id
int64
5
471k
title
stringlengths
1
74
text
stringlengths
0
233k
paragraphs
list
abstract
stringlengths
1
4.6k
wikitext
stringlengths
22
486k
date_created
stringlengths
20
20
date_modified
stringlengths
20
20
is_disambiguation_page
bool
2 classes
is_sexual_page
bool
2 classes
is_violent_page
bool
2 classes
templates
sequence
url
stringlengths
31
561
4,863,977
スタディオン・ポド・ラツィノム
スタディオン・ポド・ラツィノム(セルビア語: Stadion Pod Racinom)は、モンテネグロ・プラヴに所在する多目的競技場である。主にサッカーの試合で用いられている。 主にサッカーの試合で用いられており、FKイェゼロがここを本拠地としている。105m×70mのピッチが存在しており、プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガの基準を満たしたスタジアムである。 1948年に完成した。1990年代初頭迄は設備が殆ど整っておらず、同年代になってからメインスタンドが建設された。収容人数はこれによって6500人、うち立ち席が6000席に増加した。 1999年のFKイェゼロ対FKグシニェ戦で7000人の観客がこのスタジアム近辺に押し寄せた。しかしながらスタンド観戦ではなく、近くの丘の上からの観衆も多かったという。兎も角、この記録はツルノゴルスカ・レプブリチカ・リーガ史上有数の観客動員試合として歴史に残った。 FKイェゼロがプルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガに昇格した際には施設設備の問題から本拠地として使用出来ず、改修することとなった。その後は収容人数が2500人に減少した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "スタディオン・ポド・ラツィノム(セルビア語: Stadion Pod Racinom)は、モンテネグロ・プラヴに所在する多目的競技場である。主にサッカーの試合で用いられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "主にサッカーの試合で用いられており、FKイェゼロがここを本拠地としている。105m×70mのピッチが存在しており、プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガの基準を満たしたスタジアムである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1948年に完成した。1990年代初頭迄は設備が殆ど整っておらず、同年代になってからメインスタンドが建設された。収容人数はこれによって6500人、うち立ち席が6000席に増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1999年のFKイェゼロ対FKグシニェ戦で7000人の観客がこのスタジアム近辺に押し寄せた。しかしながらスタンド観戦ではなく、近くの丘の上からの観衆も多かったという。兎も角、この記録はツルノゴルスカ・レプブリチカ・リーガ史上有数の観客動員試合として歴史に残った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "FKイェゼロがプルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガに昇格した際には施設設備の問題から本拠地として使用出来ず、改修することとなった。その後は収容人数が2500人に減少した。", "title": "歴史" } ]
スタディオン・ポド・ラツィノムは、モンテネグロ・プラヴに所在する多目的競技場である。主にサッカーの試合で用いられている。
{{Infobox venue | stadium_name = スタディオン・ポド・ラツィノム | type = | image = | caption = | fullname = Gradski stadion pod Racinom | location ={{Flagicon|MNE}}[[プラヴ]] | coordinates = | nickname = '''Stadion Jezera''' | built = | opened = 1948 | renovated = 2008 | seating_capacity = 2,500 | owner = [[プラヴ]]市 | operator = [[FKイェゼロ]] | surface = 芝 | architect = | scoreboard = | former_names = | tenants = [[FKイェゼロ]] | dimensions = {{convert|105|x|70|m|abbr=on}} }} '''スタディオン・ポド・ラツィノム'''({{lang-sr|Stadion Pod Racinom}})は、[[モンテネグロ]]・[[プラヴ]]に所在する多目的競技場である。主にサッカーの試合で用いられている。 ==概要== 主にサッカーの試合で用いられており、[[FKイェゼロ]]がここを本拠地としている。105m×70mのピッチが存在しており、[[プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガ]]の基準を満たしたスタジアムである。 ==歴史== 1948年に完成した。1990年代初頭迄は設備が殆ど整っておらず、同年代になってからメインスタンドが建設された<ref>{{cite web | url=http://www.bosnjaci.net/prilog.php?pid=24678 | title=KAKO SU CRNOGORSKI SPECIJALCI PRETUKLI IGRAČE, NAVIJAČE I GRAĐANE PLAVA — Bosnjaci.Net|accessdate=5 January 2019 }}</ref>。収容人数はこれによって6500人、うち立ち席が6000席に増加した。 1999年のFKイェゼロ対[[FKグシニェ]]戦で7000人の観客がこのスタジアム近辺に押し寄せた。しかしながらスタンド観戦ではなく、近くの丘の上からの観衆も多かったという<ref>{{cite web | url=http://www.oocities.org/elvis_durovic/FKJezero.html | title=FKJezero |accessdate=5 January 2019}}</ref>。兎も角、この記録は[[ツルノゴルスカ・レプブリチカ・リーガ]]史上有数の観客動員試合として歴史に残った。 FKイェゼロが[[プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガ]]に昇格した際には施設設備の問題から本拠地として使用出来ず、改修することとなった。その後は収容人数が2500人に減少した<ref>{{Cite web|url=http://www.gusinje-plav.com/2008pages/pravocudo.html|title=www.Gusinje-Plav.com|website=www.gusinje-plav.com|accessdate=5 January 2019}}</ref>。 ==参考文献== {{reflist}} {{DEFAULTSORT:すたていおん ほと らついのむ}} [[Category:モンテネグロのサッカー競技施設]] [[Category:モンテネグロの陸上競技場]] [[Category:プラヴ]] [[Category:1948年開設のスポーツ施設]]
2023-12-08T13:49:06Z
2023-12-08T13:49:06Z
false
false
false
[ "Template:Infobox venue", "Template:Lang-sr", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%A0
4,863,978
ヴィシトル山
ヴィシトル山(セルビア語: Виситор)は、モンテネグロ・プラヴにある標高2,211メートル (7,254 ft)の山である。 ディナル・アルプス山脈のモンテネグロ国内部分に存在する山で、アルバニアとの国境に近い。行政的にはモンテネグロのプラヴに属しており、プラヴ湖からは北西12km程の地点に存在している。リム川の源流としても知られている。 山頂はバンデラ峰とプラナ峰と存在している他、山腹の標高1,820メートル (5,970 ft)地点にはヴィシトル湖(Visitorsko jezero)が存在している。この湖は長さ92メートル (302 ft)、幅73メートル (240 ft)、水深4メートル (13 ft)の湖である。 山腹は森になっているが、上部になると草原や岩地となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ヴィシトル山(セルビア語: Виситор)は、モンテネグロ・プラヴにある標高2,211メートル (7,254 ft)の山である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ディナル・アルプス山脈のモンテネグロ国内部分に存在する山で、アルバニアとの国境に近い。行政的にはモンテネグロのプラヴに属しており、プラヴ湖からは北西12km程の地点に存在している。リム川の源流としても知られている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "山頂はバンデラ峰とプラナ峰と存在している他、山腹の標高1,820メートル (5,970 ft)地点にはヴィシトル湖(Visitorsko jezero)が存在している。この湖は長さ92メートル (302 ft)、幅73メートル (240 ft)、水深4メートル (13 ft)の湖である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "山腹は森になっているが、上部になると草原や岩地となる。", "title": "概要" } ]
ヴィシトル山は、モンテネグロ・プラヴにある標高2,211メートル (7,254 ft)の山である。
{{Infobox mountain | name = ヴィシトル山 | photo = Vrcholek Visitoru (2218 m).jpg | photo_caption = モンテネグロとアルバニア国境に位置するプロクレティエ山地 | elevation_m = 2211 | elevation_ref = | map = | map_caption = | map_size = 250 | location = [[モンテネグロ]] | range = | coordinates = {{coord|42.61006|N|19.89172|E|type:mountain_scale:100000|format=dms|display=inline,title}} | type = | first_ascent = | easiest_route = }} '''ヴィシトル山'''({{lang-sr|Виситор}})は、[[モンテネグロ]]・[[プラヴ]]にある標高{{convert|2211|m}}の山である。 ==概要== [[ディナル・アルプス山脈]]のモンテネグロ国内部分に存在する山で、[[アルバニア]]との国境に近い<ref>Soviet military map [https://maps.vlasenko.net/smtm50/k-34-052-2.jpg K-34-52-Б] (1:50,000)</ref>。行政的にはモンテネグロの[[プラヴ]]に属しており、[[プラヴ湖]]からは北西12km程の地点に存在している。[[リム川]]の源流としても知られている。 山頂はバンデラ峰とプラナ峰と存在している他、山腹の標高{{convert|1820|m}}地点にはヴィシトル湖({{lang|sr|Visitorsko jezero}})が存在している。この湖は長さ{{convert|92|m}}、幅{{convert|73|m}}、水深{{convert|4|m}}の湖である。 山腹は森になっているが、上部になると草原や岩地となる。 ==参考文献== {{Reflist}} {{East-europe-stub}} {{DEFAULTSORT:ういしとる}} [[Category:モンテネグロの山]] [[Category:プラヴ]]
2023-12-08T13:49:08Z
2023-12-08T13:49:08Z
false
false
false
[ "Template:Infobox mountain", "Template:Lang-sr", "Template:Convert", "Template:Lang", "Template:Reflist", "Template:East-europe-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AB%E5%B1%B1
4,863,979
プラヴ湖
プラヴ湖(セルビア語: Плавско језеро、アルバニア語: Liqeni i Plavës)は、モンテネグロ・プラヴにある湖である。 プロクレティエ山地とヴィシトル山に挟まれた地にある氷河湖で、海抜906メートル (2,972 ft)の水面、南北2,160メートル (7,090 ft)、幅は平均して920メートル (3,020 ft)、水深は9 meters (30 ft)を有する湖である。モンテネグロ国内では最大の氷河湖であり、プラヴでは最も知られた観光地である。 石灰岩の洞窟が多数存在しており、水の噴出口も多く見られる湖である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "プラヴ湖(セルビア語: Плавско језеро、アルバニア語: Liqeni i Plavës)は、モンテネグロ・プラヴにある湖である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "プロクレティエ山地とヴィシトル山に挟まれた地にある氷河湖で、海抜906メートル (2,972 ft)の水面、南北2,160メートル (7,090 ft)、幅は平均して920メートル (3,020 ft)、水深は9 meters (30 ft)を有する湖である。モンテネグロ国内では最大の氷河湖であり、プラヴでは最も知られた観光地である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "石灰岩の洞窟が多数存在しており、水の噴出口も多く見られる湖である。", "title": "概要" } ]
プラヴ湖は、モンテネグロ・プラヴにある湖である。
{{Infobox body of water | name = プラヴ湖 | other_name = Plavsko jezero / Плавско језеро<br>Liqeni i Plavës | image = Lake Plav1.JPG | caption = | image_bathymetry = | caption_bathymetry = | location = {{Flagicon|MNE}}[[プラヴ]] | coords = {{coord|42|35|45|N|19|55|30|E|type:waterbody_region:ME|display=inline,title}} | type = | inflow = | outflow = [[リム川]] | catchment = | basin_countries = [[モンテネグロ]] | length = {{convert|2,160|m|abbr=on}} | width = | area = {{convert|1.99|km2|abbr=on}} | depth = {{convert|9.1|m|abbr=on}} | max-depth = {{convert|9|m|abbr=on}} | volume = | residence_time = | shore = | elevation = {{convert|906|m|abbr=on}} | islands = | cities = | pushpin_map = | pushpin_label_position = | pushpin_map_alt = | pushpin_map_caption = }} '''プラヴ湖'''({{lang-sr|Плавско језеро|Plavsko jezero}}、{{lang-sq|Liqeni i Plavës}})は、[[モンテネグロ]]・[[プラヴ]]にある湖である<ref>[https://www.montenegro.travel/info/jezera-rijeke Jezera i rijeke], Montenegro Travel</ref>。 ==概要== [[プロクレティエ山地]]と[[ヴィシトル山]]に挟まれた地にある[[氷河湖]]で、海抜{{convert|906|m}}の水面、南北{{convert|2,160|m}}、幅は平均して{{convert|920|m}}、水深は{{convert|9|meters}}を有する湖である。モンテネグロ国内では最大の氷河湖であり、プラヴでは最も知られた観光地である。 石灰岩の洞窟が多数存在しており、水の噴出口も多く見られる湖である。 ==参考文献== {{reflist}} ==外部リンク== {{commons category|Plavsko jezero}} *[http://www.montenegro.com/phototrips/north/Plav_Lake_and_Ali-Pashas_Springs.html Lake Plav and Ali-Pashas Springs] {{East-europe-stub}} {{DEFAULTSORT:ふらう}} [[Category:モンテネグロの湖]] [[Category:氷河湖]] [[Category:プラヴ]] [[Category:モンテネグロの観光地]]
2023-12-08T13:49:10Z
2023-12-08T13:49:10Z
false
false
false
[ "Template:Lang-sr", "Template:Lang-sq", "Template:Convert", "Template:Reflist", "Template:Commons category", "Template:East-europe-stub", "Template:Infobox body of water" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B4%E6%B9%96
4,863,980
パベル・ハジム
パベル・ハジム(Pavel Chadim、1971年7月8日 - )は、チェコ共和国出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督・神経科医。 1993年にチェコ・エクストラリーガのテフニカ・ブルノに入団。1995年にドラツィ・ブルノへと移籍。外野手および救援投手としてリーグ10連覇に貢献した。 2010年にはインターコンチネンタルカップのチェコ代表チームで監督を務めた。2011年、現役を引退。 2012年にU-21欧州選手権、2013年にリトルリーグワールドシリーズのチェコ代表チームをそれぞれ指揮。2014年の21U野球ワールドカップではチェコ代表チームを率いて5位となった。 2021年からは第5回WBCに向けチェコ代表チームの監督を務め、本戦初出場を果たした。本戦の1次ラウンド敗退後に行われた会見では「必勝」と書かれた日の丸のハチマキをつけて登場した。 2023年8月、千葉ロッテマリーンズが野球振興・文化交流を目的とした「マリーンズ-チェコ ベースボールブリッジプログラム」を創設したことで選手2名と共に来日。ZOZOマリンスタジアムで始球式を務めた。11月、第6回WBCが開催される2026年まで監督としての契約が延長された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "パベル・ハジム(Pavel Chadim、1971年7月8日 - )は、チェコ共和国出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督・神経科医。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1993年にチェコ・エクストラリーガのテフニカ・ブルノに入団。1995年にドラツィ・ブルノへと移籍。外野手および救援投手としてリーグ10連覇に貢献した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2010年にはインターコンチネンタルカップのチェコ代表チームで監督を務めた。2011年、現役を引退。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2012年にU-21欧州選手権、2013年にリトルリーグワールドシリーズのチェコ代表チームをそれぞれ指揮。2014年の21U野球ワールドカップではチェコ代表チームを率いて5位となった。 2021年からは第5回WBCに向けチェコ代表チームの監督を務め、本戦初出場を果たした。本戦の1次ラウンド敗退後に行われた会見では「必勝」と書かれた日の丸のハチマキをつけて登場した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年8月、千葉ロッテマリーンズが野球振興・文化交流を目的とした「マリーンズ-チェコ ベースボールブリッジプログラム」を創設したことで選手2名と共に来日。ZOZOマリンスタジアムで始球式を務めた。11月、第6回WBCが開催される2026年まで監督としての契約が延長された。", "title": "経歴" } ]
パベル・ハジムは、チェコ共和国出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督・神経科医。
{{表記揺れ案内|表記1=パベル・ハディム|}} {{Infobox baseball player |選手名 = パベル・ハジム |英語表記 = Pavel Chadim |所属球団 = |背番号 = |選手写真ファイル名 = |写真のサイズ = |写真のコメント = |国籍 = {{TCH}} |出身地 = [[ヴァルチツェ]] <ref name=>{{Cite web |url= https://www.milb.com/player/pavel-chadim-807165 |title=Pavel Chadim Stats, Fantasy & News |publisher=MiLB.com |language=英語 |accessdate=2023-12-28}}</ref> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1971|7|8}} |没年月日 = |身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|0}} |体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|176}} |利き腕 = 右 |打席 = 左 |守備位置 = [[外野手]]、[[投手]] |プロ入り年度 = |ドラフト順位 = |初出場 = |最終出場 = |年俸 = |経歴 = |経歴補足題 = 監督・コーチ歴 |経歴補足 = * [[野球チェコ代表|チェコ代表]] ([[第17回IBAFインターコンチネンタルカップ|インターコンチネンタルカップ]]) (2010) * チェコ代表(U-21) (2012, 2014) * チェコ代表([[リトルリーグ・ワールドシリーズ|LLWS]]) (2013) * チェコ代表(トップチーム) (2021 - ) }} '''パベル・ハジム'''(Pavel Chadim、[[1971年]][[7月8日]] - )は、[[チェコ共和国]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[投手]])・[[プロ野球コーチ|コーチ]]・[[プロ野球監督|監督]]・[[神経科|神経科医]]。 == 経歴 == === 現役時代 === 1993年に[[チェコ・エクストラリーガ (野球)|チェコ・エクストラリーガ]]のテフニカ・ブルノに入団。1995年に[[ドラッツィ・ブルノ|ドラツィ・ブルノ]]へと移籍。外野手および救援投手としてリーグ10連覇に貢献した<ref name="wbsc20211215">{{Cite web |url= https://www.wbsc.org/en/news/pavel-chadim-takes-over-as-manager-of-czech-republic-national-baseball-team |title=Pavel Chadim takes over as manager of Czech Republic National Baseball Team |publisher=WBSC |language=英語 |date=2021-12-15 |accessdate=2023-12-9}}</ref>。 2010年にはインターコンチネンタルカップのチェコ代表チームで監督を務めた<ref name="wbsc20211215"/>。2011年、現役を引退。 === 監督時代 === 2012年にU-21欧州選手権、2013年にリトルリーグワールドシリーズのチェコ代表チームをそれぞれ指揮。2014年の[[第1回21U野球ワールドカップ|21U野球ワールドカップ]]ではチェコ代表チームを率いて5位となった<ref name="wbsc20211215"/>。 2021年からは[[2023 ワールド・ベースボール・クラシック|第5回WBC]]に向け[[2023 ワールド・ベースボール・クラシック・チェコ代表|チェコ代表チーム]]の監督を務め、本戦初出場を果たした。本戦の1次ラウンド敗退後に行われた会見では「必勝」と書かれた[[日の丸]]のハチマキをつけて登場した<ref>{{Cite web|和書|url= https://the-ans.jp/wbc/308949/ |title= 「日本を愛し、日本も彼を愛する」 WBC敗退チェコ公式、指揮官の相思相愛ぶりに感激|publisher=THE ANSWER|date=2023-03-15|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 2023年8月、[[千葉ロッテマリーンズ]]が野球振興・文化交流を目的とした「マリーンズ-チェコ ベースボールブリッジプログラム」を創設したことで選手2名<ref>ルカーシュ・エルコリとマルティン・ムジークの2名。</ref>と共に来日。[[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]]で始球式を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marines.co.jp/expansion/czechrepublic|title=マリーンズ-チェコ ベースボールブリッジプログラム |publisher=千葉ロッテマリーンズ |accessdate=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「マリーンズ-チェコ ベースボールブリッジプログラム」を通じたチェコ共和国との友好関係強化 {{!}} スポンサーシップ {{!}} イベント・スポンサー活動 {{!}} トピックス |url=https://news.panasonic.com/jp/topics/205275 |website=Panasonic Newsroom Japan : パナソニック ニュースルーム ジャパン |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。11月、第6回WBCが開催される2026年まで監督としての契約が延長された<ref name="sanspo20231105">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20231105-QV2EW43BEJLWRBUJNZ4PF325A4/|title=野球チェコ代表のパベル・ハジム監督が2026年まで契約延長 侍ジャパン前監督の栗山英樹氏が名誉アンバサダー|publisher=サンスポ|date=2023-11-05|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 人物 == *野球を始めたのは16歳の頃<ref>{{Cite web|和書|title=大谷翔平が認めたチェコ野球 新たな一歩へ - 国際報道 2023 - NHK |url= https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/pM3jWkrgPO/ |website=NHK |access-date=2023-12-16 |language=ja}}</ref>。 *現在は監督業の傍ら、チェコの[[ブルノ]]に位置するベフンスカー神経科医で院長を務めている。 *2023年9月、ハジムの打診で[[栗山英樹]]がチェコ野球の名誉アンバサダーに就任した<ref>{{Cite web|和書|title=侍ジャパン前監督の栗山英樹氏がチェコ野球の名誉アンバサダーに就任!ユーロベースボールを前にしたチェコ代表を激励 |url=https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=72564 |website=THE DIGEST |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【侍ジャパン】栗山英樹氏、チェコ野球の名誉アンバサダーに就任へ チェコ滞在中 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202309210000544.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-12-09 |language=ja |last=古川真弥}}</ref>。 == 詳細情報 == ===背番号=== * '''13''' (2021年 -) == 脚注 == <references /> {{Baseball-biography-stub}} {{DEFAULTSORT:はていむ はへる}} [[Category:チェコの野球選手]] [[Category:1971年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-08T13:49:48Z
2023-12-27T15:54:19Z
false
false
false
[ "Template:表記揺れ案内", "Template:Infobox baseball player", "Template:Cite web", "Template:Baseball-biography-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B8%E3%83%A0
4,863,983
加悦
加悦(かや、かえつ)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "加悦(かや、かえつ)", "title": null } ]
加悦(かや、かえつ)
'''加悦'''(かや、かえつ) == 地名 == * [[加悦谷]](かやだに) - 京都府北部にある平野。 ** [[加悦鉄道]] ** [[京都府立加悦谷高等学校]] * [[加悦町]](かやちょう) - かつて[[京都府]][[与謝郡]]にあった自治体。 ** [[与謝野町立加悦中学校]] ** [[与謝野町立加悦小学校]] ** 加悦郵便局 ** [[道の駅シルクのまち かや]] == 企業 == * [[加悦 (運送会社)]](かえつ) - 千葉県千葉市にある運輸会社。 {{曖昧さ回避}} {{DEFAULTSORT:かや}}
2023-12-08T13:55:07Z
2023-12-08T14:04:13Z
false
false
false
[ "Template:曖昧さ回避" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%82%A6
4,863,988
横山淑夫
横山 淑夫(よこやま よしお、1920年1月2日 - 2005年6月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。東京都出身。 1938年に早稲田実業学校を卒業し、同年に大阪商船に入社。1950年にカルピス食品工業に転じ、1969年2月に取締役に就任し、1973年2月に常務、1976年3月に専務を経て、1978年2月に副社長に就任し、1981年3月から1985年3月までに社長を務めた。 2005年6月17日肺癌のために死去。85歳没。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "横山 淑夫(よこやま よしお、1920年1月2日 - 2005年6月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。東京都出身。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1938年に早稲田実業学校を卒業し、同年に大阪商船に入社。1950年にカルピス食品工業に転じ、1969年2月に取締役に就任し、1973年2月に常務、1976年3月に専務を経て、1978年2月に副社長に就任し、1981年3月から1985年3月までに社長を務めた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2005年6月17日肺癌のために死去。85歳没。", "title": "経歴" } ]
横山 淑夫は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。東京都出身。
'''横山 淑夫'''(よこやま よしお、[[1920年]][[1月2日]] - [[2005年]][[6月17日]])は、日本の[[経営者]]。[[カルピス|カルピス食品工業]](現在の[[アサヒ飲料]])社長を務めた。[[東京都]]出身{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ30頁|ref=jinji-36-ge}}。 == 経歴 == [[1938年]]に[[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部|早稲田実業学校]]を卒業し、同年に[[大阪商船]]に入社{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ30頁|ref=jinji-36-ge}}。[[1950年]]に[[カルピス|カルピス食品工業]]に転じ、[[1969年]]2月に取締役に就任し、[[1973年]]2月に常務、[[1976年]]3月に専務を経て、[[1978年]]2月に副社長に就任し、[[1981年]]3月から[[1985年]]3月までに社長を務めた{{sfn|人事興信所|1991|loc=よ30頁|ref=jinji-36-ge}}。 [[2005年]][[6月17日]][[肺癌]]のために死去<ref>2005年 6月225日 日本経済新聞 朝刊 p43</ref>。{{没年齢|1920|01|02|2005|06|17}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第36版 下|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1991|pages = |url = |ref = jinji-36-ge}} {{先代次代|カルピス食品工業社長|1981年 - 1985年|[[中道健太郎]]|[[福井高行]]}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:よこやま よしお}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:商船三井の人物]] [[Category:カルピス|人]] [[Category:早稲田実業学校出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1920年生]] [[Category:2005年没]]
2023-12-08T14:01:31Z
2023-12-09T03:44:12Z
false
false
false
[ "Template:Sfn", "Template:没年齢", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Citation", "Template:先代次代", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E6%B7%91%E5%A4%AB
4,863,990
ビクトリア・ビヤルエル
ビクトリア・エウヘニア・ビヤルエル(スペイン語: Victoria Eugenia Villarruel、1975年4月13日 - )は、アルゼンチンの政治家、弁護士。第38代副大統領。市民団体「テロリズム法学研究センター」の創設者と名乗っている。ハビエル・ミレイの過激な発言と同様、「BTSは性病の名前みたい」などの嫌韓発言で物議を醸している。 ブエノスアイレスで軍人一族の家庭で生まれ育つ。祖父はフォークランド紛争に参戦している。父もアルゼンチン海軍の高官であった。親族が汚い戦争の首謀者の一人であることから、国家再編成プロセスを正当化している。ビヤルエルはブエノスアイレス大学法学部を弁護士として卒業し、国立工科大学を都市の警備技術に関する学士号を取得し、卒業した。2008年にワシントンD.C.の国防総合大学の一部であるウィリアム・J・ペリー半球防衛研究センター(英語版)でテロリズムとの闘いのコースを受講している。 2000年代前半にラジオ番組の司会を務めた経験がある。ビヤルエルはアルゼンチン政治犯親族友人協会の一員であり、パンド会長とともに最高裁判所前で抗議活動を行い、国家再編成プロセスで人道に対する罪で有罪判決を受けた人々の釈放を要求し続けている。2011年のオスロ自由フォーラム(英語版)で講演したビヤルエルは、現代アルゼンチンの歴史はテロによって、創り上げてきたと述べている。ビヤルエルはモントネーロスがパレスチナ解放機構との協力でテロを起こしていると語った上で、キルチネル政権によって隠蔽され、1970年代のテロリストたちはキルチネル大統領に擁護されているが、彼らは処罰すべき地位にあったと述べた。ビヤルエルは講演の中で、キルチネル政権がイランと共謀して行動していると非難。 ミレイの見解を概ね支持しているが、銃の合法化や臓器売買の合法化などの問題については、猟奇的な行為だと反対している。2023年11月20日にハビエル・ミレイの副大統領候補として当選している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ビクトリア・エウヘニア・ビヤルエル(スペイン語: Victoria Eugenia Villarruel、1975年4月13日 - )は、アルゼンチンの政治家、弁護士。第38代副大統領。市民団体「テロリズム法学研究センター」の創設者と名乗っている。ハビエル・ミレイの過激な発言と同様、「BTSは性病の名前みたい」などの嫌韓発言で物議を醸している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ブエノスアイレスで軍人一族の家庭で生まれ育つ。祖父はフォークランド紛争に参戦している。父もアルゼンチン海軍の高官であった。親族が汚い戦争の首謀者の一人であることから、国家再編成プロセスを正当化している。ビヤルエルはブエノスアイレス大学法学部を弁護士として卒業し、国立工科大学を都市の警備技術に関する学士号を取得し、卒業した。2008年にワシントンD.C.の国防総合大学の一部であるウィリアム・J・ペリー半球防衛研究センター(英語版)でテロリズムとの闘いのコースを受講している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2000年代前半にラジオ番組の司会を務めた経験がある。ビヤルエルはアルゼンチン政治犯親族友人協会の一員であり、パンド会長とともに最高裁判所前で抗議活動を行い、国家再編成プロセスで人道に対する罪で有罪判決を受けた人々の釈放を要求し続けている。2011年のオスロ自由フォーラム(英語版)で講演したビヤルエルは、現代アルゼンチンの歴史はテロによって、創り上げてきたと述べている。ビヤルエルはモントネーロスがパレスチナ解放機構との協力でテロを起こしていると語った上で、キルチネル政権によって隠蔽され、1970年代のテロリストたちはキルチネル大統領に擁護されているが、彼らは処罰すべき地位にあったと述べた。ビヤルエルは講演の中で、キルチネル政権がイランと共謀して行動していると非難。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ミレイの見解を概ね支持しているが、銃の合法化や臓器売買の合法化などの問題については、猟奇的な行為だと反対している。2023年11月20日にハビエル・ミレイの副大統領候補として当選している。", "title": "経歴" } ]
ビクトリア・エウヘニア・ビヤルエルは、アルゼンチンの政治家、弁護士。第38代副大統領。市民団体「テロリズム法学研究センター」の創設者と名乗っている。ハビエル・ミレイの過激な発言と同様、「BTSは性病の名前みたい」などの嫌韓発言で物議を醸している。
{{Infobox officeholder | name = ビクトリア・ビヤルエル<br/>Victoria Villarruel | image = Victoria Villarruel 2023.jpg | caption = (2023年) | office = {{ARG}} <br/>[[File:Coat of arms of Argentina.svg|18px]] 第38代[[アルゼンチンの副大統領|副大統領]] | president = [[ハビエル・ミレイ]] | term_start = 2023年12月10日 | term_end = | predecessor = [[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル]] | successor = | office1 = {{ARG}} <br/>[[国民議会 (アルゼンチン)|代議院議員]] | term_start1 = 2021年12月10日 | termend1 = 2023年11月29日 | birth_name = ビクトリア・エウヘニア・ビヤルエル | birth_date = {{birth date and age|1975|04|13|df=y}} | birth_place = [[アルゼンチン]]、[[ブエノスアイレス]] | party = [[リバタリアン党 (アルゼンチン)|リバタリアン党]] (2021年 - ) | occupation = {{hlist|政治家|弁護士|作家}} | alma_mater = {{plainlist| *[[ブエノスアイレス大学]] *{{ill2|国立工科大学 (アルゼンチン)|en|National Technological University|label=国立工科大学}} }} }} [[File:Villarruel-VIVA2022.jpg|thumb|200px|2022年]] '''ビクトリア・エウヘニア・ビヤルエル'''({{lang-es|Victoria Eugenia Villarruel}}、[[1975年]][[4月13日]] - )は、[[アルゼンチン]]の[[政治家]]、[[弁護士]]。第38代副大統領。[[市民団体]]「テロリズム法学研究センター」の創設者と名乗っている<ref>{{cite web |date=2011 |title=Victoria Villarruel {{!}} Speakers {{!}} Oslo Freedom Forum |url=https://oslofreedomforum.com/speakers/victoria-villarruel |access-date=2023-12-08|publisher=Oslo Freedom Forum}}</ref>。ハビエル・ミレイの過激な発言と同様、「[[BTS (音楽グループ)|BTS]]は性病の名前みたい」などの[[嫌韓]]発言で物議を醸している<ref>{{Cite web|url= https://japanese.joins.com/JArticle/310665?servcode=A00&sectcode=A00|title=「BTS、性病の名前みたい」アルゼンチン極右副大統領候補が嫌悪発言で批判|website=中央日報|access-date=2023-12-08}}</ref>。 == 経歴 == ブエノスアイレスで軍人一族の家庭で生まれ育つ。祖父は[[フォークランド紛争]]に参戦している。父も[[アルゼンチン海軍]]の高官であった<ref>{{cite web|title=Activists Fear the History of Argentina's Dirty War Is About to Be Rewritten|url=https://news.vice.com/article/activists-fear-the-history-of-argentinas-dirty-war-is-about-to-be-rewritten|publisher=Vice News|date=2016-05-18|access-date=2023-12-08}}</ref>。親族が[[汚い戦争]]の首謀者の一人であることから、[[国家再編成プロセス]]を正当化している<ref>{{Cite news |date=2023-11-03 |title=In Argentina, Milei challenges the reality of state terrorism under the dictatorship |language=en |work=Le Monde.fr |url=https://www.lemonde.fr/en/international/article/2023/11/03/in-argentina-milei-challenges-the-reality-of-state-terrorism-under-the-dictatorship_6225013_4.html |access-date=2023-11-30}}</ref>。ビヤルエルはブエノスアイレス大学法学部を弁護士として卒業し、国立工科大学を都市の警備技術に関する[[学士]]号を取得し、卒業した。[[2008年]]に[[ワシントンD.C.]]の[[国防総合大学]]の一部である{{ill2|ウィリアム・J・ペリー半球防衛研究センター|en|William J. Perry Center for Hemispheric Defense Studies}}でテロリズムとの闘いのコースを受講している<ref>{{cite web|title=About the Perry Center|url=http://chds.dodlive.mil/about/|access-date=2023-12-08|date=2016|archive-date=27 November 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20171127172643/http://chds.dodlive.mil/about/|url-status=dead}}</ref>。 2000年代前半にラジオ番組の司会を務めた経験がある。ビヤルエルはアルゼンチン政治犯親族友人協会の一員であり、パンド会長とともに最高裁判所前で抗議活動を行い、[[国家再編成プロセス]]で人道に対する罪で有罪判決を受けた人々の釈放を要求し続けている。2011年の{{ill2|オスロ自由フォーラム|en|Oslo Freedom Forum}}で講演したビヤルエルは、現代アルゼンチンの歴史はテロによって、創り上げてきたと述べている。ビヤルエルは[[モントネーロス]]が[[パレスチナ解放機構]]との協力でテロを起こしていると語った上で、キルチネル政権によって隠蔽され、1970年代のテロリストたちはキルチネル大統領に擁護されているが、彼らは処罰すべき地位にあったと述べた。ビヤルエルは講演の中で、キルチネル政権がイランと共謀して行動していると非難<ref>{{cite web|title=Victoria Villarruel – Terrorism and Impunity in Argentina|url=https://www.youtube.com/watch?v=OXxXp65KbfM|publisher=YouTube|access-date=18 May 2016|date=2011}}</ref>。 ミレイの見解を概ね支持しているが、銃の合法化や臓器売買の合法化などの問題については、猟奇的な行為だと反対している<ref>{{cite web |date=2023-05-11 |title=La vice de Milei se mostró en contra del Matrimonio Igualitario |url=https://www.ambito.com/politica/la-vice-milei-se-mostro-contra-del-matrimonio-igualitario-n5720474 |access-date=2023-12-08|website=Ámbito |language=es}}</ref>。2023年11月20日にハビエル・ミレイの副大統領候補として当選している<ref>{{Cite web |title=Far-right populist Javier Milei becomes Argentina's new president |trans-title=極右のミレイ氏がアルゼンチンの大統領に当選 |url=https://www.euronews.com/2023/11/20/far-right-populist-javier-milei-becomes-argentinas-new-president |website=[[ユーロニュース]] |date=2023-11-20 |access-date=2023-11-22 |language=en}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{s-start}} {{s-off}} {{s-bef|before=[[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル]]}} {{s-ttl|title=[[アルゼンチンの副大統領]]|years=2023年 – }} {{s-aft|after=(現職)}} {{s-end}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ひやるえる ひくとりあ}} [[Category:アルゼンチンの副大統領]] [[Category:右派ポピュリズム]] [[Category:リバタリアン]] [[Category:アルゼンチンの反共主義者]] [[Category:アルゼンチンの女性政治家]] [[Category:ブエノスアイレス出身の人物]] [[Category:1975年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-08T14:17:44Z
2023-12-19T13:59:47Z
false
false
false
[ "Template:Ill2", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite news", "Template:S-start", "Template:S-ttl", "Template:S-aft", "Template:Infobox officeholder", "Template:S-end", "Template:S-off", "Template:S-bef", "Template:Normdaten", "Template:Lang-es" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%AB
4,863,996
日本アカデミー賞主演男優賞
日本アカデミー賞主演男優賞(にっぽんアカデミーしょうしゅえんだんゆうしょう)は、日本アカデミー賞の部門の一つである。 毎年、5人が優秀賞に選ばれて、その中の1人が最優秀賞に選ばれる。 日本アカデミー賞主演男優賞は以下の選考基準を満たしている作品である必要があり、その中から協会員全員(2023年現在3950名)が投票を行い、5名の優秀賞受賞者を決定した上で、協会員全員が最終投票を行い、最優秀賞を決定する。 また、基本的には5名の優秀賞受賞者を選出することになっているが、同一人物が異なる作品で選出されて優秀賞を複数受賞することもある。賞の選出は第17回までは作品ではなく俳優で選出していたため、最優秀賞も複数作選出されることがあったが、第18回以降は対象作品での選考となった。 以下は 最優秀賞受賞者 と 優秀賞受賞者 の一覧である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本アカデミー賞主演男優賞(にっぽんアカデミーしょうしゅえんだんゆうしょう)は、日本アカデミー賞の部門の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "毎年、5人が優秀賞に選ばれて、その中の1人が最優秀賞に選ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本アカデミー賞主演男優賞は以下の選考基準を満たしている作品である必要があり、その中から協会員全員(2023年現在3950名)が投票を行い、5名の優秀賞受賞者を決定した上で、協会員全員が最終投票を行い、最優秀賞を決定する。", "title": "選考基準" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、基本的には5名の優秀賞受賞者を選出することになっているが、同一人物が異なる作品で選出されて優秀賞を複数受賞することもある。賞の選出は第17回までは作品ではなく俳優で選出していたため、最優秀賞も複数作選出されることがあったが、第18回以降は対象作品での選考となった。", "title": "選考基準" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "以下は 最優秀賞受賞者 と 優秀賞受賞者 の一覧である。", "title": "受賞作品の一覧" } ]
日本アカデミー賞主演男優賞(にっぽんアカデミーしょうしゅえんだんゆうしょう)は、日本アカデミー賞の部門の一つである。 毎年、5人が優秀賞に選ばれて、その中の1人が最優秀賞に選ばれる。
{{Infobox award | name = [[日本アカデミー賞]]主演男優賞 | image = Satoshi Tsumabuki Cannes 2015.jpg | image_upright = | caption = 最新の受賞者:[[妻夫木聡]] | description = 最高の演技をした主演男優 | presenter = 日本アカデミー賞協会 | country = {{JPN}} | year = [[第1回日本アカデミー賞|1978年]] | holder = [[妻夫木聡]]<br />『[[ある男#映画|ある男]]』([[2022年の映画|2022年]]) | website = [http://www.japan-academy-prize.jp/ 日本アカデミー賞公式サイト] |imagesize=150px}} '''日本アカデミー賞主演男優賞'''(にっぽんアカデミーしょうしゅえんだんゆうしょう)は、[[日本アカデミー賞]]の部門の一つである。毎年、5人が優秀賞に選ばれて、その中の1人が最優秀賞に選ばれる。 == 選考基準 == 日本アカデミー賞主演男優賞は以下の選考基準を満たしている作品である必要があり、その中から協会員全員(2023年現在3950名)が投票を行い、5名の優秀賞受賞者を決定した上で、協会員全員が最終投票を行い、最優秀賞を決定する<ref>{{Cite web|和書|title=会員所属内訳|url=https://www.japan-academy-prize.jp/pdf/breakdown.pdf|website=日本アカデミー賞公式サイト|accessdate=2023-12-08|format=PDF}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=日本アカデミー賞とは?|url=https://www.japan-academy-prize.jp/about/index.php|website=日本アカデミー賞公式サイト|accessdate=2023-12-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=選考対象作品|url=https://japan-academy-prize.jp/japes/public/search/japanese#senkojijyun|website=日本アカデミー賞公式サイト|accessdate=2023-12-08}}</ref>。 *対象期間中(2023年は1月1日~12月31日に公開された作品)、[[関東地区|東京地区]]に於いて有料で初公開された40分以上の劇場用[[劇映画]]及び[[アニメーション映画|アニメーション作品]]であること *劇場公開を目的に製作された新作で、東京地区の同一劇場で1日3回、かつ2週間以上映画館のみで連続して上映された作品であること *[[ドキュメンタリー]]、特別興行、[[非映画コンテンツ|イベント上映]]、再上映、[[映画祭]]のみで上映された作品は除くこと *モーニング・[[レイトショー]]のみの作品は除くこと *同日含め先に[[ネット配信|配信]]([[オリジナルビデオ]]も含まれる)、[[テレビ|TV]]で放送されたもの及びTV放送の再編集をした劇場版は新作とみなさないが、放送後に新たに撮影された部分が大半を占める場合は新作とすること *邦画洋画の区別は日本アカデミー賞協会の基準に基づいて判定すること また、基本的には5名の優秀賞受賞者を選出することになっているが、同一人物が異なる作品で選出されて優秀賞を複数受賞することもある。賞の選出は[[第17回日本アカデミー賞|第17回]]までは作品ではなく俳優で選出していたため、最優秀賞も複数作選出されることがあったが、[[第18回日本アカデミー賞|第18回]]以降は対象作品での選考となった。 == 受賞作品の一覧 == 以下は{{Color box|#FAEB86|'''最優秀賞受賞者'''}}と 優秀賞受賞者 の一覧である。 === 1970年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="10"|'''[[1977年の映画|1977年]]'''<br>[[第1回日本アカデミー賞|(第1回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[高倉健]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[幸福の黄色いハンカチ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''島勇作''' | rowspan="10"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=1|title=第1回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[八甲田山 (映画)|八甲田山]]''' | style="background:#FAEB86"|'''徳島大尉''' |- | rowspan="3"|[[渥美清]] | [[男はつらいよ 寅次郎頑張れ!]] | rowspan="2"|車寅次郎 |- | [[男はつらいよ 寅次郎と殿様]] |- | [[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]] | [[金田一耕助]] |- | rowspan="2"|[[北大路欣也]] | [[アラスカ物語#映画(1977年版)|アラスカ物語]] | [[フランク安田]] |- | [[八甲田山 (映画)|八甲田山]] | 神田大尉 |- | rowspan="2"|[[郷ひろみ]] | [[おとうと (1976年の映画)|おとうと]] | 碧郎 |- | [[突然、嵐のように]] | 石田日出男 |- | [[林隆三]] | [[竹山ひとり旅]] | [[高橋竹山]] |- | rowspan="8"|'''[[1978年の映画|1978年]]'''<br>[[第2回日本アカデミー賞|(第2回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[緒形拳]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[鬼畜 (松本清張)#映画|鬼畜]]''' | style="background:#FAEB86"|'''竹中宗吉''' | rowspan="8"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=2|title=第2回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[渥美清]] | [[男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく]] | rowspan="2"|車寅次郎 |- | [[男はつらいよ 噂の寅次郎]] |- | rowspan="3"|[[永島敏行]] | [[事件 (小説)#映画|事件]] | 上田宏 |- | [[サード (映画)|サード]] | 妹尾新次 |- | [[帰らざる日々 (映画)|帰らざる日々]] | 野崎辰雄 |- | [[萬屋錦之介]] | [[柳生一族の陰謀#映画|柳生一族の陰謀]] | [[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]] |- | [[渡瀬恒彦]] | [[皇帝のいない八月#映画|皇帝のいない八月]] | 藤崎顕正 |- | rowspan="6"|'''[[1979年の映画|1979年]]'''<br>[[第3回日本アカデミー賞|(第3回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[若山富三郎]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[衝動殺人 息子よ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''川瀬周三''' | rowspan="6"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=3|title=第3回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[渥美清]] | [[男はつらいよ 翔んでる寅次郎]] | rowspan="2"|車寅次郎 |- | [[男はつらいよ 寅次郎春の夢]] |- | [[緒形拳]] | [[復讐するは我にあり#映画|復讐するは我にあり]] | 榎津巌 |- | [[沢田研二]] | [[太陽を盗んだ男]] | 城戸誠 |- | [[松田優作]] | [[蘇える金狼#1979年|蘇える金狼]] | 朝倉哲也 |} === 1980年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="5"|'''[[1980年の映画|1980年]]'''<br>[[第4回日本アカデミー賞|(第4回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[高倉健]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[動乱 (映画)|動乱]]''' | style="background:#FAEB86"|'''宮城啓介''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=4|title=第4回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[遙かなる山の呼び声]]''' | style="background:#FAEB86"|'''田島耕作''' |- | [[渥美清]] | [[男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花]] | 車寅次郎 |- | [[中村嘉葎雄]] | [[天平の甍#映画|天平の甍]] | [[普照]] |- | [[渡瀬恒彦]] | [[震える舌#映画|震える舌]] | 三好昭 |- | rowspan="6"|'''[[1981年の映画|1981年]]'''<br>[[第5回日本アカデミー賞|(第5回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[高倉健]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[駅 STATION]]''' | style="background:#FAEB86"|'''三上英次''' | rowspan="6"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=5|title=第5回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[渥美清]] | [[男はつらいよ 寅次郎かもめ歌]] | rowspan="2"|車寅次郎 |- | [[男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎]] |- | [[緒形拳]] | [[北斎漫画 (映画)|北斎漫画]] | 鉄蔵 ([[葛飾北斎]]) |- | [[永島敏行]] | [[遠雷 (立松和平)#映画|遠雷]] | 和田満夫 |- | [[水谷豊]] | [[幸福 (1981年の映画)|幸福]] | 村上刑事 |- | rowspan="7"|'''[[1982年の映画|1982年]]'''<br>[[第6回日本アカデミー賞|(第6回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[平田満]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[蒲田行進曲#映画|蒲田行進曲]]''' | style="background:#FAEB86"|'''ヤス (村岡安治)''' | rowspan="7"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=6|title=第6回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[武田鉄矢]] | [[刑事物語#刑事物語 (第1作)|刑事物語]] | 片山元 |- | [[えきすとら]] | 水越修五郎 |- | [[仲代達矢]] | [[鬼龍院花子の生涯#映画|鬼龍院花子の生涯]] | 鬼龍院政五郎 |- | rowspan="2"|[[根津甚八 (俳優)|根津甚八]] | [[さらば愛しき大地]] | 山沢幸雄 |- | [[この子の七つのお祝いに#映画|この子の七つのお祝いに]] | 須藤洋史 |- | [[萩原健一]] | [[誘拐報道]] | 古屋数男 |- | rowspan="8"|'''[[1983年の映画|1983年]]'''<br>[[第7回日本アカデミー賞|(第7回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="3"|'''[[緒形拳]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[楢山節考 (1983年の映画)|楢山節考]]''' | style="background:#FAEB86"|'''辰平''' | rowspan="8"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=7|title=第7回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[陽暉楼#映画|陽暉楼]]''' | style="background:#FAEB86"|'''太田勝造''' |- | style="background:#FAEB86"|'''[[魚影の群れ#映画|魚影の群れ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''小浜房次郎''' |- | [[加藤嘉]] | [[ふるさと (1983年の映画)|ふるさと]] | 伝三 |- | [[松田優作]] | [[家族ゲーム#映画|家族ゲーム]] | 吉本勝 |- | [[森繁久彌]] | [[小説吉田学校#映画|小説吉田学校]] | [[吉田茂]] |- | rowspan="2"|[[渡瀬恒彦]] | [[泪橋 (小説)#映画|泪橋]] | 白井健一 |- | [[時代屋の女房#映画|時代屋の女房]] | 安さん |- | rowspan="9"|'''[[1984年の映画|1984年]]'''<br>[[第8回日本アカデミー賞|(第8回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[山﨑努]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[お葬式]]''' | style="background:#FAEB86"|'''井上侘助''' | rowspan="9"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=8|title=第8回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[さらば箱舟]]''' | style="background:#FAEB86"|'''時任捨吉''' |- | [[石坂浩二]] | [[おはん#映画|おはん]] | 幸吉 |- | [[北大路欣也]] | [[空海 (映画)|空海]] | [[空海]] |- | rowspan="3"|[[真田広之]] | [[彩り河#映画|彩り河]] | 田中譲二 |- | [[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]] | [[南総里見八犬伝の登場人物#犬江親兵衛|犬江親兵衛]] ([[仁]]) |- | [[麻雀放浪記#映画(1984年版)|麻雀放浪記]] | 坊や哲 |- | rowspan="2"|[[時任三郎]] | [[海燕ジョーの奇跡#映画|海燕ジョーの奇跡]] | 海燕ジョー |- | [[地平線 (映画)|地平線]] | 藤木太郎 |- | rowspan="10"|'''[[1985年の映画|1985年]]'''<br>[[第9回日本アカデミー賞|(第9回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[千秋実]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[花いちもんめ (映画)|花いちもんめ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''鷹野冬吉''' | rowspan="10"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=9|title=第9回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[緒形拳]] | [[薄化粧]] | 坂根藤吉 |- | [[櫂 (小説)#映画|櫂]] | 富田岩伍 |- | rowspan="3"|[[北大路欣也]] | [[春の鐘]] | 鳴海六平太 |- | [[火まつり (映画)|火まつり]] | 達男 |- | [[夢千代日記#映画|夢千代日記]] | 宗方勝 |- | rowspan="3"|[[萩原健一]] | [[カポネ大いに泣く#映画|カポネ大いに泣く]] | 桃中軒海右衛門 |- | [[恋文 (1985年の映画)|恋文]] | 竹原将一 |- | [[瀬降り物語]] | 木下一 |- | [[松田優作]] | [[それから#映画|それから]] | 長井代助 |- | rowspan="7"|'''[[1986年の映画|1986年]]'''<br>[[第10回日本アカデミー賞|(第10回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[緒形拳]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[火宅の人#映画|火宅の人]]''' | style="background:#FAEB86"|'''桂一雄''' | rowspan="7"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=10|title=第10回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[渥美清]] | [[男はつらいよ 柴又より愛をこめて]] | 車寅次郎 |- | [[キネマの天地]] | 田中喜八 |- | rowspan="2"|[[仲代達矢]] | [[熱海殺人事件#映画版|熱海殺人事件]] | 二階堂伝兵衛 |- | [[道 (1986年の映画)|道]] | 田島精治 |- | [[西田敏行]] | [[植村直己物語]] | [[植村直己]] |- | [[三國連太郎]] | [[人間の約束]] | 森本亮作 |- | rowspan="7"|'''[[1987年の映画|1987年]]'''<br>[[第11回日本アカデミー賞|(第11回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[山﨑努]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[マルサの女]]''' | style="background:#FAEB86"|'''権藤英樹''' | rowspan="7"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=11|title=第11回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[緒形拳]] | [[女衒 ZEGEN]] | [[村岡伊平治]] |- | [[陣内孝則]] | [[ちょうちん (映画)|ちょうちん]] | 村田千秋 |- | [[津川雅彦]] | [[別れぬ理由#映画|別れぬ理由]] | 速水修平 |- | rowspan="3"|[[時任三郎]] | [[永遠の1/2 (小説)#映画|永遠の1/2]] | ぼく (田村宏) |- | [[紳士同盟 (1986年の映画)|紳士同盟]] | 春日民夫 |- | [[ハワイアン・ドリーム]] | 川添達彦 |- | rowspan="8"|'''[[1988年の映画|1988年]]'''<br>[[第12回日本アカデミー賞|(第12回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[西田敏行]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[敦煌 (映画)|敦煌]]''' | style="background:#FAEB86"|'''朱王礼''' | rowspan="8"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=12|title=第12回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[風間杜夫]] | [[異人たちとの夏#映画|異人たちとの夏]] | 原田英雄 |- | [[華の乱]] | [[大杉栄]] |- | rowspan="2"|[[陣内孝則]] | [[疵 (映画)|疵]] | [[花形敬]] |- | [[極道渡世の素敵な面々]] | 坂井亮 |- | [[ハナ肇]] | [[会社物語 MEMORIES OF YOU]] | 花岡始 |- | rowspan="2"|[[松田優作]] | [[嵐が丘 (1988年の映画)|嵐が丘]] | 鬼丸 |- | 華の乱 | [[有島武郎]] |- | rowspan="7"|'''[[1989年の映画|1989年]]'''<br>[[第13回日本アカデミー賞|(第13回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[三國連太郎]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[釣りバカ日誌#映画(第1作)|釣りバカ日誌]]''' | style="background:#FAEB86"|'''鈴木一之助''' | rowspan="7"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=13|title=第13回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[利休 (映画)|利休]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[千利休]]''' |- | rowspan="2"|[[緒形拳]] | [[社葬 (映画)|社葬]] | 鷲尾平吉 |- | [[将軍家光の乱心 激突]] | 石河刑部 |- | [[奥田瑛二]] | [[千利休 本覺坊遺文]] | 本覚坊 |- | [[高倉健]] | [[あ・うん#映画『あ・うん』|あ・うん]] | 門倉修造 |- | [[ビートたけし]] | [[その男、凶暴につき]] | 我妻諒介 |} === 1990年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="8"|'''[[1990年の映画|1990年]]'''<br>[[第14回日本アカデミー賞|(第14回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[岸部一徳]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[死の棘#映画|死の棘]]''' | style="background:#FAEB86"|'''トシオ''' | rowspan="8"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=14|title=第14回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="3"|[[真田広之]] | [[TUGUMI#映画|つぐみ]] | 恭一 |- | [[病院へ行こう#病院へ行こう|病院へ行こう]] | 新谷公平 |- | [[リメインズ 美しき勇者たち]] | 鋭治 |- | rowspan="2"|[[原田芳雄]] | [[浪人街 (1990年の映画)|浪人街]] | 荒牧源内 |- | [[われに撃つ用意あり]] | 郷田克彦 |- | [[森繁久彌]] | [[流転の海#映画|流転の海]] | 松坂熊吾 |- | [[役所広司]] | [[オーロラの下で#映画|オーロラの下で]] | 田宮源蔵 |- | rowspan="9"|'''[[1991年の映画|1991年]]'''<br>[[第15回日本アカデミー賞|(第15回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[三國連太郎]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[釣りバカ日誌4]]''' | style="background:#FAEB86"|'''鈴木一之助''' | rowspan="9"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=15|title=第15回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[息子 (映画)|息子]]''' | style="background:#FAEB86"|'''浅野昭男''' |- | rowspan="2"|[[緒形拳]] | [[咬みつきたい]] | 石川周太郎 |- | [[大誘拐#映画|大誘拐 RAINBOW KIDS]] | 井狩大五郎 |- | rowspan="2"|[[柴田恭兵]] | [[![ai-ou]]] | 佐倉修次 |- | [[福沢諭吉 (映画)|福沢諭吉]] | [[福沢諭吉]] |- | [[竹中直人]] | [[無能の人#映画|無能の人]] | 助川助三 |- | rowspan="2"|[[松方弘樹]] | [[江戸城大乱]] | [[酒井忠清|酒井雅楽頭忠清]] |- | [[首領になった男]] | 山崎信吉 |- | rowspan="7"|'''[[1992年の映画|1992年]]'''<br>[[第16回日本アカデミー賞|(第16回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[本木雅弘]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[シコふんじゃった。]]''' | style="background:#FAEB86"|'''山本秋平''' | rowspan="7"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=16|title=第16回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[緒形拳]] | [[おろしや国酔夢譚#映画|おろしや国酔夢譚]] | [[大黒屋光太夫]] |- | [[継承盃]] | 門田大作 |- | [[津川雅彦]] | [[墨東綺譚#1992年版|墨東綺譚]] | [[永井荷風]] |- | rowspan="2"|[[西田敏行]] | [[寒椿 (宮尾登美子)#映画|寒椿]] | 富田岩伍 |- | [[釣りバカ日誌5]] | 浜崎伝助 |- | [[原田芳雄]] | [[寝盗られ宗介]] | 北村宗介 |- | rowspan="8"|'''[[1993年の映画|1993年]]'''<br>[[第17回日本アカデミー賞|(第17回)]] | style="background:#FAEB86" rowspan="2"|'''[[西田敏行]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[学校 (映画)#映画|学校]]''' | style="background:#FAEB86"|'''黒井先生''' | rowspan="8"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=17|title=第17回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | style="background:#FAEB86"|'''[[釣りバカ日誌6]]''' | style="background:#FAEB86"|'''浜崎伝助''' |- | [[風間トオル]] | [[わが愛の譜 滝廉太郎物語]] | [[滝廉太郎]] |- | rowspan="2"|[[真田広之]] | [[新宿鮫シリーズ#映画|眠らない街〜新宿鮫〜]] | 鮫島崇 |- | [[僕らはみんな生きている#映画|僕らはみんな生きている]] | 高橋啓一 |- | [[松村達雄]] | [[まあだだよ]] | [[内田百閒]] |- | rowspan="2"|[[三國連太郎]] | [[大病人]] | 向井武平 |- | [[釣りバカ日誌6]] | 鈴木一之助 |- | rowspan="5"|'''[[1994年の映画|1994年]]'''<br>[[第18回日本アカデミー賞|(第18回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[佐藤浩市]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[忠臣蔵外伝 四谷怪談]]''' | style="background:#FAEB86"|'''民谷伊右衛門''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=18|title=第18回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[赤井英和]] | [[119 (映画)|119]] | 石井信幸 |- | [[柴田恭兵]] | [[集団左遷#映画|集団左遷]] | 滝川晃司 |- | [[高倉健]] | [[四十七人の刺客#映画|四十七人の刺客]] | [[大石良雄|大石内蔵助]] |- | [[本木雅弘]] | [[ラストソング (映画)|ラストソング]] | 八住修吉 |- | rowspan="5"|'''[[1995年の映画|1995年]]'''<br>[[第19回日本アカデミー賞|(第19回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[三國連太郎]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[三たびの海峡#映画|三たびの海峡]]''' | style="background:#FAEB86"|'''河時根''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=19|title=第19回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[中井貴一]] | [[マークスの山#映画|マークスの山]] | 合田雄一郎 |- | [[中村吉右衛門 (2代目)|中村吉右衛門]] | [[鬼平犯科帳 劇場版|鬼平犯科帳]] | [[長谷川宣以|長谷川平蔵]] |- | [[松方弘樹]] | [[藏#映画|藏]] | 田乃内意造 |- | [[渡部篤郎]] | [[静かな生活#映画版|静かな生活]] | イーヨー |- | rowspan="5"|'''[[1996年の映画|1996年]]'''<br>[[第20回日本アカデミー賞|(第20回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[役所広司]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[Shall we ダンス?]]''' | style="background:#FAEB86"|'''杉山正平''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=20|title=第20回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[緒方直人]] | [[わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語]] | [[宮沢賢治]] |- | [[豊川悦司]] | [[八つ墓村 (1996年の映画)|八つ墓村]] | [[金田一耕助]] |- | [[西田敏行]] | [[学校 (映画)#学校II|学校II]] | 青山竜平 |- | [[橋爪功]] | [[お日柄もよくご愁傷さま]] | 田中和夫 |- | rowspan="6"|'''[[1997年の映画|1997年]]'''<br>[[第21回日本アカデミー賞|(第21回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[役所広司]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[うなぎ (映画)|うなぎ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''山下拓郎''' | rowspan="6"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=21|title=第21回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[唐沢寿明]] | [[ラヂオの時間]] | 工藤学 |- | [[竹中直人]] | [[東京日和 (映画)|東京日和]] | 島津巳喜男 |- | [[長塚京三]] | [[瀬戸内ムーンライト・セレナーデ]] | 恩田圭太/恩田幸吉 |- | 役所広司 | [[失楽園 (渡辺淳一の小説)#映画|失楽園]] | 久木祥一郎 |- | [[渡哲也]] | [[誘拐 (1997年の映画)|誘拐]] | 津波浩 |- | rowspan="5"|'''[[1998年の映画|1998年]]'''<br>[[第22回日本アカデミー賞|(第22回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[柄本明]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[カンゾー先生]]''' | style="background:#FAEB86"|'''赤城風雨''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=22|title=第22回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[織田裕二]] | [[踊る大捜査線 THE MOVIE]] | [[青島俊作]] |- | [[ビートたけし]] | [[HANA-BI]] | 西佳敬 |- | [[津川雅彦]] | [[プライド・運命の瞬間]] | [[東條英機]] |- | [[役所広司]] | [[絆 -きずな-]] | 伊勢孝昭/芳賀哲郎 |- | rowspan="5"|'''[[1999年の映画|1999年]]'''<br>[[第23回日本アカデミー賞|(第23回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[高倉健]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[鉄道員 (小説)#映画|鉄道員]]''' | style="background:#FAEB86"|'''佐藤乙松''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=23|title=第23回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[小林薫]] | [[秘密 (東野圭吾)#映画|秘密]] | 杉田平介 |- | [[中井貴一]] | [[梟の城#梟の城 owl's castle|梟の城]] | 葛籠重蔵 |- | [[本木雅弘]] | [[双生児 (1999年の映画)|双生児]] | 大徳寺雪雄/捨吉 |- | [[役所広司]] | [[金融腐蝕列島#金融腐蝕列島〔呪縛〕|金融腐蝕列島 呪縛]] | 北野浩 |} === 2000年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="5"|'''[[2000年の映画|2000年]]'''<br>[[第24回日本アカデミー賞|(第24回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[寺尾聰]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[雨あがる#映画|雨あがる]]''' | style="background:#FAEB86"|'''三沢伊兵衛''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=24|title=第24回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[織田裕二]] | [[ホワイトアウト (小説)#映画|ホワイトアウト]] | 富樫輝男 |- | [[竹中直人]] | [[三文役者]] | [[殿山泰司|タイちゃん]] |- | [[藤原竜也]] | [[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]] | [[バトル・ロワイアルの登場人物#城岩中学校3年B組 男子|七原秋也]] |- | [[役所広司]] | [[どら平太]] | 望月小平太 (どら平太) |- | rowspan="5"|'''[[2001年の映画|2001年]]'''<br>[[第25回日本アカデミー賞|(第25回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[窪塚洋介]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[GO (小説)#映画|GO]]''' | style="background:#FAEB86"|'''杉原''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=25|title=第25回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[竹野内豊]] | [[冷静と情熱のあいだ#映画|冷静と情熱のあいだ]] | 阿形順正 |- | [[妻夫木聡]] | [[ウォーターボーイズ]] | 鈴木智 |- | [[野村萬斎]] | [[陰陽師 (映画)|陰陽師]] | [[安倍晴明]] |- | [[役所広司]] | [[赤い橋の下のぬるい水]] | 笹野陽介 |- | rowspan="5"|'''[[2002年の映画|2002年]]'''<br>[[第26回日本アカデミー賞|(第26回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[真田広之]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[たそがれ清兵衛#映画|たそがれ清兵衛]]''' | style="background:#FAEB86"|'''井口清兵衛''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=26|title=第26回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[寺尾聰]] | [[阿弥陀堂だより#映画|阿弥陀堂だより]] | 上田孝夫 |- | [[豊川悦司]] | [[命 (映画)|命]] | [[東由多加]] |- | [[西田敏行]] | [[陽はまた昇る (2002年の映画)|陽はまた昇る]] | [[高野鎮雄|加賀谷静男]] |- | [[役所広司]] | [[突入せよ! あさま山荘事件]] | [[佐々淳行]] |- | rowspan="4"|'''[[2003年の映画|2003年]]'''<br>[[第27回日本アカデミー賞|(第27回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[中井貴一]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[壬生義士伝#映画|壬生義士伝]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[吉村貫一郎]]''' | rowspan="4"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=27|title=第27回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[織田裕二]] | [[踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!]] | [[青島俊作]] |- | [[西田敏行]] | [[ゲロッパ!]] | 羽原大介 |- | [[藤原竜也]] | [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌]] | [[バトル・ロワイアルの登場人物#城岩中学校3年B組 男子|七原秋也]] |- | rowspan="5"|'''[[2004年の映画|2004年]]'''<br>[[第28回日本アカデミー賞|(第28回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[寺尾聰]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[半落ち#映画|半落ち]]''' | style="background:#FAEB86"|'''梶聡一郎''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=28|title=第28回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[哀川翔]] | [[ゼブラーマン]] | ゼブラーマン/市川新市 |- | [[大沢たかお]] | [[解夏#映画|解夏]] | 高野隆之 |- | [[永瀬正敏]] | [[隠し剣 鬼の爪]] | 片桐宗蔵 |- | [[役所広司]] | [[笑の大学#映画|笑の大学]] | 向坂睦男 |- | rowspan="5"|'''[[2005年の映画|2005年]]'''<br>[[第29回日本アカデミー賞|(第29回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[吉岡秀隆]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[ALWAYS 三丁目の夕日]]''' | style="background:#FAEB86"|'''茶川竜之介''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=29|title=第29回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[松本幸四郎 (10代目)|市川染五郎]] | [[蟬しぐれ#映画|蝉しぐれ]] | 牧文四郎 |- | [[真田広之]] | [[亡国のイージス#映画|亡国のイージス]] | 仙石恒史 |- | [[妻夫木聡]] | [[春の雪 (映画)|春の雪]] | 松枝清顕 |- | [[ユースケ・サンタマリア]] | [[交渉人 真下正義]] | [[真下正義]] |- | rowspan="5"|'''[[2006年の映画|2006年]]'''<br>[[第30回日本アカデミー賞|(第30回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[渡辺謙]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[明日の記憶#映画|明日の記憶]]''' | style="background:#FAEB86"|'''佐伯雅行''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=30|title=第30回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[オダギリジョー]] | [[ゆれる]] | 早川猛 |- | [[妻夫木聡]] | [[涙そうそう (映画)|涙そうそう]] | 新垣洋太郎 |- | [[寺尾聰]] | [[博士の愛した数式#映画|博士の愛した数式]] | 博士 |- | [[役所広司]] | [[THE 有頂天ホテル]] | 新堂平吉 |- | rowspan="5"|'''[[2007年の映画|2007年]]'''<br>[[第31回日本アカデミー賞|(第31回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[吉岡秀隆]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[ALWAYS 続・三丁目の夕日]]''' | style="background:#FAEB86"|'''茶川竜之介''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=31|title=第31回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[阿部サダヲ]] | [[舞妓Haaaan!!!]] | 鬼塚公彦 |- | [[オダギリジョー]] | [[東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜]] | ボク |- | [[加瀬亮]] | [[それでもボクはやってない]] | 金子徹平 |- | [[役所広司]] | [[象の背中#映画|象の背中]] | 藤山幸弘 |- | rowspan="5"|'''[[2008年の映画|2008年]]'''<br>[[第32回日本アカデミー賞|(第32回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[本木雅弘]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[おくりびと]]''' | style="background:#FAEB86"|'''小林大悟''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=32|title=第32回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[佐藤浩市]] | [[ザ・マジックアワー]] | 村田大樹 |- | [[堤真一]] | [[クライマーズ・ハイ#映画|クライマーズ・ハイ]] | 悠木和雅 |- | [[松山ケンイチ]] | [[デトロイト・メタル・シティ#映画|デトロイト・メタル・シティ]] | [[デトロイト・メタル・シティの登場人物#デトロイト・メタル・シティ(Detroit Metal City)|根岸崇一/ヨハネ・クラウザーII世]] |- | [[役所広司]] | [[パコと魔法の絵本]] | 大貫 (ガマ王子) |- | rowspan="5"|'''[[2009年の映画|2009年]]'''<br>[[第33回日本アカデミー賞|(第33回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[渡辺謙]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[沈まぬ太陽#映画|沈まぬ太陽]]''' | style="background:#FAEB86"|'''恩地元''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=33|title=第33回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | rowspan="2"|[[浅野忠信]] | [[ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜]] | 大谷穣治 |- | [[劒岳 点の記#映画|劒岳 点の記]] | [[柴崎芳太郎]] |- | [[大森南朋]] | [[ハゲタカ (映画)|ハゲタカ]] | 鷲津政彦 |- | [[笑福亭鶴瓶]] | [[ディア・ドクター]] | 伊野治 |} === 2010年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="5"|'''[[2010年の映画|2010年]]'''<br>[[第34回日本アカデミー賞|(第34回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[妻夫木聡]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[悪人 (小説)#映画|悪人]]''' | style="background:#FAEB86"|'''清水祐一''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=34|title=第34回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[笑福亭鶴瓶]] | [[おとうと (2010年の映画)|おとうと]] | 丹野鉄郎 |- | [[堤真一]] | [[メスよ輝け!!#映画|孤高のメス]] | 当麻鉄彦 |- | [[豊川悦司]] | [[必死剣 鳥刺し]] | 兼見三左エ門 |- | [[役所広司]] | [[十三人の刺客 (2010年の映画)|十三人の刺客]] | 島田新左衛門 |- | rowspan="5"|'''[[2011年の映画|2011年]]'''<br>[[第35回日本アカデミー賞|(第35回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[原田芳雄]]'''<br><small>(没後受賞<ref group="注釈">授賞式には娘で俳優の原田麻由が出席した。</ref>)</small> | style="background:#FAEB86"|'''[[大鹿村騒動記]]''' | style="background:#FAEB86"|'''風祭善''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=35|title=第35回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[大泉洋]] | [[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる(第1作)|探偵はBARにいる]] | 〈俺〉 |- | [[堺雅人]] | [[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新#映画|武士の家計簿]] | 猪山直之 |- | [[三浦友和]] | [[RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ]] | 滝島徹 |- | [[役所広司]] | [[最後の忠臣蔵 (映画)|最後の忠臣蔵]] | [[瀬尾孫左衛門]] |- | rowspan="6"|'''[[2012年の映画|2012年]]'''<br>[[第36回日本アカデミー賞|(第36回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[阿部寛]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[テルマエ・ロマエ#第1作|テルマエ・ロマエ]]''' | style="background:#FAEB86"|'''ルシウス''' | rowspan="6"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=36|title=第36回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[堺雅人]] | [[鍵泥棒のメソッド]] | 桜井武史 |- | [[野村萬斎]] | [[のぼうの城#映画|のぼうの城]] | [[成田長親]] |- | [[森山未來]] | [[苦役列車#映画|苦役列車]] | 北町貫多 |- | rowspan="2"|[[役所広司]] | [[聯合艦隊司令長官 山本五十六|聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-]] | [[山本五十六]] |- | [[わが母の記#映画|わが母の記]] | 伊上洪作 |- | rowspan="5"|'''[[2013年の映画|2013年]]'''<br>[[第37回日本アカデミー賞|(第37回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[松田龍平]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[舟を編む#映画|舟を編む]]''' | style="background:#FAEB86"|'''馬締光也''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=37|title=第37回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[市川團十郎 (13代目)|市川海老蔵]] | [[利休にたずねよ#映画|利休にたずねよ]] | [[千利休]] |- | [[橋爪功]] | [[東京家族 (映画)|東京家族]] | 平山周吉 |- | [[福山雅治]] | [[そして父になる]] | 野々宮良多 |- | [[渡辺謙]] | [[許されざる者 (2013年の映画)|許されざる者]] | 釜田十兵衛 |- | rowspan="5"|'''[[2014年の映画|2014年]]'''<br>[[第38回日本アカデミー賞|(第38回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[岡田准一]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[永遠の0#映画|永遠の0]]''' | style="background:#FAEB86"|'''宮部久蔵''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=38|title=第38回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[阿部寛]] | [[虹の岬の喫茶店#映画|ふしぎな岬の物語]] | 柏木浩司 |- | [[佐々木蔵之介]] | [[超高速!参勤交代#映画|超高速!参勤交代]] | [[内藤政醇]] |- | [[中井貴一]] | [[柘榴坂の仇討#映画|柘榴坂の仇討]] | 志村金吾 |- | [[役所広司]] | [[蜩ノ記#映画|蜩ノ記]] | 戸田秋谷 |- | rowspan="5"|'''[[2015年の映画|2015年]]'''<br>[[第39回日本アカデミー賞|(第39回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[二宮和也]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[母と暮せば]]''' | style="background:#FAEB86"|'''福原浩二''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=39|title=第39回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[内野聖陽]] | [[海難1890]] | 田村元貞 |- | [[大泉洋]] | [[駆込み女と駆出し男]] | 中村信次郎 |- | [[佐藤浩市]] | [[起終点駅 ターミナル#映画|起終点駅 ターミナル]] | 鷲田完治 |- | [[役所広司]] | [[日本のいちばん長い日#2015年版の映画|日本のいちばん長い日]] | [[阿南惟幾]] |- | rowspan="5"|'''[[2016年の映画|2016年]]'''<br>[[第40回日本アカデミー賞|(第40回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[佐藤浩市]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[64(ロクヨン)#映画|64-ロクヨン-前編]]''' | style="background:#FAEB86"|'''三上義信''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=40|title=第40回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[綾野剛]] | [[日本で一番悪い奴ら]] | [[稲葉圭昭|諸星要一]] |- | [[岡田准一]] | [[海賊とよばれた男#映画|海賊とよばれた男]] | [[出光佐三|国岡鐵造]] |- | [[長谷川博己]] | [[シン・ゴジラ]] | 矢口蘭堂 |- | [[松山ケンイチ]] | [[聖の青春#映画|聖の青春]] | [[村山聖]] |- | rowspan="5"|'''[[2017年の映画|2017年]]'''<br>[[第41回日本アカデミー賞|(第41回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[菅田将暉]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[あゝ、荒野 (映画)#あゝ、荒野 前篇|あゝ、荒野 前篇]]''' | style="background:#FAEB86"|'''新宿新次 (沢村新次)''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=41|title=第41回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[大泉洋]] | [[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる3|探偵はBARにいる3]] | 〈俺〉 |- | [[岡田准一]] | [[関ヶ原 (映画)|関ヶ原]] | [[石田三成]] |- | [[佐藤健 (俳優)|佐藤健]] | [[8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら#映画|8年越しの花嫁 奇跡の実話]] | 中原尚志 |- | [[藤原竜也]] | [[22年目の告白 -私が殺人犯です-]] | 曾根崎雅人 |- | rowspan="5"|'''[[2018年の映画|2018年]]'''<br>[[第42回日本アカデミー賞|(第42回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[役所広司]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[孤狼の血 (映画)|孤狼の血]]''' | style="background:#FAEB86"|'''大上章吾''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=42|title=第42回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[岡田准一]] | [[散り椿#映画|散り椿]] | 瓜生新兵衛 |- | [[舘ひろし]] | [[終わった人#映画|終わった人]] | 田代壮介 |- | [[濱津隆之]] | [[カメラを止めるな!]] | 日暮隆之 |- | [[リリー・フランキー]] | [[万引き家族]] | 柴田治 |- | rowspan="5"|'''[[2019年の映画|2019年]]'''<br>[[第43回日本アカデミー賞|(第43回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[松坂桃李]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[新聞記者 (映画)|新聞記者]]''' | style="background:#FAEB86"|'''杉原拓海''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=43|title=第43回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[笑福亭鶴瓶]] | [[閉鎖病棟 Closed Ward#2019年版|閉鎖病棟 -それぞれの朝-]] | 梶木秀丸 |- | [[菅田将暉]] | [[アルキメデスの大戦#実写映画|アルキメデスの大戦]] | 櫂直 |- | [[中井貴一]] | [[記憶にございません!]] | 黒田啓介 |- | [[GACKT]] | [[翔んで埼玉#実写映画|翔んで埼玉]] | 麻実麗 |} === 2020年代 === {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center" width="95%" |- style="background:#bebebe" ! width="15%"|年 ! 男優 ! 作品名 ! 役名 ! width="5%"|脚注 |- | rowspan="5"|'''[[2020年の映画|2020年]]'''<br>[[第44回日本アカデミー賞|(第44回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[草彅剛]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[ミッドナイトスワン]]''' | style="background:#FAEB86"|'''凪沙 (武田健二)''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=44|title=第44回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[小栗旬]] | [[罪の声#映画|罪の声]] | 阿久津英士 |- | [[佐藤浩市]] | [[Fukushima 50 (映画)|Fukushima 50]] | 伊崎利夫 |- | [[菅田将暉]] | [[糸 (映画)|糸]] | 高橋漣 |- | [[二宮和也]] | [[浅田家!]] | [[浅田政志]] |- | rowspan="5"|'''[[2021年の映画|2021年]]'''<br>[[第45回日本アカデミー賞|(第45回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[西島秀俊]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[ドライブ・マイ・カー (映画)|ドライブ・マイ・カー]]''' | style="background:#FAEB86"|'''家福悠介''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=45|title=第45回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[佐藤健 (俳優)|佐藤健]] | [[護られなかった者たちへ#映画|護られなかった者たちへ]] | 利根泰久 |- | [[菅田将暉]] | [[花束みたいな恋をした]] | 山音麦 |- | [[松坂桃李]] | [[孤狼の血 LEVEL2]] | 日岡秀一 |- | [[役所広司]] | [[身分帳#映画|すばらしき世界]] | 三上正夫 |- | rowspan="5"|'''[[2022年の映画|2022年]]'''<br>[[第46回日本アカデミー賞|(第46回)]] | style="background:#FAEB86"|'''[[妻夫木聡]]''' | style="background:#FAEB86"|'''[[ある男#映画|ある男]]''' | style="background:#FAEB86"|'''城戸章良''' | rowspan="5"|<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=46|title=第46回日本アカデミー賞|work=日本アカデミー賞|accessdate=2023-12-08}}</ref> |- | [[阿部サダヲ]] | [[死刑にいたる病#映画|死刑にいたる病]] | 榛村大和 |- | [[大泉洋]] | [[月の満ち欠け (小説)#映画|月の満ち欠け]] | 小山内堅 |- | [[二宮和也]] | [[ラーゲリより愛を込めて]] | [[山本幡男]] |- | [[松坂桃李]] | [[流浪の月#映画|流浪の月]] | 佐伯文 |} == 記録 == === 複数回受賞した主演男優 === {{col-begin}} {{col-2}} {| class="wikitable plainrowheaders" rowspan=2 style="text-align: center;" border="2" cellpadding="4" background: #f6e39c; |+ 複数回最優秀賞を受賞した主演男優 |- ! scope="col" style="width:70px;" |受賞回数 ! scope="col" style="text-align:center;" |主演男優 |- | scope=row style="text-align:center" | 4 | [[高倉健]] |- | rowspan="4" scope=row style="text-align:center" | 3 | [[緒形拳]] |- | [[西田敏行]] |- | [[三國連太郎]] |- | [[役所広司]] |- | rowspan="6" scope=row style="text-align:center" | 2 | [[本木雅弘]] |- | [[佐藤浩市]] |- | [[寺尾聰]] |- | [[妻夫木聡]] |- | [[吉岡秀隆]] |- | [[渡辺謙]] |} {{col-2}} {| class="wikitable sortable style=text-align:center" style="width:100%" |+ 複数回優秀賞を受賞した主演男優 ! width="10%"| 順位 ! class="unsortable"| 男優 ! width="15%"| 優秀賞受賞回数<ref group="注釈" name="優秀賞">数字は最優秀賞を含めた数であり、「最優秀賞受賞回数」を除くことで優秀賞のみを受賞した数となる。複数作で同一回受賞した場合でも1回でカウントしている。</ref> ! width="15%"| 最優秀賞受賞回数 |- !1 |[[役所広司]]||19||3 |- !2 |[[緒形拳]]||10||3 |- !3 |[[西田敏行]]||8||3 |- !rowspan="2"|4 |[[高倉健]]||rowspan="2"|6||4 |- |[[渥美清]]||0 |- !rowspan="5"|5 |[[三國連太郎]]||rowspan="5"|5||3 |- |[[妻夫木聡]]||rowspan="2"|2 |- |[[佐藤浩市]] |- |[[真田広之]]||rowspan="2"|1 |- |[[中井貴一]] |- !rowspan="6"|6 |[[本木雅弘]]||rowspan="6"|4||rowspan="2"|2 |- |[[寺尾聰]] |- |[[岡田准一]]||rowspan="2"|1 |- |[[菅田将暉]] |- |[[松田優作]]||rowspan="2"|0 |- |[[大泉洋]] |- !rowspan="12"|7 |[[渡辺謙]]||rowspan="12"|3||2 |- |[[原田芳雄]]||rowspan="3"|1 |- |[[二宮和也]] |- |[[松坂桃李]] |- |[[北大路欣也]]||rowspan="8"|0 |- |[[渡瀬恒彦]] |- |[[津川雅彦]] |- |[[竹中直人]] |- |[[豊川悦司]] |- |[[織田裕二]] |- |[[藤原竜也]] |- |[[笑福亭鶴瓶]] |- !rowspan="20"|8 |[[吉岡秀隆]]||rowspan="20"|2||2 |- |[[山﨑努]]||rowspan="2"|1 |- |[[阿部寛]] |- |[[永島敏行]]||rowspan="17"|0 |- |[[仲代達矢]] |- |[[萩原健一]] |- |[[森繁久彌]] |- |[[時任三郎]] |- |[[陣内孝則]] |- |[[ビートたけし]] |- |[[柴田恭兵]] |- |[[松方弘樹]] |- |[[橋爪功]] |- |[[野村萬斎]] |- |[[オダギリジョー]] |- |[[阿部サダヲ]] |- |[[堤真一]] |- |[[松山ケンイチ]] |- |[[堺雅人]] |- |[[佐藤健 (俳優)|佐藤健]] |} {{col-end}} === 最年長・最年少の受賞者 === {| class="wikitable" |+ 最年長・最年少で受賞した監督 |- ! scope="col" | 記録 ! scope="col" | 主演男優 ! scope="col" | 作品 ! scope="col" | 年齢 |- ! 最年長最優秀賞受賞者 | [[三國連太郎]] | [[三たびの海峡#映画|三たびの海峡]] | 73歳 |- ! 最年長優秀賞受賞者 | [[松村達雄]] | [[まあだだよ]] | 79歳 |- ! 最年少最優秀賞受賞者 | [[窪塚洋介]] | [[GO (小説)#映画|GO]] | 22歳 |- ! 最年少優秀賞受賞者 | [[藤原竜也]] | [[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]] | 18歳 |} === その他 === *[[高倉健]]は[[第25回日本アカデミー賞|第25回]](『[[ホタル (映画)|ホタル]]』)で「後輩の俳優に道を譲りたい」という理由から、[[木村拓哉]]は[[第30回日本アカデミー賞|第30回]](『[[武士の一分]]』)にて「優秀賞のほかの皆さんと最優秀賞を競わせたくない」との[[ジャニーズ事務所]]の意向により賞の受賞を辞退している。 *同一の役での受賞は『[[男はつらいよ]]』シリーズにて[[渥美清]]演じる車寅次郎で6回、『[[釣りバカ日誌#映画(シリーズ)|釣りバカ日誌]]』シリーズにて[[三國連太郎]]演じる鈴木一之助で3回、[[西田敏行]]演じる浜崎伝助で2回、『[[踊る大捜査線]]』シリーズにて[[織田裕二]]演じる[[青島俊作]]で2回、『[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]』シリーズにて[[藤原竜也]]演じる[[バトル・ロワイアルの登場人物#城岩中学校3年B組 男子|七原秋也]]で2回、『[[ALWAYS 三丁目の夕日]]』シリーズにて[[吉岡秀隆]]演じる茶川竜之介で2回、『[[探偵はBARにいる]]』シリーズにて[[大泉洋]]演じる<俺>で2回それぞれ受賞しており、そのうち吉岡秀隆は同一役で2度最優秀賞を受賞している唯一の俳優である。また、『[[孤狼の血]]』シリーズにて[[松坂桃李]]演じる日岡秀一は1作目では最優秀助演男優賞、2作目では優秀主演男優賞と異なる部門でそれぞれ受賞している。 *[[ビートたけし]]は[[日本アカデミー賞監督賞|監督賞]]と本部門の双方で優秀賞を受賞している唯一の人物である。 *連続で最優秀賞を受賞しているのは高倉健([[第4回日本アカデミー賞|第4回]]・[[第5回日本アカデミー賞|第5回]])と[[役所広司]]([[第20回日本アカデミー賞|第20回]]・[[第21回日本アカデミー賞|第21回]])のみであり、役所広司は第20回から[[第26回日本アカデミー賞|第26回]]まで7回連続で優秀賞を受賞している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == *[http://www.japan-academy-prize.jp/ 日本アカデミー賞公式ウェブサイト] {{日本アカデミー賞}} {{日本アカデミー賞最優秀主演男優賞}} {{デフォルトソート:につほんあかてみいしようしゆえんたんゆうしよう}} [[Category:日本アカデミー賞|賞 しゆえんたんゆう]]
2023-12-08T14:56:22Z
2023-12-25T11:18:17Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Uncategorized", "Template:Color box", "Template:Col-end", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Infobox award", "Template:Col-begin", "Template:Col-2" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E%E4%B8%BB%E6%BC%94%E7%94%B7%E5%84%AA%E8%B3%9E
4,863,997
南営洞対共分室
南営洞対共分室(ナミョンドンたいきょうぶんしつ、朝鮮語: 남영동 대공분실/南營洞對共分室)は、大韓民国にかつて存在した内務部治安本部傘下の対共捜査機関、またはその庁舎。1976年、建築家金壽根の設計で建設された。1987年、朴鍾哲拷問致死事件が発生。同事件は6月民主抗争に強い影響を与えた。2005年、それまで保安分室として使われてきた同庁舎だが、韓国警察歴史史清算事業の一環として警察庁南営洞人権センターに転用されることとなった。2018年12月26日、警察庁から行政安全部に移管された。2024年に民主人権記念館(Democracy and Human Rights Memorial Hall)としてリニューアルオープン予定。 南営洞対共分室の住所はソウル特別市龍山区漢江大路71キル37(旧住所ソウル特別市龍山区葛月洞98-8番地)であり、行政区域上は龍山区葛月洞であるが庁舎が南営洞と隣接するため南営洞対共分室と呼ばれるようになった。建物は敷地2530坪に7階建ての本館と2階建ての別棟、2階建ての別館とテニスコートなどで構成されている。 南営洞対共分室は1976年、当時の内務大臣金致烈が発注し、建築家金壽根による設計で建築された。 建物の外観は黒いレンガでできている。建物には拷問の痕跡を隠し、外部との断絶するための工夫がされている。5階の取調室の窓が非常に小さくなっており外部との断絶が図られている。被疑者は建物の裏側に設けられた小さな裏口を通り、5階の尋問室に直結する螺旋階段を上り尋問室へ通される。尋問室は全部で15室ある。尋問室内には、浴槽と水洗トイレ、ベッド、固定された椅子と机があった。 また、尋問室のドアは互いに向かい合わないように設計されており、ドアを開けていてもお互いが見えないようになっている。 2005年10月4日、韓国警察庁が歴史精算事業の一環として警察庁人権センターを開所。現在ソウル特別市の未来遺産に登録されている。2008年6月10日、人権センターの4階と5階に朴鍾哲記念展示室を開館した。朴鍾哲拷問致死事件の現場である509号室は朴鐘哲烈士の追悼施設となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "南営洞対共分室(ナミョンドンたいきょうぶんしつ、朝鮮語: 남영동 대공분실/南營洞對共分室)は、大韓民国にかつて存在した内務部治安本部傘下の対共捜査機関、またはその庁舎。1976年、建築家金壽根の設計で建設された。1987年、朴鍾哲拷問致死事件が発生。同事件は6月民主抗争に強い影響を与えた。2005年、それまで保安分室として使われてきた同庁舎だが、韓国警察歴史史清算事業の一環として警察庁南営洞人権センターに転用されることとなった。2018年12月26日、警察庁から行政安全部に移管された。2024年に民主人権記念館(Democracy and Human Rights Memorial Hall)としてリニューアルオープン予定。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "南営洞対共分室の住所はソウル特別市龍山区漢江大路71キル37(旧住所ソウル特別市龍山区葛月洞98-8番地)であり、行政区域上は龍山区葛月洞であるが庁舎が南営洞と隣接するため南営洞対共分室と呼ばれるようになった。建物は敷地2530坪に7階建ての本館と2階建ての別棟、2階建ての別館とテニスコートなどで構成されている。 南営洞対共分室は1976年、当時の内務大臣金致烈が発注し、建築家金壽根による設計で建築された。", "title": "建物" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "建物の外観は黒いレンガでできている。建物には拷問の痕跡を隠し、外部との断絶するための工夫がされている。5階の取調室の窓が非常に小さくなっており外部との断絶が図られている。被疑者は建物の裏側に設けられた小さな裏口を通り、5階の尋問室に直結する螺旋階段を上り尋問室へ通される。尋問室は全部で15室ある。尋問室内には、浴槽と水洗トイレ、ベッド、固定された椅子と机があった。 また、尋問室のドアは互いに向かい合わないように設計されており、ドアを開けていてもお互いが見えないようになっている。", "title": "建物" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2005年10月4日、韓国警察庁が歴史精算事業の一環として警察庁人権センターを開所。現在ソウル特別市の未来遺産に登録されている。2008年6月10日、人権センターの4階と5階に朴鍾哲記念展示室を開館した。朴鍾哲拷問致死事件の現場である509号室は朴鐘哲烈士の追悼施設となっている。", "title": "記念館" } ]
南営洞対共分室は、大韓民国にかつて存在した内務部治安本部傘下の対共捜査機関、またはその庁舎。1976年、建築家金壽根の設計で建設された。1987年、朴鍾哲拷問致死事件が発生。同事件は6月民主抗争に強い影響を与えた。2005年、それまで保安分室として使われてきた同庁舎だが、韓国警察歴史史清算事業の一環として警察庁南営洞人権センターに転用されることとなった。2018年12月26日、警察庁から行政安全部に移管された。2024年に民主人権記念館(Democracy and Human Rights Memorial Hall)としてリニューアルオープン予定。
 {{Infobox building |engineer= |developer= |architectural= |address=[[ソウル特別市]][[龍山区 (ソウル特別市)|龍山区]][[漢江大路]]71キル37 |coordinates={{coord|37|32|27|N|126|58|18|E}} |completion_date=[[1976年]] |owner=[[大韓民国]][[行政安全部|内務部]]治安本部([[1976年]] - [[1991年]])<br>[[大韓民国の警察|大韓民国警察庁]](1991年 - [[2018年]])<br>大韓民国[[行政安全部]]([[2018年]]12月 - ) }} '''南営洞対共分室'''(ナミョンドンたいきょうぶんしつ、{{lang-ko|남영동 대공분실/南營洞對共分室}})は、[[大韓民国]]にかつて存在した[[大韓民国内務部|内務部]]治安本部傘下の対共捜査機関、またはその庁舎。 == 解説 == [[1976年]]、建築家[[金壽根]]の設計で建設された。[[1987年]]、[[朴鍾哲]]拷問致死事件が発生。同事件は[[6月民主抗争]]に強い影響を与えた。[[2005年]]、それまで保安分室として使われてきた同庁舎だが、韓国警察歴史史清算事業の一環として警察庁南営洞人権センターに転用されることとなった。[[2018年]][[12月26日]]、警察庁から[[行政安全部]]に移管された。[[2024年]]に民主人権記念館(Democracy and Human Rights Memorial Hall)としてリニューアルオープン予定。<ref>{{Cite web |url=https://dhrm.or.kr/introduce |title=민주인권기념관 |language=ko |access-date=2021-01-18}}</ref> == 歴史 == * 1976年:地上5階建てで竣工。 国際海洋研究所という偽装名称を用い、治安本部対共分室として運営を開始。 * 1983年:地上7階建てに増築 * 1985年:[[拷問]]技術者・李根安により[[民主化運動青年連合]]の[[金槿泰]]議長が515号室で拷問を受ける。 * 1987年1月14日:[[朴鍾哲]]拷問致死事件が発生。 == 建物 == [[ファイル:Spiral_Stairs_in_Namyeongdong_Daegong_Bunsil.jpg|左|サムネイル|1階裏口から5階尋問室に直結する螺旋階段]] 南営洞対共分室の住所はソウル特別市龍山区漢江大路71キル37(旧住所ソウル特別市龍山区葛月洞98-8番地)であり、行政区域上は龍山区葛月洞であるが庁舎が南営洞と隣接するため南営洞対共分室と呼ばれるようになった。建物は敷地2530坪に7階建ての本館と2階建ての別棟、2階建ての別館とテニスコートなどで構成されている。 南営洞対共分室は1976年、当時の内務大臣金致烈が発注し、建築家[[金壽根]]による設計で建築された。 建物の外観は黒いレンガでできている。建物には拷問の痕跡を隠し、外部との断絶するための工夫がされている。5階の取調室の窓が非常に小さくなっており外部との断絶が図られている。被疑者は建物の裏側に設けられた小さな裏口を通り、5階の尋問室に直結する螺旋階段を上り尋問室へ通される。尋問室は全部で15室ある。尋問室内には、浴槽と水洗トイレ、ベッド、固定された椅子と机があった。 また、尋問室のドアは互いに向かい合わないように設計されており、ドアを開けていてもお互いが見えないようになっている。 [[ファイル:Park_Jong_Cheol_Memorial_Room_in_Namyeongdong_Daegong_Bunsil.jpg|サムネイル|南営洞対共分室509号室。 [[朴鍾哲]]が拷問死した。]] == 記念館 == 2005年10月4日、韓国警察庁が歴史精算事業の一環として警察庁人権センターを開所。現在ソウル特別市の未来遺産に登録されている。2008年6月10日、人権センターの4階と5階に[[朴鍾哲]]記念展示室を開館した。[[朴鍾哲]]拷問致死事件の現場である509号室は朴鐘哲烈士の追悼施設となっている。<ref>[http://futureheritage.seoul.go.kr/web/investigate/HeritageView.do?htId=2227&pageIdx=11&rowsPerPage=8&searchGu=&searchBunya=&searchGubun=&searchContents=&searchCategory= 박종철 기념전시실], 서울시 미래유산</ref> ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} * [https://dhrm.or.kr 민주인권기념관 공식 홈페이지] * [http://interactive.hankookilbo.com/v/namyoungdong/index.html 360도 카메라로 구현한 대공분실 가상 체험 페이지(한국일보)] {{DEFAULTSORT:なみよんとんたいきょうふんしつ}} [[Category:龍山区 (ソウル特別市)]] [[Category:ソウル特別市の建築物]] [[Category:韓国の人権]] [[Category:韓国における民主化運動]] [[Category:1976年竣工の建築物]] [[Category:ウィキデータにある座標]]
2023-12-08T15:02:48Z
2023-12-19T11:54:53Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Commonscat-inline", "Template:Infobox building", "Template:Lang-ko" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%96%B6%E6%B4%9E%E5%AF%BE%E5%85%B1%E5%88%86%E5%AE%A4
4,864,001
Crisp Junk
Crisp Junk(クリスプ ジャンク)は、日本の音楽事務所。代表取締役社長はKENTA。 2023年10月で所属していたPIZZA OF DEATH RECORDSとの契約を解除し、11月から新たにWANIMA自らが創設した事務所Crisp Junkに移ることを発表した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Crisp Junk(クリスプ ジャンク)は、日本の音楽事務所。代表取締役社長はKENTA。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年10月で所属していたPIZZA OF DEATH RECORDSとの契約を解除し、11月から新たにWANIMA自らが創設した事務所Crisp Junkに移ることを発表した。", "title": "概要" } ]
Crisp Junkは、日本の音楽事務所。代表取締役社長はKENTA。
{{一次資料|date=2023年12月9日 (土) 01:09 (UTC)}} {{Infobox record label | name = Crisp Junk | image_name = | parent = | founded = [[2023年]] | founder = KENTA | status = | distributor = | genre = [[パンク・ロック]]<br/>[[ハードコア・パンク]]<br/>[[メロディック・ハードコア]] | country = {{JPN}} | location = | url = https://crisp-junk.com/ }} '''Crisp Junk'''(クリスプ ジャンク)は、[[日本]]の[[音楽事務所]]<ref>[https://crisp-junk.com/ 公式サイト]</ref>。代表取締役社長はKENTA。 2023年10月で所属していた[[PIZZA OF DEATH RECORDS]]との契約を解除し、翌月から新たに[[WANIMA]]が創設した。 == 所属アーティスト == * [[WANIMA]](2023年11月 - ) == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://crisp-junk.com/ 公式サイト] {{WANIMA}} {{DEFAULTSORT:くりすふ しやんく}} [[Category:2023年設立の組織]] [[Category:日本のレコード・レーベル]]
2023-12-08T15:14:18Z
2023-12-09T01:09:07Z
false
false
false
[ "Template:Infobox record label", "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Crisp_Junk
4,864,003
武田義頼
武田 義頼(たけだ よしより)は、室町時代から安土桃山時代、戦国時代ごろの武将。近江六角氏に生まれたが、若狭武田氏の養子となった。 近江国の守護大名家、六角氏の六角義実(六角隆頼)の次男に産まれる。生年は不詳、母親は足利義晴の娘で、幼名は龍水丸。 天文17年(1548年)10月9日、生母が若州武田義統の正室となっていた関係で、その養子となる。この際に馬杉実宗と黒田重国を付けられたという。天文17年時点ではまだ龍水丸を称している。 後に元服して武田義頼を称した。官位は従四位下・左京大夫であったが任官時期は不明。若狭武田氏のもとで安田作兵衛(後の天野貞成)などの家臣を従えた。精兵かつ大力であったという。 永禄11年(1568年)、亡命中の足利義昭が身を寄せていた越前国の守護朝倉義景は、幕臣細川藤孝の進めを受けて上洛を定めた。この時に義頼は催促に応じ、総勢二万三千余の上洛軍のうち三千の兵を動員したという。しかし、下間頼秀率いる加賀国・能登国・越中国の本願寺門徒衆総勢八万余が朝倉義景の留守に乗じて攻め入ろうとしていると聞き、大いに驚いた義景は同年6月18日の予定であった上洛軍の進発を遅らせた。翌7月、足利義昭は一乗谷を去った。 天正10年(1582年)6月、死去する。法名は崇喜。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "武田 義頼(たけだ よしより)は、室町時代から安土桃山時代、戦国時代ごろの武将。近江六角氏に生まれたが、若狭武田氏の養子となった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "近江国の守護大名家、六角氏の六角義実(六角隆頼)の次男に産まれる。生年は不詳、母親は足利義晴の娘で、幼名は龍水丸。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "天文17年(1548年)10月9日、生母が若州武田義統の正室となっていた関係で、その養子となる。この際に馬杉実宗と黒田重国を付けられたという。天文17年時点ではまだ龍水丸を称している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "後に元服して武田義頼を称した。官位は従四位下・左京大夫であったが任官時期は不明。若狭武田氏のもとで安田作兵衛(後の天野貞成)などの家臣を従えた。精兵かつ大力であったという。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "永禄11年(1568年)、亡命中の足利義昭が身を寄せていた越前国の守護朝倉義景は、幕臣細川藤孝の進めを受けて上洛を定めた。この時に義頼は催促に応じ、総勢二万三千余の上洛軍のうち三千の兵を動員したという。しかし、下間頼秀率いる加賀国・能登国・越中国の本願寺門徒衆総勢八万余が朝倉義景の留守に乗じて攻め入ろうとしていると聞き、大いに驚いた義景は同年6月18日の予定であった上洛軍の進発を遅らせた。翌7月、足利義昭は一乗谷を去った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)6月、死去する。法名は崇喜。", "title": "概要" } ]
武田 義頼は、室町時代から安土桃山時代、戦国時代ごろの武将。近江六角氏に生まれたが、若狭武田氏の養子となった。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 武田 義頼 | 画像 = <!-- 画像ファイル名 --> | 画像サイズ = | 画像説明 = <!-- 画像の説明文 --> | 時代 = [[室町時代]]、[[安土桃山時代]] / [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] | 生誕 = 不詳 | 死没 = [[天正]]10年([[1582年]])[[6月]] | 改名 = 龍水丸→義頼 | 別名 = 六角義頼<br/>幼名:龍水丸 / 法名:崇喜 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = [[従四位下]]・[[左京大夫]] | 幕府 = [[室町幕府]] | 主君 = [[足利義昭]] | 藩 = | 氏族 = [[若狭国|若狭]][[若狭武田氏|武田氏]](実[[近江国|近江]][[六角氏]]) | 父母 = [[六角義実]]、''[[武田義統]]''<ref name="異説" group="注釈">『岡本豊吉所蔵武田氏系図』によれば実は[[木曽義実]]二男で、[[武田元信 (左京大夫)|武田元信]]([[左京大夫]]、母[[六角定頼|佐々木定頼]]女)の養子になったという。ただし、この本では[[武田義統]]の子に元信、([[武田信方|信方]])、[[武田信高 (若狭武田氏)|信重]]、[[英甫永雄|永雄]]を記し、更に「[[武田信田]]ー[[武田信景 (若狭武田氏)|信景]](彦五郎信方)ー信方(彦五郎)」という系譜を記すなど、他系図との大幅な差異、混同がみられる点に留意すべきである。</ref><br/>[[足利義晴]]娘<ref name="母親" group="注釈">『源姓武田氏系図』によれば[[足利義時]]娘。</ref> | 兄弟 = [[六角義秀]]、'''義頼''' | 妻 = | 子 = [[武田信統]]、[[武田信隆]] | 特記事項 = | 花押 = }} '''武田 義頼'''(たけだ よしより)は、[[室町時代]]から[[安土桃山時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]ごろの[[武将]]。[[六角氏|近江六角氏]]に生まれたが、[[若狭武田氏]]の養子となった<ref name="keizu">『六角佐々木氏系圖略』東京大学史料編纂所本14コマ目</ref><ref name="gensei">『源姓武田氏系図』市立米沢図書館本16コマ目</ref>。 == 概要 == [[近江国]]の[[守護大名]]家、六角氏の[[六角義実]](六角隆頼<ref>『大永六年五月二十八日付青木社中宛六角隆頼願状』</ref>)の次男に産まれる<ref name="keizu"></ref><ref name="gensei"></ref><ref name="異説" group="注釈"></ref>。生年は不詳、母親は[[足利義晴]]の娘<ref name="母親" group="注釈"></ref>で、幼名は'''龍水丸'''<ref name="kogen">『江源武鑑』国文学研究資料館本151コマ目</ref><ref name="okamoto">『岡本豊吉所蔵武田氏系図』東京大学史料編纂所本6コマ目</ref>。 [[天文 (元号)|天文]]17年([[1548年]])[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]、生母が[[若狭国|若州]][[武田義統]]の[[正室]]となっていた関係で、その[[養子]]となる<ref name="kogen"></ref><ref name="異説" group="注釈"></ref>。この際に[[馬杉実宗]]と[[黒田重国]]を付けられたという<ref name="kogen"></ref><ref group="注釈">原本による表記は「馬杦實宗」と「黒田重國」。</ref>。天文17年時点ではまだ龍水丸を称している<ref name="kogen"></ref>。 後に[[元服]]して'''武田義頼'''を称した<ref name="keizu"></ref><ref name="gensei"></ref>。[[官位]]は[[従四位下]]・'''左京大夫'''であった<ref name="keizu"></ref>が任官時期は不明。若狭武田氏のもとで[[安田国継|安田作兵衛]](後の天野貞成)などの家臣を従えた<ref>『立花宗茂朝鮮事記』巻末</ref>。精兵かつ大力であったという<ref name="gensei"></ref>。 [[永禄]]11年([[1568年]])、亡命中の[[足利義昭]]が身を寄せていた[[越前国]]の[[守護]][[朝倉義景]]は、幕臣[[細川藤孝]]の進めを受けて上洛を定めた<ref name="menko">『細川家記』こと『[[綿考輯録|緜考輯録]]』国立国会図書館本38コマ目</ref>。この時に義頼は催促に応じ、総勢二万三千余の上洛軍のうち三千の兵を動員したという<ref name="menko"></ref>。しかし、[[下間頼秀]]率いる[[加賀国]]・[[能登国]]・[[越中国]]の[[加賀一向一揆|本願寺門徒衆]]総勢八万余が朝倉義景の留守に乗じて攻め入ろうとしていると聞き、大いに驚いた義景は同年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]の予定であった上洛軍の進発を遅らせた<ref name="menko"></ref>。翌7月、足利義昭は一乗谷を去った<ref name="menko"></ref>。 [[天正]]10年([[1582年]])[[6月]]、死去する<ref>『沙々貴神社所蔵佐々木系図』</ref>。法名は'''崇喜'''<ref name="gensei"></ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 注釈 === {{Notelist}} === 参考 === * {{Cite web|title=『六角佐々木氏系圖略』|url=https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2075/341/0000?m=limit&n=20|website=東京大学史料編纂所|accessdate=2023-12-27}} - [[東京大学史料編纂所]]によるデジタル史料。堀田璋左右所蔵の謄写本。 * {{Cite web|title=『源姓武田氏系図』|url=https://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/FT012.html|website=市立米沢図書館デジタルライブラリー|accessdate=2023-12-27}} - 市立米沢図書館によるデジタル史料。[[米沢藩]][[高家 (江戸時代)|高家衆]]・[[米沢武田家]]による原本。 * {{Cite web|和書|title=『江源武鑑』|url=http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0281-060604|website=国文学研究資料館|accessdate=2023-12-27}} - [[国文学研究資料館]]によるデジタル史料。原本は明暦2年刊行の奥付を持つ、盛岡市中央公民館所蔵本。 * {{Cite web|title=『岡本豊吉所蔵武田氏系図』|url=https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20110708000063?dispid=disp01|website=東京大学史料編纂所|accessdate=2023-12-27}} - 東京大学史料編纂所によるデジタル史料。底本は徳島県庁所蔵『阿波国古文書』謄写本。 * {{Cite web|title=『緜考輯録』|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/2608684/1/1|website=国立国会図書館デジタルコレクション|accessdate=2023-12-27}} - [[国立国会図書館]]によるデジタル史料。小野景湛編。 {{DEFAULTSORT:たけた よしより}} [[Category:若狭武田氏|よしより]] [[Category:六角氏]] [[Category:若狭国の人物]] [[Category:16世紀生]] [[Category:1582年没]] [[Category:戦国武将]] [[Category:室町時代の人物]] [[Category:安土桃山時代の人物]]
2023-12-08T15:21:33Z
2023-12-27T03:36:24Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Notelist", "Template:Cite web", "Template:基礎情報 武士", "Template:脚注ヘルプ" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%BE%A9%E9%A0%BC
4,864,006
中道健太郎
中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。 大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、19875年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。 2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、19875年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。", "title": "経歴" } ]
中道 健太郎は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。
'''中道 健太郎'''(なかみち けんたろう、[[1919年]][[6月19日]] - [[2013年]][[4月17日]])は、日本の[[経営者]]。[[カルピス食品工業]](現在の[[アサヒ飲料]])社長を務めた。 == 経歴 == [[大阪府]][[箕面市]]出身{{sfn|人事興信所|1999|loc=な116頁|ref=jinji-40-ge}}。[[1940年]]に[[大阪商科大学 (旧制)|大阪商科大学]]高商部を卒業{{sfn|人事興信所|1999|loc=な116頁|ref=jinji-40-ge}}。[[パンピー食品|ピルマン製造]]で取締役を務め、[[1945年]]に[[カルピス|カルピス食品工業]]に転じ、取締役、常務、専務を経て、[[1975年]]2月に社長に就任{{sfn|人事興信所|1999|loc=な116頁|ref=jinji-40-ge}}。[[1981年]]3月に相談役に就任{{sfn|人事興信所|1999|loc=な116頁|ref=jinji-40-ge}}。 [[2013年]][[4月17日]][[老衰]]のために死去<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1903N_Z10C13A4CC1000/ 中道健太郎氏が死去 元カルピス食品工業(現カルピス)社長]2013年 4月19日 日本経済新聞</ref>。{{没年齢|1919|6|19|2013|4|17}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 人事興信所 編|title = 人事興信録 第40版 下|publisher = 人事興信所|series = |volume = |edition = |date = 1999|pages = |url = |ref = jinji-40-ge}} {{Normdaten}} {{先代次代|カルピス食品工業社長|1975年 - 1981年|[[土倉冨士雄]]|[[横山淑夫]]}} {{デフォルトソート:なかみち けんたろう}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:明治グループの人物]] [[Category:カルピス|人]] [[Category:大阪市立大学出身の人物]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1919年生]] [[Category:2013年没]]
2023-12-08T15:27:10Z
2023-12-08T15:27:28Z
false
false
false
[ "Template:先代次代", "Template:Sfn", "Template:没年齢", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Citation", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93%E5%81%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E
4,864,008
第6回早指し王位決定戦
第6回早指し王位決定戦 (だい6かいはやざしおういけっていせん) は、1959年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、加藤一二三八段が灘蓮照八段(前王位)を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第6回早指し王位決定戦 (だい6かいはやざしおういけっていせん) は、1959年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、加藤一二三八段が灘蓮照八段(前王位)を下した。", "title": null } ]
第6回早指し王位決定戦 (だい6かいはやざしおういけっていせん) は、1959年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、加藤一二三八段が灘蓮照八段(前王位)を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第6回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1959年 - 1960年2月4日 |タイトル=王位 |前タイトル=[[灘蓮照]] |今期=第6回 |新タイトル=[[加藤一二三]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第5回早指し王位決定戦|第5回]] |次回=[[第1期王位戦]] }} '''第6回早指し王位決定戦''' (だい6かいはやざしおういけっていせん) は、[[1959年度の将棋界|1959年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[加藤一二三]]八段が[[灘蓮照]]八段(前王位)を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-08}}</ref>。 ==第6回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!第3局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1960年<br>1月26日!!1960年<br>1月29日!!1960年<br>2月4日 |- |[[灘蓮照]]八段(前王位)||●||○||●|| |- |'''[[加藤一二三]]八段'''||○||●||○||'''優勝''' |} == 本戦 == {| style="text-align:center;white-space:nowrap;width:50%;" |width=15%| {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |[[熊谷達人]]八段|○|A |[[松浦卓造]]八段|●| }} |width=2%| |width=15%| {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[内藤國雄]]四段|○|B |[[大原英二]]四段|●| }} |width=2%| |width=15%| {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[山田道美]]七段|○|C |[[北村昌男]]七段|●| }} |- | {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |[[本間爽悦]]七段|○|D |[[藤川義夫]]六段|●| }} |width=2%| |width=15%| {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[花村元司]]八段|○|E |[[加藤博二]]八段|●| }} |width=2%| |width=15%| {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[松田茂行]]八段|○|F |[[下平幸男]]七段|●| }} |- | {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[芹沢博文]]六段|○|G |[[松下力]]八段|●| }} |width=10| | {{竜王戦ランキング戦4 |W11= 10em |W1= 2em |W12= 2em |RD1=1回戦 |[[原田泰夫]]八段|○|H |[[金高清吉]]七段|●| }} |- |colspan="5"|&nbsp; |- |colspan="5"| {{竜王戦ランキング戦1 |W1=10em |W2= 6em |W3= 1 |W4= 2em |W5= 2em |RD1=2回戦 |RD2=準々決勝 |RD3=準決勝 |RD4='''挑戦者決定戦''' <!--2回戦--> |[[大野源一]]八段| |○ |{{align|left|{{sup|A/}}}}[[熊谷達人]]八段| |● |{{align|left|{{sup|B/}}}}[[内藤國雄]]四段| |○ |[[高島一岐代]]八段| |● |[[塚田正夫]]永世九段| |○ |{{align|left|{{sup|C/}}}}[[山田道美]]七段| |● |{{align|left|{{sup|D/}}}}[[本間爽悦]]七段| |○ |[[升田幸三]]前名人| |● |'''[[加藤一二三]]八段'''| |○ |{{align|left|{{sup|E/}}}}[[花村元司]]八段| |● |{{align|left|{{sup|F/}}}}[[松田茂行]]八段| |● |[[丸田祐三]]八段| |○ |[[二上達也]]八段| |○ |{{align|left|{{sup|G/}}}}[[芹沢博文]]六段| |● |{{align|left|{{sup|H/}}}}[[原田泰夫]]八段| |○ |[[大山康晴]]名人| |● <!--3回戦--> |大野| |○ |内藤| |● |塚田| |○ |本間| |● |'''加藤'''| |○ |丸田| |● |二上| |● |大山| |○ <!--準決勝--> |大野| |○ |塚田| |● |'''加藤'''| |○ |大山| |● <!--決勝--> |[[大野源一]]八段|● |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[加藤一二三]]八段{{0}} }}''' |○ | |'''三番勝負進出''' }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん06き}} [[Category:早指し王位決定戦|06]] [[Category:1959年の将棋]] [[Category:1960年の将棋]]
2023-12-08T15:33:33Z
2023-12-09T08:40:49Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 各年の棋戦", "Template:竜王戦ランキング戦4", "Template:竜王戦ランキング戦1", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:早指し王位決定戦", "Template:Shogi-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC6%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,009
山田健一 (ゴルファー)
山田 健一(やまだ けんいち、1947年3月24日 - )は東京都出身のプロゴルファー。 成城学園中学校時代の同級生には後に俳優となる田村亮がいる。 15歳でゴルフを始め、1964年の全国高校ゴルフ選手権では個人戦で4位に入る。 日本大学ゴルフ部では西田升平・沼澤聖一の1年後輩に当たり 、4年次の1968年には全日本学生と関東学生、中日杯を取り、中部銀次郎と共にアイゼンハワートロフィー日本代表に初めて選出される。卒業後の1969年と1970年には日本アマ、関東アマに勝って鳴り物入りで1973年にプロ入りする。 1969年の日本アマでは入江勉をプレーオフで倒し、1970年には入江と共にアイゼンハワートロフィー日本代表に選出されて個人戦10位に入り、1971年には第1回JALオープンと中日クラウンズでベストアマを獲得 。 1975年にゴルフダイジェストトーナメントで宮本省三を破って優勝したものの、最終ラウンドで雨が降り、63ホール打ち切りの変則優勝であった。未完の大器であった山田はこの試合でプロ入り0勝から挽回したが、以後は鳴かず飛ばずで、1977年はシードにもなれない始末であった。 1976年の日本プロマッチプレーでは2回戦い尾崎将司と対戦し、アウトで尾崎から3ダウンも奪って1アップで勝利した。同年の関東オープンでは、尾崎・村上隆・青木功・小林富士夫・菊地勝司に次ぎ、安田春雄・新井規矩雄と並んでの7位タイに入った。 1978年には奮起し、読売ジャイアンツの多摩川自主トレに参加。王貞治・張本勲・土井正三・柴田勲に交じって体力作りに励み、開幕後はその成果が徐々に現れ、札幌とうきゅうオープンでは10位、関東プロでは青木・中嶋常幸・横島由一・金井清一・草壁政治・尾崎・謝敏男(中華民国)に次ぐと同時に竹安孝博と並んでの9位タイに入る。 福岡を襲った水不足の中で行われたKBCオーガスタではブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)ら有力選手が予選落ちしたが、山田は初めて4日間回っても疲れをあまり感じず、真冬のトレーニングの成果が真夏に出た形となる。大詰めになって11アンダーで7人が並ぶ混戦となり、鷹巣南雄、ベン・アルダ(フィリピン)などが躓く中、「魔の17番」でバーディーを取り、18番をパーに収めて優勝を飾った。 山田は16番でボギーとした時点でジーン・リトラー(アメリカ)、アルダ・鷹巣・久保四郎・宮本康弘・青木と共に11アンダーで並ぶが、17番でバーディーを取った時に「勝てる」と思った。プレーオフのことなどを考えず、「ただバーディーを取りたい」と念じた17番、2打のバンカー越えをサンドウエッジで80cmに寄せてバーディーとし、単独首位となる。18番のティーグラウンドでは膝がガクガクするが、水を大量に飲んで、心を落ち着かせたのが功を奏した。 1978年の日本オープンでは中村通・尾崎・前田新作・郭吉雄(中華民国)と並んでの9位タイ、1979年の関東プロでは長谷川勝治・尾崎と並んでの4位タイに入り、ツアープロの傍らで1983年からは日本テレビ解説者としても活躍。 37歳の時に癌で胃を切除して以来、テイクバックで腹直筋がスイングとの噛み合わせの邪魔をするようになり、1986年の東北クラシックを最後にレギュラーツアーから引退。 ツアー引退後は解説者のほか、静岡県菊川市のホロンゴルフ倶楽部を設計し、沖縄県宮古島市のシギラベイカントリークラブで支配人も務めた 。 肺気腫、心臓弁膜症、大腿部肉腫を患い、最近は肺線維症、2023年には腰を骨折している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "山田 健一(やまだ けんいち、1947年3月24日 - )は東京都出身のプロゴルファー。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "成城学園中学校時代の同級生には後に俳優となる田村亮がいる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "15歳でゴルフを始め、1964年の全国高校ゴルフ選手権では個人戦で4位に入る。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本大学ゴルフ部では西田升平・沼澤聖一の1年後輩に当たり 、4年次の1968年には全日本学生と関東学生、中日杯を取り、中部銀次郎と共にアイゼンハワートロフィー日本代表に初めて選出される。卒業後の1969年と1970年には日本アマ、関東アマに勝って鳴り物入りで1973年にプロ入りする。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1969年の日本アマでは入江勉をプレーオフで倒し、1970年には入江と共にアイゼンハワートロフィー日本代表に選出されて個人戦10位に入り、1971年には第1回JALオープンと中日クラウンズでベストアマを獲得 。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1975年にゴルフダイジェストトーナメントで宮本省三を破って優勝したものの、最終ラウンドで雨が降り、63ホール打ち切りの変則優勝であった。未完の大器であった山田はこの試合でプロ入り0勝から挽回したが、以後は鳴かず飛ばずで、1977年はシードにもなれない始末であった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1976年の日本プロマッチプレーでは2回戦い尾崎将司と対戦し、アウトで尾崎から3ダウンも奪って1アップで勝利した。同年の関東オープンでは、尾崎・村上隆・青木功・小林富士夫・菊地勝司に次ぎ、安田春雄・新井規矩雄と並んでの7位タイに入った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1978年には奮起し、読売ジャイアンツの多摩川自主トレに参加。王貞治・張本勲・土井正三・柴田勲に交じって体力作りに励み、開幕後はその成果が徐々に現れ、札幌とうきゅうオープンでは10位、関東プロでは青木・中嶋常幸・横島由一・金井清一・草壁政治・尾崎・謝敏男(中華民国)に次ぐと同時に竹安孝博と並んでの9位タイに入る。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "福岡を襲った水不足の中で行われたKBCオーガスタではブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)ら有力選手が予選落ちしたが、山田は初めて4日間回っても疲れをあまり感じず、真冬のトレーニングの成果が真夏に出た形となる。大詰めになって11アンダーで7人が並ぶ混戦となり、鷹巣南雄、ベン・アルダ(フィリピン)などが躓く中、「魔の17番」でバーディーを取り、18番をパーに収めて優勝を飾った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "山田は16番でボギーとした時点でジーン・リトラー(アメリカ)、アルダ・鷹巣・久保四郎・宮本康弘・青木と共に11アンダーで並ぶが、17番でバーディーを取った時に「勝てる」と思った。プレーオフのことなどを考えず、「ただバーディーを取りたい」と念じた17番、2打のバンカー越えをサンドウエッジで80cmに寄せてバーディーとし、単独首位となる。18番のティーグラウンドでは膝がガクガクするが、水を大量に飲んで、心を落ち着かせたのが功を奏した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1978年の日本オープンでは中村通・尾崎・前田新作・郭吉雄(中華民国)と並んでの9位タイ、1979年の関東プロでは長谷川勝治・尾崎と並んでの4位タイに入り、ツアープロの傍らで1983年からは日本テレビ解説者としても活躍。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "37歳の時に癌で胃を切除して以来、テイクバックで腹直筋がスイングとの噛み合わせの邪魔をするようになり、1986年の東北クラシックを最後にレギュラーツアーから引退。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ツアー引退後は解説者のほか、静岡県菊川市のホロンゴルフ倶楽部を設計し、沖縄県宮古島市のシギラベイカントリークラブで支配人も務めた 。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "肺気腫、心臓弁膜症、大腿部肉腫を患い、最近は肺線維症、2023年には腰を骨折している。", "title": "来歴" } ]
山田 健一は東京都出身のプロゴルファー。
{{ゴルファー |名前=山田 健一 |ラテン文字=Kenichi YAMADA |画像= |国籍={{JPN}} |生年月日={{生年月日と年齢|1947|3|24}} |没年月日= |出身地=[[東京都]] |身長=174cm |体重=77kg |血液型= |利き手= |経歴= |プロ転向= |優勝歴= |初優勝= |賞金王= |ベストスコア= |世界ランキング最高位= |賞金ランキング最高位= }} '''山田 健一'''(やまだ けんいち、[[1947年]][[3月24日]] - )は[[東京都]]出身の[[プロゴルファー]]。 == 来歴 == [[成城学園中学校高等学校|成城学園中学校]]時代の同級生には後に[[俳優]]となる[[田村亮 (俳優)|田村亮]]がいる<ref name="ちょっと嬉しかったこと">[http://www.tamura-ryo.com/diary/past/061218.html 田村亮のちょっと嬉しかったこと]</ref>。 15歳でゴルフを始め<ref name="大器・山田やっと開花">[[朝日新聞]]縮刷版p881 昭和53年8月28日朝刊19面「'''大器・山田やっと開花 混戦、17番で抜け初優勝'''」</ref>、[[1964年]]の全国高校ゴルフ選手権では個人戦で4位に入る<ref>[https://nihon-kougoren.jp/img/schedule_pdf/old.pdf Untitled]</ref>。 [[日本大学]]ゴルフ部では西田升平<ref>[https://www.sanspo.com/article/20150626-XB63IZ7Y55IJXCGH7XBFSTTEYA/ 西田升平氏が死去、日大ゴルフ部で第1期黄金時代築く - サンスポ]</ref>・[[沼澤聖一]]の1年後輩に当たり<ref>[http://www.nihon-u-golf.com/pro/ 出身プロ一覧 | 日本大学ゴルフ部]</ref> <ref>[https://zz109.secure.ne.jp/~zz109010/pro/index.php 日本大学ゴルフ部OB会 | プロ名簿]</ref>、4年次の[[1968年]]には全日本学生と関東学生、中日杯を取り<ref name="大器・山田やっと開花" />、[[中部銀次郎]]と共に[[アイゼンハワートロフィー]]日本代表に初めて選出される<ref name="アイゼンハワートロフィー日本代表">[http://www.jga.or.jp/jga/html/2023/37-0/history.html JGA 日本ゴルフ協会]</ref>。卒業後の[[1969年]]と[[1970年]]には日本アマ、関東アマに勝って鳴り物入りで[[1973年]]にプロ入りする<ref name="大器・山田やっと開花" />。 1969年の日本アマでは[[入江勉]]をプレーオフで倒し<ref>[[杉山通敬]]『中部銀次郎 新ゴルフの心』[[講談社]]、[[2001年]][[5月1日]]、ISBN 4062106612、p263 。</ref>、1970年には入江と共にアイゼンハワートロフィー日本代表に選出されて個人戦10位に入り<ref name="アイゼンハワートロフィー日本代表" />、[[1971年]]には第1回JALオープンと[[中日クラウンズ]]でベストアマを獲得<ref>[https://www.fuchucc.com/club_history.html 府中CCの歴史|府中カントリークラブ]</ref> <ref>[https://hicbc.com/special/crowns/new/history/timeline/1970-1979/cup12/ 中日クラウンズ | CBCテレビ | クラウンズの歴史]</ref>。 [[1975年]]に[[ゴルフダイジェストトーナメント]]で[[宮本省三]]を破って優勝したものの、最終ラウンドで[[雨]]が降り、63ホール打ち切りの変則優勝であった<ref name="大器・山田やっと開花" />。未完の大器であった山田はこの試合でプロ入り0勝から挽回<ref>[https://golfdigest-play.jp/membership/17271658 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東名カントリークラブ。中嶋常幸、4日間ツアー競技初優勝。1976年ゴルフダイジェストトーナメント]</ref>したが、以後は鳴かず飛ばずで、[[1977年]]はシードにもなれない始末であった<ref name="大器・山田やっと開花" />。 [[1976年]]の[[日本プロゴルフマッチプレー選手権|日本プロマッチプレー]]では2回戦い[[尾崎将司]]と対戦し、アウトで尾崎から3ダウンも奪って1アップで勝利した<ref>[https://www.golfdendou.jp/jpga_match-play/2-1976.html 第2回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1976年)]</ref>。同年の[[関東オープンゴルフ選手権競技|関東オープン]]では、尾崎・[[村上隆 (ゴルファー)|村上隆]]・[[青木功]]・[[小林富士夫]]・[[菊地勝司]]に次ぎ、[[安田春雄]]・[[新井規矩雄]]と並んでの7位タイに入った<ref>[https://golfdigest-play.jp/membership/17283535 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】嵐山カントリークラブ。ジャンボ尾崎が72ホール目に放ったとどめのスーパーショット。1976年関東オープン]</ref>。 [[1978年]]には奮起し、[[読売ジャイアンツ]]の[[多摩川]]自主トレに参加<ref name="大器・山田やっと開花" />。[[王貞治]]・[[張本勲]]・[[土井正三]]・[[柴田勲]]に交じって体力作りに励み、開幕後はその成果が徐々に現れ、札幌とうきゅうオープンでは10位、[[関東プロゴルフ選手権大会|関東プロ]]では青木・[[中嶋常幸]]・[[横島由一]]・[[金井清一]]・[[草壁政治]]・尾崎・[[謝敏男]]([[中華民国]])に次ぐと同時に[[竹安孝博]]と並んでの9位タイ<ref>[https://golfdigest-play.jp/membership/17297022 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】新千葉カントリー倶楽部。青木功は語る「中嶋は焦って負けた」1978年関東プロ]</ref>に入る<ref name="大器・山田やっと開花" />。 [[福岡県|福岡]]を襲った[[水不足]]の中で行われた[[KBCオーガスタゴルフトーナメント|KBCオーガスタ]]では[[:en:Brian Jones (golfer)|ブライアン・ジョーンズ]]([[オーストラリア]])ら有力選手が予選落ち<ref name="大器・山田やっと開花②">[https://kbc.co.jp/augusta/tournament/history/05.php 大会の軌跡|Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント2023]</ref>したが、山田は初めて4日間回っても疲れをあまり感じず、真冬のトレーニングの成果が真夏に出た形となる<ref name="大器・山田やっと開花" />。大詰めになって11アンダーで7人が並ぶ混戦となり、[[鷹巣南雄]]、[[ベン・アルダ]]([[フィリピン]])などが躓く中、「魔の17番」でバーディーを取り<ref name="大器・山田やっと開花②" />、18番をパーに収めて優勝を飾った<ref name="大器・山田やっと開花" />。 山田は16番でボギーとした時点で[[:en:Gene Littler|ジーン・リトラー]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、アルダ・鷹巣・久保四郎・[[宮本康弘]]・青木と共に11アンダーで並ぶが、17番でバーディーを取った時に「勝てる」と思った<ref name="大器・山田やっと開花" />。プレーオフのことなどを考えず、「ただバーディーを取りたい」と念じた17番、2打のバンカー越えをサンドウエッジで80cmに寄せてバーディーとし、単独首位となる<ref name="大器・山田やっと開花" />。18番のティーグラウンドでは[[膝]]がガクガクするが、[[水]]を大量に飲んで、心を落ち着かせたのが功を奏した<ref name="大器・山田やっと開花" />。 1978年の[[日本オープンゴルフ選手権競技|日本オープン]]では[[中村通]]・尾崎・[[前田新作]]・[[:en:Kuo Chie-Hsiung|郭吉雄]](中華民国)と並んでの9位タイ<ref>[http://www.golfdendou.jp/jga_jog/43-1978.html 第43回日本オープンゴルフ選手権(1978年)]</ref>、[[1979年]]の関東プロでは[[長谷川勝治]]・尾崎と並んでの4位タイ<ref>[https://golfdigest-play.jp/membership/17297035 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東筑波カントリークラブ。青木功は変わった。「忍耐」そして「挑戦」へ。1979年関東プロ]</ref>、[[1980年]]の[[くずは国際トーナメント|くずは国際]]では入江・前田と並んで横島の2位タイ<ref>{{cite book |last1=McCormack |first1=Mark |title=Dunhill World of Professional Golf 1981 |date=1981 |publisher=Springwood Books |isbn=0862540054 |pages=172, 375–376}}</ref>に入り、ツアープロの傍らで[[1983年]]からは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]解説者としても活躍<ref>[https://www.mizumachi.jp/img/PDF/130919.pdf 第47回水町メディカルクラブゴルフコンペ]</ref>。 37歳の時に[[悪性腫瘍|癌]]で[[胃]]を切除して以来、テイクバックで[[腹直筋]]がスイングとの噛み合わせの邪魔をする<ref name="さまざまな病いと闘い続ける山田健一プロ">[https://www.sanspo.com/article/20230602-HWHJEZNLVNOSZEBLGNFWUMA3WM/ 【医師水町 視線の先に】ゴルフが結ぶ縁 さまざまな病いと闘い続ける山田健一プロ 76歳の復活へ気力衰えず]</ref>ようになり、[[1986年]]の[[JCBクラシック|東北クラシック]]<ref>[https://www.jgto.org/player/941/result 山田 健一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site]</ref>を最後にレギュラーツアーから引退。 ツアー引退後は解説者のほか、[[静岡県]][[菊川市]]のホロンゴルフ倶楽部を設計し<ref>[https://sapporo-country-clb.com/partner/ 提携ゴルフ場のご案内|札幌カントリー倶楽部]</ref>、[[沖縄県]][[宮古島市]]のシギラベイカントリークラブで支配人も務めた<ref>[https://www.golfdigest.co.jp/digest/column/chouse/0803.asp クラブハウス探訪]</ref> <ref name="ちょっと嬉しかったこと" />。 [[肺気腫]]、[[心臓弁膜症]]、[[大腿部]][[肉腫]]を患い、最近は[[肺線維症]]、[[2023年]]には[[腰]]を[[骨折]]している<ref name="さまざまな病いと闘い続ける山田健一プロ" />。 == 主な優勝 == * 1975年 - ゴルフダイジェストトーナメント * 1978年 - KBCオーガスタ == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://www.jgto.org/player/941/profile 山田 健一選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:やまた けんいち}} [[Category:日本の男子プロゴルファー]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1947年生]]
2023-12-08T15:41:32Z
2023-12-30T22:09:22Z
false
false
false
[ "Template:ゴルファー", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80_(%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC)
4,864,010
∴ヒロイン転生
∴ヒロイン転生(ゆえにヒロインてんせい)は、日本の女性アイドルグループ。 グループの略称は「ゆえン」(ゆえん)。プロデューサーはアイドルユニット「Needs」元メンバーの塚本美玲。所属事務所は株式会社U-STORM(ユーストーム)。 2023年10月15日にグループの結成とメンバーが発表される。 元AKB48メンバーの星乃宮せな(当時の芸名は石綿星南)、OUT OF 48 ファイナリストの 田仲れい(当時の芸名は田中怜衣)、OUT OF 48 一般参加者の花咲結南(当時の芸名は若林優奈)、およびオーディションからの参加メンバー汐田澪と楠木彩菜の5名で結成。 2023年10月15日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」〜キャラクターver.〜 MV公開 2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV初公開記念YouTubelive生配信。 2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV公開。 2023年11月7日のお披露目ライブ「目覚めたらアイドルになってい件」でデビュー。 2023年11月7日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」が配信。 2023年 配信 単独ライブ・コンサート 2023年 ライブイベント・音楽フェス 2023年 2023年
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "∴ヒロイン転生(ゆえにヒロインてんせい)は、日本の女性アイドルグループ。 グループの略称は「ゆえン」(ゆえん)。プロデューサーはアイドルユニット「Needs」元メンバーの塚本美玲。所属事務所は株式会社U-STORM(ユーストーム)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年10月15日にグループの結成とメンバーが発表される。 元AKB48メンバーの星乃宮せな(当時の芸名は石綿星南)、OUT OF 48 ファイナリストの 田仲れい(当時の芸名は田中怜衣)、OUT OF 48 一般参加者の花咲結南(当時の芸名は若林優奈)、およびオーディションからの参加メンバー汐田澪と楠木彩菜の5名で結成。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年10月15日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」〜キャラクターver.〜 MV公開", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV初公開記念YouTubelive生配信。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV公開。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2023年11月7日のお披露目ライブ「目覚めたらアイドルになってい件」でデビュー。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年11月7日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」が配信。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年 配信", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "単独ライブ・コンサート 2023年", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ライブイベント・音楽フェス 2023年", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2023年", "title": "出演" } ]
∴ヒロイン転生(ゆえにヒロインてんせい)は、日本の女性アイドルグループ。 グループの略称は「ゆえン」(ゆえん)。プロデューサーはアイドルユニット「Needs」元メンバーの塚本美玲。所属事務所は株式会社U-STORM(ユーストーム)。
{{複数の問題 |一次資料=2023年12月 |特筆性=2023年12月 |wikify=2023年12月 }} '''∴ヒロイン転生'''(ゆえにヒロインてんせい)は、日本の[[女性アイドルグループ]]。<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.entax.news/post/202311121145.html |title=新アイドルグループ「∴ヒロイン転生」お披露目会レポ「5人で精一杯頑張ります」 |access-date=2023-12-08 |publisher=entax}}</ref> グループの略称は「'''ゆえン'''」(ゆえん)。プロデューサーはアイドルユニット「Needs」元メンバーの塚本美玲<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/mirei_tsukamoto/status/1712785937703502271?s=19 |title=ついに…!プロデュース入らせて頂いたアイドルグループ解禁です |access-date=2023-12-08 |publisher=X}}</ref>。所属事務所は株式会社U-STORM(ユーストーム)<ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/pressrelease/1680230/ |title=新アイドルグループ「∴ヒロイン転生」が11/7(火)デビュー決定!harevutaiにてお披露目ライブを開催! |access-date=2023-12-08 |publisher=ORICON NEWS}}</ref>。 == 略歴 == 2023年10月15日にグループの結成とメンバーが発表される<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1713450226877600070?s=19 |title=メンバー紹介 |access-date=2023-12-08 |publisher=X}}</ref>。 元[[AKB48]]メンバーの星乃宮せな(当時の芸名は石綿星南)<ref>{{Cite web |url=https://thetv.jp/person/2000042585/ |title=石綿星南のプロフィール |access-date=2023-12-08 |publisher=WEBザテレビジョン}}</ref>、[[OUT OF 48]] ファイナリストの [[田仲れい]](当時の芸名は田中怜衣)<ref>{{Cite web |url=https://mdpr.jp/music/detail/3868905 |title=「OUT OF 48」最終審査通過の14人が決定 |access-date=2023-12-09 |publisher=modelpress}}</ref>、[[OUT OF 48]] 一般参加者の花咲結南(当時の芸名は若林優奈)<ref>{{Cite web |url=https://mdpr.jp/music/detail/3724552 |title=AKB48新グループオーディション番組「OUT OF 48」ダンス審査通過者、コンサートでお披露目 |access-date=2023-12-09 |publisher=modelpress}}</ref>、およびオーディションからの参加メンバー汐田澪と楠木彩菜の5名で結成<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1713450226877600070?s=19 |title=メンバー紹介 |access-date=2023-12-09 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref>。 2023年10月15日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」〜キャラクターver.〜 MV公開 2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV初公開記念YouTubelive生配信。<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/08.html |title=デビュー曲『∴ヒロイン転生』MV初公開記念YouTubelive生配信⏯決定のお知らせ |access-date=2023-12-09 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> 2023年11月1日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV公開。<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/09.html |title=∴ヒロイン転生デビュー曲「∴ヒロイン転生」MV公開のお知らせ |access-date=2023-12-09 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> 2023年11月7日のお披露目ライブ「目覚めたらアイドルになってい件」でデビュー。<ref name=":0" /> 2023年11月7日、デビュー曲「∴ヒロイン転生」が配信。<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/14.html |title=デビュー曲『∴ヒロイン転生』デジタルリリースのお知らせ |access-date=2023-12-09 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> == メンバー == {| class="wikitable" !名前 !よみ !誕生日 !出身地 !ニックネーム !担当カラー !備考 |- !花咲 結南 <ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/yuna_yueni/status/1715703710184296772?s=19 |title=みんなしてたから書いた |access-date=2023-12-09 |publisher=X(花咲結南)}}</ref> |はなさき ゆな |2007年 2月5日 |[[大阪府]] |ゆなぴょん |{{legend2|pink|マーガレットピンク|border=solid 1px #000000}} |[[OUT OF 48]]一般参加者 |- !汐田 澪 <ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/mio_yueni/status/1727104432847106422?s=19 |title=プロフィール |access-date=2023-12-09 |publisher=X(汐田澪)}}</ref> |しおた みお |2005年 10月13日 |[[東京都]] |みおたん |{{legend2|blue|ネモフィラブルー|border=solid 1px #000000}} | |- ![[田仲れい|田仲]] [[田仲れい|れい]] <ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/rei_yueni/status/1715725085427019942?s=19 |title=プロフィール帳頑張って書いてみた!! |access-date=2023-12-09 |publisher=X(田仲れい)}}</ref> |たなか れい |2006年 11月1日 |[[東京都]] |れいちゃん |{{legend2|red|ローズレッド|border=solid 1px #000000}} |[[OUT OF 48]]一般参加者 ファイナリスト |- !楠木 彩菜 <ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/ayana_yueni/status/1713851663222821349?s=19 |title=楠木彩菜のプロフィールです |access-date=2023-12-09 |publisher=X(楠木彩菜)}}</ref> |くすのき あやな |2005年 12月27日 |[[東京都]] |あやにゃ |{{legend2|green|ミントグリーン|border=solid 1px #000000}} | |- !星乃宮 せな <ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/sena_yueni/status/1715747228168643060?s=19 |title=字書くの難しかった〜 |access-date=2023-12-09 |publisher=X(星乃宮せな)}}</ref> |ほしのみや せな |2002年 2月22日 |[[神奈川県]] |せなちゃん |{{legend2|white|リリーホワイト|border=solid 1px #000000}} |リーダー 元 [[AKB48]] |- |} == 作品 == '''2023年''' '''配信''' * 「∴ヒロイン転生」 - ([[夜バゲット]]12月のエンディングテーマ) == 出演 == === ライブ・コンサート === '''単独ライブ・コンサート''' '''2023年'''  * お披露目ライブ「目覚めたらアイドルになってい件」(2023年11月7日)<ref name=":1" /><ref name=":0" /> * 楠木彩菜生誕祭 ~ ∴ヒロイン転生X'masミニライブ ~(2023年12月25日)<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1734503976614383822?s=19 |title=ワンマン情報 |access-date=2023-12-27 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref> '''ライブイベント・音楽フェス''' '''2023年''' * TGC teen 2023 Winter supported by SIW2023(2023年11月12日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/07.html |title=TGC teen 2023 Winter supported by SIW2023 出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * うるトラすフェスタ vol.18(2023年11月17日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/03.html |title=うるトラすフェスタ vol.18 出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * HYPE IDOL!Vol.41(2023年11月18日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/05.html |title=HYPE IDOL!Vol.41 出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * アイドルアラモードVol.16(2023年11月19日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/04.html |title=アイドルアラモードVol.16 出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * MARQUEE祭mini Vol.177(2023年11月25日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/02.html |title=MARQUEE祭mini Vol.177出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * Collaboration Live Blancher vol.3(2023年11月25日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/06.html |title=Collaboration Live Blancher vol.3出演のお知らせ |access-date=2023-12-11 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * Honey Devilデビュー記念LIVE2023〜 はじまりの歌 〜 ゲスト出演(2023年11月28日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/11.html |title=【Honey Devilデビュー記念LIVE2023〜 はじまりの歌 〜】ゲスト出演のお知らせ |access-date=2023-12-11 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * iSPY無料定期公演 ゲスト出演(2023年11月20日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/18.html |title=iSPY無料定期公演への出演が決定いたしました。 |access-date=2023-12-11 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * Fun!Fun!Fun! 〈DAY公演〉(2023年12月3日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/20.html |title=Fun!Fun!Fun! 〈DAY公演〉出演のお知らせ |access-date=2023-12-11 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * Serenade Vol.32(2023年12月9日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/test/news/h_3vx0qml3x |title=Serenade Vol.32 出演のお知らせ |access-date=2023-12-11 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * TOKYO GIRLS GIRLS extra!!(2023年12月13日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/test/news/0ur_1um-9 |title=TOKYO GIRLS GIRLS extra!! 出演のお知らせ |access-date=2023-12-14 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * スパドキフェスティバルVol.88(2023年12月16日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/news/19.html |title=スパドキフェスティバルVol.88 出演のお知らせ |access-date=2023-12-18 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * IDOL CONTENT EXPO @TwinBox GARAGE ChristmasEve LIVE!!!(2023年12月24日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/test/news/od0o2vrzs175 |title=IDOL CONTENT EXPO @TwinBox GARAGE ChristmasEve LIVE!!! 出演のお知らせ |access-date=2023-12-27 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * iDOL SPYS vol.15(2023年12月27日)<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1739923212602077335?s=19 |title=お知らせ |access-date=2024-01-01 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref> * AGE FES vol.29(2023年12月28日)<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1739924460743049696?s=19 |title=12月28日(木) AGE FES vol.29 |access-date=2024-01-01 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref> * LEADING PREMIUM 年末感謝祭'23(2023年12月28日)<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1737637686301929904?s=19 |title=TIME TABLE |access-date=2024-01-01 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref> * STREAM IDOL FES(2023年12月28日)<ref>{{Cite web |url=https://yueniheroinetensei.jp/test/news/wrf0gdq6eh1o |title=緊急開催!STREAM IDOL FES 出演のお知らせ |access-date=2024-01-01 |publisher=∴ヒロイン転生}}</ref> * アイドルアラモードプチVol.66(2023年12月29日)<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/heroinetensei/status/1734183769870106655?s=19 |title=イベント告知 |access-date=2024-01-01 |publisher=X(∴ヒロイン転生)}}</ref> === テレビ === '''2023年''' * [[夜バゲット]](2023年12月2日)星乃宮せな、田仲れいがゲスト出演 ** 「∴ヒロイン転生」がエンディングテーマ曲に起用 == 脚注 == {{Reflist}} {{Idol-stub}} {{DEFAULTSORT:ゆえにひろいんてんせい}} [[Category:日本の女性アイドルグループ]] [[Category:5人組の音楽グループ]]
2023-12-08T15:47:11Z
2024-01-01T00:16:56Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題", "Template:Legend2", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Idol-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%88%B4%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%BB%A2%E7%94%9F
4,864,014
内藤元家
内藤 元家(ないとう もといえ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。正室は市川元好の娘・紫福。 天正9年(1581年)、毛利氏重臣・内藤隆春の長男として生まれる。 隆春の三女(元家の異母姉)である綾木大方と婚姻して隆春の婿養子となった内藤元盛が隆春の後を継いだため、元家は隆春の隠居領を譲り受けて別家を興し、毛利輝元に仕えた。 天正20年(1592年)から始まる文禄の役においては毛利輝元に従って朝鮮に渡海する。 慶長17年(1612年)6月15日に病死。享年32。元家には嫡男がおらず、内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより、林元尚の養子となっていた同母弟の元忠が元家の後を継いだ。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "内藤 元家(ないとう もといえ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。正室は市川元好の娘・紫福。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "天正9年(1581年)、毛利氏重臣・内藤隆春の長男として生まれる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "隆春の三女(元家の異母姉)である綾木大方と婚姻して隆春の婿養子となった内藤元盛が隆春の後を継いだため、元家は隆春の隠居領を譲り受けて別家を興し、毛利輝元に仕えた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "天正20年(1592年)から始まる文禄の役においては毛利輝元に従って朝鮮に渡海する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "慶長17年(1612年)6月15日に病死。享年32。元家には嫡男がおらず、内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより、林元尚の養子となっていた同母弟の元忠が元家の後を継いだ。", "title": "生涯" } ]
内藤 元家は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。正室は市川元好の娘・紫福。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 内藤元家 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]初期 | 生誕 = [[天正]]9年([[1581年]]) | 死没 = [[慶長]]17年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]([[1612年]][[7月13日]]) | 改名 = 内藤元貞→内藤元家 | 別名 = 又二郎→善兵衛尉(通称) | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 法覚知伝 | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = [[毛利輝元]]→[[毛利秀就|秀就]] | 藩 = [[長州藩]] | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原秀郷|秀郷流]][[内藤氏]] | 父母 = 父:[[内藤隆春]]、母:[[阿座上盛豊]]の娘 | 兄弟 = 女([[益田藤兼]]継室)、[[河原殿]]([[吉見広頼]]継室)、[[綾木大方]]([[内藤元盛]]室→[[山内元如]]室)、<br>女([[湯氏|湯二郎左衛門尉]]室)、奥林([[勝間田就盛]]室)、女([[三田吉秀|三田吉右衛門尉]]室)、'''元家'''、[[内藤元忠|元忠]]、[[内藤親春|親春]] | 妻 = [[紫福]]([[市川元好]]の娘) | 子 = | 特記事項 = 元家の死後、同母弟の[[内藤元忠|元忠]]が[[家督]]を相続。 }} '''内藤 元家'''(ないとう もといえ)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]初期にかけての[[武将]]。[[毛利氏]]家臣で[[長州藩]]士。父は毛利氏の重臣・[[内藤隆春]]{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。母は[[内藤氏]]家臣・[[阿座上盛豊]]の娘{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。正室は[[市川元好]]の娘・[[紫福]]。 == 生涯 == [[天正]]9年([[1581年]])、[[毛利氏]]重臣・[[内藤隆春]]の長男として生まれる{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。 隆春の三女(元家の異母姉)である[[綾木大方]]と婚姻して隆春の婿養子となった[[内藤元盛]]が隆春の後を継いだため、元家は隆春の隠居領を譲り受けて別家を興し、[[毛利輝元]]に仕えた{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。 天正20年([[1592年]])から始まる[[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]]においては毛利輝元に従って[[朝鮮半島|朝鮮]]に渡海する<ref>『閥閲録』巻99「内藤小源太」第68号、天正20年(1592年)比定[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]付、又二郎(内藤元家)宛て周竹(内藤隆春)書状。</ref>。 [[慶長]]17年([[1612年]])[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]に病死{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}<ref name=kafu>『閥閲録』巻99「内藤小源太」家譜。</ref>。享年32{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。元家には嫡男がおらず、内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより<ref name=kafu></ref>、[[林元尚]]の養子となっていた同母弟の[[内藤元忠|元忠]]が元家の後を継いだ{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。 == 系譜 == * 父:[[内藤隆春]](1528-1600) - 内藤氏当主。 * 母:[[阿座上盛豊]]の娘(?-?) - 内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。内藤隆春の継室。 * 正室:[[紫福]](?-?) - [[市川元好]]の娘。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] * 『[[閥閲録|萩藩閥閲録]]』巻99「内藤小源太」 {{DEFAULTSORT:ないとう もといえ}} [[category:戦国武将]] [[Category:周防内藤氏|もといえ]] [[Category:長門国の人物]] [[Category:長州藩士]] [[Category:1581年生]] [[Category:1612年没]]
2023-12-08T16:34:33Z
2023-12-09T01:56:02Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:クローズドアクセス", "Template:基礎情報 武士", "Template:Sfn", "Template:Notelist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E5%85%83%E5%AE%B6
4,864,015
高瀬村 (大分県)
高瀬村(たかせむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。 高瀬川流域と筑後川(三隈川、大山川)流域に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高瀬村(たかせむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "高瀬川流域と筑後川(三隈川、大山川)流域に位置していた。", "title": "地理" } ]
高瀬村(たかせむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1940年12月11日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = [[日田町]]、[[三芳村 (大分県)|三芳村]]、[[光岡村]]、'''高瀬村'''、[[朝日村 (大分県日田郡)|朝日村]]、[[三花村]]、[[西有田村 (大分県)|西有田村]] → [[日田市]] | 現在の自治体 = 日田市 | よみがな = たかせむら | 自治体名 = 高瀬村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[日田郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 4245 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1940年 | 隣接自治体 = 日田町、三芳村、[[中川村 (大分県)|中川村]]、[[大山町 (大分県)|大山村]]、[[前津江村]]、[[五和村 (大分県)|五和村]]、光岡村 | 所在地 = 日田郡高瀬村大字高瀬 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''高瀬村'''(たかせむら{{R|変遷}})は、[[大分県]][[日田郡]]にあった[[村]]。現在の[[日田市]]の一部にあたる。 == 地理 == 高瀬川流域と[[筑後川]]([[三隈川]]、[[大山川]])流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、日田郡高瀬村、上野村が合併して村制施行し、'''高瀬村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』444頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』486-487頁。</ref>。旧村名を継承した高瀬、上野の2大字を編成{{R|角川}}。 *[[1940年]](昭和15年)12月11日、日田郡日田町、三芳村、光岡村、朝日村、三花村、西有田村と合併し、市制施行して'''[[日田市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、用材、薪炭{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:たかせむら}} [[Category:日田郡]] [[Category:日田市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1940年廃止の日本の市町村]]
2023-12-08T16:41:42Z
2023-12-08T16:41:42Z
false
false
false
[ "Template:日本の町村 (廃止)", "Template:R", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%80%AC%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C)
4,864,030
古田憲充
古田 憲充(ふるた のりみつ、1983年 - )は、経営品質協議会の認定セルフアセッサー。東京都大田区出身。経営学修士(中央大学)。 東京都立小山台高校卒業(硬式野球班)。 早稲田大学人間科学部人間情報科学科入学、第二文学部表現・芸術系専修卒業(鴻上尚史ゼミ)。 中央大学専門職大学院国際会計研究科修了(MBA in International Accounting)。 東京都立大学経済経営学部研究生(2022年-2023年) 2007年4月、株式会社IMJ(現 アクセンチュア株式会社)に新卒入社。 2013年10月、公益財団法人日本生産性本部に入職。経営アカデミー(経営大学院)での7年間の勤務等を経て、2023年4月より現職。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "古田 憲充(ふるた のりみつ、1983年 - )は、経営品質協議会の認定セルフアセッサー。東京都大田区出身。経営学修士(中央大学)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東京都立小山台高校卒業(硬式野球班)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "早稲田大学人間科学部人間情報科学科入学、第二文学部表現・芸術系専修卒業(鴻上尚史ゼミ)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "中央大学専門職大学院国際会計研究科修了(MBA in International Accounting)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "東京都立大学経済経営学部研究生(2022年-2023年)", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2007年4月、株式会社IMJ(現 アクセンチュア株式会社)に新卒入社。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2013年10月、公益財団法人日本生産性本部に入職。経営アカデミー(経営大学院)での7年間の勤務等を経て、2023年4月より現職。", "title": "略歴" } ]
古田 憲充は、経営品質協議会の認定セルフアセッサー。東京都大田区出身。経営学修士(中央大学)。
{{複数の問題 |特筆性=2023年12月9日 (土) 05:14 (UTC) | 分野=人物 |存命人物の出典皆無=2023年12月9日 (土) 05:14 (UTC) |独自研究 = 2023年12月 |孤立 = 2023年12月10日 (日) 01:45 (UTC) }} '''古田 憲充'''(ふるた のりみつ、1983年 - )は、[https://www.jqac.com/ 経営品質協議会]の認定セルフアセッサー。[[東京都]][[大田区]]出身。経営学修士(中央大学)。 == 略歴 == [[東京都立小山台高等学校|東京都立小山台高校]]卒業(硬式野球班)。 [[早稲田大学大学院人間科学研究科・人間科学部|早稲田大学人間科学部人間情報科学科]]入学、第二文学部表現・芸術系専修卒業(鴻上尚史ゼミ)。 [[中央大学|中央大学専門職大学院国際会計研究科]]修了(MBA in International Accounting)。 [[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学経済経営学部]]研究生(2022年-2023年) 2007年4月、株式会社IMJ(現 アクセンチュア株式会社)に新卒入社。 2013年10月、[[日本生産性本部|公益財団法人日本生産性本部]]に入職。[https://k-academy.jp/ 経営アカデミー](経営大学院)での7年間の勤務等を経て、2023年4月より現職。 {{DEFAULTSORT:ふるた のりみつ}} [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:東京都立小山台高等学校出身の人物]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:中央大学出身の人物]] [[Category:修士(経営学)取得者]]
2023-12-08T17:22:33Z
2023-12-10T01:45:04Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%86%B2%E5%85%85
4,864,032
令和5年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
令和5年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会(れいわ5ねんどてんのうはいこうごうはいぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかい)は、2023年に開催された17回目の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会である。 開催概要は以下の通り。 男女とも以下の記述の通りの都道府県ラウンド、ブロックラウンド、ファイナルラウンドの3段階方式である。 各都道府県ごとにブロックラウンドに進出する都道府県代表の1チームを決める大会を行う。 各地区ブロックごとにトーナメント戦を行い、ファイナルラウンド出場チームを決定する。参加資格は以下の通り。 2022-23 V.LEAGUEのV1上位8チームとブロックラウンドを勝ち抜いた16チームによるトーナメントで優勝を争う(男女とも24チーム)。当年度はV1男子のサントリーサンバーズ(2022-23 V1男子準優勝)が出場する世界クラブ選手権と日程が重なるため、サントリーは出場辞退し、同9位のVC長野トライデンツが繰り上げで当ラウンドからの出場となった。 2023年12月8日-17日に開催。 組み合わせは以下の通り。 試合結果は以下の通り。 組み合わせは以下の通り。 試合結果は以下の通り。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "令和5年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会(れいわ5ねんどてんのうはいこうごうはいぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかい)は、2023年に開催された17回目の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "開催概要は以下の通り。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "男女とも以下の記述の通りの都道府県ラウンド、ブロックラウンド、ファイナルラウンドの3段階方式である。", "title": "大会方式" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "各都道府県ごとにブロックラウンドに進出する都道府県代表の1チームを決める大会を行う。", "title": "大会方式" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "各地区ブロックごとにトーナメント戦を行い、ファイナルラウンド出場チームを決定する。参加資格は以下の通り。", "title": "大会方式" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2022-23 V.LEAGUEのV1上位8チームとブロックラウンドを勝ち抜いた16チームによるトーナメントで優勝を争う(男女とも24チーム)。当年度はV1男子のサントリーサンバーズ(2022-23 V1男子準優勝)が出場する世界クラブ選手権と日程が重なるため、サントリーは出場辞退し、同9位のVC長野トライデンツが繰り上げで当ラウンドからの出場となった。", "title": "大会方式" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年12月8日-17日に開催。", "title": "ファイナルラウンド" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "組み合わせは以下の通り。", "title": "ファイナルラウンド" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "試合結果は以下の通り。", "title": "ファイナルラウンド" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "組み合わせは以下の通り。", "title": "ファイナルラウンド" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "試合結果は以下の通り。", "title": "ファイナルラウンド" } ]
令和5年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会(れいわ5ねんどてんのうはいこうごうはいぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかい)は、2023年に開催された17回目の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会である。
{{Infobox sports season |title={{Nowrap|令和5年度天皇杯・皇后杯<br />全日本バレーボール選手権大会}} |color=#FFFFFF |color text=#A08034 |league=[[天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会]] |sport=[[バレーボール]] |duration=[[2023年]][[4月22日]] - [[12月17日]] |no_of_teams=男子:24、女子:24(ファイナルラウンド) |season=男子 |season_champ_name=優勝 |season_champs=[[パナソニックパンサーズ]] |second_place=[[ウルフドッグス名古屋]] |MVP=[[西田有志]]([[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]) |season2=女子 |season_champ2_name=優勝 |season_champs2=[[NECレッドロケッツ]] |second_place2=[[久光スプリングス]] |MVP2=[[古賀紗理那]]([[NECレッドロケッツ|NEC]]) |prevseason_link=令和4年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会 |prevseason_year=2022 |nextseason_link=令和6年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会 |nextseason_year=2024 }} '''令和5年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会'''(れいわ5ねんどてんのうはいこうごうはいぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかい)は、2023年に開催された17回目の[[天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会]]である。 == 概要 == === 日程・会場 === * 開催日:2023年4月22日 - 12月17日 ** 都道府県ラウンド:4月22日-7月30日 ** ブロックラウンド:9月2日-10月22日 ** ファイナルラウンド:12月8日-17日 * 会場 ** 都道府県ラウンド:各地 ** ブロックラウンド:各地 ** ファイナルラウンド *** [[武蔵野の森総合スポーツプラザ]](1回戦、2回戦、準々決勝) *** [[東京体育館]](準決勝、決勝) === 開催概要 === 開催概要は以下の通り。 * 参加資格:2023年度公益財団法人日本バレーボール協会「チーム加盟及び個人登録規程」に有効に登録されたチームおよび選手で構成された中学生以上のチーム。 * 大会使用球 ** 男子:[[モルテン]]製(V5M5000) ** 女子:[[ミカサ]]製(V300W) * 主催:[[日本バレーボール協会|公益財団法人日本バレーボール協会]] * 共催:[[日本バレーボールリーグ機構|一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ]] * 後援 ** ブロックラウンド:[[スポーツ庁]] ** ファイナルラウンド:スポーツ庁・[[日本放送協会|NHK]]・[[東京都]](予定) * 主管:開催地都道府県バレーボール協会 * 協賛:[[カプコン]]、[[久光製薬]]、[[全日本空輸|ANA]]、[[中央日本土地建物グループ]]、[[丸大食品]]、[[ネイチャーラボ]]、[[アシックス]]、[[ミズノ]]、[[豊田合成]](豊田合成はファイナルラウンドのみ)。 == 大会方式 == 男女とも以下の記述の通りの都道府県ラウンド、ブロックラウンド、ファイナルラウンドの3段階方式である。 ;都道府県ラウンド 各都道府県ごとにブロックラウンドに進出する都道府県代表の1チームを決める大会を行う。 ;ブロックラウンド 各地区ブロックごとにトーナメント戦を行い、ファイナルラウンド出場チームを決定する。参加資格は以下の通り。 # 都道府県ラウンド優勝チーム # 各カテゴリー(高校・大学・クラブ・実業団)優勝チーム # 各ブロック連盟推薦チーム # 実行委員会推薦チーム # 開催都道府県推薦チーム # Vリーグ所属チーム([[2023-24 V.LEAGUE|2023-24シーズン]]) ;ファイナルラウンド [[2022-23 V.LEAGUE]]のV1上位8チームとブロックラウンドを勝ち抜いた16チームによるトーナメントで優勝を争う(男女とも24チーム)。当年度はV1男子の[[サントリーサンバーズ]]([[2022-23 V.LEAGUE DIVISION1 MEN|2022-23 V1男子]]準優勝)が出場する[[2023年バレーボール男子世界クラブ選手権|世界クラブ選手権]]と日程が重なるため、サントリーは出場辞退し、同9位の[[VC長野トライデンツ]]が繰り上げで当ラウンドからの出場となった<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.jva.or.jp/topics/20230721-1/ |title=サントリーサンバーズ 天皇杯出場辞退のお知らせ |access-date=2023-12-09 |publisher=[[日本バレーボール協会]] |date=2023-07-21}}</ref>。 == ファイナルラウンド == 2023年12月8日-17日に開催。 === 男子 === ==== 出場チーム ==== {|class="wikitable" style="font-size:90%;" !出場枠!!チーム!!都道府県!!備考 |- |Rowspan="8"|V1男子||[[ウルフドッグス名古屋]]||[[愛知県]]||2022-23 V1男子・優勝 |- |[[パナソニックパンサーズ]]||[[大阪府]]||2022-23 V1男子・3位 |- |[[日本製鉄堺ブレイザーズ]]||[[大阪府]]||2022-23 V1男子・4位(「堺ブレイザーズ」よりチーム名変更) |- |[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レアローズ]]||[[静岡県]]||2022-23 V1男子・5位 |- |[[ジェイテクトSTINGS]]||[[愛知県]]||2022-23 V1男子・6位 |- |[[JTサンダーズ広島]]||[[広島県]]||2022-23 V1男子・7位 |- |[[東京グレートベアーズ]]||[[東京都]]||2022-23 V1男子・8位 |- |[[VC長野トライデンツ]]||[[長野県]]||2022-23 V1男子・9位 |- |北海道ブロック||[[ヴォレアス北海道]]||[[北海道]]||2022-23 V2男子・優勝→V1昇格 |- |東北ブロック||岡崎建設Owls||[[岩手県]]|| |- |Rowspan="4"|関東ブロック||[[早稲田大学]]||[[東京都]]|| |- |[[駿台学園中学校・高等学校|駿台学園高等学校]]||[[東京都]]|| |- |[[日本大学]]||[[東京都]]|| |- |[[日本体育大学]]||[[東京都]]|| |- |北信越ブロック||[[松本国際高等学校]]||[[長野県]]|| |- |Rowspan="2"|東海ブロック||[[アイシンティルマーレ]]||[[愛知県]]|| |- |[[トヨタ自動車サンホークス]]||[[愛知県]]|| |- |Rowspan="3"|近畿ブロック||[[近畿大学]]||[[大阪府]]|| |- |[[天理大学]]||[[奈良県]]|| |- |[[昇陽中学校・高等学校|昇陽高等学校]]||[[大阪府]]|| |- |中国ブロック||[[東亜大学]]||[[山口県]]|| |- |四国ブロック||[[高知工科大学]]||[[高知県]]|| |- |Rowspan="2"|九州ブロック||[[福岡大学]]||[[福岡県]]|| |- |[[フラーゴラッド鹿児島]]||[[鹿児島県]]|| |} ==== 組み合わせ ==== 組み合わせは以下の通り。 {{RoundN |columns = 5 |style = "font-size: smaller;" |skipmatch = 1;4;5;8;9;12;13;16 |score-boxes = 1 |team-width = |score-width = |omit_blanks = yes |3rdplace = no |bold_winner = high <!--1回戦--> |12月8日 |[[駿台学園中学校・高等学校|駿台学園高校]]|3 |[[高知工科大学]]|0 |12月8日 |[[近畿大学]]|3 |[[ヴォレアス北海道|ヴォレアス]]|2 |12月8日 |[[早稲田大学]]|3 |岡崎建設Owls|0 |12月8日 |[[福岡大学]]|3 |[[トヨタ自動車サンホークス|トヨタ自動車]]|2 |12月8日 |[[アイシンティルマーレ|アイシン]]|2 |[[天理大学]]|3 |12月8日 |[[日本体育大学]]|0 |[[フラーゴラッド鹿児島|F鹿児島]]|3 |12月8日 |[[昇陽中学校・高等学校|昇陽高校]]|2 |[[東亜大学]]|3 |12月8日 |[[日本大学]]|3 |[[松本国際高等学校|松本国際高校]]|0 <!--2回戦--> |12月9日 |[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3 |[[駿台学園中学校・高等学校|駿台学園高校]]|0 |12月9日 |[[近畿大学]]|3 |[[VC長野トライデンツ|VC長野]]|2 |12月9日 |[[ジェイテクトSTINGS|ジェイテクト]]|3 |[[早稲田大学]]|0 |12月9日 |[[福岡大学]]|0 |[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|3 |12月9日 |[[日本製鉄堺ブレイザーズ|日鉄堺BZ]]|3 |[[天理大学]]|0 |12月9日 |[[フラーゴラッド鹿児島|F鹿児島]]|0 |[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|3 |12月9日 |[[東京グレートベアーズ|東京GB]]|3 |[[東亜大学]]|0 |12月9日 |[[日本大学]]|0 |[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|3 <!--準々決勝--> |12月10日 |[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3 |[[近畿大学]]|1 |12月10日 |[[ジェイテクトSTINGS|ジェイテクト]]|0 |[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|3 |12月10日 |[[日本製鉄堺ブレイザーズ|日鉄堺BZ]]|0 |[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|3 |12月10日 |[[東京グレートベアーズ|東京GB]]|0 |[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|3 <!--準決勝--> |12月16日 |[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3 |[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|1 |12月16日 |[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|0 |[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|3 <!--決勝--> |12月17日 |[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|1 |[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|3 }} ==== 試合結果 ==== 試合結果は以下の通り。 ; 1回戦(Aコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月8日|10:00|[[駿台学園中学校・高等学校|駿台学園高校]]|3–0|[[高知工科大学]]|25–18|25–15|25–20|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|12:00|[[近畿大学]]|3–2|[[ヴォレアス北海道|ヴォレアス]]|22–25|23–25|27–25|25–23|15–13|11=}} {{Vb res 51|12月8日|14:00|[[早稲田大学]]|3–0|岡崎建設Owls|30–28|25–15|25–16|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|16:00|[[福岡大学]]|3–2|[[トヨタ自動車サンホークス|トヨタ自動車]]|21–25|25–19|32–30|12–25|15–8|11=}} |} ; 1回戦(Bコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月8日|10:00|[[アイシンティルマーレ|アイシン]]|2–3|[[天理大学]]|25–19|22–25|23–25|25–20|15–17|11=}} {{Vb res 51|12月8日|12:00|[[日本体育大学]]|0–3|[[フラーゴラッド鹿児島|F鹿児島]]|23–25|25–27|22–25|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|14:00|[[昇陽中学校・高等学校|昇陽高校]]|2–3|[[東亜大学]]|19–25|25–21|17–25|25–22|15–17|11=}} {{Vb res 51|12月8日|16:00|[[日本大学]]|3–0|[[松本国際高等学校|松本国際高校]]|25–20|25–18|25–13|||11=}} |} ; 2回戦(Aコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月9日|10:00|[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3–0|[[駿台学園中学校・高等学校|駿台学園高校]]|25–18|25–20|25–13|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|12:00|[[近畿大学]]|3–2|[[VC長野トライデンツ|VC長野]]|25–23|25–22|18–25|16–25|15–11|11=}} {{Vb res 51|12月9日|14:00|[[ジェイテクトSTINGS|ジェイテクト]]|3–0|[[早稲田大学]]|28–26|25–21|25–23|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|16:00|[[福岡大学]]|0–3|[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|21–25|21–25|13–25|||11=}} |} ; 2回戦(Bコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月9日|10:00|[[日本製鉄堺ブレイザーズ|日鉄堺BZ]]|3–0|[[天理大学]]|25–23|25–20|25–20|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|12:00|[[フラーゴラッド鹿児島|F鹿児島]]|0–3|[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|14–25|13–25|10–25|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|14:00|[[東京グレートベアーズ|東京GB]]|3–0|[[東亜大学]]|26–24|25–21|25–20|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|16:00|[[日本大学]]|0–3|[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|18–25|13–25|15–25|||11=}} |} ; 準々決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月10日|10:00|[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3–1|[[近畿大学]]|25–20|22–25|25–22|25–14||11=}} {{Vb res 51|12月10日|12:00|[[ジェイテクトSTINGS|ジェイテクト]]|0–3|[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|22–25|18–25|19–25|||11=}} {{Vb res 51|12月10日|14:00|[[日本製鉄堺ブレイザーズ|日鉄堺BZ]]|0–3|[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|15–25|16–25|16–25|||11=}} {{Vb res 51|12月10日|16:00|[[東京グレートベアーズ|東京GB]]|0–3|[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|16–25|22–25|21–25|||11=}} |} ; 準決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月16日|15:45|[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|3–1|[[東レアローズ (男子バレーボール)|東レ]]|25–23|20–25|25–19|34–32||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_men1_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_men1_b.pdf B]}} {{Vb res 51|12月16日|18:45|[[JTサンダーズ広島|JT広島]]|0–3|[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|21–25|17–25|22–25|||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_men2_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_men2_b.pdf B]}} |} ; 決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月17日|15:11|[[ウルフドッグス名古屋|WD名古屋]]|1–3|[[パナソニックパンサーズ|パナソニック]]|27–25|29–31|15–25|23–25||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_final_men1_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_final_men2_a.pdf B]}} |} ==== 最終結果 ==== {|class="wikitable" !成績!!チーム |- |Align="center"|優勝||[[パナソニックパンサーズ]] |- |Align="center"|準優勝||[[ウルフドッグス名古屋]] |} ==== 表彰 ==== * 最高殊勲選手 - [[西田有志]]([[パナソニックパンサーズ]])<ref name="最高殊勲選手">{{Cite news |title=【バレー】西田有志が古賀紗理那と夫婦でMVP「家族で達成うれしい」パナソニック天皇杯V導く |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2023-12-17 |url=https://www.nikkansports.com/sports/news/202312170001526.html |access-date=2023-12-17}}</ref> === 女子 === ==== 出場チーム ==== {|class="wikitable" style="font-size:90%;" !出場枠!!チーム!!都道府県!!備考 |- |Rowspan="8"|V1女子||[[NECレッドロケッツ]]||[[東京都]]||2022-23 V1女子・優勝 |- |[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レアローズ]]||[[滋賀県]]||2022-23 V1女子・準決勝 |- |[[久光スプリングス]]||[[佐賀県]]||2022-23 V1女子・3位 |- |[[埼玉上尾メディックス]]||[[埼玉県]]||2022-23 V1女子・4位 |- |[[JTマーヴェラス]]||[[大阪府]]||2022-23 V1女子・5位 |- |[[デンソーエアリービーズ]]||[[愛知県]]||2022-23 V1女子・6位 |- |[[日立Astemoリヴァーレ]]||[[茨城県]]||2022-23 V1女子・7位 |- |[[トヨタ車体クインシーズ]]||[[愛知県]]||2022-23 V1女子・8位 |- |北海道ブロック||[[アルテミス北海道]]||[[北海道]]|| |- |東北ブロック||[[プレステージ・インターナショナルアランマーレ (バレーボール)|プレステージ・インターナショナルアランマーレ]]||[[山形県]]||2022-23 V2女子・優勝→V1昇格 |- |Rowspan="3"|関東ブロック||[[青山学院大学]]||[[東京都]]|| |- |[[東海大学]]||[[東京都]]|| |- |[[東京女子体育大学]]||[[東京都]]|| |- |Rowspan="2"|北信越ブロック||[[PFUブルーキャッツ]]||[[石川県]]||2022-23 V1女子・9位 |- |[[KUROBEアクアフェアリーズ]]||[[富山県]]||2022-23 V1女子・10位 |- |Rowspan="2"|東海ブロック||[[ブレス浜松]]||[[静岡県]]|| |- |[[JAぎふリオレーナ]]||[[岐阜県]]|| |- |Rowspan="2"|近畿ブロック||[[ヴィクトリーナ姫路]]||[[兵庫県]]|| |- |[[金蘭会中学校・高等学校|金蘭会高等学校]]||[[大阪府]]|| |- |中国ブロック||[[岡山シーガルズ]]||[[岡山県]]||2022-23 V1女子・11位 |- |四国ブロック||[[徳島県立鳴門渦潮高等学校]]||[[徳島県]]|| |- |Rowspan="3"|九州ブロック||[[フォレストリーヴズ熊本]]||[[熊本県]]|| |- |[[福岡大学]]||[[福岡県]]|| |- |[[九州共立大学]]||[[福岡県]]|| |} ==== 組み合わせ ==== 組み合わせは以下の通り。 {{RoundN |columns = 5 |style = "font-size: smaller;" |skipmatch = 1;4;5;8;9;12;13;16 |score-boxes = 1 |team-width = |score-width = |omit_blanks = yes |3rdplace = no |bold_winner = high <!--1回戦--> |12月8日 |[[フォレストリーヴズ熊本|熊本]]|3 |[[徳島県立鳴門渦潮高等学校|鳴門渦潮高校]]|0 |12月8日 |[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|3 |[[アルテミス北海道|アルテミス]]|0 |12月8日 |[[プレステージ・インターナショナルアランマーレ (バレーボール)|アランマーレ]]|3 |[[九州共立大学]]|1 |12月8日 |[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|3 |[[東海大学]]|0 |12月8日 |[[ブレス浜松|浜松]]|0 |[[東京女子体育大学]]|3 |12月8日 |[[岡山シーガルズ|岡山]]|3 |[[金蘭会中学校・高等学校|金蘭会高校]]|0 |12月8日 |[[KUROBEアクアフェアリーズ|KUROBE]]|3 |[[福岡大学]]|0 |12月8日 |[[JAぎふリオレーナ|JAぎふ]]|0 |[[青山学院大学]]|3 <!--2回戦--> |12月9日 |[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3 |[[フォレストリーヴズ熊本|熊本]]|0 |12月9日 |[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|3 |[[トヨタ車体クインシーズ|トヨタ車体]]|1 |12月9日 |[[JTマーヴェラス|JT]]|3 |[[プレステージ・インターナショナルアランマーレ (バレーボール)|アランマーレ]]|1 |12月9日 |[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|3 |[[埼玉上尾メディックス|埼玉上尾]]|0 |12月9日 |[[久光スプリングス|久光]]|3 |[[東京女子体育大学]]|0 |12月9日 |[[岡山シーガルズ|岡山]]|2 |[[デンソーエアリービーズ|デンソー]]|3 |12月9日 |[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|3 |[[KUROBEアクアフェアリーズ|KUROBE]]|1 |12月9日 |[[青山学院大学]]|2 |[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レ]]|3 <!--準々決勝--> |12月10日 |[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3 |[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|0 |12月10日 |[[JTマーヴェラス|JT]]|3 |[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|1 |12月10日 |[[久光スプリングス|久光]]|3 |[[デンソーエアリービーズ|デンソー]]|0 |12月10日 |[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|3 |[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レ]]|2 <!--準決勝--> |12月16日 |[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3 |[[JTマーヴェラス|JT]]|0 |12月16日 |[[久光スプリングス|久光]]|3 |[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|1 <!--決勝--> |12月17日 |[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3 |[[久光スプリングス|久光]]|1 }} ==== 試合結果 ==== 試合結果は以下の通り。 ; 1回戦(Cコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月8日|10:00|[[フォレストリーヴズ熊本|熊本]]|3–0|[[徳島県立鳴門渦潮高等学校|鳴門渦潮高校]]|25–6|25–9|25–16|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|12:00|[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|3–0|[[アルテミス北海道|アルテミス]]|25–14|25–17|25–14|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|14:00|[[プレステージ・インターナショナルアランマーレ (バレーボール)|アランマーレ]]|3–1|[[九州共立大学]]|25–18|25–21|20–25|25–18||11=}} {{Vb res 51|12月8日|16:00|[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|3–0|[[東海大学]]|25–10|25–21|30–28|||11=}} |} ; 1回戦(Dコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月8日|10:00|[[ブレス浜松|浜松]]|0–3|[[東京女子体育大学]]|16–25|18–25|28–30|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|12:00|[[岡山シーガルズ|岡山]]|3–0|[[金蘭会中学校・高等学校|金蘭会高校]]|25–16|25–22|25–16|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|14:00|[[KUROBEアクアフェアリーズ|KUROBE]]|3–0|[[福岡大学]]|25–19|25–21|28–26|||11=}} {{Vb res 51|12月8日|16:00|[[JAぎふリオレーナ|JAぎふ]]|0–3|[[青山学院大学]]|14–25|20–25|25–27|||11=}} |} ; 2回戦(Cコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月9日|10:00|[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3–0|[[フォレストリーヴズ熊本|熊本]]|25–17|25–14|25–17|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|12:00|[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|3–1|[[トヨタ車体クインシーズ|トヨタ車体]]|25–22|25–17|22–25|25–23||11=}} {{Vb res 51|12月9日|14:00|[[JTマーヴェラス|JT]]|3–1|[[プレステージ・インターナショナルアランマーレ (バレーボール)|アランマーレ]]|25–22|23–25|25–19|25–14||11=}} {{Vb res 51|12月9日|16:00|[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|3–0|[[埼玉上尾メディックス|埼玉上尾]]|25–18|25–21|25–15|||11=}} |} ; 2回戦(Dコート) {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月9日|10:00|[[久光スプリングス|久光]]|3–0|[[東京女子体育大学]]|25–20|25–9|25–13|||11=}} {{Vb res 51|12月9日|12:00|[[岡山シーガルズ|岡山]]|2–3|[[デンソーエアリービーズ|デンソー]]|25–20|17–25|28–26|19–25|7–15|11=}} {{Vb res 51|12月9日|14:00|[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|3–1|[[KUROBEアクアフェアリーズ|KUROBE]]|25–21|27–29|25–22|25–18||11=}} {{Vb res 51|12月9日|16:00|[[青山学院大学]]|2–3|[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レ]]|25–22|20–25|25–20|22–25|20–22|11=}} |} ; 準々決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月10日|10:00|[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3–0|[[PFUブルーキャッツ|PFU]]|25–21|25–22|25–17|||11=}} {{Vb res 51|12月10日|12:00|[[JTマーヴェラス|JT]]|3–1|[[ヴィクトリーナ姫路|姫路]]|26–24|26–28|25–19|29–27||11=}} {{Vb res 51|12月10日|14:00|[[久光スプリングス|久光]]|3–0|[[デンソーエアリービーズ|デンソー]]|25–14|25–16|25–18|||11=}} {{Vb res 51|12月10日|16:00|[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|3–2|[[東レアローズ (女子バレーボール)|東レ]]|20–25|20–25|25–18|25–19|15–11|11=}} |} ; 準決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月16日|10:30|[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3–0|[[JTマーヴェラス|JT]]|25–17|25–23|29–27|||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_women1_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_women1_b.pdf B]}} {{Vb res 51|12月16日|12:45|[[久光スプリングス|久光]]|3–1|[[日立Astemoリヴァーレ|日立Astemo]]|27–25|20–25|25–19|25–20||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_women2_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_semifinal_women2_b.pdf B]}} |} ; 決勝 {{Vb res start 5}} {{Vb res 51|12月17日|10:41|[[NECレッドロケッツ|NEC]]|3–1|[[久光スプリングス|久光]]|25–17|21–25|25–19|25–18||11=[https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_final_women1_a.pdf A] [https://www.jva.or.jp/cms/wp-content/uploads/2023tk_final_women1_b.pdf B]}} |} ==== 最終結果 ==== {|class="wikitable" !成績!!チーム |- |Align="center"|優勝||[[NECレッドロケッツ]] |- |Align="center"|準優勝||[[久光スプリングス]] |} ==== 表彰 ==== * 最高殊勲選手 - [[古賀紗理那]]([[NECレッドロケッツ]])<ref name="最高殊勲選手" /> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.jva.or.jp/domestic2023/6alljapan/ 令和5年度 天皇杯・皇后杯 全日本選手権大会] - [[日本バレーボール協会]] {{天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会}} <section begin="都道府県R見出し" /><includeonly>{|class="wikitable" style="font-size:smaller; white-space:nowrap;" !Width="70"|都道府県 !Width="100"|開催日 !Width="300"|会場 !組合せ・結果 !Width="200"|優勝チーム !Width="200"|備考</includeonly><section end="都道府県R見出し" /> {{デフォルトソート:てんのうはいこうこうはいせんにほんはれほるせんしゆけんたいかい2023}} [[Category:2023年のバレーボール]] [[Category:天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会|2023]] [[Category:2023年の日本のスポーツ]]
2023-12-08T17:38:48Z
2023-12-21T15:14:05Z
false
false
false
[ "Template:Infobox sports season", "Template:RoundN", "Template:Vb res start 5", "Template:Vb res 51", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite news", "Template:天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%92%8C5%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%9D%AF%E3%83%BB%E7%9A%87%E5%90%8E%E6%9D%AF%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E5%A4%A7%E4%BC%9A
4,864,046
淀神社
もしかして ではありませんか?
