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岩井 克人(いわい かつひと、1947年〈昭和22年〉2月13日 -)は、日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。国際基督教大学特別招聘教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。 カリフォルニア大学バークレー校研究員、イェール大学経済学部助教授、コウルズ財団上席研究員、東京大学経済学部教授、東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学大学院経済学研究科長、東京大学経済学部長、財団法人東京財団上席研究員、日本学術会議経済学委員会委員長、武蔵野大学特任教授を歴任した。 東大経済学部卒。マサチューセッツ工科大で経済学の博士号取得。理論経済学を研究し、成果を英文でまとめた『不均衡動学(Disequilibrium Dynamics)』(1981年)を刊行(日本語版は1987年刊『不均衡動学の理論』)、国内外で高く評価された。 文明批評や現代思想など幅広い分野で活躍し、ポスト産業資本主義にあるべき会社の姿を考察した『会社はこれからどうなるのか』(2003年)は、広く話題になった。妻は小説家の水村美苗。 概要 東京都渋谷区出身の経済学者である。カリフォルニア大学バークレー校研究員、イェール大学経済学部助教授、コウルズ財団上席研究員、東京大学経済学部教授、東京大学大学院経済学研究科教授などを歴任した。一般的な異時点間効用関数を用いた経済成長モデルの最適経路についての研究で知られており、ミクロ経済学的基礎に基づくマクロ的不均衡動学理論を体系化した。さらに、進化論的なシュンペーター動学理論とサーチ理論的基礎に基づく貨幣論や、株式会社が二階建て所有構造から構成されるとする会社論を提唱した。信任関係の統一理論を信任論として定式化した。また、東京大学大学院経済学研究科長、東京大学経済学部長、日本学術会議経済学委員会委員長といった要職も務めた。2015年の第1094回日本学士院総会において、新たな会員に選定された。 来歴 生い立ち 東京都渋谷区出身。1965年、東京教育大学附属高等学校を卒業した。東京大学に進学すると経済学部にて学び、宇澤弘文から指導を受けた。1969年6月、東京大学を卒業した。アメリカ合衆国に渡り、マサチューセッツ工科大学の大学院にて経済学を学び、ポール・サミュエルソンやロバート・ソローから指導を受けた。1972年6月、マサチューセッツ工科大学よりPh.D.の学位を取得した。 研究者として 1972年9月から1973年5月にかけて、カリフォルニア大学バークレー校にて経済学部の研究員を務めた。1973年6月、イェール大学に転じ、経済学部の助教授に就任した。1979年8月にイェール大学の助教授を退任し、翌月より1981年5月にかけてコウルズ財団の上席研究員を務めた。1981年6月、母校である東京大学に転じ、経済学部の助教授に就任した。そのかたわら、1988年9月から1989年6月にかけて、プリンストン大学のウッドロウ・ウィルソン公共政策大学院の客員准教授とペンシルベニア大学の経済学部の客員教授を兼任した。1989年4月、東京大学の経済学部にて教授に昇任した。2001年10月には、東京大学の大学院経済学研究科の研究科長と経済学部の学部長に就任し、2003年9月まで務めた。2005年10月から2011年9月まで日本学術会議にて第一部の会員を務め、2006年10月からは経済学委員会の委員長も務めた。そのかたわら、1997年4月から10月にかけてシエナ大学の経済政治学部の客員研究員を、2004年4月からは武蔵野大学の客員教授を、2006年4月からは東京財団の上席研究員を、それぞれ兼任した。2010年3月、東京大学の教授を退任した。翌月より武蔵野大学の特任教授に就任し、2012年3月まで務めた。そのかたわら、2010年4月より国際基督教大学の客員教授を兼任した。2013年4月、東京財団より名誉研究員の称号を受けた。2015年の第1094回日本学士院総会において、新たな会員に選定された。 研究 (後に『不均衡動学の理論』として岩波書店より出版された)。同書により、日経・経済図書文化賞特賞を受賞した。1993年「貨幣論」でサントリー学芸賞、2003年「会社はこれからどうなるのか」で小林秀雄賞受賞。「M&A国富論」でM&Aフォーラム賞。 人物 「東大48年三羽烏」の一人(あとの二人は石川経夫(元東大教授)と奥野正寛(東大教授)で、3人は東京教育大学附属高等学校の同期生)。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 吉本隆明は、岩井はアメリカ時代はそこそこいい仕事をしていたと評価しつつも、日本帰国後の著書『貨幣論』を「今さら、こんなものを書いてどうするの」「今頃になって、この程度のことを書いて学問だと称しているんですからね」「自分の見識の限りを尽くして、一か八かのことを言ってみろ。失敗して、糾弾されるかもしれないけど、そんなことは覚悟の上で言ってみろと言ってやりたいが、彼ら(岩井、浅田彰、佐和隆光、宇沢弘文)はそんな度胸も見識もない」と評している。 家族・親族 妻は水村美苗。 年譜 1947年 - 東京都渋谷区に生まれる 1965年 - 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業 1969年 - 東京大学経済学部卒業 1969年9月 - マサチューセッツ工科大学大学院入学 1972年 - マサチューセッツ工科大学経済学博士(Ph.D.)取得、カリフォルニア大学バークレー校研究員 1973年 - イェール大学経済学部助教授 (チャリング・クープマンス教授に招かれる) 1979年 - コウルズ財団上席研究員 1981年 - 東京大学経済学部助教授 1989年 - 同教授 2001年10月~2003年9月 - 東京大学経済学部長 2007年4月 - 紫綬褒章受章 2009年4月 - ベオグラード大学名誉博士号 2010年 - 東大定年退職、名誉教授、国際基督教大学客員教授 2015年12月 - 日本学士院会員選定  2016年11月 - 文化功労者選出 著書 Disequilibrium Dynamics -- A Theoretical Analysis of Inflation and Unemployment、Yale University Press、1981年 『不均衡動学の理論』岩波書店、1987年(上記著書の日本語版。ただし煩雑な数式などは削除されている。) 『ヴェニスの商人の資本論』筑摩書房、1985年、ちくま学芸文庫、1992年 『貨幣論』筑摩書房、1993年、ちくま学芸文庫、1998年 『資本主義を語る』講談社、1994年、ちくま学芸文庫、1997年 『二十一世紀の資本主義論』筑摩書房、2000年、ちくま学芸文庫、2006年 『会社はこれからどうなるのか』平凡社、2003年、平凡社ライブラリー、2009年 『会社はだれのものか』平凡社、2005年 『IFRSに異議あり』日本経済新聞出版社、2011年 『経済学の宇宙』日本経済新聞出版社、2015年、日経ビジネス人文庫、2021年 共編著 『現代経済学研究 新しい地平を求めて』 鬼塚雄丞共編 東京大学出版会 1988.7 『終りなき世界 90年代の論理』 柄谷行人対談 太田出版、1990年 『現代の経済理論』 伊藤元重共編 東京大学出版会、1994年 『資本主義から市民主義へ 貨幣論・資本主義論・法人論・信任論・市民社会論・人間論』(聞き手三浦雅士)新書館、2006年 『M&A国富論 「良い会社買収」とはどういうことか』 佐藤孝弘共著 プレジデント社 2008年 『金融危機とマクロ経済: 資産市場の変動と金融政策・規制』 翁百合、瀬古美喜共編 東京大学出版会 2011年 『大澤真幸THINKING「O」第10号記念号』 大澤真幸共著 左右社 2011年 『経済学は何をすべきか』 大橋弘、矢野誠、鶴光太郎、小林慶一郎、中神康議共著 日本経済新聞出版社 2014年 『会社は社会を変えられる 社会問題と事業を〈統合〉するCSR戦略』 小宮山宏共著・編 プレジデント社 2014年 主要論文 “”, Journal of Economic Behavior and Organization, 5(2), June 1984, pp. 159-190. “”, Journal of Economic Behavior and Organization, 5(3), Aug.-Dec. 1984, pp. 321-351. “”, Structural Change and Economic Dynamics, 7(4) Dec. 1996, pp. 451-477; “Corrigendum,” 9(2) 1998, p. 269. “,” American Journal of Comparative Law, 47 (4), Fall 1999, pp. 583-632.
{ "id": "123701", "title": "岩井克人", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E4%BA%95%E5%85%8B%E4%BA%BA" }
適応度(てきおうど)は生物学、とくに集団遺伝学など数理生物学分野で用いられる語である。 古典的適応度 字義通りに理解すれば、その生物個体がどれほどその生活する環境に適応しているかを示す値である。しかし、これには出産数や出産間隔など直接的に繁殖に関わる特性だけでなく筋力や視力、体の大きさといった多くの特性も間接的に関わってくる。このことから、適応度はその個体が生物として繁栄していく能力を総体として捉えるための概念と捉えることができる。チャールズ・ダーウィンの時代に用いられた適応度 (Fitness) はこの意味であり、現在でも「適応的(生き延びるのに適した性質だろう)」と同様の意味として「適応度が高い」と用いることがある。 個体適応度と遺伝的適応度 現在一般に用いられている定義としては、一般的には自然選択説の考えに立ち、より多く子供を残すものが選択されるのだから、「ある生物個体がその生涯で生んだ次世代の子のうち、繁殖年齢まで成長できた子の数」となる。動物学などのフィールドワークや実験では遺伝的適応度を計測することは困難であるため、この定義を近似値として用いる。これを個体適応度と呼ぶ。また子の実数で表す適応度のことを絶対適応度と呼ぶ。個体数が安定した環境では、平均的な絶対適応度は1である。しかし繁殖戦略によっては、次世代の子供の数が同じでも孫の数に差が出ることもある(「フィッシャーの原理」も参照)。そのためより正確な(厳密ではないが)表現としては「十分遠い将来のある世代に残った子孫の数」と言うことができる。 一方、遺伝的適応度は「ある形質をもたらす対立遺伝子(進化ゲーム理論の場合は戦略)が集団中に広まる速度」と言うことができる。たとえば二組のペアがおり、一方が遺伝子Xの影響で生涯に6匹の子をもうけたとする。もう一方は対立遺伝子Yの影響によって生涯に4匹の子をもうけたとする。この群れの平均産子数は (4 + 6) / 2 = 5 であり、Xの適応度は 6 / 5 = 1.2 となる。Yの適応度は 4 / 5 = 0.8 となる。この値を相対適応度と呼ぶ。集団遺伝学、数理生態学などで通常用いられるのは遺伝的適応度であり、相対適応度である。遺伝的適応度は個体適応度と一致しない場合がある。集団全体の相対適応度は常に1であり、相対適応度が1であればその遺伝子は広まりも減りもしないが、1より小さければ集団内で次第に数を減らし、1より大きければ次第に数を増す。値が大きければ大きいほど急速に広まる。この例ではXが増してゆく。 適応度地形 適応度地形は1923年にシューアル・ライトらによって提唱された、遺伝子型と生殖成功率の関係(適応度)を視覚化するために用いられる数学的モデルである。例えば2次元空間上に個体群の各生物個体を配置したとすれば、そこに「高さ」の軸を追加してその軸の値に適応率を当てはめると起伏のある曲面が得られる。この曲面を適応度地形と呼ぶ。 適応度地形の概念を用いると、適応度の高い個体がその数を増やし低い個体は数を減らしていく様子を説明しやすい。適応度が高い個体は適応度地形の中で「高さ」が高い位置におり、適応度の低い個体は低い位置にいる。個体群はより多くの個体を高い位置に置こうとして低い位置の個体は次第に数を少なく、高い位置にいる個体の数を多くなるように繁殖を行う。図に示したときこれはあたかも曲面上の起伏を登っているかのように振る舞う。 包括適応度 適応度をある個体の子孫だけでなくその親族、あるいは同じ対立遺伝子を持つ可能性のある他個体にまで広げたものを包括適応度と言う。社会性行動の進化を扱うさいには包括適応度を用いなければならない。この場合は通常、子にも包括適応度における血縁度の計算が適用される(有性生殖では子の遺伝的価値は親の半分であり、親子の進化的対立の原因である)。包括適応度は遺伝的適応度の概念の一つであり、包括適応度を個体の数で計算すると混乱の原因となる。包括適応度の上昇はある社会行動の効果に対して用いられる。例えば自分が親族を助けたことでその親族が多くの子を残した場合、自分の「利他行動に関する対立遺伝子」の包括適応度が上昇する。全く別の地域に移住し相互作用できなくなった親族が子を産んでも自分の包括適応度が上昇したことにはならない。 適応度の概念を提唱し、数学的なモデルとして構築したのは集団遺伝学者ロナルド・フィッシャー、J・B・S・ホールデン、シューアル・ライトらであった。W.D.ハミルトンはこれを拡張して包括適応度を提唱した。さらに後年、G.プライスの共分散則を取り入れて、包括適応度を親族以外にも適用できる概念へと拡張した。 計算機科学への応用 自然選択説を計算に応用した遺伝的な最適化問題では、集団内の個体のもつさまざまな特徴から適応度を算出し個々の個体が問題に適当かを判定する。この適応度を判定する関数を適応度関数と呼ぶ。算出された適応度が高い個体は多くの子孫を残し、適応度が低い個体は子孫をあまり残さずに最終的に絶滅していくことで求める解に徐々に近づいていく。 適応度地形は最適化問題でも用いられ、山登り法、最急降下法、共役勾配法、焼きなまし法などのは、適応度地形上での最良の値(最大値または最小値)を探索すると考えられる。 適応度関数 適応度関数(てきおうどかんすう)またはフィットネス関数は、一種の目的関数であり、遺伝的アルゴリズムにおける解の最適度を定量化し、特定の遺伝子が他の遺伝子より優れていることを示す。最適な遺伝子、あるいは少なくとも他よりも比較的最適な遺伝子で、「交叉」などの遺伝的操作が行われ、よりよい(と期待される)次世代を生み出す。理想的な適応度関数は、アルゴリズムの目的に密接に関連し、素早く計算できる。遺伝的アルゴリズムは何度も何度も世代交代を繰り返す必要があり、実行速度は非常に重要である。 適応度関数の定義は直接的でないことが多く、GA(遺伝的アルゴリズム)によって生成される最適解が期待したものでない場合は繰り返し実行される。場合によっては、適応度関数をどう定義すべきかも明らかでないことがある。このため、遺伝的アルゴリズムでの解の評価を外部エージェント(通常、人間)に任せる場合もある。
{ "id": "123703", "title": "適応度", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C%E5%BA%A6" }
早稲田 ちえ(わせだ ちえ、1972年3月11日 -)は、日本の漫画家。神奈川県出身。魚座。AB型。 1987年、第5回なかよし新人まんが賞入賞の『北風と太陽と』が、『なかよしデラックス』(1988年お正月号)に掲載され、15歳でデビューする。以後、『なかよし』とその関連雑誌で多くの読み切り作品を発表する。 1997年に、「なかよしのお姉さん」的な位置付けで創刊された『Amie』で、『NERVOUS VENUS』を発表する。しかし、掲載誌が休刊したため中断。描き下ろし単行本での発表という話があったが、『なかよし増刊』での再開となった。しかし、2003年を最後に掲載はされず、未完。 2004年1月に、講談社漫画文庫『早稲田ちえCOLLECTION ―女神―』が発売された。 2015年9月に、KCDX『―女神― なかよし60周年記念版』が発売された。 代表作に『―女神―』『純情事情』など。 作品リスト 北風と太陽と (『なかよしデラックス』1988年 お正月号)(デビュー作) すぺしゃるすくーる (『なかよし』1988年 増刊号) あふたーすくーる (『なかよしデラックス』1988年 6号) 1月ロマネスク (『なかよし』1989年 1号) うわさになりたい (『なかよしデラックス』1989年 4号) 海のみえる… (『なかよし』1989年 7月号) ハードにやさしく (『なかよし』1989年 10月号) 鈴木くんと紅茶 (『なかよし』1990年 5月号) 家族のモンダイ (『なかよし』1990年 9-12月号) どうにもとまらない (『なかよしデラックス』1991年 1号) ぼやぼやできない (『なかよしデラックス』1991年 6号) 好きっていわない! (『なかよし』1992年 1-4月号) 神さまのいない日 (『なかよしデラックス』1992年 3号) とらわれの姫君 (『なかよし』1992年 10月号) ―女神― (『なかよし』1995年 4・5号) 情熱の嵐 (『なかぞう』1993年 クリスマス号) ヤング OH! OH! (『なかよし』1993年 3月号) 最後の楽園 (『なかぞう』1993年 クリスマス号) 熱視線 (『なかぞう』1993年 春休み号) 革命前夜 (『なかよし』1994年 7月号) 真夏の一秒 (『なかぞう』1994年 夏休み号) バージン・ショック (『なかよし』1995年 11月号) 家庭教師 (『なかぞう』1995年 クリスマス号) Summer Blue (『なかぞう』1996年 夏休み号) COUNT16 (『なかぞう』1996年 春休み号) 高慢チキ子ちゃん 『なかよし』4月号 増刊号 1993年 『るんるん』 1993年 7・11月号 1994年 5・11月号 1995年 9月号 1996年 1・9月号 『なかよし2月号別冊ふろく バレンタインストーリーズ』 1996年 『なかよし』8月号 増刊号 1997年 NERVOUS VENUS 『Amie』 1997年 2-12月号 1998年 2・4・5月号 「I」(FIRST) 『クリスマス特別号』1998年 「I」(SECOND) 『初夏号』1999年 なかよし増刊 「X」野獣死すべし 『なつやすみランド』1999年 「X」SPEED 『ふゆやすみランド』2001年 「X」少女A 『はるやすみランド』2001年 EXTRA「X」共犯者 『なつやすみランド』2001年 2002年 『ふゆやすみランド』 『はるやすみランド』 『なつやすみランド』 2003年 『ふゆやすみランド』 『はるやすみランド』(単行本未収録) 『なかよしラブリー』 夏の号 2003年(単行本未収録) 純情事情―春と修羅― (『なかよし増刊はるやすみランド』 2000年) 単行本 単行本はすべて講談社。 KCなかよし 家族のモンダイ 1992年3月 ISBN 4-06-178712-8 好きっていわない! 1992年9月 ISBN 4-06-178729-2 神様のいない日 1993年2月 ISBN 4-06-178739-X 最後の楽園 1995年1月 ISBN 4-06-178795-0 ―女神― 1995年9月 ISBN 4-06-178815-9 バージン・ショック 1996年6月 ISBN 4-06-178834-5 SUMMER BLUE 1997年3月 ISBN 4-06-178857-4 高慢チキ子ちゃん 1999年8月 ISBN 4-06-178920-1 純情事情―春と修羅― 2000年10月 ISBN 4-06-178948-1 AmieKC NERVOUS VENUS 1997年10月 ISBN 4-06-340003-4 1998年8月 ISBN 4-06-340024-7 1999年1月 ISBN 4-06-340029-8 1999年12月 ISBN 4-06-340036-0 2002年4月 ISBN 4-06-340037-9 KCDX NERVOUS VENUS 6 2004年1月 ISBN 4-06-334813-X ―女神― なかよし60周年記念版 2015年9月 ISBN 978-4-06-377272-2 文庫 ―女神― 早稲田ちえCOLLECTION 2004年1月 ISBN 4-06-360693-7
{ "id": "123710", "title": "早稲田ちえ", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E3%81%A1%E3%81%88" }
スウェーデン帝国(スウェーデンていこく)は、近世ヨーロッパのバルト海及びその沿岸を支配し、スウェーデン王国が繁栄した大国時代の呼称である。バルト帝国とも呼ぶ。また、スウェーデンでは「大国時代」(stormaktstiden)と呼ばれている。他国では概ね「スウェーデン帝国」または「(スウェーデンによる)バルト帝国」に類する表現で呼ばれている。 グスタフ2世アドルフによるスウェーデン帝国成立から、1700年代に始まった大北方戦争によってスウェーデンがロシア帝国に敗れるまでのおよそ1世紀間についてこう呼ばれる。 概要 「バルト」とは、中世以来バルト海沿岸地域全体を指し示す呼称として用いられて来た。この環バルト海の覇権を巡り、ロシア、デンマーク、プロイセン、ポーランドなどが争った。このバルト海を制す国が、後世バルト帝国と呼ばれるようになる。そのため、バルト海を意味する「マーレ・バルティクム」(Mare Balticum, ラテン語)は、バルト帝国と同意義語として扱われる様になった。バルト海はまた、ヴァイキング時代の後に「スウェーデン海」、あるいはスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)の名から付けられた「ヴァリャーグ海」とも呼ばれたこともあった。 マーレ・バルティクムがバルト帝国と同義とされるのは、バルト海の制海権も含めているからである。この制海権は、ハンザ同盟の支配から15世紀にデンマークに移り、16世紀半ばには事実上スウェーデンの支配に帰したことにある。また17世紀後半にはプロイセン艦隊もバルト海南部に影響力を誇っていた。とは言えバルト海全域を見ると、17世紀全般にわたり依然スウェーデンの影響が強く、バルト海の支配者はスウェーデンであったと言える。またスウェーデンは、北海に通じるエーレスンド海峡の自由通行権も1645年にデンマークより獲得していた。デンマークは15世紀(1429年)以降この海峡を通過する船舶から通行税を得ていた。しかしスウェーデンは、デンマークに対する優位の一つとしてこの通行税免除を勝ち得ていた。しかしロシアはこれに対抗する為、17世紀後半から港湾と艦隊建造に邁進し、18世紀に始まった大北方戦争でスウェーデン艦隊を撃破し、バルト海の制海権もロシアに移って行くのである。 スウェーデンがバルト帝国として近世における大国の地位の基礎を築いたのが、1558年に始まるリヴォニア戦争だった。デンマーク=ノルウェーとドイツ騎士団のリヴォニア帯剣騎士団と連携しロシア・ツァーリ国のバルト海進出を阻んだ戦争だった。ロシアが再びその勢力を復活させるまでの間、スウェーデンはバルト海を巡る闘争を通しヨーロッパの強国の一つとして存在感を示しかつてカルマル同盟として宗主国にあったデンマークから独立した。 リヴォニア戦争後、一時弱体化したが、17世紀初頭のロシア大動乱への参戦を通じて、ロシアにおけるヨーロッパへの窓、バルト海への出口を確保してロシアを再度駆逐することで真のバルト帝国の時代が始まったとされる。ドイツ三十年戦争に勝利し、同時にデンマークをバルト海から締め出すことでバルト帝国は完成したと言える。 スウェーデン・ヴァーサ家は、後継者が無く1654年に断絶した。その後バルト帝国を継承したのは、スウェーデン・ヴァーサ家の外戚となっていた神聖ローマ帝国の諸侯でヴィッテルスバッハ家傍系のプファルツ家だった。プファルツ家は北方戦争を起こし、スウェーデン王位を望むポーランド・ヴァーサ家の野心を阻止し、デンマークに対する優位を示してスウェーデンの継承王朝として君臨することとなった。 この時代、17世紀後半は、ブランデンブルク=プロイセンなどの新興国に大国の地位を脅かされ、国力低下ももたらしたが、フランスやイングランドとの友好関係や神聖ローマ帝国におけるレーエン関係の回復、絶対王政を含めた諸改革の断行によって、三十年戦争後のヴェストファーレン体制における列強の一国として君臨し続けることに成功した。こうしてヨーロッパの大国の一つとして18世紀を迎えたが、近隣諸国との折衝はうまく行かず、その近隣諸国によって大北方戦争を引き起こされることとなった。 しかしその大戦争の初期は、バルト海沿岸諸国を圧倒し、その存在感を示したスウェーデン最後の強国時代であった。しかし日増しに東欧における存在感を増大化し続けたロシアへの敗北は、スウェーデンにおける大国時代に幕を引きずり下ろされた形となり、以降、ヨーロッパの小国に転落したスウェーデンに代ってバルト海の覇権を奪取したロシア帝国の時代が開始されることとなる。 1700年から20年に渡った大北方戦争は、結果としてスウェーデンの国力全般の衰退をもたらし、以後、ヨーロッパの大国として復活することはなかった。18世紀以降のスウェーデンは衰退と中興の時代であった。しかし北欧はすでにヨーロッパの中でその存在感を示す余地はなかった。すでに小国に転落していたデンマークと共に、スウェーデンはヨーロッパの情勢に対しては中立主義を目指すようになり、19世紀以後のヨーロッパ諸国による帝国主義とは一線を画すこととなる。 前史 スウェーデンのバルト帝国の基礎となったのは、8世紀に始まったヴァイキングに遡る。サガによると8世紀から9世紀にかけて支配下においた、エストニアとクールラントが始まりとされるが、スウェーデンの成立及び統一以前の出来事であり、確証がある訳ではない。その後、統一を果たしたスウェーデンは、フィンランドに野心を持ち、12世紀から15世紀半ばにかけて断続的に続いたスウェーデン・ノヴゴロド戦争において、13世紀半ばには、ほぼフィンランド全土を自国領に組み込むことに成功した(スウェーデン=フィンランド。14世紀に成立)。この侵略に正当性を持たせる為、スウェーデンは「北方十字軍」と称しフィンランドをカトリック化させたのである。その後スウェーデンは王家が断絶し、カルマル同盟(1397年)に組み込まれたが、1523年にヴァーサ朝の元で独立した。その後1558年に始まったリヴォニア戦争で得たエストニアを足掛かりにバルト帝国を築いていくのである。また、この頃台頭した「ゴート起源説」もスウェーデンの大国主義を正当化する一因となった。1581年のフィンランド大公の君主号創設もその一環であった。 建国 17世紀に入り、スウェーデンはグスタフ2世アドルフ(在位:1611年 - 1632年)によってヨーロッパ史上に北方の大国として君臨するのである。彼はまずライヴァルであるデンマークを退け、スウェーデン王位を望むポーランドからはリガを奪い、事実上リヴォニアを領有した。また、ロシアの内戦(イングリア戦争)に介入し西カレリア、イングリアを獲得してロシアとの国境線を更に東方に拡大した。そしてドイツ三十年戦争に介入し、プロテスタント(ルター派)の盟主にもなった。この三十年戦争によりドイツにも領土を得て(ヴェストファーレン条約により確定)、スウェーデンは名実共にバルト帝国を築き上げ、ヨーロッパの列強にまで上り詰めたのである(ヴェストファーレン体制)。 グスタフ2世アドルフは三十年戦争さなかの1632年に戦死し、後継者のクリスティーナ女王は幼かったため、先王の重臣だったオクセンシェルナが政治を取り仕切った。オクセンシェルナはスウェーデン史上最大の名宰相と言われるほどの人物で、バルト帝国の裏の立役者と言える。この女王の時代にスウェーデンは、デンマークとの戦い(トルステンソン戦争)に勝利し、ゴットランドを獲得するなど、バルト海の制海権を得て北方の覇権を確実なものとする。 そしてグスタフ2世アドルフが作り上げたバルト海国家を更に拡げたのがプファルツ家出身のカール10世(在位:1654年 - 1660年)だった。カール10世は戦い続けた武威の王だった。北方戦争(1655年 - 1661年)を開始してポーランドに攻め込み、スウェーデン王位継承を承認させた。カール10世はポーランドへの野心を抱いた為に反撃され、結果的に撃退されたが、それに付け込んだデンマークを屈服させ(氷上侵攻)、スウェーデン南部のスコーネ、ブレーキンゲとノルウェーの一部も奪った。これによって環バルト海の3分の2がスウェーデンに属することとなった。また1660年のオリヴァ条約により、ポーランドからの脅威も終りを告げた。バルト海沿岸国(リヴォニア、エストニア)の支配権を確立し、近隣諸国を圧倒するに至ったのである。また新大陸にも僅かだが植民地(ニュースウェーデン、今日のデラウェア州。後にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)に奪われる)も得た。カール10世は戦争中に病死した為、戦後占領地の一部を返還することとなったが、スウェーデン領に侵攻していたロシアも撤退し、バルト海世界の優位を維持した。この時代がスウェーデン王国の絶頂期とされる。 17世紀(1611年 - 1718年)はスウェーデン大国時代であった。グスタフ2世アドルフに始まり、クリスティーナ女王、王家は交代したがカール10世、カール11世、カール12世に至る。カール10世の死後、王国は膨張するのを止め、平和が戻った。1679年にブランデンブルク=プロイセンにポンメルンを一時領有されたが、大国の座は維持した。デンマークの復讐戦(スコーネ戦争、1675年 - 1679年)では引分けに持ち込み、国内的には名実共に絶対主義を完成した。ただ海軍だけは17世紀半ばをピークに衰えを見せ、デンマーク、プロイセンに対し守勢に立っていたため、スウェーデンは典型的な大陸国家と言えた。 停滞期と斜陽の時代 しかし、大国時代にもすでに斜陽の時期が訪れようとしていた。北方戦争及びポーランド最大の内戦、大洪水時代で受けたスウェーデンの損害は甚大であった。その為、バルト海での覇権を得たと言ってもそれはバルト海沿岸諸国内部にまで及ぶまでには至らなかった。特にスウェーデンはドイツ北部(神聖ローマ帝国)にも影響力を持っていたが、ドイツにおける諸領邦との利害関係や、デンマークを挟み込む体勢となったことは、新たな紛争の原因ともなった。 そしてそのドイツにおいてスウェーデンの覇権に挑戦したのがブランデンブルク選帝侯国とプロイセン公国の同君連合であるブランデンブルク=プロイセンであった。神聖ローマ帝国の一領邦に過ぎなかったこの国は、大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムによってバルト帝国のくびきを自力で脱したのである。1672年より始まったオランダ侵略戦争は、バルト帝国にとって一つの転換期となった。この戦争は、オランダ、デンマーク、ブランデンブルクの共闘によって、スウェーデンによるバルト海の覇権に楔を打ち込むこととなるのである。その一つがブランデンブルク=プロイセンの台頭であった。 プロイセン及びブランデンブルクは、一時期スウェーデンの宗主下におかれていたが、北方戦争の後に事実上の自立を果たすこととなった。この大選帝侯によって、スウェーデンは三十年戦争以来のドイツの領土を失ったのである。唯一残されたポンメルンも19世紀にプロイセン王国に引き渡されることになる。 さらに、スウェーデン海軍はプファルツ朝の下では更新は遅きに失し、これもバルト帝国の致命的な弱点となった。その上、ロシアではピョートル1世による近代化政策が着々と進んでいたのである。 とは言え、17世紀後半も様々な問題を抱えながらも帝国は維持されることとなった。戦争に明け暮れた前王と異なり、カール11世の治世は平和な時代で安定期であったと評される。しかし単なる停滞期に留まらず、この時代の平和のおかげで次代のカール12世の時代に本格的な軍事行動を起こせたという評価もある。実際にカール11世の軍事改革や諸改革によって帝国は持ち直したと言える。さらにドイツにおいて失われた影響力を、レーエン関係の修復やプファルツ継承戦争でアウクスブルク同盟を支援するなどして、フランスの拡大を抑止しプファルツ=ツヴァイブリュッケンを獲得するなど、ある程度は持ち直したと言える。カール11世の晩年のスウェーデンは、なおヨーロッパの列強としての地位を保持していたし、バルト海の覇権も維持していた。しかしそれは周辺国の犠牲の下に成り立っていた。特にデンマークに対する内政干渉とも取れるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国問題への介入や、ヨーロッパへの海の出口を奪われたロシアにとってそれは深刻であった。カール11世は、ヨーロッパで起きる戦争には中立であろうとしたが、自身の死と周辺国の憤慨と野心のために果たせなかった。 カール11世の治世下において絶対君主制は確立された。幾らかはこれによって、スウェーデン支配地域における安定した国家体制が築かれた。特にバルト地方のスウェーデン支配地域では、バルト・ドイツ人の登用などにより、バルト海及びバルト地方の繁栄時代を築いたのである。農奴解放や教育の推進、商業圏の拡大などである。バルト地方においては「幸福なスウェーデン時代」と呼称された繁栄の時代であったが、一方でフィンランドではその様な恩恵は享受出来ず、飢饉や圧政などでフィン人の忿恚が高まり、その支配に軋みが生じて行くのである(当時のフィンランドは、スウェーデンと一体化したスウェーデン=フィンランドを形成していた)。 瓦解 バルト帝国が膨張し過ぎたツケは、カール10世の孫に巡ってくることになった。近隣諸国を敵に回し、恨みを買ってしまったのである。ロシア、デンマーク、ポーランドの3国は、一致団結してスウェーデンの大国主義に対抗しだした(北方同盟)。それはやがて大北方戦争(1700年 - 1721年)として現実の脅威となる。スウェーデン・バルト帝国時代は終焉を告げ、ロシア帝国にその座を奪われることとなる。 北ヨーロッパ及びバルト海の覇者を巡る戦役で、スウェーデンはその戦争の初期に反スウェーデン勢力を圧倒したにもかかわらずその力を過信して、ただ1度の敗戦で全てを失う。特にバルト地方は全てロシアに帰した。しかもバルト海の制海権も失い、国力は衰微する。加えてハノーファーとプロイセンも北方同盟に加入し、神聖ローマ帝国からも勢力を完全に排除させられた。そして1718年のカール12世の死によりバルト帝国は完全に崩壊し、スウェーデンは大国の座からも退いた。 フィンランドだけが残されたが、失政の為にフィンランド人の反感を買い、この地すらロシアの脅威に曝されるのである。そして、大北方戦争終結後に締結されたニスタット条約は、スウェーデンに対する「死亡診断書」となった。 ※最近の評価では、カール12世の統治時代のスウェーデンは国力を維持し続け、その生存中はロシアとの長期に及ぶ戦争にも耐え切れたとも言われている。つまりカール12世の死こそがスウェーデンの衰退に繋がったとも言える(カール12世は、その死まで戦場下にあり、敗色濃厚の中、ノルウェー侵攻を強行している。海軍は疲弊しており、ノルウェー戦線は膠着気味ではあったものの、陸軍は未だに健在であり、攻勢に立っていた。しかし実情は財政は破綻しており、厭戦機運も高まっていた。国力はすでに一国の限界を超えており、絶対君主制の下で辛うじて勢威を保っているに過ぎなかった。それでもなおカール12世の戦争は終わっておらず、ノルウェー侵攻は単なるデンマークへの牽制ではなく、バルト地方の代償として、ロシアとの妥協の上、デンマークやハノーファー、ポーランドとの戦いを目論み、ドイツ方面への権益を回復しようとしていたことから本格的な征服戦争だったとも言える。しかしながらこうしたカール12世の行動は、すでに20年近くも戦時体制を強いられて来た国内での厭戦機運を高めてしまったとも言える)。現実にカール12世の死には暗殺説が唱えられ、21世紀に入った現在においても、流れ弾による戦死か暗殺かの決着はついていない。実際にカール12世の統治時代は、スウェーデンの最後の強国時代であった。陸軍においても海軍においても周辺国を圧倒していた。一時的とは言え、環バルト海諸国を圧倒することが出来たのは、カール12世の軍事的才能によるものであった。しかしこの様な軍事活動を行えたのはカール11世の軍事改革の賜物であったと言える。 帝国の残光 その後のスウェーデンは国王ではなく、貴族、宰相によって国政を牛耳られ、ヨーロッパの中の小国へと転落した(自由の時代)。 しかし北方の強国はこのまま黙って没落を受け入れていた訳ではなかった。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ王朝第2代のグスタフ3世はスウェーデンを復興させ、過去のバルト帝国の再興を目指した。 しかし既にロシア帝国がバルト海の覇者であり、この超大国と一戦を交えるのは国家の命運を賭す大博打であったため、スウェーデンの貴族は戦争に反対した。しかしいざ開戦してみると、スウェーデン軍は完全な勝利こそ得られなかったが、スヴェンスクスンドの海戦においてロシア海軍に完勝するなど、超大国ロシアの鼻を明かすことに成功した(第一次ロシア・スウェーデン戦争)。その後のスウェーデンはフランス革命に関与し、反革命十字軍を提唱するなど、再び北ヨーロッパの大国としての地位を取り戻したかに見えた。 だが突然のグスタフ3世の暗殺(1792年)により、大国再興への道は頓挫する。さらに1805年には第四次対仏大同盟が崩壊し、また1808年第二次ロシア・スウェーデン戦争が勃発。そして1809年には、最後に残ったフィンランドもロシアに奪われ、バルト帝国再興の夢は完全に潰え去った。その後ナポレオン戦争末期において、ベルナドッテ家のカール・ヨハンがスウェーデン王位継承者に迎え入れられ、その上でフィンランド奪回を目指す動きもあったものの、ロシアとの再同盟の結果、その目的がノルウェー獲得に取って代わられることとなった(1814年のキール条約及びウィーン会議でノルウェーを取得したものの、ほぼ対等の人的同君連合であり、1905年まで続くスウェーデン=ノルウェー連合王国を形成した)。 その後スウェーデンは保守化し、スカンディナヴィアの一体化を目指す様になる(汎スカンディナヴィア主義)。しかしこの汎スカンディナヴィア主義は、スウェーデン王オスカル1世によって大国主義の残滓として引き継がれた。19世紀半ばのクリミア戦争におけるフィンランド奪回の試みや、その後のデンマークを加えたカルマル同盟再興の目論見は、スウェーデンの汎スカンディナヴィア主義の昇華によるものであり、バルト海のみならず北ヨーロッパの覇権奪回を目指す最後の試みであった。最終的にこの主義と野心がスウェーデンの民主主義化とヨーロッパ列強の圧力の前に破綻したことによって、完全に終止符を打つこととなった。 なお、東インド会社、スウェーデン西インド会社が存在し(共に19世紀初頭に閉鎖)、またグスタフ3世の時代に僅かながら植民地を獲得するなど、北方においてはスウェーデンの国力はある程度は維持し続けていた。そして「自由の時代」に続く「ロココの時代」(グスタフ朝時代)は、それと重なる啓蒙時代としてスウェーデン文化の興隆の時代でもあった。
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サウスゲートビルディング (SOUTH GATE BUILDING) は、大阪駅南側にある駅ビル・超高層ビルである。大阪駅に直結している。正式名称は大阪ターミナルビル(おおさかターミナルビル)で、大阪ターミナルビル株式会社がこれを管理・運営する。ノースゲートビルディングとともに巨大複合商業施設である大阪ステーションシティを構成している。 概要 百貨店やシティホテルなどて構成される複合商業施設である。旧愛称は「アクティ大阪」(ACTY OSAKA)。1980年代初頭、大阪駅の再開発・拡充工事に伴い、中央口南側(阪神電気鉄道梅田駅がそばにある)に高さ122.3 m、地上27階、地下4階、総合面積にして138,537 m2の巨大なビルを建設し、1983年4月27日に開業した。同ビルには百貨店の大丸梅田店(地下2 - 15階)とJR西日本ホテルズが運営するホテルグランヴィア大阪(1・19 - 26階・旧大阪ターミナルホテル)が出店。またレストラン街や最上階(27階)の展望フロア、クリニック、地下駐車場を併設し、一つの街という印象を持たせて建設されたという。 その後、大阪ステーションシティを含む「大阪駅開発プロジェクト」の一環で、既存のビル(27階建て・高さ122.3m)の南側に隣接する形で地上15階建て・高さ約70mのビルを増築し、2011年3月16日に開業、同時にビルの愛称を「サウスゲートビルディング」へ変更した。 増築後には、核テナントの大丸の売り場面積は、増築前の面積約40,000 m2の1.6倍に当たる約64,000 m2に増床し、「ポケモンセンター」(2010年11月26日に先行開店)や「東急ハンズ」「ユニクロ」が出店し、既存部分を含めた大丸梅田店の全館グランドオープンが2011年4月19日に行われた。 新たに設置された橋上駅舎には3・4・6階からつながり、南側には「南ゲート広場」、15 - 17階には「太陽の広場」が設けられた。また、合わせて既存部の16階以上の高層階でも一部で改装が行われている。16階のレストランフロア「カジュアルダイニング」は、2011年2月19日に「うまいものプラザ」としてリニューアル開業した。27階のスカイレストランと展望ロビーは同年2月28日で閉鎖され、翌2012年4月17日にホテルグランヴィア大阪のエグゼクティブフロアとしてオープンした。 主な入居施設 大丸梅田店(アクティ大阪時代から継続営業) ハンズ(ハンズカフェ併設) ユニクロ ポケモンセンターオーサカ(ポケットモンスターのオフィシャルショップ) トミカショップ 大丸ミュージアム梅田 大丸エキウエダイニング 美食区 ホテルグランヴィア大阪(アクティ大阪時代から継続営業) ホテルグランヴィア大阪レストランフロア うまいものプラザ(旧:アクティ大阪カジュアルダイニング) 総合クリニック(旧:アクティ大阪総合クリニック) 大丸梅田店 サウスゲートビルディングの核テナント。サウスゲートビルディングの地下2階 - 15階に入居しており、増築部にも出店している。これにより、同店の売場面積は約40,000mから約64000mへと大幅に増床されている。J.フロント リテイリングが進める「新百貨店モデル」の集大成となり、「ポケモンセンターオーサカ」「トミカショップ」(いずれも2010年11月26日に先行開店)のほか、「東急ハンズ」や「ユニクロ」などの大型テナントも出店している。増築部は2011年3月2日の7階部分から順次開業し、同年3月16日に東急ハンズを除いた増床部が全面開業、そして同年4月19日に東急ハンズを含む全館がグランドオープンした。 ホテルグランヴィア大阪 サウスゲートビルディングの19 - 27階に入居しているJR西日本グループのシティホテルである。 アクティ大阪時代に存在した27階の「アクティ大阪 スカイレストラン・展望ロビー」(前述したように2011年2月28日閉鎖)は、翌2012年4月17日に当ホテルのエグゼクティブフロア「グランヴィアフロア」としてオープンした。 フロア構成 その他 2007年9月20日に、来館者が7億人を突破した。 現在、当ビルの両端でバスターミナル・タクシー乗車場の整備、及び当ビル2階と梅田新歩道橋を結ぶ歩道橋の建設が進められており、2016年秋までの完成を目指している。
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ABCエキスタ(エービーシーエキスタ)は、かつて朝日放送(ABC、現・朝日放送グループホールディングス)のサテライトスタジオとして、日本国有鉄道(国鉄)のち西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪駅の高層ビルディング「アクティ大阪」(現・サウスゲートビルディング)内に開設されたスタジオ。 1983年(昭和58年)4月25日のアクティ大阪のオープンと同時に開設され、1997年(平成9年)4月30日に閉鎖された。 施設概要 スタジオは15階・16階フロアの2層吹き抜けで、背面には36面マルチモニターを装備し番組に連動した映像を映し出した。また本社への映像・音声の伝送は、全て光ケーブルを使った当時としては最新式のものであった。 朝日放送は旧大阪駅時代にも、ラジオのサテライトスタジオを設けていた時期があったが、大阪駅の再開発によりアクティ大阪の建設が決まった際、アクティ大阪の運営会社である大阪ターミナルビル側から「百貨店やホテル以外にも、核となる場所が必要。生活文化の発信基地の役割を担ってもらいたいと」との意見があり、1979年(昭和54年)6月に双方が合意して設置が決まった。 朝日放送の当初の計画では、ラジオ専用のスタジオが計画されていたが、その後テレビスタジオを中心としたものに計画が変更された。元々、アクティ大阪の15階部分は防災面から全体を避難広場とする、吹き通しのオープンスペースに設計されていたが、テレビスタジオを中心にした事で多数のスタッフや機材が出入りするため、防災上オープンスペースではなく、防火壁で取り囲まれた窓のない普通のテレビスタジオとなった。 公開放送が行われる時間以外でもエレクトーンの演奏、お笑いタレントによるステージやミニライブなどが行われた他、マルチモニターで高校野球やナイター中継が上映されるなど、イベントスペースとしても利用された。また、1991年(平成3年)には、大阪市の芸能資料館「ワッハ上方」の開設準備のため、在阪テレビ局から提供された、往年の漫才や落語のビデオを「公開ダビング」と称して上映するユニークなイベントが行われた。 アクティ大阪開業当時は、ビルの壁面に大阪駅や大阪ターミナルホテル(現:ホテルグランヴィア大阪)、大丸と並んで朝日放送の社名ロゴが描かれたネオン看板が取り付けられていたが、「ABCがアクティ大阪に移転した」と勘違いした人が多くおり、新大阪駅を降りたANN系列局の局員が、タクシーでアクティ大阪に連れてこられたこともあったという。 しかし、公開放送がなくなり、設備の劣化やスタジオとしての機能をも全うしたことから、1997年(平成9年)4月30日で閉鎖された。 閉鎖後の跡地は16階に床を設ける改造を行い、15階が大丸ミュージアム、16階はカジュアルダイニングと称した食堂街となっている。 エキスタから放送された番組 テレビ番組 おはよう6(1983年10月放送開始の早朝の情報番組/非公開) ABCカルチャー エキスタ女学院(1983年4月 - 1985年3月・月 - 金午前11時/主婦向けのテレビ講座) わいわいサタデー エキスタ寄席(1983年5月 - 1985年9月放送) THEビッグチャンス(通常はABCホールからの放送だが、スタジオ運用の都合上使われた) YOUごはんまだ? MTV:Music Television 放送当初収録に何度かサブを使用していた。 御堂筋パレード(1985年) 朝日放送・毎日放送・関西テレビ・よみうりテレビ・テレビ大阪各局中継のメインスタジオとして使用された。 1986年 衆参同日選挙開票速報「選挙ステーション」(東京・大阪に二元中継による有権者らのティーチイン会場) 夜のAタイム 非公開 生放送 ナイトinナイト 非公開 ビバ・レディー(1986年11月 - 1988年9月、晴れ時々たかじんの前番組) あっちこっちマッチ 噂のTV通信社 うおんてっど!(1992年3月 - 1994年3月、半年で「うおんてっど!」に改題) ワイドABCDE〜す ラジオ番組 お昼です!ABC エキスタ一本勝負(- 1984年3月) 尾崎千秋のエキスタ発0時15分(1984年4月 - 1985年3月) 日産ミュージックギャラリーポップ対歌謡曲(1995年/通常使用している日産大阪ギャラリーが、阪神・淡路大震災でガラスが破損したため、一時的にエキスタからの公開放送になった) 1985年4月 - 1989年9月までは毎週金曜日のみエキスタからの放送となる 11:00 - 11:45 トヨタさわやかパトロール 司会は船場太郎と阪口佳澄 12:15 - 13:30 体あたり歌謡曲昼一番(- 1985年9月) 司会は石原勝と豊田記子 聞けば効くほどやしきたかじん(1985年10月 - 1987年9月) メインパーソナリティはやしきたかじん、アシスタントは安井ゆたか、レギュラーゲストは円広志 毎度おおきに!べかこらんど(1988年4月 - 1992年3月) メインパーソナリティは桂南光(当時は「桂べかこ」)、西岡幸子 14:05 - 16:15 歌謡曲ぶっつけ本番(1986年9月までエキスタにて放送、10月以降は本社スタジオにて放送) 司会は乾龍介と小山乃里子
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今橋 映子(いまはし えいこ、1961年10月9日 -)は、日本の研究者。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は、比較文学比較文化、比較芸術。 人物 東京都港区生まれ。妹は日本美術史の今橋理子(学習院女子大学教授)。 主な研究テーマは、日本人のパリ、パリ神話と外国人芸術家、写真文化論、日本近代美術批評と美術思想史。パリをめぐる多様な芸術的表象を読み解き、写真研究も行う。 1994年に『異都憧憬 日本人のパリ』でサントリー学芸賞を受賞。2004年に写真協会賞学芸賞などを受賞。 『近代日本の美術思想 — 美術批評家・岩村透とその時代』では美術批評家・岩村透を軸に、日本近代の美術思想を同時代文化の中で位置づけた。その後、比較文学比較文化理論の再検討を進めている。 学歴 1980年 学習院女子高等科卒 1984年 学習院大学文学部フランス文学科卒業後、会社勤務 1985年 東京大学大学院比較文学比較文化専攻修士課程入学 1989年 - 1990年 石坂財団奨学生としてパリ第4大学大学院博士課程留学。DEA取得 1992年 東京大学にて博士(学術)の学位を取得 職歴 1992年 日本学術振興会特別研究員(PD) 1993年 筑波大学文芸・言語学系・専任講師 1998年 東京大学大学院総合文化研究科・助教授 2007年 同准教授(名称変更) 2010年8月 同教授 受賞歴 『異都憧憬 日本人のパリ』(1993年) - 第16回サントリー学芸賞、第11回渋沢クローデル特別賞(1994年) 『〈パリ写真〉の世紀』(2003年) - 第9回重森弘淹写真評論賞、第3回島田謹二記念学藝賞(2003年)、第1回日本写真協会賞学芸賞(2004年) 主要著作 単著 『異都憧憬―日本人のパリ』(柏書房、1993/平凡社ライブラリー、2001) ISBN 4760110178 『パリ・貧困と街路の詩学 —1930年代外国人芸術家たち』(都市出版、1998) ISBN 4924831689 『〈パリ写真〉の世紀』(白水社、2003) ISBN 4560038945 『ブラッサイ パリの越境者』(白水社、2007)ISBN 9784560027097 『フォト・リテラシー — 報道写真と読む倫理』(中公新書、2008)ISBN 9784121019462 『近代日本の美術思想 — 美術批評家・岩村透とその時代』(白水社、上・下巻、2021)(上)ISBN 9784560098189/(下)ISBN 9784560098196 編著 『金子光晴 旅の形象 — アジア・ヨーロッパ放浪の画集』(編著、平凡社、1997)ISBN 4582829058 『展覧会カタログの愉しみ』 (編共著、東京大学出版会、2003) ISBN 4130830368 『パリ一九〇〇年・日本人留学生の交遊 — 『パンテオン会雑誌』資料と研究』(共編著、ブリュッケ、2004年)ISBN 4434046195 『都市と郊外 — 比較文化論への通路(リーディングズ) 』(編著、NTT出版、2004) ISBN 4757140762
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嘉穂町(かほまち)は、福岡県のほぼ中央に位置した町。旧嘉麻郡。 山田市、稲築町、碓井町と2006年3月27日に対等合併して嘉麻市となった。 地理 福岡県の中央部、筑豊地区の南端部、福岡市から東へ約40km、北九州市から南へ約55km、飯塚市から南東へ約10kmの場所に位置している。町域北部は筑豊盆地の南端部にあたり、町の中心部となっている。町域の西部・南部・東部は700m〜1,000m級の山々が連なる山地である。町の南東端部には遠賀川源流点がある。 隣接していた市町村 山田市 朝倉市 嘉穂郡:碓井町・桂川町・筑穂町・稲築町 田川郡:川崎町・添田町 朝倉郡:筑前町・東峰村 歴史 近現代 1889年4月1日 - 町村制施行により、現在の町域にあたる以下の村が発足。 嘉麻郡大隈村・千手村・宮野村・足白村 1892年1月18日 - 【町制施行】大隈村→大隈町 1896年2月26日 - 【郡制施行による所属郡変更】嘉麻郡→嘉穂郡 1955年1月1日 - 【新設合併】大隈町・千手村・宮野村・足白村 → 嘉穂町 2006年3月27日 - 【廃止】嘉麻市発足のため 行政 平成の大合併 嘉飯山地区と呼ばれる飯塚市・山田市(いずれも元嘉穂郡)および嘉穂郡の全町とともに「嘉飯山2市8町合併協議会」を設立し、合併へ向けた協議が行われたが、2004年8月に桂川町が協議会から離脱したため不成立に終わった。その後、旧嘉麻郡にあたる山田市・稲築町・碓井町と新たに「嘉穂南部1市3町合併協議会」を設立し、2006年3月27日に嘉麻市を発足させることになった。 地域 教育 高等学校 福岡県立嘉穂工業高等学校(2007年3月31日限りで廃止) 福岡県立嘉穂中央高等学校嘉穂町立大隈城山校(定時制のみ) 中学校 町立 嘉穂中学校 小学校 町立 大隈小学校 牛隈小学校 宮野小学校 桑野分校(休校中) 足白小学校 千手小学校 泉河内小学校 交通 鉄道 町内に鉄道路線はない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR九州筑豊本線および篠栗線の桂川駅。 廃止路線 鉄道路線としては1988年までは上山田線が町内を通っており、町内には大隈駅があった。 バス 西鉄バス筑豊 飯塚市 - 稲築町 - 嘉穂町中心部 桂川町 - 碓井町 - 嘉穂町牛隈地区 山田市バス(山田市が運行する、道路運送法第80条但し書きに準拠する白ナンバーバス) 嘉穂町牛隈地区 - 山田市 嘉穂町バス(嘉穂町が運行する、道路運送法第80条但し書きに準拠する白ナンバーバス) 町内各地 道路 町内に高速道路はない。 一般国道 国道211号 国道322号 主要地方道 福岡県道66号桂川下秋月線 福岡県道67号田川桑野線 福岡県道90号穂波嘉穂線 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 益富城跡 鮭神社 献鮭祭(12月) 麟翁寺(益富城搦手門、母里太兵衛墓所) 嘉穂町出身の有名人 つかこうへい(演出家)
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ヘロデ・アンティパス(ギリシャ語:Ἡρῴδης Ἀντίπατρος、紀元前20年? - ?)は、古代イスラエルの領主(在位 紀元前4年-39年)。新約聖書時代の人物で、ナザレのイエスが宣教を始めたガリラヤとヨルダン川をはさんだ斜め向かい側のペレア(ペライア)の領主であった(アンティパスの作った硬貨で在位43年を示すものがあるので、少なくともこの期間は彼は領主の地位にいた)。 福音書やヨセフスの『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代誌』ではしばしば「ヘロデ」とだけ呼ばれている。 生涯 『ユダヤ古代誌』第XVII巻1章3節によるとアンティパスの母であるマルタケはサマリア人の出自で、同腹では兄のアルケラオスとオリュムピアスと呼ばれる姉妹がいて、彼とアルケラオスは若い頃はローマであるユダヤ人によって育てられた。 母親の身分的にも年齢的にも王位継承順序は高いわけでもなかったが、ヘロデ大王の弟であるフェロラス死亡から間もない頃(西暦紀元前5年ごろ)にこの時点で存命の異母・同母双方の兄たちが全員父から嫌われたことで一度は王位継承者に指名されたこともあるが、ヘロデ大王は死亡直前考えをまた改めて王位継承者をアルケラオスに変え、アンティパスをガリラヤとペレヤの領主に指名した。 これに不服を持ったアンティパスと、アルケラオスを嫌っている親族達はローマ皇帝に訴え出て、ヘロデ大王が晩年病気で正確な判断ができなくなっていた可能性があること、仮にヘロデの遺志がアルケラオスを本当に指名していても、アルケラオスは残忍さや身勝手な点で王にふさわしくない人間だと主張した。 しかし、アルケラオス側も自分は身勝手や残忍なのではなく緊急時の暴動鎮圧行為だと主張している最中、サマリア地方を除くユダヤ王国ではヘロデ大王をよく思っていなかった勢力が各地で立ち上がり、暴力的な行為に走った者たちは各地で暴動を起こし(隣接するシリア属州総督が出動し片端から鎮圧)、それより穏健な者たちはシリア総督の許可を得て皇帝に使者を送り、ローマ帝国の直轄地域としてシリア属州に組み込まれたいと要求してきた。これらを踏まえたローマ皇帝は最終的にヘロデの最後の遺言を原則とするがアルケラオスを王としては認めず「エスナルケス(民族の統治者)」として認定し、アンティパスはガリラヤとペライヤのテトラルキア(四分領太守)に認定され、年間200タラントンの収入が得られることになった。 彼はいくつか新しい町を建設し、セップォリスの町を要塞化してアゥクラトリス(「皇帝の」の意とされる)、ベタラムフタの城壁も整備してユリア(アウグストゥスの妃の方にちなむ)と命名したが、さらに壮大だったのはティベリウスの時代にゲネサレト湖(現在のガリラヤ湖)のほとりの温泉が湧く地域に新しく都市を作り、そこに当時の皇帝の名をつけてティベリアスと名付けてそこを都として住んだ。しかし工事中にここが古代の埋葬地であったことが判明して敬虔なユダヤ人からは嫌われ、結果、ティベリアスに異民族やユダヤ人でも冒険家や乞食といった人々を無理にでも駆り集めてそこに植民させたことでかなり住民が混合した町になり(ヨセフス曰く「無統制な集団」で「ガリラヤ人や行政官、家付き土地付きの移住を条件に開放させられる奴隷。」などがいたという。)、王宮に平気で動物の肖像が飾ってあった(厳格なユダヤ人たちからは偶像崇拝ではないかと見られた)が、同時に大きなシナゴーグなども置かれているという状況になっていた。 また、彼自身も厳格なユダヤ教徒ではないがある程度の分別はあり、ローマの支配下にあったユダヤ地方で総督のピラトがエルサレムに皇帝の肖像が付いたもの(ヨセフスは「旗」、フィロンは「盾」としている)を持ち込み飾った際、(ユダヤ人がタブーとした偶像崇拝になるので)これをやめるように説得に当たり成功させた他、自分で作った貨幣にも肖像を刻むことはしなかった。 彼自身の領主としての評価は父ほど野心的ではないとみられており、ヨセフスからは「平穏を愛する(静かな生活に満足している)」とされている(『ユダヤ古代誌』第XVIII巻7章2節)が、要領の悪い所もあり、同じようにローマ従属国のナバテア王国と友好を結ぶためアレタス4世の娘ファサエリスを最初に妃に迎えていたが、異母兄の娘ヘロディアに熱を上げた結果、最初の妃であったアレタスの娘に実家に逃げられ、後日これに激怒したアレタスと戦争になって惨敗をし、ローマ帝国に訴え出たことで皇帝のティベリウスは戦争を仕掛けたアレタスを生死を問わず捉える(従属国の君主は独断で戦争をしかけてはいけないというルールがあった)ようにシリア総督に命じたことでこれ以上アレタスは介入できなくなったが、この後間もなく(戦争から約6か月後)ティベリウスが死亡したことでアレタスへの処罰は行われないまま終わっている。 彼の所業で有名なものの一つに人々に評判の良かった洗礼者ヨハネの処刑があり、共観福音書と『ユダヤ古代誌』第XVIII巻5章によるとそれぞれ「当時他の兄弟の妻であったヘロディアを妻にしてしまった事をヨハネに非難された」と「ヨハネの評判が良すぎて彼が人々を扇動するのを危惧した」と動機の説明こそ違う(ただし、ヨセフスも存命中の兄弟の妻を娶ることがタブーとは説明している。)が、当時の一般大衆は宗教的希望と政治的希望を区別していなかったので、どちらの場合でも政治的混乱につながる危険を感じたアンティパスは、彼が自分の領地のペレアに来たところを狙って捉え(ヨハネの活動場所はヨルダン川の西岸のユダヤ地方が中心だったが東岸のペレアにも時々来ていた)、一旦投獄したあとで処刑した。 この処刑については、ヘロディアの娘サロメとの関わりを含め、福音書を通して後世に伝わり、オスカー・ワイルドによる戯曲など、芸術作品のモチーフとして繰り返し用いられている。 (なお、こういったこともあり、前述のアレタスとの戦いでアンティパスの軍が総崩れになった所が「洗礼者ヨハネの処刑を行った砦の近く」だったため、負けたのはヨハネを処刑した天罰だとうわさされたことが『ユダヤ古代誌』第XVIII巻5章にある。) 最終的にヘロデ・アンティパスに破滅をもたらしたものはこの妻ヘロディアだった。 ローマの皇帝がティベリウスからカリグラに変わった際、ヘロディアの兄弟であるアグリッパは以前からカリグラと仲が良かったためフィリッポスの領地を手に入れた他「王」の称号も手に入れた。 アグリッパはかつて生活が困っていた際にアンティパスに仕事を都合してもらったが、喧嘩でその座を解任されたような過去もあったため、これを妬んだヘロディアに言われて最初は乗り気ではなかったアンティパスも王の称号をもらえるように夫婦で嘆願に行ったところ、先手を打っていたアグリッパの使いがアンティパスの非難目録を持ってきて彼の非行や周囲の国々との衝突を上げ、彼がローマの掟に背いている証拠に大量の武器を貯蔵していることを上げた。カリグラはこれを聞いた後アンティパスに大量の武器の備蓄の件について尋ね、これを否定できなかったことで他の件も非難目録は信用できるとして彼の領地を没収し、追放の刑にした。へロディアはアグリッパの姉妹であるためある程度の情けはかけられたが本人が夫についていくことを望んだため一緒に流刑地に行き、残された領地はアグリッパが相続した(『ユダヤ古代誌』第XVIII巻7章1-2節・『ユダヤ戦記』第II巻9章6節。)。 その後アンティパスは「へロディアと一緒に流刑地で死んだ」(ヨセフス『戦記』第II巻9章6節)とも、「カリグラに殺害された」(ディオ『ローマ史』第LIX巻8章2節)とも伝えられる。 なお、福音書では前述の洗礼者ヨハネ処刑関連以外に『ルカの福音書』では時系列がどこに来るのか不明瞭だが、ファリサイ派の人々からイエスに助言として「ヘロデ(アンティパス)がイエスの命を狙っている」と名前だけ出てきたり、イエスからは「あの狐」と呼ばれている他、捉えられたイエスがガリラヤの住人だったため、エルサレムにたまたま来ていたアンティパスに連絡が来て対面したが、イエスは何も言わなかったのでアンティパスはあざけったが直接罰を下しもせずに送り返したとされている。
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新御堂筋(しんみどうすじ)は、大阪府の北部を南北に貫く幹線道路(国道423号)、地域高規格道路であり、北摂地区の大動脈である。 概要 全国屈指の交通量を誇る道路であり、西日本では首位。新御堂(しんみどう)、新御(しんみ)と略される。陸上距離は大阪市北区西天満 - 箕面市白島までが最長距離で16.22kmである。上り線も同様である。 大阪市内の幹線道路は筋もしくは通で呼ぶ慣例(大阪市内の筋・通一覧を参照)があるが、大阪市外にまで伸びている唯一の例である(中央大通も東大阪市の区間でも呼ばれることがあるが、正式に表記されていない)。 歴史 構想自体は現在の御堂筋がまだ完成していない時点からあり、1926年の高速鉄道(地下鉄)計画では御堂筋線が榎阪(現在の江坂)付近まで予定され、1932年(昭和7年)の大阪市第二次都市計画事業の中では「北野豊津線」という路線が予定されていた。戦前の時点では新淀川に架ける新淀川大橋の地下鉄部分の橋脚が完成していたが、資金難と太平洋戦争勃発で工事は中止。戦後の1961年(昭和36年)に東海道新幹線の終点が工事計画地上の新大阪駅に決定したのに伴い工事が再開。1964年(昭和39年)にまず地下鉄部分と、新淀川大橋の上流部分(南行車線)が開通。新淀川大橋の残りの下流部分(北行車線)が1970年(昭和45年)の大阪万博開催前の1969年(昭和44年)に供用開始。大阪市(国道1号交点)から千里ニュータウンを経由し箕面市萱野(国道171号交点)を結ぶ大阪府道大阪箕面線が全面開通した。 1982年(昭和57年)4月1日、国道に昇格した。その後、国道423号は、大阪府道9号箕面池田線交点(白島)まで延伸され、2007年5月30日には箕面有料道路(箕面グリーンロード)も開通したが、通称名としての「新御堂筋」としては、どの部分までを指すか、統一された認識は定まっていない。箕面有料道路が開通後は、白島2丁目交差点から北の本線(有料道路)部分は掘割となっている。また白島2丁目交差点は「白島南ランプ」として立体交差化される計画がある。(坊島4丁目交差点~大阪府道9号箕面池田線交点(白島)間は、1999年(平成11年)5月14日までは、大阪府道9号箕面池田線の「支線」として位置付けされていた)。 2003年(平成15年)3月、梅新南オフランプ完成。従来は大阪市内中心部への出口は起点部の南森町ランプ(西天満交差点)と梅新ランプしかなく、御堂筋(国道25号・26号)に流入するには梅新ランプを降りて国道1号梅新東交差点の信号を越えなければならなかった。この為に朝夕の渋滞時には新淀川大橋を超える渋滞もしばしばであった。この為に梅新東交差点をオーバーパスすることが検討され建設されるに及んだ。この新御堂筋 - 御堂筋直結オフランプの完成・供用開始は大阪市内中心部行の渋滞緩和に大きく寄与している。 開通当初から、渋滞緩和と大気汚染防止の観点から日曜日と祝日を除いた午前9時 - 午後7時までの間は、新淀川大橋以南は大型車の通行が禁止されていたが、2005年(平成17年)8月29日より観光バスに限って通行規制が解除されることになった。 構造 豊崎(新淀川大橋)から千里インターまでの区間、Osaka Metro御堂筋線および北大阪急行電鉄南北線を上下線で挟む構造。起点から箕面市坊島4丁目交差点までの間は本線:上下2車線、側道:上下2車線の合わせて上下4車線である。この本線部と交差道路とはすべて掘割または高架で通過するので信号機はない。 自動車専用道路ではないが、本線上は原付(原付二種は走行可能である)や軽車両、歩行者の通行を規制している。橋梁など一部区間のみ原付や軽車両の通行は許可されている(当該区間は流出入の関係で側道の扱いになっていないため)。 ほぼ全区間の本線部分は高架部分が多く、上下2車線ずつだと交通量に比して明らかに道幅が狭い。本線上と側道側との車速に違いが大きすぎ合流・離反に困難をきたし、その為に交通量が増す平日の朝夕にはしばしば渋滞が発生している(特に千里インター - 神崎川橋梁部間)。ラジオの道路交通情報では千里インター(千里中央)から梅新東まで通常は所要時間20分と放送しているが、渋滞時は1時間以上と放送することもしばしばあった。また側道から本線への合流地点の一部(神崎川以北など)では、加速車線がほとんど無いため非常に危険で、事故も頻繁に発生する。非常駐車帯も路肩の余剰スペースもほとんど無いため、事故で車線が塞がれるとまもなく渋滞が発生する。当初、計画段階から千里ニュータウン・大阪北部地域と大阪市内中心部を結ぶ前提で計画されていたことにより、神崎川橋梁部-緑地公園駅間は本線に流出入することができず、その後、江坂駅周辺や緑地公園駅周辺が開発されてからは、さらに流出入の車両が増えたため、本線は半ばオーバーフロー状態となっている。 かつて名神高速道路のアンダーパス部に信号機があった。この本線区間は地上部を側道部と並行して走行しており、地域住民の往来が分断されるので歩行者用の信号機が設置されていた。しかし千里丘陵部と江坂高架部の谷間に当たり見通しが悪く、速度も出ている区間なのでしばしば信号が見落とされ死亡事故が多発したため、信号機・横断歩道は廃止され、歩行者用横断高架橋が設置された。 バイクのすり抜け事故が多いため、陸橋からの目視検挙や白バイによる取締りを行っている。 インターチェンジなど 全線大阪府内に所在。 位置情報 千里インターチェンジ付近
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ヘロデ(紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ王国を統治した王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)である。 マカバイ戦争を制してユダヤを独立させたマタティアとその息子たちの子孫であるハスモン朝(アサモナイオス家)が身内の争いで王座が空位となった際ローマ元老院によって王族ではないがユダヤの王として認められヘロデ朝を創設、ローマとの協調関係を構築した。エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。だが、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害した。息子たちと区別してヘロデ大王とも言われる。 生涯 王になる前 古代ユダヤにおいて再び独立を獲得したハスモン朝の末期の王アレクサンドロス・ヤンナイオスの息子ヒルカノス2世の側近にイドマヤ(エドムのギリシャ語読み)出身のアンティパトロス(彼の父も同名だったので正確には「アンティパトロス2世」)という武将がいた。ヘロデはこのアンティパトロスの息子である。父アンティパトロスはローマ軍の軍事行動を積極的に援助することでユリウス・カエサルの信用を勝ち取ることに成功し紀元前47年の夏ごろ、ユリウス・カエサルによってユダヤのプロクラトル に任命されていた。 カエサルの暗殺後、父アンティパトロスはローマ東方へ勢力を拡大したガイウス・カッシウス・ロンギヌスらのリベラトレス(共和派・元老院派)側へ味方した。 王と大祭司であるヒルカノス自身は温和ではあるが愚鈍で非行動的な人間だったのでアンティパトロスは息子たちに政治を任せ、この時にガラリヤ地方を任された次男(長男のファサエロスはエルサレム周辺管轄)がヘロデであった。 若い頃のヘロデは気性の強い活発な若者で、シリアとの国境周辺にいたエゼキアスという盗賊団を壊滅させるなどの活躍をして父や兄共々高い評価を得たが、同時に周囲の人々はアンティパトロスの財力や権力の増大を危惧したため、前述のヘロデがエゼキアス一味を裁判にかけずに殺したことを上げてヘロデ自身が裁判にかけられたが、裁判を開いたヒルカノス自身やこの法廷には居なかったが当時のシリア総督セクストスもヘロデの肩を持っていたこともあり、彼に死刑判決が下りそうな空気を悟ったヒルカノスの勧めでセクストスの支配下であるダマスコに亡命し、後日セクストスからシリア総督の地位を買ってエルサレムに軍を率いて来て力ずくでこの判決を覆した。また、紀元前43年に父がマリコスというユダヤ人に毒殺されると、復讐の機会をうかがい、カッシウスから許可を取ったうえでマリコスが挙兵を目論んでいたという事を理由に謀反人としてヒルカノスの前で殺させた。 それから間もなくカッシウスがシリアを発つとユダヤ地方では騒乱が頻発したが、ユダヤ地方(狭義)で起きたヘリックスやマリコスの兄弟の蜂起はファサエロスに、ガリラヤ地方で起きたアンティゴノスとツロの僭主マリオンの進攻はヘロデによって鎮圧され、この頃までにヘロデはヒルカノスの孫娘(アリストブロス2世の孫でもある)のマリアムネ1世との結婚を約束されていたため、ヒルカノスからは従来以上にその地位を守ってもらえるようになっていた。 ところが、紀元前42年のフィリッピの戦いでカッシウスはマルクス・アントニウスとオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)に敗れ、その後アントニウスがアシアに来たため、ファサエロスとヘロデの専制的なやり方を嫌っていたユダヤ人の指導者たちは彼らがヒルカノスから権力を横取りしていると訴えたが、ヘロデの方が一枚上手でこれについて出頭して弁明し、さらにアントニウスを買収して告発者たちに発言の機会を与えずに文字通り黙らせ、告発者たちはアントニウスがシリアに来た時に再度訴えたものの、アントニウスだけではなくヒルカノスもヘロデ側についていたため、逆にファサエロスとヘロデは正式にテトラルケス(四分領太守・四分封領主)に任命されユダヤ人に対する行政を委任された。これでもまだ諦めなかった告発者達は騒乱を扇動するものとしてアントニウスに捉えられ、なるべく穏便に事を済ませようとしたヘロデは処刑にまでは至らないように仲裁し、逮捕には至らなかった人たちにもこれ以上争うのは危険だから去るように最後通告をしたが、結局拒否的な態度を取っていた告発者たちはローマ兵の攻撃を受け、逮捕された人々はアントニウスに処刑された。 ヘロデのチャンスは人生最大の危機によって訪れた。以前ヘロデに撃退されたアンティゴノスが、今度はパルティアの援助を受けて伯父に叛旗を翻したのである。この時パルティア人が友好的なそぶりで来たためヒルカノスとヘロデの兄ファサエロスは油断して彼らの元に行きそのまま捉えられてしまったが、警戒してついていかなかったヘロデは婚約者マリアムネや彼女の母、自分の母や妹・弟などの女子供、ならびに従者や自分に従う民衆を連れてイドメアのオレサで弟のヨセフスと合流し、ここでついてきた連中のうち一般民衆など9000人はここで食料などを持たせ比較的安全なイドメア地方内で逃げるように指示し解散させ、親族など重要人物は死海沿岸のマサダに逃げ込ませてヨセフスにそこを託し、主要なものだけを連れてさらに南のペトラに逃げようとしたが、そこを支配するナバテア王マルコスにペトラへ来ないように頼まれたため、計画を代えエジプトのアレクサンドリアに向かい(この道中でヘロデは兄の死を知った)、さらに嵐に遭いながらもローマに行きアントニウスにこのことを訴えた所、以前より親しくしていたことが功を奏して要求が受け入れられたうえに、オクタウィアヌスにも同意を得られたことで元老院の公式議会で「ヘロデはユダヤの王である」と宣言された。 この時点でパルティア軍はアントニウスに任命されていたレガトゥスのウェンティディウスによってシリア一帯から追い返されていたが、彼らはアンティゴノスに対しては金を受け取るだけで直接攻撃はしなかったので、アントニウスはウェンティディウスとその副官のシロンにヘロデに味方するように命令を下し、ヘロデはこれらの援軍の力を借りてヨッパやマサダを制圧後エルサレムに向かったが包囲戦を行うには時期が悪く、一旦冬季用の陣営に帰還した。 翌年(紀元前38年)の春、パルティア軍は再度攻めてきたがウェンティディウスたちがこれを撃破し、ヘロデも弟のヨセフスの戦死などもあったがエルサレム周辺以外をほぼ制圧したため、紀元前37年の春からエルサレムを包囲し(エルサレム攻囲戦)、さらにこの時マリアムネと正式に結婚をし、婚礼が終わってヘロデは陣営に戻り、ウェンティディウスの後任として協力してくれるローマのソシウスからの援軍もあり、エルサレムは陥落してアンティゴノスは捉えられた。 ヘロデはローマ兵がエルサレムで略奪などをされては困るので、彼らに謝礼として現金を支給する代わりにエルサレムでの略奪をしないように頼んで帰させ、さらにアンティゴノスが元老院で王位正当性を主張される危険を考えアントニウスに頼んで処刑させ、ここにハスモン一族の人間がユダヤの王であった時代は終わった。 権威の強化時代 ヘロデがユダヤの王として支配した時代は大きく3つに分けられ、第1期はBC37-BC25年の権威の強化時代、第2期はBC25-BC13年の全盛期、第3期はBC13-BC4年の晩年の家庭の悲惨な時期になる。 名実的にユダヤの王として支配を始めたヘロデには当初、国内でユダヤの民衆・貴族・旧王家のハスモン家の3つの勢力、国外ではエジプトの女王クレオパトラと争うことになった、民衆に対しては好意と懲罰による飴と鞭の他、民衆に多いファリサイ派に顔が利くポリオンとその弟子のサマイアスという名士による説得も行った。 貴族層に対してはアンティゴノス派の残党を調べ、この派閥の指導者と見た45名を粛清してその財産を没収した(これは自分の後援者であるアントニウスの機嫌取りの資金にもなった)。 ハスモン家に対してはヘロデも一時は下手に出ており、パルティアに連れて行かれたヒルカノスを交渉して帰還させ、敬意をもって扱い「父」と呼ぶほどの扱いをした他、ヒルカノスが律法上大祭司に復帰できないので、代わりに外国から呼び寄せたアナネロス(アナネル・ハナヌエルとも)を据えた事についてヒルカノスの娘であるアレクサンドラたちが不満を抱いていると知ると、アナネロスを解任させてアレクサンドラの息子アリストブロス(3世)を大祭司にした。 これによって一度は両者の関係は改善したものの、アレクサンドラやマリアムネ達を警戒したヘロデが彼女達も見張らせたこと、さらにアリストブロスが紀元前35年の秋頃、ヘロデの宮殿のプールで溺死したことで両者の中は破局的になり、最終的にヘロデは前政権ハスモン朝の血を引くものをすべて抹殺することになった。 このアレクサンドラとつながりがあったエジプトのクレオパトラとの対立も深刻で、前述のアリストブロス死亡についてクレオパトラ経由でアントニウスに連絡がいき、「この件に関してラオディキア(シリア北西部の港町)に自分が行くのでそこに来て釈明せよ」と、ヘロデは処刑を覚悟でそこに向かうことになった(結果はアントニウスがヘロデのことを信用してくれ無罪とされた)、このアントニウスへの弁明の留守中にも早くもトラブルが起き、アントニウスの怒りを買ってヘロデが殺されたという誤報が伝わったため、アレクサンドラとマリアムネは彼女たちの世話(監視)を任せされていたヘロデの叔父(妹のサロメの夫なので義弟でもある)のヨセフスを言いくるめて近くのローマ軍の陣地に逃亡を図ろうとし、誤報と知って中止したものの逃亡計画はサロメとヘロデの母に発覚しており、サロメは夫のヨセフスがマリアムネと浮気しているとまで告発したためヘロデは両者を問い詰めたところ、ヨセフスに告げた前述のもしもの際の策までマリアムネが知っていたところからヘロデは関係があって密告したと判断し、マリアムネには思いとどまったものの叔父を容赦なく処刑した。 さらに、これと別件でクレオパトラがアントニウスの寵愛を受けたことで中東付近の領地獲得を求めた結果、ユダヤとアラビア地方の一部がエジプト領に加えられることになり、エジプト沿岸部からツロの北のエレウテロス川に至るまでのパレスチナ沿岸部の都市(ツロとシドンは除く)を手に入れた他、ヘロデの領地だった地域のうちエリコはクレオパトラの物にされたなど、ヘロデは一時自分の元に立ち寄ったクレオパトラの暗殺も考えたが友人たちに成功してもアントニウスの怒りを買うだけだと止められてやめたとされる。 だが、最終的にこのクレオパトラの領地となった中東地域の税の徴収を任されたことが、ヘロデにとって幸運につながった。 アラブの王マルコス(1世)もヘロデと同様にクレオパトラに金を支払う必要があったのだが、彼はこれを支払わず、徴収を任されていたヘロデは力ずくでも取り立てる必要が生じてその準備をしていたため、アントニウスとオクタウィアヌスの間で起きる戦い(後のアクティウムの海戦)に参加しなくてよいとアントニウスから言われたのでヘロデはマルコスとの戦いに向かった。 マルコス軍との戦いは途中までは善戦したものの友軍のはずのアテニオン(クレオパトラの部下の将軍)軍の離反で大敗を期してゲリラ戦に持ち込む羽目になったり、ユダヤ地方一帯に大地震が起きて甚大な被害が出るなど悪いことが続いたため、ヘロデ側も和平交渉に出たがマルコスは地震による被害を過信して相手にせずに軍を率いて攻撃に出た。ところがこの時ヘロデとその軍隊は直接被害を受けていなかったため、これを迎え撃つのに成功した。 しかし、アクティウムの海戦でこれまで味方していたアントニウスが大敗を期したという情報も入り、アントニウス派であることが危険と察したヘロデはアントニウスを見限り、まずアントニウスの配下の剣闘士部隊が援軍としてキュジコス(現在のトルコ北西部にあった町)からエジプトに向かおうとしていたのをシリア総督ディディウスとともに阻止し、オクタウィアヌスの元に行く留守中に問題が起きぬように、マルコスとの内通容疑のあったヒルカノスの処刑を行い、政治面を弟のフェロラスに任せ、身内の女子供はマサダの要塞で非常時に権力掌握をするように命じ、マリアムネとアレクサンドラは前述の女たちと不仲なので別のアレクサンドレイオンに移して信頼置ける部下に見張らせ旧王家に国を乗っ取られないようにしたうえ、ロドス島に行ってオクタウィアヌスに贈り物を渡し面会した。 前述のようにヘロデは直接オクタウィアヌス軍と戦うことはなかったが、今までアントニウスに友好的でアントニウス軍に軍資金や補給物資を送ったことや戦わなかった理由はアラブとの戦いの都合だと正直に述べ、なぜそれでアントニウスを見限ったのかに関してはクレオパトラに彼がうつつを抜かして自分の警告を聞かなかったためとし、今度はオクタウィアヌスと友好を結びたいと堂々と主張した所、オクタウィアヌスは事情を察してヘロデの要求のうちアレクサスの助命嘆願以外受け入れてくれ、ヘロデもアントニウスと戦うためにエジプトに行く彼の軍に補給物資を送り、彼個人には800タラントの贈り物をしてもてなした結果、オクタウィアヌスはアントニウスに勝利を収めてエジプトを征服後、クレオパトラの衛兵400人を奴隷として送ったうえ、ヘロデがクレオパトラに取られていた領地の他に、かつてポンペイオスがハスモン朝時代のユダヤの王アリストブロス(2世)から没収したガダラ・ピッポス・サマリア・ガザ・アンテドン・ヨッパ・ストラトンの塔もつけてくれ、国内でもヘロデの評価は大きく上がった。 しかし国外からの危険は幸運に転じられたが、彼自身の家庭に関しては悲惨なことが続いた。 ロドスに行く前にマリアムネとその母アレクサンドラについてソアイモスという男に、叔父のヨセフスの時と同じく「ヘロデ死亡時は両者も処刑」という命令を与えていたのだが、今回もこれをマリアムネは知ってヘロデを完全に嫌うようになり、これに彼女と仲が悪いヘロデの母と妹も対立をあおるようになった結果、ヘロデの毒殺未遂事件が起きてマリアムネが犯人とされ調査の結果ソアイモスへの命令の内容もマリアムネが知っていたことからソアイモスは即刻処刑、マリアムネもその後処刑された(紀元前29年頃)が、ヘロデにとってもこれは痛手でこの後サマリアで病気になり、さらに寝込んでいる最中にアレクサンドラがエルサレムの要塞を乗っ取ろうとしたため彼女も処刑したが、こういったこともあり病気が治ってからも不機嫌でさらに粛清を続け、妹のサロメの夫コストバロス(イドメアの元祭司の家系だった人物)、ならびに自分とコストバロス双方の友人であるリュシマコス、ガディアスと呼ばれたアンティパトロス、ドシオテス。そしてコストバロスにかくまわれてたババスの息子(ハスモン家の遠縁の人物)を謀反容疑で処刑し、こうしてヘロデの無法な行為に異議を唱えられるものはいなくなった。 王としての全盛期 こうして一通りの粛清が済んだ後ヘロデの王国は一応安定期に入り、ヘロデは壮大な建設計画を実行した。 エルサレムに劇場(市内と市外の平原に1つづつ)を建て、かつての北イスラエル王国の都であったサマリアを復興しセバステ(アウグストゥスを讃える名前)と命名し、そこを含め国内の要塞(歴史に名を残す大要塞マサダ、当時の後援者の名をつけたエルサレムの神殿を守るアントニア要塞、自分の名前を冠した要塞都市ヘロディオンや別の要塞都市マカイロス。他にガラリヤやペレア地方、後述のカエサリアにも要塞が建てられ、エルサレムにあったヘロデの宮殿も非常時には要塞に成った)を強化した。 また、ヘロデに限らず、この頃のローマの属州や同盟国は皇帝アウグストゥスを讃える建築物を建て、「カエサリア」と名付けた都市を築いていたが、ヘロデもまたBC22年に莫大な資材や予算をつぎ込み、フェニキア地方のストラトンの塔と呼ばれた所に防波堤の行き届いた大きな円形の港(それまでこのあたりは遠浅でいい港がなかった)を持ち、カエサルへの神殿が立ち、円形劇場や上下水道が完備した海辺のカエサリア(カイサリア・マリティマ)を建設した。 この中でもなんといってもヘロデの名を不朽のものとしたのは、治世の18年目(BC20-19年頃)から始めたエルサレム神殿の大改築であった。この工事はヘロデの死後も続きアルビヌス総督(AD62-64年)ごろにやっと完成した(理由はいくつかあるが見栄えだけではなく地盤沈下の補修などの実用的な工事もあった)が、とりあえず1年6か月後に拝殿そのものができた時に完成祝いを行い(回廊や外庭の工事は8年かかった)。 その壮重さは「ヘロデの建物を見たことがないものは誰でも、決して美しいものを見たとは言えない」ということわざが生まれたほどで、神殿はローマ帝国を含む当時の世界でも評判となり、このヘロデの時代にディアスポラのユダヤ人や非ユダヤ教徒までが神殿に参拝しようとエルサレムをさかんに訪れるようになった。 それだけでなくヘレニズム君主としてもパレスティナや小アジアのユダヤ人が住む多くの都市に多くの公共施設を提供し、この行為はギリシャ系住民の間でヘロデの名声を高めたが、ユダヤ系住民にはかえって反感を買うことになり、数年おきに開いた豪華絢爛な体操や音楽の競技大会はまだしも、剣闘士たちや猛獣の死闘は不敬虔な行為で外国の習俗の模倣で国民の習俗を変えるのは不信仰な行為とされ、劇場建設後まもなく、ヘレニズムかぶれをしてユダヤの慣習から遠ざかるヘロデを嫌った徒党による暗殺未遂事件があった(これはヘロデの部下によって取り押さえられ大事に至らなかった)。 これ以外には神殿の門の上に鷲の紋章を付けて後に撤去するように騒ぎが起きるトラブルの種を起こしたり(後述)、ヘロデの治世下でサンヘドリンは重要性を失った他、自分の判断でちょくちょく大祭司の解任と任命をやっていたなど、ユダヤ教内では律法を重んじるファリサイ派の民衆からよく見られなかった(ただし、ハスモン家よりの貴族層に多いサドカイ派の人々とはさらに仲が悪かった)。 法律もユダヤの風習と違うものに改編されていき、ヨセフスは一例にユダヤで前例のない「外国の奴隷に売られる罰(押し込み強盗級の罪に適応)」が、売られた先で律法を守りながら生活することができないので「王が犯人を処罰するというより、王が伝統の宗教に挑戦していると受け取られた」としている。 このようにヘロデのユダヤ教への態度は(神殿の建築などには協力的だったが)表面的でヘレニズム文化に傾いていたが、それでも最低限のしきたりには配慮して偶像崇拝のタブーを犯さないように自分の作った貨幣には肖像を入れず(晩年に鷲の紋章入りの硬貨が1種類発見されているのみ)、エルサレムでは華麗な建物を建てても基本的に彫像は置かないようにしていた他、神殿再建の際にも祭司だけが踏み入れてよい場所には入らないようにしていたというような自重はしていた他、ローマに対するコネを使ってディアスポラのユダヤ人たちの地位や安全の確保を行ってはいた。 これ以外にもヘロデの評価は時折よくなることもあり、例として在位13年目に少なくとも2年続いた大飢饉で、食物を輸入しようにもヘロデ自身都市の建設などで金を使い切っていたので、最終手段として自分の持っている貴金属(食器・装飾品など)を鋳つぶして金に換え、コネがあった当時のエジプトの総督ペトロニオスに頼み込み優先的に穀物の輸出や船の手配をしてもらった。そして食料品以外に衣類(羊が食料にされていたため羊毛不足が起きていた)なども配給し、さらに種籾をユダヤだけではなく他のシリアの住民にも渡し、その次の年には凶作が収まった。 これによってヘロデはだいぶ出費をした(ヨセフスによるとユダヤ王国内で約8万コロス、国外の人には1万コロスを使用)がヘロデの名声を大きく上げ、それまでの行為を知っていた人々もヘロデが本来は優しい人間ではないかと思うようになったという。 その後、ヘロデは皇帝アウグストゥスに気に入られたことでユダヤの北東部にある、トラコニティス、ガウラニティス、バタナイアを手に入れ、一時(ヘロデの治世17年目)に先領主ゼノドロスとその一派がこれに納得がいかずにヘロデのやり方が強硬的だと訴えたが結局不起訴になり、さらに病気がちだったゼノドロスが裁判終了後死亡したのでトラコニティスとガリラヤの間にあったゼノドロスの残りの領地までもがヘロデのものになり、こういったこともあってヘロデはシリアの行政長官の一員になり、弟のフェロラスもテトラルケスにしてもらえるなどの厚遇を受けた。 なお、ヨセフスはここに限らず何度も「ヘロデは皇帝に気に入られていた」ということを書いてあるが、決してヘロデがローマの同盟領主(rex socius)のなかで特別扱いされていたわけではなく、例として貨幣のうち銀貨以上の鋳造権をヘロデ自身を含む彼の一族は行うことができなかったなど、これ自体は立場相応の恩恵だった。 晩年 ヘロデの最後の9年間は彼の家庭の不和の時代であった。 ヘロデには(全員同時にいたわけではないが)10人の妻と多数の子供がおり、2番目の妻でハスモン家の王女であるマリアムネとの間に生まれたアレクサンドロスとアリストブロス(4世)を以前後継者候補としてローマで教育を受けさせていたが、5年間の留学後帰国した彼らはサロメをはじめとするマリアムネと仲が悪かった人々から警戒され中傷を受け、息子たちも息子たちで母を処刑したヘロデをよく思っているわけではなかった。それでも当初はヘロデは息子たちの縁談を進め、特にアリストブロスには妹であるヘロデの姪(妹のサロメの娘)ベレニケを妻にするなど一族との融和を図ろうとした が、次第にヘロデとマリアムネの息子達の不仲は広がり、一計を案じたヘロデは離縁した最初の妻ドリスとその息子アンティパトロス(3世)を呼び、アンティパトロスを王位継承権のライバルとして据えることでアレクサンドロスとアリストブロスにどちらかが必ず王位を継げるわけではないと暗に脅したが、マリアムネの息子たちは不当に扱われていると反目し逆効果になった。 しかしこのアンティパトロスも異母弟達を陥れる策略を練っており、これによってヘロデはさらにマリアムネの息子達への信頼を無くしアンティパトロスを信頼するようになっていた。 そしてついにヘロデはマリアムネの息子達が自分を暗殺しようとたくらんでいると考えるようになり、一度はアウグストゥス、次いでカッパドキア王のアルケラオスの仲裁を受けて和解したものの、再びアンティパトロスの策略やサロメ・ベレニケ母娘とグラフュラの不仲、弟のフェロラスが妻であったヘロデの娘を愚弄する事件が起きるようになるなど一族内の軋轢が激化し、最終的にヘロデは皇帝を言いくるめて自分の手でこれを裁くことを認めさせアレクサンドロスとアリストブロスを彼らをかばう家来たちと共々サマリアで処刑した(紀元前7年ごろ)。 しかし息子たちの処刑後、弟のフェラロスの死(これ自体は病死だった)の後、ヘロデが調査した所フェラロスが毒薬を持っており、それがアンティパトロスからヘロデに盛るように渡されたものだと知ったヘロデはフェロラスの奴隷達から彼らの内通を知り、信頼していたアンティパトロスが事件の黒幕だったと判断し、ローマから呼び寄せたアンティパトロスを捉え、シリア総督ウァルスの前に引き出して証拠をあげると報告書を皇帝に送った(さらに大祭司の娘のマリアムネ2世もこれに関与していたとして離縁し、その息子のヘロデも相続権剥奪、彼女の父も大祭司を解任された。)そして新しい王位継承者を選ぶ際、息子の中でこれ以前に自分の悪口を言っていたというアルケラオスとフィリッポスを外して最年少のアンティパスを王位継承者に指名した。 こうした心労や病気、さらに高齢(約70歳ほど)で晩年のヘロデは弱っていたが、それでも死ぬ寸前までなお反旗を翻すものを始末する気力はあり、サッフォライオスの子ユダとマルガトロスの子マッティアという2人のラビが民衆を扇動し、偶像崇拝に当たると神殿の門にあったローマのシンボルである鷲のレリーフを破壊する事件が起きた時は彼らを捉えて首謀者達を処刑し、皇帝からのアンティパトロスの処罰(死刑か流刑かの判断はヘロデに任せる)許可をもらったあと、以前捉えて牢につないでおいたアンティパトロスが反省の色なく父の死を望むようだと知ると死の5日前であったのに処刑命令を出すほどであった。 この頃(死ぬ数日前)ヘロデは遺言を書き直し、王位継承者を現存する中で最年長のアルケラオスに変え、アンティパスをガリラヤとペレヤの領主、フィリッポスをトラコニティスなど北東部の領主に指名した。 そして紀元前4年ごろ、ヘロデはエリコでその生涯を閉じ、エリコからヘロディオンに8スタディオン葬列が進んでそこに彼は葬られた。 ヘロデの死後喪が明けると、息子のヘロデ・アルケラオスは遺言を理由に王位を継ごうとしたが、ローマ皇帝の元に行く前にユダとマタティア処刑で不満を持っていた民衆たちのデモ隊と兵士たち衝突があり、これを力づくで鎮圧して双方に死傷者多数を出した状況でローマに向かったことと、遺言書き直しで不服を持ったヘロデ・アンティパスと、アルケラオスを嫌っている親族達は後を追いかけローマ皇帝に訴え出て、ヘロデが晩年病気で正確な判断ができなくなっていた可能性があること、仮にヘロデの遺志がアルケラオスを本当に指名していても、アルケラオスは前述の強引な鎮圧をした残忍さや身勝手な点で王にふさわしくない人間だと主張し、逆にアルケラオス側も遺言状は正式なもので虐殺の件も無法者たちの方が悪いと主張した。 ところが皇帝から審判が下される前に、サマリア地方を除くユダヤ王国ではヘロデ大王をよく思っていなかった勢力が各地で立ち上がり、暴力的な行為に走った者たちは各地で暴動を起こしシリア属州総督ウァロスが出動し鎮圧した、それより穏健な者たちはウァロスの許可を得て皇帝に使者を送り、ローマ帝国の直轄地域としてシリア属州に組み込まれたいと要求してきた。また、アルケラオスから留守を預かっていた異母弟のフィリッポスもウァロスに言われてローマに来て自分の権利を主張しだした。これらを踏まえたローマ皇帝は最終的にヘロデの最後の遺言を原則とするがアルケラオスを王としては認めず「エスナルケス(民族の統治者)として認定し、ヘロデの領地の半分の統治者として任命。もしうまくやれるなら正式に王としての称号を与える」という条件で承認し、残りの領地をフィリッポスとアンティパスに与え、以下のように配分することにした。 アルケラオス:イドメヤ、(狭義の)ユダヤ、サマリアとそこの都市の領主。年収は600タラント。 アンティパス:ペライア(ペレア)、ガラリヤの領主。年収は200タラント。 フィリッポス:バタナイア、トラコン、アウラニティスと以前ゼノドロスが支配してた土地の領主。年収は100タラント。 残りの領地の内、ヤムネイア、アシドト、ファサエリスとアスカロンの王宮(アスカロン自体はアルケラオス領)はヘロデの妹サロメの領地とする。 後にアルケラオスは失政を重ねたため、統治後10年目(紀元後6年ごろ)に住民によってローマに訴えられ、解任されてガリアのビエンナへ追放された。その後のユダヤはローマ帝国の直轄領となった。他の領地の内、サロメの領土は本人の死後(紀元後9年から12年の間)に皇后ユリアに遺言で贈与されてこちらもローマ領になっている。 アンティパスとフィリッポスは比較的長い間領主として勤めあげ、フィリッポスは紀元後34年に死去、アンティパスは紀元後37年にローマに対する謀反未遂で追放の刑を受け、最終的にこれらの領地とアルケラオスなどのローマ領編入領地はヘロデ大王の孫のアグリッパ1世が相続している(詳しくはアグリッパ1世の項を参照)。 出自の異説 ヘロデはイドマヤ(エドム)系という説が主流だが、異説としてヨセフスの『ユダヤ古代誌』第XIV巻1章3節で「(ヘロデにつかえていた)ダマスコのニコラウスは『バビロンから帰還したユダヤ人指導者の一人がヘロデの先祖』と書き残している」という旨の記述があり、また2世紀のキリスト教神学者である殉教者ユスティノスは「ヘロデはアスカロン人として生まれた」という発言をしており、この見解の流れを組むユリウス・アフリカヌスの著作では「父のアンティパテル(アンティパトロス)はアスカロンが襲撃された際にイドマヤ人に拉致され、イドマヤで育った人間」という説を上げている。ただし、前者は他の資料と矛盾も多いうえヨセフス自身が「ニコラウスのヘロデへのお世辞」としており、後者もアフリカヌスがアンティパテルの生まれを「貧しい出自」と強調しているなど悪意と敵意が強いことから「ヘロデをよく思わなかった人の作りごとの疑いが強い」とエミール・シューラーは指摘している。 逸話 真偽の程はともかく、様々な逸話が残されている。 ダビデの墓を暴いた 『ユダヤ古代誌』XVI巻7章1節で「噂」として載っている話。 宝目当てにダビデの墓を開けて蓄えられた金はなかったもののいくつかの黄金の装飾品を見つけ、さらにダビデとソロモンの棺を開けようとした所、火が噴き出し護衛2人が焼死する事件が起きて気味が悪くなったヘロデは墓を再度封印した。 この後「ヘロデにこの祟りのように家庭内不和が起きた」と次の節冒頭でヨセフスは記している。 幼児虐殺 『マタイによる福音書』2章16-18節に出てくる話。 救世主イエス・キリストの誕生を知らされ、恐れをなして同世代の乳幼児全員を殺させた(どの子がイエスなのか特定出来ない為)。 名士たちを集めて強制殉死させようとした 『ユダヤ戦記』I巻33章6・8節と『ユダヤ古代誌』XVII巻6章5節・8章2節に出てくる。 ユダヤ地方の名士たちを「来ないと死刑にする」と召喚し、彼らを競馬場に閉じ込め「自分が死亡したら全員を射殺して無理やり国民を泣かせる」という事を妹のサロメたちに願ったという。 ヨセフスによるとサロメたちはヘロデの死後、すぐに約束を破って名士たちを解放したので実行されなかったという結末になっている。 墓の所在 ヘロデの墓については、エルサレム近郊のヘロディウムに人工的に作られた山に存在するとされてきたが、確証は得られていなかった。しかし、2007年5月7日に、ヘブライ大学の研究チームがヘロデの墓を発見したと報じられた。
