目・住吉町・[[今池町 (安城市)|今池町]]3丁目、西は[[井杭山町]]・[[二本木新町]]、南は[[池浦町 (安城市)|池浦町]]、北は[[知立市]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}}。 === 学区 === 市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB">{{Cite web|url=https://www.city.anjo.aichi.jp/manabu/gakko/kyoikushisetsu/gakku.html|title=小中学校区一覧(町別50音順)|author=安城市役所教育振興部学校教育課学事係|publisher=安城市|date=2022-04-07|accessdate=2023-10-01}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。 {| class="wikitable" !番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校 |- ||古林(市道池浦篠目線以南)||[[安城市立安城中部小学校]]||[[安城市立安城北中学校]]|| rowspan="2" |[[愛知県の高校入試#三河学区|三河学区]] |- |2丁目・3丁目・4丁目・池下・古林(市道古林畔古林1号線以北、市道池浦篠目線以北)・古林畔(市道古林畔古林1号線以北)・作野・新段留・長根・二タ又 | [[安城市立作野小学校]] | [[安城市立篠目中学校]] |} == 歴史 == === 町名の由来 === === 人口の変遷 === [[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。 {| class="wikitable" |- |1995年(平成7年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000023630251&fileKind=1|format=CSV|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|1247世帯<br>4171人||<div style="width:124.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:417.1px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|1692世帯<br>5190人||<div style="width:169.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:519px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|1907世帯<br>5612人||<div style="width:190.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:561.2px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|2119世帯<br>5997人||<div style="width:211.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:599.7px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|2271世帯<br>6370人||<div style="width:227.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:637px;height:10px;background:#9999ff"></div> |- |2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref> |style="text-align:right"|2391世帯<br>6402人||<div style="width:239.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:640.2px;height:10px;background:#9999ff"></div> |} === 沿革 === {{節スタブ}} == 交通 == * [[愛知県道安城八ツ田知立線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * [[愛知県道竜神安城線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 市道新安城箕輪線{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 明治用水中井筋自転車道{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} == 施設 == * 愛知県種鶏センター{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * [[安城市立篠目中学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * [[安城市立作野小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * さくの幼稚園{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 