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "もしかして", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ではありませんか?", "title": null } ]
もしかして 與杼神社 ではありませんか?
{{もしかして|與杼神社}} {{Short pages monitor}}<!-- 以下のコメントは、[[Template:Long comment]]をsubst展開(ソースに「subst:Long comment」を二重の中括弧で括った上で追加)することによって挿入された長いコメント(<!--と-->(実際には不等号は半角です)で囲まれた部分のことです)です。このコメントは、編集画面においてのみ表示され、閲覧画面においては表示されないような仕組みになっています。このコメントは、ソフトリダイレクトなどの、特別な事情があるために、どうしても非常に短い状態にならざるを得ない記事に挿入されています。[[特別:短いページ]]には、テスト投稿やサブスタブ記事のように、メンテナンスを必要とする極めて短い記事がページサイズの小さい順に並べられています。しかし、この特別ページにソフトリダイレクトなどの、必然的にページサイズが小さくなってしまうようなページへのリンクが大量に並んでしまうと、[[特別:短いページ]]本来の役割を損なってしまう恐れがあります。この長いコメントを挿入していることで、ソフトリダイレクトのようなページが[[特別:短いページ]]に載らないようにし、[[特別:短いページ]]が使いやすく保たれています。このコメントの必要性・有用性を理解しないままコメントや{{Short pages monitor}}を除去したり、短く改変したりすることは、どうか控えてくださるようご協力をお願い申し上げます。それを理解した上で、もし除去する必要がある場合は、必ずこのコメントと一緒に、{{Short pages monitor}}も除去するようにしてください。なお、{{Short pages monitor}}は、[[Template:Long comment]]をsubst展開して使用した記事を追跡するためのテンプレートです。 --> {{DEFAULTSORT:よとしんしや}}
2023-12-08T18:18:41Z
2023-12-08T18:18:41Z
false
false
false
[ "Template:もしかして", "Template:Short pages monitor" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE
4,864,050
安曇野道路
安曇野道路(あづみのどうろ)は長野県安曇野市で事業化された、延長約4 km(キロメートル)の地域高規格道路の新設区間である。 新潟県糸魚川市と長野県松本市とを結ぶ松本糸魚川連絡道路の一部を形成する。。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "安曇野道路(あづみのどうろ)は長野県安曇野市で事業化された、延長約4 km(キロメートル)の地域高規格道路の新設区間である。 新潟県糸魚川市と長野県松本市とを結ぶ松本糸魚川連絡道路の一部を形成する。。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" } ]
安曇野道路(あづみのどうろ)は長野県安曇野市で事業化された、延長約4 km(キロメートル)の地域高規格道路の新設区間である。 新潟県糸魚川市と長野県松本市とを結ぶ松本糸魚川連絡道路の一部を形成する。。
'''安曇野道路'''(あづみのどうろ)は[[長野県]][[安曇野市]]で事業化された、延長約4&nbsp;km([[キロメートル]])の[[地域高規格道路]]の新設区間である。 [[新潟県]][[糸魚川市]]と長野県松本市とを結ぶ[[松本糸魚川連絡道路]]の一部を形成する。<ref>[https://www.pref.nagano.lg.jp/michiken/infra/doro/matsuito/index.html 長野県ホームページ]</ref>。 == 概要 == === 路線データ === * 路線 : [[長野県道51号大町明科線]] * 起点 : [[長野県]][[安曇野市]][[豊科]]光 * 終点 : 長野県安曇野市[[穂高]]北穂高 * 延長 : 4.0&nbsp;km * 幅員 ** 総幅員 : 9.5&nbsp;[[メートル|m]] ** 車線幅 : 3.25&nbsp;m * 設計速度 : 60&nbsp;[[キロメートル毎時|km/h]] * 車線数 : 2車線 == 歴史 == * [[1994年]]([[平成]]6年)[[12月16日]] : 「候補路線指定」(旧・波田町 - 糸魚川市 約100&nbsp;km) * [[1998年]](平成10年)[[6月16日]] : 「計画路線指定」(旧・波田町 - 糸魚川市 約100&nbsp;km) * [[1999年]](平成11年)[[12月17日]] : 「調査区間指定」(安曇野市 - 大町市 約15&nbsp;km) * [[2022年]](令和4年)[[3月29日]] : 「整備区間指定」([[安曇野市]]約4&nbsp;km) * [[2022年]](令和4年)[[4月]] : 事業化 == 路線状況 == === 構造物等 === * [[安曇野北インターチェンジ]] **(※[[長野自動車道]]安曇野市豊科光) * [[橋梁]] **(※1級河川 [[犀川]]・[[穂高川]]・[[高瀬川]] 付近) == 地理 == === 通過する自治体 === * [[長野県]] ** [[安曇野市]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[地域高規格道路]] * [[松本糸魚川連絡道路]] * [[長野自動車道]] * [[長野県道51号大町明科線]] == 外部リンク == * [http://www.pref.nagano.lg.jp/michiken/infra/doro/matsuito/index.html 地域高規格道路『松本糸魚川連絡道路』について] - 長野県建設部道路建設課 * [https://www.pref.nagano.lg.jp/azumiken/matsuito-doro.html 地域高規格道路「松本糸魚川連絡道路」] - 長野県安曇野建設事務所 * [https://www.city.azumino.nagano.jp/soshiki/33/100045.html 地域高規格道路「松本糸魚川連絡道路」説明資料] - 安曇野市 {{DEFAULTSORT:あつみのとうろ}} [[Category:地域高規格道路]] [[Category:長野県の道路]] [[Category:安曇野市の交通]]
2023-12-08T18:51:34Z
2023-12-09T00:54:02Z
false
false
false
[ "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9B%87%E9%87%8E%E9%81%93%E8%B7%AF
4,864,082
輕型巡防艦
軽型巡防艦、中華民国海軍の当初の12項の造艦計画のうち、主力ミサイルフリゲート(FFG)計画であった「震海計画」の遅延と、中国人民解放軍海軍に対処するのに十分な数の中大型艦が艦隊に不足していたため、「震海計画」の予算は軽型巡防艦の建造に変更されました。最初の艦は 2024 年に建造が開始される予定で、防空型と対潜型の2つの構成に分けられ 、6隻の濟陽級フリゲートを置き換えるために12隻が建造される予定である 。 2018年9月に高雄市で開催された第2回高雄国際海事船舶・防衛産業展示会(KIMD EXPO 2018)では、国家中山科学研究院と台湾国際造船が共同発表した1,400トンの軽フリゲートの設計コンセプトが展示された。 双方の情報によると、この設計コンセプト船は全長85m、全幅13.1m、吃水3.2m、排水量約1,400トン、ディーゼルエンジン2基、最高速度30ノット、 12ノットの速度で 2,200 海里の航続距離を持ち、人員 70 名、回転式フェーズドアレイレーダー、76mm単装速射砲を使用し、8発の対艦ミサイルと16発の艦対空ミサイルを搭載しており、いずれも傾斜発射システムを備えてい。また、特殊作戦舟艇とデコイ展開システム、対潜魚雷、海剣羚近接防空ミサイル、艦載機関砲システムも装備されています。艦載ミサイルの種類は明らかにされていないが、模擬戦闘のアニメーションによると、雄風二型SSMと海剣二型SAMのはずで、外部からは第二世代の新型二級艦とみなされている。 。 2021年12月、中華民国海軍は軽型巡防艦の技術サービスの入札を行ったが、すぐに撤回された。 2022年8月31日に発表された「中華民國112年度国防部予算案」において、「震海計画(中華民国海軍新世代4500-6500トン四面固定式のAESAをを搭載したミサイルフリゲート(FFG))」が 「軽型巡防艦」に変更されることが確定した。245億4900万ドルの「震海計画」予算では、科目と実施スケジュールに変更はないが、1500~2000トン級に格下げされる(回転式フェーズドアレイレーダー使用、コルベット対応)、海軍戦闘力の格差の需要に応えた 。 2022年12月22日、入札文書の公開閲読が発表され、2隻の試作艦の総予算は約200億元で、C4IシステムはNCSISTに委託され、船体は国内公開入札で実施し、2隻の試作艦の建造費はそれぞれ90億5000万元で、対空型は46億元、対潜型は44億5000万元で、その他の予算はミサイル、レーダー、C4Iシステムの調達と統合費用である。船体は低RCS設計の単胴船、上部がアルミニウム製、下部が鋼鉄製の構造となっている 。 2023年11月17日、中信造船集団は軽型巡防艦および防空型試作艦建造の起工式を行った 。 2023年4月、海軍の「防空型」および「対潜型」軽型巡防艦試作艦が第2次開札プロセスを経て中信造船集団によって選定・建造された 。軽型巡防艦の戦術情報処理装置は、NCSISTから米ロッキード・マーティン社にCMS-330戦術情報処理装置を採用するよう通知された。これはカナダ海軍のCSC計画艦が選択したものと同じシステムである。 2023 年 8 月末、海軍の内部選考を経て、アメリカのGibbs & Cox社海軍の軽型巡防艦の船体設計する予定です。軽型巡防艦は、米国のコンステレーション級ミサイルフリゲートを小型化したような外観で(Gibbs & Cox社は米国の老舗艦艇設計事務所で、O・H・ペリー級ミサイルフリゲート、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦、LCS、そして現在建造中のコンステレーション級ミサイルフリゲートの設計を担当している。) 、整備の一貫性から、GEのLM2500+G4ガスタービンエンジンを搭載し、順調にいけば、9月末までに詳細設計を完了する予定である。 2023年5月8日、国防部は中信造船が90億5000万台湾ドルで落札し、5月12日から正式に契約を履行すると正式に発表した。 「防空型」と「対潜型」の試作艦2隻の引き渡しは2026年10月末までに完了する予定だ。 2023年6月、メディアによると、詳細な計算の結果、試作艦は当初の仕様より100メートル長くなり、総トン数は2500トンを超えることが判明した。海軍上層部は、艦の全長が100メートルを超えることを確認した。海軍は全長110mを超えてはならないと主張しており、110mを超えると、トン数は全長125mの康定級フリゲートに近くなる。船体の長さとトン数は軍艦の最高速度に関係するためで、実際のトン数の大きさについては、海軍は中信造船と緊密に協議しており、詳細設計段階に入る前に6月末までに最終決定したいと考えている 。 メディアは2023年7月、関連ユニットが戦闘任務の特性に必要な兵器構成に関する報告書を提出したと指摘し、満載排水量が2,500トンに維持され、船体の全長が110m未満であれば、内部空間はかなり飽和状態になり、将来的な性能強化につながらない。海軍は中信造船と作戦要件や兵器システムの仕様について協議し、全長120m近く、排水量3000トン近くに落ち着いた。順調にいけば、2023年8月末までに、康定級フリゲートに匹敵するトン数の軽型巡防艦試作艦の設計図が完成する。 2022年10月11日に発表された「海軍新世代軽型巡防艦建造計画」のプロジェクト報告書では、中国人民解放軍海軍が主に053H3型(江衛II型)フリゲート、054A型(江凱II型)フリゲート、 056A型コルベットトン数の小さな軍艦を主に配備し、兵力の使用を制限した。そのため、我々は2500トン級の軽型巡防艦の建造に切り替えた。海軍は2025年に「防空型」試作艦を、2026年に「対潜型」試作艦を受領する予定である 。 2022年10月12日、立法院のプロジェクト報告書において、海軍司令部参謀長の蔣正国中将の回答によると、試作艦2隻の建造に加え、後続艦10隻の建造が見込まれている 。 2023年9月中旬に開催された台北航空宇宙・防衛産業展の情報によると、Gibbs & Cox社は中信造船集団と共同で軽型巡防艦の設計を進めており、まだ予備設計(Preliminary)の段階であり、その後、契約設計(Contract,水槽試験を含む)、詳細設計を順次完了させる予定である。G&Cは、軽型巡防艦の艦体は、既製の設計ではなく、中華民国海軍の要求に完全に基づいた、ゼロからの「Clean sheet」設計であることを明らかにした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "軽型巡防艦、中華民国海軍の当初の12項の造艦計画のうち、主力ミサイルフリゲート(FFG)計画であった「震海計画」の遅延と、中国人民解放軍海軍に対処するのに十分な数の中大型艦が艦隊に不足していたため、「震海計画」の予算は軽型巡防艦の建造に変更されました。最初の艦は 2024 年に建造が開始される予定で、防空型と対潜型の2つの構成に分けられ 、6隻の濟陽級フリゲートを置き換えるために12隻が建造される予定である 。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2018年9月に高雄市で開催された第2回高雄国際海事船舶・防衛産業展示会(KIMD EXPO 2018)では、国家中山科学研究院と台湾国際造船が共同発表した1,400トンの軽フリゲートの設計コンセプトが展示された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "双方の情報によると、この設計コンセプト船は全長85m、全幅13.1m、吃水3.2m、排水量約1,400トン、ディーゼルエンジン2基、最高速度30ノット、 12ノットの速度で 2,200 海里の航続距離を持ち、人員 70 名、回転式フェーズドアレイレーダー、76mm単装速射砲を使用し、8発の対艦ミサイルと16発の艦対空ミサイルを搭載しており、いずれも傾斜発射システムを備えてい。また、特殊作戦舟艇とデコイ展開システム、対潜魚雷、海剣羚近接防空ミサイル、艦載機関砲システムも装備されています。艦載ミサイルの種類は明らかにされていないが、模擬戦闘のアニメーションによると、雄風二型SSMと海剣二型SAMのはずで、外部からは第二世代の新型二級艦とみなされている。 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2021年12月、中華民国海軍は軽型巡防艦の技術サービスの入札を行ったが、すぐに撤回された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2022年8月31日に発表された「中華民國112年度国防部予算案」において、「震海計画(中華民国海軍新世代4500-6500トン四面固定式のAESAをを搭載したミサイルフリゲート(FFG))」が 「軽型巡防艦」に変更されることが確定した。245億4900万ドルの「震海計画」予算では、科目と実施スケジュールに変更はないが、1500~2000トン級に格下げされる(回転式フェーズドアレイレーダー使用、コルベット対応)、海軍戦闘力の格差の需要に応えた 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2022年12月22日、入札文書の公開閲読が発表され、2隻の試作艦の総予算は約200億元で、C4IシステムはNCSISTに委託され、船体は国内公開入札で実施し、2隻の試作艦の建造費はそれぞれ90億5000万元で、対空型は46億元、対潜型は44億5000万元で、その他の予算はミサイル、レーダー、C4Iシステムの調達と統合費用である。船体は低RCS設計の単胴船、上部がアルミニウム製、下部が鋼鉄製の構造となっている 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年11月17日、中信造船集団は軽型巡防艦および防空型試作艦建造の起工式を行った 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年4月、海軍の「防空型」および「対潜型」軽型巡防艦試作艦が第2次開札プロセスを経て中信造船集団によって選定・建造された 。軽型巡防艦の戦術情報処理装置は、NCSISTから米ロッキード・マーティン社にCMS-330戦術情報処理装置を採用するよう通知された。これはカナダ海軍のCSC計画艦が選択したものと同じシステムである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2023 年 8 月末、海軍の内部選考を経て、アメリカのGibbs & Cox社海軍の軽型巡防艦の船体設計する予定です。軽型巡防艦は、米国のコンステレーション級ミサイルフリゲートを小型化したような外観で(Gibbs & Cox社は米国の老舗艦艇設計事務所で、O・H・ペリー級ミサイルフリゲート、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦、LCS、そして現在建造中のコンステレーション級ミサイルフリゲートの設計を担当している。) 、整備の一貫性から、GEのLM2500+G4ガスタービンエンジンを搭載し、順調にいけば、9月末までに詳細設計を完了する予定である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2023年5月8日、国防部は中信造船が90億5000万台湾ドルで落札し、5月12日から正式に契約を履行すると正式に発表した。 「防空型」と「対潜型」の試作艦2隻の引き渡しは2026年10月末までに完了する予定だ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2023年6月、メディアによると、詳細な計算の結果、試作艦は当初の仕様より100メートル長くなり、総トン数は2500トンを超えることが判明した。海軍上層部は、艦の全長が100メートルを超えることを確認した。海軍は全長110mを超えてはならないと主張しており、110mを超えると、トン数は全長125mの康定級フリゲートに近くなる。船体の長さとトン数は軍艦の最高速度に関係するためで、実際のトン数の大きさについては、海軍は中信造船と緊密に協議しており、詳細設計段階に入る前に6月末までに最終決定したいと考えている 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "メディアは2023年7月、関連ユニットが戦闘任務の特性に必要な兵器構成に関する報告書を提出したと指摘し、満載排水量が2,500トンに維持され、船体の全長が110m未満であれば、内部空間はかなり飽和状態になり、将来的な性能強化につながらない。海軍は中信造船と作戦要件や兵器システムの仕様について協議し、全長120m近く、排水量3000トン近くに落ち着いた。順調にいけば、2023年8月末までに、康定級フリゲートに匹敵するトン数の軽型巡防艦試作艦の設計図が完成する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2022年10月11日に発表された「海軍新世代軽型巡防艦建造計画」のプロジェクト報告書では、中国人民解放軍海軍が主に053H3型(江衛II型)フリゲート、054A型(江凱II型)フリゲート、 056A型コルベットトン数の小さな軍艦を主に配備し、兵力の使用を制限した。そのため、我々は2500トン級の軽型巡防艦の建造に切り替えた。海軍は2025年に「防空型」試作艦を、2026年に「対潜型」試作艦を受領する予定である 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2022年10月12日、立法院のプロジェクト報告書において、海軍司令部参謀長の蔣正国中将の回答によると、試作艦2隻の建造に加え、後続艦10隻の建造が見込まれている 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2023年9月中旬に開催された台北航空宇宙・防衛産業展の情報によると、Gibbs & Cox社は中信造船集団と共同で軽型巡防艦の設計を進めており、まだ予備設計(Preliminary)の段階であり、その後、契約設計(Contract,水槽試験を含む)、詳細設計を順次完了させる予定である。G&Cは、軽型巡防艦の艦体は、既製の設計ではなく、中華民国海軍の要求に完全に基づいた、ゼロからの「Clean sheet」設計であることを明らかにした。", "title": "設計" } ]
軽型巡防艦、中華民国海軍の当初の12項の造艦計画のうち、主力ミサイルフリゲート(FFG)計画であった「震海計画」の遅延と、中国人民解放軍海軍に対処するのに十分な数の中大型艦が艦隊に不足していたため、「震海計画」の予算は軽型巡防艦の建造に変更されました。最初の艦は 2024 年に建造が開始される予定で、防空型と対潜型の2つの構成に分けられ 、6隻の濟陽級フリゲートを置き換えるために12隻が建造される予定である。
{{Infobox 艦級 |名称=軽型巡防艦 |画像=File:中華民國海軍輕型巡防艦(防空型)原型艦概念渲染圖.jpg |画像説明=[[中華民国総統府|総統府]]が2023年11月17日に起工式発表した軽型巡防艦防空型試作艦の概念図、この概念図は[[蔡英文]]総統の直筆サイン入りである |艦種=[[フリゲート]] |建造所=中信造船 |運用者={{navy|ROC}} |建造期間=[[2023年]] - |計画数=12 |建造数=1 |前級=[[ノックス級フリゲート|濟陽級フリゲート]] |基準排水量=2,500[[トン数|トン]] |満載排水量=3,100トン |全長=115 m|全幅=15 m |機関=[[CODLOG]]方式 |主機= *[[電動機]] (1,440馬力)×2基 *[[ゼネラル・エレクトリック LM2500|LM2500+G4]][[ガスタービンエンジン]](36,000[[馬力]])×1基 |電源=[[ディーゼルエンジン|ディーゼル]][[発電機]]×1基 |電力=5,220kW |最大速力={{Convert|30|kn|km/h|lk=on}}以上 |推進器=[[スクリュープロペラ|可変ピッチ・プロペラ]]×2軸 |兵装= ;防空型試作艦 *[[オート・メラーラ 76 mm 砲#コンパクト(コンパット)砲とスーパー・ラピッド砲|62口径76mm単装速射砲]]×1基{{Efn|name="装備"|STRALES砲弾誘導システムとDART誘導砲弾を装備}} *NCSIST 華陽[[VLS]](8セル)×1基 **[[TC-2 (ミサイル)#TC-2N(海劍二型)|海剣二型]][[艦対空ミサイル#個艦防空ミサイル|SAM]](32発) *[[艦対艦ミサイル|SSM]]{{Efn|name="調整"|敵脅威や任務の要求に応じて調整}} **[[雄風II型 (ミサイル)|雄風II型]]SSM×16発 **[[雄風III型 (ミサイル)|雄風III型]]超音速SSM×16発 **[[雄風III型 (ミサイル)|雄風III型]]增程型超音速SSM×8発 * [[ファランクス (火器)|ファランクス]] 20mm[[CIWS]]×1基 *遠隔操作式艦載機関砲×2基 **[[Mk 44 ブッシュマスター II|NCSIST 遠隔操作式艦載30mm機関砲]] **[[ポンティアック M39|NCSIST XTR-102A2 RWS]] ;対潜型試作艦 *62口径76mm単装速射砲×1基{{Efn|name="装備"}} *海剣二型SAM×16発 *SSM{{Efn|name="調整"}} **雄風II型SSM×16発 **雄風III型超音速SSM×16発 **雄風III型增程型超音速SSM×8発 *[[Mk 32 短魚雷発射管]]×2基 *ファランクス20mmCIWS×1基 *遠隔操作式艦載機関砲×2基 **NCSIST 遠隔操作式艦載30mm機関砲 **NCSIST XTR-102A2 RWS |C4I=*[[リンク 22]]/[[リンク 16]]/[[リンク 11]] *NCSIST 大成システム(Link-T) *AN/ARQ-58 CDLホーク・リンク *CMS-330戦術情報処理装置 *NCSIST迅聯戦術情報処理装置 |レーダー= *[[997型レーダー|997型]][[3次元レーダー|3次元式]]×1基 *NA-30S MK2 砲射撃指揮用×1基 *航海用×1基 *捜索用×1基 |ソナー= ;対潜型 *GDMS TRAPS[[曳航ソナー|曳航式]]×1基 |電子戦= *[[AN/SLQ-32]](V)5電波探知妨害装置 *[[Mk 36 SRBOC|Mk 36 SRBOC]] 6連装[[デコイ (兵器)|デコイ]]発射機×2基 *[[AN/SLQ-25]] 対魚雷デコイ装置 |燃料=F-76[[軽油]]とJP-5[[航空燃料]] |航続距離=2,200[[海里]] (12kt巡航時) |乗員=85名 |搭載機=[[SH-60 シーホーク#中華民国(台湾)海軍|S-70C(M)-1/2]][[対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター|哨戒ヘリコプター]]支援設備のみ([[ヘリコプター甲板]]など) |艦載艇=特殊作戦舟艇×1隻 }} '''軽型巡防艦'''は[[中華民国海軍]]の当初の12項の造艦計画のうち、主力ミサイル[[フリゲート]](FFG)計画であった「震海計画」の遅延と、[[中国人民解放軍海軍]]に対処するのに十分な数の中大型艦が艦隊に不足していたため、「震海計画」の予算は軽型巡防艦の建造に変更されました。最初の艦は 2024 年に建造が開始される予定で、防空型と対潜型の2つの構成に分けられ<ref>{{Cite web |url=https://ppg.ly.gov.tw/ppg/SittingAttachment/download/2022100605/20411052110471245000.pdf?shem=ssc |title=「海軍新一代輕型巡防艦建案規劃」 專案報告報告單位 |website=立法院議事暨公報資訊網}}</ref> 、6隻の[[ノックス級フリゲート|濟陽級フリゲート]]を置き換えるために12隻が建造される予定である<ref>{{Cite web |title=應急籌獲輕型巡防艦 國軍:2艘原型艦後還有10艘後續艦 - 政治 - 自由時報電子報 |url=https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/4086721 |website=news.ltn.com.tw |date=2022-10-12 |access-date=2023-12-08 |language=zh-Hant-TW |last=自由時報電子報}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.ydn.com.tw/news/newsInsidePage?chapterID=1538950&type=highlight |title=邱部長:籌建防空、反潛型輕型巡防艦 強化戰力 |website=青年日報 |access-date=2022-10-20 |archive-date=2022-10-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221020030536/https://www.ydn.com.tw/news/newsInsidePage?chapterID=1538950&type=highlight}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://def.ltn.com.tw/article/breakingnews/4502541 |title=圖解軍武》50歲老將最後輝煌 「獵潛專家」濟陽級艦後繼有「船」 |website=自由時報電子報-軍武}}</ref> 。 == 歴史 == 2018年9月に高雄市で開催された第2回高雄国際海事船舶・防衛産業展示会(KIMD EXPO 2018)では、[[国家中山科学研究院]]と[[台湾国際造船]]が共同発表した1,400トンの軽フリゲートの設計コンセプトが展示された。 双方の情報によると、この設計コンセプト船は全長85m、全幅13.1m、吃水3.2m、排水量約1,400トン、[[ディーゼルエンジン]]2基、最高速度30ノット、 12ノットの速度で 2,200 海里の航続距離を持ち、人員70名、[[フェーズドアレイレーダー|回転式フェーズドアレイレーダー]]、76mm単装速射砲を使用し、8発の[[艦対艦ミサイル]]と16発の[[艦対空ミサイル#個艦防空ミサイル|個艦防空ミサイル]]を搭載しており、いずれも傾斜発射システムを備えてい。また、特殊作戦舟艇と[[デコイ (兵器)|デコイ展開システム]]、対潜魚雷、[[海剣羚|海剣羚近接防空ミサイル]]、艦載機関砲システムも装備されています。艦載ミサイルの種類は明らかにされていないが、模擬戦闘のアニメーションによると、[[雄風II型 (ミサイル)|雄風二型]]SSMと[[TC-2 (ミサイル)|海剣二型]]SAMのはずで、外部からは第二世代の新型二級艦とみなされている。<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=fb9RFVidjwo&t=121s 2018高雄國際海事展—「國防產業合作 輕型巡防艦」] {{Wayback|url=https://www.youtube.com/watch?v=fb9RFVidjwo&t=121s|date=20190524182203}}國家中山科學研究院官方頻道,youtube</ref> <ref>{{Cite press release|title=中科院秀產業合作 1400噸輕型巡防艦概念曝光|publisher=自由時報電子報|date=2018-09-27|url=https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2563749|language=zh-tw|access-date=2018-09-27|archive-url=https://web.archive.org/web/20201027072735/https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2563749|archive-date=2020-10-27}}</ref> 。 2021年12月、[[中華民国海軍]]は軽型巡防艦の技術サービスの入札を行ったが、すぐに撤回された。 === 公式発表 === 2022年8月31日に発表された「中華民國112年度国防部予算案」において、「震海計画([[中華民国海軍]]新世代4,500-6,500トン四面固定式の[[アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナ|AESA]]をを搭載したミサイル[[フリゲート]](FFG))」が 「軽型巡防艦」に変更されることが確定した。245億4,900万ドルの「震海計画」予算では、科目と実施スケジュールに変更はないが、1,500~2,000トン級に格下げされる(回転式[[フェーズドアレイレーダー]]使用、[[コルベット]]対応)、海軍戦闘力の格差の需要に応えた<ref>[https://udn.com/news/story/122682/6577259?from=udn-referralnews%20ch2artbottom 新國防預算案 蔡適應:海軍震海案由新建二級艦取代] {{Wayback|url=https://udn.com/news/story/122682/6577259?from=udn-referralnews%20ch2artbottom|date=20221004160137}} . 聯合新聞網[2022-08-31]</ref> 。 2022年12月22日、入札文書の公開閲読が発表され、2隻の試作艦の総予算は約200億元で、C4Iシステムは[[国家中山科学研究院|NCSIST]]に委託され、船体は国内公開入札で実施し、2隻の試作艦の建造費はそれぞれ90億5,000万元で、対空型は46億元、対潜型は44億5,000万元で、その他の予算はミサイル、レーダー、C4Iシステムの調達と統合費用である。船体は[[ステルス艦|低RCS設計]]の単胴船、上部が[[アルミニウム]]製、下部が[[鋼鉄]]製の構造となっている<ref>{{Cite web |title=「新一代輕型巡防艦」22日公告招標文件武器裝備全公開 防空、反潛各1艘總預算約200餘億 -- 上報 / 焦點 |url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=24&SerialNo=162254 |website=www.upmedia.mg |access-date=2023-12-08}}</ref> 。 2023年11月17日、中信造船集団は軽型巡防艦および防空型試作艦建造の起工式を行った<ref>{{Cite press release|title=【海軍輕型巡防艦防空型原型艦開工典禮】蔡總統:加速產業升級 厚植自主造艦能量|publisher=青年日報|url=https://www.ydn.com.tw/news/newsInsidePage?chapterID=1630521&type=immediate}}</ref> <ref>[https://def.ltn.com.tw/article/breakingnews/4488418 總統週五主持輕型巡防艦開工 反潛、防空原型艦各1拚2026年交付]</ref> 。 2023年4月、海軍の「防空型」および「対潜型」軽型巡防艦試作艦が第2次開札プロセスを経て中信造船集団によって選定・建造された<ref name="中信造船得標">{{Cite press release|title=【輕型巡防艦建造案】中信造船得標 2026年交付2艘防空及反潛原型艦|publisher=上報UP MEDIA|date=2023-04-30|url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|language=zh-tw|access-date=2023-04-30|archive-url=https://web.archive.org/web/20230519012221/https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|archive-date=2023-05-19}}</ref> 。軽型巡防艦の戦術情報処理装置は、[[国家中山科学研究院|NCSIST]]から米[[ロッキード・マーティン]]社にCMS-330戦術情報処理装置を採用するよう通知された。これは[[カナダ海軍|カナダ海軍の]]CSC計画艦が選択したものと同じシステムである。 2023年8月末、海軍の内部選考を経て、アメリカのGibbs & Cox社海軍の軽型巡防艦の船体設計する予定です。軽型巡防艦は、アメリカの[[コンステレーション級ミサイルフリゲート]]を小型化したような外観{{Efn|Gibbs & Cox社はアメリカの老舗艦艇設計事務所で、[[オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート]]、[[アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦]]、[[沿海域戦闘艦|LCS]]、そして現在建造中のコンステレーション級ミサイルフリゲートの設計を担当している。}}<ref>{{Cite press release|title=Gibbs & Cox, A Leidos Company are currently completing the design of two surface combatant reference programs which are now moving into the production phase; the USN’s FFG-62 Constellation frigate (cut steel Aug 2022, delivery in 2026) and the Taiwanese Navy light frigate (cut steel November 2023, delivery of two ships in 2026).|publisher=Gibbs & Cox Australia|url=https://www.linkedin.com/feed/update/urn:li:activity:7127550258846318592/}}</ref> <ref>{{Cite press release|title=海軍輕型巡防艦艦體載台設計定案 類似美星座級巡防艦縮小版|publisher=上報UP MEDIA|date=2023-08-31|url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=180950|language=zh-tw|access-date=2023-08-31|archive-url=https://web.archive.org/web/20230920133901/https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=180950#google_vignette|archive-date=2023-09-20}}</ref> <ref>{{Cite press release|title=新開工輕型巡防艦,不再是他國古董!有美軍星座級戰艦基因?|publisher=遠見雜誌|date=2023-11-30|url=https://www.gvm.com.tw/article/108025}}</ref>で、整備の一貫性から[[ゼネラル・エレクトリック LM2500|GEのLM2500+G4]][[ガスタービンエンジン]]を搭載し、順調にいけば9月末までに詳細設計を完了する予定である<ref>{{Cite press release|title=【探索時分】全面解析台灣輕型巡防艦|publisher=大紀元新聞網|date=2023-11-29|url=https://www.epochtimes.com/b5/23/11/28/n14125918.htm}}</ref>。 2023年5月8日、国防部は中信造船が90億5,000万台湾ドルで落札し、5月12日から正式に契約を履行すると正式に発表した。 「防空型」と「対潜型」の試作艦2隻の引き渡しは2026年10月末までに完了する予定だ。 2023年6月、メディアによると、詳細な計算の結果、試作艦は当初の仕様より100m長くなり、総トン数は2,500トンを超えることが判明した。海軍上層部は、艦の全長が100mを超えることを確認した。海軍は全長110mを超えてはならないと主張しており、110mを超えると、トン数は全長125mの[[康定級フリゲート]]に近くなる。船体の長さとトン数は軍艦の最高速度に関係するためで、実際のトン数の大きさについては、海軍は中信造船と緊密に協議しており、詳細設計段階に入る前に6月末までに最終決定したいと考えている<ref>{{Cite press release|title=海軍輕型巡防艦長度將超過100公尺 最快6月底與船廠敲定尺寸噸位|publisher=上報UP MEDIA|date=2023-06-18|url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=175366}}</ref> 。 メディアは2023年7月、関連ユニットが戦闘任務の特性に必要な兵器構成に関する報告書を提出したと指摘し、満載排水量が2,500トンに維持され、船体の全長が110m未満であれば、内部空間はかなり飽和状態になり、将来的な性能強化につながらない。海軍は中信造船と作戦要件や兵器システムの仕様について協議し、全長120m近く、排水量3,000トン近くに落ち着いた。順調にいけば、2023年8月末までに、[[康定級フリゲート]]に匹敵するトン数の軽型巡防艦試作艦の設計図が完成する。 2022年10月11日に発表された「海軍新世代軽型巡防艦建造計画」のプロジェクト報告書では、[[中国人民解放軍海軍|中国人民解放軍海軍が]]主に[[江衛型フリゲート|053H3型(江衛II型)フリゲート]]、[[江凱型フリゲート|054A型(江凱II型)フリゲート]]、 [[056型コルベット|056A型コルベット]]トン数の小さな軍艦を主に配備し、兵力の使用を制限した。そのため、我々は2500トン級の軽型巡防艦の建造に切り替えた。海軍は2025年に「防空型」試作艦を、2026年に「対潜型」試作艦を受領する予定である<ref>{{Cite press release|title=海軍輕巡防艦將配備超音速反艦飛彈 威懾中共航艦|publisher=中央通訊社|url=https://www.cna.com.tw/news/aipl/202210120097.aspx}}</ref> 。 2022年10月12日、[[立法院 (中華民国)|立法院]]のプロジェクト報告書において、海軍司令部参謀長の蔣正国中将の回答によると、試作艦2隻の建造に加え、後続艦10隻の建造が見込まれている<ref>{{Cite web |url=https://www.ydn.com.tw/news/newsInsidePage?chapterID=1538950&type=highlight |title=邱部長:籌建防空、反潛型輕型巡防艦 強化戰力 |website=青年日報 |access-date=2022-10-20 |archive-date=2022-10-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221020030536/https://www.ydn.com.tw/news/newsInsidePage?chapterID=1538950&type=highlight}}</ref> 。 == 設計 == === 入札公告書類仕様書 === ==== 船体設計 ==== 2023年9月中旬に開催された台北航空宇宙・防衛産業展の情報によると、Gibbs & Cox社は中信造船集団と共同で軽型巡防艦の設計を進めており、まだ予備設計(Preliminary)の段階であり、その後、契約設計(Contract,水槽試験を含む)、詳細設計を順次完了させる予定である。G&Cは、軽型巡防艦の艦体は、既製の設計ではなく、中華民国海軍の要求に完全に基づいた、ゼロからの「Clean sheet」設計であることを明らかにした。 == 同型艦 == === 防空型 === {| class="wikitable" !艦番号 !艦名 !造船所 !起工 !進水 !受領 !就役 !現況 !注釈 |- | | |中信造船 |2023年<br/>11月17日 | |2026年10月予定<ref name="中信造船得標">{{Cite press release|title=【輕型巡防艦建造案】中信造船得標 2026年交付2艘防空及反潛原型艦|publisher=上報UP MEDIA|date=2023-04-30|url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|language=zh-tw|access-date=2023-04-30|archive-url=https://web.archive.org/web/20230519012221/https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|archive-date=2023-05-19}}</ref> | |建造中 |防空型試作艦 |} === 対潜型 === {| class="wikitable" !艦番号 !艦名 !造船所 !起工 !進水 !受領 !就役 !現況 !注釈 |- | | |中信造船 |2024年予定 | |2026年10月予定<ref name="中信造船得標">{{Cite press release|title=【輕型巡防艦建造案】中信造船得標 2026年交付2艘防空及反潛原型艦|publisher=上報UP MEDIA|date=2023-04-30|url=https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|language=zh-tw|access-date=2023-04-30|archive-url=https://web.archive.org/web/20230519012221/https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=1&SerialNo=171555|archive-date=2023-05-19}}</ref> | |設計中 |対潜型試作艦 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} {{中華民国海軍の艦艇}} {{デフォルトソート:けいかたしゆんほうかん}} [[Category:中華民国のフリゲート]] [[Category:現在の計画艦]]
2023-12-08T19:17:30Z
2023-12-10T08:07:50Z
false
false
false
[ "Template:Cite press release", "Template:Infobox 艦級", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Wayback" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%95%E5%9E%8B%E5%B7%A1%E9%98%B2%E8%89%A6
4,864,088
コメディ・ロック
コメディ・ロック(Comedy rock)は、本質的にコメディ的であるロック。風刺や皮肉が混じることもよくある。 初期のアメリカの例には、エルヴィス・プレスリー、ハリー・ベラフォンテ、プラターズなどのアーティストを風刺したスタン・フレバーグや、シェブ・ウーリーが含まれる。ウーリーの「The Purple People Eater」は、1958年にビルボード・ポップ・チャートで1位に達し、6週間その座を維持した。 1950年代から1960年代初頭のイギリスでは、チャーリー・ドレイクやザ・グーンズなどのコメディアンたちがユーモアあるロックンロールのレコードでトップ10に頻繁に登場し、後者はルイス・キャロルやエドワード・リアとともに、ジョン・レノンの歌詞における言葉遊びに影響を与えた。その後、コメディを専門とするイギリスのグループが誕生していった。これらには、スキャッフォルド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド、アルベルト・イ・ロスト・トリオス・パラノイアスなどが含まれる。その後、イギリスでは2000年代にミッチ・ベンが、主にロックを中心としたさまざまな音楽ジャンルを使用して時事問題を風刺したスタジオ・アルバムを数枚リリースした。彼の2012年のアルバム『Breaking Strings』は、そのロックな感性が高く評価された。 オールミュージックは、フランク・ザッパをコメディ・ロックの「ゴッドファーザー」と評した。ポップ・ロックおよびフォーク・ロックのバンド、タートルズは、1968年にコメディ・ロック・アルバム『The Turtles Present the Battle of the Bands』をリリースしたが、バンドはそれ以前から曲にユーモアを取り入れていた。メンバーのうちの2人、ハワード・ケイランとマーク・ヴォルマンは、後にフロ&エディとして自身のバンドやフランク・ザッパとともに、より露骨にコメディ的な曲を演奏した。 いくつかの現代のコメディ・ロック・バンドはメインストリームの商業的成功を収めている。デュオのテネイシャスDと、フライト・オブ・ザ・コンコルズはどちらもプラチナ売上となるアルバムをリリースし、それぞれのコメディ・テレビ・シリーズに出演した。ダン・フィナーティと彼のザ・ダン・バンドは、トッド・フィリップスの映画『アダルト♂スクール』や『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』に「Total Eclipse of the Heart」や「Candy Shop」を真似たコメディ・ロックで出演したほか、女性のカバー曲をパロディ化したライブ・ショーを行っている。それは、マックGが監督し、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた1時間のテレビ・スペシャルとして撮影された。ニューヨーク出身のスティーヴン・リンチは、『Opie and Anthony』(ラジオ番組)への数回の出演でファンを獲得し、コメディ・セントラルにて2本の特別番組を制作した。彼は『グリース』の制作陣とともにブロードウェイでパフォーマンスを行ってもいる。 1,200万枚以上のアルバムを販売している、歌のパロディスト、ウィアード・アル・ヤンコビックは、史上最も売れたコメディ・アーティストであり続けており、2014年のアルバム『Mandatory Fun』はBillboard 200で初登場1位を記録し、アラン・シャーマンによる1963年のコメディ・アルバム『My Son, the Nut』以来初となる1位を獲得した。ロックは多くのパロディの対象となっており、アメリカのスパイナル・タップやイギリスのヒー・ビー・ジー・ビーズやバッド・ニューズなど、いくつかのパロディ・バンドがヒット・レコードを生み出している。バンドのスティール・パンサーは、1980年代グラム・メタルのパロディでロサンゼルスのサンセット・ストリップに定着し、彼らの成功はジミ・ホームレス・エクスペリエンスなど他のパロディ・バンドへの扉を開いた。ドレッド・ツェッペリン、ビータリカ、ゾーズ・ダーン・アコーディオンズなど、その他のパロディ・バンドは、コミック効果を得るために、珍しい、または意図的に対照的なジャンルのミックスに依存している。レジデンツは、ポップスやロックの曲を大きく歪ませた珍しいカバーでよく知られている。コメディ・ロック・デュオのニンジャ・セックス・パーティーは、スティール・パンサーと時折コラボレーションしており、ロックとシンセポップをブレンドし、ダブステップやヘヴィメタルのジャンルをパロディした曲を制作。オンラインでの人気により成功を収めている。また別のバンドであるプライマスは、風変わりな歌詞とコメディ・タッチなミュージック・ビデオで知られる。ゴリラズは、イギリスのバーチャルバンドで、架空のアニメーション・メンバーが現代のポピュラー・ミュージックのトレンドをパロディ化している。 ラッシュのゲディ・リーは、小学校の同級生であったリック・モラニスをサポートして、ノベルティー曲「Take Off」にゲスト参加した。この曲は、1982年3月のBillboard Hot 100で最高16位となり、これまで全米トップ40にチャートインしたラッシュのどの曲よりも高いものとなった。全世界で4,000万枚のアルバムを売り上げたにもかかわらず、同チャートにおけるラッシュ最大のヒット曲「New World Man」は21位までしか到達せず、「Take Off」はリーにとって最大のヒット曲となった。 オルタナティヴ・ロックやカレッジ・ロックの範疇にある多くのバンドは、ベアネイキッド・レディース、マインドレス・セルフ・インダルジェンス、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ、ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ、ブラッドハウンド・ギャング、システム・オブ・ア・ダウン、ウィーン、ウィーザー、ウィータス、キャンパー・ヴァン・ベートーヴェンなどのバンドのように、ユーモアや風刺的な曲を取り入れていることで知られている。彼らがアメリカにおいてメインストリームとインディペンデントの両方で成功を収めているばかりか、パロキャ・ニ・エドガーやクノーカートーなどの海外バンドも成功を収めている。パンク・ロックとポップ・パンクは、アクアバッツ、ブリンク 182、ボウリング・フォー・スープ、パテント・ペンディング、デッド・ケネディーズ、デッド・ミルクマン、ミートメン、レディオアクティヴ・チキン・ヘッズ、ヴァンダルズなどのバンドによって、コメディ・ロックのランクに貢献している。 ヘヴィメタルは、グリーン・ジェリー、ローンモウア・デス、マサクレイション、M.O.D.、ビッグ・ダム・フェイス、エレクトリック・コールボーイ、プライマス、ナノウォー・オブ・スティール、J.B.O.、サイコスティック、クロッチダスター、ルディクライスト、バッド・ニューズ、スパイナル・タップ、オーキリー・ドーキリー、スキャッターブレインを含む、ユーモアを重視した風刺的なバンドも数多く生み出してきた。彼らのコメディチックな要素は主にヘヴィメタルの常套句をパロディ化したり、多くの伝統的なメタル・バンドのシリアスさを皮肉的にパロディにしたりすることが中心だが、グワァー、ローディ、ローズマリーズ・ビリーゴートなどの他のバンドは、とんでもない衣装や派手なステージ・ショーを活用している。バーチャルバンドのデスクロック(Dethklok)は、アダルトスイムのアニメ・テレビ番組『Metalocalypse』でフィーチャーされたデスメタルのパロディであり、彼らのアルバム『The Dethalbum』はBillboard 200リストで21位に初登場した。アッティラ(Attila)の「Pizza」は、2023年6月の時点でYouTubeにおいて320万回再生されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コメディ・ロック(Comedy rock)は、本質的にコメディ的であるロック。風刺や皮肉が混じることもよくある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "初期のアメリカの例には、エルヴィス・プレスリー、ハリー・ベラフォンテ、プラターズなどのアーティストを風刺したスタン・フレバーグや、シェブ・ウーリーが含まれる。ウーリーの「The Purple People Eater」は、1958年にビルボード・ポップ・チャートで1位に達し、6週間その座を維持した。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1950年代から1960年代初頭のイギリスでは、チャーリー・ドレイクやザ・グーンズなどのコメディアンたちがユーモアあるロックンロールのレコードでトップ10に頻繁に登場し、後者はルイス・キャロルやエドワード・リアとともに、ジョン・レノンの歌詞における言葉遊びに影響を与えた。その後、コメディを専門とするイギリスのグループが誕生していった。これらには、スキャッフォルド、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド、アルベルト・イ・ロスト・トリオス・パラノイアスなどが含まれる。その後、イギリスでは2000年代にミッチ・ベンが、主にロックを中心としたさまざまな音楽ジャンルを使用して時事問題を風刺したスタジオ・アルバムを数枚リリースした。彼の2012年のアルバム『Breaking Strings』は、そのロックな感性が高く評価された。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "オールミュージックは、フランク・ザッパをコメディ・ロックの「ゴッドファーザー」と評した。ポップ・ロックおよびフォーク・ロックのバンド、タートルズは、1968年にコメディ・ロック・アルバム『The Turtles Present the Battle of the Bands』をリリースしたが、バンドはそれ以前から曲にユーモアを取り入れていた。メンバーのうちの2人、ハワード・ケイランとマーク・ヴォルマンは、後にフロ&エディとして自身のバンドやフランク・ザッパとともに、より露骨にコメディ的な曲を演奏した。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "いくつかの現代のコメディ・ロック・バンドはメインストリームの商業的成功を収めている。デュオのテネイシャスDと、フライト・オブ・ザ・コンコルズはどちらもプラチナ売上となるアルバムをリリースし、それぞれのコメディ・テレビ・シリーズに出演した。ダン・フィナーティと彼のザ・ダン・バンドは、トッド・フィリップスの映画『アダルト♂スクール』や『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』に「Total Eclipse of the Heart」や「Candy Shop」を真似たコメディ・ロックで出演したほか、女性のカバー曲をパロディ化したライブ・ショーを行っている。それは、マックGが監督し、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた1時間のテレビ・スペシャルとして撮影された。ニューヨーク出身のスティーヴン・リンチは、『Opie and Anthony』(ラジオ番組)への数回の出演でファンを獲得し、コメディ・セントラルにて2本の特別番組を制作した。彼は『グリース』の制作陣とともにブロードウェイでパフォーマンスを行ってもいる。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1,200万枚以上のアルバムを販売している、歌のパロディスト、ウィアード・アル・ヤンコビックは、史上最も売れたコメディ・アーティストであり続けており、2014年のアルバム『Mandatory Fun』はBillboard 200で初登場1位を記録し、アラン・シャーマンによる1963年のコメディ・アルバム『My Son, the Nut』以来初となる1位を獲得した。ロックは多くのパロディの対象となっており、アメリカのスパイナル・タップやイギリスのヒー・ビー・ジー・ビーズやバッド・ニューズなど、いくつかのパロディ・バンドがヒット・レコードを生み出している。バンドのスティール・パンサーは、1980年代グラム・メタルのパロディでロサンゼルスのサンセット・ストリップに定着し、彼らの成功はジミ・ホームレス・エクスペリエンスなど他のパロディ・バンドへの扉を開いた。ドレッド・ツェッペリン、ビータリカ、ゾーズ・ダーン・アコーディオンズなど、その他のパロディ・バンドは、コミック効果を得るために、珍しい、または意図的に対照的なジャンルのミックスに依存している。レジデンツは、ポップスやロックの曲を大きく歪ませた珍しいカバーでよく知られている。コメディ・ロック・デュオのニンジャ・セックス・パーティーは、スティール・パンサーと時折コラボレーションしており、ロックとシンセポップをブレンドし、ダブステップやヘヴィメタルのジャンルをパロディした曲を制作。オンラインでの人気により成功を収めている。また別のバンドであるプライマスは、風変わりな歌詞とコメディ・タッチなミュージック・ビデオで知られる。ゴリラズは、イギリスのバーチャルバンドで、架空のアニメーション・メンバーが現代のポピュラー・ミュージックのトレンドをパロディ化している。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ラッシュのゲディ・リーは、小学校の同級生であったリック・モラニスをサポートして、ノベルティー曲「Take Off」にゲスト参加した。この曲は、1982年3月のBillboard Hot 100で最高16位となり、これまで全米トップ40にチャートインしたラッシュのどの曲よりも高いものとなった。全世界で4,000万枚のアルバムを売り上げたにもかかわらず、同チャートにおけるラッシュ最大のヒット曲「New World Man」は21位までしか到達せず、「Take Off」はリーにとって最大のヒット曲となった。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "オルタナティヴ・ロックやカレッジ・ロックの範疇にある多くのバンドは、ベアネイキッド・レディース、マインドレス・セルフ・インダルジェンス、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ、ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ、ブラッドハウンド・ギャング、システム・オブ・ア・ダウン、ウィーン、ウィーザー、ウィータス、キャンパー・ヴァン・ベートーヴェンなどのバンドのように、ユーモアや風刺的な曲を取り入れていることで知られている。彼らがアメリカにおいてメインストリームとインディペンデントの両方で成功を収めているばかりか、パロキャ・ニ・エドガーやクノーカートーなどの海外バンドも成功を収めている。パンク・ロックとポップ・パンクは、アクアバッツ、ブリンク 182、ボウリング・フォー・スープ、パテント・ペンディング、デッド・ケネディーズ、デッド・ミルクマン、ミートメン、レディオアクティヴ・チキン・ヘッズ、ヴァンダルズなどのバンドによって、コメディ・ロックのランクに貢献している。", "title": "バンドと歌曲" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ヘヴィメタルは、グリーン・ジェリー、ローンモウア・デス、マサクレイション、M.O.D.、ビッグ・ダム・フェイス、エレクトリック・コールボーイ、プライマス、ナノウォー・オブ・スティール、J.B.O.、サイコスティック、クロッチダスター、ルディクライスト、バッド・ニューズ、スパイナル・タップ、オーキリー・ドーキリー、スキャッターブレインを含む、ユーモアを重視した風刺的なバンドも数多く生み出してきた。彼らのコメディチックな要素は主にヘヴィメタルの常套句をパロディ化したり、多くの伝統的なメタル・バンドのシリアスさを皮肉的にパロディにしたりすることが中心だが、グワァー、ローディ、ローズマリーズ・ビリーゴートなどの他のバンドは、とんでもない衣装や派手なステージ・ショーを活用している。バーチャルバンドのデスクロック(Dethklok)は、アダルトスイムのアニメ・テレビ番組『Metalocalypse』でフィーチャーされたデスメタルのパロディであり、彼らのアルバム『The Dethalbum』はBillboard 200リストで21位に初登場した。アッティラ(Attila)の「Pizza」は、2023年6月の時点でYouTubeにおいて320万回再生されている。", "title": "バンドと歌曲" } ]
コメディ・ロックは、本質的にコメディ的であるロック。風刺や皮肉が混じることもよくある。
{{Infobox Music genre | name = コメディ・ロック<br />Comedy rock | color = white | bgcolor = crimson | stylistic_origins = [[ロック (音楽)|ロック]]、[[コメディ音楽]]、[[風刺音楽]] | cultural_origins = [[1950年代]]初頭、{{USA}}<br />1950年代半ば - [[1960年代]]初頭、{{GBR}} | instruments = | popularity = | derivatives= | fusiongenres = | regional_scenes= | other_topics = | local_scenes = [[ウェスト・ハリウッド]]、[[サンセット・ストリップ]] }} '''コメディ・ロック'''('''Comedy rock''')は、本質的に[[コメディ音楽|コメディ]]的である[[ロック (音楽)|ロック]]。[[風刺音楽|風刺]]や皮肉が混じることもよくある<ref name=AllmusicComedyRock>V. Bogdanov, C. Woodstra and S. T. Erlewine, ''All music guide to rock: the definitive guide to rock, pop, and soul'' (Backbeat Books, 3rd Edition., 2002), pp. 126.</ref>。 == バンドと歌曲 == === 初期 === 初期のアメリカの例には、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[ハリー・ベラフォンテ]]、[[プラターズ]]などのアーティストを風刺したスタン・フレバーグや、シェブ・ウーリーが含まれる<ref>[https://www.thoughtco.com/the-10-best-novelty-songs-of-the-50s-2521844 The 10 Best Novelty Songs of the '50s-ThoughtCo.]</ref>。ウーリーの「The Purple People Eater」は、1958年に[[ビルボード]]・ポップ・チャートで1位に達し、6週間その座を維持した<ref>{{cite book | last = Bronson | first = Fred | title = The Billboard Book of Number 1 Hits: The Inside Story Behind Every Number | publisher = [[Billboard (magazine)|Billboard Books]] | year = 2003 | isbn = 0-8230-7677-6 | page = 38 }}</ref>。 1950年代から1960年代初頭のイギリスでは、チャーリー・ドレイクや[[ザ・グーン・ショー|ザ・グーンズ]]などのコメディアンたちがユーモアある[[ロックンロール]]のレコードでトップ10に頻繁に登場し、後者は[[ルイス・キャロル]]や[[エドワード・リア]]とともに、[[ジョン・レノン]]の歌詞における言葉遊びに影響を与えた。その後、コメディを専門とするイギリスのグループが誕生していった。これらには、スキャッフォルド、[[ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド]]、アルベルト・イ・ロスト・トリオス・パラノイアスなどが含まれる。その後、イギリスでは2000年代にミッチ・ベンが、主にロックを中心としたさまざまな音楽ジャンルを使用して時事問題を風刺したスタジオ・アルバムを数枚リリースした。彼の2012年のアルバム『Breaking Strings』は、そのロックな感性が高く評価された<ref>{{cite web |first=John-Paul |last=Stephenson |title=CD Review: Mitch Benn & The Distractions – Breaking Strings.|url=http://www.gigglebeats.co.uk/2012/02/cd-review-mitch-benn-the-distractions-breaking-strings/ |work=Giggle Beats |date=10 February 2012 |access-date=31 July 2012}}</ref>。 [[オールミュージック]]は、[[フランク・ザッパ]]をコメディ・ロックの「ゴッドファーザー」と評した<ref>{{cite web |url=http://www.allmusic.com/subgenre/comedy-rock-ma0000012139/artists |title=Comedy rock |publisher=[[Allmusic]] |accessdate=8 December 2023}}</ref>。[[ポップ・ロック]]および[[フォーク・ロック]]のバンド、[[タートルズ (アメリカのバンド)|タートルズ]]は、1968年にコメディ・ロック・アルバム『The Turtles Present the Battle of the Bands』をリリースしたが、バンドはそれ以前から曲にユーモアを取り入れていた<ref>{{AllMusic |class=album |id=r20668 |tab=review |label="''The Turtles Present the Battle of the Bands'' > Review" |Michael |last=Ofjord |access-date=22 September 2011}}</ref>。メンバーのうちの2人、ハワード・ケイランとマーク・ヴォルマンは、後にフロ&エディとして自身のバンドやフランク・ザッパとともに、より露骨にコメディ的な曲を演奏した。 === 後期 === いくつかの現代のコメディ・ロック・バンドはメインストリームの商業的成功を収めている。デュオの[[テネイシャスD]]と、フライト・オブ・ザ・コンコルズはどちらもプラチナ売上となるアルバムをリリースし、それぞれのコメディ・テレビ・シリーズに出演した。ダン・フィナーティと彼のザ・ダン・バンドは、[[トッド・フィリップス]]の映画『[[アダルト♂スクール]]』や『[[ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い]]』に「Total Eclipse of the Heart」や「Candy Shop」を真似たコメディ・ロックで出演したほか、女性のカバー曲をパロディ化したライブ・ショーを行っている。それは、[[マックG]]が監督し、[[スティーヴン・スピルバーグ]]が製作総指揮を務めた1時間のテレビ・スペシャルとして撮影された。ニューヨーク出身のスティーヴン・リンチは、『Opie and Anthony』(ラジオ番組)への数回の出演でファンを獲得し、[[コメディ・セントラル]]にて2本の特別番組を制作した。彼は『[[グリース (ミュージカル)|グリース]]』の制作陣とともにブロードウェイでパフォーマンスを行ってもいる。 1,200万枚以上のアルバムを販売している、歌のパロディスト、[[アル・ヤンコビック|ウィアード・アル・ヤンコビック]]は、史上最も売れたコメディ・アーティストであり続けており、2014年のアルバム『Mandatory Fun』は[[Billboard 200]]で初登場1位を記録し、アラン・シャーマンによる1963年のコメディ・アルバム『My Son, the Nut』以来初となる1位を獲得した<ref name="billboardnews">{{cite web | url = http://www.billboard.com/articles/columns/chart-beat/6176745/weird-al-yankovic-billboard-200-mandatory-fun-number-one | title = 'Weird Al' Yankovic Gets First No. 1 Album On Billboard 200 with 'Mandatory Fun' | first = Keith | last = Caulfield | date = July 23, 2014 | access-date = July 23, 2014 |work = [[Billboard (magazine)|Billboard]] }}</ref>。ロックは多くのパロディの対象となっており、アメリカの[[スパイナル・タップ]]やイギリスのヒー・ビー・ジー・ビーズやバッド・ニューズなど、いくつかのパロディ・バンドがヒット・レコードを生み出している。バンドの[[スティール・パンサー]]は、1980年代[[グラム・メタル]]のパロディで[[ロサンゼルス]]の[[サンセット・ストリップ]]に定着し<ref>{{cite web |title=Feeling The Steel Panther: Interview with Michael Starr |publisher=The Aquarian Weekly |date=4 October 2009 |work=Nightlife |url=http://www.theaquarian.com/2009/10/04/interview-steel-panther-michael-starr-feeling-the-steel/ | access-date=10 October 2009 }}</ref>、彼らの成功はジミ・ホームレス・エクスペリエンスなど他のパロディ・バンドへの扉を開いた。[[ドレッド・ツェッペリン]]、[[ビータリカ]]、ゾーズ・ダーン・アコーディオンズなど、その他のパロディ・バンドは、コミック効果を得るために、珍しい、または意図的に対照的なジャンルのミックスに依存している。[[レジデンツ]]は、ポップスやロックの曲を大きく歪ませた珍しいカバーでよく知られている。コメディ・ロック・デュオのニンジャ・セックス・パーティーは、スティール・パンサーと時折コラボレーションしており、ロックと[[シンセポップ]]をブレンドし、[[ダブステップ]]やヘヴィメタルのジャンルをパロディした曲を制作。オンラインでの人気により成功を収めている<ref>{{cite web|url=http://livingmythmagazine.com/blog/2013/07/11/ninja-sex-party-tales-of-strawberries-and-cream/ |last=Milne |first=Gregory |title=Ninja Sex Party: Tales of Strawberries and Cream |date=11 July 2013 |newspaper=Living Myth Magazine |publisher=Living Myth Magazine |access-date=29 June 2016 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20160525175156/http://livingmythmagazine.com/blog/2013/07/11/ninja-sex-party-tales-of-strawberries-and-cream/ |archive-date=25 May 2016 |df=dmy }}</ref>。また別のバンドである[[プライマス (バンド)|プライマス]]は、風変わりな歌詞とコメディ・タッチなミュージック・ビデオで知られる。[[ゴリラズ]]は、イギリスの[[バーチャルバンド]]で、架空のアニメーション・メンバーが現代のポピュラー・ミュージックのトレンドをパロディ化している。 [[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]の[[ゲディ・リー]]は、小学校の同級生であった[[リック・モラニス]]をサポートして、ノベルティー曲「Take Off」にゲスト参加した。この曲は、1982年3月の[[Billboard Hot 100]]で最高16位となり、これまで全米トップ40にチャートインしたラッシュのどの曲よりも高いものとなった。全世界で4,000万枚のアルバムを売り上げたにもかかわらず、同チャートにおけるラッシュ最大のヒット曲「New World Man」は21位までしか到達せず、「Take Off」はリーにとって最大のヒット曲となった。 [[オルタナティヴ・ロック]]やカレッジ・ロックの範疇にある多くのバンドは、[[ベアネイキッド・レディース]]、[[マインドレス・セルフ・インダルジェンス]]、[[ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ]]<ref>[https://www.cltampa.com/music/article/20763612/comedy-issue-laugh-tracks-by-frank-zappa-ween-they-might-be-giants-and-more Comedy Issue: Laugh tracks by Frank Zappa, Ween, They Might Be Giants and more-Creative Loafing]</ref>、[[ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ]]、[[ブラッドハウンド・ギャング]]、[[システム・オブ・ア・ダウン]]、[[ウィーン (バンド)|ウィーン]]、[[ウィーザー]]、[[ウィータス]]、[[キャンパー・ヴァン・ベートーヴェン]]などのバンドのように、ユーモアや風刺的な曲を取り入れていることで知られている。彼らがアメリカにおいてメインストリームとインディペンデントの両方で成功を収めているばかりか、パロキャ・ニ・エドガーやクノーカートーなどの海外バンドも成功を収めている。[[パンク・ロック]]と[[ポップ・パンク]]は、アクアバッツ、[[ブリンク 182]]、[[ボウリング・フォー・スープ]]、パテント・ペンディング、[[デッド・ケネディーズ]]、デッド・ミルクマン、ミートメン、レディオアクティヴ・チキン・ヘッズ、[[ヴァンダルズ]]などのバンドによって、コメディ・ロックのランクに貢献している。 ヘヴィメタルは、グリーン・ジェリー、ローンモウア・デス、マサクレイション、M.O.D.、ビッグ・ダム・フェイス、エレクトリック・コールボーイ、プライマス、ナノウォー・オブ・スティール、J.B.O.、サイコスティック、クロッチダスター、ルディクライスト、バッド・ニューズ、スパイナル・タップ、オーキリー・ドーキリー、スキャッターブレインを含む、ユーモアを重視した風刺的なバンドも数多く生み出してきた。彼らのコメディチックな要素は主にヘヴィメタルの常套句をパロディ化したり、多くの伝統的なメタル・バンドのシリアスさを皮肉的にパロディにしたりすることが中心だが、[[グワァー]]、[[ローディ (バンド)|ローディ]]、ローズマリーズ・ビリーゴートなどの他のバンドは、とんでもない衣装や派手なステージ・ショーを活用している。バーチャルバンドのデスクロック(Dethklok)は、[[アダルトスイム]]のアニメ・テレビ番組『Metalocalypse』でフィーチャーされた[[デスメタル]]のパロディであり<ref>[{{AllMusic|class=artist|id=p882076|pure_url=yes}} allmusic.com]</ref>、彼らのアルバム『The Dethalbum』はBillboard 200リストで21位に初登場した<ref>"[http://sickdrummer.com/index.php?option=com_content&task=view&id=642&Itemid=2 Dethalbum Debuts At #21 On Billboard Top 200] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20090705003124/http://sickdrummer.com/index.php?option=com_content&task=view&id=642&Itemid=2 |date=5 July 2009 }}" 9 October 2007</ref>。アッティラ(Attila)の「Pizza」は、2023年6月の時点で[[YouTube]]において320万回再生されている。 == 参考 == * [[パロディ音楽]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.xlrg.net/ Parody & Comedy Music Guide] {{ロック・ミュージック}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こめていろつく}} [[Category:ロックのジャンル]] [[Category:風刺]]
2023-12-08T19:38:09Z
2023-12-20T17:16:51Z
false
false
false
[ "Template:AllMusic", "Template:Normdaten", "Template:Reflist", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite book", "Template:Cite web", "Template:Webarchive", "Template:ロック・ミュージック", "Template:Infobox Music genre" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
4,864,090
中津川西インターチェンジ
中津川西インターチェンジ(なかつがわにしインターチェンジ)は、岐阜県中津川市で計画中の中央自動車道のインターチェンジである。名称は仮称である。濃飛横断自動車道に接続する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中津川西インターチェンジ(なかつがわにしインターチェンジ)は、岐阜県中津川市で計画中の中央自動車道のインターチェンジである。名称は仮称である。濃飛横断自動車道に接続する。", "title": null } ]
中津川西インターチェンジ(なかつがわにしインターチェンジ)は、岐阜県中津川市で計画中の中央自動車道のインターチェンジである。名称は仮称である。濃飛横断自動車道に接続する。
{{高速道路施設 |施設名 = 中津川西インターチェンジ(仮称) |色 = #CCC <!--- 供用開始しましたら、この行を削除してください。---> |画像ファイル = |画像説明 = |道路名1 = {{Ja Exp Route Sign|E19}} [[中央自動車道]] |番号1 = |料金所番号1 = |標識1 = |起点1 = [[岡谷ジャンクション|岡谷JCT]] |距離1 = |前の施設1 = ''[[中津川インターチェンジ|中津川IC]]'' |距離A1 = |次の施設1 = ''[[恵那峡サービスエリア|恵那峡SA]]'' |距離B1 = |一般道 = [[濃飛横断自動車道]] |供用開始日 = 未定 |通行台数 = x台/日 |住所 = 中津川市茄子川字中垣外 |備考 = }} '''中津川西インターチェンジ'''(なかつがわにしインターチェンジ)は、[[岐阜県]][[中津川市]]で計画中の[[中央自動車道]]の[[インターチェンジ]]である。名称は仮称である。[[濃飛横断自動車道]]に接続する。 == 道路 == * {{Ja Exp Route Sign|E19}} [[中央自動車道]] == 接続する路線 == * [[濃飛横断自動車道]]<ref>[https://www.pref.gifu.lg.jp/soshiki/26008/ 岐阜県恵那土木事務所ホームページ]</ref> <!--== 料金所 == * ブース数:未定 === 入口 === * ブース数:未定 ** ETC専用:未定 ** ETC・一般:未定 === 出口 === * ブース数:未定 ** ETC専用:未定 ** 一般:未定 --> == 周辺 == * [[リニア中央新幹線]][[岐阜県駅]] * [[中央本線]][[美乃坂本駅]] == 隣 == ;{{Ja Exp Route Sign|E19}} [[中央自動車道]] : (27) [[中津川インターチェンジ|中津川IC]] - '''中津川西IC'''(計画中) - [[恵那峡サービスエリア|恵那峡SA]] - (28) [[恵那インターチェンジ|恵那IC]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本のインターチェンジ一覧]] * [[日本のインターチェンジ一覧 な行]] {{中央自動車道}} {{DEFAULTSORT:未なかつがわにしいんたあちえんし}} [[Category:日本のインターチェンジ あ|つみのきた]] [[Category:岐阜県のインターチェンジ|あつみのきた]] [[Category:中津川市の交通]]
2023-12-08T19:55:23Z
2023-12-31T07:01:11Z
false
false
false
[ "Template:Ja Exp Route Sign", "Template:Reflist", "Template:中央自動車道", "Template:高速道路施設" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E8%A5%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
4,864,105
Gemini (言語モデル)
Geminiは、Google DeepMindによって開発されたマルチモーダル(英語版)大規模言語モデルのファミリーであり、LaMDAおよびPaLM2の後継として供する。(2023年12月6日に発表された)Gemini Ultra、Gemini Pro、Gemini Nanoからなり、OpenAIのGPT-4のライバルとして位置付けられた。 Googleは、2023年5月10日のGoogle I/O基調講演の期間中(子会社のGoogle DeepMindによって開発された大規模言語モデル(LLM)である)Geminiを発表した。これは、Googleのサンダー・ピチャイCEOによると「Geminiはまだ初期の開発段階にある」と述べるものの(同イベントでも、お披露目された)PaLM2のより強力な後継として位置付けられていた。他のLLMとは異なり、Geminiはテキスト・コーパスのみでトレーニングされておらず、テキスト、画像、音声、映像、そしてコンピュータ・コードを含む、異なる種類のデータを同時に処理できることを意味するマルチモーダル(英語版)になるように設計されている点でユニークであると言われている。これはGoogle DeepMindとして先月統合されたGoogleの2部門であるDeepMindとGoogle Brain(英語版)のコラボレーションとして開発された。Wired誌とのインタビューで、DeepMindのデミス・ハサビスCEOは、その人気ぶりがGoogleにLaMDAとBardを使ってアグレッシブに挑戦させてきたOpenAIのGPT-4で動くChatGPTを自社のアルゴリズムで打ち負かすことが可能であると彼が信じたGeminiの高度な能力を押し売りした。ハザビスいわくGeminiはAlphaGoとその他のGoogle=DeepMind製LLMの力を組み合わせるだろうとし、(2016年に囲碁チャンピョンのイ・セドルを負かしたとき世界中の注目を得た)DeepMindのAlphaGoプログラムの強さを強調した。 2023年8月、The Information(英語版)はGeminiについてGoogleのロードマップを要約したレポートを発表し、同社が2023年後半のローンチを目標にしていることを明らかにした。レポートによると、Googleは現在大抵のLLMに備わっている会話型テキスト能力を人工知能を駆使した画像生成と組み合わせて、コンテキストに応じた画像作成を可能にし、より広範囲のユースケースに適応されることで、OpenAIやその他競合他社を凌駕したいと望んでいた。Bardと同様に、Googleの共同創設者であるセルゲイ・ブリンも、Google Brain(英語版)とDeepMindのその他何百人ものエンジニアとともに、Geminiの開発を支援するためにセミリタイア生活から召喚された。GeminiはYouTubeの動画のトランスクリプト(文字起こし)でも訓練を受けていたため、如何なる潜在的に著作権保護されている素材を排除するために弁護士も連れてこられた。 Geminiのローンチが差し迫っているというニュースを受けて、OpenAIはGPT4をGeminiと同様のマルチモーダル機能と統合する作業を急かした。The Information が9月に報じたところによると、数社がGoogle CloudのVertex AIサービス経由でクライアントに利用可能にさせることをGoogleが企図していたLLMの「初期バージョン」への早期アクセスを承諾されていた。この報告は、GoogleがGPT4とマイクロソフトのGitHub Copilot両方諸共打ち負かすためにGeminiを武装させていることも同様に言及されていた。12月2日、同誌はGoogleは英語以外のプロンプトに問題があるため、Geminiのローンチを翌週から2024年1月に延期し、付け加えて3つのローンチ・イベントがニューヨーク市、ワシントンD.C.、そしてカリフォルニアで計画されていたと報告した。 2023年12月6日、ピチャイとハサビスはバーチャル記者会見で「Gemini 1.0」を発表した。これは3つのモデルでから成っていた:「非常に複雑なタスク」向けに設計された、Gemini Ultra;「幅広いタスク」向けに設計された、Gemini Pro; そして「オン=デバイス・タスク」用に設計された、Gemini Nano。ローンチ時に、Gemini Proと(Gemini )NanoはBardとPixel 8 Proスマートフォンにそれぞれ統合されたが、一方Gemini Ultraは「Bard Advanced」を強化し、2024年初めにソフトウェア開発者が利用可能になる。GoogleがGeminiを組み込むことを企図していたその他製品には、検索、広告、Chrome、Google Workspace上のDuet AI、そしてAlphaCode2(英語版)が含まれていた。それ(ら)は英語(版)のみ利用可能となった。Googleに「最大かつ最も有能なAIモデル」として押し売りされ、人間の行動をエミュレートするように設計された(それについて)同社は、Geminiには「広範囲にわたる安全性のテスト」の必要性により、翌年まで幅広く利用できるようにはならないだろうと述べた。GeminiはGoogleのテンソル・プロセッシング・ユニット(TPU)でトレーニングされ、そして駆動させており、その名前はDeepMindとGoogle Brainの合併およびNASAのジェミニ計画にちなんで付けられている(※ジェミニの意味は、ふたご座)。 Gemini Ultraは、さまざまな業界ベンチマークでGPT4、AnthropicのClaude2、Inflection AI(英語版)のInflection2、MetaのLLaMA2、xAIのGrok1よりもアウトパフォームしたと言われる一方、Gemini ProはGPT-3.5よりアウトパフォームしたと言われていた。Gemini Ultraも同じく、57科目の大規模マルチタスク言語理解(MMLU)テストで人間の専門家を上回り、90%のスコアを獲得した最初の言語モデルでもあった。Gemini Proは12月13日にAI StudioとVertex AIでGoogle Cloudの顧客に利用できるようになり、一方でGemini NanoはAndroid開発者にも利用できるようになる。ハサビスはさらに、DeepMindがGeminiを「ロボット工学と組み合わせて世界と物理的に対話する」方法を模索していることを明らかにした。10月にジョー・バイデン大統領が署名した大統領令14110(英語版)に従って、GoogleはGemini Ultraのテスト結果をアメリカ合衆国連邦政府と共有すると述べた。同様に、同社は11月にブレッチリー・パークで開催されたAI安全サミット(英語版)で定められた原則を遵守するためにイギリス政府との協議に取り組んでいる。 GeminiのローンチはMITテクノロジーレビュー が「AIの誇大広告」と揶揄した、数か月にわたる激しい憶測と期待によって予期されていた。2023年8月、調査会社セミアナリシス(SemiAnalysis)のディラン・パテル(Dylan Patel)氏とダニエル・ニッシュボール(Daniel Nishball)氏が、Geminiのリリースが「世界を食い尽くし」そしてGPT4を追い落とす(outclass)と宣言するブログ投稿を書き、OpenAIのサム・アルトマンCEOがX(旧Twitter)でこの二人を即座に嘲笑することになった。イーロン・マスク(OpenAIの共同創設者)も加勢し、「数字は間違っているのか?("Are the numbers wrong?")」と尋ねたうえ、Business Insider のヒュー・ラングレー(Hugh Langley)はGeminiがGoogleにとって運命を左右する瞬間になるだろうと述べ、次のように書いた:「もしGeminiが眩惑するなら(※原文: dazzles、星座に引っ掛けたダジャレ)、それはGoogleがMicrosoftとOpenAIによって盲点を突かれたという物語を変えるのに役立つだろう。逆にそれが期待外れだったら、Googleは遅れをとっているという批判家たちを勢い付かせることになるだろう。」 2023年12月のお披露目に際して、ワシントン大学のオーレン・エツィオーニ(英語版)名誉教授は、GoogleとOpenAI間の「軍拡競争の応酬」を予測した。カリフォルニア大学バークレー校のアレクセイ・エフロス(英語版)教授はGeminiのマルチモーダルなアプローチの可能性を賞賛し、一方サンタフェ研究所の科学者メラニー・ミッチェル(英語版)はGeminiを「非常に洗練されている」と評した。ワシントン大学のチラグ・シャー(Chirag Shah)教授は、Geminiのローンチをアップルが毎年発表する新しいiPhoneに喩え、それほど感銘を受けなかった。同様に、スタンフォード大学のパーシー・リアン(Percy Liang)氏とワシントン大学のエミリー・ベンダー(英語版)氏は、使用されたトレーニングデータについての洞察がなければベンチマークスコアを解釈するのは難しいと警告した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Geminiは、Google DeepMindによって開発されたマルチモーダル(英語版)大規模言語モデルのファミリーであり、LaMDAおよびPaLM2の後継として供する。(2023年12月6日に発表された)Gemini Ultra、Gemini Pro、Gemini Nanoからなり、OpenAIのGPT-4のライバルとして位置付けられた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Googleは、2023年5月10日のGoogle I/O基調講演の期間中(子会社のGoogle DeepMindによって開発された大規模言語モデル(LLM)である)Geminiを発表した。これは、Googleのサンダー・ピチャイCEOによると「Geminiはまだ初期の開発段階にある」と述べるものの(同イベントでも、お披露目された)PaLM2のより強力な後継として位置付けられていた。他のLLMとは異なり、Geminiはテキスト・コーパスのみでトレーニングされておらず、テキスト、画像、音声、映像、そしてコンピュータ・コードを含む、異なる種類のデータを同時に処理できることを意味するマルチモーダル(英語版)になるように設計されている点でユニークであると言われている。これはGoogle DeepMindとして先月統合されたGoogleの2部門であるDeepMindとGoogle Brain(英語版)のコラボレーションとして開発された。Wired誌とのインタビューで、DeepMindのデミス・ハサビスCEOは、その人気ぶりがGoogleにLaMDAとBardを使ってアグレッシブに挑戦させてきたOpenAIのGPT-4で動くChatGPTを自社のアルゴリズムで打ち負かすことが可能であると彼が信じたGeminiの高度な能力を押し売りした。ハザビスいわくGeminiはAlphaGoとその他のGoogle=DeepMind製LLMの力を組み合わせるだろうとし、(2016年に囲碁チャンピョンのイ・セドルを負かしたとき世界中の注目を得た)DeepMindのAlphaGoプログラムの強さを強調した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年8月、The Information(英語版)はGeminiについてGoogleのロードマップを要約したレポートを発表し、同社が2023年後半のローンチを目標にしていることを明らかにした。レポートによると、Googleは現在大抵のLLMに備わっている会話型テキスト能力を人工知能を駆使した画像生成と組み合わせて、コンテキストに応じた画像作成を可能にし、より広範囲のユースケースに適応されることで、OpenAIやその他競合他社を凌駕したいと望んでいた。Bardと同様に、Googleの共同創設者であるセルゲイ・ブリンも、Google Brain(英語版)とDeepMindのその他何百人ものエンジニアとともに、Geminiの開発を支援するためにセミリタイア生活から召喚された。GeminiはYouTubeの動画のトランスクリプト(文字起こし)でも訓練を受けていたため、如何なる潜在的に著作権保護されている素材を排除するために弁護士も連れてこられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Geminiのローンチが差し迫っているというニュースを受けて、OpenAIはGPT4をGeminiと同様のマルチモーダル機能と統合する作業を急かした。The Information が9月に報じたところによると、数社がGoogle CloudのVertex AIサービス経由でクライアントに利用可能にさせることをGoogleが企図していたLLMの「初期バージョン」への早期アクセスを承諾されていた。この報告は、GoogleがGPT4とマイクロソフトのGitHub Copilot両方諸共打ち負かすためにGeminiを武装させていることも同様に言及されていた。12月2日、同誌はGoogleは英語以外のプロンプトに問題があるため、Geminiのローンチを翌週から2024年1月に延期し、付け加えて3つのローンチ・イベントがニューヨーク市、ワシントンD.C.、そしてカリフォルニアで計画されていたと報告した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年12月6日、ピチャイとハサビスはバーチャル記者会見で「Gemini 1.0」を発表した。これは3つのモデルでから成っていた:「非常に複雑なタスク」向けに設計された、Gemini Ultra;「幅広いタスク」向けに設計された、Gemini Pro; そして「オン=デバイス・タスク」用に設計された、Gemini Nano。ローンチ時に、Gemini Proと(Gemini )NanoはBardとPixel 8 Proスマートフォンにそれぞれ統合されたが、一方Gemini Ultraは「Bard Advanced」を強化し、2024年初めにソフトウェア開発者が利用可能になる。GoogleがGeminiを組み込むことを企図していたその他製品には、検索、広告、Chrome、Google Workspace上のDuet AI、そしてAlphaCode2(英語版)が含まれていた。それ(ら)は英語(版)のみ利用可能となった。Googleに「最大かつ最も有能なAIモデル」として押し売りされ、人間の行動をエミュレートするように設計された(それについて)同社は、Geminiには「広範囲にわたる安全性のテスト」の必要性により、翌年まで幅広く利用できるようにはならないだろうと述べた。GeminiはGoogleのテンソル・プロセッシング・ユニット(TPU)でトレーニングされ、そして駆動させており、その名前はDeepMindとGoogle Brainの合併およびNASAのジェミニ計画にちなんで付けられている(※ジェミニの意味は、ふたご座)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Gemini Ultraは、さまざまな業界ベンチマークでGPT4、AnthropicのClaude2、Inflection AI(英語版)のInflection2、MetaのLLaMA2、xAIのGrok1よりもアウトパフォームしたと言われる一方、Gemini ProはGPT-3.5よりアウトパフォームしたと言われていた。Gemini Ultraも同じく、57科目の大規模マルチタスク言語理解(MMLU)テストで人間の専門家を上回り、90%のスコアを獲得した最初の言語モデルでもあった。Gemini Proは12月13日にAI StudioとVertex AIでGoogle Cloudの顧客に利用できるようになり、一方でGemini NanoはAndroid開発者にも利用できるようになる。ハサビスはさらに、DeepMindがGeminiを「ロボット工学と組み合わせて世界と物理的に対話する」方法を模索していることを明らかにした。10月にジョー・バイデン大統領が署名した大統領令14110(英語版)に従って、GoogleはGemini Ultraのテスト結果をアメリカ合衆国連邦政府と共有すると述べた。同様に、同社は11月にブレッチリー・パークで開催されたAI安全サミット(英語版)で定められた原則を遵守するためにイギリス政府との協議に取り組んでいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "GeminiのローンチはMITテクノロジーレビュー が「AIの誇大広告」と揶揄した、数か月にわたる激しい憶測と期待によって予期されていた。2023年8月、調査会社セミアナリシス(SemiAnalysis)のディラン・パテル(Dylan Patel)氏とダニエル・ニッシュボール(Daniel Nishball)氏が、Geminiのリリースが「世界を食い尽くし」そしてGPT4を追い落とす(outclass)と宣言するブログ投稿を書き、OpenAIのサム・アルトマンCEOがX(旧Twitter)でこの二人を即座に嘲笑することになった。イーロン・マスク(OpenAIの共同創設者)も加勢し、「数字は間違っているのか?(\"Are the numbers wrong?\")」と尋ねたうえ、Business Insider のヒュー・ラングレー(Hugh Langley)はGeminiがGoogleにとって運命を左右する瞬間になるだろうと述べ、次のように書いた:「もしGeminiが眩惑するなら(※原文: dazzles、星座に引っ掛けたダジャレ)、それはGoogleがMicrosoftとOpenAIによって盲点を突かれたという物語を変えるのに役立つだろう。逆にそれが期待外れだったら、Googleは遅れをとっているという批判家たちを勢い付かせることになるだろう。」", "title": "レセプション" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年12月のお披露目に際して、ワシントン大学のオーレン・エツィオーニ(英語版)名誉教授は、GoogleとOpenAI間の「軍拡競争の応酬」を予測した。カリフォルニア大学バークレー校のアレクセイ・エフロス(英語版)教授はGeminiのマルチモーダルなアプローチの可能性を賞賛し、一方サンタフェ研究所の科学者メラニー・ミッチェル(英語版)はGeminiを「非常に洗練されている」と評した。ワシントン大学のチラグ・シャー(Chirag Shah)教授は、Geminiのローンチをアップルが毎年発表する新しいiPhoneに喩え、それほど感銘を受けなかった。同様に、スタンフォード大学のパーシー・リアン(Percy Liang)氏とワシントン大学のエミリー・ベンダー(英語版)氏は、使用されたトレーニングデータについての洞察がなければベンチマークスコアを解釈するのは難しいと警告した。", "title": "レセプション" } ]
Geminiは、Google DeepMindによって開発されたマルチモーダル大規模言語モデルのファミリーであり、LaMDAおよびPaLM2の後継として供する。(2023年12月6日に発表された)Gemini Ultra、Gemini Pro、Gemini Nanoからなり、OpenAIのGPT-4のライバルとして位置付けられた。
<!-- {{Short description|グーグルによって開発された大規模言語モデル}} {{Use American English|date=August 2023}} {{Use list-defined references|date=August 2023}} {{Use mdy dates|date=August 2023}} --> {{Infobox software | logo = | screenshot = | screenshot alt = | caption = | author = | developer = [[DeepMind|Google DeepMind]] | released = {{Start date and age|2023|12|06}} | discontinued = | latest release version = | latest release date = {{Start date and age|2023|12|06}} | qid = | programming language = | replaced_by = | language = 英語 | genre = [[大規模言語モデル]] | license = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] }} '''Gemini'''は、[[DeepMind|Google DeepMind]]によって開発された{{仮リンク|マルチモーダル学習|en|Multimodal learning|label=マルチモーダル}}[[大規模言語モデル]]のファミリーであり、[[LaMDA]]および[[PaLM]]2の後継として供する。(2023年12月6日に発表された)Gemini Ultra、Gemini Pro、Gemini Nanoからなり、[[OpenAI]]の[[GPT-4]]のライバルとして位置付けられた。 == 歴史 == === 開発 === {{further|w:Bard (chatbot)#Background}} [[Google]]は、2023年5月10日の[[Google I/O]]基調講演の期間中(子会社の[[DeepMind|Google DeepMind]]によって開発された[[大規模言語モデル]](LLM)である)Geminiを発表した。これは、Googleの[[サンダー・ピチャイ]]CEOによると「Geminiはまだ初期の開発段階にある」と述べるものの(同イベントでも、お披露目された)[[PaLM]]2のより強力な後継として位置付けられていた<ref name="IO2023NYT" /><ref name="IO2023ZD" />。他のLLMとは異なり、Geminiは[[コーパス|テキスト・コーパス]]のみでトレーニングされておらず、テキスト、画像、音声、映像、そして[[ソースコード|コンピュータ・コード]]を含む、異なる種類のデータを同時に処理できることを意味する{{仮リンク|マルチモーダル学習|en|Multimodal learning|label=マルチモーダル}}になるように設計されている点でユニークであると言われている<ref name="Multimodal" /><ref name="AnnounceGuardian" />。これはGoogle DeepMindとして先月統合されたGoogleの2部門であるDeepMindと{{仮リンク|Google Brain|en|Google Brain}}のコラボレーションとして開発された<ref name="Google25" />。''[[WIRED (雑誌)|Wired誌]]''とのインタビューで、DeepMindの[[デミス・ハサビス]]CEOは、その人気ぶりがGoogleに[[LaMDA]]と[[Bard]]を使ってアグレッシブに挑戦させてきた[[OpenAI]]の[[GPT-4]]で動く[[ChatGPT]]を自社のアルゴリズムで打ち負かすことが可能であると彼が信じたGeminiの高度な能力を押し売りした。ハザビスいわくGeminiはAlphaGoとその他のGoogle=DeepMind製LLMの力を組み合わせるだろうとし、(2016年に[[囲碁]]チャンピョンの[[李世ドル|イ・セドル]]を負かしたとき世界中の注目を得た)DeepMindの[[AlphaGo]]プログラムの強さを強調した<ref name="HassabisInterview" />。 2023年8月、''{{仮リンク|The Information|en|The Information (website)}}''はGeminiについてGoogleのロードマップを要約したレポートを発表し、同社が2023年後半のローンチを目標にしていることを明らかにした。レポートによると、Googleは現在大抵のLLMに備わっている会話型テキスト能力を[[人工知能]]を駆使した画像生成と組み合わせて、コンテキストに応じた画像作成を可能にし、より広範囲の[[ユースケース]]に適応されることで、OpenAIやその他競合他社を凌駕したいと望んでいた<ref name="TheInformation" />。Bardと同様に<ref name="LarrySergey" />、Googleの共同創設者である[[セルゲイ・ブリン]]も、{{仮リンク|Google Brain|en|Google Brain}}とDeepMindのその他何百人ものエンジニアとともに、Geminiの開発を支援するためにセミリタイア生活から召喚された<ref name="TheInformation" /><ref name="BrinReturn" />。Geminiは[[YouTube]]の動画のトランスクリプト(文字起こし)でも訓練を受けていたため、如何なる潜在的に著作権保護されている素材を排除するために弁護士も連れてこられた<ref name="TheInformation" />。 Geminiのローンチが差し迫っているというニュースを受けて、OpenAIはGPT4をGeminiと同様のマルチモーダル機能と統合する作業を急かした<ref name="Hustle" />。''The Information'' が9月に報じたところによると、数社が[[Google Cloud Platform|Google Cloud]]のVertex AIサービス経由でクライアントに利用可能にさせることをGoogleが企図していたLLMの「初期バージョン」への早期アクセスを承諾されていた。この報告は、GoogleがGPT4と[[マイクロソフト]]の[[GitHub Copilot]]両方諸共打ち負かすためにGeminiを武装させていることも同様に言及されていた<ref name="NearLaunch" /><ref name="WhatWeKnow" />。12月2日、同誌はGoogleは英語以外のプロンプトに問題があるため、Geminiのローンチを翌週から2024年1月に延期し、付け加えて3つのローンチ・イベントがニューヨーク市、ワシントンD.C.、そしてカリフォルニアで計画されていたと報告した<ref name="DelayTI" /><ref name="DelayBI" />。 === ローンチ === 2023年12月6日、ピチャイとハサビスはバーチャル記者会見で「Gemini 1.0」を発表した<ref name="AnnounceWSJ" /><ref name="AnnounceAP" />。これは3つのモデルでから成っていた:「非常に複雑なタスク」向けに設計された、Gemini Ultra;「幅広いタスク」向けに設計された、Gemini Pro; そして「オン=デバイス・タスク」用に設計された、Gemini Nano。ローンチ時に、Gemini Proと(Gemini )NanoはBardと[[Pixel 8|Pixel 8 Pro]]スマートフォンにそれぞれ統合されたが、一方Gemini Ultraは「Bard Advanced」を強化し、2024年初めにソフトウェア開発者が利用可能になる。GoogleがGeminiを組み込むことを企図していたその他製品には、[[Google 検索|検索]]、[[Google 広告|広告]]、[[Google Chrome|Chrome]]、[[Google Workspace]]上のDuet AI、そして{{仮リンク|AlphaCode|en|Google DeepMind#AlphaCode|label=AlphaCode2}}が含まれていた<ref name="AnnounceArs" /><ref name="AnnounceAP" />。それ(ら)は英語(版)のみ利用可能となった<ref name="AnnounceAP" /><ref name="AnnounceVerge" />。Googleに「最大かつ最も有能なAIモデル」として押し売りされ、人間の行動をエミュレートするように設計された<ref name="AnnounceCNN" /><ref name="AnnounceAP" /><ref name="AnnounceCBS" />(それについて)同社は、Geminiには「広範囲にわたる安全性のテスト」の必要性により、翌年まで幅広く利用できるようにはならないだろうと述べた<ref name="AnnounceWSJ" />。GeminiはGoogleの[[テンソル・プロセッシング・ユニット]](TPU)でトレーニングされ、そして駆動させており<ref name="AnnounceWSJ" /><ref name="AnnounceVerge" />、その名前はDeepMindとGoogle Brainの合併および[[NASA]]の[[ジェミニ計画]]にちなんで付けられている<ref name="AnnounceWired" />(※ジェミニの意味は、ふたご座)。 Gemini Ultraは、さまざまな業界ベンチマークでGPT4、[[Anthropic]]の[[Anthropic#Claude|Claude2]]、{{仮リンク|Inflection AI|en|Inflection AI}}のInflection2、[[Meta (企業)|Meta]]の[[LLaMA|LLaMA2]]、[[xAI (企業)|xAI]]の[[Grok|Grok1]]よりもアウトパフォームしたと言われる<ref name="AnnounceTime" /><ref name="AnnounceWSJ" />一方、Gemini Proは[[GPT-3.5]]よりアウトパフォームしたと言われていた<ref name="AnnounceGuardian" />。Gemini Ultraも同じく、57科目の大規模マルチタスク言語理解(MMLU)テストで人間の専門家を上回り、90%のスコアを獲得した最初の言語モデルでもあった<ref name="AnnounceGuardian" /><ref name="AnnounceWired" />。Gemini Proは12月13日にAI StudioとVertex AIでGoogle Cloudの顧客に利用できるようになり、一方でGemini Nanoは[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]開発者にも利用できるようになる<ref name="AnnounceNYT" /><ref name="AnnounceCNBC" /><ref name="AnnounceBloomberg" />。ハサビスはさらに、DeepMindがGeminiを「ロボット工学と組み合わせて世界と物理的に対話する」方法を模索していることを明らかにした<ref name="NewBreed" />。10月に[[ジョー・バイデン]]大統領が署名した{{仮リンク|大統領令14110|en|Executive Order 14110}}に従って、GoogleはGemini Ultraのテスト結果を[[アメリカ合衆国連邦政府]]と共有すると述べた。同様に、同社は11月に[[ブレッチリー・パーク]]で開催された{{仮リンク|2023年AI安全サミット|en|2023 AI Safety Summit|label=AI安全サミット}}で定められた原則を遵守するために[[イギリス政府]]との協議に取り組んでいる<ref name="AnnounceGuardian" />。 == レセプション == Geminiのローンチは''[[MITテクノロジーレビュー]]'' が「AIの誇大広告」と揶揄した、数か月にわたる激しい憶測と期待によって予期されていた<ref name="PeakHype" /><ref name="AnnounceTime" />。2023年8月、調査会社セミアナリシス(SemiAnalysis)のディラン・パテル(Dylan Patel)氏とダニエル・ニッシュボール(Daniel Nishball)氏が、Geminiのリリースが「世界を食い尽くし」そしてGPT4を追い落とす(outclass)と宣言する[[ブログ|ブログ投稿]]を書き、OpenAIの[[サム・アルトマン]]CEOが[[X (ソーシャル・ネットワーキング・サービス)|X]](旧Twitter)でこの二人を即座に嘲笑することになった<ref name="SemiAnalysisBI" /><ref name="SemiAnalysisFortune" />。[[イーロン・マスク]](OpenAIの共同創設者)も加勢し、「数字は間違っているのか?("Are the numbers wrong?")」と尋ねたうえ<ref name="Musk" />、''[[Business Insider]]'' のヒュー・ラングレー(Hugh Langley)はGeminiがGoogleにとって運命を左右する瞬間になるだろうと述べ、次のように書いた:「もしGeminiが眩惑するなら(※原文: dazzles、星座に引っ掛けたダジャレ)、それはGoogleがMicrosoftとOpenAIによって盲点を突かれたという物語を変えるのに役立つだろう。逆にそれが期待外れだったら、Googleは遅れをとっているという批判家たちを勢い付かせることになるだろう。」<ref name="Hsiao" /> 2023年12月のお披露目に際して、[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]の{{仮リンク|オーレン・エツィオーニ|en|Oren Etzioni}}名誉教授は、GoogleとOpenAI間の「[[軍備拡張競争|軍拡競争]]の応酬」を予測した。[[カリフォルニア大学バークレー校]]の{{仮リンク|アレクセイ・エフロス|en|Alexei A. Efros}}教授はGeminiのマルチモーダルなアプローチの可能性を賞賛し<ref name="AnnounceWired" />、一方[[サンタフェ研究所]]の科学者{{仮リンク|メラニー・ミッチェル|en|Melanie Mitchell}}はGeminiを「非常に洗練されている」と評した。ワシントン大学のチラグ・シャー(Chirag Shah)教授は、Geminiのローンチを[[Apple Inc.|アップル]]が[[Apple Special Event|毎年発表する]]新しい[[iPhone]]に喩え、それほど感銘を受けなかった。同様に、[[スタンフォード大学]]のパーシー・リアン(Percy Liang)氏とワシントン大学の{{仮リンク|エミリー・ベンダー|en|Emily Bender}}氏は、使用されたトレーニングデータについての洞察がなければベンチマークスコアを解釈するのは難しいと警告した<ref name="PeakHype" />。 == 関連項目 == * [[Gato (DeepMind)]]{{snd}}DeepMindによって開発されたマルチモーダル・ニューラル・ネットワーク * [[コグニティブ・コンピュータ]] == 脚注 == {{reflist|refs= <!-- 開発 --> <ref name="IO2023NYT">{{Cite news |last=Grant |first=Nico |date=May 10, 2023 |title=Google Builds on Tech's Latest Craze With Its Own A.I. Products |url=https://www.nytimes.com/2023/05/10/technology/google-ai-products.html |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230510180605/https://www.nytimes.com/2023/05/10/technology/google-ai-products.html |archive-date=May 10, 2023 |access-date=August 21, 2023 |newspaper=[[The New York Times]] |issn=0362-4331}}</ref> <ref name="IO2023ZD">{{Cite web |last=Ortiz |first=Sabrina |date=May 10, 2023 |title=Every major AI feature announced at Google I/O 2023 |url=https://www.zdnet.com/article/every-major-ai-feature-announced-at-google-io-2023/ |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230510224825/https://www.zdnet.com/article/every-major-ai-feature-announced-at-google-io-2023/ |archive-date=May 10, 2023 |access-date=August 21, 2023 |website=[[ZDNet]]}}</ref> <ref name="Multimodal">{{Cite web |last=Wankhede |first=Calvin |date=June 4, 2023 |title=What is Google Gemini: The next-gen language model that can do it all |url=https://www.androidauthority.com/what-is-google-gemini-3331678/ |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230605021459/https://www.androidauthority.com/what-is-google-gemini-3331678/ |archive-date=June 5, 2023 |access-date=August 21, 2023 |website=Android Authority}}</ref> <ref name="AnnounceGuardian">{{Cite news |last=Milmo |first=Dan |date=December 6, 2023 |title=Google says new AI model Gemini outperforms ChatGPT in most tests |url=https://www.theguardian.com/technology/2023/dec/06/google-new-ai-model-gemini-bard-upgrade |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206162533/https://www.theguardian.com/technology/2023/dec/06/google-new-ai-model-gemini-bard-upgrade |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |newspaper=[[The Guardian]] |issn=0261-3077}}</ref> <ref name="Google25">{{Cite magazine |last=Levy |first=Steven |author-link=Steven Levy |date=September 11, 2023 |title=Sundar Pichai on Google;s AI, Microsoft's AI, OpenAI, and ... Did We Mention AI? |url=https://www.wired.com/story/sundar-pichai-google-ai-microsoft-openai/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230911124432/https://www.wired.com/story/sundar-pichai-google-ai-microsoft-openai/ |archive-date=September 11, 2023 |access-date=September 12, 2023 |magazine=[[Wired (magazine)|Wired]]}}</ref> <ref name="HassabisInterview">{{Cite magazine |last=Knight |first=Will |date=June 26, 2023 |title=Google DeepMind's CEO Says Its Next Algorithm Will Eclipse ChatGPT |url=https://www.wired.com/story/google-deepmind-demis-hassabis-chatgpt/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230626121231/https://www.wired.com/story/google-deepmind-demis-hassabis-chatgpt/ |archive-date=June 26, 2023 |access-date=August 21, 2023 |magazine=[[Wired (magazine)|Wired]]}}</ref> <ref name="TheInformation">{{Cite web |last=Victor |first=Jon |date=August 15, 2023 |title=How Google is Planning to Beat OpenAI |url=https://www.theinformation.com/articles/the-forced-marriage-at-the-heart-of-googles-ai-race |url-access=subscription |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230815134508/https://www.theinformation.com/articles/the-forced-marriage-at-the-heart-of-googles-ai-race |archive-date=August 15, 2023 |access-date=August 21, 2023 |website=[[The Information (website)|The Information]]}}</ref> <ref name="LarrySergey">{{Cite news |last=Grant |first=Nico |date=January 20, 2023 |title=Google Calls In Help From Larry Page and Sergey Brin for A.I. Fight |url=https://www.nytimes.com/2023/01/20/technology/google-chatgpt-artificial-intelligence.html |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230120081118/https://www.nytimes.com/2023/01/20/technology/google-chatgpt-artificial-intelligence.html |archive-date=January 20, 2023 |access-date=February 6, 2023 |newspaper=[[The New York Times]] |issn=0362-4331}}</ref> <ref name="BrinReturn">{{Cite news |last1=Kruppa |first1=Miles |last2=Seetharaman |first2=Deepa |date=July 21, 2023 |title=Sergey Brin Is Back in the Trenches at Google |url=https://www.wsj.com/articles/sergey-brin-google-ai-gemini-1b5aa41e |url-access=subscription |url-status=live |archive-url=https://archive.today/2023.07.21-010618/https://www.wsj.com/amp/articles/sergey-brin-google-ai-gemini-1b5aa41e |archive-date=July 21, 2023 |access-date=September 7, 2023 |newspaper=[[The Wall Street Journal]] |issn=0099-9660}}</ref> <ref name="Hustle">{{Cite web |last=Victor |first=Jon |date=September 18, 2023 |title=OpenAI Hustles to Beat Google to Launch 'Multimodal' LLM |url=https://www.theinformation.com/articles/openai-hustles-to-beat-google-to-launch-multimodal-llm |url-access=subscription |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230918174849/https://www.theinformation.com/articles/openai-hustles-to-beat-google-to-launch-multimodal-llm |archive-date=September 18, 2023 |access-date=October 15, 2023 |website=[[The Information (website)|The Information]]}}</ref> <ref name="NearLaunch">{{Cite news |author=<!-- Reuters --> |date=September 14, 2023 |title=Google nears release of AI software Gemini, The Information reports |url=https://www.reuters.com/technology/google-nears-release-ai-software-gemini-information-2023-09-15/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230915113109/https://www.reuters.com/technology/google-nears-release-ai-software-gemini-information-2023-09-15/ |archive-date=September 15, 2023 |access-date=October 2, 2023 |publisher=[[Reuters]]}}</ref> <ref name="WhatWeKnow">{{Cite web |last=Nolan |first=Beatrice |date=September 23, 2023 |title=Google is quietly handing out early demos of its GPT-4 rival called Gemini. Here's what we know so far about the upcoming AI model. |url=https://www.businessinsider.com/google-gemini-explainer-ai-model-2023-9 |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230923121028/https://www.businessinsider.com/google-gemini-explainer-ai-model-2023-9 |archive-date=September 23, 2023 |access-date=October 16, 2023 |website=[[Business Insider]]}}</ref> <ref name="DelayTI">{{Cite web |last1=Victor |first1=Jon |last2=Efrati |first2=Amir |date=December 2, 2023 |title=Google Preps Public Preview of Gemini AI After Postponing In-Person Launch Events |url=https://www.theinformation.com/articles/google-postpones-big-ai-launch-as-openai-zooms-ahead |url-access=subscription |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231202183317/https://www.theinformation.com/articles/google-postpones-big-ai-launch-as-openai-zooms-ahead |archive-date=December 2, 2023 |access-date=December 6, 2023 |website=[[The Information (website)|The Information]]}}</ref> <ref name="DelayBI">{{Cite web |last=Tangalakis-Lippert |first=Katherine |date=December 2, 2023 |title=Google has quietly pushed back the launch of next-gen AI model Gemini until next year, report says |url=https://www.businessinsider.com/google-delays-launch-of-gemini-ai-to-early-2024-report-2023-12 |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231203022623/https://www.businessinsider.com/google-delays-launch-of-gemini-ai-to-early-2024-report-2023-12 |archive-date=December 3, 2023 |access-date=December 6, 2023 |website=[[Business Insider]]}}</ref> <!-- ローンチ --> <ref name="AnnounceWSJ">{{Cite news |last=Kruppa |first=Miles |date=December 6, 2023 |title=Google Announces AI System Gemini After Turmoil at Rival OpenAI |url=https://www.wsj.com/tech/ai/google-announces-ai-system-gemini-after-turmoil-at-rival-openai-10835335 |url-access=subscription |url-status=live |archive-url=https://archive.today/2023.12.06-152820/https://www.wsj.com/tech/ai/google-announces-ai-system-gemini-after-turmoil-at-rival-openai-10835335 |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |newspaper=[[The Wall Street Journal]] |issn=0099-9660}}</ref> <ref name="AnnounceAP">{{Cite news |last1=Liedtike |first1=Michael |last2=O'Brien |first2=Matt |date=December 6, 2023 |title=Google launches Gemini, upping the stakes in the global AI race |url=https://apnews.com/article/google-gemini-artificial-intelligence-launch-95d05d02051e75e20b574614ae720b8b |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206181414/https://apnews.com/article/google-gemini-artificial-intelligence-launch-95d05d02051e75e20b574614ae720b8b |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |publisher=[[Associated Press]]}}</ref> <ref name="AnnounceArs">{{Cite web |last=Edwards |first=Benj |date=December 6, 2023 |title=Google launches Gemini—a powerful AI model it says can surpass GPT-4 |url=https://arstechnica.com/information-technology/2023/12/google-launches-gemini-a-powerful-ai-model-it-says-can-surpass-gpt-4/ |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206182034/https://arstechnica.com/information-technology/2023/12/google-launches-gemini-a-powerful-ai-model-it-says-can-surpass-gpt-4/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |website=[[Ars Technica]]}}</ref> <ref name="AnnounceVerge">{{Cite web |last=Pierce |first=David |date=December 6, 2023 |title=Google launches Gemini, the AI model it hopes will take down GPT-4 |url=https://www.theverge.com/2023/12/6/23990466/google-gemini-llm-ai-model |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206174404/https://www.theverge.com/2023/12/6/23990466/google-gemini-llm-ai-model |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |website=[[The Verge]]}}</ref> <ref name="AnnounceCNN">{{Cite web |last1=Fung |first1=Brian |last2=Thorbecke |first2=Catherine |date=December 6, 2023 |title=Google launches Gemini, its most-advanced AI model yet, as it races to compete with ChatGPT |url=https://www.cnn.com/2023/12/06/tech/google-launches-gemini-compete-with-chatgpt/index.html |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206183632/https://www.cnn.com/2023/12/06/tech/google-launches-gemini-compete-with-chatgpt/index.html |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |publisher=[[CNN Business]]}}</ref> <ref name="AnnounceCNBC">{{Cite web |last=Elias |first=Jennifer |date=December 6, 2023 |title=Google launches its largest and 'most capable' AI model, Gemini |url=https://www.cnbc.com/2023/12/06/google-launches-its-largest-and-most-capable-ai-model-gemini.html |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206160659/https://www.cnbc.com/2023/12/06/google-launches-its-largest-and-most-capable-ai-model-gemini.html |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |publisher=[[CNBC]]}}</ref> <ref name="AnnounceCBS">{{Cite web |date=December 6, 2023 |title=Google launches Gemini, upping the stakes in the global AI race |url=https://www.cbsnews.com/sanfrancisco/news/google-ups-the-stakes-in-ai-race-with-gemini-a-technology-trained-to-behave-more-like-humans/ |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231207001332/https://www.cbsnews.com/sanfrancisco/news/google-ups-the-stakes-in-ai-race-with-gemini-a-technology-trained-to-behave-more-like-humans/ |archive-date=December 7, 2023 |access-date=December 7, 2023 |publisher=[[CBS News]]}}</ref> <ref name="AnnounceTime">{{Cite web |last=Henshall |first=Will |date=December 6, 2023 |title=Google DeepMind Unveils Its Most Powerful AI Offering Yet |url=https://time.com/6343450/gemini-google-deepmind-ai/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206232509/https://time.com/6343450/gemini-google-deepmind-ai/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |magazine=[[Time (magazine)|Time]]}}</ref> <ref name="AnnounceNYT">{{Cite news |last1=Metz |first1=Cade |last2=Grant |first2=Nico |date=December 6, 2023 |title=Google Updates Bard Chatbot With 'Gemini' A.I. as It Chases ChatGPT |url=https://www.nytimes.com/2023/12/06/technology/google-ai-bard-chatbot-gemini.html |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206153133/https://www.nytimes.com/2023/12/06/technology/google-ai-bard-chatbot-gemini.html |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |newspaper=[[The New York Times]] |issn=0362-4331}}</ref> <ref name="AnnounceWired">{{Cite magazine |last=Knight |first=Will |date=December 6, 2023 |title=Google Just Launched Gemini, Its Long-Awaited Answer to ChatGPT |url=https://www.wired.com/story/google-gemini-ai-model-chatgpt/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206151324/https://www.wired.com/story/google-gemini-ai-model-chatgpt/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |magazine=[[Wired (magazine)|Wired]]}}</ref> <ref name="AnnounceBloomberg">{{Cite web |last1=Alba |first1=Davey |last2=Ghaffary |first2=Shirin |date=December 6, 2023 |title=Google Opens Access to Gemini, Racing to Catch Up to OpenAI |url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-12-06/google-opens-access-to-gemini-racing-to-catch-up-to-openai |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206161403/https://www.bloomberg.com/news/articles/2023-12-06/google-opens-access-to-gemini-racing-to-catch-up-to-openai |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 7, 2023 |publisher=[[Bloomberg News]]}}</ref> <ref name="NewBreed">{{Cite magazine |last=Knight |first=Will |date=December 6, 2023 |title=Google DeepMind's Demis Hassabis Says Gemini Is a New Breed of AI |url=https://www.wired.com/story/google-deepmind-demis-hassabis-gemini-ai/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206153212/https://www.wired.com/story/google-deepmind-demis-hassabis-gemini-ai/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 7, 2023 |magazine=[[Wired (magazine)|Wired]]}}</ref> <!-- レセプション --> <ref name="PeakHype">{{Cite magazine |last1=Heikkilä |first1=Melissa |last2=Heaven |first2=Will Douglas |date=December 6, 2023 |title=Google DeepMind’s new Gemini model looks amazing—but could signal peak AI hype |url=https://www.technologyreview.com/2023/12/06/1084471/google-deepminds-new-gemini-model-looks-amazing-but-could-signal-peak-ai-hype/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206175747/https://www.technologyreview.com/2023/12/06/1084471/google-deepminds-new-gemini-model-looks-amazing-but-could-signal-peak-ai-hype/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |magazine=[[MIT Technology Review]]}}</ref> <ref name="SemiAnalysisBI">{{Cite web |last=howdhury |first=Hasan |date=August 29, 2023 |title=AI bros are at war over declarations that Google's upcoming Gemini AI model smashes OpenAI's GPT-4 |url=https://www.businessinsider.com/google-gemini-ai-model-smashes-gpt4-says-semianalysis-2023-8 |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230829164940/https://www.businessinsider.com/google-gemini-ai-model-smashes-gpt4-says-semianalysis-2023-8 |archive-date=August 29, 2023 |access-date=September 7, 2023 |website=[[Business Insider]]}}</ref> <ref name="SemiAnalysisFortune">{{Cite magazine |last=Harrison |first=Maggie |date=August 31, 2023 |title=OpenAI Rages at Report that Google's New AI Crushes GPT-4 |url=https://futurism.com/the-byte/openai-report-google-ai-gpt-4 |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230831232156/https://futurism.com/the-byte/openai-report-google-ai-gpt-4 |archive-date=August 31, 2023 |access-date=September 7, 2023 |magazine=[[Fortune (magazine)|Fortune]]}}</ref> <ref name="Musk">{{Cite tweet |last=Musk |first=Elon |author-link=Elon Musk |user=elonmusk |date=August 29, 2023 |title=Are the numbers wrong? |number=1696692734952673476 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20230901065734/https://twitter.com/elonmusk/status/1696692734952673476 |archive-date=September 1, 2023 |access-date=October 15, 2023}}</ref> <ref name="Hsiao">{{Cite web |last=Langley |first=Hugh |date=October 12, 2023 |title=Google VP teases Gemini's multimodal future: 'I've seen some pretty amazing things.' |url=https://www.businessinsider.com/google-sissie-hsiao-teases-gemini-ai-model-pretty-amazing-things-2023-10 |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012134647/https://www.businessinsider.com/google-sissie-hsiao-teases-gemini-ai-model-pretty-amazing-things-2023-10 |archive-date=October 12, 2023 |access-date=October 15, 2023 |website=[[Business Insider]]}}</ref> }} == 参考文献 == {{refbegin}} * {{Cite magazine |last=Honan |first=Matt |date=December 6, 2023 |title=Google CEO Sundar Pichai on Gemini and the coming age of AI |url=https://www.technologyreview.com/2023/12/06/1084539/google-ceo-sundar-pichai-on-gemini-and-the-coming-age-of-ai/ |url-access=limited |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206233355/https://www.technologyreview.com/2023/12/06/1084539/google-ceo-sundar-pichai-on-gemini-and-the-coming-age-of-ai/ |archive-date=December 6, 2023 |access-date=December 6, 2023 |magazine=[[MIT Technology Review]]}} {{refend}} == 外部リンク == * {{Official website|https://deepmind.google/gemini}} * [https://blog.google/technology/ai/google-gemini-ai/ Press release] via ''[[w:The Keyword]]'' * [https://www.youtube.com/watch?v=jV1vkHv4zq8 Announcement video] on [[YouTube]] * [https://storage.googleapis.com/deepmind-media/gemini/gemini_1_report.pdf White paper] from [[Google DeepMind]] * Gemini Pro ** [https://gigazine.net/news/20231211-google-notebooklm-released/ GoogleがGemini ProとPaLM 2を搭載したメモ作成アプリ「NotebookLM」を実験的にリリース - GIGAZINE] ** 無料プレビュー開始 *** [https://gigazine.net/news/20231214-google-gemini-pro-developers-enterprises/ GoogleのマルチモーダルAI「Gemini Pro」を開発者や企業がAPI経由で利用可能に、1分あたり60クエリまで無料 - GIGAZINE] *** [https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1554309.html Google、「Gemini Pro」をGoogle Cloud開発者と大企業に無償でプレビュー提供開始 - PC Watch] *** [https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1554543.html Googleの新AI「Gemini Pro」がAPI経由で提供 ~無料で1分あたり60リクエストまで利用可能 - 窓の杜] {{Google Inc.}} {{自然言語処理}} <!-- {{Differentiable computing}} [[Category:Computer-related introductions in 2023]] [[Category:Google DeepMind]] --> [[Category:チャットボット]] [[Category:Googleのソフトウェア]] [[Category:大規模言語モデル]] [[Category:マルチモーダル・インタラクション]]
2023-12-08T21:37:31Z
2023-12-22T20:10:26Z
false
false
false
[ "Template:Further", "Template:Snd", "Template:Reflist", "Template:Refbegin", "Template:Cite magazine", "Template:Refend", "Template:Infobox software", "Template:仮リンク", "Template:Official website", "Template:Google Inc.", "Template:自然言語処理" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Gemini_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB)
4,864,106
佐々木裕子
佐々木裕子(ささき ひろこ、1973年〈昭和48年〉10月29日 - )は日本の経営家、経営コンサルタント。前職は日本銀行行員。 愛知県豊明市生まれ。小学校の頃は男子とばかり遊んでいたことでいじめにあった。そのため、中学校は地元ではなく、南山中学校女子部に入学した。中学時代に外交官が華やかだと感じ、外交官を目指していくことになった。南山高等学校女子部から東京大学に入学。東大1年次に外務省にアルバイトで働いたが、国会答弁の作成など、自身の考えていたイメージにギャップを抱いたという。東京大学法学部卒業。 1996年 日本銀行入行。入行後は本来なら新人が採用されない不良債権処理の部署に配属された。最初の担当は銀行に考査に入り、不良債権を査定する日銀考査であった。その後は各金融機関の資金繰りなどをモニタリングする花形部署の一つへ移動した。 2001年 日銀を退行し、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。 2010年10月 女性リーダーの育成を目指し、(株)チェンジウェーブを設立。 2016年9月1日 (株)リクシスを設立。代表取締役社長兼CEO。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "佐々木裕子(ささき ひろこ、1973年〈昭和48年〉10月29日 - )は日本の経営家、経営コンサルタント。前職は日本銀行行員。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "愛知県豊明市生まれ。小学校の頃は男子とばかり遊んでいたことでいじめにあった。そのため、中学校は地元ではなく、南山中学校女子部に入学した。中学時代に外交官が華やかだと感じ、外交官を目指していくことになった。南山高等学校女子部から東京大学に入学。東大1年次に外務省にアルバイトで働いたが、国会答弁の作成など、自身の考えていたイメージにギャップを抱いたという。東京大学法学部卒業。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1996年 日本銀行入行。入行後は本来なら新人が採用されない不良債権処理の部署に配属された。最初の担当は銀行に考査に入り、不良債権を査定する日銀考査であった。その後は各金融機関の資金繰りなどをモニタリングする花形部署の一つへ移動した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2001年 日銀を退行し、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2010年10月 女性リーダーの育成を目指し、(株)チェンジウェーブを設立。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2016年9月1日 (株)リクシスを設立。代表取締役社長兼CEO。", "title": "来歴" } ]
佐々木裕子は日本の経営家、経営コンサルタント。前職は日本銀行行員。
'''佐々木 裕子'''(ささき ひろこ、[[1973年]]〈[[昭和]]48年〉[[10月29日]] - )は[[日本]]の[[経営者|経営家]]、[[経営コンサルタント]]。前職は[[日本銀行]]行員。 == 来歴 == [[愛知県]][[豊明市]]生まれ<ref name="Facebook">{{Cite news|title=佐々木 裕子|newspaper=[[Facebook]]|url=https://m.facebook.com/hiroko.sasaki.96/|accessdate=2023-12-9}}</ref><ref name="another life.">{{Cite web|和書|url=https://an-life.jp/article/1131/?para=4|title=人や物事が変わる瞬間を生み出す「変革屋」。無意識の恐怖を除き、誰もが挑戦できる世界へ。|publisher=another life.|date=2019-6-10|accessdate=2023-12-9}}</ref>。小学校の頃は男子とばかり遊んでいたことでいじめにあった<ref name="another life."/><ref name="HITOLABO(2015-7-5)">{{Cite web|和書|url=http://change-wave.net/henkakuya-hitolabo/archives/197|title=発信することの本質ーTEDxTokyo|publisher=変革屋のHITOLABO(ブログ)|date=2015-7-5|accessdate=2023-12-9}}</ref>。そのため、中学校は地元ではなく、[[南山中学校・高等学校|南山中学校女子部]]に入学した。中学時代に[[外交官]]が華やかだと感じ、外交官を目指していくことになった<ref name="X WOMAN(2020-7-22:Part. 1)">{{Cite web|和書|url=https://woman.nikkei.com/atcl/doors/column/19/110800137/072000016/|title=海外エリートの洗礼受け挫折 怖気づくと思い出すあの日(Part. 1)|publisher=[[日経ウーマン|日経 X WOMAN]]|date=2020-7-22|accessdate=2023-12-9}}</ref><ref name="another life."/>。[[南山中学校・高等学校|南山高等学校女子部]]から[[東京大学]]に入学<ref name="Facebook"/>。東大1年次に[[外務省]]にアルバイトで働いたが、[[国会 (日本)|国会]]答弁の作成など、自身の考えていたイメージにギャップを抱いたという<ref name="another life."/>。[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]卒業。 [[1996年]] [[日本銀行]]入行。入行後は本来なら新人が採用されない[[不良債権]]処理の部署に配属された<ref name="X WOMAN(2020-7-22:Part. 2)">{{Cite web|和書|url=https://woman.nikkei.com/atcl/doors/column/19/110800137/072000016/?P=2|title=海外エリートの洗礼受け挫折 怖気づくと思い出すあの日(Part. 2)|publisher=[[日経ウーマン|日経 X WOMAN]]|date=2020-7-22|accessdate=2023-12-9}}</ref>。最初の担当は[[銀行]]に考査に入り、不良債権を査定する日銀考査であった<ref name="another life."/>。その後は各[[金融機関]]の[[資本金|資金]]繰りなどをモニタリングする花形部署の一つへ移動した<ref name="X WOMAN(2020-7-22:Part. 2)"/>。 [[2001年]] 日銀を退行し、[[マッキンゼー・アンド・カンパニー]]入社。 [[2010年]]10月 [[女性]]リーダーの育成を目指し、(株)チェンジウェーブを設立<ref name="another life."/>。 [[2016年]][[9月1日]] (株)リクシスを設立。[[代表取締役]][[社長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]。 === 略歴 === * [[1996年]]4月 - [[日本銀行]]入行(〜[[2001年]]2月) * 2001年4月 - [[マッキンゼー・アンド・カンパニー]]入社(〜[[2009年]]10月)。 * [[2010年]]10月 - (株)チェンジウェーブを設立。 * [[2016年]][[9月1日]] - (株)リクシスを設立。[[代表取締役]][[社長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]。 * [[2021年]]6月 - [[SBI新生銀行|新生銀行]][[社外取締役]](〜[[2022年]]6月)。 * 2022年10月 - [[三井住友DSアセットマネジメント]]社外取締役。 == 人物・主張 == * 中学時代から[[英語]]の弁論大会に出るほどの英語好きだったという<ref name="Earthtimes Sasaki(Part. 3)">{{Cite news|title=アースインタビュー - 佐々木裕子(Part. 3)|newspaper=アースタイムズ|url=http://www.earthtimes.jp/interview_sasaki03.php|accessdate=2023-12-9}}</ref>。 * [[日本銀行|日銀]]では1年目から[[金融機関]]の[[不良債権]]の査定などをし、[[出動!ミニスカポリス|ミニスカポリス]]と言われていたという<ref name="Earthtimes Sasaki(Part. 3)"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://changewave.co.jp/member/hiroko_sasaki/ 佐々木 裕子] - ChangeWAVE * {{Twitter|hirokosasaki|佐々木裕子/変革屋}} * {{Facebook|hiroko.sasaki.96}} {{DEFAULTSORT:ささき ひろこ}} [[Category:21世紀日本の女性実業家]] [[Category:人事コンサルタント]] [[Category:SBI新生銀行の人物]] [[Category:マッキンゼー・アンド・カンパニー]] [[Category:日本銀行の人物]] [[Category:学士(法学)取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-08T21:51:18Z
2023-12-08T23:41:03Z
false
false
false
[ "Template:Cite web", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite news" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%A3%95%E5%AD%90
4,864,109
ラヴ (ピノキオピーのアルバム)
「ラヴ」は、2021年8月11日にmuiから発売されたピノキオピーの5thアルバム。 19曲目のミリオンを果たした「ラヴィット」、20曲目のミリオンを果たした「アルティメットセンパイ」、26曲目のミリオンを果たした「ねぇねぇねぇ。」等多数の人気曲を収録。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "「ラヴ」は、2021年8月11日にmuiから発売されたピノキオピーの5thアルバム。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "19曲目のミリオンを果たした「ラヴィット」、20曲目のミリオンを果たした「アルティメットセンパイ」、26曲目のミリオンを果たした「ねぇねぇねぇ。」等多数の人気曲を収録。", "title": "概要" } ]
「ラヴ」は、2021年8月11日にmuiから発売されたピノキオピーの5thアルバム。
{{Infobox Album | Name = ラヴ | Cover = | Type = [[アルバム]] | Artist = [[ピノキオピー]] | Released = 2021年8月11日 | Recorded = | Genre = [[J-POP]] | Length = 46分5秒 | Label = mui | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[寿 (ピノキオピーのアルバム)|寿]]<br />(2021年) | This album = '''ラヴ'''<br />(2021年) | Next album = [[META (ピノキオピーのアルバム)|META]]<br />(2023年) | Misc = | EAN = | Tracklist = }} 「'''ラヴ'''」は、2021年8月11日にmuiから発売された[[ピノキオピー]]の5thアルバム<ref>[https://pinocchiop.com/love/ ピノキオピー 5th Full Album『ラヴ』]</ref>。 == 概要 == 19曲目のミリオンを果たした「ラヴィット」、20曲目のミリオンを果たした「アルティメットセンパイ」、26曲目のミリオンを果たした「ねぇねぇねぇ。」等多数の人気曲を収録。 == 収録曲 == # ラヴィット # アルティメットセンパイ # ねぇねぇねぇ。 # シークレットひみつ # 恋の恋による恋のための恋 # リアルにぶっとばす # 404 # 変な愛にだまされないで - LOVE ver - # ノンブレス・オブリージュ # LOVE # セカイはまだ始まってすらいない - LOVE remix - # 愛されなくても君がいる - LOVE remix - == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://pinocchiop.com/love/ ピノキオピー 5th Full Album『ラヴ』] {{DEFAULTSORT:らう}} [[Category:2021年のアルバム]]
2023-12-08T22:49:02Z
2023-12-17T14:52:11Z
false
false
false
[ "Template:Infobox Album", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4_(%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
4,864,110
キャプテンジョージの流行データBEST10
キャプテンジョージの流行データBEST10(キャプテンジョージのりゅうこうデータベストテン)は、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組。放送期間は1990年10月12日から1991年4月5日まで。 パーソナリティはキャプテン・ジョージ(ケビン・クローン/越智啓斗)。 「新しいタイプの情報番組」として開始。本番組はナイターオフ期間6か月限定の番組であった。映画、ファッション、ヒットチャートなど毎週テーマを変え、そのテーマについて日本とアメリカ、ヨーロッパでのその様子とを比較しながらその時の世間の流行が果たして本物か真偽を見極めてトークを展開。ドイツ統一、クウェート侵攻など当時の事件や出来事を話題にすることもあった。 番組では独自のヤングモニターシステムを組織し、100人の男女高校生らがモニターとして参加。ファッションがテーマの時はモニターがモデルとして参加するファッションショーを開催し、映画がテーマの時はキャプテン・ジョージとモニターが一緒に映画を観る試写会を開いた。そしてそこで活用したデータからファッションや新製品などの情報を送っていた。 キャプテン・ジョージは本番組においては、当時他のFM局で披露していたバイリンガルトークとはまた違うノリのトークを展開していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "キャプテンジョージの流行データBEST10(キャプテンジョージのりゅうこうデータベストテン)は、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組。放送期間は1990年10月12日から1991年4月5日まで。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "パーソナリティはキャプテン・ジョージ(ケビン・クローン/越智啓斗)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「新しいタイプの情報番組」として開始。本番組はナイターオフ期間6か月限定の番組であった。映画、ファッション、ヒットチャートなど毎週テーマを変え、そのテーマについて日本とアメリカ、ヨーロッパでのその様子とを比較しながらその時の世間の流行が果たして本物か真偽を見極めてトークを展開。ドイツ統一、クウェート侵攻など当時の事件や出来事を話題にすることもあった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "番組では独自のヤングモニターシステムを組織し、100人の男女高校生らがモニターとして参加。ファッションがテーマの時はモニターがモデルとして参加するファッションショーを開催し、映画がテーマの時はキャプテン・ジョージとモニターが一緒に映画を観る試写会を開いた。そしてそこで活用したデータからファッションや新製品などの情報を送っていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "キャプテン・ジョージは本番組においては、当時他のFM局で披露していたバイリンガルトークとはまた違うノリのトークを展開していた。", "title": "概要" } ]
キャプテンジョージの流行データBEST10(キャプテンジョージのりゅうこうデータベストテン)は、ニッポン放送で放送されていたラジオ番組。放送期間は1990年10月12日から1991年4月5日まで。 パーソナリティはキャプテン・ジョージ(ケビン・クローン/越智啓斗)。
{{基礎情報 ラジオ番組 |番組名=キャプテンジョージの<br />流行データBEST10 |画像= |画像説明= |ジャンル=[[情報番組]]<br />[[トーク番組|トーク]][[バラエティ番組]] |放送= |放送時間=[[金曜日]] 21:00 - 21:50 |企画 = |プロデューサー = |ディレクター = |パーソナリティ=[[ケビン・クローン|キャプテン・ジョージ(ケビン・クローン/越智啓斗)]] |出演= |テーマ曲 = |放送局=[[ニッポン放送]] |ネットワーク= |制作 = ニッポン放送 |放送期間=[[1990年]][[10月12日]]〜[[1991年]][[4月5日]] |放送回数= |スポンサー= |公式サイト = |特記事項= }} '''キャプテンジョージの流行データBEST10'''(キャプテンジョージのりゅうこうデータベストテン)は、[[ニッポン放送]]で放送されていた[[ラジオ番組]]。放送期間は[[1990年]][[10月12日]]から[[1991年]][[4月5日]]まで。 [[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]は[[ケビン・クローン|キャプテン・ジョージ(ケビン・クローン/越智啓斗)]]。 ==概要== 「新しいタイプの情報番組」として開始<ref name="sokuhoban">[[ラジオ番組表|ラジオ新番組速報版]]([[三才ブックス]])1990年秋号 p.15</ref>。本番組は[[ナイターオフ]]期間6か月限定の番組であった。映画、ファッション、ヒットチャートなど毎週テーマを変え、そのテーマについて日本と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[ヨーロッパ]]でのその様子とを比較しながらその時の世間の流行が果たして本物か真偽を見極めてトークを展開<ref name="myojo9012">[[Myojo|明星]]([[集英社]])1990年12月号 p.202「雄叫びラジオ」</ref>。[[ドイツ再統一|ドイツ統一]]、[[クウェート侵攻]]など当時の事件や出来事を話題にすることもあった<ref name="myojo9012"/>。 番組では独自のヤングモニターシステムを組織し、100人の男女高校生らがモニターとして参加。ファッションがテーマの時はモニターが[[モデル (職業)|モデル]]として参加するファッションショーを開催し、映画がテーマの時はキャプテン・ジョージとモニターが一緒に映画を観る[[試写会]]を開いた。そしてそこで活用したデータからファッションや新製品などの情報を送っていた<ref name="sokuhoban"/><ref name="myojo9012"/>。 キャプテン・ジョージは本番組においては、当時他の[[周波数変調#FM放送|FM局]]で披露していた[[多言語#話者|バイリンガル]]トークとはまた違うノリのトークを展開していた<ref name="myojo9012"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{前後番組 |放送局=[[ニッポン放送]] |放送枠=金曜日 21:00 - 21:50 枠<br />([[ナイターオフ]]期、1990年10月 - 1991年4月) |番組名=1990年度<br>キャプテンジョージの<br />流行データBEST10 |前番組=1989年度<br>[[B21スペシャル]]の<br>[[腹よじれAGOHAZUSHI連盟]]<br>(19:00 - 22:00) |次番組=1991年度<br>[[ラジオアミーゴ!羽野晶紀のいっしょうけんめいカタルーニャ|ラジオアミーゴ!羽野晶紀の<br>いっしょうけんめいカタルーニャ]]<br>(月 - 金、21:00 - 21:50) }} {{デフォルトソート:きやふてんしようしのりゆうこうてえたへすとてん}} [[Category:1990年のラジオ番組 (日本)]] [[Category:ニッポン放送の番組の歴史]] [[Category:ニッポン放送の情報・ワイドショー番組]] [[Category:ニッポン放送のバラエティ番組]]
2023-12-08T23:01:33Z
2023-12-22T12:57:40Z
false
false
false
[ "Template:基礎情報 ラジオ番組", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:前後番組" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%B5%81%E8%A1%8C%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BFBEST10
4,864,114
本橋仁
本橋 仁(もとはし じん)は、日本の建築史家、キュレーター。金沢21世紀美術館レジストラー。 博士(工学)。専門は日本近代建築史。メグロ建築研究所取締役、早稲田大学建築学科助手、京都国立近代美術館特定研究員、文化庁在外芸術家研修員としてThe Canadian Centre for Architecture(CCA)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本橋 仁(もとはし じん)は、日本の建築史家、キュレーター。金沢21世紀美術館レジストラー。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "博士(工学)。専門は日本近代建築史。メグロ建築研究所取締役、早稲田大学建築学科助手、京都国立近代美術館特定研究員、文化庁在外芸術家研修員としてThe Canadian Centre for Architecture(CCA)。", "title": "概要" } ]
本橋 仁は、日本の建築史家、キュレーター。金沢21世紀美術館レジストラー。
{{Infobox 人物 |氏名 = 本橋 仁 |ふりがな =もとはし じん |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |生年月日 = {{生年月日と年齢|||}} |生誕地 = {{JPN}} |没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |死没地 = <!-- 省略可 --> |職業 = 日本の建築史家、[[キュレーター]] |取締役会 = |networth = |title = |publisher = |date = |url = |accessdate = |residence = |出身校 = |配偶者 = |子供 = |website = |signature = |footnotes = }} '''本橋 仁'''(もとはし じん)は、日本の建築史家、キュレーター。[[金沢21世紀美術館]]レジストラー。 == 概要 == 博士(工学)。専門は日本近代建築史。メグロ建築研究所取締役、早稲田大学建築学科助手、[[京都国立近代美術館]]特定研究員、文化庁在外芸術家研修員としてThe Canadian Centre for Architecture(CCA)。<ref>{{Cite web |title=本橋仁 {{!}} |url=http://www.kaminotane.com/editor_profile/19225/ |website=かみのたね |access-date=2023-12-08}}</ref> == 作品 == *「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」(1896年竣工、2017年改修) == 著書 == * 『クリティカル・ワード 現代建築──社会を映し出す建築の100年史』(編著、フィルムアート、2022) * 『ホルツ・バウ──近代初期ドイツ木造建築』(共編著、TOTO出版、2022)<ref>{{Cite web |title=ジョセフ・アルバースとバウハウス ガラス作品からパブリックワークまで {{!}} 記事 |url=https://madoken.jp/article/19523/ |website=窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref> == 企画 == *「第14回ヴェネチアビエンナーレ国際建築展日本館」(2014)<ref>{{Cite web |title=本橋仁 |url=https://www.maimai-kyoto.jp/guides/motohasi/ |website=京都のミニツアー「まいまい京都」 |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref> *「分離派建築会100年 建築は芸術か?」(京都国立近代美術館、2020)<ref>{{Cite web |title=本橋仁:著者紹介|美術館・アート情報 artscape |url=https://artscape.jp/dictionary/author/10185762_1827.html |website=美術館・アート情報 artscape |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref> == 外部リンク == https://twitter.com/eriyori?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor == 出典 == <references /> {{DEFAULTSORT:もとはし しん}} [[Category:存命人物]] [[Category:日本のキュレーター]] [[Category:京都国立近代美術館の人物]] [[Category:金沢21世紀美術館の人物]] [[Category:建築史家]] [[Category:博士号取得者]]
2023-12-08T23:36:41Z
2023-12-12T18:50:27Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 人物", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E4%BB%81
4,864,116
てらさわホーク
てらさわホークは、日本のライター。 1973年生まれ、映画ライター。 アメコミ映画を中心に「映画秘宝」(洋泉社)などに執筆 『シュワルツェネッガー主義』(洋泉社) 『マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?』(イースト・プレス) 共著『アメコミ映画40年戦記』 『映画のディストピア』(洋泉社)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "てらさわホークは、日本のライター。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1973年生まれ、映画ライター。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アメコミ映画を中心に「映画秘宝」(洋泉社)などに執筆", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『シュワルツェネッガー主義』(洋泉社)", "title": "著作" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "『マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?』(イースト・プレス)", "title": "著作" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "共著『アメコミ映画40年戦記』", "title": "著作" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "『映画のディストピア』(洋泉社)", "title": "著作" } ]
てらさわホークは、日本のライター。
{{ActorActress | 芸名 = てらさわホーク | ふりがな = | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> | 出生地 = | 出身地 = | 死没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 人種 = | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 1973 | 生月 = | 生日 = | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[映画評論家]]<br />[[コラムニスト]] | ジャンル = [[映画]] | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = | 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意 --> | 所属劇団 = | 事務所 = | 公式サイト = [https://terasawahawk.hatenablog.com/ ホークのやけくそ日記] | 主な作品 = <!-- 誰もが認める代表作品を記述 --> '''書籍''' *『シュワルツェネッガー主義』 *『マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?』 *『アメコミ映画40年戦記』 *『映画のディストピア』 | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | サターン賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''てらさわホーク'''([[1973年]] - )は、日本の映画ライター<ref>{{Cite web |title=てらさわホーク|プロフィール|HMV&BOOKS online |url=https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%81%A6%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF_200000001123515/biography/ |website=HMV&BOOKS online |access-date=2023-12-08 |language=ja |last=株式会社ローソンエンタテインメント}}</ref>。アメコミ映画を中心に「[[映画秘宝]]」([[洋泉社]])などに執筆。 == 来歴 == == 人物 == == 著書 == === 著作 === *『シュワルツェネッガー主義』(洋泉社)<ref>{{Cite web |title=シネマコンシェルジュの映画監督論:てらさわホーク「変貌していく人間を最後まで描き切る、その強さに惹かれる。」 {{!}} ブルータス |url=https://brutus.jp/cinema30_terasawahawk/ |website=BRUTUS.jp |date=2023-12-09 |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref> *『マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?』(イースト・プレス) === 共著 === *『アメコミ映画40年戦記』 *『映画のディストピア』(洋泉社)<ref>{{Cite web |title=てらさわホーク {{!}} BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!! |url=https://www.banger.jp/writer/23898/ |website=BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!! |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.youtube.com/@terasawahawk てらさわホーク] - YouTube * {{Twitter|hawk13|てらさわホーク}} {{DEFAULTSORT:てらさわほおく}} [[Category:日本の映画評論家]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-08T23:49:22Z
2023-12-09T23:39:32Z
false
false
false
[ "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A6%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF
4,864,118
フランシス・ウィートリー
フランシス・ウィートリー(Francis Wheatley RA、1747年 – 1801年6月28日)は、イギリスの画家である。肖像画や風景画を描いた。オーストラリアの植民地の最初の提督アーサー・フィリップの良く知られた肖像画などを描いたことで知られている。 ロンドン、コヴェント・ガーデンの仕立て屋の家に生まれた。ウィリアム・シプリー(William Shipley)の絵画学校で学んだ後、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校で学んだ。美術振興協会から何度か賞を得た。当時人気のあった画家、ジョン・ハミルトン・モーティマー(1740-1779)の助手としてメルバーン子爵の邸宅、 Brocket Hallの天井画を描いた。 1778年からロイヤル・アカデミーの展覧会に出展し、評価をえていたが、放蕩生活を送り、借金に追われ、友人の画家、グレッセ(John Alexander Gresse: 1741–1794)の配偶者とアイルランドに駆け落ちした。1779年の夏からダブリンで暮らし、政治家の肖像画などを描いて、人気を得たが素性が明らかになりロンドンに戻らなければならなくなった。 人気のあったフランスの肖像画家ジャン=バティスト・グルーズ(1725-1805)のスタイルの小さなサイズの肖像画や風俗画を描くようになり、作品は自らを版画にしたり、版画家によって複製が作られ出版されるなどしてロンドンでも人気を得るようになった。て 1790年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれ、1791年に正会員に選ばれた。 1787年に人気のあった絵のモデルでウィートリーから絵を学んだ若い女性クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh: 1767–1838) と結婚し、4人の子供が生まれた。ウィートリーの没後、クララは俳優のアレキサンダー・ポープ(Alexander Pope: 1763–1835) と再婚し、クララ・ポープの名前で花などを描いた画家としてよく知られることになった。 フランシス・ウィートリーの作品として有名なのはオーストラリアの植民地の最初の提督アーサー・フィリップの肖像画で、オーストラリアの歴史の教科書などに掲載されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "フランシス・ウィートリー(Francis Wheatley RA、1747年 – 1801年6月28日)は、イギリスの画家である。肖像画や風景画を描いた。オーストラリアの植民地の最初の提督アーサー・フィリップの良く知られた肖像画などを描いたことで知られている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ロンドン、コヴェント・ガーデンの仕立て屋の家に生まれた。ウィリアム・シプリー(William Shipley)の絵画学校で学んだ後、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校で学んだ。美術振興協会から何度か賞を得た。当時人気のあった画家、ジョン・ハミルトン・モーティマー(1740-1779)の助手としてメルバーン子爵の邸宅、 Brocket Hallの天井画を描いた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1778年からロイヤル・アカデミーの展覧会に出展し、評価をえていたが、放蕩生活を送り、借金に追われ、友人の画家、グレッセ(John Alexander Gresse: 1741–1794)の配偶者とアイルランドに駆け落ちした。1779年の夏からダブリンで暮らし、政治家の肖像画などを描いて、人気を得たが素性が明らかになりロンドンに戻らなければならなくなった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "人気のあったフランスの肖像画家ジャン=バティスト・グルーズ(1725-1805)のスタイルの小さなサイズの肖像画や風俗画を描くようになり、作品は自らを版画にしたり、版画家によって複製が作られ出版されるなどしてロンドンでも人気を得るようになった。て", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1790年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれ、1791年に正会員に選ばれた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1787年に人気のあった絵のモデルでウィートリーから絵を学んだ若い女性クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh: 1767–1838) と結婚し、4人の子供が生まれた。ウィートリーの没後、クララは俳優のアレキサンダー・ポープ(Alexander Pope: 1763–1835) と再婚し、クララ・ポープの名前で花などを描いた画家としてよく知られることになった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "フランシス・ウィートリーの作品として有名なのはオーストラリアの植民地の最初の提督アーサー・フィリップの肖像画で、オーストラリアの歴史の教科書などに掲載されている。", "title": "略歴" } ]
フランシス・ウィートリーは、イギリスの画家である。肖像画や風景画を描いた。オーストラリアの植民地の最初の提督アーサー・フィリップの良く知られた肖像画などを描いたことで知られている。
{{Infobox 芸術家 | bgcolour = #6495ED | name = フランシス・ウィートリー<br>Francis Wheatley | image = File:Francis Wheatley.jpg | imagesize = 250px | caption = [[ウィリアム・ハミルトン (画家)|ウィリアム・ハミルトン]]による肖像画 | birthdate = [[1747年]] | location = [[ロンドン]] | deathdate = [[1801年]][[6月28日]] | deathplace = ロンドン | field = | training = | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = }} '''フランシス・ウィートリー'''(Francis Wheatley RA、[[1747年]] – [[1801年]][[6月28日]])は、[[イギリス]]の画家である。肖像画や風景画を描いた。オーストラリアの植民地の最初の提督[[アーサー・フィリップ]]の良く知られた肖像画などを描いたことで知られている。 == 略歴 == [[ロンドン]]、[[コヴェント・ガーデン]]の仕立て屋の家に生まれた。ウィリアム・シプリー(William Shipley)の絵画学校で学んだ後、[[ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ]]の美術学校で学んだ。美術振興協会から何度か賞を得た。当時人気のあった画家、[[ジョン・ハミルトン・モーティマー]](1740-1779)の助手としてメルバーン子爵の邸宅、 Brocket Hallの天井画を描いた<ref name="EB1911">{{EB1911|inline=y|wstitle=Wheatley, Francis|volume=28|page=583}}</ref>。 1778年からロイヤル・アカデミーの展覧会に出展し、評価をえていたが、放蕩生活を送り、借金に追われ、友人の画家、グレッセ(John Alexander Gresse: 1741–1794)の配偶者とアイルランドに駆け落ちした<ref name="EB1911"/>。1779年の夏から[[ダブリン]]で暮らし、政治家の肖像画などを描いて、人気を得たが素性が明らかになりロンドンに戻らなければならなくなった。 人気のあったフランスの肖像画家[[ジャン=バティスト・グルーズ]](1725-1805)のスタイルの小さなサイズの肖像画や風俗画を描くようになり、作品は自らを版画にしたり、版画家によって複製が作られ出版されるなどしてロンドンでも人気を得るようになった。て 1790年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの準会員に選ばれ、1791年に正会員に選ばれた<ref name="EB1911"/>。 1787年に人気のあった絵のモデルでウィートリーから絵を学んだ若い女性クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh: 1767–1838) と結婚し、4人の子供が生まれた。ウィートリーの没後、クララは俳優のアレキサンダー・ポープ(Alexander Pope: 1763–1835) と再婚し、[[クララ・ポープ]]の名前で花などを描いた画家としてよく知られることになった<ref>{{Cite ODNB|id=22529|title=Pope, Clara Maria (bap. 1767, d. 1838)|author=Mary Webster|url=https://www.oxforddnb.com/view/article/22529|date=2004}}</ref>。 フランシス・ウィートリーの作品として有名なのはオーストラリアの植民地の最初の提督[[アーサー・フィリップ]]の肖像画で、オーストラリアの歴史の教科書などに掲載されている。 == 作品 == <gallery mode="nolines" widths="180" heights="190" style="font-size:smaller"> File:Arthur Phillip - Wheatley ML124.jpg|提督[[アーサー・フィリップ]](1786) <br> [[ニューサウスウェールズ州立図書館]] File:Arthur Phillip.jpg|アーサー・フィリップ (1786) <br> [[ナショナル・ポートレート・ギャラリー]] File:Helena and Count Bertram before the King of France (Wheatley, 1793).jpg|シェークスピアの『[[終わりよければ全てよし]]』のフランス王の前のヘレナとバートラム (1786) <br> Folger Shakespeare Library File:Francis Wheatley - Portrait of a Sportsman with His Son - Google Art Project.jpg|息子といる狩りを楽しむ紳士 (1779) <br> Yale Center for British Art </gallery> <gallery mode="nolines" widths="220" heights="160" style="font-size:smaller"> File:The Irish House of Commons in 1780 by Francis Wheatley.jpg|1780年のアイルランド議会 (1780) <br> File:Francis Wheatley - Soldier with Country Women Selling Ribbons, near a Military Camp - Google Art Project.jpg|兵士とリボンを売る女性 File:Return from the Fair.jpg|"Return from the Fair" (1791) </gallery> == 参考文献 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ういいとりい ふらんしすしようあんにはつてすた}} [[Category:18世紀イングランドの画家]] [[Category:ロンドン出身の人物]] [[Category:1747年生]] [[Category:1801年没]]
2023-12-09T00:03:42Z
2023-12-09T07:34:58Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 芸術家", "Template:Reflist", "Template:EB1911", "Template:Cite ODNB", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
4,864,121
アゼガヤツリ
アゼガヤツリ Cyperus flavidus Retz. 1976 はカヤツリグサ科の植物の1つ。湿ったところに普通なもので、赤褐色の扁平な小穂を付ける。 まとまって生える一年生の草本。匍匐する根茎はない。草丈は20~50cm。茎は硬くて断面は鈍い3稜形となっている。葉は硬く、葉幅は1~1.5mm、普通は花茎より短い。基部の鞘は濃赤色に色づいている。 花期は8~10月。花序は複散房状で、苞は4~6枚あって葉状に長く発達する。花序枝は長く、その先端に5~10個の小穂をつける。小穂は線形で、長さは1~2cm、扁平で先端は尖った形となっており、茶褐色で光沢があり、20~50個の小花が並んでいる。鱗片は広楕円形で長さは2mm、先端は丸くなっている。痩果は倒卵形で褐色、長さ0.8~1mm、断面は凸レンズ状となっており、稜が小穂の中軸に向いている。花柱はその長さが痩果の約1.5倍あり、先端は2つに割れている。 なお、他の植物と混成しているところでは本種は時にとても小型の姿になることがあり、高さ10cm、花序も苞が1枚に小穂1個という本来の姿とは似ても似つかない形を取ることがあるという。 和名は本種が水田の畦によく見られることによる。 日本では本州から琉球列島まで、国外では朝鮮半島、中国、台湾、インドネシア、インドからアフリカにまで分布する。 低地の湿地に生える。特に水田の畦などに多く見かけられる。 カヤツリグサ属は世界に700種あり、日本には40種以上があるが、中型から小型のもので小穂が扁平である程度まとまって着くものは本種に似て見える。メリケンガヤツリ C. eragrostis やアオガヤツリ C. nipponicus 等はその例であるが、これらは柱頭が3つに割れる。イガガヤツリ C. polystachyos は多年生で短いながら根茎が発達する点で本種と異なる。星野他(2011)は本種に似たものとしてカワラスガナ C. sanguinolentus をあげているが、この種の小穂は扁平な長楕円形で、線形の小穂をつける本種と区別できる。 名前の上で似ているのはコアゼガヤツリ C. haspan で、本種と同じところに生えていることもよくあるものであるが、小穂は長さが0.5~1.5cmと、本種が1~2.5cmであるのに比べてかなり小さく、また小花序に小穂が3~5個ずつ掌状に着くのに対して本種では5~10個とずっと多いので一見して区別できる。なお草全体としてはその大きさにさほどの差はない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アゼガヤツリ Cyperus flavidus Retz. 1976 はカヤツリグサ科の植物の1つ。湿ったところに普通なもので、赤褐色の扁平な小穂を付ける。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "まとまって生える一年生の草本。匍匐する根茎はない。草丈は20~50cm。茎は硬くて断面は鈍い3稜形となっている。葉は硬く、葉幅は1~1.5mm、普通は花茎より短い。基部の鞘は濃赤色に色づいている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "花期は8~10月。花序は複散房状で、苞は4~6枚あって葉状に長く発達する。花序枝は長く、その先端に5~10個の小穂をつける。小穂は線形で、長さは1~2cm、扁平で先端は尖った形となっており、茶褐色で光沢があり、20~50個の小花が並んでいる。鱗片は広楕円形で長さは2mm、先端は丸くなっている。痩果は倒卵形で褐色、長さ0.8~1mm、断面は凸レンズ状となっており、稜が小穂の中軸に向いている。花柱はその長さが痩果の約1.5倍あり、先端は2つに割れている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお、他の植物と混成しているところでは本種は時にとても小型の姿になることがあり、高さ10cm、花序も苞が1枚に小穂1個という本来の姿とは似ても似つかない形を取ることがあるという。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "和名は本種が水田の畦によく見られることによる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本では本州から琉球列島まで、国外では朝鮮半島、中国、台湾、インドネシア、インドからアフリカにまで分布する。", "title": "分布と生育環境" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "低地の湿地に生える。特に水田の畦などに多く見かけられる。", "title": "分布と生育環境" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "カヤツリグサ属は世界に700種あり、日本には40種以上があるが、中型から小型のもので小穂が扁平である程度まとまって着くものは本種に似て見える。メリケンガヤツリ C. eragrostis やアオガヤツリ C. nipponicus 等はその例であるが、これらは柱頭が3つに割れる。イガガヤツリ C. polystachyos は多年生で短いながら根茎が発達する点で本種と異なる。星野他(2011)は本種に似たものとしてカワラスガナ C. sanguinolentus をあげているが、この種の小穂は扁平な長楕円形で、線形の小穂をつける本種と区別できる。", "title": "分類、類似種など" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "名前の上で似ているのはコアゼガヤツリ C. haspan で、本種と同じところに生えていることもよくあるものであるが、小穂は長さが0.5~1.5cmと、本種が1~2.5cmであるのに比べてかなり小さく、また小花序に小穂が3~5個ずつ掌状に着くのに対して本種では5~10個とずっと多いので一見して区別できる。なお草全体としてはその大きさにさほどの差はない。", "title": "分類、類似種など" } ]
アゼガヤツリ Cyperus flavidus Retz. 1976 はカヤツリグサ科の植物の1つ。湿ったところに普通なもので、赤褐色の扁平な小穂を付ける。
{{生物分類表 |名称 = アゼガヤツリ |色 = lightgreen |画像 = [[画像:Cyperus flavidus azegytr01.jpg|220px|]] |画像キャプション = アゼガヤツリ |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[単子葉類]] {{Sname||monocots}} |亜綱階級なし = [[ツユクサ類]] {{sname||commelinids}} |目 = [[イネ目]] {{sname||Poales}} |科 = [[カヤツリグサ科]] {{sname||Cyperaceae}} |属 = [[カヤツリグサ属]] {{snamei||Cyperus}} |種 = '''アゼガヤツリ''' <br>''C. flavidus'' |学名 = {{snamei||Cyperus flavidus}} Retz. 1976 |和名 = アゼガヤツリ }} '''アゼガヤツリ'''(畦蚊帳吊、[[学名]]:''Cyperus flavidus'' Retz. 1976)は[[カヤツリグサ科]]の[[植物]]の1つ。湿ったところに普通なもので、赤褐色の扁平な小穂を付ける。 == 特徴 == まとまって生える[[一年生]]の[[草本]]<ref>以下、星野他(2011) p.700</ref>。匍匐する[[根茎]]はない。草丈は20~50cm。[[茎]]は硬くて断面は鈍い3稜形となっている。[[葉]]は硬く、葉幅は1~1.5mm、普通は花茎より短い。基部の鞘は濃赤色に色づいている。 花期は8~10月。[[花序]]は複散房状で、[[苞]]は4~6枚あって葉状に長く発達する。花序枝は長く、その先端に5~10個の[[小穂]]をつける。小穂は線形で、長さは1~2cm、扁平で先端は尖った形となっており、茶褐色で光沢があり、20~50個の小花が並んでいる。鱗片は広楕円形で長さは2mm、先端は丸くなっている。痩果は倒卵形で褐色、長さ0.8~1mm、断面は凸レンズ状となっており、稜が小穂の中軸に向いている。花柱はその長さが痩果の約1.5倍あり、先端は2つに割れている。 なお、他の植物と混成しているところでは本種は時にとても小型の姿になることがあり、高さ10cm、花序も苞が1枚に小穂1個という本来の姿とは似ても似つかない形を取ることがある<ref>谷城(2007) p.179</ref>という。 和名は本種が[[水田]]の[[畦]]によく見られることによる<ref>大橋他編(2015) p.339</ref>。 == 分布と生育環境 == [[日本]]では[[本州]]から[[琉球列島]]まで、国外では[[朝鮮半島]]、[[中国]]、[[台湾]]、[[インドネシア]]、[[インド]]から[[アフリカ]]にまで分布する<ref>大橋他編(2015) p.339</ref>。 低地の[[湿地]]に生える<ref>星野他(2011) p.700</ref>。特に水田の畦などに多く見かけられる<ref>大橋他編(2015) p.339</ref>。 == 分類、類似種など == [[カヤツリグサ属]]は世界に700種あり、日本には40種以上があるが、中型から小型のもので小穂が扁平である程度まとまって着くものは本種に似て見える。[[メリケンガヤツリ]] ''C. eragrostis'' やアオガヤツリ ''C. nipponicus'' 等はその例であるが、これらは柱頭が3つに割れる。[[イガガヤツリ]] ''C. polystachyos'' は多年生で短いながら根茎が発達する点で本種と異なる。星野他(2011)は本種に似たものとして[[カワラスガナ]] ''C. sanguinolentus'' をあげているが、この種の小穂は扁平な長楕円形で、線形の小穂をつける本種と区別できる。 名前の上で似ているのは[[コアゼガヤツリ]] ''C. haspan'' で、本種と同じところに生えていることもよくあるものであるが、小穂は長さが0.5~1.5cmと、本種が1~2.5cmであるのに比べてかなり小さく、また小花序に小穂が3~5個ずつ掌状に着くのに対して本種では5~10個とずっと多いので一見して区別できる。なお草全体としてはその大きさにさほどの差はない。 == 出典 == <references /> == 参考文献 == *大橋広好他編、『改定新版 日本の野生植物 1 ソテツ科~カヤツリグサ科』、(2015)、平凡社 *星野卓二他、『日本カヤツリグサ科植物図譜』、(2011)、[[平凡社]] *谷城勝弘『カヤツリグサ科入門図鑑』(2007) 全国農村教育協会 {{DEFAULTSORT:あせかやつり}} [[Category:カヤツリグサ属]]
2023-12-09T00:24:30Z
2023-12-10T00:34:30Z
false
false
false
[ "Template:生物分類表" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BC%E3%82%AC%E3%83%A4%E3%83%84%E3%83%AA
4,864,123
カトレア・ケルヌア
カトレア・ケルヌア Cattlea cernua (Lindl.) Beer は、カトレア属のラン科植物の1つ。ごく小柄な種で、小さな花を複数個纏めてつける。 小柄な着生植物で多年生の草本。偽鱗茎は寄り集まって生じ、長さは約2cmで、やや筒状をしていて先端付近から扁平となる。葉は偽鱗茎の先端に1枚だけ着き、硬くて灰緑色をしており、卵形から長円形で長さ3cm程になる。葉の裏側は紫色を帯びる。 花期は秋から冬。花は偽鱗茎の先端から出る。花茎は短いが1つの花茎に2~5個の花が着く。個々の花はその径が1cm程、花色は朱赤色から橙黄色まで変異がある。萼片と側花弁は長楕円形をしており、唇弁は卵形。 ブラジルの東部に産する。 海岸近くや砂丘でも見られる。 本種は当初はソフロニティス属に含められ、その際の学名は Sophronitis cernua であった。同じくソフロニティス属であったカトレア・コクシネアとはよく似ているが茎葉は一回り小さく、花は二回りほど小さく、その代わりに1つの花茎に着く花の数が多い。 洋ランの1つとして栽培される。近縁のコクシネアほどには普及していないものの、小柄で可愛いランとしての定評がある。花は小さいものの複数まとまって着くためにそれなりに見応えがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カトレア・ケルヌア Cattlea cernua (Lindl.) Beer は、カトレア属のラン科植物の1つ。ごく小柄な種で、小さな花を複数個纏めてつける。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "小柄な着生植物で多年生の草本。偽鱗茎は寄り集まって生じ、長さは約2cmで、やや筒状をしていて先端付近から扁平となる。葉は偽鱗茎の先端に1枚だけ着き、硬くて灰緑色をしており、卵形から長円形で長さ3cm程になる。葉の裏側は紫色を帯びる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "花期は秋から冬。花は偽鱗茎の先端から出る。花茎は短いが1つの花茎に2~5個の花が着く。個々の花はその径が1cm程、花色は朱赤色から橙黄色まで変異がある。萼片と側花弁は長楕円形をしており、唇弁は卵形。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ブラジルの東部に産する。", "title": "分布と生育環境" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "海岸近くや砂丘でも見られる。", "title": "分布と生育環境" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "本種は当初はソフロニティス属に含められ、その際の学名は Sophronitis cernua であった。同じくソフロニティス属であったカトレア・コクシネアとはよく似ているが茎葉は一回り小さく、花は二回りほど小さく、その代わりに1つの花茎に着く花の数が多い。", "title": "分類など" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "洋ランの1つとして栽培される。近縁のコクシネアほどには普及していないものの、小柄で可愛いランとしての定評がある。花は小さいものの複数まとまって着くためにそれなりに見応えがある。", "title": "利用" } ]
カトレア・ケルヌア Cattlea cernua (Lindl.) Beer は、カトレア属のラン科植物の1つ。ごく小柄な種で、小さな花を複数個纏めてつける。
{{生物分類表 |名称 = カトレア・ケルヌア |画像 = [[ファイル:Cattleya cernua (wild Provincia de Corrientes, Argentina) (Lindl.) Van den Berg, Neodiversity 5- 13 (2010) (31598886635).jpg|250px]] |画像キャプション = カトレア・ケルヌア |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[単子葉類]] {{Sname||Monocots}} |目 = [[キジカクシ目]] {{Sname||Asparagales}} |科 = [[ラン科]] {{Sname||Orchidaceae}} |属 = [[カトレア属]] {{Snamei||Cattleya}} |種 = カトレア・ケルヌア {{Snamei|C. cernua}} |学名 = {{Snamei||Cattleya cernua}} (Lindl.) Beer }} '''カトレア・ケルヌア''' ''Cattlea cernua'' (Lindl.) Beer は、[[カトレア属]]の[[ラン科]][[植物]]の1つ。ごく小柄な種で、小さな花を複数個纏めてつける。 == 特徴 == 小柄な[[着生植物]]で[[多年生]]の[[草本]]<ref>以下、主として小学館(1994) p.2834</ref>。[[偽鱗茎]]は寄り集まって生じ、長さは約2cmで、やや筒状をしていて先端付近から扁平となる。[[葉]]は偽鱗茎の先端に1枚だけ着き、硬くて灰緑色をしており、卵形から長円形で長さ3cm程になる。葉の裏側は紫色を帯びる<ref>唐澤他(2017) p.54</ref>。 花期は秋から冬<ref>唐澤他(2017) p.54</ref>。[[花]]は偽鱗茎の先端から出る。[[花茎]]は短いが1つの花茎に2~5個の花が着く。個々の花はその径が1cm程、花色は朱赤色から橙黄色まで変異がある。萼片と側花弁は長楕円形をしており、唇弁は卵形。 <gallery> File:Sophronitis cernua 02.jpg|着生の状態で栽培したもの File:Cattleya cernua (Lindl.) Van den Berg, Neodiversity 5 13 (2010) (46363846482).jpg|花茎の様子を示す </gallery> == 分布と生育環境 == [[ブラジル]]の東部に産する<ref>唐澤他(2017) p.54</ref>。 [[海岸]]近くや[[砂丘]]でも見られる<ref>小学館(1994) p.2834</ref>。 == 分類など == 本種は当初はソフロニティス属に含められ、その際の学名は ''Sophronitis cernua'' であった。同じくソフロニティス属であった[[カトレア・コクシネア]]とはよく似ているが茎葉は一回り小さく、花は二回りほど小さく、その代わりに1つの花茎に着く花の数が多い。 == 利用 == [[洋ラン]]の1つとして栽培される。近縁のコクシネアほどには普及していないものの、小柄で可愛いランとしての定評がある。花は小さいものの複数まとまって着くためにそれなりに見応えがある。 == 出典 == <references /> == 参考文献 == *唐澤耕司他、『カラー図鑑 世界観賞用野生ラン』、(2017)、オーム社 *『園芸植物大辞典 2』、(1994)、小学館 {{DEFAULTSORT:かとれあけるぬあ}} [[Category:カトレア|けるぬあ]]
2023-12-09T00:40:18Z
2023-12-22T00:51:21Z
false
false
false
[ "Template:生物分類表" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%82%A2
4,864,126
モスラ (ミレニアムシリーズ)
モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラシリーズ内のミレニアムシリーズ(『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』〈2001年〉、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』〈2003年〉、『ゴジラ FINAL WARS』〈2004年〉)に登場するモスラを扱う。 一連のシリーズとして扱われているが、各作品は異なる世界観として制作されており、設定も作品ごとに異なる。 映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に登場。 護国三聖獣の1体であるヤマトの聖獣で、鳳凰伝説の原型として伝えられている「海の神・最珠羅」として登場する。幼虫の小さな目は複眼になっており、周囲の窪みは縁がシャープになっている。口も付根の蛇腹が長く動く。成虫の外見は従来と異なり、触覚もシャープになっており、体毛が少なく脚や尾も蜂のようである。体色は白と紫を強調した色使いで、眼の色も青色ではなく紫色で、脚は後ろの一対が他よりも長くなっているほか、翼の前縁にはうろこ状の外殻が並んでおり、羽の模様にも紫色が加えられている。『護国聖獣伝記』では尾に孔雀のような羽根が描かれている。攻撃方法については、過去作品の登場個体が用いていたような鱗粉や光線ではなく、腹部の毛から飛ばす無数の毒針と上空からの脚の爪による引っかき攻撃を用いている。 今作のモスラは日本の自然の守護神であるが人間の味方ではないため、封印されていた鹿児島県の池田湖の石像が大学生たちによって破壊されたことで甦り、湖を割って出現した際には盗品でパーティーを開いていた大学生たち11人を水に引き込み、繭に絡めて殺害している。 ゴジラにパラゴンが敗れた日の夜、池田湖の湖面に繭を作って成虫に変態する。飛行してゴジラの迎撃に向かい、途中から参戦したギドラとともに横浜でゴジラを迎え撃つ。しかし、ギドラがゴジラの攻撃で気絶して再び孤軍奮闘を強いられたうえ、ギドラへのとどめとして放たれたゴジラの放射熱線からギドラをかばってこれを受けたことで致命傷を負ったところへ、さらに巡洋艦「あいづ」に向けて放たれるはずだった放射熱線を至近距離で受けてしまい(発射寸前にゴジラがモスラの方を振り返っている)、燃やし尽くされる。その残存するエネルギーすべてをギドラに譲渡し、完全体である「千年竜王・キングギドラ」に覚醒させる。 企画段階ではバラン・バラゴン・アンギラスの3体での登場が予定されていたが、東宝側から派手な怪獣の登場が要望された結果モスラとキングギドラに変更された。脚本を手がけた長谷川圭一は、バランはネコのようなしなやかさを持った女性的な怪獣というイメージが挙がっていたと証言しており、結果として母性の怪獣であるモスラにスライドしたことでさほどコンセプトはずれなかったと述べている。なお、モスラ成虫がゴジラシリーズでキングギドラと共演するのは、本作品が初である。 モスラは南方というイメージから、イッシーの目撃地として知られる池田湖が出現地に選ばれた。脚本第3稿までは、バランの出現地として予定されていた秋田県のままであった。同じく第3稿までは、スカイウォークから落下する由里と武田がモスラの背に乗って助かるという場面や、全身に炎をまとってゴジラへ特攻するという展開なども存在した。 怪獣がゴジラに次々と倒されるだけでは虚しいという特殊技術の神谷誠や造形担当の品田冬樹らからの意見により、モスラがキングギドラと合体するシーンや、終盤で3匹のイメージが空中に現れるなどのシーンが追加された。 監督の金子修介は、『ゴジラvsモスラ』の制作時に監督に名乗りを上げるなどモスラに思い入れがあり、本作品ではバランの代わりであったため、爆散したことや小美人を出せなかったことなどが心残りであったと述べている。 造形は、Vi-SHOPとボンクラフトが担当。デザイン画は描かれず、品田冬樹により雛形が制作された。 造形物は、アップ用とアクション用の2種類が製作された。紫色の眼や白い羽毛は女性的なイメージを持たせようという主旨による。翼の色も、暖色系で統一されていた初代のものに寒色の青を追加している。 飛行シーンのほとんどは遠景のカットを含めて操演によって表現されており、羽ばたきなどは操演技術によるものである。放射熱線を避ける飛行シーンなどには、速度のメリハリやスピードなどを表現するため、3DCGによる合成も用いられた。金子の要望により、足に従来のような毛のディテールはなく、西川伸司はCGとの親和性を考慮したものと考察している。品田によれば、当初は金子からまったく毛を使わないものを要望されたが、目の周りの白い部分を毛以外で作るとモスラではなくなってしまうため、部分的に毛を残すことになった。CG制作は、ビッグ・エックスの阪上和也が担当した。 幼虫は『モスラ』(1996年)でのプロップを前後に分割し、前部の頭部モデルを加工したものを使用している。当初は幼虫をCGで描写する予定であったが、ミニチュアでの撮影の出来が良かったため、こちらが採用された。額付近のシワを増やし、かつての幼虫よりもやや厳しい表情となっている。 繭の造形物も製作された。造形物とデジタル処理によるマット画で表現されている。池田湖の実景に合成しているが、上空からのカットでは湖面をCGで表現しなければならないため、苦労があったという。繭から成虫となって頭部が現れる場面では、CG作画の繭と造形物の繭を組み合わせて表現されている。 毒針は3DCGで描写されており、腹部の毛が変化したものという想定のもと、神谷によってデザインされている。毒針のCGは、日本映像クリエイティブが担当した。 粒子化するモスラのCGは、日本エフェクトセンターが手がけた。 基本的に、羽ばたきは操演によるが、ゴジラに飛びつくシーンでのみ、空気圧シリンダーを用いて羽ばたかせている。 羽化するシーンでは、アクション用成虫の頭部を用いている。 造形物の保管時には、翼を傷つけないよう上からラップを被せている。 インファント島および小美人との関連性はないが、小美人を思わせる少女2人組がモスラを見上げる姿が劇中で見られる。 映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)に登場。初代モスラの子孫。 成虫は小笠原諸島の曾孫島で卵を生み落としたあと、中條信一の別荘のある軽井沢に向かう。機龍(メカゴジラ)に代わりゴジラと戦う。毒鱗粉には、レーダーをジャミングしたり、ゴジラの熱線を反射するなどの効果を持つが、毒鱗粉を失うと翼が脆くなる。また、鱗粉は可燃性で、ゴジラの熱線によって粉塵爆発を引き起こす。鱗粉および脚による引っかき攻撃でゴジラを苦しめるが、ゴジラに右前足を食いちぎられてしまう。援護にやってきた自身の子である2体の幼虫(双子の姉弟)をかばい、ゴジラの放射熱線に敗れる。 2体の幼虫は機龍と共にゴジラと戦い、機龍のスパイラル・クロウで体を貫かれてひるんだゴジラを口から噴射した粘着性の糸で巻きつけて動きを止める。機龍が身動きのとれないゴジラと共に海に沈んだあと、幼虫はインファント島に帰っていく。顎は一度食いついたら離さない強靭なものとなっている。顔の斑点や触覚の長さに違いがあり、顔の斑点が多く、触覚が長い方がオスである。感情がたかぶると眼の色が青から赤に変わる。口の噛み合わせはギザギザではなく、表面の深い溝に変更されている。尾の先端部は細かい体節になっている。幼虫が双子であることは小美人も予想外だったらしく、驚きを見せる。成虫のフォルムは足の太さを除いて昭和版に似たものとなっている。複眼は『モスラ対ゴジラ』と同様に大きめの丸い凹みが表面、細かい丸が裏面に並んでいる複合型となっている。 『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』は、当初『ゴジラ×メカゴジラ』の続編という形ではなく、モスラを出すという条件を東宝の上層部がつけて動いた企画であった。監督の手塚昌明は、幼少期から『モスラ』(1961年)を愛好しており、初監督作である『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』でもモスラを出したかったといい、このオーダーを受けてモスラをきちんと出せば面白いものになるという確信を得ていたと語っている。最終的に、手塚により前作の世界観に加え、『モスラ』の世界観を踏襲したものとしてストーリーが組み立てられた。脚本を担当した横谷昌宏は、リアルなSF考証を行っているメカゴジラとファンタジックなモスラの世界観を違和感なく合わせることが課題であったと述べている。 手塚は、モスラを人間が約束を破ったり私利私欲で小美人を利用したりすると人間の敵になる怪獣であるということを物語の中で見せることを重視した。横谷は、モスラが地球の守り神という設定は後発の作品で変化していった要素であるため、初代の続編である本作品でモスラがゴジラと戦う理由を考えることが難しかったとも述べている。 初期案では、前作で描写された1999年のゴジラ上陸前に、ゴジラの骨が回収されたことに気づいたモスラがインファント島から向かってくるという展開が検討されていたが、手塚は前作と同じ戦いを描くことになるためつまらなくなると考え、これを取りやめた。 双子の幼虫が登場するのは、『モスラ対ゴジラ』をオマージュしている。手塚は、『ゴジラvsモスラ』で双子を出すことができなかったためと述べている。また、『モスラ対ゴジラ』では砂浜や小島が戦いの舞台となっていたため、本作品では東京を舞台としている。 デザインは西川伸司が担当。手塚からの要望により、成虫の翼の模様や形状はデザインは初代に準じている。また、造形の若狭新一から昭和モスラの模様と『モスラ3』の羽を組み合わせたデザイン案も存在した。これを受けて西川は、『モスラ対ゴジラ』でのモスラを踏襲して、前後の羽の間が離れ羽根が4枚に見える形状に描き直した。羽の模様もデジタルで鱗粉を彷彿とさせるものを作成している。脚部については、生物感を出すため、実際の昆虫に準じた関節があり、初代同様に3本指の構造としている。 幼虫は、過去のモスラでは頭部と一体成型となっていた側頭部の盛り上がり(コブ)を体節の一つと解釈し、可動部として描いている。初代に準じた成虫に合わせて、尾の先端なども昭和に近いものとなっている。幼虫は、幾度となくデザインされてきたが、生物感を出すためにディテールにこだわり、惰性でデザインすることなく、各部を見直して描かれた。 若狭は当初、レインボーモスラの色違いにしようと思い、「レインボーモスラの羽根の色が寒色系だったのを暖色系にしたらどうかな」と思っていたが、手塚との対話にて、「前作の『ゴジラ×メカゴジラ』の時に初代のモスラが日本に来たという事実が映像も含めて紹介されているので、「初代の感じにしたいんですけど」という話題になり、初代と大きく違わないものにしたと述べている。 造形はモンスターズが担当。 デザインは初代と大きく変わらないため、現代の技術を用いて生物的なリアリティを出すことに注力している。成虫・幼虫とも、従来のギザギザした口の噛み合わせ部分が生物としてリアルではないため、噛み合わせは直線状とし、表面に溝状のディテールを彫り込んでいる。 卵の造形物は1個のみ制作された。 モスラは羽根の彩色が派手で、外見もリアルなため、合成は難しいとの判断から、本作品では造型物を用いた撮影を主としている。浅田は、『モスラ』や『モスラ対ゴジラ』を観て円谷英二のもっと長く羽ばたかせたかったという想いを感じたといい、両作品を踏襲した描写も多く散りばめている。操演は当初スタジオの天井に設置されているゴンドラのみを用いていたが、途中からクレーンも使用している。モスラがビルの合間を縫うシーンなどはCGを用いている。 成虫は直接戦わせることが難しいため、西川の提案で鱗粉がゴジラの熱線や背ビレの発光などのエネルギーに反応して誘爆(粉塵爆発)するという設定になった。企画段階では、鱗粉で窒息させるなどの案も存在した。鱗粉はCGで表現しているが、合成を担当した日本エフェクトセンターの今井元は、1粒の素材が小さいためモニターとフィルムとでは見え方が異なっており、フィルムで確認してから修正して再びフィルムに起こさなければならないなど、作業工程で苦労した旨を語っている。撮影では、下から黄色い照明を当てている。 ゴジラを成虫が長い脚で捕らえて前進するシーンでは、ゴジラを載せた台のレールとモスラの仕掛けのレール、それぞれの前進をシンクロさせている。 幼虫の目の色は、昭和作品での色を両方取り入れ、感情表現として用いている。 幼虫の誕生のシーンではギニョールを下から入ったスタッフが手で操っている。 撮影を担当した江口憲一は、モスラの幼虫が東京湾に上陸するシーンを本作品のベストショットの1つに挙げている。この撮影は、プールの中に移動車を入れ手持ちのカメラで幼虫を追いかけているが、水圧が強くカメラのコントロールがうまくいかず、しかしそれがかえって面白いカメラワークになったと述べている。 映画『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)に登場。 インファント島の守護神という基本設定はそのままであるが、伝承によれば「12,000年前、先祖がガイガンの襲来に際して戦いを挑み、敗れて深い眠りに就いた」とされている。これにより、古代の地球ではX星人たちによるミトコンドリアの収穫が滞りなく行われ、後に「ミュータント」と呼ばれる地球人との混血種が誕生するに至ったと考えられる。インファント島の壁画には2匹の幼虫が描かれている。 ガイガンが再起動してX星人たちの地球侵略が苛烈を極める地上に小美人の祈りによって復活し、モンスターXと改造ガイガンに苦しむゴジラの援護に現れる。改造ガイガンとの空中戦ではカッターで羽の一部を切断された後、モンスターXと改造ガイガンを翼によるラリアット攻撃のボンバー・ラリアットで跳ね飛ばし、改造ガイガンに羽ばたきで発生させた毒鱗粉を浴びせ、光線で大爆発して倒されたかに思われたが、その光線を爆炎として身にまとい、火の鳥状態になって改造ガイガンに体当たりする特攻技のファイヤー・ヒート・アタックを放ち、これを倒す。改造ガイガンと共に爆散したかと思われたが、エンディングでは羽も元通りになった姿で生還しており、小美人の待つインファント島へ帰還する。 デザインは西川伸司が担当。デザイン画は、前作での胴体のみが描かれていた図案に羽根を描き足したものである。監督の北村龍平は当初、既存のモスラにおもちゃっぽいという印象を持っていたことから、全面的に変えることを要望していたが、実際に造形物を見て出来の良さに感動し、これを活かすこととなった。 造形物は前作のものを改修しており、ボディ部分や羽が前作のものの流用となっている。攻撃的なキャラクターにしたいという北村の要望により、眼の位置や毛の素材を変更しており、毛の密度を目の周りを中心に高くして毛並みも調整している。 上記のほかにアップ用プロップも作られている。後翅を切断されるシーンでは、別途製作された翼を差し替えている。ボンバー・ラリアットのシーンでは、翼のみの造形物をスタッフが振り回して表現している。ガイガンとの空中戦でのロングショットなどにはCGが用いられた。ガイガンの尻尾が尾部に突き刺さり、鉄柱に固定されるシーンでは、両翼の前部と頭部を外したものを使用している。 羽ばたきは、激しいシーンでは直接操演を行い、その他のシーンではゴムを用いて動かしている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラシリーズ内のミレニアムシリーズ(『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』〈2001年〉、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』〈2003年〉、『ゴジラ FINAL WARS』〈2004年〉)に登場するモスラを扱う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "一連のシリーズとして扱われているが、各作品は異なる世界観として制作されており、設定も作品ごとに異なる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に登場。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "護国三聖獣の1体であるヤマトの聖獣で、鳳凰伝説の原型として伝えられている「海の神・最珠羅」として登場する。幼虫の小さな目は複眼になっており、周囲の窪みは縁がシャープになっている。口も付根の蛇腹が長く動く。成虫の外見は従来と異なり、触覚もシャープになっており、体毛が少なく脚や尾も蜂のようである。体色は白と紫を強調した色使いで、眼の色も青色ではなく紫色で、脚は後ろの一対が他よりも長くなっているほか、翼の前縁にはうろこ状の外殻が並んでおり、羽の模様にも紫色が加えられている。『護国聖獣伝記』では尾に孔雀のような羽根が描かれている。攻撃方法については、過去作品の登場個体が用いていたような鱗粉や光線ではなく、腹部の毛から飛ばす無数の毒針と上空からの脚の爪による引っかき攻撃を用いている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "今作のモスラは日本の自然の守護神であるが人間の味方ではないため、封印されていた鹿児島県の池田湖の石像が大学生たちによって破壊されたことで甦り、湖を割って出現した際には盗品でパーティーを開いていた大学生たち11人を水に引き込み、繭に絡めて殺害している。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ゴジラにパラゴンが敗れた日の夜、池田湖の湖面に繭を作って成虫に変態する。飛行してゴジラの迎撃に向かい、途中から参戦したギドラとともに横浜でゴジラを迎え撃つ。しかし、ギドラがゴジラの攻撃で気絶して再び孤軍奮闘を強いられたうえ、ギドラへのとどめとして放たれたゴジラの放射熱線からギドラをかばってこれを受けたことで致命傷を負ったところへ、さらに巡洋艦「あいづ」に向けて放たれるはずだった放射熱線を至近距離で受けてしまい(発射寸前にゴジラがモスラの方を振り返っている)、燃やし尽くされる。その残存するエネルギーすべてをギドラに譲渡し、完全体である「千年竜王・キングギドラ」に覚醒させる。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "企画段階ではバラン・バラゴン・アンギラスの3体での登場が予定されていたが、東宝側から派手な怪獣の登場が要望された結果モスラとキングギドラに変更された。脚本を手がけた長谷川圭一は、バランはネコのようなしなやかさを持った女性的な怪獣というイメージが挙がっていたと証言しており、結果として母性の怪獣であるモスラにスライドしたことでさほどコンセプトはずれなかったと述べている。なお、モスラ成虫がゴジラシリーズでキングギドラと共演するのは、本作品が初である。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "モスラは南方というイメージから、イッシーの目撃地として知られる池田湖が出現地に選ばれた。脚本第3稿までは、バランの出現地として予定されていた秋田県のままであった。同じく第3稿までは、スカイウォークから落下する由里と武田がモスラの背に乗って助かるという場面や、全身に炎をまとってゴジラへ特攻するという展開なども存在した。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "怪獣がゴジラに次々と倒されるだけでは虚しいという特殊技術の神谷誠や造形担当の品田冬樹らからの意見により、モスラがキングギドラと合体するシーンや、終盤で3匹のイメージが空中に現れるなどのシーンが追加された。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "監督の金子修介は、『ゴジラvsモスラ』の制作時に監督に名乗りを上げるなどモスラに思い入れがあり、本作品ではバランの代わりであったため、爆散したことや小美人を出せなかったことなどが心残りであったと述べている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "造形は、Vi-SHOPとボンクラフトが担当。デザイン画は描かれず、品田冬樹により雛形が制作された。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "造形物は、アップ用とアクション用の2種類が製作された。紫色の眼や白い羽毛は女性的なイメージを持たせようという主旨による。翼の色も、暖色系で統一されていた初代のものに寒色の青を追加している。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "飛行シーンのほとんどは遠景のカットを含めて操演によって表現されており、羽ばたきなどは操演技術によるものである。放射熱線を避ける飛行シーンなどには、速度のメリハリやスピードなどを表現するため、3DCGによる合成も用いられた。金子の要望により、足に従来のような毛のディテールはなく、西川伸司はCGとの親和性を考慮したものと考察している。品田によれば、当初は金子からまったく毛を使わないものを要望されたが、目の周りの白い部分を毛以外で作るとモスラではなくなってしまうため、部分的に毛を残すことになった。CG制作は、ビッグ・エックスの阪上和也が担当した。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "幼虫は『モスラ』(1996年)でのプロップを前後に分割し、前部の頭部モデルを加工したものを使用している。当初は幼虫をCGで描写する予定であったが、ミニチュアでの撮影の出来が良かったため、こちらが採用された。額付近のシワを増やし、かつての幼虫よりもやや厳しい表情となっている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "繭の造形物も製作された。造形物とデジタル処理によるマット画で表現されている。池田湖の実景に合成しているが、上空からのカットでは湖面をCGで表現しなければならないため、苦労があったという。繭から成虫となって頭部が現れる場面では、CG作画の繭と造形物の繭を組み合わせて表現されている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "毒針は3DCGで描写されており、腹部の毛が変化したものという想定のもと、神谷によってデザインされている。毒針のCGは、日本映像クリエイティブが担当した。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "粒子化するモスラのCGは、日本エフェクトセンターが手がけた。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "基本的に、羽ばたきは操演によるが、ゴジラに飛びつくシーンでのみ、空気圧シリンダーを用いて羽ばたかせている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "羽化するシーンでは、アクション用成虫の頭部を用いている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "造形物の保管時には、翼を傷つけないよう上からラップを被せている。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "インファント島および小美人との関連性はないが、小美人を思わせる少女2人組がモスラを見上げる姿が劇中で見られる。", "title": "『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)に登場。初代モスラの子孫。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "成虫は小笠原諸島の曾孫島で卵を生み落としたあと、中條信一の別荘のある軽井沢に向かう。機龍(メカゴジラ)に代わりゴジラと戦う。毒鱗粉には、レーダーをジャミングしたり、ゴジラの熱線を反射するなどの効果を持つが、毒鱗粉を失うと翼が脆くなる。また、鱗粉は可燃性で、ゴジラの熱線によって粉塵爆発を引き起こす。鱗粉および脚による引っかき攻撃でゴジラを苦しめるが、ゴジラに右前足を食いちぎられてしまう。援護にやってきた自身の子である2体の幼虫(双子の姉弟)をかばい、ゴジラの放射熱線に敗れる。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2体の幼虫は機龍と共にゴジラと戦い、機龍のスパイラル・クロウで体を貫かれてひるんだゴジラを口から噴射した粘着性の糸で巻きつけて動きを止める。機龍が身動きのとれないゴジラと共に海に沈んだあと、幼虫はインファント島に帰っていく。顎は一度食いついたら離さない強靭なものとなっている。顔の斑点や触覚の長さに違いがあり、顔の斑点が多く、触覚が長い方がオスである。感情がたかぶると眼の色が青から赤に変わる。口の噛み合わせはギザギザではなく、表面の深い溝に変更されている。尾の先端部は細かい体節になっている。幼虫が双子であることは小美人も予想外だったらしく、驚きを見せる。成虫のフォルムは足の太さを除いて昭和版に似たものとなっている。複眼は『モスラ対ゴジラ』と同様に大きめの丸い凹みが表面、細かい丸が裏面に並んでいる複合型となっている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』は、当初『ゴジラ×メカゴジラ』の続編という形ではなく、モスラを出すという条件を東宝の上層部がつけて動いた企画であった。監督の手塚昌明は、幼少期から『モスラ』(1961年)を愛好しており、初監督作である『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』でもモスラを出したかったといい、このオーダーを受けてモスラをきちんと出せば面白いものになるという確信を得ていたと語っている。最終的に、手塚により前作の世界観に加え、『モスラ』の世界観を踏襲したものとしてストーリーが組み立てられた。脚本を担当した横谷昌宏は、リアルなSF考証を行っているメカゴジラとファンタジックなモスラの世界観を違和感なく合わせることが課題であったと述べている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "手塚は、モスラを人間が約束を破ったり私利私欲で小美人を利用したりすると人間の敵になる怪獣であるということを物語の中で見せることを重視した。横谷は、モスラが地球の守り神という設定は後発の作品で変化していった要素であるため、初代の続編である本作品でモスラがゴジラと戦う理由を考えることが難しかったとも述べている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "初期案では、前作で描写された1999年のゴジラ上陸前に、ゴジラの骨が回収されたことに気づいたモスラがインファント島から向かってくるという展開が検討されていたが、手塚は前作と同じ戦いを描くことになるためつまらなくなると考え、これを取りやめた。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "双子の幼虫が登場するのは、『モスラ対ゴジラ』をオマージュしている。手塚は、『ゴジラvsモスラ』で双子を出すことができなかったためと述べている。また、『モスラ対ゴジラ』では砂浜や小島が戦いの舞台となっていたため、本作品では東京を舞台としている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "デザインは西川伸司が担当。手塚からの要望により、成虫の翼の模様や形状はデザインは初代に準じている。また、造形の若狭新一から昭和モスラの模様と『モスラ3』の羽を組み合わせたデザイン案も存在した。これを受けて西川は、『モスラ対ゴジラ』でのモスラを踏襲して、前後の羽の間が離れ羽根が4枚に見える形状に描き直した。羽の模様もデジタルで鱗粉を彷彿とさせるものを作成している。脚部については、生物感を出すため、実際の昆虫に準じた関節があり、初代同様に3本指の構造としている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "幼虫は、過去のモスラでは頭部と一体成型となっていた側頭部の盛り上がり(コブ)を体節の一つと解釈し、可動部として描いている。初代に準じた成虫に合わせて、尾の先端なども昭和に近いものとなっている。幼虫は、幾度となくデザインされてきたが、生物感を出すためにディテールにこだわり、惰性でデザインすることなく、各部を見直して描かれた。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "若狭は当初、レインボーモスラの色違いにしようと思い、「レインボーモスラの羽根の色が寒色系だったのを暖色系にしたらどうかな」と思っていたが、手塚との対話にて、「前作の『ゴジラ×メカゴジラ』の時に初代のモスラが日本に来たという事実が映像も含めて紹介されているので、「初代の感じにしたいんですけど」という話題になり、初代と大きく違わないものにしたと述べている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "造形はモンスターズが担当。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "デザインは初代と大きく変わらないため、現代の技術を用いて生物的なリアリティを出すことに注力している。成虫・幼虫とも、従来のギザギザした口の噛み合わせ部分が生物としてリアルではないため、噛み合わせは直線状とし、表面に溝状のディテールを彫り込んでいる。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "卵の造形物は1個のみ制作された。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "モスラは羽根の彩色が派手で、外見もリアルなため、合成は難しいとの判断から、本作品では造型物を用いた撮影を主としている。浅田は、『モスラ』や『モスラ対ゴジラ』を観て円谷英二のもっと長く羽ばたかせたかったという想いを感じたといい、両作品を踏襲した描写も多く散りばめている。操演は当初スタジオの天井に設置されているゴンドラのみを用いていたが、途中からクレーンも使用している。モスラがビルの合間を縫うシーンなどはCGを用いている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "成虫は直接戦わせることが難しいため、西川の提案で鱗粉がゴジラの熱線や背ビレの発光などのエネルギーに反応して誘爆(粉塵爆発)するという設定になった。企画段階では、鱗粉で窒息させるなどの案も存在した。鱗粉はCGで表現しているが、合成を担当した日本エフェクトセンターの今井元は、1粒の素材が小さいためモニターとフィルムとでは見え方が異なっており、フィルムで確認してから修正して再びフィルムに起こさなければならないなど、作業工程で苦労した旨を語っている。撮影では、下から黄色い照明を当てている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ゴジラを成虫が長い脚で捕らえて前進するシーンでは、ゴジラを載せた台のレールとモスラの仕掛けのレール、それぞれの前進をシンクロさせている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "幼虫の目の色は、昭和作品での色を両方取り入れ、感情表現として用いている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "幼虫の誕生のシーンではギニョールを下から入ったスタッフが手で操っている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "撮影を担当した江口憲一は、モスラの幼虫が東京湾に上陸するシーンを本作品のベストショットの1つに挙げている。この撮影は、プールの中に移動車を入れ手持ちのカメラで幼虫を追いかけているが、水圧が強くカメラのコントロールがうまくいかず、しかしそれがかえって面白いカメラワークになったと述べている。", "title": "『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "映画『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)に登場。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "インファント島の守護神という基本設定はそのままであるが、伝承によれば「12,000年前、先祖がガイガンの襲来に際して戦いを挑み、敗れて深い眠りに就いた」とされている。これにより、古代の地球ではX星人たちによるミトコンドリアの収穫が滞りなく行われ、後に「ミュータント」と呼ばれる地球人との混血種が誕生するに至ったと考えられる。インファント島の壁画には2匹の幼虫が描かれている。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ガイガンが再起動してX星人たちの地球侵略が苛烈を極める地上に小美人の祈りによって復活し、モンスターXと改造ガイガンに苦しむゴジラの援護に現れる。改造ガイガンとの空中戦ではカッターで羽の一部を切断された後、モンスターXと改造ガイガンを翼によるラリアット攻撃のボンバー・ラリアットで跳ね飛ばし、改造ガイガンに羽ばたきで発生させた毒鱗粉を浴びせ、光線で大爆発して倒されたかに思われたが、その光線を爆炎として身にまとい、火の鳥状態になって改造ガイガンに体当たりする特攻技のファイヤー・ヒート・アタックを放ち、これを倒す。改造ガイガンと共に爆散したかと思われたが、エンディングでは羽も元通りになった姿で生還しており、小美人の待つインファント島へ帰還する。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "デザインは西川伸司が担当。デザイン画は、前作での胴体のみが描かれていた図案に羽根を描き足したものである。監督の北村龍平は当初、既存のモスラにおもちゃっぽいという印象を持っていたことから、全面的に変えることを要望していたが、実際に造形物を見て出来の良さに感動し、これを活かすこととなった。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "造形物は前作のものを改修しており、ボディ部分や羽が前作のものの流用となっている。攻撃的なキャラクターにしたいという北村の要望により、眼の位置や毛の素材を変更しており、毛の密度を目の周りを中心に高くして毛並みも調整している。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "上記のほかにアップ用プロップも作られている。後翅を切断されるシーンでは、別途製作された翼を差し替えている。ボンバー・ラリアットのシーンでは、翼のみの造形物をスタッフが振り回して表現している。ガイガンとの空中戦でのロングショットなどにはCGが用いられた。ガイガンの尻尾が尾部に突き刺さり、鉄柱に固定されるシーンでは、両翼の前部と頭部を外したものを使用している。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "羽ばたきは、激しいシーンでは直接操演を行い、その他のシーンではゴムを用いて動かしている。", "title": "『ゴジラ FINAL WARS』" } ]
モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラシリーズ内のミレニアムシリーズに登場するモスラを扱う。 一連のシリーズとして扱われているが、各作品は異なる世界観として制作されており、設定も作品ごとに異なる。
{{Pathnav|モスラ (架空の怪獣)|frame=1}} {{Infobox character | name= モスラ | series=[[ゴジラ]]シリーズ(ミレニアムシリーズ) <!-- use without the italic on the outside --> | image= | caption= | first= 『[[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]]』 | last= 『[[ゴジラ FINAL WARS]]』 | creator= [[西川伸司]](『東京SOS』デザイン) | portrayer= }} '''モスラ''' (Mothra) は、[[東宝]]製作の[[怪獣映画]]に登場する架空の[[怪獣]]。本項目では、このうち[[ゴジラ]]シリーズ内のミレニアムシリーズ(『[[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]]』〈[[2001年]]〉、『[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]』〈[[2003年]]〉、『[[ゴジラ FINAL WARS]]』〈[[2004年]]〉)に登場するモスラを扱う。 一連のシリーズとして扱われているが、各作品は異なる世界観として制作されており、設定も作品ごとに異なる。 == 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』 == {{キャラスペック |名称=モスラ |英字表記=MOTHRA{{R|全怪獣大図鑑200|大解剖図鑑148}} |別名=海の神{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|東宝特撮映画大全集274|超常識172|解体全書93|検定121}}}}{{efn|資料によっては、'''巨大蛾怪獣'''{{R|東宝全怪獣110|GTOM016}}、'''海の聖獣 巨大蛾怪獣'''{{R|C大全159|全怪獣大図鑑200}}、'''海の聖獣'''{{R|GTOM0710}}、'''護国三聖獣・海の神'''{{R|超解体全書93}}と記述している。}} |出身地=鹿児島県池田湖{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|ALL288|東宝全怪獣110|大辞典8|超常識172|解体全書93|検定121|超解体全書93}}}} |2名称=(成虫) |2体長=24{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|ALL288|超常識172|解体全書93|検定121|全怪獣大図鑑200|GTOM0710|超解体全書93}}}} |2翼長=75{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|ソノラマGMK12|東宝特撮映画大全集274|ALL288|東宝全怪獣110|大辞典8|G6084|超常識172|Walker77|解体全書93}}{{R|検定121|GTOM0710|超解体全書93}}}} |2胴幅=5{{nbsp}}m{{R|大辞典8|GTOM0710}} |2体重=1万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|ソノラマGMK12|東宝特撮映画大全集274|ALL288|大辞典8|G6084|超常識172|Walker77|解体全書93|検定121}}{{R|全怪獣大図鑑200|GTOM0710|超解体全書93}}}} |2飛行速度=マッハ1{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|ALL288|GTOM0710}}}} |3名称=(幼虫) |3全長=30{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|東宝特撮映画大全集274|ALL288|東宝全怪獣110|G6084|Walker77|解体全書93|検定121|全怪獣大図鑑200|GTOM0710}}{{R|超解体全書93}}}} |3全幅=5{{nbsp}}m{{R|GTOM0710}} |3全高=6{{nbsp}}m{{R|GTOM0710}} |3体重=1万{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|東宝特撮映画大全集274|ALL288|東宝全怪獣110|G6084|Walker77|解体全書93|検定121|全怪獣大図鑑200|GTOM0710|超解体全書93}}}} |4名称=繭 |4全長={{Plainlist| * 33{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|東宝特撮映画大全集274|GTOM0710}}}} ** 18{{nbsp}}m{{R|GTOM0710}}<br />16{{nbsp}}m{{R|GTOM0710}}<br />(高い部分) ** 12{{nbsp}}m{{R|GTOM0710}}<br />(低いくびれ部分) }} }} 映画『[[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]]』([[2001年]])に登場。 護国三聖獣の1体であるヤマトの聖獣で、[[鳳凰]]伝説の原型として伝えられている「'''海の神・最珠羅'''」として登場する{{refnest|group="出典"|{{R|GTOM016|GTOM0710|超解体全書93|大解剖図鑑148}}}}。幼虫の小さな目は複眼になっており、周囲の窪みは縁がシャープになっている{{R|大解剖図鑑148}}。口も付根の蛇腹が長く動く{{R|大解剖図鑑148}}。成虫の外見は従来と異なり、触覚もシャープになっており{{R|超解体全書29}}、体毛が少なく脚や尾も[[ハチ|蜂]]のようである{{refnest|group="出典"|{{R|映画大全107|ALL288|C大全159|GTOM0710}}}}。体色は白と紫を強調した色使いで{{R|超解体全書29}}、眼の色も青色ではなく紫色で{{R|映画大全107}}、脚は後ろの一対が他よりも長くなっているほか、翼の前縁にはうろこ状の外殻が並んでおり、羽の模様にも紫色が加えられている{{R|大解剖図鑑148}}。『護国聖獣伝記』では尾に[[クジャク|孔雀]]のような羽根が描かれている。攻撃方法については、過去作品の登場個体が用いていたような鱗粉や光線ではなく、腹部の毛から飛ばす無数の毒針{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集14|C大全159|東宝全怪獣110|大辞典8|Walker77|GTOM016|GTOM0710|超解体全書93|大解剖図鑑148}}}}と上空からの脚の爪による引っかき攻撃{{refnest|group="出典"|{{R|GTOM016|GTOM0710|超解体全書93}}}}を用いている。 今作のモスラは日本の自然の守護神であるが人間の味方ではないため、封印されていた鹿児島県の[[池田湖]]の石像が大学生たちによって破壊されたことで甦り、湖を割って出現した際には盗品でパーティーを開いていた大学生たち11人を水に引き込み、繭に絡めて殺害している{{R|GTOM0710}}。 ゴジラにパラゴンが敗れた日の夜、池田湖の湖面に繭を作って成虫に変態する{{R|GTOM0710|超解体全書93}}。飛行してゴジラの迎撃に向かい、途中から参戦したギドラとともに横浜でゴジラを迎え撃つ。しかし、ギドラがゴジラの攻撃で気絶して再び孤軍奮闘を強いられたうえ、ギドラへのとどめとして放たれたゴジラの放射熱線からギドラをかばってこれを受けたことで致命傷を負ったところへ、さらに巡洋艦「あいづ」に向けて放たれるはずだった放射熱線を至近距離で受けてしまい(発射寸前にゴジラがモスラの方を振り返っている)、燃やし尽くされる。その残存するエネルギーすべてをギドラに譲渡し、完全体である「千年竜王・キングギドラ」に覚醒させる{{R|超解体全書93}}。 === 制作(GMK) === 企画段階では[[大怪獣バラン|バラン]]・バラゴン・[[アンギラス]]の3体での登場が予定されていたが、東宝側から派手な怪獣の登場が要望された結果モスラとキングギドラに変更された{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集36|ソノラマGMK52|ALL288|超常識172|大解剖図鑑148}}}}。脚本を手がけた[[長谷川圭一]]は、バランはネコのようなしなやかさを持った女性的な怪獣というイメージが挙がっていたと証言しており、結果として母性の怪獣であるモスラにスライドしたことでさほどコンセプトはずれなかったと述べている{{R|ソノラマGMK74}}。なお、モスラ成虫がゴジラシリーズでキングギドラと共演するのは、本作品が初である{{R|ソノラマGMK7|東宝特撮映画大全集274}}。 モスラは南方というイメージから、[[イッシー]]の目撃地として知られる池田湖が出現地に選ばれた{{R|GMK超全集39|ソノラマGMK32}}。脚本第3稿までは、バランの出現地として予定されていた秋田県のままであった{{R|ソノラマGMK52}}。同じく第3稿までは、スカイウォークから落下する由里と武田がモスラの背に乗って助かるという場面や、全身に炎をまとってゴジラへ[[特別攻撃隊|特攻]]するという展開なども存在した{{R|ソノラマGMK52}}。 怪獣がゴジラに次々と倒されるだけでは虚しいという特殊技術の[[神谷誠]]や造形担当の[[品田冬樹]]らからの意見により、モスラがキングギドラと合体するシーンや、終盤で3匹のイメージが空中に現れるなどのシーンが追加された{{R|GMK超全集36}}。 監督の[[金子修介]]は、『ゴジラvsモスラ』の制作時に監督に名乗りを上げるなどモスラに思い入れがあり、本作品ではバランの代わりであったため、爆散したことや小美人を出せなかったことなどが心残りであったと述べている{{R|映画大全16}}。 === 造型(GMK) === 造形は、Vi-SHOPとボンクラフトが担当{{R|C大全159|GTOM0710}}。デザイン画は描かれず、[[品田冬樹]]により雛形が制作された{{R|東宝SFSE0112|GTOM0710}}。 造形物は、アップ用とアクション用の2種類が製作された{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SFSE0141|GMK超全集42|GTOM0710}}}}。紫色の眼や白い羽毛は女性的なイメージを持たせようという主旨による{{R|GMK超全集60|東宝特撮映画大全集275}}。翼の色も、暖色系で統一されていた初代のものに寒色の青を追加している{{R|GMK超全集60}}。 飛行シーンのほとんどは遠景のカットを含めて操演によって表現されており、羽ばたきなどは操演技術によるものである{{R|GTOM0710}}。放射熱線を避ける飛行シーンなどには、速度のメリハリやスピードなどを表現するため、3DCGによる合成も用いられた{{R|ALL288|GTOM0710}}。金子の要望により、足に従来のような毛のディテールはなく{{R|ソノラマGMK19}}、西川伸司はCGとの親和性を考慮したものと考察している{{R|映画大全107}}。品田によれば、当初は金子からまったく毛を使わないものを要望されたが、目の周りの白い部分を毛以外で作るとモスラではなくなってしまうため、部分的に毛を残すことになった{{R|ソノラマGMK80}}。CG制作は、ビッグ・エックスの阪上和也が担当した{{R|東宝SFSE0144}}。 幼虫は『[[モスラ (1996年の映画)|モスラ]]』(1996年)でのプロップを前後に分割し、前部の頭部モデルを加工したものを使用している{{refnest|group="出典"|{{R|GMK超全集64|ソノラマGMK19|ALL288|GTOM0710|大解剖図鑑148}}}}{{efn|書籍『平成ゴジラ大全』では、『[[ゴジラvsモスラ]]』(1992年)のものを改造したと記述している{{R|平成ゴジラ大全}}。}}。当初は幼虫をCGで描写する予定であったが、ミニチュアでの撮影の出来が良かったため、こちらが採用された{{R|東宝SFSE0144}}。額付近のシワを増やし、かつての幼虫よりもやや厳しい表情となっている{{R|GTOM0710}}。 繭の造形物も製作された{{R|東宝SFSE0141|GMK超全集42}}。造形物とデジタル処理によるマット画で表現されている{{R|GTOM0710}}。池田湖の実景に合成しているが、上空からのカットでは湖面をCGで表現しなければならないため、苦労があったという{{R|ソノラマGMK52}}。繭から成虫となって頭部が現れる場面では、CG作画の繭と造形物の繭を組み合わせて表現されている{{R|GTOM0710}}。 毒針は3DCGで描写されており、腹部の毛が変化したものという想定のもと、神谷によってデザインされている{{R|GMK超全集68|GTOM0710}}。毒針のCGは、[[日本映像クリエイティブ]]が担当した{{R|東宝SFSE0144}}。 粒子化するモスラのCGは、[[日本エフェクトセンター]]が手がけた{{R|東宝SFSE0144}}。 === 撮影・演出(GMK) === 基本的に、羽ばたきは操演によるが、ゴジラに飛びつくシーンでのみ、空気圧シリンダーを用いて羽ばたかせている{{R|東宝SFSE0112|東宝SFSE0141}}。 羽化するシーンでは、アクション用成虫の頭部を用いている{{R|ソノラマGMK32}}。 造形物の保管時には、翼を傷つけないよう上から[[ラッピングフィルム (包装)|ラップ]]を被せている{{R|ソノラマGMK27}}。 インファント島および小美人との関連性はないが、小美人を思わせる少女2人組がモスラを見上げる姿が劇中で見られる{{R|GMK超全集39}}{{efn|演者は[[前田愛 (女優)|前田愛]]と[[前田亜季]]姉妹。両者は、金子が監督した『[[ガメラ3 邪神覚醒]]』に出演した{{R|GMK超全集39}}。}}。 == 『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』 == {{キャラスペック |名称=モスラ |別名={{Plainlist| * 巨大蛾怪獣{{refnest|group="出典"|{{R|東宝特撮映画大全集282|C大全159|東宝全怪獣114|全怪獣大図鑑202|GTOM017}}}} * 巨蛾{{refnest|group="出典"|{{R|超常識184|解体全書94|検定129|超解体全書94}}}} }} |英字表記=MOTHRA{{R|FCGMMG34|大解剖図鑑162}} |2名称=(成虫) |2英字表記=MOTHRA(imago){{R|GMMG超全集6}} |2体長=36{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集6|東宝特撮映画大全集282|ALL296|東宝全怪獣114|大辞典9|解体全書94|検定129|全怪獣大図鑑202|超解体全書94}}}} |2翼長=108{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集6|東宝特撮映画大全集282|ALL296|大辞典9|G6084|超常識184|Walker79|解体全書94|検定129}}{{R|全怪獣大図鑑202|超解体全書94}}}} |2体重=1万2千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集6|東宝特撮映画大全集282|ALL296|東宝全怪獣114|大辞典9|G6084|超常識184|Walker79|解体全書94}}{{R|検定129|全怪獣大図鑑202|超解体全書94}}}} |2飛行速度=マッハ3{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集6|東宝特撮映画大全集282|ALL296|大辞典9|超常識184|全怪獣大図鑑202|GTOM017|超解体全書94}}}} |2出身地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|ALL296|東宝全怪獣114|解体全書94|超解体全書94}}}} |2出現地=太平洋上{{R|超常識184}} |3名称=(幼虫) |3英字表記=MOTHRA(LARVA){{R|GMMG超全集8}} |3全長=43{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集8|東宝特撮映画大全集282|ALL296|東宝全怪獣114|大辞典10/11|G6084|超常識184|Walker79|解体全書94}}{{R|検定129|超解体全書94}}}} |3体重=9千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集8|東宝特撮映画大全集282|ALL296|東宝全怪獣114|大辞典10/11|G6084|Walker79|検定129|超解体全書94}}}}{{efn|書籍『ゴジラ解体全書』では、「9万トン」と記述している{{R|解体全書94}}。}} |3出身地=小笠原諸島・曾孫島{{R|東宝全怪獣114|超常識184}} }} 映画『[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]』(2003年)に登場。[[モスラ (初代および昭和ゴジラシリーズ)#映画『モスラ』(1961年)|初代モスラ]]の子孫{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|ALL296|東宝全怪獣114|BOMG35|超解体全書94}}}}。 成虫は[[小笠原諸島]]の曾孫島で卵を生み落としたあと、中條信一の別荘のある軽井沢に向かう。機龍([[3式機龍|メカゴジラ]])に代わりゴジラと戦う。毒鱗粉には、レーダーをジャミングしたり、ゴジラの熱線を反射するなどの効果を持つが、毒鱗粉を失うと翼が脆くなる{{R|FCGMMG34}}。また、鱗粉は可燃性で、ゴジラの熱線によって粉塵爆発を引き起こす{{R|大解剖図鑑162}}。鱗粉および脚による引っかき攻撃でゴジラを苦しめるが{{R|FCGMMG34}}、ゴジラに右前足を食いちぎられてしまう。援護にやってきた自身の子である2体の幼虫(双子の姉弟){{R|GMMG超全集8}}をかばい、ゴジラの放射熱線に敗れる{{R|FCGMMG34|超解体全書94}}。 2体の幼虫は機龍と共にゴジラと戦い、機龍のスパイラル・クロウで体を貫かれてひるんだゴジラを口から噴射した粘着性の糸で巻きつけて動きを止める。機龍が身動きのとれないゴジラと共に海に沈んだあと、幼虫はインファント島に帰っていく。顎は一度食いついたら離さない強靭なものとなっている{{R|超解体全書94}}。顔の斑点や触覚の長さに違いがあり、顔の斑点が多く、触覚が長い方がオスである{{R|大解剖図鑑162}}。感情がたかぶると眼の色が青から赤に変わる{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG34|GMMG超全集8|映画大全107}}}}。口の噛み合わせはギザギザではなく、表面の深い溝に変更されている{{R|大解剖図鑑162}}。尾の先端部は細かい体節になっている{{R|大解剖図鑑162}}。幼虫が双子であることは小美人も予想外だったらしく、驚きを見せる。成虫のフォルムは足の太さを除いて昭和版に似たものとなっている{{R|超解体全書29}}。複眼は『モスラ対ゴジラ』と同様に大きめの丸い凹みが表面、細かい丸が裏面に並んでいる複合型となっている{{R|大解剖図鑑162}}。 * モスラとメカゴジラの共演は本作品が初である{{R|超常識184}}。 * 幼虫は初代よりも小さく、書籍『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(ファンタスティックコレクション)では双子かつ誕生が早かったことがその要因と推測している{{R|FCGMMG34}}。 * 玩具では、商品名を'''モスラ2003'''とするもの{{efn|コナミ「特撮デジQ」「アタックシューティング」など{{R|FCGMMG50}}。}}と'''モスラ2004'''とするもの{{efn|バンダイ「[[ムービーモンスターシリーズ]]」など{{R|FCGMMG50}}。}}が存在した{{R|FCGMMG50}}。 === 創作経緯(GMMG) === 『[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]』は、当初『[[ゴジラ×メカゴジラ]]』の続編という形ではなく、モスラを出すという条件を東宝の上層部がつけて動いた企画であった{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SFSE0410|3式機龍CP68|BOMG106}}}}。監督の[[手塚昌明]]は、幼少期から『[[モスラ]]』(1961年)を愛好しており、初監督作である『[[ゴジラ×メガギラス G消滅作戦]]』でもモスラを出したかったといい、このオーダーを受けてモスラをきちんと出せば面白いものになるという確信を得ていたと語っている{{R|東宝SFSE0410}}。最終的に、手塚により前作の世界観に加え、『モスラ』の世界観を踏襲したものとしてストーリーが組み立てられた{{R|東宝SFSE0409}}。脚本を担当した[[横谷昌宏]]は、リアルなSF考証を行っているメカゴジラとファンタジックなモスラの世界観を違和感なく合わせることが課題であったと述べている{{R|東宝SFSE0416}}。 手塚は、モスラを人間が約束を破ったり私利私欲で小美人を利用したりすると人間の敵になる怪獣であるということを物語の中で見せることを重視した{{R|FCGMMG60}}。横谷は、モスラが地球の守り神という設定は後発の作品で変化していった要素であるため、初代の続編である本作品でモスラがゴジラと戦う理由を考えることが難しかったとも述べている{{R|FCGMMG63}}。 初期案では、前作で描写された1999年のゴジラ上陸前に、ゴジラの骨が回収されたことに気づいたモスラがインファント島から向かってくるという展開が検討されていたが、手塚は前作と同じ戦いを描くことになるためつまらなくなると考え、これを取りやめた{{R|FCGMMG60}}。 双子の幼虫が登場するのは、『[[モスラ対ゴジラ]]』をオマージュしている{{R|FCGMMG26|BOMG35}}。手塚は、『ゴジラvsモスラ』で双子を出すことができなかったためと述べている{{R|BOMG106}}。また、『モスラ対ゴジラ』では砂浜や小島が戦いの舞台となっていたため、本作品では東京を舞台としている{{R|東宝SFSE0410}}。 === デザイン(GMMG) === デザインは[[西川伸司]]が担当{{refnest|group="出典"|name="GMMG"|{{R|FCGMMG26|東宝SFSE0432|ゴジラ画集115|ALL296|3式機龍CP55|西川64}}}}。手塚からの要望により、成虫の翼の模様や形状はデザインは初代に準じている{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG26|GMMG超全集46|東宝特撮映画大全集283|ゴジラ画集115|3式機龍CP55|3式機龍CP80|若狭205|大解剖図鑑162}}}}。また、造形の[[若狭新一]]から昭和モスラの模様と『モスラ3』の羽を組み合わせたデザイン案も存在した{{R|FCGMMG26|東宝SFSE0432}}。これを受けて西川は、『モスラ対ゴジラ』でのモスラを踏襲して、前後の羽の間が離れ羽根が4枚に見える形状に描き直した{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG26|ゴジラ画集115|3式機龍CP55|西川64}}}}。羽の模様もデジタルで鱗粉を彷彿とさせるものを作成している{{R|ゴジラ画集115|3式機龍CP55}}。脚部については、生物感を出すため、実際の昆虫に準じた関節があり、初代同様に3本指の構造としている{{R|group="出典"|GMMG}}{{efn|西川は、女性ファンが多いモスラでは敬遠されるかもしれないが、生き物好きとしてのこだわりが勝ったと述べている{{R|西川64}}。}}。 幼虫は、過去のモスラでは頭部と一体成型となっていた側頭部の盛り上がり(コブ)を体節の一つと解釈し、可動部として描いている{{R|FCGMMG26|西川64}}。初代に準じた成虫に合わせて、尾の先端なども昭和に近いものとなっている{{R|映画大全107|ゴジラ画集115}}。幼虫は、幾度となくデザインされてきたが、生物感を出すためにディテールにこだわり、惰性でデザインすることなく、各部を見直して描かれた{{R|ゴジラ画集115}}。 若狭は当初、レインボーモスラの色違いにしようと思い、「レインボーモスラの羽根の色が寒色系だったのを暖色系にしたらどうかな」と思っていたが、手塚との対話にて、「前作の『ゴジラ×メカゴジラ』の時に初代のモスラが日本に来たという事実が映像も含めて紹介されているので、「初代の感じにしたいんですけど」という話題になり、初代と大きく違わないものにしたと述べている{{R|宇宙船}}。 === 造形(GMMG) === 造形は[[モンスターズ (製作会社)|モンスターズ]]が担当{{R|FCGMMG30|若狭205}}。 デザインは初代と大きく変わらないため、現代の技術を用いて生物的なリアリティを出すことに注力している{{R|FCGMMG26}}。成虫・幼虫とも、従来のギザギザした口の噛み合わせ部分が生物としてリアルではないため、噛み合わせは直線状とし、表面に溝状のディテールを彫り込んでいる{{R|FCGMMG30}}。 卵の造形物は1個のみ制作された{{R|東宝SFSE0434}}。 ; 成虫 : 成虫の原型は、頭部を涌井裕子、胴体を小此木謙一郎が手掛けた{{R|若狭221}}。造形物はメインパペット、アクションパペット、超アクションパペットの3種が製作された{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG30|東宝SFSE0434|3式機龍CP58}}}}。いずれもスケールは同一で、翼長は3.6メートルにもなる{{R|FCGMMG30|東宝SFSE0434}}。羽はゴジラとの戦いや飛行パターン、3体分の胴体などに合わせて複数製作され、相互に付け替えや取り外しも可能となっている{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG30|東宝SFSE0434|3式機龍CP40|3式機龍CP58|3式機龍CP137}}}}。造形物には若狭がアメリカから取り寄せた羽毛を使用し{{R|FCGMMG64|3式機龍CP40}}、植毛が目と口元以外に施された{{R|3式機龍CP58}}。毛の仕上げには[[ヘアドライヤー|ドライヤー]]を用い、手作業でうねりをつけている{{R|FCGMMG52}}。アップ用の頭部は、ラジコンで口の開閉や触角の動きを行っている{{R|FCGMMG30|3式機龍CP58}}。脚は、可動と無可動の2種類を必要に応じて付け替えており、前者はメカが仕込まれており、それぞれ独立して可動する{{R|FCGMMG30|3式機龍CP58}}。アクション用の頭部は、ボアや目のパーツの検討用に作られた試作ヘッドを転用している{{R|FCGMMG30}}。 : 翼には、釣り竿用のカーボンロッドを用いており{{R|FCGMMG30}}、その固さにより羽ばたかせると自力で返ってくるため、より力強い操演が可能となった{{R|FCGMMG52}}。これまでの成虫はピアノ線で上からのみ吊っていたが、それでは下への羽ばたきが弱いため、本作品のフィックスのカットでは下からもピアノ線で吊って動きを大きくしている{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG69|東宝SFSE0412|映画大全100|3式機龍CP40}}}}{{efn|操演の鳴海聡によれば、最初は予告用の撮影で試しに行ったところ、うまくいったため本番でも行うことになった{{R|FCGMMG69}}。}}。また、羽ばたきの強弱に合わせて内部に仕込んだ重りの量を調節し、自然な羽ばたきを表現している{{R|GMMG超全集48|東宝特撮映画大全集283}}{{efn|鳴海は、他の真似のできない東宝に残せる仕事となったと述べている{{R|GFW超全集100}}。}}。翼と胴体をつなぐ蝶番の位置は、従来よりも内側となっている{{R|FCGMMG69}}。ダメージを受けた状態の翼は、白系統の樹脂スプレーを吹きつけることで色褪せた状態を表現している{{R|FCGMMG54}}。 : 複眼の形状は初代を模した凸状のものなど複数種類が試作されたが、最終的には『モスラ対ゴジラ』を模した凹状のものが採用された{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG30|GMMG超全集46|3式機龍CP58|若狭225}}}}。複眼パーツは、型抜きで制作するため片面にしかモールドがなく、裏面にガラスビーズを貼り込むことで立体的な発光を表現している{{R|FCGMMG30}}。 : 飛行シーンの引き絵やゴジラの放射熱線で炎上するシーンでは3DCGも用いられた{{R|GMMG超全集56}}。 ; ; 幼虫 : 幼虫の原型は、頭部を本田憲拡、胴体を小此木謙一郎が手掛けた{{R|若狭216}}。幼虫は区別のためスタッフによってそれぞれ「花子」「太郎」と呼ばれていた{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG30|GMMG超全集46|3式機龍CP58|3式機龍CP137}}}}。オスは牙と尾の角が長く顔の斑点が多い、メスは牙と尾の角が短く顔の斑点が少ない{{refnest|group="出典"|{{R|FCGMMG30|映画大全107|3式機龍CP58}}}}。 : 造形物は自走式、アップ用、アクション用、操演用、海用、孵化シーンの頭部のみの2:3のギニョールなど9体が製作された{{refnest|group="出典"|{{R|GMMG超全集46|東宝SFSE0434|東宝特撮映画大全集283|ALL296|3式機龍CP58}}}}。若狭は、過去の幼虫は弱々しく見えたため、ゴジラと戦っても勝てそうに見えるよう大きなサイズにしたと語っている{{R|FCGMMG56}}。雌雄2体とも同様の型から作られているが、頭部の塗装、尾や牙など数か所に違いが見られる{{R|3式機龍CP58}}。操演パペットは手を後ろから入れて、アップ用や頭部の細かな表現に使用された{{R|3式機龍CP137}}。喋れない怪獣は見た目でわかるように、赤から青に目の色を頭部の内側に施された目の点灯ギミックで変化させて怒りを表現している{{R|3式機龍CP58|3式機龍CP75}}。自走式にはタイヤが下についており、過去の幼虫のメカを改良したものを使用し、滑車とワイヤーで牽引することで身体をうねらせながら走行が可能となっている{{R|3式機龍CP40|3式機龍CP58}}。特殊技術の[[浅田英一]]は、カメラテストを行って内部メカのシステムを3度ほど修正したと語っている{{R|FCGMMG64}}。また、自走式の尾には、エアー放出ギミックも備えており、地上を這った際の土埃を表現している{{R|FCGMMG30}}{{efn|鳴海は、ビニールホースがすぐに目詰まりしていたと証言している{{R|FCGMMG69}}。}}。海用は体を上下させる機構で、陸上では別のものに交代する{{R|3式機龍CP40}}。アップ用はセットに尾部の板を木ネジなどで固定し、ワイヤーやレバーの操作で体をもたげたり、糸を吐いたりする{{R|FCGMMG56|3式機龍CP40}}。初代モスラに近いイメージのカラーリングが施されたマケットも作られたが、NGとなった{{R|3式機龍CP58}}。 : 幼虫の糸は、溶かした発泡スチロールを用いている{{R|GMMG超全集50}}。糸を飛ばす装置は昭和のモスラ映画と同様にワタアメ製造機を応用したハンディー型のもので、カポックをアセトンに溶かした溶剤の糸を中央で回転するドラムから噴き出し、前方にファンの風で吹き飛ばしている{{R|3式機龍CP40}}。細い糸は画面に映りにくいため、従来よりも太くしている{{R|FCGMMG69|3式機龍CP40}}。鳴海は、高圧のレギュレーターを新規に2台購入し、原料の溶かし具合や噴出の圧力、穴の大きさなどを改めて研究し直したと述懐している{{R|FCGMMG69}}。 === 撮影・演出(GMMG) === モスラは羽根の彩色が派手で、外見もリアルなため、合成は難しいとの判断から、本作品では造型物を用いた撮影を主としている{{R|東宝SFSE0410}}。浅田は、『モスラ』や『モスラ対ゴジラ』を観て[[円谷英二]]のもっと長く羽ばたかせたかったという想いを感じたといい、両作品を踏襲した描写も多く散りばめている{{R|東宝SFSE0412}}。操演は当初スタジオの天井に設置されているゴンドラのみを用いていたが、途中からクレーンも使用している{{R|FCGMMG64}}。モスラがビルの合間を縫うシーンなどはCGを用いている{{R|東宝SFSE0412}}。 成虫は直接戦わせることが難しいため、西川の提案で鱗粉がゴジラの熱線や背ビレの発光などのエネルギーに反応して誘爆(粉塵爆発)するという設定になった{{R|東宝SFSE0410|大解剖図鑑162}}。企画段階では、鱗粉で窒息させるなどの案も存在した{{R|東宝SFSE0410}}。鱗粉はCGで表現しているが、合成を担当した[[日本エフェクトセンター]]の今井元は、1粒の素材が小さいためモニターとフィルムとでは見え方が異なっており、フィルムで確認してから修正して再びフィルムに起こさなければならないなど、作業工程で苦労した旨を語っている{{R|東宝SFSE0444}}。撮影では、下から黄色い照明を当てている{{R|FCGMMG54}}。 ゴジラを成虫が長い脚で捕らえて前進するシーンでは、ゴジラを載せた台のレールとモスラの仕掛けのレール、それぞれの前進をシンクロさせている{{R|3式機龍CP40}}。 幼虫の目の色は、昭和作品での色を両方取り入れ、感情表現として用いている{{R|東宝SFSE0410}}。 幼虫の誕生のシーンではギニョールを下から入ったスタッフが手で操っている{{R|3式機龍CP40}}。 撮影を担当した[[江口憲一]]は、モスラの幼虫が東京湾に上陸するシーンを本作品のベストショットの1つに挙げている{{R|FCGMMG68}}。この撮影は、プールの中に移動車を入れ手持ちのカメラで幼虫を追いかけているが、水圧が強くカメラのコントロールがうまくいかず、しかしそれがかえって面白いカメラワークになったと述べている{{R|FCGMMG68}}。 == 『ゴジラ FINAL WARS』 == {{キャラスペック |名称=モスラ(成虫) |英字表記=MOTHRA{{refnest|group="出典"|{{R|GFW超全集22|ALL304|全怪獣大図鑑204}}}} |別名=巨蛾{{refnest|group="出典"|{{R|東宝特撮映画大全集286|解体全書98|超解体全書98}}}}{{efn|資料によっては、'''巨大蛾怪獣'''と記述している{{refnest|group="出典"|{{R|C大全159|全怪獣大図鑑204|GTOM107}}}}。}} |体長=72{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|PANF|GFW超全集22|ALL304|東宝全怪獣118|大辞典12|超常識188|解体全書98|全怪獣大図鑑204|GTOM107|超解体全書98}}}} |翼長=216{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|PANF|GFW超全集22|ALL304|大辞典12|G6084|超常識188|解体全書98|全怪獣大図鑑204|GTOM107|超解体全書98}}}} |体重=2万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|PANF|GFW超全集22|ALL304|東宝全怪獣118|大辞典12|G6084|超常識188|解体全書98|全怪獣大図鑑204|GTOM107}}{{R|超解体全書98}}}} |飛行速度=マッハ3{{refnest|group="出典"|{{R|PANF|GFW超全集22|ALL304|大辞典12|超常識188|GTOM107}}}} |出身地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|東宝全怪獣118|解体全書98|超解体全書98}}}} }} 映画『[[ゴジラ FINAL WARS]]』(2004年)に登場。 インファント島の守護神という基本設定はそのままであるが、伝承によれば「12,000年前、先祖が[[ガイガン]]の襲来に際して戦いを挑み、敗れて深い眠りに就いた」とされている{{refnest|group="出典"|name="12000年前"|{{R|PANF|GFW超全集22|GTOM107|超解体全書98}}}}。これにより、古代の地球ではX星人たちによる[[ミトコンドリア]]の収穫が滞りなく行われ、後に「ミュータント」と呼ばれる地球人との混血種が誕生するに至ったと考えられる。インファント島の壁画には2匹の幼虫が描かれている。 ガイガンが再起動してX星人たちの地球侵略が苛烈を極める地上に[[小美人]]の祈りによって復活し、モンスターXと改造ガイガンに苦しむゴジラの援護に現れる{{R|GTOM107}}。改造ガイガンとの空中戦ではカッターで羽の一部を切断された後、モンスターXと改造ガイガンを翼によるラリアット攻撃の'''ボンバー・ラリアット'''{{refnest|group="出典"|name="12000年前"}}で跳ね飛ばし、改造ガイガンに羽ばたきで発生させた毒鱗粉を浴びせ、光線で大爆発して倒されたかに思われたが、その光線を爆炎として身にまとい、火の鳥状態になって改造ガイガンに体当たりする特攻技の'''ファイヤー・ヒート・アタック'''{{refnest|group="出典"|{{R|PANF|東宝全怪獣118|検定133|GTOM107|超解体全書98}}}}{{efn|この状態のモスラを'''ファイヤーモスラ'''と呼ぶ{{R|大辞典395}}。}}を放ち、これを倒す。改造ガイガンと共に爆散したかと思われたが、エンディングでは羽も元通りになった姿で生還しており、小美人の待つインファント島へ帰還する。 * モスラ成虫がゴジラと共闘するのは本作品が初である{{R|ALL304}}。企画段階では、幼虫の登場も検討されていた{{R|東宝SFSE0539}}。 === デザイン・造形(FINAL WARS) === デザインは西川伸司が担当{{refnest|group="出典"|{{R|GFW超全集84|東宝SFSE0530|ALL304|ゴジラ画集120|西川65|FWCP39|GTOM107}}}}。デザイン画は、前作での胴体のみが描かれていた図案に羽根を描き足したものである{{R|西川65|FWCP39}}。監督の[[北村龍平]]は当初、既存のモスラにおもちゃっぽいという印象を持っていたことから、全面的に変えることを要望していたが、実際に造形物を見て出来の良さに感動し、これを活かすこととなった{{R|東宝SFSE0532}}。 造形物は前作のものを改修しており{{refnest|group="出典"|{{R|ALL304|若狭250|FWCP147|GTOM107}}}}、ボディ部分や羽が前作のものの流用となっている{{R|C大全159|ゴジラ画集120}}。攻撃的なキャラクターにしたいという北村の要望により、眼の位置や毛の素材を変更しており、毛の密度を目の周りを中心に高くして毛並みも調整している{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SFSE0532|若狭250|FWCP81}}}}。 上記のほかにアップ用プロップも作られている{{R|FWCP147}}。後翅を切断されるシーンでは、別途製作された翼を差し替えている{{refnest|group="出典"|{{R|GFW超全集100|東宝SFSE0521|FWCP147}}}}。ボンバー・ラリアットのシーンでは、翼のみの造形物をスタッフが振り回して表現している{{R|GFW超全集96}}。ガイガンとの空中戦でのロングショットなどにはCGが用いられた{{R|ALL304}}。ガイガンの尻尾が尾部に突き刺さり、鉄柱に固定されるシーンでは、両翼の前部と頭部を外したものを使用している{{R|FWCP18}}。 === 撮影・演出(FINAL WARS) === 羽ばたきは、激しいシーンでは直接操演を行い、その他のシーンではゴムを用いて動かしている{{R|東宝SFSE0527}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="PANF">{{Harvnb|パンフレットF|2004}}</ref> <ref name="東宝SFSE0112">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2001|pp=12-13|loc=「[インタビュー] 神谷誠」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0141">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2001|p=41|loc=「[インタビュー] 品田冬樹」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0144">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2001|pp=44-47|loc=「[インタビュー] CG合成スタッフ」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0409">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|p=9|loc=「[インタビュー] 富山省吾」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0410">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|pp=10-11|loc=「[インタビュー] 手塚昌明」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0412">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|pp=12-13|loc=「[インタビュー] 浅田英一」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0416">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|p=16|loc=「[インタビュー] 横谷昌宏」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0432">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|pp=32-33|loc=「[インタビュー] 西川伸司」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0434">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|pp=34-37|loc=「[インタビュー] 若狭新一」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0444">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004|pp=44-47|loc=「[インタビュー] CGデジタル合成」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0521">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005|pp=21-24|loc=[[石井良和]]「『ゴジラ FINAL WARS』特撮撮影日誌 特撮班」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0527">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005|p=27|loc=「[インタビュー] 鳴海聡」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0530">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005|p=30|loc=「[インタビュー] 西川伸司」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0532">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005|pp=32-34|loc=「[インタビュー] 若狭新一」}}</ref> <ref name="東宝SFSE0539">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005|pp=39-40|loc=「[インタビュー] 三池敏夫」}}</ref> <ref name="GMK超全集14">{{Harvnb|GMK超全集|2002|pp=14-15|loc=「キャラクター図鑑 モスラ」}}</ref> <ref name="GMK超全集36">{{Harvnb|GMK超全集|2002|p=36|loc=「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃完全攻略 金子修介監督インタビュー」}}</ref> <ref name="GMK超全集39">{{Harvnb|GMK超全集|2002|p=39|loc=「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃完全攻略 金子修介監督インタビュー」}}</ref> <ref name="GMK超全集42">{{Harvnb|GMK超全集|2002|p=42|loc=「造形資料」}}</ref> <ref name="GMK超全集60">{{Harvnb|GMK超全集|2002|p=60|loc=「MAKING OF ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 モスラの造形」}}</ref> <ref name="GMK超全集64">{{Harvnb|GMK超全集|2002|pp=64-65|loc=「MAKING OF ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 特殊技術」}}</ref> <ref name="GMK超全集68">{{Harvnb|GMK超全集|2002|pp=68-70|loc=「MAKING OF ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 視覚効果」}}</ref> <ref name="GMMG超全集6">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=6-7|loc=「キャラクター図鑑 モスラ<成虫>」}}</ref> <ref name="GMMG超全集8">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=8-9|loc=「キャラクター図鑑 モスラ<幼虫>」}}</ref> <ref name="GMMG超全集46">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=46-47|loc=「MAKING OF ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 造形」}}</ref> <ref name="GMMG超全集48">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=48-49|loc=「MAKING OF ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 撮影」}}</ref> <ref name="GMMG超全集50">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=50-51|loc=「MAKING OF ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 撮影」}}</ref> <ref name="GMMG超全集56">{{Harvnb|GMMG超全集|2004|pp=56-57|loc=「MAKING OF ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 視覚効果」}}</ref> <ref name="GFW超全集22">{{Harvnb|GFW超全集|2005|p=22|loc=「ゴジラファイナルウォーズキャラクター図鑑 モスラ」}}</ref> <ref name="GFW超全集84">{{Harvnb|GFW超全集|2005|p=84|loc=「MAKING OF ゴジラファイナルウォーズ デザイン」}}</ref> <ref name="GFW超全集96">{{Harvnb|GFW超全集|2005|p=96|loc=「MAKING OF ゴジラファイナルウォーズ 撮影」}}</ref> <ref name="GFW超全集100">{{Harvnb|GFW超全集|2005|pp=100-101|loc=「鳴海聡インタビュー」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK7">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|p=7|loc=「モンスター・グラフィティ ゴジラ」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK12">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|pp=12 - 13|loc=「モンスター・グラフィティ モスラ」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK19">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|p=19|loc=「造型メイキング メイキング・オブ・バラゴン・スーツ&モスラ」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK27">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|p=27|loc=「メイキング・グラフィティ 横浜市街地・ベイエリア一帯」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK32">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|p=32|loc=「メイキング・グラフィティ 池田湖」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK52">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|pp=52 - 55|loc=「GMK誕生前夜 企画からクランク・インまで」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK74">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|pp=74 - 78|loc=「脚本長谷川圭一 横谷昌宏ロングインタビュー」}}</ref> <ref name="ソノラマGMK80">{{Harvnb|ソノラマMOOK|2002|pp=80 - 81|loc=「特殊技術・造型 品田冬樹インタビュー」}}</ref> <ref name="FCGMMG26">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=26|loc=「デザインワークス」}}</ref> <ref name="FCGMMG30">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=30|loc=「造形」}}</ref> <ref name="FCGMMG34">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=34 - 35|loc=「MONSTER FILE 02 モスラ」}}</ref> <ref name="FCGMMG50">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=50|loc=「ゴジラ Toys 2004」}}</ref> <ref name="FCGMMG52">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=52 - 53|loc=「GMMG特撮メイキングドキュメント」}}</ref> <ref name="FCGMMG54">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=54 - 55|loc=「GMMG特撮メイキングドキュメント」}}</ref> <ref name="FCGMMG56">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=56 - 57|loc=「GMMG特撮メイキングドキュメント」}}</ref> <ref name="FCGMMG60">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=60 - 62|loc=「スタッフインタビュー INTERVIEW 01 手塚昌明」}}</ref> <ref name="FCGMMG63">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=63|loc=「スタッフインタビュー INTERVIEW 02 横谷昌宏」}}</ref> <ref name="FCGMMG64">{{Harvnb|FCGMMG|2003|pp=64 - 66|loc=「スタッフインタビュー INTERVIEW 03 浅田英一」}}</ref> <ref name="FCGMMG68">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=68|loc=「スタッフインタビュー INTERVIEW 05 江口憲一」}}</ref> <ref name="FCGMMG69">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=69|loc=「スタッフインタビュー INTERVIEW 06 鳴海聡」}}</ref> <ref name="平成ゴジラ大全">{{Cite book|和書|others=編著 [[白石雅彦]]、スーパーバイザー [[富山省吾]]|date=2003-01-20<!--奥付表記-->|title=平成ゴジラ大全 1984-1995|publisher=[[双葉社]]|series=双葉社の大全シリーズ<!--表紙そでより-->|page=114|chapter=破之壱 『ゴジラVSビオランテ』|isbn=4-575-29505-1}}</ref> <ref name="映画大全16">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=16-17|loc=文・[[金子修介]]「モスラへの思いを遂げる日」}}</ref> <ref name="映画大全100">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=100-102|loc=文・[[白石雅彦]]<!--綴込み紙にて修正。-->「モスラ操演の歴史」}}</ref> <ref name="映画大全107">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=107-109|loc=文・[[西川伸司]]「モスラ造形・デザインの変遷」}}</ref> <ref name="ALL288">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=288|loc=「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』最珠羅」}}</ref> <ref name="ALL296">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=296-297|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』モスラ」}}</ref> <ref name="ALL304">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=304|loc=「『ゴジラ FINAL WARS』モスラ」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集274">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=274|loc=「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』怪獣図鑑/資料館」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集275">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=275|loc=「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』撮影秘話」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集282">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=282|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集283">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=283|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』撮影秘話」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集286">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=286|loc=「『ゴジラ FINAL WARS』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="C大全159">{{Harvnb|キャラクター大全|2014|pp=159-160|loc=「ミレニアムゴジラ共演怪獣 1999-2004」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣110">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=110-111|loc=「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣114">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=114-115|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣118">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|p=118|loc=「ゴジラ FINAL WARS」}}</ref> <ref name="大辞典8">{{Harvnb|大辞典|2014|pp=283-284|loc=「も モスラ(護国聖獣=第8個体)」}}</ref> <ref name="大辞典9">{{Harvnb|大辞典|2014|p=284|loc=「も モスラ(第9個体)」}}</ref> <ref name="大辞典10/11">{{Harvnb|大辞典|2014|pp=283-284|loc=「も モスラ(第10・第11個体)」}}</ref> <ref name="大辞典12">{{Harvnb|大辞典|2014|p=400|loc=「ゴジラ大辞典 追補篇 も モスラ(第12個体)」}}</ref> <ref name="大辞典395">{{Harvnb|大辞典|2014|p=395|loc=「ゴジラ大辞典 追補篇 ふ ファイヤーモスラ」}}</ref> <ref name="G6084">{{Harvnb|GODZILLA60|2014|p=84|loc=「怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="ゴジラ画集115">{{Harvnb|ゴジラ画集|2016|pp=115-117|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年)」}}</ref> <ref name="ゴジラ画集120">{{Harvnb|ゴジラ画集|2016|p=120|loc=「ゴジラ FINAL WARS(2004年)」}}</ref> <ref name="超常識172">{{Harvnb|超常識|2016|pp=172-174|loc=「ゴジラに挑むヤマトの聖獣たち ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」}}</ref> <ref name="超常識184">{{Harvnb|超常識|2016|pp=184-187|loc=「機龍シリーズ完結編 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」}}</ref> <ref name="超常識188">{{Harvnb|超常識|2016|pp=188-192|loc=「ゴジラが挑む空前の超バトル! ゴジラ FINAL WARS」}}</ref> <ref name="Walker77">{{Harvnb|Walker|2016|p=77|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="Walker79">{{Harvnb|Walker|2016|p=79|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="解体全書93">{{Harvnb|解体全書|2016|p=93|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="解体全書94">{{Harvnb|解体全書|2016|p=94|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="解体全書98">{{Harvnb|解体全書|2016|p=98|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="超解体全書29">{{Harvnb|超解体全書|2023|pp=29-33|loc=「写真で見る歴代モスラデザイン」}}</ref> <ref name="超解体全書93">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=93|loc=「最珠羅、魏怒羅」}}</ref> <ref name="超解体全書94">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=94|loc=「婆羅護吽、モスラ、小美人」}}</ref> <ref name="超解体全書98">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=98|loc=「モスラ、小美人」}}</ref> <ref name="3式機龍CP40">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|pp=40-49|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS シーンメイキング」}}</ref> <ref name="3式機龍CP55">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|p=55|loc=「デザインワークス」}}</ref> <ref name="3式機龍CP58">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|pp=58-59|loc=「キャラクター造形メイキング」}}</ref> <ref name="3式機龍CP68">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|p=68|loc=「「機龍編」2部作 完成までのプロセス」}}</ref> <ref name="3式機龍CP75">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|p=75|loc=「スペシャルインタビュー 手塚昌明」}}</ref> <ref name="3式機龍CP80">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|p=80|loc=「スペシャルインタビュー 浅田英一」}}</ref> <ref name="3式機龍CP137">{{Harvnb|3式機龍コンプリーション|2016|p=137|loc=「【特写】共鳴する生命」}}</ref> <ref name="FWCP18">{{Harvnb|FWコンプリーション|2023|pp=18-31|loc=「シーンメイキング」}}</ref> <ref name="FWCP39">{{Harvnb|FWコンプリーション|2023|p=39|loc=「デザインワークス」}}</ref> <ref name="FWCP81">{{Harvnb|FWコンプリーション|2023|pp=81-85|loc=「50周年の集大成 東宝怪獣オールスター戦!!」}}</ref> <ref name="FWCP147">{{Harvnb|FWコンプリーション|2023|p=147|loc=「〈特写〉祭の追憶」}}</ref> <ref name="若狭205">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=205|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』」}}</ref> <ref name="若狭216">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=216|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』」}}</ref> <ref name="若狭221">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=221|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』」}}</ref> <ref name="若狭225">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=225|loc=「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』」}}</ref> <ref name="若狭250">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=250|loc=「『ゴジラ FINAL WARS』」}}</ref> <ref name="検定121">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=121|loc=「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定129">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=129|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定133">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=133|loc=「ゴジラ FINAL WARS 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="西川64">{{Harvnb|西川伸司|2019|p=64|loc=「File 005 モスラ 2003 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」}}</ref> <ref name="西川65">{{Harvnb|西川伸司|2019|p=65|loc=「File 005 モスラ 2004 ゴジラ FINAL WARS」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑200">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=200-201|loc=「ゴジラの好敵手 続々、登場!! ミレニアム怪獣大決戦!!」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑202">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=202-203|loc=「ゴジラの好敵手 続々、登場!! ミレニアム怪獣大決戦!!」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑204">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=204-205|loc=「ゴジラの好敵手 続々、登場!! ミレニアム怪獣大決戦!!」}}</ref> <ref name="BOMG35">{{Harvnb|バトル・オブ・メカゴジラ|2022|p=35|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」}}</ref> <ref name="BOMG106">{{Harvnb|バトル・オブ・メカゴジラ|2022|pp=106 - 107|loc=「機龍20周年インタビュー 手塚昌明」}}</ref> <ref name="GTOM016">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=16|loc=「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」}}</ref> <ref name="GTOM017">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=17|loc=「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」}}</ref> <ref name="GTOM0710">{{Harvnb|GTOM vol.07|2023|pp=10-11|loc=「海の聖獣 モスラ」}}</ref> <ref name="GTOM107">{{Harvnb|GTOM vol.10|2023|p=7|loc=「巨大蛾怪獣 モスラ(成虫)」}}</ref> <ref name="大解剖図鑑148">{{Harvnb|大解剖図鑑|2023|pp=148-149|loc=「モスラ(最珠羅)」}}</ref> <ref name="大解剖図鑑162">{{Harvnb|大解剖図鑑|2023|pp=162-163|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="宇宙船">{{Cite journal|和書 |date=2003-09-01 |editor=福場昭弘 |id = 雑誌コード 01843-09 |issue= Vol.108 |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |page= 95 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |title= ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS}}</ref> }} === 出典(リンク) === {{Reflist|group="出典"|3}} == 参考文献 == * 東宝SF特撮映画シリーズ([[東宝]]出版事業室) ** {{Cite book|和書|date=2001-12-15|title=ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃|publisher=東宝|series=東宝SF特撮シリーズ SPECIAL EDITION|isbn=4-924609-80-3|ref={{SfnRef|東宝SF特撮シリーズSPECIAL EDITION|2001}}}} ** {{Cite book|和書|title=ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS|date=2004-01-25|publisher=東宝|series=東宝SF特撮映画シリーズ SPECIAL EDITION|isbn=4-924609-84-6|ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2004}}}} ** {{Cite book|和書|title=GODZILLA FINAL WARS|date=2005-01-25|publisher=東宝|series=東宝SF特撮映画シリーズ SPECIAL EDITION|isbn=4-924609-89-7|ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION|2005}}}} * [[てれびくん]]デラックス愛蔵版シリーズ([[小学館]]) ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃[[超全集]]|date=2002-01-10|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=978-4-09-101481-8|ref={{SfnRef|GMK超全集|2002}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS超全集|date=2004-01-01|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=978-4-09-101493-1|ref={{SfnRef|GMMG超全集|2004}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ ファイナルウォーズ超全集|date=2005-01-20|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=4-09-101498-4|ref={{SfnRef|GFW超全集|2005}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃|date=2002-01-10|publisher=[[朝日ソノラマ]]|series=ソノラマMOOK|id=62470-15|ref={{SfnRef|ソノラマMOOK|2002}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS|date=2003-12-30|publisher=朝日ソノラマ|series=[[ファンタスティックコレクション]]|isbn=4-257-03688-5|ref={{SfnRef|FCGMMG|2003}}}} * 洋泉社MOOK([[洋泉社]]) ** {{Cite book|和書|date=2011-08-11|title=別冊映画秘宝 モスラ映画大全|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-86248-761-2|ref={{SfnRef|モスラ映画大全|2011}}}} ** {{Cite book|和書|date=2014-04-27|title=別冊映画秘宝 オール東宝怪獣大図鑑|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-8003-0362-2|ref={{SfnRef|オール東宝怪獣大図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし|title=東宝特撮映画大全集|date=2012-09-28|publisher=[[ヴィレッジブックス]]|isbn=978-4-86491-013-2|ref={{SfnRef|東宝特撮映画大全集|2012}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title=キャラクター大全 ゴジラ 東宝特撮映画全史|publisher=[[講談社]]|date=2014-07-15|isbn=978-4-06-219004-6|ref={{SfnRef|キャラクター大全|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=東宝 協力|title=東宝特撮全怪獣図鑑|publisher=小学館|date=2014-07-28|isbn=978-4-09-682090-2|ref={{SfnRef|東宝特撮全怪獣図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=野村宏平 編著|title=ゴジラ大辞典【新装版】|date=2014-08-07|origdate=2004-12-05|publisher=[[笠倉出版社]]|isbn=978-4-7730-8725-3|ref={{SfnRef|大辞典|2014}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ徹底研究 GODZILLA GODZILLA60:COMPLETE GUIDE|publisher=[[マガジンハウス]]|series=MAGAZINE HOUSE MOOK|date=2014-09-05|isbn=978-4-8387-8944-3|ref={{SfnRef|GODZILLA60|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2016-06-24|author=西川伸司|authorlink=西川伸司|title=西川伸司ゴジラ画集|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-0959-4|ref={{SfnRef|ゴジラ画集|2016}}}} * {{Cite book|和書|others=[協力] 東宝|title=ゴジラの超常識|publisher=[[双葉社]]|date=2016-07-24|origdate=2014-07-06|isbn=978-4-575-31156-3|ref={{SfnRef|超常識|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=シン・ゴジラWalker [怪獣王 新たなる伝説]|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-08-06|isbn=978-4-04-895632-1|ref={{SfnRef|Walker|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ解体全書|publisher=[[宝島社]]|date=2016-08-15|origdate=2014-07-26|series=TJ MOOK|isbn=978-4-8002-5699-7|ref={{SfnRef|解体全書|2016}}}} ** {{Cite book|和書|title=超ゴジラ解体全書|publisher=宝島社|date=2023-11-30|series=TJ MOOK|isbn=978-4-299-04835-6|ref={{SfnRef|超解体全書|2023}}}} * コンプリーションシリーズ([[ホビージャパン]]) ** {{Cite book|和書|date = 2016-12-21<!--奥付表記-->|title =ゴジラ×3式機龍〈メカゴジラ〉コンプリーション|publisher = ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-1353-6|ref = {{SfnRef|3式機龍コンプリーション|2016}}}} ** {{Cite book|和書|date = 2023-04-04<!--奥付表記-->|title =ゴジラ FINAL WARS コンプリーション|publisher = ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-3135-6|ref = {{SfnRef|FWコンプリーション|2023}}}} * {{Cite book|和書|author=若狭新一|authorlink=若狭新一|date=2017-10-21|title=ゴジラの工房 若狭新一造形写真集|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-1343-0|ref=harv}} * {{Cite book|和書|others=監修 東宝株式会社/協力 東宝 ゴジラ戦略会議|title=「ゴジラ検定」公式テキスト|publisher=宝島社|date=2018-11-03|isbn=978-4-8002-8860-8|ref={{SfnRef|ゴジラ検定|2018}}}} * {{Cite book|和書|author=西川伸司|date=2019-02-01|title=西川伸司デザインワークス|publisher=[[玄光社]]|isbn=978-4-7683-1150-9|ref=harv}} * {{Cite book|和書|date=2021-07-02|title=ゴジラ 全怪獣大図鑑|publisher=講談社|series=講談社 ポケット百科シリーズ|isbn=978-4-06-523491-4|ref={{SfnRef|全怪獣大図鑑|2021}}}} * {{Cite book|和書|title=バトル・オブ・メカゴジラ|publisher=双葉社|series=双葉社スーパームック|date=2022-08-18|isbn=978-4-575-45910-4|ref={{SfnRef|バトル・オブ・メカゴジラ|2022}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title =ゴジラ&東宝特撮 OFFICIAL MOOK|publisher = 講談社|series=講談社シリーズMOOK}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.0|volume-title=ゴジラ&東宝特撮作品 総選挙|date = 2022-12-21|isbn = 978-4-06-530223-1|ref = {{SfnRef|GTOM vol.0|2022}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.07|volume-title=ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃|date = 2023-06-26|isbn = 978-4-06-531489-0|ref = {{SfnRef|GTOM vol.07|2023}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.10|volume-title=ゴジラ FINAL WARS|date = 2023-08-10|isbn = 978-4-06-531488-3|ref = {{SfnRef|GTOM vol.10|2023}}}} * {{Cite book|和書|date=2023-08-25|author=西川伸司|title=西川伸司が紐解く怪獣の深淵 ゴジラ大解剖図鑑|publisher=グラフィック社|isbn=978-4-7661-3784-2|ref={{SfnRef|大解剖図鑑|2023}}}} * 映画パンフレット ** {{wikicite|ref={{SfnRef|パンフレットF|2004}}|reference= 『ゴジラ FINAL WARS』パンフレット 2004年12月4日発行 / 発行所:東宝(株)出版・商品事業室}}<!--ページ数表記なし--> {{東宝特撮怪獣}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:もすら みれにあむ}} [[Category:モスラ|*]] [[Category:東宝怪獣]] [[Category:架空の昆虫]]
2023-12-09T00:55:41Z
2023-12-23T10:08:22Z
false
false
false
[ "Template:キャラスペック", "Template:Refnest", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Pathnav", "Template:Infobox character", "Template:R", "Template:Efn", "Template:Notelist", "Template:Wikicite", "Template:東宝特撮怪獣", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9_(%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)
4,864,127
朝日村 (大分県日田郡)
朝日村(あさひむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。 日田盆地の北部、筑後川(三隈川)支流・二串川の中下流域に位置していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "朝日村(あさひむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日田盆地の北部、筑後川(三隈川)支流・二串川の中下流域に位置していた。", "title": "地理" } ]
朝日村(あさひむら)は、大分県日田郡にあった村。現在の日田市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1940年12月11日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = [[日田町]]、[[三芳村 (大分県)|三芳村]]、[[光岡村]]、[[高瀬村 (大分県)|高瀬村]]、'''朝日村'''、[[三花村]]、[[西有田村 (大分県)|西有田村]] → [[日田市]] | 現在の自治体 = 日田市 | よみがな = あさひむら | 自治体名 = 朝日村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[日田郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 1785 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1940年 | 隣接自治体 = 三花村、光岡村、[[夜明村]]、[[大鶴村 (大分県)|大鶴村]] | 所在地 = 日田郡朝日村大字小迫 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''朝日村'''(あさひむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[日田郡]]にあった[[村]]。現在の[[日田市]]の一部にあたる。 == 地理 == [[日田盆地]]の北部、[[筑後川]]([[三隈川]])支流・二串川の中下流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、日田郡小迫村、山田村、二串村が合併して村制施行し、'''朝日村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』79頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』20頁。</ref>。旧村名を継承した小迫、山田、二串の3大字を編成{{R|角川}}。 *[[1940年]](昭和15年)12月11日、日田郡日田町、三芳村、光岡村、高瀬村、三花村、西有田村と合併し、市制施行して'''[[日田市]]'''を新設して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業<ref>「小迫〈日田市〉」『角川日本地名大辞典 44 大分県』222頁。</ref> == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:あさひむら}} [[Category:日田郡]] [[Category:日田市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1940年廃止の日本の市町村]]
2023-12-09T00:55:44Z
2023-12-09T00:55:44Z
false
false
false
[ "Template:日本の町村 (廃止)", "Template:R", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%9D%91_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E6%97%A5%E7%94%B0%E9%83%A1)
4,864,132
神谷明采
神谷 明采(かみや あさ、2000年4月19日 - )は、日本のタレント、会社経営者である。 東京大学で1年生(教養学部文科2類在席)の時にミス東大2020とミスキャンパス2021グランプリに選ばれたのち、古舘プロジェクトに所属し、学業のかたわら、モデルやタレント活動をし、株式会社SASAを起業し代表取締役兼PR担当を務めている。 四姉妹の次女である。 2021年3月、次世代を担うアナウンサーを発掘するコンテスト「第1回学生アナウンス大賞」で、モデルプレス賞受賞した。2022年9月7日、One Young World Manchester 2022に参加し、低糖質スイーツ事業と世界の糖尿病問題について英語でスピーチをした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "神谷 明采(かみや あさ、2000年4月19日 - )は、日本のタレント、会社経営者である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東京大学で1年生(教養学部文科2類在席)の時にミス東大2020とミスキャンパス2021グランプリに選ばれたのち、古舘プロジェクトに所属し、学業のかたわら、モデルやタレント活動をし、株式会社SASAを起業し代表取締役兼PR担当を務めている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "四姉妹の次女である。 2021年3月、次世代を担うアナウンサーを発掘するコンテスト「第1回学生アナウンス大賞」で、モデルプレス賞受賞した。2022年9月7日、One Young World Manchester 2022に参加し、低糖質スイーツ事業と世界の糖尿病問題について英語でスピーチをした。", "title": "来歴・人物" } ]
神谷 明采は、日本のタレント、会社経営者である。 東京大学で1年生(教養学部文科2類在席)の時にミス東大2020とミスキャンパス2021グランプリに選ばれたのち、古舘プロジェクトに所属し、学業のかたわら、モデルやタレント活動をし、株式会社SASAを起業し代表取締役兼PR担当を務めている。
'''神谷 明采'''(かみや あさ、2000年4月19日<ref>{{Cite web |title=MISS OF MISS CAMPUS QUEEN CONTEST 2021 神谷 明采 |url=https://2021.missofmiss.jp/profiles/13 |website=MISS OF MISS CAMPUS QUEEN CONTEST 2023 |access-date=2023-12-09 |language=ja |last=missmrcolle}}</ref> - )は、日本のタレント、会社経営者である。 [[東京大学]]で1年生([[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|教養学部]]文科2類在席)の時にミス東大2020<ref>{{Cite web |title=「ミス東大コンテスト2020」結果発表 グランプリは神谷明采さん - モデルプレス |url=https://mdpr.jp/news/detail/2306873 |website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース |date=2020-11-14 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>と[[Miss of Miss Campus Queen Contest|ミスキャンパス2021グランプリ]]に選ばれた<ref>{{Cite web |title=MISS OF MISS CAMPUS QUEEN CONTEST 2021 supported by リゼクリニック |url=https://missofmiss.jp/ |website=MISS OF MISS CAMPUS QUEEN CONTEST 2021 supported by リゼクリニック |access-date=2023-12-09 |language=ja |last=missmrcolle}}</ref>のち、[[古舘プロジェクト]]に所属し、学業のかたわら、[[ファッションモデル|モデル]]や[[タレント]]活動をし、株式会社SASAを起業し代表取締役兼PR担当を務めている<ref>{{Cite web |title=現役東大生 神谷明采が代表を務める株式会社SASAが数々の賞を受賞している話題のパティシエ向井聡美とコラボレーション 低糖質スイーツ専門ブランド、Cochon Charmant 4月19日(火)誕生! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000099930.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2022-04-19 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=神谷明采 女神の初ビキニ(動画&アザーカット付き) |url=https://friday.gold/gravure/article/192140 |website=FRIDAY(フライデー) |date=2023-12-06 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。{{Infobox 人物|氏名=神谷 明采|ふりがな=かみや あさ|画像={{画像募集中|cat=人物}}|画像サイズ=<!-- 250px -->|画像説明=|生年月日={{生年月日と年齢|2000|4|19}}|生誕地=[[埼玉県]]<ref name="officialprof">[[#外部リンク]]節掲載の「公式プロフィール」参照。</ref>|出生名=|国籍={{JPN}}|出身校=[[東京大学]]経済学部経済学科<ref name="office">[https://furutachi-project.co.jp/profile/kamiya-asa/ ]</ref>|職業=株式会社SASA代表取締役 タレント|事務所=[[古舘プロジェクト]]<ref name="office">|身長=161cm<ref>[https://misscolle.com/tokyo2020/profile/1 ミス東大コンテスト2020 supported by リゼクリニック 神谷明采]</ref>}} == 来歴・人物 == {{節スタブ|date=2023年12月9日 (土) 00:59 (UTC)}} 四姉妹の次女である<ref>{{Cite web |title=ミス東大・神谷明采、水着姿の“美人4姉妹ショット”公開「そっくり」「スタイル抜群」と反響 - モデルプレス |url=https://mdpr.jp/news/detail/4002908 |website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース |date=2023-03-02 |access-date=2023-12-17 |language=ja}}</ref>。 2021年3月、次世代を担うアナウンサーを発掘するコンテスト「第1回学生アナウンス大賞」で、[[モデルプレス|モデルプレス賞]]受賞した<ref>{{Cite web |title=「ミス東大」神谷明采さん、1年でメディア露出急増 ミスコン・学生アナウンス大賞…激動の日々乗り越えた陰の努力 - モデルプレス |url=https://mdpr.jp/interview/detail/2512576 |website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース |date=2021-03-02 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。2022年9月7日、[https://www.oneyoungworld.com/summit-2022/agenda One Young World Manchester 2022]に参加し<ref>{{Cite web |url=https://www.oneyoungworld.com/sites/default/files/2022-09/Interactive%20Stage%20Agenda.pdf |title=Young leaders, welcome to The One Young World Summit 2022 |access-date=2023-12-09 |quote=How to Take Actions through the One Young World Summit How can we participate effectively implement the skills, knowledge and relationships gained during the OYW One Young World Summit to discuss social issues and to take action post event? The original purpose of the Summit is to take action through the Summit, but it often ends up being a one-time event. In this session hosted by Yosuke Tamura, One Young World Japan Coordinating Ambassador, hear more about his years of Summit participation and the evolution of The Guter Bergs Project, the future opportunities available to Delegates through the One Young World platform, and the steps every Delegate can take to maintain relationships, build partnerships, and leverage their networks for generating long lasting impactful change after the Summit. Featured Speakers: • Asa Kamiya - Faculty of Economics, University of Tokyo, and Founder of SASA}}</ref>、低糖質スイーツ事業と世界の糖尿病問題について英語でスピーチをした<ref>{{Cite web |title=「虫も食べますよ!」史上最も美しい東大生・神谷明采が明かす「 芸能界でも一番になりたい!!」 |url=https://friday.kodansha.co.jp/article/337798 |website=FRIDAYデジタル |date=2023-10-25 |access-date=2023-12-09 |quote=「グローバルに活躍したくて、去年はイギリスで行われた『One Young World』という国際会議で、英語でのスピーチを行いました。当時ちょうど1型糖尿病に苦しむ妹のために低糖質スイーツの会社を起業した直後だったので、その事業内容や世界の糖尿病問題について、196ヵ国から訪れた約2200人の人々に語りかけました。}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://furutachi-project.co.jp/profile/kamiya-asa/ |title=神谷 明采 {{!}} KAMIYA Asa {{!}} 古舘プロジェクト |access-date=2023-12-09}}</ref>。 == 出演 == === TV番組 === * [[呼び出し先生タナカ]] - 東大・早稲田・慶應・上智優等生が大集合!静電気実験 ([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2023年11月27日)<ref>{{Cite web |title=「呼び出し先生タナカ」の現役東大生が「美しい」とネット騒然!来年から大学院「かわいさダントツ1位」 |url=https://hochi.news/articles/20231128-OHT1T51031.html |website=スポーツ報知 |date=2023-11-28 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> === CM === * [[全薬工業]] Arouge (アルージェ)「うるおう世界」篇 (2021年9月1日 - ) <ref>{{Citation|title=神谷明采 全薬工業 Arouge (アルージェ)「うるおう世界」篇 TVCM|url=https://www.youtube.com/watch?v=dzqV5kUY_m8|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite web |title=― 製薬会社発、敏感肌用スキンケアブランド ―「アルージェ」20周年記念 敏感肌のための機能性保湿「アルージェのバリア保湿」を表現した新TVCM 9月1日公開 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000029377.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2021-09-01 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref> == 掲載・連載 == * itSnap - ミスオブミス2021グランプリ 東大女子の愛され キュートなコーデが必見♡ (2021年5月6日)<ref>{{Cite web |title=ファッションメディア「itSnap」で神谷明采サンのコーデをチェック♪ |url=https://itsnap.jp/girl/7553 |website=itSnap |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> * [[FRIDAY (雑誌)|週刊FRIDAY]] - 神谷明采 女神の初ビキニ(2023年12月22日号)<ref name=":0" /> == 出典 == <references /> == 外部リンク == * {{Instagram|asa_kamiya|神谷 明采}} * {{Twitter|AsaKamiya}} * {{YouTube|title=神谷明采の「あさちゃんねる」|link=https://www.youtube.com/@KamiyaAsaChannel}} * [https://cancam.jp/archives/category/itgirl/asakamiya 神谷明采 Asa Kamiya] - [[CanCam|CanCam.jp]] * [https://furutachi-project.co.jp/profile/kamiya-asa/ 神谷 明采 | KAMIYA Asa] 古舘プロジェクト {{People-stub}} {{デフォルトソート:かみや あさ}} [[Category:2000年生]] [[Category:日本の起業家]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:日本の女性タレント]] [[Category:21世紀日本の女性実業家]] [[Category:存命人物]] [[Category:東京大学の人物]]
2023-12-09T00:59:43Z
2023-12-26T02:52:40Z
false
false
false
[ "Template:Instagram", "Template:Twitter", "Template:YouTube", "Template:People-stub", "Template:Infobox 人物", "Template:節スタブ", "Template:Cite web", "Template:Citation" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E6%98%8E%E9%87%87
4,864,141
第40独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)
第40独立親衛海軍歩兵旅団(だい40どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、ロシア語: 40-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты)は、ロシア海軍の旅団。太平洋艦隊隷下。 1918年9月22日、ロシア内戦の影響に伴い、赤軍(現ソ連地上軍)の第2ニコラエフ狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された。ロシア内戦中は、ニコラエフ狙撃師団、第30狙撃師団、第22狙撃師団と改称され、白軍に勝利し、赤旗勲章、名誉称号「クラスノダール」を授与された。 1938年7月、張鼓峰事件に投入され、日本軍と交戦したが2週間ほどで停戦した。 1945年8月、ソ連対日参戦に投入され、関東軍を壊滅してシベリア送りにし、名誉称号「ハルビン」を授与された。 1957年5月、機械化に伴い、第22自動車化狙撃師団に改編された。 1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊とロシア連邦の独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入した。 2002年1月、部隊縮小に伴い、第40独立自動車化狙撃旅団に改編された。 2007年8月、ロシア海軍に編入し、太平洋艦隊隷下に配属され、第40独立海軍歩兵旅団に改編された。 2009年12月、部隊縮小に伴い、第3独立海軍歩兵連隊に改編され、2013年に部隊増強に伴い、第40独立海軍歩兵旅団に改編された。 2022年2月25日から、ロシアのウクライナ侵攻では、北部キーウ州ブチャ地区で攻勢を開始し、ホストメリで撃退された。 2022年3月中旬、東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区に再配置され、ワグネル・グループと合同で攻勢を開始し、5月上旬にポパスナを占領した。 2022年10月上旬、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置され、第155独立親衛海軍歩兵旅団と合同で攻勢を開始し、パウリウカ(ヴフレダール・フロマーダ)を占領したが、大損害を出してヴフレダールで撃退された。2023年6月上旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、ウロジャイネ(ヴェリカ・ノヴォシルカ・フロマーダ)を解放されてノヴォドネツケ(スタロムリニウカ・フロマーダ)で防御している。 2023年7月20日、ウラジーミル・プーチン大統領から、名誉称号「親衛隊」を授与された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第40独立親衛海軍歩兵旅団(だい40どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、ロシア語: 40-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты)は、ロシア海軍の旅団。太平洋艦隊隷下。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1918年9月22日、ロシア内戦の影響に伴い、赤軍(現ソ連地上軍)の第2ニコラエフ狙撃師団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された。ロシア内戦中は、ニコラエフ狙撃師団、第30狙撃師団、第22狙撃師団と改称され、白軍に勝利し、赤旗勲章、名誉称号「クラスノダール」を授与された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1938年7月、張鼓峰事件に投入され、日本軍と交戦したが2週間ほどで停戦した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1945年8月、ソ連対日参戦に投入され、関東軍を壊滅してシベリア送りにし、名誉称号「ハルビン」を授与された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1957年5月、機械化に伴い、第22自動車化狙撃師団に改編された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊とロシア連邦の独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2002年1月、部隊縮小に伴い、第40独立自動車化狙撃旅団に改編された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2007年8月、ロシア海軍に編入し、太平洋艦隊隷下に配属され、第40独立海軍歩兵旅団に改編された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2009年12月、部隊縮小に伴い、第3独立海軍歩兵連隊に改編され、2013年に部隊増強に伴い、第40独立海軍歩兵旅団に改編された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2022年2月25日から、ロシアのウクライナ侵攻では、北部キーウ州ブチャ地区で攻勢を開始し、ホストメリで撃退された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2022年3月中旬、東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区に再配置され、ワグネル・グループと合同で攻勢を開始し、5月上旬にポパスナを占領した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2022年10月上旬、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置され、第155独立親衛海軍歩兵旅団と合同で攻勢を開始し、パウリウカ(ヴフレダール・フロマーダ)を占領したが、大損害を出してヴフレダールで撃退された。2023年6月上旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、ウロジャイネ(ヴェリカ・ノヴォシルカ・フロマーダ)を解放されてノヴォドネツケ(スタロムリニウカ・フロマーダ)で防御している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2023年7月20日、ウラジーミル・プーチン大統領から、名誉称号「親衛隊」を授与された。", "title": "概要" } ]
第40独立親衛海軍歩兵旅団は、ロシア海軍の旅団。太平洋艦隊隷下。
{{軍隊資料 |名称 = 第40独立親衛海軍歩兵旅団 |画像 = [[ファイル:Sleeve_patch_of_the_40th_Naval_Infantry_Brigade.svg|150px]] |画像説明 = |創設 = 1918年9月22日 |廃止 = |再編成 = |再廃止 = |国籍 = {{RSFSR}}<br />→{{SSR}}<br />→{{RUS}} |所属 = {{flagicon image|Naval ensign of Russia.svg}} [[ロシア海軍]] |規模 = [[旅団]] |兵科 = [[ロシア海軍歩兵|海軍歩兵]] |兵種 = [[水陸両用作戦]] |人員 = 3,000人<ref name="FO">[https://forbesjapan.com/articles/detail/52166 「反撃の反撃」も失敗、ウクライナ東部の村がロシア軍を焼き尽くす溶鉱炉に] フォーブス・ジャパン</ref> |所在地 = [[カムチャツカ地方]][[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]] |編成地 = |通称号 = |愛称 = [[クラスノダール]]<br>[[ハルビン市|ハルビン]] |標語 = |上級部隊 = [[太平洋艦隊]] |最終上級部隊 = |担当地域 = [[カムチャツカ地方]] |最終位置 = |主な戦歴 = [[ロシア内戦]]<br />[[張鼓峰事件]]<br />[[第二次世界大戦]]<br />[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]] |司令官 = ドミトリー・ペトゥフ[[大佐]] }} '''第40独立親衛海軍歩兵旅団'''(だい40どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、{{Lang-ru|'''40-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты'''}})は、[[ロシア海軍]]の[[旅団]]。[[太平洋艦隊]]隷下。 == 概要 == === ロシア内戦 === 1918年9月22日、[[ロシア内戦]]の影響に伴い、[[赤軍]](現[[ソ連地上軍]])の'''第2ニコラエフ狙撃師団'''として[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]](現[[ロシア]])で創設された。ロシア内戦中は、'''ニコラエフ狙撃師団'''、'''第30狙撃師団'''、'''第22狙撃師団'''と改称され、[[白軍]]に勝利し、[[赤旗勲章]]、名誉称号「[[クラスノダール]]」を授与された<ref name="VU">[http://samsv.narod.ru/Div/Sd/sd022/main.html 第22狙撃師団] ヴォロネジ州立大学公式サイト</ref>。 1938年7月、[[張鼓峰事件]]に投入され、[[日本軍]]と交戦したが2週間ほどで停戦した<ref name="VU"/>。 === 第二次世界大戦 === {{seealso|ソビエト連邦による満洲侵攻||ソ連対日参戦|シベリア抑留}} 1945年8月、[[ソ連対日参戦]]に投入され、[[関東軍]]を壊滅して[[シベリア]]送りにし、名誉称号「[[ハルビン市|ハルビン]]」を授与された<ref name="VU"/>。 === 冷戦 === 1957年5月、[[機械化]]に伴い、'''第22自動車化狙撃師団'''に改編された<ref name="TL">[https://www.ww2.dk/new/army/msd/22msd.htm 第22自動車化狙撃師団] The Luftwaffe, 1933-45</ref>。 === ロシア陸軍 === 1992年12月26日、[[ソビエト連邦の崩壊]]と[[ロシア連邦]]の独立に伴い、創設された[[ロシア陸軍]]に編入した。 2002年1月、部隊縮小に伴い、'''第40独立自動車化狙撃旅団'''に改編された<ref name="TL"/>。 === ロシア海軍 === 2007年8月、[[ロシア海軍]]に編入し、[[太平洋艦隊]]隷下に配属され、'''第40独立海軍歩兵旅団'''に改編された<ref name="TL"/><ref name="DPR">[https://www.donetsk.kp.ru/daily/27535.5/4801125/ Камчатские морпехи получили звание гвардейцев Читайте на] ドネツク人民共和国公式サイト</ref>。 2009年12月、部隊縮小に伴い、'''第3独立海軍歩兵連隊'''に改編され、2013年に部隊増強に伴い、'''第40独立海軍歩兵旅団'''に改編された。 === ロシアのウクライナ侵攻 === ==== 北部・キーウ戦線 ==== {{seealso|キーウ攻勢 (2022年)|ホストメリの戦い}} 2022年2月25日から、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]では、北部[[キーウ州]][[ブチャ地区]]で攻勢を開始し、[[ホストメリ]]で撃退された<ref name="DPR"/>。 ==== 東部・セベロドネツク戦線 ==== {{seealso|ウクライナ東部攻勢|ポパスナの戦い}} 2022年3月中旬、東部[[ルハーンシク州]][[セヴェロドネツィク地区]]に再配置され、[[ワグネル・グループ]]と合同で攻勢を開始し、5月上旬に[[ポパスナ]]を占領した<ref name="DPR"/>。 ==== 東部・南ドネツク戦線 ==== {{seealso|ヴフレダールの戦い|パウリウカの戦い|2023年ウクライナの反転攻勢}} 2022年10月上旬、東部[[ドネツィク州]][[ヴォルノヴァーハ]]地区に再配置され、[[第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)|第155独立親衛海軍歩兵旅団]]と合同で攻勢を開始し<ref name="FO"/><ref name="DPR"/>、パウリウカ(ヴフレダール・フロマーダ)を占領したが、大損害を出してヴフレダールで撃退された<ref>[https://www.mod.go.jp/j/approach/exchange/ukcommon/pdf/ukraine_map_0224a.pdf ロシアによるウクライナ侵略の状況] 防衛省</ref>。2023年6月上旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、ウロジャイネ(ヴェリカ・ノヴォシルカ・フロマーダ)を解放されてノヴォドネツケ(スタロムリニウカ・フロマーダ)で防御している<ref>[https://cdsdailybrief.substack.com/p/russias-war-on-ukraine-daily-snapshot-888 Russia's war on Ukraine. Daily Snapshot. 16.06.2023] 防衛戦略センター</ref><ref>[https://jp.reuters.com/world/us/4M5B4MWYEVKM3CV53ZXBX3NEEI-2023-08-16/ ウクライナ、南東部で集落奪還 北東部の戦況厳しさ増す] ロイター</ref>。 2023年7月20日、[[ウラジーミル・プーチン]]大統領から、名誉称号「[[親衛隊 (ソ連・独立国家共同体)|親衛隊]]」を授与された<ref name="DPR"/>。 == 編制 == * 旅団司令部([[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]]) * 第211独立海軍歩兵大隊 * 第26独立空中強襲大隊 * 独立自走砲大隊 * 対空ミサイル大隊 * 偵察大隊 * 補給大隊 * 戦車中隊 * 狙撃中隊 * ロケット砲中隊 * 対戦車中隊 * 火力支援中隊 * 工兵中隊 * 電子戦中隊 * 整備中隊 * 通信中隊 * 衛生中隊 * 揚陸艦中隊 * 化学防護小隊 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:040とくりつしんえいかいくんほへいりよたん}} [[Category:ロシア海軍の旅団|ほへいりよたん040]] [[Category:ソビエト連邦の部隊と編成]] [[Category:赤旗勲章受章者]] [[Category:カムチャツカ地方]]
2023-12-09T01:12:13Z
2023-12-11T11:50:31Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:軍隊資料", "Template:Lang-ru", "Template:Seealso" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC40%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%A6%AA%E8%A1%9B%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%AD%A9%E5%85%B5%E6%97%85%E5%9B%A3_(%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%B5%B7%E8%BB%8D)
4,864,145
長町 (宮城県)
長町(ながまち)は、宮城県仙台市太白区にある地名である。江戸時代に奥州街道の宿場町である長町宿(ながまちじゅく)として始まり、数度にわたる合併や町村名変更を経て昭和始めに仙台市に編入され、仙台南部における交通の要衝、流通の中心地の一つとして発達した。 現在は町名として長町、長町南、あすと長町があり、また鉄道駅として長町駅、長町南駅、長町一丁目駅がある。長町南駅の近傍に太白区役所がある。 関ヶ原の戦いで世の大勢が決した後、徳川家康は徳川家による統治をより強固なものとするために、日本各地の街道と宿駅制度の拡充を求めた。これを受けて、仙台藩領内でも街道と宿場の整備が行われた。五街道の一つである奥州街道では段階的に宿場が整備、建設され、1612年に平岡村と根岸村に跨る形で一つの宿場町が設置された。これが長町宿である。長町宿は仙台城下から数えて一つ目の宿場だった。長町宿の設営には仙台城の普請奉行だった金森隠岐ならびに津田豊前景康が携わり、街道沿いに86軒の町屋敷が作られた。奥州街道の他に、長町宿から西へ延びる二つの街道もあり、総じて長町宿の伝馬役の負担は大きなもので、それに耐えかねて潰れる家もあったという。1623年に記された連署申上状に、長町宿は今や35軒で伝馬役を負担している、という訴えが残っている。 江戸時代の長町は、仙台城やその城下町で使われる木材の集積地の一つでもあった。それらの木材は、広瀬川の支流である大倉川および新川川周囲の藩有林、また名取川上流周辺の藩有林から切り出されたもので、川の流れを利用して下流へと流された。広瀬川に流された木材は角五郎木場に、名取川に流されたものは長町木場に集められ、そこから城下へ流通して、薪などに使われた。長町木場では毎年45万本から60万本の流木(ながしぎ)が取り扱われたという。 1868年に戊辰戦争が起こると、仙台藩は主要街道警備のために、原町、七北田、半子町、茶屋町と共に、長町にも警衛の兵を置き、新政府軍に備えた。 1874年(明治7年)に根岸村と平岡村が合併し、長町村が成立する。1878年(明治11年)10月21日に名取郡が発足し、郡役所が長町村に設置された。 1888年(明治21年)に市制と町村制が公布され、翌1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、長町村と郡山村が合併、同時に仙台区の一部だった宮沢を編入し、茂ヶ崎村(もがさきむら)として発足した。茂ヶ崎は長町から北西方向にある大年寺山の別称であり、茂ヶ崎の地名は現在も残っている。 1887年に日本鉄道が現在の東北本線を塩竈まで開通させたが、この当時は長町に駅は置かれなかった。1894年に日清戦争が起こると、仙台にあった陸軍第2師団が軍用の停車場を長町に設置させ、兵員がここから万歳の歓呼のもと戦地へ向けて出征した。1896年に一般駅として長町駅が開業する。1904年に日露戦争が勃発すると、再び長町駅から兵員が送り出された。 1892年、長町に青果市場が設置された。この頃、仙台の周辺で収穫された農産物や水産物は、長町、河原町、原町、堤町、北山、八幡町のいずれかを経由し、そこから小売商人によって仙台市内に流通した。その他に、長町には米穀店や薪炭店が多く集まっていた。後の1923年に中央卸売市場法が成立すると、長町市場はこれの認可を受けることができなかったものの、産業組合法をもって青果市場の機能を維持した。 鉄道駅と市場の設置によって、茂ヶ崎村は交通と物流の要衝として発達した。 1915年(大正4年)2月1日に茂ヶ崎村は町制施行・改称し長町となり、1928年(昭和3年)4月1日に宮城郡原町と共に仙台市に編入された。この時点での長町の人口は約1万人で、町制施行・改称当時から約5割増えていた。仙台市が長町と原町を編入合併する構想は1918年(大正7年)からあり、また長町の住人も合併を望んでいた。しかし、当時は郡制が施行されていて、長町には名取郡の郡役所が、原町には宮城郡の郡役所が存在した。名取郡役所の立場として、郡の中心である長町と仙台市との合併は認めがたく、長町編入の構想は進まなかった。原町も同様である。郡制は1923年(大正12年)に廃止され、郡役所の監督がなくなった。これによって合併の交渉が進んだのだった。 この間、1914年に長町と秋保を結ぶ秋保軌道が開通し、1925年には国鉄長町駅に貨車操車場が設置された。また、1936年には路面電車である仙台市電の長町線が開通し、長町はその終着点となった。 太平洋戦争中の1945年7月10日の仙台空襲では、長町はアメリカ軍の爆撃目標の中心点から遠かったが被災した。 大正時代に設置された長町駅の貨車操車場はその後も段階的に拡張が行われていたが、1950年からこれの大規模な改良が行われた。この改良工事は1955年に完成し、長町駅は1日に2400両の貨車を取り扱える規模の操車場となった。1959年の繁忙期に1日で2963両を取り扱ったという記録が残っている。一方、業績の低迷と設備の老朽化から、秋保電気鉄道が1961年に廃止された。 1960年、宮城野原旧練兵場跡に仙台中央卸売市場が開設された。これの青果部門は、青物卸売業者の収容折衝に紆余曲折があり、1961年に業務を開始した。長町市場は2年間の期限付きで仙台中央卸売市場の分場として残され、1963年に閉鎖された。 1976年、モータリゼーションの発達に伴う交通渋滞や収支赤字の問題から、長町線を含めて仙台市電全線が廃止された。また、この頃になると、社会情勢の変化から日本の鉄道貨物の輸送量は減少傾向にあった。1984年のダイヤ改正で、国鉄は操車場での貨車中継方式を完全に廃止し、コンテナ列車を主体とする直行輸送へ舵を切った。これによって長町操車場もその機能を停止し、機関車の車両基地である長町機関区が残った。長町機関区も後に移転し、長町操車場跡地はあすと長町として再開発されることになる。 1987年、仙台市地下鉄南北線が開通し、東北本線と接続する長町駅の他に、長町南駅と長町一丁目駅が設けられた。長町南駅周辺はもともと水田地帯だったが、地下鉄開業を見越して1980年代から宅地開発が行われ、また1989年の仙台市の政令指定都市移行に先立ち、区役所の建設が行われた。1990年代になるとショッピングモールであるザ・モール仙台長町が近傍に進出した。 この当時、石井亨が仙台市長を務めていた。石井は機能分散型の都市構造を模索し、仙台市の東西南北にそれぞれの副都心構想を描いた。北は泉中央副都心、西は愛子副都心、東は東部副都心、南は長町副都心が設定され、それぞれを再開発し、商業、生活、文化施設を計画的に設置して、土地利用の高度化を図ろうとした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "長町(ながまち)は、宮城県仙台市太白区にある地名である。江戸時代に奥州街道の宿場町である長町宿(ながまちじゅく)として始まり、数度にわたる合併や町村名変更を経て昭和始めに仙台市に編入され、仙台南部における交通の要衝、流通の中心地の一つとして発達した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "現在は町名として長町、長町南、あすと長町があり、また鉄道駅として長町駅、長町南駅、長町一丁目駅がある。長町南駅の近傍に太白区役所がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "関ヶ原の戦いで世の大勢が決した後、徳川家康は徳川家による統治をより強固なものとするために、日本各地の街道と宿駅制度の拡充を求めた。これを受けて、仙台藩領内でも街道と宿場の整備が行われた。五街道の一つである奥州街道では段階的に宿場が整備、建設され、1612年に平岡村と根岸村に跨る形で一つの宿場町が設置された。これが長町宿である。長町宿は仙台城下から数えて一つ目の宿場だった。長町宿の設営には仙台城の普請奉行だった金森隠岐ならびに津田豊前景康が携わり、街道沿いに86軒の町屋敷が作られた。奥州街道の他に、長町宿から西へ延びる二つの街道もあり、総じて長町宿の伝馬役の負担は大きなもので、それに耐えかねて潰れる家もあったという。1623年に記された連署申上状に、長町宿は今や35軒で伝馬役を負担している、という訴えが残っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "江戸時代の長町は、仙台城やその城下町で使われる木材の集積地の一つでもあった。それらの木材は、広瀬川の支流である大倉川および新川川周囲の藩有林、また名取川上流周辺の藩有林から切り出されたもので、川の流れを利用して下流へと流された。広瀬川に流された木材は角五郎木場に、名取川に流されたものは長町木場に集められ、そこから城下へ流通して、薪などに使われた。長町木場では毎年45万本から60万本の流木(ながしぎ)が取り扱われたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1868年に戊辰戦争が起こると、仙台藩は主要街道警備のために、原町、七北田、半子町、茶屋町と共に、長町にも警衛の兵を置き、新政府軍に備えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1874年(明治7年)に根岸村と平岡村が合併し、長町村が成立する。1878年(明治11年)10月21日に名取郡が発足し、郡役所が長町村に設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1888年(明治21年)に市制と町村制が公布され、翌1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、長町村と郡山村が合併、同時に仙台区の一部だった宮沢を編入し、茂ヶ崎村(もがさきむら)として発足した。茂ヶ崎は長町から北西方向にある大年寺山の別称であり、茂ヶ崎の地名は現在も残っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1887年に日本鉄道が現在の東北本線を塩竈まで開通させたが、この当時は長町に駅は置かれなかった。1894年に日清戦争が起こると、仙台にあった陸軍第2師団が軍用の停車場を長町に設置させ、兵員がここから万歳の歓呼のもと戦地へ向けて出征した。1896年に一般駅として長町駅が開業する。1904年に日露戦争が勃発すると、再び長町駅から兵員が送り出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1892年、長町に青果市場が設置された。この頃、仙台の周辺で収穫された農産物や水産物は、長町、河原町、原町、堤町、北山、八幡町のいずれかを経由し、そこから小売商人によって仙台市内に流通した。その他に、長町には米穀店や薪炭店が多く集まっていた。後の1923年に中央卸売市場法が成立すると、長町市場はこれの認可を受けることができなかったものの、産業組合法をもって青果市場の機能を維持した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "鉄道駅と市場の設置によって、茂ヶ崎村は交通と物流の要衝として発達した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1915年(大正4年)2月1日に茂ヶ崎村は町制施行・改称し長町となり、1928年(昭和3年)4月1日に宮城郡原町と共に仙台市に編入された。この時点での長町の人口は約1万人で、町制施行・改称当時から約5割増えていた。仙台市が長町と原町を編入合併する構想は1918年(大正7年)からあり、また長町の住人も合併を望んでいた。しかし、当時は郡制が施行されていて、長町には名取郡の郡役所が、原町には宮城郡の郡役所が存在した。名取郡役所の立場として、郡の中心である長町と仙台市との合併は認めがたく、長町編入の構想は進まなかった。原町も同様である。郡制は1923年(大正12年)に廃止され、郡役所の監督がなくなった。これによって合併の交渉が進んだのだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "この間、1914年に長町と秋保を結ぶ秋保軌道が開通し、1925年には国鉄長町駅に貨車操車場が設置された。また、1936年には路面電車である仙台市電の長町線が開通し、長町はその終着点となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "太平洋戦争中の1945年7月10日の仙台空襲では、長町はアメリカ軍の爆撃目標の中心点から遠かったが被災した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "大正時代に設置された長町駅の貨車操車場はその後も段階的に拡張が行われていたが、1950年からこれの大規模な改良が行われた。この改良工事は1955年に完成し、長町駅は1日に2400両の貨車を取り扱える規模の操車場となった。1959年の繁忙期に1日で2963両を取り扱ったという記録が残っている。一方、業績の低迷と設備の老朽化から、秋保電気鉄道が1961年に廃止された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1960年、宮城野原旧練兵場跡に仙台中央卸売市場が開設された。これの青果部門は、青物卸売業者の収容折衝に紆余曲折があり、1961年に業務を開始した。長町市場は2年間の期限付きで仙台中央卸売市場の分場として残され、1963年に閉鎖された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1976年、モータリゼーションの発達に伴う交通渋滞や収支赤字の問題から、長町線を含めて仙台市電全線が廃止された。また、この頃になると、社会情勢の変化から日本の鉄道貨物の輸送量は減少傾向にあった。1984年のダイヤ改正で、国鉄は操車場での貨車中継方式を完全に廃止し、コンテナ列車を主体とする直行輸送へ舵を切った。これによって長町操車場もその機能を停止し、機関車の車両基地である長町機関区が残った。長町機関区も後に移転し、長町操車場跡地はあすと長町として再開発されることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1987年、仙台市地下鉄南北線が開通し、東北本線と接続する長町駅の他に、長町南駅と長町一丁目駅が設けられた。長町南駅周辺はもともと水田地帯だったが、地下鉄開業を見越して1980年代から宅地開発が行われ、また1989年の仙台市の政令指定都市移行に先立ち、区役所の建設が行われた。1990年代になるとショッピングモールであるザ・モール仙台長町が近傍に進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "この当時、石井亨が仙台市長を務めていた。石井は機能分散型の都市構造を模索し、仙台市の東西南北にそれぞれの副都心構想を描いた。北は泉中央副都心、西は愛子副都心、東は東部副都心、南は長町副都心が設定され、それぞれを再開発し、商業、生活、文化施設を計画的に設置して、土地利用の高度化を図ろうとした。", "title": "歴史" } ]
長町(ながまち)は、宮城県仙台市太白区にある地名である。江戸時代に奥州街道の宿場町である長町宿(ながまちじゅく)として始まり、数度にわたる合併や町村名変更を経て昭和始めに仙台市に編入され、仙台南部における交通の要衝、流通の中心地の一つとして発達した。 現在は町名として長町、長町南、あすと長町があり、また鉄道駅として長町駅、長町南駅、長町一丁目駅がある。長町南駅の近傍に太白区役所がある。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1928年4月1日 | 廃止理由 = 編入合併 | 廃止詳細 = '''長町'''、[[原町 (宮城県)|原町]] → '''[[仙台市]]''' | 現在の自治体 = [[仙台市]] | よみがな = ながまち | 自治体名 = 長町 | 区分 = 町 | 都道府県 = 宮城県 | 郡 = [[名取郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 6756 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1920年10月1日 | 隣接自治体 = [[名取郡]]:[[西多賀村]]、[[中田村 (宮城県)|中田村]]、[[六郷村 (宮城県)|六郷村]]<br />[[宮城郡]]:[[七北田村]]、[[七郷村 (宮城県)|七郷村]]<br />[[仙台市]] | 木 = | 花 = | シンボル名 = その他のシンボル | 鳥など = | 所在地 = 名取郡長町 |座標 = {{Coord|38|13|27.8|N|140|52|38.0|E|type:city(6756)_region:JP-04|display=inline|name=長町}} | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''長町'''(ながまち)は、[[宮城県]][[名取郡]]にあった[[町]]。現在の[[仙台市]][[太白区]]・[[青葉区]]の一部にあたる。 == 地理 == [[名取郡]]の北端、[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]の南側に位置していた。かつての[[奥州街道]]の67番目の宿場である長町宿があった。 仙台市に編入される直前の長町の人口は約1万人で、町制施行時から約5割ほど増えていた<ref name="sisi7">『仙台市史』通史編7(近代2)291頁。</ref>。仙台市が長町と[[原町 (仙台市)|原町]]を編入合併する構想は[[1918年]](大正7年)からあったものの、名取郡役所が長町に設置されていたため、長町編入の構想は進まなかった。原町も同様である。郡制は1923年(大正12年)に廃止され、郡役所の監督がなくなった。これによって合併の交渉が進んだのだった<ref>『仙台市史』通史編7(近代2)25-26頁。</ref>。 * 河川:[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]] * 丘陵:[[八木山 (仙台市)|八木山]]・[[大年寺山]] == 沿革 == *[[1874年]]([[明治]]7年)- 根岸村及び平岡村が合併し、'''長町村'''が発足する。根岸村は北長町、平岡村は南長町と呼ばれていた<ref name=":0">{{harvnb|菊地勝之助|1970|p=164}}</ref>。 *[[1878年]](明治11年)[[10月21日]] - 行政区画として[[名取郡]]が発足し、[[郡制|郡役所]]が長町村に設置。 *[[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、[[長町 (仙台市)|長町村]]・郡山村が合併して'''茂ヶ崎村'''が発足。村名の由来は[[大年寺山]]の別名である茂ヶ崎山から取られている<ref name=":0" />。 *[[1915年]]([[大正]]4年)[[2月1日]] - 茂ヶ崎村が町制施行・改称して'''長町'''となる。 *[[1928年]]([[昭和]]3年)[[4月1日]] - [[宮城郡]][[原町 (宮城県)|原町]]と共に[[仙台市]]に編入される。 == 行政 == * 歴代茂ヶ崎村長 {| class="wikitable" !代 !氏名 !就任 !退任 !備考 |- |1 |大竹左右助 |明治22年(1889年)4月1日 | | |- |2 |小倉義助 |明治22年(1889年)12月6日 | | |- |3 |児玉実行 |明治31年(1898年)8月15日 | | |- |4 |熊田権五郎 |明治33年(1900年)2月17日 | | |- |5 |横浜慶昌 |明治37年(1904年)8月 | | |- |6 |高橋十平 |明治37年(1904年)12月29日 | | |- |7 |下田政 |明治39年(1906年)8月25日 | | |- |8 |斎藤順三郎 |明治43年(1910年)9月28日 |大正4年(1915年)1月31日 | |} * 歴代長町町長 {| class="wikitable" !代 !氏名 !就任 !退任 !備考 |- |1 |斎藤順三郎 |大正4年(1915年)2月1日 | |村長より留任 |- |2 |佐藤運七郎 |大正9年(1920年)4月2日 | | |- |3 |鳥海彦太郎 |大正10年(1921年)2月17日 |昭和3年(1928年)3月31日 | |} == 交通 == *[[鉄道省]] [[東北本線]]:[[長町駅]] *[[秋保電気軌道]]:長町駅 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 平成『仙台市史』資料編8〔近代現代4〕別冊資料(宮城県仙台市、2006) * {{Cite book|和書 |title=宮城県地名考 |date=1970年 |year=1970 |publisher=宝文堂 |doi=10.11501/9569219 |ref={{SfnRef|菊地勝之助|1970}} |author=菊地勝之助}} == 関連項目 == * [[宮城県の廃止市町村一覧]] * [[長町 (曖昧さ回避)]] {{DEFAULTSORT:なかまち}} [[Category:仙台市域の廃止市町村]] [[Category:太白区の歴史]] [[Category:仙台市青葉区の歴史]] [[Category:名取郡]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1928年廃止の日本の市町村]]
2023-12-09T01:20:49Z
2023-12-09T15:09:18Z
false
false
false
[ "Template:Pathnav", "Template:日本の町村 (廃止)", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%94%BA_(%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C)
4,864,146
小林公 (キュレーター)
小林公は兵庫県立美術館学芸員。 1976年、 神奈川県に生まれる。 2004年から現職。 「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」 「富野由悠季の世界」展 「県美プレミアム Back to 1918: 10年ひとむかしと人は言う」(2018) 「アドルフ・ヴェルフリ展」(2016) 「美術の中のかたち―手で見る造形:横山裕一これがそれだが ふれてみよ」(2014) 「ポンピドゥー・センター・コレクションフルーツ・オブ・パッション」(2014)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小林公は兵庫県立美術館学芸員。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1976年、 神奈川県に生まれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2004年から現職。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「富野由悠季の世界」展", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「県美プレミアム Back to 1918: 10年ひとむかしと人は言う」(2018)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「アドルフ・ヴェルフリ展」(2016)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「美術の中のかたち―手で見る造形:横山裕一これがそれだが ふれてみよ」(2014)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "「ポンピドゥー・センター・コレクションフルーツ・オブ・パッション」(2014)", "title": "企画" } ]
小林公は兵庫県立美術館学芸員。
{{複数の問題 |特筆性=2023年12月9日 (土) 05:34 (UTC) | 分野 = 人物 |一次資料=2023年12月9日 (土) 05:34 (UTC) }} 小林公は[[兵庫県立美術館]]学芸員。 == 概要 == [[1976年]]、 [[神奈川県]]に生まれる。<ref>{{Cite web |title=東大阪フォント&タグライン発表 東大阪市都市ブランド形成推進事業 モノづくりのまち東大阪を国内外へアピール {{!}} NEWS RELEASE |url=https://www.kindai.ac.jp/news-pr/news-release/2018/08/013532.html |website=近畿大学 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> 2004年から現職。<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/kanjukutadashi/status/444797920970166272 |url=https://twitter.com/kanjukutadashi/status/444797920970166272 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> == 企画 == 「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」<ref>{{Cite web |title=小林 公 (Tadashi KOBAYASHI) - マイポータル - researchmap |url=https://researchmap.jp/kobayashitadashikobe |website=researchmap.jp |access-date=2023-12-09}}</ref> 「[[富野由悠季]]の世界」展<ref>{{Cite web |title=「富野由悠季の世界」展 学芸員インタビュー2=兵庫県立美術館・小林公さん、富山県水墨美術館・若松基さん {{!}} アルトネ |url=https://artne.jp/series/771 |website=artne.jp |access-date=2023-12-09}}</ref> 「県美プレミアム Back to 1918: 10年ひとむかしと人は言う」(2018) 「[[アドルフ・ヴェルフリ]]展」(2016) 「美術の中のかたち―手で見る造形:[[横山裕一 (漫画家)|横山裕一]]これがそれだが ふれてみよ」(2014) 「[[ポンピドゥー・センター]]・コレクションフルーツ・オブ・パッション」(2014) ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == {{Twitter|kanjukutadashi}} {{DEFAULTSORT:こばやし ただし}} [[Category:1976年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本のキュレーター]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:学芸員]]
2023-12-09T01:27:06Z
2023-12-10T12:44:06Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Twitter" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%85%AC_(%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC)
4,864,150
奥脇嵩大
奥脇嵩大(おくわき たかひろ)は、日本のキュレーター。青森県立美術館学芸員。 1986年、埼玉県生まれ。 京都芸術センター・アートコーディネーターや大原美術館学芸員を経て2014年から現職。 「ここから 何処かへ 國府理」(京都芸術センター、2012) 「青森EARTH2016:根と路」(青森県立美術館、2016) 「青森EARTH2019:いのち耕す場所」(青森県立美術館、2019) 「美術館堆肥化計画」(青森県立美術館) 「光の洞窟」(2014-15, KYOTO ART Hostel kumagusuku) 「アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫」
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "奥脇嵩大(おくわき たかひろ)は、日本のキュレーター。青森県立美術館学芸員。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1986年、埼玉県生まれ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "京都芸術センター・アートコーディネーターや大原美術館学芸員を経て2014年から現職。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「ここから 何処かへ 國府理」(京都芸術センター、2012)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「青森EARTH2016:根と路」(青森県立美術館、2016)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「青森EARTH2019:いのち耕す場所」(青森県立美術館、2019)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「美術館堆肥化計画」(青森県立美術館)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「光の洞窟」(2014-15, KYOTO ART Hostel kumagusuku)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "「アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫」", "title": "企画" } ]
奥脇嵩大は、日本のキュレーター。青森県立美術館学芸員。
{{複数の問題 |一次資料=2023年12月13日 (水) 03:16 (UTC) |特筆性=2023年12月13日 (水) 03:16 (UTC) | 分野=人物 }} '''奥脇嵩大'''(おくわき たかひろ)は、[[日本]]の[[キュレーター]]。[[青森県立美術館]][[学芸員]]。 == 概要 == [[1986年]]、[[埼玉県]]生まれ。<ref>{{Cite web |title=ミュージアムから先に変われ! 奥脇嵩大評。ジェネラル・ミュージアム「コレクション展『コラージュ、カムフラージュ』、企画展『dis/cover』」 |url=https://bijutsutecho.com/magazine/review/26021 |website=美術手帖 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> [[京都芸術センター]]・アートコーディネーターや[[大原美術館]]学芸員を経て2014年から現職。<ref>{{Cite web |title=事業概要 |url=https://aomori-artscouncil.jp/about |website=あおもりアーツカウンシル |access-date=2023-12-09}}</ref> == 企画 == 「ここから 何処かへ [[國府理]]」(京都芸術センター、2012) 「青森EARTH2016:根と路」(青森県立美術館、2016) 「青森EARTH2019:いのち耕す場所」(青森県立美術館、2019) 「美術館堆肥化計画」(青森県立美術館) 「光の洞窟」(2014-15, KYOTO ART Hostel kumagusuku) 「アグロス・アートプロジェクト2017-18:明日の収穫」<ref>{{Cite web |title=奥脇 嵩大 |url=https://kinan-art.jp/artist/8838/ |website=KINAN ART WEEK(紀南アートウィーク) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> ==脚注== {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:おくわき ゆうだい}} [[Category:1986年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本のキュレーター]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:学芸員]] [[Category:青森県立美術館の人物]]
2023-12-09T01:35:25Z
2023-12-13T03:17:00Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E8%84%87%E5%B5%A9%E5%A4%A7
4,864,156
ウィズダムアカデミー
ウィズダムアカデミー(WISDOM ACADEMY Inc.)とは東京都豊島区目白2-20-5に本社を置く民間学童保育事業を中心とした教育関連企業である。 学童保育のほか、インターナショナルスクール事業、企業主導型保育園事業、人材紹介事業、システム販売事業、不動産活用事業、コンサルティング事業等を行っている。 2010年開校。 2012年アフターキンダガーテンを開校 2013年ティップネス・キッズ アフタースクール宮崎台開校 2018年有料老人ホーム併設校として王子校開校 2019年官民共同事業として国分寺校開校 2022年リモートワーク向けオフィス併設校として有明豊洲校校・クロスワーク有明開校
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ウィズダムアカデミー(WISDOM ACADEMY Inc.)とは東京都豊島区目白2-20-5に本社を置く民間学童保育事業を中心とした教育関連企業である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "学童保育のほか、インターナショナルスクール事業、企業主導型保育園事業、人材紹介事業、システム販売事業、不動産活用事業、コンサルティング事業等を行っている。", "title": "事業内容" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2010年開校。 2012年アフターキンダガーテンを開校 2013年ティップネス・キッズ アフタースクール宮崎台開校 2018年有料老人ホーム併設校として王子校開校 2019年官民共同事業として国分寺校開校 2022年リモートワーク向けオフィス併設校として有明豊洲校校・クロスワーク有明開校", "title": "沿革" } ]
ウィズダムアカデミー(WISDOM ACADEMY Inc.)とは東京都豊島区目白2-20-5に本社を置く民間学童保育事業を中心とした教育関連企業である。
'''ウィズダムアカデミー'''(WISDOM ACADEMY Inc.)とは東京都豊島区目白2-20-5に本社を置く民間学童保育事業を中心とした教育関連企業である。 ==事業内容== 学童保育のほか、インターナショナルスクール事業、企業主導型保育園事業、人材紹介事業、システム販売事業、不動産活用事業、コンサルティング事業等を行っている<ref name=“”出典1“”>[https://wisdom-academy.com/company-outline/ 「ウィズダムアカデミー会社概要」『ウィズアカデミー』]</ref>。 ==沿革== 2010年開校。 2012年アフターキンダガーテンを開校 2013年ティップネス・キッズ アフタースクール宮崎台開校 2018年有料老人ホーム併設校として王子校開校 2019年官民共同事業として国分寺校開校 2022年リモートワーク向けオフィス併設校として有明豊洲校校・クロスワーク有明開校 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:うぃすたむあかてみー}} [[Category:日本の教育産業]] [[Category:東京都豊島区の企業]] [[Category:2010年創立の企業]]
2023-12-09T02:05:59Z
2023-12-22T23:57:05Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC
4,864,158
バトラ (ゴジラシリーズ)
バトラ (Battra) は、1992年の映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場する架空の怪獣。モスラの亜種として創作されたキャラクターである。 モスラの亜種であり、地球生命が環境汚染などの地球を脅かすものに対して創造した魔獣。モスラと同様に地球の守護神というべき存在であるが、「守護」を目的とするモスラとは相反し、「破壊」を目的としている存在である。コスモスによると、その名は「バトルモスラ」の略であるとされる。出現地点は北の海の氷の中→オホーツク海→能登半島・輪島海岸→名古屋→フィリピン沖→横浜・みなとみらい21→北の海。 1万2千年前、超古代の発達した文明時代に気候を自在に操る機械が発明されて地球生命を脅かしたため、文明を滅ぼそうと地球自らが生み出したとされる怪獣である。インファント島の遺跡には、バトラがモスラと同じ卵から生まれたことを示すと思われる壁画が描かれている。幼虫時点でも光線を放つなど、モスラに比べると破壊本能だけでより攻撃的な能力を持ち、普通のガやモスラとは異なる不完全変態で成虫となる。体色は黒を基本とし、アゲハチョウに似た形状の黒い羽には赤と黄色の稲妻模様が刻まれている。幼虫はモスラに対して凶悪で戦闘的なフォルムとなっている。甲虫の特徴を有しており、硬質な外骨格に包まれているため、モスラのように鱗粉を武器にすることはできないとみられる。幼虫時には、背中のトゲや爪を振動させて、陸上や地中、海上を自由に行動することが可能。甲虫のような角、尾の先端にある2本の長い突起、硬質なボディーなどイモムシでありながら強敵感を漂わせるものとなっている。爪や左右に開閉する口を囲む4本の牙は昆虫ではなく脊椎動物のそれに似た質感となっている。幼虫の体側にある赤い発光器は、成虫ではトゲ状の突起となる。モスラとは異なり、繭を作らずに光を放って一瞬で幼虫から成虫に変態するため、口から糸は吐かない。角は幼虫よりも小さくなり、光線は発射することはないが、目からプリズム光線を発射する際に放電する。また、成虫は巨大な観覧車を持ち上げてゴジラにぶつけたり、モスラと協力してゴジラを持ち上げるなど、脚の力が強い。なお、幼虫の泳ぎ方は人間でいうところのバタフライ泳法似である。 幼虫ではモスラとは異なり、目と角の先端からプリズム光線を放射することが可能であるほか、突進攻撃を得意とする。成虫では眼から放つ幼虫よりも直線的で高いものと思われる威力を持つプリズム光線と翼から発する衝撃波のほか、脚の爪などだが、防御力は低下する模様である。 バトラはコスモスの築いた古代の文明を攻撃し、コスモスの守護神モスラによって最終的に北極海の氷の中に封印されたが、その際に気候操作機械が破壊された結果、地表のほとんどが海中に没し、コスモスの文明は滅びた。小笠原海溝への巨大隕石の落下による地球環境の汚染が引き金となり、予定よりも早く20世紀に覚醒する。 復活したバトラはモスラを目がけ、日本を通過して能登半島沖で浴びせられた航空自衛隊のF-15によるミサイルをものともせず輪島海岸から地中に潜り、名古屋に出現して名古屋城を破壊する。名古屋テレビ塔付近で陸上自衛隊の74式戦車部隊と戦い、プリズム光線で多数を撃破するが、到着したツインメーサータンクと92式メーサー戦車の攻撃を受け、テレビ塔を倒して再び地中に潜行した後、フィリピン沖海上に出現する。コスモスを守るためにゴジラの気を引いていた孵化したばかりのモスラに襲いかかり、跳ね飛ばした後にゴジラを攻撃した結果、その怒りを買って海底での激戦に移行する。しかし、戦闘の衝撃がマグマ層に影響を与え、活動を開始した海底火山にゴジラともども飲み込まれる。バトラはモスラが羽化して成虫になろうとしているころにマントル対流から姿を現し、洋上で成虫と化して再びモスラのもとへ向かう。 横浜みなとみらい21でモスラと空中戦を展開して撃墜すると、続いて先のマグマ層の活性化で噴火した富士山から現れたゴジラを迎撃する。一時は瓦礫の下に押し込めるが、油断して返り討ちに遭って投げ飛ばされ、放射熱線で追い打ちされる。そこに加勢してきたモスラの苦境に助太刀した結果、ついに和解する。共闘してモスラの燐粉攻撃にプリズム光線を反射させ、ゴジラを戦闘不能に追い込んだ後、モスラに自分の本来の使命を伝え、共にゴジラを空輸しようとしてその上半身に取りつくが、ここで突如復活したゴジラに首筋を噛みつかれて黄色い体液を流したうえ、至近距離からの放射熱線の直撃に遭う。それでもゴジラを離さず北の海へ運び出すが、ゴジラに喉を噛み切られたうえで放射熱線を浴びせられて絶命し、ゴジラと共に北の海深くへ沈む。 本来の復活の目的は20世紀末に地球に飛来する巨大隕石を迎撃して衝突を回避することであったが、ゴジラに倒されたためにモスラが代行することとなる。 漫画版と映画版では若干の違いがあり、映画版には蛹の状態は存在せず、幼虫の状態から閃光とともに一瞬にして成虫に変態する。その成虫化の様子は、ユスリカの蛹が尾を上下に振りながら水面を泳ぎつつ羽化する姿を彷彿とさせるものである。漫画版では、変態の際に残した抜け殻が発見される。 「モスラ対悪のモスラ」というのは、『ゴジラvsキングギドラ』以前に検討されていた『モスラVSシャドラ』が起源であり、企画が『ゴジラVSギガモス』であったころの怪獣「ギガモス」が元となっている。ギガモスはモスラが放射能で変異した狂暴な怪獣という設定で、最後はモスラと一体化するという展開であった。最初期案では、ギガモスはトンボなどをモチーフとした新怪獣と想定されていたが、モスラの登場が決定したことにより、悪のモスラという設定に改められた。また、『モスラVSバガン』に登場予定であったバガンのイメージも継承している。 脚本を手がけた大森一樹は、映画『トレマーズ』の要素も取り入れていると述べており、準備稿では幼虫の見せ場がなく、その時点では生物かなにか明確でないという描写であった。準備稿では、映画『プレデター2』のオマージュとして幼虫が地下鉄を襲う描写も存在した。 川北によれば、生賴のポスターに描かれた同じ卵から生まれた双子の幼虫の片方が放射能の影響でバトラになったという想定であったと語っている。 大森は、モスラとバトラの関係性を映画『ギターを持った渡り鳥』の小林旭と宍戸錠や『48時間』のニック・ノルティとエディ・マーフィなどに例えており、いがみ合っていた両者が何かと戦うために手を組むという基本コンセプトであると述べている。 川北による当初の名称はバッドモスラを略したバドラであった。東宝プロデューサーの富山省吾は、命名に苦労したことを語っている。スタッフ間では黒モスラやブラックモスラと呼ばれていた。 決定デザインは吉田穣。成虫の腕は、蛾より甲虫をモチーフにしている。幼虫はカブトムシのほか、ムカデのイメージもあるとされる。モスラとの差別化から、幼虫は上体を起こした形状となった。デザイン画では、成虫の側面のトゲが黄色であった。吉田は、モスラとの共通要素として幼虫の足や成虫の顔などに毛をつけることを想定していたが、川北による要望で硬質なイメージとなった。 そのほか、西川伸司、破李拳竜、青井邦夫らによる検討デザイン画も存在する。西川による検討用デザインでは、アオスジアゲハをモチーフに『エイリアン』の影響がある頭部のものや、成虫の頭部にカミキリムシの要素を取り入れたものや、ダンゴムシをモチーフとした幼虫などが描かれていた。また、幼虫・成虫とも通常の怪獣スーツとする案も存在した。 造形は「レプリカ」による。川北は「操演では動きが単調になるため、バトラは着ぐるみにした」と語っている。 モスラの造形を担当した村瀬継蔵は、レプリカに赴いてバトラのチェックも行っていたが、電飾の光量などが思うように行かなかったと述懐している。 準備稿では、名古屋で成虫になって洋上でゴジラと対決するという展開であったが、幼虫の造型の出来が良かったことから、幼虫の段階でゴジラと戦うことになった。海底での戦闘シーンでは、ゴジラとの絡み以外は移動車に乗せた状態での撮影がほとんどであった。操演により、泳いでいるような描写も撮影されたが、吊りを想定した造形ではなかったため、実際に撮影するまでどのようなかたちになるか分からなかったという。特写スチールでは、名古屋タワーの前でバトラ幼虫とゴジラが対峙するシーンが存在する。 名古屋での進行ルートは、『モスラ対ゴジラ』でのゴジラの進行ルートを逆行している。川北は、ロケハンで他の場所も模索したが、名古屋自体が当時からあまり変化がなかったという。川北は、『モスゴジ』でゴジラが上陸した四日市市からバトラが海へ逃げることも構想していたが、実現には至らなかった。大通りとテレビ塔という要素が、前作での札幌のシーンと類似していたため、戦車を増やして市街戦の要素を強調している。 変態するシーンは、モスラの描写もあるため、バトラは瞬間的な描写となった。川北はセミの脱皮をイメージしたといい、また『三大怪獣 地球最大の決戦』でのキングギドラの出現シーンもオマージュしている。村瀬は、背中にあるスーツアクターの出入り口を活用すれば、成虫が顔を出す描写ができたのではないかと述懐している。 書籍『ゴジラ・デイズ』では、『モスラ対ゴジラ』を踏襲しているために善のモスラと悪のゴジラという対立構造が必要となったが、前作でゴジラを善悪を超越した存在として描いていたことから単純な悪役とすることができず、悪のモスラであるバトラが生み出されたと分析している。そのため、「モスラ対ゴジラ」「モスラ対バトラ」という対立軸が主となり、新怪獣でありながら「ゴジラ対バトラ」という対立軸は物語の傍流になってしまったと評している。川北も、結果的にバトラがゴジラの役どころを奪うような形になってしまったかもしれないと語っている。 書籍『ゴジラ大全集』では、子供層にバトラが自世代の怪獣として受け入れられたことを作品がヒットした要因の一つに挙げている。 吉田は、川北がかつて参加した『ウルトラマンA』に登場する超獣に類似するイメージであったと評している。 特撮テレビドラマ『ゴジラアイランド』(1997年 - 1998年)に登場。 X星人の操る怪獣として、成虫のみ登場する。武器は目から発射するプリズム光線。『vsモスラ』と違い、鱗粉攻撃が可能になっている。昔、ゴジラが不在だったころのゴジラアイランドでモスラと争っていたことが司令官の口から語られている。 初登場時はメガロと共にゴジラアイランドを襲う。続く「ジュニア誘拐編」でゴジラジュニアを誘拐し、マタンゴ島の砦に幽閉するが、赤外線自動砲の誤爆に倒される。その後、「ガイガン編」に登場した後はしばらく姿を見せなかったが、シーズン2の「二代目モスラ編」に登場し、ゴジラアイランドから拉致したベビーモスラの卵を温めて孵化させ、凶悪怪獣として仕立て上げる。 幼虫そのものは出ていないものの、ザグレスがメカキングギドラを買った怪獣自動販売機のボタンのマークの1つとして登場する。 小説『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』(2018年)に登場。 本編での直接的な描写はないが、ゴジラの背びれの残骸に付着していた蛾の遺伝子を有する細胞「M細胞」の発見により、存在が仮定された怪獣。 研究者からは「怪獣M」と呼ばれ、バトラの名称は日本の新興宗教団体が経営する孤児院で暮らしていた超能力を持つとされる子供たちが使った呼称である。ゴジラと戦い、背びれをもぎ取るほどの損害を与えたと推察されたことから、ゴジラに対抗しうる力をもつ可能性がある怪獣として2030年代に調査が行われたが、アマゾン川を下る毒虫のような影という現地民の目撃情報以外に有力な証拠は得られず、発見には至らなかった。その後、2048年に地球連合軍の前に現れたモスラの民の巫女リラによって実在したことが明らかになっており、2037年には地球へ接近していた妖星ゴラスを感知してモスラより先に目覚めて迎撃に向かうものの、ゴラスの破壊に必要なエネルギーを求めていたゴジラによって倒されたとされる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "バトラ (Battra) は、1992年の映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場する架空の怪獣。モスラの亜種として創作されたキャラクターである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "モスラの亜種であり、地球生命が環境汚染などの地球を脅かすものに対して創造した魔獣。モスラと同様に地球の守護神というべき存在であるが、「守護」を目的とするモスラとは相反し、「破壊」を目的としている存在である。コスモスによると、その名は「バトルモスラ」の略であるとされる。出現地点は北の海の氷の中→オホーツク海→能登半島・輪島海岸→名古屋→フィリピン沖→横浜・みなとみらい21→北の海。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1万2千年前、超古代の発達した文明時代に気候を自在に操る機械が発明されて地球生命を脅かしたため、文明を滅ぼそうと地球自らが生み出したとされる怪獣である。インファント島の遺跡には、バトラがモスラと同じ卵から生まれたことを示すと思われる壁画が描かれている。幼虫時点でも光線を放つなど、モスラに比べると破壊本能だけでより攻撃的な能力を持ち、普通のガやモスラとは異なる不完全変態で成虫となる。体色は黒を基本とし、アゲハチョウに似た形状の黒い羽には赤と黄色の稲妻模様が刻まれている。幼虫はモスラに対して凶悪で戦闘的なフォルムとなっている。甲虫の特徴を有しており、硬質な外骨格に包まれているため、モスラのように鱗粉を武器にすることはできないとみられる。幼虫時には、背中のトゲや爪を振動させて、陸上や地中、海上を自由に行動することが可能。甲虫のような角、尾の先端にある2本の長い突起、硬質なボディーなどイモムシでありながら強敵感を漂わせるものとなっている。爪や左右に開閉する口を囲む4本の牙は昆虫ではなく脊椎動物のそれに似た質感となっている。幼虫の体側にある赤い発光器は、成虫ではトゲ状の突起となる。モスラとは異なり、繭を作らずに光を放って一瞬で幼虫から成虫に変態するため、口から糸は吐かない。角は幼虫よりも小さくなり、光線は発射することはないが、目からプリズム光線を発射する際に放電する。また、成虫は巨大な観覧車を持ち上げてゴジラにぶつけたり、モスラと協力してゴジラを持ち上げるなど、脚の力が強い。なお、幼虫の泳ぎ方は人間でいうところのバタフライ泳法似である。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "幼虫ではモスラとは異なり、目と角の先端からプリズム光線を放射することが可能であるほか、突進攻撃を得意とする。成虫では眼から放つ幼虫よりも直線的で高いものと思われる威力を持つプリズム光線と翼から発する衝撃波のほか、脚の爪などだが、防御力は低下する模様である。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "バトラはコスモスの築いた古代の文明を攻撃し、コスモスの守護神モスラによって最終的に北極海の氷の中に封印されたが、その際に気候操作機械が破壊された結果、地表のほとんどが海中に没し、コスモスの文明は滅びた。小笠原海溝への巨大隕石の落下による地球環境の汚染が引き金となり、予定よりも早く20世紀に覚醒する。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "復活したバトラはモスラを目がけ、日本を通過して能登半島沖で浴びせられた航空自衛隊のF-15によるミサイルをものともせず輪島海岸から地中に潜り、名古屋に出現して名古屋城を破壊する。名古屋テレビ塔付近で陸上自衛隊の74式戦車部隊と戦い、プリズム光線で多数を撃破するが、到着したツインメーサータンクと92式メーサー戦車の攻撃を受け、テレビ塔を倒して再び地中に潜行した後、フィリピン沖海上に出現する。コスモスを守るためにゴジラの気を引いていた孵化したばかりのモスラに襲いかかり、跳ね飛ばした後にゴジラを攻撃した結果、その怒りを買って海底での激戦に移行する。しかし、戦闘の衝撃がマグマ層に影響を与え、活動を開始した海底火山にゴジラともども飲み込まれる。バトラはモスラが羽化して成虫になろうとしているころにマントル対流から姿を現し、洋上で成虫と化して再びモスラのもとへ向かう。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "横浜みなとみらい21でモスラと空中戦を展開して撃墜すると、続いて先のマグマ層の活性化で噴火した富士山から現れたゴジラを迎撃する。一時は瓦礫の下に押し込めるが、油断して返り討ちに遭って投げ飛ばされ、放射熱線で追い打ちされる。そこに加勢してきたモスラの苦境に助太刀した結果、ついに和解する。共闘してモスラの燐粉攻撃にプリズム光線を反射させ、ゴジラを戦闘不能に追い込んだ後、モスラに自分の本来の使命を伝え、共にゴジラを空輸しようとしてその上半身に取りつくが、ここで突如復活したゴジラに首筋を噛みつかれて黄色い体液を流したうえ、至近距離からの放射熱線の直撃に遭う。それでもゴジラを離さず北の海へ運び出すが、ゴジラに喉を噛み切られたうえで放射熱線を浴びせられて絶命し、ゴジラと共に北の海深くへ沈む。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "本来の復活の目的は20世紀末に地球に飛来する巨大隕石を迎撃して衝突を回避することであったが、ゴジラに倒されたためにモスラが代行することとなる。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "漫画版と映画版では若干の違いがあり、映画版には蛹の状態は存在せず、幼虫の状態から閃光とともに一瞬にして成虫に変態する。その成虫化の様子は、ユスリカの蛹が尾を上下に振りながら水面を泳ぎつつ羽化する姿を彷彿とさせるものである。漫画版では、変態の際に残した抜け殻が発見される。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "「モスラ対悪のモスラ」というのは、『ゴジラvsキングギドラ』以前に検討されていた『モスラVSシャドラ』が起源であり、企画が『ゴジラVSギガモス』であったころの怪獣「ギガモス」が元となっている。ギガモスはモスラが放射能で変異した狂暴な怪獣という設定で、最後はモスラと一体化するという展開であった。最初期案では、ギガモスはトンボなどをモチーフとした新怪獣と想定されていたが、モスラの登場が決定したことにより、悪のモスラという設定に改められた。また、『モスラVSバガン』に登場予定であったバガンのイメージも継承している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "脚本を手がけた大森一樹は、映画『トレマーズ』の要素も取り入れていると述べており、準備稿では幼虫の見せ場がなく、その時点では生物かなにか明確でないという描写であった。準備稿では、映画『プレデター2』のオマージュとして幼虫が地下鉄を襲う描写も存在した。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "川北によれば、生賴のポスターに描かれた同じ卵から生まれた双子の幼虫の片方が放射能の影響でバトラになったという想定であったと語っている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "大森は、モスラとバトラの関係性を映画『ギターを持った渡り鳥』の小林旭と宍戸錠や『48時間』のニック・ノルティとエディ・マーフィなどに例えており、いがみ合っていた両者が何かと戦うために手を組むという基本コンセプトであると述べている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "川北による当初の名称はバッドモスラを略したバドラであった。東宝プロデューサーの富山省吾は、命名に苦労したことを語っている。スタッフ間では黒モスラやブラックモスラと呼ばれていた。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "決定デザインは吉田穣。成虫の腕は、蛾より甲虫をモチーフにしている。幼虫はカブトムシのほか、ムカデのイメージもあるとされる。モスラとの差別化から、幼虫は上体を起こした形状となった。デザイン画では、成虫の側面のトゲが黄色であった。吉田は、モスラとの共通要素として幼虫の足や成虫の顔などに毛をつけることを想定していたが、川北による要望で硬質なイメージとなった。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "そのほか、西川伸司、破李拳竜、青井邦夫らによる検討デザイン画も存在する。西川による検討用デザインでは、アオスジアゲハをモチーフに『エイリアン』の影響がある頭部のものや、成虫の頭部にカミキリムシの要素を取り入れたものや、ダンゴムシをモチーフとした幼虫などが描かれていた。また、幼虫・成虫とも通常の怪獣スーツとする案も存在した。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "造形は「レプリカ」による。川北は「操演では動きが単調になるため、バトラは着ぐるみにした」と語っている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "モスラの造形を担当した村瀬継蔵は、レプリカに赴いてバトラのチェックも行っていたが、電飾の光量などが思うように行かなかったと述懐している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "準備稿では、名古屋で成虫になって洋上でゴジラと対決するという展開であったが、幼虫の造型の出来が良かったことから、幼虫の段階でゴジラと戦うことになった。海底での戦闘シーンでは、ゴジラとの絡み以外は移動車に乗せた状態での撮影がほとんどであった。操演により、泳いでいるような描写も撮影されたが、吊りを想定した造形ではなかったため、実際に撮影するまでどのようなかたちになるか分からなかったという。特写スチールでは、名古屋タワーの前でバトラ幼虫とゴジラが対峙するシーンが存在する。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "名古屋での進行ルートは、『モスラ対ゴジラ』でのゴジラの進行ルートを逆行している。川北は、ロケハンで他の場所も模索したが、名古屋自体が当時からあまり変化がなかったという。川北は、『モスゴジ』でゴジラが上陸した四日市市からバトラが海へ逃げることも構想していたが、実現には至らなかった。大通りとテレビ塔という要素が、前作での札幌のシーンと類似していたため、戦車を増やして市街戦の要素を強調している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "変態するシーンは、モスラの描写もあるため、バトラは瞬間的な描写となった。川北はセミの脱皮をイメージしたといい、また『三大怪獣 地球最大の決戦』でのキングギドラの出現シーンもオマージュしている。村瀬は、背中にあるスーツアクターの出入り口を活用すれば、成虫が顔を出す描写ができたのではないかと述懐している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "書籍『ゴジラ・デイズ』では、『モスラ対ゴジラ』を踏襲しているために善のモスラと悪のゴジラという対立構造が必要となったが、前作でゴジラを善悪を超越した存在として描いていたことから単純な悪役とすることができず、悪のモスラであるバトラが生み出されたと分析している。そのため、「モスラ対ゴジラ」「モスラ対バトラ」という対立軸が主となり、新怪獣でありながら「ゴジラ対バトラ」という対立軸は物語の傍流になってしまったと評している。川北も、結果的にバトラがゴジラの役どころを奪うような形になってしまったかもしれないと語っている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "書籍『ゴジラ大全集』では、子供層にバトラが自世代の怪獣として受け入れられたことを作品がヒットした要因の一つに挙げている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "吉田は、川北がかつて参加した『ウルトラマンA』に登場する超獣に類似するイメージであったと評している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "特撮テレビドラマ『ゴジラアイランド』(1997年 - 1998年)に登場。", "title": "『ゴジラアイランド』" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "X星人の操る怪獣として、成虫のみ登場する。武器は目から発射するプリズム光線。『vsモスラ』と違い、鱗粉攻撃が可能になっている。昔、ゴジラが不在だったころのゴジラアイランドでモスラと争っていたことが司令官の口から語られている。", "title": "『ゴジラアイランド』" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "初登場時はメガロと共にゴジラアイランドを襲う。続く「ジュニア誘拐編」でゴジラジュニアを誘拐し、マタンゴ島の砦に幽閉するが、赤外線自動砲の誤爆に倒される。その後、「ガイガン編」に登場した後はしばらく姿を見せなかったが、シーズン2の「二代目モスラ編」に登場し、ゴジラアイランドから拉致したベビーモスラの卵を温めて孵化させ、凶悪怪獣として仕立て上げる。", "title": "『ゴジラアイランド』" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "幼虫そのものは出ていないものの、ザグレスがメカキングギドラを買った怪獣自動販売機のボタンのマークの1つとして登場する。", "title": "『ゴジラアイランド』" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "小説『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』(2018年)に登場。", "title": "『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "本編での直接的な描写はないが、ゴジラの背びれの残骸に付着していた蛾の遺伝子を有する細胞「M細胞」の発見により、存在が仮定された怪獣。", "title": "『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "研究者からは「怪獣M」と呼ばれ、バトラの名称は日本の新興宗教団体が経営する孤児院で暮らしていた超能力を持つとされる子供たちが使った呼称である。ゴジラと戦い、背びれをもぎ取るほどの損害を与えたと推察されたことから、ゴジラに対抗しうる力をもつ可能性がある怪獣として2030年代に調査が行われたが、アマゾン川を下る毒虫のような影という現地民の目撃情報以外に有力な証拠は得られず、発見には至らなかった。その後、2048年に地球連合軍の前に現れたモスラの民の巫女リラによって実在したことが明らかになっており、2037年には地球へ接近していた妖星ゴラスを感知してモスラより先に目覚めて迎撃に向かうものの、ゴラスの破壊に必要なエネルギーを求めていたゴジラによって倒されたとされる。", "title": "『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』" } ]
バトラ (Battra) は、1992年の映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場する架空の怪獣。モスラの亜種として創作されたキャラクターである。
{{Pathnavbox| {{Pathnav|モスラ (架空の怪獣)}} {{Pathnav|ゴジラvsモスラ}} }} {{Infobox character | name= バトラ | series=[[ゴジラ]]シリーズ <!-- use without the italic on the outside --> | image= | caption= | first= 『[[ゴジラvsモスラ]]』 | creator= [[吉田穣]] | portrayer= [[破李拳竜]](幼虫) }} '''バトラ''' (Battra) は、[[1992年]]の映画『[[ゴジラvsモスラ]]』([[1992年]])に登場する架空の[[怪獣]]。[[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]]の亜種として創作されたキャラクターである。 == 『ゴジラvsモスラ』 == {{キャラスペック |名称=バトラ |英字表記=BATTRA{{refnest|group="出典"|{{Sfn|VSモスラ超全集|1992|pp=20,22}}{{R|KHBVSM14|超最新14|大百科MG110|大百科SG105|5499超全集35|ALL244|大辞典227|全怪獣大図鑑平成B|大解剖図鑑102}}}}{{efn|資料によっては、'''BATTLA'''と記述している{{R|画報36}}。}} |別名=黒いモスラ{{refnest|group="出典"|{{R|5499超全集35|東宝全怪獣82|超常識130}}}}{{efn|資料によっては、'''破壊の魔獣'''{{refnest|group="出典"|{{R|大百科MG110|大百科SG105|大全集164b|C大全143|全怪獣大図鑑平成B|GTOM013|GTOM1124}}}}、'''バトルモスラ'''{{R|来襲214}}、'''戦闘破壊獣'''{{R|画報36|東宝特撮映画大全集234}}、'''破壊魔獣'''{{refnest|group="出典"|{{R|解体全書92|検定97|超解体全書92}}}}と記述している。}} |2名称=(幼虫) |2体長=90{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M63|大百科MG110|VSM超全集20|5499超全集35|KHBVSM14|超最新14|U別冊43|来襲214|画報36|動画王大図鑑170}}{{R|東宝特撮映画大全集234|ALL244|東宝全怪獣82|大辞典227|G6093|超常識130|Walker71|解体全書92|検定97|全怪獣大図鑑157}}{{R|GTOM1124|超解体全書92}}}} |2体重=2万{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M63|大百科MG110|VSM超全集20|5499超全集35|KHBVSM14|U別冊43|来襲214|画報36|動画王大図鑑170|東宝特撮映画大全集234}}{{R|ALL244|東宝全怪獣82|大辞典227|G6093|超常識130|Walker71|解体全書92|検定97|全怪獣大図鑑157|GTOM1124}}{{R|超解体全書92}}}} |2水中速度=56ノット{{R|VSM超全集20}} |2出身地=北極海{{R|動画王大図鑑170|東宝特撮映画大全集234}}{{efn|資料によっては、「シベリア地底{{R|超最新14}}」「北洋{{R|来襲214}}」「北の果ての海{{R|超常識130}}」「地球上{{R|大百科MG110}}」「不明{{R|ALL244}}」と記述している。}} |3名称=(成虫) |3翼長=180{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M63|大百科MG110|VSM超全集22|5499超全集35|KHBVSM16|超最新14|大全集164b|U別冊43|来襲214|画報36}}{{R|東宝特撮映画大全集234|ALL244|大辞典227|G6093|超常識130|Walker71|解体全書92|検定97|全怪獣大図鑑158|GTOM1124}}{{R|超解体全書92}}}} |3全長=73{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M63|大百科MG110|VSM超全集22|5499超全集35|動画王大図鑑170|東宝特撮映画大全集234|ALL244|東宝全怪獣82|G6093|超常識130}}{{R|解体全書92|検定97|全怪獣大図鑑158|GTOM1124|超解体全書92}}}} |3体重=3万{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M63|大百科MG110|VSM超全集22|5499超全集35|KHBVSM16|超最新14|大全集164b|U別冊43|来襲214|画報36}}{{R|動画王大図鑑170|東宝特撮映画大全集234|ALL244|東宝全怪獣82|大辞典227|G6093|超常識130|Walker71|解体全書92|検定97}}{{R|全怪獣大図鑑158|GTOM1124|超解体全書92}}}} |3飛行速度=マッハ2.5{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集22|5499超全集35|東宝特撮映画大全集234|ALL244|G6093|超常識130|全怪獣大図鑑158|GTOM1124|超解体全書92}}}} |3出現地=太平洋上{{R|東宝特撮映画大全集234|超常識130}}{{efn|資料によっては、「北極海{{R|動画王大図鑑170}}」「北の海{{refnest|group="出典"|{{R|解体全書92|検定97|超解体全書92}}}}」と記述している。}} }} 地球生命が環境汚染などの地球を脅かすものに対して創造した魔獣。[[モスラ (平成VSシリーズ)|モスラ]]と同様に地球の守護神というべき存在であるが、「守護」を目的とするモスラとは相反し、「破壊」を目的としている存在である。コスモスによると、その名は「'''バトルモスラ'''」の略であるとされる{{refnest|group="出典"|{{R|U別冊43|GTOM1124|大解剖図鑑102}}}}{{efn|実際にこの名称で発売された商品もあり(バンダイから1992年に発売された玩具『ビュンビュンモンスターズ3 ゴジラVSバトルモスラ』<ref>{{Cite web|url=https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1146967639|title=バンダイ ビュンビュンモンスターズ3 ゴジラVSバトラ|publisher=まんだらけ|accessdate=2023-12-01}}</ref>など)、後述の『プロジェクト・メカゴジラ』ではこの呼称が登場する。}}。出現地点は北の海の氷の中→オホーツク海→能登半島・輪島海岸→名古屋→フィリピン沖→横浜・みなとみらい21→北の海{{R|5499超全集35}}。 1万2千年前、超古代の発達した文明時代に気候を自在に操る機械が発明されて地球生命を脅かしたため、文明を滅ぼそうと[[地球]]自らが生み出したとされる怪獣である。インファント島の遺跡には、バトラがモスラと同じ卵から生まれたことを示すと思われる壁画が描かれている。幼虫時点でも光線を放つなど、モスラに比べると破壊本能だけでより攻撃的な能力を持ち、普通の[[ガ]]やモスラとは異なる[[不完全変態]]で成虫となる。体色は黒を基本とし、アゲハチョウに似た形状の黒い羽には赤と黄色の稲妻模様が刻まれている{{R|大解剖図鑑102}}。幼虫はモスラに対して凶悪で戦闘的なフォルムとなっている{{R|超解体全書29|超解体全書92}}。[[甲虫類|甲虫]]の特徴を有しており{{R|GTOM1124}}、硬質な外骨格に包まれているため、モスラのように鱗粉を武器にすることはできないとみられる。幼虫時には、背中のトゲや爪を振動させて、陸上や地中、海上を自由に行動することが可能{{R|超解体全書92}}。甲虫のような角、尾の先端にある2本の長い突起、硬質なボディーなどイモムシでありながら強敵感を漂わせるものとなっている{{R|大解剖図鑑102}}。爪や左右に開閉する口を囲む4本の牙は昆虫ではなく脊椎動物のそれに似た質感となっている{{R|大解剖図鑑102}}。幼虫の体側にある赤い発光器は、成虫ではトゲ状の突起となる{{R|大解剖図鑑102}}。モスラとは異なり、繭を作らずに光を放って一瞬で幼虫から成虫に変態するため、口から糸は吐かない{{R|大解剖図鑑102}}。角は幼虫よりも小さくなり、光線は発射することはないが、目からプリズム光線を発射する際に放電する{{R|大解剖図鑑102}}。また、成虫は巨大な観覧車を持ち上げてゴジラにぶつけたり、モスラと協力してゴジラを持ち上げるなど、脚の力が強い{{refnest|group="出典"|{{R|GTOM1124|超解体全書29|大解剖図鑑102}}}}。 幼虫ではモスラとは異なり、目と角の先端から'''プリズム光線'''{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM14|大百科SG105|画報36|5499超全集35|動画王大図鑑170|東宝特撮映画大全集234|東宝全怪獣82|Walker71|全怪獣大図鑑157|GTOM1124}}{{R|大解剖図鑑102|超解体全書92}}}}{{efn|角からの光線は黄色、目からの光線は紫色となっている{{R|大解剖図鑑102}}。角からの光線は当初の設定にはなかった{{R|大全集164b}}。書籍『ゴジラVSモスラ超全集』では、前者を'''プリズム光線A'''、後者を'''プリズム光線B'''と記述している{{R|VSM超全集20}}。}}を放射することが可能であるほか、突進攻撃を得意とする{{R|GTOM1124}}。成虫では眼から放つ幼虫よりも直線的で高いものと思われる威力を持つ'''プリズム光線'''と翼から発する衝撃波のほか、脚の爪など{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM16|平成C116|GTOM1124|大解剖図鑑102}}}}だが、防御力は低下する模様である{{R|大解剖図鑑102}}。 バトラはコスモスの築いた古代の文明を攻撃し、コスモスの守護神モスラによって最終的に北極海の氷の中に封印されたが、その際に気候操作機械が破壊された結果、地表のほとんどが海中に没し、コスモスの文明は滅びた。小笠原海溝への巨大[[隕石]]の落下による地球環境の汚染が引き金となり、予定よりも早く[[20世紀]]に覚醒する{{R|KHBVSM14}}{{efn|資料によっては、モスラの復活を察知して蘇ったと記述している{{R|平成C116|大辞典227}}。}}。 復活したバトラはモスラを目がけ、[[日本]]を通過して[[能登半島]]沖で浴びせられた[[航空自衛隊]]の[[F-15 (戦闘機)|F-15]]による[[ミサイル]]をものともせず輪島海岸から地中に潜り、[[名古屋市|名古屋]]に出現して{{R|GTOM1124}}[[名古屋城]]を破壊する{{efn|『モスラ対ゴジラ』におけるゴジラの名古屋襲撃シーンのオマージュである{{R|BEST5466}}。}}。[[名古屋テレビ塔]]付近で[[陸上自衛隊]]の[[74式戦車]]部隊と戦い、プリズム光線で多数を撃破するが、到着した[[メーサー兵器#93式自走高射メーサー砲|ツインメーサータンク]]と[[メーサー兵器#92式メーサー戦車|92式メーサー戦車]]の攻撃を受け、テレビ塔を倒して再び地中に潜行した後、[[フィリピン]]沖海上に出現する。コスモスを守るためにゴジラの気を引いていた孵化したばかりのモスラに襲いかかり、跳ね飛ばした後にゴジラを攻撃した結果、その怒りを買って海底での激戦に移行する。しかし、戦闘の衝撃が[[マグマ]]層に影響を与え、活動を開始した[[海底火山]]にゴジラともども飲み込まれる{{R|GTOM1124}}。バトラはモスラが[[羽化]]して成虫になろうとしているころにマントル対流から姿を現し、洋上で成虫と化して再びモスラのもとへ向かう{{R|平成C116|GTOM1124}}。 [[横浜みなとみらい21]]でモスラと空中戦を展開して撃墜すると、続いて先のマグマ層の活性化で噴火した[[富士山]]から現れたゴジラを迎撃する{{R|GTOM1124}}。一時は瓦礫の下に押し込めるが、油断して返り討ちに遭って投げ飛ばされ、放射熱線で追い打ちされる。そこに加勢してきたモスラの苦境に助太刀した結果、ついに和解する{{efn|書籍によっては、モスラのエネルギーを注入されたことにより、エネルギーによって意思のやりとりをしたことで、正義の心に目覚めたと記述している{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集24|5499超全集35|大解剖図鑑102}}}}。}}。共闘してモスラの燐粉攻撃にプリズム光線を反射させ、ゴジラを戦闘不能に追い込んだ後、モスラに自分の本来の使命を伝え、共にゴジラを空輸しようとしてその上半身に取りつくが、ここで突如復活したゴジラに首筋を噛みつかれて黄色い体液を流したうえ{{R|大解剖図鑑102}}、至近距離からの放射熱線の直撃に遭う。それでもゴジラを離さず北の海へ運び出すが、ゴジラに喉を噛み切られたうえで放射熱線を浴びせられて絶命し、ゴジラと共に北の海深くへ沈む。 本来の復活の目的は20世紀末に地球に飛来する巨大隕石を迎撃して衝突を回避することであった{{R|GTOM1124|大解剖図鑑102}}が、ゴジラに倒されたためにモスラが代行することとなる。 漫画版と映画版では若干の違いがあり、映画版には[[蛹]]の状態は存在せず、幼虫の状態から閃光とともに一瞬にして成虫に[[変態]]する。その成虫化の様子は、[[ユスリカ]]の蛹が尾を上下に振りながら水面を泳ぎつつ羽化する姿を彷彿とさせるものである。漫画版では、変態の際に残した抜け殻が発見される。 * 鳴き声は[[ラドン (架空の怪獣)|ラドン]]のもののアレンジである{{R|大百科MG156}}。 * 書籍『ゴジラVSモスラ超全集』では、インファント島の壁画には成虫の姿で描かれているが、復活時は幼虫の姿であったことから、幼虫と成虫を自在に変態できるものと解釈している{{R|VSM超全集62}}。準備稿では、バトラの初出現地は[[バイカル湖]]であり、過去に[[ツングースカ大爆発|ツングースカ隕石]]を叩き落としていたという想定であった{{R|東宝SF770}}。また、幼虫ではゴジラの放射熱線に耐えるが成虫では撃墜されたことや、プリズム光線の威力などから、成虫形態は隕石破壊のために移動能力と破壊能力に特化した姿と推測している{{R|VSM超全集62}}。 === 創作経緯 === 「モスラ対悪のモスラ」というのは、前作『[[ゴジラvsキングギドラ]]』(1991年)以前に検討されていた『モスラVSシャドラ』が起源であり{{R|大解剖図鑑102}}、企画が『ゴジラVSギガモス』であったころの怪獣「ギガモス(GIGA-MOTH{{R|平成大全181}})」が元となっている{{R|東宝SF7150|平成P44}}。ギガモスはモスラが放射能で変異した狂暴な怪獣という設定で、最後はモスラと一体化するという展開であった{{R|平成P134|東宝特撮映画大全集234}}。最初期案では、ギガモスはトンボなどをモチーフとした新怪獣と想定されていたが、モスラの登場が決定したことにより、悪のモスラという設定に改められた{{R|平成P134}}。また、『モスラVSバガン』に登場予定であったバガンのイメージも継承している{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF770|平成P134|東宝特撮映画大全集234}}}}。 脚本を手がけた[[大森一樹]]は、映画『[[トレマーズ]]』の要素も取り入れていると述べており{{R|東宝SF770|平成C229}}、準備稿では幼虫の見せ場がなく、その時点では生物かなにか明確でないという描写であった{{R|東宝SF770}}。準備稿では、映画『[[プレデター2]]』のオマージュとして幼虫が地下鉄を襲う描写も存在した{{R|東宝SF770}}。 川北によれば、生賴のポスターに描かれた同じ卵から生まれた双子の幼虫の片方が放射能の影響でバトラになったという想定であったと語っている{{R|映画大全128|大解剖図鑑102}}。 大森は、モスラとバトラの関係性を映画『[[ギターを持った渡り鳥]]』の[[小林旭]]と[[宍戸錠]]や『[[48時間 (映画)|48時間]]』の[[ニック・ノルティ]]と[[エディ・マーフィ]]などに例えており{{R|東宝SF770}}、いがみ合っていた両者が何かと戦うために手を組むという基本コンセプトであると述べている{{R|東宝SF770|平成大全175}}。 検討稿での名称はバッドモスラを略した'''バドラ'''であったが{{refnest|group="出典"|{{R|大百科MG163|大全集78|デイズ390|平成大全181|平成C116}}}}{、特撮テレビドラマ『[[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]]』(1966年)に同名怪獣がいたためと変更された{{R|大全集78|平成大全181}}。東宝プロデューサーの[[富山省吾]]は、命名に苦労したことを語っている{{R|平成C224}}。スタッフ間では'''黒モスラ'''や'''ブラックモスラ'''と呼ばれていた{{R|映画大全128}}。 === デザイン === 決定デザインは[[吉田穣]]{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集67|KHBVSM106|東宝SF7150|大全集164b|平成C116|平成P44|ALL244|C大全143|GTOM1124}}}}。成虫の腕は、蛾より甲虫をモチーフにしている{{R|KHBVSM106}}。幼虫はカブトムシのほか、ムカデのイメージもあるとされる。モスラとの差別化から、幼虫は上体を起こした形状となった{{R|大百科M82|東宝SF7150}}。デザイン画では、成虫の側面のトゲが黄色であった{{R|KHBVSM106}}。吉田は、モスラとの共通要素として幼虫の足や成虫の顔などに毛をつけることを想定していたが、川北による要望で硬質なイメージとなった{{R|東宝SF7150}}。 そのほか、[[西川伸司]]、[[破李拳竜]]、青井邦夫らによる検討デザイン画も存在する{{R|平成C116}}。西川による検討用デザインでは、アオスジアゲハをモチーフに『エイリアン』の影響がある頭部のものや、成虫の頭部にカミキリムシの要素を取り入れたものや、ダンゴムシをモチーフとした幼虫などが描かれていた{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF7150|平成P44|ゴジラ画集33|西川62}}}}。また、幼虫・成虫とも通常の怪獣スーツとする案も存在した{{R|平成P44|西川62}}。 === 造形 === 造形は「レプリカ」による{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集67|KHBVSM61|東宝SF7148|大全集164b|大ゴジラ2162|画報212|平成大全181|平成C119|映画大全30|ALL244}}{{R|C大全143|GTOM1124}}}}。造形チーフは江久保暢宏{{R|平成大全181}}。元々は、モスラと同じく[[ツエニー]]が担当する予定であったが、スケジュールが切迫していたため同社の[[村瀬継蔵]]はすべてを手掛けることは不可能だと判断し、レプリカへ応援を依頼した{{R|平成大全182}}。しかし、レプリカでもすべてを賄うことは出来ず、成虫の1/3モデルのみフリーの造形家である高柳祐介が原型を手掛けた{{R|平成大全182}}。川北は「操演では動きが単調になるため、バトラは着ぐるみにした」と語っている{{要出典|date=2022年12月}}。 村瀬は、レプリカに赴いてバトラのチェックも行っていたが、電飾の光量などが思うように行かなかったと述懐している{{R|ALL244}}。 ; 幼虫 : 幼虫のバトラの着ぐるみは1体だけが制作された{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM61|超最新30|東宝SF7148|平成大全182|平成C119|ALL244}}}}。頭部と背面のみ原型が起こされ、ボディは直付けで制作された{{R|大ゴジラ2162}}。頭部はFRP製、胴体はウレタン製で、どちらもラテックスでコーティングしている{{R|東宝SF7148}}。可動性を考慮し、前脚の爪がデザイン画よりも大きく造形されている{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF7148|平成大全182|平成C116}}}}。角と眼はFRP製{{R|大ゴジラ2162}}。長い尾の部分には台車を内蔵して動きを助けている。疑似海底の海中を進むシーンでは演技者は入らず、操演して撮影した{{R|超最新32}}。江久保によれば、当初は人を入れずにギミックのみで動かす予定であったが、上半身が大きいために地上のシーンでは人が入ることになったという{{R|東宝SF7148}}。スーツの重量は計測していないために不明だが、江久保は「ゴジラよりは軽いはず」と述べている{{R|東宝SF7148}}。 : 口元に可動ギミックがあり、開閉だけでなく口が前後に可動する、上部にある4本のトゲが個別に動くなどの工夫が凝らされていたが、アップは1カットのみであった{{R|東宝SF7148}}。 : 演技者は椅子に座った恰好で演技をするという、珍しい方式となっている。川北は、頭が重く、足が動かないため、バランスを取るのが難しかったと述べている{{R|映画大全128}}。また、助監督の鈴木は、立っているだけで威圧感が出ていたものの、演技者の動きが表に出づらく、ゴジラのようにビルを壊しながら前進してくるという撮影は不可能であったと証言している{{R|大百科M20}}。アクションシーンでは、激しい格闘でスーツ内部の支柱が折れるアクシデントもあった{{R|超最新32}}。また、足元のかぎ爪が歩行の邪魔になるため{{efn|スーツアクターの破李拳は、名古屋タワーを襲うシーンで爪がタワーを固定するボルトに引っかかってしまい、そのまま芝居を続けてボルトごとタワーを壊したと語っている{{R|平成C256}}。}}、これを切除して撮影したカットもある{{R|平成C122}}。名古屋で地中に潜るシーンは、セットに設けられたスロープを滑り落ちており、川北は倒れたのか演技だったのかわからないと述懐している{{R|東宝SF7137}}。 : スーツが水に浮いてしまうことから、水中シーンの撮影に際して上下に切り離すこととなり{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M22|KHBVSM61|超最新34|東宝SF7148|YAMATO超全集|平成大全182|GTOM1124}}}}、海上戦では上半身のみが使用され{{R|GTOM1124}}、その後疑似海底での撮影では繋ぎ直されている{{R|平成大全182}}{{efn|この時の反省から、『[[ヤマトタケル (映画)|ヤマトタケル]]』(1994年)の海神ムーバは最初から上下セパレートで製作された{{R|YAMATO超全集}}。}}。 : 海上でモスラ幼虫を弾き飛ばすシーンでは、角が折れてしまい、修復まで撮影が中断された{{R|東宝SF7148}}。直付けでの制作であったため、型が存在せずスペアは用意していなかったという{{R|東宝SF7148}}。 : ; 成虫 : 成虫は、ラジコンで各部が動くゴジラのスーツと同スケールのものと、翼長が50センチメートルの大小2種が作られた{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集67|KHBVSM61|超最新30|大ゴジラ2166|平成C119|ALL244}}}}{{efn|資料によっては、1/1と1/3と記述している{{R|東宝SF7148|平成大全182}}。書籍によっては遠景用は1/3と記述している{{R|GTOM1124}}。書籍によっては、翼長10尺と3尺と記述している{{R|C大全143|GTOM1124}}。}}。翼長が3尺のものはモーターで羽が可動する{{R|GTOM1124}}。完成は小サイズの方が先であったため、大サイズはそちらを参考にしている{{R|平成大全182}}。アクションシーンのほとんどは小サイズのものを使用している。 : 頭部や胴体はFRP製で{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF7148|大ゴジラ2162|平成大全182}}}}、胴体はその上にウレタンを被せてラテックスでコーティングしている{{R|東宝SF7148}}。頭部は電飾を仕込む都合上、一体成型で制作された{{R|平成大全182}}。また、飛行時に胴体がぶれないよう内部に鉄骨を仕込んでいる{{R|東宝SF7148}}。翼は、布をラテックスでコーティングしており、芯には釣り竿を用いている{{R|東宝SF7148}}。成虫が登場するのは横浜のみのため、納品は最後となった{{R|東宝SF7148}}。 : 納品時は体色が薄かったため、暗い色に塗り直された{{R|KHBVSM61}}。一方、翼の色はナイトシーンが多いために明るくするようとの川北による要望で、塗り直された{{R|東宝SF7148}}。 : 頭部の角と尾のトゲには電飾が仕込まれており、操演のためにバッテリーも内蔵してラジコンで電源を操作できるようになっていたが、電飾の数が多いことからバッテリーの消耗が激しく、こまめに電源を消したり早めにバッテリーを交換したりするなどの対応が必要であった{{R|東宝SF7148}}。また、撮影中に電波障害が発生してモスラともども操作不能となり、その後は電波を[[振幅変調|AM]]から[[周波数変調|FM]]に切り替えている{{R|東宝SF7148}}。 : ゴジラにしがみつくシーンでは、ボディのみを使用している{{R|5499超全集38}}。ゴジラに投げられるシーンで翼が折れたり、首を掴んで投げられるシーンで首がもげたりするなどを経て、応急処置のみで再び撮影に用いている{{R|東宝SF7148}}。 : 小サイズは、納品当日がラストシーンの撮影であったため、その日のうちに水中に沈んで補修することとなった{{R|平成大全184}}。 === 演技 === 幼虫の[[スーツアクター]]は[[破李拳竜]]{{refnest|group="出典"|{{R|超最新30|大全集164b|大ゴジラ2162|平成C122|平成C256|東宝特撮映画大全集233|C大全143|GTOM1124}}}}。当初は別人がスーツアクターを務めていたが{{efn|操演助手の[[白石雅彦]]は、本業はダンサーであったと証言している{{R|平成大全189}}。}}、幼虫のスーツが動きづらかったことから演技に苦戦し、特技監督の[[川北紘一]]による指名で現場を訪れていた破李拳と交代することとなった{{refnest|group="出典"|{{R|平成大全189|平成C122|平成C256}}}}{{efn|書籍『大ゴジラ図鑑2』では、破李拳本人の希望と記述している{{R|大ゴジラ2162}}。}}。 川北は、前任者が[[ガンエフェクト#弾着|弾着]]を怖がっていたと証言している{{R|映画大全128}}。一方、造型監修を務めた村瀬継蔵は、造形物が前任者より大きく作られていたために動けなかったと述べている{{R|東宝SF7144}}。また、撮影を担当した江口憲一は、前任者はパワーが不足していたと評している{{R|東宝SF7137}}。 助監督の[[神谷誠]]は、破李拳は喜んで演じていたことから動きが良かったと証言している{{R|平成C122}}が、破李拳本人は転ばないよう必死だったと語っている{{R|平成C256}}。 オープン撮影のみ羽田一也が担当している{{R|KHBVSM62}}。 === 撮影・演出 === 準備稿では、名古屋で成虫になって洋上でゴジラと対決するという展開であった{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF770|平成大全175|東宝特撮映画大全集234}}}}が、幼虫の造型の出来が良かったことから、幼虫の段階でゴジラと戦うことになった{{R|東宝SF770}}{{efn|ゴジラのスーツアクターを務めた[[薩摩剣八郎]]は、久々の格闘らしい格闘だと喜んでいたという{{R|大百科M78}}。}}。海底での戦闘シーンでは、ゴジラとの絡み以外は移動車に乗せた状態での撮影がほとんどであった{{R|大百科M18}}。操演により、泳いでいるような描写も撮影されたが、吊りを想定した造形ではなかったため、実際に撮影するまでどのようなかたちになるか分からなかったという{{R|大百科M18}}。特写スチールでは、名古屋タワーの前でバトラ幼虫とゴジラが対峙するシーンが存在する{{R|KHBVSM78|平成P34}}。 名古屋での進行ルートは、『モスラ対ゴジラ』でのゴジラの進行ルートを逆行している{{R|東宝SF780}}。川北は、ロケハンで他の場所も模索したが、名古屋自体が当時からあまり変化がなかったという{{R|東宝SF780}}。川北は、『モスゴジ』でゴジラが上陸した[[四日市市]]からバトラが海へ逃げることも構想していたが、実現には至らなかった{{R|東宝SF780}}{{efn|四日市市は、次作『[[ゴジラvsメカゴジラ]]』でゴジラの上陸場所として登場した。}}。大通りとテレビ塔という要素が、前作での札幌のシーンと類似していたため、戦車を増やして市街戦の要素を強調している{{R|東宝SF780}}。 変態するシーンは、モスラの描写もあるため、バトラは瞬間的な描写となった{{R|東宝SF780|デイズ390}}。川北は[[セミ]]の脱皮をイメージしたといい{{R|東宝SF780|デイズ390}}、また『[[三大怪獣 地球最大の決戦]]』での[[キングギドラ (昭和ゴジラシリーズ)|キングギドラ]]の出現シーンもオマージュしている{{R|デイズ390}}。村瀬は、背中にあるスーツアクターの出入り口を活用すれば、成虫が顔を出す描写ができたのではないかと述懐している{{R|東宝SF7144}}。 海上を進む幼虫の上空に対潜哨戒機が飛来するシーンも撮影していたがカットされた{{R|平成大全187}}。 === 評価 === 書籍『ゴジラ・デイズ』では、『モスラ対ゴジラ』を踏襲しているために善のモスラと悪のゴジラという対立構造が必要となったが、前作でゴジラを善悪を超越した存在として描いていたことから単純な悪役とすることができず、悪のモスラであるバトラが生み出されたと分析している{{R|デイズ91}}。そのため、「モスラ対ゴジラ」「モスラ対バトラ」という対立軸が主となり、新怪獣でありながら「ゴジラ対バトラ」という対立軸は物語の傍流になってしまったと評している{{R|デイズ91}}。川北も、結果的にバトラがゴジラの役どころを奪うような形になってしまったかもしれないと語っている{{R|デイズ390}}。 書籍『ゴジラ大全集』では、子供層にバトラが自世代の怪獣として受け入れられたことを作品がヒットした要因の一つに挙げている{{R|大全集78}}。 吉田は、川北がかつて参加した『[[ウルトラマンA]]』に登場する超獣に類似するイメージであったと評している{{R|東宝SF7150}}。 == 『ゴジラアイランド』 == 特撮テレビドラマ『[[ゴジラアイランド]]』(1997年 - 1998年)に登場。 [[X星人]]の操る怪獣として、成虫のみ登場する。武器は目から発射するプリズム光線。『vsモスラ』と違い、鱗粉攻撃が可能になっている。昔、ゴジラが不在だったころのゴジラアイランドでモスラと争っていたことが司令官の口から語られている。 初登場時はメガロと共にゴジラアイランドを襲う。続く「ジュニア誘拐編」でゴジラジュニアを誘拐し、マタンゴ島の砦に幽閉するが、赤外線自動砲の誤爆に倒される。その後、「ガイガン編」に登場した後はしばらく姿を見せなかったが、シーズン2の「二代目モスラ編」に登場し、ゴジラアイランドから拉致したベビーモスラの卵を温めて孵化させ、凶悪怪獣として仕立て上げる。 幼虫そのものは出ていないものの、ザグレスがメカキングギドラを買った怪獣自動販売機のボタンのマークの1つとして登場する。 == 『GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ』 == 小説『[[GODZILLA (アニメ映画)#小説|GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ]]』(2018年)に登場。 本編での直接的な描写はないが、ゴジラの背びれの残骸に付着していた蛾の遺伝子を有する細胞「M細胞」の発見により、存在が仮定された怪獣。 研究者からは「怪獣M」と呼ばれ、バトラの名称は日本の新興宗教団体が経営する孤児院で暮らしていた超能力を持つとされる子供たちが使った呼称である。ゴジラと戦い、背びれをもぎ取るほどの損害を与えたと推察されたことから、ゴジラに対抗しうる力をもつ可能性がある怪獣として2030年代に調査が行われたが、[[アマゾン川]]を下る毒虫のような影という現地民の目撃情報以外に有力な証拠は得られず、発見には至らなかった<ref>{{Harvnb|プロジェクト・メカゴジラ|2018|pp=33-39|loc=第5章『妖星』}}</ref>。その後、2048年に地球連合軍の前に現れたモスラの民の巫女リラによって実在したことが明らかになっており、2037年には地球へ接近していた妖星ゴラスを感知してモスラより先に目覚めて迎撃に向かうものの、ゴラスの破壊に必要なエネルギーを求めていたゴジラによって倒されたとされる{{R|断章3}}。 == その他 == * 『[[ゴジラvsスペースゴジラ]]』(1994年)では、過去の映像の流用で登場している。 * 『[[ゴジラ FINAL WARS]]』(2004年)では、バンクーバーの子供がバトラのソフビ人形で遊んでいるシーンがある。 * 『[[幻星神ジャスティライザー]]』(2004年)に登場する宇宙巨獣スカラベレスは、バトラのオマージュとなっている{{Sfn|超星神コンプリーション|2021|p=119|loc=「デザイナーインタビュー」}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="大百科M18">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=18 - 19|loc=文 鈴木健二「特撮バックステージ PART2 『ゴジラVSモスラ』特撮・撮影日誌」}}</ref> <ref name="大百科M20">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=20 - 21|loc=文 鈴木健二「特撮バックステージ PART2 『ゴジラVSモスラ』特撮・撮影日誌」}}</ref> <ref name="大百科M22">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=22 - 23|loc=文 鈴木健二「特撮バックステージ PART2 『ゴジラVSモスラ』特撮・撮影日誌」}}</ref> <ref name="大百科M63">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=63-64|loc=文 小林晋一郎「怪獣生物学モスラ 七、そしてバトラよ」}}</ref> <ref name="大百科M78">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=78 - 81|loc=「特撮助監督座談会」}}</ref> <ref name="大百科M82">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=82 - 84|loc=「『ゴジラvsモスラ』のデザイン世界」}}</ref> <ref name="大百科MG110">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1993|p=110|loc=文 秋廣泰生・天野秀明「東宝怪獣大図鑑」}}</ref> <ref name="大百科MG156">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1993|p=156|loc=構成・執筆 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 15 よみがえるラドンの声」}}</ref> <ref name="大百科MG163">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1993|p=163|loc=構成・執筆 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 31 怪獣の別名あれこれ」}}</ref> <ref name="大百科SG105">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1994|p=105|loc=イラスト 破李拳竜、文 早川優「ゴジラシリーズ イラスト怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="VSM超全集20">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=20-21|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 バトラ〈幼虫〉」}}</ref> <ref name="VSM超全集22">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=22-23|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 バトラ〈成虫〉1」}}</ref> <ref name="VSM超全集24">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=24-25|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 バトラ〈成虫〉2」}}</ref> <ref name="VSM超全集62">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=62-63|loc=「バトラ大解剖」}}</ref> <ref name="VSM超全集67">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|p=67|loc=「ゴジラVSモスラの特撮 バトラの造型」}}</ref> <ref name="YAMATO超全集">{{Cite book|和書|others=構成 間営尚彦|date=1994-08-10|title=ヤマトタケル[[超全集]]|publisher=[[小学館]]|series=[[コロコロコミック]]デラックス|page=69|chapter=若狭新一インタビュー|id=雑誌コード:63809-22}}</ref> <ref name="5499超全集35">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=35|loc=「ゴジラVSモスラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集38">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=38|loc=「メイキング オブ ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="KHBVSM14">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=14-15|loc=「バトラ(幼虫)」}}</ref> <ref name="KHBVSM16">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=16-17|loc=「バトラ(成虫)」}}</ref> <ref name="KHBVSM61">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|p=61|loc=「ゴジラVSモスラ スーツ・ミニチュアバリエーション バトラ」}}</ref> <ref name="KHBVSM62">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=62-63|loc=「メーキングオブゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="KHBVSM78">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=78-79|loc=「ゴジラVSモスラ 特写スチール紹介」}}</ref> <ref name="KHBVSM106">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=106-108|loc=「ゴジラVSモスラ デザイン画紹介」}}</ref> <ref name="超最新14">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=14-15|loc=「『ゴジラVSモスラ』バトラ」}}</ref> <ref name="超最新30">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|p=30|loc=「メイキング・オブ・『ゴジラvsモスラ』」}}</ref> <ref name="超最新32">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|p=32|loc=「メイキング・オブ・『ゴジラvsモスラ』」}}</ref> <ref name="超最新34">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=34-35|loc=「メイキング・オブ・『ゴジラvsモスラ』」}}</ref> <ref name="東宝SF770">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=70-73|loc=「インタビュー 大森一樹」}}</ref> <ref name="東宝SF780">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=80-90|loc=「インタビュー 川北紘一」}}</ref> <ref name="東宝SF7137">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=137-143|loc=「特撮スタッフ座談会」}}</ref> <ref name="東宝SF7144">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=144-147|loc=「MAKING OF MOTHRA & BATTRA 村瀬継蔵(ツエニー)」}}</ref> <ref name="東宝SF7148">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=148-149|loc=「MAKING OF MOTHRA & BATTRA 江久保暢宏(レプリカ)」}}</ref> <ref name="東宝SF7150">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=150-154|loc=「設定デザイナー座談会」}}</ref> <ref name="大全集78">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|pp=78-79|loc=「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラの未来」}}</ref> <ref name="大全集164b">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|p=164|loc=「平成怪獣総進撃 バトラ」}}</ref> <ref name="大ゴジラ2162">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|pp=162-165|loc=「バトラ」}}</ref> <ref name="大ゴジラ2166">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|pp=166-168|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="U別冊43">{{Harvnb|宇宙船別冊|1996|p=43|loc=「Gをめぐる生命たち」}}</ref> <ref name="デイズ91">{{Harvnb|ゴジラ・デイズ|1998|pp=91-93|loc=冠木新市「一九九〇年代のゴジラ映画再生期 『ゴジラVSモスラ』=善悪超越のゴジラ」}}</ref> <ref name="デイズ390">{{Harvnb|ゴジラ・デイズ|1998|pp=390-396|loc=川北紘一「1962-98 GODZILLA ゴジラは夢を実現する道具 悪玉モスラも登場する『ゴジラVSモスラ』」}}</ref> <ref name="来襲214">{{Harvnb|ゴジラ来襲|1998|p=214|loc=「第7章 特選!東宝怪獣名鑑'98」}}</ref> <ref name="BEST5466">{{Harvnb|日本特撮映画図鑑|1999|pp=66-67|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="画報36">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|p=36|loc=「東宝怪獣紳士録」}}</ref> <ref name="画報212">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|pp=212-213|loc=「ゴジラvsモスラ」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑170">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=170|loc=「1990年代 ゴジラvsモスラ バトラ」}}</ref> <ref name="平成大全175">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=175 - 178|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バッド - グッドマンもの」}}</ref> <ref name="平成大全181">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=181 - 182|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 造形・江久保暢宏」}}</ref> <ref name="平成大全182">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=182 - 183|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バトラ・昆虫怪獣の不気味さ」}}</ref> <ref name="平成大全184">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=184 - 186|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 モスラの受難」}}</ref> <ref name="平成大全187">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|p=187|loc=「メイキング・ギャラリー『ゴジラVSモスラ』篇2 セット&NG」}}</ref> <ref name="平成大全189">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=189 - 190|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バトラの金縛り」}}</ref> <ref name="平成C116">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|pp=116-117|loc=「MONSTER FILE/検討用デザイン」}}</ref> <ref name="平成C119">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=119|loc=「造型メイキング」}}</ref> <ref name="平成C122">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|pp=122-123|loc=「1992 特撮メイキング」}}</ref> <ref name="平成C224">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=224|loc=「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 富山省吾」}}</ref> <ref name="平成C229">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=229|loc=「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 大森一樹」}}</ref> <ref name="平成C256">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|pp=256-257|loc=「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 破李拳竜」}}</ref> <ref name="映画大全30">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=30-35|loc=聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 造型 村瀬継蔵」}}</ref> <ref name="映画大全128">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=128-133|loc=聞き手・青井邦夫、中村哲「インタビュー 特技監督 川北紘一」}}</ref> <ref name="ALL244">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=244-245|loc=「『ゴジラVSモスラ』バトラ」}}</ref> <ref name="平成P34">{{Harvnb|平成ゴジラパーフェクション|2012|p=34|loc=「ミニ特集 平成ゴジラ・特写スチール集」}}</ref> <ref name="平成P44">{{Harvnb|平成ゴジラパーフェクション|2012|pp=44-45|loc=「ゴジラVSモスラアートワークス」}}</ref> <ref name="平成P134">{{Harvnb|平成ゴジラパーフェクション|2012|pp=134-135|loc=「幻の平成ゴジラストーリー 『ゴジラVSギガモス』『ゴジラVSモスラ』」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集233">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=233|loc=「『ゴジラvsモスラ』作品解説」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集234">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=234|loc=「『ゴジラvsモスラ』怪獣図鑑/資料館」}}</ref> <ref name="C大全143">{{Harvnb|キャラクター大全|2014|pp=143-144|loc=「平成ゴジラ共演怪獣 1984-1995」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣82">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=82-83|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="大辞典227">{{Harvnb|大辞典|2014|p=227|loc=「は バトラ」}}</ref> <ref name="ゴジラ画集33">{{Harvnb|ゴジラ画集|2016|pp=33-37|loc=「ゴジラVSモスラ(1992年)」}}</ref> <ref name="超常識130">{{Harvnb|超常識|2016|pp=130-132|loc=「3大怪獣、極彩色の大決戦 ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="Walker71">{{Harvnb|Walker|2016|p=71|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="G6093">{{Harvnb|GODZILLA60|2014|p=93|loc=「怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="解体全書92">{{Harvnb|解体全書|2016|p=92|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="超解体全書29">{{Harvnb|超解体全書|2023|pp=29-33|loc=「写真で見る歴代モスラデザイン」}}</ref> <ref name="超解体全書92">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=92|loc=「バトラ」}}</ref> <ref name="検定97">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=97|loc=「ゴジラVSモスラ 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="西川62">{{Harvnb|西川伸司|2019|pp=62-63|loc=「File 005 モスラ 1992 ゴジラvsモスラ」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑平成B">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=157-158|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑157">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=157|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑158">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=158-159|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="GTOM013">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=13|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="GTOM1124">{{Harvnb|GTOM vol.11|2023|p=24|loc=「怒りが生んだ「黒いモスラ」 破壊の魔獣 バトラ〔幼虫 / 成虫〕」}}</ref> <ref name="大解剖図鑑102">{{Harvnb|大解剖図鑑|2023|pp=102-105|loc=「バトラ」}}</ref> <ref name="断章3">{{Harvnb|プロジェクト・メカゴジラ|2018|pp=164-180|loc=断章『2048年 (3)』}}</ref> }} === 出典(リンク) === {{Reflist|group="出典"|3}} == 参考文献 == * Gakken MOOK([[Gakken]]) ** {{Cite book|和書|others=監修 [[田中友幸]]、責任編集 [[川北紘一]]|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1992-12-10|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1993-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1993}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [スペースゴジラ編]|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1994-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1994}}}} * [[てれびくん]]デラックス愛蔵版シリーズ([[小学館]]) ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮尚彦|date=1992-12-10|title=ゴジラVSモスラ[[超全集]]|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=978-4-09-101433-7|ref={{SfnRef|VSモスラ超全集|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成・執筆 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ1954-1999超全集|date=2000-01-01|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=4-09-101470-4|ref={{SfnRef|ゴジラ1954-1999超全集|2000}}}} * {{Cite book|和書|others=構成・執筆・編集 岩畠寿明、小野浩一郎(エープロダクション)|title=ゴジラvsモスラ|publisher=[[講談社]]|series=講談社ヒットブックス30|date=1992-12-18|isbn=4-06-177730-0|ref={{SfnRef|ヒットブックスVSモスラ|1992}}}} * {{Cite book|和書|others=企画・構成・編集 [[安井尚志]]([[ストリームベース#クラフト団|クラフト団]])|title=増補改訂新版 超最新ゴジラ大図鑑|publisher=[[バンダイ]]|series=エンターテイメントバイブルシリーズ50|date=1992-12-25|isbn=4-89189-284-6|ref={{SfnRef|超最新ゴジラ大図鑑|1992}}}} * {{Cite book|和書|date=1993-01-15|title=ゴジラVSモスラ|publisher=[[東宝]]出版・商品事業室|series= 東宝SF特撮映画シリーズVOL.7|isbn=4-924609-43-9 |ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993}}}} * {{Cite book|和書|others=構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚|title=[[テレビマガジン]]特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集|publisher=講談社|date=1994-09-01|isbn=4-06-178417-X|ref={{SfnRef|ゴジラ大全集|1994}}}} * {{Cite book|和書|title=幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑2|others=[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ|publisher=[[ホビージャパン]]|date=1995-12-15|isbn=4-89425-117-5|ref={{SfnRef|大ゴジラ図鑑2|1995}}}} * {{Cite book|和書|title=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]別冊 GODZILLA VS DESTOROYAH|publisher=[[朝日ソノラマ]]|date=1996-01-10|id=雑誌コード:01844-01|ref={{SfnRef|宇宙船別冊|1996}}}} * {{Cite book|和書|others=企画・構成 冠木新市|title=ゴジラ映画クロニクル 1954-1998 ゴジラ・デイズ|date=1998-07-15|origdate=1993-11|publisher=[[集英社]]|series=[[集英社文庫]]|isbn=4-08-748815-2|ref={{SfnRef|ゴジラ・デイズ|1998}}}} * {{Cite book|和書|author=坂井由人|author2=秋田英夫|title=ゴジラ来襲!! 東宝特撮映画再入門|date=1998-07-25|publisher=[[KKロングセラーズ]]|series=ムックセレクト635|isbn=4-8454-0592-X|ref={{SfnRef|ゴジラ来襲|1998}}}} * {{Cite book|和書|title=東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54|others=特別監修 川北紘一|publisher=[[成美堂出版]]|series=SEIBIDO MOOK|date=1999-02-20|isbn=4-415-09405-8|ref={{SfnRef|日本特撮映画図鑑|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み|edition=第3版|date=1999-12-24|origdate=1993-12-21|publisher=[[竹書房]]|isbn=4-8124-0581-5|ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=動画王特別編集 ゴジラ大図鑑 東宝特撮映画の世界|date=2000-12-16|publisher=[[キネマ旬報社]]|series=キネ旬ムック|isbn=4-87376-558-7|ref={{SfnRef|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000}}}} * {{Cite book|和書|others=編著 [[白石雅彦]]、スーパーバイザー [[富山省吾]]|date=2003-01-20<!--奥付表記-->|title=平成ゴジラ大全 1984-1995|publisher=[[双葉社]]|series=双葉社の大全シリーズ<!--表紙そでより-->|isbn=4-575-29505-1|ref={{SfnRef|平成ゴジラ大全|2003}}}} * {{Cite book|和書|others=川北紘一 特別監修|date=2009-11-30|title=平成ゴジラ クロニクル|publisher=キネマ旬報社|isbn=978-4-87376-319-4|ref= {{SfnRef|平成ゴジラクロニクル|2009}}}} * 洋泉社MOOK([[洋泉社]]) ** {{Cite book|和書|date=2011-08-11|title=別冊映画秘宝 モスラ映画大全|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-86248-761-2|ref={{SfnRef|モスラ映画大全|2011}}}} ** {{Cite book|和書|date=2014-04-27|title=別冊[[映画秘宝]] オール東宝怪獣大図鑑|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-8003-0362-2|ref={{SfnRef|オール東宝怪獣大図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2012-02-10|others=監修:川北紘一|title= 平成ゴジラパーフェクション|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|series= DENGEKI HOBBY BOOKS|isbn= 978-4-04-886119-9|ref={{SfnRef|平成ゴジラパーフェクション|2012}}}} * {{Cite book|和書|others=執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし|title=東宝特撮映画大全集|date=2012-09-28|publisher=[[ヴィレッジブックス]]|isbn=978-4-86491-013-2|ref={{SfnRef|東宝特撮映画大全集|2012}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title=キャラクター大全 ゴジラ 東宝特撮映画全史|publisher=講談社|date=2014-07-15|isbn=978-4-06-219004-6|ref={{SfnRef|キャラクター大全|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=東宝 協力|title=東宝特撮全怪獣図鑑|publisher=小学館|date=2014-07-28|isbn=978-4-09-682090-2|ref={{SfnRef|東宝特撮全怪獣図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=野村宏平 編著|title=ゴジラ大辞典【新装版】|date=2014-08-07|publisher=[[笠倉出版社]]|isbn=978-4-7730-8725-3|ref={{SfnRef|大辞典|2014}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ徹底研究 GODZILLA GODZILLA60:COMPLETE GUIDE|publisher=[[マガジンハウス]]|series=MAGAZINE HOUSE MOOK|date=2014-09-05|isbn=978-4-8387-8944-3|ref={{SfnRef|GODZILLA60|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2016-06-24|author=西川伸司|authorlink=西川伸司|title=西川伸司ゴジラ画集|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-0959-4|ref={{SfnRef|ゴジラ画集|2016}}}} * {{Cite book|和書|others=[協力] 東宝|title=ゴジラの超常識|publisher=双葉社|date=2016-07-24|origdate=2014-07-06|isbn=978-4-575-31156-3|ref={{SfnRef|超常識|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=シン・ゴジラWalker [怪獣王 新たなる伝説]|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-08-06|isbn=978-4-04-895632-1|ref={{SfnRef|Walker|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ解体全書|publisher=[[宝島社]]|date=2016-08-15|origdate=2014-07-26|series=TJ MOOK|isbn=978-4-8002-5699-7|ref={{SfnRef|解体全書|2016}}}} ** {{Cite book|和書|title=超ゴジラ解体全書|publisher=宝島社|date=2023-11-30|series=TJ MOOK|isbn=978-4-299-04835-6|ref={{SfnRef|超解体全書|2023}}}} * {{Cite book|和書|others=監修 東宝株式会社/協力 東宝 ゴジラ戦略会議|title=「ゴジラ検定」公式テキスト|publisher=宝島社|date=2018-11-03|isbn=978-4-8002-8860-8|ref={{SfnRef|ゴジラ検定|2018}}}} * {{Cite book|和書|author=西川伸司|date=2019-02-01|title=西川伸司デザインワークス|publisher=[[玄光社]]|isbn=978-4-7683-1150-9|ref=harv}} * {{Cite book|和書|date = 2021-03-22<!--奥付表記-->|title =超星神シリーズコンプリーション|publisher =ホビージャパン|isbn = 978-4-7986-2337-5|ref = {{SfnRef|超星神コンプリーション|2021}}}} * {{Cite book|和書|date=2021-07-02|title=ゴジラ 全怪獣大図鑑|publisher=講談社|series=講談社 ポケット百科シリーズ|isbn=978-4-06-523491-4|ref={{SfnRef|全怪獣大図鑑|2021}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title =ゴジラ&東宝特撮 OFFICIAL MOOK|publisher = 講談社|series=講談社シリーズMOOK}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.0|volume-title=ゴジラ&東宝特撮作品 総選挙|date = 2022-12-21|isbn = 978-4-06-530223-1|ref = {{SfnRef|GTOM vol.0|2022}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.11|volume-title=ゴジラvsキングギドラ / ゴジラvsモスラ|date = 2023-10-24|isbn = 978-4-06-531490-6|ref = {{SfnRef|GTOM vol.11|2023}}}} * {{Cite book|和書|date=2023-08-25|author=西川伸司|title=西川伸司が紐解く怪獣の深淵 ゴジラ大解剖図鑑|publisher=グラフィック社|isbn=978-4-7661-3784-2|ref={{SfnRef|大解剖図鑑|2023}}}} * 小説 ** {{Cite book|和書|author=大樹連司|others=監修:[[虚淵玄]]|title=GODZILLA プロジェクト・メカゴジラ|date=2018-04-25|publisher=KADOKAWA|isbn=978-4-04-106345-3|ref={{SfnRef|プロジェクト・メカゴジラ|2018}}}} {{東宝特撮怪獣}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はとら}} [[Category:モスラ]] [[Category:東宝怪獣]] [[Category:架空の昆虫]]
