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4,859,666 | ケサランタ | ケサランタ(スウェーデン語: Villa Bjälbo)は、フィンランド首相の公邸と称される建物。
ケサランタはフィンランドの首都ヘルシンキに設置されており、歴代の首相の公邸で使われてきた歴史を持つ。
現在はフィンランド政府によってケサランタ上空は飛行禁止となっている。
サンナ・マリン首相は2020年8月3日にケサランタで結婚式を行なったと発表した。
・フィンランドの首相
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] | ケサランタ(スウェーデン語: Villa Bjälbo)は、フィンランド首相の公邸と称される建物。 | [[File:Kesäranta talvella 2.JPG|thumb|380px|ケサランタ全景]]
[[File:Kesäranta in August 2019 05.jpg|thumb|380px|ケサランタ August 2019 05撮影]]
'''ケサランタ'''(''Kesäranta''、[[スウェーデン語]]: ''Villa Bjälbo'')は、[[フィンランドの首相|フィンランド首相]]の[[公邸]]と称される建物。
==概要==
ケサランタはフィンランドの首都[[ヘルシンキ]]に設置されており、[[フィンランドの首相一覧|歴代の首相]]の公邸として使われてきた歴史を持つ。
現在はフィンランド政府によってケサランタ上空は飛行禁止となっている<ref>{{Cite web |title=Where is flying prohibited? |url=https://www.droneinfo.fi/en/where-flying-prohibited |website=Droneinfo |date=2022-04-29 |access-date=2023-11-28 |language=en}}</ref>。
[[サンナ・マリン]]首相は2020年8月3日にケサランタで結婚式を行なったと発表した<ref>{{Cite web |title=フィンランドのサンナ・マリン首相が結婚、イケメンの新郎は幼なじみの元サッカー選手! |url=https://www.styleofnorth.com/archives/4569 |website=THE STYLE OF NORTH |date=2020-08-03 |access-date=2023-11-28 |language=ja |first=THE STYLE OF NORTH |last=編集部}}</ref>。
== 脚注 ==
<references />
==関連項目==
* [[公邸]]
* [[フィンランドの首相]]
== 外部リンク ==
* {{Cite web |title=Front page |url=https://valtioneuvosto.fi/en/frontpage |website=Valtioneuvosto |access-date=2023-11-28 |language=en-US}}
{{DEFAULTSORT:けさらんた}}
[[Category:ヘルシンキの建築物]]
[[Category:フィンランドの政治]] | 2023-11-28T09:31:49Z | 2023-11-28T16:10:37Z | false | false | false | [
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4,859,669 | 千石層 | 千石層(せんごくそう)は、日本の九州の地層。関門層群・脇野亜層群の最下部の層であり、オーテリビアン期 - バレミアン期に相当する。 | [
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| 英称 = Sengoku Formation
| 地質時代 = [[前期白亜紀]]([[オーテリビアン期]] - [[バレミアン期]])
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| 走向 =
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| 産出化石 = [[ワキノサウルス|ワキノサウルス・サトウイ]]<ref name=WAKINO> {{Cite web|和書|title=遠賀川~母なる河との共生~ |url=https://chikuhoroman.com/natsural-heritage/onga-river/ |website=筑豊百景 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>、[[アドクス・センゴクエンシス]]<ref name=sinnsyu> {{Cite web|和書|title=福岡県からの白亜紀前期の新種のカメ化石について |url=https://www.dinosaur.pref.fukui.jp/research/2015Adocus/ |website=福井県立恐竜博物館 |access-date=2023-11-27 |language=ja}}</ref>
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| 層群 = [[関門層群]]
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| 特記事項 =
}}
'''千石層'''(せんごくそう)<ref name=Augu> {{Cite journal |last=裕明 |first=石賀 |last2=香緒里 |first2=道前 |last3=英孝 |first3=古谷 |last4=良和 |first4=三瓶 |last5=実 |first5=武蔵野 |date=1997 |title=地球化学的にみた西南日本の下部白亜系と韓半島の慶尚層群の後背地地質体の関係と推積環境 |url=http://geosociety.jp/publication/content0035.html |journal=堆積環境,層相 |volume=48 |pages=120–131 |doi=}}</ref>は、[[日本]]の[[九州]]の[[地層]]。[[関門層群]]・[[脇野亜層群]]の最下部の層であり<ref name=August>{{Cite journal |last=実 |first=歌田 |last2=臣啓 |first2=澤田 |date=2005 |title=西日本,関門層群(白亜紀前期)の変質作用 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/111/4/111_4_206/_pdf |journal=地層 |volume=111 |pages=206–216 |doi=}}</ref>、[[オーテリビアン期]] - [[バレミアン期]]に相当する。
== 古動物相 ==
* [[ワキノサウルス|ワキノサウルス・サトウイ]]<ref name=WAKINO/> 新属新種の[[獣脚類]]。
* [[アドクス・センゴクエンシス]]<ref name=sinnsyu/> [[アドクス]]属の新種。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[関門層群]]
* [[脇野亜層群]]
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{{デフォルトソート:せんごくそう}}
[[Category:白亜紀]]
[[Category:累層]]
[[Category:日本の地理関連のスタブ項目]] | 2023-11-28T09:53:23Z | 2023-12-01T12:07:35Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E7%9F%B3%E5%B1%A4 |
4,859,672 | 齋藤真哉 | 齋藤 真哉(さいとう しんや)は、日本の会計学者。横浜国立大学経営学部教授。財務会計基準機構理事。元内閣府公益認定等委員会参与。
兵庫県西宮市出身。関西学院中学部・高等部を経て、1982年関西学院大学商学部卒業。平松一夫ゼミ出身。
1984年関西学院大学大学院商学研究科博士課程前期課程修了。1986年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、商学修士。1989年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。
1989年青山学院大学経営学部専任講師。1993年青山学院大学経営学部助教授。2000年青山学院大学経営学部教授。2006年日本学術会議連携会員、公認会計士試験委員。2007年内閣府公益認定等委員会参与。神奈川県公益認定等審議会会長。
2009年横浜国立大学経営学部教授。2011年横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授。2012年神奈川県第三セクター等改革推進部会会長、日本会計研究学会理事。
2013年財務会計基準機構理事、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会臨時委員。2014年税理士試験委員。2015年税務会計研究学会副会長。2019年非営利法人研究学会会長。2021年関西学院同窓会評議員。
ミロク情報サービス税経システム研究所顧問、横浜市民間資金等活用事業審査委員会委員長なども務めた。 | [
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] | 齋藤 真哉は、日本の会計学者。横浜国立大学経営学部教授。財務会計基準機構理事。元内閣府公益認定等委員会参与。 | '''齋藤 真哉'''(さいとう しんや)は、[[日本]]の[[会計学者]]。[[横浜国立大学経営学部]]教授。[[財務会計基準機構]][[理事]]。元[[内閣府]][[公益認定等委員会]][[参与]]。
== 人物・経歴 ==
[[神戸市]]生まれ<ref name="kj">[https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784595322082 放送大学教材現代の会計]紀伊國屋書店</ref>。[[兵庫県]][[西宮市]]出身。[[関西学院中学部・高等部]]を経て、1982年[[関西学院大学]][[商学部]]卒業。[[平松一夫]]ゼミ出身<ref>[https://member.kwangaku.net/kanagawa/saitou.pdf 関西学院同窓会 神奈川支部 幹事プロフィール]関西学院同窓会</ref>。
1984年関西学院大学大学院商学研究科博士課程前期課程修了。1986年[[一橋大学大学院商学研究科]]修士課程修了<ref name="mi">[https://www.mjs.co.jp/outline/zeikei/concept/shinya-saito/ 齋藤 真哉(さいとう しんや)/顧問]株式会社ミロク情報サービス</ref>、[[商学修士]]。1989年一橋大学大学院商学研究科博士課程[[単位取得満期退学]]<ref name="yn">[https://er-web.ynu.ac.jp/html/SAITO_Shinya/ja.html 齋藤 真哉 (サイトウ シンヤ)]横浜国立大学</ref>。
1989年[[青山学院大学]][[経営学部]]専任講師。1993年青山学院大学経営学部助教授。2000年青山学院大学経営学部教授。2006年[[日本学術会議連携会員]]、[[公認会計士試験]]委員。2007年[[内閣府]][[公益認定等委員会]][[参与]]、[[神奈川県]][[公益認定等審議会]]会長<ref name="yn"/>。
2009年[[横浜国立大学経営学部]]教授。2011年横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授。2012年[[神奈川県]]第三セクター等改革推進部会会長、[[日本会計研究学会]][[理事]]<ref name="yn"/>。
2013年[[財務会計基準機構]][[理事]]、[[総務省]]政策評価・[[独立行政法人評価委員会]]臨時委員<ref name="yn"/>。2014年[[税理士試験]]委員<ref>[https://www.biz-book.jp/%E9%BD%8B%E8%97%A4%20%E7%9C%9F%E5%93%89/author/834 齋藤 真哉の著書]ビジネス専門書online</ref>。2015年[[税務会計研究学会]]副会長<ref name="yn"/>。2019年[[非営利法人研究学会]]会長<ref>[https://online.koueki.jp/article/191001_03/ 【NEWS】非営利学会、新会長に横国大教授の齋藤真哉氏]公益・一般法人オンライン 2019年09月24日</ref>。2021年[[関西学院]]同窓会評議員<ref name="yn"/>。
[[ミロク情報サービス]]税経システム研究所顧問<ref name="mi"/>、[[横浜市]]民間資金等活用事業審査委員会委員長なども務めた<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/kyoso/public-facility/pfi/syousai/pfi-procedure.files/0072_20190320.pdf 「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」に基づく特定事業に関する調査審議について(諮問)]横浜市</ref>。専攻は[[会計学]]<ref name="kj"/>。
== 著書 ==
*『税効果会計論』森山書店 1999年
*『財表理論基本キーワード : あらゆる出題に対応できる!』[[税務経理協会]] 2003年
*『財務会計』([[内藤周子]], [[松原沙織]], [[佐藤恵]]と共著)[[新世社]] 2014年
*『現代会計』[[放送大学教育振興会]] 2016年
*『現代の会計』放送大学教育振興会 2020年
=== 編著 ===
*『減損会計の税務論点』[[中央経済社]] 2007年
*『財務会計論 : スタンダードテキスト 1(基本論点編)』([[佐藤信彦 (会計学者)|佐藤信彦]], [[河崎照行]], [[柴健次]], [[高須教夫]], [[松本敏史]]と共編著)中央経済社 2007年
*『財務会計論 : スタンダードテキスト 2(応用論点編)』(河崎照行, 佐藤信彦, 柴健次, 高須教夫, 松本敏史と共編著)中央経済社 2008年
*『財務会計論 : スタンダードテキスト 3(問題演習編)』(佐藤信彦, 河崎照行, 柴健次, 高須教夫, 松本敏史と共編)中央経済社 2009年
*『ニューベーシック連結会計』中央経済社 2013年
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:さいとう しんや}}
[[Category:日本の会計学者]]
[[Category:商学修士取得者]]
[[Category:商学士取得者]]
[[Category:日本学術会議連携会員]]
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[[Category:関西学院大学出身の人物]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1959年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T09:58:15Z | 2023-11-28T10:32:49Z | false | false | false | [
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"Template:Normdaten"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E7%9C%9F%E5%93%89 |
4,859,675 | 島田神社 | 島田神社(しまだじんじゃ)は、京都府福知山市畑中にある神社である。
島田神社の創立は詳らかではないが、本殿の建立は内陣内西妻内法貫(にしつまうちのりぬき)の墨書より文亀2年(1502年)の建立と判明し、国重要文化財の指定を受ける。
発祥は、同じ畑中に所在する真言宗の雲龍寺によれば、寺を開いた空也が島田神社の方角に瑞雲を見たのを契機に庵を開いたのを開基したとするという縁起が伝わる。2007年(平成19年)から2009年(平成21年)の修理に伴う基壇確認調査でも平安時代に遡る前身建物遺構が確認されたことから、古代に遡る神社といえる。江戸時代には、旧北山・畑中・樽水・談・小牧の近在5か村の総鎮守とされている。
再建工事の際に、床板の下が黒く煤けているのが発覚。基壇上面からは焼土壙の跡が見つかり、中央部の焼土は特に大きな土壙となっており、長年にわたって火が焚かれた痕跡であることが確認された。その左右にも同じく焼土壙が設けられていて、過去には本殿床下で火を焚く行事が行われていたとされている。当社に祭られた3柱の神の真下で火を焚く祭祀が行われていたことになり、その関係が注目される。
本殿建立後の修理については記録がなく不明であるが、1934年(昭和9年)には村社昇格に際し、本殿覆屋の改築、拝殿、幣殿の新築とともに本殿の修理も一部行われた。また、近年では1959年(昭和34年)に小修理、1979年(昭和54年)に本殿正面の軒廻りの修理、2007年(平成19年)から2009年(平成21年)まで2年かけて京都府教育委員会による福知山最古の木造建築を継承することを目的とした解体修理工事が行われた。覆屋を外して、建立時の姿に戻すべく修復工事が為され、こけら葺の屋根や縁を復元し、鮮やかな朱塗りの建物となる。
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] | 島田神社(しまだじんじゃ)は、京都府福知山市畑中にある神社である。 島田神社の創立は詳らかではないが、本殿の建立は内陣内西妻内法貫(にしつまうちのりぬき)の墨書より文亀2年(1502年)の建立と判明し、国重要文化財の指定を受ける。 | {{神社
| 名称 = 島田神社
| 画像 =
[[ファイル:Shimada shrine(fukuchiyama).jpg|250px|代替文=京都府福知山市島田神社正面|島田神社正面]]
| 所在地 = [[京都府]][[福知山市]]畑中1882-1
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 16 | 緯度秒 = 53.8
| 経度度 = 135 | 経度分 = 02 | 経度秒 = 48.4
| 祭神 = 稚武王、十城別王<br />[[息長帯比売命]]([[熊野三所権現]])
| 地図国コード = JP
| 地図 = Japan Kyoto
| 神体 =
| 社格 =
| 創建 =
| 本殿 = 三間社流造、屋根葺を欠く
| 別名 =
| 札所等 =
| 例祭 =
| 神事 =
}}
'''島田神社'''(しまだじんじゃ)は、[[京都府]][[福知山市]]畑中にある[[神社]]である。
島田神社の創立は詳らかではないが、本殿の建立は内陣内西妻内法貫(にしつまうちのりぬき)の墨書より[[文亀]]2年(1502年)の建立と判明し、国重要文化財の指定を受ける<ref name=文化庁/>。
== 祭神 ==
* 稚武王
* 十城別王
* [[息長帯比売命]]([[熊野三所権現]])
== 歴史 ==
発祥は、同じ畑中に所在する[[真言宗]]の[[雲龍寺 (福知山市)|雲龍寺]]によれば、寺を開いた[[空也]]が島田神社の方角に瑞雲を見たのを契機に庵を開いたのを開基したとするという縁起が伝わる。2007年(平成19年)から2009年(平成21年)の修理に伴う基壇確認調査でも[[平安時代]]に遡る前身建物遺構が確認されたことから、古代に遡る神社といえる。[[江戸時代]]には、旧北山・畑中・樽水・談・小牧の近在5か村の[[総鎮守]]とされている{{Sfn|重要文化財島田神社本殿工事報告書|2009|p=3}}{{Sfn|京都大辞典 府域編|1994|p=269}}。
再建工事の際に、床板の下が黒く煤けているのが発覚。基壇上面からは焼土壙の跡が見つかり、中央部の焼土は特に大きな土壙となっており、長年にわたって火が焚かれた痕跡であることが確認された。その左右にも同じく焼土壙が設けられていて、過去には本殿床下で火を焚く行事が行われていたとされている。当社に祭られた3柱の神の真下で火を焚く祭祀が行われていたことになり、その関係が注目される{{Sfn|重要文化財島田神社本殿工事報告書|2009|p=19}}。
== 改修工事 ==
[[ファイル:Honden of Shimada-jinja Shrine.jpg|サムネイル|島田神社本殿]]
本殿建立後の修理については記録がなく不明であるが、1934年(昭和9年)には村社昇格に際し、本殿[[覆屋]]の改築、[[拝殿]]、[[幣殿]]の新築とともに本殿の修理も一部行われた{{Sfn|重要文化財島田神社本殿工事報告書|2009|p=5}}。また、近年では1959年(昭和34年)に小修理、1979年(昭和54年)に本殿正面の軒廻りの修理、2007年(平成19年)から2009年(平成21年)まで2年かけて京都府教育委員会による福知山最古の木造建築を継承することを目的とした解体修理工事が行われた。覆屋を外して、建立時の姿に戻すべく修復工事が為され、[[こけら葺]]の屋根や[[縁]]を復元し、鮮やかな朱塗りの建物となる。
== 文化財 ==
=== 重要文化財 ===
* 島田神社本殿(1987年6月3日指定)<ref name=文化庁>{{Cite web |url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1935 |title= 国指定文化財等データベース『国宝・重要文化財(建造物)「島田神社本殿」』|publisher =文化庁 |accessdate=2023-11-16}}</ref>
** 正面に軒唐破風の付いた三間社流造で、1502年(文亀2年)に造営された。屋根葺材が欠けているが、[[蟇股]]、花肘木、手挾、木鼻などの細部彫刻は丸ノミを使った薄肉彫であり、時代の傾向がうかがえる{{Sfn|京都大辞典 府域編|1994|p=269}}。附宮殿2基とともに国指定重要文化財<ref>{{Cite web|url=https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/uploaded/life/1169_20933_misc.pdf |title=福知山市内の指定等文化財一覧 |format=PDF |publisher =福知山市 |accessdate=2023-12-01}}</ref>。
== 出土品 ==
* 土師器皿
* 瓦器
* 銅銭
* 懸仏状銅製品
{{Sfn|重要文化財島田神社本殿工事報告書|2009|p=18}}
== 現地情報 ==
'''所在地'''
* 620-0967 [[京都府]][[福知山市]]畑中1882-1
'''交通アクセス'''
* JR[[山陰本線]]・[[福知山線]]、または[[京都丹後鉄道宮福線]][[福知山駅]]から[[京都交通 (舞鶴)|京都交通バス]]小牧線で20分「畑中」下車後徒歩5分
* [[国道429号]]を東へ
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{Commonscat|Shimada-jinja (Fukuchiyama)}}
*{{Citation|和書|author=京都府教育長指導部文化財保護課||date=2009|title=重要文化財島田神社本殿工事報告書|ref={{SfnRef|重要文化財島田神社本殿工事報告書|2009}} }}
* {{Citation|和書|author=上田正昭・吉田光那|date=1994-3-15|title=京都大事典 府域編|publisher=淡交社|ref={{SfnRef|京都大辞典 府域編|1994}}}}
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[[Category:京都府の神社]]
[[Category:福知山市の建築物]]
[[Category:福知山市の歴史]] | 2023-11-28T10:05:53Z | 2023-12-18T03:36:42Z | false | false | false | [
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4,859,684 | 大谷朝子 | 大谷 朝子(おおたに あさこ、1990年 - )は、日本の小説家。
1990年、千葉県生まれ。横浜市在住。
2022年、新型コロナ下でルームシェアする女性二人を描いた「がらんどう」で第46回すばる文学賞を受賞してデビュー。 | [
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] | 大谷 朝子は、日本の小説家。 | {{Infobox 作家
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'''大谷 朝子'''(おおたに あさこ、[[1990年]] - )は、[[日本]]の[[小説家]]。
== 経歴 ==
1990年、[[千葉県]]生まれ。[[横浜市]]在住<ref>{{Cite web |date=2023-3-12|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/815100/|title=<訪問>「がらんどう」を書いた 大谷朝子(おおたに・あさこ)さん|publisher=北海道新聞|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
2022年、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナ]]下でルームシェアする女性二人を描いた「がらんどう」<ref>「空洞を抱く」を改題</ref>で第46回[[すばる文学賞]]を受賞してデビュー<ref>{{Cite web |date=2022-10-10|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15440819.html|title=(黒板)第46回すばる文学賞|publisher=朝日新聞|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
== 作品リスト ==
=== 単行本 ===
*『がらんどう』(2023年2月 [[集英社]])
**がらんどう - 『[[すばる (雑誌)|すばる]]』2022年11月号
=== 単行本未収録 ===
;小説
*「僕はうつ病くん」 - 『すばる』2023年8月号
;エッセイ
*「第46回すばる文学賞 受賞記念エッセイ 半径2メートルから<ref>[http://seidoku.shueisha.co.jp/2301/read04.html 第46回 すばる文学賞 受賞記念エッセイ 大谷朝子 半径2メートルから 受賞作「がらんどう」]</ref>」 - 『[[青春と読書]]』2023年1月号
*「読書日録」 - 『すばる』2024年1月号
== 脚注 ==
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{{DEFAULTSORT:おおたに あさこ}}
[[Category:21世紀日本の小説家]]
[[Category:日本の女性小説家]]
[[Category:千葉県出身の人物]]
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4,859,685 | 東方三博士の礼拝 (ホッサールト) | 『東方三博士の礼拝』(とうほうさんはかせのれいはい、蘭: De aanbidding van de koningen、英: The Adoration of the Kings)は、初期フランドル派の画家ヤン・ホッサールト (生まれた時の名はジャン・ホッサールトで、ヤン・マブーセとしても知られる) が1510-1515年にオーク板上に油彩で制作した絵画で、「東方三博士の礼拝」を主題としている。ある。ホッサールトの名が東方三博士の1人であるバルタザールの豪華な刺繍を施した王冠と、彼のターバンを巻いた従者が着けているカラーに署名されているが、絵画は17世紀と18世紀には時折アルブレヒト・デューラーに帰属された。2010年に、研究者のエインズワース (Ainsworth) は、作品がホッサールトとヘラルト・ダヴィトの共同制作になるものだと提言した。作品はナショナル・ギャラリー (ロンドン) に所蔵されている。
本作は、絵画史の中でも類を見ないほど豪華な「東方三博士の礼拝」である。この逸話は「マタイによる福音書」 (2章11) に記述されおり、東方から3人のマギ (東方三博士) が星を追跡してやってくると、ベツレヘムの厩に幼子イエス・キリストを見出すという出来事である。
画面中央では聖母マリアが建物の廃墟に腰かけ、幼子イエスは玉座に座るかのように聖母の膝の上に座っている。右側の東方三博士の1人であるカスパール (マギ)(英語版)が聖母子に金貨の入った金の盃を贈り物として捧げたところである。彼の名前は帽子の傍らにある盃の蓋と、聖母の衣服の裾近くに置かれた金色の杖に刻まれている。カスパールの頭上の柱頭には、キリストの磔刑に先立つ出来事であるイサクの犠牲の場面が表されている
カスパールの右側にはメルキオール(英語版)が4人の従者に付き添われ、贈り物 (乳香の入った金色の容器) を高く掲げて立っている。左側ではバルタザールが3人の従者に付き添われており、彼の名前は王冠の上部周囲に記されている。彼は祭壇の前の司祭のように布を隔てて貴重な贈り物 (没薬の入った金色の容器で、裸の赤ん坊の像で装飾されている) ) を持っているが、布の縁には「サルヴェ・レジーナ」という聖母讃歌の「幸あれ、天后よ、慈悲、命、優しさの母よ...」という初めの部分が刺繍されている。
6人の羊飼い、ロバ、牛が背後から様子を見ている。左側の柱の後ろには白い髭を生やした聖ヨセフが上空を舞う天使たちを見ている。彼の明るい赤色の衣服は聖母マリアの伝統的な藍色の衣服と対照的である。左端では、異国情緒ある身なりをした他の2人の従者が窓から情景を見ている。また、おそらくホッサールトの自画像と思われる人物が牡牛の背後の狭い扉口からこちらを覗いている。
9人の天使たち (おそらく天使の9つの位階(英語版)を表している) が廃墟となった建物から見下ろしつつイエスを礼拝している。1人は「グロリア・イン・エクチェルシス・デオ」という文字の書かれた巻物を持っている。カスパールの真後ろには2人の羊飼いがおり、1人は楽器をもち、もう1人は麦わら帽子と羊の群れを統御する道具を持っている。遠景には、同じ羊飼いたちが天使からキリスト誕生の知らせを受けているのが見える。「ルカによる福音書」 (2章8-18) にある通り、東方三博士のように彼らも幼子イエスを礼拝しにきたのである。三位一体の聖霊を象徴するハトが上空を飛び、画面上部には東方三博士を導いてきたベツレヘムの星が明るく輝いている。
絵画は縦に並べられた6枚のオーク材の板上に描かれており、縦117.2センチ、横161.8センチである。絵具は、動物の膠と混合されたチョーク地と、わずかな鉛錫黄(英語版)と混合された鉛白の薄いプライマー (塗装) の上に塗られている。多くの下絵がなされており、絵具が透明になっている部分で見える。数々の細部がすでに彩色された箇所に後に加えられている。それらは、左端の窓辺にいる2人の人物、牡牛とロバ、ロバの後ろの2人の羊飼い、遠景の羊飼い、聖ヨセフの杖、カスパールのゴブレットの蓋である。
ホッサールトの構図にはいくつかの典拠がある。主に触発されているのは、フーゴー・ファン・デル・グースの『モンフォルテ祭壇画』 (ベルリン絵画館) である。『モンフォルテ祭壇画』は、豪華な身なりの聖母マリアと東方の三博士を従者、見物者たちとともに建築物の廃墟に配置しており、背後には風景があり、上空には天使がいる。2匹の犬が多くの壊れたタイルのある前景の床にいるが、1匹はデューラーのエングレービング『聖エウスタキウス』から採られ、もう1匹はマルティン・ショーンガウアーのエングレービング『東方三博士の礼拝』から採られている。他の要素もまた、ショーンガウアーとデューラーの他の版画から借用されている。
この絵画は、ホッサールトがイタリアに旅立つ前の1510-1515年の間に、ブルラーレ (Boelare) の領主であったダニエル・ファン・ブホウト (Daniel van Boechout) のために制作したと思われる。この時期に画家はユトレヒトの司教であったブルゴーニュのフィリップ(英語版)に仕えていたが、ブホウトはフィリップと密接な関係があったのである。絵画は、ヘントの南で、ブリュッセルの西の東部フランドルの町ヘラールトスベルヘン(英語版)にあるベネディクト会派聖ハドリアヌス修道院の聖母マリア礼拝堂(英語版)の祭壇画として委嘱された。1600年に、この修道院で絵画は初めて歴史的記録に残されている。
1600年、ネーデルラントを支配していたハプスブルク家の統治者アルブレヒト・フォン・エスターライヒとその妻イサベルの目に留まり、翌年、夫妻により購入された。彼らは絵画に2,100ポンドを支払い、絵画をブリュッセルにあった彼らの宮殿内の礼拝堂祭壇画として移した。宮殿は1731年2月の火災で焼失したが、礼拝堂とその中にあったものは無事であった。礼拝堂は1770年代に取り壊されたものの、絵画はオーストリア領ネーデルラントの知事カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲンにより移動済みであった。1781年のカールの死後、絵画は、ブリュッセルとブラバント州の年金受給者エマニュエル=マリー・ド・コック (Emmanuel-Marie de Cock) に売却された。
1787年に、本作と思われる絵画がロンドンにもたらされ、翌年、ジョン・グリーンウッド(英語版)により開催されたロンドンの競売で売却された。1795年に画商のマイケル・ブライアン(英語版)の所有となった後、フレデリック・ハワード (第5代カーライル伯爵) に売却され、ハワード城に展示された。1884年、ウィリアム・モリルにより修復され、ネイワース城(英語版)に移された。
ジョージ・ハワード (第9代カーライル伯爵)(英語版)は、30年以上ロンドンのナショナル・ギャラリーの理事を務めていたが、1911年の死の直前に絵画をナショナル・ギャラリーに売却することを申し出た。彼の未亡人は彼の意志を尊重し、1911年の遅い時期にナショナル・ギャラリーは絵画を40,000ポンドで購入した。 | [
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] | 『東方三博士の礼拝』は、初期フランドル派の画家ヤン・ホッサールト (生まれた時の名はジャン・ホッサールトで、ヤン・マブーセとしても知られる) が1510-1515年にオーク板上に油彩で制作した絵画で、「東方三博士の礼拝」を主題としている。ある。ホッサールトの名が東方三博士の1人であるバルタザールの豪華な刺繍を施した王冠と、彼のターバンを巻いた従者が着けているカラーに署名されているが、絵画は17世紀と18世紀には時折アルブレヒト・デューラーに帰属された。2010年に、研究者のエインズワース (Ainsworth) は、作品がホッサールトとヘラルト・ダヴィトの共同制作になるものだと提言した。作品はナショナル・ギャラリー (ロンドン) に所蔵されている。 | {{Infobox artwork
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『'''東方三博士の礼拝'''』(とうほうさんはかせのれいはい、{{lang-nl-short|De aanbidding van de koningen}}、{{lang-en-short|The Adoration of the Kings}})は、[[初期フランドル派]]の画家[[ヤン・ホッサールト]] (生まれた時の名はジャン・ホッサールトで、ヤン・マブーセとしても知られる) が1510-1515年に[[オーク]]板上に[[油彩]]で制作した絵画で、「[[東方三博士の礼拝]]」を主題としている<ref name="ReferenceNG">{{Cite web |url=https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-gossaert-jean-gossart-the-adoration-of-the-kings|title=The Adoration of the Kings|access-date=2023/11/28}}</ref><ref name="ReferenceEL">エリカ・ラングミュア 2004年、119-120項</ref>。ある。ホッサールトの名が[[東方三博士]]の1人である{{仮リンク|バルタザール|en|Balthazar}}の豪華な刺繍を施した王冠<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />と、彼の[[ターバン]]を巻いた従者が着けているカラーに署名されている<ref name="ReferenceNG" />が、絵画は17世紀と18世紀には時折[[アルブレヒト・デューラー]]に帰属された。2010年に、研究者のエインズワース (Ainsworth) は、作品がホッサールトと[[ヘラルト・ダヴィト]]の共同制作になるものだと提言した。作品は[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)]] に所蔵されている<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />。
== 絵画 ==
本作は、絵画史の中でも類を見ないほど豪華な「東方三博士の礼拝」である<ref name="ReferenceEL" />。この逸話は「[[マタイによる福音書]]」 (2章11) に記述されおり、東方から3人の[[マギ]] (東方三博士) が星を追跡してやってくると、[[ベツレヘム]]の厩に幼子[[イエス・キリスト]]を見出すという出来事である<ref name="ReferenceNG" />。
画面中央では[[聖母マリア]]が建物の廃墟に腰かけ<ref name="ReferenceNG" />、幼子イエスは[[玉座]]に座るかのように聖母の膝の上に座っている<ref name="ReferenceEL" />。右側の東方三博士の1人である{{仮リンク|カスパール (マギ)|en|Caspar (magus)}}が聖母子に[[金貨]]の入った金の盃を贈り物として捧げたところである<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />。彼の名前は帽子の傍らにある盃の蓋<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />と、聖母の衣服の裾近くに置かれた金色の杖に刻まれている<ref name="ReferenceEL" />。カスパールの頭上の[[柱頭 (建築)|柱頭]]には、キリストの[[磔刑]]に先立つ出来事である[[イサクの燔祭|イサクの犠牲]]の場面が表されている<ref name="ReferenceNG" />
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6人の羊飼い、ロバ、牛が背後から様子を見ている。左側の柱の後ろには白い髭を生やした[[聖ヨセフ]]が上空を舞う天使たちを見ている<ref name="ReferenceNG" />。彼の明るい赤色の衣服は聖母マリアの伝統的な藍色の衣服と対照的である。左端では、異国情緒ある身なりをした他の2人の従者が窓から情景を見ている。また、おそらくホッサールトの自画像と思われる人物が牡牛の背後の狭い扉口からこちらを覗いている<ref name="ReferenceEL" />。
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== 技術的詳細と構図 ==
絵画は縦に並べられた6枚の[[オーク]]材の板上に描かれており、縦117.2センチ、横161.8センチである。絵具は、動物の[[膠]]と混合された[[チョーク]]地と、わずかな{{仮リンク|鉛錫黄|en|lead-tin-yellow}}と混合された[[鉛白]]の薄い[[プライマー (塗装)]] の上に塗られている。多くの下絵がなされており、絵具が透明になっている部分で見える。数々の細部がすでに彩色された箇所に後に加えられている。それらは、左端の窓辺にいる2人の人物、牡牛とロバ、ロバの後ろの2人の羊飼い、遠景の羊飼い、聖ヨセフの杖、カスパールのゴブレットの蓋である。
ホッサールトの構図にはいくつかの典拠がある。主に触発されているのは、[[フーゴー・ファン・デル・グース]]の『[[モンフォルテ祭壇画]]』 ([[絵画館 (ベルリン)|ベルリン絵画館]]) である。『モンフォルテ祭壇画』は、豪華な身なりの聖母マリアと東方の三博士を従者、見物者たちとともに建築物の廃墟に配置しており、背後には風景があり、上空には天使がいる<ref name="ReferenceNG" />。2匹の犬が多くの壊れたタイルのある前景の床にいるが、1匹はデューラーの[[エングレービング]]『[[エウスタキウス|聖エウスタキウス]]』から採られ<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />、もう1匹は[[マルティン・ショーンガウアー]]のエングレービング『東方三博士の礼拝』から採られている。他の要素もまた、ショーンガウアーとデューラーの他の版画から借用されている<ref name="ReferenceNG" />。
== ギャラリー ==
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File:Hugo van der Goes - The Adoration of the Kings (Monforte Altar) - Google Art Project.jpg|[[フーゴー・ファン・デル・グース]]『[[モンフォルテ祭壇画]]』 ([[絵画館 (ベルリン)|ベルリン絵画館]])
File:Albrecht Dürer - St Eustace - Google Art Project.jpg|[[アルブレヒト・デューラー]]の[[エングレービング]]『[[エウスタキウス|聖エウスタキウス]]』
File:Martin Schongauer - Adoration of the Magi - WGA21023.jpg|[[マルティン・ショーンガウアー]]のエングレービング『東方三博士の礼拝』
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== 歴史 ==
この絵画は、ホッサールトが[[イタリア]]に旅立つ前の1510-1515年の間に<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />、ブルラーレ (Boelare) の領主であったダニエル・ファン・ブホウト (Daniel van Boechout) のために制作したと思われる<ref name="ReferenceNG" />。この時期に画家はユトレヒトの司教であった{{仮リンク|ブルゴーニュのフィリップ|en|Philip of Burgundy}}に仕えていたが、ブホウトはフィリップと密接な関係があったのである<ref name="ReferenceNG" />。絵画は、[[ヘント]]の南で、[[ブリュッセル]]の西の東部[[フランドル]]の町{{仮リンク|ヘラールトスベルヘン|en|Geraardsbergen}}にある[[ベネディクト会]]派聖ハドリアヌス[[修道院]]の{{仮リンク|聖母マリア礼拝堂|en|Lady Chapel}}の[[祭壇画]]として委嘱された<ref name="ReferenceNG" /><ref name="ReferenceEL" />。1600年に、この修道院で絵画は初めて歴史的記録に残されている。
1600年、[[ネーデルラント]]を支配していた[[ハプスブルク家]]の統治者[[アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1559-1621)|アルブレヒト・フォン・エスターライヒ]]とその妻[[イサベル・クララ・エウヘニア|イサベル]]の目に留まり、翌年、夫妻により購入された。彼らは絵画に2,100ポンドを支払い、絵画をブリュッセルにあった彼らの宮殿内の礼拝堂祭壇画として移した。宮殿は1731年2月の火災で焼失したが、礼拝堂とその中にあったものは無事であった。礼拝堂は1770年代に取り壊されたものの、絵画は[[オーストリア領ネーデルラント]]の知事[[カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン]]により移動済みであった。1781年のカールの死後、絵画は、ブリュッセルと[[ブラバント州]]の年金受給者エマニュエル=マリー・ド・コック (Emmanuel-Marie de Cock) に売却された。
1787年に、本作と思われる絵画がロンドンにもたらされ、翌年、{{仮リンク|ジョン・グリーンウッド|en|John Greenwood}}により開催されたロンドンの[[競売]]で売却された。1795年に画商の{{仮リンク|マイケル・ブライアン|en|Michael Bryan}}の所有となった後、[[フレデリック・ハワード (第5代カーライル伯爵)]] に売却され、[[カースル・ハワード|ハワード城]]に展示された。1884年、ウィリアム・モリルにより修復され、{{仮リンク|ネイワース城|en|Naworth Castle}}に移された。
{{仮リンク|ジョージ・ハワード (第9代カーライル伯爵)|en|George Howard, 9th Earl of Carlisle}}は、30年以上ロンドンのナショナル・ギャラリーの理事を務めていたが、1911年の死の直前に絵画をナショナル・ギャラリーに売却することを申し出た。彼の未亡人は彼の意志を尊重し、1911年の遅い時期にナショナル・ギャラリーは絵画を40,000ポンドで購入した<ref name="ReferenceNG" />。
== 脚注 ==
<references group="" responsive="0"></references>
== 参考文献 ==
* エリカ・ラングミュア『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド』高橋裕子訳、National Gallery Company Limited、2004年刊行 ISBN 1-85709-403-4
== 外部リンク ==
* [https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-gossaert-jean-gossart-the-adoration-of-the-kings ナショナルギャラリーロンドン公式サイト、ヤン・ホッサールト『東方三博士の礼拝』 (英語)]
* [http://www.nationalgallery.org.uk/upload/pdf/lorne-campbell-adoration-of-the-kings.pdf ''Jean Gossart, The Adoration of the Kings''], Lorne Campbell, from ''The Sixteenth Century Netherlandish Paintings with French Paintings before 1600'', London 2011; [http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/research/jan-gossaert-the-adoration-of-the-kings-introduction published online 2011]
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[[Category:美術におけるイヌ]]
[[Category:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品]]
[[Category:ヤン・ホッサールトの作品]]
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4,859,690 | 横川町 (曖昧さ回避) | 横川町 | [
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] | 横川町 横川町(よこがわちょう) - 鹿児島県にあった自治体
横川町 (八王子市)(よこかわまち)
横川町 (半田市)(よこがわちょう)
横川町 (広島市)(よこがわちょう) | '''横川町'''
* [[横川町]](よこがわちょう) - [[鹿児島県]]にあった自治体
* [[横川町 (八王子市)]](よこかわまち)
* [[横川町 (半田市)]](よこがわちょう)
* [[横川町 (広島市)]](よこがわちょう)
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4,859,696 | ほんとうにやくにたつ機関車 | 『ほんとうにやくにたつ機関車(汽車のえほん27)』(ほんとうにやくにたつきかんしゃ きしゃのえほん27、原題 Really Useful Engines)は、低学年の児童向け絵本シリーズ「汽車のえほん」の第27巻である。
1983年にイギリスで発行されたクリストファー・オードリー牧師執筆による汽車のえほんシリーズの第27巻。4話の短編作品を収録。挿絵はクライヴ・スポングが担当。
1983年9月に英語版訳が出版されていたが、2023年にポプラ社から日本語版が発売される予定。
1945年から、ほぼ毎年に1巻ずつ続巻してきた本シリーズの第27巻。
テレビシリーズの機関車紹介と重複する解説は省略、本巻の内容で特筆すべきものを紹介。 | [
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] | 『ほんとうにやくにたつ機関車(汽車のえほん27)』は、低学年の児童向け絵本シリーズ「汽車のえほん」の第27巻である。 | {{Uncategorized|date=2023年12月}}
『'''ほんとうにやくにたつ機関車(汽車のえほん27)'''』(ほんとうにやくにたつきかんしゃ きしゃのえほん27、原題 Really Useful Engines)は、低学年の児童向け絵本シリーズ「[[汽車のえほん]]」の第27巻である。{{Infobox book||名前=ほんとうにやくにたつ機関車|image=|caption=|author=[[クリストファー・オードリー]]|illustrator=クライヴ・スポング|country=イギリス|language=英語|genre=絵本|publisher=エドモンド・ワード社([[1983年]] - [[1996年]])<br />ケイ&ワード社(1983年 - [[1996年]])<br />エグモント社(1998年 - )|release_date=1983年|pages=|media_type=|oclc=|preceded_by=[[わんぱく機関車]]|followed_by=}}
== 概要 ==
{{出典の明記| date = 2023年12月| section = 1}}
[[1983年]]に[[イギリス]]で発行された[[クリストファー・オードリー]]執筆による[[汽車のえほん]]シリーズの第27巻。4話の短編作品を収録。挿絵はクライヴ・スポングが担当。
日本ではシリーズ上陸50周年を記念し、[[2023年]]11月に[[ポプラ社]]から3回目の新装版『新・汽車のえほん』の続刊として翻訳版が出版された。翻訳は故[[桑原三郎]]と清水周裕に代わり、[[金原瑞人]]が担当した。
== 成立の過程 ==
[[1945年]]から、ほぼ毎年に1巻ずつ続巻してきた本シリーズであったが、1972年の『わんぱく機関車』を最後に出版は途絶えていた。
その後、年鑑などの関連書籍は発売されていたものの、原作者の[[ウィルバート・オードリー|ウィルバート・オードリー牧師]]は続編の執筆に踏み切れずにいた。1982年、彼の息子クリストファーが2歳の息子リチャードのために書き下ろしたエピソードを読んだことで、牧師は息子にシリーズを引き継がせることを決断した。
== 収録作品 ==
:* どろぼうをつかまえろ! (Stop Thief!)
:* パーシーとじてんしゃ (Mind That Bike)
:* さかなにはきをつけて (Fish)
:* パーシー、ダック、トーマスの3じゅうれん (Triple-Header)
== 登場キャラクター ==
テレビシリーズの機関車紹介と重複する解説は省略、本巻の内容で特筆すべきものを紹介。
; メインキャラクター
:* トーマス
:* パーシー:この巻で初めて郵便列車を担当する様子が描かれる。
:* ヘンリー
:* ダック
:* ゴードン
:* トップハム・ハット卿:日本語版ではテレビシリーズでの呼び名の普及やコンプライアンスを意識してか、原語版と異なり従来の「ふとっちょの局長」という呼び名が一切使用されていない。
; サブキャラクター
:* アニーとクララベル
:* バーティー:言及のみ
:* トム・ティッパー
== 外部リンク ==
:* [https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2137027.html 新・汽車のえほん]
{{きかんしゃトーマス・汽車のえほん}}
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4,859,699 | 田中将史 | まさやん(本名:田中将史(たなかまさひろ))
出演番組:水曜日だけど土曜日の番組、 夕方LIVEゲツキン!!など
水曜日だけど土曜日の番組(RKK熊本放送) ···熊本県内の名所や特徴的な人々を取材している ユニークな企画が多くたくさんの人に 愛されている番組 (熊本市内のたなばた広場でのイベント開催な ども行っている)
まさやん(Wikipedia)↓ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%84%E3%82%93 | [
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ども行っている) まさやん(Wikipedia)↓
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*熊本のローカル番組、ローカルラジオを中心に タレントとして活動している人物。
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まさやん(Wikipedia)↓
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4,859,701 | ロンドン都市圏 | ロンドン都市圏(London metropolitan area)はイングランドにあるロンドンを中心とした都市圏である。別名はロンドン通勤圏(London commuter belt)、もしくはサウス・イースト都市圏。ロンドン都市圏の定義は固定ではないが、通常、ロンドン都心へ通勤可能な地域を指す。 | [
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] | ロンドン都市圏はイングランドにあるロンドンを中心とした都市圏である。別名はロンドン通勤圏、もしくはサウス・イースト都市圏。ロンドン都市圏の定義は固定ではないが、通常、ロンドン都心へ通勤可能な地域を指す。 | [[File:London TTWA 2001.png|thumb|upright=1.2|濃い青の地域はロンドン通勤圏の範囲(2001年当時)]]
'''ロンドン都市圏'''(London metropolitan area)は[[イングランド]]にある[[ロンドン]]を中心とした[[都市圏]]である。別名はロンドン通勤圏(London commuter belt)<ref name=lda_invest>{{cite web|url=http://www.lda.gov.uk/server/show/ConWebDoc.1947|title=Greater South East needs strategic investment to secure future|publisher=London Development Agency|date=18 June 2007|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20110525190133/http://www.lda.gov.uk/server/show/ConWebDoc.1947|archive-date=25 May 2011|access-date=2023-12-29|df=dmy-all}}</ref>、もしくはサウス・イースト都市圏<ref>[http://www.london.gov.uk/assembly/reports/plansd/london_regional_200104.pdf London Assembly] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080527193714/http://www.london.gov.uk/assembly/reports/plansd/london_regional_200104.pdf |date=27 May 2008 }} – London in its Regional Setting (PDF)</ref>。ロンドン都市圏の定義は固定ではないが、通常、ロンドン都心へ通勤可能な地域を指す<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/5187096.stm BBC News] – The new commuter belt. 18 July 2006.</ref>。
==出典==
{{Reflist|40em}}
==外部リンク==
*[http://www.thefastlondoncommute.co.uk/ Calculator for commuter travel times to London from the Home Counties]
*[https://web.archive.org/web/20070321115546/http://www.socd.communities.gov.uk/socd/Images/SOCD_OverMap.gif London Travel to Work Area mapped with others]
*{{webarchive |date=9 February 2013 |url=https://archive.today/20130209135150/http://world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gcis&lng=en&des=wg&geo=-1048651&srt=pnan&col=adhoq&msz=1500 |title=A list of towns considered part of the commuter belt according to World Gazetteer}}
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[[Category:グレーター・ロンドン]]
[[Category:都市圏]] | 2023-11-28T11:22:16Z | 2023-12-29T15:45:23Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%9C%8F |
4,859,702 | 太平塚古墳 | 太平塚古墳(おおひらづかこふん)は、大阪府南河内郡太子町春日にある古墳。形状は方墳と推定される。磯長谷古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
大阪府南東部、飛鳥川北側の丘陵南斜面に山寄せで築造された古墳である。現在は石室上を近鉄南大阪線が通過する。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳丘は鉄道敷設の際に改変を受けているため、元々の墳丘は明らかでないが、一辺25メートル程度で前面2段築成以上の段ノ塚式の方墳(または直径30メートル程度の円墳)と推測される。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する。石室全長14メートル程度と推定される大型石室であり、石室の石材には切石が使用される。石室内の副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半(または7世紀前半)頃と推定される。被葬者は明らかでないが、古墳築造に際しての風水思想の導入から上位階層の人物と推測され、大坂道(虫峠越え)の入り口に所在する立地から真の孝徳天皇陵(大阪磯長陵、現陵は太子町山田の山田上ノ山古墳)とする説などが挙げられる。
埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り。
石室の石材は石英安山岩(玄室側壁)・片麻状黒雲母花崗岩(玄室奥壁、玄室天井石第2石)・角閃石黒雲母花崗岩(玄室天井石第1・3石、羨道側壁)の切石。玄室では、奥壁は一枚石の巨石、西側壁は2段積みで3石の上に4石、東側壁は前部で2段・奥部で3段積み中・下段とも4石、天井石は3石。羨道では、側壁・天井とも1石である。 | [
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] | 太平塚古墳(おおひらづかこふん)は、大阪府南河内郡太子町春日にある古墳。形状は方墳と推定される。磯長谷古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。 | {{日本の古墳
|名称 = 太平塚古墳
|画像 = [[File:Ohirazuka Kofun, gaikan-2.jpg|280px]]<br/>石室開口部(中央下、上は[[近鉄南大阪線]])
|別名 =
|所属 = [[磯長谷古墳群]]
|所在地 = [[大阪府]][[南河内郡]][[太子町 (大阪府)|太子町]]春日
|緯度度 = 34|緯度分 = 31|緯度秒 = 43.95
|経度度 = 135|経度分 = 38|経度秒 = 44.55
|ISO = JP-27
|形状 = (推定)[[方墳]]
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|埋葬施設 = 両袖式[[横穴式石室]]
|出土品 =
|陪塚 =
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|被葬者 = (一説)第36代[[孝徳天皇]]
|陵墓 =
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|特記事項 =
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}}
'''太平塚古墳'''(おおひらづかこふん)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[太子町 (大阪府)|太子町]]春日にある[[古墳]]。形状は[[方墳]]と推定される。[[磯長谷古墳群]]を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
== 概要 ==
大阪府南東部、[[飛鳥川 (大阪府)|飛鳥川]]北側の丘陵南斜面に山寄せで築造された古墳である。現在は石室上を[[近鉄南大阪線]]が通過する。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳丘は鉄道敷設の際に改変を受けているため、元々の墳丘は明らかでないが、一辺25メートル程度で前面2段築成以上の段ノ塚式の[[方墳]]{{Sfn|山本彰|2009}}(または直径30メートル程度の[[円墳]]{{Sfn|王陵の谷・磯長谷古墳群|1994}})と推測される。埋葬施設は両袖式の[[横穴式石室]]で、南南西方向に開口する。石室全長14メートル程度と推定される大型石室であり、石室の石材には切石が使用される。石室内の副葬品は詳らかでない。
築造時期は、[[古墳時代]][[終末期古墳|終末期]]の[[7世紀]]後半{{Sfn|山本彰|2009}}(または7世紀前半{{Sfn|王陵の谷・磯長谷古墳群|1994}})ごろと推定される。被葬者は明らかでないが、古墳築造に際しての風水思想の導入から上位階層の人物と推測され、大坂道(虫峠越え)の入り口に所在する立地から真の[[孝徳天皇]]陵(大阪磯長陵、現陵は太子町山田の[[山田上ノ山古墳]])とする説などが挙げられる{{Sfn|山本彰|2009}}。
=== 来歴 ===
* [[享和]]元年([[1801年]])刊行の『河内名所図会』に、字大平に所在する巌窟として記述(文献上初見、[[19世紀]]初頭には開口){{Sfn|山本彰|2009}}。
* [[1913年]]([[大正]]2年)、[[梅原末治]]が「春日村塚之前の一古墳」として報告{{Sfn|山本彰|2009}}。
== 埋葬施設 ==
[[File:Ohirazuka Kofun, 3D-P.jpg|thumb|300px|right|{{center|石室パース図}}]]
[[File:Ohirazuka Kofun, 3D-N.jpg|thumb|250px|right|{{center|石室展開図}}]]
埋葬施設としては両袖式[[横穴式石室]]が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り{{Sfn|山本彰|2009}}。
* 石室全長:推定14メートル
* 玄室:長さ4.66メートル、幅2.40メートル、高さ2.01メートル
* 羨道:長さ2.00メートル、幅1.90メートル、高さ1.08メートル
石室の石材は石英安山岩(玄室側壁)・片麻状黒雲母花崗岩(玄室奥壁、玄室天井石第2石)・角閃石黒雲母花崗岩(玄室天井石第1・3石、羨道側壁)の切石。玄室では、奥壁は一枚石の巨石、西側壁は2段積みで3石の上に4石、東側壁は前部で2段・奥部で3段積み中・下段とも4石、天井石は3石。羨道では、側壁・天井とも1石である{{Sfn|王陵の谷・磯長谷古墳群|1994}}{{Sfn|山本彰|2009}}。
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Ohirazuka Kofun, 3D-B.jpg|石室俯瞰図
Ohirazuka Kofun, genshitsu-1.jpg|玄室(奥壁方向)
Ohirazuka Kofun, genshitsu-2.jpg|玄室(開口部方向)
Ohirazuka Kofun, entrance.jpg|開口部
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1986|chapter=太平塚古墳|title=[[日本歴史地名大系]] 28 大阪府の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=458249028X|ref={{Harvid|太平塚古墳(平凡社)|1986}}}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1994|chapter=太平塚古墳|title=王陵の谷・磯長谷古墳群 -太子町の古墳墓-|publisher=太子町教育委員会([[太子町立竹内街道歴史資料館]])|pages=|isbn=|ref={{Harvid|王陵の谷・磯長谷古墳群|1994}}}}
* {{Cite journal|和書|author=山本彰|title=切石横穴式石室の基礎資料 -大阪府南河内郡太子町太平塚古墳の検討-|year=2009|journal大阪府立近つ飛鳥博物館 館報|volume=|issue=12|publisher=[[大阪府立近つ飛鳥博物館]]|pages=57-68|ref={{Harvid|山本彰|2009}}}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Ohirazuka Kofun}}
* [[御嶺山古墳]]
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[[Category:磯長谷古墳群]]
[[Category:大阪府の古墳]]
[[Category:大阪府太子町の歴史]]
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4,859,704 | カルタン幾何学 | カルタン幾何学(かるたんきかがく)(英: Cartan geometry)とは、微分幾何学における概念で、多様体の各点における「一次近似」がクラインの幾何学とみなせるものの事である。カルタンの幾何学はクラインの幾何学とリーマン幾何学を包括する幾何学概念として提案された。
以下、本項では特に断りがない限り、単に多様体、関数、バンドル等といった場合はC級のものを考える。また特に断りがない限りベクトル空間は実数体上のものを考える。
カルタン幾何学の背景にあるのはクラインのエルランゲン・プログラムである。エルランゲン・プログラムは、当時「幾何学」、例えばユークリッド幾何学、双曲幾何学、球面幾何学、射影幾何学等が乱立していた状況に対し、それらを統一する手法を提案したものであり、今日の言葉で言えば、これらはいずれも等質空間の概念を使う事で統一的に記述できる事を示した。
すなわちクラインの意味での幾何学(以下単にクライン幾何学と呼ぶ)とは、リー群Gとその閉部分リー群Hの組 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} を等質空間 M = G / H {\displaystyle M=G/H} 上に「幾何学を保つ」変換群Gが作用しており、X上の一点の等方部分群がHであるとみなしたものである。
しかしエルランゲン・プログラムには、当時すでに知られていたリーマン幾何学が記述できない、という限界があった。実際リーマン多様体は等質空間にはなっていないので、エルランゲン・プログラムでは記述できない。
カルタンの意味での幾何学(以下単にカルタン幾何学と呼ぶ)は上記の事情を背景に、クラインの幾何学とリーマン幾何学を包含する形で定義された幾何学概念である:
多様体自身にクライン幾何学の構造が入れば、すなわち M = G / H {\displaystyle M=G/H} であれば、Mの各点の接ベクトル空間は自然に g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} と同型になる。ここで g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} はそれぞれG、Hのリー代数である。
そこでちょうどリーマン幾何学の「一次近似」である接ベクトル空間がユークリッド幾何学になっているように、カルタン幾何学では、多様体Mの「一次近似」である接ベクトル空間に、クライン幾何学 G / H {\displaystyle G/H} の「一次近似」である g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} を対応させる。このとき、多様体Mには等質空間 G / H {\displaystyle G/H} をモデル空間とするカルタンの幾何学の構造が入っている、という。
しかしあくまで「一次近似」がクラインの幾何学と等しいだけなので、実際にはカルタン幾何学はクライン幾何学とはズレる。このズレを図るのがの曲率である。
カルタン幾何学を導入するもう一つの動機が滑りとねじれのない転がしである。これはm次元のリーマン多様体をm次元平面上「滑ったり」、「捻れたり」する事なく「転がした」ときにできる軌跡に関する研究である。
この軌跡はユークリッド幾何学をモデルにするカルタン幾何学を使うことで定式化が可能であり、曲線の発展という。ユークリッド幾何学はm次元平面上の幾何学であるので、m次元平面上の軌跡になるが、一般のクライン幾何学 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学の発展は、 M = G / H {\displaystyle M=G/H} 上の軌跡となる。
本節ではを参考に、2次元ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学を直観的に説明する。 E 2 {\displaystyle \mathbb {E} ^{2}} を2次元ユークリッド空間とし、 I s o ( E 2 ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{2})} を E 2 {\displaystyle \mathbb {E} ^{2}} の合同変換群とする。すなわち I s o ( E 2 ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{2})} は A ∈ O ( 2 ) {\displaystyle A\in O(2)} と b ∈ R 2 {\displaystyle b\in \mathbb {R} ^{2}} を使って x ↦ A x + b {\displaystyle x\mapsto Ax+b} と書ける変換全体の集合である。 E 2 {\displaystyle \mathbb {E} ^{2}} は I s o ( E 2 ) / O ( 2 ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{2})/O(2)} と同一視できる。
Mを2次元多様体とし、M上に人が一人立っているとする。人が立っている場所を u ∈ M {\displaystyle u\in M} とし、人の前方向をx軸、左方向をy軸とすると、接ベクトル空間の基底 e x , e y ∈ T u M {\displaystyle e_{x},e_{y}\in T_{u}M} が定義できる。Mはユークリッド空間をモデルにしているので、その人は自分の近傍をユークリッド空間だと思っている。
T u M {\displaystyle T_{u}M} の正規直交基底全体の集合を F u ( M ) {\displaystyle F_{u}(M)} とし、 F ( M ) = ∪ u ∈ M F u ( M ) {\displaystyle F(M)=\cup _{u\in M}F_{u}(M)} とすると、 F ( M ) {\displaystyle F(M)} は自然にM上の O ( 2 ) {\displaystyle O(2)} -主バンドルとみなせる。以上の議論から、 F ( M ) {\displaystyle F(M)} の元は、M上にいる人(とその向き)であるとみなせる。
M上にいる人を ( e x , e y ) ∈ F u ( M ) {\displaystyle (e_{x},e_{y})\in F_{u}(M)} と表すとき、その人がM上の位置(=u)を変えずに向きだけを「無限小だけ」変えた場合、その向きの変化を表す速度ベクトルは T F u ( M ) {\displaystyle TF_{u}(M)} の元とみなせるが、これは人の向きを変えた回転変換の微分なので、回転変換群 O ( 2 ) {\displaystyle O(2)} の無限小変換群(= O ( 2 ) {\displaystyle O(2)} に対応するリー代数)である o ( 2 ) {\displaystyle {\mathfrak {o}}(2)} の元であるともみなせる。
すなわち、 T F u ( M ) {\displaystyle TF_{u}(M)} の元を o ( 2 ) {\displaystyle {\mathfrak {o}}(2)} の元と対応させる事ができる:
また人がM上の位置uから無限小だけ歩いた場合は、歩いたことによる ( e x , e y ) ∈ F u ( M ) {\displaystyle (e_{x},e_{y})\in F_{u}(M)} の変化の速度ベクトルは T u F ( M ) {\displaystyle T_{u}F(M)} の元とみなせるが、その人は自分がユークリッド空間を歩いているのだと理解しているので、速度ベクトルを I s o ( E 2 ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{2})} の無限小変換群(= I s o ( E 2 ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{2})} のリー代数)である i s o ( E 2 ) {\displaystyle {\mathfrak {iso}}(\mathbb {E} ^{2})} の元であるとみなす。すなわち T u F ( M ) {\displaystyle T_{u}F(M)} の元を i s o ( E 2 ) {\displaystyle {\mathfrak {iso}}(\mathbb {E} ^{2})} と対応付けて考える。
結局、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学とは、M上の O ( 2 ) {\displaystyle O(2)} -主バンドル F ( M ) {\displaystyle F(M)} で、ファイバーごとの線形写像
を持ち、各 u ∈ M {\displaystyle u\in M} に対し、uのファイバー F u ( M ) {\displaystyle F_{u}(M)} の接バンドル T F u ( M ) {\displaystyle TF_{u}(M)} へのωの制限が
を満たすもので「性質の良いもの」(後述)である。
本節ではカルタン幾何学の定式化に必要となる用語を定義する。
Gをリー群とし、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} をそのリー代数とし、さらにNをGが右から作用する多様体(例えばG-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} の全空間P)とする。
定義 (基本ベクトル場) ― リー代数の元 A ∈ g {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}} と点 p ∈ N {\displaystyle p\in N} に対し、
により、N上のベクトル場 A _ {\displaystyle {\underline {A}}} を定義する。 A _ {\displaystyle {\underline {A}}} をAに対応するNの基本ベクトル場(英語版)(英: fundamental vector field on N associated to A)という。
なお、NがG-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} の全空間Pの場合には A _ p {\displaystyle {\underline {A}}_{p}} は垂直部分空間 V p {\displaystyle {\mathcal {V}}_{p}} の元である事が容易に示せる。
定義 (リー群の随伴表現) ― Gをリー群とし g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} をそのリー代数とする。このとき、Gの線形表現
を g ∈ G {\displaystyle g\in G} に対し、
により定義し、AdをGの随伴表現(英: adjoint representation)という。
ここで G L ( g ) {\displaystyle \mathrm {GL} ({\mathfrak {g}})} は g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 上の線形同型全体のなすリー群である。随伴表現の定義は h ( t ) {\displaystyle h(t)} の取り方によらずwell-defninedである。
クライン幾何学の構造を調べる準備としてモーレー・カルタン形式を導入する。
定義 (モーレー・カルタン形式) ― Gをリー群とし、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} をそのリー代数とするとき、Gの各点gに対しG上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 値1-形式 ω G g {\displaystyle \omega ^{G}{}_{g}} を
により定義し、ωgをGのgにおけるモーレー・カルタン形式という。
ここで L g − 1 ∗ {\displaystyle L_{g^{-1}}{}_{*}} は群の左作用 L g − 1 : h ∈ G ↦ g − 1 h {\displaystyle L_{g^{-1}}~:~h\in G~~\mapsto g^{-1}h} が誘導する写像である。
モーレー・カルタン形式は以下を満たす:
定理 ―
ここで [ ⋅ , ⋅ ] {\displaystyle [\cdot ,\cdot ]} は g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 上のリー括弧であり、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値1-形式α、βに対し、 [ α , β ] ( X , Y ) := [ α ( X ) , β ( Y ) ] − [ α ( Y ) , β ( X ) ] {\displaystyle [\alpha ,\beta ](X,Y):=[\alpha (X),\beta (Y)]-[\alpha (Y),\beta (X)]} である。
上記の2式のうち下のものをモーレー・カルタンの方程式(英: Maurer-Cartan equation)、もしくはリー群Gの構造方程式(英: structure equation)という。
リー群Gとその閉部分リー群の組 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} で G / H {\displaystyle G/H} が連結になるものをクライン幾何学、もしくは(カルタン幾何学のモデルになるので)モデル幾何学(英: model geometry)という。
( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデル幾何学とし、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} をそれぞれG、Hのリー代数とする。
定義 (クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義) ― 多様体M上のタイプ ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} のカルタン幾何学(英: Cartan geomerty of type ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} over M)とは、M上のH-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} とP上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値1-形式
の組 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} で以下の性質を満たすものの事である:
ωをH-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} のカルタン接続(英: Cartan connection)という。また紛れがなければMの事をカルタン幾何学という。
3つの条件の直観的な意味を説明する。
なお、 ω : T p P → ∼ g {\displaystyle \omega ~:~T_{p}P{\overset {\sim }{\to }}{\mathfrak {g}}} は同型なので、M上定義できるカルタン幾何学には
という制約が課せられる事になる。
カルタン接続の定義は主バンドルの接続(主接続)の接続形式の定義とよく似ているが、両者は似て非なる概念であり、H-主バンドルの主接続の接続形式はHのリー代数 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} に値を取るが、カルタン接続はGのリー代数 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に値を取っている。しかし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデル幾何学とする多様体M上のカルタン幾何学とするとき、H-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} 上定義されたカルタン接続 ω : T P → g {\displaystyle \omega ~:~TP\to {\mathfrak {g}}} は、自然に
というG-主バンドル上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値1-形式
に拡張する事ができ、 ω ̄ {\displaystyle {\bar {\omega }}} はG-主バンドル Q → M {\displaystyle Q\to M} の接続形式である。逆に Q → M {\displaystyle Q\to M} を任意のG-主バンドルとし、 ω ̄ {\displaystyle {\bar {\omega }}} をQ上定義された接続形式とするとき、 Q → M {\displaystyle Q\to M} のH-部分バンドル φ : P → Q {\displaystyle \varphi ~:~P\to Q} で φ ∗ ( T P ) ∩ ker ω = { 0 } {\displaystyle \varphi _{*}(TP)\cap \ker \omega =\{0\}} であり、しかも dim G = dim P {\displaystyle \dim G=\dim P} であればωのTPへの制限はP上のカルタン接続になる。
なお、モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、上記のものとは別の形の関係性をカルタン接続と主接続は満たす。詳細は後述する。
定義から分かるように、カルタン幾何学の定義は g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 、およびHには依存しているが、Gには直接依存していない。これは g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 、およびHはM上のカルタン幾何学の局所的な構造を定めるのに対し、Gはクライン幾何学 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} の大域的な構造を定めるものであるため、Gが不要である事による。
リー代数 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gは一意ではなく、これが原因で大域的な構造を定めるGはカルタン幾何学の定義に必須でないばかりか、一部の定理ではGを( g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に対応する)別のリー群に取り替える必要が生じてしまう。
そこでGに直接言及せず、 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} を使ったカルタン幾何学の定式化も導入する。そのために以下の定義をする:
定義 ― リー代数 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} とその部分リー代数 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} の組 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} を無限小クライン幾何学(英: infinitesimal Klein geometry)もしくはクライン対(英: Klein pair)という。
Hを h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} をリー代数 とするリー群とし、さらに
をHの線形表現で、任意の h ∈ H {\displaystyle h\in H} に対し、 A d ( h ) {\displaystyle \mathrm {Ad} (h)} の h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} への制限 A d ( h ) | h {\displaystyle \mathrm {Ad} (h)|_{\mathfrak {h}}} がHの h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} への随伴表現 A d h {\displaystyle \mathrm {Ad} _{\mathfrak {h}}} と等しいものとする。ここで G L L i e ( g ) {\displaystyle \mathrm {GL} _{\mathrm {Lie} }({\mathfrak {g}})} は g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 上のリー代数としての自己同型全体の集合である。
このとき、組 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学という。
以下、特に断りがなければ、 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が効果的である事を仮定する。ここで ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が効果的であるとは、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} に含まれる g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} のイデアルが { 0 } {\displaystyle \{0\}} のみである事を意味する。G、Hを g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} 、 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} に対応するリー群とすると、 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が効果的である事は、 X = G / H {\displaystyle X=G/H} 、 K := { g ∈ G ∣ ∀ x ∈ X : g x = x } {\displaystyle K:=\{g\in G\mid \forall x\in X~:~gx=x\}} とするとき、Kが離散群になる事と同値である。
定義 (無限小クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義) ― Mを多様体とし、 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、
このとき、組 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} をHを伴う ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} をモデルとするM上のカルタン幾何学(英: Cartan geometry on M modeled on ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} with H)という。
本節ではカルタン幾何学の最も簡単な例として、クライン幾何学のカルタン幾何学としての構造を調べる。 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をクライン幾何学とし、 M = G / H {\displaystyle M=G/H} とし、 u 0 = [ e ] {\displaystyle u_{0}=[e]} とする。ここで [ e ] {\displaystyle [e]} はGの単位元eの同値類である。このとき
は自然にH-主バンドルとみなせる。G上のモーレー・カルタン形式 ω G {\displaystyle \omega ^{G}} がカルタン接続の定義を満たす事を示せるので、 ( π , G , μ ) {\displaystyle (\pi ,G,\mu )} は ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学になる。
リー群Gとその閉部分リー群の組 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} を考える。Gの離散部分群 Γ {\displaystyle \Gamma } で、 G / H {\displaystyle G/H} へのGからの作用 G ↷ G / H {\displaystyle G\curvearrowright G/H} の Γ {\displaystyle \Gamma } への制限 Γ ↷ G / H {\displaystyle \Gamma \curvearrowright G/H} が効果的なものを考える( Γ ↷ G / H {\displaystyle \Gamma \curvearrowright G/H} が効果的な事は Γ ∩ H = { e } {\displaystyle \Gamma \cap H=\{e\}} である事と同値である)。このとき、 Γ ↷ G / H {\displaystyle \Gamma \curvearrowright G/H} による商集合 M = Γ ∖ G / H {\displaystyle M=\Gamma \backslash G/H} を考える。Mが連結なとき、 ( G , H , Γ ) {\displaystyle (G,H,\Gamma )} を局所クライン幾何学(英: locally Klein geometry)という。
局所クライン幾何学M上に以下のようにカルタン幾何学を定義できる。まず Γ ↷ G / H {\displaystyle \Gamma \curvearrowright G/H} が効果的なので P = Γ ∖ G {\displaystyle P=\Gamma \backslash G} とすると、商写像
には自然にH-主バンドルの構造が入る。またG上のモーレー・カルタン形式 ω G {\displaystyle \omega ^{G}} はその定義より左不変なので、商写像 q : G → Γ ∖ G {\displaystyle q~:~G\to \Gamma \backslash G} に対し
を満たす一意な g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値1-形式を ω Γ ∖ G {\displaystyle \omega ^{\Gamma \backslash G}} とする事で、 P = Γ ∖ G {\displaystyle P=\Gamma \backslash G} にカルタン接続 ω Γ ∖ G {\displaystyle \omega ^{\Gamma \backslash G}} がwell-definedされ、 M = Γ ∖ G / H {\displaystyle M=\Gamma \backslash G/H} 上に ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学 ( π , P , ω Γ ∖ G ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega ^{\Gamma \backslash G})} が定義できる。
2つのカルタン幾何学の間の(局所的および大域的な)同型概念を以下のように定義する:
定義 ― ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、M1、M2を多様体とし、 ( π 1 , P 1 , ω 1 ) {\displaystyle (\pi _{1},P_{1},\omega _{1})} 、 ( π 2 , P 2 , ω 2 ) {\displaystyle (\pi _{2},P_{2},\omega _{2})} をそれぞれ ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM1、M2上のカルタン幾何学とする。
バンドル写像
で f : M 1 → M 2 {\displaystyle f~:~M_{1}\to M_{2}} がはめ込みであり、 f ~ : M ~ 1 → M ~ 2 {\displaystyle {\tilde {f}}~:~{\tilde {M}}_{1}\to {\tilde {M}}_{2}} による ω 2 {\displaystyle \omega _{2}} の引き戻しが
となるものをカルタン幾何学間の局所幾何学的同型(英: local geometric isomorphism)という。とくにfが(可微分)同相写像であれば、 ( f , f ~ ) {\displaystyle (f,{\tilde {f}})} を幾何学的同型(英: geometric isomorphism)という。
任意の p ∈ P {\displaystyle p\in P} に対して ω : T p P → ∼ g {\displaystyle \omega ~:~T_{p}P{\overset {\sim }{\to }}{\mathfrak {g}}} は同型写像であるので、TPはωにより
という同一視ができ、TPはベクトルバンドルとして自明である。
よって特に A ∈ g {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}} を各 p ∈ P {\displaystyle p\in P} に対してωの逆写像でTpPに移すことで、TP上のベクトル場を作る事ができる。
定義 (定数ベクトル場) ― A ∈ g {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}} に対し、 ω − 1 ( A ) {\displaystyle \omega ^{-1}(A)} を各点 p ∈ P {\displaystyle p\in P} に ω − 1 p ( A ) ∈ T p P {\displaystyle \omega ^{-1}{}_{p}(A)\in T_{p}P} を対応させるベクトル場とする。
このベクトル場を定数ベクトル場(英: constant vector field)という。
定数ベクトル場を用いると、以下の「普遍共変微分」を定義できる:
定義 (普遍共変微分) ― Vをベクトル空間とし、 f : P → V {\displaystyle f~:~P\to V} を(滑らかな)写像とする。このとき、fにベクトル場 ω − 1 ( A ) {\displaystyle \omega ^{-1}(A)} (は接ベクトル空間の元なので自然に微分作用素とみなしたもの)を作用させた
をfのAによる普遍共変微分(英: universal covariant derivative)という。
モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、普遍共変微分は通常の共変微分を導く。これについては後述。
本節ではカルタン幾何学が定義された多様体の接バンドルの構造を調べる。そのために以下の定義をする。
( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とする。 A d {\displaystyle \mathrm {Ad} } はHの g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} への作用を定義するが、 A d {\displaystyle \mathrm {Ad} } の h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} への制限は h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 上の随伴表現である(ので A d {\displaystyle \mathrm {Ad} } は h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} を保つ)ことから、 A d {\displaystyle \mathrm {Ad} } はHの g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} への作用を誘導する。またHはH-主バンドルPに作用していたので、これの作用により、ベクトルバンドル
を定義できる。実はこのベクトルバンドルは接バンドルと同型である:
定理 (接バンドルと無限小クライン幾何学の関係) ― ベクトルバンドルとしての同型
が成立する。
具体的には写像
はwell-definedであり、ベクトルバンドルとしての同型写像である。ここで ω p − 1 ( A ) {\displaystyle \omega _{p}{}^{-1}(A)} は同型写像 ω p : T p P → ∼ g {\displaystyle \omega _{p}~:~T_{p}P{\overset {\sim }{\to }}{\mathfrak {g}}} の逆写像 ω p − 1 {\displaystyle \omega _{p}{}^{-1}} で A ∈ g {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}} を T p P {\displaystyle T_{p}P} に移したものである。
クライン幾何学をカルタン幾何学とみなした場合、カルタン接続はモーレー・カルタン形式ωと等しいので、カルタン接続は構造方程式
を満たすが、一般のカルタン幾何学は構造方程式を満たすとは限らない。そこで以下の量を考える:
定義 (曲率) ― カルタン接続ωを持つ多様体M上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} に対し、P上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値2-形式
をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} の曲率(英: curvature)という。
Ωは(局所)クライン幾何学からのズレを表す量であると解釈でき、明らかにクライン幾何学や局所クライン幾何学の曲率は恒等的に0である。
曲率は以下を満たす:
定理 (カルタン接続のビアンキ恒等式) ― カルタン接続ωとその曲率Ωは下記の恒等式(ビアンキ恒等式、英: Bianchi identity)を満たす:
点 u ∈ M {\displaystyle u\in M} のファイバーPuにはHが単純推移的に作用するので、 p ∈ P u {\displaystyle p\in P_{u}} をfixして、 h ∈ H ↦ p h ∈ P u {\displaystyle h\in H\mapsto ph\in P_{u}} によりHとPuを同一視すると、TPu上にモーレー・カルタン形式ωが定義できる。しかもωは p ∈ P u {\displaystyle p\in P_{u}} の取り方に依存しないことも容易に証明できる。実は曲率のPuへの制限はωに一致する。
定理 ― 任意の u ∈ M {\displaystyle u\in M} に対し、曲率ΩのTPuへの制限はTPu上のωに一致する。よって特に、任意の v , w ∈ T p P u {\displaystyle v,w\in T_{p}P_{u}} に対し、 Ω p ( v , w ) = 0 {\displaystyle \Omega _{p}(v,w)=0} である。
なお、実はv、wの少なくとも一方がTpPuに属していれば、 Ω p ( v , w ) = 0 {\displaystyle \Omega _{p}(v,w)=0} である事が知られている。よって特に次が成立する:
定理 ― M上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値2-形式Ω'が存在し、任意の p ∈ P {\displaystyle p\in P} と任意の v , w ∈ T p P u {\displaystyle v,w\in T_{p}P_{u}} に対し、以下が成立する:
このΩ'は次節で導入する曲率関数を用いる事で具体的に記述できる。
ω p T p P → ∼ g {\displaystyle \omega _{p}T_{p}P{\overset {\sim }{\to }}{\mathfrak {g}}} が同型写像であったことから、写像の合成
を定義できる。またすでに述べたようにv、wの少なくとも一方がTpPuに属していれば、 Ω p ( v , w ) = 0 {\displaystyle \Omega _{p}(v,w)=0} である事が知られている事から、この写像は ∧ 2 g / h {\displaystyle \wedge ^{2}{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} 上の写像をwell-definedに誘導する。
定義 ― ∧ 2 g → ∼ ∧ 2 T p P → Ω g {\displaystyle \wedge ^{2}{\mathfrak {g}}{\overset {\sim }{\to }}\wedge ^{2}T_{p}P{\overset {\Omega }{\to }}{\mathfrak {g}}} が ∧ 2 g / h {\displaystyle \wedge ^{2}{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} 上に誘導する写像
をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} の曲率関数(英: curvature function)という。
曲率 Ω : ∧ 2 T p P ≈ ∧ 2 g → g {\displaystyle \Omega ~:~\wedge ^{2}T_{p}P\approx \wedge ^{2}{\mathfrak {g}}\to {\mathfrak {g}}} がM上の g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} -値2-形式Ω'を誘導する事を前に見た。このΩ'は曲率関数を使って以下のように書き表す事ができる。
さらに以下の定義をする:
定義 (捩率) ― 曲率Ωを商写像
と合成した ρ ( Ω ) {\displaystyle \rho (\Omega )} はP上の g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} -値2-形式となる。 τ := ρ ( Ω ) {\displaystyle \tau :=\rho (\Omega )} をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} の捩率(英: torsion)といい、 τ {\displaystyle \tau } がP上恒等的に0になるカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を捩れなし(英: torsion free)であるという。
モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、この捩率はアフィン接続の捩率テンソルに一致する。詳細は後述。
本節の目標は、商写像
とカルタン接続の合成 ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } の幾何学的意味を説明する事である。
まず、 ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } は以下のように特徴づける事ができる:
定理 ( ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } の特徴づけ) ― ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } は下記を可換にする唯一の写像である:
ここで φ p {\displaystyle \varphi _{p}} は [ A ] ∈ g / h {\displaystyle [A]\in {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} に [ ( p , [ A ] ) ] ∈ P × H , A d g / h ≈ T π ( p ) M {\displaystyle [(p,[A])]\in P\times _{H,\mathrm {Ad} }{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\approx T_{\pi (p)}M} を対応させる写像である。
すなわち、 ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } はモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} とH-主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} のみから決定し、カルタン接続に依存しない。
上記の特徴付けから、 ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } の幾何学的意味は同型 P × H g / h → ∼ T M {\displaystyle P\times _{H}{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}{\overset {\sim }{\to }}TM} に関係しているので、この同型の幾何学的意味を見る。 g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} にベクトル空間としての基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} をfixし、同型
による [ p , e i ] {\displaystyle [p,e_{i}]} の像を e i p {\displaystyle e_{i}^{p}} とすると、 e p := ( e 1 p , ... , e m p ) {\displaystyle e^{p}:=(e_{1}^{p},\ldots ,e_{m}^{p})} は T π ( p ) M {\displaystyle T_{\pi (p)}M} の基底をなす。
よって特に、 F := { e p ∣ p ∈ P } {\displaystyle F:=\{e^{p}\mid p\in P\}} とすると、FはM上のフレームバンドル(英語版)(=各点のファイバーがTMの基底からなるバンドル)になる。
一般には対応
は全単射ではないが、 P × H , A d g / h {\displaystyle P\times _{H,\mathrm {Ad} }{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} の定義から、カルタン幾何学が下記の意味で「一階」であれば、この写像は全単射になる:
定義 ― 随伴表現
が忠実なとき、クライン幾何学 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} (および ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルに持つカルタン幾何学)は一階(英: first order)であるといい、そうでないとき高階(英: higher order)であるという。
以上の準備のもと、 ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } を幾何学的に意味付ける:
定理 ( ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } の解釈) ― 記号を上と同様に取り、カルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} が一階であるとする。このとき、 g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} の基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} で g / h ≈ R m {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\approx \mathbb {R} ^{m}} という同一視を行うと、 v ∈ T p P ≈ T e p F {\displaystyle v\in T_{p}P\approx T_{e^{p}}F} に対し、
は基底 e p = ( e 1 p , ... , e m p ) {\displaystyle e^{p}=(e_{1}^{p},\ldots ,e_{m}^{p})} で π ( v ) {\displaystyle \pi (v)} を成分表示したときの係数 t ( v 1 , ... , v m ) ∈ R m {\displaystyle {}^{t}(v^{1},\ldots ,v^{m})\in \mathbb {R} ^{m}} を対応させる R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} 値1-形式であるとみなせる。
上述の定理より写像
は ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } に等しいので、 v ∈ T p P {\displaystyle v\in T_{p}P} に対し、 π ∗ ( v ) {\displaystyle \pi _{*}(v)} を
と成分表示すると、
が成立する。よって基底 e 1 , ... , e m ∈ g / h {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}\in {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} により g / h ≈ R m {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\approx \mathbb {R} ^{m}} という同一視を行うと、
が成立する。
上記のような、 v ∈ T e F {\displaystyle v\in T_{e}F} に π ∗ ( v ) = v i e i {\displaystyle \pi _{*}(v)=v^{i}e_{i}} となる t ( v 1 , ... , v m ) {\displaystyle {}^{t}(v^{1},\ldots ,v^{m})} を対応させる R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} -値1-形式をフレームバンドル上の標準形式(英: canonical form)という。上述の定理はカルタン幾何学が一階であれば ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } は標準形式として意味づけられる事を保証する。
本節ではモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} が「簡約可能」という性質を満たす場合にが対するカルタン幾何学の性質を見る。具体的にはモデル幾何学がユークリッド幾何学やアフィン幾何学の場合には簡約可能になる。
まず簡約可能性を定義する:
定義 ― モデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} が簡約可能(英: reductive)であるとは、作用 H ↷ A d g {\displaystyle H{\overset {\mathrm {Ad} }{\curvearrowright }}{\mathfrak {g}}} により不変な部分ベクトル空間 b ⊂ g {\displaystyle {\mathfrak {b}}\subset {\mathfrak {g}}} が存在し、 h ∩ b = { 0 } {\displaystyle {\mathfrak {h}}\cap {\mathfrak {b}}=\{0\}} 、 h ⊕ b = g {\displaystyle {\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}={\mathfrak {g}}} を満たす事を言う。
なお、 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} の取り方は一意ではないので注意されたい。 h ∈ h {\displaystyle h\in {\mathfrak {h}}} に対し、 b ′ := { h + b ∣ b ∈ b } {\displaystyle {\mathfrak {b}}':=\{h+b\mid b\in {\mathfrak {b}}\}} も条件を満たす。逆に条件を満たすものはこの形に限られる。
Gが2つのリー群の半直積 G = H ⋉ B {\displaystyle G=H\ltimes B} で書けている場合は、G、Hに対応するモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} は、Bのリー代数を b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} として選ぶ事で簡約可能である。
よって特にユークリッド幾何学の等長変換群 I s o ( E m ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})} は直交群 O ( m ) {\displaystyle O(m)} と平行移動のなす群の半直積で書けるので対応するモデル幾何学は簡約可能である。アフィン幾何学も同様である。
( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学にする多様体M上のカルタン幾何学とする。モデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} が、 h ⊕ b = g {\displaystyle {\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}={\mathfrak {g}}} と簡約可能なとき、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元は h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} の元と b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} の元の和で一意に表現できるので、カルタン接続 ω : T P → g {\displaystyle \omega ~:~TP\to {\mathfrak {g}}} も
のように「 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} 部分」の和で書ける。この分解を用いると、カルタン接続と主接続の接続形式との関係性を以下のように記述できる:
定理 (簡約可能な場合のカルタン接続と接続形式の関係) ― ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} を h ⊕ b = g {\displaystyle {\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}={\mathfrak {g}}} と簡約可能なモデル幾何学とし、Mを多様体とし、 π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} をH-主バンドルとする。
このときP上のカルタン接続ωを ω = ω h + ω b {\displaystyle \omega =\omega _{\mathfrak {h}}+\omega _{\mathfrak {b}}} と分解すると、 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} はP上の主接続の接続形式の定義を満たす。
したがって、簡約可能なモデル幾何学の場合にはカルタン接続から主接続の接続形式 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} が得られることになる。
一方、 ω b {\displaystyle \omega _{\mathfrak {b}}} は
により b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} を g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} と同一視すると、 ω b {\displaystyle \omega _{\mathfrak {b}}} は ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } と同一視でき、前述のように(カルタン幾何学が一階であれば) ρ ∘ ω {\displaystyle \rho \circ \omega } は標準形式であるとみなせる。
したがって分解 ω = ω h + ω b {\displaystyle \omega =\omega _{\mathrm {h} }+\omega _{\mathrm {b} }} はカルタン接続 ω {\displaystyle \omega } を接続形式 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} と標準形式 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} に分解するものであるが、実は逆に接続形式と標準形式からカルタン接続を復元できる:
定理 (一階で簡約可能な場合における接続形式からカルタン接続の再現) ― ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} を一階のクライン幾何学で対応するリー代数の組 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が h ⊕ b = g {\displaystyle {\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}={\mathfrak {g}}} と簡約可能なものとする。Mを多様体とし、 π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} をTMの主バンドルとし、PをH-フレームバンドルFと前述の方法で同一視する。 さらにγをP=F上の接続形式とし、θをFの標準形式とする。
このとき、
はP=F上のカルタン接続の公理を満たす。
前述した、カルタン接続から接続形式と標準形式とに分解する定理とは丁度「逆写像」の関係にあり、簡約可能で一階の場合はカルタン接続は接続形式と標準形式との組と1対1に対応する。
モデル幾何学が簡約可能である場合、上述したようにカルタン接続ωから定義される ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} はH-主バンドルPの接続形式になる。ベクトル空間V上のHの線形表現 γ : H → G L ( V ) {\displaystyle \gamma ~:~H\to \mathrm {GL} (V)} があれば、ベクトルバンドルとしての接続(Koszul接続)の一般論から、接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} はM上のベクトルバンドル E := P × H , γ V {\displaystyle E:=P\times _{H,\gamma }V} にKoszul接続を定める。
よって特に、接バンドルは
と書けたので、 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} はTM上のKoszul接続、すなわちアフィン接続∇を定める。
このことから分かるようにモデル幾何学がアフィン幾何学でなくても、簡約可能でありさえすればアフィン接続を誘導する。
しかし特にモデル幾何学がアフィン幾何学であれば、アフィン変換群Gの g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} 上の随伴表現は g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} 上のアフィン変換になる事を示す事ができ、この意味において T M ≈ P × H , A d g / h {\displaystyle TM\approx P\times _{H,\mathrm {Ad} }{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} はアフィン空間 g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} のバンドルとなる。後述するように、この事実が例えばモデルがユークリッド幾何学の場合には重要になる。
γ : H → G L ( V ) {\displaystyle \gamma ~:~H\to \mathrm {GL} (V)} をベクトル空間V上のHの線形表現とし、 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} がM上のベクトルバンドル E := P × H , γ V {\displaystyle E:=P\times _{H,\gamma }V} に定めるKoszul接続を∇とする。
Eの切断sと p ∈ P {\displaystyle p\in P} に対し、 s π ( p ) = [ p , f s ( p ) ] ∈ P × H , γ V = E {\displaystyle s_{\pi (p)}=[p,f_{s}(p)]\in P\times _{H,\gamma }V=E} となる f s ( p ) {\displaystyle f_{s}(p)} が一意に存在し、fsはPからVへの関数 f s : P → V {\displaystyle f_{s}~:~P\to V} とみなせる。
定理 ― M上の任意のベクトル場 X {\displaystyle X} とEの任意の切断sに対し、以下が成立する:
ここで X ~ {\displaystyle {\tilde {X}}} は π ∗ ( X ~ ) = X {\displaystyle \pi _{*}({\tilde {X}})=X} となるPの接ベクトルである 。
上記のように D ω b ( X ~ ) f s {\displaystyle D_{\omega _{\mathfrak {b}}({\tilde {X}})}f_{s}} はKoszul接続 ∇ X s {\displaystyle \nabla {}_{X}s} と関係するが、それに対し D ω h ( X ~ ) f s {\displaystyle D_{\omega _{\mathfrak {h}}({\tilde {X}})}f_{s}} の方は自明なものになってしまう:
定理 ― M上の任意のベクトル場 X {\displaystyle X} とEの任意の切断sに対し、以下が成立する:
ここでγ*はEを定義する線形表現 γ : H → G L ( V ) {\displaystyle \gamma ~:~H\to \mathrm {GL} (V)} が誘導する写像 γ ∗ : h → { V {\displaystyle \gamma _{*}~:~{\mathfrak {h}}\to \{V} 上の線形写像 } {\displaystyle \}} である。
本節ではモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} が g = h + b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}+{\mathfrak {b}}} と簡約可能でしかも
となっている場合、すなわち b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} として g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の部分リー代数になっているものを取れる場合に対し、曲率の「 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} 部分」を具体的に書き表す。
先に進む前にこの条件を満たすモデル幾何学の具体例を述べる。例えば g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gが2つのリー群の半直積 G = H ⋉ B {\displaystyle G=H\ltimes B} で書けている場合に、 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} としてBのリー代数を取れば上述の条件を満たす。特に、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、アフィン変換群 A f f m {\displaystyle \mathrm {Aff} _{m}} は線形変換 G L m ( R ) {\displaystyle \mathrm {GL} _{m}(\mathbb {R} )} と平行移動のなす群 B = R m {\displaystyle B=\mathbb {R} ^{m}} の半直積で書け、しかも b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} をBのリー代数とすると、
というより強い条件が成立する。モデル幾何学がユークリッド幾何学の場合も同様である。
曲率Ωは g = h + b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}+{\mathfrak {b}}} に値を取るので、曲率を
と「 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 部分」 Ω h {\displaystyle \Omega _{\mathfrak {h}}} と「 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} 部分」 Ω b {\displaystyle \Omega _{\mathfrak {b}}} に分解する。商写像 b ⊂ g → ρ g / h {\displaystyle {\mathfrak {b}}\subset {\mathfrak {g}}{\overset {\rho }{\to }}{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} が同型になることから、 b ≈ g / h {\displaystyle {\mathfrak {b}}\approx {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} という同一視をすると、
と Ω b {\displaystyle \Omega _{\mathfrak {b}}} がカルタン幾何学の捩率 τ = ρ ( Ω ) {\displaystyle \tau =\rho (\Omega )} に対応する事が分かる。
とくにアフィン幾何学をモデルとするカルタン幾何学の場合、 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} はアフィン変換群 A f f m = G L m ( R ) ⋉ R m {\displaystyle \mathrm {Aff} _{m}=\mathrm {GL} _{m}(\mathbb {R} )\ltimes \mathbb {R} ^{m}} の並進部分である R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} に対応するリー代数であるので、アフィン幾何学をモデルとする場合、捩率とは並進に関する曲率であるとみなせる。
曲率の定義から、
が成立するので、仮定 [ b , b ] ⊂ b {\displaystyle [{\mathfrak {b}},{\mathfrak {b}}]\subset {\mathfrak {b}}} を使うと以下が成立する事が分かる:
定理 (分解した場合の構造方程式) ―
ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} が接続形式に対応している事から、上記の定理の1つ目の式は、接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} が定義する主接続に対する第二構造方程式である事がわかる。よって特に、 Ω h {\displaystyle \Omega _{\mathfrak {h}}} は主接続の曲率形式である事がわかる。したがって
一方2本目の式において ω b {\displaystyle \omega _{\mathfrak {b}}} は T P → ω g → g / h ≈ b {\displaystyle TP{\overset {\omega }{\to }}{\mathfrak {g}}\to {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\approx {\mathfrak {b}}} に一致し、標準形式θとして解釈できるので、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合のように [ b , b ] = { 0 } {\displaystyle [{\mathfrak {b}},{\mathfrak {b}}]=\{0\}} であれば、2本目の式は
となり、第一構造方程式に対応している事が分かる。よってこの場合の捩率は接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} がTMによって定まる主接続の捩率テンソルに一致する。
前述したカルタン接続のビアンキ恒等式
を「 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} 部分」に分解することで以下の定理が結論づけられる:
定理 (分解した場合のビアンキ恒等式) ―
ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} が接続形式に対応している事から、上記の定理の1本目の式は接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} が定義する主接続に関する第二ビアンキ恒等式である。
一方、2本目の式は、構造方程式の場合と同様、モデル幾何学がアフィン幾何学のように [ b , b ] = { 0 } {\displaystyle [{\mathfrak {b}},{\mathfrak {b}}]=\{0\}} を満たせば、
と第一ビアンキ恒等式に一致する。
( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするM上のカルタン幾何学とし、 φ : [ a , b ] → P {\displaystyle \varphi ~:~[a,b]\to P} を区間 [ a , b ] {\displaystyle [a,b]} 上定義されたP上の曲線とするtを[a,b]上の点とすると、 T φ ( t ) P {\displaystyle T_{\varphi (t)}P} にはカルタン接続ωにより g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元が対応している。次の事実が知られている:
定理・定義 ― 記号を上述のように取り、gをGの元とするとき、G上の曲線 φ ~ : [ a , b ] → G {\displaystyle {\tilde {\varphi }}~:~[a,b]\to G} で、任意の t ∈ [ a , b ] {\displaystyle t\in [a,b]} に対し、
が成立し、しかも φ ~ ( a ) = g {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(a)=g} を満たすものがが一意に存在するが成立する。ここで ω G {\displaystyle \omega ^{G}} はGのモーレー・カルタン形式である。
曲線 φ ~ {\displaystyle {\tilde {\varphi }}} を曲線 φ {\displaystyle \varphi } のgからのωに関する発展(英: development)という。
モーレー・カルタン形式 ω G {\displaystyle \omega ^{G}} は、G上の接ベクトルをGの作用により g = T e G {\displaystyle {\mathfrak {g}}=T_{e}G} に移す変換であったので、上記の定理は d φ ~ d t ( t ) {\displaystyle {\tfrac {d{\tilde {\varphi }}}{dt}}(t)} がGの作用による移動を除いて ω ( d φ d t ( t ) ) {\displaystyle \omega \left({\tfrac {d\varphi }{dt}}(t)\right)} に一致する事を意味する。
上記の定理の直観的な意味を説明する。クライン幾何学 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} においてGは等質空間 G / H {\displaystyle G/H} における同型写像のなす群であったので、そのリー代数 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元は G / H {\displaystyle G/H} 上の「無限小同型変換」、すなわち同型写像の微分とみなせた。
カルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} の付与された多様体Mとは「一次近似」がクライン幾何学に見える空間であり、TpPの元vpはカルタン接続により g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元と対応しており、 ω ( v p ) {\displaystyle \omega (v_{p})} は π ( u ) {\displaystyle \pi (u)} における「無限小同型変換」を意味していた。
上記の定理は曲線 φ {\displaystyle \varphi } に沿って「無限小同型変換」である g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元 ω ( d φ d t ( t ) ) {\displaystyle \omega \left({\tfrac {d\varphi }{dt}}(t)\right)} を束ねていくとその「積分曲線」として同型変換であるGの元 φ ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(t)} があらわれる事を意味している。
もしMが G / H {\displaystyle G/H} そのものであれば、この同型変換 φ ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(t)} は実際にM上の同型変換になる事を後述する。
補題 ― c : [ a , b ] → M {\displaystyle c~:~[a,b]\to M} をM上の曲線とし、 φ : [ a , b ] → P {\displaystyle \varphi ~:~[a,b]\to P} を h : [ a , b ] → H {\displaystyle h~:~[a,b]\to H} を曲線とする。このとき、 φ ( t ) {\displaystyle \varphi (t)} の発展 φ ~ ( t ) : [ a , b ] → P {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(t)~:~[a,b]\to P} と φ ( t ) h ( t ) {\displaystyle \varphi (t)h(t)} の発展 φ ( t ) h ( t ) ~ {\displaystyle {\widetilde {\varphi (t)h(t)}}} は以下を満たす:
q : G → G / H {\displaystyle q~:~G\to G/H} をGから G / H {\displaystyle G/H} への商写像とすると、上記の補題から次が成立する:
定理・定義 ― c : [ a , b ] → M {\displaystyle c~:~[a,b]\to M} をM上の曲線とし、xを G / H {\displaystyle G/H} の元とする。 π ( φ ( t ) ) = c ( t ) {\displaystyle \pi (\varphi (t))=c(t)} を満たすP上の曲線と q ( g ) = x {\displaystyle q(g)=x} を満たす g ∈ G {\displaystyle g\in G} を任意に選んで φ {\displaystyle \varphi } のgからの発展 φ ~ : [ a , b ] → G {\displaystyle {\tilde {\varphi }}~:~[a,b]\to G} を作り、 G / H {\displaystyle G/H} 上の曲線
を考えると、 c ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {c}}(t)} は φ ~ {\displaystyle {\tilde {\varphi }}} 、gの取り方によらずwell-definedである。
曲線 c ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {c}}(t)} を c ( t ) {\displaystyle c(t)} の G / H {\displaystyle G/H} におけるxからのωに関する発展(英: development)という。
Mが連結であるとし、 u 0 ∈ M {\displaystyle u_{0}\in M} と π ( p 0 ) = u 0 {\displaystyle \pi (p_{0})=u_{0}} を満たす p 0 ∈ P {\displaystyle p_{0}\in P} をfixし、 c : [ a , b ] → M {\displaystyle c~:~[a,b]\to M} をu0を基点とするM上の閉曲線とする。 π ( φ ( t ) ) = c ( t ) {\displaystyle \pi (\varphi (t))=c(t)} を満たすP上の閉曲線 φ : [ a , b ] → P {\displaystyle \varphi ~:~[a,b]\to P} でp0を基点とするものとすると、前述した補題から、 φ {\displaystyle \varphi } の単位元 e ∈ G {\displaystyle e\in G} からの発展 φ ~ : I → G {\displaystyle {\tilde {\varphi }}~:~I\to G} の終点 φ ~ ( b ) {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(b)} は φ {\displaystyle \varphi } の取り方によらず等しい。そこで以下のような定義をする:
定理・定義 ― 記号を上のように取り、 Ω ( M , u 0 ) {\displaystyle \Omega (M,u_{0})} をu0を基点とする閉曲線全体の空間(英語版)とする。このとき、
は閉曲線の結合に関して準同型であり、 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} はGの部分群をなす。
Φ p 0 ( c ) {\displaystyle \Phi ^{p_{0}}(c)} を閉曲線cの基点u0のリフトp0に関するホロノミー(英: holonomy with respect to p0)といい、 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} をp0に関するM上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} のホロノミー群(英: holonomy group of ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} with respect to p0)という。
ホロノミー群は基点やそのリフトを取り替えても、共役を除いて一意に定義できる。実際、基点u0のリフトp0を別の点p0h, where h ∈ H {\displaystyle h\in H} に取り替えると、ホロノミーは Φ p 0 h ( c ) = h − 1 Φ p 0 ( c ) h {\displaystyle \Phi ^{p_{0}h}(c)=h^{-1}\Phi ^{p_{0}}(c)h} を満たす。また基点u0を別の基点u1に変えると、 Φ p 1 ( Ω ( M , u 1 ) ) = g − 1 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) g {\displaystyle \Phi ^{p_{1}}(\Omega (M,u_{1}))=g^{-1}\Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))g} を満たす g ∈ G {\displaystyle g\in G} が存在する。
Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} の元のうち、0-ホモトープな閉曲線全体 Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi _{0}^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} は Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} の正規部分群になる。 Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Phi _{0}^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} を制限ホロノミー群(英: restricted holonomy group)という。
写像 Ω ( M , u 0 ) → Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) → Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) / Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\displaystyle \Omega (M,u_{0})\to \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))\to \Phi ^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))/\Phi _{0}^{p_{0}}(\Omega (M,u_{0}))} は基本群 π 1 ( M , u 0 ) {\displaystyle \pi _{1}(M,u_{0})} からの群準同型写像
をwell-definedに誘導する。上記の写像をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} のモノドロミー表現(英: monodromy representation of ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} )という。
定義 ― なんらかの A ∈ g {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}} に対し、定数ベクトル場(定義は前述) ω − 1 ( A ) {\displaystyle \omega ^{-1}(A)} の積分曲線を π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} でMに射影したものをM上の一般化円(英: generarized circle)という。
また ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、なんらかの A ∈ b {\displaystyle A\in {\mathfrak {b}}} に対し、定数ベクトル場 ω − 1 ( A ) {\displaystyle \omega ^{-1}(A)} の積分曲線を π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} でMに射影したものをM上の測地線(英: geodesic)という。
特にクライン幾何学 ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} に対し、 G / H {\displaystyle G/H} 上の一般化円は、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} の元の1-パラメーター変換群の軌跡の G / H {\displaystyle G/H} への射影である。よって「一般化円」という名称であるが、ユークリッド幾何学での「一般化円」は螺旋になる事もあるので注意されたい
( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} に属する元のG上の1-パラメーター変換群の軌跡の G / H {\displaystyle G/H} への射影を直線(英: straight line)という。
この事実を使うと、一般化円と測地線は以下のように言い換える事ができる:
定理 ― ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするクライン幾何学の定義された多様体M上の曲線が一般化円になる必要十分条件は、その一般化円の発展が G / H {\displaystyle G/H} 上の一般化円になる事である。
同様に ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、 c ( t ) {\displaystyle c(t)} がM上の測地線(英: geodesic)となる必要十分条件は、 c ( t ) {\displaystyle c(t)} の発展 c ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {c}}(t)} が G / H {\displaystyle G/H} 上の直線である事である。
前述したように、 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が簡約可能なときは、TM上にアフィン接続∇が定義できるので、 ∇ d t d d t c = 0 {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{dt}}{\tfrac {d}{dt}}c=0} となる曲線を測地線として定義する事もできる。この2つの測地線の定義は同値である。
定理 ― ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\displaystyle {\mathfrak {g}}={\mathfrak {h}}\oplus {\mathfrak {b}}} と簡約可能であるとし、カルタン接続ωを ω = ω h + ω b {\displaystyle \omega =\omega _{\mathfrak {h}}+\omega _{\mathfrak {b}}} と分解したときPの主接続(の接続形式) ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} がTMに T M ≈ F H × H g / h {\displaystyle TM\approx F_{H}\times _{H}{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} に誘導するアフィン接続を∇とする。
このとき、M上の曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} が上述したカルタン幾何学における測地線である必要十分条件は、以下が成立する事である:
証明に入る前にまず記号を整理し、簡単な考察をする。Hを構造群とする主バンドル P {\displaystyle P} を、TM上のH-フレームバンドル F H {\displaystyle F_{H}} と自然に同一視する。
各 e ∈ F H ( T M ) ≈ P {\displaystyle e\in F_{H}(TM)\approx P} に対し、 ω : T p F H ( T M ) → g {\displaystyle \omega ~:~T_{p}F_{H}(TM)\to {\mathfrak {g}}} が同型だったので、自然に T F H ≈ F H × g {\displaystyle TF_{H}\approx F_{H}\times {\mathfrak {g}}} とみなせる。これを写像 ρ : g → g / h ≈ b {\displaystyle \rho ~:~{\mathfrak {g}}\to {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\approx {\mathfrak {b}}} とあわせると可換図式
が描け、 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} にベクトル空間としての基底をfixして b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} の元を v = ( v 1 , ... , v m ) {\displaystyle v=(v^{1},\ldots ,v^{m})} と書くと、 e = ( e 1 , ... , e m ) ∈ F H {\displaystyle e=(e_{1},\ldots ,e_{m})\in F_{H}} とvの組 [ e , v ] ∈ F H × H b {\displaystyle [e,v]\in F_{H}\times _{H}{\mathfrak {b}}} に対応するTMの元は ∑ i v i e i {\displaystyle \textstyle \sum _{i}v^{i}e_{i}} である。
∇は ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} が誘導するアフィン接続であったので、以上のことからM上の曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} 上のFHの切断 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\ldots ,e_{m}(t))} が ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} に関して平行である必要十分条件は、 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\ldots ,e_{m}(t))} をTMの基底とみなしたとき、 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\ldots ,e_{m}(t))} が∇に関して平行な基底である事である。
( ⇒ {\displaystyle \Rightarrow } )M上の曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} がカルタン幾何学における測地線の定義を満たせば、測地線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} はなんらかの B ∈ b {\displaystyle B\in {\mathfrak {b}}} となんらかの e = ( e 1 , ... , e m ) ∈ F H ( T M ) {\displaystyle e=(e_{1},\ldots ,e_{m})\in F_{H}(TM)} を使って
と書けるので、前述の可換図式から
である。基底 e ( t ) {\displaystyle e(t)} は c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って平行なので、 d c d t {\displaystyle {\tfrac {dc}{dt}}} も c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って平行であり、これは ∇ d t d d t c = 0 {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{dt}}{\tfrac {d}{dt}}c=0} となる事を意味する。
( ⇐ {\displaystyle \Leftarrow } )M上の曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} が通常の意味での測地線、すなわち ∇ d t d d t c = 0 {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{dt}}{\tfrac {d}{dt}}c=0} であれば、 d c d t {\displaystyle {\tfrac {dc}{dt}}} は c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って平行である。よって基底 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\ldots ,e_{m}(t))} を c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って平行なように選ぶと、
となる B ∈ b {\displaystyle B\in {\mathfrak {b}}} が存在する。したがって
と書ける。
カルタン幾何学はクライン幾何学をモデルとしており、しかも(局所)クライン幾何学はカルタン幾何学として平坦(英: flat)、すなわち曲率が恒等的に0である事を前述した。
本章はこの逆向きについて述べる。すなわち平坦なカルタン幾何学がいかなる条件を満たせば局所クライン幾何学と等しいかを特定するのが本章の目標である。
ダルブー導関数の一般論から、以下が従う:
定理 ― ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} を対応するリー代数の組 ( g , h ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})} が効果的なクライン幾何学とする。Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするM上のカルタン幾何学とする。
このとき、Mの普遍被覆空間 q : M ~ → M {\displaystyle q^{:}~{\tilde {M}}\to M} に主バンドル π : P → M {\displaystyle \pi ~:~P\to M} とカルタン接続ωを引き戻したものをそれぞれ π ~ : P ~ → M ~ {\displaystyle {\tilde {\pi }}~:~{\tilde {P}}\to {\tilde {M}}} 、 ω ~ {\displaystyle {\tilde {\omega }}} とする。
このとき ( π ~ , P ~ , ω ~ ) {\displaystyle ({\tilde {\pi }},{\tilde {P}},{\tilde {\omega }})} は M ~ {\displaystyle {\tilde {M}}} 上の ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学となり、局所幾何学的同型
が存在する。
よって特に、Mの点uの十分小さい開近傍 U {\displaystyle U} を取り、 U {\displaystyle U} 上に ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を制限した ( π | U , P U , ω U ) {\displaystyle (\pi |_{U},P_{U},\omega _{U})} は(Uの M ~ {\displaystyle {\tilde {M}}} へのリフトを考えることで)局所幾何学的同型 ( U , P U ) → ( G / H , G ) {\displaystyle (U,P_{U})\to (G/H,G)} を持つことが分かる。
このように被覆空間を考えたり、あるいは各点の開近傍に制限したりすれば、平坦なカルタン幾何学がクライン幾何学に局所幾何学的同型である事を示す事ができる。しかしこれだけではM自身が(局所)クライン幾何学と幾何学的同型になるか否かはわからない。
そこで本章ではまずM自身が局所クライン幾何学と幾何学的同型になる条件を定式化し、次にこれらの条件を満たす平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と幾何学同型になる事を見る。
本節では平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と同型であるための条件である「幾何学的向き付け可能性」と「完備性」を定義する。
幾何学的向きを定義するため、まず記号を導入する。Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とし、Gを g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に対応するリー群の一つとすると、その随伴表現 A d : G → G L L i e ( g ) {\displaystyle \mathrm {Ad} ~:G~\to \mathrm {GL} _{\mathrm {Lie} }({\mathfrak {g}})} はリー群間の写像なので、対応するリー代数間の写像
を誘導する。adはリー代数 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gの取り方によらずwell-definedであり、
が成立する。adとカルタン接続の合成
を考え、以下の定義をする:
定義 ― 記号を上と同様に取り、 p ∈ P {\displaystyle p\in P} を取る。クライン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} に対し、 h ∈ H {\displaystyle h\in H} が基点 p ∈ P {\displaystyle p\in P} に関して幾何学的な向きを保つ(英: geometrically orientation preserving with respect to the base point p)とは、pとphを結ぶP上の曲線 φ ( t ) {\displaystyle \varphi (t)} で以下の条件を満たすものが存在する事を言う:
定理・定義 ― Pが連結であれば幾何学的向き付けの定義はpに依存しない。Pが連結なとき、幾何学的向き付け可能なHの元全体の集合を H o r {\displaystyle H_{\mathrm {or} }} と書く。
adの定義より、曲線 φ ( t ) {\displaystyle \varphi (t)} がPのファイバー P π ( p ) {\displaystyle P_{\pi (p)}} 内にあれば、その発展 φ ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {\varphi }}(t)} の終点は必ず A d ( h ) {\displaystyle \mathrm {Ad} (h)} になる。よって H e {\displaystyle H_{e}} を単位元eを含むHの連結成分とすると
が成立する。
しかし上記の定義は曲線 φ ( t ) {\displaystyle \varphi (t)} がファイバー P π ( p ) {\displaystyle P_{\pi (p)}} 内に収まる事は仮定しておらず、よって一般にはHorの方がHeより大きいこともある。なお、Pが連結であれば、HorはHの正規部分群になる事が知られている。
定義 ― Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学でPが連結であるものする。
次が成立する:
定義 ― 局所クライン幾何学 ( G , H , Γ ) {\displaystyle (G,H,\Gamma )} (に定まるクライン幾何学)は、Gが連結なら幾何学的向き付け可能である。
Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とする。
定義 ― ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} が以下を満たすとき、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} は完備(英: complete)であるという
定理 ― 局所クライン幾何学 ( G , H , Γ ) {\displaystyle (G,H,\Gamma )} (に対応するカルタン幾何学)は完備である。
局所クライン幾何学におけるカルタン接続ωの定義より、 ω p − 1 ( A ) {\displaystyle \omega _{p}{}^{-1}(A)} を P = Γ ∖ G {\displaystyle P=\Gamma \backslash G} の被覆空間であるGに引き戻したもを A _ {\displaystyle {\underline {A}}} とすると、 A _ {\displaystyle {\underline {A}}} は A ∈ g = T e G {\displaystyle A\in {\mathfrak {g}}=T_{e}G} を通る左不変ベクトル場であるので、 exp ( t ω g − 1 ( A ) ) {\displaystyle \exp(t\omega _{g}{}^{-1}(A))} は任意の任意の g ∈ G {\displaystyle g\in G} および任意の t ∈ R {\displaystyle t\in \mathbb {R} } に対し定義可能であり、任意の p ∈ P {\displaystyle p\in P} および任意の t ∈ R {\displaystyle t\in \mathbb {R} } に対し、 exp ( t ω p − 1 ( A ) ) {\displaystyle \exp(t\omega _{p}{}^{-1}(A))} は exp ( t ω g − 1 ( A ) ) {\displaystyle \exp(t\omega _{g}{}^{-1}(A))} を P = Γ ∖ G {\displaystyle P=\Gamma \backslash G} に射影したものであるので、定理が成立する。ここでpはgの商写像による像である。
完備かつ平坦で幾何学的に向き付可能なカルタン幾何学は局所クライン幾何学と幾何学的同型になる:
定義 ― Mを連結な多様体とし、 ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} をM上の ( g , h , H , A d ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}},H,\mathrm {Ad} )} をモデルとする平坦かつ完備で幾何学的に向き付けられたカルタン幾何学とする。
このとき、 g {\displaystyle {\mathfrak {g}}} をリー代数とする連結なリー群GでHを閉部分群として含むものと、Gの部分群Γで局所クライン幾何学 Γ ∖ G / H {\displaystyle \Gamma \backslash G/H} とその上のカルタン幾何学構造 ( Γ ∖ G , ω Γ ∖ G ) {\displaystyle (\Gamma \backslash G,\omega ^{\Gamma \backslash G})} がMとその上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} と幾何学的同型になる。
なお、すでに見たように局所クライン幾何学は平坦かつ完備であり、しかもGが連結であれば局所クライン幾何学はカルタン幾何学として向き付け可能であるので、連結なGを考える場合は、これ以上条件を減らす事はできない。 なお、Gを固定すると、上述の定理が存在を保証するΓは共役を除いて一意に定まる:
定義 ― M 1 = Γ 1 ∖ G / H {\displaystyle M_{1}=\Gamma _{1}\backslash G/H} 、 M 2 = Γ 2 ∖ G / H {\displaystyle M_{2}=\Gamma _{2}\backslash G/H} を ( G , H ) {\displaystyle (G,H)} をモデルに持つ2つの局所クライン幾何学とする。