{ "id": "123738", "title": "ヘロデ大王", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%83%87%E5%A4%A7%E7%8E%8B" }
フィリッポス2世フィロロマイオス・バリポス(紀元前95年頃 - 紀元前56年頃)は、セレウコス朝シリア最後の王(在位:紀元前69年 - 紀元前63年)。「フィロロマイオス」は「ローマ人の友」と訳され、「バリポス」は「重い足(鈍重な)」を意味する。 生涯 フィリッポス1世の子。父王の死後にその支配域であったキリキアを引き継いで、当時シリアの大半を征服していたアルメニア王ティグラネス2世に対抗した。ティグラネス2世が対ローマ戦争(第三次ミトリダテス戦争)で敗れてアルメニアの支配に陰りが見えると、フィリッポス2世はアラブ人の助力を受けて国土を回復した。 その後は、ローマからシリア王として認められていた三従弟のアンティオコス13世と王位を争ったが、アラブ人からの支持を受けたフィリッポス2世が次第に優勢となり、アンティオキアをはじめとするアンティオコス13世の支配域を奪った。フィリッポス2世とアンティオコス13世は共にローマの将軍であったグナエウス・ポンペイウスからの支持を得ようとしたが、ポンペイウスはどちらにも与せず、アンティオコス13世はポンペイウスに廃位されてのに殺害された。 フィリッポス2世もポンペイウスによって廃位され、セレウコス朝の故地はローマに編入されてシリア属州が置かれた。フィリッポス2世はアンティオコス13世のように命を奪われることはなく、元来の根拠地であったキリキアに退いた。 紀元前56年、プトレマイオス朝エジプトのファラオであったベレニケ4世が、亡命した父プトレマイオス12世がローマと結んだのに対抗して自身の結婚相手を探した時、その候補としてフィリッポスの名前が挙がった(フィリッポスの祖母トリュファイナは、ベレニケ4世の祖父プトレマイオス9世の妹であり、ベレニケ4世とははとこの関係にあたる)が、ローマのシリア総督であったアウルス・ガビニウスの反対に遭って頓挫した。フィリッポスは最終的にガビニウスの命で殺害されたとされる。
{ "id": "123739", "title": "フィリッポス2世フィロロマイオス", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%9D%E3%82%B92%E4%B8%96%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B9" }
マリア(ベタニアのマリア)は、新約聖書に登場する女性。イスラエルはエルサレムの近郊、ベタニアに弟ラザロ、姉マルタと共に暮らし、イエス・キリストと親しかった。 2021年、カトリック教会はマルタの記念日である7月29日にマリア、ラザロを加えることを発表、施行した。 マリアとマルタ イエスが彼女らの家を訪れた時、迎えた姉マルタが接待のことで忙しくしていたのに対し、妹マリアはイエスの語る言葉に聞き入っていた。この姉妹の態度の違いは、伝統的に「活動的生活」(vita activa)と「観想的生活」(vita contemplativa)を表すものであると考えられてきた。教会、とくに修道の伝統のなかでは観想的生活を重視する論述がなされるが、マイスター・エックハルトは、その説教のなかで、活動的生活を通して神に奉仕するマルタの態度をキリストはよりよいものとして嘉したとする独自の解釈を提出している(詳細は以下の節を参照)。また東方教会においては、「観想的生活」と「活動的生活」はそれ自体において優劣をもたないが、マルタはマリアに対する不平を述べた点で誤りをおかしたとする理解もみられる。 香油を注ぐ またあるとき、マリアはイエスの足に香油を注ぎ、その足を自らの髪で拭った。この話は類似のエピソードの合成によるものかもしれない。この行為はイエスがキリスト(メシア=油を注がれし者)として祝福されること、あるいは近く来たるべき喪葬を暗示する。実際のイエスの喪葬にはマグダラのマリアが香油を用意したことから、ベタニアのマリアとマグダラのマリアはしばしば混同もしくは同一視される。 マグダラのマリアとの同一視 591年グレゴリウス1世は、ベタニアのマリアとマグダラのマリア、またルカによる福音書に登場する「罪の女」を同一人物とした。この理解は西方教会カトリックでのみ支持され、プロテスタント、聖公会、及び東方教会の全宗派では受け入れられずに終わった。 マイスター・エックハルトの説教における取り上げられかた 文献情報 このマリアとマルタの話を解釈した説教は、田島照久編訳『エックハルト説教集』では説教八十六と紹介されている。この参照番号はQuintによる現代ドイツ語訳の全集と同じである。一方、Pfeifferでは説教九となる。冒頭にラテン語でIntravit Iesus in quoddam castellum etc.というルカによる福音書10:38-42からの引用が掲げられている。以下の記述はすべてこの田島訳に準拠する。 マルタの発言の意図を解釈した記述 マイスター・エックハルトは、マルタの「主よ、彼女に私の手伝いをするように命じてください」という言葉を、マルタが不機嫌になってそういったのではなく、むしろ愛から出る好意にかられて、いわば愛の叱責としてそう言った、と解釈する。すなわち、マリアがイエスのもとに座って慰めに満たされていると、自分の望むことなら何でもできるかのように思いこんでいるが、実際にそうであるかをマリアに悟らせてやって下さい、という意味とする。また同じ説教の別の個所では、マルタはマリアが歓喜と甘美さのうちに立ち留まるのではないかと心配し、そうならないように願った、と解釈している。また別の個所では、マリアがただ歓喜に酔ってそこに座ってばかりいないで、それを本質的に自らのものとするために、生きることを学んでほしい、そうしてマリアが完全なものになるように立てと命じてくださいと、マルタがイエスにお願いしたのだと解釈している。そのようなマルタの願いは、彼女の円熟した魂の奥底から出たものであった。それゆえにイエスは、「必要なことはただ一つだけである」と応えたのである。 マルタの評価 マイスター・エックハルトはこの説教の中で、マルタをマリアより成熟した女性としてより高い評価を与えている。マルタが円熟した年齢と「極限にまで鍛え抜かれた(魂の)根底」を持っていたとし、長く生きることは最も高貴な認識を贈ってくれると讃えている。また、イエスが「マルタ、マルタ」と二回名前を呼んだ意味について、一度目には時間的働きのうちにあるマルタの完全性を示し、二度目には永遠なる浄福のためにマルタが必要なもの全てを持っていることを示したとする。すなわち、マルタが時間的善と永遠なる善の全て、つまり一個の被造物が所有できる一切のものをことごとく備えていた、と完全に近い評価を与えている。また、「マリアがマリアとなる前に、マリアはまずマルタであった、なぜなら主の足元に座ったとき、マリアはマリアではなかった」という一文が出てくる。これは意味が通らないが、田島訳では直後に(マルタのようにならなければならなかった)という解釈を挿入している。この解釈は、この後の論の展開でマリアが学校の一年生に譬えられているのに対し、マルタはすでに完全に本質的な在り方に立っていたという対比、また「良く鍛えられた身体を持ち、賢明な教えに従順になってこそ、はじめてわたしはこれをマリアと名付ける」といった記述からその妥当性が評価できる。このように、マリアは未熟であり、マルタは成熟している、といった構図の評価が繰り返されている点に、マイスター・エックハルトの意図を読み取るべきであろう。最後に、イエスがマルタに対して「あなたは思い悩んでいる」と言ったのは、あなたは多くの事物のかたわらに立っているが、決してそれらの事物があなたの内にあるのではない、という意味であったと解釈し、特に思い悩みの「中」と「かたわら」に立つことの差異に特に注意を促し、詳細な議論を展開する。結論として、思い悩みの「かたわら」に立つとは、マルタがマリアのように精神的陶酔の内で自分を甘やかすことなく、魂の下位の諸力を用いて苦労とわずらわしさとの多い仕事に身をもって当たったことを指している、とまとめている。
{ "id": "123740", "title": "マリア (マルタの妹)", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%20%28%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%81%AE%E5%A6%B9%29" }
マルタ(ベタニアのマルタ)またはマルファは、新約聖書に登場する女性でキリスト教の聖人。マルファは日本ハリストス正教会での読み方。 概要 ベタニアに暮らし、弟ラザロ、妹マリアと共にイエスと親しかった。イエスが彼らの家を訪れた記述は、ルカによる福音書10:38-42、ヨハネによる福音書11:1-40、12:1-11などに見られる。記憶日は7月29日。 イエスを迎えた時のマルタとマリアの態度の違いは、伝統的に「観想的生活」と「活動的生活」とを表すものであると考えられてきた。 新約聖書にマルタの死にまつわる出来事は書かれていないが、中世頃よりプロヴァンス地方で宣教したとする伝承がある。マルタの聖遺物は1187年にタラスコンで発見された。 絵画などで表現される場合、聖書ないし聖人伝の記述が含まれた図像で描かれ、ひしゃく、箒、鍵束などを持つ。また、主婦や手伝いをする姉妹の守護聖人とされる。 これとは別に、マルタを象徴する図像にドラゴンがある。これはタラスコンに表れたドラゴン(タラスク)にマルタが聖水を飲ませ、サッシュを巻いて捕らえたという伝承による。
{ "id": "123741", "title": "マルタ (マリアの姉)", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%20%28%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%A7%89%29" }
ラザロは、ユダヤ人の男性で、イエス・キリストの友人。『ヨハネによる福音書』によればイエスによっていったん死より甦らされた。日本ハリストス正教会ではラザリと転写される。 ラザロという名はユダヤ名・エルアザルがギリシア語化した名と推測される。『ルカによる福音書』16章にもラザロという人物が出てくるが(金持ちとラザロを参照)別人とされている。 人物 キリスト教の正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会で聖人。記念日は6月21日。エルサレム郊外のベタニアに暮らし、マリアとマルタの弟で、共にイエス・キリストと親しかった。イエスはマリアとマルタの家を訪れている(『ルカによる福音書』10:38-42)。 『ヨハネによる福音書』11章によれば、ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られて既に4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエスを殺すか計画し始めた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10) 伝承によれば、後にラザロはキプロスの初代主教となった。キプロス南東の都市ラルナカにある、聖ラザロ教会の地下クリプトにはラザロの墓所がある。正教会では、伝統的に聖枝祭(主のエルサレム入城)前日の土曜日(スボタ)をラザリのスボタと呼び、キリストによるラザロの蘇生を記憶する。 また、南フランスの伝承では、姉妹マルタ、マリアらと共にサント=マリー=ド=ラ=メールに辿り着き、その後マルセイユの地で布教に励んだという。 2021年、カトリック教会はラザロをマリアと共にマルタの記念日である7月29日に加え一般典礼で祝うことを発表、施行した。 解釈 ラザロ蘇生の奇跡は、人類全体の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせること(復活)の予兆として解釈されてきた。文学に於いても、時にその様なイメージの引用が見られる。例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』に於いて、主人公である殺人犯のラスコールニコフが自白を決意する契機として、ラザロの死と甦りの箇所を娼婦ソーニャに請うて朗読させる場面が登場する。 比喩表現 ラザロの伝承から、キリスト教圏の欧米を中心に、蘇生・復活に関連する学術用語にしばしば「ラザロ」の名が冠される。医学の「ラザロ徴候」や「」、分類学で絶滅したとみなされた後に再発見された生物種を指す「」などである。 フィクションでも、ホラー映画『ラザロ・エフェクト』や小説『ラザロ・ラザロ』(図子慧)、『幸福なラザロ』のように、ラザロを題名に取り入れた作品がある。
{ "id": "123747", "title": "ラザロ", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD" }
金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットでは「ヴァジュラパーニ」、または「ヴァジュラダラ(Vajradhara)」といい、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の「阿形(あぎょう)」像と、口を結んだ「吽形(うんぎょう)」像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。寺院の門に配される際には「仁王・二王(におう)」の名で呼ばれる。また、「伐折羅陀羅(ばざらだら)」「跋闍羅波膩(ばじゃらぱに)」「密迹金剛」「金剛手(こんごうしゅ)」「持金剛(じこんごう)」とも呼ばれる。 仁王像 日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っている仁王門をしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。 仁王像は安置される場所柄、風雨の害を蒙りやすく、中世以前の古像で、良い状態で残っているものはあまり多くない。寺門に安置された仁王像で日本最古のものは法隆寺中門に立つ塑像であるが、後世の補修が甚だしく、吽形像の体部はほとんど木造の後補に変わっている。なお、仁王像は仏堂内部に安置されることもある。奈良・興福寺の仁王像(鎌倉時代、国宝)は旧・西金堂堂内に安置されていたもので、当初から堂内安置用に造られたため、像高は小ぶりである。 仁王像は阿形・吽形の一対として造像するのが原則であるが、これを1体のみで表した、執金剛神(しゅこんごうしん)と呼ばれる像がある。東大寺法華堂(三月堂)の本尊の背後の厨子内に安置された塑造執金剛神立像(国宝)がその例で、形勢や表情は一般の仁王像と似ているが、裸形でなく甲冑を着けている点が異なる。東大寺法華堂にはこれとは別に一対の仁王像があり、阿形像が「金剛力士」、吽形像が「密迹力士」(みっしゃくりきし)と呼ばれている。これも着甲像である。 千手観音の眷属である二十八部衆の中にも仁王像があるが、この場合、阿形像は「那羅延堅固」(ならえんけんご)、吽形像は「密迹金剛士」(みっしゃくこんごうし)と呼ばれる。 現存する大作としては建仁3年(1203)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像が有名である。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いておよそ2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられている。 また、スポーツ用品メーカーのアシックスが、陸上競技および長距離種目のマラソン・駅伝用ブランド「GONA」にデザインとして採用していた時期がある。 金剛力士が安置されている主な社寺 府南寺 三重県 鈴鹿市 最勝院(青森県弘前市) 円覚寺(青森県西津軽郡深浦町) 恐山菩提寺(青森県むつ市) 常堅寺(岩手県遠野市) 天徳寺(秋田県秋田市) 西方寺(宮城県仙台市) 立石寺(山形県山形市) 恵隆寺(福島県河沼郡会津坂下町) 陽林寺(福島県福島市) 萬満寺(千葉県松戸市) 観音教寺(千葉県山武郡芝山町) - "芝山仁王尊"として知られる。 浅草寺(東京都台東区) 観音寺(東京都世田谷区) 本門寺(東京都大田区) 總持寺(神奈川県横浜市鶴見区) 宝鏡寺(山梨県大月市) 久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町) 善光寺(長野県長野市) 若沢寺(廃寺=長野県松本市波田) - 1974年1月県宝指定 鳳来寺(愛知県新城市) 財賀寺(愛知県豊川市) - 仁王門の2躯は重要文化財 観音寺(愛知県名古屋市)-荒子観音。仁王門の2駆は円空作 円福寺 (愛知県春日井市) 願成寺(岐阜県岐阜市) 円鏡寺(岐阜県本巣郡北方町) 華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町) 乙宝寺(新潟県胎内市) 蓮華峰寺(新潟県佐渡市) 瑞龍寺(富山県高岡市) 千光寺(富山県砺波市) 妙成寺(石川県羽咋市) 那谷寺(石川県小松市) 明通寺(福井県小浜市) 若狭神宮寺(福井県小浜市) 中山寺(福井県高浜町) - 山門の2躯は重要文化財 園城寺(滋賀県大津市) 石山寺(滋賀県大津市) 西明寺(滋賀県甲良町) 広隆寺(京都府京都市) 勝持寺(京都府京都市) 善峯寺(京都府京都市) 万寿寺(京都府京都市) 愛宕念仏寺(京都府京都市) 仁和寺 (京都府京都市) 円隆寺(京都府舞鶴市) 金剛院(京都府舞鶴市) 多禰寺(京都府舞鶴市) - 山門の2躯は重要文化財 四天王寺(大阪府大阪市) 叡福寺(大阪府太子町) 東大寺(奈良県奈良市) - 南大門の2躯および法華堂の2躯は国宝 興福寺(奈良県奈良市) - 国宝館・旧西金堂の2躯は国宝 法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町) - 中門の2躯は重要文化財 長谷寺(奈良県桜井市) 室生寺(奈良県宇陀市) 金峯山寺(奈良県吉野町) 高野山(和歌山県伊都郡高野町) - 大門の2躯は重要文化財 根来寺(和歌山県岩出市) 長保寺(和歌山県海南市) 如意寺(兵庫県神戸市) 伽耶院(兵庫県三木市) 摩尼寺(鳥取県鳥取市) 長谷寺(鳥取県倉吉市) 金山寺(岡山県岡山市) 真光寺(岡山県備前市) 西國寺(広島県尾道市) 阿弥陀寺(山口県防府市) 太龍寺(徳島県阿南市) 霊山寺(徳島県鳴門市) 善通寺(香川県善通寺市) 金剛禅総本山少林寺(香川県多度津町) 志度寺(香川県さぬき市) 石手寺(愛媛県松山市) 観自在寺(愛媛県愛南町) 竹林寺(高知県高知市) 清瀧寺(高知県土佐市) 如法寺(福岡県豊前市) 両子寺(大分県国東市) 感応寺(鹿児島県出水市) - 石像4躯 桃林寺(沖縄県石垣市) 今村神社(群馬県伊勢崎市) 東光寺(群馬県邑楽郡千代田町) 正源寺(埼玉県川口市新郷地区) 西福寺(埼玉県川口市西立野) 金剛院(埼玉県さいたま市) 西新井大師(東京都足立区)
{ "id": "123748", "title": "金剛力士", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%A3%AB" }
『出定後語』(しゅつじょうごご、しゅつじょうこうご)は、富永仲基の主著。延享2年(1745年)に刊行された。 概略 本書のもっとも特徴的な主張は、「加上」または「異部加上」と呼ばれる法則の提言である。仲基によると、歴史的に経典を分析すると、新しい経典は、より古い経典の教説に異なった教説を加上しながら発展してきた、というものである。 従来の仏教経典間の体系整理は、すべてブッダが説いた教説であることを前提とし、矛盾を排するように説かれた順序を推定・評価していた。仲基は、その前提を疑い、成立史を再構成を試みた。その推論根拠として「加上」、「異部名字難必和會」「三物五類立言之紀」を挙げている。 「加上」は、新たな思想は旧思想に新たな要素を加え優位性を示そうとするという心理の法則性。 「異部名字難必和會」は、一つの事柄に複数の説がある場合、真実を判断つきにくい(ため無理に絞ると誤るおそれがある)こと。 「三物五類立言之紀」は、言語の意味の、話者による影響(主観、イデオロギー)、時代による影響(発音、意味、翻訳)、5種類に類型化できる意味の変化(固有名詞が一般名詞化、意味が強まる、誇張する、意味が変わる、逆の意味に変わる)に注目する。 その他、韻文やその注釈文などの記述スタイルから編集の順序を推定や国民性による発想の比較(インド人は空想的宇宙的、中国人は文飾的、日本人は要点簡潔)がある。 仲基はまた、まずヴェーダが先行し、それに対抗して六師外道が、それに対抗しての釈迦・小乗仏教が、それに対抗して大乗仏教が加上されたとし、つまり大乗仏教を後世に作られたもの(大乗非仏説)と断じた。このことによって本書は仏教界から攻撃され、一方で平田篤胤などはこの書を国学者としての観点から賞揚した。 テキスト 『現代仏教名著全集 第1巻 (仏教の諸問題)』中村元,増谷文雄, J.M.北川 編. 隆文館 1971 『日本の名著 18 冨永仲基・石田梅岩』中央公論社 1972 (石田瑞麿訳) 『日本思想大系 43 富永仲基・山片蟠桃』岩波書店 1973 (水田紀久校注) 『出定後語』隆文館 1982
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藤子不二雄ランド(ふじこふじおランド)は、中央公論社(現・中央公論新社)から出版された藤子不二雄の漫画全集である。通称は「FFランド」。当時経営が低迷していた中央公論社が新事業として展開していた、「漫画刊行路線」を代表するシリーズである。 概要 第1期全301巻と、F.F.ランド・スペシャル全30巻が発刊された。現在は絶版となっている。最終巻である『UTOPIA 最後の世界大戦』には第1期全301巻完結とあり、第2期刊行を匂わせたが発刊には至っていない。 2000年に開設された復刊ドットコムでは当初より復刊リクエストが出され(復刊リクエスト番号:1)、復刊へ向けた交渉が行われたものの、藤子・Fサイドからの出版許可が得られず、コンビ解消後、権利の管理上藤子不二雄Ⓐ名義となった作品のみが藤子不二雄Ⓐランド(FFⒶランド)としてブッキングから出版される形となった。なお、コンビ解消後に藤子・F名義となった作品は2009年から2014年にかけて『藤子・F・不二雄大全集』という新たな全集が小学館より刊行された(FとAの両名義になった作品も一部含む)が、現在も全巻の復刊リクエストは継続中である。 藤子不二雄作品は有名作以外は単行本としてまとまっていないものが多数あり、藤子不二雄ランドでしか読めない作品も多かった。当初は『劇画 毛沢東伝』や『ぶきみな5週間』などカルト的な人気作も刊行される予定であったが、日の目を見ることなく第1期が終了した。また、『ドラえもん』は35巻で一旦完結したが、2年後に刊行を再開し、最終的に45巻まで発刊された。 出版形態 1984年6月1日から1991年2月3日まで刊行。当初は毎週金曜日に1冊発売であったが、のちに月2回2冊ずつ発売という形態に変わった。1冊目は『海の王子』第1巻であった。 1冊400円前後の安価な価格設定は、コスト削減のため表紙(カバー)にビニールコーティングがされておらず、他の出版社のコミックス(少年、少女、青年問わず)に比べ劣化しやすいという弱点が有ったが、子供が買い求めやすいようにという著者たちの意向によるもので児童向け作品を中心としたラインナップも同様の理由からであり、青年向けの作品はほとんど刊行されなかった。サイズは他出版社のコミックスよりも大きい形態であった。 各巻は巻頭に付録として表題作のカラーセル画が付き、そのあとで表題の作品、作品の解説記事、読者コーナー、全集に渡って連載される新作連載漫画という収録順であった。付録や読者コーナーが付くのは全集としては異例のスタイルであり、週刊の刊行ペースとも相まって、藤子作品の週刊誌といったような面持ちであった。また、表題の作品のページ数が本1冊の厚さに満たない場合は、『魔太郎がくる!!』14巻の恐怖探偵局のように短編が掲載されることもあった。 各エピソードの最終ページには初出誌のデータが記載されているが、間違いが多かったり、データが記載されていないことがある。 また、掲載誌が複数あるタイトルは出来る限り初出の収録順に近づけられて刊行された物もあれば、「原稿が見つかった順に適当に刊行」という物もあり『オバケのQ太郎』など、最終巻に第一話を持ってきたりするものもあった。 後半に刊行されたタイトルは、『仮面太郎』、『オヤジ坊太郎』など既に他社で刊行された単行本より収録量が少ない。 収録作品 ※★印は安孫子、藤本による合作。 コンビ解消後、藤子不二雄Ⓐ名義となった作品 新編集 怪物くん(全21巻) 新編集 忍者ハットリくん(全4巻) 新忍者ハットリくん(全8巻) まんが道(全23巻) 新版 プロゴルファー猿(全22巻) 新プロゴルファー猿(全9巻) 黒ベエ(全3巻) 新編集 魔太郎がくる!!(全14巻) ビリ犬(全1巻) 怪人二十面相(全2巻) 少年時代(全5巻) ブラック商会変奇郎(全6巻) フータくんNOW!(全1巻) きえる快速車(全2巻)★ ビッグ・1(全2巻) シルバー・クロス(全6巻) スリーZメン(全2巻) 仮面太郎(全1巻) シスコン王子(全1巻) わかとの(全3巻)★ 怪人わかとの(全1巻) マボロシ変太夫(全2巻) オヤジ坊太郎(全2巻) くまんばち作戦(全1巻) マネー・ハンターフータくん(全7巻) - 続編に当たる『フータくん なんでも会社編』が刊行予定に記載されていたことがある。 コンビ解消後、藤子・F・不二雄名義となった作品 ドラえもん(全45巻) 映画原作 大長編ドラえもん(全9巻) 21エモン(全5巻) エスパー魔美(全9巻) キテレツ大百科(全4巻) 新編集 パーマン(全12巻)★ - 旧作のみ合作。 ウメ星デンカ(全5巻) ジャングル黒べえ(全1巻) - 黒人差別問題による自主規制により、藤子不二雄ランド刊行中にもかかわらず増刷は行われず、品切れ扱いとなっていた。 バケルくん(全3巻) 宇宙生物モジャ公(全3巻) 星人ドビンソン漂流記(全2巻) みきおとミキオ(全1巻) ポコニャン(全2巻) 少年SF短編(全6巻) 異色SF短編(全3巻) 宙犬トッピ(全1巻) 中年スーパーマン左江内氏(全1巻) バウバウ大臣(全1巻) T・Pぼん(全5巻) 新オバケのQ太郎(全7巻)★ ミラ・クル・1(全1巻) コンビ解消後も両人の名義となっている作品 海の王子(全5巻)★ 新編集 オバケのQ太郎(全20巻)★ - 第12巻は黒人差別問題による自主規制により、藤子不二雄ランド刊行中にもかかわらず増刷が行なわれず、品切れ扱いとなっていた。 UTOPIA 最後の世界大戦(全1巻)★ 連載漫画 毎号、巻末に描き下ろしの新作漫画が連載されていた。その中で「ウルトラB」と「チンプイ」は後にアニメ化もされた。 新作 ウルトラB(藤子不二雄Ⓐ) チンプイ(藤子・F・不二雄) タカモリが走る(藤子不二雄Ⓐ) ワールド旅行記 まんが道(第二部)(藤子不二雄Ⓐ) 再録 藤子不二雄まんがスクール - 『週刊少年チャンピオン』に連載された『チャンピオンマンガ科』の加筆訂正版。後に単行本化。 アニマル世界をゆく!! ベラボー(藤子不二雄としのだひでお) 十手の十一 F.F.ランド・スペシャル 藤子不二雄ランドに連載された作品など。 ウルトラB(全11巻) チンプイ(全4巻) 完全版チンプイ(全4巻) 第二部まんが道(全2巻) 長編ウルトラB(全1巻) タカモリが走る(全2巻) 藤子不二雄ランド ひみつ500大探検 藤子不二雄ランド ひみつ500大探検PARTII 藤子不二雄ランド ウルトラBひみつ大探検 藤子不二雄ランド 遊びカタログ 藤子不二雄まんがスクール スーパー・メカノサイエンス ドラえもん道具カタログ 藤子不二雄Ⓐランド 藤子不二雄Ⓐランドは藤子不二雄ランドのうち藤子不二雄Ⓐ作品のみをブッキングより復刊したもの。当初は1冊1,000円を予定していたが、原作者の要望で390円となった。セル画、解説記事、読者コーナー、連載漫画は収録されていないが、「藤子不二雄Ⓐランドギャラリー」として、セル画がカバー袖に縮小印刷されている。2002年6月29日から2005年7月12日まで、毎月12日と28日に2冊ずつ刊行された。全冊をブッキングから予約購入した場合は、未収録作品を含む特典冊子「F.F.Ⓐランド完結記念 初期少年まんが選集」がついてきた。全149巻。 2009年9月以降に重版された分に関しては790円に価格改定された。 CM かつて中央公論社時代に『藤子不二雄ワイド』のスポンサーとして参加し、当番組内で放映されたアニメーション形式のCM。最後に新刊の告知とともに「本屋さんでね」で締める。初期においてはドラえもん(声:大山のぶ代)がナレーションを務めており、形式は以下のようになっていた。 通常の場合 - 「毎週金曜日発売。今週は『○○○○○(作品名)』。本屋さんでね」 『ドラえもん』の場合 - 「毎週金曜日発売。今週はボクなんです。本屋さんでね」
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マイアミの奇跡(マイアミのきせき)は、1996年アトランタオリンピック(以下アトランタ五輪と略)・男子サッカーグループリーグD組第1戦において、日本五輪代表が優勝候補のブラジル五輪代表を1対0で下した試合の日本における通称である。 概要 アトランタ五輪男子サッカー競技は出場16カ国を抽選でA〜Dの4グループに分け、各グループ上位2チームが決勝トーナメントに進出する方式で行われた。アジア予選で2位となり、銅メダルを獲得したメキシコシティ五輪以来28年ぶりに五輪に出場した日本五輪代表はグループDに入り、初戦は南米代表のブラジル、2戦目はアフリカ代表のナイジェリア、3戦目はヨーロッパ代表のハンガリーと対戦することになった。ブラジル戦は五輪開催都市のジョージア州アトランタではなく、フロリダ州マイアミのアメリカンフットボール球技場マイアミ・オレンジボウルで開催された。 ブラジルはワールドカップ1994年大会でW杯史上初の4回目の優勝を成し遂げた一方、当時はまだ五輪での金メダル獲得がなかった(2016年リオ五輪で初の金メダル獲得)。またワールドカップ1998年大会の予選が免除されていた ことで真剣勝負の場がなく、A代表の強化の意味合いも含め、A代表監督のマリオ・ザガロが五輪代表の監督も兼任するなど、今大会に本腰を入れていた。正規の23歳以下の選手としてロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、ロナウジーニョ、フラビオ・コンセイソンといったすでにA代表で活躍している優秀な選手が多く揃っている事に加え、この大会から認められたオーバーエイジ枠に、当時のA代表のレギュラーであるベベット、リバウド、アウダイールを加入させ、まさにドリームチームとして優勝候補の大本命と目されていた。実際、チーム結成以来の2年弱で、敗戦はメキシコA代表が相手だった1試合のみで、大会前に行われたブラジルA代表との練習試合でも、五輪代表が勝利していた。 一方、日本は西野朗監督が「我々は単にアジアだけで勝つためにチームを作ってきたのではない」と発言するなど1994年のU-23日本(1994年時点ではU-21日本)発足時から積み上げてきた結束力とコンビネーションを重視する意向でオーバーエイジ枠を使用せず、Jリーグ所属の23歳以下選手、アジア予選を戦ったメンバーで大会に臨んだ。当時の日本A代表経験者は前園真聖と城彰二の2人のみ、怪我で本戦メンバーから外れた小倉隆史を含めても3人だけだった。西野監督や山本昌邦コーチらスタッフは、スカウティング(以下、偵察と略すことあり)のために入手したブラジルの試合映像を見て「(自信を失わせない様に)選手達には見せない方が良いだろう」と思ったほど殆ど隙が見当たらず、選手個々人の能力、チームとしての総合力に大幅な開きがあることを痛感していた。日本のメディアを含め、下馬評ではブラジルの圧倒的有利が予想されており、日本がグループリーグを突破するためには得失点差の計算上、敗れるにしても大量失点を避けるべきとする意見もあった。 経緯 試合前までの状況 ブラジル戦を前にして日本は念入りに情報分析を行い、相手の長所を消すための対策を研究した。スカウティング担当松永英機やブラジル人GKコーチのジョゼ・マリオ が事前にブラジル入りして偵察し、ブラジル五輪代表の試合の映像を入手した。また、ブラジルの新聞を取り寄せ、細かな情報まで仕入れるなど綿密なスカウティングを行った。それらを元に、スターティングメンバーや選手交代のパターンを予想し、守備的な戦術を考えた。 前園などの攻撃陣は守備的な戦術を告げられ最初は反発したが、「最強のブラジルに勝つため」に受け入れた。 日本は、ブラジルの2トップはオーバーエイジのベベットと、断トツのチーム得点王サヴィオがスタメンで、試合が接戦になった場合、サヴィオに変わって高さもあるロナウジーニョ(ロナウド)が交代で出場すると予想。スピードがあるFWベベットにはDF鈴木秀人をマークにあて、サヴィオのマークにはロナウジーニョへの対応も想定し、空中戦も強いDF松田直樹をあてることにした。実際に試合ではスタメンも交代パターンも予想通りであった。キープレイヤーと目されるドリブラーの司令塔ジュニーニョ・パウリスタ対策としては、アジア予選のレギュラーボランチだった廣長優志を外し、左SBが本職である服部年宏のスピードを買って、ジュニーニョに密着マークさせることにした(この奇策には服部も驚いたという)。また、GKコーチのジョゼ・マリオは、強烈な左足でフリーキックのキッカーを務める事が予想される左SBロベルト・カルロスのシュート軌道を、日本の正GK川口能活に徹底的に叩き込んだ。 このように守備面で万全の手を打つ一方で、攻撃面では打てる手は少なかったが、オーバーエイジとして加入したセンターバックのアウダイールが直前での加入だったため、もう一人のCBロナウド・ギアロ(大会登録名ロナウド)や、GKジーダとの連係面に不安を抱えていることと、両CBが共にスピードがなかったため、「ブラジルCB2人の背後のスペースは数少ない狙い目だ」と選手たちに伝えていた。 アトランタ五輪本大会の1週間前に、ニューヨークで行われたブラジル五輪代表と世界選抜のチャリティーマッチを西野監督と山本コーチが偵察した。試合は世界のスーパースターを揃えた世界選抜チームに、ブラジル五輪代表が勝利。西野監督らは驚きを示す一方、ブラジル五輪代表は慢心して隙が出来るのではと考えたという。 ブラジル代表は当時、ロッカールームで自らを鼓舞し、同時に相手を威圧するために、全員が大きな声を出しながらウォーミングアップを行うことがあった。実際、この試合前にもブラジル五輪代表が行っていたが、事前にその情報を入手していた山本は試合前から精神的に飲まれないため、こちらも負けずに声を出せと日本代表選手にはっぱをかけ、ピッチに選手たちが出るまで、ずっと選手たちの側で日本代表選手たちを鼓舞し続けた。 試合展開 日本五輪代表は城のワントップ、中田英寿(登録はFW)と前園が後方からフォローする3-6-1のフォーメーション。DFラインは鈴木・松田の2ストッパーの後方でスイーパーの田中誠がカバーする。ブラジル五輪代表はスカウティング通りのスタメンで、ベベット、サヴィオ、ジュニーニョらの技巧と、リバウド、ロベルト・カルロスらの破壊力を織り交ぜた4-4-2のフォーメーション。試合会場はブラジルから来たカナリア色のサポーターが圧倒的に多く、日本にとって完全アウェーの雰囲気に包まれた。 最初のシュートこそ路木龍次からの左クロスを中田がヘディングしたものだったが、その後ブラジルは徐々にペースアップし度々日本ゴールに迫った。しかし日本の守備陣も冷静に対応し、GK川口能活のファインセーブもあり前半は0-0のまま終了した。 ブラジルは後半開始からさらに攻勢を強め、ベベット、サヴィオ、リバウド、ジュニーニョらが次々とシュートの雨を降らせた。日本は防戦一方となりながらも、川口が好守を続け、DF陣も集中力を切らさず、またシュートがゴールポストを直撃して難を逃れるなど運も味方し、両チーム無得点のまま試合は推移していった。後半19分、ブラジルは状況を打開すべくFWサヴィオからFWロナウジーニョ(ロナウド)に交代したが、サヴィオのマークをしていたDF松田が事前の打ち合わせ通り、そのままロナウジーニョのマークを担当し、冷静に対応した。「簡単に勝てる」と考えていたブラジルサポーターたちは試合が進むにつれ苛立ち始め、抑えきれなくなったサポーターの1人がピッチに乱入し取り押さえられる場面もあった。 そして後半27分、左サイドにいたウイングバックの路木が、ブラジルのディフェンスラインとGKの間のスペースを目掛け、山なりのボールを放り込んだ。そのボールを狙ってFW城彰二がゴール前に走り込むと、クリアしようと飛び出したブラジルGKジーダと、城を後方から追いかけていたCBアウダイールが激突、ゴールに向かって転がったボールを走り込んだボランチの伊東輝悦が押し込んだ。ブラジルの凡ミスによるラッキーゴールに見えたが、事前のスカウティングで判明していた、数少ない狙い目であるブラジル代表CB2人の背後のスペースを見事に突いた得点であった。 まさかの失点に焦るブラジルはその後も全員攻撃で一方的に攻め続けるが、日本もGK川口を中心に全員守備の意識は切らさず粘り強く守り続けた。ジュニーニョのヒジ打ちにあったDF鈴木は止血が不完全なままプレーを続け、FW城も86分に退くまで右脹脛を痙攣させながらもプレーを続けた。攻撃参加が増えるロベルト・カルロスへの対策に、本来CBの白井を右ウイングバックに投入。GKとの交錯で負傷した中田を下げる際も、同じくCBの上村を投入し徹底的に守りを固めると、ブラジルの猛攻はロスタイム(現:アディショナルタイム)2分30秒まで続いたが、日本はついに最後まで守り切った。 最終的にブラジルが放ったシュートは計28本。対する日本のシュートは、たったの4本だった。 反響 この試合結果を受け、日本では新聞や雑誌などで号外が出された。当時「スーパーサッカー」の司会者だった生島ヒロシは新幹線での移動中に試合結果を知り、頼み込んでその新幹線でアナウンスしてもらったという。 海外でもこの結果は話題になり、UPI通信社は「五輪史上、最大の番狂わせのひとつだ」、AP通信は「ブラジルの五輪における将来は議論を呼ぶはず」、ロイター通信社は「ショックにうちひしがれたブラジルは初の五輪金メダルに向け大きくつまずいた」、ロサンゼルス・タイムズは「ブラジル、0-1で新興国日本に不意打ちを食らう」などと報道され、中には1950年ブラジルW杯グループリーグで、数名のセミプロを除けば全員アマチュアのアメリカ代表が、全員プロのイングランド代表を1-0で下したFIFAワールドカップ史上最大の番狂わせ(世紀のアップセット)と並ぶものとして讃えたメディアもあった。 ブラジルにとって格下と目されていた日本の、しかも2軍扱いしていたチームに敗れたことは番狂わせの最たるものだった。ブラジルのテレビ生中継番組の解説者は、ボールがブラジルゴールに吸い込まれていく際に「あーっ、入っちゃう…」と絶望にも似た声でつぶやき、試合終了直後の実況は「こんなことがあっていいのか。大変な教訓になりました。日本はお祭りです。ブラジルは悲しんで……」と絶句した。この試合後、ブラジル国内ではテレビ局が特別番組を組み、国内の有識者たちが屈辱的な敗戦の要因を徹底討論した。ブラジルの新聞も、ブラジル五輪代表を批判する記事を書きたてた。また、フル出場したベベットは試合後、この試合のビデオを見返したが、「なぜ、僕たちが負けたのか今でも分からない」と発言した。この試合のブラジルにおける呼称は「マイアミの屈辱」である。 その後 日本は続く第2戦ではナイジェリア(この大会で優勝し金メダル獲得)に0-2で敗れたものの、第3戦ハンガリー戦で3-2で逆転勝利。2勝1敗の成績を残したが、ナイジェリア戦の2失点が響き、得失点差で3位となりグループリーグ敗退となった。 アトランタ五輪大会後、日本サッカー協会(JFA)技術委員会は、JFAテクニカルレポート で、日本アトランタ五輪男子代表について「守備的なサッカーで将来につながらない」と厳しい評価を下した。他の日本五輪男子代表スタッフがその評価に憤りを示す中、西野朗監督は努めて冷静に受け止めたという。 西野は「将来の日本代表監督候補」と言われながらも、アトランタ五輪後はナショナルチームを離れ、Jリーグのクラブ監督を務めた。攻撃的サッカーを標榜し、柏レイソルやガンバ大阪でタイトルを獲得して、Jリーグ最多勝監督となった。ヴァイッド・ハリルホジッチ前日本代表監督の解任を受け、2018年4月9日に日本代表監督に年俸約1億2500万円(同年4月7日までに西野はJFA理事、JFA技術委員長、Jリーグ理事を辞任)で、任期はロシアW杯後の7月31日までという契約で、22年ぶりにナショナルチームを指揮することとなった。「2018 FIFAワールドカップ」では下馬評の低かった日本代表を2大会ぶりの決勝トーナメント進出(ベスト16)に導いた。また第3戦のポーランド戦では終盤の消極的戦術(試合終了まで10分間の自陣でのパス回し)が物議を醸したが、アトランタ五輪で得失点差により決勝トーナメント進出を逃した苦い経験からとの論調もあった。西野は、日本代表監督を任期満了で退任した。在任期間はわずか3カ月23日(114日)間で、日本代表選手との帯同期間は5月21日の合宿から7月5日の帰国会見までのわずか46日間であった。 山本昌邦コーチは2004年アテネオリンピックで日本五輪代表チームを指揮したが、グループ最下位(1勝2敗)で敗退した。松永英機スカウティングスタッフは、ヴェルディ川崎、清水エスパルス、ヴァンフォーレ甲府、FC岐阜の監督を務め、特に甲府や岐阜での評価が高い。 マイアミの奇跡から4年後、2000年のシドニー五輪男子グループリーグD組最終戦でも日本とブラジルが対戦。この時はブラジルが1-0で勝利し、4年前の雪辱を果たす形となった。この時は両国とも勝ち点6で共に決勝トーナメント進出を果たした(得失点差でブラジルが1位、日本が2位)。2022年現在、A代表でのブラジル戦勝利は果たせていない。 さらに16年後のリオデジャネイロオリンピックの際のポット分けでは、この試合の勝利によって得たポイントによって、日本はポット1を確保することが出来た。 会場のオレンジボウルは2008年に解体され、野球場のローンデポ・パークに生まれ変わったがここで開催された2023 ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表は準決勝で劇的な逆転勝ちし、翌日の決勝も勝利し14年ぶりの優勝を果たし今度は野球で日本代表がこの場所で奇跡を起こすことになった。 試合データ
{ "id": "123751", "title": "マイアミの奇跡", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1" }
国道52号(こくどう52ごう)は、静岡県静岡市清水区から山梨県甲府市に至る一般国道である。 概要 静岡県の県庁所在地である静岡市の国道1号分岐(興津中町交差点)より北上して富士見峠を越え、山梨県西部を南北に流れる富士川に沿って山梨県北西部の韮崎市を経由して、同県庁所在地である甲府市と結ぶ延長約96キロメートル (km) の一般国道の路線で、主な通過地は、山梨県南巨摩郡南部町、身延町、富士川町、南アルプス市、韮崎市、甲斐市である。静岡 - 富士川 - 韮崎間は、身延道や富士川街道の別名がある。富士川 - 甲斐間(延長約18 km)の甲西道路は、国道52号のバイパス道路として整備されたもので、中部横断自動車道の側道にあたる。静岡市にある富士見峠付近で、新東名高速道路と新清水インターチェンジ (IC) で接続し、山梨県内を南北に縦貫する中部横断自動車道とも富沢・南部・増穂・南アルプス・白根の各ICと接続する。 路線データ 一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。 起点:清水市(興津中町交点 = 国道1号交点) 終点:甲府市(甲府警察署前交点 = 国道358号・国道411号終点) 重要な経過地:山梨県南巨摩郡南部町、同郡身延町、同郡増穂町、韮崎市 総延長 : 96.2 km(山梨県 76.2 km、静岡県 3.3 km、静岡市 16.1 km)重用延長を含む。 重用延長 : 4.0 km(山梨県 4.0 km、静岡県 - km、静岡市 - km) 未供用延長 : なし 実延長 : 92.2 km(山梨県 72.7 km、静岡県 3.3 km、静岡市 16.1 km) 現道 : 91.6 km(山梨県 72.2 km、静岡県 3.3 km、静岡市 16.1 km) 旧道 : なし 新道 : なし 指定区間:全線 歴史 古くから駿河国と甲斐国を結んだ道筋であり、江戸時代は脇往還として「駿州往還」や「甲州往還」などとよばれていた。また富士川沿いの道であるため「富士川街道」、身延山久遠寺への参詣道として利用されたことから「身延路(みのぶみち)」、富士川流域の河内領を通過するため「河内路」というように、異名が多い道であった。 昭和時代の戦後になって旧道路法に代えて現行の道路法が定められると、これに伴う1953年(昭和28年)の二級国道の路線指定で「二級国道141号清水上田線」(静岡県清水市 - 長野県上田市)として初めて国道の指定を受けて、国道52号の前身路線となった。1963年(昭和38年)4月に一級国道と二級国道の路線再編が行われたときには、二級国道141号清水上田線の南半分にあたる清水市 - 韮崎市間を分離独立させて一級国道に昇格し「一級国道52号」とした。ただし、一級国道の路線指定の要件には県庁所在地クラスの都市を結ぶという規定があったので、単に清水 - 韮崎間が一級国道に昇格したわけではなく、韮崎から東に折れ曲がり、国道20号と重複して甲府市に向かうという不自然なルーティングで指定された経緯から、このような昇格を果たした一級国道は他ではほとんど見られない珍しいケースとなっている。 この1か月後の同年5月、中央自動車道の建設計画が、甲府から諏訪を経て伊那谷を通る北回りルートに変更することが突如発表され、もともと経由地とされた身延町がこの発表に反発し、大陳情団をあげて議員たちに当初案の遂行を訴えたものの決定は覆ることはなく、代わりに町を南北に縦貫する国道52号を全面舗装整備する約束を取付けるにとどまった。国道52号が優先的に予算が付けられる一級国道に昇格できたのが、この1か月前の出来事であったことから、身延町の不満を懐柔するための布石ではないかとの見方もされている。 1965年(昭和40年)の一般国道の路線を指定する政令で、一級・二級の国道区分が廃止されて一般国道に統合されたことに伴い、「一級国道52号」から「一般国道52号」となる。国道52号は1972年(昭和47年)に建設大臣に就任し、建設族議員の道を歩んだ金丸信の政治の影響力もあって、並行するように整備が進められている中部横断道と国道52号バイパスである甲西道路も、出身地である南アルプス市付近から真っ先に建設された。甲西道路が2007年(平成19年)に全線が開通すると、旧道区間は2016年(平成28年)に移管されて国道の指定を解除された。 年表 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道141号清水上田線(静岡県清水市 - 長野県上田市)として指定。 1963年(昭和38年)4月1日 - 141号清水市 - 韮崎市が昇格し、終点を甲府市に変更して一級国道52号(静岡県清水市 - 山梨県甲府市)となる。 141号は二級国道141号韮崎上田線に。 1965年(昭和40年)4月1日 - 一般国道52号となる。 1974年(昭和49年)7月13日 - 身延町横根地内で土砂崩れ。3日間以上通行止めになった。 2007年(平成19年)4月 - 甲西道路の全線(南巨摩郡鰍沢町 - 甲斐市:18.2 km)が開通。 2016年(平成28年)4月1日 - 甲西道路(バイパス)の旧道区間(富士川町 - 韮崎市)が移管され、山梨県道42号韮崎南アルプス富士川線となる。 道路概況 静岡県内 起点である興津中町交差点から東海道新幹線のガード下までは平坦かつ直線的であるが、ガードを超えると興津川に沿う形で連続したカーブが続き、丘陵を登ったり下ったりする形となる。但沼、小河内を抜け、宍原地区の手前で新東名高速道路の新清水ICと接続する。宍原地区を過ぎると登り坂が続くが、静岡市から富士宮市に入ると一転して下り坂となり、また山梨県境にある甲駿橋北詰交差点までは急カーブが続く。 峡南地域 甲駿橋北詰交差点を過ぎると山梨県に入り、富士川を沿う形で峠と市街地が連続する。1970年頃からバイパス道路が整備されてきたが、身延町役場周辺(切石地区)など拡幅もままならない地域もいまだに存在する。また峠区間は急坂と急カーブが連続しており、地盤が軟弱であることから集中豪雨時は通行止めになることが多い(後述)。 かつては身延町に入ってすぐのところに相又峡ドライブインがあり、旅館やボウリング場も営業されていた。 甲府盆地 鰍沢から甲西道路に入り、中部横断自動車道と並走する形で伸びている。甲西道路が開通する前は西郡路と呼ばれる古くからの道が富士川、南アルプスの各市街地を通過する形で伸びていたが、2016年4月に山梨県道42号韮崎南アルプス富士川線となり国道ではなくなった。釜無川を渡り双田道で国道20号と合流し、東側の竜王立体まで重複区間となる。 竜王立体から再び国道20号と別れ、ここから住宅街に入る。この区間は山梨県立美術館があることから美術館通りと呼ばれている。南西銀座北交差点から片側2車線、荒川橋を超えると甲府市中心街となり、相生歩道橋交差点を左折すると終点となる。 バイパス 万沢バイパス 富河バイパス 南部バイパス 南部町塩沢から同町中野に至るバイパス道路。 旧国道52号は南部地区の商店街を通過していたが、道幅が狭く拡幅が困難であることから西側の丘陵地帯を縦断するバイパス道路の建設に着手。1982年(昭和57年)に遅れていた塩沢トンネルを除く区間が先行開通し、1983年(昭和58年)に全線開通した。中野地区にて中部横断自動車道の南部ICと接続する。 全長3.4 km、全線2車線。 身延バイパス 身延町小田船原から同町波木井に至るバイパス道路。 山梨県と静岡県を結ぶ主要道路であるほか、付近には日蓮宗の総本山である身延山久遠寺があるため、トラックやダンプカー、観光バスなどの大型自動車の往来が激しい地域である。一方で梅平地区の道幅が狭く、またこの地域は山梨県立身延高等学校や小中学校が点在していることなどから同地域を迂回するバイパス道路の建設が望まれていた。 1980年代より工事が開始されたが、1991年(平成3年)の台風第18号の影響で波木井橋が流失したことから当該区間となる梅平から波木井間が先行して工事が行われ、1993年(平成5年)に開通した。残る区間もトンネル掘削を行い、1998年(平成10年)に全面開通した。 全長3.6 km、全線2車線。 西島バイパス 身延町西嶋から富士川町十谷に至るバイパス道路。身延町西島地区の交通量増加とそれに伴う騒音対策として1990年(平成2年)11月に開通した。 全長2.65 km、全線2車線。 甲西道路 別名 駿州往還 - 起点から富士川町青柳まで。静岡側のからは起点から甲州往還とよばれるほか、富士川街道やみのぶみち、河内路などの呼称で呼ばれることもある。詳細は駿州往還を参照。 甲州街道 - 国道20号との重複区間。 美術館通り - 竜王立体から相生歩道橋交差点まで。 平和通り - 相生歩道橋交差点から甲府警察署前交差点まで。(甲府警察署前交差点より北は山梨県道6号甲府韮崎線) 山梨県では、南部町(静岡県境)から富士川町(山梨県道42号韮崎南アルプス富士川線交点)までの愛称を「富士川街道」とし、増穂町(現富士川町)青柳以南は「みのぶ道」を書きで入れることとしている。 重複区間 国道20号(山梨県甲斐市・双田道交差点 - 甲斐市・竜王立体) 国道358号(山梨県甲府市・相生歩道橋交差点 - 甲府市(甲府警察署前交差点(終点)) 道の駅 山梨県 とみざわ(南部町) なんぶ(南部町) みのぶ富士川観光センター(身延町) 富士川(富士川町) しらね(南アルプス市) 通行規制区間 山梨県内では異常気象時における道路等通行規制区間を2箇所有する。 地理 通過する自治体 静岡県 静岡市(清水区) - 富士宮市 山梨県 南巨摩郡南部町 - 南巨摩郡身延町 - 南巨摩郡富士川町 - 南アルプス市 - 甲斐市 - 甲府市 交差する道路 静岡県 国道1号(静岡市清水区、起点) 新東名高速道路新清水IC 山梨県 国道469号(南部町) 中部横断自動車道富沢IC 中部横断自動車道南部IC 国道300号(身延町) 国道140号(富士川町) 中部横断自動車道増穂IC 中部横断自動車道白根IC 国道20号(甲斐市) 国道358号(甲府市) 国道411号(甲府市、終点) 主な峠 富士見峠(標高250 m) - 静岡県静岡市清水区 大和峠(標高199 m) - 山梨県南巨摩郡南部町
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普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。普賢菩薩の持つ「延命」の功徳を、密教において一つの尊格として崇拝したもの。種子はヨク。 概説 大安楽不空真実菩薩は悟りを生み出す智慧を持つとされ、この菩薩が制定した禅定に入れば時の限界を超越した安楽な命が生成されるとされることから「普賢延命」と呼ばれるようになった。 普賢延命菩薩は、普賢菩薩(釈迦如来の脇侍であり、独尊としても祀られる)から派生した密教系の菩薩像であり、除災、長寿などを祈念する修法「普賢延命法」の本尊として造像される。 現世利益の菩薩と解釈された普賢延命菩薩は、10世紀から11世紀にかけて日本の宮廷社会で盛んに信仰された。 奈良県五條市の常覚寺は普賢延命菩薩を本尊とする寺院であり、現在このような例はきわめて稀少である。 真言 オン・バザラユセイ・ソワカ 絵画・彫刻 普賢延命菩薩の像容には、胎蔵界曼荼羅の大安楽不空真実菩薩と同型の20臂像と、金剛薩埵と同様に金剛杵と鈴を持つ2臂像がある。20臂像は真言系、2臂像は天台系とされる。 菩薩の乗る蓮華座は、真言系20臂像では4頭の白象によって支えられ、天台系2臂像では3つの頭を持つ1頭の象が支えている。 絵画では、京都府の松尾寺の2臂像(国宝)、広島県の持光寺の20臂像(国宝)のような名品がある。 また、アメリカ合衆国のボストン美術館には12世紀の普賢延命菩薩像が収蔵されており、3頭1体の象が菩薩を支えることから台密系の菩薩であることがわかる。 彫像としては、奈良県法隆寺大宝蔵殿(もと金堂安置)の20臂像などがあるが、。
{ "id": "123753", "title": "普賢延命菩薩", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%BB%B6%E5%91%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9" }
株式会社ブッキング(BOOK-ING、現・株式会社復刊ドットコム)は、1999年10月に日販と出版社29社により発足した会社。1冊から受注生産するオンデマンド出版を事業の中核として創業した。 後に、2000年5月24日、絶版になった書籍を復刊させるサービス「復刊ドットコム」を開始する。復刊交渉と書籍の販売を担当するブッキング、サイトの運営を担当するビズシーク(2003年からは事業を継承した楽天)と分業して復刊ドットコムのサービスを継続していたが、2006年10月末の提携終了と共に、ブッキング社は日販の100%子会社となり、株式会社ほるぷ出版の一事業部(ブッキング事業部)となった。 2009年4月1日には、カルチュア・コンビニエンス・クラブの100%子会社として再分社 し、同年10月1日に、株式会社復刊ドットコムへ社名変更した。旧ブッキング時代と異なり、サイトの運営も行っている。 事業 当初は少部数の出版を行うオンデマンド出版を行う会社としてスタートしたが、後にウェブサイトで絶版書籍の復刊希望を募り復刊する事業を手がけた。 オンデマンド出版 大きな部数が見込めない専門書などの本を電子データ化し、希望に応じて出版する、「オンデマンド出版」を日本で初めて手がけた。 復刊 「復刊ドットコム」で多くの復刊リクエストのあった本について出版社に交渉し、出版や販売、その支援を行う。過去に復刊された主な書籍は次の通り。 ちびくろ・さんぼ 藤子不二雄Ⓐランド はせがわくんきらいや 世界の民話館 創作子どもSF全集 ロックマンX それからのハイジ ダルタニャン物語 すくらっぷ・ブック 同棲時代 あまいぞ!男吾 大海赫作品については、大海赫を参照。
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赤線(あかせん)は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域である。赤線区域、赤線地帯などとも。 概要 1946年1月、GHQは民主化改革の一環として、日本政府に公娼制度(貸座敷・娼妓)の廃止を要求し、これに基づき戦前からの取締法令が廃止された。女性を前借金で拘束する人身売買を禁止しようとしたものである。1月21日、GHQは公娼を容認する一切の法規撤廃について覚書。2月2日、内務省は娼妓取締規則を廃止した(省令)。しかし、これが街娼の増加を招いた。1月28日、警視庁は「夜の女」18人を初検挙、以後くりかえし「狩り込み」・検診を実施した。 東京では吉原、新宿二丁目などの貸座敷(遊廓)や、玉の井(東京都墨田区東向島)、鳩の街(東京都墨田区東向島)、洲崎(東京都江東区)などの銘酒屋の看板を変え、飲食店などとして風俗営業許可を取ることになり、娼妓・私娼は女給になった(東京はカフェー、大阪では料亭など、地域によって異なる)。 戦前から警察では、遊郭などの風俗営業が認められる地域を、地図に赤線で囲んで表示しており、これが赤線の語源であるという。終戦後のカストリ雑誌などでは「特飲街」(特殊飲食店街の略)という表現が用いられており、「赤線」という言葉が一般的になったのは、区域外への進出や人身売買事件などが大きな問題になった1950年代以降である。 1950年に大田区武蔵新田のカフェー業者が池上に進出しようとして反対運動となり(池上特飲街事件)、参議院厚生・文部・地方行政委員会による視察、調査が行われた。結果、現行法では取り締まれないとして、建築基準法や旅館業法の改正が進められた。また、委員会では鳩の街(墨田区)の業者が「赤線区域内は一軒や二軒建つても大目に見る場合が沢山ある、併し赤線から外へ出るということはいけない」と証言した。 1951年7月11日は、参議院文部委員会委員が三鷹駅北口付近に形成し始めた八丁歓楽街の現地調査を行っている。また1952年の衆議院行政監察特別委員会で人身売買事件が問題になり、3月4日には厚生事務次官が「赤線区域と申しまするものはないに越したことはないけれども、今日としてはやむを得ない」と証言し、黙認していることを認めた。 東京の場合、カフェーらしくするため、1階にはダンスホールやカウンターなどが造られた。働く女性(女給)は2階の部屋に間借りをしていたが、ここが営業場所も兼ねていた。女性たちは店頭に並び、道行く客に声をかけて店に誘っており、風紀上も目に余る状態になっていた。 赤線廃止 売春防止法(1956年制定)の完全施行を控え、1958年3月までに赤線内のカフェーなどは一斉に廃業した。店舗は、バーやスナック、ソープランドや料亭などの飲食店に転向するもの、旅館・ラブホテル・公衆浴場 ・アパート・下宿屋になるもの、密かに風俗営業を続けるものなどさまざまであった。 文学・映画・ゲーム 赤線を描いた小説には、吉行淳之介『驟雨』(1954年)・『原色の街』(1956年)、高城高『X橋付近』(1955年)、五木寛之『青春の門』(1969年)、清水一行『赤線物語』(1972年)などがある。 映画には、沢賢介監督『娘を売る街 赤線区域』(1953年)(外部リンク参照)、溝口健二監督『赤線地帯』(1956年)、川島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』(1956年)、田中重雄監督『赤線の灯は消えず』(1958年)(外部リンク参照)、神代辰巳監督『赤線玉の井 ぬけられます』(1974年)(原作:清水一行『赤線物語』)(外部リンク参照)などがある。 ゲームには、『赤線街路〜昭和33年の初雪〜』(2007年)(C-sideの18禁恋愛アドベンチャーゲーム。売春防止法施行直前の架空の赤線が舞台)がある。 日本のバンド、レピッシュの楽曲で「赤線口」、「赤線イ」という曲がある。 青線 特殊飲食店として営業するには当時の風俗営業法に基づく警察の許可が必要であったが、この許可を得ずに食品衛生法に基づく保健所からの飲食店営業許可を得ただけで特殊飲食店と同様の営業を行っていた地区を言う。
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市川 治(いちかわ おさむ、1936年6月21日 - 2009年1月2日)は、日本の俳優、声優。フリー。新日本企画代表を務めた。 生涯 埼玉県熊谷市出身。所属は、TBS放送劇団、プレイヤーズ・センター、劇団森の会、劇団泉座、テアトル・エコー、NPSテアトル、アーツビジョンを経て、最終はフリーランスで活動。 敗戦後の小学4年生の時、教科書に全部スミを塗られ、教師も何を教えていいか判らない、教育方針が百八十度変わったわけだったことから、その当時、家には貸本屋をするぐらい本があり、それを片っ端から読んでいた。自習時間の時に皆の前で童話を話して聞かせていたところ、大変うけて、小学4年生の時に学芸会の主役をしていた。小学5年生の時には、1947年8月22日、NHKにラジオの生放送であり、唱歌の放送の歌で出演したこともあった。小学6年生の時に劇のアナウンサーをしていた。 中学時代は演劇部がなかったが、その学校が県下で2つの視聴覚教育指定校になり、「じゃあ何かしなければいけない」ということで教師達の手によって結成した放送演劇部へ入部していた。埼玉県立熊谷高等学校卒業。高校在学中に演劇部に所属していた。高校卒業後は父の会社が倒産して大学進学を断念し、貿易商社に就職。 就職後、小学生時代に学芸会に出てから好きだった芝居への思いが断ち切れず、俳優養成所に通うなど演劇の勉強を始める。その後退職し、サンドイッチマンやクラブのマネージャーなど20種以上の職を経て、1955年、劇団森の会入団。1956年、劇団泉座に移籍。1957年、テアトル・エコーに移籍。同劇団の方針でテレビ映画などの吹き替えをこなすうち、声優としての仕事が増えていったという。 アニメでは、1965年に『スーパージェッター』のジェッター役で主演するなど草創期から活躍。第1次声優ブームの牽引役を務めた。その後、長浜忠夫の作品に多く出演し、敵方の「美形キャラクター」を演じた。アニメの悪役はダミ声でいかにも悪役という姿のキャラクターが多かった当時に美形の悪役像を確立し、後のアニメ界にも大きな影響を与えた。 1980年代後半、喉を痛めたことで声優の仕事を休業していた時期がある。この間に英語教材の制作などに携わる総合プロデューサーとしての活動も始め、上越新幹線の車内で流れた“ご当地チャイム”を発案。取得した特許の管理のため新日本企画を設立した。また、声優業では後進の育成にもあたるようになっていた。 2009年1月2日、入浴中に体調を悪くし、心不全で死去。。遺作は同年3月稼働の業務用ゲーム『機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダム NEXT』のノリス・パッカード役であった。 特色・人物 声種はハイバリトン。 若者のみならず、中年男性や老境に差し掛かった人物なども数多く演じ、役柄の幅は広い。自身に一番近い役は『ろぼっ子ビートン』のノーベルさんだという。 テアトル・エコーが担当した『仮面ライダー』や『変身忍者 嵐』では、池水通洋との共演が知られている。『ウルトラマンA』でのゾフィーのようなヒーロー役や『仮面ライダーストロンガー』でマシーン大元帥などのボスキャラクターも多く演じている。 趣味・特技は歴史旅行、映像制作、野球。 好きな言葉は「失敗を恐れるな、冒険をせよ」。 弟がいた。既婚者で、息子が2人いた。 エピソード 40代当時でも甲高い美声を発する独特の演技に周囲は驚嘆していたといい、2006年には『超電磁マシーン ボルテスV』DVD発売告知のTVCMにおいて、当時70歳ながらハイネル役を再演した。 悪役では、悪そうな声や唸り声では同世代の沢りつおや柴田秀勝らに敵わないため、セリフの鋭さや怖さを強調した知的な悪役とすることを意識していた。また、セリフを重視していたためドラ声で喋ってイントネーションがおかしくなることを嫌っており、現場でもそれを汲んでセリフの多い役が増えていったという。 ガルーダやハイネルなど美形キャラクターについて、彼らの最期が描かれるエピソードのアフレコ日には、事前に風呂に入って身体を清めるなど気持ちを整えて収録に臨んだと語っている。 外国人役は日本語の単語を英語に置き換えるのがコツであるとし、自身の得意なパターンであったと述べている。 『仮面ライダー』では主演の藤岡弘、が失踪した際に、第66話・第67話で仮面ライダー1号の代行アフレコを務めた。現場ではぎりぎりまで藤岡が現れるのを待っており、不安な中で演じたという。 『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』では、新人の頃の三ツ矢雄二や白石ゆきながに対して演技指導をしていた。また『闘将ダイモス』のアフレコ時は、上手く声を合わせられなかった神谷明に対して「画面が切り替わると光の加減が代わるので、そのタイミングにあわせて台本を読むように」とアドバイスしている。 自身が演じた思い出深いキャラクターには『超電磁マシーン ボルテスV』のハイネル役を挙げている。最終回でのハイネルの「カザリーーーン!」という叫びは、スタジオ後部のガラス窓を計算したうえで利用し、エフェクトなどの編集処理を一切使わずに表現している。 担当する役柄の声を色にたとえていると語っており、例えば『コンバトラーV』のガルーダの声は暖かみのあるオレンジ色にたとえている。 『仮面ライダー』のロケ地にもなった東京都町田市の鶴川団地に長年住み、自治会や草野球の監督、野菜の直売会開催など地域活動にも積極的だった。後に引っ越した住居も団地のすぐそばで団地の人々との交流も続き、最後まで町田に住み続けた。 「産地直送」という言葉は、市川の造語である。 出演 太字はメインキャラクター。 テレビアニメ {{dl2 | 1963年 | 鉄腕アトム (アニメ第1作)(パール星人隊長、デッド・クロス殿下、ブロンX、ダン、ロボット三銃士、山本えいいち、ロビオ、タップ、トビオ 他) | 1965年 | ジャングル大帝(チーター) スーパージェッター(ジェッター) | 1966年 | ハリスの旋風(サーハラ東郷) | 1968年 | あかねちゃん(徳川くん) ゲゲゲの鬼太郎(第1作)(哲夫) サイボーグ009(1968年版)(未来人ノア、ゴーチェ) サスケ(柳生十兵衛) | 1969年 | 海底少年マリン(ハッツ、バイキングの男、アナウンサー) ひみつのアッコちゃん(第1作)(佐藤先生、黒井、ギャング、出っ歯、カエルのケロ吉 他) | 1970年 | 赤き血のイレブン(美杉純) いなかっぺ大将(デパート店員、理髪店の客、保線夫) タイガーマスク ばくはつ五郎(小島、細川忠文) 魔法のマコちゃん(茂野アキラ〈初代〉) | 1971年 | アニメンタリー 決断(立野少尉) 国松さまのお通りだい(サーハラ東郷、部員A) 原始少年リュウ ルパン三世 (TV第1シリーズ)(警官) | 1972年 | 科学忍者隊ガッチャマン(船長、水夫、ギャラクター戦闘員) 正義を愛する者 月光仮面(テレビアナウンサー、杉山博士、戦闘員 他) ど根性ガエル(1972年版)(消防士、ニュースキャスター、モーターボートの男、寿司屋の客(息子)、バズーカ砲のケン、寿司屋の客(カップルの男)、クラスメイト、サッカー部員、大学生) | 1973年 | エースをねらえ!(1973年 - 1974年、千葉鷹志) 荒野の少年イサム 侍ジャイアンツ(チームメイト) 山ねずみロッキーチャック(パディー) | 1974年 | 柔道讃歌(ナレーション、吉岡、津山 他) 小さなバイキング・ビッケ(シンジバット) | 1975年 | 勇者ライディーン(1975年 - 1976年、シャーキン) ラ・セーヌの星(エチアンヌ、カルロ) | 1976年 | 超電磁ロボ コン・バトラーV(大将軍ガルーダ、総統ワルキメデス、ケロッペ) ドカベン(不知火守、平手、実況アナウンサー) UFO戦士ダイアポロン(ナレーター) UFO戦士ダイアポロンII(ナレーション) ろぼっ子ビートン(ノーベルさん〈初代〉) | 1977年 | おれは鉄兵 激走!ルーベンカイザー(ジョディ・コリンズ''') 新・巨人の星(実況アナウンサー、球場職員、観客) 超電磁マシーン ボルテスV(1977年 - 1978年、ハイネル) 氷河戦士ガイスラッガー(五郎) ルパン三世 (TV第2シリーズ)(インテリ刑事、実況アナウンサー) | 1978年 | 宇宙戦艦ヤマト2(ミル) 科学忍者隊ガッチャマンII(ジェフ、カール、マーストラ) 銀河鉄道999(化石の戦士) 闘将ダイモス(1978年 - 1979年、リヒテル) ルパン三世 (TV第2シリーズ)(巡査、検事、署長の部下) | 1979年 | 科学忍者隊ガッチャマンF(マーストラ) ゼンダマン(キラーク・ケント/パーパーマン) 日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ「走れメロス」(メロス) 巴里のイザベル(アンドレイア) ベルサイユのばら(オルレアン公〈初代〉) 未来ロボ ダルタニアス(1979年 - 1980年、クロッペン、ナレーター) ルパン三世 (TV第2シリーズ)(モーマニット・キョウランスキー) | 1982年 | 超時空要塞マクロス(ボドルザー司令官) | 1983年 | イタダキマン(キャットル〈妖怪ネコ〉) | 1988年 | 鎧伝サムライトルーパー(剣舞卿) | 1991年 | 美味しんぼ(古吉伸一) 21エモン(チョーキューメー) | 1992年 | 伝説の勇者ダ・ガーン(郷上大佐) | 1995年 | 新機動戦記ガンダムW(カーンズ) | 1996年 | シティーハンター ザ・シークレット・サービス(日影) | 1999年 | 星方天使エンジェルリンクス(トカチェフ) ベターマン(梅崎) | 2003年 | 宇宙のステルヴィア(セルゲイ・ロスコフ) 名探偵コナン(諸角明) ヤミと帽子と本の旅人(不知火烈堂) | 2005年 | うえきの法則(ザック) | 2006年 | ブラック・ジャック(クローネン博士) }} 劇場アニメ スーパージェッター(1965年、ジェッター) 海底3万マイル(1970年) パンダコパンダ(1972年、いじめっ子) さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(1978年、ミル) 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984年、ゴル・ボドルザー) 機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光(1992年、オサリバン常務) OVA インフェリウス惑星戦史外伝 CONDITION GREEN(1991年、ティース・カトラグ) 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY(1991年、オサリバン常務) ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日(1995年 - 1998年、マスク・ザ・レッド) 機動戦士ガンダム 第08MS小隊(1996年、ノリス・パッカード) 鉄腕バーディー(1996年、氷川) ゲーム 2009年以降の出演作は生前の収録音声を使用したライブラリー出演。 ドラマCD インフェリウス惑星戦史外伝 CONDITION GREEN(ティース・カトラグ) テイルズ オブ リバース(ケビン・バース) 勇者王ガオガイガー スペシャルドラマ4 〜ID5は永遠に…〜(プロフェッサー・モズマ) ラジオドラマ 銀河鉄道999(化石の戦士) オールナイトニッポン さらば宇宙戦艦ヤマト(ミル) 吹き替え 映画 宇宙水爆戦(ブラック〈ランス・フラー〉) ウォタルー街(テッド・パーヴィス〈スチュワート・グレンジャー〉) 海底決戦隊(マネージャー〈アンドレア・スコッティ〉、トルコ人3) 片腕ドラゴン(マー・ムー・トン)※コレクターズ・エディション版 キューティ・ブロンド キー・ラーゴ(クライド・ソーヤー副保安官〈ジョン・ロドニー〉) キング・コング(ジャック・ドリスコル)※フジテレビ版 空中大脱走(デイヴィス〈ポール・コスロ〉) 群盗荒野を裂く(ビル・テイト〈ルー・カステル〉) 荒野の七人※NET版 コマンド戦略(カードウェル)※TBS版 サムライ(殺し屋)※TBS版 ジャックと悪魔の国(ジャック〈カーウィン・マシューズ〉) 新・猿の惑星(ルイス・ディクソン博士〈ブラッドフォード・ディルマン〉) 成功の甘き香り(スティーヴ・ダラス〈マーティン・ミルナー〉) 壮烈!外人部隊(デューク・シンクレア〈デビッド・ジャンセン〉) ダンディー少佐(ティム・ライアン〈マイケル・アンダーソン・Jr.〉)※TBS版 太平洋作戦(ブライス中尉〈ドン・テーラー〉) 追撃機(ペル中尉〈ロバート・ワグナー〉) ドラゴン・カンフー/龍虎八拳(フォー・パー・フォング〈カサノヴァ・ウォン〉) ドラゴン危機一発(シュウ・シェン〈ジェームズ・ティエン〉) バニー・レークは行方不明(スティーブン・ケラー〈キア・デュリア〉) バレン(マルコ・ダグリュエム) バーボン・ストリート(ケニー〈バン・ウィリアムズ〉) 炎のロシア戦線(〈グレン・バーノン〉) 夜の大捜査線/霧のストレンジャー ドラマ アウター・リミッツ(バート・キャボット、フランシス・ハドレー) 宇宙家族ロビンソン(ドン・ウエスト少佐〈マーク・ゴダード〉) 奥さまは魔女(TV司会者、スタッフ)※第211話 警部マクロード 刑事コロンボ 原子力潜水艦シービュー号(ライリー〈アラン・ハント〉) コンバット!(ビリー・ネルソン〈2代目〉、クラウン 他) スパイ大作戦 武器弾薬を渡すな(ルーレット係) 偽造フィルムを暴露せよ! 死のロープウェイ(ジェニング) 暗号名はC6(ピート) 極秘指令地獄からの脱出(アポロ) 将軍の仮面をはがせ(レイノルズ) 0011ナポレオン・ソロ(U.N.C.L.E. 通信担当員、グレゴリー) 逃亡者 #9(マイルズ<クリス・ロビンソン>)、#12(アーニー<ポール・カー>)、(#97 ハウイー・キーヴァー<ティム・コンシダイン>、ラリー、大学研究員)、#105(ラリー<ロバート・ドイル>)、#111 特攻ギャリソン・ゴリラ #11(ヤナス〈ジョン・サクソン〉) ローハイド(マッシ、ノーム 他) 若者の河(トム・トム・デウィット〈テッド・ベッセル〉) アニメ クマゴローの宇宙猛レース(キャプテングッド) スクービー・ドゥー(ハンサム) 指輪物語(レゴラス) 海外人形劇 海底大戦争 スティングレイ 出た! 海底インディアン(ジャック) 深海の人質(動力ステーション) 海底戦車現る(レーダー・ステーション) 危うし! マリンビル基地(レーダー・ステーション) キャプテン・スカーレット ブラック大尉を探せ ミステロン探知機を出せ!(守衛) アルプス上空の危機(ジョー) サンダーバード 火星ロケットの危機(デイブ・クレイトン) 秘密作戦命令(デイヴ・クレイトン) サンダーバード6号(ジョン・トレーシー)※劇場公開版 ジョー90 連続ジェット機墜落のなぞ(フランク・キャスパー副操縦士) スーパーカー スーパーカー誕生(ビル・ギブソン)※フジテレビ版 海底からの脱出 ※フジテレビ版 砂漠の待ち伏せ(ビル・ギブソン)※フジテレビ版 危うし! 原子力機関車(ヘリコプター)※フジテレビ版 ロンドン指令X コンピューター・スパイ(警官) 特撮 テレビドラマ 鉄腕アトム 第1部(1959年、MBS) - ボーイ バンパイヤ 第17話「パンク・マシン大作戦」(1969年、CX) - バンパイヤC 特別機動捜査隊 第525話「ポルノイン東京 女人百景」(1971年、NET) - 小山 飛び出せ!青春 第21話「学園の子連れ狼」(1972年、NTV) - 記者 日本沈没(1974年版) 第12話「危うし京の都」(1974年、TBS) - ニュースキャスター 太陽にほえろ! 第177話「海に消えたか三億円」(1975年、NTV) - 会社員 気まぐれ本格派 第20話「大特訓は死の匂い?!」(1977年、NTV) - 車掌 熱中時代(NTV) 教師編 第1シリーズ 第17話「ノコベンとメンコ大会」(1978年) - 警官 教師編 第1シリーズ 第19話「熱中先生と恋の破れガサ」(1978年) - 上代田八丁目派出所の警官(小宮新八郎〈谷隼人〉の同僚) 刑事編 第18話「誘拐された娘たち」(1979年) - マンション管理人 映画 君よ憤怒の河を渉れ(1976年、大映) - 三沢基地管制官の声 ※ノンクレジット 舞台 それからのブンとフン レコード・ソノシート ミスタージャイアンツ(ミスタージャイアンツ)※森田拳次原作の漫画をソノシート化した作品 ミラクルA(郷姿郎)※朝日ソノラマ コマンドJ(コマンドJ) あかねちゃん 町っ子海っ子(カツオ)※朝日ソノラマ ジャイアントロボ ギロチン帝王の魔手(ナレーター) スーパージェッター 決闘‼︎ゴーストタウン(ジェッター)※朝日ソノラマ コン・バトラーV 恐怖の千羽鶴(大将軍ガルーダ、ナレーター)※ファンファニーシリーズ 野村トーイ『カセット8ムービー』(仮面ライダー / 本郷猛の声)※付属ソノシート版 闘将ダイモス(リヒテル提督)※ヤングエポック紙芝居ソノシート 巨人の星(星飛雄馬)※美研紙芝居ソノシート 柔道一直線(一条直也)※美研紙芝居ソノシート キャプテンウルトラ ※美研紙芝居ソノシート ウルトラQ(一平)※美研紙芝居ソノシート 魔法のマコちゃん①(シンイチ)※美研紙芝居ソノシート 謎の円盤UFO(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート スーパーマン(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート レモンの天使(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート ロボット刑事(ロボット刑事K)※美研紙芝居ソノシート 仮面ライダーストロンガー(タイタン)※美研紙芝居ソノシート さらばウルトラマン(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート 帰ってきたウルトラマン①(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート ウルトラマン怪獣島救出作戦(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート 帰ってきたウルトラマン②(ナレーター)※美研紙芝居ソノシート ミラーマン(鏡京太郎)※美研紙芝居ソノシート レッドマン(レッドマン)※美研紙芝居ソノシート かぐやひめ(車持皇子、石上中納言)※美研紙芝居ソノシート 西遊記(孫悟空)※美研紙芝居ソノシート アルプスの少女(クララのおとうさん)※美研紙芝居ソノシート あんじゅとずし王(山椒大夫、藤原師実)※美研紙芝居ソノシート 人魚姫(王子)※美研紙芝居ソノシート その他 オレたちひょうきん族(ジェッター)※オープニングナレーションとして出演 機動戦士ガンダム0079カードビルダー(ノリス・パッカード、オサリバン常務、ブレニフ・オグス) ノーマン(中条タク''') コカ・コーラ「ラッセルヨーヨープレゼント編」(CMナレーション、1979年) モスラ アタック東京!(ナレーター)※8ミリフィルム 怪獣ジャイアントサンダ(ナレーター)※8ミリフィルム 怪獣No.1ゴジラ(ナレーター)※8ミリフィルム 巨竜マンダ(ナレーター)※8ミリフィルム ゴジラ宇宙へ行く!(ナレーター)※8ミリフィルム オール怪獣集合せよ!(ナレーター)※8ミリフィルム ジャンボ怪獣島(ナレーター)※8ミリフィルム 怪獣オリンピック(ナレーター)※8ミリフィルム
{ "id": "123758", "title": "市川治", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%B2%BB" }