2023-12-09T02:17:56Z
2023-12-31T00:41:50Z
false
false
false
[ "Template:Infobox character", "Template:Refnest", "Template:Normdaten", "Template:Cite book", "Template:キャラスペック", "Template:Sfn", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:R", "Template:要出典", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Harvnb", "Template:Pathnavbox", "Template:Efn", "Template:東宝特撮怪獣" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9_(%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)
4,864,159
IBM T220/T221 LCDモニター
IBM T220およびT221は、2001年から2005年まで販売されていた解像度3840×2400ピクセル、画面サイズ22.2インチ液晶ディスプレイである。921万6千画素、204ppiと、当時のモニタとしては高解像度・高密度であり、主に高画素が必要な印刷業界や医療業界や研究所で利用された。価格は2001年の時点で、T220は専用ビデオカード込みで298万円 後継機のT221は専用ビデオカードが不要となり228万円であった。このような高解像度ディスプレイは、AppleのRetinaディスプレイのような新しい高密度ディスプレイが普及するまで、ほぼ10年間ニッチな製品にとどまっていた。 IBM T220は2001年6月に発表された、初めて3840×2400という解像度をドット・バイ・ドットでサポートしたモニタである このような高解像度は、通常のコネクタではサポート出来なかった。背面パネルには、2器のLFH-60を備えた。 2本のケーブルはそれぞれが2つのシングルリンクのDVIコネクタに分割され、合計4チャンネルのDVIがあった。1, 2, 4系統のDVIで接続できる。 IBM T220はMatrox G200 MMSビデオカードと2本の電源系統があった。 ネイティブ解像度は、960×2400ピクセル、または1920x1200 ピクセル、を4つ組み合わせて表示していた。 リフレッシュレートは41 Hzである。 T220の後継機。主な改良点は、電源アダプタの必要な数を2個から1個にしたことと、より多くの画面モードをサポートしたことである。当初は9503-DG1と9503-DG3の2モデルが発売された。9503-DG1モデルには、Matrox G200 MMSグラフィックスカードとLFH-60コネクタケーブル2本が付属していた。9503-DG3モデルには、グラフィックスカードの1つまたは2つのデュアリンクDVIポートからT221のLFH-60ソケットに接続するケーブルが1本付属していた。 9503-DG1モデルは、4つの960x2400を縦に表示する仕組みである。後のファームウェアでは、 1920×1200タイルモードが加わった。 ネイティブ解像度による最高リフレッシュレートは、TMDSリンクを何本使用するかによる。1, 2, 4リンクでは、13, 25, 41 Hzである。フリッカー低減は、 TMDS 1, 2, 4リンクで17.1, 33.72, 41 Hz である。内部のリフレッシュレートは常に41 Hzである。 最後のT221 9503-DG5/DGP(光沢モデル)/DGM(非光沢モデル)は、2003年9月に発表された。 9503-DG5/DGP/DGMモデルはネイティブリフレッシュレートが48Hzで、グラフィックカードは付属しないが、デュアルリンクDVI信号を受信し、再同期、バッファリング、2つのシングルリンク信号(1つは奇数画素+同期、もう1つは偶数画素+同期)に分割する外付けコンバータボックスが付属していた。日本で販売されていたサードパーティ製のコネクタアダプタは、TMDS同期信号のみをバッファリングして分割する。内部デュアルリンクの後付けには、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤージャンパ分割(インピーダンスの不一致を招く)、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤ分割(各レッグに24オームの直列抵抗を使用)などがあった。デュアルリンクDVIインターフェースをコンバータボックス経由で1つだけ使用すると、24Hzまたは25Hzのリフレッシュレートが可能になる。コンバータボックスを3つ目のシングルリンクDVI入力と並列に使用すると、48Hzのリフレッシュレートを達成できる。このモードでは、デュアルリンクDVIが画面の左2624×2400部分を駆動し、シングルリンクDVIが残りの1216×2400部分を駆動する。もしくは、2つのデュアルリンクDVIポートで2つのコンバータボックスを同時に使用して、DG5を48Hzで2つの1920×2400ストライプとして駆動することもできる。TMDSチャンネルが3つしかないレガシーAGPビデオカード(NVIDIA Quadro FX 3000やNVIDIA GeForce 6をベースにしたほとんどのカードなど)の場合、最大リフレッシュレートを得るにはコンバーターボックスが必要であった。 4つのTMDSリンクを用いることにより、対応する解像度全てで、4つの1920x1200タイルを最高リフレッシュレートで駆動できる。 コンバータボックスは、初期のT221には対応していない。4本のDVIケーブルでモニターを駆動するには、例えばMatrox Parhelia HR256レガシーPCI-Xカードなど、十分に強力なグラフィックカードが必要である。 一般的でない解像度、接続、画面分割は、公式にサポートされていないシステムではカスタム設定が必要になる場合がある。 Viewsonic VP2290b-3は、名前を変えただけの同等製品である。 The IBM T221-DG5は2005年6月に発売終了となった。 IBM T221は、IBMトーマス・J・ワトソン研究所のフラット・パネル・ディスプレイ・グループの実験技術としてスタートした。2000年、IBM研究所と日本IBMの共同作業により、コードネーム「Bertha」と呼ばれる22.2インチTFT LCDが試作された。このディスプレイの画素数と表示密度は3840×2400(QUXGA-W)、204ppiであった。2000年11月10日、IBMはカリフォルニア州にある米エネルギー省のローレンス・リバモア国立研究所にプロトタイプを出荷したと発表した。2001年6月27日、IBMは製品版をT220として発表した。その後2001年10月15日、IBMはその後継機であるIBM T221を発表した。2002年3月7日、IBMはIBM T221の価格を17,999米ドル(228万円)から8,399米ドル(135万円)に引き下げると発表した。2003年9月2日、IBMは9503-DG5モデルの発売を発表した。 BMと台湾の奇美集団は2001年にIDTechという合弁会社を設立し、T221を日本で製造した。ViewSonicとiiyamaは、T221をOEMし、それぞれのブランド名で販売した。IDTechでは、非光沢モデルと光沢モデルの両方を生産した。八洲テクノロジーのIDTechの生産ラインは2005年にソニーに売却されT221の運命は不明となった。このモニターは現在販売されていない。2023年現在、5つのメーカーが13.4インチから16インチまでのWQUXGAパネルを生産している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "IBM T220およびT221は、2001年から2005年まで販売されていた解像度3840×2400ピクセル、画面サイズ22.2インチ液晶ディスプレイである。921万6千画素、204ppiと、当時のモニタとしては高解像度・高密度であり、主に高画素が必要な印刷業界や医療業界や研究所で利用された。価格は2001年の時点で、T220は専用ビデオカード込みで298万円 後継機のT221は専用ビデオカードが不要となり228万円であった。このような高解像度ディスプレイは、AppleのRetinaディスプレイのような新しい高密度ディスプレイが普及するまで、ほぼ10年間ニッチな製品にとどまっていた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "IBM T220は2001年6月に発表された、初めて3840×2400という解像度をドット・バイ・ドットでサポートしたモニタである このような高解像度は、通常のコネクタではサポート出来なかった。背面パネルには、2器のLFH-60を備えた。 2本のケーブルはそれぞれが2つのシングルリンクのDVIコネクタに分割され、合計4チャンネルのDVIがあった。1, 2, 4系統のDVIで接続できる。", "title": "IBM T220 (9503-DG0)" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "IBM T220はMatrox G200 MMSビデオカードと2本の電源系統があった。 ネイティブ解像度は、960×2400ピクセル、または1920x1200 ピクセル、を4つ組み合わせて表示していた。 リフレッシュレートは41 Hzである。", "title": "IBM T220 (9503-DG0)" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "T220の後継機。主な改良点は、電源アダプタの必要な数を2個から1個にしたことと、より多くの画面モードをサポートしたことである。当初は9503-DG1と9503-DG3の2モデルが発売された。9503-DG1モデルには、Matrox G200 MMSグラフィックスカードとLFH-60コネクタケーブル2本が付属していた。9503-DG3モデルには、グラフィックスカードの1つまたは2つのデュアリンクDVIポートからT221のLFH-60ソケットに接続するケーブルが1本付属していた。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "9503-DG1モデルは、4つの960x2400を縦に表示する仕組みである。後のファームウェアでは、 1920×1200タイルモードが加わった。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ネイティブ解像度による最高リフレッシュレートは、TMDSリンクを何本使用するかによる。1, 2, 4リンクでは、13, 25, 41 Hzである。フリッカー低減は、 TMDS 1, 2, 4リンクで17.1, 33.72, 41 Hz である。内部のリフレッシュレートは常に41 Hzである。 最後のT221 9503-DG5/DGP(光沢モデル)/DGM(非光沢モデル)は、2003年9月に発表された。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "9503-DG5/DGP/DGMモデルはネイティブリフレッシュレートが48Hzで、グラフィックカードは付属しないが、デュアルリンクDVI信号を受信し、再同期、バッファリング、2つのシングルリンク信号(1つは奇数画素+同期、もう1つは偶数画素+同期)に分割する外付けコンバータボックスが付属していた。日本で販売されていたサードパーティ製のコネクタアダプタは、TMDS同期信号のみをバッファリングして分割する。内部デュアルリンクの後付けには、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤージャンパ分割(インピーダンスの不一致を招く)、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤ分割(各レッグに24オームの直列抵抗を使用)などがあった。デュアルリンクDVIインターフェースをコンバータボックス経由で1つだけ使用すると、24Hzまたは25Hzのリフレッシュレートが可能になる。コンバータボックスを3つ目のシングルリンクDVI入力と並列に使用すると、48Hzのリフレッシュレートを達成できる。このモードでは、デュアルリンクDVIが画面の左2624×2400部分を駆動し、シングルリンクDVIが残りの1216×2400部分を駆動する。もしくは、2つのデュアルリンクDVIポートで2つのコンバータボックスを同時に使用して、DG5を48Hzで2つの1920×2400ストライプとして駆動することもできる。TMDSチャンネルが3つしかないレガシーAGPビデオカード(NVIDIA Quadro FX 3000やNVIDIA GeForce 6をベースにしたほとんどのカードなど)の場合、最大リフレッシュレートを得るにはコンバーターボックスが必要であった。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "4つのTMDSリンクを用いることにより、対応する解像度全てで、4つの1920x1200タイルを最高リフレッシュレートで駆動できる。 コンバータボックスは、初期のT221には対応していない。4本のDVIケーブルでモニターを駆動するには、例えばMatrox Parhelia HR256レガシーPCI-Xカードなど、十分に強力なグラフィックカードが必要である。 一般的でない解像度、接続、画面分割は、公式にサポートされていないシステムではカスタム設定が必要になる場合がある。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "Viewsonic VP2290b-3は、名前を変えただけの同等製品である。 The IBM T221-DG5は2005年6月に発売終了となった。", "title": "IBM T221" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "IBM T221は、IBMトーマス・J・ワトソン研究所のフラット・パネル・ディスプレイ・グループの実験技術としてスタートした。2000年、IBM研究所と日本IBMの共同作業により、コードネーム「Bertha」と呼ばれる22.2インチTFT LCDが試作された。このディスプレイの画素数と表示密度は3840×2400(QUXGA-W)、204ppiであった。2000年11月10日、IBMはカリフォルニア州にある米エネルギー省のローレンス・リバモア国立研究所にプロトタイプを出荷したと発表した。2001年6月27日、IBMは製品版をT220として発表した。その後2001年10月15日、IBMはその後継機であるIBM T221を発表した。2002年3月7日、IBMはIBM T221の価格を17,999米ドル(228万円)から8,399米ドル(135万円)に引き下げると発表した。2003年9月2日、IBMは9503-DG5モデルの発売を発表した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "BMと台湾の奇美集団は2001年にIDTechという合弁会社を設立し、T221を日本で製造した。ViewSonicとiiyamaは、T221をOEMし、それぞれのブランド名で販売した。IDTechでは、非光沢モデルと光沢モデルの両方を生産した。八洲テクノロジーのIDTechの生産ラインは2005年にソニーに売却されT221の運命は不明となった。このモニターは現在販売されていない。2023年現在、5つのメーカーが13.4インチから16インチまでのWQUXGAパネルを生産している。", "title": "経緯" } ]
IBM T220およびT221は、2001年から2005年まで販売されていた解像度3840×2400ピクセル、画面サイズ22.2インチ液晶ディスプレイである。921万6千画素、204ppiと、当時のモニタとしては高解像度・高密度であり、主に高画素が必要な印刷業界や医療業界や研究所で利用された。価格は2001年の時点で、T220は専用ビデオカード込みで298万円 後継機のT221は専用ビデオカードが不要となり228万円であった。このような高解像度ディスプレイは、AppleのRetinaディスプレイのような新しい高密度ディスプレイが普及するまで、ほぼ10年間ニッチな製品にとどまっていた。
[[File:IBM_T221.jpg|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:IBM_T221.jpg|右|サムネイル|IBM T221で80x24 [[xterm]]ウインドウに[[等幅フォント]]で6x13 表示している様子]] '''[[IBM]] T220'''および'''T221'''は、2001年から2005年まで販売されていた解像度3840×2400ピクセル、画面サイズ22.2インチ液晶ディスプレイである。921万6千画素、204[[ppi]]と、当時のモニタとしては高解像度・高密度であり、主に高画素が必要な印刷業界や医療業界や研究所で利用された。価格は2001年の時点で、T220は専用ビデオカード込みで298万円<ref>{{Cite web |title=元麻布春男の週刊PCホットライン |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010719/hot155.htm |website=pc.watch.impress.co.jp |access-date=2022-12-20}}</ref> 後継機のT221は専用ビデオカードが不要となり228万円であった<ref>{{Cite web |title=IBM T221(T220の後継機種)22.2型TFT液晶デジタル・カラー・モニター(黒)(920万画素) |url=https://www.ibm.com/common/ssi/ShowDoc.wss?docURL=/common/ssi/rep_ca/3/760/MON01043/index.html |website=www.ibm.com |date=2008-11-19 |access-date=2022-12-20 |language=ja}}</ref>。このような高解像度ディスプレイは、[[Apple]]の[[Retinaディスプレイ]]のような新しい高密度ディスプレイが普及するまで、ほぼ10年間[[ニッチ]]な製品にとどまっていた<ref>{{Cite web |title=Apple、まったく新しいMacBook Pro Retinaディスプレイモデルを発表 |url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2012/06/11Apple-Introduces-All-New-MacBook-Pro-with-Retina-Display/ |website=Apple Newsroom (日本) |access-date=2022-12-20 |language=ja-JP |quote=このRetinaディスプレイのピクセル密度は1インチ当たり220ピクセル(220ppi) |date=2012年6月12日}}</ref><ref>{{Cite web |title=Apple、27インチiMac Retina 5Kディスプレイモデルを発表 |url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2014/10/16Apple-Introduces-27-inch-iMac-with-Retina-5K-Display/ |website=Apple Newsroom (日本) |access-date=2022-12-20 |language=ja-JP |quote=iMac Retina 5Kディスプレイモデルが備える5,120×2,880という解像度は、標準的な27インチiMacの4倍に当たり、最新の4Kディスプレイと比較してさらに67パーセントもピクセルが多い |date=2014年10月16日}}</ref><ref name="IBM T221 - the world's finest monitor?">{{Cite web |author=Novakovic |first=Nebojsa |title=IBM T221 - the world's finest monitor? |url=http://www.theinquirer.net/inquirer/news/1012426/ibm-t221-world-finest-monitor |archive-url=https://web.archive.org/web/20090914114750/http://www.theinquirer.net/inquirer/news/1012426/ibm-t221-world-finest-monitor |archive-date=September 14, 2009 |website=The Inquirer |access-date=30 August 2015}}</ref>。 == IBM T220 (9503-DG0) == IBM T220は2001年6月に発表された、初めて3840×2400という解像度をドット・バイ・ドットでサポートしたモニタである<ref>{{Cite press release|title=IBM Introduces World's Highest-Resolution Computer Monitor|publisher=[[IBM]]|date=2001-06-27|url=http://www-03.ibm.com/press/us/en/pressrelease/1180.wss|access-date=2012-03-09|archive-url=https://web.archive.org/web/20120528104153/http://www-03.ibm.com/press/us/en/pressrelease/1180.wss|archive-date=2012-05-28}}</ref> このような高解像度は、通常のコネクタではサポート出来なかった。背面パネルには、2器のLFH-60を備えた。 2本のケーブルはそれぞれが2つのシングルリンクの[[Digital Visual Interface|DVI]]コネクタに分割され、合計4チャンネルのDVIがあった。1, 2, 4系統のDVIで接続できる。 IBM T220は[[Matrox]] [[G200シリーズ|G200 MMS]]ビデオカードと2本の電源系統があった。 ネイティブ解像度は、960×2400ピクセル、または1920x1200 ピクセル、を4つ組み合わせて表示していた。 リフレッシュレートは41&nbsp;Hzである。 == IBM T221 == [[File:IBM_T221_side.jpg|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:IBM_T221_side.jpg|サムネイル|横から見たT221]] T220の後継機。主な改良点は、電源アダプタの必要な数を2個から1個にしたことと、より多くの画面モードをサポートしたことである。当初は9503-DG1と9503-DG3の2モデルが発売された。9503-DG1モデルには、Matrox G200 MMSグラフィックスカードとLFH-60コネクタケーブル2本が付属していた。9503-DG3モデルには、グラフィックスカードの1つまたは2つのデュアリンクDVIポートからT221のLFH-60ソケットに接続するケーブルが1本付属していた{{要出典|date=October 2009}}。 9503-DG1モデルは、4つの960x2400を縦に表示する仕組みである。後のファームウェアでは、 1920×1200タイルモードが加わった{{要出典|date=October 2009}}。 ネイティブ解像度による最高リフレッシュレートは、[[Transition Minimized Differential Signaling|TMDS]]リンクを何本使用するかによる。1, 2, 4リンクでは、13, 25, 41&nbsp;Hzである。フリッカー低減は、 TMDS 1, 2, 4リンクで17.1,<ref>{{Cite web |url=https://altechnative.net/wquxga-ibm-t221-3840x2400-204dpi-monitor-part-5-when-you-are-really-stuck-with-a-sl-dvi/ |title=IBM T221 3840x2400 204dpi Monitor – Part 5: When You Are Really Stuck With a SL-DVI |date=2013-04-06 |access-date=2013-04-10}}</ref> 33.72, 41&nbsp;Hz である。内部のリフレッシュレートは常に41&nbsp;Hzである。 最後のT221 9503-DG5/DGP(光沢モデル)/DGM(非光沢モデル)は、2003年9月に発表された<ref>{{Cite press release|title=IBM T221-DG5 22.2-Inch QUXGA-W Flat-Panel Color Monitor|publisher=[[IBM]]|date=2003-09-02|url=http://news.thomasnet.com/fullstory/25978/264|access-date=2007-07-17}}</ref>。 9503-DG5/DGP/DGMモデルはネイティブリフレッシュレートが48Hzで、グラフィックカードは付属しないが、デュアルリンクDVI信号を受信し、再同期、バッファリング、2つのシングルリンク信号(1つは奇数画素+同期、もう1つは偶数画素+同期)に分割する外付けコンバータボックスが付属していた。日本で販売されていたサードパーティ製のコネクタアダプタは、TMDS同期信号のみをバッファリングして分割する。内部デュアルリンクの後付けには、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤージャンパ分割(インピーダンスの不一致を招く)、TMDS同期信号のバッファなしハードワイヤ分割(各レッグに24オームの直列抵抗を使用)などがあった。デュアルリンクDVIインターフェースをコンバータボックス経由で1つだけ使用すると、24Hzまたは25Hzのリフレッシュレートが可能になる。コンバータボックスを3つ目のシングルリンクDVI入力と並列に使用すると、48Hzのリフレッシュレートを達成できる。このモードでは、デュアルリンクDVIが画面の左2624×2400部分を駆動し、シングルリンクDVIが残りの1216×2400部分を駆動する。もしくは、2つのデュアルリンクDVIポートで2つのコンバータボックスを同時に使用して、DG5を48Hzで2つの1920×2400ストライプとして駆動することもできる。TMDSチャンネルが3つしかないレガシーAGPビデオカード([[NVIDIA Quadro|NVIDIA Quadro FX 3000]]や[[NVIDIA GeForce|NVIDIA GeForce 6]]をベースにしたほとんどのカードなど)の場合、最大リフレッシュレートを得るにはコンバーターボックスが必要であった。 4つのTMDSリンクを用いることにより、対応する解像度全てで、4つの1920x1200タイルを最高リフレッシュレートで駆動できる。 コンバータボックスは、初期のT221には対応していない。4本のDVIケーブルでモニターを駆動するには、例えばMatrox Parhelia HR256レガシーPCI-Xカードなど、十分に強力なグラフィックカードが必要である<ref>{{Cite web |url=http://www.matrox.com/graphics/en/products/graphics_cards/parhelia/parheliahr256/ |title=Matrox Parhelia HR256 |publisher=[[Matrox]] |access-date=2009-07-16}}</ref>。 一般的でない解像度、接続、画面分割は、公式にサポートされていないシステムではカスタム設定が必要になる場合がある{{要出典|date=October 2009}}。 Viewsonic VP2290b-3は、名前を変えただけの同等製品である{{要出典|date=October 2009}}。 The IBM T221 9503-DG5は2007年1月に発売終了となった<ref>{{Cite web |title=T221 22.2型TFT液晶デジタル・カラー・モニターの営業活動終了の発表 |url=https://www.ibm.com/common/ssi/ShowDoc.wss?docURL=/common/ssi/rep_ca/1/760/PWS07001/index.html&lang=ja&request_locale=ja |website=www.ibm.com |date=2008-11-19 |access-date=2023-12-17 |language=ja}}</ref>。 == 経緯 == [[ファイル:IBM_T221_pixels.jpg|サムネイル|顕微鏡による200倍拡大画像。 IBM T221には、デュアルドメインの[[IPS方式]]のLCDパネルが使われている]] IBM T221は、[[トーマス・J・ワトソン研究所|IBMトーマス・J・ワトソン研究所]]のフラット・パネル・ディスプレイ・グループの実験技術としてスタートした。2000年、IBM研究所と[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]の共同作業により、コードネーム「Bertha」と呼ばれる22.2インチTFT LCDが試作された。このディスプレイの画素数と表示密度は3840×2400(QUXGA-W)、204ppiであった。2000年11月10日、IBMはカリフォルニア州にある[[アメリカ合衆国エネルギー省|米エネルギー省]]の[[ローレンス・リバモア国立研究所]]にプロトタイプを出荷したと発表した。2001年6月27日、IBMは製品版をT220として発表した。その後2001年10月15日、IBMはその後継機であるIBM T221を発表した<ref>{{Cite web |title=IBM T221(T220の後継機種)22.2型TFT液晶デジタル・カラー・モニター(黒)(920万画素) |url=https://www.ibm.com/common/ssi/ShowDoc.wss?docURL=/common/ssi/rep_ca/3/760/MON01043/index.html |website=www.ibm.com |date=2008-11-19 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。2002年3月7日、IBMはIBM T221の価格を17,999米ドル(228万円)から8,399米ドル(135万円)に引き下げると発表した<ref>{{Cite web |title=22.2型TFT液晶デジタル・カラー・モニター(黒)(920万画素)値下げのお知らせ |url=https://www.ibm.com/common/ssi/rep_ca/1/760/MON02011/index.html |website=www.ibm.com |date=2008-11-19 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。2003年9月2日、IBMは9503-DG5モデルの発売を発表した。 BMと台湾の奇美集団は2001年に[[イノラックスジャパン|IDTech]]<ref>{{Cite web |url=http://www.idtech.co.jp/en/about/index.html |title=IDTech LCDs - Resolution so high, it's more than meets the eye |publisher=[[International Display Technology|IDTech]] |access-date=2007-07-17 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20071006081044/http://www.idtech.co.jp/en/about/index.html |archive-date=October 6, 2007}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.idtech.co.jp/en/920LCD/index.html |title=9.2 Million-Pixel 22.2-Inch LCD Monitor |publisher=[[International Display Technology|Idtech]] |date=2003-11-26 |access-date=2007-07-17 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20070626041442/http://www.idtech.co.jp/en/920LCD/index.html |archive-date=June 26, 2007}}</ref>という合弁会社を設立し、T221を日本で製造した。[[ビューソニック|ViewSonic]]<ref>{{Cite press release|title=ViewSonic Brings World's Highest Resolution Monitor To Its LCD Lineup|publisher=[[ViewSonic]]|date=2002-06-25|url=http://www.viewsonic.com/company/news/vs_press_release_7179.htm|access-date=2009-07-16}}</ref>と[[iiyama]]<ref>{{Cite web |url=http://www.lcdnfo.com/html/Iiyama_AQU5611DTBK-lcd-monitor.html |title=Iiyama AQU5611DTBK flat screen monitor specification |publisher=LcdNfo.com |access-date=2007-07-17}}</ref>は、T221を[[OEM]]し、それぞれのブランド名で販売した。IDTechでは、非光沢モデルと光沢モデルの両方を生産した。八洲テクノロジーのIDTechの生産ラインは2005年にソニーに売却され<ref>{{Cite press release|title=Sony To Acquire IDTech's Yasu LCD Manufacturing Facility|publisher=[[International Display Technology|IDTech]]|date=2005-01-07|url=http://www.idtech.co.jp/en/news/press/20050107.html|access-date=2007-07-17|archive-url=https://web.archive.org/web/20070512231057/http://www.idtech.co.jp/en/news/press/20050107.html|archive-date=May 12, 2007}}</ref>T221の運命は不明となった。このモニターは現在販売されていない。2023年現在、5つのメーカーが13.4インチから16インチまでのWQUXGAパネルを生産している<ref>{{Cite web |title=PanelLook |url=https://www.panelook.com}}</ref>。 == 他社ブランドモデル == {| class="wikitable" !ブランド名 !機種名 !基となったIBMの機種 |- |[[Iiyama]] |AQU5611D BK, AQU5611DT BK |9503-DG3 |- |[[ViewSonic]] |VP2290b, VP2290b-2 |9503-DG3 |- |ViewSonic |VP2290b-3 |9503-DG5 |- |[[IDTech]] OEMパネル |MD22292B2/C2 |9503-DG1/DG3 |- |IDTech OEMパネル |MD22292B5 |9503-DG5/DGP/DGM |} == See also == * [[UHDTV|4K UHDTV]] == 出典 == <references group="" responsive="0"></references> == 外部リンク == * {{Cite web |first=Steven L. |author=Wright |title=IBM 9.2-Megapixel Flat-panel Display: Technology and Infrastructure |publisher=[[IBM]] |date=2002-03-08 |url=http://domino.research.ibm.com/library/cyberdig.nsf/1e4115aea78b6e7c85256b360066f0d4/25973492611bacf885256b800053728b |access-date=2007-07-17}} * {{Cite news |url=http://www.theinquirer.net/inquirer/news/1012426/ibm-t221-world-finest-monitor |archive-url=https://web.archive.org/web/20090914114750/http://www.theinquirer.net/inquirer/news/1012426/ibm-t221-world-finest-monitor |archive-date=September 14, 2009 |title=IBM T221 - the world's finest monitor? |publisher=[[The Inquirer]] |first=Nebojša |last=Novaković |date=2003-03-28 |access-date=2011-12-23}} * {{Cite news |url=http://www.yeraze.com/2005/10/the-ibm-t221-on-linux/ |title=The IBM T221 on Linux |first=Randall |last=Hand |date=2005-10-12 |access-date=2009-07-16}} * {{Cite news |url=http://www.altechnative.net/tag/t221/ |title=WQUXGA IBM T221 3840x2400 204dpi Monitor |first=Gordan |last=Bobic |date=2011-06-05 |access-date=2013-03-02}} [[Category:ディスプレイデバイス]]
2023-12-09T02:25:50Z
2023-12-17T13:02:10Z
false
false
false
[ "Template:Cite web", "Template:Cite press release", "Template:Cite news", "Template:要出典" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/IBM_T220/T221_LCD%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%BC
4,864,160
戸田健太
戸田 健太(とだ たつひろ、1988年9月16日 - )は、日本の俳優。長崎県出身。KISS Promotion所属。身長170cm。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "戸田 健太(とだ たつひろ、1988年9月16日 - )は、日本の俳優。長崎県出身。KISS Promotion所属。身長170cm。", "title": null } ]
戸田 健太は、日本の俳優。長崎県出身。KISS Promotion所属。身長170cm。
{{ActorActress | 芸名 = 戸田 健太 | ふりがな = とだ たつひろ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名義 = | 出生地 = {{JPN}}・[[長崎県]] | 死没地 = | 国籍 = | 民族 = | 身長 = 170 [[センチメートル|cm]] | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]] | 生年 = 1988 | 生月 = 9 | 生日 = 16 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[俳優]] | ジャンル = [[舞台]]・[[アイドル]] | 活動期間 = [[2014年]] - | 活動内容 = | 配偶者 = | 著名な家族 = | 事務所 = KISS Promotion | 公式サイト = [https://www.popclover.com/ 公式プロフィール] | 主な作品 = '''舞台'''<br /> 『ライトニング~ヒートプラネットレディ~ シリーズ』<ref>戸田健太.公式X. https://x.com/tatsuhiro_toda/status/591862110671372288?s=46 2023年12月9日閲覧。</ref><br />『KPOPミュージカル ~ BACK TO THE STAGE ~シーズン3』 | アカデミー賞 = | アリエル賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | エミー賞 = | グラミー賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | ジェミニ賞 = | ジニー賞 = | セザール賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | フィルムフェア賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''戸田 健太'''(とだ たつひろ、[[1988年]]<ref>YOKOHAMA男子 注目 男性ご当地アイドル.タウンニュースhttps://www.townnews.co.jp/0115/2020/03/19/521713.html 2023年12月9日閲覧。</ref>[[9月16日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]。[[長崎県]]出身。KISS Promotion所属。[[身長]]170cm。 == 経歴 == * 2014年より舞台俳優として活動を開始。2015年に男女混合ユニット'''チームJOY'''のメンバーとなる<ref>[https://x.com/tatsuhiro_toda/status/582216248492081152?s=46 戸田健太.公式X] 2023年12月9日閲覧。</ref>。その後、メンズアイドルグループ'''Documen10'''のメンバーに選ばれ、2017年より神奈川県ご当地アイドル'''YOKOHAMA男子'''のリーダーに就任<ref>[https://x.com/tatsuhiro_toda/status/924270448497516544?s=46 戸田健太.公式X] 2023年12月9日閲覧</ref>。青色担当<ref>[https://ameblo.jp/yokohamadanshi/entry-12324503660.html?frm=theme YOKOHAMA男子公式ブログ.Amebaブログ] 2023年12月9日閲覧</ref>。YOKOHAMA男子としてフラワーデザイナーなどの活動を開始<ref>[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/59b363055a8b2516d1eb01bf892c47450550acc7 【横須賀市】会いに行こう!横須賀を盛り上げたい情熱のYOKOHAMA男子☆ラジオやライブで大活躍] Yahoo!ニュース 2023年12月9日閲覧</ref>。 * 2022年、KPOPミュージカル『BACK TO THE STAGEシーズン3』に出演<ref>[https://hwaiting.me/?p=57071 KPOPミュージカル ~ BACK TO THE STAGE ~ シーズン3、5/17 開幕] 韓流エンタメのニュース&マガジン『Hwaiting!』2023年12月9日閲覧</ref>。 * 2022年10月よりプロジェクト[[若ET KISS]](ジャケットキス)により結成されたボーイズ・グループ[[若ET KISS#POP CLOVER| Pop Clover]]のメンバーとなる<ref>[https://x.com/pop_clover/status/1584107391624175618?s=46 POP CLOVER.公式X] 2023年12月9日閲覧</ref>。ブルー担当<ref>[https://twitter.com/tatsuhiro_toda 戸田健太/YOKOHAMA男子🐳POP CLOVER🍀.公式X.プロフィール] 2023年12月9日閲覧</ref>。 * 2023年10月、KISS Promotion ソロプロジェクト「POP UP」が始動、個人ブランドの制作が発表された<ref>[https://x.com/pop_clover/status/1713143579118543344?s=46 POP CLOVER 公式X] 2023年12月9日閲覧</ref>。 == 人物 == * 趣味:プリザーブドフラワー、麻雀、読書<ref>[https://www.jp-l.co.jp/joy/members/m_07.html チームJOY公式サイト.ジョイパックレジャー株式会社] 2023年12月9日閲覧</ref> * 特技:ゴルフ、シンコペーション * 好きな食べ物:お寿司 * 口癖:それな == 出演 == === テレビ番組 === * 地域情報便 じもっと!!(2019年9月18日、[[横浜ケーブルビジョン]])<ref>戸田健太.公式X. https://x.com/tatsuhiro_toda/status/1174142689647853568?s=46 2023年12月9日閲覧。</ref> * [[吉田山田のドレミファイル♪]](2019年11月2日、[[テレビ神奈川]])<ref>戸田健太.公式X. https://x.com/tatsuhiro_toda/status/1189671274110279680?s=46 2023年12月9日閲覧。</ref> * [[OH!舞DA PUMP!!]]エボリューション(2022年度、[[Lemino|dTVチャンネル]]) === ラジオ番組 === * [[EVENING ブルー湘南]](イブブル)(不定期、[[FM・ブルー湘南]]) * Karat Lunch(2022年1月13日、[[渋谷クロスFM]]) <ref>戸田健太.公式X. https://x.com/tatsuhiro_toda/status/1479451265025609730?s=46 2023年12月9日閲覧。</ref> === 舞台 === * ライトニング~ヒートプラネットレディ~(2015年6月2日 - 6月28日) - ヒログス 役 <ref>[https://ameblo.jp/kenproduce/entry-12016663545.html KENプロデュース.公式ブログ. Ameblo] 2023年12月9日閲覧</ref> * ~ BACK TO THE STAGE ~ シーズン3(2022年5月17日 - 22日) - エスティ 役<ref>https://kanpen.asia/archives/54995 2023年12月9日閲覧</ref> * LIGHTNING~run death game~(2022年12月2日 - 12月4日)<ref>[https://stage.corich.jp/stage/198986 CoRich舞台芸術!公式サイト] 2023年12月9日閲覧</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:とた たつひろ}} [[Category:日本の男性歌手]] [[Category:日本の舞台俳優]] [[Category:中部地方のローカルタレント]] [[Category:日本のタレント]] [[Category:名古屋市のローカルアイドル]] [[Category:日本の男性アイドル]] [[Category:1988年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T02:31:22Z
2023-12-12T08:42:21Z
false
false
false
[ "Template:ActorActress", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%81%A5%E5%A4%AA
4,864,168
モスラ (曖昧さ回避)
モスラ
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モスラ", "title": null } ]
モスラ モスラ - 1961年の映画 モスラ (1996年の映画) モスラ (ミレニアムシリーズ) モスラ (架空の怪獣)
'''モスラ''' * [[モスラ]] - 1961年の映画 * [[モスラ (1996年の映画)]] - 平成モスラシリーズ第1作。 * [[モスラ (架空の怪獣)]] - 上記作品を始めとする作品に登場する架空の怪獣。 ** [[モスラ (初代および昭和ゴジラシリーズ)]] ** [[モスラ (平成VSシリーズ)]] ** [[モスラ (平成モスラシリーズ)]] ** [[モスラ (ミレニアムシリーズ)]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:もすら}} [[Category:同名の作品]]
2023-12-09T02:47:21Z
2023-12-09T05:14:04Z
true
false
false
[ "Template:Aimai" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
4,864,169
山田健一 (曖昧さ回避)
山田 健一(やまだ けんいち)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "山田 健一(やまだ けんいち)", "title": null } ]
山田 健一 山田健一 - 元参議院議員の山口県平生町長 山田健一 (脚本家) 山田健一 (ゴルファー)
'''山田 健一'''(やまだ けんいち) * [[山田健一]] - 元[[参議院議員]]の山口県平生町長 * [[山田健一 (脚本家)]] * [[山田健一 (ゴルファー)]] {{人名の曖昧さ回避}} {{DEFAULTSORT:やまた けんいち}}
2023-12-09T02:52:02Z
2023-12-09T02:52:02Z
false
false
false
[ "Template:人名の曖昧さ回避" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
4,864,171
宜保優
宜保 優(ぎぼ ゆう、1999年7月29日 - )は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。ハヤテ223所属。 弟はオリックス・バファローズ所属の宜保翔。 小学3年時に野球を始める。豊見城市立とよみ小学校、豊見城市立長嶺中学校を経て、高校は沖縄県立那覇高等学校に進学し、3年夏の大会には主将として3番・遊撃手として出場した。 大学は福岡六大学野球連盟に所属する九州共立大学に特待生として進学。3月のオープン戦期間で、4本塁打を放つ活躍を見せ、4月の開幕戦でベンチメンバー入り、秋の神宮大会にはスタメンでの出場を果たした。2年、3年次も継続してレギュラーを張り、4年春には打撃フォームを修正して挑んだことが功を奏し、指名打者としてリーグベストナインを獲得した。プロ志望届を提出するも、ドラフト会議での指名を受けることは無かった。 2021年11月9日に行われたルートインBCリーグ2021ドラフト会議にて特別合格選手として栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。背番号は58。 2022年シーズンは主に1番・二塁手として年間を通して出場し、打率.274、3本塁打、25打点、14盗塁の成績を残した。 2023年シーズンは5月30日に怪我による練習生契約への変更があったものの、7月15日に選手契約に復帰し、シーズン終了まで主に3番・二塁手として出場、打率.327、3本塁打、28打点、13盗塁の成績を残した。シーズンオフの10月2日、栃木から退団し自由契約となったことが発表された。 12月7日、2024年シーズンから日本野球機構(NPB)のファームリーグ、ウエスタン・リーグに新規参入するハヤテ223新球団に入団することが発表された。背番号は66。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "宜保 優(ぎぼ ゆう、1999年7月29日 - )は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。ハヤテ223所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "弟はオリックス・バファローズ所属の宜保翔。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "小学3年時に野球を始める。豊見城市立とよみ小学校、豊見城市立長嶺中学校を経て、高校は沖縄県立那覇高等学校に進学し、3年夏の大会には主将として3番・遊撃手として出場した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "大学は福岡六大学野球連盟に所属する九州共立大学に特待生として進学。3月のオープン戦期間で、4本塁打を放つ活躍を見せ、4月の開幕戦でベンチメンバー入り、秋の神宮大会にはスタメンでの出場を果たした。2年、3年次も継続してレギュラーを張り、4年春には打撃フォームを修正して挑んだことが功を奏し、指名打者としてリーグベストナインを獲得した。プロ志望届を提出するも、ドラフト会議での指名を受けることは無かった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2021年11月9日に行われたルートインBCリーグ2021ドラフト会議にて特別合格選手として栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。背番号は58。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2022年シーズンは主に1番・二塁手として年間を通して出場し、打率.274、3本塁打、25打点、14盗塁の成績を残した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年シーズンは5月30日に怪我による練習生契約への変更があったものの、7月15日に選手契約に復帰し、シーズン終了まで主に3番・二塁手として出場、打率.327、3本塁打、28打点、13盗塁の成績を残した。シーズンオフの10月2日、栃木から退団し自由契約となったことが発表された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "12月7日、2024年シーズンから日本野球機構(NPB)のファームリーグ、ウエスタン・リーグに新規参入するハヤテ223新球団に入団することが発表された。背番号は66。", "title": "経歴" } ]
宜保 優は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。ハヤテ223所属。 弟はオリックス・バファローズ所属の宜保翔。
{{複数の問題 |一次資料=2023年12月 |特筆性=2023年12月 }} {{Infobox baseball player | 選手名 = 宜保 優 | 本名 = | 英語表記 = | 所属球団 = ハヤテ223新球団 | 役職 = | 背番号 = 66 | 画像 = | 画像サイズ =200 | 画像説明 =BCリーグ・栃木時代<br />2022年7月27日 [[保土ケ谷球場]]にて撮影 | 国籍 = {{JPN}} | 出身地 = [[沖縄県]][[豊見城市]] | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1999|7|29}} <!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} --> | 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} --> | 身長 = 180 | 体重 = 85 | 利き腕 = 右 | 打席 = 右 | 守備位置 = [[二塁手]] | プロ入り年度 = BCL / 2021年<!-- {{NPBドラフト|}} --> | ドラフト順位 = 特別合格 | 初出場 = BCL / 2022年4月9日 | 最終出場 = BCL / 2023年9月9日([[2023年のグランドチャンピオンシップ (独立リーグ)|GCS]]) | 年俸 = | 経歴 = * [[沖縄県立那覇高等学校]] * [[九州共立大学硬式野球部|九州共立大学]] * [[栃木ゴールデンブレーブス]] (2022 - 2023) * [[ハヤテ223]] (2024 - ) | 派遣歴 = | 経歴補足題 = | 経歴補足 = | 代表チーム = | 五輪 = | WBC = | プレミア12 = | 選出国 = | 選出年 = | 得票率 = | 選出方法 = |写真サイズ=|選手写真ファイル名=Yu Gibo 58 TochigiGB.jpg}} '''宜保 優'''(ぎぼ ゆう、[[1999年]][[7月29日]] - )は、[[沖縄県]][[豊見城市]]出身<ref name="琉球新報211007">{{Cite news|和書|title=九州共立大の宜保優 走力高く内外野もこなす<球界への挑戦―10・11ドラフト>5|newspaper=琉球新報デジタル|date=2021-10-07|author=上江洲真梨子|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1404151.html|accessdate=2023-12-10}}</ref>の[[プロ野球選手]]([[内野手]])。右投右打。[[ハヤテ223]]新球団所属。 弟は[[オリックス・バファローズ]]所属の[[宜保翔]]。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学3年時に[[野球]]を始める{{R|琉球新報211007}}<ref>{{Cite web |和書|title=自己紹介|宜保優 |url=https://note.com/gibo7889/n/n5132a4ffd124 |website=note(ノート) |date=2020-12-06 |access-date=2023-12-10 }}</ref>。[[豊見城市立とよみ小学校]]、[[豊見城市立長嶺中学校]]を経て、高校は[[沖縄県立那覇高等学校]]に進学し、3年夏の大会には主将として3番・[[遊撃手]]として出場した{{R|琉球新報211007}}。 大学は[[福岡六大学野球連盟]]に所属する[[九州共立大学]]に特待生として進学。3月のオープン戦期間で、4本塁打を放つ活躍を見せ、4月の開幕戦でベンチメンバー入り、秋の[[明治神宮野球大会|神宮大会]]にはスタメンでの出場を果たした<ref>{{Cite web |title=大学野球を終えて|宜保優 |url=https://note.com/gibo7889/n/n27f5a50602ec |website=note(ノート) |date=2021-10-04 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。2年、3年次も継続してレギュラーを張り、4年春には打撃フォームを修正して挑んだことが功を奏し、[[指名打者]]としてリーグベストナインを獲得した{{R|琉球新報211007}}<ref>{{Cite web |title=≪年度別ベストナイン≫ |url=http://www.kyukyo89.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E4%B8%89%E5%A1%81-%E9%81%8A%E6%92%83-%E5%A4%96%E9%87%8E-%E6%8C%87%E5%90%8D/ |website=九州共立大学硬式野球部 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref>。[[プロ志望届]]を提出するも、[[2021年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]での指名を受けることは無かった。 [[2021年]][[11月9日]]に行われた[[ルートインBCリーグ]]2021ドラフト会議にて特別合格選手として[[栃木ゴールデンブレーブス]]に入団することが発表された<ref>{{Cite web |title=ドラフト指名選手、特別合格選手のお知らせ |url=https://tochigi-braves.jp/news/2021/11/09/8906/ |website=栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト |date=2021-11-09 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。背番号は'''58'''<ref>{{Cite web |title=新入団選手発表会見実施のお知らせ |url=https://tochigi-braves.jp/news/2021/12/21/8963/ |website=栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト |date=2021-12-21 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 === BCリーグ・栃木時代 === {{by|2022年}}シーズンは主に1番・[[二塁手]]として年間を通して出場し、打率.274、3本塁打、25打点、14盗塁の成績を残した<ref>{{Cite web |title=一球速報 |url=https://baseball.omyutech.com/playerTop.action?playerId=2295238&teamId=31129 |website=baseball.omyutech.com |access-date=2023-12-09}}</ref>。 {{by|2023年}}シーズンは[[5月30日]]に怪我による練習生契約への変更があったものの<ref>{{Cite web |title=練習生契約のお知らせ |url=https://tochigi-braves.jp/news/2023/05/30/10952/ |website=栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト |date=2023-05-30 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、[[7月15日]]に選手契約に復帰し<ref>{{Cite web |title=選手契約・自由契約のお知らせ |url=https://tochigi-braves.jp/news/2023/07/15/11163/ |website=栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト |date=2023-07-15 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、シーズン終了まで主に3番・二塁手として出場、打率.327、3本塁打、28打点、13盗塁の成績を残した<ref>{{Cite web |title=一球速報 |url=https://baseball.omyutech.com/playerTop.action?playerId=2295238&teamId=31129 |website=baseball.omyutech.com |access-date=2023-12-09}}</ref>。シーズンオフの[[10月2日]]、栃木から退団し自由契約となったことが発表された<ref>{{Cite web |title=退団選手のお知らせ |url=https://tochigi-braves.jp/news/2023/10/02/11410/ |website=栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト |date=2023-10-02 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 [[12月7日]]、{{by|2024年}}シーズンから[[日本野球機構]](NPB)のファームリーグ、[[ウエスタン・リーグ]]に新規参入するハヤテ223新球団に入団することが発表された。背番号は'''66'''<ref>{{Cite web |url=https://hayate.co.jp/pdf/20231207_hayate223_press_release.pdf?202312073 |title=ハヤテ223新球団 新入団選手のお知らせ |access-date=2023年12月9日}}</ref>。 <!-- === ハヤテ223時代 === --> == 詳細情報 == === 独立リーグでの年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ|ベースボール・チャレンジ・リーグ}} |- |style="text-align: center;"|{{by2|2022}} |rowspan="2" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[栃木ゴールデンブレーブス|栃木]] |56||241||219||31||60||8||2||3||81||25||14||7||0||2||15||-||5||44||4||.274||.332||.370||.702 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2023}} |39||170||156||22||51||5||0||3||65||28||13||2||1||1||11||-||1||22||4||.327||.373||.417||.780 |- !colspan="2"|通算:2年 |95||411||375||53||111||13||2||6||146||53||27||9||1||3||26||-||6||66||8||.296||.349||.389||.738 |} * 2023年度シーズン終了時 === 背番号 === * '''58'''(2022年 - 2023年) * '''66'''(2024年 - ) == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[栃木ゴールデンブレーブスの選手一覧]] * [[兄弟スポーツ選手一覧]] == 外部リンク == * {{Twitter|giboyv|宜保優(ぎぼゆー)}} * {{Instagram|giboyu_uchinanchu|宜保優(ぎぼゆー)}} * {{Note.com|gibo7889}} {{ハヤテ223}} {{栃木ゴールデンブレーブス}} {{DEFAULTSORT:きほ ゆう}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:沖縄県出身の人物]] [[Category:九州共立大学硬式野球部の選手]] [[Category:栃木ゴールデンブレーブスの選手]] [[Category:1999年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T03:00:25Z
2023-12-13T13:39:14Z
false
false
false
[ "Template:Cite web", "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:Note.com", "Template:栃木ゴールデンブレーブス", "Template:Infobox baseball player", "Template:Cite news", "Template:年度別打撃成績", "Template:By2", "Template:ハヤテ223", "Template:R", "Template:By" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9C%E4%BF%9D%E5%84%AA
4,864,173
内藤元忠
内藤 元忠(ないとう もとただ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。一時期、林元尚の婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗ったが、兄・内藤元家の死に伴い、内藤家に戻って家督を継いだ。 毛利氏重臣・内藤隆春の次男として生まれ、毛利輝元と秀就の二代に御手廻(側近)として仕える。 林就長の弟である林元尚が嫡男のいないまま死去すると、元尚の一人娘と婚姻し、婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗った。 慶長17年(1612年)6月15日、兄・内藤元家が嫡男のいないまま病死すると、外戚でもある内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより、元忠が内藤家に戻って元家の後を継いだ。内藤家に戻った元忠は通称を「左近允」と改め、後に「左衛門尉」と名乗る。なお、林家は元忠の嫡男である正助が継いでいる。 元和3年(1617年)12月13日、秀就から諸役目についての法度を与えられる。 寛永2年(1625年)5月2日に死去。次男の元俊が14歳で後を継ぎ、同年8月13日に長門国美祢郡伊佐村の内の1620石と阿武郡高佐村の内の180石の合計1800石を与えられている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "内藤 元忠(ないとう もとただ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。一時期、林元尚の婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗ったが、兄・内藤元家の死に伴い、内藤家に戻って家督を継いだ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "毛利氏重臣・内藤隆春の次男として生まれ、毛利輝元と秀就の二代に御手廻(側近)として仕える。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "林就長の弟である林元尚が嫡男のいないまま死去すると、元尚の一人娘と婚姻し、婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "慶長17年(1612年)6月15日、兄・内藤元家が嫡男のいないまま病死すると、外戚でもある内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより、元忠が内藤家に戻って元家の後を継いだ。内藤家に戻った元忠は通称を「左近允」と改め、後に「左衛門尉」と名乗る。なお、林家は元忠の嫡男である正助が継いでいる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "元和3年(1617年)12月13日、秀就から諸役目についての法度を与えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "寛永2年(1625年)5月2日に死去。次男の元俊が14歳で後を継ぎ、同年8月13日に長門国美祢郡伊佐村の内の1620石と阿武郡高佐村の内の180石の合計1800石を与えられている。", "title": "生涯" } ]
内藤 元忠は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。父は毛利氏の重臣・内藤隆春。母は内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。一時期、林元尚の婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗ったが、兄・内藤元家の死に伴い、内藤家に戻って家督を継いだ。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 内藤元忠 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 | 生誕 = 不詳 | 死没 = [[寛永]]2年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]([[1625年]][[6月6日]]) | 改名 = 内藤宮菊丸([[幼名]])→内藤元忠→林元忠→内藤元忠 | 別名 = 通称:平次郎→仁左衛門尉→左近允→左衛門尉 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = [[毛利輝元]]→[[毛利秀就|秀就]] | 藩 = [[長州藩]] | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原秀郷|秀郷流]][[内藤氏]]→[[林氏]]→[[内藤氏]] | 父母 = 父:[[内藤隆春]]、母:[[阿座上盛豊]]の娘<br>養父:[[林元尚]] | 兄弟 = 女([[益田藤兼]]継室)、[[河原殿]]([[吉見広頼]]継室)、[[綾木大方]]([[内藤元盛]]室→[[山内元如]]室)、女([[湯氏|湯二郎左衛門尉]]室)、奥林([[勝間田就盛]]室)、女([[三田吉秀|三田吉右衛門尉]]室)、[[内藤元家|元家]]、'''元忠'''、[[内藤親春|親春]] | 妻 = 正室:[[林元尚]]の娘<br>継室:[[村上景親]]の娘 | 子 = [[林元助]]、'''[[内藤元俊|元俊]]''' | 特記事項 = }} '''内藤 元忠'''(ないとう もとただ)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]。父は毛利氏の重臣・[[内藤隆春]]{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。母は[[内藤氏]]家臣・[[阿座上盛豊]]の娘{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。一時期、[[林元尚]]の婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗ったが、兄・[[内藤元家]]の死に伴い、内藤家に戻って家督を継いだ<ref name=kafu>『閥閲録』巻99「内藤小源太」家譜。</ref>。 == 生涯 == [[毛利氏]]重臣・[[内藤隆春]]の次男として生まれ{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}、[[毛利輝元]]と[[毛利秀就|秀就]]の二代に御手廻(側近)として仕える<ref name=kafu></ref>。 [[林就長]]の弟である[[林元尚]]が嫡男のいないまま死去すると、元尚の一人娘と婚姻し、婿養子となって「林仁左衛門尉」と名乗った<ref name=kafu></ref>。 [[慶長]]17年([[1612年]])[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]、兄・[[内藤元家]]が嫡男のいないまま病死すると、外戚でもある内藤家が断絶することを憂えた輝元の計らいにより、元忠が内藤家に戻って元家の後を継いだ{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}<ref name=kafu></ref>。内藤家に戻った元忠は[[仮名 (通称)|通称]]を「左近允」と改め、後に「左衛門尉」と名乗る{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。なお、林家は元忠の嫡男である[[林正助|正助]]が継いでいる<ref name=kafu></ref>。 [[元和]]3年([[1617年]])[[12月13日 (旧暦)|12月13日]]、秀就から諸役目についての法度を与えられる<ref>『閥閲録』巻99「内藤小源太」第30号、元和3年(1617年)12月23日付、内藤左衛門尉(元忠)宛て毛利秀就書状。</ref>。 [[寛永]]2年([[1625年]])[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]に死去{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}<ref name=kafu></ref>。次男の[[内藤元俊|元俊]]が14歳で後を継ぎ<ref name=kafu></ref>、同年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]に[[長門国]][[美祢郡]][[伊佐町|伊佐村]]の内の1620石と[[阿武郡]][[高俣村|高佐村]]の内の180石の合計1800石を与えられている<ref>『閥閲録』巻99「内藤小源太」第31号、寛永2年(1625年)8月13日付、[[益田元祥]]・[[清水景治]]・[[宍道元兼]]連署状。</ref>。 == 系譜 == * 父:[[内藤隆春]](1528-1600) - 内藤氏当主。 * 母:[[阿座上盛豊]]の娘(?-?) - 内藤氏家臣・阿座上盛豊の娘。内藤隆春の継室{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。 * 正室:[[林元尚]]の娘 ** 長男:[[林元助]](?-?) - 元忠が内藤家の家督を相続するにあたって、林家の家督を相続する<ref name=kafu></ref>。 ** 次男:[[内藤元俊]](1612-1679) - 幼名は五郎作。通称は左衛門尉。[[延宝]]6年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]([[1679年]][[2月2日]])に死去<ref name=kafu></ref>。享年67<ref name=kafu></ref>。 * 継室:[[村上景親]]の娘 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] * 『[[閥閲録|萩藩閥閲録]]』巻99「内藤小源太」 {{DEFAULTSORT:ないとう もとただ}} [[category:戦国武将]] [[Category:周防内藤氏|もとただ]] [[Category:長門国の人物]] [[Category:長州藩士]] [[Category:16世紀生]] [[Category:1625年没]]
2023-12-09T03:02:41Z
2023-12-09T03:02:41Z
false
false
false
[ "Template:基礎情報 武士", "Template:Sfn", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:クローズドアクセス" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E5%85%83%E5%BF%A0
4,864,175
サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画
『サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画』は、イタリア初期ルネサンスの画家エルコレ・デ・ロベルティが1479-1481年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ミラノのブレラ美術館に所蔵されている。 この祭壇画はラヴェンナ近郊のサンタ・マリア・イン・ポルト教会のために制作され、中央礼拝堂に飾られた。16世紀にはラヴェンナの聖フランチェスコ教会に移されたが、ナポレオンのイタリア侵攻 (Napoleonic invasion of Italy) の後、ミラノに移され、1811年からブレラ美術館の所有となっている。 絵画は主に垂直線からなる建築内に設定されており、その中に聖母マリアの座っている玉座が置かれた高い八角形の基壇がある。基壇の最下部はタイル (「幼児虐殺」、「東方三博士の礼拝」、「神殿奉献」を表している) で装飾されているが、それは古代の浅浮彫を真似たもので、サンタントーニオ・ダ・パドヴァ聖堂 (パドヴァ) にあるドナテッロの祭壇に触発されたものである。 基壇の最下部は、モールディングと花飾り、皿、大理石のリングの装飾がある柱を支えている。一方で背景には嵐の海が見えるが、これはサンタ・マリア・イン・ポルト教会の設立に言及したものである。十字軍兵士のピエトロ・デリ・オネスティ (Pietro degli Onesti) は難破した船を逃れ、生き延びたが、奇跡的な救済の返礼に聖母マリアに捧げられた大きな教会を建立する誓いをたてた。 玉座は、浮彫のある壁龕に囲まれ、絨毯の上に置かれている。両側には赤い垂れ幕がある。描かれている4人の聖人は、下にいるのが聖アウグスティヌスと教会設立者のピエトロ・デリ・オネスティ、上の聖母の両脇にいるのが聖エリサべトと聖アンナである。 全体の構図は、1475年以降アントネロ・ダ・メッシーナによって導入された「聖会話」のピラミッド型構図の例である。本作は、デ・ロベルティが到達した、堅固な古典的モニュメンタリティー (記念碑性) を示す最上の作例の1つとなっている。ここで、彼はフェラーラのスキアファノイア宮殿 (Palazzo Schiafanoia) のフレスコ画に見られる熱狂的ダイナミズムを抑制し、もっと堅固で計測された形態を採用している。人物像は強固な彫塑性で描かれ、画家の神経質な表現は装飾だけに留められている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画』は、イタリア初期ルネサンスの画家エルコレ・デ・ロベルティが1479-1481年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ミラノのブレラ美術館に所蔵されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この祭壇画はラヴェンナ近郊のサンタ・マリア・イン・ポルト教会のために制作され、中央礼拝堂に飾られた。16世紀にはラヴェンナの聖フランチェスコ教会に移されたが、ナポレオンのイタリア侵攻 (Napoleonic invasion of Italy) の後、ミラノに移され、1811年からブレラ美術館の所有となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "絵画は主に垂直線からなる建築内に設定されており、その中に聖母マリアの座っている玉座が置かれた高い八角形の基壇がある。基壇の最下部はタイル (「幼児虐殺」、「東方三博士の礼拝」、「神殿奉献」を表している) で装飾されているが、それは古代の浅浮彫を真似たもので、サンタントーニオ・ダ・パドヴァ聖堂 (パドヴァ) にあるドナテッロの祭壇に触発されたものである。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "基壇の最下部は、モールディングと花飾り、皿、大理石のリングの装飾がある柱を支えている。一方で背景には嵐の海が見えるが、これはサンタ・マリア・イン・ポルト教会の設立に言及したものである。十字軍兵士のピエトロ・デリ・オネスティ (Pietro degli Onesti) は難破した船を逃れ、生き延びたが、奇跡的な救済の返礼に聖母マリアに捧げられた大きな教会を建立する誓いをたてた。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "玉座は、浮彫のある壁龕に囲まれ、絨毯の上に置かれている。両側には赤い垂れ幕がある。描かれている4人の聖人は、下にいるのが聖アウグスティヌスと教会設立者のピエトロ・デリ・オネスティ、上の聖母の両脇にいるのが聖エリサべトと聖アンナである。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "全体の構図は、1475年以降アントネロ・ダ・メッシーナによって導入された「聖会話」のピラミッド型構図の例である。本作は、デ・ロベルティが到達した、堅固な古典的モニュメンタリティー (記念碑性) を示す最上の作例の1つとなっている。ここで、彼はフェラーラのスキアファノイア宮殿 (Palazzo Schiafanoia) のフレスコ画に見られる熱狂的ダイナミズムを抑制し、もっと堅固で計測された形態を採用している。人物像は強固な彫塑性で描かれ、画家の神経質な表現は装飾だけに留められている。", "title": "作品" } ]
『サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画』は、イタリア初期ルネサンスの画家エルコレ・デ・ロベルティが1479-1481年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ミラノのブレラ美術館に所蔵されている。 この祭壇画はラヴェンナ近郊のサンタ・マリア・イン・ポルト教会のために制作され、中央礼拝堂に飾られた。16世紀にはラヴェンナの聖フランチェスコ教会に移されたが、ナポレオンのイタリア侵攻 の後、ミラノに移され、1811年からブレラ美術館の所有となっている。
{{Infobox artwork |image_file= Pala_d_santa_maria_in_porto,_ercole_de'_roberti.jpg | image_size = 380px | title = サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画 | other_language_1 = [[イタリア語]] | other_title_1 = Pala di Santa Maria in Porto | other_language_2 = [[英語]] | other_title_2 = Santa Maria in Porto Altarpiece | artist = [[カルロ・クリヴェッリ]] | year = 1479–1481年 | type = [[キャンバス]]上に[[油彩]] | height = 323 | width = 240 | city = [[ミラノ]] | museum = [[ブレラ美術館]] }} 『'''サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画'''』(サンタ・マリア・イン・ポルトのさいだんが、{{Lang-it-short|Pala di Santa Maria in Porto}}、{{Lang-en-short|Santa Maria in Porto Altarpiece}})、または『'''ポルトゥエンセ祭壇画'''』(ポルトゥエンセさいだんが、{{Lang-it-short|Pala Potuense}}、{{Lang-en-short|Potuense Altarpiece}})<ref name="PB">{{Cite web |url=https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/virgin-and-child-enthroned-with-saints/|title=Virgin Enthroned with the Christ Child, St. Anne, St. Elisabeth, St. Augustine and the Blessed Pietro degli Onesti|publisher=[[ブレラ美術館]]公式サイト (英語)|access-date=2023/12/0}}</ref>、または『'''玉座の聖母子と聖アンナ、聖エリサべト、聖アウグスティヌス、祝福されたピエトロ・デリ・オネスティ'''』(ぎょくざのせいぼしとせいアンナ、せいエリサべト、せいアウグスティヌス、しゅくふくされたピエトロ・デリ・オネスティ、{{Lang-it-short|Virgin Enthroned with the Christ Child, St. Anne, St. Elisabeth, St. Augustine and the Blessed Pietro degli Onesti}}、{{Lang-en-short|Virgin Enthroned with the Christ Child, St. Anne, St. Elisabeth, St. Augustine and the Blessed Pietro degli Onesti}})<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG">ブレラ 絵画館全作品ガイド 1997年、88項。</ref>は、[[イタリア]]初期[[ルネサンス]]の画家[[エルコレ・デ・ロベルティ]]が1479-1481年に[[キャンバス]]上に油彩で制作した絵画である。[[ミラノ]]の[[ブレラ美術館]]に所蔵されている<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG" />。 この[[祭壇画]]は[[ラヴェンナ]]近郊のサンタ・マリア・イン・ポルト教会のために制作され<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG" />、中央[[礼拝堂]]に飾られた<ref name="ReferenceBG" />。16世紀にはラヴェンナの聖フランチェスコ教会に移されたが、{{仮リンク|ナポレオンのイタリア侵攻|en|Napoleonic invasion of Italy}}の後、ミラノに移され、1811年からブレラ美術館の所有となっている<ref name="PB" />。 == 作品 == 絵画は主に垂直線からなる建築内に設定されており、その中に[[聖母マリア]]の座っている[[玉座]]が置かれた高い八角形の[[基壇]]がある<ref name="PB" />。基壇の最下部は[[タイル]] (「[[幼児虐殺]]」、「[[東方三博士の礼拝]]」、「[[神殿奉献]]」を表している<ref name="PB" />) で装飾されているが、それは古代の浅[[浮彫]]を真似たもので、[[サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂|サンタントーニオ・ダ・パドヴァ聖堂]] ([[パドヴァ]]) にある[[ドナテッロ]]の[[祭壇]]に触発されたものである<ref name="PB" />。 基壇の最下部は、モールディングと花飾り、皿、大理石のリングの装飾がある柱を支えている<ref name="PB" />。一方で背景には嵐の海が見えるが、これはおそらくサンタ・マリア・イン・ポルト教会の設立に言及したものである<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG" />。[[十字軍]]兵士のピエトロ・デリ・オネスティ (Pietro degli Onesti) は難破した船を逃れ、生き延びたが、奇跡的な救済の返礼に聖母マリアに捧げられた大きな教会を建立した<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG" />。 玉座は、浮彫のある[[壁龕]]に囲まれ、絨毯の上に置かれている。両側には赤い垂れ幕がある。描かれている4人の聖人は、下にいるのが[[アウグスティヌス|聖アウグスティヌス]]と教会設立者の祝福されたピエトロ・デリ・オネスティ、上の聖母の両脇にいるのが[[エリサベト|聖エリサべト]]と[[聖アンナ]]である<ref name="PB" /><ref name="ReferenceBG" />。 全体の構図は、1475年以降[[アントネロ・ダ・メッシーナ]]によって導入された「[[聖会話]]」の[[ピラミッド]]型構図の例である。本作は、デ・ロベルティが到達した、堅固な古典的モニュメンタリティー (記念碑性) を示す最上の作例の1つとなっている<ref name="PB" />。ここで、彼は[[フェラーラ]]の{{仮リンク|スキアファノイア宮殿|en|Palazzo Schifanoia}}の[[フレスコ画]]に見られる熱狂的ダイナミズムを抑制し、もっと堅固で計測された形態を採用している。人物像は強固な彫塑性で描かれ、画家の神経質な表現は装飾だけに留められている<ref name="PB" />。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * 『ブレラ 絵画館全作品ガイド』、SCALA、1977年 ISBN 978-888117680-9 * {{Cite book |author-mask=__ |title=''Brera, guida alla Pinacoteca'' |publisher=Electa, publisher |location=Milan |year=2004}} == 外部リンク == * [https://pinacotecabrera.org/en/collezione-online/opere/virgin-and-child-enthroned-with-saints/ ブレラ美術館公式サイト、エルコレ・デ・ロベルティ『サンタ・マリア・イン・ポルトの祭壇画』 (英語)] {{DEFAULTSORT:さんたまりあいんほるとのさいたんか}} [[Category:1480年代の絵画]] [[Category:ブレラ美術館の所蔵品]] [[Category:聖母マリアを描いた絵画]] [[Category:イエス・キリストを描いた絵画]] [[Category:エルコレ・デ・ロベルティの作品]]
2023-12-09T03:07:46Z
2023-12-09T03:45:07Z
false
false
false
[ "Template:Infobox artwork", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A5%AD%E5%A3%87%E7%94%BB
4,864,177
第5回早指し王位決定戦
第5回早指し王位決定戦 (だい5かいはやざしおういけっていせん) は、1958年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、灘蓮照八段が大山康晴二冠(前王位)を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第5回早指し王位決定戦 (だい5かいはやざしおういけっていせん) は、1958年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、灘蓮照八段が大山康晴二冠(前王位)を下した。", "title": null } ]
第5回早指し王位決定戦 (だい5かいはやざしおういけっていせん) は、1958年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、灘蓮照八段が大山康晴二冠(前王位)を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第5回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1958年 - 1959年3月9日 |タイトル=王位 |前タイトル=[[大山康晴]] |今期=第5回 |新タイトル=[[灘蓮照]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第4回早指し王位決定戦|第4回]] |次回=[[第6回早指し王位決定戦|第6回]] }} '''第5回早指し王位決定戦''' (だい5かいはやざしおういけっていせん) は、[[1958年度の将棋界|1958年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[灘蓮照]]八段が[[大山康晴]]二冠(前王位)を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 ==第5回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!第3局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1959年<br>2月16日!!1959年<br>2月28日!!1959年<br>3月9日 |- |[[大山康晴]]二冠(前王位)||○||●||●|| |- |'''[[灘蓮照]]八段'''||●||○||○||'''優勝''' |} == 本戦 == {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{竜王戦ランキング戦2-1 |FS=90%<!--fontsize--> |RD1= 1回戦 |RD2= 2回戦 |RD3= 準々決勝 |RD4= 準決勝 |RD5= '''挑戦者決定戦''' |W11=10em<!--スコア幅 1回戦左--> |W1= 0em<!--名前欄幅1左 1回戦--> |W2= 0em<!--名前欄幅2右 1回戦--> |W3= 4.5em<!--名前欄幅2左 2回戦/3回戦/準決勝--> |W4= 0em<!--名前欄幅2右 2回戦/3回戦/準決勝--> |W5=10em<!--名前欄幅3 決勝--> |W12=2em<!--スコア幅1 1回戦--> |W13=2em<!--スコア幅2 2回戦/3回戦/準決勝--> |W14=2em<!--スコア幅3 決勝--> <!--1回戦--> |'''[[灘蓮照]]八段'''| | |○ |[[神田鎮雄]]六段| | |● |[[本間爽悦]]七段| | |○ |[[熊谷達人]]七段| | |● |[[加藤一二三]]八段| | |○ |[[松浦卓造]]八段| | |● |[[有吉道夫]]六段| | |○ |[[大野源一]]八段| | |● |[[花村元司]]八段| | |○ |[[松下力]]八段| | |● |[[関根茂]]六段| | |○ |[[原田泰夫]]八段| | |● |[[高柳敏夫]]八段| | |○ |[[芹沢博文]]五段| | |● |[[大友昇]]六段| | |○ |[[廣津久雄]]七段| | |● |[[松田茂行]]八段| | |○ |[[二上達也]]八段| | |● |[[剱持松二]]四段| | |○ |[[丸田祐三]]八段| | |● |[[五十嵐豊一]]八段| | |○ |[[清野静男]]七段| | |● |[[市川伸]]五段| | |○ |[[高島一岐代]]八段| | |● |[[佐藤大五郎]]四段| | |○ |[[坂口允彦]]八段| | |● |[[塚田正夫]]永世九段| | |○ |[[下平幸男]]七段| | |● |[[北村昌男]]七段| | |● |[[升田幸三]]名人| | |○ |[[加藤博二]]七段| | |○ |[[宮坂幸雄]]四段| | |● <!--2回戦--> |'''灘'''| |○ |本間| |● |加藤一| |● |有吉| |○ |花村| |○ |関根| |● |高柳| |○ |大友| |● |松田| |○ |剱持| |● |五十嵐| |○ |市川| |● |佐藤| |○ |塚田| |● |升田| |○ |加藤博| |● <!--準々決勝--> |'''灘'''| |○ |有吉| |● |花村| |○ |高柳| |● |松田| |○ |五十嵐| |● |佐藤| |● |升田| |○ <!--準決勝--> |'''灘'''| |○ |花村| |● |松田| |● |升田| |○ <!--決勝--> |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[灘蓮照]]八段{{0}} }}'''|○|'''三番勝負進出''' |[[升田幸三]]名人|●| }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん05き}} [[Category:早指し王位決定戦|05]] [[Category:1958年の将棋]] [[Category:1959年の将棋]]
2023-12-09T03:13:10Z
2023-12-09T12:43:25Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 各年の棋戦", "Template:竜王戦ランキング戦2-1", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:早指し王位決定戦", "Template:Shogi-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC5%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,178
モスラ (平成VSシリーズ)
モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラ平成VSシリーズの映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場するモスラおよび『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)に登場するフェアリーモスラを扱う。 『vsモスラ』に登場する亜種怪獣であるバトラについてはバトラ (ゴジラシリーズ)を参照。 インファント島の地球の先住民族コスモスに守護神と崇められている巨大生物。幼虫の眼は青い。この作品以降から幼虫の尾の先端の三つに分かれた突起の真ん中の1本角が立っており、長く伸びている。幼虫の体や顔はツルッとした硬質な感じとなっている。成虫もぬいぐるみのように全体的に丸みを帯びたフォルムに変化している。目や頭部は真円(真球)に似た形状となっており、指も大きくなり、足も太く長くなっているが、飛行中には動かさない。出現地点はフィリピン沖→東京湾→東京・赤坂→国会議事堂→横浜・みなとみらい21→北の海→東京・立川基地→宇宙。 幼虫は、口からねばついた繭糸を吐くが、ゴジラを翻弄するだけでなく、表皮から煙が上がるなど、一定のダメージを与えている。また、ゴジラの尻尾への噛みつきもかなり痛い様子で、抜群の威力ともいえる。 殺生を好まない優しい性格だが、コスモスを守るためであれば、徹底した攻撃も辞さない一面も持つ。同族だが傾向が異なるバトラとは戦う運命にあり、不本意ながらこれと戦う。暴風雨の影響でインファント島の地底から卵が露出し、島の開発を行っていた丸友観光によって日本へ曵航される途中に海上で孵化。孵化の直前に出現したゴジラと洋上で戦うが、ゴジラの放射熱線や体格差もあって苦戦を強いられているところへバトラの乱入に遭い、インファント島へ帰還する。その後、丸友観光に拉致されたコスモスを追って日本を目指し、太平洋上で自衛隊の火器攻撃を突破して東京湾から上陸し、コスモスの無事を赤坂で確認すると国会議事堂に激突して変態の態勢に入ると周囲に繭を張って、深夜に繭を割って羽化して成虫となる。 その後、横浜方面へと飛び立ち、同時期に成虫となったバトラと横浜上空で激しい戦いを繰り広げるが撃墜される。その後、上陸してきたゴジラに対して、バトラには決して使うことがなかった超音波ビームで攻撃し、バトラと助け合っての和解を経て、共闘の末にゴジラを戦闘不能状態にして海へ連れ去る。だが、突如復活したゴジラにバトラが倒され、その海上でゴジラを海底に封印エネルギーで縛り付けてバトラの使命を受け継ぎ、20世紀末に地球に追突する巨大隕石の軌道を変更するため、宇宙へ旅立つ。その際、脚に付着したゴジラ細胞が、後にスペースゴジラが誕生する一因となる。 成虫は、触角から放つ超音波光線(超音波ビーム)と鱗粉(モスラ鱗粉、電磁鱗粉、毒鱗粉)を武器とする。鱗粉が撒かれている間はその中に電磁波が発生し、あらゆる光線や熱線を乱反射させてしまう性質を帯びており、内部からの熱線や外からのビームも乱反射することで鱗粉の中にいるものを襲う。これによってゴジラは放射熱線を封じ込められたばかりか威力を逆利用され、さらにバトラのプリズム光線の連携攻撃にも遭い、敗退することとなる。コスモスは「モスラ最後の武器」と呼ぶ。また、飛翔時の旋風は周囲を破壊することもあり、バトラとの空中戦では横浜中華街にダメージを負わせている。 平成でのモスラの復活は、『ゴジラvsビオランテ』に続く作品として大森一樹による『モスラVSバガン』の脚本が執筆されていたが、興行上の懸念から『ゴジラvsキングギドラ』に改められ、その後川北紘一によるプロット『ゴジラVSギガモス』を経て『ゴジラvsモスラ』として実現するに至った。『VSギガモス』にもモスラは登場しており、最後はギガモスと合体したモスラがゴジラを打ち破るという展開であった。 東宝プロデューサーの田中友幸は、スタッフに対して本作品の主役はモスラであると述べており、脚本を担当した大森一樹に対しても『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』を一本にまとめると要望していた。 国会議事堂での羽化や宇宙へ旅立つというラストは、第1作『モスラ』での没案を取り入れたものである。空港に降り立ったシーンも初代のリメイクである。 生頼範義によるポスターイラストでは、劇中と異なり卵から2匹の幼虫が現れる様が描かれている。これは、企画時の『VSギガモス』でモスラとギガモスが同じ卵から生まれるという設定に基づいたものであった。川北は、生頼への依頼時点で脚本が完成していなかったためプロットをもとにしたと述べている。 当初は大型化したゴジラや建物にあわせた大きさが想定されていたが、その比率で造形した場合、撮影には不都合であったため、それぞれ造形物の撮影での都合を優先して大きさが決められていった。 新規のキャラクターデザインは描かれておらず、東宝映像美術により造形用の三面図が作られた。デザインは初代に準じているが、配色はより鮮やかなものとされた。また、足の指が3本になっている。特技監督の川北紘一によれば、脚本の完成が遅れていたが、ゴジラとモスラが登場することは決まっていたため、予算や設定が決まる前にデザインワークを先行したという。 造形はツエニー。同社代表の村瀬継蔵は1961年の『モスラ』でもモスラの造形を行っている。村瀬が成虫・幼虫併せ、東宝特殊美術部から発注を受けたのはクランク・インのわずか1カ月前だったが、村瀬は年明けに川北からデザイン画を受け取り準備を始めていたおかげで、なんとかこれに間に合わせたと語っている。また、村瀬は旧作とイメージを変えず、向上した技術を用いることでクオリティが上がることを期待したという。川北は、村瀬に依頼した理由についてモスラを造形できる技術を持った会社がツエニーだけであったと述べている。 本作品のデザインにも参加した西川伸司は、生物感よりもファンタジー性を強調し象徴的に造形されたと評している。イラストレーターの青井邦夫により、翼が可変するものや発光して飛ぶものなどの案も描かれていたが、採用には至らなかった。 卵を浮きドッグで運ぶ描写は、『キングコング対ゴジラ』でのキングコングを筏で運ぶ描写をオマージュしている。準備稿では、気球で卵を吊るして運ぶという案であったが、これに納得しなかった川北により浮きドッグが提案された。浮きドッグへ卵を乗せた方法については明らかになっていない。 幼虫とゴジラとの戦闘シーンは、戦力差が明らかなため、幼虫が水中に隠れたり船を盾にしたりするなど、コミカルな動きやテンポ感で演出している。幼虫が泳ぐシーンでは、エアシリンダーを用いて上下に動かしているが、水の抵抗により幼虫を支える鉄骨が折れ曲がってしまうアクシデントもあった。 幼虫が東京に出現したシーンでは、東京タワーの下を進む描写も合成により用意されていたが、カットされた。 川北は、巨大ならあまり羽ばたかないだろうという考えから、成虫の優雅な飛行を演出したが、後年のインタビューでは前作でのキングギドラのように緩急をつけるべきであったと述懐している。また、ストーリー展開や羽化の描写などに集中していたため、昭和シリーズのような羽ばたきによる地上への影響の描写がなかった点を反省点に挙げている。ラストのモスラが宇宙を飛ぶシーンでは、真空で羽ばたくのは不自然であるとしつつも羽ばたかなければモスラらしくないとの考えから、太陽風を受けているとのイメージで演出している。 川北は、羽化のシーンでは蛾の教材ビデオを参考にしている。CGでの描写も用意されていたが、最終的には操演のみでの表現となっており、川北は「CGではまだ感情表現がうまくいっていなかった」「(操演の方が)羽根のしなりや生物感が勝っていた」と述べている。村瀬はこのシーンの発注を一度は断ったが、懇願されてやってみたら想像以上にうまくいったと語っている。 成虫の毛は、撮影時の弾着によりパンチパーマ状になってしまうため、助監督の近藤孔明は毛をとかす作業が欠かせなかったことを述懐している。 光線の描写は脚本の段階から描写されていたものであり、前作で光線の応酬を描いた川北もこれはやりすぎではないかと感じたという。一方で、『モスラ』や昭和ゴジラシリーズの監督を務めた本多猪四郎は、試写で本作品を鑑賞し、その都度新しいものを取り入れていくことがSFには必要であるとし、モスラが光線を出すことには肯定的な見解を示していた。 鱗粉でゴジラの熱線を反射するという設定は、デザイナーの青井邦夫が『vsビオランテ』でのスーパーX2のファイヤーミラーの設定から発想したもので、鱗粉をチャフと想定している。このシーンの演出について川北は、理屈よりもビジュアルで見せようという意図が強かったと述べている。 成虫が横浜ベイブリッジの下をくぐるという想定で、ボートやヘリによる主観カットが撮影されていた。 ゴジラとバトラを封印する際の紋章は、脚本では両者が沈んだ際の水しぶきが光の粒子になって描かれるという描写であったが、映像ではモスラが鱗粉を用いて主体的に作るかたちとしている。川北は、観客がモスラやバトラに感情移入できるよう意図したといい、映画『連合艦隊』で戦艦大和を見送る零戦のイメージもあったという。 『ゴジラvsスペースゴジラ』に登場。妖精モスラ()とも表記される。 『ゴジラvsモスラ』で宇宙へ飛び立ったモスラがスペースゴジラの脅威を知らせようと地球へ派遣した、成虫の姿をした実体はないと思われる一種の思念またはエネルギー体。本編の登場人物でその姿を視認できるのは、超能力者の三枝未希のみであり、コスモスの姿に変化して彼女にスペースゴジラが迫っていることを説いた後、バース島では彼女の心情に寄り添って地球の心と価値を一つにすることを説く。 特技監督の川北紘一は、本作品はVSシリーズのいいとこ取りのため、登場させるのは当然であったと述べている。 2023年に展開されたゴジラシリーズとテレビアニメ『呪術廻戦』の初コラボレーショングッズのうち、モスラについてはVSシリーズ版に準じたデザインで描かれている(相手は狗巻棘)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラ平成VSシリーズの映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場するモスラおよび『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)に登場するフェアリーモスラを扱う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『vsモスラ』に登場する亜種怪獣であるバトラについてはバトラ (ゴジラシリーズ)を参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "インファント島の地球の先住民族コスモスに守護神と崇められている巨大生物。幼虫の眼は青い。この作品以降から幼虫の尾の先端の三つに分かれた突起の真ん中の1本角が立っており、長く伸びている。幼虫の体や顔はツルッとした硬質な感じとなっている。成虫もぬいぐるみのように全体的に丸みを帯びたフォルムに変化している。目や頭部は真円(真球)に似た形状となっており、指も大きくなり、足も太く長くなっているが、飛行中には動かさない。出現地点はフィリピン沖→東京湾→東京・赤坂→国会議事堂→横浜・みなとみらい21→北の海→東京・立川基地→宇宙。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "幼虫は、口からねばついた繭糸を吐くが、ゴジラを翻弄するだけでなく、表皮から煙が上がるなど、一定のダメージを与えている。また、ゴジラの尻尾への噛みつきもかなり痛い様子で、抜群の威力ともいえる。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "殺生を好まない優しい性格だが、コスモスを守るためであれば、徹底した攻撃も辞さない一面も持つ。同族だが傾向が異なるバトラとは戦う運命にあり、不本意ながらこれと戦う。暴風雨の影響でインファント島の地底から卵が露出し、島の開発を行っていた丸友観光によって日本へ曵航される途中に海上で孵化。孵化の直前に出現したゴジラと洋上で戦うが、ゴジラの放射熱線や体格差もあって苦戦を強いられているところへバトラの乱入に遭い、インファント島へ帰還する。その後、丸友観光に拉致されたコスモスを追って日本を目指し、太平洋上で自衛隊の火器攻撃を突破して東京湾から上陸し、コスモスの無事を赤坂で確認すると国会議事堂に激突して変態の態勢に入ると周囲に繭を張って、深夜に繭を割って羽化して成虫となる。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "その後、横浜方面へと飛び立ち、同時期に成虫となったバトラと横浜上空で激しい戦いを繰り広げるが撃墜される。その後、上陸してきたゴジラに対して、バトラには決して使うことがなかった超音波ビームで攻撃し、バトラと助け合っての和解を経て、共闘の末にゴジラを戦闘不能状態にして海へ連れ去る。だが、突如復活したゴジラにバトラが倒され、その海上でゴジラを海底に封印エネルギーで縛り付けてバトラの使命を受け継ぎ、20世紀末に地球に追突する巨大隕石の軌道を変更するため、宇宙へ旅立つ。その際、脚に付着したゴジラ細胞が、後にスペースゴジラが誕生する一因となる。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "成虫は、触角から放つ超音波光線(超音波ビーム)と鱗粉(モスラ鱗粉、電磁鱗粉、毒鱗粉)を武器とする。鱗粉が撒かれている間はその中に電磁波が発生し、あらゆる光線や熱線を乱反射させてしまう性質を帯びており、内部からの熱線や外からのビームも乱反射することで鱗粉の中にいるものを襲う。これによってゴジラは放射熱線を封じ込められたばかりか威力を逆利用され、さらにバトラのプリズム光線の連携攻撃にも遭い、敗退することとなる。コスモスは「モスラ最後の武器」と呼ぶ。また、飛翔時の旋風は周囲を破壊することもあり、バトラとの空中戦では横浜中華街にダメージを負わせている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "平成でのモスラの復活は、『ゴジラvsビオランテ』に続く作品として大森一樹による『モスラVSバガン』の脚本が執筆されていたが、興行上の懸念から『ゴジラvsキングギドラ』に改められ、その後川北紘一によるプロット『ゴジラVSギガモス』を経て『ゴジラvsモスラ』として実現するに至った。『VSギガモス』にもモスラは登場しており、最後はギガモスと合体したモスラがゴジラを打ち破るという展開であった。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "東宝プロデューサーの田中友幸は、スタッフに対して本作品の主役はモスラであると述べており、脚本を担当した大森一樹に対しても『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』を一本にまとめると要望していた。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "国会議事堂での羽化や宇宙へ旅立つというラストは、第1作『モスラ』での没案を取り入れたものである。空港に降り立ったシーンも初代のリメイクである。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "生頼範義によるポスターイラストでは、劇中と異なり卵から2匹の幼虫が現れる様が描かれている。これは、企画時の『VSギガモス』でモスラとギガモスが同じ卵から生まれるという設定に基づいたものであった。川北は、生頼への依頼時点で脚本が完成していなかったためプロットをもとにしたと述べている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当初は大型化したゴジラや建物にあわせた大きさが想定されていたが、その比率で造形した場合、撮影には不都合であったため、それぞれ造形物の撮影での都合を優先して大きさが決められていった。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "新規のキャラクターデザインは描かれておらず、東宝映像美術により造形用の三面図が作られた。デザインは初代に準じているが、配色はより鮮やかなものとされた。また、足の指が3本になっている。特技監督の川北紘一によれば、脚本の完成が遅れていたが、ゴジラとモスラが登場することは決まっていたため、予算や設定が決まる前にデザインワークを先行したという。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "造形はツエニー。同社代表の村瀬継蔵は1961年の『モスラ』でもモスラの造形を行っている。村瀬が成虫・幼虫併せ、東宝特殊美術部から発注を受けたのはクランク・インのわずか1カ月前だったが、村瀬は年明けに川北からデザイン画を受け取り準備を始めていたおかげで、なんとかこれに間に合わせたと語っている。また、村瀬は旧作とイメージを変えず、向上した技術を用いることでクオリティが上がることを期待したという。川北は、村瀬に依頼した理由についてモスラを造形できる技術を持った会社がツエニーだけであったと述べている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "本作品のデザインにも参加した西川伸司は、生物感よりもファンタジー性を強調し象徴的に造形されたと評している。イラストレーターの青井邦夫により、翼が可変するものや発光して飛ぶものなどの案も描かれていたが、採用には至らなかった。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "卵を浮きドッグで運ぶ描写は、『キングコング対ゴジラ』でのキングコングを筏で運ぶ描写をオマージュしている。準備稿では、気球で卵を吊るして運ぶという案であったが、これに納得しなかった川北により浮きドッグが提案された。浮きドッグへ卵を乗せた方法については明らかになっていない。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "幼虫とゴジラとの戦闘シーンは、戦力差が明らかなため、幼虫が水中に隠れたり船を盾にしたりするなど、コミカルな動きやテンポ感で演出している。幼虫が泳ぐシーンでは、エアシリンダーを用いて上下に動かしているが、水の抵抗により幼虫を支える鉄骨が折れ曲がってしまうアクシデントもあった。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "幼虫が東京に出現したシーンでは、東京タワーの下を進む描写も合成により用意されていたが、カットされた。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "川北は、巨大ならあまり羽ばたかないだろうという考えから、成虫の優雅な飛行を演出したが、後年のインタビューでは前作でのキングギドラのように緩急をつけるべきであったと述懐している。また、ストーリー展開や羽化の描写などに集中していたため、昭和シリーズのような羽ばたきによる地上への影響の描写がなかった点を反省点に挙げている。ラストのモスラが宇宙を飛ぶシーンでは、真空で羽ばたくのは不自然であるとしつつも羽ばたかなければモスラらしくないとの考えから、太陽風を受けているとのイメージで演出している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "川北は、羽化のシーンでは蛾の教材ビデオを参考にしている。CGでの描写も用意されていたが、最終的には操演のみでの表現となっており、川北は「CGではまだ感情表現がうまくいっていなかった」「(操演の方が)羽根のしなりや生物感が勝っていた」と述べている。村瀬はこのシーンの発注を一度は断ったが、懇願されてやってみたら想像以上にうまくいったと語っている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "成虫の毛は、撮影時の弾着によりパンチパーマ状になってしまうため、助監督の近藤孔明は毛をとかす作業が欠かせなかったことを述懐している。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "光線の描写は脚本の段階から描写されていたものであり、前作で光線の応酬を描いた川北もこれはやりすぎではないかと感じたという。一方で、『モスラ』や昭和ゴジラシリーズの監督を務めた本多猪四郎は、試写で本作品を鑑賞し、その都度新しいものを取り入れていくことがSFには必要であるとし、モスラが光線を出すことには肯定的な見解を示していた。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "鱗粉でゴジラの熱線を反射するという設定は、デザイナーの青井邦夫が『vsビオランテ』でのスーパーX2のファイヤーミラーの設定から発想したもので、鱗粉をチャフと想定している。このシーンの演出について川北は、理屈よりもビジュアルで見せようという意図が強かったと述べている。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "成虫が横浜ベイブリッジの下をくぐるという想定で、ボートやヘリによる主観カットが撮影されていた。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ゴジラとバトラを封印する際の紋章は、脚本では両者が沈んだ際の水しぶきが光の粒子になって描かれるという描写であったが、映像ではモスラが鱗粉を用いて主体的に作るかたちとしている。川北は、観客がモスラやバトラに感情移入できるよう意図したといい、映画『連合艦隊』で戦艦大和を見送る零戦のイメージもあったという。", "title": "『ゴジラvsモスラ』" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "『ゴジラvsスペースゴジラ』に登場。妖精モスラ()とも表記される。", "title": "フェアリーモスラ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "『ゴジラvsモスラ』で宇宙へ飛び立ったモスラがスペースゴジラの脅威を知らせようと地球へ派遣した、成虫の姿をした実体はないと思われる一種の思念またはエネルギー体。本編の登場人物でその姿を視認できるのは、超能力者の三枝未希のみであり、コスモスの姿に変化して彼女にスペースゴジラが迫っていることを説いた後、バース島では彼女の心情に寄り添って地球の心と価値を一つにすることを説く。", "title": "フェアリーモスラ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "特技監督の川北紘一は、本作品はVSシリーズのいいとこ取りのため、登場させるのは当然であったと述べている。", "title": "フェアリーモスラ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2023年に展開されたゴジラシリーズとテレビアニメ『呪術廻戦』の初コラボレーショングッズのうち、モスラについてはVSシリーズ版に準じたデザインで描かれている(相手は狗巻棘)。", "title": "備考" } ]
モスラ (Mothra) は、東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。本項目では、このうちゴジラ平成VSシリーズの映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)に登場するモスラおよび『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)に登場するフェアリーモスラを扱う。 『vsモスラ』に登場する亜種怪獣であるバトラについてはバトラ (ゴジラシリーズ)を参照。
{{Pathnav|モスラ (架空の怪獣)|frame=1}} {{Infobox character | name= モスラ | series=[[ゴジラ]]シリーズ(平成VSシリーズ) <!-- use without the italic on the outside --> | image= | caption= | first= 『[[ゴジラvsモスラ]]』 | creator= | portrayer= }} '''モスラ''' (Mothra) は、[[東宝]]製作の[[怪獣映画]]に登場する架空の[[怪獣]]。本項目では、このうちゴジラ平成VSシリーズの映画『[[ゴジラvsモスラ]]』(1992年)に登場するモスラおよび『[[ゴジラvsスペースゴジラ]]』(1994年)に登場するフェアリーモスラを扱う。 『vsモスラ』に登場する亜種怪獣であるバトラについては[[バトラ (ゴジラシリーズ)]]を参照。 == 『ゴジラvsモスラ』 == {{キャラスペック |名称=モスラ |英字表記=MOTHRA{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM10|超最新12|大百科SG105|画報30|5499超全集34|ALL242|全怪獣大図鑑平成|大解剖図鑑100}}}} |別名={{Plainlist| * 巨大蛾怪獣{{refnest|group="出典"|{{R|来襲213|画報30|東宝特撮映画大全集234|C大全143|検定97|全怪獣大図鑑平成|GTOM1122}}}} * 巨蛾{{refnest|group="出典"|{{R|大百科SG105|5499超全集34|東宝全怪獣82|超常識130|解体全書91|超解体全書91}}}} * 地球の守護神{{R|GTOM013}} }} |出身地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|超最新12|来襲213|5499超全集34|動画王大図鑑169|東宝特撮映画大全集234|ALL242|東宝全怪獣82|解体全書91|検定97|超解体全書91}}}}{{efn|資料によっては、「出生地」として記述している{{R|画報30}}。}} |2名称=(幼虫) |2体長=120{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M62|VS超全集幼虫|KHBVSM10|超最新12|大全集164a|U別冊43|来襲213|画報30|動画王大図鑑169|東宝特撮映画大全集234}}{{R|ALL242|大辞典5|G6084|超常識130|Walker71|解体全書91|検定97|全怪獣大図鑑152|GTOM1122|超解体全書91}}}} |2体重=1万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M62|VS超全集幼虫|KHBVSM10|大全集164a|U別冊43|来襲213|動画王大図鑑169|東宝特撮映画大全集234|ALL242|大辞典5}}{{R|G6084|Walker71|解体全書91|検定97|全怪獣大図鑑152|GTOM1122|超解体全書91}}}}{{efn|書籍『ゴジラ画報』では、「1万2千トン」と記述している{{R|画報30}}。}} |2出現地=太平洋上{{R|超常識130}} |3名称=(成虫) |3翼長=175{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M62|VS超全集成虫|KHBVSM12|超最新12|大全集164a|U別冊43|来襲213|画報30|動画王大図鑑169|東宝特撮映画大全集234}}{{R|ALL242|東宝全怪獣82|大辞典5|G6084|超常識130|Walker71|解体全書91|検定97|全怪獣大図鑑154|GTOM1123}}{{R|超解体全書91}}}} |3全長=65{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M62|VS超全集成虫|動画王大図鑑169|東宝特撮映画大全集234|ALL242|超常識130|解体全書91|検定97|全怪獣大図鑑154|GTOM1123}}{{R|超解体全書91}}}} |3体重=2万{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M62|VS超全集成虫|KHBVSM12|大全集164a|U別冊43|来襲213|画報30|東宝特撮映画大全集234|ALL242|東宝全怪獣82}}{{R|大辞典5|G6084|超常識130|Walker71|解体全書91|検定97|全怪獣大図鑑154|GTOM1123|超解体全書91}}}}{{efn|資料によっては「3万トン」と記述している{{R|超最新12}}。}} |3飛行速度=マッハ2{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集16|5499超全集34|東宝特撮映画大全集234|ALL242|東宝全怪獣82|超常識130|全怪獣大図鑑154|GTOM1123|超解体全書91}}}}{{efn|資料によっては「マッハ3」と記述している{{R|KHBVSM12}}。}} |3出現地=国会議事堂{{R|東宝特撮映画大全集234|超常識130}} |4名称=(卵) |4全長=70{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集12|KHBVSM10|東宝全怪獣82|大辞典285|GTOM1122}}}}{{efn|書籍『ゴジラ大全集』では「最長直径」{{R|大全集164a}}、書籍『東宝特撮映画大全集』では「長径」{{R|東宝特撮映画大全集234}}と記述している。}} |4重量=1万{{nbsp}}t{{R|VSM超全集12|GTOM1122}} }} インファント島の地球の先住民族コスモスに守護神と崇められている巨大生物{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集12|大百科SG105|U別冊43|平成C114|東宝全怪獣82|全怪獣大図鑑152|GTOM013|超解体全書91}}}}。幼虫の眼は青い。この作品以降から幼虫の尾の先端の三つに分かれた突起の真ん中の1本角が立っており、長く伸びている{{refnest|group="出典"|{{R|映画大全107|ゴジラ画集33|超解体全書29|大解剖図鑑100}}}}。幼虫の体や顔はツルッとした硬質な感じとなっている{{R|大解剖図鑑100}}。成虫もぬいぐるみのように全体的に丸みを帯びたフォルムに変化している{{R|超解体全書29|大解剖図鑑100}}。目や頭部は真円(真球)に似た形状となっており、指も大きくなり、足も太く長くなっているが、飛行中には動かさない{{R|大解剖図鑑100}}。出現地点はフィリピン沖→東京湾→東京・赤坂→国会議事堂→横浜・みなとみらい21→北の海→東京・立川基地→宇宙{{R|5499超全集34}}。 幼虫は、口からねばついた繭糸を吐くが{{R|超解体全書91}}、ゴジラを翻弄するだけでなく、表皮から煙が上がるなど{{R|大解剖図鑑100}}{{efn|西川伸司は強酸性であると推測している{{R|大解剖図鑑100}}。}}、一定のダメージを与えている{{R|GTOM1122}}。また、ゴジラの尻尾への噛みつきもかなり痛い様子で、抜群の威力ともいえる{{R|GTOM1122}}。 殺生を好まない優しい性格だが、コスモスを守るためであれば、徹底した攻撃も辞さない一面も持つ{{R|超解体全書91}}。同族だが傾向が異なる[[#バトラ|バトラ]]とは戦う運命にあり、不本意ながらこれと戦う。暴風雨の影響でインファント島の地底から卵が露出し、島の開発を行っていた丸友観光によって日本へ曵航される途中に海上で孵化{{refnest|group="出典"|{{R|大百科SG105|平成C114|GTOM1122}}}}。孵化の直前に出現したゴジラと洋上で戦うが、ゴジラの放射熱線や体格差もあって苦戦を強いられているところへバトラの乱入に遭い、インファント島へ帰還する。その後、丸友観光に拉致されたコスモスを追って日本を目指し、太平洋上で自衛隊の火器攻撃を突破して東京湾から上陸し、コスモスの無事を赤坂で確認すると[[国会議事堂]]に激突して変態の態勢に入ると周囲に繭を張って、深夜に繭を割って羽化して成虫となる{{R|平成C114|GTOM1122}}。 その後、横浜方面へと飛び立ち{{R|GTOM1123}}、同時期に成虫となったバトラと横浜上空で激しい戦いを繰り広げるが撃墜される。その後、上陸してきたゴジラに対して、バトラには決して使うことがなかった超音波ビームで攻撃し、バトラと助け合っての和解を経て、共闘の末にゴジラを戦闘不能状態にして海へ連れ去る。だが、突如復活したゴジラにバトラが倒され、その海上でゴジラを海底に封印エネルギーで縛り付けてバトラの使命を受け継ぎ、20世紀末に地球に追突する巨大隕石の軌道を変更するため、宇宙へ旅立つ{{R|U別冊43|GTOM1123}}。その際、脚に付着した[[ゴジラ (架空の怪獣)#ゴジラ細胞|ゴジラ細胞]]が、後に[[スペースゴジラ]]が誕生する一因となる。 成虫は、触角から放つ超音波光線{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集18|5499超全集34|大百科SG105|動画王大図鑑169|東宝全怪獣82|超解体全書91|大解剖図鑑100}}}}(超音波ビーム{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM12|大全集164a|画報30|平成C114|東宝特撮映画大全集234|全怪獣大図鑑154|GTOM1123}}}})と鱗粉{{refnest|group="出典"|{{R|平成C114|東宝特撮映画大全集234|Walker71|全怪獣大図鑑154}}}}(モスラ鱗粉{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集18|5499超全集34|超解体全書91}}}}、電磁鱗粉{{R|東宝全怪獣82}}、毒鱗粉{{R|KHBVSM12|GTOM1123}})を武器とする。鱗粉が撒かれている間はその中に電磁波が発生し{{R|平成C114}}、あらゆる光線や熱線を乱反射させてしまう性質を帯びており、内部からの熱線や外からのビームも乱反射することで鱗粉の中にいるものを襲う{{refnest|group="出典"|{{R|全怪獣大図鑑154|GTOM1123|大解剖図鑑100}}}}。これによってゴジラは放射熱線を封じ込められたばかりか威力を逆利用され、さらにバトラのプリズム光線の連携攻撃にも遭い、敗退することとなる。コスモスは「モスラ最後の武器」と呼ぶ{{R|GTOM1123}}。また、飛翔時の旋風は周囲を破壊することもあり、バトラとの空中戦では横浜中華街にダメージを負わせている{{R|GTOM1123}}。 * これまでのシリーズと直接のつながりはないが、関連書籍などでは'''4代目モスラ'''{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM66|超最新38|大辞典5}}}}または'''五代目モスラ'''{{R|M2超全集40}}と記述している。 * 書籍『ゴジラ・デイズ』では、『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』の両方の要素を取り入れた結果、幼虫から成虫へ成長するモスラと前作からの流れで善悪を超越した存在として描かれたゴジラとでは、対立軸が不十分であったと評している{{R|デイズ91}}。 === 制作 === 平成でのモスラの復活は、『[[ゴジラvsビオランテ]]』に続く作品として[[大森一樹]]による『[[モスラVSバガン]]』の脚本が執筆されていたが、興行上の懸念から『[[ゴジラvsキングギドラ]]』に改められ、その後[[川北紘一]]によるプロット『ゴジラVSギガモス』を経て『ゴジラvsモスラ』として実現するに至った{{refnest|group="出典"|{{Sfn|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=66、70-71、80-81}}{{R|平成P134|東宝特撮映画大全集234}}}}。『VSギガモス』にもモスラは登場しており、最後はギガモスと合体したモスラがゴジラを打ち破るという展開であった{{R|平成P134|東宝特撮映画大全集234}}。 東宝プロデューサーの[[田中友幸]]は、スタッフに対して本作品の主役はモスラであると述べており、脚本を担当した[[大森一樹]]に対しても『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』を一本にまとめると要望していた{{R|KHBVSM84}}。 国会議事堂での羽化や宇宙へ旅立つというラストは、第1作『モスラ』での没案を取り入れたものである{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF770|大ゴジラ182|大辞典350}}}}{{efn|書籍『ゴジラ大辞典』では、巨大隕石を止めるために旅立つという設定は、『[[鉄腕アトム]]』をオマージュしたものと記述している{{R|大辞典350}}。}}。空港に降り立ったシーンも初代のリメイクである{{R|東宝SF774|ALL66}}。 [[生頼範義]]によるポスターイラストでは、劇中と異なり卵から2匹の幼虫が現れる様が描かれている{{R|映画大全128|平成P134}}。これは、企画時の『VSギガモス』でモスラとギガモスが同じ卵から生まれるという設定に基づいたものであった{{R|平成P134}}。川北は、生頼への依頼時点で脚本が完成していなかったためプロットをもとにしたと述べている{{R|映画大全128|平成P134}}。 当初は大型化したゴジラや建物にあわせた大きさが想定されていたが、その比率で造形した場合、撮影には不都合であったため、それぞれ造形物の撮影での都合を優先して大きさが決められていった{{R|東宝SF7144}}。 === 造形 === 新規のキャラクターデザインは描かれておらず{{R|KHBVSM106}}、東宝映像美術により造形用の三面図が作られた{{R|平成C114}}。デザインは初代に準じているが{{R|大百科M82}}、配色はより鮮やかなものとされた{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF780|平成C114|映画大全107|平成P44}}}}。また、足の指が3本になっている{{R|KHBVSM106|東宝SF780}}。特技監督の川北紘一によれば、脚本の完成が遅れていたが、ゴジラとモスラが登場することは決まっていたため、予算や設定が決まる前にデザインワークを先行したという{{R|東宝SF780}}。 造形は[[ツエニー]]{{refnest|group="出典"|{{R|VSM超全集66|KHBVSM60|大全集164a|大ゴジラ2166|画報212|平成大全182|平成C119|東宝特撮映画大全集235|C大全143|GTOM1123}}}}。同社代表の[[村瀬継蔵]]は1961年の『モスラ』でもモスラの造形を行っている。村瀬が成虫・幼虫併せ、東宝特殊美術部から発注を受けたのはクランク・インのわずか1カ月前だったが、村瀬は年明けに川北からデザイン画を受け取り準備を始めていたおかげで、なんとかこれに間に合わせたと語っている{{R|東宝SF7144}}{{efn|レプリカの江久保暢宏によれば、バトラ成虫の納品が最後にまわったことからモスラ成虫の納品が早まったという{{R|東宝SF7148}}。}}。また、村瀬は旧作とイメージを変えず、向上した技術を用いることでクオリティが上がることを期待したという{{R|映画大全30}}。川北は、村瀬に依頼した理由についてモスラを造形できる技術を持った会社がツエニーだけであったと述べている{{R|映画大全128}}。 本作品のデザインにも参加した西川伸司は、生物感よりもファンタジー性を強調し象徴的に造形されたと評している{{R|映画大全107}}。イラストレーターの青井邦夫により、翼が可変するものや発光して飛ぶものなどの案も描かれていたが、採用には至らなかった{{R|東宝SF7150}}。 ; 幼虫 : 幼虫は、自走式の車輪メカニックを内蔵した8[[尺]](2.4メートル)サイズと5尺(1.6メートル)サイズの大小2種が作られた{{refnest|group="出典"|{{R|大全集164a|大ゴジラ2166|平成C119|C大全143|GTOM1123}}}}{{efn|書籍『超最新ゴジラ大図鑑』では、数タイプ用意されたと記述している{{R|超最新30}}。}}。主に、前者は東京の陸用、後者は海用に用いられた{{R|C大全143|GTOM1123}}。 : 自走式のものは方向が定めづらく、ミニチュアのビルにぶつかってしまうことが多かった{{R|東宝SF7137|大百科M18}}。特殊効果の[[渡辺忠昭]]は、初代のように小サイズで自走するものや中に人が入るものなどを提案したが、それぞれにあわせたセットを用意しなければならなくなるため却下された{{R|東宝SF7137}}。自走式の大きさは、高速道路のセットよりも大きくしようという意図から初代のものよりも大型化していたが{{R|東宝SF7144}}、美術の[[大澤哲三]]は幼虫がビル街を這っていても上からでなければ見えなかったといい、現代のセットには合っていなかったと述べている{{R|東宝SF7137}}。操演助手の[[白石雅彦]]は、最終的にギミックは使わず、すべて操演で動かしていたと証言している{{R|平成大全186}}。 : 国会議事堂のシーンでもピアノ線による操演で動かす予定であったが、重量が大きかったことと、口から吐く糸にライティングを行うためピアノ線を合成などで消せないことなどから断念し、内蔵メカを外した自走式の造形物の中から助監督の[[神谷誠]]が動かすという手法がとられた{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M78|東宝SF7144|平成大全186|平成C121}}}}{{efn|白石は、当初自身が指名されていたが断り、ガタイの良い神谷が選ばれたと証言している{{R|平成大全186}}。}}。 : 海用の頭部は、鎌首をもたげた様子を強調するためややディフォルメされている{{R|平成大全184}}。炎上する海を進むシーンでは、耐火耐熱用のコーティングが施された{{R|大ゴジラ2166}}。 : 卵から孵化するシーンや赤坂でのホテルの窓に映る合成シーンではギニョールを用いている{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM60|大全集164a|大ゴジラ2166|平成C122}}}}。助監督の[[鈴木健二 (特撮監督)|鈴木健二]]は、重量があるため腕力と演技力を要したと述懐している{{R|大百科M18}}。 : 幼虫が噴き出す糸は、発泡スチロールの細かい粉を吹かせる手法で表現した{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M18|5499超全集38|平成大全186|平成C247}}}}{{efn|川北によれば、発泡剤をシンナーで溶かし、[[エアブラシ|スプレーガン]]で噴出させたという{{R|映画大全128}}。}}。特殊効果の[[久米攻]]は、旧作で用いていたゴム糊は黄色っぽかったため、白い素材を探したと述べている{{R|平成C247}}。また、特殊効果の[[渡辺忠昭]]や助監督の鈴木は、ゴム糊はベタつくため、速乾性の素材が考案されたと証言している{{R|大百科M18|平成大全186}}。撮影を担当した[[江口憲一]]は、旧作とは透明度が異なり、逆光を当てると本物の絹のようであったと評している{{R|東宝SF7137}}。他の素材では[[セルロース]]の方が美しかったが、引火する可能性が高いため危険と判断された{{R|平成C247}}。 : また、前半分のみのギニョールモデルも製作され、細かな演技に使用された{{R|GTOM1123}}。5尺サイズのものは東京シーンで多用され、関節運動も再現されている{{R|GTOM1123}}。海上でのバトラやゴジラと絡んだ5尺の操演用モデルの口は差し替え式となっている{{R|GTOM1123}}。 : 村瀬継蔵は幼虫の体表のテカリを表現するため、『[[モスラ対ゴジラ]]』で使用した、「ビニールゾル([[ソフトビニール]])」による表面塗膜を本作品でも再使用している。 : ; 成虫 : 成虫は、ラジコンで各部が動く翼長が10尺(3.5メートル)あるメインのものと、3尺(1メートル)の大小2種作られた{{refnest|group="出典"|{{R|KHBVSM60|超最新30|大全集164a|大ゴジラ2166|ALL242|C大全143|GTOM1123}}}}。主に、前者はゴジラとの対決シーン、後者はバトラとの空中戦や遠景で用いられた{{R|C大全143|GTOM1123}}。当初想定していた大きさでは、カメラに収まりきらず、荷重も大きくなるため、一回り小さいものとなった{{R|東宝SF7144}}。 : 体毛は手作業で貼り付けている{{R|VSM超全集66}}。羽根は工場に依頼して電気植毛で処理している{{R|東宝SF7144}}。染色は、初代のような手作業ではなく、専門の業者により行われた{{R|東宝SF7144}}。 : 複眼には透明な[[ポリカーボネート|ポリカーボ]]を用いており、裏側から穴を開けた後、熱処理で丸くしている{{R|VSM超全集66|東宝SF7144}}。川北は、初代よりも目を大きくし、位置を離すことで可愛らしさを意図したという{{R|東宝SF780}}。しかし、村瀬は周囲からは「かわいい」と好評であったが、機械的な加工を行ったため、生物的な仕上がりにはならなかったと述懐している{{R|映画大全30|ALL242}}。 : 翼には、特殊樹脂製の釣り竿(グラスロッド)が芯に使われている{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF7144|大ゴジラ2166|映画大全30}}}}。グラスロッドは、素材の向上により骨組みの内側のみならず外側にも使われ、可動部分も蝶番ではなくシリコン製のリングになったため{{efn|資料によっては、FRPと述べている{{R|東宝SF7144}}。}}、村瀬は壊れずメンテナンスも楽であったと述べている{{R|映画大全30}}{{efn|白石は、ゴジラとのバトルシーンでバトラともども羽根の芯が折れたと証言している{{R|平成大全184}}。}}。当初はカーボンロッドを用いることが検討され試作も行われたが、衝撃に弱くネジをきつく締めただけで割れてしまったという{{R|東宝SF7144}}。羽化するシーンでの翼は、軟質素材のものに差し替えており、内部に芯を入れていない{{R|東宝SF7144}}。 : 操演に用いるワイヤーは、胴体に3本、羽根に2本となっており、多数のピアノ線を用いていた昭和期よりも大幅に減少している{{R|映画大全100}}。川北は、操演についてスピード感と翼の動き、埃の舞い上がり方などがなかなか合致しなかったと苦労した旨を語っている{{R|映画大全128}}。 : 首の稼働には、1個4万円の[[サーボモータ]]が用いられていたが、電流が流れたままゴジラにぶつかると一瞬で壊れてしまったという{{R|東宝SF7144}}。10尺モデルはその他にも口と羽がラジコンで可動し、3尺モデルはモーターで羽ばたく{{R|GTOM1123}}。羽は差し替え式で、登場時の柔らかいものがある{{R|GTOM1123}}。 : 鱗粉(りんぷん)には、金粉が使われた{{R|平成C127}}。口はFRP製{{R|ALL242}}。 : 繭内部の影にはカポック製の造形物が用いられ、その後これを改良したものが繭から孵化するシーンにも用いられた{{R|KHBVSM60|GTOM1123}}。照明技師の[[斉藤薫 (照明技師)|斉藤薫]]によれば、当初は繭の中にライトを仕込んで発光させる予定であったが変更になり、カポックで即席のダミーを作って対応したものであったという{{R|東宝SF7137}}。鈴木は、実物を見てもこれがモスラだとは思わないだろうと述懐している{{R|大百科M18}}。 : ; その他 : 卵の造形物は、誕生シーン用と曵航シーン用の2種類が作られた{{R|KHBVSM61|GTOM1122}}。FRP製の前者は{{R|大ゴジラ2166}}、1.3メートルほどの大きさで、幼虫が顔を出すための穴が開けられている{{R|BEST5466}}。後者は、実際にプールに浮かべると単体で見たときと色彩のバランスが異なってしまっていたため、撮影初日から半日かけて模様を修正することとなった{{R|大百科M16}}。 : 繭も2種類制作されていたが、一方は予備として未使用に終わった{{R|KHBVSM61}}。こちらは[[ガラス繊維|グラスファイバー]]製で、成虫の出る箇所が開けられている{{R|BEST5466}}。 === 演出・撮影 === 卵を浮きドッグで運ぶ描写は、『キングコング対ゴジラ』での[[キングコング (架空の怪獣)|キングコング]]を筏で運ぶ描写をオマージュしている{{R|東宝SF770}}。準備稿では、気球で卵を吊るして運ぶという案であったが{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF770|平成大全175|東宝特撮映画大全集234}}}}、これに納得しなかった川北により浮きドッグが提案された{{R|東宝SF770}}。浮きドッグへ卵を乗せた方法については明らかになっていない{{R|大百科M128}}。 幼虫とゴジラとの戦闘シーンは、戦力差が明らかなため、幼虫が水中に隠れたり船を盾にしたりするなど、コミカルな動きやテンポ感で演出している{{R|東宝SF780}}。幼虫が泳ぐシーンでは、エアシリンダーを用いて上下に動かしているが、水の抵抗により幼虫を支える鉄骨が折れ曲がってしまうアクシデントもあった{{R|大百科M18}}{{efn|白石は、造形物が水圧に耐えきれずちぎれてしまったと証言している{{R|平成大全184}}。}}。そのほか、幼虫の節々から水が吹き出してしまうなど、アクシデントが相次いだ{{R|平成大全184}}。ゴジラとの絡みではギニョールも用いられたが、水中での使用を想定したものではなかったため、形状が変形してしまっている{{R|平成大全184}}。 幼虫が東京に出現したシーンでは、[[東京タワー]]の下を進む描写も合成により用意されていたが、カットされた{{R|東宝SF780}}。 川北は、羽化のシーンでは蛾の教材ビデオを参考にしている{{R|東宝SF780|東宝特撮映画大全集235}}。CGでの描写も用意されていたが、最終的には操演のみでの表現となっており{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF780|平成大全186|平成C121}}}}、川北は「CGではまだ感情表現がうまくいっていなかった{{R|東宝SF780|平成C128}}」「(操演の方が)羽根のしなりや生物感が勝っていた{{R|東宝特撮映画大全集235}}」と述べている。村瀬はこのシーンの発注を一度は断ったが、懇願されてやってみたら想像以上にうまくいったと語っている{{R|ALL242}}。白石は、CG用の当たり素材という認識であったため、肩の力が抜けてうまくいったと述懐している{{R|平成大全186}}。 飛行シーンは、前作でもワンカットだけ用いられた空撮した実景への合成が大々的に行われた{{R|平成大全190}}。撮影の[[江口憲一]]は、当時はデジタル合成ではなく、防振装置もなかったため合成には苦労したが、飛びものだからなんとかなったと述懐している{{R|平成大全190}}。 川北は、巨大ならあまり羽ばたかないだろうという考えから、成虫の優雅な飛行を演出したが、後年のインタビューでは前作でのキングギドラのように緩急をつけるべきであったと述懐している{{R|デイズ390}}。また、ストーリー展開や羽化の描写などに集中していたため、昭和シリーズのような羽ばたきによる地上への影響の描写がなかった点を反省点に挙げている{{R|東宝SF780|デイズ390}}。ラストのモスラが宇宙を飛ぶシーンでは、真空で羽ばたくのは不自然であるとしつつも羽ばたかなければモスラらしくないとの考えから、[[太陽風]]を受けているとのイメージで演出している{{R|東宝SF780}}。 成虫の毛は、撮影時の弾着によりパンチパーマ状になってしまうため、助監督の近藤孔明は毛をとかす作業が欠かせなかったことを述懐している{{R|大百科M78}}。 光線の描写は脚本の段階から描写されていたものであり、前作で光線の応酬を描いた川北もこれはやりすぎではないかと感じたという{{R|デイズ390}}。一方で、『モスラ』や昭和ゴジラシリーズの監督を務めた[[本多猪四郎]]は、試写で本作品を鑑賞し、その都度新しいものを取り入れていくことがSFには必要であるとし、モスラが光線を出すことには肯定的な見解を示していた{{R|東宝SF768}}。 鱗粉でゴジラの熱線を反射するという設定は、デザイナーの青井邦夫が『vsビオランテ』での[[スーパーX (ゴジラシリーズ)#スーパーX2|スーパーX2]]のファイヤーミラーの設定から発想したもので、鱗粉を[[チャフ]]と想定している{{R|東宝SF7150|映画大全128}}。このシーンの演出について川北は、理屈よりもビジュアルで見せようという意図が強かったと述べている{{R|映画大全128}}。 成虫が[[横浜ベイブリッジ]]の下をくぐるという想定で、ボートやヘリによる主観カットが撮影されていた{{R|東宝SF780}}。 ゴジラとバトラを封印する際の紋章は、脚本では両者が沈んだ際の水しぶきが光の粒子になって描かれるという描写であったが、映像ではモスラが鱗粉を用いて主体的に作るかたちとしている{{R|東宝SF780}}。川北は、観客がモスラやバトラに感情移入できるよう意図したといい、映画『[[連合艦隊 (映画)|連合艦隊]]』で[[大和 (戦艦)|戦艦大和]]を見送る[[零式艦上戦闘機|零戦]]のイメージもあったという{{R|東宝SF780}}。 == フェアリーモスラ == {{キャラスペック |名称=フェアリーモスラ |英字表記=FAIRY MOTHRA{{refnest|group="出典"|{{R|東宝SF988|VSSG超全集32|5499超全集47|ALL251|大辞典238}}}} |別名=モスラの分身{{refnest|group="出典"|{{R|C大全143|全怪獣大図鑑156|GTOM0911}}}} |翼長=30{{nbsp}}cm{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集32|5499超全集47|U別冊43|動画王大図鑑179|東宝特撮映画大全集246|ALL251|C大全143|東宝全怪獣94|大辞典238|Walker73}}{{R|検定105|全怪獣大図鑑156|GTOM0911}}}} |体重=0{{nbsp}}g{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集32|5499超全集47|U別冊43|動画王大図鑑179|ALL251|東宝全怪獣94|大辞典238|Walker73|全怪獣大図鑑156|GTOM0911}}}}{{efn|資料によっては、「不明」と記述している{{R|東宝特撮映画大全集246|検定105}}。}} |出身地=モスラ{{R|東宝全怪獣94}}{{efn|資料によっては、「モスラによる超能力{{R|動画王大図鑑179}}」「インファント島→宇宙{{R|東宝特撮映画大全集246}}」「宇宙{{R|ALL251}}」と記述している。}} |出現地=宇宙{{R|検定105}} }} 『ゴジラvsスペースゴジラ』に登場。'''{{読み仮名|妖精モスラ|フェアリーモスラ}}'''とも表記される{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集32|U別冊43|動画王大図鑑179|平成C167|東宝特撮映画大全集246|ALL251|解体全書91|検定105|超解体全書91}}}}。 『ゴジラvsモスラ』で宇宙へ飛び立ったモスラが[[スペースゴジラ]]の脅威を知らせようと地球へ派遣した、成虫の姿をした実体はないと思われる一種の思念またはエネルギー体{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集32|5499超全集47|東宝全怪獣94|GTOM0911|超解体全書91}}}}{{efn|書籍『ゴジラVSスペースゴジラ超全集』では、モスラの体内に充満しているガイアエネルギーを凝縮したものと推測している{{R|VSSG超全集67}}。}}。本編の登場人物でその姿を視認できるのは、[[超能力者]]の三枝未希のみであり{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集32|5499超全集47|ALL251|超解体全書91}}}}、コスモスの姿に変化して彼女にスペースゴジラが迫っていることを説いた後、バース島では彼女の心情に寄り添って地球の心と価値を一つにすることを説く{{R|GTOM0911}}。 === 制作(フェアリー) === 特技監督の[[川北紘一]]は、本作品はVSシリーズのいいとこ取りのため、登場させるのは当然であったと述べている{{R|映画大全128}}。 ; デザイン : デザインは[[西川伸司]]{{R|ゴジラ画集59|西川63}}。頭や眼を大きくするなどディフォルメしている一方で、脚は長めに描いていた{{R|西川63}}。デザイン画としては、パソコンで初めて彩色された{{R|ゴジラ画集59}}。[[モンスターズ (製作会社)|モンスターズ]]の[[若狭新一]]によれば、川北はリトルゴジラに相当するモスラのディフォルメキャラクターと想定していたと述べているが{{R|東宝SF994}}、最終的にデザイン自体はほとんど変えなかったとも述べている{{R|東宝SF967}}。 : ; 造型 : 造形製作は[[レプリカ (制作会社)|レプリカ]]{{refnest|group="出典"|{{R|VSSG超全集76|大ゴジラ2166|ALL251|若狭50}}}}。当初はモンスターズによって[[雛形|マケット]]も制作されていたが、スペースゴジラとリトルゴジラの担当でスタッフが現場へ入っていたため、レプリカに引き継がれた{{R|東宝SF994|若狭50}}。 : 造形物は実物大のもののみで{{R|平成C167}}、眼の発光や翼の可動などのギミックを備える{{R|東宝SF996|VSSG超全集76}}。小ささゆえ、羽ばたきなどの操演は難度が高かったという{{R|東宝SF996|平成C167}}。当初は俳優と絡めて撮影される予定であったが、最終的には合成によって処理されたため、実物大である必要はなくなってしまった{{R|東宝SF996}}。 : その後、造形物は2009年の時点で川北紘一率いるドリームプラネットジャパンが保管していることが確認されている{{R|平成C217}}。 == 備考 == 2023年に展開されたゴジラシリーズとテレビアニメ『[[呪術廻戦 (アニメ)|呪術廻戦]]』の初コラボレーショングッズのうち、モスラについてはVSシリーズ版に準じたデザインで描かれている(相手は[[呪術廻戦#狗巻棘|狗巻棘]])<ref>{{Cite news|url=https://animeanime.jp/article/2023/10/06/80394.html|title=「呪術廻戦×ゴジラシリーズ」“五条&キングギドラ”など初コラボグッズが発売決定|newspaper=アニメ!アニメ!|publisher=イード|date=2023-10-06|accessdate=2023-10-18}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="大百科M16">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=16 - 17|loc=文 鈴木健二「特撮バックステージ PART2 『ゴジラVSモスラ』特撮・撮影日誌」}}</ref> <ref name="大百科M18">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=18 - 19|loc=文 鈴木健二「特撮バックステージ PART2 『ゴジラVSモスラ』特撮・撮影日誌」}}</ref> <ref name="大百科M62">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=62-63|loc=文 小林晋一郎「怪獣生物学モスラ 六、そしてモスラよ」}}</ref> <ref name="大百科M78">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=78 - 81|loc=「特撮助監督座談会」}}</ref> <ref name="大百科M82">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=82 - 84|loc=「『ゴジラvsモスラ』のデザイン世界」}}</ref> <ref name="大百科M128">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=128 - 129|loc=構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 25 モスラの卵の移動法」}}</ref> <ref name="大百科SG105">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1994|p=105|loc=イラスト 破李拳竜、文 早川優「ゴジラシリーズ イラスト怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="VS超全集幼虫">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=12-13|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 モスラ〈幼虫〉」}}、{{Harvnb|モスラ2超全集|1998|pp=40-41|loc=「モスラ2 海底の大決戦 完全情報 歴代モスラ大研究」}}、{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=34|loc=「ゴジラVSモスラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="VS超全集成虫">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=16-17|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 モスラ〈成虫〉1」}}、{{Harvnb|モスラ2超全集|1998|pp=40-41|loc=「モスラ2 海底の大決戦 完全情報 歴代モスラ大研究」}}、{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=34|loc=「ゴジラVSモスラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="VSM超全集12">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=12-13|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 モスラ〈幼虫〉」}}</ref> <ref name="VSM超全集16">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=16-17|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 モスラ〈成虫〉1」}}</ref> <ref name="VSM超全集18">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=18-19|loc=「ゴジラVSモスラキャラクター図鑑 モスラ〈成虫〉2」}}</ref> <ref name="VSM超全集66">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|p=66|loc=「ゴジラVSモスラの特撮 モスラの造型」}}</ref> <ref name="VSSG超全集32">{{Harvnb|VSスペースゴジラ超全集|1994|pp=32-33|loc=「ゴジラVSスペースゴジラキャラクター図鑑 妖精モスラ」}}</ref> <ref name="VSSG超全集67">{{Harvnb|VSスペースゴジラ超全集|1994|p=67|loc=「ゴジラVSスペースゴジラ完全攻略 妖精モスラ大解剖」}}</ref> <ref name="VSSG超全集76">{{Harvnb|VSスペースゴジラ超全集|1994|p=76|loc=「ゴジラVSスペースゴジラのできるまで 妖精モスラの造型」}}</ref> <ref name="M2超全集40">{{Harvnb|モスラ2超全集|1998|pp=40-41|loc=「モスラ2 海底の大決戦 完全情報 歴代モスラ大研究」}}</ref> <ref name="5499超全集34">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=34|loc=「ゴジラVSモスラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集38">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=38|loc=「メイキング オブ ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="5499超全集47">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=47|loc=「ゴジラVSスペースゴジラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="KHBVSM10">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=10-11|loc=「モスラ(幼虫)」}}</ref> <ref name="KHBVSM12">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=12-13|loc=「モスラ(成虫)」}}</ref> <ref name="KHBVSM60">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|p=60|loc=「ゴジラVSモスラ スーツ・ミニチュアバリエーション モスラ」}}</ref> <ref name="KHBVSM61">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|p=61|loc=「ゴジラVSモスラ スーツ・ミニチュアバリエーション バトラ」}}</ref> <ref name="KHBVSM66">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=66-67|loc=「特別企画 全モスラ大研究」}}</ref> <ref name="KHBVSM84">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=84-85|loc=「製作者インタビュー 怪獣映画は娯楽の王様です」}}</ref> <ref name="KHBVSM106">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=106-108|loc=「ゴジラVSモスラ デザイン画紹介」}}</ref> <ref name="超最新12">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=12-13|loc=「『ゴジラVSモスラ』モスラ」}}</ref> <ref name="超最新30">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|p=30|loc=「メイキング・オブ・『ゴジラvsモスラ』」}}</ref> <ref name="超最新38">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=38-39|loc=「モスラ年代記」}}</ref> <ref name="東宝SF768">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=68-69|loc=「インタビュー 本多猪四郎」}}</ref> <ref name="東宝SF770">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=70-73|loc=「インタビュー 大森一樹」}}</ref> <ref name="東宝SF774">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=74-79|loc=「インタビュー 大河原孝夫」}}</ref> <ref name="東宝SF780">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=80-90|loc=「インタビュー 川北紘一」}}</ref> <ref name="東宝SF7137">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=137-143|loc=「特撮スタッフ座談会」}}</ref> <ref name="東宝SF7144">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=144-147|loc=「MAKING OF MOTHRA & BATTRA 村瀬継蔵(ツエニー)」}}</ref> <ref name="東宝SF7148">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=148-149|loc=「MAKING OF MOTHRA & BATTRA 江久保暢宏(レプリカ)」}}</ref> <ref name="東宝SF7150">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=150-154|loc=「設定デザイナー座談会」}}</ref> <ref name="東宝SF967">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ9|1994|p=67|loc=「インタビュー 川北紘一」}}</ref> <ref name="東宝SF988">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ9|1994|p=88|loc=「MAKING OF LITTLE GODZILLA & FAIRY MOTHRA」}}</ref> <ref name="東宝SF994">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ9|1994|p=94|loc=「MONSTER MAKERS 若狭新一・伊藤成昭(モンスターズ)」}}</ref> <ref name="東宝SF996">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ9|1994|p=96|loc=「MONSTER MAKERS 江久保暢宏」}}</ref> <ref name="大全集164a">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|p=164|loc=「平成怪獣総進撃 モスラ」}}</ref> <ref name="大ゴジラ182">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑|1995|p=182|loc=「ゴジラVSモスラ FIELD/SET」}}</ref> <ref name="大ゴジラ2166">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|pp=166-168|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="U別冊43">{{Harvnb|宇宙船別冊|1996|p=43|loc=「Gをめぐる生命たち」}}</ref> <ref name="デイズ91">{{Harvnb|ゴジラ・デイズ|1998|pp=91-93|loc=冠木新市「一九九〇年代のゴジラ映画再生期 『ゴジラVSモスラ』=善悪超越のゴジラ」}}</ref> <ref name="デイズ390">{{Harvnb|ゴジラ・デイズ|1998|pp=390-396|loc=川北紘一「1962-98 GODZILLA ゴジラは夢を実現する道具 悪玉モスラも登場する『ゴジラVSモスラ』」}}</ref> <ref name="来襲213">{{Harvnb|ゴジラ来襲|1998|p=213|loc=「第7章 特選!東宝怪獣名鑑'98」}}</ref> <ref name="BEST5466">{{Harvnb|日本特撮映画図鑑|1999|pp=66-67|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="画報30">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|p=30|loc=「東宝怪獣紳士録」}}</ref> <ref name="画報212">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|pp=212-213|loc=「ゴジラvsモスラ」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑169">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=169|loc=「1990年代 ゴジラvsモスラ モスラ」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑179">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=179|loc=「1990年代 ゴジラvsスペースゴジラ」}}</ref> <ref name="平成大全175">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=175 - 178|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バッド - グッドマンもの」}}</ref> <ref name="平成大全182">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=182 - 183|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バトラ・昆虫怪獣の不気味さ」}}</ref> <ref name="平成大全184">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=184 - 186|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 モスラの受難」}}</ref> <ref name="平成大全186">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=186 - 188|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 美しきモスラの変態」}}</ref> <ref name="平成大全190">{{Harvnb|平成ゴジラ大全|2003|pp=190 - 191|loc=「破之参 『ゴジラVSモスラ』 どう作るかではなく、どう飾るか」}}</ref> <ref name="平成C114">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|pp=114-115|loc=「MONSTER FILE」}}</ref> <ref name="平成C119">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=119|loc=「造型メイキング」}}</ref> <ref name="平成C121">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=121|loc=「1992 特撮メイキング[国会議事堂]」}}</ref> <ref name="平成C122">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|pp=122-123|loc=「1992 特撮メイキング」}}</ref> <ref name="平成C127">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=127|loc=「1992 特撮メイキング[横浜・みなとみらい地区]」}}</ref> <ref name="平成C128">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=128|loc=「川北紘一監督による総括」}}</ref> <ref name="平成C167">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=167|loc=「MONSTER FILE」}}</ref> <ref name="平成C217">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=217|loc=「平成ゴジラとの再会」}}</ref> <ref name="平成C247">{{Harvnb|平成ゴジラクロニクル|2009|p=247|loc=「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 渡辺忠昭&久米攻」}}</ref> <ref name="映画大全30">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=30-35|loc=聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 造型 村瀬継蔵」}}</ref> <ref name="映画大全100">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=100-102|loc=文・[[白石雅彦]]<!--綴込み紙にて修正。-->「モスラ操演の歴史」}}</ref> <ref name="映画大全107">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=107-109|loc=文・[[西川伸司]]「モスラ造形・デザインの変遷」}}</ref> <ref name="映画大全128">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=128-133|loc=聞き手・青井邦夫、中村哲「インタビュー 特技監督 川北紘一」}}</ref> <ref name="平成P44">{{Harvnb|平成ゴジラパーフェクション|2012|pp=44-45|loc=「ゴジラVSモスラアートワークス」}}</ref> <ref name="平成P134">{{Harvnb|平成ゴジラパーフェクション|2012|pp=134-135|loc=「幻の平成ゴジラストーリー 『ゴジラVSギガモス』『ゴジラVSモスラ』」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集234">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=234|loc=「『ゴジラvsモスラ』怪獣図鑑/資料館」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集235">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=235|loc=「『ゴジラvsモスラ』撮影秘話/川北監督に訊く」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集246">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=246|loc=「『ゴジラvsスペースゴジラ』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="ALL66">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=66-69|loc=「『モスラ』モスラ(成虫)」}}</ref> <ref name="ALL242">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=242-243|loc=「『ゴジラVSモスラ』モスラ」}}</ref> <ref name="ALL251">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=251|loc=「『ゴジラVSスペースゴジラ』妖精モスラ」}}</ref> <ref name="C大全143">{{Harvnb|キャラクター大全|2014|pp=143-144|loc=「平成ゴジラ共演怪獣 1984-1995」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣82">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=82-83|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣94">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|p=94|loc=「ゴジラVSスペースゴジラ」}}</ref> <ref name="大辞典5">{{Harvnb|大辞典|2014|pp=282-283|loc=「も モスラ(4代目=第5個体)」}}</ref> <ref name="大辞典238">{{Harvnb|大辞典|2014|p=238|loc=「ふ 妖精モスラ」}}</ref> <ref name="大辞典285">{{Harvnb|大辞典|2014|p=285|loc=「も モスラの卵」}}</ref> <ref name="大辞典350">{{Harvnb|大辞典|2014|pp=350-351|loc=「作品紹介 ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="G6084">{{Harvnb|GODZILLA60|2014|p=84|loc=「怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="ゴジラ画集33">{{Harvnb|ゴジラ画集|2016|pp=33-37|loc=「ゴジラVSモスラ(1992年)」}}</ref> <ref name="ゴジラ画集59">{{Harvnb|ゴジラ画集|2016|p=59|loc=「ゴジラVSスペースゴジラ(1994年)」}}</ref> <ref name="超常識130">{{Harvnb|超常識|2016|pp=130-132|loc=「3大怪獣、極彩色の大決戦 ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="Walker71">{{Harvnb|Walker|2016|p=71|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="Walker73">{{Harvnb|Walker|2016|p=73|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="解体全書91">{{Harvnb|解体全書|2016|p=91|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="超解体全書29">{{Harvnb|超解体全書|2023|pp=29-33|loc=「写真で見る歴代モスラデザイン」}}</ref> <ref name="超解体全書91">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=91|loc=「モスラ、コスモス、妖精(フェアリー)モスラ」}}</ref> <ref name="若狭50">{{Harvnb|若狭新一|2017|p=50|loc=「『ゴジラVSスペースゴジラ』」}}</ref> <ref name="検定97">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=97|loc=「ゴジラVSモスラ 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定105">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=105|loc=「ゴジラVSスペースゴジラ 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="西川63">{{Harvnb|西川伸司|2019|p=63|loc=「File 005 モスラ 1994 ゴジラvsスペースゴジラ」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑平成">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=152、154|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑152">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=152-153|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑154">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=154-155|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑156">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=156|loc=「ゴジラに挑む!怪獣たち」}}</ref> <ref name="GTOM013">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=13|loc=「ゴジラVSモスラ」}}</ref> <ref name="GTOM0911">{{Harvnb|GTOM vol.09|2023|p=11|loc=「平和の化身 モスラの分身 フェアリーモスラ」}}</ref> <ref name="GTOM1122">{{Harvnb|GTOM vol.11|2023|p=22|loc=「巨大蛾怪獣 モスラ〔幼虫〕」}}</ref> <ref name="GTOM1123">{{Harvnb|GTOM vol.11|2023|p=23|loc=「巨大蛾怪獣 モスラ〔成虫〕」}}</ref> <ref name="大解剖図鑑100">{{Harvnb|大解剖図鑑|2023|pp=100-101|loc=「モスラ」}}</ref> }} === 出典(リンク) === {{Reflist|group="出典"|3}} == 参考文献 == * Gakken MOOK([[Gakken]]) ** {{Cite book|和書|others=監修 [[田中友幸]]、責任編集 [[川北紘一]]|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1992-12-10|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1993-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1993}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [スペースゴジラ編]|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1994-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1994}}}} * [[てれびくん]]デラックス愛蔵版シリーズ([[小学館]]) ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮尚彦|date=1992-12-10|title=ゴジラVSモスラ[[超全集]]|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=978-4-09-101433-7|ref={{SfnRef|VSモスラ超全集|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮尚彦|title=ゴジラVSスペースゴジラ超全集|date=1994-12-20|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=978-4-09-101444-3|ref={{SfnRef|VSスペースゴジラ超全集|1994}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成 窪内裕、鞍城沙貴、八島丈|title=モスラ2 海底の大決戦超全集|date=1998-01-10|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=4091014615|ref={{SfnRef|モスラ2超全集|1998}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成・執筆 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ1954-1999超全集|date=2000-01-01|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=4-09-101470-4|ref={{SfnRef|ゴジラ1954-1999超全集|2000}}}} * {{Cite book|和書|others=構成・執筆・編集 岩畠寿明、小野浩一郎(エープロダクション)|title=ゴジラvsモスラ|publisher=[[講談社]]|series=講談社ヒットブックス30|date=1992-12-18|isbn=4-06-177730-0|ref={{SfnRef|ヒットブックスVSモスラ|1992}}}} * {{Cite book|和書|others=企画・構成・編集 [[安井尚志]]([[ストリームベース#クラフト団|クラフト団]])|title=増補改訂新版 超最新ゴジラ大図鑑|publisher=[[バンダイ]]|series=エンターテイメントバイブルシリーズ50|date=1992-12-25|isbn=4-89189-284-6|ref={{SfnRef|超最新ゴジラ大図鑑|1992}}}} * 東宝SF特撮映画シリーズ([[東宝]]出版事業室) ** {{Cite book|和書|date=1993-01-15|title=ゴジラVSモスラ|publisher=東宝出版・商品事業室|series= 東宝SF特撮映画シリーズVOL.7|isbn=4-924609-43-9 |ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993}}}} ** {{Cite book|和書|title=ゴジラVSスペースゴジラ|publisher=東宝 出版・商品事業室|series=東宝SF特撮映画シリーズVOL.9|date=1994-12-10|isbn=4-924609-52-8|ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズ9|1994}}}} * {{Cite book|和書|others=構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚|title=[[テレビマガジン]]特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集|publisher=講談社|date=1994-09-01|isbn=4-06-178417-X|ref={{SfnRef|ゴジラ大全集|1994}}}} * 『幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑』([[ホビージャパン]]) ** {{Cite book|和書|title=幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑|others=[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ|publisher=ホビージャパン|date=1995-01-27|isbn= 4-89425-059-4|ref={{SfnRef|大ゴジラ図鑑|1995}}}} ** {{Cite book|和書|title=幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑2|others=[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ|publisher=ホビージャパン|date=1995-12-15|isbn=4-89425-117-5|ref={{SfnRef|大ゴジラ図鑑2|1995}}}} * {{Cite book|和書|title=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]別冊 GODZILLA VS DESTOROYAH|publisher=[[朝日ソノラマ]]|date=1996-01-10|id=雑誌コード:01844-01|ref={{SfnRef|宇宙船別冊|1996}}}} * {{Cite book|和書|others=企画・構成 冠木新市|title=ゴジラ映画クロニクル 1954-1998 ゴジラ・デイズ|date=1998-07-15|origdate=1993-11|publisher=[[集英社]]|series=[[集英社文庫]]|isbn=4-08-748815-2|ref={{SfnRef|ゴジラ・デイズ|1998}}}} * {{Cite book|和書|author=坂井由人|author2=秋田英夫|title=ゴジラ来襲!! 東宝特撮映画再入門|date=1998-07-25|publisher=[[KKロングセラーズ]]|series=ムックセレクト635|isbn=4-8454-0592-X|ref={{SfnRef|ゴジラ来襲|1998}}}} * {{Cite book|和書|title=東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54|others=特別監修 川北紘一|publisher=[[成美堂出版]]|series=SEIBIDO MOOK|date=1999-02-20|isbn=4-415-09405-8|ref={{SfnRef|日本特撮映画図鑑|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み|edition=第3版|date=1999-12-24|origdate=1993-12-21|publisher=[[竹書房]]|isbn=4-8124-0581-5|ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=動画王特別編集 ゴジラ大図鑑 東宝特撮映画の世界|date=2000-12-16|publisher=[[キネマ旬報社]]|series=キネ旬ムック|isbn=4-87376-558-7|ref={{SfnRef|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000}}}} * {{Cite book|和書|others=編著 [[白石雅彦]]、スーパーバイザー [[富山省吾]]|date=2003-01-20<!--奥付表記-->|title=平成ゴジラ大全 1984-1995|publisher=[[双葉社]]|series=双葉社の大全シリーズ<!--表紙そでより-->|isbn=4-575-29505-1|ref={{SfnRef|平成ゴジラ大全|2003}}}} * {{Cite book|和書|others=川北紘一 特別監修|date=2009-11-30|title=平成ゴジラ クロニクル|publisher=キネマ旬報社|isbn=978-4-87376-319-4|ref= {{SfnRef|平成ゴジラクロニクル|2009}}}} * 洋泉社MOOK([[洋泉社]]) ** {{Cite book|和書|date=2011-08-11|title=別冊映画秘宝 モスラ映画大全|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-86248-761-2|ref={{SfnRef|モスラ映画大全|2011}}}} ** {{Cite book|和書|date=2014-04-27|title=別冊[[映画秘宝]] オール東宝怪獣大図鑑|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-8003-0362-2|ref={{SfnRef|オール東宝怪獣大図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2012-02-10|others=監修:川北紘一|title= 平成ゴジラパーフェクション|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|series= DENGEKI HOBBY BOOKS|isbn= 978-4-04-886119-9|ref={{SfnRef|平成ゴジラパーフェクション|2012}}}} * {{Cite book|和書|others=執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし|title=東宝特撮映画大全集|date=2012-09-28|publisher=[[ヴィレッジブックス]]|isbn=978-4-86491-013-2|ref={{SfnRef|東宝特撮映画大全集|2012}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title=キャラクター大全 ゴジラ 東宝特撮映画全史|publisher=講談社|date=2014-07-15|isbn=978-4-06-219004-6|ref={{SfnRef|キャラクター大全|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=東宝 協力|title=東宝特撮全怪獣図鑑|publisher=小学館|date=2014-07-28|isbn=978-4-09-682090-2|ref={{SfnRef|東宝特撮全怪獣図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=野村宏平 編著|title=ゴジラ大辞典【新装版】|date=2014-08-07|publisher=[[笠倉出版社]]|isbn=978-4-7730-8725-3|ref={{SfnRef|大辞典|2014}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ徹底研究 GODZILLA GODZILLA60:COMPLETE GUIDE|publisher=[[マガジンハウス]]|series=MAGAZINE HOUSE MOOK|date=2014-09-05|isbn=978-4-8387-8944-3|ref={{SfnRef|GODZILLA60|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2016-06-24|author=西川伸司|authorlink=西川伸司|title=西川伸司ゴジラ画集|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-0959-4|ref={{SfnRef|ゴジラ画集|2016}}}} * {{Cite book|和書|others=[協力] 東宝|title=ゴジラの超常識|publisher=双葉社|date=2016-07-24|origdate=2014-07-06|isbn=978-4-575-31156-3|ref={{SfnRef|超常識|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=シン・ゴジラWalker [怪獣王 新たなる伝説]|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-08-06|isbn=978-4-04-895632-1|ref={{SfnRef|Walker|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ解体全書|publisher=[[宝島社]]|date=2016-08-15|origdate=2014-07-26|series=TJ MOOK|isbn=978-4-8002-5699-7|ref={{SfnRef|解体全書|2016}}}} ** {{Cite book|和書|title=超ゴジラ解体全書|publisher=宝島社|date=2023-11-30|series=TJ MOOK|isbn=978-4-299-04835-6|ref={{SfnRef|超解体全書|2023}}}} * {{Cite book|和書|author=若狭新一|authorlink=若狭新一|date=2017-10-21|title=ゴジラの工房 若狭新一造形写真集|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-1343-0|ref=harv}} * {{Cite book|和書|others=監修 東宝株式会社/協力 東宝 ゴジラ戦略会議|title=「ゴジラ検定」公式テキスト|publisher=宝島社|date=2018-11-03|isbn=978-4-8002-8860-8|ref={{SfnRef|ゴジラ検定|2018}}}} * {{Cite book|和書|author=西川伸司|date=2019-02-01|title=西川伸司デザインワークス|publisher=[[玄光社]]|isbn=978-4-7683-1150-9|ref=harv}} * {{Cite book|和書|date=2021-07-02|title=ゴジラ 全怪獣大図鑑|publisher=講談社|series=講談社 ポケット百科シリーズ|isbn=978-4-06-523491-4|ref={{SfnRef|全怪獣大図鑑|2021}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title =ゴジラ&東宝特撮 OFFICIAL MOOK|publisher = 講談社|series=講談社シリーズMOOK}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.0|volume-title=ゴジラ&東宝特撮作品 総選挙|date = 2022-12-21|isbn = 978-4-06-530223-1|ref = {{SfnRef|GTOM vol.0|2022}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.09|volume-title=ゴジラvsスペースゴジラ/ゴジラvsデストロイア|date = 2023-07-24|isbn = 978-4-06-531494-4|ref = {{SfnRef|GTOM vol.09|2023}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.11|volume-title=ゴジラvsキングギドラ / ゴジラvsモスラ|date = 2023-10-24|isbn = 978-4-06-531490-6|ref = {{SfnRef|GTOM vol.11|2023}}}} * {{Cite book|和書|date=2023-08-25|author=西川伸司|title=西川伸司が紐解く怪獣の深淵 ゴジラ大解剖図鑑|publisher=グラフィック社|isbn=978-4-7661-3784-2|ref={{SfnRef|大解剖図鑑|2023}}}} {{東宝特撮怪獣}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:もすら へいせいふいえす}} [[Category:モスラ|*]] [[Category:東宝怪獣]] [[Category:架空の昆虫]]
2023-12-09T03:13:57Z
2023-12-31T02:37:14Z
false
false
false
[ "Template:Normdaten", "Template:Cite news", "Template:Notelist", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Infobox character", "Template:R", "Template:Efn", "Template:Cite book", "Template:Pathnav", "Template:Refnest", "Template:読み仮名", "Template:Reflist", "Template:東宝特撮怪獣", "Template:キャラスペック" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9_(%E5%B9%B3%E6%88%90VS%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)
4,864,179
第15回フィルムフェア賞 南インド映画部門
第15回フィルムフェア賞 南インド映画部門(15th Filmfare Awards South)は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1967年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1968年に開催された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第15回フィルムフェア賞 南インド映画部門(15th Filmfare Awards South)は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1967年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1968年に開催された。", "title": null } ]
第15回フィルムフェア賞 南インド映画部門は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1967年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1968年に開催された。
{{Infobox Award | name = 第15回フィルムフェア賞<br />南インド映画部門 | current_awards = | image = | imagesize = | alt = | caption = | description = 優秀な[[南インドの映画|南インド映画]] | presenter = 『[[フィルムフェア]]』 | host = | date = 1968年 | country = {{IND}} | location = [[マハーラーシュトラ州]][[ムンバイ|ボンベイ]] | reward = <!-- 報酬 --> | website = [http://awards.filmfare.com/ Filmfare] | previous = [[第14回フィルムフェア賞 南インド映画部門|第14回]] | main = [[フィルムフェア賞 南インド映画部門]] | next = [[第16回フィルムフェア賞 南インド映画部門|第16回]] }} '''第15回[[フィルムフェア賞 南インド映画部門]]'''(15th Filmfare Awards South)は、[[インド]]の映画賞。『[[フィルムフェア]]』が主催し、1967年の[[南インドの映画|南インド映画]]([[タミル語映画]]、[[テルグ語映画]]、[[マラヤーラム語映画]])を対象としており、1968年に開催された<ref>{{Cite web | url=https://books.google.com/books?id=Q5UqAAAAYAAJ&q=Chandarangam+badeti | title=Collections| year=1991|accessdate=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite web | url=https://books.google.com/books?id=E8YVAQAAIAAJ&q=Chadarangam |title = The Times of India Directory and Year Book Including Who's who|last1 = Reed|first1 = Sir Stanley|year = 1968|accessdate=2023-12-09}}</ref><ref>{{cite web|url=https://bollywoodproduct.in/15th-filmfare-awards-south-1968/|title=15th Filmfare Awards South (1968)|publisher=Bollywood Product|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 受賞結果 == {| class=wikitable width=50% | |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|フィルムフェア賞 タミル語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Tamil|label=タミル語映画部門作品賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|フィルムフェア賞 テルグ語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Telugu|label=テルグ語映画部門作品賞}} |- | valign="top" | * 『'''''[[:en:Karpooram|Karpooram]]'''''』 | valign="top" | * 『'''''Chadarangam'''''』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%"| {{仮リンク|フィルムフェア賞 マラヤーラム語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Malayalam|label=マラヤーラム語映画部門作品賞}} |- | valign="top" | * 『'''''[[:en:Agniputhri|Agniputhri]]'''''』 |} == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official|http://awards.filmfare.com/}} {{DEFAULTSORT:ふいるむふえあしようみなみいんとえいかふもん15}} [[Category:フィルムフェア賞 南インド映画部門|15]] [[Category:1968年のインド]] [[Category:1968年の映画|*ふいるむふえあしようみなみいんとえいかふもん]]
2023-12-09T03:17:13Z
2023-12-18T14:38:55Z
false
false
false
[ "Template:Infobox Award", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Official" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC15%E5%9B%9E%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E8%B3%9E_%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%83%A8%E9%96%80
4,864,185
孫易磊
孫 易磊(スン・イーレイ、2005年2月10日 - )は、台湾(中華民国)の台北市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 5歳上の兄に憧れて野球を始め、小学校卒業前にはリトルリーグの国内予選を勝ち抜き、U12ワールドカップの代表にも招集された。中学時代は、ポニーリーグワールドシリーズでは準決勝で勝ち越し本塁打、決勝では先発で勝利投手となり優勝に貢献するなど、各大会で投打に活躍した。 新北市穀保高級家事商業職業学校(中国語版)では入学直後からレギュラー入り。1年時は一塁手や外野手としてプレーしていたが、2年時からは主軸を打ちながら投手として登板機会を増やした。新3年生として迎えた2022年9月のU-18ワールドカップでは外野手登録ながら投手としても起用され、登板日以外はDHやライトで出場し、台湾の準優勝に貢献。3年時は投手がメインとなり、台湾プロ野球のドラフトに参加すれば上位指名確実とみられていたが、海外挑戦を希望し、2023年初めに海外リーグからのオファーを待つために大学進学を表明した。5月末から6月上旬にかけて開催されたU-18ワールドカップ代表候補選抜大会では外野手としての選出であったが、主戦投手として期待されていた林盛恩がシンシナティ・レッズと契約し、野手として育成される都合で投手としての代表参加が困難となり、孫はエースに指名され、投手として本大会の代表に選出された。9月には中国文化大学に進学。同月上旬に開催されたU-18ワールドカップでは4試合・14イニングを投げ、15奪三振・防御率0.50を記録し、台湾の準優勝に貢献した。 9月29日に北海道日本ハムファイターズとの育成選手契約に合意した。4年契約で来季の年俸は600万円、契約金は7500万円(いずれも金額は推定)であり、背番号は196と発表された。 体重移動の際に左足が“くの字”になる独特のステップを踏む投球フォームから最速157km/hのストレート、チェンジアップ、フォーク、スライダーを投じる。 アマチュア時代は一塁手と外野手も守る二刀流であり、獲得に際して日本ハムの稲葉篤紀GMは投手一本の意向を示していたが、新庄剛志一軍監督は「大谷君を超えるかもしれない。ファイターズは可能性ある限り挑戦させて、それをいかせる球団。面白い」と二刀流での育成プランを明かした。 優れたアスリートを多数産んできた台湾原住民族・アミ族の血を引いている。 兄の孫易伸(中国語版)もCPBL・台鋼ホークスでプレーするプロ野球選手(外野手)である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "孫 易磊(スン・イーレイ、2005年2月10日 - )は、台湾(中華民国)の台北市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "5歳上の兄に憧れて野球を始め、小学校卒業前にはリトルリーグの国内予選を勝ち抜き、U12ワールドカップの代表にも招集された。中学時代は、ポニーリーグワールドシリーズでは準決勝で勝ち越し本塁打、決勝では先発で勝利投手となり優勝に貢献するなど、各大会で投打に活躍した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "新北市穀保高級家事商業職業学校(中国語版)では入学直後からレギュラー入り。1年時は一塁手や外野手としてプレーしていたが、2年時からは主軸を打ちながら投手として登板機会を増やした。新3年生として迎えた2022年9月のU-18ワールドカップでは外野手登録ながら投手としても起用され、登板日以外はDHやライトで出場し、台湾の準優勝に貢献。3年時は投手がメインとなり、台湾プロ野球のドラフトに参加すれば上位指名確実とみられていたが、海外挑戦を希望し、2023年初めに海外リーグからのオファーを待つために大学進学を表明した。5月末から6月上旬にかけて開催されたU-18ワールドカップ代表候補選抜大会では外野手としての選出であったが、主戦投手として期待されていた林盛恩がシンシナティ・レッズと契約し、野手として育成される都合で投手としての代表参加が困難となり、孫はエースに指名され、投手として本大会の代表に選出された。9月には中国文化大学に進学。同月上旬に開催されたU-18ワールドカップでは4試合・14イニングを投げ、15奪三振・防御率0.50を記録し、台湾の準優勝に貢献した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "9月29日に北海道日本ハムファイターズとの育成選手契約に合意した。4年契約で来季の年俸は600万円、契約金は7500万円(いずれも金額は推定)であり、背番号は196と発表された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "体重移動の際に左足が“くの字”になる独特のステップを踏む投球フォームから最速157km/hのストレート、チェンジアップ、フォーク、スライダーを投じる。", "title": "選手としての特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "アマチュア時代は一塁手と外野手も守る二刀流であり、獲得に際して日本ハムの稲葉篤紀GMは投手一本の意向を示していたが、新庄剛志一軍監督は「大谷君を超えるかもしれない。ファイターズは可能性ある限り挑戦させて、それをいかせる球団。面白い」と二刀流での育成プランを明かした。", "title": "選手としての特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "優れたアスリートを多数産んできた台湾原住民族・アミ族の血を引いている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "兄の孫易伸(中国語版)もCPBL・台鋼ホークスでプレーするプロ野球選手(外野手)である。", "title": "人物" } ]
孫 易磊は、台湾(中華民国)の台北市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
{{Infobox baseball player |選手名 = 孫 易磊 |所属球団 = 北海道日本ハムファイターズ |背番号 = 196 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = |国籍 = {{ROC-TW}} |出身地 = [[台北市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|2005|2|10}} |没年月日 = |身長 = 183 |体重 = 81 |利き腕 = 右 |打席 = 左 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = 2023年 |ドラフト順位 = |初出場 = |最終出場 = |年俸 = 600万円(2024年) |経歴 = * {{仮リンク|新北市穀保高級家事商業職業学校|zh|新北市私立穀保高級家事商業職業學校}} * [[中国文化大学]] * [[北海道日本ハムファイターズ]](2024 - ) }} '''孫 易磊'''(スン・イーレイ、[[2005年]][[2月10日]] - )は、[[台湾]]([[中華民国]])の[[台北市]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]]・[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])。右投左打。[[北海道日本ハムファイターズ]]所属。 == 経歴 == === プロ入り前 === 5歳上の兄に憧れて野球を始め、小学校卒業前にはリトルリーグの国内予選を勝ち抜き、U12ワールドカップの代表にも招集された。中学時代は、ポニーリーグワールドシリーズでは準決勝で勝ち越し本塁打、決勝では先発で勝利投手となり優勝に貢献するなど、各大会で投打に活躍した<ref name="pacific20231103">{{Cite web |url=https://pacificleague.com/news/56060 |title=台湾在住記者がファイターズファンに送る、「台湾の宝」孫易磊(スン・イーレイ)徹底ガイド |publisher=パ・リーグ.com |date=2023-11-03 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 {{仮リンク|新北市穀保高級家事商業職業学校|zh|新北市私立穀保高級家事商業職業學校}}{{Efn2|[[日本野球機構|NPB]]に[[陳冠宇]]、[[王柏融]]、[[王彦程]]らを輩出している[[台湾]]を代表する強豪校である{{R|pacific20231103}}。}}では入学直後からレギュラー入り{{R|pacific20231103}}。1年時は一塁手や外野手としてプレーしていたが<ref name="nikkan20230929">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202309290000457.html |title=【日本ハム】新庄監督が一目ぼれ“台湾の至宝”孫易磊と契約合意 巻き返しへ早くも補強第1弾 |publisher=日刊スポーツ |date=2023-09-29 |accessdate=2023-12-09}}</ref>、2年時からは主軸を打ちながら投手として登板機会を増やした。新3年生として迎えた{{by|2022年}}9月の[[2021 WBSC U-18ワールドカップ|U-18ワールドカップ]]では外野手登録ながら投手としても起用され、登板日以外はDHやライトで出場し、台湾の準優勝に貢献{{R|pacific20231103}}。3年時は投手がメインとなり、[[中華職業棒球大聯盟|台湾プロ野球]]のドラフトに参加すれば上位指名確実とみられていたが、海外挑戦を希望し、{{by|2023年}}初めに海外リーグからのオファーを待つために大学進学を表明した<ref name="fullcount20231105">{{Cite web |url=https://full-count.jp/2023/11/05/post1466689/ |title=“逸材18歳”が追う大谷翔平の背中 子どもの頃から大ファン…日本ハム入団の運命 |publisher=Full-Count |date=2023-11-05 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。5月末から6月上旬にかけて開催された[[2023 WBSC U-18ワールドカップ|U-18ワールドカップ]]代表候補選抜大会では外野手としての選出であったが、主戦投手として期待されていた[[林盛恩]]が[[シンシナティ・レッズ]]と契約し、野手として育成される都合で投手としての代表参加が困難となり、孫はエースに指名され、投手として本大会の代表に選出された{{R|pacific20231103}}。9月には[[中国文化大学]]に進学{{R|fullcount20231105}}。同月上旬に開催されたU-18ワールドカップでは4試合・14イニングを投げ、15奪三振・防御率0.50を記録し{{R|nikkan20230929}}、台湾の準優勝に貢献した<ref name="hochi20231031">{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20231030-OHT1T51227.html |title=【日本ハム】新庄剛志監督、「台湾の宝」孫易磊を二刀流で育てるプラン「大谷君を超える」 |publisher=スポーツ報知 |date=2023-10-31 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 9月29日に[[北海道日本ハムファイターズ]]との[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手契約]]に合意した<ref>{{Cite web |url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/202300430869.html |title=孫易磊(スン・イーレイ)投手と契約合意 |publisher=北海道日本ハムファイターズ |date=2023-09-29 |accessdate=2023-12-09}}</ref>{{Efn2|[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]が海外のアマチュア選手と契約するのは史上初であった{{R|pacific20231103}}。}}。4年契約で来季の年俸は600万円、契約金は7500万円(いずれも金額は推定)であり、背番号は'''196'''と発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/10/17/kiji/20231016s00001173731000c.html |title=U18台湾代表・孫易磊 日本ハム入団会見 育成4年契約「早く支配下の選手に」 |publisher=Sponichi Annex |date=2023-10-17 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 選手としての特徴 == 体重移動の際に左足が“くの字”になる独特のステップを踏む投球フォーム<ref>{{Cite web |url=https://www.doshinsports.com/article_detail/id=12551 |title=台湾の至宝・孫易磊が始動 剛速球生む独自のステップに一流投手との共通点 |publisher=道新スポーツ |date=2023-11-01 |accessdate=2023-12-09}}</ref>から最速157km/hの[[速球|ストレート]]<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/12/08/kiji/20231209s00001000017000c.html |title=日本ハム入団の台湾代表・孫易磊投手が自己最速の157キロをマーク BFAアジア選手権の日本代表戦 |publisher=Sponichi Annex |date=2023-12-08 |accessdate=2023-12-09}}</ref>、[[チェンジアップ]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]を投じる<ref name="nikkan20231030">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202310300001117.html |title=【日本ハム】“台湾の至宝”孫易磊「絶対間違いない」大谷翔平ら輩出の育成手腕が入団決め手に |publisher=日刊スポーツ |date=2023-10-30 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 アマチュア時代は一塁手と外野手も守る二刀流であり、獲得に際して日本ハムの[[稲葉篤紀]][[ゼネラルマネージャー|GM]]は投手一本の意向を示していたが、[[新庄剛志]]一軍監督は「[[大谷翔平|大谷]]君を超えるかもしれない。ファイターズは可能性ある限り挑戦させて、それをいかせる球団。面白い」と二刀流での育成プランを明かした{{R|hochi20231031}}。 == 人物 == 優れたアスリートを多数産んできた台湾原住民族・[[アミ族]]の血を引いている{{R|pacific20231103}}。 兄の{{仮リンク|孫易伸|zh|孙易伸}}も[[中華職業棒球大聯盟|CPBL]]・[[台鋼ホークス]]でプレーするプロ野球選手(外野手)である{{R|nikkan20231030}}。 == 詳細情報 == === 背番号 === * '''196'''(2024年 - ) === 代表歴 === * [[2021 WBSC U-18ワールドカップ|第30回U-18ワールドカップ]]チャイニーズタイペイ代表 * [[2023 WBSC U-18ワールドカップ|第31回U-18ワールドカップ]]チャイニーズタイペイ代表 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[台湾の人物一覧]] * [[北海道日本ハムファイターズの選手一覧]] {{北海道日本ハムファイターズの選手・スタッフ}} {{デフォルトソート:すん いいれい}} [[Category:台湾の野球選手]] [[Category:北海道日本ハムファイターズの育成選手]] [[Category:NPBの台湾人選手]] [[Category:中国文化大学出身の人物]] [[Category:台北市出身の人物]] [[Category:2005年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T03:21:49Z
2023-12-12T12:52:16Z
false
false
false
[ "Template:Efn2", "Template:R", "Template:By", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:北海道日本ハムファイターズの選手・スタッフ", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Infobox baseball player" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%98%93%E7%A3%8A
4,864,188
マルコとマルオ
マルコとマルオとは、デパートのマルイで行われるエポスカード会員を対象にした大規模な優待期間。 3日~16日間など開催時期が変動し「マルコとマルオの〇日間」と表記されることが多い マルイでは、3月、5月、9月、11月など、特別なセールがない期間であり、季節の新作が並ぶ時期に、オトクに買い物ができるように、エポスカード払いを対象にした10%オフセールを行っている。普段値下げをしないブランド・メーカー・商品なども、精算レジにて割引を行うため、実店舗およびオンラインショップであるマルイウェブチャネルは買い物客で混雑する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "マルコとマルオとは、デパートのマルイで行われるエポスカード会員を対象にした大規模な優待期間。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "3日~16日間など開催時期が変動し「マルコとマルオの〇日間」と表記されることが多い", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "マルイでは、3月、5月、9月、11月など、特別なセールがない期間であり、季節の新作が並ぶ時期に、オトクに買い物ができるように、エポスカード払いを対象にした10%オフセールを行っている。普段値下げをしないブランド・メーカー・商品なども、精算レジにて割引を行うため、実店舗およびオンラインショップであるマルイウェブチャネルは買い物客で混雑する。", "title": "概要" } ]
マルコとマルオとは、デパートのマルイで行われるエポスカード会員を対象にした大規模な優待期間。 3日~16日間など開催時期が変動し「マルコとマルオの〇日間」と表記されることが多い
{{独自研究 |date = 2023年12月}} {{Pathnav|丸井|エポスカード|frame = 1}} '''マルコとマルオ'''とは、デパートの[[丸井|マルイ]]で行われる[[エポスカード]]会員を対象にした大規模な優待期間<ref>[https://www.eposcard.co.jp/ エポスカード]</ref>。 3日~16日間など開催時期が変動し「マルコとマルオの〇日間」と表記されることが多い<ref>[https://voi.0101.co.jp/voi/content/01/sp/topics/column/column_271.html マルコとマルオの優待とは?次回いつ?何日間?マルイでのお買物が10%OFF]</ref> == 概要 == マルイでは、3月、5月、9月、11月など、特別なセールがない期間であり、季節の新作が並ぶ時期に、オトクに買い物ができるように、エポスカード払いを対象にした10%オフセールを行っている。普段値下げをしないブランド・メーカー・商品なども、精算レジにて割引を行うため、実店舗およびオンラインショップである[[マルイウェブチャネル]]は買い物客で混雑する。 == プロモーション == テレビCMや交通広告を使って大々的に告知することが多い。 *2011年 **11月 テレビコマーシャル「マルコとマルオの7日間」櫻橋良枝<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=9inlsUeoLXk 櫻橋良枝 : マルイ・マルコとマルオの7日間 (201111)|youtube]</ref>。 *2015年 **5月 テレビコマーシャル「マルコとマルオの7日間」<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=gfnV8Kyi2x0 CM マルイ 「マルコとマルオの7日間」|youtube]</ref>。 == コラボレーション == *2023年 **3月 『[[シン・仮面ライダー]]』とコラボレーション<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003157.000003860.html 『シン・仮面ライダー』とコラボレーション!エポスカードで10%OFF!マルイ・モディ全店、マルイのネット通販にて『マルコとマルオの14日間』開催!]</ref> **5月 「[[プリキュアシリーズ]]20周年」とコラボ<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003197.000003860.html 「プリキュアシリーズ20周年」とコラボ!エポスカードで10%OFF!マルイ・ モディ全店、マルイのネット通販にて『マルコとマルオの14日間』開催!]</ref> **9月 ホロライブ所属VTuber「[[兎田ぺこら]]」とコラボレーション<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003270.000003860.html ホロライブ所属VTuber「兎田ぺこら」とコラボレーション!エポスカードで10%OFF!マルイ・ モディ全店、マルイのネット通販にて『マルコとマルオの10日間』開催!]</ref> **11月 「[[ちいかわ]]」とコラボレーション<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003314.000003860.html 「ちいかわ」とコラボレーション!エポスカードで10%OFF!マルイ・モディ全店、マルイのネット通販にて『マルコとマルオの10日間』開催!]</ref> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.eposcard.co.jp/ エポスカード] * {{Twitter|epos_card}} * {{Facebook|eposcard}} {{DEFAULTSORT:まることまるお}} [[Category:丸井グループ]]
2023-12-09T03:26:17Z
2023-12-16T12:23:53Z
false
false
false
[ "Template:Twitter", "Template:Facebook", "Template:独自研究", "Template:Pathnav", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AA
4,864,191
タイパ競馬場
タイパ競馬場(タイパけいばじょう)は、マカオのタイパ島にあるマカオジョッキークラブの競馬場である。 タイパ競馬場は、第二次世界大戦(太平洋戦争)で廃絶したマカオにおける競馬の開催権を獲得したマカオ・トロッティングクラブによって1980年に開設され、当初は1周2210mの繋駕速歩競走(ハーネス競馬)の競馬場だった。 経営不振でハーネス競馬が中断した後、マカオジョッキークラブが経営を引き継いでサラブレッドの平地競走に転換し、1989年9月10日に最初の競走が行われた。1990年/1991年シーズンに芝コースと夜間照明施設が整備され、現在の競馬場が完成した。 右回り。外側が1周1600mの芝コース(直線370m)、内側が1周1400mのダート(砂)コース(直線320m)になっている。 フルゲートは芝・ダートともに12頭。 グランドスタンド(大看台樓)は4階建てで収容人数1万5000人。ただし、2020年代には入場者数減少のため、1フロアのみオープンしていて入場料も無料となっており、上層階のレストランも閉鎖されている。 厩舎は14棟あり、1183頭の現役競走馬を収容できる。また、別に60頭分の検疫馬房、28頭分の休養馬房、その他引退馬や乗馬訓練学校の馬を収容する馬房がある。休養馬のための休養区も場内に設けられている。このほか、競走馬診療所や馬用プールも整備されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タイパ競馬場(タイパけいばじょう)は、マカオのタイパ島にあるマカオジョッキークラブの競馬場である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "タイパ競馬場は、第二次世界大戦(太平洋戦争)で廃絶したマカオにおける競馬の開催権を獲得したマカオ・トロッティングクラブによって1980年に開設され、当初は1周2210mの繋駕速歩競走(ハーネス競馬)の競馬場だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "経営不振でハーネス競馬が中断した後、マカオジョッキークラブが経営を引き継いでサラブレッドの平地競走に転換し、1989年9月10日に最初の競走が行われた。1990年/1991年シーズンに芝コースと夜間照明施設が整備され、現在の競馬場が完成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "右回り。外側が1周1600mの芝コース(直線370m)、内側が1周1400mのダート(砂)コース(直線320m)になっている。", "title": "コース" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "フルゲートは芝・ダートともに12頭。", "title": "コース" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "グランドスタンド(大看台樓)は4階建てで収容人数1万5000人。ただし、2020年代には入場者数減少のため、1フロアのみオープンしていて入場料も無料となっており、上層階のレストランも閉鎖されている。", "title": "設備" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "厩舎は14棟あり、1183頭の現役競走馬を収容できる。また、別に60頭分の検疫馬房、28頭分の休養馬房、その他引退馬や乗馬訓練学校の馬を収容する馬房がある。休養馬のための休養区も場内に設けられている。このほか、競走馬診療所や馬用プールも整備されている。", "title": "設備" } ]
タイパ競馬場(タイパけいばじょう)は、マカオのタイパ島にあるマカオジョッキークラブの競馬場である。