このとき、M1とM2がクライン幾何学として幾何学的同型であれば、ある g ∈ G {\displaystyle g\in G} が存在し、 Γ 2 = g Γ 1 g − 1 {\displaystyle \Gamma _{2}=g\Gamma _{1}g^{-1}} であり、しかもM1とM2はgの左からの作用 L g : G → G {\displaystyle L_{g}~:~G\to G} から誘導される。
本章ではモデル幾何学がユークリッド幾何学の場合を考える。すなわち、モデルとするクライン幾何学がユークリッド空間 E m {\displaystyle \mathbb {E} ^{m}} 上の等長変換群 I s o ( E m ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})} と直交群 O ( m ) {\displaystyle O(m)} の組 ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\displaystyle (G,H)=(\mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m}),O(m))} である場合の、多様体M上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} を考える。
本節では以下の定理を示す:
定理 ― ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学には、Mに標準的なリーマン計量が定数倍を除いて一意に定まる。
これを示すため、 g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} の性質を調べる。 I s o ( E m ) {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})} は随伴表現Adにより g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} に作用するが、 I s o ( E m ) = O ( m ) ⋉ R m {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})=O(m)\ltimes \mathbb {R} ^{m}} における O ( m ) {\displaystyle O(m)} は原点を中心とする回転として、 R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} は平行移動として g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} に作用する事を簡単な計算により確かめられる。
よって g / h {\displaystyle {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} 上には O ( m ) {\displaystyle O(m)} により不変な内積 q : g / h × g / h → R {\displaystyle q~:~{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\times {\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}\to \mathbb {R} } が定数倍を除いて一意に定まる。前述したように T M ≈ T P × H , A d g / h {\displaystyle TM\approx TP\times _{H,\mathrm {Ad} }{\mathfrak {g}}/{\mathfrak {h}}} であるので、 p ∈ P {\displaystyle p\in P} に対し、写像
が定義できる。
そこで u ∈ M {\displaystyle u\in M} に対しTuMの計量を p ∈ P u {\displaystyle p\in P_{u}} を任意に選んで
により定義すると g u ( v , w ) {\displaystyle g_{u}(v,w)} が p ∈ P u {\displaystyle p\in P_{u}} によらずwell-definedされる事が知られており、M上にリーマン計量gが定まる。
I s o ( E m ) = O ( m ) ⋉ R m {\displaystyle \mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})=O(m)\ltimes \mathbb {R} ^{m}} と半直積で書けるので、リー代数の組 ( g , h ) = ( i s o ( E m ) , o ( m ) ) {\displaystyle ({\mathfrak {g}},{\mathfrak {h}})=({\mathfrak {iso}}(\mathbb {E} ^{m}),{\mathfrak {o}}(m))} は b = R m {\displaystyle {\mathfrak {b}}=\mathbb {R} ^{m}} を使って簡約可能であり、しかも ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\displaystyle (G,H)=(\mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m}),O(m))} は一階である。
よって前述のようにカルタン接続ωを「 h {\displaystyle {\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\displaystyle {\mathfrak {b}}} 部分」に分けて ω = ω h + ω b {\displaystyle \omega =\omega _{\mathfrak {h}}+\omega _{\mathfrak {b}}} と書くことができ、 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} は主バンドルP上の接続形式になり、 ω b {\displaystyle \omega _{\mathfrak {b}}} が標準形式となる。逆に ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} と ω b {\displaystyle \omega _{\mathfrak {b}}} からωが復元できる事もすでに示した。
接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} がTMに誘導するアフィン接続 ∇ {\displaystyle \nabla } を定義する事ができ、 ∇ {\displaystyle \nabla } は以下を満たす:
定理 ― ∇ {\displaystyle \nabla } は標準的な計量と両立する。すなわち前節で定義した標準的なリーマン計量gに対し、
がM上の任意のベクトル場X、Y、Zに対して成立する。
すでに述べたようにTMは O ( m ) {\displaystyle O(m)} -主バンドルPを使って
と書け、しかもPは O ( m ) {\displaystyle O(m)} -フレームバンドルとして解釈できたので、以下PをフレームバンドルとみなしたものをFと書く。前述した計量の作り方から計量gはFの元を正規直交基底にする。
一方 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} は
に値を取るので、(Fに属する)正規直交基底において接続形式 ω h {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}} を ω h = ( ω i j ) i j {\displaystyle \omega _{\mathfrak {h}}=(\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} と成分表示すると、 ω i j = − ω j i {\displaystyle \omega ^{i}{}_{j}=-\omega ^{j}{}_{i}} が成立する。よってTMの局所的な正規直交基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} を取ると、
が成立する(最後の等式は i = k {\displaystyle i=k} のときのみ g ( e i , e k ) = 1 {\displaystyle g(e_{i},e_{k})=1} な事を使った)。よって
が成立するので、 Y = e j {\displaystyle Y=e_{j}} 、 Z = e k {\displaystyle Z=e_{k}} の場合に定理が示された。一般の場合は、上式から簡単な計算により従う。
しかし ∇ {\displaystyle \nabla } の捩率は0とは限らない。もし ∇ {\displaystyle \nabla } の捩率が0であればリーマン幾何学の基本定理より、 ∇ {\displaystyle \nabla } はレヴィ・チヴィタ接続に一致する。
以上の考察から、カルタン幾何学の立場から見るとリーマン幾何学とは、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学で捩率が0のものとして(計量の定数倍を除き)特徴づけられる幾何学である。
上述のようにリーマン多様体にはユークリッド幾何学 ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\displaystyle (G,H)=(\mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m}),O(m))} をモデルとする捩れのないカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\displaystyle (\pi ,P,\omega )} の構造が入る。
m次元リーマン多様体M上に曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} を取り(図の青の線)、 c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿ってMをm次元平面 R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} 上を「滑ったり」「ねじれたり」することなく転がしたときにできる曲線の軌跡を c ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {c}}(t)} とする(図の紫の線)。
このとき、次が成立することが知られている:
定理 ― 記号を上述のように取る。このとき、 c ~ ( t ) {\displaystyle {\tilde {c}}(t)} は等質空間 G / H = I s o ( E m ) / O ( m ) ≈ R m {\displaystyle G/H=\mathrm {Iso} (\mathbb {E} ^{m})/O(m)\approx \mathbb {R} ^{m}} への発展に一致する。
また、Mをm次元平面 R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} 上滑りもねじれもなく転がすと、時刻tに c ( t ) {\displaystyle c(t)} が R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} に接した瞬間に T c ( t ) M {\displaystyle T_{c(t)}M} が R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} に重なるので、自然に写像
が定義できる。この写像を使うと、Mのレヴィ・チヴィタ接続∇の幾何学的意味を述べることができる:
定理 ― v ( t ) ∈ T c ( t ) M {\displaystyle v(t)\in T_{c(t)}M} を c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿ったM上のベクトル場とすると、以下が成立する:
すなわち、曲線に沿った v ( t ) {\displaystyle v(t)} の共変微分を R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} に移したものは、 v ( t ) {\displaystyle v(t)} を移したものを通常の意味で微分したものに一致する。
よって特に以下が成立する:
系 ― c ( a ) {\displaystyle c(a)} における接ベクトル v {\displaystyle v} をM上曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って(レヴィ・チヴィタ接続の意味で)平行移動したものを v ′ {\displaystyle v'} とするとき、 c ~ ( a ) {\displaystyle {\tilde {c}}(a)} におけるベクトル φ a ( v ) {\displaystyle \varphi _{a}(v)} を R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} 上 c ~ ( b ) {\displaystyle {\tilde {c}}(b)} まで通常の意味で平行移動したものは φ b ( v ′ ) {\displaystyle \varphi _{b}(v')} に等しい。 | [
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"text": "カルタン幾何学(かるたんきかがく)(英: Cartan geometry)とは、微分幾何学における概念で、多様体の各点における「一次近似」がクラインの幾何学とみなせるものの事である。カルタンの幾何学はクラインの幾何学とリーマン幾何学を包括する幾何学概念として提案された。",
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"text": "以下、本項では特に断りがない限り、単に多様体、関数、バンドル等といった場合はC級のものを考える。また特に断りがない限りベクトル空間は実数体上のものを考える。",
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"text": "カルタン幾何学の背景にあるのはクラインのエルランゲン・プログラムである。エルランゲン・プログラムは、当時「幾何学」、例えばユークリッド幾何学、双曲幾何学、球面幾何学、射影幾何学等が乱立していた状況に対し、それらを統一する手法を提案したものであり、今日の言葉で言えば、これらはいずれも等質空間の概念を使う事で統一的に記述できる事を示した。",
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"text": "すなわちクラインの意味での幾何学(以下単にクライン幾何学と呼ぶ)とは、リー群Gとその閉部分リー群Hの組 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} を等質空間 M = G / H {\\displaystyle M=G/H} 上に「幾何学を保つ」変換群Gが作用しており、X上の一点の等方部分群がHであるとみなしたものである。",
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"text": "しかしエルランゲン・プログラムには、当時すでに知られていたリーマン幾何学が記述できない、という限界があった。実際リーマン多様体は等質空間にはなっていないので、エルランゲン・プログラムでは記述できない。",
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"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "カルタンの意味での幾何学(以下単にカルタン幾何学と呼ぶ)は上記の事情を背景に、クラインの幾何学とリーマン幾何学を包含する形で定義された幾何学概念である:",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "多様体自身にクライン幾何学の構造が入れば、すなわち M = G / H {\\displaystyle M=G/H} であれば、Mの各点の接ベクトル空間は自然に g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} と同型になる。ここで g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} はそれぞれG、Hのリー代数である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "そこでちょうどリーマン幾何学の「一次近似」である接ベクトル空間がユークリッド幾何学になっているように、カルタン幾何学では、多様体Mの「一次近似」である接ベクトル空間に、クライン幾何学 G / H {\\displaystyle G/H} の「一次近似」である g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} を対応させる。このとき、多様体Mには等質空間 G / H {\\displaystyle G/H} をモデル空間とするカルタンの幾何学の構造が入っている、という。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "しかしあくまで「一次近似」がクラインの幾何学と等しいだけなので、実際にはカルタン幾何学はクライン幾何学とはズレる。このズレを図るのがの曲率である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "カルタン幾何学を導入するもう一つの動機が滑りとねじれのない転がしである。これはm次元のリーマン多様体をm次元平面上「滑ったり」、「捻れたり」する事なく「転がした」ときにできる軌跡に関する研究である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "この軌跡はユークリッド幾何学をモデルにするカルタン幾何学を使うことで定式化が可能であり、曲線の発展という。ユークリッド幾何学はm次元平面上の幾何学であるので、m次元平面上の軌跡になるが、一般のクライン幾何学 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学の発展は、 M = G / H {\\displaystyle M=G/H} 上の軌跡となる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "本節ではを参考に、2次元ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学を直観的に説明する。 E 2 {\\displaystyle \\mathbb {E} ^{2}} を2次元ユークリッド空間とし、 I s o ( E 2 ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{2})} を E 2 {\\displaystyle \\mathbb {E} ^{2}} の合同変換群とする。すなわち I s o ( E 2 ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{2})} は A ∈ O ( 2 ) {\\displaystyle A\\in O(2)} と b ∈ R 2 {\\displaystyle b\\in \\mathbb {R} ^{2}} を使って x ↦ A x + b {\\displaystyle x\\mapsto Ax+b} と書ける変換全体の集合である。 E 2 {\\displaystyle \\mathbb {E} ^{2}} は I s o ( E 2 ) / O ( 2 ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{2})/O(2)} と同一視できる。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "Mを2次元多様体とし、M上に人が一人立っているとする。人が立っている場所を u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} とし、人の前方向をx軸、左方向をy軸とすると、接ベクトル空間の基底 e x , e y ∈ T u M {\\displaystyle e_{x},e_{y}\\in T_{u}M} が定義できる。Mはユークリッド空間をモデルにしているので、その人は自分の近傍をユークリッド空間だと思っている。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "T u M {\\displaystyle T_{u}M} の正規直交基底全体の集合を F u ( M ) {\\displaystyle F_{u}(M)} とし、 F ( M ) = ∪ u ∈ M F u ( M ) {\\displaystyle F(M)=\\cup _{u\\in M}F_{u}(M)} とすると、 F ( M ) {\\displaystyle F(M)} は自然にM上の O ( 2 ) {\\displaystyle O(2)} -主バンドルとみなせる。以上の議論から、 F ( M ) {\\displaystyle F(M)} の元は、M上にいる人(とその向き)であるとみなせる。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "M上にいる人を ( e x , e y ) ∈ F u ( M ) {\\displaystyle (e_{x},e_{y})\\in F_{u}(M)} と表すとき、その人がM上の位置(=u)を変えずに向きだけを「無限小だけ」変えた場合、その向きの変化を表す速度ベクトルは T F u ( M ) {\\displaystyle TF_{u}(M)} の元とみなせるが、これは人の向きを変えた回転変換の微分なので、回転変換群 O ( 2 ) {\\displaystyle O(2)} の無限小変換群(= O ( 2 ) {\\displaystyle O(2)} に対応するリー代数)である o ( 2 ) {\\displaystyle {\\mathfrak {o}}(2)} の元であるともみなせる。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "すなわち、 T F u ( M ) {\\displaystyle TF_{u}(M)} の元を o ( 2 ) {\\displaystyle {\\mathfrak {o}}(2)} の元と対応させる事ができる:",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "また人がM上の位置uから無限小だけ歩いた場合は、歩いたことによる ( e x , e y ) ∈ F u ( M ) {\\displaystyle (e_{x},e_{y})\\in F_{u}(M)} の変化の速度ベクトルは T u F ( M ) {\\displaystyle T_{u}F(M)} の元とみなせるが、その人は自分がユークリッド空間を歩いているのだと理解しているので、速度ベクトルを I s o ( E 2 ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{2})} の無限小変換群(= I s o ( E 2 ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{2})} のリー代数)である i s o ( E 2 ) {\\displaystyle {\\mathfrak {iso}}(\\mathbb {E} ^{2})} の元であるとみなす。すなわち T u F ( M ) {\\displaystyle T_{u}F(M)} の元を i s o ( E 2 ) {\\displaystyle {\\mathfrak {iso}}(\\mathbb {E} ^{2})} と対応付けて考える。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "結局、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学とは、M上の O ( 2 ) {\\displaystyle O(2)} -主バンドル F ( M ) {\\displaystyle F(M)} で、ファイバーごとの線形写像",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "を持ち、各 u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} に対し、uのファイバー F u ( M ) {\\displaystyle F_{u}(M)} の接バンドル T F u ( M ) {\\displaystyle TF_{u}(M)} へのωの制限が",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "を満たすもので「性質の良いもの」(後述)である。",
"title": "定義の背後にある直観"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "本節ではカルタン幾何学の定式化に必要となる用語を定義する。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "Gをリー群とし、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} をそのリー代数とし、さらにNをGが右から作用する多様体(例えばG-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} の全空間P)とする。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "定義 (基本ベクトル場) ― リー代数の元 A ∈ g {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}} と点 p ∈ N {\\displaystyle p\\in N} に対し、",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "により、N上のベクトル場 A _ {\\displaystyle {\\underline {A}}} を定義する。 A _ {\\displaystyle {\\underline {A}}} をAに対応するNの基本ベクトル場(英語版)(英: fundamental vector field on N associated to A)という。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "なお、NがG-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} の全空間Pの場合には A _ p {\\displaystyle {\\underline {A}}_{p}} は垂直部分空間 V p {\\displaystyle {\\mathcal {V}}_{p}} の元である事が容易に示せる。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "定義 (リー群の随伴表現) ― Gをリー群とし g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} をそのリー代数とする。このとき、Gの線形表現",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "を g ∈ G {\\displaystyle g\\in G} に対し、",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "により定義し、AdをGの随伴表現(英: adjoint representation)という。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "ここで G L ( g ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} ({\\mathfrak {g}})} は g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 上の線形同型全体のなすリー群である。随伴表現の定義は h ( t ) {\\displaystyle h(t)} の取り方によらずwell-defninedである。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "クライン幾何学の構造を調べる準備としてモーレー・カルタン形式を導入する。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "定義 (モーレー・カルタン形式) ― Gをリー群とし、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} をそのリー代数とするとき、Gの各点gに対しG上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 値1-形式 ω G g {\\displaystyle \\omega ^{G}{}_{g}} を",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "により定義し、ωgをGのgにおけるモーレー・カルタン形式という。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "ここで L g − 1 ∗ {\\displaystyle L_{g^{-1}}{}_{*}} は群の左作用 L g − 1 : h ∈ G ↦ g − 1 h {\\displaystyle L_{g^{-1}}~:~h\\in G~~\\mapsto g^{-1}h} が誘導する写像である。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "モーレー・カルタン形式は以下を満たす:",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "定理 ―",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "ここで [ ⋅ , ⋅ ] {\\displaystyle [\\cdot ,\\cdot ]} は g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 上のリー括弧であり、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値1-形式α、βに対し、 [ α , β ] ( X , Y ) := [ α ( X ) , β ( Y ) ] − [ α ( Y ) , β ( X ) ] {\\displaystyle [\\alpha ,\\beta ](X,Y):=[\\alpha (X),\\beta (Y)]-[\\alpha (Y),\\beta (X)]} である。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "上記の2式のうち下のものをモーレー・カルタンの方程式(英: Maurer-Cartan equation)、もしくはリー群Gの構造方程式(英: structure equation)という。",
"title": "準備"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "リー群Gとその閉部分リー群の組 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} で G / H {\\displaystyle G/H} が連結になるものをクライン幾何学、もしくは(カルタン幾何学のモデルになるので)モデル幾何学(英: model geometry)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデル幾何学とし、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} をそれぞれG、Hのリー代数とする。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "定義 (クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義) ― 多様体M上のタイプ ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} のカルタン幾何学(英: Cartan geomerty of type ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} over M)とは、M上のH-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} とP上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値1-形式",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "の組 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} で以下の性質を満たすものの事である:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "ωをH-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} のカルタン接続(英: Cartan connection)という。また紛れがなければMの事をカルタン幾何学という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "3つの条件の直観的な意味を説明する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "なお、 ω : T p P → ∼ g {\\displaystyle \\omega ~:~T_{p}P{\\overset {\\sim }{\\to }}{\\mathfrak {g}}} は同型なので、M上定義できるカルタン幾何学には",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "という制約が課せられる事になる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "カルタン接続の定義は主バンドルの接続(主接続)の接続形式の定義とよく似ているが、両者は似て非なる概念であり、H-主バンドルの主接続の接続形式はHのリー代数 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} に値を取るが、カルタン接続はGのリー代数 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に値を取っている。しかし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデル幾何学とする多様体M上のカルタン幾何学とするとき、H-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} 上定義されたカルタン接続 ω : T P → g {\\displaystyle \\omega ~:~TP\\to {\\mathfrak {g}}} は、自然に",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "というG-主バンドル上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値1-形式",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "に拡張する事ができ、 ω ̄ {\\displaystyle {\\bar {\\omega }}} はG-主バンドル Q → M {\\displaystyle Q\\to M} の接続形式である。逆に Q → M {\\displaystyle Q\\to M} を任意のG-主バンドルとし、 ω ̄ {\\displaystyle {\\bar {\\omega }}} をQ上定義された接続形式とするとき、 Q → M {\\displaystyle Q\\to M} のH-部分バンドル φ : P → Q {\\displaystyle \\varphi ~:~P\\to Q} で φ ∗ ( T P ) ∩ ker ω = { 0 } {\\displaystyle \\varphi _{*}(TP)\\cap \\ker \\omega =\\{0\\}} であり、しかも dim G = dim P {\\displaystyle \\dim G=\\dim P} であればωのTPへの制限はP上のカルタン接続になる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "なお、モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、上記のものとは別の形の関係性をカルタン接続と主接続は満たす。詳細は後述する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "定義から分かるように、カルタン幾何学の定義は g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 、およびHには依存しているが、Gには直接依存していない。これは g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 、およびHはM上のカルタン幾何学の局所的な構造を定めるのに対し、Gはクライン幾何学 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} の大域的な構造を定めるものであるため、Gが不要である事による。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "リー代数 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gは一意ではなく、これが原因で大域的な構造を定めるGはカルタン幾何学の定義に必須でないばかりか、一部の定理ではGを( g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に対応する)別のリー群に取り替える必要が生じてしまう。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "そこでGに直接言及せず、 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} を使ったカルタン幾何学の定式化も導入する。そのために以下の定義をする:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "定義 ― リー代数 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} とその部分リー代数 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} の組 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} を無限小クライン幾何学(英: infinitesimal Klein geometry)もしくはクライン対(英: Klein pair)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "Hを h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} をリー代数 とするリー群とし、さらに",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "をHの線形表現で、任意の h ∈ H {\\displaystyle h\\in H} に対し、 A d ( h ) {\\displaystyle \\mathrm {Ad} (h)} の h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} への制限 A d ( h ) | h {\\displaystyle \\mathrm {Ad} (h)|_{\\mathfrak {h}}} がHの h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} への随伴表現 A d h {\\displaystyle \\mathrm {Ad} _{\\mathfrak {h}}} と等しいものとする。ここで G L L i e ( g ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} _{\\mathrm {Lie} }({\\mathfrak {g}})} は g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 上のリー代数としての自己同型全体の集合である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "このとき、組 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "以下、特に断りがなければ、 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が効果的である事を仮定する。ここで ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が効果的であるとは、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} に含まれる g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} のイデアルが { 0 } {\\displaystyle \\{0\\}} のみである事を意味する。G、Hを g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} 、 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} に対応するリー群とすると、 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が効果的である事は、 X = G / H {\\displaystyle X=G/H} 、 K := { g ∈ G ∣ ∀ x ∈ X : g x = x } {\\displaystyle K:=\\{g\\in G\\mid \\forall x\\in X~:~gx=x\\}} とするとき、Kが離散群になる事と同値である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "定義 (無限小クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義) ― Mを多様体とし、 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "このとき、組 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} をHを伴う ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} をモデルとするM上のカルタン幾何学(英: Cartan geometry on M modeled on ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} with H)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "本節ではカルタン幾何学の最も簡単な例として、クライン幾何学のカルタン幾何学としての構造を調べる。 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をクライン幾何学とし、 M = G / H {\\displaystyle M=G/H} とし、 u 0 = [ e ] {\\displaystyle u_{0}=[e]} とする。ここで [ e ] {\\displaystyle [e]} はGの単位元eの同値類である。このとき",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "は自然にH-主バンドルとみなせる。G上のモーレー・カルタン形式 ω G {\\displaystyle \\omega ^{G}} がカルタン接続の定義を満たす事を示せるので、 ( π , G , μ ) {\\displaystyle (\\pi ,G,\\mu )} は ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学になる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "リー群Gとその閉部分リー群の組 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} を考える。Gの離散部分群 Γ {\\displaystyle \\Gamma } で、 G / H {\\displaystyle G/H} へのGからの作用 G ↷ G / H {\\displaystyle G\\curvearrowright G/H} の Γ {\\displaystyle \\Gamma } への制限 Γ ↷ G / H {\\displaystyle \\Gamma \\curvearrowright G/H} が効果的なものを考える( Γ ↷ G / H {\\displaystyle \\Gamma \\curvearrowright G/H} が効果的な事は Γ ∩ H = { e } {\\displaystyle \\Gamma \\cap H=\\{e\\}} である事と同値である)。このとき、 Γ ↷ G / H {\\displaystyle \\Gamma \\curvearrowright G/H} による商集合 M = Γ ∖ G / H {\\displaystyle M=\\Gamma \\backslash G/H} を考える。Mが連結なとき、 ( G , H , Γ ) {\\displaystyle (G,H,\\Gamma )} を局所クライン幾何学(英: locally Klein geometry)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "局所クライン幾何学M上に以下のようにカルタン幾何学を定義できる。まず Γ ↷ G / H {\\displaystyle \\Gamma \\curvearrowright G/H} が効果的なので P = Γ ∖ G {\\displaystyle P=\\Gamma \\backslash G} とすると、商写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "には自然にH-主バンドルの構造が入る。またG上のモーレー・カルタン形式 ω G {\\displaystyle \\omega ^{G}} はその定義より左不変なので、商写像 q : G → Γ ∖ G {\\displaystyle q~:~G\\to \\Gamma \\backslash G} に対し",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "を満たす一意な g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値1-形式を ω Γ ∖ G {\\displaystyle \\omega ^{\\Gamma \\backslash G}} とする事で、 P = Γ ∖ G {\\displaystyle P=\\Gamma \\backslash G} にカルタン接続 ω Γ ∖ G {\\displaystyle \\omega ^{\\Gamma \\backslash G}} がwell-definedされ、 M = Γ ∖ G / H {\\displaystyle M=\\Gamma \\backslash G/H} 上に ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学 ( π , P , ω Γ ∖ G ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega ^{\\Gamma \\backslash G})} が定義できる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "2つのカルタン幾何学の間の(局所的および大域的な)同型概念を以下のように定義する:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "定義 ― ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、M1、M2を多様体とし、 ( π 1 , P 1 , ω 1 ) {\\displaystyle (\\pi _{1},P_{1},\\omega _{1})} 、 ( π 2 , P 2 , ω 2 ) {\\displaystyle (\\pi _{2},P_{2},\\omega _{2})} をそれぞれ ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM1、M2上のカルタン幾何学とする。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "バンドル写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "で f : M 1 → M 2 {\\displaystyle f~:~M_{1}\\to M_{2}} がはめ込みであり、 f ~ : M ~ 1 → M ~ 2 {\\displaystyle {\\tilde {f}}~:~{\\tilde {M}}_{1}\\to {\\tilde {M}}_{2}} による ω 2 {\\displaystyle \\omega _{2}} の引き戻しが",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "となるものをカルタン幾何学間の局所幾何学的同型(英: local geometric isomorphism)という。とくにfが(可微分)同相写像であれば、 ( f , f ~ ) {\\displaystyle (f,{\\tilde {f}})} を幾何学的同型(英: geometric isomorphism)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "任意の p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に対して ω : T p P → ∼ g {\\displaystyle \\omega ~:~T_{p}P{\\overset {\\sim }{\\to }}{\\mathfrak {g}}} は同型写像であるので、TPはωにより",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "という同一視ができ、TPはベクトルバンドルとして自明である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "よって特に A ∈ g {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}} を各 p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に対してωの逆写像でTpPに移すことで、TP上のベクトル場を作る事ができる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "定義 (定数ベクトル場) ― A ∈ g {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}} に対し、 ω − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega ^{-1}(A)} を各点 p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に ω − 1 p ( A ) ∈ T p P {\\displaystyle \\omega ^{-1}{}_{p}(A)\\in T_{p}P} を対応させるベクトル場とする。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "このベクトル場を定数ベクトル場(英: constant vector field)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "定数ベクトル場を用いると、以下の「普遍共変微分」を定義できる:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "定義 (普遍共変微分) ― Vをベクトル空間とし、 f : P → V {\\displaystyle f~:~P\\to V} を(滑らかな)写像とする。このとき、fにベクトル場 ω − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega ^{-1}(A)} (は接ベクトル空間の元なので自然に微分作用素とみなしたもの)を作用させた",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "をfのAによる普遍共変微分(英: universal covariant derivative)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、普遍共変微分は通常の共変微分を導く。これについては後述。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "本節ではカルタン幾何学が定義された多様体の接バンドルの構造を調べる。そのために以下の定義をする。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とする。 A d {\\displaystyle \\mathrm {Ad} } はHの g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} への作用を定義するが、 A d {\\displaystyle \\mathrm {Ad} } の h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} への制限は h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 上の随伴表現である(ので A d {\\displaystyle \\mathrm {Ad} } は h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} を保つ)ことから、 A d {\\displaystyle \\mathrm {Ad} } はHの g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} への作用を誘導する。またHはH-主バンドルPに作用していたので、これの作用により、ベクトルバンドル",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "を定義できる。実はこのベクトルバンドルは接バンドルと同型である:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "定理 (接バンドルと無限小クライン幾何学の関係) ― ベクトルバンドルとしての同型",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "が成立する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "具体的には写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "はwell-definedであり、ベクトルバンドルとしての同型写像である。ここで ω p − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega _{p}{}^{-1}(A)} は同型写像 ω p : T p P → ∼ g {\\displaystyle \\omega _{p}~:~T_{p}P{\\overset {\\sim }{\\to }}{\\mathfrak {g}}} の逆写像 ω p − 1 {\\displaystyle \\omega _{p}{}^{-1}} で A ∈ g {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}} を T p P {\\displaystyle T_{p}P} に移したものである。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "クライン幾何学をカルタン幾何学とみなした場合、カルタン接続はモーレー・カルタン形式ωと等しいので、カルタン接続は構造方程式",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "を満たすが、一般のカルタン幾何学は構造方程式を満たすとは限らない。そこで以下の量を考える:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "定義 (曲率) ― カルタン接続ωを持つ多様体M上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} に対し、P上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値2-形式",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} の曲率(英: curvature)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "Ωは(局所)クライン幾何学からのズレを表す量であると解釈でき、明らかにクライン幾何学や局所クライン幾何学の曲率は恒等的に0である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "曲率は以下を満たす:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "定理 (カルタン接続のビアンキ恒等式) ― カルタン接続ωとその曲率Ωは下記の恒等式(ビアンキ恒等式、英: Bianchi identity)を満たす:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "点 u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} のファイバーPuにはHが単純推移的に作用するので、 p ∈ P u {\\displaystyle p\\in P_{u}} をfixして、 h ∈ H ↦ p h ∈ P u {\\displaystyle h\\in H\\mapsto ph\\in P_{u}} によりHとPuを同一視すると、TPu上にモーレー・カルタン形式ωが定義できる。しかもωは p ∈ P u {\\displaystyle p\\in P_{u}} の取り方に依存しないことも容易に証明できる。実は曲率のPuへの制限はωに一致する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "定理 ― 任意の u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} に対し、曲率ΩのTPuへの制限はTPu上のωに一致する。よって特に、任意の v , w ∈ T p P u {\\displaystyle v,w\\in T_{p}P_{u}} に対し、 Ω p ( v , w ) = 0 {\\displaystyle \\Omega _{p}(v,w)=0} である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "なお、実はv、wの少なくとも一方がTpPuに属していれば、 Ω p ( v , w ) = 0 {\\displaystyle \\Omega _{p}(v,w)=0} である事が知られている。よって特に次が成立する:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "定理 ― M上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値2-形式Ω'が存在し、任意の p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} と任意の v , w ∈ T p P u {\\displaystyle v,w\\in T_{p}P_{u}} に対し、以下が成立する:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "このΩ'は次節で導入する曲率関数を用いる事で具体的に記述できる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "ω p T p P → ∼ g {\\displaystyle \\omega _{p}T_{p}P{\\overset {\\sim }{\\to }}{\\mathfrak {g}}} が同型写像であったことから、写像の合成",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "を定義できる。またすでに述べたようにv、wの少なくとも一方がTpPuに属していれば、 Ω p ( v , w ) = 0 {\\displaystyle \\Omega _{p}(v,w)=0} である事が知られている事から、この写像は ∧ 2 g / h {\\displaystyle \\wedge ^{2}{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} 上の写像をwell-definedに誘導する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "定義 ― ∧ 2 g → ∼ ∧ 2 T p P → Ω g {\\displaystyle \\wedge ^{2}{\\mathfrak {g}}{\\overset {\\sim }{\\to }}\\wedge ^{2}T_{p}P{\\overset {\\Omega }{\\to }}{\\mathfrak {g}}} が ∧ 2 g / h {\\displaystyle \\wedge ^{2}{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} 上に誘導する写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} の曲率関数(英: curvature function)という。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "曲率 Ω : ∧ 2 T p P ≈ ∧ 2 g → g {\\displaystyle \\Omega ~:~\\wedge ^{2}T_{p}P\\approx \\wedge ^{2}{\\mathfrak {g}}\\to {\\mathfrak {g}}} がM上の g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} -値2-形式Ω'を誘導する事を前に見た。このΩ'は曲率関数を使って以下のように書き表す事ができる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "さらに以下の定義をする:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "定義 (捩率) ― 曲率Ωを商写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "と合成した ρ ( Ω ) {\\displaystyle \\rho (\\Omega )} はP上の g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} -値2-形式となる。 τ := ρ ( Ω ) {\\displaystyle \\tau :=\\rho (\\Omega )} をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} の捩率(英: torsion)といい、 τ {\\displaystyle \\tau } がP上恒等的に0になるカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を捩れなし(英: torsion free)であるという。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、この捩率はアフィン接続の捩率テンソルに一致する。詳細は後述。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "本節の目標は、商写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "とカルタン接続の合成 ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } の幾何学的意味を説明する事である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "まず、 ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } は以下のように特徴づける事ができる:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "定理 ( ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } の特徴づけ) ― ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } は下記を可換にする唯一の写像である:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "ここで φ p {\\displaystyle \\varphi _{p}} は [ A ] ∈ g / h {\\displaystyle [A]\\in {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} に [ ( p , [ A ] ) ] ∈ P × H , A d g / h ≈ T π ( p ) M {\\displaystyle [(p,[A])]\\in P\\times _{H,\\mathrm {Ad} }{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\approx T_{\\pi (p)}M} を対応させる写像である。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "すなわち、 ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } はモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} とH-主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} のみから決定し、カルタン接続に依存しない。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "上記の特徴付けから、 ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } の幾何学的意味は同型 P × H g / h → ∼ T M {\\displaystyle P\\times _{H}{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}{\\overset {\\sim }{\\to }}TM} に関係しているので、この同型の幾何学的意味を見る。 g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} にベクトル空間としての基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} をfixし、同型",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "による [ p , e i ] {\\displaystyle [p,e_{i}]} の像を e i p {\\displaystyle e_{i}^{p}} とすると、 e p := ( e 1 p , ... , e m p ) {\\displaystyle e^{p}:=(e_{1}^{p},\\ldots ,e_{m}^{p})} は T π ( p ) M {\\displaystyle T_{\\pi (p)}M} の基底をなす。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "よって特に、 F := { e p ∣ p ∈ P } {\\displaystyle F:=\\{e^{p}\\mid p\\in P\\}} とすると、FはM上のフレームバンドル(英語版)(=各点のファイバーがTMの基底からなるバンドル)になる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "一般には対応",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "は全単射ではないが、 P × H , A d g / h {\\displaystyle P\\times _{H,\\mathrm {Ad} }{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} の定義から、カルタン幾何学が下記の意味で「一階」であれば、この写像は全単射になる:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "定義 ― 随伴表現",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "が忠実なとき、クライン幾何学 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} (および ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルに持つカルタン幾何学)は一階(英: first order)であるといい、そうでないとき高階(英: higher order)であるという。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "以上の準備のもと、 ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } を幾何学的に意味付ける:",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "定理 ( ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } の解釈) ― 記号を上と同様に取り、カルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} が一階であるとする。このとき、 g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} の基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} で g / h ≈ R m {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\approx \\mathbb {R} ^{m}} という同一視を行うと、 v ∈ T p P ≈ T e p F {\\displaystyle v\\in T_{p}P\\approx T_{e^{p}}F} に対し、",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "は基底 e p = ( e 1 p , ... , e m p ) {\\displaystyle e^{p}=(e_{1}^{p},\\ldots ,e_{m}^{p})} で π ( v ) {\\displaystyle \\pi (v)} を成分表示したときの係数 t ( v 1 , ... , v m ) ∈ R m {\\displaystyle {}^{t}(v^{1},\\ldots ,v^{m})\\in \\mathbb {R} ^{m}} を対応させる R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} 値1-形式であるとみなせる。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "上述の定理より写像",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "は ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } に等しいので、 v ∈ T p P {\\displaystyle v\\in T_{p}P} に対し、 π ∗ ( v ) {\\displaystyle \\pi _{*}(v)} を",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "と成分表示すると、",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "が成立する。よって基底 e 1 , ... , e m ∈ g / h {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}\\in {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} により g / h ≈ R m {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\approx \\mathbb {R} ^{m}} という同一視を行うと、",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "が成立する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "上記のような、 v ∈ T e F {\\displaystyle v\\in T_{e}F} に π ∗ ( v ) = v i e i {\\displaystyle \\pi _{*}(v)=v^{i}e_{i}} となる t ( v 1 , ... , v m ) {\\displaystyle {}^{t}(v^{1},\\ldots ,v^{m})} を対応させる R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} -値1-形式をフレームバンドル上の標準形式(英: canonical form)という。上述の定理はカルタン幾何学が一階であれば ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } は標準形式として意味づけられる事を保証する。",
"title": "定義と基本概念"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "本節ではモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} が「簡約可能」という性質を満たす場合にが対するカルタン幾何学の性質を見る。具体的にはモデル幾何学がユークリッド幾何学やアフィン幾何学の場合には簡約可能になる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "まず簡約可能性を定義する:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "定義 ― モデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} が簡約可能(英: reductive)であるとは、作用 H ↷ A d g {\\displaystyle H{\\overset {\\mathrm {Ad} }{\\curvearrowright }}{\\mathfrak {g}}} により不変な部分ベクトル空間 b ⊂ g {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}\\subset {\\mathfrak {g}}} が存在し、 h ∩ b = { 0 } {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}\\cap {\\mathfrak {b}}=\\{0\\}} 、 h ⊕ b = g {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}={\\mathfrak {g}}} を満たす事を言う。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "なお、 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} の取り方は一意ではないので注意されたい。 h ∈ h {\\displaystyle h\\in {\\mathfrak {h}}} に対し、 b ′ := { h + b ∣ b ∈ b } {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}':=\\{h+b\\mid b\\in {\\mathfrak {b}}\\}} も条件を満たす。逆に条件を満たすものはこの形に限られる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "Gが2つのリー群の半直積 G = H ⋉ B {\\displaystyle G=H\\ltimes B} で書けている場合は、G、Hに対応するモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} は、Bのリー代数を b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} として選ぶ事で簡約可能である。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "よって特にユークリッド幾何学の等長変換群 I s o ( E m ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})} は直交群 O ( m ) {\\displaystyle O(m)} と平行移動のなす群の半直積で書けるので対応するモデル幾何学は簡約可能である。アフィン幾何学も同様である。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学にする多様体M上のカルタン幾何学とする。モデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} が、 h ⊕ b = g {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}={\\mathfrak {g}}} と簡約可能なとき、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元は h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} の元と b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} の元の和で一意に表現できるので、カルタン接続 ω : T P → g {\\displaystyle \\omega ~:~TP\\to {\\mathfrak {g}}} も",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "のように「 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} 部分」の和で書ける。この分解を用いると、カルタン接続と主接続の接続形式との関係性を以下のように記述できる:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "定理 (簡約可能な場合のカルタン接続と接続形式の関係) ― ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} を h ⊕ b = g {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}={\\mathfrak {g}}} と簡約可能なモデル幾何学とし、Mを多様体とし、 π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} をH-主バンドルとする。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "このときP上のカルタン接続ωを ω = ω h + ω b {\\displaystyle \\omega =\\omega _{\\mathfrak {h}}+\\omega _{\\mathfrak {b}}} と分解すると、 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} はP上の主接続の接続形式の定義を満たす。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "したがって、簡約可能なモデル幾何学の場合にはカルタン接続から主接続の接続形式 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} が得られることになる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "一方、 ω b {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {b}}} は",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "により b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} を g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} と同一視すると、 ω b {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {b}}} は ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } と同一視でき、前述のように(カルタン幾何学が一階であれば) ρ ∘ ω {\\displaystyle \\rho \\circ \\omega } は標準形式であるとみなせる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "したがって分解 ω = ω h + ω b {\\displaystyle \\omega =\\omega _{\\mathrm {h} }+\\omega _{\\mathrm {b} }} はカルタン接続 ω {\\displaystyle \\omega } を接続形式 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} と標準形式 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} に分解するものであるが、実は逆に接続形式と標準形式からカルタン接続を復元できる:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "定理 (一階で簡約可能な場合における接続形式からカルタン接続の再現) ― ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} を一階のクライン幾何学で対応するリー代数の組 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が h ⊕ b = g {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}={\\mathfrak {g}}} と簡約可能なものとする。Mを多様体とし、 π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} をTMの主バンドルとし、PをH-フレームバンドルFと前述の方法で同一視する。 さらにγをP=F上の接続形式とし、θをFの標準形式とする。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "このとき、",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "はP=F上のカルタン接続の公理を満たす。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "前述した、カルタン接続から接続形式と標準形式とに分解する定理とは丁度「逆写像」の関係にあり、簡約可能で一階の場合はカルタン接続は接続形式と標準形式との組と1対1に対応する。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "モデル幾何学が簡約可能である場合、上述したようにカルタン接続ωから定義される ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} はH-主バンドルPの接続形式になる。ベクトル空間V上のHの線形表現 γ : H → G L ( V ) {\\displaystyle \\gamma ~:~H\\to \\mathrm {GL} (V)} があれば、ベクトルバンドルとしての接続(Koszul接続)の一般論から、接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} はM上のベクトルバンドル E := P × H , γ V {\\displaystyle E:=P\\times _{H,\\gamma }V} にKoszul接続を定める。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "よって特に、接バンドルは",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "と書けたので、 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} はTM上のKoszul接続、すなわちアフィン接続∇を定める。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "このことから分かるようにモデル幾何学がアフィン幾何学でなくても、簡約可能でありさえすればアフィン接続を誘導する。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "しかし特にモデル幾何学がアフィン幾何学であれば、アフィン変換群Gの g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} 上の随伴表現は g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} 上のアフィン変換になる事を示す事ができ、この意味において T M ≈ P × H , A d g / h {\\displaystyle TM\\approx P\\times _{H,\\mathrm {Ad} }{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} はアフィン空間 g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} のバンドルとなる。後述するように、この事実が例えばモデルがユークリッド幾何学の場合には重要になる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "γ : H → G L ( V ) {\\displaystyle \\gamma ~:~H\\to \\mathrm {GL} (V)} をベクトル空間V上のHの線形表現とし、 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} がM上のベクトルバンドル E := P × H , γ V {\\displaystyle E:=P\\times _{H,\\gamma }V} に定めるKoszul接続を∇とする。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "Eの切断sと p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に対し、 s π ( p ) = [ p , f s ( p ) ] ∈ P × H , γ V = E {\\displaystyle s_{\\pi (p)}=[p,f_{s}(p)]\\in P\\times _{H,\\gamma }V=E} となる f s ( p ) {\\displaystyle f_{s}(p)} が一意に存在し、fsはPからVへの関数 f s : P → V {\\displaystyle f_{s}~:~P\\to V} とみなせる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "定理 ― M上の任意のベクトル場 X {\\displaystyle X} とEの任意の切断sに対し、以下が成立する:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "ここで X ~ {\\displaystyle {\\tilde {X}}} は π ∗ ( X ~ ) = X {\\displaystyle \\pi _{*}({\\tilde {X}})=X} となるPの接ベクトルである 。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "上記のように D ω b ( X ~ ) f s {\\displaystyle D_{\\omega _{\\mathfrak {b}}({\\tilde {X}})}f_{s}} はKoszul接続 ∇ X s {\\displaystyle \\nabla {}_{X}s} と関係するが、それに対し D ω h ( X ~ ) f s {\\displaystyle D_{\\omega _{\\mathfrak {h}}({\\tilde {X}})}f_{s}} の方は自明なものになってしまう:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "定理 ― M上の任意のベクトル場 X {\\displaystyle X} とEの任意の切断sに対し、以下が成立する:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "ここでγ*はEを定義する線形表現 γ : H → G L ( V ) {\\displaystyle \\gamma ~:~H\\to \\mathrm {GL} (V)} が誘導する写像 γ ∗ : h → { V {\\displaystyle \\gamma _{*}~:~{\\mathfrak {h}}\\to \\{V} 上の線形写像 } {\\displaystyle \\}} である。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "本節ではモデル幾何学 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} が g = h + b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}+{\\mathfrak {b}}} と簡約可能でしかも",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "となっている場合、すなわち b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} として g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の部分リー代数になっているものを取れる場合に対し、曲率の「 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} 部分」を具体的に書き表す。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "先に進む前にこの条件を満たすモデル幾何学の具体例を述べる。例えば g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gが2つのリー群の半直積 G = H ⋉ B {\\displaystyle G=H\\ltimes B} で書けている場合に、 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} としてBのリー代数を取れば上述の条件を満たす。特に、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、アフィン変換群 A f f m {\\displaystyle \\mathrm {Aff} _{m}} は線形変換 G L m ( R ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} _{m}(\\mathbb {R} )} と平行移動のなす群 B = R m {\\displaystyle B=\\mathbb {R} ^{m}} の半直積で書け、しかも b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} をBのリー代数とすると、",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "というより強い条件が成立する。モデル幾何学がユークリッド幾何学の場合も同様である。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "曲率Ωは g = h + b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}+{\\mathfrak {b}}} に値を取るので、曲率を",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "と「 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 部分」 Ω h {\\displaystyle \\Omega _{\\mathfrak {h}}} と「 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} 部分」 Ω b {\\displaystyle \\Omega _{\\mathfrak {b}}} に分解する。商写像 b ⊂ g → ρ g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}\\subset {\\mathfrak {g}}{\\overset {\\rho }{\\to }}{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} が同型になることから、 b ≈ g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}\\approx {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} という同一視をすると、",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "と Ω b {\\displaystyle \\Omega _{\\mathfrak {b}}} がカルタン幾何学の捩率 τ = ρ ( Ω ) {\\displaystyle \\tau =\\rho (\\Omega )} に対応する事が分かる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "とくにアフィン幾何学をモデルとするカルタン幾何学の場合、 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} はアフィン変換群 A f f m = G L m ( R ) ⋉ R m {\\displaystyle \\mathrm {Aff} _{m}=\\mathrm {GL} _{m}(\\mathbb {R} )\\ltimes \\mathbb {R} ^{m}} の並進部分である R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} に対応するリー代数であるので、アフィン幾何学をモデルとする場合、捩率とは並進に関する曲率であるとみなせる。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "曲率の定義から、",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "が成立するので、仮定 [ b , b ] ⊂ b {\\displaystyle [{\\mathfrak {b}},{\\mathfrak {b}}]\\subset {\\mathfrak {b}}} を使うと以下が成立する事が分かる:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "定理 (分解した場合の構造方程式) ―",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} が接続形式に対応している事から、上記の定理の1つ目の式は、接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} が定義する主接続に対する第二構造方程式である事がわかる。よって特に、 Ω h {\\displaystyle \\Omega _{\\mathfrak {h}}} は主接続の曲率形式である事がわかる。したがって",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "一方2本目の式において ω b {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {b}}} は T P → ω g → g / h ≈ b {\\displaystyle TP{\\overset {\\omega }{\\to }}{\\mathfrak {g}}\\to {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\approx {\\mathfrak {b}}} に一致し、標準形式θとして解釈できるので、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合のように [ b , b ] = { 0 } {\\displaystyle [{\\mathfrak {b}},{\\mathfrak {b}}]=\\{0\\}} であれば、2本目の式は",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "となり、第一構造方程式に対応している事が分かる。よってこの場合の捩率は接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} がTMによって定まる主接続の捩率テンソルに一致する。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "前述したカルタン接続のビアンキ恒等式",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "を「 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} 部分」に分解することで以下の定理が結論づけられる:",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "定理 (分解した場合のビアンキ恒等式) ―",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} が接続形式に対応している事から、上記の定理の1本目の式は接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} が定義する主接続に関する第二ビアンキ恒等式である。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "一方、2本目の式は、構造方程式の場合と同様、モデル幾何学がアフィン幾何学のように [ b , b ] = { 0 } {\\displaystyle [{\\mathfrak {b}},{\\mathfrak {b}}]=\\{0\\}} を満たせば、",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "と第一ビアンキ恒等式に一致する。",
"title": "簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするM上のカルタン幾何学とし、 φ : [ a , b ] → P {\\displaystyle \\varphi ~:~[a,b]\\to P} を区間 [ a , b ] {\\displaystyle [a,b]} 上定義されたP上の曲線とするtを[a,b]上の点とすると、 T φ ( t ) P {\\displaystyle T_{\\varphi (t)}P} にはカルタン接続ωにより g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元が対応している。次の事実が知られている:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 ― 記号を上述のように取り、gをGの元とするとき、G上の曲線 φ ~ : [ a , b ] → G {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}~:~[a,b]\\to G} で、任意の t ∈ [ a , b ] {\\displaystyle t\\in [a,b]} に対し、",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "が成立し、しかも φ ~ ( a ) = g {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(a)=g} を満たすものがが一意に存在するが成立する。ここで ω G {\\displaystyle \\omega ^{G}} はGのモーレー・カルタン形式である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "曲線 φ ~ {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}} を曲線 φ {\\displaystyle \\varphi } のgからのωに関する発展(英: development)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "モーレー・カルタン形式 ω G {\\displaystyle \\omega ^{G}} は、G上の接ベクトルをGの作用により g = T e G {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}=T_{e}G} に移す変換であったので、上記の定理は d φ ~ d t ( t ) {\\displaystyle {\\tfrac {d{\\tilde {\\varphi }}}{dt}}(t)} がGの作用による移動を除いて ω ( d φ d t ( t ) ) {\\displaystyle \\omega \\left({\\tfrac {d\\varphi }{dt}}(t)\\right)} に一致する事を意味する。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "上記の定理の直観的な意味を説明する。クライン幾何学 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} においてGは等質空間 G / H {\\displaystyle G/H} における同型写像のなす群であったので、そのリー代数 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元は G / H {\\displaystyle G/H} 上の「無限小同型変換」、すなわち同型写像の微分とみなせた。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "カルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} の付与された多様体Mとは「一次近似」がクライン幾何学に見える空間であり、TpPの元vpはカルタン接続により g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元と対応しており、 ω ( v p ) {\\displaystyle \\omega (v_{p})} は π ( u ) {\\displaystyle \\pi (u)} における「無限小同型変換」を意味していた。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "上記の定理は曲線 φ {\\displaystyle \\varphi } に沿って「無限小同型変換」である g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元 ω ( d φ d t ( t ) ) {\\displaystyle \\omega \\left({\\tfrac {d\\varphi }{dt}}(t)\\right)} を束ねていくとその「積分曲線」として同型変換であるGの元 φ ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(t)} があらわれる事を意味している。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "もしMが G / H {\\displaystyle G/H} そのものであれば、この同型変換 φ ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(t)} は実際にM上の同型変換になる事を後述する。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "補題 ― c : [ a , b ] → M {\\displaystyle c~:~[a,b]\\to M} をM上の曲線とし、 φ : [ a , b ] → P {\\displaystyle \\varphi ~:~[a,b]\\to P} を h : [ a , b ] → H {\\displaystyle h~:~[a,b]\\to H} を曲線とする。このとき、 φ ( t ) {\\displaystyle \\varphi (t)} の発展 φ ~ ( t ) : [ a , b ] → P {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(t)~:~[a,b]\\to P} と φ ( t ) h ( t ) {\\displaystyle \\varphi (t)h(t)} の発展 φ ( t ) h ( t ) ~ {\\displaystyle {\\widetilde {\\varphi (t)h(t)}}} は以下を満たす:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "q : G → G / H {\\displaystyle q~:~G\\to G/H} をGから G / H {\\displaystyle G/H} への商写像とすると、上記の補題から次が成立する:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 ― c : [ a , b ] → M {\\displaystyle c~:~[a,b]\\to M} をM上の曲線とし、xを G / H {\\displaystyle G/H} の元とする。 π ( φ ( t ) ) = c ( t ) {\\displaystyle \\pi (\\varphi (t))=c(t)} を満たすP上の曲線と q ( g ) = x {\\displaystyle q(g)=x} を満たす g ∈ G {\\displaystyle g\\in G} を任意に選んで φ {\\displaystyle \\varphi } のgからの発展 φ ~ : [ a , b ] → G {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}~:~[a,b]\\to G} を作り、 G / H {\\displaystyle G/H} 上の曲線",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "を考えると、 c ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(t)} は φ ~ {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}} 、gの取り方によらずwell-definedである。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "曲線 c ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(t)} を c ( t ) {\\displaystyle c(t)} の G / H {\\displaystyle G/H} におけるxからのωに関する発展(英: development)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 193,
"tag": "p",
"text": "Mが連結であるとし、 u 0 ∈ M {\\displaystyle u_{0}\\in M} と π ( p 0 ) = u 0 {\\displaystyle \\pi (p_{0})=u_{0}} を満たす p 0 ∈ P {\\displaystyle p_{0}\\in P} をfixし、 c : [ a , b ] → M {\\displaystyle c~:~[a,b]\\to M} をu0を基点とするM上の閉曲線とする。 π ( φ ( t ) ) = c ( t ) {\\displaystyle \\pi (\\varphi (t))=c(t)} を満たすP上の閉曲線 φ : [ a , b ] → P {\\displaystyle \\varphi ~:~[a,b]\\to P} でp0を基点とするものとすると、前述した補題から、 φ {\\displaystyle \\varphi } の単位元 e ∈ G {\\displaystyle e\\in G} からの発展 φ ~ : I → G {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}~:~I\\to G} の終点 φ ~ ( b ) {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(b)} は φ {\\displaystyle \\varphi } の取り方によらず等しい。そこで以下のような定義をする:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 194,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 ― 記号を上のように取り、 Ω ( M , u 0 ) {\\displaystyle \\Omega (M,u_{0})} をu0を基点とする閉曲線全体の空間(英語版)とする。このとき、",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 195,
"tag": "p",
"text": "は閉曲線の結合に関して準同型であり、 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} はGの部分群をなす。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 196,
"tag": "p",
"text": "Φ p 0 ( c ) {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}}(c)} を閉曲線cの基点u0のリフトp0に関するホロノミー(英: holonomy with respect to p0)といい、 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} をp0に関するM上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} のホロノミー群(英: holonomy group of ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} with respect to p0)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 197,
"tag": "p",
"text": "ホロノミー群は基点やそのリフトを取り替えても、共役を除いて一意に定義できる。実際、基点u0のリフトp0を別の点p0h, where h ∈ H {\\displaystyle h\\in H} に取り替えると、ホロノミーは Φ p 0 h ( c ) = h − 1 Φ p 0 ( c ) h {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}h}(c)=h^{-1}\\Phi ^{p_{0}}(c)h} を満たす。また基点u0を別の基点u1に変えると、 Φ p 1 ( Ω ( M , u 1 ) ) = g − 1 Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) g {\\displaystyle \\Phi ^{p_{1}}(\\Omega (M,u_{1}))=g^{-1}\\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))g} を満たす g ∈ G {\\displaystyle g\\in G} が存在する。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 198,
"tag": "p",
"text": "Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} の元のうち、0-ホモトープな閉曲線全体 Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi _{0}^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} は Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} の正規部分群になる。 Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Phi _{0}^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} を制限ホロノミー群(英: restricted holonomy group)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 199,
"tag": "p",
"text": "写像 Ω ( M , u 0 ) → Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) → Φ p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) / Φ 0 p 0 ( Ω ( M , u 0 ) ) {\\displaystyle \\Omega (M,u_{0})\\to \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))\\to \\Phi ^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))/\\Phi _{0}^{p_{0}}(\\Omega (M,u_{0}))} は基本群 π 1 ( M , u 0 ) {\\displaystyle \\pi _{1}(M,u_{0})} からの群準同型写像",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 200,
"tag": "p",
"text": "をwell-definedに誘導する。上記の写像をカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} のモノドロミー表現(英: monodromy representation of ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} )という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 201,
"tag": "p",
"text": "定義 ― なんらかの A ∈ g {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}} に対し、定数ベクトル場(定義は前述) ω − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega ^{-1}(A)} の積分曲線を π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} でMに射影したものをM上の一般化円(英: generarized circle)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 202,
"tag": "p",
"text": "また ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、なんらかの A ∈ b {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {b}}} に対し、定数ベクトル場 ω − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega ^{-1}(A)} の積分曲線を π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} でMに射影したものをM上の測地線(英: geodesic)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 203,
"tag": "p",
"text": "特にクライン幾何学 ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} に対し、 G / H {\\displaystyle G/H} 上の一般化円は、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} の元の1-パラメーター変換群の軌跡の G / H {\\displaystyle G/H} への射影である。よって「一般化円」という名称であるが、ユークリッド幾何学での「一般化円」は螺旋になる事もあるので注意されたい",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 204,
"tag": "p",
"text": "( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} に属する元のG上の1-パラメーター変換群の軌跡の G / H {\\displaystyle G/H} への射影を直線(英: straight line)という。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 205,
"tag": "p",
"text": "この事実を使うと、一般化円と測地線は以下のように言い換える事ができる:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 206,
"tag": "p",
"text": "定理 ― ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするクライン幾何学の定義された多様体M上の曲線が一般化円になる必要十分条件は、その一般化円の発展が G / H {\\displaystyle G/H} 上の一般化円になる事である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 207,
"tag": "p",
"text": "同様に ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}} と簡約可能なとき、 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} がM上の測地線(英: geodesic)となる必要十分条件は、 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} の発展 c ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(t)} が G / H {\\displaystyle G/H} 上の直線である事である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 208,
"tag": "p",
"text": "前述したように、 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が簡約可能なときは、TM上にアフィン接続∇が定義できるので、 ∇ d t d d t c = 0 {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{dt}}{\\tfrac {d}{dt}}c=0} となる曲線を測地線として定義する事もできる。この2つの測地線の定義は同値である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 209,
"tag": "p",
"text": "定理 ― ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が g = h ⊕ b {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}={\\mathfrak {h}}\\oplus {\\mathfrak {b}}} と簡約可能であるとし、カルタン接続ωを ω = ω h + ω b {\\displaystyle \\omega =\\omega _{\\mathfrak {h}}+\\omega _{\\mathfrak {b}}} と分解したときPの主接続(の接続形式) ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} がTMに T M ≈ F H × H g / h {\\displaystyle TM\\approx F_{H}\\times _{H}{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} に誘導するアフィン接続を∇とする。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 210,
"tag": "p",
"text": "このとき、M上の曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} が上述したカルタン幾何学における測地線である必要十分条件は、以下が成立する事である:",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 211,
"tag": "p",
"text": "証明に入る前にまず記号を整理し、簡単な考察をする。Hを構造群とする主バンドル P {\\displaystyle P} を、TM上のH-フレームバンドル F H {\\displaystyle F_{H}} と自然に同一視する。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 212,
"tag": "p",
"text": "各 e ∈ F H ( T M ) ≈ P {\\displaystyle e\\in F_{H}(TM)\\approx P} に対し、 ω : T p F H ( T M ) → g {\\displaystyle \\omega ~:~T_{p}F_{H}(TM)\\to {\\mathfrak {g}}} が同型だったので、自然に T F H ≈ F H × g {\\displaystyle TF_{H}\\approx F_{H}\\times {\\mathfrak {g}}} とみなせる。これを写像 ρ : g → g / h ≈ b {\\displaystyle \\rho ~:~{\\mathfrak {g}}\\to {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\approx {\\mathfrak {b}}} とあわせると可換図式",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 213,
"tag": "p",
"text": "が描け、 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} にベクトル空間としての基底をfixして b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} の元を v = ( v 1 , ... , v m ) {\\displaystyle v=(v^{1},\\ldots ,v^{m})} と書くと、 e = ( e 1 , ... , e m ) ∈ F H {\\displaystyle e=(e_{1},\\ldots ,e_{m})\\in F_{H}} とvの組 [ e , v ] ∈ F H × H b {\\displaystyle [e,v]\\in F_{H}\\times _{H}{\\mathfrak {b}}} に対応するTMの元は ∑ i v i e i {\\displaystyle \\textstyle \\sum _{i}v^{i}e_{i}} である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 214,
"tag": "p",
"text": "∇は ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} が誘導するアフィン接続であったので、以上のことからM上の曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} 上のFHの切断 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\\ldots ,e_{m}(t))} が ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} に関して平行である必要十分条件は、 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\\ldots ,e_{m}(t))} をTMの基底とみなしたとき、 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\\ldots ,e_{m}(t))} が∇に関して平行な基底である事である。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 215,
"tag": "p",
"text": "( ⇒ {\\displaystyle \\Rightarrow } )M上の曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} がカルタン幾何学における測地線の定義を満たせば、測地線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} はなんらかの B ∈ b {\\displaystyle B\\in {\\mathfrak {b}}} となんらかの e = ( e 1 , ... , e m ) ∈ F H ( T M ) {\\displaystyle e=(e_{1},\\ldots ,e_{m})\\in F_{H}(TM)} を使って",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 216,
"tag": "p",
"text": "と書けるので、前述の可換図式から",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 217,
"tag": "p",
"text": "である。基底 e ( t ) {\\displaystyle e(t)} は c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って平行なので、 d c d t {\\displaystyle {\\tfrac {dc}{dt}}} も c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って平行であり、これは ∇ d t d d t c = 0 {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{dt}}{\\tfrac {d}{dt}}c=0} となる事を意味する。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 218,
"tag": "p",
"text": "( ⇐ {\\displaystyle \\Leftarrow } )M上の曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} が通常の意味での測地線、すなわち ∇ d t d d t c = 0 {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{dt}}{\\tfrac {d}{dt}}c=0} であれば、 d c d t {\\displaystyle {\\tfrac {dc}{dt}}} は c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って平行である。よって基底 e ( t ) = ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\\displaystyle e(t)=(e_{1}(t),\\ldots ,e_{m}(t))} を c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って平行なように選ぶと、",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 219,
"tag": "p",
"text": "となる B ∈ b {\\displaystyle B\\in {\\mathfrak {b}}} が存在する。したがって",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 220,
"tag": "p",
"text": "と書ける。",
"title": "曲線の発展"
},
{
"paragraph_id": 221,
"tag": "p",
"text": "カルタン幾何学はクライン幾何学をモデルとしており、しかも(局所)クライン幾何学はカルタン幾何学として平坦(英: flat)、すなわち曲率が恒等的に0である事を前述した。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 222,
"tag": "p",
"text": "本章はこの逆向きについて述べる。すなわち平坦なカルタン幾何学がいかなる条件を満たせば局所クライン幾何学と等しいかを特定するのが本章の目標である。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 223,
"tag": "p",
"text": "ダルブー導関数の一般論から、以下が従う:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 224,
"tag": "p",
"text": "定理 ― ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} を対応するリー代数の組 ( g , h ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})} が効果的なクライン幾何学とする。Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするM上のカルタン幾何学とする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 225,
"tag": "p",
"text": "このとき、Mの普遍被覆空間 q : M ~ → M {\\displaystyle q^{:}~{\\tilde {M}}\\to M} に主バンドル π : P → M {\\displaystyle \\pi ~:~P\\to M} とカルタン接続ωを引き戻したものをそれぞれ π ~ : P ~ → M ~ {\\displaystyle {\\tilde {\\pi }}~:~{\\tilde {P}}\\to {\\tilde {M}}} 、 ω ~ {\\displaystyle {\\tilde {\\omega }}} とする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 226,
"tag": "p",
"text": "このとき ( π ~ , P ~ , ω ~ ) {\\displaystyle ({\\tilde {\\pi }},{\\tilde {P}},{\\tilde {\\omega }})} は M ~ {\\displaystyle {\\tilde {M}}} 上の ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルとするカルタン幾何学となり、局所幾何学的同型",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 227,
"tag": "p",
"text": "が存在する。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 228,
"tag": "p",
"text": "よって特に、Mの点uの十分小さい開近傍 U {\\displaystyle U} を取り、 U {\\displaystyle U} 上に ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を制限した ( π | U , P U , ω U ) {\\displaystyle (\\pi |_{U},P_{U},\\omega _{U})} は(Uの M ~ {\\displaystyle {\\tilde {M}}} へのリフトを考えることで)局所幾何学的同型 ( U , P U ) → ( G / H , G ) {\\displaystyle (U,P_{U})\\to (G/H,G)} を持つことが分かる。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 229,
"tag": "p",
"text": "このように被覆空間を考えたり、あるいは各点の開近傍に制限したりすれば、平坦なカルタン幾何学がクライン幾何学に局所幾何学的同型である事を示す事ができる。しかしこれだけではM自身が(局所)クライン幾何学と幾何学的同型になるか否かはわからない。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 230,
"tag": "p",
"text": "そこで本章ではまずM自身が局所クライン幾何学と幾何学的同型になる条件を定式化し、次にこれらの条件を満たす平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と幾何学同型になる事を見る。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 231,
"tag": "p",
"text": "本節では平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と同型であるための条件である「幾何学的向き付け可能性」と「完備性」を定義する。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 232,
"tag": "p",
"text": "幾何学的向きを定義するため、まず記号を導入する。Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とし、Gを g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に対応するリー群の一つとすると、その随伴表現 A d : G → G L L i e ( g ) {\\displaystyle \\mathrm {Ad} ~:G~\\to \\mathrm {GL} _{\\mathrm {Lie} }({\\mathfrak {g}})} はリー群間の写像なので、対応するリー代数間の写像",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 233,
"tag": "p",
"text": "を誘導する。adはリー代数 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} に対応するリー群Gの取り方によらずwell-definedであり、",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 234,
"tag": "p",
"text": "が成立する。adとカルタン接続の合成",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 235,
"tag": "p",
"text": "を考え、以下の定義をする:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 236,
"tag": "p",
"text": "定義 ― 記号を上と同様に取り、 p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} を取る。クライン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} に対し、 h ∈ H {\\displaystyle h\\in H} が基点 p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に関して幾何学的な向きを保つ(英: geometrically orientation preserving with respect to the base point p)とは、pとphを結ぶP上の曲線 φ ( t ) {\\displaystyle \\varphi (t)} で以下の条件を満たすものが存在する事を言う:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 237,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 ― Pが連結であれば幾何学的向き付けの定義はpに依存しない。Pが連結なとき、幾何学的向き付け可能なHの元全体の集合を H o r {\\displaystyle H_{\\mathrm {or} }} と書く。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 238,
"tag": "p",
"text": "adの定義より、曲線 φ ( t ) {\\displaystyle \\varphi (t)} がPのファイバー P π ( p ) {\\displaystyle P_{\\pi (p)}} 内にあれば、その発展 φ ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {\\varphi }}(t)} の終点は必ず A d ( h ) {\\displaystyle \\mathrm {Ad} (h)} になる。よって H e {\\displaystyle H_{e}} を単位元eを含むHの連結成分とすると",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 239,
"tag": "p",
"text": "が成立する。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 240,
"tag": "p",
"text": "しかし上記の定義は曲線 φ ( t ) {\\displaystyle \\varphi (t)} がファイバー P π ( p ) {\\displaystyle P_{\\pi (p)}} 内に収まる事は仮定しておらず、よって一般にはHorの方がHeより大きいこともある。なお、Pが連結であれば、HorはHの正規部分群になる事が知られている。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 241,
"tag": "p",
"text": "定義 ― Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学でPが連結であるものする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 242,
"tag": "p",
"text": "次が成立する:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 243,
"tag": "p",
"text": "定義 ― 局所クライン幾何学 ( G , H , Γ ) {\\displaystyle (G,H,\\Gamma )} (に定まるクライン幾何学)は、Gが連結なら幾何学的向き付け可能である。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 244,
"tag": "p",
"text": "Mを多様体とし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とするM上のカルタン幾何学とする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 245,
"tag": "p",
"text": "定義 ― ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} が以下を満たすとき、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} は完備(英: complete)であるという",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 246,
"tag": "p",
"text": "定理 ― 局所クライン幾何学 ( G , H , Γ ) {\\displaystyle (G,H,\\Gamma )} (に対応するカルタン幾何学)は完備である。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 247,
"tag": "p",
"text": "局所クライン幾何学におけるカルタン接続ωの定義より、 ω p − 1 ( A ) {\\displaystyle \\omega _{p}{}^{-1}(A)} を P = Γ ∖ G {\\displaystyle P=\\Gamma \\backslash G} の被覆空間であるGに引き戻したもを A _ {\\displaystyle {\\underline {A}}} とすると、 A _ {\\displaystyle {\\underline {A}}} は A ∈ g = T e G {\\displaystyle A\\in {\\mathfrak {g}}=T_{e}G} を通る左不変ベクトル場であるので、 exp ( t ω g − 1 ( A ) ) {\\displaystyle \\exp(t\\omega _{g}{}^{-1}(A))} は任意の任意の g ∈ G {\\displaystyle g\\in G} および任意の t ∈ R {\\displaystyle t\\in \\mathbb {R} } に対し定義可能であり、任意の p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} および任意の t ∈ R {\\displaystyle t\\in \\mathbb {R} } に対し、 exp ( t ω p − 1 ( A ) ) {\\displaystyle \\exp(t\\omega _{p}{}^{-1}(A))} は exp ( t ω g − 1 ( A ) ) {\\displaystyle \\exp(t\\omega _{g}{}^{-1}(A))} を P = Γ ∖ G {\\displaystyle P=\\Gamma \\backslash G} に射影したものであるので、定理が成立する。ここでpはgの商写像による像である。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 248,
"tag": "p",
"text": "完備かつ平坦で幾何学的に向き付可能なカルタン幾何学は局所クライン幾何学と幾何学的同型になる:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 249,
"tag": "p",
"text": "定義 ― Mを連結な多様体とし、 ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデル幾何学とし、 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} をM上の ( g , h , H , A d ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}},H,\\mathrm {Ad} )} をモデルとする平坦かつ完備で幾何学的に向き付けられたカルタン幾何学とする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 250,
"tag": "p",
"text": "このとき、 g {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}} をリー代数とする連結なリー群GでHを閉部分群として含むものと、Gの部分群Γで局所クライン幾何学 Γ ∖ G / H {\\displaystyle \\Gamma \\backslash G/H} とその上のカルタン幾何学構造 ( Γ ∖ G , ω Γ ∖ G ) {\\displaystyle (\\Gamma \\backslash G,\\omega ^{\\Gamma \\backslash G})} がMとその上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} と幾何学的同型になる。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 251,
"tag": "p",
"text": "なお、すでに見たように局所クライン幾何学は平坦かつ完備であり、しかもGが連結であれば局所クライン幾何学はカルタン幾何学として向き付け可能であるので、連結なGを考える場合は、これ以上条件を減らす事はできない。 なお、Gを固定すると、上述の定理が存在を保証するΓは共役を除いて一意に定まる:",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 252,
"tag": "p",
"text": "定義 ― M 1 = Γ 1 ∖ G / H {\\displaystyle M_{1}=\\Gamma _{1}\\backslash G/H} 、 M 2 = Γ 2 ∖ G / H {\\displaystyle M_{2}=\\Gamma _{2}\\backslash G/H} を ( G , H ) {\\displaystyle (G,H)} をモデルに持つ2つの局所クライン幾何学とする。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 253,
"tag": "p",
"text": "このとき、M1とM2がクライン幾何学として幾何学的同型であれば、ある g ∈ G {\\displaystyle g\\in G} が存在し、 Γ 2 = g Γ 1 g − 1 {\\displaystyle \\Gamma _{2}=g\\Gamma _{1}g^{-1}} であり、しかもM1とM2はgの左からの作用 L g : G → G {\\displaystyle L_{g}~:~G\\to G} から誘導される。",
"title": "クライン幾何学との関係"
},
{
"paragraph_id": 254,
"tag": "p",
"text": "本章ではモデル幾何学がユークリッド幾何学の場合を考える。すなわち、モデルとするクライン幾何学がユークリッド空間 E m {\\displaystyle \\mathbb {E} ^{m}} 上の等長変換群 I s o ( E m ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})} と直交群 O ( m ) {\\displaystyle O(m)} の組 ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\\displaystyle (G,H)=(\\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m}),O(m))} である場合の、多様体M上のカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} を考える。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 255,
"tag": "p",
"text": "本節では以下の定理を示す:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 256,
"tag": "p",
"text": "定理 ― ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学には、Mに標準的なリーマン計量が定数倍を除いて一意に定まる。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 257,
"tag": "p",
"text": "これを示すため、 g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} の性質を調べる。 I s o ( E m ) {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})} は随伴表現Adにより g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} に作用するが、 I s o ( E m ) = O ( m ) ⋉ R m {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})=O(m)\\ltimes \\mathbb {R} ^{m}} における O ( m ) {\\displaystyle O(m)} は原点を中心とする回転として、 R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} は平行移動として g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} に作用する事を簡単な計算により確かめられる。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 258,
"tag": "p",
"text": "よって g / h {\\displaystyle {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} 上には O ( m ) {\\displaystyle O(m)} により不変な内積 q : g / h × g / h → R {\\displaystyle q~:~{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\times {\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}\\to \\mathbb {R} } が定数倍を除いて一意に定まる。前述したように T M ≈ T P × H , A d g / h {\\displaystyle TM\\approx TP\\times _{H,\\mathrm {Ad} }{\\mathfrak {g}}/{\\mathfrak {h}}} であるので、 p ∈ P {\\displaystyle p\\in P} に対し、写像",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 259,
"tag": "p",
"text": "が定義できる。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 260,
"tag": "p",
"text": "そこで u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} に対しTuMの計量を p ∈ P u {\\displaystyle p\\in P_{u}} を任意に選んで",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 261,
"tag": "p",
"text": "により定義すると g u ( v , w ) {\\displaystyle g_{u}(v,w)} が p ∈ P u {\\displaystyle p\\in P_{u}} によらずwell-definedされる事が知られており、M上にリーマン計量gが定まる。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 262,
"tag": "p",
"text": "I s o ( E m ) = O ( m ) ⋉ R m {\\displaystyle \\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})=O(m)\\ltimes \\mathbb {R} ^{m}} と半直積で書けるので、リー代数の組 ( g , h ) = ( i s o ( E m ) , o ( m ) ) {\\displaystyle ({\\mathfrak {g}},{\\mathfrak {h}})=({\\mathfrak {iso}}(\\mathbb {E} ^{m}),{\\mathfrak {o}}(m))} は b = R m {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}=\\mathbb {R} ^{m}} を使って簡約可能であり、しかも ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\\displaystyle (G,H)=(\\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m}),O(m))} は一階である。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 263,
"tag": "p",
"text": "よって前述のようにカルタン接続ωを「 h {\\displaystyle {\\mathfrak {h}}} 部分」と「 b {\\displaystyle {\\mathfrak {b}}} 部分」に分けて ω = ω h + ω b {\\displaystyle \\omega =\\omega _{\\mathfrak {h}}+\\omega _{\\mathfrak {b}}} と書くことができ、 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} は主バンドルP上の接続形式になり、 ω b {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {b}}} が標準形式となる。逆に ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} と ω b {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {b}}} からωが復元できる事もすでに示した。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 264,
"tag": "p",
"text": "接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} がTMに誘導するアフィン接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } を定義する事ができ、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } は以下を満たす:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 265,
"tag": "p",
"text": "定理 ― ∇ {\\displaystyle \\nabla } は標準的な計量と両立する。すなわち前節で定義した標準的なリーマン計量gに対し、",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 266,
"tag": "p",
"text": "がM上の任意のベクトル場X、Y、Zに対して成立する。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 267,
"tag": "p",
"text": "すでに述べたようにTMは O ( m ) {\\displaystyle O(m)} -主バンドルPを使って",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 268,
"tag": "p",
"text": "と書け、しかもPは O ( m ) {\\displaystyle O(m)} -フレームバンドルとして解釈できたので、以下PをフレームバンドルとみなしたものをFと書く。前述した計量の作り方から計量gはFの元を正規直交基底にする。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 269,
"tag": "p",
"text": "一方 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} は",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 270,
"tag": "p",
"text": "に値を取るので、(Fに属する)正規直交基底において接続形式 ω h {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}} を ω h = ( ω i j ) i j {\\displaystyle \\omega _{\\mathfrak {h}}=(\\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} と成分表示すると、 ω i j = − ω j i {\\displaystyle \\omega ^{i}{}_{j}=-\\omega ^{j}{}_{i}} が成立する。よってTMの局所的な正規直交基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} を取ると、",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 271,
"tag": "p",
"text": "が成立する(最後の等式は i = k {\\displaystyle i=k} のときのみ g ( e i , e k ) = 1 {\\displaystyle g(e_{i},e_{k})=1} な事を使った)。よって",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 272,
"tag": "p",
"text": "が成立するので、 Y = e j {\\displaystyle Y=e_{j}} 、 Z = e k {\\displaystyle Z=e_{k}} の場合に定理が示された。一般の場合は、上式から簡単な計算により従う。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 273,
"tag": "p",
"text": "しかし ∇ {\\displaystyle \\nabla } の捩率は0とは限らない。もし ∇ {\\displaystyle \\nabla } の捩率が0であればリーマン幾何学の基本定理より、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } はレヴィ・チヴィタ接続に一致する。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 274,
"tag": "p",
"text": "以上の考察から、カルタン幾何学の立場から見るとリーマン幾何学とは、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学で捩率が0のものとして(計量の定数倍を除き)特徴づけられる幾何学である。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 275,
"tag": "p",
"text": "上述のようにリーマン多様体にはユークリッド幾何学 ( G , H ) = ( I s o ( E m ) , O ( m ) ) {\\displaystyle (G,H)=(\\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m}),O(m))} をモデルとする捩れのないカルタン幾何学 ( π , P , ω ) {\\displaystyle (\\pi ,P,\\omega )} の構造が入る。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 276,
"tag": "p",
"text": "m次元リーマン多様体M上に曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} を取り(図の青の線)、 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿ってMをm次元平面 R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} 上を「滑ったり」「ねじれたり」することなく転がしたときにできる曲線の軌跡を c ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(t)} とする(図の紫の線)。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 277,
"tag": "p",
"text": "このとき、次が成立することが知られている:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 278,
"tag": "p",
"text": "定理 ― 記号を上述のように取る。このとき、 c ~ ( t ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(t)} は等質空間 G / H = I s o ( E m ) / O ( m ) ≈ R m {\\displaystyle G/H=\\mathrm {Iso} (\\mathbb {E} ^{m})/O(m)\\approx \\mathbb {R} ^{m}} への発展に一致する。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 279,
"tag": "p",
"text": "また、Mをm次元平面 R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} 上滑りもねじれもなく転がすと、時刻tに c ( t ) {\\displaystyle c(t)} が R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} に接した瞬間に T c ( t ) M {\\displaystyle T_{c(t)}M} が R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} に重なるので、自然に写像",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 280,
"tag": "p",
"text": "が定義できる。この写像を使うと、Mのレヴィ・チヴィタ接続∇の幾何学的意味を述べることができる:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 281,
"tag": "p",
"text": "定理 ― v ( t ) ∈ T c ( t ) M {\\displaystyle v(t)\\in T_{c(t)}M} を c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿ったM上のベクトル場とすると、以下が成立する:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 282,
"tag": "p",