作野保育園{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 安城電機工場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} * 真宗大谷派明専寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1565}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === WEB === {{Reflist|group="WEB"|refs=}} === 書籍 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}} == 関連項目 == * [[安城市の町名]] == 外部リンク == * {{commonscat-inline}} {{Geographic Location | Northwest<!--北西--> = | North<!--北--> = [[知立市]] | Northeast<!--北東--> = | West<!--西--> = [[井杭山町]]・[[二本木新町]] | Centre<!--中央--> = 篠目町 | East<!--東--> = [[住吉町 (安城市)|住吉町]]4丁目・住吉町・[[今池町 (安城市)|今池町]]3丁目 | Southwest<!--南西--> = | South<!--南--> = [[池浦町 (安城市)|池浦町]] | Southeast<!--南東--> = }} {{安城市の町・字}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=愛知県}} {{デフォルトソート:ささめちよう}} [[Category:安城市の町名]]
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オノラ2世・ド・サヴォワ
オノラ2世・ド・サヴォワ(Honorat II. de Savoie, marquis de Villars, 1511年6月4日 - 1580年9月20日)は、ヴァロワ朝時代フランスの廷臣・軍人。ヴィラール伯爵、のち侯爵。フランス元帥、フランス提督(英語版)。 サヴォイア公フィリッポ2世の準正子で「大私生児(le Grand bâtard de Savoie)」の異名をとったヴィラール伯ルネ・ド・サヴォワと、タンド女伯アンヌ・ラスカリスの間の次男。 1540年、ジャンヌ=フランソワーズ・ド・フォワ=カンダル(1542年没)と結婚。彼女の父はグライー家末流でハンガリー王妃アンヌ・ド・フォワの異母弟アラン・ド・フォワ=カンダル、母はカスティヨン女子爵フランソワーズ・デ・プレ・ド・モンペザである。この結婚を通じて、義母からカスティヨン=シュル=ドルゴーニュの子爵領、モンペザ(英語版)、エギュイヨン、マダイヤン(英語版)、サント=リヴラード(英語版)の4男爵領及びその周辺の村落などの広大な所領がもたらされた。 1552年アンリ2世王のロレーヌ公国訪問の随員となった。翌1553年、従兄弟のピエモンテ公エマヌエーレ・フィリベルトが指揮する皇帝軍側のエダン(英語版)包囲の解放作戦に従軍した。1557年8月10日、サン・カンタンの戦い(英語版)参加時に負傷し、コルビー(英語版)を包囲するスペイン軍の物資補給ラインを遮断する目的を果たせなかった。 シャルル9世の治世初期に実施された大巡幸(フランス語版)(1564年1月 - 1566年5月)の随員に加わり、1565年12月から1566年3月にかけて国王宮廷が滞在したムーランで開かれたフランス大評議会(Assemblée des Grands de France)の開催を取り仕切った。 1565年、サヴォイア家本家の計らいで所領のヴィラール(英語版)伯爵領が侯爵領に昇格し、ヴィラール侯爵となった。1572年、甥のオノラ1世・ド・サヴォワが子なくして死ぬと、タンド伯爵領(フランス語版)を継承したが、オノラ1世の姉で姪のデュルフェ卿夫人ルネ(フランス語版)から異議が唱えられた。 ユグノー勢力との戦いに精力を傾け、サン・ドニの戦い(英語版)(1567年)やモンコントゥールの戦い(英語版)(1569年)に参加した。1570年、ブレーズ・ド・モンリュック(英語版)の後任としてギュイエンヌ州の州統監(英語版)に任命された。1573年には同州のユグノー勢力の増長を取り締まるべく軍勢を引き連れ、ユグノーを圧迫した。 1571年、シャルル9世王はオノラの長年の功労に報いるため彼をフランス元帥に任じた。そして翌1572年のサン・バルテルミの虐殺後、その犠牲者となったガスパール・ド・コリニーの職位「フランス及びレヴァント海の提督(„Amiral de France et des Mers du Levant“)」をオノラに贈った。オノラは1578年、娘婿のマイエンヌ公爵にフランス提督職を譲った。 1579年1月1日聖霊勲章(フランス語版)を授与された。1580年自邸のデュ・グラン=プレシニー城(フランス語版)で死去した。 妻との間に娘を1人授かったのみで死別し、再婚しなかった。