{{競馬場 |競馬場名 = タイパ競馬場<br />{{Lang|zh-MO|氹仔馬場}} |通称・愛称 = |画像 = [[file:Macau Jockey Club Racecourse2021.jpg|250px]] |所在地 = {{flagicon|MAC}}[[マカオ]]{{Lang|zh-MO|[[タイパ島|氹仔]]}}オリヴェイラ通り | 緯度度 = 22 |緯度分 = 9 |緯度秒 = 17.13 |N(北緯)及びS(南緯) = N | 経度度 = 113 |経度分 = 32 |経度秒 = 52.28 |E(東経)及びW(西経) = E | 地図国コード = MO |起工 = |開場 = [[1980年]] |閉場 = |取り壊し = |所有者 = |管理・運用者 = [[マカオジョッキークラブ]] |収容能力 = 15,000人 |周回 = 右回り |馬場 = 芝・ダート }} {{中華圏の事物 |タイトル=タイパ競馬場 |繁体字=氹仔馬場 |簡体字=氹仔马场 |ピン音=Dàngzǎi Mǎchǎng |発音=タンツァイ マーチャン |広東語ピン音=tam5 zai2 maa5 coeng4 |広東語発音=タンツァイ マーチョン |ひらがな=たんしばじょう |英文=Taipa Racecourse }} '''タイパ競馬場'''(タイパけいばじょう、{{lang-zh-hant|氹仔馬場}})は、[[マカオ]]の[[タイパ島]]にある[[マカオジョッキークラブ]]の[[競馬場]]である<ref name="jairs">{{Cite web |和書 |url=https://www.jairs.jp/contents/courses/mac.html |title=マカオの競馬場 |publisher=公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 歴史 == {{See also|マカオの競馬}} タイパ競馬場は、[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]])で廃絶したマカオにおける競馬の開催権を獲得したマカオ・トロッティングクラブによって[[1980年]]に開設され、当初は1周2210[[メートル|m]]の[[繋駕速歩競走]](ハーネス競馬)の競馬場だった<ref name="history">{{Cite web |url=https://www.mjc.mo/race_en/info/group_news.php?id=66&news_id=16054 |title=A History Of Racing In Macau |publisher=Macau Jockey Club |date=2011-10-04 |accessdate=2023-12-09}}</ref><ref name="memory">{{Cite web |url=https://www.macaumemory.mo/specialtopic_4998a6f009444c2594f91a4ead446821 |title={{lang|zh-MO|澳門街市:祐漢街市}} |website={{lang|zh-MO|澳門記憶}} |publisher={{lang|zh-MO|澳門基金會}} |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 経営不振でハーネス競馬が中断した後、[[マカオジョッキークラブ]]が経営を引き継いで[[サラブレッド]]の[[平地競走]]に転換し、[[1989年]][[9月10日]]に最初の[[競馬の競走|競走]]が行われた。[[1990年]]/[[1991年]]シーズンに芝コースと夜間照明施設が整備され、現在の競馬場が完成した{{R|jairs|history}}。 == コース == 右回り。外側が1周1600mの芝コース(直線370m)、内側が1周1400mのダート(砂)コース(直線320m)になっている{{R|jairs}}<ref name="facilities">{{Cite web |url=https://www.mjc.mo/race_en/info/i_pages.php?id=85 |title=Racecourse Facilities |publisher=Macau Jockey Club |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 フルゲートは芝・ダートともに12頭{{R|facilities}}。 == 設備 == グランドスタンド({{Lang|zh-MO|大看台樓}})は4階建てで収容人数1万5000人{{R|facilities}}。ただし、[[2020年代]]には入場者数減少のため、1フロアのみオープンしていて入場料も無料となっており、上層階のレストランも閉鎖されている<ref>{{Cite book |和書 |author=須田鷹雄 |title=世界の中心で馬に賭ける 海外競馬放浪記 |publisher=中央公論新社 |year=2022 |pages=198-201}}</ref>。 厩舎は14棟あり、1183頭の現役競走馬を収容できる。また、別に60頭分の検疫馬房、28頭分の休養馬房、その他引退馬や乗馬訓練学校の馬を収容する馬房がある。休養馬のための休養区も場内に設けられている。このほか、競走馬診療所や馬用プールも整備されている<ref>{{Cite web |url=https://www.mjc.mo/race_en/info/i_pages.php?id=84 |title=Horses and Stables Facilities |publisher=Macau Jockey Club |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == アクセス == *[[マカオの交通|バス]] **[[澳門新福利公共汽車|新福利]](TRANSMAC)15、26、33、34、MT4号線 **[[澳門公共汽車|澳巴]](TCM)11、28A、30、35、36、MT1、22号線 ***{{Lang|zh-MO|賽馬會}}-2(Jockey Club-2)バス停下車<ref name="transportation">{{Cite web |url=http://www.mjc.mo/race_en/info/i_pages.php?id=34 |title=Transportation |publisher=Macau Jockey Club |accessdate=2023-12-09}}</ref> *[[澳門軽軌鉄路|マカオLRT]]({{Lang|zh-MO|澳門輕軌}}) **タイパ線({{Lang|zh-MO|氹仔線}} / Taipa Line) ***馬会駅({{Lang|zh-MO|馬會站}} / Jockey Club Station)下車<ref>{{Cite web |url=https://www.mlm.com.mo/en/station_locationDetail/article/kblxjnvb.html |title=Jockey Club Station |publisher=Macao Light Rapid Transit Corporation, Limited |accessdate=2023-12-09}}</ref> *[[アウター・ハーバー・フェリーターミナル]](香港-マカオ航路) **タクシーで10分{{R|jairs}} **無料シャトルバスで15〜20分{{R|transportation}} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.mjc.mo/ 澳門賽馬會](中国語) *[https://www.mjc.mo/race_en/info/index.php Macau Jockey Club](英語) {{DEFAULTSORT:たいはけいはしよう}} [[Category:マカオの競馬場]] [[Category:1980年開設のスポーツ施設]]
2023-12-09T03:29:47Z
2023-12-10T00:28:38Z
false
false
false
[ "Template:See also", "Template:R", "Template:Lang", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite book", "Template:競馬場", "Template:中華圏の事物" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%91%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E5%A0%B4
4,864,202
宍戸元可
宍戸 元可(ししど もとよし)は、安土桃山時代の武将。毛利氏家臣。父は宍戸元秀。 毛利氏家臣である宍戸元秀の六男として生まれ、毛利輝元に仕える。 没年と理由は不明だが、宍戸家の系譜には故あって切腹したと記されている。また、当初の法名も不明だが、後に「芳庵利春」という法名を贈られている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "宍戸 元可(ししど もとよし)は、安土桃山時代の武将。毛利氏家臣。父は宍戸元秀。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "毛利氏家臣である宍戸元秀の六男として生まれ、毛利輝元に仕える。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "没年と理由は不明だが、宍戸家の系譜には故あって切腹したと記されている。また、当初の法名も不明だが、後に「芳庵利春」という法名を贈られている。", "title": "生涯" } ]
宍戸 元可は、安土桃山時代の武将。毛利氏家臣。父は宍戸元秀。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 宍戸元可 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[安土桃山時代]] | 生誕 = 不詳 | 死没 = 不詳 | 改名 = | 別名 = 通称:吉蔵→左衛門尉 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 芳庵利春 | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = [[毛利輝元]] | 藩 = | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]八田氏族[[宍戸氏]] | 父母 = 父:[[宍戸元秀]] | 兄弟 = [[宍戸元続|元続]]、女([[三沢為虎]]室)、[[内藤元盛]]、<br/>[[粟屋孝春]]、[[宍戸元真|元真]]、[[宍戸景好|景好]]、'''元可'''、<br/>[[古満姫]]([[小早川秀秋]]室、後に[[興正寺]][[准尊]]室) | 妻 = | 子 = | 特記事項 = }} '''宍戸 元可'''(ししど もとよし)は、[[安土桃山時代]]の[[武将]]。[[毛利氏]]家臣。父は[[宍戸元秀]]。 == 生涯 == [[毛利氏]]家臣である[[宍戸元秀]]の六男として生まれ、[[毛利輝元]]に仕える{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。 没年と理由は不明だが、宍戸家の系譜には故あって切腹したと記されている{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。また、当初の法名も不明だが、後に「芳庵利春」という法名を贈られている{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] {{DEFAULTSORT:ししと もとよし}} [[Category:三丘宍戸家|もとよし]] [[Category:戦国武将]] [[Category:安芸国の人物]] [[Category:生没年不詳]] [[Category:切腹した人物]]
2023-12-09T03:41:26Z
2023-12-09T03:41:26Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:クローズドアクセス", "Template:基礎情報 武士", "Template:Sfn", "Template:Notelist", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8D%E6%88%B8%E5%85%83%E5%8F%AF
4,864,208
6の平方根
6の平方根(ろくのへいほうこん、英: square root of 6)は、平方して6となる実数である。6の平方根には正と負の2つがあり、それぞれ 6 {\displaystyle {\sqrt {6}}} (ルート6)と − 6 {\displaystyle -{\sqrt {6}}} (マイナスルート6)である。 以下では、正の方を中心に扱う。 6 {\displaystyle {\sqrt {6}}} は無理数であり、よって循環小数ではない。また、小数点以下100桁は以下の通りである。 2.4494897427831780981972840747058913919659474806566701284326925672509603774573150265398594331046402348 語呂合わせには似よ、よくよく(によ、よくよく)などがある。 6 = 2 + 1 2 + 1 4 + 1 2 + 1 4 + 1 ⋱ {\displaystyle {\sqrt {6}}=2+{\cfrac {1}{2+{\cfrac {1}{4+{\cfrac {1}{2+{\cfrac {1}{4+{\cfrac {1}{\ddots }}}}}}}}}}} 6 {\displaystyle {\sqrt {6}}} と 2 {\displaystyle {\sqrt {2}}} を使い加算と減算をすることで、いくつかの15の倍数の角度に対する正確な三角関数の値を計算する事ができる。 !弧度法!!度数法!!sin!!cos!!tan!!cot!!sec!!csc |- ! π 12 {\displaystyle {\frac {\pi }{12}}} !! 15 ∘ {\displaystyle 15^{\circ }} | 6 − 2 4 {\displaystyle {\frac {{\sqrt {6}}-{\sqrt {2}}}{4}}} || 6 + 2 4 {\displaystyle {\frac {{\sqrt {6}}+{\sqrt {2}}}{4}}} || 2 − 3 {\displaystyle 2-{\sqrt {3}}} || 2 + 3 {\displaystyle 2+{\sqrt {3}}} || 6 − 2 {\displaystyle {\sqrt {6}}-{\sqrt {2}}} || 6 + 2 {\displaystyle {\sqrt {6}}+{\sqrt {2}}} |- ! 5 π 12 {\displaystyle {\frac {5\pi }{12}}} !! 75 ∘ {\displaystyle 75^{\circ }} | 6 + 2 4 {\displaystyle {\frac {{\sqrt {6}}+{\sqrt {2}}}{4}}} || 6 − 2 4 {\displaystyle {\frac {{\sqrt {6}}-{\sqrt {2}}}{4}}} || 2 + 3 {\displaystyle 2+{\sqrt {3}}} || 2 − 3 {\displaystyle 2-{\sqrt {3}}} || 6 + 2 {\displaystyle {\sqrt {6}}+{\sqrt {2}}} || 6 − 2 {\displaystyle {\sqrt {6}}-{\sqrt {2}}} |}
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "6の平方根(ろくのへいほうこん、英: square root of 6)は、平方して6となる実数である。6の平方根には正と負の2つがあり、それぞれ 6 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}} (ルート6)と − 6 {\\displaystyle -{\\sqrt {6}}} (マイナスルート6)である。 以下では、正の方を中心に扱う。 6 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}} は無理数であり、よって循環小数ではない。また、小数点以下100桁は以下の通りである。 2.4494897427831780981972840747058913919659474806566701284326925672509603774573150265398594331046402348 語呂合わせには似よ、よくよく(によ、よくよく)などがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "6 = 2 + 1 2 + 1 4 + 1 2 + 1 4 + 1 ⋱ {\\displaystyle {\\sqrt {6}}=2+{\\cfrac {1}{2+{\\cfrac {1}{4+{\\cfrac {1}{2+{\\cfrac {1}{4+{\\cfrac {1}{\\ddots }}}}}}}}}}}", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "6 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}} と 2 {\\displaystyle {\\sqrt {2}}} を使い加算と減算をすることで、いくつかの15の倍数の角度に対する正確な三角関数の値を計算する事ができる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "!弧度法!!度数法!!sin!!cos!!tan!!cot!!sec!!csc |- ! π 12 {\\displaystyle {\\frac {\\pi }{12}}} !! 15 ∘ {\\displaystyle 15^{\\circ }} | 6 − 2 4 {\\displaystyle {\\frac {{\\sqrt {6}}-{\\sqrt {2}}}{4}}} || 6 + 2 4 {\\displaystyle {\\frac {{\\sqrt {6}}+{\\sqrt {2}}}{4}}} || 2 − 3 {\\displaystyle 2-{\\sqrt {3}}} || 2 + 3 {\\displaystyle 2+{\\sqrt {3}}} || 6 − 2 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}-{\\sqrt {2}}} || 6 + 2 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}+{\\sqrt {2}}} |- ! 5 π 12 {\\displaystyle {\\frac {5\\pi }{12}}} !! 75 ∘ {\\displaystyle 75^{\\circ }} | 6 + 2 4 {\\displaystyle {\\frac {{\\sqrt {6}}+{\\sqrt {2}}}{4}}} || 6 − 2 4 {\\displaystyle {\\frac {{\\sqrt {6}}-{\\sqrt {2}}}{4}}} || 2 + 3 {\\displaystyle 2+{\\sqrt {3}}} || 2 − 3 {\\displaystyle 2-{\\sqrt {3}}} || 6 + 2 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}+{\\sqrt {2}}} || 6 − 2 {\\displaystyle {\\sqrt {6}}-{\\sqrt {2}}} |}", "title": "性質" } ]
6の平方根は、平方して6となる実数である。6の平方根には正と負の2つがあり、それぞれ 6 (ルート6)と − 6 (マイナスルート6)である。 以下では、正の方を中心に扱う。 6 は無理数であり、よって循環小数ではない。また、小数点以下100桁は以下の通りである。 2.4494897427831780981972840747058913919659474806566701284326925672509603774573150265398594331046402348 語呂合わせには似よ、よくよく(によ、よくよく)などがある。
'''6の平方根'''(ろくのへいほうこん、{{lang-en-short|square root of 6}})は、[[自乗|平方]]して[[6]]となる[[実数]]である。6の平方根には[[正の数と負の数|正]]と負の2つがあり、それぞれ<br> <math>\sqrt{6}</math> (ルート6)と<math>-\sqrt{6}</math>(マイナスルート6)である。 <br>以下では、正の方を中心に扱う。 <math>\sqrt{6}</math>は[[無理数]]であり、よって[[循環小数]]ではない。また、[[小数点]]以下100桁は以下の通りである。 <br>2.4494897427831780981972840747058913919659474806566701284326925672509603774573150265398594331046402348<ref>https://www.wolframalpha.com/input?i2d=true&i=sqrt6&lang=ja</ref> <br>[[語呂合わせ]]には[[語呂合わせ#数学・科学|似よ、よくよく(によ、よくよく)]]などがある。 == 性質 == *<math>\sqrt{6}</math>は[[代数的整数]]である。<math>\sqrt{6}</math> の有理数体 <math>\mathbb Q</math> 上の[[既約多項式]]は {{math|''x''&thinsp;{{sup|2}} &minus; 6}} である。<ref>https://ja.wolframalpha.com/input?i=sqrt6%E3%81%AF%E4%BB%A3%E6%95%B0%E7%9A%84%E6%95%B4%E6%95%B0%E3%81%8B%EF%BC%9F</ref> *<math>\sqrt{6}</math>の正則[[連分数展開]]は、<br> <math>\sqrt{6}=2+\cfrac{1}{2+\cfrac{1}{4+\cfrac{1}{2+\cfrac{1}{4+\cfrac{1}{\ddots}}}}}</math> ===三角法=== <math>\sqrt{6}</math>と[[2の平方根|<math>\sqrt{2}</math>]]を使い[[加算]]と[[減算]]をすることで、いくつかの[[15]]の[[倍数]]の[[角度]]に対する正確な[[三角関数]]の値を計算する事ができる。 :{| class="wikitable" style="text-align: center;" ![[弧度法]]!![[度数法]]!![[三角関数|sin]]!![[三角関数|cos]]!![[tan]]!![[cot]]!![[sec]]!![[cosec|csc]] |- ! <math>\frac{\pi}{12}</math>!! <math>15^\circ</math> |<math>\frac{ \sqrt{6} - \sqrt{2} } {4}</math>|| <math>\frac{\sqrt{6}+\sqrt{2}}{4}</math>|| <math>2-\sqrt{3}</math>|| <math>2+\sqrt{3}</math>|| <math>\sqrt{6} - \sqrt{2}</math>|| <math>\sqrt{6}+\sqrt{2}</math> |- ! <math>\frac{5\pi}{12}</math>!! <math>75^\circ</math> |<math>\frac{\sqrt{6} + \sqrt{2}} {4}</math>|| <math>\frac{ \sqrt{6} - \sqrt{2}} {4}</math>|| <math>2+\sqrt{3}</math>|| <math>2-\sqrt{3}</math>|| <math>\sqrt{6}+\sqrt{2}</math>|| <math>\sqrt{6} - \sqrt{2}</math> |} ==文化== *6の平方根 (実際にはその[[逆数]]の<math>\frac{1}{\sqrt{6}}</math>) は[[スター・ウォーズ]]の会話に登場する。<ref>https://books.google.co.jp/books?id=uCNBBAAAQBAJ&pg=PA122&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false</ref> *右に示した、[[13世紀]]にヴィラール・ド・オヌクールによって作られた[[半径]] 5 の[[円弧]]を持つ[[ゴシック様式]]の「5 点アーチ」の[[高さ]]は<math>2\sqrt{6}</math>である。<ref>https://www.jstor.org/stable/988023</ref><ref>https://www.jstor.org/stable/3101574</ref> [[File:13th-century fifth-point arch shape.png|thumb|高さは<math>2\sqrt{6}</math>]] ==参考文献== {{reflist|2}} ==関連項目== *[[2の平方根]] *[[3の平方根]] *[[2|4の平方根]] *[[5の平方根]] *[[7の平方根]] *[[アイゼンシュタイン整数]] {{デフォルトソート:6のへいほうこん}} [[category:代数的数]][[category:無理数]][[category:数学に関する記事]]
2023-12-09T03:56:54Z
2023-12-10T13:18:13Z
false
false
false
[ "Template:Lang-en-short", "Template:Math", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E3%81%AE%E5%B9%B3%E6%96%B9%E6%A0%B9
4,864,209
ストームZ
ストームZ(すとーむぜっと、ロシア語: Шторм-Z, tr. Shtorm-Z)は、2023年4月にロシアが設立した一連の懲罰部隊。 ストームZ部隊の存在は、2023年4月6日に囚人の勧誘と編成の詳細が記載された文書をウクライナ軍が押収したことで明らかになった。ロシア国防省は、当時のワグネル・グループ代表のエフゲニー・プリゴジンとの関係が悪化した後、ワグネルの囚人兵の募集をモデルとしたこの部隊を設立した。この部隊のメンバーはロシアの刑務所から募集されており、任務に成功すれば減刑され、月給2,200ドルが得られることを前提としている。戦争研究所(ISW)は、ストームZ部隊は戦闘神経症に苦しんでいるロシア軍部隊に配属されるだろうと評価した。また、ISWは各中隊は100名で構成され、その内訳は各10名からなる制圧分隊4つ、各10名からなる火力支援分隊4つ、指揮要員2名、戦闘工兵グループ5名、偵察グループ8名、医療後送グループ3名、UAVチーム2名であると報告した。各中隊は僅か10~15日間の訓練を受けた後、激しい戦闘、つまりバフムートの戦いやアヴディーイウカの戦いでの市街戦に投入された。ロシアのさまざまな司令部と部隊にストームZ中隊が所属しており、その活動はロシア陸軍第8親衛諸兵科連合軍と未承認国家「ドネツク人民共和国」の軍隊「第1軍団」において初めて観察された。 ストームZの戦闘員は、彼らの部隊が無能な指導部、物資の不足、装備品の欠陥に悩まされていると語った。ストームZの3人の捕虜はCNNに対し、日常的に故障する大砲、不正確なロケット弾の集中砲撃、鎮痛剤の影響下にある指揮官が「無意味な命令」を下していたことについて語った。彼らは、食料と水を確保するのに地雷原の中を5キロハイキングする必要があるとも語った。この部隊は士気の低下にも悩まされており、機会があれば多数がウクライナ軍に降伏している。2023年のウクライナの反転攻勢の開始当初、懲罰兵並びに徴集兵の大規模な分遣隊がドネツク州ヴェリカ・ノヴォシルカ郊外で降伏した。これらの捕虜は、ロシア軍のベテラン部隊が懲罰兵と徴集兵からなる部隊の背後に配置され、撤退や降伏を試みる者に発砲する督戦隊の役目を担っているとの報告を認めた。直後、退却するロシア部隊に発砲するそのような督戦隊の場面がウクライナのドローンに撮影されていた。ストームZ部隊は、スヴァトヴェ・クレミンナ戦線にも展開し、ウクライナ軍の陣地に対して「消耗度の高い攻撃」を行っており、ロシア空挺軍の2個師団(第76・第98親衛空挺師団)が督戦隊の役目を果たしていた。 ワグネル・グループの反乱中にいくつかのストームZ部隊はワグネルグループに忠誠を誓い、エフゲニー・プリゴジンがロシアの軍事構造を打倒するのを支援すると誓った。しかし、プリゴジンが反乱を終わらせ、モスクワ郊外で車列を方向転換させた後、これらのストームZ部隊は彼を「臆病」であると非難し、プリゴジンが「彼らを裏切った」と述べた。更に彼らは、ワグネルを支持したことで彼らの指揮官が不忠実な部隊に懲罰を与え始めたと語った。ストームZ部隊は参謀本部主要組織・動員総局トップのエフゲニー・ブルディンスキー上級大将によって監督されているが、ロシアの民族主義者はブルディンスキーはすべてのストームZ部隊を担当する能力がないとして猛烈に批判している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ストームZ(すとーむぜっと、ロシア語: Шторм-Z, tr. Shtorm-Z)は、2023年4月にロシアが設立した一連の懲罰部隊。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ストームZ部隊の存在は、2023年4月6日に囚人の勧誘と編成の詳細が記載された文書をウクライナ軍が押収したことで明らかになった。ロシア国防省は、当時のワグネル・グループ代表のエフゲニー・プリゴジンとの関係が悪化した後、ワグネルの囚人兵の募集をモデルとしたこの部隊を設立した。この部隊のメンバーはロシアの刑務所から募集されており、任務に成功すれば減刑され、月給2,200ドルが得られることを前提としている。戦争研究所(ISW)は、ストームZ部隊は戦闘神経症に苦しんでいるロシア軍部隊に配属されるだろうと評価した。また、ISWは各中隊は100名で構成され、その内訳は各10名からなる制圧分隊4つ、各10名からなる火力支援分隊4つ、指揮要員2名、戦闘工兵グループ5名、偵察グループ8名、医療後送グループ3名、UAVチーム2名であると報告した。各中隊は僅か10~15日間の訓練を受けた後、激しい戦闘、つまりバフムートの戦いやアヴディーイウカの戦いでの市街戦に投入された。ロシアのさまざまな司令部と部隊にストームZ中隊が所属しており、その活動はロシア陸軍第8親衛諸兵科連合軍と未承認国家「ドネツク人民共和国」の軍隊「第1軍団」において初めて観察された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ストームZの戦闘員は、彼らの部隊が無能な指導部、物資の不足、装備品の欠陥に悩まされていると語った。ストームZの3人の捕虜はCNNに対し、日常的に故障する大砲、不正確なロケット弾の集中砲撃、鎮痛剤の影響下にある指揮官が「無意味な命令」を下していたことについて語った。彼らは、食料と水を確保するのに地雷原の中を5キロハイキングする必要があるとも語った。この部隊は士気の低下にも悩まされており、機会があれば多数がウクライナ軍に降伏している。2023年のウクライナの反転攻勢の開始当初、懲罰兵並びに徴集兵の大規模な分遣隊がドネツク州ヴェリカ・ノヴォシルカ郊外で降伏した。これらの捕虜は、ロシア軍のベテラン部隊が懲罰兵と徴集兵からなる部隊の背後に配置され、撤退や降伏を試みる者に発砲する督戦隊の役目を担っているとの報告を認めた。直後、退却するロシア部隊に発砲するそのような督戦隊の場面がウクライナのドローンに撮影されていた。ストームZ部隊は、スヴァトヴェ・クレミンナ戦線にも展開し、ウクライナ軍の陣地に対して「消耗度の高い攻撃」を行っており、ロシア空挺軍の2個師団(第76・第98親衛空挺師団)が督戦隊の役目を果たしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ワグネル・グループの反乱中にいくつかのストームZ部隊はワグネルグループに忠誠を誓い、エフゲニー・プリゴジンがロシアの軍事構造を打倒するのを支援すると誓った。しかし、プリゴジンが反乱を終わらせ、モスクワ郊外で車列を方向転換させた後、これらのストームZ部隊は彼を「臆病」であると非難し、プリゴジンが「彼らを裏切った」と述べた。更に彼らは、ワグネルを支持したことで彼らの指揮官が不忠実な部隊に懲罰を与え始めたと語った。ストームZ部隊は参謀本部主要組織・動員総局トップのエフゲニー・ブルディンスキー上級大将によって監督されているが、ロシアの民族主義者はブルディンスキーはすべてのストームZ部隊を担当する能力がないとして猛烈に批判している。", "title": "歴史" } ]
ストームZは、2023年4月にロシアが設立した一連の懲罰部隊。
{| class="infobox" style="width:25.5em;border-spacing:2px;" ! colspan="2" class="infobox-above" style="background-color:#C3D6EF;text-align:center;vertical-align:middle;font-size:110%;" |ストームZ |- | colspan="2" class="infobox-subheader" style="background-color:#DCDCDC;text-align:center;vertical-align:middle;" |Шторм-Z |- | colspan="2" class="infobox-image" style="text-align:center;border-bottom:1px solid #aaa;line-height:1.5em;" |[[File:Z_(2022_Russian_invasion_of_Ukraine).svg|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:Z_(2022_Russian_invasion_of_Ukraine).svg|フレームなし]]<div class="infobox-caption">部隊名の由来となったロシアの「Z」マーク</div> |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |活動 | class="infobox-data" |2023年4月 – 現在 |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |国 | class="infobox-data" |{{RUS}} |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |所属 | class="infobox-data" |{{flagicon image|Banner_of_the_Armed_Forces_of_the_Russian_Federation_(obverse).svg}} [[ロシア連邦軍]] |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |役割 | class="infobox-data" |[[懲罰部隊]] |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |規模 | class="infobox-data" |2,000人(主張)<ref><cite class="citation web cs1" id="CITEREFLozovenko2023"><span class="cx-segment" data-segmentid="129">Lozovenko, Tetiana (15 June 2023). </span><span class="cx-segment" data-segmentid="130">[https://www.pravda.com.ua/eng/news/2023/06/15/7406963/ "Russia dismisses Storm-Z unit: Convicts turned out to be inefficient – Main Intelligence Directorate of Ukraine's Defence Ministry"]. </span><span class="cx-segment" data-segmentid="131">''Ukrainska Pravda''.</span></cite></ref> |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |関与 | class="infobox-data" |[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]] * [[2023年ウクライナの反転攻勢]] [[ワグネルの反乱]] |- ! colspan="2" class="infobox-header" style="background-color:#C3D6EF;text-align:center;vertical-align:middle;font-size:110%;" |司令官 |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |現司令官 | class="infobox-data" |エフゲニー・ブルディンスキー<ref name="ISW June 262">{{cite web |last1=Stepanenko |first1=Kateryna |last2=Mappes |first2=Grace |last3=Wolkov |first3=Nicole |last4=Barros |first4=George |last5=Kagan |first5=Frederick W. |title=Russian Offensive Campaign Assessment, June 26, 2023 |url=https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-offensive-campaign-assessment-june-26-2023 |date=26 June 2023 |website=[[Institute for the Study of War]] |access-date=27 June 2023}}</ref> |- ! scope="row" class="infobox-label" style="padding-right: 1em;" |著名指揮官 | class="infobox-data" |Ali (コールサイン)<ref><templatestyles src="Module:Citation/CS1/styles.css"></templatestyles><cite class="citation web cs1">[https://rg.ru/2023/06/11/komandir-podrazdeleniia-shtorm-z-vsu-popytalis-prorvat-oboronu-rf-v-zaporozhskoj-oblasti.html "Командир подразделения "Шторм Z": ВСУ попытались прорвать оборону РФ в Запорожской области"]. </cite></ref> |} '''ストームZ'''(ストームゼット、{{Lang-ru|Шторм-Z|Shtorm-Z}})は、2023年4月に[[ロシア]]が設立した一連の[[懲罰部隊]]<ref name="auto">{{Cite web |url=https://www.newsweek.com/ukrainian-reserve-officer-says-russia-forming-special-storm-z-units-1793135 |title=Ukrainian reserve officer says Russia is forming special "Storm Z" units |first=Kaitlin |author=Lewis |date=April 7, 2023 |website=Newsweek |access-date=2023-12-09}}</ref>。 == 歴史 == === 編成 === ストームZ部隊の存在は、2023年4月6日に囚人の勧誘と編成の詳細が記載された文書を[[ウクライナ軍]]が押収したことで明らかになった。[[ロシア国防省]]は、当時の[[ワグネル・グループ]]代表の[[エフゲニー・プリゴジン]]との関係が悪化した後、ワグネルの[[懲罰部隊|囚人兵の募集]]をモデルとしたこの部隊を設立した<ref name="New Voice">{{Cite web |title=Russia forms Storm Z 'prisoner' unit to compete with Wagner, says military expert |url=https://news.yahoo.com/russia-forms-storm-z-prisoner-153800233.html |website=The New Voice of Ukraine |date=23 May 2023 |publisher=[[Yahoo! News]] |access-date=21 June 2023}}</ref>。この部隊のメンバーはロシアの刑務所から募集されており、任務に成功すれば減刑され、月給2,200ドルが得られることを前提としている<ref name="Radar">{{Cite web |author=Surmonte |first=Connor |title=Vladimir Putin Forms New 'Storm Z' Military Units Made Up Of Russian Prisoners To Carry Out 'Complex Combat Missions' In Ukraine |url=https://radaronline.com/p/vladimir-putin-forms-storm-z-military-units-prisoners-complex-combat-missions-ukraine/ |website=[[Radar Online]] |date=10 April 2023 |access-date=21 June 2023}}</ref><ref name="Ukrinform 1">{{Cite web |title=Russian commanders constructing company-size units for urban combat - ISW Russian commanders constructing company-size units for urban combat |url=https://www.ukrinform.net/rubric-ato/3692745-russian-commanders-constructing-companysize-units-for-urban-combat-isw.html |website=[[Ukrinform]] |date=7 April 2023 |access-date=21 June 2023}}</ref>。[[戦争研究所]](ISW)は、ストームZ部隊は戦闘神経症に苦しんでいるロシア軍部隊に配属されるだろうと評価した。また、ISWは各中隊は100名で構成され、その内訳は各10名からなる制圧分隊4つ、各10名からなる火力支援分隊4つ、指揮要員2名、戦闘工兵グループ5名、偵察グループ8名、医療後送グループ3名、[[無人航空機|UAV]]チーム2名であると報告した<ref name="ISW April 6">{{Cite web |author=Hird |first=Karolina |archivedate= |title=Russian Offensive Campaign Assessment, April 6, 2023 |url=https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-offensive-campaign-assessment-april-6-2023 |website=[[戦争研究所]] |access-date=21 June 2023}}</ref>。各中隊は僅か10~15日間の訓練を受けた後、激しい戦闘、つまり[[バフムートの戦い]]や[[アウディーイウカの戦い (2022年)|アヴディーイウカの戦い]]での市街戦に投入された<ref name="Ukrinform 1" />。ロシアのさまざまな司令部と部隊にストームZ中隊が所属しており、その活動はロシア陸軍[[第8親衛諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)|第8親衛諸兵科連合軍]]と未承認国家「[[ドネツク人民共和国]]」の軍隊「[[第1軍団 (ロシア陸軍)|第1軍団]]」において初めて観察された<ref name="auto"/>。 === ウクライナの反転攻勢 === ストームZの戦闘員は、彼らの部隊が無能な指導部、物資の不足、装備品の欠陥に悩まされていると語った。ストームZの3人の捕虜は[[CNN]]に対し、日常的に故障する大砲、不正確なロケット弾の集中砲撃、鎮痛剤の影響下にある指揮官が「無意味な命令」を下していたことについて語った。彼らは、食料と水を確保するのに地雷原の中を5キロハイキングする必要があるとも語った<ref>{{Cite web |author=Gak |first=Sarah |date=2023-07-06 |title=Captured Russian soldiers tell of low morale, disarray and horrors of trench warfare |url=https://www.cnn.com/2023/07/06/europe/captured-russian-soldiers-ukraine-intl-cmd/index.html |access-date=2023-07-13 |website=[[CNN]] |language=en}}</ref><ref>{{Cite web |author=Brugen |first=Isabel van |date=2023-07-05 |title=Russian convict fighters share complaints on video: "We're not meat" |url=https://www.newsweek.com/russian-storm-z-convict-fighters-video-shoigu-ukraine-war-1810904 |access-date=2023-07-13 |website=Newsweek |language=en}}</ref>。この部隊は士気の低下にも悩まされており、機会があれば多数がウクライナ軍に降伏している。[[2023年ウクライナの反転攻勢|2023年のウクライナの反転攻勢]]の開始当初、懲罰兵並びに徴集兵の大規模な分遣隊がドネツク州ヴェリカ・ノヴォシルカ郊外で降伏した。これらの捕虜は、ロシア軍のベテラン部隊が懲罰兵と徴集兵からなる部隊の背後に配置され、撤退や降伏を試みる者に発砲する[[督戦隊]]の役目を担っているとの報告を認めた<ref>{{Cite web |author=Walker |first=Marcus |title='I'm beginning to understand that we're not on the right side.' WSJ spoke to Russian fighters who surrendered in Ukraine. |date=18 June 2023 |url=https://meduza.io/en/news/2023/06/18/i-m-beginning-to-understand-that-we-re-not-on-the-right-side-wsj-spoke-to-russian-fighters-who-surrendered-in-ukraine |website=[[Meduza]] |publisher=[[The Wall Street Journal]] |access-date=27 June 2023}}</ref>。直後、退却するロシア部隊に発砲するそのような督戦隊の場面がウクライナのドローンに撮影されていた<ref name="ISW June 18">{{Cite web |author=Mappes |first=Grace |archivedate= |title=Russian Offensive Campaign Assessment, June 18, 2023 |date=June 18, 2023 |url=https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-offensive-campaign-assessment-june-18-2023 |website=[[戦争研究所]] |access-date=19 June 2023}}</ref>。ストームZ部隊は、[[第二次クレミンナの戦い|スヴァトヴェ・クレミンナ戦線]]にも展開し、ウクライナ軍の陣地に対して「消耗度の高い攻撃」を行っており、[[ロシア空挺軍]]の2個師団([[第76親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)|第76]]・[[第98親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)|第98親衛空挺師団]])が[[督戦隊]]の役目を果たしていた<ref name="ISW June 20">{{Cite web |author=Bailey |first=Riley |archivedate= |title=Russian Offensive Campaign Assessment, June 20, 2023 |date=June 20, 2023 |url=https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-offensive-campaign-assessment-june-20-2023 |website=[[戦争研究所]] |access-date=21 June 2023}}</ref><ref name="Ukrinform 2">{{Cite web |title=Russians trying to attack Kupyansk direction with 'Storm-Z' groups |url=https://www.ukrinform.net/rubric-ato/3724780-russians-trying-to-attack-kupyansk-direction-with-stormz-groups.html |website=[[Ukrinform]] |date=19 June 2023 |access-date=21 June 2023}}</ref>。 === ワグネルの反乱 === {{Main|ワグネルの反乱}}[[ワグネルの反乱|ワグネル・グループの反乱]]中にいくつかのストームZ部隊はワグネルグループに忠誠を誓い、エフゲニー・プリゴジンがロシアの軍事構造を打倒するのを支援すると誓った。しかし、プリゴジンが反乱を終わらせ、モスクワ郊外で車列を方向転換させた後、これらのストームZ部隊は彼を「臆病」であると非難し、プリゴジンが「彼らを裏切った」と述べた。更に彼らは、ワグネルを支持したことで彼らの指揮官が不忠実な部隊に懲罰を与え始めたと語った<ref>{{Cite web |author=Browning |first=Oliver |title=Russia's Storm Z unit label Wagner leader a 'rat' after calling off mutiny |url=https://www.independent.co.uk/tv/news/russia-wagner-mutiny-storm-z-b2363865.html |website=[[The Independent]] |date=26 June 2023 |access-date=27 June 2023}}</ref><ref>{{Cite news |last=Freeman |first=Colin |title=Watch: Russian convict soldiers accuse Wagner boss of 'cowardice' for halting mutiny |url=https://www.telegraph.co.uk/world-news/2023/06/25/wagner-russia-putin-prigozhin-attempted-coup-moscow/ |newspaper=[[The Daily Telegraph]] |date=25 June 2023 |access-date=27 June 2023}}</ref>。ストームZ部隊は参謀本部主要組織・動員総局トップのエフゲニー・ブルディンスキー[[上級大将]]によって監督されているが、ロシアの民族主義者はブルディンスキーはすべてのストームZ部隊を担当する能力がないとして猛烈に批判している<ref name="ISW June 26">{{cite web |last1=Stepanenko |first1=Kateryna |last2=Mappes |first2=Grace |last3=Wolkov |first3=Nicole |last4=Barros |first4=George |last5=Kagan |first5=Frederick W. |title=Russian Offensive Campaign Assessment, June 26, 2023 |url=https://www.understandingwar.org/backgrounder/russian-offensive-campaign-assessment-june-26-2023 |date=26 June 2023 |website=[[戦争研究所]] |access-date=27 June 2023}}</ref>。 == 関連項目 == * [[Z (軍隊符号)]] * [[ロシアの受刑者部隊]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references group="" responsive="1"></references> {{デフォルトソート:すとおむせつと}} [[Category:2022年ロシアのウクライナ侵攻]] {{Campaignbox 2022年ロシアのウクライナ侵攻}}
2023-12-09T04:00:34Z
2023-12-22T09:37:14Z
false
false
false
[ "Template:Campaignbox 2022年ロシアのウクライナ侵攻", "Template:Lang-ru", "Template:Main", "Template:Cite web", "Template:Cite news" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0Z
4,864,212
第4回早指し王位決定戦
第4回早指し王位決定戦 (だい4かいはやざしおういけっていせん) は、1957年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴前名人(前王位)が大友昇五段を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第4回早指し王位決定戦 (だい4かいはやざしおういけっていせん) は、1957年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴前名人(前王位)が大友昇五段を下した。", "title": null } ]
第4回早指し王位決定戦 (だい4かいはやざしおういけっていせん) は、1957年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴前名人(前王位)が大友昇五段を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第4回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1957年 - 1958年2月25日 |タイトル=王位 |前タイトル=[[大山康晴]] |今期=第4回 |新タイトル=[[大山康晴]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第3回早指し王位決定戦|第3回]] |次回=[[第5回早指し王位決定戦|第5回]] }} '''第4回早指し王位決定戦''' (だい4かいはやざしおういけっていせん) は、[[1957年度の将棋界|1957年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[大山康晴]]前名人(前王位)が[[大友昇]]五段を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 ==第4回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1958年<br>2月13日!!1958年<br>2月25日 |- |'''[[大山康晴]]前名人(前王位)'''||○||○||'''優勝''' |- |[[大友昇]]五段||●||●|| |} == 本戦 == {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{竜王戦ランキング戦2-1 |FS=90%<!--fontsize--> |RD1= 1回戦 |RD2= 2回戦 |RD3= 準々決勝 |RD4= 準決勝 |RD5= '''挑戦者決定戦''' |W11=10em<!--スコア幅 1回戦左--> |W1= 0em<!--名前欄幅1左 1回戦--> |W2= 0em<!--名前欄幅2右 1回戦--> |W3= 4.5em<!--名前欄幅2左 2回戦/3回戦/準決勝--> |W4= 0em<!--名前欄幅2右 2回戦/3回戦/準決勝--> |W5=10em<!--名前欄幅3 決勝--> |W12=2em<!--スコア幅1 1回戦--> |W13=2em<!--スコア幅2 2回戦/3回戦/準決勝--> |W14=2em<!--スコア幅3 決勝--> <!--1回戦--> |'''[[大友昇]]五段'''| | |○ |[[丸田祐三]]八段| | |● |[[本間爽悦]]七段| | |○ |[[松浦卓造]]八段| | |● |[[原田泰夫]]八段| | |○ |[[松田茂行]]八段| | |● |[[清野静男]]七段| | |○ |[[建部和歌夫]]八段| | |● |[[廣津久雄]]七段| | |○ |[[花村元司]]八段| | |● |[[山田道美]]六段| | |○ |[[坂口允彦]]八段| | |● |[[塚田正夫]]永世九段| | |○ |[[梶一郎]]八段| | |● |[[関根茂]]六段| | |○ |[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段| | |● |[[二上達也]]八段| | |○ |[[加藤博二]]七段| | |● |[[芹沢博文]]四段| | |○ |[[五十嵐豊一]]八段| | |● |[[高柳敏夫]]八段| | |○ |[[下平幸男]]六段| | |● |[[升田幸三]]九段| | |○ |[[松下力]]八段| | |● |[[大野源一]]八段| | |○ |[[有吉道夫]]五段| | |● |[[市川伸]]五段| | |○ |[[熊谷達人]]七段| | |● |[[高島一岐代]]八段| | |○ |[[角田三男]]六段| | |● |[[加藤一二三]]七段| | |○ |[[灘蓮照]]八段| | |● <!--2回戦--> |'''大友'''| |○ |本間| |● |原田| |○ |清野| |● |広津| |○ |山田| |● |塚田| |○ |関根| |● |二上| |○ |芹沢| |● |高柳| |● |升田| |○ |大野| |○ |市川| |● |高島| |● |加藤| |○ <!--準々決勝--> |'''大友'''| |○ |原田| |● |広津| |○ |塚田| |● |二上| |● |升田| |○ |大野| |● |加藤| |○ <!--準決勝--> |'''大友'''| |○ |広津| |● |升田| |● |加藤| |○ <!--決勝--> |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[大友昇]]五段{{0}} }}'''|○|'''三番勝負進出''' |[[加藤一二三]]七段|●| }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん04き}} [[Category:早指し王位決定戦|04]] [[Category:1957年の将棋]] [[Category:1958年の将棋]]
2023-12-09T04:07:12Z
2023-12-09T12:42:46Z
false
false
false
[ "Template:竜王戦ランキング戦2-1", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:早指し王位決定戦", "Template:Shogi-stub", "Template:Infobox 各年の棋戦" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,214
水嶋一憲
水嶋一憲(みずしま かずのり、1960年 - )は、日本の哲学者・翻訳家。大阪産業大学経済学部国際経済学科教授。 京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "水嶋一憲(みずしま かずのり、1960年 - )は、日本の哲学者・翻訳家。大阪産業大学経済学部国際経済学科教授。 京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。", "title": null } ]
水嶋一憲は、日本の哲学者・翻訳家。大阪産業大学経済学部国際経済学科教授。 京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。
'''水嶋一憲'''(みずしま かずのり、[[1960年]] - )<ref>アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード(上)』、NHK出版、2005年、巻末</ref>は、[[日本]]の[[哲学者]]・[[翻訳家]]。[[大阪産業大学]]経済学部国際経済学科教授。 京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学<ref>https://www.osaka-sandai.ac.jp/fc/pdf/teacher/mizushima.pdf </ref>。 == 訳書 == *[[アントニオ・ネグリ]]、[[マイケル・ハート]]『〈帝国〉』(共訳、以文社、2003年) *バリバール『スピノザと政治』(水声社、2011年) * [[ニック・スルニチェク]]+アレックス・ウィリアムズ「加速派政治宣言」(共訳)、『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』、[[青土社]]、2017年 == 監修 == *[[アントニオ・ネグリ]]、[[マイケル・ハート]]『コモンウェルス』(幾島幸子ら訳、NHK出版、2012年)  *[[アントニオ・ネグリ]]、[[マイケル・ハート]]『マルチチュード』(幾島幸子訳、NHK出版、2005年) == 脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.osaka-sandai.ac.jp/fc/pdf/teacher/mizushima.pdf 大阪産業大学の教員紹介] *{{researchmap|read0125280}} {{DEFAULTSORT:みすしま かすのり}} [[Category:大阪産業大学の教員]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]] {{Academic-bio-stub}} {{Normdaten}}
2023-12-09T04:08:49Z
2023-12-24T00:43:32Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Researchmap", "Template:Academic-bio-stub", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B6%8B%E4%B8%80%E6%86%B2
4,864,215
エヴォルヴィンフットボールフィールド
エヴォルヴィンフットボールフィールド(英: Evolvin FOOTBALL FIELD)は、広島県福山市にある人工芝サッカーグラウンドを中心とするスポーツ施設。 2023年完成。手城東公園サッカー場から入江大橋 (福山市)を挟んで南東側に位置する。土地は福山市が所有、施設は一般社団法人福山シティクラブが建設し運営管理、命名権をファーストクリエートが取得している。主に福山シティFCの練習場として利用されている。 一般利用することができ、使用料金など詳細は公式ホームページ参照。 ここにはかつて、福山市初の下水処理場であり1966年から一部供用開始した新浜処理場(新浜浄化センター)があった。老朽化に伴い2014年に廃止され、その後施設は撤去され整地された。2020年には新型コロナウイルスまん延を受けて、一時的にドライブスルー方式のPCR検査場に用いられていた。 福山市は跡地利用を模索する中で2022年プロポーザル方式で民間に活用案を募った。これに福山シティFCを運営する一般社団法人福山シティクラブがサッカーグラウンドを整備する計画案で応募し借受者に選定された。2022年11月福山シティFCは福山市との契約とともに整備計画を公表、工事費は約3億円を見込みそれを金融機関からの借入やクラウドファンディングなどで調達するとし、あわせて福山市の企業ファーストクリエートとネーミングライツ契約を締結し「エヴォルヴィンフットボールフィールド」の名に決定した。施工はファーストクリエート系列の松原組。 2023年完成、同年7月30日中国サッカーリーグ福山シティFC対NTN岡山サッカー部戦が杮落としとなった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "エヴォルヴィンフットボールフィールド(英: Evolvin FOOTBALL FIELD)は、広島県福山市にある人工芝サッカーグラウンドを中心とするスポーツ施設。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年完成。手城東公園サッカー場から入江大橋 (福山市)を挟んで南東側に位置する。土地は福山市が所有、施設は一般社団法人福山シティクラブが建設し運営管理、命名権をファーストクリエートが取得している。主に福山シティFCの練習場として利用されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一般利用することができ、使用料金など詳細は公式ホームページ参照。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ここにはかつて、福山市初の下水処理場であり1966年から一部供用開始した新浜処理場(新浜浄化センター)があった。老朽化に伴い2014年に廃止され、その後施設は撤去され整地された。2020年には新型コロナウイルスまん延を受けて、一時的にドライブスルー方式のPCR検査場に用いられていた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "福山市は跡地利用を模索する中で2022年プロポーザル方式で民間に活用案を募った。これに福山シティFCを運営する一般社団法人福山シティクラブがサッカーグラウンドを整備する計画案で応募し借受者に選定された。2022年11月福山シティFCは福山市との契約とともに整備計画を公表、工事費は約3億円を見込みそれを金融機関からの借入やクラウドファンディングなどで調達するとし、あわせて福山市の企業ファーストクリエートとネーミングライツ契約を締結し「エヴォルヴィンフットボールフィールド」の名に決定した。施工はファーストクリエート系列の松原組。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2023年完成、同年7月30日中国サッカーリーグ福山シティFC対NTN岡山サッカー部戦が杮落としとなった。", "title": "沿革" } ]
エヴォルヴィンフットボールフィールドは、広島県福山市にある人工芝サッカーグラウンドを中心とするスポーツ施設。 2023年完成。手城東公園サッカー場から入江大橋 (福山市)を挟んで南東側に位置する。土地は福山市が所有、施設は一般社団法人福山シティクラブが建設し運営管理、命名権をファーストクリエートが取得している。主に福山シティFCの練習場として利用されている。
{{スタジアム情報ボックス |スタジアム名称 = エヴォルヴィンフットボールフィールド |愛称 = |画像 = {{画像募集中|cat=福山市|cat2=スポーツ}} |image_map = {{Maplink2|zoom=13|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=250|coord={{Coord|34|28|40|N|133|24|16|E|}}|type=point}} |所在地 = [[広島県]][[福山市]]新浜町2丁目3-1 |緯度度 = 34|緯度分 = 28|緯度秒 = 40 |経度度 = 133|経度分 = 24|経度秒 = 16 |座標右上表示 = |起工 = 2022年 |開場 = 2023年 |修繕 = |拡張 = |閉場 = |取り壊し = |所有者 = |運用者 = [[福山シティFC]] |グラウンド = |ピッチサイズ = |照明 = |大型映像装置 = |建設費 = |設計者 = |建設者 = |ウェブサイト = {{Official URL}} |旧称 = |使用チーム、大会 = |収容能力 = |アクセス = }} '''エヴォルヴィンフットボールフィールド'''({{lang-en-short|Evolvin FOOTBALL FIELD}})は、[[広島県]][[福山市]]にある[[人工芝]]サッカーグラウンドを中心とするスポーツ施設。 2023年完成。手城東公園サッカー場から[[入江大橋 (福山市)|入江大橋]]を挟んで南東側に位置する。土地は福山市が所有、施設は[[一般社団法人]]福山シティクラブが建設し運営管理、[[命名権]]をファーストクリエートが取得している。主に[[福山シティFC]]の練習場として利用されている。 == 施設 == 一般利用することができ、使用料金など詳細は[https://fukuyama-city.com/field/ 公式ホームページ]参照。 * サッカーコート : 105m×68m(ロングパイル人工芝) * [[フットサル]]コート: 縦40m×横20m(ロングパイル人工芝) * サブコート : 縦60m×横21m(ロングパイル人工芝) * [[3x3]]コート : 縦11m×横15m * 付帯施設 ** ロッカールーム ** トレーニング&メディカルルーム ** シャワールーム ** ミーティングルーム * (有料)駐車場 : 87台分 == 沿革 == ここにはかつて、福山市初の[[下水処理場]]であり1966年から一部供用開始した新浜処理場(新浜浄化センター){{R|hinkakukyo}}があった。老朽化に伴い2014年に廃止され、その後施設は撤去され整地された{{R|preko|hirospo20230116}}。2020年には新型コロナウイルスまん延を受けて、一時的にドライブスルー方式のPCR検査場に用いられていた{{R|preko}}。 福山市は跡地利用を模索する中で2022年[[プロポーザル方式]]で民間に活用案を募った{{R|njss|preko}}。これに福山シティFCを運営する一般社団法人福山シティクラブがサッカーグラウンドを整備する計画案で応募し借受者に選定された{{R|chugoku20230724|preko}}。2022年11月福山シティFCは福山市との契約とともに整備計画を公表、工事費は約3億円を見込みそれを金融機関からの借入や[[クラウドファンディング]]などで調達するとし、あわせて福山市の企業ファーストクリエートとネーミングライツ契約を締結し「エヴォルヴィンフットボールフィールド」の名に決定した{{R|preko}}。施工はファーストクリエート系列の松原組{{R|firstcreate}}。 2023年完成、同年7月30日[[中国サッカーリーグ]]福山シティFC対[[NTN岡山サッカー部]]戦が杮落としとなった{{R|chugoku20230724|firstcreate}}。 == 交通 == * バス ** [[中国バス]]曙循環線「新浜一丁目」バス停下車、徒歩約10分 ** 中国バス曙循環線「曙町四丁目」バス停下車、徒歩約11分 * 車 ** [[福山駅]]から約10分 ** 山陽自動車道[[福山東インターチェンジ|福山東IC]]から約8分 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2 |refs= <ref name="preko">{{Cite web|publisher=preko|date=2022-11-13|url=https://preko.jp/archives/6220|title=福山シティFCが新浜浄化センター跡地にグラウンド建設|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="chugoku20230724">{{Cite web |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/336893 |title=福山シティFCの新練習場が完成 30日に公式戦 8月から市民の利用OK |publisher=中国新聞デジタル |date=2023-07-24 |accessdate=2023-09-28}}</ref> <ref name="firstcreate">{{Cite web|publisher=ファーストクリエート|date=2023-07-25|url=https://firstcreate.co.jp/news/475/|title=エヴォルヴィンフットボールフィールド完成見学会が開催されました|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="hinkakukyo">{{Cite web|publisher=日本管路更生工法品質確保協会|url=http://hinkakukyo.jp/local/pdf/201004-13.pdf|format=PDF|title=福山市における下水道管路の老朽化対策|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="njss">{{Cite web|publisher=入札情報速報サービス|url=https://www2.njss.info/offers/view/22735948|title=福山市上下水道局用地(新浜浄化センター跡地)借受者公募|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="hirospo20230116">{{Cite web |url=https://hirospo.com/pickup/81480.html |title=福山シティFCの専用練習場地鎮祭を取材してビックリ!広大な敷地、抜群の立地、フットサルや地域参加型イベントも… |publisher=HIROSHIMA SPORT HIROSPO |date=2023-01-16 |accessdate=2023-09-28}}</ref> }} == 関連項目 == * [[安芸高田市サッカー公園]] - 安芸高田市にあるサンフレッチェ広島の練習場 * [[政田サッカー場]] - 岡山市にあるファジアーノ岡山の練習場 == 外部リンク == * {{Official website}} * {{Instagram}} {{footy-stub}} {{デフォルトソート:えうおるういんふつとほるふいると}} [[Category:中国地方のフットボール専用の球技場]] [[Category:広島県のスポーツ施設]] [[Category:福山市の建築物]] [[Category:広島県のサッカー]] [[Category:2023年開設のスポーツ施設]]
2023-12-09T04:09:33Z
2023-12-09T14:12:31Z
false
false
false
[ "Template:Footy-stub", "Template:スタジアム情報ボックス", "Template:Lang-en-short", "Template:R", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Official website", "Template:Instagram" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
4,864,218
ジェイデン・ダニエルズ
ジェイデン・ダニエルズ(Jayden Daniels, 2000年12月18日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのルイジアナ州立大学(LSU)でプレーしている。ポジションはクォーターバック。 アリゾナ州立大学に進学して1年目の2019年シーズンから先発を務め、全米ランキング6位のオレゴン大学に勝利するなど活躍した。フロリダ州立大学とのサンボウルでも勝利した。 2020年シーズンは新型コロナウイルスの影響でシーズンが短縮され、4試合の出場となった。アリゾナ大学戦では70-7で勝利した。 2021年シーズンは8敗5敗の成績だったが、10のパッシングTDに対しインターセプトも10を記録するなど苦戦した。 2021年シーズン開幕前にはアリゾナ州立大学がリクルートに関する複数の規定違反を犯し、NCAAから捜査を受けているなどの報道があり、ダニエルズの母が飛行機代として1,100ドルを支払っていたことも明らかになった。これらの事情もあり、LSUへ転校した。 2022年シーズンは2,913パス獲得ヤード、17のパッシングTD、3つのインターセプト、885ラン獲得ヤード、11のラッシングTDを記録した。 2023年シーズン、2023年11月10日のフロリダ大学戦で372パス獲得ヤード、3つのパッシングTD、234ラン獲得ヤード、2つのラッシングTDを記録して勝利した。カレッジフットボールにおいて、1試合で350以上のパス獲得ヤード、200以上のラン獲得ヤードを記録した史上初の選手となった。シーズン全体では3,812パス獲得ヤード、40のパッシングTD、4つのインターセプト、1,134ラン獲得ヤード、10のラッシングTDを記録し、AP通信カレッジフットボール最優秀選手賞、ウォルター・キャンプ賞などを受賞した。また、ハイズマン賞のファイナリストにも選出された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ジェイデン・ダニエルズ(Jayden Daniels, 2000年12月18日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのルイジアナ州立大学(LSU)でプレーしている。ポジションはクォーターバック。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アリゾナ州立大学に進学して1年目の2019年シーズンから先発を務め、全米ランキング6位のオレゴン大学に勝利するなど活躍した。フロリダ州立大学とのサンボウルでも勝利した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2020年シーズンは新型コロナウイルスの影響でシーズンが短縮され、4試合の出場となった。アリゾナ大学戦では70-7で勝利した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2021年シーズンは8敗5敗の成績だったが、10のパッシングTDに対しインターセプトも10を記録するなど苦戦した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2021年シーズン開幕前にはアリゾナ州立大学がリクルートに関する複数の規定違反を犯し、NCAAから捜査を受けているなどの報道があり、ダニエルズの母が飛行機代として1,100ドルを支払っていたことも明らかになった。これらの事情もあり、LSUへ転校した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2022年シーズンは2,913パス獲得ヤード、17のパッシングTD、3つのインターセプト、885ラン獲得ヤード、11のラッシングTDを記録した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年シーズン、2023年11月10日のフロリダ大学戦で372パス獲得ヤード、3つのパッシングTD、234ラン獲得ヤード、2つのラッシングTDを記録して勝利した。カレッジフットボールにおいて、1試合で350以上のパス獲得ヤード、200以上のラン獲得ヤードを記録した史上初の選手となった。シーズン全体では3,812パス獲得ヤード、40のパッシングTD、4つのインターセプト、1,134ラン獲得ヤード、10のラッシングTDを記録し、AP通信カレッジフットボール最優秀選手賞、ウォルター・キャンプ賞などを受賞した。また、ハイズマン賞のファイナリストにも選出された。", "title": "経歴" } ]
ジェイデン・ダニエルズは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのルイジアナ州立大学(LSU)でプレーしている。ポジションはクォーターバック。
{{Infobox college football player |名前 = ジェイデン・ダニエルズ |欧文表記 = Jayden Daniels |image = Jayden Daniels.jpg |image_size = 250 |キャプション = [[アリゾナ州立大学]]でのダニエルズ<br>(2019年) |カレッジチーム名 = LSUタイガース |背番号 = 5 |ポジション = [[クォーターバック]] |学年 = [[File:Redshirt.svg|10px|Redshirt]] 4年生 |専攻 = |生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|12|18}} |出身国 = USA |出身地 = [[カリフォルニア州]][[サンバーナーディーノ (カリフォルニア州)|サンバーナーディーノ]] |身長_フィート = 6 |身長_インチ = 4 |体重_ポンド = 210 |高校 = ケイジョン高等学校 |pastschools = [[アリゾナ州立大学]]<br>[[ルイジアナ州立大学|LSU]] |ボウル・ゲーム = |受賞歴・記録 = * [[ハイズマン賞]] (2023) * ウォルター・キャンプ賞 (2023) * [[AP通信|AP]]カレッジフットボール最優秀選手賞 (2023) * ジョニー・ユナイタスゴールデンアーム賞 (2023) * デイビー・オブライエン賞 (2023) * [[サウスイースタン・カンファレンス|SEC]]最優秀攻撃選手賞 (2023) * オールSECファーストチーム (2023) |espn = 4426348 }} '''ジェイデン・ダニエルズ'''('''Jayden Daniels''', [[2000年]][[12月18日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[サンバーナーディーノ (カリフォルニア州)|サンバーナーディーノ]]出身の[[アメリカンフットボール]]選手。[[NCAA]]の[[ルイジアナ州立大学]](LSU)でプレーしている。ポジションは[[クォーターバック]]。 == 経歴 == === カレッジ === ==== アリゾナステート ==== [[アリゾナ州立大学]]に進学して1年目の2019年シーズンから先発を務め、全米ランキング6位の[[オレゴン大学]]に勝利するなど活躍した<ref>{{Cite web |title=ASU's Jayden Daniels earns 2 Pac-12 honors after win over Oregon |url=https://arizonasports.com/story/2170666/asus-jayden-daniels-earns-2-pac-12-weekly-honors-after-win-over-oregon/ |website=Arizona Sports |date=2019-11-25 |access-date=2023-12-09 |language=en |first=Matt |last=Layman}}</ref>。[[フロリダ州立大学]]とのサンボウルでも勝利した<ref>{{Cite web |title=Sun Bowl rewind: ASU forces six turnovers in 20-14 Sun Bowl win |url=https://www.azcentral.com/story/sports/college/asu/2019/12/31/sun-bowl-live-updates-arizona-state-football-vs-florida-state/2776229001/ |website=The Arizona Republic |access-date=2023-12-09 |language=en-US |first=Jeff |last=Metcalfe}}</ref>。 2020年シーズンは新型コロナウイルスの影響でシーズンが短縮され、4試合の出場となった。[[アリゾナ大学]]戦では70-7で勝利した<ref>{{Cite web |title=Rewind: ASU sets Territorial Cup scoring record in 70-7 rout of Arizona |url=https://www.azcentral.com/story/sports/college/asu/2020/12/11/territorial-cup-asu-football-vs-arizona-live-updates-scores-notes/3895365001/ |website=The Arizona Republic |access-date=2023-12-09 |language=en-US |first=Jeff |last=Metcalfe}}</ref>。 2021年シーズンは8敗5敗の成績だったが、10のパッシングTDに対しインターセプトも10を記録するなど苦戦した<ref>{{Cite web |title=Rewind: ASU sets Territorial Cup scoring record in 70-7 rout of Arizona |url=https://www.azcentral.com/story/sports/college/asu/2020/12/11/territorial-cup-asu-football-vs-arizona-live-updates-scores-notes/3895365001/ |website=The Arizona Republic |access-date=2023-12-09 |language=en-US |first=Jeff |last=Metcalfe}}</ref>。 2021年シーズン開幕前にはアリゾナ州立大学がリクルートに関する複数の規定違反を犯し、NCAAから捜査を受けているなどの報道があり、ダニエルズの母が飛行機代として1,100ドルを支払っていたことも明らかになった<ref>{{Cite web |title=Yahoo Sports exclusive: Dossier reveals extent of NCAA allegations against Arizona State football |url=https://sports.yahoo.com/yahoo-sports-exclusive-dossier-reveals-extent-of-ncaa-allegations-against-arizona-state-football-055252113.html |website=Yahoo Sports |date=2021-06-24 |access-date=2023-12-09 |language=en-US}}</ref>。これらの事情もあり、[[ルイジアナ州立大学|LSU]]へ転校した<ref>{{Cite web |title=Jayden Daniels Details Transfer to LSU, Why He Left Arizona State |url=https://www.si.com/college/arizonastate/football/jayden-daniels-details-transfer-lsu-why-he-left-arizona-state |website=Arizona State Sun Devils on Sports Illustrated: News, Analysis, and More |date=2022-04-16 |access-date=2023-12-09 |language=en |first=Donnie |last=Druin}}</ref>。 ==== LSU ==== 2022年シーズンは2,913パス獲得ヤード、17のパッシングTD、3つのインターセプト、885ラン獲得ヤード、11のラッシングTDを記録した。 2023年シーズン、2023年11月10日の[[フロリダ大学]]戦で372パス獲得ヤード、3つのパッシングTD、234ラン獲得ヤード、2つのラッシングTDを記録して勝利した。カレッジフットボールにおいて、1試合で350以上のパス獲得ヤード、200以上のラン獲得ヤードを記録した史上初の選手となった<ref>{{Cite web |title=STAT WATCH: LSU's Jayden Daniels only FBS quarterback to pass for 350 and run for 200 in single game |url=https://apnews.com/article/college-football-statistics-ad0871e28a7c3e7783ccea05d6c70377 |website=AP News |date=2023-11-13 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。シーズン全体では3,812パス獲得ヤード、40のパッシングTD、4つのインターセプト、1,134ラン獲得ヤード、10のラッシングTDを記録し、[[AP通信]]カレッジフットボール最優秀選手賞、ウォルター・キャンプ賞などを受賞した<ref>{{Cite web |title=LSU's Jayden Daniels named AP Player of the Year |url=https://tulsaworld.com/sports/college/lsus-jayden-daniels-named-ap-player-of-the-year/article_270be044-678c-595f-b79c-a2be5aec7b47.html |website=Tulsa World |date=2023-12-07 |access-date=2023-12-09 |language=en |first=ASSOCIATED |last=PRESS}}</ref>。また、[[ハイズマン賞]]のファイナリストにも選出された。 ==== 個人成績 ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! colspan="3"| 試合 ! colspan="8"| パス ! colspan="5"| ラン |- ! GP !! GS !! Record !! Cmp !! Att !! Pct !! Yds !! Avg !! TD !! Int !! Rtg !! Att !! Yds !! Avg !! TD |- ! colspan="16" style="{{CollegePrimaryStyle|Arizona State Sun Devils}}"| アリゾナステート |- ! 2019 | 12 || 12 || 8–4 || 205 || 338 || 60.7 || 2,943 || 8.7 || 17|| 2 || 149.2 || 125 || 355 || 2.8 || 3 |- ! 2020 | 4 || 4 || 2–2 || 49 || 84 || 58.3 || 701 || 8.3 || 5 || 1 || 145.7 || 33 || 223 || 6.8 || 4 |- ! 2021 | 13 || 13 || 8–5 || 197 || 301 || 65.4 || 2,380 || 7.9 || 10 || '''10''' || 136.2 || 138 || 710 || 5.1 || 6 |- ! colspan="16" style="{{CollegePrimaryStyle|LSU Tigers}}"| LSU |- ! 2022 | '''14''' || '''14'''|| '''10–4'''|| '''266'''|| '''388'''|| 68.6 || 2,913 || 7.5 || 17|| 3 || 144.5 || '''186'''|| 885|| 4.8 || '''11''' |- ! 2023 | 12 || 12 || 9–3 || 236 || 327 || '''72.2''' || '''3,812''' || '''11.7''' || '''40'''|| 4 || '''208.0''' || 135 || '''1,134'''|| '''8.4'''|| 10 |- ! [https://www.sports-reference.com/cfb/players/jayden-daniels-1.html 通算] !! 55 !! 55 !! 37–18 !! 953 !! 1,438 !! 66.3 !! 12,749 !! 8.9 !! 89 !! 20 !! 158.4 !! 617 !! 3,307 !! 5.4 !! 34 |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://lsusports.net/sports/fb/roster/player/jayden-daniels/ LSU Tigers bio] * [https://thesundevils.com/sports/football/roster/jayden-daniels/11948 Arizona State Sun Devils bio] {{ハイズマン賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たにえるす しえいてん}} [[Category:アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アメリカンフットボールのクォーターバック]] [[Category:アリゾナ州立大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:LSU出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:ハイズマン賞受賞者]] [[Category:サンバーナーディーノ出身の人物]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T04:15:36Z
2023-12-10T02:07:36Z
false
false
false
[ "Template:Infobox college football player", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%BA
4,864,220
リュウジンオオムカデ
リュウジンオオムカデ(Scolopendra alcyona, 琉神大百足)は、2021年に記載されたオオムカデ目オオムカデ科オオムカデ属のムカデ。世界で3例目の半水棲のムカデである。 沖縄県内では今回の発見以前から大型のムカデが現地の噂にのぼっていた。その存在を学術的に確認するため、法政大学教授・島野智之らは研究チームを結成した。 外見的特徴(形態や体色)加え、核ゲノムの2か所の遺伝子領域およびミトコンドリアゲノムの2か所の遺伝子領域の解析からも既知の種とは異なる新種であることが確認され、Scolopendra alcyonaと命名、Zootaxaで発表した。種小名は、美しい青緑色(翡翠色)の体色と川に飛びこむ姿から、カワセミ(翡翠)に姿を変えたというギリシャ神話の人物アルキュオネーにちなんで命名。和名は現地の故事にちなむ。 沖縄本島北部、久米島、西表島、石垣島、渡嘉敷島。このほかに台湾。 オオムカデ属としては日本及び台湾の最大種である(体長19センチ、体幅2.1センチ)。体表は青緑色。20対の脚を持つ。 渓流などに生息する半水棲の種で、身の危険を感じると水中に逃げ込み、じっと身を隠す習性がある。コンジンテナガエビを捕食している目撃例がある。成虫になるまでに5年以上かかると推定されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "リュウジンオオムカデ(Scolopendra alcyona, 琉神大百足)は、2021年に記載されたオオムカデ目オオムカデ科オオムカデ属のムカデ。世界で3例目の半水棲のムカデである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "沖縄県内では今回の発見以前から大型のムカデが現地の噂にのぼっていた。その存在を学術的に確認するため、法政大学教授・島野智之らは研究チームを結成した。", "title": "発見" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "外見的特徴(形態や体色)加え、核ゲノムの2か所の遺伝子領域およびミトコンドリアゲノムの2か所の遺伝子領域の解析からも既知の種とは異なる新種であることが確認され、Scolopendra alcyonaと命名、Zootaxaで発表した。種小名は、美しい青緑色(翡翠色)の体色と川に飛びこむ姿から、カワセミ(翡翠)に姿を変えたというギリシャ神話の人物アルキュオネーにちなんで命名。和名は現地の故事にちなむ。", "title": "発見" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "沖縄本島北部、久米島、西表島、石垣島、渡嘉敷島。このほかに台湾。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "オオムカデ属としては日本及び台湾の最大種である(体長19センチ、体幅2.1センチ)。体表は青緑色。20対の脚を持つ。", "title": "形態・生態" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "渓流などに生息する半水棲の種で、身の危険を感じると水中に逃げ込み、じっと身を隠す習性がある。コンジンテナガエビを捕食している目撃例がある。成虫になるまでに5年以上かかると推定されている。", "title": "形態・生態" } ]
リュウジンオオムカデは、2021年に記載されたオオムカデ目オオムカデ科オオムカデ属のムカデ。世界で3例目の半水棲のムカデである。
{{生物分類表 |色 = 動物界 |名称 = リュウジンオオムカデ |画像 =[[ファイル:Scolopendra alcyona imported from iNaturalist photo 102228778 on 6 September 2022.jpg|250px]] |画像キャプション='''リュウジンオオムカデ''' ''Scolopendra alcyona'' |界 = [[動物界]] [[:en:Animalia|Animalia]] |門 = [[節足動物|節足動物門]] [[:w:Arthropoda|Arthropoda]] |綱 = [[ムカデ綱]](唇脚綱) [[:w:Chilopoda|Chilopoda]] |目 = [[オオムカデ目]] [[:w:Scolopendromorpha|Scolopendromorpha]] |科 = [[オオムカデ科]] [[w:Scolopendridae|Scolopendridae]] |属 = [[オオムカデ属]] ''[[w:Scolopendra|Scolopendra]]'' |種 = '''リュウジンオオムカデ'''<br/> ''Scolopendra alcyona'' |学名 = ''Scolopendra alcyona'' Tsukamoto & Shimano, [[2021年|2021]]<ref>{{Cite web|title=Scolopendra alcyona Tsukamoto & Shimano, 2021|url=https://archive.is/2hz8x|website=gbif.org|accessdate=2023-12-09}}</ref> |和名 = リュウジンオオムカデ }} '''リュウジンオオムカデ'''(''Scolopendra alcyona'', 琉神大百足)は、[[2021年]]に記載された[[オオムカデ目]][[オオムカデ科]]オオムカデ属のムカデ。世界で3例目の半水棲のムカデである。 == 発見 == 沖縄県内では今回の発見以前から大型のムカデが現地の噂にのぼっていた。その存在を学術的に確認するため、[[法政大学]]教授・島野智之らは研究チームを結成した。 * [[島野智之]] - 現地での連携協力及び採集と標本の収集 * 塚本将([[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]]大学院博士後期課程)- 形態に基づく分類学的研究 * 蛭田眞平([[国立科学博物館]])- 遺伝子解析 * 江口克之([[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]]准教授) * Jhih-Rong Liao({{zh|廖治榮}}, [[国立台湾大学]]) 外見的特徴(形態や体色)加え、[[核ゲノム]]の2か所の遺伝子領域および[[ミトコンドリアゲノム]]の2か所の遺伝子領域の解析からも既知の種とは異なる新種であることが確認され、''Scolopendra alcyona''と命名、''Zootaxa''で発表した。種小名は、美しい青緑色(翡翠色)の体色と川に飛びこむ姿から、[[カワセミ]](翡翠)に姿を変えたというギリシャ神話の人物[[アルキュオネー]]にちなんで命名。和名は現地の故事にちなむ{{Sfn|琉球大学|2021}}。 == 分布 == [[沖縄本島]]北部、[[久米島]]、[[西表島]]、[[石垣島]]、[[渡嘉敷島]]。このほかに台湾{{Sfn|琉球新報社|2021}}<ref>{{Cite journal|author1=Tomoki Iwasaki|author2=Koichiro Tonomura|title=Occurrence of the amphibious giant centipede Scolopendra alcyona (Scolopendromorpha, Scolopendridae) on Tokashiki Island, Kerama Islands, Japan|journal=Edaphologia|publisher=日本土壌動物学会|volume=|issue=110|page=39|issn=2189-8499|doi=10.20695/edaphologia.110.0_39|year=2022}}</ref>。 == 形態・生態 == オオムカデ属としては日本及び台湾の最大種である(体長19センチ、体幅2.1センチ)。体表は青緑色{{Sfn|琉球大学|2021}}。20対の脚を持つ<ref>{{Cite web|author=Mindy Weisberger|title=Newfound species of amphibious giant centipede named for woman cursed by the gods |url=https://archive.is/NXhz5|website=livescience.com|date=2021-04-22|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 渓流などに生息する{{Sfn|琉球新報社|2021}}半水棲の種で、身の危険を感じると水中に逃げ込み、じっと身を隠す習性がある。コンジンテナガエビを捕食している目撃例がある{{Sfn|琉球大学|2021}}。成虫になるまでに5年以上かかると推定されている{{Sfn|琉球新報社|2021}}。 == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite web|ref={{SfnRef|琉球大学|2021}}|title=国内で143年ぶりのオオムカデの新種発見!渓流に潜む、翡翠色に輝く国内最大のオオムカデ〜日本初、世界で3例目の半水棲ムカデ、沖縄の4地域と台湾から発見され、沖縄の故事にちなみリュウジンオオムカデ(琉神大百足)と命名〜 |url=https://archive.is/Td3kj|publisher=琉球大学|date=2021-04-13|accessdate=2021-04-23}} * {{Cite web|ref={{SfnRef|琉球新報社|2021}}|title=国内最大オオムカデの新種、143年ぶり確認 水中にも生息、沖縄北部など分布 |url=https://archive.md/4Kz5I|publisher=株式会社琉球新報社|date=2021-04-14|accessdate=2023-12-09}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:りゆうしんむかて}} [[Category:ムカデ]]
2023-12-09T04:22:11Z
2023-12-13T12:42:21Z
false
false
false
[ "Template:Sfn", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:Cite web", "Template:Normdaten", "Template:生物分類表", "Template:Zh" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%87
4,864,222
セハット・ウマル
フィクリ・セハット・ウマル(ドイツ語: Fikri Serhat Umar、1982年12月13日 - )は、ドイツヘッセン州マイン=タウヌス郡フレールスハイム・アム・マイン出身のサッカー指導者。トルコ系ドイツ人。UEFA Aライセンス(英語版)取得。Jリーグ・サンフレッチェ広島コーチ。 トルコバイブルトにルーツを持つ。ドイツのフレールスハイム・アム・マインで育つ。ダルムシュタット工科大学機械工学科卒業。 ドイツサッカー協会に所属していたミヒャエル・スキッベと出会う。2013年、スポーツシューレ・ヘネフでUEFA Aライセンスを習得する。 2015年、スキッベがトルコスュペル・リグエスキシェヒルスポル監督に就任すると、そのアシスタントコーチに就任した。その後、2017年ユルマズ・ヴラル(トルコ語版)率いるギョズテペSKでアシスタントコーチ、2017年から2019年までエロル・ブルト(トルコ語版)率いるイェニ・マラティヤスポルでアシスタントコーチ、2020年ヴラル率いるアクヒサル・ベレディイェスポルでアシスタントコーチ、とトルコでコーチ経験を積む。 2020年から2021年までケナン・コジャク(トルコ語版)率いるハノーファー96でアシスタントコーチを務める。2022年サンフレッチェ広島監督に就任するスキッベに呼ばれ、広島アシスタントコーチに就任した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "フィクリ・セハット・ウマル(ドイツ語: Fikri Serhat Umar、1982年12月13日 - )は、ドイツヘッセン州マイン=タウヌス郡フレールスハイム・アム・マイン出身のサッカー指導者。トルコ系ドイツ人。UEFA Aライセンス(英語版)取得。Jリーグ・サンフレッチェ広島コーチ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "トルコバイブルトにルーツを持つ。ドイツのフレールスハイム・アム・マインで育つ。ダルムシュタット工科大学機械工学科卒業。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ドイツサッカー協会に所属していたミヒャエル・スキッベと出会う。2013年、スポーツシューレ・ヘネフでUEFA Aライセンスを習得する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2015年、スキッベがトルコスュペル・リグエスキシェヒルスポル監督に就任すると、そのアシスタントコーチに就任した。その後、2017年ユルマズ・ヴラル(トルコ語版)率いるギョズテペSKでアシスタントコーチ、2017年から2019年までエロル・ブルト(トルコ語版)率いるイェニ・マラティヤスポルでアシスタントコーチ、2020年ヴラル率いるアクヒサル・ベレディイェスポルでアシスタントコーチ、とトルコでコーチ経験を積む。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2020年から2021年までケナン・コジャク(トルコ語版)率いるハノーファー96でアシスタントコーチを務める。2022年サンフレッチェ広島監督に就任するスキッベに呼ばれ、広島アシスタントコーチに就任した。", "title": "来歴" } ]
フィクリ・セハット・ウマルは、ドイツヘッセン州マイン=タウヌス郡フレールスハイム・アム・マイン出身のサッカー指導者。トルコ系ドイツ人。UEFA Aライセンス取得。Jリーグ・サンフレッチェ広島コーチ。
{{サッカー選手 |名前=セハット・ウマル |画像=Serhat Umar.jpg |画像の説明= |本名=フィクリ・セハット・ウマル<br />Fikri Serhat Umar |愛称= |カタカナ表記= |アルファベット表記=Serhat Umar |原語名= |原語表記= |国={{GER}}<br />{{TUR}}{{R|Transfermarkt}} |誕生日={{生年月日と年齢|1982|12|13}} |出身地=[[フレールスハイム・アム・マイン]]{{R|Transfermarkt}} |身長= |体重= |血液型= |所属チーム名= |ポジション= |背番号= |利き足= |年1=|クラブ1= |クラブ成績更新日= }} '''フィクリ・セハット・ウマル'''({{lang-de|Fikri Serhat Umar}}、[[1982年]][[12月13日]] - )は、[[ドイツ]][[ヘッセン州]][[マイン=タウヌス郡]][[フレールスハイム・アム・マイン]]出身のサッカー指導者{{R|Transfermarkt}}。トルコ系ドイツ人{{R|Transfermarkt}}。{{仮リンク|UEFAコーチングライセンス|en|UEFA coaching licences|label=UEFA Aライセンス}}取得{{R|Transfermarkt}}。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]コーチ。 == 来歴 == トルコ[[バイブルト]]にルーツを持つ{{R|aa3072377}}。ドイツのフレールスハイム・アム・マインで育つ{{R|Transfermarkt}}。[[ダルムシュタット工科大学]]機械工学科卒業{{R|aa3072377}}。 ドイツサッカー協会に所属していた[[ミヒャエル・スキッベ]]と出会う{{R|aa3072377}}。2013年、スポーツシューレ・ヘネフでUEFA Aライセンスを習得する{{R|aa3072377}}。 2015年、スキッベがトルコ[[スュペル・リグ]][[エスキシェヒルスポル]]監督に就任すると、そのアシスタントコーチに就任した{{R|Transfermarkt|aa3072377|gekisaka20211216}}。その後、2017年{{仮リンク|ユルマズ・ヴラル|tr|Yılmaz Vural}}率いる[[ギョズテペSK]]でアシスタントコーチ、2017年から2019年まで{{仮リンク|エロル・ブルト|tr|Erol Bulut}}率いる[[イェニ・マラティヤスポル]]でアシスタントコーチ、2020年ヴラル率いる[[アクヒサル・ベレディイェスポル]]でアシスタントコーチ、とトルコでコーチ経験を積む{{R|Transfermarkt|aa3072377|gekisaka20211216}}。 2020年から2021年まで{{仮リンク|ケナン・コジャク|tr|Kenan Koçak}}率いる[[ハノーファー96]]でアシスタントコーチを務める{{R|Transfermarkt|aa3072377|gekisaka20211216}}。2022年サンフレッチェ広島監督に就任するスキッベに呼ばれ、広島アシスタントコーチに就任した{{R|Transfermarkt|aa3072377|gekisaka20211216}}。 == 略歴 == * 2015年 : {{flagicon|TUR}}エスキシェヒルスポル アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} * 2017年 : {{flagicon|TUR}}ギョズテペ アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} * 2017年 - 2019年 : {{flagicon|TUR}}イェニ・マラティヤスポル アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} * 2020年 : {{flagicon|TUR}}アクヒサル・ベレディイェスポル アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} * 2020年 - 2021年 : {{flagicon|GER}}ハノーファー96 アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} * 2022年 - : {{flagicon|JPN}}サンフレッチェ広島 アシスタントコーチ{{R|gekisaka20211216}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist| |refs= <ref name="Transfermarkt">{{Cite web|publisher=[[Transfermarkt]]|url=https://www.transfermarkt.jp/serhat-umar/profil/trainer/39318|title=Serhat Umar|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="aa3072377">{{Cite web|publisher=[[アナドル通信社]]|date=2023-12-04|url=https://www.aa.com.tr/tr/futbol/skibbenin-japonyadaki-basarisinin-arkasinda-antrenor-serhat-umar-var/3072377|title=Skibbe'nin Japonya'daki başarısının arkasında antrenör Serhat Umar var|language=トルコ語|accessdate=2023-12-09}}</ref> <ref name="gekisaka20211216">{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2021-12-16|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?347796-347796-fl|title=広島の来季コーチにセハット・ウマル氏が就任|accessdate=2023-12-09}}</ref> }} == 関連項目 == * [[サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧]] == 外部リンク == * {{Twitter}} * {{Instagram}} {{サンフレッチェ広島F.Cのメンバー}} {{Footybio-stub}} {{DEFAULTSORT:うまる せはつと}} [[Category:トルコ系ドイツ人]] [[Category:ドイツのサッカー指導者]] [[Category:1982年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T04:24:28Z
2023-12-09T04:24:28Z
false
false
false
[ "Template:R", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:サッカー選手", "Template:Lang-de", "Template:Reflist", "Template:サンフレッチェ広島F.Cのメンバー", "Template:Footybio-stub", "Template:仮リンク", "Template:Flagicon" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%AB
4,864,225
第3回早指し王位決定戦
第3回早指し王位決定戦 (だい3かいはやざしおういけっていせん) は、1956年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が花村元司八段を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第3回早指し王位決定戦 (だい3かいはやざしおういけっていせん) は、1956年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が花村元司八段を下した。", "title": null } ]
第3回早指し王位決定戦 (だい3かいはやざしおういけっていせん) は、1956年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が花村元司八段を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第3回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1956年 - 1957年3月20日 |タイトル=王位 |前タイトル=[[大山康晴]] |今期=第3回 |新タイトル=[[大山康晴]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第2回早指し王位決定戦|第2回]] |次回=[[第4回早指し王位決定戦|第4回]] }} '''第3回早指し王位決定戦''' (だい3かいはやざしおういけっていせん) は、[[1956年度の将棋界|1956年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[大山康晴]]名人(前王位)が[[花村元司]]八段を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 ==第3回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!第3局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1957年<br>3月5日!!1957年<br>3月11日!!1957年<br>3月20日 |- |'''[[大山康晴]]名人(前王位)'''||●||○||○||'''優勝''' |- |[[花村元司]]八段||○||●||●|| |} == 本戦 == {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{竜王戦ランキング戦2-1 |FS=90%<!--fontsize--> |RD1= 1回戦 |RD2= 2回戦 |RD3= 準々決勝 |RD4= 準決勝 |RD5= '''挑戦者決定戦''' |W11=10em<!--スコア幅 1回戦左--> |W1= 0em<!--名前欄幅1左 1回戦--> |W2= 0em<!--名前欄幅2右 1回戦--> |W3= 4.5em<!--名前欄幅2左 2回戦/3回戦/準決勝--> |W4= 0em<!--名前欄幅2右 2回戦/3回戦/準決勝--> |W5=10em<!--名前欄幅3 決勝--> |W12=2em<!--スコア幅1 1回戦--> |W13=2em<!--スコア幅2 2回戦/3回戦/準決勝--> |W14=2em<!--スコア幅3 決勝--> <!--1回戦--> |[[大友昇]]五段| | |○ |[[松田茂行]]八段| | |● |[[板谷四郎]]八段| | |○ |[[坂口允彦]]八段| | |● |[[梶一郎]]八段| | |○ |[[松下力]]八段| | |● |[[廣津久雄]]七段| | |● |[[塚田正夫]]九段| | |○ |[[賀集正三]]四段| | |● |[[高島一岐代]]八段| | |○ |[[松浦卓造]]八段| | |○ |[[熊谷達人]]七段| | |● |[[大野源一]]八段| | |○ |[[村上真一]]八段| | |● |[[南口繁一]]八段| | |● |[[本間爽悦]]七段| | |○ |'''[[花村元司]]八段'''| | |○ |[[高柳敏夫]]八段| | |● |[[荒巻三之]]八段| | |○ |[[斎藤銀次郎]]八段| | |● |[[加藤博二]]七段| | |○ |[[五十嵐豊一]]八段| | |● |[[灘蓮照]]八段| | |○ |[[清野静男]]七段| | |● |[[升田幸三]]王将| | |○ |[[小堀清一]]八段| | |● |[[丸田祐三]]八段| | |○ |[[佐瀬勇次]]七段| | |● |[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段| | |○ |[[二上達也]]八段| | |● |[[原田泰夫]]八段| | |○ |[[芹沢博文]]四段| | |● <!--2回戦--> |大友| |○ |板谷| |● |梶| |○ |塚田| |● |高島| |○ |松浦| |● |大野| |○ |本間| |● |'''花村'''| |○ |荒巻| |● |加藤| |○ |灘| |● |升田| |○ |丸田| |● |萩原| |○ |原田| |● <!--準々決勝--> |大友| |○ |梶| |● |高島| |○ |大野| |● |'''花村'''| |○ |加藤| |● |升田| |○ |萩原| |● <!--準決勝--> |大友| |○ |高島| |● |'''花村'''| |○ |升田| |● <!--決勝--> |[[大友昇]]五段|●| |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[花村元司]]八段{{0}} }}'''|○|'''三番勝負進出''' }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん03き}} [[Category:早指し王位決定戦|03]] [[Category:1956年の将棋]] [[Category:1957年の将棋]]
2023-12-09T04:30:37Z
2023-12-09T12:42:13Z
false
false
false
[ "Template:竜王戦ランキング戦2-1", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:早指し王位決定戦", "Template:Shogi-stub", "Template:Infobox 各年の棋戦" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,226
宍戸元真
宍戸 元真(ししど もとざね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀。 天正6年(1578年)、毛利氏家臣である宍戸元秀の四男として生まれ、毛利輝元に仕えて別家を興す。 正保5年(1648年)1月5日に死去。。享年71。周防国吉敷郡山口の矢田村丸山に葬られた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "宍戸 元真(ししど もとざね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "天正6年(1578年)、毛利氏家臣である宍戸元秀の四男として生まれ、毛利輝元に仕えて別家を興す。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "正保5年(1648年)1月5日に死去。。享年71。周防国吉敷郡山口の矢田村丸山に葬られた。", "title": "生涯" } ]
宍戸 元真は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 宍戸元真 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[天正]]6年([[1578年]]) | 死没 = [[正保]]5年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]([[1648年]][[1月29日]]) | 改名 = 宍戸元真→宍戸浄可(号) | 別名 = 通称:藤十郎→吉内 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 得定院殿深誉浄信 | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = [[従五位下]]、[[民部少輔]] | 幕府 = | 主君 = [[毛利輝元]]→[[毛利秀就|秀就]] | 藩 = | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]八田氏族[[宍戸氏]] | 父母 = 父:[[宍戸元秀]]、母:[[内藤興盛]]の娘 | 兄弟 = [[宍戸元続|元続]]、女([[三沢為虎]]室)、[[内藤元盛]]、<br/>[[粟屋孝春]]、'''元真'''、[[宍戸景好|景好]]、[[宍戸元可|元可]]、<br/>[[古満姫]]([[小早川秀秋]]室、後に[[興正寺]][[准尊]]室) | 妻 = [[富永元康]]の娘 | 子 = 男子、[[富永就姓]]、[[宍戸元忠|元忠]] | 特記事項 = }} '''宍戸 元真'''(ししど もとざね)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]。[[毛利氏]]家臣で[[長州藩]]士。父は[[宍戸元秀]]。 == 生涯 == [[天正]]6年([[1578年]])、[[毛利氏]]家臣である[[宍戸元秀]]の四男として生まれ{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}、[[毛利輝元]]に仕えて別家を興す{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。 [[正保]]5年([[1648年]])[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]に死去。{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。享年71{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。[[周防国]][[吉敷郡]][[山口市|山口]]の[[大内村 (山口県)|矢田村]]丸山に葬られた{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=61}}。 == 系譜 == * 父:[[宍戸元秀]](1547-1597) * 母:貴山妙遵(?-1616) - [[内藤興盛]]の娘。[[元和 (日本)|元和]]2年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]([[1616年]][[11月24日]])に死去{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=60}}。法名は貴山妙遵{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=60}}、または、妙見{{Sfn|近世防長諸家系図綜覧|1966|p=189}}。 * 正室:[[富永元康]]の娘(?-?) ** 長男:男子(?-?) ** 次男:[[富永就姓]](1604-1688) - 別家として取り立てられ、富永家(後に宍戸家に復姓)を興す<ref>『閥閲録』巻32「宍戸権之助」家譜。</ref>。 ** 三男:[[宍戸元忠]](1608-1690) == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] * 『[[閥閲録|萩藩閥閲録]]』巻32「宍戸権之助」、巻129「宍戸七右衛門」 {{DEFAULTSORT:ししと もとさね}} [[Category:三丘宍戸家|もとさね]] [[Category:戦国武将]] [[Category:安芸国の人物]] [[Category:長州藩士]] [[Category:1578年生]] [[Category:1648年没]]
2023-12-09T04:32:06Z
2023-12-27T04:23:38Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:クローズドアクセス", "Template:基礎情報 武士", "Template:Sfn", "Template:Notelist", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8D%E6%88%B8%E5%85%83%E7%9C%9F
4,864,227
ベルリン中央学園補習授業校
ベルリン中央学園補習授業校(ベルリンちゅうおうがくえん ほしゅうじゅぎょうこう, 独: Zentrale Schule für Japanisch Berlin e.V.)は、ドイツの首都ベルリンにある日本の補習授業校。 1997年4月、ベルリン日本人友の会により前身となるジュニア日本語授業校がクロイツベルグク区に開校した。その後8月にはベルリン中央日本語学園に改称した。翌年2月にはベルリン市税務署より共益法人として認可された。 1998年4月には中学部を開校。1999年10月からはベルリンで初めて漢字検定を実施し、2000年4月には「ベルリン中央学園」と改称した。2002年に日本国政府から補習授業校として認可され、現名称へと至る。 2003年にそれまで借用していたテンペルホフ校が統合されることに伴い、ヴィルマースドルフ地区のコメニウス校を借用することとなった。2009年からは旧東ベルリン地区に幼稚部を新設した。 2015年には伊藤忠記念財団の補習授業校図書助成先に選定され、児童書セットを贈呈された。また、創立20周年直前となる2017年には新校章と校歌の制作が行われた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ベルリン中央学園補習授業校(ベルリンちゅうおうがくえん ほしゅうじゅぎょうこう, 独: Zentrale Schule für Japanisch Berlin e.V.)は、ドイツの首都ベルリンにある日本の補習授業校。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1997年4月、ベルリン日本人友の会により前身となるジュニア日本語授業校がクロイツベルグク区に開校した。その後8月にはベルリン中央日本語学園に改称した。翌年2月にはベルリン市税務署より共益法人として認可された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1998年4月には中学部を開校。1999年10月からはベルリンで初めて漢字検定を実施し、2000年4月には「ベルリン中央学園」と改称した。2002年に日本国政府から補習授業校として認可され、現名称へと至る。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2003年にそれまで借用していたテンペルホフ校が統合されることに伴い、ヴィルマースドルフ地区のコメニウス校を借用することとなった。2009年からは旧東ベルリン地区に幼稚部を新設した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2015年には伊藤忠記念財団の補習授業校図書助成先に選定され、児童書セットを贈呈された。また、創立20周年直前となる2017年には新校章と校歌の制作が行われた。", "title": "沿革" } ]
ベルリン中央学園補習授業校は、ドイツの首都ベルリンにある日本の補習授業校。
{{Infobox School |校名=ベルリン中央学園補習授業校<br />{{Lang|de|Zentrale Schule für Japanisch Berlin e.V.}} |画像= |過去校名=ベルリン中央日本語学園 |国公私立=[[私立学校]] |設置者=共益法人ベルリン中央学園補習授業校 |学区= |併合学校= |理念= |校訓= |設立年月日=[[1997年]]4月 |記念日名称= |創立記念日= |創立者= |閉校年月日= |共学・別学=[[男女共学]] |高大一貫教育= |中高大一貫教育= |中高一貫教育= |小中高一貫教育= |幼小中高一貫教育=幼小中高 |分校= |課程= |二部以上の授業= |単位制・学年制= |設置学科= |学科内専門コース= |専攻科= |別科= |学期= |高校コード= |所在地=c/o Comenius-Schule, Gieselerstr. 4, 10713 Berlin<ref name="Newsdigest">{{Cite web |和書 |url=http://www.newsdigest.de/newsde/berlin-guide/links/ |title=ベルリン - お役立ち情報 |access-date=2023-11-29 |website=ドイツニュースダイジェスト}}</ref> |外部リンク= |公式サイト=[https://www.chuo-gakuen.de/ 公式サイト] }} '''ベルリン中央学園補習授業校'''(ベルリンちゅうおうがくえん ほしゅうじゅぎょうこう, {{Lang-de-short|Zentrale Schule für Japanisch Berlin e.V.}})は、[[ドイツ]]の[[首都]][[ベルリン]]にある[[日本]]の[[補習授業校]]。 == 沿革 == <ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.chuo-gakuen.de/aboutus/way/ |title=本校のあゆみ |access-date=2023-12-06 |publisher=共益法人ベルリン中央学園補習授業校 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231206164752/https://www.chuo-gakuen.de/aboutus/way/ |archive-date=2023-12-06}}</ref> 1997年4月、ベルリン日本人友の会により前身となるジュニア日本語授業校が[[フリードリヒスハイン=クロイツベルク区|クロイツベルグク区]]に開校した。その後8月にはベルリン中央日本語学園に改称した。翌年2月にはベルリン市税務署より共益法人として認可された。 1998年4月には中学部を開校。1999年10月からはベルリンで初めて[[日本漢字能力検定|漢字検定]]を実施し、2000年4月には「ベルリン中央学園」と改称した。2002年に日本国政府から[[補習授業校]]として認可され、現名称へと至る。 2003年にそれまで借用していたテンペルホフ校が統合されることに伴い、[[シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区|ヴィルマースドルフ地区]]のコメニウス校を借用することとなった。2009年からは旧[[東ベルリン]]地区に幼稚部を新設した。 2015年には[[伊藤忠記念財団]]の補習授業校図書助成先に選定され、児童書セットを贈呈された<ref>{{Cite web |url=https://www.itc-zaidan.or.jp/topics/detail/176 |title=2015(平成27)年度 日本人学校/補習授業校 図書助成 助成先が決定しました |access-date=2023-12-09 |publisher=[[伊藤忠記念財団]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20231209042237/https://www.itc-zaidan.or.jp/topics/detail/176 |archive-date=2023-12-09}}</ref>。また、創立20周年直前となる2017年には新校章と校歌の制作が行われた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.chuo-gakuen.de/ 共益法人ベルリン中央学園補習授業校] - 公式サイト {{School-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:へるりんちゆうおうかくえんほしゆうしゆきようこう}} [[Category:補習授業校]] [[Category:ベルリンの教育]] [[Category:シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区]]
2023-12-09T04:33:55Z
2023-12-23T09:56:10Z
false
false
false
[ "Template:Infobox School", "Template:Lang-de-short", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:School-stub", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%AD%A6%E5%9C%92%E8%A3%9C%E7%BF%92%E6%8E%88%E6%A5%AD%E6%A0%A1
4,864,231
楢原陳政
楢原 陳政(ならはら のぶまさ、1862年(文久2年)- 1900年(明治33年)7月24日)は、江戸時代の武士、明治時代の外交官。中国通として知られた。西郷従道の娘婿(長女の政子)。 幕臣の楢原儀兵衛と母伊澤氏の長男として江戸に生まれる。維新後井上陳光の養子となったが、後に復籍している。 1877年(明治10年)、印刷局長の得能通昌のもとで勤務する傍ら、清国公使館で中国語を学ぶ。その後清に遊学し、著名な学者の兪樾の門下生となり杭州の兪楼で勉学に励んだ。1890年(明治23年)公使館書記生としてイギリスに渡り、エジンバラ大学で学んだ。 帰国後下関で開かれた日清戦争の講和会議で通訳を務め、その功により勲六等を賜る。その後北京の日本公使館通訳官、1899年(明治32年)2等書記官となった。1900年(明治33年)義和団の乱に粛親王府を防御中に負傷し、破傷風により39才で没した。同年9月遺体は帰国し、青山霊園に葬られた。1901年8月13日、正五位が追贈される。子の楢原良一郎は古河鉱業の社長となった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "楢原 陳政(ならはら のぶまさ、1862年(文久2年)- 1900年(明治33年)7月24日)は、江戸時代の武士、明治時代の外交官。中国通として知られた。西郷従道の娘婿(長女の政子)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "幕臣の楢原儀兵衛と母伊澤氏の長男として江戸に生まれる。維新後井上陳光の養子となったが、後に復籍している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1877年(明治10年)、印刷局長の得能通昌のもとで勤務する傍ら、清国公使館で中国語を学ぶ。その後清に遊学し、著名な学者の兪樾の門下生となり杭州の兪楼で勉学に励んだ。1890年(明治23年)公使館書記生としてイギリスに渡り、エジンバラ大学で学んだ。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "帰国後下関で開かれた日清戦争の講和会議で通訳を務め、その功により勲六等を賜る。その後北京の日本公使館通訳官、1899年(明治32年)2等書記官となった。1900年(明治33年)義和団の乱に粛親王府を防御中に負傷し、破傷風により39才で没した。同年9月遺体は帰国し、青山霊園に葬られた。1901年8月13日、正五位が追贈される。子の楢原良一郎は古河鉱業の社長となった。", "title": "生涯" } ]
楢原 陳政は、江戸時代の武士、明治時代の外交官。中国通として知られた。西郷従道の娘婿(長女の政子)。
'''楢原 陳政'''(ならはら のぶまさ、[[1862年]]([[文久]]2年)- [[1900年]]([[明治]]33年)7月24日)は、[[江戸時代]]の[[武士]]、明治時代の[[外交官]]。 中国通として知られた<ref>{{Cite journal|last=一之|first=山口|date=1968|title=義和団事変と日本の反応 -陸軍部隊派遣の動機-|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji1957/1968/37/1968_37_41/_article/-char/ja/|journal=国際政治|volume=1968|issue=37|pages=41–53|doi=10.11375/kokusaiseiji1957.37_41}}</ref>。[[西郷従道]]の[[娘婿]](長女の政子)。 == 生涯 == [[幕臣]]の楢原儀兵衛と母伊澤氏の長男として江戸に生まれる。維新後[[井上陳光]]の養子となったが、後に復籍している。 [[1877年]](明治10年)、[[印刷局]]長の[[得能通昌]]のもとで勤務する傍ら、[[清国]][[公使館]]で[[中国語]]を学ぶ。その後清に[[遊学]]し、著名な学者の[[兪樾]]の門下生となり[[杭州]]の兪楼で勉学に励んだ。[[1890年]](明治23年)公使館書記生として[[イギリス]]に渡り、[[エジンバラ大学]]で学んだ。 帰国後[[下関]]で開かれた[[日清戦争]]の講和会議で[[通訳]]を務め、その功により[[勲六等]]を賜る。その後[[北京]]の日本公使館通訳官、[[1899年]](明治32年)2等書記官となった。[[1900年]](明治33年)[[義和団の乱]]に[[粛親王府]]を防御中に負傷し、[[破傷風]]により39才で没した<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%A5%A2%E5%8E%9F%E9%99%B3%E6%94%BF-1098414 コトバンク 楢原陳政]</ref>。同年9月遺体は帰国し、[[青山霊園]]に葬られた。[[1901年]]8月13日、[[正五位]]が追贈される。子の楢原良一郎は[[古河鉱業]]の社長となった<ref>青山霊園の墓誌より</ref>。 == 著書 == *『西行日記』 *『支那内治要論』 *『清国商況視察復命書』 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{デフォルトソート:ならはら のぶまさ}} [[Category:1862年生]] [[Category:1900年没]] [[Category:江戸時代の武士]] [[Category:戦前日本の外交官]] [[Category:西郷従道]] [[Category:正五位受位者]] [[Category:勲六等瑞宝章受章者]] [[Category:日中関係史|人ならはら のぶまさ]]
2023-12-09T04:45:47Z
2023-12-10T10:58:55Z
false
false
false
[]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%8E%9F%E9%99%B3%E6%94%BF
4,864,234
E-Ninja
e-ninjaとは社団法人NinjaTAG協会が開発した光線を用いた競技である。 レーザー手裏剣という手裏剣型のコントローラーで、受光センサー付きの鉢金部を狙うしくみである。 手裏剣部から発射された赤外線を受光センサーで受け、当たった回数をヒットLEDに表示する。 以下は、社団法人ninjatag協会が公認した競技である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "e-ninjaとは社団法人NinjaTAG協会が開発した光線を用いた競技である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "レーザー手裏剣という手裏剣型のコントローラーで、受光センサー付きの鉢金部を狙うしくみである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "手裏剣部から発射された赤外線を受光センサーで受け、当たった回数をヒットLEDに表示する。", "title": "レーザー手裏剣" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "以下は、社団法人ninjatag協会が公認した競技である。", "title": "競技の種類" } ]
e-ninjaとは社団法人NinjaTAG協会が開発した光線を用いた競技である。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2023年12月24日 (日) 01:39 (UTC) | 特筆性 = 2023年12月24日 (日) 01:39 (UTC) }} {{小文字}} '''e-ninja'''とは社団法人NinjaTAG協会が開発した光線を用いた競技である。 ==概要== レーザー手裏剣という手裏剣型のコントローラーで、受光センサー付きの鉢金部を狙うしくみである。 ==レーザー手裏剣== ===手裏剣部=== *手の平でローラー(スライドスイッチ)を回しレーザー(赤外線)を発射する。(特許番号6516347) ===鉢金部=== 手裏剣部から発射された赤外線を受光センサーで受け、当たった回数をヒットLEDに表示する。 ==競技の種類== 以下は、社団法人ninjatag協会が公認した競技である。 *バトル‐既定のフィールドで相手と1分3本勝負で戦う競技。 *的当て‐制限時間内に全ての的を射抜く競技。 *早撃ち‐タイムトライアル方式で、すべての的を射抜くまでの時間を競う競技。 == 外部リンク == * [https://www.ninjatag.jp/ Ninja TAG公式サイト] * [https://www.youtube.com/@ninjatag7440 YouTubeアカウント「ninjatag協会」] {{Esports-stub}} {{DEFAULTSORT:いいにんしや}} [[Category:Eスポーツ (競技別)]] [[CATEGORY:射的競技]] [[CATEGORY:新技術]]
2023-12-09T04:47:17Z
2023-12-24T01:39:51Z
false
false
false
[ "Template:Esports-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/E-Ninja
4,864,235
レトロニウム
もしかして ではありませんか?
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "もしかして", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ではありませんか?", "title": null } ]
もしかして レトロニム ではありませんか?
{{もしかして|レトロニム|ref1=[[英語]]:retronym - 古い意味の範囲を示すために、後から考案された言葉。再命名。}} <!-- これ以外は特筆性なしと判断しました --> {{DEFAULTSORT:れとろにうむ}} {{Short pages monitor}}<!-- 以下のコメントは、[[Template:Long comment]]をsubst展開(ソースに「subst:Long comment」を二重の中括弧で括った上で追加)することによって挿入された長いコメント(<!--と-->(実際には不等号は半角です)で囲まれた部分のことです)です。このコメントは、編集画面においてのみ表示され、閲覧画面においては表示されないような仕組みになっています。このコメントは、ソフトリダイレクトなどの、特別な事情があるために、どうしても非常に短い状態にならざるを得ない記事に挿入されています。[[特別:短いページ]]には、テスト投稿やサブスタブ記事のように、メンテナンスを必要とする極めて短い記事がページサイズの小さい順に並べられています。しかし、この特別ページにソフトリダイレクトなどの、必然的にページサイズが小さくなってしまうようなページへのリンクが大量に並んでしまうと、[[特別:短いページ]]本来の役割を損なってしまう恐れがあります。この長いコメントを挿入していることで、ソフトリダイレクトのようなページが[[特別:短いページ]]に載らないようにし、[[特別:短いページ]]が使いやすく保たれています。このコメントの必要性・有用性を理解しないままコメントや{{Short pages monitor}}を除去したり、短く改変したりすることは、どうか控えてくださるようご協力をお願い申し上げます。それを理解した上で、もし除去する必要がある場合は、必ずこのコメントと一緒に、{{Short pages monitor}}も除去するようにしてください。なお、{{Short pages monitor}}は、[[Template:Long comment]]をsubst展開して使用した記事を追跡するためのテンプレートです。 -->
2023-12-09T04:53:02Z
2023-12-09T04:53:46Z
false
false
false
[ "Template:もしかして", "Template:Short pages monitor" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0
4,864,236
松竹伸幸・鈴木元除名問題
日本共産党における2023年におきた、党員の松竹伸幸および鈴木元の除名問題。京都の出版社「かもがわ出版」の出版物を舞台に繰り広げられている問題である。 2022年8月23日 日本共産党党建設委員会が、同党の志位和夫委員長の在任期間が長いことなどへの批判にたいし、「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる」という見解を発表(8月24日「しんぶん赤旗」に掲載)。 2022年11月28日 かもがわ出版から『日本共産党100年 理論と体験からの分析』(有田芳生、森田成也、木下ちがや、梶原渉著)が刊行される。「日本共産党の行き詰まりの原因のひとつは、国民にたいして自らが変わる、変われるという姿勢を打ち出せていないことにある」(序論)という前提に立って、有田の除籍問題や党首公選を否定した党建設委員会声明(前掲)批判などを盛り込んだものである。 2023年1月19日 かもがわ出版編集主幹の松竹伸幸が「共産党員である著者がなぜ党首公選制を訴え、自ら立候補を宣言するのか。外からは知ることのできない共産党の内情がよく分か」る本だとの触れこみで、『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を刊行。松竹はこの著作の刊行に前後して、記者会見やネットテレビへの出演、みずからのブログなどで、日本共産党の党首(幹部会委員長)の選出方法を全党員に直接選挙にすることと、そのような選挙が実現した際には自分が党首に立候補することを公言する。 1月20日 かもがわ出版取締役の鈴木元が『志位和夫委員長への手紙』をかもがわ出版から刊行。「志位委員長は直ちに辞任して、党首公選を行って選ばれる新しい指導部に共産党の改革を委ねるべき」と主張。また同じ1月20日には、あけび書房からも、「党員が党首を投票で直接選ぶ『党首選挙』を実施することで、党内の活発な論議を国民にも可視化させ」ることをうたった『希望の共産党』(有田芳生、池田香代子、内田樹、木戸衛一、佐々木寛、津田大介、中北浩爾、中沢けい、浜矩子、古谷経衡著)が刊行されるなど、22年末から23年初頭にかけて、日本共産党の「党首公選」を要求する書籍がつづけて刊行され、『週刊文春』は「共産党に激震! 志位委員長に3冊の挑戦状」と報じた。 1月21日 「しんぶん赤旗」に赤旗編集局次長・藤田健が「規約と綱領からの逸脱は明らか―松竹伸幸氏の一連の言動について」で松竹の「一連の言動」を批判。 2月5日 日本共産党京都南地区委員会が松竹の除名処分を決定、翌6日京都府委員会がこれを承認した。 2月6日 松竹が日本記者クラブで講演、「日本共産党の私に対する除名処分についての見解を発表します」と題するプレリリースを公表。以降、2月13日から18日まで自身のブログで「除名処分通知書への一口反論」を連載し、「被除名者が処分に不服な場合は、中央委員会および党大会に再審査をもとめることができる」という規約第55条にもとづき、来年1月の党大会に再審査を求めることを宣言した。 2月8日 「しんぶん赤旗」に党書記局長・土井洋彦が「党攻撃とかく乱の宣言—松竹伸幸氏の言動について」で日本記者クラブでの会見を批判した。 2月16日 「しんぶん赤旗」で小林節が、「除名となった党員は党内議論を行わずに、時間をかけて準備した出版という形で、いきなり党外から党への批判的な意見をぶつけてきた。これはルール違反です。他のどの組織であれ、除名を含む処分はありうると思います。『朝日』などメディアがこの件で日本共産党をバッシングしているのは、看過できません」と発言。 3月5日 福岡県委員会のかみや貴行が、松竹の処分を見直すよう中央委員会が関連地方機関(=京都南地区委、京都府委)に助言するよう福岡県委員会総会として決議することを提案が、福岡県委員会総会はかみやの意見を多数で否決した。これにかかわってかみやを常任委員会から罷免する意見も出たが、異論を持っていることで排除することは適切でなく、かみやが今後も規約を守って行動するかぎり、問題はない、との判断がくだされた。 3月初旬 日本共産党出版局が『党首選出と安保政策をめぐる攻撃にこたえる―憲法の「結社の自由」をふまえて』を発行。 3月15日 日本共産党京都府委員会が鈴木元の除名処分を決定、翌6日に中央委員会が了承した。 6月7日 松竹、鈴木の除名に対して「党内民主主義は終わっている」と批判的意見をSNSで表明していた蛭子智彦・南あわじ市議を除籍した。 8月10日 松竹が『不破哲三氏への手紙』(宝島社新書)を刊行、松竹は「自説は不破哲三氏の夢を形にしたものであり、現代の日本共産党のあるべき姿を示したものだが、現執行部は異端として排除した」と主張。なお、この書物は、党大会への除名再審査要求書の「第II部」と位置づけられる。 9月4日 あけび書房から、党から除名された松竹とその除名を支持した小林節が並んで登場する『続・希望の共産党』(碓井敏正、五野井郁夫、小林節、西郷南海子、醍醐聰、堀有伸、松尾匡、松竹伸幸、宮子あずさ、和田静香著)が刊行される。 12月1日 「しんぶん赤旗」に党組織局長・土方明果が「除名処分された人物による党大会かく乱策動について」(11月30日付)を掲載し、松竹は「本心を隠して党大会代議員になるよう党員に働きかけている」と批判。 12月12日 鈴木が、かもがわ出版から『さようなら志位和夫殿』を刊行。編集担当は松竹伸幸である。 日本共産党側は、松竹が鈴木に対し「同じ時期に出たほうが話題になりますよ」といって刊行時期をそろえたことが分派活動だと認定した。それに対して松竹は「鈴木は党綱領・規約は間違っているから変えるべき」と主張し、自分(松竹)は、「綱領・規約の範囲内で行動している」から、分派になりえないと述べており、分派の定義をめぐる議論は平行線である。 ただし、二人とも党首公選を主張するという点では同じ立場である(松竹は自分が党首に立候補し、鈴木は志位和夫の退陣だけを要求している)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本共産党における2023年におきた、党員の松竹伸幸および鈴木元の除名問題。京都の出版社「かもがわ出版」の出版物を舞台に繰り広げられている問題である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2022年8月23日 日本共産党党建設委員会が、同党の志位和夫委員長の在任期間が長いことなどへの批判にたいし、「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる」という見解を発表(8月24日「しんぶん赤旗」に掲載)。", "title": "前史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2022年11月28日 かもがわ出版から『日本共産党100年 理論と体験からの分析』(有田芳生、森田成也、木下ちがや、梶原渉著)が刊行される。「日本共産党の行き詰まりの原因のひとつは、国民にたいして自らが変わる、変われるという姿勢を打ち出せていないことにある」(序論)という前提に立って、有田の除籍問題や党首公選を否定した党建設委員会声明(前掲)批判などを盛り込んだものである。", "title": "前史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年1月19日 かもがわ出版編集主幹の松竹伸幸が「共産党員である著者がなぜ党首公選制を訴え、自ら立候補を宣言するのか。外からは知ることのできない共産党の内情がよく分か」る本だとの触れこみで、『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を刊行。松竹はこの著作の刊行に前後して、記者会見やネットテレビへの出演、みずからのブログなどで、日本共産党の党首(幹部会委員長)の選出方法を全党員に直接選挙にすることと、そのような選挙が実現した際には自分が党首に立候補することを公言する。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1月20日 かもがわ出版取締役の鈴木元が『志位和夫委員長への手紙』をかもがわ出版から刊行。「志位委員長は直ちに辞任して、党首公選を行って選ばれる新しい指導部に共産党の改革を委ねるべき」と主張。また同じ1月20日には、あけび書房からも、「党員が党首を投票で直接選ぶ『党首選挙』を実施することで、党内の活発な論議を国民にも可視化させ」ることをうたった『希望の共産党』(有田芳生、池田香代子、内田樹、木戸衛一、佐々木寛、津田大介、中北浩爾、中沢けい、浜矩子、古谷経衡著)が刊行されるなど、22年末から23年初頭にかけて、日本共産党の「党首公選」を要求する書籍がつづけて刊行され、『週刊文春』は「共産党に激震! 志位委員長に3冊の挑戦状」と報じた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1月21日 「しんぶん赤旗」に赤旗編集局次長・藤田健が「規約と綱領からの逸脱は明らか―松竹伸幸氏の一連の言動について」で松竹の「一連の言動」を批判。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2月5日 日本共産党京都南地区委員会が松竹の除名処分を決定、翌6日京都府委員会がこれを承認した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2月6日 松竹が日本記者クラブで講演、「日本共産党の私に対する除名処分についての見解を発表します」と題するプレリリースを公表。以降、2月13日から18日まで自身のブログで「除名処分通知書への一口反論」を連載し、「被除名者が処分に不服な場合は、中央委員会および党大会に再審査をもとめることができる」という規約第55条にもとづき、来年1月の党大会に再審査を求めることを宣言した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2月8日 「しんぶん赤旗」に党書記局長・土井洋彦が「党攻撃とかく乱の宣言—松竹伸幸氏の言動について」で日本記者クラブでの会見を批判した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2月16日 「しんぶん赤旗」で小林節が、「除名となった党員は党内議論を行わずに、時間をかけて準備した出版という形で、いきなり党外から党への批判的な意見をぶつけてきた。これはルール違反です。他のどの組織であれ、除名を含む処分はありうると思います。『朝日』などメディアがこの件で日本共産党をバッシングしているのは、看過できません」と発言。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "3月5日 福岡県委員会のかみや貴行が、松竹の処分を見直すよう中央委員会が関連地方機関(=京都南地区委、京都府委)に助言するよう福岡県委員会総会として決議することを提案が、福岡県委員会総会はかみやの意見を多数で否決した。これにかかわってかみやを常任委員会から罷免する意見も出たが、異論を持っていることで排除することは適切でなく、かみやが今後も規約を守って行動するかぎり、問題はない、との判断がくだされた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "3月初旬 日本共産党出版局が『党首選出と安保政策をめぐる攻撃にこたえる―憲法の「結社の自由」をふまえて』を発行。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "3月15日 日本共産党京都府委員会が鈴木元の除名処分を決定、翌6日に中央委員会が了承した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "6月7日 松竹、鈴木の除名に対して「党内民主主義は終わっている」と批判的意見をSNSで表明していた蛭子智彦・南あわじ市議を除籍した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "8月10日 松竹が『不破哲三氏への手紙』(宝島社新書)を刊行、松竹は「自説は不破哲三氏の夢を形にしたものであり、現代の日本共産党のあるべき姿を示したものだが、現執行部は異端として排除した」と主張。なお、この書物は、党大会への除名再審査要求書の「第II部」と位置づけられる。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "9月4日 あけび書房から、党から除名された松竹とその除名を支持した小林節が並んで登場する『続・希望の共産党』(碓井敏正、五野井郁夫、小林節、西郷南海子、醍醐聰、堀有伸、松尾匡、松竹伸幸、宮子あずさ、和田静香著)が刊行される。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "12月1日 「しんぶん赤旗」に党組織局長・土方明果が「除名処分された人物による党大会かく乱策動について」(11月30日付)を掲載し、松竹は「本心を隠して党大会代議員になるよう党員に働きかけている」と批判。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "12月12日 鈴木が、かもがわ出版から『さようなら志位和夫殿』を刊行。編集担当は松竹伸幸である。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "日本共産党側は、松竹が鈴木に対し「同じ時期に出たほうが話題になりますよ」といって刊行時期をそろえたことが分派活動だと認定した。それに対して松竹は「鈴木は党綱領・規約は間違っているから変えるべき」と主張し、自分(松竹)は、「綱領・規約の範囲内で行動している」から、分派になりえないと述べており、分派の定義をめぐる議論は平行線である。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ただし、二人とも党首公選を主張するという点では同じ立場である(松竹は自分が党首に立候補し、鈴木は志位和夫の退陣だけを要求している)。", "title": "評価" } ]
日本共産党における2023年におきた、党員の松竹伸幸および鈴木元の除名問題。京都の出版社「かもがわ出版」の出版物を舞台に繰り広げられている問題である。
[[日本共産党]]における2023年におきた、党員の[[松竹伸幸]]および[[鈴木元 (立命館)|鈴木元]]の除名問題。京都の出版社「[[かもがわ出版]]」の出版物を舞台に繰り広げられている問題である。 == 前史 ==  '''2022年8月23日''' 日本共産党党建設委員会が、同党の志位和夫委員長の在任期間が長いことなどへの批判にたいし、「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる」という見解を発表(8月24日「[[しんぶん赤旗]]」に掲載)<ref>{{Cite web |title=日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か/――一部の批判にこたえる |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-08-24/2022082404_01_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''2022年11月28日''' かもがわ出版から『日本共産党100年 理論と体験からの分析'''』'''([[有田芳生]]、[[森田成也]]、[[木下ちがや]]、梶原渉著)が刊行される<ref>{{Cite web |title=かもがわ出版|日本共産党100年 理論と体験からの分析 |url=http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/na/1250.html |website=かもがわ出版 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref>。「日本共産党の行き詰まりの原因のひとつは、国民にたいして自らが変わる、変われるという姿勢を打ち出せていないことにある」(序論)という前提に立って、有田の除籍問題や党首公選を否定した党建設委員会声明(前掲)批判などを盛り込んだものである。 == 経過 ==  '''2023年1月19日''' かもがわ出版編集主幹の[[松竹伸幸]]が「共産党員である著者がなぜ党首公選制を訴え、自ら立候補を宣言するのか。外からは知ることのできない共産党の内情がよく分か」る本だとの触れこみで、『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を刊行<ref>{{Cite book |title=シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由 |url=https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%AE%A3%E8%A8%80-%E3%83%92%E3%83%A9%E5%85%9A%E5%93%A1%E3%81%8C%E5%85%9A%E9%A6%96%E5%85%AC%E9%81%B8%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E7%AB%8B%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%81%99%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9D%BE%E7%AB%B9-%E4%BC%B8%E5%B9%B8-ebook/dp/B0BS3MF9QS |publisher=文藝春秋 |date=2023-01-19 |first=伸幸 |last=松竹}}</ref>。松竹はこの著作の刊行に前後して、記者会見<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸『党首選への立候補記者会見、無事に終了』 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12785171981.html |website=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>やネットテレビへの出演<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸『本日午後9時よりABEMA Prime生放送に出演』 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12784523466.html |website=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、みずからのブログなどで、日本共産党の党首(幹部会委員長)の選出方法を全党員に直接選挙にすることと、そのような選挙が実現した際には自分が党首に立候補することを公言する。  '''1月20日''' かもがわ出版取締役の[[鈴木元 (立命館)|鈴木元]]が『志位和夫委員長への手紙』をかもがわ出版から刊行<ref>{{Cite web |title=かもがわ出版|志位和夫委員長への手紙 |url=http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/sa/1260.html |website=かもがわ出版 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref>。「志位委員長は直ちに辞任して、党首公選を行って選ばれる新しい指導部に共産党の改革を委ねるべき」と主張。また同じ1月20日には、あけび書房からも、「党員が党首を投票で直接選ぶ『党首選挙』を実施することで、党内の活発な論議を国民にも可視化させ」ることをうたった『希望の共産党』(有田芳生、[[池田香代子]]、[[内田樹]]、[[木戸衛一]]、[[佐々木寛]]、[[津田大介]]、[[中北浩爾]]、[[中沢けい]]、[[浜矩子]]、[[古谷経衡]]著)が刊行されるなど<ref>{{Cite web |title=希望の共産党 期待こめた提案 |url=https://akebishobo.com/products/jcp |website=あけび書房 |date=2023-01-19 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>、22年末から23年初頭にかけて、日本共産党の「党首公選」を要求する書籍がつづけて刊行され、『週刊文春』は「共産党に激震! 志位委員長に3冊の挑戦状」と報じた<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸『本日は党首選挙の出馬記者会見』 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12785024152.html |website=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''1月21日''' 「しんぶん赤旗」に赤旗編集局次長・藤田健が「規約と綱領からの逸脱は明らか―松竹伸幸氏の一連の言動について」で松竹の「一連の言動」を批判<ref>{{Cite web |title=規約と綱領からの逸脱は明らか/――松竹伸幸氏の一連の言動について/赤旗編集局次長 藤田健 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-21/2023012104_03_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''2月5日''' 日本共産党京都南地区委員会が松竹の除名処分を決定、翌6日京都府委員会がこれを承認した<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸氏の除名処分について/2月6日 日本共産党京都南地区委員会常任委員会 京都府委員会常任委員会 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-07/2023020704_01_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。なお、同日'''、'''党副委員長・[[市田忠義]]が自身のフェイスブックで、鈴木元についてまだ処分決定前だったが、「鈴木元氏も予想していた通りの転落ぶりですね。『俺が俺が』の人物の哀れな末路を見る思いがします」と書き込み、多くの批判が寄せられ削除した<ref>{{Cite web |title=日本戦略研究フォーラム(JFSS) |url=https://www.jfss.gr.jp/article/1945 |website=www.jfss.gr.jp |access-date=2023-12-30}}</ref>。  '''2月6日''' 松竹が日本記者クラブで講演、「日本共産党の私に対する除名処分についての見解を発表します」と題するプレリリースを公表<ref>{{Cite web |title=日本共産党による除名処分についての見解の画像 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/image-12787853162-15239280969.html |website=ameblo.jp |access-date=2023-12-09}}</ref>。以降、2月13日から18日まで自身のブログで「除名処分通知書への一口反論」を連載し、「被除名者が処分に不服な場合は、中央委員会および党大会に再審査をもとめることができる」という規約第55条にもとづき、来年1月の党大会に再審査を求めることを宣言した<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸『「除名処分通知書」への一口反論・了』 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12789847087.html |website=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''2月8日''' 「しんぶん赤旗」に党書記局長・土井洋彦が「党攻撃とかく乱の宣言—松竹伸幸氏の言動について」で日本記者クラブでの会見を批判した<ref>{{Cite web |title=党攻撃とかく乱の宣言/――松竹伸幸氏の言動について/書記局次長 土井洋彦 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-08/2023020802_02_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。   '''2月16日''' 「しんぶん赤旗」で[[小林節]]が、「除名となった党員は党内議論を行わずに、時間をかけて準備した出版という形で、いきなり党外から党への批判的な意見をぶつけてきた。これはルール違反です。他のどの組織であれ、除名を含む処分はありうると思います。『朝日』などメディアがこの件で日本共産党をバッシングしているのは、看過できません」と発言<ref>{{Cite web |title=敵基地攻撃能力 国を滅ぼす/「結社の自由」侵害 看過できぬ/憲法学者・慶応大学名誉教授 小林節さんに聞く |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-16/2023021603_02_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''3月5日''' 福岡県委員会の[[紙屋高雪|かみや貴行]]が、松竹の処分を見直すよう中央委員会が関連地方機関(=京都南地区委、京都府委)に助言するよう福岡県委員会総会として決議することを提案が、福岡県委員会総会はかみやの意見を多数で否決した。これにかかわってかみやを常任委員会から罷免する意見も出たが、異論を持っていることで排除することは適切でなく、かみやが今後も規約を守って行動するかぎり、問題はない、との判断がくだされた<ref>{{Cite web |title=日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を |url=https://kamiyatakayuki.hatenadiary.jp/entry/2023/03/05/030000 |website=かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を |date=2023-03-04 |access-date=2023-12-24 |language=ja |last=kamiyakenkyujo}}</ref>。  '''3月初旬''' 日本共産党出版局が『党首選出と安保政策をめぐる攻撃にこたえる―憲法の「結社の自由」をふまえて』を発行<ref>{{Cite web |title=日本共産党パンフレット|党紹介│日本共産党中央委員会 |url=https://www.jcp.or.jp/web_jcp/jcp-book.html |website=日本共産党 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''3月3日~18日''' 敬徳書院店主・高橋祐吉が「騒がしきことなどー松竹問題雑感」(3回連載)で、党の対応に疑問を表明<ref>{{Cite web |title=騒がしきことなど-松竹問題雑感-(上) |url=https://www.keitoku-shoin.com/%e9%a8%92%e3%81%8c%e3%81%97%e3%81%8d%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%aa%e3%81%a9%ef%bc%88%e4%b8%8a%ef%bc%89/ |website=敬徳書院 |access-date=2023-12-30 |language=ja |last=keitokushoin}}</ref>。  '''3月15日''' 日本共産党京都府委員会が鈴木元の除名処分を決定、翌6日に中央委員会が了承した<ref>{{Cite web |title=鈴木元氏の除名処分について {{!}} JCP京都: 日本共産党 京都府委員会 |url=https://www.jcp-kyoto.jp/a_a_p/a_a_p-8998/ |website=www.jcp-kyoto.jp |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''6月7日''' 松竹、鈴木の除名に対して「党内民主主義は終わっている」と批判的意見をSNSで表明していた蛭子智彦・南あわじ市議を除籍した<ref>{{Cite web |title=共産党が南あわじ市議の蛭子氏を除籍 「党内民主主義は終わっている」などと発信 |url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202306/0016445975.shtml |website=神戸新聞NEXT |date=2023-06-07 |access-date=2023-12-20 |language=Japanese}}</ref>。  '''8月10日''' 松竹が『不破哲三氏への手紙』(宝島社新書)を刊行、松竹は「自説は不破哲三氏の夢を形にしたものであり、現代の日本共産党のあるべき姿を示したものだが、現執行部は異端として排除した」と主張<ref>{{Cite book |title=不破哲三氏への手紙 |url=https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E7%A0%B4%E5%93%B2%E4%B8%89%E6%B0%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9D%BE%E7%AB%B9-%E4%BC%B8%E5%B9%B8/dp/4299045513 |publisher=宝島社 |date=2023-08-10 |isbn=978-4-299-04551-5 |first=伸幸 |last=松竹}}</ref>。なお、この書物は、党大会への除名再審査要求書の「第Ⅱ部」と位置づけられる<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸|公式ページ |url=http://matutake-nobuyuki.com/ |website=松竹伸幸|公式ページ |access-date=2023-12-09}}</ref>。  '''9月4日''' あけび書房から、党から除名された松竹とその除名を支持した小林節が並んで登場する『続・希望の共産党』([[碓井敏正]]、[[五野井郁夫]]、小林節、西郷南海子、[[醍醐聰]]、堀有伸、[[松尾匡]]、松竹伸幸、[[宮子あずさ]]、和田静香著)が刊行される<ref>{{Cite web |title=続・希望の共産党 再生を願って |url=https://akebishobo.com/products/jcp2 |website=あけび書房 |date=2023-09-04 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。  '''11月10日''' 敬徳書院店主・高橋祐吉が、再び「(続)騒がしきことなどーその後の松竹問題雑感」(3回連載)で、党の対応を繰り返し批判<ref>{{Cite web |title=(続)騒がしきことなど-その後の松竹問題雑感-(上) |url=https://www.keitoku-shoin.com/%ef%bc%88%e7%b6%9a%ef%bc%89%e9%a8%92%e3%81%8c%e3%81%97%e3%81%8d%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%aa%e3%81%a9%ef%bc%8d%e3%81%9d%e3%81%ae%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%9d%be%e7%ab%b9%e5%95%8f%e9%a1%8c%e9%9b%91%e6%84%9f/ |website=敬徳書院 |access-date=2023-12-30 |language=ja |last=keitokushoin}}</ref>。  '''12月1日''' 「しんぶん赤旗」に党組織局長・土方明果が「除名処分された人物による党大会かく乱策動について」(11月30日付)を掲載し、松竹は「本心を隠して党大会代議員になるよう党員に働きかけている」と批判。   '''12月12日''' 鈴木が、かもがわ出版から『さようなら志位和夫殿』を刊行<ref>{{Cite web |title=かもがわ出版|さようなら志位和夫殿 |url=http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/sa/1307.html |website=かもがわ出版 |access-date=2023-12-09 |language=ja-JP}}</ref>。編集担当は松竹伸幸である<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸『伊藤真×中野晃一×柳澤協二』 |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12829110781.html |website=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 ''' 12月29日''' 松竹が、第29回大会にむけて「参加許可申請書」を提出<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba |url=https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/ |website=ameblo.jp |access-date=2023-12-30}}</ref>。    '''2024年1月15日''' 日本共産党第29回大会開催。このときに松竹から出された「除名の再審査」が審議されるが、上記の土方論文では「党大会が適切に対応することになるでしょう」と予告されている。 == 評価 ==  日本共産党側は、松竹が鈴木に対し「同じ時期に出たほうが話題になりますよ」といって刊行時期をそろえたことが分派活動だと認定した<ref>{{Cite web |title=松竹伸幸氏の除名処分について/2月6日 日本共産党京都南地区委員会常任委員会 京都府委員会常任委員会 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-07/2023020704_01_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2023-12-20 |language=ja}}</ref>。それに対して松竹は「鈴木は党綱領・規約は間違っているから変えるべき」と主張し、自分(松竹)は、「綱領・規約の範囲内で行動している」から、分派になりえないと述べており<ref>{{Citation|title=「松竹・鈴木問題」は存在しない。鈴木元氏は尊敬しているが政治的見解は異にしており分派をつくりようがない共産党中央のミスリードを正す|url=https://www.youtube.com/watch?v=-v_9h0TsrLA|language=ja-JP|access-date=2023-12-20}}</ref>、分派の定義をめぐる議論は平行線である。    ただし、二人とも党首公選を主張するという点では同じ立場である(松竹は自分が党首に立候補し、鈴木は志位和夫の退陣だけを要求している)。{{脚注ヘルプ}} == 注釈 == {{Notelist2}} == 出典 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == [[新日和見主義事件]] [[袴田里見]]転落問題 {{日本共産党}} {{DEFAULTSORT:まつたけのふゆきすすきけんしよめい}} [[Category:日本共産党の事件]] [[Category:2023年の日本の事件]] {{Communism-stub}} {{Japanese-history-stub}} [[Category:2023年の論争]]
2023-12-09T05:01:41Z
2023-12-30T12:28:33Z
false
false
false
[ "Template:Communism-stub", "Template:Japanese-history-stub", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Reflist", "Template:Citation", "Template:日本共産党", "Template:Cite web", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%AB%B9%E4%BC%B8%E5%B9%B8%E3%83%BB%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%85%83%E9%99%A4%E5%90%8D%E5%95%8F%E9%A1%8C
4,864,237
モスラ (初代および昭和ゴジラシリーズ)
モスラ (Mothra) は、1961年の映画『モスラ』をはじめとする東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。 インファント島の守護神のような怪獣。幼虫は目が赤い個体も存在する。小美人が興行師ネルソンに連れ去られたため、洞窟にあった卵から孵化し、小美人のテレパシーを受けて東京にやってきた。幼虫の形態で180メートルにまで巨大に成長して東京第三ダム、横田、渋谷、芝にわたってビルを破壊し、東京タワーをへし折って繭を張って短期間で羽化して成虫に変態すると、今度はネルソンの逃亡先であるロリシカ共和国のニューカーク市を破壊するが、福田善一郎たちがロリシカ空港の滑走路にモスラのシンボルを描き、着地したところに返された小美人を連れてインファント島へ帰る。 造形を担当した村瀬継蔵によれば、特撮美術の渡辺明はモスラをリアルな生物として考えていたが、特技監督の円谷英二はカラフルにすることを要望し、両者の間でやりとりがあったという。 1960年11月24日の読売新聞には、漫画家の阿部和助が描いた長い脚の生えた成虫のイラストが掲載された。羽の長さ100メートル、胴の長さ70 - 80メートルと書かれている。 幼虫・成虫とも、造形は利光貞三、村瀬継蔵、八木勘寿、八木康栄による。 成虫と、新たに卵から孵化した双子の幼虫の計3体が登場。出現地点は静之浦→岩島→太平洋。 卵は「土の中でやっと大きくなった」と小美人は語っており、産む際にはもっと小さかったのである。 成虫は、産んだ卵が日本を1964年9月2日の夜から3日にかけて横断したカラミテー台風による津波でインファント島から流出し、9月4日の早朝に日本の静岡県田方郡静之浦村まで流され、その卵をゴジラが襲おうとしたため、卵を守るために残り少ない命を承知で日本に飛来する。ゴジラを風速70メートルの衝撃波と引きずり攻撃、そして白熱線を回避する機敏性で苦しめ、鱗粉攻撃でゴジラを追い詰めるが、白熱線が直撃して顔と羽を焼かれると、卵をかばうようにして着陸し、寿命が尽きてしまった。 卵から孵化した2体の幼虫(赤い目の個体と青い目の個体)は、岩島で物陰を利用しながらの連携でゴジラを翻弄した末に繭糸で縛って海へ沈めて勝利、インファント島に帰還する。このうち1体(青い目の個体)は、帰還後に死亡している(後述)。 幼虫・成虫とも頭部造形は利光貞三、胴体は八木勘寿、八木康栄、村瀬継蔵による。本作品のために新規造形された。 顔は初代がふくよかな丸顔であったのに対して、幼虫は骨ばった感じで、目の周りの凹みも、丸かったものから四角くなっている。口の形状は、実際のガとは異なり、幼虫と成虫が同じものであり、幼虫・成虫とも初代に比べて大きく四角くなっている。また、成虫の翼の形状は前後の羽根の間隔が空いてはっきりと4枚羽に見えるのが特徴である。 大きめの3対6本の脚が頭部にあり、ブラシのような毛が体側に並んで生えている。幼虫・成虫ともに尻尾の先は三つ又になっている。 前作と同様に光沢のある赤茶色のボディに、赤い眼の幼虫が登場。『モスラ対ゴジラ』に登場した幼虫と同じ個体とされるが、2体のうち1体(青い眼の個体)は「一つ死んじゃったのよ」と劇中で小美人が語っている。出現地点は下落合。 キングギドラの来襲に際し、小美人の祈りによって呼び寄せられて日本に上陸し、富士山麓に至る。ゴジラとラドンに共闘を呼びかけるも「いつも我々をいじめてきた人類を守る必要はない」と拒否され、やむなくキングギドラに単独で立ち向かうが、勝負にならない悲壮な姿はまもなくゴジラとラドンの心を動かし、共闘の末にキングギドラを宇宙へ撃退する。なお、共闘の際にはラドンの背に乗り、キングギドラを繭糸でがんじがらめにする活躍を見せている。 成虫が登場。上の2作品に登場した幼虫が変態した姿ともされるが、劇中では特に言及されていない。足の指が3本になっている。出現地点はレッチ島。 最初は眠っていたが、秘密結社「赤イ竹」に拉致されたインファント島の人たちを救出するため、復活する。戦うことが目的ではないので、襲いかかろうとするゴジラを羽で薙ぎ払う程度に済ませる。 怪獣ランドに棲む怪獣として幼虫が登場。赤眼。体色は前作までのものより濃くなっている。前作までの個体やインファント島、小美人との関連性は描かれていない。出現地点は北京→東京・第5地区→青木ヶ原。 怪獣ランドでは森林から砂浜にかけてゴロザウルスと同じエリアに棲んでいる。キラアク星人に操られ、北京郊外の列車や東京のモノレール駅を破壊する。その後、富士山麓でキングギドラと対峙した際にはクモンガと共に繭糸で牽制し、他の怪獣たちの戦いをバックアップする。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モスラ (Mothra) は、1961年の映画『モスラ』をはじめとする東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "インファント島の守護神のような怪獣。幼虫は目が赤い個体も存在する。小美人が興行師ネルソンに連れ去られたため、洞窟にあった卵から孵化し、小美人のテレパシーを受けて東京にやってきた。幼虫の形態で180メートルにまで巨大に成長して東京第三ダム、横田、渋谷、芝にわたってビルを破壊し、東京タワーをへし折って繭を張って短期間で羽化して成虫に変態すると、今度はネルソンの逃亡先であるロリシカ共和国のニューカーク市を破壊するが、福田善一郎たちがロリシカ空港の滑走路にモスラのシンボルを描き、着地したところに返された小美人を連れてインファント島へ帰る。", "title": "映画『モスラ』(1961年)のモスラ" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "造形を担当した村瀬継蔵によれば、特撮美術の渡辺明はモスラをリアルな生物として考えていたが、特技監督の円谷英二はカラフルにすることを要望し、両者の間でやりとりがあったという。", "title": "映画『モスラ』(1961年)のモスラ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1960年11月24日の読売新聞には、漫画家の阿部和助が描いた長い脚の生えた成虫のイラストが掲載された。羽の長さ100メートル、胴の長さ70 - 80メートルと書かれている。", "title": "映画『モスラ』(1961年)のモスラ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "幼虫・成虫とも、造形は利光貞三、村瀬継蔵、八木勘寿、八木康栄による。", "title": "映画『モスラ』(1961年)のモスラ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "成虫と、新たに卵から孵化した双子の幼虫の計3体が登場。出現地点は静之浦→岩島→太平洋。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "卵は「土の中でやっと大きくなった」と小美人は語っており、産む際にはもっと小さかったのである。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "成虫は、産んだ卵が日本を1964年9月2日の夜から3日にかけて横断したカラミテー台風による津波でインファント島から流出し、9月4日の早朝に日本の静岡県田方郡静之浦村まで流され、その卵をゴジラが襲おうとしたため、卵を守るために残り少ない命を承知で日本に飛来する。ゴジラを風速70メートルの衝撃波と引きずり攻撃、そして白熱線を回避する機敏性で苦しめ、鱗粉攻撃でゴジラを追い詰めるが、白熱線が直撃して顔と羽を焼かれると、卵をかばうようにして着陸し、寿命が尽きてしまった。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "卵から孵化した2体の幼虫(赤い目の個体と青い目の個体)は、岩島で物陰を利用しながらの連携でゴジラを翻弄した末に繭糸で縛って海へ沈めて勝利、インファント島に帰還する。このうち1体(青い目の個体)は、帰還後に死亡している(後述)。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "幼虫・成虫とも頭部造形は利光貞三、胴体は八木勘寿、八木康栄、村瀬継蔵による。本作品のために新規造形された。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "顔は初代がふくよかな丸顔であったのに対して、幼虫は骨ばった感じで、目の周りの凹みも、丸かったものから四角くなっている。口の形状は、実際のガとは異なり、幼虫と成虫が同じものであり、幼虫・成虫とも初代に比べて大きく四角くなっている。また、成虫の翼の形状は前後の羽根の間隔が空いてはっきりと4枚羽に見えるのが特徴である。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "大きめの3対6本の脚が頭部にあり、ブラシのような毛が体側に並んで生えている。幼虫・成虫ともに尻尾の先は三つ又になっている。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "前作と同様に光沢のある赤茶色のボディに、赤い眼の幼虫が登場。『モスラ対ゴジラ』に登場した幼虫と同じ個体とされるが、2体のうち1体(青い眼の個体)は「一つ死んじゃったのよ」と劇中で小美人が語っている。出現地点は下落合。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "キングギドラの来襲に際し、小美人の祈りによって呼び寄せられて日本に上陸し、富士山麓に至る。ゴジラとラドンに共闘を呼びかけるも「いつも我々をいじめてきた人類を守る必要はない」と拒否され、やむなくキングギドラに単独で立ち向かうが、勝負にならない悲壮な姿はまもなくゴジラとラドンの心を動かし、共闘の末にキングギドラを宇宙へ撃退する。なお、共闘の際にはラドンの背に乗り、キングギドラを繭糸でがんじがらめにする活躍を見せている。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "成虫が登場。上の2作品に登場した幼虫が変態した姿ともされるが、劇中では特に言及されていない。足の指が3本になっている。出現地点はレッチ島。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "最初は眠っていたが、秘密結社「赤イ竹」に拉致されたインファント島の人たちを救出するため、復活する。戦うことが目的ではないので、襲いかかろうとするゴジラを羽で薙ぎ払う程度に済ませる。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "怪獣ランドに棲む怪獣として幼虫が登場。赤眼。体色は前作までのものより濃くなっている。前作までの個体やインファント島、小美人との関連性は描かれていない。出現地点は北京→東京・第5地区→青木ヶ原。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "怪獣ランドでは森林から砂浜にかけてゴロザウルスと同じエリアに棲んでいる。キラアク星人に操られ、北京郊外の列車や東京のモノレール駅を破壊する。その後、富士山麓でキングギドラと対峙した際にはクモンガと共に繭糸で牽制し、他の怪獣たちの戦いをバックアップする。", "title": "昭和ゴジラシリーズ" } ]
モスラ (Mothra) は、1961年の映画『モスラ』をはじめとする東宝製作の怪獣映画に登場する架空の怪獣。
{{Pathnav|モスラ (架空の怪獣)|frame=1}} {{Infobox character | name= モスラ | series=東宝怪獣映画 <!-- use without the italic on the outside --> | image= [[File:Mosura trailer - Mothra flying.png|300px]] | caption= 『モスラ』(1961年)のモスラ | first= 『[[モスラ]]』 | last=『[[怪獣総進撃]]』 | creator= | portrayer= [[中島春雄]]、[[手塚勝巳]]ほか(初代幼虫) }} '''モスラ''' (Mothra) は、[[1961年]]の映画『[[モスラ]]』をはじめとする[[東宝]]製作の[[怪獣映画]]に登場する架空の[[怪獣]]。本項目では、このうち同作品に登場する初代および昭和[[ゴジラ]]シリーズに登場するモスラを扱う。 == 映画『モスラ』(1961年) == {{Multiple image |direction = vertical |width = 260 |image1 = Mosura trailer - larva vs tower.png |caption1 = モスラの幼虫 |image2 = Mosura trailer - Mothra hatches.png |caption2 =繭から羽化したモスラ }} {{キャラスペック |名称=モスラ |英字表記=MOTHRA{{refnest|group="出典"|{{R|超最新92|画報30|機龍超全集|大辞典1|全怪獣大図鑑初代}}}} |別名={{Plainlist| * 巨蛾{{refnest|group="出典"|{{R|大全集88|来襲200|画報30|東宝特撮映画大全集56|東宝全怪獣26|超常識228}}}} * 巨大蛾怪獣{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集68|大全集88|機龍超全集|C大全98|全怪獣大図鑑初代|GTOM024}}}} * 大怪獣{{R|大全集88|来襲200}} }} |出身地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|大百科MG100|来襲200|動画王大図鑑47|機龍超全集|東宝特撮映画大全集56|ALL62|東宝全怪獣26|超常識228}}}}{{efn|資料によっては、「出生地」として記述している{{R|画報30}}。}} |2名称=(幼虫) |2体長=180{{nbsp}}[[メートル|m]](最大時){{refnest|group="出典"|{{R|全史198|大百科M100|超最新92|M2超全集38|画報30|動画王大図鑑47|東宝特撮映画大全集56|東宝全怪獣26|大辞典1|超常識228}}{{R|全怪獣大図鑑64|PANF}}}}{{efn|資料によっては、「40-100メートル{{R|怪獣大全集68}}」「40-180メートル{{refnest|group="出典"|{{R|大百科MG100|大全集88|ALL62|G6084}}}}」「40-150メートル{{R|来襲200}}」「150メートル{{R|FCGRAFF8}}」と記述している。}} |2体重=8千 - 2万{{nbsp}}[[トン|t]]{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集68|来襲200|ALL62|超常識228}}}}{{efn|資料によっては、「1万2千トン{{refnest|group="出典"|{{R|大全集88|M2超全集38|東宝特撮映画大全集56|G6084|全怪獣大図鑑64}}}}」「1万トン{{R|動画王大図鑑47}}」と記述している。}} |3名称=(成虫) |3体長=80{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集68|大全集90a|M2超全集38|ALL66|超常識228|全怪獣大図鑑66}}}}{{efn|資料によっては「65-80メートル{{R|大百科MG100|来襲200}}」「135メートル{{R|大辞典1}}」と記述している。}} |3翼長=250{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|怪獣大全集68|大百科M100|超最新92|大全集90a|M2超全集38|画報30|動画王大図鑑47|東宝特撮映画大全集56|ALL66}}{{R|C大全98|東宝全怪獣26|大辞典1|G6084|超常識228|全怪獣大図鑑66|PANF}}}}{{efn|資料によっては、「135 - 250メートル」と記述している{{R|大百科MG100}}。}} |3体重=1万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|超最新92|動画王大図鑑47|東宝特撮映画大全集56|ALL66|大辞典1|G6084}}}}}{{efn|資料によっては、「1万トン{{R|怪獣大全集68}}」や「2万トン{{refnest|group="出典"|{{R|大全集90a|来襲200|M2超全集38|超常識228|全怪獣大図鑑66}}}}」、「1万5千トン - 2万トン{{R|大百科MG100}}」と記述している。}} |3飛行速度=マッハ3{{refnest|group="出典"|{{R|画報30|機龍超全集|東宝特撮映画大全集56|ALL66|大辞典1}}}} |3出現地=東京タワー{{refnest|group="出典"|{{R|東宝特撮映画大全集56|超常識228}}}}{{efn|書籍『ゴジラ来襲』では、「変態地 東京」と記述している{{R|来襲200}}。}} |4名称=(卵) |4長径=100{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|大百科M100|超最新92|東宝特撮映画大全集56|ALL62|PANF}}}} |4短径=65{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|大百科M100|超最新92|東宝特撮映画大全集56|PANF}}}} |4重量=50{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|東宝特撮映画大全集56|ALL62|PANF}}}}{{efn|書籍『東宝特撮映画全史』では、「100トン」と記述している{{R|全史198}}。}} |5名称=(繭) |5全長=100{{nbsp}}m{{R|怪獣大全集68}} }} 映画『[[モスラ]]』(1961年)に登場。 [[インファント島]]の守護神のような怪獣{{R|GTOM024}}。幼虫は目が赤い個体も存在する{{R|超解体全書29}}。[[小美人]]が興行師ネルソンに連れ去られたため、洞窟にあった卵から孵化し、小美人のテレパシーを受けて東京にやってきた。幼虫の形態で180メートルにまで巨大に成長して東京第三ダム、横田、[[渋谷]]、[[芝 (東京都港区)|芝]]にわたってビルを破壊し{{R|全怪獣大図鑑64}}、[[東京タワー]]をへし折って繭を張って短期間で羽化して成虫に変態すると{{efn|東京タワーを破壊したのはこのモスラが最初である{{R|ALL66}}。}}、今度はネルソンの逃亡先であるロリシカ共和国のニューカーク市を破壊するが、福田善一郎たちがロリシカ空港の滑走路にモスラのシンボルを描き、着地したところに返された小美人を連れてインファント島へ帰る。 * 関連資料などでは'''初代モスラ'''と表記される{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|M2超全集38|KHBVSM66|超最新38}}}}。 * この作品の幼虫のみ、夜間の海上で光り輝いている。ただし、以後のシリーズで発光する描写は見られず、設定にも表記されたことはない。また、成虫は後年のシリーズのものと比較すると、足が細いなど、昆虫の要素が色濃く残されている{{R|超解体全書29}}。 * 原作『発光妖精とモスラ』では繭を作る建造物は[[国会議事堂]]で、脚本第1稿でもこれに準じていたが{{R|東宝特撮映画大全集56}}、{{要出典範囲|[[安保闘争#60年安保|60年安保]]をモチーフにした部分があり、政治性が強いという理由から変更された|date=2021年1月}}。また、脚本第1稿では初上陸地点は[[鎌倉]]が予定されていた{{R|東宝SF2144|特撮世界82}}。決定稿では、成虫がロリシカ国のジェット迎撃隊と交戦するという展開も存在し、ラストシーンはモスラが宇宙へ飛び立つというものであった{{R|東宝SF2144}}。 * 幼虫が東京を襲撃するシーンでは、[[ゴジラ (初代)|初代ゴジラ]]と同様に画面の[[上手と下手|上手から下手]]へ進行しており、人類を圧倒する強者であることを示している{{R|映画大全39}}。 * 鳴き声には、子供用バイオリンと電子オルガンを用いている{{R|大百科M131}}。 * 助監督を務めた[[中野昭慶]]によれば、スタッフの間では幼虫が「[[コロネ|チョココロネ]]のようで美味しそう」という評判であったという{{R|映画大全72}}。 === デザイン(初代) === 造形を担当した[[村瀬継蔵]]によれば、特撮美術の[[渡辺明 (美術監督)|渡辺明]]はモスラをリアルな生物として考えていたが、特技監督の[[円谷英二]]はカラフルにすることを要望し、両者の間でやりとりがあったという{{R|映画大全30|村瀬259}}。 1960年11月24日の読売新聞には、漫画家の阿部和助が描いた長い脚の生えた成虫のイラストが掲載された{{R|映画大全4}}{{efn|書籍『モスラ映画大全』では、人が入る着ぐるみの可能性があったものと推測している{{R|映画大全4}}。}}。羽の長さ100メートル、胴の長さ70 - 80メートルと書かれている{{R|映画大全4}}。 === 造形(初代) === 幼虫・成虫とも、造形は[[利光貞三]]、村瀬継蔵、八木勘寿、八木康栄による{{R|C大全98}}。 ; 幼虫 : 幼虫は3尺ほどの操演ミニチュアが、動力を内蔵した自走式のもの{{refnest|group="出典"|name="自走"|{{R|全史198|超兵器画報120|映画大全71|東宝特撮映画大全集57}}}}と、プール撮影や東京タワーのシーンなどで使われた操演用のもの{{R|大全集88}}と用意された{{efn|村瀬は、スケールの異なる造形物を複数制作しており、総数は把握できていないと証言している{{R|ALL62}}。}}。 : 特撮班カメラマンの[[富岡素敬]]は、幼虫は這っているため、ローアングルで撮りやすかったと述べている{{R|円谷組39}}。 :; 巨大ぬいぐるみ :: 渋谷から東京タワーに迫るシーンの幼虫は、高さが6[[尺]](約2メートル{{R|大百科M123|特撮世界82}})、長さ33尺(約10メートル{{R|超常識228}}{{efn|書籍『大ゴジラ図鑑2』では、「全長7メートルほど」と記述している{{R|大ゴジラ238}}。}})、重さ約120キログラムほどもある製作費200万円の大型の[[ぬいぐるみ]]で撮影された{{R|東宝特撮映画大全集57|C大全98}}。 :: タケと金網の骨組みにラテックスを塗った布とスポンジを被せたものを節ごとに作っており、節と節の間は石膏を入れていた麻袋で繋いでいる{{R|映画大全30}}。村瀬は、このモスラの顔の周りに[[フジツボ]]をつけ、[[トウ|籐]]のヒゲを生やして生物感を表現している{{R|映画大全30}}。 :: 演技者は[[手塚勝巳]]を先頭に総勢8人が入って動かしている{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|大全集88|BEST5428|特撮世界82}}}}{{efn|資料によっては、「9人{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M123|東宝特撮映画大全集57|超常識228}}}}」や「10人{{R|映画大全80}}」と記述している。}}。俳優だけではなく、美術スタッフの若手も参加していた{{R|大ゴジラ238}}{{efn|造形助手の[[開米栄三]]によれば、交代要員も含め総勢15人程度が参加していたという{{R|映画大全80}}。}}。この手法は『[[空の大怪獣 ラドン]]』に登場した[[メガギラス#『空の大怪獣 ラドン』のメガヌロン|メガヌロン]]でも用いられていたものであり{{R|BEST5428}}、手塚はメガヌロンの先頭に入っていた経験から先頭操作に抜擢された{{R|東宝特撮映画大全集57}}{{efn|書籍『東宝特撮映画全史』では、[[中島春雄]]が先頭を務めたとする本人の証言を記述している{{R|全史198}}。}}。俳優は中で横棒をつかむ構造になっており{{R|映画大全80}}、靴は白い長靴を着用していた{{R|全史198}}。高さのある前方は俳優が立っていられたが、低くなる後方は中腰や前かがみの状態で歩かなければならず、後方には呼吸のための横穴が開けられていた{{R|映画大全80}}。 :: 本番前のテストでは、俳優はぬいぐるみを被らず、ロープを持って連なった状態で歩いた{{R|映画大全80}}。本番では少しずつ進みながらカットを繰り返しており、複数のカメラで撮影しているため、万が一NGとなってもいずれかのアングルで使えるよう万全の体制がとられていた{{R|映画大全80}}。スクリプターの鈴木桂子は、俳優らは周囲が見えずスムーズに歩けなかったため、NGが多かったと証言している{{R|映画大全96}}。 :: 小説家の[[木原浩勝]]は、このような巨大な造形物を用いた理由について、画面に入り切らない大きさとすることで人間が止められない巨体を体感させることや、火薬の威力を下げずに爆発を小さく見せるためであったものと解釈している{{R|映画大全39}}。 :: この大型のモスラ幼虫は、同年製作の[[坂本九]]主演映画『[[アワモリ君乾杯!]]』の劇中で、東宝撮影所が写るシーンにも登場する。劇中では「モスラ始動スイッチ」を入れると動き出した。 :; 自走式 :: 自走式の制作は、機械担当の飯島周治郎が手掛けた{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|超兵器画報120|映画大全54}}}}。美術の[[井上泰幸]]はオートバイのエンジンを用いていたと証言しているが{{R|group="出典"|自走}}{{efn|青木によれば、[[ホンダ・カブ|ホンダ・スーパーカブ]]のものであったという{{R|映画大全66}}。}}、模型電飾の[[鈴木昶]]は100ボルトのモーターでキャタピラを動かしていたと証言している{{R|映画大全54}}。美術の[[青木利郎]]や模型電飾の[[高木明法]]も、エンジンのものは試したものの使えなかっただろうと推測している{{R|映画大全66}}。 :; 水上用 :: 水上用には、当初丸太を用いたものが用意されたが水に浮いてしまうため、重りを入れた金属製の骨格にスポンジを貼ったものが用いられた{{R|ALL62}}。昼間の海を進むシーンは、東宝撮影所の大プールでの撮影のほか、[[相模川|馬入川]]でヘリコプターによる空撮も行われた{{R|全史198}}。大プールの撮影では、飯島周次郎が考案した、ダンプカーの油圧シリンダーを改造した上下動装置を用いている{{R|映画大全54|映画大全71}}。この装置は、油圧のままではプールの水に油が浮いてしまうため、中を水に変えて外部から空気圧をかけるかたちとなっており、中の水が抜けるまで7回ほど上下可動が可能であった{{R|映画大全54}}。操作は鈴木昶が行い、プールを移動する幼虫と並行して走るジープの上からワイヤーで操作した{{R|映画大全54}}。 :; その他の造形物 :: 卵から孵化するシーンではギニョールが用いられた{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|大全集88|大ゴジラ238}}}}{{efn|書籍『円谷英二特撮世界』では、幼虫の造形物はこれが最小としている{{R|特撮世界82}}。}}。卵は石膏製{{R|全史198|大全集88}}。卵のヒビは、1コマずつナイフで傷を入れていく[[ストップモーション・アニメーション]]で表現された{{refnest|group="出典"|{{R|全史198|円谷組283|映画大全82}}}}。 :; 糸 :: 幼虫が吐く糸は、ゴム糊{{R|全史204|東宝SF7137}}{{efn|自転車のパンク修理用の糊(ラバーセメント)であったとされる{{R|映画大全30|映画大全54}}。}}をシンナーで溶き、口に仕込んだ銅パイプから酸素ボンベを用いて噴出させ表現した{{R|本多全仕事106|映画大全30}}。ギニョールではなく造形物の中に装置を仕込んでいるため、口元のアップではなく全身を映したワンカットで東京タワーに糸を吐くシーンを撮影している{{R|BEST5428}}。監督の[[本多猪四郎]]は、これを円谷の名案であったと評している{{R|本多全仕事106}}。 :: 東京タワーなどに糸を巻き付ける際は、小型扇風機の中央に液状の[[ニトロセルロース|硝化綿]]を入れて重ねた椀を取り付け、これを回転させることで椀の隙間から綿飴のように硝化綿を吹き出している{{R|映画大全30|映画大全54}}。この装置は小道具の山本久蔵が制作した{{R|映画大全30}}。助監督を務めた[[中野昭慶]]によれば、装置自体は天井に張った蜘蛛の巣の表現などで以前から用いられていたものであり、山本がこれを用いることを提案したという{{R|映画大全72}}{{efn|この手法は、『[[マタンゴ]]』の船内の表現や『[[怪獣島の決戦 ゴジラの息子]]』での[[クモンガ]]の糸などにも用いられている{{R|映画大全72}}。}}。硝化綿は火薬の原料であるため、取り扱いは火薬担当が行っていた{{R|映画大全54}}。 : ; 成虫 : 成虫は大中小3種類のミニチュアが用意された{{R|ALL66}}。大サイズは翼長が2メートルを超える{{R|大ゴジラ238|C大全98}}。造型バランスは中サイズが最も整っており{{R|大ゴジラ238|映画大全107}}{{efn|西川は、大サイズは顔がいびつと評している{{R|映画大全107}}。}}、宣伝スチールにも用いられている{{R|大ゴジラ238}}。 : 体毛は植え込みではなく、アクリル素材のボアを貼って処理している{{refnest|group="出典"|{{R|大ゴジラ238|映画大全30|村瀬259}}}}。これはメンテナンス作業などで毛が抜け荒々しくなるが、村瀬はそれが生物らしく見えたと評している{{R|映画大全30}}。 : 電飾が内蔵された目の複眼は楕円形で、[[合成樹脂|ポリ樹脂]]が使われた{{R|村瀬259}}。村瀬は、ビー玉で多数の窪みをつけた型に樹脂を流して複眼を作り、内側にはくしゃくしゃにしたアルミホイルを貼って電飾の光が乱反射するようにしている{{R|映画大全30|村瀬259}}{{efn|この手法はのちに、村瀬が参加した[[エキスプロダクション]]が担当した『[[仮面ライダー]]』の複眼にも使われている{{refnest|group="出典"|{{R|大ゴジラ238|ALL66|村瀬259}}}}。一方、開米は電飾はなかったと述べている{{R|映画大全80}}。}}。 : 翅の模様は、実在の蛾の羽を参照して村瀬が塗装している。羽ばたきは、巨大感を出すために羽が順送りにしなる表現が求められ、籐の芯{{efn|村瀬はタケであったと証言しているが{{R|映画大全30}}、開米はタケがうまくいかなかったため、タケとグラスロッドを混ぜて用いたと述べている{{R|映画大全80}}。}}に天竺布を貼って翼が作られた{{R|大ゴジラ238|東宝特撮映画大全集57}}。さらに操演用のクレーンに木枠を2枚、[[蝶番]]で合わせたものを用意して翼を吊り、映像に見られる雄大な羽ばたきを実現している{{refnest|group="出典"|{{R|全史206|BEST5428|特撮世界82|映画大全30|東宝特撮映画大全集57}}}}。操演の[[中代文雄]]は、このような構造になった理由について、カメラに映らない細いピアノ線を用いつつ、線が切れないよう均等に力がかかるようにするためであったと証言している{{R|全史206}}。また、特撮班カメラマンの[[富岡素敬]]は、太いピアノ線は色を塗っても映ってしまうため、切るように頼んだと述懐している{{R|円谷組39}}。骨組みが重く、布も厚手のため羽根は重量があり、村瀬によれば、動かすたびに蝶番に負荷がかかって歪むため、撮影後は毎晩メンテナンス作業を行っていたという{{R|映画大全30}}。また、鈴木昶によれば、操演時には羽ばたきで体がぶれてしまうため、体の一部が映らないカットでは胴体に鉄パイプをつけてスタッフが見えない位置から支えていたという{{R|映画大全54}}。遠景での羽ばたきは、アニメーションによって表現されている{{R|全史206}}。 : 繭から出るシーンでは、翼を外している{{R|大全集90a|C大全98}}{{efn|書籍『東宝特撮映画全史』では、ギニョールを用いたと記述している{{R|全史204}}。}}。 : 繭の表面は硝化綿製で、炎上シーンでは燃えやすくなっている{{R|映画大全30|映画大全54}}。 == 昭和ゴジラシリーズ == {{キャラスペック |名称=モスラ |英字表記=MOTHRA{{refnest|group="出典"|{{R|大百科52|5499超全集92|ALL88|全怪獣大図鑑昭和|大解剖図鑑20}}}} |別名=巨蛾{{refnest|group="出典"|{{R|5499超全集92|東宝特撮映画大全集80|超常識42|解体全書88|検定37|超解体全書88}}}}{{efn|資料によっては、'''巨大蛾怪獣'''{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集70|入門72|全怪獣大図鑑昭和|GTOM06|GTOM0210|GTOM0612}}}}、'''巨大昆虫怪獣'''{{R|入門76}}、'''超音速巨蛾''{{R|東宝全怪獣34}}、'''大怪獣'''{{R|検定41}}と記述している。}} |出身地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|超最新92|5499超全集昭和成虫|動画王大図鑑昭和|東宝特撮映画大全集80|ALL88|ALL93|ALL126|東宝全怪獣34|東宝全怪獣36}}{{R|東宝全怪獣44|解体全書88|検定37}}}} |2名称=(成虫) |2体長=135{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|画報30|5499超全集92|東宝特撮映画大全集80|東宝特撮映画大全集112|C大全98|PANF}}}}{{efn|資料によっては、「65メートル{{refnest|group="出典"|{{R|大全集90b|M2超全集38|ALL88|ALL126|超常識42|検定37|全怪獣大図鑑68|GTOM0210}}}}」「80メートル{{refnest|group="出典"|{{R|入門72|解体全書88|超解体全書88}}}}」と記述している。}} |2翼長=250{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|FCGRAFF12|大百科52|入門72|5499超全集昭和成虫|動画王大図鑑66|東宝特撮映画大全集80|ALL88|東宝全怪獣34|東宝全怪獣44|解体全書88}}{{R|超解体全書88}}}}{{efn|資料によっては、「135メートル」と記述している{{refnest|group="出典"|{{R|大全集90b|M2超全集38|ALL126|超常識42|Walker56|検定37|全怪獣大図鑑68|GTOM0210}}}}。}} |2体重=1万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|FCGRAFF12|大百科52|入門72|大全集90b|M2超全集38|5499超全集昭和成虫|動画王大図鑑66|東宝特撮映画大全集80|東宝特撮映画大全集112}}{{R|ALL88|ALL126|東宝全怪獣44|超常識42|Walker56|検定37|全怪獣大図鑑68|GTOM0210|超解体全書88}}}} |2飛行速度=マッハ3{{refnest|group="出典"|{{R|入門72|5499超全集昭和成虫|ALL88|ALL126|GTOM0210}}}}{{efn|資料によっては「マッハ3以上」と記述している{{R|東宝全怪獣34}}。}} |2出現地=浜風ホテル近辺{{R|超常識42}} |3名称=(幼虫) |3体長=40{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|入門76|来襲202|画報30|5499超全集昭和幼虫|東宝特撮映画大全集88|ALL88|ALL93|東宝全怪獣36|検定41}}}}{{efn|資料によっては、「53メートル{{refnest|group="出典"|{{R|M2超全集38|画報30|大辞典2/3|超常識昭和|Walker56|検定37|全怪獣大図鑑69|GTOM0210|GTOM0612}}}}」「150メートル{{R|大百科52}}」「180メートル{{R|動画王大図鑑75}}」「40-180メートル{{R|解体全書88|超解体全書88}}」と記述している。資料によっては、『モスラ対ゴジラ』のみ「53メートル」と記述している{{R|大百科M100|東宝特撮映画大全集80}}。}} |3体重=8千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|入門76|5499超全集昭和幼虫|東宝特撮映画大全集80|東宝特撮映画大全集88|ALL88|ALL93|Walker56|検定37|検定41|全怪獣大図鑑69}}{{R|GTOM0210}}}}{{efn|資料によっては、「1万トン{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|来襲202|画報30|東宝全怪獣36}}}}」「不明{{refnest|group="出典"|{{R|M2超全集38|超常識昭和|GTOM0612}}}}」「1万5千トン{{refnest|group="出典"|{{R|動画王大図鑑75|解体全書88|超解体全書88}}}}」と記述している。資料によっては、体重の記述がない{{R|大辞典2/3}}。資料によっては『三大怪獣』時の数値を「不明」としている{{R|全怪獣大図鑑70}}。}} |3出現地={{Plainlist| * 静之浦(『モスゴジ』){{R|超常識42}}{{efn|書籍『東宝特撮全怪獣図鑑』では、『モスラ対ゴジラ』の幼虫の出身地を「静之浦→岩島」と記述している{{R|東宝全怪獣34}}。書籍『ゴジラ来襲!!』では幼虫について「出生地 静之浦」と記述している{{R|来襲202}}。}} * インファント島(『三大怪獣』){{refnest|group="出典"|{{R|超常識48|検定41|超解体全書88}}}} }} |4名称=(卵) |4長径=50{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|name="卵昭和"|{{R|大百科M100|5499超全集93|東宝特撮映画大全集80|大辞典285|GTOM0210}}}} |4短径=30{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M100|東宝特撮映画大全集80|大辞典285|GTOM0210}}}} |4重量=65{{nbsp}}t{{R|group="出典"|卵昭和}} }} === 『モスラ対ゴジラ』 === 映画『[[モスラ対ゴジラ]]』(1964年)に登場。 成虫と、新たに卵から孵化した双子の幼虫の計3体が登場。出現地点は静之浦→岩島→太平洋{{R|5499超全集92|5499超全集93}}。 卵は「土の中でやっと大きくなった」と小美人は語っており、産む際にはもっと小さかったのである{{R|大解剖図鑑20}}。 成虫は、産んだ卵が日本を1964年9月2日の夜から3日にかけて横断したカラミテー台風による津波でインファント島から流出し、9月4日の早朝に日本の静岡県田方郡静之浦村まで流され、その卵をゴジラが襲おうとしたため、卵を守るために残り少ない命を承知で日本に飛来する{{R|全怪獣大図鑑68}}。ゴジラを風速70メートルの衝撃波と引きずり攻撃、そして白熱線を回避する機敏性で苦しめ、鱗粉攻撃でゴジラを追い詰めるが、白熱線が直撃して顔と羽を焼かれると、卵をかばうようにして着陸し、寿命が尽きてしまった。 卵から孵化した2体の幼虫(赤い目の個体と青い目の個体{{R|全怪獣大図鑑69}})は、岩島で物陰を利用しながらの連携でゴジラを翻弄した末に繭糸で縛って海へ沈めて勝利、インファント島に帰還する。このうち1体(青い目の個体)は、帰還後に死亡している(後述)。 * 関連書籍などでは、成虫を初代と同一個体とし幼虫を'''二代目モスラ'''とするものと{{refnest|group="出典"|{{R|全史272|怪獣大全集70|KHBVSM66|超最新38|大ゴジラ256|画報30|大辞典2/3}}}}、成虫を初代と別個体の'''二代目モスラ'''とし幼虫を'''三代目モスラ'''とするもの{{R|M2超全集38}}が存在している。 * 前作『キングコング対ゴジラ』のヒットを受け、ゴジラシリーズが本格的に世界市場を目指すこととなり、対戦相手のモスラも登場作品の『モスラ』が世界配給され海外でも知名度を得ていたことから選ばれた{{R|大ゴジラ68}}。 * 幼虫の体色は『モスラ』での淡いベージュから、光沢のある赤茶色に変更されている{{R|大百科M58'}}。本作品で円谷の監督助手を務めた[[中野昭慶]]の回想によると、「子供の好きなチョコレートパンのイメージ」であったという<ref>{{Cite book|和書 |author= 中野昭慶|authorlink=中野昭慶 |author2 = 染谷勝樹 |title = 特技監督 中野昭慶 |page = 122 |publisher = [[ワイズ出版]] |series = ワイズ出版映画文庫 |date = 2014-7-25 |isbn = 978-4-89830-280-4 }}</ref>。[[村瀬継蔵]]は、初代と変化をつける意図があったことを述べている{{R|ALL88}}。 * 孵化した際の双子は青い目と赤い目だったが、島に上陸した際はいずれも青い目になっている{{R|大解剖図鑑20}}。 * 設定では幼虫は40メートルあるが、実際の映像ではゴジラよりもだいぶ小さめとなっている{{R|大全集89}}{{efn|書籍『ゴジラ大全集』では未熟児と解釈している{{R|大全集89}}。}}。成虫はゴジラとの対比のため前作より翼長が小さくなっているが{{R|C大全98}}、両者を同一個体とする書籍『大ゴジラ図鑑2』では老年期であるためとしている{{R|大ゴジラ256}}。 * 本作品で初めて鱗粉を使用した{{R|大全集90b}}。絵コンテでは、翼チョップなどの技が描かれていた{{R|BEST5432}}。 * 劇中でのハッピー興行社の熊山がモスラの卵を買い取った価格は'''122万4,560円'''{{refnest|group="出典"|{{R|超常識42|GTOM0210|超解体全書88}}}}。卵1個あたりの卸値8円が15万3,820個分という計算だと説明されているが、個数の換算がどのように算出されたものかは明らかになっていない{{R|大百科M128|超常識42}}{{efn|書籍によっては、「鶏卵の約15万3,820倍の大きさと見積もられている」と記述している{{R|GTOM0210}}。}}{{efn|[[西川伸司]]は体積であるとすれば、直径は約50倍ちょっとしかなく、鶏卵の直径が6センチであると3メートルちょっとしかないとしている{{R|大解剖図鑑20}}。}}。また、卵をハッピーセンターへ移動した方法についても明確になっていない{{R|大百科M128}}。 ==== 造形(モスゴジ) ==== 幼虫・成虫とも頭部造形は[[利光貞三]]{{R|ALL88}}、胴体は八木勘寿、八木康栄、[[村瀬継蔵]]による。本作品のために新規造形された{{R|東宝特撮映画大全集81}}{{efn|資料によっては、『モスラ』で使用したミニチュアと併用していると記述しているが{{R|大ゴジラ256|C大全98}}、村瀬によれば初代成虫のミニチュアは倉庫に吊るしてあったが、劣化してほこりを被っており使える状態ではなかったという{{R|映画大全30|村瀬262}}。また、模型電飾の[[高木明法]]は、自身が東宝に入った1962年の時点で幼虫の大型造形物はなかったと証言している{{R|映画大全66}}。}}。 顔は初代がふくよかな丸顔であったのに対して、幼虫は骨ばった感じで、目の周りの凹みも、丸かったものから四角くなっている{{R|大解剖図鑑20}}。口の形状は、実際のガとは異なり、幼虫と成虫が同じものであり{{R|大解剖図鑑20}}、幼虫・成虫とも初代に比べて大きく四角くなっている{{R|映画大全107|大解剖図鑑20}}。また、成虫の翼の形状は前後の羽根の間隔が空いてはっきりと4枚羽に見えるのが特徴である{{R|FCGMMG26}}{{efn|書籍『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(ファンタスティックコレクション)では、ゴジラの上で羽ばたくとゴジラを包み込むようなイメージとなっていることからゴジラとの対決を前提としたデザインであると解釈している{{R|FCGMMG26}}。}}。 大きめの3対6本の脚が頭部にあり、ブラシのような毛が体側に並んで生えている{{R|大解剖図鑑20}}。幼虫・成虫ともに尻尾の先は三つ又になっている{{R|大解剖図鑑20}}。 ; 成虫 : 大中小と異なる大きさのものが作られた{{R|大解剖図鑑20}}。大サイズはゴジラの着ぐるみと同スケールである{{R|大解剖図鑑20}}。 : 成虫の新規造形版は複眼が真円に近いのが特徴で、複眼を表現する無数の丸い凹みが前作では裏側だったのが、本作品では表面にうがたれており、内部に仕込まれた豆電球で発光する{{refnest|group="出典"|{{R|大ゴジラ256|映画大全30|東宝特撮映画大全集81|ALL88|大解剖図鑑20}}}}。豆電球は多数が並べられており、光源を複数にすることで角度によって光が変わることを意図している{{R|映画大全66}}。設定上は前作より小さいが、造形物は大きくなっている{{R|映画大全107}}。 : 頭部と口、腹、6本の脚それぞれが電動モーターによるリモコン操作で動く{{refnest|group="出典"|{{R|全史272|東宝特撮映画大全集81|ALL88|C大全98|GTOM0210}}}}。くちばしは木製から樹脂製になった{{R|映画大全30|村瀬262}}。 : 翼は前作同様、天竺布で作られた{{R|東宝特撮映画大全集81}}。翼の模様は[[島倉二千六]]が手掛けた{{R|ALL88|GTOM0210}}{{efn|西川伸司は、前翅は目玉模様の付いた[[ニシキオオツバメガ]]、後翅は[[アケビコノハ]]をモデルにしていると見立てている{{R|大解剖図鑑20}}。}}。翼の内側の骨組みは竹からグラスロッドに替わった{{R|映画大全30|村瀬262}}。これらの改良により、より生物的な動きが可能となった{{R|BEST5432|特撮世界102}}。羽ばたきは天井に設置した木製の枠組みを上下させて表現している{{R|超解体全書88}}。ゴジラのスーツアクターを務めた[[中島春雄]]は、自身の動きに合わせてモスラを操作していた操演部の技術を評価している{{R|VIP172}}。 : 脚の動きについは、高木明法は「操演で動かしている」、青木利郎は「ブラブラさせているだけ」と証言している{{R|映画大全66}}。大サイズの左右3本ずつの足のうち、後2本は連動しており、飛行中も絶えずに動いている{{R|大解剖図鑑20}}。 : 成虫の小サイズモデルは前作から流用され{{R|大ゴジラ256}}、遠景による飛行シーンなどで使用された{{R|GTOM0210}}。全景カットによるゴジラを引きずる戦法の描写では、ゴジラの2尺モデルとスケールを合わせた中サイズの造形物が使用された{{R|GTOM0210}}。 : ; 幼虫 : 『モスラ』では6人の演者が入る巨大な着ぐるみであったのに対し、本作品ではゴジラと絡む都合から、設定上も小さくなり、造形物も小ぶりで機械仕掛けのものとなっている{{R|大解剖図鑑20}}。 : 幼虫は、モーター走行の中サイズものと、ギニョールの2タイプが、双子ということで2つずつ作られた{{refnest|group="出典"|{{R|全史272|大全集89|BEST5432|本多全仕事50|特撮世界102|C大全98}}}}。造形物としては、前作よりも小さくなっている{{R|映画大全107}}。誕生時のマペットを含めて、同じ原型から3種が2つずつ作られた{{R|GTOM0210}}。尻尾に噛みついた際の幼虫はギミックが内蔵されていないアクション用が使用された{{R|GTOM0210}}。 : 胴体はエバーソフトの直付けで制作された{{R|大ゴジラ256}}。くちばしは木製の芯にゴムを塗ったもの。村瀬は、幼虫の[[ラテックス]]の表皮に艶を出そうと塗装の上に[[ソフトビニール]]素材「ビニール・ゾル」をコーティングしている{{R|映画大全30}}。これは、[[特撮監督|特技監督]]の円谷に大変喜ばれ、村瀬は監督の喜ぶ顔が見たくて、撮影ではがれるたびに毎回手間をかけてコーティングをし直したという。村瀬は平成になって請け負った『[[ゴジラvsモスラ]]』でも、幼虫にこのビニール・ゾルのコーティングを施しているが、製品の進歩によりメンテナンスは容易になったという{{R|東宝SF7144}}。 : 走行用の車輪は体側に生えた毛で隠されている{{R|大解剖図鑑20}}。自走式のミニチュアの内部メカは、のちに『[[ウルトラQ]]』の怪獣[[ウルトラQの登場怪獣#火星怪獣 ナメゴン|ナメゴン]]の自走ギミックに流用されている。 : ; その他 : 幼虫が噴き出す糸は、ゴム糊をシンナーで溶いたものをスプレーのようにコンプレッサーで噴き出して表現した{{refnest|group="出典"|{{R|全史272|5499超全集96|東宝特撮映画大全集81|GTOM0210}}}}{{efn|書籍『ゴジラVSモスラ超全集』では、発泡スチロールを溶かしたものと記述している{{R|VSM超全集68}}。}}。撮影の際には、スタッフの顔にもゴム糊が付着したという{{R|東宝特撮映画大全集81}}。助監督を務めた[[中野昭慶]]は、これが目に入ってしまい失明しかけた{{R|映画大全72}}。中島春雄も、糸のシンナー系の臭いや{{R|映画大全72}}、付着した際の粘つき{{R|VIP172}}などで苦労したという。 : 卵は、遠景シーンはマット画による合成で{{R|FCGRAFF12}}、本編班では部分的に造られた実物大の造形物で表現された{{R|5499超全集96|東宝特撮映画大全集81}}。幼虫から孵化するシーンでは、人間が卵の中で前半分のギニョールに手を入れて操作している{{R|大解剖図鑑20}}。本編カメラマンの[[小泉一]]は、造形物が下半分だけのため影も半分しかなく、引きの画での撮影ができず苦労したことを語っている{{R|大全集149|映画大全62}}。 : 特撮での海上の卵はFRP製{{R|大ゴジラ256}}、幼虫誕生シーンでの卵の殻は石膏製{{R|大ゴジラ256|BEST5432}}。 === 『三大怪獣 地球最大の決戦』 === 映画『[[三大怪獣 地球最大の決戦]]』(1964年)に登場。 前作と同様に光沢のある赤茶色のボディ{{R|GTOM0612}}に、赤い眼の幼虫が登場{{refnest|group="出典"|{{R|大全集89|BEST5434|映画大全107|東宝特撮映画大全集88|GTOM0612}}}}。『モスラ対ゴジラ』に登場した幼虫と同じ個体とされるが、2体のうち1体(青い眼の個体{{refnest|group="出典"|{{R|入門76|東宝特撮映画大全集88|全怪獣大図鑑70}}}})は「一つ死んじゃったのよ」と劇中で[[小美人]]が語っている{{refnest|group="出典"|{{R|大ゴジラ256|BEST5434|ALL93|GTOM0612}}}}。出現地点は下落合{{R|5499超全集101}}。 キングギドラの来襲に際し、小美人の祈りによって呼び寄せられて日本に上陸し、富士山麓に至る{{R|GTOM0612}}。ゴジラとラドンに共闘を呼びかけるも「いつも我々をいじめてきた人類を守る必要はない」と拒否され、やむなくキングギドラに単独で立ち向かうが、勝負にならない悲壮な姿はまもなくゴジラとラドンの心を動かし、共闘の末にキングギドラを宇宙へ撃退する。なお、共闘の際にはラドンの背に乗り、キングギドラを繭糸でがんじがらめにする活躍を見せている。 * 前作『モスラ対ゴジラ』での、モーター動力による自走式と操演用モデルの2種の造形物の流用{{refnest|group="出典"|{{R|大全集89|大ゴジラ256|特撮世界108|映画大全107|東宝特撮映画大全集89|ALL93|C大全98|GTOM0612}}}}{{efn|name="高木"|模型電飾の[[高木明法]]は、少なくともメカを新造したり、飯島周次郎が制作したものを補修したりした記憶はないと証言している{{R|映画大全66}}。}}。 === 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』 === {{キャラスペック |名称=モスラ |英字表記=MOTHRA{{R|全怪獣大図鑑71}} |別名=巨蛾{{R|超常識56|検定49}}{{efn|資料によっては、'''巨大蛾怪獣'''と記述している{{R|全怪獣大図鑑71}}。}} |体長=135{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|東宝特撮映画大全集112|大辞典2/3|検定49}}}}{{efn|資料によっては、「不明{{R|M2超全集38|全怪獣大図鑑71}}」「65メートル{{R|ALL126}}」「80メートル{{R|超常識56}}」と記述している。}} |翼長=250{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|M2超全集38|動画王大図鑑91|東宝全怪獣44|大辞典2/3|超常識56|検定49}}}}{{efn|資料によっては、「135メートル」と記述している{{R|ALL126}}。}} |体重=1万5千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|M2超全集38|動画王大図鑑91|東宝特撮映画大全集112|ALL126|東宝全怪獣44|大辞典2/3|超常識56|検定49|全怪獣大図鑑71}}}} |飛行速度=マッハ3{{R|ALL126|大辞典2/3}} |出現地=インファント島{{refnest|group="出典"|{{R|動画王大図鑑91|超常識56|検定49}}}} }} 映画『[[ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘]]』(1966年)に登場。 成虫が登場。上の2作品に登場した幼虫が変態した姿ともされるが{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集70|大百科M130|KHBVSM66|超最新105|M2超全集38|ALL126|C大全98|大辞典2/3|全怪獣大図鑑71}}}}、劇中では特に言及されていない。足の指が3本になっている{{R|大全集90b}}。出現地点はレッチ島{{R|5499超全集113}}。 最初は眠っていたが、秘密結社「[[ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘#赤イ竹|赤イ竹]]」に拉致されたインファント島の人たちを救出するため、復活する。戦うことが目的ではないので、襲いかかろうとするゴジラを羽で薙ぎ払う程度に済ませる{{R|東宝写真集12}}。 * タイトルに名前を冠しているものの、モスラの出番自体は少ない{{R|特撮世界118|超常識56}}。登場の理由については、当時の人気調査で一番になったからと東宝取締役の[[後藤進]]が述べている{{R|東宝特撮映画大全集113}}。昭和シリーズでの成虫の登場は、本作品が最後となった{{R|FCGRAFF23}}。 * 造形物は『[[モスラ]]』で作られた大型のミニチュアと、『[[モスラ対ゴジラ]]』で作られたメインのミニチュア{{efn|「吊りモデル」または「飛びモデル」とも呼ばれる。}}を流用{{refnest|group="出典"|{{R|大百科M60|大全集90b|大ゴジラ256|ALL126|C大全98}}}}{{efn|書籍『キャラクター大全ゴジラ』では、双方の特徴が見られるため、2つの造形物を組み合わせた可能性を記述している{{R|C大全98}}。}}。天竺布の翼には、補強のために針金が縫いこまれている。『モスゴジ』の小型成虫と『モスラ』の成虫を平行して使用するメイキング写真が現存する。 * インファント島で眠るシーンは、マット画で表現された{{R|特撮世界118|東宝特撮映画大全集113}}。レッチ島に飛来するシーンでは、モスラを[[ロトスコープ#概要|マスク]]移動で実景と合成している{{R|特撮世界118|東宝特撮映画大全集113}}。 * 小美人役のペア・バンビがモスラの頭に乗るシーンでは、モスラの体毛を[[ススキ]]で表現している{{R|映画大全88}}。撮影所を訪れた2人は殺風景で驚いたという{{R|映画大全88}}。 === 『怪獣総進撃』 === {{キャラスペック |名称=モスラ(幼虫) |別名=巨蛾{{R|東宝特撮映画大全集124|超常識70}}{{efn|資料によっては、'''巨大蛾怪獣'''と記述している{{R|全怪獣大図鑑71|GTOM128}}。}} |体長=40{{nbsp}}m{{refnest|group="出典"|{{R|M2超全集40|5499超全集125|動画王大図鑑102|東宝特撮映画大全集124|大辞典4|超常識70|全怪獣大図鑑71|GTOM128}}}}{{efn|資料によっては、「40 - 150メートル{{R|ALL147}}」「40メートル - 100メートル{{R|東宝全怪獣52}}」「53メートル{{R|検定57}}」と記述している。}} |体重=8千{{nbsp}}t{{refnest|group="出典"|{{R|5499超全集125|東宝特撮映画大全集124|大辞典4|検定57}}}}{{efn|資料によっては、「不明{{R|M2超全集40}}」「8千 - 2万トン{{R|ALL147}}」「1万トン{{refnest|group="出典"|{{R|超常識70|全怪獣大図鑑71|GTOM128}}}}」「1万5千トン{{R|動画王大図鑑102}}」と記述している。}} |出身地=怪獣ランド{{refnest|group="出典"|{{R|5499超全集125|東宝全怪獣52|超常識70}}}}{{efn|資料によっては、「インファント島」と記述している{{R|ALL147|大辞典4}}。}} }} 映画『[[怪獣総進撃]]』に登場。 怪獣ランドに棲む怪獣として幼虫が登場。赤眼{{R|GTOM128}}。体色は前作までのものより濃くなっている{{R|大全集89}}。前作までの個体やインファント島、小美人との関連性は描かれていない{{efn|資料によっては、前作に登場した成虫の子供と解釈している{{R|映画大全94}}。}}。出現地点は北京→東京・第5地区→青木ヶ原{{R|5499超全集125}}。 怪獣ランドでは森林から砂浜にかけて[[ゴロザウルス]]と同じエリアに棲んでいる{{R|GTOM128}}。[[怪獣総進撃#キラアク星人|キラアク星人]]に操られ、[[北京市|北京]]郊外の列車や東京のモノレール駅を破壊する{{R|GTOM128}}。その後、富士山麓でキングギドラと対峙した際には[[クモンガ]]と共に繭糸で牽制し、他の怪獣たちの戦いをバックアップする{{R|東宝写真集30|GTOM128}}。 * 関連書籍などでは'''三代目モスラ'''{{refnest|group="出典"|{{R|怪獣大全集70|KHBVSM66|超最新38|超最新105|画報30|大辞典4}}}}または'''四代目モスラ'''{{R|M2超全集40}}と表記される。モスラの登場作品では初めて、小美人が登場しない{{R|映画大全94}}。 * ミニチュアは、3尺程度で{{R|GTOM128}}、地下鉄ビルの壁面を破って現れる木製の造形物、北京で列車を襲う自走式の造形物、胴体が可動する操演用の造形物などが用いられた{{refnest|group="出典"|{{R|大ゴジラ2105|ALL147|GTOM128}}}}。いずれも流用か新造かは明らかになっていない{{R|ALL147}}{{efn|書籍『ゴジラ大全集』では新造と記述している{{R|大全集89}}。書籍によっては『三大怪獣』の流用と推測している{{R|C大全98|GTOM128}}。映画監督の[[樋口真嗣]]は、『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』での造形物を流用、リペイントしたものと考察している{{R|映画大全95}}。}}{{efn|name="高木"}}。操演用は現存が確認されており{{R|映画大全118|TCMP171}}、現存する最古のモスラ造形物とされる{{R|TCMP171}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="PANF">{{Harvnb|パンフレットF|2004}}</ref> <ref name="FCGRAFF8">{{Harvnb|ゴジラグラフィティ|1983|pp=8 - 9|loc=「PART.1 モスラ」}}</ref> <ref name="FCGRAFF12">{{Harvnb|ゴジラグラフィティ|1983|pp=12 - 13|loc=「PART.1 モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="FCGRAFF23">{{Harvnb|ゴジラグラフィティ|1983|p=23|loc=「PART.1 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="本多全仕事50">{{Harvnb|本多全仕事|2000|pp=50 - 51|loc=「本多猪四郎特撮映画の世界」}}</ref> <ref name="本多全仕事106">{{Harvnb|本多全仕事|2000|pp=106 - 109|loc=本多猪四郎「特撮の魔術師・円谷おやじ」(初出 『[[文藝春秋 (雑誌)|]]』昭和45年4月号)}}</ref> <ref name="FCGMMG26">{{Harvnb|FCGMMG|2003|p=26|loc=「デザインワークス」}}</ref> <ref name="東宝写真集12">{{Harvnb|東宝写真集|2005|pp=12 - 17|loc=「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="東宝写真集30">{{Harvnb|東宝写真集|2005|pp=30 - 37|loc=「怪獣総進撃」}}</ref> <ref name="全史198">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|pp=198-199|loc=「東宝特撮映画作品史 モスラ」}}</ref> <ref name="全史204">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|pp=204-205|loc=「東宝特撮映画作品史 モスラ」}}</ref> <ref name="全史206">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|pp=206-207|loc=「東宝特撮映画作品史 モスラ」}}</ref> <ref name="全史272">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|pp=272-273|loc=「東宝特撮映画作品史 モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="東宝SF2144">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ2|1985|pp=144-145|loc=「モスラ/モスラ対ゴジラ シナリオ注解」}}</ref> <ref name="東宝SF7137">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=137-143|loc=「特撮スタッフ座談会」}}</ref> <ref name="東宝SF7144">{{Harvnb|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993|pp=144-147|loc=「MAKING OF MOTHRA & BATTRA 村瀬継蔵(ツエニー)」}}</ref> <ref name="大百科52">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1990|p=52|loc=「ゴジラ映画怪獣図鑑」}}、{{Harvnb|最新ゴジラ大百科|1991|p=52|loc=「ゴジラ映画怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="大百科M58'">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=58-59|loc=文 小林晋一郎「怪獣生物学モスラ 三、幼虫」}}</ref> <ref name="大百科M60">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=60-61|loc=文 小林晋一郎「怪獣生物学モスラ 五、成虫」}}</ref> <ref name="大百科M100">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|p=100|loc=文 元山掌「ゴジラ映画怪獣オールスター図鑑」}}</ref> <ref name="大百科M123">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|p=123|loc=構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 11 『モスラ』の見どころ」}}</ref> <ref name="大百科M128">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|pp=128 - 129|loc=構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 25 モスラの卵の移動法」}}</ref> <ref name="大百科M130">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|p=130|loc=構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 29 一匹死んじゃったの!?」