"text": "すなわち、曲線に沿った v ( t ) {\\displaystyle v(t)} の共変微分を R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} に移したものは、 v ( t ) {\\displaystyle v(t)} を移したものを通常の意味で微分したものに一致する。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 283,
"tag": "p",
"text": "よって特に以下が成立する:",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
},
{
"paragraph_id": 284,
"tag": "p",
"text": "系 ― c ( a ) {\\displaystyle c(a)} における接ベクトル v {\\displaystyle v} をM上曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って(レヴィ・チヴィタ接続の意味で)平行移動したものを v ′ {\\displaystyle v'} とするとき、 c ~ ( a ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(a)} におけるベクトル φ a ( v ) {\\displaystyle \\varphi _{a}(v)} を R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} 上 c ~ ( b ) {\\displaystyle {\\tilde {c}}(b)} まで通常の意味で平行移動したものは φ b ( v ′ ) {\\displaystyle \\varphi _{b}(v')} に等しい。",
"title": "ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学"
}
] | カルタン幾何学(かるたんきかがく)とは、微分幾何学における概念で、多様体の各点における「一次近似」がクラインの幾何学とみなせるものの事である。カルタンの幾何学はクラインの幾何学とリーマン幾何学を包括する幾何学概念として提案された。 以下、本項では特に断りがない限り、単に多様体、関数、バンドル等といった場合はC∞級のものを考える。また特に断りがない限りベクトル空間は実数体上のものを考える。 | {{Pathnavbox|{{Pathnav|[[数学]]|[[幾何学]]|[[多様体論]]|[[微分幾何学]]}}}}
'''カルタン幾何学'''{{Refn|カルタン幾何学を説明した日本語の文献が見つからなかったので、本項の専門用語はいずれも本項執筆者が暫定的に訳したものである。|group=注}}(かるたんきかがく)({{lang-en-short|Cartan geometry}})とは、[[微分幾何学]]における概念で、[[多様体]]の各点における「[[一次近似]]」がクラインの幾何学とみなせるものの事である。カルタンの幾何学はクラインの幾何学と[[リーマン幾何学]]を包括する幾何学概念として提案された。
以下、本項では特に断りがない限り、単に[[多様体]]、[[関数 (数学)|関数]]、[[ファイバー束|バンドル]]等といった場合は{{mvar|C{{sup|∞}}}}級のものを考える。また特に断りがない限りベクトル空間は実数体上のものを考える。
== 概要 ==
{{See also|エルランゲン・プログラム}}
カルタン幾何学の背景にあるのは[[フェリックス・クライン|クライン]]の'''[[エルランゲン・プログラム]]'''である。エルランゲン・プログラムは、当時「[[幾何学]]」、例えば[[ユークリッド幾何学]]、[[双曲幾何学]]、[[球面幾何学]]、[[射影幾何学]]等が乱立していた状況に対し、それらを統一する手法を提案したものであり、今日の言葉で言えば、これらはいずれも[[等質空間]]の概念を使う事で統一的に記述できる事を示した。
すなわち'''クラインの意味での幾何学'''(以下単に'''クライン幾何学'''と呼ぶ)とは、[[リー群]]{{Mvar|G}}とその閉部分リー群{{Mvar|H}}の組<math>(G,H)</math>を等質空間<math>M=G/H</math>上に「幾何学を保つ」変換群{{Mvar|G}}が作用しており、{{Mvar|X}}上の一点の[[群作用|等方部分群]]が{{Mvar|H}}であるとみなしたものである。
しかしエルランゲン・プログラムには、当時すでに知られていた'''[[リーマン幾何学]]'''が記述できない、という限界があった。実際[[リーマン多様体]]は等質空間にはなっていないので、エルランゲン・プログラムでは記述できない。
'''カルタンの意味での幾何学'''(以下単に'''カルタン幾何学'''と呼ぶ)は上記の事情を背景に、クラインの幾何学とリーマン幾何学を包含する形で定義された幾何学概念である<ref>[[#Sharpe]] p.61.</ref>:
{|
|+
| rowspan="3" |[[ユークリッド幾何学]]
|一般化
| rowspan="3" |[[エルランゲン・プログラム|クラインの幾何学]]
|-
| →
|-
|
|-
| ↓一般化
|
| ↓一般化
|-
| rowspan="3" |[[リーマン幾何学]]
|一般化
| rowspan="3" |カルタン幾何学
|-
| →
|-
|
|}
多様体自身にクライン幾何学の構造が入れば、すなわち<math>M=G/H</math>であれば、{{Mvar|M}}の各点の接ベクトル空間は自然に<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>と同型になる。ここで<math>\mathfrak{g}</math>、<math>\mathfrak{h}</math>はそれぞれ{{Mvar|G}}、{{Mvar|H}}の[[リー代数]]である。
そこでちょうどリーマン幾何学の「一次近似」である[[接ベクトル空間]]がユークリッド幾何学になっているように、カルタン幾何学では、多様体{{Mvar|M}}の「一次近似」である接ベクトル空間に、クライン幾何学<math>G/H</math>の「一次近似」である<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>を対応させる。このとき、多様体{{Mvar|M}}には等質空間<math>G/H</math>を'''モデル空間'''とするカルタンの幾何学の構造が入っている、という。
しかしあくまで「一次近似」がクラインの幾何学と等しいだけなので、実際にはカルタン幾何学はクライン幾何学とはズレる。このズレを図るのがの'''[[曲率]]'''である。
[[ファイル:Model_space_development.svg|右|サムネイル|滑りとねじれのない転がし]]
カルタン幾何学を導入するもう一つの動機が'''[[滑りとねじれのない転がし]]'''である。これは{{Mvar|m}}次元のリーマン多様体を{{Mvar|m}}次元平面上「滑ったり」、「捻れたり」する事なく「転がした」ときにできる軌跡に関する研究である。
この軌跡はユークリッド幾何学をモデルにするカルタン幾何学を使うことで定式化が可能であり、曲線の'''発展'''という。ユークリッド幾何学は{{Mvar|m}}[[次元]][[平面]]上の幾何学であるので、{{Mvar|m}}次元平面上の[[軌跡 (数学)|軌跡]]になるが、一般のクライン幾何学<math>(G,H)</math>をモデルとするカルタン幾何学の発展は、<math>M=G/H</math>上の軌跡となる。
== 定義の背後にある直観{{Anchors|直観的説明の章}} ==
本節では<ref>[[#Erickson]] 4.1節</ref>を参考に、2次元ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学を直観的に説明する。<math>\mathbb{E}^2</math>を2次元ユークリッド空間とし、<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^2
)</math>を<math>\mathbb{E}^2</math>の[[等長写像|合同変換群]]とする。すなわち<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^2)</math>は<math>A \in O(2)</math>と<math>b \in \mathbb{R}^2</math>を使って<math>x \mapsto Ax +b</math>と書ける[[変換 (数学)|変換]]全体の[[集合]]である。<math>\mathbb{E}^2</math>は<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^2)/O(2) </math>と同一視できる。
{{Mvar|M}}を2次元[[多様体]]とし、{{Mvar|M}}上に人が一人立っているとする。人が立っている場所を<math>u \in M </math>とし、人の前方向を{{Mvar|x}}軸、左方向を{{Mvar|y}}軸とすると、接ベクトル空間の[[基底 (位相空間論)|基底]]<math> e_x, e_y \in T_u M </math>が定義できる。{{Mvar|M}}はユークリッド空間をモデルにしているので、その人は自分の近傍をユークリッド空間だと思っている。
<math> T_u M </math>の[[正規直交基底]]全体の集合を<math>F_u(M) </math>とし、<math>F(M) = \cup_{u\in M}F_u(M) </math>とすると、<math>F(M) </math>は自然に{{Mvar|M}}上の<math>O(2) </math>-[[主バンドル]]とみなせる。以上の議論から、<math>F(M) </math>の元は、{{Mvar|M}}上にいる人(とその向き)であるとみなせる<ref group="注">厳密には、{{Mvar|M}}上の人と同一視できるのは、基底が[[右手系]]の場合だけで、[[左手系]]の場合はその人を"左右反転"する必要があるが、以後この問題は無視する</ref>。
{{Mvar|M}}上にいる人を<math>(e_x,e_y)\in F_u(M) </math>と表すとき、その人が{{Mvar|M}}上の位置(={{Mvar|u}})を変えずに向きだけを「[[無限小]]だけ」変えた場合、その向きの変化を表す[[速度ベクトル]]は<math>TF_u(M) </math>の元とみなせるが、これは人の向きを変えた[[回転変換]]の[[微分]]なので、[[回転 (数学)|回転変換群]]<math>O(2) </math>の無限小変換群(=<math>O(2) </math>に対応する[[リー代数]])である<math>\mathfrak{o}(2) </math>の元であるともみなせる。
すなわち、<math>TF_u(M) </math>の元を<math>\mathfrak{o}(2) </math>の元と対応させる事ができる:
: <math>T F_u(M) \to \mathfrak{o}(2)</math>
また人が{{Mvar|M}}上の位置{{Mvar|u}}から無限小だけ歩いた場合は、歩いたことによる<math>(e_x,e_y)\in F_u(M) </math>の変化の速度ベクトルは<math>T_uF(M) </math>の元とみなせるが、その人は自分がユークリッド空間を歩いているのだと理解しているので、速度ベクトルを<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^2
)</math>の無限小変換群(=<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^2
)</math>のリー代数)である<math>\mathfrak{iso}(\mathbb{E}^2)</math>の元であるとみなす。すなわち<math>T_uF(M) </math>の元を<math>\mathfrak{iso}(\mathbb{E}^2)</math>と対応付けて考える。
結局、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学とは、{{Mvar|M}}上の<math>O(2) </math>-主バンドル<math>F(M)</math>で、[[ファイバー (数学)|ファイバー]]ごとの[[線形写像]]
: <math>\omega~:~T F(M) \to \mathfrak{iso}(\mathbb{E}^2)</math>
を持ち、各<math>u \in M </math>に対し、{{Mvar|u}}のファイバー<math>F_u(M) </math>の接バンドル<math>TF_u(M) </math>への{{Mvar|ω}}の制限が
: <math>\omega(T F_u(M)) \in \mathfrak{o}(2)</math>
を満たすもので「性質の良いもの」(後述)である。
== 準備 ==
本節ではカルタン幾何学の定式化に必要となる用語を定義する。
=== 基本ベクトル場 ===
{{mvar|G}}をリー群とし、<math>\mathfrak{g}</math>をその[[リー代数]]とし、さらに{{mvar|N}}を{{mvar|G}}が右から作用する多様体(例えば{{mvar|G}}-主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>の全空間{{mvar|P}})とする。{{math theorem|定義|リー代数の元<math>A \in \mathfrak{g}</math>と点<math>p\in N</math>に対し、
: <math>\underline{A}_p:=\left.\frac{d}{dt}(p\cdot \mathrm{exp}(tA))\right|_{t=0}\in T_p N</math>
により、{{mvar|N}}上のベクトル場<math>\underline{A}</math>を定義する。<math>\underline{A}</math>を{{mvar|A}}に対応する{{mvar|N}}の'''{{仮リンク|基本ベクトル場|en|fundamental vector field}}'''({{lang-en-short|fundamental vector field on {{mvar|N}} associated to {{mvar|A}}}})という{{refn|[[#Tu]] p.247.}}{{refn|[[#Wendl3]] p.89.}}。|note=基本ベクトル場{{Anchors|基本ベクトル場}}}}なお、{{mvar|N}}が{{mvar|G}}-主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>の全空間{{mvar|P}}の場合には<math>\underline{A}_p</math>は垂直部分空間<math>\mathcal{V}_p</math>の元である事が容易に示せる。
=== 随伴表現 ===
{{math theorem|定義|{{mvar|G}}をリー群とし<math>\mathfrak{g}</math>をそのリー代数とする。このとき、{{mvar|G}}の線形表現
: <math>\mathrm{Ad}~:~ G \to \mathrm{GL}(\mathfrak{g}) </math>
を<math>g \in G</math>に対し、
: <math>\mathrm{Ad}(g)~:~\tfrac{dh}{dt}(0) \in \mathfrak{g} \mapsto \left. \tfrac{d}{dt}gh(t)g^{-1}\right|_{t=0} \in \mathfrak{g}</math>
により定義し、{{math|Ad}}を{{mvar|G}}の'''[[随伴表現]]'''({{lang-en-short|adjoint representation}})という<ref>[[#Tu]] p.123.</ref>。|note=リー群の随伴表現}}ここで<math>\mathrm{GL}(\mathfrak{g})</math>は<math>\mathfrak{g}</math>上の線形同型全体のなすリー群である。随伴表現の定義は<math>h(t)</math>の取り方によらずwell-defninedである。
=== モーレー・カルタン形式 ===
クライン幾何学の構造を調べる準備としてモーレー・カルタン形式を導入する。{{math theorem|定義|{{mvar|G}}をリー群とし、<math>\mathfrak{g}</math>をそのリー代数とするとき、{{mvar|G}}の各点{{mvar|g}}に対し{{mvar|G}}上の<math>\mathfrak{g}</math>値1-形式<math>\omega^G{}_g</math>を
: <math>\omega^G{}_g~:v\in ~T_gG \mapsto L_{g^{-1}}{}_*(v) \in \mathfrak{g}</math>
により定義し、{{mvar|ω{{sup|G}}{{sub|g}}}}を{{mvar|G}}の{{mvar|g}}における'''モーレー・カルタン形式'''という{{refn|name="Tu198"|[[#Tu]] p.198.}}{{refn|group="注"|この定義では<math>\mathfrak{g}=T_eG</math>という同一視を用いている。ここで{{mvar|e}}は{{mvar|G}}の単位元である。}}。
ここで<math>L_{g^{-1}}{}_*</math>は群の左作用<math>L_{g^{-1}}~:~h\in G~~ \mapsto g^{-1}h</math>が誘導する写像である。|note=[[モーレー・カルタン形式]]}}モーレー・カルタン形式は以下を満たす<ref name="Tu198">[[#Tu]] p.198.</ref>:{{math theorem|定理|
* <math>(R_g)^*\omega^G = \mathrm{Ad}(g^{-1})\omega^G</math>
* <math>d\omega^G + {1 \over 2}[\omega^G,\omega^G]=0</math>}}ここで<math>[\cdot,\cdot]</math>は<math>\mathfrak{g}</math>上のリー括弧であり、<math>\mathfrak{g}</math>-値1-形式{{Mvar|α}}、{{Mvar|β}}に対し、<math>[\alpha,\beta](X,Y) := [\alpha(X),\beta(Y)]-[\alpha(Y),\beta(X)]</math>である。
上記の2式のうち下のものを'''モーレー・カルタンの方程式'''{{refn|{{cite web|url=https://www.math.tsukuba.ac.jp/~tasaki/lecture/ln1997/cho97.pdf|accessdate=2023/06/27|title=中央大学大学院理工学研究科 数学特別講義第三 微分形式の可積分性|page=50}}}}({{lang-en-short|Maurer-Cartan equation}})、もしくはリー群{{mvar|G}}の'''構造方程式'''{{refn|[[#小林]] p.59.}}({{lang-en-short|structure equation}})という。
== 定義と基本概念 ==
===定義===
リー群{{Mvar|G}}とその閉部分リー群の組<math>(G,H)</math>で<math>G/H</math>が'''連結になるもの'''を[[エルランゲン・プログラム|'''クライン幾何学''']]、もしくは(カルタン幾何学のモデルになるので)'''モデル幾何学'''({{lang-en-short|model geometry}})という<ref>[[#Erickson-2]] p.3.</ref><ref>[[#Sharpe]] p.151.</ref>。
<math>(G,H)</math>をモデル幾何学とし、<math>\mathfrak{g}</math>、<math>\mathfrak{h}</math>をそれぞれ{{mvar|G}}、{{mvar|H}}のリー代数とする。
{{math theorem|定義|
多様体{{Mvar|M}}上の'''タイプ<math>(G,H)</math>のカルタン幾何学'''({{Lang-en-short|Cartan geomerty of type <math>(G,H)</math> over {{mvar|M}}}})とは、{{Mvar|M}}上の{{Mvar|H}}-主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>と{{Mvar|P}}上の<math>\mathfrak{g}</math>-値[[微分形式|1-形式]]
: <math>\omega~:~TP \to \mathfrak{g}</math>
の組<math>(\pi,P,\omega)</math>で以下の性質を満たすものの事である<ref>[[#Erickson-2]] p.7.</ref><ref name=Sharpe184 /><ref>[[#Kobayashi]] p.127-128.</ref>:
# 任意の<math>p \in P</math>に対し、<math>\omega~:~ T_pP \overset{\sim}{\to} \mathfrak{g} </math>は同型写像である。
# 任意の<math>A \in \mathfrak{h} </math>に対し、<math>\omega(\underline{A})=A</math>
# 任意の<math>h \in H</math>に対し、<math>R_h{}^* \omega = \mathrm{Ad}(h^{-1})\omega </math>
|note=クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義{{Anchors|クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義}}}}
{{Mvar|ω}}を{{Mvar|H}}-主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>の'''カルタン接続'''({{Lang-en-short|Cartan connection}})という。また紛れがなければ{{mvar|M}}の事を'''カルタン幾何学'''という<ref name=Sharpe184 />。
3つの条件の直観的な意味を説明する。
* 1つ目の条件は、<math>T_pP</math>と<math>\mathfrak{g}</math>が同一視できる事を意味しており、[[#直観的説明の章|前述した直観的説明]]のように、モデルがユークリッド幾何学であれば、{{Mvar|M}}にいる人は、自分の近傍がユークリッド空間であるとみなしているので、人の動きの速度ベクトルの集合<math>T_pP</math>が、無限小変換全体<math>\mathfrak{g} = \mathfrak{iso}(\mathbb{E}^2) </math>で記述可能である事を要請するのは自然である。
* 2つ目の条件は、各<math>u \in M</math>に対し、{{Mvar|ω}}が同型写像<math>A \in \mathfrak{h} \mapsto \underline{A} \in T_pP_p</math>の逆写像である事を要請している。<math>\underline{A}</math>は<math>A \in \mathfrak{h}</math>が<math>P_p</math>に定める無限小変換なので、[[#直観的説明の章|前述した直観的説明]]からこれは自然な要請である。なお、この2つ目の条件から特に[[#直観的説明の章|直観的説明]]のところで登場した以下の要件が従う:
*: <math>\omega(T P_u) \in \mathfrak{h}</math>
* 3つ目の条件は、[[#直観的説明の章|前述した直観的説明]]から<math>u \in M</math>にいる人は自分の近傍がモデル幾何学<math>(G,H)</math>に似ているとみなしているので、<math>h \in H</math>を右から乗じれば、<math>\mathfrak{g} = T_eG </math>の元は<math>T_hG </math>に移動してしまうので、左からも<math>h^{-1}</math>を乗じて<math>\mathfrak{g} = T_eG </math>に戻す随伴表現<math>\mathrm{Ad}(h^{-1})</math>を作用させたものと等しくなる事を要請する。
なお、<math>\omega~:~ T_pP \overset{\sim}{\to} \mathfrak{g} </math>は[[同型]]なので、{{Mvar|M}}上定義できるカルタン幾何学には
: <math> \dim \mathfrak{g} = \dim \mathfrak{h} + \dim M </math>
という制約が課せられる事になる。
=== 主接続との関係 ===
{{See also|接続 (微分幾何学)#主接続の節|接続 (ファイバー束)#主接続の節}}
カルタン接続の定義は[[接続 (ファイバー束)#主接続の節|主バンドルの接続]](主接続)の[[接続形式]]の定義とよく似ているが、両者は似て非なる概念であり、{{Mvar|H}}-主バンドルの主接続の[[接続 (微分幾何学)#接続形式の定義|接続形式]]は{{Mvar|H}}のリー代数<math>\mathfrak{h}</math>に値を取るが、カルタン接続は{{Mvar|G}}のリー代数<math>\mathfrak{g}</math>に値を取っている。しかし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(G,H)</math>をモデル幾何学とする多様体{{mvar|M}}上のカルタン幾何学とするとき、{{Mvar|H}}-主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>上定義されたカルタン接続<math>\omega ~:~TP \to \mathfrak{g}</math>は、自然に
: <math> Q := P \times_H G \to M </math>
という{{Mvar|G}}-主バンドル上の<math>\mathfrak{g}</math>-値1-形式
: <math> \bar{\omega} ~:~TQ \to \mathfrak{g} </math>
に拡張する事ができ<ref name=":2">[[#Kobayashi]] p. 128.</ref>、<math>\bar{\omega}</math>は{{Mvar|G}}-主バンドル<math>Q \to M</math>の接続形式である<ref name=":2" />。逆に<math>Q \to M</math>を任意の{{Mvar|G}}-主バンドルとし、<math>\bar{\omega}</math>を{{Mvar|Q}}上定義された接続形式とするとき、<math>Q \to M</math>の{{mvar|H}}-部分バンドル<math>\varphi~:~P \to Q</math>で<math>\varphi_*(TP) \cap \ker \omega =\{0\}</math>であり、しかも<math>\dim G = \dim P</math>であれば{{mvar|ω}}の{{mvar|TP}}への制限は{{mvar|P}}上のカルタン接続になる<ref>[[#Sharpe]] p.365.</ref>。
なお、モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、上記のものとは別の形の関係性をカルタン接続と主接続は満たす。詳細は[[カルタン幾何学#簡約可能の章|後述]]する。
=== 無限小クライン幾何学による定式化 ===
定義から分かるように、カルタン幾何学の定義は<math>\mathfrak{g}</math>、<math>\mathfrak{h}</math>、および{{Mvar|H}}には依存しているが、{{Mvar|G}}には直接依存していない。これは<math>\mathfrak{g}</math>、<math>\mathfrak{h}</math>、および{{Mvar|H}}は{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学の'''局所的な'''構造を定めるのに対し、{{Mvar|G}}はクライン幾何学<math>(G,H)</math>の'''大域的な'''構造を定めるものであるため、{{Mvar|G}}が不要である事による。
リー代数<math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群{{Mvar|G}}は一意ではなく<ref group="注"><math>\tilde{G}</math>を{{Mvar|G}}の[[被覆空間]]とすると、<math>\tilde{G}</math>と{{Mvar|G}}は同型なリー代数を持つ。</ref>、これが原因で大域的な構造を定める{{Mvar|G}}はカルタン幾何学の定義に必須でないばかりか、一部の定理では{{Mvar|G}}を(<math>\mathfrak{g}</math>に対応する)別のリー群に取り替える必要が生じてしまう。
そこで{{Mvar|G}}に直接言及せず、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>を使ったカルタン幾何学の定式化も導入する。そのために以下の定義をする:
{{math theorem|定義|リー代数<math>\mathfrak{g}</math>とその部分リー代数<math>\mathfrak{h}</math>の組<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>を'''{{訳語疑問点範囲|無限小クライン幾何学|date=2023/11/28}}'''({{lang-en-short|infinitesimal Klein geometry}})<ref name=Sharpe156>[[#Sharpe]] pp.156.</ref>もしくは'''{{訳語疑問点範囲|クライン対|date=2023/11/28}}'''({{lang-en-short|Klein pair}})<ref name=Sharpe156 />という。
{{mvar|H}}を<math>\mathfrak{h}</math>をリー代数
とするリー群とし、さらに
: <math>\mathrm{Ad}~:~H \to \mathrm{GL}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>
を{{mvar|H}}の線形表現で、任意の<math>h \in H</math>に対し、<math>\mathrm{Ad}(h)</math>の<math>\mathfrak{h}</math>への制限<math>\mathrm{Ad}(h)|_{\mathfrak{h}}</math>が{{mvar|H}}の<math>\mathfrak{h}</math>への随伴表現<math>\mathrm{Ad}_{\mathfrak{h}}</math>と等しいものとする{{refn|group="注"|name="Adの定義がおかしい件"|<ref name="Sharpe174" />では{{math|Ad}}にこれ以上の仮定を課していないが、実際の議論では{{math|Ad}}が<math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群{{mvar|G}}の随伴表現<math>\mathrm{Ad}_{\mathfrak{g}}</math>の<math>\mathfrak{h}</math>への制限である事を用いているので、以下、本項でもこれを仮定する。なお、随伴表現<math>\mathrm{Ad}_{\mathfrak{g}}</math>は<math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群{{mvar|G}}の取り方に依存せずwell-definedである。}}。ここで<math>\mathrm{GL}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>は<math>\mathfrak{g}</math>上のリー代数としての自己同型全体の集合である。
このとき、組<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>を'''モデル幾何学'''という<ref name="Sharpe174">[[#Sharpe]] p.174.</ref>。
|}}
以下、特に断りがなければ、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が効果的である事を仮定する{{refn|group="注"|[[#Sharpe]] p.174によれば、この仮定は必須ではないが、この仮定を外しても特に得られるものはないとの事である。}}。ここで<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が'''効果的'''であるとは、<math>\mathfrak{h}</math>に含まれる<math>\mathfrak{g}</math>のイデアルが<math>\{0\}</math>のみである事を意味する。{{mvar|G}}、{{mvar|H}}を<math>\mathfrak{g}</math>、<math>\mathfrak{h}</math>に対応するリー群とすると、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が効果的である事は、<math>X=G/H</math>、<math>K:=\{g \in G \mid \forall x \in X~:~gx=x\}</math>とするとき、{{mvar|K}}が[[離散群]]になる事と同値である<ref>[[#Sharpe]] p.157, 166.</ref>。
{{math theorem|定義|
{{mvar|M}}を多様体とし、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とし、
* <math>\pi~:~P \to M</math>を{{mvar|H}}-主バンドルとし、
* {{mvar|ω}}を[[#クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義|クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義]]の条件を満たす{{mvar|P}}上の<math>\mathfrak{g}</math>-値1-形式とする。
このとき、組<math>(\pi,P,\omega)</math>を'''{{mvar|H}}を伴う<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>をモデルとする{{mvar|M}}上のカルタン幾何学'''({{lang-en-short|Cartan geometry on {{mvar|M}} modeled on <math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math> with {{mvar|H}}}})という<ref name=Sharpe184 />。
|note=無限小クライン幾何学によるカルタン幾何学の定義}}
===カルタン幾何学としてのクライン幾何学===
本節ではカルタン幾何学の最も簡単な例として、クライン幾何学のカルタン幾何学としての構造を調べる。<math>(G,H)</math>をクライン幾何学とし、<math>M=G/H</math>とし、<math>u_0=[e]</math>とする。ここで<math>[e]</math>は{{Mvar|G}}の単位元{{Mvar|e}}の同値類である。このとき
: <math> \pi~:~g \in G \mapsto gu_0 \in M </math>
は自然に{{Mvar|H}}-主バンドルとみなせる。{{Mvar|G}}上の[[モーレー・カルタンの微分形式|モーレー・カルタン形式]]<math>\omega^G</math>がカルタン接続の定義を満たす事を示せるので、<math>(\pi, G, \mu) </math>は<math>(G,H)</math>をモデルとするカルタン幾何学になる。
==== 局所クライン幾何学とその上のカルタン幾何学{{Anchors|局所クライン幾何学の節}} ====
リー群{{Mvar|G}}とその閉部分リー群の組<math>(G,H)</math>を考える{{Refn|クライン幾何学の定義では<math>G/H</math>が連結な事を仮定していたが、ここでそれは仮定しない<ref name="Sharpe154">[[#Sharpe]] p.154.</ref>|group=注}}。{{Mvar|G}}の[[離散群|離散部分群]]<math>\Gamma</math>で、<math>G/H</math>への{{Mvar|G}}からの[[作用 (数学)|作用]]<math>G \curvearrowright G/H </math>の<math>\Gamma</math>への制限<math>\Gamma \curvearrowright G/H </math>が効果的なものを考える(<math>\Gamma \curvearrowright G/H </math>が効果的な事は<math>\Gamma \cap H =\{e\} </math>である事と同値である)。このとき、<math>\Gamma \curvearrowright G/H </math>による商集合<math>M=\Gamma \backslash G/H</math>を考える。{{Mvar|M}}が連結なとき、<math>(G,H,\Gamma)</math>を'''局所クライン幾何学'''({{Lang-en-short|locally Klein geometry}})という<ref name=":3">[[#Sharpe]] pp.154, 207, 213.</ref>。
局所クライン幾何学{{Mvar|M}}上に以下のようにカルタン幾何学を定義できる。まず<math>\Gamma \curvearrowright G/H </math>が効果的なので<math>P =\Gamma\backslash G</math>とすると、[[商写像]]
: <math>\pi~:~P=\Gamma\backslash G \to M =\Gamma \backslash G/H </math>
には自然に{{Mvar|H}}-主バンドルの構造が入る<ref group="注"><math>\Gamma \curvearrowright G/H </math>が効果的でないと、<math>G/H</math>の各ファイバーは<math>\Gamma\backslash H</math>と同型なものになってしまうため、{{Mvar|H}}-主バンドルにならない。</ref>。また{{Mvar|G}}上のモーレー・カルタン形式<math>\omega^G</math>はその定義より左不変なので、商写像<math>q~:~G \to \Gamma\backslash G </math>に対し
: <math>\pi^*(\omega^{\Gamma\backslash G}) = \omega^G</math>
を満たす一意な<math>\mathfrak{g}</math>-値1-形式を<math>\omega^{\Gamma\backslash G} </math>とする事で、<math>P =\Gamma\backslash G</math>にカルタン接続<math>\omega^{\Gamma\backslash G} </math>がwell-definedされ、<math>M=\Gamma \backslash G/H</math>上に<math>(G,H)</math>をモデルとするカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega^{\Gamma\backslash G})</math>が定義できる<ref name=":3" />。
=== カルタン幾何学の(局所)幾何学的同型 ===
2つのカルタン幾何学の間の(局所的および大域的な)同型概念を以下のように定義する:{{math theorem|定義|<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とし、{{mvar|M{{sub|1}}}}、{{mvar|M{{sub|2}}}}を多様体とし、<math>(\pi_1,P_1,\omega_1)</math>、<math>(\pi_2,P_2,\omega_2)</math>をそれぞれ<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とする{{mvar|M{{sub|1}}}}、{{mvar|M{{sub|2}}}}上のカルタン幾何学とする。
バンドル写像
: <math>(f,\tilde{f})~:~(M_1,P_1) \to (M_2,P_2)</math>
で<math>f~:~M_1 \to M_2</math>がはめ込みであり、<math>\tilde{f}~:~\tilde{M}_1 \to \tilde{M}_2</math>による<math>\omega_2</math>の引き戻しが
: <math>f^*(\omega_2) = \omega_1</math>
となるものをカルタン幾何学間の'''局所幾何学的同型'''({{lang-en-short|local geometric isomorphism}})という<ref name="Sharpe185">[[#Sharpe]] p.185.</ref>。とくに{{mvar|f}}が(可微分)同相写像であれば、<math>(f,\tilde{f})</math>を'''幾何学的同型'''({{lang-en-short|geometric isomorphism}})という<ref name="Sharpe185" />。|}}
=== 定数ベクトル場と普遍共変微分 ===
任意の<math>p \in P</math>に対して<math>\omega~:~ T_pP \overset{\sim}{\to} \mathfrak{g} </math>は同型写像であるので、{{Mvar|TP}}は{{Mvar|ω}}により
: <math> TP \approx P \times \mathfrak{g} </math>
という同一視ができ、{{Mvar|TP}}は[[ベクトル束|ベクトルバンドル]]として自明である。
よって特に<math>A \in \mathfrak{g}</math>を各<math>p\in P</math>に対して{{Mvar|ω}}の逆写像で{{Mvar|T{{sub|p}}P}}に移すことで、{{Mvar|TP}}上の[[ベクトル場]]を作る事ができる。
{{math theorem|定義|<math>A \in \mathfrak{g}</math>に対し、<math>\omega^{-1}(A)</math>を各点<math>p \in P</math>に<math>\omega^{-1}{}_p(A)\in T_pP</math>を対応させるベクトル場とする。
このベクトル場を'''{{訳語疑問点範囲|定数ベクトル場|date=2023年11月}}'''({{Lang-en-short|constant vector field}})という<ref>[[#Alexandre]] p.65.</ref><ref name="左不変ベクトル場の注" group="注" />。
|note=定数ベクトル場{{Anchors|定数ベクトル場の定義}}}}
定数ベクトル場を用いると、以下の「普遍共変微分」を定義できる:
{{math theorem|定義|
{{Mvar|V}}をベクトル空間とし、<math>f~:~P \to V</math>を(滑らかな)写像とする。このとき、{{Mvar|f}}にベクトル場<math>\omega^{-1}(A)</math>(は接ベクトル空間の元なので自然に[[微分作用素]]とみなしたもの)を作用させた
: <math>D_Af := \omega^{-1}(A)f </math>
を{{Mvar|f}}の{{Mvar|A}}による'''{{訳語疑問点範囲|普遍共変微分|date=2023年11月}}'''({{Lang-en-short|universal covariant derivative}})という<ref>[[#Sharpe]] p.194.</ref>。
|note=普遍共変微分}}モデル幾何学が「簡約可能」という条件を満たす場合は、普遍共変微分は通常の[[接続 (ベクトル束)|共変微分]]を導く。これについては[[#簡約可能の章|後述]]。
=== 接バンドル ===
本節ではカルタン幾何学が定義された多様体の接バンドルの構造を調べる。そのために以下の定義をする。
<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とする{{mvar|M}}上のカルタン幾何学とする。<math>\mathrm{Ad}</math>は{{Mvar|H}}の<math>\mathfrak{g}</math>への作用を定義するが、<math>\mathrm{Ad}</math>の<math>\mathfrak{h}</math>への制限は<math>\mathfrak{h}</math>上の[[随伴表現]]である(ので<math>\mathrm{Ad}</math>は<math>\mathfrak{h}</math>を保つ)ことから、<math>\mathrm{Ad}</math>は{{Mvar|H}}の<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>への作用を誘導する。また{{Mvar|H}}は{{Mvar|H}}-主バンドル{{Mvar|P}}に作用していたので、これの作用により、ベクトルバンドル
: <math> P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g} / \mathfrak{h} </math>
を定義できる。実はこのベクトルバンドルは接バンドルと同型である:
{{math theorem|定理|ベクトルバンドルとしての同型
: <math>P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g} / \mathfrak{h} \approx TM</math>
が成立する<ref name=Sharpe188>[[#Sharpe]] p.188.</ref>。
|note=接バンドルと無限小クライン幾何学の関係{{Anchors|接バンドルの定理}}}}
具体的には写像
: <math> [(p, [A])] \in P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g} / \mathfrak{h} \mapsto \pi_*(\omega_p{}^{-1}(A)) \in TM </math>
は[[well-defined]]であり、ベクトルバンドルとしての同型写像である<ref name="Sharpe188" />。ここで<math>\omega_p{}^{-1}(A)</math>は同型写像<math>\omega_p~:~T_pP \overset{\sim}{\to} \mathfrak{g} </math>の逆写像<math> \omega_p{}^{-1} </math>で<math>A \in \mathfrak{g}</math>を<math>T_pP</math>に移したものである。
=== 曲率 ===
==== 定義 ====
クライン幾何学をカルタン幾何学とみなした場合、カルタン接続はモーレー・カルタン形式{{Mvar|ω{{sup|G}}}}と等しいので、カルタン接続は構造方程式
: <math>d\omega^G + {1 \over 2}[\omega^G,\omega^G]=0</math>
を満たすが、一般のカルタン幾何学は構造方程式を満たすとは限らない。そこで以下の量を考える:
{{math theorem|定義|
カルタン接続{{Mvar|ω}}を持つ多様体{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>に対し、{{Mvar|P}}上の<math>\mathfrak{g}</math>-値2-形式
: <math>\Omega:=d\omega + {1 \over 2}[\omega,\omega]</math>
をカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の'''曲率'''({{Lang-en-short|curvature}})という<ref name=Sharpe184 />。
|note=曲率}}
{{Mvar|Ω}}は(局所)クライン幾何学からのズレを表す量であると解釈でき、明らかにクライン幾何学や局所クライン幾何学の[[曲率]]は恒等的に0である。
曲率は以下を満たす:{{math theorem|定理|カルタン接続{{mvar|ω}}とその曲率{{mvar|Ω}}は下記の恒等式('''ビアンキ恒等式'''、{{lang-en-short|Bianchi identity}})を満たす<ref>[[#Sharpe]] p.193.</ref>:
: <math>d\Omega = [\Omega,\omega]</math>|note=カルタン接続のビアンキ恒等式{{Anchors|カルタン接続のビアンキ恒等式}}}}
点<math>u \in M</math>のファイバー{{Mvar|P{{sub|u}}}}には{{Mvar|H}}が[[群作用#作用の種類|単純推移的に]]作用するので、<math>p \in P_u</math>をfixして、<math>h \in H \mapsto ph \in P_u </math>により{{Mvar|H}}と{{Mvar|P{{sub|u}}}}を同一視すると、{{Mvar|TP{{sub|u}}}}上にモーレー・カルタン形式{{Mvar|ω{{sup|H}}}}が定義できる。しかも{{Mvar|ω{{sup|H}}}}は<math>p \in P_u</math>の取り方に依存しないことも容易に証明できる。実は曲率の{{Mvar|P{{sub|u}}}}への制限は{{Mvar|ω{{sup|H}}}}に一致する。{{math theorem|定理|任意の<math>u \in M</math>に対し、曲率{{mvar|Ω}}の{{mvar|TP{{sub|u}}}}への制限は{{mvar|TP{{sub|u}}}}上の{{mvar|ω{{sup|H}}}}に一致する。よって特に、任意の<math>v, w \in T_pP_u </math>に対し、<math>\Omega_p(v,w)=0</math>である。}}なお、実は{{Mvar|v}}、{{Mvar|w}}の少なくとも一方が{{Mvar|T{{sub|p}}P{{sub|u}}}}に属していれば、<math>\Omega_p(v,w)=0</math>である事が知られている{{Refn|[[#Sharpe]] p.187|group=|name=Sharpe187}}。よって特に次が成立する:{{math theorem|定理{{Anchors|曲率がTMに誘導する形式の定理}}|{{mvar|M}}上の<math>\mathfrak{g}</math>-値2-形式{{mvar|Ω'}}が存在し、任意の<math>p \in P</math>と任意の<math>v, w \in T_pP_u </math>に対し、以下が成立する<ref name="Sharpe187" />:
: <math>\Omega_p(v,w)=\Omega'(\pi_*(v),\pi_*(w))</math>}}
この{{Mvar|Ω'}}は次節で導入する曲率関数を用いる事で具体的に記述できる。
====曲率関数====
<math>\omega_p T_pP \overset{\sim}{\to} \mathfrak{g} </math>が[[同型写像]]であったことから、[[写像の合成]]
: <math>\wedge^2\mathfrak{g} \overset{\sim}{\to} \wedge^2 T_pP \overset{\Omega}{\to} \mathfrak{g} </math>
を定義できる。またすでに述べたように{{Mvar|v}}、{{Mvar|w}}の少なくとも一方が{{Mvar|T{{sub|p}}P{{sub|u}}}}に属していれば、<math>\Omega_p(v,w)=0</math>である事が知られている{{Refn|[[#Sharpe]] p.187|group=|name=Sharpe187}}事から、この写像は<math>\wedge^2 \mathfrak{g} /\mathfrak{h} </math>上の写像をwell-definedに誘導する。
{{math theorem|定義|
<math>\wedge^2\mathfrak{g} \overset{\sim}{\to} \wedge^2 T_pP \overset{\Omega}{\to} \mathfrak{g} </math>が<math>\wedge^2 \mathfrak{g} /\mathfrak{h} </math>上に誘導する写像
: <math>K_p~:~\wedge^2\mathfrak{g}/\mathfrak{h}\to \mathfrak{g} </math>
をカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の'''曲率関数'''({{Lang-en-short|curvature function}})という<ref name=":1">[[#Sharpe]] p.191.</ref>。
}}
曲率<math>\Omega~:~\wedge^2T_pP \approx \wedge^2\mathfrak{g} \to \mathfrak{g} </math>が{{mvar|M}}上の<math>\mathfrak{g}</math>-値2-形式{{mvar|Ω'}}を誘導する事を[[#曲率がTMに誘導する形式の定理|前に見た]]。この{{Mvar|Ω'}}は曲率関数を使って以下のように書き表す事ができる。
: <math>\begin{array}{cccccc}
\Omega~:~&\bigwedge^2 T_pP & \approx &\bigwedge^2\mathfrak{g} & \to & \mathfrak{g}\\
&\pi_*\downarrow &\circlearrowright &\downarrow &\circlearrowright & ||\\
\Omega'~:~&\bigwedge^2 T_{\pi(p)}M &\approx& \bigwedge^2\mathfrak{g}/\mathfrak{h} &\overset{K_p}{\to} & \mathfrak{g}
\end{array} </math>
==== 捩率 ====
さらに以下の定義をする:{{math theorem|定義|
曲率{{Mvar|Ω}}を商写像
: <math>\rho ~:~\mathfrak{g} \to \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>
と合成した<math>\rho(\Omega)</math>は{{Mvar|P}}上の<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>-値2-形式となる。<math>\tau:=\rho(\Omega)</math>をカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の'''捩率'''({{Lang-en-short|torsion}})といい{{refn|group="注"|「捩率」という言葉には[[捩率テンソル|アフィン接続の「捩率」]]と[[捩率|曲線の「捩率」]]という2つの異なる意味があるが、ここでいう捩率は前者に相当するものである。アフィン接続の捩率との関係は[[#曲率の分解の節|後述]]する。}}<ref name=Sharpe184>[[#Sharpe]] p.184.</ref>、<math>\tau</math>が{{Mvar|P}}上恒等的に0になるカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>を'''捩れなし'''({{Lang-en-short|torsion free}})であるという<ref name=Sharpe184 />。
|note=捩率{{Anchors|捩率の定義}}}}
モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、この捩率はアフィン接続の[[捩率テンソル]]に一致する。詳細は後述。
=== 標準形式 ===
本節の目標は、商写像
: <math>\rho ~:~\mathfrak{g} \to \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>
とカルタン接続の合成<math>\rho \circ \omega</math>の幾何学的意味を説明する事である。
まず、<math>\rho \circ \omega</math>は以下のように特徴づける事ができる:
{{math theorem|定理|<math>\rho \circ \omega</math>は下記を可換にする唯一の写像である:
:<math>
\begin{array}{ccc}
T_p P & \overset{\omega}{\overset{\sim}{\to}} & \mathfrak{g} \\
\pi_*\downarrow & & \rho\downarrow \\
T_{\pi(p)}M &\overset{\varphi_p{}^{-1}}{\overset{\sim}{\to}}& \mathfrak{g}/\mathfrak{h}
\end{array}
</math>
ここで<math>\varphi_p</math>は<math>[A] \in \mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>に<math>[(p,[A])]\in P\times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}\approx T_{\pi(p)}M</math>を対応させる写像である。
|note=<math>\rho\circ\omega</math>の特徴づけ{{Anchors|ρωの特徴づけ}}}}
上記の特徴付けから、<math>\rho \circ \omega</math>の幾何学的意味は同型<math>P \times_H \mathfrak{g}/\mathfrak{h}
\overset{\sim}{\to} TM
</math>に関係しているので、この同型の幾何学的意味を見る。<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>にベクトル空間としての基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>をfixし、同型
: <math>P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}
\overset{\sim}{\to} TM
</math>
による<math>[p,e_i]</math>の像を<math>e^p_i</math>とすると、<math>e^p:=(e^p_1,\ldots,e^p_m)</math>は<math>T_{\pi(p)} M </math>の基底をなす。
よって特に、<math>F:=\{e^p \mid p\in P\}</math>とすると、{{Mvar|F}}は{{Mvar|M}}上の{{仮リンク|枠束|en|frame bundle|label=フレームバンドル}}(=各点のファイバーが{{Mvar|TM}}の基底からなるバンドル)になる<ref>[[#Sharpe]] p.191.</ref>。
一般には対応
: <math>p \in P \mapsto e^p \in F </math>
は[[全単射]]ではないが、<math>P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}
</math>の定義から、カルタン幾何学が下記の意味で「一階」であれば、この写像は全単射になる:{{math theorem|定義|
随伴表現
: <math>\mathrm{Ad}~:~H \to \mathrm{GL}(\mathfrak{g}/\mathfrak{h}) </math>
が忠実なとき、クライン幾何学<math>(G,H)</math>(および<math>(G,H)</math>をモデルに持つカルタン幾何学)は'''{{訳語疑問点範囲|一階|date=2023年11月}}'''({{Lang-en-short|first order}})であるといい、そうでないとき'''{{訳語疑問点範囲|高階|date=2023年11月}}'''({{Lang-en-short|higher order}})であるという<ref>[[#Sharpe]] pp.164, 191.</ref>。
}}
以上の準備のもと、<math>\rho \circ \omega</math>を幾何学的に意味付ける:{{math theorem|定理|記号を上と同様に取り、カルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>が一階であるとする。このとき、<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>の基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>で<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}\approx \mathbb{R}^m</math>という同一視を行うと、<math>v \in T_pP\approx T_{e^p}F</math>に対し、
:<math>\rho \circ \omega(v) \in \mathfrak{g}/\mathfrak{h} \approx \mathbb{R}^m</math>
は基底<math>e^p=(e^p_1,\ldots,e^p_m) </math>で<math>\pi(v)</math>を成分表示したときの係数<math>{}^t(v^1,\ldots,v^m) \in \mathbb{R}^m </math>を対応させる<math>\mathbb{R}^m</math>値1-形式であるとみなせる<ref>[[#Sharpe]] p.191.</ref>{{refn|group="注"|カルタン幾何学が一階である事を利用しているのは<math>p \in P \to e^p \in F</math>の単射性を保証する部分だけであり、それ以外の部分は一階でなくても成立する。}}。|note=<math>\rho \circ \omega</math>の解釈{{Anchors|ρωのフレームバンドルでの解釈}}}}
{{math proof|
[[#ρωの特徴づけ|上述の定理]]より写像
: <math>T_pP
\overset{\pi_*}{\to} T_{\pi(p)}M
\approx T_pP \times_H \mathfrak{g}/\mathfrak{h}
\approx \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>
は<math>\rho \circ \omega</math>に等しいので、<math>v \in T_pP</math>に対し、<math>\pi_*(v)</math>を
: <math>\pi_*(v) = \sum_i v^ie^p_i </math>
と成分表示すると、
: <math>\rho \circ \omega(v)= \sum_iv^ie_i </math>
が成立する。よって基底<math>e_1,\ldots,e_m\in \mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>により<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}\approx \mathbb{R}^m</math>という同一視を行うと、
: <math>\rho\circ\omega(v) = {}^t(v^1,\ldots,v^m) \in \mathbb{R}^m </math>
が成立する。
|drop=yes}}
上記のような、<math>v \in T_eF</math>に<math>\pi_*(v)=v^ie_i</math>となる<math>{}^t(v^1,\ldots,v^m)</math>を対応させる<math>\mathbb{R}^m</math>-値1-形式をフレームバンドル上の'''標準形式'''({{Lang-en-short|canonical form}})という<ref>[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.118.</ref>。上述の定理はカルタン幾何学が一階であれば<math>\rho \circ \omega</math>は標準形式として意味づけられる事を保証する。
== 簡約可能なモデル幾何学に対するカルタン幾何学{{Anchors|簡約可能の章}} ==
{{See also|接続 (微分幾何学)#主接続の節|接続 (ファイバー束)#主接続の節}}
本節ではモデル幾何学<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>が「簡約可能」という性質を満たす場合にが対するカルタン幾何学の性質を見る。具体的にはモデル幾何学がユークリッド幾何学やアフィン幾何学の場合には簡約可能になる。
=== 定義 ===
まず簡約可能性を定義する:{{math theorem|定義|
モデル幾何学<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>が'''{{訳語疑問点範囲|簡約可能|date=2023年11月}}'''({{Lang-en-short|reductive}})であるとは、作用<math> H \overset{\mathrm{Ad}}{\curvearrowright} \mathfrak{g} </math>により不変な[[線型部分空間|部分ベクトル空間]]<math> \mathfrak{b} \subset \mathfrak{g} </math>が存在し、<math>\mathfrak{h} \cap \mathfrak{b} =\{0\} </math>、<math>\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b} = \mathfrak{g} </math>を満たす事を言う<ref name=Sharpe151-197>[[#Sharpe]] pp.151, 197.</ref><ref>[[#Erickson]] p.35.</ref><ref>[[#Alexandre]] p.39.</ref>{{refn|group="注"|なお、リー代数の分野では、<math>\mathfrak{g}</math>が半単純な[[イデアル]]とアーベルなイデアルの直和で書けるときに<math>\mathfrak{g}</math>は[[:en:Reductive Lie algebra|簡約可能]]であると呼ぶが、本項で挙げた定義はこの簡約可能性とは別概念である<ref name=Sharpe151-197 />。なお、<math>\mathrm{ad}~:~\mathfrak{h} \to \mathrm{GL}(\mathfrak{g}/\mathfrak{h})</math>が[[単射]]で、しかも<math>\mathfrak{h}</math>がこの意味で簡約可能であれば、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>は本項の意味で簡約可能である<ref name=Sharpe151-197 />。}}。
}}
なお、<math> \mathfrak{b} </math>の取り方は一意とは限らないので注意されたい。
{{mvar|G}}が2つのリー群の[[半直積]]<math>G=H \ltimes B</math>で書けている場合は、{{mvar|G}}、{{mvar|H}}に対応するモデル幾何学<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>は、{{mvar|B}}のリー代数を<math> \mathfrak{b} </math>として選ぶ事で簡約可能である<ref>[[#Alexandre]] p.39.</ref>。
よって特に[[ユークリッド幾何学]]の等長変換群<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m)</math>は[[直交群]]<math>O(m)</math>と平行移動のなす群の半直積で書けるので対応するモデル幾何学は簡約可能である。[[アフィン幾何学]]も同様である。
=== カルタン接続の分解{{Anchors|カルタン接続の分解の節}} ===
<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学にする多様体{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学とする。モデル幾何学<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>が、<math>\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b} = \mathfrak{g} </math>と簡約可能なとき、<math>\mathfrak{g}</math>の元は<math>\mathfrak{h}</math>の元と<math>\mathfrak{b}</math>の元の和で一意に表現できるので、カルタン接続<math>\omega~:~TP \to \mathfrak{g}</math>も
: <math> \omega = \omega_{\mathfrak{h}} + \omega_{\mathfrak{b}} </math>
のように「<math>\mathfrak{h}</math>部分」と「<math>\mathfrak{b}</math>部分」の和で書ける。この分解を用いると、カルタン接続と主接続の接続形式との関係性を以下のように記述できる:
{{math theorem|定理|<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>を<math>\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b} = \mathfrak{g}</math>と簡約可能なモデル幾何学とし、{{mvar|M}}を多様体とし、<math>\pi~:~P \to M</math>を{{mvar|H}}-主バンドルとする。
このとき{{mvar|P}}上のカルタン接続{{mvar|ω}}を<math> \omega = \omega_{\mathfrak{h}} + \omega_{\mathfrak{b}} </math>と分解すると、
<math>\omega_{\mathfrak{h}}</math>は{{mvar|P}}上の[[接続 (微分幾何学)#接続形式の定義|主接続の接続形式]]の定義を満たす<ref name="Sharpe362">[[#Sharpe]] pp.362-364.</ref>。|note=簡約可能な場合のカルタン接続と接続形式の関係{{Anchors|カルタン接続の分解の定理}}}}
したがって、簡約可能なモデル幾何学の場合にはカルタン接続から主接続の接続形式<math>\mathfrak{h}</math>が得られることになる。
一方、<math>\omega_{\mathfrak{b}}</math>は
:<math>\mathfrak{b}\subset \mathfrak{g} \overset{\rho}{\to} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>
により<math>\mathfrak{b}</math>を<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>と同一視すると、<math>\omega_{\mathfrak{b}}</math>は<math>\rho \circ \omega</math>と同一視でき、前述のように(カルタン幾何学が一階であれば)<math>\rho \circ \omega</math>は標準形式であるとみなせる。
したがって分解<math>\omega=\omega_{\mathrm{h}}+\omega_{\mathrm{b}}</math>はカルタン接続<math>\omega</math>を[[接続形式]]<math>\mathfrak{h}</math>と標準形式<math>\mathfrak{b}</math>に分解するものであるが、実は逆に接続形式と標準形式からカルタン接続を復元できる:
{{math theorem|定理|<math>(G,H)</math>を一階のクライン幾何学で対応するリー代数の組<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が<math>\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b} = \mathfrak{g}</math>と簡約可能なものとする。{{mvar|M}}を多様体とし、<math>\pi~:~P \to M</math>を{{mvar|TM}}の主バンドルとし、{{mvar|P}}を{{mvar|H}}-フレームバンドル{{mvar|F}}と[[#ρωの特徴づけ|前述]]の方法で同一視する。
さらに{{mvar|γ}}を{{math|1=''P''=''F''}}上の接続形式とし、{{mvar|θ}}を{{mvar|F}}の標準形式とする。
このとき、
:<math>\omega_p~:~v \in T_pP \mapsto \gamma(v_p) + \theta(v_p)\in \mathfrak{h}\oplus (\mathfrak{g}/\mathfrak{h})\approx \mathfrak{h}\oplus \mathfrak{b}=\mathfrak{g}</math>
は{{math|1=''P''=''F''}}上のカルタン接続の公理を満たす<ref name="Sharpe362" />{{refn|group="注"|なお、[[#Sharpe]] pp.364-365.は「接続形式⇒カルタン接続」の方では<math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]=0</math>を仮定しているが、証明を読めば分かるように、実際にはこの仮定は必要ない。[[#Sharpe]]もp.362.の定理のステートメントではこの仮定に触れておらず、単なるミスと思われる。また[[#Sharpe]]もp.362.ではカルタン形式を<math>
\omega=
\begin{pmatrix}
0 & 0\\
\theta & \gamma
\end{pmatrix}
</math>と表記しているが、この形に書けるのはユークリッド幾何学(もしくはより一般にアフィン幾何学)をモデル幾何学としている場合であり、一般の簡約可能なモデル幾何学の場合は必ずしもこの形に書けないので、ここもミスと判断した。}}。|note=一階で簡約可能な場合における接続形式からカルタン接続の再現}}
[[#カルタン接続の分解の定理|前述]]した、カルタン接続から接続形式と標準形式とに分解する定理とは丁度「[[逆写像]]」の関係にあり、簡約可能で一階の場合はカルタン接続は接続形式と標準形式との組と1対1に対応する<ref name="Sharpe362" />。
=== Koszul接続{{Anchors|Koszul接続の節}} ===
モデル幾何学が簡約可能である場合、上述したようにカルタン接続{{Mvar|ω}}から定義される<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>は{{Mvar|H}}-主バンドル{{Mvar|P}}の接続形式になる。ベクトル空間{{Mvar|V}}上の{{Mvar|H}}の[[表現論|線形表現]]<math>\gamma~:~ H \to \mathrm{GL}(V)</math>があれば、[[接続 (ベクトル束)|ベクトルバンドルとしての接続(Koszul接続)]]の一般論から、接続形式<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>は{{Mvar|M}}上のベクトルバンドル<math> E := P \times_{H,\gamma} V </math>にKoszul接続を定める<ref name="Sharpe199">[[#Sharpe]] p.199.</ref>。
よって特に、接バンドルは
: <math>TM \approx P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>
と書けたので、<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>は{{Mvar|TM}}上のKoszul接続、すなわち[[アフィン接続]]{{Mvar|∇}}を定める。
このことから分かるように'''モデル幾何学がアフィン幾何学でなくても'''、簡約可能でありさえすればアフィン接続を誘導する。
しかし特にモデル幾何学がアフィン幾何学であれば、[[アフィン変換群]]{{Mvar|G}}の<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>上の随伴表現は<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>上のアフィン変換になる事を示す事ができ、この意味において<math>TM \approx P \times_{H,\mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>はアフィン空間<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>のバンドルとなる。[[#モデルがユークリッド幾何学の節|後述]]するように、この事実が例えばモデルがユークリッド幾何学の場合には重要になる。
==== 普遍共変微分との関係 ====
<math>\gamma~:~ H \to \mathrm{GL}(V)</math>をベクトル空間{{Mvar|V}}上の{{Mvar|H}}の[[表現論|線形表現]]とし、<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>が{{Mvar|M}}上のベクトルバンドル<math> E := P \times_{H,\gamma} V</math>に定めるKoszul接続を{{Mvar|∇}}とする。
{{Mvar|E}}の切断{{Mvar|s}}と<math>p \in P</math>に対し、<math> s_{\pi(p)} = [p,f_s(p)] \in P \times_{H,\gamma} V = E </math>となる<math>f_s(p) </math>が一意に存在し、{{Mvar|f{{sub|s}}}}は{{Mvar|P}}から{{Mvar|V}}への関数<math>f_s~:~ P \to V </math>とみなせる。
{{math theorem|{{Mvar|M}}上の任意のベクトル場<math>X </math>と{{Mvar|E}}の任意の切断{{mvar|s}}に対し、以下が成立する:
: <math> f_{\nabla{}_X s} = D_{\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})} f_s </math>
ここで<math>\tilde{X} </math>は<math>\pi_*(\tilde{X})=X</math>となる{{mvar|P}}の接ベクトルである<ref name="Sharpe199" />{{refn|group="注"|なおこの式の右辺は文献<ref name="Sharpe199" />では、{{mvar|X}}の水平リフトを{{mvar|Y}}として<math>Yf_s</math>としているが、これは本項で挙げた<math>D_{\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})} f_s </math>に等しい。理由は以下の通りである。まず普遍共変微分の定義より<math>Yf_s=D_{\omega(Y)}f_s</math>であり、水平リフト(詳細は[[接続 (ファイバー束)]]を参照)とは<math>\pi_*(Y)=X</math>となる{{mvar|Y}}の中で<math>\omega_{\mathfrak{h}}(Y)=0</math>となるもののことである。
そして本項の<math>\tilde{X}</math>も<math>\pi_*(\tilde{X})=X</math>となり、しかも<math>\omega(\tilde{X})=\omega_{\mathfrak{h}}(\tilde{X})+\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})</math>のうち水平成分の<math>\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})</math>方向のみを考えているので、<math>\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})=\omega(Y)</math>。以上のことから<math>Yf_s=D_{\omega(Y)}f_s=D_{\omega_{\mathfrak{b}}(X)}f_s</math>である。}}
{{refn|group="注"|
なお、<math>u \in M</math>に対し<math>\pi(p)=u</math>となる{{mvar|p}}は複数あるため、<math>\tilde{X} </math>
としてどの{{mvar|p}}における接ベクトルを取るかの自由度があるが、どの{{mvar|p}}における接ベクトルを選んでも結果は変わらない。}}。
}}
上記のように<math> D_{\omega_{\mathfrak{b}}(\tilde{X})} f_s </math>はKoszul接続<math> \nabla{}_X s </math>と関係するが、それに対し<math> D_{\omega_{\mathfrak{h}}(\tilde{X})} f_s </math>の方は自明なものになってしまう:
{{math theorem|定理|{{Mvar|M}}上の任意のベクトル場<math>X </math>と{{Mvar|E}}の任意の切断{{mvar|s}}に対し、以下が成立する<ref>[[#Sharpe]] pp.196-197.なお、p.197の「{{mvar|ρ}}」は{{mvar|X}}が<math>\mathfrak{h}</math>の元であることから「{{mvar|ρ{{sub|*}}}}」の誤記であると判断。</ref>:
: <math> D_{\omega_{\mathfrak{h}}(\tilde{X})} f_s=-\gamma_*(\omega_{\mathfrak{h}}(\tilde{X}))f_s</math>
ここで{{mvar|γ{{sub|*}}}}は{{mvar|E}}を定義する線形表現<math>\gamma~:~ H \to \mathrm{GL}(V)</math>が誘導する写像<math>\gamma_*~:~\mathfrak{h} \to \{V</math>上の線形写像<math>\}</math>である。
}}
=== 曲率の分解{{Anchors|曲率の分解の節}} ===
本節ではモデル幾何学<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>が<math>\mathfrak{g}
= \mathfrak{h} + \mathfrak{b} </math>と簡約可能でしかも
: <math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]\subset \mathfrak{b} </math>
となっている場合、すなわち<math>\mathfrak{b} </math>として<math>\mathfrak{g} </math>の部分リー代数になっているものを取れる場合に対し、曲率の「<math>\mathfrak{h}</math>部分」と「<math>\mathfrak{b}</math>部分」を具体的に書き表す。
先に進む前にこの条件を満たすモデル幾何学の具体例を述べる。例えば<math>\mathfrak{g} </math>に対応するリー群{{Mvar|G}}が2つのリー群の[[半直積]]<math>G=H \ltimes B</math>で書けている場合に、<math>\mathfrak{b} </math>として{{Mvar|B}}のリー代数を取れば上述の条件を満たす。特に、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合は、アフィン変換群<math>\mathrm{Aff}_m</math>は線形変換<math>\mathrm{GL}_m(\mathbb{R}) </math>と平行移動のなす群<math>B=\mathbb{R}^m</math>の半直積で書け、しかも<math>\mathfrak{b} </math>を{{Mvar|B}}のリー代数とすると、
: <math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]=\{0\} </math>
というより強い条件が成立する。モデル幾何学がユークリッド幾何学の場合も同様である。
曲率{{Mvar|Ω}}は<math>\mathfrak{g}
= \mathfrak{h} + \mathfrak{b} </math>に値を取るので、曲率を
: <math>\Omega =\Omega_{\mathfrak{h}} + \Omega_{\mathfrak{b}} </math>
と「<math>\mathfrak{h}</math>部分」<math>\Omega_{\mathfrak{h}} </math>と「<math>\mathfrak{b}</math>部分」<math>\Omega_{\mathfrak{b}} </math>に分解する。商写像<math>\mathfrak{b} \subset \mathfrak{g}
\overset{\rho}{\to}
\mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>が同型になることから、<math>\mathfrak{b}\approx \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>という同一視をすると、
: <math>\Omega_{\mathfrak{b}} \approx \rho(\Omega) = \tau </math>
と<math>\Omega_{\mathfrak{b}} </math>が[[#捩率の定義|カルタン幾何学の捩率]]<math>\tau=\rho(\Omega) </math>に対応する事が分かる。
とくにアフィン幾何学をモデルとするカルタン幾何学の場合、<math>\mathfrak{b} </math>はアフィン変換群<math>\mathrm{Aff}_m=\mathrm{GL}_m(\mathbb{R})\ltimes \mathbb{R}^m</math>の並進部分である<math>\mathbb{R}^m</math>に対応するリー代数であるので、'''アフィン幾何学をモデルとする場合、捩率とは並進に関する曲率'''であるとみなせる。
==== 構造方程式{{Anchors|簡約可能な場合の構造方程式の節}} ====
曲率の定義から、
: <math>\Omega=d\omega + {1 \over 2}[\omega,\omega]</math><math>=
d\omega_{\mathfrak{h}}
+ d\omega_{\mathfrak{b}}
+ {1 \over 2}[\omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{h}}]
+ [\omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{b}}]
+ {1 \over 2}[\omega_{\mathfrak{b}},\omega_{\mathfrak{b}}]
</math>
が成立するので、仮定<math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]\subset \mathfrak{b} </math>を使うと以下が成立する事が分かる:
{{math theorem|定理|
* <math>\Omega_{\mathfrak{h}}
=
d\omega_{\mathfrak{h}}
+ {1 \over 2}[\omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{h}}]
</math>
* <math>\tau \approx \Omega_{\mathfrak{b}}=
d\omega_{\mathfrak{b}}
+ [\omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{b}}]
+ {1 \over 2}[\omega_{\mathfrak{b}},\omega_{\mathfrak{b}}]
</math>
|note=分解した場合の構造方程式{{Anchors|分解した場合の構造方程式}}}}
<math>\omega_{\mathfrak{h}} </math>[[#カルタン接続の分解の定理|が接続形式に対応している事]]から、上記の定理の1つ目の式は、接続形式<math>\omega_{\mathfrak{h}} </math>が定義する主接続に対する'''第二構造方程式'''である事がわかる。よって特に、<math>\Omega_{\mathfrak{h}} </math>は主接続の'''曲率形式'''である事がわかる。したがって
一方2本目の式において<math> \omega_{\mathfrak{b}} </math>は<math> TP \overset{\omega}{\to} \mathfrak{g} \to \mathfrak{g}/\mathfrak{h} \approx \mathfrak{b} </math>に一致し、[[#ρωのフレームバンドルでの解釈|標準形式{{Mvar|θ}}として解釈]]できるので、モデル幾何学がアフィン幾何学である場合のように<math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]=\{0\} </math>であれば、2本目の式は
: <math>\tau \approx
d\theta
+ [\omega_{\mathfrak{h}},\theta]
</math>
となり、'''第一構造方程式'''に対応している事が分かる。よってこの場合の捩率は接続形式<math>\omega_{\mathfrak{h}} </math>が{{Mvar|TM}}によって定まる主接続の'''[[捩率テンソル]]'''に一致する。
==== ビアンキ恒等式 ====
前述した[[#カルタン接続のビアンキ恒等式|カルタン接続のビアンキ恒等式]]
: <math>d\Omega = [\Omega,\omega]</math>
を「<math>\mathfrak{h}</math>部分」と「<math>\mathfrak{b}</math>部分」に分解することで以下の定理が結論づけられる:
{{math theorem|定理|
* <math>d\Omega_{\mathfrak{g}}
= [\Omega_{\mathfrak{g}},\omega_{\mathfrak{g}}] </math>
* <math>d\tau \approx d\Omega_{\mathfrak{b}}
=
[\tau,\omega_{\mathfrak{h}}]
+ [\Omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{b}}]
+ [\Omega_{\mathfrak{h}},\omega_{\mathfrak{h}}]
</math>
|note=分解した場合のビアンキ恒等式{{Anchors|分解した場合のビアンキ恒等式}}}}
<math>\omega_{\mathfrak{h}} </math>[[#カルタン接続の分解の定理|が接続形式に対応している事]]から、上記の定理の1本目の式は接続形式<math>\omega_{\mathfrak{h}} </math>が定義する主接続に関する'''第二ビアンキ恒等式'''である。
一方、2本目の式は、[[#分解した場合の構造方程式|構造方程式の場合]]と同様、モデル幾何学がアフィン幾何学のように<math>[\mathfrak{b},\mathfrak{b}]=\{0\} </math>を満たせば、
: <math>d\tau
\approx
[\tau,\omega_{\mathfrak{h}}]
+ [\Omega_{\mathfrak{h}},\theta]
</math>
と'''第一ビアンキ恒等式'''に一致する。
== 曲線の発展 ==
{{See also|ダルブー導関数}}
=== {{Mvar|P}}上の発展 ===
<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(G,H)</math>をモデルとする{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学とし、<math>\varphi~:~ [a,b] \to P
</math>を区間<math>[a,b]</math>上定義された{{Mvar|P}}上の曲線とする{{Mvar|t}}を{{math|1=[''a'',''b'']}}上の点とすると、<math>T_{\varphi(t)}P </math>にはカルタン接続{{Mvar|ω}}により<math>\mathfrak{g}</math>の元が対応している。次の事実が知られている:{{math theorem|定理・定義|記号を上述のように取り、{{mvar|g}}を{{mvar|G}}の元とするとき、{{Mvar|G}}上の曲線<math>\tilde{\varphi}~:~[a,b] \to G
</math>で、任意の<math>t \in [a,b]</math>に対し、
: <math>
\omega^G\left(\tfrac{d\tilde{\varphi}}{dt}(t)\right)
=\omega\left(\tfrac{d\varphi}{dt}(t)\right)
</math>
が成立し、しかも<math>\tilde{\varphi}(a)=g</math>を満たすものがが一意に存在するが成立する<ref name="Sharpe119">[[#Sharpe]] p.119.</ref>。ここで<math>\omega^G</math>は{{mvar|G}}のモーレー・カルタン形式である。
曲線<math>\tilde{\varphi}</math>を曲線<math>\varphi</math>の{{mvar|g}}からの{{mvar|ω}}に関する'''発展'''({{lang-en-short|development}})という<ref name="Sharpe119" />{{refn|group="注"|ここでは[[#Sharpe]] p.209.にあわせて「曲線<math>\varphi</math>の発展」という言い方にしたが、同書p.119.では同じ概念を「<math>\omega</math>の発展」({{lang-en-short|development of {{mvar|ω}} along <math>\varphi</math> starting at {{mvar|g}}}})という言い方をしている。前者がカルタン幾何学の説明であるのに対し、後者は[[ダルブー導関数]]の説明に関するものである事が言い方を変えている理由であると思われるので、ここでは前者の言い方を採用した。}}。}}
モーレー・カルタン形式<math>\omega^G</math>は、{{mvar|G}}上の接ベクトルを{{mvar|G}}の作用により<math>\mathfrak{g}=T_eG</math>に移す変換であったので、上記の定理は<math>\tfrac{d\tilde{\varphi}}{dt}(t)</math>が{{mvar|G}}の作用による移動を除いて<math>\omega\left(\tfrac{d\varphi}{dt}(t)\right) </math>に一致する事を意味する。
上記の定理の直観的な意味を説明する。クライン幾何学<math>(G,H)</math>において{{mvar|G}}は等質空間<math>G/H</math>における同型写像のなす群であったので、そのリー代数<math>\mathfrak{g}</math>の元は<math>G/H</math>上の「無限小同型変換」、すなわち同型写像の微分とみなせた。
カルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の付与された多様体{{mvar|M}}とは「一次近似」がクライン幾何学に見える空間であり、{{mvar|T{{sub|p}}P}}の元{{mvar|v{{sub|p}}}}はカルタン接続により<math>\mathfrak{g}</math>の元と対応しており、<math>\omega(v_p)</math>は<math>\pi(u)</math>における「無限小同型変換」を意味していた。
上記の定理は曲線<math>\varphi</math>に沿って「無限小同型変換」である<math>\mathfrak{g}</math>の元<math>\omega\left(\tfrac{d\varphi}{dt}(t)\right) </math>を束ねていくとその「[[積分曲線]]」として同型変換である{{mvar|G}}の元<math>\tilde{\varphi}(t)</math>があらわれる事を意味している。
もし{{mvar|M}}が<math>G/H</math>そのものであれば、この同型変換<math>\tilde{\varphi}(t)</math>は実際に{{mvar|M}}上の同型変換になる事を[[#クライン幾何学との関係の章|後述]]する。
=== {{Mvar|M}}上の発展 ===
{{math theorem|補題{{Anchors|発展と右作用の補題}}|<math>c~:~[a,b] \to M</math>を{{mvar|M}}上の曲線とし、<math>\varphi~:~[a,b] \to P</math>を<math>h~:~[a,b] \to H</math>を曲線とする。このとき、<math>\varphi(t)</math>の発展<math>\tilde{\varphi}(t)~:~[a,b] \to P</math>と<math>\varphi(t)h(t)</math>の発展<math>\widetilde{\varphi(t)h(t)}</math>は以下を満たす<ref>[[#Sharpe]] pp.208.</ref>:
: <math>\widetilde{\varphi(t)h(t)}=\tilde{\varphi}(t)h(t)</math>}}
<math>q~:~G \to G/H</math>を{{mvar|G}}から<math>G/H</math>への商写像とすると、上記の補題から次が成立する:
{{math theorem|定理・定義|<math>c~:~[a,b] \to M</math>を{{mvar|M}}上の曲線とし、{{mvar|x}}を<math>G/H</math>の元とする。<math>\pi(\varphi(t))=c(t)</math>を満たす{{mvar|P}}上の曲線と<math>q(g)=x</math>を満たす<math>g\in G</math>を任意に選んで<math>\varphi</math>の{{mvar|g}}からの発展<math>\tilde{\varphi}~:~[a,b] \to G</math>を作り、<math>G/H</math>上の曲線
: <math>\tilde{c}(t):=q(\tilde{\varphi}(t))</math>
を考えると、<math>\tilde{c}(t)</math>は<math>\tilde{\varphi}</math>、{{mvar|g}}の取り方によらずwell-definedである。
曲線<math>\tilde{c}(t)</math>を<math>c(t)</math>の<math>G/H</math>における{{mvar|x}}からの{{mvar|ω}}に関する'''発展'''({{lang-en-short|development}})という<ref name="Sharpe209">[[#Sharpe]] pp.209-211.</ref>。
}}
=== ホロノミー ===
{{See also|ダルブー導関数#モノドロミー}}
{{mvar|M}}が連結であるとし、<math>u_0 \in M</math>と<math>\pi(p_0)= u_0</math>を満たす<math>p_0 \in P</math>をfixし、<math>c~:~[a,b] \to M </math>を{{Mvar|u{{sub|0}}}}を基点とする{{Mvar|M}}上の閉曲線とする。<math>\pi(\varphi(t))= c(t)</math>を満たす{{Mvar|P}}上の閉曲線<math>\varphi~:~[a,b] \to P</math>で{{Mvar|p{{sub|0}}}}を基点とするものとすると、[[#発展と右作用の補題|前述した補題]]から、<math>\varphi</math>の単位元<math>e \in G</math>からの発展<math>\tilde{\varphi}~:~I \to G</math>の終点<math>\tilde{\varphi}(b) </math>は<math>\varphi</math>の取り方によらず等しい。そこで以下のような定義をする:{{math theorem|定理・定義|記号を上のように取り、<math>\Omega(M,u_0)</math>を{{mvar|u{{sub|0}}}}を基点とする{{仮リンク|ループ空間|en|loop space|label=閉曲線全体の空間}}とする。このとき、
: <math>\Phi^{p_0}~:~c \in \Omega(M,u_0) \mapsto (\tilde{\varphi}</math>の終点<math>) \in G</math>
は閉曲線の結合に関して[[準同型]]であり、<math>\Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))</math>は{{mvar|G}}の部分群をなす。
<math>\Phi^{p_0}(c)</math>を閉曲線{{mvar|c}}の基点{{mvar|u{{sub|0}}}}のリフト{{mvar|p{{sub|0}}}}に関する'''ホロノミー'''({{lang-en-short|holonomy with respect to {{mvar|p{{sub|0}}}}}})<ref name="Sharpe209" />といい、<math>\Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))</math>を{{mvar|p{{sub|0}}}}に関する{{mvar|M}}上のカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の'''ホロノミー群'''({{lang-en-short|
holonomy group of <math>(\pi,P,\omega)</math> with respect to {{mvar|p{{sub|0}}}}}})<ref name="Sharpe209" />{{refn|group="注"|文献<ref name="Sharpe209" />では<math>\Phi^{p_0}</math>の定義域をループ空間<math>\Omega(M,u_0)</math>ではなく[[基本群]]<math>\pi_1(M,u_0)</math>としているが、<math>\Phi</math>はホモトピー不変ではないので、定義域はループ空間であると判断。なお、文献<ref>[[#Alexandre]] p.69.</ref>では定義域を基本群としているが、これはこの文献ではカルタン幾何学が平坦な事を仮定している為、<math>\Phi</math>がホモトピー不変になるからである。}}という。}}
ホロノミー群は基点やそのリフトを取り替えても、共役を除いて一意に定義できる。実際、基点{{mvar|u{{sub|0}}}}のリフト{{mvar|p{{sub|0}}}}を別の点{{mvar|p{{sub|0}}h}}, where <math>h \in H</math>に取り替えると、ホロノミーは<math>\Phi^{p_0h}(c)=h^{-1}\Phi^{p_0}(c)h </math>を満たす<ref name="Sharpe209" />。また基点{{mvar|u{{sub|0}}}}を別の基点{{mvar|u{{sub|1}}}}に変えると、<math>\Phi^{p_1}(\Omega(M,u_1))=g^{-1}\Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))g</math>を満たす<math>g \in G</math>が存在する<ref name="Sharpe209" />。
<math>\Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))</math>の元のうち、0-ホモトープな閉曲線全体<math>\Phi^{p_0}_0(\Omega(M,u_0))</math>は<math>\Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))</math>の[[正規部分群]]になる<ref name="Sharpe209" />。<math>\Phi^{p_0}_0(\Omega(M,u_0))</math>を'''制限ホロノミー群'''({{lang-en-short|restricted holonomy group}})という<ref name="Sharpe209" />。
写像<math>\Omega(M,u_0)\to \Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0)) \to \Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))/\Phi^{p_0}_0(\Omega(M,u_0))</math>は[[基本群]]<math>\pi_1(M,u_0)</math>からの群準同型写像
:<math>\pi_1(M,u_0)\to \Phi^{p_0}(\Omega(M,u_0))/\Phi^{p_0}_0(\Omega(M,u_0))</math>
をwell-definedに誘導する。上記の写像をカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の'''モノドロミー表現'''({{lang-en-short|monodromy representation of <math>(\pi,P,\omega)</math>}})という<ref name="Sharpe209" />。
=== 一般化円と測地線 ===
{{math theorem|定義{{Anchors|測地線の定義}}|なんらかの<math>A \in \mathfrak{g}</math>に対し、定数ベクトル場(定義は[[#定数ベクトル場の定義|前述]])<math>\omega^{-1}(A)</math>{{refn|group="注"|クライン幾何学の場合は{{mvar|M}}上の左不変ベクトル場に相当する<ref>[[#Sharpe-2]] p.67.</ref>。|name="左不変ベクトル場の注"}}の積分曲線を<math>\pi~:~P \to M</math>で{{mvar|M}}に射影したものを{{mvar|M}}上の'''{{訳語疑問点範囲|一般化円|date=2023/11/28}}'''({{lang-en-short|generarized circle}})という<ref name="Sharpe209" />。
また<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が<math>\mathfrak{g}=\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b}</math>と簡約可能なとき、なんらかの<math>A \in \mathfrak{b}</math>に対し、定数ベクトル場<math>\omega^{-1}(A)</math>の積分曲線を<math>\pi~:~P \to M</math>で{{mvar|M}}に射影したものを{{mvar|M}}上の'''[[測地線]]'''({{lang-en-short|geodesic}})という。
}}
特にクライン幾何学<math>(G,H)</math>に対し、<math>G/H</math>上の一般化円は、<math>\mathfrak{g}</math>の元の1-パラメーター変換群の軌跡{{refn|group="注"|name="1-パラメータ変換の注"|すなわち、<math>g \in G</math>と<math>A\in \mathfrak{g}=T_eG</math>に対し、{{mvar|A}}を通る{{mvar|G}}上の左不変ベクトル場<math>\overline{A}</math>による{{mvar|g}}からの1-パラメーター変換<math>\exp(t\overline{A})(g) \in G</math>の軌跡の事。}}{{refn|group="注"|<ref name="Sharpe209" />には「{{mvar|G}}の元の1-パラメーター変換群」とあるが1-パラメーター変換群はリー代数に対して定義するものなので「<math>\mathfrak{g}</math>の元の1-パラメーター変換群」の誤記と判断。}}の<math>G/H</math>への射影である<ref name="Sharpe209" />。よって「一般化円」という名称であるが、ユークリッド幾何学での「一般化円」は[[螺旋]]になる事もあるので注意されたい<ref group="注">ユークリッド空間<math>\mathbb{E}^m</math>の合同変換群<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m) = O(m) \ltimes \mathbb{R}^m</math>のリー代数<math>\mathfrak{iso}(\mathbb{E}^m) = \mathfrak{o}(m) \ltimes \mathbb{R}^m</math>から<math>A \in \mathfrak{o}(m) </math>、<math>B \in \mathbb{R}^m </math>を選び、<math>A+B</math>の積分曲線の<math>\mathbb{E}^m</math>への射影を考えると螺旋になる。</ref>
<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が<math>\mathfrak{g}=\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b}</math>と簡約可能なとき、<math>\mathfrak{b}</math>に属する元の{{mvar|G}}上の1-パラメーター変換群の軌跡<ref group="注" name="1-パラメータ変換の注" />の<math>G/H</math>への射影を'''直線'''({{lang-en-short|straight line}})という。
この事実を使うと、一般化円と測地線は以下のように言い換える事ができる:
{{math theorem|定理|
<math>(G,H)</math>をモデルとするクライン幾何学の定義された多様体{{mvar|M}}上の曲線が一般化円になる必要十分条件は、その一般化円の発展が<math>G/H</math>上の一般化円になる事である。
同様に<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が<math>\mathfrak{g}=\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b}</math>と簡約可能なとき、<math>c(t)</math>が{{mvar|M}}上の測地線({{lang-en-short|geodesic}})となる必要十分条件は、<math>c(t)</math>の発展<math>\tilde{c}(t)</math>が<math>G/H</math>上の直線である事である<ref name="Sharpe209" />。
}}[[#Koszul接続の節|前述]]したように、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が簡約可能なときは、{{Mvar|TM}}上にアフィン接続{{Mvar|∇}}が定義できるので、<math>\tfrac{\nabla}{dt}\tfrac{d}{dt}c=0</math>となる曲線を測地線として定義する事もできる。この2つの測地線の定義は同値である。
{{math theorem|定理|
<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が<math>\mathfrak{g}=\mathfrak{h} \oplus \mathfrak{b}</math>と簡約可能であるとし、カルタン接続{{Mvar|ω}}を<math> \omega = \omega_{\mathfrak{h}} + \omega_{\mathfrak{b}} </math>と分解したとき{{mvar|P}}の主接続(の接続形式)<math> \omega_{\mathfrak{h}}</math>が{{mvar|TM}}に<math>TM \approx F_H \times_H \mathfrak{g}/\mathfrak{h} </math>に誘導するアフィン接続を{{mvar|∇}}とする。
このとき、{{mvar|M}}上の曲線<math>c(t)</math>が[[#測地線の定義|上述]]したカルタン幾何学における測地線である必要十分条件は、以下が成立する事である:
: <math>\frac{\nabla}{dt}\frac{d}{dt}c=0</math>
}}
{{math proof|証明に入る前にまず記号を整理し、簡単な考察をする。{{Mvar|H}}を構造群とする主バンドル<math>P</math>を、{{Mvar|TM}}上の{{Mvar|H}}-フレームバンドル<math> F_H </math>と自然に同一視する。
各<math>e \in F_H(TM) \approx P</math>に対し、<math>\omega~:~ T_pF_H(TM) \to \mathfrak{g}</math>が同型だったので、自然に<math> TF_H \approx F_H \times \mathfrak{g} </math>とみなせる。これを写像<math>\rho~:~\mathfrak{g} \to \mathfrak{g}/\mathfrak{h} \approx \mathfrak{b}</math>とあわせると可換図式
: <math>\begin{array}{ccc}
TF_H &\approx &F_H \times \mathfrak{g}\\
\pi_* \downarrow &\circlearrowright & \rho\downarrow\\
TM & \approx & F_H \times_H \mathfrak{b}
\end{array} </math>
が描け、<math>\mathfrak{b}</math>にベクトル空間としての基底をfixして<math>\mathfrak{b}</math>の元を<math> v = (v^1,\ldots,v^m)</math>と書くと、<math>e = (e_1,\ldots,e_m) \in F_H </math>と{{Mvar|v}}の組<math>[e,v] \in F_H \times_H \mathfrak{b}</math>に対応する{{Mvar|TM}}の元は<math>\textstyle \sum_iv^ie_i</math>である。
{{Mvar|∇}}は<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>が誘導する[[アフィン接続]]であったので、以上のことから{{Mvar|M}}上の曲線<math>c(t)</math>上の{{Mvar|F{{sub|H}}}}の切断<math>e(t)=(e_1(t),\ldots,e_m(t))</math>が<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>に関して平行である必要十分条件は、<math>e(t)=(e_1(t),\ldots,e_m(t))</math>を{{Mvar|TM}}の基底とみなしたとき、<math>e(t)=(e_1(t),\ldots,e_m(t))</math>が{{Mvar|∇}}に関して平行な基底である事である。
(<math>\Rightarrow</math>){{Mvar|M}}上の曲線<math>c(t)</math>が[[#測地線の定義|カルタン幾何学における測地線の定義]]を満たせば、測地線<math>c(t)</math>はなんらかの<math>B \in \mathfrak{b}</math>となんらかの<math>e =(e_1,\ldots,e_m) \in F_H(TM)</math>を使って
: <math>c(t) = \pi(e(t))</math> where <math>e(t)=\exp(t\omega^{-1}(B))(e) \in F_H </math>
と書けるので、前述の可換図式から
: <math> {dc \over dt}(t) \in TM \approx [e(t),B]
\in F_H \times_H \mathfrak{b} </math>
である。基底<math>e(t)</math>は<math>c(t)</math>に沿って平行なので、<math> \tfrac{dc}{dt} </math>も<math>c(t)</math>に沿って平行であり、これは<math>\tfrac{\nabla}{dt}\tfrac{d}{dt}c=0</math>となる事を意味する。
(<math>\Leftarrow</math>){{Mvar|M}}上の曲線<math>c(t)</math>が通常の意味での測地線、すなわち<math>\tfrac{\nabla}{dt}\tfrac{d}{dt}c=0</math>であれば、<math> \tfrac{dc}{dt} </math>は<math>c(t)</math>に沿って平行である。よって基底<math>e(t)=(e_1(t),\ldots,e_m(t))</math>を<math>c(t)</math>に沿って平行なように選ぶと、
: <math> {dc \over dt}(t) \in TM \approx [e(t),B]
\in F_H \times_H \mathfrak{b} </math>
となる<math>B \in \mathfrak{b}</math>が存在する。したがって
: <math>c(t) = \pi(e(t))</math> where <math>e(t)=\exp(t\omega^{-1}(B))(e) \in F_H </math>
と書ける。
|drop=yes}}
== クライン幾何学との関係{{Anchors|クライン幾何学との関係の章}} ==
{{see also|ダルブー導関数#微分積分学の基本定理の章}}
カルタン幾何学はクライン幾何学をモデルとしており、しかも(局所)クライン幾何学はカルタン幾何学として'''平坦'''({{Lang-en-short|flat}})、すなわち曲率が恒等的に0である事を前述した。
本章はこの逆向きについて述べる。すなわち平坦なカルタン幾何学がいかなる条件を満たせば[[#局所クライン幾何学の節|局所クライン幾何学]]と等しいかを特定するのが本章の目標である。
[[ダルブー導関数]]の一般論から、以下が従う:
{{math theorem|定理|<math>(G,H)</math>を対応するリー代数の組<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})</math>が効果的なクライン幾何学とする。{{mvar|M}}を多様体とし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(G,H)</math>をモデルとする{{mvar|M}}上のカルタン幾何学とする。
このとき、{{mvar|M}}の[[普遍被覆空間]]<math>q^:~\tilde{M} \to M</math>に主バンドル<math>\pi~:~P \to M</math>とカルタン接続{{mvar|ω}}を引き戻したものをそれぞれ<math>\tilde{\pi}~:~\tilde{P} \to \tilde{M}</math>、<math>\tilde{\omega}</math>とする。
このとき<math>(\tilde{\pi},\tilde{P},\tilde{\omega})</math>は<math>\tilde{M}</math>上の<math>(G,H)</math>をモデルとするカルタン幾何学となり、局所幾何学的同型
; <math>(f,\bar{f})~:~(\tilde{M},\tilde{P}) \to (G/H, G)</math>
が存在する<ref>[[#Alexandre]] p.68.</ref>。}}
よって特に、{{Mvar|M}}の点{{Mvar|u}}の十分小さい開近傍<math>U</math>を取り、<math>U</math>上に<math>(\pi,P,\omega)</math>を制限した<math>(\pi|_U,P_U,\omega_U)</math>は({{Mvar|U}}の<math>\tilde{M}</math>へのリフトを考えることで)局所幾何学的同型<math>(U,P_U) \to (G/H,G)</math>を持つことが分かる<ref>[[#Sharpe]] p.212.</ref>。
このように被覆空間を考えたり、あるいは各点の開近傍に制限したりすれば、平坦なカルタン幾何学がクライン幾何学に局所幾何学的同型である事を示す事ができる。しかしこれだけでは{{Mvar|M}}自身が(局所)クライン幾何学と幾何学的同型になるか否かはわからない。
そこで本章ではまず{{Mvar|M}}自身が局所クライン幾何学と幾何学的同型になる条件を定式化し、次にこれらの条件を満たす平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と幾何学同型になる事を見る。
=== 条件 ===
本節では平坦なカルタン幾何学が局所クライン幾何学と同型であるための条件である「幾何学的[[向き付け可能性]]」と「完備性」を定義する。
==== 幾何学的向き ====
幾何学的向きを定義するため、まず記号を導入する。{{Mvar|M}}を多様体とし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とする{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学とし、{{Mvar|G}}を<math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群の一つとすると、その随伴表現<math>\mathrm{Ad}~:G~ \to \mathrm{GL}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>はリー群間の写像なので<ref group="注" name="Adの定義がおかしい件その2">[[#Adの定義がおかしい件|すでに指摘したように]]、モデル幾何学 <math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>の{{Math|Ad}}が <math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群{{Mvar|G}}の随伴表現である事が暗に仮定されている。</ref>、対応するリー代数間の写像
: <math>\mathrm{ad}:=\mathrm{Ad}_* ~:~\mathfrak{g} \to \mathfrak{gl}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>
を誘導する。{{Math|ad}}はリー代数<math>\mathfrak{g}</math>に対応するリー群{{Mvar|G}}の取り方によらずwell-definedであり、
: <math>\mathrm{ad}(A)(B)=[A,B]</math>
が成立する<ref>[[#Sharpe]] p.111.</ref>。{{Math|ad}}とカルタン接続の合成
: <math>\mathrm{ad}\circ \omega ~:~ TP \to \mathfrak{gl}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>
を考え、以下の定義をする:
{{math theorem|定義|記号を上と同様に取り、<math>p \in P</math>を取る。クライン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>に対し、<math>h \in H</math>が基点<math>p \in P</math>に関して'''幾何学的な向きを保つ'''({{Lang-en-short|geometrically orientation preserving with respect to the base point {{mvar|p}}}})とは、{{Mvar|p}}と{{Mvar|ph}}を結ぶ{{Mvar|P}}上の曲線<math>\varphi(t)</math>で以下の条件を満たすものが存在する事を言う<ref name="Sharpe203">[[#Sharpe]] pp.203-205.</ref><ref group="注">発展の定義は{{mvar|ω}}がカルタン接続の場合に対して与えたが、一般にリー代数に値を取る1-形式に対しても同様にして発展の存在一意性を示すことができるので、「<math>\mathrm{ad}\circ \omega</math>に関する発展」という言葉は意味を持つ。一般の場合の定理のステートメントは[[ダルブー導関数]]の項目を参照。</ref>:
: <math>\varphi(t)</math>の<math>\mathrm{ad}\circ \omega</math>に関する単位元<math>e \in \mathrm{GL}_{\mathrm{Lie}}(\mathfrak{g})</math>からの発展<math>\tilde{\varphi}(t)</math>の終点が<math>\mathrm{Ad}(h)</math>になる
}}
{{math theorem|定理・定義|{{mvar|P}}が連結であれば幾何学的向き付けの定義は{{mvar|p}}に依存しない<ref name="Sharpe203" />。{{mvar|P}}が連結なとき、幾何学的向き付け可能な{{mvar|H}}の元全体の集合を<math>H_{\mathrm{or}}</math>と書く<ref name="Sharpe203" />。}}
{{math|ad}}の定義より、曲線<math>\varphi(t)</math>が{{mvar|P}}のファイバー<math>P_{\pi(p)}</math>内にあれば、その発展<math>\tilde{\varphi}(t)</math>の終点は必ず<math>\mathrm{Ad}(h)</math>になる。よって<math>H_e</math>を単位元{{mvar|e}}を含む{{mvar|H}}の[[連結空間|連結成分]]とすると
: <math>H_e \subset H_{\mathrm{or}}</math>
が成立する。
しかし上記の定義は曲線<math>\varphi(t)</math>がファイバー<math>P_{\pi(p)}</math>内に収まる事は仮定しておらず、よって一般には{{math|''H''{{sub|or}}}}の方が{{mvar|H{{sub|e}}}}より大きいこともある。なお、{{mvar|P}}が連結であれば、{{math|''H''{{sub|or}}}}は{{mvar|H}}の[[正規部分群]]になる事が知られている<ref name="Sharpe203" />。
{{math theorem|定義|{{Mvar|M}}を多様体とし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とする{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学で{{mvar|P}}が連結であるものする{{refn|group="注"|文献<ref name="Sharpe207" />では{{mvar|P}}の連結を明示的には仮定していないが、{{mvar|P}}が連結ではないと{{math|''H''{{sub|or}}}}の定義が基点に依存してしまうため、暗に仮定されていると判断した。}}。
* {{mvar|H}}-バンドル{{mvar|P}}が{{math|''H''{{sub|or}}}}-部分主バンドルを持つとき、<math>(\pi,P,\omega)</math>は'''幾何学的に向き付け可能'''({{lang-en-short|geometrically orientable}})であるという<ref name="Sharpe207">[[#Sharpe]] p.207.</ref>
* {{mvar|P}}の{{math|''H''{{sub|or}}}}-部分主バンドル(もしあれば)を{{mvar|P}}の'''幾何学的向き'''({{lang-en-short|geometrically orientation}})という<ref name="Sharpe207" />。
* <math>M_{\mathrm{or}}:=P/H_{\mathrm{or}}</math>を{{mvar|M}}の'''幾何学的向き付け被覆'''({{lang-en-short|geometrically orientation cover}})という<ref name="Sharpe207" />。
* <math>H=H_{\mathrm{or}}</math>のとき、カルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>は'''幾何学的に向き付けられている'''({{lang-en-short|geometrically oriented}})という<ref name="Sharpe207" />。
}}次が成立する:{{math theorem|定義|局所クライン幾何学<math>(G,H,\Gamma)</math>(に定まるクライン幾何学)は、{{mvar|G}}が連結なら幾何学的向き付け可能である<ref name="Sharpe207" />{{refn|group="注"|文献<ref name="Sharpe207" />のステートメントでは{{mvar|G}}の連結性を明示していないが、証明中で{{mvar|G}}の連結性を使っているため、連結性を明記した。}}。}}
==== 完備性 ====
{{Mvar|M}}を多様体とし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とする{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学とする。
{{math theorem|定義|<math>(\pi,P,\omega)</math>が以下を満たすとき、<math>(\pi,P,\omega)</math>は'''完備'''({{Lang-en-short|complete}})であるという<ref name=Sharpe184 />{{refn|group="注"|[[#Sharpe]]では、まず一般の1-形式{{mvar|ω}}に対し完備性を定義し、カルタン接続{{mvar|ω}}が完備な事をもってカルタン幾何学の完備性を定義している。ここで{{Mvar|P}}上1-形式{{mvar|ω}}が完備であるとは、以下を満たす事を言う([[#Sharpe]] pp.69. 129):{{Mvar|P}}上の任意のベクトル場{{Mvar|X}}に対し、<math>\omega(X)|_p</math>が<math>p \in P</math>によらず定数であれば、任意の<math>p \in P</math>および任意の<math>t \in \mathbb{R}</math>に対し<math>\exp(t X_p)</math>が定義可能である。{{mvar|ω}}がカルタン接続であれば、<math>\omega(X)</math>が定数となるベクトル場とはすなわち<math>\omega{}^{-1}(A)</math>、for <math>A \in \mathfrak{g}</math>と書けるベクトル場の事であるので、ここで挙げた定義と一致する。なお文献<ref>[[#Sharpe-2]] p.66</ref>では{{mvar|A}}が時間変化する事を許すより強い完備性の定義を採用している(が、両定義の関係については明記されていないので不明)。}}
: 任意の<math>A \in \mathfrak{g}</math>に対し、定数ベクトル場(定義は[[#定数ベクトル場の定義|前述]])<math>\omega^{-1}(A)</math>の積分曲線<math>\exp(t \omega_p{}^{-1}(A))</math>は任意の<math>t \in \mathbb{R}</math>および任意の<math>p \in P</math>に対して定義可能である。
}}
{{math theorem|定理|局所クライン幾何学<math>(G,H,\Gamma)</math>(に対応するカルタン幾何学)は完備である。
}}
{{math proof|局所クライン幾何学におけるカルタン接続{{mvar|ω}}の定義より、<math>\omega_p{}^{-1}(A)</math>を<math>P=\Gamma\backslash G</math>の被覆空間である{{mvar|G}}に引き戻したもを<math>\underline{A}</math>とすると、<math>\underline{A}</math>は<math>A \in \mathfrak{g}=T_eG</math>を通る左不変ベクトル場であるので、<math>\exp(t \omega_g{}^{-1}(A))</math>は任意の任意の<math>g \in G</math>および任意の<math>t \in \mathbb{R}</math>に対し定義可能であり、任意の<math>p \in P</math>および任意の<math>t \in \mathbb{R}</math>に対し、<math>\exp(t \omega_p{}^{-1}(A))</math>は<math>\exp(t \omega_g{}^{-1}(A))</math>を<math>P=\Gamma\backslash G</math>に射影したものであるので、定理が成立する。ここで{{mvar|p}}は{{mvar|g}}の商写像による像である。
|drop=yes}}
=== 定式化 ===
完備かつ平坦で幾何学的に向き付可能なカルタン幾何学は局所クライン幾何学と幾何学的同型になる:{{math theorem|定義|{{mvar|M}}を連結な多様体とし、<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデル幾何学とし、<math>(\pi,P,\omega)</math>を{{mvar|M}}上の<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h},H,\mathrm{Ad})</math>をモデルとする平坦かつ完備で幾何学的に向き付けられたカルタン幾何学とする。
このとき、<math>\mathfrak{g}</math>をリー代数とする連結なリー群{{mvar|G}}で{{mvar|H}}を[[位相群|閉部分群]]として含むものと、{{mvar|G}}の部分群{{mvar|Γ}}で局所クライン幾何学<math>\Gamma\backslash G/H</math>とその上のカルタン幾何学構造<math>(\Gamma\backslash G,\omega^{\Gamma\backslash G})</math>が{{mvar|M}}とその上のカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>と幾何学的同型になる<ref>[[#Sharpe]] p.213.</ref><ref group="注" name="Adの定義がおかしい件その2" />。}}なお、すでに見たように局所クライン幾何学は平坦かつ完備であり、しかも{{Mvar|G}}が連結であれば局所クライン幾何学はカルタン幾何学として向き付け可能であるので、連結な{{Mvar|G}}を考える場合は、これ以上条件を減らす事はできない。
なお、{{Mvar|G}}を固定すると、上述の定理が存在を保証する{{Mvar|Γ}}は共役を除いて一意に定まる:{{math theorem|定義|<math>M_1=\Gamma_1\backslash G/H</math>、<math>M_2=\Gamma_2\backslash G/H</math>を<math>(G,H)</math>をモデルに持つ2つの局所クライン幾何学とする。
このとき、{{mvar|M{{sub|1}}}}と{{mvar|M{{sub|2}}}}がクライン幾何学として幾何学的同型であれば、ある<math>g \in G</math>が存在し、<math>\Gamma_2=g\Gamma_1 g^{-1}</math>であり、しかも{{mvar|M{{sub|1}}}}と{{mvar|M{{sub|2}}}}は{{mvar|g}}の左からの作用<math>L_g~:~G \to G</math>から誘導される<ref>[[#Sharpe]] p.216.</ref>。}}
== ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学{{Anchors|モデルがユークリッド幾何学の節}} ==
本章ではモデル幾何学がユークリッド幾何学の場合を考える。すなわち、モデルとするクライン幾何学がユークリッド空間<math>\mathbb{E}^m</math>上の等長変換群<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m)</math>と直交群<math>O(m)</math>の組<math>(G,H)=(\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m),O(m))</math>である場合の、多様体{{Mvar|M}}上のカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>を考える。
=== 標準的な計量{{Anchors|標準的な計量の節}} ===
本節では以下の定理を示す:
{{math theorem|定理|ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学には、{{Mvar|M}}に標準的な[[リーマン計量]]が定数倍を除いて一意に定まる<ref name=":0">[[#Sharpe]] p.238.</ref><ref group="注" name=":0">ここでいう「定数倍を除いて一意」とは2つの計量{{Mvar|g}}、{{Mvar|g'}}に対し、'''{{Mvar|M}}の点{{Mvar|u}}に依存しない'''定数{{Mvar|k}}が存在し、<math>g'_u=kg_u</math>となるという意味である。</ref>。
}}
これを示すため、<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>の性質を調べる。<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m)</math>は随伴表現{{Math|Ad}}により<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>に作用するが、<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m) = O(m)\ltimes \mathbb{R}^m</math>における<math>O(m)</math>は原点を中心とする回転として、<math>\mathbb{R}^m</math>は平行移動として<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>に作用する事を簡単な計算により確かめられる。
よって<math>\mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>上には<math>O(m)</math>により不変な内積<math>q~:~\mathfrak{g}/\mathfrak{h} \times \mathfrak{g}/\mathfrak{h} \to \mathbb{R}</math>が定数倍を除いて一意に定まる。[[#接バンドルの定理|前述]]したように<math>TM \approx TP \times_{H, \mathrm{Ad}} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>であるので、<math>p \in P</math>に対し、写像
: <math>\varphi_p~:~ \xi \in \mathfrak{g}/\mathfrak{h} \to [(p,\xi)] \in TP \times_{H,\mathrm{Ad}}\mathfrak{g}/\mathfrak{h} \approx TM
</math>
が定義できる。
そこで<math>u \in M</math>に対し{{Mvar|T{{sub|u}}M}}の計量を<math>p \in P_u</math>を任意に選んで
: <math>g_u(v,w) := q(\varphi_p{}^{-1}(v), \varphi_p{}^{-1}(w))
</math> for <math>v,w \in T_{u}M </math>
により定義すると<math>g_u(v,w)
</math>が<math>p \in P_u</math>によらずwell-definedされる事が知られており<ref name=":0" />、{{Mvar|M}}上にリーマン計量{{Mvar|g}}が定まる。
=== アフィン接続 ===
<math>\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m) = O(m)\ltimes \mathbb{R}^m</math>と半直積で書けるので、リー代数の組<math>(\mathfrak{g},\mathfrak{h})=(\mathfrak{iso}(\mathbb{E}^m),\mathfrak{o}(m))</math>は<math>\mathfrak{b} = \mathbb{R}^m</math>を使って簡約可能であり、しかも<math>(G,H)=(\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m),O(m))</math>は一階である。
よって[[#カルタン接続の分解の節|前述]]のようにカルタン接続{{Mvar|ω}}を「<math>\mathfrak{h}</math>部分」と「<math>\mathfrak{b}</math>部分」に分けて<math>\omega=\omega_{\mathfrak{h}} + \omega_{\mathfrak{b}}</math>と書くことができ、<math>\omega_{\mathfrak{h}}</math>は主バンドル{{Mvar|P}}上の接続形式になり、<math>\omega_{\mathfrak{b}}</math>が標準形式となる。逆に<math>\omega_{\mathfrak{h}}</math>と<math>\omega_{\mathfrak{b}}</math>から{{Mvar|ω}}が復元できる事もすでに示した。
接続形式<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>が{{Mvar|TM}}に誘導するアフィン接続<math>\nabla</math>を定義する事ができ、<math>\nabla</math>は以下を満たす:
{{math theorem|定理|<math>\nabla</math>は標準的な計量と両立する。すなわち[[#標準的な計量の節|前節]]で定義した標準的なリーマン計量{{Mvar|g}}に対し、
: <math>X(g(Y,Z))=g(\nabla_XY,Z)+g(Y,\nabla_XZ)
</math>
が{{Mvar|M}}上の任意のベクトル場{{Mvar|X}}、{{Mvar|Y}}、{{Mvar|Z}}に対して成立する。
}}
{{math proof|
[[#接バンドルの定理|すでに述べた]]ように{{Mvar|TM}}は<math>O(m)</math>-主バンドル{{Mvar|P}}を使って
: <math>TM \approx P \times_{H} \mathfrak{g}/\mathfrak{h}</math>
と書け、しかも{{Mvar|P}}は<math>O(m)</math>-フレームバンドルとして[[#ρωのフレームバンドルでの解釈|解釈できた]]ので、以下{{Mvar|P}}をフレームバンドルとみなしたものを{{Mvar|F}}と書く。[[#標準的な計量の節|前述した]]計量の作り方から計量{{Mvar|g}}は{{Mvar|F}}の元を正規直交基底にする。
一方<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>は
: <math>\mathfrak{h}=\mathfrak{o}(m) = \{</math>[[交代行列|歪対称行列]]<math>\}</math>
に値を取るので、({{Mvar|F}}に属する)正規直交基底において接続形式<math> \omega_{\mathfrak{h}} </math>を<math> \omega_{\mathfrak{h}} =(\omega^i{}_j)_{ij} </math>と成分表示すると、<math>\omega^i{}_j=-\omega^j{}_i</math>が成立する。よって{{Mvar|TM}}の局所的な正規直交基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>を取ると、
: <math>g(\nabla_X e_j,e_k)
= \sum_i g(\omega^i{}_j(X) e_i,e_k)
=\sum_i \omega^i{}_j(X)g(e_i,e_k)
=\omega^k{}_j(X)
</math>
が成立する(最後の等式は<math>i=k</math>のときのみ<math>g(e_i,e_k)=1</math>な事を使った)。よって
: <math>g(\nabla_X e_j,e_k) + g( e_j,\nabla_X e_k)
= \omega^k{}_j(X) + \omega^j{}_k(X)
= 0
= X g(e_j,e_k)
</math>
が成立するので、<math>Y=e_j</math>、<math>Z=e_k</math>の場合に定理が示された。一般の場合は、上式から簡単な計算により従う。
|title=略証|drop=yes}}
しかし'''<math>\nabla</math>の捩率は0とは限らない'''<ref>[[#Sharpe]] p.234.に捩率が0の場合とそうでない場合にわけて考える旨の記載がある。</ref>。もし<math>\nabla</math>の捩率が0であれば<ref group="注">ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学の場合にカルタン幾何学の意味での捩率がKoszul接続の捩率テンソルと同一な事は[[#簡約可能な場合の構造方程式の節|すでに示した]]。</ref>[[リーマン幾何学の基本定理]]より、<math>\nabla</math>は[[レヴィ・チヴィタ接続]]に一致する。
以上の考察から、カルタン幾何学の立場から見るとリーマン幾何学とは、ユークリッド幾何学をモデルとするカルタン幾何学で捩率が{{Mvar|0}}のものとして(計量の定数倍を除き)特徴づけられる幾何学である。
=== リーマン多様体の発展 ===
上述のようにリーマン多様体にはユークリッド幾何学<math>(G,H)=(\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m),O(m))</math>をモデルとする捩れのないカルタン幾何学<math>(\pi,P,\omega)</math>の構造が入る。
[[ファイル:Model_space_development.svg|右|サムネイル|滑りとねじれのない転がし(再掲)]]
{{Mvar|m}}次元リーマン多様体{{Mvar|M}}上に曲線<math>c(t)</math>を取り(図の青の線)、<math>c(t)</math>に沿って{{Mvar|M}}を{{Mvar|m}}次元平面<math>\mathbb{R}^m</math>上を[[滑りとねじれのない転がし|「滑ったり」「ねじれたり」することなく転がした]]<ref group="注">英語では、「捩率」はtorsion、「ねじれのない転がし」の「ねじれ」はtwistであり、両者は無関係な概念である。</ref>ときにできる曲線の軌跡を<math>\tilde{c}(t)</math>とする(図の紫の線)。
このとき、次が成立することが知られている:
{{math theorem|定理|
記号を上述のように取る。このとき、<math>\tilde{c}(t)</math>は[[等質空間]]<math>G/H =\mathrm{Iso}(\mathbb{E}^m)/O(m) \approx \mathbb{R}^m</math>への発展に一致する<ref name="Sharpe386">[[#Sharpe]] pp.386-387.</ref>。
}}
また、{{Mvar|M}}を{{Mvar|m}}次元平面<math>\mathbb{R}^m</math>上滑りもねじれもなく転がすと、時刻{{Mvar|t}}に<math>c(t)</math>が<math>\mathbb{R}^m</math>に接した瞬間に<math>T_{c(t)}M</math>が<math>\mathbb{R}^m</math>に重なるので、自然に写像
: <math>\varphi_t~:~ T_{c(t)}M \to \mathbb{R}^m</math>
が定義できる。この写像を使うと、{{Mvar|M}}のレヴィ・チヴィタ接続{{Mvar|∇}}の幾何学的意味を述べることができる:
{{math theorem|定理|
<math>v(t)\in T_{c(t)}M</math>を<math>c(t)</math>に沿った{{Mvar|M}}上のベクトル場とすると、以下が成立する<ref name="Sharpe386" />:
: <math>\varphi_t\left({\nabla \over dt} v(t)\right) ={d \over dt}\varphi_t(v(t)) </math>
}}
すなわち、曲線に沿った<math>v(t)</math>の共変微分を<math>\mathbb{R}^m</math>に移したものは、<math>v(t)</math>を移したものを通常の意味で微分したものに一致する。
よって特に以下が成立する:
{{math theorem|系|
<math>c(a)</math>における接ベクトル<math>v</math>を{{Mvar|M}}上曲線<math>c(t)</math>に沿って([[レヴィ・チヴィタ接続]]の意味で)平行移動したものを<math>v'</math>とするとき、<math>\tilde{c}(a) </math>におけるベクトル<math>\varphi_a(v)</math>を<math>\mathbb{R}^m</math>上<math>\tilde{c}(b) </math>まで通常の意味で平行移動したものは<math>\varphi_b(v')</math>に等しい<ref name="Sharpe386" />。
}}
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{reflist|20em}}
=== 注釈 ===
{{reflist|30em|group="注"}}
== 参考文献 ==
=== カルタン幾何学関連の文献 ===
* {{Cite book|洋書 |title=Differential Geometry: Cartan's Generalization of Klein's Erlangen Program |publisher=Sprinver |date=1997/6/12 |author=Richard Sharpe |ref=Sharpe |series=Graduate Texts in Mathematics |volume=166 |isbn=978-0387947327}}
* {{Cite book|洋書 |title=An introduction to Cartan Geometries |publisher=Proceedings of the 21st Winter School "Geometry and Physics" |author=Richard Sharpe |ref=Sharpe-2 |year=2002 |pages=61-75|ref=Sharpe-2}}
* {{Cite web |url=https://www.math.umd.edu/~jwericks/Parabolic%20Geometries%20RIT/EricksonAVICG_July2023.pdf |title=A Visual Invitation to Cartan Geometries |access-date=2023/11/13 |publisher=University of Maryland |author=Jacob W. Erickson |ref=Erickson}}
* {{Cite web |url=https://arxiv.org/abs/2303.00561 |title=A method for determining Cartan geometries from the local behavior of automorphisms |access-date=2023/11/13 |publisher=[[arXiv]] |date=2023/05/02 |author=Jacob W. Erickson |ref=Erickson-2}}
* {{Cite web |url=https://webusers.imj-prg.fr/~elisha.falbel/Cartan/poly.pdf |title=Introduction to Cartan geometry |access-date=2023/11/13 |author=Raphaël Alexandre and Elisha Falbel |date=2023/02/17 |ref=Alexandre}}
* {{Cite book|洋書 |title=Transformation Groups in Differential Geometry |date=1994/12/1 |publisher=Springer |series=Classics in Mathematics |isbn=978-3540586593 |author=Shoshichi Kobayashi |ref=Kobayashi}}
=== カルタン幾何学以外の文献 ===
* {{Cite web |url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter3.pdf |title=Chapter 3: Connections |access-date=2023/08/24 |author=Chris Wendl |ref=Wendl3}}
* {{Cite book|洋書 |title=Differential Geometry: Connections, Curvature, and Characteristic Classes |date=2017/6/P15 |publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]] |author=[[:en:Loring W. Tu|Loring W. Tu]] |series=[[Graduate Texts in Mathematics]] |volume=275 |isbn=978-3319550824 |ref=Tu}}
* {{Cite book|和書 |title=接続の微分幾何とゲージ理論 |date=1989/5/15 |publisher=[[裳華房]] |author=[[小林昭七]] |isbn=978-4785310585 |ref=小林}}
* {{cite book |series=Wiley Classics Library |title=[[:en:Foundations of Differential Geometry|Foundations of Differential Geometry]] Volume I |publisher=Wiley |date=2009 |orig-year=1963 |isbn=978-0-471-15733-5 |zbl=0119.37502 |author2=[[野水克己|Katsumi Nomizu]] |author=[[小林昭七|Shishichi Kobayashi]] |ref=Kobayashi-Nomizu-1}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かるたんきかかく}}
[[Category:接続 (数学)]]
[[Category:微分幾何学]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2023-11-28T11:32:13Z | 2023-12-15T01:53:30Z | false | false | false | [
"Template:Math",
"Template:Cite book",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Mvar",
"Template:Anchors",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6 |
4,859,705 | 有馬三山 | 有馬三山(ありまさんざん)は、兵庫県神戸市北区有馬町にある、湯槽谷山(ゆぶねだにやま)、灰形山(はいがたやま)、落葉山(おちばやま)の総称である。
類似語に「有馬山」があるが、有馬山とは東六甲から有馬一帯の山群の総称であり、特定の山を指す名称ではない。
また、地理的に六甲山地とも重なっているため、有馬三山に射場山、愛宕山愛宕山(兵庫県)を加えた総称として、「裏六甲」や「有馬五山」とも呼ばれる)。 | [
{
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"text": "有馬三山(ありまさんざん)は、兵庫県神戸市北区有馬町にある、湯槽谷山(ゆぶねだにやま)、灰形山(はいがたやま)、落葉山(おちばやま)の総称である。",
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"text": "類似語に「有馬山」があるが、有馬山とは東六甲から有馬一帯の山群の総称であり、特定の山を指す名称ではない。",
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] | 有馬三山(ありまさんざん)は、兵庫県神戸市北区有馬町にある、湯槽谷山(ゆぶねだにやま)、灰形山(はいがたやま)、落葉山(おちばやま)の総称である。 類似語に「有馬山」があるが、有馬山とは東六甲から有馬一帯の山群の総称であり、特定の山を指す名称ではない。 また、地理的に六甲山地とも重なっているため、有馬三山に射場山、愛宕山愛宕山(兵庫県)を加えた総称として、「裏六甲」や「有馬五山」とも呼ばれる)。 | {{複数の問題|出典の明記=2023-11|Wikify=2023-11}}
'''有馬三山'''(ありまさんざん)は、[[兵庫県]][[神戸市]][[北区 (神戸市)|北区]][[有馬町]]にある、湯槽谷山(ゆぶねだにやま)、灰形山(はいがたやま)、落葉山(おちばやま)の総称である<ref name=":2">{{Cite book|和書 |title=兵庫県大百科事典 |date=1983年10月1日 |year=昭和58年 |publisher=神戸新聞出版センター |page=134}}</ref>。
類似語に「[[有馬山]]」があるが、有馬山とは東六甲から有馬一帯の山群の総称であり、特定の山を指す名称ではない<ref name=":2" />。
また、地理的に[[六甲山地]]とも重なっているため、有馬三山に[[射場山]]、愛宕山[[愛宕山(兵庫県)]]を加えた総称として、「裏六甲」や「有馬五山」とも呼ばれる)<ref name=":1" />。
== 三山の詳細 ==
===[[湯槽谷山]](ゆぶねだにやま)===
*標高:801メートル 座標:北緯34.7825677676484,東経135.243997<ref name=":3">{{Cite web |title=地理院地図 / GSI Maps|国土地理院 |url=https://maps.gsi.go.jp/?ll=34.6613361111111,135.107341666667&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0#15/34.790933/135.245948/&base=std&ls=std%7Ctenkei_chikaku&disp=11&lcd=tenkei_chikaku&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0 |website=maps.gsi.go.jp |access-date=2023-11-29}}</ref>
**灰形山の南にある山。
*名前の由来
**行基が有馬再興の時、湯槽を造るのに良い木をこの谷から切り出したことから「湯槽谷山」の名がついた<ref name=":2" />。
===[[灰形山]](はいがたやま)===
*標高:619メートル 座標:北緯34.7891797676225,東経135.241025<ref name=":3" />
**鼓ヶ滝公園の日に見上げる岩山。
*名前の由来
**[[豊臣秀吉]]が蘭若院で茶会を催したとき、[[千利休]]が風炉の灰を、この山の形に似せて盛ったところから「灰形山」の名がついた<ref name=":2" />。
===[[落葉山]](おちばやま)===
*標高:533メートル 座標:北緯34.7946125559575,東経135.242843671179<ref name=":3" />
*名前の由来
**[[仁西]]がこの山で白髪の老人に会い、老人が投げた一葉が落ちた所から温泉がわいたという伝説がある。<ref>{{Cite web|url=https://kobecco.hpg.co.jp/68708/|title=有馬温泉史略 第五席|謎のベールに包まれた 有馬の復興主、仁西(にんさい)鎌倉時代|website=月刊神戸っ子(2022年5月号)|accessdate=2023-11-28}}</ref>。山頂には金鳥城跡があり、妙見宮があり、[[妙見山 (大阪府・兵庫県)]]ともいう。登山口は善福寺横にある<ref name=":2" />。
== 地質・地形 ==
;地質
:射場山を境に南側一帯に[[花崗岩]]が広がり、六甲山地を形成している。
:一方で、湯槽谷山、灰形山、落葉山は[[流紋岩]]により形成されている。
;六甲山の平坦面
:有馬三山・三笠(愛宕山、灰形山、落葉山:利休壮から見た)、白水峡
;断層
:[[六甲断層]]、[[藤原山断層]]、[[有野断層]]、[[射場山断層]]、[[湯槽谷断層]]
;盆地・山地
:有馬の温泉街を三方から取り囲んでいる。
:射場山、[[歯朶ヶ尾山]]、湯槽谷山、灰形山、落葉山、愛宕山、天神山(高山)、鉄砲山
;河川
:[[有馬川]]
:[[鼓ヶ滝公園|鼓ヶ滝]]
;温泉
:六甲山地の造山運動により、[[非火山性温泉]]が点在している。
;泉源
:金泉―鉄分を多く含む源泉
:銀泉―二酸化炭素が溶け込んだ源泉
:温泉会館[[金の湯]]、天神泉源、有明泉源、御所泉源、極楽泉源、炭酸泉源、妬泉源
;その他
:高塚の清水、[[有馬四十八滝]]
:六甲山地最大規模の断層破砕帯、有馬ー高槻構造帯、
:[[蓬萊峡]](ほうらいきょう)の崩壊地形
:亀乃尾瀧、百丈岩、鎌倉峡、[[千苅水源池]]、[[有馬富士]]、番匠屋畑尾根
==気候==
;気候
:全域が[[瀬戸内海式気候]]に含まれ、温暖少雨
:山上と北斜面は[[東北地方]]や[[北海道]]の気候に似ていて、冷涼で冬に積雪する。
::[[六甲颪]]が特徴(冬に北西から吹く季節風が山を越えて吹き降りる時に、乾燥して冷たい風になること)。
;災害
:[[六甲山鳴動]]・地震―過去33回確認されている。
:灰形山でのがけ崩れ、[[ナラ枯れ]]、[[慶長地震]]
== 自然 ==
;野鳥
:ウグイス、シジュウカラ、ホオジロ、カケス、オオルリ、カワガラス、ホトトギス、
:メジロ、モズ、カッコウ、ヒガラ、キセキレイ、ヤマガラ、アオゲラ、コゲラ、ツバメ<ref name=":1">『第1回六甲山系有馬川地域防災学習ゾーン検討委員会』 資料④「有馬川地域の特性・主な学習要素について」(2012年10月5日)[https://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/pr_media/commission/arima/1kai.php 地域防災学習ゾーン検討委員会]</ref>
;野草
:タンポポ、オオバコ、ツユクサ、ススキ<ref name=":1" />
;昆虫
:サワガニ、シオカラトンボ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ、ゲンジホタル、カジカ、カスミサンショウウオ
:スミスネズミ、エゾゼミ、モリアオガエル、ヒメボタル、コウベマイマイ<ref name=":1" />
;その他
:ホタル:有馬川緑道
:[[カスミサンショウウオ]]:有馬川流域(湯船谷川)で生息していたが、現在、絶滅が確認されている<ref name=":1" />
;植生
:自然林
:[[有間神社]]の社叢:ツブラジイ群落、[[公智神社]]の社叢、[[ひょうごの森百選]](有馬神社、公智神社、紅葉谷ブナ林)<ref name=":1" />
:希少林
:百年近いブナやイヌブナの林、有馬と名のつく植物(アリマウマノスズクサ、アリマグミ、アリマコスズ、
:アリマイトスゲ、アリマシノ)<ref name=":1" />
== 交通 ==
;道路
:魚屋道
:大場越・[[有馬街道|住吉道]]
:三田街道([[丹波街道]])
:神戸街道([[有馬街道]])
:生瀬街道([[旧有馬街道]])
:裏六甲有料道路
:[[芦有ドライブウェイ]]
:有馬町道路元標
:大阪道
:杖捨橋東詰の道標
:瑞宝寺への道標
:旧神戸街道の道標
:有馬で最古の道標
:旧街道のわかれ道の道標
:炭酸泉源の道標
:住吉道の道標
:六甲越の道標
:西国街道の裏街道=[[湯の山街道]]
:船坂越えの道
;鉄道・ロープウェイ
:[[国鉄有馬線]](有馬軽便鉄道)
:[[有馬温泉駅]](神戸電鉄)
:[[六甲有馬ロープウェー]]
== 歴史 ==
===約2億年前===
;丹波層群の形成<ref name=":0">{{Cite web |title=六甲砂防 - 六甲の川物語 | 有馬川物語 |url=https://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/rokko/study/arima.php |website=www.kkr.mlit.go.jp |access-date=2023-11-29}}</ref>
===約7500万年前===
;有馬層群の形成<ref name=":0" />
:丹波層群形成時のマグマが地表に出たときに形成された流紋岩で有馬地域ができた<ref name=":0" />。
;六甲花崗岩の形成<ref name=":0" />
:丹波層群形成時のマグマが地下で冷え固まって形成された花崗岩で六甲山地ができた<ref name=":0" />。
===約3500万年前===
;神戸層群の形成<ref name=":0" />
:激しい火山活動により発生した火山灰が堆積して形成された<ref name=":0" />。
===約1500万年前===
;日本列島の誕生<ref name=":0" />