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オノラ2世・ド・サヴォワは、ヴァロワ朝時代フランスの廷臣・軍人。ヴィラール伯爵、のち侯爵。フランス元帥、フランス提督。
[[file:Honorat II de Savoie.jpg|thumb|ヴィラール侯爵オノラ、1834年復元、[[ヴェルサイユ宮殿]]美術館蔵]] '''オノラ2世・ド・サヴォワ'''('''Honorat II. de Savoie, marquis de Villars''', [[1511年]][[6月4日]] - [[1580年]][[9月20日]])は、[[ヴァロワ朝]]時代フランスの廷臣・軍人。ヴィラール伯爵、のち侯爵。[[フランス元帥]]、{{仮リンク|フランス提督|en|Admiral of France|label=フランス提督}}。 == 生涯 == サヴォイア公[[フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世]]の準正子で「大私生児(le Grand bâtard de Savoie)」の異名をとったヴィラール伯[[ルネ・ド・サヴォワ]]と、タンド女伯[[アンヌ・ラスカリス]]の間の次男<ref name="lettre-henryIV">Jules Berger de Xivrey (Hrsg.): ''Recueil des lettres missives de Henri IV.'' Band 1: ''1562–1584.'' Imprimerie Royale, Paris 1843, [http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10355644_00064.html S. 14, Anmerkung 1].</ref>。 1540年、ジャンヌ=フランソワーズ・ド・フォワ=カンダル(1542年没)と結婚。彼女の父は[[グライー家]]末流でハンガリー王妃[[アンヌ・ド・フォワ]]の異母弟アラン・ド・フォワ=カンダル、母はカスティヨン女子爵フランソワーズ・デ・プレ・ド・モンプザである。この結婚を通じて、義母から[[カスティヨン・ラ・バタイユ|カスティヨン=シュル=ドルゴーニュ]]の子爵領、{{仮リンク|モンプザ (ロット=エ=ガロンヌ県)|en|Montpezat, Lot-et-Garonne|label=モンプザ}}、[[エギュイヨン (ロット=エ=ガロンヌ県)|エギュイヨン]]、{{仮リンク|マダイヤン|en|Madaillan|label=マダイヤン}}、{{仮リンク|サント=リヴラード=シュル=ロ|en|Sainte-Livrade-sur-Lot|label=サント=リヴラード}}の4男爵領及びその周辺の村落などの広大な所領がもたらされた。 1552年[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]王の[[ロレーヌ公国]]訪問の随員となった。翌1553年、従兄弟のピエモンテ公[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]が指揮する皇帝軍側の{{仮リンク|エダン|en|Hesdin|label=エダン}}包囲の解放作戦に従軍した。1557年8月10日、{{仮リンク|サン・カンタンの戦い (1557年)|en|Battle of St. Quentin (1557)|label=サン・カンタンの戦い}}参加時に負傷し、{{仮リンク|コルビー (フランス)|en|Corbie|label=コルビー}}を包囲するスペイン軍の物資補給ラインを遮断する目的を果たせなかった。 [[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]の治世初期に実施された{{仮リンク|シャルル9世のグランドツアー|fr|Grand tour de France de Charles IX|label=大巡幸}}(1564年1月 - 1566年5月)の随員に加わり、1565年12月から1566年3月にかけて国王宮廷が滞在した[[ムーラン (アリエ県)|ムーラン]]で開かれたフランス大評議会(Assemblée des Grands de France)の開催を取り仕切った。 1565年、サヴォイア家本家の計らいで所領の{{仮リンク|ヴィラール=レ=ドンブ|en|Villars-les-Dombes|label=ヴィラール}}伯爵領が侯爵領に昇格し、ヴィラール侯爵となった。1572年、甥の[[オノラ1世・ド・サヴォワ]]が子なくして死ぬと、{{仮リンク|タンド伯領|fr|Comté de Tende|label=タンド伯爵領}}を継承したが、オノラ1世の姉で姪のデュルフェ卿夫人{{仮リンク|ルネ・ド・サヴォワ=タンド|fr|Renée de Savoie-Tende|label=ルネ}}から異議が唱えられた。 [[ユグノー]]勢力との戦いに精力を傾け、{{仮リンク|サン・ドニの戦い (1567年)|en|Battle of Saint-Denis (1567)|label=サン・ドニの戦い}}(1567年)や{{仮リンク|モンコントゥールの戦い|en|Battle of Moncontour|label=モンコントゥールの戦い}}(1569年)に参加した。