カフェーは、日本で20世紀前半に流行した飲食店・風俗営業の一業態。古くは特殊喫茶、社交喫茶という言い方もあった。 概要 カフェーの始まり 日本においてコーヒーを飲ませる店として最初に開業したのは鄭永慶(元外務省官吏)が開いた1888年の東京下谷区上野黒門町の「可否茶館(かつひーさかん)」とされるが、カフェーの名を冠した最初の店は、1911年(明治44年)3月、東京銀座京橋日吉町に開業したカフェー・プランタンとされる。経営者は洋画家平岡権八郎と松山省三で、命名は小山内薫による。これはパリのCafeをモデルに美術家や文学者の交際の場とすべく始まったものであるが、本場のCafeとは異なり女給を置いていた(パリのカフェの給仕はギャルソンと呼ばれる男性である)。カフェー・プランタンなどはインテリ向けのハイカラな店で一般大衆は入りにくかったと言われる。 カフェー・プランタンに続き、同年8月には美人女給を揃えたカフェー・ライオン、同じく11月にはカフェーパウリスタが開業し、大正末には全国に普及した。プランタン、ライオンは「料理を出すバー」といった趣きで、パウリスタは女給を置かず、当初はコーヒーと菓子だけの店だったがのちに料理も出すようになった。カフェーを冠する店が増えるが、この頃のカフェーはまだコーヒー、料理(洋食)、酒が主であり、後年のような風俗営業とは同列にできない。 風俗営業としてのカフェー カフェーがもっぱら女給のサービスを売り物にするようになったのは関東大震災後と見られる。震災の翌年(1924年)、銀座に開業したカフェー・タイガーは女給の化粧や着物が派手で、客に体をすり寄せて会話するといったサービスで人気を博した。 昭和に入り、大阪の大型カフェ(ユニオン、赤玉など)が東京に進出してきたことにより「銀座は今や(…)大阪エロの洪水」という状態で、女給は単なる給仕(ウエイトレス)というより、現在で言えばバー・クラブのホステスの役割を果たすことになった。 ちなみに当時の女給は多くの場合は無給であり、もっぱら客が支払うチップが収入源だった。チップ制の弊害もあり、1933年頃からチケット制を採用する店も増えた。1933年には特殊飲食店営業取締規則により、カフェーは風俗営業として警察の管轄下に置かれることになった。 昭和初期のエログロナンセンスの世相の中、夜の街を彩る存在としてカフェーは小説などの舞台にもなった。当時のカフェーを描いた小説として永井荷風「つゆのあとさき」、堀辰雄「不器用な天使」、窪川稲子「レストラン・洛陽」、広津和郎「女給」がある(広津の作品は菊池寛のカフェー通いを描いて評判になった)。また、谷崎潤一郎「痴人の愛」のナオミは、15歳で浅草のカフェーに出ていた女という設定である。林芙美子がカフェー勤めの経験を「放浪記」に書いたこともよく知られている。エッセイでは松崎天民「銀座」、安藤更生「銀座細見」などがカフェー風俗を活写している。 大正後期から昭和初期にかけては、カフェーをテーマにした歌謡曲が流行し「カフェー歌謡」と呼ばれた。 1934年(昭和9年)10月、警視庁はカフェーへの未成年者、学生、生徒の出入を禁止する通牒を学校当局、府知事に発出。店に対して「学生さんは遠慮ください」との看板を出すように指導した。こうした規制は全国に波及し、1936年(昭和11年)5月、京都府はカフェー営業取締規則を改正し、学生、生徒、未成年者のカフェーの出入を禁止した。この時点で学生のカフェーへの出入り制限は全国15府県で実施されていた。 1938年(昭和13年)2月15日には、東京都下のカフェーなどで一斉手入れが行われ、約2000人の学生が検挙された。既に日中戦争が始まっていた時期であり、内相が学生の徴兵猶予の見直しに言及するなど客への締め付けも厳しくなった。 女給は客の求めに応じて店外で同伴するケースも見られた。1940年(昭和15年)12月、警視庁が日本相撲協会関係者らを招き、風紀上問題のある行為を指導した際には、相撲の升席の客に芸妓とならび女給を同伴させないことを求めている。 第二次世界大戦後 第二次世界大戦終戦後、いわゆる赤線・青線地帯や特殊飲食街が発生し、かつての遊廓や新規参入業者などがカフェー名目で営業を行うようになったため、それまでのカフェーの方はバー、クラブなどと称するようになった。 法律用語としての「カフェー」は今も残っており、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)第2条第1項第2号には「待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」という規定がある。 なお「純喫茶」という呼称があるが、これは酒類の提供や女給の接待を売りにするカフェー(特殊喫茶)に対して「純粋にコーヒーを売りにする喫茶店」という意味である。 登場する映像作品 笑ゥせぇるすまん - 第63話『想い出酒場』で、蓄音機から音楽が流れ、ビール等の酒類のメニューが有り、女給が客の隣に座って接待を行うカフェ・アカネコ(CAFE AKANEKO)が登場する。また、店内の雰囲気について登場人物の喪黒福造が『大正ロマン』と言っている。登場する店名はカフェ・クロネコと似ている。
{ "id": "123759", "title": "カフェー (風俗営業)", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%20%28%E9%A2%A8%E4%BF%97%E5%96%B6%E6%A5%AD%29" }
ウシュマル (Uxmal) は、メキシコ、ユカタン州にある古典期後期から後古典期のマヤ文明の遺跡。 概要 メリダの南方78kmの地点にあり、カンペチェへ向かうメキシコの高速自動車国道261号線で、メリダから110kmの地点にある。ウシュマルという地名は、オシュ=マハアルと発音されたと考えられ、マヤ語の研究者の間でその由来について論争があるが、コロンブス到着以前の古いマヤ語の名称と考えられ、「三度にわたって建てられた町」という意味である(cf.カラコルの旧名「オシュ=ウィツア」を見よ)。 多くの観光客の目的地となるためにウシュマルの建造物の整備や復元にたくさんの労力が注がれる一方で、細々とであるが真摯な考古学的な発掘調査や研究がなされてきた。この都市の占地が行われた時代はよくわかっていないが、人口は、現時点では概算で2万5千人ほどと推定されている。 今日目にすることのできる大多数の建造物は、だいたい紀元700年から1100年の間に建てられたものである。 近世までの歴史 マヤの年代記によれば、ウシュマルは、フン=ウィツィル=トゥトゥル=シウによって紀元500年に建てられた町であるという。ウシュマルは何代にもわたってシウ家によって支配され、ユカタン西部でもっとも強力な都市であった。そしてチチェン・イッツアと同盟を結んで北部ユカタン全域を支配していた。紀元1200年以降は主要な建築物を新たに建築することは行われなくなる。このことは、ウシュマルと同盟者チチェン・イッツアの衰退とマヤパンへユカタンの権力が移っていく過程と関係しているとおもわれる。 シウ家が、マニへ首都を移すとともに、ウシュマルの人口は減少していった。 スペインによる征服後、シウ家自身は、スペインの同盟者となったが、初期植民地時代の記録によると、ウシュマルは、1550年代までは、ある程度の数の人々が住む重要な場所であったが、そこにスペイン風の町が建てられることはなくやがてウシュマルは放棄されることとなった。 現地の状況 ウシュマルの復元作業は、建物が通常より良好に残っていたおかげで他の多くのマヤ遺跡よりも良い条件で行うことができた。建物によく使われる漆喰のツナギを使用しないで精巧に切り取られた切り石を使用して建てられている。ウシュマルにある建造物は、優雅さと美しさにおいてパレンケの建造物に匹敵するものである。ウシュマルにおいては、その前半の時期においては、その大部分がプウク式の建物である。保存状態が良好であるため、一般の観光客にも当時のウシュマルの祭祀センターの様子をほぼ完全な形で想像させることのできる数少ないマヤ遺跡のひとつとなっている。 よく知られている著名な建造物は下記のとおりである。 総督の館 壮大な基壇の上に長いがそれほど高くない建造物が建てられている。これは、コロンブス到着以前のメソアメリカでは、最長の外観をほこる建造物である。 別名「占い師のピラミッド」。高さ36.5メートルの巨大なピラミッドの土台は楕円形に近い形で、長さが73メートル、幅が36.5メートルある。急傾斜で有名な118段の階段を上ると、頂上には神殿がある。このピラミッドはいくつかの点で通常ではない良好な状態の建造物である。テオティワカンのピラミッド等と同じで小さな神殿が順次大きな神殿へと拡大された。魔法使いの老婆が暖めた卵から生まれてきた小人が、超自然的な力で一夜のうちに造ったというマヤの伝説から、「小人のピラミッド」とも言われている。 尼僧院 内面と外面に精巧で美しい彫刻が施されたウシュマルにあるいくつかの中庭を方形の回廊状に囲む良好に残された建造物の中でもっともすばらしい建物である。なお、尼僧院とはスペイン人によってつけられたあだ名で、実際には支配者の宮殿と考えられる。 大球戯場 メソアメリカ独特の球戯が行われた場所で、901年にチャン=チャク=カクナル=アハウという王によって奉献されたという銘文が刻まれている。 ウシュマルには、ほかにも注目すべき建物や多くの神殿ピラミッド、方形回廊状建物や記念碑、埋まったまま保存されている建物がある。 マヤ文字が刻まれた銘文の多くは、一連の石碑に刻まれているが、一つの神殿に対になるようにグループになっているわけではない。この石碑に刻まれているのは歴代のウシュマルの王たちである。また石碑は、たおれかかっていたり、ばらばらに壊れそうな兆候を示しているので、建て直したり修復したりする必要がある。 近世以降 ウシュマルは、メリダからそう遠くないカンペチェへ向かう道路沿いにあり、メキシコ独立以来多くの見物者が訪れた。1838年にジャン=フレデリック・ワルデック伯爵が、この遺跡について詳細な記録を初めて出版している。ジョン・ロイド・スティヴンズとフレデリック・キャザウッドは、1840年代に二度にわたってウシュマルを訪れ、建築家であり画家であったキャザウッドは、この古代都市の建造物がかってどのように建てられていたかわかるくらいの多くのプランやスケッチを報告する予定であったかのように詳細に描いたが不幸なことに現在その大部分は失われている。シルヴァヌス・モーレイは、1909年に、以前にはいくつか見落とされてきた建造物を含めてウシュマルの地図を作成した。 イメージギャラリー 登録基準
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虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(梵名アーカーシャガルバ([])、またはガガナガンジャ([]))は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子、大明星天王とも呼ばれる。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている。 概要 三昧耶形は宝剣、如意宝珠。種字はタラーク (त्राः、)。真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」 などが知られる。 「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。 元々は地蔵菩薩の地蔵と虚空蔵は対になっていたと思われる。しかし虚空の空の要素は他の諸仏にとって変わられたようで、また地蔵菩薩の独自の信仰もあり、対で祀られる事はほぼ無い。 空海が室戸岬の洞窟、御厨人窟に籠もって虚空蔵菩薩求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われている。 像容は、右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つものや、法界定印の掌中に五輪塔を持つもの、右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし左手に如意宝珠を持つものなどがある。三つ目の像容は求聞持法の本尊で、東京国立博物館蔵の国宝の画像はこれに当たる。 彫像の代表例としては、奈良県大和郡山市・額安寺像、京都市・広隆寺講堂像などが挙げられる。 奈良県斑鳩町・法輪寺の木造虚空蔵菩薩立像は7世紀にさかのぼる古像だが、当初から虚空蔵菩薩と呼ばれていたかどうかは定かでない。また、法隆寺の百済観音像は、宝冠が見つかる明治時代前半までは墨蹟銘から「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。 五大虚空蔵菩薩 五大虚空蔵菩薩は、虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したものである。虚空蔵菩薩の五つの智恵を表す「五智如来の変化身(へんげしん)」とも言う。息災・増益などの祈願の本尊にもなっている。 5体の名称、方位、身色は次の通りである。 法界(ほっかい)虚空蔵(中央、白色) - 白は解脱を意味し、迷いを解き払う仏様 金剛虚空蔵(東方、黄色) - 財産や幸福をもたらす仏様 宝光虚空蔵(南方、青色) - 願い事を叶えて満足させてくれる仏様 蓮華虚空蔵(西方、赤色) - 願い事に関して施してくれる仏様 業用(ごうよう/ごうゆう)虚空蔵(北方、黒紫色) - 穢れを離れて清浄な仏様 五大虚空蔵菩薩の彫像の作例としては、京都・神護寺多宝塔安置の像(平安初期・国宝)で、5体揃ったものでは最古と言われる。また、京都・東寺観智院安置の五大虚空蔵菩薩像(重文)は、空海の孫弟子にあたる恵運が唐から招来した像で、元は山科(京都市山科区)の安祥寺にあったものである。法界の像は馬、金剛は獅子、宝光は象、蓮華は金翅鳥(こんじちょう)、業用は孔雀の上の蓮華座に乗っている。 経典 虚空蔵菩薩を主題とした、以下のような経典がある。 『大集大虚空蔵菩薩所問経』不空訳 『虚空蔵菩薩経』佛陀耶舎訳 『仏説虚空蔵菩薩神呪経』訳者不明 『虚空蔵菩薩神呪経』曇摩蜜多訳 『虚空孕菩薩経』闍那崛多訳 『観虚空蔵菩薩経』曇摩蜜多訳 『虚空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法』善無畏訳 『大虚空蔵菩薩念誦法』不空訳 『聖虚空蔵菩薩陀羅尼経』法天訳 『仏説虚空蔵陀羅尼』法賢訳 『五大虚空蔵菩薩速疾大神験秘密式経』金剛智訳 『虚空蔵菩薩問七仏陀羅尼呪経』訳者不明 『如来方便善巧呪経』闍那崛多訳 日本三大虚空蔵菩薩 福島県 円蔵寺 福満虚空蔵菩薩 千葉県 清澄寺 能満虚空蔵菩薩 茨城県 日高寺 大満虚空蔵菩薩
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蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。 縁起 蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。 神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされたため、明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。 また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。 また、中世出雲大社の祭神スサノオが鰐淵寺の本尊蔵王権現と同体とされていた。 蔵王権現像 尊容 蔵王権現の像容は密教の明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てるのを通例とする。右手には三鈷杵を持ち左手は刀印を結び、左足は大地を力強く踏ん張って、右足は宙高く掲げられている。その背後には火炎が燃え盛る。図像上の最も顕著な特色は右足を高く上げていることで、このため、彫像の場合は左脚1本で像全体を支えることになるか、右脚をつっかえ棒で支えている。また単に高く掲げられたように見える右足は、実は虚空を踏んでいるのだという解釈もある。ただし、京都・広隆寺像のように両足を地に付けている像もある。逆に、左手、左足を上げた姿もある。 代表作として、鳥取県・三仏寺奥院(投入堂)の本尊像(平安時代、重文)が挙げられる。 姿形の意味 右手の三鈷杵は天魔を粉砕する相を示し、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る利剣を示す。左足の踏みつけは地下の悪魔を押さえつけており、右足の蹴り上げは天地間の悪魔を払っている姿、背後の炎は大智慧をあらわしている。 歴史 役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現像の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762年)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。 吉野から出土した、国宝の「鋳銅刻画蔵王権現像」(東京・西新井大師総持寺蔵)は、銅板に線刻で蔵王権現などの諸仏を表したもので、長保3年(1001年)銘があり、この頃までには蔵王権現の図像も確立していたことが分かる。 蔵王山 宮城県と山形県との県境にある日本百名山の蔵王連峰(蔵王山)は、古くは刈田嶺(かったみね、かったね、かりだのみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰および歌枕の山であったが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったとされる。 江戸時代になると、刈田岳にある「蔵王大権現社」(現・宮城県刈田郡七ヶ宿町)に参詣する庶民で賑わうようになり、積雪のため参詣出来ない冬季には東麓の「蔵王大権現御旅宮」(宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉)に季節遷座するようになった。 明治維新期の廃仏毀釈の中、「蔵王大権現社」および「蔵王大権現御旅宮」はそれぞれ刈田嶺神社(奥宮)および刈田嶺神社(里宮)となり、遷座する祭神も「蔵王大権現」から「天水分神」および「国水分神」の2柱となってしまったが、参詣の風習は昭和初期まで続いた。このように修験者から庶民へと信者の主体が変化したことで、「蔵王山」という名称が刈田嶺や不忘山を凌駕して定着した。 他方、蔵王連峰の現・山形県側では熊野信仰が盛んであり、蔵王連峰の主峰・熊野岳(現・山形県山形市)にあった熊野神社を中心に西麓の2社と合わせて三社一宮で信仰を集めた。 新日本観光地百選により蔵王山が観光地として注目されたため、山形県側では様々なものを「蔵王」に改称することが流行り、熊野神社も1952年(昭和27年)に蔵王山神社に改称した(参照)。 全国の主な蔵王権現 金峯山寺(奈良県吉野郡) - 木造蔵王権現立像(重要文化財) 如意輪寺(奈良県吉野郡吉野町) - 木造蔵王権現立像(嘉禄2年(1226年)、重要文化財)慶派の源慶、能慶作。 石鎚山関連 - 石鈇山横峰寺(愛媛県西条市) - 木造蔵王権現像(本堂右脇仏)。石鎚山極楽寺(同) - 石鎚山金剛蔵王大権現/龍王吼/無畏宝吼(蔵王殿本尊) - 龍青山善覚寺(福岡県直方市) - 石鎚大権現立像(本尊秘仏) その他については御嶽神社を参照。 牛ヶ峰蔵王権現 - かつて「山陰三権現」のひとつとされた、兵庫県・鳥取県の県境の山。 大井蔵王権現神社(東京都品川区) 真言・種字 オン・バキリュウ・ソワカ (通常呪) オン・バサクシャ・アランジャ・ソワカ 金剛蔵王権現真言: オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ウン・ソワカ 種字は हूं (ウン、)。 蔵王権現を扱った作品 嵐山 (能) - 蔵王権現が登場する能の作品 国栖(能) - 蔵王権現が登場する 花笠音頭 - 歌詞の中に蔵王権現が登場する
{ "id": "123767", "title": "蔵王権現", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE" }
千葉 進歩(ちば すすむ、1970年9月13日 -)は、日本の男性声優。神奈川県出身。大沢事務所所属。 代表作に『キューティーハニーF』(早見青児)、『ヒカルの碁』(藤原佐為)、『きらりん☆レボリューション』(村西社長)、『銀魂』(近藤勲)、『彩雲国物語』(柴彰)、『ヴァンパイア騎士』(一条拓麻)、『戦場のヴァルキュリア』(ウェルキン・ギュンター)などがある。 人物 大学時代、それまで野球一筋だったが、何か別のことをやってみようと演技に興味があったことからプロダクションに所属する。プロダクションでは芝居の基礎的なことを勉強したが、役者を目指して演技を学ぶというよりは仲間と一緒に「ワイワイやるのが楽しい」気持ちが強かったという。プロダクションのレッスンでは物足りなくなり、有志を募って勉強会を開くようになる。この時点ではまだ演技と仕事は「別モノ」と考えていた。本格的に声優を職業として意識するようになったのは、ナレーションの仕事を多く手がける大沢事務所に移籍してからである。 初仕事はCMのナレーション。印象に残っている役は、テレビアニメ『ヒカルの碁』で演じた藤原佐為。もともと原作を読んでいたためアニメ化の一報で、「誰がどの役をやるんだろう」と思っていたところにオーディションがあり、気がつけば佐為を演じることになっていて「不思議な感覚」だったという。佐為を演じることに意気込みをもって臨んでいたが、その一方で「自分の役ではない」ように感じていた。アニメの再放送を観ても自分の声ではない感覚があり、佐為は「実体のない存在」という役柄だったが、「僕もそのような感覚」だったという。 出演 太字はメインキャラクター。 テレビアニメ 劇場アニメ OVA Webアニメ 亡念のザムド(2008年、テシケの百年) モンストアニメ(2017年、占い師) 7SEEDS(2019年、猿渡貞夫) 銀魂 〜モンスターストライク編〜(2019年、近藤勲) 銀魂 THE SEMI-FINAL 真選組篇(2021年、近藤勲) ゲーム 吹き替え 担当俳優 映画 シスターズ(ヌイ) ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル(アレックス〈コリン・ハンクス〉) ジュマンジ/ネクスト・レベル(アレックス〈コリン・ハンクス〉) チアーズ!2(グレッグ) デュアル・マトリックス(ヴィンセント) ヘイロー: ナイトフォール(ホリガン) ムーンフォール(ハッチングス〈スティーヴン・ボガート〉) モータル・コンバット(ジョニー・ケイジ〈リンデン・アシュビー〉)※DVD・BD版 ルール2(トレヴァー〈マシュー・デイビス〉) ドラマ エレメンタリー2 ホームズ&ワトソン in NY #20(バート・マクレントシュ〈ギャレット・ディラハント〉) CSI:4 科学捜査班 #22 CSI:8 科学捜査班 #13 ボーイ・ミーツ・ワールド(エリック・マシューズ) 名探偵モンク3 #13(タクシードライバー) アニメ ジャスティス・リーグ(フラッシュ / ウォーリー・ウェスト) バービーとペガサスの魔法(エイダン) ヘラクレス(男性) 実写 Super Stylish Doctors Story S.S.D.S 御名刺代わり(オーディオコメンタリーにも出演) S.S.D.S 初夏の診察会 S.S.D.S. 秋の大診察会 S.S.D.S. 2007 秋の診察会 S.S.D.S 初冬の診察会2008 S.S.D.S 贅沢診察会 S.S.D.S 魅惑の診察会 セイント・ビーストOthers プルミエール パーティ EVENT DVD アニメ 07-GHOST〜あなたに神のご加護を〜 花の声優界! スター☆ボウリング 第4弾(シークレットゲスト) ときめきメモリアル Girl's Side DAYS 2013 デートに行こう! ときめきメモリアル Girl's Side DAYS 2014 〜White Date〜 声優生電話(NOTTV:2012年11月27日、ゲスト) 特撮 幻星神ジャスティライザー(2004年、デストコマンド・ツインズナイト兄の声) トミカヒーロー レスキューファイアー(2009年、三幹部ウカエンの声) 王様戦隊キングオージャー(2023年、ダイヤモンドダンジームの声) テレビドラマ 天までとどけ 5 - 7(井元) ラジオ ヴァンパイア騎士 黒主学園放送部(音泉、週替わりパーソナリティ) WEB S.S.D.S. 愛の解体新書(ランティスウェブラジオ) セイント・ビースト ケダモノたちのHEAVEN'S PARTY(アニメイトTV) 戦場のヴァルキュリア GBS第7小隊分局(アニメイトTV、2009年4月 - 2009年12月) デジタルコミック 「フルーツバスケット」音声入りまんがDVD〜旅立ちの日、再び〜(2012年、草摩紅野) - 『花とゆめ』24号応募者全員サービス CD ドラマCD AGNOIA ドラマCD I - III(藤宮優真) あひるの王子さま(高村先生) イースII 〜天空の失楽園〜(サダ) 異界繁盛記 ひよこや商店 第一・二巻(壱也・カイルの父) varnish〜キレイのサプリ〜 1 - 3(二階堂歩) Weiß kreuz Dramatic Precious 3rd STAGE HOPELESS ZONE(空蝉) ヴァンパイア騎士(一条拓麻) 俺たちのステップ シリーズ(叶家夢児) 俺たちのステップ STEP-1 〜激怒と号泣、そして爆笑!〜 俺たちのステップ STEP-2 〜俺たち、もう笑うしかないだろう!〜 俺たちのステップ STEP-3 〜お願い… 笑って、許して!〜 俺たちのステップ STEP-4 〜俺たち、笑ってる場合じゃない!〜 カオシックルーン(先生) 革命の日(神明和季) 続・革命の日(神明和季) 〜鏡花あやかし秘帖〜 夜叉の恋路(六車亮介) きらきら馨る もうすぐ入内篇 シリーズ(早生) 金色のコルダ3 SS(スクールシリーズ) III 〜神南〜(円城寺阿蘭) グローランサー(カーマイン) クロノクルセイド I - III(クロノ〈トゥルース〉) クロム・ブレイカー(タカセ) 月華佳人 I・II(飛柳) こすぷれCOMPLEX 萌えて・チャコってコスプレ部(万代五郎) 最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました。ドラマCD(シファル) SAMURAI DEEPER KYO シリーズ(椎名望) SAMURAI DEEPER KYO 陰陽殿への扉編 第壱巻 『悪魔の眼』 SAMURAI DEEPER KYO 陰陽殿への扉編 第弐巻 『氷炎の侍』 SAMURAI DEEPER KYO 陰陽殿への扉編 第参巻 『天翔麒麟』 されど罪人は竜と踊る(ヘロデル) 三千世界の鴉を殺し(ニコラルーン・マーベリック) 死神と少女 シリーズ(桐島七葵) 予約特典ドラマCD『白ずきんちゃん』 予約特典ドラマCD『死神と黒猫』 予約特典ドラマCD『蒼さんで遊ぼう』 純真ミラクル100%(工藤マネージャー) 神牌演義アナザー(桐野利春、周凍) 真・女神転生III-NOCTURNE(嘉嶋尚紀) 親友 〜Dear Friends〜 シリーズ(サトル) 親友 〜Dear Friends〜 親友 〜Dear Friends〜 The Child Day 親友 〜Dear Friends〜 蝉時雨 親友 〜Dear Friends〜 紅の幻影 親友 〜Dear Friends〜 枯葉の輪舞 S.S.D.S. シリーズ(日下真一郎) Super Stylish Doctors Story 愛の解体新書II - IV Super Stylish Doctors Story 愛の解体新書 レボリューション 1 - 3 Super Stylish Doctors Story 愛の時・迷宮 砂時計(月島藤) 星界 シリーズ(クファディス) 星界の紋章 第III章 〜異郷への帰還〜 星界の戦旗 第I - III章 星界の戦旗II 第I・II章 星界の断章I 〜誕生/君臨〜 セイント・ビーストOthers シリーズ(オーディン・ロウ) セイント・ビーストOthers 第1巻 「光と闇」 セイント・ビーストOthers 第2巻 「闇と運命」 セイント・ビーストOthers 第3巻 「運命と希望」 07-GHOST シリーズ(カストル) 07-GHOST 神様に届く恋文 07-GHOST〜第7区〜 07-GHOST〜ミカエル〜 07-GHOST〜ハウゼン家〜 アニメ 07-GHOST ドラマCD 第1巻 仙界伝 封神演義 シリーズ(楊戩) 仙界伝 封神演義外伝 第弐章 仙界伝 封神演義外伝 第参章 仙界伝 封神演義外伝 新章 千銃士:Rhodoknight シリーズ(恭遠・グランバード) Crossing Emotions volume II 邑田♰在坂 Crossing Emotions volume IV エンフィールド♰スナイダー 戦場のヴァルキュリア シリーズ(ウェルキン・ギュンター) TVアニメーション「戦場のヴァルキュリア」ドラマCD 第一章 TVアニメーション「戦場のヴァルキュリア」ドラマCD 第二章 その手をどけろ(大平竜樹) ゾンビ屋れい子(藤堂雄貴) 篁破幻草子 シリーズ(閻羅王太子・燎流) 篁破幻草子 第一巻 〜宿命よりもなお深く〜 篁破幻草子 第二巻 〜六道の辻に鬼の哭く〜 Wジュリエット I・II(三浦悠斗) っポイ! シリーズ(花島田英達) っポイ! ゲンキCD ※LaLa応募者全員サービス っポイ! Go!Go!ドラマCD ※メロディ応募者全員サービス っポイ!WAKU-WAKUドラマCD ※メロディ応募者全員サービス テイルズ オブ レジェンディア オリジナルサウンドトラック(ウィル・レイナード) テイルズ オブ レジェンディア voice of character quest 1・2(ウィル・レイナード) 天使禁猟区 シリーズ(ロシエル) 天使禁猟区 星幽界編 1 - 3 天使禁猟区 形成界編 1・2 天使禁猟区 創造界編 1・2 天使禁猟区 神性界編 1・2 天高く、雲は流れ 1 - 3(パジャ) 東京ハードナイト(太刀花葵) 東山道転墜異聞(筧才蔵) ときめきメモリアルシリーズ ときめきメモリアル 旅立ちの詩 so long 〜藤崎詩織1〜(文集委員長、進行役の先生) ときめきメモリアル 旅立ちの詩 so long 〜藤崎詩織2〜(文集委員長) ときめきメモリアル Girl's Side Premium 〜3rd Story〜 初回限定版同梱特典ドラマCD(紺野玉緒) ハード・デイズ・ナイツ(巽玲) 覇王♥愛人 I - III(風龍) ドラマCD 獏-BAKU- 第三章(ヘリオス) 花よりも花の如く 〜THE NOH ドラマCD〜(榊原憲人)※メロディ応募者全員サービス 流行り神 ドラマCD(風海純也) ヒカルの碁 シリーズ(藤原佐為) ヒカルの碁 ドラマアルバム「ヒカルの碁 -それぞれの季節-」 ヒカルの碁 ドラマアルバム2「ヒカルの碁 流れゆく情景 -おもいで-」 ひなたの狼 -新選組綺談-(沖田総司) プティフール シリーズ(シャルル栗林) プティフール ドラマCD 〜黄金のクロケット〜 プティフール ドラマCD 〜湯煙旅情に咲く火花〜 ミルククラウン(凪勇流) やさしい竜の殺し方(アーカンジェル) 山田太郎ものがたり 第1 - 4章(山田太郎) 吉永さん家のガーゴイル ドラマCD ガーくんドキドキ三本勝負(怪盗百色) よろず屋東海道本舗 I・II(駿河香) レイスイーパー(天海真貴) WILD ADAPTER(小宮信夫) BLCD 愛かもしれない 山田ユギバンブーセレクションCDII(西萩) 愛していると言ってくれ。(信夫悠二) 愛だけ★足りない(日野一樹) あいつに夢中〜無敵な僕ら番外編〜 愛は薔薇色のキス(麗一) アクアマリンバタフライ(ゼノ・ゼクスワーズ) あなたと恋におちたい(外村慎司) 甘い口づけ(花邑史世) 有栖川家の花嫁(工藤信也) ANSWER(井川悠紀夫) ANSWER 2 Suggestion(井川悠紀夫) 苺王子 1・2(佐藤一) 院内感染(八木朋也) WEED(若宮勝志) 美しいひと(小谷栄樹) エゴイスト・プリンス(リヒト) YEBISUセレブリティーズ(益永和実) おい!田中くん十番勝負〜みんなケダモノ☆今宵私を狂わせて〜(川原俊彦) 王子さまLV1シリーズ(セレスト・アーヴィング) 王子さまLV1 王子さまLV1 BL盤 スパイメモをチェックせよ 王子さまLV1.5 BLUE DISC 王子さまLV1.5 GREEN DISC 王子さまLV2 お義兄様が世界で1番っ♥(三沢悠斗) オヤジ拾いました(壬生龍之介) 過激シリーズ(ゼン) 過激に独占欲 過激にI LOVE YOU 過激に天国 カラーレシピ1・2(鬼原) 可愛気。(中野旬次) きみが恋に堕ちるシリーズ(望月春) きみが恋に堕ちる X'masバージョン ※全員サービスドラマCD キミに飼われたい!(杉浦春彦) キミに可愛がられたい!(杉浦春彦) 吸血鬼と愉快な仲間たち(柳川) 禁断の甘い果実 くされ縁の法則 シリーズ(鷹司慎吾) トライアングル・ラブ・バトル〜くされ縁の法則〜 熱情のバランス〜くされ縁の法則2〜 独占欲のスタンス〜くされ縁の法則3〜 激震のタービュランス〜くされ縁の法則4〜 情動のメタモルフォーゼ〜くされ縁の法則5〜 蒼眸のインパルス〜くされ縁の法則6〜 黒の騎士(ジーク) 小悪魔のサンクチュアリ(星野彬良) 恋が始まるケモノ耳(上田芳幸) 豪華客船で恋は始まる2 (ヘルシング) 凍る灼熱 1・2(広瀬克実) 紳士協定〜氷る灼熱シリーズ〜 極・愛(真木洋平) 極・艶 GOKU・EN(真木洋平) ご主人様はヤバイ奴 1・2(高村怜) この罪深き夜に(清澗寺国貴) 最凶の恋人(朝木遙) 支配する指先(白石朋貴) 純情エゴイスト(津森)※録り下ろしCD 小児科病棟のキケンな夜 (沢村トオル) 神官 シリーズ(冴紗) 神官は王に愛される 神官は王を狂わせる 神官は王を恋慕う スウィートルームに愛の蜜(佐野) 好きなものは好きだからしょうがない!! シリーズ(本城祭) 是 -ZE- シリーズ(阿沙利) 是 -ZE- 是 -ZE- 2 玄間篇 是 -ZE- 4 生徒会長に忠告 2(雛森) 抱きしめても怒りませんか?(国広祐吏) 挑発トラップ(篠原冬弥) 電光石火BOYS(喜多見) 東京ディープナイト(太刀花葵) 同細胞生物。 殴る白衣の天使(如月侑那) 花嫁を手に入れろ!!〜南の島プロポーズ大作戦〜(春名椿) 花嫁はいじっぱり〜王子様のプロポーズ大作戦〜(春名椿) 花嫁にくびったけ〜王子様の変身大作戦〜(春名椿) パパと♥ シリーズ(日野一樹) パパと♥KISS IN THE DARK パパと♥LOVING ALL NIGHT パパと♥DEEP IN THE FOREST パパと♥UNDER THE MOONLIGHT パパと♥LOVE TRIAL 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク シリーズ(日向要) 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク 〜水川抱月ノ事件簿〜 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク ファンディスクDX版付属ドラマCD「よびごえ」 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク PSP予約特典ドラマCD「なべて世は事もなし」 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク PSP豪華版付属ドラマCD「epilogue」 ビッグガンを持つ男〜朝な夕なに乱されて(高柳昌樹) ビッグガンを持つ男〜薔薇の鎖で縛めて〜(高柳昌樹) ひと目会ったら恋に花(幸村匡樹) 美貌の誘惑(伊勢原響) 百日の薔薇(タキ・レイゼン) ファミリー・バイブル(逸木典章) プリーズ・ミスター・ポリスマン!(橘行弘) フロムイエスタデイ(朱音流一) 僕の知るあなたの話(西島尚) まなざしのレジスタンス(青木裕真) まほデミー週番日誌 魔法学園♥月光プリズン(ルクレツィア・マリア・ボルジア) 水の記憶(如月東栄) 右手にメス、左手に花束 (楢崎千里) 5その手に夢、この胸に光 6頬にそよ風、髪に木漏れ日 ミス・キャスト シリーズ(田代浩志) ミッシング・ロード〜世界を超えて君を呼ぶ〜(ギヨーム・モノ・カステラン) 迷彩天国(室見公明) 優しくて棘がある シリーズ(神宮司雅臣) 優しくて棘がある 優しくて棘があるMELLOW〜眠れぬ夜は狂おしく〜 優しくて棘があるDANGER〜愛はすべてを奪い合う〜 やっぱり君を好きになる(松川光) 野蛮なロマンチシスト(芦屋冬海) ラブ&トラスト(坂東核) 竜の遺言(浅葱) 恋愛至難!(秦野亮) 恋愛のスキル (吉田) 恋愛服務規定(室見公明) ワガママ王子 シリーズ(高田冴樹) ワガママ王子 1 ワガママ王子にご用心! ワガママ王子 2 ワガママ王子に危険なキス ワガママ王子 3 ワガママ王子に甘い罠 ワガママだけど愛しくて シリーズ(秋吉一史) ワガママだけど愛しくて 2 ワガママだけど愛しくて 3 わりとよくある男子校的恋愛事情(七瀬晃一) 我らの水はどこにある(阿部至) ワンコ系部下のしつけ方(後藤一樹) ラジオ・朗読CD 愛のポエム付言葉攻めCD Vol.5 LOVERSII〜優しさについて熟考する〜 福山潤VS千葉進歩 月刊男前図鑑 年上編 黒盤 セイント・ビースト DJCD Chat.3 〜ケダモノたちの井戸端会議〜 DJCD 07-GHOST the world vol.1 - 3 DJCD「戦場のヴァルキュリア」GBS第7小隊分局 HONEY BEE 羊でおやすみシリーズ Vol.18 「明日はもっと輝く君になるように」 モモっとトーク ダイジェストCD1 モモっとトーク・ドキドキCD モモっとトーク CDシリーズ モモっとトーク・スペシャルCD1 おじさまファクトリーVol.3 〜呉服屋 たちばな〜 音楽CD アニメ 神風怪盗ジャンヌ イメージアルバム 「Get it! Only you」:(Vo.シンドバッド) 「それぞれの未来」:(Vo.シンドバッド、水無月大和〈高橋直純〉) 仙界伝封神演義 歌宴 「夜明けへの扉」:(Vo.楊戩) 仙界伝封神演義 歌宴II 「蒼き光へ(静寂の編)」:(Vo.楊戩) 「終わりのない旅」:(Vo.楊戩) 「WILL(仙界編)」:(Vo.楊戩、太公望〈結城比呂〉、黄天化〈山岸功〉) 「陽のあたる場所」:(Vo.楊戩、太公望〈結城比呂〉、黄天化〈山岸功〉、ナタク〈宮田幸季〉、雷震子〈松本梨香〉) クロノクルセイド CHRNO CRUSADE museum 「Castle In The Air」:(Vo.クロノ、ヨシュア・クリストファ〈保志総一朗〉) デジモンテイマーズ クリスマスイリュージョン 「Black X’mas 〜山木のテーマ〜」:(Vo.山木 満雄) SONG ALBUM 好きなものは好きだからしょうがない!!-HEAVENLY BREATH- 「恋でオーライ!」:(Vo.本城祭、クリス〈結城比呂〉、佐倉広夢〈阪口大助〉) 好きなものは好きだからしょうがない!! ヴォーカルシリーズ target.3 本城祭 「オナジオモイ」:(Vo.本城祭) ヒカルの碁 キャラクターソングシングル「紅の月」 「紅の月」:(Vo.藤原佐為) Super Stylish Doctors Songs 2 ヴォーカルアルバム「Ten Supplements」 「風を起こそう!」:(Vo.日下真一郎、KERO☆YUKI〈福山潤〉) Super Stylish Doctors Songs 3 ヴォーカルアルバム「eight beating」 「Save your smile」:(Vo.日下真一郎、ミヒャエル・シューマイヤー〈森川智之〉) Saint Beast Others Coupling CD Series "Others" #1 ユリウス×オーディン 「聖地の白い羽」:(Vo.オーディン) プティフール キャラクターソングシリーズ Vol.1 真田和樹&シャルル栗林 「muse 〜僕の女神様」:(Vo.シャルル栗林) 「熱血癒し系」:(Vo.シャルル栗林、真田和樹〈鈴木達央〉) ウルトラマニアック キャラクターソング&BGM集「Magical Songs」 「そよ風のように」:(Vo.辻合宏基) OVA「パパとKISS IN THE DARK」キャラクターソングアルバム 「さようなら」 ときめきメモリアルGirl's side 3rd story キャラクターソング&エクストラサウンドトラック 「明日も、君と。」:(Vo.紺野玉緒) ROSE GARDEN(QuinRoseMIX.オリジナルイメージトラック) 「ゆかし ひとひら」(Vo.日向 要) PSP版「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」OP曲 QuinRose Best〜ボーカル曲集・2009-2012 I〜 「ゆかし ひとひら」(Vo.日向 要) その他コンテンツ おはコロシアム(したじきくんの声) Counter-Strike NEO -WHITE MEMORIES-(フラッシュノベル:ウマル役) New Space Order(フラッシュノベル -Link of Life-:アレクセイ・マイヤー役) バンダイ Voice I-doll ちびボイス 銀魂2「近藤勲」 真冬の流れ星(WITH YOUとして参加した楽曲) マンガみたいな!!ミラクル映像博覧会(テレビ朝日:2010年12月18日 - 不定期放送中、ボイスオーバー) ドラマ10(NHK総合、副音声解説) かな〜でぃあんファミリーズ(「花澤香菜 live 2014 “25”」グッズ、USBメモリ形式オーディオドラマ収録:かなへび役)
{ "id": "123769", "title": "千葉進歩", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E9%80%B2%E6%AD%A9" }
アコード ユーロR(Accord euro-R)は、本田技研工業がかつて生産、販売していたセダン型の乗用車である。6代目および7代目アコードのスポーツバージョンとして設定されていた。 初代 CL1型(2000-2002年) 2000年6月1日、6代目アコードに設定されていたMT専用のスポーツグレード「SIR-T」と入れ替わる形で新たに誕生したスポーツバージョンで、姉妹車トルネオにも外観以外は同スペックの「トルネオユーロR」として同時に設定された。すでに欧州仕様アコードには「タイプR」が設定されており、本車その日本仕様ともいえる。 ピュアスポーツ路線の日本仕様「タイプR」シリーズ(NSXタイプR、インテグラタイプR、シビックタイプR)とは趣が異なり、そのコンセプトはセダンとしての扱いやすさとスポーツ性の両立にある。走行フィーリングはよりマイルドに仕上げられ、室内は大人4人が乗車しても十分な広さが確保されている。また車体ロゴの「R」文字はタイプR同様の赤文字であるが、字体はタイプRのそれとは別のものが使用されている。 搭載されるエンジンは、プレリュードタイプSに搭載されるH22A型を専用チューニングしたもので、欧州仕様「タイプR」を凌ぐ最高出力220 PSを発生する。 アコードの他グレードとは一線を画し、エアロパーツに加え、レカロ社製バケットシート、モモ社製ステアリング・ホイールなど、走行面が専用装備が追加されている。なお、「タイプR」シリーズにはチタン製のシフトノブが装備されていることが多いが、「ユーロR」のそれはアルミ製である。 最終型では特別仕様の「ユーロR-X」が追加され、専用ボディカラー、専用色レカロ社製バケットシート(一部内装)、トランクスポイラー、プライバシーガラス、チタン製シフトノブが装備された。 2代目 CL7型(2002-2008年) 2代目となるCL7型アコードユーロRは2002年10月10日の7代目アコード発売当初から設定され、同時にトルネオ廃止によりユーロRはアコードへ一本化された。K20A型エンジンは排気量こそ減少したが、最高出力は先代と同一の220PSを維持した。DC5型インテグラタイプRに搭載されている同型機種に2次バランサーを装備し、ブロックの肉厚を上げるなどの改良をしたことで静粛性を確保するとともに性能特性を変えている。トランスミッションは7代目アコードで唯一となる6速MTが搭載された。 走り、居住性、デザインといったクルマの本質を徹底的に引き上げ、そのすべての要素に「質の深さ」を求めたアコードの中で、快適性はそのままに、スポーツという性能にさらにこだわり走りに磨きをかけている。 ボディのCd(空気抗力係数)値は0.26と良好で、高速安定性や燃費の向上、風切り音の低減が図られている。また、アクセルペダルは乗用車では珍しいオルガンペダルを採用している。 トランスミッションでは1-2速をトリプルコーン、3-6速をダブルコーンの全段マルチコーンシンクロを採用し、シフト荷重を30%低減した。ストロークも50mmに短縮するとともにシフトノブの配置をドライバーに近づけるなど、軽快なシフト操作と心地よい操作フィールを実現している。また、トルク感応型ヘリカルLSDがアンダーステアの少ないコーナリングと、シャープな立ち上がり加速を実現。 2005年11月24日にマイナーチェンジが行なわれた。かつて光岡自動車では、同社の認定中古車制度を利用してこのモデルをベースに光岡・ヌエラユーロRが生産されたことがあった。 搭載エンジン 諸元 初代 H22A型 エンジン種類:水冷直列4気筒横置き 弁機構:DOHCベルト駆動 吸気2 排気2 VTEC 排気量:2,156cc 内径×行程:87.0mm×90.7mm 圧縮比:11.0 最高出力:162kW(220PS)/7,200rpm 最大トルク:221N·m(22.5kgf·m)/6,700rpm 燃料供給装置形式:電子制御燃料噴射式(ホンダPGM-FI) 使用燃料種類:無鉛プレミアムガソリン 燃料タンク容量:60L 2代目 K20A型 エンジン種類:水冷直列4気筒横置き 弁機構:DOHCチェーン駆動 吸気2 排気2 i-VTEC 排気量:1,998cc 内径×行程:86.0mm×86.0mm 圧縮比:11.5 最高出力:162kW(220PS)/8,000rpm 最大トルク:206N·m(21.0kgf·m)/6,000rpm 燃料供給装置形式:電子制御燃料噴射式(ホンダPGM-FI) 使用燃料種類:無鉛プレミアムガソリン 燃料タンク容量:65L モータースポーツ イタリアのNテクノロジーが、2008年の世界ツーリングカー選手権(WTCC)に、同じくイタリアのJASモータースポーツが開発したマシンを使用し参戦している(ドライバーはジェームス・トンプソン)。同年のWTCC・岡山国際サーキット戦からは、エンジン供給をM-TECが担当することになった。
{ "id": "123770", "title": "ホンダ・アコードユーロR", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%ADR" }
国道149号(こくどう149ごう)は、静岡県静岡市清水区の清水港から清水駅前に至る一般国道である。 概要 静岡市清水区日の出町の羽衣橋北詰を起点として北上し、JR東海清水駅前に位置する同区江尻東1丁目の国道1号〈東海道〉交点(清水駅前交差点)とを結ぶ、延長2.6 kmの一般国道の路線で、いわゆる港国道のひとつである。全線が静岡市都市計画道路に指定されており、交差点を左折・右折するたびに代表幅員が20 mの3・4・49清水港三保線、3・4・42入船町船越線、同30 mの3・2・7港橋横砂線となる。起点は、国道150号と共有しており、港国道の中で他路線と起点を共有しているのは、国道198号と本路線だけである。当国道を介して、国道1号と国道150号を結ぶ役割もある。 路線データ 一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および経過地は次のとおり。 起点:清水港(羽衣橋北詰 = 国道150号起点) 終点:清水市大和町(清水駅前交差点 = 国道1号交点) 重要な経過地;なし 総延長 : 2.6 km 重用延長 : なし 未供用延長 : なし 実延長 : 2.6 km 現道 : 2.6 km 旧道 : なし 新道 : なし 指定区間:なし 歴史 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道149号清水港線(清水港 - 清水市大和町)として指定施行。 1965年(昭和40年)4月1日 - 道路法改正により一級・二級区分が廃止されて一般国道149号として指定施行。 路線状況 通称 しみずマリンロード さつき通り 地理 経路は、起点から終点まで清水港の港湾部の西側で南北に並行しており、入船町交差点と万世町交差点の2か所ある十字路でクランクする。国道150号と共有する起点・羽衣橋北詰には、港らしさを感じられるランドマーク的なものはなく、日本の一般国道の中でも、とりわけ起点位置が難解な路線であるとの指摘がある。 通過する自治体 静岡県 静岡市(清水区) 交差する道路 国道150号 : 静岡市清水区(起点) 国道1号 : 静岡市清水区(終点)
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小森 陽一(こもり よういち、1953年(昭和28年)5月14日 -)は、日本の日本文学研究者(近代日本文学・構造主義記号論)。東京大学名誉教授。和光学園理事長。全国「九条の会」事務局長。 人物 東京都出身。日本共産党党員(書記局員)であった父・小森良夫(1926-2008)の仕事の関係で、1961年から4年間、ソ連の衛星国だったチェコスロバキアのプラハで過ごす。プラハでは、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、ピオネール(ソ連・共産圏の少年団)にも加入していた。そのために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。 北海道大学文学部・同大学院では亀井秀雄の指導を受ける。大学院在学中に、札幌の進学予備校北大学力増進会の現代文科講師を勤め、その後成城大学勤務を経て、東京大学に着任する。 母親は小森香子(詩人、東京原水協・日本平和委員会理事・詩人会議常任運営委員・日本子どもを守る会理事)。共著もある(『青い空は青いままで子どもらに伝えたい - 母と子で語る昭和といま - 』)。 日本文学者として 1987年、夏目漱石の『こころ』の解釈を巡って三好行雄と論争し、注目を集める。 日本の明治以降期における西洋化の試みを、植民地的無意識の形成、列強への過剰な模倣など、ポストコロニアル理論研究の視点から再考している(『ポストコロニアル』)。さらに、日本近代文学、特に漱石の作品における植民地的要素の分析を行う(『世紀末の予言者・夏目漱石』『漱石をよみなおす』p251)。『日本語の近代』(岩波書店)の第2刷りの追記にあるが、この本の多くの部分は安田敏朗の仕事を注記なしに引いたもので、問題となった(すが秀実『帝国の文学』)。 また、NHK大河ドラマ「春の波涛」の盗作問題をめぐる裁判では、国文学の専門家としてNHK側で証言している(山口玲子『NHK犯歴録』)。 市民活動家として 講演、執筆活動を活発に行っているが、文学評論にとどまらず、政治的な主張も行っている。 現在、日本国憲法第9条の平和主義を守るため、憲法改正に反対する「九条の会」の運営に事務局長として関わり、憲法改正及びその手続法である国民投票法に反対して、各地で開催される集会で発言を続けるとともに、積極的に活字媒体への執筆活動を行っている(「九条の会」事務局長から新年のご挨拶)。 また、憲法の趣旨から外れ天皇中心の国家に戻る契機となるとして、教育基本法改正に強く反対。2004年、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の呼びかけ人となり、改正反対の運動を行っていた。(2007年1月解散) 1998年、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」において、X JAPANのYOSHIKIが奉祝曲を式典で演奏することについて、石田英敬らとともに「公開質問状」 を送付した(YOSHIKIは受け取り拒否)。 日本学術会議東洋学研究連絡委員会主催学術シンポジウム「アジアとは何か」(2001年11月17日開催)において「9・11テロは日本の神風特攻隊から学んだものである」と発言。 同僚である東京大学教養学部教授で、フランス哲学者の高橋哲哉は、思想的な意味での盟友といえる。(『ナショナル・ヒストリーを超えて』) 『戦後日本スタディーズ3 80年代・90年代』に於いて自らがマルクス主義者であることを明らかにした。 「しんぶん赤旗」にも多く登場し、日本共産党系と見なされることも多い知識人の一人であるが、「偏向教育」により共産党系の全教と対立・脱退した増田都子の応援を行っている。 日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。 逸話 1969年5月、竹早高校学内で学年主任の3名の教員を中心に学校ぐるみで補習費や修学旅行費でリベートを慣例的に受領していた事実が明るみに出た。「竹早高校リベート事件」としてマスコミや国会の文教委員会(当時)にも取り上げられ、3名の教員はじめ(1名は懲戒免職処分)、殆どの教職員が処分を受ける事態となった。連日全校集会が続き、学校の機能は一時完全に停止。混乱の中、2学期に入ると校舎改築工事の為、都立新宿高校旧校舎へ1年間、間借りすることになる。この年、小森は1年生ながら生徒会長に選出され、事件発覚後、全校ストを組織。教師らを土下座させ、「授業の内容、教師の講義方針に関しては教師・生徒間の話し合いにより決定する」、「生徒に関する諸規則は生徒が定め、生徒が管理する」といった内容の「生徒権宣言」を学校側に受諾させるという逸話を残している 。 学歴 1972年、東京都立竹早高等学校卒業。 1976年、北海道大学文学部卒業。 1979年、同大学大学院文学研究科修士課程修了。 職歴 1985年、成城大学文芸学部助教授。 1992年、東京大学教養学部助教授。 1998年、東京大学大学院総合文化研究科(言語情報科学)教授 2019年、定年退職、東京大学名誉教授。明治学院大学客員教授 2022年、和光学園理事長に就任。 その他の役職 九条の会事務局長 著書 単著 『文体としての物語』(筑摩書房 1988年) 『構造としての語り』(新曜社 1988年) 『縁の物語――『吉野葛』のレトリック』(新典社 1992年) 『夏目漱石をよむ』(岩波ブックレット 1993年) 『漱石を読みなおす』(ちくま新書 1995年)岩波現代文庫、2016 『最新宮沢賢治講義』(朝日選書 1996年) 『出来事としての読むこと』(東京大学出版会 1996年) 『「ゆらぎ」の日本文学』(日本放送出版協会・NHKブックス 1998年) 『世紀末の予言者・夏目漱石』(講談社 1999年) 『小説と批評』(世織書房 1999年) 『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店、2000) 「コモリくん、ニホン語に出会う」角川文庫 『日本語の近代』(岩波書店 2000年) 『ポストコロニアル』(岩波書店 2001年) 『歴史認識と小説――大江健三郎論』(講談社 2002年) 『天皇の玉音放送』(五月書房 2003年)のち朝日文庫  『表現する人びと』(新日本出版社 2004年) 『村上春樹論――『海辺のカフカ』を精読する』平凡社新書 2006年) 『心脳コントロール社会』(ちくま新書 2006年) 『レイシズム』(岩波書店 2006年) 『ことばの力 平和の力――近代日本文学と日本国憲法』(かもがわ出版 2006年) 『理不尽社会に言葉の力を ソノ一言オカシクナイデスカ?』(新日本出版社 2007年,イラストおおえだけいこ) 『憲法・教育・現代社会を語る 『反戦情報』掲載インタビュー集(2001~2008)』(反戦情報編集部 2008年) 『大人のための国語教科書 あの名作の"アブない"読み方!』(角川oneテーマ21 2009年)  『漱石論 21世紀を生き延びるために』(岩波書店、2010年)  『記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ 小森陽一対談集』シネ・フロント社 2010 『橋下「維新の会」の手口を読み解く』(新日本出版社、2012年) 『死者の声、生者の言葉 文学で問う原発の日本』新日本出版社、2014  『あの出来事を憶えておこう 2008年からの憲法クロニクル』新日本出版社、2014  『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』集英社新書 2016 『13歳からの夏目漱石 生誕百五十年、その時代と作品』かもがわ出版 2017 『戦争の時代と夏目漱石 明治維新150年に当たって』かもがわ出版 2018 共著 (石原千秋・木股知史・島村輝・高橋修・高橋世織)『読むための理論――文学・思想・評論』(世織書房, 1991年) (柄谷行人・小池清治・芳賀徹・亀井俊介)『漱石をよむ』(岩波書店, 1994年) (吉見俊哉・大澤真幸・田嶋淳子・山中速人)『メディア空間の変容と多文化社会』(青弓社, 1999年) (辻村みよ子)『有事法制と憲法』(岩波書店, 2002年) (市野川容孝・守中高明・米谷匡史)『変成する思考――グローバル・ファシズムに抗して』(岩波書店, 2005年) (大原穣子)『読んでみませんか 教育基本法 』(新日本出版社, 2005年) (市野川容孝)『難民』(岩波書店, 2007年) (姜尚中)『戦後日本は戦争をしてきた』角川oneテーマ21 2007年) 『泥沼はどこだ 言葉を疑い、言葉でたたかう』アーサー・ビナード共著 かもがわ出版 2012 『沖縄とヤマト 「縁の糸」をつなぎ直すために』編著 新崎盛暉,伊波洋一,石川真生,我部政明証言 かもがわ出版 2012 『安倍改憲の野望 この国はどこへ行くのか』樋口陽一,奥平康弘共著 かもがわ出版 希望シリーズ 2013 『反撃 民意は社会を変える』鎌田慧共著 かもがわ出版 希望シリーズ 2013 『岩波新書で「戦後」をよむ』成田龍一、本田由紀共著 岩波新書、2015  『漱石激読』石原千秋共著. 河出書房新社,河出ブックス 2017 和田春樹、孫崎享との共著。 編著 『近代文学の成立――思想と文体の模索』(有精堂出版, 1986年) 『研究する意味』(東京図書, 2003年) 『平和が生きるとき』(かもがわ出版, 2004年) 『私の座標軸』(かもがわ出版, 2005年) 『3.11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』(かもがわ出版, 2011年) 『夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集』(角川新書, 2016年) 『「ポスト真実」の世界をどう生きるか ウソが罷り通る時代に』編著. 新日本出版社 2018 共編著 (片岡豊)『漱石作品論集成(2)坊っちゃん・草枕』(桜楓社, 1990年) (芹澤光興)『漱石作品論集成(11)道草』(桜楓社, 1991年) (紅野謙介・高橋修)『メディア・表象・イデオロギー――明治30年代の文化研究』(小沢書店, 1997年) (高橋哲哉)『ナショナル・ヒストリーを超えて』(東京大学出版会, 1998年) (栗原彬・佐藤学・吉見俊哉)『越境する知(全6巻)』(東京大学出版会, 2000年-2001年) (坂本義和・安丸良夫)『歴史教科書何が問題か――徹底検証Q&A』(岩波書店, 2001年) (石田英敬)『シリーズ言語態(5)社会の言語態』(東京大学出版会, 2002年) (井上ひさし)『座談会昭和文学史(全6巻)』(集英社, 2003年) (成田龍一)『日露戦争スタディーズ』(紀伊國屋書店, 2004年) (高橋哲哉・大内裕和・三宅晶子)『教育基本法「改正」に抗して――緊急報告 全国各地からの声』(岩波書店 2004年) (市野川容孝)『壊れゆく世界と時代の課題』(岩波書店、2009年) 『いのち、学び、そして9条 いきいき!子どもたち』佐藤学,田中孝彦,教育子育て九条の会共編著 高文研 2010 『あきらめることをあきらめた 戦後71年目のデモクラシー』黒澤いつき,元山仁士郎,西郷南海子共著 かもがわ出版 2016 『漱石辞典』飯田祐子,五味渕典嗣, 佐藤泉, 佐藤裕子, 野網摩利子共編集. 翰林書房, 2017 解説 『手塚マンガで憲法九条を読む』生命の尊さなどを訴えた手塚治虫のマンガを解説 (子どもの未来社 2018年6月) 参考 『駒場2001』
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小林 康夫(こばやし やすお、1950年2月6日 -)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。前青山学院大学大学院総合文化政策学研究科特任教授。専門は現代哲学、表象文化論。『知の技法』の編者として有名。 経歴 東京都生まれ。 1974年、東京大学教養学部フランス科卒。 1976年、東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化。 1978年、パリ第10大学(テクスト記号論)へ留学(フランス政府給費留学生)。 1981年、パリ第10大学第3課程博士号を取得。学位論文は"Esquisse d'une theorie du texte: temps, sujet, evenement")。 電気通信大学助教授。 1986年、東京大学教養学部助教授。 1993年、東京大学教養学部教授。 2001年、東京大学評議員。 2002年、21世紀COEプログラム「共生のための国際哲学交流センター」拠点リーダー。 2003年、フランス政府より教育功労章シュヴァリエを授与される。 2007年、グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」拠点リーダー。 2015年、東京大学名誉教授。青山学院大学大学院総合文化政策学研究科特任教授。 2020年、青山学院大学大学院総合文化政策学研究科特任教授を退任。 著書 単著 『不可能なものへの権利』書肆風の薔薇、1988年 『無の透視法』書肆風の薔薇、1988年 『起源と根源――カフカ・ベンヤミン・ハイデガー』未來社、1991年 『光のオペラ』筑摩書房、1994年 『出来事としての文学』作品社、1995年。改訂版『出来事としての文学――時間錯誤の構造』講談社学術文庫、2000年 『身体と空間』筑摩書房、1995年 『大学は緑の眼をもつ』未來社、1997年 『建築のポエティクス』彰国社、1997年 『創造者たち――現代芸術の現場』講談社、1997年 『思考の天球』水声社、1998年 『青の美術史』ポーラ文化研究所、1999年。改訂版 平凡社ライブラリー、2003年 『表象の光学』未來社、2003年 『Le Coeur/la Mort』UTCP、2007年 『知のオデュッセイア――教養のためのダイアローグ』東京大学出版会、2009年 『歴史のディコンストラクション――共生の希望へ向かって』未來社、2010年 『存在のカタストロフィー――〈空虚を断じて譲らない〉ために』未来社、2012年 『こころのアポリア――幸福と死のあいだで』羽鳥書店、2013年 『ミケル・バルセロの世界――形という生命/物質と暴力』未来社、2013年 『君自身の哲学へ』大和書房、2015年 『オペラ戦後文化論1――肉体の暗き運命 1945-1970』未来社、2016年 『若い人のための10冊の本』 ちくまプリマー新書 2019年 『オペラ戦後文化論2――日常非常、迷宮の時代 1970-1995』未来社、2020年 『《人間》への過激な問いかけ――煉獄のフランス現代哲学 上』水声社、2020年 『死の秘密、《希望》の火――煉獄のフランス現代哲学 下』水声社、2021年 『存在の冒険――ボードレールの詩学』水声社、2022年 共著 『大脱走、どこへ』野田秀樹、仲畑貴志、日比野克彦、白石かず子、伊藤蘭、別役実共著、朝日出版社、1983年。 『現代音楽のポリティックス』クリスチャン・ウォルフ、近藤譲、笠羽映子、ルイジ・ノーノほか共著、書肆風の薔薇、1991年。 『現代アート入門――「今」に出会う歓び』建畠晢共著、平凡社、1998年。 『モデルニテ3×3』松浦寿輝、松浦寿夫共著、思潮社、1998年。 『こころの生態系――日本と日本人、再生の条件』河合隼雄、中沢新一、田坂広志共著、講談社+α新書、2000年。 『事典・哲学の木』永井均、大澤真幸、山本ひろ子、中島隆博、中島義道、河本英夫共著、講談社、2002年。 『日本語の森を歩いて』フランス・ドルヌ共著、講談社現代新書、2005年。 『表象文化研究――芸術表象の文化学』渡辺保、石田英敬共著、放送大学教育振興会・放送大学大学院教材、新訂版、2006年。 『学問のツバサ――13歳からの大学授業』桐光学園、鷲田清一、永井均、野矢茂樹、宇野邦一、佐藤勝彦、井田茂、谷川渥、岡田温司、浅島誠、板谷光泰、田沼靖一、茂木健一郎、大澤真幸、岡真理、田中純、佐倉統、水曜社、2009年。 『「知の技法」入門』大澤真幸共著、河出書房新社、2014年。 『何のために「学ぶ」のか』桐光学園、ちくまプリマー新書編集部編、筑摩書房、2015年。 『幽霊の真理――絶対自由に向かうために 対話集』荒川修作共著、水声社、2015年。 『日本を解き放つ』中島隆博共著 東京大学出版会、2019年 『宮川淳とともに』吉田喜重・西澤栄美子共著、水声社、2021年 編著 『知の技法』(東京大学教養学部「基礎演習」テキスト)、船曳建夫共編、東京大学出版会、1994年。 『知の論理』、船曳建夫共編、東京大学出版会、1995年。 『知のモラル』、船曳建夫共編、東京大学出版会、1996年。 『文学の方法』、川本皓嗣共編、東京大学出版会、1996年、2010年改版。 『文学の言語行為論』、石光泰夫共編、未來社、1997年。 『未来のなかの中世』、草光俊雄共編、東京大学出版会、1997年。 『学問のすすめ』、筑摩書房、1998年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈1〉狂気・精神分析・精神医学』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、1998年。 『新・知の技法』、船曳建夫共編、東京大学出版会、1998年。 『フランス哲学・思想事典』、小林道夫、坂部恵、松永澄夫共編、弘文堂、1999年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈2〉文学・言語・エピステモロジー』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、1999年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈3〉歴史学・系譜学・考古学』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、1999年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈4〉規範・社会――1971 - 1973』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、1999年。 『表象――構造と出来事』(表象のディスクール)、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『宗教の解体学』、坂口ふみ、西谷修、中沢新一共編、岩波書店、2000年。 『テクスト――危機の言説』(表象のディスクール)、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『宗教の闇』、坂口ふみ、西谷修、中沢新一共編、岩波書店、2000年。 『イメージ――不可視なるものの強度』(表象のディスクール)、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『メディア――表象のポリティクス』(表象のディスクール)、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『宗教と政治』、坂口ふみ、西谷修、中沢新一共編、岩波書店、2000年。 『創造――現場から・現場へ』(表象のディスクール)、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『「私」の考古学』、坂口ふみ、西谷修、中沢新一共編、岩波書店、2000年。 『身体――皮膚の修辞学』、松浦寿輝共編、東京大学出版会、2000年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈5〉権力・処罰――1974 - 1975』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2000年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈6〉セクシュアリテ・真理』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2000年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈7〉知・身体』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2000年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈8〉政治・友愛』、ミシェル・フーコー著、増田一夫、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2001年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈9〉自己・統治性・快楽』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬、西永良成共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2001年。 『ミシェル・フーコー思考集成〈10〉倫理・道徳・啓蒙』、ミシェル・フーコー著、松浦寿輝、石田英敬共編、蓮實重彦、渡辺守章監修、筑摩書房、2002年。 『美術史の7つの顔』、未來社、2005年。 『教養のためのブックガイド』、山本泰共編、東京大学出版会 2005年。 『フーコー・コレクション〈1〉狂気・理性』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・コレクション〈3〉言説・表象』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・コレクション〈4〉権力・監禁』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・コレクション〈5〉性・真理』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『フーコー・ガイドブック――フーコー・コレクション』、石田英敬、松浦寿輝共編、筑摩書房、2006年。 『表象文化研究――芸術表象の文化学』、渡辺保、石田英敬著、放送大学教育振興会、2006年。 『いま、哲学とはなにか』、未來社、2006年。 『21世紀における芸術の役割』、未來社、2006年。 訳書 マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ共著、『デュシャンの世界』、岩佐鉄男共訳、朝日出版社、1978年、「デュシャンは語る」ちくま学芸文庫、1999年。 マルグリット・デュラス著、『死の病い・アガタ』、吉田加南子共訳、朝日出版社、1984年。 ジャン=フランソワ・リオタール著、『ポスト・モダンの条件――知・社会・言語ゲーム』、水声社、1989年。 エマニュエル・レヴィナス著、『他者のユマニスム』書肆風の薔薇、1990年。 ジャック・デリダ著、『シボレート』飯吉光夫、守中高明共訳、岩波書店、1990年。 ジャン=フランソワ・リオタール著、『インファンス読解』未來社、1995年。 セルジュ・ルクレール著、『子どもが殺される』竹内孝宏共訳、誠信書房、1998年。 マルグリット・デュラス著、『緑の眼』河出書房新社、1998年。 マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ共著、『デュシャンは語る』、岩佐鉄男共訳、筑摩書房、1999年。 ジャック・デリダ著、『名を救う――否定神学をめぐる複数の声』西山雄二共訳、未來社、2005年。 ホルヘ・センプルン著、『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』、大池惣太郎共訳、未来社、2015年。
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佐藤 良明(さとう よしあき、1950年10月13日 -)は、日本のアメリカ文学・ポピュラー音楽研究者。東京大学名誉教授。放送大学客員教授。山梨県生まれ、群馬県高崎市育ち。兄はグラフィックデザイナーの佐藤晃一。 活動 トマス・ピンチョン研究でデビューし、1980年代に人類学者グレゴリー・ベイトソンの研究や翻訳を軸とした評論活動を行う。 1990年代は、東京大学教養学部における英語教育改革を柴田元幸らと主導。全学共通の英語テキスト『The Universe of English』(東京大学出版会)シリーズは学内外から反響を呼んだ。 2000年以降は、ポピュラー音楽研究に主軸を移し、また『リトル・チャロ』等の放送教材製作に関わり、新潮社<トマス・ピンチョン全小説>の翻訳を完結に導く。 2015年以後、放送大学のコンテンツ制作に関わる中で、英文法の授業に歌唱を用いるメソッドを開発。日本語と英語の統語のしくみの違いを解き明かす研究を続けている。 経歴 群馬県立高崎高等学校在学時にAFS15期生に採用され、アメリカ・バージニア州へ1年間留学した。 東北大学理学部を中途退学し、東京大学文学部英文科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。 東京外国語大学外国語学部英米語学科専任講師・助教授、1990年東京大学教養学部助教授、1996年東京大学大学院総合文化研究科教授(超域文化科学専攻・表象文化論研究室)。2007年同大学を早期退職。 NHK英語教育番組講師(2006, 2008-09)。日本ポピュラー音楽学会会長(2011-12)。表象文化論学会会長(2014-18)。放送大学教養学部教授(2015-2018)。 著書 『ラバーソウルの弾みかた―ビートルズから《時》のサイエンスへ』(岩波書店、1989) →『ラバーソウルの弾みかた』(ちくま学芸文庫、1994) →『ラバーソウルの弾みかた―ビートルズと60年代文化のゆくえ』(平凡社ライブラリー、2004) 『郷愁としての昭和』(新書館、1997) 『J-POP進化論―「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(平凡社新書、1999) 『ニッポンのうたはどう変わったか―増補改訂 J-POP進化論』(平凡社ライブラリー、2019) 『これが東大の授業ですか。』(研究社、2004) 『ビートルズとは何だったのか』(みすず書房・理想の教室、2006) 『英文法を哲学する』(アルク出版、2022) 共編著 『佐藤君と柴田君』(柴田元幸共著)(白水社、1995)→(新潮文庫、1999) 『ロックピープル101』(柴田元幸共編)(新書館、1995) 『佐藤君と柴田君の逆襲!!』(柴田元幸共著)(河出書房新社、2013) 翻訳 グレゴリー・ベイトソン『精神と自然―生きた世界の認識論』思索社 1982、新思索社 2001、岩波文庫 2022 ベイトソン『精神の生態学』思索社 1990、新思索社 2000、岩波文庫(上中下)2023 ロバート・クーヴァー『女中の臀』思潮社 1992 メアリー・キャサリン・ベイトソン『娘の眼から マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンの私的メモワール』保坂嘉恵美共訳、国文社 1993 トマス・ピンチョン『ヴァインランド』新潮社、1998/河出書房新社〈世界文学全集〉、2009/新潮社 2011(新訳「トマス・ピンチョン全小説」) 『らりるれレノン ジョン・レノン・ナンセンス作品集』筑摩書房 2002   ピンチョン『スロー・ラーナー』新潮社 2010 ピンチョン『V.』小山太一共訳、新潮社 2011 ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』新潮社 2011 ピンチョン『LAヴァイス』栩木玲子共訳 新潮社 2012 ピンチョン『重力の虹』(上下) 新潮社 2014 ボブ・ディラン『The Lyrics 1961-1973』 『The Lyrics 1974-2012』岩波書店 2020 ピンチョン『ブリーディング・エッジ』栩木玲子共訳 新潮社 2021 ボブ・ディラン『ソングの哲学』岩波書店 2023 テキスト 『The Parallel Universe of English』(柴田元幸共編)(東京大学出版会、1996) 『英語V Reading contemporary American plays』 (内野儀共編著、放送大学教育振興会 1997) 『英語VII Reading American decades : 1950s-1990s』(柴田元幸共編、放送大学教育振興会、1997) 『英語V (’01)』(河合祥一郎共編)(放送大学教育振興会、2001) 『リトル・チャロ』アニメ版ストーリー・ブック Vol. 1-3 (英語脚本、栩木玲子共同制作)(NHK出版 2008-09) 『リトル・チャロ』完全版 Vol.1-3 (英語脚本、栩木玲子共同執筆)(NHK出版 2008-09) 『The American Universe of English』(栩木玲子共編)(東京大学出版会、2010) 『英語事始め』(大橋理枝共著)(放送大学教育振興会、2017) 『異言語との出会い—言語と通して自他を知る』(滝浦真人共編)(放送大学教育振興会、2017) 『耳から学ぶ英語』(大橋理枝共著)(放送大学教育振興会、2018) 『アメリカの芸術と文化』(宮本陽一郎共編)(放送大学教育振興会、2019) 『ビートルズ de 英文法』(放送大学教育振興会、2021) 放送 未来潮流『世界同時多発 変容するポップカルチャー』(NHK総合テレビ、1998年5月23日) 『佐藤教授のぷにゅぷにゅポップス』(ラジオ高崎、1998年4月-98年9月) 週刊ブックレビュー(NHK BS2、2001年-12年、不定期) たけしの誰でもピカソ(テレビ東京、2002年-09年、不定期) 『黄金の洋楽ライブ』(NHK BS2、2006年-09年)、不定期) 3か月トピック英会話『ジュークボックス英会話 歌詞から学ぶ感情表現』(NHK教育テレビ、2007年1月-3月) リトル・チャロカラダにしみこむ英会話(同上、2008年4月-09年3月) 『キーウィ佐藤のポップス文化論』(NHKラジオ第1、2012年8月25日、9月1日) 『キーウィ佐藤の百年のロック」(ラジオ高崎)、2014年4月- 9月、毎週)改訂版『佐藤良明のロック史講義』(2014年10月-2015年3月)