:同時期に有馬地域の流紋岩と六甲山地の花崗岩が地表に現れた<ref name=":0" />。
:列島形成時に連発した断層運動により六甲山地の断層が形成された<ref name=":0" />。
===約300万年前===
;大阪湖の誕生<ref name=":0" />
:現在の大阪湾一帯が沈降し、大阪湖が形成された<ref name=":0" />。
:反対に現在の六甲山地一帯は隆起し始めた<ref name=":0" />。
===約100万年前===
;六甲変動の時期<ref name=":0" />
:大阪湖誕生以降の地殻変動を指す。現在も続いている<ref name=":0" />。
===約6000年前===
;縄文時代の海岸線<ref name=":0" />
:現在の海面より3m程度高かった<ref name=":0" />。
===現代===
;[[兵庫県南部地震]]発生<ref name=":0" />
:平成7年(1995年)に発生<ref name=":0" />。
== 脚注・外部リンク ==
<references />
== 出典 ==
長谷正行(1983)『兵庫県大百科事典』(上・下巻)神戸新聞出版センター
{{Pref-stub|pref=兵庫県}}
{{DEFAULTSORT:ありまさんさん}}
[[Category:兵庫県の山]]
[[Category:神戸市北区の地理]]
[[Category:日本の三山]]
[[Category:有馬三山]]
[[Category:六甲山地]]
[[Category:有馬温泉郷]] | 2023-11-28T11:33:01Z | 2023-12-09T00:35:23Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E4%B8%89%E5%B1%B1 |
4,859,709 | サムテリン宮殿 | サムテリン宮殿(ゾンカ語:ས་མཊ་རེན་ཕོ་བྲང)は、ブータン王国の宮殿。現国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクの住居地。
サムテリン宮殿はブータン王国の首都であるティンプー県ティンプーにある。
以前のブータン国王はデチェンチョリン宮殿に住んでいたが、その後にサムテリン宮殿に移り住んだ。
サムテリン宮殿内には国王の執務室、居間などが置かれている。
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] | サムテリン宮殿(ゾンカ語:ས་མཊ་རེན་ཕོ་བྲང)は、ブータン王国の宮殿。現国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクの住居地。 | '''サムテリン宮殿'''(ゾンカ語:ས་མཊ་རེན་ཕོ་བྲང)は、[[ブータン|ブータン王国]]の[[宮殿]]<ref name=":0">{{Cite book |title=International Encyclopaedia Of Himalayas (5 Vols. Set) |url=https://books.google.com/books?id=XWblUfYqGK4C&dq=Queen+Mother's+palace+in+Thimphu&pg=PA144 |publisher=Mittal Publications |date=2008-01-01 |isbn=978-81-8324-265-3 |language=en |first=Ramesh Chandra |last=Bisht}}</ref>。現[[ブータンの国王一覧|国王]]の[[ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク]]の住居地。
==所在地==
サムテリン宮殿はブータン王国の首都である[[ティンプー県]][[ティンプー]]にある<ref>{{Cite web |title=King´s Palace. Samteling Palace or Royal Cottage. Residence of the present King of Bhutan. Thimphu. Bhutan. |url=https://www.superstock.com/asset/king-palace-samteling-palace-royal-cottage-residence-present-king-bhutan/1566-1422043 |website=SuperStock |access-date=2023-11-28 |language=en}}</ref>。
==歴史==
以前のブータン国王は[[デチェンチョリン宮殿]]に住んでいたが、その後にサムテリン宮殿に移り住んだ<ref name=":0" />。
==宮殿内==
サムテリン宮殿内には国王の執務室、居間などが置かれている。
==脚注==
===注釈===
<references />
==関連項目==
* [[ブータン国王]]
* [[デチェンチョリン宮殿]](王宮の一つ、以前の国王の居住地)
* [[宮殿]]
{{デフォルトソート:さむてりんきゆうてん}}
[[Category:ティンプー]]
[[Category:ブータンの建築物]]
[[Category:アジアの宮殿]] | 2023-11-28T11:36:14Z | 2023-12-01T08:19:38Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%AE%AE%E6%AE%BF |
4,859,713 | 受胎告知 (ティツィアーノ、サン・ロッコ大同信会) | 『受胎告知』(じゅたいこくち、伊: L'Annunciazione, 英: The Annunciation)は、イタリアのルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1535年ごろに制作した絵画である。油彩。『新約聖書』で言及されている大天使ガブリエルによる聖母マリアへの受胎告知を主題としている。いくつか知られているティツィアーノの受胎告知の作例の1つであり、ヴェネツィアのサン・ロッコ大同信会のメンバーであった弁論家・法律家メリオ・ダ・コルトーナによって同信会に遺贈された。現在も同信会に所蔵されている。
ティツィアーノは大理石の欄干と石柱の列で構成された開放的な建築物の中で展開される受胎告知の場面を描いている。大天使ガブリエルは古典的な衣装をまとい、煙のような雲とともに建築の中に舞い降り、神の子を産むであろうことを告知している。大天使のすぐ斜め上には白い鳩の形をした聖霊が飛翔しており、聖霊から照射された光線が2人の間を走っている。聖母はそれまで書見台に置かれた書物を読んでいたが、今は跪いて、胸の前で腕を組み、視線を下に向けている。書見台のそばには、アカアシイワシャコ(アカアシヤマウズラ)が留まり、林檎の果実と裁縫かごが置かれている。背景には緑豊かな木々とティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレを思い起こさせる遠くの山々の風景が広がり、欄干によって隔てられている。
構図は非常にシンプルで、画面の両端に大天使ガブリエルと聖母マリアの姿を際立つ形で配置し、背景を建築学的要素とその向こうに広がる風景で構成している。
書見台のそばに描かれた静物画はいずれも象徴的な意味があると指摘されている。林檎の果実はアダムとイヴの禁断の果実を表す典型的なものであり、これを描くことにより「ノヴァ・エヴァ」(nova Eva, 新しいイブ)としての聖母の役割を暗示している。アカアシイワシャコはオスが繁殖期(英語版)に発する求愛の鳴き声で子を宿すと信じられており、中世以降、天使の告知を通じて受肉するキリストの象徴と見なされた。裁縫かごはビザンチン時代に人気があった初期の図像の1つである、エルサレム神殿の新しいカーテンのために糸を紡ぐ聖母の描写を表している。
ティツィアーノへの帰属は疑問視されたこともあったが、現在は異論なく受け入れられている。制作年代は様式的には1530年代後半、ムラーノ島のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会(英語版)のために1537年に制作したティツィアーノの失われた『受胎告知』の直後の作品と考えられている。
額縁には寄進者の紋章があり、豪華な彫刻と鍍金が施されている。
絵画は1555年にサン・ロッコ大同信会のメンバーであった弁論家・法律家メリオ・ダ・コルトーナによって遺贈された。絵画はサラ・デッラルベルゴの間(Sala dell’Albergo)で飾ることを求められ、1567年までにサラ・デッラルベルゴの間の扉の上に設置された。1582年には階段のアーチの上に設置され、その数年後、もう一方の階段に本作品と対となる形でティントレットの『聖母のエリザベト訪問』(La Visitazione)が制作・設置された。絵画は第一次世界大戦中の1915年に安全のため撤去され、最近まで上の広間の祭壇の近くに展示されていたが、現在は元の位置に戻されている。1989年から1990年の修復により汚れと茶色の塗り直しが除去されたが、青かった聖母のマントは修復不能なほとんど黒に近い暗い色彩に変化した。
本作品はドイツを代表する抽象画家ゲルハルト・リヒターに影響を与えたことでも知られる。西ドイツ時代の1972年、ゲルハルト・リヒターはヴェネツィア・ビエンナーレに参加し、最も有名な連作絵画の1つ『48の肖像』(48 Portraits)を発表した。その際にサン・ロッコ大同信会を訪れ、本作品を見て感銘を受けた。翌年、帰国したゲルハルト・リヒターは、本作品に基づいて5点の『ティツィアーノに倣った受胎告知』(Annunciation After Titian)を制作した。これは彼が美術史に残る名画を模倣した唯一の作品となった。構図はティツィアーノに基づいているものの、ティツィアーノの筆致は融解し、霧に包まれたようなぼやけた画面となっている。
2018年、マントヴァのテ離宮で「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」(Tiziano/Gerhard Richter. Il Cielo sulla Terra)展が開催され、サン・ロッコ大同信会およびカポディモンテ美術館所蔵のティツィアーノの『受胎告知』と、ゲルハルト・リヒターの『ティツィアーノに倣った受胎告知』が展示された。
2018年の「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」展に先立ち、セーブ・ヴェネツィア(英語版)によって科学的な調査と控えめな保全修復が行われた。これにより絵画の表面が黒く変色したワニスの層で覆われていること、また特に聖母の青いローブと聖母の奥の暗い風景の領域で、古い修復の上塗りが変色し、外観を損なっていることが明らかになった。本格的な修復は展覧会後の2021年に行われ、古いワニスと上塗りを除去することにより、本来の色彩の可読性と、人物、建築物、風景の間の遠近感の三次元性が回復された。 | [
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"title": "来歴"
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"text": "本作品はドイツを代表する抽象画家ゲルハルト・リヒターに影響を与えたことでも知られる。西ドイツ時代の1972年、ゲルハルト・リヒターはヴェネツィア・ビエンナーレに参加し、最も有名な連作絵画の1つ『48の肖像』(48 Portraits)を発表した。その際にサン・ロッコ大同信会を訪れ、本作品を見て感銘を受けた。翌年、帰国したゲルハルト・リヒターは、本作品に基づいて5点の『ティツィアーノに倣った受胎告知』(Annunciation After Titian)を制作した。これは彼が美術史に残る名画を模倣した唯一の作品となった。構図はティツィアーノに基づいているものの、ティツィアーノの筆致は融解し、霧に包まれたようなぼやけた画面となっている。",
"title": "影響"
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"text": "2018年、マントヴァのテ離宮で「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」(Tiziano/Gerhard Richter. Il Cielo sulla Terra)展が開催され、サン・ロッコ大同信会およびカポディモンテ美術館所蔵のティツィアーノの『受胎告知』と、ゲルハルト・リヒターの『ティツィアーノに倣った受胎告知』が展示された。",
"title": "影響"
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"text": "2018年の「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」展に先立ち、セーブ・ヴェネツィア(英語版)によって科学的な調査と控えめな保全修復が行われた。これにより絵画の表面が黒く変色したワニスの層で覆われていること、また特に聖母の青いローブと聖母の奥の暗い風景の領域で、古い修復の上塗りが変色し、外観を損なっていることが明らかになった。本格的な修復は展覧会後の2021年に行われ、古いワニスと上塗りを除去することにより、本来の色彩の可読性と、人物、建築物、風景の間の遠近感の三次元性が回復された。",
"title": "修復"
}
] | 『受胎告知』は、イタリアのルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1535年ごろに制作した絵画である。油彩。『新約聖書』で言及されている大天使ガブリエルによる聖母マリアへの受胎告知を主題としている。いくつか知られているティツィアーノの受胎告知の作例の1つであり、ヴェネツィアのサン・ロッコ大同信会のメンバーであった弁論家・法律家メリオ・ダ・コルトーナによって同信会に遺贈された。現在も同信会に所蔵されている。 | {{Infobox 絵画作品
| image_file = Scuola Grande di San Rocco (Venice) - Collection - Annunciazione del Tiziano.jpg
| image_size = 450px
| title = 受胎告知
| other_language_1 = [[イタリア語]]
| other_title_1 = L'Annunciazione
| other_language_2 = [[英語]]
| other_title_2 = The Annunciation
| artist = [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]
| year = 1535年ごろ
| type = [[油彩]]、[[キャンバス]]
| height = 166
| width = 266
| city = [[ヴェネツィア]]
| museum = [[サン・ロッコ大同信会]]
}}
『'''受胎告知'''』(じゅたいこくち、{{lang-it-short|L'Annunciazione}}, {{lang-en-short|The Annunciation}})は、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]が1535年ごろに制作した絵画である。[[油彩]]。『[[新約聖書]]』で言及されている[[大天使]][[ガブリエル]]による[[聖母マリア]]への[[受胎告知]]を主題としている。いくつか知られているティツィアーノの受胎告知の作例の1つであり、[[ヴェネツィア]]の[[サン・ロッコ大同信会]]のメンバーであった弁論家・法律家メリオ・ダ・コルトーナによって同信会に遺贈された。現在も同信会に所蔵されている<ref>イアン・G・ケネディー 2009年、p.42-43。</ref><ref name=SR>{{cite web|title=Titian |accessdate=2023/11/26 |url=http://www.scuolagrandesanrocco.org/home-en/not-only-tintoretto/titian/ |publisher=[[サン・ロッコ大同信会]]公式サイト}}</ref><ref name=SV>{{cite web|title=Titian’s Annunciation in the Scuola Grande di San Rocco |accessdate=2023/11/26 |url=https://www.savevenice.org/project/the-annunciation |publisher={{ill|セーブ・ヴェネツィア|en|Save Venice Inc.}}公式サイト}}</ref><ref name=CTV>{{cite web|title=Titian |accessdate=2023/11/23 |url=http://cavallinitoveronese.co.uk/general/view_artist/66 |publisher=Cavallini to Veronese}}</ref>。
== 作品 ==
[[File:Jacopo Tintoretto - Visitation - WGA22645.jpg|thumb|240px|[[ティントレット]]の『聖母のエリザベト訪問』。後に本作品の対として制作された。[[サン・ロッコ大同信会]]所蔵。]]
[[File:Gian giacomo caraglio da tiziano, annunciazione, 1537, bulino (roma, ist. c.le per la grafica).jpg|240px|thumb|{{ill|サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 (ムラーノ島)|en|Santa Maria degli Angeli, Murano|label=サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会}}のために1537年に制作されたティツィアーノの『受胎告知』。この作品は現在は失われているが、{{ill|ヤコポ・カラリオ|en|Jacopo Caraglio}}の版画でその構図が残されている。]]
ティツィアーノは[[大理石]]の[[欄干]]と石柱の列で構成された開放的な建築物の中で展開される受胎告知の場面を描いている。大天使ガブリエルは古典的な衣装をまとい、煙のような雲とともに建築の中に舞い降り、神の子を産むであろうことを告知している。大天使のすぐ斜め上には白い[[鳩]]の形をした[[聖霊]]が飛翔しており、聖霊から照射された光線が2人の間を走っている。聖母はそれまで[[書見台]]に置かれた書物を読んでいたが、今は跪いて、胸の前で腕を組み、視線を下に向けている。書見台のそばには、[[アカアシイワシャコ]](アカアシヤマウズラ)が留まり、[[林檎]]の果実と裁縫かごが置かれている。背景には緑豊かな木々とティツィアーノの故郷[[ピエーヴェ・ディ・カドーレ]]を思い起こさせる遠くの山々の風景が広がり、欄干によって隔てられている<ref name=SV />。
構図は非常にシンプルで、画面の両端に大天使ガブリエルと聖母マリアの姿を際立つ形で配置し、背景を建築学的要素とその向こうに広がる風景で構成している<ref name=SR />。
書見台のそばに描かれた静物画はいずれも象徴的な意味があると指摘されている。林檎の果実は[[アダム]]と[[イヴ]]の[[禁断の果実]]を表す典型的なものであり、これを描くことにより「ノヴァ・エヴァ」({{la|nova Eva}}, 新しいイブ)としての聖母の役割を暗示している。アカアシイワシャコはオスが{{ill|繁殖期|en|Seasonal breeder}}に発する求愛の鳴き声で子を宿すと信じられており、中世以降、天使の告知を通じて[[受肉]]する[[キリスト]]の象徴と見なされた。裁縫かごは[[ビザンティン美術|ビザンチン]]時代に人気があった初期の図像の1つである、[[エルサレム神殿]]の新しいカーテンのために糸を紡ぐ聖母の描写を表している<ref name=SV />。
ティツィアーノへの帰属は疑問視されたこともあったが、現在は異論なく受け入れられている<ref name=SR />。制作年代は様式的には1530年代後半、[[ムラーノ島]]の{{ill|サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 (ムラーノ島)|en|Santa Maria degli Angeli, Murano|label=サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会}}のために1537年に制作したティツィアーノの失われた『受胎告知』の直後の作品と考えられている<ref name=SV />。
[[額縁]]には寄進者の[[紋章]]があり、豪華な彫刻と[[鍍金]]が施されている<ref name=SR /><ref name=SV />。
== 来歴 ==
絵画は1555年にサン・ロッコ大同信会のメンバーであった弁論家・法律家メリオ・ダ・コルトーナによって遺贈された<ref name=SR /><ref name=SV /><ref name=CTV />。絵画はサラ・デッラルベルゴの間({{it|Sala dell’Albergo}})で飾ることを求められ<ref name=SR />、1567年までにサラ・デッラルベルゴの間の扉の上に設置された。1582年には階段のアーチの上に設置され、その数年後、もう一方の階段に本作品と対となる形で[[ティントレット]]の『聖母のエリザベト訪問』({{it|La Visitazione}})が制作・設置された<ref name=SR /><ref name=CTV />。絵画は[[第一次世界大戦]]中の1915年に安全のため撤去され、最近まで上の広間の祭壇の近くに展示されていたが、現在は元の位置に戻されている。1989年から1990年の修復により汚れと茶色の塗り直しが除去されたが、青かった聖母のマントは修復不能なほとんど黒に近い暗い色彩に変化した<ref name=CTV />。
== 影響 ==
[[File:Gerhard Richter (2017).jpg|thumb|240px|抽象画家[[ゲルハルト・リヒター]]。2017年撮影。]]
本作品は[[ドイツ]]を代表する[[抽象絵画|抽象画家]][[ゲルハルト・リヒター]]に影響を与えたことでも知られる<ref name=T>{{cite web|title=Tiziano / Gerhard Richter. Il Cielo sulla Terra |accessdate=2023/11/26 |url=https://www.centropalazzote.it/annunciazioni-tiziano-gerhard-richter/ |publisher=[[テ離宮]]公式サイト}}</ref><ref name=NT>{{cite web|title=Titian and Gerhard Richter: Keeping Faith With Painting, 5 Centuries Apart |accessdate=2023/11/26 |url=https://www.nytimes.com/2018/10/18/arts/design/titian-gerhard-richter-palazzo-te.html |publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]}}</ref>。[[西ドイツ]]時代の1972年、ゲルハルト・リヒターは[[ヴェネツィア・ビエンナーレ]]に参加し、最も有名な連作絵画の1つ『48の肖像』({{en|48 Portraits}})を発表した。その際にサン・ロッコ大同信会を訪れ、本作品を見て感銘を受けた。翌年、帰国したゲルハルト・リヒターは、本作品に基づいて5点の『ティツィアーノに倣った受胎告知』({{en|Annunciation After Titian}})を制作した。これは彼が美術史に残る名画を模倣した唯一の作品となった。構図はティツィアーノに基づいているものの、ティツィアーノの筆致は融解し、霧に包まれたようなぼやけた画面となっている<ref name=NT />。
2018年、[[マントヴァ]]の[[テ離宮]]で「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」({{it|Tiziano/Gerhard Richter. Il Cielo sulla Terra}})展が開催され<ref name=SV /><ref name=T />、サン・ロッコ大同信会および[[カポディモンテ美術館]]所蔵のティツィアーノの『受胎告知』と、ゲルハルト・リヒターの『ティツィアーノに倣った受胎告知』が展示された<ref name=T /><ref name=NT />。
== 修復 ==
2018年の「ティツィアーノ/ゲルハルト・リヒター 地上の天国」展に先立ち、{{ill|セーブ・ヴェネツィア|en|Save Venice Inc.}}によって科学的な調査と控えめな保全修復が行われた。これにより絵画の表面が黒く変色した[[ワニス]]の層で覆われていること、また特に聖母の青いローブと聖母の奥の暗い風景の領域で、古い修復の上塗りが変色し、外観を損なっていることが明らかになった。本格的な修復は展覧会後の2021年に行われ、古いワニスと上塗りを除去することにより、本来の色彩の可読性と、人物、建築物、風景の間の遠近感の三次元性が回復された<ref name=SV />。
== ギャラリー ==
; 設置された絵画
<gallery widths="230px" heights="200px" perrow="3" style="font-size:smaller">
Tiziano, annunciazione della scuola grande di san rocco, 1535.jpg|[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]『受胎告知』1535年ごろ
Jacopo tinoretto, visitazione della scuola grande di san rocco, 1588.jpg|[[ティントレット]]『聖母のエリザベト訪問』1588年ごろ
</gallery>
; ティツィアーノの他の作例
<gallery widths="180px" heights="200px" perrow="3" style="font-size:smaller">
Duomo (Treviso) - Interior - Annunciation by Titian crop.jpg|『[[マルキオストロの受胎告知|受胎告知]]』1519年から1520年の間 {{ill|トレヴィーゾ大聖堂|en|Treviso Cathedral}}所蔵
Annunciazione, Tiziano 001.jpg|『受胎告知』1557年ごろ [[カポディモンテ美術館]]所蔵
Tiziano, annunciazione, 1566, in cornice marmorea disegnata da j. sansovino 02.jpg|『[[受胎告知 (ティツィアーノ、サン・サルバドール教会)|受胎告知]]』1559年から1564年の間 {{ill|サン・サルバドール教会 (ヴェネツィア)|en|San Salvador, Venice |label=サン・サルバドール教会}}所蔵
</gallery>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』[[Taschen]](2009年)
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Scuola Grande di San Rocco (Venice) - Collection - Annunciazione del Tiziano}}
* [http://www.scuolagrandesanrocco.org/home-en/not-only-tintoretto/titian/ サン・ロッコ大同信会公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』]
{{ティツィアーノ・ヴェチェッリオ}}
{{DEFAULTSORT:しゆたいこくち}}
[[Category:ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品]]
[[Category:1530年代の絵画]]
[[Category:聖母マリアを描いた絵画]]
[[Category:天使を題材とした作品]]
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4,859,716 | マリック・ダカネイ | 「マリック・ダカネイ」(本名:、英語表記:Marick Dacanay、1989年12月8日 - )はフィリピン女優、女性声優。
カードキャプターさくら クリアカード編 (木之本桜) | [
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] | 「マリック・ダカネイ」はフィリピン女優、女性声優。 | {{複数の問題
| 特筆性 = 2023-12
| 存命人物の出典皆無 = 2023-12
}}
{{声優
| 名前 = マリック・ダカネイ
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| 本名 = マリア・クリスティアン・ダカネイ
| 愛称 =
| 配偶者 =
| 性別 = 女性
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| 死没地 =
| 血液型 =
| 生年 = 1989
| 生月 = 12
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| 没月 =
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| 活動期間 = [[1999年]] -
|
}}
「マリック・ダカネイ」(本名:、英語表記:Marick Dacanay、[[1989年]][[12月8日]] - )は[[フィリピン]][[俳優|女優]]、女性[[声優]]。
== 出演作品 ==
=== テレビアニメ ===
*[[カードキャプターさくら]] ([[木之本桜]])
カードキャプターさくら クリアカード編 (木之本桜)
*[[FF:U 〜ファイナルファンタジー:アンリミテッド〜]] (ルー・ルプス)
*[[ラウド・ハウス]] (ローラ・ラウド、リリー・ラウド)
{{DEFAULTSORT:はるかい たりあ}}
[[Category:フィリピンの女優]]
[[Category:1989年生]]
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4,859,718 | LCO | [] | コンゴ共和国、ラグ空港のIATA空港コード
ラス・カンパナス天文台 - チリの天文台
League of Legends Circuit Oceania
ロンドン室内管弦楽団 | *コンゴ共和国、[[ラグ空港]]のIATA空港コード
*[[ラス・カンパナス天文台]] - チリの天文台
*[[League of Legends Circuit Oceania]]
* [[ロンドン室内管弦楽団]]
{{aimai}} | 2023-11-28T12:03:15Z | 2023-11-28T12:03:15Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/LCO |
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4,859,721 | 新福尚隆 | 新福尚隆(しんふく なおたか、1942年1月13日 - )。父・新福尚武(しんふく なおたけ)の赴任先の台湾(当時は、日本植民地)高雄市にて出生。日本の医学者。医学博士。精神医学。国際保健学。世界保健機関(WHO)医官、神戸大学医学部・医学研究国際交流センタ-教授、西南学院大学社会福祉学科教授を歴任。世界精神医学会(WPA)・東アジア地区代表選出後、2005年にアジア太平洋の24か国が参加するアジア精神医学(AFPA)・初代会長に就任した。 | [
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'''新福尚隆'''(しんふく なおたか、[[1942年|1942年1月13日]] - )。父・[[新福尚武]](しんふく なおたけ)の赴任先の台湾(当時は、日本植民地)[[高雄市]]にて出生。日本の医学者。医学博士。精神医学。国際保健学。世界保健機関(WHO)医官、[https://www.med.kobe-u.ac.jp/global/index.html 神戸大学医学部・医学研究国際交流センタ-]教授、[[西南学院大学]]社会福祉学科教授を歴任。[https://www.wpanet.org/ 世界精神医学会(WPA)]・東アジア地区代表選出後、2005年にアジア太平洋の24か国が参加する[http://www.afpa.asia/ アジア精神医学(AFPA)]・初代会長<ref>[http://afpa.asia/ Asian Federation of Psychiatric Associations: AFPA]</ref>に就任した。
== 経歴 ==
*1967年 [https://www.med.kyushu-u.ac.jp/ 九州大学医学部]卒業
*1968-1979年 国立肥前療養所(現・[[肥前精神医療センター|肥前精神医療センタ-]])
*1971年-1974年 [https://abscif.smoosy.atlas.jp/ja/scholarship フランス政府給費留学生]としてパリ大学留学
*1979年 厚生省医務局国立療養所課 課長補佐
*1981年 [https://www.who.int/westernpacific WHO西太平洋地域事務局]・精神衛生/薬物対策担当医官
*1994年 [https://www.med.kobe-u.ac.jp/global/index.html 神戸大学医学部・医学研究国際交流センタ-]教授
*2005年-2012年 西南学院大学・人間科学部社会福祉学科 教授
*
== 出版物 ==
*‘Mental health system in Japan after the Meiji restoration: Historical observation’ In: Harry Minas, Milton Lewis ed. “Mental health in Asia and the Pacific: historical and cultural perspectives” New York: Springer, p.93-105.<ref>[https://www.researchgate.net/publication/314079255_Mental_Health_in_Asia_and_the_Pacific_Historical_and_Cultural_Perspectives 2017 ‘Mental health system in Japan after the Meiji restoration: Historical observation’ In: Harry Minas, Milton Lewis ed. “Mental health in Asia and the Pacific: historical and cultural perspectives” New York: Springer, p.93-105.] </ref>
*2010 ‘Buddhism and psychotherapy in Japan’. In: Peter J. Verhagen, ed. “Religion and psychiatry: beyond boundaries”. World Psychiatric Association, New York: Wiley-Blackwell, p.161-207.<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01546226 2010 ‘Buddhism and psychotherapy in Japan’. In: Peter J. Verhagen, ed. “Religion and psychiatry: beyond boundaries”. World Psychiatric Association, New York: Wiley-Blackwell, p.161-207.] </ref>
*2009「世界における社会医学研究とその成果」In: 日本社会精神医学会編 『社会精神医学』 医学書院, p. 86-93.<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA89286450 2009「世界における社会医学研究とその成果」In: 日本社会精神医学会編 『社会精神医学』 医学書院, p. 86-93.]</ref>
*2008 「精神医学と生命倫理―ナチス精神医学」In: 山崎喜代子編 『生命の倫理―優生学の時代を越えて』九州大学出版会, p. 248-269.<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA8601319X 2008 「精神医学と生命倫理―ナチス精神医学」In: 山崎喜代子編 『生命の倫理―優生学の時代を越えて』九州大学出版会, p. 248-269.] </ref>
*2004 近藤喜代太郎と共著「国際共生と健康」 放送大学教育振興会.<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA66720660 2004 近藤喜代太郎と共著「国際共生と健康」 放送大学教育振興会.] </ref>
*2003 新福尚隆(編)『精神医学・医療の国際比較』 日本評論社.<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA64741535 2003 新福尚隆(編)『精神医学・医療の国際比較』 日本評論社.]</ref>
*2001 浅井邦彦と共著『世界の精神保健医療: 現状理解と今後の展望』 ヘルス出版<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA5197649X 2001 浅井邦彦と共著『世界の精神保健医療: 現状理解と今後の展望』 ヘルス出版] </ref>
*1996 被災地の暮らし-今後の課題:阪神・淡路大震災誌 : 1995年兵庫県南部地震 朝日新聞大阪本社「阪神・淡路大震災誌」編集委員会, p.528-532. <ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN13780983 1996 被災地の暮らし-今後の課題:阪神・淡路大震災誌 : 1995年兵庫県南部地震 朝日新聞大阪本社「阪神・淡路大震災誌」編集委員会, p.528-532. ]</ref>
*1993 A public health approach to mental health in the Western Pacific Region. In: International Journal of Mental Health. 22(1): 3-4 (Guest editor)<ref>[https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00207411.1993.11449243 1993 A public health approach to mental health in the Western Pacific Region. In: International Journal of Mental Health. 22(1): 3-4 (Guest editor)] </ref>
*1992 A study of the public health approach to mental health in the Western Pacific region with specific reference to developing countries(1994 東京大学博士号授与)<ref>[https://cir.nii.ac.jp/crid/1110001310177517696 1992 A study of the public health approach to mental health in the Western Pacific region with specific reference to developing countries(1994 東京大学博士号授与)]</ref>
== 外部リンク ==
*他の出版物・論文 [https://cir.nii.ac.jp/articles?q=&creator=%E6%96%B0%E7%A6%8F%E5%B0%9A%E9%9A%86&sortorder=0 CiNii]
*論文や資料公開など [https://researchmap.jp/shinfukunaotaka Researchmap]
*引用分析 [https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=shinfuku+naotaka+&btnG= Google Scholar]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:しんふく なおたか}}
[[Category:1942年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T12:25:14Z | 2023-12-30T12:23:31Z | false | false | false | [
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"Template:Normdaten"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%A6%8F%E5%B0%9A%E9%9A%86 |
4,859,730 | トコマンダー | トコマンダーとは1929年(昭和4年)に提出された衆議院議員総選挙を中選挙区制から小選挙区制に変更することを意図した衆議院議員選挙法改正案。
1928年(昭和3年)2月の初の男子普通選挙として第16回衆議院議員総選挙が実施されたが、選挙の結果として議席は政友会を中心とする与党と民政党を中心とする野党が拮抗したため、田中義一内閣は多数派工作に乗り出した。民政党に所属していた床次竹二郎は一部議員を引き連れて新党倶楽部を結成し、政権と融和姿勢を示した。床次は普選後初の通常議会である第56回帝国議会の会期終盤である1929年(昭和4年)3月9日に政友会と新党倶楽部の議員19人の賛成を得て、衆議院に提出した。
法案は以下の内容が骨子になっていた。
床次は衆議院の法案趣旨説明で「小選挙区制で選挙費用を抑える」「議員と選挙民との関係を密接にする」「政界の安定を図ることができる」「補欠選挙を早期実施と欠員の早期解消」を挙げた。それに対して野党側は「人口12万7000人に対して理想の1人区がある選挙区でわざわざ隣接地域と合区にして2人区にしている選挙区があり、与党の党利党略によるもの」「前回の法改正時に選挙区割りの改正は今後10年行わないと明記したことについて、たった1回の選挙で変更するのは軽率」「少数意見を持つ者を議会に送りにくくなる」等として法案に反対した。
野党は衆議院での法案可決を阻止するために牛タン戦術や牛歩戦術を行い、与党が審議を打ち切って採決に持ち込もうとし、審議は混乱した。
3月22日に法案は衆議院本会議で可決されたが、貴族院では審議未了で会期終了日の3月25日に廃案となった。 | [
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] | トコマンダーとは1929年(昭和4年)に提出された衆議院議員総選挙を中選挙区制から小選挙区制に変更することを意図した衆議院議員選挙法改正案。 | '''トコマンダー'''とは[[1929年]](昭和4年)に提出された、[[衆議院議員総選挙]]を[[中選挙区制]]から[[小選挙区制]]に変更することを意図した[[衆議院議員選挙法]]改正案{{Sfnp|朝日新聞社|1955|p=108}}。
== 概要 ==
[[1928年]](昭和3年)2月に初の[[普通選挙|男子普通選挙]]として[[第16回衆議院議員総選挙]]が実施されたが、選挙の結果として議席は[[政友会]]を中心とする[[与党]]と[[民政党]]を中心とする[[野党]]が拮抗したため、[[田中義一内閣]]は多数派工作に乗り出した。民政党に所属していた[[床次竹二郎]]は一部議員を引き連れて新党倶楽部を結成し、政権と融和姿勢を示した{{Sfnp|前田英昭|1993|p=60}}。床次は普選後初の通常議会である第56回帝国議会の会期末に政友会と新党倶楽部の議員19人の賛成を得て、衆議院に法案を提出した{{Sfnp|前田英昭|1993|p=60}}。
法案は以下の内容が骨子になっていた{{Sfnp|前田英昭|1993|pp=60-61}}。
*人口12万7000人を基準とし、定員1区1人を原則とする。
*大都市その他の場合は1区3人まで例外と認める。
*独立選挙区とすることができない小都市は隣接郡部を併合して一選挙区とする。
*大都市にして定員3人以上の人口ある場合は、これを2区に分ける。
*選挙区の数は312区とし、現行より190区増加する。1人区は178、2人区は102、3人区32とする。
*定数は現行466より12人増加した478とする。
*選挙区において1人でも欠員が生じた場合は直ちに補欠選挙を行う。
床次は衆議院の法案趣旨説明で「小選挙区制で選挙費用を抑える」「議員と選挙民との関係を密接にする」「政界の安定を図ることができる」「補欠選挙の速やかな実施と欠員の早期解消」を挙げた{{Sfnp|前田英昭|1993|pp=66-67,69}}。それに対して野党側は「人口12万7000人に対して理想の1人区がある選挙区でわざわざ隣接地域と合区にして2人区や3人区にしている選挙区があり、与党の党利党略によるもの」「前回の法改正時に選挙区割りの改正は今後10年行わないと明記したことについて、たった1回の選挙で変更するのは軽率」「少数意見を持つ者を議会に送りにくくなる」等として法案に反対した{{Sfnp|前田英昭|1993|pp=70-71}}。
野党は衆議院での法案可決を阻止するために[[牛タン戦術]]{{Sfnp|前田英昭|1990|pp=201-203}}や[[牛歩戦術]]を行い、与党が審議を打ち切って採決に持ち込もうとし、審議は混乱した。
[[3月22日]]に法案は衆議院本会議で可決されたが、[[貴族院 (日本)|貴族院]]では審議未了で会期終了日の[[3月25日]]に廃案となった{{Sfnp|前田英昭|1993|p=82}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
==参考文献==
=== 書籍 ===
{{脚注の不足|section=1|date=2023年12月1日 (金) 19:13 (UTC)}}
*{{Cite book|和書|author=前田英昭|title=エピソードで綴る国会の100年 : 明治・大正・昭和・平成|publisher=[[原書房]]|date=1990-11|id={{全国書誌番号|91023440}}|isbn=4-562-02159-4|ncid=BN05674120|oclc=673278983|asin=4562021594|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=村瀬信一|authorlink=村瀬信一|title=首相になれなかった男たち : 井上馨・床次竹二郎・河野一郎|publisher=[[吉川弘文館]]|date=2014-09|id={{全国書誌番号|22460600}}|isbn=978-4-642-03836-2|ncid=BB16484246|oclc=890702006|asin=4642038361|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|editor=朝日新聞社|editor-link=朝日新聞社|title=新聞語辞典|volume=8|volume-title=1956年版|publisher=朝日新聞社|date=1955-09|id={{全国書誌番号|56016768}}|doi=10.11501/2481954|oclc=674546406|ncid=BN01760253|asin=B000JAZD12|ref=harv}}
=== 論文 ===
* {{Cite journal|和書|url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17032/KJ00000114223.pdf|title=床次の小選挙区制法案と議事妨害|author=前田英昭|journal=政治学論集|volume=36|pages=59-96|date=1993-01|publisher=[[駒澤大学]]法学部|id={{NDLBibID|3510755}}|naid=110000189856|issn=0286-9888|oclc=5180639087|ref=harv}}
==関連項目==
* [[小選挙区制]]
* [[ゲリマンダー]]
* [[ハトマンダー]]
* [[カクマンダー]]
{{DEFAULTSORT:とこまんたあ}}
[[Category:日本の国政選挙]]
[[Category:未制定の日本の法案]]
[[Category:床次竹二郎]]
[[Category:1929年3月]]
[[Category:1929年の政治]]
[[Category:1929年の日本]] | 2023-11-28T12:46:38Z | 2023-12-01T19:13:00Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Sfn"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC |
4,859,731 | Kaya | [] | null | '''Kaya'''、'''KAYA'''
* [[Kaya (歌手)]](カヤ) - ヴィジュアル系シンガー、音楽プロデューサー、「[[Schwarz Stein]]」や「Femme Fatale」の元メンバー
* [[Kaya (バンド)]](カーヤ) - 日本のロックバンド
** KAYA - 上記バンドの1枚目のアルバム
* Kaya(カヤ) - プロスケートボーダー・[[榊原佳耶]]の『[[オオカミちゃんには騙されない]]』出演時の名義
== 関連項目 ==
* [[カヤ (曖昧さ回避)]]
{{Aimai}} | 2023-11-28T12:53:09Z | 2023-12-10T07:15:45Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Kaya |
|
4,859,739 | 安倍晋三 回顧録 | 安倍晋三 回顧録(あべしんぞう かいころく)は、安倍晋三が著者の書籍。
2023年2月8日に中央公論新社から出版。
この書籍は当初は2022年初めに刊行予定であったが、内用があまりにも機微に触れることが多かったために発売が延期されていた。それから安倍晋三が銃撃事件で亡くなってから安倍昭恵の同意を得て出版されることになった。
なぜ史上最長となる安倍政権が実現したのか、そして一次政権があっけなく崩壊してからの舞台裏を総括した歴史的資料である。
バラク・オバマ、ドナルド・トランプ、ウラジーミル・プーチン、習近平、アンゲラ・メルケルらといった各国の要人との秘話も載録されている。
習近平はもし自らが米国に生まれていたら共産党には入らずに民主党か共和党に入っていただろうと語っていたことを明かしている。安倍晋三は習近平を思想信条ではなく政治権力を掌握するために共産党に入っており強烈なリアリストであると評していることが書かれている。森友学園問題は安倍晋三の足をすくうための財務省の策略の可能性があると書かれている。
首相を退任してからの2020年10月から2021年10月までの計18回にわたる口述の記録も収録されている。聞き手は橋本五郎ら読売新聞特別編集委員。
発売当日の国会では大西健介が同書に記された安倍おろしや森友学園問題について与党に質問していた。2月13日の衆議院予算委員会で野党側にこの書籍の内容をめぐり政府の方針や発表と異なっていると追及される。閣僚らはこぞって答弁を避ける。首相を含む閣僚らは大臣規範で職務上知ることのできた秘密を漏らしてはいけないとされており、職を辞任してからも同様と定められている。このため本庄知史にはこの書籍の内容は守秘義務違反に当たらないかと質問されたことに対して、松野博一は政府の立場としてコメントすることは控えたいと述べた。
発売されてから快進撃であり、発売から1週間で15万部が発行され書店から姿を消し5刷20万部に重版される。発売から2ヶ月で26万部になる。 | [
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"text": "バラク・オバマ、ドナルド・トランプ、ウラジーミル・プーチン、習近平、アンゲラ・メルケルらといった各国の要人との秘話も載録されている。",
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"text": "習近平はもし自らが米国に生まれていたら共産党には入らずに民主党か共和党に入っていただろうと語っていたことを明かしている。安倍晋三は習近平を思想信条ではなく政治権力を掌握するために共産党に入っており強烈なリアリストであると評していることが書かれている。森友学園問題は安倍晋三の足をすくうための財務省の策略の可能性があると書かれている。",
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"text": "発売当日の国会では大西健介が同書に記された安倍おろしや森友学園問題について与党に質問していた。2月13日の衆議院予算委員会で野党側にこの書籍の内容をめぐり政府の方針や発表と異なっていると追及される。閣僚らはこぞって答弁を避ける。首相を含む閣僚らは大臣規範で職務上知ることのできた秘密を漏らしてはいけないとされており、職を辞任してからも同様と定められている。このため本庄知史にはこの書籍の内容は守秘義務違反に当たらないかと質問されたことに対して、松野博一は政府の立場としてコメントすることは控えたいと述べた。",
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] | 安倍晋三 回顧録は、安倍晋三が著者の書籍。 | '''安倍晋三 回顧録'''(あべしんぞう かいころく)は、[[安倍晋三]]が著者の書籍。
== 概要 ==
[[2023年]][[2月8日]]に[[中央公論新社]]から出版<ref name=":0">{{Cite web |title=安倍晋三 回顧録|特設ページ|中央公論新社 |url=https://www.chuko.co.jp/special/abeshinzo-kaikoroku/ |website=中央公論新社 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
この書籍は当初は[[2022年]]初めに刊行予定であったが、収録された内容があまりにも機微に触れることが多かったため、安倍の意向を受けて発売が延期されていた。しかし、[[2022年]][[7月8日]]に安倍が[[安倍晋三銃撃事件|銃撃事件]]で死去し、未亡人となった妻の[[安倍昭恵|昭恵]]が出版に同意したことを受けて出版されることになった<ref>{{Cite web |title=中央公論新社 2月8日 安倍元首相の「回顧録」発売 機微に触れる内容 一度は刊行延期 |url=https://www.bunkanews.jp/article/314993/ |website=文化通信デジタル |date=2023-02-01 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
なぜ史上最長となる[[安倍政権]]が実現したのか、そして一次政権があっけなく崩壊してからの舞台裏を総括した歴史的資料である<ref name=":0" />。
[[バラク・オバマ]]、[[ドナルド・トランプ]]、[[ウラジーミル・プーチン]]、[[習近平]]、[[アンゲラ・メルケル]]らといった各国の要人との[[秘話]]も載録されている<ref name=":0" />。
習近平はもし自らが[[米国]]に生まれていたら[[アメリカ共産党|同国の共産党]]には入らずに[[民主党 (アメリカ)|民主党]]か[[共和党 (アメリカ)|共和党]]に入っていただろうと語っていたことを明かしている。安倍晋三は習近平を思想信条ではなく政治権力を掌握するために共産党に入っており強烈な[[リアリスト]]であると評していることが書かれている<ref>{{Cite web |title=「トランプ氏の本性隠そうと必死」安倍晋三元首相の回顧録発売 |url=https://www.sankei.com/article/20230208-DR6XRT3Z4RIIBNZTB3ZL5MVNR4/ |website=産経ニュース |date=2023-02-08 |access-date=2023-11-28 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。[[森友学園問題]]は安倍晋三の足をすくうための[[財務省]]の策略の可能性があると書かれている<ref>{{Cite web |title=『安倍晋三 回顧録』著者/安倍晋三 評者/一橋大学教授・中北浩爾 |url=https://facta.co.jp/article/202304018.html |website=FACTA ONLINE |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
首相を退任してからの[[2020年]]10月から[[2021年]]10月までの計18回にわたる口述の記録も収録されている。聞き手は[[橋本五郎]]ら読売新聞特別編集委員<ref name=":1">{{Cite web |title=「安倍晋三回顧録」に“オトコ政治の軌跡”を見た {{!}} メディア万華鏡 {{!}} 山田道子 |url=https://mainichi.jp/premier/business/articles/20230310/biz/00m/020/003000c |website=毎日新聞「経済プレミア」 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
発売当日の[[国会]]では[[大西健介]]が同書に記された[[安倍おろし]]や森友学園問題について与党に質問していた<ref>{{Cite web |title=『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)、記録的な初速 - 新文化オンライン |url=https://www.shinbunka.co.jp/archives/829 |date=2023-02-14 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。[[2月13日]]の[[衆議院]][[予算委員会]]で野党側にこの書籍の内容をめぐり政府の方針や発表と異なっていると追及される。[[閣僚]]らはこぞって答弁を避ける。首相を含む閣僚らは[[大臣規範]]で職務上知ることのできた[[秘密]]を漏らしてはいけないとされており、職を辞任してからも同様と定められている。このため[[本庄知史]]にはこの書籍の内容は[[守秘義務]]違反に当たらないかと質問されたことに対して、[[内閣官房長官]]の[[松野博一]]は政府の立場としてコメントすることは控えたいと述べた<ref>{{Cite web |title=安倍氏「回顧録」は守秘義務違反? 閣僚こぞって「コメント控える」:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASR2F63YRR2FUTFK00H.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2023-02-13 |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。
発売されてから快進撃であり、発売から1週間で15万部が発行され書店から姿を消し5刷20万部に重版される<ref name=":1" />。発売から2ヶ月で26万部になる<ref>{{Cite web |title=歴史という名の法廷へ「陳述書」――『安倍晋三 回顧録』の歴史的な意味(前編):橋本五郎 {{!}} 政治的なるものとは~思索のための1冊 {{!}} 新潮社 Foresight(フォーサイト) {{!}} 会員制国際情報サイト |url=https://www.fsight.jp/articles/-/49709 |website=新潮社 Foresight(フォーサイト) |access-date=2023-11-28}}</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{安倍晋三}}
[[Category:2023年の書籍]]
{{DEFAULTSORT:あへしんそうかいころく}}
[[Category:中央公論新社の出版物]]
[[Category:日本の自伝・回顧録]]
[[Category:安倍晋三]] | 2023-11-28T13:02:15Z | 2023-11-29T04:46:14Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89_%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2 |
4,859,740 | 永谷栄一郎 | 永谷 栄一郎(ながたに えいいちろう、1954年8月26日- )は、日本の経営者。永谷園社長、会長を務めた。
東京都出身。1978年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1979年に永谷園本舗に入社。1988年に取締役に就任し、1991年に常務、1994年に専務を経て、1996年6月に社長に就任。2008年46月に会長に就任。 | [
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"title": "来歴・人物"
}
] | 永谷 栄一郎は、日本の経営者。永谷園社長、会長を務めた。 | '''永谷 栄一郎'''(ながたに えいいちろう、[[1954年]][[8月26日]]- )は、日本の[[経営者]]。[[永谷園]]社長、会長を務めた。
== 来歴・人物 ==
[[東京都]]出身{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=な154頁|ref=jinji-42-ge}}。[[1978年]]に[[慶應義塾大学]]経済学部を卒業し、[[1979年]]に[[永谷園|永谷園本舗]]に入社{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=な154頁|ref=jinji-42-ge}}。[[1988年]]に取締役に就任し、[[1991年]]に常務、[[1994年]]に専務を経て、[[1996年]]6月に社長に就任{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=な154頁|ref=jinji-42-ge}}。[[2008年]]6月に会長に就任<ref>2008年 5月16日 日本経済新聞 朝刊 p13</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|author = 興信データ株式會社| title = 人事興信録 第42版 下| publisher = 興信データ| series = | volume = | edition = | date = 2003年| pages = | url = |ref = jinji-42-ge}}
{{先代次代|永谷園社長|1993年 - 1996年|[[永谷博]]|[[町田東]]}}
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{{デフォルトソート:なかたに えいいちろう}}
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:永谷園|人]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1954年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T13:03:25Z | 2023-11-29T00:35:44Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E8%B0%B7%E6%A0%84%E4%B8%80%E9%83%8E |
4,859,741 | ゲオルギオス・パルテニウ | ゲオルギオス・パルテニウ(ギリシア語: Γεώργιος Παρθενίου、英語: Georgios Partheniou、簡体字中国語: 乔治·帕特纽、1972年5月10日 - )は、ギリシャの外交官、弁護士。アテネ出身。母国語のギリシャ語に加えて、英語とフランス語に堪能。
在上海総領事在任中の2023年3月15日、上海外国語大学を訪問して同学ギリシャ研究センター主催の世界ギリシャ語デー(ギリシア語版)祝賀行事に参加した。 | [
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] | ゲオルギオス・パルテニウは、ギリシャの外交官、弁護士。アテネ出身。母国語のギリシャ語に加えて、英語とフランス語に堪能。 在上海総領事在任中の2023年3月15日、上海外国語大学を訪問して同学ギリシャ研究センター主催の世界ギリシャ語デー祝賀行事に参加した。 | '''ゲオルギオス・パルテニウ'''({{lang-el|Γεώργιος Παρθενίου}}、{{lang-en|Georgios Partheniou}}、{{lang-zh-hans|乔治·帕特纽}}、[[1972年]][[5月10日]] - )は、[[ギリシャ]]の[[外交官]]、[[弁護士]]。[[アテネ]]出身。[[母語|母国語]]のギリシャ語に加えて、英語と[[フランス語]]に堪能<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>。
[[在上海ギリシャ総領事館|在上海総領事]]在任中の[[2023年]]3月15日、[[上海外国語大学]]を訪問して同学ギリシャ研究センター主催の{{仮リンク
|世界ギリシャ語デー|el|Παγκόσμια Ημέρα Ελληνικής Γλώσσας}}祝賀行事に参加した<ref>[https://www.mfa.gr/china/geniko-proxeneio-shanghai/news/ekdelose-eortasmou-tes-pagkosmias-emeras-ellenikes-glossas-sto-panmio-shanghai-international-studies-university-sisu.html {{lang|el|Εκδήλωση εορτασμoύ της Παγκόσμιας Ημέρας Ελληνικής Γλώσσας στο Παν/μιο Shanghai International Studies University (SISU) | Γενικό Προξενείο της Ελλάδας στη Σαγκάη}}] {{el icon}}</ref><ref>[http://el.shisu.edu.cn/resources/news/content13828 {{lang|el|SISU | Εορτασμός της «Παγκόσμιας Ημέρας Ελληνικής Γλώσσας» στο Μουσείο Παγκόσμιων Γλωσσών του SISU}}] {{el icon}}</ref><ref>[http://www.european.shisu.edu.cn/89/a9/c416a166313/page.htm {{lang|zh|“世界希腊语日”主题活动在上外世界语言博物馆举行}}] {{zh icon}}</ref>。
== 学歴 ==
* [[1996年]]: [[アテネ大学]][[学士(法学)|法学士]]<ref name="Shanghai in English">[https://www.mfa.gr/china/en/consulate-general-shanghai/head-of-mission/curriculum-vitae.html The Consul General - Head of Mission | Consulate-General of Greece in Shanghai] {{en icon}}</ref><ref name="Shanghai in Chinese">[https://www.mfa.gr/china/zh-CN/shanghaizonglingshiguan/head-of-mission/curriculum-vitae.html {{lang|zh|简历 - 使团馆长 | 希腊驻上海总领事馆}}] {{zh icon}}</ref>
* [[1997年]]: {{仮リンク|ロンドン・ギルドホール大学|en|London Guildhall University}}[[国際仲裁裁判|国際仲裁法]]単位認定証<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
== 経歴 ==
* [[2000年]] - [[2005年]]: {{仮リンク|アテネ弁護士会|el|Δικηγορικός Σύλλογος Αθηνών}}所属[[弁護士]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
* 2005年: {{仮リンク|外務省 (ギリシャ)|label=外務省|el|Υπουργείο Εξωτερικών (Ελλάδα)|en|Ministry of Foreign Affairs (Greece)}}国際機関部[[アタッシェ]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
* [[2006年]] - [[2008年]]: 在[[カザフスタン]][[大使館]][[三等書記官]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
* 2008年 - [[2014年]]: 在[[タイ王国]]大使館[[一等書記官]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
* 2014年 - [[2016年]]: 外務省[[中東]]・[[北アフリカ]]部[[二等参事官]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
* 2016年 - [[2022年]]7月: [[駐日ギリシャ大使館|駐日大使館]][[一等参事官]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>、うち[[特命全権大使]]不在時には[[臨時代理大使]]を兼任<ref>[https://jun.or.jp/diary/2018-07.htm 松本純の国会奮戦記2018-07]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20220308111037/https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/po/page22_001327.html 駐日各国大使リスト | 外務省](2022年3月8日時点のアーカイブ)</ref>
* 2022年8月 - : [[在上海ギリシャ総領事館|在上海総領事]]<ref name="Shanghai in English"/><ref name="Shanghai in Chinese"/>
== 出典 ==
{{reflist|2}}
== 外部リンク ==
* [https://greek.cri.cn/2022/11/09/ARTI40CImDkpNaKEANrPuPD6221109.shtml {{lang|el|Γενικός Πρόξενος της Ελλάδας στη Σαγκάη: η Ελλάδα οικοδομεί την παρουσία της στην Διεθνή Έκθεση Εισαγωγών της Κίνας.}}] {{el icon}}
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{{DEFAULTSORT:はるてにう, けおるきおす}}
[[Category:ギリシャの外交官]]
[[Category:ギリシャの弁護士]]
[[Category:在日ギリシャ人]]
[[Category:アテネ大学出身の人物]]
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[[Category:1972年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T13:04:18Z | 2023-11-28T13:04:18Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%A6 |
4,859,744 | 岩滑南浜町 | 岩滑南浜町(やなべみなみはまちょう)は、愛知県半田市の地名。
半田市北部に位置する。東は乙川深田町、北は知多郡阿久比町、南西は住吉町、南東は乙川一色町に接する。
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
国勢調査による人口および世帯数の推移。
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] | 岩滑南浜町(やなべみなみはまちょう)は、愛知県半田市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|半田市|'''岩滑南浜町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 岩滑南浜町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
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| subdivision_name2 = [[File:Flag of Handa, Aichi.svg|border|25px]][[半田市]]
| established_title1 = 町名制定
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| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23205|title=愛知県半田市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-11-25}}</ref>
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| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
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| timezone1 = [[日本標準時]]
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| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 475-0901<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232050&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県半田市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-11-25}}</ref>
| area_code = 0569<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|名古屋]]
| footnotes =
}}
'''岩滑南浜町'''(やなべみなみはまちょう)は、[[愛知県]][[半田市]]の地名。
== 地理 ==
半田市北部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。東は[[乙川深田町]]、北は[[知多郡]][[阿久比町]]、南西は[[住吉町 (半田市)|住吉町]]、南東は[[乙川一色町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_shochu">{{Cite web|url=https://www.city.handa.lg.jp/gkkyoiku/kosodate/kyoiku/shochu/documents/20150401aiueo.pdf|format=PDF|title=半田市立小中学校 通学区域一覧(町名あいうえお順)|publisher=半田市|author=半田市教育委員会事務局教育部学校教育課 学校担当|date=2015-04-01|accessdate=2023-11-28}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||全域||[[半田市立乙川小学校]]||[[半田市立乙川中学校]]||[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|}
=== 河川 ===
* 阿久比川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 十ケ川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|22世帯<br>77人||<div style="width:2.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:7.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|23世帯<br>71人||<div style="width:2.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:7.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|23世帯<br>59人||<div style="width:2.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:5.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|23世帯<br>57人||<div style="width:2.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:5.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|24世帯<br>48人||<div style="width:2.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:4.8px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
== 交通 ==
* [[愛知県道265号碧南半田常滑線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 施設 ==
* INAX半田工場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[半田市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[知多郡]][[阿久比町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> =
| Centre<!--中央--> = 岩滑南浜町
| East<!--東--> = [[乙川深田町]]
| Southwest<!--南西--> = [[住吉町 (半田市)|住吉町]]
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| Southeast<!--南東--> = [[乙川一色町]]
}}
{{半田市の町名}}
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{{デフォルトソート:やなへみなみはまちよう}}
[[Category:半田市の町・字]] | 2023-11-28T13:10:13Z | 2023-11-28T13:10:13Z | false | false | false | [
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"Template:半田市の町名"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BB%91%E5%8D%97%E6%B5%9C%E7%94%BA |
4,859,745 | 升田敏則 | 升田 敏則(ますだ としのり、1949年8月28日 - )は日本の実業家。政治家の升田世喜男は弟。
青森県小泊村の漁師の長男として生まれる。1964年、15歳の時に集団就職で上京。西銀座の中国料理店を経て亀戸や田町のラーメン店で下働きや出前持ちを2年間過ごした後で、数寄屋橋のカクテル専門店でバーテンを経験し、1968年に青森県黒石市で独立。青森市内でクラブ、バー、カラオケを手掛ける。また、ライブハウスの老舗である「ケントス」の青森県内での開店について、人口50万人が出店最低条件の中で30万人に満たない青森での出店に対して様々な協力を仰いで東京都六本木の本店を口説き落とす形で実現した。その後、ライブハウスなどを次々と手がける一方で、飲食ビルやCVS、エステ事業にも参入した。
その後に音楽制作会社のビーインググループに幹部として入り、離婚前で歌手・倉木麻衣の親権を持っていたが無断で1999年にデビューさせたこと等について倉木が歌手として注目された2000年になって父親の山前五十洋が問題視された際にはビーインググループの代表者として交渉に当たった。
2007年に退任した長戸大幸にかわる形でビーイング代表取締役社長に就任した。 | [
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] | 升田 敏則は日本の実業家。政治家の升田世喜男は弟。 | '''升田 敏則'''(ますだ としのり、[[1949年]][[8月28日]] - )は日本の実業家。政治家の[[升田世喜男]]は弟。
==人物==
[[青森県]][[小泊村]]の漁師の長男として生まれる{{Sfnp|安田理|2021|p=66}}。[[1964年]]、15歳の時に[[集団就職]]で上京。西銀座の中国料理店を経て亀戸や田町のラーメン店で下働きや出前持ちを2年間過ごした後で、数寄屋橋のカクテル専門店でバーテンを経験し、[[1968年]]に青森県[[黒石市]]で独立。[[青森市]]内でクラブ、バー、カラオケを手掛ける{{Sfnp|安田理|2021|pp=66-67}}。また、ライブハウスの老舗である「[[ケントス]]」の青森県内での開店について、人口50万人が出店最低条件の中で30万人に満たない青森での出店に対して様々な協力を仰いで東京都六本木の本店を口説き落とす形で実現した{{Sfnp|安田理|2021|p=67}}。その後、ライブハウスなどを次々と手がける一方で、飲食ビルやCVS、エステ事業にも参入した{{Sfnp|安田理|2021|pp=66-68}}。
その後に音楽制作会社の[[ビーイング]]グループに幹部として入り、離婚前で歌手・[[倉木麻衣]]の親権を持っていたが無断で[[1999年]]にデビューさせたこと等について倉木が歌手として注目された[[2000年]]になって父親の[[山前五十洋]]が問題視された際にはビーインググループの代表者として交渉に当たった{{Sfnp|山前五十洋|2001|pp=217-266}}。
[[2007年]]に退任した[[長戸大幸]]にかわる形でビーイング代表取締役社長に就任した。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=山前五十洋|authorlink=山前五十洋|title=My Angel―天使がくれた500日間戦争|publisher=[[オークラ出版]]|date=2001-12|id={{全国書誌番号|20308998}}|isbn=4-87278-823-0|oclc=675434997|asin=4872788230|ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=安田理|title=最新 異業種参入組の実力に学べ 東京・恵比寿に超繁盛店を築きFC展開を邁進する 「九十九とんこつラーメン」升田敏則社長|journal=飲食店経営|volume=2021年4月号|date=2021-03-15|publisher=アール・アイ・シー|asin=B08XZCNQ5Q|ref=harv}}
{{DEFAULTSORT:ますた としのり}}
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
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[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T13:11:12Z | 2023-12-01T19:29:14Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87%E7%94%B0%E6%95%8F%E5%89%87 |
4,859,746 | 町田東 | 町田 東(まちだ あずま、1941年9月7日 - )は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。山梨県出身。
1960年に山梨学院大学附属高等学校を卒業し、同年に永谷園本舗に入社。1990年に取締役に就任し、1994年に常務、1996年に専務、2002年に副社長を経て、2008年6月に社長に就任。2012年4月に副会長に就任 | [
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"title": "経歴・人物"
}
] | 町田 東は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。山梨県出身。 | '''町田 東'''(まちだ あずま、[[1941年]][[9月7日]] - )は、日本の[[経営者]]。[[永谷園]]社長を務めた。[[山梨県]]出身<ref name="日本紳士録" >「第八十版 日本紳士録 2007年 ま39」</ref>。
==経歴・人物==
[[1960年]]に[[山梨学院中学高等学校|山梨学院大学附属高等学校]]を卒業し、同年に[[永谷園本舗]]に入社<ref name="日本紳士録" />。[[1990年]]に取締役に就任し、[[1994年]]に常務、[[1996年]]に専務、[[2002年]]に副社長を経て、[[2008年]]6月に社長に就任<ref name="日本紳士録" /><ref>2008年 5月16日 日本経済新聞 朝刊 p13</ref>。[[2012年]]4月に副会長に就任<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNZO38547660U2A200C1TJ1000/ 永谷園社長に永谷泰次郎氏]2012年 2月4日 日本経済新聞</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{先代次代|永谷園社長|2008年 - 2012年|[[永谷栄一郎]]|[[永谷泰次郎]]}}
{{デフォルトソート:まちた あすま}}
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:永谷園|人]]
[[Category:山梨学院高等学校出身の人物]]
[[Category:山梨県出身の人物]]
[[Category:1941年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T13:15:07Z | 2023-11-28T13:18:52Z | false | false | false | [
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"Template:先代次代"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E7%94%B0%E6%9D%B1 |
4,859,747 | 岩滑高山町 | 岩滑高山町(やなべたかやまちょう)は、愛知県半田市の地名。
半田市北部に位置する。東は岩滑中町、西は岩滑西町、南は柊町・出口町、北は知多郡阿久比町に接する。
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
国勢調査による人口および世帯数の推移。 | [
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"title": "歴史"
}
] | 岩滑高山町(やなべたかやまちょう)は、愛知県半田市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|半田市|'''岩滑高山町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 岩滑高山町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
| imagesize = 270px
| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
| image_map =
| map_caption = 岩滑高山町の位置
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| subdivision_type = [[国の一覧|国]]
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| subdivision_name2 = [[File:Flag of Handa, Aichi.svg|border|25px]][[半田市]]
| established_title1 = 町名制定
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| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23205|title=愛知県半田市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-11-25}}</ref>
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| elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref group=WEB>) --->
| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
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| population_density_km2 = auto
| timezone1 = [[日本標準時]]
| utc_offset1 = +9
| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 475-0962<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232050&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県半田市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-11-25}}</ref>
| area_code = 0569<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|名古屋]]
| footnotes =
}}
'''岩滑高山町'''(やなべたかやまちょう)は、[[愛知県]][[半田市]]の地名。
== 地理 ==
半田市北部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。東は[[岩滑中町]]、西は[[岩滑西町]]、南は[[柊町]]・[[出口町 (半田市)|出口町]]、北は[[知多郡]][[阿久比町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_shochu">{{Cite web|url=https://www.city.handa.lg.jp/gkkyoiku/kosodate/kyoiku/shochu/documents/20150401aiueo.pdf|format=PDF|title=半田市立小中学校 通学区域一覧(町名あいうえお順)|publisher=半田市|author=半田市教育委員会事務局教育部学校教育課 学校担当|date=2015-04-01|accessdate=2023-11-27}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||全域||[[半田市立岩滑小学校]]||[[半田市立半田中学校]]||[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|}
=== 河川 ===
* [[矢勝川]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|651世帯<br>1940人||<div style="width:65.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:194px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|697世帯<br>1989人||<div style="width:69.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:198.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|707世帯<br>1963人||<div style="width:70.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:196.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|703世帯<br>1822人||<div style="width:70.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:182.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|729世帯<br>1764人||<div style="width:72.9px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:176.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
== 交通 ==
* 岩滑西橋{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[愛知県道265号碧南半田常滑線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 施設 ==
* [[半田市立岩滑小学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[愛知県立半田農業高等学校]]農場・放牧場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 畜産実験実習場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑コミュニティ区民広場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 砂子遺跡{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 西山浄土宗阿弥陀寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[半田市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[知多郡]][[阿久比町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[岩滑西町]]
| Centre<!--中央--> = 岩滑高山町
| East<!--東--> = [[岩滑中町]]
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| South<!--南--> = [[柊町]]・[[出口町 (半田市)|出口町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{半田市の町名}}
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{{デフォルトソート:やなへたかはまちよう}}
[[Category:半田市の町・字]] | 2023-11-28T13:15:50Z | 2023-11-28T13:15:50Z | false | false | false | [
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"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BB%91%E9%AB%98%E5%B1%B1%E7%94%BA |
4,859,750 | 弦楽のための「陰画」 | 弦楽のための「陰画」(げんがくのための「いんが」)、絃楽オーケストラのための《陰画》は、日本の作曲家・芥川也寸志が1966(昭和41)年に作曲した絃楽合奏のための作品である。
演奏時間は約10分。NHKによって放送初演された。
芥川の作風は3つに分類される。青年期から《エローラ交響曲》へ至る手前の時期に当たる第1期、《エローラ交響曲》から今作までの第2期、そして《オスティナータ・シンフォニカ》以降の第3期である。今作はその第2期に当たり、芥川が当時提唱していた「マイナス空間論」による音楽の実践が行われている。なお、マイナス空間論についての詳しい解説はエローラ交響曲の該当項目を参照されたい。
前作《弦楽のための音楽 第1番》から4年の空白を経て、1966年にNHKの国際放送のために作曲された。この間、芥川は演奏活動やテレビ・ラジオ等のタレントとしての仕事も増え、映画音楽等の仕事も続けていたため、多忙を極めていた。秋山(1990)でも、「日常生活やジャーナリズム、社会的現実の極端な多忙さのなかにいたかれのありようが、創作を断続させたのであろう」と記されている。
自筆譜を見ると、作曲の日付等は記されていないが、1966年6月に作曲されたことが判明している。 編成は弦楽オーケストラによるもので、前作の編成を拡大したものである。また配置も前作と同じ、中央にコントラバスを配し、左右に第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのグループを置くものとなっている(表1) 。
【表1】絃楽オーケストラのための《陰画》基本情報
作品は1966年にNHKで放送初演された後は再演機会がなかったものの、音楽評論家の秋山邦晴などは、その作品を高く評価していた。
本作はCD「オーケストラ・トリプティークによる芥川也寸志個展」(3SCD 0044) に音源が収録されている。清道洋一が書いたCD解説の《陰画》の項目を読むと、芥川が語ったという一文がある。 「本作品は13の短い各部分で構成され、その中で鳴り響いている音が消え去る瞬間に大きな意味が置かれている。静寂の中に聴こえてくる音よりも、静寂へ向かう音の方に重点があり、(音を積み重ねることによって作られる)普通の音楽との関係は、ちょうど写真の陽画と陰画との関係と同じである。」
概要に記した通り、本作は前作の編成を拡大させたものであり、テンポ表記(♩= 66 ← ad lib → ♩= 80 )も、楽器の配置も前作を踏襲している。 しかし、エローラ体験で受けたプラスとマイナス、ポジとネガの関係に見られる「マイナス空間論」の音楽実践は、タイトルの「陰画」と言う言葉に見られる通り、以前に増してより直接的な表現となっていることがわかる。
ところで本作の大部分は前作《弦楽のための音楽 第1番》からの引用であり、新規に作曲された部分は少数にとどまる。前田(2010)に於いてもそれは指摘されており、全128小節のうち、33小節から94小節、および109小節第3拍から最後まではすべて前作の引用で構成されていると述べられている。そこでまず、新規の作曲部分と前作からの引用部分を明確に示すため、以下の表を作成した(表2) 。なお、表中の新規作曲部分とは、具体的に音符が新たに追加されている場合を指す。その他、強弱記号や記号等の軽微な変更は修正部分にまとめた。
【表2】絃楽オーケストラのための《陰画》楽曲構成
前作からの引用は、出版譜の要素(第1和音冒頭のアウフタクト等)、自筆譜の要素(計量記譜等)とが混在している。本作と前作の譜面を比較すると、第1グループ、第2グループで登場するパートが違う場合はあるものの、発音するタイミングや音高についてはほとんどの場合に於いて前作から引用されていることがわかる(すなわち、実際の聴こえ方は前作と異なる箇所がある)。また、前作で用いられていた音が引き伸ばされたり、ハーモニー担当として新たなパートが追加されたりする、オーケストレーションが施されている箇所もあった。しかし、前作で形作られた和音構造自体は維持されており、また新たに追加された部分がその構造へ大きな影響を与えるほどのものではないと判断した。 これらの事実を踏まえ、以降の項目については今回新規に作曲された部分についてのみ言及することとする。
冒頭から練習番号8にかけて、各グループのチェロ、そしてコントラバスを除く楽器群はハーモニクスの状態で高音を演奏する。
最終的に加わるパートでいうと、第1グループの第1ヴァイオリン、ヴィオラの第1パート、第2グループの第1ヴァイオリン、ヴィオラの第1パートは、それぞれ同一の構成を持つフレーズのオスティナートで構成されている。またそれらオスティナートの開始点が異なるタイミングで点在するため、結果としてカノンのような形となる。さらに同じく冒頭から練習番号8の区間まで、各グループの第2ヴァイオリン、ヴィオラ(第1パートは途中で上記オスティナート担当へ移行)はオスティナートの下で特徴的なリズムを担当している。それは、「1拍めが休符の3連符+音価が変化する音符+3拍めが休符の3連符」という型で構成されており、中間の音符は2〜4拍で構成されている。またこれらの音型は、音をずっと持続させるわけではなく、規則的な休符を挟みながら演奏する。
しかし、このリズム音型を個別に見るのではなく、パートとして横に見ていくことで、その連続性にはオスティナートが伴うことがわかる。各パートの中間部の拍数は規則性を持っており、それは以下の表で示すことができる(表3) 。
【表3】冒頭から練習番号8にかけての各パートの拍数
このように、練習番号8までは、登場するヴィオラ以上の全楽器が何かしらの形でそのモチーフがオスティナートを組んでおり、またそれらがズレて出現することによって、その音楽には無限の連続性が備えられることになる。なお、奏される音程については一定か、もしくは短2度で上行、もしくは下行するだけにとどまり、極めて小さな動きが堆積されることで音楽が進行する。
今回すべてが新規に作曲された練習番号1〜8、および22〜24を見ると、リズムの面ではその多くが3連符で構成されている。また、冒頭の新規作曲部分は、前項で述べた通り、休符を挟みながら、特定のリズムによって繰り返されるリズムオスティナートを構成しており、それらも前後に3連符のリズムを持つ。
またこの作品においても前作の寡黙さは通底しており、《Nyambe》以前の初期作風に通ずるような快活さを伴うリズム音型は見られない。しかし22〜24で見られるような、複数のリズムが絡み合い、また音域もほとんど同じ位置に集中する音群が強奏される場面は、それら複数のリズムが強調され、極めて強い効果をもたらす。前作の6-5〜6-9で認められる2つの和音のズレで生じるリズムの交錯と同様に、ここでは線的な横の流れの中に交錯するリズムが、音楽に強い求心力を持たせていることがわかる。
本作は、前作《絃楽のための音楽 第1番》の編成を拡大させたものであるが、その内容は、前作の音楽を引用する構造を含んでいることがわかった。演奏面で、ひとりの奏者が重音を奏していた前作における負担は、本作においてdivisiによる複数奏者の担当によってだいぶ緩和されているように感じられる。また、人数の拡大によるその音響効果は、音源を聴く限り、前作を上回る効果をあげているようにも感じられる。同じ音楽を編成を拡大させて再び用いる例は、かつて初期において《弦楽四重奏曲》(1948) 第2楽章で用いたものが、《弦楽のための三楽章》(1953) 第3楽章に転用されていることが思い起こされる。このように芥川は、かつて作曲したモチーフやオーケストレーションを、編成を拡大したものに再適用する傾向がある。しかし引用した部分に関しても、前作よりも人数が増やすことで出来ることが多くなった分、余剰のパートにはさまざまな音楽効果を生むオーケストレーション、そして新たな創意が付加されることとなった。また、新規に作曲された部分を見ると、モチーフを意図的にずらして配置するカノン的な試み等、対位法的な書法で書かれていることも特徴として挙げられる。そしてそれは、彼が寵愛するオスティナートの技法を当てはめることで昇華された。また、リズムの面では緻密な音楽構造を構築していることもわかった。前作が12音を用いた和音の増減(すなわち縦の流れ)にフォーカスしたのに対し、本作では各パートの出現の増減(すなわち横の流れ)を重視していることになる。その上で、前作と本作を持って芥川は西洋音楽の根幹をなす和声的、対位法的な文脈における「マイナス空間論」の音楽的実践を模索したと考えることができる。 | [
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] | 弦楽のための「陰画」(げんがくのための「いんが」)、絃楽オーケストラのための《陰画》は、日本の作曲家・芥川也寸志が1966(昭和41)年に作曲した絃楽合奏のための作品である。 演奏時間は約10分。NHKによって放送初演された。 | {{複数の問題
| 出典の明記 = 2023年11月28日 (火) 13:26 (UTC)
| Wikify = 2023年11月28日 (火) 13:26 (UTC)
| 問題点パラメータA = yyyy年m月
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'''弦楽のための「陰画」'''(げんがくのための「いんが」)、絃楽オーケストラのための《陰画》は、日本の作曲家・[[芥川也寸志]]が[[1966年]](昭和41年)に作曲した[[弦楽合奏|絃楽合奏]]のための作品である。
演奏時間は約10分。[[NHK]]によって放送初演された。
== 作品の概要 ==
芥川の作風は3つに分類される。青年期から《エローラ交響曲》へ至る手前の時期に当たる第1期、《エローラ交響曲》から今作までの第2期、そして《オスティナータ・シンフォニカ》以降の第3期である。今作はその第2期に当たり、芥川が当時提唱していた「マイナス空間論」による音楽の実践が行われている。なお、マイナス空間論についての詳しい解説は[[エローラ交響曲]]の該当項目を参照されたい。
前作《弦楽のための音楽 第1番》から4年の空白を経て、1966年にNHKの国際放送のために作曲された。この間、芥川は演奏活動やテレビ・ラジオ等のタレントとしての仕事も増え、映画音楽等の仕事も続けていたため、多忙を極めていた。秋山(1990)でも、「日常生活やジャーナリズム、社会的現実の極端な多忙さのなかにいたかれのありようが、創作を断続させたのであろう」と記されている。
自筆譜を見ると、作曲の日付等は記されていないが、1966年6月に作曲されたことが判明している。 編成は弦楽オーケストラによるもので、前作の編成を拡大したものである。また配置も前作と同じ、中央に[[コントラバス]]を配し、左右に第1、第2[[ヴァイオリン]]、[[ヴィオラ]]、[[チェロ]]のグループを置くものとなっている(表1) 。
【表1】絃楽オーケストラのための《陰画》基本情報
{| class="wikitable"
|編成
|第1Vn、第2Vn、Va、Vc、Cb
|-
|作曲年
|1966年6月
|-
|収録
|1966年10月?([[岩城宏之]]指揮、[[NHK交響楽団]])
|-
|初演
|1966年11月3日放送(NHKラジオ「ステレオ音楽」)
|-
|楽譜
|自筆譜
|}
作品は1966年にNHKで放送初演された後は再演機会がなかったものの、音楽評論家の[[秋山邦晴]]などは、その作品を高く評価していた。
== 楽曲分析 ==
本作はCD「オーケストラ・トリプティークによる芥川也寸志個展」(3SCD 0044) に音源が収録されている。清道洋一が書いたCD解説の《陰画》の項目を読むと、芥川が語ったという一文がある。
「本作品は13の短い各部分で構成され、その中で鳴り響いている音が消え去る瞬間に大きな意味が置かれている。静寂の中に聴こえてくる音よりも、静寂へ向かう音の方に重点があり、(音を積み重ねることによって作られる)普通の音楽との関係は、ちょうど写真の陽画と陰画との関係と同じである。」
概要に記した通り、本作は前作の編成を拡大させたものであり、テンポ表記(♩= 66 ← ad lib → ♩= 80 )も、楽器の配置も前作を踏襲している。 しかし、エローラ体験で受けたプラスとマイナス、ポジとネガの関係に見られる「マイナス空間論」の音楽実践は、タイトルの「陰画」と言う言葉に見られる通り、以前に増してより直接的な表現となっていることがわかる。
ところで本作の大部分は前作《弦楽のための音楽 第1番》からの引用であり、新規に作曲された部分は少数にとどまる。前田(2010)に於いてもそれは指摘されており、全128小節のうち、33小節から94小節、および109小節第3拍から最後まではすべて前作の引用で構成されていると述べられている。そこでまず、新規の作曲部分と前作からの引用部分を明確に示すため、以下の表を作成した(表2) 。なお、表中の新規作曲部分とは、具体的に音符が新たに追加されている場合を指す。その他、強弱記号や記号等の軽微な変更は修正部分にまとめた。
【表2】絃楽オーケストラのための《陰画》楽曲構成
{| class="wikitable mw-collapsible"
|練習番号
|小節
|新規/引用
|前作に
おける
引用元
|引用内における新規作曲部分
|引用内における修正部分等
|備考
|-
|1
|1〜3
|新規
|
|
|
|
|-
|2
|4〜7
|新規
|
|
|
|
|-
|3
|8〜11
|新規
|
|
|
|
|-
|4
|12〜15
|新規
|
|
|
|
|-
|5
|16〜19
|新規
|
|
|
|
|-
|6
|20〜23
|新規
|
|
|
|
|-
|7
|24〜27
|新規
|
|
|
|
|-
|8
|28〜31
|新規
|
|
|
|
|-
|9
|32〜36
|新規と引用
|1-1〜1-4
|
|
|引用は3小節目アウフタクトより出版譜に準拠。
|-
|10
|37〜39
|新規と引用
|1-5〜1−7
|
|
|
|-
|11
|40〜43
|引用
|1-8〜1-11
|
|
|
|-
|12
|44〜48
|新規と引用
|1-12〜1-16
|
|
|
|-
|13
|49〜53
|引用
|2-1〜2-5
|
|
|
|-
|14
|54〜58
|引用
|3-1〜3-5
|
|
|
|-
|15
|59〜64
|引用
|3-6〜3−11
|
|
|
|-
|16
|65〜70
|新規と引用
|4-1〜4-2
|第2・Vc、Cbは67末尾、第1・Vcは68小節より各パートの分割された2パートが3度で低音部を演奏。
音程は低音よりA,Cis (Cb)、E,G (第1・Vc)、As,C (第2・Vc) 。
69,70小節において各グループVaは新規のモチーフを使用。
|66〜68は4-1部分の全音音階によるトレモロをsul pont.で延長。
第1グループに続き第2グループは1小節遅れでトレモロ開始。
|
|-
|17
|71〜73
|引用
|4-3〜4−5
|
|
|71第1・Vn1第1パート、4-3第1・Vn1での重音CisがAisに。記譜のミスか?
|-
|18
|74〜78
|引用
|5-1〜5-5
|
|74の第1・Va第2パートの3連符上行グリッサンドの末尾はタイで次拍3連符の1拍目へ保続。
前作5-5でfppだった強弱、78ではffppへ修正。
|
|-
|19
|79〜82
|引用
|5-6〜5-9
|
|79、3連符のテヌートは出版譜より。
82のディミヌエンド先はppからpppへ。
|引用元小節は自筆譜に準拠。
|-
|20
|83〜88
|新規と引用
|6-1,6-5(3拍目)〜6-9
|84は2拍目まで前小節をトレモロにした音符を新規作曲。
Cb、84は前小節の下行グリッサンドを逆転。
|Cb、85〜88はF音オクターブで補強。
|引用元小節は自筆譜に準拠。
(83小節。6-1相当)
|-
|21
|89〜94
|新規と引用
|7-1〜7−4,
8-0〜8−2
|94,各Vc,Cbの全音符にクレッシェンド、ディミヌエンドを追加。
|
|
|-
|22
|95〜100
|新規
|
|
|
|
|-
|23
|101〜104
|新規
|
|
|
|
|-
|24
|105〜108
|新規
|
|
|
|
|-
|25
|109〜111
|新規と引用
|9-0〜9−3
|111(9-3相当)で各音符の音価を1拍追加。
|
|引用元を結合。
|-
|26
|112〜117
|引用
|10-1〜10-6
|
|
|
|-
|27
|118〜121
|引用
|11-1〜11-4
|
|
|引用元小節は自筆譜に準拠。
|-
|28
|122〜128
|新規と引用
|12-1〜13-5
|127,128各Vc,Cb低音部に短3度で2音ずつ配置。
|122、1拍目のリズム変更。
|
|}
前作からの引用は、出版譜の要素(第1和音冒頭のアウフタクト等)、自筆譜の要素(計量記譜等)とが混在している。本作と前作の譜面を比較すると、第1グループ、第2グループで登場するパートが違う場合はあるものの、発音するタイミングや音高についてはほとんどの場合に於いて前作から引用されていることがわかる(すなわち、実際の聴こえ方は前作と異なる箇所がある)。また、前作で用いられていた音が引き伸ばされたり、ハーモニー担当として新たなパートが追加されたりする、オーケストレーションが施されている箇所もあった。しかし、前作で形作られた和音構造自体は維持されており、また新たに追加された部分がその構造へ大きな影響を与えるほどのものではないと判断した。
これらの事実を踏まえ、以降の項目については今回新規に作曲された部分についてのみ言及することとする。
=== オスティナートについて ===
冒頭から練習番号8にかけて、各グループのチェロ、そしてコントラバスを除く楽器群はハーモニクスの状態で高音を演奏する。
最終的に加わるパートでいうと、第1グループの第1ヴァイオリン、ヴィオラの第1パート、第2グループの第1ヴァイオリン、ヴィオラの第1パートは、それぞれ同一の構成を持つフレーズのオスティナートで構成されている。またそれらオスティナートの開始点が異なるタイミングで点在するため、結果としてカノンのような形となる。さらに同じく冒頭から練習番号8の区間まで、各グループの第2ヴァイオリン、ヴィオラ(第1パートは途中で上記オスティナート担当へ移行)はオスティナートの下で特徴的なリズムを担当している。それは、「1拍めが休符の3連符+音価が変化する音符+3拍めが休符の3連符」という型で構成されており、中間の音符は2〜4拍で構成されている。またこれらの音型は、音をずっと持続させるわけではなく、規則的な休符を挟みながら演奏する。
しかし、このリズム音型を個別に見るのではなく、パートとして横に見ていくことで、その連続性にはオスティナートが伴うことがわかる。各パートの中間部の拍数は規則性を持っており、それは以下の表で示すことができる(表3) 。
【表3】冒頭から練習番号8にかけての各パートの拍数
{| class="wikitable"
|パート名
|繰り返される四分音符の拍数(前後の3連符は省略し、中間部の音価のみ示す)
|-
|第1グループ第2ヴァイオリン第1パート
|2→4
|-
|第1グループ第2ヴァイオリン第2パート
|3
|-
|第1グループヴィオラ第1パート
|2(カノン・オスティナートへ移行 )
|-
|第1グループヴィオラ第2パート
|3
|-
|第2グループ第2ヴァイオリン第1パート
|3
|-
|第2グループ第2ヴァイオリン第2パート
|2→2→3
|-
|第2グループヴィオラ第1パート
|3→2→2(カノン・オスティナートへ移行)
|-
|第2グループヴィオラ第2パート
|3(結尾で例外的に2、1の場合あり)
|}
このように、練習番号8までは、登場するヴィオラ以上の全楽器が何かしらの形でそのモチーフがオスティナートを組んでおり、またそれらがズレて出現することによって、その音楽には無限の連続性が備えられることになる。なお、奏される音程については一定か、もしくは短2度で上行、もしくは下行するだけにとどまり、極めて小さな動きが堆積されることで音楽が進行する。
=== リズムについて ===
今回すべてが新規に作曲された練習番号1〜8、および22〜24を見ると、リズムの面ではその多くが3連符で構成されている。また、冒頭の新規作曲部分は、前項で述べた通り、休符を挟みながら、特定のリズムによって繰り返されるリズムオスティナートを構成しており、それらも前後に3連符のリズムを持つ。
またこの作品においても前作の寡黙さは通底しており、《Nyambe》以前の初期作風に通ずるような快活さを伴うリズム音型は見られない。しかし22〜24で見られるような、複数のリズムが絡み合い、また音域もほとんど同じ位置に集中する音群が強奏される場面は、それら複数のリズムが強調され、極めて強い効果をもたらす。前作の6-5〜6-9で認められる2つの和音のズレで生じるリズムの交錯と同様に、ここでは線的な横の流れの中に交錯するリズムが、音楽に強い求心力を持たせていることがわかる。
== 小括 ==
本作は、前作《絃楽のための音楽 第1番》の編成を拡大させたものであるが、その内容は、前作の音楽を引用する構造を含んでいることがわかった。演奏面で、ひとりの奏者が重音を奏していた前作における負担は、本作においてdivisiによる複数奏者の担当によってだいぶ緩和されているように感じられる。また、人数の拡大によるその音響効果は、音源を聴く限り、前作を上回る効果をあげているようにも感じられる。同じ音楽を編成を拡大させて再び用いる例は、かつて初期において《弦楽四重奏曲》(1948) 第2楽章で用いたものが、《弦楽のための三楽章》(1953) 第3楽章に転用されていることが思い起こされる。このように芥川は、かつて作曲したモチーフやオーケストレーションを、編成を拡大したものに再適用する傾向がある。しかし引用した部分に関しても、前作よりも人数が増やすことで出来ることが多くなった分、余剰のパートにはさまざまな音楽効果を生むオーケストレーション、そして新たな創意が付加されることとなった。また、新規に作曲された部分を見ると、モチーフを意図的にずらして配置するカノン的な試み等、対位法的な書法で書かれていることも特徴として挙げられる。そしてそれは、彼が寵愛するオスティナートの技法を当てはめることで昇華された。また、リズムの面では緻密な音楽構造を構築していることもわかった。前作が12音を用いた和音の増減(すなわち縦の流れ)にフォーカスしたのに対し、本作では各パートの出現の増減(すなわち横の流れ)を重視していることになる。その上で、前作と本作を持って芥川は西洋音楽の根幹をなす和声的、対位法的な文脈における「マイナス空間論」の音楽的実践を模索したと考えることができる。
== 参考文献 ==
* 秋山邦晴1990「芥川也寸志=主要作品リスト」出版刊行委員会(編)『芥川也寸志 その芸術と行動』東京:東京新聞出版局
* 清道洋一2016「解説書」、『オーケストラ・トリプティークによる芥川也寸志個展:芥川が絃楽に寄せた想い』、CDブックレット、オーケストラ・トリプティーク(演奏)、水戸博之(指揮)、スリーシェルズ、3SCD-0044
* 武田明倫;秋山邦晴;武満徹;黛敏郎
* 1994 座談会「芥川也寸志氏をめぐって」『サントリー音楽財団コンサート作曲家の個展’94 芥川也寸志 サントリー音楽財団創設25周年記念』サントリー音楽財団
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4,859,751 | キーロフ (巡洋艦) | キーロフはソ連海軍の巡洋艦。キーロフ級(26型)。艦名はセルゲイ・キーロフにちなむ。
レニングラードのバルチック造船所(第189造船所)で建造。1935年10月22日起工。1936年11月30日進水。1938年9月26日に竣工。バルチック艦隊に配属された。しかし、海軍への引き渡し後も不具合が出てニューヨーク国際産業見本市への派遣計画が中止となった。
1939年にソ連とバルト海沿岸諸国との間で相互援助条約が結ばれると、「キーロフ」は10月22日にラトビアのリエパヤに配備された。冬戦争中の11月30日に駆逐艦「Smetlivyi」、「Stremitel'nyi」とともに出撃。ルッサレ島の砲台攻撃を命じられて180mm砲弾35発を発射し、フィンランド側からの砲撃で至近弾を受けて損傷した。以後、冬戦争中はリエパヤにとどまった。
1941年8月下旬、タリン防衛線に参加。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Classによれば、8月25日に15cm砲弾が命中して死者9名、負傷者30名を出す。『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』によればドイツ軍による砲撃での被害はなかったが、爆撃によって1発被弾し、また至近弾で死者9名、負傷者30名を出した。一方、「キーロフ」はドイツ軍に対して180mm砲弾235発を発射した。
続いて「キーロフ」はレニングラード防衛戦に参加した。「キーロフ」は9月の空襲で命中弾2発(ひとつは不発)と多数の至近弾を受け、死者3名負傷者12名を出し、1942年4月4-5日の空襲では爆弾1発が命中、同月24日には爆弾3発と15cm砲弾1発を受けて死者86名負傷者46名を出した。その後、レニングラードの第189造船所で修理および改装工事を受ける。
1943年2月、赤旗勲章を授与された。
1944年6月、フィンランドのマンネルハイム線を砲撃。
1945年10月17日、「キーロフ」はクロンシュタット近海で触雷し、大損害を受けた。1946年12月20日に修理は完了した。
1949年11月から1953年4月にかけ近代化改装を実施。
1958年4月29日に予備役となり、1960年9月にはレニングラードへと移って練習巡洋艦に類別される。または、1960年8月2日に練習巡洋艦に類別変更。
1968年のセベル演習では旗艦を務め、1970年にはオケアン演習に参加した。1974年2月22日に除籍され、その後解体された。
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] | キーロフはソ連海軍の巡洋艦。キーロフ級(26型)。艦名はセルゲイ・キーロフにちなむ。 | '''キーロフ'''は[[ソ連海軍]]の巡洋艦。[[キーロフ級巡洋艦|キーロフ級]](26型)。艦名は[[セルゲイ・キーロフ]]にちなむ<ref name=Yakubov91>"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91</ref>。
==艦歴==
[[サンクト・ペテルブルグ|レニングラード]]の[[バルチック造船所]](第189造船所)で建造<ref>『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』34、36ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 84</ref>。1935年10月22日起工<ref name="ポルトフ34">『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』34ページ</ref>。1936年11月30日進水<ref name="ポルトフ34"/>。1938年9月26日に竣工<ref name="ポルトフ34"/>。[[バルチック艦隊]]に配属された<ref name="ポルトフ34"/>。しかし、海軍への引き渡し後も不具合が出てニューヨーク国際産業見本市への派遣計画が中止となった<ref name="ポルトフ34"/>。
1939年にソ連とバルト海沿岸諸国との間で相互援助条約が結ばれると、「キーロフ」は10月22日にラトビアのリエパヤに配備された<ref>『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』35ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91</ref>。[[冬戦争]]中の11月30日に駆逐艦「Smetlivyi」、「Stremitel'nyi」とともに出撃<ref name=Yakubov91/>。ルッサレ島の砲台攻撃を命じられて180mm砲弾35発を発射し、フィンランド側からの砲撃で至近弾を受けて損傷した<ref name=Yakubov91/>。以後、冬戦争中はリエパヤにとどまった<ref name=Yakubov91/>。
1941年8月下旬、タリン防衛線に参加<ref name=Yakubov91/>。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Classによれば、8月25日に15cm砲弾が命中して死者9名、負傷者30名を出す<ref name=Yakubov91/>。『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』によればドイツ軍による砲撃での被害はなかったが、爆撃によって1発被弾し、また至近弾で死者9名、負傷者30名を出した<ref name="ポルトフ35">『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』35ページ</ref>。一方、「キーロフ」はドイツ軍に対して180mm砲弾235発を発射した<ref name="ポルトフ35"/>。
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1945年10月17日、「キーロフ」は[[クロンシュタット]]近海で触雷し、大損害を受けた<ref name="ポルトフ37">『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』37ページ</ref>。1946年12月20日に修理は完了した<ref name=Yakubov91/>。
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[[1968年]]のセベル演習では旗艦を務め、[[1970年]]にはオケアン演習に参加した<ref name="ポルトフ37"/>。1974年2月22日に除籍され、その後解体された<ref name="ポルトフ37"/>。
180mm砲塔2基がレニングラードで保存されている<ref>『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』37ページ。"The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", p. 91</ref>。
==改装==
==脚注==
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==参考文献==
*アンドレイ・V・ポルトフ『ソ連/ロシア巡洋艦建造史』[[世界の艦船]] 増刊第94集、2010年、[[海人社]]
*Vladimir Yakubov, Richard Worth, "The Soviet Light Cruisers of the Kirov Class", ''Warship 2009'', Conway, 2009, ISBN 978-1-84486-089-0, pp. 82–95
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[[Category:ソビエト連邦の巡洋艦]] | 2023-11-28T13:27:47Z | 2023-12-06T07:52:00Z | false | false | false | [
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4,859,753 | 冨田 (小惑星) | 冨田(2391 Tomita)は、ニサ族の小惑星の一つで、小惑星帯内側の直径約15kmの軌道を公転している。1957年1月9日にドイツの天文学者カール・ラインムートがドイツ南部のケーニッヒシュトゥール天文台で発見した。日本の天文学者である冨田弘一郎に因んで名付けられた。
冨田はニサ族の小惑星の1つで、3年10か月(1,393日)かけて、太陽から2.1-2.8天文単位の距離の小惑星帯内側を公転している。軌道離心率は0.13で、黄道に対する軌道傾斜角は3°である。
発見前の最初の観測記録(w:Precovery)は、1929年にローウェル天文台で撮られたもので、ハイデルベルク天文台での公式な発見よりも、観測弧が28年遡った。
冨田は、Collaborative Asteroid Lightcurve Link (CALL)によると岩石質のS型小惑星、パンスターズの測光観測によると炭素質のC型小惑星とされる。
アメリカ航空宇宙局の広視野赤外線探査機及びその後継のNEOWISEミッションでの観測によると、各々、直径は15.04と19.4kmの間、アルベドは0.03から0.07の間と測定された。
CALLでは岩石質の組成と推定しているが、そうであればアルベドは0.21ともっと高くなるはずであり、絶対等級が一定なので、直径は9.2kmと計算される。
2013年12月、測光観測により、この小惑星の2つの光学曲線が得られ、これに基づくと自転速度は各々、7.9533±0.0005時間、8.435±0.079時間で、等級が0.14及び0.15変化するとされた(U=3/n.a.)。
この小惑星は、国立天文台で長く観測を行い、小惑星や彗星の発見者でもある日本人天文学者の冨田弘一郎(1925年-2006年)を称えて命名された。また、冨田は、日本を代表する天文学の普及者の一人としても知られている。公式な命名の引用は、1987年4月14日に小惑星センターから公表された(M.P.C. 11748)。 | [
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] | 冨田(2391 Tomita)は、ニサ族の小惑星の一つで、小惑星帯内側の直径約15kmの軌道を公転している。1957年1月9日にドイツの天文学者カール・ラインムートがドイツ南部のケーニッヒシュトゥール天文台で発見した。日本の天文学者である冨田弘一郎に因んで名付けられた。 | {{天体 基本
| 幅 =
| 色 = 小惑星
| 和名 = 冨田
| 英名 = 2391 Tomita
| 仮符号・別名 = 1957 AA{{·}}1929 VX<br />1938 BF{{·}}1942 DF<br />1957 BA{{·}}1977 KM<br />{{mp|1978 PA|4}}{{·}}{{mp|1980 DC|6}}
| 分類 = [[小惑星]]
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}}
{{天体 発見
| 色 = 小惑星
| 発見日 = [[1957年]][[1月9日]]<ref name="jpldata" />
| 発見者 = [[カール・ラインムート]]<ref name="jpldata" />
}}
{{天体 軌道
| 色 = 小惑星
| 元期 = 2017年9月4日 ([[ユリウス日|JD]] 2,458,000.5)
| 軌道長半径 = 2.4408 AU<ref name="jpldata" />
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{{天体 物理
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{{天体 終了
| 色 = 小惑星
}}
'''冨田'''(2391 Tomita)は、[[ニサ族]]の[[小惑星]]の一つで、[[小惑星帯]]内側の直径約15kmの軌道を公転している。1957年1月9日に[[ドイツ]]の[[天文学者]][[カール・ラインムート]]がドイツ南部の[[ケーニッヒシュトゥール天文台]]で発見した<ref name="MPC-Tomita" />。[[日本]]の天文学者である[[冨田弘一郎]]に因んで名付けられた<ref name="springer" />。
==軌道と分類==
冨田はニサ族の小惑星の1つで、3年10か月(1,393日)かけて、[[太陽]]から2.1-2.8[[天文単位]]の距離の小惑星帯内側を公転している。[[軌道離心率]]は0.13で、[[黄道]]に対する[[軌道傾斜角]]は3°である<ref name="jpldata" />。
発見前の最初の観測記録([[:w:Precovery]])は、1929年に[[ローウェル天文台]]で撮られたもので、ハイデルベルク天文台での公式な発見よりも、[[観測弧]]が28年遡った<ref name="MPC-Tomita" />。
==物理的性質==
冨田は、''Collaborative Asteroid Lightcurve Link'' (CALL)によると岩石質の[[S型小惑星]]、[[パンスターズ]]の[[測光]]観測によると炭素質の[[C型小惑星]]とされる<ref name="lcdb" /><ref name="Veres-2015" />。
===直径とアルベド===
[[アメリカ航空宇宙局]]の[[広視野赤外線探査機]]及びその後継の[[NEOWISE]]ミッションでの観測によると、各々、直径は15.04と19.4kmの間、[[アルベド]]は0.03から0.07の間と測定された<ref name="Nugent-2015" /><ref name="Nugent-2016" /><ref name="Masiero-2012" /><ref name="Masiero-2014" /><ref name="WISE" />。
CALLでは岩石質の組成と推定しているが、そうであればアルベドは0.21ともっと高くなるはずであり、[[絶対等級]]が一定なので、直径は9.2kmと計算される<ref name="lcdb" />。
===自転速度===
2013年12月、[[測光]]観測により、この小惑星の2つの[[光学曲線]]が得られ、これに基づくと[[自転速度]]は各々、7.9533±0.0005時間、8.435±0.079時間で、等級が0.14及び0.15変化するとされた(U=3/n.a.){{efn|name=lcdb-Pravec}}{{efn|name=lcdb-Williams}}。
==名前==
この小惑星は、[[国立天文台]]で長く観測を行い、小惑星や[[彗星]]の発見者でもある日本人天文学者の冨田弘一郎(1925年-2006年)を称えて命名された。また、冨田は、日本を代表する天文学の普及者の一人としても知られている<ref name="springer" />。公式な命名の引用は、1987年4月14日に[[小惑星センター]]から公表された(M.P.C. 11748)<ref name="MPC-Circulars-Archive" />。
==備考==
{{notelist|refs=
{{efn|name=lcdb-Williams|1=Williams (2013) web: rotation period {{val|8.435|0.079}} hours with a brightness amplitude of {{val|0.15}} mag. Summary figures for (2391) Tomita at [http://www.minorplanet.info/PHP/generateOneAsteroidInfo.php?AstInfo=2391%7CTomita Collaborative Asteroid Lightcurve Link (CALL)]. Data by Williams, R. (2013), posted on CALL page.}}
{{efn|name=lcdb-Pravec|1=Pravec (2013) web: [http://www.asu.cas.cz/~asteroid/02391.png lightcurve plot] with a rotation period {{val|7.9533|0.0005}} hours with a brightness amplitude of {{val|0.14}} mag. Summary figures for (2391) Tomita at [http://www.minorplanet.info/PHP/generateOneAsteroidInfo.php?AstInfo=2391%7CTomita Collaborative Asteroid Lightcurve Link (CALL)] and [http://www.asu.cas.cz/~ppravec/neo.htm Pravec, P.; Wolf, M.; Sarounova, L. (2013)]}}
}}
==出典==
{{reflist|30em|refs=
<ref name="jpldata">{{cite web
|type = 2016-11-23 last obs.
|title = JPL Small-Body Database Browser: 2391 Tomita (1957 AA)
|url = https://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi?sstr=2002391
|publisher = Jet Propulsion Laboratory
|accessdate = 13 June 2017}}</ref>
<ref name="springer">{{cite book
|title = Dictionary of Minor Planet Names – (2391) Tomita
|last = Schmadel | first = Lutz D.
|publisher = Springer Berlin Heidelberg
|page = 195
|date = 2007
|isbn = 978-3-540-00238-3
|doi = 10.1007/978-3-540-29925-7_2392 |chapter = (2391) Tomita }}</ref>
<ref name="MPC-Tomita">{{cite web
|title = 2391 Tomita (1957 AA)
|work = Minor Planet Center
|url = https://www.minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=2391
|accessdate = 14 August 2016}}</ref>
<ref name="MPC-Circulars-Archive">{{cite web
|title = MPC/MPO/MPS Archive
|work = Minor Planet Center
|url = https://www.minorplanetcenter.net/iau/ECS/MPCArchive/MPCArchive_TBL.html
|accessdate = 14 August 2016}}</ref>
<ref name="Masiero-2014">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Joseph R. |last1 = Masiero
|first2 = T. |last2 = Grav
|first3 = A. K. |last3 = Mainzer
|first4 = C. R. |last4 = Nugent
|first5 = J. M. |last5 = Bauer
|first6 = R. |last6 = Stevenson
|first7 = S. |last7 = Sonnett
|date = August 2014
|title = Main-belt Asteroids with WISE/NEOWISE: Near-infrared Albedos
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2014ApJ...791..121M
|journal = The Astrophysical Journal
|volume = 791
|issue = 2
|page = 11
|bibcode = 2014ApJ...791..121M
|doi = 10.1088/0004-637X/791/2/121
|arxiv = 1406.6645
|accessdate= 7 December 2016}}</ref>
<ref name="lcdb">{{cite web
|title = LCDB Data for (2391) Tomita
|publisher = Asteroid Lightcurve Database (LCDB)
|url = http://www.minorplanet.info/PHP/generateOneAsteroidInfo.php?AstInfo=2391%7CTomita
|accessdate = 14 August 2016}}</ref>
<ref name="WISE">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = A. |last1 = Mainzer
|first2 = T. |last2 = Grav
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|first13 = C. |last13 = Maleszewski
|date = November 2011
|title = NEOWISE Studies of Spectrophotometrically Classified Asteroids: Preliminary Results
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2011ApJ...741...90M
|journal = The Astrophysical Journal
|volume = 741
|issue = 2
|page = 25
|bibcode = 2011ApJ...741...90M
|doi = 10.1088/0004-637X/741/2/90
|arxiv = 1109.6407
|accessdate= 14 August 2016}}</ref>
<ref name="Masiero-2012">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Joseph R. |last1 = Masiero
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|date = November 2012
|title = Preliminary Analysis of WISE/NEOWISE 3-Band Cryogenic and Post-cryogenic Observations of Main Belt Asteroids
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2012ApJ...759L...8M
|journal = The Astrophysical Journal Letters
|volume = 759
|issue = 1
|page = 5
|bibcode = 2012ApJ...759L...8M
|doi = 10.1088/2041-8205/759/1/L8
|arxiv = 1209.5794
|accessdate= 14 August 2016}}</ref>
<ref name="Veres-2015">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Peter |last1 = Veres
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|date = November 2015
|title = Absolute magnitudes and slope parameters for 250,000 asteroids observed by Pan-STARRS PS1 - Preliminary results
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2015Icar..261...34V
|journal = Icarus
|volume = 261
|pages = 34–47
|bibcode = 2015Icar..261...34V
|doi = 10.1016/j.icarus.2015.08.007
|arxiv = 1506.00762
|accessdate= 14 August 2016}}</ref>
<ref name="Nugent-2015">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = C. R. |last1 = Nugent
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|date = December 2015
|title = NEOWISE Reactivation Mission Year One: Preliminary Asteroid Diameters and Albedos
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2015ApJ...814..117N
|journal = The Astrophysical Journal
|volume = 814
|issue = 2
|page = 13
|bibcode = 2015ApJ...814..117N
|doi = 10.1088/0004-637X/814/2/117
|arxiv = 1509.02522
|accessdate = 13 June 2017}}</ref>
<ref name="Nugent-2016">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = C. R. |last1 = Nugent
|first2 = A. |last2 = Mainzer
|first3 = J. |last3 = Bauer
|first4 = R. M. |last4 = Cutri
|first5 = E. A. |last5 = Kramer
|first6 = T. |last6 = Grav
|first7 = J. |last7 = Masiero
|first8 = S. |last8 = Sonnett
|first9 = E. L. |last9 = Wright
|date = September 2016
|title = NEOWISE Reactivation Mission Year Two: Asteroid Diameters and Albedos
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2016AJ....152...63N
|journal = The Astronomical Journal
|volume = 152
|issue = 3
|page = 12
|bibcode = 2016AJ....152...63N
|doi = 10.3847/0004-6256/152/3/63
|arxiv = 1606.08923
|accessdate = 13 June 2017}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[小惑星の一覧 (2001-3000)]]
==外部リンク==
* [http://www.minorplanet.info/PHP/lcdbsummaryquery.php Asteroid Lightcurve Database (LCDB)], query form ([http://www.minorplanet.info/lightcurvedatabase.html info] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171216050541/http://www.minorplanet.info/lightcurvedatabase.html |date=16 December 2017 }})
* [https://books.google.com/books?id=aeAg1X7afOoC&pg Dictionary of Minor Planet Names], Google books
* [http://obswww.unige.ch/~behrend/page_cou.html Asteroids and comets rotation curves, CdR] – Observatoire de Genève, Raoul Behrend
* [https://www.minorplanetcenter.net/iau/lists/NumberedMPs000001.html Discovery Circumstances: Numbered Minor Planets (1)-(5000)] – Minor Planet Center
{{デフォルトソート:とみた}}
[[Category:K. ラインムートが発見した天体]]
[[Category:メインベルトの小惑星]]
[[Category:1957年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:32:31Z | 2023-12-11T10:42:15Z | false | false | false | [
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4,859,754 | ピッコロ (小惑星) | ピッコロ(1366 Piccolo)は、小惑星帯外側の直径約28kmの軌道を公転する、小惑星族に属しない小惑星である。1932年11月29日にベルギーの天文学者ウジェーヌ・デルポルトがブリュッセル近郊のイクルにあるベルギー王立天文台で発見した。ベルギーの新聞ル・ソワールの編集長であるAuguste Cauvinの名前に因んで命名した。
ピッコロは、小惑星族に属さない小惑星で、4年10か月(1,780日)かけて、太陽から2.5-3.3天文単位の距離の小惑星帯外側を公転している。軌道離心率は0.14で、黄道に対する軌道傾斜角は9°である。
当初、1916年7月にヨハネスブルク天文台により、A916 NBとして同定された。観測弧は、公式に発見された観測が行われたイクルから始まっている。
1898年-1937年頃の長期にわたりベルギーの新聞ル・ソワールの編集長を務め、"d'Arsac"としても知られるAuguste Cauvinの筆名に因んで命名された。筆名の"piccolo"は、イタリア語で「小さい」という意味である。公式な命名の引用は、1955年のポール・ハーゲット著のThe Names of the Minor Planetsによる(H 124)。同じデルポルトが発見した小惑星番号1350番のロッセリアもル・ソワールの編集者の名前(Marie-Thérèse Rossel)に因んで命名されている。
パンスターズによる測光観測ではX型小惑星に分類されるが、Asteroid Lightcurve Database(LCDB)は岩石質のS型小惑星と推定している。
1984年6月、アメリカ人天文学者リチャード・ビンゼルの測光観測により、ピッコロの最初の光学曲線が得られた。光学曲線の分析により、自転周期は16.57時間で、明るさは0.33等級変化することが分かった(U=2)。2003年と2005年にフランス人アマチュア天文学者のルネ・ロイにより、更に2つの光学曲線が得られた。これらの光学曲線では、各々、自転周期16.048時間及び16.05時間、等級の変化は0.24等級及び0.29等級という結果が得られた(U=2/2)。
2016年、様々な出典の測光データを用いて光学曲線がモデル化された。これに基づくと、(352.0°, 49.0°)及び(201.0°, 55.0°)という黄道座標に2つの自転軸があり、自転周期は16.1834時間とされた。
赤外線天文衛星IRAS、日本のあかり、アメリカ航空宇宙局の広視野赤外線探査機によると、ピッコロの直径は、26.92-28.02 km、アルベドは0.1538-0.199と測定される。2003年4月、恒星の掩蔽により、アルベド0.131、直径29.9 kmという値が推定された。
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] | ピッコロ(1366 Piccolo)は、小惑星帯外側の直径約28kmの軌道を公転する、小惑星族に属しない小惑星である。1932年11月29日にベルギーの天文学者ウジェーヌ・デルポルトがブリュッセル近郊のイクルにあるベルギー王立天文台で発見した。ベルギーの新聞ル・ソワールの編集長であるAuguste Cauvinの名前に因んで命名した。 | {{天体 基本
| 幅 =
| 色 = 小惑星
| 和名 = ピッコロ
| 英名 = 1366 Piccolo
| 画像ファイル = 001366-asteroid shape model (1366) Piccolo.png
| 画像サイズ = 250px
| 画像説明 = 光学曲線を基にしたピッコロのモデル
| 仮符号・別名 = 1932 WA{{·}}{{mp|1930 FA|1}}<br />1931 PC{{·}}{{mp|1931 RJ|1}}<br />1935 GM{{·}}1935 JM<br />1950 KL{{·}}{{mp|1961 TL|1}}<br />1961 VP{{·}}A916 NB
| 分類 = [[小惑星]]
| 軌道の種類 = [[小惑星帯]]<ref name="lcdb" />
}}
{{天体 発見
| 色 = 小惑星
| 発見日 = [[1932年]][[11月29日]]<ref name="jpldata" />
| 発見者 = [[ウジェーヌ・デルポルト]]<ref name="jpldata" />
}}
{{天体 軌道
| 色 = 小惑星
| 元期 = 2017年9月4日 ([[ユリウス日|JD]] 2,458,000.5)
| 軌道長半径 = 2.8745 AU<ref name="jpldata" />
| 近日点距離 = 2.4686 AU<ref name="jpldata" />
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| 公転周期 = 4.87 年(1,780 日)<ref name="jpldata" />
| 軌道傾斜角 = 9.4758°<ref name="jpldata" />
| 近日点引数 = 383.70°<ref name="jpldata" />
| 昇交点黄経 = 24.147°<ref name="jpldata" />
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| 最小交差距離 =
}}
{{天体 物理
| 色 = 小惑星
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| スペクトル分類 = X<ref name="Veres-2015" />{{·}}S]<ref name="lcdb" /><br />[[Asteroid color indices|B–V]] {{=}} 0.710<ref name="jpldata" /><br />[[Asteroid color indices|U–B]] {{=}} 0.180<ref name="jpldata" />
| 絶対等級 = 10.14<ref name="Masiero-2012" />{{·}}{{val|10.24|0.30}}<ref name="Veres-2015" />{{·}}10.45<ref name="jpldata" /><ref name="AKARI" /><ref name="SIMPS" /><ref name="Shevchenko-2006" />{{·}}10.52<ref name="lcdb" /><ref name="Binzel-1987b" />
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{{天体 終了
| 色 = 小惑星
}}
'''ピッコロ'''(1366 Piccolo)は、[[小惑星帯]]外側の直径約28kmの軌道を公転する、[[小惑星族]]に属しない[[小惑星]]である。1932年11月29日に[[ベルギー]]の[[天文学者]][[ウジェーヌ・デルポルト]]が[[ブリュッセル]]近郊の[[イクル]]にある[[ベルギー王立天文台]]で発見した<ref name="MPC-object" />。ベルギーの新聞[[ル・ソワール]]の編集長であるAuguste Cauvinの名前に因んで命名した<ref name="springer" />。
==軌道と分類==
ピッコロは、小惑星族に属さない小惑星で<ref name="AstDys-object" />、4年10か月(1,780日)かけて、[[太陽]]から2.5-3.3[[天文単位]]の距離の小惑星帯外側を公転している。[[軌道離心率]]は0.14で、[[黄道]]に対する[[軌道傾斜角]]は9°である<ref name="jpldata" />。
当初、1916年7月に[[ヨハネスブルク天文台]]により、'''A916 NB'''として同定された。[[観測弧]]は、公式に発見された観測が行われたイクルから始まっている<ref name="MPC-object" />。
==名前==
1898年-1937年頃の長期にわたりベルギーの新聞ル・ソワールの編集長を務め、"d'Arsac"としても知られるAuguste Cauvinの筆名に因んで命名された。筆名の"piccolo"は、[[イタリア語]]で「小さい」という意味である<ref name="springer" />。公式な命名の引用は、1955年の[[ポール・ハーゲット]]著の''The Names of the Minor Planets''による(H 124)<ref name="springer" />。同じデルポルトが発見した[[小惑星番号]]1350番の[[ロッセリア (小惑星)|ロッセリア]]もル・ソワールの編集者の名前(Marie-Thérèse Rossel)に因んで命名されている。
==物理的性質==
[[パンスターズ]]による[[測光]]観測では[[X型小惑星]]に分類されるが<ref name="Veres-2015" />、''Asteroid Lightcurve Database''(LCDB)は岩石質の[[S型小惑星]]と推定している<ref name="lcdb" />。
===自転周期と極===
1984年6月、アメリカ人天文学者[[リチャード・ビンゼル]]の測光観測により、ピッコロの最初の[[光学曲線]]が得られた。光学曲線の分析により、[[自転周期]]は16.57時間で、明るさは0.33等級変化することが分かった(U=2)<ref name="Binzel-1987b" />。2003年と2005年にフランス人アマチュア天文学者の[[ルネ・ロイ]]により、更に2つの光学曲線が得られた。これらの光学曲線では、各々、自転周期16.048時間及び16.05時間、等級の変化は0.24等級及び0.29等級という結果が得られた(U=2/2)<ref name="geneva-obs" />。
2016年、様々な出典の測光データを用いて光学曲線がモデル化された。これに基づくと、(352.0°, 49.0°)及び(201.0°, 55.0°)という[[黄道座標]]に2つの[[自転軸]]があり、自転周期は16.1834時間とされた<ref name="Hanus-2016a" />。
===直径とアルベド===
[[赤外線]][[天文衛星]][[IRAS]]、[[日本]]の[[あかり (人工衛星)|あかり]]、[[アメリカ航空宇宙局]]の[[広視野赤外線探査機]]によると、ピッコロの直径は、26.92-28.02 km、アルベドは0.1538-0.199と測定される<ref name="AKARI" /><ref name="SIMPS" /><ref name="Masiero-2012" />。2003年4月、[[恒星]]の[[掩蔽]]により、アルベド0.131、直径29.9 kmという値が推定された<ref name="Shevchenko-2006" />。
''Collaborative Asteroid Lightcurve Link''(CALL)では、絶対等級10.52から、アルベド0.1447、直径27.50 kmとされている<ref name="lcdb" />。
==出典==
{{reflist|30em|refs=
<ref name="jpldata">{{cite web
|type = 2017-06-04 last obs.
|title = JPL Small-Body Database Browser: 1366 Piccolo (1932 WA)
|url = https://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi?sstr=2001366
|publisher = Jet Propulsion Laboratory
|accessdate = 14 November 2017}}</ref>
<ref name="springer">{{cite book
|title = Dictionary of Minor Planet Names
|url = https://archive.org/details/dictionaryminorp00schm
|url-access = limited
|last = Schmadel | first = Lutz D.
|publisher = Springer Berlin Heidelberg
|chapter = (1366) Piccolo
|page = [https://archive.org/details/dictionaryminorp00schm/page/n124 111]
|date = 2007
|isbn = 978-3-540-00238-3
|doi = 10.1007/978-3-540-29925-7_1367}}</ref>
<ref name="MPC-object">{{cite web
|title = 1366 Piccolo (1932 WA)
|work = Minor Planet Center
|url = https://www.minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=1366
|accessdate = 14 November 2017}}</ref>
<ref name="geneva-obs">{{cite web
|title = Asteroids and comets rotation curves – (1366) Piccolo
|last = Behrend |first = Raoul
|publisher = Geneva Observatory
|url = http://obswww.unige.ch/~behrend/page4cou.html#001366
|accessdate = 14 November 2017}}</ref>
<ref name="AstDys-object">{{cite web
|title = Asteroid 1366 Piccolo – Proper Elements
|publisher = AstDyS-2, Asteroids – Dynamic Site
|url = https://newton.spacedys.com/astdys/index.php?pc=1.1.6&n=1366
|accessdate= 29 October 2019}}</ref>
<ref name="lcdb">{{cite web
|title = LCDB Data for (1366) Piccolo
|publisher = Asteroid Lightcurve Database (LCDB)
|url = http://www.minorplanet.info/PHP/generateOneAsteroidInfo.php?AstInfo=1366%7CPiccolo
|accessdate = 14 November 2017}}</ref>
<ref name="Shevchenko-2006">{{Cite journal
|first1 = Vasilij G. |last1 = Shevchenko
|first2 = Edward F. |last2 = Tedesco
|date = September 2006
|title = Asteroid albedos deduced from stellar occultations
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2006Icar..184..211S
|journal = Icarus
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|issue = 1
|pages = 211–220
|bibcode = 2006Icar..184..211S
|doi = 10.1016/j.icarus.2006.04.006
|accessdate= 14 November 2017}}</ref>
<ref name="Masiero-2012">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Joseph R. |last1 = Masiero
|first2 = A. K. |last2 = Mainzer
|first3 = T. |last3 = Grav
|first4 = J. M. |last4 = Bauer
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|date = November 2012
|title = Preliminary Analysis of WISE/NEOWISE 3-Band Cryogenic and Post-cryogenic Observations of Main Belt Asteroids
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2012ApJ...759L...8M
|journal = The Astrophysical Journal Letters
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|arxiv = 1209.5794
|accessdate= 14 November 2017}}</ref>
<ref name="AKARI">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Fumihiko |last1 = Usui
|first2 = Daisuke |last2 = Kuroda
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|date = October 2011
|title = Asteroid Catalog Using Akari: AKARI/IRC Mid-Infrared Asteroid Survey
|journal = Publications of the Astronomical Society of Japan
|volume = 63
|issue = 5
|pages = 1117–1138
|bibcode = 2011PASJ...63.1117U
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|doi-access=
}} ([http://vizier.cfa.harvard.edu/viz-bin/VizieR-5?-source=J/PASJ/63/1117/acua_v1&Num=1366 online], {{Cite thesis|和書|author=臼井文彦 |title=Mid-Infrared Asteroid Survey with AKARI / 「あかり」衛星による小惑星の中間赤外線サーベイ |volume=東京大学 博士論文 |series=博士(理学) 乙第17829号 |year=2013 |page=153(p.1-178) |naid=500000941211 |url=https://jaxa.repo.nii.ac.jp/records/31156}})</ref>
<ref name="SIMPS">{{cite journal
|first1 = E. F. |last1 = Tedesco
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|date = October 2004
|title = IRAS Minor Planet Survey V6.0
|url = https://sbnarchive.psi.edu/pds3/iras/IRAS_A_FPA_3_RDR_IMPS_V6_0/data/diamalb.tab
|journal = NASA Planetary Data System
|volume = 12
|pages = IRAS-A-FPA-3-RDR-IMPS-V6.0
|bibcode = 2004PDSS...12.....T
|accessdate = 22 October 2019}}</ref>
<ref name="Binzel-1987b">{{Cite journal
|author = Binzel, R. P.