1570年、{{仮リンク|ブレーズ・ド・モンリュック|en|Blaise de Monluc|label=ブレーズ・ド・モンリュック}}の後任として[[ギュイエンヌ|ギュイエンヌ州]]の{{仮リンク|リュートナン=ジェネラル (フランス)|en|Lieutenant-General (France)|label=州統監}}に任命された<ref name="lettre-henryIV" />。1573年には同州のユグノー勢力の増長を取り締まるべく軍勢を引き連れ、ユグノーを圧迫した。 1571年、シャルル9世王はオノラの長年の功労に報いるため彼をフランス元帥に任じた<ref name="lettre-henryIV" />。そして翌1572年の[[サン・バルテルミの虐殺]]後、その犠牲者となった[[ガスパール・ド・コリニー]]の職位「フランス及びレヴァント海の提督(„Amiral de France et des Mers du Levant“)」をオノラに贈った<ref name="lettre-henryIV" />。オノラは1578年、娘婿の[[シャルル (マイエンヌ公)|マイエンヌ公爵]]にフランス提督職を譲った。 1579年1月1日{{仮リンク|聖霊勲章|fr|Ordre du Saint-Esprit}}を授与された。1580年自邸の{{仮リンク|デュ・グラン=プレシニー城|fr|Château du Grand-Pressigny}}で死去した。 == 子女 == 妻との間に娘を1人授かったのみで死別し、再婚しなかった。 *[[アンリエット・ド・サヴォワ|アンリエット]](1541/1542年 - 1611年) - 1560年{{仮リンク|メルシオール・デ・プレ|de|Melchior des Prez|label=メルシオール・デ・プレ}}と初婚(1572年死別)、1576年マイエンヌ公[[シャルル (マイエンヌ公)|シャルル・ド・ロレーヌ]]と再婚 == 参考文献 == * Jules Berger de Xivrey (Hrsg.): ''Recueil des lettres missives de Henri IV.'' Band 1: ''1562–1584.'' Imprimerie Royale, Paris 1843, [http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10355644_00064.html S. 14, Anmerkung 1]. == 引用 == <references /> == 外部リンク == {{Commonscat-inline|Honorat II de Savoie|Honorat II. de Savoie, marquis de Villars}} * [http://www.euraldic.com/txt_saint-esprit_s06.html saint-esprit] * [http://dennetie.club.fr/tng/getperson.php?personID=I912&tree=mab1 TO&C (französisch)] {{DEFAULTSORT:おのら2 さうおあ}} [[Category:フランスの元帥]] [[Category:ユグノー戦争の人物]] [[Category:ヴァロワ朝の人物]] [[Category:フランスの侯爵]] [[Category:タンド伯]] [[Category:サヴォワ=タンド家]] [[Category:1511年生]] [[Category:1580年没]]
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脱獄者の報酬
『脱獄者の報酬』(だつこくしゃのほうしゅう、You Can't Get Away with Murder)は、1939年のアメリカ合衆国の映画。監督はルイス・セイラー(英語版)。主演はハンフリー・ボガートとゲイル・ペイジ(英語版)。ルイス・E・ロウス(英語版)による戯曲『Chalked Out』を原作としている。 日本では劇場未公開だが、テレビ放送が行われている。 ※括弧内は日本語吹替(テレビ版・初回放送1971年3月27日『土曜映画劇場』)
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『脱獄者の報酬』は、1939年のアメリカ合衆国の映画。監督はルイス・セイラー。主演はハンフリー・ボガートとゲイル・ペイジ。ルイス・E・ロウスによる戯曲『Chalked Out』を原作としている。 日本では劇場未公開だが、テレビ放送が行われている。
{{Infobox Film | 作品名 = 脱獄者の報酬 | 原題 = You Can't Get Away with Murder | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = ルイス・セイラー | 脚本 = ロバート・バックナー<br />ドン・ライアン<br />ケネス・ガメット | 原案 = | 原作 = ルイス・E・ロウス<br />「Chalked Out」 | 製作 = [[ジャック・L・ワーナー]]<br />[[ハル・B・ウォリス]]<br />サミュエル・ビショフ | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[ハンフリー・ボガート]]<br />ゲイル・ペイジ<br />ビリー・ハロップ | 音楽 = ハインツ・ロームヘルド | 主題歌 = | 撮影 = ソル・ポリト | 編集 = ジェームズ・ギボン | 制作会社 = | 製作会社 = | 配給 = [[ワーナー・ブラザース]] | 公開 = {{flagicon|USA}} [[1939年]][[5月20日]] | 上映時間 = 79分 | 製作国 = {{USA}} | 言語 = [[英語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''脱獄者の報酬'''』(だつごくしゃのほうしゅう、''You Can't Get Away with Murder'')は、[[1939年]]の[[アメリカ合衆国]]の[[映画]]。