}}</ref> <ref name="大百科M131">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1992|p=131|loc=構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 31 東宝効果集団と怪獣たちの声の秘密」}}</ref> <ref name="大百科MG100">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1993|p=100|loc=文 秋廣泰生・天野秀明「東宝怪獣大図鑑」}}</ref> <ref name="怪獣大全集68">{{Harvnb|怪獣大全集|1991|pp=68-69|loc=「東宝モンスター名鑑」}}</ref> <ref name="怪獣大全集70">{{Harvnb|怪獣大全集|1991|p=70|loc=「東宝モンスター名鑑」}}</ref> <ref name="KHBVSM66">{{Harvnb|ヒットブックスVSモスラ|1992|pp=66-67|loc=「特別企画 全モスラ大研究」}}</ref> <ref name="入門72">{{Harvnb|決定版ゴジラ入門|1992|pp=72-73|loc=「第2章 ゴジラと怪獣たちの死闘」}}</ref> <ref name="入門76">{{Harvnb|決定版ゴジラ入門|1992|pp=76-77|loc=「第2章 ゴジラと怪獣たちの死闘」}}</ref> <ref name="VSM超全集68">{{Harvnb|VSモスラ超全集|1992|pp=68-69|loc=「ゴジラVSモスラの特撮 撮影」}}</ref> <ref name="M2超全集38">{{Harvnb|モスラ2超全集|1998|pp=38-39|loc=「モスラ2 海底の大決戦 完全情報 歴代モスラ大研究」}}</ref> <ref name="M2超全集40">{{Harvnb|モスラ2超全集|1998|pp=40-41|loc=「モスラ2 海底の大決戦 完全情報 歴代モスラ大研究」}}</ref> <ref name="5499超全集昭和成虫">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=92,113}}</ref> <ref name="5499超全集昭和幼虫">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=93,101,125}}</ref> <ref name="5499超全集92">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=92|loc=「モスラ対ゴジラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集93">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=93|loc=「モスラ対ゴジラ キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集96">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|pp=96-98|loc=「メイキング オブ モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="5499超全集101">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=101|loc=「三大怪獣 地球最大の決戦 キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集113">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=113|loc=「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="5499超全集125">{{Harvnb|ゴジラ1954-1999超全集|2000|p=125|loc=「怪獣総進撃 キャラクター図鑑」}}</ref> <ref name="機龍超全集">{{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ×メカゴジラ超全集|date=2003-01-10|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|page=38|chapter=人類を脅かした巨大生物大図鑑|isbn=978-4-09-101488-7}}</ref> <ref name="超最新38">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=38-39|loc=「モスラ年代記」}}</ref> <ref name="超最新92">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|pp=92-93|loc=「[モスラ対ゴジラ]モスラ」}}</ref> <ref name="超最新105">{{Harvnb|超最新ゴジラ大図鑑|1992|p=105|loc=「[南海の大決闘]」}}</ref> <ref name="超兵器画報120">{{Harvnb|東宝特撮超兵器画報|1993|p=120|loc=「美術監督 井上泰幸INTERVIEW」}}</ref> <ref name="大全集88">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|pp=88-89|loc=「東宝怪獣総進撃 モスラ[幼虫]1961」}}</ref> <ref name="大全集89">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|p=89|loc=「東宝怪獣総進撃 モスラ[幼虫]1964/モスラ[幼虫]1968」}}</ref> <ref name="大全集90a">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|pp=90-91|loc=「東宝怪獣総進撃 モスラ[成虫]1961」}}</ref> <ref name="大全集90b">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|pp=90-91|loc=「東宝怪獣総進撃 モスラ[成虫]1964」}}</ref> <ref name="大全集149">{{Harvnb|ゴジラ大全集|1994|p=149|loc=「INTERVIEW 小泉一」}}</ref> <ref name="大ゴジラ68">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑|1995|p=68|loc=「モスラ対ゴジラ FIELD」}}</ref> <ref name="大ゴジラ238">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|pp=38-42|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="大ゴジラ256">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|pp=56-59|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="大ゴジラ2105">{{Harvnb|大ゴジラ図鑑2|1995|p=105|loc=「11大怪獣総進撃!」}}</ref> <ref name="来襲200">{{Harvnb|ゴジラ来襲|1998|p=200|loc=「第7章 特選!東宝怪獣名鑑'98」}}</ref> <ref name="来襲202">{{Harvnb|ゴジラ来襲|1998|p=202|loc=「第7章 特選!東宝怪獣名鑑'98」}}</ref> <ref name="BEST5428">{{Harvnb|日本特撮映画図鑑|1999|pp=28-29|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="BEST5432">{{Harvnb|日本特撮映画図鑑|1999|pp=32-33|loc=「モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="BEST5434">{{Harvnb|日本特撮映画図鑑|1999|pp=34-35|loc=「三大怪獣 地球最大の決戦」}}</ref> <ref name="画報30">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|p=30|loc=「東宝怪獣紳士録」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑昭和">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|pp=66、75、91}}</ref> <ref name="動画王大図鑑47">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|pp=47-48|loc=「1960年代 モスラ」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑66">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=66|loc=「1960年代 モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑75">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=75|loc=「1960年代 三大怪獣 地球最大の決戦」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑91">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=91|loc=「1960年代 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="動画王大図鑑102">{{Harvnb|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000|p=102|loc=「1960年代 怪獣総進撃」}}</ref> <ref name="特撮世界82">{{Harvnb|円谷英二特撮世界|2001|pp=82-83|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="特撮世界102">{{Harvnb|円谷英二特撮世界|2001|pp=102-103|loc=「モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="特撮世界108">{{Harvnb|円谷英二特撮世界|2001|pp=108-109|loc=「三大怪獣 地球最大の決戦」}}</ref> <ref name="特撮世界118">{{Harvnb|円谷英二特撮世界|2001|pp=118-119|loc=「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="円谷組39">{{Harvnb|東宝ゴジラ会|2010|p=39|loc=「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW1 富岡素敬」}}</ref> <ref name="円谷組283">{{Harvnb|東宝ゴジラ会|2010|p=283|loc=「第四章 特技監督スペシャル対談 中野昭慶&川北紘一特技監督対談」}}</ref> <ref name="映画大全4">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=4-5|loc=構成・友井健人 文・金田益実「『モスラ』ができるまで」}}</ref> <ref name="映画大全30">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=30-35|loc=聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 造型 村瀬継蔵」}}</ref> <ref name="映画大全39">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|p=39|loc=文・[[木原浩勝]]「円谷英二の『モスラ』演出、上手と下手」}}</ref> <ref name="映画大全54">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=54-55|loc=聞き手・友井健人「インタビュー 操演 鈴木昶」}}</ref> <ref name="映画大全62">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=62-64|loc=聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 本編助監督 梶田興治」}}</ref> <ref name="映画大全66">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=66-71|loc=聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 美術 青木利郎/特機 高木明法」}}</ref> <ref name="映画大全71">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|p=71|loc=文・井上泰幸「美術の充実した『モスラ』」}}</ref> <ref name="映画大全72">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=72-73|loc=聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 助監督 中野昭慶」}}</ref> <ref name="映画大全80">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=80-81|loc=聞き手・友井健人「インタビュー 造形 開米栄三」}}</ref> <ref name="映画大全82">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=82-83|loc=聞き手・友井健人 中村哲「インタビュー 合成 飯塚定雄」}}</ref> <ref name="映画大全88">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=88-90|loc=聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 女優 ペアバンビ」}}</ref> <ref name="映画大全94">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|p=94|loc=「文・島崎淳「『怪獣総進撃』登場人物紹介・解説」}}</ref> <ref name="映画大全95">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|p=95|loc=「文・[[樋口真嗣]]「名作アニメ制作者の魂の一本」}}</ref> <ref name="映画大全96">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=96-97|loc=聞き手・友井健人「インタビュー スクリプター 鈴木桂子」}}</ref> <ref name="映画大全107">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|pp=107-109|loc=文・[[西川伸司]]「モスラ造形・デザインの変遷」}}</ref> <ref name="映画大全118">{{Harvnb|モスラ映画大全|2011|p=118|loc=「昭和モスラ撮影小道具」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集56">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=56|loc=「『モスラ』怪獣図鑑/資料館」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集57">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=57|loc=「『モスラ』撮影秘話」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集80">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=80|loc=「『モスラ対ゴジラ』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集81">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=81|loc=「『モスラ対ゴジラ』撮影秘話」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集88">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=88|loc=「『三大怪獣 地球最大の決戦』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集89">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=89|loc=「『三大怪獣 地球最大の決戦』撮影秘話」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集112">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=112|loc=「『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集113">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=113|loc=「『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』撮影秘話/川北監督に訊く」}}</ref> <ref name="東宝特撮映画大全集124">{{Harvnb|東宝特撮映画大全集|2012|p=124|loc=「『怪獣総進撃』怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="ALL62">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=62-63|loc=「『モスラ』モスラ(幼虫)」}}</ref> <ref name="ALL66">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=66-69|loc=「『モスラ』モスラ(成虫)」}}</ref> <ref name="ALL88">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|pp=88-91|loc=「『モスラ対ゴジラ』モスラ」}}</ref> <ref name="ALL93">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=93|loc=「『三大怪獣 地球最大の決戦』モスラ」}}</ref> <ref name="ALL126">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=126|loc=「『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』モスラ」}}</ref> <ref name="ALL147">{{Harvnb|オール東宝怪獣大図鑑|2014|p=147|loc=「『怪獣総進撃』モスラ」}}</ref> <ref name="C大全98">{{Harvnb|キャラクター大全|2014|pp=98-100|loc=「怪獣映画の興隆 モスラ」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣26">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=26-27|loc=「モスラ」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣34">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=34-35|loc=「モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣36">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=36-37|loc=「三大怪獣 地球最大の決戦」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣44">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|pp=44-45|loc=「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="東宝全怪獣52">{{Harvnb|東宝特撮全怪獣図鑑|2014|p=52|loc=「怪獣総進撃」}}</ref> <ref name="大辞典1">{{Harvnb|大辞典|2014|p=281|loc=「も モスラ(初代=第1個体)」}}</ref> <ref name="大辞典2/3">{{Harvnb|大辞典|2014|pp=281-282|loc=「も モスラ(2代目=第2・第3個体)」}}</ref> <ref name="大辞典4">{{Harvnb|大辞典|2014|p=282|loc=「も モスラ(3代目=第4個体)」}}</ref> <ref name="大辞典285">{{Harvnb|大辞典|2014|p=285|loc=「も モスラの卵」}}</ref> <ref name="G6084">{{Harvnb|GODZILLA60|2014|p=84|loc=「怪獣図鑑」}}</ref> <ref name="TCMP171">{{Harvnb|東宝チャンピオンまつりパーフェクション|2014|p=171|loc=「祭の記憶」}}</ref> <ref name="村瀬259">{{Harvnb|村瀬継蔵|2015|pp=259-260|loc=「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」}}</ref> <ref name="村瀬262">{{Harvnb|村瀬継蔵|2015|pp=262-263|loc=「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」}}</ref> <ref name="超常識昭和">{{Harvnb|超常識|2016|pp=43,49}}</ref> <ref name="超常識42">{{Harvnb|超常識|2016|pp=42-46|loc=「平和の使者モスラがゴジラを討つ モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="超常識48">{{Harvnb|超常識|2016|pp=48-50|loc=「宇宙超怪獣キングギドラの大襲来! 三大怪獣 地球最大の決戦」}}</ref> <ref name="超常識56">{{Harvnb|超常識|2016|pp=56-58|loc=「秘密組織の野望を粉砕する ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」}}</ref> <ref name="超常識70">{{Harvnb|超常識|2016|pp=70-74|loc=「地球怪獣総出動!侵略者を迎え撃て! 怪獣総進撃」}}</ref> <ref name="超常識228">{{Harvnb|超常識|2016|pp=228-230|loc=「南海の孤島の守護神、東京に出現! モスラ」}}</ref> <ref name="Walker56">{{Harvnb|Walker|2016|p=56|loc=「シリーズ全28作+3作ガイド」}}</ref> <ref name="解体全書88">{{Harvnb|解体全書|2016|p=88|loc=「第2章 狂える神々」}}</ref> <ref name="超解体全書29">{{Harvnb|超解体全書|2023|pp=29-33|loc=「写真で見る歴代モスラデザイン」}}</ref> <ref name="超解体全書88">{{Harvnb|超解体全書|2023|p=88|loc=「モスラ、小美人」}}</ref> <ref name="VIP172">{{Harvnb|ゴジラとともに|2016|p=172|loc=構成・文 友井健人「中島春雄」(『映画秘宝』2010年8月号掲載)}}</ref> <ref name="検定37">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=37|loc=「モスラ対ゴジラ 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定41">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=41|loc=「三大怪獣 地球最大の決戦 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定49">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=49|loc=「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="検定57">{{Harvnb|ゴジラ検定|2018|p=57|loc=「怪獣総進撃 今回の怪獣対決」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑初代">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=64、66}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑64">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=64-65|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑66">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=66-67|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑昭和">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|pp=68-71}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑68">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=68|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑69">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=69|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑70">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=70|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="全怪獣大図鑑71">{{Harvnb|全怪獣大図鑑|2021|p=71|loc=「強敵!ゴジラ対ライバル怪獣」}}</ref> <ref name="GTOM06">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=6|loc=「モスラ対ゴジラ」}}</ref> <ref name="GTOM024">{{Harvnb|GTOM vol.0|2022|p=24|loc=「モスラ(1961)」}}</ref> <ref name="GTOM0210">{{Harvnb|GTOM vol.02|2023|pp=10-13|loc=「ゴジラに立ち向かうモスラ」}}</ref> <ref name="GTOM0612">{{Harvnb|GTOM vol.06|2023|p=12|loc=「巨大蛾怪獣 モスラ」}}</ref> <ref name="GTOM128">{{Harvnb|GTOM vol.12|2023|p=8|loc=「巨大蛾怪獣 モスラ〔幼虫〕」}}</ref> <ref name="大解剖図鑑20">{{Harvnb|大解剖図鑑|2023|pp=20-23|loc=「モスラ」}}</ref> }} === 出典(リンク) === {{Reflist|group="出典"|3}} == 参考文献 == * [[ファンタスティックコレクション]]([[朝日ソノラマ]]) ** {{Cite book|和書|date=1983-09-20|title=ゴジラグラフィティ 東宝特撮映画の世界|publisher=朝日ソノラマ|series=ファンタスティックコレクション|ref={{SfnRef|ゴジラグラフィティ|1983}}}} ** {{Cite book|和書|editor=竹内博|editor-link=竹内博|title=本多猪四郎全仕事|publisher=朝日ソノラマ|series=ファンタスティックコレクション|date=2000-05-01|isbn=4-257-03592-7|ref={{SfnRef|本多全仕事|2000}}}} ** {{Cite book|和書|title=ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS|date=2003-12-30|publisher=朝日ソノラマ|series=ファンタスティックコレクション|isbn=4-257-03688-5|ref={{SfnRef|FCGMMG|2003}}}} ** {{Cite book|和書|editor=竹内博|title=東宝特撮・怪獣・SF映画写真集|publisher=朝日ソノラマ|series=ファンタスティックコレクション|date=2005-08-30|isbn=4-257-03716-4|ref={{SfnRef|東宝写真集|2005}}}} * {{Cite book|和書|title=東宝特撮映画全史|others=監修 [[田中友幸]]|date=1983-12-10|publisher=[[東宝]]出版事業室|isbn=4-924609-00-5|ref={{SfnRef|東宝特撮映画全史|1983}}}} * 東宝SF特撮映画シリーズ(東宝出版事業室) ** {{Cite book|和書|date=1985-01-01<!--奥付表記-->|title= モスラ / モスラ対ゴジラ|publisher=東宝出版事業室|series=東宝SF特撮映画シリーズVOL.2|isbn=4-924609-04-8|ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズ2|1985}}}} ** {{Cite book|和書|date=1993-01-15|title=ゴジラVSモスラ|publisher=東宝出版・商品事業室|series= 東宝SF特撮映画シリーズVOL.7|isbn=4-924609-43-9 |ref={{SfnRef|東宝SF特撮映画シリーズ7|1993}}}} * Gakken MOOK([[Gakken]]) ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 [[川北紘一]]|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1990-01-01|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1990}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA 最新ゴジラ大百科|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1991-12-01|ref={{SfnRef|最新ゴジラ大百科|1991}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1992-12-10|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 川北紘一|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]|publisher=Gakken|series=Gakken MOOK|date=1993-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1993}}}} * 講談社ヒットブックス([[講談社]]) ** {{Cite book|和書|others=構成・執筆・編集:岩畠寿明、小野浩一郎(エープロダクション)|title=ゴジラvsキングギドラ 怪獣大全集|publisher=講談社|series=講談社ヒットブックス20|date=1991-12-05|isbn=4-06-177720-3|ref={{SfnRef|怪獣大全集|1991}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成・執筆・編集 岩畠寿明、小野浩一郎(エープロダクション)|title=ゴジラvsモスラ|publisher=講談社|series=講談社ヒットブックス30|date=1992-12-18|isbn=4-06-177730-0|ref={{SfnRef|ヒットブックスVSモスラ|1992}}}} * {{Cite book|和書|author=田中友幸|title=決定版ゴジラ入門|edition=第7刷|publisher=[[小学館]]|series=小学館入門百科シリーズ142|date=1992-04-20|origdate=1984-07-15|isbn=4-09-220142-7|ref={{SfnRef|決定版ゴジラ入門|1992}}}} * [[てれびくん]]デラックス愛蔵版シリーズ([[小学館]]) ** {{Cite book|和書|others=構成 間宮尚彦|date=1992-12-10|title=ゴジラVSモスラ超全集|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス愛蔵版|isbn=978-4-09-101433-7|ref={{SfnRef|VSモスラ超全集|1992}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成 窪内裕、鞍城沙貴、八島丈|title=モスラ2 海底の大決戦超全集|date=1998-01-10|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=4091014615|ref={{SfnRef|モスラ2超全集|1998}}}} ** {{Cite book|和書|others=構成・執筆 間宮“TAKI”尚彦|title=ゴジラ1954-1999超全集|date=2000-01-01|publisher=小学館|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|isbn=4-09-101470-4|ref={{SfnRef|ゴジラ1954-1999超全集|2000}}}} * {{Cite book|和書|others=企画・構成・編集 [[安井尚志]]([[ストリームベース#クラフト団|クラフト団]])|title=増補改訂新版 超最新ゴジラ大図鑑|publisher=バンダイ|series=エンターテイメントバイブルシリーズ50|date=1992-12-25|isbn=4-89189-284-6|ref={{SfnRef|超最新ゴジラ大図鑑|1992}}}} * {{Cite book|和書|date=1993-03|others= 監修 川北紘一 構成 [[岸川靖]]|title=東宝特撮超兵器画報|publisher=[[大日本絵画]]|isbn=978-4-499-20598-6|ref={{SfnRef|東宝特撮超兵器画報|1993}}}} * {{Cite book|和書|others=構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚|title=[[テレビマガジン]]特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集|publisher=講談社|date=1994-09-01|isbn=4-06-178417-X|ref={{SfnRef|ゴジラ大全集|1994}}}} * 『幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑』([[ホビージャパン]]) ** {{Cite book|和書|title=幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑|others=[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ|publisher=ホビージャパン|date=1995-01-27|isbn= 4-89425-059-4|ref={{SfnRef|大ゴジラ図鑑|1995}}}} ** {{Cite book|和書|title=幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑2|others=[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ|publisher=ホビージャパン|date=1995-12-15|isbn=4-89425-117-5|ref={{SfnRef|大ゴジラ図鑑2|1995}}}} * {{Cite book|和書|author=坂井由人|author2=秋田英夫|title=ゴジラ来襲!! 東宝特撮映画再入門|date=1998-07-25|publisher=[[KKロングセラーズ]]|series=ムックセレクト635|isbn=4-8454-0592-X|ref={{SfnRef|ゴジラ来襲|1998}}}} * {{Cite book|和書|title=東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54|others=特別監修 川北紘一|publisher=[[成美堂出版]]|series=SEIBIDO MOOK|date=1999-02-20|isbn=4-415-09405-8|ref={{SfnRef|日本特撮映画図鑑|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み|edition=第3版|date=1999-12-24|origdate=1993-12-21|publisher=[[竹書房]]|isbn=4-8124-0581-5|ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}} * {{Cite book|和書|title=動画王特別編集 ゴジラ大図鑑 東宝特撮映画の世界|date=2000-12-16|publisher=[[キネマ旬報社]]|series=キネ旬ムック|isbn=4-87376-558-7|ref={{SfnRef|動画王特別編集ゴジラ大図鑑|2000}}}} * {{Cite book|和書|title=円谷英二特撮世界|date=2001-08-10|publisher=[[勁文社]]|isbn=4-7669-3848-8|ref={{SfnRef|円谷英二特撮世界|2001}}}} * {{Cite book|和書|others=野村宏平 編著|title=ゴジラ大辞典|date=2004-12-05|publisher=[[笠倉出版社]]|isbn=4773002921|ref = harv}} ** {{Cite book|和書|others=野村宏平 編著|title=ゴジラ大辞典【新装版】|date=2014-08-07|publisher=笠倉出版社|isbn=978-4-7730-8725-3|ref={{SfnRef|大辞典|2014}}}} * {{Cite book|和書|author=東宝ゴジラ会|date=2010-10-09|title=特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春|publisher=[[洋泉社]]|isbn=978-4-86248-622-6|ref=harv}} * 洋泉社MOOK(洋泉社) ** {{Cite book|和書|date=2011-08-11|title=別冊映画秘宝 モスラ映画大全|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-86248-761-2|ref={{SfnRef|モスラ映画大全|2011}}}} ** {{Cite book|和書|date=2014-04-27|title=別冊映画秘宝 オール東宝怪獣大図鑑|publisher=洋泉社|series=洋泉社MOOK|isbn=978-4-8003-0362-2|ref={{SfnRef|オール東宝怪獣大図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし|title=東宝特撮映画大全集|date=2012-09-28|publisher=[[ヴィレッジブックス]]|isbn=978-4-86491-013-2|ref={{SfnRef|東宝特撮映画大全集|2012}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title=キャラクター大全 ゴジラ 東宝特撮映画全史|publisher=講談社|date=2014-07-15|isbn=978-4-06-219004-6|ref={{SfnRef|キャラクター大全|2014}}}} * {{Cite book|和書|others=東宝 協力|title=東宝特撮全怪獣図鑑|publisher=小学館|date=2014-07-28|isbn=978-4-09-682090-2|ref={{SfnRef|東宝特撮全怪獣図鑑|2014}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ徹底研究 GODZILLA GODZILLA60:COMPLETE GUIDE|publisher=[[マガジンハウス]]|series=MAGAZINE HOUSE MOOK|date=2014-09-05|isbn=978-4-8387-8944-3|ref={{SfnRef|GODZILLA60|2014}}}} * {{Cite book|和書|date=2014-11-29|title=ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション|publisher=[[KADOKAWA]]|series=DENGEKI HOBBY BOOKS|isbn=9784048669993|ref={{SfnRef|東宝チャンピオンまつりパーフェクション|2014}}}} * {{Cite book|和書|author=村瀬継蔵|authorlink=村瀬継蔵|others=監修 西村祐次/[[若狭新一]]|date=2015-09-24|title=怪獣秘蔵写真集 造形師村瀬継蔵|publisher=洋泉社|isbn=978-4-8003-0756-9|ref=harv}} * {{Cite book|和書|others=[協力] 東宝|title=ゴジラの超常識|publisher=[[双葉社]]|date=2016-07-24|origdate=2014-07-06|isbn=978-4-575-31156-3|ref={{SfnRef|超常識|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=シン・ゴジラWalker [怪獣王 新たなる伝説]|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-08-06|isbn=978-4-04-895632-1|ref={{SfnRef|Walker|2016}}}} * {{Cite book|和書|title=ゴジラ解体全書|publisher=[[宝島社]]|date=2016-08-15|origdate=2014-07-26|series=TJ MOOK|isbn=978-4-8002-5699-7|ref={{SfnRef|解体全書|2016}}}} ** {{Cite book|和書|title=超ゴジラ解体全書|publisher=宝島社|date=2023-11-30|series=TJ MOOK|isbn=978-4-299-04835-6|ref={{SfnRef|超解体全書|2023}}}} * {{Cite book|和書|editor=別冊映画秘宝編集部|title=ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集|publisher=洋泉社|date=2016-09-21|series=映画秘宝COLLECTION|isbn=978-4-8003-1050-7|ref={{SfnRef|ゴジラとともに|2016}}}} * {{Cite book|和書|others=監修 東宝株式会社/協力 東宝 ゴジラ戦略会議|title=「ゴジラ検定」公式テキスト|publisher=宝島社|date=2018-11-03|isbn=978-4-8002-8860-8|ref={{SfnRef|ゴジラ検定|2018}}}} * {{Cite book|和書|author=西川伸司|authorlink=西川伸司|date=2019-02-01|title=西川伸司デザインワークス|publisher=[[玄光社]]|isbn=978-4-7683-1150-9|ref=harv}} * {{Cite book|和書|date=2021-07-02|title=ゴジラ 全怪獣大図鑑|publisher=講談社|series=講談社 ポケット百科シリーズ|isbn=978-4-06-523491-4|ref={{SfnRef|全怪獣大図鑑|2021}}}} * {{Cite book|和書|editor=講談社|title =ゴジラ&東宝特撮 OFFICIAL MOOK|publisher = 講談社|series=講談社シリーズMOOK}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.0|volume-title=ゴジラ&東宝特撮作品 総選挙|date = 2022-12-21|isbn = 978-4-06-530223-1|ref = {{SfnRef|GTOM vol.0|2022}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.02|volume-title=モスラ対ゴジラ|date = 2023-04-10|isbn = 978-4-06-531434-0|ref = {{SfnRef|GTOM vol.02|2023}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.06|volume-title=三大怪獣 地球最大の決戦|date = 2023-06-08|isbn = 978-4-06-531485-2|ref = {{SfnRef|GTOM vol.06|2023}}}} ** {{Cite book|和書|volume=vol.12|volume-title=怪獣総進撃|date = 2023-11-10|isbn = 978-4-06-531493-7|ref = {{SfnRef|GTOM vol.12|2023}}}} * {{Cite book|和書|date=2023-08-25|author=西川伸司|title=西川伸司が紐解く怪獣の深淵 ゴジラ大解剖図鑑|publisher=グラフィック社|isbn=978-4-7661-3784-2|ref={{SfnRef|大解剖図鑑|2023}}}} * 映画パンフレット ** {{wikicite|ref={{SfnRef|パンフレットF|2004}}|reference= 『ゴジラ FINAL WARS』パンフレット 2004年12月4日発行 / 発行所:東宝(株)出版・商品事業室}}<!--ページ数表記なし--> {{東宝特撮怪獣}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:もすら しよたい}} [[Category:モスラ|*]] [[Category:東宝怪獣]] [[Category:架空の昆虫]]
2023-12-09T05:05:52Z
2023-12-09T10:15:25Z
false
false
false
[ "Template:Infobox character", "Template:Multiple image", "Template:キャラスペック", "Template:東宝特撮怪獣", "Template:要出典範囲", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Cite book", "Template:Normdaten", "Template:Efn", "Template:Wikicite", "Template:R", "Template:Refnest", "Template:Reflist", "Template:Cite journal" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9_(%E5%88%9D%E4%BB%A3%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)
4,864,239
BLACKHOLE
『BLACKHOLE』は、2021年6月よりYouTube上で、映画批評・映画評論を配信するYouTubeチャンネルである。 映画評論を行っている高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎の3人が公開された映画や作家論を語り合う映画評論・映画批評番組。 主に劇場公開された洋画を取り上げることが多く、製作者、出演者の過去作品を振り返りつつ論じるスタイルを採用している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『BLACKHOLE』は、2021年6月よりYouTube上で、映画批評・映画評論を配信するYouTubeチャンネルである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "映画評論を行っている高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎の3人が公開された映画や作家論を語り合う映画評論・映画批評番組。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "主に劇場公開された洋画を取り上げることが多く、製作者、出演者の過去作品を振り返りつつ論じるスタイルを採用している。", "title": "特徴" } ]
『BLACKHOLE』は、2021年6月よりYouTube上で、映画批評・映画評論を配信するYouTubeチャンネルである。
{{Infobox YouTube personality | header-color = | honorific_prefix = | name = BLACKHOLE | honorific_suffix = | logo = | logo_size = | logo_alt = | logo caption = | image = | image_size = | alt = | caption = | birth_name = | birth_date = | birth_place = | death_date = | death_place = | origin = | nationality = | education = | residence = | occupation = | height = | religion = | partner = | spouse = | signature = | signature_size = | signature_alt = | website = | pseudonym = | channel_name = | channel_url = UCKD3fd8pDu_mftZRuNVk7Bg | channel_url2 = | channel_direct_url = | channels = | channel_display_name = BLACKHOLE | channel_display_name2 = | creator = | years_active = {{ublist|BLACKHOLE<br />[[2021年]] -}} | genre = 映画批評・映画評論 | subscribers = {{ublist|BLACKHOLE<br />3.45万人<ref name=YouTube>{{Cite web|和書|url= https://yutura.net/channel/69209/#google_vignette|title=BLACKHOLE YouTubeランキング |work=ユーチュラ|accessdate=2023-12-07}}|</ref>}} | views = {{ublist|BLACKHOLE<br />922万9430回<ref name=YouTube/>}} | associated_acts = [[高橋ヨシキ]]<br />[[てらさわホーク]]<br />[[柳下毅一郎]] | catchphrase(s) = | silver_button = | silver_year = | gold_button = | gold_year = | diamond_button = | diamond_year = | ruby_button = | ruby_year = | module = | stats_update = {{dts|2023-12-06}} | extra_information = }} 『'''BLACKHOLE'''』は、2021年6月より[[YouTube]]上で、[[映画]]批評・映画評論を配信する[[YouTube]]チャンネルである。 == 概要 == 映画評論を行っている[[高橋ヨシキ]]、[[てらさわホーク]]、[[柳下毅一郎]]の3人が公開された映画や作家論を語り合う映画評論・映画批評番組。 == 特徴 == 主に劇場公開された洋画を取り上げることが多く、製作者、出演者の過去作品を振り返りつつ論じるスタイルを採用している。 == 出演者 == === レギュラー === * [[てらさわホーク]] **座り位置:左 **配信冒頭で「◯曜8時は?」と第一声をするのが恒例。 **飼い猫の「みみ」は視聴者にも認知され、グッズにもなっている。 **視聴者からのお便りの読み上げを担当している。 * [[柳下毅一郎]] **座り位置:中央 **ホークの第一声に対して、「BLACKHOLE」と返して冒頭の挨拶とする。 **「皆殺し映画通信」シリーズの作者であり、邦画新作についても論じる時もある。 * [[高橋ヨシキ]] **座り位置:右 **ホークの第一声に対して、柳下同様「BLACKHOLE」と返し、「いえーい」と盛り上げる。 **劇場用長編映画作品初監督『激怒』公開を記念して直前生放送特番が行われた。 == ライブ配信 == === 2021年 === {| class="sortable wikitable" |- !配信日 !! 動画タイトル !! 取り上げる作品 !! 取り上げる製作者・出演者・ジャンル !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- ||2021年7月16日||『ブラック・ウィドウ』&『ロキ』究極(ぼんやり)批評/てらさわホーク||『[[ブラック・ウィドウ (映画)|ブラック・ウィドウ]]』<br />『[[ロキ (テレビドラマ)|ロキ]]』||[[マーベル・スタジオ|マーベル・シリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『ブラック・ウィドウ』&『ロキ』究極(ぼんやり)批評/てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/watch?v=NUZsYLtlRCo|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||第1回配信<br />てらさわホーク単独出演 |- ||2021年7月22日||『ゴジラvsコング』徹底レビュー&怪獣プロレス映画大激論!/高橋ヨシキVSてらさわホーク||『[[ゴジラvsコング]]』||[[ゴジラシリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『ゴジラvsコング』徹底レビュー&怪獣プロレス映画大激論!/高橋ヨシキVSてらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/n2mZdlWGbp8?si=vRO4kBuopi7Z-erW|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||高橋ヨシキ初出演 |- |2021年7月31日||グーニーズ、スーパーマン、オーメン…ポップカルチャーを作った男・リチャード・ドナー緊急追悼特番/高橋ヨシキ&てらさわホーク||リチャード・ドナー監督作品||[[リチャード・ドナー]]||<ref>{{Citation|title=グーニーズ、スーパーマン、オーメン… ポップカルチャーを作った男・リチャード・ドナー緊急追悼特番/高橋ヨシキ&てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/watch?v=n7DKRQNDzx0|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|||リチャード・ドナーが2021年7月5日に亡くなったことを受けての追悼配信 |- |2021年8月7日||【徹底解説!】『ジャングル・クルーズ』から紐解くディズニーアトラクションと映画の歴史/てらさわホーク&高橋ヨシキ||[[ジャングル・クルーズ]]||ライド映画||<ref>{{Citation|title=【徹底解説!】『ジャングル・クルーズ』から紐解くディズニーアトラクションと映画の歴史/てらさわホーク&高橋ヨシキ|url=https://www.youtube.com/live/raXesUWjaec?si=6zVV1P1yFgvP1KW0|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref> ||| |- ||2021年8月18日||【ネタバレ批評】『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』/高橋ヨシキ、柳下毅一郎、てらさわホーク||『[[ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結]]』|||[[ジェームズ・ガン]]||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ批評】『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』/高橋ヨシキ、柳下毅一郎、てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/_WNLU25SI_Y?si=5GZ96UyjrS09tUuN|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||柳下毅一郎初出演 |- ||2021年9月10日||【ネタバレ批評】『シャン・チー/テン・リングスの伝説』/高橋ヨシキ、柳下毅一郎、てらさわホーク、高橋ターヤン||『[[シャン・チー/テン・リングスの伝説]]』|||[[デスティン・ダニエル・クレットン]]||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ批評】『シャン・チー/テン・リングスの伝説』/高橋ヨシキ、柳下毅一郎、てらさわホーク、高橋ターヤン|url=https://www.youtube.com/live/QDsKp29b9UA?si=CqKHl3AV1ygsHZB5|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:高橋ターヤン |- ||2021年9月19日||【ネタバレ批評】『オールド』&シャマラン作品の世界/高橋ヨシキ、てらさわホーク||『[[オールド (映画)|オールド]]』|||[[M・ナイト・シャマラン]]||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ批評】『オールド』&シャマラン作品の世界/高橋ヨシキ、てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/bNlA8hayXjQ?si=mkCOSSFOgySHWrHH|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2021年10月2日||【ネタバレ映画批評】死霊館 悪魔のせいなら、無罪。/ナマニク、高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎||『[[死霊館 悪魔のせいなら、無罪。]]』|||[[死霊館ユニバース]]||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ映画批評】死霊館 悪魔のせいなら、無罪。/ナマニク、高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/MbCNlsFMULQ?si=XsOieopLH2NlQpHA|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|||ゲスト:ナマニク |- ||2021年10月10日||【映画批評】007/ノー・タイム・トゥ・ダイとダニエル・クレイグ版ボンド完全総括!/高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[007/ノー・タイム・トゥ・ダイ]]』|||[[ダニエル・クレイグ]]版[[007シリーズ]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】007/ノー・タイム・トゥ・ダイとダニエル・クレイグ版ボンド完全総括!/高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/qKTdoro-8uU?si=BUh7DG6JR2Cj2byw|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2021年10月27日||最後の決闘裁判とリドリー・スコット特集!/高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎 ゲスト:Utomaru【ネタバレ】||『[[最後の決闘裁判]]』|||[[リドリー・スコット]]||<ref>{{Citation|title=最後の決闘裁判とリドリー・スコット特集!/高橋ヨシキ、てらさわホーク、柳下毅一郎 ゲスト:Utomaru【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/RsXOAUjHFac?si=VBLwkrxKCL5b7D3U|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:Utomaru |- ||2021年10月30日||『ハロウィンKILLS』とブギーマンの虐殺四十年史/海津哲也&高橋ヨシキ【ネタバレ】||『[[ハロウィン KILLS]]』|||[[ハロウィンシリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『ハロウィンKILLS』とブギーマンの虐殺四十年史/海津哲也&高橋ヨシキ【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/0TfdhlBvvHY?si=ksqNGLnfCTch-4N6|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||聞き手:高橋ヨシキ、ゲスト:海津哲也の2人で生配信 |- ||2021年11月15日||【映画批評】『エターナルズ』とアメリカン・コミックスの神話学/てらさわホーク&柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[エターナルズ]]』|||[[アベンジャーズ (マーベル・コミック)|アベンジャーズ]]シリーズ||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『エターナルズ』とアメリカン・コミックスの神話学/てらさわホーク&柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/bPX-FdM3a2c?si=7irS7TF-Kl4eFxOk|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||高橋ヨシキ不在 |- ||2021年11月21日||アメコミ界最凶ライター、アラン・ムーアはいかにしてクトゥルー神話に挑んだのか【『ネオノミコン』出版記念】翻訳者・柳下毅一郎&高橋ヨシキ×てらさわホーク||『[[ネオノミコン]]』|||[[アラン・ムーア]]||<ref>{{Citation|title=アメコミ界最凶ライター、アラン・ムーアはいかにしてクトゥルー神話に挑んだのか【『ネオノミコン』出版記念】翻訳者・柳下毅一郎&高橋ヨシキ×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/K55e_c6a0Ts?si=fy_eJYOT500SnTqd|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2021年12月1日||【映画批評】『マリグナント 狂暴な悪夢』と、ジェームズ・ワンの恐怖の想像力/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク||『[[マリグナント 狂暴な悪夢]]』|||[[ジェームズ・ワン]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『マリグナント 狂暴な悪夢』と、ジェームズ・ワンの恐怖の想像力/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/_eaW7BY4-14?si=To1g0UDu6PzAX3TW|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2021年12月15日||【映画批評】『ラストナイト・イン・ソーホー』とエドガー・ライトの霊感=インスピレーション!/高橋ヨシキ×てらさわホーク×Utomaru【ネタバレ】||『[[ラストナイト・イン・ソーホー]]』|||[[エドガー・ライト]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『ラストナイト・イン・ソーホー』とエドガー・ライトの霊感=インスピレーション!/高橋ヨシキ×てらさわホーク×Utomaru【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/zrzGdFTGnKE?si=dkb2ZSgQEaxETQdH|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||柳下毅一郎不在<br />ゲスト:Utomaru |- ||2021年12月22日||【映画批評】『マトリックス レザレクションズ』 なぜウォシャウスキーは再びネオの物語を描いたのか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[マトリックス レザレクションズ]]』|||[[ウォシャウスキー姉妹]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『マトリックス レザレクションズ』 なぜウォシャウスキーは再びネオの物語を描いたのか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/G8OtbluWH3o?si=ZVz_ie3dS4asK3e5|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2021年12月29日||BLACKHOLE大忘年会! 2021年の映画を150本くらい振り返る!|||||||<ref>{{Citation|title=BLACKHOLE大忘年会! 2021年の映画を150本くらい振り返る!|url=https://www.youtube.com/live/Lgm_aYaPR80?si=pOnQTVA6rpnTphOM|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |} === 2022年 === {| class="sortable wikitable" |- !配信日 !! 動画タイトル !! 取り上げる作品 !! 取り上げる製作者・出演者・ジャンル !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- ||2022年1月16日||【映画批評】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム]]』|||[[スパイダーマン]]シリーズ||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/fXvWACRQB4M?si=iZAeZ1rTLU1t9xsR|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年2月16日||【映画批評】『ウエスト・サイド・ストーリー』とスピルバーグ の新境地/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[ウエスト・サイド・ストーリー]]』|||[[スティーブン・スピルバーグ]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『ウエスト・サイド・ストーリー』とスピルバーグ の新境地/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/GtpBfYJFfxI?si=IFJnrSAUEXZVQ4j3|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年3月16日||【映画批評】激論『ザ・バットマン』騎士と探偵の都市伝説は、いかに描かれてきたか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[ザ・バットマン]]』||[[バットマン]]シリーズ|||<ref>{{Citation|title=【映画批評】激論『ザ・バットマン』騎士と探偵の都市伝説は、いかに描かれてきたか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/3Tsb-EVzhcA?si=qBsribXy8YOsvMHR|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年4月4日||【映画批評】『ナイトメア・アリー』と見世物小屋の映画史&22年アカデミー賞をぼんやり語る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[ナイトメア・アリー]]』|||[[ギレルモ・デル・トロ]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『ナイトメア・アリー』と見世物小屋の映画史&22年アカデミー賞をぼんやり語る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/0Bk8G4x_Vhg?si=UILtG7NIIlT_XcIQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年5月11日||【映画批評】『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』とサム・ライミのはらわた/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス]]』||[[サム・ライミ]]|||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』とサム・ライミのはらわた/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/UqpHjQD2B3Y?si=Sl-Jwv6ltT7DO6Et|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年5月18日||【映画批評】『シン・ウルトラマン』徹底討論!/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[シン・ウルトラマン]]』|||[[庵野秀明]]||<ref>{{Citation|title=【映画批評】『シン・ウルトラマン』徹底討論!/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/id8YF8kkcfU?si=0BUAZi2GvSK4hd4b|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年5月26日||【ネタバレ】シン・ウルトラマンお便り補完計画/リスナーの感想&意見を可能な限り読みまくる! 高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎||『シン・ウルトラマン』|||庵野秀明||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ】シン・ウルトラマンお便り補完計画/リスナーの感想&意見を可能な限り読みまくる! 高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/bCz6niQSvIk?si=35ss-7vQhryVEPx1|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年6月1日||【映画評】『トップガン マーヴェリック』と、トム・クルーズの情熱と狂気/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】||『[[トップガン マーヴェリック]]』|||[[トム・クルーズ]]||<ref>{{Citation|title=【映画評】『トップガン マーヴェリック』と、トム・クルーズの情熱と狂気/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎【ネタバレ】|url=https://www.youtube.com/live/HQunvNVetqE?si=GFlvQdAM9l6jOW3K|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年6月10日||『ククルス・ドアンの島』と安彦良和の黙示録<てらさわホークの富野由悠季論番外編>【ネタバレ映画評】||『[[ククルス・ドアンの島]]』|||[[富野由悠季]]||<ref>{{Citation|title=『ククルス・ドアンの島』と安彦良和の黙示録<てらさわホークの富野由悠季論番外編>【ネタバレ映画評】|url=https://www.youtube.com/live/dFm1BsTbvt4?si=R7N_7O4w6l_gadmQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||てらさわホークと秋山直斗の2人で配信 |- ||2022年6月15日||映画『FLEE フリー』と夏のドキュメンタリー祭り2022/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあんまりナシ】||『[[FLEE フリー]]』|||[[ドキュメンタリー]]映画||<ref>{{Citation|title=映画『FLEE フリー』と夏のドキュメンタリー祭り2022/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあんまりナシ】|url=https://www.youtube.com/live/v4rSVwjzVDI?si=lXXlsMSWKwNPglpu|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年6月23日||ゾンビ映画の原点『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と、ジョージ・A・ロメロ“再”入門/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク||『[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド]]』||[[ジョージ・A・ロメロ]]|||<ref>{{Citation|title=ゾンビ映画の原点『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と、ジョージ・A・ロメロ“再”入門/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/M4xRZbYThUY?si=EHzr3pmVwsX4Dzwf|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年6月29日||【緊急特番】BLACKHOLE1周年記念<フツオタ&雑談超特集> 高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|||||||<ref>{{Citation|title=【緊急特番】BLACKHOLE1周年記念<フツオタ&雑談超特集> 高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/OLTJavGUnoI?si=cZnulzqdGm1Emj3H|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年7月6日||『リコリス・ピザ』とポール・トーマス・アンダーソン映画の世界/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】||『[[リコリス・ピザ]]』|||[[ポール・トーマス・アンダーソン]]||<ref>{{Citation|title=『リコリス・ピザ』とポール・トーマス・アンダーソン映画の世界/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】|url=https://www.youtube.com/live/XzRz0W9gDjY?si=zy_J-KH2wl4qwsTH|language=ja-JP|access-date=2023-12-08}}</ref>|| |- ||2022年7月13日||『ソー・ラブ&サンダー』&『エルヴィス』 夏のロック映画フェス!/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】||『[[ソー:ラブ&サンダー]]』<br />『[[エルヴィス]]』|||||<ref>{{Citation|title=『ソー・ラブ&サンダー』&『エルヴィス』 夏のロック映画フェス!/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】|url=https://www.youtube.com/live/amfZmJApjBc?si=uP2eY8Prk1n1VLnQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年7月20日||『X エックス』&『ブラック・フォン』 夏のホラー映画スペシャル!/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】||『[[X エックス]]』<br />『[[ブラック・フォン]]』|||||<ref>{{Citation|title=『X エックス』&『ブラック・フォン』 夏のホラー映画スペシャル!/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】|url=https://www.youtube.com/live/kSs86fsaNFI?si=fZEUhIOrGiWGUImt|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年7月27日||2022年上半期よかった映画大賞&2022年下半期楽しみな映画大賞/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|||||||<ref>{{Citation|title=2022年上半期よかった映画大賞&2022年下半期楽しみな映画大賞/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/w0wkw8QMthA?si=BzrBZuluL3KD4xUi|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年8月3日||『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』と恐竜大好き!特集/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク×高橋ターヤン(恐竜博士)【ネタバレあり】||『[[ジュラシック・ワールド/新たなる支配者]]』|||[[ジュラシック・パーク]]シリーズ||<ref>{{Citation|title=『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』と恐竜大好き!特集/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク×高橋ターヤン(恐竜博士)【ネタバレあり】|url=https://www.youtube.com/live/Pm6Mf90BfX0?si=sYklDH3aunh_jxgd|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:高橋ターヤン |- ||2022年8月10日||『ビリーバーズ』とカルト宗教を描いた映画特集/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】||『[[ビリーバーズ]]』|||||<ref>{{Citation|title=『ビリーバーズ』とカルト宗教を描いた映画特集/高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク【ネタバレあり】|url=https://www.youtube.com/live/aLRJ4kBsw8M?si=0_f1M7IfEaaA8U_a|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年8月24日||『NOPE/ノープ』究極予習PART1! 『ゲット・アウト』、『アス』…ジョーダン・ピール監督作品徹底解説 高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク||『[[NOPE/ノープ]]』|||[[ジョーダン・ピール]]||<ref>{{Citation|title=『NOPE/ノープ』究極予習PART1! 『ゲット・アウト』、『アス』…ジョーダン・ピール監督作品徹底解説 高橋ヨシキ×柳下毅一郎×てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/FOLlzRZU1mU?si=_aYK9N1XC4WIJ5BV|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年8月24日||『激怒』公開直前! 緊急予告編ウォッチパーティ!||『激怒』|||||<ref>{{Citation|title=『激怒』公開直前! 緊急予告編ウォッチパーティ!|url=https://www.youtube.com/live/3q6EIgmhI8k?si=zTR5qfGU32IQOWpP|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年8月31日||『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』&『サマリタン』 時空を超えたシルベスター・スタローン究極特集!/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ロッキー4/炎の友情|ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV]]』<br />『[[サマリタン]]』|||[[シルベスター・スタローン]]||<ref>{{Citation|title=『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』&『サマリタン』 時空を超えたシルベスター・スタローン究極特集!/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/9E5K3Dq_F54?si=VOM7zowm2vky6sI1|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年9月7日||『NOPE』完全ネタバレ批評 映画にとって“スペクタクル”とは何か/高橋ヨシキ+てらさわホーク||『NOPE/ノープ』|||ジョーダン・ピール||<ref>{{Citation|title=『NOPE』完全ネタバレ批評 映画にとって“スペクタクル”とは何か/高橋ヨシキ+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/nvMzHvaPO2w?si=pDnOcJyw4laCtET9|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年9月14日||『ブレット・トレイン』と鉄道映画大特集/高橋ヨシキ+てらさわホーク #blackholetv【ネタバレ批評】||『[[ブレット・トレイン]]』|||||<ref>{{Citation|title=『ブレット・トレイン』と鉄道映画大特集/高橋ヨシキ+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/2d0XVR_qCrU?si=XR4REVc5SRoP0sjC|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年9月21日||悪趣味! 変態! ジョン・ウォーターズ超入門/柳下毅一郎+高橋ヨシキ+てらさわホーク||ジョン・ウォーターズ監督作品|||[[ジョン・ウォーターズ]]||<ref>{{Citation|title=悪趣味! 変態! ジョン・ウォーターズ超入門/柳下毅一郎+高橋ヨシキ+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/2oCwr9QCoOM?si=aJjl7lbsPZO6K7E9|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年10月8日||チャンネル登録(もうすぐ)2万人記念! 超フツオタ感謝祭/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|||||||<ref>{{Citation|title=チャンネル登録(もうすぐ)2万人記念! 超フツオタ感謝祭/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/ttGc8EVCIe4?si=yMyised6_cNAzukQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年10月19日||スピルバーグ論!#1 デビュー作『四次元への招待』から『激突!』風雲のテレビ映画篇/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[四次元への招待]]』第2話「アイズ」<br />『[[刑事コロンボ]]』シーズン1第1話「構想の死角」<br />『[[激突!]]』<br />『[[恐怖の館 (映画)|恐怖の館]]』|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=スピルバーグ論!#1 デビュー作『四次元への招待』から『激突!』風雲のテレビ映画篇/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/AFg9JKU9l7g?si=W2XUzvlny9HyND1C|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年10月28日||『RRR』と激乱インド映画大特集/バフィー吉川+高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[RRR (映画)|RRR]]』|||[[S・S・ラージャマウリ]]||<ref>{{Citation|title=『RRR』と激乱インド映画大特集/バフィー吉川+高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/QrrbK4JcZr0?si=_L1dd4VERWhknWCG|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:バフィー吉川 |- ||2022年11月18日||『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』とMCUフェーズ4ぼんやり大総括!高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎||『[[ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー]]』|||マーベル・シリーズ||<ref>{{Citation|title=『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』とMCUフェーズ4ぼんやり大総括!高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/VUSnimEodcY?si=demaCZbyADJEB-58|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年12月9日||スピルバーグ論!#2 『ジョーズ』、『未知との遭遇』… 青嵐の映画界殴り込み篇/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎||『[[続・激突!/カージャック]]』<br />『[[ジョーズ]]』<br />『[[未知との遭遇]]』<br />『[[1941 (映画)|1941]]』|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=スピルバーグ論!#2 『ジョーズ』、『未知との遭遇』… 青嵐の映画界殴り込み篇/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/B8mEE-CU_kI?si=3_CCp8LeeQMhzfSX|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年12月14日||『マッドゴッド』とフィル・ティペットの超絶技巧SFXの世界/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一||『[[マッドゴッド]]』|||[[フィル・ティペット]]||<ref>{{Citation|title=『マッドゴッド』とフィル・ティペットの超絶技巧SFXの世界/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一|url=https://www.youtube.com/live/oRKdtsyZaNc?si=XizOy280mp4IGHCE|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年12月14日||『ブラックアダム』とDC映画はどこに向かうのか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎||『[[ブラックアダム (映画)|ブラックアダム]]』|||[[DCコミックス|DC]]映画||<ref>{{Citation|title=『ブラックアダム』とDC映画はどこに向かうのか/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/-tiIndXpCE8?si=C0Vy0cEJpxpsM85M|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年12月21日||『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と徹底検証!ジェームズ・キャメロン/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎||『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』|||[[ジェームズ・キャメロン]]||<ref>{{Citation|title=『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と徹底検証!ジェームズ・キャメロン/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/zPL8pN_3VgI?si=8Tjqi0K017QMqPQL|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2022年12月29日||BLACKHOLE大忘年会 2022年の映画200本くらいを振り返る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|||||||<ref>{{Citation|title=BLACKHOLE大忘年会 2022年の映画200本くらいを振り返る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/S44U23Ae2Kk?si=0cWTDQ8eYBPBnQDo|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |} === 2023年 === {| class="sortable wikitable" |- !配信日 !! 動画タイトル !! 取り上げる作品 !! 取り上げる製作者・出演者・ジャンル !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- ||2023年1月13日||スピルバーグ論!#3 天下無双のヒットメーカー篇|||『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]』<br />『[[E.T.]]』<br />『[[トワイライトゾーン]]』<br />『[[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]』<br />『[[世にも不思議なアメージング・ストーリー]]』||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=スピルバーグ論!#3 天下無双のヒットメーカー篇 #blackholetv 『レイダース』/『E.T.』/『トワイライトゾーン』/『魔宮の伝説』/『世にも不思議なアメージング・ストーリー』|url=https://www.youtube.com/live/O_vlU6ayYfU?si=Ff2w9mILlwen-j5p|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年1月18日||お正月だよ! 新春ふつおた特集! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|||||||<ref>{{Citation|title=お正月だよ! 新春ふつおた特集! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/ZVVANiZW4xA?si=HLc1erLIuuwVGSpu|language=ja-JP|access-date=2023-12-08}}</ref>|| |- ||2023年1月27日||【スピルバーグ論!#4 迷走の暗黒期篇】||[[カラー・パープル]]<br />[[太陽の帝国]]<br />[[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]]<br />[[オールウェイズ]]<br />[[フック]]|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=【スピルバーグ論!#4 迷走の暗黒期篇】|url=https://www.youtube.com/live/RTa_pn9IBu4?si=UvOI0dsBTPyDYQ5o|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年2月10日||【スピルバーグ論!#5 大復活!確変爆当たり篇】||[[ジュラシック・パーク]]<br />[[シンドラーのリスト]]<br />[[ロスト・ワールド]]<br />[[アミスタッド]]<br />[[プライベート・ライアン]]|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=【スピルバーグ論!#5 大復活!確変爆当たり篇】|url=https://www.youtube.com/live/8JqIo4U1Dy4?si=EKFWcGCadING8h0P|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年2月17日||【スピルバーグ論!#6 巨星を継ぐもの篇】|||[[A.I.]]<br />[[マイノリティ・リポート]]<br />[[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]<br />[[ターミナル (映画)|ターミナル]]<br />[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]]<br />[[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]<br />[[インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国]]||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=【スピルバーグ論!#6 巨星を継ぐもの篇】|url=https://www.youtube.com/live/05vlUkn0--U?si=zl0IAqpS8PW-idiD|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年2月20日||『アントマン&ワスプ:クアントマニア』とMCUフェイズ5大展望スペシャル 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|||『[[アントマン&ワスプ:クアントマニア]]』||マーベル・シリーズ||<ref>{{Citation|title=『アントマン&ワスプ:クアントマニア』とMCUフェイズ5大展望スペシャル 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/nruHnZMLy7c?si=ktX5bzlz8-Ue5tIJ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年2月24日||『アラビアンナイト 三千年の願い』とジョージ・ミラー監督“マッドマックス以外”大特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[アラビアンナイト 三千年の願い]]』|||[[ジョージ・ミラー]]||<ref>{{Citation|title=『アラビアンナイト 三千年の願い』とジョージ・ミラー監督“マッドマックス以外”大特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/L6DMmSC_lT8?si=niKsw1lvEIIIeEeN|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年3月1日||『ベネデッタ』とポール・ヴァーホーベン超入門 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ベネデッタ]]』|||[[ポール・バーホーベン]]||<ref>{{Citation|title=『ベネデッタ』とポール・ヴァーホーベン超入門 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/tBY751Lb21o?si=1CTMoEp8Gg-c6z05|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年3月10日||スピルバーグ論!最終回 映画の“巨人”の10年代編 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||[[タンタンの冒険]]<br />[[戦火の馬]]<br />[[リンカーン]]<br />[[ブリッジ・オブ・スパイ]]<br />[[BFG]]<br />[[ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書]]<br />[[レディ・プレイヤー1]]<br />[[ウエスト・サイド・ストーリー (映画)|ウェスト・サイド・ストーリー]]|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=スピルバーグ論!最終回 映画の“巨人”の10年代編 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/6daLLC77vdo?si=ZGg-lx3qL9-jbU-G|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年3月10日||『フェイブルマンズ』とスピルバーグにとって映画とは何か【スピルバーグ論!第0回】 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[フェイブルマンズ]]』|||スティーブン・スピルバーグ||<ref>{{Citation|title=『フェイブルマンズ』とスピルバーグにとって映画とは何か【スピルバーグ論!第0回】 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/LkqOFikqupA?si=z2KNcQIQXnxuGxYQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-08}}</ref>|| |- ||2023年3月17日||『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』徹底批評 ゲスト:高橋ターヤン/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス]]』|||[[ダニエルズ (監督)|ダニエルズ]]||<ref>{{Citation|title=『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』徹底批評 ゲスト:高橋ターヤン/高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/ngUY5C8SY5s?si=BvR7qlzJ5-8nBIXJ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年3月24日||『シン・仮面ライダー』レッツゴー!!徹底批評 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[シン・仮面ライダー]]』|||庵野秀明||<ref>{{Citation|title=『シン・仮面ライダー』レッツゴー!!徹底批評 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/7lf1UydJau8?si=pfnHhVozA97JiNja|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年3月29日||『マッシブ・タレント』とニコラス・ケイジ超特大特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[マッシブ・タレント]]』|||[[ニコラス・ケイジ]]||<ref>{{Citation|title=『マッシブ・タレント』とニコラス・ケイジ超特大特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/_Ai7SACxNxo?si=YjsyJ3QGWc4xiUf2|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年4月5日||『シン・仮面ライダー』お便り補完計画 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『シン・仮面ライダー』|||庵野秀明||<ref>{{Citation|title=『シン・仮面ライダー』お便り補完計画 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/6nOjt6hGQY0?si=ehZMpEmdkWevdGh4|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年4月11日||『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』とドラゴン大好き!特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り]]』|||||<ref>{{Citation|title=『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』とドラゴン大好き!特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/1d2hLCRsEH4?si=0D2WtYdXXGCGzttg|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年4月17日||『ダークグラス』とダリオ・アルジェント&ジャッロ映画の世界 鮮血超入門! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ダークグラス]]』|||[[ダリオ・アルジェント]]||<ref>{{Citation|title=『ダークグラス』とダリオ・アルジェント&ジャッロ映画の世界 鮮血超入門! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/Mub5X2p_0Tg?si=JSJStgX8xD11CZFg|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年4月21日||『ノック 終末の訪問者』とシャマラン映画の黙示録 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ノック 終末の訪問者]]』|||M・ナイト・シャマラン||<ref>{{Citation|title=『ノック 終末の訪問者』とシャマラン映画の黙示録 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/N7-vC68zFoU?si=kb8ZqhPNNyIsJySb|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年4月28日||『AIR/エア』とマット・デイモン&ベン・アフレックの“男”の友情! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[AIR/エア]]』|||[[マット・デイモン]]<br />[[ベン・アフレック]]||<ref>{{Citation|title=『AIR/エア』とマット・デイモン&ベン・アフレックの“男”の友情! 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/5FdoOHM-imk?si=9XA9QGwVS2vwNhs6|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年5月5日||映画版『スーパーマリオブラザーズ』とゲーム大好き!特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー]]』|||||<ref>{{Citation|title=映画版『スーパーマリオブラザーズ』とゲーム大好き!特集 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/ZhgVB49cCb0?si=LXa40xbtk3reGPOf|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年5月12日||『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』と銀河守護隊三部作大総括スペシャル 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』|||ジェームズ・ガン||<ref>{{Citation|title=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』と銀河守護隊三部作大総括スペシャル 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/u-lL3KWdDHU?si=SHeIDt3sMvGEGcZb|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年5月17日||『食人族』と喰いしん坊!万才 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[食人族]]』|||||<ref>{{Citation|title=『食人族』と喰いしん坊!万才 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/ua40euxWm0U?si=-ti0FauVWKoHjVV6|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年5月26日||『ワイルドスピード/ファイアーブースト』ニトロ全開特集! ワイスピにとって“ファミリー”とは何か 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『ワイルドスピード/ファイアーブースト』|||[[ワイルドスピードシリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『ワイルドスピード/ファイアーブースト』ニトロ全開特集! ワイスピにとって“ファミリー”とは何か 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/Xgu6NB5D-wA?si=IGdyyK-zqsRSUj4L|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年6月2日||『クリード 過去の逆襲』とスタローンなき『ロッキー』シリーズはどこに向かうのか 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎||『[[クリード 過去の逆襲]]』|||[[ロッキー (映画)|ロッキーシリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『クリード 過去の逆襲』とスタローンなき『ロッキー』シリーズはどこに向かうのか 高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/6Er0M2oiDsA?si=Tmxl6x451WspoJfw|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年6月11日||スコセッシ論!#1 タクシードライバーに至るスコセッシ創世記篇 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||[[ドアをノックするのは誰?]]<br />[[明日に処刑を…]]<br />[[ミーン・ストリート]]<br />[[アリスの恋]]<br />[[タクシードライバー]]||[[マーティン・スコセッシ]]||<ref>{{Citation|title=スコセッシ論!#1 タクシードライバーに至るスコセッシ創世記篇 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/D_qkefURYWE?si=JGqmSyQJGJZR_K-t|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||| |- ||2023年6月17日||【完全ネタバレ批評】『ザ・フラッシュ』と、大総括!DC映画史 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[ザ・フラッシュ]]』|||DC映画||<ref>{{Citation|title=【完全ネタバレ批評】『ザ・フラッシュ』と、大総括!DC映画史 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/DoH7fzEoLik?si=j9cAZYXzhHOUiYR9|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年6月21日||【ネタバレ全開】『アクロス・ザ・スパイダーバース』と親愛なる隣人の歴史と宿命 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース]]』|||[[スパイダーマンの映画作品]]||<ref>{{Citation|title=【ネタバレ全開】『アクロス・ザ・スパイダーバース』と親愛なる隣人の歴史と宿命 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/C1Rh0A9A3vU?si=QxwUIOlfHJBgD7JK|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年7月8日||『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』ハリソン・フォード大冒険40年史  高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』|||[[インディ・ジョーンズ シリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』ハリソン・フォード大冒険40年史  高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/tIjhRkiVBb0?si=WRhSL2_F9rlQlTFk|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年7月12日||『カード・カウンター』とポール・シュレイダーの罪と贖罪の世界 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[カード・カウンター]]』||[[ポール・シュレイダー]]|||<ref>{{Citation|title=『カード・カウンター』とポール・シュレイダーの罪と贖罪の世界 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/KpbskIy9nK4?si=1k08Gtx6sLGUVPpL|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年7月16日||『君たちはどう生きるか』を、私たちはどう観たのか【完全ネタバレ感想大会】 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[君たちはどう生きるか]]』|||[[宮崎駿]]||<ref>{{Citation|title=『君たちはどう生きるか』を、私たちはどう観たのか【完全ネタバレ感想大会】 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/UrdEUMyHdR8?si=ObagPv7B_vBYkMS3|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年7月21日||『PEARL パール』&『ヴァチカンのエクソシスト』夏のホラーまつり! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[Pearl パール]]』<br />『[[ヴァチカンのエクソシスト]]』|||||<ref>{{Citation|title=『PEARL パール』&『ヴァチカンのエクソシスト』夏のホラーまつり! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/yqjCrH4dKxA?si=U2o-ufjy39_rvhws|language=ja-JP|access-date=2023-12-08}}</ref>|| |- ||2023年7月26日||スコセッシ論!#2 ハリウッドからの拒絶と、怒りの『レイジング・ブル』篇 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[ニューヨーク・ニューヨーク]]』<br />『[[レイジング・ブル]]』<br />『[[キング・オブ・コメディ]]』<br />『[[アフターアワーズ]]』<br />『[[ハスラー2]]』|||マーティン・スコセッシ||<ref>{{Citation|title=スコセッシ論!#2 ハリウッドからの拒絶と、怒りの『レイジング・ブル』篇 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/mIM6f2Xpx2g?si=kCRBjsLQNTabxidO|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年7月29日||【ご報告】高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|||||||<ref>{{Citation|title=【ご報告】高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/M5LS1G0-mVw?si=HyCsvpIpSvbB5xCd|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:[[宇多丸]]<br />株式会社BLACKHOLE設立発表 |- ||2023年8月4日||『キングダム エクソダス<脱出>』とラース・フォン・トリアーの躁鬱世界/高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[キングダム (テレビドラマ)|キングダム エクソダス<脱出>]]』|||[[ラース・フォン・トリアー]]||<ref>{{Citation|title=『キングダム エクソダス<脱出>』とラース・フォン・トリアーの躁鬱世界/高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/MmOVmxFvQEc?si=2y7gwtkaiH8J75jw|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年8月11日||『トランスフォーマー/ビースト覚醒』と実写巨大ロボット映画の系譜/高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[トランスフォーマー/ビースト覚醒]]』|||[[トランスフォーマーシリーズ]]||<ref>{{Citation|title=『トランスフォーマー/ビースト覚醒』と実写巨大ロボット映画の系譜/高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/mx_3HC_n-ys?si=iTgqeqRvnlV-UBiN|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年8月18日||『バービー』とケンの実存の曙 BLACKHOLE MOJO DOJO CASA HOUSE(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)with Utomaru||『[[バービー]]』||『[[バービー]]』|||<ref>{{Citation|title=『バービー』とケンの実存の曙 BLACKHOLE MOJO DOJO CASA HOUSE(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)with Utomaru|url=https://www.youtube.com/live/kJ1m98HbBpM?si=7uJs9dU3KEH07409|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||ゲスト:Utomaru |- ||2023年8月25日||『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』とクローネンバーグの越境する身体(てらさわホーク・柳下毅一郎)||『[[クライムズ・オブ・ザ・フューチャー]]』|||[[デヴィッド・クローネンバーグ]]||<ref>{{Citation|title=『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』とクローネンバーグの越境する身体(てらさわホーク・柳下毅一郎)|url=https://www.youtube.com/live/CoSiZCWj-YI?si=8D1FeJKs3hpF6P8k|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||高橋ヨシキ不在 |- ||2023年9月1日||混迷!マーベル・DC アメコミ映画の現在地(てらさわホーク・柳下毅一郎)|||||アメコミ映画||<ref>{{Citation|title=混迷!マーベル・DC アメコミ映画の現在地(てらさわホーク・柳下毅一郎)|url=https://www.youtube.com/live/onSzvgjIfvE?si=0vB8485i6DVdCbqe|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||高橋ヨシキ不在 |- ||2023年9月8日||BLACKHOLE留守番スペシャル 魂のフツオタ回(てらさわホーク)|||||||<ref>{{Citation|title=BLACKHOLE留守番スペシャル 魂のフツオタ回(てらさわホーク)|url=https://www.youtube.com/live/JDTV84yMqEU?si=opP1qLcFmsBIZqpb|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||てらさわホーク単独出演 |- ||2023年9月15日||STAR WARS! 『スター・ウォーズ』はどこへ向かうのか(高橋ヨシキ・てらさわホーク・ジャガモンド斉藤)||『[[スター・ウォーズシリーズ]]』|||||<ref>{{Citation|title=STAR WARS! 『スター・ウォーズ』はどこへ向かうのか(高橋ヨシキ・てらさわホーク・ジャガモンド斉藤)|url=https://www.youtube.com/live/xiqHR-FG1Pc?si=fwTPDRWZRpjgbRYH|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||柳下毅一郎不在<br />ゲスト:ジャガモンド斉藤 |- ||2023年9月22日||スコセッシ論!#3 『最後の誘惑』から『グッドフェローズ』、『ケープ・フィアー』に『エイジ・オブ・イノセンス』まで! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[最後の誘惑]]』<br />『[[ニューヨーク・ストーリー]]』<br />『[[グッドフェローズ]]』<br />『[[ケープ・フィアー]]』<br />『[[エイジ・オブ・イノセンス]]』|||マーティン・スコセッシ||<ref>{{Citation|title=スコセッシ論!#3 『最後の誘惑』から『グッドフェローズ』、『ケープ・フィアー』に『エイジ・オブ・イノセンス』まで! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/X9swnVLSsaE?si=n71ECKuu5c2g91xw|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年10月6日||カメ対クマ! 『ミュータント・タートルズ/ミュータント・パニック』VS『コカイン・ベア』秋のクレイジー・アニマル大戦争!(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)||『[[ミュータント・タートルズ/ミュータント・パニック]]』<br />『[[コカイン・ベア]]』|||||<ref>{{Citation|title=カメ対クマ! 『ミュータント・タートルズ/ミュータント・パニック』VS『コカイン・ベア』秋のクレイジー・アニマル大戦争!(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)|url=https://www.youtube.com/live/04OOKX60Pa8?si=xKpGJvrHyiLVIeIl|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年10月13日||スコセッシ論!#4 『カジノ』!『クゥンドゥン』!『救命士』!『ギャング・オブ・ニューヨーク』!『アビエイター』まで! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[カジノ]]』<br />『[[クンドゥン]]』<br />『[[救命士]]』<br />『[[ギャング・オブ・ニューヨーク]]』<br />『[[アビエイター]]』|||マーティン・スコセッシ||<ref>{{Citation|title=スコセッシ論!#4 『カジノ』!『クゥンドゥン』!『救命士』!『ギャング・オブ・ニューヨーク』!『アビエイター』まで! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/M6BhBTemptk?si=UeoK4lsVzGzEKtqZ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年10月20日||スコセッシ論!#5 『ディパーテッド』から『アイリッシュマン』まで、ラストスパート6本勝負! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク||『[[ディパーテッド]]』<br />『[[シャッター アイランド]]』<br />『[[ヒューゴの不思議な発明]]』<br />『[[ウルフ・オブ・ウォールストリート]]』<br />『[[沈黙 -サイレンス-]]』<br />『[[アイリッシュマン]]』|||マーティン・スコセッシ||<ref>{{Citation|title=スコセッシ論!#5 『ディパーテッド』から『アイリッシュマン』まで、ラストスパート6本勝負! 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク|url=https://www.youtube.com/live/5fYqaj91nCI?si=lLozy4hIcKrCMi15|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年10月27日||『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』とスコセッシの“アメリカ”(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)||『[[キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン]]』|||マーティン・スコセッシ||<ref>{{Citation|title=『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』とスコセッシの“アメリカ”(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)|url=https://www.youtube.com/live/uE5eJ0Eaahw?si=pwxKp2892Czj7K0x|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年11月3日||秋の2本立て! ロバート・ロドリゲス『ドミノ』と『SISU/不死身の男』大特集!(高橋ヨシキ+てらさわホーク)||『[[ドミノ (2023年の映画)|ドミノ]]』<br />『[[SISU/不死身の男]]』|||||<ref>{{Citation|title=秋の2本立て! ロバート・ロドリゲス『ドミノ』と『SISU/不死身の男』大特集!(高橋ヨシキ+てらさわホーク)|url=https://www.youtube.com/live/B0ngOnrCHdw?si=5kHl2rbjLBbLsxik|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||柳下毅一郎不在 |- ||2023年11月8日||徹底討論! 『ゴジラ-1.0』とゴジラ映画は何を目指すのか?(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)||『[[ゴジラ-1.0]]』|||[[山崎貴]]||<ref>{{Citation|title=徹底討論! 『ゴジラ-1.0』とゴジラ映画は何を目指すのか?(高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク)|url=https://www.youtube.com/live/saIO7xL_KCo?si=w7Rcuf496Y--Aa-Q|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年11月17日||MCU映画の最新形『マーベルズ』と、どうするどうなるアメコミ映画特集!||『[[マーベルズ]]』|||マーベル・シリーズ||<ref>{{Citation|title=MCU映画の最新形『マーベルズ』と、どうするどうなるアメコミ映画特集!|url=https://www.youtube.com/live/sATK8ZjMR5E?si=1_7-elTXtEcplugI|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年11月24日||『ザ・キラー』配信開始! 映画監督スーパースター列伝 第2回 デヴィッド・フィンチャー篇||『[[ザ・キラー (2023年の映画)|ザ・キラー]]』|||[[デヴィッド・フィンチャー]]||<ref>{{Citation|title=『ザ・キラー』配信開始! 映画監督スーパースター列伝 第2回 デヴィッド・フィンチャー篇|url=https://www.youtube.com/live/W45khdBLOtE?si=qXBw5D2bX9NofYsI|language=ja-JP|access-date=2023-12-06}}</ref>|| |- ||2023年12月1日||ポスト・ポスト・モダン時代のリバイバル映画大特集!|||||||<ref>{{Citation|title=ポスト・ポスト・モダン時代のリバイバル映画大特集!|url=https://www.youtube.com/live/xH_K1PpCI6Q?si=vUeog0i1OVKaQcG9|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年12月8日||『ナポレオン』公開! 映画監督スーパースター列伝 第3回 リドリー・スコット篇||『[[ナポレオン (2023年の映画)|ナポレオン]]』|||リドリー・スコット||<ref>{{Citation|title=『ナポレオン』公開! 映画監督スーパースター列伝 第3回 リドリー・スコット篇|url=https://www.youtube.com/live/Re5WdGQ5kLE?si=QB-_ZMR3RPBMpqb1|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年12月15日||『VORTEX ヴォルテックス』とギャスパー・ノエ DELUX!||『[[VORTEX ヴォルテックス]]』|||[[ギャスパー・ノエ]]||<ref>{{Citation|title=『VORTEX ヴォルテックス』とギャスパー・ノエ DELUX!|url=https://www.youtube.com/live/l8AxzUEDuxY?si=7qaobrhCvMAJauL8|language=ja-JP|access-date=2023-12-15}}</ref>|| |- ||2023年12月22日||【ホリデー・スペシャル】クリスマスまったり映画トーク!|| |||<ref>{{Citation|title=【ホリデー・スペシャル】クリスマスまったり映画トーク!|url=https://www.youtube.com/watch?v=7piv_4lqAfY|language=ja-JP|access-date=2023-12-23}}</ref>|| |- ||2023年12月29日||BLACKHOLE大忘年会 2023年の映画とBLACKHOLEを振り返る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|| |||<ref>{{Citation|title=BLACKHOLE大忘年会 2023年の映画とBLACKHOLEを振り返る/高橋ヨシキ×てらさわホーク×柳下毅一郎|url=https://www.youtube.com/live/Xnl7zRQU6D4?si=TcftvqSNk4Qg2RWb|language=ja-JP|access-date=2023-12-29}}</ref>||ゲスト:宇多丸 |} === 2024年 === {| class="sortable wikitable" |- !配信日 !! 動画タイトル !! 取り上げる作品 !! 取り上げる製作者・出演者・ジャンル !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- |} == インタビュー == {| class="sortable wikitable" |- !公開日 !! 動画タイトル !! 取り上げる作品 !! インタビューされる製作者・出演者 !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- ||2023年2月24日||「自分自身の物語に気がつくために」ジョージ・ミラー監督独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『アラビアンナイト 三千年の願い』公開記念】||『[[アラビアンナイト 三千年の願い]]』|||[[ジョージ・ミラー]]||<ref>{{Citation|title=「自分自身の物語に気がつくために」ジョージ・ミラー監督独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『アラビアンナイト 三千年の願い』公開記念】 #BLACKHOLETV|url=https://www.youtube.com/watch?v=C42gKO-zD4k|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年9月4日||「老いは変身だ」クローネンバーグ監督独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』公開記念】||『[[クライムズ・オブ・ザ・フューチャー]]』|||[[デヴィッド・クローネンバーグ]]||<ref>{{Citation|title=「老いは変身だ」クローネンバーグ監督独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』公開記念】 #BLACKHOLETV|url=https://www.youtube.com/watch?v=Wbv7dwrJwuE|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年9月6日||ラース・フォン・トリアー監督新作プロデューサー/ルイーズ・ヴェスト独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『キングダム エクソダス<脱出>』公開記念】||『[[キングダム (テレビドラマ)|キングダム エクソダス<脱出>]]』|||[[ルイーズ・ヴェスト]]||<ref>{{Citation|title=ラース・フォン・トリアー監督新作プロデューサー/ルイーズ・ヴェスト独占インタビュー×高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎【『キングダム エクソダス<脱出>』公開記念】 #BLACKHOLETV|url=https://www.youtube.com/watch?v=T7wpDwPydig|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>|| |- ||2023年12月18日||「いいアイディアは常にコピーだ」ギャスパー・ノエ監督独占インタビュー×柳下毅一郎+高橋ヨシキ【『VORTEX ヴォルテックス』公開記念】||『[[VORTEX ヴォルテックス]]』|||[[ギャスパー・ノエ]]||<ref>{{Citation|title=「いいアイディアは常にコピーだ」ギャスパー・ノエ監督独占インタビュー×柳下毅一郎+高橋ヨシキ【『VORTEX ヴォルテックス』公開記念】 #BLACKHOLETV|url=https://www.youtube.com/watch?v=VRbieL0jzmU|language=ja-JP|access-date=2023-12-18}}</ref>|| |} == イベント == {| class="sortable wikitable" |- !公開日 !! 動画タイトル !! 作品 !! 取り上げる製作者・出演者・ジャンル !! class="unsortable" | 動画リンク !! class="unsortable" | 主な出来事 |- ||2023年9月30日||BLACKHOLE LIVE FROM 宮崎キネマ館! 映画監督スーパースター列伝(仮) 第1回 ジョー・ダンテ篇||[[ゾンビ・ガール]]|||[[ジョー・ダンテ]]||<ref>{{Citation|title=BLACKHOLE LIVE FROM 宮崎キネマ館! 映画監督スーパースター列伝(仮) 第1回 ジョー・ダンテ篇 #blackholetv|url=https://www.youtube.com/watch?v=GJdyNfuRaeM|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||[[宮崎キネマ館]]から公開生配信<br />冒頭ジョー・ダンテからのビデオメッセージが流れた |- ||2023年11月3日||初体験! BLACKHOLE出張生配信全記録 LIVE from 宮崎キネマ館(2023年9月29日〜31日)||||||<ref>{{Citation|title=初体験! BLACKHOLE出張生配信全記録 LIVE from 宮崎キネマ館(2023年9月29日〜31日)|url=https://www.youtube.com/watch?v=RtAkAfAhTWQ|language=ja-JP|access-date=2023-12-09}}</ref>||| |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://blackholetv.official.ec/ BLACKHOLE] - オンラインショップ * {{YouTube|channel=UCKD3fd8pDu_mftZRuNVk7Bg}} * {{Twitter|blackhole_mag|BLACKHOLE}} * {{Instagram|blackhole_tv_|BLACKHOLE}} {{Internet-stub}} {{デフォルトソート:ふらつくほーる}} [[Category:YouTubeのチャンネル]] [[Category:日本のインターネットテレビ番組]] [[Category:2021年のWeb動画]]
2023-12-09T05:14:08Z
2023-12-29T11:05:16Z
false
false
false
[ "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:Internet-stub", "Template:Infobox YouTube personality", "Template:Reflist", "Template:Citation", "Template:YouTube" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/BLACKHOLE
4,864,240
富永就姓
富永 就姓(とみなが なりうじ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。母は富永元康の娘。 慶長9年(1604年)、毛利氏家臣である宍戸元真の次男として生まれる。 慶長15年(1610年)、毛利輝元の小姓として仕え始め、就姓の母の申し出を聞き届けた輝元は、就姓に「富永」の苗字を名乗らせて富永氏の先知行地を与えるよう毛利秀就に申し聞かせることを約束した。 また、輝元が病に伏せった際、就姓が輝元の側に日夜詰めて油断なく奉公していることを福原元頼から聞いた毛利秀就に賞賛されている。 寛永5年(1628年)12月28日、毛利秀就から「就」の偏諱と「六郎左衛門尉」の官途名を与えられた。 貞享5年(1688年)1月8日に死去。享年85。子の就正が後を継いだ。なお、就正の代になっても富永氏の先知行地が与えられなかったため、就正が苗字を「宍戸」に戻すことを願い出て、以後は宍戸の苗字を名乗ることとなる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "富永 就姓(とみなが なりうじ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。母は富永元康の娘。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "慶長9年(1604年)、毛利氏家臣である宍戸元真の次男として生まれる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "慶長15年(1610年)、毛利輝元の小姓として仕え始め、就姓の母の申し出を聞き届けた輝元は、就姓に「富永」の苗字を名乗らせて富永氏の先知行地を与えるよう毛利秀就に申し聞かせることを約束した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、輝元が病に伏せった際、就姓が輝元の側に日夜詰めて油断なく奉公していることを福原元頼から聞いた毛利秀就に賞賛されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "寛永5年(1628年)12月28日、毛利秀就から「就」の偏諱と「六郎左衛門尉」の官途名を与えられた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "貞享5年(1688年)1月8日に死去。享年85。子の就正が後を継いだ。なお、就正の代になっても富永氏の先知行地が与えられなかったため、就正が苗字を「宍戸」に戻すことを願い出て、以後は宍戸の苗字を名乗ることとなる。", "title": "生涯" } ]
富永 就姓は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。母は富永元康の娘。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 富永就姓 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[慶長]]9年([[1604年]]) | 死没 = [[貞享]]5年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]([[1688年]][[2月9日]]) | 改名 = 宍戸猪之介([[幼名]])→富永猪之介→富永就姓 | 別名 = 六郎左衛門尉(通称) | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = [[毛利輝元]]→[[毛利秀就|秀就]]→[[毛利綱広|綱広]]→[[毛利吉就|吉就]] | 藩 = [[長州藩]] | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]八田氏族[[宍戸氏]]→[[富永氏]] | 父母 = 父:[[宍戸元真]]、母:[[富永元康]]の娘 | 兄弟 = 男子、'''就姓'''、[[宍戸元忠]] | 妻 = | 子 = '''[[宍戸就正]]''' | 特記事項 = }} '''富永 就姓'''(とみなが なりうじ)は、[[江戸時代]]前期の[[武士]]。[[毛利氏]]家臣で[[長州藩]]士。父は[[宍戸元真]]。母は[[富永元康]]の娘。 == 生涯 == [[慶長]]9年([[1604年]])、[[毛利氏]]家臣である[[宍戸元真]]の次男として生まれる<ref name=kafu>『閥閲録』巻32「宍戸権之助」家譜。</ref>。 慶長15年([[1610年]])、[[毛利輝元]]の[[小姓]]として仕え始め<ref name=kafu></ref>、就姓の母の申し出を聞き届けた輝元は、就姓に「富永」の苗字を名乗らせて富永氏の先知行地を与えるよう[[毛利秀就]]に申し聞かせることを約束した<ref>『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第1号、年不詳[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]付、宍戸猪之介(就姓)宛て毛利輝元書状。</ref>。 また、輝元が病に伏せった際、就姓が輝元の側に日夜詰めて油断なく奉公していることを[[福原元頼]]から聞いた毛利秀就に賞賛されている<ref>『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第2号、年不詳[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]付、宍戸猪之介(就姓)宛て毛利秀就書状。</ref>。 [[寛永]]5年([[1628年]])[[12月28日 (旧暦)|12月28日]]、毛利秀就から「就」の[[偏諱]]と「六郎左衛門尉」の[[官途名]]を与えられた<ref>『閥閲録』巻32「宍戸権之助」第3号、寛永5年(1628年)[[12月28日 (旧暦)|12月28日]]付、富永猪之介(就姓)宛て毛利秀就書状。</ref>。 [[貞享]]5年([[1688年]])[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]に死去<ref name=kafu></ref>。享年85<ref name=kafu></ref>。子の[[宍戸就正|就正]]が後を継いだ<ref name=kafu></ref>。なお、就正の代になっても富永氏の先知行地が与えられなかったため、就正が苗字を「宍戸」に戻すことを願い出て、以後は宍戸の苗字を名乗ることとなる<ref name=kafu></ref>。 == 系譜 == * 父:[[宍戸元真]](1578-1648) * 母:[[富永元康]]の娘(?-?) * 正室:不明 ** 長男:[[宍戸就正]](1629-1706) - 初名は富永左伝次。通称は忠左衛門、半右衛門。[[宝永]]3年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]([[1706年]][[9月11日]])に死去。享年78。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] * 『[[閥閲録|萩藩閥閲録]]』巻32「宍戸権之助」 {{DEFAULTSORT:とみなか なりうし}} [[Category:三丘宍戸家|なりうし]] [[Category:周防国の人物]] [[Category:長州藩士]] [[Category:1604年生]] [[Category:1688年没]]
2023-12-09T05:16:40Z
2023-12-22T13:34:54Z
false
false
false
[ "Template:基礎情報 武士", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:クローズドアクセス" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E5%B0%B1%E5%A7%93
4,864,241
限りなく白く
限りなく白く(かぎりなくしろく)は、2023年9月にデビューした北海道札幌市を拠点に活動する日本の5人組女性アイドルグループ。所属事務所はTSUIMA Inc.。 2023年8月、TSUIMA Inc.の新アイドルグループとしてお披露目された。同年9月、デビュー。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "限りなく白く(かぎりなくしろく)は、2023年9月にデビューした北海道札幌市を拠点に活動する日本の5人組女性アイドルグループ。所属事務所はTSUIMA Inc.。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年8月、TSUIMA Inc.の新アイドルグループとしてお披露目された。同年9月、デビュー。", "title": "概要" } ]
限りなく白く(かぎりなくしろく)は、2023年9月にデビューした北海道札幌市を拠点に活動する日本の5人組女性アイドルグループ。所属事務所はTSUIMA Inc.。
{{Infobox Musician | Name = 限りなく白く | Background = group | Origin = {{JPN}}・[[北海道]][[札幌市]] | Genre = [[J-POP]] | Years_active = 2023年 - | Production = TSUIMA Inc. | Associated_acts = 松井 広大 | Current_members = {{Plainlist| * 白瀬 ななこ * 斉藤 心春 * 二葉 優莉愛 * 山田 一十 * 藍沢 未羽 }} }}{{Infobox YouTube personality | name = 限りなく白く | views = 1,195回 | channel_direct_url = @Hokkaido_idol | years_active = 2023年8月15日 - | subscribers = 410人 | stats_update = 2023年12月21日 }} '''限りなく白く'''(かぎりなくしろく)は、2023年9月にデビューした北海道札幌市を拠点に活動する日本の5人組女性アイドルグループ。所属事務所はTSUIMA Inc.<ref>{{Cite web |title=TSUIMA Inc. |url=https://tsuima.jp/ |website=TSUIMA Inc. |date=2019-02-19 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 == 概要 == 2023年8月、TSUIMA Inc.の新アイドルグループとしてお披露目された<ref name=":3">{{Citation|title=2023.08.13(日) ミテイノテイキ Vol.4 新グループお披露目会|url=https://www.youtube.com/watch?v=sbGQSONiypY|language=ja-JP|access-date=2023-12-21}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1691439335042924545?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1691439335042924545?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。同年9月、デビュー<ref name=":1">{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1706295405389201615?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1706295405389201615?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 == 略歴 == === 2023年 === * 8月13日、[http://mole-sapporo.jp/ Sound lab mole]にて開催された「ミテイノテイキ Vol.4」にてお披露目<ref name=":3" /><ref name=":0" />。 * 9月17日、グループ名「限りなく白く」が発表された<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1703363193006137725?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1703363193006137725?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref>。 * 9月23日、Sound lab moleにて開催された「限りなく白く デビューライブ #北海道に新しいアイドルができるらしい 公演」にてデビュー<ref name=":1" />。 == メンバー == {| class="wikitable" style="text-align:; font-size:small;" !氏名 !よみ !誕生日 !血液型 !身長 !出身 !趣味 !特技 !備考 |- !白瀬 ななこ<ref name=":2">{{Cite web |title=Talent - TSUIMA Inc. |url=https://tsuima.jp/talent/ |date=2023-10-17 |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> |しらせ ななこ |8月29日 |O型 |148cm |北海道 |ヘアアレンジ |太鼓の達人、バトン | |- !斉藤 心春<ref name=":2" /> |さいとう こはる |3月4日 |AB型 |148cm |北海道 |アニメ鑑賞 |振りコピ | |- !二葉 優莉愛<ref name=":2" /><ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/futaba_yuria/status/1703399869506056514?s=20 |url=https://twitter.com/futaba_yuria/status/1703399869506056514?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> |ふたば ゆりあ |6月27日 |O型 |149cm |北海道[[旭川市]] |絵を描くこと |ゲーム | |- !山田 一十<ref name=":2" /> |やまだ いと |12月26日 |A型 |151cm |北海道 |映画鑑賞 |絵を描くこと | |- !藍沢 未羽<ref name=":2" /> |あいざわ みう |1月22日 |A型 |157cm |東京都 |クリームソーダを飲む |弾き語り | |} == 作品 == === 楽曲 === {| class="wikitable" style="text-align:; font-size:small;" !# !タイトル !備考 |- !1 |プロローグ | |- !2 |雪の降る街 | |- !3 |青春の相対論<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1718985762824499223?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1718985762824499223?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> | |- !4 |Why White?<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1718986134553063840?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1718986134553063840?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> | |- !5 |blindly<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1726579671440273564?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1726579671440273564?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> | |- !6 |愛はゲームじゃない<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1726579860351725575?s=20 |url=https://twitter.com/Hokkaido__idol/status/1726579860351725575?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-09 |language=ja}}</ref> | |} == ライブ == {| class="wikitable" style="text-align:; font-size:small;" !年 !公演名 !公演日 !会場 |- ! rowspan="4" |2023年 |限りなく白く デビューライブ 「#北海道に新しいアイドルができるらしい 公演」 |9月23日 |Sound lab mole |- | rowspan="3" |毎月単独公演 |10月30日 | rowspan="3" |Sound lab mole |- |11月20日 |- |12月26日 |- !2024年 |限りなく白く 単独 -干支公演- |1月6日 |[https://www.spaceart-studio.com/ Space Art Studio] |} == 脚注 == <references /> == 外部リンク == === YouTube === * {{YouTube|限りなく白く|handle=Hokkaido_idol}} === X(旧Twitter) === * {{Twitter|Hokkaido__idol|限りなく白く}} * {{Twitter|shirase_nanako|白瀬 ななこ}} * {{Twitter|saito_koharu_|斉藤 心春}} * {{Twitter|futaba_yuria|二葉 優莉愛}} * {{Twitter|yamada__ito|山田 一十}} * {{Twitter|aizawa_miu_|藍沢 未羽}} === Instagram === * {{Instagram|shirase__nanako|白瀬 ななこ}} * {{Instagram|futaba__yuria|二葉 優莉愛}} * {{Instagram|yamada__ito|山田 一十}} === TikTok === * {{TikTok|id=saito_koharu|name=斉藤 心春}} === note === * [https://note.com/aizawamiu 藍沢 未羽](aizawamiu)- [[Note (配信サイト)|note]] {{DEFAULTSORT:かきりなくしろく}} [[Category:日本の女性アイドルグループ]] [[Category:ライブアイドル]] [[Category:北海道のローカルアイドル]] [[Category:音楽グループ]] [[Category:5人組の音楽グループ]] [[Category:2023年に結成した音楽グループ]]
2023-12-09T05:18:42Z
2023-12-28T11:00:54Z
false
false
false
[ "Template:Infobox Musician", "Template:Infobox YouTube personality", "Template:Cite web", "Template:Citation", "Template:YouTube", "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:TikTok" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8F%E7%99%BD%E3%81%8F
4,864,244
マイケル・ペニックス・ジュニア
マイケル・テレンス・ペニックス・ジュニア(Michael Tarrence Penix Jr., 2000年5月8日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのワシントン大学でプレーしている。ポジションはクォーターバック。 インディアナ大学に進学し、1年目の2018年シーズンは3試合に出場したが、前十字靭帯を断裂して長期離脱した。 2019年シーズンから復帰し先発を務めたが、怪我に苦しみ6試合の出場に留まった。 2020年シーズンも先発を務めたが、2020年11月30日のメリーランド大学戦で再び前十字靭帯を断裂し離脱した。 2021年シーズンに復帰し、5試合に出場した。 2021年12月22日にワシントン大学へ転校した。 2022年シーズンは同年のカレッジフットボールで最多となる4,641パス獲得ヤードを記録し、ワシントン大学のクォーターバックによるシーズン最多パス獲得ヤード記録を更新した。これらの活躍によりAP通信カムバック賞を受賞し、ハイズマン賞の投票では8位だった。シーズン終了後、2023年のNFLドラフトにはエントリーせず大学に残留することを発表した。 2023年シーズンは4,218パス獲得ヤード、33のパッシングTD、9つのインターセプトを記録し、チームはシーズン無敗の好成績だった。この活躍により、ハイズマン賞のファイナリストに選出された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "マイケル・テレンス・ペニックス・ジュニア(Michael Tarrence Penix Jr., 2000年5月8日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのワシントン大学でプレーしている。ポジションはクォーターバック。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "インディアナ大学に進学し、1年目の2018年シーズンは3試合に出場したが、前十字靭帯を断裂して長期離脱した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2019年シーズンから復帰し先発を務めたが、怪我に苦しみ6試合の出場に留まった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2020年シーズンも先発を務めたが、2020年11月30日のメリーランド大学戦で再び前十字靭帯を断裂し離脱した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2021年シーズンに復帰し、5試合に出場した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2021年12月22日にワシントン大学へ転校した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2022年シーズンは同年のカレッジフットボールで最多となる4,641パス獲得ヤードを記録し、ワシントン大学のクォーターバックによるシーズン最多パス獲得ヤード記録を更新した。これらの活躍によりAP通信カムバック賞を受賞し、ハイズマン賞の投票では8位だった。シーズン終了後、2023年のNFLドラフトにはエントリーせず大学に残留することを発表した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年シーズンは4,218パス獲得ヤード、33のパッシングTD、9つのインターセプトを記録し、チームはシーズン無敗の好成績だった。この活躍により、ハイズマン賞のファイナリストに選出された。", "title": "経歴" } ]
マイケル・テレンス・ペニックス・ジュニアは、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身のアメリカンフットボール選手。NCAAのワシントン大学でプレーしている。ポジションはクォーターバック。
{{Infobox college football player |名前 = マイケル・ペニックス・ジュニア |欧文表記 = Michael Penix Jr. |image = |image_size = |キャプション = |カレッジチーム名 = ワシントン・ハスキーズ |背番号 = 9 |ポジション = [[クォーターバック]] |学年 = [[File:Redshirt.svg|10px|Redshirt]] 4年生 |専攻 = |生年月日 = {{生年月日と年齢|2000|5|8}} |出身国 = USA |出身地 = [[フロリダ州]][[タンパ]] |身長_フィート = 6 |身長_インチ = 3 |体重_ポンド = 213 |高校 = タンパベイ工業高等学校 |pastschools = [[インディアナ大学]]<br>[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]] |ボウル・ゲーム = |受賞歴・記録 = * マックスウェル賞 (2023) * [[AP通信|AP]]カムバック賞 (2022) * 2× オール[[パシフィック12カンファレンス|Pac-12]]セカンドチーム (2022, 2023) * オール[[ビッグ10カンファレンス|ビッグ10]]セカンドチーム (2020) |espn = 4360423 }} '''マイケル・テレンス・ペニックス・ジュニア'''('''Michael Tarrence Penix Jr.''', [[2000年]][[5月8日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[タンパ]]出身の[[アメリカンフットボール]]選手。[[NCAA]]の[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]でプレーしている。ポジションは[[クォーターバック]]。 == 経歴 == === カレッジ === ==== インディアナ ==== [[インディアナ大学]]に進学し、1年目の2018年シーズンは3試合に出場したが、[[前十字靭帯]]を断裂して長期離脱した<ref>{{Cite web |title=Indiana QB Penix out for season with torn ACL |url=https://www.espn.com/college-football/story/_/id/25054153/indiana-freshman-qb-michael-penix-season-torn-acl |website=ESPN.com |date=2018-10-22 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 2019年シーズンから復帰し先発を務めたが、怪我に苦しみ6試合の出場に留まった<ref>{{Cite web |title=Indiana loses starting QB Penix for rest of season |url=https://www.espn.com/college-football/story/_/id/28016105/indiana-hoosiers-lose-michael-penix-jr-season-ending-surgery |website=ESPN.com |date=2019-11-05 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 2020年シーズンも先発を務めたが、2020年11月30日のメリーランド大学戦で再び前十字靭帯を断裂し離脱した<ref>{{Cite web |title=College football rankings: Oklahoma works its way into top 10 of new CBS Sports 127 |url=https://www.cbssports.com/college-football/news/college-football-rankings-oklahoma-works-its-way-into-top-10-of-new-cbs-sports-127/ |website=CBSSports.com |date=2020-11-30 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 2021年シーズンに復帰し、5試合に出場した。 ==== ワシントン ==== 2021年12月22日に[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]へ転校した<ref>{{Cite web |title=Ex-Hoosiers QB Penix transferring to Washington |url=https://www.espn.com/college-football/story/_/id/32867336/michael-penix-jr-transferring-washington-four-seasons-indiana |website=ESPN.com |date=2021-12-14 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 2022年シーズンは同年のカレッジフットボールで最多となる4,641パス獲得ヤードを記録し、ワシントン大学のクォーターバックによるシーズン最多パス獲得ヤード記録を更新した。これらの活躍により[[AP通信]]カムバック賞を受賞し、[[ハイズマン賞]]の投票では8位だった<ref>{{Cite web |title=Penix, Ibrahim, Latu earn comeback player of the year honors |url=https://apnews.com/article/college-football-sports-washington-huskies-ucla-bruins-michael-penix-9afda34e61c341229d90dfbc8794a5fb |website=AP News |date=2022-12-20 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。シーズン終了後、[[2023年のNFLドラフト]]にはエントリーせず大学に残留することを発表した<ref>{{Cite web |title=Job 'not finished,' QB Penix to return for Huskies |url=https://www.espn.com/college-football/story/_/id/35185954/washington-qb-michael-penix-jr-return-2023-season |website=ESPN.com |date=2022-12-05 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 2023年シーズンは4,218パス獲得ヤード、33のパッシングTD、9つのインターセプトを記録し、チームはシーズン無敗の好成績だった。この活躍により、ハイズマン賞のファイナリストに選出された<ref>{{Cite web |title=Daniels, Harrison, Nix, Penix to vie for Heisman |url=https://www.espn.com/college-football/story/_/id/39043397/heisman-trophy-names-daniels-harrison-jr-nix-finalists |website=ESPN.com |date=2023-12-05 |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 ==== 個人成績 ==== {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- ! rowspan="2"| シーズン ! colspan="3"| 試合 ! colspan="8"| パス ! colspan="5"| ラン |- ! GP !! GS !! Record !! Comp !! Att !! Pct !! Yards !! Avg !! TD !! Int !! Rate !! Att !! Yards !! Avg !! TD |- ! colspan="16" style="{{CollegePrimaryStyle|Indiana Hoosiers}}"| インディアナ |- ! 2018 | 3 || 0 || 0–0 || 21 || 34 || 61.8 || 219 || 6.4 || 1 || 0 || 125.6 || 7 || 45 || '''6.4''' || 0 |- ! 2019 | 6 || 6 || 5–1 || 110 || 160 || '''68.8''' || 1,394 || 8.7 || 10 || 4 || 157.6 || 22 || '''119''' || 5.4 || 2 |- ! 2020 | 6 || 6 || 5–1 || 124 || 220 || 56.4 || 1,645 || 7.5 || 14 || 4 || 136.5 || 18 || 25 || 1.4 || 2 |- ! 2021 | 5 || 5 || 2–3 || 87 || 162 || 53.7 || 939 || 5.8 || 4 || 7 || 101.9 || 17 || −24 || −1.4 || 2 |- ! colspan="16" style="{{CollegePrimaryStyle|Washington Huskies}}"| ワシントン |- ! 2022 | '''13''' || '''13''' || 11–2 || '''362''' || '''554''' || 65.3 || '''4,641''' || 8.4<!--8.377--> || 31 || 8 || 151.3 || '''35''' || 92 || 2.6 || '''4''' |- ! 2023 | '''13''' || '''13''' || '''13–0''' || 307 || 466 || 65.9 || 4,218 || '''9.1''' || '''33''' || '''9''' || '''161.4''' || 29 || −18 || −0.6 || 3 |- ! [https://www.sports-reference.com/cfb/players/michael-penix-jr-1.html 通算] !! 46 !! 43 !! 36–7 !! 1,011 !! 1,596 !! 63.3 !! 13,056 !! 8.2 !! 93 !! 32 !! 147.3 !! 128 !! 239 !! 1.9 !! 13 |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Twitter|themikepenix}} * {{Instagram|themp9}} * [https://gohuskies.com/sports/football/roster/michael-penix-jr-/14327 Washington Huskies bio] * [https://iuhoosiers.com/sports/football/roster/michael-penix-jr-/14628 Indiana Hoosiers bio] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:へにつくす まいける}} [[Category:アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アメリカンフットボールのクォーターバック]] [[Category:インディアナ大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:ワシントン大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:タンパ出身の人物]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T05:21:53Z
2023-12-09T05:33:18Z
false
false
false
[ "Template:Infobox college football player", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2
4,864,247
東新町 (豊田市)
東新町(とうしんちょう)は、愛知県豊田市の町名。現行行政地名は東新町1丁目から6丁目。 豊田市西部、挙母地区の西部に位置し、東は広久手町・衣ケ原、西は本新町、南は柿本町、北は新町に接する。 2023年(令和5年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "東新町(とうしんちょう)は、愛知県豊田市の町名。現行行政地名は東新町1丁目から6丁目。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "豊田市西部、挙母地区の西部に位置し、東は広久手町・衣ケ原、西は本新町、南は柿本町、北は新町に接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年(令和5年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。", "title": "世帯数と人口" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。", "title": "学区" } ]
東新町(とうしんちょう)は、愛知県豊田市の町名。現行行政地名は東新町1丁目から6丁目。
{{Pathnav|日本|愛知県|豊田市|this=東新町|frame=1}} {{Infobox Settlement | name = 東新町 | settlement_type = [[町丁]] | image_skyline = | imagesize = 270px | image_caption = | image_map = | map_caption = 東新町の位置 | pushpin_map = Japan Aichi#Japan Toyota City | latd = 35 | latm = 4 | lats = 52.03 | latNS = N | longd = 137 | longm = 7 | longs = 25.07 | longEW = E | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = [[File:Flag of Aichi Prefecture.svg|border|25px]] [[愛知県]] | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = [[File:Flag of Toyota, Aichi.svg|border|25px]] [[豊田市]] | subdivision_type3 = 地区 | subdivision_name3 = 挙母地区 | established_title1 = 町名制定{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=234}} | established_date1 = [[1959年]](昭和34年)[[1月1日]] | area_footnotes = <ref name="population"/> | area_total_km2 = 0.353 | elevation_footnotes = <!-- 標高(<ref>) --> | elevation_m = <!-- 標高 --> | population_as_of= [[2023年]](令和5年)[[11月1日]]現在 | population_footnotes = <ref name="population">{{Cite web|url=https://www.city.toyota.aichi.jp/shisei/tokei/1004630/1056775.html|title=豊田市の人口 2023年11月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数|publisher=豊田市|language=日本語|date=2023-11-13|accessdate=2023-12-09}}</ref> | population_total = 2046 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 471-0045<ref name="postal">{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=23&city=1232110&cmp=1&mode=list&addr=|title=郵便番号検索 愛知県豊田市の郵便番号一覧|publisher=[[日本郵便]]|accessdate=2023-12-04}}</ref> | area_code = 0565([[日本の市外局番#番号区画|豊田MA]])<ref name="areacode">{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html|title=市外局番の一覧|publisher=総務省|accessdate=2020-12-29}}</ref> | registration_plate = [[愛知運輸支局|豊田]] | footnotes = }} '''東新町'''(とうしんちょう)は、[[愛知県]][[豊田市]]の町名。現行行政地名は東新町1丁目から6丁目。 == 地理 == 豊田市西部、挙母地区の西部に位置し、東は[[広久手町 (豊田市)|広久手町]]・[[衣ケ原]]、西は[[本新町 (豊田市)|本新町]]、南は[[柿本町 (豊田市)|柿本町]]{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=1769}}、北は[[新町 (豊田市)|新町]]に接する。 == 世帯数と人口 == [[2023年]](令和5年)[[11月1日]]現在の世帯数と人口は以下の通りである<ref name="population"/>。 {| class="wikitable" ![[町丁]]!![[世帯|世帯数]]!![[人口]] |- |東新町 |style="text-align:right"|980世帯 |style="text-align:right"|2,046人 |} == 学区 == 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=https://www.city.toyota.aichi.jp/kurashi/gakkou/1002681/1004879/index.html|title=町名別小中学校区|publisher=豊田市|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 {| class="wikitable" !番・番地等!!小学校!!中学校!!高等学校普通科 |- |全域||[[豊田市立小清水小学校]]||[[豊田市立逢妻中学校]]||[[愛知県の高校入試#三河学区|三河学区]] |} == 歴史 == === 沿革=== * [[1959年]](昭和34年)[[1月1日]] - 挙母市大字[[宮口町|宮口]]の一部より、豊田市東新町が成立{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1989|p=606}}。 == 施設 == * 豊田ラッツ ** [[バロー (チェーンストア)|バロー]]東新町店 ** スーパースポーツゼビオ豊田東新店 * [[ブックオフコーポレーション|ブックオフ]]豊田柿本店 * [[ABホテル]]豊田元町 * 久修寺 == 交通 == * [[国道153号]] == その他 == === 日本郵便 === * 郵便番号 : 471-0045<ref name="postal"/>(集配局:[[豊田郵便局]]<ref>{{Cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/bangobo/zip_bgb.pdf|format=PDF|title=郵便番号簿 2018年度版|publisher=日本郵便|language=日本語|accessdate=2019-06-10}}</ref>)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|date=1989-03-08|title=[[角川日本地名大辞典]] 23 愛知県|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-001230-5|language=日本語|ref=harv}} == 関連項目 == * [[豊田市の町名の一覧]] * [[豊田市の地名の変遷]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline|Tōshin-chō, Toyota}} {{Japan-block-stub}} {{Pref-stub|pref=愛知県}} {{豊田市の町名}} {{デフォルトソート:とうしんちよう}} [[Category:豊田市の町名]] [[Category:1959年制定の町・字]]
2023-12-09T05:26:27Z
2023-12-09T05:26:27Z
false
false
false
[ "Template:豊田市の町名", "Template:Sfn", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Commonscat-inline", "Template:Pathnav", "Template:Infobox Settlement", "Template:Cite book", "Template:Japan-block-stub", "Template:Pref-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B0%E7%94%BA_(%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%B8%82)
4,864,250
小泉もえこ
小泉 もえこ(こいずみ もえこ、1991年2月21日 - )は、日本の女優。 NHK「みんなの広場だ!わんパーク」ほか、2012年「戦国少女伝・妖怪忍者~忍」、「GANG JUDGE」などの映画に出演。趣味はボルダリング、三味線。特技はタップダンスと、ピザつくり。 2023年には、NHK夜ドラ「ミワさんなりすます」に出演。本放送時、小泉演じる家政婦の池月海玲が「えっ」と驚くシーンの直後に臨時ニュースに切り替わり、話題となった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小泉 もえこ(こいずみ もえこ、1991年2月21日 - )は、日本の女優。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "NHK「みんなの広場だ!わんパーク」ほか、2012年「戦国少女伝・妖怪忍者~忍」、「GANG JUDGE」などの映画に出演。趣味はボルダリング、三味線。特技はタップダンスと、ピザつくり。", "title": "略歴・人物" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年には、NHK夜ドラ「ミワさんなりすます」に出演。本放送時、小泉演じる家政婦の池月海玲が「えっ」と驚くシーンの直後に臨時ニュースに切り替わり、話題となった。", "title": "略歴・人物" } ]
小泉 もえこは、日本の女優。
{{ActorActress | 芸名 = 小泉 もえこ | ふりがな = こいずみ もえこ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> | 出生地 = | 出身地 = | 死没地 = | 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> | 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 1991 | 生月 = 2 | 生日 = 21 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[俳優#性別での分類|女優]] | ジャンル = [[テレビドラマ]]・[[映画]] | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = | 著名な家族 = | 所属劇団 = | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 = <!-- 誰もが認める代表作品を記述 --> | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''小泉 もえこ'''(こいずみ もえこ、[[1991年]][[2月21日]]<ref name="thetv1">{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/1000029772/|title=小泉もえこのプロフィール |accessdate=2023-12-09}}</ref> - )は、[[日本]]の[[俳優|女優]]。 == 略歴・人物 == NHK「みんなの広場だ!わんパーク」ほか、2012年「戦国少女伝・妖怪忍者~忍」、「GANG JUDGE」などの映画に出演。趣味はボルダリング、三味線。特技はタップダンスと、ピザつくり。 2023年には、NHK夜ドラ「ミワさんなりすます」に出演。本放送時、小泉演じる家政婦の池月海玲が「えっ」と驚くシーンの直後に臨時ニュースに切り替わり、話題となった<ref name="t283574">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/283574|title=北ミサイルでドラマ大混乱 NHK夜ドラは「えっ」の直後にJアラート画面で驚きの声 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 主な出演 == === 映画 === * 『戦国少女伝・妖怪忍者~忍 』(2012年) - 鬼丸 役 * 『GANG JUDGE』(2012年) - 妙典寺 役 === テレビ === * 『[[みんなの広場だ!わんパーク]]』 (2000年 - 2003年、[[NHK]]) * 『[[ミワさんなりすます]]』 (2023年、[[NHK]]) <ref name="n543477">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/543477|title=ドラマ「ミワさんなりすます」に恒松祐里、山口紗弥加、片桐はいり、伊藤万理華ら出演 |accessdate=2023-12-09}}</ref> * 『ナースが婚活』(2024年放送予定、[[テレビ東京]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/553992|title=阿久津仁愛が「ナースが婚活」で矢田亜希子の助手に、遊井亮子・中林大樹らも出演|website=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-20|accessdate=2023-12-20}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == *{{Instagram|moekomoko}}(小泉もえこインスタグラム) {{デフォルトソート:こいすみ もえこ}} [[Category:日本の女優]] [[Category:1991年生]] [[Category:存命人物]] {{actor-stub}}
2023-12-09T05:33:25Z
2023-12-20T09:26:06Z
false
false
false
[ "Template:ActorActress", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Instagram", "Template:Actor-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E3%82%82%E3%81%88%E3%81%93
4,864,254
宍戸元忠
宍戸 元忠(ししど もとただ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。 慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年)、毛利氏家臣・宍戸元真の三男として生まれる。 元和7年(1621年)7月13日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられた。 寛永6年(1629年)11月1日、毛利秀就から「就」の偏諱と「半左衛門尉」の官途名を与えられる。なお、「就」の偏諱を与えられた後の諱は不明。 元禄3年(1690年)6月7日に死去。享年83または84。子の知忠が後を継いだ。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "宍戸 元忠(ししど もとただ)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "慶長12年(1607年)または慶長13年(1608年)、毛利氏家臣・宍戸元真の三男として生まれる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "元和7年(1621年)7月13日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "寛永6年(1629年)11月1日、毛利秀就から「就」の偏諱と「半左衛門尉」の官途名を与えられる。なお、「就」の偏諱を与えられた後の諱は不明。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "元禄3年(1690年)6月7日に死去。享年83または84。子の知忠が後を継いだ。", "title": "生涯" } ]
宍戸 元忠は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元真。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 宍戸元忠 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[慶長]]12年([[1607年]])または慶長13年([[1608年]]) | 死没 = [[元禄]]3年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]([[1690年]][[7月12日]]) | 改名 = | 別名 = 通称:喜平次→半左衛門尉 | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = | 霊名 = | 墓所 = | 官位 = | 幕府 = | 主君 = [[毛利秀就]]→[[毛利綱広|綱広]]→[[毛利吉就|吉就]] | 藩 = [[長州藩]] | 氏族 = [[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]八田氏族[[宍戸氏]] | 父母 = 父:[[宍戸元真]] | 兄弟 = 男子、[[富永就姓]]、'''元忠''' | 妻 = | 子 = [[宍戸知忠|知忠]] | 特記事項 = }} '''宍戸 元忠'''(ししど もとただ)は、[[江戸時代]]前期の[[武士]]。[[毛利氏]]家臣で[[長州藩]]士。父は[[宍戸元真]]。 == 生涯 == [[慶長]]12年([[1607年]])または慶長13年([[1608年]])、[[毛利氏]]家臣・[[宍戸元真]]の三男として生まれる<ref name=kafu>『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」家譜。</ref>。 [[元和 (日本)|元和]]7年([[1621年]])[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]、[[毛利輝元]]の加冠状を受けて[[元服]]し、「元」の[[偏諱]]を与えられた<ref>『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」第1号、元和7年(1621年)7月13日付、宍戸喜平次(元忠)宛て毛利宗瑞(輝元)加冠状。</ref>。 [[寛永]]6年([[1629年]])[[11月1日 (旧暦)|11月1日]]、[[毛利秀就]]から「就」の偏諱と「半左衛門尉」の[[官途名]]を与えられる<ref>『閥閲録』巻129「宍戸七右衛門」第2号、寛永6年(1629年)11月1日付、宍戸喜平次(元忠)宛て毛利秀就書状。</ref>。なお、「就」の偏諱を与えられた後の[[諱]]は不明。 [[元禄]]3年([[1690年]])[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]に死去<ref name=kafu></ref>。享年83または84<ref name=kafu></ref>。子の[[宍戸知忠|知忠]]が後を継いだ<ref name=kafu></ref>。 == 系譜 == * 父:[[宍戸元真]](1578-1648) * 正室:不明 ** 男子:[[宍戸知忠]](?-?) - 別名は宍戸信治<ref name=kafu></ref>。幼名は虎松<ref name=kafu></ref>。通称は七右衛門<ref name=kafu></ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献== * {{Cite book|和書|editor=防長新聞社山口支社編|others=[[三坂圭治]]監修|date=1966-3|title=近世防長諸家系図綜覧|publisher=[[防長新聞|防長新聞社]]|volume=|id={{全国書誌番号|73004060}}|ncid=BN07835639|isbn=|asin=|oclc=703821998|ref=harv}}{{クローズドアクセス}}[{{NDLDC|2984815}} 国立国会図書館デジタルコレクション] * 『[[閥閲録|萩藩閥閲録]]』巻129「宍戸七右衛門」 {{DEFAULTSORT:ししと もとたた}} [[Category:三丘宍戸家|もとたた]] [[Category:周防国の人物]] [[Category:長州藩士]] [[Category:1607年生]] [[Category:1608年生]] [[Category:1690年没]]
2023-12-09T05:41:38Z
2023-12-28T09:11:21Z
false
false
false
[ "Template:クローズドアクセス", "Template:基礎情報 武士", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8D%E6%88%B8%E5%85%83%E5%BF%A0
4,864,255
台湾菸酒公司
台湾菸酒股份有限公司(たいわんえんしゅ こふんゆうげんこうし、台湾煙酒株式会社)は、台湾の煙草と酒類を製造・販売する国営企業である。通称台湾菸酒公司、略称TTL(Taiwan Tobacco and Liquor Corporation)。最も有名な製品に台湾ビールがあるほか、ワイン、日本酒、中国酒、ウイスキー、ラム酒などを製造している。日本統治時代の1901年に設置された台湾総督府専売局を発祥とする。2002年までは台湾における煙草とアルコールの製造販売を独占していた。 台湾のセミプロバスケットボールリーグである超級籃球聯賽の台湾ビールバスケットボールチーム(英語版)(台灣啤酒籃球隊)のスポンサーとなっている。 日本統治時代の1901年に設置された台湾総督府専売局を発祥とする。当時は台湾における全ての酒類、煙草、アヘン、塩、樟脳を専売していた。1919年に高砂麦酒(中国語版)を設立して台湾初のビール醸造を開始した。第二次世界大戦中にマッチ、度量衡儀器、石油も専売局が独占して取り扱うようになった。 1945年の終戦に伴い国民党政府により接収された後も、台湾省専売局として、アヘンを除く専売事業を維持した。高砂ビールは台湾ビールに改称され、その翌年には製造が専売局に移管された。1947年に台湾省菸酒公売局に改称した。1950年代には食塩、度量衡儀器、マッチが専売対象から除外され、石油の専売事業は台湾中油に移管された。1960年代末に樟脳が専売事業から除外され、公売局の専売事業は煙草と酒類のみとなった。2002年に台湾が世界貿易機関(WTO)に加盟するのに伴い、市場開放のために専売事業を廃止する法律が施行され、公売局は台湾菸酒公司に改組された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "台湾菸酒股份有限公司(たいわんえんしゅ こふんゆうげんこうし、台湾煙酒株式会社)は、台湾の煙草と酒類を製造・販売する国営企業である。通称台湾菸酒公司、略称TTL(Taiwan Tobacco and Liquor Corporation)。最も有名な製品に台湾ビールがあるほか、ワイン、日本酒、中国酒、ウイスキー、ラム酒などを製造している。日本統治時代の1901年に設置された台湾総督府専売局を発祥とする。2002年までは台湾における煙草とアルコールの製造販売を独占していた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "台湾のセミプロバスケットボールリーグである超級籃球聯賽の台湾ビールバスケットボールチーム(英語版)(台灣啤酒籃球隊)のスポンサーとなっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本統治時代の1901年に設置された台湾総督府専売局を発祥とする。当時は台湾における全ての酒類、煙草、アヘン、塩、樟脳を専売していた。1919年に高砂麦酒(中国語版)を設立して台湾初のビール醸造を開始した。第二次世界大戦中にマッチ、度量衡儀器、石油も専売局が独占して取り扱うようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1945年の終戦に伴い国民党政府により接収された後も、台湾省専売局として、アヘンを除く専売事業を維持した。高砂ビールは台湾ビールに改称され、その翌年には製造が専売局に移管された。1947年に台湾省菸酒公売局に改称した。1950年代には食塩、度量衡儀器、マッチが専売対象から除外され、石油の専売事業は台湾中油に移管された。1960年代末に樟脳が専売事業から除外され、公売局の専売事業は煙草と酒類のみとなった。2002年に台湾が世界貿易機関(WTO)に加盟するのに伴い、市場開放のために専売事業を廃止する法律が施行され、公売局は台湾菸酒公司に改組された。", "title": "歴史" } ]
台湾菸酒股份有限公司は、台湾の煙草と酒類を製造・販売する国営企業である。通称台湾菸酒公司、略称TTL(Taiwan Tobacco and Liquor Corporation)。最も有名な製品に台湾ビールがあるほか、ワイン、日本酒、中国酒、ウイスキー、ラム酒などを製造している。日本統治時代の1901年に設置された台湾総督府専売局を発祥とする。2002年までは台湾における煙草とアルコールの製造販売を独占していた。 台湾のセミプロバスケットボールリーグである超級籃球聯賽の台湾ビールバスケットボールチーム(台灣啤酒籃球隊)のスポンサーとなっている。
{{Expand Chinese|date=2023年12月10日 (日) 12:03 (UTC)}} {{Infobox company | name = 台湾菸酒股份有限公司 | native_name = 臺灣菸酒股份有限公司 | logo = Taiwan Tobacco & Liquor Corporation Logo.svg | vector_logo = | type = [[国営企業]] | foundation = 1901年(台湾総督府専売局)<br />1945年(台湾省専売局)<br />1947年(台湾省菸酒公売局に改称)<br />2002年7月1日(台湾菸酒公司に改組) | founder = | location_city = [[台北市]] | location_country = {{ROC}} | key_people = | industry = 煙草・酒類の製造・販売 | products = 煙草、酒類 | revenue = | operating_income = | net_income = | num_employees = | parent = 中華民国[[財政部 (中華民国)|財政部]] | subsid = | owner = | homepage = {{url|en.ttl.com.tw}} | footnotes = | module = }} {{中華圏の事物 |繁体字=臺灣菸酒公司 |ピン音=Táiwān Yānjiǔ Gōngsī |閩南語白話字=Tâi-oân Ian-chiú Kong-si }} '''台湾菸酒股份有限公司'''(たいわんえんしゅ こふんゆうげんこうし、台湾煙酒株式会社)は、[[台湾]]の[[煙草]]と[[酒類]]を製造・販売する[[国営企業]]である。通称'''台湾菸酒公司'''、略称'''TTL'''(Taiwan Tobacco and Liquor Corporation)。最も有名な製品に[[台湾ビール]]があるほか、[[ワイン]]、[[日本酒]]、[[中国酒]]、[[ウイスキー]]、[[ラム酒]]などを製造している<ref>{{cite web|url=http://en.ttl.com.tw/|title=Taiwan Tobacco and Liquor Corp|website=en.ttl.com.tw|access-date=2008-01-11|archive-date=2022-04-18|archive-url=https://web.archive.org/web/20220418023526/http://en.ttl.com.tw/|url-status=dead}}</ref>。[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の1901年に設置された[[台湾総督府専売局]]を発祥とする。2002年までは台湾における煙草とアルコールの製造販売を独占していた。 台湾のセミプロバスケットボールリーグである[[超級籃球聯賽]]の{{仮リンク|台湾ビールバスケットボールチーム|en|Taiwan Beer (basketball)}}(台灣啤酒籃球隊)のスポンサーとなっている。 ==歴史== [[File:TTL Headquarters Building.JPG|thumb|TTLの本社が置かれている[[台北市]]南昌街の[[専売局 (台湾)|専売局]]ビル]] [[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の1901年に設置された[[台湾総督府専売局]]を発祥とする。当時は台湾における全ての酒類、煙草、[[アヘン]]、塩、[[樟脳]]を専売していた。1919年に{{仮リンク|高砂麦酒|zh|高砂麥酒|redirect=1}}を設立して台湾初の[[ビール]]醸造を開始した。[[第二次世界大戦]]中に[[マッチ]]、[[度量衡]]儀器、[[石油]]も専売局が独占して取り扱うようになった。 1945年の終戦に伴い[[中国国民党|国民党]]政府により接収された後も、台湾省専売局として、アヘンを除く専売事業を維持した。高砂ビールは[[台湾ビール]]に改称され<ref>{{cite news |last=Lin |first=Jackie|date=2 Jul 2004 |page=11 |title=Beer fight is about politics: TTL |work=Taipei Times |url=http://www.taipeitimes.com/News/biz/archives/2004/07/02/2003177405}}</ref>、その翌年には製造が専売局に移管された<ref>{{cite web| author=Ting, Chen| year=2004| title=Taiwan Beer, potent at age 84, ferments cultural effervescence| work=Panorama| publisher=Government Information Office, ROC Executive Yuan| url=http://publish.gio.gov.tw/FCJ/past/04031241.html| url-status=dead| archive-url=https://web.archive.org/web/20040919165541/http://publish.gio.gov.tw/FCJ/past/04031241.html| archive-date=2004-09-19|accessdate=2023-12-09}}</ref>。1947年に台湾省菸酒公売局に改称した。1950年代には食塩、度量衡儀器、マッチが専売対象から除外され、石油の専売事業は[[台湾中油]]に移管された。1960年代末に樟脳が専売事業から除外され、公売局の専売事業は煙草と酒類のみとなった。2002年に台湾が[[世界貿易機関]](WTO)に加盟するのに伴い、市場開放のために専売事業を廃止する法律が施行され、公売局は台湾菸酒公司に改組された。 ==脚注== {{reflist}} ==参考文献== *Case Study: [http://www.american.edu/ted/tsingtao.htm TsingTao and Taiwan Beer: Trademark Dispute Between Beijing and Taipei] *[http://www.taipeitimes.com/News/biz/archives/2004/07/02/2003177405 Lin, Jackie. "Beer fight is about politics: TTL." ''Taipei Times'', 2004-07-02.] *[http://www.taipeitimes.com/News/feat/archives/2008/08/01/2003419058 "2008 Taiwan Beer Festival." ''Taipei Times'', 2008-08-01.] ==関連項目== * [[台湾のビール]] * [[タイワニーズ・ウイスキー]] * [[台湾の日本酒]] * [[台湾の企業一覧]] ==外部リンク== {{commons category|Taiwan Tobacco & Liquor}} *[http://en.ttl.com.tw/ Taiwan Tobacco and Liquor Corporation (TTL) - Official Site] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20220418023526/http://en.ttl.com.tw/ |date=2022-04-18 }} *[https://www.youtube.com/watch?v=Fyd7gnKxAGw Taiwan Beer - Ads and Features (YouTube)] *[http://www.taiwanfun.com/north/taipei/nightlife/0508/0508Taiwanbeer.htm Review: Taiwan Beer Bar. ''Taiwan Fun'' magazine, 2005-08. ] {{authority control}} {{デフォルトソート:たいわんえんしゆこうし}} [[Category:1901年設立の企業]] [[Category:台湾の公企業]] [[Category:台北市の企業]] [[Category:たばこメーカー]] [[Category:台湾の食品会社]] [[Category:台湾のブランド]] [[Category:台湾のビール]] [[Category:タイワニーズ・ウイスキー]]
2023-12-09T05:54:26Z
2023-12-10T12:04:06Z
false
false
false
[ "Template:Expand Chinese", "Template:Infobox company", "Template:仮リンク", "Template:中華圏の事物", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite news", "Template:Commons category", "Template:Webarchive", "Template:Authority control" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E8%8F%B8%E9%85%92%E5%85%AC%E5%8F%B8
4,864,260
ニコローゾ・ダ・レッコ (駆逐艦)
ニコローゾ・ダ・レッコ(Nicoloso da Recco)は1930年にイタリア王立海軍向けに建造されたナヴィガトーリ級駆逐艦。艦名はルネッサンス期のイタリア人航海者ニコローゾ・ダ・レッコ(イタリア語版)に由来し、第二次世界大戦を戦った同級唯一の残存艦となった。ダ・レッコは1942年6月21日にチュニジア沖で貨物船2隻からなる船団を護送中に3機のボーフォート爆撃機を撃墜している。1942年12月2日に、リビアに兵員と物資を輸送する独伊の船団が連合国海軍によって殲滅されたスケルキ礁の戦い(英語版)に参加した。ニコローゾ・ダ・レッコは同級駆逐艦で唯一大戦を生き抜き、最終的に1954年7月に解体された。 ナヴィガトーリ級駆逐艦は、フランスの大型駆逐艦シャカル級およびゲパール級に対抗するために設計された。主要寸法は全長107.3m、型幅(英語版)10.2m、平均喫水3.5mとなっている。排水量は基準排水量1,930 tおよび満載排水量2,621 tである。戦時体制では総員222名から225名が乗艦した。 ダ・レッコは、4基のオデーロ式(英語版)水管ボイラーからの蒸気を使用する2基のトシ式(英語版)ギアード蒸気タービンを動力とし、各タービンがそれぞれスクリュープロペラを駆動した。タービンは55,000軸馬力 (41,000 kW)を発揮し、速力は32ノット (59 km/h; 37 mph)に達するよう設計されたが、海上公試では軽積載ながら38–41ノット (70–76 km/h; 44–47 mph)に達した。速力18ノット (33 km/h; 21 mph)で3,800海里 (7,000 km; 4,400 mi)を航海するに十分な燃料を搭載することができた。 主砲列(英語版)には6門のアンサルドModel 1926 50口径120mm砲を3基の2連装砲塔に搭載し、前後の上部構造物と船体中央に配置した。ナヴィガトーリ級の対空兵装は1対の単装40mm対空機関砲が前方ファンネル部に(英語版)に配置され、4基の2連装ブレダM35 20mm機関砲も備えられた。6門の533 mm魚雷発射管が3連装として船体中央部左右に配置された。他の同型艦とは異なり、ニコローゾ・ダ・レッコには機雷敷設装備が搭載されなかったが、これは艦尾上部構造物が提督およびそのスタッフのために拡張されていたためだった。 ニコローゾ・ダ・レッコは1927年12月14日にリウニーティ造船(英語版)のアンコーナ造船所で起工され、1930年1月5日に進水し、同年5月20日に就役した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ニコローゾ・ダ・レッコ(Nicoloso da Recco)は1930年にイタリア王立海軍向けに建造されたナヴィガトーリ級駆逐艦。艦名はルネッサンス期のイタリア人航海者ニコローゾ・ダ・レッコ(イタリア語版)に由来し、第二次世界大戦を戦った同級唯一の残存艦となった。ダ・レッコは1942年6月21日にチュニジア沖で貨物船2隻からなる船団を護送中に3機のボーフォート爆撃機を撃墜している。1942年12月2日に、リビアに兵員と物資を輸送する独伊の船団が連合国海軍によって殲滅されたスケルキ礁の戦い(英語版)に参加した。ニコローゾ・ダ・レッコは同級駆逐艦で唯一大戦を生き抜き、最終的に1954年7月に解体された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ナヴィガトーリ級駆逐艦は、フランスの大型駆逐艦シャカル級およびゲパール級に対抗するために設計された。主要寸法は全長107.3m、型幅(英語版)10.2m、平均喫水3.5mとなっている。排水量は基準排水量1,930 tおよび満載排水量2,621 tである。戦時体制では総員222名から225名が乗艦した。", "title": "設計と詳細" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ダ・レッコは、4基のオデーロ式(英語版)水管ボイラーからの蒸気を使用する2基のトシ式(英語版)ギアード蒸気タービンを動力とし、各タービンがそれぞれスクリュープロペラを駆動した。タービンは55,000軸馬力 (41,000 kW)を発揮し、速力は32ノット (59 km/h; 37 mph)に達するよう設計されたが、海上公試では軽積載ながら38–41ノット (70–76 km/h; 44–47 mph)に達した。速力18ノット (33 km/h; 21 mph)で3,800海里 (7,000 km; 4,400 mi)を航海するに十分な燃料を搭載することができた。", "title": "設計と詳細" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "主砲列(英語版)には6門のアンサルドModel 1926 50口径120mm砲を3基の2連装砲塔に搭載し、前後の上部構造物と船体中央に配置した。ナヴィガトーリ級の対空兵装は1対の単装40mm対空機関砲が前方ファンネル部に(英語版)に配置され、4基の2連装ブレダM35 20mm機関砲も備えられた。6門の533 mm魚雷発射管が3連装として船体中央部左右に配置された。他の同型艦とは異なり、ニコローゾ・ダ・レッコには機雷敷設装備が搭載されなかったが、これは艦尾上部構造物が提督およびそのスタッフのために拡張されていたためだった。", "title": "設計と詳細" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ニコローゾ・ダ・レッコは1927年12月14日にリウニーティ造船(英語版)のアンコーナ造船所で起工され、1930年1月5日に進水し、同年5月20日に就役した。", "title": "建造" } ]
ニコローゾ・ダ・レッコは1930年にイタリア王立海軍向けに建造されたナヴィガトーリ級駆逐艦。艦名はルネッサンス期のイタリア人航海者ニコローゾ・ダ・レッコに由来し、第二次世界大戦を戦った同級唯一の残存艦となった。ダ・レッコは1942年6月21日にチュニジア沖で貨物船2隻からなる船団を護送中に3機のボーフォート爆撃機を撃墜している。1942年12月2日に、リビアに兵員と物資を輸送する独伊の船団が連合国海軍によって殲滅されたスケルキ礁の戦いに参加した。ニコローゾ・ダ・レッコは同級駆逐艦で唯一大戦を生き抜き、最終的に1954年7月に解体された。
{{Infobox 艦艇 |名称. = ニコローゾ・ダ・レッコ |画像 = RCT_Da_Recco.jpg |画像説明 = 1930年代前半のダ・レッコ |艦種 = [[偵察艦]](1930年-1938年)<br />[[駆逐艦]](1938年-1954年) |級名 = [[ナヴィガトーリ級駆逐艦|ナヴィガトーリ級]] |建造所 = {{仮リンク|リウニーティ造船|en|Cantieri Navali Riuniti}}[[アンコーナ]][[造船所]] |その他 = |発注 = |起工 = 1927年12月14日 |進水 = 1930年1月5日 |竣工 = |就役 = 1930年5月20日 |除籍 = |最後 = 1954年7月30日 解体 |運用者 = {{Ubl|{{Navy|ITA|1861|name=イタリア王立海軍}}}}(1930年-1946年)<br />{{Navy|ITA}}(1943年-1949年) |基準排水量 = 1,930 [[トン|t]] |常備排水量 = |満載排水量 = 2,621 t |全長 = 107.3 [[メートル|m]] |全幅 = 10.2 m |吃水 = 3.5 m |主缶 = [[ボイラー#水管ボイラー|水管ボイラー]]4基 |主機 = [[ギアード・タービン方式|ギアード]][[蒸気タービン]]2基 |推進器 = 2軸スクリュー |出力 = {{cvt|50,000|shp}} |航続距離 = {{cvt|3,800|nmi}}(18ノット) |速力 = {{cvt|38|knot}} |乗員 = 士官15名、下士官以下215名 |電子装備 = |C4I= |レーダー= {{仮リンク|EC3/ter グーフォ|it|EC3/ter «Owl»}}(1943年-) |ソナー= [[ソナー#アクティブ・ソナー|探深儀]](1942年-) |電子戦= |兵装 = * 2連装[[アンサルド]]Model 1926 50口径120mm砲 x3 * 単装[[ヴィッカース QF 2ポンド砲|40mm]][[対空兵器|対空]][[機関砲]] x2 * 2連装[[ブレダM35 20mm機関砲]] x4 *533 mm 3連[[魚雷発射管]] x6 *[[爆雷]]投射機 x2 |モットー = ''Ardisci e vinci''(勝利への挑戦) |Note = |Ref. = }} '''ニコローゾ・ダ・レッコ'''(Nicoloso da Recco)は1930年に{{仮リンク|イタリア王立海軍|it|Regia Marina}}向けに建造された[[ナヴィガトーリ級駆逐艦]]。艦名はルネッサンス期のイタリア人航海者{{仮リンク|ニコローゾ・ダ・レッコ|it|Nicoloso da Recco}}に由来し、[[第二次世界大戦]]を戦った同級唯一の残存艦となった。ダ・レッコは1942年6月21日にチュニジア沖で貨物船2隻からなる船団を護送中に3機の[[ブリストル ボーフォート|ボーフォート]]爆撃機を撃墜している<ref>Shores, Cull & Malizia, p. 364</ref>。1942年12月2日に、[[リビア]]に兵員と物資を輸送する独伊の船団が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]海軍によって殲滅された{{仮リンク|スケルキ礁の戦い|en|Battle of Skerki Bank}}に参加した。ニコローゾ・ダ・レッコは同級駆逐艦で唯一大戦を生き抜き、最終的に1954年7月に解体された。 == 設計と詳細 == ナヴィガトーリ級駆逐艦は、フランスの大型駆逐艦[[シャカル級大型駆逐艦|シャカル級]]および[[ゲパール級大型駆逐艦|ゲパール級]]に対抗するために設計された<ref>Ando, p. 15</ref>。主要寸法は[[全長 (船)|全長]]107.3m、{{仮リンク|型幅|en|Beam (nautical)}}10.2m、平均[[喫水]]3.5mとなっている<ref name=w9>Whitley, p. 162</ref>。排水量は[[排水量#基準排水量|基準排水量]]1,930 [[トン|t]]および[[排水量#満載排水量|満載排水量]]2,621 tである。戦時体制では総員222名から225名が乗艦した<ref name=a6/>。 ダ・レッコは、4基の{{仮リンク|オデーロ造船所|en|Cantieri navali Odero|label=オデーロ式}}[[ボイラー#水管ボイラー|水管ボイラー]]からの蒸気を使用する2基の{{仮リンク|トシ造船所 (ターラント)|label=トシ式|en|Cantieri navali Tosi di Taranto}}ギアード[[蒸気タービン]]を動力とし、各タービンがそれぞれ[[スクリュープロペラ]]を駆動した。タービンは{{convert|55000|shp|lk=on}}<ref name=a6/>を発揮し、速力は{{convert|32|kn|lk=in}}に達するよう設計されたが、[[海上公試]]では軽積載ながら{{convert|38|-|41|kn}}に達した<ref name=g0>Roberts, p. 299</ref>。速力{{convert|18|kn}}で{{convert|3800|nmi|lk=in}}を航海するに十分な燃料を搭載することができた<ref name=a6>Ando, p. 16</ref>。 {{仮リンク|主砲列|en|main battery}}には6門の[[アンサルド]]Model 1926 50口径120mm砲を3基の2連装[[砲塔]]に搭載し、前後の上部構造物と船体中央に配置した<ref name=f8>Fraccaroli, p. 49</ref>。ナヴィガトーリ級の[[対空兵器|対空兵装]]は1対の単装[[ヴィッカース QF 2ポンド砲|40mm]][[対空兵器|対空]][[機関砲]]が前方{{仮リンク|ファンネル (船)|label=ファンネル部に|en|funnel (ship)}}に配置され、4基の2連装[[ブレダM35 20mm機関砲]]も備えられた。6門の533 mm[[魚雷発射管]]が3連装として船体中央部左右に配置された。他の同型艦とは異なり、ニコローゾ・ダ・レッコには[[機雷]]敷設装備が搭載されなかったが、これは艦尾上部構造物が提督およびそのスタッフのために拡張されていたためだった<ref name=g0/>。 == 建造 == ニコローゾ・ダ・レッコは1927年12月14日に{{仮リンク|リウニーティ造船|en|Cantieri Navali Riuniti}}の[[アンコーナ]][[造船所]]で起工され、1930年1月5日に進水し、同年5月20日に就役した<ref name=w9/>。 == 脚注 == {{reflist|30em}} == 書誌情報 == * {{cite book |editor-last=Preston |editor-first=Antony |editor-link=:en:Antony Preston |title=Super Destroyers |series=Warship Special |volume=2 |year=1978 |publisher=Conway Maritime Press |location=London |chapter=The Italian ''Navigatori'' Class, 1928 |last=Ando |first=Elio |isbn=0-85177-131-9}} * {{cite book |last=Brescia |first=Maurizio |title=Mussolini's Navy: A Reference Guide to the Regina Marina 1930–45 |year=2012 |publisher=Naval Institute Press |location=Annapolis, Maryland |isbn=978-1-59114-544-8}} * {{cite book |last1=Fraccaroli |first1=Aldo |title=Italian Warships of World War II |year=1968 |publisher=Ian Allan |location=Shepperton, UK |isbn=0-7110-0002-6}} *{{cite book|title=Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946|editor1-last=Chesneau |editor1-first=Roger |publisher=Mayflower Books|location=New York|year=1980|isbn=0-8317-0303-2 |chapter=Italy |last1=Roberts |first1=John|pages=280–317}} * {{cite book |last=Rohwer |first=Jürgen |authorlink=:en:Jürgen Rohwer |title=Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two |publisher=Naval Institute Press |location=Annapolis, Maryland |year=2005 |edition=3rd rev. |isbn=1-59114-119-2}} * {{Cite book |last1=Shores |first1=Christopher F. |last2=Cull |first2=Brian |last3=Malizia |first3=Nicola |year=1991 |title=Malta: The Spitfire Year |location=London |publisher=Grub Street |isbn=978-0-948817-16-8|name-list-style=amp}} * {{cite book |first=M. J. |last=Whitley|authorlink=:en:Michael J. Whitley |title=Destroyers of World War 2: An International Encyclopedia |year=1988 |publisher=Naval Institute Press |location=Annapolis, Maryland |isbn=1-85409-521-8}} == 外部リンク == * [https://www.marina.difesa.it/noi-siamo-la-marina/mezzi/mezzi-storici/Pagine/ABCD/da_recco.aspx Nicoloso da Recco] Marina Militare website === 関連項目 === * [[イタリア海軍艦艇一覧]] {{DEFAULTSORT:にころそたれつこ}} [[category:イタリアの駆逐艦]] [[Category:第二次世界大戦の駆逐艦]] [[Category:1930年進水船]] [[Category:1930年竣工船]]
2023-12-09T05:59:01Z
2023-12-09T05:59:01Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:Infobox 艦艇", "Template:仮リンク", "Template:Convert", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B3_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)
4,864,262
第48回サターン賞
第48回サターン賞(48th Saturn Awards)は、SF・ファンタジー・ホラー映画アカデミー(英語版)が主催する映画賞。第47回サターン賞に引き続き、正式名称は周年表記を採用した51周年記念サターン賞(51st Anniversary Saturn Awards)となっている。2024年2月24日にバーバンクで授賞式が行われ、エレクトリック・ナウ(英語版)でライブ配信される。ノミネート作品の発表は例年その年の中旬に行われるが、2023年5月から11月にかけて行われたハリウッド・ダブルストライキ(英語版)への連帯を示すため、発表はストライキ終結後の2023年12月6日に行われた。受賞対象は映画作品が2022年7月から2023年9月まで、テレビ作品が2022年7月から2023年7月までの公開・放送作品となっている。 映画部門の最多ノミネート作品は『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の12部門であり、『オッペンハイマー』の11部門が続いている。テレビ部門では『スタートレック:ピカード』が最多7部門ノミネートとなっており、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』の6部門が続いている。また、放送局としての最多ノミネートはParamount+の14部門(『スタートレック:ピカード』7部門、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』6部門、『スタートレック:ローワー・デッキ』1部門)となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第48回サターン賞(48th Saturn Awards)は、SF・ファンタジー・ホラー映画アカデミー(英語版)が主催する映画賞。第47回サターン賞に引き続き、正式名称は周年表記を採用した51周年記念サターン賞(51st Anniversary Saturn Awards)となっている。2024年2月24日にバーバンクで授賞式が行われ、エレクトリック・ナウ(英語版)でライブ配信される。ノミネート作品の発表は例年その年の中旬に行われるが、2023年5月から11月にかけて行われたハリウッド・ダブルストライキ(英語版)への連帯を示すため、発表はストライキ終結後の2023年12月6日に行われた。受賞対象は映画作品が2022年7月から2023年9月まで、テレビ作品が2022年7月から2023年7月までの公開・放送作品となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "映画部門の最多ノミネート作品は『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の12部門であり、『オッペンハイマー』の11部門が続いている。テレビ部門では『スタートレック:ピカード』が最多7部門ノミネートとなっており、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』の6部門が続いている。また、放送局としての最多ノミネートはParamount+の14部門(『スタートレック:ピカード』7部門、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』6部門、『スタートレック:ローワー・デッキ』1部門)となっている。", "title": null } ]
第48回サターン賞は、SF・ファンタジー・ホラー映画アカデミーが主催する映画賞。第47回サターン賞に引き続き、正式名称は周年表記を採用した51周年記念サターン賞となっている。2024年2月24日にバーバンクで授賞式が行われ、エレクトリック・ナウでライブ配信される。ノミネート作品の発表は例年その年の中旬に行われるが、2023年5月から11月にかけて行われたハリウッド・ダブルストライキへの連帯を示すため、発表はストライキ終結後の2023年12月6日に行われた。受賞対象は映画作品が2022年7月から2023年9月まで、テレビ作品が2022年7月から2023年7月までの公開・放送作品となっている。 映画部門の最多ノミネート作品は『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の12部門であり、『オッペンハイマー』の11部門が続いている。テレビ部門では『スタートレック:ピカード』が最多7部門ノミネートとなっており、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』の6部門が続いている。また、放送局としての最多ノミネートはParamount+の14部門(『スタートレック:ピカード』7部門、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』6部門、『スタートレック:ローワー・デッキ』1部門)となっている。