|date = October 1987
|title = A photoelectric survey of 130 asteroids
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=1987Icar...72..135B
|journal = Icarus
|volume = 72
|issue = 1
|pages = 135–208
|issn = 0019-1035
|bibcode = 1987Icar...72..135B
|doi = 10.1016/0019-1035(87)90125-4
|accessdate= 14 November 2017}}</ref>
<ref name="Hanus-2016a">{{cite journal
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|first2 = J. |last2 = Durech
|first3 = D. A. |last3 = Oszkiewicz
|first4 = R. |last4 = Behrend
|first5 = B. |last5 = Carry
|first6 = M. |last6 = Delbo
|first7 = O. |last7 = Adam
|first8 = V. |last8 = Afonina
|first9 = R. |last9 = Anquetin
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|first11 = L. |last11 = Arnold
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|first16 = E. |last16 = Barbotin
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|first170 = M. |last170 = Wolf
|date = February 2016
|title = New and updated convex shape models of asteroids based on optical data from a large collaboration network
|journal = Astronomy and Astrophysics
|volume = 586
|page = 24
|bibcode = 2016A&A...586A.108H
|doi = 10.1051/0004-6361/201527441
|arxiv = 1510.07422}}</ref>
<ref name="Veres-2015">{{cite journal
|display-authors = 6
|first1 = Peter |last1 = Veres
|first2 = Robert |last2 = Jedicke
|first3 = Alan |last3 = Fitzsimmons
|first4 = Larry |last4 = Denneau
|first5 = Mikael |last5 = Granvik
|first6 = Bryce |last6 = Bolin
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|date = November 2015
|title = Absolute magnitudes and slope parameters for 250,000 asteroids observed by Pan-STARRS PS1 - Preliminary results
|url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/bib_query?bibcode=2015Icar..261...34V
|journal = Icarus
|volume = 261
|pages = 34–47
|bibcode = 2015Icar..261...34V
|doi = 10.1016/j.icarus.2015.08.007
|arxiv = 1506.00762
|accessdate= 14 November 2017}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[小惑星の一覧 (1001-2000)]]
==外部リンク==
* [http://www.minorplanet.info/PHP/lcdbsummaryquery.php Asteroid Lightcurve Database (LCDB)], query form ([http://www.minorplanet.info/lightcurvedatabase.html info] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171216050541/http://www.minorplanet.info/lightcurvedatabase.html |date=16 December 2017 }})
* [https://books.google.com/books?id=aeAg1X7afOoC&pg Dictionary of Minor Planet Names], Google books
* [http://obswww.unige.ch/~behrend/page_cou.html Asteroids and comets rotation curves, CdR] – Observatoire de Genève, Raoul Behrend
* [https://www.minorplanetcenter.net/iau/lists/NumberedMPs000001.html Discovery Circumstances: Numbered Minor Planets (1)-(5000)] – Minor Planet Center
{{デフォルトソート:ひつころ}}
[[Category:E. デルポルトが発見した天体]]
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[[Category:1932年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:34:25Z | 2023-12-11T10:42:44Z | false | false | false | [
"Template:天体 発見",
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4,859,755 | NGC 265 | NGC 265は、きょしちょう座の方角にある散開星団である。近隣の矮小銀河である小マゼラン雲の中にある。1834年4月11日にイギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが発見した。ジョン・ドレイヤーは、「かすかで、かなり小さく、丸い」と記述し、自身のニュージェネラルカタログの265番目に加えている。
核の視直径は18で、物理的な直径は約47光年である。合計で太陽質量の4700倍であり、年齢は約2.5億歳である。星団の金属量は約-0.62で、太陽のわずか24%である。主系列星が巨星に進化する、この星団のturn-off massは、4.0-4.5太陽質量である。 | [
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{{天体 位置
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| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|00|47|35.8}}<ref name=Sulentic1973/>
| 赤緯 = {{DEC|−73|45|11}}<ref name=Sulentic1973/>
| 距離 = {{val|200|ul=kly}}<ref name="spacetelescope"/>
}}
{{天体 物理
| 色 = cluster
| 年齢 = {{Val|250|120}}百万年<ref name=Piatti2007/>
| 質量 = {{val|4200|900|fmt=commas}}<ref name=Nayak2018/>
| 直径 = {{convert|14.5|pc|ly|order=flip|abbr=on}}<ref name=Nayak2018/>
}}
{{天体 別名称
| 色 = cluster
| 別名称 = Cl Lindsay 34, ESO 29-14, SMC−OGLE 39<ref name="simbad" />
}}
{{天体 終了
| 色 = cluster
}}
'''NGC 265'''は、[[きょしちょう座]]の方角にある[[散開星団]]である。近隣の[[矮小銀河]]である[[小マゼラン雲]]の中にある<ref name=Piatti2007/>。1834年4月11日に[[イギリス]]の[[天文学者]][[ジョン・ハーシェル]]が発見した。[[ジョン・ドレイヤー]]は、「かすかで、かなり小さく、丸い」と記述し、自身の[[ニュージェネラルカタログ]]の265番目に加えている<ref name=Seligman/>。
核の視直径は18''で、物理的な直径は約47光年である<ref name=Nayak2018/>。合計で[[太陽質量]]の4700倍であり<ref name=Nayak2018/>、年齢は約2.5億歳である<ref name=Piatti2007/>。星団の[[金属量]]は約-0.62で、太陽のわずか24%である。[[主系列星]]が[[巨星]]に[[恒星進化論|進化]]する、この星団のturn-off massは、4.0-4.5太陽質量である<ref name=Chiosi/>。
==出典==
{{Reflist|refs=
<ref name="simbad">{{cite simbad
| title=NGC 265
| accessdate=2007-04-17}}</ref>
<ref name=Seligman>{{cite web
| first=Courtney | last=Seligman
| title=NGC Objects: NGC 2600 - 2649
| work=Celestial Atlas
| url=https://cseligman.com/text/atlas/ngc2a.htm#265
| accessdate=2020-09-06 }}</ref>
<ref name=Nayak2018>{{cite journal
| title=Star clusters in the Magellanic Clouds. II. Age-dating, classification, and spatio-temporal distribution of the SMC clusters
| last1=Nayak | first1=P. K. | last2=Subramaniam | first2=A.
| last3=Choudhury | first3=S. | last4=Sagar | first4=Ram
| display-authors=1 | journal=Astronomy & Astrophysics
| volume=616 | id=A187 | pages=24 | date=September 2018
| arxiv=1804.00635 | bibcode=2018A&A...616A.187N
| doi=10.1051/0004-6361/201732227 | s2cid=55901741 }}</ref>
<ref name=Piatti2007>{{cite journal
| title=Young star clusters immersed in intermediate-age fields in the Small Magellanic Cloud
| display-authors=1 | last1=Piatti | first1=Andrés E.
| last2=Sarajedini | first2=Ata | last3=Geisler | first3=Doug
| last4=Clark | first4=David | last5=Seguel | first5=Juan
| journal=Monthly Notices of the Royal Astronomical Society
| volume=377 | issue=1 | pages=300–316 | date=May 2007
| doi=10.1111/j.1365-2966.2007.11604.x | bibcode=2007MNRAS.377..300P | doi-access=free | hdl=11336/21054 | hdl-access=free }}</ref>
<ref name=Chiosi>{{cite journal
| title=Three clusters of the SMC from ACS/WFC HST archive data: NGC 265, K 29 and NGC 290 and their field population
| last1=Chiosi | first1=E. | last2=Vallenari | first2=A.
| journal=Astronomy and Astrophysics
| volume=466 | issue=1 | date=April 2007 | pages=165–179
| arxiv=astro-ph/0702281 | bibcode=2007A&A...466..165C
| doi=10.1051/0004-6361:20066834 | s2cid=7596416 }}</ref>
<ref name=Sulentic1973>{{cite book
| title=The revised new catalogue of nonstellar astronomical objects
| last1=Sulentic | first1=Jack W. | last2=Tifft | first2=William G.
| last3=Dreyer | first3=John Louis Emil | display-authors=1
| location=Tucson | publisher=University of Arizona Press
| year=1973 | bibcode=1973rncn.book.....S }}
See the Vizier [https://vizier.u-strasbg.fr/viz-bin/VizieR-S?NGC%20265 VII/1B/catalog entry for NGC 265].</ref>
<ref name="spacetelescope">{{cite web
| work=Space Telescope Website
| title=Magellanic gemstone in the southern sky [NGC 265]
| url=https://www.spacetelescope.org/images/heic0603b/
| accessdate=2009-03-02}}</ref>
}}
==関連項目==
* [[NGC 290]]
==外部リンク==
*{{commonscat-inline}}
*[https://www.spacetelescope.org/images/heic0603a/ '''ESA Hubble space telescope site''': Hubble picture in information on NGC 265]
*[http://hubblesite.org/newscenter/archive/releases/2006/17/image/b/ '''HubbleSite NewsCenter''': Information on NGC 265 and the Hubble picture]
*{{Cite APOD | title=Open Cluster NGC 290: A Stellar Jewel Box | date=1 May 2006 | accessdate=2007-04-17}}
{{デフォルトソート:NGC 265}}
[[Category:散開星団]]
[[Category:きょしちょう座]]
[[Category:NGC天体|0265]]
[[Category:1834年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:36:43Z | 2023-12-06T15:02:01Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_265 |
4,859,756 | NGC 251 | NGC 251は、うお座の方角にある渦巻銀河である。1784年10月15日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルが発見した。
この銀河の中で、SN 2023rkyという超新星(II型超新星、18.8等級)が1つ観測されている。 | [
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] | NGC 251は、うお座の方角にある渦巻銀河である。1784年10月15日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルが発見した。 この銀河の中で、SN 2023rkyという超新星(II型超新星、18.8等級)が1つ観測されている。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = NGC251 - SDSS DR14.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = [[スローン・デジタル・スカイサーベイ]]による画像
| 星座 = [[うお座]]
| 視等級 = 14.6<ref name=SIMBAD>{{cite simbad|title=NGC 251|accessdate=5 May 2017}}</ref>
| 視直径 = 2.4' × 1.9'<ref name=ned/>
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{{天体 位置
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| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|00|47|54.031}}<ref name=2MASS>{{cite journal |doi=10.1086/498708 |last1=Skrutskie |first1=Michael F. |last2=Cutri |first2=Roc M. |last3=Stiening |first3=Rae |last4=Weinberg |first4=Martin D. |last5=Schneider |first5=Stephen E. |last6=Carpenter |first6=John M. |last7=Beichman |first7=Charles A. |last8=Capps |first8=Richard W. |last9=Chester |first9=Thomas |last10=Elias |first10=Jonathan H. |last11=Huchra |first11=John P. |last12=Liebert |first12=James W. |last13=Lonsdale |first13=Carol J. |last14=Monet |first14=David G. |last15=Price |first15=Stephan |last16=Seitzer |first16=Patrick |last17=Jarrett |first17=Thomas H. |last18=Kirkpatrick |first18=J. Davy |last19=Gizis |first19=John E. |last20=Howard |first20=Elizabeth V. |last21=Evans |first21=Tracey E. |last22=Fowler |first22=John W. |last23=Fullmer |first23=Linda |last24=Hurt |first24=Robert L. |last25=Light |first25=Robert M. |last26=Kopan |first26=Eugene L. |last27=Marsh |first27=Kenneth A. |last28=McCallon |first28=Howard L. |last29=Tam |first29=Robert |last30=Van Dyk |first30=Schuyler D. |last31=Wheelock |first31=Sherry L. |title=The Two Micron All Sky Survey (2MASS) |journal=The Astronomical Journal |date=1 February 2006 |volume=131 |issue=2 |pages=1163–1183 |bibcode=2006AJ....131.1163S |s2cid=18913331 |issn=0004-6256 |doi-access=free }}</ref>
| 赤緯 = {{DEC|+19|35|48.51}}<ref name=2MASS/>
| 赤方偏移 = 0.015184<ref name=ned>{{cite web|url=http://nedwww.ipac.caltech.edu/cgi-bin/nph-objsearch?objname=NGC+251&extend=no&out_csys=Equatorial&out_equinox=J2000.0&obj_sort=RA+or+Longitude&of=pre_text&zv_breaker=30000.0&list_limit=5&img_stamp=YES|title=NED results for object NGC 0251|publisher=National Aeronautics and Space Administration / Infrared Processing and Analysis Center|accessdate=5 May 2017}}</ref>
| 視線速度 = 4552 km/s<ref name=ned/>
| 距離 = {{cvt|62.657|+/-|3.876|Mpc|Mly|lk=on|order=flip}}<ref name=ned/>
}}
{{天体 物理
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}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = UGC 490, MGC+03-03-003, PGC 2806<ref name=SIMBAD/>
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 251'''は、[[うお座]]の方角にある[[渦巻銀河]]である。1784年10月15日に[[イギリス]]の[[天文学者]][[ウィリアム・ハーシェル]]が発見した。
この銀河の中で、[[SN 2023rky]]という[[超新星]]([[II型超新星]]、18.8等級)が1つ観測されている<ref>[https://www.wis-tns.org/object/2023rky Transient Name Server entry for SN 2023rky.] Retrieved 7 September 2023.</ref>。
==備考==
{{reflist|group=note}}
==出典==
{{reflist}}
==外部リンク==
* {{commons category-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 251}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:うお座]]
[[Category:NGC天体|0251]]
[[Category:1784年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:38:37Z | 2023-11-28T13:38:37Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_251 |
4,859,758 | NGC 477 | NGC 477は、アンドロメダ座の方角にある渦巻銀河である }。地球から約2.5億光年離れている。1786年10月18日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルが発見した。
この銀河の中で、SN 2002jyという超新星(Ia型超新星、16.3等級)が1つ観測されている。 | [
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] | NGC 477は、アンドロメダ座の方角にある渦巻銀河である
}。地球から約2.5億光年離れている。1786年10月18日にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルが発見した。 この銀河の中で、SN 2002jyという超新星(Ia型超新星、16.3等級)が1つ観測されている。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = NGC477 - SDSS DR14.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = [[スローン・デジタル・スカイサーベイ]]による画像
| 星座 = [[うお座]]
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| 分類 = SAB(s)c
}}
{{天体 位置
| 色 = galaxy
| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|01|21|20.39}}
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}}
{{天体 物理
| 色 = galaxy
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}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = UGC 490, MGC+03-03-003, PGC 2806
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 477'''は、[[アンドロメダ座]]の方角にある[[渦巻銀河]]である<ref>{{Cite web|url=http://spider.seds.org/ngc/revngcic.cgi?NGC477|title=Revised NGC Data for NGC 477|website=spider.seds.org|accessdate=2017-10-05}}</ref>
}。地球から約2.5億光年離れている。1786年10月18日に[[イギリス]]の[[天文学者]][[ウィリアム・ハーシェル]]が発見した<ref>{{Cite web|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc4a.htm#477|title=New General Catalog Objects: NGC 450 - 499|website=cseligman.com|language=en-US|accessdate=2017-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://ned.ipac.caltech.edu/cgi-bin/nph-objsearch?objname=NGC+477|title=Your NED Search Results|website=ned.ipac.caltech.edu|accessdate=2017-10-05}}</ref>。
この銀河の中で、[[SN 2002jy]]という[[超新星]]([[Ia型超新星]]、16.3等級)が1つ観測されている<ref>[https://www.wis-tns.org/object/2002jy Transient Name Server entry for SN 2002jy.] Retrieved 2 April 2023.</ref>。
==出典==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* {{commonscat-inline}}
* [http://spider.seds.org/ngc/revngcic.cgi?NGC477 SEDS]
{{デフォルトソート:NGC 477}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:うお座]]
[[Category:NGC天体|0477]]
[[Category:1786年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:39:42Z | 2023-12-06T15:05:56Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_477 |
4,859,759 | NGC 518 | NGC 518は、うお座の方角にある渦巻銀河である。1864年12月17日にドイツの天文学者アルベルト・マルトが発見した。 | [
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"text": "NGC 518は、うお座の方角にある渦巻銀河である。1864年12月17日にドイツの天文学者アルベルト・マルトが発見した。",
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}
] | NGC 518は、うお座の方角にある渦巻銀河である。1864年12月17日にドイツの天文学者アルベルト・マルトが発見した。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = NGC518 - SDSS DR14.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = [[スローン・デジタル・スカイサーベイ]]による画像
| 星座 = [[うお座]]<ref name="seds">{{Cite web|url=http://spider.seds.org/ngc/revngcic.cgi?NGC503|title=Revised NGC Data for NGC 503|website=spider.seds.org|accessdate=2017-12-10}}</ref>
| 視等級 = 13.4<ref name="seds"/>
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}}
{{天体 位置
| 色 = galaxy
| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|01|24|17.7}}<ref name="seds"/>
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| 視線速度 = 2702 ± 11<ref name=simbad/>
| 距離 = 122百万光年<ref name=distance>An object's distance from Earth can be determined using Hubble's law: ''v=H<sub>o</sub>'' is Hubble's constant (70±5 (km/s)/Mpc). The relative uncertainty Δ''d''/''d'' divided by the distance is equal to the sum of the relative uncertainties of the velocity and ''v=H<sub>o</sub>''</ref>
}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = PGC 5161, UGC 952, MCG 1-4-49, ZWG 411.47<ref name="simbad">{{cite web|title=NGC 518|url=http://simbad.u-strasbg.fr/sim-id.pl?Ident=NGC%20518|publisher=SIMBAD|accessdate=10 August 2014}}</ref>
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 518'''は、[[うお座]]の方角にある[[渦巻銀河]]である<ref name="seds"/>。1864年12月17日に[[ドイツ]]の[[天文学者]][[アルベルト・マルト]]が発見した<ref name="cseligman">{{Cite web|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc5.htm#518|title=New General Catalog Objects: NGC 500 - 549|website=cseligman.com|language=en-US|accessdate=2017-12-10}}</ref>。
==出典==
{{Reflist}}
==外部リンク==
*{{commons category-inline}}
*[http://www.messier45.com/cgi-bin/dsdb/dsb.pl?ss=116277112754765&str=NGC518 Deep Sky Browser - NGC518]{{Dead link|date=February 2023 |bot=InternetArchiveBot |fix-attempted=yes }}
*[https://archive.today/20130412212415/http://aladin.u-strasbg.fr/alapre.pl?NGC518 Aladin previewer - image]
{{デフォルトソート:NGC 518}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:うお座]]
[[Category:NGC天体|0518]]
[[Category:1864年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:41:04Z | 2023-11-28T13:41:04Z | false | false | false | [
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"Template:天体 位置",
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"Template:天体 終了",
"Template:Reflist",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_518 |
4,859,760 | NGC 141 | NGC 141は、うお座の方角にあるレンズ状銀河である。1864年8月29日にアルベルト・マルトが発見した。地球から約5.25億光年離れており、直径は約10万光年である。 | [
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"text": "NGC 141は、うお座の方角にあるレンズ状銀河である。1864年8月29日にアルベルト・マルトが発見した。地球から約5.25億光年離れており、直径は約10万光年である。",
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] | NGC 141は、うお座の方角にあるレンズ状銀河である。1864年8月29日にアルベルト・マルトが発見した。地球から約5.25億光年離れており、直径は約10万光年である。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = NGC 0141 SDSS.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = NGC 141及びその周辺
| 星座 = [[うお座]]<ref name="scca" />
| 視等級 = 15.4<ref name="scca" /><ref name="nasaipaced" />
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| 分類 = SBab<ref name="scca">{{cite web
|last1=Seligman
|first1=Courtney|title=NGC Objects: NGC 100-149-NGC 141
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|accessdate=29 May 2016}}</ref>
}}
{{天体 位置
| 色 = galaxy
| 元期 = [[J2000.0]]
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| 視線速度 = 11760 km/s<ref name="nasaipaced">{{cite web
|title=NED results for the object NGC 0141
|url=http://ned.ipac.caltech.edu/cgi-bin/objsearch?objname=NGC+141&extend=no&hconst=73&omegam=0.27&omegav=0.73&corr_z=1&out_csys=Equatorial&out_equinox=J2000.0&obj_sort=RA+or+Longitude&of=pre_text&zv_breaker=30000.0&list_limit=5&img_stamp=YES
|website=NASA/IPAC Extragalactic Database
|accessdate=29 May 2016}}</ref>
| 距離 =
}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = PGC 1918<ref name="scca" /><ref name="nasaipaced" />
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 141'''は、[[うお座]]の方角にある[[レンズ状銀河]]である。1864年8月29日に[[アルベルト・マルト]]が発見した。地球から約5.25億光年離れており、直径は約10万光年である<ref name="scca" />。
==出典==
{{reflist}}
==外部リンク==
* {{commonscat-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 141}}
[[Category:レンズ状銀河]]
[[Category:うお座]]
[[Category:1864年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:41:47Z | 2023-11-28T13:41:47Z | false | false | false | [
"Template:天体 基本",
"Template:天体 位置",
"Template:天体 別名称",
"Template:天体 終了",
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"Template:Commonscat-inline"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_141 |
4,859,761 | 岩滑中町 | 岩滑中町(やなべなかまち)は、愛知県半田市の地名。
半田市北部に位置する。東は岩滑東町、南は出口町、北は知多郡阿久比町に接する。
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
国勢調査による人口および世帯数の推移。
| [
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"text": "市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。",
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] | 岩滑中町(やなべなかまち)は、愛知県半田市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|半田市|'''岩滑中町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 岩滑中町
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| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
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| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23205|title=愛知県半田市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-11-25}}</ref>
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| area_code = 0569<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|名古屋]]
| footnotes =
}}
'''岩滑中町'''(やなべなかまち)は、[[愛知県]][[半田市]]の地名。
== 地理 ==
半田市北部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。東は[[岩滑東町]]、南は[[出口町 (半田市)|出口町]]、北は[[知多郡]][[阿久比町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_shochu">{{Cite web|url=https://www.city.handa.lg.jp/gkkyoiku/kosodate/kyoiku/shochu/documents/20150401aiueo.pdf|format=PDF|title=半田市立小中学校 通学区域一覧(町名あいうえお順)|publisher=半田市|author=半田市教育委員会事務局教育部学校教育課 学校担当|date=2015-04-01|accessdate=2023-11-27}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||全域||[[半田市立岩滑小学校]]||[[半田市立半田中学校]]||[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|}
=== 河川 ===
* 矢勝川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|777世帯<br>2082人||<div style="width:77.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:208.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|811世帯<br>2196人||<div style="width:81.1px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:219.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
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|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|892世帯<br>2282人||<div style="width:89.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:228.2px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|908世帯<br>2231人||<div style="width:90.8px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:223.1px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|935世帯<br>2246人||<div style="width:93.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:224.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
== 交通 ==
* [[愛知県道265号碧南半田常滑線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 高田橋{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[愛知県道阿久比半田線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 施設 ==
* 県営半田岩滑団地{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑コミュニティセンター{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑区民館{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 半田市消防団{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑公民館{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* つくし学園{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 真宗大谷派光蓮寺{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 西山浄土宗常福院{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 八幡社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑遺跡{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 八幡社古墳{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 常福院貝塚{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[新美南吉]]生家{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[半田市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[知多郡]][[阿久比町]]
| Northeast<!--北東--> =
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| Centre<!--中央--> = 岩滑中町
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{{半田市の町名}}
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{{デフォルトソート:やなへなかまち}}
[[Category:半田市の町・字]] | 2023-11-28T13:42:05Z | 2023-11-28T13:56:46Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BB%91%E4%B8%AD%E7%94%BA |
4,859,762 | NGC 62 | NGC 62は、くじら座の方角にある棒渦巻銀河である。ニュージェネラルカタログに掲載されており、視等級は13.2である。
NGC 62は、フランスの天文学者エドゥアール・ステファンが1883年12月8日に発見した。 | [
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] | NGC 62は、くじら座の方角にある棒渦巻銀河である。ニュージェネラルカタログに掲載されており、視等級は13.2である。 | {{天体 基本
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| 分類 = (R)SB(r)a:<ref name=SIMBAD/>
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{{天体 別名称
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'''NGC 62'''は、[[くじら座]]の方角にある[[棒渦巻銀河]]である。[[ニュージェネラルカタログ]]に掲載されており、[[視等級]]は13.2である<ref name=cseligman/>。
==発見==
NGC 62は、[[フランス]]の[[天文学者]][[エドゥアール・ステファン]]が1883年12月8日に発見した<ref name=cseligman>{{cite web|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc0a.htm#62|title=New General Catalogue objects: NGC 50 - 99|author=Seligman, Courtney|website=cseligman.com|accessdate=2021-02-06}}</ref>。
==出典==
{{reflist}}
==外部リンク==
* {{commonscat-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 141}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:くじら座]]
[[Category:NGC天体|0141]]
[[Category:1883年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:42:28Z | 2023-11-28T13:42:28Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_62 |
4,859,763 | NGC 64 | NGC 64は、くじら座の方角にある棒渦巻銀河である。1886年にアメリカ合衆国の天文学者ルイス・スウィフトにより発見された。 | [
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] | NGC 64は、くじら座の方角にある棒渦巻銀河である。1886年にアメリカ合衆国の天文学者ルイス・スウィフトにより発見された。 | {{天体 基本
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| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = [[スローン・デジタル・スカイサーベイ]]による画像
| 星座 = [[くじら座]]
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| 赤緯 ={{DEC|-06|49|28.69}}<ref name=2MASS/>
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| 視線速度 = {{nowrap|7312 ± 9 km/s}}<ref name="NED" />
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}}
{{天体 別名称
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}}
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}}
[[ファイル:NGC 0064 2MASS.jpg|left|thumb|近赤外線画像]]
'''NGC 64'''は、[[くじら座]]の方角にある<ref name="NGC/IC">[http://www.ngcicproject.org/ngcicdb.asp The NGC/IC Project] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120520010558/http://www.ngcicproject.org/ngcicdb.asp |date=2012-05-20 }}, Accessed 21 Feb 2014</ref>[[棒渦巻銀河]]である。1886年に[[アメリカ合衆国]]の[[天文学者]][[ルイス・スウィフト]]により発見された。
==出典==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* {{commonscat-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 64}}
[[Category:棒渦巻銀河]]
[[Category:くじら座]]
[[Category:NGC天体|0064]]
[[Category:1886年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:44:52Z | 2023-11-28T13:44:52Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_64 |
4,859,764 | 岩滑西町 | 岩滑西町(やなべにしまち)は、愛知県半田市の地名。
半田市北西部に位置する。東は岩滑高山町、西は平和町、南は枝山町、北は欠ヶ下町・知多郡阿久比町に接する。
国勢調査による人口および世帯数の推移。
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] | 岩滑西町(やなべにしまち)は、愛知県半田市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|半田市|'''岩滑西町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 岩滑西町
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| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
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| image_caption = <!--- 画像の説明 --->
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| map_caption = 岩滑西町の位置
| pushpin_map = Japan Aichi
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| elevation_m = <!--- 標高 --->
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| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
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| timezone1 = [[日本標準時]]
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| postal_code_type = [[郵便番号]]
| postal_code = 475-0966<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232050&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県半田市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-11-25}}</ref>
| area_code = 0569<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|名古屋]]
| footnotes =
}}
'''岩滑西町'''(やなべにしまち)は、[[愛知県]][[半田市]]の地名。
== 地理 ==
半田市北西部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。東は[[岩滑高山町]]、西は[[平和町 (半田市)|平和町]]、南は[[枝山町]]、北は[[欠ヶ下町]]・[[知多郡]][[阿久比町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。
=== 学区 ===
=== 河川 ===
* 矢勝川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 東午ケ池{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 西午ケ池{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|184世帯<br>599人||<div style="width:18.4px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:59.9px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|185世帯<br>593人||<div style="width:18.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:59.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|177世帯<br>563人||<div style="width:17.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:56.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|175世帯<br>503人||<div style="width:17.5px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:50.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|182世帯<br>477人||<div style="width:18.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:47.7px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
== 交通 ==
* [[愛知県道265号碧南半田常滑線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 施設 ==
* 中部電力半田送電所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 中部電力半田変電所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 中部電力半田制御所{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 知多養鶏農協{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 名鉄半田やなめ住宅{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 五反田遺跡{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[半田市の地名]]
== 外部リンク ==
* {{commonscat-inline}}
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[欠ヶ下町]]・[[知多郡]][[阿久比町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[平和町 (半田市)|平和町]]
| Centre<!--中央--> = 岩滑西町
| East<!--東--> = [[岩滑高山町]]
| Southwest<!--南西--> =
| South<!--南--> = [[枝山町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{半田市の町名}}
{{Japan-block-stub}}
{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:やなへにしまち}}
[[Category:半田市の町・字]] | 2023-11-28T13:45:05Z | 2023-11-28T14:09:10Z | false | false | false | [
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"Template:Cite web",
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"Template:Infobox settlement"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BB%91%E8%A5%BF%E7%94%BA |
4,859,766 | NGC 303 | NGC 303は、くじら座の方角にあるレンズ状銀河である。1886年にアメリカ合衆国の天文学者フランシス・レブンワースが発見した。 | [
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] | NGC 303は、くじら座の方角にあるレンズ状銀河である。1886年にアメリカ合衆国の天文学者フランシス・レブンワースが発見した。 | {{天体 基本
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| 視等級 = 15.15<ref name="ned" />
| 視直径 = 0.6' × 0.4'<ref name="ned" />
| 分類 = S0<ref name="ned" />
}}
{{天体 位置
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| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|00|54|54.7}}<ref name="ned">{{cite web
| title=NASA/IPAC Extragalactic Database
| work=Results for NGC 0303
| url=http://ned.ipac.caltech.edu/cgi-bin/objsearch?objname=NGC+303&extend=no&hconst=73&omegam=0.27&omegav=0.73&corr_z=1&out_csys=Equatorial&out_equinox=J2000.0&obj_sort=RA+or+Longitude&of=pre_text&zv_breaker=30000.0&list_limit=5&img_stamp=YES
| accessdate=September 2, 2016}}</ref>
| 赤緯 = {{DEC|-16|39|17}}<ref name="ned" />
| 赤方偏移 = 0.032489<ref name="ned" />
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}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
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}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 303'''は、[[くじら座]]の方角にある[[レンズ状銀河]]である。1886年に[[アメリカ合衆国]]の[[天文学者]][[フランシス・レブンワース]]が発見した<ref>{{cite web|title=New General Catalog Objects: NGC 300 - 349|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc3.htm#303|publisher=Cseligman|accessdate=October 19, 2016}}</ref>。
==出典==
{{Reflist}}
{{Ngc5}}
{{デフォルトソート:NGC 303}}
[[Category:レンズ状銀河]]
[[Category:くじら座]]
[[Category:NGC天体|0303]]
[[Category:1886年に発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T13:47:28Z | 2023-11-28T15:17:33Z | false | false | false | [
"Template:天体 終了",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:天体 基本",
"Template:天体 位置",
"Template:天体 別名称"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_303 |
4,859,768 | スーパーネプチューン | スーパーネプチューン(Super-Neptune)は、海王星よりも質量の大きな惑星である。これらの惑星は、通常地球質量の5-7倍程度で、最大20-80倍である。これを超えると通常は木星型惑星と呼ばれる。この質量範囲の惑星はサブサターン(sub-Saturn)と呼ばれることもある。
この種の惑星の発見例は、比較的少ない。海王星程度から木星程度までの質量の惑星が少ないのは、地球質量の20倍以上に達した原始惑星で起こる「降着の暴走」のためであると考えられている。この閾値を超えると、質量に伴って重力が増大し、降着円盤内の物質量も増加するため)、木星と同等またはそれ以上の質量の惑星に成長してしまう。
スーパーネプチューンの既知の例としては、ケプラー101b、HAT-P-11b、K2-33b等がある。
モデル化及び発見された太陽系外惑星の分析による質量と半径の関係から、海王星程度の大きさから木星程度の大きさへの遷移境界について、太陽系内の惑星の観測から経験的に定義されていたよりもはるかに高い上限質量が与えられた。例えば、Chen & Kipping (2017)は、この遷移点の値を約130地球質量としている。この質量-半径関係の研究により、土星はこの上限内の遷移点に近い位置にあることが分かった。 | [
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}
] | スーパーネプチューン(Super-Neptune)は、海王星よりも質量の大きな惑星である。これらの惑星は、通常地球質量の5-7倍程度で、最大20-80倍である。これを超えると通常は木星型惑星と呼ばれる。この質量範囲の惑星はサブサターン(sub-Saturn)と呼ばれることもある。 この種の惑星の発見例は、比較的少ない。海王星程度から木星程度までの質量の惑星が少ないのは、地球質量の20倍以上に達した原始惑星で起こる「降着の暴走」のためであると考えられている。この閾値を超えると、質量に伴って重力が増大し、降着円盤内の物質量も増加するため)、木星と同等またはそれ以上の質量の惑星に成長してしまう。 スーパーネプチューンの既知の例としては、ケプラー101b、HAT-P-11b、K2-33b等がある。 | '''スーパーネプチューン'''(Super-Neptune)は、[[海王星]]よりも質量の大きな[[惑星]]である。これらの惑星は、通常[[地球質量]]の5-7倍程度で、最大20-80倍である<ref>{{Cite web|url=http://www.space.com/6338-super-neptune-planet.html|title=Super-Neptune Planet Found|website=Space.com|date=14 March 2009 |accessdate=2023-11-26}}</ref>。これを超えると通常は[[木星型惑星]]と呼ばれる。この質量範囲の惑星は'''サブサターン'''(sub-Saturn)と呼ばれることもある<ref name=spacecom>{{cite web |url=https://www.space.com/42958-sub-saturn-exoplanets-are-common-after-all.html |title='Sub-Saturns' May Force Scientists to Revise Idea of How Planets Form |website=Space.com |date=12 January 2019 |accessdate=20 October 2020}}</ref>。
この種の惑星の発見例は、比較的少ない。海王星程度から木星程度までの質量の惑星が少ないのは、地球質量の20倍以上に達した[[原始惑星]]で起こる「[[降着 (天文学)|降着]]の暴走」のためであると考えられている。この閾値を超えると、質量に伴って[[重力]]が増大し、[[降着円盤]]内の物質量も増加するため)、[[木星]]と同等または[[スーパージュピター|それ以上]]の質量の惑星に成長してしまう<ref name=spacecom/>。
スーパーネプチューンの既知の例としては、[[ケプラー101b]]、[[HAT-P-11b]]、[[K2-33b]]等がある<ref>{{Cite journal | doi = 10.1051/0004-6361/201424617| title = Characterization of the planetary system Kepler-101 with HARPS-N| journal = Astronomy & Astrophysics| volume = 572| pages = A2| year = 2014| last1 = Bonomo | first1 = A. S.| last2 = Sozzetti | first2 = A.| last3 = Lovis | first3 = C.| last4 = Malavolta | first4 = L.| last5 = Rice | first5 = K.| last6 = Buchhave | first6 = L. A.| last7 = Sasselov | first7 = D.| last8 = Cameron | first8 = A. C.| last9 = Latham | first9 = D. W.| last10 = Molinari | first10 = E.| last11 = Pepe | first11 = F.| last12 = Udry | first12 = S.| last13 = Affer | first13 = L.| last14 = Charbonneau | first14 = D.| last15 = Cosentino | first15 = R.| last16 = Dressing | first16 = C. D.| last17 = Dumusque | first17 = X.| last18 = Figueira | first18 = P.| last19 = Fiorenzano | first19 = A. F. M.| last20 = Gettel | first20 = S.| last21 = Harutyunyan | first21 = A.| last22 = Haywood | first22 = R. D.| last23 = Horne | first23 = K.| last24 = Lopez-Morales | first24 = M.| last25 = Mayor | first25 = M.| last26 = Micela | first26 = G.| last27 = Motalebi | first27 = F.| last28 = Nascimbeni | first28 = V.| last29 = Phillips | first29 = D. F.| last30 = Piotto | first30 = G.| display-authors = etal | bibcode=2014A&A...572A...2B|arxiv = 1409.4592 | s2cid = 204937746}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://phys.org/news/2016-06-young-super-neptune-clues-close-in-exoplanet.html|title=Young super-Neptune offers clues to the origin of close-in exoplanet|accessdate=2023-11-26}}</ref>。
==質量と半径の関係==
モデル化及び発見された[[太陽系外惑星]]の分析による質量と半径の関係から、海王星程度の大きさから木星程度の大きさへの遷移境界について、[[太陽系]]内の惑星の観測から経験的に定義されていたよりもはるかに高い上限質量が与えられた。例えば、Chen & Kipping (2017)は、この遷移点の値を約130地球質量としている<ref name="ChenKipping2017">{{cite journal|last=Chen|first=Jingjing|last2=Kipping|first2=David|title=PROBABILISTIC FORECASTING OF THE MASSES AND RADII OF OTHER WORLDS|journal=The Astrophysical Journal|publisher=American Astronomical Society|volume=834|issue=1|date=2017|bibcode=2017ApJ...834...17C|issn=1538-4357|doi=10.3847/1538-4357/834/1/17|doi-access=free}}</ref>。この質量-半径関係の研究により、[[土星]]はこの上限内の遷移点に近い位置にあることが分かった<ref name="Edmondson2023 ">{{cite arxiv|last=Edmondson|first=Kathryn|last2=Norris|first2=Jordan|last3=Kerins|first3=Eamonn|title=Breaking up with the continuous exoplanet mass-radius relation|eprint=2310.16733}}</ref>。
==関連項目==
*[[スーパーアース]]
==出典==
{{reflist}}
{{Exoplanet}}
{{デフォルトソート:すうはあねふちゆうん}}
[[Category:惑星の種類]]
[[Category:太陽系外惑星]] | 2023-11-28T13:50:29Z | 2023-11-28T13:50:29Z | false | false | false | [
"Template:Cite journal",
"Template:Cite arxiv",
"Template:Exoplanet",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3 |
4,859,769 | 岩滑東町 | 岩滑東町(やなべひがしまち)は、愛知県半田市の地名。
半田市北部に位置する。東は住吉町、西は岩滑中町、南は宮路町、北は知多郡阿久比町に接する。
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。
国勢調査による人口および世帯数の推移。
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] | 岩滑東町(やなべひがしまち)は、愛知県半田市の地名。 | {{Pathnav|日本|愛知県|半田市|'''岩滑東町'''|hide=1|frame=1}}
{{Infobox settlement
| name = 岩滑東町
| settlement_type = [[町丁]]
| image_skyline = <!--- 関連する画像ファイル --->
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| area_footnotes = <ref group=WEB name="area">{{Cite web|url=https://toukei-labo.com/2015/?tdfk=23&city=23205|title=愛知県半田市の町丁・字一覧|publisher=人口統計ラボ|language=日本語|accessdate=2023-11-25}}</ref>
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| elevation_m = <!--- 標高 --->
| population_as_of= 2020年(令和2年)10月1日現在
| population_footnotes = {{R|group=WEB|R2国勢調査}}
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| postal_code = 475-0905<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232050&cmp=1&mode=list&addr=|title=愛知県半田市の郵便番号一覧|publisher=日本郵便|accessdate=2023-11-25}}</ref>
| area_code = 0569<ref group=WEB name=areacode>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|format=PDF||title=市外局番の一覧|publisher=総務省|date=2022-03-01|accessdate=2022-03-22}}</ref>
| registration_plate = [[愛知運輸支局|名古屋]]
| footnotes =
}}
'''岩滑東町'''(やなべひがしまち)は、[[愛知県]][[半田市]]の地名。
== 地理 ==
半田市北部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。東は[[住吉町 (半田市)|住吉町]]、西は[[岩滑中町]]、南は[[宮路町 (半田市)|宮路町]]、北は[[知多郡]][[阿久比町]]に接する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}。
=== 学区 ===
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_shochu">{{Cite web|url=https://www.city.handa.lg.jp/gkkyoiku/kosodate/kyoiku/shochu/documents/20150401aiueo.pdf|format=PDF|title=半田市立小中学校 通学区域一覧(町名あいうえお順)|publisher=半田市|author=半田市教育委員会事務局教育部学校教育課 学校担当|date=2015-04-01|accessdate=2023-11-27}}</ref>。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる<ref group="WEB" name="school_koko">{{Cite web|url=https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/0000080445.html|title=平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について|publisher=愛知県教育委員会|date=2015-02-16|accessdate=2019-01-14}}</ref>。
{| class="wikitable"
!番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校
|-
||全域||[[半田市立岩滑小学校]]||[[半田市立半田中学校]]||[[愛知県の高校入試#尾張学区|尾張学区]]
|}
=== 河川 ===
* [[矢勝川]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 阿久比川{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 歴史 ==
=== 町名の由来 ===
=== 人口の変遷 ===
[[国勢調査]]による人口および世帯数の推移。
{| class="wikitable"
|-
|2000年(平成12年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025137780&fileKind=1|format=CSV|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-07-20|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|560世帯<br>1655人||<div style="width:56px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:165.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2005年(平成17年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000025514226&fileKind=1|format=CSV|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|593世帯<br>1674人||<div style="width:59.3px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:167.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2010年(平成22年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000012671534&fileKind=1|format=CSV|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|612世帯<br>1706人||<div style="width:61.2px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:170.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2015年(平成27年)<ref group=WEB>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031522121&fileKind=1|format=CSV|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|author=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2021-07-21|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|707世帯<br>1855人||<div style="width:70.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:185.5px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|2020年(令和2年)<ref group=WEB name=R2国勢調査>{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000032163424&fileKind=1|format=CSV|title=令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等|author=総務省統計局|date=2022-02-10|accessdate=2023-08-02|language=ja}}</ref>
|style="text-align:right"|767世帯<br>2004人||<div style="width:76.7px;height:10px;background:#66dd66"></div><br><div style="width:200.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}
=== 沿革 ===
== 交通 ==
* [[名鉄河和線]][[半田口駅]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[愛知県道265号碧南半田常滑線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* [[愛知県道名古屋半田線]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 施設 ==
* [[半田市立半田中学校]]{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 白竜神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 山ノ神神社{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑東水源地{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
* 岩滑東浄水場{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1825}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== WEB ===
{{Reflist|group="WEB"|refs=}}
=== 書籍 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|year=1989|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=ja|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[半田市の地名]]
{{Geographic Location
| Northwest<!--北西--> =
| North<!--北--> = [[知多郡]][[阿久比町]]
| Northeast<!--北東--> =
| West<!--西--> = [[岩滑中町]]
| Centre<!--中央--> = 岩滑東町
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| South<!--南--> = [[宮路町 (半田市)|宮路町]]
| Southeast<!--南東--> =
}}
{{半田市の町名}}
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{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{デフォルトソート:やなへひかしまち}}
[[Category:半田市の町・字]] | 2023-11-28T13:51:33Z | 2023-11-28T13:52:03Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BB%91%E6%9D%B1%E7%94%BA |
4,859,777 | 八木詠美 | 八木 詠美(やぎ えみ、1988年 - )は、日本の小説家。
1988年、長野県生まれ。東京都在住。早稲田大学文化構想学部卒業。出版社に勤めながら執筆活動を行う。
2020年、偽装妊娠する女性を描いた「空芯手帳」で第36回太宰治賞を受賞しデビューする。
同作は世界15カ国語で翻訳が進み、英訳版の“Diary of a Void”は『ザ・ニューヨーカー』の“The Best Books of 2022”の中の一冊として取り上げられた。 | [
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] | 八木 詠美は、日本の小説家。 | {{Infobox 作家
|name=八木 詠美<br />(やぎ えみ)
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'''八木 詠美'''(やぎ えみ、[[1988年]] - )は、[[日本]]の[[小説家]]。
== 経歴 ==
1988年、[[長野県]]生まれ。東京都在住。[[早稲田大学]]文化構想学部卒業。[[出版社]]に勤めながら執筆活動を行う<ref>{{Cite web |date=2023-6-30|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/raiten/20230626-OYT8T50012/|title=[著者来店]「休館日の彼女たち」八木詠美さん…女神像と会話 社会映す |publisher=読売新聞|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
2020年、偽装妊娠する女性を描いた「空芯手帳」で第36回[[太宰治賞]]を受賞しデビューする<ref>{{Cite web |date=2020-5-8|url=https://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/entry/1500/|title=第36回太宰治賞受賞作が決定いたしました!|publisher=筑摩書房|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
同作は世界15カ国語で翻訳が進み、英訳版の“''Diary of a Void''”が『[[ザ・ニューヨーカー]]』の“''The Best Books of 2022''”に取り上げられるなど高い評価を得る<ref>{{Cite web |date=2023-4-20|url=https://www.newyorker.com/best-books-2022|title=The Best Books of 2022|publisher=The New Yorker|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
== 作品リスト ==
=== 単行本 ===
*『空芯手帳』(2020年12月 [[筑摩書房]] / 2023年3月 [[ちくま文庫]])
**空芯手帳 - 『太宰治賞2020』2020年6月
*『休館日の彼女たち』(2023年3月 筑摩書房)
=== 単行本未収録作品 ===
*「私はロボットではありません」 - 『ちくま』2022年12月号
*「いちご泥棒(上・中・下)」 - 『ちくま』2023年9月号 - 2023年11月号
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{太宰治賞}}
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やき えみ}}
[[Category:21世紀日本の小説家]]
[[Category:日本の女性小説家]]
[[Category:太宰治賞受賞者]]
[[Category:早稲田大学出身の人物]]
[[Category:長野県出身の人物]]
[[Category:1988年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T14:45:03Z | 2023-11-29T13:52:34Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E8%A9%A0%E7%BE%8E |
4,859,781 | KOHTA YAMAMOTO | KOHTA YAMAMOTO(コータ・ヤマモト、1987年 - )は、東京都出身のミュージシャン、音楽プロデューサーである。
尚美ミュージックカレッジ専門学校卒業後2015年より作編曲家として活動を開始。アーティストへの楽曲提供・編曲のほか、ドラマ・アニメ・CMなどの映像作品用インスト曲も手がけている。 | [
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] | KOHTA YAMAMOTOは、東京都出身のミュージシャン、音楽プロデューサーである。 | {{複数の問題
|特筆性=2023年11月28日 (火) 23:57 (UTC)|分野=音楽
|存命人物の出典明記=2023年11月28日 (火) 23:57 (UTC)
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}}
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
|名前 = KOHTA YAMAMOTO
|画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
|画像説明 = <!-- 画像の説明文 -->
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|出生名 = 山本 康太
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'''KOHTA YAMAMOTO'''(コータ・ヤマモト、[[1987年]] - )は、[[東京都]]出身の[[音楽家|ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]である。
== 略歴 ==
2015年、尚美ミュージックカレッジ専門学校卒業後作編曲家として活動を開始。アーティストへの楽曲提供・編曲のほか、ドラマ・アニメ・CMなどの映像作品用インスト曲も手がけている<ref>{{Cite web|url=https://music.spaceshower.jp/artist/12757678/|title=KOHTA YAMAMOTO(コータ ヤマモト)|publisher=SPACE SHOWER MUSIC|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
2022年、個人名義として初となるリミックスアルバム『Rearrangement Reaction』を配信限定でリリース<ref>{{Cite web|url=https://www.musicman.co.jp/artist/485158|title=アニメ「進撃の巨人」の作曲家KOHTA YAMAMOTO、リミックスアルバム「Rearrangement Reaction」を配信|publisher=Musicman|date=2022-6-29|accessdate=2023-11-29}}</ref>。
== 主な作品 ==
=== テレビアニメ ===
;2017年
*[[青の祓魔師 (アニメ)|青の祓魔師 京都不浄王篇]]
*[[DIVE!!]]
;2018年
*[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪 戒めの復活]]
*[[あかねさす少女]]
;2019年
*[[Re:ステージ!|Re:ステージ!ドリームデイズ♪]]
*七つの大罪 神々の逆鱗
;2020年
*[[進撃の巨人 (アニメ)|進撃の巨人 The Final Season]]
;2021年
*七つの大罪 憤怒の審判
*[[86-エイティシックス-|86 -エイティシックス-]]
*[[キングダム (アニメ)|キングダム -合従軍編-]]
*[[Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀|Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀3]]
;2022年
*進撃の巨人 The Final Season Part 2
*キングダム 第4シリーズ
;2023年
*[[大雪海のカイナ]]
*進撃の巨人The Final Season 完結編(前編・後編)
*[[贄姫と獣の王]]
*[[ダークギャザリング]]
=== 楽曲提供 ===
* [[つるの剛士]]
**「君という名の翼」(編曲)
**「もう少し」(編曲)
* [[佐咲紗花]]
**「Reworld」(作曲・編曲)
**「プラネタリー」(作曲・編曲)
* [[MUCC]]
**「儚くとも」(編曲)
* [[渕上舞 (声優)|渕上舞]]
**「リベラシオン」(作曲)
*[[さくら学院]]
**「Carry on」(編曲)
*[[北川理恵]]
**「Grace Flowers(作曲・編曲)
*『進撃の巨人』シリーズ
**「Abstract Lust」(作曲・編曲)/ 歌:エレン・イェーガー([[梶裕貴]])
**「Helpless World」(作曲・編曲)/ 歌:エレン・イェーガー(梶裕貴)
**「No matter where you are」(編曲)/ 歌:ミカサ・アッカーマン([[石川由依]])
**「Far away」(作曲・編曲)/ 歌:アルミン・アルレルト([[井上麻里奈]])
**「Rusty Honesty」(作曲・編曲)/ 歌:ジャン・キルシュタイン([[谷山紀章]])
**「Alternative Drive」(作曲・編曲)/ 歌:ベルトルト・フーバー([[橋詰知久]])、ライナー・ブラウン([[細谷佳正]])
**「Dark Side Of The Moon」(編曲)/ 歌:リヴァイ([[神谷浩史]])
**「Hope Of Mankind」(編曲)/ 歌:エルヴィン・スミス([[小野大輔]])
*『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』シリーズ
**「創造は始まりの風を連れて」(作曲・編曲)/ 歌:七尾百合子([[伊藤美来]])、天空橋朋花([[小岩井ことり]])、箱崎星梨花([[麻倉もも]])、松田亜利沙([[村川梨衣]])、ロコ([[中村温姫]])
**「ZETTAI × BREAK!! トゥインクルリズム」(作曲・編曲)/ 歌:トゥインクルリズム(中谷育 ([[原嶋あかり]])、七尾百合子(伊藤美来)、松田亜利沙(村川梨衣))
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.kohtayamamoto.net/ KOHTA YAMAMOTO OFFICIAL WEBSITE] - 公式サイト
* [https://pcmp.ponycanyon.co.jp/composers/ 株式会社ポニーキャニオン音楽出版]
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[[Category:日本の男性作曲家]]
[[Category:日本の編曲家]]
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[[Category:東京都出身の人物]]
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[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T14:49:53Z | 2023-11-29T17:19:00Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/KOHTA_YAMAMOTO |
4,859,782 | 秋田県絵画美術院 | 秋田県絵画美術院とは、かつて秋田県秋田市南通 に事務所を置いていた、主に日本画を描く画家の団体。
数十人の秋田県の日本画家で構成された団体であり、秋田市南通みその町3-51秋田住宅ビル内に事務所を構えていた。
以下に、1976年時点の秋田県絵画美術院の所属者を示す。 | [
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] | 秋田県絵画美術院とは、かつて秋田県秋田市南通 に事務所を置いていた、主に日本画を描く画家の団体。 | {{特筆性|特筆性|date=2023年12月}}
{{Uncategorized|date=2023年12月}}
'''秋田県絵画美術院'''(あきたけんかいがびじゅついん)とは、かつて[[秋田県]][[秋田市]][[南通 (秋田市)|南通]] に事務所を置いていた、主に[[日本画]]を描く画家の団体。
== 概要 ==
{{出典の明記| date = 2023年12月| section = 1}}
数十人の秋田県の[[日本画家]]で構成された団体であり、秋田市南通[[みその町]]3-51秋田住宅ビル内に事務所を構えていた。
== 所属者 ==
以下に、1976年時点の秋田県絵画美術院の所属者を示す<ref>「1977年版 美術年鑑」 美術年鑑社、1977、179頁</ref>。
=== 理事長 ===
* 藤田清山
=== 副理事長 ===
* 小田嶋槐翠
* 川反清
* 土肥大幹
=== 理事 ===
* 越川魁光
* 渡辺如泉
=== 評議員 ===
* 阿部担堂
* 加藤光太郎
* 木村幹
* 北嶋泰山
* 佐々木元
* 桜田竹童
* 菅原麓風
* 館岡豊林
=== 院友 ===
* 安藤挙仙
* 遠藤善月
* 遠藤天峯
* 小貫秋良
* 佐藤一蔵
* 佐藤淇水
* 佐藤昇
* 佐藤了華
* 佐々木玲温
* 白沢恵美子
* 須藤哲平
* 藤田励治
* 松田仁酔
* 三浦泰山
* 村上柳子
* 山岡幸玉
== 出典 ==
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[[Category:かつて存在した日本の芸術文化団体]] | 2023-11-28T14:53:14Z | 2023-12-24T07:13:39Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:特筆性"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C%E7%B5%B5%E7%94%BB%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%99%A2 |
4,859,783 | お買いものパンダ | お買いものパンダ(おかいものパンダ)は、楽天グループ株式会社が運営するポイントプログラム・楽天ポイントの宣伝用マスコットキャラクターである。2013年(平成25年)以降、同社の様々なコンテンツに登場している。プロデューサーは同社顧客戦略部長の山岡まどか。デザイナーはイラストレーターの田島綾子。
腹部に楽天グループのロゴマーク「R」をもつ、擬人化されたパンダ型のキャラクター。『全身全力でいつも一生懸命』な性格。
2013年(平成25年)に同社ECサイトの楽天市場がソーシャルメディアのスタンプを制作することになり、そのキャラクターとして誕生した。リリース当初から愛らしい容姿と人々に共感を与える豊かな感情表現が人気で、使用者が500万人を超えるヒットキャラクターになった。
2016年(平成28年)には楽天ポイントの貯まりやすさをPRするテレビコマーシャルが制作され、アニメーション化されて動くお買いものパンダが登場すると、当時のCM好感度でトップ10にランクインした。CM歌を兼ねるお買いものパンダの声は、声優の大谷育江が担当した。
2018年(平成30年)に日経BPの『日経クロストレンド』が行った企業ゆるキャラの認知度および人気度ランキングで第1位となった。
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] | お買いものパンダ(おかいものパンダ)は、楽天グループ株式会社が運営するポイントプログラム・楽天ポイントの宣伝用マスコットキャラクターである。2013年(平成25年)以降、同社の様々なコンテンツに登場している。プロデューサーは同社顧客戦略部長の山岡まどか。デザイナーはイラストレーターの田島綾子。 | [[File:Nishitetsu-store-kurume.jpg|thumb|280px|[[福岡県]][[久留米市]]の[[西鉄ストア]]「久留米タミー店」入口に立つ[[楽天ポイント]]の[[幟]]に描かれた'''お買いものパンダ'''(写真右隅)。]]
'''お買いものパンダ'''(おかいものパンダ)は、[[楽天グループ|楽天グループ株式会社]]が運営する[[ポイントプログラム]]・[[楽天ポイント]]の宣伝用[[マスコットキャラクター]]である。2013年(平成25年)以降、同社の様々な[[コンテンツ]]に登場している。プロデューサーは同社顧客戦略部長の'''山岡まどか'''。デザイナーは[[イラストレーター]]の'''田島綾子'''<ref name=Rakuten>{{Cite web|url=https://corp.rakuten.co.jp/careers/division/customer_strategy/project/panda/#:~:text=%E3%81%8A%E8%B2%B7%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AF2013%E5%B9%B4%E3%80%82,%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82|title=お買いものパンダの誕生と成長の物語|website=楽天グループ顧客戦略部|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
==概要==
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2023年(令和5年)に誕生10周年を迎え、現在は楽天グループの制作する各種メディア上でデザインに取り入れられているほか、[[ぬいぐるみ]]や[[フィギュア]]などお買いものパンダ自身のグッズも販売されている<ref name=Rakuten/>。
==同シリーズのキャラクター==
シリーズには、お買いものパンダのほかにも以下のキャラクターが登場する<ref>{{Cite web|url=https://event.rakuten.co.jp/okaimonopanda/|title=お買いものパンダオフィシャルサイト|website=楽天市場|accessdate=2023-11-28}}</ref>。
*'''小パンダ'''(こパンダ):お買いものパンダより一回り小さいパンダ。お買いものパンダの親友。[[フランス]]([[パリ]])生まれの[[帰国子女]]で、8カ国語を話せる。御洒落をたしなみ常に緑色の[[ベレー帽]]を被っている。
*'''むぎ''':茶色い[[ネコ]]。野良猫だったがお買いものパンダに出会い家族となった。
*'''ぷちょまる''':[[人工知能]]を搭載したパンダ型[[ロボット]]。小パンダが開発した。お買いものパンダ家のお手伝い係。
==脚注==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://event.rakuten.co.jp/okaimonopanda/ お買いものパンダ オフィシャルサイト]
* {{Twitter|Rakuten_Panda}}
* {{Twitter|Rakuten_Pnews|お買いものパンダ最新ニュース}}
{{楽天グループ}}
{{デフォルトソート:おかいものはんた}}
[[Category:楽天|*]]
[[Category:日本のインターネット企業]]
[[Category:企業のマスコット]]
[[Category:動物をモチーフにしたマスコット]] | 2023-11-28T14:59:04Z | 2023-12-10T14:05:43Z | false | false | false | [
"Template:Twitter",
"Template:楽天グループ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%B2%B7%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80 |
4,859,785 | 大韓民国のファーストレディの一覧 | 大韓民国のファーストレディ(だいかんみんこくのファーストレディ、朝鮮語: 대한민국 대통령 영부인)は、大韓民国大統領の配偶者である妻を指す語。夫(配偶者)である大統領の補佐役でもあり、その多くは社会活動に携わっている。伝統的に、大統領が就任すると同時にその妻にこの地位が与えられている。なお、ファーストジェントルマンは朴槿恵が結婚していなかったため、誕生していない。
* — 事実上のファーストレディを務めたが、正式なファーストレディとして認められていない女性。
‡ — ファーストレディを務めたが、大統領と結婚していなかった女性。 | [
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"text": "‡ — ファーストレディを務めたが、大統領と結婚していなかった女性。",
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] | 大韓民国のファーストレディは、大韓民国大統領の配偶者である妻を指す語。夫(配偶者)である大統領の補佐役でもあり、その多くは社会活動に携わっている。伝統的に、大統領が就任すると同時にその妻にこの地位が与えられている。なお、ファーストジェントルマンは朴槿恵が結婚していなかったため、誕生していない。 | {{Infobox official post
| post = ファーストレディ
| body = {{KOR2}}
| native_name = 대한민국 대통령 영부인
| style =
| image = Kim_Keon-hee_-_2022_(52551312437)_(cropped).jpg
| imagesize =
| incumbent = [[金建希]]
| incumbentsince = [[2022年]][[5月10日]]
| inaugural = [[フランチェスカ・ドナー]]
| abbreviation = FLOTROK, FLOSK
| termlength = 5年<br/>(配偶者の任期に応じて)
| unofficial_names = 大統領夫人
| residence = [[:en:Presidential Residence of South Korea|大統領官邸]]<br/>(ソウル特別市龍山区漢南洞)
| formation = {{Start date and age|1948|7|20|df=yes|p=1|br=1}}
| website = {{in lang|en}} [http://eng.president.go.kr/ eng.president.go.kr]<br>{{in lang|ko}} [http://www.president.go.kr/ president.go.kr]
}}
'''[[大韓民国]]の[[ファーストレディ]]'''(だいかんみんこくのファーストレディ、{{lang-ko|대한민국 대통령 영부인}})は、[[大韓民国大統領]]の配偶者である[[妻]]を指す語。夫(配偶者)である大統領の補佐役でもあり、その多くは社会活動に携わっている。伝統的に、大統領が就任すると同時にその妻にこの地位が与えられている。なお、ファーストジェントルマンは朴槿恵が結婚していなかったため、誕生していない<ref>{{Cite news |date=2012-12-19 |title=Park Geun-hye: South Korea's first female president |language=en-GB |work=BBC News |url=https://www.bbc.com/news/world-asia-20787271 |access-date=2023-11-28}}</ref>。
== 歴代ファーストレディ ==
'''*''' — 事実上のファーストレディを務めたが、正式なファーストレディとして認められていない女性。
‡ — ファーストレディを務めたが、大統領と結婚していなかった女性。
{| class="wikitable sortable" style="text-align:Center;"
|-
!align="center"| 公式代数
!align="center" class="unsortable"| 画像
!align="center"| ファーストレディ
!align="center"| 大統領 <br /><small>(記載の無い限り夫)</small>
!align="center"| 生誕・死没年月日
!align="center" class="unsortable"| 任務期間
!align="center" class="unsortable"| 備考
|- style="text-align: left; background:#FFFFFF"
|-
|1
|[[File:Franziska Donner in c 1948.png|95px|]]
|'''[[フランチェスカ・ドナー]]'''<br/>(韓国名: '''李 富蘭'''(イ・ブラン、{{lang|ko|이부란}})
|[[李承晩]]
|1900年6月15日–<br/>1992年3月19日
|1948年7月20日–<br />1960年4月26日
|史上初のファーストレディ
|-
|2
|[[File:Kong Deok Kui 1928's.jpg|95px|]]
|'''{{ill2|孔徳貴|ko|공덕귀}}'''<br/>(コン・ドクギ、{{lang|ko|공덕귀}})
|[[尹潽善]]
| 1911年4月21日–<br/>1997年11月24日
| 1960年8月13日–<br/>1962年3月23日
|-
|3
|[[File:陆英修参加红十字缝纫志愿者活动.jpg|95px|]]
|'''[[陸英修]]'''<br/>(ユク・ヨンス、{{lang|ko|이부란}})
|[[朴正煕]]
|1925年11月29日–<br/>1974年8月15日
|1963年12月17日–<br/>1974年8月15日
|1974年の[[光復節]]式典で、[[在日韓国人]]に暗殺された。
|-
|*‡
|[[File:Park Geun-hye presidential portrait.png|95px|]]
|'''[[朴槿恵]]'''<br/>(パク・クネ、{{lang|ko|박근혜}})
|[[朴正煕]]<br/>(父親)
|1952年2月2日–
|1974年8月15日–<br/>1979年12月6日
|暗殺された母に代わって、ファーストレディ代行を務めた<ref>{{Cite web|url= https://www.bbc.com/news/world-asia-20787271|title= 朴槿恵:韓国初の女性大統領|website=bbc.com|accessdate=2023-11-28}}</ref>。<br/>後に同国初の女性大統領となる。
|-
|4
|[[File:홍기 여사.png|95px]]
|'''[[洪基]]'''<br/>(ホン・ギ、{{lang|ko|홍기}})
|[[崔圭夏]]
|1916年3月3日–<br/>2004年7月20日
|1979年12月6日–<br/>1980年8月15日
|
|-
|5
|[[File:Lee Soon-Ja 01.jpg|95px]]
|'''[[李順子]]'''<br/>(イ・スンジャ、{{lang|ko|이순자}})
|[[全斗煥]]
|1939年3月2日–
|1980年9月1日–<br/>1988年2月24日
|
|-
|6
|[[File:Kim Ok-suk.jpg|95px]]
|'''[[金玉淑]]'''<br/>(キム・オクスク、{{lang|ko|김옥숙}})
|[[盧泰愚]]
|1935年9月8日–
|1988年2月25日–<br/>1993年2月24日
|
|-
|7
|[[File:Son Myung-soon.jpg|95px]]
|'''[[孫命順]]'''<br/>(ソン・ミョンスン、{{lang|ko|손명순}})
|[[金泳三]]
|1929年1月26日–
|1993年2月25日–<br/>1998年2月24日
|
|-
|8
|[[File:Leehiho2010.jpg|95px]]
|'''[[李姫鎬]]'''<br/>(イ・ヒホ、{{lang|ko|이희호}})
|[[金大中]]
|1922年9月21日–<br/>2019年6月10日
|1998年2月25日–<br/>2003年2月24日
|中国[[天津大学]]名誉教授。
|-
|9
|[[File:Kwon Yang-sook.jpg|95px]]
|'''[[権良淑]]'''<br/>(クォン・ヤンスク、{{lang|ko|권양숙}})
|[[盧武鉉]]
|1947年12月23日–
|2003年2月25日–<br/>2008年2月24日
|
|-
|10
|[[File:Korean Cuisine to the World 2009 - 4342406373 (cropped).jpg|95px]]
|'''[[金潤玉]]'''<br/>(キム・ユノク、{{lang|ko|김윤옥}})
|[[李明博]]
|1947年3月26日–
|2008年2月25日–<br/>2013年2月24日
|
|-
| colspan="6"|空席(2013年2月24日–2017年3月10日)
| 女性初の大統領である[[朴槿恵]]は独身であったため。
|-
|11
|[[File:Kim Jung-sook crop.jpg|95px]]
|'''[[金正淑 (大統領夫人)|金正淑]]'''<br/>(キム・ジョンスク、{{lang|ko|김정숙}})
|[[文在寅]]
|1954年11月15日–
|2017年5月10日–<br/>2022年5月9日
|元歌手。
|-
|12
|[[File:Kim_Keon-hee_-_2022_(52551312437)_(cropped).jpg|95px]]
|'''[[金建希]]'''<br/>(キム・ゴンヒ、{{lang|ko|김건희}})
|[[尹錫悦]]
|1972年9月12日–
|2022年5月9日–<br/>(現職)
|
|}
== 現在の存命中のファーストレディ経験者 ==
<gallery class="center" widths="130" heights="170">
File:Son Myung-soon.jpg|{{center|[[孫命順]]<br/>(1993-1998)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1929|1|26}}}}
File:Kim Ok-suk.jpg|{{center|[[金玉淑]]<br/>(1988-1993)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1935|9|8}}}}
File:Lee Soon-Ja 01.jpg|{{center|[[李順子]]<br/>(1980-1988)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1939|3|24}}}}
File:Korean Cuisine to the World 2009 - 4342406373 (cropped).jpg|{{center|[[金潤玉]]<br/>(2008-2013)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1947|3|26}}}}
File:Kwon Yang-sook.jpg|{{center|[[権良淑]]<br/>(2003-2008)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1947|12|23}}}}
File:Kim Jung-sook crop.jpg|{{center|[[金正淑 (大統領夫人)|金正淑]]<br/>(2017-2022)<br/>{{Small|{{birth date and age|df=yes|1954|11|15}}}}
</gallery>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{大韓民国ファーストレディ}}
{{DEFAULTSORT:たいかんみんこくのふああすとれていのいちらん}}
[[Category:女性の一覧]]
[[Category:韓国関連一覧|ふああすとれてい]]
[[Category:韓国の大統領夫人|*]] | 2023-11-28T15:03:36Z | 2023-12-23T05:29:33Z | false | false | false | [
"Template:Cite news",
"Template:Cite web",
"Template:大韓民国ファーストレディ",
"Template:Infobox official post",
"Template:Lang-ko",
"Template:Lang",
"Template:Ill2",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
4,859,787 | 永谷泰次郎 | 永谷 泰次郎(ながたに やすじろう、1956年10月1日 - )は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。東京都出身。
1979年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に永谷園本舗に入社した。2000年に取締役に就任し、2010年に副社長を経て、2012年4月に社長に就任。2015年10月には自身は永谷園ホールディングス社長に就任し、永谷園(新会社)社長は飯塚弦二朗が就任。 | [
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] | 永谷 泰次郎は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。東京都出身。 | '''永谷 泰次郎'''(ながたに やすじろう、[[1956年]][[10月1日]] - )は、日本の[[経営者]]。[[永谷園]]社長を務めた。[[東京都]]出身<ref name="nikkei20120204" >[https://www.nikkei.com/article/DGXNZO38547660U2A200C1TJ1000/ 永谷園社長に永谷泰次郎氏]2012年 2月4日 日本経済新聞</ref>。
==経歴・人物==
[[1979年]]に[[慶應義塾大学]]商学部を卒業し、同年に[[永谷園本舗]]に入社した<ref name="nikkei20120204" />。[[2000年]]に取締役に就任し、[[2010年]]に副社長を経て、[[2012年]]4月に社長に就任<ref name="nikkei20120204" />。[[2015年]]10月には自身は[[永谷園ホールディングス]]社長に就任し、永谷園(新会社)社長は飯塚弦二朗が就任<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLMSJM20601_R00C15A9000000/ 人事、永谷園ホールディングス]2015年 9月1日 日本経済新聞</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLMSJM20701_R00C15A9000000/ 人事、永谷園(新会社)]2015年 9月1日 日本経済新聞</ref>。
== 脚注 ==
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{{デフォルトソート:なかたに やすしろう}}
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:永谷園|人]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1956年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T15:12:13Z | 2023-11-28T15:12:13Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E8%B0%B7%E6%B3%B0%E6%AC%A1%E9%83%8E |
4,859,816 | 復讐は囁きにのせて | 『復讐は囁きにのせて』(ふくしゅうはささやきにのせて)は、堂ノ本敬太監督の日本映画。2023年11月27日劇場公開。
「OP PICTURES+フェス2023」作品の1本として劇場公開。 OP PICTURES新人監督発掘プロジェクト2022優秀賞受賞作。監督の堂ノ本にとっては商業映画デビュー作となる。
堂ノ本が大学在学中、同人エロASMRの台本を書く仕事をした経験をもとに、企画立案した。スタッフは堂ノ本の母校・大阪芸術大学の卒業生で殆どが占められており、『メタモルフォーゼの縁側』の撮影・谷康生、『嵐電』の照明・浅川周、『37セカンズ』の美術・宇山隆之が製作スタッフとして参加した。
ナツカとアユトの夫婦は結婚3年目の倦怠期を迎えていた。ある日、アユトの取引先の社長夫妻が家に遊びにやって来る。ナツカは社長夫人に冷め切った夫婦生活のことを相談するのだが、その夜ナツカは不穏な喘ぎ声を聞き、アユトと社長夫人の浮気現場を目撃してしまう。
ショックを受けたナツカは復讐のため、社長を自らの色気で逆に寝取ることを決意するが、周辺を聞き込み調査すると、社長は生粋のASMRオタクで、声でしかイクことが出来ない男だったと判明する。ナツカは謎のASMRサークル「マグロの耳飾り」に参加し、音でイかせることを追求するディープな世界に入っていく。 | [
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] | 『復讐は囁きにのせて』(ふくしゅうはささやきにのせて)は、堂ノ本敬太監督の日本映画。2023年11月27日劇場公開。 | {{Infobox Film|
| 作品名 = 復讐は囁きにのせて
| 原題 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 監督 = [[堂ノ本敬太]]
| 製作総指揮 =
| 製作 =
| 脚本 = [[堂ノ本敬太]]
| 出演者 = [[白石かんな]]<br />[[上戸まり]]<br />三代朋也
| 音楽 =
| 主題歌 = 『飾り』三代朋也
| 撮影 =
| 編集 = 古川桂一
| 制作会社 =
| 配給 = [[オーピー映画]]
| 公開 = {{flagicon|JPN}} [[2023年]][[11月27日]]
| 上映時間 = 71分
| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 制作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 次作 =
}}
『'''復讐は囁きにのせて'''』(ふくしゅうはささやきにのせて)は、[[堂ノ本敬太]]監督の[[日本映画]]<ref>{{Cite web |title=復讐は囁きにのせて|url=https://eiga.com/movie/100482/ |website=映画.com |access-date=2023-10-14 |language=ja |first=|last=|date=2023年10月13日}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=R15ピンク映画の祭典〈OP PICTURES+フェス2023〉、全16作を上映 |url=https://www.kinejun.com/article/view/31638 |website=キネマ旬報WEB |access-date=2023-10-21 |language=ja |date=2023年10月19日}}</ref>。[[2023年]][[11月27日]]劇場公開<ref name=":Pia">{{Cite web |title=復讐は囁きにのせての作品情報・あらすじ・キャスト |url=https://lp.p.pia.jp/event/movie/308826/index.html |website=ぴあ映画 |access-date=2023-11-24 |language=ja |date=}}</ref>。
==概要==
「[[OP PICTURES+フェス|OP PICTURES+フェス2023]]」作品の1本として劇場公開<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |title=R15+ピンク映画の祭典「OPフェス」11月開催、全ラインナップ16本発表 |url=https://natalie.mu/eiga/news/544782 |website=映画ナタリー |access-date=2023-10-14 |language=ja |first=|last= |date=2023年10月13日}}</ref>。
OP PICTURES新人監督発掘プロジェクト2022優秀賞受賞作。監督の堂ノ本にとっては商業映画デビュー作となる。
堂ノ本が大学在学中、同人エロASMRの台本を書く仕事をした経験をもとに、企画立案した<ref name=":Doumoto">{{Cite web |title=新作映画『復讐は囁きにのせて』情報解禁! |url=https://note.com/isami_canary/n/na432ff917659|website=堂ノ本 敬太 |access-date=2023-11-28 |language=ja |first=|last= |date=2023年10月21日 }}</ref>。スタッフは堂ノ本の母校・[[大阪芸術大学]]の卒業生で殆どが占められており、『[[メタモルフォーゼの縁側]]』の撮影・谷康生、『[[嵐電 (映画)|嵐電]]』の照明・浅川周、『[[37セカンズ]]』の美術・[[宇山隆之]]が製作スタッフとして参加した。
== あらすじ ==
ナツカとアユトの夫婦は結婚3年目の倦怠期を迎えていた。ある日、アユトの取引先の社長夫妻が家に遊びにやって来る。ナツカは社長夫人に冷め切った夫婦生活のことを相談するのだが、その夜ナツカは不穏な喘ぎ声を聞き、アユトと社長夫人の浮気現場を目撃してしまう。
ショックを受けたナツカは復讐のため、社長を自らの色気で逆に寝取ることを決意するが、周辺を聞き込み調査すると、社長は生粋の[[ASMR]]オタクで、声でしかイクことが出来ない男だったと判明する。ナツカは謎のASMRサークル「マグロの耳飾り」に参加し、音でイかせることを追求するディープな世界に入っていく。
== 登場人物 ==
; ナツカ
: 演 - [[白石かんな]]
: 冷え切った夫婦関係に悩む妻。
; カナ
: 演 - [[上戸まり]]
: 上司のセクハラに悩む秘書。ナツカに協力する。
; ハルカ
: 演 - [[福田もも]]
:
;先輩声優
: 演 - [[燃ゆる芥]]
; 先輩声優
: 演 - [[生田みく]]
; マグロ
: 演 - [[三代朋也]]
: ASMRサークル「マグロの耳飾り」代表。
; カツオ
: 演 - [[中岡さんたろう]]
: 生粋のASMR好き社長。
; アユト
: 演 - [[長森要]]
: 冷え切った夫。
; トメ
: 演 - [[波佐本麻里]]
: 専属絵師。
== スタッフ ==
*監督・脚本:堂ノ本敬太
*撮影:谷康生
*照明:浅川周
*録音:樽見阿尼麻
*整音:樽見阿尼麻
*美術:[[宇山隆之]]
*衣装:岡本あかり
*ヘアメイク:下部かのん
*編集:古川桂一
*音響効果:谷口莉子
*助監督:山本時禎
*スチール:高畑琳
*監督助手:小林一晴
*制作:カナリヤスタジオ
*提供:オーピー映画
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://eiga.com/movie/100482/ 復讐は囁きにのせて] - [[映画.com]]
{{DEFAULTSORT:ふくしゆうはささやきにのせて}}
[[Category:2023年の映画]]
[[Category:ピンク映画]]
[[Category:R指定の映画]]
[[Category:復讐を題材とした映画]]
[[Category:オーピー映画の映画作品]] | 2023-11-28T16:07:44Z | 2023-12-08T18:31:54Z | false | false | false | [
"Template:Infobox Film",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E8%AE%90%E3%81%AF%E5%9B%81%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%A6 |
4,859,825 | Nomiigo | nomiigo(ノミーゴ)は、サントリーが、業務用の飲食店向けに開発したビールのサーバーである。
ビール業界は近年の生活の多様化とともにその顧客のビールに対する向き合い方も変わりつつあり、新型コロナウィルス以前と比べると、カフェやファーストフード店などでもその引用効果が高まってきているとともに、飲食店に行く機会をより貴重なものととらえ、高い品質を求める動きがあることが、サントリーの調べで分かってきた。しかし、樽生ビールは通常開封から3日以内での使用を奨励しているにもかかわらず、それを開栓してから使い切るまでの品質保持の問題から、日本国内の1/4の飲食店ではビールサーバーを導入できずにいたため、「飲食店の生ビール」を提供できないでいた。
そこで、サントリービールカンパニー・イノベーション部の開発チームが、常温保存(冷蔵も可)した缶ビールから「飲食店の生ビール」を可能にする新サーバーとして開発したものである。特徴としては、その常温(冷蔵)保存した缶ビールを使うことで、口当たりの良いクリーミーな泡と、実際に飲食店で提供される4°C程度のビールを提供できること、樽生ビールサーバーが設置していない店でも使用できるうえ、一缶づつ注ぎきるタイプなので、「開けたて」の生ビールが楽しめる、配管にビールが残らないため、洗浄時のビールロスの縮小化、メンテナンスの軽減化に努めることができる。
なお店舗での取り扱いは、当面「ザ・プレミアム・モルツ」のみとし、かつ380mlの専用グラスジョッキワンサイズのみとし、主にファーストフードやファミリーレストラン、ラーメン店などの軽食系の店舗での使用を想定しており、1日10杯程度注文すると仮定して、5klのガスボンベで約半年程度は使用可能。抽出時間は樽生が約25秒であるのに対し、nomiigoはその倍の50秒程度かかる。当面2023年度は首都圏で約100台程度テスト導入し、今後も改良をしたうえで、5年以内で1万台程度の導入を目指すとしている。 | [
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'''nomiigo'''(ノミーゴ)は、[[サントリー]]が、業務用の飲食店向けに開発した[[ビール]]の[[サーバー]]である。
ビール業界は近年の生活の多様化とともにその顧客のビールに対する向き合い方も変わりつつあり、[[新型コロナウィルス]]以前と比べると、カフェやファーストフード店などでもその引用効果が高まってきているとともに、飲食店に行く機会をより貴重なものととらえ、高い品質を求める動きがあることが、サントリーの調べで分かってきた。しかし、樽生ビールは通常開封から3日以内での使用を奨励しているにもかかわらず、それを開栓してから使い切るまでの品質保持の問題から、日本国内の1/4の飲食店ではビールサーバーを導入できずにいたため、「飲食店の生ビール」を提供できないでいた。
そこで、サントリービール[[社内カンパニー制度|カンパニー]]・イノベーション部の開発チームが、常温保存(冷蔵も可)した缶ビールから「飲食店の生ビール」を可能にする新サーバーとして開発したものである。特徴としては、その常温(冷蔵)保存した缶ビールを使うことで、口当たりの良いクリーミーな泡と、実際に飲食店で提供される4℃程度のビールを提供できること、樽生ビールサーバーが設置していない店でも使用できるうえ、一缶づつ注ぎきるタイプなので、「開けたて」の生ビールが楽しめる、配管にビールが残らないため、洗浄時のビールロスの縮小化、メンテナンスの軽減化に努めることができる。
なお店舗での取り扱いは、当面「[[ザ・プレミアム・モルツ]]」のみとし、かつ380mlの専用グラスジョッキワンサイズのみとし、主に[[ファーストフード]]や[[ファミリーレストラン]]、[[ラーメン店]]などの軽食系の店舗での使用を想定しており、1日10杯程度注文すると仮定して、5㎘のガスボンベで約半年程度は使用可能。抽出時間は樽生が約25秒であるのに対し、nomiigoはその倍の50秒程度かかる。当面2023年度は[[首都圏]]で約100台程度テスト導入し、今後も改良をしたうえで、5年以内で1万台程度の導入を目指すとしている。
==出典==
*[https://www.suntory.co.jp/news/article/14473.html 常温の缶から“飲食店の生ビール”が提供できる業務用新ビールサーバー「nomiigo(ノミーゴ)」10月5日(木)からテスト展開開始 ― 樽生ビールサーバー導入が困難であった飲食店で、一杯一杯“あけたて”のうまさを提供 ―]
*[https://www.ssnp.co.jp/liquor/522913/ 常温缶から「生ビール」提供、サントリーの新業務用サーバー「ノミーゴ」テスト展開、樽導入が難しい規模でも「生ビール」販売が可能に](食品産業新聞社)
== 外部リンク ==
* [https://nomiigo.jp/ nomiigo]
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4,859,828 | アヴィヴ・コハヴィ | アヴィヴ・コハヴィ(ヘブライ語: אביב כוכבי、1964年4月23日 - )は、イスラエルの軍人。第22代イスラエル国防軍参謀総長(2019年1月15日 - 2023年1月16日)。
1982年にイスラエル国防軍へ徴兵後、空挺旅団に志願して第890空挺大隊に配属、1985年に士官候補生学校卒業後、小隊長として復帰し、1988年には旅団の対戦車中隊長となった。
1994年から1995年にかけての南レバノンでの対ゲリラ作戦(英語版)では第101空挺大隊を指揮したほか、南レバノンの予備役旅団と予備役空挺部隊の指揮も執っている。
2001年に第35空挺旅団長に任命され、2002年2月にはヨルダン川西岸地区のバラタ難民キャンプ(英語版)での対テロ作戦を実行した。また、盾の壁作戦(英語版)をはじめとしたヨルダン川西岸地区での対テロ作戦を指揮し、その中にはパレスチナ・ゲリラが立てこもった降誕教会包囲戦(英語版)もあり、包囲は約1か月にわたって続いた。
コハヴィはこの戦闘で、過度の住宅密集地で兵士が狙撃されるのを防ぐため、家屋の壁を5キログラムの大型ハンマーで破壊して通路を確保する戦術を取り入れた。この戦術は、アメリカ軍でも採用され、イラクとアフガニスタンで使用された。
2003年に准将(タット・アルーフ)に昇進して第98空挺師団長に就任、2004年11月30日にはガザ師団長(英語版)に就任し、2005年9月のガザ地区撤退、2006年6月のガザ侵攻(夏の雨作戦)を指揮した。
2010年11月22日には参謀本部諜報局長に就任、2014年11月に北部軍司令官、2017年5月11日に国防軍参謀次長となった。
2018年10月26日、アヴィグドール・リーベルマン国防相からベンヤミン・ネタニヤフ首相の同意を得て第22代国防軍参謀総長に推薦され、11月25日にイスラエル政府が承認した。2019年1月15日、中将(ラヴ・アルーフ)に昇進し、ガディ・エイゼンコット中将の後任として国防軍参謀総長に就任した。
参謀総長就任中の2019年11月、パレスチナのイスラム主義武装組織イスラーム聖戦のバハ・アブー・アル=アタ(英語版)司令官殺害を受けてテルアビブへのロケット弾攻撃が行われると、報復としてガザ地区への空爆を行う、黒帯作戦(英語版)を指揮したほか、2021年5月のガザ地区への空爆(壁の守護者作戦(英語版))も指揮した。5月下旬、ベニー・ガンツ国防相から参謀総長任期の1年間延長の承認を政府に求めたことが発表され、6月20日に任期延長が承認された。
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'''アヴィヴ・コハヴィ'''({{lang-he|אביב כוכבי}}、[[1964年]][[4月23日]] - )は、[[イスラエル]]の[[軍人]]。第22代[[参謀総長 (イスラエル国防軍)|イスラエル国防軍参謀総長]](2019年1月15日<ref name="IDF">{{cite web|url=https://www.idf.il/אתרים/המיוחדים/כך-נראה-היום-האחרון-של-הרמטכל-בצהל//|title=מהענקת הדרגות ועד למשמר הכבוד. צפו בחילופי הרמטכ"ל ה-22
|website=Israel Defense Forces|access-date=2023-11-27|language=he|archive-url=https://web.archive.org/web/20210905144307/https://www.idf.il/%D7%90%D7%AA%D7%A8%D7%99%D7%9D/%D7%94%D7%9E%D7%99%D7%95%D7%97%D7%93%D7%99%D7%9D/%D7%9B%D7%9A-%D7%A0%D7%A8%D7%90%D7%94-%D7%94%D7%99%D7%95%D7%9D-%D7%94%D7%90%D7%97%D7%A8%D7%95%D7%9F-%D7%A9%D7%9C-%D7%94%D7%A8%D7%9E%D7%98%D7%9B%D7%9C-%D7%91%D7%A6%D7%94%D7%9C//|archive-date=2023-11-27}}</ref> - 2023年1月16日<ref name="Times of Israel">{{cite web|url=https://www.timesofisrael.com/herzi-halevi-becomes-idfs-23rd-chief-of-staff-in-handover-ceremony/|title=Herzi Halevi formally takes over as chief of staff, vows to keep politics out of IDF|publisher=The Times of Israel|date=2023-01-16|access-date=2023-11-27|language=en}}</ref>)。
== 経歴 ==
1982年に[[イスラエル国防軍]]へ徴兵後、[[第35空挺旅団 (イスラエル国防軍)|空挺旅団]]に志願して第890空挺大隊に配属<ref>{{cite web|url=http://www.fresh.co.il/vBulletin/showthread.php?t=551945|title= "הגדוד של המדינה" 60 שנה להיווסדו של גדוד הצנחנים 890|website=fresh.co.il|access-date=2023-11-27|language=he|archive-url=https://web.archive.org/web/20160307233836/http://www.fresh.co.il/vBulletin/showthread.php?t=551945|archive-date=2023-11-27}}</ref>、1985年に[[幹部候補生学校|士官候補生学校]]卒業後、小隊長として復帰し、1988年には旅団の対戦車中隊長となった<ref>{{cite web|url=https://www.jpost.com/Opinion/IDF-promotes-officers-who-think-outside-the-box-but-still-follow-the-line-560286|title=IDF promotes officers who think outside the box, but still follow the line|publisher=Jerusalem Post|date=2018-06-18|access-date=2023-11-27|language=en}}</ref><ref name="Davar">{{cite web|url=https://www.davar1.co.il/155343/|title=האביב הגיע מוקדם השנה|publisher=Davar|date=2018-10-26|access-date=2023-11-27|language=he}}</ref>。
1994年から1995年にかけての{{仮リンク|南レバノン紛争 (1985年-2000年)|label=南レバノンでの対ゲリラ作戦|en|South Lebanon conflict (1985–2000)}}では第101空挺大隊を指揮したほか、南レバノンの予備役旅団と予備役空挺部隊の指揮も執っている<ref name="Davar" />。
2001年に第35空挺旅団長に任命され、2002年2月には[[ヨルダン川西岸地区]]の{{仮リンク|バラタ難民キャンプ|en|Balata Camp}}での対テロ作戦を実行した<ref>{{Cite web|last=Wilkinson|first=Tracy|date=2002-03-01|title=Israeli Forces Storm Into 2 Palestinian Refugee Camps|url=https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2002-mar-01-mn-30457-story.html|access-date=2021-05-31|website=Los Angeles Times|language=en-US}}</ref>。また、{{仮リンク|盾の壁作戦|en|Operation Defensive Shield}}をはじめとしたヨルダン川西岸地区での対テロ作戦を指揮し、その中にはパレスチナ・ゲリラが立てこもった{{仮リンク|降誕教会包囲戦|en|Siege of the Church of the Nativity}}もあり、包囲は約1か月にわたって続いた<ref name=":3">{{Cite web|last=Buchbot|first=Amir|date=2010-09-24|title=כוכבי עולה: ראש אמ"ן הבא – לוחם ופילוסוף|url=https://www.makorrishon.co.il/nrg/online/1/ART2/159/709.html|url-status=live|access-date=2021-05-31|website=nrg|archive-url=https://web.archive.org/web/20181229075622/https://www.makorrishon.co.il/nrg/online/1/ART2/159/709.html|archive-date=2018-12-29|language=he}}</ref>。
コハヴィはこの戦闘で、過度の住宅密集地で兵士が狙撃されるのを防ぐため、家屋の壁を5[[キログラム]]の[[大型ハンマー]]で破壊して通路を確保する戦術を取り入れた。この戦術は、[[アメリカ軍]]でも採用され、イラクとアフガニスタンで使用された<ref>{{cite web|url=https://www.israelnationalnews.com/news/253822|title=Who is Major General Aviv Kochavi?|publisher=Israel National News|date=2018-10-26|access-date=2023-11-28|language=en}}</ref>。
2003年に[[准将]](タット・アルーフ)に昇進して[[第98空挺師団 (イスラエル国防軍)|第98空挺師団長]]に就任、2004年11月30日には{{仮リンク|第143師団 (イスラエル国防軍)|en|Gaza Division|label=ガザ師団長}}に就任し、2005年9月の[[ガザ地区等撤退|ガザ地区撤退]]、2006年6月の[[ガザ侵攻 (2006年)|ガザ侵攻]](夏の雨作戦)を指揮した<ref>{{Cite journal|date=March 2020|title=מלחמות לוקחות זמן שלישראל אין|url=http://maarachot.idf.il/PDF/FILES/9/114499.pdf|archive-url=https://web.archive.org/web/20200406165649/http://maarachot.idf.il/PDF/FILES/9/114499.pdf|url-status=dead|archive-date=2020-04-06|journal=Maarachot|volume=487|pages=19}}</ref>。
2010年11月22日には[[イスラエル参謀本部諜報局|参謀本部諜報局長]]に就任<ref>{{Cite web|date=2010-12-09|title=New Leadership for Israeli Intelligence: Performance Indicators and Directions|url=https://www.ecssr.ae/en/reports_analysis/new-leadership-for-israeli-intelligence-performance-indicators-and-directions/|access-date=2023-11-30|archive-url=https://web.archive.org/web/20210604215049/https://www.ecssr.ae/en/reports_analysis/new-leadership-for-israeli-intelligence-performance-indicators-and-directions/|archive-date=2021-06-04|website=Emirates Center for Strategic Studies and Research|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|last=Buchbot|first=Amir|date=2010-11-22|title=אמ"ן בידיו: כוכבי יקבל היום פיקוד על המודיעין|url=https://www.makorrishon.co.il/nrg/online/1/ART2/180/622.html|url-status=live|access-date=2021-06-04|website=nrg|archive-url=https://web.archive.org/web/20210604164406/https://www.makorrishon.co.il/nrg/online/1/ART2/180/622.html|archive-date=2021-06-04|language=he}}</ref>、2014年11月に[[北部軍 (イスラエル国防軍)|北部軍司令官]]<ref>{{cite web|url=http://news.walla.co.il/item/2740509|title=סבב מינויים במטכ"ל: הרצי הלוי לאמ"ן, כוכבי לפיקוד צפון|publisher=Walla News|date=2014-04-25|access-date=2023-11-28|archive-url=https://web.archive.org/web/20160309225128/http://news.walla.co.il/item/2740509|archive-date=2023-11-28|language=he}}</ref>、2017年5月11日に国防軍参謀次長となった<ref>{{cite web|url=https://news.walla.co.il/item/3064057|title="אהפוך את צה"ל ליעיל יותר": אלוף כוכבי נכנס לתפקיד סגן הרמטכ"ל|publisher=Walla News|date=2017-05-11|access-date=2023-11-28|archive-url=https://web.archive.org/web/20200606093226/https://news.walla.co.il/item/3064057|archive-date=2023-11-28|language=he}}</ref>。
2018年10月26日、[[アヴィグドール・リーベルマン]]国防相から[[ベンヤミン・ネタニヤフ]]首相の同意を得て第22代国防軍参謀総長に推薦され<ref>{{cite web|url=https://news.walla.co.il/item/3195948|title=ליברמן בחר: הרמטכ"ל הבא של צה"ל הוא אלוף אביב כוכבי|publisher=Walla News|date=2018-10-26|access-date=2023-11-28|archive-url=https://web.archive.org/web/20200606101907/https://news.walla.co.il/item/3195948|archive-date=2023-11-28|language=he}}</ref>、11月25日にイスラエル政府が承認した<ref>{{cite web|url=https://www.ynet.co.il/articles/0%2C7340%2CL-5413636%2C00.html|title=אושר מינוי כוכבי לרמטכ"ל, איזנקוט יכהן שבועיים נוספים|publisher=ynet|date=2018-11-25|access-date=2023-11-28|archive-url=https://web.archive.org/web/20210413070416/https://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-5413636,00.html|archive-date=2023-11-28|language=he}}</ref>。2019年1月15日、[[中将]](ラヴ・アルーフ)に昇進し、[[ガディ・エイゼンコット]]中将の後任として国防軍参謀総長に就任した<ref name="IDF" />。
参謀総長就任中の2019年11月、[[パレスチナ]]の[[イスラム主義]]武装組織[[イスラーム聖戦 (パレスチナ)|イスラーム聖戦]]の{{仮リンク|バハ・アブー・アル=アタ|en|Baha Abu al-Ata}}司令官殺害を受けて[[テルアビブ]]へのロケット弾攻撃が行われると、報復としてガザ地区への空爆を行う、{{仮リンク|2019年11月ガザ・イスラエル衝突|label=黒帯作戦|en|November 2019 Gaza–Israel clashes}}を指揮したほか、2021年5月のガザ地区への空爆({{仮リンク|2021年イスラエル・パレスチナ危機|label=壁の守護者作戦|en|2021 Israel–Palestine crisis}})も指揮した<ref>{{cite web|url=https://www.jpost.com/breaking-news/netanyahu-not-everything-is-known-to-public-and-hamas-668761|title=Netanyahu, defense chiefs call operation ‘game-changing’ defeat of Hamas|publisher=Jerusalem Post|date=2021-05-21|access-date=2023-11-28|language=en}}</ref>。5月下旬、[[ベニー・ガンツ]]国防相から参謀総長任期の1年間延長の承認を政府に求めたことが発表され<ref>{{cite web|url=https://www.ynetnews.com/article/rk0agE6tO|title=Gantz to extend Kochavi's tenure as IDF chief by an additional year|publisher=ynet|date=2021-05-27|access-date=2023-11-28|language=en}}</ref>、6月20日に任期延長が承認された<ref>{{cite web|url=https://www.gov.il/en/departments/news/spoke_joint200621|title=Government Approves Extension of IDF Chief-of-Staff Kochavi's Term for a Fourth Year|publisher=Israel government|date=2021-06-20|access-date=2023-11-28}}</ref>。
2023年1月16日、後任の[[ヘルジ・ハレヴィ]]中将と交代し、参謀総長を退任した<ref name="Times of Israel" />。
== 栄典 ==
{| style="margin:1em auto;"
|[[image:Lebanon2ribon.svg|105px]]
|[[image:Security Zone in Lebanon Campaign Ribbon. X (cropped).jpg|105px]]
|[[image:Protective Edge Operation ribbon.svg|105px]]
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center;margin:1em auto;"
|[[レバノン侵攻 (2006年)|第二次レバノン戦争]]従軍リボン
|{{仮リンク|南レバノン紛争 (1985年-2000年)|label=南レバノン紛争|en|South Lebanon conflict (1985–2000)}}従軍リボン
|[[ガザ侵攻 (2014年)|境界防衛作戦]]従軍リボン
|}
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
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{{commonscat|Aviv Kochavi}}
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{{Succession box
| title = [[File:Badge of the Israeli Defense Forces 2022 version.svg|20px]] [[参謀総長 (イスラエル国防軍)|イスラエル国防軍参謀総長]]
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}}
{{end}}
{{Normdaten}}
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[[Category:イスラエルの軍人]]
[[Category:イスラエル国防軍参謀総長]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-28T17:15:20Z | 2023-12-29T21:12:15Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%8F%E3%83%B4%E3%82%A3 |
4,859,835 | 盤龍鏡 | 盤龍鏡(ばんりゅうきょう)は、古墳時代の鏡の一種。銅鏡の鏡式のひとつである。
盤龍鏡は、中央の鈕の下から龍と虎の胴体が表れるように半肉彫りで表現された、いわゆる盤龍紋を主要な紋様とする古代の鏡である。この意匠の特徴から「龍虎鏡」とも呼ばれている。また、龍が一頭だけのものや、三頭のものもあり、龍の数に因んで一頭式、二頭式、三頭式と表現される。龍の模様のほかに周囲には銘文がめぐっており、陳是がこの鏡を製作した。陳是という名前で記されているが、師匠への敬意や価値をつけてもらうための模倣品としての記述であるものもある。この鏡を保有する者は高位に就き、富に恵まれるといった内容が記されている。他の例では、「龍は魂を天界に運び、龍は悪鬼を食らう」という意味を持つともいわれている。海獣葡萄鏡や伯牙弾琴鏡などと並び、唐時代の鏡の典型の一種である。
盤龍鏡は日本で作られたか、中国で作られたのか定かではない。日本で作られた側の意見は、下記のことが挙げられる。
中国で作られた側の意見は下記のことが挙げられる。
日本では、主に古墳時代前半の古墳、とくに前方後円墳で出土している。主な出土地に以下の古墳がある。
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] | 盤龍鏡(ばんりゅうきょう)は、古墳時代の鏡の一種。銅鏡の鏡式のひとつである。 | [[ファイル:雪野山古墳出土 三角縁波文帯盤龍鏡 (3号鏡).JPG|サムネイル|[[雪野山古墳]]から出土した盤龍鏡]]
'''盤龍鏡'''(ばんりゅうきょう)は、[[古墳時代]]の[[鏡]]の一種<ref>[https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/mai-bun_center/yogoshu_hagyo/banryukyo.html 盤龍鏡] 山梨県</ref>。[[銅鏡]]の鏡式のひとつである。
== 概要 ==
盤龍鏡は、中央の鈕の下から[[竜|龍]]と[[トラ|虎]]の胴体が表れるように半肉彫りで表現された、いわゆる盤龍紋を主要な[[紋様]]とする古代の鏡である<ref name=兵庫県立考古博物館加西分館/>。この意匠の特徴から「龍虎鏡」とも呼ばれている。また、龍が一頭だけのものや、三頭のものもあり、龍の数に因んで一頭式、二頭式、三頭式と表現される。龍の模様のほかに周囲には銘文がめぐっており、陳是がこの鏡を製作した。陳是という名前で記されているが、師匠への敬意や価値をつけてもらうための模倣品としての記述であるものもある<ref>{{Cite book|和書 |title=日本出土「魏紀年」四鏡の銘文と字体 |year=1991 |publisher=福宿孝夫 |pages=24}}</ref>。この鏡を保有する者は高位に就き、富に恵まれるといった内容が記されている。他の例では、「龍は魂を天界に運び、龍は悪鬼を食らう」という意味を持つともいわれている<ref name=兵庫県立考古博物館加西分館>{{Cite web |title=盤龍鏡 |url=https://www.hyogo-koukohaku.jp/kodaikyou/modules/mirror/index.php?action=PageView&page_id=139 |publisher=兵庫県立考古博物館加西分館 |website=www.hyogo-koukohaku.jp |access-date=2023-11-27}}</ref>。[[海獣葡萄鏡]]や[[伯牙弾琴鏡]]などと並び、[[唐]]時代の[[鏡]]の典型の一種である。