監督は{{仮リンク|ルイス・セイラー|en|Lewis Seiler}}。主演は[[ハンフリー・ボガート]]と{{仮リンク|ゲイル・ペイジ|en|Gale Page}}<ref>{{Cite web|url=https://catalog.afi.com/Film/8252-YOU-CANTGETAWAYWITHMURDER|title=You Can't Get Away with Murder|publisher=The AFI Catalog of Feature Films|accessdate=2023-10-01}}</ref>。{{仮リンク|ルイス・E・ロウス|en|Lewis E. Lawes}}による[[戯曲]]『''Chalked Out''』を原作としている。 [[日本]]では劇場未公開だが、テレビ放送が行われている<ref>{{Allcinema title|27207}}</ref>。 == ストーリー == {{要あらすじ}} == キャスト == ※括弧内は日本語吹替(テレビ版・初回放送1971年3月27日『[[土曜映画劇場]]』) * フランク・ウィルソン: [[ハンフリー・ボガート]]([[久米明]]) * マッジ・ストーン: ゲイル・ペイジ([[杉田郁子]]) * ジョニー・ストーン: ビリー・ハロップ([[西川幾雄]]) * キャリー弁護士: ジョン・リテル * ポップ: [[ヘンリー・トラヴァース]] * フレッド・バーク: [[ハーヴィー・スティーヴンス]] * トム: ハロルド・フーバー == スタッフ == * 監督: {{仮リンク|ルイス・セイラー|en|Lewis Seiler}} * 製作: [[ジャック・L・ワーナー]]、[[ハル・B・ウォリス]]、{{仮リンク|サミュエル・ビショフ|en|Samuel Bischoff}} * 原作: {{仮リンク|ルイス・E・ロウス|en|Lewis E. Lawes}} * 脚本: {{仮リンク|ロバート・バックナー|en|Robert Buckner}}、{{仮リンク|ドン・ライアン|en|Don Ryan}}、ケネス・ガメット * 撮影: {{仮リンク|ソル・ポリト|en|Sol Polito}} * 編集: ジェームズ・ギボン * 音楽: {{仮リンク|ハインツ・ロームヘルド|en|Heinz Roemheld}} == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Allcinema title|27207}} * {{amg movie|117977|You Can't Get Away with Murder}} * {{IMDb title|0032153|You Can't Get Away with Murder}} {{Movie-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たつこくしやのほうしゆう}} [[Category:1939年の映画]] [[Category:アメリカ合衆国の犯罪映画]] [[Category:アメリカ合衆国のドラマ映画]] [[Category:アメリカ合衆国の白黒映画]] [[Category:ニューヨーク市を舞台とした映画作品]] [[Category:戯曲を原作とする映画作品]] [[Category:ワーナー・ブラザースの作品]]
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UpdateS
『UpdateS』(アップデーツ)は、U&Sの配信限定シングル。 2022年11月24日、YouTube上で公開され、特設サイトに歌詞が掲載される。 その後、「霜降り明星のゴールデン☆80'S」(2022年12月25日放送)「Love music」(2023年1月15日放送)に出演し、同曲を披露した。 本作のリリースは、2023年8月18日に「内海光司と佐藤アツヒロのオールナイトニッポンGOLD」において配信リリースが決定したことが告知された後、2023年10月1日にU&S公式X及びJohnny's netにおいて配信日が発表された。
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『UpdateS』(アップデーツ)は、U&Sの配信限定シングル。