{{Infobox Award | name = 第48回サターン賞<br />(51周年記念サターン賞) | current_awards = | image = | imagesize = | alt = | caption = | description = | presenter = {{仮リンク|SF・ファンタジー・ホラー映画アカデミー|en|Academy of Science Fiction, Fantasy and Horror Films}} | host = | date = [[2024年]][[2月24日]] | country = {{USA}} | location = [[カリフォルニア州]][[バーバンク (カリフォルニア州)|バーバンク]] | reward = <!-- 報酬 --> | year = | year2 = | year3 = <!-- 初代受賞者 --> | holder = | most_wins = | most_nominations = 映画賞:<br />『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 (12) <br />テレビ賞:<br />『[[スタートレック:ピカード]]』 (7) | website = https://www.saturnawards.org <!-- テレビ放送 --> | network = {{仮リンク|エレクトリック・エンターテインメント|en|Electric Entertainment|label=エレクトリック・ナウ}} | runtime = <!-- 放送時間 --> | ratings = <!-- 視聴率 --> | previous = [[第47回サターン賞|第47回]] | main = [[サターン賞]] | next = 第49回 }} '''第48回[[サターン賞]]'''(48th Saturn Awards)は、{{仮リンク|SF・ファンタジー・ホラー映画アカデミー|en|Academy of Science Fiction, Fantasy and Horror Films}}が主催する映画賞。[[第47回サターン賞]]に引き続き、正式名称は周年表記を採用した'''51周年記念サターン賞'''(51st Anniversary Saturn Awards)となっている。2024年2月24日に[[バーバンク (カリフォルニア州)|バーバンク]]で授賞式が行われ、{{仮リンク|エレクトリック・エンターテインメント|en|Electric Entertainment|label=エレクトリック・ナウ}}でライブ配信される<ref>{{cite web |url=https://nerdvanamedia.com/sci-fi-fantasy/2023-saturn-award-nominations-announced/169766/ |title=51st Annual Saturn Awards presentation is Feb. 4, 2024 in LA, online |last=Peters |first=Jayson |work=Nerdvana Media |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref>。ノミネート作品の発表は例年その年の中旬に行われるが、2023年5月から11月にかけて行われた{{仮リンク|2023年ハリウッド労働争議|en|2023 Hollywood labor disputes|label=ハリウッド・ダブルストライキ}}への連帯を示すため<ref>{{cite web |url=https://www.saturnawards.org |title=Saturn Awards Nominations Announcement |publisher=Saturn Awards |accessdate=December 8, 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231025084655/https://www.saturnawards.org/ |archivedate=October 25, 2023}}</ref>、発表はストライキ終結後の2023年12月6日に行われた<ref name="Nominations">{{cite web |url=https://deadline.com/2023/12/saturn-awards-nominations-list-movies-tv-1235654052/ |title='Avatar: The Way of Water', 'Oppenheimer', 'Star Trek' Series Lead Nominations for Genre-Focused Saturn Awards |last=Hipes |first=Patrick |work=[[Deadline Hollywood]] |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.videoageinternational.net/2023/12/07/news/51st-annual-saturn-awards-nominees-announced/ |title=51st Annual Saturn Awards Nominees Announced |work=[[VideoAge International]] |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.fresherslive.com/latest/articles/saturn-awards-2023-nominations-list-date-venue-live-stream-and-more-1555222263 |title=Saturn Awards 2023: Nominations, Date, Venue, Live Stream, and More |last=R R |first=Aishwarya |work=Freshers Live |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref>。受賞対象は映画作品が2022年7月から2023年9月まで、テレビ作品が2022年7月から2023年7月までの公開・放送作品となっている<ref>{{cite web |url=https://www.mediaplaynews.com/saturn-awards-nominations-to-live-stream-dec-6-on-electricnow-platform/ |title=Saturn Awards Nominations to Live Stream Dec. 6 on ElectricNOW Platform |last=Sanches |first=Flora |work=Media Play News |date=December 5, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref>。 映画部門の最多ノミネート作品は『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』の12部門であり、『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』の11部門が続いている<ref name="Nominations"/><ref>{{cite web |url=https://screenrant.com/2010-saturn-award-nominations/ |title='Avatar' Leads 2010 Saturn Awards Nominations |last=Miller |first=Ross |work=[[Screen Rant]] |date=February 18, 2010 |accessdate=December 8, 2023}}</ref><ref>{{cite web |url=https://cosmicbook.news/saturn-awards-nominations-include-black-panther-guardians-of-the-galaxy |title=Saturn Awards Nominations include 'Black Panther', 'Guardians of the Galaxy' |last=Harrigan |first=Will |work=Cosmic Book News |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref>。テレビ部門では『[[スタートレック:ピカード]]』が最多7部門ノミネートとなっており、『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』の6部門が続いている<ref name="Nominations"/>。また、放送局としての最多ノミネートは[[Paramount+]]の14部門(『スタートレック:ピカード』7部門、『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』6部門、『[[スタートレック:ローワー・デッキ]]』1部門)となっている<ref name="Nominations"/><ref>{{cite web |url=https://collider.com/star-trek-picard-saturn-award-nominations/ |title='Star Trek: Picard' Season 3 Scores Otherworldly Number of Saturn Award Nominations |last=Coley |first=Samantha |work=[[Collider (website)|Collider]] |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref><ref>{{cite web |url=https://trekmovie.com/2023/12/06/star-trek-picard-strange-new-worlds-and-lower-decks-pick-up-15-saturn-awards-nominations/ |title='Star Trek: Picard', 'Strange New Worlds', and 'Lower Decks' Pick Up 15 Saturn Awards Nominations |author=TrekMovie.com Staff |publisher=[[TrekMovie.com]] |date=December 6, 2023 |accessdate=December 8, 2023}}</ref>。 == 受賞結果 == === 映画賞 === {| class=wikitable |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンSF映画賞|SF映画賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンファンタジー映画賞|ファンタジー映画賞]] |- | valign="top" | * 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * 『[[ザ・クリエイター/創造者]]』 * 『[[M3GAN ミーガン]]』 * 『[[プレデター:ザ・プレイ]]』 * 『[[トランスフォーマー/ビースト覚醒]]』 | valign="top" | * 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * 『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り]]』 * 『[[ホーンテッドマンション (2023年の映画)|ホーンテッドマンション]]』 * 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * 『[[リトル・マーメイド (2023年の映画)|リトル・マーメイド]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンホラー映画賞|ホラー映画賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンスーパーヒーロー映画賞|スーパーヒーロー映画賞]] |- | valign="top" | * 『''[[:en:Barbarian (2022 film)|Barbarian]]''』 * 『{{仮リンク|死霊のはらわた ライジング|en|Evil Dead Rise}}』 * 『{{仮リンク|インシディアス 赤い扉|en|Insidious: The Red Door}}』 * 『[[レンフィールド]]』 * 『[[スクリーム6]]』 * 『[[Smile スマイル]]』 * 『[[トーク・トゥ・ミー (2022年の映画)|トーク・トゥ・ミー]]』 | valign="top" | * 『[[アントマン&ワスプ:クアントマニア]]』 * 『[[ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー]]』 * 『[[ブルービートル (映画)|ブルービートル]]』 * 『[[ザ・フラッシュ (映画)|ザ・フラッシュ]]』 * 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンアクション/アドベンチャー映画賞|アクション/アドベンチャー映画賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンスリラー映画賞|スリラー映画賞]] |- | valign="top" | * 『[[ブレット・トレイン]]』 * 『[[イコライザー THE FINAL]]』 * 『[[ワイルド・スピード/ファイヤーブースト]]』 * 『[[ジョン・ウィック:コンセクエンス]]』 * 『[[ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE]]』 * 『''[[:en:The Woman King|ウーマン・キング 無敵の女戦士たち]]''』 | valign="top" | * 『[[ドント・ウォーリー・ダーリン]]』 * 『[[ナイブズ・アウト: グラス・オニオン]]』 * 『''[[:en:The Lesson (2023 film)|The Lesson]]''』 * 『[[ザ・メニュー]]』 * 『[[ノック 終末の訪問者]]』 * 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンアニメ映画賞|アニメ映画賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンインターナショナル映画賞|インターナショナル映画賞]] |- | valign="top" | * 『[[マイ・エレメント]]』 * 『[[長ぐつをはいたネコと9つの命]]』 * 『[[スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース]]』 * 『[[ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー]]』 * 『[[すずめの戸締まり]]』 * 『{{仮リンク|ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!|en|Teenage Mutant Ninja Turtles: Mutant Mayhem}}』 | valign="top" | * 『''[[:en:Madeleine Collins|Madeleine Collins]]''』 * 『''[[:en:The Missing (2023 film)|The Missing]]''』 * 『''[[:en:The Origin of Evil (film)|The Origin of Evil]]''』 * 『''[[:en:Ransomed|Ransomed]]''』 * 『''[[:en:Speak No Evil (2022 film)|Speak No Evil]]''』 * 『{{仮リンク|SISU/シス 不死身の男|en|Sisu (film)}}』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン監督賞|監督賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン脚本賞|脚本賞]] |- | valign="top" | * [[ジェームズ・キャメロン]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * [[グレタ・ガーウィグ]] - 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * [[ジェームズ・ガン (映画製作者)|ジェームズ・ガン]] - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 * [[ジェームズ・マンゴールド]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * [[マーク・マイロッド]] - 『[[ザ・メニュー]]』 * [[クリストファー・ノーラン]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 * {{仮リンク|ラッカラッカ|en|RackaRacka|label=ダニー・フィリッポウ&マイケル・フィリッポウ}} - 『[[トーク・トゥ・ミー (2022年の映画)|トーク・トゥ・ミー]]』 | valign="top" | * [[ジェームズ・キャメロン]]、[[リック・ジャッファ&アマンダ・シルヴァー]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * [[グレタ・ガーウィグ]]、[[ノア・バームバック]] - 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * セス・リース、ウィル・トレイシー - 『[[ザ・メニュー]]』 * [[クリストファー・マッカリー]]、{{仮リンク|エリック・ジェンドレセン|en|Erik Jendresen}} - 『[[ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE]]』 * [[クリストファー・ノーラン]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 * [[タイ・ウェスト]]、[[ミア・ゴス]] - 『[[Pearl パール]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン主演男優賞|主演男優賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン主演女優賞|主演女優賞]] |- | valign="top" | * [[レイフ・ファインズ]] - 『[[ザ・メニュー]]』:ジュリアン・スローヴィク * [[ハリソン・フォード]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』:[[インディアナ・ジョーンズ]] * [[ベン・キングズレー]] - 『''[[:en:Jules (film)|Jules]]''』:ミルトン * [[キリアン・マーフィー]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』:[[ロバート・オッペンハイマー]] * [[クリス・プラット]] - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』:[[スター・ロード#MCU版|ピーター・クイル / スター・ロード]] * [[キアヌ・リーブス]] - 『[[ジョン・ウィック:コンセクエンス]]』:[[ジョン・ウィック (架空の人物)|ジョン・ウィック]] * [[サム・ワーシントン]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』:{{仮リンク|ジェイク・サリー|en|Jake Sully}} | valign="top" | * [[ヴィオラ・デイヴィス]] - 『''[[:en:The Woman King|The Woman King]]''』:ナニスカ将軍 * [[ミア・ゴス]] - 『[[Pearl パール]]』:パール * [[アニャ・テイラー=ジョイ]] - 『[[ザ・メニュー]]』:マーゴ * [[アンバー・ミッドサンダー]] - 『[[プレデター:ザ・プレイ]]』:ナル * [[マーゴット・ロビー]] - 『[[バービー (映画)|バービー]]』:バービ * [[ゾーイ・サルダナ]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』:{{仮リンク|ネイティリ|en|Neytiri}} |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン助演男優賞|助演男優賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン助演女優賞|助演女優賞]] |- | valign="top" | * [[ニコラス・ケイジ]] - 『[[レンフィールド]]』:ヴラド・ザ・インペラー / ドラキュラ伯爵 * [[ロバート・ダウニー・Jr.]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』:{{仮リンク|ルイス・ストローズ|en|Lewis Strauss}} * [[ライアン・ゴズリング]] - 『[[バービー (映画)|バービー]]』:ケン * [[マイケル・キートン]] - 『[[ザ・フラッシュ (映画)|ザ・フラッシュ]]』:[[バットマン (架空の人物)|ブルース・ウェイン / バットマン]] * [[スティーヴン・ラング]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』:{{仮リンク|マイルズ・クオリッチ|en|Miles Quaritch}} * [[マッツ・ミケルセン]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』:ユルゲン・フォラー | valign="top" | * [[アンジェラ・バセット]] - 『[[ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー]]』:ラモンダ * [[エミリー・ブラント]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』:{{仮リンク|キャサリン・オッペンハイマー|en|Katherine Oppenheimer}} * [[ジェーン・カーティン]] - 『''[[:en:Jules (film)|Jules]]''』:ジョイス * [[メリッサ・マッカーシー]] - 『[[リトル・マーメイド (2023年の映画)|リトル・マーメイド]]』:[[ウルスラ (リトル・マーメイド)|アースラ]] * [[フィービー・ウォーラー=ブリッジ]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』:ヘレナ・ショー * {{仮リンク|ソフィー・ワイルド|en|Sophie Wilde}} - 『[[トーク・トゥ・ミー (2022年の映画)|トーク・トゥ・ミー]]』:ミア |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン若手俳優賞|若手俳優賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターン編集賞|en|Saturn Award for Best Editing|label=編集賞}} |- | valign="top" | * [[ハリー・ベイリー]] - 『[[リトル・マーメイド (2023年の映画)|リトル・マーメイド]]』:[[アリエル (ディズニーキャラクター)|アリエル]] * {{仮リンク|ヴィヴィアン・ライラ・ブレア|en|Vivien Lyra Blair}} - 『[[ブギーマン (2023年の映画)|ブギーマン]]』:ソウヤー * {{仮リンク|ジャック・チャンピオン|en|Jack Champion}} - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』:マイルズ・“スパイダー”・ソコロ * [[ショロ・マリデュエニャ]] - 『[[ブルービートル (映画)|ブルービートル]]』:{{仮リンク|ブルービートル|label=ハイメ・レイエス / ブルービートル|en|Blue Beetle}} * [[ヴァイオレット・マッグロウ]] - 『[[M3GAN ミーガン]]』:ケイディ * [[ノア・シュナップ]] - 『''[[:en:The Tutor (film)|The Tutor]]''』:ジャクソン | valign="top" | * [[デヴィッド・ブレナー]]、[[ジェームズ・キャメロン]]、[[ジョン・ルフーア]]、[[スティーヴン・E・リフキン]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * ダイランド・ハイミス、ケリー・マツモト、コービン・メール、ローラ・ヤノヴィッチ - 『[[ワイルド・スピード/ファイヤーブースト]]』 * {{仮リンク|アンドリュー・バックランド|en|Andrew Buckland (film editor)}}、[[マイケル・マカスカー]]、ディルク・ウェスターベルト - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * ネイサン・オルロフ - 『[[ジョン・ウィック:コンセクエンス]]』 * {{仮リンク|エディ・ハミルトン|en|Eddie Hamilton}} - 『[[ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン音楽賞|音楽賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターン美術賞|en|Saturn Award for Best Production Design|label=美術賞}} |- | valign="top" | * {{仮リンク|サイモン・フラングレン|en|Simon Franglen}} - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * [[マーク・ロンソン]]、{{仮リンク|アンドリュー・ワイアット|en|Andrew Wyatt}} - 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * [[アラン・メンケン]] - 『[[リトル・マーメイド (2023年の映画)|リトル・マーメイド]]』 * [[マルコ・ベルトラミ]] - 『[[レンフィールド]]』 * [[ダニエル・ペンバートン]] - 『[[スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース]]』 | valign="top" | * ディラン・コール、ベン・プロクター - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * {{仮リンク|サラ・グリーンウッド|en|Sarah Greenwood}} - 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * ベス・ミッキー - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 * ケヴィン・カヴァナー - 『[[ジョン・ウィック:コンセクエンス]]』 * ルース・デ・ヨング - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 * アレック・ハモンド - 『[[レンフィールド]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン衣装デザイン賞|衣装デザイン賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンメイクアップ賞|メイクアップ賞]] |- | valign="top" | * ボブ・バック、[[デボラ・リン・スコット]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * [[ジャクリーヌ・デュラン]] - 『[[バービー (映画)|バービー]]』 * [[ルース・E・カーター]] - 『[[ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー]]』 * [[ジュディアンナ・マコフスキー]] - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 * [[ジョアンナ・ジョンストン]] - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * [[ルイス・セケイラ]] - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 | valign="top" | * {{仮リンク|ドナルド・モワット|en|Donald Mowat}} - 『[[コヴェナント]]』 * ルーク・ポルティ - 『{{仮リンク|死霊のはらわた ライジング|en|Evil Dead Rise}}』 * アレクセイ・ドミトリエフ、リンゼイ・マッゴーウェン、[[シェイン・マハン]] - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 * ルイサ・アベル、ジェイソン・ヘイマー - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 * アレック・ギリス、{{仮リンク|トム・ウッドルフ・ジュニア|en|Tom Woodruff Jr.}} - 『[[プレデター:ザ・プレイ]]』 * {{仮リンク|クリスチャン・ティンズリー|en|Christien Tinsley}} - 『[[レンフィールド]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン特殊効果賞|特殊効果賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンインディペンデント映画賞|インディペンデント映画賞]] |- | valign="top" | * [[ジョー・レッテリ]]、[[リチャード・バネハム]]、[[エリック・セインドン]]、[[ダニエル・バレット (視覚効果スーパーバイザー)|ダニエル・バレット]] - 『[[アバター:ウェイ・オブ・ウォーター]]』 * ジェイ・クーパー、イアン・コムリー、アンドリュー・ロバーツ、[[ニール・コーボールド]] - 『[[ザ・クリエイター/創造者]]』 * [[ステファン・セレッティ]]、{{仮リンク|アレクシス・ワスブロット|en|Alexis Wajsbrot}}、ガイ・ウィリアムズ、[[ダン・サディック]] - 『[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3]]』 * {{仮リンク|アンドリュー・ホワイトハースト|en|Andrew Whitehurst}}、キャシー・シーゲル、ロバート・ウィーヴァー、アリスター・ウィリアムズ - 『[[インディ・ジョーンズと運命のダイヤル]]』 * アレックス・ワットケ、サイモン・ココ、ジェフ・サザーランド、ニール・コーボールド - 『[[ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE]]』 * アンドリュー・ジャクソン、ジャコモ・ミネオ、スコット・フィッシャー、デイヴ・ドゥシヴィエツキ - 『[[オッペンハイマー (映画)|オッペンハイマー]]』 | valign="top" | * 『''Aporia''』 * 『''[[:en:Brooklyn 45|Brooklyn 45]]''』 * 『''Fall''』 * 『''[[:en:Jules (film)|Jules]]''』 * 『[[Pearl パール]]』 * 『''[[:en:The Tutor (film)|The Tutor]]''』 |} === テレビ賞 === {| class=wikitable |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンSFテレビ賞|en|Saturn Award for Best Science Fiction Television Series|label=SFテレビ賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンファンタジーテレビ賞|en|Saturn Award for Best Fantasy Television Series|label=ファンタジーテレビ賞}} |- | valign="top" | * 『[[キャシアン・アンドー (テレビドラマ)|キャシアン・アンドー]]』 ([[Disney+]]) * 『[[ファウンデーション (テレビドラマ)|ファウンデーション]]』 ([[Apple TV+]]) * 『[[マンダロリアン (テレビドラマ)|マンダロリアン]]』 (Disney+) * 『[[ペリフェラル -接続された未来-]]』([[Amazon Prime Video]]) * 『[[サイロ (テレビドラマ)|サイロ]]』 (Apple TV+) * 『[[スタートレック:ピカード]]』 ([[Paramount+]]) * 『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』 (Paramount+) | valign="top" | * 『''[[:en:Ghosts (American TV series)|Ghosts]]''』 ([[CBS]]) * 『[[グッド・オーメンズ (テレビドラマ)|グッド・オーメンズ]]』 ([[Amazon Prime Video]]) * 『[[ハウス・オブ・ザ・ドラゴン]]』 ([[HBO]]) * 『[[ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪]]』 (Amazon Prime Video) * 『''[[:en:Mayfair Witches|Mayfair Witches]]''』 ([[AMC (テレビ局)|AMC]]) * 『[[シュミガドーン!]]』 ([[Apple TV+]]) * 『[[ウェンズデー (テレビドラマ)|ウェンズデー]]』 ([[Netflix]]) |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンホラーテレビ賞|en|Saturn Award for Best Horror Television Series|label=ホラーテレビ賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンアクション/スリラーテレビ賞|en|Saturn Award for Best Action-Thriller Television Series|label=アクション/スリラーテレビ賞}} |- | valign="top" | * 『[[アメリカン・ホラー・ストーリー]]』 ([[FX (テレビ局)|FX]]) * 『{{仮リンク|インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (テレビドラマ)|en|Interview with the Vampire (TV series)|label=インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア}}』 ([[AMC (テレビ局)|AMC]]) * 『{{仮リンク|チャッキー (テレビドラマ)|en|Chucky (TV series)|label=チャッキー}}』 ([[Syfy]]/[[USAネットワーク]]) * 『[[フィアー・ザ・ウォーキング・デッド]]』 (AMC) * 『''[[:en:From (TV series)|From]]''』 ([[Epix]]) * 『{{仮リンク|シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア|en|What We Do in the Shadows (TV series)}}』 (FX) | valign="top" | * 『{{仮リンク|ラ・ブレア|en|La Brea (TV series)}}』 ([[NBC]]) * 『[[MANIFEST/マニフェスト]]』 ([[Netflix]]) * 『[[アウトランダー (テレビドラマ)|アウトランダー]]』 ([[Starz]]) * 『''[[:en:Quantum Leap (2022 TV series)|Quantum Leap]]''』 (NBC) * 『[[ジャック・ライアン (テレビドラマ)|ジャック・ライアン]]』 ([[Amazon Prime Video]]) * 『[[ウィッチャー (テレビドラマ)|ウィッチャー]]』 (Netflix) * 『{{仮リンク|イエロージャケッツ (テレビドラマ)|en|Yellowjackets (TV series)|label=イエロージャケッツ}}』 ([[Showtime]]) |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンテレビアニメ賞|en|Saturn Award for Best Animated Series on Television|label=テレビアニメ賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンスーパーヒーローテレビ賞|en|Saturn Award for Best Superhero Television Series|label=スーパーヒーローテレビ賞}} |- | valign="top" | * 『[[チェンソーマン]]』 ([[Crunchyroll]]) * 『''[[:en:Gremlins: Secrets of the Mogwai|Gremlins: Secrets of the Mogwai]]''』 ([[Max (ストリーミングサービス)|Max]]) * 『[[ギレルモ・デル・トロのピノッキオ]]』 ([[Netflix]]) * 『''[[:en:Harley Quinn (TV series)|Harley Quinn]]''』 (Max) * 『''[[:en:My Adventures with Superman|My Adventures with Superman]]''』 ([[アダルトスイム]]) * 『[[スタートレック:ローワー・デッキ]]』 ([[Paramount+]]) * 『[[スター・ウォーズ: バッド・バッチ]]』 ([[Disney+]]) | valign="top" | * 『{{仮リンク|ドゥーム・パトロール|en|Doom Patrol (TV series)}}』 ([[Max (ストリーミングサービス)|Max]]) * 『[[THE FLASH/フラッシュ]]』 ([[CWテレビジョンネットワーク|The CW]]) * 『[[サンドマン (テレビドラマ)|サンドマン]]』 ([[Netflix]]) * 『[[シークレット・インベージョン (テレビドラマ)|シークレット・インベージョン]]』 ([[Disney+]]) * 『[[シー・ハルク:ザ・アトーニー]]』 (Disney+) * 『''[[:en:Stargirl (TV series)|Stargirl]]''』 (The CW) * 『[[スーパーマン&ロイス]]』 (The CW) |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンテレビ・プレゼンテーション賞|en|Saturn Award for Best Television Presentation|label=テレビ・プレゼンテーション賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | ニュージャンル・テレビシリーズ賞 |- | valign="top" | * 『[[ブラック・ミラー]]』 ([[Netflix]]) * 『[[ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋]]』 (Netflix) * 『{{仮リンク|ホーカスポーカス2|en|Hocus Pocus 2}}』 ([[Disney+]]) * 『[[ウェアウルフ・バイ・ナイト]]』 (Disney+) * 『{{仮リンク|ミッドナイト・クラブ|en|The Midnight Club}}』 (Netflix) * 『''[[:en:Mrs. Davis|Mrs. Davis]]''』 ([[Peacock]]) * 『''[[:en:The Munsters (2022 film)|The Munsters]]''』 (Netflix) | valign="top" | * 『[[キャシアン・アンドー (テレビドラマ)|キャシアン・アンドー]]』 ([[Disney+]]) * 『''[[:en:The Ark (TV series)|The Ark]]''』 ([[Syfy]]) * 『[[THE LAST OF US (テレビドラマ)|THE LAST OF US]]』 ([[HBO]]) * 『[[ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪]]』 ([[Amazon Prime Video]]) * 『[[サイロ (テレビドラマ)|サイロ]]』 ([[Apple TV+]]) * 『[[ウォーキング・デッド: デッド・シティ]]』 ([[AMC (テレビ局)|AMC]]) * 『[[ウェンズデー (テレビドラマ)|ウェンズデー]]』 ([[Netflix]]) |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンテレビ主演男優賞|テレビ主演男優賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターン主演女優賞#テレビ|テレビ主演女優賞]] |- | valign="top" | * [[サム・ヒューアン]] - 『[[アウトランダー (テレビドラマ)|アウトランダー]]』 ([[Starz]]):[[ジェイミー・フレイザー (架空の人物)|ジェイミー・フレイザー]] * [[タイラー・ホークリン]] - 『[[スーパーマン&ロイス]]』 ([[CWテレビジョンネットワーク|The CW]]):クラーク・ケント / カル=エル / スーパーマン * [[ディエゴ・ルナ]] - 『[[キャシアン・アンドー (テレビドラマ)|キャシアン・アンドー]]』 ([[Disney+]]):キャシアン・アンドー * [[アンソン・マウント]] - 『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』 ([[Paramount+]]):[[クリストファー・パイク]] * [[ペドロ・パスカル]] - 『[[THE LAST OF US (テレビドラマ)|THE LAST OF US]]』 ([[HBO]]):ジョエル・ミラー * [[ハロルド・ペリノー・ジュニア]] - 『''[[:en:From (TV series)|From]]''』 ([[Epix]]):ボイド・スティーヴンス * [[パトリック・スチュワート]] - 『[[スタートレック:ピカード]]』 (Paramount+):[[ジャン=リュック・ピカード]] | valign="top" | * [[カトリーナ・バルフ]] – 『[[アウトランダー (テレビドラマ)|アウトランダー]]』 ([[Starz]]):[[クレア・フレイザー (架空の人物)|クレア・フレイザー]] * [[ローレン・コーハン]] - 『[[ウォーキング・デッド: デッド・シティ]]』 ([[AMC (テレビ局)|AMC]]):マギー * {{仮リンク|エマ・ダーシー (女優)|en|Emma D'Arcy|label=エマ・ダーシー}} - 『[[ハウス・オブ・ザ・ドラゴン]]』 ([[HBO]]):レイニラ・ターガリエン王女 * [[レベッカ・ファーガソン (女優)|レベッカ・ファーガソン]] - 『[[サイロ (テレビドラマ)|サイロ]]』 ([[Apple TV+]]):ジュリエット・ニコルズ * [[タチアナ・マスラニー]] - 『[[シー・ハルク:ザ・アトーニー]]』 ([[Disney+]]):[[シー・ハルク|ジェニファー・ウォルターズ / シー・ハルク]] * [[ローズ・マクアイヴァー]] - 『''[[:en:Ghosts (American TV series)|Ghosts]]''』 ([[CBS]]):サマンサ・アロンデカル * [[ビッツィー・トゥロック]] - 『[[スーパーマン&ロイス]]』 ([[CWテレビジョンネットワーク|The CW]]):[[ロイス・レイン]] |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | [[サターンテレビ助演男優賞|テレビ助演男優賞]] ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンテレビ助演女優賞|en|Saturn Award for Best Supporting Actress on Television|label=テレビ助演女優賞}} |- | valign="top" | * [[ジョナサン・フレイクス]] - 『[[スタートレック:ピカード]]』 ([[Paramount+]]):[[ウィリアム・T・ライカー]] * {{仮リンク|ハーヴィー・ギレン|en|Harvey Guillén}} - 『{{仮リンク|シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア|en|What We Do in the Shadows (TV series)}}』 ([[FX (テレビ局)|FX]]):ギレルモ・デ・ラ・クルス * [[アーニー・ハドソン]] - 『''[[:en:Quantum Leap (2022 TV series)|Quantum Leap]]''』 ([[NBC]]):ハーバート・ウィリアムズ * {{仮リンク|イーサン・ペック|en|Ethan Peck}} - 『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』 (Paramount+):[[スポック]] * [[マット・スミス]] - 『[[ハウス・オブ・ザ・ドラゴン]]』 ([[HBO]]):デイモン・ターガリエン王子 * [[エドワード・スペリーアス]] - 『スタートレック:ピカード』 (Paramount+):ジャック・クラッシャー * [[トッド・スタシュウィック]] - 『スタートレック:ピカード』 (Paramount+):リアム・ショー | valign="top" | * {{仮リンク|ジェス・ブッシュ|en|Jess Bush}} - 『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』 ([[Paramount+]]):クリスティン・チャペル * {{仮リンク|セリア・ローズ・グッディング|en|Celia Rose Gooding}} - 『スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』 (Paramount+):[[ウフーラ]] * {{仮リンク|ジェネヴィーヴ・オーライリー|en|Genevieve O'Reilly}} - 『[[キャシアン・アンドー (テレビドラマ)|キャシアン・アンドー]]』 ([[Disney+]]):モン・モスマ * [[ジェリー・ライアン]] - 『[[スタートレック:ピカード]]』 (Paramount+):セブン・オブ・ナイン * [[ケイティー・サッコフ]] - 『[[マンダロリアン (テレビドラマ)|マンダロリアン]]』 ([[Disney+]]):ボ=カターン・クライズ * {{仮リンク|ソフィー・スケルトン|en|Sophie Skelton}} - 『[[アウトランダー (テレビドラマ)|アウトランダー]]』 ([[Starz]]):ブリアンナ・マッケンジー * [[レベッカ・ウィソッキー]] - 『''[[:en:Ghosts (American TV series)|Ghosts]]''』 ([[CBS]]):ヘンリエッタ・ウッドストーン |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターン若手テレビ俳優賞|en|Saturn Award for Best Performance by a Younger Actor in a Television Series|label=若手テレビ俳優賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンゲスト出演賞|en|Saturn Award for Best Guest Starring Role on Television|label=ゲスト出演賞}} |- | valign="top" | * [[ミリー・オールコック]] - 『[[ハウス・オブ・ザ・ドラゴン]]』 ([[HBO]]):少女時代のレイニラ・ターガリエン王女 * [[フレイヤ・アーラン]] - 『[[ウィッチャー (テレビドラマ)|ウィッチャー]]』 ([[Netflix]]):シリラ王女 * {{仮リンク|ザカリー・アーサー|en|Zackary Arthur}} - 『{{仮リンク|チャッキー (テレビドラマ)|en|Chucky (TV series)|label=チャッキー}}』 ([[Syfy]]):ジェイク・ホイーラー * {{仮リンク|ブレック・バッシンガー|en|Brec Bassinger}} - 『''[[:en:Stargirl (TV series)|Stargirl]]''』 ([[CWテレビジョンネットワーク|The CW]]):{{仮リンク|コートニー・ホイットモア|en|Courtney Whitmore|label=コートニー・ホイットモア/スターガール}} * [[ジェナ・オルテガ]] - 『[[ウェンズデー (テレビドラマ)|ウェンズデー]]』 (Netflix):ウェンズデー・アダムス * {{仮リンク|ベラ・ラムジー|en|Bella Ramsey}} - 『[[THE LAST OF US (テレビドラマ)|THE LAST OF US]]』 (HBO):エリー・ウィリアムズ | valign="top" | * [[ガエル・ガルシア・ベルナル]] - 『[[ウェアウルフ・バイ・ナイト]]』 ([[Disney+]]):{{仮リンク|ジャック・ラッセル / ウェアウルフ・バイ・ナイト|en|Werewolf by Night}} * [[ジャンカルロ・エスポジート]] - 『[[マンダロリアン (テレビドラマ)|マンダロリアン]]』 (Disney+):モフ・ギデオン * [[ニック・オファーマン]] - 『[[THE LAST OF US (テレビドラマ)|THE LAST OF US]]』 ([[HBO]]):ビル * [[アマンダ・プラマー]] - 『[[スタートレック:ピカード]]』 ([[Paramount+]]):ヴァーディク * [[アンディ・サーキス]] - 『[[キャシアン・アンドー (テレビドラマ)|キャシアン・アンドー]]』 (Disney+):キノ・ロイ * [[ポール・ウェズレイ]] - 『[[スタートレック:ストレンジ・ニュー・ワールド]]』 (Paramount+):[[ジェームズ・T・カーク]] * [[キャサリン・ゼタ=ジョーンズ]] - 『[[ウェンズデー (テレビドラマ)|ウェンズデー]]』 ([[Netflix]]):モーティシア・アダムス |- |} === ホームエンターテインメント賞 === {| class=wikitable |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | 4Kホームメディア・リリース賞 ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンクラシック映画DVDリリース賞|en|Saturn Award for Best Classic Film DVD Release|label=クラシック映画ホームメディア・リリース賞}} |- | valign="top" | * 『[[バロン (映画)|バロン]]』 * 『[[エクソシスト (映画)|エクソシスト]]』(50周年記念版) * 『[[クジョー]]』 * 『[[ジョン・ウィック:コンセクエンス]]』 * 『[[ニードフル・シングス]]』 * 『[[L.A.大捜査線/狼たちの街]]』 * 『[[スター・トレック (1979年の映画)|スター・トレック]]』 | valign="top" | * 『[[妖怪巨大女]]』 * 『{{仮リンク|惑星アドベンチャー スペース・モンスター襲来!|en|Invaders from Mars (1953 film)}}』(4K版) * 『{{仮リンク|それは外宇宙からやって来た|en|It Came from Outer Space}}』(4K版) * 『[[恐怖の火星探検]]』(4K版) * 『[[影なき狙撃者 (映画)|影なき狙撃者]]』(4K版) * 『[[狩人の夜 (映画)|狩人の夜]]』(4K版) * 『[[インカ王国の秘宝]]』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンDVD/Blu-rayコレクション賞|en|Saturn Award for Best DVD or Blu-ray Collection|label=ホームメディア・コレクション賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|サターンテレビ作品DVDリリース賞|en|Saturn Award for Best Television DVD Release|label=テレビ作品ホームメディア・リリース賞}} |- | valign="top" | * 『''Arsène Lupin Collection''』 * 『[[アーウィン・アレン]]・マスター・オブ・ディザスター・コレクション』 * 『{{仮リンク|ミスター・ウォン|en|Mr. Wong (fictional detective)}}・コレクション』 * 『Shawscope: Volume Two』 * 『[[スーパーマン]] 5-Film Collection』(4K Ultra HD + Blu-ray) * 『[[ユニバーサル・モンスターズ|ユニバーサル・クラシック・モンスターズ]] Icons of Horror, Volume 2』(4K Ultra HD + Blu-ray) * 『[[ワーナー・ブラザース]] 100th Anniversary 25-Film Collection: Volume Four (Thrillers, Sci-Fi & Horror)』 | valign="top" | * 『[[ベター・コール・ソウル]]』(コンプリート・コレクション) * 『{{仮リンク|CREEPSHOW/クリープショー|en|Creepshow (TV series)}}』(シーズン3) * 『''[[:en:The Abominable Snowmen|The Abominable Snowmen]]''』(シーズン2) * 『{{仮リンク|インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (テレビドラマ)|en|Interview with the Vampire (TV series)|label=インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア}}』(シーズン1) * 『[[ロキ (テレビドラマ)|ロキ]]』(シーズン1、4K Steelbook) * 『[[四次元への招待]]』(シーズン3) * 『''[[:en:Quantum Leap (2022 TV series)|Quantum Leap]]''』(シーズン1) |} == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{official|https://www.saturnawards.org}}{{en icon}} {{サターン賞}} {{デフォルトソート:さたあんしよう}} [[Category:サターン賞|*48]] [[Category:2023年の映画賞]] [[Category:2024年のアメリカ合衆国]] [[Category:2024年2月]]
2023-12-09T06:02:44Z
2023-12-29T21:30:35Z
false
false
false
[ "Template:Official", "Template:En icon", "Template:サターン賞", "Template:Infobox Award", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC48%E5%9B%9E%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%B3%9E
4,864,264
岸辺露伴 ルーヴルへ行く (映画)
『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(きしべろはん ルーヴルへいく)は、荒木飛呂彦による同名の漫画作品を原作とする2023年5月26日公開の日本の映画。監督の渡辺一貴、脚本の小林靖子を始め、NHK総合で放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のキャスト・スタッフが続投する形で制作された。 日本映画としては『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』以来2作目となるルーヴル美術館でのロケが行われた。NHKが製作したドラマの映画化作品としては初めて興行収入が10億円を突破した。 次回作として故買屋をモチーフにと考えた岸辺露伴は、取材に訪れた骨董店で、美術品オークションに出品されるフランスの画家モリス・ルグランによる黒い絵を知って興味を抱き、その絵を落札するが、競売相手だった男らに絵を強奪される。絵は手元に戻るが、その絵の裏にはフランス語でモリスによる「これはルーヴルで見た黒。後悔」という言葉が書かれていることが分かる。 黒い絵について思案する中、露伴は青年期に出会った女性・奈々瀬のことを思いだす。露伴の祖母が運営する下宿に暮らしていた奈々瀬は、露伴の描く漫画に興味を示し「この世で最も黒く、邪悪な絵」の存在を教える。露伴は奈々瀬に惹かれ、彼女をモデルとして漫画に描くが、その絵を見た奈々瀬は突然取り乱して漫画を切り裂き、露伴に詫びて姿を消す。露伴は彼女が「最も黒い絵」がルーヴル美術館にあると示唆していたことを思いだし、その絵を見るため同美術館へ取材に行く決意をする。 泉京香とともにルーヴルを訪ねた露伴は、問題の絵である日本の画家・山村仁左右衛門の作品が、閉鎖され作品が保管されていないはずのZ-13倉庫にあると示される。美術館関係者も把握していない事態に、露伴は通訳のエマ・野口や東洋美術のキュレーター・辰巳隆之介、消防士たちを伴う条件で絵の見学を許される。一行はZ-13倉庫で、ヨハネス・フェルメールの作とみられる絵画を発見する。辰巳はその絵を贋作と断言するが、真作であると見抜いた露伴は、辰巳らに抱いていた不信感とともに、青年期に祖母宅に絵を引き取りに来たフランス人男性の記憶を思い出し、彼や辰巳、消防士らが美術館の所蔵品をモリスが描いた贋作にすりかえる犯罪グループであるとの推理を披露する。 露伴は辰巳らと格闘するが、その最中に職員たちは次々と幻覚を見て怯え、銃撃や火災などの怪異現象によって死亡してゆく。彼らの見る幻覚と怪異がそれぞれの「後悔」や血縁者の罪に基づくものと気づいた露伴は、我が子の事故死による罪の意識から怪異に見舞われるエマを、京香に指示してその場から離れさせ救う。やがて露伴は怪異を起こすものが倉庫奥にある仁左右衛門の絵であると気付き、自身の前にも、黒い顔料にまみれた武士の霊が現れる。追い詰められた露伴の前に、和装の奈々瀬が現れ、武士を押しとどめ「何もかも、すべて忘れて」と露伴に告げる。露伴はこれを好機に自らにヘブンズ・ドアーを仕掛けて脱出に成功、呪われた仁左右衛門の絵は倉庫内の火災によって焼失する。 帰国後、露伴は湖畔に打ち捨てられた奈々瀬と仁左右衛門夫妻の墓を見つけ出す。露伴は奈々瀬の霊に再会し、彼女にヘブンズ・ドアーを仕掛け、江戸時代に生きていた夫妻の悲劇を読む。藩の御用絵師家系だった仁左右衛門は、新しい絵画表現への挑戦を保守的な父に否定され、妻の奈々瀬とともに実家を出る。しかし奈々瀬が病に倒れて困窮した仁左右衛門は父に頭を下げ家への復帰を頼み、条件として父を超える絵を描けと指示され、愛妻の黒髪の美を再現する絵に執着してゆく。奈々瀬が神社の御神木から黒の樹液を発見し、理想の画材を得たと仁左右衛門は喜ぶが、神聖な木を傷つけたと告発される。捕縛されようとする夫をかばった奈々瀬は役人たちに打ち据えられて死亡し、逆上した仁左右衛門は役人らを皆殺しにする。彼が絶筆として、恨みを込めて描いた妻の肖像が呪われた黒い絵であった。絵の呪いを解くため、自分の子孫にあたる露伴を巻き込んでしまったと詫びる奈々瀬に、露伴はあの夏も自分にとって必要な過去だったと伝え、奈々瀬は微笑んで彼の前から消える。謎が解けた後、露伴は再び漫画家としての日常に戻ってゆく。 監督の渡辺一貴とNHKエンタープライズのプロデューサー・土橋圭介は2018年、テレビドラマ『岸辺露伴は動かない』(以下、「ドラマシリーズ」という)の企画段階から妄想レベルで本作を構想しており、「このドラマがうまくいってシリーズ化、最後は長編映画で、長編やるならやっぱり『ルーヴルへ行く』だよね」と話をしていた。また撮影中においても、露伴を演じた高橋一生と渡辺は雑談中に度々「『ルーヴルへ行く』を映画でできたらいいね」と話をしていたという。 本作の企画はアスミック・エースのプロデューサーの井出陽子が土橋たちに、ドラマシリーズを再編集し応援上映を行う企画を持ちかけたことがきっかけとなり、本格的に動き出した。井出は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのファンであり、ドラマシリーズのキービジュアルを観た際に「原作ファンも喜ぶ作品になる」と直感し、話を持ちかけたと語っている。話を受けた渡辺たちは今作の企画書を書き上げ土橋に提出し、打ち合わせを重ねる中で劇場版にチャレンジすることが決まった。 原作者の荒木飛呂彦と版元の集英社の許諾を得て企画は進み始めたが、コロナ禍の影響などからルーヴル美術館との撮影交渉は困難を極め、パリでの撮影日程が決まったのは日本での撮影が始まってからであった。また、円安の影響から制作費がかさみ、一部費用が足りなくなったことから、テレビ東京が製作に参加し出資した。 本作は監督の渡辺をはじめ、ドラマシリーズのスタッフが引き続き担当している。渡辺はドラマシリーズから作り方を変えるということはせず、今までやってきたことをそのまま落とし込むことを意識したという。また本作では露伴の過去や江戸時代など様々な時代が描かれるが、過去の記憶でも現実よりも鮮明に記憶されていることもあるので、白黒やセピア色にするといった映像上の演出はしないよう意識された。 ドラマシリーズに引き続き脚本を務めた小林靖子は荒木より、仁左右衛門と奈々瀬を悲恋にすること、そしてルーヴル美術館で死ぬ消防士たちを悪者にしてほしいという要望を受けていた。そのため本作ではZ-13倉庫のシーンのあとに、新たに書き起こされた尺の長い過去編が入る構成となっている。また、本作の露伴は原作より年齢が高く設定されているため、奈々瀬を思い出す展開に違和感が生じないよう、モリス・ルグランや黒い絵の設定を足し、「露伴が漫画のために美術を調べていて、そのためにオークションに潜入し、そこから事件に巻き込まれることで過去に少しずつ繋がっていく」という展開となっている。 ドラマシリーズから引き継がれたオリジナル要素の一つとして、露伴と京香のコンビがある。ドラマシリーズでの京香は荒木の物語に存在する「ユーモア」の要素を引き受ける、息抜きになるようなキャラクターとして描かれた。小林は二人の関係を「全然住む世界が違っていて、普通なら友だちになることもなく関係が終わっちゃうふたり」と捉えており、本作では、露伴は京香を「ちょっと面白いかも」と感じるようにはなりつつも、それ以上の関係にはならないように意識されている。この二人の関係やコミカルな掛け合いは、シリアスな物語の中の清涼剤として高く評価された。 ルーヴルでの撮影交渉が難航したことからシナリオハンティングなしで脚本を書き上げる事になったが、ルーヴル美術館に詳しい人や東京藝術大学保存修復日本画研究室教授の荒井経に取材を行い、脚本に反映させた。 ドラマシリーズに引き続き人物デザイン監修を担当した柘植伊佐夫は原作を読んだ際、辻褄が合っているのに合っていないような不思議な読後感を感じたといい、本作では各パートごとに分裂した、整合性や共通性のなさを意識したという。またドラマシリーズでは元気さや生命力がイメージされていたが、今作は悲劇性のある物語であることから、より重みのある印象になるよう意識されている。なお、京香の衣装はドラマシリーズに引き続き、靴とタイツ以外のすべてがオートクチュールとなっている。 オークションを始めとした現代パートにて京香が着用している紫のワンピースは、落ち着きと華やかさの両方を柘植が欲していたため取り入れられた。作中では京香が「もっとドレスっぽいのを着てこようと思った」と話している衣装であり、柘植は「オークションでこれはすでにかなり派手だよ?!」と突っ込みたくなると語っている。飯豊はこの衣装のゴージャスな雰囲気が、いち編集部員というより編集長並みの貫禄を感じさせてくれたと回想している。 過去編にて登場する青年期の露伴は、現在の露伴がもつ明快さをまだ持ち合わせておらず、また演じた長尾謙杜もふわふわしたところがあったため、曖昧な白の階調が意識された衣装となっている。柘植はこの白の風合いを出すための素材を見つけるのに苦労したと語っている。 パリパートの衣装は「パリの街やルーヴルに露伴と京香が立ったとき、しっくり来るものなのか」を意識して制作された。また、ルーヴルで撮影すると聞いた時点で映画『シャレード』のケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンのようにしたいと考え、色の組み合わせなどをオマージュしている。 パリでの京香の衣装である黒の革のワンピースは彼女のアイコンであるリボン以外の装飾が排されたミニマムなものとなっている。このワンピースは本来フロントジップで作られたものだったが、衣装合わせの際の飯豊の提案から前後逆に着ることになった。京香が時折羽織っていたシャンパンゴールドのコートは、ベージュと黒はフランス人の好む組み合わせであり、パリの建築物ともマッチすると考えられたことから採用された。なお、ドラマシリーズ第8話「ジャンケン小僧」にて京香がレザーのショートパンツを履いていたのは、今作に向けての匂わせの一つだったという。 パリでの露伴は、シリーズを通して初めてタイを着用しており、保守的なイメージのタイをいかにアバンギャルドなイメージの露伴に馴染ませるかが意識された。そのためシャツの襟の構造から見直し、襟の中にタイが通る不思議な構造になっている。また、コートもシリーズを通して初めて着用しており、パリの雰囲気に即したシックなものになっている。スタンドカラーに大きなボタンが3つあしらわれており、柘植は偶然にも「ジョジョ」のキャラクターがしばしば着用している学ランのようなシルエットになったと語っている。生地には起毛したウールが使われており、高橋は撮影中コートの温かさがとても助かったと語っている。 仁左右衛門の描いた絵画を始めとした劇中画は日本画家の宮崎優が担当した。劇中で仁左右衛門の描いた「蘭画」「微笑む奈々瀬」は1770年代の秋田蘭画を参考に約250年前の画材や技法で制作された。一方、物語の肝となる「黒い絵」は時代考証を無視して制作され、遠目から見ると真っ黒な板に見えるほどの絵画に仕上がっている。「黒い絵」での奈々瀬の黒髪は、まるで奈々瀬の魂が閉じ込められているように、時間の止まった空間に漂うようなイメージで描かれている。宮崎は、仁左右衛門の描きたいものに執着し周りが見えなくなるところに共感し、「黒い絵」の制作時には最初から完成形がはっきりとイメージできたという。 本作は2022年9月にクランクインし、オークションのシーンから撮影が始められた。ロケ地は横浜の老舗ホテル・ホテルニューグランドが選定された。このホテルは渡辺が挙式した場所であり、クラシカルな場所というイメージで思い浮かんだことからオークション会場として選ばれた。美術の磯貝さやかは撮影前に実際のオークションに参加し取材を行ったが、そのオークションは会議室のようなあまり華やかでない場所で行われたため、本作では花などが並べられた「オークションのイメージ」が強い物となっている。 続いて、露伴の祖母・猷の下宿を舞台とした、露伴の青年期の撮影が行われた。ロケ地は会津若松の旅館・向瀧が選定された。この場所は渡辺が演出し高橋が主演を務めたNHKのテレビドラマ『雪国 -SNOW COUNTRY-』のロケ地でもあり、渡辺は『雪国』の撮影中(2022年1月)から猷の下宿にも理想的だと考えていたという。奈々瀬の部屋は向瀧の茶室が使用されており、磯貝は奈々瀬の実在感のない不思議な感じを表現するため、部屋の物を極力減らすよう意識した。また、対照的に猷の部屋は生活感を出すため、物の密度を高くし、ごちゃごちゃとさせている。なお、露伴の部屋のみ向瀧でない場所を使用しており、磯貝は部屋の木の色を向瀧と同じ色に塗り替えるなど同じ場所に見えるように意識したという。 青年期の露伴には長尾謙杜が起用された。キャスティングの際には憂いがあり、また駆け出しでスタイルが確立されていない「まだ完成される前の露伴」が前提となり、渡辺が画像検索で長尾の写真を見つけ、キャストの検討会議に提案した。渡辺は長尾が人気アイドルであること、また「ジョジョ」のファンであることを知らずに推薦したため、土屋は不思議な縁を感じたという。長尾は渡辺のアドバイスから高橋の露伴を意識しないようにし、また年齢感が近いことから原作だけでなく『ダイヤモンドは砕けない』も読み直し、役作りを行った。 仁左右衛門と奈々瀬の物語が描かれた江戸時代パートも会津若松にて撮影され、主に霧幻峡や大内宿が舞台となっている。仁左右衛門が黒に魅せられていく場面はZ-13倉庫のシーンとリンクされており、蜘蛛の巣が徐々に増える演出が施されている。また、御神木の黒い樹液は、木から流れるものと指についたものとで素材を変えるなど、拘って制作された。この江戸時代パートは原作から大きく加筆されている。高橋はこの江戸時代パートがあることによって、タイトルが『ルーヴルへ行く』でありながらもパリに気触れず、自分たちが日本人であるというところに立ち返ることができると語っている。渡辺と高橋は大河ドラマ『おんな城主 直虎』でもタッグを組んだ間柄であり、高橋はデジャブを感じたものの渡辺が「(小野政次とは)また違う人ですね」と言ってくれたことで安心したという。 続いて、大谷石採石場跡にて、本作のクライマックスシーンの一つであるZ-13倉庫のシーンが4日間にわたって撮影された。渡辺はアンドレイ・タルコフスキーの映画『ストーカー』をイメージし、20分以上続く無機質な暗がりのシーンを、いかにエンターテイメントとして飽きさせないものにするかに注力したという。磯貝は原作を読んだときから再現に一番ハードルを感じていた場所だといい、洞窟や廃墟の資料や『ストーカー』を参考に、長い間放置されたような雰囲気を作り出したという。蜘蛛の巣は真綿を引き伸ばして作られており、カメラに収まるところに重点的に付けたり、レイヤーを重ねるようにしたりして、大量の蜘蛛の巣が張っているように見せている。 Z-13に続く地下通路は大森ベルポートの地下3階、および館山市にある能忍寺の廃トンネルにて撮影された。螺旋階段のシーンの撮影ではステディカムが使用され、動きのあるダイナミックな映像となっている。 続いて、神奈川県を中心に現代パートの撮影が進められた。露伴邸はドラマシリーズと同様に葉山加地邸がロケ地となった。ドラマシリーズとの違いとして、部屋には顔料のもととなる植物などが大量に吊るされており、これらは磯貝が荒井に行った取材がもとになっている。また、ドラマシリーズとの繋がりが感じられるよう、ホットサマー・マーサのフィギュアやバキンのフードボウルなども置かれている。 パリでの撮影は2022年11月と2023年3月の2回に分けて行われた。渡辺はベルナルド・ベルトルッチの映画『暗殺の森』をベースに今作を演出しており、『暗殺の森』でのパリのシーンが曇天であることから、今作でも曇天に拘って制作されたという。また、パリのシーンは観光名所巡りのような雰囲気は出さないことも意識されている。 1回目のロケは3日間にわたって行われ、パリ市街を舞台としたシーンが撮影された。露伴と京香が2階建てバスに乗り、エトワール凱旋門からシャンゼリゼ通りの方へ抜けるシーンの撮影では、信号や他の車のタイミングが合わず、理想の画が撮れるまで30分以上、何十周も凱旋門を周回したという。また、カフェ・ルテシアでのシーンでは、エキストラの女性が偶然『ジョジョリオン』の登場人物・東方大弥のような耳付きのフードを被っており、その女性が映るように撮り直したという。 ルーヴル美術館文化メディエーション部のオフィスはヴィクトル・ユゴーの弁護士事務所にて撮影された。磯貝自身は現地に赴くことはできなかったものの、現地スタッフとオンライン上で打ち合わせを重ね、オフィスを美術で飾ったという。 2回目のロケではルーヴル美術館での撮影が3日間にわたって行われた。原作ではルーヴル美術館のシーンは少なく、すぐにZ-13倉庫に行ってしまうことから、映画化に際し館内の描写が多く足されている。撮影は閉館後から翌朝にかけて行われた。渡辺らによる下見は10回ほど行われたが、閉館後の人がいない美術館は雰囲気が全く異なり、本番では考えてきたことをリセットし、その場で感じたことを大事にしながら撮影は行われたという。飯豊は閉館後の館内は常に誰かに見られているような不思議な空気感があり、貴重な経験だったと回想している。 高橋は、露伴ならルーヴル美術館は畏敬する場所でありながらも「こんなすごい絵を書きやがって、腹立つ」と思うだろうと想像し、かつての画家に対してのライバル心を意識して露伴を演じた。その意識はモナ・リザに背を向けながらスケッチをするという演技に繋がっているという。 最終日はカルーゼル凱旋門前の広場からルーヴル美術館のピラミッドを臨む撮影が行われ、これをもって本作はクランクアップとなった。なお、カルーゼル凱旋門自体は撮影当時工事中だったため、本作には登場していない。撮影中は太陽が月に見えるほどの厚い雲が空を覆い、気温は1°Cほどと非常に低く、高橋と飯豊は不穏な天気が幻想的でラストシーンにピッタリであったと回想している。 ドラマシリーズに引き続き音楽を担当した菊池成孔は原作を読んだことはなかったものの、周囲には「ジョジョ」の熱狂的なファンが多くおり、ある程度予備知識を持った状態で制作に臨むことができたという。本作の音楽制作は映像がすべて完成してから行われ、菊池は様々な時代が描かれる映像に合わせて、音楽も統一感を出さずオムニバスのような形で制作した。なお、本作ではドラマシリーズに引き続き「新音楽制作工房」も音楽制作を行っている。 菊池はドラマシリーズとの違いとして、シネコンの大出力のスピーカーにも耐えうる音の厚みを心がけたといい、ドラマシリーズでは4人編成でダビングを2回行い最大8人分の音だったストリングスが、今作では14人編成でレコーディングが行われた。メインテーマである「大空位時代」も今作に向けて音を厚くアレンジされており、この曲のブローアップが本作の最初のミッションだったという。 今作の音楽制作にはAIを使用した楽曲が使われており「AI制作によるふたつの弦楽四重奏の同時演奏」がその一つである。この曲はMaxが2台入ったモデルを使い、片方のMaxが生成したものにもう片方のMaxを反応させて制作されている。 露伴の青年期が描かれる過去編の音楽は、菊池が映像を見た際に花街のような印象を受けたことから、浄瑠璃音楽の一つ清元節を元に、インドネシアの打楽器アンサンブルであるガムランとシンセサイザーの一種モジュールシンセをミクスチャーしたものとなっている。レコーディングではこれらの奏者を集め、本編映像を観ながらのセッションが24分間ノンストップで行われた。 パリパートの音楽は日本人がパリ風の音楽を制作すると陥りがちな「疑似ミシェル・ルグラン」にならないように意識し、モーリス・ラヴェルやクロード・ドビュッシーのようなフランスの近代音楽風のものを、新音楽制作工房のメンバー・丹羽武史が菊池の依頼を受けて制作した。 江戸時代パートの音楽は新音楽制作工房のメンバー・大野格と菊池の共作となっている。大河ドラマのようになるのを避けるため、グスタフ・マーラーやジャコモ・プッチーニのようなドラマティックなクラシックが作曲された。ラストシーンにて使用された「愛の遺伝」は「大空位時代」と同じくボーカロイドが歌唱したアリアがトップノートになっており、「大空位時代」へのアンサーとなっている。 2022年12月27日に放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』第8話「ジャンケン小僧」のエンドロール後に泉京香が本作を匂わすセリフを発し、それから9日後の2023年1月5日、ティザービジュアルと超特報映像とともに本作の映画化が発表された。4月24日には初号試写が行われ、翌25日には当時ルーヴル美術館展が行われていた国立新美術館にて完成報告イベントが開催された。5月18日にはTOHOシネマズ日比谷にて先行上映会が行われ、高橋と渡辺が登壇した。イベントの最後にはサプライズとして荒木飛呂彦が本作に描き下ろしたイラストの複製原画が高橋に送られた。この描き下ろしイラストはのちに第2弾入場者プレゼントとして配布された。 本作は2023年5月26日に全国272スクリーンで公開され、翌27日にはTOHOシネマズ六本木ヒルズにて公開記念舞台挨拶が行われた。舞台挨拶の最後に高橋は次のように述べている。 また、公開に際し原作者の荒木飛呂彦は以下のコメントを寄せた。 同年6月9日からはスマートフォンアプリ「HELLO! MOVIE」を利用した副音声コメンタリー上映が行われ、高橋一生、飯豊まりえ、木村文乃、渡辺一貴が参加した。 同年9月6日に公式X(旧Twitter)で、本作の日本国内での上映を終了したことが発表された。 同年9月22日には台湾にて『岸邊露伴在羅浮』の題で公開された。公開に先立ち、高橋と渡辺は15日から17日までの3日間の日程で台湾に渡り、3回の上映会に参加した。 本作は公開3日間で22万1000人を動員し、興行収入は3億1500万円を記録した。これは2023年に公開された300館以下の劇場映画の初週3日間の成績としては同年5月末時点で最高の興行収入であり、ライターの宇野維正は映連4社以外の配給作品としては異例であると述べている。本作はその後も成績を伸ばし、6月18日にはNHKの連続ドラマの映画化作品として初めて興行収入が10億円を突破した。 宇野は、NHKの連続ドラマの映画化作品は公共放送局というNHKの特性上、ドラマの放送から映画公開までのタイムラグが大きく、また民放のような局を挙げての宣伝ができないため大きなヒットに繋がりにくいという特徴があるが、本作はドラマシリーズの最新話の放送から映画公開までが6か月以内というタイムリーさを実現したため、快挙と言っていい成績を残すことができたと述べている。 本作は公開直後からパンフレットを始めとしたグッズの売り切れが続出し、MANTANWEBが関係者に取材した話によると、観客は女性が多く、劇場内の物販コーナーは行列状態であったという。 フリーライターのヒナタカは、キャスティング、ビジュアル、脚本など全方位的に隙がなく、ドラマシリーズに続いて再び実写化の「正解」を示した作品だと述べている。ヒナタカは高橋一生の演技について、一挙一動から醸し出される変人っぽさが『デスノート』にてLを演じた松山ケンイチを彷彿とさせると語り、芸術に対し揺るぎない信念を持つ唯一無二のキャラクターが漫画からそのまま出てきたような魅力があったと評している。また公開前は原作が130ページに満たない中編であったことからボリューム不足を心配したが、小林靖子による原作を大切にしつつも新たな面白さや感動を届ける改変は素晴らしく、杞憂であったと述べている。特にドラマシリーズからレギュラーキャラとなった京香は露伴との掛け合いがホラー描写もある本作の清涼剤として機能しているだけでなく、終盤にてある人物に救いを与える役割があることから、京香の存在によってひとつの「記憶」についての寓話としてもより完成度が高くなった印象があると述べている。 ライターの島田一志は、原作ではやや分かりにくかった部分を本作ではオリジナルエピソードによって補完しており、かつその改変部分には原作への深い愛情と敬意が感じられるため全く気にならないと評している。特に本作で深く掘り下げられた仁左右衛門のエピソードは、仁左右衛門を高橋が一人二役で演じたことによって、露伴もまた仁左右衛門と同じく「呪われた絵師」になりうると暗に語る物語になったと述べている。また、ルーヴルでの旅の後、露伴が奈々瀬にヘブンズ・ドアーを行う場面での高橋の演技は、露伴の哀しみ、恐れ、好奇心、正義、そして、実らなかった初恋の慕情などが全て集約されており、漫画では難しいこれらの表現がされた本作は、漫画の実写化に「成功」しているといってもいいと評価している。 お笑い芸人の宮下兼史鷹はドラマシリーズの劇場版でありながらスケールが大きくなりすぎず、ドラマシリーズの良さがしっかり活きた作品になっていたと評している。また自身は木村文乃のファンであると語っており、木村の演技については彼女の陰の部分を強調した役柄を評し、露伴のように恋をしてしまったと述べている。 宇野維正は美点として「(露伴と京香の)『作家と編集者』や『男と女』の定型に収まらない洒脱な関係性と軽妙な台詞の掛け合い」を、欠点として「アート作品『風』の小賢しいカメラの構図の多用と、散見される稚拙な編集」をそれぞれ挙げ、トリッキーな設定に慣れるのには時間を要したが最終的にはかなり楽しめたと評し、星5つ中3つの評価を与えている。 映画評論家の北川れい子は露伴のヘアバンドを始めとした形振りや特殊能力、そしてルーヴル美術館を巻き込んだ因縁話はかなりぶっ飛んでおり、「映画のリアリティーを超越した幻覚的ミステリ」として星5つ中2つの評価を与えている。 フリーライターの千浦僚はミステリアスなネタを追う展開はキビキビとして飽きさせず、パリの街とルーヴル美術館でのロケ撮影も効果的であったとして、星5つ中3つの評価を与えている。 フリーライターのなかざわひでゆきは、プロットが複雑なうえ説明過多なセリフが多いことからストーリーがわかりにくくなっているものの、大正ロマン的な幻想怪奇ムードや陰鬱なパリの景色は魅力的であったとし、星5つ中3つの評価を与えている。 菊地成孔と新音楽制作工房によるサウンドトラックは、テレビドラマ『岸辺露伴は動かない』の劇伴とカップリングされ、2023年10月25日に発売された。同年6月に本作の制作が発表された際には9月13日に発売予定であると予告されていたが、制作上の都合により延期された。同年12月1日には本作のスペシャルイベントが開催され、菊地成孔、高橋一生、飯豊まりえ、渡辺一貴が出演した。初週のオリコンの週間アルバムチャートでは25位を記録した。 試写会、および先行上映会は#封切りを参照のこと。 監督の渡辺一貴とゲストが対談するティーチインが2023年6月より順次行われた。開催日時、場所、出演者は以下の通り。 本作の体験型イベント「岸辺露伴 ルーヴルへ行く 体験型イベント 〜ようこそ、岸辺露伴の世界へ〜」が2023年9月より池袋、梅田、博多の「バンダイナムコ Cross Store」にて順次開催された。オリジナルグッズやコラボメニューの販売や、自分だけの「ヘブンズ・ドアー」の記事を作れるアトラクションなどが行われた。 2023年5月15日から6月15日にかけて京王電鉄とのタイアップ企画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く×KEIO」が行われ、「ヘブンズ・ドアー」を模した京王井の頭線の記念乗車券が発売された。 2023年5月15日から6月11日にかけてフランス料理店「俺のフレンチ」とのタイアップ企画が行われ、コラボメニュー「高知県産カツオのたたきルーヴル仕立て 〜岸辺露伴のノワールを添えて〜」が販売された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(きしべろはん ルーヴルへいく)は、荒木飛呂彦による同名の漫画作品を原作とする2023年5月26日公開の日本の映画。監督の渡辺一貴、脚本の小林靖子を始め、NHK総合で放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のキャスト・スタッフが続投する形で制作された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本映画としては『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』以来2作目となるルーヴル美術館でのロケが行われた。NHKが製作したドラマの映画化作品としては初めて興行収入が10億円を突破した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "次回作として故買屋をモチーフにと考えた岸辺露伴は、取材に訪れた骨董店で、美術品オークションに出品されるフランスの画家モリス・ルグランによる黒い絵を知って興味を抱き、その絵を落札するが、競売相手だった男らに絵を強奪される。絵は手元に戻るが、その絵の裏にはフランス語でモリスによる「これはルーヴルで見た黒。後悔」という言葉が書かれていることが分かる。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "黒い絵について思案する中、露伴は青年期に出会った女性・奈々瀬のことを思いだす。露伴の祖母が運営する下宿に暮らしていた奈々瀬は、露伴の描く漫画に興味を示し「この世で最も黒く、邪悪な絵」の存在を教える。露伴は奈々瀬に惹かれ、彼女をモデルとして漫画に描くが、その絵を見た奈々瀬は突然取り乱して漫画を切り裂き、露伴に詫びて姿を消す。露伴は彼女が「最も黒い絵」がルーヴル美術館にあると示唆していたことを思いだし、その絵を見るため同美術館へ取材に行く決意をする。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "泉京香とともにルーヴルを訪ねた露伴は、問題の絵である日本の画家・山村仁左右衛門の作品が、閉鎖され作品が保管されていないはずのZ-13倉庫にあると示される。美術館関係者も把握していない事態に、露伴は通訳のエマ・野口や東洋美術のキュレーター・辰巳隆之介、消防士たちを伴う条件で絵の見学を許される。一行はZ-13倉庫で、ヨハネス・フェルメールの作とみられる絵画を発見する。辰巳はその絵を贋作と断言するが、真作であると見抜いた露伴は、辰巳らに抱いていた不信感とともに、青年期に祖母宅に絵を引き取りに来たフランス人男性の記憶を思い出し、彼や辰巳、消防士らが美術館の所蔵品をモリスが描いた贋作にすりかえる犯罪グループであるとの推理を披露する。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "露伴は辰巳らと格闘するが、その最中に職員たちは次々と幻覚を見て怯え、銃撃や火災などの怪異現象によって死亡してゆく。彼らの見る幻覚と怪異がそれぞれの「後悔」や血縁者の罪に基づくものと気づいた露伴は、我が子の事故死による罪の意識から怪異に見舞われるエマを、京香に指示してその場から離れさせ救う。やがて露伴は怪異を起こすものが倉庫奥にある仁左右衛門の絵であると気付き、自身の前にも、黒い顔料にまみれた武士の霊が現れる。追い詰められた露伴の前に、和装の奈々瀬が現れ、武士を押しとどめ「何もかも、すべて忘れて」と露伴に告げる。露伴はこれを好機に自らにヘブンズ・ドアーを仕掛けて脱出に成功、呪われた仁左右衛門の絵は倉庫内の火災によって焼失する。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "帰国後、露伴は湖畔に打ち捨てられた奈々瀬と仁左右衛門夫妻の墓を見つけ出す。露伴は奈々瀬の霊に再会し、彼女にヘブンズ・ドアーを仕掛け、江戸時代に生きていた夫妻の悲劇を読む。藩の御用絵師家系だった仁左右衛門は、新しい絵画表現への挑戦を保守的な父に否定され、妻の奈々瀬とともに実家を出る。しかし奈々瀬が病に倒れて困窮した仁左右衛門は父に頭を下げ家への復帰を頼み、条件として父を超える絵を描けと指示され、愛妻の黒髪の美を再現する絵に執着してゆく。奈々瀬が神社の御神木から黒の樹液を発見し、理想の画材を得たと仁左右衛門は喜ぶが、神聖な木を傷つけたと告発される。捕縛されようとする夫をかばった奈々瀬は役人たちに打ち据えられて死亡し、逆上した仁左右衛門は役人らを皆殺しにする。彼が絶筆として、恨みを込めて描いた妻の肖像が呪われた黒い絵であった。絵の呪いを解くため、自分の子孫にあたる露伴を巻き込んでしまったと詫びる奈々瀬に、露伴はあの夏も自分にとって必要な過去だったと伝え、奈々瀬は微笑んで彼の前から消える。謎が解けた後、露伴は再び漫画家としての日常に戻ってゆく。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "監督の渡辺一貴とNHKエンタープライズのプロデューサー・土橋圭介は2018年、テレビドラマ『岸辺露伴は動かない』(以下、「ドラマシリーズ」という)の企画段階から妄想レベルで本作を構想しており、「このドラマがうまくいってシリーズ化、最後は長編映画で、長編やるならやっぱり『ルーヴルへ行く』だよね」と話をしていた。また撮影中においても、露伴を演じた高橋一生と渡辺は雑談中に度々「『ルーヴルへ行く』を映画でできたらいいね」と話をしていたという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本作の企画はアスミック・エースのプロデューサーの井出陽子が土橋たちに、ドラマシリーズを再編集し応援上映を行う企画を持ちかけたことがきっかけとなり、本格的に動き出した。井出は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのファンであり、ドラマシリーズのキービジュアルを観た際に「原作ファンも喜ぶ作品になる」と直感し、話を持ちかけたと語っている。話を受けた渡辺たちは今作の企画書を書き上げ土橋に提出し、打ち合わせを重ねる中で劇場版にチャレンジすることが決まった。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "原作者の荒木飛呂彦と版元の集英社の許諾を得て企画は進み始めたが、コロナ禍の影響などからルーヴル美術館との撮影交渉は困難を極め、パリでの撮影日程が決まったのは日本での撮影が始まってからであった。また、円安の影響から制作費がかさみ、一部費用が足りなくなったことから、テレビ東京が製作に参加し出資した。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "本作は監督の渡辺をはじめ、ドラマシリーズのスタッフが引き続き担当している。渡辺はドラマシリーズから作り方を変えるということはせず、今までやってきたことをそのまま落とし込むことを意識したという。また本作では露伴の過去や江戸時代など様々な時代が描かれるが、過去の記憶でも現実よりも鮮明に記憶されていることもあるので、白黒やセピア色にするといった映像上の演出はしないよう意識された。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ドラマシリーズに引き続き脚本を務めた小林靖子は荒木より、仁左右衛門と奈々瀬を悲恋にすること、そしてルーヴル美術館で死ぬ消防士たちを悪者にしてほしいという要望を受けていた。そのため本作ではZ-13倉庫のシーンのあとに、新たに書き起こされた尺の長い過去編が入る構成となっている。また、本作の露伴は原作より年齢が高く設定されているため、奈々瀬を思い出す展開に違和感が生じないよう、モリス・ルグランや黒い絵の設定を足し、「露伴が漫画のために美術を調べていて、そのためにオークションに潜入し、そこから事件に巻き込まれることで過去に少しずつ繋がっていく」という展開となっている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ドラマシリーズから引き継がれたオリジナル要素の一つとして、露伴と京香のコンビがある。ドラマシリーズでの京香は荒木の物語に存在する「ユーモア」の要素を引き受ける、息抜きになるようなキャラクターとして描かれた。小林は二人の関係を「全然住む世界が違っていて、普通なら友だちになることもなく関係が終わっちゃうふたり」と捉えており、本作では、露伴は京香を「ちょっと面白いかも」と感じるようにはなりつつも、それ以上の関係にはならないように意識されている。この二人の関係やコミカルな掛け合いは、シリアスな物語の中の清涼剤として高く評価された。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ルーヴルでの撮影交渉が難航したことからシナリオハンティングなしで脚本を書き上げる事になったが、ルーヴル美術館に詳しい人や東京藝術大学保存修復日本画研究室教授の荒井経に取材を行い、脚本に反映させた。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ドラマシリーズに引き続き人物デザイン監修を担当した柘植伊佐夫は原作を読んだ際、辻褄が合っているのに合っていないような不思議な読後感を感じたといい、本作では各パートごとに分裂した、整合性や共通性のなさを意識したという。またドラマシリーズでは元気さや生命力がイメージされていたが、今作は悲劇性のある物語であることから、より重みのある印象になるよう意識されている。なお、京香の衣装はドラマシリーズに引き続き、靴とタイツ以外のすべてがオートクチュールとなっている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "オークションを始めとした現代パートにて京香が着用している紫のワンピースは、落ち着きと華やかさの両方を柘植が欲していたため取り入れられた。作中では京香が「もっとドレスっぽいのを着てこようと思った」と話している衣装であり、柘植は「オークションでこれはすでにかなり派手だよ?!」と突っ込みたくなると語っている。飯豊はこの衣装のゴージャスな雰囲気が、いち編集部員というより編集長並みの貫禄を感じさせてくれたと回想している。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "過去編にて登場する青年期の露伴は、現在の露伴がもつ明快さをまだ持ち合わせておらず、また演じた長尾謙杜もふわふわしたところがあったため、曖昧な白の階調が意識された衣装となっている。柘植はこの白の風合いを出すための素材を見つけるのに苦労したと語っている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "パリパートの衣装は「パリの街やルーヴルに露伴と京香が立ったとき、しっくり来るものなのか」を意識して制作された。また、ルーヴルで撮影すると聞いた時点で映画『シャレード』のケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンのようにしたいと考え、色の組み合わせなどをオマージュしている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "パリでの京香の衣装である黒の革のワンピースは彼女のアイコンであるリボン以外の装飾が排されたミニマムなものとなっている。このワンピースは本来フロントジップで作られたものだったが、衣装合わせの際の飯豊の提案から前後逆に着ることになった。京香が時折羽織っていたシャンパンゴールドのコートは、ベージュと黒はフランス人の好む組み合わせであり、パリの建築物ともマッチすると考えられたことから採用された。なお、ドラマシリーズ第8話「ジャンケン小僧」にて京香がレザーのショートパンツを履いていたのは、今作に向けての匂わせの一つだったという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "パリでの露伴は、シリーズを通して初めてタイを着用しており、保守的なイメージのタイをいかにアバンギャルドなイメージの露伴に馴染ませるかが意識された。そのためシャツの襟の構造から見直し、襟の中にタイが通る不思議な構造になっている。また、コートもシリーズを通して初めて着用しており、パリの雰囲気に即したシックなものになっている。スタンドカラーに大きなボタンが3つあしらわれており、柘植は偶然にも「ジョジョ」のキャラクターがしばしば着用している学ランのようなシルエットになったと語っている。生地には起毛したウールが使われており、高橋は撮影中コートの温かさがとても助かったと語っている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "仁左右衛門の描いた絵画を始めとした劇中画は日本画家の宮崎優が担当した。劇中で仁左右衛門の描いた「蘭画」「微笑む奈々瀬」は1770年代の秋田蘭画を参考に約250年前の画材や技法で制作された。一方、物語の肝となる「黒い絵」は時代考証を無視して制作され、遠目から見ると真っ黒な板に見えるほどの絵画に仕上がっている。「黒い絵」での奈々瀬の黒髪は、まるで奈々瀬の魂が閉じ込められているように、時間の止まった空間に漂うようなイメージで描かれている。宮崎は、仁左右衛門の描きたいものに執着し周りが見えなくなるところに共感し、「黒い絵」の制作時には最初から完成形がはっきりとイメージできたという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "本作は2022年9月にクランクインし、オークションのシーンから撮影が始められた。ロケ地は横浜の老舗ホテル・ホテルニューグランドが選定された。このホテルは渡辺が挙式した場所であり、クラシカルな場所というイメージで思い浮かんだことからオークション会場として選ばれた。美術の磯貝さやかは撮影前に実際のオークションに参加し取材を行ったが、そのオークションは会議室のようなあまり華やかでない場所で行われたため、本作では花などが並べられた「オークションのイメージ」が強い物となっている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "続いて、露伴の祖母・猷の下宿を舞台とした、露伴の青年期の撮影が行われた。ロケ地は会津若松の旅館・向瀧が選定された。この場所は渡辺が演出し高橋が主演を務めたNHKのテレビドラマ『雪国 -SNOW COUNTRY-』のロケ地でもあり、渡辺は『雪国』の撮影中(2022年1月)から猷の下宿にも理想的だと考えていたという。奈々瀬の部屋は向瀧の茶室が使用されており、磯貝は奈々瀬の実在感のない不思議な感じを表現するため、部屋の物を極力減らすよう意識した。また、対照的に猷の部屋は生活感を出すため、物の密度を高くし、ごちゃごちゃとさせている。なお、露伴の部屋のみ向瀧でない場所を使用しており、磯貝は部屋の木の色を向瀧と同じ色に塗り替えるなど同じ場所に見えるように意識したという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "青年期の露伴には長尾謙杜が起用された。キャスティングの際には憂いがあり、また駆け出しでスタイルが確立されていない「まだ完成される前の露伴」が前提となり、渡辺が画像検索で長尾の写真を見つけ、キャストの検討会議に提案した。渡辺は長尾が人気アイドルであること、また「ジョジョ」のファンであることを知らずに推薦したため、土屋は不思議な縁を感じたという。長尾は渡辺のアドバイスから高橋の露伴を意識しないようにし、また年齢感が近いことから原作だけでなく『ダイヤモンドは砕けない』も読み直し、役作りを行った。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "仁左右衛門と奈々瀬の物語が描かれた江戸時代パートも会津若松にて撮影され、主に霧幻峡や大内宿が舞台となっている。仁左右衛門が黒に魅せられていく場面はZ-13倉庫のシーンとリンクされており、蜘蛛の巣が徐々に増える演出が施されている。また、御神木の黒い樹液は、木から流れるものと指についたものとで素材を変えるなど、拘って制作された。この江戸時代パートは原作から大きく加筆されている。高橋はこの江戸時代パートがあることによって、タイトルが『ルーヴルへ行く』でありながらもパリに気触れず、自分たちが日本人であるというところに立ち返ることができると語っている。渡辺と高橋は大河ドラマ『おんな城主 直虎』でもタッグを組んだ間柄であり、高橋はデジャブを感じたものの渡辺が「(小野政次とは)また違う人ですね」と言ってくれたことで安心したという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "続いて、大谷石採石場跡にて、本作のクライマックスシーンの一つであるZ-13倉庫のシーンが4日間にわたって撮影された。渡辺はアンドレイ・タルコフスキーの映画『ストーカー』をイメージし、20分以上続く無機質な暗がりのシーンを、いかにエンターテイメントとして飽きさせないものにするかに注力したという。磯貝は原作を読んだときから再現に一番ハードルを感じていた場所だといい、洞窟や廃墟の資料や『ストーカー』を参考に、長い間放置されたような雰囲気を作り出したという。蜘蛛の巣は真綿を引き伸ばして作られており、カメラに収まるところに重点的に付けたり、レイヤーを重ねるようにしたりして、大量の蜘蛛の巣が張っているように見せている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "Z-13に続く地下通路は大森ベルポートの地下3階、および館山市にある能忍寺の廃トンネルにて撮影された。螺旋階段のシーンの撮影ではステディカムが使用され、動きのあるダイナミックな映像となっている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "続いて、神奈川県を中心に現代パートの撮影が進められた。露伴邸はドラマシリーズと同様に葉山加地邸がロケ地となった。ドラマシリーズとの違いとして、部屋には顔料のもととなる植物などが大量に吊るされており、これらは磯貝が荒井に行った取材がもとになっている。また、ドラマシリーズとの繋がりが感じられるよう、ホットサマー・マーサのフィギュアやバキンのフードボウルなども置かれている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "パリでの撮影は2022年11月と2023年3月の2回に分けて行われた。渡辺はベルナルド・ベルトルッチの映画『暗殺の森』をベースに今作を演出しており、『暗殺の森』でのパリのシーンが曇天であることから、今作でも曇天に拘って制作されたという。また、パリのシーンは観光名所巡りのような雰囲気は出さないことも意識されている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1回目のロケは3日間にわたって行われ、パリ市街を舞台としたシーンが撮影された。露伴と京香が2階建てバスに乗り、エトワール凱旋門からシャンゼリゼ通りの方へ抜けるシーンの撮影では、信号や他の車のタイミングが合わず、理想の画が撮れるまで30分以上、何十周も凱旋門を周回したという。また、カフェ・ルテシアでのシーンでは、エキストラの女性が偶然『ジョジョリオン』の登場人物・東方大弥のような耳付きのフードを被っており、その女性が映るように撮り直したという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ルーヴル美術館文化メディエーション部のオフィスはヴィクトル・ユゴーの弁護士事務所にて撮影された。磯貝自身は現地に赴くことはできなかったものの、現地スタッフとオンライン上で打ち合わせを重ね、オフィスを美術で飾ったという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2回目のロケではルーヴル美術館での撮影が3日間にわたって行われた。原作ではルーヴル美術館のシーンは少なく、すぐにZ-13倉庫に行ってしまうことから、映画化に際し館内の描写が多く足されている。撮影は閉館後から翌朝にかけて行われた。渡辺らによる下見は10回ほど行われたが、閉館後の人がいない美術館は雰囲気が全く異なり、本番では考えてきたことをリセットし、その場で感じたことを大事にしながら撮影は行われたという。飯豊は閉館後の館内は常に誰かに見られているような不思議な空気感があり、貴重な経験だったと回想している。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "高橋は、露伴ならルーヴル美術館は畏敬する場所でありながらも「こんなすごい絵を書きやがって、腹立つ」と思うだろうと想像し、かつての画家に対してのライバル心を意識して露伴を演じた。その意識はモナ・リザに背を向けながらスケッチをするという演技に繋がっているという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最終日はカルーゼル凱旋門前の広場からルーヴル美術館のピラミッドを臨む撮影が行われ、これをもって本作はクランクアップとなった。なお、カルーゼル凱旋門自体は撮影当時工事中だったため、本作には登場していない。撮影中は太陽が月に見えるほどの厚い雲が空を覆い、気温は1°Cほどと非常に低く、高橋と飯豊は不穏な天気が幻想的でラストシーンにピッタリであったと回想している。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ドラマシリーズに引き続き音楽を担当した菊池成孔は原作を読んだことはなかったものの、周囲には「ジョジョ」の熱狂的なファンが多くおり、ある程度予備知識を持った状態で制作に臨むことができたという。本作の音楽制作は映像がすべて完成してから行われ、菊池は様々な時代が描かれる映像に合わせて、音楽も統一感を出さずオムニバスのような形で制作した。なお、本作ではドラマシリーズに引き続き「新音楽制作工房」も音楽制作を行っている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "菊池はドラマシリーズとの違いとして、シネコンの大出力のスピーカーにも耐えうる音の厚みを心がけたといい、ドラマシリーズでは4人編成でダビングを2回行い最大8人分の音だったストリングスが、今作では14人編成でレコーディングが行われた。メインテーマである「大空位時代」も今作に向けて音を厚くアレンジされており、この曲のブローアップが本作の最初のミッションだったという。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "今作の音楽制作にはAIを使用した楽曲が使われており「AI制作によるふたつの弦楽四重奏の同時演奏」がその一つである。この曲はMaxが2台入ったモデルを使い、片方のMaxが生成したものにもう片方のMaxを反応させて制作されている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "露伴の青年期が描かれる過去編の音楽は、菊池が映像を見た際に花街のような印象を受けたことから、浄瑠璃音楽の一つ清元節を元に、インドネシアの打楽器アンサンブルであるガムランとシンセサイザーの一種モジュールシンセをミクスチャーしたものとなっている。レコーディングではこれらの奏者を集め、本編映像を観ながらのセッションが24分間ノンストップで行われた。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "パリパートの音楽は日本人がパリ風の音楽を制作すると陥りがちな「疑似ミシェル・ルグラン」にならないように意識し、モーリス・ラヴェルやクロード・ドビュッシーのようなフランスの近代音楽風のものを、新音楽制作工房のメンバー・丹羽武史が菊池の依頼を受けて制作した。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "江戸時代パートの音楽は新音楽制作工房のメンバー・大野格と菊池の共作となっている。大河ドラマのようになるのを避けるため、グスタフ・マーラーやジャコモ・プッチーニのようなドラマティックなクラシックが作曲された。ラストシーンにて使用された「愛の遺伝」は「大空位時代」と同じくボーカロイドが歌唱したアリアがトップノートになっており、「大空位時代」へのアンサーとなっている。", "title": "制作" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2022年12月27日に放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』第8話「ジャンケン小僧」のエンドロール後に泉京香が本作を匂わすセリフを発し、それから9日後の2023年1月5日、ティザービジュアルと超特報映像とともに本作の映画化が発表された。4月24日には初号試写が行われ、翌25日には当時ルーヴル美術館展が行われていた国立新美術館にて完成報告イベントが開催された。5月18日にはTOHOシネマズ日比谷にて先行上映会が行われ、高橋と渡辺が登壇した。イベントの最後にはサプライズとして荒木飛呂彦が本作に描き下ろしたイラストの複製原画が高橋に送られた。この描き下ろしイラストはのちに第2弾入場者プレゼントとして配布された。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "本作は2023年5月26日に全国272スクリーンで公開され、翌27日にはTOHOシネマズ六本木ヒルズにて公開記念舞台挨拶が行われた。舞台挨拶の最後に高橋は次のように述べている。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また、公開に際し原作者の荒木飛呂彦は以下のコメントを寄せた。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "同年6月9日からはスマートフォンアプリ「HELLO! MOVIE」を利用した副音声コメンタリー上映が行われ、高橋一生、飯豊まりえ、木村文乃、渡辺一貴が参加した。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "同年9月6日に公式X(旧Twitter)で、本作の日本国内での上映を終了したことが発表された。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "同年9月22日には台湾にて『岸邊露伴在羅浮』の題で公開された。公開に先立ち、高橋と渡辺は15日から17日までの3日間の日程で台湾に渡り、3回の上映会に参加した。", "title": "封切り" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "本作は公開3日間で22万1000人を動員し、興行収入は3億1500万円を記録した。これは2023年に公開された300館以下の劇場映画の初週3日間の成績としては同年5月末時点で最高の興行収入であり、ライターの宇野維正は映連4社以外の配給作品としては異例であると述べている。本作はその後も成績を伸ばし、6月18日にはNHKの連続ドラマの映画化作品として初めて興行収入が10億円を突破した。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "宇野は、NHKの連続ドラマの映画化作品は公共放送局というNHKの特性上、ドラマの放送から映画公開までのタイムラグが大きく、また民放のような局を挙げての宣伝ができないため大きなヒットに繋がりにくいという特徴があるが、本作はドラマシリーズの最新話の放送から映画公開までが6か月以内というタイムリーさを実現したため、快挙と言っていい成績を残すことができたと述べている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "本作は公開直後からパンフレットを始めとしたグッズの売り切れが続出し、MANTANWEBが関係者に取材した話によると、観客は女性が多く、劇場内の物販コーナーは行列状態であったという。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "フリーライターのヒナタカは、キャスティング、ビジュアル、脚本など全方位的に隙がなく、ドラマシリーズに続いて再び実写化の「正解」を示した作品だと述べている。ヒナタカは高橋一生の演技について、一挙一動から醸し出される変人っぽさが『デスノート』にてLを演じた松山ケンイチを彷彿とさせると語り、芸術に対し揺るぎない信念を持つ唯一無二のキャラクターが漫画からそのまま出てきたような魅力があったと評している。また公開前は原作が130ページに満たない中編であったことからボリューム不足を心配したが、小林靖子による原作を大切にしつつも新たな面白さや感動を届ける改変は素晴らしく、杞憂であったと述べている。特にドラマシリーズからレギュラーキャラとなった京香は露伴との掛け合いがホラー描写もある本作の清涼剤として機能しているだけでなく、終盤にてある人物に救いを与える役割があることから、京香の存在によってひとつの「記憶」についての寓話としてもより完成度が高くなった印象があると述べている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ライターの島田一志は、原作ではやや分かりにくかった部分を本作ではオリジナルエピソードによって補完しており、かつその改変部分には原作への深い愛情と敬意が感じられるため全く気にならないと評している。特に本作で深く掘り下げられた仁左右衛門のエピソードは、仁左右衛門を高橋が一人二役で演じたことによって、露伴もまた仁左右衛門と同じく「呪われた絵師」になりうると暗に語る物語になったと述べている。また、ルーヴルでの旅の後、露伴が奈々瀬にヘブンズ・ドアーを行う場面での高橋の演技は、露伴の哀しみ、恐れ、好奇心、正義、そして、実らなかった初恋の慕情などが全て集約されており、漫画では難しいこれらの表現がされた本作は、漫画の実写化に「成功」しているといってもいいと評価している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "お笑い芸人の宮下兼史鷹はドラマシリーズの劇場版でありながらスケールが大きくなりすぎず、ドラマシリーズの良さがしっかり活きた作品になっていたと評している。また自身は木村文乃のファンであると語っており、木村の演技については彼女の陰の部分を強調した役柄を評し、露伴のように恋をしてしまったと述べている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "宇野維正は美点として「(露伴と京香の)『作家と編集者』や『男と女』の定型に収まらない洒脱な関係性と軽妙な台詞の掛け合い」を、欠点として「アート作品『風』の小賢しいカメラの構図の多用と、散見される稚拙な編集」をそれぞれ挙げ、トリッキーな設定に慣れるのには時間を要したが最終的にはかなり楽しめたと評し、星5つ中3つの評価を与えている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "映画評論家の北川れい子は露伴のヘアバンドを始めとした形振りや特殊能力、そしてルーヴル美術館を巻き込んだ因縁話はかなりぶっ飛んでおり、「映画のリアリティーを超越した幻覚的ミステリ」として星5つ中2つの評価を与えている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "フリーライターの千浦僚はミステリアスなネタを追う展開はキビキビとして飽きさせず、パリの街とルーヴル美術館でのロケ撮影も効果的であったとして、星5つ中3つの評価を与えている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "フリーライターのなかざわひでゆきは、プロットが複雑なうえ説明過多なセリフが多いことからストーリーがわかりにくくなっているものの、大正ロマン的な幻想怪奇ムードや陰鬱なパリの景色は魅力的であったとし、星5つ中3つの評価を与えている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "菊地成孔と新音楽制作工房によるサウンドトラックは、テレビドラマ『岸辺露伴は動かない』の劇伴とカップリングされ、2023年10月25日に発売された。同年6月に本作の制作が発表された際には9月13日に発売予定であると予告されていたが、制作上の都合により延期された。同年12月1日には本作のスペシャルイベントが開催され、菊地成孔、高橋一生、飯豊まりえ、渡辺一貴が出演した。初週のオリコンの週間アルバムチャートでは25位を記録した。", "title": "サウンドトラック" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "試写会、および先行上映会は#封切りを参照のこと。", "title": "イベント" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "監督の渡辺一貴とゲストが対談するティーチインが2023年6月より順次行われた。開催日時、場所、出演者は以下の通り。", "title": "イベント" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "本作の体験型イベント「岸辺露伴 ルーヴルへ行く 体験型イベント 〜ようこそ、岸辺露伴の世界へ〜」が2023年9月より池袋、梅田、博多の「バンダイナムコ Cross Store」にて順次開催された。オリジナルグッズやコラボメニューの販売や、自分だけの「ヘブンズ・ドアー」の記事を作れるアトラクションなどが行われた。", "title": "イベント" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2023年5月15日から6月15日にかけて京王電鉄とのタイアップ企画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く×KEIO」が行われ、「ヘブンズ・ドアー」を模した京王井の頭線の記念乗車券が発売された。", "title": "コラボレーション" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2023年5月15日から6月11日にかけてフランス料理店「俺のフレンチ」とのタイアップ企画が行われ、コラボメニュー「高知県産カツオのたたきルーヴル仕立て 〜岸辺露伴のノワールを添えて〜」が販売された。", "title": "コラボレーション" } ]
『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は、荒木飛呂彦による同名の漫画作品を原作とする2023年5月26日公開の日本の映画。監督の渡辺一貴、脚本の小林靖子を始め、NHK総合で放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のキャスト・スタッフが続投する形で制作された。 日本映画としては『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』以来2作目となるルーヴル美術館でのロケが行われた。NHKが製作したドラマの映画化作品としては初めて興行収入が10億円を突破した。
{{pathnav|ジョジョの奇妙な冒険|ダイヤモンドは砕けない|岸辺露伴は動かない|岸辺露伴 ルーヴルへ行く|frame=1}} {{Infobox Film | 作品名 = 岸辺露伴 ルーヴルへ行く | 原題 = ROHAN AU LOUVRE | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[渡辺一貴 (演出家)|渡辺一貴]] | 脚本 = [[小林靖子]] | 原案 = | 原作 = [[荒木飛呂彦]] | 製作 = 土橋圭介<br />井手陽子<br />ハンサングン | 製作総指揮 = [[豊島雅郎]] | ナレーター = | 出演者 = [[高橋一生]]<br />[[飯豊まりえ]]<br />[[長尾謙杜]]<br />[[安藤政信]]<br />[[美波 (女優)|美波]]<br />[[池田良]]<br />[[前原滉]]<br />[[中村まこと]]<br />[[増田朋弥]]<br />[[白石加代子]]<br />[[木村文乃]] | 音楽 = [[菊地成孔]] / 新音楽制作工房 | 主題歌 = | 撮影 = 山本周平<br />田島茂 | 編集 = 鈴木翔 | 制作会社 = [[アスミック・エース]]<br />[[NHKエンタープライズ]]<br />[[ピクス (企業)|P.I.C.S.]] | 製作会社 = 「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」製作委員会 | 配給 = アスミック・エース | 公開 = {{Flagicon|JPN}} [[2023年]][[5月26日]]<br/>{{Flagicon|TWN}} 2023年[[9月22日]] | 上映時間 = 119分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]]<br />[[フランス語]] | 製作費 = | 興行収入 = 12.5億円<ref>{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1525304.html |title=「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」Prime Video独占配信。9月22日から |accessdate=2023-11-03 |author=酒井隆文 |date=2023-08-22 |website=AV Watch |publisher=インプレス}}</ref> | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''岸辺露伴 ルーヴルへ行く'''』(きしべろはん ルーヴルへいく)は、[[荒木飛呂彦]]による[[岸辺露伴 ルーヴルへ行く|同名の漫画作品]]を原作とする[[2023年]][[5月26日]]公開の[[日本映画|日本の映画]]<ref name="realsound20230105">{{Cite web|title=『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』映画化決定 高橋一生、飯豊まりえ、スタッフ陣が再集結|url=https://realsound.jp/movie/2023/01/post-1227907.html|website=Real Sound|リアルサウンド 映画部|publisher=blueprint|date=2023-01-05|accessdate=2023-01-05}}</ref>。監督の[[渡辺一貴 (演出家)|渡辺一貴]]、脚本の[[小林靖子]]を始め、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]で放送されたテレビドラマ『[[岸辺露伴は動かない#テレビドラマ|岸辺露伴は動かない]]』のキャスト・スタッフが続投する形で制作された{{R|realsound20230105}}。 日本映画としては『[[Qシリーズ (小説)#映画『万能鑑定士Q -モナ・リザの瞳-』|万能鑑定士Q モナ・リザの瞳]]』以来2作目となる[[ルーヴル美術館]]でのロケが行われた{{R|realsound20230105}}。NHKが製作したドラマの映画化作品としては初めて興行収入が10億円を突破した<ref name="animeanime20230619">{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2023/06/19/78033.html |title=映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」興行収入10億円を突破! 渡辺一貴監督による全国ティーチインイベントも開催 |accessdate=2023-12-01 |author=仲瀬コウタロウ |date=2023-06-19 |website=アニメ!アニメ! |publisher=イード}}</ref>。 == あらすじ == 次回作として[[故買|故買屋]]をモチーフにと考えた'''岸辺露伴'''は、取材に訪れた骨董店で、美術品[[競売|オークション]]に出品されるフランスの画家モリス・ルグランによる黒い絵を知って興味を抱き、その絵を落札するが、競売相手だった男らに絵を強奪される。絵は手元に戻るが、その絵の裏にはフランス語で'''モリス・ルグラン'''による「これはルーヴルで見た黒。後悔」という言葉が書かれていることが分かる。 黒い絵について思案する中、露伴は青年期に出会った女性・'''奈々瀬'''のことを思いだす。露伴の祖母が運営する下宿に暮らしていた奈々瀬は、露伴の描く漫画に興味を示し「この世で最も黒く、邪悪な絵」の存在を教える。露伴は奈々瀬に惹かれ、彼女をモデルとして漫画に描くが、その絵を見た奈々瀬は突然取り乱して漫画を切り裂き、露伴に詫びて姿を消す。露伴は彼女が「最も黒い絵」がルーヴル美術館にあると示唆していたことを思いだし、その絵を見るため同美術館へ取材に行く決意をする。 '''泉京香'''とともにルーヴルを訪ねた露伴は、問題の絵である日本の画家・'''山村仁左右衛門'''の作品が、閉鎖され作品が保管されていないはずのZ-13倉庫にあると示される。美術館関係者も把握していない事態に、露伴は通訳の'''エマ・野口'''や東洋美術のキュレーター・'''辰巳隆之介'''、消防士たちを伴う条件で絵の見学を許される。一行はZ-13倉庫で、[[ヨハネス・フェルメール]]の作とみられる絵画を発見する。辰巳はその絵を贋作と断言するが、真作であると見抜いた露伴は、辰巳らに抱いていた不信感とともに、青年期に祖母宅に絵を引き取りに来たフランス人男性の記憶を思い出し、彼や辰巳、消防士らが美術館の所蔵品をモリスが描いた贋作にすりかえる犯罪グループであるとの推理を披露する。 露伴は辰巳らと格闘するが、その最中に職員たちは次々と幻覚を見て怯え、銃撃や火災などの怪異現象によって死亡してゆく。彼らの見る幻覚と怪異がそれぞれの「後悔」や血縁者の罪に基づくものと気づいた露伴は、我が子の事故死による罪の意識から怪異に見舞われるエマを、京香に指示してその場から離れさせ救う。やがて露伴は怪異を起こすものが倉庫奥にある仁左右衛門の絵であると気付き、自身の前にも、黒い顔料にまみれた武士の霊が現れる。追い詰められた露伴の前に、和装の奈々瀬が現れ、武士を押しとどめ「何もかも、すべて忘れて」と露伴に告げる。露伴はこれを好機に自らにヘブンズ・ドアーを仕掛けて脱出に成功、呪われた仁左右衛門の絵は倉庫内の火災によって焼失する。 帰国後、露伴は湖畔に打ち捨てられた奈々瀬と仁左右衛門夫妻の墓を見つけ出す。露伴は奈々瀬の霊に再会し、彼女にヘブンズ・ドアーを仕掛け、[[江戸時代]]に生きていた夫妻の悲劇を読む。[[藩]]の御用絵師家系だった仁左右衛門は、新しい絵画表現への挑戦を保守的な父に否定され、妻の奈々瀬とともに実家を出る。しかし奈々瀬が病に倒れて困窮した仁左右衛門は父に頭を下げ家への復帰を頼み、条件として父を超える絵を描けと指示され、愛妻の黒髪の美を再現する絵に執着してゆく。奈々瀬が神社の[[神木|御神木]]から黒の樹液を発見し、理想の画材を得たと仁左右衛門は喜ぶが、神聖な木を傷つけたと告発される。捕縛されようとする夫をかばった奈々瀬は役人たちに打ち据えられて死亡し、逆上した仁左右衛門は役人らを皆殺しにする。彼が絶筆として、恨みを込めて描いた妻の肖像が呪われた黒い絵であった。絵の呪いを解くため、自分の子孫にあたる露伴を巻き込んでしまったと詫びる奈々瀬に、露伴はあの夏も自分にとって必要な過去だったと伝え、奈々瀬は微笑んで彼の前から消える。謎が解けた後、露伴は再び漫画家としての日常に戻ってゆく。 == 登場人物 == {{Main|岸辺露伴 ルーヴルへ行く#登場人物}} ; [[岸辺露伴]](きしべ ろはん) : 演 - [[高橋一生]](青年:[[長尾謙杜]]){{R|realsound20230105}}{{R|oricon20230201}} : 相手を本にして生い立ちや秘密を読み、指示を書き込むこともできる特殊能力「ヘブンズ・ドアー」を持った人気漫画家{{Sfnp|パンフレット|2023|p=3}}。新作執筆の過程で、かつて奈々瀬より聞かされた「この世で最も黒い絵」の存在を思い出し、その画の謎を追うためルーヴル美術館に訪れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1503165.html |title=映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」本日公開! 岸辺露伴最大の事件が完全映画化 |accessdate=2023-11-03 |author=緑里孝行 |date=2023-05-26 |website=GAME Watch |publisher=インプレス}}</ref>。 ;泉京香(いずみ きょうか) : 演 - [[飯豊まりえ]]{{R|realsound20230105}} : 岸辺露伴の担当編集。露伴の能力は知らないが、自身の持つ洞察力や直感で物語の謎に迫るバディ役を務める{{Sfnp|パンフレット|2023|p=4}}。 : {{出典範囲|text1=本作では京香の父が5歳の頃に亡くなっていたことが明らかになるが、|ref1={{Sfnp|パンフレット|2023|p=4}}|text2=この設定はテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』第1話「富豪村」で登場する、助監督が制作した京香の本に書かれていた設定であり、本作の制作にあたりこの設定の一部が活かされた|ref2=<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0137057 |title=実写「岸辺露伴」で泉京香が全エピソードに登場する理由 |accessdate=2023-12-01 |author=石井百合子 |date=2023-05-27 |website=シネマトゥデイ}}</ref>}}。 ; 奈々瀬(ななせ) : 演 - [[木村文乃]]{{R|oricon20230201}} : 露伴が青年の頃、祖母の家で出会ったミステリアスな女性{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=128}}。露伴に「この世で最も黒い絵」がルーヴル美術館にあることを教える{{Sfnp|パンフレット|2023|p=5}}。 : 正体は江戸時代に生きた画家・山村仁左右衛門の妻。旧姓は岸辺であり、露伴とは血縁がある{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=118}}。「黒い絵」に取り憑かれた仁左右衛門が引き起こした悲劇により命を落とす。 : 原作では「藤倉奈々瀬」という名前であったが、偽名を名乗った理由が不明であることから、本作では名字が削除されている{{Sfnp|パンフレット|2023|p=20}}。 ; 山村仁左右衛門(やまむら にざえもん) : 演 - 高橋一生(二役)<ref name="realsound1350204">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/book/2023/06/post-1350204.html |title=映画『岸辺露伴ルーヴルへ行く』原作を補う”改変”が見事 高橋一生が見せた、最も切ない「ヘブンズ・ドアー」の卓越さ |accessdate=2023-12-20 |author=島田一志 |date=2023-06-15 |website=リアルサウンド |publisher=blueprint}}</ref> : {{出典範囲|text1=江戸時代の[[御用絵師]]。妻である奈々瀬の黒髪をよりよく表現しようとするうちに「黒い絵」に取り憑かれ、悲劇を起こす。生涯の最後に「この世で最も黒い絵」を描く|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=154-155}}}}。 : 演じた高橋は「露伴も一歩間違えたらこうなっていたかもしれない」と感じたという{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=118}}。 ; 辰巳隆之介(たつみ りゅうのすけ) : 演 - [[安藤政信]]{{R|oricon20230201}} : 東洋美術の専門家であり、ルーヴル美術館の依頼で発見された収蔵品の調査を行っている{{Sfnp|パンフレット|2023|p=11}}。 : 当初は原作に登場する「ゴーシェ」というキャラクターが悪人を務める予定であったが、セリフがフランス語ばかりになってしまうことから、新たにオリジナルキャラクターとして隆之介が創作された{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=127}}。 ; エマ・野口(のぐち) : 演 - [[美波 (女優)|美波]]{{R|oricon20230201}} : ルーヴル美術館文化メディエーション部の職員であり、取材にやってきた露伴たちをアテンドする{{Sfnp|パンフレット|2023|p=11}}。 ; モリス・ルグラン : 演 - Arnaud Le Gall{{R|productionnote}} : ルーヴル美術館にてよく模写をしていた画家。彼の描いた黒い絵を露伴はオークションで競り落とす。 == キャスト == * 岸辺露伴、山村仁左右衛門:[[高橋一生]]{{R|realsound20230105}} * 泉京香:[[飯豊まりえ]]{{R|realsound20230105}} * 岸辺露伴(青年):[[長尾謙杜]]<ref name="oricon20230201">{{Cite web|url=https://www.oricon.co.jp/news/2265869/full/|title=青年期の岸辺露伴役はなにわ男子・長尾謙杜 映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』追加キャスト4人発表|date=2023-02-01|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|accessdate=2023-02-01}}</ref> * 辰巳隆之介:[[安藤政信]]{{R|oricon20230201}} * エマ・野口:[[美波 (女優)|美波]]{{R|oricon20230201}} * ワタベ:[[池田良]]{{Sfnp|パンフレット|2023|p=13}} * カワイ:[[前原滉]]{{Sfnp|パンフレット|2023|p=13}} * 骨董屋A:[[中村まこと]]{{Sfnp|パンフレット|2023|p=13}} * 骨董屋B:[[増田朋弥]]{{Sfnp|パンフレット|2023|p=13}} * モリス・ルグラン:Arnaud Le Gall<ref name="productionnote">{{Cite web|和書|url=https://kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp/productionnote/ |title=PRODUCTION NOTES |accessdate=2023-11-03 |author=渡辺彰浩 |website=映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式サイト}}</ref> * ユーゴ・ルナール:ロバ{{R|productionnote}} * ニコラス・トーマ:Jean-Christophe Loustau{{R|productionnote}} * アナウンサー:[[バッキー木場]]<ref name="natalie20230608">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/527917 |title=「岸辺露伴」ネタバレありで制作陣が語りまくり、「この先も期待していい?」への回答は |accessdate=2023-11-03 |date=2023-06-08 |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref> * 猷:[[白石加代子]]{{Sfnp|パンフレット|2023|p=13}} * 奈々瀬:[[木村文乃]]{{R|oricon20230201}} == スタッフ == * 原作:[[荒木飛呂彦]]『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』([[集英社]][[ウルトラジャンプ]]愛蔵版コミックス 刊) * 監督:[[渡辺一貴 (演出家)|渡辺一貴]]<ref name="realsound20230105" /> * 脚本:[[小林靖子]]<ref name="realsound20230105" /> * 音楽:[[菊地成孔]] / 新音楽制作工房<ref name="realsound20230105" /> * 人物デザイン監修・衣装デザイン:[[柘植伊佐夫]]<ref name="realsound20230105" /> * 製作:牟田口新一郎、尾崎充信、和田佳恵、平賀大介、[[瓶子吉久]]{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * エグゼクティブプロデューサー:[[豊島雅郎]]{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * プロデューサー:土橋圭介、井手陽子、ハンサングン{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 撮影:山本周平、田島茂{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 照明:鳥内宏二{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 録音:高木創、藤林繁{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 美術:磯貝さやか{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 装飾:折戸美由紀{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 助監督:田中峰弥{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 編集:鈴木翔{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 記録:上田悠莉{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 制作担当:由利芳伸{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * キャスティング:原田浩行{{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} * 制作プロダクション:[[アスミック・エース]]、[[NHKエンタープライズ]]、[[ピクス (企業)|P.I.C.S.]]<ref name="realsound20230105" /> * 製作幹事・配給:アスミック・エース<ref name="realsound20230105" /> * 製作:「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」製作委員会(アスミック・エース、NHKエンタープライズ、[[テレビ東京]]、P.I.C.S.、集英社){{Sfnp|パンフレット|2023|pp=42-43}} == 制作 == === 企画 === 監督の[[渡辺一貴 (演出家)|渡辺一貴]]と[[NHKエンタープライズ]]のプロデューサー・土橋圭介は2018年、テレビドラマ『[[岸辺露伴は動かない#テレビドラマ|岸辺露伴は動かない]]』(以下、「ドラマシリーズ」という)の企画段階から妄想レベルで本作を構想しており、「このドラマがうまくいってシリーズ化、最後は長編映画で、長編やるならやっぱり『ルーヴルへ行く』だよね」と話をしていた<ref name="cinematoday20230427">{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136520 |title=「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」映画化が実現するまで パリロケで思わぬハプニングも |accessdate=2023-11-03 |author=石井百合子 |date=2023-04-27 |website=シネマトゥデイ}}</ref>。また撮影中においても、露伴を演じた高橋一生と渡辺は雑談中に度々「『ルーヴルへ行く』を映画でできたらいいね」と話をしていたという{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=116}}。 本作の企画は[[アスミック・エース]]のプロデューサーの井出陽子が土橋たちに、ドラマシリーズを再編集し応援上映を行う企画を持ちかけたことがきっかけとなり、本格的に動き出した{{R|cinematoday20230427}}。井出は『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』シリーズのファンであり、ドラマシリーズのキービジュアルを観た際に「原作ファンも喜ぶ作品になる」と直感し、話を持ちかけたと語っている<ref name="finders20230526">{{Cite interview|和書|date=2023-05-26 |subject=井手陽子(映画プロデューサー、アスミック・エース所属) |interviewer=赤井大祐、文:船岡花奈 |title=『岸辺露伴』はどのように「ルーヴル」へ行ったのか。プロデューサーが語る制作秘話 |url=https://finders.me/kqFQpDM3Mzk |work=FINDERS |publisher=シー・エヌ・エス・メディア |accessdate=2023-12-15}}</ref>。{{出典範囲|text1=話を受けた渡辺たちは今作の企画書を書き上げ土橋に提出し、|ref1={{R|cinematoday20230427}}|text2=打ち合わせを重ねる中で劇場版にチャレンジすることが決まった|ref2={{R|finders20230526}}}}。 原作者の[[荒木飛呂彦]]と[[版元]]の[[集英社]]の許諾を得て企画は進み始めたが、[[コロナ禍]]の影響などからルーヴル美術館との撮影交渉は困難を極め、パリでの撮影日程が決まったのは日本での撮影が始まってからであった{{R|cinematoday20230427}}。また、円安の影響から制作費がかさみ、一部費用が足りなくなったことから、[[テレビ東京]]が製作に参加し出資した{{R|finders20230526}}。 本作は監督の渡辺をはじめ、ドラマシリーズのスタッフが引き続き担当している{{R|realsound20230105}}。{{出典範囲|text1=渡辺はドラマシリーズから作り方を変えるということはせず、今までやってきたことをそのまま落とし込むことを意識したという。また本作では露伴の過去や江戸時代など様々な時代が描かれるが、過去の記憶でも現実よりも鮮明に記憶されていることもあるので、白黒やセピア色にするといった映像上の演出はしないよう意識された|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=118}}}}。 === 脚本 === ドラマシリーズに引き続き脚本を務めた[[小林靖子]]は荒木より、仁左右衛門と奈々瀬を悲恋にすること、そしてルーヴル美術館で死ぬ消防士たちを悪者にしてほしいという要望を受けていた{{R|natalie20230608}}。そのため本作ではZ-13倉庫のシーンのあとに、新たに書き起こされた尺の長い過去編が入る構成となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=124}}。また、本作の露伴は原作より年齢が高く設定されているため{{Efn2|明確な年齢は設定されていないが、演じている高橋と同じくらいの30代後半と設定されている{{R|natalie20230608}}。なお、原作の露伴は27歳。}}、奈々瀬を思い出す展開に違和感が生じないよう、モリス・ルグランや黒い絵の設定を足し、「露伴が漫画のために美術を調べていて、そのためにオークションに潜入し、そこから事件に巻き込まれることで過去に少しずつ繋がっていく」という展開となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=127}}。 ドラマシリーズから引き継がれたオリジナル要素の一つとして、露伴と京香のコンビがある。ドラマシリーズでの京香は荒木の物語に存在する「ユーモア」の要素を引き受ける、息抜きになるようなキャラクターとして描かれた<ref>{{Cite web|和書|url=https://mindra.jp/post/154/ |title=演出・渡辺一貴インタビュー『岸辺露伴~』は作り続けたい |accessdate=2023-12-10 |date=2021-12-23 |website=TVガイドみんなドラマ |publisher=東京ニュース通信社}}</ref>。小林は二人の関係を「全然住む世界が違っていて、普通なら友だちになることもなく関係が終わっちゃうふたり」と捉えており、本作では、露伴は京香を「ちょっと面白いかも」と感じるようにはなりつつも、それ以上の関係にはならないように意識されている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=129}}。この二人の関係やコミカルな掛け合いは、シリアスな物語の中の清涼剤として高く評価された{{R|kinejun_review}}{{R|realsound20230619}}。 {{出典範囲|text1=ルーヴルでの撮影交渉が難航したことからシナリオハンティングなしで脚本を書き上げる事になったが、|ref1={{R|cinematoday20230427}}|text2=ルーヴル美術館に詳しい人や[[東京藝術大学]]保存修復日本画研究室教授の荒井経に取材を行い、脚本に反映させた|ref2={{R|natalie20230608}}}}。 === 衣装 === {{出典範囲|text1=ドラマシリーズに引き続き人物デザイン監修{{Efn2|扮装のコンセプトを決め、各キャラクターのデザインを描き、登場人物の扮装を統括する役割<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136435 |title=実写「岸辺露伴」の衣装、なぜモノトーン?大反響のビジュアルが出来上がるまで |accessdate=2023-11-25 |author=石井百合子 |date=2023-04-22 |website=シネマトゥデイ}}</ref>。}}を担当した[[柘植伊佐夫]]は原作を読んだ際、辻褄が合っているのに合っていないような不思議な読後感を感じたといい、本作では各パートごとに分裂した、整合性や共通性のなさを意識したという。またドラマシリーズでは元気さや生命力がイメージされていたが、今作は悲劇性のある物語であることから、より重みのある印象になるよう意識されている|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=132-134}}}}。なお、京香の衣装はドラマシリーズに引き続き、靴とタイツ以外のすべてが[[オートクチュール]]となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=143}}。 {{出典範囲|text1=オークションを始めとした現代パートにて京香が着用している紫のワンピースは、落ち着きと華やかさの両方を柘植が欲していたため取り入れられた。作中では京香が「もっとドレスっぽいのを着てこようと思った」と話している衣装であり、柘植は「オークションでこれはすでにかなり派手だよ?!」と突っ込みたくなると語っている|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=138-139}}}}。飯豊はこの衣装のゴージャスな雰囲気が、いち編集部員というより編集長並みの貫禄を感じさせてくれたと回想している{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=143}}。 過去編にて登場する青年期の露伴は、現在の露伴がもつ明快さをまだ持ち合わせておらず、また演じた長尾謙杜もふわふわしたところがあったため、曖昧な白の階調が意識された衣装となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=137-138}}。柘植はこの白の風合いを出すための素材を見つけるのに苦労したと語っている{{R|cinematoday20230521}}。 パリパートの衣装は「パリの街やルーヴルに露伴と京香が立ったとき、しっくり来るものなのか」を意識して制作された{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=134}}。また、ルーヴルで撮影すると聞いた時点で映画『[[シャレード (1963年の映画)|シャレード]]』の[[ケーリー・グラント]]と[[オードリー・ヘプバーン]]のようにしたいと考え、色の組み合わせなどをオマージュしている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=136}}。 {{出典範囲|text1=パリでの京香の衣装である黒の革のワンピースは彼女のアイコンであるリボン以外の装飾が排されたミニマムなものとなっている。このワンピースは本来フロントジップで作られたものだったが、衣装合わせの際の飯豊の提案から前後逆に着ることになった。京香が時折羽織っていたシャンパンゴールドのコートは、ベージュと黒はフランス人の好む組み合わせであり、パリの建築物ともマッチすると考えられたことから採用された。なお、ドラマシリーズ第8話「ジャンケン小僧」にて京香がレザーのショートパンツを履いていたのは、今作に向けての匂わせの一つだったという|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=134-135}}}}。 パリでの露伴は、シリーズを通して初めてタイを着用しており、保守的なイメージのタイをいかにアバンギャルドなイメージの露伴に馴染ませるかが意識された。そのためシャツの襟の構造から見直し、襟の中にタイが通る不思議な構造になっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=135}}。{{出典範囲|text1=また、コートもシリーズを通して初めて着用しており、パリの雰囲気に即したシックなものになっている。スタンドカラーに大きなボタンが3つあしらわれており、柘植は偶然にも「ジョジョ」のキャラクターがしばしば着用している学ランのようなシルエットになったと語っている|ref1=<ref name="cinematoday20230521">{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136906 |title=岸辺露伴、パリで初のコート&タイ姿!人物デザイン監修・柘植伊佐夫、驚きの仕掛け明かす |accessdate=2023-11-29 |author=石井百合子 |date=2023-05-21 |website=シネマトゥデイ}}</ref>}}。{{出典範囲|text1=生地には起毛したウールが使われており、|ref1={{R|cinematoday20230521}}|text2=高橋は撮影中コートの温かさがとても助かったと語っている|ref2={{R|moviewalker20230609}}}}。 === 劇中画 === {{出典範囲|text1=仁左右衛門の描いた絵画を始めとした劇中画は日本画家の宮崎優が担当した。劇中で仁左右衛門の描いた「蘭画」「微笑む奈々瀬」は1770年代の[[秋田蘭画]]を参考に約250年前の画材や技法で制作された。一方、物語の肝となる「黒い絵」は時代考証を無視して制作され、遠目から見ると真っ黒な板に見えるほどの絵画に仕上がっている。「黒い絵」での奈々瀬の黒髪は、まるで奈々瀬の魂が閉じ込められているように、時間の止まった空間に漂うようなイメージで描かれている。宮崎は、仁左右衛門の描きたいものに執着し周りが見えなくなるところに共感し、「黒い絵」の制作時には最初から完成形がはっきりとイメージできたという|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=154-155}}}}。 === 撮影 === {{出典範囲|text1=本作は2022年9月にクランクインし、オークションのシーンから撮影が始められた。ロケ地は横浜の老舗ホテル・[[ホテルニューグランド]]が選定された|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=20}}{{R|productionnote}}}}。このホテルは渡辺が挙式した場所であり、クラシカルな場所というイメージで思い浮かんだことからオークション会場として選ばれた<ref name="cinematoday20230526">{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136997 |title=『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』なぜ曇り空のパリ?渡辺一貴監督のロケーションの流儀 |accessdate=2023-11-03 |author=石井百合子 |date=2023-05-26 |website=シネマトゥデイ}}</ref>。美術の磯貝さやかは撮影前に実際のオークションに参加し取材を行ったが、そのオークションは会議室のようなあまり華やかでない場所で行われたため、本作では花などが並べられた「オークションのイメージ」が強い物となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=150}}。 {{出典範囲|text1=続いて、露伴の祖母・猷の下宿を舞台とした、露伴の青年期の撮影が行われた。ロケ地は会津若松の旅館・向瀧が選定された|ref1={{R|productionnote}}}}。この場所は渡辺が演出し高橋が主演を務めたNHKのテレビドラマ『[[雪国 (小説)#テレビドラマ|雪国 -SNOW COUNTRY-]]』のロケ地でもあり、渡辺は『雪国』の撮影中(2022年1月)から猷の下宿にも理想的だと考えていたという{{R|cinematoday20230526}}。{{出典範囲|text1=奈々瀬の部屋は向瀧の茶室が使用されており、磯貝は奈々瀬の実在感のない不思議な感じを表現するため、部屋の物を極力減らすよう意識した。また、対照的に猷の部屋は生活感を出すため、物の密度を高くし、ごちゃごちゃとさせている。なお、露伴の部屋のみ向瀧でない場所を使用しており、磯貝は部屋の木の色を向瀧と同じ色に塗り替えるなど同じ場所に見えるように意識したという|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=151-152}}}}。 青年期の露伴には[[長尾謙杜]]が起用された。{{出典範囲|text1=キャスティングの際には憂いがあり、また駆け出しでスタイルが確立されていない「まだ完成される前の露伴」が前提となり、渡辺が画像検索で長尾の写真を見つけ、キャストの検討会議に提案した。渡辺は長尾が人気アイドルであること、また「ジョジョ」のファンであることを知らずに推薦したため、土屋は不思議な縁を感じたという|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0136616 |title=青年期の岸辺露伴に長尾謙杜を起用した理由 不思議な巡り合わせも |accessdate=2023-11-25 |author=石井百合子 |date=2023-05-02 |website=シネマトゥデイ}}</ref>}}。長尾は渡辺のアドバイスから高橋の露伴を意識しないようにし、また年齢感が近いことから原作だけでなく『[[ダイヤモンドは砕けない]]』も読み直し、役作りを行った{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=144}}。 仁左右衛門と奈々瀬の物語が描かれた江戸時代パートも会津若松にて撮影され、主に霧幻峡や大内宿が舞台となっている{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=101}}。{{出典範囲|text1=仁左右衛門が黒に魅せられていく場面はZ-13倉庫のシーンとリンクされており、蜘蛛の巣が徐々に増える演出が施されている。また、御神木の黒い樹液は、木から流れるものと指についたものとで素材を変えるなど、拘って制作された|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=153}}}}。この江戸時代パートは原作から大きく加筆されている。{{出典範囲|text1=高橋はこの江戸時代パートがあることによって、タイトルが『ルーヴルへ行く』でありながらもパリに気触れず、自分たちが日本人であるというところに立ち返ることができると語っている。渡辺と高橋は大河ドラマ『[[おんな城主 直虎]]』でもタッグを組んだ間柄であり、高橋はデジャブを感じたものの渡辺が「([[小野政次]]{{Efn2|おんな城主直虎にて高橋が演じた。}}とは)また違う人ですね」と言ってくれたことで安心したという|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=117}}}}。 [[File:Oya-saikutsujo-ato-2.jpg|thumb|Z-13倉庫でのシーンが撮影された大谷石採石場跡]] 続いて、大谷石採石場跡にて、本作のクライマックスシーンの一つであるZ-13倉庫のシーンが4日間にわたって撮影された{{R|productionnote}}{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=143}}。{{出典範囲|text1=渡辺は[[アンドレイ・タルコフスキー]]の映画『[[ストーカー (1979年の映画)|ストーカー]]』をイメージし、|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=152-153}} |text2=20分以上続く無機質な暗がりのシーンを、いかにエンターテイメントとして飽きさせないものにするかに注力したという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.creativevillage.ne.jp/category/topcreators/visual-creators/135115/ |title=映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』監督 渡辺一貴———引っ掛かるのは〝記憶″というキーワード。最近の作品はすべてそれがモチーフなのではと思うほど。 |accessdate=2023-11-03 |author=永瀬由佳 |date=2023-05-24 |website=CREATIVE VILLAGE |publisher=クリーク・アンド・リバー}}</ref>}}。{{出典範囲|text1=磯貝は原作を読んだときから再現に一番ハードルを感じていた場所だといい、洞窟や廃墟の資料や『ストーカー』を参考に、長い間放置されたような雰囲気を作り出したという。蜘蛛の巣は真綿を引き伸ばして作られており、カメラに収まるところに重点的に付けたり、レイヤーを重ねるようにしたりして、大量の蜘蛛の巣が張っているように見せている|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=152-153}}}}。 {{出典範囲|text1=Z-13に続く地下通路は[[大森ベルポート]]の地下3階、および[[館山市]]にある能忍寺の廃トンネルにて撮影された。螺旋階段のシーンの撮影では[[ステディカム]]が使用され、動きのあるダイナミックな映像となっている|ref1={{R|productionnote}}}}。 {{出典範囲|text1=続いて、神奈川県を中心に現代パートの撮影が進められた。露伴邸はドラマシリーズと同様に[[葉山加地邸]]がロケ地となった|ref1={{R|productionnote}}}}。{{出典範囲|text1=ドラマシリーズとの違いとして、部屋には顔料のもととなる植物などが大量に吊るされており、これらは磯貝が荒井に行った取材がもとになっている。また、ドラマシリーズとの繋がりが感じられるよう、ホットサマー・マーサのフィギュアやバキンのフードボウルなども置かれている|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=150}}}}。 パリでの撮影は2022年11月と2023年3月の2回に分けて行われた{{R|cinematoday20230427}}。{{出典範囲|text1=渡辺はベルナルド・ベルトルッチの映画『[[暗殺の森]]』をベースに今作を演出しており、『暗殺の森』でのパリのシーンが曇天であることから、今作でも曇天に拘って制作されたという。また、パリのシーンは観光名所巡りのような雰囲気は出さないことも意識されている|ref1={{R|cinematoday20230526}}}}。 1回目のロケは3日間にわたって行われ、パリ市街を舞台としたシーンが撮影された。露伴と京香が2階建てバスに乗り、[[エトワール凱旋門]]から[[シャンゼリゼ通り]]の方へ抜けるシーンの撮影では、信号や他の車のタイミングが合わず、理想の画が撮れるまで30分以上、何十周も凱旋門を周回したという{{R|cinematoday20230427}}{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=79}}。また、カフェ・ルテシアでのシーンでは、エキストラの女性が偶然『[[ジョジョリオン]]』の登場人物・東方大弥のような耳付きのフードを被っており、その女性が映るように撮り直したという{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=119}}。 ルーヴル美術館文化メディエーション部のオフィスはヴィクトル・ユゴーの弁護士事務所にて撮影された。磯貝自身は現地に赴くことはできなかったものの、現地スタッフとオンライン上で打ち合わせを重ね、オフィスを美術で飾ったという。 [[File:La Joconde (Le Louvre) (8226631218).jpg|thumb|飯豊は、モナ・リザの前で大きな声を出しながらの演技は貴重な体験だったと語っている<ref name="moviewalker20230609">{{Cite web|和書|url=https://moviewalker.jp/news/article/1138223/ |title=高橋一生&飯豊まりえが語り合う、『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』で再確認した異形のバディ感 |accessdate=2023-11-25 |author=タナカシノブ |date=2023-06-09 |website=MOVIE WALKER PRESS |publisher=ムービーウォーカー}}</ref>。]] 2回目のロケではルーヴル美術館での撮影が3日間にわたって行われた{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=80}}。原作ではルーヴル美術館のシーンは少なく、すぐにZ-13倉庫に行ってしまうことから、映画化に際し館内の描写が多く足されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://otocoto.jp/interview/ikenobe210/ |title=渡辺一貴監督が語る 現実にルーヴルへ行くという奇跡が起きた『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』 |accessdate=2023-11-19 |author=池ノ辺直子 |date=2023-05-27 |website=otocoto |publisher=バカ・ザ・バッカ |page=1}}</ref>。撮影は閉館後から翌朝にかけて行われた。渡辺らによる下見は10回ほど行われたが、閉館後の人がいない美術館は雰囲気が全く異なり、本番では考えてきたことをリセットし、その場で感じたことを大事にしながら撮影は行われたという<ref>{{Cite web|和書|url=https://otocoto.jp/interview/ikenobe210/2/ |title=渡辺一貴監督が語る 現実にルーヴルへ行くという奇跡が起きた『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』 |accessdate=2023-11-19 |author=池ノ辺直子 |date=2023-05-27 |website=otocoto |publisher=バカ・ザ・バッカ |page=2}}</ref>。飯豊は閉館後の館内は常に誰かに見られているような不思議な空気感があり、貴重な経験だったと回想している{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=142}}。 {{出典範囲|text1=高橋は、露伴ならルーヴル美術館は畏敬する場所でありながらも「こんなすごい絵を書きやがって、腹立つ」と思うだろうと想像し、かつての画家に対してのライバル心を意識して露伴を演じた。その意識は[[モナ・リザ]]に背を向けながらスケッチをするという演技に繋がっているという|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=122}}}}。 最終日はカルーゼル凱旋門前の広場からルーヴル美術館のピラミッドを臨む撮影が行われ、これをもって本作はクランクアップとなった{{R|productionnote}}。なお、カルーゼル凱旋門自体は撮影当時工事中だったため、本作には登場していない{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=159}}。撮影中は太陽が月に見えるほどの厚い雲が空を覆い、気温は1℃ほどと非常に低く、高橋と飯豊は不穏な天気が幻想的でラストシーンにピッタリであったと回想している{{R|productionnote}}{{R|moviewalker20230609}}。 === 音楽 === ドラマシリーズに引き続き音楽を担当した[[菊池成孔]]は原作を読んだことはなかったものの、周囲には「ジョジョ」の熱狂的なファンが多くおり、ある程度予備知識を持った状態で制作に臨むことができたという{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=147}}。本作の音楽制作は映像がすべて完成してから行われ、菊池は様々な時代が描かれる映像に合わせて、音楽も統一感を出さず[[オムニバス]]のような形で制作した。なお、本作ではドラマシリーズに引き続き「新音楽制作工房{{Efn2|菊池の私塾「ペンギン音楽大学」の生徒らと菊池自身が立ち上げた音楽ギルド<ref name="snrec20231121">{{Cite interview|和書|date=2023-11-21 |subject=菊地成孔 |subjectlink=菊地成孔 |interviewer=Satoshi Torii、写真:Hiroki Obara |subject2=佐々木語 |subject3=丹羽武史 |subject4=大野格 |title=『岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く』OST〜菊地成孔/新音楽制作工房が紡ぐ新時代の劇伴とは |url=https://www.snrec.jp/entry/ex/interview/kishiberohan_kikuchi-naruyoshi_shin-on-gak |work=サンレコ |publisher=リットーミュージック |accessdate=2023-12-15}}</ref>。}}」も音楽制作を行っている{{Sfnp|パンフレット|2023|p=19}}。 菊池はドラマシリーズとの違いとして、[[シネマコンプレックス|シネコン]]の大出力のスピーカーにも耐えうる音の厚みを心がけたといい、ドラマシリーズでは4人編成でダビングを2回行い最大8人分の音だったストリングスが、今作では14人編成でレコーディングが行われた{{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=148}}。メインテーマである「大空位時代」も今作に向けて音を厚くアレンジされており、この曲のブローアップが本作の最初のミッションだったという{{Sfnp|パンフレット|2023|p=19}}。 {{出典範囲|text1=今作の音楽制作にはAIを使用した楽曲が使われており「AI制作によるふたつの弦楽四重奏の同時演奏」がその一つである。この曲は[[Max (ソフトウェア)|Max]]が2台入ったモデルを使い、片方のMaxが生成したものにもう片方のMaxを反応させて制作されている|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/2023/09/post-1429944.html |title=菊地成孔が考えるAIと音楽のこれから 常識を揺るがす可能性があるも“100パーセント肯定”な理由 |accessdate=2023-12-01 |author=小池直也 |date=2023-09-16 |website=リアルサウンド |publisher=blueprint}}</ref>}}。 {{出典範囲|text1=露伴の青年期が描かれる過去編の音楽は、菊池が映像を見た際に[[花街]]のような印象を受けたことから、浄瑠璃音楽の一つ[[清元節]]を元に、インドネシアの打楽器アンサンブルである[[ガムラン]]とシンセサイザーの一種[[モーグ・シンセサイザー#モジュラーシステム|モジュールシンセ]]をミクスチャーしたものとなっている。レコーディングではこれらの奏者を集め、本編映像を観ながらのセッションが24分間ノンストップで行われた|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|pp=148-149}}}}。 {{出典範囲|text1=パリパートの音楽は日本人がパリ風の音楽を制作すると陥りがちな「疑似[[ミシェル・ルグラン]]」にならないように意識し、[[モーリス・ラヴェル]]や[[クロード・ドビュッシー]]のようなフランスの近代音楽風のものを、|ref1={{Sfnp|ヴィジュアルブック|2023|p=148}}|text2=新音楽制作工房のメンバー・丹羽武史が菊池の依頼を受けて制作した|ref2={{R|snrec20231121}}}}。 江戸時代パートの音楽は新音楽制作工房のメンバー・大野格と菊池の共作となっている{{R|snrec20231121}}。大河ドラマのようになるのを避けるため、[[グスタフ・マーラー]]や[[ジャコモ・プッチーニ]]のようなドラマティックなクラシックが作曲された{{Sfnp|パンフレット|2023|p=19}}。ラストシーンにて使用された「愛の遺伝」は「大空位時代」と同じく[[ボーカロイド]]が歌唱した[[アリア]]がトップノート{{Efn2|曲中で最も高い音のこと。}}になっており、「大空位時代」へのアンサーとなっている{{R|snrec20231121}}{{Sfnp|パンフレット|2023|p=19}}。 == 封切り == === 制作発表から公開まで === {{出典範囲|text1=2022年12月27日に放送されたテレビドラマ『[[岸辺露伴は動かない#テレビドラマ|岸辺露伴は動かない]]』第8話「ジャンケン小僧」のエンドロール後に泉京香が本作を匂わすセリフ{{Efn2|(ルーヴル美術館にて京香の父が撮った写真を掲げながら)「パリ……ルーブル美術館!」{{Sfnp|パンフレット|2023|p=8}}{{R|cinemacafe20221228}}}}を発し、|ref1=<ref name="cinemacafe20221228">{{Cite web|和書|url=https://www.cinemacafe.net/article/2022/12/28/82739.html |title=飯豊まりえ“京香”のセリフに「匂わせワードが盛り沢山」、SNSでは早くも“次回作”考察…「岸辺露伴は動かない」第8話 |accessdate=2023-12-01 |author=笠緒 |date=2022-12-28 |website=シネマカフェ |publisher=イード}}</ref>|text2=それから9日後の2023年1月5日、ティザービジュアルと超特報映像とともに本作の映画化が発表された|ref2={{R|realsound20230105}}}}。4月24日には初号試写が行われ、翌25日には当時ルーヴル美術館展が行われていた[[国立新美術館]]にて完成報告イベントが開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/522263 |title=高橋一生が不思議で素敵な「岸辺露伴」アピール、長尾謙杜は「ジョジョ好きだよね?」で仲間入り |accessdate=2023-12-01 |date=2023-04-25 |website=映画ナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref>。{{出典範囲|text1=5月18日には[[TOHOシネマズ日比谷]]にて先行上映会が行われ、高橋と渡辺が登壇した。イベントの最後にはサプライズとして[[荒木飛呂彦]]が本作に描き下ろしたイラストの複製原画が高橋に送られた|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/525033 |title=「岸辺露伴」高橋一生、荒木飛呂彦とは「芝居とマンガで文通している感覚だった」 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-18 |website=映画ナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref>}}。この描き下ろしイラストはのちに第2弾入場者プレゼントとして配布された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/526789 |title=「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」入場者特典第2弾は荒木飛呂彦描き下ろしのイラストカード |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-31 |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref>。 === 公開後 === 本作は2023年5月26日に全国272スクリーンで公開され、翌27日には[[六本木ヒルズ#TOHOシネマズ六本木ヒルズ|TOHOシネマズ六本木ヒルズ]]にて公開記念舞台挨拶が行われた{{R|animeanime20230619}}<ref name="natalie20230527">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/526262 |title=「岸辺露伴」高橋一生は目の奥が真っ黒、木村文乃は長尾謙杜の“立ち振る舞い”を絶賛 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-27 |website=映画ナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref>。舞台挨拶の最後に高橋は次のように述べている。 {{Quotation|この作品は娯楽です。娯楽作品は人の心を動かし得るものだと思っています。僕は岸辺露伴の役をいただいたときに、この虚構の世界で皆さんに夢を見ていただき、現実で生きる力を携えていただきたいと思い、3年間やってきました。その集大成がこの作品に詰まっています。|高橋一生|{{R|natalie20230527}}}} また、公開に際し原作者の[[荒木飛呂彦]]は以下のコメントを寄せた。 {{Quotation|ドラマや本劇場作を拝見して感じることは、出演される俳優さんたちに恵まれているということです。(中略)画面の向こうに本当に存在しているように思えて、原作を忘れて観てしまいます。着ている衣装や包み込む音楽がその世界観をさらに煽ってくるのです。きっと映画を見た皆様の心の中にも深く残るキャラクターたちになってくれているのだと思います。|荒木飛呂彦|{{Sfnp|パンフレット|2023|p=17}}}} 同年6月9日からはスマートフォンアプリ「HELLO! MOVIE」を利用した副音声コメンタリー上映が行われ、高橋一生、飯豊まりえ、木村文乃、渡辺一貴が参加した<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.evixar.com/archives/13678 |title=HELLO! MOVIEアプリにて、映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(アスミック・エース 配給)、「副音声コメンタリー上映」実施のご案内 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-06-06 |website=エヴィクサー 公式サイト}}</ref>。 同年9月6日に公式X(旧Twitter)で、本作の日本国内での上映を終了したことが発表された<ref>{{Cite tweet |user=rohan_movie |author=映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式 |number=1699262830179197194 |title=映画『#岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は先日国内上映を終了いたしました。 |date=2023-09-06 |accessdate=2023-12-15}}</ref>。 同年9月22日には台湾にて『岸邊露伴在羅浮』の題で公開された<ref>{{Cite web|和書|url=https://japan.focustaiwan.tw/photos/202308305003 |title=高橋一生、映画PRで来月15~17日に台湾訪問 ファンの前に |accessdate=2023-12-01 |author=王心妤(文)、名切千絵(編集) |date=2023-08-30 |website=フォーカス台湾 |publisher=中央通訊社}}</ref>。公開に先立ち、高橋と渡辺は15日から17日までの3日間の日程で台湾に渡り、3回の上映会に参加した<ref>{{Cite web|和書|url=https://japan.focustaiwan.tw/society/202309170003 |title=高橋一生が映画PRで台湾訪問 中国語であいさつ「一生愛してる」 |accessdate=2023-12-01 |author=王心妤(文)、田中宏樹(編集) |date=2023-09-17 |website=フォーカス台湾 |publisher=中央通訊社}}</ref>。 == 評価 == === 興行収入 === 本作は公開3日間で22万1000人を動員し、興行収入は3億1500万円を記録した<ref name="realsound20230602">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2023/06/post-1340483.html |title=『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』好スタート その「快挙」の背景にあるもの |accessdate=2023-12-01 |author=宇野維正 |date=2023-06-02 |website=リアルサウンド |publisher=blueprint}}</ref>。{{出典範囲|text1=これは2023年に公開された300館以下の劇場映画の初週3日間の成績としては同年5月末時点で最高の興行収入であり、|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2280784/full/ |title=映画『岸辺露伴』公開3日間で興収3億円突破 2023年300館以下の出足は最高興収 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-29 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME}}</ref> |text2=ライターの[[宇野維正]]は[[日本映画製作者連盟|映連4社]]以外の配給作品としては異例であると述べている|ref2={{R|realsound20230602}}}}。本作はその後も成績を伸ばし、6月18日にはNHKの連続ドラマの映画化作品として初めて興行収入が10億円を突破した{{R|animeanime20230619}}。 宇野は、NHKの連続ドラマの映画化作品は公共放送局というNHKの特性上、ドラマの放送から映画公開までのタイムラグが大きく、また民放のような局を挙げての宣伝ができないため大きなヒットに繋がりにくいという特徴があるが、本作はドラマシリーズの最新話の放送から映画公開までが6か月以内というタイムリーさを実現したため、快挙と言っていい成績を残すことができたと述べている{{R|realsound20230602}}。 === 反響 === 本作は公開直後からパンフレットを始めとしたグッズの売り切れが続出し、[[MANTANWEB]]が関係者に取材した話によると、観客は女性が多く、劇場内の物販コーナーは行列状態であったという<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20230529dog00m200037000c.html |title=岸辺露伴 ルーヴルへ行く:週末興行ランキングで邦画1位 3日で興入3億1400万円突破 パンフレット売り切れ続出 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-29 |website=MANTANWEB |publisher=MANTAN}}</ref>。 === 批評 === {{出典範囲|text1=フリーライターのヒナタカは、キャスティング、ビジュアル、脚本など全方位的に隙がなく、ドラマシリーズに続いて再び実写化の「正解」を示した作品だと述べている。ヒナタカは高橋一生の演技について、一挙一動から醸し出される変人っぽさが『[[デスノート (映画)|デスノート]]』にて[[L (DEATH_NOTE)|L]]を演じた[[松山ケンイチ]]を彷彿とさせると語り、芸術に対し揺るぎない信念を持つ唯一無二のキャラクターが漫画からそのまま出てきたような魅力があったと評している|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2305/28/news040.html |title=映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」レビュー 高橋一生の存在感と「怪奇テイスト」の成功 |accessdate=2023-12-01 |author=ヒナタカ |date=2023-05-28 |website=ねとらぼ |publisher=アイティメディア |page=1}}</ref>}}。{{出典範囲|text1=また公開前は原作が130ページに満たない中編であったことからボリューム不足を心配したが、小林靖子による原作を大切にしつつも新たな面白さや感動を届ける改変は素晴らしく、杞憂であったと述べている。特にドラマシリーズからレギュラーキャラとなった京香は露伴との掛け合いがホラー描写もある本作の清涼剤として機能しているだけでなく、終盤にてある人物に救いを与える役割があることから、京香の存在によってひとつの「記憶」についての寓話としてもより完成度が高くなった印象があると述べている|ref1=<ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2305/28/news040_2.html |title=映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」レビュー 高橋一生の存在感と「怪奇テイスト」の成功 |accessdate=2023-12-01 |author=ヒナタカ |date=2023-05-28 |website=ねとらぼ |publisher=アイティメディア |page=2}}</ref>}}。 {{出典範囲|text1=ライターの島田一志は、原作ではやや分かりにくかった部分を本作ではオリジナルエピソードによって補完しており、かつその改変部分には原作への深い愛情と敬意が感じられるため全く気にならないと評している。特に本作で深く掘り下げられた仁左右衛門のエピソードは、仁左右衛門を高橋が一人二役で演じたことによって、露伴もまた仁左右衛門と同じく「呪われた絵師」になりうると暗に語る物語になったと述べている。また、ルーヴルでの旅の後、露伴が奈々瀬にヘブンズ・ドアーを行う場面での高橋の演技は、露伴の哀しみ、恐れ、好奇心、正義、そして、実らなかった初恋の慕情などが全て集約されており、漫画では難しいこれらの表現がされた本作は、漫画の実写化に「成功」しているといってもいいと評価している|ref1={{R|realsound1350204}}}}。 {{出典範囲|text1=お笑い芸人の[[宮下兼史鷹]]はドラマシリーズの劇場版でありながらスケールが大きくなりすぎず、ドラマシリーズの良さがしっかり活きた作品になっていたと評している。また自身は木村文乃のファンであると語っており、木村の演技については彼女の陰の部分を強調した役柄を評し、露伴のように恋をしてしまったと述べている|ref1=<ref name="realsound20230619">{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2023/06/post-1352834.html |title=『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は完璧な映画化 宮下兼史鷹が高橋一生の“声”を絶賛 |accessdate=2023-12-10 |author=アナイス |date=2023-06-19 |website=リアルサウンド |publisher=blueprint}}</ref>}}。 宇野維正は美点として「(露伴と京香の)『作家と編集者』や『男と女』の定型に収まらない洒脱な関係性と軽妙な台詞の掛け合い」を、欠点として「アート作品『風』の小賢しいカメラの構図の多用と、散見される稚拙な編集」をそれぞれ挙げ、トリッキーな設定に慣れるのには時間を要したが最終的にはかなり楽しめたと評し、星5つ中3つの評価を与えている<ref name="kinejun_review">{{Cite web|和書|url=https://www.kinejun.com/criticreview/detail?id=97936 |title=岸辺露伴 ルーヴルへ行くの映画専門家レビュー一覧 |accessdate=2023-12-01 |website=キネマ旬報WEB |publisher=キネマ旬報社}}</ref>。 映画評論家の北川れい子は露伴のヘアバンドを始めとした形振りや特殊能力、そしてルーヴル美術館を巻き込んだ因縁話はかなりぶっ飛んでおり、「映画のリアリティーを超越した幻覚的ミステリ」として星5つ中2つの評価を与えている{{R|kinejun_review}}。 フリーライターの千浦僚はミステリアスなネタを追う展開はキビキビとして飽きさせず、パリの街とルーヴル美術館でのロケ撮影も効果的であったとして、星5つ中3つの評価を与えている{{R|kinejun_review}}。 フリーライターのなかざわひでゆきは、プロットが複雑なうえ説明過多なセリフが多いことからストーリーがわかりにくくなっているものの、大正ロマン的な幻想怪奇ムードや陰鬱なパリの景色は魅力的であったとし、星5つ中3つの評価を与えている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/movie/T0028410/review |title=岸辺露伴 ルーヴルへ行く (2023):映画短評 |accessdate=2023-12-01 |website=シネマトゥデイ}}</ref>。 == サウンドトラック == {{Infobox Album | Name = 「岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く」オリジナル・サウンドトラック | Type = [[サウンドトラック]] | Artist = [[菊池成孔]]、新音楽制作工房 | Released = 2023年10月25日 | Recorded = {{Unbulleted list|Sound City Annex|Sound City Annex T-1|[[音響ハウス|ONKIO HAUS]]|FREEDOM STUDIO INFINITY|Syn Studio}} | Length = 2時間34分12秒 | Label = [[日本コロムビア]] | Producer = 菊地成孔 | Chart position = *週間25位<small>([[オリコンチャート|オリコン]])</small> | EAN = {{EAN|4549767187495}} | Tracklist = }} 菊地成孔と新音楽制作工房によるサウンドトラックは、テレビドラマ『岸辺露伴は動かない』の劇伴とカップリングされ、2023年10月25日に発売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/article/feature_item/2023/06/26/0711 |title=菊地成孔と新音楽制作工房が手掛ける『「岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く」オリジナル・サウンドトラック』10月25日発売 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-06-26 |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=タワーレコード}}</ref>。同年6月に本作の制作が発表された際には9月13日に発売予定であると予告されていたが、制作上の都合により延期された<ref>{{Cite tweet|author=コロムビアクラシック |user=Co_Classics |number=1694973601961898394 |title=【発売日変更】 9月13日に予定しておりました「岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く」オリジナル・サウンドトラック【完全生産限定版】の発売日を、制作上の都合により10月25日に延期させて頂くこととなりました。 |date=2023-08-25 |accessdate=2023-12-23}}</ref>。同年12月1日には本作のスペシャルイベントが開催され、菊地成孔、高橋一生、飯豊まりえ、渡辺一貴が出演した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=000003371.000019470&g=prt |title=10月25日(水)発売『岸辺露伴』オリジナル・サウンドトラックのトークイベントに飯豊まりえの参加が決定! |accessdate=2023-12-01 |date=2023-10-23 |website=時事ドットコム |publisher=時事通信社}}</ref>。初週の[[オリコン]]の週間アルバムチャートでは25位を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/prof/913092/products/1484196/1/ |title=「岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く」オリジナル・サウンドトラック |accessdate=2023-12-23 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME}}</ref>。 {{-}} {{Tracklist | 1 = 出典<ref name=tower5762480>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/item/5762480/ |title=「岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く」オリジナル・サウンドトラック [2CD+ブックレット]<完全生産限定盤> |accessdate=2023-12-23 |website=タワーレコード オンライン}}</ref> | collapsed = yes | headline = Disc 1 | total_length = auto | music_credits = yes | extra_column = 歌 | title1 = 大空位時代のためのレチタティーヴォ(叙唱) | music1 = 菊地成孔 | extra 1 = | length1 = 01:39 | title2 = 実験室のブードゥー | music2 = 菊地成孔 | extra2 = | length2 = 02:06 | title3 = 明日きっと、晴天から降り注ぎ、わたしを支配する美しい響き | music = 菊地成孔 | extra3 = | length3 = 01:52 | title4 = 海亀が陸上を、野牛が水中を歩む | music4 = 菊地成孔、田島浩一郎 | extra4 = | length4 = 03:05 | title5 = 雨音 | music5 = 菊地成孔 | extra5 = | length5 = 02:34 | title6 = 去年マリエンバードで(I) | music6 = 菊地成孔 | extra6 = | length6 = 02:34 | title7 = 電子音による空間彫刻 | music7 = 菊地成孔 | extra7 = | length7 = 02:18 | title8 = ピアノソナタ 第一番 | music8 = 菊地成孔 | extra8 = | length8 = 02:36 | title9 = ドン・イシドロ・パロディの6つの難事件(I) | music9 = 菊地成孔 | extra9 = | length9 = 02:18 | title10 = 東京-ブエノスアイレス | music10 = 早川純 | extra10 = | length10 = 03:01 | title11 = ガラスの動物園 | music11 =菊地成孔 | extra11 = | length11 = 01:12 | title12 = 夕映 | music12 = 早川純 | extra12 = | length12 = 02:34 | title13 = 愛の悦び | music13 = 菊地成孔 | extra13 = | length13 = 02:47 | title14 = ザ・ラン | music14 = 菊地成孔 | extra14 = | length14 = 01:45 | title15 = 去年マリエンバードで(II) | music15 = 菊地成孔 | extra15 = | length15 = 02:50 | title16 = 六壁坂(I) | music16 = 菊地成孔 | extra16 = | length16 = 02:20 | title17 = 六壁坂(II) | music17 = 菊地成孔 | extra17 = | length17 = 03:58 | title18 = フィットネスジム暴走/ランニングマシン | music18 = 高橋大地 | extra18 = | length18 = 02:58 | title19 = フィットネスジム暴走/ダンベルたち | music19 = 高橋大地 | extra19 = | length19 = 01:46 | title20 = 優雅で感傷的なミニマル | music20 = 菊地成孔 | extra20 = | length20 = 03:43 | title21 = ピアノソナタ 第二番 | music21 = 菊地成孔 | extra21 = | length21 = 04:30 | title22 = 愛のテーマ | music22 = 菊地成孔 | extra22 = | length22 = 04:24 | title23 = 闘争のエチカ | music23 = 菊地成孔、高橋大地 | extra23 = | length23 = 01:54 | title24 = 目眩 | music24 = djapon | extra24 = | length24 = 03:35 | title25 = AI制作による恐怖映画 | music25 = 薬袋正宗 | extra25 = | length25 = 05:08 | title26 = イブの歌 | music26 = 菊地成孔 | extra26 = [[古川琴音]]、菊地成孔 | length26 = 03:36 | title27 = イブの呪い | music27 = 菊地成孔 | extra27 = 古川琴音 | length27 = 03:53 | title28 = 大空位時代 | music28 = 菊地成孔、佐々木語 | extra28 = 菊地成孔 | length28 = 01:46 }} {{tracklist | 1 = 出典{{R|tower5762480}} | collapsed = yes | headline = Disc 2 | total_length = auto | music_credits = yes | extra_column = 歌 | title1 = AI制作による二つの弦楽四重奏の同時演奏 | music1 = 大野格 | extra1 = | length1 = 04:07 | title2 = 夢の中の軍楽 | music2 = OGAWA SEIJI | extra2 = | length2 = 02:40 | title3 = ROBOTme | music3 = 委細昌嗣 | extra3 = | length3 = 02:26 | title4 = メリーゴーラウンド | music4 = 高橋大地 | extra4 = | length4 = 01:29 | title5 = nu_nu JAZZ | music5 = 田島浩一郎 | extra5 = | length5 = 03:55 | title6 = 夢で見た工場 | music6 = 薬袋正宗 | extra6 = | length6 = 03:49 | title7 = ジャンケン小僧と露伴の台詞(I) | music7 = 田島浩一郎 | extra7 = | length7 = 03:31 | title8 = 露伴とジャンケン小僧の対決その始まり | music8 = 菊地成孔 | extra8 = | length8 = 01:19 | title9 = ジャンケン小僧と露伴の台詞(II) | music9 = 田島浩一郎 | extra9 = | length9 = 01:29 | title10 = ジャンケン小僧と露伴の台詞(III) | music10 = 田島浩一郎 | extra10 = | length10 = 00:50 | title11 = 露伴とジャンケン小僧の対決のその終わり | music11 = 菊地成孔 | extra11 = | length11 = 01:22 | title12 = 4つの黒 | music12 = 菊地成孔 | extra12 = | length12 = 00:31 | title13 = NU_jazz_NU | music13 = 佐々木語 | extra13 = | length13 = 03:08 | title14 = 5つの黒 | music14 = 菊地成孔 | extra14 = | length14 = 01:01 | title15 = 都鳥(レコーディング・セッション版) | music15 = 菊地成孔 | extra15 = | length15 = 15:13 | title16 = 7つの黒 | music16 = 菊地成孔 | extra16 = | length16 = 00:56 | title17 = ピアノソナタ 第三番 | music17 = 菊地成孔 | extra17 = | length17 = 03:13 | title18 = ピアノソナタ 第四番 | music18 = 菊地成孔 | extra18 = | length18 = 02:12 | title19 = machine/mazurka | music19 = 大野格 | extra19 = | length19 = 01:31 | title20 = La Seine | music20 = 丹羽武史 | extra20 = | length20 = 02:23 | title21 = 交響曲「音声ファイル」 | music21 = 田島浩一郎 | extra21 = | length21 = 03:36 | title22 = 琴とノイズ | music22 = 大野格 | extra22 = | length22 = 03:55 | title23 = 愛の遺伝 | music23 = 菊地成孔、大野格 | extra23 = 菊地成孔 | length23 = 04:08 | title24 = ルーヴル美術館内動く歩道での即興 | music24 = 菊地成孔 | extra24 = | length24 = 01:36 | title25 = Le Lourve | music25 = 丹羽武史 | extra25 = | length25 = 01:17 | title26 = 大空位時代 | music26 = 菊地成孔、佐々木語 | extra26 = | length26 = 05:09 }} == 関連書籍 == ; ノベライズ :* [[北國ばらっど]](小説)、荒木飛呂彦(原作)小林靖子(脚本)『映画ノベライズ 岸辺露伴 ルーヴルへ行く』集英社〈[[集英社オレンジ文庫]]〉2023年5月26日発売、{{ISBN2|978-4-0868-0505-6}} :<!-- この「:」はエラー防止用です。[[Help:箇条書き]]参照 --> ; ヴィジュアルブック :* 『岸辺露伴 ルーヴルへ行く VISUAL BOOK』集英社、2023年5月26日発売、{{ISBN2|978-4-0879-0119-1}} : == イベント == 試写会、および先行上映会は[[#封切り]]を参照のこと。 === ティーチイン === 監督の渡辺一貴とゲストが対談するティーチインが2023年6月より順次行われた。開催日時、場所、出演者は以下の通り。 {| class="wikitable" style="font-size:small" ! 日時 || 場所 || ゲスト || 出典 |- | 6月8日 || [[Hareza池袋#TOHOシネマズ池袋|TOHOシネマズ池袋]] || 小林靖子 || {{R|natalie20230608}} |- | 6月15日 || [[六本木ヒルズ#TOHOシネマズ六本木ヒルズ|TOHOシネマズ六本木ヒルズ]] || 菊池成孔 || rowspan="6" | {{R|animeanime20230619}} |- | 6月22日 || [[室町古河三井ビルディング#TOHOシネマズ日本橋|TOHOシネマズ日本橋]] || 柘植伊佐夫 |- | rowspan="4" | 6月25日 || [[HEP#TOHOシネマズ梅田|TOHOシネマズ梅田]] || rowspan="5" | 土橋圭介 |- | [[あべのアポロ#あべのアポロシネマ|あべのアポロシネマ]] |- | [[中日本興業#ミッドランドスクエア シネマ|ミッドランドスクエア シネマ]] |- | [[シネシティザート]] |- | 7月3日 || [[シネクイント]] || <ref>{{Cite web|和書|url=https://kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp/news/ |title=『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』渡辺一貴監督×スペシャルゲストによる追加ティーチイン開催決定! |accessdate=2023-12-02 |date=2023-06-29 |website=映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式サイト |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230708014134/https://kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp/news/ |archivedate=2023-07-08}}</ref> |} === 体験型イベント === 本作の体験型イベント「岸辺露伴 ルーヴルへ行く 体験型イベント 〜ようこそ、岸辺露伴の世界へ〜」が2023年9月より池袋、梅田、博多の「バンダイナムコ Cross Store」にて順次開催された。オリジナルグッズやコラボメニューの販売や、自分だけの「ヘブンズ・ドアー」の記事を作れるアトラクションなどが行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/202308/23314153.html |title=映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』体験型イベントが東京、大阪、福岡で開催。自分だけの“ヘブンズ・ドアー”記事が作成できるアトラクションが展開 |accessdate=2023-12-01 |date=2023-08-23 |website=ファミ通.com |publisher=KADOKAWA Game Linkage}}</ref>。 == コラボレーション == 2023年5月15日から6月15日にかけて[[京王電鉄]]とのタイアップ企画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く×KEIO」が行われ、「ヘブンズ・ドアー」を模した[[京王井の頭線]]の記念乗車券が発売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/004/134/4134452/ |title=記念乗車券は京王線新宿駅でも販売! 「岸辺露伴 ルーヴルへ行く×KEIO」タイアップ企画を京王線・井の頭線にて5月15日~6月15日実施 |accessdate=2023-12-01 |author=西新宿LOVEWalker |date=2023-04-25 |website=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所}}</ref>。 2023年5月15日から6月11日にかけて[[フランス料理]]店「[[俺のフレンチ]]」とのタイアップ企画が行われ、コラボメニュー「高知県産カツオのたたきルーヴル仕立て 〜岸辺露伴のノワールを添えて〜」が販売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oreno.co.jp/2023/05/11/kishiberohan_orenofrench |title=映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」と「俺のフレンチ」がコラボ!映画をテーマにしたスペシャルメニューをご注文で、オリジナルポストカードプレゼント! |accessdate=2023-12-01 |date=2023-05-11 |website=俺の株式会社 公式サイト}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|20em}} === 出典 === {{reflist|20em}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書|editor=井藤涼 |others=瓶子吉久 発行 |title=岸辺露伴 ルーヴルへ行く VISUAL BOOK |date=2023-05-31 |publisher=集英社 |isbn=978-4-0879-0119-1 |ref={{SfnRef|ヴィジュアルブック|2023}} }} * {{Cite book |和書|author1=渡辺彰浩 |author2=魚住桜子 |editor=東宝ステラ |others=大田圭二 発行 |title=岸辺露伴 ルーヴルへ行く パンフレット |date=2023-05-26 |publisher=東宝 |ref={{SfnRef|パンフレット|2023}} }} == 外部リンク == * [http://kishiberohan-movie.asmik-ace.co.jp 映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式サイト] * {{Twitter|rohan_movie|映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式}} * {{Instagram|rohan_movie|映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式}} * {{TikTok|rohan_movie|映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』公式}} {{Jojo}} {{デフォルトソート:きしへろはんるううるへいく}} [[Category:ジョジョの奇妙な冒険のスピンオフ作品]] [[Category:2023年の映画]] [[Category:日本のテレビドラマの劇場版]] [[Category:日本のサスペンス映画]] [[Category:漫画を原作とする映画作品]] [[Category:絵画を題材とした映画作品]] [[Category:超常現象を題材とした映画作品]] [[Category:親族の恋愛を扱った映画作品]] [[Category:美術館を舞台とした作品]] [[Category:ルーヴル美術館]] [[Category:パリを舞台とした映画作品]] [[Category:パリで製作された映画作品]] [[Category:神奈川県で製作された映画作品]]<!-- 三浦郡 --> [[Category:横浜市で製作された映画作品]] [[Category:福島県で製作された映画作品]] [[Category:宇都宮市で製作された映画作品]] [[Category:品川区で製作された映画作品]] [[Category:千葉県で製作された映画作品]]<!-- 館山市 --> [[Category:アスミック・エース製作の映画]] [[Category:NHK製作の映画]] [[Category:テレビ東京製作の映画]] [[Category:小林靖子の脚本映画]]
2023-12-09T06:12:40Z
2023-12-28T05:57:26Z
false
false
false
[ "Template:Notelist2", "Template:Cite web", "Template:Jojo", "Template:R", "Template:Efn2", "Template:Quotation", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite interview", "Template:Cite book", "Template:Main", "Template:Sfnp", "Template:Infobox Album", "Template:TikTok", "Template:出典範囲", "Template:ISBN2", "Template:Cite tweet", "Template:Tracklist", "Template:Twitter", "Template:Instagram", "Template:Pathnav", "Template:Infobox Film", "Template:-" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E8%BE%BA%E9%9C%B2%E4%BC%B4_%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8F_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
4,864,265
第16回フィルムフェア賞 南インド映画部門
第16回フィルムフェア賞 南インド映画部門(16th Filmfare Awards South)は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1968年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1969年に開催された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第16回フィルムフェア賞 南インド映画部門(16th Filmfare Awards South)は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1968年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1969年に開催された。", "title": null } ]
第16回フィルムフェア賞 南インド映画部門は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1968年の南インド映画(タミル語映画、テルグ語映画、マラヤーラム語映画)を対象としており、1969年に開催された。
{{Infobox Award | name = 第16回フィルムフェア賞<br />南インド映画部門 | current_awards = | image = | imagesize = | alt = | caption = | description = 優秀な[[南インドの映画|南インド映画]] | presenter = 『[[フィルムフェア]]』 | host = | date = 1969年 | country = {{IND}} | location = [[マハーラーシュトラ州]][[ムンバイ|ボンベイ]] | reward = <!-- 報酬 --> | website = [http://awards.filmfare.com/ Filmfare] | previous = [[第15回フィルムフェア賞 南インド映画部門|第15回]] | main = [[フィルムフェア賞 南インド映画部門]] | next = [[第17回フィルムフェア賞 南インド映画部門|第17回]] }} '''第16回[[フィルムフェア賞 南インド映画部門]]'''(16th Filmfare Awards South)は、[[インド]]の映画賞。『[[フィルムフェア]]』が主催し、1968年の[[南インドの映画|南インド映画]]([[タミル語映画]]、[[テルグ語映画]]、[[マラヤーラム語映画]])を対象としており、1969年に開催された<ref>{{Cite web | url=https://books.google.com/books?id=Q5UqAAAAYAAJ&q=sudigundalu |title = Collections|year = 1991|accessdate=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite web | url=https://books.google.com/books?id=vsYVAQAAIAAJ&q=sudigundalu |title = The Times of India Directory and Year Book Including Who's who|last1 = Reed|first1 = Sir Stanley|year = 1969|accessdate=2023-12-09}}</ref><ref>{{cite web|url=https://bollywoodproduct.in/16th-filmfare-awards-south-1969/|title=16th Filmfare Awards South (1969)|publisher=Bollywood Product|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 受賞結果 == {| class=wikitable width=50% | |- ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|フィルムフェア賞 タミル語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Tamil|label=タミル語映画部門作品賞}} ! style="background:#EEDD82; width:50%" | {{仮リンク|フィルムフェア賞 テルグ語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Telugu|label=テルグ語映画部門作品賞}} |- | valign="top" | * 『'''''[[:en:Lakshmi Kalyanam (1968 film)|Lakshmi Kalyanam]]'''''』 | valign="top" | * 『'''''[[:en:Sudigundalu|Sudigundalu]]'''''』 |- ! style="background:#EEDD82; width:50%"| {{仮リンク|フィルムフェア賞 マラヤーラム語映画部門作品賞|en|Filmfare Award for Best Film – Malayalam|label=マラヤーラム語映画部門作品賞}} |- | valign="top" | * 『'''''[[:en:Thulabharam|Thulabharam]]'''''』 |} == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official|http://awards.filmfare.com/}} {{DEFAULTSORT:ふいるむふえあしようみなみいんとえいかふもん16}} [[Category:フィルムフェア賞 南インド映画部門|16]] [[Category:1969年のインド]] [[Category:1969年の映画|*ふいるむふえあしようみなみいんとえいかふもん]]
2023-12-09T06:14:52Z
2023-12-18T14:39:04Z
false
false
false
[ "Template:Infobox Award", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Official" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC16%E5%9B%9E%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E8%B3%9E_%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%83%A8%E9%96%80
4,864,266
相生町 (津市)
相生町(あいおいちょう)は、三重県津市の町名。郵便番号は514-0017。 1909年4月、被差別部落のみからなる三重県安濃郡塔世村、同郡建部村とともに津市に合併し、相生町、愛宕町となる。 1924年4月、相生町に市立保育園ができる。同年6月、相生町、愛宕町の隣接地域に津市伝染病院が設置されたため、相生町民5名(桑名、池田、桑名、黒田、鳥尾)が代表となり、380余名の署名を集め、市長宛に移転要求を出す。同年9月、津市の差別事件で、相生町民・三重県水平社同人約120名が、安濃津地方裁判所の第2回口頭弁論を傍聴する。 1926年7月16日、相生町に公会堂が建設され、落成式を挙行する。 牛肉商の柏木姓の男が1927年5月21日夜に相生町の水平社本部で、ほか数名の同社員と共に三重県河芸郡一身田町の西田姓の男に対し、かねて水平社同人に差別的言辞を用いた理由を詰問中、その答弁に憤激し、持ち合わせていた煙管で同人左顱頂部を殴打し、治療6日を要する傷害事件が発生する。 2020年9月、相生町自治会長の男が津市役所職員に不当な要求を繰り返した他、自治会などに対する補助金を詐取した事件(津市相生町自治会長事件)が示現舎により報じられる。 かつて存在した商工業者は、皮革商、牛馬豚生皮販売、洗濯石鹸製造業の里見、皮革問屋、牛馬豚生皮販売の藤本、狐狸犬猫小獣生皮販売の北尾、米穀の朝井、獣肉販売の柏木・岸田、海産物の岡部、青物及び乾物販売の黒田、金銭貸付の佐竹などがいた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "相生町(あいおいちょう)は、三重県津市の町名。郵便番号は514-0017。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1909年4月、被差別部落のみからなる三重県安濃郡塔世村、同郡建部村とともに津市に合併し、相生町、愛宕町となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1924年4月、相生町に市立保育園ができる。同年6月、相生町、愛宕町の隣接地域に津市伝染病院が設置されたため、相生町民5名(桑名、池田、桑名、黒田、鳥尾)が代表となり、380余名の署名を集め、市長宛に移転要求を出す。同年9月、津市の差別事件で、相生町民・三重県水平社同人約120名が、安濃津地方裁判所の第2回口頭弁論を傍聴する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1926年7月16日、相生町に公会堂が建設され、落成式を挙行する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "牛肉商の柏木姓の男が1927年5月21日夜に相生町の水平社本部で、ほか数名の同社員と共に三重県河芸郡一身田町の西田姓の男に対し、かねて水平社同人に差別的言辞を用いた理由を詰問中、その答弁に憤激し、持ち合わせていた煙管で同人左顱頂部を殴打し、治療6日を要する傷害事件が発生する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2020年9月、相生町自治会長の男が津市役所職員に不当な要求を繰り返した他、自治会などに対する補助金を詐取した事件(津市相生町自治会長事件)が示現舎により報じられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "かつて存在した商工業者は、皮革商、牛馬豚生皮販売、洗濯石鹸製造業の里見、皮革問屋、牛馬豚生皮販売の藤本、狐狸犬猫小獣生皮販売の北尾、米穀の朝井、獣肉販売の柏木・岸田、海産物の岡部、青物及び乾物販売の黒田、金銭貸付の佐竹などがいた。", "title": "経済" } ]
相生町(あいおいちょう)は、三重県津市の町名。郵便番号は514-0017。
{{Pathnav|日本|三重県|津市|frame=1}} '''相生町'''(あいおいちょう)は、三重県[[津市]]の町名。[[日本の郵便番号|郵便番号]]は514-0017。 == 歴史 == [[1909年]]4月、[[部落問題|被差別部落]]のみからなる三重県安濃郡[[塔世村]]、同郡[[建部村 (三重県)|建部村]]とともに津市に合併し、相生町、愛宕町となる<ref>[{{NDLDC|7932382/49}} 『民衆史研究(30)』]92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>。 [[1924年]]4月、相生町に市立[[保育所|保育園]]ができる<ref name="minsyu31">[{{NDLDC|7932383/26}} 『民衆史研究(31)』]47 - 51、73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>。同年6月、相生町、愛宕町の隣接地域に津市[[伝染病院]]が設置されたため、相生町民5名(桑名、池田、桑名、黒田、鳥尾)が代表となり、380余名の署名を集め、市長宛に移転要求を出す<ref name="minsyu31"/>。同年9月、津市の差別事件{{Refnest|group="注"|1924年4月29日、津市中新町の某が、津市釜屋町の[[家主]]に借家を申し込んだところ、自分が部落民ではないにもかかわらず、被差別部落民であることを一つの理由に断られ、[[名誉毀損]]をされたとして、500万円の支払いと新聞への謝罪広告掲載を求めて、安濃津地方裁判所に訴え出た<ref name="minsyu31"/>。}}で、相生町民・三重県水平社同人約120名が、安濃津地方裁判所の第2回[[口頭弁論]]を傍聴する<ref name="minsyu31"/>。 [[1926年]]7月16日、相生町に[[公会堂]]が建設され、落成式を挙行する<ref name="minsyu31"/>。 [[牛肉]]商の柏木姓の男が[[1927年]]5月21日夜に相生町の[[全国水平社|水平社]]本部で、ほか数名の同社員と共に三重県河芸郡[[一身田町]]の西田姓の男に対し、かねて水平社同人に[[差別]]的言辞を用いた理由を詰問中、その答弁に憤激し、持ち合わせていた[[煙管]]で同人左顱頂部を殴打し、治療6日を要する[[傷害]]事件が発生する<ref>[{{NDLDC|1444744/387}} 『思想犯罪輯覧(思想研究資料 第14輯)』]617頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>。 [[2020年]]9月、相生町自治会長の男が津市役所職員に不当な要求を繰り返した他、自治会などに対する補助金を詐取した事件([[津市相生町自治会長事件]])が[[示現舎]]により報じられる。 {{節スタブ}} == 経済 == === 産業 === ; 商工業者 かつて存在した商工業者は、[[皮革]]商、牛馬豚生皮販売、洗濯[[石鹸]]製造業の里見<ref name="hikaku1911">[{{NDLDC|901295/101}} 『大日本皮革及皮革製品業大鑑』]三重県102頁([[国立国会図書館デジタルコレクション]])。2023年12月9日閲覧。</ref><ref>[{{NDLDC|932534/450}} 『日本全国商工人名録 5版』]三重県カ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>、皮革[[問屋]]、牛馬豚生皮販売の藤本<ref name="hikaku1911"/><ref>[{{NDLDC|1107975/691}} 『大日本商工録 昭和6年版 全国 13版』]三重県25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>、[[キツネ|狐]]狸犬猫小獣生皮販売の北尾<ref name="hikaku1911"/>、[[米穀]]の朝井、[[食肉|獣肉]]販売の柏木・岸田、[[魚介類|海産物]]の岡部、[[青物]]及び[[乾物]]販売の黒田、[[金貸し|金銭貸付]]の佐竹<ref>[{{NDLDC|958706/52}} 『津市商工紀要』]津市商工人名録13、16 - 17、27、57、67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月10日閲覧。</ref>などがいた。 == 地域 == === 施設 === * 相愛保育園 - [[1948年]]、創設<ref>[{{NDLDC|3040730/650}} 『全国社会福祉名鑑』]保育所1129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月9日閲覧。</ref>。 * 津市[[公衆浴場|共同浴場]] さくらゆ == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 東洋皮革新誌社編『大日本皮革及皮革製品業大鑑』東洋皮革新誌社、1911年。 * 商工社編『日本全国商工人名録 5版』商工社、1914年。 * 津商業会議所編『津市商工紀要』津商業会議所、1922年。 * 司法省刑事局編『思想犯罪輯覧(思想研究資料 第14輯)』司法省刑事局、1931年。 * 大日本商工会編『大日本商工録 昭和6年版 全国 13版』大日本商工会、1931年。 * 『全国社会福祉名鑑』福祉新聞社、1965年。 * 民衆史研究会編『民衆史研究(30)』民衆史研究会、1986年。 * 民衆史研究会編『民衆史研究(31)』民衆史研究会、1986年。 {{Japan-area-stub}} {{DEFAULTSORT:あいおいちよう}} [[Category:津市の町・字]] [[Category:被差別部落]]
2023-12-09T06:22:37Z
2023-12-12T00:34:01Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Japan-area-stub", "Template:Pathnav", "Template:Refnest", "Template:節スタブ" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%94%9F%E7%94%BA_(%E6%B4%A5%E5%B8%82)
4,864,268
久美浜町安養寺
久美浜町安養寺(くみはまちょうあんようじ)は、京都府京丹後市久美浜町の大字。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は31世帯、人口は91人。曹洞宗系単立寺院の安養寺が転化して地名となった。 久美浜町東部にあり、佐濃谷川の支流である安養寺川に沿って集落が形成されている。北側には野中が、東側には佐野がある。北を除く三方を山に囲まれた小規模な谷に集落があるが、北端部は野中や佐野丙の集落と一体化しており、野中郵便局は野中ではなく安養寺にある。南側には標高446メートルの青地岳がある。 『佐濃旧村誌』によると、慶長5年(1600年)の戸数は25戸だった。江戸時代には丹後国熊野郡安養寺村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると131石余、『天和村々高帳』によると146石余、『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』によると147石余、『旧高旧領』によると146石余だった。『佐濃旧村誌』によると、元禄4年(1691年)の大洪水で村の形が変わったとされる。 元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。 1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。 1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、安養寺村・野中村・佐野村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には安養寺を含む6の大字が設置された。 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として安養寺が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として安養寺が設置された。 2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町安養寺が設置された。 曹洞宗系単立寺院の安養寺がある。山号は普門山。本尊の十一面観世音菩薩は定朝作と伝わる。 寺伝によると、保延4年(1138年)3月に永信霊昌が奈良の東大寺から移って安養寺の伽藍を築いたとされる。かつては七堂伽藍を有する大寺院であり、『丹哥府志』によると本堂から約1町も離れた場所に山門があったとされる。寛文3年(1663年)3月には宮津の智源寺の2世橘州宗雲和尚を招き、曹洞宗に改宗して再興したという。 伝統行事として蝋燭能がある。安養寺の藤村昌子は観世流の能楽師であり、1957年(昭和32年)には藤村昌子によって藤村好諷会が再興された。2012年(平成24年)には安養寺住職の藤村康信を事務局長として、丹後・但馬地方で若手能楽師を育成するために「たんたんのうのう会」が発足し、観世喜正らが指導を行っている。 安養寺には京丹後市立佐濃小学校があった。 1873年(明治6年)に野中学校が、1874年(明治7年)には竹藤学校が開校した。1889年(明治22年)にはもとの野中学校が上佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃南小学校)に、もとの竹藤学校が下佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃北小学校)に改称した。 1941年(昭和16年)には上佐濃尋常小学校が上佐濃国民学校に、下佐濃尋常小学校が下佐濃国民学校に改称した。戦後には上佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に、下佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に改称した。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、佐濃村立佐濃南小学校は久美浜町立佐濃南小学校に、佐濃村立佐濃北小学校は久美浜町立佐濃北小学校に改称した。 1967年(昭和42年)に両校が統合されて佐濃小学校となり、1968年(昭和43年)には現在地に校地を移転した。 1988年(昭和63年)時点の佐濃小学校には191人の児童が在籍していたが、2008年(平成20年)には初めて100人を下回って93人となり、2013年(平成25年)には67人となっていた。2014年(平成26年)3月には佐濃小学校・京丹後市立海部小学校・京丹後市立川上小学校が閉校となり、同年4月には3校を統合した京丹後市立高龍小学校が開校した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "久美浜町安養寺(くみはまちょうあんようじ)は、京都府京丹後市久美浜町の大字。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は31世帯、人口は91人。曹洞宗系単立寺院の安養寺が転化して地名となった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "久美浜町東部にあり、佐濃谷川の支流である安養寺川に沿って集落が形成されている。北側には野中が、東側には佐野がある。北を除く三方を山に囲まれた小規模な谷に集落があるが、北端部は野中や佐野丙の集落と一体化しており、野中郵便局は野中ではなく安養寺にある。南側には標高446メートルの青地岳がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "『佐濃旧村誌』によると、慶長5年(1600年)の戸数は25戸だった。江戸時代には丹後国熊野郡安養寺村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると131石余、『天和村々高帳』によると146石余、『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』によると147石余、『旧高旧領』によると146石余だった。『佐濃旧村誌』によると、元禄4年(1691年)の大洪水で村の形が変わったとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、安養寺村・野中村・佐野村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には安養寺を含む6の大字が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として安養寺が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として安養寺が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町安養寺が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "曹洞宗系単立寺院の安養寺がある。山号は普門山。本尊の十一面観世音菩薩は定朝作と伝わる。", "title": "安養寺(寺院)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "寺伝によると、保延4年(1138年)3月に永信霊昌が奈良の東大寺から移って安養寺の伽藍を築いたとされる。かつては七堂伽藍を有する大寺院であり、『丹哥府志』によると本堂から約1町も離れた場所に山門があったとされる。寛文3年(1663年)3月には宮津の智源寺の2世橘州宗雲和尚を招き、曹洞宗に改宗して再興したという。", "title": "安養寺(寺院)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "伝統行事として蝋燭能がある。安養寺の藤村昌子は観世流の能楽師であり、1957年(昭和32年)には藤村昌子によって藤村好諷会が再興された。2012年(平成24年)には安養寺住職の藤村康信を事務局長として、丹後・但馬地方で若手能楽師を育成するために「たんたんのうのう会」が発足し、観世喜正らが指導を行っている。", "title": "安養寺(寺院)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "安養寺には京丹後市立佐濃小学校があった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1873年(明治6年)に野中学校が、1874年(明治7年)には竹藤学校が開校した。1889年(明治22年)にはもとの野中学校が上佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃南小学校)に、もとの竹藤学校が下佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃北小学校)に改称した。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1941年(昭和16年)には上佐濃尋常小学校が上佐濃国民学校に、下佐濃尋常小学校が下佐濃国民学校に改称した。戦後には上佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に、下佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に改称した。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、佐濃村立佐濃南小学校は久美浜町立佐濃南小学校に、佐濃村立佐濃北小学校は久美浜町立佐濃北小学校に改称した。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)に両校が統合されて佐濃小学校となり、1968年(昭和43年)には現在地に校地を移転した。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1988年(昭和63年)時点の佐濃小学校には191人の児童が在籍していたが、2008年(平成20年)には初めて100人を下回って93人となり、2013年(平成25年)には67人となっていた。2014年(平成26年)3月には佐濃小学校・京丹後市立海部小学校・京丹後市立川上小学校が閉校となり、同年4月には3校を統合した京丹後市立高龍小学校が開校した。", "title": "教育" } ]
久美浜町安養寺(くみはまちょうあんようじ)は、京都府京丹後市久美浜町の大字。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は31世帯、人口は91人。曹洞宗系単立寺院の安養寺が転化して地名となった。
{{Infobox settlement | name = 久美浜町安養寺 | settlement_type = [[地名]] | image_skyline = File:安養寺(久美浜町安養寺).jpg | imagesize = 270 | image_caption = 地名の由来である安養寺 | image_map = | map_caption = | pushpin_map = Japan Kyoto | latd = | latm = | lats = | latNS = N | longd = | longm = | longs = | longEW = E | coordinates_type = region:JP-26_scale:5000 | coordinates_display = inline,title | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = {{Flag|京都府}} | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = {{Flagicon image|Flag of Kyōtango, Kyoto.svg}} [[京丹後市]] | subdivision_type3 = [[大字]] | subdivision_name3 = 久美浜町安養寺 | established_title1 = <!--- 制定・制定(<ref>) ---> | established_date1 = <!--- 制定日 ---> | area_footnotes = | area_total_km2 = | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= 2020年 | population_footnotes = | population_total = 91 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 629-3566 | area_code = | registration_plate = | footnotes = }} '''久美浜町安養寺'''(くみはまちょうあんようじ)は、[[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]]の[[大字]]。2020年(令和2年)の[[国勢調査]]における世帯数は31世帯、人口は91人。[[曹洞宗]]系単立寺院の安養寺が転化して地名となった<ref name="角川書店1982上p105">「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、pp.105-106</ref><ref name="平凡社1981p850"/>。 == 地理 == [[File:Sanotani River and Asaguchi Hotel in Kyotango.jpg|thumb|佐濃谷川]] [[久美浜町]]東部にあり、[[佐濃谷川]]の支流である安養寺川に沿って集落が形成されている<ref name="角川書店1982下p604">「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、p.604</ref>。北側には[[野中 (京丹後市久美浜町)|野中]]が、東側には[[佐野 (京丹後市)|佐野]]がある。北を除く三方を山に囲まれた小規模な谷に集落があるが<ref name="平凡社1981p850"/>、北端部は野中や佐野丙の集落と一体化しており、野中郵便局は野中ではなく安養寺にある。南側には標高446メートルの青地岳がある<ref name="角川書店1982上p105"/>。 <gallery> 野中郵便局 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg|野中郵便局 野中 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg|安養寺を通る[[国道312号]] </gallery> == 歴史 == === 近世 === 『佐濃旧村誌』によると、慶長5年(1600年)の戸数は25戸だった<ref name="角川書店1982上p105"/>。[[江戸時代]]には[[丹後国]][[熊野郡]]安養寺村であり、当初は[[宮津藩]]領、寛文6年(1666年)に[[幕府領]]、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した<ref name="角川書店1982上p105"/>。丹後国の幕府領を管轄していたのは[[久美浜代官所]]である。村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると131石余、『天和村々高帳』によると146石余、『宝永村々辻高帳』や『[[天保郷帳]]』によると147石余、『[[旧高旧領取調帳|旧高旧領]]』によると146石余だった<ref name="角川書店1982上p105"/>。『佐濃旧村誌』によると、元禄4年(1691年)の大洪水で村の形が変わったとされる<ref name="角川書店1982上p105"/><ref name="平凡社1981p850"/>。 元治元年(1864年)には[[野中 (京丹後市久美浜町)|野中]]を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、[[佐野 (京丹後市)|佐野]]ハゴで6戸、計60戸が焼失した<ref name="平凡社1981p850">『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、pp.850-851</ref>。 === 近代 === [[File:Kumihama Kamitani jinja Sankokan 2019-05 ac.jpg|thumb|旧久美浜県庁舎]] 1868年(明治元年)には[[久美浜県]]の、1871年(明治4年)には[[豊岡県]]の所属となり、1876年(明治9年)に[[京都府]]の所属で落ち着いた<ref name="角川書店1982上p105"/>。 1889年(明治22年)4月1日には[[町村制]]の施行により、安養寺村・野中村・佐野村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって[[熊野郡]][[上佐濃村]]が発足し、上佐濃村には安養寺を含む6の大字が設置された<ref name="熊野郡1923p506">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.506-512</ref>。 === 現代 === 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と[[下佐濃村]]が合併して[[佐濃村]]が発足し、佐濃村の大字として安養寺が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が[[久美浜町]]に編入され、久美浜町の大字として安養寺が設置された<ref name="熊野郡1923p506"/>。 2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]][[網野町]]・[[丹後町]]・[[弥栄町]]・[[中郡 (京都府)|中郡]][[峰山町]]・[[大宮町 (京都府)|大宮町]]が合併して[[京丹後市]]が発足し、京丹後市の大字として久美浜町安養寺が設置された。 == 安養寺(寺院) == {{日本の寺院 |名称 = 安養寺 |画像 = [[File:安養寺の山門.jpg|270px]] |画像説明 = 安養寺の山門 |所在地 = [[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]]安養寺125 | 緯度度 = 35| 緯度分 = 34| 緯度秒 = 37.8 | 経度度 = 134| 経度分 = 57| 経度秒 = 45.7 |山号 = 普門山 |宗派 = [[曹洞宗]]系単立 |本尊 = [[十一面観音|十一面観世音菩薩]] |創建年 = 1138年(保延4年) |開基 = |開山 = 永信霊昌 |中興 = 橘州宗雲 |正式名 = |別称 = |文化財 = |地図= }} [[曹洞宗]]系単立寺院の安養寺がある<ref name="角川書店1982下p604"/>。山号は普門山<ref name="平凡社1981p850"/>。本尊の[[十一面観音|十一面観世音菩薩]]は[[定朝]]作と伝わる<ref name="角川書店1982下p604"/><ref name="平凡社1981p850"/>。 === 歴史 === 寺伝によると、保延4年(1138年)3月に永信霊昌が奈良の[[東大寺]]から移って安養寺の[[伽藍]]を築いたとされる<ref name="平凡社1981p850"/><ref name="熊野郡1923p528">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.528-529</ref>。かつては七堂伽藍を有する大寺院であり<ref name="熊野郡1923p528"/>、『[[丹哥府志]]』によると本堂から約1町も離れた場所に山門があったとされる<ref name="角川書店1982上p105"/>。寛文3年(1663年)3月には宮津の[[智源寺]]の2世橘州宗雲和尚を招き、[[曹洞宗]]に改宗して再興したという<ref name="平凡社1981p850"/><ref name="熊野郡1923p528"/>。 かつての鐘楼門は宝暦4年(1754年)竣工の建築物だった<ref name="古文化115">「[https://www.shajiyane-japan.org/img/kobunka115_HP.pdf 平成29年度 茅葺中級研修]」『古文化』全国社寺等屋根工事技術保存会、115号</ref>。2017年度(平成29年度)には全国社寺等屋根工事技術保存会による研修として茅葺屋根の葺き替えが行われ、これに合わせて柱などの骨組みも一新された<ref name="古文化115"/>。 <gallery> File:安養寺の境内社.jpg|境内社 File:安養寺境内(久美浜町).jpg|境内の古木 </gallery> === 能楽 === 伝統行事として蝋燭能がある<ref name="毎日新聞20190428">「[https://mainichi.jp/articles/20190428/ddl/k26/040/270000c 丹後の子、一流能楽師に 観世喜正さん、安養寺で稽古開始 『たんたんのうのう会』企画]」『毎日新聞』2019年4月28日</ref>。安養寺の藤村昌子<!--藤村康信の母-->は[[観世流]]の[[能楽師]]であり、1957年(昭和32年)には藤村昌子によって藤村好諷会が再興された<ref name="毎日新聞20221018">「[https://mainichi.jp/articles/20221018/ddl/k26/040/235000c 安養寺・蝋燭能、小中学生ら主役に挑戦 京丹後・たんたんのうのう会 29日『土蜘蛛』披露へ熱血指導]」『毎日新聞』2022年10月18日</ref>。2012年(平成24年)には安養寺住職の藤村康信を事務局長として、[[丹後国|丹後]]・[[但馬国|但馬]]地方で若手能楽師を育成するために「たんたんのうのう会」が発足し、[[観世喜正]]らが指導を行っている<ref name="毎日新聞20190428"/>。 == 教育 == {{Infobox 日本の学校 |校名 = 京丹後市立佐濃小学校 |画像 = [[File:Kyotango City Sano Elementary School - panoramio.jpg|250px]]<br>2013年の佐濃小学校 |過去校名 = |国公私立 = [[公立学校]] |設置者 = [[京丹後市]] |併合学校 = |校訓 = |設立年月日 = 1873年 |閉校年月日 = 2014年3月 |記念日名称 = |創立記念日 = |共学・別学 = [[男女共学]] |学期 = [[3学期制]] |小学校コード = |郵便番号 = 629-3566 |所在地 = [[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]]安養寺 |緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = |経度度 = |経度分 = |経度秒 = |外部リンク = }} 安養寺には京丹後市立佐濃小学校があった。 === 前身の2校 === 1873年(明治6年)に野中学校が、1874年(明治7年)には竹藤学校が開校した<ref name="淡交社1994p253"/>。1889年(明治22年)にはもとの野中学校が上佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃南小学校)に、もとの竹藤学校が下佐濃尋常小学校(後の佐濃村立佐濃北小学校)に改称した<ref name="淡交社1994p253"/>。 1941年(昭和16年)には上佐濃尋常小学校が上佐濃国民学校に、下佐濃尋常小学校が下佐濃国民学校に改称した<ref name="淡交社1994p253"/>。戦後には上佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に、下佐濃国民学校が佐濃村立佐濃南小学校に改称した。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、佐濃村立佐濃南小学校は久美浜町立佐濃南小学校に、佐濃村立佐濃北小学校は久美浜町立佐濃北小学校に改称した。 === 佐濃小学校時代 === 1967年(昭和42年)に両校が統合されて佐濃小学校となり<ref name="広報きょうたんご201405">「[https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/3/201405.pdf 市内11小中学校が閉校 地域と歩んだ歴史に幕]」『広報きょうたんご』京丹後市、2014年5月号、</ref>、1968年(昭和43年)には現在地に校地を移転した<ref name="淡交社1994p253">『京都大事典 府域編』淡交社、1994年、p.253</ref>。 1988年(昭和63年)時点の佐濃小学校には191人の児童が在籍していたが、2008年(平成20年)には初めて100人を下回って93人となり、2013年(平成25年)には67人となっていた。2014年(平成26年)3月には佐濃小学校・[[京丹後市立海部小学校]]・[[京丹後市立川上小学校]]が閉校となり、同年4月には3校を統合した[[京丹後市立高龍小学校]]が開校した<ref name="広報きょうたんご201405"/><ref>[https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/gakkokyoiku/1/3/3338.html 小学校] 京丹後市</ref>。 <gallery> Sano elementaryschool (1).jpg|閉校後の佐濃小学校跡地(2016年) Sano elementaryschool (2).jpg|閉校後の佐濃小学校跡地(2016年) </gallery> == 名所・旧跡 == * 八木神社 - [[ネコ]]の守護神<ref name="角川書店1982下p604"/><ref name="平凡社1981p850"/>。[[ネズミ]]が家を荒らした際、神殿に置いてある小石を借りて家の中に置くとネコの代わりになるとされる<ref name="平凡社1981p850"/>。ネコが祀られる例は多くないとされるが<ref name="旦波2016">「木島神社の親子石像について」『旦波』第9号、2016年、pp.35-36</ref>、養蚕が盛んだった丹後では[[峰山町]]の[[金刀比羅神社 (京丹後市)|金刀比羅神社]]に[[狛猫]]が奉納されている例がある<ref>田中尚之『石工松助を語る』清水印刷、2003年、p.32</ref>。猫荒神という通称があるが、猫荒神は祠ともども現存していない<ref name="旦波2016"/>。三玉神社と産魂神社が合祀されているが、八木神社を含めた3社はいずれも無格社である<ref>『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.519-520</ref>。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 『[https://dl.ndl.go.jp/pid/1876534 京都府熊野郡誌]』熊野郡、1923年 * 『[https://dl.ndl.go.jp/pid/3009416 佐濃村誌]』久美浜町佐濃支所、1959年 * 久美浜町誌編纂委員会『久美浜町誌』久美浜町、1975年 == 外部リンク == {{commonscat|Kumihama-chō Anyōji, Kyotango|安養寺}} * [https://tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/anyouji.html 安養寺] 丹後の地名 {{京丹後市の大字}} {{DEFAULTSORT:くみはまちようあんようし}} [[Category:京丹後市の地理]]
2023-12-09T06:35:57Z
2023-12-23T23:21:50Z
false
false
false
[ "Template:京丹後市の大字", "Template:Infobox settlement", "Template:日本の寺院", "Template:Infobox 日本の学校", "Template:Reflist", "Template:Commonscat" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%BE%8E%E6%B5%9C%E7%94%BA%E5%AE%89%E9%A4%8A%E5%AF%BA
4,864,269
佐野 (京丹後市)
佐野(さの)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町佐野(くみはまちょうさの)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は106世帯、人口は265人。 久美浜町東部にあり、久美浜湾に向かって流れる佐濃谷川と支流である佐野川の合流地点付近に位置している。東側には熊野郡・竹野郡・中郡の境界となっている久次岳がある。 佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる大字であり、佐野丙の集落は安養寺や野中の集落と一体化している。 『和名類聚抄』によると、平安時代には丹後国熊野郡五郷の一つとして佐濃郷があった。中世には佐濃谷川の上流域一帯を占めたとされる佐野荘があり、佐野荘は石清水八幡宮の寺領だった。鎌倉時代には地頭が置かれた。 江戸時代には丹後国熊野郡佐野村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。村高は『慶長郷村帳』によると枝郷を含んで872石余、『延宝郷村帳』によると617石余、『天和村々高帳』によると806石余、『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』によると810石余、『旧高旧領』によると806石余だった。 元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。 1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は153戸、人口は703人だった。 1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、佐野村・野中村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には佐野を含む6の大字が設置された。当初は野中に村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には佐野に村役場が新築された。 1920年(大正9年)1月には上佐濃小学校に佐濃村実業補習学校が付設された。 1910年(明治43年)頃には佐野乙が一行政区を成し、1940年(昭和15年)には佐野丙も一行政区を成したことで、以後は佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる大字となった。 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として佐野が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として佐野が設置された。 1972年(昭和47年)から4年計画で佐濃谷川の大改修が行われた。また、国道312号佐野バイパスの建設と合わせて圃場整備が行われた。1982年(昭和57年)時点の世帯数は130世帯、人口は476人。 2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町佐野が設置された。 おおむね東西に国道312号が通り、佐濃谷川と佐野川の合流地点付近で国道482号が分岐している。東側は比治山峠が熊野郡久美浜町と中郡峰山町の境界となっており、国道312号の比治山峠部分には比治山トンネルがある。 比治山峠は標高168.8メートルの峠であり、江戸時代には熊野郡と中郡が共同で茶屋を設けて旅人の休息場とした。峠には藁火堂とも呼ばれる地蔵尊が祀られ、堂にある藁で松明を作って歩けば獣を避けられるとされた。1882年(明治15年)には比治山峠に比治山新道が開通した。 1931年(昭和6年)1月には初代比治山トンネルが開通したが、車高や幅員の制限が大きかったために新トンネルの建設が進められ、2000年(平成12年)11月27日に2代目比治山トンネルが開通した。比治山トンネル内には東経135度日本標準時子午線が通っている。峠には比治山トンネル開通記念公園がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "佐野(さの)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町佐野(くみはまちょうさの)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は106世帯、人口は265人。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "久美浜町東部にあり、久美浜湾に向かって流れる佐濃谷川と支流である佐野川の合流地点付近に位置している。東側には熊野郡・竹野郡・中郡の境界となっている久次岳がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる大字であり、佐野丙の集落は安養寺や野中の集落と一体化している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『和名類聚抄』によると、平安時代には丹後国熊野郡五郷の一つとして佐濃郷があった。中世には佐濃谷川の上流域一帯を占めたとされる佐野荘があり、佐野荘は石清水八幡宮の寺領だった。鎌倉時代には地頭が置かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "江戸時代には丹後国熊野郡佐野村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。村高は『慶長郷村帳』によると枝郷を含んで872石余、『延宝郷村帳』によると617石余、『天和村々高帳』によると806石余、『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』によると810石余、『旧高旧領』によると806石余だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は153戸、人口は703人だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、佐野村・野中村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には佐野を含む6の大字が設置された。当初は野中に村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には佐野に村役場が新築された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1920年(大正9年)1月には上佐濃小学校に佐濃村実業補習学校が付設された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1910年(明治43年)頃には佐野乙が一行政区を成し、1940年(昭和15年)には佐野丙も一行政区を成したことで、以後は佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる大字となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として佐野が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として佐野が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)から4年計画で佐濃谷川の大改修が行われた。また、国道312号佐野バイパスの建設と合わせて圃場整備が行われた。1982年(昭和57年)時点の世帯数は130世帯、人口は476人。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町佐野が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "おおむね東西に国道312号が通り、佐濃谷川と佐野川の合流地点付近で国道482号が分岐している。東側は比治山峠が熊野郡久美浜町と中郡峰山町の境界となっており、国道312号の比治山峠部分には比治山トンネルがある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "比治山峠は標高168.8メートルの峠であり、江戸時代には熊野郡と中郡が共同で茶屋を設けて旅人の休息場とした。峠には藁火堂とも呼ばれる地蔵尊が祀られ、堂にある藁で松明を作って歩けば獣を避けられるとされた。1882年(明治15年)には比治山峠に比治山新道が開通した。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1931年(昭和6年)1月には初代比治山トンネルが開通したが、車高や幅員の制限が大きかったために新トンネルの建設が進められ、2000年(平成12年)11月27日に2代目比治山トンネルが開通した。比治山トンネル内には東経135度日本標準時子午線が通っている。峠には比治山トンネル開通記念公園がある。", "title": "交通" } ]