== 製作 ==
盤龍鏡は[[日本列島]]で作られたか、[[中国大陸]]で作られたのか定かではない。日本列島で作られた側の意見は、下記のことが挙げられる。
* 『[[魏志倭人伝]]』には[[景初]]3年(239年)に[[卑弥呼]]が遣使し[[銅鏡]]を100枚おくると記載されているが、日本では500枚ほど見つかっている<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=堂々日本史23 |year=1999 |publisher=KTC中央出版 |pages=41-42}}</ref>。
* 中国大陸や[[朝鮮半島]]からは、盤龍鏡や広義である[[三角縁神獣鏡]]に似たものは出土していない<ref name=":0" /><ref>{{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=83}}</ref>。
* [[京都府]][[福知山市]][[広峯15号墳]]で出土した景初四年盤龍鏡だが景初四年は存在しないことから日本列島で作られた証拠である<ref name=":0" />。
* [[京都府]][[福知山市]][[広峯15号墳]]で出土した景初四年盤龍鏡の銘文は、陳・公・寿・公は左右逆字、孫は偏と旁が逆になって記載されている<ref>{{Cite book|和書 |title=福井考古学会会誌 |year=1987 |publisher=福井考古学会 |pages=30-31}}</ref>。また銘文にある吏人と母人で男女それぞれの人生目標を述べたものは中国大陸ではない<ref>{{Cite book|和書 |title=戦後50年後 古代史発掘総まくり アサヒグラフ別冊 |year=1996 |publisher=朝日新聞社 |page=44}}</ref>。男に関する部分を記載しなかったのは[[京都府]][[福知山市]][[広峯15号墳]]の埋葬者が女性だからである<ref>{{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=196-197}}</ref>。
中国大陸で作られた側の意見は下記のことが挙げられる。
* 魏は卑弥呼へ景初三年に銅鏡100枚おくることを約束したが、急に100枚も作るのは到底無理な話であり、また中国大陸では1つの型で5枚までしか作らない。そのため時間がかかることを考慮し景初四年と記述した<ref name=":0" />。
* 広義である[[三角縁神獣鏡]]が日本列島で作られたとするには、日本列島で間違いなく製作された鏡との差異が大きすぎる。日本列島の鏡製作の伝統とは隔絶された日本列島以外の地で製作されたはずである<ref>{{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=88}}</ref>。
* 魏の皇帝の制詔には「汝の好物を賜うものなり」とあるから、鏡は特注品である<ref>{{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=177}}</ref>。そのため中国大陸では出土しない。また邪馬台国は魏晋時代に4、5回使いを派遣しておりその度に100枚の鏡を賜れば総計で4、500枚になる<ref>{{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=88-89}}</ref>。
== 出土地 ==
日本列島では、主に[[古墳時代]]前半の古墳、とくに前方後円墳で出土している。主な出土地に以下の古墳がある<ref name=文化遺産オンライン>{{Cite web |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/578946 |title=盤龍鏡 |publisher =文化遺産オンライン |accessdate=2023-12-01}}</ref>。
* [[長法寺南原古墳]]([[京都府]][[長岡京市]])
* [[広峯15号墳]]([[京都府]][[福知山市]])
* [[垣内古墳]]([[京都府]][[園部町]])
* [[西車塚墳]]([[京都府]][[八幡市]])
* [[椿井大塚山古墳]]([[京都府]][[木津川市]][[山城町 (京都府)|山城町]])
* [[久里双水古墳]]([[佐賀県]][[唐津市]])
* [[雪野山古墳]]([[滋賀県]][[近江八幡市]])
* [[諏訪台古墳群|諏訪台48号墳]]([[千葉県]][[市原市]])
また、[[中国]]では、華北地方から東北地方にかけて集中的に分布している<ref name=文化遺産オンライン/>。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* [https://www.hyogo-koukohaku.jp/kodaikyou/modules/mirror/index.php?action=PageView&page_id=139 盤龍鏡] 兵庫県立考古博物館 加西分館 古代鏡展示館
* {{Cite book|和書 |title=堂々日本史23 |year=1999 |publisher=KTC中央出版 |pages=}}
* {{Cite book|和書 |title=戦後50年後 古代史発掘総まくり アサヒグラフ別冊 |year=1996 |publisher=朝日新聞社 |page=}}
* {{Cite book|和書 |title=謎の鏡 卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡 |year=1989 |publisher=同朋舎出版 |pages=}}
* {{Cite book|和書 |title=日本出土「魏紀年」四鏡の銘文と字体 |year=1991 |publisher=福宿孝夫 |pages=}}
* {{Cite book|和書 |title=福井考古学会会誌 |year=1987 |publisher=福井考古学会 |pages=}}
* {{Cite book|和書 |title=鏡と古墳 |year=1987 |publisher=京都府立山城郷土資料館 |pages=}}
== 外部リンク ==
* [https://www.hyogo-koukohaku.jp/kodaikyou/modules/mirror/index.php?action=PageView&page_id=139 盤龍鏡] 兵庫県立考古博物館 加西分館 古代鏡展示館
* [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/578946 盤龍鏡] 文化遺産オンライン
* [https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=&content_base_id=100662&content_part_id=000&content_pict_id=000 盤竜鏡] 国立文化財機構
{{考古学}}
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[[Category:銅鏡]]
[[Category:古墳時代]]
[[Category:日本の考古資料]] | 2023-11-28T19:39:40Z | 2023-12-01T13:15:49Z | false | false | false | [
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"Template:Japanese-history-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A4%E9%BE%8D%E9%8F%A1 |
4,859,836 | 上原しん | 上原 しん(うえはら しん、1827年〈文政10年〉- 1855年〈安政2年〉3月2日)は、江戸時代後期(幕末)の儒学者である上原立斎の娘であり、同じく儒学者で小浜藩士の梅田雲浜夫人(先妻)。
近江高島郡出身。本姓は上原、名は信子ともいう。
文政10年生まれ。上原立斎の娘。18歳のときに梅田雲浜と結婚。夫の尊攘活動をささえる。赤貧のなかで2児をのこして安政2年3月2日病死した。29歳没。雲浜はその貧困のありさまを詩で「妻は病床に臥し,児は飢えに泣く」とよんだ。信(しん)は「樵りおきし軒のつま木も焚きはてゝ拾ふ木の葉のつもる間ぞなき」とよんだ(赤貧のなかでよんだ歌)。。 | [
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] | 上原 しんは、江戸時代後期(幕末)の儒学者である上原立斎の娘であり、同じく儒学者で小浜藩士の梅田雲浜夫人(先妻)。 近江高島郡出身。本姓は上原、名は信子ともいう。 | '''上原 しん'''(うえはら しん、[[1827年]]〈[[文政]]10年〉- [[1855年]][[4月18日]]〈[[安政]]2年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]〉)は、[[江戸時代]]後期([[幕末]])の[[日本]]の女性。[[儒学者]]・[[上原立斎]]の娘で、同じく儒学者で[[小浜藩]]士の[[梅田雲浜]]の最初の妻。
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== 来歴 ==
{{要出典範囲|18歳の時に|date=2023-12}}梅田雲浜と結婚<ref name="takashima">[https://www.lics-saas.nexs-service.jp/takashima/monoshiri/01/01_1_8.html ★上原立斎★] - [[高島市立図書館]](高島ものしり百科・先人たち)</ref><ref name="onjoji">[http://www.shiga-miidera.or.jp/about/walk/139.htm 歴史散歩 その(2)神出] - [[園城寺]](三井寺、「車路。歴史の重みと貴人を乗せた牛車が行く」の箇所を参照)</ref>。これは父の立斎が雲浜の人物を見込んで嫁がせたものであった<ref name="takashima"/>。
結婚後は夫の[[尊皇攘夷]]活動を支える<ref name="onjoji"/>。しかし、赤貧の中で2児を残して安政2年3月2日病死した。[[数え年]]29歳没<ref name="onjoji"/>。
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2023年12月|section=1}}
*佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年
{{People-stub}}
{{DEFAULTSORT:うえはら しん}}
[[Category:近江国の人物]]
[[Category:1827年生]]
[[Category:1855年没]]
[[Category:江戸時代の女性]] | 2023-11-28T20:25:15Z | 2023-12-01T23:14:51Z | false | false | false | [
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E3%81%97%E3%82%93 |
4,859,840 | NASA/IPAC Extragalactic Database | NASA/IPAC Extragalactic Database (NED) は、銀河・銀河団・活動銀河核などの天の川銀河の外にある天体に関する天文学的情報を照合し、相互に関連付けた天文学者向けオンライン天文データベースである。1980年代後半にパサデナの2人の天文学者、George Helou と Barry F. Madoreによって創設された。NASAの資金提供を受け、NASAとの契約の下、カリフォルニア工科大学構内にある Infrared Processing and Analysis Center (IPAC) によって運営されている。
NEDは、天の川銀河外の天体についてガンマ線から電波に至るまでの全周波数の電磁波の観測データを包括したデータベースであり、数百もの大規模な天体調査と数万の研究出版物から統合された情報の体系的かつ継続的な融合を提供している。
2023年11月時点で、NEDには11億件の天体、1500万件の赤方偏移、139億件の測光データ、6.09億件の測定された直径、15万件以上の天体の赤方偏移で算出された距離、23万件の天体に対する50万件の詳細な分類、250万件の画像、9.2万件の論文要約が収録されている。 | [
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] | NASA/IPAC Extragalactic Database (NED) は、銀河・銀河団・活動銀河核などの天の川銀河の外にある天体に関する天文学的情報を照合し、相互に関連付けた天文学者向けオンライン天文データベースである。1980年代後半にパサデナの2人の天文学者、George Helou と Barry F. Madoreによって創設された。NASAの資金提供を受け、NASAとの契約の下、カリフォルニア工科大学構内にある Infrared Processing and Analysis Center (IPAC) によって運営されている。 NEDは、天の川銀河外の天体についてガンマ線から電波に至るまでの全周波数の電磁波の観測データを包括したデータベースであり、数百もの大規模な天体調査と数万の研究出版物から統合された情報の体系的かつ継続的な融合を提供している。 2023年11月時点で、NEDには11億件の天体、1500万件の赤方偏移、139億件の測光データ、6.09億件の測定された直径、15万件以上の天体の赤方偏移で算出された距離、23万件の天体に対する50万件の詳細な分類、250万件の画像、9.2万件の論文要約が収録されている。 | '''NASA/IPAC Extragalactic Database''' (NED) は、[[銀河]]・[[銀河団]]・[[活動銀河核]]などの[[天の川銀河]]の外にある天体に関する天文学的情報を照合し、相互に関連付けた天文学者向けオンライン天文データベースである。1980年代後半にパサデナの2人の天文学者、George Helou と Barry F. Madoreによって創設された。NASAの資金提供を受け、NASAとの契約の下、[[カリフォルニア工科大学]]構内にある Infrared Processing and Analysis Center (IPAC) によって運営されている{{R|IPAC_about}}。
NEDは、天の川銀河外の天体について[[ガンマ線]]から[[電波]]に至るまでの全周波数の[[電磁波]]の観測データを包括したデータベースであり、数百もの大規模な天体調査と数万の研究出版物から統合された情報の体系的かつ継続的な融合を提供している{{R|NED_overview}}。
2023年11月時点で、NEDには11億件の天体、1500万件の赤方偏移、139億件の測光データ、6.09億件の測定された直径、15万件以上の天体の赤方偏移で算出された距離、23万件の天体に対する50万件の詳細な分類、250万件の画像、9.2万件の論文要約が収録されている{{R|NED_holdings}}。
== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="IPAC_about">{{Cite web
| title=About
| website=IPAC
| url=https://www.ipac.caltech.edu/page/about
| access-date=2023-11-29}}</ref>
<ref name="NED_overview">{{cite web
| title=About NED
| website=NASA/IPAC Extragalactic Database
| url=https://ned.ipac.caltech.edu/Documents/Overview
| access-date=2023-11-29}}</ref>
<ref name="NED_holdings">{{Cite web
| title=Database holdings for release 33.2.3
| website=NASA/IPAC Extragalactic Database
| url=https://ned.ipac.caltech.edu/CurrentHoldings
| access-date=2023-11-29}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[SIMBAD]] -銀河系内外の天体の情報を集めたデータベースで、[[フランス]]の[[ストラスブール天文データセンター]]が運用。
* [[:w:Planetary Data System]] (PDS) - 太陽系内の天体の情報を集めたデータベースで、NASAの[[ジェット推進研究所]]が運用。
* [[天体物理データシステム]] (ADS) - 天文学及び物理学分野の1250万以上の論文のオンラインデータベースで[[ハーバード・スミソニアン天体物理学センター]]が運用。
* [[Bibcode]] - 天文学に関わるデータシステムで使用されている参照文献を指定するための識別子。SIMBADやNASA/IPAC銀河系外データベースのために開発された。
== 外部リンク ==
* [https://ned.ipac.caltech.edu/ NED]
{{デフォルトソート:NASA/IPACきんかけいかいてえたへえす}}
[[Category:科学のデータベース]]
[[Category:天文学に関する記事]]
[[Category:長大な項目名]] | 2023-11-28T22:37:20Z | 2023-11-29T12:07:19Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NASA/IPAC_Extragalactic_Database |
4,859,842 | VR46レーシングチーム | VR46レーシングチーム ( VR46 Racing Team ) は、ロードレース世界選手権のMotoGPクラスに参戦するレーシングチーム。イタリアの元MotoGPライダー、バレンティーノ・ロッシにより設立された。現在はムーニー・VR46レーシングチームの名前で参戦中である。
2014年にバレンティーノ・ロッシがMoto3クラス出場のために設立したチームである。スカイ・VR46レーシングチームのチーム名で参戦し、ロマーノ・フェナティとフランチェスコ・バニャイアが加入した。 | [
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] | VR46レーシングチーム は、ロードレース世界選手権のMotoGPクラスに参戦するレーシングチーム。イタリアの元MotoGPライダー、バレンティーノ・ロッシにより設立された。現在はムーニー・VR46レーシングチームの名前で参戦中である。 | {{MotoGP team
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| Tyres='''MotoGP:'''<br/>[[ミシュラン]]'''
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| Website= [https://www.vr46.com Official website]
}}
'''VR46レーシングチーム''' ( '''VR46 Racing Team''' ) は、[[ロードレース世界選手権]]のMotoGPクラスに参戦するレーシングチーム。[[イタリア]]の元MotoGPライダー、[[バレンティーノ・ロッシ]]により設立された。現在は'''ムーニー・VR46レーシングチーム'''の名前で参戦中である。
== 歴史 ==
2014年に[[バレンティーノ・ロッシ]]がMoto3クラス出場のために設立したチームである。'''スカイ・VR46レーシングチーム'''のチーム名で参戦し、[[ロマーノ・フェナティ]]と[[フランチェスコ・バニャイア]]が加入した。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{commonscat|VR46 Racing Team}}
* [http://www.vr46racing.it/ vr46racing.it] - チーム公式サイト
{{MotoGP}}
{{DEFAULTSORT:VR46れえしんくちいむ}}
[[Category:イタリアのレーシングチーム]]
[[Category:ロードレース世界選手権のチーム]] | 2023-11-28T23:26:48Z | 2023-11-28T23:26:48Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/VR46%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0 |
4,859,846 | スーパージュピター | スーパージュピター(Super-Jupiter)は、木星型の太陽系外惑星で、木星質量よりも大きい質量を持つものである。例えば、アンドロメダ座カッパ星bのように、惑星-褐色矮星の境界上の伴星はスーパージュピターと呼ばれる。
2011年までに、180のスーパージュピターが知られており、熱いものも冷たいものもある。質量は木星より大きいが、80木星質量までは、木星とほぼ同じ大きさである。これは、この質量までは、質量の増加とともに表面重力や密度も増加することを意味する。増加した質量分の重力により惑星は圧縮され、大きくはならない。対照的に木星より若干軽く(密度が小さく)、木星よりも大きい、いわゆるスーパーパフと呼ばれるものもある。この例としては、木星の半分程度の質量で直径が約1.38倍であるHAT-P-1bがある。
約22木星質量のCoRoT-3bは、密度が平均26.4 g/cmと、標準状態下で最も密度の大きい天然元素であるオスミウム(22.6 g/cm)よりも高密度である。主に水素で構成されると考えられるため、物質が内側に極度に圧縮されると高密度になりうる。表面重力も大きく、地球の50倍以上である。
2012年、アンドロメダ座カッパ星bが撮影された。主星アンドロメダ座カッパ星の周囲を、海王星が太陽を公転する距離よりも約1.8倍離れた軌道を公転していた。 | [
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] | スーパージュピター(Super-Jupiter)は、木星型の太陽系外惑星で、木星質量よりも大きい質量を持つものである。例えば、アンドロメダ座カッパ星bのように、惑星-褐色矮星の境界上の伴星はスーパージュピターと呼ばれる。 2011年までに、180のスーパージュピターが知られており、熱いものも冷たいものもある。質量は木星より大きいが、80木星質量までは、木星とほぼ同じ大きさである。これは、この質量までは、質量の増加とともに表面重力や密度も増加することを意味する。増加した質量分の重力により惑星は圧縮され、大きくはならない。対照的に木星より若干軽く(密度が小さく)、木星よりも大きい、いわゆるスーパーパフと呼ばれるものもある。この例としては、木星の半分程度の質量で直径が約1.38倍であるHAT-P-1bがある。 約22木星質量のCoRoT-3bは、密度が平均26.4 g/cm3と、標準状態下で最も密度の大きい天然元素であるオスミウム(22.6 g/cm3)よりも高密度である。主に水素で構成されると考えられるため、物質が内側に極度に圧縮されると高密度になりうる。表面重力も大きく、地球の50倍以上である。 2012年、アンドロメダ座カッパ星bが撮影された。主星アンドロメダ座カッパ星の周囲を、海王星が太陽を公転する距離よりも約1.8倍離れた軌道を公転していた。 | '''スーパージュピター'''(Super-Jupiter)は、[[木星型惑星|木星型]]の[[太陽系外惑星]]で、[[木星質量]]よりも大きい[[質量]]を持つものである。例えば、[[アンドロメダ座カッパ星b]]のように、惑星-[[褐色矮星]]の境界上の伴星はスーパージュピターと呼ばれる<ref name=kappa>{{cite web |url=http://www.nasa.gov/topics/universe/features/super-jupiter.html |title=Astronomers Directly Image Massive Star's 'Super-Jupiter' |date=19 November 2012 |publisher=NASA |accessdate=26 June 2013}}</ref>。
2011年までに、180のスーパージュピターが知られており、熱いものも冷たいものもある<ref name=kitchin>{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=HaM6CpDYE3oC&pg=PA168|pages=167–168 |title=Exoplanets: Finding, Exploring, and Understanding Alien Worlds |isbn=978-1-4614-0644-0|publisher=Springer Science & Business Media|last1=Kitchin |first1=Chris |year=2012}}</ref>。質量は[[木星]]より大きいが、80木星質量までは、木星とほぼ同じ大きさである<ref name=kitchin/>。これは、この質量までは、質量の増加とともに[[表面重力]]や[[密度]]も増加することを意味する<ref name=kitchin/>。増加した質量分の重力により惑星は圧縮され、大きくはならない。対照的に木星より若干軽く(密度が小さく)、木星よりも大きい、いわゆる[[スーパーパフ]]と呼ばれるものもある<ref name=chang>{{cite news| url=https://www.nytimes.com/2006/09/15/science/space/15planet.html |date=2010-11-11 |title=Puzzling Puffy Planet, Less Dense Than Cork, Is Discovered | work=The New York Times |first=Kenneth |last=Chang}}</ref>。この例としては、木星の半分程度の質量で直径が約1.38倍である[[HAT-P-1b]]がある<ref name=chang/>。
約22木星質量の[[CoRoT-3b]]は<ref name="Deleuil08">{{cite journal|author=Deleuil, M.|year=2008|title=Transiting exoplanets from the CoRoT space mission. VI. CoRoT-Exo-3b: the first secure inhabitant of the brown-dwarf desert|journal=Astronomy and Astrophysics|volume=491|issue=3|pages=889–897|doi=10.1051/0004-6361:200810625|bibcode=2008A&A...491..889D|last2=Deeg|first2=H. J.|last3=Alonso|first3=R.|last4=Bouchy|first4=F.|last5=Rouan|first5=D.|last6=Auvergne|first6=M.|last7=Baglin|first7=A.|last8=Aigrain|first8=S.|last9=Almenara|first9=J. M.|arxiv = 0810.0919 |display-authors=9|last10=Barbieri|first10=M.|last11=Barge|first11=P.|last12=Bruntt|first12=H.|last13=Bordé|first13=P.|last14=Collier Cameron|first14=A.|last15=Csizmadia|first15=Sz.|last16=de la Reza|first16=R.|last17=Dvorak|first17=R.|last18=Erikson|first18=A.|last19=Fridlund|first19=M.|last20=Gandolfi|first20=D.|last21=Gillon|first21=M.|last22=Guenther|first22=E.|last23=Guillot|first23=T.|last24=Hatzes|first24=A.|last25=Hébrard|first25=G.|last26=Jorda|first26=L.|last27=Lammer|first27=H.|last28=Léger|first28=A.|last29=Llebaria|first29=A.|last30=Loeillet|first30=B.|s2cid=8944836 }}</ref>、密度が平均26.4 g/cm<sup>3</sup>と、[[標準状態]]下で最も密度の大きい天然[[元素]]である[[オスミウム]](22.6 g/cm<sup>3</sup>)よりも高密度である。主に[[水素]]で構成されると考えられるため、物質が内側に極度に圧縮されると高密度になりうる<ref>{{cite journal|year=2003|title=Evolutionary models for cool brown dwarfs and extrasolar giant planets. The case of HD 209458|journal=Astronomy and Astrophysics|volume=402|pages=701–712|doi=10.1051/0004-6361:20030252|bibcode=2003A&A...402..701B|arxiv = astro-ph/0302293|issue=2|last2=Chabrier|first2=G.|last3=Barman|first3=T. S.|last4=Allard|first4=F.|last5=Hauschildt|first5=P. H.|last1=Baraffe|first1=I. |s2cid=15838318 }}</ref>。表面重力も大きく、地球の50倍以上である<ref name="Deleuil08" />。
2012年、アンドロメダ座カッパ星bが撮影された<ref name=kappa/>。主星[[アンドロメダ座カッパ星]]の周囲を、[[海王星]]が[[太陽]]を公転する距離よりも約1.8倍離れた軌道を公転していた<ref>{{cite web |url=http://planetquest.jpl.nasa.gov/image/112 |title=Image of the 'super-Jupiter' Kappa Andromedae b |date=19 November 2012 |publisher=NASA/JPL |accessdate=26 June 2013 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20130612075949/http://planetquest.jpl.nasa.gov/image/112 |archive-date=12 June 2013 }}</ref>。
==脚注==
{{Reflist}}
==外部リンク==
{{Wiktionary|super-Jovian|superjovian|super-Jupiter}}
* [http://astro.berkeley.edu/~gmarcy/astro160/papers/brown_dwarfs_failed_stars.pdf Brown dwarfs: Failed stars, super Jupiters (2008)]
{{Exoplanet}}
{{デフォルトソート:すうはあしゆひたあ}}
[[Category:惑星の種類]]
[[Category:太陽系外惑星]] | 2023-11-28T23:38:10Z | 2023-11-29T02:55:32Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%BC |
4,859,847 | スーパーパフ | スーパーパフ(Super-puff)は、太陽系外惑星の種類の一つで、地球質量の数倍程度の質量しか持たないにもかかわらず、直径は海王星よりも大きく、非常に低い密度を持つものである。低密度ホットジュピターと比べると、より冷たく、より質量が小さい。
最も極端な既知の例は、ケプラー51の3つの惑星であり、全て木星程度の大きさであるが、密度は0.1 g/cm以下である。これらの惑星は2012年に発見されたが、低密度であることが分かったのは2014年である。他の例としては、ケプラー87cがある。
これを説明するための1つの仮説は、スーパーパフは大気上層に向けて常に塵を吹き出しており、そのため見かけの地表が実は大気上層の塵の層であるとするものである(例:GJ 3470 b)。他の説としては、いくつかのスーパーパフは、大きな環を持つ小さな惑星であるとするものである(例:HIP 41378 f)。 | [
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] | スーパーパフ(Super-puff)は、太陽系外惑星の種類の一つで、地球質量の数倍程度の質量しか持たないにもかかわらず、直径は海王星よりも大きく、非常に低い密度を持つものである。低密度ホットジュピターと比べると、より冷たく、より質量が小さい。 最も極端な既知の例は、ケプラー51の3つの惑星であり、全て木星程度の大きさであるが、密度は0.1 g/cm3以下である。これらの惑星は2012年に発見されたが、低密度であることが分かったのは2014年である。他の例としては、ケプラー87cがある。 これを説明するための1つの仮説は、スーパーパフは大気上層に向けて常に塵を吹き出しており、そのため見かけの地表が実は大気上層の塵の層であるとするものである。他の説としては、いくつかのスーパーパフは、大きな環を持つ小さな惑星であるとするものである。 | [[File:Super-puff_planet-bpk.png|thumb|right|スーパーパフの想像図]]
'''スーパーパフ'''<ref>{{cite journal|author=川島由依|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/yuseijin/29/2/29_64/_pdf/-char/ja|format=PDF|title=系外惑星「遠い世界の物語」 その12 〜系外惑星大気中の有機物ヘイズ〜|year=2020|journal=[[日本惑星科学会|日本惑星科学会誌]]|volume=29|number=2}}</ref>({{Lang-en|Super-puff}})は[[太陽系外惑星]]の種類の一つであり、[[地球質量]]の数倍程度の質量しか持たないにもかかわらず、直径が[[海王星]]よりも大きく、非常に低い密度を持つ惑星の分類を指す{{R|Libby-Roberts2020}}。低密度な[[ホット・ジュピター]]と比べると表面の温度は低く、質量は小さい{{R|Libby-Roberts2020}}。非常に低密度であることから、[[わたあめ]] (Cotton Candy) に例えて ''Cotton Candy Planet'' と表現されることもある<ref>{{cite web|author=NASA Hubble Mission Team|url=https://science.nasa.gov/missions/hubble/cotton-candy-planet-mysteries-unravel-in-new-hubble-observations|title=‘Cotton Candy’ Planet Mysteries Unravel in New Hubble Observations|publisher=[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]|date=2019-12-19|accessdate=2023-12-30}}</ref>。
最も極端な既知のスーパーパフの例は、[[ケプラー51]]を公転している3つの惑星であり、これらの全てが[[土星]]から[[木星]]程度の大きさを持っているが、その密度は 0.1 [[グラム毎立方センチメートル|g/cm<sup>3</sup>]] 以下である{{R|Libby-Roberts2020}}。これらの惑星は[[2012年]]に発見されたが、非常に低い密度を持つことが最初に判明したのは[[2014年]]である{{R|sciencealart}}<ref>{{cite journal|last=Masuda|first=Kento|title=Very Low Density Planets around Kepler-51 Revealed with Transit Timing Variations and an Anomaly Similar to a Planet-Planet Eclipse Event|journal=The Astrophysical Journal|volume=783|issue=1|year=2014|pages=53|doi=10.1088/0004-637X/783/1/53|bibcode=2014ApJ...783...53M|issn=0004-637X|arxiv=1401.2885}}</ref>。他の例としては、[[ケプラー47c]]や[[ケプラー79d]]、[[ケプラー87c]]、[[ケプラー90g]]<ref>{{cite journal|last=Liang|first=Yan|last2=Robnik|first2=Jakob|last3=Seljak|first3=Uros|title=Kepler-90: Giant Transit-timing Variations Reveal a Super-puff|year=2021|journal=The Astronomical Journal|volume=161|issue=4|page=202|doi=10.3847/1538-3881/abe6a7|bibcode=2021AJ....161..202L|s2cid=226975548|arxiv=2011.08515}}</ref>などが挙げられている{{R|Libby-Roberts2020}}。
このような惑星が存在していることを説明するための1つの仮説は、スーパーパフは上層[[大気]]に向けて常に塵を吹き出しており、そのため、大気上層にまで噴出した塵の層が惑星の大きさとして地球から観測されているとするものである{{R|sciencealart}}。他の仮説として、いくつかのスーパーパフの実際の大きさはさらに小さく、周囲に大きな[[環 (天体)|環]]を持つことで地球から観測された大きさが過大になっているという可能性も示されており、こちらは [[HIP 41378 f]] が例に挙げられている<ref>{{cite web |title=These So-Called 'Super-Puff' Worlds Could Be Exoplanets with Rings |url=https://www.discovermagazine.com/the-sciences/these-so-called-super-puff-worlds-could-be-exoplanets-with-rings |website=Discover Magazine |accessdate=11 January 2020}}</ref>。
== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="Libby-Roberts2020">{{cite journal|last=Libby-Roberts|first=Jessica E.|last2=Berta-Thompson|first2=Zachory K.|last3=Desert|first3=Jean-Michel|last4=Masuda|first4=Kento|display-authors=3|title=The Featureless Transmission Spectra of Two Super-Puff Planets|year=2020|journal=The Astronomical Journal|volume=159|issue=2|id=57|page=20|doi=10.3847/1538-3881/ab5d36|bibcode=2020AJ....159...57L|arxiv=1910.12980}}</ref>
<ref name="sciencealart">{{cite web|author=Michelle Starr|url=https://www.sciencealert.com/adorably-named-super-puff-planets-are-like-nothing-in-the-solar-system|title=Astronomers Confirm the Existence of Planets That Have the Lightness of Cotton Candy|website=Science Alart|date=2019-12-20|accessdate=2023-11-26}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
*[[極端な太陽系外惑星の一覧]]
*[[ホット・ジュピター]]
*[[ミニ・ネプチューン]]
{{Exoplanet}}
{{デフォルトソート:すうはあはふ}}
[[Category:惑星の種類]]
[[Category:太陽系外惑星]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:38:48Z | 2023-12-30T13:34:01Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Exoplanet"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%95 |
4,859,848 | (19308) 1996 TO66 | (19308) 1996 TO66は、チャドウィック・トルヒージョ、デビッド・C・ジューイット及びジェーン・ルーが1996年に発見した太陽系外縁天体である。ヴァルナが発見されるまで、冥王星に次いでエッジワース・カイパーベルトで2番目に大きな既知の天体であった。
赤外線の水-氷吸収、中性可視光スペクトル、軌道要素のクラスタリングの共通パターンに基づいて、他のエッジワース・カイパーベルト天体である(24835) 1995 SM55、(55636) 2002 TX300、(120178) 2003 OP32及び(145453) 2005 RR43は全て、準惑星ハウメアの衝突族であると考えられている。
1996 TO66の軌道離心率は、200万年ごとに約0.110-0.125の間で変化し、さらにその間、より短い間隔で± 0.01のオーダーで変化する。海王星と断続的に19:11共鳴し、200万年ごとに軌道離心率が最大となり軌道が海王星と最も近づくと、共鳴が破れる。 | [
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"text": "赤外線の水-氷吸収、中性可視光スペクトル、軌道要素のクラスタリングの共通パターンに基づいて、他のエッジワース・カイパーベルト天体である(24835) 1995 SM55、(55636) 2002 TX300、(120178) 2003 OP32及び(145453) 2005 RR43は全て、準惑星ハウメアの衝突族であると考えられている。",
"title": "起源"
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"title": "軌道"
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] | (19308) 1996 TO66は、チャドウィック・トルヒージョ、デビッド・C・ジューイット及びジェーン・ルーが1996年に発見した太陽系外縁天体である。ヴァルナが発見されるまで、冥王星に次いでエッジワース・カイパーベルトで2番目に大きな既知の天体であった。 | {{脚注の不足|date=2023年12月}}
{{天体 基本
| 色 = 小惑星
| 和名 = (19308) 1996 TO66
| 画像ファイル = 19308-1996to66 hst.jpg
| 画像サイズ = 250px
| 画像説明 = 2005年に撮影された[[ハッブル宇宙望遠鏡]]による画像
| 仮符号・別名 = (19308) 1996 TO66
| 分類 = [[小惑星]]
| 軌道の種類 = [[小惑星帯]]
}}
{{天体 発見
| 色 = 小惑星
| 発見日 = [[1996年]][[10月12日]]
| 発見者 = [[チャドウィック・トルヒージョ]]、[[デビッド・C・ジューイット]]及び[[ジェーン・ルー]]
}}
{{天体 軌道
| 色 = 小惑星
| 元期 = 2016年1月13日 ([[ユリウス日|JD]] 2,457,400.5)
| 軌道長半径 = 43.157 AU
| 近日点距離 = 37.939 AU
| 遠日点距離 = 48.375 AU
| 離心率 = 0.12090
| 平均軌道速度 =
| 公転周期 = 283.52年 (103,555 日)
| 軌道傾斜角 = 27.4948°
| 近日点引数 = 239.07°
| 昇交点黄経 = 355.2889°
| 平均近点角 = 137.16°
| 最小交差距離 = 37.0117 AU
}}
{{天体 物理
| 色 = 小惑星
| 直径 = 200 km
| 自転周期 = 7.92 時間
| スペクトル分類 =
| 絶対等級 = 4.5
| アルベド = 0.7(推定)
| 表面温度 = ~43 K
}}
{{天体 終了
| 色 = 小惑星
}}
[[ファイル:(19308) 1996 TO66 imaged by NTT cut out.jpg|thumb|left|1998年に[[ラ・シヤ天文台]]の[[新技術望遠鏡]]により撮影された1996 TO66(中央上)。4時間露光のため、他の天体は長く引き伸ばされている。水平な光跡は、[[静止衛星]]によるものである。]]
'''(19308) 1996 TO66'''は、[[チャドウィック・トルヒージョ]]、[[デビッド・C・ジューイット]]及び[[ジェーン・ルー]]が1996年に発見した[[太陽系外縁天体]]である。[[ヴァルナ (小惑星)|ヴァルナ]]が発見されるまで、[[冥王星]]に次いで[[エッジワース・カイパーベルト]]で2番目に大きな既知の天体であった。
==起源==
{{main|ハウメア族}}
[[赤外線]]の水-氷吸収、中性可視光スペクトル、軌道要素のクラスタリングの共通パターンに基づいて、他のエッジワース・カイパーベルト天体である[[(24835) 1995 SM55]]、[[(55636) 2002 TX300]]、[[(120178) 2003 OP32]]及び[[(145453) 2005 RR43]]は全て、[[準惑星]][[ハウメア (準惑星)|ハウメア]]の[[衝突族]]であると考えられている。
==軌道==
1996 TO66の[[軌道離心率]]は、200万年ごとに約0.110-0.125の間で変化し、さらにその間、より短い間隔で± 0.01のオーダーで変化する。[[海王星]]と断続的に19:11共鳴し、200万年ごとに軌道離心率が最大となり軌道が海王星と最も近づくと、共鳴が破れる。
== 関連項目 ==
* [[小惑星の一覧 (19001-20000)]]
==出典==
{{reflist}}
{{Astro-stub}}
{{デフォルトソート:(19308) 1996 TO66}}
[[Category:太陽系外縁天体]]
[[Category:1996年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:40:39Z | 2023-12-11T10:45:47Z | false | false | false | [
"Template:脚注の不足",
"Template:Reflist",
"Template:Astro-stub",
"Template:天体 基本",
"Template:天体 発見",
"Template:天体 軌道",
"Template:天体 物理",
"Template:天体 終了",
"Template:Main"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/(19308)_1996_TO66 |
4,859,849 | NGC 298 | NGC 298は、くじら座の方角にある渦巻銀河である。1864年9月27日にアルベルト・マルトが発見した。天の赤道に近い位置にあり、そのため1年のうち特定の期間には、両半球の少なくとも一部地域からは見ることができる。14.7等級であり、口径20インチ以上の望遠鏡を用いれば見ることができる。
NGC 298の中で、16.5等級のII型超新星SN 1986Kが観測された。 | [
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] | NGC 298は、くじら座の方角にある渦巻銀河である。1864年9月27日にアルベルト・マルトが発見した。天の赤道に近い位置にあり、そのため1年のうち特定の期間には、両半球の少なくとも一部地域からは見ることができる。14.7等級であり、口径20インチ以上の望遠鏡を用いれば見ることができる。 NGC 298の中で、16.5等級のII型超新星SN 1986Kが観測された。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = File:Hubble explores explosive aftermath in NGC 298 (potw2322a).jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 =
| 星座 = [[うお座]]
| 視等級 = 14.52<ref name="ned" />
| 視直径 = 1.7' × 0.4'<ref name="ned" />
| 分類 = Scd<ref name="ned" />
}}
{{天体 位置
| 色 = galaxy
| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|00|55|02.3}}<ref name="ned">{{cite web
| title=NASA/IPAC Extragalactic Database
| work=Results for NGC 0298
| url=http://ned.ipac.caltech.edu/cgi-bin/objsearch?objname=NGC+298&extend=no&hconst=73&omegam=0.27&omegav=0.73&corr_z=1&out_csys=Equatorial&out_equinox=J2000.0&obj_sort=RA+or+Longitude&of=pre_text&zv_breaker=30000.0&list_limit=5&img_stamp=YES
| accessdate=September 2, 2016}}</ref>
| 赤緯 = {{DEC|-07|19|59}}<ref name="ned" />
| 距離 =
| 赤方偏移 = 0.005847<ref name="ned" />
| 視線速度 = 1,753 km/s
}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = MCG -01-03-033, 2MASX J00550234-0719591, IRAS F00525-0736, 6dF J0055024-071959, PGC 3055<ref name="ned" />
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 298'''は、[[くじら座]]の方角にある[[渦巻銀河]]である。1864年9月27日に[[アルベルト・マルト]]が発見した<ref>{{cite web|title=New General Catalog Objects: NGC 250 - 299|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc2a.htm#298|publisher=Cseligman |accessdate=2023-11-26}}</ref>。[[天の赤道]]に近い位置にあり、そのため1年のうち特定の期間には、両半球の少なくとも一部地域からは見ることができる。14.7等級であり、口径20インチ以上の[[望遠鏡]]を用いれば見ることができる<ref>{{Cite web|title=NGC 298 - Spiral Galaxy {{!}} TheSkyLive.com|url=https://theskylive.com/sky/deepsky/ngc298-object|accessdate=2020-07-23|website=theskylive.com}}</ref>。
NGC 298の中で、16.5等級の[[II型超新星]][[SN 1986K]]が観測された<ref>[https://www.wis-tns.org/object/1986K Transient Name Server entry for SN 1986K.] Retrieved 29 March 2023.</ref>。
==出典==
{{reflist}}
==外部リンク==
* {{commons category-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 298}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:くじら座]]
[[Category:NGC天体|0298]]
[[Category:1864年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:41:15Z | 2023-12-06T07:05:18Z | false | false | false | [
"Template:天体 別名称",
"Template:天体 終了",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Commons category-inline",
"Template:天体 基本",
"Template:天体 位置"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_298 |
4,859,851 | グリーゼ176b | グリーゼ176b(Gliese 176 b)は、おうし座の方角に約31光年の位置にあるスーパーアースである。親星である赤色矮星グリーゼ176から非常に近い軌道を公転している。
当初の発表では、惑星の公転周期と恒星の自転周期40日を混同して、地球質量の25倍の惑星の公転周期が10.24日とされたが、その後の測定で、恒星の自転の影響を除外し、惑星の軌道と下限質量をより正確に読み取ることができた。
惑星は、恒星の磁気圏の中を公転している。表面温度は450 Kであり、これは「熱平衡」温度である。
核はほぼ岩石質と考えられているが、真の質量は分かっていない。軌道が地球からほぼ対面している場合は、惑星は下限の質量よりもかなり大きいことになる。その場合、この惑星は天王星やグリーゼ436b等のようにガスの外層を引き付けている可能性がある。 | [
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"text": "当初の発表では、惑星の公転周期と恒星の自転周期40日を混同して、地球質量の25倍の惑星の公転周期が10.24日とされたが、その後の測定で、恒星の自転の影響を除外し、惑星の軌道と下限質量をより正確に読み取ることができた。",
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"text": "惑星は、恒星の磁気圏の中を公転している。表面温度は450 Kであり、これは「熱平衡」温度である。",
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"text": "核はほぼ岩石質と考えられているが、真の質量は分かっていない。軌道が地球からほぼ対面している場合は、惑星は下限の質量よりもかなり大きいことになる。その場合、この惑星は天王星やグリーゼ436b等のようにガスの外層を引き付けている可能性がある。",
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}
] | グリーゼ176b(Gliese 176 b)は、おうし座の方角に約31光年の位置にあるスーパーアースである。親星である赤色矮星グリーゼ176から非常に近い軌道を公転している。 当初の発表では、惑星の公転周期と恒星の自転周期40日を混同して、地球質量の25倍の惑星の公転周期が10.24日とされたが、その後の測定で、恒星の自転の影響を除外し、惑星の軌道と下限質量をより正確に読み取ることができた。 惑星は、恒星の磁気圏の中を公転している。表面温度は450 Kであり、これは「熱平衡」温度である。 核はほぼ岩石質と考えられているが、真の質量は分かっていない。軌道が地球からほぼ対面している場合は、惑星は下限の質量よりもかなり大きいことになる。その場合、この惑星は天王星やグリーゼ436b等のようにガスの外層を引き付けている可能性がある。 | {{天体 基本
| 幅 = 340px
| 色 = 太陽系外惑星
| 和名 = グリーゼ176b
| 英名 = Gliese 176 b
| 星座 = [[おうし座]]
| 分類 = [[太陽系外惑星]]
}}
{{天体 発見
| 色 = 太陽系外惑星
| 発見日 = [[2007年]][[9月7日]]<br><small>(最も投稿が早い論文の公開日)</small>
| 発見者 = Michael Endl ''et al.''{{R|Endl2008}}<br>Thierry Forveille ''et al.''{{R|Forveille2009}}
| 発見方法 = [[太陽系外惑星の発見方法#ドップラー分光法|ドップラー分光法]]
| 発見場所 =
}}
{{天体 軌道
| 色 = 太陽系外惑星
| 軌道長半径 = {{val|0.066|0.001}} [[天文単位|au]]{{R|Trifonov2018}}
| 近日点距離 =
| 遠日点距離 =
| 離心率 = {{val|0.148|0.249|0.036}}{{R|Trifonov2018}}
| 平均軌道速度 =
| 公転周期 = {{val|8.776|0.001|0.002}} 日{{R|Trifonov2018}}
| 軌道傾斜角 =
| 近日点引数 = {{val|150.6|42.2|104.5}}{{R|Trifonov2018}}
| 昇交点黄経 =
| 平均近点角 =
| 主恒星 = [[グリーゼ176]]
}}
{{天体 物理
| 色 = 太陽系外惑星
| 質量 = ≥{{val|9.06|1.54|0.70}} [[地球質量|''M''<sub>⊕</sub>]]{{R|Trifonov2018}}
| 平衡温度 = ~450 [[ケルビン|K]]{{R|Forveille2009}}
}}
{{天体 別名称
| 色 = 太陽系外惑星
| 別名称 = [[ボン掃天星表|BD]]+18 683 b<br>[[グリーゼ近傍恒星カタログ|GJ]] 176 b<br>[[ヘンリー・ドレイパーカタログ|HD]] 285968 b<br>[[ヒッパルコス星表|HIP]] 21932 b<br>ロス33b
}}
{{天体 終了
| 色 = 太陽系外惑星
}}
'''グリーゼ176b'''({{Lang-en|Gliese 176 b}})は、[[おうし座]]の方角に約31光年の位置にある[[赤色矮星]][[グリーゼ176]]の周囲を[[公転]]している、[[スーパーアース]]に分類される[[太陽系外惑星]]である。
当初の発表では、惑星の公転周期と主星の自転周期である40日を混同して、地球の25倍の下限質量を持つ[[公転周期]]が10.24日の惑星であるとされたが{{R|Endl2008}}、その後の測定で主星の自転による影響を除外した結果、より正確な惑星の軌道と[[下限質量]]の値を得ることができた{{R|Forveille2009}}。
この惑星は、主星の[[磁気圏]]の中を公転している。表面温度は 450 [[ケルビン|K]](177 [[摂氏|℃]])程度であると計算されており、これは「熱平衡」温度に近い{{R|Forveille2009}}。
ほぼ岩石質の[[核 (天体)|核]]を持つと考えられているが、[[真の質量]]については分かっていない。地球に対しての軌道の向きが真正面([[軌道傾斜角]]が0度)に近い場合は、真の質量は現在知られている下限質量よりもかなり大きいことになる。その場合、この惑星は[[天王星]]や[[グリーゼ436b]]等のようにガスから成る外層大気を持っている可能性がある{{R|Forveille2009}}。
== 出典 ==
{{reflist|refs=
<ref name="Endl2008">{{cite journal | title=An m sin i = 24 M<sub>⊕</sub> Planetary Companion to the Nearby M Dwarf GJ 176 | last1=Endl | first1=Michael | last2=Cochran | first2=William D. | last3=Wittenmyer | first3=Robert A. | last4=Boss | first4=Alan P. | display-authors=1 | journal=The Astrophysical Journal | volume=673 | issue=2 | pages=1165–1168 | year=2008 | arxiv=0709.0944 | bibcode=2008ApJ...673.1165E | doi=10.1086/524703 }}</ref>
<ref name="Forveille2009">{{cite journal |doi=10.1051/0004-6361:200810557 |title=The HARPS search for southern extra-solar planets. XIV. Gl 176b, a super-Earth rather than a Neptune, and at a different period |url=https://www.aanda.org/articles/aa/full/2009/02/aa10557-08/aa10557-08.html |last1=Forveille |first1=Thierry |last2=Bonfils |first2=Xavier |last3=Delfosse |first3=Xavier |last4=Gillon | first4=Michaël |last5=Udry |first5=Stéphane |last6=Bouchy |first6=François |last7=Lovis |first7=Christophe |last8=Mayor |first8=Michel |last9=Pepe |first9=Francesco |last10=Perrier |first10=Christian |last11=Queloz |first11=Didier |last12=Santos |first12=Nuno C. |last13=Bertaux |first13=Jean-Loup |journal=Astronomy and Astrophysics |volume=493 |issue=2 |pages=645–650 |year=2009 |bibcode=2009A&A...493..645F |arxiv=0809.0750 }}</ref>
<ref name="Trifonov2018">{{cite journal|last=Trifonov|first=Trifon|last2=Kürster|first2=Martin|last3=Zechmeister|first3=Mathias|last4=Tal-Or|first4=Lev|display-authors=3|title=The CARMENES search for exoplanets around M dwarfs. First visual-channel radial-velocity measurements and orbital parameter updates of seven M-dwarf planetary systems|journal=Astronomy and Astrophysics|volume=609|at=A117|year=2018|doi=10.1051/0004-6361/201731442|bibcode=2018A&A...609A.117T|s2cid=119340839|arxiv=1710.01595}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* {{cite web| url=https://exoplanet.eu/catalog/gj_176_b--417/ | title=Planet GJ 176 b | website=[[太陽系外惑星エンサイクロペディア|The Extrasolar Planets Encyclopaedia]] | publisher=[[パリ天文台|Paris Observatory]] | accessdate=2023-12-30 }}
* {{cite web | url=http://media4.obspm.fr/exoplanets/base/etoile.php?nom=HD+285968 | title=HD 285968 | work=Exoplanets | accessdate=2008-08-02 | archive-url=https://web.archive.org/web/20120212053243/http://media4.obspm.fr/exoplanets/base/etoile.php?nom=HD+285968 | archive-date=2012-02-12 | url-status=dead }}
{{Sky|04|42|55.7768|+|18|57|29.417|30.7}}
{{デフォルトソート:くりいせ176b}}
[[Category:おうし座]]
[[Category:2007年発見の太陽系外惑星]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:45:18Z | 2023-12-30T13:54:43Z | false | false | false | [
"Template:天体 軌道",
"Template:天体 物理",
"Template:Reflist",
"Template:Cite encyclopedia",
"Template:天体 基本",
"Template:天体 発見",
"Template:天体 終了",
"Template:Cite web",
"Template:Sky"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BC176b |
4,859,852 | パンケーキドーム | パンケーキドーム(Pancake dome)は、金星にある特異なタイプの溶岩ドームである。惑星全体に分布し、いくつかごとに集まってクラスターを形成しているが、クラスター当たりの数は、より一般的な楯状火山よりは少ない。低平地のコロナやテセラ(モザイク状の地形)の付近に見られるのが一般的である。地球で形成される火山ドームと比べて、10-100倍程度大きい。
パンケーキドームは、楯状火山に似た広大で平らな地形であり、ケイ素に富む粘度の高い溶岩が一度にゆっくり噴出したことによりできたと考えられている。火山クレーターと同様に、中央ピットを持つボウル型であるが、このピットは、噴出後に溶岩が冷えて溶岩生成時のガスが放出されることにより形成されたとかんがえられている。パンケーキドームの表面は、小さなひびで覆われている。 | [
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"text": "パンケーキドーム(Pancake dome)は、金星にある特異なタイプの溶岩ドームである。惑星全体に分布し、いくつかごとに集まってクラスターを形成しているが、クラスター当たりの数は、より一般的な楯状火山よりは少ない。低平地のコロナやテセラ(モザイク状の地形)の付近に見られるのが一般的である。地球で形成される火山ドームと比べて、10-100倍程度大きい。",
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"text": "パンケーキドームは、楯状火山に似た広大で平らな地形であり、ケイ素に富む粘度の高い溶岩が一度にゆっくり噴出したことによりできたと考えられている。火山クレーターと同様に、中央ピットを持つボウル型であるが、このピットは、噴出後に溶岩が冷えて溶岩生成時のガスが放出されることにより形成されたとかんがえられている。パンケーキドームの表面は、小さなひびで覆われている。",
"title": "概要"
}
] | パンケーキドーム(Pancake dome)は、金星にある特異なタイプの溶岩ドームである。惑星全体に分布し、いくつかごとに集まってクラスターを形成しているが、クラスター当たりの数は、より一般的な楯状火山よりは少ない。低平地のコロナやテセラ(モザイク状の地形)の付近に見られるのが一般的である。地球で形成される火山ドームと比べて、10-100倍程度大きい。 | [[ファイル:PIA00084 Eistla region pancake volcanoes.jpg|thumb|right|400px|''Carmenta Farra''と呼ばれるいくつかの「パンケーキ火山」]]
'''パンケーキドーム'''(Pancake dome)は、[[金星]]にある特異なタイプの[[溶岩ドーム]]である。惑星全体に分布し、いくつかごとに集まってクラスターを形成しているが、クラスター当たりの数は、より一般的な[[楯状火山]]よりは少ない。低平地の[[コロナ (惑星地質学)|コロナ]]や[[テセラ]](モザイク状の地形)の付近に見られるのが一般的である。地球で形成される火山ドームと比べて、10-100倍程度大きい。
==概要==
パンケーキドームは、楯状火山に似た広大で平らな地形であり、[[ケイ素]]に富む粘度の高い[[溶岩]]が一度にゆっくり噴出したことによりできたと考えられている<ref>{{Cite web|title=Shapes of Venusian 'Pancake' Domes Imply Episodic Emplacement and Silicic Composition|url=https://pdxscholar.library.pdx.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1064&context=geology_fac |accessdate=2023-11-26}}</ref>。[[火山クレーター]]と同様に、中央ピットを持つボウル型であるが、このピットは、噴出後に溶岩が冷えて溶岩生成時のガスが放出されることにより形成されたとかんがえられている。パンケーキドームの表面は、小さなひびで覆われている。
==関連項目==
*[[アラクノイド]](クモの巣状構造)
*[[金星の火山]]
==出典==
{{reflist}}
*{{cite web| url=http://volcano.oregonstate.edu/oldroot/volcanoes/planet_volcano/venus/unusual.html | title=Unusual Volcanoes on Venus| publisher=volcano.oregonstate.edu| accessdate=2015-03-27}}
*{{cite web| url=http://www2.jpl.nasa.gov/magellan/image15.html| title=Aine Corona with Pancake Domes|publisher = NASA| accessdate=2023-11-27}}
*"Shapes of Venusian 'Pancake' Domes Imply Episodic Emplacement and Silicic Composition." https://pdxscholar.library.pdx.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1064&context=geology_fac
{{デフォルトソート:はんけえきとおむ}}
[[Category:金星の火山]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:46:09Z | 2023-11-28T23:46:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0 |
4,859,854 | NGC 70 | NGC 70は、アンドロメダ座の方角にある渦巻銀河である。1855年10月7日にアイルランドの天文学者R・J・ミッチェルが発見した。1897年12月19日にはフランスのギヨーム・ビゴルダンも観測し、「きわめて暗く、非常に小さく、丸く、2つの暗い恒星の間にある」と記載した。
NGC 70は、7つか8つの銀河からなり、NGC 70銀河群やVV 166銀河群と呼ばれるコンパクトな銀河群のメンバーである。この銀河群は、NGC 70、NGC 71、NGC 72の3つの比較的明るい銀河とその他4つの暗い銀河が含まれる。NGC 68はこの銀河群に属するように見えるが、視線速度が異なっており、また潮汐による歪みが見られないため、単に視線上にあるだけの無関係の銀河であることが示唆される。NGC 70の写真は、有名な「ステファンの五つ子銀河」に似ており、アマチュア天文家の観測対象として人気がある。 | [
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] | NGC 70は、アンドロメダ座の方角にある渦巻銀河である。1855年10月7日にアイルランドの天文学者R・J・ミッチェルが発見した。1897年12月19日にはフランスのギヨーム・ビゴルダンも観測し、「きわめて暗く、非常に小さく、丸く、2つの暗い恒星の間にある」と記載した。 NGC 70は、7つか8つの銀河からなり、NGC 70銀河群やVV 166銀河群と呼ばれるコンパクトな銀河群のメンバーである。この銀河群は、NGC 70、NGC 71、NGC 72の3つの比較的明るい銀河とその他4つの暗い銀河が含まれる。NGC 68はこの銀河群に属するように見えるが、視線速度が異なっており、また潮汐による歪みが見られないため、単に視線上にあるだけの無関係の銀河であることが示唆される。NGC 70の写真は、有名な「ステファンの五つ子銀河」に似ており、アマチュア天文家の観測対象として人気がある。 | {{天体 基本
| 色 = galaxy
| 画像ファイル = N70s-crop.jpg
| 画像サイズ = 300px
| 画像説明 = NGC 70は、画像の中央下部にある渦巻銀河である。近隣にある楕円銀河は、NGC 68(下)とNGC 71(上)である。
| 星座 = [[アンドロメダ座]]
| 視等級 = 13.5<ref name=DSOB/><ref name=NGCO/>
| 視直径 = ~1.7'x1.4'<ref name=Simbad/><ref name=DSOB/><ref name=wikisky>{{cite web|title=WIKISKY - NGC 70|url=http://server3.wikisky.org/starview?object_type=2&object_id=4678|website=wikisky|publisher=SKY-MAP.org|accessdate=23 November 2014}}</ref>
| 分類 = Sb<ref name=Simbad>{{cite simbad|title=NGC 70|accessdate=23 November 2014}}</ref> Sbc<ref name=DSOB>{{cite web|title=NGC 70 >> Deep Sky Object Browser|url=http://dso-browser.com/dso/info/NGC/70|website=Deep Sky Objects Browser|accessdate=23 November 2014}}</ref> SA(rs)c<ref name=NGCO>{{cite web|last1=Seligman|first1=Courtney|title=New General Catalog Objects: NGC 50 - 99|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc0a.htm#70|website=cseligman.com|accessdate=23 November 2014}}</ref>
}}
{{天体 位置
| 色 = galaxy
| 元期 = [[J2000.0]]
| 赤経 = {{RA|00|18|22.55}}
| 赤緯 = {{RA|+30|04|43.4}}
| 距離 = 320-325百万光年<ref name=NGCO/><ref name=distance>{{cite web|last1=Wright|first1=Ned|title=Ned Wright's Javascript Cosmology Calculator|url=http://www.astro.ucla.edu/~wright/CosmoCalc.html|website=www.astro.ucla.edu|publisher=UCLA|accessdate=23 November 2014}}</ref>
| 赤方偏移 = 0.023907<ref name=NED/>
| 視線速度 = 7167 km/s<ref name=NED>{{cite web|title=NASA/IPAC Extragalactic Database - NGC 70|url=http://ned.ipac.caltech.edu/cgi-bin/objsearch?objname=NGC+70&extend=no&hconst=73&omegam=0.27&omegav=0.73&corr_z=1&out_csys=Equatorial&out_equinox=J2000.0&obj_sort=RA+or+Longitude&of=pre_text&zv_breaker=30000.0&list_limit=5&img_stamp=YES|website=NED|publisher=NASA/IPAC|accessdate=23 November 2014}}</ref>
}}
{{天体 物理
| 色 = cluster
| 直径 = 180,000<ref name=NGCO/>
}}
{{天体 別名称
| 色 = galaxy
| 別名称 = IC 1539, UGC 174, Arp 113, VV 166a, MCG +05-01-067, 2MASX J00182252+3004465, IRAS 00157+2948, PGC 1194, UZC J001822.6+300446
}}
{{天体 終了
| 色 = galaxy
}}
'''NGC 70'''は、[[アンドロメダ座]]の方角にある[[渦巻銀河]]である<ref name="Seligman">{{cite web|url=http://cseligman.com/text/atlas/ngc0a.htm#70|title=NGC 70|work=Courtney Seligman|accessdate=14 March 2015}}</ref>。1855年10月7日に[[アイルランド]]の[[天文学者]][[R・J・ミッチェル]]が発見した<ref name="Seligman"/>。1897年12月19日には[[フランス]]の[[ギヨーム・ビゴルダン]]も観測し、「きわめて暗く、非常に小さく、丸く、2つの暗い恒星の間にある」と記載した<ref name=NGCO/>。
[[ファイル:NGC 0070 2MASS.jpg|thumb|NGC 70の[[近赤外線]]画像]]
NGC 70は、7つ<ref>{{cite journal |last1=Hickson |first1=P. |last2=Richstone |first2=D.O. |last3=Turner |first3=E.L. |title=Galaxy collisions in dense groups |journal=Astrophysical Journal |date=April 1977 |volume=213 |pages=323–326 |doi=10.1086/155158 |bibcode=1977ApJ...213..323H |url=http://articles.adsabs.harvard.edu/pdf/1977ApJ...213..323H |accessdate=17 November 2020|doi-access=free }}</ref>か8つ<ref name="Korm">{{cite journal |last1=Kormendy |first1=John |last2=Sargent |first2=Wallace L. W. |title=Tidal Effects As Criteria for Membership In Small Groups of Galaxies: Application to VV166 |journal=Astrophysical Journal |date=1 October 1974 |volume=193 |pages=19–25 |doi=10.1086/153122 |bibcode=1974ApJ...193...19K |url=http://articles.adsabs.harvard.edu/pdf/1974ApJ...193...19K |accessdate=17 November 2020|doi-access=free }}</ref>の[[銀河]]からなり、'''NGC 70銀河群'''や'''VV 166銀河群'''と呼ばれるコンパクトな[[銀河群]]のメンバーである。この銀河群は、NGC 70、[[NGC 71]]、[[NGC 72]]の3つの比較的明るい銀河とその他4つの暗い銀河が含まれる。[[NGC 68]]はこの銀河群に属するように見えるが、[[視線速度]]が異なっており、また[[潮汐]]による歪みが見られないため、単に視線上にあるだけの無関係の銀河であることが示唆される。NGC 70の写真は、有名な「[[ステファンの五つ子銀河]]」に似ており、アマチュア天文家の観測対象として人気がある。
==出典==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* {{commons category-inline}}
{{デフォルトソート:NGC 70}}
[[Category:渦巻銀河]]
[[Category:アンドロメダ座]]
[[Category:NGC天体|0070]]
[[Category:1855年発見の天体]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:48:42Z | 2023-12-04T04:04:02Z | false | false | false | [
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"Template:天体 別名称",
"Template:Cite web",
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"Template:天体 終了",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NGC_70 |
4,859,855 | R・J・ミッチェル | R・J・ミッチェル(R. J. Mitchell)は、1850年代に活躍した天文学者で、ウィリアム・パーソンズのアシスタントであった。ゴールウェイ大学で学び、1853年にパーソンズのアシスタントとして雇用された。また、パーソンズの息子達の家庭教師も務めた。ミッチェルには観測の才能があり、パーソンズの72インチ望遠鏡での多くの発見について優れた絵も残した。パーソンズの発見とされるものの多くは、実際はミッチェルの発見であったとも言われている。1858年5月にパーソンズの下を離れた後は、アイルランドの公務員となった。 | [
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] | R・J・ミッチェル(R. J. Mitchell)は、1850年代に活躍した天文学者で、ウィリアム・パーソンズのアシスタントであった。ゴールウェイ大学で学び、1853年にパーソンズのアシスタントとして雇用された。また、パーソンズの息子達の家庭教師も務めた。ミッチェルには観測の才能があり、パーソンズの72インチ望遠鏡での多くの発見について優れた絵も残した。パーソンズの発見とされるものの多くは、実際はミッチェルの発見であったとも言われている。1858年5月にパーソンズの下を離れた後は、アイルランドの公務員となった。 | '''R・J・ミッチェル'''(R. J. Mitchell)は、1850年代に活躍した[[天文学者]]で、[[ウィリアム・パーソンズ (第3代ロス伯爵)|ウィリアム・パーソンズ]]のアシスタントであった。[[ゴールウェイ大学]]で学び<ref name=":0">{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=wyWjVWYWoO8C&dq=%22r+j+mitchell%22+astronomer&pg=PA103|title=Observing and Cataloguing Nebulae and Star Clusters: From Herschel to Dreyer's New General Catalogue|last=Steinicke|first=Wolfgang|date=2010-08-19|publisher=Cambridge University Press|isbn=978-1-139-49010-8|pages=103|language=en}}</ref>、1853年にパーソンズのアシスタントとして雇用された<ref name=":0" />。また、パーソンズの息子達の家庭教師も務めた<ref name=":0" />。ミッチェルには観測の才能があり、パーソンズの72インチ[[望遠鏡]]での多くの発見について優れた絵も残した<ref name=":0" />。パーソンズの発見とされるものの多くは、実際はミッチェルの発見であったとも言われている<ref>{{Cite web|url=https://cseligman.com/text/atlas/discoverers.htm#mitchell|title=The Discoverers of the NGC / IC Objects|website=cseligman.com|accessdate=2019-12-14}}</ref>。1858年5月にパーソンズの下を離れた後は、[[アイルランド]]の[[公務員]]となった<ref name=":0" />。
==出典==
{{reflist}}
{{デフォルトソート:みつちえる RJ}}
[[Category:アイルランドの天文学者]]
[[Category:天文学に関する記事]] | 2023-11-28T23:49:21Z | 2023-11-30T22:50:29Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/R%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB |
4,859,860 | ビルギット・ケルナー | ビルギット・ケルナー(Birgit Kellner)は、オーストリアの仏教学者、チベット学者。ハイデルベルク大学教授を経て、同大学名誉教授、オーストリア科学アカデミーアジア文化・思想史研究所所長、国際仏教学会(IABS)会長。
1994年ウィーン大学大学院修士課程修了、M.A.。文部省から奨学金を得て、1999年広島大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)。ハンブルク大学フンボルト財団研究員等を経て、2008年カリフォルニア大学バークレー校客員助教。2009年ウィーン大学助教。2010年ハイデルベルク大学教授。 2015年オーストリア科学アカデミー(英語版)アジア文化・思想史研究所(ドイツ語版)所長。2016年ハイデルベルク大学名誉教授。2021年オーストリア科学アカデミー正会員。2023年国際仏教学会(IABS)会長。 | [
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"title": "人物・経歴"
}
] | ビルギット・ケルナーは、オーストリアの仏教学者、チベット学者。ハイデルベルク大学教授を経て、同大学名誉教授、オーストリア科学アカデミーアジア文化・思想史研究所所長、国際仏教学会(IABS)会長。 | {{Infobox scientist
|image = Birgit Kellner 2023.jpg
|caption = 2023年
|name = ビルギット・ケルナー
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}}
'''ビルギット・ケルナー'''(Birgit Kellner)は、[[オーストリア]]の[[仏教学者]]、[[チベット学]]者。[[ハイデルベルク大学]]教授を経て、同大学名誉教授、[[:w:Austrian Academy of Sciences|オーストリア科学アカデミー]]アジア文化・思想史研究所所長、国際仏教学会(IABS)会長。
== 人物・経歴 ==
1994年[[ウィーン大学]]大学院人文科学研究科修士課程修了、[[M.A.]]<ref name="ia"/>。[[文部省]]から[[奨学金]]を得て、1999年[[広島大学]]大学院[[文学研究科]]博士課程修了、[[博士(文学)]]<ref>[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000185202 Studies on non-cognition (anupalabdhi) in the logicoepistemological school of Buddhism 仏教認識論論理学派における非認識(anupalabdhi)の研究 Kellner, Birgit ケルナー, ビルギット]</ref><ref name="ia"/>。
[[ハンブルク大学]][[フンボルト財団]]研究員等を経て、2008年[[カリフォルニア大学バークレー校]][[客員助教授]]。2009年ウィーン大学助教授。2010年[[ハイデルベルク大学]]教授<ref name="ia">[https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/PDF/team/CV_and_publications_Kellner_09-2023.pdf CV UND PUBLIKATIONEN]オーストリア科学アカデミー</ref>。
2015年{{仮リンク|オーストリア科学アカデミー|en|Austrian Academy of Sciences}}{{仮リンク|アジア文化・思想史研究所|de|Institut für Kultur- und Geistesgeschichte Asiens}}所長<ref>[https://www.oeaw.ac.at/en/ikga/institut/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E3%81%AE%E7%9B%AE%E7%9A%84 研究所の目的]オーストリア科学アカデミーアジア文化・思想史研究所</ref>。2016年ハイデルベルク大学[[名誉教授]]。2021年オーストリア科学アカデミー正会員。2023年国際仏教学会(IABS)会長<ref name="ia"/>。
== 脚註 ==
{{Reflist}}
{{People-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ひるきつと けるな}}
[[Category:オーストリアの東洋学者]]
[[Category:オーストリアの女性哲学者]]
[[Category:ドイツの仏教学者]]
[[Category:サンスクリット語学者]]
[[Category:チベット研究者]]
[[Category:インド研究者]]
[[Category:ハンブルク大学の教員]]
[[Category:日本留学経験者]]
[[Category:博士(文学)取得者]]
[[Category:Master of Arts取得者]]
[[Category:広島大学出身の人物]]
[[Category:ウィーン大学出身の人物]]
[[Category:ウィーン出身の人物]] | 2023-11-29T00:04:52Z | 2023-11-29T12:10:59Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:People-stub",
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"Template:Infobox scientist",
"Template:仮リンク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC |
4,859,862 | アンチコンフィチュール | 「アンチコンフィチュール」は、日本の女性アイドルグループ・≠MEの楽曲。作詞は指原莉乃、作曲は長沢知亜紀、Shun Sakaguchi、no myが担当した。2023年12月20日に≠MEの8thシングルとしてキングレコードから発売された。楽曲のセンターポジションは冨田菜々風が務めた。
Type-A・Type-B・Type-C(CD+DVD)、ノイミー盤(CDのみ)の4形態でのリリース。
(センター:冨田菜々風)
(センター:谷崎早耶)
(センター:永田詩央里、本田珠由記) | [
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"text": "(センター:永田詩央里、本田珠由記)",
"title": "歌唱メンバー"
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] | 「アンチコンフィチュール」は、日本の女性アイドルグループ・≠MEの楽曲。作詞は指原莉乃、作曲は長沢知亜紀、Shun Sakaguchi、no myが担当した。2023年12月20日に≠MEの8thシングルとしてキングレコードから発売された。楽曲のセンターポジションは冨田菜々風が務めた。 | {{Infobox Single
| Name = アンチコンフィチュール
| Artist = [[≠ME]]
| Album =
| A-side =
| B-side = 初恋カムバック<br />ヒロインとオオカミ
| Released = [[2023年]][[12月20日]]
| Format = [[シングル|マキシシングル]]<br />[[音楽配信|デジタル・ダウンロード]]
| Recorded =
| Genre = [[J-POP]]
| Length =
| Label = [[キングレコード]]
| Lyricist = [[指原莉乃]]
| Composer = 長沢知亜紀、Shun Sakaguchi、[[no my]]
| Producer = 指原莉乃
| Certification =
| Chart position = * 週間1位([[オリコンチャート|オリコン]])<ref>{{cite web|url=https://www.oricon.co.jp/rank/js/w/2024-01-01/|title=オリコン週間シングルランキング 2024年01月01日付|publisher=oricon ME|accessdate=2023-12-27}}</ref>
* 週間1位([[Billboard Japan Top Singles Sales]])<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=sales&year=2024&month=01&day=01|title=Billboard Japan Top Singles Sales 2023/12/27 公開|publisher=Billboard JAPAN|accessdate=2023-12-27}}</ref>
* 週間4位([[Billboard Japan Hot 100]])<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2024&month=01&day=01|title=Billboard Japan Hot 100 2023/12/27 公開|publisher=Billboard JAPAN|accessdate=2023-12-27}}</ref>
| Last single = [[想わせぶりっこ]]<br />(2023年)
| This single = ''' アンチコンフィチュール '''<br />(2023年)
| Next single =
| Misc =
| Reviews =
}}
「'''アンチコンフィチュール'''」は、[[日本]]の女性アイドルグループ・[[≠ME]]の楽曲。作詞は[[指原莉乃]]、作曲は長沢知亜紀、Shun Sakaguchi、[[no my]]が担当した。[[2023年]][[12月20日]]に≠MEの8thシングルとして[[キングレコード]]から発売された<ref name="8th">{{Cite web|和書|title=2023年12月20日(水)発売 8thシングル「アンチコンフィチュール」ジャケット写真・新アーティスト写真・タイトル・収録内容一部解禁!|url=https://not-equal-me.jp/news/detail/3754|date=2023-11-28|accessdate=2023-11-28|website=≠ME OFFICIAL WEBSITE|publisher=代々木アニメーション学院}}</ref>。楽曲のセンターポジションは[[冨田菜々風]]が務めた<ref name="nata">{{Cite news |title=≠MEの8thシングルは強いメッセージ込めたダンスナンバー、MVで表現する“甘いだけが私じゃない”|url=https://natalie.mu/music/news/550918|date=2023-11-28|accessdate=2023-11-28|newspaper=音楽ナタリー |publisher=ナターシャ }}</ref>。
== 概要 ==
Type-A・Type-B・Type-C(CD+DVD)、ノイミー盤(CDのみ)の4形態でのリリース<ref name="8th"/>。
== アートワーク ==
{| class="wikitable" style="line-height:1.2em; font-size:small"
|+ジャケット写真のメンバー
|Type-A
|冨田菜々風
|-
|Type-B
|落合希来里・川中子奈月心・谷崎早耶・冨田菜々風・永田詩央里・本田珠由記
|-
|Type-C
|尾木波菜・蟹沢萌子・河口夏音・櫻井もも・菅波美玲・鈴木瞳美
|-
|ノイミー盤
|全員
|}
== ミュージック・ビデオ ==
; アンチコンフィチュール
: 監督:QQQ<ref name="MV1">{{YouTube|vitK9NPwtBQ|≠ME(ノットイコールミー)/ 8th Single『アンチコンフィチュール 』【MV full】}}</ref> / 振付:[[Ruu]]<ref name="MV1"/>
; 初恋カムバック
: 監督:中山佳香<ref name="MV2"> {{YouTube|AdNQePHaf54|≠ME(ノットイコールミー)/ 8th Single c/w『初恋カムバック』【MV full】}}</ref> / 振付:三ツ井裕美<ref name="MV2"/>
; ヒロインとオオカミ
: 監督:吉川エリ<ref name="MV3"> {{YouTube|b_GPq9bvS5w|≠ME(ノットイコールミー)/ 8th Single c/w『ヒロインとオオカミ』【MV full】}}</ref> / 振付:[[CRE8BOY]]<ref name="MV3"/>
<!--
== メディアでの使用 ==
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== 歌唱メンバー ==
; アンチコンフィチュール
(センター:[[冨田菜々風]])<ref name="nata"/>
* [[尾木波菜]]、落合希来里、[[蟹沢萌子]]、河口夏音、川中子奈月心、櫻井もも、[[菅波美玲]]、[[鈴木瞳美]]、[[谷崎早耶]]、冨田菜々風、永田詩央里、本田珠由記
;初恋カムバック
(センター:谷崎早耶)<ref name="MV2" /><ref>{{Cite web |title=≠ME、純粋な恋心を描いた「初恋カムバック」MV公開 センターは谷崎早耶(動画あり / 谷崎早耶コメントあり) |url=https://natalie.mu/music/news/553614 |website=音楽ナタリー |date=2023-12-17|access-date=2023-12-21 |language=ja |publisher=ナターシャ}}</ref>
* 尾木波菜、落合希来里、蟹沢萌子、河口夏音、川中子奈月心、櫻井もも、菅波美玲、鈴木瞳美、谷崎早耶、冨田菜々風、永田詩央里、本田珠由記
;ヒロインとオオカミ
(センター:永田詩央里、本田珠由記)<ref name="MV3" /><ref>{{Cite web |title=≠ME、永田詩央里&本田珠由記のWセンター曲「ヒロインとオオカミ」MV解禁! - モデルプレス |url=https://mdpr.jp/music/detail/4110545 |website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース |date=2023-12-20 |access-date=2023-12-21 |language=ja}}</ref>
* 尾木波菜、落合希来里、蟹沢萌子、河口夏音、川中子奈月心、櫻井もも、菅波美玲、鈴木瞳美、谷崎早耶、冨田菜々風、永田詩央里、本田珠由記
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* キングレコード
** [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIZM-791/ Type-A]
** [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIZM-793/ Type-B]
** [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIZM-795/ Type-C]
** [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gNMAX-1427/ ノイミー盤]
* ミュージック・ビデオ
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** {{YouTube|AdNQePHaf54|≠ME(ノットイコールミー)/ 8th Single c/w『初恋カムバック』【MV full】}}
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[[Category:2023年のシングル]]
[[Category:≠MEの楽曲]]
[[Category:指原莉乃が制作した楽曲]]
[[Category:楽曲 あ|んちこんふいちゆうる]] | 2023-11-29T00:07:19Z | 2023-12-30T11:18:29Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB |
4,859,865 | 大木伸夫 (ミュージシャン) | 大木 伸夫(おおき のぶお、1977年8月3日 - )は、日本のミュージシャン。ロックバンド「ACIDMAN」のボーカル・ギター。同バンドのリーダーであり、作詞・作曲を担当。FREESTAR所属(事務所代表)。埼玉県川越市出身。
明治薬科大学出身で、薬剤師免許を取得している。
中学時代に兄の影響でギターを始め、埼玉県私立西武文理高校進学後、軽音楽部にて佐藤雅俊、浦山一悟と出会い、卒業後当時4人組としてバンド活動を行う(大木の担当はギター)。ボーカルの脱退に伴い、大木がボーカル・ギターを担当するようになる。下北沢・渋谷を中心にACIDMANとして本格的に活動を開始。
明治薬科大学を卒業をし、薬剤師免許を取得している。
インディーズ盤「赤橙」「酸化空」リリースを経て、2002年東芝EMIより1st ALBUM「創」でメジャーデビュー。
2017年、結成20周年の集大成として故郷埼玉県、さいたまスーパーアリーナにてロックフェス「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」を初主催。2022年、5年ぶりにさいたまスーパーアリーナにて「 “SAI” 2022」を開催し、2日間で約4万人を動員。
なお、「SAI」のキービジュアルは大木作画によるもの。
大の宇宙好き、宇宙マニアとして知られ、自然科学研究機構国立天文台上席教授・渡部潤一、理学博士・吉川真、宇宙科学研究所助教・春山純一、宇宙飛行士・油井亀美也、理論物理学者・佐治晴夫など多くの宇宙航空分野の専門家との対談を行なう。NHK BSプレミアム「コズミックフロント☆NEXT」への出演時には、その豊富な知識を披露している。
また、ファンコミュニティアプリFaniconにて開設している自身のファンサイトにおいて、「宇宙講座」と題した動画コンテンツを不定期に配信している。
「ALMA」は、アタカマ砂漠にあるアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array, ALMA)の計画を知った大木がインスピレーションを受けて付けたタイトルであり、ミュージックビデオの撮影では、実際に建設中の現地を訪れ、アンテナの操作なども行っている。
1986年(当時9歳)、地元である埼玉県川越市「川越市児童センターこどもの城」にて行われたハレー彗星観測イベントに参加。2021年、当時と同じ天体観測室にて「innocence」のミュージックビデオを撮影。
2023年8月、2010年に発表した楽曲が、国際天文学連合(IAU)主催・アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議「APRIM2023」のテーマソングとなる。福島県郡山市で開催された会議に参加し、世界中の研究者など参加者へ向けてスピーチ及び「ALMA」の歌唱を披露。
2019年10月、ACIDMANの音楽を使用し、大木自身がプログラム監修及びナレーションを務めたプラネタリウムプログラム「Starry Music Special Edition~music by ACIDMAN~」が、東京・コスモプラネタリウム渋谷にて投影開始。同館最大級の動員数を誇る番組となり、半年間を予定していた投影期間が1年に延長される。その後2021年、最新の宇宙のトピックを取り上げるなど内容をアップグレードした「星になるまで~music by ACIDMAN~」が制作される。全国配給作品として、2023年現在も各地で投影されている。
再生可能エネルギー電力を提供するみんな電力「アーティスト電力」にて、“大木伸夫発電所”を開設。
2013年6月3日、所属事務所「FREE STAR」を立ち上げ、代表取締役社長に就任。
2021年、yamaへ「世界は美しいはずなんだ」を楽曲提供。作詞作曲、プロデュース、Guitar、Bass演奏を担当する。その後、yamaへは「光の夜」 も楽曲提供している。(作詞作曲、プロデュース) | [
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] | 大木 伸夫は、日本のミュージシャン。ロックバンド「ACIDMAN」のボーカル・ギター。同バンドのリーダーであり、作詞・作曲を担当。FREESTAR所属(事務所代表)。埼玉県川越市出身。 明治薬科大学出身で、薬剤師免許を取得している。 | {{Infobox Musician
|名前 = 大木 伸夫
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|出生名 = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
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'''大木 伸夫'''(おおき のぶお、1977年8月3日 - )は、日本の[[音楽家|ミュージシャン]]。ロックバンド「[[ACIDMAN]]」の[[ボーカル]]・[[ギター]]。同バンドのリーダーであり、[[作詞]]・[[作曲]]を担当。FREESTAR所属(事務所代表)。[[埼玉県]][[川越市]]出身。
[[明治薬科大学]]出身で、[[薬剤師免許]]を取得している。
== 略歴 ==
中学時代に兄の影響で[[ギター]]を始め、[[西武学園文理中学校・高等学校|西武文理高校]]進学後、軽音楽部で佐藤雅俊、浦山一悟と出会い、卒業後当時4人組としてバンド活動を行う(大木の担当はギター)。[[ボーカル]]の脱退にともない、大木がボーカル・ギターを担当するようになる。[[下北沢]]・[[渋谷]]を中心に[[ACIDMAN]]として本格的に活動を開始した。
インディーズ盤「赤橙」「酸化空」リリースを経て、2002年に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]より1st ALBUM「創」でメジャーデビューした。
2017年、結成20周年の集大成として故郷・埼玉県の[[さいたまスーパーアリーナ]]でロックフェス「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」を初主催した。2022年、5年ぶりにさいたまスーパーアリーナで「 “SAI” 2022」を開催し、2日間で約4万人を動員した。
なお、「SAI」のキービジュアルは大木作画によるもの。
大の[[宇宙]]好き、宇宙[[マニア]]として知られ、自然科学研究機構[[国立天文台]]上席教授・[[渡部潤一]]、理学博士・[[吉川真]]、[[宇宙科学研究所]]助教・春山純一、[[宇宙飛行士]]・[[油井亀美也]]、[[理論物理学者]]・[[佐治晴夫]]など多くの宇宙航空分野の[[専門家]]との[[対話|対談]]を行なう。[[NHK BSプレミアム]]「[[コズミックフロント☆NEXT]]」への出演時には、その豊富な知識を披露している。
また、ファンコミュニティアプリFaniconで開設している自身のファンサイトにおいて、「宇宙講座」と題した[[動画]]コンテンツを不定期に配信している。
「[[ALMA (ACIDMANの曲)|ALMA]]」は、[[アタカマ砂漠]]にある[[アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計]](Atacama Large Millimeter/submillimeter Array, ALMA)の計画を知った大木が[[インスピレーション4|インスピレーション]]を受けて付けたタイトルであり、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックビデオ]]の[[撮影]]では、実際に建設中の現地を訪れ、アンテナの操作なども行っている。
1986年(当時9歳)、地元にある「川越市児童センターこどもの城」で行われた[[ハレー彗星]]観測イベントに参加した。2021年、当時と同じ天体観測室で「[[INNOCENCE (ACIDMANのアルバム)|innocence]]」のミュージックビデオを撮影した。
2023年8月、2010年に発表した楽曲が[[国際天文学連合]](IAU)主催・アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議「APRIM2023」の[[主題歌|テーマソング]]となる。[[福島県]][[郡山市]]で開催された会議に参加し、世界中の研究者など参加者へ向けて[[演説|スピーチ]]及び「ALMA」の歌唱を披露した。
2019年10月、ACIDMANの音楽を使用し、大木自身がプログラム監修及びナレーションを務めたプラネタリウムプログラム「Starry Music Special Edition~music by ACIDMAN~」が、東京・コスモプラネタリウム渋谷で投影開始した。同館最大級の動員数を誇る番組となり、半年間を予定していた投影期間が1年に延長される。その後2021年、最新の宇宙のトピックを取り上げるなど内容をアップグレードした「星になるまで~music by ACIDMAN~」が制作される。全国配給作品として、2023年現在も各地で投影されている。
[[再生可能エネルギー]][[電力]]を提供するみんな電力「アーティスト電力」で“大木伸夫発電所”を開設した。
2013年6月3日、所属事務所「FREE STAR」を立ち上げ、[[代表取締役]][[社長]]に就任した。
2021年、[[yama]]へ「世界は美しいはずなんだ」を楽曲提供した。[[作詞]][[作曲]]、[[プロデューサー|プロデュース]]、[[ギター|Guitar]]、[[ベース (弦楽器)|Bass]]演奏を担当する。その後、yamaへは「光の夜」 も楽曲提供している。(作詞作曲、プロデュース)
== 人物 ==
* 通称「オオキ」「先生」「社長」など。
* 身長180[[センチメートル|cm]]
* 目印はCA4LA、Borsalino、などのハット
* 実家は[[薬局]]である(父と兄も薬剤師)。
* 兄の妻(義姉)はライター・作家の[[奥山貴宏]]の妹である。
* [[宇宙]]好き、宇宙[[マニア]]。
* [[読書]]を[[趣味]]の一つとし、多くの本を読んでいる。[[村上春樹]]のファンを公言し「[[世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド]]」がフェイバリット。また、「[[星の王子さま]]」([[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]])、「[[はてしない物語]]」([[ミヒャエル・エンデ]])などのファンタジーの他、[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]、[[絵本]]、宇宙や[[科学]]関連、アートブックなど、幅広い[[ジャンル]]の[[本]]を所有する。
* [[映画]]や[[絵画]]など、アートへの造詣も深い。映画は「[[インターステラー (映画)|インターステラー]]」、「[[メッセージ (映画)|メッセージ]]」など[[SF映画]]を好み、フェイバリット監督は[[是枝裕和]]や[[クリストファー・ノーラン]]だが、ジャンルを問わず非常に幅広く鑑賞しており、宇宙に次ぐ知識を持つ。
* [[椅子]]などの[[家具]]の[[知識]]も豊富で、特にミッドセンチュリーを好み、自身でも多く所有している。[[北海道]][[東川町]]を訪れた際には、椅子[[研究家]]の[[織田憲嗣]]による織田コレクションギャラリーを訪問し、本人と対面した記念写真をACIDMANの公式インスタグラムで公開している。
* [[手塚治虫]]作品を好み、自身の主催フェス「SAI」では、[[コラボレーション]]GOODSを発売している。
* 幼少期は[[画家]]への憧れがあり、2nd Album「Loop」ジャケット、主催フェス「SAI」のキービジュアル作画をはじめ、ACIDMANの多くの[[アートワーク (音楽業界用語)|アートワーク]]を手掛けている。
* 俳優・[[斎藤工]]、芸人・[[フットボールアワー]][[岩尾望]]などとも親交があり(両名はACIDMAN主催フェス「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”2022」ではMCとして参加)、業界を問わず交友関係が広い。
* 『[[水曜どうでしょう]]』([[北海道テレビ放送]])ファンである事を[[北海道]]公演のMC等で度々公言しており、ライブDVDのドキュメンタリーも『水曜どうでしょう』を意識したテロップや編集がなされている。また番組ディレクターの[[藤村忠寿]]と親交がありライブの打ち上げ等に参加している他、アニバーサリーに際してメッセージも送られている。 「水曜どうでしょう祭 FESTIVAL in SAPPORO 2019」ではサプライズで登場し「[[1/6の夢旅人]]」を歌唱した。
== 対談 ==
* [[自然科学研究機構]][[国立天文台]]上席[[教授]]・[[渡部潤一]]
** TOKYO FM「三菱電機 presents 星に願いを ~Journey To The Stars~」<ref>[https://www.tfm.co.jp/company/pdf/news000942.pdf TOKYO FM「三菱電機 presents 星に願いを ~Journey To The Stars~」]</ref>
** 宝島社刊「アルマ望遠鏡が見た宇宙」<ref>[https://alma-telescope.jp/news/mt-post_605 宝島社刊「アルマ望遠鏡が見た宇宙」]</ref>
** 三菱電機「DSPACE」、[[福島中央テレビ]]「二畳半レコード」で<ref>[https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/special/cw_10th/vol2_1.html ウェブサイト三菱電機「DSPACE」]</ref>
* [[理学博士]]・[[吉川真]]:[[2019年]][[10月13日]]「宙フェス 2019」で
* [[宇宙科学研究所]][[助教]]・春山純一:[[2019年]][[11月16日]]「宙フェス2019東京日本橋」で
* [[宇宙飛行士]]・[[油井亀美也]]:[[2021年]][[11月5日]] [[NHK音楽祭]]2021「地球のミライ コンサート」で
* [[理論物理学者]]・[[佐治晴夫]]:[[2022年]][[6月5日]] [[北海道]][[東川町]]文化ギャラリーにて開催された企画展「宇宙への扉」内トークイベント「だから宇宙は美しい」で
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://acidman.jp/ ACIDMAN OFFICIAL WEB SITE]
* [https://www.universal-music.co.jp/acidman/ ACIDMAN - Universal Music Japan]
* {{Twitter|ACIDMAN_staff|ACIDMAN_staff}}
* {{Facebook|ACIDMAN.Official|ACIDMAN}}
* {{YouTube|user=AcidmanVEVO}}
* [http://acidman.jp/20thAnniversary/ ACIDMAN 20th Anniversary Special Site]
* [http://freestar.jp/ FREESTAR]
* {{Instagram|acidman_official}}
* {{YouTube|channel=UCOmA6AwQH-0E4QuhFidTd9g|ACIDMAN Official Channel}}
** [https://www.youtube.com/playlist?list=PLNYTQ2DdD26IbIa_HGwKSKK4VXUGPqQ8N ミュージックビデオ - YouTube(再生リスト)]
{{ACIDMAN}}
{{DEFAULTSORT:おおき のふお}}
[[Category:埼玉県出身の人物]]
[[Category:明治薬科大学出身の人物]]
[[Category:日本の男性作曲家]]
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[[Category:フジロック・フェスティバル出演者]]
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[[Category:日本の薬剤師]] | 2023-11-29T00:15:43Z | 2023-12-04T20:51:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E4%BC%B8%E5%A4%AB_(%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3) |
4,859,866 | 不滅の戦隊ヒーロー大全集 | 『不滅の戦隊ヒーロー大全集』(ふめつのせんたいひーろーだいぜんしゅう)は、テレビ朝日で1995年3月21日に放送された特別番組(バラエティ番組 / クイズ番組)である。
当時20周年を迎えていた「スーパー戦隊シリーズ」からあらゆる事項を紹介すると共に、それらをクイズにしていた。
解答席の構成は次の通り。 | [
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] | 『不滅の戦隊ヒーロー大全集』(ふめつのせんたいひーろーだいぜんしゅう)は、テレビ朝日で1995年3月21日に放送された特別番組である。 | {{Pathnav|スーパー戦隊シリーズ|frame=1}}
{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = 不滅の戦隊ヒーロー大全集<br />~懐かしのゴレンジャーから20年㊙名場面一挙公開~
| 画像 =
| 画像説明 =
| ジャンル = [[特別番組]]([[バラエティ番組]]/[[クイズ番組]])
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| 言語 = {{Flagicon|JPN}}[[日本語]]
| 企画 =
| 構成 = 植木幹雄
| 製作総指揮 =
| ディレクター = 勝股俊通(CD)、中村靖則
| 演出 =
| 原作 =
| 脚本 =
| プロデューサー = 成田信夫、吉井惇、新井清
| 司会者 = [[田代まさし]]<br />[[相原勇]]
| 出演者 = 別項
| 声の出演 = [[大平透]]
| ナレーター = [[水島裕 (声優)|水島裕允]]
| 音声 =
| 字幕 =
| データ放送 =
| OPテーマ =
| EDテーマ =
| 時代設定 =
| 外部リンク =
| 外部リンク名 =
}}
『'''不滅の戦隊ヒーロー大全集'''』(ふめつのせんたいひーろーだいぜんしゅう)は、[[テレビ朝日]]で[[1995年]][[3月21日]]に放送された[[特別番組]]([[バラエティ番組]] / [[クイズ番組]])である。
==概要==
当時20周年を迎えていた「[[スーパー戦隊シリーズ]]」からあらゆる事項を紹介すると共に、それらをクイズにしていた。
==司会==
*[[田代まさし]]
*[[相原勇]]
==解答者==
* '''南原親子チーム'''<ref group="注釈" name="一般">一般視聴者によるチーム。</ref>
* '''樋口親子チーム'''<ref group="注釈" name="一般"/><ref group="注釈">2人だけなので、[[さとう珠緒|珠緒]](超力戦隊オーレンジャー・オーピンク/丸尾桃)がサポート役で参加。</ref>
* '''馬場親子チーム'''<ref group="注釈" name="一般"/>
* '''[[重甲ビーファイター]]チーム'''
** [[土屋大輔]](ブルービート/甲斐拓也)
** [[金井茂]](ジースタッグ/片霧大作)
** [[葉月レイナ]](初代レッドル/羽山麗)
* '''[[超力戦隊オーレンジャー]]チーム'''
** [[宍戸マサル|宍戸勝]](オーレッド/星野吾郎)
** [[正岡邦夫]](オーグリーン/四日市昌平)
** [[合田雅吏]](オーブルー/三田裕司)
* '''戦隊OBチーム'''
** [[宮内洋]]([[秘密戦隊ゴレンジャー]]・アオレンジャー/新命明、[[ジャッカー電撃隊]]・ビッグワン/番場壮吉)<ref group="注釈">オーレンジャーで演じている三浦参謀長の衣裳で出演</ref>
** [[若松俊秀]]([[鳥人戦隊ジェットマン]]・ブラックコンドル/結城凱)
** [[小牧りさ]](秘密戦隊ゴレンジャー・モモレンジャー/ペギー松山)
* '''テレビ朝日アナウンサーチーム'''
** [[真鍋由]]
** [[野村華苗]]
** [[大下容子]]
* '''[[よゐこ]]チーム'''<ref group="注釈">2人だけなので、[[穂高あゆみ|麻生あゆみ]](超力戦隊オーレンジャー・オーイエロー/二条樹里)がサポート役で参加</ref>
* '''[[シェイプUPガールズ]]チーム'''<ref group="注釈">唯一の4人チーム</ref>
解答席の構成は次の通り。オーレンジャーの女性メンバーはオーレンジャーチーム寄りに着席。
{| class="wikitable"
|南原親子||ビーファイター||テレ朝アナ
|-
|樋口親子||オーレンジャー||よゐこ
|-
|馬場親子||戦隊OB||シェイプUP
|}
==VTR出演==
* [[佐竹雅昭]]
* [[岩本輝雄]]
* [[武内直子]]
* [[千葉麗子]]([[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]・プテラレンジャー/メイ)
==ショー出演==
*[[大平透]](皇帝バッカスフンドの声役)
* 不明(バラノイア行動隊長・バラキラー役)<ref group="注釈">当番組のオリジナルキャラでオーレンジャー本編には未登場</ref>
== 内容 ==
* 戦隊ヒーローの必殺技
* 巨大メカ・ロボット
* あなたにとって戦隊シリーズとは?
* 戦隊シリーズの魅力のルーツ
* 悪の組織・怪人
* オーレンジャー対バラノイアショー
* ヒーローショー・[[パワーレンジャー]]
* ゲスト出演した有名人
* 戦隊シリーズのメッセージ
* 戦隊ヒーローの好物
== クイズのルール ==
* 全問筆記による解答で、1問正解につき10ポイント加点。その経過は得点盤で表記されていた。最終的に得点の多いチームが優勝。
== クイズの優勝チーム ==
*シェイプUPガールズチーム
==スタッフ==
*構成:植木幹雄
*ナレーター:[[水島裕 (声優)|水島裕允]]
*技術協力:[[千代田ビデオ]]
*TD:近藤誠
*カメラ:奥野明彦
*音声:常田幸光
*照明:向出進
*VE:日高節夫
*VTR:山田映一
*デザイン:桜井正浩
*編集:斎藤伸一
*MA:村田昌栄
*選曲:[[宮葉勝行]]
*音響効果:山崎尚志、[[大泉音映]]
*TK:長坂真由美
*ヘア&メイク:ヘア&メイク特攻隊
*協力:[[東映ビデオ]]、[[東映テレビプロダクション]]、[[東映ラボ・テック|東映化学工業]]
*アクション:[[ジャパンアクションクラブ]]
*スーパーバイザー:[[鈴木武幸]]、[[堀長文]]、[[日笠淳]]、[[髙寺成紀|高寺成紀]]、[[白倉伸一郎]]、[[丸山真哉]]、新井清、[[渡辺勝也]]
*プロデューサー補:米村宏
*ディレクター:中村靖則
*チーフディレクター:勝股俊通
*プロデューサー:[[梶淳]](テレビ朝日)、[[吉川進]]・吉井惇(東映)、山田哲也(千代田ソフトプランニング)
*制作協力:千代田ソフトプランニング
*制作:テレビ朝日、東映
==関連項目==
*[[豪華時代劇スター大集合!爆笑大宴会]]
:当番組と同ラインで製作されていた特番。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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[[Category:スーパー戦隊シリーズ]]
[[Category:1995年のテレビ番組 (日本)]]
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[[Category:広報・番組宣伝番組]] | 2023-11-29T00:20:58Z | 2023-12-25T13:07:35Z | false | false | false | [
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4,859,869 | オラフ・イサクセン | オラフ・イサクセン(Olaf Wilhelm Isaachsen、1835年5月16日 - 1893年9月22日)は、ノルウェーの画家である。肖像画やノルウェーの風景や人々の生活を描いた。
ノルウェー南部、アグデル県のマンダールで生まれた。裕福な実業家の一族の出身で父親は弁護士であった。はじめ、いとこの女性画家ヘドヴィグ・エリクセン・ルンド(Hedevig Erichsen Lund: 1824–1888)とその夫のベルント・ルンド(Bernt Lund: 1812–1885)から絵を学んだ。1850年年からオスロ(当時の呼称はクリスチャニア)の美術学校で Joachim Frich(1810-1858) と Johannes Flintoe(1786-1870)に学んだ。1852年から陸軍士官学校で学び始めたが、病気のため1854年に中退した。
1854年から1858年まで、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、ヨーゼフ・ヴィンターゲルスト(Josef Wintergerst: 1783-1867)やカール・ミュラー(Karl Müller: 1818-1893)に学んだ。当時デュッセルドルフで活動していたノルウェー出身のアドルフ・ティーデマン(1814-1876)からも個人教授を受け、民族意識を基盤とするロマン主義のスタイルの影響を受けた。同時期にデュッセルドルフで修行していたノルウェーの画家、ペーテル・ニコライ・アルボ(1831-1897)とも知り合っていたとされる。デュッセルドルフの芸術家協会、「マルカステン」のメンバーとなった。
フィンランドから修行に来ていたアドルフ・フォン・ベッカー(1831-1909)とともに1859年にパリに移り、トマ・クチュールや写実主義の画家ギュスターヴ・クールベに学び、1862年までパリに滞在した。
イサクセンは、ノルウェーとドイツ国内だけでなく、ベルギー(1857年)、フランス(1861年、1867年)、イタリア(1863年)、イギリス(1859年、1862年)などに何度も訪れ、作品を描いた。
1864年にデュッセルドルフで獣医師の娘と結婚し、4人の子供が生まれたが、妻は1870年に結核で亡くなった。1864年から1866年の間はノルウエーのセテスダル(Setesdal)で暮らした。1870年代に再び国外で働き、デュッセルドルフやパリに長期滞在し、パリでは印象派の画家たちからも影響を受けた。
1893年にノルウエー南部の現在のクリスチャンサンの一部となっているVågsbygdで亡くなった。 | [
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] | オラフ・イサクセンは、ノルウェーの画家である。肖像画やノルウェーの風景や人々の生活を描いた。 | {{Infobox 芸術家
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'''オラフ・イサクセン'''(Olaf Wilhelm Isaachsen、[[1835年]][[5月16日]] - [[1893年]][[9月22日]])は、[[ノルウェー]]の画家である。肖像画やノルウェーの風景や人々の生活を描いた。
== 略歴 ==
ノルウェー南部、[[アグデル県]]の[[マンダール]]で生まれた。裕福な実業家の一族の出身で父親は弁護士であった。はじめ、いとこの女性画家[[ヘドヴィグ・ルンド|ヘドヴィグ・エリクセン・ルンド]](Hedevig Erichsen Lund: 1824–1888)とその夫のベルント・ルンド(Bernt Lund: 1812–1885)から絵を学んだ。1850年年から[[オスロ]](当時の呼称はクリスチャニア)の美術学校で Joachim Frich(1810-1858) と Johannes Flintoe(1786-1870)に学んだ。1852年から陸軍士官学校で学び始めたが、病気のため1854年に中退した。
1854年から1858年まで、[[デュッセルドルフ美術アカデミー]]に入学し、ヨーゼフ・ヴィンターゲルスト(Josef Wintergerst: 1783-1867)やカール・ミュラー(Karl Müller: 1818-1893)に学んだ。当時[[デュッセルドルフ]]で活動していたノルウェー出身の[[アドルフ・ティーデマン]](1814-1876)からも個人教授を受け、民族意識を基盤とする[[ロマン主義]]のスタイルの影響を受けた<ref>Bettina Baumgärtel, Sabine Schroyen, Lydia Immerheiser, Sabine Teichgröb: ''Verzeichnis der ausländischen Künstler und Künstlerinnen. Nationalität, Aufenthalt und Studium in Düsseldorf''. In: Bettina Baumgärtel (Hrsg.): ''Die Düsseldorfer Malerschule und ihre internationale Ausstrahlung 1819–1918''. Michael Imhof Verlag, Petersberg 2011, ISBN 978-3-86568-702-9, Band 1, S. 433</ref>。同時期に[[デュッセルドルフ]]で修行していたノルウェーの画家、[[ペーテル・ニコライ・アルボ]](1831-1897)とも知り合っていたとされる。デュッセルドルフの芸術家協会、「マルカステン」のメンバーとなった<ref>Wend von Kalnein: ''Der Einfluß Düsseldorfs auf die Malerei außerhalb Deutschlands''. In: Wend von Kalnein (Hrsg.): ''Die Düsseldorfer Malerschule'', Verlag Philipp von Zabern, Mainz 1979, ISBN 3-8053-0409-9, S. 200</ref>。
フィンランドから修行に来ていた[[アドルフ・フォン・ベッカー]](1831-1909)とともに1859年にパリに移り、[[トマ・クチュール]]や写実主義の画家[[ギュスターヴ・クールベ]]に学び、1862年までパリに滞在した。
イサクセンは、ノルウェーとドイツ国内だけでなく、ベルギー(1857年)、フランス(1861年、1867年)、イタリア(1863年)、イギリス(1859年、1862年)などに何度も訪れ、作品を描いた。
1864年にデュッセルドルフで獣医師の娘と結婚し、4人の子供が生まれたが、妻は1870年に結核で亡くなった。1864年から1866年の間はノルウエーのセテスダル(Setesdal)で暮らした。1870年代に再び国外で働き、デュッセルドルフやパリに長期滞在し、パリでは印象派の画家たちからも影響を受けた。
1893年にノルウエー南部の現在の[[クリスチャンサン]]の一部となっているVågsbygdで亡くなった。
== 作品 ==
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File:Olaf Isaachsen - Old Farm Interior from Setesdal - NG.M.01177 - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|老人のいる農家の室内 (1869)<br> [[オスロ国立美術館]]
File:Olaf Isaachsen - Friars in an Evening Landscape - NG.M.00666 - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|修道士のいる夕方の風景 (1884) <br> オスロ国立美術館
File:Olaf Isaachsen - The winding of St. Olav's Body - NG.M.00984 - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|[[オーラヴ2世 (ノルウェー王)|聖オーラヴ]]に包帯を巻く人 (1880) <br> オスロ国立美術館
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File:Olaf Isaachsen - Cleopatra - NG.M.04147 - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|クレオパトラ (1860) <br> [[オスロ国立美術館]]
File:Olaf Isaachsen - Farmer from Setesdal smoking a Pipe - NG.M.01070 - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|パイプで喫煙するセテスダルの農夫 (1860s) <br> オスロ国立美術館
File:Olaf Isaachsen - Portrait of Wilhelmine Seippel - NG.M.00446e - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|肖像画 (1870) <br> オスロ国立美術館
File:Olaf Isaachsen - Tore Hund by St. Olav's Body - NG.M.00446c - National Museum of Art, Architecture and Design.jpg|[[オーラヴ2世 (ノルウェー王)|聖オーラヴ]]の側のソリール・フンド (1881)<br> オスロ国立美術館
</gallery>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* Isaachsen, Olaf. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 19: Ingouville–Kauffungen. E. A. Seemann, Leipzig 1926, S. 229 (biblos.pk.edu.pl).
* Sigurd Willoch: Olaf Isaachsen, Aschehoug 1926
* Sigurd Willoch: Olaf Isaachsen. In: Norske mesterverker i Nasjonalgalleriet Oslo, Oslo 1981, S. 52–54
* Gunvald Opstad: Olaf Isaachsen. Aschehoug 1993
* Tone Klev Furnes: Èn by – fem kunstnere, Vigmostad & Bjørke AS 2005
* Tone Klev Furnes: Olaf Isaachsen, Vigmostad & Bjørke AS 2009
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いさくせん おらふ}}
[[Category:19世紀ノルウェーの画家]]
[[Category:ヴェスト・アグデル県出身の人物]]
[[Category:1835年生]]
[[Category:1893年没]] | 2023-11-29T00:36:34Z | 2023-11-29T23:49:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3 |
4,859,877 | Promise You!! | 「Promise You!!」(プロミス・ユー)は、2016年8月10日にキングレコードから発売された、ゆいかおりの12枚目のシングルである。なお本作は、ゆいかおりの活動休止(2017年6月)前にリリースされた最後のシングルとなった。
前作「Ring Ring Rainbow!!」から約1年ぶりとなるシングルで、表題曲「Promise You!!」はテレビアニメ「カードファイト!! ヴァンガードG ストライドゲート編」のエンディングテーマに採用された。販売形態はDVD付きの初回限定盤(KICM-91697)および通常盤(KICM-1698)の2種類で、DVDには「Ring Ring Rainbow!!」のMVとメイキング映像が収録されている。 | [
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] | 「Promise You!!」(プロミス・ユー)は、2016年8月10日にキングレコードから発売された、ゆいかおりの12枚目のシングルである。なお本作は、ゆいかおりの活動休止(2017年6月)前にリリースされた最後のシングルとなった。 | {{Infobox Single
| Name = Promise You!!
| Artist = [[ゆいかおり]]
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| Label = [[KING AMUSEMENT CREATIVE]]
| Writer = [[大森祥子]](作詞)<br />[[俊龍]](作曲)
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| Chart position = * 13位{{smaller|([[オリコンチャート|オリコン]])}}<ref name="oricon">{{Cite web|url=https://www.oricon.co.jp/prof/504427/products/1184952/1/|title=Promise You!!|publisher=[[オリコン]]||date=|accessdate=2023-11-29}}</ref>
* 42位<small>([[Billboard JAPAN#チャート|Billboard JAPAN HOT 100]])</small><ref>{{Cite web|date=2016-08-22|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=hot100&year=2016&month=08&day=22|title=Billboard JAPAN HOT 100 2016/08/22 付け|work=[[ビルボード|Billboard JAPAN]]|author=|publisher=[[阪神コンテンツリンク]]|accessdate=2023-11-29}}</ref>
* 16位<small>(Billboard JAPAN Hot Singles Sales)</small><ref>{{Cite web|date=2016-08-22|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=sales&year=2016&month=08&day=22|title=Billboard JAPAN Hot Singles Sales 2016/08/22 付け|work=Billboard JAPAN|author=|publisher=阪神コンテンツリンク|accessdate=2023-11-29}}</ref>
* 12位<small>(Billboard Japan Hot Animation)</small><ref>{{Cite web|date=2016-08-22|url=https://www.billboard-japan.com/charts/detail?a=anime&year=2016&month=08&day=22|title=Billboard Japan Hot Animation 2016/08/22 付け|work=Billboard JAPAN|author=|publisher=阪神コンテンツリンク|accessdate=2023-11-29}}</ref>
| Last single = [[Ring Ring Rainbow!!]]<br />([[2015年]])
| This single = '''Promise You!!'''<br />(2016年)
| Next single = (TBD)
| Misc = {{External music video|{{YouTube|edEfgemc6Rk|ゆいかおり「Promise You!!」MUSIC VIDEO(short ver.)}}<br />{{YouTube|vU5qk2oniFk|ゆいかおり「Promise You!!」SPOT}}<br />{{YouTube|8xqzrX39ZWE|ゆいかおり「Promise You!!」Making(short ver.)}}}}
}}「'''Promise You!!'''」(プロミス・ユー)は、[[2016年]][[8月10日]]に[[キングレコード第三クリエイティブ本部|キングレコード]]から発売された、[[ゆいかおり]]の12枚目の[[シングル]]である。なお本作は、ゆいかおりの活動休止(2017年6月)前にリリースされた最後のシングルとなった。
== 概要 ==
前作「[[Ring Ring Rainbow!!]]」から約1年ぶりとなるシングルで、表題曲「Promise You!!」はテレビアニメ「カードファイト!! ヴァンガードG ストライドゲート編」のエンディングテーマに採用された<ref>{{Cite web |title=ゆいかおり、真夏の新曲は「Promise You!!」 |url=https://natalie.mu/music/news/188192 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-09-23 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。販売形態はDVD付きの初回限定盤(KICM-91697)および通常盤(KICM-1698)の2種類で、DVDには「Ring Ring Rainbow!!」のMVとメイキング映像が収録されている。
== シングル収録内容 ==
=== 初回限定盤 ===
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!収録アルバム
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|[[2017年]][[6月21日]]
|}
== 出典 ==
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== 外部リンク ==
{{ゆいかおり}}
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[[Category:ゆいかおりの楽曲]]
[[Category:2016年のシングル]]
[[Category:KING AMUSEMENT CREATIVEの楽曲]]
[[Category:カードファイト!! ヴァンガードの音楽]]
[[Category:テレビ東京のテレビアニメ主題歌]]
[[Category:楽曲 ふ|ろみすゆう]] | 2023-11-29T01:37:36Z | 2023-11-30T03:51:20Z | false | false | false | [
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4,859,885 | Diamond 〜キボウノシルシ〜 | 「Diamond 〜キボウノシルシ〜」(ダイアモンド キボウノシルシ)は、日本のタレント・若槻千夏の楽曲で、2枚目のシングル(品番:VFCD-11011)。2004年4月7日にエイベックスの「Disc Du Soleil」(ディスク・ドゥ・ソレイユ)から発売。
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] | 「Diamond 〜キボウノシルシ〜」は、日本のタレント・若槻千夏の楽曲で、2枚目のシングル(品番:VFCD-11011)。2004年4月7日にエイベックスの「Disc Du Soleil」(ディスク・ドゥ・ソレイユ)から発売。 | {{Infobox Single
| Name = Diamond ~キボウノシルシ~
| Type = [[シングル]]
| Artist = [[若槻千夏]]
| B-side = あなたのいない雨
| Cover =
| Released = [[2004年]][[4月7日]]
| Genre = [[J-POP]]
| Length =
| Label = Disc Du Soleil([[エイベックス]])
| Producer =
| Chart position = *28位([[オリコンチャート|オリコン]])<ref name="os">[https://www.oricon.co.jp/prof/310678/products/541122/1/ 「Diamond~キボウノシルシ~」若槻千夏]([[オリコン|ORICON STYLE]])2023年11月29日閲覧。</ref>
*登場回数5回(オリコン)<ref name="os"/>
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| This single = '''Diamond 〜キボウノシルシ〜'''<br/>(2004年)
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}}
「'''Diamond 〜キボウノシルシ〜'''」(ダイアモンド キボウノシルシ)は、[[日本]]の[[タレント]]・[[若槻千夏]]の楽曲で、2枚目の[[シングル]](品番:VFCD-11011)。[[2004年]][[4月7日]]に[[エイベックス]]の「'''Disc Du Soleil'''」(ディスク・ドゥ・ソレイユ)から発売。
== 収録曲 ==
出典:<ref name="tower">{{Cite web|和書|date=|url=https://tower.jp/item/1079499/|title=Diamond ~キボウノシルシ~ [CCCD+DVD]
|work=|author=|publisher=[[タワーレコード]]|accessdate=2023-11-29}}</ref>
*全曲、編曲:[[ats-]]
# '''Diamond 〜キボウノシルシ〜'''
#:作詞:[[rom△ntic high]] 作曲:[[monk]]
#*[[PlayStation 2|PS2]]用ソフト「[[enjoy! Baseball]]」テーマソング
# '''あなたのいない雨'''
#:作詞:[[Yuko Ebine]] 作曲:[[瀧川潤]]
#*呪霊 劇場版 〜黒呪霊〜 主題歌
# Diamond 〜キボウノシルシ〜([[オフヴォーカル|Instrumental]])
# あなたのいない雨(Instrumental)
== 収録アルバム ==
*『[[Girl's BOX]] 〜Best Hits Compilation〜』
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references /></div>
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{{DEFAULTSORT:たいあもんときほうのしるし}}
[[Category:エイベックス・グループの楽曲]]
[[Category:2004年のシングル]]
[[Category:楽曲 た|いあもんときほうのしるし]] | 2023-11-29T02:26:22Z | 2023-11-29T02:30:44Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Diamond_%E3%80%9C%E3%82%AD%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%80%9C |
4,859,887 | フォード・クーガー | '''フォード・クーガー''' (COUGAR)は、1998 年から 2002 年までヨーロッパ市場でフォード・ヨーロッパによって生産・販売され、1999年から2002年までカナダと米国でマーキュリー・クーガーとして販売された2ドアのDセグメントクーペである。
この車は当初、プローブの3代目モデルとなるとなる予定であったが、米国で販売されていた3台のクーペのラインナップをまとめた後、プローブの名前は消滅した代わりに、クーガーが優先された。
クーガーは、フォードがヨーロッパでスポーツクーペを再導入する2度目の試みで、成功はしたものの長い間生産中止になっていたカプリと同様の試みであった。最初の試みはマツダ・MX-6ベースのフォード・プローブであった。カプリがフォード・コーティナをベースにしていたのと同じように、クーガーも当時販売されていた大型ファミリーカーであるフォード・モンデオをベースにしていた。
この車は1998年12月にヨーロッパで発売され、賛否両論あったが、その理由の一部は当時新しく物議を醸したニューエッジ・スタイルであり、この鮮明なスタイルはその後ほとんどのフォードブランドの車種に適用された。クーガーの販売水準は、先代のカプリに達しなかった。
(間接的な) 前身であるプローブと同様に、クーガーは米国で販売および製造された。ヨーロッパとイギリスで販売される予定の車は、ドイツにあるフォードのケルン工場で仕上げられ、そこでヨーロッパ仕様の灯火類とフォードのバッジが取り付けられた(イギリスとオーストラリア仕様の場合は右ハンドル車として仕上げられた)。米国ではマーキュリー・クーガーとして販売されたが、ヨーロッパとオーストラリアではフォード・クーガーとして知られていた。
イギリスでは、フォードが1998年7月にシルバーストーンで開催されたイギリスグランプリでこの車を発表した。テレビコマーシャルでは、映画「イージー・ライダー」に出演したデニス・ホッパーが運転するシルバーのモデルが特集された。同時に、ステッペンウルフの1968年の曲「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」が流れていたが、この曲は映画でも取り上げられていたものであり、広告でも同じシーンが再現された。
クーガーは、2001年2月にイギリスから撤退した後、2002年8月にヨーロッパ市場から撤退した。最初の2年間の生産後、イギリスではわずか12,000台しか販売されなかったと伝えられている。1999年10月にオーストラリアで発売されたクーガーには 2.5 L 24 バルブ Duratec V型6気筒エンジンのみが搭載され、販売は2004年3月まで続いた。
クーガーはフォード・モンデオのセダンプラットフォームに基づいて構築され、優れた乗り心地を提供し、他のクーペと比較して「適度に広々とした」室内空間を備えている。
クーガーには、モンデオギア (標準) およびギアX (単に X) とほぼ同等の2つの仕様レベルを持つ 2.0 L 16 バルブ Zetec エンジン、または 2.5 L 24 バルブ Duratec V6 エンジンが搭載されていた。マニュアルトランスミッションとオートマチックトランスミッションが用意されており、すべてのバリエーションに16インチのアルミホイールが標準装備された。
標準の 2.0 L バージョンの定格は 96 kW (131 hp) でしたが、2.5 L の定格は 125 kW (170 hp) だった。
この車のハンドリングは、「パワーを効果的に抑え、曲がりくねった道にも自信を持って挑むことができる」と評されています。標準ホイールには 215 mm 幅のタイヤが装備されており、これがコーナリング性能に貢献した。カー・アンド・ドライバー誌による長距離旅行での評価においては、「運転席に関する不満・課題点」が多数挙げられた。
より大きなエンジンでは「X-Pack」が利用可能だった。これには、運転席用の6段階電動調整機能を備えた革張りのヒーター付きフロント シート、および6枚のCDオートチェンジャーを備えたフォード RDS6000 6スピーカーラジオが含まれていた。
他にも追加できたオプション装備には、「X-Pack」には含まれていないヒーター付きフロントガラス、電動チルト、スライド式サンルーフ、メタリック塗装が含まれていた。
標準の安全キットには、運転席、助手席、サイド エアバッグに加え、胸部への損傷を軽減するアンチロック・ブレーキ・システムとシートベルトが含まれている。クーガーには、エンジンイモビライザー、遠隔制御、二重ロックシステム、警報装置が装備されていた。 | [
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] | '''フォード・クーガー''' (COUGAR)は、1998 年から 2002 年までヨーロッパ市場でフォード・ヨーロッパによって生産・販売され、1999年から2002年までカナダと米国でマーキュリー・クーガーとして販売された2ドアのDセグメントクーペである。 この車は当初、プローブの3代目モデルとなるとなる予定であったが、米国で販売されていた3台のクーペのラインナップをまとめた後、プローブの名前は消滅した代わりに、クーガーが優先された。 | {{distinguish|フォード・クーガ}}
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種 = 普通自動車
| 車名 = <!--未記入で記事名が入ります-->
| 車名補 = <!--車名註釈用-->
| 1枚目画像の説明 = フロント
| 1枚目画像名 = 2001 Ford Cougar 2 2.5 Front.jpg
| 2枚目画像の説明 = リア
| 2枚目画像名 = 2001_Ford_Cougar_2_2.5_Rear.jpg
| 3枚目画像の説明 = インテリア
| 3枚目画像名 = Ford Cougar 2.5 V6 (44309086585).jpg
| 別名 = マーキュリー・クーガー (8代目、北米市場)
| 製造国 = {{USA}}<br />{{GER}}
| 販売期間 = 1998 – 2002年 <br/> 1998年 – 2001年 (イギリス)
| 設計統括 =
| デザイン = ダレル・バーマー<ref name="Swan">{{cite web|last1=Swan |first1=Tony |title=1999 Mercury Cougar |url= https://www.caranddriver.com/reviews/a15140060/1999-mercury-cougar-long-term-road-test/ |work=Car & Driver |access-date=5 August 2022 |archive-url= https://web.archive.org/web/20170914143642/http://www.caranddriver.com/reviews/1999-mercury-cougar-long-term-road-test |archive-date=14 September 2017|url-status=live}}</ref>
| 乗車定員 =
| ボディタイプ = 2ドア[[クーペ]]
| エンジン位置 = フロント
| 駆動方式 = 前輪駆動
| プラットフォーム =
| エンジン = 本文参照
| モーター =
| 最高出力 = 本文参照
| 最大トルク = 本文参照
| トランスミッション = 5速[[マニュアルトランスミッション|MT]] <br/> 4速[[オートマチックトランスミッション|AT]]
| サスペンション =
| 前 =
| 後 =
| ホイールベース = {{convert|2704|mm|in|1|abbr=on}}
| 全長 = {{convert|4699|mm|in|1|abbr=on}}
| 全幅 = {{convert|1769|mm|in|1|abbr=on}}
| 全高 = {{convert|1308|mm|in|1|abbr=on}}
| 車両重量 = 本文参照
| 最大積載量 =
| 自由項目1(項目名) = 関連車種
| 自由項目1(内容) = [[フォード・モンデオ]]
| 自由項目2(項目名) =
| 自由項目2(内容) =
| 先代 = [[フォード・プローブ]]
| 後継 = [[フォード・マスタング]](4代目)
}}
'''フォード・クーガー''' (COUGAR)は、1998 年から 2002 年まで[[ヨーロッパ]]市場で[[フォード・モーター|フォード・ヨーロッパ]]によって生産・販売され、1999年から2002年まで[[カナダ]]と[[米国]]で[[マーキュリー・クーガー]]として販売された2ドアの[[Dセグメント]][[クーペ]]である。
この車は当初、プローブの3代目モデルとなるとなる予定であったが、米国で販売されていた3台のクーペのラインナップをまとめた後、プローブの名前は消滅した代わりに、クーガーが優先された。
== 歴史 ==
クーガーは、フォードがヨーロッパでスポーツクーペを再導入する2度目の試みで、成功はしたものの長い間生産中止になっていた[[マーキュリー・カプリ|カプリ]]と同様の試みであった。最初の試みは[[マツダ・MX-6]]ベースの[[フォード・プローブ]]であった。カプリが[[フォード・コーティナ]]をベースにしていたのと同じように、クーガーも当時販売されていた大型ファミリーカーである[[フォード・モンデオ]]をベースにしていた。
この車は1998年12月にヨーロッパで発売され、賛否両論あったが、その理由の一部は当時新しく物議を醸した[[フォード・ニューエッジデザイン|ニューエッジ・スタイル]]であり、この鮮明なスタイルはその後ほとんどのフォードブランドの車種に適用された。クーガーの販売水準は、先代のカプリに達しなかった。
(間接的な) 前身であるプローブと同様に、クーガーは米国で販売および製造された。ヨーロッパとイギリスで販売される予定の車は、[[ドイツ]]にあるフォードの[[ケルン]]工場で仕上げられ、そこでヨーロッパ仕様の灯火類とフォードのバッジが取り付けられた(イギリスとオーストラリア仕様の場合は[[右ハンドル|右ハンドル車]]として仕上げられた)。米国ではマーキュリー・クーガーとして販売されたが、ヨーロッパとオーストラリアではフォード・クーガーとして知られていた。
イギリスでは、フォードが1998年7月にシルバーストーンで開催されたイギリスグランプリでこの車を発表した。テレビコマーシャルでは、映画「[[イージー・ライダー]]」に出演したデニス・ホッパーが運転するシルバーのモデルが特集された。同時に、[[ステッペンウルフ]]の1968年の曲「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」が流れていたが、この曲は映画でも取り上げられていたものであり、広告でも同じシーンが再現された。
クーガーは、2001年2月にイギリスから撤退した後、2002年8月にヨーロッパ市場から撤退した。最初の2年間の生産後、イギリスではわずか12,000台しか販売されなかったと伝えられている。1999年10月にオーストラリアで発売されたクーガーには 2.5 L 24 バルブ Duratec [[V型6気筒]]エンジンのみが搭載され、販売は2004年3月まで続いた。
== プラットフォーム ==
クーガーはフォード・モンデオのセダンプラットフォームに基づいて構築され、優れた乗り心地を提供し、他のクーペと比較して「適度に広々とした」室内空間を備えている<ref>{{Cite web |title=Used Ford Cougar Coupe (1998 - 2002) Review |url=https://www.parkers.co.uk/ford/cougar/review/ |website=parkers.co.uk |date=6 June 2019 |access-date=5 August 2022}}</ref>。
== エンジン ==
クーガーには、モンデオギア (標準) およびギアX (単に X) とほぼ同等の2つの仕様レベルを持つ 2.0 L 16 バルブ Zetec エンジン、または 2.5 L 24 バルブ Duratec V6 エンジンが搭載されていた<ref name="channel4">{{Cite web |url=http://www.channel4.com/4car/rt/affordable+sports/full+road+test/513/5 |website=channel4.com |title=Ford Cougar (1998-2001) Review |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20080409222715/http://www.channel4.com/4car/rt/affordable+sports/full+road+test/513/5 |archive-date=9 April 2008 |access-date=5 August 2022}}</ref>。マニュアルトランスミッションとオートマチックトランスミッションが用意されており、すべてのバリエーションに16インチの[[アルミホイール]]が標準装備された。
=== 諸元 ===
{| class="wikitable" style="font-size:100%"
!