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柴田 元幸(しばた もとゆき、1954年(昭和29年)7月11日 -)は、日本のアメリカ文学研究者・翻訳家。東京大学名誉教授。 ポール・オースター、チャールズ・ブコウスキー、スティーヴ・エリクソン、スティーヴン・ミルハウザー、リチャード・パワーズなど現代アメリカ文学、特にポストモダン文学の翻訳を数多く行っている。彼の翻訳した本は注目を集めるため、レベッカ・ブラウンなどは本国アメリカよりも日本での方が人気が高い。 略歴 東京都大田区出身。大田区立仲六郷小学校卒業。大田区立志茂田中学校卒業。東京都立日比谷高等学校卒業。1979年東京大学文学部英文科卒業。1984年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。1985年イェール大学大学院修士課程修了。 1984年東京学芸大学教育学部専任講師、1987年助教授、1988年東京大学教養学部助教授、1997年東京大学大学院総合文化研究科助教授、1999年東京大学人文社会系研究科英語英米文学専攻助教授、2004年同教授。2007年現代文芸論研究室に異動。2014年同大学を退任し名誉教授。須賀敦子翻訳賞、日本翻訳大賞の選考委員を務める。神戸市外国語大学客員教授。 業績 1995年、ポール・オースター『ムーン・パレス』でBABEL国際翻訳大賞日本翻訳大賞(主催:「翻訳の世界」(バベル・プレス))を受賞。2005年、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)で、サントリー学芸賞を受賞。2006年、初の小説集『バレンタイン』を新書館より発行。2007年には東京大学現代文芸論研究室を沼野充義とともに創設。同2007年、『ふつうに学校にいくふつうの日』で第11回日本絵本賞翻訳絵本賞を受賞。2010年、『メイスン&ディクスン』(上・下)で第47回日本翻訳文化賞を受賞。2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。 また自身も文学や翻訳を題材にしたエッセイを執筆しており、『生半可な学者』で1992年、講談社エッセイ賞を受賞している。 雑誌の『鳩よ!』(2001年8月号)、『Coyote』(No.26)、『文藝』(2009年春季号)が柴田元幸の特集を組んだこともある。歌手の小沢健二は柴田ゼミ出身。弟子として都甲幸治・小山太一らがいる。 自身の責任編集による文芸雑誌『モンキービジネス』(ヴィレッジブックス、2008年 - 2011年)、『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング、2013年 -)を創刊し、現代アメリカ文学の紹介に務めている。柴田が責任編集を務める文芸誌『MONKEY』は2020年10月、英語版を創刊した。 村上春樹との関係 小説家の村上春樹が1986年にジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を翻訳する際、柴田、畑中佳樹、上岡伸雄、斎藤英治、武藤康史の5人でチームを組んでバックアップをした。ここから村上との親交が始まる。1987年7月刊行のポール・セローの『ワールズ・エンド(世界の果て)』からは、村上の訳文をひとりでチェックするようになった。 村上との共著に『翻訳夜話』、『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』、『本当の翻訳の話をしよう』がある。また、CDブック『村上春樹ハイブ・リット』(アルク、2008年11月)の総合監修を務めた。 著書 単著 『生半可な学者』(白水社) 1992、のち白水Uブックス 『愛の見切り発車』(新潮社) 1997、のち新潮文庫 『死んでいるかしら』(新書館) 1997、のち日経文芸文庫 『舶来文学柴田商店』(新書館) 1997 『生半可版英米小説演習』(研究社出版) 1998、のち朝日文庫 『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書) 2000 『猿を探しに』(新書館) 2000 『アメリカン・ナルシス メルヴィルからミルハウザーまで』(東京大学出版会) 2005 『バレンタイン』(新書館) 2006 『翻訳教室』(新書館) 2006、のち朝日文庫  『つまみぐい文学食堂』(角川書店) 2006、のち角川文庫  『それは私です』(新書館) 2008 『代表質問 16のインタビュー』(新書館) 2009、のち朝日文庫 『ケンブリッジ・サーカス』(スイッチパブリッシング) 2010、のち新潮文庫 2018 『現代語訳でよむ日本の憲法』(木村草太 法律用語監修、アルク) 2015 『柴田元幸ベスト・エッセイ』(ちくま文庫) 2018 『英文精読教室』(研究社)全6巻 2021-2022 共著 『佐藤君と柴田君』(佐藤良明共著、白水社) 1995、のち新潮文庫 『英語7』(佐藤良明共著、放送大学教材) 1997 『翻訳夜話』(村上春樹共著、文春新書) 2000 『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹共著、文春新書) 2003 『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク) 2004 『200X年文学の旅』(沼野充義共著、作品社) 2005 『世界は村上春樹をどう読むか』(沼野充義,藤井省三,四方田犬彦共著、文藝春秋) 2006、文春文庫 2009  『文字の都市 世界の文学・文化の現在10講』(編著、東京大学出版会) 2007 『文学の愉しみ』(沼野充義,野崎歓共編著、放送大学) 2008 『柴田さんと高橋さんの「小説の読み方、書き方、訳し方」』(高橋源一郎共著、河出書房新社) 2009、河出文庫 2013 『佐藤君と柴田君の逆襲!!』(佐藤良明共著、河出書房新社) 2013 『現代作家ガイド ポール・オースター 増補改訂版』(飯野友幸編著、秋元孝文,上田麻由子,栩木玲子共著、彩流社) 2013 『ミグラード 朗読劇『銀河鉄道の夜』』(古川日出男,管啓次郎,小島ケイタニーラブ共著、勁草書房) 2013 『英語で村上春樹』(Margaret Stalker企画・編集、アルク英文校正、アルク出版教材編集部、English journal増刊) 2016 新元良一,内田樹,リチャード・パワーズ,Jay Rubin, Alfred Birnbaum共訳 『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』(澤西祐典共編、岩波書店) 2018。全20篇を精選 『本当の翻訳の話をしよう』(村上春樹共著、スイッチ・パプリッシング) 2019 翻訳 『オリンピックと近代』(ジョン・J・マカルーン、菅原克也共訳、平凡社) 1988 『デカルトからベイトソンへ』(モリス・バーマン、国文社) 1989 『エンペラー・オブ・ジ・エア』(イーサン・ケイニン、文藝春秋) 1989 『ダブル / ダブル』(マイケル・リチャードソン、菅原克也共訳、白水社) 1990、のち白水社Uブックス 『超哲学者マンソンジュ氏』(マルカム・ブラドベリ、平凡社) 1991、のち平凡社ライブラリー 『父の遺産』(フィリップ・ロス、集英社) 1993、のち集英社文庫  『Sudden fiction 2 超短編小説・世界篇 2』(R・シャパード/J・トーマス編、文春文庫) 1994 『イギリス新鋭作家短篇選』(新潮社) 1995 『パルプ』(チャールズ・ブコウスキー、学習研究社) 1995、のち新潮文庫 『小説の技巧』(デイヴィッド・ロッジ、斎藤兆史共訳、白水社) 1997 『宮殿泥棒』(イーサン・ケイニン、文藝春秋) 1997、のち文春文庫 『わが青春 わが読書』(監訳、コリン・ウィルソン、学習研究社) 1997、のち改題『超読書体験』(学研文庫 上下) 『夜の姉妹団』(編訳アンソロジー、朝日新聞社) 1998、のち朝日文庫 『いまどきの老人』(監訳、畔柳和代共訳、朝日新聞社) 1998 『むずかしい愛』(編訳、畔柳和代共訳、朝日新聞社) 1999 『僕の恋、僕の傘』(編訳、角川書店) 1999 『英語クリーシェ辞典』(ベティ・カークパトリック、研究社出版) 2000 『ボルヘスの北アメリカ文学講義』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、国書刊行会) 2001 『世界は終わらない』(チャールズ・シミック、新書館) 2002 『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』(ローラ・ミラー/アダム・ベグリー、編訳、研究社) 2003 『バクスター危機いっぱつ』(グレン・バクスター、新書館) 2003 『甘美なる来世へ』(T.R.ピアソン、みすず書房) 2003 『コーネルの箱』(チャールズ・シミック、文藝春秋) 2003 『バクスターの必殺横目づかい』(グレン・バクスター、新書館) 2004 『ウェイクフィールド』(ナサニエル・ホーソーン、新潮社) 2004 『五行でわかる日本文学』(ロジャー・パルバース、研究社) 2004 『ふつうに学校にいくふつうの日』(コリン・マクノートン、小峰書店世界の絵本コレクション) 2005 『三つの金の鍵』(ピーター・シス、BL出版) 2005 『インディアナ、インディアナ』(レアード・ハント、朝日新聞社) 2006、復刊:twililight 2023 『どこにもない国』(編訳、松柏社) 2006 『紙の空から』(編訳、晶文社) 2006 『マジック・フォー・ビギナーズ』(ケリー・リンク、早川書房) 2007、ハヤカワ文庫 2012 『ジャンブリーズ』(エドワード・リア、河出書房新社) 2007 『新バイブル・ストーリーズ』(ロジャー・パルバース、集英社) 2007 『輝ける鼻のどんぐ』(エドワード・リア、河出書房新社) 2007 『血液と石鹸』(リン・ディン、早川書房、ハヤカワepiブック・プラネット) 2008 『火を熾す』(ジャック・ロンドン、スイッチ・パブリッシング) 2008 『柴田元幸ハイブ・リット 名翻訳家がひらく英語と文学へのゲートウェイ』(アルク) 2008 バリー・ユアグロー,レベッカ・ブラウン,ケリー・リンク,スチュアート・ダイベック,スティーヴン・ミルハウザー,ポール・オースター、 『ナイン・ストーリーズ』(J・D・サリンジャー、ヴィレッジブックス) 2009 『雪男たちの国 ジョージ・ベルデンの日誌より』(ノーマン・ロック、河出書房新社) 2009 『ジーザス・サン』(デニス・ジョンソン、白水社) 2009 『昨日のように遠い日 少女少年小説選』(編訳、文藝春秋) 2009 『いずれは死ぬ身』(編訳、河出書房新社) 2009 『燃える天使』(編訳、角川文庫) 2009  『喋る馬』(バーナード・マラマッド、スイッチパブリッシング) 2009 『メイスン&ディクスン』(トマス・ピンチョン、新潮社) 2010 『in our time』(アーネスト・ヘミングウェイ、ヴィレッジブックス) 2010 『悪いことをして罰があたった子どもたちの話』(ヒレア・ベロック、エドワード・ゴーリー絵、河出書房新社) 2010 『ロード・ジム』(ジョゼフ・コンラッド、河出書房新社、世界文学全集) 2011、河出文庫 2021 『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡』(ディケンズ/ストーカーほか、E・ゴーリー編、共訳、河出文庫) 2012 『こころ朗らなれ、誰もみな』(アーネスト・ヘミングウェイ、スイッチ・パブリッシング、柴田元幸翻訳叢書) 2012 『トム・ソーヤーの冒険』(マーク・トウェイン、新潮文庫) 2012 『アメリカン・マスターピース 古典篇』(ナサニエル・ホーソーン他、編訳、スイッチ・パブリッシング、柴田元幸翻訳叢書) 2013 『オズの魔法使い』(ライマン・フランク・ボーム、角川文庫) 2013 『書き出し「世界文学全集」』(編訳、河出書房新社) 2013 『失踪者たちの画家』(ポール・ラファージ、中央公論新社) 2013 『天使エスメラルダ 9つの物語』(ドン・デリーロ、上岡伸雄,都甲幸治,高吉一郎共訳、新潮社) 2013 『アイスクリームの皇帝』(選訳、きたむらさとし絵、河出書房新社) 2014 『木に持ちあげられた家』(テッド・クーザー、ジョン・クラッセン絵、スイッチ・パブリッシング) 2014 『古代の遺物』(ジョン・クロウリー、浅倉久志,大森望,畔柳和代共訳、国書刊行会、未来の文学) 2014 『ジム・スマイリーの跳び蛙 マーク・トウェイン傑作選』(マーク・トウェイン、新潮文庫) 2014 『遁走状態』(ブライアン・エヴンソン、新潮社) 2014 『プリティ・モンスターズ』(ケリー・リンク、早川書房) 2014 『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』(フィリップ・ロス、集英社) 2014 『日々の光』(ジェイ・ルービン、平塚隼介共訳、新潮社) 2015 『ブリティッシュ&アイリッシュ・マスターピース』(ジョナサン・スウィフト他、編訳、スイッチ・パブリッシング、柴田元幸翻訳叢書) 2015 『モービー・ディック・イン・ピクチャーズ 全ページイラスト集』(ハーマン・メルヴィル、マット・キッシュ作、スイッチ・パブリッシング) 2015 『優しい鬼』(レアード・ハント、朝日新聞出版) 2015 『夜の白昼夢』(ジョン・サウスワース、デイヴィッド・ウイメット絵、飛鳥新社) 2015 『ぼくたちが越してきた日から、そいつはそこにいた』(ローダ・レヴィーン、エドワード・ゴーリー絵、河出書房新社) 2016 『カナダの英語短編選集』上・下(編訳、渓流社) 2016 『マーク・トウェイン』(編、集英社文庫ヘリテージシリーズ、ポケットマスターピース) 2016 『僕の名はアラム』(ウィリアム・サローヤン、新潮文庫) 2016 『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』(カレン・ウィルキン/濱中利信・柴田勢津子解説、小山太一共訳、河出書房新社) 2016 『ウインドアイ』(ブライアン・エヴンソン、新潮社) 2016 『いなごの日 / クール・ミリオン 傑作選』(ナサニエル・ウエスト、新潮文庫、村上柴田翻訳堂) 2017 『本の子』(オリヴァー・ジェファーズ、サム・ウィンストン絵、ポプラ社) 2017 『ハックルベリー・フィンの冒けん』(マーク・トウェイン、研究社) 2017 『雲』(エリック・マコーマック、東京創元社)2019 『吠える その他の詩』(アレン・ギンズバーグ、スイッチパブリッシング)2020 『中国・アメリカ謎SF』(小島敬太共編訳、白水社)2021 『戦時の愛』(マシュー・シャープ、スイッチ・パブリッシング)2021 『鑑識レコード倶楽部』(マグナス・ミルズ、アルテスパブリッシング)2022 『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国 短篇集』(シルヴィア・プラス、集英社)2022 『アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション』(岸本佐知子共編訳、スイッチ・パブリッシング)2022 『ガリバー旅行記』(ジョナサン・スウィフト、朝日新聞出版)2022 『アントンが飛ばした鳩 ホロコーストをめぐる30の物語』(バーナード・ゴットフリード、広岡杏子共訳、白水社)2023 『アメリカン・マスターピース 準古典篇』(シャーウッド・アンダーソン他、編訳、スイッチ・パブリッシング、柴田元幸翻訳叢書) 2023 ポール・オースター作品 『幽霊たち』(ポール・オースター、新潮社) 1989、のち新潮文庫 『鍵のかかった部屋』(ポール・オースター、白水社) 1989、のち白水Uブックス 『孤独の発明』(ポール・オースター、新潮社) 1991、のち新潮文庫 『ムーン・パレス』(ポール・オースター、新潮社) 1994、のち新潮文庫 『最後の物たちの国で』(ポール・オースター、白水社) 1994、のち白泉Uブックス 『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』(ポール・オースター、新潮文庫) 1995 『偶然の音楽』(ポール・オースター、新潮社) 1998、のち新潮文庫 『リヴァイアサン』(ポール・オースター、新潮社) 1999、のち新潮文庫 『空腹の技法』((ポール・オースター、畔柳和代共訳、新潮社) 2000、のち新潮文庫 『ミスター・ヴァーティゴ』(ポール・オースター、新潮社) 2001、のち新潮文庫 『トゥルー・ストーリーズ』(ポール・オースター、新潮社) 2004、のち新潮文庫 『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(ポール・オースター、新潮社) 2005、のち新潮文庫 『わがタイプライターの物語』(ポール・オースター、新潮社) 2006 『ティンブクトゥ』(ポール・オースター、新潮社) 2006、のち新潮文庫  『幻影の書』(ポール・オースター、新潮社) 2008、のち新潮文庫  『ガラスの街』(ポール・オースター、新潮社) 2009、のち新潮文庫 『オラクル・ナイト』(ポール・オースター、新潮社) 2010、のち新潮文庫  『ブルックリン・フォリーズ』(ポール・オースター、新潮社) 2012、のち新潮文庫 『写字室の旅』(ポール・オースター、新潮社) 2014、併せて新潮文庫 『闇の中の男』(ポール・オースター、新潮社) 2014、同上 『冬の日誌、内面からの報告書』(ポール・オースター、新潮社) 2017 『インヴィジブル』(ポール・オースター、新潮社) 2018 『サンセット・パーク』(ポール・オースター、新潮社) 2020 『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』(ポール・オースター、スイッチ・パブリッシング) 2020。絵本・タダジュン絵 スティーヴン・ミルハウザー作品 『イン・ザ・ペニー・アーケード』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 1990 『バーナム博物館』(スティーヴン・ミルハウザー、福武書店) 1991、のち福武文庫、のち白水Uブックス 『三つの小さな王国』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 1998 のち白水Uブックス 『マーティン・ドレスラーの夢』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2002、のち白水Uブックス 『ナイフ投げ師』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2008 のち白水Uブックス 『ある夢想者の肖像』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2015 『魔法の夜』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2016 『木に登る王 三つの中篇小説』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2017 『十三の物語』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2018 『私たち異者は』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2019 『ホーム・ラン』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2020 『夜の声』(スティーヴン・ミルハウザー、白水社) 2021 スティーヴ・エリクソン作品 『黒い時計の旅』(スティーヴ・エリクソン、福武書店) 1990、のち福武文庫、のち白水Uブックス 『Xのアーチ』(スティーヴ・エリクソン、集英社) 1996、のち集英社文庫 『アムニジアスコープ』(スティーヴ・エリクソン、集英社) 2005 『ゼロヴィル』(スティーヴ・エリクソン、白水社) 2016 スチュアート・ダイベック作品 『シカゴ育ち』(スチュアート・ダイベック、白水社) 1992、のち白水Uブックス 『僕はマゼランと旅をした』(スチュアート・ダイベック、白水社) 2006 『それ自身のインクで書かれた街』(スチュアート・ダイベック、白水社) 2008 『路地裏の子供たち』(スチュアート・ダイベック、白水社) 2019 バリー・ユアグロー作品 『一人の男が飛行機から飛び降りる』(バリー・ユアグロー、新潮社) 1996、のち新潮文庫 『セックスの哀しみ』(バリー・ユアグロー、白水社) 2000、のち白水Uブックス 『憑かれた旅人』(バリー・ユアグロー、新潮社) 2004 『ケータイ・ストーリーズ』(バリー・ユアグロー、新潮社) 2005 『たちの悪い話』(バリー・ユアグロー、新潮社) 2007 『東京ゴースト・シティ』(バリー・ユアグロー、新潮社)2021 エドワード・ゴーリー作品 『ギャシュリークラムのちびっ子たちまたは遠出のあとで』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2000 『うろんな客』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2000 『優雅に叱責する自転車』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2000 『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2001 『蒼い時』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2001 『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2001 『敬虔な幼子』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2002 『弦のないハープ』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2003 『雑多なアルファベット』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2003 『題のない本』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2004 『まったき動物園』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2004 『おぞましい二人』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2004 『蟲の神』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2014 『むしのほん』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2014 『憑かれたポットカバー クリスマスのための気落ちした気色悪い気晴らし』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2015 『ずぶぬれの木曜日』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2018 『音叉』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2018 『金箔のコウモリ』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2020 『鉄分強壮薬 あるいは、寂しい谷間の冬の午後』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社) 2022 『オズビック鳥』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社)2022 『薄紫のレオタード』(エドワード・ゴーリー、河出書房新社)2023 リチャード・パワーズ作品 『舞踏会へ向かう三人の農夫』(リチャード・パワーズ、みすず書房) 2000、のち河出文庫(上・下) 『パワーズ・ブック』(リチャード・パワーズ、みすず書房) 2000 『囚人のジレンマ』(リチャード・パワーズ、前山佳朱彦共訳、みすず書房) 2007 レベッカ・ブラウン作品 『体の贈り物』(レベッカ・ブラウン、マガジンハウス) 2001、のち新潮文庫 『家庭の医学』(レベッカ・ブラウン、朝日新聞社) 2002、のち朝日文庫 『私たちがやったこと』(レベッカ・ブラウン、マガジンハウス) 2002、のち新潮文庫 『若かった日々』(レベッカ・ブラウン、マガジンハウス) 2004、のち新潮文庫 『犬たち』(レベッカ・ブラウン、マガジンハウス) 2009 『かつらの合っていない女』(レベッカ・ブラウン+ナンシー・キーファー、思潮社) 2017 〈原寸版〉初期アメリカ新聞コミック傑作選 『ガソリン・アレーのウォルトとスキージクス 〈原寸版〉初期アメリカ新聞コミック傑作選 1903 - 1944』(フランク・O・キング、ピーター・マレスカ編監訳、小澤英実共訳、創元社) 2013 『クレイジー・キャット 〈原寸版〉初期アメリカ新聞コミック傑作選 1903 - 1944』(ジョージ・ヘリマン、パトリック・マクドネル, ピーター・マレスカ編、創元社) 2013 『さかさま世界 〈原寸版〉初期アメリカ新聞コミック傑作選 1903 - 1944』(グスタフ・ヴァービーク、ピーター・マレスカ編監訳、平塚隼介共訳、創元社) 2013 『眠りの国のリトル・ニモ 〈原寸版〉初期アメリカ新聞コミック傑作選 1903 - 1944』(ウィンザー・マッケイ、ピーター・マレスカ編監訳、上田麻由子共訳、創元社) 2013 ザ・ニューヨーカー選 ベスト・ストーリーズ 『ベスト・ストーリーズⅠ ぴょんぴょんウサギ球』(ザ・ニューヨーカー選、共訳、早川書房) 2015 『ベスト・ストーリーズⅡ 蛇の靴』(ザ・ニューヨーカー選、共訳、早川書房) 2016 『ベスト・ストーリーズⅢ カボチャ頭』(ザ・ニューヨーカー選、共訳、早川書房) 2016
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沼野 充義(ぬまの みつよし、1954年(昭和29年)6月8日 -)は、日本のスラヴ文学者。専門はロシア・ポーランド文学。現代日本文学など世界文学にも詳しく、その文芸評論は文芸誌・新聞などでしばしば見られる。東京大学名誉教授。名古屋外国語大学世界教養学部教授・副学長。 人物 東京都大田区出身。スタニスワフ・レムの作品に熱中し、ポーランド語を専門とすることを決める。学生時代には、非英米圏SF研究ファングループ「イスカーチェリ」に参加し、のち、日本SF作家クラブ会員。1977年(昭和52年) - 1979年(昭和54年)の第19次『新思潮』に参加し評論を書いた。四方田犬彦、平野共余子らの映画同人誌『シネマグラ』にも参加。日本学術会議会員。日本ペンクラブ副会長。ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『瞬間』の翻訳を未知谷のサイトで連載中(2017年(平成29年)5月 -)。 妻の沼野恭子はロシア文学者(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)。 略歴 東京教育大附属駒場高校卒業 1977年(昭和52年)3月 - 東京大学教養学部教養学科ロシア分科卒業 1979年(昭和54年)3月 - 東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専門課程修士課程修了 1981年(昭和56年)9月 - フルブライト奨学生としてハーヴァード大学大学院スラヴ語スラヴ文学専攻博士課程へ留学 1984年(昭和59年) 2月 - ハーヴァード大学助手(ティーチング・アシスタント、1985年(昭和60年)6月まで) 6月 - ハーヴァード大学より文学修士(M.A.)取得 1985年(昭和60年) 3月 - 東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専門課程博士課程単位取得満期退学 6月 - ハーヴァード大学大学院スラヴ語スラヴ文学専攻博士課程単位取得・博士論文提出資格取得 8月 東京大学教養学部ロシア語教室専任講師 1987年(昭和62年)9月 - ワルシャワ大学東洋学研究所客員講師(1年間、日本語学科の講師をつとめた) 1989年(昭和64年/平成元年)1月 - 東京大学教養学部ロシア語教室助教授 1994年(平成6年)4月 - 東京大学文学部スラヴ文学研究室助教授 2000年(平成12年)5月 - において共同研究(国際交流基金フェロー 11月まで) 2002年(平成14年)10月 - ロシア国立大学アジア・アフリカ研究所客員教授 2004年(平成16年)4月 - 東京大学大学院人文社会系研究科教授 2007年(平成19年)4月 - 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部に新設された現代文芸論研究室に所属(スラブ文学研究室と兼任) 2009年(平成21年) - 日本ロシア文学会会長(2013年(平成25年)迄) 2014年(平成26年) - 日本ロシア・東欧研究連絡協議会代表幹事(2017年(平成29年)迄) 2015年(平成27年) 日本スラヴ学研究会会長(2019年(平成31年/令和元年)迄) 日本ペンクラブ国際委員会委員長(2019年(平成31年/令和元年)迄) ロシア文学会大賞選考委員長(2017年(平成29年)迄) 2020年(令和2年) 3月 - 東京大学を定年退職 4月 - 名古屋外国語大学世界教養学部教授・東京大学名誉教授 受賞歴 2002年(平成14年) - 『徹夜の塊』でサントリー学芸賞芸術・文学部門。 2004年(平成16年) - 『ユートピア文学論』で第55回読売文学賞。 著書 単著 『屋根の上のバイリンガル』(筑摩書房、1988年、白水Uブックス、1996年) 『永遠の一駅手前――現代ロシア文学案内』(作品社、1989年) 『夢に見られて――ロシア・ポーランドの幻想文学』(作品社、1990年) 『スラヴの真空』(自由国民社〈読書の冒険シリーズ〉、1993年) 『モスクワ-ペテルブルグ縦横記』(岩波書店、1995年) 『W文学の世紀へ――境界を越える日本語文学』(五柳書院、2001年) 『亡命文学論――徹夜の塊』(作品社、2002年、増訂版2022年) 『ユートピア文学論――徹夜の塊2』(作品社、2003年、増訂版2022年) 『世界文学から/世界文学へ 文芸時評の塊 1993-2011』(作品社、2012年) 『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』(講談社、2015年) 『世界文学論――徹夜の塊3』(作品社、2020年) 共著 (青山南・江中直紀・富士川義之・樋口大介)『世界の文学のいま』(福武書店、1991年) (越川芳明・野谷文昭・柴田元幸・野崎歓)『世界×現在×文学―作家ファイル』(国書刊行会、1996年) (沼野恭子)『世界の食文化〈19〉ロシア』(農山漁村文化協会、2006年) (塩川伸明・小松久男・宇山智彦)『ユーラシア世界 1 〈東〉と〈西〉』(東京大学出版会、2012年) (亀山郁夫)『ロシア革命100年の謎』(河出書房新社、2017年。新書判) 編著 『ロシア怪談集』(河出文庫、1990年、新装版2019年10月) 『東欧怪談集』(河出文庫、1995年、新装版2020年9月) 『ユートピアへの手紙――世界文学からの20の声』(河出書房新社、1997年) 『イリヤ・カバコフの芸術』(五柳書院、1999年) 『ユダヤ学のすべて』(新書館、1999年) 『鰐 ドストエフスキーユーモア小説集』(講談社文芸文庫、2007年) 『芸術は何を超えていくのか?―未来を拓く人文・社会科学15』(東信堂、2009年) 『チェーホフ「かもめ」』(NHK出版〈100分de名著〉、2012年9月度放送テキスト) 『世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義』 (光文社、2012年) 『やっぱり世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義2』 (光文社、2013年) 『村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解』監修(NHK出版 2014年) 『それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3』(光文社 2015年) 『8歳から80歳までの世界文学入門 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義4』(光文社、2016年) 『つまり、読書は冒険だ。対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義5』(光文社、2017年) 『スタニスワフ・レム 「ソラリス」』(NHK出版〈100分de名著〉、2017年12月度放送テキスト) 共編著 大岡信・奥本大三郎・川村二郎・小池滋 『世界文学のすすめ』(岩波文庫別冊、1997年) 柴田元幸 藤井省三 四方田犬彦、国際交流基金編『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋 2006年/文春文庫、2009年) 若島正 『書きなおすナボコフ、読みなおすナボコフ』 (研究社、2011年) 『ユーラシア世界 1〈東〉と〈西〉』(塩川伸明、小松久男、宇山智彦共編、東京大学出版会、2012年) 『ユーラシア世界 2 ディアスポラ論』(塩川伸明、小松久男共編、東京大学出版会、2012年) 『ユーラシア世界 3 記憶とユートピア』(塩川伸明、小松久男共編、東京大学出版会、2012年) 『ユーラシア世界 4 公共圏と親密圏』(塩川伸明、小松久男、松井康浩共編、東京大学出版会、2012年) 『ユーラシア世界 5 国家と国際関係』(塩川伸明、小松久男共編、東京大学出版会、2012年) 工藤庸子・池内紀・柴田元幸 『世界の名作を読む 海外文学講義』(角川ソフィア文庫、2016年) 『ドストエフスキー ポケットマスターピース10』(高橋知之共編訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2016年) 野崎歓『ヨーロッパ文学の読み方 近代篇』(放送大学教育振興会、2019年、大学教材) 訳書 アレクサンドル・グリーン『輝く世界』(月刊ペン社、1978年、沖積舎、1993年) スタニスワフ・レム『枯草熱』(吉上昭三共訳、サンリオSF文庫、1979年) ヴェニアミン・カヴェーリン『師匠たちと弟子たち』(月刊ペン社、1981年) スタニスワフ・レム『金星応答なし』(ハヤカワSF文庫、1981年) B・オクジャワ『シーポフの冒険――あるいは今は昔のボードビル』(沼野恭子共訳、群像社、1989年) スタニスワフ・レム『完全な真空』(工藤幸雄・長谷見一雄共訳、国書刊行会、1989年/河出文庫、2020年) スワヴォーミル・ムロージェック『象』(長谷見一雄、吉上昭三、西成彦共訳、国書刊行会、1991年) ヨシフ・ブロツキイ『大理石』(白水社、1991年) ミラン・クンデラ『微笑を誘う愛の物語』(千野栄一、西永良成共訳、集英社、1992年) タチヤーナ・トルスタヤ『金色の玄関に』(沼野恭子共訳 白水社、1995年) レシェク・コワコフスキ『ライロニア国物語―大人も子どもも楽しめる13のおとぎ話』(芝田文乃共訳、国書刊行会、1995年) ヨシフ・ブロツキイ『私人――ノーベル賞受賞講演』(群像社、1996年) ピョートル・ワイリ、アレクサンドル・ゲニス『亡命ロシア料理』(北川和美、守屋愛共訳 未知谷、1996年) セルゲイ・ドヴラートフ『わが家の人びと――ドヴラートフ家年代記』(成文社、1997年) ヴィスワヴァ・シンボルカ『終わりと始まり』(未知谷、1997年) スタニスワフ・レム『虚数』(長谷見一雄、西成彦共訳、国書刊行会、1998年) ロイ・メドヴェージェフ『1917年のロシア革命』(石井規衛共同監訳、現代思潮社、1998年) アレクサンドル・グリーン『消えた太陽』(岩本和久共訳、国書刊行会、1999年) 『ナボコフ短篇全集』(諫早勇一・貝澤哉・加藤光也・毛利公美・若島正共訳、作品社(1・2)、2000年 - 2001年) 増補版『ナボコフ全短篇』(全1巻、上記+秋草俊一郎・杉本一直共訳、作品社、2011年) エドワード・ラジンスキー『真説ラスプーチン(上・下)』(望月哲男共訳、日本放送出版協会、2004年) スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会、2004年/ハヤカワSF文庫、2015年) スタニスワフ・レム『高い城・文学エッセイ』(巽孝之・芝田文乃・加藤有子・井上暁子共訳、国書刊行会、2004年) スタニスワフ・レム『天の声・枯草熱』(吉上昭三・深見弾共訳、国書刊行会、2005年) チェスワフ・ミウォシュ『ポーランド文学史』(関口時正・森安達也・西成彦・長谷見一雄共訳、未知谷)※ 2006年 - 第42回日本翻訳出版文化賞受賞 ウラジーミル・ナボコフ『賜物』(河出書房新社〈世界文学全集〉、2010年/新潮社「ナボコフ・コレクション」、2019年 アントン・チェーホフ『新訳 チェーホフ短篇集』(集英社、2010年) 『チェスワフ・ミウォシュ詩集』(関口時正共編、成文社、2011年) アントン・チェーホフ『かもめ』(集英社文庫、2012年) アンドレイ・シニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』(平松潤奈・中野幸男・河尾基・奈倉有里共訳、みすず書房、2013年) スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』(関口時正・久山宏一・芝田文乃共訳、国書刊行会、2015年) (ヴィクトル・ペレーヴィン、エドワルド・リモノフ、ヴィクトル・エロフェーエフ、アサール・エッペリ、アンドレイ・ビートフの作品を訳出) ヴィスワヴァ・シンボルスカ『瞬間』(未知谷、2022年)、詩集の訳・解説 出演 100分de名著 - チェーホフ「かもめ」 2012年9月放映 - テレビ 英語で読む村上春樹(2013年度講師)- ラジオ 100分de名著 - スタニスワフ・レム「ソラリス」 2017年12月放映 - テレビ 戦車闘争 (映画) - (2020年12月公開)- ドキュメンタリー映画
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松浦 寿輝(まつうら ひさき、1954年3月18日 -)は、日本の詩人・小説家・フランス文学者・批評家。東京大学名誉教授。毎日出版文化賞、高見順賞、読売文学賞選考委員。日本藝術院会員。 『折口信夫論』(1995年)などの評論、『冬の本』(1987年)などの詩集があり、小説では『花腐し』(2000年)で芥川賞を受賞。中年男を主人公とした幻想小説風の作品が多い。ほかの作品に『半島』(2004年)などがある。 人物 東京都出身。幼少期から映画に親しむ。家のすぐ裏側が映画館であったと、初の映画評論集『映画n-1』の後書きに記されている。クリント・イーストウッド、ベルナルド・ベルトルッチのほか、特にアルフレッド・ヒッチコックの監督作品をこよなく愛しており、東大の映画講義でもしばしば言及する。一方、ジャン=リュック・ゴダールに対しては、近年のあからさまなアジア蔑視に対して疑問を感じている。 1977年から1979年にかけて、沼野充義らと第19次『新思潮』同人となり詩を書く。 B級映画への偏愛を隠さず、講義では『アスファルト・ジャングル』、『ウエスタン』から『ミッション:インポッシブル』、『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)、『キューティーハニー』などもとりあげている。 小説家としては、日本の古井由吉、吉田健一、内田百閒、フランスのマルセル・プルーストとロラン・バルトを敬愛する。また中井久夫、川村二郎を知識人として深く尊敬している。最後まで小説を書かなかったバルトへの思いは「名前」(『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』)に詳しい。 社会から脱落した中年男を主人公とした作品が多い。『巴』『半島』といった長編小説も手がけるが、著者自身は短編の方により深い愛着を感じている。『半島』の装丁ではヴィルヘルム・ハメルショイを、『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』の装丁ではフィリップ・モーリッツの銅版画をあしらっている。近著『そこでゆっくり死んでいきたい気持をそそる場所』の一篇「あやとり」では自身による猫の兄弟の挿画に挑戦している。 『折口信夫論』は「おそるべき水準の透徹した議論」が展開されているという評価がある一方、荒川洋治から「官僚的な評論」と言われ、折口門下の穂積生萩や鈴木亨や米津千之は、「同性愛ゴシップへの低俗な関心のみ強く折口学に対する理解の浅さを露呈した支離滅裂な内容である」と批判している。 2009年から2010年まで、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の専攻長を務めた。また、東大駒場を拠点に2006年に設立された表象文化論学会の発足に尽力し、その初代会長となる(2期4年、2006-2010年)。 なお初期においてしばしば共に仕事をした美術研究家の松浦寿夫とは、特に血縁関係はない。 2015年現在、漫画家の西原理恵子から譲り受けた猫(三毛2匹、キジ1匹)を飼っている。 学歴 開成中学校・高等学校卒業。 東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。 同大学院人文科学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。 1981年、パリ第三大学より文学博士号取得。 2002年、論題「表象と倒錯:エティエンヌ=ジュール・マレー」で、東大より博士(学術)の学位を取得。 職歴 1982年、東大教養学部フランス語教室助手。 1986年、電気通信大学人文社会科学系列講師。 同助教授。 1991年、東大教養学部フランス語教室助教授。 1999年、同大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論コース)・教養学部超域文化科学科教授。 2009年-2010年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の専攻長。 2012年 東京大学退任。 2014年 東京大学名誉教授。 2015-2016年 東京大学客員教授。 受賞・叙勲歴 1988年、詩集『冬の本』で第18回高見順賞。 1995年、研究『エッフェル塔試論』で第5回吉田秀和賞。 1996年、評論『折口信夫論』で第9回三島由紀夫賞、研究『平面論――1880年代西欧』で第13回渋沢・クローデル賞LVJ特別賞。 1999年、小説「幽」で第121回芥川龍之介賞候補。 2000年、研究『知の庭園』で第50回芸術選奨文部大臣賞評論等部門。 2000年、小説「花腐し」で第123回芥川龍之介賞。 2005年、小説集『あやめ 鰈 ひかがみ』で第9回木山捷平文学賞、小説『半島』で第56回読売文学賞。 2009年、詩集『吃水都市』で第17回萩原朔太郎賞。 2012年、紫綬褒章。 2014年、詩集『afterwards』で第5回鮎川信夫賞。 2015年、評論『明治の表象空間』で第56回毎日芸術賞特別賞。 2017年、小説『名誉と恍惚』で第53回谷崎潤一郎賞、第27回Bunkamuraドゥマゴ文学賞。 2019年、日本芸術院賞。 2019年、小説『人外』で第72回野間文芸賞。 2022年、小説『無月の譜』で第34回将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞。 主な著作 詩 詩篇20 『ウサギのダンス』七月堂、1982年 『松浦寿輝詩集』思潮社、1985年 『冬の本』青土社、1987年 『女中』七月堂、1991年 『松浦寿輝詩集』思潮社・現代詩文庫、1992年 『鳥の計画』思潮社、1993年 『吃水都市』思潮社、2008年 『afterward』思潮社、2013年 『秘苑にて』書肆山田、2018年 評論 『口唇論 記号と官能のトポス』青土社、1985年 『スローモーション』思潮社、1987年 『映画n-1』筑摩書房、1987年 『平面論 1880年代西欧』岩波書店、1994年/岩波現代文庫、2018年 『エッフェル塔試論』筑摩書房、1995年/ちくま学芸文庫、2000年 『折口信夫論』太田出版、1995年/ちくま学芸文庫、2008年 『映画1+1』筑摩書房、1995年 『青天有月 エセー』思潮社、1996/講談社文芸文庫、2014年 『謎・死・閾 フランス文学論集成』筑摩書房、1997年 『ゴダール』筑摩書房(リュミエール叢書)、1997年 『知の庭園 19世紀パリの空間装置』筑摩書房、1998年 『表象と倒錯 エティエンヌ=ジュール・マレー』筑摩書房、2001年 『物質と記憶』思潮社、2001年 『官能の哲学』岩波書店、2001年/ちくま学芸文庫、2009年 『散歩のあいまにこんなことを考えていた』文藝春秋、2006年 『晴れのち曇り ときどき読書』みすず書房、2006年 『青の奇蹟』みすず書房、2006年 『方法叙説』講談社、2006年 『クロニクル』東京大学出版会、2007年 『波打ち際に生きる』羽鳥書店、2013年 『詩の波 詩の岸辺』五柳書院、2013年 『明治の表象空間』 新潮社、2014年 『黄昏客思』 文藝春秋、2015年 小説 『もののたはむれ』新書館、1996年/文春文庫、2005年 『ウサギの本 絵本』新書館、1996年 『幽』講談社、1999年/『幽 花腐し』講談社文芸文庫、2017年 『花腐し』講談社、2000年/講談社文庫、2005年/『幽 花腐し』講談社文芸文庫、2017年 『巴』新書館、2001年 『あやめ 鰈 ひかがみ』講談社、2004年/講談社文庫、2008年 『半島』文藝春秋、2004年/文春文庫、2007年 『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』新潮社、2004年 『川の光』中央公論新社、2007/中公文庫、2018年 『川の光』は2009年6月20日にNHKの長編アニメーションとしてアニメ化されて放送された。なお、この作品は有料オンデマンドでNHKのサイトから視聴できる。 『不可能』講談社、2011年 『川の光 外伝』中央公論新社 2012/中公文庫、2018年 『川の光2 タミーを救え!』中央公論新社 2014年/中公文庫 上下、2018年 『BB / PP』講談社 2016年 『名誉と恍惚』新潮社、2017年 『人外』講談社、2019年 『月岡草飛の謎』文藝春秋、2020年 『わたしが行ったさびしい町』新潮社、2021年 『無月の譜』毎日新聞出版、2022年 翻訳 ミシェル・ジュリ『熱い太陽、深海魚』サンリオSF文庫、1981年 ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』筑摩書房、1987年 ヴィム・ヴェンダース『エモーション・ピクチャーズ』河出書房新社、1992年 アルトー・デリダ『デッサンと肖像』みすず書房、1992年 デリダ『基底材を猛り狂わせる』みすず書房、1999年 共著 『記号論』朝吹亮二 思潮社、1985年 『文学のすすめ』(編) 筑摩書房、1996年 『ゴダールの肖像』浅田彰 とっても便利出版部、1997年 『モデルニテ3×3』小林康夫・松浦寿夫 思潮社、1998年 『色と空のあわいで 古井由吉 往復書簡』講談社、2007年 出演番組 ミュージック・イン・ブック(ディスクジョッキー・インタビュアー NHKラジオ第1放送)
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は、聖書の書物である。 そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類される。 著者(成立事情) この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24章26節)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされている。 高等批評をする聖書学者たちは、創世記~申命記のモーセ五書にヨシュア記を加えて「六書」と考え、J, E, D, Pなどの資料から成っていると考える者もいるが、M.ノートなどは申命記とヨシュア記は共にD資料(申命記資料)のみによると考えている。 1952年から1957年まで、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2~7章の物語が)創作されたと考えられる。また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる。 要約 背景となる出来事 エジプト脱出時に20歳を超えていた者のうち、ヨルダン川を渡ることを許されたのはヨシュアとカレブの2人だけである。モーセはヨルダン川を渡ることを許されなかった。また、ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダン川東岸に定住することを決めるが、仲間を助けるためにヨルダン川西岸に渡って共に戦うことをモーセに確約する。 ヨシュアによる占領(1-11章) モーセの死後、神はヨシュアにヨルダン川を渡るよう命令する。ヨシュアは民に準備を促す。二人の斥候がエリコに派遣される。エリコの王は斥候を捕らえようと探索するが、娼婦ラハブは斥候たちを匿う。斥候たちに対し、ラハブは、自分と親族の身の安全を保障してくれるよう請願する。斥候たちは身を守る方法をラハブに伝え、ヨシュアの元に帰って報告する。三日目に、ヨシュアはヨルダン川の手前で宿営を張る。その翌日、ヨシュアは神の命令通り、契約の箱を携えた祭司たちをヨルダン川に入らせる。川の上流で水が堰き止められてヨルダン川が干上がり、その間に全員が川を渡る。ルベン、ガド、マナセの半部族のうち、四万人の戦士も共にヨルダン川を渡る。神はギルガルに記念碑を建てるよう命じる。ヨシュアはギルガルとヨルダン川の祭司たちが立っている場所に、それぞれ記念碑を建てさせる。民はヨシュアがモーセの後継者であることを認めるようになる。ギルガルに宿営が張られる。神は民に割礼を施すようヨシュアに命じる。民はギルガルで過越を祝う。過越の翌日、マナの供給が終わる。ヨシュアは聖なる所へと足を踏み入れてしまい、サンダルを脱ぐよう「主の軍の将軍」に命令される。神はヨシュアに詳細な指示を出す。民がその指示通りに行動すると、エリコの城壁が崩れる。エリコの住民と家畜は、ラハブに属するものを除き、すべて滅ぼされる。ヨシュアはエリコに対する呪いの言葉を語る。 アカンはエリコの戦利品を隠し持つ。ヨシュアは斥候の提案に従いアイに三千の兵を差し向けるが、派遣隊は敗北し、民は動揺する。神はヨシュアに、エリコの戦利品を隠し持つ者がいることを告げる。アカンが選び出され、彼は罪を認める。アカンとその家族、および彼の所有する家畜に至るまで石打ちにされる。神は再びアイを攻めるよう、また、都市の背後に伏兵を配置するようヨシュアに命じる。ヨシュアは三万の兵を夜のうちに送り出し、自らは敗走を装う兵を指揮する。アイの兵は都市を出てヨシュアを追撃するが、挟撃されて全滅する。王も捕虜となり殺され、住民も皆殺しにされる。アイは焼かれ、ヨシュアたちは神に命じられた通りアイの町の家畜と分捕り品を自分たちのために奪い取った。ヨシュアはモーセによって命令された通り、エバル山に祭壇を築き、犠牲を捧げる。ヨシュアはその祭壇にモーセの律法の写しを記す。民はエバル山とゲリジム山の前に集められ、彼らの前で律法の全ての言葉が朗読される。 ギブオン周辺に住むヒビ人たちは、侵攻して来たイスラエル人を欺いて協定を結ばせることに成功し、殺されることを免れる。しかし、その策略はすぐに発覚し、彼らは祭壇の「柴刈りまた水くみ」をする者としてイスラエル人に仕えることになる。「アモリ人の五人の王」がギブオンを攻め、ギブオン人はヨシュアに助けを求める。イスラエル人は夜を徹して行軍し、アモリ人を急襲する。敗走するアモリ人を雹が襲う。ヨシュアが太陽と月に命令すると、太陽と月は「まる一日」静止する。五人の王は捕虜となり処刑される。ヨシュアはヨルダン川西岸の都市ギルガルから地中海沿岸の都市ガザに至るまで、また、その南方に広がる荒野に至るまでの地域に点在する諸都市を滅ぼし家畜などを奪っていく。ハツォルの王ヤビンを盟主とする大軍がメロムの水場に集結する。ヨシュアはこれを急襲し、敗走する敵を追撃して全滅させる。ヨシュアはハツォルを滅ぼして都市を燃やす。また、他の都市も滅ぼすが、ハツォル以外の都市は燃やさなかった。北方は、ヘルモン山の麓の都市、バアル・ガドに至るまでのヨルダン川沿いの地域を攻略する。 土地の配分(12-21章) モーセの占領したヨルダン川東岸の地域。ヨシュアの占領したヨルダン川西岸の地域と王の一覧。神は高齢となったヨシュアに、未征服地を含んだヨルダン川西岸の土地を、九部族とマナセの半部族との間で分配するよう命じる。ヨルダン川東岸の地を相続した二部族と半部族、およびレビ族が相続地を持たないことについての解説。相続地を決めるために「くじ」が用いられる。カレブはヘブロンの相続を求め、許可される。 ユダ族の相続地。カレブによるヘブロン攻略。マナセ族とエフライム族の相続地。相続地が少ないことに対する不満と、それに対するヨシュアの助言。ヨシュアはまだ相続地の決まっていない七部族に対して未征服地の調査を命じ、その調査記録を基に土地を配分する。ベニヤミン族の相続地。シメオン族の相続地。ゼブルン族の相続地。イサカル族の相続地。アシェル族の相続地。ナフタリ族の相続地。ダン族の相続地。ヨシュアはティムナト・セラを相続地として受け取る。 神はヨシュアに逃れの町を定めるよう命令し、六つの都市が定められる。相続地のないレビ族に対し、各部族の相続地から居住のための都市が与えられる。 シケム契約(22-24章) ヨシュアはルベン、ガド、マナセの半部族の戦士たちを郷里へと帰らせるが、彼らがヨルダン川のほとりに大きな祭壇を築いたことが伝えられ、ヨルダン川東岸の部族に対する軍事行動が検討される。ピネハスらが派遣され、彼らにヨルダン川西岸へと移住するよう勧めるが、彼らの説明する祭壇を築いた目的は好ましいものであったため、軍事行動は起こされなかった。ヨシュアは長老たちを呼び、モーセの律法を守り行うよう諭す。ヨシュアは全イスラエルをシケムに集め、彼らに神の言葉を伝える。民はヤハヴェに仕え続けることを誓い、その証拠として大きな石が立てられる。ヨシュアの死と埋葬。エジプトから運ばれてきたヨセフの骨はシケムに埋葬される。エレアザルの死と埋葬。
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会津漆器(あいづしっき)は、福島県会津地方に伝わる伝統工芸品の一つ。会津塗(あいづぬり)とも呼ばれる。経済産業大臣指定伝統的工芸品、国の指定伝統的工芸品に指定されている。 歴史的には、津軽塗や輪島塗よりも早くから盛んとなった。螺鈿・漆絵・乾漆・蒔絵・花塗りなど多岐にわたる技法がある。木材は、トチ・紅葉・ケヤキ・赤ケヤキ・ホオ・サクラなどがある。以前にはブナが使われた。会津若松市内の門田地区の漆器団地には、漆器屋・漆屋・木地屋などがある。 歴史 16世紀後半に当時の領主である蒲生氏郷が近江国日野から日野椀の木地師と塗師を招き、会津漆器の基礎を作り上げた。。会津藩政時代には、保科正之が漆の木の保護育成に努め、その後も歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国(当時の清国)やオランダなどへも輸出された。明治維新で大きな打撃を受けたが、明治時代中期には日本有数の漆器産地として再興した。 1975年(昭和50年)5月10日国指定伝統工芸指定。1997年3月31日福島県伝統的工芸品指定。 会津漆器技術後継者訓練校 現在、売上高の減衰のほかに、後継者の育成など大きな問題を抱えている。その為、新製品の開発、新たな漆の開発のほかに、職業能力開発校の運営・後継者の育成事業などを行われていた。 会津漆器技術後継者訓練校は、1971年に、会津漆器協同組合連合会などが後継者養成所として開設された施設で、2003年には、県知事の認定を受け、認定職業訓練による職業能力開発校になっていたが、2010年に、新年度の入校生募集を中止した。今後しばらくは修了生の支援に力を入れる方針に転換している。 特徴的な技法・装飾 前述の通り幅広く漆の技法を行っているため、特に特徴的なものを記載する。 花塗 上塗りの後研磨を行わないで仕上げる。一般に研磨したものより塗膜は堅牢で傷つきにくい。無油系の漆を使用した場合真塗りとも。 変り塗(かわりぬり) 。研ぎ出し塗りとも呼ばれ津軽塗や若狭塗が一般には広く知られている。籾殻で金色の虫喰い模様を出したものを金虫喰(きんむしくい)塗りと呼ぶ。 会津絵 松竹梅に破魔矢・糸車を配した伝統的な図案。。 錦絵 明治時代に発案された。雲形に牡丹・鳳凰・松竹梅・鶴亀を配した図案。 朱磨(しゅみがき) 黒塗りの器物に漆で図案を均一に描き朱の色粉を蒔き付け、完全に乾く直前に磨き上げて色彩を出す技法。。 鉄錆塗(鉄錆蒔絵) 下地用の錆と異なり、砥の粉と生漆を混ぜた後に水でゆる<した錆を、染色用の絞り筒に入れて絞り出して模様を筒描きする。梅と鶯模様が代表的な模様である。明治・大正にかけて盛んに製造された。 新たなる技術 新技術の一例を以下に示す 再生ペット樹脂を使用した電子レンジや食器洗い機で使用できる漆器 環境を選ばずに乾燥するうえに乾燥時間がたいへん短い漆 手びねりで造型できる漆粘土 規模 企業数 336社 従業員数 1767人
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立川 健二(たつかわ けんじ、1958年7月31日 -)は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の思想評論家。 来歴 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。1982年東京外国語大学フランス語科卒。1989年東京大学大学院人文科学研究科仏文科中退。フェルディナン・ド・ソシュール研究の集大成として『≪力≫の思想家 ソシュール』、『現代言語論』(山田広昭との共著)を出版。大阪市立大学勤務の後、東北学院大学教養学部専任講師として赴任した1991年に『誘惑論』を上梓し、注目を集める。ソシュール研究の立場から、言語と文化、記号論などの講義を担当。学部生対象のゼミ「誘惑論セミネール」、また、現代言語論研究会を主宰し、論文集『PHILOLOGIE』を同会で出版。同大学助教授時代に『愛の言語学』(1995年)を上梓。その一方で、会の運営については自己中心的だという指摘もあり、賛否両論が出て退会者が続出し、人間不信に陥る。その後、文教大学教授となり、同会も休会状態に陥る。2000年、自身が教育職には向いていないことを自ら悟り辞職。右翼、左翼双方への批判を織り込んだ「ポストナショナリズムの精神」を上梓、西部邁の『発言者』に寄稿・連載したが、2001年に西部の意向で関係を断たれた。 著書 『「力」の思想家ソシュール』風の薔薇 1986 『誘惑論 言語と(しての)主体』新曜社 1991 『愛の言語学』夏目書房 1995 『ポストナショナリズムの精神』現代書館 2000 『言語の復権のためにーソシュール、イェルムスレウ、ザメンホフ』論創社、2020 『国家と実存 「ユダヤ人国家」の彼方へ』彩流社、2022 共著 『現代言語論 ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン』山田広昭 新曜社 1990 翻訳 ショシャーナ・フェルマン『語る身体のスキャンダル ドン・ジュアンとオースティンあるいは二言語による誘惑』勁草書房, 1991 フランソワーズ・ガデ『ソシュール言語学入門』新曜社, 1995
{ "id": "123796", "title": "立川健二", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%81%A5%E4%BA%8C" }
『ライズ オブ ネイション 〜民族の興亡〜』(ライズ オブ ネイション 〜みんぞくのこうぼう〜、Rise of Nations、略称:RoN)は、が開発し、マイクロソフトより2003年5月20日(日本語版は2003年7月11日)に発売されたWindows用リアルタイムストラテジー型歴史シミュレーションゲーム。略称はRoN。リードデザイナーは、シヴィライゼーションシリーズを手がけた。 時代進化は現代・近未来にまで拡張されており、ダイナミックな戦闘を繰り広げることができる。 2004年6月11日には拡張パック『皇帝と革命軍(Expansion : Thrones and Patriots)』が、同年12月3日には拡張パックと本編のセット『ゴールドエディション(Gold Edition)』が発売された。 2014年6月には上記の『ゴールドエディション』相当に、テクスチャ、ライティングなどのビジュアルの改善、Steamworksの統合によるクラウドセーブ、オンライン対戦、Twitchへの対応など、2014年のトレンドに対応した修正をおこなった、『Rise of Nations Extended Edition』が、オンライン限定で発売された(英語版のみ)。 時代区分 I - 太古 II - 古代 III - 中世 IV - ルネサンス V - 啓蒙時代 VI - 産業革命時代 VII - 近代 VIII - 現代 登場する文明 各文明には経済やユニット作成速度に差があるほか、固有のユニットが存在する。また、攻撃・防御・経済の3種類のタイプに分けられており、シングルプレイの際にプレイヤーの文明のタイプを選ぶとそのタイプに該当する文明が自動で選択される。 登場ユニット 民間ユニット: 市民 - 学者 - 隊商 - 商人 歩兵: 軽歩兵/火器歩兵/現代歩兵: 投石兵 - 投槍兵 - 精鋭投槍兵 - 火縄銃兵 - マスケット銃兵 - ライフル銃兵 - 歩兵 - 突撃歩兵 重歩兵: 装甲歩兵 - ファランクス - 槍兵 - 精鋭槍兵 - フューリジア銃兵 - 対戦車ライフル - バズーカ砲 - 対戦車ミサイル 弓兵: 弓兵 - 射手 - 石弓兵 - 重装射手 機関銃: 機関銃 - 重機関銃 - 機関砲 火炎放射兵: 火炎放射兵 探索兵: 探索兵 - 斥候兵 - コマンド隊 - 特殊部隊 - 精鋭特殊部隊 民兵: 民兵 - マスケット民兵 - パルチザン その他: スパイ 騎兵: 軽騎兵: 軽装乗馬兵 - 軽騎兵 - 精鋭軽騎兵 - ハザーエ 重騎兵/戦車: 鎖鎧兵 - 騎士 - 重騎士 - 胸甲騎兵 - 軽戦車 - 戦車 - 主力戦車 長射程騎兵: 弓騎兵 - 精鋭弓騎兵 - 竜騎兵 - 銃騎兵 - 装甲車 - 装甲偵察車 - 新鋭装甲車 兵器: 火砲: 投石器 - 強化型投石器 - 射石砲 - 大砲 - 榴弾砲 - 自走榴弾砲 - ロケット弾発射システム 対空兵器: 自走対空機関砲 - 自走高射砲 - 自走対空ミサイル 船舶: 民間ユニット: 漁船 - 輸送船 - ガリオン型輸送船 - 輸送船 - 商船 - 近代商船 大型船舶/大型砲撃船/戦艦: 三段オールガレー船 - ガレー船 - 武装商船 - フリゲート艦 - 戦列艦 - ドレッドノート級戦艦 - 超弩級戦艦 - 最新鋭戦艦 小型船舶: バーク船 - 荷物船 - 小型帆船 - コルベット艦 - スループ型帆船 - 駆逐艦 - 巡洋艦 - ミサイル巡洋艦 砲撃船: 臼砲艦 - ボム ケッチ 焼討船/潜水艦: 焼討いかだ - 大型焼討いかだ - 焼討船 - 大型焼討船 - 潜水艦 - 攻撃型潜水艦 航空母艦: 航空母艦 航空機: 戦闘機: 複葉機 - 戦闘機 - ジェット戦闘機 - 高性能戦闘機 爆撃機: 爆撃機 - 戦略爆撃機 - ステルス爆撃機 ヘリコプター: ヘリコプター - 攻撃型ヘリコプター 艦載機: 戦闘爆撃機 - ジェット戦闘爆撃機 司令官(将軍以外は拡張パックで登場) 将軍 独裁者(専制政治) - 君主(君主制) - 元帥(社会主義) 議員(共和制) - 大統領(民主主義) - CEO(資本主義) ミサイル: V2ロケット - 巡航ミサイル 核弾頭ミサイル - ICBM マップ 本作の特徴 本作の特色として、ゲーム中に国境の概念が存在する。国境は特定の建造物を建設することやテクノロジーを研究することによって拡張可能である。プレイヤーは自国の国境、あるいは同盟国のそれより内側にしか建物を建造できない他、国境外の資源を採取することは不可能である。ただし、国境に縛られない唯一の例外としてラコタの文明がある。ラコタは敵プレイヤーの国境より外側のフィールドなら、どこにでも建物を建造できる特性をもっており、また同様に、国境外の資源の採取も可能となっている例外的な民族である。 本作に点在する資源は無尽蔵である。食料・木材・金属・財貨・知識などの各種資源は所定の場所にしかるべき建物を建造することによって、以降はその建物と労働に従事している市民を敵に破壊されないかぎり、所定の資源を永続的に採取し続けることができる。 マルチプレイにおける中・上級者以上のレベルのゲーム内では、与えられる文明特性が他文明に比べて大きく有利という理由から、場合によってアメリカの文明の使用が忌避されることがある。 近・現代の時代から造船所で作成可能なユニットの1つである航空母艦は海上ユニットの中で唯一造船所に収容しておくことができないユニットである。そのため、航空母艦はヒットポイントが少しずつ回復するようになっている。 イロコイ文明の歩兵ユニットの俊敏な移動速度は本来自陣内だけのはずだが、バグが修正されていないため(2007年9月27日現在)、どこかしこでも俊敏な速度を保ったまま移動することが可能になっており、イロコイの強力なユニークユニットによる凶悪な攻撃力を助長している。 世界征服キャンペーンがある。戦略マップと戦術マップに分かれており、戦術マップで勝利することにより戦略マップの該当地域を獲得できる。他民族の首都として設定されている地域を征服すると、その勢力に勝利したことになり、かれらが支配していた全領土を獲得できる。すべての民族を滅ぼすか、同盟を結ぶことで最終的な勝利となる。また、拡張パックでは、アレクサンドロス大王、ナポレオン、新世界、冷戦が追加されており、それぞれのキャンペーンに特殊なルールやマップが設定されているため、普段とは一風変わったプレイが可能である。
{ "id": "123797", "title": "ライズ オブ ネイション 〜民族の興亡〜", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BA%20%E3%82%AA%E3%83%96%20%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%20%E3%80%9C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E8%88%88%E4%BA%A1%E3%80%9C" }
中西 進(なかにし すすむ、1929年(昭和4年)8月21日 -)は、日本の教育者・文学者(日本文学・比較文学)。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1962年)。国際日本文化研究センター名誉教授、大阪女子大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、奈良県立万葉文化館名誉館長。文化功労者。文化勲章受章。 東京学芸大学附属高等学校教諭、成城大学文芸学部教授、筑波大学歴史人類学系教授、国際日本文化研究センター教授、帝塚山学院大学教授、帝塚山学院大学国際理解研究所所長、大阪女子大学学長、日本学術会議会員、学校法人帝塚山学院理事長、京都市立芸術大学学長、池坊短期大学学長、奈良県立万葉文化館館長、高志の国文学館館長などを歴任した。元号「令和」の考案者と目されるが、「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」と発言している。 概要 東京府出身の日本文学者、比較文学者、万葉学者である。『万葉集』の比較文学的研究、および、万葉史の研究で知られており、日本学士院賞などを受賞している。高等学校の教員を経て、成城大学、筑波大学、国際日本文化研究センターなどで教育や研究に従事した。大阪女子大学、京都市立芸術大学、池坊短期大学においてはそれぞれ学長を務め、帝塚山学院では理事長や学院長を務めるなど、教育研究機関の要職を歴任した。1994年には天皇により歌会始の召人に任じられた。また、2004年には文化功労者として顕彰されており、2005年には瑞宝重光章、2013年には文化勲章が授与されている。 来歴 生い立ち 1929年、東京府にて生まれた。旧制東京都立武蔵中学校、広島大学附属高等学校を経て、東京大学に進学した。 『百人一首』は小学生時代から暗記していたものの、後にライフワークとなる『万葉集』との本格的な出会いは、太平洋戦争終戦で復学した旧制中学校4年生の授業で、最初は教師に「赤人とか黒人とかへんな名前ですけど」と意味を尋ねるほどであった。 東京大学では文学部国文学科にて学び、国文学者の久松潜一に師事した。1953年、東京大学を卒業し、文学士の称号を取得した。同大学の大学院に進学し、文学研究科にて学んだ。卒業論文は「上代文藝における散文性の研究」。大学院生になってからも、引き続き久松に師事した。1955年に修士課程を修了し、文学修士の学位を取得した。1959年に博士課程を退学したが、30代で博士論文「萬葉集の比較文学的研究」を執筆し、1962年に文学博士の学位を取得した。また、この論文により1963年に第15回読売文学賞を受賞した。以後、日本古代文学と中国文学との比較研究を始める。また、国文学者の高木市之助に私淑してその美学を学ぶとともに、英文学者の土居光知よりユーラシア文化学を学んだ。 文学者として 東京学芸大学附属高等学校教諭などを経て、1970年に成城大学にて文芸学部の教授に就任した。また、プリンストン大学客員教授を兼任した。1984年、筑波大学に転じ歴史人類学系の教授に就任した。1987年、国際日本文化研究センターに転じて教授に就任した。また、トロント大学客員教授を兼任した。1995年、帝塚山学院大学に転じ、教授に就任するとともに、国際理解研究所の所長を務めた。 そのほか、京都大学、大阪大学、神戸大学、兵庫教育大学、名古屋大学、広島大学、静岡大学、金沢大学、富山大学、東京電機大学、東京学芸大学、静岡女子大学、日本大学、上智大学、二松學舍大学、藤女子大学、ノートルダム清心女子大学、広島女学院大学、サイバー大学にて、それぞれ講師を兼任していた。また、サンパウロ大学、プラハ・カレル大学、復旦大学、天津師範大学、鄭州大学、蘇州大学、中国社会科学院、在中国日本研究中心、高麗大学校にて、それぞれ客員教授を兼任した。 1997年、大阪女子大学にて学長に就任した。2001年、帝塚山学院にて理事長および学院長に就任した。2004年、京都市立芸術大学にて学長に就任した。2011年、池坊短期大学にて学長に就任した。なお、学長退任後、大阪女子大学や京都市立芸術大学から名誉教授の称号が授与された。また、姫路文学館館長、奈良県立万葉文化館館長、などといった要職を歴任した。1993年から1999年まで日本比較文学会の会長を務め、歌壇賞の選考委員や日本ペンクラブの副会長も務めた。 1994年、歌会始にて召人を務めた。1997年、全国大学国語国文学会にて代表理事となり、組織改編後は会長となった。2012年7月6日に開館した高志の国文学館においては、初代館長に就任した。そのほか、京都市中央図書館館長、京都市右京中央図書館館長、田辺聖子文学館館長、堺市博物館名誉館長、奈良テレビ放送文化スタジオ・こころ大学学長、平城遷都1300年記念事業協会理事なども務めた。また、NARA万葉世界賞、親鸞賞、読売あをによし賞、大阪文化賞、山片蟠桃賞においては、それぞれ選考委員を務めた。 世界の宗教的和解を目指すインドの仏教高等研究センター「ナーランダ大学」の復興・創設の賢人会議・理事会メンバー。 研究 専門は文学、日本文学・比較文学・万葉学といった分野の研究に従事した。『万葉集』研究の第一人者とされており、万葉集の比較文学的研究、および、万葉史の研究で知られる。万葉集の成立過程を論じた業績は「中西万葉学」とも評され、「現代国文学界の象徴的存在」と謳われるに至った。 30代にて「万葉集の比較文学的研究」が評価され、第15回読売文学賞を受賞している。また、漢字本文・現代語訳・注を収めた、文庫『万葉集』のテキスト講談社文庫『万葉集』(全4冊と万葉集事典1冊)を編集。研究・評論も多く著書は100冊を超える。角川書店にて上梓した『万葉と海彼』が評価され、第3回和辻哲郎文化賞を受賞している。また、岩波書店にて上梓した『源氏物語と白楽天』が評価され、第24回大佛次郎賞を受賞している。 さらに、小学生に万葉の魅力を伝えるため、「万葉みらい塾」を開催し全国の小学校を訪れている。この活動が評価され、2010年に菊池寛賞を受賞している。高校生にも万葉の魅力を伝えるため、「万葉青春塾」も開催している。また、奈良テレビ放送の『中西進の万葉こゝろ旅』にレギュラー出演し、万葉集の故地を探訪して歌の解説をしていた。それが評価され、奈良テレビ放送文化賞を授与された。長年にわたる万葉集の比較文学的研究、万葉史の研究が評価され、1970年5月29日には日本学士院賞を受賞した。 また、山上憶良を朝鮮半島からの帰化人とする説を提唱した。しかし、この説には青木和夫や佐伯有清が歴史学の立場から批判を加えている(詳しくは山上憶良の記事を参照)。 人物 元号 2019年(平成31年)4月1日に新元号「令和」が発表されると、中西が「令和」の考案者であると報じられた。ただし、中西本人は「お話しすることはありません」と明確な回答を控えるとともに「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」とコメントしている。 なお、日本政府の公式発表では『万葉集』の序文が「令和」の典拠とされているが、漢籍の影響も指摘されている。ただ中西は、この序文の形式について、王羲之の『蘭亭序』の形式と同一である点を指摘しており「中国では唐の初めに漢詩に序をつけることが流行する。この傾向は万葉集の中にも入り込み、独特な表現様式を持つことになった」と論じているという。 安倍政権の憲法解釈変更 集団的自衛権の行使を合憲とする安倍政権の憲法解釈変更には批判的である。安倍政権による憲法解釈変更を批判する「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動」の賛同者の一人として名を連ねている。 安倍政権の衆議院解散 2017年に安倍政権が衆議院を解散したことについて「北朝鮮のミサイル問題など難題山積の中、今回の衆院解散は唐突」と指摘したうえで「『政は正なり』という言葉が中国の古典にある。為政者は、率先して正しい道を歩かなければならない。政治が正しく行われているかどうかを問うのが選挙である」と論じた。 門下生 高校教師時代の教え子に、エジプト考古学者の吉村作治(早稲田大学教授)、大沢悠里(獨協高校時代の教え子)、近藤崇晴(元最高裁判所判事)、プリンストン大学時代の学生にリービ英雄(法政大学教授)、成城大学時代の教え子に三浦佑之(千葉大学名誉教授)、辰巳正明(國學院大學名誉教授)、小宮山洋子(元厚労相)、桑原征平(元関西テレビアナウンサー)、石川雅之(映画演劇評論家・鎌倉市文化担当課長)、塩沢一平(二松学舎大学教授)、斎藤由香(エッセイスト、北杜夫の娘)がいる。 略歴 1929年 - 東京府にて誕生。 1953年 - 東京大学文学部卒業 1955年 - 東京大学大学院文学研究科修士課程修了 1959年 - 東京大学大学院文学研究科博士課程退学 1970年 - 成城大学文芸学部教授 1984年 - 筑波大学歴史人類学系教授 1987年 - 国際日本文化研究センター教授 1991年 - 文化庁国語審議会委員 1995年 帝塚山学院大学教授 帝塚山学院大学国際理解研究所所長 1997年 大阪女子大学学長 日本学術会議会員 2001年 帝塚山学院理事長 帝塚山学院学院長 2003年 - 日本ペンクラブ副会長 2004年 京都市立芸術大学学長 文部科学省中央教育審議会委員 2011年 池坊短期大学学長 2012年 高志の国文学館館長 賞歴 1964年 - 読売文学賞 1970年 - 日本学士院賞 1990年 - 和辻哲郎文化賞 1996年 - アジア・太平洋出版連合(APPA)出版賞金賞 1997年 - 大佛次郎賞 2002年 - 京都新聞文化賞 2004年 - 奈良テレビ放送文化賞 2008年 - 京都市市政功労者特別表彰 2010年 - 菊池寛賞 2012年 - 全国日本学士会アカデミア賞 2013年 - 富山県特別栄誉賞 2015年 - 京都市特別功労賞 2019年 - 京都市名誉市民 栄典 2004年 - 文化功労者 2005年 - 瑞宝重光章 2013年 - 文化勲章 出演 『中西進の万葉こゝろ旅』(奈良テレビ放送) - 再放送中 『真珠の小箱』(毎日放送) - ゲスト出演。終了。 『情熱大陸』(毎日放送)2019年8月18日放送分。 著書 『万葉集の比較文学的研究』南雲堂桜楓社 1963 のち桜楓社(3分冊) 『古今六帖の万葉歌』武蔵野書院 1964 - 類題歌集『古今和歌六帖』の基礎研究 『万葉史の研究』桜楓社 1968 『滅びゆく万葉大和路』角川書店 1968 『柿本人麻呂 日本詩人選』筑摩書房 1970、講談社学術文庫 1991 『万葉の詩と詩人』弥生書房 1972 『万葉の心 日本の心シリーズ』毎日新聞社 1972、毎日文庫 2019 『万葉の大和』毎日新聞社 1972 『山上憶良』河出書房新社 1973 『万葉の世界』中公新書 1973 『古代十一章』毎日新聞社 1974 『天智伝』中公叢書 1975、のち中公文庫 『詩心往還』河出書房新社 1975 『神々と人間』講談社現代新書 1975 『万葉集原論』桜楓社 1976、講談社学術文庫 2020 『万葉集 鑑賞日本古典文学第3巻』角川書店 1977 『万葉の花』保育社カラーブックス 1977 『漂泊 日本的心性の始原』毎日新聞社 1978 『狂の精神史』講談社 1978 のち文庫 『日本人の愛の歴史 古典の主人公たち』角川選書 1978 『雪の匂い』弥生書房 1980 『万葉の時代と風土 万葉読本1』角川選書 1980 『雪月花』小沢書店 1980 『万葉の歌びとたち 万葉読本2』角川選書 1980 『古典と日本人』弥生書房 1981 『万葉集入門 その歴史と文学』角川文庫 1981 『万葉の長歌 古典鑑賞』教育出版 1981 『谷蟆考 古代人と自然』小沢書店 1982 『万葉の秀歌』講談社現代新書(上・下) 1984、ちくま学芸文庫 2012 『遠景の歌』小沢書店 1985 『古事記をよむ』1-4 角川書店 1985-1986 『旅に棲む 高橋虫麻呂論』角川書店 1985 のち中公文庫 『辞世のことば』中公新書 1986 『万葉百景』平凡社 1986 『万葉のことばと四季 万葉読本3』角川選書 1986 『非凡者光と影』時事通信社 1988 『日本文学と死』新典社「叢刊・日本の文学」 1989 『古代うた紀行』角川選書 1989 『父の手』本阿弥書店 1989 『万葉と海彼』角川書店 1990 『山上憶良を語る・大伴家持を語る』NHKこころをよむ 日本放送出版協会 1990 『日本神話の世界』平凡社 1991、ちくま学芸文庫 2013 『神話力 日本神話を創造するもの』桜楓社 1991 『日本人のこころ』大修館書店 1992 『ユートピア幻想 万葉びとと神仙思想』大修館書店 1993 『キリストと大国主 誰も知らなかった古代日本の中の「世界」』文藝春秋 1994 『古代日本人の宇宙観 NHK人間大学』日本放送出版協会 1994 (放送テキスト) 『放埒の夢 わが心の現代詩歌』有学書林 1995 『花のかたち 日本人と桜 古典/近代』角川書店 1995 『源氏物語と白楽天』岩波書店 1997 『日本人とは何か』講談社 1997 『聖武天皇-巨大な夢を生きる』PHP新書 1998/中公文庫 2011 『万葉時代の日本人』潮ライブラリー 1998 『ことばの風景』角川春樹事務所 1999 『万葉歌人の愛そして悲劇 憶良と家持』日本放送出版協会・NHKライブラリー 2000 『中西進と歩く万葉の大和路』ウェッジ 2001 『古代日本人・心の宇宙』日本放送出版協会・NHKライブラリー 2001 『日本人の忘れもの』(全3巻) ウェッジ 2001-2004 のち文庫 『「謎に迫る」古代史講座』PHP研究所 2002 『日本人こころの風景』創元社 2002 『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』小学館 2003 のち新潮文庫 『日本文学と漢詩 外国文学の受容について』岩波セミナーブックス 2004 『万葉を旅する』ウェッジ 2005 『日本のかたち こころの風景から』産経新聞出版 2005 『中西進の万葉みらい塾』朝日新聞社 2005 『日本語の力』集英社文庫 2006 『詩心 永遠なるものへ』中公新書 2006 『国家を築いたしなやかな日本知』ウェッジ 2006 『これから日本人が歩いていく道』四季社 2006 『詩をよむ歓び』麗澤大学出版会 2007 『古代文学の生成』おうふう 2007 『中西進と読む「東海道中膝栗毛」』ウェッジ 2007 『中西進と歩く百人一首の京都』京都新聞出版センター 2007 『美しい日本語の風景』淡交社 2008 『古代往還 文化の普遍に出会う』中公新書 2008 『日本人意志の力』ウェッジ 2009 『悲しみは憶良に聞け』光文社 2009 『日本の文化構造』岩波書店 2010 『こころの日本文化史』岩波書店 2011 『日本人の愛したことば』東京書籍 2011 『うたう天皇』白水社 2011 『情に生きる日本人 Tender Japan』ウェッジ 2013 『楕円の江戸文化』白水社 2013 『ことばのこころ』東京書籍 2016 『文学の胎盤-中西進歩く近現代名作小説42の舞台』ウェッジ 2016 『「旅ことば」の旅』ウエッジ 2017 『令しく平和に生きるために』潮新書 2019 『上代文藝に於ける散文性の研究』東京書籍 2019 『令和の力、万葉集の力』短歌研究社 2019 『万葉集 愛の100首』宝島社 2020 著作集成 『万葉集 全訳注』全4巻別巻1、講談社文庫 1978-1985 『中西進 日本文化をよむ』(全6巻)、小沢書店 1994-96 『大伴家持 万葉歌人の歌と生涯』全6巻 角川書店 1994-95 『中西進 万葉論集』全8巻、講談社 1995 - 1996 『傍注万葉秀歌選』四季社(全3巻)2003 『CD全10巻 万葉秀歌を旅する』アートデイズ 2008 『中西進著作集』(全36巻) 四季社 2007 - 2012 編著共著 上代日本文学史 有斐閣双書 1979 日本文学新史 古代 1 至文堂 1985 大伴家持 人と作品 桜楓社 1985 日本文学の構造 小西甚一共編 創樹社 1987 柿本人麻呂 人と作品 桜楓社 1989 日本文学と外国文学 入門比較文学 松村昌家共編 英宝社 1990 山上憶良 人と作品 桜楓社 1991 漢字文化を考える 山本七平共編著 大修館書店 1991 古代の祭式と思想 東アジアの中の日本 角川選書 1991 謎の王国・渤海 安田喜憲共編 角川選書 1992 万葉集を学ぶ人のために 世界思想社 1992 日本文学における「私」 河出書房新社 1993 エミシとは何か 古代東アジアと北方日本 角川選書店 1993 南方神話と古代の日本 角川選書 1995 霊魂をめぐる日本の深層 梅原猛共編 角川選書 1996 花の変奏 花と日本文化 辻惟雄共編 ぺりかん社 1997 大伴旅人 人と作品 おうふう 1998 日本の想像力 JDC 1998 坂上郎女 人と作品 おうふう 1998 万葉びとの心と暮らし 仏教文化の開花 作品社 2003 (史話日本の古代第7巻) 入江泰吉 万葉花さんぽ 小学館文庫 2003 石川忠久・中西進の漢詩歓談 大修館書店 2004 女流歌人(額田王・笠郎女・茅上娘子) 人と作品 おうふう 2005 笠金村・高橋虫麻呂・田辺福麻呂 人と作品 おうふう 2005 高市黒人・山部赤人 人と作品 おうふう 2005 中西進の万葉こゝろ旅 奈良テレビ放送 2006 災害と生きる日本人 磯田道史 潮新書 2019 卒寿の自画像 わが人生の賛歌 聞き手鵜飼哲夫 東京書籍 2020
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万代シテイ(ばんだいシティ、Bandai City)は、新潟県新潟市中央区万代地内および八千代地内に所在する商業地。新潟交通と三井不動産がデベロッパーとして開発を担っており、このうち新潟交通グループが整備した商業施設は同社総務部が所有及び運営管理を行っている。 概要 新潟交通の本社用地を再開発して整備された商業地区である。 読み方は「ばんだいシティ」だが、正式な表記は捨て仮名ではなく、並字の「シテイ」である。敢えて大きい「イ」を表記に採用しているのは、「万代シテイ」という固有の単語を作ることによって、街のイメージを市民に定着させようという意図によるもので、新潟交通グループの路線バスの行先表示などもこれに倣っている。 明確な区域の設定はされていないが、万代一丁目から西側の八千代一・二丁目東側にかけた地区に商業施設が集中している。 なお、新潟駅万代口周辺から万代シテイにかけての地区は「新潟市ぽい捨て等及び路上喫煙の防止に関する条例」に基づいて「路上喫煙制限地区」に指定されている。万代シテイ周辺の喫煙所はバスセンター11番線横に設けられていたが2019年1月付で廃止された。 歴史 開発に至るまで 現在万代シテイがある萬代橋東詰一帯の萬代橋通り・東港線沿いの新潟市流作場(現在の中央区万代・弁天・八千代周辺)にはかつて、新潟交通の本社をはじめ車庫や車両整備工場、天然ガス井等があり、同社バス事業の要衝となっていた。1951年2月には現在の新潟テレコムビルの位置に「新潟交通バスステーションビル」(にいがたこうつうバスステーションビル、通称:バスビル)が竣工。県内では初の本格的なバスターミナルだった。バスビルからは主に郊外各方面への路線バスが発着していた。 しかしこれら新潟交通の施設群は、まず1950年代後半から新潟市内の地盤沈下が著しく進行したことにより天然ガスの採掘が制限されたため、天然ガス関連の施設縮小を余儀なくされた。更に1964年6月16日に発生した新潟地震では甚大な被害を受けた。特にバス事業においては車両基地の機能がこの流作場に集中して設けられていたことが原因で震災後の復旧に時間を要したことから、その機能を郊外に分散して設ける方針が採られることとなり、1960年代後半から近郊の各地に出張所(現在の営業所にあたる)や車庫を整備した上で規模を順次縮小した。また施設そのものも地震で被災したのに加えて老朽化等によって手狭となり、車両の大型化に対応し切れなくなる等して機能が低下しつつあった。しかし新潟駅に程近く、市の元々の中心街である古町との中間点にあたるという恵まれた立地条件もあって、余剰となった社用地の利用法の検討が行われた。 「万代シテイ」の開発 1971年7月、新潟交通は流作場地区の本社用地再開発と新規事業計画の大綱を発表。バスターミナルを中心に商業施設を配置しそれら各ビルの大部分をペデストリアンデッキによって連絡し、歩行者が地上に降りることなく徒歩で移動できるようにして周辺部の回遊性を高めるという、当時としては画期的なアイディアが盛り込まれた。 まず1972年7月オープンの「シルバーボウルビル」を皮切りに、1973年11月には「ダイエー新潟店」と「万代シテイバスセンタービル」が、1975年には「万代シルバーホテルビル」が営業を開始し、第一期計画の施設群が完成した。 1984年の第二期計画ではそれまで車両整備用の施設や平面駐車場として供用していた土地でも施設群の整備が進捗し、「新潟伊勢丹」・「万代シテイ第一駐車場ビル」・「万代シテイ第二駐車場ビル」が完成した。 そして1995年12月には「新潟ジョイポリス」(現在の「万代シテイBP2」)、翌1996年10月には第二駐車場ビルのB棟が完成し、その1〜4階部分を利用したテナント群「万代シテイビルボードプレイス」がオープンして、現在の万代シテイの原型が完成した。 ダイエーからラブラ万代へ その後ダイエーは2004年に産業再生機構の支援を受けることとなり、新潟店は同機構等によって策定された店舗再編計画で閉鎖が決定し、2005年11月30日に閉店。代わって三井不動産と系列のららぽーとがダイエーの店舗跡を再開発し、2007年3月2日に専門店複合型商業施設「ラブラ万代」としてオープンした。またシルバーボウルビルは老朽化のため、2011年8月31日を最後に営業を全面終了して閉鎖・撤去され、跡地は三井不動産が取得した上で8階建ての商業施設へ改築。ラブラ万代と同様の専門店複合型施設と自走式立体駐車場を内包した「ラブラ2」として、2013年11月2日にオープンした。 万代シテイ内に所在する土地・建物の大部分は新潟交通グループが所有しているが、開発開始当初から所有者・管理者ともグループ内の複数の企業に渡って権限が錯綜していたため、運営上の問題が生じていた。このため2004年秋、グループ内で万代シテイの管理業務を専門的に担ってきた「万代開発」に運営体制を一本化し、この際に各施設の所有者も同社名義に変更されて合理化が図られた。更に新潟交通グループでは万代シテイをグループの中核事業の一つとして運営体制を強化するため、2012年10月1日付で万代開発を新潟交通へ吸収合併し、これ以降、新潟交通グループ所有の施設は新潟交通の管理下となっている。 レインボータワー撤去とバスセンターリニューアル 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で耐震補強が見直されることになり、その再開発として万代シテイ全体のリニューアル工事が実施されることが2018年(平成30年)11月8日、新潟交通より公表された。 設計・施工は一括で清水建設が担当し、2018年8月下旬からのレインボータワーの解体に始まり、2019年4月からはバスセンタービル、翌年はホテルビル商業フロアと万代シテイ通り、さらに翌年はバスターミナルの順で進め、2021年9月に全面改修工事が終了した。レインボータワー跡地には展望台を基にしたモニュメントが万代シテイパーク緑地内に新設され、「なないろガーデン」の名称が制定された 。 主な施設 万代一丁目 万代シテイバスセンタービル ラブラ万代 ラブラ2 万代シルバーホテルビル 以上4施設の主なテナントなど詳細は各ビルの項目を参照。 万代シネモールビル 1980年代に東宝の映画館などを備えた娯楽・外食ビルとしてオープン。 万代シテイ第一駐車場ビル かつての主な施設 ダイエー新潟店(新潟ショッパーズプラザ) 万代シテイビル内。現在はラブラ万代(前述)として営業している。 シルバーボウルビル 老朽化に伴って2008年夏、新潟交通が閉鎖する方針を示したが、テナントのうちヤマハミュージック関東新潟店は立ち退きを拒否して民事訴訟を提訴したため、計画は一時凍結。2011年2月に和解が成立し、全テナントの立ち退きが決定した。最後まで営業していた主なテナントのうち、新潟交通が直営していたボウリング場「新潟交通シルバーボウル」は2011年6月30日、ヤマハミュージック関東新潟店は8月7日をもってそれぞれ営業を終了した。その後、南西側の隣接地に個店舗を出店していたマクドナルド、ミスタードーナツ、ケンタッキーフライドチキンは8月28日、シルバーボウルビル1階の駐車場も同月31日で営業を終了して全面閉鎖され、建物は撤去された。 万代開発が所有する敷地は2012年5月に三井不動産が取得し、8階建ての商業施設が建設され、2013年10月に竣工、同年11月2日にラブラ2(前述)としてオープンした。 レインボータワー 万代シテイバスセンターの南の一角に建てられた展望塔である。詳しくはレインボータワーを参照。 新潟アルタ 万代シルバーホテルビルの1・2階と地下1階で2019年3月まで営業していた商業施設。詳しくは万代シルバーホテル#新潟アルタを参照。 八千代一・二丁目 新潟伊勢丹 万代シテイ第二駐車場ビル 万代シテイビルボードプレイス(BP) 万代シテイビルボードプレイス2(BP2) 第二駐車場ビル、BP、BP2の主なテナントはBPの項を参照。 アクロスニイガタ ビームス チャンピオン ザ・ノース・フェイス(:w:The North Face) X-LARGE(:w:X-Large) X-girl BP2 - 第二駐車場ビル(BP) - 新潟伊勢丹 - バスセンタービル - LoveLa万代 - シルバーホテルビル間は全てペデストリアンデッキを介して各ビルの2階部分が連絡している。またLoveLa万代 - テレコムビル間は東港線十字路歩道橋を介して2階部分が連絡している。さらにBP2と信濃川右岸のやすらぎ堤を連絡するデッキの整備が進められ、2010年4月29日に開通。このデッキには一般公募により「万代スカイロード」という愛称が付与されている。 マスコットキャラクター 2013年11月23日、創立40周年に合わせてレインボータワーの色や形をデザインに取り入れた「ばんにゃい」がPRキャラクターに就任した。お菓子が好きな一方、尻尾が弱点。友達にレインボー・バン男爵がいる。土日祝日にはばんにゃいと触れ合えるイベントが定期的に開催。 交通 JR新潟駅万代口より徒歩約7分 万代シテイバスセンター直結 BRT萬代橋ライン「万代シテイ」停留所より徒歩すぐ 信濃川ウォーターシャトル「万代シテイ」乗船場より徒歩すぐ 北陸自動車道・磐越自動車道 新潟中央ICから車で約15分 日本海東北自動車道 新潟亀田ICから車で約15分 駐車場 一部のみ掲載。 日通商事以外は全て24時間営業で365日年中無休 第一と第二はかつて有人対応であったが無人化されたため、全ての駐車場が無人対応となった。 日通商事とアクロスは管理事務所あり 万代シテイ第一駐車場ビル(立体自走 511台収容) 万代シテイ第二駐車場ビル(立体自走 1,500台収容) ラブラ2駐車場(立体自走 507台収容) 万代シテイ第三駐車場(平面 255台収容)→運営をパラカに委託 万代シテイ第五駐車場(平面 184台収容 ただし、イベントがある場合は全面閉鎖となる。) 第三・第五駐車場は旧新潟鉄道管理局グラウンド跡にあたる。第五駐車場はNST新潟総合テレビ本社屋1階と2階部分の一部を使用している 日通商事万代シテイ駐車場(立体自走式 274台収容 但し、営業時間は平日は8:30 - 22:00、土・日・祝祭日は7:00 - 22:00まで) アクロスパーキング(立体自走 256台収容) 旧・万代シテイ第四駐車場(平面)。 自転車 市営または民間の無料駐輪場がエリア内各所に整備されている。 また、シルバーホテルにてにいがたレンタサイクルが取り扱われている。
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藤井 貞和(ふじい さだかず、1942年4月27日 -)は、日本の詩人、日本文学者。文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。東京大学名誉教授。専門は古代文学・中古文学・物語文学。 略歴 1942年、東京都生まれ。1966年、東京大学文学部を卒業。1972年、大学院人文科学研究科国語国文学専門課程博士課程単位取得満期退学。 。1979年に東京学芸大学助教授。1992年より同大教授。1992年には『物語文学成立史』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1995年より東京大学教養学部教授。2003年、同大を定年退官し、名誉教授となる。 人物 1991年、湾岸戦争の際の『鳩よ!』の戦争詩特集を批判した瀬尾育生と論争を行った。故郷すくなびこなをこよなく愛し、また無類のパンダ好きとしても知られる。 家族・親族 父:藤井貞文は折口信夫門下の歴史学者で國學院大學名誉教授。 姉:藤井常世は歌人(名付け親は折口信夫)。 受賞・栄典 1999年:詩人として『「静かの海」石、その韻き』で第40回晩翠賞受賞。 2001年:『源氏物語論』で角川源義賞受賞。 2002年:『ことばのつえ、ことばのつえ』で藤村記念歴程賞と高見順賞受賞。 2006年:『神の子犬』で現代詩花椿賞と現代詩人賞を受賞。 2007年:『甦る詩学』で伊波普猷賞。 2008年『言葉と戦争』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。 2012年:『春楡の木』で第3回鮎川信夫賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 2022年:『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』で第74回読売文学賞受賞。 2023年:『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』で日本芸術院賞 著書 研究書・評論 『源氏物語の始原と現在』三一書房 1972/岩波現代文庫 2010 『釈迢空 詩の発生と「折口学」-私領域からの接近』国文社 1974/講談社学術文庫 1994 『深層の古代 文学史的批評』国文社 1978 『古日本文学発生論』思潮社 1978 『古典を読む本』日本ブリタニカ 1980 『古文の読みかた』岩波ジュニア新書 1984 『物語の結婚』創樹社 1985/ちくま学芸文庫 1995 『古典を読む本』三省堂 1987/改題「古典の読み方」講談社学術文庫 1998 『物語文学成立史 フルコト・カタリ・モノガタリ』東京大学出版会 1987 『「おもいまつがね」は歌う歌か 続・古日本文学発生論』新典社 1990 『物語の方法』桜楓社 1992 『源氏物語』岩波セミナーブックス 1993 『日本「小説」原始』大修館書店 1995 『源氏物語入門』講談社学術文庫 1996 『物語の起源 フルコト論』ちくま新書 1997 『詩の分析と物語状分析』若草書房 1999 『折口信夫の詩の成立 詩形/短歌/学』中央公論新社 2000 『国文学の誕生』三元社 2000 『源氏物語論』岩波書店 2000 『平安物語叙述論』東京大学出版会 2001 『物語理論講義』東京大学出版会 2004/改題「物語論」講談社学術文庫 2022 『甦る詩学「古日本文学発生論」続 南島集成』まろうど社 2007 『タブーと結婚「源氏物語と阿闍世王コンプレックス論」のほうへ』笠間書院 2007  『言葉と戦争』大月書店 2007 『日本語と時間―〈時の文法〉をたどる』岩波新書 2010  『文法的詩学』笠間書院 2012 『文法的詩学その動態』笠間書院 2015 『日本文学源流史』青土社 2016  『構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡』笠間書院 2016 『日本文法体系』ちくま新書 2016 『非戦へ 物語平和論』編集室水平線 2018   『〈うた〉起源考』青土社 2020 『物語史の起動』青土社 2022 『日本近代詩語』知の新書 2023 詩集・詩論 『乱暴な大洪水』思潮社 1976 『ラブホテルの大家族』書肆山田 1981 『日本の詩はどこにあるか 詩集』砂子屋書房 1982 『藤井貞和詩集』思潮社(現代詩文庫) 1984 『Purify! fujii sadakazu 1984;his poetical works』書肆山田 1984 『言問う薬玉』砂子屋書房 1985 『言葉の起源 近・現代詩小考』書肆山田 1985 『遊ぶ子供 織詩』思潮社 1986 『口誦さむべき一篇の詩とは何か 藤井貞和詩論集』思潮社 1989 『反歌・急行大和篇』書肆山田 1989 『ハウスドルフ空間』思潮社 1989 『ピューリファイ,ピューリファイ! 藤井貞和の詩』書肆山田 1990 『大切なものを収める家』思潮社 1992 『続・藤井貞和詩集』思潮社(現代詩文庫)1992 『湾岸戦争論 詩と現代』河出書房新社 1994 『「静かの海」石、その韻き』思潮社 1998 『パンダくるな』水牛 2001 『自由詩学』思潮社 2002 『ことばのつえ、ことばのつえ』思潮社 2002 『神の子犬』書肆山田 2005 『人間のシンポジウム』思潮社 2006 『詩的分析』書肆山田 2007 『うた―ゆくりなく夏姿する君は去り』書肆山田 2011 『東歌篇――異なる声』反抗社出版・カマル社発売 2011 『春楡の木』思潮社 2011 『人類の詩』思潮社 2012