佐野(さの)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町佐野(くみはまちょうさの)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は106世帯、人口は265人。
{{Infobox settlement | name = 佐野 | settlement_type = [[地名]] | image_skyline = 野中 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg | imagesize = | image_caption = 佐野を通る[[国道312号]] | image_map = | map_caption = | pushpin_map = Japan Kyoto | latd = | latm = | lats = | latNS = N | longd = | longm = | longs = | longEW = E | coordinates_type = region:JP-26_scale:5000 | coordinates_display = inline,title | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = {{Flag|京都府}} | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = {{Flagicon image|Flag of Kyōtango, Kyoto.svg}} [[京丹後市]] | subdivision_type3 = [[大字]] | subdivision_name3 = 久美浜町佐野 | established_title1 = <!--- 制定・制定(<ref>) ---> | established_date1 = <!--- 制定日 ---> | area_footnotes = | area_total_km2 = | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= 2020年 | population_footnotes = | population_total = 265 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 629-3562 | area_code = | registration_plate = | footnotes = }} '''佐野'''(さの)は、[[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]]の地名。[[大字]]としての名称は'''久美浜町佐野'''(くみはまちょうさの)。2020年(令和2年)の[[国勢調査]]における世帯数は106世帯、人口は265人。 == 地理 == [[File:Sanotani River and Asaguchi Hotel in Kyotango.jpg|thumb|佐濃谷川]] [[久美浜町]]東部にあり、[[久美浜湾]]に向かって流れる[[佐濃谷川]]と支流である佐野川の合流地点付近に位置している<ref name="角川書店1982下p606">「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、p.606</ref>。東側には[[熊野郡]]・[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]・[[中郡 (京都府)|中郡]]の境界となっている[[久次岳]]がある<ref name="角川書店1982上p669">「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、pp.669-670</ref>。 佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる[[大字]]であり<ref name="角川書店1982下p606"/>、佐野丙の集落は[[久美浜町安養寺|安養寺]]や[[野中 (京丹後市久美浜町)|野中]]の集落と一体化している。 <gallery> Kumihamacho Sano, Kyotango, Kyoto Prefecture 629-3562, Japan - panoramio.jpg|佐野における営農 File:佐野甲の交差点.jpg|国道312号と佐野甲集落の交差点 </gallery> == 歴史 == === 古代・中世 === 『[[和名類聚抄]]』によると、[[平安時代]]には[[丹後国]][[熊野郡]]五郷の一つとして佐濃郷があった<ref name="角川書店1982上p669"/>。中世には[[佐濃谷川]]の上流域一帯を占めたとされる佐野荘があり、佐野荘は[[石清水八幡宮]]の寺領だった<ref name="角川書店1982上p669"/><ref name="平凡社1981p849">『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、pp.849-850</ref>。[[鎌倉時代]]には[[地頭]]が置かれた<ref name="角川書店1982上p669"/>。 === 近世 === [[江戸時代]]には[[丹後国]][[熊野郡]]佐野村であり、当初は[[宮津藩]]領、寛文6年(1666年)に[[幕府領]]、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した<ref name="角川書店1982上p669"/>。丹後国の幕府領を管轄していたのは[[久美浜代官所]]である。村高は『慶長郷村帳』によると枝郷を含んで872石余、『延宝郷村帳』によると617石余、『天和村々高帳』によると806石余、『宝永村々辻高帳』や『[[天保郷帳]]』によると810石余、『[[旧高旧領取調帳|旧高旧領]]』によると806石余だった<ref name="角川書店1982上p669"/>。 元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した<ref name="平凡社1981p850">『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、pp.850-851</ref>。 === 近代 === 1868年(明治元年)には[[久美浜県]]の、1871年(明治4年)には[[豊岡県]]の所属となり、1876年(明治9年)に[[京都府]]の所属で落ち着いた<ref name="角川書店1982上p669"/>。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は153戸、人口は703人だった<ref name="角川書店1982上p669"/>。 1889年(明治22年)4月1日には[[町村制]]の施行により、佐野村・野中村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって[[熊野郡]][[上佐濃村]]が発足し、上佐濃村には佐野を含む6の大字が設置された<ref name="熊野郡1923p506">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.506-512</ref>。当初は野中に村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には佐野に村役場が新築された<ref name="熊野郡1923p506"/>。 1920年(大正9年)1月には上佐濃小学校に佐濃村実業補習学校が付設された<ref name="熊野郡1923p506"/>。 1910年(明治43年)頃には佐野乙が一行政区を成し、1940年(昭和15年)には佐野丙も一行政区を成したことで、以後は佐野甲、佐野乙、佐野丙の3行政区からなる大字となった<ref name="角川書店1982上p669"/>。 === 現代 === [[File:佐野丙バス停前のスーパーマーケット「ジョイクックおくだ」.jpg|thumb|佐野唯一のスーパーマーケット(佐野丙)]] 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と[[下佐濃村]]が合併して[[佐濃村]]が発足し、佐濃村の大字として佐野が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が[[久美浜町]]に編入され、久美浜町の大字として佐野が設置された<ref name="熊野郡1923p506"/>。 1972年(昭和47年)から4年計画で佐濃谷川の大改修が行われた<ref name="角川書店1982上p669"/>。また、国道312号佐野バイパスの建設と合わせて圃場整備が行われた<ref name="角川書店1982上p669"/>。1982年(昭和57年)時点の世帯数は130世帯、人口は476人<ref name="角川書店1982下p606"/>。 2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]][[網野町]]・[[丹後町]]・[[弥栄町]]・[[中郡 (京都府)|中郡]][[峰山町]]・[[大宮町 (京都府)|大宮町]]が合併して[[京丹後市]]が発足し、京丹後市の大字として久美浜町佐野が設置された。 == 交通 == [[File:R312-053.jpg|thumb|佐野を通る国道312号]] おおむね東西に[[国道312号]]が通り、佐濃谷川と佐野川の合流地点付近で[[国道482号]]が分岐している。東側は比治山峠が熊野郡久美浜町と中郡[[峰山町]]の境界となっており、国道312号の比治山峠部分には[[比治山バイパス|比治山トンネル]]がある。 === 比治山峠 === 比治山峠は標高168.8メートルの峠であり、江戸時代には[[熊野郡]]と[[中郡 (京都府)|中郡]]が共同で茶屋を設けて旅人の休息場とした<ref name="平凡社1981p790">『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、p.790</ref>。峠には藁火堂とも呼ばれる[[地蔵尊]]が祀られ、堂にある藁で[[たいまつ|松明]]を作って歩けば獣を避けられるとされた<ref name="平凡社1981p790"/>。1882年(明治15年)には比治山峠に比治山新道が開通した<ref name="平凡社1981p790"/>。 1931年(昭和6年)1月には初代比治山トンネルが開通したが、車高や幅員の制限が大きかったために新トンネルの建設が進められ、2000年(平成12年)11月27日に2代目比治山トンネルが開通した。比治山トンネル内には[[日本標準時子午線|東経135度日本標準時子午線]]が通っている。峠には比治山トンネル開通記念公園がある。 == 施設 == [[File:佐野甲公民館.jpg|thumb|佐野甲公民館]] * 佐野甲公民館 - 佐野甲。 * 佐野診療所 - 佐野丙。 * 佐濃駐在所 - 佐野丙。 == 名所・旧跡 == [[File:極楽寺(久美浜町佐野).jpg|thumb|極楽寺]] * 下村岡古墳 - 佐野乙。 * 佐野城址 - 集落東側の城山にあった[[山城]]<ref name="平凡社1981p849"/><ref name="熊野郡1923p536">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.536-538</ref>。天正10年(1582年)に[[松井康之]]軍によって落城。佐野甲。 * 矢田八幡神社 - 旧村社<ref>『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、p.137</ref>。祭神は[[応神天皇]]、[[仲哀天皇]]、武諸隅命<ref name="熊野郡1923p516">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.516-527</ref>。伝承によると[[宇佐八幡宮]]から勧請した<ref name="熊野郡1923p516"/>。文政3年(1820年)に社殿を再建した<ref name="熊野郡1923p516"/>。1916年(大正5年)12月には幣帛料供進神社に指定された<ref name="熊野郡1923p516"/>。[[石清水八幡宮]]の別宮。佐野甲。 * 愛宕神社 - 無格社<ref name="熊野郡1923p516"/>。祭神は[[カグツチ|火産霊神]]<ref name="熊野郡1923p516"/>。佐野甲。 * 極楽寺 - [[浄土宗]]の寺院。山号は光明山。本尊は[[阿弥陀仏]]<ref name="熊野郡1923p527">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.527-531</ref>。もとは久美浜町の[[本願寺 (京丹後市)|本願寺]]の末寺。佐野甲。 * 西念寺 - [[真宗本願寺派]]の寺院。山号は常寿山。本尊は阿弥陀仏<ref name="熊野郡1923p527"/>。現在地に移った時代は定かではなく、江戸時代後期に編纂された『[[丹哥府志]]』には掲載されていない<ref name="熊野郡1923p138">『京都府熊野郡誌』熊野郡、1923年、pp.138-143</ref>。佐野乙。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 『[https://dl.ndl.go.jp/pid/1876534 京都府熊野郡誌]』熊野郡、1923年 * 『[https://dl.ndl.go.jp/pid/3009416 佐濃村誌]』久美浜町佐濃支所、1959年 * 久美浜町誌編纂委員会『久美浜町誌』久美浜町、1975年 == 外部リンク == {{commonscat|Kumihama-chō Sano, Kyotango|佐野}} * [https://tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/sano.html 佐野] 丹後の地名 {{京丹後市の大字}} {{DEFAULTSORT:さの}} [[Category:京丹後市の地理]]
2023-12-09T06:42:30Z
2023-12-23T23:22:23Z
false
false
false
[ "Template:Infobox settlement", "Template:Reflist", "Template:Commonscat", "Template:京丹後市の大字" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E_(%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%B8%82)
4,864,270
野中 (京丹後市久美浜町)
野中(のなか)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町野中(くみはまちょうのなか)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は45世帯、人口は88人。 久美浜町東部に位置する。久美浜湾に向かって流れる佐濃谷川の中流部左岸に位置している。久美浜町の面積の約4分の1を占める佐濃地区に含まれ、佐濃谷の中心集落であるとされる。南には標高446メートルの青地岳がある。 野中を中心とする集落は安養寺や佐野にもまたがっている。野中郵便局は野中ではなく安養寺にあり、佐濃駐在所は佐野にある。野中には旧村社や寺院が存在しない。 かつては久美浜町と峰山町を結ぶ国道312号が集落内を通っていたが、2013年度(平成25年度)から2022年度(令和4年度)には集落を迂回する野中バイパスの整備が行われ、2022年(令和4年)11月26日に供用が開始された。国道312号からは北に向かって京都府道668号野中小天橋停車場線が分岐している。 江戸時代には丹後国熊野郡野中村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。 村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると122石余、『天和村々高帳』や『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』や『旧高旧領』によると134石余だった。元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。 1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は47戸、人口は201人だった。 1874年(明治7年)12月には野中郵便取扱所(後の野中郵便局)が開設されたが、熊野郡では久美浜郵便局に次いで設立された郵便局である。開設当初の取扱人は深田安兵衛であり、1883年(明治16年)1月には奥田重左衛門が後任となった。 1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、野中村・佐野村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には野中を含む6の大字が設置された。当初は野中に上佐濃村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には村役場が佐野に移転した。上佐濃村は農業を主とする集落であり、農家の副業として養蚕業などが行われていた。 1897年(明治30年)頃には農家の副業として機業が取り入れられるようになった。1900年(明治33年)2月12日には野中に機業工場である熊野株式会社が設立されたが、1901年(明治34年)と1902年(明治35年)には生糸織物の価格が暴落して大損失を出し、1902年(明治35年)4月に解散した。1935年(昭和10年)11月30日には松寿機業株式会社が設立され、50台の織機で織物製造や販売を行っていた。しかし、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)には企業整備令によって操業が休止させられ、松寿機業は1944年(昭和19年)1月に解散した。1945年(昭和20年)3月には大阪市の広田縫工所が松寿機業工場跡に工場疎開し、ミシン300台を据え付けて軍需衣服の縫製を行った。戦後の1946年(昭和21年)8月13日、広田縫工所が使用していた松寿機業工場跡の建物が全焼した。 1945年(昭和20年)4月4日、上佐濃村は舞鶴市立明倫国民学校の児童124人と職員の学童疎開を受け入れた。上佐濃村全体では主に寺院が受け入れ先となったが、野中では杉本屋が24人の受け入れ先となっている。 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として野中が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として野中が設置された。佐濃村発足後の野中は佐濃村の中心として発展したが、久美浜町発足後には名実ともに寂れたとされる。もとは峰山街道の宿場であり、佐濃地区の拠点としての性格を有していたことから、久美浜町役場佐野支所や久美浜町農協佐濃支所などがあった。 戦後の佐濃村には映画館として野中劇場があった。野中劇場は1949年(昭和24年)4月に開館し、1966年(昭和41年)5月に閉館した。1964年(昭和39年)の『映画便覧』によると経営者は谷口松治であり、木造2階建で定員360の映画館だった。かつての久美浜町域には野中に加えて、久美浜、友重、長柄などにも映画館があったとされる。 1982年(昭和57年)時点の世帯数は53世帯、人口は173人。2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町野中が設置された。 1872年(明治5年)に学制が発布されると、1873年(明治6年)10月には野中学校が設立されたが、熊野郡では久美浜学校に次いで設立された小学校である。当初は個人宅を仮校舎としていたが、1876年(明治9年)には独立した校舎を建設した。 1889年(明治22年)4月1日に上佐濃村が発足すると、野中学校は上佐濃尋常小学校に改称した。1902年(明治35年)4月には高等科を併設して上佐濃尋常高等小学校に改称した。1911年(明治44年)11月25日には佐野の新校地に移転した。後の久美浜町立佐濃小学校(→京丹後市立佐濃小学校)である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "野中(のなか)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町野中(くみはまちょうのなか)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は45世帯、人口は88人。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "久美浜町東部に位置する。久美浜湾に向かって流れる佐濃谷川の中流部左岸に位置している。久美浜町の面積の約4分の1を占める佐濃地区に含まれ、佐濃谷の中心集落であるとされる。南には標高446メートルの青地岳がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "野中を中心とする集落は安養寺や佐野にもまたがっている。野中郵便局は野中ではなく安養寺にあり、佐濃駐在所は佐野にある。野中には旧村社や寺院が存在しない。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "かつては久美浜町と峰山町を結ぶ国道312号が集落内を通っていたが、2013年度(平成25年度)から2022年度(令和4年度)には集落を迂回する野中バイパスの整備が行われ、2022年(令和4年)11月26日に供用が開始された。国道312号からは北に向かって京都府道668号野中小天橋停車場線が分岐している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "江戸時代には丹後国熊野郡野中村であり、当初は宮津藩領、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した。丹後国の幕府領を管轄していたのは久美浜代官所である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると122石余、『天和村々高帳』や『宝永村々辻高帳』や『天保郷帳』や『旧高旧領』によると134石余だった。元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は47戸、人口は201人だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1874年(明治7年)12月には野中郵便取扱所(後の野中郵便局)が開設されたが、熊野郡では久美浜郵便局に次いで設立された郵便局である。開設当初の取扱人は深田安兵衛であり、1883年(明治16年)1月には奥田重左衛門が後任となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、野中村・佐野村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって熊野郡上佐濃村が発足し、上佐濃村には野中を含む6の大字が設置された。当初は野中に上佐濃村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には村役場が佐野に移転した。上佐濃村は農業を主とする集落であり、農家の副業として養蚕業などが行われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1897年(明治30年)頃には農家の副業として機業が取り入れられるようになった。1900年(明治33年)2月12日には野中に機業工場である熊野株式会社が設立されたが、1901年(明治34年)と1902年(明治35年)には生糸織物の価格が暴落して大損失を出し、1902年(明治35年)4月に解散した。1935年(昭和10年)11月30日には松寿機業株式会社が設立され、50台の織機で織物製造や販売を行っていた。しかし、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)には企業整備令によって操業が休止させられ、松寿機業は1944年(昭和19年)1月に解散した。1945年(昭和20年)3月には大阪市の広田縫工所が松寿機業工場跡に工場疎開し、ミシン300台を据え付けて軍需衣服の縫製を行った。戦後の1946年(昭和21年)8月13日、広田縫工所が使用していた松寿機業工場跡の建物が全焼した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1945年(昭和20年)4月4日、上佐濃村は舞鶴市立明倫国民学校の児童124人と職員の学童疎開を受け入れた。上佐濃村全体では主に寺院が受け入れ先となったが、野中では杉本屋が24人の受け入れ先となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と下佐濃村が合併して佐濃村が発足し、佐濃村の大字として野中が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が久美浜町に編入され、久美浜町の大字として野中が設置された。佐濃村発足後の野中は佐濃村の中心として発展したが、久美浜町発足後には名実ともに寂れたとされる。もとは峰山街道の宿場であり、佐濃地区の拠点としての性格を有していたことから、久美浜町役場佐野支所や久美浜町農協佐濃支所などがあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "戦後の佐濃村には映画館として野中劇場があった。野中劇場は1949年(昭和24年)4月に開館し、1966年(昭和41年)5月に閉館した。1964年(昭和39年)の『映画便覧』によると経営者は谷口松治であり、木造2階建で定員360の映画館だった。かつての久美浜町域には野中に加えて、久美浜、友重、長柄などにも映画館があったとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1982年(昭和57年)時点の世帯数は53世帯、人口は173人。2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・竹野郡網野町・丹後町・弥栄町・中郡峰山町・大宮町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として久美浜町野中が設置された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1872年(明治5年)に学制が発布されると、1873年(明治6年)10月には野中学校が設立されたが、熊野郡では久美浜学校に次いで設立された小学校である。当初は個人宅を仮校舎としていたが、1876年(明治9年)には独立した校舎を建設した。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1889年(明治22年)4月1日に上佐濃村が発足すると、野中学校は上佐濃尋常小学校に改称した。1902年(明治35年)4月には高等科を併設して上佐濃尋常高等小学校に改称した。1911年(明治44年)11月25日には佐野の新校地に移転した。後の久美浜町立佐濃小学校(→京丹後市立佐濃小学校)である。", "title": "教育" } ]
野中(のなか)は、京都府京丹後市久美浜町の地名。大字としての名称は久美浜町野中(くみはまちょうのなか)。2020年(令和2年)の国勢調査における世帯数は45世帯、人口は88人。
{{Infobox settlement | name = 野中 | settlement_type = [[地名]] | image_skyline = 野中の民宿街 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg | imagesize = 280px | image_caption = 野中の旅館街 | image_map = | map_caption = | pushpin_map = Japan Kyoto | latd = | latm = | lats = | latNS = N | longd = | longm = | longs = | longEW = E | coordinates_type = region:JP-26_scale:5000 | coordinates_display = inline,title | subdivision_type = [[国の一覧|国]] | subdivision_name = {{JPN}} | subdivision_type1 = [[都道府県]] | subdivision_name1 = {{Flag|京都府}} | subdivision_type2 = [[市町村]] | subdivision_name2 = {{Flagicon image|Flag of Kyōtango, Kyoto.svg}} [[京丹後市]] | subdivision_type3 = [[大字]] | subdivision_name3 = 久美浜町野中 | established_title1 = <!--- 制定・制定(<ref>) ---> | established_date1 = <!--- 制定日 ---> | area_footnotes = | area_total_km2 = | elevation_footnotes = <!--- 標高(<ref>) ---> | elevation_m = <!--- 標高 ---> | population_as_of= 2020年 | population_footnotes = | population_total = 88 | population_density_km2 = auto | timezone1 = [[日本標準時]] | utc_offset1 = +9 | postal_code_type = [[日本の郵便番号|郵便番号]] | postal_code = 629-3561 | area_code = | registration_plate = | footnotes = }} '''野中'''(のなか)は、[[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]]の地名。[[大字]]としての名称は'''久美浜町野中'''(くみはまちょうのなか)。2020年(令和2年)の[[国勢調査]]における世帯数は45世帯、人口は88人。 == 地理 == [[File:Sanotani River and Asaguchi Hotel in Kyotango.jpg|thumb|佐濃谷川]] [[久美浜町]]東部に位置する<ref name="角川書店1982下p607">{{Cite book |和書 |editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 |title=[[角川日本地名大辞典]] |volume=26(京都府 下巻) |publisher=角川書店 |date=1982-07 |id={{NDLJP|12192387}} |page=607}}</ref>。[[久美浜湾]]に向かって流れる[[佐濃谷川]]の中流部左岸に位置している<ref name="角川書店1982下p607" />。久美浜町の面積の約4分の1を占める佐濃地区に含まれ、佐濃谷の中心集落であるとされる{{Sfn|辻|1959|p=342}}。南には標高446メートルの青地岳がある<ref name="角川書店1982上p1126">{{Cite book |和書 |editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 |title=角川日本地名大辞典 |volume=26(京都府 上巻) |publisher=角川書店 |date=1982-07 |id={{NDLJP|12192775}} |page=1126}}</ref>。 野中を中心とする集落は[[久美浜町安養寺|安養寺]]や[[佐野 (京丹後市)|佐野]]にもまたがっている。野中郵便局は野中ではなく安養寺にあり、佐濃駐在所は佐野にある。野中には旧村社や寺院が存在しない。 かつては久美浜町と[[峰山町]]を結ぶ[[国道312号]]が集落内を通っていたが、2013年度(平成25年度)から2022年度(令和4年度)には集落を迂回する野中バイパスの整備が行われ、2022年(令和4年)11月26日に供用が開始された<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/documents/nonakabypass.pdf |title=国道312号野中バイパス(京丹後市久美浜町佐野~野中)の供用開始について |publisher=京都府 |date=2022-11-14}}</ref>。国道312号からは北に向かって[[京都府道668号野中小天橋停車場線]]が分岐している。 == 歴史 == === 近世 === 江戸時代には[[丹後国]][[熊野郡]]野中村であり、当初は[[宮津藩]]領、寛文6年(1666年)に[[幕府領]]、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領、享保2年(1717年)に幕府領と推移した<ref name="角川書店1982上p1126" />。丹後国の幕府領を管轄していたのは[[久美浜代官所]]である。 村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると122石余、『天和村々高帳』や『宝永村々辻高帳』や『[[天保郷帳]]』や『[[旧高旧領取調帳|旧高旧領]]』によると134石余だった<ref name="角川書店1982上p1126" />。元治元年(1864年)には野中を中心とする集落で大火があり、野中で42戸、安養寺で12戸、佐野ハゴで6戸、計60戸が焼失した<ref name="平凡社1981p850">{{Cite book |和書 |editor=平凡社地方資料センター |title=[[日本歴史地名大系]] |volume=第26巻(京都府の地名) |publisher=平凡社 |date=1981-03 |id={{NDLJP|12197263}} |pages=850-851}}</ref>。 === 近代 === 1868年(明治元年)には[[久美浜県]]の、1871年(明治4年)には[[豊岡県]]の所属となり、1876年(明治9年)に[[京都府]]の所属で落ち着いた<ref name="角川書店1982上p1126" />。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけて編纂された「共武政表」によると、戸数は47戸、人口は201人だった<ref name="角川書店1982上p1126" />。 1874年(明治7年)12月には野中郵便取扱所(後の野中郵便局)が開設されたが、熊野郡では久美浜郵便局に次いで設立された郵便局である{{Sfn|熊野郡|1923|p=164}}。開設当初の取扱人は深田安兵衛であり、1883年(明治16年)1月には奥田重左衛門が後任となった{{Sfn|熊野郡|1923|pp=506-512}}。 1889年(明治22年)4月1日には[[町村制]]の施行により、野中村・佐野村・安養寺村・尉ヶ畑村・二俣村・小桑村の区域をもって[[熊野郡]][[上佐濃村]]が発足し、上佐濃村には野中を含む6の大字が設置された{{Sfn|熊野郡|1923|pp=506-512}}。当初は野中に上佐濃村役場が設置されていたが、1905年(明治38年)には村役場が佐野に移転した{{Sfn|熊野郡|1923|pp=506-512}}。上佐濃村は[[農業]]を主とする集落であり、農家の副業として[[養蚕業]]などが行われていた{{Sfn|熊野郡|1923|pp=506-512}}。 1897年(明治30年)頃には農家の副業として機業が取り入れられるようになった。1900年(明治33年)2月12日には野中に機業工場である熊野株式会社が設立されたが、1901年(明治34年)と1902年(明治35年)には生糸織物の価格が暴落して大損失を出し、1902年(明治35年)4月に解散した{{Sfn|久美浜町誌編纂委員会|1975|p=457}}。1935年(昭和10年)11月30日には松寿機業株式会社が設立され、50台の織機で織物製造や販売を行っていた{{Sfn|久美浜町誌編纂委員会|1975|p=457}}。しかし、[[太平洋戦争]]中の1943年(昭和18年)には企業整備令によって操業が休止させられ{{Sfn|辻|1959|p=261}}、松寿機業は1944年(昭和19年)1月に解散した。1945年(昭和20年)3月には大阪市の広田縫工所が松寿機業工場跡に[[疎開|工場疎開]]し、ミシン300台を据え付けて軍需衣服の縫製を行った{{Sfn|辻|1959|p=261}}。戦後の1946年(昭和21年)8月13日、広田縫工所が使用していた松寿機業工場跡の建物が全焼した{{Sfn|辻|1959|pp=342-343}}。 1945年(昭和20年)4月4日、上佐濃村は[[舞鶴市立明倫小学校|舞鶴市立明倫国民学校]]の児童124人と職員の[[疎開|学童疎開]]を受け入れた{{Sfn|辻|1959|pp=259-260}}。上佐濃村全体では主に寺院が受け入れ先となったが、野中では杉本屋が24人の受け入れ先となっている{{Sfn|辻|1959|pp=259-260}}。 === 現代 === 1951年(昭和26年)1月1日、上佐濃村と[[下佐濃村]]が合併して[[佐濃村]]が発足し、佐濃村の大字として野中が設置された。1958年(昭和33年)5月3日には佐濃村が[[久美浜町]]に編入され、久美浜町の大字として野中が設置された。佐濃村発足後の野中は佐濃村の中心として発展したが、久美浜町発足後には名実ともに寂れたとされる{{Sfn|辻|1959|p=342}}。もとは峰山街道の[[宿場町|宿場]]であり、佐濃地区の拠点としての性格を有していたことから、久美浜町役場佐野支所や久美浜町農協佐濃支所などがあった。 戦後の佐濃村には[[映画館]]として野中劇場があった。野中劇場は1949年(昭和24年)4月に開館し、1966年(昭和41年)5月に閉館した{{Sfn|久美浜町誌編纂委員会|1975|p=564}}。1964年(昭和39年)の『映画便覧』によると経営者は谷口松治であり、木造2階建で定員360の映画館だった<ref>{{Cite book |和書 |editor=時事通信社 |title=映画年鑑 |volume=1963年版 別冊 映画便覧 |publisher=時事通信社 |year=1963 |id={{NDLJP|2472565}} |page=}}</ref>。かつての久美浜町域には野中に加えて、久美浜、友重、長柄などにも映画館があったとされる{{Sfn|久美浜町誌編纂委員会|1975|p=564}}。 1982年(昭和57年)時点の世帯数は53世帯、人口は173人<ref name="角川書店1982下p607" />。2004年(平成16年)4月1日には久美浜町・[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]][[網野町]]・[[丹後町]]・[[弥栄町]]・[[中郡 (京都府)|中郡]][[峰山町]]・[[大宮町 (京都府)|大宮町]]が合併して[[京丹後市]]が発足し、京丹後市の大字として久美浜町野中が設置された。 == 教育 == 1872年(明治5年)に[[学制]]が発布されると、1873年(明治6年)10月には野中学校が設立されたが、熊野郡では久美浜学校に次いで設立された小学校である{{Sfn|熊野郡|1923|pp=150-153}}。当初は個人宅を仮校舎としていたが、1876年(明治9年)には独立した校舎を建設した{{Sfn|熊野郡|1923|pp=532-534}}。 1889年(明治22年)4月1日に[[上佐濃村]]が発足すると、野中学校は上佐濃尋常小学校に改称した{{Sfn|熊野郡|1923|pp=532-534}}。1902年(明治35年)4月には高等科を併設して上佐濃尋常高等小学校に改称した{{Sfn|熊野郡|1923|pp=532-534}}。1911年(明治44年)11月25日には佐野の新校地に移転した{{Sfn|熊野郡|1923|pp=532-534}}。後の久美浜町立佐濃小学校(→[[京丹後市立佐濃小学校]])である。 == 施設 == * 天満神社 - 無格社。祭神は[[菅原道真|菅原大神]]。創立年は定かでない。1910年(明治43年)12月には七社神社と愛宕神社が天満神社境内に移設された{{Sfn|熊野郡|1923|pp=516-527}}。 * 野中城趾 - 標高約90メートルの丘陵上にある[[山城]]。 * 野中公民館 * 京丹後市久美浜機業センター * 料理旅館 杉本屋 - 明治時代創業の旅館<ref>[https://sugimotoya-kyotango.com/ 杉本屋] 料理旅館 杉本屋</ref>。1874年(明治7年)頃の野中には、既に上杉市右衛門による[[旅籠|旅人宿]]の杉本屋と早田金助の橋本屋があった{{Sfn|辻|1959|p=217}}。 * 堅木屋<!--かたぎや--> - 1911年(明治44年)4月創業の旅館<ref>[https://katagiya.jp/ 堅木屋について] 堅木屋</ref>。1971年(昭和46年)には現在の本館を新築した。 <gallery> 杉本屋 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg|料理旅館 杉本屋 堅木屋 Kumihama-chō Nonaka, Kyotango.jpg|堅木屋 Katagiya Kumihama.jpg|創業時の堅木屋 </gallery> == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |title=京都府熊野郡誌 |publisher=熊野郡 |year=1923 |id={{NDLJP|1876534}} |ref={{SfnRef|熊野郡|1923}}}} * {{Cite book |和書 |editor=辻源太郎 |title=佐濃村誌 |publisher=久美浜町佐濃支所 |year=1959 |id={{NDLJP|3009416}} |ref={{SfnRef|辻|1959}}}} * {{Cite book |和書 |editor=久美浜町誌編纂委員会 |title=久美浜町誌 |publisher=久美浜町 |year=1975 |id={{NDLJP|9573090}} |ref=harv}} == 外部リンク == {{commonscat|Kumihama-chō Nonaka, Kyotango|野中}} * [https://tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/nonakaku.html 野中] 丹後の地名 {{京丹後市の大字}} {{DEFAULTSORT:のなか}} [[Category:京丹後市の地理]]
2023-12-09T06:45:16Z
2023-12-23T23:50:36Z
false
false
false
[ "Template:Infobox settlement", "Template:Sfn", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Cite press release", "Template:Commonscat", "Template:京丹後市の大字" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD_(%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%B8%82%E4%B9%85%E7%BE%8E%E6%B5%9C%E7%94%BA)
4,864,273
聖樹のパン
『聖樹のパン』(まさきのパン)は、山花典之の原作、たかはし慶行の作画による日本の漫画。『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)において、2015年から2021年まで連載された。全121話。北海道小樽市を舞台として、優れた製パン技術を持ちながらも自信に欠ける主人公が、客たちや様々な人々との触れ合いを通じて成長していく様子を描いた作品である。 北海道小樽市、ベーカリーとペンションを兼業するベーカリーペンション雪の森では、パン職人が病気で倒れて、パンが作れない日々が2か月にわたって続いている。本州から来道してきたほしの聖樹は、非凡なパン作りの才能を買われ、パン職人としてペンションに勤めることになる。パン職人として自信を失っていた聖樹は、彼の作るパンを食べて喜ぶ客たちに囲まれ、職人として少しずつ成長してゆく。 やがてホテル王の鷲爪源兵衛が、聖樹の母の百合子を賭けて、一流パン職人たちとの腕比べを聖樹に強いる。聖樹とその父に怨みを抱くグルメ記者の雨竜義郎もまた、姑息な手段で戦いを仕かける。聖樹は北海道で培った人脈と食材を駆使し、さらに名職人と謳われた父のパンの味を再現し、戦いに勝利を収める。 そして2020年以降のコロナ禍を乗り切った聖樹は、日常、客、仕事があることのありがたみ、仲間たちや小樽の町に支えられたことを実感し、皆に喜ばれる仕事を続けられることを願いつつ、「人に生きる力を与えるパン」を目指して、パンを作り続けてゆく。 主人公は「パンオタク」と呼ばれるほど豊富なパンの知識の持ち主であり、作中ではパンの由来、製法、栄養素に至るまで、パンの知識が詳細に語られている。主人公の成長物語のために、ストーリー重視の作りではあるが、登場するパンによってはレシピも掲載されている。北海道が舞台のため、パンに扱う材料も、北海道産のものが多い。 小樽は坂の街であり、坂の中でも最も有名な坂として、単行本第1巻の表紙には小樽市稲穂の船見坂の景色が用いられている。舞台となるベーカリーペンション雪の森は、所在地は小樽市朝里と設定されており、原作者である山花典之は、朝里川温泉スキー場付近と語っている。作中では雪の森の所在地が、架空の町名として「小樽朝日川町」と表示される場面があるが、山花は「今後『朝里』に戻す予定」としており、中盤以降においては「朝里」と明言されている。 主人公はどちらかといえば暗い性格であるが、職場であるペンションに勤める女性を始めとして、1話完結の物語に次々に新たな登場人物が現れ、その多くの女性キャラクターが少なからず主人公に好意を持ち、主人公が彼女らに振り回されるという、ラブコメディの要素も特徴の一つにあげられている。 原作者である山花典之は、本作以前からパンに関心を持っていた。本作に先駆けて、『ヤングガンガン』で短期集中連載としてパン屋を題材とした漫画『僕とユメと美味しいパン』を描いたものの、職人をキャラクターとしたために厨房にこもってしまい、客との接点を生み出すことが課題となった。そこで舞台をベーカリーペンションとして、客が宿泊しつつパンを食べ、コミュニケーションをとることのできる物語が企画された。 小樽を舞台にした理由は、山花が小樽出身であることに加えて、観光地であり、街の様子、見所、歴史を知っており、地元民や観光客の動きを把握しやすく、描きやすいとの考えであった。構想当時、山花は自身が好きな長野県を舞台として考えていたが、長野に詳しいわけではなく、土地勘もないために、説得力がなかった。ならばと出身地である小樽を提案したところ、観光地として知られている小樽が、ペンションを舞台とする漫画にふさわしいと考えられたことで、採用に至った。また企画当時の山花は、漫画家として苦しい時期にあり、故郷の力を借りたいとの想いもあった。 主人公の聖樹は、読者の共感を狙うと共に、長期にわたって描くことのできる職人漫画に、パンを素材に加えることによって、オタクで内気なキャラクターとして発想された。「聖樹」の名は、山花が通っている教会にいた少年の名前が由来である。この少年は12月25日に誕生したことから、キリストの十字架の意味で「聖なる樹」と名づけられており、山花はずっとこの名を気に行っていた。本作が企画されたとき、画数の多い「聖樹」の名とシンプルな「パン」とのバランスが非常に良いと考えられたことで、教会の「聖樹」少年の母に許可をとった上で、主人公の名に採用された。連載開始から2年を経た頃には、聖樹の苦悩が読者にも伝わることを意図して、中性的で華奢に描かれるよう、画風が変化している。羽咲と桔音の名は、作画のたかはし慶行がキャラクターデザインと共に提案した名である。たかはしがデビュー前に製作していた漫画のヒロインであると共に、北海道が舞台であることから「ウサギ」「キツネ」が連想されたことで名づけられた。 中盤以降の主人公とパン職人たちとの腕比べは「バトル編」「パンバトル」と呼ばれる。これまでの物語では主人公のパン作りのみの描写で済んだものの、バトル編では相手のパン職人の描写も要したため、パン屋に取材協力を求め、主人公側と相手側のパン双方を考案してもらい、最高峰のパンで且つ異なるアプローチになるよう、試行錯誤しながら製作したという。 物語の舞台である小樽の描写は、現実味に裏打ちされており、単なるご当地漫画の域を超えていると評価されている。たかはし慶行による作画も、日常的な街並みや風景にまでわたって、小樽の空気感を的確に再現している、と評されている。 作中に登場するパンが非常に美味しそうとする声、パンが焼きあがったときの釜伸び(オーブンでパンを焼くときパン生地が膨らむこと)や、パンの香り、感触、熱さ、味を彷彿させる描写を評価する声もある。 本作の舞台となった小樽市では、連載以降、本作にちなんだ様々な催しが開催された。 市立小樽図書館では、2016年9月に特別展示「聖樹のパンと小樽のパン屋さん」が開催された。同館1階に設置された特別展示コーナーで、山花典之のサインの他、パンに関する絵本やパンの作り方を紹介する本約60冊を並べ、同館館長と職員が2週間以上をかけて市内のパン屋を取材した成果が「おすすめのパン屋」として紹介され、パンを作る道具も展示紹介された。 翌2017年12月には、「商大生が小樽の活性化を本気で考えるプロジェクト(本気プロ)」に取り組む小樽商科大学の学生たちとの協同で、漫画と小樽の魅力を発信することを目的として、本作を題材とした企画展「小樽と『聖樹のパン』のつながり」展が開催された。これがきっかけとなり、本気プロの活動の集大成として、本作や小樽のパン屋の紹介などをまとめた冊子『小樽と聖樹のパン』が製作された。 同2017年のイベント「小樽アニメパーティー」では、山花典之とたかはし慶行のトークショーが行われ、北海道新聞社の取材に対して、山花が作品や小樽への思いを語った。市立小樽図書館と本気プロによる特設会場では、本作で掲載している小樽の名所を実際に撮影した写真と漫画の部分を合わせた展示が行われ、小樽市内のパン屋を取材して場所や販売しているパンが紹介された。 2019年7月には、映画やドラマのロケ誘致を進める小樽フィルムコミッションにより、無料でダウンロード可能なスマートフォン向け観光情報アプリ「めぐるっと」で、本作に登場する場所を360度見渡せる画像などで紹介するページの公開が開始された。 2021年には、市立小樽文学館で企画展「聖樹のパン - 小樽のパンから広がる世界! -」が開催され、山花から寄贈された原画や直筆イラストが展示された他、小樽のパン文化の歴史や、小樽ゆかりの作家である小林多喜二の伯父が創立したパン屋や、パンの製造販売をしている市内の15店舗が紹介された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『聖樹のパン』(まさきのパン)は、山花典之の原作、たかはし慶行の作画による日本の漫画。『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)において、2015年から2021年まで連載された。全121話。北海道小樽市を舞台として、優れた製パン技術を持ちながらも自信に欠ける主人公が、客たちや様々な人々との触れ合いを通じて成長していく様子を描いた作品である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "北海道小樽市、ベーカリーとペンションを兼業するベーカリーペンション雪の森では、パン職人が病気で倒れて、パンが作れない日々が2か月にわたって続いている。本州から来道してきたほしの聖樹は、非凡なパン作りの才能を買われ、パン職人としてペンションに勤めることになる。パン職人として自信を失っていた聖樹は、彼の作るパンを食べて喜ぶ客たちに囲まれ、職人として少しずつ成長してゆく。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "やがてホテル王の鷲爪源兵衛が、聖樹の母の百合子を賭けて、一流パン職人たちとの腕比べを聖樹に強いる。聖樹とその父に怨みを抱くグルメ記者の雨竜義郎もまた、姑息な手段で戦いを仕かける。聖樹は北海道で培った人脈と食材を駆使し、さらに名職人と謳われた父のパンの味を再現し、戦いに勝利を収める。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "そして2020年以降のコロナ禍を乗り切った聖樹は、日常、客、仕事があることのありがたみ、仲間たちや小樽の町に支えられたことを実感し、皆に喜ばれる仕事を続けられることを願いつつ、「人に生きる力を与えるパン」を目指して、パンを作り続けてゆく。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "主人公は「パンオタク」と呼ばれるほど豊富なパンの知識の持ち主であり、作中ではパンの由来、製法、栄養素に至るまで、パンの知識が詳細に語られている。主人公の成長物語のために、ストーリー重視の作りではあるが、登場するパンによってはレシピも掲載されている。北海道が舞台のため、パンに扱う材料も、北海道産のものが多い。", "title": "作風とテーマ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "小樽は坂の街であり、坂の中でも最も有名な坂として、単行本第1巻の表紙には小樽市稲穂の船見坂の景色が用いられている。舞台となるベーカリーペンション雪の森は、所在地は小樽市朝里と設定されており、原作者である山花典之は、朝里川温泉スキー場付近と語っている。作中では雪の森の所在地が、架空の町名として「小樽朝日川町」と表示される場面があるが、山花は「今後『朝里』に戻す予定」としており、中盤以降においては「朝里」と明言されている。", "title": "作風とテーマ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "主人公はどちらかといえば暗い性格であるが、職場であるペンションに勤める女性を始めとして、1話完結の物語に次々に新たな登場人物が現れ、その多くの女性キャラクターが少なからず主人公に好意を持ち、主人公が彼女らに振り回されるという、ラブコメディの要素も特徴の一つにあげられている。", "title": "作風とテーマ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "原作者である山花典之は、本作以前からパンに関心を持っていた。本作に先駆けて、『ヤングガンガン』で短期集中連載としてパン屋を題材とした漫画『僕とユメと美味しいパン』を描いたものの、職人をキャラクターとしたために厨房にこもってしまい、客との接点を生み出すことが課題となった。そこで舞台をベーカリーペンションとして、客が宿泊しつつパンを食べ、コミュニケーションをとることのできる物語が企画された。", "title": "制作背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "小樽を舞台にした理由は、山花が小樽出身であることに加えて、観光地であり、街の様子、見所、歴史を知っており、地元民や観光客の動きを把握しやすく、描きやすいとの考えであった。構想当時、山花は自身が好きな長野県を舞台として考えていたが、長野に詳しいわけではなく、土地勘もないために、説得力がなかった。ならばと出身地である小樽を提案したところ、観光地として知られている小樽が、ペンションを舞台とする漫画にふさわしいと考えられたことで、採用に至った。また企画当時の山花は、漫画家として苦しい時期にあり、故郷の力を借りたいとの想いもあった。", "title": "制作背景" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "主人公の聖樹は、読者の共感を狙うと共に、長期にわたって描くことのできる職人漫画に、パンを素材に加えることによって、オタクで内気なキャラクターとして発想された。「聖樹」の名は、山花が通っている教会にいた少年の名前が由来である。この少年は12月25日に誕生したことから、キリストの十字架の意味で「聖なる樹」と名づけられており、山花はずっとこの名を気に行っていた。本作が企画されたとき、画数の多い「聖樹」の名とシンプルな「パン」とのバランスが非常に良いと考えられたことで、教会の「聖樹」少年の母に許可をとった上で、主人公の名に採用された。連載開始から2年を経た頃には、聖樹の苦悩が読者にも伝わることを意図して、中性的で華奢に描かれるよう、画風が変化している。羽咲と桔音の名は、作画のたかはし慶行がキャラクターデザインと共に提案した名である。たかはしがデビュー前に製作していた漫画のヒロインであると共に、北海道が舞台であることから「ウサギ」「キツネ」が連想されたことで名づけられた。", "title": "制作背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "中盤以降の主人公とパン職人たちとの腕比べは「バトル編」「パンバトル」と呼ばれる。これまでの物語では主人公のパン作りのみの描写で済んだものの、バトル編では相手のパン職人の描写も要したため、パン屋に取材協力を求め、主人公側と相手側のパン双方を考案してもらい、最高峰のパンで且つ異なるアプローチになるよう、試行錯誤しながら製作したという。", "title": "制作背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "物語の舞台である小樽の描写は、現実味に裏打ちされており、単なるご当地漫画の域を超えていると評価されている。たかはし慶行による作画も、日常的な街並みや風景にまでわたって、小樽の空気感を的確に再現している、と評されている。", "title": "社会的評価" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "作中に登場するパンが非常に美味しそうとする声、パンが焼きあがったときの釜伸び(オーブンでパンを焼くときパン生地が膨らむこと)や、パンの香り、感触、熱さ、味を彷彿させる描写を評価する声もある。", "title": "社会的評価" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "本作の舞台となった小樽市では、連載以降、本作にちなんだ様々な催しが開催された。", "title": "小樽市での催し" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "市立小樽図書館では、2016年9月に特別展示「聖樹のパンと小樽のパン屋さん」が開催された。同館1階に設置された特別展示コーナーで、山花典之のサインの他、パンに関する絵本やパンの作り方を紹介する本約60冊を並べ、同館館長と職員が2週間以上をかけて市内のパン屋を取材した成果が「おすすめのパン屋」として紹介され、パンを作る道具も展示紹介された。", "title": "小樽市での催し" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "翌2017年12月には、「商大生が小樽の活性化を本気で考えるプロジェクト(本気プロ)」に取り組む小樽商科大学の学生たちとの協同で、漫画と小樽の魅力を発信することを目的として、本作を題材とした企画展「小樽と『聖樹のパン』のつながり」展が開催された。これがきっかけとなり、本気プロの活動の集大成として、本作や小樽のパン屋の紹介などをまとめた冊子『小樽と聖樹のパン』が製作された。", "title": "小樽市での催し" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "同2017年のイベント「小樽アニメパーティー」では、山花典之とたかはし慶行のトークショーが行われ、北海道新聞社の取材に対して、山花が作品や小樽への思いを語った。市立小樽図書館と本気プロによる特設会場では、本作で掲載している小樽の名所を実際に撮影した写真と漫画の部分を合わせた展示が行われ、小樽市内のパン屋を取材して場所や販売しているパンが紹介された。", "title": "小樽市での催し" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2019年7月には、映画やドラマのロケ誘致を進める小樽フィルムコミッションにより、無料でダウンロード可能なスマートフォン向け観光情報アプリ「めぐるっと」で、本作に登場する場所を360度見渡せる画像などで紹介するページの公開が開始された。", "title": "小樽市での催し" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2021年には、市立小樽文学館で企画展「聖樹のパン - 小樽のパンから広がる世界! -」が開催され、山花から寄贈された原画や直筆イラストが展示された他、小樽のパン文化の歴史や、小樽ゆかりの作家である小林多喜二の伯父が創立したパン屋や、パンの製造販売をしている市内の15店舗が紹介された。", "title": "小樽市での催し" } ]
『聖樹のパン』(まさきのパン)は、山花典之の原作、たかはし慶行の作画による日本の漫画。『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)において、2015年から2021年まで連載された。全121話。北海道小樽市を舞台として、優れた製パン技術を持ちながらも自信に欠ける主人公が、客たちや様々な人々との触れ合いを通じて成長していく様子を描いた作品である。
{{Infobox animanga/Header |タイトル=聖樹のパン<br /><small>Masaki's bread makes people happy.</small> |画像=Otaru_Funamizaka_Slope_DSC_1723.jpg |説明=単行本第1巻の表紙の背景で描かれている船見坂([[北海道]][[小樽市]][[稲穂 (小樽市)|稲穂]]) |ジャンル=[[料理・グルメ漫画]] }} {{Infobox animanga/Manga |作者=[[山花典之]] |作画=[[たかはし慶行]] |出版社=[[スクウェア・エニックス]] |掲載誌=[[ヤングガンガン]] |レーベル=[[ヤングガンガンコミックス]] |開始号=[[2015年]][[9月4日]]号 |終了号=[[2021年]][[8月20日]]号 |巻数=全12巻 |話数=全121話 }} {{Infobox animanga/Footer |ウィキプロジェクト=[[プロジェクト:漫画|漫画]] |ウィキポータル=[[Portal:漫画|漫画]] }} 『'''聖樹のパン'''』(まさきのパン)は、[[山花典之]]の原作、[[たかはし慶行]]の作画による[[日本]]の[[漫画]]。『[[ヤングガンガン]]』([[スクウェア・エニックス]])において、2015年から2021年まで連載された{{R|ナタリー20150821|ナタリー20210806}}。全121話。[[北海道]][[小樽市]]を舞台として、優れた[[製パン]]技術を持ちながらも自信に欠ける主人公が、客たちや様々な人々との触れ合いを通じて成長していく様子を描いた作品である。 == あらすじ == 北海道小樽市、[[ベーカリー]]と[[ペンション]]を兼業するベーカリーペンション雪の森では、パン職人が病気で倒れて、[[パン]]が作れない日々が2か月にわたって続いている{{R|聖樹のパン1_p4}}。本州から来道してきたほしの聖樹は、非凡なパン作りの才能を買われ、パン職人としてペンションに勤めることになる{{R|聖樹のパン1_p16}}。パン職人として自信を失っていた聖樹は、彼の作るパンを食べて喜ぶ客たちに囲まれ、職人として少しずつ成長してゆく{{R|小樽と聖樹のパン_p4}}。 やがてホテル王の鷲爪源兵衛が、聖樹の母の百合子を賭けて{{R|聖樹のパン5_p86}}、一流パン職人たちとの腕比べを聖樹に強いる{{R|聖樹のパン5_p116}}。聖樹とその父に怨みを抱くグルメ記者の雨竜義郎もまた{{R|聖樹のパン6_p186}}、姑息な手段で戦いを仕かける{{R|聖樹のパン12_p86}}。聖樹は北海道で培った人脈と食材を駆使し{{R|聖樹のパン5_p186}}、さらに名職人と謳われた父のパンの味を再現し、戦いに勝利を収める{{R|聖樹のパン8_p178|聖樹のパン9_p64|聖樹のパン12_p178}}。 そして2020年以降の[[コロナ禍]]を乗り切った聖樹は、日常、客、仕事があることのありがたみ、仲間たちや小樽の町に支えられたことを実感し、皆に喜ばれる仕事を続けられることを願いつつ、「人に生きる力を与えるパン」を目指して、パンを作り続けてゆく{{R|聖樹のパン12_p192}}。 == 登場人物 == ; ほしの 聖樹(ほしの まさき) : 主人公{{R|スクウェア・エニックス2019}}。ベーカリーペンション雪の森で働くパン職人。「人に生きる力を与えるパン」を作ることを目指している{{R|ダ・ヴィンチ20170930}}。22歳{{R|小樽と聖樹のパン_p4}}。 ; 雪森 羽咲(ゆきもり うさぎ) : ベーカリーペンション雪の森の支配人を務める女性。聖樹のほのかに想いを寄せている。25歳{{R|小樽と聖樹のパン_p4}}。 ; 雪森 桔音(ゆきもり きつね) : ベーカリーペンション雪の森のシェフ。羽咲の妹で、しっかり者{{R|小樽と聖樹のパン_p4}}。 ; 橘 アリサ(たちばな アリサ) : 札幌のベーカリーショップで働くパン職人。聖樹と同じ東京のパン学校の出身で、聖樹のライバル{{R|小樽と聖樹のパン_p4}}。 ; ほしの 百合子(ほしの ゆりこ) : 聖樹の母{{R|聖樹のパン4_p64}}。北海道出身で、作中では北海道外に在住{{R|聖樹のパン1_p11}}。 ; ほしの 聖司(ほしの せいじ) : 聖樹の父、百合子の夫。1990年代の日本のパン業界を牽引した人物{{R|聖樹のパン9_p33}}。故人{{R|聖樹のパン2_p105}}。 ; 鷲爪 源兵衛(わしづめ げんべえ) : 凄腕の実業家、世界のホテル王{{R|聖樹のパン6_表紙裏}}。妻の死を機に、百合子を我が物にしようと企む{{R|聖樹のパン5_p86}}。 ; 宮本 竹蔵(みやもと たけぞう){{R|聖樹のパン7_p58}}、小石 すず(こいし すず){{R|聖樹のパン7_p67}} : 鷲爪の擁するホテルのパン職人見習い。パンバトルを経て聖樹の腕に感服し、雪の森で働き始める{{R|聖樹のパン9_p86}}。 ; 雨竜 義郎(うりゅう よしろう) : 菓子・ベーカリー新聞記者{{R|聖樹のパン6_p134}}。元パン職人で{{R|聖樹のパン8_p51}}、聖樹の父の聖司と並ぶ、かつてのパン業界の風雲児{{R|聖樹のパン9_p33}}。 == 作風とテーマ == [[ファイル:朝里川温泉スキー場.jpg|サムネイル|[[朝里川温泉スキー場]]]] 主人公は「パンオタク」と呼ばれるほど豊富なパンの知識の持ち主であり、作中ではパンの由来、製法、栄養素に至るまで、パンの知識が詳細に語られている{{R|ホンシェルジュ20211110}}。主人公の成長物語のために、ストーリー重視の作りではあるが、登場するパンによってはレシピも掲載されている{{R|ダ・ヴィンチ20170930}}。北海道が舞台のため、パンに扱う材料も、北海道産のものが多い{{R|ダ・ヴィンチ20170930}}。 小樽は坂の街であり、坂の中でも最も有名な坂として、単行本第1巻の表紙には小樽市[[稲穂 (小樽市)|稲穂]]の船見坂の景色が用いられている{{R|山花典之20191018}}。舞台となるベーカリーペンション雪の森は、所在地は小樽市[[朝里]]と設定されており{{R|小樽と聖樹のパン_p12}}、原作者である山花典之は、[[朝里川温泉スキー場]]付近と語っている{{R|山花典之20191020}}。作中では雪の森の所在地が、架空の町名として「小樽朝日川町」と表示される場面があるが{{R|聖樹のパン1_p150}}、山花は「今後『朝里』に戻す予定」としており{{R|山花典之20191020}}、中盤以降においては「朝里」と明言されている{{R|聖樹のパン12_p192|聖樹のパン9_p80}}。 主人公はどちらかといえば暗い性格であるが、職場であるペンションに勤める女性を始めとして、1話完結の物語に次々に新たな登場人物が現れ、その多くの女性キャラクターが少なからず主人公に好意を持ち、主人公が彼女らに振り回されるという、[[ラブコメディ]]の要素も特徴の一つにあげられている{{R|ホンシェルジュ20211110|このマンガがすごい20170412}}。 == 制作背景 == 原作者である山花典之は、本作以前からパンに関心を持っていた{{R|スクウェア・エニックス2019}}。本作に先駆けて、『ヤングガンガン』で短期集中連載としてパン屋を題材とした漫画『僕とユメと美味しいパン』を描いたものの{{R|山花典之20191026}}、職人をキャラクターとしたために厨房にこもってしまい、客との接点を生み出すことが課題となった{{R|スクウェア・エニックス2019}}。そこで舞台をベーカリーペンションとして、客が宿泊しつつパンを食べ、コミュニケーションをとることのできる物語が企画された{{R|スクウェア・エニックス2019}}。 小樽を舞台にした理由は、山花が小樽出身であることに加えて、観光地であり、街の様子、見所、歴史を知っており、地元民や観光客の動きを把握しやすく、描きやすいとの考えであった{{R|スクウェア・エニックス2019}}。構想当時、山花は自身が好きな長野県を舞台として考えていたが、長野に詳しいわけではなく、土地勘もないために、説得力がなかった{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。ならばと出身地である小樽を提案したところ、観光地として知られている小樽が、ペンションを舞台とする漫画にふさわしいと考えられたことで、採用に至った{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。また企画当時の山花は、漫画家として苦しい時期にあり、故郷の力を借りたいとの想いもあった{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。 主人公の聖樹は、読者の共感を狙うと共に、長期にわたって描くことのできる職人漫画に、パンを素材に加えることによって、オタクで内気なキャラクターとして発想された{{R|スクウェア・エニックス2019}}。「聖樹」の名は、山花が通っている教会にいた少年の名前が由来である{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。この少年は12月25日に誕生したことから、キリストの十字架の意味で「聖なる樹」と名づけられており、山花はずっとこの名を気に行っていた{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。本作が企画されたとき、画数の多い「聖樹」の名とシンプルな「パン」とのバランスが非常に良いと考えられたことで、教会の「聖樹」少年の母に許可をとった上で、主人公の名に採用された{{R|小樽と聖樹のパン_p8}}。連載開始から2年を経た頃には、聖樹の苦悩が読者にも伝わることを意図して、中性的で華奢に描かれるよう、画風が変化している{{R|道新20170906m_p20}}。羽咲と桔音の名は、作画のたかはし慶行がキャラクターデザインと共に提案した名である{{R|小樽と聖樹のパン_p10}}。たかはしがデビュー前に製作していた漫画のヒロインであると共に、北海道が舞台であることから「ウサギ」「キツネ」が連想されたことで名づけられた{{R|小樽と聖樹のパン_p10}}。 中盤以降の主人公とパン職人たちとの腕比べは「バトル編{{R|スクウェア・エニックス2019}}」「パンバトル{{R|聖樹のパン6_カバー裏}}」と呼ばれる。これまでの物語では主人公のパン作りのみの描写で済んだものの、バトル編では相手のパン職人の描写も要したため、パン屋に取材協力を求め、主人公側と相手側のパン双方を考案してもらい、最高峰のパンで且つ異なるアプローチになるよう、試行錯誤しながら製作したという{{R|スクウェア・エニックス2019}}。 == 社会的評価 == 物語の舞台である小樽の描写は、現実味に裏打ちされており、単なるご当地漫画の域を超えていると評価されている{{R|おたるぽーたる20210328}}。たかはし慶行による作画も、日常的な街並みや風景にまでわたって、小樽の空気感を的確に再現している、と評されている{{R|おたるぽーたる20210328}}。 作中に登場するパンが非常に美味しそうとする声{{R|ホンシェルジュ20211110|小樽総合デザイン事務局20160602}}、パンが焼きあがったときの釜伸び(オーブンでパンを焼くときパン生地が膨らむこと)や、パンの香り、感触、熱さ、味を彷彿させる描写を評価する声もある{{R|ホンシェルジュ20211110|小樽総合デザイン事務局20160602}}。 == 小樽市での催し == 本作の舞台となった小樽市では、連載以降、本作にちなんだ様々な催しが開催された。 [[市立小樽図書館]]では、2016年9月に特別展示「聖樹のパンと小樽のパン屋さん」が開催された{{R|小樽ジャーナル20160906}}。同館1階に設置された特別展示コーナーで、山花典之のサインの他、パンに関する絵本やパンの作り方を紹介する本約60冊を並べ、同館館長と職員が2週間以上をかけて市内のパン屋を取材した成果が「おすすめのパン屋」として紹介され{{R|道新20160903m_p30}}、パンを作る道具も展示紹介された{{R|小樽ジャーナル20160906}}。 翌2017年12月には、「商大生が小樽の活性化を本気で考えるプロジェクト(本気プロ)」に取り組む[[小樽商科大学]]の学生たちとの協同で、漫画と小樽の魅力を発信することを目的として、本作を題材とした企画展「小樽と『聖樹のパン』のつながり」展が開催された{{R|道新20171202m_p16|道新20171213m_p16}}。これがきっかけとなり、本気プロの活動の集大成として、本作や小樽のパン屋の紹介などをまとめた冊子『[[#CITEREF本気プロ他2018|小樽と聖樹のパン]]』が製作された{{R|小樽商大20180508}}。 同2017年のイベント「[[小樽アニメパーティー]]」では、山花典之とたかはし慶行のトークショーが行われ、[[北海道新聞社]]の取材に対して、山花が作品や小樽への思いを語った{{R|道新20170906m_p20}}。市立小樽図書館と本気プロによる特設会場では、本作で掲載している小樽の名所を実際に撮影した写真と漫画の部分を合わせた展示が行われ、小樽市内のパン屋を取材して場所や販売しているパンが紹介された{{R|小樽ジャーナル20170902}}。 2019年7月には、映画やドラマのロケ誘致を進める小樽フィルムコミッションにより、無料でダウンロード可能なスマートフォン向け観光情報アプリ「めぐるっと」で、本作に登場する場所を360度見渡せる画像などで紹介するページの公開が開始された{{R|道新20190726m_p29}}。 2021年には、[[市立小樽文学館]]で企画展「聖樹のパン - 小樽のパンから広がる世界! -」が開催され、山花から寄贈された原画や直筆イラストが展示された他、小樽のパン文化の歴史や、小樽ゆかりの作家である[[小林多喜二]]の伯父が創立したパン屋や{{R|小樽文學舎202103}}、パンの製造販売をしている市内の15店舗が紹介された{{R|小樽文學舎202103|読売新聞20210417m_p22}}。 == 書誌情報 == * [[山花典之]]・[[たかはし慶行]] 『聖樹のパン』 [[スクウェア・エニックス]]〈[[ヤングガンガンコミックス]]〉、全12巻 *# 2016年4月25日発行(2016年4月25日発売{{R|ナタリー20160425}})、{{ISBN2|978-4-7575-4967-8}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2016a}} *# 2016年10月25日発行(2016年10月25日発売{{R|ナタリー20161025}})、{{ISBN2|978-4-7575-5136-7}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2016b}} *# 2017年5月25日発行(2017年5月25日発売{{R|ナタリー20170525}})、{{ISBN2|978-4-7575-5354-5}} *# 2017年10月25日発行(2017年10月25日発売{{R|ナタリー20171025}})、{{ISBN2|978-4-7575-5515-0}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2017}} *# 2018年3月24日発行(2018年3月24日発売{{R|ナタリー20180324}})、{{ISBN2|978-4-7575-5671-3}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2018a}} *# 2018年8月25日発行(2018年8月25日発売{{R|ナタリー20180825}})、{{ISBN2|978-4-7575-5824-3}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2018b}} *# 2019年2月25日発行(2019年2月25日発売{{R|ナタリー20190225}})、{{ISBN2|978-4-7575-6027-7}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2019a}}<!--7--> *# 2019年7月25日発行(2019年7月25日発売{{R|ナタリー20190725}})、{{ISBN2|978-4-7575-6214-1}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2019b}}<!--8--> *# 2020年3月25日発行(2020年3月25日発売{{R|ナタリー20200325}})、{{ISBN2|978-4-7575-6574-6}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2020}} *# 2020年9月25日発行(2020年9月25日発売{{R|ナタリー20200925}})、{{ISBN2|978-4-7575-6858-7}} *# 2021年4月24日発行(2021年4月24日発売{{R|ナタリー20210424}})、{{ISBN2|978-4-7575-7211-9}} *# 2021年10月25日発行(2021年10月25日発売{{R|ナタリー20211025}})、{{ISBN2|978-4-7575-7539-4}}{{Anchors|CITEREF山花たかはし2021}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em|refs= <ref name="小樽と聖樹のパン_p4">{{Harvnb|本気プロ|他|2018|pp=4-5}}</ref> <ref name="小樽と聖樹のパン_p8">{{Harvnb|本気プロ|他|2018|p=8}}</ref> <ref name="小樽と聖樹のパン_p10">{{Harvnb|本気プロ|他|2018|p=10}}</ref> <ref name="小樽と聖樹のパン_p12">{{Harvnb|本気プロ|他|2018|p=12}}</ref> <ref name="読売新聞20210417m_p22">{{Cite news|和書|title=漫画「聖樹のパン」展 原画で見る小樽の風景 原作・山花さん寄贈|newspaper=読売新聞|edition=東京朝刊|date=2021-4-17|page=22}}</ref> <ref name="道新20170906m_p20">{{Cite news|和書|title=漫画「聖樹のパン」原作者山花さん 現実感持ち故郷描く「パン屋の実体験反映」|newspaper=[[北海道新聞]]|edition=樽A朝刊|date=2017-9-6|author=西出真一朗|page=20|publisher=[[北海道新聞社]]}}</ref> <ref name="道新20160903m_p30">{{Cite news|和書|title=小樽出身山花さん原作漫画にちなみ パンに関する本60冊展示 市立図書館|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2016-9-3|author=長峯亮|page=30}}</ref> <ref name="道新20171202m_p16">{{Cite news|和書|title=小樽舞台の漫画「聖樹のパン」登場の名所 樽商大生PR きょうから市立図書館で企画展「魅力知って」|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2017-12-2|author=西出真一朗|page=16}}</ref> <ref name="道新20171213m_p16">{{Cite news|和書|title=作品の舞台リアルに 漫画「聖樹のパン」企画展 小樽|newspaper=北海道新聞|edition=樽A朝刊|date=2017-12-13|author=徳留弥生|page=16}}</ref> <ref name="道新20190726m_p29">{{Cite news|和書|title=「聖樹のパン」漫画舞台リアルに 小樽フィルムコミッション、アプリで紹介 作中の風景 360度画像で|newspaper=北海道新聞|edition=全道朝刊|date=2019-7-26|author=徳留弥生|page=29}}</ref> <ref name="おたるぽーたる20210328">{{Cite web|url=https://otaru.gr.jp/tourist/kikakutenseikinopan4-3-5-5bungakukan |title=企画展「聖樹のパン」…(4/3~5/5)市立小樽文学館|accessdate=2023-12-9|date=2021-3-28|website=おたるぽーたる|publisher=小樽観光協会}}</ref> <ref name="このマンガがすごい20170412">{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/102317-2 |title=4月12日は「パンの記念日」『聖樹のパン』を読もう!【きょうのマンガ】|accessdate=2023-12-9|author=奈良崎コロスケ|date=2017-4-12|website=[[このマンガがすごい!|このマンガがすごい!WEB]]|publisher=[[宝島社]]}}</ref> <ref name="スクウェア・エニックス2019">{{Cite web|url=https://magazine.jp.square-enix.com/yg/special/1907_masaki/ |title=聖樹のパン×小樽市 コラボSPページ|accessdate=2023-12-9|date=2019|publisher=[[スクウェア・エニックス]]}}</ref> <ref name="ダ・ヴィンチ20170930">{{Cite web|url=https://ddnavi.com/review/403709/a/ |title=【「男飯」漫画特集(3)】洒落たものを作りたいなら「パン」はいかが?『聖樹のパン』で実践的なパンのレシピを学ぼう【作ってみた!】|accessdate=2023-12-9|author=木谷誠|date=2017-9-30|website=[[ダ・ヴィンチWeb]]|publisher=[[KADOKAWA]]}}</ref> <ref name="ナタリー20150821">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/157690 |title=「セキレイ」11年の連載に幕! TVアニメ化もされた美少女バトルマンガ|accessdate=2023-12-9|date=2015-8-21|website=[[コミックナタリー]]|publisher=ナターシャ}}</ref> <ref name="ナタリー20160425">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/184604 |title=【4月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2016-4-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20161025">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/206549 |title=【10月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2016-10-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20170525">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/233891 |title=【5月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2017-5-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20171025">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/253957 |title=【10月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2017-10-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20180324">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/274346 |title=【3月24日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2018-3-24|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20180825">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/296526 |title=【8月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2018-8-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20190225">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/320992 |title=【2月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2019-2-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20190725">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/340902 |title=【7月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2019-7-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20200325">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/372430 |title=【3月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2020-3-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20200925">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/396791 |title=【9月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2020-9-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20210424">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/396791 |title=【4月24日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2021-4-24|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20210806">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/439745 |title=高津カリノ「ダストボックス2.5」が完結、えなこ×「新すばらしきこのせかい」グラビアも|accessdate=2023-12-9|date=2021-8-6|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ナタリー20211025">{{Cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/450407 |title=【10月25日付】本日発売の単行本リスト|accessdate=2023-12-9|date=2021-10-25|website=コミックナタリー}}</ref> <ref name="ホンシェルジュ20211110">{{Cite web|和書|url=https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4650 |title=『聖樹のパン』が優しい。無料で読めるグルメ漫画の見所を全巻ネタバレ紹介!|accessdate=2023-12-9|date=2021-11-10|website=ホンシェルジュ|publisher=リグネ}}</ref> <ref name="小樽ジャーナル20160906">{{Cite web|url=https://www.otaru-journal.com/2016/09/2016-0906-1/ |title=パン屋さんと戦後の創刊雑誌展 小樽図書館|accessdate=2023-12-9 |date=2016-9-6|website=[[小樽ジャーナル]]|publisher=小樽ジャーナル社}}</ref> <ref name="小樽ジャーナル20170902">{{Cite web|url=https://www.otaru-journal.com/2017/09/2017-0902-1/ |title=街を行き交うコスプレ! 小樽アニメパーティー|accessdate=2023-12-9|date=2017-9-2|website=小樽ジャーナル}}</ref> <ref name="小樽総合デザイン事務局20160602">{{Cite web|url=https://otarunet.com/life/local_info/masaki-no-pan/ |title=【マンガ】小樽が舞台の漫画『聖樹のパン』が美味しそうで困るので紹介します|accessdate=2023-12-9|date=2016-6-2|publisher=小樽総合デザイン事務局}}</ref> <ref name="小樽商大20180508">{{Cite web|和書|url=https://www.otaru-uc.ac.jp/wp-content/uploads/2019/10/20180508majipuro.pdf |format=PDF |title=本気プロの学生が、小樽が舞台の漫画、『聖樹のパン』と小樽のパン屋さんのコラボ冊子、『小樽と聖樹のパン』を製作|accessdate=2023-12-9|date=2018-5-8|page=1|publisher=[[小樽商科大学]]}}</ref> <ref name="小樽文學舎202103">{{Cite web|和書|url=http://otarubungakusha.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/msaki-ura.pdf |title=聖樹のパンとは?──|accessdate=2023-12-9|date=2021-3|publisher=小樽文學舎}}</ref> <ref name="聖樹のパン1_p150">[[#CITEREF山花たかはし2016a|山花 & たかはし 2016]], p. 150</ref> <ref name="聖樹のパン1_p4">[[#CITEREF山花たかはし2016a|山花たかはし2016a]], pp. 4-5</ref> <ref name="聖樹のパン1_p16">[[#CITEREF山花たかはし2016a|山花たかはし2016a]], pp. 16-25</ref> <ref name="聖樹のパン1_p11">[[#CITEREF山花たかはし2016a|山花たかはし2016a]], p. 11</ref> <ref name="聖樹のパン2_p105">[[#CITEREF山花たかはし2016a|山花たかはし2016b]], p. 105</ref> <ref name="聖樹のパン4_p64">[[#CITEREFCITEREF山花たかはし2017|山花たかはし2017]], pp. 64-65</ref> <ref name="聖樹のパン5_p86">[[#CITEREF山花たかはし2018a|山花 & たかはし 2018a]], pp. 86-87</ref> <ref name="聖樹のパン5_p116">[[#CITEREF山花たかはし2018a|山花 & たかはし 2018a]], pp. 116-119</ref> <ref name="聖樹のパン5_p186">[[#CITEREF山花たかはし2018a|山花 & たかはし 2018a]], pp. 186-204</ref> <ref name="聖樹のパン6_p134">[[#CITEREF山花たかはし2018b|山花 & たかはし 2018b]], p. 134</ref> <ref name="聖樹のパン6_p186">[[#CITEREF山花たかはし2018b|山花 & たかはし 2018b]], p. 187</ref> <ref name="聖樹のパン6_表紙裏">[[#CITEREF山花たかはし2018b|山花 & たかはし 2018b]], 表紙裏</ref> <ref name="聖樹のパン6_カバー裏">[[#CITEREF山花たかはし2018b|山花 & たかはし 2018b]], カバー裏</ref> <ref name="聖樹のパン7_p58">[[#CITEREF山花たかはし2019a|山花 & たかはし 2019a]], pp. 58-59</ref> <ref name="聖樹のパン7_p67">[[#CITEREF山花たかはし2019a|山花 & たかはし 2019a]], p. 67</ref> <ref name="聖樹のパン8_p51">[[#CITEREF山花たかはし2019b|山花 & たかはし 2019b]], pp. 51-54</ref> <ref name="聖樹のパン8_p178">[[#CITEREF山花たかはし2019b|山花 & たかはし 2019b]], pp. 178-183</ref> <ref name="聖樹のパン9_p33">[[#CITEREF山花たかはし2020|山花 & たかはし 2020]], p. 33</ref> <ref name="聖樹のパン9_p64">[[#CITEREF山花たかはし2020|山花 & たかはし 2020]], p. 64</ref> <ref name="聖樹のパン9_p80">[[#CITEREF山花たかはし2020|山花 & たかはし 2020]], p. 80</ref> <ref name="聖樹のパン9_p86">[[#CITEREF山花たかはし2020|山花 & たかはし 2020]], pp. 86-87</ref> <ref name="聖樹のパン12_p86">[[#CITEREF山花たかはし2021|山花 & たかはし 2021]], pp. 86-95</ref> <ref name="聖樹のパン12_p178">[[#CITEREF山花たかはし2021|山花 & たかはし 2021]], pp. 178-184</ref> <ref name="聖樹のパン12_p192">[[#CITEREF山花たかはし2021|山花 & たかはし 2021]], pp. 192-198</ref> <ref name="山花典之20191020">{{Bloglink|url=https://masakinopan-burogu.hatenablog.com/entry/2019/10/20/朝里海岸 |who=山花典之|title=朝里海岸|date=2023年12月9日}}</ref> <ref name="山花典之20191018">{{Bloglink|url=https://masakinopan-burogu.hatenablog.com/entry/2019/10/18/211303 |who=山花典之|title=船見坂|date=2023年12月9日}}</ref> <ref name="山花典之20191026">{{Bloglink|url=https://masakinopan-burogu.hatenablog.com/entry/2019/10/26/僕とユメと美味しいパン |who=山花典之|title=僕とユメと美味しいパン|date=2023年12月9日}}</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author1=本気プロ市立小樽図書館と連携したコンテンツツーリズムの推進チーム|title=小樽と聖樹のパン Masaki's bread makes people happy 本気プロ×市立小樽図書館|date=2018-2|publisher=[[市立小樽図書館]]|ncid=BB26584291|ref={{SfnRef|本気プロ|他|2018}}}} {{デフォルトソート:まさきのはん}} [[Category:漫画作品 ま|さきのはん]] [[Category:2015年の漫画]] [[Category:ヤングガンガン]] [[Category:パンを題材とした漫画作品]] [[Category:宿泊施設を舞台とした漫画作品]] [[Category:北海道を舞台とした漫画作品]] [[Category:小樽市を舞台とした作品]]
2023-12-09T06:55:14Z
2023-12-09T22:38:26Z
false
false
false
[ "Template:Infobox animanga/Header", "Template:R", "Template:Anchors", "Template:Cite book", "Template:Infobox animanga/Manga", "Template:Infobox animanga/Footer", "Template:ISBN2", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%A8%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%B3
4,864,278
第2回早指し王位決定戦
第2回早指し王位決定戦 (だい2かいはやざしおういけっていせん) は、1955年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が大野源一八段を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第2回早指し王位決定戦 (だい2かいはやざしおういけっていせん) は、1955年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が大野源一八段を下した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "本戦" } ]
第2回早指し王位決定戦 (だい2かいはやざしおういけっていせん) は、1955年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人(前王位)が大野源一八段を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第2回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1955年 - 1956年3月18日 |タイトル=王位 |前タイトル=[[大山康晴]] |今期=第2回 |新タイトル=[[大山康晴]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第1回早指し王位決定戦|第1回]] |次回=[[第3回早指し王位決定戦|第3回]] }} '''第2回早指し王位決定戦''' (だい2かいはやざしおういけっていせん) は、[[1955年度の将棋界|1955年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[大山康晴]]名人(前王位)が[[大野源一]]八段を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 ==第2回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1956年<br>3月7日!!1956年<br>3月18日 |- |'''[[大山康晴]]名人(前王位)'''||○||○||'''優勝''' |- |[[大野源一]]八段||●||●|| |} == 本戦 == {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド名--> |RD1=1回戦 |RD2=2回戦 <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[山田道美]]六段 |RD1-03-2=● <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[梶一郎]]八段 |RD1-04-2=○ <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[板谷四郎]]八段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=A <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[梶一郎]]八段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=1em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド名--> |RD1=1回戦 |RD2=2回戦 <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[星田啓三]]六段 |RD1-03-2=● <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[角田三男]]六段 |RD1-04-2=○ <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[熊谷達人]]七段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[角田三男]]六段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=B |height-002=1em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[二見敬三]]六段 |RD1-03-2=● <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[大和久彪]]七段 |RD1-04-2=○ <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[荒巻三之]]八段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[大和久彪]]七段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=C |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[建部和歌夫]]八段 |RD1-03-2=● <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[加藤博二]]七段 |RD1-04-2=○ <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[廣津久雄]]七段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[加藤博二]]七段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=D |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[北村昌男]]五段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[下平幸男]]六段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[本間爽悦]]七段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=E <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[北村昌男]]五段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[金高清吉]]七段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[津村常吉]]五段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[京須行男]]七段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=F <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[金高清吉]]七段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=G <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[小堀清一]]八段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[加藤一二三]]五段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[南口繁一]]八段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[村上真一]]八段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[加藤一二三]]五段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=H |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |} {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{竜王戦ランキング戦2-1 |FS=90%<!--fontsize--> |RD1= 3回戦 |RD2= 4回戦 |RD3= 準々決勝 |RD4= 準決勝 |RD5= '''挑戦者決定戦''' |W11=10em<!--スコア幅 1回戦左--> |W1= 0em<!--名前欄幅1左 1回戦--> |W2= 0em<!--名前欄幅2右 1回戦--> |W3= 4.5em<!--名前欄幅2左 2回戦/3回戦/準決勝--> |W4= 0em<!--名前欄幅2右 2回戦/3回戦/準決勝--> |W5=10em<!--名前欄幅3 決勝--> |W12=2em<!--スコア幅1 1回戦--> |W13=2em<!--スコア幅2 2回戦/3回戦/準決勝--> |W14=2em<!--スコア幅3 決勝--> <!--1回戦--> |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[塚田正夫]]九段| | |- |[[高柳敏夫]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|A/}}}}[[板谷四郎]]八段| | |● |{{align|left|{{sup|B/}}}}[[角田三男]]六段| | |● |[[清野静男]]七段| | |○ |[[灘蓮照]]八段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[高島一岐代]]八段| | |- |[[丸田祐三]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|C/}}}}[[大和久彪]]七段| | |● |{{align|left|{{sup|D/}}}}[[加藤博二]]七段| | |● |[[五十嵐豊一]]八段| | |○ |[[原田泰夫]]八段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[松田茂行]]八段| | |- |[[坂口允彦]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|E/}}}}[[本間爽悦]]七段| | |● |{{align|left|{{sup|F/}}}}[[京須行男]]七段| | |○ |[[二上達也]]七段| | |● |'''[[大野源一]]八段'''| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[花村元司]]八段| | |- |[[松下力]]八段| | |● |{{align|left|{{sup|G/}}}}[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|H/}}}}[[加藤一二三]]五段| | |○ |[[升田幸三]]八段| | |● |[[松浦卓造]]八段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- <!--2回戦--> |塚田| |○ |高柳| |● |清野| |○ |灘| |● |高島| |● |丸田| |○ |五十嵐| |● |原田| |○ |松田| |● |坂口| |○ |京須| |● |'''大野'''| |○ |花村| |● |萩原| |○ |加藤| |● |松浦| |○ <!--準々決勝--> |塚田| |○ |清野| |● |丸田| |○ |原田| |● |坂口| |● |'''大野'''| |○ |萩原| |○ |松浦| |● <!--準決勝--> |塚田| |● |丸田| |○ |'''大野'''| |○ |萩原| |● <!--決勝--> |[[丸田祐三]]八段|●| |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[大野源一]]八段{{0}} }}'''|○|'''三番勝負進出''' }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん02き}} [[Category:早指し王位決定戦|02]] [[Category:1955年の将棋]] [[Category:1956年の将棋]]
2023-12-09T07:07:17Z
2023-12-09T12:41:49Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:早指し王位決定戦", "Template:Shogi-stub", "Template:Infobox 各年の棋戦", "Template:4TeamBracket-Shogi", "Template:竜王戦ランキング戦2-1" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,281
ペイマン・セアダット
ペイマン・セアダット(ペルシア語: پیمان سعادت Peymân Sa'âdat、英語: Peiman Seadat / Peyman Saadat)は、イランの外交官、大使。外務省(ペルシア語版、英語版)環境・持続可能な開発局局長(ペルシア語: مدیرکل محیط زیست و توسعه پایدار、英語: Director General of the Office of Environment and Sustainable Development Affairs)、在ベルギー大使兼在ルクセンブルク大使兼在欧州連合(EU)大使、外務大臣補佐官、外務省欧州局長を経て、2023年より駐日大使を務めている。ペルシア語読みに倣ってペイマーン・サアーダト(ペイマン・サアダト)とも。 2023年3月1日、次期駐日大使に任命されたセアダットを含む10名の各国駐箚次期大使がエブラーヒーム・ライースィー大統領に謁見して、政策指針を与えられた。3月12日、セアダット次期駐日大使はホセイン・アミールアブドッラーヒヤーン外務大臣と会談して、日本とイランの二国間関係に係る様々な議題について協議した。 2023年3月15日、セアダット次期大使は東京に着任。4月27日、農林水産省を訪問して藤木眞也農林水産大臣政務官と会談。6月12日、防衛省を訪問して井野俊郎防衛副大臣と会談。 7月12日、セアダットは皇居で信任状を捧呈し、駐日大使として正式に就任した。7月25日、加藤勝信厚生労働大臣を表敬訪問。9月5日、日本旅行業協会(JATA)を訪問して蝦名邦晴理事長と会談し、日本人観光客のイラン観光(ペルシア語版、英語版)振興などについて話し合った。11月28日、イスラム文化交流庁(ペルシア語版、英語版)のモハンマドメフディー・イーマーニープール(ペルシア語版)長官の訪日に際して、セアダット大使は東京の大使公邸にイーマーニープール長官や日本の芸術家らを招待し、日本とイランの文化および芸術面での協力について話し合う場を設けた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ペイマン・セアダット(ペルシア語: پیمان سعادت Peymân Sa'âdat、英語: Peiman Seadat / Peyman Saadat)は、イランの外交官、大使。外務省(ペルシア語版、英語版)環境・持続可能な開発局局長(ペルシア語: مدیرکل محیط زیست و توسعه پایدار、英語: Director General of the Office of Environment and Sustainable Development Affairs)、在ベルギー大使兼在ルクセンブルク大使兼在欧州連合(EU)大使、外務大臣補佐官、外務省欧州局長を経て、2023年より駐日大使を務めている。ペルシア語読みに倣ってペイマーン・サアーダト(ペイマン・サアダト)とも。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年3月1日、次期駐日大使に任命されたセアダットを含む10名の各国駐箚次期大使がエブラーヒーム・ライースィー大統領に謁見して、政策指針を与えられた。3月12日、セアダット次期駐日大使はホセイン・アミールアブドッラーヒヤーン外務大臣と会談して、日本とイランの二国間関係に係る様々な議題について協議した。", "title": "駐日大使として" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年3月15日、セアダット次期大使は東京に着任。4月27日、農林水産省を訪問して藤木眞也農林水産大臣政務官と会談。6月12日、防衛省を訪問して井野俊郎防衛副大臣と会談。", "title": "駐日大使として" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "7月12日、セアダットは皇居で信任状を捧呈し、駐日大使として正式に就任した。7月25日、加藤勝信厚生労働大臣を表敬訪問。9月5日、日本旅行業協会(JATA)を訪問して蝦名邦晴理事長と会談し、日本人観光客のイラン観光(ペルシア語版、英語版)振興などについて話し合った。11月28日、イスラム文化交流庁(ペルシア語版、英語版)のモハンマドメフディー・イーマーニープール(ペルシア語版)長官の訪日に際して、セアダット大使は東京の大使公邸にイーマーニープール長官や日本の芸術家らを招待し、日本とイランの文化および芸術面での協力について話し合う場を設けた。", "title": "駐日大使として" } ]
ペイマン・セアダットは、イランの外交官、大使。外務省環境・持続可能な開発局局長、在ベルギー大使兼在ルクセンブルク大使兼在欧州連合(EU)大使、外務大臣補佐官、外務省欧州局長を経て、2023年より駐日大使を務めている。ペルシア語読みに倣ってペイマーン・サアーダト(ペイマン・サアダト)とも。
'''ペイマン・セアダット'''({{lang-fa|پیمان سعادت}} <small>{{lang|la|Peymân Sa'âdat}}</small>、{{lang-en|Peiman Seadat / Peyman Saadat}})は、[[イラン]]の[[外交官]]、[[大使]]。{{仮リンク|外務省 (イラン)|label=外務省|fa|وزارت امور خارجه (ایران)|en|Ministry of Foreign Affairs (Iran)}}環境・持続可能な開発局局長({{lang-fa|مدیرکل محیط زیست و توسعه پایدار}}、{{lang-en|Director General of the Office of Environment and Sustainable Development Affairs}})<ref>[https://www.farsnews.ir/news/13940816001381/ {{lang|fa|مسافران جدید دستگاه دیپلماسی+اسامی &#124; خبرگزاری فارس}}] {{fa icon}}</ref><ref>[https://avadiplomatic.com/en/archive/6399 UN Iran honours life of Dr. Hulki Uz, UNFPA Representative - AVAdiplomatic] {{en icon}}</ref>、在[[ベルギー]]大使兼在[[ルクセンブルク]]大使兼在[[欧州連合]](EU)大使<ref>[https://diplomatmagazine.eu/2016/02/06/new-ambassadors-to-the-benelux-countries-i/ New Ambassadors to the Benelux I - Diplomat magazine] {{en icon}}</ref>、[[外務大臣 (イラン)|外務大臣]]補佐官、外務省欧州局長を経て、[[2023年]]より[[日本とイランの関係#駐日イラン大使・公使|駐日大使]]を務めている<ref name="parstoday 111962"/>。ペルシア語読みに倣って'''ペイマーン・サアーダト'''('''ペイマン・サアダト'''<ref name="jata"/>)とも<ref name="parstoday 111962"/><ref name="parstoday 112322"/>。 == 駐日大使として == [[2023年]]3月1日、[[次期大使|次期]][[日本とイランの関係#駐日イラン大使・公使|駐日大使]]に任命されたセアダットを含む10名の各国駐箚次期大使が[[エブラーヒーム・ライースィー]][[イランの大統領|大統領]]に謁見して、政策指針を与えられた<ref>[https://www.president.ir/fa/142669 {{lang|fa|آیت‌الله رئیسی در دیدار سفرای جدید ایران در 10 کشور جهان}}] {{fa icon}}</ref><ref name="parstoday 111962">[https://parstoday.ir/ja/news/iran-i111962 駐日イラン新大使にサアーダト氏 - Pars Today]</ref>。3月12日、セアダット次期駐日大使は[[ホセイン・アミールアブドッラーヒヤーン]][[外務大臣 (イラン)|外務大臣]]と会談して、[[日本とイランの関係|日本とイランの二国間関係]]に係る様々な議題について協議した<ref>[https://mfa.gov.ir/portal/newsview/713813/ {{lang|fa|وزارت امور خارجه جمهوری اسلامی ایران- دیدار سفیر جدید فوق العاده و تام الاختیار جمهوری اسلامی ایران در ژاپن با دکتر حسین امیرعبداللهیان}}] {{fa icon}}</ref><ref name="parstoday 112322">[https://parstoday.ir/ja/news/iran-i112322 駐日イラン新大使が、イラン外相と会談 - Pars Today]</ref>。 2023年3月15日、セアダット次期大使は[[東京]]に着任<ref>[https://japan.mfa.gov.ir/portal/generalcategoryservices/15942 {{lang|fa|معرفی سفیر}}] {{fa icon}}</ref>。4月27日、[[農林水産省]]を訪問して[[藤木眞也]][[農林水産大臣政務官]]と会談<ref>[https://www.maff.go.jp/j/p_gal/p_sec/230427.html 4月27日 ペイマン・セアダット駐日イラン・イスラム共和国次期大使との会談: 農林水産省]</ref>。6月12日、[[防衛省]]を訪問して[[井野俊郎]][[防衛副大臣]]と会談<ref>[https://www.mod.go.jp/j/profile/minister/vice-minister/ino/2023_02.html#photo_20230612a セアダット駐日イラン大使による井野防衛副大臣表敬 | 防衛省]</ref>。 7月12日、セアダットは[[皇居]]で[[信任状捧呈式|信任状を捧呈]]し、駐日大使として正式に就任した<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press6_001538.html 駐日イラン大使の信任状捧呈 | 外務省]</ref>。7月25日、[[加藤勝信]][[厚生労働大臣]]を表敬訪問<ref>[https://www.mhlw.go.jp/stf/photo/2023/07/ph0725-01.html フォトレポート(ペイマン・セアダット 駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使による表敬) | 厚生労働省]</ref>。9月5日、[[日本旅行業協会]](JATA)を訪問して[[蝦名邦晴]][[理事長]]と会談し、日本人観光客の{{仮リンク|イランの観光|label=イラン観光|fa|گردشگری در ایران|en|Tourism in Iran}}振興などについて話し合った<ref name="jata">[https://www.jata-net.or.jp/about/jata-active/about04/230905_iran/ 9月5日(火)、駐日イランイスラム共和国ペイマン・サアダト特命全権大使が、JATA蝦名理事長を訪問 | 一般社団法人日本旅行業協会]</ref>。11月28日、{{仮リンク|イスラム文化交流庁|fa|سازمان فرهنگ و ارتباطات اسلامی|en|Islamic Culture and Communication Organization}}の{{仮リンク|モハンマドメフディー・イーマーニープール|fa|محمدمهدی ایمانی‌پور}}長官の訪日に際して、セアダット大使は東京の大使公邸にイーマーニープール長官や日本の芸術家らを招待し、日本とイランの文化および芸術面での協力について話し合う場を設けた<ref>[https://parstoday.ir/ja/news/iran-i121068 イラン・イスラム文化交流庁長官が東京で日本の芸術家らと会談 - Pars Today]</ref>。 == 出典 == {{reflist|2}} == 外部リンク == * [https://japan.mfa.gov.ir/jp/generalcategoryservices/10381 大使挨拶] {{ja icon}} * [https://japan.mfa.gov.ir/portal/GeneralCategoryServices/15939 大使挨拶] {{fa icon}} {{start box}} {{s-off}} {{Succession box | title = {{Flagicon|IRN}} 在[[ベルギー]]・[[イラン]][[大使]] {{Flagicon|BEL}} | years = 2016年 - 2020年 | before = [[マフムード・バリーマーニー]]<!--محمود بریمانی--><!--Mahmoud Barimani--> | after = {{仮リンク|ゴラームホセイン・デフガーニー|fa|غلامحسین دهقانی}}<!--Gholam-Hossein Dehghani--> }} {{end box}} {{駐日イラン大使|2023年-}} {{現職の駐日大使}} {{DEFAULTSORT:せあたつと へいまん}} [[Category:駐日イラン大使]] [[Category:在ベルギー大使]] [[Category:在ルクセンブルク大使]] [[Category:在欧州連合大使]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T07:34:48Z
2023-12-29T21:38:07Z
false
false
false
[ "Template:現職の駐日大使", "Template:Fa icon", "Template:Reflist", "Template:En icon", "Template:駐日イラン大使", "Template:仮リンク", "Template:Lang", "Template:Lang-en", "Template:Ja icon", "Template:Start box", "Template:S-off", "Template:Succession box", "Template:End box", "Template:Lang-fa" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%83%E3%83%88
4,864,287
海野いくら
海野 いくら(うんの いくら 2001年1月30日 - )は、日本のAV女優。ライフプロモーション、および、アルシェプロダクション所属。 2023年6月 佐々山瑠実(ささや まるみ)としてライフプロモーション所属となることが発表される。 2023年8月11日、シロウトTVからリリースされた「【すぐに、何度も、イク】可愛らしさもエロさも兼ね備えた顔、セックスの最高位を体験したいとAV応募する意識の高さ、さらに全身超敏感というAVにうってつけの体質!『逸材』がシロウトTVにやって来た! 【初撮り】ネットでAV応募→AV体験撮影 2016」でAVデビュー。 2023年9月30日、アルシェプロダクションにも所属することが発表される。 2023年12月1日、芸名を佐々山瑠実から海野いくらに変更することを発表。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "海野 いくら(うんの いくら 2001年1月30日 - )は、日本のAV女優。ライフプロモーション、および、アルシェプロダクション所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2023年6月 佐々山瑠実(ささや まるみ)としてライフプロモーション所属となることが発表される。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年8月11日、シロウトTVからリリースされた「【すぐに、何度も、イク】可愛らしさもエロさも兼ね備えた顔、セックスの最高位を体験したいとAV応募する意識の高さ、さらに全身超敏感というAVにうってつけの体質!『逸材』がシロウトTVにやって来た! 【初撮り】ネットでAV応募→AV体験撮影 2016」でAVデビュー。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年9月30日、アルシェプロダクションにも所属することが発表される。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2023年12月1日、芸名を佐々山瑠実から海野いくらに変更することを発表。", "title": "略歴" } ]
海野 いくらは、日本のAV女優。ライフプロモーション、および、アルシェプロダクション所属。
{{複数の問題 |特筆性 = 2023年12月16日 (土) 03:02 (UTC) | 分野 = 人物 |存命人物の出典皆無 = 2023年12月 |独自研究 = 2023年12月 }} {{性的}} {{AV女優|ふりがな=うんの いくら|名前=海野 いくら|生年=2001|生月=1|生日=30|バスト=83|ウエスト=60|ヒップ=90|カップ=E|デビュー=2023年}} '''海野 いくら'''(うんの いくら [[2001年]][[1月30日]] - )は、日本の[[AV女優]]。[[ライフプロモーション]]、および、アルシェプロダクション所属。 == 略歴 == 2023年6月 佐々山瑠実(ささやま るみ)としてライフプロモーション所属となることが発表される。 2023年8月11日、[[シロウトTV]]からリリースされた「【すぐに、何度も、イク】可愛らしさもエロさも兼ね備えた顔、セックスの最高位を体験したいとAV応募する意識の高さ、さらに全身超敏感というAVにうってつけの体質!『逸材』がシロウトTVにやって来た! 【初撮り】ネットでAV応募→AV体験撮影 2016」でAVデビュー。 2023年9月30日、アルシェプロダクションにも所属することが発表される。 2023年12月1日、芸名を佐々山瑠実から海野いくらに変更することを発表。 == 人物 == * エキゾチックな顔立ちだが、生い立ちは日本人の両親だとのこと。 * 日本酒、ラーメン、ハンバーグを愛する。また、ラッコやカワウソが大好き。 * 初体験は高校生の時。 * デビュー前からAVはよく見ていて、好きな女優として[[望月あやか]]の名前を挙げている。 * 高校生の頃に自分で配信活動をしていたので、ひとりでしゃべることは大好きとのこと。 * 事務所に申し込みをした時に、人生初の金髪に挑戦してから面接に行った。 * イベントデビューとなったトークイベント「今、誰かが作った何かをきっかけに創ったモノを見ていた者達が集い、愛するモノとして語り合う夜」では、ベイビードールの魅力について語った。 * バイセクシャルであることを公言している。ツイキャスの中で、「【すぐに、何度も、イク】可愛らしさもエロさも兼ね備えた顔、セックスの最高位を体験したいとAV応募する意識の高さ、さらに全身超敏感というAVにうってつけの体質!『逸材』がシロウトTVにやって来た! 【初撮り】ネットでAV応募→AV体験撮影 2016」のインタビューで答えていることは、ほぼ事実であるとも発言している。 == 作品 == === アダルト動画配信 === * 【すぐに、何度も、イク】可愛らしさもエロさも兼ね備えた顔、セックスの最高位を体験したいとAV応募する意識の高さ、さらに全身超敏感というAVにうってつけの体質!『逸材』がシロウトTVにやって来た! 【初撮り】ネットでAV応募→AV体験撮影 2016(2023年8月11日、[[シロウトTV]]) == 外部リンク == * {{Twitter|Unno_Ikura}} {{Pornstar-stub}} {{DEFAULTSORT:うんの いくら}} [[Category:日本のAV女優]] [[Category:生年未記載]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T07:42:46Z
2023-12-20T16:48:19Z
false
true
false
[ "Template:Pornstar-stub", "Template:複数の問題", "Template:性的", "Template:AV女優", "Template:Twitter" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%89
4,864,291
馬場ザクラ
馬場ザクラ(ばばザクラ)は、福島県安達郡大玉村玉井字石橋に生育する、国の天然記念物に指定されたエドヒガンの老桜である。 源義家にまつわる伝承が残る老桜として古くから著名なエドヒガンであり、1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物に指定された。推定樹齢1000年超という老古木であるが、1986年(昭和61年)の干ばつの水不足により急速に樹勢が衰え、地域住民らによる回復作業により一時は樹勢が持ち直したものの、その後も幹の腐朽などが進行している。 2018年(平成30年)3月1日の強風により根元より倒伏したため、地域住民らによって引き起こされたが、衰弱が著しく厳しい状態が続いており、大玉村では樹勢回復作業を懸命に行っている。春にはわずかに残った枝葉から白い花を咲かせる。 馬場ザクラのある福島県安達郡大玉村は、郡山市と二本松市の中間、同県中通りに位置し、安達太良山の南東麓の裾野に広がる扇状地上に所在する村である。国の天然記念物に指定された馬場ザクラは、同村中心部の玉井地区にある大玉村役場から南西へ直線距離で700メートルほどの場所にある字石橋の、玉ノ井神社と虚空蔵堂(福満虚空蔵尊)が南北に並ぶ村道沿いにあり、馬場ザクラは虚空蔵堂の境内に生育している。 エドヒガン(江戸彼岸、学名:Cerasus itosakura var. itosakura f. ascendens (標準)、Cerasus itosakura (広義))は、バラ科サクラ属のサクラで、日本国内に複数種あるサクラ属の原種の一つであり、園芸種まで含めると非常に多くの品種がある。エドヒガンには枝垂れなど形態上の変異だけでなく、花の色も区別のつきやすい、白色、紅色、薄紅色以外の微妙な色違いも多数あり、シロヒガン(白彼岸)、ウスベニヒガン(薄紅彼岸)、ベニシダレ(紅枝垂)など、品種名の数は枚挙にいとまがない。これらのうち馬場ザクラはシロヒガン(白彼岸)にあたる。 「馬場桜」の名称の由来は源義家が奥州征伐の際、軍馬を訓練した馬場の所在地が、この桜の周囲であったという言い伝えによる。また、義家がこの桜樹の幹にウマを繋いだ(駒を止めた)という話や、義家がムチに使用していた桜の枝を土に挿したものが根付いたとも言われ、一名「駒止め桜」とも「義家桜」とも呼ばれている。 正確な樹齢は不明であるが推定1000年以上と言われるように、伝承や外観上からも相当の老樹であることは間違いがなく、大玉村の村史(1976年・昭和51年)では「古色鬱蒼とした老木」と形容されている。エドヒガンの老樹によく見られる痛んだ外観については、1936年(昭和11年)5月3日に天然記念物指定調査のため現地調査を行った植物学者の三好学も指摘しており、三好によれば幹の基部の東側は地上約3.5メートルの高さまで欠けて裂けており、大きく分かれた枝の中には折損したものがあると記載されている。 当時の三好の計測によれば、根元周囲約11.1メートル、地上1.5メートルでの幹囲約7.45メートル、樹高約21.0メートルと、白彼岸桜の一大老樹かつ有数の巨樹であると記述している。現地調査を行った5月3日は満開であり花の状態も観察され、花序は3つ、もしくは4つ、花梗の長さは約1.3センチメートル、花首は約2.3センチメートル、雄蕊は2本ないし3本で、咲き始めの花色は薄紅色であるが開花が進むと白色になる様子が確認された。こうして馬場ザクラは当時の保存要目第一「名木、巨樹、老樹」として、現地調査から約半年後の1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物に指定された。 指定当時から主幹の裂け目や枝の枯損があり、先述の村史が発行された1976年(昭和51年)の時点で「最近枯死した枝が数条に上る」とされている。また、株元近くの道路が舗装されたことで地中の根の環境が悪化した可能性を、福島大学教授で福島県文化財保護審議会委員の樫村利道は指摘している。2018年(平成30年)3月1日の強風による倒伏など樹勢の衰えは厳しいものの、かろうじて残った古幹から萌芽した枝葉から例年4月下旬に開花し、花見に訪れる近隣の人々から親しまれている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "馬場ザクラ(ばばザクラ)は、福島県安達郡大玉村玉井字石橋に生育する、国の天然記念物に指定されたエドヒガンの老桜である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "源義家にまつわる伝承が残る老桜として古くから著名なエドヒガンであり、1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物に指定された。推定樹齢1000年超という老古木であるが、1986年(昭和61年)の干ばつの水不足により急速に樹勢が衰え、地域住民らによる回復作業により一時は樹勢が持ち直したものの、その後も幹の腐朽などが進行している。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)3月1日の強風により根元より倒伏したため、地域住民らによって引き起こされたが、衰弱が著しく厳しい状態が続いており、大玉村では樹勢回復作業を懸命に行っている。春にはわずかに残った枝葉から白い花を咲かせる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "馬場ザクラのある福島県安達郡大玉村は、郡山市と二本松市の中間、同県中通りに位置し、安達太良山の南東麓の裾野に広がる扇状地上に所在する村である。国の天然記念物に指定された馬場ザクラは、同村中心部の玉井地区にある大玉村役場から南西へ直線距離で700メートルほどの場所にある字石橋の、玉ノ井神社と虚空蔵堂(福満虚空蔵尊)が南北に並ぶ村道沿いにあり、馬場ザクラは虚空蔵堂の境内に生育している。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "エドヒガン(江戸彼岸、学名:Cerasus itosakura var. itosakura f. ascendens (標準)、Cerasus itosakura (広義))は、バラ科サクラ属のサクラで、日本国内に複数種あるサクラ属の原種の一つであり、園芸種まで含めると非常に多くの品種がある。エドヒガンには枝垂れなど形態上の変異だけでなく、花の色も区別のつきやすい、白色、紅色、薄紅色以外の微妙な色違いも多数あり、シロヒガン(白彼岸)、ウスベニヒガン(薄紅彼岸)、ベニシダレ(紅枝垂)など、品種名の数は枚挙にいとまがない。これらのうち馬場ザクラはシロヒガン(白彼岸)にあたる。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「馬場桜」の名称の由来は源義家が奥州征伐の際、軍馬を訓練した馬場の所在地が、この桜の周囲であったという言い伝えによる。また、義家がこの桜樹の幹にウマを繋いだ(駒を止めた)という話や、義家がムチに使用していた桜の枝を土に挿したものが根付いたとも言われ、一名「駒止め桜」とも「義家桜」とも呼ばれている。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "正確な樹齢は不明であるが推定1000年以上と言われるように、伝承や外観上からも相当の老樹であることは間違いがなく、大玉村の村史(1976年・昭和51年)では「古色鬱蒼とした老木」と形容されている。エドヒガンの老樹によく見られる痛んだ外観については、1936年(昭和11年)5月3日に天然記念物指定調査のため現地調査を行った植物学者の三好学も指摘しており、三好によれば幹の基部の東側は地上約3.5メートルの高さまで欠けて裂けており、大きく分かれた枝の中には折損したものがあると記載されている。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "当時の三好の計測によれば、根元周囲約11.1メートル、地上1.5メートルでの幹囲約7.45メートル、樹高約21.0メートルと、白彼岸桜の一大老樹かつ有数の巨樹であると記述している。現地調査を行った5月3日は満開であり花の状態も観察され、花序は3つ、もしくは4つ、花梗の長さは約1.3センチメートル、花首は約2.3センチメートル、雄蕊は2本ないし3本で、咲き始めの花色は薄紅色であるが開花が進むと白色になる様子が確認された。こうして馬場ザクラは当時の保存要目第一「名木、巨樹、老樹」として、現地調査から約半年後の1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物に指定された。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "指定当時から主幹の裂け目や枝の枯損があり、先述の村史が発行された1976年(昭和51年)の時点で「最近枯死した枝が数条に上る」とされている。また、株元近くの道路が舗装されたことで地中の根の環境が悪化した可能性を、福島大学教授で福島県文化財保護審議会委員の樫村利道は指摘している。2018年(平成30年)3月1日の強風による倒伏など樹勢の衰えは厳しいものの、かろうじて残った古幹から萌芽した枝葉から例年4月下旬に開花し、花見に訪れる近隣の人々から親しまれている。", "title": "解説" } ]
馬場ザクラ(ばばザクラ)は、福島県安達郡大玉村玉井字石橋に生育する、国の天然記念物に指定されたエドヒガンの老桜である。 源義家にまつわる伝承が残る老桜として古くから著名なエドヒガンであり、1936年(昭和11年)12月16日に国の天然記念物に指定された。推定樹齢1000年超という老古木であるが、1986年(昭和61年)の干ばつの水不足により急速に樹勢が衰え、地域住民らによる回復作業により一時は樹勢が持ち直したものの、その後も幹の腐朽などが進行している。 2018年(平成30年)3月1日の強風により根元より倒伏したため、地域住民らによって引き起こされたが、衰弱が著しく厳しい状態が続いており、大玉村では樹勢回復作業を懸命に行っている。春にはわずかに残った枝葉から白い花を咲かせる。
[[File:Baba Zakura. Oct 25, 2023. Otama Village, Fukushima Prefecture. A.jpg|thumb|270px|馬場ザクラ。衰弱が著しく樹勢回復作業が懸命に行われている。2023年10月25日撮影。]] '''馬場ザクラ'''(ばばザクラ)は、[[福島県]][[安達郡]][[大玉村]]玉井[[小字|字]]石橋に生育する、国の[[天然記念物]]に指定された[[エドヒガン]]の老桜である<ref name="Bunkacho">[https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/362 馬場ザクラ(国指定文化財等データベース)] [[文化庁]]ウェブサイト、2023年12月9 日閲覧。</ref>{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|本田|1957|pp=230-231}}{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=157}}。 [[源義家]]にまつわる伝承が残る老桜として古くから著名なエドヒガンであり{{Sfn|樫村|1995|p=419}}、[[1936年]]([[昭和]]11年)12月16日に国の[[天然記念物]]に指定された<ref name="Bunkacho"/>{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|本田|1957|p=231}}。推定[[樹齢]]1000年超という老古木であるが、[[1986年]](昭和61年)の[[干ばつ]]の[[水不足]]により急速に樹勢が衰え、地域住民らによる回復作業により一時は樹勢が持ち直したものの<ref name="otama">[https://www.vill.otama.fukushima.jp/kankou_shiseki/shiteibunkazai/baba_zakura/ 馬場ザクラ] 大玉村教育委員会生涯学習課。2023年12月9日閲覧。</ref>、その後も幹の腐朽などが進行している{{Sfn|樫村|1995|p=422}}。 [[2018年]]([[平成]]30年)3月1日の強風により根元より倒伏したため<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180302/k00/00m/040/101000c 樹齢1000年の「馬場桜」倒れる 福島・大玉村] [[毎日新聞社]]デジタル版。2023年12月9日閲覧。</ref>、地域住民らによって引き起こされたが、衰弱が著しく厳しい状態が続いており、大玉村では樹勢回復作業を懸命に行っている。春にはわずかに残った枝葉から白い花を咲かせる<ref name="tif">[https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=7162 馬場桜] 福島県観光情報サイトふくしまの旅 - 公益財団法人 福島県観光物産交流協会サイト。2023年12月9日閲覧。</ref>。 == 解説 == {{Location map+|Japan Fukushima Prefecture|relief=1|width=250|float=right|caption=馬場ザクラの位置|places= {{Location map~|Japan Fukushima Prefecture|lat=37.530972|long=140.364972|position=bottom|label='''馬場ザクラ'''|mark=Red pog.svg}} {{Location map~|Japan Fukushima Prefecture|lat=37.76081|long=140.47472|position=bottom|label=<small>[[福島市]]</small>|mark=Green pog.svg}} }} 馬場ザクラのある福島県[[安達郡]][[大玉村]]は、[[郡山市]]と[[二本松市]]の中間、同県[[中通り]]に位置し、[[安達太良山]]の南東麓の裾野に広がる[[扇状地]]上に所在する村である{{Sfn|人文社|1983|p=56}}。国の天然記念物に指定された馬場ザクラは、同村中心部の玉井地区にある大玉村役場から南西へ直線距離で700メートルほどの場所にある[[小字|字]]石橋の{{Sfn|三好|1937|p=5}}{{Sfn|大玉村|1976|p=302}}、玉ノ井神社と虚空蔵堂(福満虚空蔵尊)が南北に並ぶ村道沿いにあり{{Sfn|樫村|1995|p=419}}、馬場ザクラは虚空蔵堂の境内に生育している{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|文化庁文化財保護部監修|1971|p=157}}{{Sfn|本田|1957|p=230}}。 エドヒガン(江戸彼岸、学名:''Cerasus itosakura'' var. ''itosakura'' f. ''ascendens'' (標準)、''Cerasus itosakura'' (広義))は、[[バラ科]][[サクラ属]]の[[サクラ]]で、[[日本]]国内に複数[[種 (分類学)|種]]あるサクラ属の[[原種]]の一つであり、[[園芸種]]まで含めると非常に多くの[[品種]]がある。エドヒガンには枝垂れなど形態上の変異だけでなく、花の色も区別のつきやすい、[[白色]]、[[紅色]]、薄紅色以外の微妙な色違いも多数あり、シロヒガン(白彼岸)、ウスベニヒガン(薄紅彼岸)、ベニシダレ(紅枝垂)など、品種名の数は枚挙にいとまがない。これらのうち馬場ザクラはシロヒガン(白彼岸)にあたる{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|人文社|1983|p=57}}。 {{multiple image |image1=Baba zakura tree. May 1936.jpg |caption1=現地調査時の1936年(昭和11年)5月3日に撮影された馬場ザクラ。 |image2=Baba zakura tree. Photographed around 1955.jpg |caption2=1955年(昭和30年)頃の馬場ザクラ。 |footer='''馬場ザクラの古写真''' |footer_background=#BD9 |background color=#BD9 |footer_align=center |total_width=330 |heights=140 }} 「馬場桜」の名称の由来は[[源義家]]が[[奥州征伐]]の際、[[軍馬]]を[[訓練]]した[[馬場]]の所在地が、この桜の周囲であったという言い伝えによる{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|本田|1957|p=231}}{{Sfn|三好|1937|p=6}}{{Sfn|大玉村|1976|p=381}}。また、義家がこの桜樹の幹に[[ウマ]]を繋いだ([[駒]]を止めた)という話や{{Sfn|日本交通公社|1951|p=83}}、義家が[[ムチ]]に使用していた桜の枝を土に挿したものが根付いたとも言われ<ref name="otama"/>、一名「駒止め桜」とも「義家桜」とも呼ばれている{{Sfn|日本交通公社|1951|p=83}}{{Sfn|大玉村|1976|p=381}}。 正確な樹齢は不明であるが推定1000年以上と言われるように{{Sfn|人文社|1983|p=57}}{{Sfn|帝国森林会|1962|p=540}}、伝承や外観上からも相当の老樹であることは間違いがなく、大玉村の村史([[1976年]]・[[昭和]]51年)では「古色鬱蒼とした老木」と形容されている{{Sfn|大玉村|1976|p=381}}。エドヒガンの老樹によく見られる痛んだ外観については、[[1936年]]([[昭和]]11年)5月3日に天然記念物指定調査のため現地調査を行った[[植物学者]]の[[三好学]]も指摘しており、三好によれば幹の基部の東側は地上約3.5メートルの高さまで欠けて裂けており、大きく分かれた枝の中には折損したものがあると記載されている{{Sfn|三好|1937|p=6}}。 当時の三好の計測によれば、根元周囲約11.1メートル、地上1.5メートルでの幹囲約7.45メートル、樹高約21.0メートルと、白彼岸桜の一大老樹かつ有数の巨樹であると記述している{{Sfn|三好|1937|p=6}}。現地調査を行った5月3日は[[満開]]であり花の状態も観察され、[[花序]]は3つ、もしくは4つ、[[花梗]]の長さは約1.3センチメートル、花首は約2.3センチメートル、[[雄蕊]]は2本ないし3本で、咲き始めの花色は薄紅色であるが開花が進むと白色になる様子が確認された{{Sfn|三好|1937|p=6}}。こうして馬場ザクラは当時の保存要目第一「名木、巨樹、老樹」として{{Sfn|本田|1957|p=231}}、現地調査から約半年後の1936年(昭和11年)12月16日に国の[[天然記念物]]に指定された<ref name="Bunkacho"/>{{Sfn|樫村|1995|p=422}}{{Sfn|本田|1957|p=231}}。 指定当時から主幹の裂け目や枝の枯損があり{{Sfn|帝国森林会|1962|p=540}}、先述の村史が発行された1976年(昭和51年)の時点で「最近枯死した枝が数条に上る」とされている{{Sfn|大玉村|1976|p=381}}。また、株元近くの道路が[[舗装]]されたことで地中の根の環境が悪化した可能性を、[[福島大学]]教授で福島県文化財保護審議会委員の樫村利道は指摘している{{Sfn|樫村|1995|p=422}}。[[2018年]]([[平成]]30年)3月1日の強風による倒伏など樹勢の衰えは厳しいものの、かろうじて残った古幹から萌芽した枝葉から例年4月下旬に開花し、花見に訪れる近隣の人々から親しまれている<ref name="otama"/><ref name="tif"/>{{Sfn|人文社|1983|p=57}}。 <gallery widths="220" heights="140"> File:Baba Zakura. Oct 25, 2023. Otama Village, Fukushima Prefecture. C.jpg|馬場ザクラと福満虚空蔵尊のお堂。舗装道路のすぐ際に生育する。2023年10月25日撮影。 File:Baba Zakura. Oct 25, 2023. Otama Village, Fukushima Prefecture. B.jpg|開花期には古株上部から萌芽している細い若枝に花を咲かせる。2023年10月25日撮影。 File:Baba Zakura Natural Monument Stone Monument. A.jpg |天然記念物石碑と馬場ザクラ。2023年10月25日撮影。 </gallery> == 交通アクセス == ; 所在地 * 福島県安達郡大玉村玉井[[小字|字]]石橋 福満虚空蔵尊境内 ; 交通 * [[東北自動車道]][[本宮インターチェンジ]]より車で約15分<ref name="tif"/>。 * [[東日本旅客鉄道|JR]][[東北本線]][[本宮駅 (福島県) |本宮駅]]より車で約10分<ref name="tif"/>。 == 出典 == {{Reflist|2}} <references /> == 参考文献・資料 == *{{Cite book ja-jp |author = [[加藤陸奥雄]]他監修・樫村利道 |year = 1995年3月20日 第1刷発行 |title = 日本の天然記念物 |publisher = [[講談社]] |isbn = 4-06-180589-4 |ref = {{SfnRef|樫村|1995}}}} *{{Cite book ja-jp |author = [[本田正次]] |year = 1957年12月25日 初版発行 |title = 植物文化財 天然記念物・植物 |publisher = 東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会 |ref = {{SfnRef|本田|1957}}}} *{{Cite book ja-jp |author = [[文化庁]]文化財保護部監修 |year = 1971年5月10日 初版発行 |title = 天然記念物事典 |publisher = [[第一法規出版]] |ref = {{SfnRef|文化庁文化財保護部監修|1971}}}} * {{Cite book |和書 |author=[[三好学]] |editor = [[文部省]] |year = 1937-03-30 |title = 天然紀念物調査報告. 植物之部 第十七輯 |publisher = 文部省 |doi = 10.11501/1114775 |url = {{NDLDC|1114775/27}} |ref={{SfnRef|三好|1937}}}} *{{Cite book ja-jp |author = 日本交通公社 編 |year = 1951年4月1日 発行 |title = 旅 第25巻・第4号 特集 さくら 史跡の櫻 |publisher = [[新潮社]] |id= {{全国書誌番号|00014559}} |ref = {{SfnRef|日本交通公社|1951}}}} *{{Cite book ja-jp |author = 帝国森林会 編 |year = 1962年12月10日 発行 |title = 日本老樹名木天然記念樹 |publisher = 大日本山林会 |id= {{全国書誌番号|63002775}} |ref = {{SfnRef|帝国森林会|1962}}}} *{{Cite book ja-jp |author = 大玉村村史編集委員会 編 |year = 1976年1月20日 発行 |title = 大玉村村史 上巻 |publisher = [[大玉村]] |id= {{全国書誌番号|77004476}} |ref = {{SfnRef|大玉村|1976}}}} *{{Cite book ja-jp |author = 人文社観光と旅編集部 編 |year = 1983年10月1日 改訂新版 |title = 郷土資料事典福島県・観光と旅 |publisher = [[人文社]] |id= {{全国書誌番号|85014163}} |ref = {{SfnRef|人文社|1983}}}} == 関連項目 == {{Commonscat|Baba Zakura}} * 国の天然記念物に指定されたサクラ属は、[[エドヒガン]]や[[種間雑種]]の巨樹や老木が多い。他のサクラは[[植物天然記念物一覧#被子植物・双子葉類]]節の[[サクラ]]を参照。 == 外部リンク == * {{国指定文化財等データベース|401|362|馬場ザクラ}} * [https://www.vill.otama.fukushima.jp/kankou_shiseki/shiteibunkazai/baba_zakura/ 馬場ザクラ] – 大玉村役場公式サイト 教育委員会生涯学習課。 * [https://www.gimu.fks.ed.jp/plugin/databases/detail/4/28/495 馬場ザクラ] – うつくしま電子事典 福島県教育委員会。 * [https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=7162 馬場ザクラ] – 福島県観光情報サイトふくしまの旅 - 公益財団法人 福島県観光物産交流協会サイト。 {{Coord|37|31|51.5|N|140|21|53.9|E|region:JP-07_type:forest_scale:10000|display=title}} {{DEFAULTSORT:ははさくら}} [[Category:植物天然記念物]] [[Category:福島県にある国指定の天然記念物]] [[Category:著名なサクラ]] [[Category:大玉村]]
2023-12-09T08:15:09Z
2023-12-13T04:49:11Z
false
false
false
[ "Template:Sfn", "Template:Location map ", "Template:Multiple image", "Template:Cite book ja-jp", "Template:Commonscat", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:国指定文化財等データベース", "Template:Coord" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9
4,864,294
第1回早指し王位決定戦
第1回早指し王位決定戦 (だい1かいはやざしおういけっていせん) は、1954年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人が花村元司八段を下した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "第1回早指し王位決定戦 (だい1かいはやざしおういけっていせん) は、1954年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人が花村元司八段を下した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "本戦" } ]
第1回早指し王位決定戦 (だい1かいはやざしおういけっていせん) は、1954年度の早指し王位決定戦である。 三番勝負は、大山康晴名人が花村元司八段を下した。
{{Infobox 各年の棋戦 |期=第1回 |イベント名称=早指し王位決定戦 |開催期間=1954年 - 1955年4月1日 |タイトル=王位 |今期=第1回 |新タイトル=[[大山康晴]] |△昇級△= |▼降級▼= |前回=[[第3回産経杯争奪トーナメント戦]] |次回=[[第2回早指し王位決定戦|第2回]] }} '''第1回早指し王位決定戦''' (だい1かいはやざしおういけっていせん) は、[[1954年度の将棋界|1954年度]]の[[早指し王位決定戦]]である。 三番勝負は、[[大山康晴]]名人が[[花村元司]]八段を下した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html|title=終了棋戦・産経|早指し王位決定戦<産経新聞>|publisher=日本将棋連盟|accessdate=2023-12-09}}</ref>。 ==第1回早指し王位決定戦三番勝負== {| class="wikitable" style="text-align: center;" !rowspan="2"|対局者!!第1局!!第2局!!第3局!!rowspan="2"| |-style="font-size: 70%;" !1955年<br>3月13日!!1955年<br>3月23日!!1955年<br>4月1日 |- |'''[[大山康晴]]名人'''<ref group=注>第3回[[早指し王位決定戦#産経杯争奪トーナメント戦|産経杯争奪トーナメント戦]]優勝者の大山が王位保持者扱いとなった。</ref>||●||○||○||'''優勝''' |- |[[花村元司]]八段||○||●||●|| |} == 本戦 == {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド名--> |RD1=1回戦 |RD2=2回戦 <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[加藤恵三]]六段 |RD1-03-2=● <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[金高清吉]]七段 |RD1-04-2=○ <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[五十嵐豊一]]八段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=A <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[金高清吉]]七段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=1em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド名--> |RD1=1回戦 |RD2=2回戦 <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[岡崎史明]]六段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[角田三男]]六段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[村上真一]]八段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=B <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[岡崎史明]]六段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=1em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[廣津久雄]]七段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=C |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[梶一郎]]八段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[二上達也]]七段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=D |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[星田啓三]]六段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[熊谷達人]]六段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[本間爽悦]]七段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=E <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[星田啓三]]六段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[北村昌男]]五段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[山川次彦]]七段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[清野静男]]七段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[北村昌男]]五段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=F |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |- | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[山田道美]]五段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[加藤博二]]七段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[京須行男]]七段 |RD2-01-2=● |RD2-01-3= <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[山田道美]]五段 |RD2-02-2=○ |RD2-02-3=G |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} | {{4TeamBracket-Shogi <!--表のフォントサイズ--> |font-size=90% <!--ラウンド1--> <!--ラウンド1 縦の幅--> |RD1-width-1=10em |RD1-width-2=2em |RD1-width-3=0em |RD1-width-4=0em <!--ラウンド1 3人目--> |RD1-03-1=[[佐瀬勇次]]七段 |RD1-03-2=○ <!--ラウンド1 4人目--> |RD1-04-1=[[建部和歌夫]]八段 |RD1-04-2=● <!--ラウンド2--> <!--ラウンド2 縦の幅--> |RD2-width-1=10em |RD2-width-2=2em |RD2-width-3=2em |RD2-width-4=0em <!--ラウンド2 1人目--> |RD2-01-1=[[松下力]]八段 |RD2-01-2=○ |RD2-01-3=H <!--ラウンド2 2人目--> |RD2-02-1=[[佐瀬勇次]]七段 |RD2-02-2=● |RD2-02-3= |height-002=0em |height-004=0em |height-007=0em }} |} {|style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:95%" | {{竜王戦ランキング戦2-1 |FS=90%<!--fontsize--> |RD1= 3回戦 |RD2= 4回戦 |RD3= 準々決勝 |RD4= 準決勝 |RD5= '''挑戦者決定戦''' |W11=10em<!--スコア幅 1回戦左--> |W1= 0em<!--名前欄幅1左 1回戦--> |W2= 0em<!--名前欄幅2右 1回戦--> |W3= 4.5em<!--名前欄幅2左 2回戦/3回戦/準決勝--> |W4= 0em<!--名前欄幅2右 2回戦/3回戦/準決勝--> |W5=10em<!--名前欄幅3 決勝--> |W12=2em<!--スコア幅1 1回戦--> |W13=2em<!--スコア幅2 2回戦/3回戦/準決勝--> |W14=4.5em<!--スコア幅3 決勝--> <!--1回戦--> |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[松田茂行]]八段| | |- |[[坂口允彦]]八段| | |● |{{align|left|{{sup|A/}}}}[[五十嵐豊一]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|B/}}}}[[村上真一]]八段| | |● |[[松浦卓造]]八段| | |○ |[[大野源一]]八段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[丸田祐三]]八段| | |- |[[荒巻三之]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|C/}}}}[[萩原淳 (棋士)|萩原淳]]八段| | |● |{{align|left|{{sup|D/}}}}[[二上達也]]七段| | |○ |[[南口繁一]]八段| | |● |[[塚田正夫]]九段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[灘蓮照]]八段| | |- |[[高島一岐代]]八段| | |○ |{{align|left|{{sup|E/}}}}[[本間爽悦]]七段| | |● |{{align|left|{{sup|F/}}}}[[北村昌男]]五段| | |○ |[[板谷四郎]]八段| | |● |'''[[花村元司]]八段'''| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- |[[原田泰夫]]八段| | |- |[[高柳敏夫]]八段| | |● |{{align|left|{{sup|G/}}}}[[山田道美]]五段| | |○ |{{align|left|{{sup|H/}}}}[[松下力]]八段| | |● |[[小堀清一]]八段| | |○ |[[升田幸三]]八段| | |- |{{color|#BBB|(Bye)}}| | |- <!--2回戦--> |松田| |○ |五十嵐| |● |松浦| |○ |大野| |● |丸田| |○ |荒巻| |● |二上| |● |塚田| |○ |灘| |○ |高島| |● |北村| |● |'''花村'''| |○ |原田| |○ |山田| |● |小堀| |● |升田| |○ <!--準々決勝--> |松田| |○ |松浦| |● |丸田| |● |塚田| |○ |灘| |● |'''花村'''| |○ |原田| |○ |升田| |● <!--準決勝--> |松田| |● |塚田| |○ |'''花村'''| |○ |原田| |● <!--決勝--> |[[塚田正夫]]九段|○●●| |'''{{Bgcolor|#FFC0C0|{{0}}[[花村元司]]八段{{0}} }}'''|●○○|'''三番勝負進出''' }} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://www.shogi.or.jp/match/finished/sankei.html 終了棋戦・産経] {{各回の早指し王位決定戦}} {{Shogi-stub}} {{DEFAULTSORT:はやさしおういけつていせん01き}} [[Category:早指し王位決定戦|01]] [[Category:1954年の将棋]] [[Category:1955年の将棋]]
2023-12-09T08:22:34Z
2023-12-09T13:13:11Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Shogi-stub", "Template:Infobox 各年の棋戦", "Template:4TeamBracket-Shogi", "Template:竜王戦ランキング戦2-1", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:早指し王位決定戦" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%97%A9%E6%8C%87%E3%81%97%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%88%A6
4,864,295
ウメ子 (テレビドラマ)
『ウメ子』は、2005年12月5日の21:02 - 22:54にTBS系列で放送されたスペシャルドラマ。主演は深田恭子。 松下電器産業(現:パナソニック)の一社提供で制作され、「ナショナルドラマスペシャル」として放送された。 阿川佐和子による同名小説をドラマ化した作品。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『ウメ子』は、2005年12月5日の21:02 - 22:54にTBS系列で放送されたスペシャルドラマ。主演は深田恭子。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "松下電器産業(現:パナソニック)の一社提供で制作され、「ナショナルドラマスペシャル」として放送された。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "阿川佐和子による同名小説をドラマ化した作品。", "title": null } ]
『ウメ子』は、2005年12月5日の21:02 - 22:54にTBS系列で放送されたスペシャルドラマ。主演は深田恭子。 松下電器産業(現:パナソニック)の一社提供で制作され、「ナショナルドラマスペシャル」として放送された。 阿川佐和子による同名小説をドラマ化した作品。
{{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = ウメ子 | 画像 = <!--入力例:Example.svg--> | 画像サイズ = <!--pxを含まない入力例:200--> | 画像サイズ自動補正比 = | 画像の代替テキスト = | 画像説明 = | 別名 = | ジャンル = [[テレビドラマ]] | 原作 = [[阿川佐和子]]『ウメ子』 | 原案 = | 企画 = | 構成 = | 脚本 = [[中谷まゆみ]] | 台本 = | 総監督 = | 監督 = [[中原俊]] | 演出 = | 監修 = | クリエイティブ・ディレクター = | 司会者 = | 出演者 = [[深田恭子]]<br/>[[岡田義徳]]<br/>[[村上茉愛]](子役)<br/>[[岩本千波]](子役)<br/>[[田中冴樹]](子役)<br/>[[薬師丸ひろ子]]<br/>[[伊原剛志]]<br/>[[宇梶剛士]]<br/>[[笹野高史]]<br/>[[中尾ミエ]]<br/>[[津川雅彦]] | 審査員 = | 声の出演 = | ナレーター = | アナウンサー = | テーマ曲作者 = | 音楽 = | 作曲 = | OPテーマ = | EDテーマ = [[風味堂]]「[[ママのピアノ -Strings Version-|ママのピアノ]]」 | 国・地域 = {{JPN}} | 言語 = 日本語 | 時代設定 = | シーズン数 = | シリーズ数 = | 話数 = | 各話リスト = | 各話の長さ = <!--「製作」ヘッダ--> | 製作総指揮 = | プロデューサー = 志村彰<br/>[[高橋史典]] | 制作プロデューサー = | 撮影地 = | 撮影監督 = | 撮影体制 = | 編集 = | 制作 = [[TBSテレビ|TBS]]<br/>[[The icon]] | 製作 = | 配給 = | 製作費 = <!--「放送」ヘッダ--> | ヘッダ = 放送 <!--既定値は「放送」--> | ネット配信 = | 放送チャンネル = [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]] | 映像形式 = | 音声形式 = [[ステレオ放送]] | 放送国 = {{JPN}} | 放送期間 = [[2005年]][[12月5日]] | 放送時間 = 月曜 21:02 - 22:54 | 放送枠 = | 放送分 = 112 | 放送回数 = | 外部リンク = | 外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> | 副次的外部リンク = | 副次的外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト2」--> <!--シリーズ番組ヘッダ--> | ヘッダ1 = | ネット配信1 = | 司会者1 = | 出演者1 = | 審査員1 = | 声の出演1 = | ナレーター1 = | アナウンサー1 = | OPテーマ1 = | EDテーマ1 = | 放送チャンネル1 = <!--「放送局1」も使用可--> | 映像形式1 = | 音声形式1 = | 放送国1 = | 放送期間1 = | 放送時間1 = | 放送枠1 = | 各話の長さ1 = <!--「放送分1」も使用可--> | 放送回数1 = | 外部リンク1 = | 外部リンク名1 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> <!--以下、数字は「20」まで--> <!--「番組年表」ヘッダ--> | 前作 = | 次作 = | 関連番組 = <!--脚注--> | 特記事項 = }} 『'''ウメ子'''』は、[[2005年]][[12月5日]]の21:02 - 22:54に[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]で放送された[[特別番組|スペシャルドラマ]]。主演は[[深田恭子]]。 [[松下電器産業]](現:[[パナソニック]])の一社提供で制作され、「ナショナルドラマスペシャル」として放送された。 [[阿川佐和子]]による同名小説をドラマ化した作品<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-38760|title=テレビドラマデータベース ウメ子|accessdate=2011-10-16}}</ref>。 == キャスト == * [[深田恭子]] * [[岡田義徳]] * [[村上茉愛]](子役) * [[岩本千波]](子役) * [[田中冴樹]](子役) * [[薬師丸ひろ子]] * [[伊原剛志]] * [[宇梶剛士]] * [[宮地真緒]] * [[笹野高史]] * [[中尾ミエ]] * [[津川雅彦]] * [[木下ほうか]] * [[春木みさよ]] * [[坂田雅彦]] * [[山口あゆみ]] * 橋本亜紀 * [[深沢さやか]] * こまつえみ * [[眞継ゆわ]]([[桜銀花]]) * 間中優子 * 三浦秀斗 * 田村友宏 * 高野翔司 * 成瀬優和 * 水口真名 * 間中博美 * 柴原奈津美 * [[正木佐和]] * [[かなやす慶行]] * [[新納敏正]] * [[棚橋ナッツ]] * [[甲野優美]](子役) * [[ささの堅太]](子役) * いはらつとむ * ムラ * チカパン * フライング・ファーファンズ、大月キリストの教会幼稚園の皆さん、若葉幼稚園の皆さん、三宝幼稚園の皆さん、NEWSエンターテイメントスクール == スタッフ == * 原作 - 阿川佐和子「ウメ子」([[小学館文庫]]) * 脚本 - [[中谷まゆみ]] * 監督 - [[中原俊]] * 音楽 - [[羽毛田丈史]] * エンディングテーマ - [[風味堂]]「ママのピアノ」([[ビクター]]/・[[スピードスターレコード]]) * 撮影 - [[猪本雅三]] * 照明 - 奥村誠 * 録音 - 寺内大太 * 調整 - 坂上忠雄 * 録音 - 寺内大太 * 撮影助手 - 橋本彩子 * 照明助手 - 田部誠 * 録音助手 - 池田勇 * 調整助手 - 黒澤智 * 編集 - [[冨田伸子]] * 編集協力 - 須永弘志 * 選曲・効果 - 大貫悦男 * MA - 目黒達朗 * ヴィジュアルエフェクト - 泉谷修、矢ヶ崎綾子 * オンライン編集 - 山田典久 * カラリスト - 小山徹 * 美術 - 和田洋 * 装飾 - 平井浩一 * 持道具 - 関久美 * 大道具 - 天久信男 * 衣装 - 西留由起子 * スタイリスト - 外山由香里 * メイク - 佐藤優子、小泉尚子 * 医事指導 - 石田喜代美 * 劇中漫画 - 福山信 * 題字 - 山本祐司 * 助監督 - 久保朝洋、水村秀雄 * 制作担当 - 桑山和之 * 制作主任 - 竹内暢生 * スタントコーディネイト - [[高橋伸稔]] * 劇中芝居協力 - 片岡直子 * 記録 - 杉山珠美 * 番組宣伝 - 河野裕之 * スチール - 大木道明 * 制作協力 - [[バル・エンタープライズ]]、[[KHKアート]]、むごん劇かんぱにい、パナソニック映像、[[日本エフェクトセンター]]、[[テックス]]、アルティメット・スタント、アーバンロケサービス、[[池谷幸雄]]体操倶楽部 * プロデューサー補 - 渡辺三季 * プロデューサー - 志村彰、[[高橋史典]] * 制作 - TBS、[[The icon]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Cite web|和書|url=https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/-/VIBF-5093.html|title=ビクターエンタテインメント 「ウメ子」DVD-VIDEO|accessdate=2011-10-16}} {{DEFAULTSORT:うめこ}} [[Category:2005年のテレビドラマ]] [[Category:TBSのテレビドラマ]] [[Category:The iconのテレビドラマ]] [[Category:小説を原作とするテレビドラマ]] [[Category:一社提供番組]] [[Category:パナソニック]]
2023-12-09T08:24:39Z
2023-12-16T06:30:55Z
false
false
false
[ "Template:基礎情報 テレビ番組", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1%E5%AD%90_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
4,864,297
JPXプライム150指数
JPXプライム150指数(ジェーピーエックス・プライム・ひゃくごじゅうしすう)は、東京証券取引所プライム市場に上場する内国普通株式を対象とする時価総額加重平均型株価指数の株価指数である。2023年7月3日から算出を開始。 コンセプトは「価値創造が推定される我が国を代表する企業で構成される指数」で、プライム市場より選ばれた150の銘柄によって構成されている。 2023年5月の採用銘柄を発表で、日本企業で時価総額首位のトヨタを筆頭に、三菱UFJフィナンシャル・グループ、パナソニックグループといった大企業が外れたことが話題となった。ホンダ、ソフトバンクグループなども選ばれなかった。日本を代表する企業でも基準を満たしていないものは選定から漏れる。 2023年7月3日の算出開始から1カ月の運用成績は、東証株価指数(TOPIX)を下回り、日経平均株価とほぼ同じ動きとなった。 エクイティ・スプレッド(ES)という計算モデルとPBR(株価純資産倍率)の2つの選定基準を採用している。資本収益性から75銘柄を選定、市場評価で75銘柄を選定している。2023年5月26日の基準値は1000。毎年8月に定期的に入れ替える。 (2023年5月26日現在)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "JPXプライム150指数(ジェーピーエックス・プライム・ひゃくごじゅうしすう)は、東京証券取引所プライム市場に上場する内国普通株式を対象とする時価総額加重平均型株価指数の株価指数である。2023年7月3日から算出を開始。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "コンセプトは「価値創造が推定される我が国を代表する企業で構成される指数」で、プライム市場より選ばれた150の銘柄によって構成されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年5月の採用銘柄を発表で、日本企業で時価総額首位のトヨタを筆頭に、三菱UFJフィナンシャル・グループ、パナソニックグループといった大企業が外れたことが話題となった。ホンダ、ソフトバンクグループなども選ばれなかった。日本を代表する企業でも基準を満たしていないものは選定から漏れる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2023年7月3日の算出開始から1カ月の運用成績は、東証株価指数(TOPIX)を下回り、日経平均株価とほぼ同じ動きとなった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "エクイティ・スプレッド(ES)という計算モデルとPBR(株価純資産倍率)の2つの選定基準を採用している。資本収益性から75銘柄を選定、市場評価で75銘柄を選定している。2023年5月26日の基準値は1000。毎年8月に定期的に入れ替える。", "title": "構成銘柄" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "(2023年5月26日現在)", "title": "構成銘柄" } ]
JPXプライム150指数(ジェーピーエックス・プライム・ひゃくごじゅうしすう)は、東京証券取引所プライム市場に上場する内国普通株式を対象とする時価総額加重平均型株価指数の株価指数である。2023年7月3日から算出を開始。 コンセプトは「価値創造が推定される我が国を代表する企業で構成される指数」で、プライム市場より選ばれた150の銘柄によって構成されている。
'''JPXプライム150指数'''(ジェーピーエックス・プライム・ひゃくごじゅうしすう)は、東京証券取引所プライム市場に上場する内国普通株式を対象とする[[時価総額加重平均型株価指数]]の[[株価指数]]である。2023年7月3日から算出を開始<ref name="businessinsider" />。 コンセプトは「'''価値創造が推定される我が国を代表する企業で構成される指数'''」で、プライム市場より選ばれた150の銘柄によって構成されている<ref name="businessinsider">「[http://www.businessinsider.jp/post-272685 【Q&A】 JPXプライム150指数 とは--銘柄の「収益性」を重視した新しい株価指数]」Business Insider Japan2023年7月18日</ref>。 == 沿革 == * 2023年3月30日、JPX総研が新指数「JPXプライム150指数」の創設を発表<ref>「[http://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-03-30/RSB3VJT0G1KW01 「プライム150」新指数、時価総額350兆円-JPX清田CEO最後の会見]」Bloomberg2023年3月30日</ref>。 * 2023年5月26日、JPXプライム150指数の構成銘柄を公表。 * 2023年7月3日、JPXプライム150指数の算出を開始。 * 2023年9月26日、日本取引所グループ傘下の大阪取引所は、JPXプライム150指数の先物を上場すると発表。2024年3月18日に取引開始予定<ref>「[http://jp.reuters.com/markets/japan/IN4RET5AKVP7LOF5CURIPF5B5A-2023-09-26/ 大阪取引所、プライム150指数先物を上場へ 来年3月18日予定]」ロイター2023年9月26日</ref>。 == 特徴 == 2023年5月の採用銘柄を発表で、日本企業で時価総額首位の[[トヨタ]]を筆頭に、[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]、[[パナソニックグループ]]といった大企業が外れたことが話題となった<ref>「[http://www.tokyo-np.co.jp/article/258907 トヨタ、三菱UFJが漏れ、ソニーやNTTが選ばれる基準とは? 「JPXプライム150指数」の狙いを探る]」東京新聞 TOKYO Web2023年6月26日</ref>。[[ホンダ]]、[[ソフトバンクグループ]]なども選ばれなかった<ref>「[http://jp.reuters.com/article/tosho-idJPKBN2XH0MF/ 訂正-JPX総研が「プライム150」銘柄を公表、トヨタは選ばれず]」ロイター2023年5月26日</ref>。日本を代表する企業でも基準を満たしていないものは選定から漏れる<ref>「[http://dot.asahi.com/articles/-/201110 新株価指数「プライム150」の将来性 「新NISAのつみたて投資枠で長期保有するのも一手」専門家が評価]」AERA dot.(アエラドット)2023年9月12日</ref>。 2023年7月3日の算出開始から1カ月の運用成績は、[[東証株価指数]](TOPIX)を下回り、[[日経平均株価]]とほぼ同じ動きとなった<ref>「[http://shikiho.toyokeizai.net/news/0/692082 新指数「JPXプライム150」、始動1カ月の成績はTOPIXを下回る]」会社四季報オンライン2023年8月3日</ref>。 == 構成銘柄 == エクイティ・スプレッド(ES)という計算モデルとPBR(株価純資産倍率)の2つの選定基準を採用している<ref>「[http://money-bu-jpx.com/news/article046628/ 新たに誕生した「JPXプライム150指数」。日本企業の「稼ぐ力」=「価値創造」に託す]」東証マネ部!2023年9月21日</ref>。資本収益性から75銘柄を選定、市場評価で75銘柄を選定している<ref>「[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20230707/k10014121281000.html 東証新指数 トヨタ“対象外”はなぜ?【経済コラム】]」NHK2023年7月9日</ref>。2023年5月26日の基準値は1000<ref>「[http://www.sankei.com/article/20230703-TWWMOIQY5ZN27A5YWONFSBPLEY/ 新株価指数の算出開始 プライム150銘柄で構成]」産経ニュース2023年7月3日</ref>。毎年8月に定期的に入れ替える<ref>「[http://www.jiji.com/jc/article?k=2023070300547 東証、トップ企業で新指数 「プライム150」算出開始]」時事ドットコム2023年7月3日</ref>。 {| class="wikitable" |+ 構成比率の高い銘柄上位10位 ! 銘柄 !! 構成比率 |- ! [[ソニーグループ]] | 5.6% |- ! [[キーエンス]] | 4.2% |- ! [[NTT]] | 3.3% |- ! [[第一三共]] | 2.6% |- ! [[武田薬品工業]] | 2.5% |- ! [[日立製作所]] | 2.4% |- ! [[任天堂]] | 2.3% |- ! [[東京エレクトロン]] | 2.2% |- ! [[KDDI]] | 2.1% |- ! [[HOYA]] | 2.1% |- | colspan="3" | 2023年6月9日現在<ref>「[http://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230620/se1/00m/020/054000c 日本の株高は勢い加速も 新NISA控え先回りする外国人(編集部)]」週刊エコノミスト Online2023年6月9日</ref>。 |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" |+ 構成銘柄一覧 |- ! コード ! 銘柄名 ! 選定基準 ! 備考 |- | 1878 || [[大東建託]] | ES | |- | 1911 || [[住友林業]] | ES | |- | 1925 || [[大和ハウス工業]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 1928 || [[積水ハウス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2127 || [[日本M&Aセンター|日本M&Aセンターホールディングス]] | ES | |- | 2175 || [[エス・エム・エス]] | ES | |- | 2267 || [[ヤクルト本社]] | PBR | |- | 2371 || [[カカクコム]] | ES | |- | 2412 || [[ベネフィット・ワン]] | ES | |- | 2413 || [[エムスリー ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2502 || [[アサヒグループホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2503 || [[キリンホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2587 || [[サントリー食品インターナショナル]] | PBR | |- | 2801 || [[キッコーマン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2802 || [[味の素]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 2897 || [[日清食品ホールディングス]] | PBR | |- | 2914 || [[日本たばこ産業]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 3038 || [[神戸物産]] | ES/PBR | |- | 3064 || [[MonotaRO]] | ES | |- | 3088 || [[マツキヨココカラ&カンパニー]] | PBR | |- | 3092 || [[ZOZO]] | ES | |- | 3132 || [[マクニカホールディングス]] | ES | |- | 3288 || [[オープンハウスグループ]] | ES | |- | 3382 || [[セブン&アイ・ホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 3626 || [[TIS (企業)|TIS]] | ES | |- | 3659 || [[ネクソン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 3659 || [[SHIFT (企業)|SHIFT]] | ES | |- | 3765 || [[ガンホー・オンライン・エンターテイメント]] | ES | |- | 3769 || [[GMOペイメントゲートウェイ]] | ES | |- | 3774 || [[インターネットイニシアティブ]] | ES | |- | 4021 || [[日産化学]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 4063 || [[信越化学工業]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4091 || [[日本酸素ホールディングス]] | PBR | |- | 4151 || [[協和キリン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4307 || [[野村総合研究所]] | ES/PBR | |- | 4324 || [[電通グループ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4452 || [[花王]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4502 || [[武田薬品工業]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4503 || [[アステラス製薬]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4507 || [[塩野義製薬]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4519 || [[中外製薬]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4523 || [[エーザイ ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4528 || [[小野薬品工業]] | ES/PBR |- | 4543 || [[テルモ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4568 || [[第一三共]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4578 || [[大塚ホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4587 || [[ペプチドリーム]] | ES | |- | 4612 || [[日本ペイントホールディングス]] | PBR | |- | 4661 || [[オリエンタルランド]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4684 || [[オービック]] | PBR |- | 4686 || [[ジャストシステム]] | ES | |- | 4751 || [[サイバーエージェント]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 4812 || [[電通国際情報サービス]] | ES | |- | 4901 || [[富士フイルムホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4911 || [[資生堂]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 4928 || [[ノエビアホールディングス]] | ES | |- | 4974 || [[タカラバイオ]] | ES | |- | 5019 || [[出光興産]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 5108 || [[ブリヂストン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 5384 || [[フジミインコーポレーテッド]] | ES |- | 5423 || [[東京製鐵]] | ES | |- | 6028 || [[テクノプロ・ホールディングス]] | ES | |- | 6055 || [[ジャパンマテリアル]] | ES | |- | 6098 || [[リクルートホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6146 || [[ディスコ (切断装置製造)|ディスコ]] | ES/PBR | |- | 6273 || [[SMC]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6301 || [[小松製作所]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6326 || [[クボタ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6367 || [[ダイキン工業]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6460 || [[セガサミーホールディングス]] | ES | |- | 6479 || [[ミネベアミツミ ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6501 || [[日立製作所]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6503 || [[三菱電機]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6506 || [[安川電機]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6526 || [[ソシオネクスト]] | ES | |- | 6532 || [[ベイカレント・コンサルティング]] | ES | |- | 6586 || [[マキタ]] | PBR | |- | 6594 || [[ニデック (電機メーカー)|ニデック]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6645 || [[オムロン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6702 || [[富士通]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6723 || [[ルネサスエレクトロニクス ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6758 || [[ソニーグループ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6762 || [[TDK]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6857 || [[アドバンテスト]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6861 || [[キーエンス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6869 || [[シスメックス]] | PBR | |- | 6902 || [[デンソー]] | PBR | |- | 6920 || [[レーザーテック]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6954 || [[ファナック]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6963 || [[ローム ]] | PBR | |- | 6965 || [[浜松ホトニクス]] | PBR | |- | 6966 || [[三井ハイテック]] | ES | |- | 6967 || [[新光電気工業]] | ES | |- | 6981 || [[村田製作所]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 6988 || [[日東電工]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7011 || [[三菱重工業]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7071 || [[アンビスホールディングス]] | ES | |- | 7211 || [[三菱自動車工業]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 7269 || [[スズキ (企業)|スズキ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7272 || [[ヤマハ発動機]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7309 || [[シマノ]] | ES/PBR | |- | 7518 || [[ネットワンシステムズ]] | ES | |- | 7532 || [[パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス]] | ES/PBR | |- | 7701 || [[島津製作所]] | PBR | |- | 7733 || [[オリンパス]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7735 || [[SCREENホールディングス]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 7741 || [[HOYA]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7751 || [[キヤノン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7832 || [[バンダイナムコホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7951 || [[ヤマハ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 7974 || [[任天堂 ]] | ES/PBR | |- | 8001 || [[伊藤忠商事]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8002 || [[丸紅]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8031 || [[三井物産]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 8035 || [[東京エレクトロン]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8056 || [[BIPROGY]] | ES | |- | 8111 || [[ゴールドウイン]] | ES | |- | 8113 || [[ユニ・チャーム]] | PBR | |- | 8136 || [[サンリオ]] | ES | |- | 8174 || [[日本瓦斯]] | ES | |- | 8267 || [[イオン (企業)|イオン]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8697 || [[日本取引所グループ ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8766 || [[東京海上ホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 8876 || [[リログループ]] | ES | |- | 8919 || [[カチタス]] | ES | |- | 9005 || [[東急]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9020 || [[東日本旅客鉄道]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9021 || [[西日本旅客鉄道]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9042 || [[阪急阪神ホールディングス]] | PBR | |- | 9101 || [[日本郵船]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9104 || [[商船三井]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 9107 || [[川崎汽船]] | ES | 日経平均採用銘柄 |- | 9143 || [[SGホールディングス]] | ES/PBR | |- | 9201 || [[日本航空]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9202 || [[ANAホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9432 || [[日本電信電話]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9433 || [[KDDI]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9434 || [[ソフトバンク]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9435 || [[光通信]] | ES | |- | 9449 || [[GMOインターネットグループ]] | ES | |- | 9602 || [[東宝]] | PBR | |- | 9613 || [[エヌ・ティ・ティ・データ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9684 || [[スクウェア・エニックス・ホールディングス]] | ES | |- | 9697 || [[カプコン ]] | ES/PBR | |- | 9735 || [[セコム]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9744 || [[メイテック]] | ES | |- | 9759 || [[NSD (企業)|NSD]] | ES | |- | 9766 || [[コナミグループ]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9843 || [[ニトリホールディングス]] | PBR | 日経平均採用銘柄 |- | 9983 || [[ファーストリテイリング]] | ES/PBR | 日経平均採用銘柄 |} (2023年5月26日現在<ref>[https://www.jpx.co.jp/markets/indices/line-up/files/mei2_37_jpx150.pdf 構成銘柄一覧 (2023年5月26日時点)]東京証券取引所</ref>) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.jpx.co.jp/markets/indices/jpx-prime150/index.html JPXプライム150指数 | 日本取引所グループ] {{Economy-stub}} {{DEFAULTSORT:しえひいえつくす ふらいむしすう150}} [[Category:株式市場]] [[Category:東京証券取引所]] [[Category:日本の株価指数]]
2023-12-09T08:29:47Z
2023-12-16T00:20:52Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Economy-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/JPX%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0150%E6%8C%87%E6%95%B0
4,864,301
小山典孝
小山 典孝(こやま のりたか、1970年(昭和45年)9月12日 - )は、日本のマーケティングディレクター・マーケター。神奈川県出身。関東学院中学校高等学校、グロービス経営大学院大学卒業。 日本ケンタッキー・フライド・チキン取締役 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長。 高校生時代からアルバイトとしてケンタッキー・フライド・チキンに関わる。 1990年に日本ケンタッキー・フライド・チキンに入社し、店舗勤務、店舗店長、エリアマネージャーの営業職を経験。2003年8月からから営業部オペレーションチームに移り、2007年からは商品開発部に移る。 2010年、当時日本KFCホールディングス傘下だったピザハット事業部の経営企画部に移り、2013年マーケティング・購買部 部長に就任し、マーケターとして本格的に活動。翌2014年にKFCマーケティング部長に就任し、2016年に執行役員へ昇進。同年MBA取得。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小山 典孝(こやま のりたか、1970年(昭和45年)9月12日 - )は、日本のマーケティングディレクター・マーケター。神奈川県出身。関東学院中学校高等学校、グロービス経営大学院大学卒業。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本ケンタッキー・フライド・チキン取締役 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "高校生時代からアルバイトとしてケンタッキー・フライド・チキンに関わる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1990年に日本ケンタッキー・フライド・チキンに入社し、店舗勤務、店舗店長、エリアマネージャーの営業職を経験。2003年8月からから営業部オペレーションチームに移り、2007年からは商品開発部に移る。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2010年、当時日本KFCホールディングス傘下だったピザハット事業部の経営企画部に移り、2013年マーケティング・購買部 部長に就任し、マーケターとして本格的に活動。翌2014年にKFCマーケティング部長に就任し、2016年に執行役員へ昇進。同年MBA取得。", "title": "経歴" } ]
小山 典孝は、日本のマーケティングディレクター・マーケター。神奈川県出身。関東学院中学校高等学校、グロービス経営大学院大学卒業。 日本ケンタッキー・フライド・チキン取締役 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長。
{{Infobox 人物 | 名前 = {{ruby|小山|こやま}} {{ruby|典孝|のりたか}} | 生誕地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]] | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1970|9|12}} | 国籍 = {{JPN}} |出身校 = [[グロービス経営大学院大学]] |職業 =[[マーケター]] マーケティングディレクター | 肩書き = [[日本ケンタッキー・フライド・チキン]][[取締役]] 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長 }} '''小山 典孝'''(こやま のりたか、[[1970年]]([[昭和]]45年)[[9月12日]]<ref name="facebook">{{Cite web |url=https://www.facebook.com/noritaka.koyama|title=Facebookのプロフィール欄|access-date=2023-12-9}}</ref> - )は、[[日本]]のマーケティングディレクター・[[マーケター]]。[[神奈川県]]出身。[[関東学院中学校高等学校]]、[[グロービス経営大学院大学]]卒業<ref name="facebook"></ref>。[[日本ケンタッキー・フライド・チキン]][[取締役]] 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長<ref name="kfc">{{Cite web |url=https://japan.kfc.co.jp/assets/articles/5671/files/730|title=日本 KFC ホールディングス株式会社|組織変更ならびに人事異動に関するお知らせ|access-date=2023-12-9}}</ref>。 == 経歴 == 高校生時代からアルバイトとして[[ケンタッキー・フライド・チキン]]に関わる<ref name="marketingnative">{{Cite web |url=https://marketingnative.jp/the-marketing-native-noritaka-koyama/#header-3|title=KFCのキーパーソン・小山典孝氏を直撃! 仲良くなんて無理! マーケティングと営業のシナジーを最大化させる仕組みとは?|Marketing Native(マーケティング ネイティブ)|access-date=2023-12-9}}</ref>。 [[1990年]]に[[日本ケンタッキー・フライド・チキン]]に入社し<ref group="注釈">1989年入社と記載されるWebサイトも存在する</ref>、店舗勤務、店舗店長、エリアマネージャーの営業職を経験。[[2003年]]8月からから営業部オペレーションチームに移り、[[2007年]]からは商品開発部に移る<ref name="summit-japan">{{Cite web |url=http://2019.summit-japan.com/brand-summit/noritaka-koyama/|title=小山 典孝 |Brand Summit Autumn 公式Webサイト|access-date=2023-12-9}}</ref>。 [[2010年]]、当時[[日本KFCホールディングス]]傘下だった[[ピザハット]]事業部の経営企画部に移り、[[2013年]]マーケティング・購買部 部長に就任し、マーケターとして本格的に活動。翌[[2014年]]にKFCマーケティング部長に就任し、2016年に[[執行役員]]へ昇進。同年[[MBA]]取得<ref name="summit-japan"></ref><ref name="diamond">{{Cite web |url=https://diamond-rm.net/management/218376/|title=15四半期連続で既存店売上プラス!ケンタッキーフライドチキン絶好調の理由とは? _小売・流通業界 ニュースサイト【ダイヤモンド・チェーンストアオンライン】|access-date=2023-12-9}}</ref>。 ;2018年 *4月 執行役員 営業戦略統括部長 就任<ref name="summit-japan"></ref> ;2019年 *4月 執行役員 営業戦略本部長 兼務<ref name="summit-japan"></ref> ;2022年 *4月 取締役 常務執行役員 開発本部長 就任<ref name="diamond"></ref><ref name="retail-research">{{Cite web |url=https://retail-research.co.jp/events/231026_seminar|title=リテールDXカンファレンス2023 リテール業界のDX・オムニチャネル最前線|access-date=2023-12-9}}</ref> ;2023年 *4月 取締役 常務執行役員 開発本部長 兼 オペレーション開発部長 就任<ref name="kfc"></ref> == 人物 == *高校生アルバイト時代から2023年現在まで'''一貫して'''ケンタッキー・フライド・チキンに関わっている<ref name="marketingnative"></ref>。 *'''「現場が全て」'''と考え、お弱様から見えてる店舗の姿がブランドそのものであるとも発言している<ref name="marketingnative"></ref>。 *マーケティングとは'''「商い全部」'''と考えているが、少し噛み砕き'''「モノを売る仕組みを作ること」'''と伝えている<ref name="marketingnative"></ref>。 *人材育成として、答えをあまり言わず'''徹底的に考えさせる'''訓練を重ねる手法を取る<ref name="marketingnative"></ref>。 *'''マーケティングが強い会社は経営も強い会社'''と考えている<ref name="marketingnative"></ref>。 == 登壇 == ;2017年 *2月【インフォーマ マーケッツ ジャパン】マーケティング・テクノロジーフェア「KFCのデジタルCRM戦略 ~実現するための組織マネジメントとは~」<ref>{{Cite web |url=https://www.facebook.com/tfmjapan/posts/1181844771913928/|title=マーケティング・テクノロジーフェア|セミナー新規公開のお知らせ|access-date=2023-12-9}}</ref> *10月【チーターデジタル】「マーケティングオートメーション活用最前線」<ref>{{Cite web |url=https://mag.sendenkaigi.com/senden/201801/pickup/012267.php|title=アクションにつなげるKFC流のデータ活用マーケティング|宣伝会議デジタル版|access-date=2023-12-9}}</ref> ;2018年 *11月【[[宣伝会議]]】宣伝会議サミット2018 「変化する時代に対応する、柔軟な戦略-マーケティング部門の挑戦」<ref>{{Cite web |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000198.000002888.html|title=「宣伝会議サミット2018」開催 過去最高の5543人が来場!|株式会社宣伝会議のプレスリリース|access-date=2023-12-9}}</ref> *12月【[[宣伝会議]]】デジタルナレッジマネージメントセミナー 「日本KFCのO2S戦略 ~今まで、そしてこれから~」<ref>{{Cite web |url=https://www.sendenkaigi.com/event/yext201812/|title=宣伝会議 - デジタルナレッジマネージメントセミナー ~AI・音声検索の時代に選ばれるブランドになる為に~|access-date=2023-12-9}}</ref> ;2019年 *7月【[[TIS]]】ペイメントマーケティングカンファレンス 「先進企業が考える「お客様視点」でのこれからの顧客データ利活用・決済」<ref>{{Cite web |url=https://tis-seminar.satori.site/pmc2019|title=セミナー情報|ペイメントマーケティングカンファレンス|access-date=2023-12-9}}</ref> *12月【[[宣伝会議]]】宣伝会議サミット大阪2019「マーケターのチャレンジが、顧客の共感を生む 消費者に愛されるブランド戦略」<ref>{{Cite web |url=https://www.advertimes.com/20200127/article305857/|title=デジタル×アナログに必要なタイミングマーケティングの重要性と活用方法を探る! —「宣伝会議サミット大阪」レポート|AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議|access-date=2023-12-9}}</ref> ;2022年 *7月 【日本オムニチャネル協会】「外食の未来~日本オムニチャネル協会が新次元へ挑む~」<ref name="grid2022">{{Cite web |url=https://www.grid-inc.tokyo/2022|title=株式会社 グリッド|2022 grid NEWS|access-date=2023-12-9}}</ref> *7月 【日本オムニチャネル協会】第1回外食CX部会 「外食におけるオムニチャンネルの定義とは?」<ref name="grid2022"></ref> *9月 【日本オムニチャネル協会】第2回外食CX分科会 「外食におけるDXのあるべき姿を議論し尽くす!!」<ref name="grid2022"></ref> *9月 【日本オムニチャネル協会】第3回外食CX部会 「スターバックスのDXの未来」<ref name="grid2022"></ref> *9月 【日本オムニチャネル協会】第3回外食CX分科会 「外食におけるCXとは何か?」<ref name="grid2022"></ref> *10月 【日本オムニチャネル協会】第4回外食CX部会 「成功事例から知る KFCのDXとその先にあるもの」<ref name="grid2022"></ref> *10月 【日本オムニチャネル協会】第4回外食CX分科会 「外食におけるDXとは何か」<ref name="grid2022"></ref> *11月 【日本オムニチャネル協会】第5回外食CX部会 「外食におけるDXとは何か」<ref name="grid2022"></ref> *11月 【日本オムニチャネル協会】第5回外食CX分科会 「本部と現場の視点をどう合わせるか」<ref name="grid2022"></ref> *12月 【日本オムニチャネル協会】第6回外食CX部会 「ファンを増やすDXとは?」<ref name="grid2022"></ref> *12月 【日本オムニチャネル協会】第6回外食CX分科会 「DX施策の失敗事例とその理由」<ref name="grid2022"></ref> ;2023年 *1月 【日本オムニチャネル協会】第7回外食CX分科会 「アナログとデジタルを融合したDX事例」<ref name="grid2023">{{Cite web |url=https://www.grid-inc.tokyo/2023|title=株式会社 グリッド|2023 grid NEWS|access-date=2023-12-9}}</ref> *1月 【日本オムニチャネル協会】第8回外食CX分科会 「DXの二律背反を二律両立にするために」<ref name="grid2023"></ref> *2月 【日本オムニチャネル協会】第9回外食CX分科会 「ミッション、ビジョン、バリューをどうやって店舗に落とし込むか」<ref name="grid2023"></ref> *10月【リテールDXカンファレンス】リテール業界のDX/オムニチャネル<ref name="retail-research"></ref> == 審査員 == ;2022年 *7月【[[丹青社]]】NEXT STORE IDEA CONTEST<ref>{{Cite web |url=https://www.tanseisha.co.jp/nexsto/|title=NEXSTO, NEXSTO2023, 次世代店舗, 次世代店舗アイデアコンテスト, 丹青社 コンペ|access-date=2023-12-9}}</ref> == 連載 == *「営業とマーケティング、融合の秘訣」『Agenda note』(2018年6月 - 11月)<ref>{{Cite web |url=https://agenda-note.com/retail/detail/id=226|title=「営業とマーケティング部門の連携は、永遠の課題。その解決に向けて」日本KFC 小山典孝|Agenda note (アジェンダノート)|access-date=2023-12-9}}</ref> == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist}} == 外部リンク == *[https://www.facebook.com/noritaka.koyama Facebook] {{DEFAULTSORT:こやま のりたか}} [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:マーケター]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
2023-12-09T08:34:25Z
2023-12-09T13:53:00Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 人物", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%85%B8%E5%AD%9D
4,864,303
クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記
『クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』(クレヨンしんちゃん オラたちのきょうりゅうにっき)は、2024年夏に公開予定の日本のアニメーション映画で、クレヨンしんちゃん劇場映画32作目である。 本作では恐竜をテーマにしている。キャッチコピー通り『嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!』(2007年)以来のシロがメインとした作品。 監督は『バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』(2013年)、『もののけニンジャ珍風伝』(2022年)やクレヨンしんちゃん (アニメ)で演出を務めていた佐々木忍、脚本はクレヨンしんちゃん (アニメ)の脚本を務めているモラル。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』(クレヨンしんちゃん オラたちのきょうりゅうにっき)は、2024年夏に公開予定の日本のアニメーション映画で、クレヨンしんちゃん劇場映画32作目である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本作では恐竜をテーマにしている。キャッチコピー通り『嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!』(2007年)以来のシロがメインとした作品。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "監督は『バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』(2013年)、『もののけニンジャ珍風伝』(2022年)やクレヨンしんちゃん (アニメ)で演出を務めていた佐々木忍、脚本はクレヨンしんちゃん (アニメ)の脚本を務めているモラル。", "title": "概要" } ]
『クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』は、2024年夏に公開予定の日本のアニメーション映画で、クレヨンしんちゃん劇場映画32作目である。
{{Pathnav|クレヨンしんちゃん|クレヨンしんちゃん (アニメ)|frame=1}} {{公開前の映画|date=2023年12月}} {{Infobox Film | 作品名 = クレヨンしんちゃん<br />オラたちの恐竜日記 | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[佐々木忍 (アニメ演出家)|佐々木忍]] | 脚本 = [[モラル (脚本家・演出家)|モラル]] | 原作 = [[臼井儀人]] | 製作 = | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[小林由美子]]<br />[[ならはしみき]]<br />[[森川智之]]<br />[[こおろぎさとみ]]<br />[[真柴摩利]] | 音楽 = | 主題歌 = | 編集 = | 製作会社 = [[シンエイ動画]]<br />[[テレビ朝日]]<br />[[ADKホールディングス|ADKエモーションズ]]<br />[[双葉社]] | 配給 = [[東宝]] | 公開 = {{Flagicon|JPN}} [[2024年]]夏(予定) | 上映時間 = | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = [[しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜]] | 次作 = }} 『'''クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記'''』(クレヨンしんちゃん オラたちのきょうりゅうにっき)は、[[2024年]]夏に公開予定の[[日本]]の[[アニメーション映画]]で、[[クレヨンしんちゃん]]劇場映画32作目である<ref name="情報公開">{{Cite web|和書|url= https://mantan-web.jp/article/20231208dog00m200049000c.html |title= クレヨンしんちゃん:劇場版最新作「オラたちの恐竜日記」2024年夏公開 現代に復活した恐竜が大暴れ! シロと小さな恐竜の友情 |website= [[MANTANWEB]] |date=2023-12-09 |accessdate=2023-12-09}}</ref>。 == 概要 == === ストーリー案 === 本作では[[恐竜]]をテーマにしている。キャッチコピー通り『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!|嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!]]』(2007年)以来の[[シロ (クレヨンしんちゃん)|シロ]]がメインとした作品。 === スタッフ === 監督は『[[クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!!|バカうまっ!B級グルメサバイバル!!]]』(2013年)、『[[クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝|もののけニンジャ珍風伝]]』(2022年)で演出を務めた[[佐々木忍 (アニメ演出家)|佐々木忍]]、脚本は[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|テレビシリーズ]]でも脚本を務めているモラルが担当する{{R|情報公開}}。 == キャスト == * [[野原しんのすけ]] - [[小林由美子]] * [[野原みさえ]] - [[ならはしみき]] * [[野原ひろし]] - [[森川智之]] * [[野原ひまわり]] - [[こおろぎさとみ]] * [[シロ (クレヨンしんちゃん)|シロ]] - [[真柴摩利]] == スタッフ == * 原作 - [[臼井儀人]](らくだ社) * 監督 - [[佐々木忍 (アニメ演出家)|佐々木忍]] * 脚本 - [[モラル (脚本家・演出家)|モラル]] * 製作 - [[シンエイ動画]]、[[テレビ朝日]]、[[ADKホールディングス|ADKエモーションズ]]、[[双葉社]] * 配給 - [[東宝]] == 脚注 == === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.shinchan-movie.com/2024/ 『映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』公式サイト] * {{Instagram|shinchan_movie|『映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』公式アカウント}} {{クレヨンしんちゃん映画作品}} {{クレヨンしんちゃん}} {{シンエイ動画}} {{デフォルトソート:くれよんしんちやんおらたちのきようりゆうにつき}} [[Category:劇場版クレヨンしんちゃん|おらたちのきようりゆうにつき]] [[Category:2024年のアニメ映画]] [[Category:恐竜を題材としたアニメ映画]]
2023-12-09T08:36:49Z
2023-12-23T08:24:06Z
false
false
false
[ "Template:クレヨンしんちゃん", "Template:シンエイ動画", "Template:Pathnav", "Template:Reflist", "Template:クレヨンしんちゃん映画作品", "Template:Cite web", "Template:Instagram", "Template:公開前の映画", "Template:Infobox Film", "Template:R" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93_%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%81%90%E7%AB%9C%E6%97%A5%E8%A8%98
4,864,305
クララ・ポープ
クララ・マリア・ポープ(Clara Maria Pope、結婚前の名: クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh)、1767年4月12日(洗礼日) – 1838年12月24日)は、イギリスの画家、植物画家である。 ロンドンで生まれた。父親は医師で、アマチュア画家であった 。何年かの間、多くの画家のモデルを務めた後、20歳になった1787年に、人気のある肖像画家で20歳年上のフランシス・ウィートリー(1747-1801)と結婚し、4人の子供が生まれた。夫から絵を学びミニアチュール画を描き始め、1796年までにロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展するようになった。1801年に夫が亡くなった時、33歳であった。家族を養うために美術教師として働き、モデルの仕事も再開した。植物画を描くようになり、その美しさと正確さはウィリアム・カーティスが創刊した植物図鑑雑誌のカーティス・ボタニカル・マガジンの編集を引き継いだサミュエル・カーティス(Samuel Curtis: 1779-1860)に注目され、ボタニカル・マガジンやカーティスの他の著作である『ツバキ属に関するモノグラフ』 (1819年)などの図版を描いた。 1808年にアイルランド人俳優兼画家のアレクサンダー・ポープと結婚した後、クララ・マリア・ポープとしても知られるようになった。 国王ジョージ2世の曾孫のソフィア・オブ・グロスターや貴族の子弟も教えた。亡くなるまでロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展を続けた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "クララ・マリア・ポープ(Clara Maria Pope、結婚前の名: クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh)、1767年4月12日(洗礼日) – 1838年12月24日)は、イギリスの画家、植物画家である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ロンドンで生まれた。父親は医師で、アマチュア画家であった 。何年かの間、多くの画家のモデルを務めた後、20歳になった1787年に、人気のある肖像画家で20歳年上のフランシス・ウィートリー(1747-1801)と結婚し、4人の子供が生まれた。夫から絵を学びミニアチュール画を描き始め、1796年までにロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展するようになった。1801年に夫が亡くなった時、33歳であった。家族を養うために美術教師として働き、モデルの仕事も再開した。植物画を描くようになり、その美しさと正確さはウィリアム・カーティスが創刊した植物図鑑雑誌のカーティス・ボタニカル・マガジンの編集を引き継いだサミュエル・カーティス(Samuel Curtis: 1779-1860)に注目され、ボタニカル・マガジンやカーティスの他の著作である『ツバキ属に関するモノグラフ』 (1819年)などの図版を描いた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1808年にアイルランド人俳優兼画家のアレクサンダー・ポープと結婚した後、クララ・マリア・ポープとしても知られるようになった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国王ジョージ2世の曾孫のソフィア・オブ・グロスターや貴族の子弟も教えた。亡くなるまでロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展を続けた。", "title": "略歴" } ]
クララ・マリア・ポープは、イギリスの画家、植物画家である。
{{Infobox 芸術家 | bgcolour = #6495ED | name = クララ・ポープ<br>Clara Pope | image = File:Clara Maria Pope by Victorian School.jpg | imagesize = 180px | caption = 作者不詳の肖像画 | birthdate = [[1767年]][[4月12日]](洗礼日) | location = [[ロンドン]] | deathdate = [[1838年]][[12月24日]] | deathplace = ロンドン | field = | training = | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = }} '''クララ・マリア・ポープ'''(Clara Maria Pope、結婚前の名: クララ・マリア・リー(Clara Maria Leigh)、[[1767年]][[4月12日]](洗礼日) – [[1838年]][[12月24日]])は、[[イギリス]]の画家、植物画家である。 == 略歴 == [[ロンドン]]で生まれた。父親は医師で、アマチュア画家であった<ref name=archbold/><ref name=kramer/> 。何年かの間、多くの画家のモデルを務めた後<ref name=kramer/>、20歳になった1787年に、人気のある肖像画家で20歳年上の[[フランシス・ウィートリー]](1747-1801)と結婚し、4人の子供が生まれた<ref name=mary/>。夫から絵を学びミニアチュール画を描き始め、1796年までにロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展するようになった。1801年に夫が亡くなった時、33歳であった。家族を養うために美術教師として働き、モデルの仕事も再開した。植物画を描くようになり、その美しさと正確さは[[ウィリアム・カーティス]]が創刊した植物図鑑雑誌の[[カーティス・ボタニカル・マガジン]]の編集を引き継いだサミュエル・カーティス(Samuel Curtis: 1779-1860)に注目され<ref name=kramer/>、ボタニカル・マガジンやカーティスの他の著作である『ツバキ属に関するモノグラフ』(1819年)などの図版を描いた<ref name=mary/>。 1808年にアイルランド人俳優兼画家のアレクサンダー・ポープと結婚した後、クララ・マリア・ポープとしても知られるようになった。 国王[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の曾孫の[[ソフィア・オブ・グロスター]]や貴族の子弟も教えた<ref name=kramer/>。亡くなるまでロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展を続けた。 {{Botanist|C.Pope}} == 作品 == <gallery mode="nolines" widths="180" heights="200" style="font-size:smaller"> File:Clara Maria Pope Dahlias.jpg|サミュエル・カーティスの" The Beauties of Flora " (1818)の図版 File:Clara-Pope camellia-plate.jpg|サミュエル・カーティスの" Monograph on the Genus Camellia " (1818)の図版 </gallery> == 参考文献 == {{Commons category}} {{reflist| refs= <ref name=archbold>Archbold, W.A.J. [http://www.oxforddnb.com/view/article/16385 "Leigh, Jared (1724–1769)"], rev. Kate Retford, ''Oxford Dictionary of National Biography'', Oxford University Press, 2004, accessed 21 March 2015.</ref> <ref name=mary>Webster, Mary. [http://www.oxforddnb.com/view/article/22529 "Pope , Clara Maria (bap. 1767, d. 1838)"], ''Oxford Dictionary of National Biography'', Oxford University Press, 2004, accessed 21 March 2015.</ref> <ref name=kramer>Kramer, Jack 1996. ''Women of Flowers: A Tribute to Victorian Women Illustrators''. New York, Stewart, Tabori & Chang, 1996.</ref> }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ほおふ くらら}} [[Category:18世紀の女性画家]] [[Category:19世紀の女性画家]] [[Category:植物イラストレーター]] [[Category:ロンドン出身の人物]] [[Category:1767年生]] [[Category:1838年没]]
2023-12-09T08:41:22Z
2023-12-10T03:29:07Z
false
false
false
[ "Template:Infobox 芸術家", "Template:Botanist", "Template:Commons category", "Template:Reflist", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%97
4,864,308
千葉真智子
千葉 真智子は、日本のキュレーター。豊田市美術館学芸員 愛知県生まれ。同地在住。 岡崎市美術博物館学芸員を経て、2015年より現職。近現代美術を専門とし、美術館外の空間でも積極的に企画を行っている。 「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」(豊田市美術館) 「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、愛知、2019) 「切断してみる。―二人の耕平」(豊田市美術館、愛知、2017年) 「ほんとの うえの ツクリゴト」(岡崎市旧本多忠次邸、愛知、2015年) 「ユーモアと飛躍 そこにふれる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "千葉 真智子は、日本のキュレーター。豊田市美術館学芸員", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "愛知県生まれ。同地在住。 岡崎市美術博物館学芸員を経て、2015年より現職。近現代美術を専門とし、美術館外の空間でも積極的に企画を行っている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」(豊田市美術館)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、愛知、2019)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「切断してみる。―二人の耕平」(豊田市美術館、愛知、2017年)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「ほんとの うえの ツクリゴト」(岡崎市旧本多忠次邸、愛知、2015年)", "title": "企画" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「ユーモアと飛躍 そこにふれる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年)", "title": "企画" } ]
千葉 真智子は、日本のキュレーター。豊田市美術館学芸員
{{複数の問題 |一次資料=2023年12月9日 (土) 10:25 (UTC) |特筆性=2023年12月9日 (土) 10:25 (UTC) | 分野=人物 }} '''千葉 真智子'''(ちば まちこ)は、日本のキュレーター。[[豊田市美術館]]学芸員 == 概要 == [[愛知県]]生まれ、同地在住。 [[岡崎市美術博物館]]学芸員を経て、2015年より現職。近現代美術を専門とし、美術館外の空間でも積極的に企画を行っている<ref>{{Cite web |title=レビュー|千葉真智子 |url=https://www.mat-nagoya.jp/document/7218.html |website=Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]| みなとまちアートテーブルなごや |access-date=2023-12-09}}</ref>。 == 企画 == *「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」(豊田市美術館)<ref>{{Cite web |title=αMプロジェクト2022『判断の尺度』 – gallery αM |url=https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2022/ |access-date=2023-12-09}}</ref> *「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、愛知、2019)<ref>{{Cite web |title=+5(プラスファイブ) - 図録という記録のありかた 〜メディアプロデューサーとしてのキュレーター〜 |url=https://p5.art360.place/articles/catalog2-curator-machiko-chiba |website=p5.art360.place |access-date=2023-12-09 |language=jp}}</ref> *「切断してみる。―二人の耕平」(豊田市美術館、愛知、2017年) *「ほんとの うえの ツクリゴト」(岡崎市旧本多忠次邸、愛知、2015年) *「ユーモアと飛躍 そこにふれる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年) == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:ちは まちこ}} [[Category:日本の女性キュレーター]] [[Category:学芸員]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:存命人物]] [[Category:豊田市美術館の人物]]
2023-12-09T08:55:27Z
2023-12-09T14:26:10Z
false
false
false
[ "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%9F%E6%99%BA%E5%AD%90