! width="150" |モンデオギア
! width="150" |ギアX
! width="150" |ギアX (AT車)
|- align="center" valign="middle"
!エンジン
|[[:en:Ford_Zeta_engine#2.0|Zetec, EDBA]]
| colspan="3" |[[:en:Ford_Duratec_V6_engine#2.5_L|Duratec]]
|- align="center" valign="middle"
!気筒/バルブ数
|[[直列4気筒]]/16バルブ
| colspan="32" |[[V型6気筒]]/24バルブ
|- align="center" valign="middle"
![[排気量]]
|1,988 cc
| colspan="2" |2,544 cc (2000年6月以降は2495 cc)
|- align="center" valign="middle"
!最高出力
|{{Convert|96|kW|0|abbr=on}} / 5,600 rpm<ref name="ukcougar">{{Cite web |url=http://www.ukcougar.com/techspec.htm |title=Ford Cougar - Technical Specifications |website=ukcougar.com |archive-url=https://web.archive.org/web/20080328004652/http://www.ukcougar.com/techspec.htm |archive-date=28 March 2008 |url-status=dead |access-date=5 August 2022}}</ref>
| colspan="2" |{{Convert|125|kW|0|abbr=on}} / 6,250 rpm<ref name="ukcougar"/>
|- align="center" valign="middle"
!最大トルク
|{{Convert|178|Nm|0|abbr=on}} / 4,000 rpm
| colspan="2" |{{Convert|220|Nm|0|abbr=on}} / 4,250 rpm
|- align="center" valign="middle"
!0–100 km/h
(0-62 mph)加速
|10.3 s
|8.6 s
|10.4 s
|- align="center" valign="middle"
!最高速度
|{{Convert|209|km/h|0|abbr=on}}
|{{Convert|225|km/h|0|abbr=on}}
|{{Convert|206|km/h|0|abbr=on}}
|- align="center" valign="middle"
!車両重量
|{{Convert|1315|kg|0|abbr=on}}
|{{Convert|1390|kg|0|abbr=on}}
|{{Convert|1410|kg|0|abbr=on}}
|- align="center" valign="middle"
!CO<sub>2</sub>排出量
|202 g/km
|228 g/km
|240 g/km
|- align="center" valign="middle"
!年式
|colspan="3" |1998年 – 2002年
|}
=== ハンドリング ===
この車のハンドリングは、「パワーを効果的に抑え、曲がりくねった道にも自信を持って挑むことができる」と評されている<ref>{{Cite web |access-date=5 August 2022 |archive-date=16 July 2011 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110716201709/http://www.parkers.co.uk/cars/reviews/ford/cougar-1998.aspx?model=271&page=2 |title=Car reviews; Ford Cougar (98-02) |url=http://www.parkers.co.uk/cars/reviews/ford/cougar-1998.aspx?model=271&page=2 |url-status=dead |website=parkers.co.uk}}</ref>。標準ホイールには 215 mm 幅の[[タイヤ]]が装備されており、これがコーナリング性能に貢献した。カー・アンド・ドライバー誌による長距離旅行での評価においては、「運転席に関する不満・課題点」が多数挙げられた。
=== その他 ===
より大きなエンジンでは「X-Pack」が利用可能だった。これには、運転席用の6段階電動調整機能を備えた革張りのヒーター付きフロント シート、および6枚のCDオートチェンジャーを備えたフォード RDS6000 6スピーカーラジオが含まれていた<ref name="UKG">{{Cite web |title=About the Ford Cougar |url=http://www.ukcougar.com/about_the_cougar.htm |website=ukcougar.com |archive-url=https://web.archive.org/web/20070322033132/http://www.ukcougar.com/about_the_cougar.htm |archive-date=22 March 2007 |access-date=22 March 2007}}</ref>。
他にも追加できたオプション装備には、「X-Pack」には含まれていないヒーター付きフロントガラス、電動チルト、スライド式[[サンルーフ]]、メタリック塗装が含まれていた<ref name="UKG"/>。
=== 安全装備 ===
標準の安全キットには、運転席、助手席、サイド エアバッグに加え、胸部への損傷を軽減する[[アンチロック・ブレーキ・システム]]とシートベルトが含まれている。クーガーには、エンジンイモビライザー、遠隔制御、二重ロックシステム、警報装置が装備されていた<ref name="channel4"/>。
== 関連記事 ==
* [[マーキュリー・クーガー]]
== 参考文献 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline|Ford Cougar}}
{{自動車}}
{{デフォルトソート:ふおおとくうかあ}}
[[Category:フォードの車種|くうかあ]]
[[Category:ハッチバック]]
[[Category:クーペ]]
[[Category:スポーツカー]] | 2023-11-29T02:31:48Z | 2023-11-29T03:36:08Z | false | false | false | [
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"Template:Ford Motor Company vehicles",
"Template:Commonscat-inline",
"Template:Modern European Ford vehicles",
"Template:FordEurope",
"Template:フォード車種年表",
"Template:Infobox 自動車のスペック表",
"Template:Convert",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC |
4,859,888 | 土気からし菜 | 土気からし菜(とけからしな)は、千葉県千葉市緑区(旧・土気町)の伝統野菜。
千葉県千葉市の土気地区の土気城址周辺で300年以上前栽培されている在来品種である。
2014年11月には千葉市が商標権者として登録商標が行われ(商標登録第5721935号)、マスコットキャラクター「とけからちゃん」が制定された。
2017年2月には「土気からし菜レディース」(土気からし菜出荷組合)が結成され、増産と文化伝承活動を行っている。
2021年3月31日、味の箱船(英語版)に登録され、同年7月1日に登録証が千葉市に授与された。
2023年時点では、系統保存の観点から種子の販売は行われていない。また、土気地区以外で生産されたものは「土気からし菜」という名を冠することができない。
カラシナは、千葉県全域で古くから栽培されていたと考えられているが、年貢等として納める作物ではなく、畑の連作障害を回避する緑肥用の作物として栽培されていた。
10月中旬に種を播いて、2月上旬から3月中旬に新芽を収穫し漬物にする。その後、5月末から6月畑に頃に種子を収穫し、畑に緑肥としてすき込んでいた。
辛さから害虫の忌避効果が高いとされている。
下総台地は温暖な気候と言えるが、土気地区は標高が高いこともあり、寒暖差は比較的に激しい。この風土が独特の辛味、風味を醸し出している。
上述のように栽培農家で漬物を作るのに利用されるのが定番だが、房総太巻き寿司の具材にも使用される。種子はオリエンタルマスタードとして和からしの材料として利用される。
千葉市と千代田漬物株式会社(千葉市)との官民連携により、「とけからちゃんの漬物」が製品化されている。 | [
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] | 土気からし菜(とけからしな)は、千葉県千葉市緑区(旧・土気町)の伝統野菜。 | {{画像提供依頼|date=2023年11月29日 (水) 02:43 (UTC)|cat=野菜|cat2=千葉県|cat3=千葉市|作物の写真、漬物の写真}}
'''土気からし菜'''(とけからしな)は、[[千葉県]][[千葉市]][[緑区 (千葉市)|緑区]](旧・[[土気町]])の[[伝統野菜]]{{R|フジ}}。
== 概要 ==
千葉県千葉市の土気地区の[[土気城]]址周辺で300年以上前栽培されている[[在来品種]]である{{R|フジ|ブランド}}。
2014年11月には千葉市が商標権者として登録商標が行われ(商標登録第5721935号)、マスコットキャラクター「とけからちゃん」が制定された{{R|ブランド}}。
2017年2月には「土気からし菜レディース」(土気からし菜出荷組合)が結成され、増産と文化伝承活動を行っている{{R|フジ|ブランド}}。
2021年3月31日、{{仮リンク|味の箱船|en|Ark of Taste}}に登録され、同年7月1日に登録証が千葉市に授与された{{R|ブランド}}。千葉県からの登録は初の事例となる<ref>{{Cite press release|language=ja|format=PDF|publisher=[[千葉市]]|url=https://www.city.chiba.jp/somu/shichokoshitsu/hisho/hodo/documents/210628-6.pdf|title=県内初!伝統野菜「土気からし菜」が“食の世界遺産”「味の箱船」に登録されました!|date=2021-06-28|accessdate=2023-12-08}}</ref>。
2023年時点では、系統保存の観点から種子の販売は行われていない{{R|ブランド}}。また、土気地区以外で生産されたものは「土気からし菜」という名を冠することができない{{R|sf}}。
== 栽培と利用 ==
[[カラシナ]]は、千葉県全域で古くから栽培されていたと考えられているが、[[年貢]]等として納める作物ではなく、畑の[[連作障害]]を回避する[[緑肥]]用の作物として栽培されていた{{R|ブランド|sf}}。
10月中旬に種を播いて、2月上旬から3月中旬に新芽を収穫し漬物にする。その後、5月末から6月畑に頃に種子を収穫し、畑に緑肥としてすき込んでいた{{R|ブランド}}。
辛さから[[害虫]]の忌避効果が高いとされている{{R|ブランド}}。
[[下総台地]]は温暖な気候と言えるが、土気地区は標高が高いこともあり、寒暖差は比較的に激しい。この風土が独特の辛味、風味を醸し出している{{R|ブランド}}。
上述のように栽培農家で漬物を作るのに利用されるのが定番だが、[[房総太巻き寿司]]の具材にも使用される{{R|ブランド}}。種子は[[オリエンタルマスタード]]として[[和からし]]の材料として利用される{{R|ブランド}}。
千葉市と[[千代田漬物]]株式会社(千葉市)との官民連携により、「とけからちゃんの漬物」が製品化されている{{R|ブランド}}。
== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="フジ">{{Cite web|和書|publisher=[[フジテレビ]]|website=[[千葉の贈り物〜まごころ配達人〜]]|url=https://www.fujitv.co.jp/chiba_okurimono/archives/220306.html|title=3/6放送 「伝統野菜!土気からし菜」 千葉市|date=2022-03-06|accessdate=2023-11-29}}</ref>
<ref name="ブランド">{{Cite web|和書|publisher=[[千葉市]]|url=https://www.city.chiba.jp/keizainosei/nosei/nosei/karashina.html|title=土気の伝統野菜「からし菜」のブランド化事業|date=2023-03-28|accessdate=2023-11-29}}</ref>
<ref name="sf">{{Cite web|和書|url=https://slowfood-nippon.jp/toke-karashina/|title=土気からし菜|publisher=日本スローフード協会|date=2021-05-17|accessdate=2023-11-29}}</ref>
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] | KGRI セントラルネブラスカ地域空港 - (ネブラスカ州グランドアイランド、アメリカ合衆国)のICAO空港コード
慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート | '''KGRI'''
* {{仮リンク|セントラルネブラスカ地域空港|en|Central Nebraska Regional Airport}} - ([[グランドアイランド (ネブラスカ州)|ネブラスカ州グランドアイランド]]、[[アメリカ合衆国]])の[[ICAO空港コード]]
* [[慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート]]
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* gulf
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4,859,894 | ローレン・グッドマン | ローレン・セツ・グッドマン(Loren Seth Goodman、朝鮮語: 굿맨로렌)は、アメリカ人の詩人、英文学者。延世大学校教授。
カンザス州ウィチタ生まれ。1991年コロンビア大学卒業。1995年アリゾナ大学M.F.A. in Creative Writing。2000年ニューヨーク州立大学バッファロー校M.A. in English Literature。2005年神戸大学大学院文化学研究科社会文化専攻修了、博士(学術)。2006年ニューヨーク州立大学バッファロー校Ph.D. in English Literature。
延世大学校助教授や、同准教授を経て、同教授。優れた詩人かつ英文学者であり、詩集"Famous Americans"で、Yale Series of Younger Poetsを受賞した。また、日本留学中にアマチュアボクシングの訓練を受け、マッチメーカーや、マネージャーも務めた。日本ボクシングコミッションセコンドライセンス保有。 | [
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] | ローレン・セツ・グッドマンは、アメリカ人の詩人、英文学者。延世大学校教授。 | {{特筆性|date=2023年12月}}
{{Portal 文学}}
'''ローレン・セツ・グッドマン'''(Loren Seth Goodman、{{lang-ko|굿맨로렌}})は、[[アメリカ人]]の[[詩人]]、[[英文学者]]。[[延世大学校]]教授。
== 人物 ==
[[カンザス州]][[ウィチタ]]生まれ<ref>[https://news.arizona.edu/story/celebrating-emergence-next-word-poetry Celebrating 'Emergence: the Next Word in Poetry']アリゾナ大学</ref>。1991年[[コロンビア大学]]卒業。1995年[[アリゾナ大学]]M.F.A. in Creative Writing。2000年[[ニューヨーク州立大学バッファロー校]][[M.A.]] in English Literature<ref name="yo"/>。2005年[[神戸大学大学院文化学研究科]]社会文化専攻修了、[[博士(学術)]]<ref name="yo"/><ref>[https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/D1003295/ Hungry spirit:body,narrative and performance in the world of Japanese boxing]神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ</ref>。2006年ニューヨーク州立大学バッファロー校[[Ph.D.]] in English Literature<ref name="yo">[https://uic.yonsei.ac.kr/main/academic.asp?mid=m03_01_01&act=view&uid=826&keyword= Loren Goodman]延世大</ref>。
[[延世大学校]]助教授や<ref name="r"/><ref>[http://www.yonsei.ac.kr/eng/academics/bulletin/2008bulletin.pd 'General Bulletin 2007–2008''. N.d. pp. 58, 360]Yonsei University.</ref>、同准教授を経て<ref name="io"/>、同教授<ref name="yo"/><ref name="r">[https://www.yonsei.ac.kr/_custom/yonsei/_app/ocx/news/app.jsp?mode=view&ar_seq=10695&sr_volume=450&list_mode=list&sr_site=S&pager.offset=36 최정상급 교수 확보로 글로벌 경쟁력 높였다!]延世大学校</ref>。優れた[[詩人]]かつ[[英文学者]]であり、詩集"''Famous Americans''"で、[[:w:Yale Series of Younger Poets|Yale Series of Younger Poets]]を受賞した<ref name="r"/>。また、[[日本]][[留学]]中に[[アマチュアボクシング]]の訓練を受け、[[マッチメーカー]]や<ref name="io">[https://number.bunshun.jp/list/kw/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3 ある時は准教授、ある時は詩人。 異色マッチメーカーの正体は? ~ボクシングの「いい試合」を決める男~]Number Web - ナンバー2018/10/17</ref><ref>[https://boxingnews.jp/news/23728/ 日韓対決4対4 グッドマン氏レポート] Boxing News(ボクシングニュース)2015年3月13日 14時45分</ref>、[[マネージャー]]も務めた<ref>[https://the-ans.jp/news/20564/ 井上尚弥、スパー相手の世界ランカーが破壊力を絶賛 「井上はパワーを増している」]2018.03.23 THE ANSWER編集部</ref>。[[日本ボクシングコミッション]][[セコンド]]ライセンス保有<ref>[https://jbc.or.jp/licence/ ライセンス交付者]日本ボクシングコミッション</ref>。
== 著書 ==
* ''Famous Americans.'' New Haven, CT: Yale University Press, 2003. 81 pp. {{ISBN|978-0-300-10002-0}}.
* ''Suppository Writing.'' Southampton, MA: Chuckwagon, 2008. 24 pp. Unpaginated.
== 脚注 ==
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<references/>
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3 |
4,859,899 | スキ☆メロ | 『スキ☆メロ』は、2008年6月25日にゆうこりんれーべるよりリリースされた、小倉優子の4枚目のシングル(インディーズの『ウキウキりんこだプー』とデュエット曲『帰ってきたケロッ!とマーチ』を含めると6枚目)。
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] | 『スキ☆メロ』は、2008年6月25日にゆうこりんれーべるよりリリースされた、小倉優子の4枚目のシングル(インディーズの『ウキウキりんこだプー』とデュエット曲『帰ってきたケロッ!とマーチ』を含めると6枚目)。 | {{Infobox Single
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| Released = [[2008年]][[6月25日]]
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}}
『'''スキ☆メロ'''』は、[[2008年]][[6月25日]]に[[ゆうこりんれーべる]]よりリリースされた、[[小倉優子]]の4枚目のシングル(インディーズの『[[ウキウキりんこだプー]]』とデュエット曲『[[帰ってきたケロッ!とマーチ]]』を含めると6枚目)。
== 収録曲 ==
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== 脚注 ==
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[[Category:楽曲 す|きめろ]] | 2023-11-29T03:15:07Z | 2023-11-29T08:01:06Z | false | false | false | [
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4,859,900 | メアリー1世の肖像 |
『メアリー1世の肖像』(メアリー1せいのしょうぞう、西: Retrato de María Tudor、英: Portrait of Mary Tudor)、または『イングランド女王メアリー・テューダー』(イングランドじょおうメアリー・テューダー、西: María Tudor, reina de Inglaterra、英: Mary Tudor, Queen of England)は、初期フランドル派の画家アントニス・モルが1554年に板上に油彩で制作した絵画である。ハンス・ホルバインの作風の影響を受けているモルは、優れた観察眼で女王の容貌を克明に捉えている。本作はモルによる最も重要な肖像画の1つで、画家の作品の最大のコレクションを有するマドリードのプラド美術館に所蔵されている。
描かれているのはメアリー1世 (イングランド女王) である。彼女はヘンリー8世とカタリナ・デ・アラゴンの間に生まれ、非常に高度な教育を受けて育った。父親ヘンリーの代は特に複雑な治世であり、彼女は異母弟エドワード6世が跡継ぎなくした早世するまで、王座から遠ざけられていた。メアリーが即位してからの治世はプロテスタントからカトリックへの回帰を方針とし、苛烈な反プロテスタント政策が採られた。そのため彼女には「ブラッディー・メアリー」という通称がつけられた。
メアリーは従兄弟にあたるカール5世 (神聖ローマ皇帝) の許嫁であったが、後に彼は妹のハンガリー王妃マリアの勧めで、37歳まで独身を通したメアリーを11歳年下の息子フェリペ (後のスペイン王フェリペ2世)と結婚させることを考え、1554年にメアリーはフェリペの2番目の王妃となった。この年に皇帝カールの命でロンドンに派遣されたのがアントニス・モルであった。なお、フェリペとメアリーの結婚は彼女が亡くなるまでの4年間しか続かなかった。
ラファエロの『教皇ユリウス2世の肖像』 (ロンドン・ナショナル・ギャラリー) に従い、膝下から上を描いた4分の3正面向きで、メアリーは椅子に背を預けることなく背筋を伸ばして座っている。彼女はイタリア製のベルベットのスーツとコートを身に着けている。コートは本来、紫色だったが、時間の経過とともに青色顔料の酸化で茶色のような色調に変色した。右手にはテューダー朝の紋章となっているバラを持っている。
色調が長い歳月の間に変化してしまっていたため、2019年に本作はプラド美術館で修復され、暗く変色したニスの様々な層が除去された。 素描技術の完璧さ、女王の容貌の表現により、本作は傑作となっている。非常に微妙な様式で、モルはあまり魅力的ではない女王を美しく、威厳ある姿に描くことに成功している。一方、他の肖像画では、彼女はいくらか病弱な蒼白さで、か細い老けた人物として表されている。
女王は輝く高価な宝石を纏っている。その中で目立つのは胸の上の大きなブローチで、それは四角いダイヤモンドと涙の形の真珠からできている。これらの宝石は彼女の新しい夫であるフェリペ2世から贈られたものと推測され、それぞれスペイン王家の名高い宝石であった「エスタンケ (Estanque)」(池)と「ぺルラ・ペレグリーナ (Perla Peregrina)」 (並外れた真珠) とされたが、最新の調査では否定されている。「ぺルラ・ペレグリーナ」はメアリーの死のずっと後にフェリペ2世によって購入されたものである。さらに、イングランド君主に関する文献によると、この肖像画の輝くダイヤモンドと真珠はずっと以前からテューダー朝の所有であったことが証だてられている。
カール5世はユステ修道院に隠居した時、自ら委嘱したこの作品を携行したが、それは彼が作品を好んでいた証左である。1600年に、絵画はすでにマドリードに戻っていたと記録されている。
この肖像画には、様々な複製と派生した絵画がある。最も忠実な複製はイギリスのノーザンプトンシャー侯爵夫人のアシュビー城 (Ashby Castle) と、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にある作品 (モルと工房に帰属されている) である。他の作品としては、ローマのコロンナ美術館(英語版)にある立ち姿のメアリーの肖像があり、フェリペ2世の肖像と対になっている。
ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーには、ハンス・イワースが、確実にモルが本作を描くのと並行して制作したメアリーの肖像がある。彼女の服装はまったく同じであるが、ポーズはまったく異なっている。 | [
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] | 『メアリー1世の肖像』、または『イングランド女王メアリー・テューダー』は、初期フランドル派の画家アントニス・モルが1554年に板上に油彩で制作した絵画である。ハンス・ホルバインの作風の影響を受けているモルは、優れた観察眼で女王の容貌を克明に捉えている。本作はモルによる最も重要な肖像画の1つで、画家の作品の最大のコレクションを有するマドリードのプラド美術館に所蔵されている。 | {{Infobox Painting
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}}
『'''メアリー1世の肖像'''』(メアリー1せいのしょうぞう、{{Lang-es-short|Retrato de María Tudor}}、{{Lang-en-short|Portrait of Mary Tudor}})、または『'''イングランド女王メアリー・テューダー'''』(イングランドじょおうメアリー・テューダー、{{Lang-es-short|María Tudor, reina de Inglaterra}}、{{Lang-en-short|Mary Tudor, Queen of England}})は、[[初期フランドル派]]の画家[[アントニス・モル]]が1554年に板上に[[油彩]]で制作した絵画である<ref name="ReferenceMP">{{Cite web |url=https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/mary-tudor-queen-of-england/aef6ebc4-081a-44e6-974d-6c24aef95fc4|title=Mary Tudor, Queen of England|publisher=[[プラド美術館]]公式サイト (英語) |access-date=2023-11-29}}</ref><ref name="ReferencePG">プラド美術館ガイドブック、2009年刊行、340項参照、ISBN 978-84-8480-189-4 2023年11月月29日閲覧</ref>。[[ハンス・ホルバイン]]の作風の影響を受けているモルは、優れた観察眼で女王の容貌を克明に捉えている<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />。本作はモルによる最も重要な[[肖像画]]の1つで、画家の作品の最大のコレクションを有する[[マドリード]]の[[プラド美術館]]に所蔵されている<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />。
== 人物 ==
描かれているのは[[メアリー1世 (イングランド女王)]] である。彼女は[[ヘンリー8世]]と[[キャサリン・オブ・アラゴン|カタリナ・デ・アラゴン]]の間に生まれ<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />、非常に高度な教育を受けて育った<ref name="ReferencePG" />。父親ヘンリーの代は特に複雑な治世であり、彼女は異母弟[[エドワード6世]]が跡継ぎなくした早世するまで、王座から遠ざけられていた<ref name="ReferencePG" />。メアリーが即位してからの治世は[[プロテスタント]]から[[カトリック]]への回帰を方針とし<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />、苛烈な反プロテスタント政策が採られた。そのため彼女には「ブラッディー・メアリー」という通称がつけられた<ref name="ReferencePG" />。
メアリーは従兄弟にあたる[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)]] の許嫁であった<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />が、後に彼は妹の[[マリア・フォン・エスターライヒ|ハンガリー王妃マリア]]の勧めで<ref name="ReferenceMP" />、37歳まで独身を通したメアリーを11歳年下の息子フェリペ (後のスペイン王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]])と結婚させることを考え、1554年にメアリーはフェリペの2番目の王妃となった<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />。この年に皇帝カールの命で[[ロンドン]]に派遣されたのがアントニス・モルであった<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />。なお、フェリペとメアリーの結婚は彼女が亡くなるまでの4年間しか続かなかった。
== 作品 ==
[[ラファエロ]]の『[[教皇ユリウス2世の肖像]]』 ([[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ロンドン・ナショナル・ギャラリー]]) に従い、膝下から上を描いた4分の3正面向きで<ref name="ReferenceMP" />、メアリーは椅子に背を預けることなく背筋を伸ばして座っている<ref name="ReferencePG" />。彼女は[[イタリア]]製の[[ベルベット]]のスーツとコートを身に着けている。コートは本来、紫色だったが、時間の経過とともに青色[[顔料]]の酸化で茶色のような色調に変色した。右手には[[テューダー朝]]の[[紋章]]となっている[[バラ]]を持っている<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />。
色調が長い歳月の間に変化してしまっていたため、2019年に本作はプラド美術館で修復され、暗く変色した[[ニス]]の様々な層が除去された。 素描技術の完璧さ、女王の容貌の表現により、本作は傑作となっている。非常に微妙な様式で、モルはあまり魅力的ではない女王を美しく、威厳ある姿に描くことに成功している。一方、他の肖像画では、彼女はいくらか病弱な蒼白さで、か細い老けた人物として表されている。
女王は輝く高価な宝石を纏っている。その中で目立つのは胸の上の大きなブローチで、それは四角い[[ダイヤモンド]]と涙の形の[[真珠]]からできている。これらの宝石は彼女の新しい夫であるフェリペ2世から贈られた<ref name="ReferenceMP" /><ref name="ReferencePG" />ものと推測され、それぞれスペイン王家の名高い宝石であった「エスタンケ (Estanque)」(池)と「ぺルラ・ペレグリーナ (Perla Peregrina)」 (並外れた真珠) とされたが、最新の調査では否定されている。「ぺルラ・ペレグリーナ」はメアリーの死のずっと後にフェリペ2世によって購入されたものである。さらに、イングランド君主に関する文献によると、この肖像画の輝くダイヤモンドと真珠はずっと以前からテューダー朝の所有であったことが証だてられている。
カール5世は[[ユステ修道院]]に隠居した時、自ら委嘱したこの作品を携行したが、それは彼が作品を好んでいた証左である。1600年に、絵画はすでにマドリードに戻っていたと記録されている<ref name="ReferencePG" />。
この肖像画には、様々な複製と派生した絵画がある。最も忠実な複製は[[イギリス]]の[[ノーザンプトンシャー]]侯爵夫人のアシュビー城 (Ashby Castle) と、[[ボストン]]の[[イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館]]にある作品 (モルと工房に帰属されている) である。他の作品としては、[[ローマ]]の{{仮リンク|コロンナ美術館|en|Palazzo Colonna}}にある立ち姿のメアリーの肖像があり、フェリペ2世の肖像と対になっている。
[[ロンドン]]の[[ナショナル・ポートレート・ギャラリー]]には、[[ハンス・イワース]]が、確実にモルが本作を描くのと並行して制作したメアリーの肖像がある。彼女の服装はまったく同じであるが、ポーズはまったく異なっている。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 『プラド美術館ガイドブック』、プラド美術館、2009年刊行 ISBN 978-84-8480-353-9
== 外部リンク ==
* [https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/mary-tudor-queen-of-england/aef6ebc4-081a-44e6-974d-6c24aef95fc4 プラド美術館公式サイト、アントニス・モル『メアリー1世の肖像』 (英語)]
{{DEFAULTSORT:めありいいつせいのしようそう}}
[[Category:女性の肖像画]]
[[Category:プラド美術館の所蔵品]]
[[Category:アントニス・モルの作品]]
[[Category:1550年代の絵画]]
[[Category:メアリー1世 (イングランド女王)]] | 2023-11-29T03:20:32Z | 2023-12-11T01:13:10Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC1%E4%B8%96%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F |
4,859,903 | 京都府立山城総合運動公園太陽が丘球技場B | 京都府立山城総合運動公園太陽が丘球技場B(きょうとふりつ やましろそうごううんどうこうえん たいようがおかきゅうぎじょうビー)は、京都府宇治市にある球技場で、京都府立山城総合運動公園内に立地している。 | [
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|スタジアム名称 = 京都府立山城総合運動公園<br />太陽が丘球技場B
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|所在地 = [[京都府]][[宇治市]]広野町八軒屋谷1
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|アクセス = [[#アクセス]]を参照。
}}
'''京都府立山城総合運動公園 太陽が丘球技場B'''(きょうとふりつ やましろそうごううんどうこうえん たいようがおかきゅうぎじょうビー)は、[[京都府]][[宇治市]]にある[[球技場]]で、[[京都府立山城総合運動公園]]内に立地している。
== 沿革 ==
* [[1982年]](昭和57年)3月 - 球技場を開園<ref>{{Cite web |title=太陽が丘の施設を利用する |url=https://www.kyoto-park.jp/%E9%81%8B%E5%8B%95%E6%96%BD%E8%A8%AD/ |website=太陽が丘|山城総合運動公園 |access-date=2023-11-29 |language=ja-JP}}</ref>。
* [[2020年]](令和2年)11月 - 球技場Bオーバーシード開始<ref>{{Cite web |url=http://www.kyoto-park.or.jp/history-40.pdf |title=40 Years of History |access-date=2023-11-29 |publisher=公益財団法人 京都府公園公社}}</ref>。
== 施設概要 ==
* 面積:10,496m2(128m×82m)
* 競技施設:多目的運動広場、ラグビー、サッカー、アメリカンフットボール、フィールド、ホッケーなど
== アクセス ==
* [[京阪電気鉄道|京阪]][[宇治線]][[宇治駅 (京阪)|宇治駅]]、[[西日本旅客鉄道|JR]][[奈良線]][[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]] から[[京都京阪バス]]44系統「太陽が丘」行きで終点下車<ref name=":0">{{Cite web |url=http://www.jfl.or.jp/jfl-pc/view/s.php?a=240 |title=スタジアム【太陽が丘】 |access-date=2023-11-29 |publisher=日本フットボールリーグ}}</ref>。1~2時間間隔で運行。
** [[宇治田原町]]方面の路線(180・182・184各系統)も利用可能。太陽が丘ゲート前停留所下車後、公園センターまで徒歩10分となる。1時間間隔で運行。
* [[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄京都線|京都線]][[大久保駅 (京都府)|大久保駅]] から京都京阪バス220系統「太陽が丘」行きで終点下車<ref name=":0" />。正午付近を除き、概ね40分間隔での運行。平日運休。
* 上記3駅を結んでいる240・240A・250・250A各系統に乗車し、太陽が丘西ゲート前停留所下車でもアクセス可能。公園センターまで徒歩10分となる。平日20分間隔、土休40分間隔で運行。
== 周辺のスポーツ施設 ==
* [[京都府立山城総合運動公園]]
* [[京都府立山城総合運動公園太陽が丘陸上競技場]]
* 京都府立山城総合運動公園太陽が丘競技場A
* 京都府立山城総合運動公園太陽が丘野球場
* 京都府立山城総合運動公園太陽が丘体育館
== 出典 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [https://www.kyoto-park.jp/ 公式ウェブサイト]
* [https://www.kyoto-park.jp/%E9%81%8B%E5%8B%95%E6%96%BD%E8%A8%AD/ 球技場B] - 宇治市
{{DEFAULTSORT:きようとふりつ やましろそうこううんとうこうえん}}
[[Category:1982年開業の施設]]
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[[Category:宇治市の地理]] | 2023-11-29T03:25:30Z | 2023-11-29T04:12:54Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%8C%E4%B8%98%E7%90%83%E6%8A%80%E5%A0%B4B |
4,859,905 | 李太熙 | 李 太熙(イ・テヒ、朝鮮語: 이태희、1911年11月8日- 1999年10月27日)は、大韓民国の検察官、弁護士。第8代検察総長。
平安南道江東出身。平壌高等普通学校を経て、1934年佐賀高等学校文科甲類卒業。1937年東北帝国大学法文学部法科卒業。高等文官試験司法科に合格し、1960年から許政内閣で検察総長を務めたが、5・16軍事クーデター後、弁護士に転じた。 | [
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] | 李 太熙は、大韓民国の検察官、弁護士。第8代検察総長。 | '''李 太熙'''(イ・テヒ、{{lang-ko|이태희}}、[[1911年]][[11月8日]]- [[1999年]][[10月27日]])は、[[大韓民国]]の[[検察官]]、[[弁護士]]。第8代[[検察総長 (大韓民国)|検察総長]]。日本名は'''三江 達夫'''。
== 人物 ==
[[平安南道 (日本統治時代)|平安南道]][[江東郡]]出身。平壌高等普通学校を経て、1934年[[佐賀高等学校 (旧制)|佐賀高等学校]]文科甲類卒業。1937年[[東北帝国大学]]法文学部法科卒業。[[高等文官試験]]司法科に合格し<ref name="ca">[[永島広紀]] [https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD100000&bibid=4797811 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生]韓国研究センター年報22巻</ref><ref name="chu">[https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2010/03/18/2010031801993.html 대한민국 제1호 한국은행 총재 구용서(具鎔書) 총재 6·25 피란지서 새 화폐발행]朝鮮日報 2010.03.19. 03:27</ref>、1960年に[[許政]]内閣で[[検察総長 (大韓民国)|検察総長]]に任命されたが、[[5・16軍事クーデター]]後、[[弁護士]]に転じた<ref>[https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002860352 대한민국 이끈 검찰총장들, 지금도 검찰이 감추는 과거]OhmyNews</ref>。日本名は三江達夫<ref name="ca"/>。
== 脚注 ==
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[[Category:1999年没]] | 2023-11-29T03:43:08Z | 2023-11-29T04:10:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%A4%AA%E7%86%99 |
4,859,906 | Y&K | 『Y&K』は、2017年6月21日にKING AMUSEMENT CREATIVEから発売された、ゆいかおりのベストアルバム。
同月30日のゆいかおり活動休止前にリリースされた最後の作品となった。
ゆいかおりのアルバムとしては、前作『Bright Canary』から約1年半ぶりのリリースで、通算4枚目となる。
販売形態は2CD+BD盤(KIZC-395~7)、2CD+DVD盤(KIZC-398~400)、通常盤2CD(KICS-3502~S-3503)の3種リリースで、Blu-rayとDVDにはこれまで公開されたすべてのミュージックビデオが収められている。各形態ともCDは2枚組仕様で、DISC1には本作までにリリースされた全シングル曲が、DISC2にはこれまでリリースされたアルバムの収録曲やシングルのカップリング曲の中から厳選された楽曲がそれぞれ収録されている。 | [
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] | 『Y&K』は、2017年6月21日にKING AMUSEMENT CREATIVEから発売された、ゆいかおりのベストアルバム。 同月30日のゆいかおり活動休止前にリリースされた最後の作品となった。 | {{出典の明記| date = 2023年11月}}
{{Infobox Album <!-- プロジェクト:アルバム をご覧ください -->
| Name = Y&K
| Type = ベスト・アルバム
| Artist = [[ゆいかおり]]
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『'''Y&K'''』は、[[2017年]][[6月21日]]に[[KING AMUSEMENT CREATIVE]]から発売された、[[ゆいかおり]]の[[ベスト・アルバム]]。
同月30日のゆいかおり活動休止前にリリースされた最後の作品となった。
== リリース ==
ゆいかおりのアルバムとしては、前作『[[Bunny|Bright Canary]]』から約1年半ぶりのリリースで、通算4枚目となる。
販売形態は2CD+BD盤(KIZC-395/7)、2CD+DVD盤(KIZC-398/400)、通常盤2CD(KICS-3502/3)の3種リリースで、[[Blu-ray Disc|Blu-ray]]と[[DVD]]にはこれまで公開されたすべての[[ミュージック・ビデオ|MV]]が収められている。
各形態ともCDは2枚組仕様で、DISC1には本作までにリリースされた全シングル曲が、DISC2にはこれまでリリースされたアルバムの収録曲やシングルのC/W曲の中から厳選された楽曲がそれぞれ収録されている。
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|headline=DISK2<ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/4497454/Y%EF%BC%86K-%5B2CD%EF%BC%8BBlu-ray-Disc%5D|title=Y&K[2CD+Blu-ray Disc]|author=TOWER RECORDS ONLINE|date=TOWER RECORDS|accessdate=2023-11-29}}</ref>
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|title1=恋のオーバーテイク
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|title11=Calling Calling|lyrics11=絵伊子
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|title12=倍速∞ラブストレート
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|title13=カナリア
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|title14=Rainy Day
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|title15=ハツコイメイズ (Sugar time ver.)
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{{tracklist
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|title1=Our Steady Boy
|title2=VIVIVID PARTY!
|title3=HEARTBEATが止まらないっ!
|title4=Shooting☆Smile
|title5=PUPPY LOVE!!
|title6=君のYELL
|title7=ウェィカッ!!
|title8=Shiny Blue
|title9=Jumpin' Bunny Flash!!
|title10=LUCKY DUCKY!!
|title11=Intro Situation
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|title14=カナリア
|title15=Promise You!!
|title16=カナリア (Dance ver.)
|title17=Promise You!! (Dance ver.)
}}
== チャート ==
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
!チャート(2017年)
!最高位
|-
|[[オリコンチャート|オリコン]]<ref name="oricon">{{Cite web|ゆいかおり |url=https://www.oricon.co.jp/prof/504427/products/1232024/1/ |title=Y&K |work=ORICON STYLE |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2023-11-29}}</ref>
| style="text-align:center;" |10
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===出典===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* キングレコードによる紹介ページ
** [https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIZC-395/ Y&K]
{{ゆいかおり}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:わいあんとけい}}
[[Category:ゆいかおりのアルバム]]
[[Category:2017年のベスト・アルバム]]
[[Category:KING AMUSEMENT CREATIVEのアルバム]] | 2023-11-29T03:46:47Z | 2023-12-10T13:49:23Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:Infobox Album",
"Template:Tracklist",
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"Template:Cite web",
"Template:ゆいかおり",
"Template:Normdaten"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%26K |
4,859,907 | サルヴァ | サルヴァ(イタリア語: salva)は、イタリア・ロンバルディア州クレーマで製造されているチーズ。保護原産地呼称である。
ウォッシュチーズであり、牛乳のカードから作られる。
同じロンバルディア州のチーズのタレッジョと比べると底辺は同サイズだが、高さが2倍ほど高い。
「サルヴァ」の名は「長く貯蔵する」という意味から来ており、その名の通りに60日から90日の熟成を行う。
5月は牛の出産シーズンであり、出産後は搾乳量が増えるので、この時期にいつもよりも大きなチーズを製造しておくのが慣わしでもあった。このため、チーズを作るのに同じ型を使っていても、使用する牛乳の量が多いため、背が高くなる。2か月や3か月未満の熟成のものは、ボロボロと崩れやすいが、ミルクの甘みが酸味と調和した味わいがある。3か月から5か月熟成させたものは味わいが深くなり、半年から1年と熟成させることもある。
ピーマンのオイル漬け(またはオリーブ・オイル漬け)やブドウのモスタルダと共に食べられる。 | [
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] | サルヴァは、イタリア・ロンバルディア州クレーマで製造されているチーズ。保護原産地呼称である。 ウォッシュチーズであり、牛乳のカードから作られる。 同じロンバルディア州のチーズのタレッジョと比べると底辺は同サイズだが、高さが2倍ほど高い。 「サルヴァ」の名は「長く貯蔵する」という意味から来ており、その名の通りに60日から90日の熟成を行う。 5月は牛の出産シーズンであり、出産後は搾乳量が増えるので、この時期にいつもよりも大きなチーズを製造しておくのが慣わしでもあった。このため、チーズを作るのに同じ型を使っていても、使用する牛乳の量が多いため、背が高くなる。2か月や3か月未満の熟成のものは、ボロボロと崩れやすいが、ミルクの甘みが酸味と調和した味わいがある。3か月から5か月熟成させたものは味わいが深くなり、半年から1年と熟成させることもある。 ピーマンのオイル漬け(またはオリーブ・オイル漬け)やブドウのモスタルダと共に食べられる。 | '''サルヴァ'''({{lang-it|salva}})は、[[イタリア]]・[[ロンバルディア州]]で製造されている[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・プロテッタ|DOP]]指定の[[チーズ]]{{R|サ}}。日本では'''サルヴァ・クレマスコ'''とも呼ばれる{{R|オ}}。
== 概要 ==
[[ウォッシュチーズ]]であり、[[牛乳]]の[[カード (食品)|カード]]から作られる。
同じロンバルディア州のチーズの[[タレッジョ]]と似ており、特に切り分けた状態だと見分けが困難である{{R|オ}}。タレッジョと比べた場合、底辺は同サイズだが、高さが2倍ほど高い{{R|サ|オ}}。
長期熟成のチーズではあるが、香りや塩味は穏やかである{{R|オ}}。外皮に近い部分はねっとりと濃厚な旨みがあり、中心部は[[シェーブルチーズ]]のようなボロボロと崩れやす食感をもつ{{R|オ}}。ウォッシュチーズは熟成によって、中心部がとろけているようなチーズも多いが、サルヴはセミハードチーズに近い食感となっている{{R|オ}}。また、中心まで硬さがあるため一般的なウォッシュチーズと違って、[[ホールケーキ]]をカットするように[[ナイフ]]でカットできる{{R|オ}}。
2007年にDOP指定となった{{R|オ}}。
== 名称 ==
「サルヴァ」の名はイタリア語で「保存」などの意味をもつ{{lang|it|salvare}}から来ており、「長く貯蔵する」という意味である{{R|サ|オ}}。その名の通りに60日から90日の熟成を行う{{R|サ}}。
== 製造 ==
5月は牛の出産シーズンであり、出産後は搾乳量が増えるので、この時期にいつもよりも大きなチーズを製造しておくのが慣わしでもあった{{R|サ}}。このため、チーズを作るのに同じ型を使っていても、使用する牛乳の量が多いため、背が高くなる{{R|サ}}。2か月や3か月未満の熟成のものは、ボロボロと崩れやすいが、ミルクの甘みが酸味と調和した味わいがある{{R|サ}}。3か月から5か月熟成させたものは味わいが深くなり、半年から1年と熟成させることもある{{R|サ}}。
== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="サ">{{Cite web|和書|publisher=[[サントリー]]|url=https://www.suntory.co.jp/wine/series/cheese/043.html|website=ワインスクエア|title=サルヴァ|accessdate=2023-11-29}}</ref>
<ref name="オ">{{Cite web|和書|publisher=オリーブオイルをひとまわし|url=https://www.olive-hitomawashi.com/column/2019/10/post-6928.html|title=【サルヴァ・クレマスコ】はどんなチーズ?特徴や産地、食べ方を解説|author=松崎茉莉奈|date=2020-04-03|accessdate=2023-11-29}}</ref>
}}
{{food-stub}}
{{Italy-stub}}
{{DEFAULTSORT:さるは}}
[[category:イタリアのチーズ]]
[[category:ロンバルディア州の食文化]]
[[Category:牛乳のチーズ]]
[[Category:味の箱船]] | 2023-11-29T03:50:12Z | 2023-11-29T05:49:11Z | false | false | false | [
"Template:Food-stub",
"Template:Italy-stub",
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"Template:R",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1 |
4,859,908 | ローディン・カーリン | ローディン・カーリン(Rodin Carlin、以前はカーリン・モータースポーツの名称)は、イギリスのレーシングチームである。
主にフォーミュラ2、フォーミュラ3、フォーミュラ4などの多くのカテゴリに参戦している。1999年から2022年まで、F4やF3、F2、インディライツ、インディカー、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ、アジアン・ル・マン・シリーズで計470勝を挙げ、30以上のタイトルを獲得してきた。
2023年1月、オーストラリアの実業家、デビッド・ディッカー率いるローディン・カーズは、カーリンに対する出資により筆頭株主となった。これによりチーム名称が変更され、新たに「ローディン・カーリン」となった。
チームは1996年に創設され、1997年にイギリスF3選手権で活動をスタートさせたカーリンは、2000年に当時ホンダの育成ドライバーだった佐藤琢磨が加入し、過去最高位となるドライバーズランキング3位を獲得。翌2001年には琢磨とともにイギリスF3、F3マカオGP、マスターズF3を制覇し、その名が広く知れ渡ることとなった。
2010年よりGP3、2011年よりGP2に参戦。そして2018年より北米最高峰のインディカー・シリーズに参戦するも、2021年をもって撤退している。また、2019年にはOIRC Team YTBとタッグを組み、YTB by Carlinとして全日本F3選手権にも参戦していた。
在籍した日本人ドライバーは多く、先述した佐藤琢磨をはじめ、イギリスF3では2001年に星野一樹、2002年に細川慎弥、2005年-2006年に井原慶子が所属。FIA F2では2019年に松下信治、2020年に角田裕毅。FIA F3では2019年に名取鉄平が所属。2024年は宮田莉朋が加入する。
2018年から参戦したFIA F2では、2018年にセルジオ・セッテ・カマラとランド・ノリスという布陣でノリスがランキング2位とチームタイトルを獲得。2020年は角田裕毅がランキング3位に入り、翌年F1に昇格した。2022年はリアム・ローソンとローガン・サージェントの布陣で、ローソンが3位、サージェントが4位、チームランキング2位となった。 | [
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] | ローディン・カーリンは、イギリスのレーシングチームである。 主にフォーミュラ2、フォーミュラ3、フォーミュラ4などの多くのカテゴリに参戦している。1999年から2022年まで、F4やF3、F2、インディライツ、インディカー、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ、アジアン・ル・マン・シリーズで計470勝を挙げ、30以上のタイトルを獲得してきた。 2023年1月、オーストラリアの実業家、デビッド・ディッカー率いるローディン・カーズは、カーリンに対する出資により筆頭株主となった。これによりチーム名称が変更され、新たに「ローディン・カーリン」となった。 | {{レーシングチーム
| チーム名 = ローディン・カーリン
| 画像 = FIA F2 Austria 2022 Nr. 5 Lawson (backfire).jpg
| 画像説明 = 2022年
| 国籍 = {{GBR}}
| 本拠地 = [[イングランド]], [[サリー (イングランド)|サリー州]], [[:en:Farnham|ファーナム]]
| 創設者 =
| チーム代表 = [[:en:Trevor Carlin|トレバー・カーリン]], ステファニー・カーリン
| 関係者 =
| 活動期間 = 1996年-
| カテゴリ = [[フォーミュラ2#FIA_フォーミュラ2選手権(旧GP2)|FIA F2]], [[フォーミュラ3#FIA_F3|FIA F3]],
| チームズタイトル =
| ドライバーズタイトル =
| ライダーズタイトル =
| 公式サイト = [https://www.carlin.co.uk/ RODIN CARLIN]
| 備考 =
| 参戦中1 = [[2024年のFIA F2選手権]]
| エントリー名1 = ローディン・カーリン
| レーサー1 = 5.{{flagicon|BAR}} [[ゼイン・マロニー]]<br>6.{{flagicon|JPN}} [[宮田莉朋]]
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| タイヤ1 =
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| エントリー名2 =
| レーサー2 =
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| 参戦中3 =
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| マシン3 =
| タイヤ3 =
}}
'''ローディン・カーリン'''('''Rodin Carlin'''、以前は'''カーリン・モータースポーツ'''の名称)は、[[イギリス]]のレーシングチームである。
主に[[フォーミュラ2]]、[[フォーミュラ3]]、[[フォーミュラ4]]などの多くのカテゴリに参戦している。1999年から2022年まで、F4やF3、F2、[[インディNXT|インディライツ]]、[[インディカー・シリーズ|インディカー]]、[[ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ]]、[[アジアン・ル・マン・シリーズ]]で計470勝を挙げ、30以上のタイトルを獲得してきた<ref name=":0" />。
2023年1月、オーストラリアの実業家、デビッド・ディッカー率いるローディン・カーズは、カーリンに対する出資により筆頭株主となった。これによりチーム名称が変更され、新たに「ローディン・カーリン」となった<ref name=":0">{{Cite web |url=https://jp.motorsport.com/fia-f2/news/junior-series-stalwart-carlin-rebrands-under-new-rodin-partnership/10424639/ |title=ジュニアフォーミュラの雄カーリン、買収により新体制に。過去には佐藤琢磨や角田裕毅らを輩出 |access-date=2023/01/26 |publisher=jp.motorsport.com}}</ref>。
== 概要 ==
チームは1996年に創設され、1997年に[[イギリス・フォーミュラ3選手権|イギリスF3選手権]]で活動をスタートさせたカーリンは、2000年に当時[[本田技研工業|ホンダ]]の育成ドライバーだった[[佐藤琢磨]]が加入し、過去最高位となるドライバーズランキング3位を獲得。翌2001年には琢磨とともにイギリスF3、F3[[マカオグランプリ|マカオGP]]、[[マスターズF3]]を制覇し、その名が広く知れ渡ることとなった<ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.as-web.jp/overseas/893899?all |title=ダムス、カーリン、ARTグランプリ。日本とも縁が深いFIA F2老舗チーム【海外レーシングチーム解体新書/第1回】 |access-date=2023.01.05 |publisher=autosport web}}</ref>。
2010年より[[GP3]]、2011年より[[GP2]]に参戦。そして2018年より北米最高峰の[[インディカー・シリーズ]]に参戦するも、2021年をもって撤退している。また、2019年にはOIRC Team YTBとタッグを組み、YTB by Carlinとして[[全日本F3選手権]]にも参戦していた<ref>{{cite web |url=https://www.autosport.com/general/news/carlin-launches-first-sportscar-programme-with-elms-lmp2-entry-5283677/5283677/ |last1=Watkins |first1=Gary |title=Carlin launches first sportscar programme with ELMS LMP2 entry |website=www.autosport.com |publisher=Autosport |date=12 February 2019 |access-date=1 February 2023}}</ref>。
在籍した日本人ドライバーは多く、先述した佐藤琢磨をはじめ、イギリスF3では2001年に[[星野一樹]]、2002年に[[細川慎弥]]、2005年-2006年に[[井原慶子]]が所属。FIA F2では2019年に[[松下信治]]、2020年に[[角田裕毅]]。FIA F3では2019年に[[名取鉄平]]が所属。2024年は[[宮田莉朋]]が加入する<ref name=":1" /><ref name=":2" />。
2018年から参戦した[[フォーミュラ2#FIA フォーミュラ2選手権(旧GP2)|FIA F2]]では、2018年に[[セルジオ・セッテ・カマラ]]と[[ランド・ノリス]]という布陣でノリスがランキング2位とチームタイトルを獲得。2020年は[[角田裕毅]]がランキング3位に入り、翌年[[フォーミュラ1|F1]]に昇格した。2022年は[[リアム・ローソン]]と[[ローガン・サージェント]]の布陣で、ローソンが3位、サージェントが4位、チームランキング2位となった<ref name=":2">{{Cite web |url=https://www.as-web.jp/overseas/1020574?all |title=宮田莉朋が加入するFIA F2チーム『ロダン・カーリン』とは。過去には日本人ドライバーが多数在籍 |access-date=2023.11.28 |publisher=autosport web}}</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Carlin Motorsport}}
* [https://www.carlin.co.uk/ 公式サイト]
{{Motorsport-stub}}
{{デフォルトソート:ろていん かありん}}
[[Category:イギリスのレーシングチーム]] | 2023-11-29T03:50:48Z | 2023-11-29T08:59:48Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Commonscat",
"Template:Motorsport-stub",
"Template:レーシングチーム"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3 |
4,859,909 | スコット・ロッケンフィールド | スコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield、1963年6月15日-)は、アメリカのミュージシャン、ドラマー、作曲家。「Sロック」の名で活動している。クイーンズライクやスレイヴ・トゥ・ザ・システムでの活動で知られる。
1963年6月15日、ワシントン州シアトルで生まれる。11歳の時に小学校でドラムセットを見てから音楽に興味を持ち始め、その年のクリスマスに両親からドラムセットをもらってドラムを始める。6年生の時に、後にクイーンズライクで共に活動するクリス・デガーモに出会う。
レッドモンド高校に進学すると、後にクイーンズライクやスレイヴ・トゥ・ザ・システムで共に活動するケリー・グレイと出会う。ロッケンフィールドは、ジューダス・プリースト、ボストン、キッスに影響を受け、後にラッシュ、ヴァン・ヘイレン、アイアン・メイデン、ポリス、ピンク・フロイドの大ファンにもなった。
1980年、シアトルのイージー・ストリート・レコードで出会ったギタリストのマイケル・ウィルトンと共に、「クロス+ファイアー」を結成。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストなどの楽曲をカヴァーした。やがてギタリストのクリス・デガーモとベーシストのエディ・ジャクソンが加入し、バンド名を「ザ・モブ (The Mob)」に変更した。1982年にジェフ・テイトが加入し、バンド名をクイーンズライクに変えて活動する。
1997年、ロッケンフィールドとスピアーは「TeleVoid」という音楽と映像の作品を制作し、グラミー賞の「ベスト・ロングフォーム・ビデオ」部門にノミネートされた。
2000年にポール・スピアーとアイダホ州ヘルズキャニオンにある場所や出来事に影響を受けて、インストゥルメンタル・アルバム『Hells Canyon』をレコーディングした。
2001年、クイーンズライクのギタリストのケリー・グレイ、ブラザー・ケインのデイモン・ジョンソン、ローマン・グリックらと『スレイヴ・トゥ・ザ・システム (Slave to the System)』を結成し、アルバム「Slave to the System」をリリース。
2008年、はソロ・アルバム『The X Chapters』をリリース。
2013年、ヘッドレスのアルバム『Growing Apart』でドラムを演奏した。
2017年、クイーンズライクでの活動を休止。当初は数ヶ月の予定だったが、無期限に延長された。ジェフ・テイトは後にロッケンフィールドを気遣い、彼が困難な生活状況にあることを示唆し、トッド・ラ・トーレはロッケンフィールドがバンドに復帰する可能性は低いと語った。
ロッケンフィールドはクイーンズライクのメンバーの中で、バンド以外での音楽活動も多い。クイーンズライクのの5枚目のアルバム『プロミスド・ランド』では、ポータブルADATテープ・レコーダーで録音した自然音を大きく加工したミュジック・コンクレートのイントロを使用。ロッケンフィールドによると、「それが今も続けている映画とサウンド・デザインの分野への旅の始まりのようなものだった」とのこと。ロッケンフィールドはテレビコマーシャル、映画などの作曲も手がけた。 ロッケンフィールド曰く「素晴らしいと思うのは、クイーンズライクの新しいアルバムで、ドラマーとして、そして作曲家としての活動の両方ができることだ」と語る。
2003年、「ロッケンワップス (RockenWraps)」を設立。アーティストやddrumなどの会社にカスタマイズしたドラムラップを製作している。
2010年、映画、テレビ、ビデオゲームのサウンドエフェクトを専門に作曲する会社「ハリウッド・ループス (Hollywood Loops)」を設立した。同年、ビデオゲームの『コール オブ デューティ ブラックオプス』の作曲とレコーディングを担当。また、2013年の映画『アフター・アース』、2014年の『ロボコップ』の予告編の音楽制作を担当。ロッケンフィールドはカリフォルニア州サンタモニカのクラウス・バデルト・スタジオで、多くの仕事、特にオーケストラ・アレンジのレコーディングを行っている。
1991年9月28日に5年間の交際の後、カーラ・ケイ・ホイットニーと結婚するが、1996年に離婚。その後、ミスティ・ロッケンフィールドと結婚したが、2017年初めに離婚した。 3人の子供がいる。 趣味は写真撮影。 | [
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"text": "スコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield、1963年6月15日-)は、アメリカのミュージシャン、ドラマー、作曲家。「Sロック」の名で活動している。クイーンズライクやスレイヴ・トゥ・ザ・システムでの活動で知られる。",
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] | スコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield、1963年6月15日-)は、アメリカのミュージシャン、ドラマー、作曲家。「Sロック」の名で活動している。クイーンズライクやスレイヴ・トゥ・ザ・システムでの活動で知られる。 |
'''スコット・ロッケンフィールド''' (Scott Rockenfield、[[1963年]][[6月15日]]-)は<ref name=":0">{{Cite web |title=Anybody Listening.net - A Queensr�che Retrospective |url=https://web.archive.org/web/20130726210408/http://anybodylistening.net/rockenfield.html |website=web.archive.org |date=2013-07-26 |access-date=2023-11-29}}</ref>、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のミュージシャン、ドラマー、作曲家。「'''Sロック'''」の名で活動している。[[クイーンズライク]]や[[スレイヴ・トゥ・ザ・システム]]での活動で知られる。
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
1963年6月15日、[[ワシントン州]]シアトルで生まれる。11歳の時に小学校でドラムセットを見てから音楽に興味を持ち始め<ref name=":1">{{Citation|title=Scott Rockenfield (Queensryche) 2013 Interview on the Signals of Intuition|url=https://www.youtube.com/watch?v=7oQmDRYHFkM|language=ja-JP|access-date=2023-11-29}}</ref>、その年のクリスマスに両親からドラムセットをもらってドラムを始める<ref name=":1" />。6年生の時に、後にクイーンズライクで共に活動するクリス・デガーモに出会う<ref name=":1" />。
レッドモンド高校に進学すると、後にクイーンズライクやスレイヴ・トゥ・ザ・システムで共に活動するケリー・グレイと出会う<ref name=":1" />。ロッケンフィールドは、[[ジューダス・プリースト]]、[[ボストン]]、[[キッス]]に影響を受け、後に[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]、[[ヴァン・ヘイレン]]、[[アイアン・メイデン]]、[[ポリス]]、[[ピンク・フロイド]]の大ファンにもなった<ref name=":1" />。
=== クイーンズライク結成 ===
1980年、シアトルのイージー・ストリート・レコードで出会ったギタリストの[[マイケル・ウィルトン]]と共に<ref name=":0" />、「'''クロス+ファイアー'''」を結成<ref>{{Cite web |title=Wayback Machine |url=https://web.archive.org/web/20120722204408/http://www.anybodylistening.net/scottrockenfield.pdf |website=web.archive.org |access-date=2023-11-29}}</ref>。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストなどの楽曲をカヴァーした。やがてギタリストの[[クリス・デガーモ]]とベーシストの[[エディ・ジャクソン]]が加入し、バンド名を「'''ザ・モブ''' (The Mob)」に変更した。1982年に[[ジェフ・テイト]]が加入し、バンド名を'''[[クイーンズライク]]'''に変えて活動する。
1997年、ロッケンフィールドとスピアーは「TeleVoid」という音楽と映像の作品を制作し、グラミー賞の「ベスト・ロングフォーム・ビデオ」部門にノミネートされた。
[[2000年]]にポール・スピアーと[[アイダホ州]]ヘルズキャニオンにある場所や出来事に影響を受けて、インストゥルメンタル・アルバム『Hells Canyon』をレコーディングした。
[[2001年]]、クイーンズライクのギタリストの[[ケリー・グレイ]]、ブラザー・ケインのデイモン・ジョンソン、ローマン・グリックらと『'''[[スレイヴ・トゥ・ザ・システム]]''' (Slave to the System)』を結成し、アルバム「Slave to the System」をリリース。
2008年、はソロ・アルバム『The X Chapters』をリリース。
2013年、[[ヘッドレス]]のアルバム『Growing Apart』でドラムを演奏した<ref>{{Cite web |title=Splash |url=https://bravewords.com/ |website=bravewords.com |access-date=2023-11-29 |language=en |last=BraveWords}}</ref>。
2017年、クイーンズライクでの活動を休止<ref>{{Cite web |title=QUEENSRŸCHE Drummer Taking Paternity Leave; KAMELOT's CASEY GRILLO To Fill In |url=https://www.blabbermouth.net/news/queensryche-drummer-taking-paternity-leave-kamelots-casey-grillo-to-fill-in/ |website=BLABBERMOUTH.NET |date=2017-03-28 |access-date=2023-11-29 |language=en |last=Blabbermouth}}</ref>。当初は数ヶ月の予定だったが、無期限に延長された。ジェフ・テイトは後にロッケンフィールドを気遣い、彼が困難な生活状況にあることを示唆し<ref>{{Cite web |title=GEOFF TATE Doesn't Know If SCOTT ROCKENFIELD Will Ever Play Drums Again: 'He Has A Lot Of Medical Problems Now' |url=https://www.blabbermouth.net/news/geoff-tate-doesnt-know-if-scott-rockenfield-will-ever-play-drums-again-he-has-a-lot-of-medical-problems-now/ |website=BLABBERMOUTH.NET |date=2020-03-04 |access-date=2023-11-29 |language=en |last=Blabbermouth}}</ref>、トッド・ラ・トーレはロッケンフィールドがバンドに復帰する可能性は低いと語った<ref>{{Cite web |title=TODD LA TORRE Says SCOTT ROCKENFIELD 'May Not' Ever Come Back To QUEENSRŸCHE |url=https://www.blabbermouth.net/news/todd-la-torre-says-scott-rockenfield-may-not-ever-come-back-to-queensryche/ |website=BLABBERMOUTH.NET |date=2019-02-11 |access-date=2023-11-29 |language=en |last=Blabbermouth}}</ref>。
=== 作曲家、起業家として ===
ロッケンフィールドはクイーンズライクのメンバーの中で、バンド以外での音楽活動も多い。クイーンズライクのの5枚目のアルバム『プロミスド・ランド』では、ポータブルADATテープ・レコーダーで録音した自然音を大きく加工した[[ミュジーク・コンクレート|ミュジック・コンクレート]]のイントロを使用<ref name=":1" />。ロッケンフィールドによると、「それが今も続けている映画とサウンド・デザインの分野への旅の始まりのようなものだった」とのこと<ref name=":1" />。ロッケンフィールドはテレビコマーシャル、映画などの作曲も手がけた。 ロッケンフィールド曰く「素晴らしいと思うのは、クイーンズライクの新しいアルバムで、ドラマーとして、そして作曲家としての活動の両方ができることだ」と語る。
[[2003年]]、「ロッケンワップス (RockenWraps)」を設立。アーティストやddrumなどの会社にカスタマイズしたドラムラップを製作している。
[[2010年]]、映画、テレビ、ビデオゲームのサウンドエフェクトを専門に作曲する会社「'''ハリウッド・ループス''' (Hollywood Loops)」を設立した。同年、ビデオゲームの『[[コール オブ デューティ ブラックオプス]]』の作曲とレコーディングを担当。また、2013年の映画『アフター・アース』、2014年の『ロボコップ』の予告編の音楽制作を担当。ロッケンフィールドは[[カリフォルニア州]][[サンタモニカ]]のクラウス・バデルト・スタジオで、多くの仕事、特にオーケストラ・アレンジのレコーディングを行っている。
== 私生活 ==
1991年9月28日に5年間の交際の後、カーラ・ケイ・ホイットニーと結婚するが、1996年に離婚。その後、ミスティ・ロッケンフィールドと結婚したが、2017年初めに離婚した<ref>{{Cite web |title=Snohomish County vital statistics |url=https://www.heraldnet.com/news/snohomish-county-vital-statistics-25/ |website=HeraldNet.com |date=2017-03-31 |access-date=2023-11-29 |language=en-US |first=Herald |last=Staff}}</ref>。 3人の子供がいる。 趣味は写真撮影。
== ディスコグラフィー ==
=== [[クイーンズライク]] ===
=== ポール・スピアー ===
* ''テレヴォイド'' (1997)
* ''ヘルズ・キャニオン'' (2000)
=== スレイヴ・トゥ・ザ・システム ===
* ''スレイヴ・トゥ・ザ・システム''(2002/2006)
=== ソロ ===
* ''The X Chapters'' (2008)
=== ヘッドレス ===
* ''グローイング・アパート'' (2013)<ref name="headless">{{Cite web |url=http://www.bravewords.com/news/201928 |title=Headless Featuring Queensrÿche, Yngwie Malmsteen Members Sign To Lion Music |publisher=Brave Words & Bloody Knuckles |access-date=2013-04-09 |date=2013-04-08}}</ref>
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://www.scottrockenfield.com/ 公式サイト]
[[Category:存命人物]]
[[Category:1963年生]] | 2023-11-29T04:02:39Z | 2023-11-29T06:16:46Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Citation",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89 |
4,859,910 | 昭和番付編成将棋 | 昭和番付編成将棋(しょうわばんづけへんせいしょうぎ)は、1940年(昭和15年)から1943年(昭和18年)にかけて、東京朝日新聞(現在の朝日新聞社)の主催で行われた将棋の棋戦。旧字体で昭和番附編成將棋、また朝日番付戦とも表記される。
現在の順位戦の前身の一つとされる。
当時、東京日日新聞(後の毎日新聞社)の主催で行われていた名人戦に対抗するべく、東京朝日新聞が当時の将棋大成会(後の日本将棋連盟)理事だった加藤治郎らの協力を得て発足させた棋戦。将棋の手合割に従い、プロ同士でも駒落ちによる対局が普通だった当時としては、異例の「総平手の公式棋戦」として企画された。また大相撲の番付に範を取り、対戦成績に応じて番付が上下する形式を採用した。なお、参加者は原則として当時の東京方の棋士のみとされた。
しかし当時は既に日中戦争が始まっていただけでなく、1941年(昭和16年)には太平洋戦争も勃発し、国内の新聞社もページ減を余儀なくされていたため、1942年(昭和17年)3月1日付で朝日新聞は将棋欄を休止。以後は『週刊朝日』において棋譜等を掲載する形となる。
1943年(昭和18年)には、東京方とは別に関西所属の棋士(+特別枠として木村義雄・松下力の2名)による編成将棋も行われ、『週刊朝日』や『将棋世界』でその様子が伝えられたが、戦況の悪化に伴い棋戦の継続が困難となり、同年限りで終了した。
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"title": "概要"
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"text": "主な規約は以下の通り。",
"title": "ルール"
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] | 昭和番付編成将棋(しょうわばんづけへんせいしょうぎ)は、1940年(昭和15年)から1943年(昭和18年)にかけて、東京朝日新聞(現在の朝日新聞社)の主催で行われた将棋の棋戦。旧字体で昭和番附編成將棋、また朝日番付戦とも表記される。 現在の順位戦の前身の一つとされる。 | '''昭和番付編成将棋'''(しょうわばんづけへんせいしょうぎ)は、[[1940年]](昭和15年)から[[1943年]](昭和18年)にかけて、[[東京朝日新聞]](現在の[[朝日新聞社]])の主催で行われた[[将棋]]の[[棋戦 (将棋)|棋戦]]<ref name=shogi23>[https://www.shogi.or.jp/history/story/index23.html 日本将棋の歴史(23)] - 日本将棋連盟</ref>。旧字体で'''昭和番附編成將棋'''、また'''朝日番付戦'''<ref name=masuda />とも表記される。
現在の[[順位戦]]の前身の一つとされる<ref name=shogi23 /><ref>『将棋400年史』([[野間俊克]]、[[マイナビ出版]]、2019年)「木村義雄時代」</ref>。
== 概要 ==
当時、[[東京日日新聞]](後の[[毎日新聞社]])の主催で行われていた[[名人戦 (将棋)|名人戦]]に対抗するべく、東京朝日新聞が当時の将棋大成会(後の[[日本将棋連盟]])理事だった[[加藤治郎 (棋士)|加藤治郎]]らの協力を得て発足させた棋戦。
[[将棋の手合割]]に従い、プロ同士でも駒落ちによる対局が普通だった当時としては、異例の「総平手の公式棋戦」として企画された。また[[大相撲]]の[[番付]]に範を取り、対戦成績に応じて番付が上下する形式を採用した<ref name="shogi23" />。なお、参加者は原則として当時の東京方の棋士のみとされた。
しかし当時は既に[[日中戦争]]が始まっていただけでなく、[[1941年]](昭和16年)には[[太平洋戦争]]も勃発し、国内の新聞社もページ減を余儀なくされていたため、[[1942年]](昭和17年)3月1日付で朝日新聞は将棋欄を休止。以後は『[[週刊朝日]]』において棋譜等を掲載する形となる<ref name=shogi23 />。
[[1943年]](昭和18年)には、東京方とは別に関西所属の棋士(+特別枠として[[木村義雄 (棋士)|木村義雄]]・[[松下力]]の2名)による編成将棋も行われ、『週刊朝日』や『[[将棋世界]]』でその様子が伝えられたが、戦況の悪化に伴い棋戦の継続が困難となり、同年限りで終了した<ref name=shogi23 />。
== ルール ==
主な規約は以下の通り<ref name=shogi23 />。
* 東西総当たり、総平手戦
* 毎月一定の期間中に各段一斉に対局する
* 組み合わせは各棋士の星数を参酌して作成のうえ、毎月発表する
* 勝ち負けの数は、番附の地位の上下に響くだけでなく、給与金の増減に直接関係する
* 不戦勝・敗制を設けて厳重にこれを行う
* 番附は六カ月後に編成替えを行い、次の場所へ移る準備期間を利して優秀者選抜棋戦を行う
* 大関で二場所勝ち越した時は張出横綱に据えて特別の待遇を与える
* [[千日手]]は翌日直ちに指し直し、再度発生の場合には引き分けとして双方半星を与える
* [[持将棋]]も双方半星とする
* [[持ち時間]]は各10時間<ref name=masuda>『升田幸三名局集』(日本将棋連盟、2012年)p.46</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:しようわはんつけへんせいしようき}}
[[Category:将棋の棋戦|廃しようわ]]
[[Category:朝日新聞社のイベント]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E7%95%AA%E4%BB%98%E7%B7%A8%E6%88%90%E5%B0%86%E6%A3%8B |
4,859,911 | クリス・グレン (ミュージシャン) | クリストファー・ジョン・"クリス"・グレン(1950年11月6日-)は、スコットランド出身のミュージシャン、ベーシスト。マイケル・シェンカー・グループなどで活動していた。
1969年にザ・ジェイドというバンドに加入し、ベーシストとしてのキャリアが始まった。後にバンドはマスタード、ティアー・ガスに改名後、1970年にファースト・アルバム『Piggy Go Getter』をリリース、1971年には後に様々なバンドで共に活動するテッド・マッケンナが加入し、アルバム『Tear Gas』をリリースした。
1972年、グレンと同じスコットランド出身のアレックス・ハーヴェイとティアー・ガスのメンバーで「センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(SAHB)」を結成。ヨーロッパ・ツアーを開始する予定だったが、ハーヴェイは1977年にバンドを脱退し、バンドはアルバム『Rock Drill』のリリース直前に解散した。
1979年にギタリストのジョン・マーティンとグラストンベリーで共演。グレンはマーティンのアルバム『Grace and Danger』にも参加している。
マウンテン・マネージメントとのレコード契約が切れた後、他のアーティストと共演するようになった彼は、1980年、スコーピオンズやUFOで活動したドイツのロック・ギタリスト、マイケル・シェンカーを紹介されてマイケル・シェンカー・グループに加入。『神(帰ってきたフライング・アロウ)』『黙示録』、『限りなき戦い』、『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』、『ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ』のレコーディングに参加した。1984年にシェンカーの酒とドラッグによる問題行動に耐えられず脱退した。
1985年、MSGを脱退してすぐにロビン・マッコーリー、フィル・テイラー(モーターヘッド)、ブライアン・ロバートソン(シン・リジィ)らとバンド「GMT」を結成。バンドは『Wargames』という4曲入りのEPをリリースして年内に解散。解散後はテレビやラジオのセッション・ワークや、ロンドンでバスの運転手をしていた。
1990年、ディープ・パープルのイアン・ギランからの誘いを受けてイアン・ギラン・バンドに加入。バンドにはテッド・マッケンナも参加した。アルバム『Naked Thunder』のプロモーションのためのワールド・ツアーに乗り出し、後にイギリスのノッティンガムで撮影されたライブDVDがリリースされた。
1991年、テッド・マッケンナを中心に結成されたスーパーグループ、パーティー・ボーイズに加入。
このバンドは2年間活動したが、メンバー全員がセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド出身だったため、スティーヴィー・ドハーティをヴォーカルに迎えてバンドを再結成することを決めた。1995年に解散するが、2002年に元ナザレスのビリー・ランキンをボーカルに迎えて再結成。2008年にザル・クレミンソンの脱退により解散。
2008年、ドゥギー・ホワイト(ボーカル、元レインボー)、マックス・マクスウェル(センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド)、ブライアン・マクフィー(ギター、元マリアンヌ・フェイスフル)、ロス・マクファーレン(ドラム、元テキサス)を迎え、自身のバンド「クリス・グレン&ジ・アウトフィット」を結成。
このバンドではオリジナル曲はリリースせず、グレンが在籍したセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド、マイケル・シェンカー、イアン・ギランの楽曲を演奏した。
2008年、マイケル・シェンカー・グループに復帰し、2010年のアルバム『In the Midst of Beauty』のプロモーション・ツアーに参加。グレンのMSGでのツアー参加は1984年以来だった。また、同年のマイケル・シェンカーのソロ・アルバム『Temple of Rock』でも2曲を演奏している。この間にイギリス、日本で数回のツアーを行い、ヨーロッパでもいくつかの公演を行った。
2004年、ギタリストのグウィン・アシュトン、テッド・マッケンナと共にアルバム『Prohibition』を制作した。その後、マッケンナと共にポール・ローズとも活動し、ポールにライヴへの参加を依頼されたが断り脱退した。
2010年、再結成されたカフェ・ジャックスに加入。
AC/DCなどで活動したドラマーのクリス・スレイドから依頼を受けて、彼が結成したバンド「スティール・サークル」のヨーロッパ・ツアーに参加。このツアーは、スレイドの音楽活動50周年を記念したものだった。
2016年、テッド・マッケンナと共にマイケル・シェンカー・フェストに加入、マイケル・シェンカーと再び活動する。2018年にアルバム『Resurrection』を、2019年に『Revelation』をリリースし、来日公演にも参加した。2022年、マイケル・シェンカー・フェストがMSGで活動を再開する時に脱退。
2018年、作家で元SAHBのマネージャー、マーティン・キルティと共同で自伝『The Bass Business』を出版、それなりの成功と売上を記録した。2冊目の本が出るという話もあるが、これについてはまだ何も確定していない。 | [
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"text": "クリストファー・ジョン・\"クリス\"・グレン(1950年11月6日-)は、スコットランド出身のミュージシャン、ベーシスト。マイケル・シェンカー・グループなどで活動していた。",
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"text": "1969年にザ・ジェイドというバンドに加入し、ベーシストとしてのキャリアが始まった。後にバンドはマスタード、ティアー・ガスに改名後、1970年にファースト・アルバム『Piggy Go Getter』をリリース、1971年には後に様々なバンドで共に活動するテッド・マッケンナが加入し、アルバム『Tear Gas』をリリースした。",
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"text": "1972年、グレンと同じスコットランド出身のアレックス・ハーヴェイとティアー・ガスのメンバーで「センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(SAHB)」を結成。ヨーロッパ・ツアーを開始する予定だったが、ハーヴェイは1977年にバンドを脱退し、バンドはアルバム『Rock Drill』のリリース直前に解散した。",
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] | クリストファー・ジョン・"クリス"・グレン(1950年11月6日-)は、スコットランド出身のミュージシャン、ベーシスト。マイケル・シェンカー・グループなどで活動していた。 | {{Infobox Musician
| Name = クリス・グレン</br>Chris Glen
| Background = instrumentalist
| Birth_name = クリストファー・ジョン・グレン</br>Christopher John Glen
| Alias =
| Img =
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| Born = {{生年月日|1950|11|6}}</br>{{GBR}}、[[グラスゴー]]
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}}
'''クリス・グレン'''(Chris Glen、[[1950年]][[11月6日]]-)は、[[スコットランド]]出身のミュージシャン、ベーシスト。[[マイケル・シェンカー・グループ]]などで活動していた<ref>{{Cite web |title=Barend Courbois (Blind Guardian) On Bass – Michael Schenker Himself |url=https://michaelschenkerhimself.com/news/barend-courbois-blind-guardian-on-bass/ |website=michaelschenkerhimself.com |access-date=2023-11-25}}</ref>。
==経歴==
===生い立ち===
[[1950年]][[11月6日]]、[[グラスゴー]]で生まれ、[[ペイズリー (イギリス)|ペイズリー]]で育つ。
=== 初期-センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(1969-1980) ===
1969年に'''ザ・ジェイド'''というバンドに加入し、ベーシストとしてのキャリアが始まった。後にバンドは'''マスタード、ティアー・ガス'''に改名後、1970年にファースト・アルバム『Piggy Go Getter』をリリース、1971年には後に様々なバンドで共に活動する[[テッド・マッケンナ]]が加入し、アルバム『Tear Gas』をリリースした<ref>{{Cite web |title=Tear Gas Songs, Albums, Reviews, Bio & More |url=https://www.allmusic.com/artist/tear-gas-mn0000717263 |website=AllMusic |access-date=2023-11-25 |language=en}}</ref>。
[[1972年]]、グレンと同じスコットランド出身の[[アレックス・ハーヴェイ]]とティアー・ガスのメンバーで'''「[[センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド]](SAHB)」'''を結成。ヨーロッパ・ツアーを開始する予定だったが、ハーヴェイは1977年にバンドを脱退し、バンドはアルバム『Rock Drill』のリリース直前に解散した。
=== ジョン・マーティン ===
1979年にギタリストのジョン・マーティンとグラストンベリーで共演。グレンはマーティンのアルバム『Grace and Danger』にも参加している。
=== マイケル・シェンカー・グループ(1980-1984) ===
マウンテン・マネージメントとのレコード契約が切れた後、他のアーティストと共演するようになった彼は、1980年、[[スコーピオンズ]]や[[UFO (バンド)|UFO]]で活動したドイツのロック・ギタリスト、[[マイケル・シェンカー]]を紹介されて[[マイケル・シェンカー・グループ]]に加入。『神(帰ってきたフライング・アロウ)』『黙示録』、『限りなき戦い』、『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』、『ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ』のレコーディングに参加した。1984年にシェンカーの酒とドラッグによる問題行動に耐えられず脱退した。
=== GMT(グレン/マッコーリー/テイラー)(1985) ===
[[1985年]]、MSGを脱退してすぐに[[ロビン・マッコーリー]]、フィル・テイラー([[モーターヘッド]])、[[ブライアン・ロバートソン]]([[シン・リジィ]])らとバンド「'''GMT'''」を結成。バンドは『Wargames』という4曲入りのEPをリリースして年内に解散。解散後はテレビやラジオのセッション・ワークや、ロンドンでバスの運転手をしていた。
=== イアン・ギラン・バンド(1990) ===
[[1990年]]、[[ディープ・パープル]]の[[イアン・ギラン]]からの誘いを受けて'''[[イアン・ギラン・バンド]]'''に加入。バンドにはテッド・マッケンナも参加した。アルバム『Naked Thunder』のプロモーションのためのワールド・ツアーに乗り出し、後にイギリスのノッティンガムで撮影されたライブDVDがリリースされた。
=== パーティー・ボーイズ-SAHB再結成(1991-2008) ===
[[1991年]]、テッド・マッケンナを中心に結成されたスーパーグループ、'''パーティー・ボーイズ'''に加入。
このバンドは2年間活動したが、メンバー全員がセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド出身だったため、スティーヴィー・ドハーティをヴォーカルに迎えてバンドを再結成することを決めた。1995年に解散するが、[[2002年]]に元[[ナザレス (バンド)|ナザレス]]のビリー・ランキンをボーカルに迎えて再結成。2008年にザル・クレミンソンの脱退により解散。
=== クリス・グレン&ジ・アウトフィット(2008-2020) ===
2008年、[[ドゥギー・ホワイト]](ボーカル、元[[レインボー (バンド)|レインボー]])、マックス・マクスウェル(センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド)、ブライアン・マクフィー(ギター、元マリアンヌ・フェイスフル)、ロス・マクファーレン(ドラム、元[[テキサス (バンド)|テキサス]])を迎え、自身のバンド「'''クリス・グレン&ジ・アウトフィット'''」を結成。
このバンドではオリジナル曲はリリースせず、グレンが在籍したセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド、マイケル・シェンカー、イアン・ギランの楽曲を演奏した。
=== マイケル・シェンカー・グループ復帰(2008-2010) ===
[[2008年]]、マイケル・シェンカー・グループに復帰し、2010年のアルバム『In the Midst of Beauty』のプロモーション・ツアーに参加。グレンのMSGでのツアー参加は1984年以来だった。また、同年のマイケル・シェンカーのソロ・アルバム『Temple of Rock』でも2曲を演奏している。この間にイギリス、日本で数回のツアーを行い、ヨーロッパでもいくつかの公演を行った。
=== グウィン・アシュトン-ポール・ローズ(2004) ===
2004年、ギタリストのグウィン・アシュトン、テッド・マッケンナと共にアルバム『Prohibition』を制作した。その後、マッケンナと共にポール・ローズとも活動し、ポールにライヴへの参加を依頼されたが断り脱退した。
=== カフェ・ジャックス(2010) ===
2010年、再結成されたカフェ・ジャックスに加入。
=== スティール・サークル ===
[[AC/DC]]などで活動したドラマーの[[クリス・スレイド]]から依頼を受けて、彼が結成したバンド「'''スティール・サークル'''」のヨーロッパ・ツアーに参加。このツアーは、スレイドの音楽活動50周年を記念したものだった。
=== マイケル・シェンカー・フェスト(2016-2022) ===
2016年、テッド・マッケンナと共に'''マイケル・シェンカー・フェスト'''に加入、マイケル・シェンカーと再び活動する。2018年にアルバム『Resurrection』を、2019年に『Revelation』をリリースし、来日公演にも参加した。2022年、マイケル・シェンカー・フェストがMSGで活動を再開する時に脱退。
=== 自伝執筆 ===
2018年、作家で元SAHBのマネージャー、マーティン・キルティと共同で自伝『The Bass Business』を出版、それなりの成功と売上を記録した。2冊目の本が出るという話もあるが、これについてはまだ何も確定していない。
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [https://www.myspace.com/chrisglenandtheoutfit Chris Glen and the Outfit] on Myspace
* [http://www.chrisglen.co.uk/links.html] Chris Glen website
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[[Category:イギリスのミュージシャン]]
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4,859,920 | アゼルバイジャン=ジョージア国境 | アゼルバイジャン=ジョージア国境(アゼルバイジャン=ジョージアこっきょう、アゼルバイジャン語: Azərbaycan–Gürcüstan sərhədi, グルジア語: აზერბაიჯან-საქართველოს საზღვარი, ラテン文字転写: azerbaijan-sakartvelos sazghvari)は、アゼルバイジャンとジョージアの間の国境である。
西端のアルメニアとの三国国境から北西に進み、ジャンダリ湖(英語版)を通った後で南東に曲がる。ミンガチェビル貯水池(英語版)付近からアラザニ川に沿って北東、後に北西に進む。ツノリ(英語版)の東でアラザニ川から離れて北東に進み、東端のロシアとの三国国境に至る。延長は428キロメートルである。
コーカサス地方は19世紀を通して、衰退しつつあったオスマン帝国、ガージャール朝(ペルシャ)、南下を意図していたロシア帝国の間で争われていた。ロシアは、1801年に現在のジョージア東部のカルトリ・カヘティ王国を、1804年に現在のジョージア西部のイメレティ王国(英語版)を併合した。1800年代、ロシアはペルシャとオスマン帝国の領土に侵攻し、国境を南に押し下げた。ロシア・ペルシャ戦争とその後のゴレスターン条約によって、ロシアは現在のアゼルバイジャンの大部分とアルメニアの一部を獲得した。ロシアはジョージアとアゼルバイジャンの領土に、チフリス(英語版)、クタイス(英語版)、バクー、エリザヴェトポリ(英語版)の各グベールニヤ(県)を設置した。
1917年のロシア革命の後、南コーカサスの人々は1918年4月にザカフカース民主連邦共和国の建国を宣言し、オスマン帝国との和平交渉(英語版)を開始した。同年5月にジョージアが連邦から離脱し、その直後にアルメニアとアゼルバイジャンも脱退して連邦は崩壊し、3つの共和国の間の国境を巡って紛争が勃発した。アゼルバイジャンとジョージアの間の紛争は、旧チフリス県におけるザカタル管区(英語版)の扱いを巡るものだった。ソビエトロシアが1920年のモスクワ条約(英語版)でジョージアの独立を承認したが、この条約の中でザカタルがジョージア領とされていたため、アゼルバイジャン政府が抗議した。1920年5月、ソビエトロシアの後ろ盾で国境画定を行うことで合意がなされた。1920年6月12日に開催された和平交渉で国境の大部分について合意され、ザカタルの扱いはソビエトロシア主導の委員会によって決定された。
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] | アゼルバイジャン=ジョージア国境は、アゼルバイジャンとジョージアの間の国境である。 西端のアルメニアとの三国国境から北西に進み、ジャンダリ湖を通った後で南東に曲がる。ミンガチェビル貯水池付近からアラザニ川に沿って北東、後に北西に進む。ツノリの東でアラザニ川から離れて北東に進み、東端のロシアとの三国国境に至る。延長は428キロメートルである。 | {{Infobox border
| name = アゼルバイジャン=ジョージア国境
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| caption = アゼルバイジャンの地図。ジョージアは北西にある。
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'''アゼルバイジャン=ジョージア国境'''(アゼルバイジャン=ジョージアこっきょう、{{lang-az|Azərbaycan–Gürcüstan sərhədi}}, {{lang-ka|აზერბაიჯან-საქართველოს საზღვარი|tr}})は、[[アゼルバイジャン]]と[[ジョージア (国)|ジョージア]]の間の[[国境]]である。
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==歴史==
[[コーカサス地方]]は19世紀を通して、衰退しつつあった[[オスマン帝国]]、[[ガージャール朝]]([[ペルシャ]])、南下を意図していた[[ロシア帝国]]の間で争われていた。ロシアは、1801年に現在のジョージア東部の[[カルトリ・カヘティ王国]]を、1804年に現在のジョージア西部の{{仮リンク|イメレティ王国|en|Kingdom of Imereti}}を併合した。1800年代、ロシアはペルシャとオスマン帝国の領土に侵攻し、国境を南に押し下げた<ref name="CIA-1952">{{citation|url=https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010005-2.pdf|title=The boundary between Turkey and the USSR|date=January 1952|access-date=8 April 2020|archive-date=10 April 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200410165528/https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010005-2.pdf|url-status=dead}}</ref>。[[ロシア・ペルシャ戦争 (1804年-1813年)|ロシア・ペルシャ戦争]]とその後の[[ゴレスターン条約]]によって、ロシアは現在のアゼルバイジャンの大部分とアルメニアの一部を獲得した<ref>John F. Baddeley, "The Russian Conquest of the Caucasus", Longman, Green and Co., London: 1908, p. 90</ref><ref name="CIA-1951">{{citation|url=https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010003-4.pdf|title=USSR-Iran Boundary|date=February 1951|access-date=9 April 2020|archive-date=10 April 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200410205605/https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP79-00976A000200010003-4.pdf|url-status=dead}}</ref>。ロシアはジョージアとアゼルバイジャンの領土に、{{仮リンク|チフリス県|label=チフリス|en|Tiflis Governorate}}、{{仮リンク|クタイス県|label=クタイス|en|Kutaisi Governorate}}、[[バクー県|バクー]]、{{仮リンク|エリザヴェトポリ県|label=エリザヴェトポリ|en|Elizavetpol Governorate}}の各[[グベールニヤ]](県)を設置した。
[[File:Ca. 1895 ethnographic map of Tiflis Governorate and Zakatala district. Showing the boundaries of counties, police stations and rural societies.jpg|thumb|right|{{仮リンク|ザカタル管区|en|Zakatal okrug}}を含む旧チフリス県の地図]]
1917年の[[ロシア革命]]の後、南コーカサスの人々は1918年4月に[[ザカフカース民主連邦共和国]]の建国を宣言し、オスマン帝国との{{仮リンク|トレビゾンド和平交渉|label=和平交渉|en|Trebizond Peace Conference}}を開始した<ref name="ric">{{citation| author=Richard Hovannisian| title=The Armenian people from ancient to modern times| pages=292–293| isbn=978-0-333-61974-2 | oclc=312951712}} (Armenian Perspective)</ref><ref name="ottoman1">{{citation| author=Ezel Kural Shaw| title=Reform, revolution and republic : the rise of modern Turkey (1808-1975)| series=History of the Ottoman Empire and Modern Turkey| volume=2| year=1977| publisher=Cambridge University Press| oclc=78646544| page=326}} (Turkish Perspective)</ref>。同年5月に[[グルジア民主共和国|ジョージア]]が連邦から離脱し、その直後に[[アルメニア第一共和国|アルメニア]]と[[アゼルバイジャン民主共和国|アゼルバイジャン]]も脱退して連邦は崩壊し、3つの共和国の間の国境を巡って紛争が勃発した。アゼルバイジャンとジョージアの間の紛争は、旧チフリス県における{{仮リンク|ザカタル管区|en|Zakatal okrug}}の扱いを巡るものだった<ref name="CSS">{{cite web |last1=Samkharadze |first1=Nikoloz |title=Georgian State Border – Past and Present |url=http://css.ge/wp-content/uploads/2019/07/nika_border_eng.pdf |website=Centre for Social Sciences |date=August 2020 |access-date=9 September 2020 |archive-date=4 February 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210204222520/http://css.ge/wp-content/uploads/2019/07/nika_border_eng.pdf |url-status=live }}</ref>。ソビエトロシアが1920年の{{仮リンク|モスクワ条約 (1920年)|label=モスクワ条約|en|Treaty of Moscow (1920)}}でジョージアの独立を承認したが、この条約の中でザカタルがジョージア領とされていたため、アゼルバイジャン政府が抗議した<ref name="Lang">[[David Marshall Lang|Lang, DM]] (1962). ''A Modern History of Georgia'', p. 226. London: Weidenfeld and Nicolson.</ref><ref name="CSS"/>。1920年5月、ソビエトロシアの後ろ盾で国境画定を行うことで合意がなされた<ref name="CSS"/>。1920年6月12日に開催された和平交渉で国境の大部分について合意され、ザカタルの扱いはソビエトロシア主導の委員会によって決定された<ref name="CSS"/><ref>{{cite book |title=State Building and Conflict Resolution in the Caucasus |last1=Hille |first1=Charlotte |year=2010 |publisher= Koninklijke Brill NV |location= Leiden, the Netherlands |isbn= 978-90-04-17901-1 |pages=95}}</ref>。
1920年、ソビエトロシアの[[赤軍]]がアルメニアと{{仮リンク|赤軍のアゼルバイジャン侵攻|label=アゼルバイジャンに侵攻|en|Red Army invasion of Azerbaijan}}し、両国の独立は終了した。翌1921年には{{仮リンク|赤軍のグルジア侵攻|label=ジョージアにも侵攻|en|Red Army invasion of Georgia}}した。1921年7月5日、ソビエトロシアはザカタルをアゼルバイジャン領とし、それ以外の国境についてはそのままとすることを確認し、1921年11月15日の条約で最終決定された<ref name="CSS"/>。1922年、アゼルバイジャンとジョージアはアルメニアとともにソ連領内の[[ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国]]に編入されたが、1936年に[[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国]]、[[グルジア・ソビエト社会主義共和国]]として分離された。
1991年に[[ソビエト連邦の崩壊|ソビエト連邦が崩壊]]して構成共和国が独立し、構成共和国の境界がそのまま国境となった。1994年に国境画定作業が開始されたが、領有権を主張する領域に重なりがあるため、作業はいまだに完了していない<ref name="CSS"/><ref>{{citation|url=https://www.academia.edu/30233834|author=Ekaterina Arkhipova|title=Georgia and Azerbaijan: border delimitation and security challenges|date=December 2016|access-date=9 September 2020|archive-date=4 February 2021|archive-url=https://web.archive.org/web/20210204222524/https://www.academia.edu/30233834/Georgia_and_Azerbaijan_border_delimitation_and_security_challenges_Border_Breifings_Vol_3_December_2016_|url-status=live}}</ref>。国境にある[[赤い橋 (国境)|赤い橋]]の周辺には、1990年代の第一次[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]の時に埋められた[[地雷]]がそのままになっている箇所がある。アゼルバイジャンによって、ジョージアの混乱に乗じてアルメニアがこの地域を自国領土への攻撃に利用することを恐れて敷設されたものである<ref>{{cite news|title= Azerbaijan-Georgia border dispute a political, and literal, minefield|publisher= Eurasianet|author= Bradley Jardine|url= https://eurasianet.org/azerbaijan-georgia-border-dispute-a-political-and-literal-minefield|date= 19 September 2018|access-date= 9 September 2020|archive-date= 4 February 2021|archive-url= https://web.archive.org/web/20210204222557/https://eurasianet.org/azerbaijan-georgia-border-dispute-a-political-and-literal-minefield|url-status= live}}</ref>。また、ジョージア人にとっての聖地である[[ダヴィド・ガレジ複合修道院]]は、国境のすぐそばにあり、特に紛争が絶えない<ref name="CSS"/><ref name="az-dispute2">{{cite news|title=Ancient monastery starts modern-day feud in Caucasus |work=[[Middle East Times]] |author=Michael Mainville |date=2007-05-03 |url=http://www.metimes.com/storyview.php?StoryID=20070503-033409-4589r |access-date=2007-06-23 <!--|url-status=dead -->|archive-url=https://web.archive.org/web/20070929095720/http://www.metimes.com/storyview.php?StoryID=20070503-033409-4589r |archive-date=September 29, 2007 }}</ref>。
ジョージア領内の[[クヴェモ・カルトリ州]]南部などに少数のアゼルバイジャン人が居住し<ref name="obstacles">Jonathan Wheatley. ''Obstacles Impeding the Regional Integration of the Kvemo Kartli region of Georgia''. European Centre for Minority Issues Working Paper #23. February 2005</ref><ref name="census2014">[http://census.ge/en/results/census1/demo 2014 Georgian General Population Census - Demographic And Social Characteristics] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20190815124343/http://census.ge/en/results/census1/demo |date=2019-08-15 }}. Retrieved 21 May 2017.</ref>、アゼルバイジャン領内の{{仮リンク|サインギロ|en|Saingilo}}地方などに[[インギロイ人]]と呼ばれる少数の[[ジョージア人]]が居住する<ref>{{cite web|url=http://georgiatoday.ge/news/12294/Georgian-Churches-in-Azerbaijan|title=Georgian Churches in Azerbaijan|website=Georgia Today|last=Mahdavi|first=Shirin|date=17 September 2018|access-date=4 October 2020|archive-date=4 February 2021|archive-url=https://web.archive.org/web/20210204222611/http://georgiatoday.ge/news/12294/Georgian-Churches-in-Azerbaijan|url-status=live}}</ref><ref>Council of Europe: [https://www.ecoi.net/en/file/local/1421450/1226_1515589618_4th-sr-azerbaijan-en-docx.pdf Secretariat of the Framework Convention for the Protection of National Minorities, Fourth Report submitted by Azerbaijan pursuant to Article 25, paragraph 2 of the Framework Convention for the Protection of National Minorities] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20210204222529/https://www.ecoi.net/en/file/local/1421450/1226_1515589618_4th-sr-azerbaijan-en-docx.pdf |date=2021-02-04 }} (Received on 10 January 2017), 10 January 2017, ACFC/SR/IV(2017)002</ref><ref>{{cite web |last1=Cornell |first1=Svante E |title=Are Georgia-Azerbaijan Relations at Risk? |url=https://www.cacianalyst.org/publications/analytical-articles/item/13583-are-georgia-azerbaijan-relations-at-risk?.html |publisher=CACI Analyst |date=30 July 2019 |access-date=10 September 2020 |archive-date=4 February 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210204222555/https://www.cacianalyst.org/publications/analytical-articles/item/13583-are-georgia-azerbaijan-relations-at-risk?.html |url-status=live }}</ref>。
==国境通過点==
[[File:Azeribaijan Border "Good Luck" (3846234411).jpg|thumb|250px|right|国境通過点のジョージア側から見たアゼルバイジャン]]
[[File:Khrami River Red Bridge.jpg|thumb|250px|right|国境通過点にある「[[赤い橋 (国境)|赤い橋]]」]]
両国間の通行可能な国境通過点は以下の通りである<ref>{{cite web|url=https://migration.commission.ge/index.php?article_id=168&clang=1|title=Border checkpoints of Georgia|publisher=State Commission on Migration Issues|access-date=19 July 2021}}</ref>。
* [[ガザフ県]]{{仮リンク|イスマイル・シクリー|en|İkinci Şıxlı}} (AZE) - Tsiteli (GEO) - 国境に[[赤い橋 (国境)|赤い橋]]が架かる<ref>{{cite web|url=https://georgiantravelguide.com/en/sabazho-gamshvebi-punkti-tsiteli-khidi|title=Red Bridge Customs Checkpoint|website=Georgian Travel Guide|access-date=19 July 2021}}</ref><ref name="Caravan">{{cite web |title=Georgia Border Crossings |url=https://caravanistan.com/border-crossings/georgia |website=Caravanistan |access-date=9 September 2020 |archive-date=4 February 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210204222530/https://caravanistan.com/border-crossings/georgia/ |url-status=live }}</ref>。
* {{仮リンク|アグスタファ県|en|Aghstafa District}}[[:en:Sadıqlı, Agstafa|Sadıqlı]] (AZE) - Vakhtangisi "Mtkvari" (GEO))<ref>{{cite web|url=https://georgiantravelguide.com/en/sabazho-gamshvebi-punkti-mtkvari|title=Mtkvari Customs Checkpoint|website=Georgian Travel Guide|access-date=19 July 2021}}</ref>
* {{仮リンク|ザガタラ県|en|Zagatala District}}[[:en:Muğanlı, Zaqatala|Muğanlı]] (AZE) - Samtatskaro (GEO)<ref>{{cite web|url=https://georgiantravelguide.com/en/sabazho-gamshvebi-punkti-samtatsqaro|title=Samtatskaro Customs Checkpoint|website=Georgian Travel Guide|access-date=19 July 2021}}</ref>
* {{仮リンク|バラカン県|en|Balakan District}}{{仮リンク|バラカン (アゼルバイジャン)|label=バラカン|en|Balakən}} (AZE) - {{仮リンク|ラゴデヒ|en|Lagodekhi}} (GEO)<ref>{{cite web|url=https://georgiantravelguide.com/en/sabazho-gamshvebi-punkti-lagodekhi|title=Lagodekhi Customs Checkpoint|website=Georgian Travel Guide|access-date=19 July 2021}}</ref><ref name="Caravan"/>
==脚注==
{{Reflist}}
==関連項目==
* {{仮リンク|アゼルバイジャン・ジョージア関係|en|Azerbaijan–Georgia relations}}
{{ジョージアの国境}}
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[[Category:ジョージアの国境|あせるはいしやん]]
[[Category:アゼルバイジャンの国境|しよおしあ]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%9B%BD%E5%A2%83 |
4,859,927 | トビー・ウォルシュ | トビー・ウォルシュ (Toby Walsh, 1964-) FAA FACM FAAAS FAAAI FEurAI は、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学AI研究所主任科学者である。彼はオーストラリア教授研究奨学金フェロー(英語版)で、ニューサウスウェールズ大学とオーストラリア連邦科学産業研究機構 (旧NICTA:国立ICTオーストラリア) の人工知能の教授である。オーストラリアの情報通信技術研究の中心であったNICTAでは科学主任を務めた。彼は人工知能研究の特に社会選択理論、制約プログラミング、充足可能性問題といった研究で著名である。彼はまたアメリカ人工知能学会の理事も務めた。
彼はケンブリッジ大学で理論物理学と数学の修士号を得、エディンバラ大学で人工知能の理学修士とPh.D.を獲得した。オーストラリア、英国、アイルランド、イタリア、フランス、ドイツ、スコットランド、そしてスウェーデンで研究職を歴任した。彼は『人工知能研究ジャーナル(英語版)』と『AIコミュニケーション』誌の編集長を務めた。また国際人工知能会議を含む人工知能分野のいくつかの会議の議長も務めた。『制約プログラミングハンドブック』と『充足可能性問題ハンドブック』の編集者でもある。人間が混乱するのを防ぐために、あらゆるAIシステムが自らをコンピュータプログラムだと認識することを要求する、チューリング赤旗法則のアイデアを提唱した。
2015年、彼は攻撃型自律兵器の禁止を求める公開書簡の発表を支援し、2万以上の署名を集めた。このテーマについて後に彼はTEDxBerlinで講演した。2017年、人工知能とロボティクスの企業の創立者100人が署名した禁止を求める公開書簡を発表した。また同年、人工知能に取り組むオーストラリアの100人以上の研究者が署名した、オーストラリアの禁止に向けた交渉を求めるオーストラリア首相宛ての書簡を発表した。2022年には、ロシア軍が人工知能を使用する事への率直な批判をしたため、ロシアへの渡航を無期限に禁止された121人のオーストリア著名人の1人となった。
2018年、彼はオーストラリア学術アカデミー評議会(英語版) (ACOLA) 特別作業部会の議長を務め、オーストラリア主任科学者室のアラン・フィンケル(英語版)博士の依頼により、「人工知能の展開とそれがオーストラリアにもたらすもの」についての報告書を作成した。さらに、「ロボット革命」についてABCテレビ局のインタビューを受けた。
彼は人工知能に関する一般書を4冊著している。
4冊とも出版社はBlack Inc.である。また英語の他に中国語、ドイツ語、韓国語、ポーランド語、ルーマニア語、ロシア語、台湾語、トルコ語、ベトナム語に翻訳されている。 | [
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] | トビー・ウォルシュ は、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学AI研究所主任科学者である。彼はオーストラリア教授研究奨学金フェローで、ニューサウスウェールズ大学とオーストラリア連邦科学産業研究機構 (旧NICTA:国立ICTオーストラリア) の人工知能の教授である。オーストラリアの情報通信技術研究の中心であったNICTAでは科学主任を務めた。彼は人工知能研究の特に社会選択理論、制約プログラミング、充足可能性問題といった研究で著名である。彼はまたアメリカ人工知能学会の理事も務めた。 | {{Infobox scientist
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'''トビー・ウォルシュ''' (Toby Walsh, 1964-) {{post-nominals|unlinked=FAA FACM FAAAS FAAAI FEurAI}} は、オーストラリアの[[ニューサウスウェールズ大学]]AI研究所主任科学者である<ref>{{cite web |url=https://www.inside.unsw.edu.au/innovation-and-engagement/unsw-launches-artificial-intelligence-ai-institute| title=UNSW.ai announcement|publisher=[[ニューサウスウェールズ大学]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。彼は{{仮リンク|オーストラリア教授研究奨学金フェロー|en|Laureate fellow}}で、ニューサウスウェールズ大学と[[オーストラリア連邦科学産業研究機構]] (旧NICTA:国立ICTオーストラリア) の[[人工知能]]の教授である<ref name=":1">{{cite web |url=http://www.cse.unsw.edu.au |title=CSE UNSW Webpage |publisher=[[University of New South Wales]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref><ref name=":2">{{cite web |url=http://www.cse.unsw.edu.au/db/staff/staff_details.php?ID=tw |title=UNSW webpage |publisher=[[University of New South Wales]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。オーストラリアの情報通信技術研究の中心であったNICTAでは科学主任を務めた。彼は人工知能研究の特に[[社会選択理論]]、[[制約プログラミング]]、[[充足可能性問題]]といった研究で著名である。彼はまた[[アメリカ人工知能学会]]の理事も務めた<ref name=":4">{{cite web |url=http://www.aaai.org/Organization/officers.php |title=AAAI Officials |publisher=[[Association for the Advancement of Artificial Intelligence]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。
== 経歴 ==
彼は[[ケンブリッジ大学]]で理論物理学と数学の修士号を得、[[エディンバラ大学]]で人工知能の[[修士(理学)|理学修士]]と[[Doctor of Philosophy|Ph.D.]]を獲得した。オーストラリア、英国、アイルランド、イタリア、フランス、ドイツ、スコットランド、そしてスウェーデンで研究職を歴任した。彼は『{{仮リンク|人工知能研究ジャーナル|en|Journal of Artificial Intelligence Research}}』と『AIコミュニケーション』誌の編集長を務めた。また[[国際人工知能会議]]を含む人工知能分野のいくつかの会議の議長も務めた<ref name=":6">{{cite web |url=http://videolectures.net/ijcai2011_walsh_opening/ |title=Opening Ceremony |publisher=[[VideoLectures.net]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。『制約プログラミングハンドブック』<ref>{{Cite book |title=Handbook of constraint programming |url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA79587279 |publisher=Elsevier |date=2006 |language=ja |first=Francesca |last=Rossi |first2=Peter |last2=Van Beek |first3=Toby |last3=Walsh}}</ref>と『充足可能性問題ハンドブック』<ref>{{cite web |url=http://www.iospress.nl/book/handbook-of-satisfiability/ |title=Handbook of Satisfiability |publisher=[[IOS Press]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref><ref>{{Cite book |title=Handbook of satisfiability |url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA89161568 |publisher=IOS Press |date=2009 |language=ja |first=Armin |last=Biere |first2=Marijn |last2=Heule |first3=Hans van |last3=Maaren |first4=Toby |last4=Walsh}}</ref>の編集者でもある。人間が混乱するのを防ぐために、あらゆるAIシステムが自らをコンピュータプログラムだと認識することを要求する、チューリング赤旗法則のアイデアを提唱した<ref>{{cite web |url=https://cacm.acm.org/magazines/2016/7/204019-turings-red-flag/fulltext |title=Turing's Red Flag |publisher=[[Communications of the ACM]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。
2015年、彼は攻撃型自律兵器の禁止を求める公開書簡<ref>{{cite web |url=http://futureoflife.org/AI/open_letter_autonomous_weapons |title=Open letter hosted by Future of Life Institute|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>の発表を支援し、2万以上の署名を集めた。このテーマについて後に彼はTEDxBerlinで講演した<ref>{{cite web |url=https://www.youtube.com/watch?v=c277ynyRPgs |archive-url=https://ghostarchive.org/varchive/youtube/20211221/c277ynyRPgs |archive-date=2021-12-21 |url-status=live |title=Video from TEDxBerlin |website=[[YouTube]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}{{cbignore}}</ref>。2017年、人工知能とロボティクスの企業の創立者100人が署名した禁止を求める公開書簡を発表した。また同年、人工知能に取り組むオーストラリアの100人以上の研究者が署名した、オーストラリアの禁止に向けた交渉を求めるオーストラリア首相宛ての書簡を発表した<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/science/2017/nov/06/ban-killer-robots-experts-urge-australian-and-canadian-leaders-malcolm-turnbull-justin-trudeau |title=Ban killer robots, experts urge Australian and Canadian leaders |last=Sample |first=Ian |date=2017-11-06 |website=the Guardian |language=en |access-date=2018-09-18}}</ref>。2022年には、ロシア軍が人工知能を使用する事への率直な批判をしたため、ロシアへの渡航を無期限に禁止された121人のオーストリア著名人の1人となった<ref>{{cite web |url=https://www.news.com.au/world/russia-hits-121-aussies-with-sanctions-for-russophobic-agenda/news-story/14bea9414c692f0d5fe812256c468181| title=Russian sanctions of prominent Australians|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>。
2018年、彼は{{仮リンク|オーストラリア学術アカデミー評議会|en|National Academies Forum}} (ACOLA) 特別作業部会の議長を務め、オーストラリア主任科学者室の{{仮リンク|アラン・フィンケル|en|Alan Finkel}}博士の依頼により、「人工知能の展開とそれがオーストラリアにもたらすもの」についての報告書を作成した。さらに、「ロボット革命」についてABCテレビ局のインタビューを受けた。
== 著作 ==
彼は人工知能に関する一般書を4冊著している。
* ''"It's Alive!: Artificial Intelligence from the Logic Piano to Killer Robots"'',<ref>{{Cite book|url=https://www.blackincbooks.com.au/books/its-alive|title=It's Alive! by Toby Walsh|date=6 July 2016|language=en}}</ref> 人工知能の歴史と現状に迫ったもの。
* ''"2062: The World that AI Made"'',<ref>{{Cite book|url=https://www.blackincbooks.com.au/books/2062|title=2062 by Toby Walsh|date=4 March 2018|language=en}}</ref> 人工知能が私たちの社会にもたらすインパクト。
* ''"Machines Behaving Badly: the Morality of AI"'',<ref>{{Cite book|url=https://www.blackincbooks.com.au/books/machines-behaving-badly|title=Machines Behaving Badly|date=3 May 2022|language=en}}</ref> 人工知能の倫理的挑戦。
* ''"Faking It: Artificial intelligence in a Human World"''. 最新の著作、人間の世界における人工知能。
4冊とも出版社はBlack Inc.である。また英語の他に中国語、ドイツ語、韓国語、ポーランド語、ルーマニア語、ロシア語、台湾語、トルコ語、ベトナム語に翻訳されている。
==栄誉と受賞==
* 2003年 {{仮リンク|欧州人工知能協会|en|European Coordinating Committee for Artificial Intelligence}}フェロー<ref>{{cite web |url=http://www.eccai.org/fellow.php?sort=year |title=ECCAI Fellow |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20110123075833/http://www.eccai.org/fellow.php?sort=year |archive-date=23 January 2011 |df=dmy-all |accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>
* 2008年 [[アメリカ人工知能学会]]フェロー<ref>{{cite web |url=http://www.aaai.org/Awards/fellows-list.php |title=AAAI Fellow |publisher=[[Association for the Advancement of Artificial Intelligence|AAAI]]|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>
* 2014年 [[フンボルト賞]]
* 2015年 制約プログラミング学会の優秀研究賞<ref>{{Cite web|url=https://www.a4cp.org/awards/research-excellence-award|title=Research Excellence Award {{!}} Association for Constraint Programming|website=www.a4cp.org|language=en|access-date=2018-09-18}}</ref>
* 2016年 {{仮リンク|オーストラリア科学アカデミー|en|Australian Academy of Science}} フェロー<ref>{{cite web |url=https://www.science.org.au/news-and-events/news-and-media-releases/academy-announces-2016-fellows|title=Australian Academy of Science announces 2016 Fellows|accessdate=Nov. 29, 2023}}</ref>、ニューサウスウェールズ州プレミア賞(エンジニアリングおよびICT部門)<ref>{{Cite web|url=http://www.chiefscientist.nsw.gov.au/premiersprizes/2016-Premiers-Prizes-Category-Prize-Winners|title=2016 Category Prize Winners - NSW Chief Scientist & Engineer|website=www.chiefscientist.nsw.gov.au|language=en|access-date=2018-09-18}}</ref>、ニューサウスウェールズ大学サイエンティア教授就任<ref>{{Cite news|url=https://newsroom.unsw.edu.au/news/general/unsw-appoints-16-new-scientia-professors|title=UNSW appoints 16 new Scientia Professors|date=2016-12-16|work=UNSW Newsroom|access-date=2018-09-18}}</ref>
* 2018年 軍備管理協会の年間最優秀人物賞で準優勝<ref>{{Cite news|url=https://newsroom.unsw.edu.au/news/science-tech/unsws-toby-walsh-voted-runner-global-award|title=UNSW's Toby Walsh voted as runner-up for global award|date=2018-01-10|work=UNSW Newsroom|access-date=2018-09-18}}</ref>
* 2020年 [[ACMフェロー]]、{{仮リンク|アメリカ科学振興協会フェロー|en|Fellow of the American Association for the Advancement of Science}}.