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鈴木 貞美(すずき さだみ、男性、1947年9月22日 -)は、日本近代文学研究者。国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学名誉教授。紫式部文学賞選考委員。専門は、 古典評価史をあわせた日本近現代文芸史の再構築。 来歴・人物 山口県生まれ。1972年東京大学文学部仏文科卒業。東大全共闘革マル派。67年「自由劇場」で銀杏並木賞受賞、小説「身も心も」、また鈴木沙那美の名で『転位する魂 梶井基次郎』などの文芸評論などを書いていたが、85年東洋大学文学部専任講師、88年助教授、89年国際日本文化研究センター助教授、96年教授。日本近代文学専攻の研究者として、1997年3月「梶井基次郎研究」で、総合研究大学院大学より博士(学術)の学位取得。2013年日文研教授を定年、名誉教授。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。 1997年小説「身も心も」は荒井晴彦によって映画化され高い評価を受けた(キネマ旬報日本映画8位)。 著書・共著 『転位する魂 梶井基次郎』(鈴木沙那美名義)社会思想社・現代教養文庫、1977  『蟻』(鈴木沙那美名義の小説)冬樹社、1979  『谺』河出書房新社 1985 (小説) 『言いだしかねて』作品社 1986-小説「言いだしかねて、身も心も」  『身も心も』河出文庫 1997 『人間の零度、もしくは表現の脱近代』河出書房新社 1987 『「昭和文学」のために フィクションの領略―鈴木貞美評論集』思潮社 1989 『モダン都市の表現- 自己・幻想・女性』白地社 1992 『現代日本文学の思想―解体と再編のストラテジー』(トランスモダン叢書)五月書房 1992 『日本の「文学」を考える』角川選書 1994 『「生命」で読む日本近代―大正生命主義の誕生と展開』NHKブックス:日本放送出版協会 1996 『梶井基次郎 表現する魂』新潮社 1996 『日本の「文学」概念』作品社 1998 『梶井基次郎の世界』作品社 2001 『日本の文化ナショナリズム』平凡社新書、2005 『生命観の探究-重層する危機のなかで』作品社、2007 『日本人の生命観-神・恋・倫理』中公新書、2008 『自由の壁』集英社新書、2009  『「日本文学」の成立』作品社、2009  『戦後思想は日本を読みそこねてきた 近現代思想史再考』平凡社新書、2009 『「文藝春秋」とアジア太平洋戦争』東アジア叢書:武田ランダムハウスジャパン、2010 『「文藝春秋」の戦争: 戦前期リベラリズムの帰趨』筑摩選書、2016 上記の改訂増補版 『日本語の「常識」を問う』平凡社新書、2011 『入門 日本近現代文芸史』平凡社新書、2013  『戦後文学の旗手・中村真一郎―「死の影の下に」五部作をめぐって』水声社、2014 『日本文学の論じ方―体系的研究法』世界思想社、2014 『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』作品社、2015 『宮沢賢治―氾濫する生命』左右社、2015 『鴨長明 自由のこころ』ちくま新書、2016 『「日記」と「随筆」』(日記で読む日本史)倉本一宏監修 臨川書店、2016 『日記で読む日本文化史』平凡社新書、2016 『『死者の書』の謎――折口信夫とその時代』作品社、2017 『日本人の自然観』作品社、2019 『歴史と生命 西田幾多郎の苦闘』作品社、2020 『満洲国 交錯するナショナリズム』平凡社新書、2021 『最後の文人 石川淳の世界』田中優子・小林ふみ子・帆苅基生・山口俊生との共著 集英社新書、2021 編著・共編著 『モダン都市文学 2 モダンガールの誘惑』平凡社 1989 『モダン都市文学 4 都会の幻想』平凡社 1990 『史話日本の歴史』清原康正共編 作品社 1991 『大正生命主義と現代』河出書房新社 1995 『雑誌「太陽」と国民文化の形成 』思文閣出版 2001 『満洲浪曼』全7巻別巻1 呂元明、劉建輝共編 ゆまに書房 2002 『梶井基次郎『檸檬』作品論集』クレス出版 2002 『技術と身体--日本「近代化」の思想』木岡伸夫共編著 ミネルヴァ書房2006 『石川淳と戦後日本』ウィリアム・J・タイラー ミネルヴァ書房 2010  『明治期「新式貸本屋」目録の研究』浅岡邦雄共編 作品社 2010  『『Japan t0-day』研究―戦時期『文藝春秋』の海外発信』作品社 2011 『上海一〇〇年 日中文化交流の場所(トポス)』李征共編 勉誠出版 2013  『エネルギーを考える――学の融合と拡散』金子務共編 作品社 2013
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『コール オブ デューティ』(英: Call of Duty, 略称:CoD)は、第二次世界大戦を舞台にしたFPSで、『CoDシリーズ』の第1作である。 アメリカ篇・イギリス篇・ソビエト篇の3キャンペーン計26任務で構成されており、連合各国の一兵卒として仲間と供に様々な戦場を体験できるのが本作最大の特徴である。特に「ノルマンディー上陸作戦」や「スターリングラード攻防戦」における大人数での死闘の迫力と臨場感(「見える弾幕」や効果的なサウンドエフェクト)は、他の右腕視點とは一線を画す。AIASの2004年度「ゲーム・オブ・ザ・イヤー」をはじめ、数々の名譽を受賞した。 スクリプト(ある地点まで移動すると敵が現れるなど、ゲーム展開を指示するプログラム)の多用による映画的演出、洗練された電腦設計とAIによる兵士の自然な動きなどが高い評価を受けた。仲間のNPCも個性豊かに描かれ、イギリス軍のプライス大尉は、後の作品にも登場する名物キャラクターとなった。脚本はマイケルシファー。 演出を重視した結果、ゲームは決められた展開で進行する。したがって行動の自由度は低いが、そのぶん緻密な難易度設定がなされている。讃否は分かれたものの、このゲームデザインは作品群に一貫している。 「MODフレンドリー」を標榜しており、シリーズ(PC版)を通してMOD開発が比較的容易なことも特徴である。単純なデータ差し替えから開発元提供ツールによる本格的な開発まで盛んに行われている。 日本語版はすでに販売終了している。北米や欧州ではXbox 360やPS3に向けて「コール オブ デューティ クラシック」という名で配信販売されている(日本からは体験版のみ可能)。 本篇 内は主な戦場・関連作戦 アメリカ Camp Toccoa Pathfinder(ノルマンディー上陸作戦) Ste. Mere-Eglise Ste. Mere-Eglise-Day Normandy Route N13 Brecourt Manor(ブレクール砲塁攻略戦) Alps Chateau Dulag IIIA イギリス Pegasus Bridge(トンガ作戦) Pegasus Bridge- Day The Eder Dam(チャスタイズ作戦) Eder Dam Getaway Airfield Escape Battleship Tirpitz ソ連 Stalingrad(スターリングラード攻防戦) Red Square Train Station Stalingrad Sewers Pavlov's House(パブロフの家) Warsaw Factory(ヴィスワ=オーデル攻勢) Warsaw Railyard Oder River Country Oder River Town 終結ミッション Festung Recogne(バストーニュの戦い) V-2 Rocket Site(V2ロケット発射基地) Berlin(ベルリン市街戦) 主な登場人物 アメリカ篇 マーティン(Martin) アメリカ編のプレイヤーキャラクター。階級は二等兵。アメリカ陸軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊B中隊所属。 フォーリー(Foley) 英語版声優:スティーヴン・ブルーム マーティンの上官。階級は大尉。冷静沈着な中隊長。 ムーディ(Moody) 英語版声優:グレッグ・バーガー マーティンの上官。階級は軍曹。豪放磊落。 エルダー(Elder) 英語版声優:ジョヴァンニ・リビシ マーティンの同僚。階級は二等兵。頼りない。 イギリス篇 エヴァンス(Evans) イギリス編のプレイヤーキャラクター。階級は軍曹。イギリス陸軍第6空挺師団オックスフォードシャー&バッキンガムシャー軽歩兵連隊第2大隊所属。後に第2SAS連隊第3中隊へ転属。 プライス(Price) 英語版声優:マイケル・ガウ エヴァンスの上官。階級は大尉。後にエヴァンスと共にSASへ転属。潜入任務では流暢なドイツ語も操る。立派な口髭と揉み上げが看板。 ウォーターズ(Waters) 英語版声優:ジェイソン・ステイサム エヴァンスの同僚。階級は軍曹。優秀なSAS隊員。 ソビエト篇 アレクセイ(Alexei) ソビエト編のプレイヤーキャラクター。階級は二等兵。一般市民だったがソ連陸軍にスターリングラードの戦いで召集され、第13警備師団で才能を買われて狙撃手として一時編入、その後第2親衛戦車軍へ転属。後に伍長、軍曹と昇格。 ズボフ(Zubov) アレクセイの上官。階級は少佐。第13警備師団所属。 パブロフ(Pavlov) 英語版声優:マイケル・ベル アレクセイの上官。階級は軍曹。實在の軍人ヤコブ・パブロフがモデル。 多人数對戰 ネットワークを介した多人数対戦モードを備える。 プレイヤーは連合軍と枢軸軍のどちらかに属し、ルールに従って得点を競い合う。 ルールやマップにはバリエーションがある。 自分が倒されたとき、その状況が敵視点で再生される「キルカム(Killcam)」機能が独特であった。 登場火器 登場兵器 サウンドトラック 作曲:マイケル・ジアッキーノ 演奏: Call Of Duty Pathfinder Countryside Drive Approaching The Tirpitz Below Deck Stukas And Flakvierlings Eder Dam Taking Stalingrad Breaking Through Red Square Sewers Under Stalingrad Tanks A Lot Pegasus Bridge
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渡邊 守章(わたなべ もりあき、1933年3月20日 - 2021年4月11日)は、日本の演出家、フランス文学研究者。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。 経歴 1933年、東京生まれ。都立日比谷高校を卒業し、東京大学教養学部教養学科フランス分科で学ぶ。同大学大学院仏文科を修了(文学博士)。 1971年、東京大学教養学部助教授に採用された。1978年に教授昇進。1988年には教養学部内に教養学科表象文化論専攻研究室を創設し、初代主任を務めた。1993年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は放送大学教養学部教授として教鞭をとり、副学長もつとめた。2007年に放送大学を退任し、名誉教授となった。客員としては、2008年より京都造形芸術大学特任教授。2014年3月末までは同大学舞台芸術研究センター長も務めた。2021年4月11日、胸部大動脈瘤破裂のため東京都内の病院で死去。。 受賞・栄典 2006年:日本翻訳文化賞および毎日出版文化賞を受賞。クローデルの韻文による戯曲『繻子の靴』の翻訳に対して。 2007年:読売文学賞を受賞。ロラン・バルト『ラシーヌ論』の翻訳に対すして。 2019年1月:フランスのレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。 2019年:文化庁長官表彰。 研究内容・業績 研究者として クローデル、ラシーヌなどのフランス演劇を専門とする。同時に、能楽など日本演劇にも造詣が深い。 フランスの哲学者ミシェル・フーコーの日本への紹介にも大きく寄与した。 日本演劇界との協働 1970年には観世寿夫らと「冥の会」を結成し、演劇活動を行った。 1979年からは演劇集団 円の演出家としても活動。ラシーヌの『フェードル』を能様式で演出し、フランスでも上演した。ほかに『能ジャンクション・葵上』のような実験的な能や、クローデル、コクトーのほか、多くの近代演劇の演出を手掛けており、1996年から演劇製作「空中庭園」を活動の拠点として演出活動を行った。野村萬斎を武司時代(十代期)からいち早く起用し、また渡辺謙も守章演出で初舞台を踏んでいる。演劇企画『空中庭園』を主宰した。 主な演出作品 1972年 冥の会『アガメムノーン』(作=アイスキュロス)  1975年 冥の会『メーデーア』(作=セネカ)  1980年 演劇集団 円『悲劇ブリタニキュス』(作=ラシーヌ/出演=藤田宗久、橋爪功、後藤加代) 演劇企画「会」『女中たち』(作=ジャン・ジュネ)  1981年 演劇集団 円『バジャゼ 後宮悲劇』(作=ラシーヌ/出演=渡辺謙、後藤加代) 1983年 演劇集団 円『アンドロマック』(作=ラシーヌ/出演=後藤加代) 演劇企画「会」『バルコン』(作=ジュネ/出演=仲谷昇、後藤加代) 1984年 演劇集団 円『女王ベレニス』(作=ラシーヌ/出演=後藤加代)  1986年 演劇集団 円『悲劇フェードル』(作=ラシーヌ/出演=後藤加代、松本留美、井上倫宏) 1987年 パルコ・能ジャンクション『葵上』(出演=後藤加代、野村武司)  演劇集団 円・俳優座劇場『地獄の機械』(作=コクトー/出演=後藤加代、有川博、金田明夫)  1988年 パルコ・能ジャンクション『當麻』(出演=野村武司) パルコ・演劇集団 円『真昼に分かつ』(作=クローデル/出演=後藤加代、有川博、勝部演之) 1989年 演劇集団 円・シアターサンモール『天守物語』(作=泉鏡花/出演=後藤加代)  1990年 東京グローブ座『ハムレット』(作=シェイクスピア/出演=野村武司、後藤加代) 銀座セゾン劇場『かもめ』(作=チェーホフ) 1992年 演劇集団 円 円『愛の勝利』(作=マリヴォー/出演=平栗あつみ) 1993年 銀座セゾン劇場『ロレンザッチョ』(作=ミュッセ/出演=堤真一、佐藤オリエ) シアターΧ『四重奏』(作=ハイナー・ミュラー<ラクロ『危険な関係』より>/渡辺自ら女形として出演) 1994年 シアターΧ『アガタ』(作=マルグリット・デュラス/出演=范文雀) 1995年 武生市『源氏物語』(構成=渡邊守章/作曲=松平頼則)  巡演『サド侯爵夫人』(作=三島由紀夫/出演=峰さを理、剣幸) シアターΧ『女中たち』(作=ジュネ/出演=本木雅弘、大浦みずき)  1997年 空中庭園・六行会ホール『声』(作=コクトー/出演=剣幸)  1998年 空中庭園『天守物語』(作=泉鏡花/出演=後藤加代、平栗あつみ) 青山円形劇場『AGATHA』(作=マルグリット・デュラス/出演=高橋由美子) 1999年 空中庭園・青山円形劇場『悲劇フェードル』(作=ラシーヌ/出演=後藤加代、平栗あつみ  2001年 演劇集団 円『シラノ・ド・ベルジュラック』(作=エドモン・ロスタン/出演=橋爪功、仲谷昇) 空中庭園・シアタートラム『バルコン』(作=ジュネ/出演=篠井英介)  2004年 空中庭園・世田谷パブリックシアター『内壕十二景』(作=渡邊守章/出演=観世栄夫、野村萬斎) 2016年 『繻子の靴 - 四日間のスペイン芝居 -』(2016年12月、京都芸術劇場 春秋座/作:ポール・クローデル/出演:剣幸、吉見一豊 ほか) 翻訳・構成・演出 著作 単著 『ポール・クローデル 劇的想像力の世界』中央公論社、1975。博士論文 『虚構の身体 演劇における神話と反神話』中央公論社、1978 『芝居鉛筆書き』冬樹社、1983 『劇場の思考』岩波書店、1984 『パリ感覚 都市を読む』岩波書店〈旅とトポスの精神史〉、1985/岩波現代文庫(新編)、2006 『フーコーの声 思考の風景』哲学書房、1987 『踊ること・劇 舞台のある風景』新書館、1987 『演劇的欲望について こえ・ことば・すがた』筑摩書房、1987 『演劇とは何か』講談社学術文庫、1990。文庫オリジナル 『快楽と欲望 舞台の幻想について』新書館、2009  『越境する伝統 渡邊守章評論集』ダイヤモンド社、2009 対談・編著 『哲学の舞台』ミシェル・フーコー 朝日出版社(エピステーメー叢書) 1978、増補改訂版2007 『空間の神話学 対談集』朝日出版社 (エピステーメー選書) 1978 『仮面と身体 対談集』朝日出版社(エピステーメー選書) 1978 『時間の部屋 対談集』朝日出版社(エピステーメー叢書) 1980 『幽玄-観世寿夫の世界』リブロポート 1980 『劇場の余白に 対談集』青土社 1985 『演戯する都市』如月小春対談 平凡社 1986 『「フェードル」の軌跡』新書館 1988 共編著 『フランス』 山口昌男・蓮實重彦共著 岩波書店 1983 『マラルメ全集 Ⅰ-Ⅴ』 ステファヌ・マラルメ 筑摩書房 1989-2010。編集委員 『ミシェル・フーコーの世紀』蓮實重彦共編 筑摩書房 1993 『舞台芸術論 放送大学教材』放送大学教育振興会 1996 『演劇を読む 放送大学教材』渡辺保・浅田彰共著 放送大学教育振興会 1997 『フランスの文学 17世紀から現代まで 放送大学教材』塩川徹也共編 放送大学教育振興会 1998、日本放送出版協会 2003 『ミシェル・フーコー思考集成』(全10巻)筑摩書房 1998-2002。蓮實重彦と監修 『舞台芸術の現在』日本放送出版協会 2000 『表象文化研究 文化と芸術表象』放送大学教育振興会 2002 『フランス文学』柏倉康夫・石井洋二郎共著 放送大学教育振興会 2003 主な翻訳 「アンドロマック」 ジャン・ラシーヌ「戯曲全集 第1巻」人文書院、1965 「倒れる者すべて 燠火」サミュエル・ベケット 世界文学大系95 現代劇集、筑摩書房、1965 「ブリタニキュス、ミトリダート」 世界古典文学全集48 ラシーヌ、筑摩書房、1965 「エスキュリアル」ミッシェル・ド・ゲルドロード、今日のフランス演劇1 白水社、1966 「悪は走る」 ジャック・オーディベルティ、今日のフランス演劇2 白水社、1966。加藤晴久共訳 「黄金の頭」ポール・クローデル、今日のフランス演劇4 白水社、1967 「バルコニー、屏風」ジャン・ジュネ、全集4 新潮社、1968 「カリギュラ」カミュ、新潮世界文学49 新潮社 1969、「カリギュラほか」新潮文庫 1971、のち「カミュ全集3」 「オルメドの騎士」カミュ全集9:新潮社、1973 「女中たち」ジャン・ジュネ、筑摩世界文学大系85 現代劇集 筑摩書房、1974 「メーデーア」セネカ、世界文学全集1 集英社、1974  「流謫の詩、詩神讃歌 他」 ポール・クローデル、筑摩世界文学大系56 同上、1976  『仮面の道』クロード・レヴィ=ストロース、新潮社、1977/ちくま学芸文庫、2018。山口昌男共訳・文庫版は渡辺公三が改訳 『ブリタニキュス、ベレニス、バジャゼ、ミトリダート』 ジャン・ラシーヌ「戯曲全集2」白水社 1979。この巻のみ刊行 『闇を熔かして訪れる影 オランダ絵画序説』ポール・クローデル、朝日出版社 1980 『マラルメ論』サルトル、中央公論社 1983/ちくま学芸文庫 1999、平井啓之共訳 『ベジャールによるベジャール』コレット・マソン編、新書館 1984 『性の歴史Ⅰ 知への意志』ミシェル・フーコー、新潮社 1986 『カミーユ・クローデル』アンヌ・デルベ 文藝春秋 1989  『フェードル、アンドロマック』ラシーヌ、岩波文庫 1993 『ロレンザッチョ』ミュッセ、朝日出版社 1993/光文社古典新訳文庫 2016 『舞踊評論』(共訳)、ゴーチエ、マラルメ、ヴァレリー、新書館 1994 『女中たち・バルコン』 「ベスト・オブ・ジュネ」白水社 1995/岩波文庫(改訳版) 2010 『繻子の靴』クローデル、岩波文庫(上下)、2005。日本翻訳文化賞・毎日出版文化賞 『ラシーヌ論』ロラン・バルト みすず書房 2006。読売文学賞 翻訳研究部門 『ブリタニキュス、ベレニス』ラシーヌ 岩波文庫 2007 『シラノ・ド・ベルジュラック』ロスタン 光文社古典新訳文庫 2008 『アガタ/声』 デュラス/コクトー共著 光文社古典新訳文庫 2010 『マラルメ詩集』 岩波文庫(訳・注解)2014
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川端 香男里(かわばた かおり、男性、1933年(昭和8年)12月24日 - 2021年(令和3年)2月3日)は、日本のロシア文学者。東京大学名誉教授。川端康成記念会理事長。妻は川端康成の養女・政子。旧姓・山本。実父は英文学者で翻訳家の山本政喜。美術史家の若桑みどりは実妹である。 経歴 1933年(昭和8年)12月24日、東京品川区で誕生。福岡県出身の英文学者で翻訳家の山本政喜の三男。 開成中学、東京都立第六高等学校(現・東京都立新宿高等学校)、東京大学教養学部教養学科フランス分科を卒業後、同大学院人文科学研究科で比較文学比較文化(ロシア文学の比較文学的研究)を専攻。1960年(昭和35年)よりフランス政府給費留学生としてパリ大学に留学。同期生には友人の栗原雅直がいた。 1963年(昭和38年)から北海道大学文学部の専任講師となり、1965年(昭和40年)よりカレル大学、モスクワ大学に留学。1966年(昭和41年)春に栗原の紹介で、川端康成の養女・政子とお見合いした。香男里の父が、一高、東京帝国大学英文科で川端と同期で顔見知りであったことから、川端と話が弾んだという。 1967年(昭和42年)7月25日に入籍し8月に留学先のモスクワの日本大使館で結婚式を挙げた後、日本に帰り10月14日に国際文化会館で披露宴をあげた。川端の家に養女にもらった娘だから、よそに出すわけにはいかないという川端康成の強い意向で、香男里が妻の姓になることになった(養嗣子になったわけではなく、養女の婿という続柄)。 1971年(昭和46年)に東京大学教養学部講師となり、1973年(昭和48年)、新設された文学部ロシア語ロシア文学専修課程の助教授となり、のち教授。1991年(平成3年)ロシア・東欧学会代表理事。1994年(平成6年)に定年退官後、中部大学国際関係学部教授、2000年(平成12年)に川村学園女子大学教授、のち副学長。NHKラジオ「ロシア語講座応用編」講師を務めたこともある。2009年(平成21年)に副学長を定年退任した。 2009年(平成21年)日本ロシア・東欧研究連絡協議会初代代表幹事。 2021年2月3日、老衰により死去。 著書 単著 『ユートピアの幻想』(潮新書 1971年/講談社学術文庫 1993年) 『薔薇と十字架 ロシア文学の世界』(青土社 1981年) 『トルストイ 人類の知的遺産52』(講談社 1982年) 『ロシア文学史』(岩波書店〈岩波全書〉 1986年) 『ロシア その民族とこころ』(悠思社 1991年/講談社学術文庫 1998年) 編著 『現代ロシア幻想小説』(白水社 1971年) 『世界幻想文学大系34 ロシア神秘小説集』(国書刊行会 1984年) 『ロシア文学史』(東京大学出版会 1986年) 『神秘主義 ヨーロッパ精神の底流』(せりか書房 1988年) 大泉黒石『ロシア文学史』(講談社学術文庫 1989年)校訂・解説 共編著 (川端康成・補編)『定本北條民雄全集』(東京創元社 新版1980年、創元ライブラリ文庫(上下)、1996年) (木村彰一)『ロシアの言語文化』(放送大学教育振興会 1985年) (佐藤経明・中村喜和ほか)『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社 1989年) 新版『ロシアを知る事典』(平凡社 2004年) (金沢美知子)『ロシア文学』(放送大学教育振興会 1994年) (中村喜和・望月哲男)『講座スラブの世界(1)スラブの文化』(弘文堂 1996年) (日本放送協会)『NHKテレビテキスト 100分de名著トルストイ 戦争と平和』(NHK出版)。2013年6月放送 訳書 『世界文学大系 第93 近代小説集 Ⅲ』(筑摩書房 1965年)- 山本香男里訳名義 世界の終り(フェージン)、ヴィクトリーヤ・カジミーロヴナ(ゾーシチェンコ) シェフル・イ・セプスのオアシス(イヴァーノフ)、モスクワの夏(パウストーフスキイ) チェーホフ『桜の園』(講談社「世界文学全集」、1968年、新版1975年) アレクサンドル・プーシキン『大尉の娘・戯曲 モーツァルトとサリエーリ・石の客』(講談社「世界文学全集」、1969年、新版1974年) ザミャーチン『われら』(講談社、1970年、講談社文庫、1975年/岩波文庫 1992年) ロナルド・ヒングリー『19世紀ロシアの作家と社会』(平凡社「世界大学選書」 1971年/中公文庫、1984年) 『プーシキン全集5 評論・歴史・紀行』 米川哲夫共訳(河出書房新社、1973年)。第2・6巻でも分担訳。 アンドレイ・ベールイ『魂の遍歴』(白水社〈20世紀のロシア小説〉、1973年) ボリス・ピリニャーク『機械と狼』 工藤正広共訳 (白水社、1973年/未知谷、2010年) ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(せりか書房、1974年、新版1988年) ピエール・パスカル 『ドストエフスキイ』(ヨルダン社〈作家と人間叢書〉、1975年) チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(講談社「世界文学全集」、1975年) ベールイ『ペテルブルグ』(講談社「世界文学全集」、1977年/講談社文芸文庫(上下)、2000年、復刊2015年) ベールイ『銀の鳩』(講談社、1977年) ドストエフスキー『ドストエフスキー全集(17・18・19) 作家の日記』(新潮社、1979-80年) 『ミハイル・バフチン著作集7 叙事詩と小説』(訳者代表、新時代社、1982年) 『ロシア・アヴァンギャルド芸術 理論と批評 1902-34年』(J・E・ボウルト編、望月哲男・西中村浩共訳、岩波書店、1988年) カテリーナ・クラーク、マイケル・ホルクイスト『ミハイール・バフチーンの世界』 鈴木晶共訳(せりか書房、1990年) アーロン・グレーヴィチ『中世文化のカテゴリー』 栗原成郎共訳(岩波書店 1992年、新版1999年) カサノーヴァ 「イコザメロン」『ユートピア旅行記叢書14 奇想と転倒のユートピア』(岩波書店、1997年) プーシキン『大尉の娘』(未知谷、2013年)、改訳版
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岸本 葉子(きしもと ようこ、1961年6月26日 -)は、日本のエッセイストである。本名、下田昌子。「岸本葉子」は、最初の作品『クリスタルはきらいよ』のヒロイン名から取ったペンネームである。NHK中央放送番組審議会副委員長。淑徳大学客員教授。日本銭湯文化協会理事。 経歴 神奈川県鎌倉市出身。神奈川県立湘南高等学校卒業。1984年東京大学教養学部教養学科相関社会科学専攻卒業後、東邦生命保険相互会社に入社。就職体験を綴った『クリスタルはきらいよ』を在職中に出版、ドラマ化もされる。その後、退社して中国の北京外国語学院に留学。帰国後、文筆生活に入り、数多くのエッセイ集を出版。2001年には虫垂癌と診断され、その手術・治療体験を2003年に『がんから始まる』として著した。その後も積極的な文筆活動を展開し、ガン克服キャンペーンにも参加している。2010年代以降は俳句に関する著書も多い。2014年淑徳大学客員教授。 祖父は女子教育家の下田次郎、伯父は下田武三。 著書 1980-90年代 『クリスタルはきらいよ』(1985年、泰流社) 『微熱の島 台湾』(1989年、凱風社)のち朝日文庫 『なまいき始め 9to5にさよなら』(1990年、日之出出版)のち講談社文庫 『ボーダーを歩く』(1990年、コスモの本)「異国の見える旅」と改題、小学館文庫 『さよならニナーダ-サハリンに残された人々』(1990年、凱風社) 『今夜もパジャマトーク』(1991年、ファラオ企画) 『わたしの旅はアジアから』(1991年、文藝春秋)「よい旅を、アジア」講談社文庫 『禁じられた島へ-国後・色丹への旅』(1992年、凱風社)のち光文社文庫 『女が結婚したいと思うわけ』(1992年、大和出版)「それでもしたい!?結婚」講談社文庫 『やっぱり、ひとりが楽でいい』(1994年、講談社)のち講談社+α文庫 『近ごろの無常』(1994年、マガジンハウス)「幸せな朝寝坊」講談社文庫 『留守電のもんだい』(1995年、PHP研究所)「女は生きるひとのためならず」講談社+α文庫 『自分で自分を楽しませる知的な生活』(1996年、講談社)「お金のいらない快適生活入門」講談社+α文庫 『30前後、やや美人』(1996年、読売新聞社)のち文春文庫 『旅はお肌の曲がり角』(1996年、実業之日本社)講談社文庫 『夕方、ハルピン駅で』(1996年、NTT出版) 『家にいるのが何より好き』(1997年、文藝春秋)のち文庫  『三十女のおいしい暮らし』(1997年、講談社)「三十過ぎたら楽しくなった」文庫 『アジア発、東へ西へ』講談社文庫オリジナル、1998  『つかず離れず、猫と私』(1998年、文藝春秋)「女の分かれ目」中公文庫 『家もいいけど旅も好き』(1998年、河出書房新社)のち講談社文庫 『結婚しても、しなくても』(1999年、マガジンハウス)のち三笠書房知的生きかた文庫 『本はいつでも友だちだった』(1999年、ポプラ社)「本だからできること」と改題、「読む少女」と改題して角川文庫 『ふわっとブータン、こんにちは』(1999年、NTT出版)「ブータン幸せ旅ノート」角川文庫 2000年代 『ちょっとのお金で気分快適な生活術』(2000年、講談社+α新書) 『マンション買って部屋づくり』(2000年、文藝春秋)のち文庫 『恋もいいけど本も好き』(2000年、講談社)「本がなくても生きてはいける」文庫 『もうすぐ私も四十歳』(2000年、小学館)「四十になるって、どんなこと?」講談社文庫 『私の居場所はここにある』(2000年、マガジンハウス)「やっと居場所が見つかった」文春文庫 『実用書の食べ方』(2000年、晶文社) 『炊飯器とキーボード』講談社文庫オリジナル、2001 『本棚からボタ餅』(2001年、中央公論新社)のち文庫 『若くなくても、いいじゃない』(2001年、小学館)「40前後、まだ美人?」文春文庫 『目指せ!「大人の女」』(2002年、PHP研究所) 『女の底力、捨てたもんじゃない』(2002年、講談社)のち文庫 『おしゃれ魂』光文社知恵の森文庫、2002 『ひとり暮らしのおいしいキッチン歳時記』(2002年、PHPエル新書) 『「和」の旅、ひとり旅』小学館文庫オリジナル、2002 『幸せまでもう一歩』(2003年、中央公論新社)のち文庫 『わたしのひとり暮らし手帖』(2003年、大和書房)のち文春文庫 『がんから始まる』(2003年、晶文社)のち文春文庫 『パソコン学んでe患者』(2004年、晶文社) 『歳時記を生きる』(2004年、中央公論新社)「あれもこれもで12か月」文庫 『からだの事典』(2005年、清流出版)「からだのじてん」中公文庫  『岸本葉子の暮らしとごはん』(2005年、昭文社) 『食というレッスン』(2005年、小学館文庫オリジナル) 『楽で元気な人になる』(2006年、中公文庫オリジナル) 『四十でがんになってから』(2006年、講談社)のち文春文庫 『ぼんやり生きてはもったいない』(2006年、中央公論新社)のち文庫 『40代からはつらつと生きるために』(2006年、角川学芸出版)『おひとりさまのはつらつ人生手帖』角川文庫  『そろそろ旅へモンゴルのおすそわけ』(2007年、東京書籍) 『40代のひとり暮らし』(2007年、ミスター・パートナー) 『刺激的生活』(2007年、潮出版社)「いろんなものに、ハマってきました」中公文庫 『がんから5年 「ほどほど」がだいじ』(2007年、文藝春秋)のち文庫  『からだに悪い?』(2007年、中央公論新社)「まだまだ、したいことばかり」中公文庫  『女の旅じたく』角川学芸出版、2007 のち文庫  『キレイのために病院へ行こう-アンチエイジング体験記』小学館、2008 『はたらくわたし-エッセイストの仕事日記を公開』成美堂出版Sasaeru文庫、2008 『ちょっと古びたものが好き』バジリコ、2008 『わたしの週末なごみ旅』河出文庫 『岸本葉子の根菜ごはんのすすめ』昭文社、2008 『病を超えてーいのちの対話』中央公論新社、2008 『ゆる気持ちいい暮らし術』河出書房新社、2008 『ひとりを楽しむゆる気持ちいい暮らし』河出文庫  『自問自答』潮出版社、2008 『欲ばらないのがちょうどいい』中公文庫 『週末ゆる散歩』東京書籍、2009 『わたしの週末なごみ旅』河出文庫  『買おうかどうか』双葉社、2009 のち文庫 2010年代 『俳句、はじめました』角川学芸出版、2010 のち文庫  『40代、ひとり時間、幸せ時間』ミスター・パートナー、2010 『「感じがいいね」と思われるお仕事マナー&コツ59』成美文庫、2010 『エッセイ脳 800字から始まる文章読本』(中央公論新社、2010) 『エッセイの書き方-読んでもらえる文章のコツ 』 (中公文庫、2018) 『できれば機嫌よく生きたい』中央公論新社、2010 のち文庫  『わたしの和探し手帖』角川書店、2010  『空き家再生ツアー』講談社、2010(小説集)『人生の夕凪 古民家再生ツアー』(双葉文庫 2019 『ほどのよい快適生活術 食べる、着る、住む』河出書房新社、2011 『東京花散歩』亜紀書房、2011 『「こつこつ」と生きています』中央公論新社、2011 『買わずにいられる?』双葉社、2011 のち文庫  『「そこそこ」で生きましょう』中央公論新社、2012 『ちょっと早めの老い支度』オレンジページ、2012 のち角川文庫  『五十になるって、あんがい、ふつう』ミスター・パートナー 2013 『いのちの養生ごはん』(暮らしとごはん、根菜ごはん)中公文庫 2013 『もっとスッキリ暮らしたい ためない心の整理術』佼成出版社 2013 のち文春文庫  『カートに入れる?』双葉社 2013 のち文庫 『俳句、はじめました 吟行修行の巻』KADOKAWA 2013  『幸せは97%で』中公文庫オリジナル 2014 『江戸の人になってみる』晶文社 2014 『生と死をめぐる断想』中央公論新社 2014 『昭和のほどよい暮らし』PHP文庫 2015  『続 ちょっと早めの老い支度』オレンジページ 2015 『二人の親を見送って』中央公論新社 2015 のち文庫  『カフェ、はじめます』中央公論新社、2015年(長編小説) 『買い物の9割は失敗です』双葉社、2016 のち文庫  『きもちいい暮らしの哲学 もう家事でがんばらない!』海竜社、2016 『オトナの恋するトラベル スロウリィ クロアチア』主婦の友社、2016 『テーブルに何もない日 気持ちいい暮らしのスタイルブック』ミスター・パートナー、2016 『週末介護』晶文社、2016 『捨てきらなくてもいいじゃない?』中央公論新社、2016 のち文庫  『続々・ちょっと早めの老い支度』オレンジページ、2017 『575 朝のハンカチ 夜の窓』洋泉社、2017 『ひとり上手』海竜社、2017 のちだいわ文庫 『俳句で夜遊び、はじめました』朔出版、2017 『50代からしたくなるコト、なくていいモノ』中央公論新社、2017 のち文庫 『俳句、やめられません』小学館、2018 『50歳になるって、あんがい、楽しい。』大和書房 だいわ文庫、2018 『人生後半、はじめまして』中央公論新社、2019 『岸本葉子の「俳句の学び方」』NHK出版、2019 『ひとり老後、賢く楽しむ』文響社, 2019.7 『「捨てなきゃ」と言いながら買っている (買おうかどうか ; 5)』 双葉社, 2019.8 2020年代 『50代からの疲れをためない小さな習慣』佼成出版社, 2020.1 『50代、足していいもの、引いていいもの』中央公論新社, 2020.2 『ふつうでない時をふつうに生きる』中央公論新社,2020.12 『おとな世代の暮らし替え 今もだいじ、老後もだいじ。』金村知美監修. 海竜社, 2021.4 『つちふる 句集』角川文化振興財団, 2021.6 『モヤモヤするけどスッキリ暮らす』中央公論新社, 2022.1 共編著 横田濱夫共著『ひとり暮らしの人生設計』新潮OH!文庫、2000 渡辺葉共著』葉と葉子のふたりごと』清流出版、2003 内富庸介共著『がんと心』晶文社、2004 アンソロジー編纂『女ひとりで想うこと、シングルっていいかも』光文社知恵の森文庫、2006 落合恵共著『毎日の暮らし歳時記』成美堂出版 2006 玄侑宗久共著『わたしを超えて-いのちの往復書簡』中央公論新社、2007 岸本葉子with HOPE★プロジェクト編著『ちょっとだけ凹んでいるあなたへ―希望の言葉を贈りあおう』清流出版、2007 岸本葉子with HOPE★プロジェクト編著『 凹んだって、だいじょうぶ―希望の言葉を贈りあおう 第2集』清流出版、2008 岸本葉子with HOPE★プロジェクト編著『希望の言葉を贈りあおう 第3集』清流出版、2010 吉沢久子共著『ひとりの老後は大丈夫?』清流出版、2011 のち文春文庫  『岸本葉子×石井あすか 50代からのもう悩まない着こなしのコツ』主婦の友社 2017 『あるある!お悩み相談室「名句の学び方」 (NHK俳句) 岸本尚毅共著. NHK出版, 2021.1 翻訳 『何もしない贅沢』(ヴェロニク・ヴィエン)光文社、2002 『自分らしく生きる贅沢』(ヴィエン)光文社、2002 『年齢を重ねる贅沢』(ヴィエン)光文社、2003 『ファティマの幸運』(ジョーン&ジェリー・ドリアンスキー)小学館、2004 のち文庫 出演 Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜(2022年12月25日・2023年1月1日、朝日放送ラジオ)
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『クロックタワー』(CLOCK TOWER)は、1995年9月14日にヒューマンから発売されたスーパーファミコン用アクションアドベンチャーゲーム。 同社の『シネマティックライブシリーズ』第3作であり、『クロックタワーシリーズ』第1作目。主人公のジェニファーを操作し、殺人鬼の徘徊する館から脱出する事を目的としている。画面上のポイントをクリックする事で主人公に指示を与えるゲームシステムが特徴となっている。 1997年にWindows 95およびPlayStationに移植され、1999年にはワンダースワンに移植された。スーパーファミコン版はバーチャルコンソール対応ソフトとして2010年にWii、2013年にWii Uにて配信され、PlayStation版は2011年にゲームアーカイブス対応ソフトとして配信された。 概要 『セプテントリオン』(1993年)、『ザ・ファイヤーメン』(1994年)に続くシネマティックライブシリーズの完結編。 正体不明の殺人鬼の住む館に招かれた主人公が、殺人鬼や超常現象からひたすら逃げながら館からの脱出を図るアドベンチャーゲーム。三人称視点のフィールド内のキャラクターに間接的な指示を与えるというゲームシステムを取り入れている。このシステムと「非力でか弱いヒロイン」という設定を活かし、ホラー映画さながらの「逃げ惑うキャラクターを鑑賞者の視点で見守るもどかしさ」を演出するとともに、ゲーム上の恐怖演出として成立させた点に大きな特徴と独自性がある。イタリアの映画監督ダリオ・アルジェントのホラー映画のオマージュ作品であり、特に『フェノミナ』の影響が強く主人公の名前や容姿は同作に因んでいる。 開発は同社が行い、企画・ゲームデザイン及びディレクションは『ヒューマングランプリ2』を手掛けた河野一二三、音楽は『スーパーフォーメーションサッカー‘95 della セリエA』を手掛けた新倉浩司が担当している。 スーパーファミコン版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてシルバー殿堂を獲得した。 本作は日本でしか発売されておらず、海外でファンによる非公式の翻訳が行われている。 ゲーム内容 クリックポイント 調査可能な対象物を「クリックポイント」と呼び、これらにカーソルを合わせると、カーソルの形が変化する。その状態で決定ボタンを押す(クリックする)ことにより、その箇所を調査し、ドアや階段であればそこを経由して別のエリアへ移動する。何も無い場所をクリックしても、ジェニファーをその方向に歩かせることができる。 このゲームでは行きたい方向にカーソルを指し示すとジェニファーは自動的に移動する。「ジェニファーに指示を出す」というスタイルとなり、ジェニファー自身を直接動かすことは基本的にできない。 カーソル操作以外では、左右の方向に走らせることが可能だが、体力が減少する。 通常状態 シザーマンが出現していない、BGMが無音の状態(BGMが鳴る特定の部屋は除く)。この状態の時に、特定の地点を調べて敵出現のフラグを立てることによりシザーマンが出現し、逃走状態に移行する。 逃走状態 主人公がシザーマンに追跡されている状態。クリックポイントが通常状態と異なり、敵を撃退もしくは回避するためのポイントにしかクリックポイントが発生しなくなる。シザーマンを撃退、もしくは回避しない限り解除されない。また、逃走状態中でもシザーマンが絶対に入ってこないマップが存在するが、そこに入っただけでは回避したことにはならない。逃走状態では一部の動作を除いて常に走って移動する。 本作では『2』以降と異なり、時間経過によるランダム出現はなく、特定の地点を調べた時と特定のイベントでしか出現しない。 パニック回避 シザーマンに近接した場合、又は他の敵やトラップに襲われて主人公の生命が危険に晒されている時、×ボタン(PS版。初期配置)を連打すると一時的に回避できる。ただしシザーマンの場合は完全に回避するには隠れるか、撃退するしかない。このシステムは「Renda Sezuniha Irarenai(連打せずにはいられない)」の頭文字を取って、「RSIシステム」と命名されている。 本作におけるRSIシステムは比較的『2』に近く、後先考えずパニック回避をしていてはすぐにやられてしまう。 無論、いずれの場合でも体力が最低の状態でシザーマンに接近されれば無条件でゲームオーバーとなる。このイベントは廊下などの開けた場所でシザーマンに近接した場合に発生するものであり、個室などの狭い空間、或いはマップの端付近で近接した場合はRSIシステムが発生すらせず、一方的に殺されてしまう。 シザーマン以外の即死トラップ等で発生する場合では連打に失敗すると同時に死亡するものが多い。ただし、続編と異なり体力の状態は回避の成否には影響せず、体力が最低でも連打さえ成功すれば回避できる。 疲労と体力回復 本作の独自要素として「疲労」の概念が取り入れられており、体力を回復させるためにジェニファーを立ち止まらせ、床や地面に座らせることにより回復させなければならない(『2』と異なり、通常状態中の時間経過での回復はない)。体力の状態は画面左下に表示されている、ジェニファーの顔の背景色(青>黄>橙>赤の4段階)で見分ける事となる。。 画面両端以外の場所で、Xボタン(PS版では△ボタン。これらは初期配置による)を押すか立ち止まると、ジェニファーが座り体力を回復する。本作では敵からの攻撃やショックイベントの他に走るだけでも体力を消耗してしまうため、こまめな回復が必要になる。逃走状態中でもシザーマンが入ってこないエリアであれば回復は可能。体力の減少と共にジェニファーのフェイスウィンドウの色が変わっていき、それに合わせてジェニファーの表情も変化していく。体力が最低の状態でも走る事は可能。 ゲームオーバー(DEAD END) 敵の攻撃やトラップによってジェニファーが死亡してしまうとゲームオーバー(デッドエンド)となり、タイトル画面に戻る。メインメニューからコンティニューを選択すれば、ゲームオーバー直前からやり直せる。ただし、次回作以降のように体力が一段階回復するといった措置はない。 バッドエンディングに到達した後は通常の死亡時同様にデッドエンド画面が表示されるが、コンティニューは不可能。 オートセーブ 本作では次回作以降のように任意でセーブすることはできず、部屋に出入りを繰り返す度にオートセーブが入り進行状況が自動的に保存されるようになっている。 データ枠も1つしかないため、別のデータから仕切り直すことはできない。 ランダム要素 一部のアイテムや、特定の状況下での人物の配置、一部の部屋と部屋の繋がりが、プレイする度にランダムで変化する。 マルチエンディング 本作はフラグ立ての流れによってエンディングが分岐し、全9種類のエンディングが用意されている。 ストーリー 北欧の山間にひっそりとたたずむ屋敷があった。屋敷には高くそびえる時計塔があり、土地の人々はその鐘の音を合図に放牧を行ったものである。いつしか土地の人々はこう呼び習わしていた。CLOCK TOWER ―時計塔屋敷―と……。しかし、ある日時計塔の鐘の音は途絶えてしまう。まるで時を無くしてしまったかのように。 1995年―。とある孤児院にひときわ目立つ美少女を見出すことができる。名は、ジェニファー。父は失踪、その後に母親とも死に別れ、孤児院に引き取られたのである。そしてある日、彼女と友人達3人の養育先が見つかったという知らせが入った。彼女は引率してくれる教師メアリーと3人の友人達と共にその養育先へ向かう。そこがCLOCK TOWERと呼ばれる屋敷とも知らずに……。 登場人物 主要人物 ジェニファー・シンプソン (Jennifer Simpson) 本作の主人公。14歳。可憐な容姿の美少女。幼い頃に母を亡くし、父は行方不明になってしまったため、グラニッド孤児院で育った。 その後、共に養女となる友人たちと共にバロウズ邸へ向かうが、数々の怪異と恐ろしい殺人鬼に狙われることになる。 非力で体力も乏しいが、いざという時には思いがけない反撃に出る大胆さも持ち併せている。 キャラクターの名前は映画『フェノミナ』(1985年)の主演女優、ジェニファー・コネリーに因んで名づけられた。服装は当時ヒューマンの企画課に勤務していたモーションモデルが撮影当日に着て来た服をそのまま採用している。 ローラ・ハリントン (Laura Harrington) 14歳。おっとりかつ内気な性格で上品な雰囲気の少女。正反対の性格のアンとは馬があうようで、常に傍にいる。 プレイヤーの行動次第で殺害され、バスルームにて吊るされた状態で、もしくは居間の甲冑の中に押し込められた状態で発見される。エンディングSに限り、アンと二者択一で生存可能。 アン (Anne) 15歳。4人の中で最年長なこともあって、ややワガママな性格。 姓がないのは、捨て子であるため。 と死亡パターンが多い。エンディングSに限り、ローラと二者択一で生存可能。 ロッテ (Lotte) 14歳。活発かつ快活でボーイッシュな服装の少女。ジェニファーとは最も仲がいい親友同士。姓がないのは、アンと同じく捨て子であるため。 ジェニファーとは別に単独でバロウズ家の秘密を探ろうとするものの重傷を負わされ、地下洞窟で倒れていたところで再会したジェニファーにシザーマン打倒のヒントを遺して息を引き取る。 展開次第では中庭の小屋の牢屋に閉じ込められたジェニファーを救い出し、逃げるよう促して先に小屋を出たところでメアリーに射殺されてしまう。 ゲームを最後まで進めるには上記のどちらかの展開を必ず通る必要があるため、どのエンディングでも生存は不可能。 メアリー・バロウズ (Mary Barrows) 35歳。グラニット孤児院の教師で生徒からはメアリー先生と呼ばれている。ジェニファー達を時計塔屋敷に引率してきた。ヒステリックな性格で生徒たちからはあまりよく思われていない。 実は本作の事件の真犯人で、バロウズ屋敷の主人サイモンの妻にして殺人鬼ボビィとダンの母。ボビィにジェニファーたちを殺害させるために屋敷におびき寄せた張本人。 展開次第で自らもジェニファーを殺害しようと迫ってくるが返り討ちに合い死亡する。 その他の人物 サイモン・バロウズ (Simon Barrows) 37歳。屋敷の当主でジェニファー達の引き取り手とされる人物。屋敷に向かっても姿を現さないため不審がられていたが、実は中庭の小屋に幽閉されている。 メアリーから酷い暴力を受けたため発狂しており、食事も満足に与えられずに放置されていたため極度の空腹状態に陥っている。 特定のアイテムを所持していないと食べ物と誤認されて食い殺されてしまう。所持していれば話が通じるようになり、名前を名乗ってダンの存在を示唆する発言をした後はジェニファーに関心を示さなくなる。 その後についてはゲームでは語られないが、小説版では事件後に警察によって餓死した死体として発見されたと語られている。 ボビィ・バロウズ (Bobby Barrows) 9歳。ダンの双子の弟。巨大なハサミが特徴の殺人鬼であり、本作におけるシザーマン。ジェニファーの父曰く「悪魔の落とし子」であり、物理的な攻撃では決して死ぬことがない。動物、人間とその手に掛けた者の数は計り知れない。 未成熟な肉体でいずれ死を迎える運命にあったが、大広間の大時計を停止させ時を止めることによってその存在を維持されていた。 ジェニファーが大時計を動かしたことにより、再び時が流れだし苦しみながら時計塔の機関部へと落下し死亡した。 ダン・バロウズ (Dan Barrows) 9歳。ボビィの双子の兄。肥大化した肉体を持つ巨大な嬰児で、運動器官が未発達な代わりに強力な念動力と透視能力を持つ。ジェニファーを監視し、屋敷内に怪奇現象を起こして間接的に彼女を襲っていた。 地下洞窟内の巨大な揺り篭で人目を避けるようにして育てられていたが、入り込んできたジェニファーを見つけ襲い掛かってくる。その後、崖をよじ登って逃げていたジェニファーが転げ落とした灯油缶の引火・爆発によって炎に包まれ焼き尽くされた。 ウォルター・シンプソン (Walter Simpson) ジェニファーの父。産婦人科医であり、メアリーの出産に立ち会うためにバロウズ家へ向かって以来、行方不明となった。 実は出産の際にダンとボビィに右腕を食いちぎられた上に密室に幽閉され、そのまま死亡した。死の間際、事の真相を記したメモを残している。 敵 ジェニファーを死に至らしめる敵。 シザーマン バロウズ家の息子ボビィ・バロウズで、巨大なハサミを使う殺人鬼。ジェニファーを執拗に追い掛けて殺害しようとする。出現と同時に逃走状態に入る。冒頭とエンディング直前を除けば、数カ所ある特定のポイントを調べた時あしか出現せず、出現自体がランダムで決まる場合もある。その仕様上、本作ではやや影が薄い。 開けた場所でジェニファーに接近するとパニック連打が発生し、失敗した場合はジェニファーにハサミを叩きつけて攻撃する。壁際に追い詰められるとハサミを突いてジェニファーを一撃で殺してしまう。 オウム バロウズ家の寝室で飼われているオウム。籠から出すと「I'll kill you」と喋りながらジェニファーに攻撃してくる。ベッドのシーツに包むか、一旦逃げるかすれば以降襲われることは無い。 PS版では前者以外の状態で寝室のベッドの下に隠れると「here」と言ってシザーマンにジェニファーの居場所を教えてしまう。 ミイラ 剥製室のロッカーにあるミイラ。 オリジナル版では発見しても何事もないが、PS版では動き出してジェニファーに襲い掛かり、特定の武器で攻撃しないと一撃でやられてしまう。 フランス人形 子供部屋で釣り下がっている人形。儀式の鍵を取ると動き出してジェニファーに向かって突っ込んでくる。直撃しても体力があれば即死はしないがダメージを受ける。パニック連打か壁にぶつかるように攻撃を避けると砕ける。 PS版ではピエロ人形共々、パニック連打に失敗すると即死する。 ピエロ人形 子供部屋にあるピエロの人形。PS版のみ動き出してジェニファーを殺そうとする。フランス人形とどちらが動くかはランダム。 番犬 地下洞窟を見張る猛犬。飼い主であるメアリー以外には容赦無く噛み付く。その前を通過するには外見と匂いの両方で欺かなければならない。 サイモン・バロウズ 凄惨な暴行を受け、牢屋に長い間放置されたバロウズ家当主。人間すら食糧と認識してしまうほど極度の空腹に陥っており、遭遇した際は特定のアイテムを所持していないと会話時に強制ゲームオーバーとなる。 ダン・バロウズ シザーマンことボビィの双子の兄。地下洞窟でジェニファーを追いかけてくる。パニック連打で崖をよじ登ると灯油缶が落ちて炎上する。 メアリー・バロウズ 今回の事件の黒幕。その正体をジェニファーが知るか否かで展開は大きく変わる。早い段階では、真実を知らないジェニファーに睡眠薬入りの飲み物を与えて牢に閉じ込めようとするが、後には猟銃やナイフでジェニファーを容赦無く殺害しようとする。対処法もその時々で様々。 エンディング プレイヤーの行動によってエンディングは以下の9種類に分岐する。 エンディングS ジェニファーは時計塔の操作室に辿り着き、大時計を起動する。それにより、固着していた時間が動き出したシザーマンは苦しみながら機関部へと転落し、死亡した。しかし、奥で倒れている友人に駆け寄ろうとした直後、背後から現れたメアリーに首を絞められて絶体絶命に陥る。その時、以前ジェニファーが助けたカラスが群れをなしてメアリーに襲い掛かり、そのままメアリーは転落死する。ジェニファーは意識を取り戻した友人と共に時計塔のベランダに出て豪雨の降りしきる外を見つる。やがて惨劇の終わりを告げるように雨は止み、朝日が昇るのだった。 エンディングA 時計塔の再起動によりシザーマンが死に絶え、ジェニファーは生きていた友人と再会を果たす。しかし喜びも束の間、物陰に潜んでいたメアリーにより友人は機関部へと投げ落とされ死亡しする。ナイフを手にしたメアリーともみ合いになり、絶体絶命に陥ったジェニファーを救ったのは彼女によって檻から助け出されたカラスの群れだった。ただ一人生き残ったジェニファーは時計塔のベランダに出て、外を見つめる。やがて惨劇の終わりを告げるように雨は止み、朝日が昇るのだった。 エンディングB 時計塔の再起動でシザーマンが死んだ直後、ジェニファーの背後からメアリーが襲い掛かりもみ合いとなる。振りほどいた反動でメアリーは時計の操作盤にぶつかって感電死し、ジェニファーはただ独り生還を果たす。 エンディングC ジェニファーは追い縋るメアリーから逃れ、時計塔外部の梯子を昇る。メアリーは追いついた末にジェニファーの足を掴むが、蹴り落とされて死亡する。その後、ジェニファーは時計塔の機関内部に入って大時計を起動し、シザーマンを死に至らしめてただ独り生還を果たす。 エンディングD ダンの襲撃から逃れたジェニファーはメアリーと再会する。しかしメアリーは駆け寄ってきたジェニファーに容赦無くナイフを振り下ろし、刺されたジェニファーは理由も分からないまま息絶える。その亡骸をメアリーは冷酷な目で見下ろしていた。 エンディングE ダンを撃退後、エレベーターで時計塔の最上階を目指したジェニファーだったが、エレベーターが唐突に停止すると共に天窓からシザーマンが侵入しなすすべもなく餌食となってしまう。 エンディングF ダンから辛くも逃れたジェニファーだが、エレベータに乗りこんだ直後に悲鳴とハサミの音が鳴り響き、閉じたエレベーターの扉の隙間から真っ赤な鮮血が流れ出る。 エンディングG 2人の友人の死を目の当たりにしたジェニファーはガレージにあった車に乗って屋敷を脱出し、グラニット孤児院へと逃げ帰った。それから3日後、ジェニファーは自室で変死体となって発見された。 エンディングH 惨劇が始まって間もなく、ジェニファーは友人の安否を気にしつつ独りで車で屋敷を脱出する。夜道を必死で走る中、バックミラーに写った後部座席に巨大なハサミがゆっくりと突き出したのに気づいた直後、悲鳴が響き渡る。 移植版 CLOCK TOWER for Windows 95 への移植版(Windows 95向け)。細部で追加要素や変更が施されている。 BGMの音数が増加。一部のアイテムの配置と効果音の変更。 SFC版にあったバグの修正。 「転んだ時のジェニファーの台詞」「体力の消耗に伴うジェニファーの表情の変化」といった要素の削除。 「カラスの屍骸のアップ」「テレビのアップ」「ミイラが動き出して襲い掛かって来る」「シザーマンが踊るような動きをする」「セリフの追加」「アイテムの位置の特定」「シザーマンの移動速度上昇」「寝室の鏡が割れる」などの要素の追加。 ジェニファーの体力の回復に要する時間の大幅短縮。逆に体力は減り易くもなっている。また、シザーマンが侵入してこないエリアがオリジナル版よりも増えている。 後に『ULTRA2000「CLOCK TOWER〜クロックタワー〜」』のタイトルで廉価版が発売された。低価格になりタイトルが変わった点以外は上記と同一内容。 CLOCK TOWER 〜The First Fear〜 PSへの移植版。 オープニングムービーの内容、タイトル画面のロゴデザイン及びタイトル表示演出の変更を除き、パソコン版の内容を踏襲している。 初回版として、メモリーカードホルダー・ブックレット・オリジナルソフトカバーが付いた。 2011年11月9日よりゲームアーカイブスで配信開始。 クロックタワー for ワンダースワン WSへの移植版。モノクロであり画質・音質はSFC版より劣化している。また、携帯機という制約上、画面に表示されるのは最低限の情報のみで各登場人物の顔が表示されなくなった。ジェニファーも例外ではない。なお、PS版において追加された一部グラフィックが収録されている他、PS版の「アイテムの配置が違う」「ミイラが動き出す」「アイテムの追加」等のクロックタワー2へ繋がる演出も付加されている。 スタッフ プロデュース:市崎裕康 プログラマー:薗田直樹、AKABO、藤井伸宏 アート・ディレクター:飯島章嘉 モンスター・オリジナルデザイン:吉田邦臣 オブジェクト・デザイン:俵弘一(ジェニファー)、田村大也(ダン、ボビー)、朝倉好則(メアリー)、太田隆(フレンド)、はすおきみひろ(BGオブジェクト) 背景デザイン:太田隆、山岸正美、たどころたかし、飯島章嘉 ビジュアル・シーン:西岡秀徳、のがみせい、藤原由紀子、吉田邦臣 フェイス・グラフィック:中田美和子、西岡秀徳、のがみせい、吉田邦臣 グラフィック・ヘルパー:小関浩二郎 音楽:新倉浩司 効果音:高添香織 メイン・キャスト:てらだやすこ ディレクター:河野一二三 イメージイラスト、オフィシャルコミック:貴山由妃 評価 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」において、スーパーファミコン版は8・7・8・8の合計31点(満40点)でシルバー殿堂を獲得、PlayStation版は合計27点(満40点)とやや高評価であったがワンダースワン版は合計22点(満40点)と標準的な評価となった。また、スーパーファミコン版は『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」において右記の通り20.3点(満30点)とやや高評価となった。 ゲーム情報サイト『電撃オンライン』にてライターMは、本作のスーパーファミコン版を「独特の世界観演出と難解な謎解きで多くのファミコン少年を魅了した名作」であると位置付け、シリーズの中ではホラー演出よりも謎解きの要素が強い作品であり、コマンド総当たりの旧式のアドベンチャーゲームと探索系アクションゲームの両方の要素を持った事に関して「当時としては斬新なスタイルの作品」であったと称賛した。一方で難易度に関しては、エンディングにて最高評価を得る事が至難の業であるとし、原因は一部の部屋の配置がランダムで変化する事にあると苦言を呈した。
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夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 -)は、日本の俳人。明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸。 妻は俳人の鎌倉佐弓。兵庫県相生市生まれ。埼玉県富士見市在住。 20代より「俳句研究」「俳句評論」「未定」などで俳句・俳論を発表。代表句として「未来より滝を吹き割る風来たる」「神々のあくびが桜を枯らすのか」など。多数の著書があり、句集では1冊ごとに新しいスタイルを試みる前衛俳人である。 1998年、国際俳句雑誌「吟遊」を創刊しその発行者・編集者・代表を務める。既成俳壇、とくに角川俳壇をさまざまな理由から拒否し 、季語以外に活路を見出すキーワードの提唱やコスモロジー的俳句観、多言語俳句朗読、楽器演奏とのコラボレーションによる俳句朗読の実践など、国際的視野に立った活動を展開。また2000年に世界俳句協会を創立し、世界各国の詩人や俳人との交流、俳句翻訳などを通じ「世界俳句」を目ざしている。 経歴 1955年7月3日、兵庫県相生市菅原町に生まれる。父乾萬吉、母みよ子(旧姓は丸山)の長男。姉が二人。1968年相生市立双葉小学校を卒業し、淳心学院中学校入学。1974年淳心学院高等学校卒業し、東京大学文科III類入学。東大時代には東大学生俳句会のほか東大能狂言研究会観世会にも所属し 「かんぜびと」第二代編集長を務めた。1979年東京大学教養学部フランス科卒業。卒論はフランス語で書いたロートレアモン論、指導教官は阿部良雄。79年入学の東京大学大学院へ80年末提出の修士論文「短詩型の比較文学論」で翌81年修士の学位を取得、指導教官は芳賀徹。1984年同大学院比較文学比較文化博士課程修了。1984年埼玉大学教養学部専任講師となり、1987年助教授、1987年明治大学法学部のフランス語講座助教授、1992年より教授。1996年から1998年まで、パリ第7大学客員研究員。2010年東京大学文学部で「世界の俳句」を講じる。 句作は14歳から始め、学習雑誌「中三コース」の金子兜太選に入選。淳心学院高校時代、俳誌「歯車」「天狼」などに投句。東大時代より前衛俳人高柳重信を師と仰ぐ。二十代のとき、高柳編集の「俳句研究」で論と作を活発に発表。坪内稔典編集「現代俳句」(南方社)にも寄稿。八木三日女主宰「花」同人。高柳重信・赤尾兜子代表「俳句評論」同人。所属した東大学生俳句会では機関誌「原生林」にも寄稿、第17号を編集(1977年10月)。1978年俳句季刊誌「未定」創刊発案者の一人、初代編集長を創刊号から第14号まで務め、第38号~第47号発行人、第54号で退会。1983年、東大大学院生時代に出版した処女句集『猟常記』を、詩人の吉岡実、評論家の四方田犬彦らによって高く評価される。1986年~1991年「俳句空間」創刊号~第16号の編集委員として参加。1990年から1992年まで「熊野大学」に協力し、最晩年の中上健次と親交を結ぶ。『楽浪』(書肆山田、1992)は、急逝した中上健次に捧げた句集である。1992年四方田犬彦、石井辰彦と第一次「三蔵」創刊、1995年刊の終刊号(第6号)まで発行人。 1998年鎌倉佐弓らと「吟遊」創刊、発行人。現代俳句協会では、青年部長、渉外部長を務め、2004年退会。2000年9月、スロベニアのトルミンで世界俳句協会を創立し、以後ディレクターとして運営にあたる。世界俳句協会大会を、日本、ブルガリア、リトアニアなどで開く。2007年東京ポエトリー・フェスティバル協議会創立、理事長。同年よりインドのCyberwit.net社のTaj Mahal Review誌にほぼ毎号、英語版の自作を発表、また同誌編集顧問。翌2008年、日本初の大規模国際詩祭、東京ポエトリー・フェスティバルをディレクターとして開催し、2011年二重詩祭、第2回東京ポエトリー・フェスティバルと第6回世界俳句協会大会2011を開催。 2015年3月、モンゴル俳句協会創立に協力。 評価・影響 四方田犬彦『最新流行』(青土社、1987年)に「夏石番矢あるいは癇癪もちのイエスについて」(pp. 330-331)があり、『猟常記』についての論評収録。吉岡実は、『『死児』という絵[増補版]』(筑摩書房、1988年)収録「重信と弟子」の「服喪の祝宴」(pp. 325-326) で、『猟常記』を称揚。乾裕幸『俳句の現在と古典』(平凡社、1988年)に、「一所懸命ノンサンスな談話――夏石番矢句集『メトロポリティック』に寄せて」(pp. 258-266)収録。 吉本隆明『詩の力』(新潮文庫、2009年)の「夏石番矢」(pp. 50-56)において、「夏石番矢さんの俳句は一足とびに西欧の現代詩と同じ次元の表現をしたいというモチーフを持っているのだと思う」、「夏石さんの作品に匹敵するためには、中途半端な前衛性では太刀打ちできないだろう」と評される。 小川軽舟が昭和30年代生まれの俳人を論じた『現代俳句の海図』(角川学芸出版、2008年)を出版した際、高山れおなは夏石番矢が除外されていることをありえない選択として難じた。その高山も加わっている「クプラス」2014年創刊号では「番矢と櫂」を特集。夏石らの登場と同時期に新鋭俳人として注目されながらその後長く俳壇を去っていた山田耕司は、この特集の「流産した『番矢と櫂』の時代をやっかいな鏡とする」で、今後は夏石番矢と長谷川櫂の二人が俳句の動向の中心となるだろう、という当時の自分の夢想が「流産」したことを感慨とともに述べている。 ギタリストで作曲家の笹久保伸は、夏石の俳句朗読のため、「空飛ぶ法王/Papa volador」(CD『翼の種子』、アオラ・コーポレーション、2012年所収)と「海の世界」(CD『Quince』、自主制作、2013年所収)を作曲している。 海外では、フランスのジョルジュ・フリーデンクラフト、インドのサントシュ・クマールなどにより、芭蕉を超えた俳人としての評価が行われている。 句集 『猟常記』、静地社、1983 十代から二十代後半までの245句収録(著者「後書」)、高柳重信の「『俳句』への道」などの栞文が付く処女句集。この句集には初版発行年と同年の著者装丁による新装版がある。収録俳句に「家ぬちを濡羽の燕暴れけり」「青空を吸ひ込み蝉の穴は消ゆ」など。 『メトロポリティック』、 (精鋭句集シリーズ6) 、牧羊社、1985 吉岡実による帯文。166句収録。代表作「未来より滝を吹き割る風来たる」「千年の留守に瀑布を掛けておく」など。 『真空律』、思潮社、1986 昭和天皇などの近代天皇の発した漢文読み下し文を元にしたパロディー作品集。書きおろし詩論「〇.五人称の詩学」収録。 『神々のフーガ』、弘栄堂書店、1990 宇宙創成から古代天皇成立までを詠んだ句集。古代朝鮮と日本の関係も詠み込まれている。「神々のあくびが桜を枯らすのか」「瑠璃王の東西南北みずけむり」など収録。 『人体オペラ』、書肆山田、1990 『楽浪』、書肆山田、1992 221句収録。 『巨石巨木学』、書肆山田、1995 日本の古代からの信仰対象であった「巨石」や「巨木」を詠んだ338句収録した、夏石の第7句集。吉本隆明『詩の力』(新潮文庫、2009年)の「夏石番矢」(pp. 53-55)に、漢字ばかりで作られた収録俳句3句の読解がある。 『現代俳人文庫5 夏石番矢句集』、砂子屋書房、1995 第1句集『猟常記』(全編収録)から第6句集『楽浪』までの俳句を抄録。吉本隆明との対談「俳句表現のアポリア」収録。 『地球巡礼』、立風書房、1998 バリ、チュニジア、中国、トルコ、イタリア、ニューヨーク、パリ、南仏、コルシカ、英仏海峡、ブルターニュを詠んだ467句収録の第8句集。「『海外詠』ではなく『地球詠』」(著者「あとがき」)を目指す。 『未来の滝―33句』、鶴瀬出版、1998 第1句集『猟常記』から第8句集『地球巡礼』までの俳句から選ばれた33句の日仏対訳句集。これが夏石の海外句集出版の基礎となる。稀覯本。 『夏石番矢全句集 越境紀行』、沖積舎、2001 既刊8句集に、初期句集『うなる川』と未刊句集『漂流』を含め10句集、合計2465句収録。栞文に飯島耕一、小笠原賢一、四方田犬彦寄稿。 『右目の白夜』、沖積舎、2006 232句収録。第11句集。 『連句 虚空を貫き』(カジミーロ・ド・ブリトーとの共著)、七月堂、2007 日英仏葡の4言語連句集。100句を発句だけで編んだもの。奇数俳句がポルトガルのド・ブリトー作、偶数俳句が夏石作。 『空飛ぶ法王 161俳句』、こおろ社発行 東京堂出版発売、2008 すべて「空飛ぶ法王」を詠み込んだ161句を日英対訳で収録し、清水国治によるイラストも挿入。この第12句集には、インド、イタリアで出版された姉妹篇がある。 『迷路のヴィルニュス』、七月堂、2009 国内での第13句集で、日本語、英語、リトアニア語の3言語36句収録。 『ブラックカード』、砂子屋書房、2012 「ブラックカード」を象徴として編まれた第14句集。 『わがモンゴル』、吟遊社、2015 モンゴルを詠んだ10句を日英蒙3言語で収録したパンフレット句集。第15句集。 『夏石番矢自選百句』、沖積舎、2015 1970年作の「足とめて見るは梅雨のうなる川」から句集『ブラックカード』収録の2011年作「Todosは熱い波詩人は太陽」までの100句を作者自身が墨書した色紙を縮小複製した句集。 評論 『俳句のポエティック 戦後俳句作品論』、静地社、1983 『現代俳句入門』、沖積舎 1985、(共著) 『現代俳句キーワード辞典』、立風書房、1990 『天才のポエジー』、邑書林、1993 『<超早わかり>現代俳句マニュアル』、立風書房、1996 『世界俳句入門』、沖積舎、2003 『俳句縦横無尽』、沖積舎、2010 (鎌倉佐弓との共著) 共編著 『詩的ディスクール――比較詩学をめざして』安藤元雄、乾昌幸編 白凰社、1993 『現代俳句パノラマ』齋藤慎爾共編著、立風書房、1994 『高柳重信』編著 蝸牛社 蝸牛俳句文庫 1994 『現代俳句ハンドブック』齋藤慎爾共編、雄山閣出版、1995 『「俳句」百年の問い』編 講談社学術文庫 1995 『エロチシズム』金子兜太、復本一郎共編、雄山閣出版、1996 (Series俳句世界1) 『笑いの認知学』上田五千石、復本一郎共編、雄山閣出版、1996 (Series俳句世界2) 『俳句は友だち おぼえておきたい名作80選』編、教育出版、1997 『無季俳句の遠心力』佐佐木幸綱、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界3) 『歳時記の宇宙』鷹羽狩行、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界4) 『芭蕉解体新書』川本皓嗣、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界別冊1) 『俳句・深層のコスモロジー』岡井隆、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界5) 『現代歳時記』金子兜太、黒田杏子共編、成星出版、1997 『パロディーの世紀』荻野アンナ、復本一郎共編、雄山閣出版、1997 (Series俳句世界6) 『時代と新表現』坪内稔典、復本一郎共編、雄山閣出版、1998 (Series俳句世界7) 『子規解体新書』粟津則雄、復本一郎共編、雄山閣出版、1998 (Series俳句世界別冊2) 『旅のトポロジー』鎌田東二、復本一郎共編、雄山閣出版、1998 (Series俳句世界8) 『透明な流れ』編 青柳フェイ, ジム・ケイシャン訳、吟遊社、2000 『ちびまる子ちゃんの俳句教室』さくらももこキャラクター原作 編・著、集英社、2002 『韓国・朝鮮の知を読む』野間秀樹編、クオン、2014 各国での出版 Haiku: antichi e moderni (Garzanti Editore, Italy, 1996, co-authored). 日伊俳句交流から生まれた日本の古典俳句・現代俳句、そして伊、仏、英、中南米などの詩人による俳句選集のさきがけ。荒木忠男駐バチカン日本大使(当時)の尽力により翻訳・出版。夏石の俳句は日伊2言語で3句収録。 A Future Waterfall―100 Haiku from the Japanese (Red Moon Press, USA, 1999 & 2004).海外での最初の単著の句集出版。第1句集『猟常記』から第8句集『地球巡礼』までの100句収録。 Цветята на Вятьра (Matom, Bulgaria, 2001). 日本と英国開催の「2000年百人一句展」のカタログ収録日本俳人100人100句(夏石番矢選)のブルガリア語版。 The Road: world haiku (Ango Boy, Bulgaria, 2004, co-authored). ブルガリア開催の第3回世界俳句協会大会のためギンカ・ビリヤルスカが編集した国際俳句選集。 L'Anthologie du Poème Bref (Les Dossiers d'Aquitaine, France, 2005, co-authored). 俳句を含む短詩のフランス語選集。 ÎMBRĂŢIŞAREA PLANETELOR / THE EMBRACE OF PLANETS / 星々の抱合 (Edidura Făt-Frumos, Romania, 2006). 111句収録のルーマニアでの単著句集。 Espíritos Elementares: vinte e três simulacros (in-libris, Portugal, 2006, co-authored). パウロ・ガスパール・フェレイラによる写真と夏石番矢を含む23人の詩人のコラボ作品集。 Endless Helix: Haiku and Short Poems (Cyberwit.net, India, 2007). 連作短詩「Dreams / 夢」20篇は日英2言語、俳句は日、葡、西、英、仏、西、そしてリトアニア語の6言語50句収録した多言語句集。 Le bleu du martin pêcheur: Haïkus (L'iroli, Beauvais, France, 2007, co-authored). フランス語俳句選集。 Madarak / Birds / 鳥: 50 Haiku (Balassi Kiadó, Hungary, 2007). ハンガリーの水彩画家エーヴァ・パーパイとの共著。五〇種類の鳥を詠んだ50句収録。この50句の大半は書きおろし。日本版句集『ブラックカード』(2012年)に全句再録。 Balsis no mākoņiem / Voices from the Clouds / 雲から声 (Minerva, Latvia, 2008). ラトヴィアでの日本語・英語・ラトヴィア語3言語句集。 The Poetic Achievement of Ban'ya Natsuishi (Cyberwit.net, India, 2009, edited by Santosh Kumar).ロシア、米国、ルーマニア、オランダ、ブルガリア、オーストラリア、台湾、日本からの英文による夏石番矢論16本収録。夏石自身の「Haiku beyond Horizons」も収録。 ハイブリッド天国 / Hybrid Paradise (English translations by Ban'ya Natsuishi & Jim Kacian, Cyberwit.net, India, 2010). 日本版のない日英対訳句集。 同心円/KONCENTRIČNI KRUGOVI (tr by Dragan J. Ristić, PUNTA, Niš, Serbia, 2009).セルビアでの単著句集。日本語、セルビア語、ドイツ語などの5言語句集。 Turquoise Milk / ターコイズ・ミルク: Selected Haiku of Ban'ya Natsuishi / 夏石番矢選句集 (Red Moon Press, USA, 2011).初期句集『うなる川」からインド版のみある句集『ハイブリッド天国』までの500句日英対訳版。ジム・ケイシャンの序文。 A TENGER VILÁGA / THE WORLD OF THE SEA / 海の世界 50 HAIKU (BALASSI KIADÓ, Hungary, 2011).ハンガリーの水彩画家エーヴァ・パーパイとの共著。五〇種類の海洋生物を詠んだ50句収録。この50句の大半は書きおろし。日本版句集『ブラックカード』(2012年)に全句再録。 L’Archipel des séismes: Écrits du Japon après le 11 mars 2011 (Editions Philippe Picquier, 2012, France, co-authored).東日本大震災に関する日本人文学者の著作仏訳選集。 Modern Japanese Haiku / 現代日本俳句 (Cyberwit.net, India, 2012, co-authored with Sayumi Kamakura).鎌倉佐弓との共著で、それぞれ略歴、自選100句を日英対訳で収録。序文ジーン・ルブラン。 Kamesan’s World Haiku Anthology on War, Violence and Human Rights Violation (Kamesan Books, USA, 2012, co-authored). 旧ユーゴスラヴィアの軍医ディミータル・アナキエフ編の多言語戦争俳句選集。 POEMS FOR THE HAZARA: AN ANTHOLOGY AND COLLABORATIVE POEM BY 125 POETS FROM 68 COUNTRIES, Edited by Kamran Mir Hazar, Full Page Publishing, USA, 2014 (co-authored). アフガニスタンで迫害されているハザラ人を支援する世界的詩歌アンソロジー。 受賞 俳句雑誌「俳句評論」昭和54年度年間推薦作家、1980年 第9回「俳句研究」50句競作入選 第1位、1981年 第1回椎の木賞、1984年 第38回現代俳句協会賞、1991年 世界俳句業績コンテスト第3位、2000年 第1回21世紀えひめ俳句賞 河東碧梧桐賞、2002年 ルーマニア俳句協会表彰状、2005年 国際俳句コンクール伝統的詩形部門第3位、2007年(ルーマニア俳句協会) AZsacra International Poetry Award for Taj Mahal Review(タージ・マハール誌へのアズサクラ国際詩賞2008年 ルーマニア俳句協会表彰状、2010年 Sarah and Moïse Russo-Internatinal Prize for Poetry For Taj Mahal Review June 2013 issue、2013年 モンゴル作家協会最高賞、2015年
{ "id": "123825", "title": "夏石番矢", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9F%B3%E7%95%AA%E7%9F%A2" }
日本学士院(にっぽんがくしいん)は、日本学士院法(以下「法」)に基づいて設置されている日本の国立アカデミーであり、文部科学省の特別の機関である。1879年に東京学士会院として発足し、1906年に帝国学士院に改組された。1947年に日本学士院となり現在に至る。日本学術会議と混同されやすいが、世界のアカデミー連合である国際学士院連合の日本代表はここのみである。 概要 東京都台東区上野公園の上野恩賜公園内に立地する。 文部科学省の特別の機関として位置づけられており、法第1条でその目的を「学術上功績顕著な科学者を優遇するための機関とし、学術の発達に寄与するため必要な事業を行う」と定めている。 学士院会員は終身であり(法第3条第2項)、定員は150名である(法第2条第2項)。死亡により欠員が生じた分科ごとに各部分科会員の投票により毎年12月に新会員が選定される(常に全欠員が補充されるわけではない)。文化功労者より低い年金(250万円)が授与されるが(法第9条)、これは特別職の非常勤国家公務員(法第3条3項)としての給与名目で支給されており課税対象になる。また、検察官適格審査会令第1条2項の規定により、日本学士院会員から互選で1名が検察官適格審査会の委員になっている。また日本学士院客員たる外国人は、日本における学術の発達に関し特別に功労のあった人物の中から選出される(法第6条)。 外国のアカデミーは研究活動も行っており、日本学士院も「総会において、学術上の論文を提出し、又は紹介することができる」とされているものの(法第3条第4項)、内部に「今更、研究をするのはいかがなものか」という考えが多く、実際には研究機関としての面は他国に比べ薄い「殿堂」的機関と化しているのが現状である。しかしながら、毎月定例の研究会を開催し、そこで研究発表が行われ、またその研究成果は『日本学士院紀要』として公刊されている。 また恩賜賞や日本学士院賞、エジンバラ公賞、日本学士院学術奨励賞の授賞も行っている。なお、エジンバラ公 フィリップ殿下は、2021年4月9日に薨去するまで日本学士院の名誉会員であった(同日付にて退任の扱い。)。 象徴 日本学士院のシンボルマークは、長鳴鳥と桜花を図案化したものである。帝国学士院会員であった坪井正五郎によりデザインされた。なお、坪井は、恩賜賞の賞牌や当時の帝国学士院賞の賞牌のデザインも手掛けている。 沿革 1873年 - 明六社発足 1879年 - 東京学士会院創設(会員定員40名)。 1890年 - 東京学士会院規程公布。 1906年 - 帝国学士院規程公布(会員定員60名)。 1911年 - 恩賜賞創設。 1911年 - 帝国学士院賞創設。 1919年 - 国際学士院連合(UAI)加盟 1925年 - 貴族院に帝国学士院会員議員が設置される(1部・2部から各2名ずつ計4名、任期7年) 1947年 - 日本学士院と改称。貴族院廃止とともに帝国学士院会員議員も廃止される。 1949年 - 日本学術会議の附置機関となる(会員定員150名)。 1956年 - 日本学士院法公布、日本学術会議から独立。 1987年 - エジンバラ公賞創設。 2004年 - 日本学士院学術奨励賞創設。 会員の構成 会員は、その専攻により、人文科学と自然科学のいずれかの部門に分属する(法第2条第3項)。 第1部 - 人文科学部門 第1分科 - 文学・史学・哲学(定員30) 第2分科 - 法律学・政治学(定員24) 第3分科 - 経済学・商学(定員16) 第2部 - 自然科学部門 第4分科 - 理学(定員31) 第5分科 - 工学(定員17)   第6分科 - 農学(定員12) 第7分科 - 医学・薬学・歯学(定員20) 事業 法第8条。 授賞 恩賜賞 日本学士院賞 エジンバラ公賞 日本学士院学術奨励賞 紀要の編集及び発行 日本学士院紀要 PROCEEDINGS OF THE JAPAN ACADEMY その他学術の研究を奨励するため必要な事業で、日本学士院が行うことを適当とするもの 国際交流 研究費補助活動 公開講演会 歴代院長 東京学士会院(会長) 会員 現在の会員 過去の主な会員 創立会員(21名) 明治期任命 大正期任命 昭和戦前期(1927年 - 1944年)任命 昭和戦後期(1945年 - 1970年)選出 昭和後期(1971年 - 1988年)選出 平成期選出
{ "id": "123826", "title": "日本学士院", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E9%99%A2" }
東京学士会院(とうきょうがくしかいいん)は、日本にかつて存在した政府機関。改組後は帝国学士院を経て、現在の日本学士院となっている。文部卿の西郷従道の発案に基づき、1879年に設置された。その設置目的は、研究者による議論や評論を通じ学術の発展を図ることとされていた。 沿革 東京学士会院は1879年1月に設立され、同年4月には東京学士会院により「東京学士会院規則」が制定された。 当時の日本には、森有礼が設立した明六社など、学者が集う団体が既に存在した。しかし、明治8年の「明六雑誌」の廃刊後、明六社には学者だけでなく官僚や実業家らも参加していたため、親睦団体としての性格が強まり、名士の集うサロンと化していた。このような状況から、新たな学術団体たるナショナルアカデミーとして、明六社とは別の組織の新設が望まれていた。 1890年に「東京学士会院規程」が勅令として公布されるなど、ナショナルアカデミーとして組織の充実が図られていった。会員にはそれぞれの学問分野を代表する学者が選任され、会議や講演の開催や『明六雑誌』の後継となる『東京学士会院雑誌』の発刊等を通じ科学の啓蒙活動を行った。 文部省の所管する機関と位置づけられており、必要な経費等は文部省の予算より支出された。また、文部卿は、東京学士会院の会議に出席することが許されており、投票権はないものの討議への参加も認められていた。明治23年には会員の定数を増やした。 1906年に「帝国学士院規程」が勅令として公布された。これにともない、東京学士会院は帝国学士院に改組されることとなった。帝国学士院の発足に際して、東京学士会院の会員は、そのまま帝国学士院の会員として移行した。同様に、東京学士会院の客員も、帝国学士院の客員の資格を得た。 組織 前期 会員の定数は上限40名とされていたが、設立当初は暫定的に21名とすることになっていた。設立当初は、西郷従道の意を受けた文部大輔の田中不二麿が、当時の日本を代表する知識人とされた加藤弘之、神田孝平、津田真道、中村正直、西周、福澤諭吉、箕作秋坪の7名に諮問し、会員となる21名を選出した。会長就任内定時の当初の福沢諭吉の案では、江州水口藩・藩儒の中村栗園(1806年生まれ)を呼び寄せて、創立会員にする予定だったが、中村は高齢のため固辞した。初代会員21名は、福澤諭吉、西周、西村茂樹、神田孝平、津田真道、市川兼恭、加藤弘之、中村正直、箕作秋坪、杉亨二、伊藤圭介、内田五観、阪谷素、重野安繹、杉田玄端、川田剛、福羽美静、細川潤次郎、小幡篤次郎、栗本鋤雲である。また、東京学士会院が正式に発足してからは、新会員は東京学士会院での投票より選出され、文部卿の認可により任じられた。 後期 日本国内において各専攻分野を代表する研究者らが、東京学士会院の会員として選任された。明治23年に会員の規程を改正して会員を増やしたため、法学者のギュスターヴ・エミール・ボアソナードも客員として参加するなど、お雇い外国人と呼ばれた学者らも東京学士会院に協力した。組織の長は東京学士会院会長とされ、会員の中から選挙によって選ばれた。会長の任期は6か月とされているが、再任は特に妨げられていないため、連続して再任されることも多かった。西周や加藤弘之のように、いったん退任したのちに、再び会長として選出される者もいた。学士会院設立当初から顕在化していた「官民対立」の構造は徐々に不協和音を生み、会長就任当初から「官民調和」を訴えてきた福澤諭吉は、学士会院が文部省や明治政府に寄りかかることを嫌い、明治13年脱退届を提出して、小幡篤次郎と脱会することとなった。次いで栗本鋤雲ら福沢派の学者が抜けて『交詢社』の結成に参加した。第二部会員からは、数学・物理学・天文学の学者が多くなり、菊池大麓、山川健次郎らが台頭した。 歴代会長 会員
{ "id": "123828", "title": "東京学士会院", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E4%BC%9A%E9%99%A2" }
帝国学士院(ていこくがくしいん)は、大日本帝国にかつて存在した国立アカデミー。現在は日本学士院に改組されている。 帝国学士院は、研究者に対する顕彰等の事業を通じ、日本の学術の発展を図る目的で設置された。設置根拠は、1906年に勅令として公布された「帝国学士院規程」などに基づく。文部大臣の管理下に位置づけられており、職員として置かれた書記にも文部官僚が任じられた。 会員の定数は60名とされ、勅旨により任じられた。当時の日本は帝国としての勃興期にあたり、それ以降は日本列島だけでなく台湾や南樺太といった外地にも版図を拡大していったが、その広大な領土の各地から優秀な研究者が会員として選任された。また、日本国籍を有しない研究者であっても、日本にとって功績があると認められた場合は客員として迎えられた。 また、貴族院には帝国学士院会員の議席枠が4議席確保されており、井上哲次郎、小野塚喜平次、田中館愛橘らが貴族院議員に就任するなど、帝国議会にも一定程度の影響力を保持した。また、帝国学士院規程第9条を根拠として、万国学士院連合会や国際学士院連盟に加盟しており、日本を代表するアカデミーとして国際的にも認知されていた。1947年の政令により、帝国学士院規程は「日本学士院規程」に改正され、帝国学士院も日本学士院に改称された。 組織 内部組織は会員の専攻分野ごとに分かれており、人文科学、社会科学系の会員は第一部、自然科学系の会員は第二部に所属していた。組織の長として帝国学士院院長が設置され、幹部として帝国学士院幹事、および、各部の部長が置かれた。 活動 紀要 紀要や、学術書、研究書などの刊行を行い、知識の普及、啓蒙に努めていた。帝国学士院としての紀要は、1912年からProceedings of the Imperial Academyとして刊行された。それから30年が経過したのち、その日本語版である『帝国学士院紀事』の刊行が始まった。なお、『帝国学士院紀事』は、のちに『帝国学士院紀要』に改題されている。 顕彰 学術で顕著な功績を残した研究者に対して、帝国学士院賞を授与していた。特に功績が優れていた者に対しては恩賜賞が授与された。また、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)と良子女王(のちの香淳皇后)との成婚を記念し、一時「大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞」が授与されていた。この賞は毎日新聞社からの寄附金を原資としていたが、その後、帝国学士院賞に統合された。 歴代院長 帝国学士院設置から初代院長就任までの間は、東京学士会院会長だった加藤弘之が職務を代行。 会員