{{Infobox Single | Name = UpdateS | Type = [[シングル]] | Artist = [[U&S]] | Released = [[2023年]][[10月5日]] | Album = | B-side = | Genre = [[J-POP]] | Length = | Label = ジャニーズ出版{{refnest|group="注"|配信元は[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]<ref>{{YouTube|-MZKrJyzcR8|UpdateS}}</ref>。}} | Chart position = | Certification = | Last single = | This single = | Next single = }} 『'''UpdateS'''』(アップデーツ)は、[[U&S]]の[[音楽配信|配信]]限定[[シングル]]。 == 解説 == 2022年11月24日、YouTube上で公開され、特設サイトに歌詞が掲載される<ref>{{Cite web |title=U&S; “UpdateS” LOVE TOUR 2022-2023 |url=https://web.archive.org/web/20230106030413/https://uands-lovetour.com/s/uands/?ima=5828 |website=web.archive.org |date=2023-01-06 |access-date=2023-10-05}}</ref>。 その後、「[[霜降り明星]]のゴールデン☆80'S」(2022年12月25日放送)<ref>{{Cite web |title=『霜降り明星のゴールデン☆80'S』|BSフジ |url=https://www.bsfuji.tv/shimofuri80s/pub/011.html |website=www.bsfuji.tv |access-date=2023-10-05}}</ref>「[[Love music]]」(2023年1月15日放送)<ref>{{Cite web |title=Instagram |url=https://www.instagram.com/p/Cna-DKzp1BQ/ |website=www.instagram.com |access-date=2023-10-05}}</ref><ref>{{Cite web |title=Instagram |url=https://www.instagram.com/p/CnbOC2SPTnn/ |website=www.instagram.com |access-date=2023-10-05}}</ref>に出演し、同曲を披露した。 本作のリリースは、[[2023年]][[8月18日]]に「[[内海光司]]と[[佐藤アツヒロ]]の[[オールナイトニッポンGOLD]]」において配信リリースが決定したことが告知された後、2023年10月1日にU&S公式[[Twitter|X]]及びJohnny's netにおいて配信日が発表された<ref>{{Cite web |title=Discography {{!}} Johnny's net |url=https://www.johnnys-net.jp/page?id=discoDetail&artist=3&data=2825 |website=ジャニーズ事務所公式サイト「Johnny's net」 |access-date=2023-10-05 |language=ja}}</ref>。 == 収録曲 == # '''UpdateS''' #: 作詞:[[河合英嗣]]・[[黒須克彦]]、作曲:黒須克彦 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://www.johnnys-net.jp/page?id=discoDetail&artist=3&data=2825 Discography] - Johnny's net * {{YouTube|Ju8eILrPV5o|内海光司・佐藤アツヒロ「U&S UpdateS LOVE TOUR 2022-2023」U&S's New Song!「UpdateS」}} {{single-stub}} {{DEFAULTSORT:あつふてえつ}} [[Category:2023年のシングル]] [[Category:楽曲 あ|つふてえつ]]
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ザーパド2021
ザーパド 2021 (ロシア語: Запад-2021) は、2021年9月10日から15日にかけてロシア軍とベラルーシ軍の間で行われた合同戦略軍事演習である。ロシア国防省によると、 約20万人の兵士、760両の戦車、15隻の艦艇が演習に参加した。
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ザーパド 2021 は、2021年9月10日から15日にかけてロシア軍とベラルーシ軍の間で行われた合同戦略軍事演習である。ロシア国防省によると、 約20万人の兵士、760両の戦車、15隻の艦艇が演習に参加した。
[[ファイル:Zapad-2021_Logo.jpg|右|サムネイル|200x200ピクセル|ザーパド 2021]] '''ザーパド 2021''' ({{Lang-ru|Запад-2021}}) は、[[2021年]][[9月10日]]から[[9月15日|15日]]にかけて[[ロシア軍]]と[[ベラルーシ軍]]の間で行われた合同戦略軍事演習である。[[ロシア国防省]]によると、 約20万人の兵士、760両の戦車、15隻の艦艇が演習に参加した。