* 2023年 {{仮リンク|ユーリカ賞|en|Eureka Prizes}}<ref>{{Cite web |last=Plant |first=Elizabeth |date=2023-08-23 |title=2023 Australian Museum Eureka Prize winners |url=https://australian.museum/get-involved/eureka-prizes/2023-eureka-prize-winners/australian.museum/get-involved/eureka-prizes/2023-eureka-prize-winners/ |access-date=2023-08-23 |website=The Australian Museum |language=en}}</ref>
==脚注==
{{Reflist}}
==外部リンク==
*[http://www.cse.unsw.edu.au/~tw/ Toby Walsh's homepage]
{{Authority control}}
{{DEFAULTSORT:とひい うおるしゆ}}
[[Category:人工知能学者]]
[[Category:イギリスの計算機科学者]]
[[Category:アメリカ人工知能学会フェロー]]
[[Category:オーストラリア科学院フェロー]]
[[Category:エディンバラ大学出身の人物]]
[[Category:ケンブリッジ大学出身の人物]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:存命人物]] | 2023-11-29T05:04:14Z | 2023-11-29T05:04:14Z | false | false | false | [
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"Template:仮リンク",
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"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5 |
4,859,930 | アブドッラー・シルバーヤ | アブドッラー・ハーリド・シルバーヤ(英: Abdullah Shelbayh, 英語発音: /ˌæbˈdʌlə ʃɪlˈbaɪə/; 阿: عبد الله شلباية, MSA発音: /ʕabd aɫ.ɫaːh ʃil.baː.ja/, アラビア語レバント方言発音: [ʕab.ˈdɑlʕ.lʕɑ ʃɪl.ˈbæː.je]; 2003年11月16日 - )は、ヨルダン出身の男子プロテニス選手。ATP自己最高ランキングはシングルス188位・ダブルス518位。身長180cm、体重73kg。左利き、バックハンドは両手打ち。
14歳まではヨルダンで父からテニスの指導を受けた。 ラファエル・ナダルのファンで、利き腕を右から左へ矯正。14歳からララ・ファイサル(英語版)王女の援助を受けて、ラファ・ナダル・アカデミー(英語版)に入学しマヨルカ島へ移住。 2021年からフロリダ大学に1年だけ在籍。ベン・シェルトンとチームメイトになり、ベンの父でありコーチであるブライアン(英語版)から指導を受けた。2022年6月にプロへ転向するためにマヨルカ島に戻った。大学は通信教育で続けたが、12月に退学する。
2022年7月にITFの大会のシングルスで連続優勝。8月のラファ・ナダル・オープンでワイルドカードとして本戦入りしチャレンジャーデビュー。初戦のシュトリッカーを2-0で下し、ヨルダン出身の選手としては初めてチャレンジャーの大会で勝利を挙げた。この大会はベスト4まで勝ち進んだ。
2023年2月のマナーマ(英語版)のシングルスでチャレンジャー決勝に初進出。決勝はコキナキスに0-2で敗れ、準優勝となった。
同月カタール・オープンでワイルドカードとしてATPツアーデビュー。初戦で權順宇にフルセットで敗れた。
4月のムルシア・オープン(英語版)のダブルスでダニエル・リンコン(英語版)とペアを組み、チャレンジャーで初優勝を挙げる。 同月のバニャルカ(英語版)で予選を勝ち抜き本戦入りすると、1回戦のエリアス・イマー(英語版)をストレートで下し、ATPツアー初勝利を挙げる。2回戦はケツマノビッチに2-0で敗れた。
5月のマドリード・オープンでワイルドカードとしてマスターズデビュー。シングルス・ダブルス共に初戦で敗れた。
10月のチャールストン(英語版)で、チャレンジャーシングルスで2回目の優勝を挙げる。
11月のモゼール・オープンでシングルスベスト16まで勝ち進み、ATPランキングTOP200入りを果たす。
同月のネクストジェンATPファイナルズにワイルドカードとしてエントリー。 | [
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] | アブドッラー・ハーリド・シルバーヤは、ヨルダン出身の男子プロテニス選手。ATP自己最高ランキングはシングルス188位・ダブルス518位。身長180cm、体重73kg。左利き、バックハンドは両手打ち。 | {{暫定記事名|date=2023年11月}}
{{テニス選手
|選手名(日本語)= アブドッラー・シルバーヤ
|選手名(英語)= Abdullah Shelbayh
|写真= Abedallah_Shelbayh_(2023_Cary)_01_(cropped).jpg
|写真サイズ=230px
|写真のコメント= [[:en:2023 Cary Challenger|2023年ケーリー・チャレンジャー]]
|愛称=
|国籍={{JOR}}
|出身地=同・[[アンマン]]
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|更新日時=2023年11月27日
}}
'''アブドッラー・ハーリド・シルバーヤ'''('''{{lang-en-short|Abdullah Shelbayh}}''', {{small|[[:en:Help:IPA/English|英語発音]]: {{ipa|ˌæbˈdʌlə ʃɪlˈbaɪə}}}}; '''{{lang-ar-short|عبد الله شلباية}}''', {{small|[[現代標準アラビア語|MSA]]発音: {{ipa|ʕabd aɫ.ɫaːh ʃil.baː.ja}}, [[:en:Help:IPA/Lebanese Arabic|アラビア語レバント方言発音]]: {{IPA|ʕab.ˈdɑlˤ.lˤɑ ʃɪl.ˈbæː.je}}}}; [[2003年]][[11月16日]] - )は、[[ヨルダン]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[男子プロテニス協会|ATP]]自己最高ランキングはシングルス188位・ダブルス518位。身長180cm、体重73kg。左利き、バックハンドは両手打ち。
== 経歴 ==
14歳まではヨルダンで父からテニスの指導を受けた。
[[ラファエル・ナダル]]のファンで、[[利き腕]]を右から左へ矯正。14歳から{{仮リンク|ララ・ファイサル|en|ar|لارا فيصل}}王女の援助を受けて、{{仮リンク|ラファ・ナダル・アカデミー|en|Rafa Nadal Academy}}に入学し[[マヨルカ島]]へ移住。
2021年から<!--自分探しに-->[[フロリダ大学]]に1年だけ在籍。[[ベン・シェルトン]]とチームメイトになり、ベンの父でありコーチである{{仮リンク|ブライアン・シェルトン|en|Bryan Shelton|label=ブライアン}}から指導を受けた。2022年6月にプロへ転向するためにマヨルカ島に戻った。大学は通信教育で続けたが、12月に退学する<ref name=Arab>{{cite web|title=The meteoric rise of Jordanian teen Abdullah Shelbayh|url=https://www.arabnews.com/node/2271866/tennis|publisher=[[Arab News]]|first=Reem|last=Abulleil|date=20 March 2023|accessdate=18 April 2023}}</ref>。
2022年7月にITFの大会のシングルスで連続優勝。[[:en:2022 Rafa Nadal Open|8月のラファ・ナダル・オープン]]でワイルドカードとして本戦入りし[[ATPチャレンジャーツアー|チャレンジャー]]デビュー。初戦の[[ドミニク・シュトリッカー|シュトリッカー]]を2-0で下し、ヨルダン出身の選手としては初めてチャレンジャーの大会で勝利を挙げた。この大会はベスト4まで勝ち進んだ。
2023年2月の{{仮リンク|マナーマ・チャレンジャー|en|Bahrain Ministry of Interior Tennis Challenger|label=マナーマ}}のシングルスでチャレンジャー決勝に初進出。決勝は[[タナシ・コキナキス|コキナキス]]に0-2で敗れ、準優勝となった<ref>{{cite web|url=https://www.atptour.com/en/news/challenger-tour-kokkinakis-purcell-zeppieri-titles-2023|title=Kokkinakis Collects Manama Challenger Crown; Finalist Shelbayh Makes History|date=2023-02-21|accessdate=2023-11-29}}</ref>。
同月[[カタール・オープン]]でワイルドカードとして[[ATPツアー]]デビュー。初戦で[[權順宇]]にフルセットで敗れた。
4月の{{仮リンク|ムルシア・オープン|en|Murcia Open}}のダブルスで{{仮リンク|ダニエル・リンコン|en|Daniel Rincón}}とペアを組み、チャレンジャーで初優勝を挙げる。
同月の{{仮リンク|スルプスカ・オープン|en|Srpska Open|label=バニャルカ}}で予選を勝ち抜き本戦入りすると、1回戦の{{仮リンク|エリアス・イマー|en|Elias Ymer}}をストレートで下し、ATPツアー初勝利を挙げる<ref>{{cite web|url=https://www.atptour.com/en/news/shelbayh-banja-luka-2023-feature|title=Bouncing From Barcelona To Banja Luka, Abdullah Shelbayh Creates History|date=2023-04-18|accessdate=2023-11-29}}</ref>。2回戦は[[ミオミル・ケツマノビッチ|ケツマノビッチ]]に2-0で敗れた。
5月の[[ムチュア・マドリード・オープン|マドリード・オープン]]でワイルドカードとして[[ATPツアー・マスターズ1000|マスターズ]]デビュー。シングルス・ダブルス共に初戦で敗れた。
10月の{{仮リンク|チャールストン・チャレンジャー|en|LTP Men's Open|label=チャールストン}}で、チャレンジャーシングルスで2回目の優勝を挙げる。
11月の[[モゼール・オープン]]でシングルスベスト16まで勝ち進み、ATPランキングTOP200入りを果たす<ref>{{cite web|url=https://www.atptour.com/en/news/metz-2023-tuesday|title=#NextGenATP Jordan Star Shelbayh Advances In Metz, Humbert Beats Thiem|date=2023-11-07|accessdate=2023-11-29}}</ref>。
同月の[[ネクストジェネレーション・ATPファイナルズ|ネクストジェンATPファイナルズ]]にワイルドカードとしてエントリー<ref name="Finals">{{Cite web |date=8 November 2023|title=Fils, Stricker, Van Assche & Cobolli Qualify For Next Gen ATP Finals|url=https://www.nextgenatpfinals.com/en/news/next-gen-atp-finals-2023-qualifications|access-date=8 November 2023|website=[[:en:Next Generation ATP Finals]]}}</ref>。
==ATPチャレンジャーツアー・ITFワールドテニスツアー決勝==
===シングルス: 4勝2敗===
{|
|-valign=top
|
{|class=wikitable style=font-size:97%
!大会グレード
|-bgcolor=moccasin
|[[ATPチャレンジャーツアー]] (1勝1敗)
|-bgcolor=#cffcff
|[[ITFワールドテニスツアー]] (3勝1敗)
|}
|
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!サーフェス別
|-
|ハード (3勝1敗)
|-
|クレー (0戦)
|-
|グラス (0戦)
|}
|}
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!日時
!大会
!サーフェス
!対戦相手
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|-
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|<small>1–0</small>
|{{dts|Jul 2022}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|TUN}} M15 [[モナスティル (チュニジア)|モナスティル]]
|ハード
|{{flagicon|SPA}} {{仮リンク|ダニエル・リンコン|en|Daniel Rincón (tennis)}}
|2–1 ret.
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>2–0</small>
|{{dts|Jul 2022}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|TUN}} M15 モナスティル
|ハード
|{{flagicon|TUN}} {{仮リンク|スカンデル・マンスーリ|en|Skander Mansouri}}
|7–6<sup>(7–3)</sup>, 6–4
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>3–0</small>
|{{dts|Dec 2022}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|SVK}} M15 [[トルナヴァ]]
|ハード (屋内)
|{{flagicon|ESP}} ダニエル・リンコン
|6–1, 6–4
|-
|bgcolor=FFA07A|準優勝
|<small>3–1</small>
|{{dts|Jan 2023}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|SPA}} M25 [[マナコル]]
|ハード
|{{flagicon|ESP}} ダニエル・リンコン
|6–7<sup>(0–7)</sup>, 6–3, 6–7<sup>(9–11)</sup>
|-
|bgcolor=FFA07A|準優勝
|<small>3–2</small>
|[[:en:2023 Bahrain Ministry of Interior Tennis Challenger – Singles|{{dts|Feb 2023}}]]
| style="background:moccasin;"|{{flagicon|BHR}} [[:en:Bahrain Ministry of Interior Tennis Challenger|マナーマ]]
|ハード
|{{flagicon|AUS}} [[タナシ・コキナキス]]
|1–6, 4–6
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>4–2</small>
|[[:en:2023 LTP Men's Open – Singles|{{dts|Oct 2023}}]]
| style="background:moccasin;"|{{flagicon|USA}}[[:en:LTP Men's Open|チャールストン]]
|ハード
|{{flagicon|USA}} Oliver Crawford
|6–2, 6–7<sup>(5–7)</sup>, 6–3
|}
===ダブルス: 3勝2敗===
{|
|-valign=top
|
{|class=wikitable style=font-size:90%
!大会グレード
|-bgcolor=e5d1cb
|-bgcolor=moccasin
|ATPチャレンジャーツアー (1勝0敗)
|-bgcolor=cffcff
|ITFワールドテニスツアー (2勝2敗)
|}
|
{|class=wikitable style=font-size:90%
!サーフェス別
|-
|ハード (0勝2敗)
|-
|クレー (3勝0敗)
|-
|グラス (0戦)
|}
|}
{|class="sortable wikitable"
!結果
!class="unsortable"|勝-敗
!日時
!大会
!サーフェス
!パートナー
!対戦相手
!class="unsortable"|スコア
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>1–0</small>
|{{dts|Nov 2020}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|SPA}} M15 {{仮リンク|バイドレーシュ|en|Valldoreix}}
|クレー
|{{flagicon|ESP}} Pedro Vives Marcos
|{{flagicon|DEN}} [[ホルガ・ルーネ]]<br/>{{flagicon|UKR}} Eric Vanshelboim
|7–5, 6–3
|-
|bgcolor=FFA07A|準優勝
|<small>1–1</small>
|{{dts|Jul 2021}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|TUN}} M15 [[モナスティル (チュニジア)|モナスティル]]
|ハード
|{{flagicon|ESP}} Pedro Vives Marcos
|{{flagicon|FRA}} Arthur Bouquier<br/>{{flagicon|ARG}} {{仮リンク|サンティアゴ・ロドリゲス・タベルナ|en|Santiago Rodríguez Taverna}}
|7–6<sup>(7–2)</sup>, 3–6, [6–10]
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>2–1</small>
|{{dts|Oct 2021}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|USA}} M15 [[ネイプルズ (フロリダ州)|ネイプルズ]]
|クレー
|{{flagicon|USA}} {{仮リンク|ブルーノ・クズハラ|en|Bruno Kuzuhara}}
|{{flagicon|DEN}} {{仮リンク|ヨハネス・インギルスン|en|Johannes Ingildsen}}<br/>{{flagicon|POR}} {{仮リンク|ドゥアルテ・ヴァーレ|en|Duarte Vale}}
|6–4, 6–1
|-
|bgcolor=FFA07A|準優勝
|<small>2–2</small>
|{{dts|Dec 2022}}
|style="background:#cffcff;"|{{flagicon|SVK}} M15 [[トルナヴァ]]
|ハード (屋内)
|{{flagicon|HKG}} {{仮リンク|黄澤林|en|Coleman Wong}}
|{{flagicon|ESP}} {{仮リンク|ダニエル・リンコン|en|Daniel Rincón (tennis)}}<br/>{{flagicon|PAR}} {{仮リンク|ダニエル・バイエホ|en|Daniel Vallejo}}
|4–6, 2–6
|-
|bgcolor=98FB98|優勝
|<small>3–2</small>
|[[:en:2023 Murcia Open – Doubles|{{dts|Apr 2023}}]]
|style="background:moccasin;"|{{flagicon|SPA}} [[:en:2023 Murcia Open – Doubles|ムルシア]]
|クレー
|{{flagicon|SPA}} ダニエル・リンコン
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==脚注==
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4,859,934 | 産後ケア施設 | 産後ケア施設(さんごケアしせつ)とは、出産後の母親が産褥期に身体的機能の回復や心理面でのケアを受ける施設である。
厚生労働省子ども家庭局母子保健課によると、「産後の初期段階における母子に対する支援を強化し、妊娠期から子育て期にわたる切れ目のない支援体制を整備することを目的とする」としている。
出産後の母子に対して心身のケアや育児のサポート等産後も安心して子育てができる支援体制を確保する事を目的として平成27年度より産後ケア事業を行っている。
令和2年度で市町村の実施率は66.5%であり、令和6年度末までの全国展開を目指している。
母子保健法の一部改正により、令和3年度4月から市町村における事業実施が努力義務化するとともに、「出産直後から4ヶ月頃までの時期」から「出産後1年を経過しない女子、乳児」へ対象期間が延伸された。
令和4年度までは対象者となるのは出産後1年以内の母子であって、産後に心身の不調又は育児不安等がある者、その他特に支援が必要と認められる者であった。しかし、令和5年度から「産後ケアを必要とする者」に条件が緩和された。
産後ケア事業は、平成26年に妊娠・出産包括支援モデル事業として始まり、平成27年度に補助事業として本格実施され、平成29年度にケアガイドラインが策定された。産後ケア事業が始まった背景の一つには、核家族化、少子化などをはじめ、育児をする環境が昔ほど整っていないことが挙げられる。
令和元年の臨時国会において母子保健法の一部を改正する法律が成立し、産後ケア事業が法制化された。この改正母子保健法においては、産後ケア事業の具体的な要件に加え、市町村は事業実施に努めることとする規定が盛り込まれることとなった。
産後ケア施設を利用できる対象者は、「家族等から十分な家事及び育児など援助が受けられない褥婦及び産婦並びにその新生児及び乳児」とされている。また、産後ケア施設の利用には事前申請が必要な場合がほとんどである。そのほか、医療施設から地域にもどったときに、妊娠・出産・産後の継続的なケアが不足していて、支援ニーズに対応した相談する場所、サポートしてくれる人を見つけにくい現状がある。
Yahoo!ニュースによると、「韓国では、産後の一定期間の養生を重要視する文化が伝統的にあり、もともとは実母や義母がサポートを行っていました。 しかしながら、核家族の増加に伴い、1997年頃から「産後調理院」と呼ばれる産後ケアを行う施設が開院され、2018年時点では584施設が運営されています。主に民間施設であり、病院を産後2〜3日で退院後すぐに入所し、平均2週間程度滞在します。2021年には「産後ケアセンター」というドラマの舞台にもなり、多くの韓国人女性が産後ケアを利用しているようです。」とされている。
フランスでは、産後10回のペリネケアが社会保険でカバーされている。つまりすべての産後女性がペリネケアを受けることができ、当たり前の文化となっている。また、痛みが強い場合や骨盤臓器脱など10回終わった後もケアが必要だと判断され、処方箋が出れば保険内でカバーされ自己負担なくケアを継続できます。 | [
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] | 産後ケア施設(さんごケアしせつ)とは、出産後の母親が産褥期に身体的機能の回復や心理面でのケアを受ける施設である。 厚生労働省子ども家庭局母子保健課によると、「産後の初期段階における母子に対する支援を強化し、妊娠期から子育て期にわたる切れ目のない支援体制を整備することを目的とする」としている。 | '''産後ケア施設'''(さんごケアしせつ)とは、出産後の母親が[[産褥]]期に身体的機能の回復や心理面での[[ケア]]を受ける[[施設]]である。
[[厚生労働省]]子ども家庭局母子保健課によると、「産後の初期段階における母子に対する支援を強化し、[[妊娠]]期から[[子育て]]期にわたる切れ目のない支援体制を整備することを目的とする」としている<ref>{{Cite web |url=https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/001076325.pdf |title=産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について |access-date=2023-11-29 |publisher=厚生労働省}}</ref>。
== 概要 ==
出産後の母子に対して心身のケアや育児のサポート等産後も安心して子育てができる支援体制を確保する事を目的として平成27年度より産後ケア事業を行っている。
令和2年度で[[市町村]]の実施率は66.5%であり、令和6年度末までの全国展開を目指している。
[[母子保健法]]の一部改正により、令和3年度4月から市町村における事業実施が[[努力義務]]化するとともに、「出産直後から4ヶ月頃までの時期」から「出産後1年を経過しない女子、乳児」へ対象期間が延伸された。
令和4年度までは対象者となるのは出産後1年以内の母子であって、産後に心身の不調又は[[育児不安]]等がある者、その他特に支援が必要と認められる者であった。しかし、令和5年度から「産後ケアを必要とする者」に条件が緩和された<ref>{{Cite book|和書 |title=産後ケア |date=2014年4月4日 |publisher=岩波書店 |pages=6-10}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/ff38becb-bbd1-41f3-a95e-3a22ddac09d8/9a3a4607/20230401_policies_boshihoken_87.pdf |title=産後ケア事業の利用者の実態に関する調査研究事業 報告書 |access-date=2023年12月03日}}</ref><ref name=":0" />。
=== 内容 ===
* 利用は原則7日以内
* 母親への心身ケア
* 母親の健康管理や産後の生活の[[助言|アドバイス]]、乳房のケアや[[トラブル]]についての相談、授乳方法の指導
* 育児のサポート
* [[沐浴]]や乳児の[[スキンケア]]などの育児技術の指導、発育及び発達に関する事
* 本事業は託児、保育、家事のサービスではない<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/sanzensangogaidorain.pdf |title=産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について |access-date=2023年11月29日 |publisher=厚生労働省}}</ref>
== 歴史 ==
* 産後ケア施設の誕生
産後ケア事業は、平成26年に妊娠・出産包括支援モデル事業として始まり、平成27年度に[[補助事業]]として本格実施され、平成29年度にケアガイドラインが策定された<ref>{{Cite web |url=https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/ff38becb-bbd1-41f3-a95e-3a22ddac09d8/9a3a4607/20230401_policies_boshihoken_87.pdf |title=産業ケアの利用者の実態に関する調査研究事業 報告書 |access-date=2023-11-29 |publisher=こども家庭庁}}</ref>。産後ケア事業が始まった背景の一つには、[[核家族]]化、[[少子化]]などをはじめ、育児をする環境が昔ほど整っていないことが挙げられる<ref>{{Cite web |title=産後ケアセンターの役割 |url=https://sango-midwife.jp/role.html |access-date=2023-12-03 |language=ja}}</ref>。
* 産後ケア施設の誕生~現在
令和元年の[[臨時会|臨時国会]]において母子保健法の一部を改正する法律が成立し、産後ケア事業が法制化された。この改正母子保健法においては、産後ケア事業の具体的な要件に加え、市町村は事業実施に努めることとする規定が盛り込まれることとなった<ref name=":1" />。
== 日本の現状 ==
産後ケア施設を利用できる対象者は、「家族等から十分な家事及び育児など援助が受けられない褥婦及び産婦並びにその新生児及び乳児」とされている。<ref>{{Cite web |url=https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/jyuuten_houshin/sidai/pdf/jyu23-03.pdf |title=厚生労働省における妊娠・出産、産後の支援の取組 |access-date=2023年12月03日}}</ref>また、産後ケア施設の利用には事前申請が必要な場合がほとんど<ref>{{Cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7b9fa7e3fb5c965a958651267db934602a3ca1bf |title=利用したいけれど、課題山積...日本の「産後ケア」の現状とは? |access-date=2023年12月03日}}</ref>である。そのほか、医療施設から地域にもどったときに、妊娠・出産・産後の継続的なケアが不足していて、支援ニーズに対応した相談する場所、サポートしてくれる人を見つけにくい現状がある<ref>{{Cite book|和書 |title=産後ケア:なぜ必要か何ができるか |date=4月 |year=2014年 |publisher=岩波書店 |page=14 |author=福島富士子、みついひろみ}}</ref>。
== 海外の取り組み ==
* [[大韓民国|韓国]]
[[Yahoo!ニュース]]によると、「韓国では、産後の一定期間の養生を重要視する文化が伝統的にあり、もともとは[[母親|実母]]や[[義親|義母]]がサポートを行っていました。
しかしながら、核家族の増加に伴い、1997年頃から「産後調理院」と呼ばれる産後ケアを行う施設が開院され、2018年時点では584施設が運営されています。主に民間施設であり、病院を産後2〜3日で退院後すぐに入所し、平均2週間程度滞在します。2021年には「産後ケアセンター」というドラマの舞台にもなり、多くの韓国人女性が産後ケアを利用しているようです。」とされている<ref>{{Cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b94ea0802f99bc7742342fe5e58e01354241b105 |title=日本人も知っておきたい海外の産後ケア事情韓国、フィンランド、ドイツでは? |access-date=2023年12月03日}}</ref>
* フランス
フランスでは、産後10回のペリネケアが社会保険でカバーされている。つまりすべての産後女性がペリネケアを受けることができ、当たり前の文化となっている。<ref>{{Cite web |url=https://xn--mame-kj0hy35c.com/sanngo-france/ |title=産後ケアの本場フランスへ研修に行ってきました |access-date=2023年12月03日}}</ref>また、痛みが強い場合や骨盤臓器脱など10回終わった後もケアが必要だと判断され、処方箋が出れば保険内でカバーされ自己負担なくケアを継続できます。<ref>{{Cite web |url=https://xn--mame-kj0hy35c.com/sanngo-france/ |title=産後ケアの本場フランスへ研修に行ってきました |access-date=2023年12月03日}}</ref>
== 脚注 ==
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[[Category:育児に関する組織]] | 2023-11-29T05:41:51Z | 2023-12-04T22:40:15Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%BE%8C%E3%82%B1%E3%82%A2%E6%96%BD%E8%A8%AD |
4,859,940 | 中釜戸のシダレモミジ | 中釜戸のシダレモミジ(なかかまどのシダレモミジ)は、福島県いわき市渡辺町中釜戸字表前に生育する、国の天然記念物に指定された、著しい「枝垂れ」と「捩れ」を呈した先天性変異株と考えられる2株のイロハカエデの奇態樹である。
イロハカエデ(別名イロハモミジ、学名:Acer palmatum)は、ムクロジ科カエデ属の落葉高木であり、通常は単にモミジと呼ばれることが多く、春の新緑や秋の紅葉などで日本人に馴染み深い樹種であるが、中釜戸のシダレモミジは一般的に知られるモミジとはかけ離れた奇妙な樹形をしており、植物奇形学上貴重なものであることから、当時の保存要目第一のうち「畸形木」として 、1937年(昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された。
このイロハカエデが植栽されたものなのか、自生していたものなのかは不明で、正確な樹齢も不詳であるが、枝垂れや捩れの性質は遺伝的に固定されたものではなく突然変異によるものと考えられており、植物形態学、遺伝学的資料としての観点からも貴重なイロハカエデの個体である。カエデ・モミジの類には変種や亜種、さらには栽培品種も数多くあり、文献資料によっては本樹をヤマモミジ(山紅葉)とするものもあるが、樹種はイロハカエデ(別名イロハモミジ)である。
中釜戸のシダレモミジは、JR常磐線泉駅から西方へ約5キロメートルの中釜戸地区にある観音堂の境内に生育している。所在する中釜戸地区は1954年(昭和29年)まで石城郡渡辺村であったところで、今日のいわき市南部を占める小名浜地区の、西側の田園地帯に位置している。泉駅より福島県道240号釜戸小名浜線を藤原川水系釜戸川沿い上流方向へ進むと、中釜戸のシダレモミジの入口を示す表示があり、県道から西側へ入り釜戸川に架かる小橋を渡った先の、通称観音山と呼ばれる丘陵と水田が接する麓、中釜戸地区の民家に隣接した畑地に観音堂があり、この境内の一角に国の天然記念物に指定された大小2株の中釜戸のシダレモミジが並んで生育している。
2株とも基部から樹幹が捻じ曲がり、幹や枝の各所には多数の瘤(コブ)があり、屈曲した枝先はことごとく枝垂れ、全体的に傘状の奇観を呈している。このうち大きい方の個体は、樹高6.8メートル、胸の高さでの幹周は3.5メートル、根周りは2.75メートルで、小さい方の個体は樹高4メートル、胸の高さでの幹周は80センチメートルと、2個体とも際立った巨樹ではないものの、カエデ属の樹種がこのような樹形をもつことは珍しいという。特に大きい方の個体は枝が大きく捩れながら四方へ広がっており、地上1.5メートルの位置から3方向へ分かれて捩れながら外側へ広がり出ている。根元からの枝張りは東方向へ約6メートル、西方向へ約3.4メートル、南方向へ約5.8メートル、北方向へ約5.2メートルもある。全体的な枝ぶりは約12メートルという大きなもので、これら大中小の枝先がすべて枝垂れている。
この奇妙なシダレモミジは、かつて周囲を竹藪に囲まれていたため外部からは目立たず、昭和初期頃までは近隣の村人だけが知るだけで、当地に住む若松家の人々が数百年もの間、この木の世話をして守り育ててきたという。一般に知られるようになったのは旧鹿島村 (福島県石城郡)の村長で福島県文化財調査員であった八代義定が、この地に奇妙なモミジがあることを聞き及んだことが契機である。
国の天然記念物指定に先立つ現地調査は植物学者の三好学により1936年(昭和11年)10月10日に行われた。三好は泉駅より西へ進んで当時の国道6号(陸前浜街道)を横切り里道に入り、釜戸川に架かる土橋を渡り田んぼと竹藪の間の曲がりくねった小道を進んで当地に赴いている。三好は2株の諸元を計測するとともに現状の生育状態の調査を行った。三好によれば調査樹周辺の境内地面には小さな空堀のようなものがあり、周囲は雑草が生い茂り非常に荒廃していたという。また調査の直前には、大きい方の個体の最も太い枝上で、地元の児童らが登り跳ねて遊んだため折損していたという。
当地は地元に古くからある観音堂の境内であり、その生育環境から三好は「真の野生と見做し難く」と、古い時代に観音堂に植樹された園芸品種の印象を受けるが、今日に至ってはそれを確認する術がないとしている。いずれにしても著しい枝垂れと捻転は先天性偶発による奇態であり、天然記念物として保存することを要するとし、また折損した傷口の補修にくわえ周囲には柵を設置し、児童らに樹上に登らないよう指導し、大人も含め下垂する枝にも触れないよう注意を要すると報告している。こうして当時の保存要目第一のうち「畸形木」として 、調査翌年の1937年(昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された。
地元に伝わる話によれば、この観音堂には江戸末期の戊辰戦争で敗れた会津藩藩士が隠れ住んでいたといい、竹藪に囲まれた人目に付かない場所であったこともあり、地元の人でもあまり近づかなかったという。また、観音堂の隣にはかつて廃寺の建物があり、寺子屋として使用された時期もあったといい、それを裏付けるように1950年(昭和25年)頃、観音堂の裏山の通称観音山にスギの植林のため、シダレモミジを囲んでいた竹藪や藪を切り払い下草を刈ったところ、シダレモミジの周囲から古い建造物の跡とみられる磯石が多数見つかったため、福島県教育委員会や地元関係者らによる発掘調査が行われた。その結果、寺院を囲んでいたと推定される縦5間(約9メートル)、横7間(約12.7メートル)の石垣が確認された。
観音堂の内部には村札が納められており、それによればこの寺院は約1.7キロメートルほど北方の上釜戸地区にある清谷寺の末寺で、明治初年まで「灯階山万善寺」と呼ばれていた無住職の寺院であったことが確認された。さらに観音堂には寛文9年(1669年)に再建された記録が残されており、安置された千手観音の台座と光背には享保2年(1717年)修理の記録があることから、万善寺はそれ以前に建立された寺院ということになり、仮にこのシダレモミジが万善寺の庭へ人為的に植樹されたものなら、樹齢は400年から500年を経ていることになる。しかしシダレモミジそのものに関する史料や古書等は確認されていないため、植樹されたものなのか自生のものなのかは不明のままである。
一方で、このシダレモミジから枝分けした個体からは通常のモミジが生じるだけで枝垂れは発生しないという。また自然落下した種子から実生で生育するものは、ほとんどが通常のモミジで枝垂れるのはごく一部だという。これらのことから枝垂れ形質は遺伝的に固定されたものでなく、突然変異によって生じたものと考えられている。 | [
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"text": "国の天然記念物指定に先立つ現地調査は植物学者の三好学により1936年(昭和11年)10月10日に行われた。三好は泉駅より西へ進んで当時の国道6号(陸前浜街道)を横切り里道に入り、釜戸川に架かる土橋を渡り田んぼと竹藪の間の曲がりくねった小道を進んで当地に赴いている。三好は2株の諸元を計測するとともに現状の生育状態の調査を行った。三好によれば調査樹周辺の境内地面には小さな空堀のようなものがあり、周囲は雑草が生い茂り非常に荒廃していたという。また調査の直前には、大きい方の個体の最も太い枝上で、地元の児童らが登り跳ねて遊んだため折損していたという。",
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"text": "当地は地元に古くからある観音堂の境内であり、その生育環境から三好は「真の野生と見做し難く」と、古い時代に観音堂に植樹された園芸品種の印象を受けるが、今日に至ってはそれを確認する術がないとしている。いずれにしても著しい枝垂れと捻転は先天性偶発による奇態であり、天然記念物として保存することを要するとし、また折損した傷口の補修にくわえ周囲には柵を設置し、児童らに樹上に登らないよう指導し、大人も含め下垂する枝にも触れないよう注意を要すると報告している。こうして当時の保存要目第一のうち「畸形木」として 、調査翌年の1937年(昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された。",
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"text": "地元に伝わる話によれば、この観音堂には江戸末期の戊辰戦争で敗れた会津藩藩士が隠れ住んでいたといい、竹藪に囲まれた人目に付かない場所であったこともあり、地元の人でもあまり近づかなかったという。また、観音堂の隣にはかつて廃寺の建物があり、寺子屋として使用された時期もあったといい、それを裏付けるように1950年(昭和25年)頃、観音堂の裏山の通称観音山にスギの植林のため、シダレモミジを囲んでいた竹藪や藪を切り払い下草を刈ったところ、シダレモミジの周囲から古い建造物の跡とみられる磯石が多数見つかったため、福島県教育委員会や地元関係者らによる発掘調査が行われた。その結果、寺院を囲んでいたと推定される縦5間(約9メートル)、横7間(約12.7メートル)の石垣が確認された。",
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"text": "観音堂の内部には村札が納められており、それによればこの寺院は約1.7キロメートルほど北方の上釜戸地区にある清谷寺の末寺で、明治初年まで「灯階山万善寺」と呼ばれていた無住職の寺院であったことが確認された。さらに観音堂には寛文9年(1669年)に再建された記録が残されており、安置された千手観音の台座と光背には享保2年(1717年)修理の記録があることから、万善寺はそれ以前に建立された寺院ということになり、仮にこのシダレモミジが万善寺の庭へ人為的に植樹されたものなら、樹齢は400年から500年を経ていることになる。しかしシダレモミジそのものに関する史料や古書等は確認されていないため、植樹されたものなのか自生のものなのかは不明のままである。",
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"text": "一方で、このシダレモミジから枝分けした個体からは通常のモミジが生じるだけで枝垂れは発生しないという。また自然落下した種子から実生で生育するものは、ほとんどが通常のモミジで枝垂れるのはごく一部だという。これらのことから枝垂れ形質は遺伝的に固定されたものでなく、突然変異によって生じたものと考えられている。",
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] | 中釜戸のシダレモミジ(なかかまどのシダレモミジ)は、福島県いわき市渡辺町中釜戸字表前に生育する、国の天然記念物に指定された、著しい「枝垂れ」と「捩れ」を呈した先天性変異株と考えられる2株のイロハカエデの奇態樹である。 イロハカエデは、ムクロジ科カエデ属の落葉高木であり、通常は単にモミジと呼ばれることが多く、春の新緑や秋の紅葉などで日本人に馴染み深い樹種であるが、中釜戸のシダレモミジは一般的に知られるモミジとはかけ離れた奇妙な樹形をしており、植物奇形学上貴重なものであることから、当時の保存要目第一のうち「畸形木」として 、1937年(昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された。 このイロハカエデが植栽されたものなのか、自生していたものなのかは不明で、正確な樹齢も不詳であるが、枝垂れや捩れの性質は遺伝的に固定されたものではなく突然変異によるものと考えられており、植物形態学、遺伝学的資料としての観点からも貴重なイロハカエデの個体である。カエデ・モミジの類には変種や亜種、さらには栽培品種も数多くあり、文献資料によっては本樹をヤマモミジ(山紅葉)とするものもあるが、樹種はイロハカエデ(別名イロハモミジ)である。 | [[File:Nakakamado's weeping maple. A.jpg|thumb|280px|中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。]]
'''中釜戸のシダレモミジ'''(なかかまどのシダレモミジ)は、[[福島県]][[いわき市]]渡辺町中釜戸[[小字|字]]表前に生育する、国の[[天然記念物]]に指定された、著しい「枝垂れ」と「[[捩れ]]」を呈した[[先天性]][[変異株]]と考えられる2株の[[イロハカエデ]]の奇態樹である{{Sfn|樫村|1995|p=467}}{{Sfn|本田|1957|p=286}}{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=174}}{{Sfn|帝国森林会|1962|p=725}}。
イロハカエデ(別名イロハモミジ、[[学名]]:{{Snamei||Acer palmatum}})は、[[ムクロジ科]][[カエデ属]]の[[落葉樹|落葉]][[高木]]であり、通常は単に'''モミジ'''と呼ばれることが多く、春の[[新緑]]や秋の[[紅葉]]などで日本人に馴染み深い樹種であるが、中釜戸のシダレモミジは一般的に知られるモミジとはかけ離れた奇妙な樹形をしており、植物奇形学上貴重なものであることから{{Sfn|三好|1937|p=16}}{{Sfn|磐城市教育委員会|1966|p=82}}、当時の保存要目第一のうち「畸形木」として{{Sfn|本田|1957|p=286}} 、[[1937年]]([[昭和]]12年)6月15日に国の天然記念物に指定された{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=174}}{{Sfn|樫村|1995|p=465}}<ref name="Bunkacho">[https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/363 中釜戸のシダレモミジ(国指定文化財等データベース)] [[文化庁]]ウェブサイト、2023年11月29日閲覧。</ref>。
このイロハカエデが[[植栽]]されたものなのか、[[自生]]していたものなのかは不明で{{Sfn|本田|1957|p=286}}、正確な[[樹齢]]も不詳であるが{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}、枝垂れや捩れの性質は遺伝的に固定されたものではなく[[突然変異]]によるものと考えられており{{Sfn|三好|1937|p=16}}、[[植物形態学]]、[[遺伝学]]的資料としての観点からも貴重なイロハカエデの[[個体]]である{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}。[[カエデ]]・[[モミジ]]の類には[[変種]]や[[亜種]]、さらには[[栽培品種]]も数多くあり、文献資料によっては本樹を[[ヤマモミジ]](山紅葉)とするものもあるが、樹種はイロハカエデ(別名イロハモミジ)である{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}<ref name="fuk.ed">[https://www.gimu.fks.ed.jp/plugin/databases/detail/4/28/394 うつくしま電子事典 中釜戸のシダレモミジ] [[福島県教育委員会]]公式サイト、2023年11月29日閲覧。</ref>{{Sfn|渡辺|1999|p=81}}。
== 解説 ==
{{Location map+|Japan Fukushima Prefecture|relief=1|width=250|float=right|caption=中釜戸のシダレモミジの位置|places=
{{Location map~|Japan Fukushima Prefecture|lat=36.963417|long=140.8075|position=top|label='''中釜戸の<br/>シダレ<br/>モミジ'''|mark=Red pog.svg}}
{{Location map~|Japan Fukushima Prefecture|lat=37.76081|long=140.47472|position=bottom|label=<small>[[福島市]]</small>|mark=Green pog.svg}}
}}
[[File:Nakakamado's weeping maple. B.jpg|thumb|250px|観音堂側から見た中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。]]
中釜戸のシダレモミジは、[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]][[泉駅 (福島県いわき市)|泉駅]]から西方へ約5[[キロメートル]]の中釜戸地区にある[[観音堂]]の[[境内]]に生育している{{Sfn|樫村|1995|p=467}}。所在する中釜戸地区は[[1954年]](昭和29年)まで[[石城郡]][[渡辺村]]であったところで、今日の[[いわき市]]南部を占める[[小名浜]]地区の、西側の田園地帯に位置している。泉駅より[[福島県道240号釜戸小名浜線]]を[[藤原川]]水系釜戸川沿い上流方向へ進むと、中釜戸のシダレモミジの入口を示す表示があり、県道から西側へ入り釜戸川に架かる小橋を渡った先の、通称観音山と呼ばれる[[丘陵]]と[[水田]]が接する麓、中釜戸地区の民家に隣接した畑地に観音堂があり、この境内の一角に国の天然記念物に指定された大小2株の中釜戸のシダレモミジが並んで生育している{{Sfn|本田|1957|p=286}}{{Sfn|磐城市教育委員会|1966|p=82}}{{Sfn|渡辺|1999|p=81}}{{Sfn|渡辺町|1977|p=29}}。
2株とも基部から樹幹が捻じ曲がり、幹や枝の各所には多数の[[瘤]](コブ)があり、屈曲した枝先はことごとく枝垂れ、全体的に[[傘]]状の奇観を呈している{{Sfn|本田|1957|p=286}}{{Sfn|帝国森林会|1962|p=725}}。このうち大きい方の個体は、樹高6.8[[メートル]]、胸の高さでの幹周は3.5メートル、根周りは2.75メートルで{{Sfn|帝国森林会|1962|p=725}}{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}、小さい方の個体は樹高4メートル、胸の高さでの幹周は80[[センチメートル]]と{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}、2個体とも際立った巨樹ではないものの、[[カエデ属]]の樹種がこのような樹形をもつことは珍しいという{{Sfn|樫村|1995|p=467}}。特に大きい方の個体は枝が大きく捩れながら四方へ広がっており、地上1.5メートルの位置から3方向へ分かれて捩れながら外側へ広がり出ている{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=174}}{{Sfn|磐城市教育委員会|1966|p=82}}{{Sfn|三好|1937|pp=15-16}}。根元からの枝張りは東方向へ約6メートル、西方向へ約3.4メートル、南方向へ約5.8メートル、北方向へ約5.2メートルもある{{Sfn|帝国森林会|1962|p=725}}{{Sfn|三好|1937|p=16}}。全体的な枝ぶりは約12メートルという大きなもので、これら大中小の枝先がすべて枝垂れている{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}{{Sfn|渡辺町|1977|pp=29-30}}。
この奇妙なシダレモミジは、かつて周囲を[[竹藪]]に囲まれていたため外部からは目立たず、昭和初期頃までは近隣の村人だけが知るだけで{{Sfn|福島民報|1969|pp=185-186}}、当地に住む若松家の人々が数百年もの間、この木の世話をして守り育ててきたという{{Sfn|渡辺|1999|p=81}}。一般に知られるようになったのは旧[[鹿島村 (福島県石城郡)|鹿島村]]の[[村長]]で福島県文化財調査員であった八代義定が、この地に奇妙なモミジがあることを聞き及んだことが契機である{{Sfn|福島民報|1969|p=186}}。
国の天然記念物指定に先立つ現地調査は[[植物学者]]の[[三好学]]により[[1936年]]([[昭和]]11年)10月10日に行われた{{Sfn|三好|1937|p=16}}。三好は泉駅より西へ進んで当時の[[国道6号]]([[陸前浜街道]])を横切り里道に入り{{Sfn|三好|1937|p=15}}、釜戸川に架かる土橋を渡り田んぼと竹藪の間の曲がりくねった小道を進んで当地に赴いている{{Sfn|福島民報|1969|p=185}}。三好は2株の[[諸元]]を計測するとともに現状の生育状態の調査を行った。三好によれば調査樹周辺の境内地面には小さな[[空堀]]のようなものがあり、周囲は[[雑草]]が生い茂り非常に荒廃していたという。また調査の直前には、大きい方の個体の最も太い枝上で、地元の[[児童]]らが登り跳ねて遊んだため折損していたという{{Sfn|三好|1937|p=16}}。
[[File:Nakakamado's weeping maple and Kannon Buddhist temple.jpg|thumb|250px|観音堂と中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。]]
当地は地元に古くからある観音堂の境内であり、その生育環境から三好は「真の野生と見做し難く」と、古い時代に観音堂に植樹された園芸品種の印象を受けるが、今日に至ってはそれを確認する術がないとしている{{Sfn|三好|1937|p=16}}{{Sfn|磐城市教育委員会|1966|p=82}}。いずれにしても著しい枝垂れと捻転は先天性偶発による奇態であり、天然記念物として保存することを要するとし、また折損した傷口の補修にくわえ周囲には柵を設置し、児童らに樹上に登らないよう指導し、大人も含め下垂する枝にも触れないよう注意を要すると報告している{{Sfn|三好|1937|p=16}}。こうして当時の保存要目第一のうち「畸形木」として{{Sfn|本田|1957|p=286}} 、調査翌年の[[1937年]](昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された{{Sfn|樫村|1995|p=467}}{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=174}}<ref name="Bunkacho"/>。
地元に伝わる話によれば、この観音堂には江戸末期の[[戊辰戦争]]で敗れた[[会津藩]][[藩士]]が隠れ住んでいたといい、竹藪に囲まれた人目に付かない場所であったこともあり、地元の人でもあまり近づかなかったという{{Sfn|福島民報|1969|p=186}}。また、観音堂の隣にはかつて[[廃寺]]の建物があり、[[寺子屋]]として使用された時期もあったといい、それを裏付けるように[[1950年]](昭和25年)頃、観音堂の裏山の通称観音山に[[スギ]]の[[植林]]のため、シダレモミジを囲んでいた竹藪や[[藪]]を切り払い下草を刈ったところ、シダレモミジの周囲から古い建造物の跡とみられる磯石が多数見つかったため、[[福島県教育委員会]]や地元関係者らによる発掘調査が行われた。その結果、寺院を囲んでいたと推定される縦5[[間]](約9メートル)、横7間(約12.7メートル)の[[石垣]]が確認された{{Sfn|福島民報|1969|p=186}}。
観音堂の内部には[[札|村札]]が納められており、それによればこの寺院は約1.7キロメートルほど北方の上釜戸地区にある清谷寺の[[末寺]]で、[[明治初年]]まで「灯階山万善寺」と呼ばれていた無住職の寺院であったことが確認された{{Sfn|福島民報|1969|pp=186-187}}。さらに観音堂には[[寛文]]9年([[1669年]])に再建された記録が残されており、安置された[[千手観音]]の[[台座]]と[[光背]]には[[享保]]2年([[1717年]])修理の記録があることから、万善寺はそれ以前に建立された寺院ということになり{{Sfn|福島民報|1969|p=188}}、仮にこのシダレモミジが万善寺の庭へ人為的に植樹されたものなら、樹齢は400年から500年を経ていることになる{{Sfn|渡辺|1999|p=81}}{{Sfn|福島民報|1969|p=185}}。しかしシダレモミジそのものに関する史料や古書等は確認されていないため、植樹されたものなのか自生のものなのかは不明のままである{{Sfn|福島民報|1969|p=188}}{{Sfn|渡辺町|1977|p=30}}。
一方で、このシダレモミジから枝分けした個体からは通常のモミジが生じるだけで枝垂れは発生しないという{{Sfn|福島民報|1969|p=188}}。また自然落下した種子から[[実生]]で生育するものは、ほとんどが通常のモミジで枝垂れるのはごく一部だという{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}。これらのことから枝垂れ形質は遺伝的に固定されたものでなく、突然変異によって生じたものと考えられている{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=174}}{{Sfn|いわき市教育委員会|2017|p=30}}。
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File:Parking lot exclusively for viewing Nakakamado's weeping maple trees.jpg|徒歩約10分の場所にある見学者用駐車場。2023年10月25日撮影。
File:Nakakamado's weeping maple. The smaller one.jpg|小さい方の個体。2023年10月25日撮影。
File:Nakakamado's weeping maple. The bigger one.jpg|大きい方の個体。2023年10月25日撮影。
File:Nakakamado's weeping maple. F.jpg|下から見上げた樹冠。2023年10月25日撮影。
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== 交通アクセス ==
; 所在地
* 福島県いわき市渡辺町中釜戸[[小字|字]]表前117-2<ref group="†">中釜戸に続く地名を「大字中釜戸字猿田21」とする資料もある。</ref>。
; 交通
* [[常磐自動車道]][[いわき湯本インターチェンジ]]より車で約15分<ref name="tif">[https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=1557 中釜戸のシダレモミジ] – 福島県観光情報サイトふくしまの旅 - 公益財団法人 福島県観光物産交流協会サイト。2023年11月29日閲覧。</ref>。
* [[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]][[泉駅 (福島県いわき市)|泉駅]]より車で約10分<ref name="fuk.ed"/><ref name="tif"/>{{Sfn|渡辺|1999|p=81}}。
** 徒歩10分の場所にあるシダレモミジ専用駐車場(駐車台数9台)を利用<ref>[https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10209 中釜戸のシダレモミジ] – いわき市観光サイト。2023年11月29日閲覧。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=†}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
<references />
== 参考文献・資料 ==
*{{Cite book ja-jp
|author = [[加藤陸奥雄]]他監修・樫村利道
|year = 1995年3月20日 第1刷発行
|title = 日本の天然記念物
|publisher = [[講談社]]
|isbn = 4-06-180589-4
|ref = {{SfnRef|樫村|1995}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = [[本田正次]]
|year = 1957年12月25日 初版発行
|title = 植物文化財 天然記念物・植物
|publisher = 東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会
|ref = {{SfnRef|本田|1957}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = [[文化庁]]文化財保護部監修
|year = 1971年5月10日 初版発行
|title = 天然記念物事典
|publisher = [[第一法規出版]]
|ref = {{SfnRef|文化庁文化財保護部監修|1971}}}}
* {{Cite book
|和書
|author=[[三好学]]
|editor = [[文部省]]
|year = 1937-03-30
|title = 天然紀念物調査報告. 植物之部 第十七輯
|publisher = 文部省
|doi = 10.11501/1114775
|url = {{NDLDC|1114775/27}}
|ref={{SfnRef|三好|1937}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = 帝国森林会 編
|year = 1962年12月10日 発行
|title = 日本老樹名木天然記念樹
|publisher = 大日本山林会
|id= {{全国書誌番号|63002775}}
|ref = {{SfnRef|帝国森林会|1962}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = 高萩精玄
|year = 1966年7月15日 発行
|title = 磐城市の歴史
|publisher = 磐城市教育委員会
|id= {{全国書誌番号|68002162}}
|ref = {{SfnRef|磐城市教育委員会|1966}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = [[福島民報社]] 編
|year = 1969年5月30日 発行
|title = 福島史跡ハイク
|publisher = 昭和書院
|id= {{全国書誌番号|73006168}}
|ref = {{SfnRef|福島民報|1969}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = 渡辺町史編さん委員会 編
|year = 1977年3月20日 発行
|title = 渡辺町史
|publisher = いわき市渡辺公民館
|id= {{全国書誌番号|77004498}}
|ref = {{SfnRef|渡辺町|1977}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = いわき市文化財保護審議会 監修, いわき市教育委員会 編
|year = 2017年3月30日 発行
|title = いわき市の文化財
|publisher = いわき市教育委員会
|id= {{全国書誌番号|22913774}}
|ref = {{SfnRef|いわき市教育委員会|2017}}}}
*{{Cite book ja-jp
|author = [[渡辺典博]]
|year = 1999年3月15日 初版第1刷
|title = 巨樹・巨木 日本全国674本
|publisher = [[山と渓谷社]]
|isbn = 4-635-06251-1
|ref = {{SfnRef|渡辺|1999}}}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Nakakamado no Shidare Momiji}}
* 国の天然記念物に指定されたカエデは本件のみ。亜種または変種とされるヤマモミジは[[植物天然記念物一覧#被子植物・双子葉類]]節の[[ヤマモミジ]]を参照。
== 外部リンク ==
* {{国指定文化財等データベース|401|363|中釜戸のシダレモミジ}}
* [https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10209 中釜戸のシダレモミジ] – いわき市観光サイト。
* [https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=1557 中釜戸のシダレモミジ] – 福島県観光情報サイトふくしまの旅 - 公益財団法人 福島県観光物産交流協会サイト。
{{Coord|36|57|48.3|N|140|48|27.0|E|region:JP-07_type:forest_scale:10000|display=title}}
{{DEFAULTSORT:なかかまとのしたれもみし}}
[[Category:植物天然記念物]]
[[Category:福島県にある国指定の天然記念物]]
[[Category:著名な木]]
[[Category:カエデ科]]
[[Category:いわき市]] | 2023-11-29T05:57:26Z | 2023-12-15T07:28:40Z | false | false | false | [
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"Template:Snamei",
"Template:Cite book",
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"Template:Cite book ja-jp",
"Template:国指定文化財等データベース",
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"Template:脚注ヘルプ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%9C%E6%88%B8%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%80%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%9F%E3%82%B8 |
4,859,943 | モスFK | モス・フォトバルクルブ(ノルウェー語: Moss Fotballklubb)は、ノルウェー・ヴィーケン県モスを本拠地とするサッカークラブである。
1906年8月28日設立。ノルゲセリエン設立の1937年に同リーグに参戦したが、1939年に降格した。1953年と1954年に再び1部に参戦したが、その後も再び降格した。1977年に昇格すると、1983年にノルウェー・カップを制覇した。1985年に降格するものの1987年に昇格し、同年初の1部優勝を記録した。しかし1990年に降格、以降は2部に所属することが多くなっている。
本拠地はメレス・スタディオンで、4117座席を有しているが、リーグライセンスの関係で使用できる座席は2373席である。1939年に設立されて以来、このクラブの本拠地であり続けている。 | [
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] | モス・フォトバルクルブは、ノルウェー・ヴィーケン県モスを本拠地とするサッカークラブである。 | {{No footnotes|date=2023年11月}}{{Infobox football club
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'''モス・フォトバルクルブ'''({{lang-no|Moss Fotballklubb}})は、[[ノルウェー]]・[[ヴィーケン県]][[モス (ノルウェー)|モス]]を本拠地とするサッカークラブである。
==歴史==
1906年8月28日設立。[[エリテセリエン|ノルゲセリエン]]設立の1937年に同リーグに参戦したが、1939年に降格した。1953年と1954年に再び1部に参戦したが、その後も再び降格した。1977年に昇格すると、1983年に[[ノルウェー・カップ]]を制覇した。1985年に降格するものの1987年に昇格し、同年初の1部優勝を記録した<ref>{{cite web|url=http://www.nifs.no/ligastats.php?h2hskjul=1&land=1&t=5&u=1759&visou= | title = Ligastats 1. divisjon 1987 | work = nifs.no | publisher = A-pressen |accessdate=29 November 2023}}</ref>。しかし1990年に降格、以降は2部に所属することが多くなっている。
==本拠地==
本拠地は[[メレス・スタディオン]]で、4117座席を有しているが、リーグライセンスの関係で使用できる座席は2373席である。1939年に設立されて以来、このクラブの本拠地であり続けている。
==歴代所属選手==
{{main|[[:Category:モスFKの選手]]}}
==参考文献==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* {{Official website|http://www.mossfk.no/}}
*[http://www.kraakevingen.no/ Unofficial supporters site]
{{DEFAULTSORT:もす}}
[[Category:モスFK|*]]
[[Category:ノルウェーのサッカークラブ]]
[[Category:1906年設立のスポーツチーム]]
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4,859,944 | メレス・スタディオン | メレス・スタディオン(ノルウェー語: Melløs Stadion)は、ノルウェー・ヴィーケン県モスにある多目的競技場である。主にサッカーの試合に用いられ、モスFKが本拠地としている。
1939年開設。座席数は4117席あるが、うち国内リーグで使用出来るのは2373席である。収容人数としては9410人であるが、歴代最高集客数は2003年の1万0085人である。
大会としては1990年にノルウェーの国民体育大会が開催された他、UEFA欧州女子選手権1997の開催地の一つとなった歴史がある。
座席数を8000席にまで増加させる計画も存在している。 | [
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] | メレス・スタディオンは、ノルウェー・ヴィーケン県モスにある多目的競技場である。主にサッカーの試合に用いられ、モスFKが本拠地としている。 | [[File:Melløs Stadion.png|thumb|メレス・スタディオン]]
'''メレス・スタディオン'''({{lang-no|Melløs Stadion}})は、[[ノルウェー]]・[[ヴィーケン県]][[モス (ノルウェー)|モス]]にある多目的競技場である。主にサッカーの試合に用いられ、[[モスFK]]が本拠地としている。
==概要==
1939年開設。座席数は4117席あるが、うち国内リーグで使用出来るのは2373席である<ref>{{cite web | url=https://www.f-b.no/ffk/ffk/trangt-pa-mellos-nar-moss-moter-ffk/s/2-2.952-1.5306301 | title=Trangt på Melløs når Moss møter FFK | accessdate=21 May 2010 }}</ref>。収容人数としては9410人であるが、歴代最高集客数は2003年の1万0085人である<ref>{{cite web|url=https://www.nifs.no/stadionprofil.php?stadion_id=8049|title=Melløs Stadion|work=NIFS|publisher=NTB|access-date=22 October 2022|archive-date=22 October 2022|archive-url=https://web.archive.org/web/20221022102843/https://www.nifs.no/stadionprofil.php?stadion_id=8049|url-status=live}}</ref>。
大会としては1990年にノルウェーの国民体育大会が開催された他、[[UEFA欧州女子選手権1997]]の開催地の一つとなった歴史がある<ref>{{cite web|url=http://www.friidrett.no/stevner/statistikk/nm/Documents/amnm.htm |title=Main Championships Men |publisher=Norwegian Athletics Association |language=Norwegian |accessdate=25 November 2011 |archivedate=15 December 2011 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111215133151/http://friidrett.no/stevner/statistikk/nm/Documents/amnm.htm |url-status=dead }}</ref>。
座席数を8000席にまで増加させる計画も存在している<ref>[http://www.mossfk.no/asp/nyheter/nyhet_vis.asp?id=1224 Moss FK official site]</ref>。
==参考文献==
{{commons category|Melløs stadion}}
<references/>
==外部リンク==
*[http://www.nordicstadiums.com/mellos-stadion/ Melløs Stadion - Nordic Stadiums]
{{coord|59|25|15|N|10|40|17|E|type:landmark_source:kolossus-nowiki|display=title}}
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[[Category:ノルウェーのサッカー競技施設]]
[[Category:モスFK]]
[[Category:ヴィーケン県]]
[[Category:UEFA欧州女子選手権競技場]]
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4,859,951 | 小倉優子 パーフェクト・ベスト | 『小倉優子 パーフェクト・ベスト』(おぐらゆうこ パーフェクト・ベスト)は、小倉優子のベスト・アルバム。2011年6月8日にキングレコードより発売された。 | [
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] | 『小倉優子 パーフェクト・ベスト』は、小倉優子のベスト・アルバム。2011年6月8日にキングレコードより発売された。 | {{Infobox Album <!-- プロジェクト:アルバム をご覧ください -->
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『'''小倉優子 パーフェクト・ベスト'''』(おぐらゆうこ パーフェクト・ベスト)は、[[小倉優子]]の[[ベスト・アルバム]]。[[2011年]][[6月8日]]に[[キングレコード]]より発売された。
== 収録曲 ==
{{tracklist
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== 出典 ==
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[[Category:2011年のベスト・アルバム]]
[[Category:小倉優子のアルバム]]
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4,859,952 | 粘土帯土器文化 | 粘土帯土器。文化體育觀光部 國立中央博物館(韓国)
粘土帯土器文化または上帯土器文化は中国の遼寧省、韓国の青銅器時代後期から韓国の鉄器時代初期、日本列島で発見される種類の土器製作を主体とする文化である。 粘土で帯を作って入口に付けたため、このような名前が付けられた。
粘土帯の断面によって円形粘土帯土器と三角形粘土帯土器に分ける。 円形粘土帯土器は紀元前21世紀から2世紀まで、三角形粘土帯土器は紀元前2世紀から紀元前まで使われたものと見られる。 主に出土する漢江と金剛流域と共に朝鮮半島中部以南地域で初期鉄器時代の代表的な遺物である。
李(2014)によると、朝鮮半島では主に円形粘土帯土器段階には青銅器が,三角形粘土帯土器段階には鉄器が副葬されている。日本列島で新しい段階の円形粘 土帯土器が急増する時期は弥生時代前期末である。円形粘土帯土器人は外から朝鮮半島へはいってきた人びとであった。彼らは在地の松菊里文化を終息させ,初期鉄器時代を担う主体的な人びととなるが,日本列島に渡った人びとは弥生社会に同化・吸収されていった。
宮本一夫や中村大介によると、粘土帯土器文化は元々は遼寧省の涼泉文化など、夏家店上層文化が消滅した後でその系譜をひきつつ成立した文化であり、朝鮮半島から日本列島に伝播した。朝鮮半島ではそれまでの無文土器とは系譜的につながりをもたず、前2世紀になると後に新羅が成立する朝鮮半島東南部で勢力を持つようになることから、古朝鮮語話者であったとしている。 | [
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粘土帯土器。<br>文化體育觀光部
國立中央博物館(韓国)
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'''粘土帯土器文化'''または'''上帯土器文化'''は[[中国]]の[[遼寧省]]、[[大韓民国|韓国]]の[[青銅器時代]]後期から韓国の[[鉄器時代]]初期、日本列島で発見される種類の[[土器]]製作を主体とする文化である。 粘土で帯を作って入口に付けたため、このような名前が付けられた。
==概要==
粘土帯の断面によって円形粘土帯土器と三角形粘土帯土器に分ける。 円形粘土帯土器は紀元前6世紀から紀元前2世紀まで、[[三角形]]粘土帯土器は紀元前2世紀から紀元前後まで使われたものと見られる。 主に出土する漢江と金剛流域<ref>{{cite web|url=https://terms.naver.com/entry.nhn?cid=40942&docId=1082173&categoryId=33369|title=덧띠토기|언어=ko|accessdate=2021-01-18}}</ref><ref>박진일 "점토대토기, 그리고 청동기시대와 초기철기시대" IV. 절대연대의 검토, 안성 반제리, 장방형8호주거지 눈금맞춤연대(Cal BC), 기원전 1480년~1285년, 68.2% 확률 : 기원전 1490년~1470년(1.6%), 기원전 1450년~1120년(66.6%), 95.4% 확률 : 기원전 1650년~900년(95.4%)</ref><ref>{{cite web|url=https://ryeovisit.tistory.com/706 |title=보관된 사본 |accessdate=2021-11-01 |archive-date=2021-11-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211101025756/https://ryeovisit.tistory.com/706 |url-status= }}</ref>と共に朝鮮半島中部以南地域で初期鉄器時代の代表的な[[遺物]]である<ref>{{cite web|url=https://www.museum.go.kr/site/main/relic/search/view?relicId=2000#|title=덧띠 토기|성=|이름=|날짜=|웹사이트=|출판사=|언어=ko|accessdate=2021-01-18}}</ref>。
李(2014)によると、朝鮮半島では主に円形粘土帯土器段階には青銅器が,三角形粘土帯土器段階には鉄器が副葬されている。日本列島で新しい段階の円形粘 土帯土器が急増する時期は弥生時代前期末である。円形粘土帯土器人は外から朝鮮半島へはいってきた人びとであった。彼らは在地の松菊里文化を終息させ,初期鉄器時代を担う主体的な人びととなるが,日本列島に渡った人びとは弥生社会に同化・吸収されていった<ref>{{Cite journal|和書|author=李昌煕 |date=2014-02 |url=https://doi.org/10.15024/00000265 |title=韓半島における初期鉄器の年代と特質 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |ISSN=0286-7400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |volume=185 |pages=93-110 |doi=10.15024/00000265 |CRID=1390853649019389440 |ref=harv |accessdate = 2023-12-12}}</ref>。
[[宮本一夫]]や中村大介によると、粘土帯土器文化は元々は[[遼寧省]]の涼泉文化など、[[夏家店上層文化]]が消滅した後でその系譜をひきつつ成立した文化であり、朝鮮半島から日本列島に伝播した<ref>{{Cite journal|和書|author=宮本一夫 |date=2022-03 |url=https://doi.org/10.15017/4772806 |title=朝鮮半島における初期鉄器時代の始まり |journal=史淵 |ISSN=0386-9326 |publisher=九州大学大学院人文科学研究院歴史学部門 |volume=159 |pages=37-84 |doi=10.15017/4772806 |hdl=2324/4772806 |CRID=1390854882617472512 |accessdate=2023-12-12}}</ref><ref>{{Cite web| last = 中村| first = 大介| author = 中村大介| url = https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/maibun/files/download/information_blocks/2c09905c-b379-46cc-acca-444bd862fa3f/value01/value02| title = 令和5年度福岡市埋蔵文化財センター考古学講座 東アジアと福岡 第一回 青銅器を巡る社会変動| publisher = 福岡市埋蔵文化財センター| accessdate = 2023-11-28}}</ref>。朝鮮半島ではそれまでの[[無文土器]]とは系譜的につながりをもたず、前2世紀になると後に新羅が成立する朝鮮半島東南部で勢力を持つようになることから、古朝鮮語話者であったとしている<ref>{{Cite web| author = 宮本一夫| url = https://q-aos.kyushu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/12/e5bb42e567a495a74c5e2514ca0b7a68.pdf |format=PDF | title = 近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散| publisher = 九州大学人文科学研究院| accessdate = 2023-11-27
}}</ref>。
==脚注==
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==関連項目==
* [[無文土器]]
* [[無文土器時代]]
* [[弥生時代]]
{{デフォルトソート:ねんとたいときふんか}}
[[Category:古代の朝鮮]]
[[category:考古学]]
[[category:中国の考古学]]
[[Category:朝鮮の考古学]]
[[Category:弥生時代]] | 2023-11-29T07:06:18Z | 2023-12-22T13:49:03Z | false | false | false | [
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"Template:Cite journal"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%98%E5%9C%9F%E5%B8%AF%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%96%87%E5%8C%96 |
4,859,953 | ソラナ豆 | ソラナ豆(ソラナまめ、イタリア語: Fagiolo di Sorana)は、インゲン豆の一種。イタリア・トスカーナ州ピストイア県の伝統野菜である。
EUの地理的表示保護 (PGI)における保護対象であり、国際スローフード協会によって味の箱船(英語版)に認定されている。
食農ラベリング制度を活用した市場での差別化、高付加価値化、過疎地域の活性化に成功した事例とされる。
イタリア北部から中部で一般的に消費される大粒のインゲン豆「カンネリーニ(Cannellini)」とソラナ豆は同種であるが、ピストイア県ペーシャのソラナ集落(英語版)の農家において、14世紀後半から自家採種が繰り返されたため、地域固有の系統となった。
ソラナ豆の系統には、生産量の9割を占める白豆の系統(ピアッテリーノ(piattellini))と、残り1割の白地に赤斑が混ざる赤豆と呼ばれる系統(アンティコ・ロッソ(antico rosso))の2系統がある。需要と生産性はピアッテリーノのほうが高いが、気候変動への耐性はアンティコ・ロッソのほうが高い。
毎年5月末から6月初旬に種まきを行う。ピアッテリーノの収穫は8月下旬から9月上旬に行われ、アンティコ・ロッソは9月から10月に収穫される。どちらの系統も収穫後に3日から4日間天日干しによる乾燥を行う。その後、冷凍庫に5日から6日間入れて温度を下げるが、これは害虫のマメゾウムシを農薬を使わずに駆除する目的で行う。
その後、農家の一家総出で豆の大きさや外見による分別を包装を手作業により行うことになる。販売に向かないものは各農家で消費される。
出荷用のソラナ豆の袋の中には防虫のため、コショウとローリエの葉を少量同梱する。
ソラナ豆には栗のような風味があり、一般のカンネリーニと比べると表皮が極めて薄いので、軟らかく消化しやすい。
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] | ソラナ豆は、インゲン豆の一種。イタリア・トスカーナ州ピストイア県の伝統野菜である。 EUの地理的表示保護 (PGI)における保護対象であり、国際スローフード協会によって味の箱船に認定されている。 食農ラベリング制度を活用した市場での差別化、高付加価値化、過疎地域の活性化に成功した事例とされる。 | {{混同|ソラマメ}}
[[File:Cooked sorana beans with olive oil and pepper 3.jpg|thumb|right|250px|調理したソラナ豆]]
'''ソラナ豆'''(ソラナまめ、{{lang-it|Fagiolo di Sorana}})は、[[インゲン豆]]の一種。[[イタリア]]・[[トスカーナ州]][[ピストイア県]]の[[伝統野菜]]である。
[[EU]]の[[原産地名称保護制度|地理的表示保護 (PGI)]]における保護対象であり、国際スローフード協会によって{{仮リンク|味の箱船|en|Ark of Taste}}に認定されている{{R|関根}}。
食農ラベリング制度を活用した市場での差別化、高付加価値化、過疎地域の活性化に成功した事例とされる{{R|関根}}。
== 概要 ==
イタリア北部から中部で一般的に消費される大粒の[[インゲン豆]]「カンネリーニ({{lang|it|Cannellini}})」とソラナ豆は同種であるが、ピストイア県[[ペーシャ]]の{{仮リンク|ソラナ村|en|Sorana (Pescia)}}農家において、14世紀後半から自家採種が繰り返されたため、地域固有の系統となった{{R|関根}}。
ソラナ豆の系統には、生産量の9割を占める白豆の系統(ピアッテリーノ({{lang|it|piattellini}}))と、残り1割の白地に赤斑が混ざる赤豆と呼ばれる系統(アンティコ・ロッソ({{lang|it|antico rosso}}))の2系統がある{{R|関根}}。需要と生産性はピアッテリーノのほうが高いが、気候変動への耐性はアンティコ・ロッソのほうが高い{{R|関根}}。
== 栽培 ==
毎年5月末から6月初旬に種まきを行う{{R|関根}}。ピアッテリーノの収穫は8月下旬から9月上旬に行われ、アンティコ・ロッソは9月から10月に収穫される{{R|関根}}。どちらの系統も収穫後に3日から4日間天日干しによる乾燥を行う{{R|関根}}。その後、冷凍庫に5日から6日間入れて温度を下げるが、これは[[害虫]]の[[マメゾウムシ]]を農薬を使わずに駆除する目的で行う{{R|関根}}。
その後、農家の一家総出で豆の大きさや外見による分別を包装を手作業により行うことになる{{R|関根}}。販売に向かないものは各農家で消費される{{R|関根}}。
出荷用のソラナ豆の袋の中には防虫のため、[[コショウ]]と[[ローリエ]]の葉を少量同梱する{{R|関根}}。
== 利用 ==
ソラナ豆には栗のような風味があり、一般のカンネリーニと比べると表皮が極めて薄いので、軟らかく消化しやすい{{R|関根}}。伝統料理である豆の煮込みやスープ、サラダなどに用いられている{{R|関根}}。
== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="関根">{{Cite journal|和書|title=持続可能な社会の構築における食農ラベリング制度の役割と課題 伊: トスカーナ地方のソラナ豆を事例として|author=関根佳恵|journal=立命館食科学研究|volume=3|pages=89-103|year=2021|publisher=立命館大学食マネジメント学会|doi=10.34382/00014667}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
{{commonscat|Sorana bean}}
{{Food-stub}}
{{Agri-stub}}
{{Italy-stub}}
{{DEFAULTSORT:そらなまめ}}
[[Category:トスカーナ州の食文化]]
[[Category:ピストイア県]]
[[Category:インゲンマメ属]]
[[Category:豆類]]
[[Category:味の箱船]] | 2023-11-29T07:17:05Z | 2023-11-29T09:02:35Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%8A%E8%B1%86 |
4,859,954 | 加西市立北条中学校 | 加西市立北条中学校(かさいしりつ ほうじょうちゅうがっこう)は、兵庫県加西市北条町北条にある公立中学校。略称は北条中(ほうじょうちゅう)。
主な施設を掲載。
2023年度の生徒数(2023年4月10日時点)。
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2学期
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出典:
出典:
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] | 加西市立北条中学校は、兵庫県加西市北条町北条にある公立中学校。略称は北条中(ほうじょうちゅう)。 | {{Infobox 日本の学校
|校名 = 加西市立北条中学校
|画像 = Kasai City Hojo Junior High School.jpg
|画像説明 = 校門前からの校舎外観(2018年8月)
|過去校名 = 北条町立北条中学校
|国公私立 = [[公立学校]]
|設置者 = [[北条町 (兵庫県)|北条町]](1947年 - 1967年)<br >[[加西市]](1967年 - )
|併合学校 = 北条町立北条中学校(旧)<br >北条町立富田中学校
|設立年月日 = [[1947年]]4月(前身)<br >[[1965年]]4月(現行)
|学期 = [[3学期制]]
|共学・別学 = [[男女共学]]
|校舎面積 = 5,085 m{{sup|2}}<ref name="maekawa" />
|郵便番号 = 675-2312
|所在地 = 兵庫県加西市北条町北条618
|公式サイト = [http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/ 公式サイト]
}}
'''加西市立北条中学校'''(かさいしりつ ほうじょうちゅうがっこう)は、[[兵庫県]][[加西市]][[北条町 (兵庫県)|北条町]]北条にある[[公立中学校]]。略称は'''北条中'''(ほうじょうちゅう)。
== 沿革 ==
* [[1947年]]([[昭和]]22年)4月 - 兵庫県立北条[[高等女学校]](現:[[兵庫県立北条高等学校]])跡地に'''開校'''<ref name=":0">{{Cite web |title=沿革 |url=http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/about/history |website=加西市立北条中学校 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市}}</ref>。
* [[1965年]](昭和40年)4月 - 富田中学校と統合し、新制の北条中学校として開校<ref name=":1">{{Cite web |url=http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/about |title=学校紹介 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市 |website=加西市立北条中学校}}</ref>。当校を東校舎、旧富田中学校を西校舎と呼称<ref name=":0" />。
* [[1967年]](昭和42年)
** 4月1日 - 町合併に伴い、「加西市立北条中学校」に'''改称'''。
** 12月 - 新校舎を落成<ref name=":0" />。
* [[1968年]](昭和43年)9月 - 部室を落成<ref name=":0" />。
* [[1969年]](昭和44年)6月 - 旧技術室を普通教室棟裏に移築<ref name=":0" />。
* [[1970年]](昭和45年)12月 - 体育館を落成。体育館前を造園<ref name=":0" />。
* [[1971年]](昭和46年)6月 - 部室を増築<ref name=":0" />。
* [[1975年]](昭和50年)
** 1月 - テニスコート5面分を設置。本館前を造園<ref name=":0" />。
** 12月 - 玄関前ロータリーを造園<ref name=":0" />。
* [[1976年]](昭和51年)
** 3月 - 体育館南と中庭北を造園<ref name=":0" />。
** 5月 - 校門を設置<ref name=":0" />。
* [[1978年]](昭和53年)7月 - テニスコート南部室を落成<ref name=":0" />。
* [[1980年]](昭和55年)7月 - プールを落成<ref name=":0" />。
* [[1981年]](昭和56年)12月 - 武道館を落成<ref name=":0" />。
* [[1982年]](昭和57年)11月 - 技術室を設置<ref name=":0" />。
* [[1984年]](昭和59年)10月 - 被服室を設置<ref name=":0" />。
* [[1985年]](昭和60年)3月 - 校歌碑を設置<ref name=":0" />。
* [[1988年]](昭和63年)
** 3月 - 希望の像を設置<ref name=":0" />。
** 11月 - パソコン教室を設置<ref name=":0" />。
* [[1991年]]([[平成]]3年)3月 - 運動場南門を設置<ref name=":0" />。
* [[1992年]](平成4年)
** 3月 - 運動場北中央に掲揚柱を設置<ref name=":0" />。
** 4月 - カウンセリングルームを設置<ref name=":0" />。
* [[1995年]](平成7年)11月 - 正門を修復<ref name=":0" />。
* [[1997年]](平成9年)3月 - 体育館前南庭園と体育館前北庭園を改園<ref name=":0" />。
* [[2008年]](平成20年)8月 - テニスコートを整備<ref name=":0" />。
* [[2011年]](平成23年)8月 - 新校舎を落成<ref name=":0" /><ref name="maekawa">{{Cite web |url=https://maekawa-jp.com/results/01/post/201704031940/ |title=加西市立北条中学校 地震改修工事 |access-date=2023-11-29 |publisher=前川建設 |archive-date=2022-11-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221129144200/https://maekawa-jp.com/results/01/post/201704031940/}}</ref>。
* [[2012年]](平成24年)3月 - 竣工式を挙行<ref name=":0" />。
* [[2013年]](平成25年)1月 - 体育館の耐震工事を実施<ref name=":0" />。
* [[2015年]](平成27年)
** 9月 - 自転車通学を認可<ref name=":0" />。
** 10月 - 創立50周年記念として記念碑を設置<ref name=":0" />。
* [[2017年]](平成29年)3月 - ソフトテニス部部室の整備工事を実施<ref name=":0" />。
* [[2018年]](平成30年)2月 - ICT整備事業工事を実施<ref name=":0" />。
== 教育目標 ==
* 溌剌・純情・夢ありの精神を持つ生徒づくり<ref name=":1" />
== 施設概要 ==
主な施設を掲載。
* 校舎
** 北校舎(1,845 m{{Sup|2}}) - 鉄筋コンクリート造3階建て<ref name="sisetsu">{{Cite web |url=https://www.city.kasai.hyogo.jp/01kura/07kyoi/files/09tais01.pdf |title=加西市立教育施設の耐震診断結果表(H28.4現在) |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市 |archive-url=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11401675/www.city.kasai.hyogo.jp/01kura/07kyoi/files/09tais01.pdf |archive-date=2019-12-4 |website=加西市ホームページ |page=1}}</ref>。
** 南校舎(2,796 m{{Sup|2}}) - 鉄筋コンクリート造3階建て<ref name="sisetsu" />。
** 中校舎(444 m{{Sup|2}}) - 鉄筋コンクリート造3階建て。別名:玄関棟<ref name="sisetsu" />。
* 北特別教室(384 m{{Sup|2}}) - 鉄骨造平屋建て<ref name="sisetsu" />。
* 東特別教室(225 m{{Sup|2}}) - 鉄骨造平屋建て<ref name="sisetsu" />。
* 体育館(1,452 m{{Sup|2}}) - 鉄筋コンクリート造2階建て<ref name="sisetsu" />。
* 武道場(369 m{{Sup|2}}) - 鉄骨造平屋建て<ref name="sisetsu" />。
* プール
* テニスコート
* 校庭
[[ファイル:Kasai City Hojo Junior High School-2.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|東門前からの校舎外観(2018年8月)]]
== 生徒数 ==
2023年度の生徒数(2023年4月10日時点)<ref>{{Cite web |title=生徒数 |url=http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/about/student |website=加西市立北条中学校 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市}}</ref>。
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!
!1年
!2年
!3年
!合計
|-
!男子
|56
|73
|62
|191
|-
!女子
|58
|75
|59
|202
|-
!合計
|124
|148
|121
|393
|}
== 部活動 ==
=== 運動部 ===
{{Col|
* 野球部
* ソフトボール部
* ソフトテニス部
* 陸上競技部
* サッカー部
|
* バレーボール部
* バスケットボール部
* 剣道部
}}
=== 文化部 ===
* 吹奏楽部
* 美術部
'''出典''':<ref>{{Cite web |url=http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/club |title=部活動 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市 |website=加西市立北条中学校}}</ref>
== 学校行事 ==
主な行事を掲載。
'''1学期'''
* 4月 - 着任式、始業式、離任式、入学式、課題テスト、交通安全教室(1年生)、全国学力学習状況調査、家庭訪問、生徒総会、市親善スポーツ大会、宿泊研修(1年生)
* 5月 - 美バースデー、修学旅行(3年生)、中間考査、トライやるウィーク
* 6月 - トライやるウィーク、オープンスクール、市総体、期末考査
* 7月 - 東播総体、終業式、県総体
'''2学期'''
* 8月 - リーダー研修会、愛校作業
* 9月 - 始業式、課題テスト、体育祭、市新人大会、中特交流会、人権意見発表会
* 10月 - わくわくオーケストラ、小中交流会、東播新人壮行会、中間考査、オープンスクール
* 11月 - 合唱祭、ビブリオトーク(1年生)、3年到達度テスト、期末考査
* 12月 - 期末考査、美バースデー、生徒会選挙、駅伝マラソン大会、終業式
'''3学期'''
* 1月 - 始業式、生徒会引継式、中間課題テスト、3年到達度テスト
* 2月 - 1・2年到達度テスト、私立入試、公立推薦・特色・多部制検査、期末考査
* 3月 - 期末考査、公立学力検査、卒業証書授与式、新入生体験授業、修了式
'''出典''':<ref>{{Cite web |title=行事予定 |url=http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/event |website=加西市立北条中学校 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市}}</ref>
== 学区 ==
* 北条町北条、北条町小谷、北条町栗田、北条町黒駒、北条町横尾、北条町古坂、北条町西南、北条町東南、北条町東高室、北条町西高室、西上野町、谷町、西谷町、畑町、窪田町、吸谷町、坂元町、福居町、谷口町、吉野町
* 鎮岩町(一部)
* 尾崎町(一部)
* 段下町(一部)
* 中西町(一部)
'''出典''':<ref name=":2">{{Cite web |url=https://www.city.kasai.hyogo.jp/site/kyoiku/1575.html |title=小学校・中学校の校区 |access-date=2023-11-29 |publisher=加西市 |website=加西市ホームページ}}</ref>
== 進学前小学校 ==
* [[加西市立北条小学校]](加西市北条町)
* [[加西市立北条東小学校]](同上)
* 加西市立富田小学校(加西市窪田町)
'''出典''':<ref name=":2" />
== アクセス ==
=== 鉄道 ===
* [[北条鉄道]] - [[北条町駅]]から徒歩で13分
=== バス ===
* 「宮西」バス停から徒歩で3分
== 周辺 ==
* [[羅漢寺 (加西市)|羅漢寺]]
* 加西市北部学校給食センター
* 北条学童保育園
* 加西市立北条小学校
== 出身者 ==
* [[中尾孝義]] - プロ野球選手
* [[坪木和久]] - 気象学者
== 学区が隣接している学校 ==
* [[加西市立泉中学校]]
* [[加西市立加西中学校]]
* [[加西市立善防中学校]]
* [[福崎町立福崎東中学校]]
* [[市川町立市川中学校]]
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[兵庫県中学校一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.kasai.ed.jp/hojo-jhs/ 加西市立北条中学校]
{{DEFAULTSORT:かさいしりつほうしようしよう}}
[[Category:兵庫県の公立小学校]]
[[Category:加西市の小学校|ほうしよう]]
[[Category:学校記事]] | 2023-11-29T07:26:52Z | 2023-12-18T12:18:20Z | false | false | false | [
"Template:Infobox 日本の学校",
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"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%A5%BF%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%8C%97%E6%9D%A1%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1 |
4,859,958 | クシニ・イェンギ | クシニ・ボジャ・イェンギ(英語: Kusini Boja Yengi、1999年1月15日 - )は、オーストラリア・アデレード出身のサッカー選手。オーストラリア代表。ポジションはFW。
アデレード・コメッツFCの下部組織出身で、2017年にトップチームに昇格した。
2018年にアデレード・ユナイテッドFCに移籍。2020年2月21日の試合で移籍後トップチーム初出場を記録した。2021年3月13日の試合で1得点1アシストを記録しプロ初得点を記録、得点の際には看板を乗り越えてライバルのメルボルン・ビクトリーFCのサポーターの目の前でセレブレーションを行い、相手を大いに煽った。
2022年7月1日にウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに完全移籍した。
2023年7月2日、EFLリーグ1所属のポーツマスFCに完全移籍した。8月5日に移籍後初出場及び初得点を記録した。
代表は一貫してオーストラリアを選択した。
年代別代表ではAFC U23アジアカップ2022のメンバーに選出された。
A代表では2023年11月に2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のメンバーに選出され初招集となった。同月16日の同予選・バングラデシュ代表戦で代表初出場を記録した。
父は現在の南スーダン出身で、1970年代初頭に難民としてオーストラリアに移住した人物である。母はイングランド出身の霊長類学者である。また弟のテテ・イェンギもサッカー選手である。 | [
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] | クシニ・ボジャ・イェンギは、オーストラリア・アデレード出身のサッカー選手。オーストラリア代表。ポジションはFW。 | {{サッカー選手
|名前=クシニ・イェンギ
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|画像の説明=
|本名=クシニ・ボジャ・イェンギ
|愛称=
|カタカナ表記=
|アルファベット表記=Kusini Yengi
|原語名=
|原語表記=
|国={{AUS}}<br />{{ENG}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1999|1|15}}
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|所属チーム名={{Flagicon|ENG}} [[ポーツマスFC]]
|ポジション=[[フォワード (サッカー)|FW]](CF)
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}}
'''クシニ・ボジャ・イェンギ'''({{lang-en|Kusini Boja Yengi}}、[[1999年]][[1月15日]] - )は、[[オーストラリア]]・[[アデレード]]出身のサッカー選手。[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。
==クラブ歴==
[[アデレード・コメッツFC]]の下部組織出身で、2017年にトップチームに昇格した。
2018年に[[アデレード・ユナイテッドFC]]に移籍。2020年2月21日の試合で移籍後トップチーム初出場を記録した<ref>{{Cite web|url=https://www.thecourier.com.au/story/6643582/verbeek-hopes-adelaide-can-keep-halloran/|title=Verbeek hopes Adelaide can keep Halloran|last=Warren|first=Adrian|date=2020-02-22|website=The Courier|language=en|access-date=2020-02-22}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.foxsports.com.au/football/a-league/aleague-live-news-western-sydney-wanderers-v-adelaide-united-mohamed-toure/news-story/391ea5ee5bd004af32ed606c901fd2f7|title=A-League: news, Western Sydney Wanderers v Adelaide United, Mohamed Toure, score, video, highlights|date=2020-02-21|website=Fox Sports|language=en-AU|access-date=2020-02-22}}</ref>。2021年3月13日の試合で1得点1アシストを記録しプロ初得点を記録、得点の際には看板を乗り越えてライバルの[[メルボルン・ビクトリーFC]]のサポーターの目の前でセレブレーションを行い、相手を大いに煽った<ref>{{cite web |last1=D'Urbano |first1=Nick |title=More pain for Melbourne Victory as Kusini Yengi sparks Adelaide United fightback |url=https://www.heraldsun.com.au/sport/football/a-league/more-pain-for-melbourne-victory-as-kusini-yengi-sparks-adelaide-united-fightback/news-story/404c9a9d8d3f88d4a8f92a6d6670ed32 |website=Herald Sun |publisher=News Corp |access-date=14 March 2021}}</ref><ref>{{cite web |last1=Comito |first1=Matthew |title=Mauk, Yengi star as Reds seal comeback win over Victory in tense Original Rivalry clash |url=https://www.a-league.com.au/news/melbourne-victory-v-adelaide-united-match-report-scores-highlights-video |website=A-League |access-date=14 March 2021}}</ref>。
2022年7月1日に[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC]]に完全移籍した。
2023年7月2日、[[EFLリーグ1]]所属の[[ポーツマスFC]]に完全移籍した<ref>{{Cite web |title=Yengi Joins Blues |url=https://www.portsmouthfc.co.uk/news/2023/july/yengi-joins-blues/ |access-date=2023-07-02 |website=www.portsmouthfc.co.uk |language=en-gb}}</ref>。8月5日に移籍後初出場及び初得点を記録した<ref>{{cite web|url=https://www.portsmouthfc.co.uk/news/2023/august/match-report-for-portsmouth-vs-bristol-rovers-on-05-aug-23/|title=Pompey 1 Bristol Rovers 1|website=Portsmouth FC|date=5 August 2023|accessdate=28 August 2023}}</ref>。
==代表歴==
代表は一貫してオーストラリアを選択した。
年代別代表では[[AFC U23アジアカップ2022]]のメンバーに選出された。
A代表では2023年11月に[[2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]のメンバーに選出され初招集となった<ref>{{Cite web |title=Yengi details that Graham Arnold call and ‘whirlwind’ journey to Socceroos|url=https://www.socceroos.com.au/news/yengi-details-graham-arnold-call-and-whirlwind-journey-socceroos |access-date=2023-11-15 |website=www.socceroos.com.au |language=en-gb}}</ref>。同月16日の同予選・[[サッカーバングラデシュ代表|バングラデシュ代表]]戦で代表初出場を記録した。
==私生活==
父は現在の[[南スーダン]]出身で、1970年代初頭に難民としてオーストラリアに移住した人物である<ref>{{cite web |last1=Smithies |first1=Tom |title=FROM AFRICA TO ADELAIDE, THE YENGI FAMILY'S STORY KEEPS GROWING |url=https://keepup.com.au/news/africa-adelaide-yengi-familys-story-keeps-growing |website=keepup.com.au |access-date=9 October 2022 |date=12 Jan 2022}}</ref>。母は[[イングランド]]出身の霊長類学者である<ref>{{cite news |title=Orangutan escapee triggers more chaos |url=https://www.9news.com.au/national/orangutan-escapee-triggers-more-chaos/b859cebd-2e18-48a7-9313-5e3f86abe1cc |access-date=9 October 2022 |work=9 News |date=11 May 2009}}</ref><ref>{{cite news |last1=Larkin |first1=Steve |title=Racial abuse must stop: Adelaide's Yengi |url=https://www.newcastleherald.com.au/story/7169697/racial-abuse-must-stop-adelaides-yengi/ |access-date=9 October 2022 |work=Newcastle Herald |agency=Australian Associated Press |date=16 Mar 2021 |quote=Yengi, born in Adelaide to an English mother and South Sudanese father...}}</ref>。また弟の[[テテ・イェンギ]]もサッカー選手である<ref>{{Cite web|last=Paquette|first=Catherine|date=28 September 2021|title=NEWCASTLE JETS A-LEAGUE ATTACKER BECOMES SECOND AUSSIE AT IPSWICH TOWN|url=https://www.ftbl.com.au/news/newcastle-jets-a-league-attacker-becomes-second-aussie-at-ipswich-town-570446|access-date=29 September 2021|website=FTBL}}</ref><ref>{{Cite web |last=Apicella |first=Liam |date=6 April 2022 |title=Ipswich Town striker Tete Yengi signs on loan for Finnish club Vaasan Palloseura |url=https://www.suffolknews.co.uk/ipswich/sport/ipswich-loan-forward-out-to-finnish-club-9248322/ |access-date=24 July 2022 |website=Suffolk News}}</ref>。
==参考文献==
{{reflist|30em}}
==外部リンク==
*{{sports links}}
{{ポーツマスFCのメンバー}}
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{{AFC U23アジアカップ2022オーストラリア代表}}
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{{DEFAULTSORT:いえんき くしに}}
[[Category:オーストラリアのサッカー選手]]
[[Category:イングランドのサッカー選手]]
[[Category:サッカーオーストラリア代表選手]]
[[Category:アデレード・コメッツFCの選手]]
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4,859,970 | 色種 | 色種(しきしゅ、スージョン)は、青茶(烏龍茶)の銘柄の1つ。生産量は全烏龍茶の半分弱を占める。
中華人民共和国福建省の安渓県、漳州市において、鉄観音以外の本山(ほんざん)(中国語版)、梅占(めいせん)、福雲などの品種をブレンドした銘柄である。
製法が鉄観音と似ているため、茶葉の形状も鉄観音に似ている。ブレンド茶であるため、同じ「色種」でも質の差は大きい。
1950年代に安渓県で製造される青茶の茶葉のうち、鉄観音種、烏龍種以外の50あまりの品種の総称として「色種」という呼称が使われるようになった。
今日では上述のようにこれらの茶葉をブレンドした銘柄としても「色種」が用いられる。
福建省南部の茶葉でブレンドされるため、福建省南部を指す「閩南」を付けて、閩南色種(びんなんしきしゅ)とも呼ばれる。 | [
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== 概要 ==
[[中華人民共和国]][[福建省]]の[[安渓県]]、[[漳州市]]において、[[鉄観音]]以外の{{仮リンク|本山 (中国茶)|zh|本山 (茶)|label=本山(ほんざん)}}、梅占(めいせん)、福雲などの品種をブレンドした銘柄である{{R|教科書|伊藤園}}。
製法が[[鉄観音]]と似ているため、茶葉の形状も鉄観音に似ている{{R|伊藤園}}。ブレンド茶であるため、同じ「色種」でも質の差は大きい{{R|教科書}}。
== 歴史 ==
1950年代に安渓県で製造される青茶の茶葉のうち、鉄観音種、烏龍種以外の50あまりの品種の総称として「色種」という呼称が使われるようになった{{R|教科書}}。
今日では上述のようにこれらの茶葉をブレンドした銘柄としても「色種」が用いられる{{R|教科書}}。
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== 出典 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="伊藤園">{{Cite web|和書|publisher=[[伊藤園]]|website=お茶百科|url=https://www.ocha.tv/varieties/chinesetea_varieties/tekkannon/|title=鉄観音・黄金桂・水仙・色種|accessdate=2023-11-29}}</ref>
<ref name="教科書">{{Cite book|和書|page=66|title=中国茶の教科書: 体にいい効能と茶葉の種類、飲み方、すべてがわかる|author1=今間智子|author2=北京東方国芸国際茶文化交流中心|year=2012|publisher=[[誠文堂新光社]]|isbn=978-4416812839}}</ref>
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[[Category:中国茶]]
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[[Category:福建の食文化]] | 2023-11-29T08:14:53Z | 2023-11-29T12:24:57Z | false | false | false | [
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4,859,971 | 香港の境界 | 香港の境界(ほんこんのきょうかい)は、香港(香港特別行政区)の範囲を定める境界である。正式名称は行政区域界線(Boundary of the Administrative Division)という。香港がイギリス領だった時代は中国とイギリスの国境であったが、中国への香港返還後も、一国二制度の原則の下で中国本土とは別の出入国管理や税関管理が実施されている行政境界線となっている。
陸上の境界が30キロメートル、海上の境界が733キロメートルあり、陸上の境界にはフェンスが設置されている。香港の境界は、香港警察と海上警察(水警総区(英語版))、および出入国管理局に相当する入境事務所(英語版)によって管理・警備されている。陸上の境界に隣接して、香港辺境禁区と呼ばれる立入禁止の緩衝地帯もある。
アヘン戦争の後に締結された1842年の南京条約により、香港島が清からイギリスに割譲されたが、正式な海上国境線は提示されなかった。1860年の北京条約により、九龍半島のうち界限線より南の香港島に面する部分がイギリスに割譲され、1898年の展拓香港界址専条(香港領土拡張条約)により、新界と呼ばれる、界限線から深圳河までの九龍半島や周辺の島嶼が99年間の期限でイギリスに租借された。これにより、深圳河の南側の岸がイギリス(イギリス領香港)と清の国境となった。
1941年から1945年までの間は香港は日本に占領されていたが、香港と接する中国南部の一部も日本に占領されていたため、香港の境界は重要視されなかった。1945年の日本の敗戦後、香港の全てのイギリス政府機関が香港に戻り、深圳河の国境も元に戻された。
1940年代後半から、中国内陸部の不安定さにより、中国本土からの大量の難民(逃港者)が香港に入境するようになった。1949年4月、イギリスの香港当局は、それまで自由に行き来できた中国との国境を閉鎖することを決定した。1952年までに中国当局も同様の決定を行い、国境を通過するには許可が必要となった。
1984年、イギリス政府と中国政府は英中共同声明を発表し、新界の租借期限となる1997年7月1日に、南京条約と北京条約でイギリスに割譲された香港島と界限街以南の九龍半島についても中国に返還することが決定した。深圳河を通る香港の陸上の境界はほぼそのまま維持されたが、香港基本法により、深圳河の境界線は川の中央に移され、海上の境界線は拡張する形で修正された。
2021年現在、出入国管理局に相当する入境事務所(英語版)は15か所の入境審査場を設置している。そのうち8か所は陸上境界にあり、境界のフェンス上か、その前後にある。海路での入境審査は4つのフェリーターミナルで行われる。また、香港国際空港と2つの鉄道駅にも入境審査場がある。 | [
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] | 香港の境界(ほんこんのきょうかい)は、香港(香港特別行政区)の範囲を定める境界である。正式名称は行政区域界線という。香港がイギリス領だった時代は中国とイギリスの国境であったが、中国への香港返還後も、一国二制度の原則の下で中国本土とは別の出入国管理や税関管理が実施されている行政境界線となっている。 陸上の境界が30キロメートル、海上の境界が733キロメートルあり、陸上の境界にはフェンスが設置されている。香港の境界は、香港警察と海上警察(水警総区)、および出入国管理局に相当する入境事務所によって管理・警備されている。陸上の境界に隣接して、香港辺境禁区と呼ばれる立入禁止の緩衝地帯もある。 | [[File:Hk-map-ja.png|thumb|right|300px|1997年以降の[[香港]]の境界]]
[[File:Boundary Road.jpg|thumb|250px|道路上に設置された境界のフェンス]]
'''香港の境界'''(ほんこんのきょうかい)は、[[香港]]([[香港特別行政区]])の範囲を定める[[境界]]である。正式名称は'''行政区域界線'''(Boundary of the Administrative Division)という<ref name="basiclawboundary">[https://www.basiclaw.gov.hk/filemanager/content/en/files/basiclawtext/basiclawtext_doc13.pdf basiclaw.gov.hk - Description of the Boundary of the Administrative Division of the Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China]</ref><ref name="eleg">[https://www.elegislation.gov.hk/hk/capA207!en-zh-Hant-HK?INDEX_CS=N&xpid=ID_1438403581147_001 elegislation.gov.hk - 中華人民共和國香港特別行政區行政區域界綫文字表述 Description of the Boundary of the Administrative Division of the Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China]</ref>。香港が[[イギリス領香港|イギリス領]]だった時代は[[中国]]と[[イギリス]]の[[国境]]であったが、中国への[[香港返還]]後も、[[一国二制度]]の原則の下で[[中国本土]]とは別の[[出入国管理]]が実施されている行政境界線となっている<ref>{{cite web |url=http://www.immd.gov.hk/eng/contactus/control_points.html |title=Control Point Locations |publisher=香港特別行政区入境事務所 |access-date=18 November 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171122092430/http://www.immd.gov.hk/eng/contactus/control_points.html |archive-date=22 November 2017 |url-status=live |accessdate=2023-12-12}}</ref>。
==歴史==
[[アヘン戦争]]の後に締結された1842年の[[南京条約]]により、[[香港島]]が[[清]]からイギリスに割譲されたが、正式な海上国境線は提示されなかった。1860年の[[北京条約]]により、[[九龍半島]]のうち[[界限街|界限線]]より南の香港島に面する部分がイギリスに割譲され<ref>{{cite book |title= A biographical sketch-book of early Hong Kong|last= Endacott|first= G. B.|author-link=George Beer Endacott|author2=Carroll, John M. |year= 2005|orig-year= 1962|publisher= [[Hong Kong University Press]]|isbn=978-962-209-742-1}}</ref>、1898年の[[展拓香港界址専条]](香港領土拡張条約)により、[[新界]]と呼ばれる、界限線から[[深圳河]]までの九龍半島や周辺の島嶼が99年間の期限でイギリスに租借された。これにより、深圳河の南側の岸がイギリス([[イギリス領香港]])と清の国境となった<ref>{{cite web |url=http://www.npm.gov.tw/exh100/diplomatic/page_en02.html |title=Lessons in History |date=9 August 2011 |publisher=[[National Palace Museum]] (Taipei) |access-date=2023-12-11 |archive-date=21 August 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200821102640/http://www.npm.gov.tw/exh100/diplomatic/page_en02.html |url-status=dead}}</ref>。
1941年から1945年までの間は[[日本占領時期の香港|香港は日本に占領]]されていたが、香港と接する中国南部の一部も日本に占領されていたため、香港の境界は重要視されなかった<ref>{{cite web |url=http://www.history.army.mil/brochures/chinoff/chinoff.htm |title=China Offensive |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=3 October 2003 |website=Center of Military History |publisher=United states Army |access-date=14 November 2014 |archive-date=11 November 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20141111214346/http://www.history.army.mil/brochures/chinoff/chinoff.htm |url-status=dead }}</ref>。1945年の日本の敗戦後、香港の全てのイギリス政府機関が香港に戻り、深圳河の国境も元に戻された<ref>{{cite book |last=Tsang |first=Steve |author-link=Steve Tsang |year=2004 |title=A Modern History of Hong Kong |location=London |publisher=I.B. Tauris |isbn=978-1-84511-419-0 |page=133}}</ref>。
1940年代後半から、中国内陸部の不安定さにより、中国本土からの大量の難民([[逃港者]])が香港に入境するようになった。1949年4月、イギリスの香港当局は、それまで自由に行き来できた中国との国境を閉鎖することを決定した{{Sfn|Hambro|1957|p=69-81}}。1952年までに中国当局も同様の決定を行い、国境を通過するには許可が必要となった{{Sfn|Hambro|1957|p=71}}。この際、陸上の境界に隣接して、[[香港辺境禁区]](Frontier Closed Area, FCA)と呼ばれる立入禁止の[[緩衝地帯]]が設けられた<ref>{{cite news|title=Frontier Closed Area, Background brief prepared by the Legislative Council Secretariat for the meeting on 19 February 2008 [CB(2)1060/07-08(03)]|work=Panel on Security, [[Hong Kong Legislative Council]]|page=1|date=2008-02-19|url=https://www.legco.gov.hk/yr07-08/english/panels/se/papers/se0219cb2-1060-3-e.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081201154314/https://www.legco.gov.hk/yr07-08/english/panels/se/papers/se0219cb2-1060-3-e.pdf|archivedate=2008-12-01}}</ref>。
1984年、イギリス政府と中国政府は[[英中共同声明]]を発表し、新界の租借期限となる1997年7月1日に、南京条約と北京条約でイギリスに割譲された香港島と界限街以南の九龍半島についても[[香港返還|中国に返還]]することが決定した。深圳河を通る香港の陸上の境界はほぼそのまま維持されたが<ref>Constitutional and Mainland Affairs Bureau, The Government of the HKSAR. [http://www.cmab.gov.hk/en/issues/jd2.htm "The Joint Declaration"] and following pages, 1 July 2007.</ref>、[[香港特別行政区基本法|香港基本法]]により、深圳河の境界線は川の中央に移され、海上の境界線は拡張する形で修正された<ref name="basiclawboundary"/>。
===過去の地図===
<gallery>
File:Map of The Convention for the Extension of Hong Kong Territory in 1898 - 1.jpg|清と新界の境界を示す地図
File:Hong Kong 1962 map.jpg|1997年までの植民地時代の香港の地図
</gallery>
==入境審査場==
{{seealso|en:List of immigration control points in Hong Kong}}
2021年現在、出入国管理局に相当する{{仮リンク|入境事務所|en|Immigration Department (Hong Kong)}}は15か所の入境審査場を設置している<ref name="HKcrossings">[https://www.immd.gov.hk/eng/contactus/control_points.html Control Point Locations - Hong Kong Immigration Department]</ref>。そのうち8か所は陸上境界にあり、境界のフェンス上か、その前後にある。海路での入境審査は4つのフェリーターミナルで行われる<ref name="HKcrossings"/>。また、[[香港国際空港]]と2つの鉄道駅にも入境審査場がある<ref name="HKcrossings"/>。
==脚注==
{{reflist|30em}}
==参考文献==
*{{Citation|last=Hambro |first=Edvard |date=1957 |title=Chinese Refugees in Hong Kong |journal=The Phylon Quarterly |volume=18 |issue=1 |pages=69-81 |doi=10.2307/273076}}
==関連項目==
* [[中華人民共和国の国境]]
* [[香港辺境禁区]]
{{中華人民共和国の国境}}
{{デフォルトソート:ほんこんのきようかい}}
[[Category:香港の地理|きようかい]]
[[Category:中華人民共和国の国境]]
[[Category:イギリス植民地時代の香港]] | 2023-11-29T08:15:21Z | 2023-12-12T10:23:33Z | false | false | false | [
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"Template:中華人民共和国の国境",
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"Template:Seealso",
"Template:Reflist"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C |
Subsets and Splits
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