{ "id": "123829", "title": "帝国学士院", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E9%99%A2" }
ケイ素生物(ケイそせいぶつ)は、SFなどでよく登場する、ケイ素(シリコン)でできている生物の総称。ケイ素生命ともいわれている。 概要 地球上の生命は炭素を中心として構成されている。これは炭素の持つ原子価が4つであり、多様な結合が可能であるからである。SF世界においては、炭素と同族で原子価が4つであり、『生命のようなもの』が出来有るのではないかという観点から、ケイ素が注目された。実際には地球上のケイ素のほとんどは二酸化ケイ素の形で鉱物質だが、人工的にはシリコンゴムのような有機物的な高分子も作られている。ケイ素生物に対し、地球上の生物のような炭素を中心に構成された生物を「炭素生物」と呼ぶ。 SF作家で生化学者でもあったアイザック・アシモフの短編「もの言う石」(『F&SF』1955年10月号、のち『アシモフのミステリ世界』に収録)に登場する「シリコニー」が有名。卵形で、底面からは放射状に6本の脚が出ており、緩慢に動く。「もの言う石」は日本では『S-Fマガジン』第2号(1960年3月号)に訳載され、多くのSFファンに強い影響を与えた。 「ケイ素を中心にできた体は岩石っぽくなるのではないか」「原子量がかなり大きくなるから反応速度も格段に遅くなり、人間が見ていても生命活動していることに気がつかないくらいになる」「だからむしろ高温の惑星上で生活するに違いない」などの想像がなされてきた。 炭素―炭素結合とは違い、常温常圧ではケイ素―ケイ素結合はパイ結合やシグマ結合による二重・三重結合を作る傾向がほとんどなく極めて不安定である。よって、ケイ素を中心に置いた化合物は、有機炭素化合物のアルカンに相当する有機シランがほとんどであり、少なくとも地球と類似した環境の星ではケイ素生物が存在するとは考えにくい(有機ケイ素化合物を参照)。たとえ環境が異なる場合を想定しても、ケイ素を中心に構成される化合物は、炭素のそれよりも遥かに種類が少ない。カール・セーガンは、地球外生命体が存在するとしても、それは炭素生物であると考えるのが自然であり、ケイ素生物は非現実的であると述べている。 現実の生物にも、多量のケイ素を含むものはあるが、それらは二酸化ケイ素の形で、ガラス質の骨格や殻、あるいは内部にその結晶をふくむなどで、生物学的な活性を持っているわけではない。ケイソウや放散虫、海綿動物などの生物のつくる骨格、イネ科植物が細胞内に蓄積するプラント・オパールなどが知られている。 ケイ素生物が登場する作品 小説 (アイザック・アシモフ) 宇宙船∞号の冒険(シリコニア・カウンタマス)(川又千秋) 火星のオデッセイ(スタンリイ・G・ワインボウム) 朝のガスパール(筒井康隆) - 作中作であるオンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」にシリコニイが登場する。 燃える傾斜(眉村卓) 超・博物誌(山田正紀) 涼宮ハルヒシリーズ「涼宮ハルヒの憤慨」(谷川流) 月の珊瑚(奈須きのこ) 9S(葉山透) されど罪人は竜と踊る(浅井ラボ) 地球の汚名(豊田有恒) 歌の降る惑星(菅浩江) MM9―destruction―(山本弘) 星へ行く船(新井素子) 郷村教師 (劉慈欣) ドラマ 宇宙大作戦(ホルタ) Xファイル 映画 ガメラ2 レギオン襲来(レギオン) スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(エクソゴース(宇宙ナメクジ)、マイノック) パシフィック・リム(怪獣) 漫画 サンダーマスク(手塚治虫) 火の鳥 (漫画)(手塚治虫) 攻殻機動隊2(士郎正宗) BLAME!(弐瓶勉) マップス(長谷川裕一) 超人ロック「ソード・オブ・ネメシス」他(聖悠紀) スプリガン(皆川亮二) ARMS(皆川亮二) レヴァリアース(夜麻みゆき) ジョジョリオン(荒木飛呂彦) アニメ ジーンダイバー 無限のリヴァイアス(ヴァイア) ガイスターズ 蒼穹のファフナー(フェストゥム) 伝説巨神イデオン(バジン) アイドルマスター XENOGLOSSIA(IDOL) ゲームソフト ジオグラマトン(CLOCKUP) ツヴァイ・ウォルター(CLOCKUP) マブラヴ オルタネイティヴ(âge) メトロイドプライム ハンターズ(スパイア) ピクミン2(ゾウノアシ) メタルブラック(タイトー) スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-(トライエース) 輝光翼戦記 天空のユミナ(ETERNAL) サイバーナイト(トンキンハウス) 戯曲 ロールプレイングザバグ(北村想)
{ "id": "123832", "title": "ケイ素生物", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E7%B4%A0%E7%94%9F%E7%89%A9" }
恩賜賞 (おんししょう) 恩賜賞 (日本学士院) - 日本学士院による賞 恩賜賞 (日本芸術院) - 日本芸術院による賞 恩賜賞 (大日本蚕糸会) - 大日本蚕糸会による賞 恩賜発明賞 - 公益社団法人発明協会による賞 恩賜記念賞 - 社団法人発明協会・毎日新聞社による賞。戦前の帝国発明協会の賞は、恩賜発明賞を参照 同名の賞
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恩賜賞(おんししょう)は、日本学士院の賞である。 概要 日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。恩賜賞は日本学士院による賞の中でも特に権威あるもので、本来は日本学士院賞(帝国学士院賞)とは別個の賞であったが、1970年からは毎年9件以内授賞される日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に皇室の下賜金で授賞されるものとなっている。 1911年に帝国学士院により創設された。1947年までは帝国学士院の賞であり、1948年より日本学士院の賞となった。 芸術の分野における 日本芸術院恩賜賞 、技術(発明)の分野における 恩賜発明賞に対し、学術の分野における 日本学士院恩賜賞。 1949年に昭和天皇が授賞式に行幸し、以来、天皇が授賞式に臨席するのが慣例となった。1990年に明仁天皇と美智子皇后が授賞式に行幸啓し、以来、天皇と皇后が授賞式に臨席するのが慣例となった。 名称 英語での名称は「Imperial Prize」である。 歴代受賞者
{ "id": "123834", "title": "恩賜賞 (日本学士院)", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E8%B3%9E%20%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E9%99%A2%29" }
本名ジョバンニ・マリア・ヴェルサーチ(Giovanni Maria Versace)ことジャンニ・ヴェルサーチ(1946年12月2日 - 1997年7月15日)はイタリアのファッションデザイナー。 概要 ファッションブランドヴェルサーチの創業者。華やかで豪華、芸術的で装飾的なスタイルで知られている。また同時代にイタリア・ミラノを発として世界中のファッションを席巻したジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコ・フェッレ らと合わせて「ミラノの3G」とも呼ばれた。特にジョルジョ・アルマーニとは、正反対の作風と、ファッション界に大きな影響力を持つ者同士として、ライバルと目され、一時期はお互いに同日・同時刻にコレクションをぶつける事まであった。90年代のスーパーモデルブームの火付け役としても時代の大きな流れを牽引した。 舞台衣装のデザイナーとしても活躍し、友人であったエリック・クラプトンやダイアナ元妃、ナオミ・キャンベル、デュラン・デュラン、マドンナ、プリンス、エルトン・ジョン、シェール、スティングなど様々な著名人のための衣装デザインも行った。音楽業界、特にポピュラーミュージックとの積極的な協業を行った最初のデザイナーの一人とも評される。多くの著名人の友人であると共に、ジャンニとそのパートナー アントニオ・ダミコら自身も国際的な様々なパーティーシーンにおける有名人であった。 ジャンニ・ヴェルサーチはまた、その悲劇的かつセンセーショナルな最期でもよく知られている。1997年7月15日に、フロリダにあった自身の別荘前で突如銃撃され、50歳で亡くなった。犯人は連続殺人犯で、ジャンニがその最後の犠牲者であった。 生涯 前半生 ジャンニ・ヴェルサーチこと、ジョバンニ・マリア・ヴェルサーチは1946年の12月2日にイタリア、レッジョ・カラブリアに生まれ、そこで父とドレスメーカーの母フランチェスカ、そして兄のサント・ヴェルサーチと妹のドナテラ・ヴェルサーチと共に育った。彼には一人ティナという姉が居たが、破傷風が適切に治療されなかったことで12歳の時に亡くなっている。 ジャンニは、歴史的な遺構が数多く残るレッジョ・カラブリアに育ったこともあり、古代ギリシャ文明の影響を大きく受けた。レッジョ・カラブリアの高等学校 Liceo Classico Tommaso Campanelladでは、教科コースを完了してはいないが、古代ギリシャと古代ローマについて学んだ。また、アンディ・ウォーホルにも影響を受けた。ジャンニの母は12人ほどのお針子を雇う縫製業を営んでおり、彼も幼いころからそこに出入りしていた。26歳でミラノに移住してファッション産業で働き始める以前には、建築についても学んでいた。 1973年、ジャンニはイタリアの既製服メーカー”Genny”の若者向けライン"Byblos"のデザイナーに就任し、成功を収める。続いて1977年には同じく”Genny”のより実験的なライン"Complice"のデザイナーとなった。1978年、そうした成功を元にして、自身の名を冠したレーベルから最初の女性向けコレクションをミラノのPalazzo della Permanenteにて発表。彼の最初のコレクションは、同じ年の9月に再度披露された。また、同じ1978年に最初の店舗をミラノのVia della Spigaにオープンした。 ファッション帝国 1978年に最初の店舗を開いて後、ジャンニは即座にファッションシーンに国際的なセンセーションを巻き起こした。ジャンニのデザインは鮮やかな色彩と、大胆なプリント、セクシーなカッティングにより、それまでの控えめな色彩とシンプルな形によるファッションシーンを一新した。同時に、彼の作品の「クラシックな豪華さと、過剰なまでのセクシーさの組み合わせ」は数多くの賞とともに、様々な批判も彼にもたらした。ジャンニの創作姿勢は「ファッションのルールに果敢に挑戦するもの」と評された。また、ジャンニのライバルと目されたジョルジョ・アルマーニのスタイルと比較して「アルマーニの服は妻のために、ヴェルサーチの服は愛人に」とも表現された。 1978年、ジャンニは、家族の協力をもとに自身の会社を立ち上げた。彼の兄サントが社長に、妹のドナテラが副社長となった。ドナテラは特に、創作面におけるジャンニの視野を更に広げる役割を担い、さしずめ会社にとって重要なコンサルタントの様なものだった。それに、ジャンニはドナテラの夫であり、元モデルのポール・ベックをメンズウェアのディレクターとして雇い入れた。 ジャンニによるファッションの革新の一つとして著名なものに、1982年の非常に軽量のチェーンメイルを用いた”Oroton”と名付けられたドレスがある。この素材はデザイナーを代表する素材の一つとして認知されるにいたった。また、ジャンニの手がけるスーツは、彼自身が経験してきた女性服のテーラリングの経験が強く反映されており、イギリスのサヴィル・ロウに始まる男性をより男性性的にみせるスタイルとは、一線を画するものだった。ジャンニは自身のアイデンティティでもあり、古代ギリシャ・ローマなど様々な影響を受けた南イタリアのことを、イタリアにおける南北問題を別として、誇りとしていた。そうしたことは、彼のデザインにおけるモチーフの中にも反映されているとされ、ブランドのロゴであるメデューサの頭、ギリシア雷文などが挙げられる。現代アートもジャンニの重要なインスピレーションであり、彼のグラフィックプリントは、ロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォーホルの影響が指摘される。 1982年、ジャンニは自身のビジネスの拡大として、ジュエリーと、日用品のデザインに乗り出す。日用品とは、ファッションと同じく、非常に豪華なデザインの家具、陶器、そして室内装飾用のテキスタイルであった。もっとも、ジャンニはこうした自社の多分野における創作面のコントロールを自分で常に全て負っていたわけではなかった。1989年にはパリのサンディカに加盟し、” Atelier Versace”の名でオートクチュールの分野に進出する。また、メインラインよりも値段を抑えたディフュージョンライン"Versus"を同じ年にスタートさせる。 この頃になると、ヴェルサーチは特に国際的な著名人との関わりでも有名になっていた。コレクションの際に最前列の席に座る人々や、あるいは広告キャンペーンに採用するといった形で、である。さらに1990年代の初頭からは、いわゆるスーパーモデルブームの火付け役・中心として、その時代のもっとも著名なナオミ・キャンベルやクリスティー・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタといったモデルたちをコレクションのランウェイと、広告キャンペーンの両方に起用して話題をさらった。 90年代には、ブランドの最も著名なアイコンの一つである鮮やかなプリント生地が次々に登場する。ヴォーグのロゴを様々に配した1991年の"Vogue"や1993年の"Florida"など。特に91年の秋・冬で登場した"Barocco"(バロック模様)は定番として現在でも様々な形で展開されている 。 1997年、ジャンニが悲劇的な形で急逝した時には、彼の会社の価値は807万ドルに達し、世界中に130の店舗を有するまでの規模に成長していた。ジャンニの死後は、彼の妹であるドナテラがヘッドデザイナーとしてブランドを運営している。ブランドは彼の名を冠した"Gianni Versace"から"Versace"へと名前を変えて、今に至っている。 舞台衣装 ジャンニはその生涯におけるキャリアーを通して、様々な衣装をステージやアーティストのためにデザインした。ジャンニは、ステージを「自身にとっての自由の場所」と評し、そうして制作された衣装はどれも彼のスタイルである大胆な色遣いと、ドレープ、様々な装飾、それに百科事典級のファッション史の知識によって構成されていた。そうしたジャンニの仕事としては、ミラノのLa Scala Theatre Balletにおけるリヒャルト・シュトラウスによるバレエ音楽『ヨゼフ伝説』の公演(1982年)や、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ『ドン・パスクワーレ』がある。他にもスイスのバレエ団体Béjart Balletの 5つの公演(”Dionysos” (1984), "Leda and the Swan" (1987), "Malraux ou la Métamorphoses des Dieux" (1986), "Chaka Zulu" (1989) , "Ballet du XXme Siècle".)でも協力している。1990年にはサンフランシスコ・オペラのカプリッチョ公演のために衣装デザインを行った。ポピュラーミュージックでも、1992年のエルトン・ジョンのワールドツアーのためにコスチュームをデザインした。 ジャンニ・ヴェルサーチ殺害事件 1997年7月15日、マイアミ・ビーチにある別荘の入口で、アンドリュー・クナナン(Andrew Cunanan)によって射殺された。ジャンニは、歩いて5分ほどのニューズカフェでコーヒーを飲みながらイタリアの新聞を読むのをバカンス中の朝の日課にしており、その帰りだった。犯人のクナナンはフィリピン系の父とイタリア系の母を持つ28歳の男で、IQが147あり、7か国語を操る秀才だった。父は軍人で貧しいながらも、優秀な息子の将来を思って高い私立高校に通わせた。カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学したが、父親が転職先で失敗し家族を捨ててフィリピンに帰国してしまう。クナナンは父を追ったがフィリピンでの悲惨な暮らしぶりを見て絶望し、大学を中退、サンフランシスコの有名なゲイ・タウン、カストロ通りで金持ち相手に男娼を始める。話術に長け、好青年風のクナナンはカルフォルニアのゲイ・コミュニティで人気者になり、映画界やビジネス界のセレブたちとも交流があった。ジャンニとは、サンフランシスコのオペラのあとの社交パーティで、クナナンの当時の恋人だった弁護士を通じて知り合ったと言われている。ジャンニ殺害の数か月前に、三角関係のもつれから建築家と元海兵隊員をミネアポリスで殺害し逃走。警察に追われるなか、シカゴへ行き、当地の不動産王と言われていた70代の男性を暴行の末、喉をかき切って殺害し、金品を奪った。さらに逃走車両強奪の目的でニュージャージーで一人を射殺し、マイアミに逃げた。ジャンニを殺害した2週間後、警察に包囲されるなか、潜伏していたボートハウスで拳銃自殺した。 ジャンニの別荘Casa Casuarina は死後売却され、通信会社社長が所有し、ホテルなどに使っていた。その後1億2500万ドルで売りに出たが買い手がつかず、2013年現在1億ドルに値下げされた。2013年秋にアメリカの実業家が購入し、2015年に4つ星ホテルThe Villa Casa Casuarinaとして開業した。ナカシュはイスラエル生まれのシリア系ユダヤ人で、アメリカの服飾企業の経営者である。 事件は『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』としてアメリカのテレビ局FXでドラマ化された。
{ "id": "123837", "title": "ジャンニ・ヴェルサーチ", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81" }
日本学士院賞(にっぽんがくしいんしょう, Japan Academy Prize)は、日本学士院が授与する1948年創設の賞。1911年に創設された帝国学士院賞(ていこくがくしいんしょう)を前身とする。 概要 日本の学術賞としては最も権威ある賞である。毎年9件以内授賞する。 日本学士院は、学術上特に優れた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。1947年の第37回まで名称は「帝国学士院賞」であった。本来は恩賜賞とは別個の賞であったが、1970年からは日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に恩賜賞も授賞されるものとなっている。 1911年11月12日、帝国学士院は三井家・岩崎家の寄付金により、帝国学士院賞を創設した。第1回授賞は1912年5月12日であった。 受賞者 第1回(1911年/明治44年) ※受賞者なし(恩賜賞のみ) 第2回(1912年/明治45年) 高峰譲吉(工学博士・薬学博士) - 「アドレナリンの発見」 第3回(1913年/大正2年) 五島清太郎(理学博士) - 「外部寄生性吸虫類の研究」 近藤基樹 - 「軍艦の設計」 上坂熊勝 (医学博士)- 「脳神経起首の研究」:恩賜賞 第4回(1914年/大正3年) 竹添進一郎 - 「左氏会箋」 日下部四郎太(理学博士) - 「岩石の力学的研究」 第5回(1915年/大正4年) 金允植(子爵) - 「雲養集」 外山亀太郎(農学博士) - 「蚕の遺伝研究」 第6回(1916年/大正5年) 鳥潟右一(工学博士)・鯨井恒太郎・横山英太郎・北村政次郎 - 「無線電信電話に使用する電気振動間隙に関する研究」 本多光太郎(理学博士) - 「鉄に関する研究」 第7回(1917年/大正6年) 真島利行(理学博士) - 「漆の主成分に関する研究」 西川正治(理学博士) - 「スピネルの原子配置並に歪を受けたる物体のレントシェン線検査に関する研究」 第8回(1918年/大正7年) 桂田富士郎(医学博士・理学博士)・藤浪鑑(医学博士) - 「日本住血吸虫病の研究」 滝本誠一(法学博士) - 「日本経済叢書」(桂公爵記念賞) 第9回(1919年/大正8年) 高田忠周 - 「漢字の研究(古籀篇)」 山極勝三郎(医学博士)・市川厚一(獣医学博士) - 「癌腫の人工的発生研究」 石川登喜治 - 「満俺青銅其他の銅合金及び鋳鉄の鋳造に関する研究」 第10回(1920年/大正9年) 大村西崖 - 「密教発達志」 藤原咲平(理学博士) - 「音の移住伝播の研究」 早田文蔵(理学博士) - 「台湾植物の研究」(桂公爵記念賞) 第11回(1921年/大正10年) 松本彦七郎(理学博士) - 「蛇尾綱(クモヒトデ)の研究」 俵国一(工学博士) - 「日本刀の研究」 田原良純(薬学博士) - 「河豚の毒素の研究」(桂公爵記念賞) 第12回(1922年/大正11年) 清野謙次(医学博士) - 「生体染色法に就ての研究」 末広恭二(工学博士) - 「伝動軸の捩れ計の研究」 第13回(1923年/大正12年) ※受賞者なし(恩賜賞のみ) 第14回(1924年/大正13年) 左右田喜一郎(法学博士) - 「貨幣と価値並に経済法則の論理的性質」 川村麟也(医学博士) - 「類脂肪体の研究」 鈴木梅太郎(農学博士)・高橋克己 - 「副栄養素の研究」 木崎愛吉(元大阪朝日新聞社員) - 「大日本金石史」(桂公爵記念賞) 広瀬治兵衛 - 「和鏡聚英 続和鏡聚英」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 清水武雄 - 「放射線の研究に使用する膨張器の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 田代四郎助(医学博士) - 「炭酸発生並に炭酸の微量測定法に関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第15回(1925年/大正14年) 畑井新喜司 - 「白鼠に関する研究」 曽禰武(理学博士) - 「気体の磁気係数の測定」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第16回(1926年/大正15年) 石橋智信(文学博士) - 「メシア思想を中心としたるイスラエル宗教文化史」 桑原隲蔵(文学博士) - 「宋末の提挙市舶西域人蒲寿庚の事蹟」 元良信太郎(工学博士) - 「元良式船舶動揺制止装置の研究」 勝沼精蔵(医学博士) - 「オキシダーゼの組織学的研究」 密田良太郎(工学博士) - 「水銀避雷器の研究」 斎藤平吉(工学博士) - 「熱秤分析法の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 島薗順次郎(医学博士)・緒方知三郎(医学博士) - 「ヴィタミンB欠乏症に就ての実験的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 小松茂(理学博士) - 「数種の日本産植物に関する生物化学的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第17回(1927年/昭和2年) 加藤元一(医学博士) - 「神経に於ける不減衰伝導に関する研究」 田中芳雄(工学博士) - 「本邦産石油の成分並に応用に関する研究」 中井猛之進(理学博士) - 「朝鮮植物の研究」(桂公爵記念賞) 村上武次郎(理学博士) - 「特殊鋼の物理冶金学的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 土肥慶蔵(医学博士) - 「黴毒の起源に就ての研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第18回(1928年/昭和3年) 高野辰之(文学博士) - 「日本歌謡史」 平賀譲(工学博士) - 「高速度艦船に関する研究」 近藤平三郎(薬学博士) - 「本邦産植物に含まるゝ数種のアルカロイドに関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第19回(1929年/昭和4年) 堀口由巳 - 「極東颱風論」 田辺尚雄 - 「東洋音楽の研究」 山上八郎 - 「日本甲冑の新研究」(桂公爵記念賞) 二木謙三(医学博士)・高木逸磨(医学博士)・谷口腆二(医学博士)・大角真八(医学博士) - 「鼠咬症の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 石原喜久太郎(医学博士)・太田原豊一(医学博士) - 「鼠咬症の実験的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第20回(1930年/昭和5年) 小倉伸吉(理学博士) - 「瀬戸内海の潮汐及潮流に関する研究」 及川奥郎 - 「小惑星の発見」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第21回(1931年/昭和6年) 宇井伯寿(文学博士) - 「印度哲学研究(全六巻)」 増本量(理学博士) - 「強磁性元素及び其の合金の物理冶金学的研究」 三宅速(医学博士) - 「日本に於ける胆石症」 第22回(1932年/昭和7年) 平井毓太郎(医学博士) - 「本邦乳児に於て屢々見らるる脳膜炎様病症の原因に就ての研究」 会田龍雄 - 「メダカ体色遺伝の研究」 松山基範(理学博士) - 「重力偏差及岩石磁性に関する地球物理学的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 宇田新太郎(工学博士) - 「超短波長電波の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 菊池正士 - 「電子の廻折に関する研究」(メンデンホール記念賞) 第23回(1933年/昭和8年) 石本巳四雄(理学博士) - 「地動計測に関する研究」 草野俊助(理学博士) - 「壺状菌類の生活史に関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 小口忠太(医学博士) - 「小口氏病の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 古武弥四郎(医学博士) - 「トリプトファーンの中間代謝に就ての研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 野村博(理学博士) - 「生薑の辛味成分の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第24回(1934年/昭和9年) 田所芳秋(理学博士) - 「耐火物に関する研究」 今裕(医学博士) - 「細胞の銀反応の研究」 日高孝次(理学博士) - 「湖海の水盆の振動及海流に関する海洋物理学的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 武居三吉(農学博士) - 「デリス根の有効成分ロテノーンの化学的構造に関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 沢口悟一 - 「日本漆器の研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第25回(1935年/昭和10年) 海野三朗(理学博士) - 「鉄炭素系合金の比熱及び其の諸相の変化に伴う熱量に関する研究」 第26回(1936年/昭和11年) 移川子之蔵 - 「台湾高砂族系統所属の研究」 末永雅雄 - 「日本上代の甲冑」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 冨田雅次(医学博士) - 「胎生化学に就ての研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 星野敏雄(理学博士) - 「インドールの誘導体の合成的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 浅野三千三(薬学博士) - 「地衣脂肪酸並にプルヴィン酸系色素に関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第27回(1937年/昭和12年) 金平亮三(林学博士) - 「南洋委任統治領フロラの研究」(伯爵鹿島萩麿記念賞) 第28回(1938年/昭和13年) 水島三一郎(理学博士) - 「有機化合物の双極子説の実験的証明及び之れと分子構造との関係に就ての研究」 北里善次郎(理学博士) - 「サポゲニンの構造に関する研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 清水多栄(医学博士) - 「胆汁酸の化学的及生理学的研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 渡辺襄(理学博士) - 「光波長を規準とする基線測定に関する研究」(メンデンホール記念賞) 第29回(1939年/昭和14年) 久松潜一(文学博士) - 「日本文学評論史」 功力金二郎 - 「抽象空間の研究」 川瀬一馬 - 「古活字版之研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第30回(1940年/昭和15年) 有坂鉊蔵(工学博士) - 「兵器考」 斎藤茂吉(医学博士) - 「柿本人麿」 石田元季 - 「俳文学考説」 牧鋭夫(工学博士) - 「建染染料の合成に関する研究」 菊田多利男(理学博士) - 「鋳鉄の研究」 第31回(1941年/昭和16年) 岩生成一 - 「南洋日本町の研究」 石原忍(医学博士) - 「色神及色盲に関する研究」 尾形輝太郎(理学博士) - 「感光色素合成に関する研究」 中谷宇吉郎(理学博士) - 「雪に関する研究」 第32回(1942年/昭和17年) 茅誠司(理学博士) - 「強磁性結晶体の磁気的研究」 第33回(1943年/昭和18年) 藪田貞治郎(農学博士) - 「糸状菌の代謝生産物に関する生化学的研究」 田村憲造(医学博士)・石館守三(薬学博士)・木原玉汝(医学博士) - 「樟脳の強心作用の本態に関する研究」 仁田勇(理学博士) - 「化学構造のX線的研究」 菅沢重彦(薬学博士) - 「Dibenzo-chinolizin並にDibenzo-indolizin誘導体の合成研究」(大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞) 第34回(1944年/昭和19年) 寺尾博(農学博士) - 「水稲冷害の生理学的研究」 小竹無二雄(理学博士) - 「蟇毒の化学的研究」 佐々木申二(理学博士) - 「化学反応の微細機構に関する研究」 落合英二(薬学博士) - 「芳香族複素環塩素に関する研究」 畠山久尚(理学博士) - 「地磁気湾形変化の研究」 第35回(1945年/昭和20年) 春日政治(文学博士) - 「西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究」 飯盛里安(理学博士) - 「稀元素鉱物殊に放射性及発光性鉱物に関する研究」 真下俊一(医学博士) - 「循環器系疾患の機能検査」 金子彦二郎 - 「平安時代文学と白氏文集 句題和歌千載佳句研究篇」 亀山直人(工学博士)・牧島象二 - 「螢燐光体の研究」 木村健二郎(理学博士) - 「稀元素の地球化学的及分析化学的研究」 伊藤貞市(理学博士) - 「珪酸塩結晶構造の研究」 塩入松三郎(農学博士) - 「水田の化学的研究」(伯爵鹿島萩麿記念賞) 阿部正直(理学博士) - 「山雲及山の気流に関する研究」(伯爵鹿島萩麿記念賞) 宗宮尚行(工学博士) - 「金属中のガス定量法」(伯爵鹿島萩麿記念賞) 第36回(1946年/昭和21年) 平井金三郎(医学博士) - 「小児腸管内細菌による毒物生成の実験的研究」 小倉謙(理学博士) - 「羊歯植物の解剖学」 第37回(1947年/昭和22年) 土岐善麿 - 「田安宗武」 真島正市(工学博士) - 「高速衝撃破壊とこれに関連せる二三の現象」 田口泖三郎(理学博士) - 「トーキーフィルムによる日本語の音素研究」 第38回(1948年/昭和23年) 古賀逸策(工学博士) - 「圧電気振動子の性質解明並に水晶発振器及び時計に応用したる研究」 藤原武夫(理学博士) - 「任意の結晶方位を有するアルミニュム及び鉄単結晶の製作法とその物理的性質のX線的研究」 小谷正雄(理学博士)・朝永振一郎(理学博士) - 「磁電管の発振機構と立体回路の理論的研究」 第39回(1949年/昭和24年) 鈴木醇(理学博士) - 「超塩基性岩類並びにこれに附随する鉱床に関する研究」 久留勝(医学博士) - 「脊髄後角内に於ける痛温度覚伝導に関する細胞群の決定に関する研究」 正田建次郎(理学博士) - 「輓近の抽象代数学に於ける研究」 渡辺恵弘(工学博士) - 「船舶の動揺に関する研究」 第40回(1950年/昭和25年) 石川謙(文学博士) - 「古往来についての研究」 武田祐吉(文学博士) - 「万葉集校定の研究ならびにその万葉学における業績」 坂口謹一郎(農学博士) - 「本邦産醗酵菌類に関する研究」 正野重方(理学博士) - 「大気擾乱の研究」 名倉重雄(医学博士) - 「所謂骨端炎の研究」 長谷川万吉(理学博士) - 「地磁気日変化の解析的研究」 沼知福三郎(工学博士) - 「翼型のキャビテーション性能に関する研究」 第41回(1951年/昭和26年) 小西甚一 - 「文鏡秘府論考」 粟野頼之祐(バチェラー・オブ・アーツ、マスター・オブ・アーツ) - 「出土史料によるギリシア史の研究」 久保正幡 - 「サリカ法典」 岡潔(理学博士) - 「多変数解析函数に関する研究」 永田武(理学博士) - 「岩石の磁気的性質に関する地球磁気学的研究」 小林貞一(理学博士) - 「佐川造山輪廻とその日本群島の起源に対する意義」 小川鼎三(医学博士)・平沢興(医学博士) - 「錐体外路系に関する研究」 第42回(1952年/昭和27年) 有坂秀世(文学博士) - 「国語音韻史の研究」 山本達郎(文学博士) - 「安南史研究」 神川彦松(法学博士) - 「近代国際政治史」 鮫島実三郎(理学博士) - 「膠質学に関する研究」 坪井忠二(理学博士) - 「地殻の物理的性状に関する研究」 吉川秀男(理学博士) - 「昆虫類を材料とする遺伝生化学的研究」 大越諄(工学博士) - 「金属切削の研究」 第43回(1953年/昭和28年) 関靖(文学博士) - 「金沢文庫の研究」 山本忠雄(文学博士) - 「Growth and System of the Language of Dickens」 金倉円照(文学博士) - 「印度中世精神史」 野副鉄男(理学博士) - 「ヒノキチオール及びその関連化合物に関する研究」 桑田義備(理学博士) - 「染色体構造の研究」 成瀬政男(工学博士)・和栗明(工学博士)・中田孝(工学博士) - 「歯車に関する研究」 岩崎憲(医学博士) - 「アゾトメトリーの研究」 第44回(1954年/昭和29年) 根岸佶(経済学博士) - 「中国のギルド」 中山正(理学博士) - 「環論及び表現論に関する研究」 久野久(理学博士) - 「輝石に関する岩石学上の研究」 山下英男(工学博士)・小野勝次(理学博士)・佐藤亮策 - 「継電器式電気統計計算機の研究」 橋本春雄(農学博士)・田島弥太郎(農学博士) - 「家蚕における性決定に関する研究とその応用」 三田村篤志郎(医学博士) - 「日本脳炎の蚊による伝播についての研究」 本川弘一(医学博士) - 「脳電図の研究」 第45回(1955年/昭和30年) 金倉円照(文学博士)・山田龍城(文学博士)・多田等観・羽田野伯猷 - 「西蔵撰述仏典目録」 米谷隆三(法学博士) - 「約款法の理論」 羽原又吉(経済学博士) - 「日本漁業経済史」 赤堀四郎(理学博士) - 「蛋白質を構成するアミノ酸の結合状態に関する研究」 桜田一郎(工学博士) - 「繊維素誘導体及び合成繊維に関する研究」 盛永俊太郎(理学博士) - 「アブラナ属及びイネ属の細胞遺伝学的研究」 宮川米次(医学博士) - 「鼠蹊淋巴肉芽腫症の病原体に関する研究」 第46回(1956年/昭和31年) 湯沢幸吉郎(文学博士) - 「近代国語の研究」 堀一郎(文学博士) - 「我が国民間信仰史の研究」 周藤吉之 - 「中国土地制度史研究」 山内恭彦(理学博士) - 「原子スペクトル理論への群論の応用」 千谷利三(理学博士) - 「安定同位元素に関する研究」 水上武(理学博士) - 「火山に関する地球物理学的研究」 井関尚栄(医学博士) - 「微生物の免役遺伝学的研究」 第47回(1957年/昭和32年) 神田信夫・岡本敬二・石橋秀雄・松村潤・岡田英弘 - 「満文老档本文篇第一巻太祖1及び第二巻太祖2」 折茂豊 - 「国際私法の統一性」 小平邦彦(理学博士) - 「調和積分及びその応用に関する研究」 福田宗一(理学博士) - 「昆虫とくに家蚕の内分泌整理に関する研究」 野田稲吉(工学博士) - 「合成雲母に関する研究」 朝井勇宣(農学博士) - 「酸化醗酵に関する研究」 岡本肇(医学博士) - 「核酸による溶血性連鎖状球菌の溶血毒増産現象の発見について」 第48回(1958年/昭和33年) 松村博司(文学博士) - 「栄花物語の研究」 桂寿一(文学博士) - 「スピノザの哲学」 宮崎市定(文学博士) - 「九品官人法の研究」 菅原健(理学博士) - 「水による物質移動循環機構の地球化学的研究」 牧野佐二郎(理学博士) - 「動物染色体の研究」 福士貞吉(農学博士) - 「植物ウイルス病の虫媒伝染に関する研究」 木原卓三郎(医学博士) - 「脈管外通液路系に関する研究」 第49回(1959年/昭和34年) 村田治郎(工学博士)・長尾雅人(文学博士)・足利惇氏(文学博士)・高田修・江実・小野勝年・藤枝晃・日比野丈夫・梶山雄一・西田龍雄 - 「居庸関」 鹿島守之助(法学博士) - 「日英外交史および日本外交政策の史的考察」 久保田広(工学博士) - 「光学系の映像に関する研究」 井上吉之(農学博士) - 「窒素配糖体殊にアミノ酸配糖体の研究」 山本脩太郎(農学博士) - 「レプトスピラに関する研究」 藤田秋治(医学博士)・木村廉(医学博士)・藤原元典(医学博士)・松川泰三(薬学博士) - 「ビタミンB1に関する研究」 岡田正弘 - 「硬組織の生理および薬理の研究」 第50回(1960年/昭和35年) 河竹繁俊(文学博士) - 「日本演劇全史」 竹内敏雄 - 「アリストテレスの芸術理論」 伊藤正己 - 「言論・出版の理由」 神田英蔵(理学博士) - 「低温度における凝縮気体の性質及び極低温における磁性の研究」 福井伸二(工学博士) - 「薄板の深絞り加工に関する研究」 片桐英郎(農学博士)・北原覚雄(農学博士) - 「乳酸菌殊にそのラセミアーゼの研究」 富田真雄(薬学博士) - 「植物塩基の化学構造に関する研究」 第51回(1961年/昭和36年) 岸辺成雄 - 「唐代音楽の歴史的研究 楽制篇 上巻」 長沢信寿(文学博士) - 「アウグスティーヌス哲学の研究」 福原満洲雄(理学博士) - 「微分方程式の研究」 石橋雅義(理学博士) - 「海洋科学に関する研究」 佐藤知雄(工学博士) - 「鉄鋼中の炭化物に関する研究」 磯永吉(農学博士) - 「亜熱帯における稲の育種に関する研究」 市原硬(医学博士)・須田正巳(医学博士) - 「二、三アミノ酸の中間代謝及び之に関する酵素の研究」 第52回(1962年/昭和37年) 中村孝也(文学博士) - 「徳川家康文書の研究」 児玉洋一(経済学博士) - 「近世塩田の成立」 岩澤健吉(理学博士) - 「群論及び整数論における研究」 川村智治郎(理学博士) - 「両生類を材料とする生物学的諸研究」 福井謙一(工学博士) - 「共役化合物の電子状態と化学反応に関する研究」 平塚直秀(農学博士・理学博士) - 「銹菌類に関する研究」 梅沢浜夫(医学博士) - 「カナマイシンの研究」 第53回(1963年/昭和38年) 宝月圭吾(文学博士) - 「中世量制史の研究」 福島正夫(法学博士) - 「地租改正の研究」 天野元之助(経済学博士) - 「中国農業史研究」 関口春次郎(工学博士) - 「鋼の溶接棒ならびに炭酸ガス酸素アーク溶接法に関する研究」 住木諭介(農学博士) - 「Blasticidin Sに関する研究」 小林芳人(医学博士)・浦口健二(医学博士)・三宅市郎 - 「カビ類代謝産物の中毒学的研究」 勝木保次(医学博士) - 「聴覚機構の研究」 第54回(1964年/昭和39年) 築島裕(文学博士) - 「平安時代の漢文訓読語につきての研究」 竹中靖一(経済学博士) - 「石門心学の経済思想」 杉山忠平 - 「イギリス信用思想史研究」 森野米三(理学博士) - 「気体電子回折及びマイクロ波分光による分子構造の研究」 西島和彦(理学博士) - 「素粒子の相互転換に関する研究」 西川義正(農学博士) - 「ホルモン処理による家畜繁殖の生理学的研究」 高原滋夫(医学博士) - 「無カタラーゼ血液症の発見とその研究」 第55回(1965年/昭和40年) 富田正文 - 「『福沢諭吉全集』の編纂校訂註解」 田宮博(理学博士) - 「同調培養によるクロレラの生理学並びに生化学研究」 赤松秀雄(理学博士)・井口洋夫(理学博士) - 「有機化合物の電気伝導性に関する研究」 江崎玲於奈(理学博士) - 「エサキダイオードとその応用の研究」 長尾正人(理学博士)・高橋萬右衛門(農学博士) - 「イネにおける十に連鎖群の研究」 中原和郎(医学博士)・福岡文子(医学博士) - 「癌毒素及び発癌物質に関する研究」 山岡憲二(医学博士) - 「血色素並びに胆汁色素の研究」 第56回(1966年/昭和41年) 小松茂美(文学博士) - 「平安朝伝来の白氏文集と三蹟の研究」 伊藤不二男(法学博士) - 「ビトリアの国際法理論」 江頭恒治(経済学博士) - 「近江商人中井家の研究」 渡辺武男(理学博士) - 「新鉱物の発見と研究」 吉識雅夫(工学博士) - 「船舶大型化に対する構造力学上の研究」 木下祝郎(農学博士)・中山清(農学博士)・田中勝宣(農学博士)・鵜高重三(農学博士) - 「醱酵によるアミノ酸類の生成に関する研究」 津田恭介(薬学博士) - 「苦蔘塩基を中心とする荳科アルカロイドの化学的研究」 第57回(1967年/昭和42年) 秋山光和 - 「平安時代世俗画の研究」 太田善麿 - 「古代日本文学思潮論」 松川七郎 - 「ウィリアム・ペティ」 末元善三郎(理学博士) - 「太陽及び恒星の彩層の研究」 今井勇之進(工学博士) - 「鉄鋼の熱処理加工に関する基礎研究」 三井進午(農学博士) - 「植物の養分吸収同化に関する生理化学的研究」 早石修(医学博士) - 「酸素添加酵素の研究」 第58回(1968年/昭和43年) 金子金治郎(文学博士) - 「菟玖波集の研究」 奥貫一男(理学博士) - 「チトクローム系の研究」 加藤愛雄(理学博士) - 「地磁気の変化磁場の測定とその微細変動に関する研究」 木村資生(理学博士) - 「集団遺伝学の理論の研究」 谷一郎(工学博士) - 「境界層に関する流体力学的研究」 神立誠(農学博士) - 「反芻胃内消化に対する繊毛虫類の機能に関する生化学的研究」 宮川正澄(医学博士) - 「無菌動物の研究」 第59回(1969年/昭和44年) 小葉田淳(文学博士) - 「日本鉱山史の研究」 浜口重国(文学博士・法学博士) - 「唐王朝の賤人制度」 滋賀秀三(法学博士) - 「中国家族法の原理」 宮田光雄 - 「西ドイツの精神構造」 松本達郎(理学博士) - 「環太平洋地域の白堊紀アンモナイトの研究」 林千博(工学博士・理学博士) - 「非線形振動の研究」 水島宇三郎(農学博士) - 「ジュウジバナ科アブラナ類の核遺伝学的研究」 井関尚栄(医学博士) - 「酵素による血液型の転換に関する実験的研究」 第60回(1970年/昭和45年) 中村栄孝 - 「日鮮関係史の研究」(恩賜賞も受賞) 岡村誠三(工学博士) - 「放射線重合に関する研究」(恩賜賞も受賞) 中西進(文学博士) - 「万葉集の比較文学的研究、万葉史の研究」 護雅夫(文学博士) - 「古代トルコ民族史研究」 大山敷太郎(経済学博士) - 「幕末財政金融史論」 広中平祐(理学博士) - 「代数的多様体の研究」 山本義一(理学博士) - 「大気放射の研究」 中島稔(農学博士) - 「環状糖アルコールとそのアミノ誘導体の合成に関する研究」 上尾庄次郎(薬学博士) - 「ヒガンバナの有毒塩基成分の化学的研究」 第61回(1971年/昭和46年) 宮本又次(経済学博士) - 「小野組の研究」(恩賜賞も受賞) 林忠四郎(理学博士) - 「核反応と恒星の進化に関する研究」(恩賜賞も受賞) 下村寅太郎(文学博士) - 「ルネッサンスの芸術家」 亀井俊介(文学博士) - 「近代文学におけるホイットマンの運命」 藤田宏達(文学博士) - 「原始浄土思想の研究」 江上不二夫(理学博士) - 「リボヌクレアーゼに関する研究」 神谷宣郎(理学博士) - 「植物細胞の原形質流動及び水分生理の研究」 横堀武夫(理学博士)・平修二(工学博士) - 「金属材料の強度に関する研究」 阿部又三(農学博士) - 「麦角菌による麦角アルカロイド類の生産に関する研究」 第62回(1972年/昭和47年) 松下忠(文学博士) - 「江戸時代の詩風詩論—明清の詩論とその摂取」(恩賜賞も受賞) 江橋節郎(医学博士) - 「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」(恩賜賞も受賞) 倉沢剛(文学博士) - 「小学校の歴史」 小林昇(経済学博士) - 「フリードリッヒ・リスト論考およびリスト・経済学の国民的体系」 村松祐次(経済学博士) - 「近代江南の祖棧—中国地主制度の研究—」 島内武彦(理学博士) - 「多原子分子の力場の研究」 前田憲一(工学博士) - 「電離層に関する研究」 野村真康(農学博士) - 「リボゾーム再構成に関する研究」 岡本耕造(医学博士) - 「糖尿病と高血圧症の基礎的研究」 第63回(1973年/昭和48年) 竹島卓一(工学博士) - 「営造法式の研究」(恩賜賞も受賞) 近藤淳(理学博士) - 「極低温における稀薄磁性合金の電気抵抗の極小に関する研究」(恩賜賞も受賞) 玉村竹二 - 「五山文学新集」 日野開三郎(文学博士) - 「唐代邸店の研究 続唐代邸店の研究」 荒井献(神学博士) - 「原始キリスト教とグノーシス主義」 秋本俊一(理学博士)・川井直人(理学博士) - 「超高圧・高温下における地球物質の実験的研究」 西山善次(理学博士) - 「合金のマルテンサイト変態に関する研究」 福本寿一郎(農学博士) - 「微生物酵素及びその工業的利用に関する研究」 柴田承二(薬学博士) - 「或種の菌類及び地衣類代謝生産物の研究」 第64回(1974年/昭和49年) 三上次男(文学博士) - 「金史研究」(恩賜賞も受賞) 石坂公成(医学博士) - 「免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究」(恩賜賞も受賞) 木藤才蔵 - 「連歌史論考」 佐藤輝夫(文学博士) - 「ローランの歌と平家物語」 外岡茂十郎(法学博士) - 「明治前期家族法資料」 友田好文(理学博士) - 「航行船舶上における重力の連続測定―測定装置の開発と西太平洋海域における測定結果―」 鈴木通夫(理学博士) - 「有限群の研究」 西沢潤一(工学博士) - 「半導体及びトランジスタに関する研究」 鈴木三郎(農学博士) - 「ポリオキシンに関する研究」 第65回(1975年/昭和50年) 高崎直道(文学博士) - 「如来蔵思想の形成」(恩賜賞も受賞) 小田稔(理学博士) - 「すだれコリメータの発明とX線天文学への寄与」(恩賜賞も受賞) 北住敏夫(文学博士) - 「写生説の研究 写生派歌人の研究 写生俳句及び写生文の研究」 古野清人(文学博士) - 「キリシタニズムの比較研究」 樋口陽一(法学博士) - 「近代立憲主義と現代国家」 久保田尚志(理学博士) - 「植物の苦味物質に関する研究」 伊藤英覚(工学博士) - 「管内流れ特に曲り管内の流れに関する流体力学的研究」 石塚喜明(農学博士)・田中明(農学博士) - 「水稲の栄養生理学的研究とその応用」 冨田恒男(医学博士) - 「網膜における情報処理機構の研究」 第66回(1976年/昭和51年) 杉村隆(医学博士) - 「胃癌発生に関する実験的研究」(恩賜賞も受賞) 金子晴勇(文学博士) - 「ルターの人間学」 鎌田茂雄(文学博士) - 「宗密教学の思想史的研究―中国華厳思想史の研究 第二―」 関集三(理学博士) - 「固体の構造熱力学的研究」 佐藤幹夫(理学博士) - 「超函数の理論およびその応用」 山本時男(理学博士) - 「魚類の性分化の遺伝学的・発生生理学的研究」 橋口隆吉(工学博士) - 「内部摩擦による金属材料の研究」 田村三郎(農学博士) - 「生理活性物質に関する化学的研究」 山川民夫(医学博士) - 「糖脂質の生化学的研究」 第67回(1977年/昭和52年) 高橋信次(医学博士) - 「X線による生体病理解剖の研究」(恩賜賞も受賞) 島田謹二(文学博士) - 「日本における外国文学―比較文学研究―」 荒居英次(文学博士) - 「近世海産物貿易史の研究―中国向け輸出貿易と海産物―」 山田憲太郎(文学博士) - 「東亜香料史研究」 平田義正(理学博士) - 「微量天然有機物質の研究」 赤祖父俊一(理学博士) - 「磁気圏擾乱の研究」 香川毓美(工学博士)・永澤満(工学博士) - 「高分子電解質の研究」 大村秀雄(農学博士)・西脇昌治(農学博士) - 「鯨類の資源生物学的研究」 内薗耕二(医学博士) - 「シナプスの機能と形態に関する研究」 第68回(1978年/昭和53年) 伊藤清(理学博士) - 「確率微分方程式の研究」(恩賜賞も受賞) 米原正義 - 「戦国武士と文芸の研究」 石田尚豊(文学博士) - 「曼荼羅の研究」 荒松雄 - 「インド史におけるイスラム聖廟」 長倉三郎(理学博士) - 「短寿命励起分子及び反応中間体の電子構造と反応性の研究」 乾崇夫(工学博士) - 「船舶の造波抵抗に関する研究」 明日山秀文(農学博士)・与良清(農学博士)・土居養二(農学博士) - 「クワ萎縮病その他の植物萎黄病類の病原体に関する研究」 水野伝一(薬学博士) - 「RNAの代謝回転と分子集合による制御に関する研究」 西村秀雄(医学博士) - 「ヒトの先天性心身障害の由来に関する研究」 第69回(1979年/昭和54年) 古在由秀(理学博士) - 「土星衛星、人工衛星及び小惑星の運動の研究」(恩賜賞も受賞) 高瀬弘一郎(文学博士) - 「キリシタン時代の研究」 佐藤武敏(文学博士) - 「中国古代絹織物史研究」 佐藤長(文学博士) - 「チベット歴史地理研究」 川喜田愛郎(医学博士) - 「近代医学の史的基盤」 猪瀬博(工学博士) - 「PCM統合通信方式におけるタイムスロット入替方式の研究」 有馬啓(農学博士) - 「微生物の産業的利用に関する研究」 伊東俊夫(医学博士) - 「肝臓の脂肪摂取細胞に関する研究」 鈴木友二(薬学博士) - 「キニン系の蛋白化学とその制御に関する研究」 第70回(1980年/昭和55年) 岡田善雄(医学博士) - 「細胞融合現象の解析と細胞工学的応用」(恩賜賞も受賞) 今堀誠二(文学博士) - 「中国封建社会の構造―その歴史と革命前夜の現実―」 平川彰(文学博士)・平井俊栄(文学博士)・袴谷憲昭・吉津宜英・高橋壮 - 「阿毘達磨倶舎論索引」 阿閉吉男 - 「ジンメル社会学の方法」 梅沢純夫(理学博士) - 「アミノ配糖体抗生物質の合成に関する研究」 霜田光一(理学博士) - 「レーザーの物理とそれに基づく分子分光学の研究」 玉田珖(理学博士) - 「翼を過ぎる遷音速の流れならびに関連する問題の理論的研究」 満田久輝(農学博士) - 「ビタミンB2の生合成機構に関する研究とその応用」 亀谷哲治(薬学博士) - 「『レトロマススペクトル法』による天然物の全合成」 第71回(1981年/昭和56年) 長野泰一(医学博士) - 「インターフェロンの研究」(恩賜賞も受賞) 前田陽一(文学博士) - 「パスカル『パンセ』注解第一」 小川信(文学博士) - 「足利一門守護発展史の研究」 木下彰(経済学博士) - 「名子遺制の構造とその崩壊―農村における封建的労働の構造分析―」 所三男(文学博士) - 「近世林業史の研究」 岡小天(理学博士) - 「生物レオロジーの理論的研究」 横山泉(理学博士) - 「重力異常の分布からみた火山の構造」 松井正直(理学博士)・森謙治(農学博士) - 「天然有機化合物の合成に関する研究」 名取礼二(医学博士) - 「スキンド・ファイバー法による筋収縮機構の研究」 第72回(1982年/昭和57年) 原亨吉(ドクトゥール・ド・トロワジェーム・シクル・アン・ロジック) - 「パスカルの数学的業績(仏文“L'ŒUVRE MATHEMATIQUE DE PASCAL”)」(恩賜賞も受賞) 角谷静夫(理学博士) - 「函数解析の研究」(恩賜賞も受賞) 太田朗(ドクター・オブ・フィロソフィー) - 「否定の意味―意味論序説―」 柚木学(経済学博士) - 「近世海運史の研究」 江口英一 - 「現代の『低所得層』―『貧困』研究の方法―」 久城育夫(理学博士) - 「造岩物質の実験岩石学的研究(特にこれによるマグマ論への寄与)」 鎌田仁(工学博士) - 「高感度分析機器の開発とその応用に関する研究」 八木国夫(医学博士・理学博士) - 「フラビン酵素に関する研究」 矢島治明(薬学博士) - 「液相法によるウシのリボヌクレアーゼAの全合成と結晶化に関する研究」 第73回(1983年/昭和58年) 向山光昭(理学博士) - 「有機合成化学の新手法開拓と生体関連物質の合成」(恩賜賞も受賞) 田辺昭三 - 「須恵器大成」 池田温 - 「中国古代籍帳研究―概観・録文―」 小林英司(理学博士) - 「視床下部―脳下垂体系の比較内分泌学的研究―」 植村泰忠(理学博士)・安藤恒也(理学博士) - 「強磁場下のMOS反転層における伝導現象の理論」 増本健(工学博士) - 「アモルファス金属テープの創製とその基礎的および応用的研究」 山村昌(工学博士) - 「誘導機型リニアモーターの理論的研究」 諸星静次郎(農学博士) - 「蚕における成長と発育の調節機構に関する研究」 大塚正徳(医学博士) - 「ペプチド性神経伝達物質、とくにP物質の研究」 第74回(1984年/昭和59年) 仲宗根政善 - 「沖縄今帰仁方言辞典―今帰仁方言の研究・語彙篇―」(恩賜賞も受賞) 田村学造(農学博士) - 「火落酸の発見並びにイソプレノイドの関与する複合糖質の生合成阻害に関する研究」(恩賜賞も受賞) 佐伯有清(文学博士) - 「新撰姓氏録の研究 考証篇」 山口瑞鳳(文学博士) - 「吐蕃王国成立史研究」 石本雅男(法学博士) - 「無過失損害賠償責任原因論―ローマ法におけるCulpa levissimaの比較法学的研究―(第一巻、第二巻)」 辻隆(理学博士) - 「低温度星外層の理論的研究」 鈴木弘(工学博士) - 「タンデム(連続)精密圧延の研究」 新見嘉兵衛(医学博士) - 「視床に関する研究」 伴義雄(薬学博士) - 「インドールアルカロイドの合成研究」 第75回(1985年/昭和60年) 佐藤了(理学博士) - 「ミクロソームの複合酸素添加酵素系に関する研究」(恩賜賞も受賞) 鈴木敬 - 「中国絵画史(上、中之一)」 多賀秋五郎(文学博士) - 「中国宗譜の研究」 林巳奈夫(文学博士) - 「殷周時代青銅器の研究―殷周青銅器綜覧―」 益川敏英(理学博士)・小林誠(理学博士) - 「六元クオーク模型の提唱」 太田朋子(理学博士) - 「分子レベルにおける集団遺伝学の理論的研究」 荒田吉明(工学博士) - 「超高エネルギ密度熱源の開発と熱加工への適用」 沼正作(医学博士) - 「神経情報伝達の分子機構に関する研究」 山村雄一(医学博士) - 「細胞性免疫とその制御」 第76回(1986年/昭和61年) 伊藤正男(医学博士) - 「小脳の神経機構と運動学習の機序」(恩賜賞も受賞) 大庭脩(文学博士) - 「江戸時代における中国文化受容の研究」 鈴木幹也(文学博士) - 「エンペドクレス研究」 藤永太一郎(理学博士) - 「微量電気分析法の開発」 堀江正治(理学博士) - 「琵琶湖の堆積物と日本の氷河遺跡に基づく第四紀年代学的研究」 永田雅宜(理学博士) - 「可換代数の研究」 野崎一(工学博士) - 「有機金属化合物を用いる化学合成法への貢献」 四方英四郎(農学博士) - 「植物ウイルス及びウイロイドの研究」 西塚泰美(医学博士) - 「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」 第77回(1987年/昭和62年) 福山敏男(工学博士) - 「寺院建築の研究・神社建築の研究(福山敏男著作集1~4)」(恩賜賞も受賞) 山崎敏光(理学博士) - 「中間子物理の実験的研究」 坪井正道(理学博士) - 「核酸の分子構造とその多形性に関する研究」 上田誠也(理学博士) - 「弧状列島のテクトニクスに関する地球熱学的研究」 岩崎俊一(工学博士) - 「高密度磁気記録の研究」 坪井善勝(工学博士) - 「曲面構造の研究と大空間建築構造への適用」 沢田敏男(農学博士) - 「貯水ダムの設計に関する研究」 石田名香雄(医学博士) - 「センダイウイルスの発見及びその構造と機能に関する研究」 豊島久真男(医学博士) - 「サルク・ファミリーがん遺伝子の研究」 第78回(1988年/昭和63年) 西村暹(理学博士) - 「核酸塩基修飾に関する有機化学・生化学的研究」(恩賜賞も受賞) 徳田武 - 「日本近世小説と中国小説」 篠原三代平(経済学博士) - 「日本経済の成長と循環・日本経済の構造と政策(日本経済研究 篠原三代平著作集I・II)」 三浦謹一郎(理学博士) - 「二本鎖RNAウイルスの分子遺伝学的研究、特にRNAキャップ構造の発見」 柏原正樹(理学博士) - 「代数解析の研究」 山本善之(工学博士) - 「構造物の圧力解析に対する有限要素法の基礎的研究」 光岡知足(農学博士) - 「腸内菌叢の系統的研究」 大村裕(医学博士) - 「中枢神経系および内在性化学物質による摂食調節の研究」 第79回(1989年/平成元年) 佐伯富(文学博士) - 「中国塩政史の研究」(恩賜賞も受賞) 日沼頼夫(医学博士) - 「成人T細胞白血病のウイルス病因に関する研究」(恩賜賞も受賞) 前田専学(文学博士) - 「シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』の本文校訂と註解」 守谷亨(理学博士) - 「遍歴電子磁性におけるスピンゆらぎの理論」 加藤進(理学博士) - 「大気潮汐並びに大気重力波に関する研究」 小柴昌俊(工学博士) - 「大マゼラン雲超新星(SN 1987A)からのニュートリノの検出」 藤田利夫(工学博士) - 「耐熱鋼の研究」 熊沢喜久雄(農学博士) - 「発光分光分析法による15Nの超微量定量法の開発と植物の窒素栄養に関する生理化学的研究」 松尾壽之(薬学博士) - 「生体内情報伝達に係わる超微量ペプチドの研究―特に心房性ナトリウム利尿ホルモンの構造と機能に関する研究」 第80回(1990年/平成2年) 中西香爾(理学博士) - 「機能性天然有機化合物の構造および生体内機能発現に関する研究」(恩賜賞も受賞) 鈴木佳秀(ドクター・オブ・フィロソフィー) - 「申命記の文献学的研究」 青木昌彦(ドクター・オブ・フィロソフィー) - 「“The Co-operative Game Theory of the Firm”(邦語版『現代の企業』)および“Information, Incentives and Bargaining in the Japanese Economy”」 田沢仁(理学博士) - 「巨大藻類細胞の生理学的研究、特に細胞灌流法と細胞モデルの開発宇宙放射線の研究」 飯高茂(理学博士)・森重文(理学博士)・川又雄二郎(理学博士) - 「代数多様体の分類理論の研究」 辻広(工学博士) - 「火炎の構造および基礎的特性の研究」 竹松哲夫(農学博士) - 「世界の農耕地雑草とその制御に関する基礎的研究」 濱清(医学博士) - 「神経系の機能形態学、特に超高圧電子顕微鏡による定量的三次元構造解析」 秦藤樹(医学博士)・大村智(薬学博士・理学博士) - 「生物活性を有する微生物代謝産物、特にマクロライド抗生物質に関する研究」 第81回(1991年/平成3年) 小林芳規(文学博士) - 「角筆文献の国語学的研究」(恩賜賞も受賞) 外村彰(工学博士) - 「電子線ホログラフィの開発とAB効果の実証」(恩賜賞も受賞) 塩野谷祐一(経済学博士) - 「価値理念の構造―効用対権利―」 早川幸男(理学博士) - 「宇宙放射線の研究」 齊藤喜彦(理学博士) - 「金属錯体の絶対配置の決定ならびに電子密度分布の精密測定」 國分正胤(工学博士) - 「混和材料の複合がコンクリートのワーカビリチー・耐久性・強度に及ぼす影響に関する研究」 山田康之(農学博士) - 「植物培養細胞における機能発現ならびに物質産生機構の解析」 川崎富作(医学博士) - 「川崎病の診断法の確立、治療及び疫学に関する研究」 宇井理生(薬学博士) - 「細胞情報伝達におけるGTP結合蛋白質の役割に関する研究」 第82回(1992年/平成4年) 都築忠七(ドクター・オブ・フィロソフィー) - 「19世紀後半のイギリス社会主義思想および運動の研究」(恩賜賞も受賞) 岸本忠三(医学博士) - 「インターロイキン6(IL-6)に関する研究」(恩賜賞も受賞) 唄孝一(法学博士・医学博士) - 「医事法学に関する研究」 広田栄治(理学博士) - 「フリーラジカル分子の精密構造と動的挙動」 大沢省三(理学博士) - 「例外的遺伝暗号の発見とその進化学的意義の解明」 鈴木秀次(理学博士) - 「固体ヘリウムの塑性変形及び機械的性質の転位論的研究」 本多健一(工学博士) - 「光電極反応に関する研究」 鈴木昭憲(農学博士)・石崎宏矩(理学博士) - 「カイコ脳神経ペプチドに関する化学的・分子生物学的研究」(共同研究) 木幡陽(薬学博士) - 「糖タンパク質糖鎖の構造と機能に関する研究」 第83回(1993年/平成5年) 田仲一成(文学博士) - 「中国祭祀演劇に関する研究」(恩賜賞も受賞) 田中靖郎(理学博士) - 「X線天体の相対論的特性」(恩賜賞も受賞) 根岸隆(経済学博士) - 「History of Economic Theory」 有馬朗人(理学博士) - 「原子核の力学的模型と電磁相互作用の理論的研究」 神保道夫(理学博士) - 「可解模型と量子群の研究」 大越孝敬(工学博士) - 「コヒーレント光ファイバ通信に関する研究」 木下俊郎(農学博士) - 「高等植物における細胞質と核の相互作用の解析および作物育種への応用」 山本肇(医学博士) - 「レーザー照射による齲蝕予防その他歯科応用に関する研究」 多田啓也(医学博士)・菊地吾郎(医学博士) - 「高グリシン血症に関する研究」 第84回(1994年/平成6年) 熊田誠(工学博士)・桜井英樹(理学博士) - 「有機ケイ素化学に関する研究」(恩賜賞も受賞) 丸山雍成(文学博士) - 「日本近世交通史の研究」 川崎信定(文学博士) - 「一切智思想の研究」 森本信男(理学博士) - 「鉱物の固溶体形成の新機構の発見」 志村令郎(理学博士) - 「RNAプロセシングの研究」 井村徹(理学博士)・藤田廣志(工学博士) - 「金属塑性変形の超高電圧電子顕微鏡その場観察による研究」 角屋睦(農学博士) - 「極値水文学の展開と水利施設計画設計への応用に関する研究」 真崎知生(医学博士) - 「エンドセリンの同定とその生理活性」 中嶋暉躬(薬学博士)・川合述史(医学博士) - 「ハチ毒、クモ毒の化学的、生理学的研究、特にジョロウグモ毒(JSTX)の神経科学的研究」 第85回(1995年/平成7年) 三根谷徹 - 「中古漢語と越南漢字音」(恩賜賞も受賞) 深尾良夫(理学博士) - 「マントル ダイナミクスに関する地震学的研究」(恩賜賞も受賞) 速水融(経済学博士) - 「近世濃尾地方の人口・経済・社会」 菅宏(理学博士) - 「凝相における相変化と緩和過程」 杉本大一郎(理学博士)・野本憲一(理学博士) - 「星の進化と超新星の理論」 野依良治(工学博士) - 「不斉合成反応に関する研究」 小川智也(農学博士) - 「細胞表面の複合糖質と関連糖鎖に関する合成研究」 山田俊一(薬学博士)・古賀憲司(薬学博士) - 「L-アミノ酸の不斉転写に基づく光学活性化合物の新規合成法の研究」 甘利俊一(工学博士) - 「神経情報処理の基礎理論の研究」 第86回(1996年/平成8年) 本庶佑(医学博士) - 「抗体クラススイッチ制御に関する研究」(恩賜賞も受賞) 平田寛(文学博士) - 「絵仏師の時代」 金森順次郎(理学博士) - 「遷移金属合金の強磁性理論」 渡辺信三(理学博士) - 「確率解析の研究」 竹市雅俊(理学博士) - 「動物細胞の接着因子カドヘリンの発見とその接着機構に関する研究」 穂坂衛(工学博士)・佐田登志夫(工学博士) - 「コンピュータモデルによる設計生産の総合化」 稲上正(農学博士)・村上和雄(農学博士) - 「レニン・アンギオテンシン系に関する生化学ならびに分子生物学的研究」 池原森男(薬学博士)・大塚榮子(薬学博士) - 「核酸の合成と機能に関する研究―合成ras遺伝子関連の研究を中心として」 第87回(1997年/平成9年) 中西重忠(医学博士) - 「神経伝達の分子メカニズムに関する研究」(恩賜賞も受賞) 侘美光彦 - 「世界大恐慌―1929年恐慌の過程と原因」 松野太郎(理学博士) - 「中間圏・成層圏大気力学の解明」 山寺秀雄(理学博士) - 「金属錯体の分光学における山寺則の創始と配位構造の研究」 関口睦夫(理学博士) - 「DNA傷害の修復と遺伝情報の維持機構の研究」 堀川清司(工学博士) - 「浅海動力学と漂砂移動に関する研究」 熊谷信昭(工学博士) - 「新しい電磁波論の開拓と電磁波導波伝送への応用に関する基礎的研究」 常脇恒一郎(農学博士) - 「コムギの進化に関する比較遺伝学的研究―コムギ属及びエギロプス属の比較遺伝子分析とプラスモン分析」 三輪史朗(医学博士) - 「赤血球酵素異常による遺伝性溶血性貧血の研究」 第88回(1998年/平成10年) 柳田敏雄(工学博士) - 「生物運動の分子機械の直接操作と観測」(恩賜賞も受賞) 関根清三(神学博士・博士(文学)) – 「旧約における超越と象徴―解釈学的経験の系譜」 杉原高嶺(法学博士) – 「国際司法裁判制度」 海部宣男(理学博士) – 「星間物質の研究」 伊原康隆(理学博士) – 「数論の研究」 伊勢典夫(工学博士) – 「均一分散系の微視的構造に関する研究」 山田秀明(農学博士)・別府輝彦(農学博士) – 「微生物機能の開発そその利用に関する基礎的研究」 野島庄七(薬学博士) – 「膜リン脂質の構造と代謝に関する研究―大腸菌ホスホリパーゼの研究を中心に―」 佐々木和夫(医学博士) – 「中枢神経系の統合機能」 第89回(1999年/平成11年) 夫馬進(博士(文学)) - 「中国善会善堂史研究」(恩賜賞も受賞) 岸義人(理学博士) – 「海洋天然化合物の有機化学的研究」(恩賜賞も受賞) 佐々木丞平(文学博士)・佐々木正子 - 「丸山応挙研究」 竹本洋(博士(経済学)) – 「経済学体系の創成―ジェイムズ・ステュアート研究―」 唐戸俊一郎(理学博士) – 「地球深部構成鉱物のレオロジーとマントルの流動に関する研究」 宗宮重行(工学博士) – 「無機材料の合成におけるハイドロサーマル反応とその応用に関する研究」 入谷明(農学博士) – 「家畜における精子の受精能獲得と体外受精に関する研究」 廣川信隆(医学博士) – 「細胞骨格の分子生物学的研究」 上代淑人(医学博士) – 「GTP結合タンパク質の反応機構ならびに生理機能に関する研究」 第90回(2000年/平成12年) 佐藤次高(文学博士) – 「State and Rural Society in Medieval Islam: Sultans, Muqta‘s and Fallāhūn」(恩賜賞も受賞) 長田重一(理学博士) – 「アポトーシスの分子機構の研究」(恩賜賞も受賞) 田丸謙二(理学博士) - 「触媒作用機構の動的研究」 尾崎洋二(理学博士) – 「激変星の研究」 戸田盛和(理学博士) – 「非線形格子力学の研究」 石原研而(工学博士) – 「地震時における地盤の液状化に関する研究」 千川純一(理学博士) – 「シリコン結晶の成長と完全性」 和田光史(農学博士) - 「火山灰土壌の粘土鉱物の解析とその農業生産性に関する研究」 谷口維紹(Ph.D.) – 「インターフェロンを中心としたサイトカインの研究」 第91回(2001年/平成13年) 林文夫(Ph.D.) – 「Understanding Saving: Evidence from the United States and Japan」(恩賜賞も受賞) 浅島誠(理学博士) - 「初期発生における形態形成の基礎的研究」 小林道夫(Docteur de 3e cycle) – 「デカルトの自然哲学」 坂本達哉(博士(経済学)) - 「ヒュームの文明社会―勤労・知識・自由―」 西田篤弘(理学博士) - 「地球磁気圏の構造とプラズマ対流に関する研究」 国武豊喜(Ph.D.) – 「合成二分子膜の発見と分子組織化学の開拓」 樋口隆昌(農学博士) – 「木質成分の生化学的研究―リグニンの生合成と微生物分解機構の解明」 青木延雄(医学博士) - 「血栓溶解の制御機構に関する研究」 須田立雄(歯学博士) - 「ビタミンDと骨に関する研究」 第92回(2002年/平成14年) 藤本隆宏(D.B.A.) - 「The Evolution of a Manufacturing System at Toyota」(恩賜賞も受賞) 飯島澄男(理学博士) - 「高分解能電子顕微鏡の開発とカーボンナノチューブの発見」(恩賜賞も受賞) 沼本克明(文学博士) - 「日本漢字音の歴史的研究―體系と表記をめぐって―」 佐藤彰一(博士(文学)) - 「修道院と農民―会計文書から見た中世形成期ロワール地方―」 都城秋穂(理学博士) - 「変成岩の理論的研究およびそのテクトニクス論への寄与」 井上明久(工学博士) - 「過冷却金属液体の安定化とバルク金属ガラスの開拓」 日向康吉(農学博士)・磯貝彰(農学博士) - 「アブラナ科植物の自家不和合性にかかわる自他識別機構の研究」 関谷剛男(薬学博士) - 「核酸の高次構造を利用したゲノム情報解析」 鈴木邦彦(M.D.) - 「遺伝性神経疾患、特にスフィンゴリピドーシスの病理機序に関する研究」 第93回(2003年/平成15年) 柳田充弘(理学博士) - 「細胞周期の制御と染色体分配の機構」(恩賜賞も受賞) 辛島昇(博士(文学)) - 「History and Society in South India: The Cholas to Vijayanagar」 野村真理(博士(社会学)) - 「ウィーンのユダヤ人―一九世紀末からホロコースト前夜まで―」 深谷賢治(理学博士) - 「微分幾何学の研究」 伊藤公一(理学博士)・岩村秀(理学博士)・木下實(理学博士) - 「分子性磁性体の研究」 妹尾泰利(工学博士) - 「遠心式ターボ機械内の流れに関する流体力学的研究」 岡田吉美(理学博士) - 「植物ウイルスRNA遺伝子の分子生物学的解析と農業への応用」 岡本宏(医学博士) - 「実験糖尿病の発症とその防止に関する研究」 遠藤實(医学博士) - 「筋細胞におけるカルシウム・イオン動員機構に関する研究」 第94回(2004年/平成16年) 須磨千頴 - 「賀茂別雷神社境内諸郷の復元的研究」(恩賜賞も受賞) 安元健(農学博士) - 「海洋生物毒の化学とそれらの毒物の海洋生態系における動態解析」(恩賜賞も受賞) 間野英二(文学博士) - 「バーブルとその時代」 中村隆英 - 「A History of Shōwa Japan, 1926-1989」 金森博雄(理学博士) - 「地震発生機構の物理的解明についての研究」 辻二郎(Ph.D.)・鈴木章(理学博士) - 「パラジウム触媒を活用する新有機合成反応の研究」 藤嶋昭(工学博士) - 「半導体光触媒反応の研究」 月田承一郎(医学博士) - 「上皮細胞間バリアーの分子基盤の解明」 野本明男(薬学博士・医学博士) - 「ポリオウイルスの複製と病原性の研究」 第95回(2005年/平成17年) 加藤和也(理学博士) - 「数論幾何学の研究」(恩賜賞も受賞) 塩川徹也(博士(フランス文学)) – 「パスカル考」 木村周市朗(博士(社会学)) - 「ドイツ福祉国家思想史」 清川雪彦(博士(経済学)) - 「アジアにおける近代的工業労働力の形成―経済発展と文化ならびに職務意識―」 中村卓史(理学博士) – 「ブラックホールの形成と重力波放出の理論的研究」 榊裕之(工学博士)・大野英男(工学博士) – 「半導体ナノ構造による電子の量子制御と強磁性の研究」 喜田宏(獣医学博士) - 「インフルエンザ制圧のための基礎的研究―家禽、家畜およびヒトの新型インフルエンザウイルスの出現機構の解明と抗体によるウイルス感染性中和の分子的基盤の確立―」 北村幸彦 – 「KIT受容体を介した肥満細胞とカハール介在細胞の分化と癌化」 柴﨑正勝(薬学博士) - 「不斉分子触媒の創製と医薬化学への展開に関する研究」 第96回(2006年/平成18年) 成宮周(医学博士) - 「プロスタグランジン受容体の研究」(恩賜賞も受賞) 岩原紳作(博士(法学)) - 「電子決済と法」 鈴村興太郎(経済学博士) - 「厚生経済学における厚生主義的帰結主義の克服」 又賀曻(理学博士) - 「光励起分子の分子間相互作用と化学反応ダイナミクスの研究」 大隅良典(理学博士) - 「オートファジーの分子機構と生理機能の研究」 鈴木厚人(理学博士) - 「反ニュートリノ科学の研究」 坂村健(工学博士) - 「高リアルタイム性能を有するコンピュータ体系の研究」 掘越弘毅(農学博士) - 「好アルカリ性微生物の発見と、その生理および応用に関する研究」 和賀井敏夫(医学博士) - 「超音波診断法の創始と発展に関する研究」 第97回(2007年/平成19年) 秀村選三(経済学博士) - 『幕末期薩摩藩の農業と社会-大隅国高山郷士守屋家をめぐって-』(恩賜賞も受賞) 審良静男(医学博士) - 「自然免疫による病原体認識とシグナル伝達」(恩賜賞も受賞) 杉山正明(博士(文学)) - 『モンゴル帝国と大元ウルス』 平朝彦(Ph.D.) - 「プレート沈み込み帯の付加作用による日本列島形成過程の研究」 川路紳治(理学博士) - 「2次元電子系の実験的研究」 山本尚(Ph.D.)・玉尾皓平(工学博士) - 「有機典型元素化合物の高配位能を活用した化学反応性と物性の開拓」 堀幸夫(工学博士)・加藤康司(工学博士) - 「トライボロジーに関する研究」 丸山利輔(農学博士) - 「蒸発散と流出機構に基づく広域水需給分析に関する研究」 宮下保司(医学博士) - 「連想記憶ニューロンの発見と大脳認知記憶システムの解明」 第98回(2008年/平成20年) 諸熊奎治(工学博士) - 「分子の構造・機能・反応設計に関する理論的研究」(恩賜賞も受賞) 保坂高殿 - 『ローマ帝政初期のユダヤ・キリスト教迫害』 大竹文雄(博士(経済学)) - 『日本の不平等』 藤吉好則(理学博士) - 「極低温電子顕微鏡の開発による膜タンパク質の構造決定」 中井直正(理学博士) - 「水メーザー源のVLBI観測による活動銀河中心核と巨大質量ブラックホールの研究」 長谷川晃(Ph.D.・理学博士) - 「ファイバー中の光ソリトンの発見とプラズマ乱流の自己組織化に関する研究」 大山莞爾(農学博士) - 「植物核外ゲノム及び性染色体の遺伝子構成と分子進化に関する研究-ゼニゴケゲノムを中心として-」 寒川賢治(理学博士) - 「新しい生理活性ペプチドの発見とその基盤的研究-グレリンを中心として-」 永井美之(医学博士) - 「パラミクソウイルス病原性の分子基盤の解明と新規発現ベクターの創出」 第99回(2009年/平成21年) 村上哲見(文学博士) - 「宋詞に関する研究」(恩賜賞も受賞) 江口徹(理学博士) - 「数理物理学的な手法による素粒子論の研究」(恩賜賞も受賞) 川人貞史(博士(法学)) - 『選挙制度と政党システム』および『日本の国会制度と政党政治』 安藤隆穂(経済学博士) - 『フランス自由主義の成立—公共圏の思想史』 竜田邦明(工学博士) - 「糖質を用いる多様な天然生理活性物質の全合成」 矢川元基(工学博士)・渡邊貞(博士(情報科学)) - 「大規模・高精度計算科学に関する研究」 武田和義(農学博士) - 「イネ科作物の遺伝資源学の確立とその実践的貢献」 清水孝雄(医学博士) - 「生理活性脂質と膜脂質代謝に関する研究」 御子柴克彦(医学博士) - 「細胞内カルシウム制御機構の研究」 第100回(2010年/平成22年) 表章(博士(文学)) - 「能楽史の研究」(恩賜賞も受賞) 山中伸弥(博士(医学)) - 「人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立」(恩賜賞も受賞) 梅原郁(文学博士) - 「宋代司法制度研究」 斎藤修(経済学博士) - 「比較経済発展論―歴史的アプローチ―」 黒岩常祥(理学博士) - 「ミトコンドリアと葉緑体の分裂・遺伝様式に関する基本機構の発見」 佐藤勝彦(理学博士) - 「加速的宇宙膨張理論の研究」 村井眞二(工学博士)・村橋俊一(工学博士) - 「遷移金属分子触媒による有機化合物の骨格形成法と修飾法の開拓」 大類洋(農学博士)・北原武(農学博士) - 「新規生物機能性分子の創製とその応用に関する研究」 田中啓二(医学博士) - 「プロテアソーム(蛋白質分解酵素複合体)の構造と機能に関する研究」 第101回(2011年/平成23年) 佐竹明(神学博士) - 「『ヨハネの黙示録』の研究」(恩賜賞も受賞) 宮田秀明(工学博士) - 「船舶の非線形造波に関する研究」(恩賜賞も受賞) 庄垣内正弘(博士(文学)) - 「ウイグル文アビダルマ論書の文献学的研究」 佐藤恒雄(博士(文学)) - 「藤原為家研究」 木庭顕 - 「法存立の歴史的基盤」 望月拓郎(博士(理学)) - 「純ツイスターD-加群の研究」 廣瀬敬(博士(理学)) - 「マントル最深部の物質とダイナミクスに関する研究」 谷口直之(医学博士) - 「糖鎖生物学、とくにN-結合型糖鎖の病気での重要性についての先駆的業績」 宮園浩平(医学博士) - 「がん細胞における細胞シグナルとその制御機構に関する研究」 第102回(2012年/平成24年) 吉川一義(博士(フランス文学)) - 「Proust et l'art pictural」(『プルーストと絵画芸術』)(恩賜賞も受賞) 難波啓一(工学博士) - 「生体超分子の立体構造と機能の解明」(恩賜賞も受賞) 中西聡(博士(経済学)) - 『海の富豪の資本主義―北前船と日本の産業化』 梶田隆章(理学博士) - 「大気ニュートリノ振動の発見」 高柳邦夫(理学博士) - 「超高真空電子顕微鏡によるナノ構造の研究」 木村孟(工学博士) - 「地盤の力学挙動に関する研究」 佐藤文彦(農学博士)・熊谷英彦(農学博士) - 「代謝工学的研究に基づく植物二次代謝産物イソキノリンアルカロイドの微生物による生産」 二井將光(薬学博士) - 「生物エネルギー生産(転換)機構の研究」 坂口志文(医学博士) - 「制御性T細胞による免疫応答制御」 第103回(2013年/平成25年) 松浦純 - 「Martin Luther: Erfurter Annotationen 1509-1510/11」(『マルティン・ルター:エルフルト期注記集 1509-1510/11』)(恩賜賞も受賞) 十倉好紀(工学博士) - 「強相関電子材料の物性研究」(恩賜賞も受賞) 興膳宏(文学博士) - 「中国文学理論の研究」 巽和行(工学博士) - 「還元系金属酵素活性中心の生物無機化学に関する研究」 家正則(理学博士) - 「初期宇宙の研究」 中沢正隆(工学博士) - 「エルビウム光ファイバ増幅器の実現とそれを用いた光通信の高度化に関する貢献」 佐藤英明(農学博士) - 「哺乳動物における卵子形成の制御機構に関する研究」 鍋島陽一(医学博士) - 「Klotho familyの発見とその分子機能の解析を基盤とした生体恒常性維持機構の研究」 門脇孝(医学博士) - 「2型糖尿病・メタボリックシンドロームの分子基盤に関する研究」 第104回(2014年/平成26年) 赤﨑勇(工学博士) - 「高品質GaN系窒化物半導体単結晶の創製とp–n接合青色発光デバイスの発明」(恩賜賞も受賞) 寺西重郎(経済学博士) - 「戦前期日本の金融システム」 近藤孝男(理学博士) - 「シアノバクテリア概日時計の再構成と計時機構の研究」 中島啓(理学博士) - 「幾何学的表現論と数理物理学」 首藤伸夫(工学博士) - 「津波防災の総合的研究」 岡本佳男(理学博士) - 「らせん高分子の精密合成、構造、機能に関する研究」 森敏(農学博士)・西澤直子(農学博士) - 「イネ科植物の鉄栄養に関わる分子機構の解明と育種への応用」(共同研究) 田中紘一(医学博士) - 「生体肝移植の基礎研究および臨床開発と展開に関する研究」 山本雅之(医学博士) - 「生体の環境ストレス応答の分子機構の解明」 第105回(2015年/平成27年) 細野秀雄(工学博士) - 「無機電子機能物質の創製と応用に関する研究」(恩賜賞も受賞) 志茂碩敏(文学博士) - 「モンゴル帝国史研究」 鈴木啓介(理学博士) - 「高次構造天然有機化合物の合成に関する研究」 近藤豊(理学博士) - 「地球大気環境科学の研究」 牧島一夫(理学博士) - 「X線観測による中性子星の強磁場の研究」 香取秀俊(博士(工学)) - 「光格子時計の発明とその開発」 吉田稔(農学博士) - 「微生物由来活性物質を用いる真核生物の遺伝子発現機構の解析と創薬への応用」 満屋裕明(医学博士) - 「HIV-1感染症とエイズに対する治療法の研究・開発」 鈴木雅洲(医学博士) - 「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」 第106回(2016年/平成28年) 森和俊(薬学博士) - 「小胞体ストレス応答の発見と解明」(恩賜賞も受賞) 河内良弘(文学博士) - 「滿洲語辞典」 宮本憲一(経済学博士) - 「戦後日本公害史論」 西田栄介(理学博士) - 「MAPキナーゼ並びに関連シグナル伝達経路の分子機構と機能の解明」 森田浩介(理学博士) - 「113番超重元素の発見」 井上博允(工学博士) - 「感覚と知能を持つロボットの基盤技術の開拓」 北川進(工学博士) - 「多孔性金属錯体材料の創製と応用に関する研究」 河岡義裕(獣医学博士) - 「インフルエンザウイルスの病原性の分子基盤解明とその制圧のための研究」 三品昌美(工学博士) - 「シナプス分子と記憶・学習に関する研究」 第107回(2017年/平成29年) 長谷川昭(理学博士) - 「沈み込み帯のテクトニクスに関する地震学的研究」(恩賜賞も受賞) 奈良澤由美(文学博士) - 「南ガリアのキリスト教祭壇:5世紀から12世紀まで」 清水展(社会学博士) - 「草の根グローバリゼーション—世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略」 高崎史彦(理学博士) - 「B中間子系におけるCP対称性の破れの研究」 荒川泰彦(工学博士) - 「量子ドットとその光素子応用に関する研究」 横堀壽光(工学博士) - 「メゾスケール力学に基づく材料の疲労および時間依存型強度学の基礎理論とその実用に関する研究」 難波成任(農学博士) - 「植物病原性細菌ファイトプラズマに関する分子生物学的研究」 戸田達史(医学博士)・遠藤玉夫(医学博士) - 「福山型筋ジストロフィーを含めた糖鎖合成異常症の系統的な解明と新しい糖鎖の発見」(共同研究) 北村惣一郎(医学博士) - 「心臓外科新領域の開発と普及:小児冠動脈再建手術」 第108回(2018年/平成30年) 松村剛(文学博士) - 「Dictionnaire du français médiéval」(恩賜賞も受賞) 豊島近(理学博士) - 「原子構造に基づくイオンポンプ作動機構の解明」(恩賜賞も受賞) 三佐川亮宏(文学博士) - 「ドイツ史の始まり—中世ローマ帝国とドイツ人のエトノス生成—」 楠岡成雄(理学博士) - 「確率解析と数理ファイナンスの研究」 丸岡啓二(理学博士) - 「キラル相間移動触媒の創製」 相田卓三(工学博士) - 「革新的ソフトマテリアルの精密階層設計に関する研究」 堀江武(農学博士) - 「アジア稲作に及ぼす地球温暖化の影響に関するシステム農学的研究」 長野哲雄(薬学博士) - 「蛍光特性制御原理の解明およびバイオイメージングへの応用に関する研究」  清野進(医学博士) - 「インスリン分泌を制御するシグナル伝達の分子機構に関する研究」 第109回(2019年/平成31年) 藤田誠(工学博士) - 「結晶スポンジ法—X線構造解析の革新と分子科学技術への展開」(恩賜賞も受賞) 山崎志郎 - 「太平洋戦争期の物資動員計画」 平間正博(理学博士) - 「シガトキシンを始めとする複雑な構造を有する生理活性天然物の全合成研究」 常田佐久(理学博士) - 「太陽観測衛星による太陽電磁流体現象の研究」 永嶺謙忠(理学博士) - 「ミュオンラジオグラフィーの開拓と大規模構造体の非破壊的研究」 藤野陽三(Ph.D.) - 「長大な構造物の振動現象の解明と制御」 磯貝明(農学博士) - 「植物由来の完全分散化セルロースナノファイバーに関する研究」 長澤丘司(医学博士) - 「造血幹細胞と造血、骨を維持する骨髄微小環境の解明」 高柳広(医学博士) - 「骨の研究と免疫学の融合を目指すOsteoimmunologyの研究」 第110回(2020年/令和2年) 斎藤通紀(医学博士) - 「生殖細胞の発生機構の解明とその試験管内再構成」(恩賜賞も受賞) 田口正樹 - 「Königliche Gerichtsbarkeit und regionale Konfliktbeilegung im deutschen Spätmittelalter: Die Regierungszeit Ludwigs des Bayern (1314-1347) (『ドイツ中世後期の国王裁判権と地域における紛争解決:ルートヴィヒ・デア・バイアーの治世(1314年-1347年)』)」 神林龍(博士(経済学)) - 「正規の世界・非正規の世界—現代日本労働経済学の基本問題」 川合眞紀(理学博士) - 「単一分子分光を用いた固体表面上での化学反応の研究」 小嶋稔(理学博士) - 「希ガスの地球惑星化学」 岡田恒男(工学博士) - 「既存建築物の耐震性能評価と性能改善技術の開発に関する一連の研究」 喜連川優(工学博士) - 「大規模高性能データベースシステムの理論と応用に関する先駆的研究」 佐野輝男(農学博士) - 「ウイロイドに関する研究」 間野博行(医学博士) - 「EML4-ALKがん遺伝子の発見とがんゲノム医療の先導」 第111回(2021年/令和3年) 藤本幸夫 - 『日本現存朝鮮本研究 史部』(恩賜賞も受賞) 石井志保子(理学博士) - 「特異点に関する多角的研究」(恩賜賞も受賞) 宮脇敦史(医学博士) - 「生命現象の時空間制御の解明を目指したバイオイメージング技術の開発研究」 小林駿介(工学博士)・内田龍男(工学博士) - 「液晶の物性解明と高性能液晶ディスプレイの研究」 久田俊明(工学博士)・杉浦清了(医学博士) - 「マルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションのヒト心臓等への適用とその医学への応用」 神谷勇治(農学博士) - 「植物成長ホルモンの生合成と制御に関する研究」 一條秀憲(歯学博士) - 「ASKファミリーを基軸としたストレス応答機構の解明」 岩井一宏(医学博士) - 「直鎖状ユビキチン鎖の発見とその炎症応答制御に関する研究」 第112回(2022年/令和4年) 河西春郎(医学博士) - 「大脳シナプスの形態可塑性法則の発見」(恩賜賞も受賞) 武田晴人(経済学博士) - 『日本経済の発展と財閥本社―持株会社と内部資本市場』 侯召民(工学博士) - 「有機希土類化学の創成と新しい合成手法の開拓」 齊藤英治(博士(工学)) - 「スピン流物理学の先駆的研究」 阿部彩子(理学博士) - 「氷期―間氷期サイクル10万年周期の機構の解明」 川人光男(工学博士) - 「計算論的神経科学による脳機能の解明とブレインマシンインタフェースの開発」 野田進(工学博士) - 「フォトニック結晶による光制御法の極限的開拓と半導体レーザ高度化への応用」 村上章(農学博士) - 「カルマンフィルタによる逆解析法の展開と地盤工学への応用に関する研究」 白土博樹(医学博士) - 「がんの動体追跡放射線治療・粒子線治療に関する医理工学研究」 第113回(2023年/令和5年) 原昌宏 - 「QRコード・システムの開発とその世界的普及への貢献」(恩賜賞も受賞) 岩橋勝(経済学博士) - 「近世貨幣と経済発展」 篠崎一雄(理学博士) - 「植物の環境ストレス応答と耐性獲得に関する制御ネットワークの研究」 篠崎和子(理学博士) - 「植物の環境ストレス応答と耐性獲得に関する制御ネットワークの研究」 幾原雄一(工学博士) - 「最先端電子顕微鏡法の開発とナノ界面工学への貢献」 柴田直哉(博士(工学)) - 「最先端電子顕微鏡法の開発とナノ界面工学への貢献」 中村泰信(工学博士) - 「超伝導量子ビットとその量子制御に関する先駆的研究」 蔡兆申(理学博士) - 「超伝導量子ビットとその量子制御に関する先駆的研究」 長澤寛道(農学博士) - 「バイオミネラリゼーションの制御機構に関する生物有機化学的研究」 藤木幸夫(農学博士) - 「ペルオキシソームの創生機構と欠損症研究によるオルガネラ病概念の確立」 狩野方伸(博士(医学)) - 「神経回路の活動依存的機能調節の研究」