<ref name="автоссылка3">{{Cite web |url=https://function.mil.ru/news_page/country/more.htm?id=12378427@egNews |title=Главное управление международного военного сотрудничества Минобороны РФ провело брифинг о подготовке совместного стратегического учения «Запад-2021»: Министерство обороны Российской Федерации |website=function.mil.ru |access-date=2021-08-20}}</ref> [[ファイル:Russian_paratroopers_before_boarding_transport_aircraft._Military_exercises_West-2021.png|左|サムネイル|[[ロシア空挺軍]]の部隊]] [[ファイル:Landing_at_the_Mulino_training_ground._Exercise_West_2021.png|サムネイル]] == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:さあはと2021}} [[Category:軍事演習]] [[Category:ベラルーシ・ロシア関係]] [[Category:2021年のロシア]] [[Category:2021年のベラルーシ]] [[Category:ロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)]] [[Category:2021年9月]]
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PiXCELLiA
PiXCELLiA(ピクセリア)は、日本で活動しているアイドルグループ。コンセプトは『GAME×IDOL』。 なまえをにゅうりょくしてください▼ の名称でプレデビュー、2023年4月22日に現在の名前に変更し正式デビューした。「ゲームの世界を旅する、4人とみんなの物語」と謳い、都内を中心に活動中。
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PiXCELLiA(ピクセリア)は、日本で活動しているアイドルグループ。コンセプトは『GAME×IDOL』。 なまえをにゅうりょくしてください▼ の名称でプレデビュー、2023年4月22日に現在の名前に変更し正式デビューした。「ゲームの世界を旅する、4人とみんなの物語」と謳い、都内を中心に活動中。
-------- {{Infobox Musician | 名前 = PiXCELLiA | 背景色 = group | 出身地 = 日本 | ジャンル = アイドル | 活動期間 = 2023年4月22日 - | 事務所 = 株式会社ポーリオン | 公式サイト = https://polion.co.jp/ | メンバー = {{Color|#ff3300|■}}只野あかり(剣士)<br /> {{Color|#ff98cc|■}}花月鈴(魔法使い) <br /> {{Color|#a1cff4 |■}}遠山玖苑(賢者)<br /> {{Color|#a757a8|■}}藤宮いゔ(狙撃手)}} '''PiXCELLiA'''(ピクセリア)は、日本で活動している[[アイドルグループ]]。コンセプトは『GAME×IDOL』。 なまえをにゅうりょくしてください▼ の名称でプレデビュー、2023年4月22日に現在の名前に変更し正式デビューした。「ゲームの世界を旅する、4人とみんなの物語」と謳い、都内を中心に活動中。 == メンバー == {| class="wikitable" |+ !名前 !よみがな !役職 !担当色 !誕生日 !血液型 !身長 !備考 |- |只野あかり |ただのあかり |剣士 |赤色 |4月14日 |O型 |155cm |リーダー兼プロデューサー |- |花月鈴 |かづきりん |魔法使い |桃色 |3月30日 |A型 |156cm | |- |遠山玖苑 |とおやまくおん |賢者 |水色 |1月22日 |A型 |157cm | |- |藤宮いゔ |ふじみやいゔ |狙撃手 |紫色 |8月25日 |B型 |165cm | |} == 略歴 == === 2023年 === *2月14日 なまえをにゅうりょくしてください▼名義で、「アイドルプラネタリウム61」(秋葉原COSMICLAB)にてプレデビュー。 *4月22日 お披露目ライブ「-こころしるべ-」(新高円寺LOFTX)にて正式デビュー。同ライブにて、名義をPiXCELLiAに変更することを発表。 *5月5日 「ROAD TO @ JAM EXPO 2023 LIVE Vol.5」(横浜Bronth)出演。(※なまえをにゅうりょくしてください▼名義) *5月7日 只野あかり生誕祭「Re:30から始める異世界-アイドル-生活」(渋谷MilkyWay)開催。 *9月2日 藤宮いゔ生誕祭「とある狙撃手の生誕祭記-はじめてのせいたん-」(新高円寺LOFTX)開催。 *9月30日 各種音楽配信サイトにて楽曲「こころしるべ」配信開始。 == ディスコグラフィー == === シングル === {| class="wikitable" |+ ! !タイトル !発売日 !作詞 !作曲 !備考 |- |1 |こころしるべ |2023年9月30日 |遠山玖苑 |鈴木克崇 |音楽配信サイトでの提供 |} === 未音源化楽曲 === {| class="wikitable" |+ ! !タイトル !発表日 !作詞 !