{ "id": "123839", "title": "日本学士院賞", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E5%A3%AB%E9%99%A2%E8%B3%9E" }
藤原 師通(ふじわら の もろみち)は、平安時代後期の公卿。藤原北家、関白・藤原師実の嫡男。官位は従一位、関白、内大臣。 経歴 承保3年(1076年)、権大納言・藤原俊家の娘である全子を室に迎える。承暦2年(1078年)に長男・忠実が生まれるが、その後、全子とは疎遠となり、藤原信長(教通の子)の養女である信子と再婚した。これは、頼通流と教通流による摂関家内部の長年の対立に終止符を打つ意味合いを持つものだったかもしれない。しかし、離婚された全子は師通と信子を恨み、亡父・俊家の画像を描かせて礼拝し、師通夫妻を呪ったという。寛治8年(1094年)師実の後を継いで関白に就任すると、白河上皇から自立して親政を行おうとしていた堀河天皇と共に積極的な政務を展開する。 院政が制度として確立していない当時、成人の天皇と関白が緊密に提携していれば、上皇が権力を振るう余地は少なかった。師通は「おりゐのみかどの門に車たつ様やはある(退位した天皇の御所の門に、牛車が立ち並ぶことなどあろうか)」と公言したという。師通は大江匡房に学問を学び、匡房に代表される伝統的な実務官僚層を掌握する。一方で、新興の院近臣勢力に対しては警戒感を示し、藤原顕季の邸宅を身分不相応だとして破壊したという話が伝わっている。また、上皇が近臣受領を受領功過定を経ずに重任させようとしたのを制止している。その政治は「嘉保・永長の間、天下粛然」と賛美された。 嘉保2年(1095年)美濃守・源義綱の流罪を求める延暦寺・日吉社の強訴に対して、要求を拒否した上で源頼治を派遣して大衆を撃退した。この際に矢が山僧・神人に当たり負傷者が出たため、延暦寺は朝廷を呪詛した。承徳3年(1099年)師通は悪瘡を患い38歳で急死する。師通の政権は僅か5年で終焉し、延暦寺は神罰が下ったと喧伝した。またこれとは別に、白河上皇の命による真言僧の呪詛があったとも伝わる。 後継者の忠実は22歳と若く、官職もいまだ権大納言で関白となる資格にも欠けていた。引退していた師実にも忠実を支える余力はなかった。師通が有能であっただけにそれを失った摂関家は院に対する従属を余儀なくされ、その勢力を大きく後退させていく。 人物 性格は剛直で気が強く、真面目で物事の道理を重視する性格であったと伝えられている。また体躯も立派であり、歴代天皇の御物である絃上という琵琶を弾いた際、琵琶がまるで塵のように小さく見えたとの話が伝わっている。 その一方で、若い頃から健康問題を抱えていたらしく、師通の日記である『後二条師通記』にも寛治3年(1089年)頃より体調不良の記述がみられる。その一方で、亡くなる11日前まで日記が書かれていることから、本人にとっても突然の死であったことが窺える。 日記に『後二条師通記』がある。 官歴 ※日付=旧暦 延久4年(1072年)1月25日:元服。従五位上に叙す。4月26日:侍従に任ず。6月22日:右近衛権少将に任ず(※五位のまま少将に任ずるのは、特に「五位少将」と称され、摂関家嫡男の特権であった。)。7月24日:右近衛権中将に転任。 延久5年(1073年)1月5日:正五位下に叙す。1月30日:従四位下に叙す。 延久6年(1074年)1月28日:従四位上に叙す。6月25日、正四位下に叙す。11月16日、近江介を兼ねる。 承保2年(1075年)1月29日:従三位に叙す。 承保3年(1076年)10月24日:正三位に叙す。 承保4年(1077年)3月27日:参議に任じ、右近衛権中将を辞す。4月9日:左近衛大将を兼ねる。※参議が近衛大将を兼ねるのは極めて異例。 改元して承暦元年12月13日、権中納言に転任し、左近衛大将元如。 承暦3年(1079年)10月25日:従二位に叙す。11月25日:中宮大夫を兼ねる。※このときの中宮は白河天皇の皇后藤原賢子。師通の父師実の養女である。 承暦4年(1080年)1月28日:正二位に叙す。8月14日:権大納言に任ず。左近衛大将・中宮大夫元如。 永保3年(1083年)1月26日:内大臣に任ず。左近衛大将元如。 寛治6年(1092年)12月:左近衛大将を辞す。 寛治8年(1094年)3月9日:関白の詔をこうむる。3月11日:藤氏長者となる。※このとき一座の宣下がなく、座次は左大臣源俊房の次位であった。 嘉保3年(1096年)1月5日:従一位に叙す。同時に俊房の上席に列すべき宣旨がくだされた。 承徳3年(1099年)6月28日、薨御。享年38。 系譜 父:藤原師実 母:源麗子 - 源師房女 妻:藤原全子 - 藤原俊家女、離縁 長男:藤原忠実(1078-1162) 妻:藤原信子 - 藤原信長養女、実は藤原経輔女 妻:藤原良綱女 次男:藤原家政(1080-1115) 女子:字は御料、斎院女別当、但馬 妻:平貞経女(家女房) 三男:藤原家隆(?-1125) 妻:源頼綱の娘 女子(1098-1107) 妾:家女房丹後 女子:太皇太后令子内親王宣旨 妾:源師忠家女房 女子 生母不明の子女 男子:覚英(?-1157) 女子:「栖霞院姫君」(?-1147)
{ "id": "123850", "title": "藤原師通", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%B8%AB%E9%80%9A" }
宝塚球場(たからづかきゅうじょう、1922年 - 1937年)は、かつて兵庫県川辺郡小浜村(現:兵庫県宝塚市)にあった野球場。 歴史 箕面有馬電気軌道(阪神急行電鉄、現:阪急阪神ホールディングス)は阪急宝塚線の全線開業後、兵庫県宝塚市を観光地として整備しようと宝塚新温泉、遊園地、動植物園を設置。そして阪急電鉄直属の宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)を結成した。さらに1922年6月15日、この近接地に野球場、テニス場、陸上競技場を併設したスポーツセンターをオープンさせた。翌年より日本フットボール優勝大会(現在の全国高等学校サッカー選手権大会および全国高等学校ラグビーフットボール大会)が2大会開催された。 2年後の1924年、日本運動協会(芝浦協会)が関東大震災の影響で運営が困難になり解散したのを受けて、その選手の受け皿として宝塚運動協会を結成。本球場を本拠地として活動を行い、ノンプロ組織(社会人野球)との対戦もこなしたりした。しかし、当時は職業野球の文化が不充分でわずか5年後の1929年に解散してしまった。 それから7年後の1936年には同年結成の阪急軍(阪急職業野球団、現在のオリックス・バファローズ)の本拠地として利用され、職業野球公式戦を開催したが、翌1937年5月1日に完成した阪急西宮球場にその座を明け渡し、宝塚球場も解体された。跡地は宝塚映画製作所の第一撮影所(1938年8月12日完成)になったが、戦後は宝塚ファミリーランドとして整備された。 解体から約50年後の1989年12月に発売されたコンピュータゲーム作品の「ファミスタ'90」に『たからづか球場』という名前の架空の球場が登場したことがある。ただし、阪急西宮球場がモチーフになっているもので、全く関係ない。 プロ野球公式戦開催実績 1936年に13試合開催。なお左側のチームが後攻(ホームチーム扱い)。 春季・宝塚大会 1936年5月22日 阪急軍 6-5 大東京軍 1936年5月23日 大東京軍 5-13 東京セネタース、大阪タイガース 6-4 名古屋軍 1936年5月24日 東京セネタース 13-2 名古屋軍、大阪タイガース 2-10 阪急軍 秋季・大阪大会トーナメント戦 1936年10月23日(1回戦) 名古屋金鯱軍 16-8 東京セネタース、阪急軍 2-0 名古屋軍、大阪タイガース 9-9 大東京軍<9回引き分け> 1936年10月24日(1回戦再試合) 大阪タイガース 7-4 大東京軍 1936年10月25日(準決勝)名古屋金鯱軍 3-7 東京巨人軍、阪急軍 3-0 大阪タイガース 1936年10月27日 (3位決定戦)大阪タイガース 4-2 名古屋金鯱軍、(決勝)阪急軍 1-3 東京巨人軍 施設概要
{ "id": "123851", "title": "宝塚球場", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E7%90%83%E5%A0%B4" }
日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術院、英語:The Japan Art Academy)は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関かつ国立アカデミーであり、文化庁の特別の機関である。国立の芸術アカデミーとしての性格は、その正式英語名称で明示されており、日本芸術院は,栄誉機関としての役割の他、芸術の発達に寄与する活動を行うとともに,芸術に関する重要事項を審議し,これを文部科学大臣又は文化庁長官に意見を述べる役割を担っている。 概要 日本芸術院は、芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関である(日本芸術院令1条)。会員は定員120人以内(2条)で、終身制である(4条)。死亡により欠員が生じた場合、各部会員の投票により、毎年度新会員が選定される(常に全欠員が補充されるわけではない)。文化功労者より低い年金(250万円)が授与されるが、これは特別職の非常勤国家公務員としての給与名目で支給されており課税対象になる。 東京都台東区上野公園にある日本芸術院会館に所在。同会館は会員の懇談や会議に使われるほか、展示室では時折日本芸術院が所蔵する美術作品の一般公開が行われる。毎年6月に天皇・皇后が臨席して挙行される日本芸術院賞と恩賜賞の授賞式もここで行われる。 帝国芸術院官制に基づき設置された帝国芸術院の改称により設立された。現在は、文部科学省設置法に基づき設置されており、文化庁の特別の機関である。 沿革 1907年(明治40年)6月 - 「文部省美術展覧会(文展)」の審査を目的とした「美術審査委員会(びじゅつしんさいいんかい)」が設置された。 1919年(大正8年) - 9月5日、帝国美術院規程制定。(勅令。美術審査委員会官制は廃止)美術審査委員会を改組し、文部大臣の諮問に応じて美術に関する意見を開申し、あるいは美術に関する重要事項について建議することを目的とした「帝国美術院(ていこくびじゅついん)」を創設。(帝國美術院官制施行)文部省に代わり、「帝国美術展覧会(帝展。文展から改称)」も主催することとなった。 9月8日、初代院長に森鴎外、会員に小堀鞆音、川合玉堂、竹内栖鳳、山元春挙、富岡鉄斎、今尾景年、松本楓湖、高村光雲、新海竹太郎、黒田清輝、岡田三郎助、和田英作、中村不折の13名を任命。(なお、横山大観と下村観山も任命を打診されたが、辞退している) 1935年(昭和10年) - いわゆる「松田改組」の実施。当時の文部大臣・松田源治の指示の下、30人定員であった従来の会員に、横山大観(日本美術院)をはじめとした在野の芸術家らを新たに20人追加する形で任命。国内美術家の全員一致体制の実現を図った。改革は会員の特権であった無鑑査による出品方法などにも及んだことから、洋画(第二部)の会員が二部会を結成して抵抗を示すなど反発が強まった。 1936年(昭和11年) - 2月に改革後、初となる帝展が開催されたが、中堅どころの無鑑査級の作家が帝展改革に反旗を翻して出品を辞退。松田大臣の辞任後に改革を引き継いだ平生大臣は、5月に会員懇談会を開催。無鑑査級の作家と新人の発表の場を分けるなど改革に向けた試案を出すが、辞任する会員が相次いだ。 1937年(昭和12年) - 開申・建議する分野を芸術全般に拡大し、美術のほかに文芸、音楽等の代表を加え、「帝国芸術院(ていこくげいじゅついん)」に改組。(帝国芸術院官制施行)6月24日付で帝国芸術院官制公布(勅令)、新会員72名を任命。新文展(1936年、帝展から改称)の開催については、これ以降再度文部省の管轄となる。 1941年(昭和16年)3月27日 - 第一回帝国芸術院総会が行われる。1937年に発足以来5年間、放置され続けていた。 1942年(昭和17年) - 非会員を対象に、卓越した芸術作品及び顕著な業績に対する「帝国芸術院賞」(戦後、「日本芸術院賞」と改称)の授与を開始。 1944年(昭和19年)7月15日 - 7月31日 - 日本芸術院会員による陸軍献納美術展(表慶館)。 1947年(昭和22年)12月2日 - 新憲法施行にともない、名称を日本芸術院(にほんげいじゅついん)に変更(政令)。 1948年(昭和23年) - 文部省に代わり、日本美術展覧会(日展。1946年に改称)の開催母体となる。 1949年(昭和24年) - 芸術院会員有志によって「日展運営会」が組織され、同年より1957年(昭和32年)まで、日展は日本芸術院と日展運営会の共同開催となった。 1950年(昭和25年) - 日本芸術院賞の授賞者のうち特に選ばれた者に対し、「恩賜賞」の授与を開始。 1958年(昭和33年)4月26日 - 日展運営会が日本芸術院から独立し、新設の社団法人「日展」となる。以降、日展は社団法人日展の単独開催となり、日本芸術院は日展の直接的な運営から離れる。 1968年(昭和43年)6月 - 文化庁の発足にともない、同庁の特別の機関となる。 2021年(令和3年) - 文部科学省の有識者会議「日本芸術院の会員選考に関する検討会議」の答申に基づき、組織及び会員選出方法を改正。新会員の選考にあたり、現会員のみによる推薦・選考とした従来方式から、現会員による投票に先立ち、文化庁が任命する外部有識者と現会員により、新会員候補有資格者の推薦と絞り込みを行う形式とし、同年度の新会員選出から実施した。 歴代院長 現会員一覧 歴代会員一覧 帝国美術院 歴代会員 1937年、帝国芸術院会員に任命 第一部 歴代会員 第二部 歴代会員 第三部 歴代会員 辞退者(うち一部)
{ "id": "123853", "title": "日本芸術院", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E9%99%A2" }
日本芸術院賞(にほん げいじゅついん しょう、旧字体:藝術院)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。卓越した芸術作品を作成した者または芸術の進歩に貢献した者に対して授与される。戦前は帝國藝術院賞(ていこく げいじゅついん しょう)といった。 日本芸術院会員からの推薦者の中から委員会を経て選考される。 昭和16年度にあたる1942年(昭和17年)の第1回から、第二次世界大戦の末期と直後(1945年 - 1947年)を除いて毎年授与されている。昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からは受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対して「恩賜賞」を授与するようになった。 恩賜賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賞状・賞牌・賞金が贈呈される。 授賞式は、天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、毎年6月に挙行される。 日本芸術院賞を受けると後日、日本芸術院会員に推される運びとなっている。ただし日本芸術院会員は終身制で定員120と定められているため、芸術院会員に就任していない場合や、就任までの期間が10年以上の長期に渡る場合がある。 受賞者 以下一覧中、「恩」は恩賜賞、名跡は受賞時のもの。名の後にはそれぞれの専門分野、または日本藝術院賞受賞の根拠となった作品や理由を添えた。 第一部(美術) 日本画 1943年 島田墨仙 『山鹿素行先生』 1948年 伊東深水 『鏡』 1951年 徳岡神泉 『鯉』 1953年 児玉希望 『室内』 1954年 金島桂華 『冬田』 1955年 橋本明治 『まり千代像』 1956年 東山魁夷 『光昏』 1956年 山口華楊 『仔馬』 1957年 杉山寧 『孔雀』 1958年 森白甫 『花』 1958年 恩 菅楯彦 長年の日本画活動とその業績 1958年 望月春江 『蓮』 1959年 加藤栄三 『空』 1959年 森田沙伊 『少年』 1960年 高山辰雄 『白翳』 1960年 池田遥邨 『波』 1960年 郷倉千靱 『山霧』 1961年 恩 川崎小虎 日本画壇に尽した業績 1961年 岩田正巳 『石仏』 1961年 矢野橋村 『錦楓』 1961年 西山英雄 『天壇』 1962年 恩 榊原紫峰 日本画壇に尽した業績 1962年 小倉遊亀 『母子』 1962年 三輪晁勢 『朱柱』 1963年 奥田元宋 『磐梯』 1963年 山田申吾 『嶺』 1964年 山本丘人 『異郷落日』 1965年 濱田觀 『彩池』 1965年 麻田辨自 『潮騒』 1966年 中村貞以 『シャム猫と青衣の女』 1966年 山本倉丘 『たそがれ』 1967年 上村松篁 『樹下幽禽』 1967年 佐藤太清 『風騒』 1968年 伊東万燿 『踊る』 1969年 三谷十糸子 『高原の朝』 1970年 恩 寺島紫明 『舞妓』 1971年 吉岡堅二 『奈良の鹿』 1972年 岩橋英遠 『鳴門』 1973年 大山忠作 『五百羅漢』 1974年 恩 猪原大華 『清明』 1975年 恩 片岡球子 『面構(鳥文斎栄之)』 1976年 恩 川本末雄 『春の流れ』 1977年 加藤東一 『女人』 1978年 浦田正夫 『松』 1979年 松尾敏男 『サルナート想』 1980年 濵田臺兒 『女辯護士』 1981年 加倉井和夫 『青苑』 1982年 恩 吉田善彦 『春雪妙義』 1984年 福王寺法林 『ヒマラヤの花』 1985年 恩 村山徑 『冠』 1986年 関主税 『野』 1987年 堂本元次 『懸空寺』 1988年 鈴木竹柏 『気』 1989年 佐藤圀夫 『月明』 1990年 恩 郷倉和子 『静日』 1991年 恩 稗田一穂 『月影の道』 1992年 山岸純 『樹歌』 1993年 岩澤重夫 『渓韻』 1994年 恩 白鳥映雪 『菊慈童』 1995年 上村淳之 『雁金』 1997年 中路融人 『映象』 2000年 那波多目功一 『富貴譜』 2001年 福王寺一彦 『月の耀く夜に 三』 2003年 岩倉寿 『南の窓』 2004年 宇佐美江中 『暮れゆく函館』 2005年 恩 川崎春彦 『朝明けの湖』 2006年 福田千惠 『ピアニスト』 2007年 土屋礼一 『軍鶏』 2008年 恩 清水達三 『翠響』 2011年 恩 山崎隆夫 『海煌』 2013年 能島和明 『鐘巻』 2016年 恩 後藤純男 『大和の雪』 2017年 西田俊英 『森の住人』 2018年 田渕俊夫『渦潮』 2020年 恩 村居正之『月照』 2021年 恩 千住博『瀧図』 洋画 1942年 小磯良平 『娘子関を征く』 1943年 宮本三郎 『山下 パーシルバル両司令官会見図』 1950年 鍋井克之 『朝の勝浦港』 1951年 恩 三宅克己 1951年 寺内万治郎 『横臥裸婦』 1952年 恩 白滝幾之助 日本洋画会に尽した功績 1952年 中山巍 『マチス礼讃』 1953年 恩 石川寅治 永年の画業 1954年 小絲源太郎 『春雪』 1956年 鬼頭鍋三郎 『アトリエにて』 1957年 鈴木千久馬 『てっせん』 1957年 東郷青児 壁画『創生の歌』 1958年 中野和高 『少女』 1959年 恩 木村荘八 『東京繁昌記』 1959年 小山敬三 『初夏の白鷺城』 1959年 林武 林武回顧新作展 1960年 大久保作次郎 『市場の魚店』 1960年 鈴木信太郎 鈴木信太郎油絵展 1961年 新道繁 『松』 1961年 田崎広助 『初夏の阿蘇山』『朝やけの大山』 1962年 耳野卯三郎 『静物』 1963年 田村一男 『梅雨高原』 1963年 中村琢二 『画室の女』『男の像』 1964年 恩 中川紀元 永年にわたる芸術上の功績 1964年 岡鹿之助 回顧展作品並びに多年にわたる業績 1965年 吉井淳二 『水汲』 1966年 恩 池部鈞 永年にわたり洋画界に尽した業績 1966年 井手宣通 『千人行列』 1967年 島村三七雄 『巽橋』 1968年 佐竹徳 『オリーブと海』 1968年 服部正一郎 『水郷』 1969年 恩 黒田重太郎 永年にわたり美術界につくした業績に対し 1969年 中村善策 『張碓のカムイコタン』 1970年 小堀進 『初秋』 1970年 森田茂 『黒川能』 1971年 高光一也 『緑の服』 1972年 高田誠 『残雪暮色』 1973年 恩 野村守夫 『丘にある街』 1976年 岡田又三郎 『ともしび』 1977年 恩 伊藤清永 『曙光』 1979年 宮永岳彦 『鵬』 1980年 西山真一 『六月の頃』 1981年 楢原健三 『漁港夜景』 1982年 菅野矢一 『くるゝ蔵王』 1984年 寺田竹雄 『朝の港』 1985年 渡辺武夫 『シャンパアニュの丘』 1986年 廣瀬功 『高原の秋』 1988年 恩 大内田茂士 『卓上』 1990年 鶴岡義雄 『舞妓と見習いさん』 1991年 國領經郎 『呼』 1992年 平松譲 『TOKYO』 1993年 恩 藤本東一良 『展望台のユーカリ』 1994年 芝田米三 『楽聖讃歌』 1995年 恩 織田廣喜 『夕やけ空の風景』 1996年 奥谷博 『月露』 1997年 恩 寺島龍一 『アンダルシア讃』 1998年 中山忠彦 『黒扇』 1999年 島田章三 『駅の人たち』 2000年 恩 庄司榮吉 『聴音』 2001年 絹谷幸二 『蒼穹夢譚』 2002年 恩 淸原啓一 『花園の遊鶏』 2003年 塗師祥一郎 『春を待つ山間』 2004年 山本貞 『少年のいる夏』 2005年 寺坂公雄 『アクロポリスへの道』 2006年 恩 村田省蔵 『春耕』 2007年 大津英敏 『朝暘巴里』 2008年 藤森兼明 『アドレーション サンビターレ』 2009年 藪野健 『ある日アッシジの丘で』 2010年 恩 山本文彦 『樹想』 2012年 恩 池口史子 『深まる秋』 2013年 佐藤哲 『夏の終り』 2015年 馬越陽子 『人間の大河-いのち舞う・不死の愛-』 2017年 根岸右司 『古潭風声』 2018年 湯山俊久 『l’Aube(夜明け)』 2023年 小灘一紀 『伊邪那岐命の悲しみ』 彫塑 1943年 古賀忠雄 『建つ大東亜』 1950年 吉田三郎 『男立像』 1952年 加藤顕清 『人間像』 1953年 澤田政廣 『三華』 1954年 清水多嘉示 『青年像』 1955年 橋本朝秀 『華厳』 1957年 雨宮治郎 『健人』 1958年 松田尚之 『女性』 1961年 堀進二 『人海』 1963年 中川清 『あるく』 1963年 大内青圃 『多羅菩薩』 1966年 円鍔勝三 『旅情』 1966年 藤野舜正 『光は大空より』 1968年 北村治禧 『光る波』 1970年 晝間弘 『穹』 1971年 水船六洲 『紡ぎ唄』 1972年 富永直樹 『新風』 1973年 進藤武松 『薫風』 1974年 木下繁 『裸婦』 1975年 分部順治 『瞭』 1977年 淀井敏夫 『ローマの公園』 1979年 三坂耿一郎 『壺中天』 1980年 佐藤助雄 『振向く』 1981年 野々村一男 『物とのはざま』 1982年 伊藤五百亀 『渚』 1985年 小森邦夫 『青春譜』 1986年 恩 高橋剛 『稽古場の踊り子』 1987年 中村博直 『静秋』 1988年 中村晋也 『朝の祈り』 1990年 雨宮敬子 『想秋』 1991年 長江録弥 『砂丘』 1992年 柴田鋼造 『香雲』 1994年 吉田鎮雄 『遊憩』 1996年 橋本堅太郎 『竹園生』 1997年 雨宮淳 『韻』 1998年 川﨑普照 『大地』 1999年 山田良定 『開幕の刻』 2002年 蛭田二郎 『告知 2001―』 2003年 恩 澄川喜一 『そりのあるかたち2002』 2004年 山本眞輔 『生生流転』 2005年 能島征二 『慈愛 こもれび』 2006年 市村緑郎 『間』 2007年 瀬戸剛 『エチュード』 2008年 神戸峰男 『朝』 2009年 宮瀬富之 『源氏物語絵巻に想う』 2012年 吉野毅 『夏の終り'11』 2016年 山田朝彦 『朝の響き』 2019年 池川直 『時の旅人』 2023年 桒山賀行 『過ぎし日』 工芸 1943年 吉田源十郎 蒔絵『梅蒔絵飾棚』 1950年 恩 小場恒吉 日本紋様の研究 1951年 岩田藤七 硝子『光の美』 1952年 山鹿清華 手織錦『無心壁掛』 1953年 香取正彦 鋳金『攀竜壺』 1954年 恩 沼田一雅 陶彫 1954年 山崎覚太郎 漆芸『三曲衝立』 1954年 楠部彌弌 陶芸「花瓶『慶夏』」 1955年 恩 杉浦非水 図案 1955年 内藤春治 鋳金『青銅花瓶』 1956年 恩 初代龍村平蔵 染織工芸に対する功績 1956年 六代目清水六兵衛 陶磁『玄窯叢花瓶』 1956年 三井義夫 彫金『彫金象嵌花瓶』 1957年 宮之原謙 陶芸『陶製花瓶(空)』 1958年 山室百世 鋳金『鋳銅平足・壺』 1959年 三代目井上良斎 陶芸『丸文平皿』 1959年 大須賀喬 彫金『金彩透彫飾皿』 1960年 各務鉱三 硝子『クリスタル硝子鉢』 1960年 岸本景春 刺繍『湖面の影』 1961年 佐治賢使 漆芸「漆工屏風『都会』」 1961年 皆川月華 染織「染彩『濤』」 1962年 蓮田修吾郎 鋳金『森の鳴動』 1962年 山脇洋二 彫金『游砂』 1963年 恩 河村蜻山 陶芸、帝展・文展・日展に出品して工芸界に尽した業績に対し 1963年 番浦省吾 漆芸『象潮』 1963年 森野嘉光 陶芸『塩釉三足花瓶』 1964年 辻光典 漆芸『雲連作の六、クノサス』 1965年 髙橋節郎 漆芸『化石譜』 1966年 帖佐美行 彫金『夜光双想』 1967年 浅見隆三 磁器『爽』 1968年 北出塔次郎 陶芸『胡砂の旅』 1968年 安原喜明 陶芸『火石器花挿』 1969年 般若侑弘 染色『青い朝連作』 1970年 海野建夫 彫金『雨もよい』 1971年 吉賀大眉 陶芸『連作暁雲』 1973年 佐野猛夫 染色『噴煙の島』 1980年 新開寛山 陶芸『玄鳥』 1981年 浅蔵五十吉 陶芸『色絵磁器佐渡の印象飾皿』 1982年 岩田久利 硝子『聖華』 1983年 恩 大久保婦久子 皮革『神話』 1984年 十三代目中里太郎右衛門 陶芸『叩き唐津手付瓶』 1985年 大樋年朗 陶芸「花三島飾壺『峙つ』」 1986年 折原久佐ヱ門 金工『祀跡』 1988年 三谷吾一 沈金『潮風』 1989年 恩 藤田喬平 硝子『春に舞う』 1990年 奥田小由女 人形『炎心』 1991年 青木龍山 陶芸『胡沙の舞』 1992年 永井鐵太郎 金工『うつわ・その六』 1993年 中井貞次 染色『原生雨林』 1994年 井波唯志 漆芸『晴礁』 1996年 大塩正義 陶芸『樹相』 1997年 河合誓徳 陶芸『行雲』 1998年 今井政之 陶芸『赫窯雙蟹』 1999年 恩 西本瑛泉 陶芸玄窯縄文譜『黎明』 2000年 吉賀将夫 陶芸「萩釉広口大器『曜99・海』」 2001年 川尻一寛 陶芸『豊穣』 2003年 大角勲 鋳金『天地守道(生)』 2004年 伊藤裕司 漆芸『スサノオ聚抄』 2006年 原益夫 鋳金『エンドレス』 2007年 森野泰明 陶芸『大地』 2010年 武腰敏昭 陶芸『湖畔・彩釉花器』 2012年 宮田亮平 彫金『シュプリンゲン「翔」』 2013年 寺池静人 陶芸『富貴想』 2016年 春山文典 彫金『宙の河』 2018年 三田村有純漆芸『月の光 その先に』 2019年 並木恒延漆芸『月出ずる』 2021年 相武常雄鋳金『2020の祈り』 2023年 恩大樋年雄『モニュメント・クリフ』 書 1951年 川村驥山 『楷書酔古堂剣掃語』 1953年 辻本史邑 『白詩七律』 1955年 西川寧 『隷書七言聯』 1957年 鈴木翠軒 『禅牀夢美人』 1960年 恩 田中親美 『平家納経三十三巻』複製 1960年 松本芳翠 『談玄観妙』 1961年 安東聖空 『万葉の歌・みなそこ』 1961年 二代目中村蘭台 『老子語和光同塵』 1962年 炭山南木 『白楽天詩』 1963年 山崎節堂 『古諺』 1964年 松井如流 『杜少陵詩』 1965年 日比野五鳳 『清水』 1966年 青山杉雨 『詩経の一節』 1967年 金子鷗亭 『丘壑寄懐抱』 1968年 村上三島 『杜甫贈高式顔詩』 1969年 田中塊堂 『平和』 1970年 桑田笹舟 『母』 1971年 大石隆子 『王朝讃歌』 1971年 金田心象 『玄覧』 1972年 広津雲仙 『杜甫詩』 1973年 宮本竹逕 『万葉歌』 1976年 木村知石 『二龍争珠』 1977年 殿村藍田 『薛逢詩』 1978年 上條信山 『汲古』 1981年 恩 小坂奇石 『寒山詩二首』 1983年 杉岡華邨 『玉藻』 1984年 恩 小林斗盦 1985年 古谷蒼韻 『萬葉・秋雑歌』 1986年 浅見筧洞 『曾子語』 1987年 恩 今井凌雪 『桃花瞼薄』 1989年 浅香鉄心 『白楽天・城上夜宴詩』 1990年 伊藤鳳雲 『三吉野の歌』 1991年 近藤摂南 『薛濤詩』 1992年 恩 成瀬映山 『杜甫詩』 1993年 尾崎邑鵬 『杜少陵詩』 1994年 栗原蘆水 『菜根譚一節』 1995年 高木聖鶴 『春』 1996年 榎倉香邨 『流翳』 1997年 甫田鵄川 『菜根譚』 1998年 恩 松下芝堂 『花下醉』 1999年 日比野光鳳 『花』 2000年 梅原清山 『漢鐃歌三章』 2001年 恩 津金孝邦 『森鷗外の詩』 2002年 桑田三舟 『春秋』 2003年 井茂圭洞 『清流』 2004年 恩 新井光風 『明且鮮』 2005年 黒野清宇 『梅の花』 2006年 劉蒼居 『袁枚詩』 2007年 恩 池田桂鳳 『三諸』 2008年 杭迫柏樹 『送茶』 2009年 恩 小山やす子 『更級日記抄』 2010年 樽本樹邨 『富陽妙庭観董雙成故宅發地得丹鼎』 2011年 黒田賢一 『小倉山』 2012年 星弘道 『李頎詩 贈張旭』 2017年 恩 髙木聖雨 『協戮』 2018年 土橋靖子『かつしかの里』 2019年 恩 真神巍堂『碧潯』 2022年 恩 牛窪梧十 『陸游詩』 2023年 永守蒼穹 『松尾芭蕉の句』 建築 1950年 岸田日出刀 1952年 吉田五十八 1953年 村野藤吾 1957年 堀口捨己 1959年 中村順平 1961年 谷口吉郎 東宮御所 1962年 竹腰健造 1965年 前田健二郎 妙本寺釈迦堂 1966年 今井兼次 桃華楽堂 1967年 佐藤武夫 建築文化の向上に対する多年の業績により 1968年 恩 藤島亥治郎 四天王寺伽藍の再建 1971年 海老原一郎 尾崎記念館(現:憲政記念館)など一連の建築作品 1974年 前川國男 埼玉県立博物館 1975年 吉村順三 奈良国立博物館 1980年 白井晟一 親和銀行設計 1981年 大江宏 香川県立丸亀武道館 1982年 高橋靗一 大阪芸術大学 塚本英世記念館・芸術情報センター 1984年 芦原義信 国立歴史民俗博物館 1985年 西澤文隆 神宮前の家 1987年 谷口吉生 土門拳記念館 1988年 池原義郎 早稲田大学所沢キャンパス 1989年 内井昭蔵 東京都世田谷美術館 1990年 阪田誠造 東京サレジオ学園・ドンボスコ記念聖堂 1991年 中村昌生 白鳥公園・清羽亭 1992年 黒川紀章 奈良市写真美術館 1993年 安藤忠雄 姫路文学館などのコンクリートの素材を生かした一連の建築設計 1995年 柳澤孝彦 郡山市立美術館 1996年 恩 岡田新一 宮崎県立美術館 1999年 伊東豊雄 大館樹海ドーム 2000年 長谷川逸子 新潟市民芸術文化会館及び周辺ランドスケープ 2001年 山本理顕 埼玉県立大学 2003年 栗生明 平等院宝物館 2004年 宮本忠長 松本市美術館 2006年 香山壽夫 聖学院大学礼拝堂・講堂 2008年 鈴木了二 金刀比羅宮プロジェクト 2010年 北川原温 中村キース・ヘリング美術館 2011年 古谷誠章 茅野市民館 2013年 恩 槇文彦 名古屋大学豊田講堂 2015年 陶器二三雄 文京区立森鷗外記念館 2020年 藤森照信 ラ コリーナ近江八幡 草屋根 第二部(文芸) 小説・戯曲 1950年 大佛次郎 『帰郷』 1951年 小川未明 1952年 川端康成 1955年 坪田譲治 『坪田譲治全集』 1956年 井伏鱒二 『漂民宇三郎』 1957年 幸田文 『流れる』 1959年 井上靖 『氷壁』 1960年 火野葦平 『革命前夜』その他生前の業績※没後受賞 1961年 石川淳 1963年 獅子文六 1966年 中山義秀 『咲庵』など 1966年 永井龍男 『一個その他』など 1967年 伊藤整 1968年 網野菊 1969年 芹沢光治良『人間の運命』 1972年 恩 平林たい子 ※没後受賞 1972年 宇野千代 1973年 庄野潤三 1975年 恩 中里恒子 『わが庵』など 1976年 恩 司馬遼太郎 『空海の風景』 1976年 安岡章太郎 1977年 戸板康二 1977年 海音寺潮五郎 1979年 恩 阿川弘之 1979年 遠藤周作 1979年 吉行淳之介 1980年 恩 田中千禾夫 1981年 島尾敏雄 1982年 恩 芝木好子 1982年 野口冨士男 1982年 小島信夫 1984年 河野多惠子 1986年 恩 水上勉 1987年 恩 三浦朱門 1987年 吉村昭 1988年 恩 八木義徳 1989年 恩 阪田寛夫 1993年 恩 曾野綾子 1993年 石井桃子 1994年 竹西寛子 作家・評論家としての業績 1995年 陳舜臣 作家としての業績 1998年 恩 大原富枝 1998年 堀田善衞 1999年 加賀乙彦 『高山右近』 2000年 小川国夫 2000年 黒井千次 2000年 日野啓三 2001年 恩 伊藤桂一 長年にわたる小説と詩の業績 2003年 恩 津村節子 2004年 恩 中野孝次 『風の良寛』『中野孝次作品(全十巻)』『ローマの哲人セネカの言葉』 2004年 富岡多惠子 文学から映像分野にまでわたる幅広い創造活動の業績 2006年 恩 辻井喬 近作をはじめとする小説群の旺盛な創作活動に対し 2007年 恩 三木卓 文学の諸分野での長年の功績 2009年 恩 井上ひさし 戯曲を中心とする広い領域における長年の業績 2011年 恩 山崎正和 戯曲、評論の長年の業績 2016年 恩 辻原登 多年にわたる文学的業績 2017年 髙樹のぶ子 様々な類型の人間関係の機微を緻密に考察し,豊かな物語性を織りこんだ小説を造型した業績に対し 2019年 松浦寿輝 小説、詩、評論など多くの領域において、高度の水準に達した作品を創造し続けた業績 2022年 恩 筒井康隆 SF作品から純文学作品まで幅広い創作活動による傑出した文学的業績に対し 2023年 小川洋子 精力的にユニークな小説世界を生み出し、それを発展させてきた文学的業績に対し 詩歌 1942年 高村光太郎 詩集『道程』 1942年 川田順 歌文集『国初聖蹟歌』歌集『鷲』 1948年 折口信夫 詩集『古代感愛集』 1949年 半田良平 詩集『幸木』※没後受賞 1951年 尾山篤二郎 1953年 三好達治 『駱駝の瘤にまたがつて』『午後の夢』 1953年 土屋文明『万葉集私注』 1953年 服部担風『担風詩集』 1958年 川路柳虹 詩集『波』など 1964年 水原秋桜子 1971年 富安風生 1977年 宮柊二 1980年 佐藤佐太郎 1981年 恩 飯田龍太 1983年 恩 木俣修 歌人としての業績 1984年 恩 中村草田男 俳人としての業績※没後受賞 1984年 中村汀女 1987年 山口誓子 1987年 上田三四二 短歌と文学上の業績 1994年 恩 那珂太郎 1995年 恩 大岡信 1995年 清岡卓行 詩・小説・評論にわたる作家としての業績 1997年 恩 森澄雄 俳人としての業績 1998年 岡野弘彦 1998年 田村隆一 1999年 恩 伊藤信吉 2003年 馬場あき子 2003年 まど・みちお 2003年 金子兜太 2005年 恩 前登志夫 歌集『鳥総立』(とぶさだて) 2015年 恩 吉増剛造 2015年 鷹羽狩行 2016年 宇多喜代子 2019年 恩 荒川洋治 2023年 藤井貞和 『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』 評論・翻訳 1943年 野口米次郎 『芸術殿』 1950年 山内義雄 『チボー家の人びと』 1951年 小林秀雄 『小林秀雄全集』 1952年 日夏耿之介 『明治浪漫文学史』『日夏耿之介全詩集』 1953年 石川欣一 翻訳『花ひらくニューイングランド』 1954年 小宮豊隆 1955年 鈴木信太郎 1956年 昇曙夢 『ロシヤ・ソヴェト文学史』 1957年 恩 折口信夫 『折口信夫全集』※没後受賞 1957年 和田芳恵 『一葉の日記』 1958年 新関良三 評論『ギリシャ・ローマ演劇史』 1959年 吉田精一 『自然主義の研究』 1961年 河上徹太郎 1963年 福原麟太郎 英文学を基盤とする随筆一般 1964年 亀井勝一郎 1966年 舟木重信 『詩人ハイネ・生活と作品』 1966年 山本健吉 1967年 恩 三宅周太郎 長年にわたる演劇研究および批評の業績 ※没後受賞 1967年 中村光夫 1969年 高橋健二 1971年 唐木順三 1973年 中村白葉 ロシア文学の翻訳と紹介 1976年 江藤淳 1977年 恩 平野謙 評論家としての業績 1981年 福田恆存 1981年 生島遼一 1982年 佐伯彰一 1984年 磯田光一 1986年 富士川英郎 1990年 恩 新庄嘉章 フランス文学の名作を正確で流麗な翻訳で紹介 1991年 恩 佐藤朔 フランス近現代文学などの評論・翻訳家としての業績 1997年 高橋英夫 評論家としての業績 2000年 恩 河竹登志夫 『河竹登志夫歌舞伎論集』 2000年 川村二郎 2001年 菅野昭正 文芸評論活動及文学研究の業績 2002年 恩 高階秀爾 芸術文化に対する評論の業績  2010年 恩 粟津則雄 文学を中心にした芸術各分野における長年の活動  2012年 恩 三浦雅士 『青春の終焉』など独自の視点から温かい理解と成熟を深めている批評の業績  2017年 恩 渡辺保 演劇全般,特に伝統演劇の本質を綿密かつ精緻に探究した長年にわたる評論の業績に対し 2018年 恩 芳賀徹『文明としての徳川日本 一六〇三-一八五三』 2023年 恩 北川透 9年間に及ぶ『現代詩論集成』1巻より5巻までの果敢なる独走に対し 第三部(音楽・演劇・舞踊) 能楽 1948年 野口兼資 「姨捨」能 シテ方宝生流 1951年 観世華雪 能 シテ方観世流 1953年 櫻間弓川 東京水道橋能楽堂での「卒塔婆小町」の演技 能 シテ方金春流 1954年 茂山弥五郎 「釣狐」 狂言 大蔵流 1960年 近藤乾三 能 シテ方宝生流 1961年 橋岡久太郎 「羽衣」「菊慈童」ほか 能 シテ方観世流 1963年 後藤得三 「卒塔婆小町」 能 シテ方喜多流 1970年 六世野村万蔵 狂言 和泉流 1975年 喜多実 能 シテ方喜多流 1977年 四世茂山千作 狂言 大蔵流 1980年 宝生弥一 能 ワキ方下掛宝生流 1983年 田中幾之助 能 シテ方宝生流 1985年 梅若雅俊 能 シテ方観世流 1987年 四世野村万之丞 狂言 和泉流 1988年 梅若恭行 能 シテ方観世流 1988年 観世元正 能 シテ方観世流 1990年 九世片山九郎右衛門 能 シテ方観世流 1990年 二世野村万作 能 和泉流狂言方 1992年 八世観世銕之丞 能 シテ方観世流 1992年 宝生閑 能 ワキ方下掛宝生流 1995年 二世金剛巌 能 シテ方金剛流 1996年 二十二世金春惣右衛門 能 太鼓方金春流 1999年 五十六世梅若六郎 能 シテ方観世流 2000年 粟谷菊生 能 シテ方喜多流 2001年 近藤乾之助 能 シテ方宝生流 2002年 関根祥六 能 シテ方観世流 2003年 友枝昭世 能 シテ方喜多流 2005年 三世観世喜之 能 シテ方観世流 2006年 野村四郎 能 シテ方観世流 2007年 四世山本東次郎 狂言 大蔵流 2008年 恩 一噌仙幸 能 囃子笛方一噌流 2009年 九世観世銕之丞 能 シテ方観世流 2011年 山本孝 能 大鼓方大倉流 2013年 浅見真州 能 観世流シテ方 2014年 香川靖嗣 能 シテ方喜多流 2015年 恩 柿原崇志 能 大鼓方高安流 2016年 高橋章 能 シテ方宝生流 2017年 大槻文藏 能の最高秘曲と復曲における優れた舞台成果,大阪能楽界の発展及び後進育成の業績に対し 2019年 恩 亀井忠雄 能楽の最高秘曲「姨捨」をはじめとする様々な曲趣を奏する卓越した技法による舞台成果 2021年 観世清和 能 観世流シテ方 2023年 恩 金剛永謹 能楽の普及・興隆に寄与するその業績に対し 歌舞伎 1951年 三代目中村時蔵 歌舞伎 女方 1952年 二代目市川猿之助 歌舞伎 立役 1953年 三代目市川壽海 歌舞伎 立役 1954年 三代目阪東壽三郎 歌舞伎 立役 1956年 三代目市川左團次 歌舞伎 立役 女形 1962年 六代目中村歌右衛門 歌舞伎 女方 1966年 七代目尾上梅幸 歌舞伎 女方 1966年 八代目坂東三津五郎 歌舞伎 立役 1969年 十七代目中村勘三郎 歌舞伎 立役 1970年 二代目中村鴈治郎 歌舞伎 立役 1972年 十三代目片岡仁左衛門 歌舞伎 立役 1974年 八代目松本幸四郎 歌舞伎 立役 1975年 七代目中村芝翫 歌舞伎 女方 1981年 四代目中村雀右衛門 歌舞伎 女方 1982年 三代目實川延若 上方歌舞伎の伝承 歌舞伎 立役 1984年 十七代目市村羽左衛門 歌舞伎 立役 1985年 二代目中村吉右衛門 歌舞伎 立役 1986年 二代目中村扇雀 歌舞伎 立役 1987年 五代目中村富十郎 歌舞伎 立役 1987年 七代目尾上菊五郎 歌舞伎 立役 1988年 片岡孝夫 歌舞伎 立役 1989年 十二代目市川團十郎 歌舞伎 立役 1990年 八代目中村福助 歌舞伎 立役 1991年 九代目坂東三津五郎 歌舞伎 立役 1993年 五代目中村松江 歌舞伎 女方 1996年 恩 二代目中村又五郎 歌舞伎 脇役 1999年 五代目中村勘九郎 歌舞伎 立役 2001年 六代目澤村田之助 歌舞伎 脇役 2005年 九代目中村福助 歌舞伎 女方 2006年 十代目坂東三津五郎 歌舞伎 立役 2007年 五代目中村翫雀 歌舞伎 立役 2008年 五代目中村時蔵 歌舞伎 女方 2008年 七代目中村芝雀 歌舞伎 女方 2011年 三代目中村橋之助 歌舞伎 立役 2016年 恩 五代目坂東玉三郎 歌舞伎 女形 2016年 五代目中村歌六 歌舞伎 脇役 2017年 四代目市川左團次 「助六由縁江戸桜」の髭の意休役,「仮名手本忠臣蔵」の高師直役及び桃井若狭之助役における演技に対し 2018年 三代目中村扇雀「桂川連理柵帯屋」お絹(平成29年4月),「新口村」傾城梅川(平成29年11月)等,近年の歌舞伎俳優としての活躍に対し 2020年 十代目松本幸四郎 歌舞伎 立役 2021年 片岡孝太郎 歌舞伎 女形 2022年 竹本葵太夫 歌舞伎音楽竹本太夫 文楽 1944年 二代目豊竹古靱太夫 文楽 大夫 1950年 四代目鶴澤清六 文楽 三味線方 1963年 八代目竹本綱大夫 文楽 太夫 1968年 二代目野澤喜左衛門 義太夫三味線の演奏技術と作曲活動 文楽 三味線方 1972年 六代目鶴澤寛治 文楽 三味線方 1976年 十代目竹沢弥七 文楽 三味線方 1997年 三代目吉田簑助 文楽 人形方 1998年 恩 七代目竹本住大夫 文楽 太夫 2003年 九代目竹本綱大夫 文楽 太夫 2009年 豊竹咲大夫 文楽 太夫 2010年 三代目桐竹勘十郎 文楽 人形遣 2011年 五代目野澤錦糸 文楽 三味線方 2012年 二代目鶴澤藤蔵 文楽 三味線方 2013年 六代目鶴澤燕三 文楽 三味線方 2014年 吉田玉女 文楽 人形遣 2018年 鶴澤清介長年の文楽公演における三味線の演奏。子供たちのための新作文楽の作曲。「かみなり太鼓」(平成26年7月),「ふしぎな豆の木」(平成27年7月)等に対し 邦楽 1948年 芝祐泰 「傾盃楽」(芸術祭時の雅楽)雅楽 1953年 三代目常磐津文字兵衛 常磐津節 三味線 1953年 初代中尾都山 尺八 都山流 1955年 山田抄太郎 長唄 三味線方 1956年 三代目杵屋栄蔵 「伊達政宗」「お七吉三」などの作曲 長唄 三味線方 1957年 七代目芳村伊十郎 長唄 唄方 1959年 中能島欣一 箏曲 山田流 1961年 十四代目杵屋六左衛門 長唄 唄方 1962年 安倍季巌 篳篥及び右舞の技 雅楽 1968年 清元志寿太夫 清元節 太夫 1971年 五代目荻江露友 荻江節の伝承 荻江節家元 1972年 杵屋六一朗 長唄 三味線方 1974年 中能島慶子 箏曲 山田流 1980年 二代目上原真佐喜 箏曲 山田流 1983年 三代目今藤長十郎 長唄 三味線方 1987年 初代富山清琴 箏曲 生田流 1990年 多忠麿 雅楽 1991年 二代目青木鈴慕 尺八 琴古流 1991年 清元榮三郎 清元節 三味線方 1992年 三代目杵屋五三郎 長唄 三味線方 1993年 恩 四代目常磐津文字兵衛 常磐津節 三味線方 1994年 山彦節子 河東節 唄方 1995年 山口五郎 尺八 琴古流 1999年 十五代目杵屋喜三郎 長唄 唄方 2000年 恩 東儀俊美 雅楽 2002年 六代目山勢松韻 箏曲 山田流 2002年 初代米川敏子 箏曲 生田流 2003年 恩 芝祐靖 雅楽 2003年 東音 宮田哲男 長唄 唄方 2004年 恩 鶴澤清治 文楽 三味線方 2004年 川瀬白秋 胡弓 2004年 二代目富山清琴 箏曲 生田流 2007年 唯是震一 箏曲 生田流 2009年 七代目杵屋巳太郎 長唄 三味線方 2009年 豊英秋 雅楽 2010年 二代目今藤政太郎 長唄 三味線方 2010年 五代目常磐津文字兵衛 常磐津節 三味線方 2011年 二代目野坂操壽 箏曲 生田流 2012年 恩 山本邦山 尺八 都山流 2012年 笠置侃一 雅楽 2013年 恩 二代目米川文子 箏曲 生田流 2014年 恩 小野功龍 雅楽 2015年 十二代目都一中 一中節 三味線方 2015年 二代目米川敏子 箏曲 生田流 2017年 鳥羽屋里長 長年にわたり歌舞伎長唄に尽くした業績に対し 2020年 恩 杵屋勝国 長唄 三味線方 2022年 恩 大窪永夫雅楽の伝承と発展・普及・指導に対し 2022年 萩岡松韻箏曲 山田流 2023年 藤井泰和生田流箏曲・地歌の演奏、普及活動に対し 洋楽 1943年 井口基成 ピアノ 1948年 藤原義江 声楽 1961年 豊増昇 バッハの演奏 ピアノ 1965年 恩 柳兼子 声楽 1966年 團伊玖磨 作曲 1967年 渡邉暁雄 指揮 1971年 園田高弘 ピアノ 1972年 小沢征爾 指揮 1975年 安川加壽子 ピアノ 1976年 朝比奈隆 指揮 1979年 江藤俊哉 ヴァイオリン 1980年 武満徹 作曲 1986年 山田一雄 指揮 1989年 伊藤京子 声楽 1990年 三善晃 作曲 1991年 東敦子 声楽 1992年 若杉弘 指揮 1993年 堤剛 チェロ 1994年 恩 吉田雅夫 フルート 1996年 木村俊光 声楽 1999年 恩 湯浅譲二 作曲 2002年 恩 岩城宏之 指揮 2004年 前橋汀子 ヴァイオリン 2005年 恩 内田光子 ピアノ 2006年 恩 畑中良輔 声楽 2007年 恩 栗林義信 声楽 2009年 恩 中村紘子 ピアノ 2010年 恩 大野和士 指揮 2011年 恩 栗山昌良 オペラ演出 2013年 飯守泰次郎 指揮 2014年 野島稔 ピアノ 2017年 恩 一柳慧 長年にわたる幅広い作曲活動と常に新しい世界を切り開いていく積極的な姿勢に対し 2019年 野平一郎 作曲家、ピアニスト、指揮者、プロデューサーとしての長年の秀でた業績 2021年 恩 小林研一郎 指揮 舞踊 1952年 四代目井上八千代 京舞 井上流 1957年 二代目花柳壽輔 日本舞踊 花柳流 1963年 六代目藤間勘十郎 日本舞踊 藤間流 1965年 四代目藤間勘右衛門 日本舞踊 藤間流 1967年 吾妻徳穂 日本舞踊 吾妻流 1979年 藤間藤子 日本舞踊 藤間流 1985年 森下洋子 バレエ 1988年 二代目花柳壽楽 日本舞踊 花柳流 1989年 藤間友章 日本舞踊 藤間流 1990年 三代目花柳壽輔 日本舞踊 花柳流 1991年 十代目西川扇藏 日本舞踊 西川流 1992年 花柳寿南海 歌舞伎舞踊 花柳流 1997年 七代目藤間勘十郎 日本舞踊 藤間流 1999年 五代目井上八千代 京舞 井上流 2000年 藤間蘭景 日本舞踊 藤間流 2001年 五代目花柳芳次郎 日本舞踊 花柳流 2002年 二代目尾上菊之丞 日本舞踊 尾上流 2004年 吾妻徳彌 日本舞踊 吾妻流 2008年 藤間藤太郎 日本舞踊 藤間流 2015年 山村友五郎 日本舞踊 山村流 2016年 二代目中村梅彌 日本舞踊 中村流 2018年 花柳寿楽平成29年に上演された「一人の乱」,「関の扉」,「高野物狂」の三演目。それぞれ異なった役柄を演じ分けた技柄とその品格の高さに対し 2019年 宮城能鳳 組踊 2020年 藤間蘭黄 舞踊 2021年 西川箕乃助 日本舞踊 西川流 演劇 1948年 杉村春子 「女の一生」文学座 女優 1950年 伊藤熹朔 「舞台装置」舞台美術家 ※選出は各部共通。 1955年 花柳章太郎 新派 女形役者 1956年 初代水谷八重子 新派 女優 1959年 小津安二郎 映画監督 1980年 六代目市川染五郎 ミュージカル『ラ・マンチャの男』
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参天製薬株式会社(さんてんせいやく、Santen Pharmaceutical Co., Ltd.)は日本の製薬会社である。 主に眼科向け・大衆向けの目薬、眼科薬、点眼薬などを製造・販売している。東京証券取引所プライム市場上場(証券コード:4536)。 コーポレートスローガンは「Imagine Your Happiness(日本語:あなたのあしたを思う)」。 概要 1890年(明治23年)の創業当時から戦前までは風邪薬を主力商品としていたが、戦後は「ひと・ひとみ・すこやか。」をスローガンに、一貫して眼科向け・大衆向けの目薬、眼科薬、点眼薬などを製造・販売し、新商品展開にも力を入れている。日本において医療用目薬ではシェア1位。一般用目薬ではロート製薬に次いで2位のシェアを持つ。 2015年(平成27年)に抗リウマチ薬事業を他社へ事業譲渡したことで、眼科領域に特化した製薬会社となった。 企業名の由来 「参天」という商号の由来は儒教の経典四書の中庸にある「天地の化育を賛く可ければ、即ち以って天地と参となる可し」(本来聖人は万物の秩序と原理(天)と人間社会(地)の調和を助ける)から付けられている。またこれより、当社の企業理念を「天機に参与する」(目をはじめとする、特定の専門分野に努力を傾注し、それによって参天ならではの知恵と組織的能力を培い、患者さんと患者さんを愛する人たちを中心として社会への寄与を行う)としている。 ちなみに、santeはフランス語で「健康」という意味がある。 「サンテ」ブランドを巡っての論争 「サンテ」及び「Sante」は同社が使用しているブランドネームであり、登録商標もされている。が、1998年(平成10年)7月に千葉県浦安市で創業した健康食品の通信販売会社「株式会社 サンテ・ジャパン(現:株式会社 インシップ)」に対し、2002年(平成14年)5月、「サンテ」の名前を使わないで欲しい、と損害賠償をインシップ社に請求。インシップ社がこれを受け入れ、それまでの「サンテ・ジャパン」を現在の「インシップ」とした。 沿革 1890年(明治23年) - 田口謙吉が、大阪府大阪市東区(現・中央区)北浜1丁目に薬商田口参天堂を開業。 1899年(明治32年) - 「大学目薬」発売。 1925年(大正14年) - 参天堂株式会社設立。 1935年(昭和10年) - 大阪市東淀川区下新庄町(現・下新庄3丁目)に淀川工場(後の本社所在地)を開設。 1945年(昭和20年) - 参天堂製薬株式会社に商号変更。 1958年(昭和33年) - 参天製薬株式会社に商号変更。 1962年(昭和37年) - 初のプラスチック容器入り目薬(スーパーサンテ)を発売。 それまでの目薬は、ガラス容器入りで、破損したり価格が高かった。 1963年(昭和38年) - 大阪証券取引所第二部上場。 1964年(昭和39年) - 東京証券取引所第二部上場。 1977年(昭和52年) - 東京・大阪証券取引所の第一部に指定替え。 1985年(昭和60年) - 能登工場開設。 1996年(平成8年) - 滋賀工場開設。 2000年(平成12年)6月 - 大衆向け目薬異物混入を装った脅迫事件 のときには商品を店頭から一時回収し、同年9月から12月にかけて全ての商品に「ひとみ・すこやか・ラッピング」というプラスチック製のラッピング包装をして販売を再開した。 2013年(平成25年)6月 - 本社を大阪市北区大深町のグランフロント大阪に移転。なお、東淀川区の旧本社は一部オフィスを残し、その他は建物は解体され跡地にはマンションが建設される予定。 2015年(平成27年)8月3日 - 抗リウマチ薬事業を、この日発足した、あゆみ製薬株式会社(本社:東京都中央区)へ譲渡。 2020年(令和2年) 1月15日 - 登記上本店を本社所在地へ異動。 7月7日 - 社名表記(コーポレートブランドネーム)を「Santen」へ変更・統一し、コーポレートスローガンを「A Clear Vision for Life」から「Imagine Your Happiness」へ改訂。コーポレートスローガンは日本語・中国語も設けられており、日本語では「ひとみ・すこやか」から「あなたのあしたを思う」となった。 事業所 本社 - 大阪府大阪市北区 能登工場 - 石川県羽咋郡宝達志水町 滋賀工場(滋賀プロダクトサプライセンター) - 滋賀県犬上郡多賀町 奈良研究開発センター - 奈良県生駒市 関連会社 国内 株式会社クレール - 滋賀県犬上郡多賀町 参天ビジネスサービス株式会社 - 大阪府大阪市北区 海外 Santen Holdings U.S. Inc. - アメリカ Santen Inc. - アメリカ Advanced Vision Science, Inc. - アメリカ Santen Holdings EU B.V - オランダ Santen Oy - フィンランド Santen GmbH - ドイツ Santen S.A.S. - フランス Taiwan Santen Pharmaceutical Co., Ltd. - 台湾 Santen Pharmaceutical Korea, Co., Ltd. - 韓国 Santen Pharmaceutical (China) Co., Ltd. - 中国 Santen India Private Limited - インド Santen Pharmaceutical Asia Pte.Ltd. - シンガポール 取扱製品 一般用医薬品 現行製品 内の数字は清涼感度を表す。 ヒアレインS【要指導医薬品】 2020年(令和2年)9月発売。医療用医薬品の「ヒアレイン点眼液0.1%」をスイッチOTC化した製品で、精製ヒアルロン酸ナトリウムを日本で初めて医療用と同濃度配合した製品。カラーコンタクトレンズを除くコンタクトレンズ装用中でも使用可能で、5ml入りの2本包装としている(0)。 なお、本品が参天製薬で初の要指導医薬品となり、購入の際に薬剤師の説明を受ける必要がある。 サンテメディカルアクティブ【第2類医薬品】 2016年(平成28年)10月発売。一般用目薬としては史上初となるビタミンA(レチノールパルミチン酸エステル)を一般用眼科用薬製造販売承認基準の最大濃度である50,000単位/100mlを配合するとともに、一般用眼科用薬製造販売承認基準の最大濃度配合した4成分を含む9種類の有効成分を配合(3)。 サンテメディカルプラスアクティブ【第2類医薬品】 2023年(令和5年)3月発売。「サンテメディカルアクティブ」の処方をベースに、イプシロン-アミノカプロン酸を2倍に増量(1.0%→2.0%)した処方強化型(3)。 サンテ40プラス【第3類医薬品】 2012年(平成24年)10月10日発売。ビタミンB6(ピリドキシン塩酸塩)・パンテノール・天然型ビタミンE(酢酸d-α-トコフェロール)・タウリン・ネオスチグミンメチル硫酸塩の5つの有効成分を配合。従来発売していた「サンテ40ハイ」の後継製品だが、抗ヒスタミン剤のクロルフェニラミンマレイン酸塩の配合濃度を増量(0.01%→0.03%)し、希望小売価格を大幅値下げした(本体価格 980円 → 550円)。(3) サンテ40クール【第3類医薬品】 2012年(平成24年)10月10日発売。「サンテ40プラス」の処方をベースに清涼感を高めたクールタイプ。(4) サンテ40ゴールド【第3類医薬品】 2012年(平成24年)10月10日発売。パンテノール・天然型ビタミンE(酢酸d-α-トコフェロール)・タウリン・ネオスチグミンメチル硫酸塩・クロルフェニラミンマレイン酸塩・コンドロイチン硫酸エステルナトリウムを配合。従来発売していた「サンテ40i」の後継商品で、希望小売価格を値下げした(本体価格 980円 → 780円)。(3) サンテ快滴40【第3類医薬品】 2013年(平成25年)11月発売。タウリン、天然型ビタミンE(酢酸d-α-トコフェロール)、ネオスチグミンメチル硫酸塩を配合。以前発売されていた「サンテ40」の後継製品。パッケージデザインは「サンテ40」シリーズと基本デザインを統一している。(3) サンテFXネオ【第2類医薬品】 若者に人気の高い清涼感目薬。1999年(平成11年)7月に従来の「サンテエフエックス」の処方を強化(タウリン・L-アスパラギン酸カリウムを追加し、塩酸テトラヒドロゾリン・クロルフェニラミンマレイン酸塩の濃度をアップ。なお、パッケージ・容器・さし心地は従来品を継承している)(5)。 2012年に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」とのコラボレーション品として、外箱とボトルデザインを変更した数量限定の「ヱヴァンゲリヲンモデル」を発売しており、キャップが白・ボトル外周部がオレンジの「綾波レイモデル」とボトル外周部は基本の黒のままでキャップを赤に変更した「式波・アスカ・ラングレーモデル」の2種類を設定した。 2014年7月には、「サンテ×ももクロ ニッポンきたぁ↑↑大作戦!」のプロジェクトの一環として「ももクロモデル」を発売。外箱はシルバー基調はそのままに、ももいろクローバーZのメンバーとメンバーカラーをデザイン。ボトルは外周部とラベルを変更した専用デザインとなり、外周部はピンクである。 サンテFX Vプラス【第2類医薬品】 2009年(平成21年)3月に発売した「サンテFX」のシリーズ品。ビタミン・アミノ酸3成分(ビタミンB6・タウリン・L-アスパラギン酸カリウム)、また7種の有効成分のうち、これら3成分を含む6成分を一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合したほか、「サンテFXネオ」よりも更に清涼感を高めた金色のパッケージ。(5+) こちらにも、2012年に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」とのコラボレーション品として、外箱とボトルデザインを変更した数量限定の「ヱヴァンゲリヲンモデル」を発売しており、キャップが青緑・ボトル外周部が紫の「碇シンジモデル」とキャップがオレンジ・ボトル外周部が青の「渚カヲルモデル」の2種類を設定した。 2014年7月には「サンテFXネオ」同様に「ももクロモデル」を発売。外箱はゴールド基調はそのままに、ももクロメンバーが描かれ、ボトルは外周部とラベルを変更した専用デザインとなり、外周部は白である。 2021年(令和3年)2月に後述する「サンテFX AL」・「サンテFXコンタクト」と統一された新パッケージデザインへリニューアルされた。 サンテFX AL【第2類医薬品】 2021年(令和3年)3月に発売された「サンテFX」のシリーズ品となるアレルギー専用目薬(当社製のアレルギー専用目薬は以前発売されていた「サンテアルフリー新目薬」以来となる)。抗アレルギー成分のクロモグリク酸ナトリウム、抗ヒスタミン成分のクロルフェニラミンマレイン酸塩、抗炎症成分のイプシロン-アミノカプロン酸など配合。外箱はメタリック素材にグリーン基調のデザインで、容器のキャップに表記されている「sante FX AL」のロゴもグリーンとなる。(5+) サンテFXコンタクト【第3類医薬品】 2021年(令和3年)3月に発売された「サンテFX」のシリーズ品となるコンタクトレンズ対応タイプ。2種類のアミノ酸(タウリン・L-アスパラギン酸カリウム)、ビタミンのパンテノール、抗炎症成分のイプシロン-アミノカプロン酸を配合。外箱はメタリック素材にブルー基調のデザインで、容器のキャップに表記されている「sante FX CL」のロゴもブルーとなる。(5) ソフトサンティア【第3類医薬品】 涙液に近い性質を持った人口涙液型点眼剤。すべてのコンタクトレンズにしたまま点眼でき、裸眼にも使用可能。1977年(昭和52年)から眼科や調剤薬局に向けて発売されてきたが、2010年(平成22年)からはドラッグストアでも販売を開始した。密封容器を採用しており、ベンザルコニウム塩化物などの防腐剤を配合していないため、開栓後は約10日までに使い切る必要がある。従来からある紙函品の5ml×4本入りに加え、2013年(平成25年)8月には、目薬では初めてとなるパウチ包装品の小容量サイズ5ml×2本入りを発売した。(0) ソフトサンティア ひとみストレッチ【第3類医薬品】 2014年(平成26年)9月発売。ビタミンB12(シアノコバラミン)・ネオスチグミンメチル硫酸塩・ビタミンB6(ピリドキシン塩酸塩)を一般用眼科用薬製造販売承認基準の最大濃度配合した目薬。「ソフトサンティア」同様、密封容器を採用し、ベンザルコニウム塩化物などの防腐剤を配合していないため、カラーコンタクトレンズを除くほとんどのコンタクトレンズにしたまま点眼でき、裸眼にも使用可能。「ソフトサンティア」とは異なり、開栓後は約1ヶ月を目安に使用する。(0) サンテボーティエコンタクト【第3類医薬品】 2017年(平成29年)10月発売。後述する「サンテボーティエ」のコンタクトレンズ対応タイプで、2種類のビタミン(ビタミンB6(ピリドキシン塩酸塩)とビタミンB12(シアノコバラミン)とネオスチグミンメチル硫酸塩の3つの有効成分全てを一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合している。(0) サンテPCコンタクト【第3類医薬品】 2019年(令和元年)10月発売。後述する「サンテPC」のコンタクトレンズ対応タイプで、2種類のビタミン(ビタミンB6(ピリドキシン塩酸塩)と活性型ビタミンB2(フラビンアデニンジヌクレオチドナトリウム))、ネオスチグミンメチル硫酸塩、イプシロン-アミノカプロン酸を配合している。(0) サンテメディカル12【第2類医薬品】 2016年(平成28年)10月に従来の「サンテメディカル10」の処方を強化してリニューアル。L-アスパラギン酸カリウムとタウリンの配合濃度を変更(共に1.0%→0.5%)し、新たにコンドロイチン硫酸エステルナトリウムと硫酸亜鉛水和物を配合して有効成分を12種類(うち、4種類を一般用眼科用薬承認一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合)に増やした。(3) サンテメディカルプラス12【第2類医薬品】 2023年(令和5年)3月発売。「サンテメディカル12」の処方をベースに、パンテノールに替わって天然型ビタミンE(酢酸d-α-トコフェロール)を配合し、グリチルリチン酸二カリウムを増量(0.1%→0.25%)したことで、一般用眼科用薬承認一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合成分を4種類から6種類に増やした処方強化型。(3) サンテPC【第2類医薬品】 2013年(平成25年)7月発売。ビタミンB12(シアノコバラミン)、コンドロイチン硫酸エステルナトリウム、ビタミンB6を一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合したほか、抗炎症成分グリチルリチン酸二カリウム、抗ヒスタミン成分クロルフェニラミンマレイン酸塩など8種類の有効成分を配合。2013年(平成25年)12月、目薬では初めてCO2排出量を示すカーボンフットプリントマークを取得したパウチ袋を外部包装に採用したエコ包装タイプを数量限定で発売。(3) サンテボーティエ【第2類医薬品】 2013年(平成25年)5月発売。タウリン・コンドロイチン硫酸エステルナトリウム・ビタミンB12(シアノコバラミン)など、5種類の有効成分を一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合した目薬。香水瓶風の特徴的なボトルと外箱パッケージのデザインは、デザイナーの吉岡徳仁が手がけた。また、液切れが良く、先端に薬液が残りにくい形状のノズルを採用した。(3) サンテボーティエムーンケア【第2類医薬品】 2018年(平成30年)9月発売。L-アスパラギン酸カリウムやパンテノールを一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合。前述した「サンテボーティエ」の就寝前の使用に向けたシリーズ品で、フローラルハーブの香り・透明の液色としている。(2) 新サンテウα【第3類医薬品】 2015年(平成27年)4月発売。「サンテウ」が発売50年を迎えたのを機に全面刷新された製品。ビタミンB12(シアノコバラミン)を2倍(0.01% → 0.02%)に、クロルフェニラミンマレイン酸塩を3倍(0.01% → 0.03%)にそれぞれ高濃度配合するとともに、タウリンを省く代わりに、コンドロイチン硫酸エステルナトリウム、ネオスチグミンメチル硫酸塩、L-アスパラギン酸カリウム、グリチルリチン酸二カリウムをプラス配合した。(3) サンテウプラスEアルファ【第3類医薬品】 2002年(平成14年)2月発売。赤いビタミンB12と天然型ビタミンEなどを配合した赤い目薬。2007年(平成19年)10月にピンク〜オレンジのグラデーションカラーを施したパッケージにリニューアル。(3) サンテビオ【第2類医薬品】 ビタミンB12をはじめとする7種類の有効成分を配合した眼科用薬。(2) 大学目薬【第2類医薬品】 硫酸亜鉛を配合した目薬。1899年(明治32年)の発売以来、120年以上にわたって発売されているロングセラー目薬。前述した「ヒアレインS」が発売されるまでは、唯一「サンテ」ブランドを使用しない目薬であった。(2) サンテメディカルガードEX【第2類医薬品】 2016年(平成28年)10月に「サンテメディカルガード」の処方を強化してリニューアル。タウリンの配合濃度を変更(1.0% → 0.5%)したほか、新たにL-アスパラギン酸カリウムとイプシロン-アミノカプロン酸を配合して有効成分を10種類(うち、6種類を一般用眼科用薬承認一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合)に増やした(3)。 サンテメディカルプラスガードEX【第2類医薬品】 2023年(令和5年)3月発売。「サンテメディカルガードEX」の処方をベースに、ビタミンB6(ピリドキシン塩酸塩)とイプシロン-アミノカプロン酸に替わってアラントインとパンテノールを配合したことで、一般用眼科用薬承認一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合成分を6種類から7種類に増やした処方強化型。(3) サンテドライケア【第3類医薬品】 2002年(平成14年)3月発売。コンドロイチン硫酸ナトリウムと2種類のアミノ酸を配合した涙液型目薬。(0) サンテメディカル抗菌【第2類医薬品】 2019年(平成31年)2月発売。抗菌成分のスルファメトキサゾールをはじめとする4種類の有効成分全てを一般用眼科用薬承認一般用眼科用薬製造承認基準の最大濃度配合した抗菌目薬。防腐剤無添加の1回(1本)使いきりタイプ。(0) サンテ抗菌新目薬【第2類医薬品】 持続性サルファ剤を配合。HPMC(ヒプロメロース)配合で粘度を高めている。(0) サンテALクール(販売名:サンテALクールII)【第2類医薬品】 2006年(平成18年)11月に以前の「サンテALクール」の処方を強化(組織修復成分のパントテン酸カルシウムをより安定性のあるパンテノールに変更)。2013年(平成25年)12月、「サンテAL」発売に伴い、パッケージデザインがリニューアルされた。(4) サンテAL(販売名:サンテALn)【第2類医薬品】 2013年(平成25年)12月発売。前述の「サンテALクール」の清涼感なしタイプ。1歳以上から使用できる。(0) ウェルウォッシュアイ(販売名:ウェルウォッシュアイa)【第3類医薬品】 目薬のように使用する点眼型洗眼薬。有効成分はホウ酸のみで、防腐剤(ベンザルコニウム塩化物、パラベン)フリーとしている。2021年にカラーコンタクトレンズを除くコンタクトレンズ装用中でも使用可能となり、パッケージデザインを刷新してリニューアルされ、販売名も変更された。また、発売当初は主に処方せん応需の調剤薬局で発売されていたが、リニューアルに伴ってドラッグストアなどでも発売されるようになった。 販売店限定製品 サンヨード【要指導医薬品】 2022年(令和4年)9月発売。医療用医薬品で使用されてきた製品をスイッチOTC化した殺菌消毒用点眼薬。薬剤液(A)と希釈液(B)が別々に封入されており、希釈して使用する。適正利用のため、処方せん応需の調剤薬局限定で発売されている。 サンテフォーカスV【第3類医薬品】 ピント調節機能を改善するネオスチグミンメチル流酸塩を最大濃度配合し、6種のビタミン・アミノ酸も配合。(3) AJD(オールジャパンドラッグ)加盟店専売製品 AJD加盟店向け製品は2010年(平成22年)にパッケージデザインを変更。 サンテアスティ40【第3類医薬品】 天然型ビタミンEやビタミンB6、パンテノールなどを配合した眼科用薬(「サンテ40ハイ」の仕様変更品。ただし、現在の「サンテ40プラス」とは処方が異なり、クロルフェニラミンマレイン酸塩の配合濃度が異なる(サンテ40プラス:0.03%、サンテアスティ40:0.01%))。(3) サンテアスティ【第2類医薬品】 ビタミンB12配合の眼科用薬(「サンテビオ」の仕様変更品)。(2) サンテアスティクール【第2類医薬品】 7つの有効成分を配合したクールタイプの眼科用薬(「サンテパッソ」の仕様変更品)。(4) サンテアスティ抗菌【第2類医薬品】 抗菌成分スルファメトキサゾールを配合した抗菌目薬(「サンテ抗菌新目薬」の仕様変更品。ただし、容器デザインが異なる。)(0) NID(日本ドラッグチェーン)加盟店専売製品 サンテザイオンV3【第3類医薬品】 ピント調節改善成分、ネオスチグミンメチル流酸塩や天然型ビタミンEを配合した眼科用薬(「サンテ40ハイ」の仕様変更品。ただし、現在の「サンテ40プラス」とは処方が異なり、クロルフェニラミンマレイン酸塩の配合濃度が異なる(サンテ40プラス:0.03%、サンテザイオンV3:0.01%))。(3) サンテザイオン【第2類医薬品】 ビタミンB12配合の眼科用薬(「サンテビオ」の仕様変更品)。(2) 販売終了品 サンテ40NE(1985年(昭和60年)発売) サンテ40EA サンテ40ハイ【第3類医薬品】 サンテ40V【第3類医薬品】(2002年(平成14年)7月発売) サンテ40【第3類医薬品】(2002年(平成14年)8月発売) サンテ40i【第3類医薬品】(2008年(平成20年)10月発売) サンテU サンテウ【第3類医薬品】(1965年(昭和40年)発売)(2) 新サンテウ(1982年(昭和57年)発売) サンテウプラスE サンテウアクア(2002年(平成14年)2月発売) サンテアイサプリ(2001年(平成13年)2月発売) サンテピュア アイエッセンス(1999年(平成11年)11月発売) サンテコンタクト【第3類医薬品】(1994年(平成6年)2月発売)(0) サンテうるおいコンタクト(2002年(平成14年)10月発売) - 使い捨てコンタクト、特にジョンソン・エンド・ジョンソンの「アキュビュー」と相性が良かったことから、パッケージに「アキュビュー」を表記していた。 サンテうるおいコンタクトa【第3類医薬品】(2007年(平成19年)4月に「サンテうるおいコンタクト」をリニューアル)(0) サンテCL【第3類医薬品】 - 「サンテコンタクト」の仕様変更品(NID加盟店専売製品) サンテマイペースCL【第3類医薬品】 - 「サンテコンタクト」の仕様変更品(AJD加盟店専売製品)(0) サンテAL サンテALクール サンテ抗菌目薬 サンテエフエックス(1991年(平成3年)6月発売) サンテパッソ【第2類医薬品】(1998年(平成10年)7月発売)(4) サンテピュア【第2類医薬品】(4) サンテメディカル10【第2類医薬品】(2006年(平成18年)10月10日発売)(3) サンテメディカルガード【第2類医薬品】(2012年(平成24年)3月発売)(3) サンテアルフリー新目薬【第2類医薬品】(2001年(平成13年)10月発売)(4) こどもサンテ【第3類医薬品】 - 子供用目薬。かつては「ジュニアサンテ」という名称だった。なお「ジュニア」時代には「ドラえもん」や「忍者ハットリくん」、「プロゴルファー猿」。「こども」時代には「まじかる☆タルるートくん」といったアニメとタイアップした事が有った。(0) サンテアスティAL【第2類医薬品】 - 「サンテALクール」の仕様変更品(AJD加盟店専売製品)(4) サンテ鼻炎ソフトカプセル サンテン鼻炎顆粒 大学ミオピン目薬 大学サンテ目薬 大学フレッシュ(1971年発売) - シートタイプの「拭く目薬」 凛晶(りんしょう) - ブルーベリーの中でもアントシアニンを多く含むビルベリー、マリーゴールド由来のルテイン、大豆・トウモロコシ由来の天然ビタミンEを配合。ルテインやビタミンEとの混合によるブルーベリーの含有量低下を防ぐため、ブルーベリーとルテイン・ビタミンEの2種類のカプセルに個別化することで配合量を安定化し、1日分毎の個別包装を採用。通信販売限定品。 ブルーリボン - 二日酔い、たばこの吸い過ぎのための薬。解毒作用があった。 マーチンゲル 1985年に出た水虫治療薬。軟膏タイプで発売されていた。 医療用医薬品 ヒアレイン:ヒアルロン酸 - 角結膜上皮障害治療用点眼剤 ジクアス:ジクアホソル - ドライアイ治療剤(ムチン/水分分泌促進点眼剤) アイドロイチン:コンドロイチン硫酸 - 角膜保護点眼剤 ゾビラックス:アシクロビル - ヘルペス性角膜炎化学療法剤(製造販売元:日東メディック) ※錠剤・顆粒・点滴静注用・軟膏・クリームはグラクソ・スミスクラインが製造販売 ラクリミン:オキシブプロカイン - 流涙症治療点眼剤 チモプトール:チモロール - 緑内障・高眼圧症治療剤 ピバレフリン:ジピベフリン - 開放隅角緑内障・高眼圧症治療点眼剤 エイベリス:オミデネパグ - 選択的EP2受容体作動薬、緑内障・高眼圧症治療剤 デタンドール:ブナゾジン - 緑内障・高眼圧症治療剤 ※錠剤はエーザイが製造販売 レスキュラ:イソプロピルウノプロストン - イオンチャネル開口薬、緑内障・高眼圧症治療剤(製造販売元:アールテック・ウエノ) タプロス:タフルプロスト - プロスタグランジンF2α誘導体 緑内障・高眼圧症治療剤 トルソプト:ドルゾラミド - 点眼用炭酸脱水酵素阻害剤 コソプト:ドルゾラミド・チモロール - 炭酸脱水酵素阻害剤/β-遮断剤配合剤、緑内障・高眼圧症治療剤(「トルソプト」と「チモプトール」を一体化した配合点眼液) タプコム:タフルプロスト・チモロール - 緑内障・高眼圧症治療剤(「タプロス」と「チモプトール」を一体化した配合点眼液) サンピロ:ピロカルピン - 緑内障治療点眼剤 アイリーア:アフリベルセプト - 眼科用VEGF(血管内皮増殖因子)阻害剤(網膜疾患治療剤、製造販売元:バイエル薬品) カリーユニ:ピレノキシン - 老人性白内障治療点眼剤 クラビット:レボフロキサシン - 広範囲抗菌点眼剤 ※錠剤・点滴静注バッグは第一三共が製造販売 タリビッド:オフロキサシン - 広範囲抗菌点眼剤 ※錠剤・耳科用液剤はアルフレッサ ファーマが製造販売 エコリシン:エリスロマイシン・コリスチン点眼剤 サンテゾーン:デキサメタゾン - 副腎皮質ホルモン点眼剤 サンベタゾン:ベタメタゾン - 副腎皮質ホルモン眼耳鼻科用剤 リボスチン:レボカバスチン - H1ブロッカー点眼剤(抗アレルギー点眼剤、製造販売元:ヤンセンファーマ) アレギサール:ペミロラスト - 抗アレルギー点眼剤 ※錠剤・ドライシロップ剤はニプロESファーマが製造販売 アレジオン:エピナスチン - 抗アレルギー点眼剤 ※錠剤・ドライシロップ剤は日本ベーリンガーインゲルハイムが製造販売 パピロック:シクロスポミン - 春季カタル治療剤 フルメトロン:フルオロメトロン - 抗炎症ステロイド水性懸濁点眼剤(抗炎症点眼薬) プロラノン:プラノプロフェン - 非ステロイド性抗炎症点眼剤 アゾテジン:アズレンスルホン酸 - 非ステロイド性消炎点眼剤 ノイボルミチン:グリチルリチン酸 - 非ステロイド性消炎点眼剤 ムコゾーム:リゾチーム - 消炎酵素点眼剤 サンチンク:硫酸亜鉛 - 収れん・消炎点眼剤 サンコバ:シアノコバラミン - 調節機能改善点眼剤 ミオピン:ネオスチグミン・無機塩類 - 調節機能改善点眼剤 ミドリン:トロピカミド - 調節麻痺・散瞳点眼剤 ※「ミドリン」には、検査用散瞳点眼剤に属するフェニレフリンとの配合剤もある リュウアト:アトロピン - 散瞳・調節麻酔点眼剤 オペガン:ヒアルロン酸 - 眼科手術補助剤(製造販売元:生化学工業) シェルガン:ヒアルロン酸・コンドロイチン硫酸 - 眼科手術補助剤(製造販売元:生化学工業) ベノキシール:オキシブプロカイン - 眼科用表面麻酔剤 サイプレジン:シクロペントラート - 屈折能検査点眼剤 オフサグリーン:インドシアニングリーン - 蛍光眼圧造影剤 ケンブラン:メタコリン - コリン作動薬、気道過敏性検査用(「ケンブラン」はメサファーマ社の登録商標) 栄養補助食品 2008年(平成20年)1月に栄養補助食品「サンテルタックス」シリーズを発売した。これは主に医師が患者に食事指導を受ける際に活用する目的で開発された商品で、緑黄色野菜に含まれているルテインを含有する。主に眼科医院併設のコンタクトレンズ販売施設及び病院内売店での販売となっているが、インターネットや電話による購入も可能である。 サンテウェルビジョン 2019年6月発売。ルテインにヒシ果皮ポリフェノールをプラス配合。 サンテルタックス20V【機能性表示食品】 ルテインにビタミンC・ビタミンE・亜鉛・銅をプラス配合。発売当初は「サンテルタックス15+ビタミン&ミネラル」の製品名で発売されていたが、2015年2月にルテインの含有量を15mgから20mgに増量するとともに、亜鉛なども増量し、商品名を「サンテルタックス20+ビタミン&ミネラル」に改名。2019年にルテインを機能性表示成分とする機能性表示食品となり、再度商品名が変更された。 サンテルタックス20 ルテイン20mg含有。 サンテルタックス20+DHA 2012年1月発売。ルテイン20mgにDHAをプラス配合。 サンテグラジェノックス 2017年10月発売。松樹皮エキス(「ピクジェノール」)とビルベリーエキス(「ミルトセレクト」)を配合。なお、医師紹介の下での適切に使用し、定期的な医療機関の検診を受けることが推奨されている。 歴代TV-CMタレント 現在放映中のタレントは太字としている。 初代林家三平(スーパー胃腸薬) 天地真理(サンテウ) 三浦友和(サンテウ、サンテS、サンテ40ハイ) 杉原輝雄(サンテウ) 水野晴郎(サンテウ) 草刈正雄(サンテソフト、新サンテウ) いとうまい子(サンテソフト、新サンテウ) 早見優(新サンテウ) 大山のぶ代(「ドラえもん」のドラえもんの声。ジュニアサンテ) 堀絢子(「忍者ハットリくん」のハットリカンゾウの声。ジュニアサンテ) 頓宮恭子(「プロゴルファー猿」の猿谷猿丸の声。ジュニアサンテ) TARAKO(「まじかる☆タルるートくん」のタルるートの声。こどもサンテ) 前田吟(サンテ40) 黒木瞳(サンテウプラスE) 風間杜夫(サンテ40) 織田裕二(サンテFX、サンテコンタクト) 川口能活(サンテFX、サンテコンタクト) 吉川ひなの(サンテピュア、サンテコンタクト) 観月ありさ(サンテピュアアイエッセンス) 麻生久美子(サンテピュアアイエッセンス) 酒井和歌子(サンテアイサプリ) 池内博之(サンテFXネオ) 藤木直人(サンテFXネオ) 市川染五郎 (7代目)(サンテウ) 玉山鉄二(サンテFXネオ) 阿部寛(サンテ40) 松岡昌宏(サンテFXネオ) 阿部サダヲ(サンテ40) 岡田将生(サンテFX) 高田純次(サンテ40シリーズ) 杉本彩(サンテボーティエ) 道端カレン(サンテボーティエ) 三石琴乃(「新世紀エヴァンゲリオン」の葛城ミサト役の声・サンテFX) ももいろクローバーZ(『サンテ×ももクロ 日本きたぁ↑↑大作戦のシンボルキャラクター) 阿川佐和子(新サンテウ) 鈴木絵理、茅野愛衣(「あまんちゅ!」の小日向光役、大木双葉役の声・サンテFX) 高田純次(サンテメディカルガードEX) 田中真弓(「ONE PIECE」のモンキー・D・ルフィの声、サンテFXネオ) 瀬戸康史(サンテFXネオ) 山田裕貴(サンテFXネオ) 要潤(サンテメディカル) 石原さとみ(ヒアレインS) 山口一郎(サカナクション)(サンテFXシリーズ) 生田絵梨花 (ウェルウォッシュアイ) テレビ提供番組 現在 ※ 創業120周年を迎えた2010年(平成22年)8月から、提供クレジット表記が「参天製薬」から「Santen」に変更された。 なお、奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ系)2011年(平成23年)3月末で降板した事により、諸般の事情により約5年間テレビ提供しなかった。 2019年(平成31年及び令和元年)時点 無し。 ※提供クレジットはSanten 参天製薬となっている。 過去 日本テレビ系列 スーパーJOCKEY(同業社のロート製薬もかつて同社が提供をする前に複数社提供していた) 世界まる見え!テレビ特捜部 踊る!さんま御殿!! 現代っ子(後期を一社提供) 俺はすけてん(一社提供) スター爆笑Q&A(よみうりテレビ制作) 全日本歌謡選手権(よみうりテレビ制作。前期のみ一社提供) TBS系列 スーパースターメロディ(一社提供。「スーパー」は当時の目薬名) 喜劇大学 珍版太閤記(一社提供) サンテンラッキーセブンショー(一社提供) 10人抜きのど自慢(当初は「大学目薬」の略称「大学」の冠をつけた。その後社名略の「サンテ」に。末期は松下電器産業(現・パナソニック)に提供変更) 爆笑大学 ただ今授業中(朝日放送制作。一社提供) 蝶々のすまんだ人生(朝日放送制作。一社提供) サンテお笑い笑(一社提供) ミニミニ・バンバン 世界ウルルン滞在記(毎日放送制作) 金曜テレビの星! 霊感ヤマカン第六感(朝日放送・TBS系時代のみ) 痛快!明石家電視台(毎日放送) フジテレビ系列 奇跡体験!アンビリバボー 新報道2001 テレビ朝日系列 瓦版・忠臣蔵(毎日放送制作。一社提供) 瓦版・大喜劇(毎日放送制作。一社提供) ドラえもん (1979年のテレビアニメ)(一時期) 忍者ハットリくん(アニメ)(一時期) ミュージックステーション 報道ステーション 暴れん坊将軍 月曜ワイド劇場 水曜スペシャル プロポーズ大作戦(朝日放送制作) パーティー野郎ぜ!(朝日放送制作) まじかる☆タルるートくん(朝日放送制作) おはようワイド・土曜の朝に(朝日放送制作) 興味しんしん丸(朝日放送制作) 人気者でいこう!(朝日放送制作) サンデープロジェクト(テレビ朝日・朝日放送共同制作) テレビ東京系列 女子プロレス中継 世界選手権シリーズ(東京12チャンネル時代) サンテR&B天国(同上) 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!(2016年4月より9月まで) 日曜ビッグバラエティ・緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦・日曜ゴールデンの池上ワールド 池上彰の現代史を歩く〜Walking through Modern History〜の21時台(テレビ東京系列、2017年4月より2019年3月まで。後継はクレハ) 独立UHF局 サンテレビボックス席(サンテレビ) など元々在阪テレビ局への番組提供が多いが、在京テレビ局でもよく提供されていた。 2011年(平成23年)4月以降からスポットCM中心となっている。 YouTubeやUstreamの動画待機中に出てくる広告配信で流れるケースもある。 ラジオ提供番組 過去 昨日のつづき(ラジオ関東<現・アール・エフ・ラジオ日本>) スーパー10人抜きのど自慢(ラジオ東京<現:TBSラジオ>、テレビ版の母体となった番組。「スーパー」は目薬の名称)
{ "id": "123858", "title": "参天製薬", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%A4%A9%E8%A3%BD%E8%96%AC" }
恩賜賞(おんし しょう)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。 日本芸術院は、卓越した芸術作品を制作した者や芸術の進歩に貢献する業績があった者に対して毎年日本芸術院賞を授与しているが、昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からはその受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対してこの恩賜賞を授与するようになった。 日本芸術院賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賜品が贈呈される。 授賞式は天皇・皇后の臨席のもと、毎年6月に挙行される。 受賞者 以下一覧中、個人の名の前には部門を、後にはそれぞれの専門分野、または日本芸術院賞受賞の根拠となった作品や理由を添えた。受賞発表年と対象年度は1年のずれがあるので注意。
{ "id": "123859", "title": "恩賜賞 (日本芸術院)", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E8%B3%9E%20%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E9%99%A2%29" }