作曲 |- |1 |Dreamers |2023年4月22日 |KOYORI |鈴木克崇 |- |2 |First Battle!! |2023年4月22日 |只野あかり |鈴木克崇 |- |3 |チャチャchampion |2023年8月5日 |五十嵐かいと |鈴木克崇 |} == 出演 == === 主催対バン === ==== 2023年 ==== *4月22日 主催対バン「-こころしるべ-」新高円寺LOFTX *5月7日 主催対バン「Re:30から始める異世界-アイドル-生活」渋谷MilkyWay *9月2日 主催対バン「とある狙撃手の生誕祭記-はじめてのせいたん-」新高円寺LOFTX === メディア === ==== テレビ ==== * チアアップ★インディーズK(2023年9月19日、千葉テレビ)にてライブシーンがオンエアされた。インターネット上にも同番組が掲載。<ref name="2023年9月7日" /> ==== 印刷物 ==== * 日刊スポーツ朝刊 2023年9月7日 3面 ニッカンブルーゾーン (2023年8月17日発売、日刊スポーツ新聞社)にて、デジタルシングル販売を発表する記事が掲載。インターネット上にも同記事が掲載。<ref name="2023年8月17日" /> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|30em|refs= <ref name="2023年8月17日">[https://www.nikkansports.com/bluezone/news/202308170000186.html PiXCELLiA 9・30「こころしるべ」リリース!] - [[日刊スポーツ新聞社]]. 2023年8月17日閲覧。</ref> <ref name="2023年9月7日">[https://www.youtube.com/watch?v=qK3i21tWcPc.html チアアップ★インディーズ K 9月7日 25:00~ 千葉テレビOA] - [[千葉テレビ放送]]. 2023年9月7日閲覧。</ref> }} == 外部リンク == * [https://polion.co.jp/ PiXCELLiA Official Web] * [https://pixcellia.official.ec/ PiXCELLiA公式オンラインショップ] - BASE * [https://twitter.com/infoPOLION PiXCELLiA](@infoPOLION) - [[Twitter]] * [https://www.youtube.com/@PiXCELLiA PiXCELLiA] - Youtubeチャンネル * [https://www.showroom-live.com/r/namanyu03?t=1688386282 PiXCELLiA] - SHOWROOM * [https://www.tiktok.com/@pixcellia PiXCELLiA] - [[TikTok]] === SNSアカウント等 === ==== 只野あかり ==== * [https://twitter.com/akari_PGI 只野あかり](@akari_PGI) - [[Twitter]] *{{Instagram|akaritadano|只野あかり}} * [https://www.tiktok.com/@akaritadano 只野あかり] - [[TikTok]] * [https://www.showroom-live.com/r/akari_tadano?t=1676729143 只野あかり] - SHOWROOM ==== 花月鈴 ==== * [https://twitter.com/rin_PGI 花月鈴](@rin_PGI) - [[Twitter]] *{{Instagram|_rin_kazuki|かづきりん}} * [https://www.tiktok.com/@ppp_3o りちゃん] - [[TikTok]] * [https://www.showroom-live.com/r/rinkazuki 花月鈴] - SHOWROOM ==== 遠山玖苑 ==== * [https://twitter.com/quon_PGI 遠山玖苑](@quon_PGI) - [[Twitter]] *{{Instagram|quon1204|遠山玖苑}} * [https://www.tiktok.com/@quon_1204?_t= 玖苑] - [[TikTok]] * [https://www.youtube.com/@quon1204 遠山玖苑] - Youtubeチャンネル * [https://twitcasting.tv/quon_pgi 遠山玖苑] - [[TwitCasting]] ==== 藤宮いゔ ==== * [https://twitter.com/eve_PGI 藤宮いゔ](@eve_PGI) - [[Twitter]] *{{Instagram|eve_nomonoda|藤宮いゔ}} * [https://www.tiktok.com/@eve_dayone 藤宮いゔ] - [[TikTok]] * [https://www.showroom-live.com/r/eve_fujimiya?t=1676594580 藤宮いゔ] - SHOWROOM [[Category:日本の女性アイドルグループ]] [[Category:ライブアイドル]] {{DEFAULTSORT:ぴくせりあ}}
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