EMI(イーエムアイ)は、1931年から2012年まで存在したイギリスのレコード会社である。かつてはユニバーサル・ミュージック、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ワーナー・ミュージックと共に4大レコード会社のひとつであった。音楽出版事業は2018年にソニーの子会社となる。 1931年に英コロムビアと英グラモフォン(HMV)が合併し、Electric and Musical Industries Ltdとして設立された。 沿革 英コロムビア 1897年 - シリンダー型蓄音機「グラフォフォン」の製造・販売を行っていたコロムビア・フォノグラフ社のイギリス支店である「英コロムビア」として設立される。 1922年 - 米コロムビアから完全に独立する。 1926年 - ドイツのカール・リンドストレームが所有していた「オデオン」と「パーロフォン」を買収する。 1928年 - フランスのパテ・マルコニを買収する。 1931年 - 英グラモフォン(HMV)と合併し、Electric and Musical Industries Ltd(EMI)となる。 英グラモフォン(HMV) 1897年 - ディスク型蓄音機「グラモフォン」の製造・販売を行っていたベルリーナ・グラモフォン社のヨーロッパ進出のため、イギリスのオーエンがエミール・ベルリナーから蓄音機に関する特許を受け取り、ロンドンに「英グラモフォン」を設立する。 1898年 - ドイツのハノーファーに工場を設立し、クラシック音楽のレーベル「ドイツ・グラモフォン」の始まりとなる。 1907年 - のちに日本ビクターも用いるニッパー犬のマークを採用し、犬とともに記される"His Master's Voice"の頭文字から「HMV」と愛称される。 1925年 - 第一次世界大戦の勃発によって、英グラモフォンのドイツ支社であった「ドイツ・グラモフォン」がドイツ資本の会社となったため、新レーベル「エレクトローラ」を設立する。 1931年 - 英コロムビアと合併し、Electric and Musical Industries Ltd(EMI)となる。 EMI 1931年 - 英コロムビアと英グラモフォン(HMV)が合併して、Electric and Musical Industries Ltdとして設立される。 1934年1月 - 最初のステレオ録音が、実験的に行われる(SP媒体を使った、一本溝によるステレオ録音)。内容は、トマス・ビーチャム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による、モーツァルト作曲の交響曲第41番「ジュピター」。 1949年9月 - テープ・レコーダーを使用した録音を開始。 1951年7~8月 - 戦後に初めて再開されたバイロイト音楽祭の録音を行う。この音源はフルトヴェングラー指揮、ベートーヴェン作曲 交響曲第9番(合唱付)(7月29日ライブ録音)という歴史的名盤も含まれる。 1955年1月 - 1942年に設立されたハリウッドのレコード会社「キャピトル・レコード」と業務提携を開始し、同社の買収に乗り出す。 2月4日 - ロンドンのキングス・ウェイ・ホールで、正規のステレオ録音を開始する。第1号はニコライ・マルコ指揮、フィルハーモニア管弦楽団演奏、プロコフィエフ作曲 交響曲第7番「青春」である。 後半頃 - 米キャピトル・レコードの買収が完了し、コロムビア・HMVの流れで続いていた米コロムビア・米RCAビクターとの業務提携が打ち切られる。 1958年10月 - ステレオLPの発売を開始。第1回発売はレコード番号ASD251の、サー・トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団演奏、R・コルサコフ作曲 交響詩「シェヘラザード」ほか 1968年-EMIのゴッドフリー・ハウンズフィールドがX線CTを発明。1972年には臨床用CT(EMIスキャナ)を製作(後に撤退)。 アビー・ロード・スタジオ向けに当時においては先進的な半導体素子による設計のミキシング・コンソールを自社開発する。それまで使われていた真空管ベースのの8チャンネル入力4チャンネル出力と比較して、24チャンネル入力8チャンネル出力及び各入力チャンネルにイコライザーとコンプレッサーを備えるなど当時広く使用されていた24トラックのマルチトラックレコーダーに合わせたスペックであり、ビートルズの「アビイ・ロード」やピンク・フロイドの「狂気」をはじめとして様々な名盤の録音に使用された。TG12345は2017年にオークションに出され1807500ドルで落札された。 1973年 - 日本の東芝音楽工業株式会社がEMIの資本参加を受け、東芝EMIと改称。 1979年 CTを発明したハウンズフィールドがノーベル生理学・医学賞を受賞する。 7月2・3日 - 自社のアビー・ロードの第1スタジオにて、初のデジタル録音を行う。第1号は、アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団演奏、ドビュッシー作曲の「管弦楽のための映像」及び「牧神の午後への前奏曲」である。 1982年11月 - EMIグループで世界初のCDが、日本の東芝EMIから発売される。CDの制作は当時のCBSソニーに委託した。 1992年 - イギリスのヴァージンを買収する。 1995年 - ドイツのインターコードを買収する。 2007年 - 東芝が音楽部門から撤退したことで、日本の東芝EMIはEMIの完全子会社となり、EMIミュージック・ジャパンに改称。 英プライベート・エクイティ・ファンドのテラ・ファーマが、米金融大手シティグループからの融資を受けてEMIを42億ポンドで買収した。のちに世界金融危機などからEMIの業績が急速に悪化し、テラ・ファーマがEMIへ資金注入した。 2009年12月 - テラ・ファーマは、シティグループを詐欺の疑いで提訴した。 2011年2月1日 - シティグループがEMIの全株式を取得し、同社の経営権を掌握した。 11月11日 - ユニバーサル・ミュージックが、EMIのレコード部門を買収することについて株主のシティグループと合意したと発表した。また同日、ソニーを中心とした企業連合が、EMIの音楽出版事業を買収することについて株主のシティグループと合意したと発表した。 2012年 6月30日 - ソニーが、EMIの音楽出版事業についての買収手続きが完了したと発表した。これにより、ソニーが世界最大の音楽著作権者となった。 9月28日 - ユニバーサル・ミュージックがEMIのレコード部門の買収を完了した。これにより、ユニバーサル・ミュージックは世界最大の音楽事業会社としての地位を強化した。 2013年 2月7日 - ユニバーサル・ミュージックが、EMIレコードの主要部門であるパーロフォン・レーベル・グループをワーナー・ミュージック・グループに売却することに合意した。(ただし、ビートルズの一連の音源は、ユニバーサルとアップル・コアの合弁により設立されたカルダーストーン・プロダクションズに移管されることになる。)これに伴い、ビートルズを除く同音源が全世界のワーナー・ミュージックへ移行し、発売が開始される。日本ではワーナーミュージック・ジャパンへ移行され、同年9月から発売が開始された。 2018年 - EMI Music Publishingをソニーの子会社であるSony Corporation of Americaが買収することを発表。 主なレーベル 当初、EMIは傘下に多数のレーベルを抱える統括会社として存在していた。同名の「EMI」というレーベルが設立されたのは1972年のことである。 EMI EMIクラシックス アップル・レコード カルダーストーン・プロダクションズ パーロフォン・レーベル・グループがワーナー・ミュージック・グループに買収される際、ザ・ビートルズ関連の音源をユニバーサルミュージックグループに残留するために設立された原盤管理会社 パーロフォン オデオン(:en:Odeon Records) ハーヴェスト・レコード(:en:Harvest Records) キャピトル・レコード リバティ・レコード(:en:Liberty Records) ブルーノート・レコード マンハッタン・レコード(:en:Manhattan Records) リアル・ワールド(:en:Real World Records) クリサリス・レコード(:en:Chrysalis Records、2005年で閉鎖) ヴァージン・レコード カリスマ・レコード(:en:Charisma Records) アストラルワークス(:en:Astralwerks) 百代(:zh:科藝百代) 主なアーティスト ここでは、キャピトル、ヴァージン・レコード、ブルーノートの所属アーティストを除外する。 クラシック音楽 マリア・カラス ジュゼッペ・ディ・ステファーノ ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス プラシド・ドミンゴ ヴィルヘルム・フルトヴェングラー オットー・クレンペラー カール・シューリヒト アルフレッド・コルトー ヴァルター・ギーゼキング エドウィン・フィッシャー パブロ・カザルス ディヌ・リパッティ キャスリーン・フェリアー エリーザベト・シュヴァルツコップ サンソン・フランソワ ジョルジュ・シフラ シャルル・ミュンシュ ジャクリーヌ・デュ・プレ アンドレ・クリュイタンス ジョン・バルビローリ エイドリアン・ボールト ジャン・マルティノン ルドルフ・ケンペ オイゲン・ヨッフム クラウス・テンシュテット リッカルド・ムーティ サイモン・ラトル アントニオ・パッパーノ アルバン・ベルク弦楽四重奏団 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 北ドイツ放送交響楽団 バイロイト祝祭管弦楽団 シュターツカペレ・ドレスデン パリ管弦楽団 フランス国立管弦楽団 ロンドン交響楽団 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 フィルハーモニア管弦楽団 バーミンガム市交響楽団 フィラデルフィア管弦楽団 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 ポピュラー音楽 クリフ・リチャード ビートルズ ホリーズ アニマルズ ピンク・フロイド ディープ・パープル ホワイトスネイク デヴィッド・ボウイ クイーン クラフトワーク テレックス ケイト・ブッシュ アイアン・メイデン シーナ・イーストン ティナ・ターナー ケイティ・ペリー デュラン・デュラン カイリー・ミノーグ ペット・ショップ・ボーイズ ジーザス・ジョーンズ セックス・ピストルズ EMF ブラー リー・ライアン リズ・マクラーノン RBD ブルー トーキング・ヘッズ(1984年以降、米加以外) エターナル X JAPAN 保存活動 EMIアーカイブ・トラストという慈善団体はEMIおよびグラモフォンの様々な記録を保存している。うち1897年から1914年までの蓄音機用の円盤状レコードと蝋管は2023年に世界の記憶に登録された。
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紫綬褒章の受章者一覧(しじゅほうしょうのじゅしょうしゃいちらん)では、紫綬褒章の受章者を部門別に列挙する。全てを網羅しているわけではない。(五十音順一覧は:Category:紫綬褒章受章者を参照) 発明・改良(研究者・技術者) 江田鎌治郎:(1955年)大蔵省醸造試験所、江田醸造研究所創設者、速醸もとの発明者 野澤一郎:(1956年)巴コーポレーション創業者、ダイヤモンドトラスなどの立体構造建築を発明 小林宏治:(1957年)NEC会長、勲一等旭日大綬章(1987年) 細川永一:(1957年)ホソカワミクロン創業者 谷村貞治:(1958年)花巻東高等学校創立者、紺綬褒章、勲二等瑞宝章 五十嵐悌二:(1959年)安立電気、永井健三と共同でテープレコーダーを発明 天野修一:(1959年)アマノ株式会社創業者、A式綴紙器(ホッチキス)・電気式タイムレコーダーの発明者 安藤彌一:(1962年)経営コンサルタント、事務用機器の改良研究者。ビジブルレコーダーに関する一連の発明考案の完成 寺山傳三郎:(1965年)JUKI株式会社 箱木一郎:(1965年)日本曲面印刷機㈱創業者、特殊印刷技術の改良研究に務め曲面印刷体用印刷機に関する一連を発明・考案 大森五郎: (1966年) 三井鉱山株式会社取締役、駒沢大学教授、工学博士 炭鉱技術の改良研究:井筒沈下法による立坑開さく技術の開発成功 染谷勲:(1967年)NEC常務 駒井嘉彰:(1968年)でんぷんからブドウ糖を作る工程を大きく短縮、科学技術功労賞(1966年)  池田敏雄:(1971年)富士通専務 福田孝:(1971年)フクダ電子創業者 田中清史:(1972年)東京プラント株式会社 創業者、多年水動力計の研究に努めよく還流水による直接制御法の動力計を開発 宮憲一:(1973年)KDDI副社長 岩井喜典:(1973年)東芝常務、東芝メディカル会長 河島喜好:(1974年)ホンダ社長 細川益男:(1975年)ホソカワミクロン会長 西脇昌治:(1976年)東京大学教授、東京大学海洋研究所長 伊藤宏:(1980年)キヤノン常務 稲葉清右衛門:(1981年)ファナック創業者、藍綬褒章、勲二等瑞宝章受章 勝部能之:(1981年)工業技術院大阪工業技術試験所、透明導電膜の研究開発 関本忠弘:(1982年)NEC会長、経団連評議会議長、勲一等瑞宝章受章(1997年) 小野義一郎:(1982年)小野測器社長 池田宏之助(1983年)三洋電機中央研究所副所長 今堀和友:(1984年)三菱化成生命科学研究所所長、東京大学教授 持田信夫:(1984年)持田製薬社長、国産初のレーザー手術装置の開発 久米是志:(1985年)ホンダ社長 手島透:(1985年)スタンレー電気社長、高輝度赤色LEDの開発 手塚国利:(1986年)手塚興産創業者, 勲三等受賞 持田英:(1987年)持田製薬社長 掘越弘毅:(1987年)理化学研究所主任研究員 京谷好泰:(1988年)日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長、リニアモーターカーの開発 野村芳禾:(1988年)本州製紙開発研究所長代理 相川賢太郎:(1988年)三菱重工常務取締役 武石喜幸:(1988年)東芝ULSI研究所長 読谷山昭:(1988年)旭化成副社長 六戸満:(1988年)三菱電線専務取締役 三巻達夫:(1988年)日立製作所システム開発研究所主管研究長 柴田喜三:(1988年)元ホクセイアルミ常務取締役 鵜崎永人:(1988年)新東工業参与 島正博:(1988年)島精機製作所代表取締役 福島修:(1988年)元クラレ取締役開発推進本部長 岡本辰美:(1988年)元第一高周波工業社長 難波進:(1988年)大阪大学名誉教授 馬島寛治:(1989年)ニベア花王監査役 木原信敏:(1990年)ソニー専務、木原研究所会長、VTR「ベータマックス」の開発者 大島信行:(1990年)元農林水産省植物ウイルス研究所部長 石井宏治:(1990年)石井鉄工所社長 畔柳功芳:(1990年)東京工科大学教授 佐田登志夫:(1990年)理化学研究所理事 成田仁:(1990年)三井造船理事 野坂邦史:(1990年)国際電信電話常務取締役 松浦章夫:(1990年)鉄道総合技術研究所主幹 中川晃次:(1990年)電気化学工業青海工場次長 和田龍児:(1990年)豊田工機専務取締役 岡正太郎:(1990年)島津製作所常務取締役 仁村泰治:(1990年)元国立循環器病センター研究所長 宮寺康夫:(1991年)日立化成工業筑波開発研究所部長 安藤忠彦:(1991年)元理化学研究所主任研究員 上野保:(1991年)三菱瓦斯化学理事 小林勝利:(1991年)ロッテ中央研究所所長 菰田孜:(1991年)日立計測エンジニアリング主管技師長 杉田清:(1991年)新日鉄参与 寺町博:(1991年)THK代表取締役 永井淳:(1991年)元東芝常務取締役 武藤良介:(1991年)鉄道情報システム社長 近藤嘉一:(1991年)東洋鋼鈑常務取締役 辻阪好夫:(1991年)林原総合研究所副社長 横塚保:(1992年)元キッコーマン常務取締役製造本部長 久保村圭助:(1992年)元国鉄東京第一工事局長 五島一彦:(1992年)元NTT取締役通信網総合研究所長 中山宗雄:(1992年)東京応化工業取締役事業本部副本部長・プロセス機器事業部事業部長 三上八州家:(1992年)日鉄鉱業研究開発センター付主幹研究員 上垣外修己:(1992年)豊田中央研究所副所長 斎藤長男:(1992年)元三菱電機重電事業本部技師長 前川定文:(1992年)日本農薬開発本部技術主幹 板橋義夫:(1992年)日本エステル副社長 溝辺昭雄:(1992年)クラレ岡山工場産業資材研究開発室長 中島平太郎:(1993年)元ソニー常務、CD開発の父 河野惠祐:(1993年)元三菱重工取締役 小口知宏:(1993年)元郵政省室長 高見沢稔:(1993年)信越化学工業所長 永田穣:(1993年)日立製作所理事 中坪壽雄:(1993年)オリンパス光学専務 納富哲夫:(1993年)日本歯科研究研修協会理事長 粟村大吉:(1993年)レーザーテック社長 佐藤敏雄:(1993年)元国際電信電話取締役 久我睦男:(1993年)元ユニチカ取締役 藤尾孝:(1993年)元NHK放送技術研究所長 桐谷圭治(1993年)太平洋食料肥料技術センター副所長 服部虎男:(1994年)元本田技術研究所、勲四等瑞宝章(1999年) 鈴木英雄:(1994年)元工業技術院微生物工業技術研微生物応用部長 横山章:(1994年)フジタ副社長 加藤満左夫:(1994年)富士ゼロックス専務取締役 小林和夫:(1994年)元農水省家畜衛生試験場北海道支場長 金戸橘夫:(1994年)元農水省果樹試験場育種部長 白木万博:(1994年)元三菱重工業技術本部副本部長 日高秀昌:(1995年)元明治製菓生物科学研究所長 伊藤貞男:(1995年)元日本電信電話公社移動通信方式研究室長 鈴木孝:(1995年)日野自動車副社長 垂井康夫:(1995年)元超LSI技術研究組合共同研究所長 奈良高:(1995年)協和発酵工業副社長 諸隈肇:(1995年)オリンパス光学工業取締役 横井寛:(1995年)元国際電信電話理事 原忠則:(1995年)新日鉄化学技術研究所副部長 飯沼一浩:(1997年)東芝 医用システム 山崎舜平:(1997年)半導体エネルギー研究所代表取締役、紺綬褒章(1995、1996、2005、2008、2009年) 保田和雄:(1998年)日立製作所、臨床検査用自動分析装置の研究開発 伊澤達夫:(1998年)NTT取締役基礎技術総合研究所長、東京工業大学 理事・副学長 三村高志:(1998年)富士通 小星重治:(1999年)コニカ株式会社 森一生:(2001年)東芝 医用機器システム開発センター 青柳卓雄:(2001年)日本光電工業 パルスオキシメーターの発明者 佐藤良夫:(2003年)富士通 玉谷正昭:(2003年)東芝リサーチ・コンサルティング 不破亨:(2003年)湧永製薬副社長 内山邦男:(2004年)日立 吉野彰(2004年)旭化成、リチウムイオン電池の発明者 大嶋光昭(2004年)松下電器 瀬尾育弐:(2005年)東芝 医用機器システム開発センター 岡田義光:(2006年)防災科学技術研究所理事長 山本彰:(2006年)日立製作所システム開発研究所情報プラットフォーム研究センタ長 正本順三:(2006年)元旭化成工業特別主席研究員 細矢雅弘:(2007年)東芝 研究開発センター 川瀬正明:(2007年)NTTサービス運営部技術協力センタ所長 後藤俊男:(2007年)アステラス製薬執行役員研究本部副本部長 岡本勲:(2007年)鉄道総合技術研究所専務理事 押谷政彦:(2007年)ジーエス・ユアサコーポレーション常務執行役員研究開発センター長 伊藤昇:(2008年)三菱電機 三神泉:(2008年)三菱電機 河内正夫:(2008年)NTT先端技術総合研究所長 菅谷寿鴻:(2008年)東芝リサーチ・コンサルティング社長附 舘山勝:(2008年)鉄道総合技術研究所 小田切正:(2008年)日本ガイシ 前田裕一:(2008年)不二製油取締役 吉住恵一:(2008年)松下電器 福岡伸典:(2008年)旭化成 宇佐美光雄:(2009年)日立製作所中央研究所主管研究長 立松英信:(2009年)ジェイアール総研エンジニアリング社長 増子治信:(2009年)情報通信研究機構首席研究統括 守谷健弘:(2010年)NTTコミュニケーション科学基礎研究所守谷特別研究室長 芦谷公稔:(2010年)鉄道総合技術研究所、株式会社ANET取締役 大友文夫:(2010年)トプコン社長補佐 清水康夫:(2011年)本田技術研究所、電動パワーステアリングの発明と世界初の実用化 秋葉重幸:(2011年)KDDI研究所所長 岡本龍明:(2012年)NTTセキュアプラットフォーム研究所岡本特別研究室長、暗号・認証理論とその応用技術の開発 武智敏:(2012年)富士通、ArFエキシマレーザー光を用いた写真製版用の実用的レジストの開発 赤嶺政巳:(2013年)東芝研究開発センター技監、閉ループ学習による合成音声 浅川智恵子:(2013年)日本IBMフェロー、ホームページリーダー他、視覚障害者への技術 井上愛一郎:(2013年)元富士通フェロー、スーパーコンピューター京の開発 佐藤健一:(2014年)元日本電信電話未来ねっと研究所部長 広崎尚登:(2015年)物質・材料研究機構環境・エネルギー材料部門サイアロンユニット長 山下昌哉:(2015年)旭化成グループフェロー 恵下隆:(2015年)元富士通FRAMプロセス技術部長 守倉正博:(2015年)元NTT情報流通基盤総合研究所主席研究員,京都大学教授 越智光夫:(2015年)広島大学学長 山本明:(2016年)高エネルギー加速器研究機構名誉教授(素粒子物理学研究) 石橋忠良:(2016年)元JR東日本執行役員建設工事部担当部長兼構造技術センター所長 柏木俊行:(2016年)ソニーR&Dプラットフォーム研究開発企画部門プリンシパルエンジニア 萩本和男:(2016年)元NTT先端技術総合研究所長 中川章:(2016年)富士通研究所応用研究センターライフイノベーション研究所イノベーションディレクター 吉村進:(2016年)元松下技研専務取締役 鈴木正敏:(2017年)元KDDI研究開発フェロー 高瀬光徳:(2017年)元森永乳業執行役員栄養科学研究所所長 高木信一:(2017年)元東芝研究開発センターLSI基盤技術ラボラトリー研究主幹 後野和弘:(2017年)オリンパス医療要素開発本部医療要素開発1部長 上田龍三:(2017年)名古屋市立大学名誉教授 西木直巳:(2017年)パナソニック生産技術本部生産技術研究所主幹技師 尾上誠蔵:(2018年)元NTTドコモ取締役常務執行役員R&Dイノベーション本部長 金馬慶明:(2018年)パナソニック要素技術開発センター主幹技師 井上淳也:(2018年)シスメックスクリニカルイノベーション本部部長 寺西信一:(2018年)元日本電気マイクロエレクトロニクス研究所ULSI応用研究部部長 小池雅人:(2018年)元日本原子力研究開発機構量子ビーム応用研究部門研究主席 遠藤章:(2019年)原子力科学研究所原子力基礎工学研究センター長 平本和夫:(2019年)日立製作所研究開発グループ技術顧問 佐藤清侍:(2019年)三菱電機名古屋製作所放電製造部長兼AMシステムプロジェクトマネジャー 宇野智裕:(2020年)日本製鉄技術開発本部先端技術研究所リーディングリサーチャー上席主幹研究員 鈴木康司:(2020年)アサヒクオリティーアンドイノベーションズ理事フェロー 梅林拓:(2020年)ソニーセミコンダクタソリューションズ第1研究部門7部統括部長 安島雄一郎:(2020年)富士通プラットフォーム開発本部システム開発統括部シニアアーキテクト 永原肇:(2020年)元旭化成ケミカルズ取締役兼常務執行役員研究開発管掌 宮崎美津恵:(2021年)元東芝メディカルシステムズ技監 川上正舒:(2021年)元自治医科大学教授 塩野貴史:(2021年)元キリンR&D本部飲料技術研究所主任研究員 宮本裕:(2021年)NTT未来ねっと研究所フェロー 木村毅:(2022年)元味の素取締役常務執行役員 高見則雄:(2022年)東芝研究開発センター首席技監 水上利洋:(2022年)シスメックス診断薬エンジニアリング本部細胞技術グループ上席主任技師 今岡仁:(2023年)NECフェロー スポーツ 個人 金栗四三:(1955年) マラソン、日本人初のオリンピック選手 三船久蔵:(1956年) 柔道十段 小川金之助:(1959年) 剣道範士十段 織田幹雄:(1959年) アムステルダム五輪で日本人初の金メダル 植芝盛平:(1960年) 合気道創始者 宇野要三郎:(1960年) 弓道範士十段 野口源三郎:(1960年) 陸上競技選手、体育学者 持田盛二:(1961年) 剣道範士十段 南部忠平:(1961年) 陸上競技走幅跳の元世界記録保持者 ロサンゼルス五輪 陸上男子三段跳金メダリスト 双葉山定次:(1962年) 大相撲力士、第35代横綱 斎村五郎:(1963年) 剣道範士十段 大麻勇次:(1963年) 剣道範士十段 前畑秀子:(1964年) ベルリン五輪女子200m平泳ぎ金メダル 高石勝男:(1964年) アムステルダム五輪男子100m自由形銅メダル、日本水泳連盟会長 古橋廣之進:(1983年) ロサンゼルス全米選手権で世界新記録cf. 旭日重光章(2003年) 橋爪四郎:(1987年)神奈川県水泳連盟副会長 猪谷千春:(1988年)国際オリンピック委員会理事 小野喬:(1988年)メルボルン五輪男子鉄棒金メダル、ローマ五輪男子鉄棒金メダル、ローマ五輪男子跳馬金メダル、ローマ五輪男子体操団体総合金メダル、東京五輪男子体操団体総合金メダル 若乃花幹士 (初代):(1991年) 大相撲力士、第45代横綱 荻村伊智朗:(1992年) 卓球選手、第3代国際卓球連盟会長 古川勝:(1993年)メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダル、日本水泳連盟会賓 笹原正三:(1993年)メルボルンオリンピック男子レスリング フリースタイル62kg級金メダル、日本アマチュアレスリング協会会長 遠藤幸雄:(1996年)ローマオリンピック、東京オリンピック、メキシコシティーオリンピック男子体操金メダル 笠谷幸生:(2003年)札幌五輪スキージャンプ金メダリスト 鹿島丈博:(2003年褒章、2004年飾版) アテネ五輪男子体操団体金メダル 北島康介:(2003年褒章、2004年飾版、2008年飾版) アテネ五輪、北京五輪競泳男子金メダル 谷亮子:(2003年褒章、2004年飾版、2007年飾版) シドニー五輪、アテネ五輪女子柔道金メダル 阿武教子:(2004年)アテネ五輪女子柔道金メダル 谷本歩実:(2004年褒章、2008年飾版)アテネ五輪、北京五輪女子柔道金メダル 上野雅恵:(2004年褒章、2008年飾版)アテネ五輪、北京五輪女子柔道金メダル 塚田真希:(2004年)アテネ五輪女子柔道金メダル 内柴正人:(2004年褒章、2008年飾版、2014年褫奪) アテネ五輪、北京五輪男子柔道金メダル。2014年5月10日付で褫奪(内柴事件)。 鈴木桂治:(2004年) アテネ五輪男子柔道金メダル 野村忠宏:(2004年) アテネ五輪男子柔道金メダル 柴田亜衣:(2004年) アテネ五輪女子競泳金メダル 野口みずき:(2004年) アテネ五輪女子マラソン金メダル 室伏広治:(2004年) アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダル 伊調馨:(2004年褒章、2008年飾版、2012年飾版、2016年飾版) アテネ五輪、北京五輪、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪女子レスリング金メダル 吉田沙保里:(2004年褒章、2008年飾版、2012年飾版) アテネ五輪、北京五輪、ロンドン五輪女子レスリング金メダル 塚原直也:(2004年) アテネ五輪男子体操団体金メダル 米田功:(2004年) アテネ五輪男子体操団体金メダル 水鳥寿思:(2004年) アテネ五輪男子体操団体金メダル 冨田洋之:(2004年) アテネ五輪男子体操団体金メダル 中野大輔:(2004年) アテネ五輪男子体操団体金メダル 大鵬幸喜:(2004年) 大相撲力士、第48代横綱 笠松茂:(2005年)ミュンヘン五輪男子体操団体金メダル 中野浩一:(2006年) 世界選手権自転車競技大会プロスプリント10連覇 荒川静香:(2006年) トリノ五輪フィギュアスケート女子シングル金メダル 山下泰裕:(2007年) ロサンゼルス五輪 男子柔道金メダル 高田祐司:(2007年) ロサンゼルス五輪男子レスリング金メダル 青木功:(2008年) プロゴルファー 上村愛子:(2008年) モーグルスキーヤー、FISワールドカップ2007-2008シーズン総合優勝 石井慧:(2008年) 北京五輪柔道男子100kg超級金メダル 北京オリンピックソフトボール日本代表(2008年)同大会で金メダル 塚原光男:(2009年) 日本体操協会副会長、1970年世界体操男子跳馬・ミュンヘンおよびモントリオール五輪男子体操鉄棒金メダル 内村航平:(2012年褒章、2016年飾版) ロンドン五輪男子体操個人総合金メダル、リオデジャネイロ五輪個人総合金メダル、団体総合金メダル 小原日登美:(2012年) ロンドン五輪女子レスリング48kg級金メダル 松本薫:(2012年) ロンドン五輪女子柔道57kg級金メダル 村田諒太:(2012年) ロンドン五輪男子ボクシングミドル級金メダル 米満達弘:(2012年) ロンドン五輪男子レスリング66kg級金メダル 羽生結弦:(2014年褒章、2018年飾版) ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダル、平昌五輪フィギュアスケート男子シングル金メダル 狩野亮:(2014年) ソチパラリンピックアルペンスキー男子滑降金メダル 鈴木猛史:(2014年) ソチパラリンピックアルペンスキー男子回転金メダル 大野将平:(2016年褒章、2021年飾版)リオデジャネイロ五輪男子柔道73kg級金メダル、東京五輪男子柔道73kg級金メダル 加藤凌平:(2016年)リオデジャネイロ五輪男子体操団体総合金メダル 金藤理絵:(2016年)リオデジャネイロ五輪女子200m平泳ぎ金メダル 川井梨紗子:(2016年褒章、2021年飾版)リオデジャネイロ五輪女子レスリングフリースタイル63kg級金メダル、東京五輪女子レスリングフリースタイル57kg級金メダル 白井健三:(2016年)リオデジャネイロ五輪男子体操団体総合金メダル 高橋礼華:(2016年)リオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルス金メダル 田知本遥:(2016年)リオデジャネイロ五輪女子柔道70kg級金メダル 田中佑典:(2016年)リオデジャネイロ五輪男子体操団体総合金メダル 登坂絵莉:(2016年)リオデジャネイロ五輪女子レスリングフリースタイル48kg級金メダル 土性沙羅:(2016年)リオデジャネイロ五輪女子レスリングフリースタイル69kg級金メダル 萩野公介:(2016年)リオデジャネイロ五輪競泳男子400m個人メドレー金メダル ベイカー茉秋:(2016年)リオデジャネイロ五輪男子柔道90kg級金メダル 松友美佐紀:(2016年)リオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルス金メダル 山室光史:(2016年)リオデジャネイロ五輪男子体操団体総合金メダル 小平奈緒:(2018年)平昌五輪スピードスケート女子500m金メダル 菊池彩花:(2018年)平昌五輪スピードスケート女子チームパシュート金メダル 佐藤綾乃:(2018年)平昌五輪スピードスケート女子チームパシュート金メダル 髙木菜那:(2018年)平昌五輪スピードスケート女子チームパシュート、マススタート金メダル 髙木美帆:(2018年褒章、2022年飾版)平昌五輪スピードスケート女子チームパシュート金メダル、北京五輪スピードスケート女子1000m金メダル 成田緑夢:(2018年)平昌パラリンピックスノーボード男子バンクドスラローム金メダル 新田佳浩:(2018年)平昌パラリンピッククロスカントリースキー男子クラシカル金メダル 村岡桃佳:(2018年褒章、2022年飾版)平昌パラリンピックアルペンスキー女子大回転(座位)金メダル、北京パラリンピックアルペンスキー女子滑降(座位)金メダル、アルペンスキー女子スーパー大回転(座位)金メダル、アルペンスキー女子大回転(座位)金メダル 阿部詩:(2021年)東京五輪女子柔道52kg級金メダル 阿部一二三:(2021年)東京五輪男子柔道66kg級金メダル 新井千鶴:(2021年)東京五輪女子柔道70kg級金メダル 伊藤美誠:(2021年)東京五輪卓球混合ダブルス金メダル 入江聖奈:(2021年)東京五輪女子ボクシングフェザー級金メダル 宇山賢:(2021年)東京五輪男子フェンシングエペ団体金メダル ウルフ・アロン:(2021年)東京五輪男子柔道100kg級金メダル 大橋悠依:(2021年)東京五輪女子水泳200m個人メドレー、400m個人メドレー金メダル 乙黒拓斗:(2021年)東京五輪男子レスリングフリースタイル65kg級金メダル 梶原大暉:(2021年)東京パラリンピック男子パラバドミントン男子シングルスWH2金メダル 加納虹輝:(2021年)東京五輪男子フェンシングエペ団体金メダル 川井友香子:(2021年)東京五輪女子レスリングフリースタイル62kg級金メダル 木村敬一:(2021年)東京パラリンピック男子100mバタフライS11金メダル 喜友名諒:(2021年)東京五輪男子空手形金メダル 国枝慎吾:(2021年)アテネパラリンピック男子車いすテニスダブルス金メダル、北京パラリンピック男子車いすテニスシングルス金メダル、ロンドンパラリンピック男子車いすテニスシングルス金メダル、東京パラリンピック男子車いすテニスシングルス金メダル 佐藤友祈:(2021年)東京パラリンピック男子車いす400m、1500mT52金メダル 里見紗李奈:(2021年)東京パラリンピック女子パラバドミントンシングルスWH1、ダブルスWH1-2金メダル 向田真優:(2021年)東京五輪女子レスリング53kg級金メダル 杉浦佳子:(2021年)東京パラリンピックパラサイクリング女子個人ロードタイムトライアル金メダル 杉村英孝:(2021年)東京パラリンピック男子ボッチャ個人 BC2金メダル 須﨑優衣:(2021年)東京五輪女子レスリング50kg級金メダル 鈴木孝幸:(2021年)北京パラリンピック男子水泳50m平泳ぎ SB3金メダル、東京パラリンピック男子水泳100m自由形S4金メダル 素根輝:(2021年)東京五輪女子柔道78kg超級金メダル 髙藤直寿:(2021年)東京五輪男子柔道60kg級金メダル 永瀬貴規:(2021年)東京五輪男子柔道81kg級金メダル 西矢椛:(2021年)東京五輪女子スケートボードストリート金メダル 橋本大輝:(2021年)東京五輪男子体操個人総合、男子体操鉄棒金メダル 濱田尚里:(2021年)東京五輪女子柔道78kg級金メダル 堀米雄斗:(2021年)東京五輪男子スケートボードストリート金メダル 水谷隼:(2021年)東京五輪卓球混合ダブルス金メダル 道下美里:(2021年)東京パラリンピック陸上女子ブラインドマラソンマラソンT12金メダル 見延和靖:(2021年)東京五輪男子フェンシングエペ団体金メダル 山口尚秀:(2021年)東京パラリンピック男子パラ競泳100m平泳ぎSB14金メダル 山崎悠麻:(2021年)東京パラリンピック女子パラバドミントン女子ダブルスWH1-2 山田優:(2021年)東京五輪男子フェンシングエペ団体金メダル 四十住さくら:(2021年)東京五輪女子スケートボードパーク金メダル 東京オリンピックソフトボール日本代表(2021年)同大会で金メダル 2020年東京オリンピックの野球競技・日本代表(2021年)同大会で金メダル 小林陵侑:(2022年)北京五輪スキージャンプ男子ノーマルヒル金メダル 平野歩夢:(2022年)北京五輪スノーボード男子ハーフパイプ金メダル 川除大輝:(2022年)北京パラリンピッククロスカントリー男子20kmクラシカル(立位)金メダル 団体 団体には褒状(紫綬)が授与される。 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表(2006年、2009年、2023年)同大会で優勝 2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表(2011年)同大会で優勝 棋士 将棋 木村義雄:(1960年) 升田幸三:(1973年) 塚田正夫:(1975年) 大山康晴:(1979年) 二上達也:(1992年) 加藤一二三:(2000年)、旭日小綬章(2018年) 米長邦雄:(2003年) 中原誠:(2008年) 谷川浩司:(2014年) 佐藤康光(2017年) 森内俊之(2017年) 羽生善治(2018年) 囲碁 瀬越憲作:(1958年) 鈴木為次郎:(1960年) 木谷實:(1965年) 岩本薫:(1967年) 橋本宇太郎:(1969年) 高川格:(1974年) 坂田栄男:(1980年) 藤沢秀行:(1987年) 林海峰:(2005年) 大竹英雄:(2005年) 石田芳夫:(2016年) 小林光一:(2018年) 趙治勲:(2019年) 井山裕太:(2022年) 学者 瀬藤象二:(1955年) 東京大学名誉教授、電気工学者 長井真琴:(1955年) 仏教学者 保井コノ:(1955年) 植物学者、日本初の女性理学博士 椎尾弁匡:(1956年)仏教学者 小野澤辰五郎:(1957年) 科学者、練炭工業の改良者 中田瑞穂:(1958年)新潟大学名誉教授、脳外科学者 荻野久作:(1958年)産婦人科医、医学博士 加藤虎之亮:(1958年)東洋大学学長、中国哲学 永井健三:(1959年)東北大学教授、電気工学、電気通信研究所所長 藤瀬新一郎:(1963年)東北大学名誉教授、有機化学 石田幹之助:(1964年)國學院大學教授、東洋史学 岩橋小弥太:(1964年)國學院大學教授、歴史学 川瀬一馬:(1966年)青山学院女子短期大学名誉教授、書誌学 成瀬政男:(1966年)東北大学名誉教授、工学 菊池喜充:(1967年)東北大学教授、電子工学 宮地伝三郎:(1968年)京都帝国大学名誉教授、動物学 江上波夫:(1969年)東京大学名誉教授、考古学cf. 勲三等旭日中綬章、1977年 石井良助:(1970年)東京大学名誉教授、法制史学、勲二等旭日重光章(1978年) 泉井久之助:(1971年)京都大学名誉教授、言語学 木村秀政:(1971年)東京大学教授、航空学 大野豊(1971年)京都大学名誉教授、工学 横超慧日:(1972年)大谷大学名誉教授、仏教学 川上正光:(1972年)東京工業大学学長、電気工学 川勝政太郎:(1973年)考古学者、石造美術の研究 前田憲一:(1973年)京都大学名誉教授、電波工学 市古貞次:(1973年)東京大学名誉教授、国文学 中村元:(1974年)東京大学名誉教授、インド哲学者cf. 1977年 勲一等瑞宝章 赤松俊秀:(1974年)京都大学名誉教授、中世史家 野田又夫:(1975年)京都大学名誉教授、哲学者 亀谷了:(1976年)日本生物科学研究所教授、寄生虫学 河田敬義:(1977年)東京大学名誉教授、数学者 池田彌三郎:(1977年)慶応義塾大学教授、民俗学者 金田一春彦:(1977年)cf. 勲三等旭日中綬章、1986年 河田敬義:(1977年)東京大学名誉教授、数学 今村泰二:(1978年)北海道教育大学元教授、茨城大学名誉教授、常盤大学元教授、動物学者 岡本舜三:(1979年)埼玉大学名誉教授、応用力学 林知己夫:(1981年) 統計数理研究所元所長、統計学者 猪木正道:(1981年) 京都大学名誉教授、政治学者 矢沢大二:(1981年) 東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、地理学者、日本地理学会会長、勲三等旭日中綬章(1986年) 大沢清輝:(1982年)東大教授、天文学 今堀和友:(1984年)東大教授、生化学 岡村総吾:(1984年)東大名誉教授、電子工学 大沢文夫:(1985年)名大名誉教授、生物物理学 菊地吾郎:(1985年)東北大学名誉教授、医学 今道友信:(1986年)京大名誉教授、哲学、旭日中綬章(1993年) 藤井澄二:(1986年)京大名誉教授、富山県立大学初代学長、振動・制御・ロボット工学、従三位勲二等瑞宝章(1997年) 池原森男:(1986年)阪大名誉教授、薬学・核酸化学 入江富士男:(1986年)九大学名誉教授、電気工学 北村甫:(1986年)東京外大名誉教授、チベット学 崎浦誠治:(1986年)北大名誉教授、農業経済学 鈴木禄弥:(1986年)東北大教授、民法学 田丸謙二:(1986年)東大教授、触媒化学 塚田裕三:(1986年)慶大教授、神経科学 松永英:(1986年)国立遺伝学研究所所長、遺伝学 早川幸男:(1986年)名大教授、宇宙物理学 河竹登志夫:(1987年)早稲田大学名誉教授、演劇学 加藤一郎:(1987年)東京大学名誉教授、元総長、法学 増本健:(1987年)東北大学名誉教授(現 電磁材料研究所理事長)、金属学 田宮信雄:(1987年)東北大学名誉教授、生化学 高井康雄:(1987年)東京大学名誉教授、環境科学 平本幸男:(1987年)東京工業大学名誉教授、細胞生理学 三宅三郎:(1987年)元東京大学教授、宇宙物理学 入沢宏:(1987年)岡崎国立共同研究機構教授、生理学 高田利夫:(1987年)京都大学名誉教授、固体化学 吉田光邦:(1987年)京都大学名誉教授、科学史学 渡辺信淳:(1987年)京都大学名誉教授、応用化学 曲直部寿夫:(1987年)大阪大学名誉教授、心臓外科学 梅棹忠夫:(1988年)国立民族学博物館館長、民族学 江上信雄:(1988年)東京大学名誉教授、生物学 幾代通:(1988年)東北大学名誉教授、民法学 上山春平:(1988年)京都大学名誉教授、哲学 内田久雄:(1988年)東京大学名誉教授、分子生物学 佐野圭司:(1988年)東京大学名誉教授、脳神経外科学 坂村貞雄:(1988年)北海道大学教授、農芸化学 南原利夫:(1988年)東北大学教授、薬学 松尾正之:(1988年)東北大学名誉教授、電子工学 白壁彦夫:(1988年)順天堂大学名誉教授、内科医学 藤田譲:(1988年)東京大学名誉教授、溶接工学 山口嘉夫:(1988年)東京大学名誉教授、理論物理学 高木俊宜:(1988年)京都大学名誉教授、電子工学 難波進:(1988年)大阪大学教授、電子工学 林真二:(1988年)鳥取大学教授、農芸化学 田部浩三:(1988年)北海道大学教授、触媒化学 西川哲治:(1988年)東京大学名誉教授、物理学 内田久雄:(1988年)東京大学名誉教授、分子生物学 桜井清彦:(1988年)早稲田大学教授、考古学 佐野圭司:(1988年)東京大学名誉教授、脳神経外科学 津田恒之:(1988年)東北大学名誉教授、畜産学 南雲仁一:(1988年)東京大学名誉教授、生体工学 塩川二朗:(1988年)大阪大学名誉教授、応用化学 緒方規矩雄:(1988年)新潟大学名誉教授、生化学 加藤一郎:(1987年)早稲田大学教授、ロボット工学 秋山虔:(1989年)東京大学名誉教授、国文学 飯島泰蔵:(1989年)東京工業大学名誉教授 パターン認識 脇本平也:(1989年)東京大学名誉教授 宗教学 京極純一:(1989年)東京女子大学長、政治学 三隅二不二:(1989年)大阪大学名誉教授、社会心理学 久保慶三郎:(1989年)東京大学名誉教授、土木工学 豊沢豊:(1989年)東京大学名誉教授、物性化学 野島庄七:(1989年)東京大学名誉教授、生化学 橋本周久:(1989年)東京大学名誉教授、水産科学 赤羽賢司:(1989年)東京大学名誉教授、電波天文学 岩井誠三:(1989年)神戸大学名誉教授、麻酔医学 妹尾泰利:(1989年)九州大学名誉教授、機械工学 武田友四郎:(1989年)九州大学名誉教授、農芸化学 勝沼信彦:(1990年) 徳島文理大学学長 中根千枝:(1990年)東京大学名誉教授、文化人類学 森岡清美:(1990年)東京教育大学名誉教授、宗教社会学 岡田節人:(1990年)京都大学栄誉教授、発生生物学 河合雅雄:(1990年)京都大学名誉教授、類人猿学cf. 勲三等旭日中綬章、1995年 服部正明:(1990年)京都大学名誉教授、インド哲学 樋口隆昌:(1990年)京都大学教授、木質生化学 鳥塚賀治:(1990年)東北大学名誉教授、原子物理学 斎藤日向:(1990年)東京大学名誉教授、分子遺伝学 田中昭二:(1990年)東京大学名誉教授、応用物理学 三輪史朗:(1990年)元東京大学教授、血液学 平尾邦雄:(1990年)東京大学名誉教授、宇宙科学 岩喬:(1990年)金沢大学教授、心臓外科学 小泉光恵:(1990年)大阪大学名誉教授、無機材料化学 坂井利之:(1990年)京都大学名誉教授、情報工学 矢吹萬壽:(1990年)大阪府立大学学長、農業気象学 小林博:(1990年)北海道大学教授、病理学 竹内昭:(1990年)順天堂大学教授、生理学 福岡正夫:(1990年)慶応義塾大学名誉教授、経済学 藤田宏:(1990年)東京大学名誉教授、数学 菅野昌義:(1990年)長岡技術科学大学学長、核燃料工学 斎藤哲夫:(1990年)名古屋大学名誉教授、害虫学 森本信男:(1990年)大阪大学名誉教授、鉱物学 吉田善一:(1990年)京都大学名誉教授、合成化学 大木道則:(1990年)東京大学名誉教授、有機化学 井林博:(1990年)九州大学名誉教授、内分泌学 衛藤瀋吉:(1991年) 東京大学名誉教授、国際政治学 井村徹:(1991年)名古屋大学教授、金属工学 宇尾光治:(1991年)京都大学名誉教授、プラズマ物理学 柳田聖山:(1991年)京都大学名誉教授、仏教学 辻村明:(1991年)東京大学名誉教授、社会心理学 江崎春雄:(1991年)筑波大学名誉教授、農業機械学 飯野徹雄:(1991年)東京大学名誉教授、遺伝学 洪悦郎:(1991年)北海道大学名誉教授、建築学 下鶴大輔:(1991年)東京大学名誉教授、火山物理学 砂田今男:(1991年)東京医科歯科大学名誉教授、歯科保存学 竹内一夫:(1991年)杏林大学学長、脳神経外科学 西村純:(1991年)東京大学名誉教授、宇宙物理学 野村民也:(1991年)東京大学名誉教授、宇宙科学 山田秀明:(1991年)京都大学名誉教授、応用微生物学 松本慶蔵:(1991年)長崎大学教授、感染症学 正宗直:(1991年)北海道大学名誉教授、有機化学 佐藤博:(1991年)北里大学教授、獣医神経病理学 碧海純一:(1991年)東京大学名誉教授、法哲学 小林義郎:(1991年)東京薬科大学名誉教授、フッ素化学 中尾真:(1991年)東京医科歯科大学名誉教授、生化学 奈須紀幸:(1991年)東京大学名誉教授、海洋地質学 赤沢堯:(1991年)名古屋大学教授、植物生化学 井村徹:(1991年)名古屋大学名誉教授、金属物理学 宇尾光治:(1991年)京都大学名誉教授、プラズマ理工学 伊達宗行:(1991年)大阪大学教授、物性物理学 亀山正邦:(1991年)京都大学名誉教授、神経内科学 柴田三千雄 (1992年)東京大学名誉教授、西洋史 井形昭弘(1992年)鹿児島大学学長、神経内科学 伊東光晴 (1992年)京都大学名誉教授、経済学 小関治男(1992年)京都大学名誉教授、分子生物学 伊谷純一郎:(1992年)京都大学名誉教授、人類学 大村智:(1992年)北里研究所所長、天然物化学 甲藤好郎:(1992年)東京大学名誉教授、熱工学 北川照男:(1992年)日本大学教授、小児医学 植木邦和:(1992年)京都大学名誉教授、植物学 宮脇昭:(1992年)横浜国立大学名誉教授、生態学 東三郎:(1992年)北海道大学名誉教授、森林学 伊東糾次:(1992年)早稲田大学教授、理工学 三笠正人:(1992年)大阪市立大学名誉教授、土木工学 小泉明:(1992年)東京大学名誉教授、公衆衛生学 森肇:(1992年)九州大学名誉教授、物性理論学 正木進三:(1992年)弘前大学教授、昆虫学 中島哲夫:(1992年)東京大学名誉教授、農学 鴻常夫:(1992年)東京大学名誉教授、商法学 朽津耕三:(1992年)東京大学名誉教授、プラズマ工学 本間光夫:(1992年)慶応義塾大学名誉教授、内科学 山田和生:(1992年)名古屋大学名誉教授、環境医学 三枝武夫:(1992年)京都大学名誉教授、高分子学 山中千代衛:(1992年)大阪大学名誉教授、レーザー科学 吉森昭夫:(1992年)大阪大学名誉教授、物理学 藤沢令夫:(1993年)京都大学名誉教授、哲学 宇津徳治:(1993年)東京大学名誉教授、地震学 祖父江孝男:(1993年)国立民族学博物館名誉教授、文化人類学 大西英爾:(1993年)名古屋大学名誉教授、動物学 後藤淑:(1993年)芸能史研究家 西連寺永康:(1993年)日本大学研究所教授、歯科放射線学 高月清:(1993年)熊本大学教授、血液内科学 高橋信孝:(1993年)東京大学名誉教授、天然物有機化学 千葉英雄:(1993年)京都大学名誉教授、食品工学 原昭二:(1993年)東京薬科大学名誉教授、薬化学 藤田廣志:(1993年)大阪大学名誉教授、応用物性学 星野英一:(1993年)東京大学名誉教授、民法学 堀幸夫:(1993年)東京大学名誉教授、機械力学 丸山和博:(1993年)京都大学名誉教授、有機化学 志方俊夫:(1993年)日本大学教授、病理学 関口忠:(1993年)東京大学名誉教授、電気工学 高柳和夫:(1993年)東京大学名誉教授、物理学 長谷川彰:(1993年)元東京水産大学教授、漁業経済学 藤野正三郎:(1993年)一橋大学名誉教授、経済学 堀川清司:(1993年)東京大学名誉教授、海岸工学 星猛:(1993年)東京大学名誉教授、生理学 樋口敬二:(1993年)名古屋大学名誉教授、雪氷学 阪口玄二:(1993年)大阪府立大学名誉教授、応用獣医学 坪村宏:(1993年)大阪大学名誉教授、物理化学 本間長世 (1994年)東京大学名誉教授、アメリカ史 速水融:(1994年) 慶應義塾大学名誉教授、歴史人口学 佐竹昭広:(1994年)国文学研究資料館長、国文学 尾崎秀樹:(1994年)文芸評論家 高久史麿:(1994年)国立国際医療センター総長、瑞宝大綬章(2012年) 森政弘:(1994年)東京工業大学名誉教授、ロボット工学、勲三等旭日中綬章(1999年) 岸力:(1994年)北海道大学名誉教授、土木工学 滝島任:(1994年)東北大学名誉教授、内科学 鈴木直義:(1994年)帯広畜産大学教授、寄生虫学研究 庄野達哉:(1994年)元京都大学教授、合成化学 原富之:(1994年)大阪大学名誉教授、生理学 三島豊:(1994年)神戸大学名誉教授、皮膚科学 辻二郎:(1994年)東京工業大学名誉教授、有機合成化学 岡市友利:(1994年)香川大学長、水産科学 稲場文男:(1994年)東北大学名誉教授、電子工学 小嶋稔:(1994年)東京大学名誉教授、地球物理学 川路紳治:(1994年)学習院大学教授、固体物性研究 堂山昌男:(1994年)東京大学名誉教授、金属物性工学 永井克孝:(1994年)東京大学名誉教授、生化学 橋本嘉幸:(1994年)東北大学名誉教授、衛生化学 松尾浩也:(1994年)東京大学名誉教授、刑事法学 水島昭二:(1994年)元東大応用微生物研究所長、分子細胞生物学 志村博康:(1994年)東京大学名誉教授、農業水利学 森岡俊夫:(1994年)九州大学名誉教授、予防歯科学 久馬一剛:(1994年)京都大学名誉教授、土壌学 今井賢一:(1995年)スタンフォード大学教授、経営学者 河合隼雄:(1995年)京都大学名誉教授、心理学 小田島雄志:(1995年)東京大学名誉教授、英文学 石井米雄:(1995年) 京都大学名誉教授 奥野健男:(1995年) 多摩美術大学名誉教授、批評家 北川善太郎:(1995年)京都大学名誉教授、民法学 相磯秀夫:(1995年) 東京工科大学学長、情報工学 中野三敏:(1995年) 九州大学名誉教授、瑞宝重光章(2012年) 生田房弘:(1995年)新潟大学名誉教授、勲三等旭日中綬章(2001年)、植物遺伝学 糟谷忠雄:(1995年)北海道大学名誉教授、物性物理学 菅野卓雄:(1995年)東京大学名誉教授、電子工学 宗宮重行:(1995年)東京工業大学名誉教授、化学工学 宅間宏:(1995年)電気通信大学教授、物理学 山本明夫:(1995年)東京工業大学名誉教授、有機金属化学 生田房弘:(1995年)新潟大学名誉教授、神経病理学 常脇恒一郎:(1995年)京都大学名誉教授、 永津俊治:(1995年)名古屋大学名誉教授、生化学 濱川圭弘:(1995年)大阪大学教授、電子工学 又賀昇:(1995年)大阪大学名誉教授、光物理化学 中村元臣:(1995年)九州大学名誉教授、内科学 末松安晴:(1996年)東京工業大学学長、電子物理工学者 岩村秀:(1996年)九州大学有機化学基礎教育センター教授、有機化学 富永健一:(1996年)東京大学名誉教授、社会学 海老沢敏:(1996年)国立音楽大学名誉教授、音楽学 川村二郎:(1996年)東京都立大学名誉教授、ドイツ文学、批評家 阿部謹也:(1997年) 一橋大学名誉教授、歴史学者、西洋史学 芳賀徹:(1997年) 東京大学名誉教授、比較文学 長尾真:(1997年) 京都大学教授、情報通信工学 大橋秀雄:(1997年)東京大学名誉教授、工学院大学名誉教授、工学 井村伸正:(1997年)北里大学教授、薬学 鳥越文蔵:(1997年)早稲田大学名誉教授、演劇学 山崎舜平:(1997年) 工学者 吉田修:(1997年)京都大学名誉教授(現 iPSアカデミアジャパン社長)、医学者、泌尿器科学 川島康生:(1997年)大阪大学名誉教授、医学 飯田経夫:(1998年)名古屋大学名誉教授、経済学 木村克美:(1998年) 分子科学研究所名誉教授、分子科学 佐々木高明:(1998年) 国立民族学博物館教授、文化人類学 中野三敏:(1998年)九州大学名誉教授、近世文学 鈴木尚:(1998年) 東京大学名誉教授、成城大学教授 田中正之:(1998年) 東北大学教授、地球物理学 平川祐弘:(1998年) 東京大学名誉教授 飯田経夫:(1998年)国際日本文化研究センター教授、経済学 信多純一:(1999年)大阪大学名誉教授、近世文学 栗田勇:(1999年)フランス文学者、批評家 米山俊直:(1999年)国立民族学博物館教授、文化人類学 山崎正和:(1999年)大阪大学名誉教授、劇作家 吉田民人:(1999年)東京大学名誉教授、社会学 国武豊喜:(1999年) 化学者、九州大学元教授、北九州市立大学副学長、理化学研究所ディレクター 田中日佐夫:(1999年) 成城大学名誉教授、美術史学者 朝尾直弘:(1999年)京都大学名誉教授、日本史学 秋葉欣哉:(2000年)広島大学名誉教授、有機化学研究 高階秀爾:(2000年)東京大学名誉教授、西洋美術史 吉田光昭:(2000年)東京大学名誉教授、分子生物学 青木保:(2000年)文化庁長官、文化人類学 加藤尚武:(2000年)京都大学名誉教授、倫理学 小野旭:(2000年)一橋大学名誉教授、労働経済学 野村純一:(2000年) 國學院大學名誉教授、民俗学者、国文学者 中澤弘基:(2000年) 東北大学大学院元教授、元無機材質研究所総合研究官 岡崎恒子:(2000年)名古屋大学名誉教授、分子生物学 後藤尚久:(2000年) 東京工業大学名誉教授、工学者 長谷川篤彦:(2000年)東京大学名誉教授、獣医学、医真菌学 伊賀健一:(2001年)東京工業大学教授、工学 大熊幹章:(2001年)東京大学名誉教授、林学 大嶽秀夫:(2001年) 同志社女子大学客員教授、政治学者 岡村甫:(2001年)東京大学名誉教授、コンクリート工学 尾高煌之助:(2001年)一橋大学・法政大学名誉教授、経済学 小尾欣一:(2001年)東京工業大学名誉教授、化学 坂部恵:(2001年)東京大学名誉教授、哲学 安藤元雄:(2002年)明治大学教授、フランス文学 猪木武徳:(2002年)国際日本文化研究センター教授、経済学 岡本宏:(2002年)東北大学教授、医学者 岡本佳男:(2002年)名古屋大学教授、化学者 竜田邦明:(2002年)早稲田大学教授、化学者 福山秀敏:(2003年) 東京大学教授、物理学者 榊佳之:(2003年) 東京大学教授、分子生物学、ゲノム科学 北村惣一郎:(2003年) 国立循環器病センター総長、医学者 板谷謹悟:(2003年) 東北大学教授、化学者 板倉文忠:(2003年) 名城大学理工学部教授、名古屋大学名誉教授、音声工学者 坂村健:(2003年) 東京大学大学院教授、コンピュータ・アーキテクト 毛里和子:(2003年) 早稲田大学教授、政治学者 武田佐知子:(2003年)大阪外国語大学教授、日本史 石原宏:(2003年) 東京工業大学教授、電子物理工学者 柴崎正勝:(2003年) 東京大学教授、化学者 若桑みどり:(2003年) 千葉大学名誉教授、美術史学者 十倉好紀:(2003年) 東京大学教授、物理学者 神原秀記:(2003年)日立製作所フェロー 上條謙二郎:(2004年)東北大学名誉教授、航空宇宙工学者 鷲田清一:(2004年)大阪大学総長、倫理学 松沢哲郎:(2004年) 京都大学教授、霊長類学者 山岸俊男:(2004年) 北海道大学教授、社会心理学者 木村栄一:(2004年) 広島大学医学部名誉教授、化学者、薬学者 篠田傳:(2004年) 広島大学客員教授、プラズマディスプレイの開発者 樺山紘一:(2005年)東京大学名誉教授、西洋史 山形俊男:(2005年)東京大学教授、地球物理学 田中優子:(2005年)法政大学教授、近世文学 牧野内昭武:(2005年)理化学研究所ものつくり情報技術統合化研究プログラムディレクター 伊丹敬之:(2005年) 一橋大学教授、経営学者 川内浩司:(2005年) 北里大学教授、農学博士 佐々木毅:(2005年) 政治学者-前東京大学学長 鈴木厚人:(2005年) 東北大学副学長・教授、物理学者 山本喜久:(2005年) 国立情報学研究所教授、物理学者 古井貞熙:(2006年) 東京工業大学教授、音声情報工学者 山内昌之:(2006年) 東京大学教授、歴史学者 杉山正明:(2006年) 京都大学教授、歴史学者 原田明:(2006年) 大阪大学教授、化学者 藤吉好則:(2006年) 京都大学教授、構造生理学者 長野哲雄:(2006年) 東京大学教授、薬学者 青柳正規:(2006年)東京大学名誉教授、考古学、美術史 江刺正喜:(2006年)東北大学大学院教授、工学 正本順三:(2006年)福井工業大学教授、経営学者、化学者 広瀬茂男:(2006年)東京工業大学名誉教授、ロボット工学者 中村敏一:(2006年)大阪大学名誉教授、生物学 舛岡富士雄:(2007年) 東北大学名誉教授 進士五十八:(2007年) 東京農業大学教授、農学者 福井康雄:(2007年) 名古屋大学教授 松本紘:(2007年)京都大学 理事・副学長 名誉教授 宇宙プラズマ物理学 林崎良英:(2007年) 理化学研究所ゲノム科学総合研究センター・プロジェクトディレクター 岩井克人:(2007年) 東京大学教授、経済学 白石隆:(2007年) 政策研究大学院大学教授、東南アジア史 小林四郎:(2007年) 京都大学名誉教授 岡村均:(2007年) 京都大学教授、医学者 藤野陽三:(2007年) 東京大学教授、社会基盤工学者 堀内昶:(2007年) 京都大学名誉教授、物理学者 入江正浩:(2007年) 九州大学名誉教授、化学者 川瀬正明:(2007年)公立千歳科学技術大学学長、工学 吉良満夫:(2007年) 東北大学名誉教授、化学者 河田聡:(2007年) 大阪大学教授、工学者 佐和隆光:(2007年)京都大学経済研究所名誉教授、経済学者 安田喜憲:(2007年)国際日本文化研究センター教授 岡田典弘:(2007年)東京工業大学教授、分子生物学者 安西祐一郎:(2008年)慶應義塾塾長、認知科学 井上博允:(2008年)東京大学名誉教授、ロボット工学者 大貫惇睦:(2008年) 大阪大学教授、物理学者 南部健一:(2008年) 東北大学名誉教授、工学者 今田高俊:(2008年)東京工業大学教授、社会学者 郡健二郎:(2008年) 名古屋市立大学教授、泌尿器科学者 山中伸弥:(2008年) 京都大学教授、医学者 山口仲美:(2008年) 明治大学教授、国語学者 大塚和夫:(2008年) 東京外国語大学教授、社会人類学 深尾昌一郎:(2008年)京都大学名誉教授、大気物理学 増原宏:(2008年) 大阪大学名誉教授、化学者 遠藤守信:(2008年) 信州大学教授、化学者 磯部稔:(2008年) 名古屋大学名誉教授、化学者 神野直彦:(2009年) 東京大学名誉教授、経済学者 江頭憲治郎:(2009年) 東京大学名誉教授、法学者 岡野栄之:(2009年) 慶應義塾大学教授、医学者 寺西重郎:(2009年) 一橋大学名誉教授、経済学者 中村栄一:(2009年) 東京大学教授、化学者 福山透:(2009年) 東京大学教授、化学者 米澤明憲:(2009年) 東京大学教授、情報科学者 上村大輔:(2009年) 名古屋大学名誉教授、化学者 細野秀雄:(2009年) 東京工業大学教授、物理学者 山室信一:(2009年) 京都大学教授、政治学者 五條堀孝:(2009年) 国立遺伝学研究所副所長・教授、遺伝学者 武内一夫:(2009年)理化学研究所、埼玉大学教授、工学者 大塚啓二郎:(2010年) 政策研究大学院大学教授、経済学者 斎藤修:(2010年) 一橋大学名誉教授、経済学者 林民生:(2010年) 京都大学教授、化学者 土井正男:(2010年) 東京大学教授、物理学者 辻井潤一:(2010年) 東京大学教授、情報科学者 中沢正隆:(2010年) 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー、物理学者 大谷栄治:(2010年) 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー、地球科学者 大谷元:(2010年) 信州大学教授、農学者 末廣昭:(2010年) 東京大学教授、経済学者 相田卓三:(2010年) 東京大学教授、科学者 水野忠恒(2010年) 一橋大学教授、法学者 吉川洋:(2010年) 東京大学教授、経済学者 生田幸士:(2010年) 東京大学教授、工学者 東野治之:(2010年) 奈良大学教授、歴史学者 植田憲一:(2010年) 電気通信大学教授、物理学者 門脇孝:(2010年)東京大学教授、医学者 鍋島陽一:(2010年)京都大学名誉教授、医学者、分子生物学および分子病態学 西田栄介:(2010年)京都大学教授、医学者、シグナル伝達学 浅野泰久:(2011年) 富山県立大学教授、生物学者 揖斐高:(2011年) 成蹊大学教授、日本文学 井堀利宏:(2011年) 東京大学教授、経済学 西尾章治郎:(2011年) 大阪大学教授、情報科学者 圓山重直:(2012年) 東北大学教授、工学者 山本雅之:(2012年) 東北大学教授、工学者 硤合憲三:(2012年) 東京理科大学教授、化学者 大石進一:(2012年) 早稲田大学教授、計算機科学者 田中明彦:(2012年) JICA理事長、国際政治学者 長澤寛道:(2012年) 東京大学教授、化学者 花岡文雄:(2012年) 大阪大学名誉教授、生物学者 池内克史:(2012年) 東京大学教授、工学者 松本邦弘:(2012年) 名古屋大学教授、生物学者 森棟公夫:(2012年) 京都大学名誉教授、統計学者 小杉泰: (2012年) 京都大学教授、宗教学者 石川哲也:(2012年) 理化学研究所播磨研究所所長 北徹:(2012年) 京都大学名誉教授、医学者 北岡良雄:(2012年) 大阪大学教授、工学者 宮下徳治:(2012年) 東北大学多元物質科学研究所教授、工学者、高分子・ハイブリッド材料研究センター長 池田真朗:(2012年) 慶應義塾大学教授、法学者 木畑洋一:(2012年) 東京大学名誉教授、歴史学者 近藤豊:(2012年) 東京大学教授、環境学者 笹川千尋:(2012年) 東京大学名誉教授、細菌学者 中山信弘:(2012年) 東京大学名誉教授、法学者 福田裕穂:(2012年) 東京大学教授、植物生理学者 間野博行:(2012年) 自治医科大学教授、[医科学者 山下晋司:(2012年) 東京大学教授、文化人類学者 浜口宏夫:(2012年) 東京大学名誉教授、物理化学者 村瀬洋:(2012年) 名古屋大学教授、情報科学 島本功:(2012年) 奈良先端科学技術大学院大学教授、育種学 西村和雄:(2012年) 京都大学名誉教授、経済学者 久保司郎:(2012年) 大阪大学教授、工学者 三浦道子:(2012年) 広島大学教授、工学者 寺崎哲也:(2013年) 東北大学教授、薬学者 大政謙次:(2013年) 東京大学教授、農学者 西川恵子:(2013年) 千葉大学教授、物理化学者 河本邦仁:(2013年) 名古屋大学教授、無機材料化学者 川人光男:(2013年) 国際電気通信基礎技術研究所脳情報通信総合研究所長、脳神経科学者 前野悦輝:(2013年) 京都大学教授、物理学者 小長谷有紀:(2013年) 国立民族学博物館教授、文化人類学者 都甲潔:(2013年) 九州大学教授、電子工学者 城戸淳二:(2013年) 山形大学教授、分子工学者 今井浩三:(2013年) 札幌医科大学名誉教授、内科学者 喜連川優:(2013年) 東京大学教授、計算機科学者 小長井誠:(2013年) 東京工業大学教授、応用物理学者 難波成任:(2013年) 東京大学教授、植物病理学者 圓川隆夫:(2013年) 東京工業大学教授、経営工学者 小松和彦:(2013年) 人間文化研究機構国際日本文化センター所長、民俗学者 関口章:(2014年)筑波大学教授、化学者 藤田誠:(2014年)東京大学教授、化学者 小林俊行:(2014年)東京大学教授、数学者 齊藤誠:(2014年)一橋大学教授、経済学者 坂野仁:(2014年)東京大学名誉教授、神経科学者 鈴木杜幾子:(2014年)明治学院大学教授、美術史学者 伏木亨:(2014年)京都大学教授、農学者 濱田博司:(2014年)大阪大学教授、発生遺伝学者 蔡安邦:(2014年)東北大学教授、物理学 井上和秀:(2014年)九州大学教授、薬理学 香取秀俊:(2014年)東京大学教授、物理工学 西村いくこ:(2014年)京都大学教授、分子生物学 野田進:(2014年)京都大学教授、電子工学 宮沢陽夫:(2015年)東北大学教授、食品学 豊島近:(2015年)東京大学教授、構造生物学 藤田敏郎:(2015年)東京大学名誉教授、内科学 木下直之:(2015年)東京大学教授、美術史 吉田潤一:(2015年)京都大学教授、有機合成化学 米田悦啓:(2015年)大阪大学名誉教授、細胞生物学 入船徹男:(2015年)愛媛大学教授、高圧地球科学 狩野方伸:(2015年)東京大学教授、神経科学 西村清彦:(2015年)東京大学教授、理論経済学 山下友信:(2015年)東京大学名誉教授、商法学 小澤正直:(2015年)名古屋大学教授、量子情報科学 福田敏男:(2015年)名古屋大学名誉教授、ロボット工学 澤本光男:(2015年)京都大学教授、高分子化学 佐々木裕之:(2015年)九州大学教授、遺伝学 堀田善治:(2015年)九州大学教授、材料組織制御学 村上昇:(2015年)宮崎大学教授、獣医学 永原裕子:(2016年)東京大学教授 惑星科学 高山博:(2016年)東京大学教授 西洋史学 清木元治:(2016年)東京大学名誉教授 腫瘍学 篠原久典:(2016年)名古屋大学教授 ナノ構造化学 松岡信:(2016年)名古屋大学教授 植物遺伝学・育種学研究) 柳沢正史:(2016年)筑波大学教授、テキサス大大学教授 生理学・神経科学 幾原雄一:(2016年)東京大学教授、材料化学 稲葉カヨ:(2016年)京都大学名誉教授、免疫学 大西公平:(2016年)慶応大学教授、電気電子工学 大渕憲一:(2016年)東北大学名誉教授、社会心理学・犯罪心理学 篠崎一雄:(2016年)理化学研究所環境資源科学研究センター長、植物分子生物学 樋口美雄:(2016年)慶応大学教授、労働経済学 古沢明:(2016年)東京大学教授、量子光学 水野哲孝:(2016年)東京大学教授、触媒化学 中島映至:(2017年)東京大学名誉教授、大気放射学 飯野正光:(2017年)東京大学名誉教授、薬理学 中里実:(2017年)東京大学教授、租税法学 山本一彦:(2017年)元東京大学教授、内科学 森郁恵:(2017年)名古屋大学教授、神経科学 八島栄次:(2017年)名古屋大学教授、高分子化学 河村能人:(2017年)熊本大学教授、材料科学 山谷知行:(2017年)東北大学名誉教授、植物栄養学 宮脇敦史:(2017年)理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダー、理化学 羽田正:(2017年)東京大学教授、イスラム史学 貝淵弘三:(2017年)名古屋大学教授、細胞生物学 川合真紀:(2017年)自然科学研究機構分子科学研究所所長、表面科学 津田敏隆:(2017年)京都大学名誉教授、大気物理学 小溝裕一:(2017年)大阪大学名誉教授、溶接工学 西田友是:(2017年)東京大学名誉教授、コンピューターグラフィックス 橋田充:(2017年)京都大学名誉教授、生物系薬学 中村太士:(2018年)北海道大学教授、森林科学 河西春郎:(2018年)東京大学教授、生理学 蔡兆申:(2018年)東京理科大学教授、物理学 永長直人:(2018年)東京大学教授、物理学 御厨貴:(2018年)東京大学名誉教授、政治史 濡木理:(2018年)東京大学教授、構造生物学 小川誠司:(2018年)京都大学教授、腫瘍生物学 尾崎幸洋:(2018年)関西学院大学名誉教授、分子分光学 小菅一弘:(2018年)東北大学教授、ロボティクス研究 斉藤和季:(2018年)千葉大学教授、天然資源系薬学・植物分子科学 玉蟲敏子:(2018年)武蔵野美術大学教授、美術史研究 吉田尚弘:(2018年)東京工業大学教授、環境学 高橋栄一:(2018年)東京工業大学名誉教授、固体地球科学 影山龍一郎:(2018年)京都大学教授、分子生物学・発生生物学 中條善樹:(2018年)京都大学名誉教授、高分子化学 木下タロウ:(2018年)大阪大学名誉教授、生化学・免疫学 阿尻雅文:(2019年)東北大学教授、化学工学 重川秀実:(2019年)筑波大学教授、応用物理学 佐藤隆一郎:(2019年)東京大学教授、食品科学 畠山昌則:(2019年)東京大学教授、細菌学・腫瘍学 井ノ口馨:(2019年)富山大学教授、神経科学 大須賀篤弘:(2019年)京都大学教授、構造有機化学 酒井敏行:(2019年)京都府立医科大学名誉教授、医学 金井壽宏:(2019年)神戸大学教授、経営学 伊藤貞嘉:(2019年)東北大学名誉教授、内科学 山海嘉之(2019年):筑波大学教授、人間医工学 一條秀憲(2019年):東京大学名誉教授、分子生物学 大栗博司(2019年):カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授・ウォルター・バーク理論物理学研究所所長、素粒子物理学 横山茂之(2019年):東京大学名誉教授、構造生物学 橋本和仁(2019年):東京大学教授・物質・材料研究機構理事長理事長、機能物性化学 堂目卓生(2019年):大阪大学教授、経済学 吉森保(2019年):大阪大学教授、細胞生物学 圦本尚義(2020年):北海道大学教授、惑星科学 川上憲人(2020年):東京大学教授、公衆衛生学 山内薫(2020年):東京大学教授、物理化学 徳田恵一(2020年):名古屋工業大学教授、音声情報学 佐藤卓己(2020年):東京大学教授、歴史学 杉山淳司(2020年):京都大学教授、木質科学 森正樹(2020年):九州大学教授、消化器外科学 川崎雅司(2020年):東京大学教授、材料科学 神田秀樹(2020年):東京大学名誉教授、商法学 後藤由季子(2020年):東京大学教授、細胞生物学 小林修(2020年):東京大学教授、有機化学 高橋雅英(2020年):名古屋大学名誉教授、病理学 沈建仁(2020年):岡山大学教授、生化学・植物生理学 澤芳樹(2020年):大阪大学教授、医学 高橋義朗(2020年):京都大学教授、原子物理学 長田裕之(2021年):理化学研究所環境資源科学研究センターグループディレクター、生物有機化学 加藤隆史(2021年):東京大学教授、高分子化学 佐藤薫(2021年):東京大学教授、大気科学 福田慎一(2021年):東京大学教授、マクロ経済学 水島昇(2021年):東京大学教授、細胞生物学 西森秀稔(2021年):東京工業大学名誉教授、統計物理学 神取秀樹(2021年):名古屋工業大学教授、生物物理学 中山敬一(2021年):九州大学教授、分子生物学 沼上幹(2021年):一橋大学教授、経営学 吉村昭彦(2021年):慶応義塾大学教授、免疫学 国中均(2021年):宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所長、航空宇宙工学 塚谷裕一(2021年):東京大学教授、植物学 河岸洋和(2021年):静岡大学教授、生物有機化学 大森賢治(2021年):自然科学研究機構分子科学研究所教授、量子物理学 馬場嘉信(2021年):名古屋大学教授、分析化学 野崎京子(2022年):東京大学教授、有機金属化学 蟻川謙太郎(2022年):総合研究大学院大学教授、神経行動学 玄田有史(2022年):東京大学教授、労働経済学 渡邉正義(2022年):横浜国立大学名誉教授、電気化学 長谷部光泰(2022年):自然科学研究機構基礎生物学研究所教授、植物進化学 高木博史(2022年):奈良先端科学技術大学院大学教授、応用微生物学 松岡聡(2022年):国立研究開発法人理化学研究所計算科学研究センター長、計算機科学 岡部繁男(2022年):東京大学教授、医学 小原一成(2022年):東京大学教授、地震学 浦野泰照(2022年):東京大学教授、薬学 堀勝(2022年):名古屋大学教授、工学 秋田茂(2022年):大阪大学教授、歴史学 有馬建峰(2022年):岡山大学教授、植物学 古瀬充宏(2022年):九州大学名誉教授、農学 苅谷剛彦(2023年):東京大学名誉教授、オックスフォード大学教授、社会学 井田良(2023年):中央大学教授、刑法学 糸崎秀夫(2023年):大阪大学名誉教授、工学 岡部徹:東京大学教授、材料化学 三浦篤:東京大学元教授、美術史学 吉崎悟朗:東京海洋大学教授、養殖学 安藤敏夫:金沢大学名誉教授、生物物理学 高津聖志:東京大学名誉教授、免疫学 寺北明久:大阪公立大学教授、動物生理学 松田道行:京都大学教授、細胞生物学 関口清俊:大阪大学名誉教授、細胞生物学 山内和人:大阪大学教授、精密工学 茶谷直人:大阪大学名誉教授、有機合成化学 河野修興:広島大学名誉教授、呼吸器内科学 安達千波矢:九州大学教授、材料化学 文芸 金成マツ:(1956年)ユーカラ伝承者 江戸川乱歩:(1961年)推理作家 佐々木邦:(1962年) 作家、英文学者 大林清:(1966年)作家 海音寺潮五郎:(1968年)小説家、作家 木俣修: (1973年)歌人 村上元三:(1974年)作家 南條範夫:(1975年) 作家、経済学者 阿木翁助:(1977年) 劇作家、脚本家 野田宇太郎:(1977年) 詩人、文芸評論家 新田次郎:(1979年) 作家 戸川幸夫:(1980年) 小説家、勲三等瑞宝章(1986年) 菊島隆三:(1980年) 脚本家 宮柊二:(1981年) 歌人 吉田秀和:(1982年) 音楽評論家、勲三等瑞宝章(1988年) 飯田龍太:(1983年) 俳人、評論家 西沢実:(1984年)放送劇作家、勲四等旭日小綬章(1991年) 伊藤桂一:(1985年)作家 池波正太郎:(1986年) 作家 豊田穣 (1986年)作家 加藤楸邨 (1986年)俳人、勲三等瑞宝章(1986年) 上田三四二(1987年)歌人 那珂太郎(1987年)詩人 森澄雄(1987年)俳人 杉本苑子(1987年)作家 橋田壽賀子:(1988年) 脚本家、劇作家、勲三等瑞宝章(2004年) 岡野弘彦:(1988年)歌人 多岐川恭:(1989年)作家 関沢新一:(1990年) 脚本家、作詞家、写真家 矢代静一:(1990年) 劇作家、脚本家 大城立裕:(1990年)作家 塚本邦雄:(1990年) 歌人 岸宏子:(1990年) 放送作家、小説家、勲四等宝冠章(1995年) 冨田博之:(1990年)児童演劇作家、評論家 山内久:(1990年)シナリオ作家 岸宏子:(1990年)放送作家 黒岩重吾:(1991年) 作家 清岡卓行:(1991年) 詩人、作家、勲三等瑞宝章(1998年) 村越化石:(1991年)俳人 兼高かおる:(1991年)ジャーナリスト 前川康男:(1991年)児童文学作家 香西久:(1991年)放送作家 大西民子:(1992年)歌人 今西祐行:(1992年)児童文学作家 高橋玄洋:(1992年)脚本家 児島襄:(1993年) 作家 野口達二:(1993年)劇作家 粟津則雄:(1993年)文芸評論家 早坂暁:(1994年) 作家 勲四等旭日小綬章(2000年) 尾崎秀樹:(1994年)文芸評論家 馬場あき子:(1994年) 歌人 岡本眸:(1994年)俳人 尾崎秀樹:(1994年)文芸評論家 結城昌治:(1994年)作家 長新太:(1994年)絵本作家 田辺聖子:(1995年) 作家 奥野健男:(1995年)文芸評論家 岩間芳樹:(1995年)放送作家 岡井隆:(1996年) 歌人、旭日小綬章(2004年) 川村二郎:(1996年)文芸評論家 平岩弓枝:(1997年) 作家、脚本家 大野靖子:(1997年)脚本家 川崎洋:(1997年) 詩人 久世光彦:(1998年) 脚本家、演出家 入沢康夫:(1998年)詩人、明治大学教授 横光晃:(1998年)脚本家 中島丈博:(1999年)脚本家、小説家 桶谷秀昭:(1999年) 批評家、文芸評論家 今江祥智:(1999年)児童文学作家、旭日小綬章(2005年) 三木卓:(1999年) 小説家、詩人、旭日中綬章(2011年) 桶谷秀昭:(1999年)文芸評論家 田向正健:(2000年)脚本家、旭日小綬章(2007年) 相田洋:(2000年) ドキュメンタリー作家 倉本聰:(2000年) 劇作家、脚本家、演出家cf. 旭日小綬章(2010年) 角野栄子:(2000年)童話作家、旭日小綬章(2014年) 福田善之:(2001年)劇作家 あまんきみこ:(2001年)児童文学作家 筒井康隆:(2002年) 作家、俳優 宇多喜代子:(2002年)俳人 佐佐木幸綱:(2002年) 歌人 長部日出雄:(2002年)小説家、評論家 川村たかし:(2002年)児童文学作家 渡辺淳一:(2003年) 作家 市川森一:(2003年)脚本家、小説家cf. 旭日小綬章(2011年) 吉増剛造:(2003年) 詩人 阿刀田高:(2003年) 作家cf. 旭日中綬章、2009年 佐野洋子:(2003年)絵本作家、エッセイスト 竹内銃一郎:(2004年)劇作家 塩野七生:(2005年) 作家cf. 文化功労者、2007年 宮城谷昌光:(2006年) 作家、旭日小綬章(2016年) つかこうへい:(2007年) 劇作家 池澤夏樹:(2007年)詩人、翻訳家、小説家 竹山洋:(2007年)脚本家、作家 青野聰:(2008年)作家 高樹のぶ子:(2009年)小説家 池端俊策:(2009年) 脚本家、映画監督 三浦雅士:(2010年) 文芸評論家 宮本輝:(2010年)作家 三枝昂之:(2011年)歌人 辻原登:(2012年)作家 松浦寿輝:(2012年)作家、詩人 小池光:(2013年)歌人 渡辺裕:(2013年)音楽評論家 北方謙三:(2013年)作家 稲葉真弓:(2014年)作家 鄭義信:(2014年)脚本家 栗木京子:(2014年)歌人 浅田次郎:(2015年)作家 桐野夏生:(2015年)作家 伊集院静:(2016年)作家 小島ゆかり:(2017年)歌人 三谷幸喜:(2017年)脚本家 夢枕獏:(2018年)作家 林真理子:(2018年)作家 川上弘美:(2019年)作家 正木ゆう子:(2019年)俳人 岡田惠和:(2019年)脚本家 篠田節子:(2020年)作家 井上由美子:(2020年)脚本家 多和田葉子:(2020年)作家 長木誠司:(2021年)音楽評論家 小川洋子:(2021年)作家 島田雅彦:(2022年)作家 大沢在昌:(2022年)作家 坂元裕二:(2023年)脚本家 俳優 東山千栄子:(1955年)、勲四等宝冠章(1965年)、勲三等宝冠章(1974年) 初代水谷八重子:(1958年)、勲三等宝冠章(1975年) 天津乙女:(1958年)、勲四等宝冠章(1976年) 久松喜世子:(1959年)、勲四等宝冠章(1966年) 榎本健一:(1960年)、勲四等旭日小綬章(1970年) 大矢市次郎:(1962年)、勲四等旭日小綬章(1967年) 飯田蝶子:(1963年)、勲四等瑞宝章(1967年) 長谷川一夫:(1965年)、勲三等瑞宝章(1978年) 浦辺粂子:(1966年) 柳永二郎:(1966年)、勲四等旭日小綬章(1970年) 伊志井寛:(1967年) 柳家金語楼:(1967年) 笠智衆:(1967年)、勲四等旭日小綬章(1975年) 栗島すみ子:(1968年) 三津田健:(1968年)、勲四等旭日小綬章(1974年) 二代目渋谷天外:(1968年)、勲四等旭日小綬章(1977年) 辰巳柳太郎:(1969年)、勲四等旭日小綬章(1976年) 島田正吾:(1969年)、勲四等旭日小綬章(1976年) 田中絹代:(1970年)、勲三等瑞宝章(1977年) 片岡千恵蔵:(1971年)、勲四等旭日小綬章(1977年) 市川右太衛門:(1972年)、勲四等旭日小綬章(1979年) 夏川静枝:(1973年)、勲四等宝冠章(1981年) 志村喬:(1974年)、勲四等旭日小綬章(1980年) 森繁久彌:(1975年)、紺綬褒章(1964年)、勲二等瑞宝章(1987年) 佐分利信:(1975年) 東野英治郎:(1975年)、勲四等旭日小綬章(1982年) 中村伸郎:(1976年) 三益愛子:(1976年) 滝沢修:(1977年)、勲三等瑞宝章(1986年) 山村聡:(1977年)、勲四等旭日小綬章(1983年) 益田喜頓:(1977年)、勲四等旭日小綬章(1984年) 北林谷栄:(1978年) 曽我廼家明蝶:(1978年)、勲四等旭日小綬章(1982年) 伴淳三郎:(1978年) 春日野八千代:(1979年)、勲四等宝冠章(1986年) 巖金四郎:(1980年) 、勲四等旭日小綬章(1986年) 宇野重吉:(1981年) 有島一郎:(1982年) 鈴木光枝:(1982年)、勲四等宝冠章(1991年) 宮口精二:(1983年) 加藤道子:(1983年)、勲四等宝冠章(1992年) 森光子:(1984年)、勲三等瑞宝章(1992年) ミヤコ蝶々:(1984年)、勲四等宝冠章(1993年) 三國連太郎:(1984年)、勲四等旭日小綬章(1993年) 賀原夏子:(1985年) 高峰三枝子:(1985年)、勲四等宝冠章(1990年) 小林桂樹:(1985年)、勲四等旭日小綬章(1994年) 宝生あやこ:(1985年)、勲四等宝冠章(1992年) 三船敏郎:(1986年)、勲三等瑞宝章(1993年) 三木のり平:(1986年)、勲四等旭日小綬章(1996年) 京マチ子:(1987年)、勲四等宝冠章(1994年) 西村晃:(1987年)、勲四等旭日小綬章(1994年) 小月冴子:(1987年) 渥美清:(1988年) 淡島千景:(1988年)、勲四等宝冠章(1995年) 大滝秀治:(1988年)、勲四等旭日小綬章(1995年) 船越英二:(1989年)、勲四等旭日小綬章(1995年) 北村和夫:(1989年)、勲四等旭日小綬章(1997年) 乙羽信子:(1989年) 藤山寛美:(1989年) 山岡久乃:(1990年)、勲四等宝冠章(1997年) 菅井きん:(1990年)、勲四等宝冠章(1996年) 酒井光子:(1991年)、勲四等宝冠章(1996年) 田村高廣:(1991年)、勲四等旭日小綬章(1999年) ハナ肇:(1991年) 熊倉一雄:(1991年)、勲四等旭日小綬章(1998年) 奈良岡朋子:(1992年)、勲四等旭日小綬章(2000年) 久米明:(1992年)、勲四等旭日小綬章(1997年) 曽我廼家鶴蝶:(1992年)、勲四等宝冠章(1999年) 赤木春恵:(1993年)、勲四等宝冠章(1998年) 植木等:(1993年)、勲四等旭日小綬章(1999年) フランキー堺:(1994年) 小沢昭一:(1994年)、勲四等旭日小綬章(2001年) 岸田今日子:(1994年) 有馬稲子:(1995年)、勲四等宝冠章(2003年) 仲代達矢:(1996年)、勲四等旭日小綬章(2003年) 日下武史:(1996年)、勲四等旭日小綬章(2002年) 幸田弘子:(1996年)、旭日小綬章(2003年) 八千草薫:(1997年)、旭日小綬章(2003年) 渡辺美佐子:(1997年)、旭日小綬章(2004年) 高倉健:(1998年) 平幹二朗:(1998年)、旭日小綬章(2005年) 香川京子:(1998年)、旭日小綬章(2004年) 田中邦衛:(1999年)、旭日小綬章(2006年) 草笛光子:(1999年)、旭日小綬章(2005年) 緒形拳:(2000年)、旭日小綬章(2008年) 浜木綿子:(2000年)、旭日小綬章(2014年) 山﨑努:(2000年)、旭日小綬章(2008年) 加藤剛:(2001年)、旭日小綬章(2008年) 山本富士子:(2001年) 二代目水谷八重子:(2001年)、旭日小綬章(2009年) 池内淳子:(2002年)、旭日小綬章(2008年) 井川比佐志:(2002年)、旭日小綬章(2008年) 浅丘ルリ子:(2002年)、旭日小綬章(2011年) 藤田まこと:(2002年)、 十朱幸代:(2003年)、旭日小綬章(2013年) 原田芳雄:(2003年)、旭日小綬章(2011年) 司葉子:(2003年)、旭日小綬章(2010年) 岩下志麻:(2004年)、旭日小綬章(2012年) 三田和代:(2004年)、旭日小綬章(2015年) 渡哲也:(2005年)、旭日小綬章(2013年) 倍賞千恵子:(2005年)、旭日小綬章(2013年) 鳳蘭:(2005年)、旭日小綬章(2016年) 白石加代子:(2005年)、旭日小綬章(2012年) 吉永小百合:(2006年) 津川雅彦:(2006年)、旭日小綬章(2014年) 麻実れい:(2006年) 阿木燿子:(2006年)、旭日小綬章(2018年) 北大路欣也:(2007年)、旭日小綬章(2015年) 富司純子:(2007年)、旭日小綬章(2016年) 市村正親:(2007年)、旭日小綬章(2019年) 加藤健一:(2007年) 西田敏行:(2008年)、旭日小綬章(2018年) 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歌舞伎役者 三代目市川猿之助:(2000年) 歌舞伎役者 東音宮田哲男:(2000年) 長唄唄方 九代目松本幸四郎:(2005年) 歌舞伎役者 十五代目片岡仁左衛門:(2006年) 歌舞伎役者 五十六世梅若六郎:(2006年) 能楽師シテ方観世流 四代目中村梅玉:(2007年) 歌舞伎役者 十二代目市川團十郎:(2007年) 歌舞伎役者 十八代目中村勘三郎:(2008年) 歌舞伎役者 二代目中村魁春:(2008年) 歌舞伎役者 塩津哲生:(2008年) 能楽師シテ方 一噌仙幸:(2008年) 能楽師笛方 十代目坂東三津五郎:(2009年) 歌舞伎役者 五代目中村時蔵:(2010年) 歌舞伎役者 七代目中村芝雀(2010年) 歌舞伎役者 九世観世銕之丞:(2011年) 能楽師シテ方観世流 五代目野澤錦糸:(2013年) 人形浄瑠璃文楽三味線 五代目坂東玉三郎:(2014年) 歌舞伎役者 三代目中村又五郎:(2014年)歌舞伎役者 観世清和:(2015年)能楽師 五代目中村歌六:(2018年)歌舞伎役者 金剛永謹:(2018年)能楽師シテ方 四代目中村鴈治郎:(2019年)歌舞伎役者 杉市和:(2019年)能楽師 鶴澤清介:(2020年)人形浄瑠璃文楽三味線演奏家 二代目吉田玉男:(2020年)人形浄瑠璃文楽人形遣い 鶴沢燕三:(2021年)人形浄瑠璃文楽三味線演奏家 演劇・舞踊 石井漠:(1955年2月21日) 舞踊家 山田五郎:(1968年)舞踏家 藤間藤子:(1970年)日本舞踊家 戌井市郎:(1983年)演出家 谷桃子:(1984年)バレリーナ、勲四等宝冠章(1993年) 島田廣:(1986年)バレエダンサー 西田尭:(1988年)舞踊家 三輝容子:(1988年)舞踊家 太刀川瑠璃子:(1989年) スターダンサーズ・バレエ団創始者 石井ふく子:(1989年) テレビプロデューサー、演出家 西川扇蔵:(1989年)日本舞踊家 相馬清恒:(1990年)舞台照明家 花柳千代:(1990年)日本舞踊家 矢代静一:(1990年)劇作家 関矢幸雄:(1991年)演出家 中嶋八郎:(1991年)舞台美術家 花柳寿恵幸:(1991年)日本舞踊家 庄司裕:(1992年)舞踊家 五条詠昇:(1992年)日本舞踊家 長谷川勘兵衛:(1992年)舞台美術家 可西希代子:(1993年)舞踊家 久野浩平:(1993年)テレビ演出家 楳茂都梅衣:(1993年)舞踊家 牛山純一:(1993年)放送作家・演出家 山村楽正:(1993年)舞踊家 花柳茂香:(1994年)日本舞踊家 大山勝美:(1994年)演出家 藤間章作:(1994年)舞踊家 横井茂:(1994年)舞踏家 植田紳爾:(1996年) 演出家・宝塚歌劇団理事 アキコ・カンダ:(1998年)舞踏家 小川亜矢子:(2000年)バレリーナ、旭日小綬章(2007年) 蜷川幸雄:(2001年) 演出家 木村栄文:(2002年) テレビプロデューサー 大原永子:(2004年)バレリーナ 川口ゆり子:(2006年)バレリーナ 吉田都:(2007年) バレリーナ 串田和美:(2008年) 俳優・演出家 野田秀樹:(2011年)俳優・劇作家・演出家 天児牛大:(2011年)舞踏家 斎藤友佳理:(2012年)バレリーナ 熊川哲也:(2013年)バレエダンサー 栗山民也:(2013年)演出家 井上八千代:(2013年)日本舞踊家 小池修一郎:(2014年)演出家・劇作家 二代目吾妻徳穂:(2015年)舞踊家 山本隆之:(2016年)バレエダンサー 酒井はな:(2017年)バレエダンサー 中村恩恵:(2018年)舞踊家 ケラリーノ・サンドロヴィッチ:(2018年)劇作家・演出家 松井るみ:(2019年)舞台美術家 山村友五郎:(2020年)日本舞踊家 鵜山仁:(2020年)演出家 藤間蘭黄:(2020年)日本舞踊家 金森穣:(2021年)舞踊家 西川箕乃助:(2022年)日本舞踊家 マキノノゾミ:(2022年)演出家 花柳基:(2023年)日本舞踊家 映画監督 小津安二郎:(1958年)映画監督 牛原虚彦:(1965年)映画監督 木下惠介:(1977年)、映画監督、勲四等旭日小綬章(1984年) 中村登:(1979年)、映画監督 市川崑:(1982年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(1988年) 小林正樹:(1984年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(1990年) 野村芳太郎:(1985年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(1995年) 羽田澄子:(1988年)映画監督 川本喜八郎:(1988年)人形アニメーション作家 鈴木清順:(1990年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(1996年) 大島善助:(1990年)記録映画監督 川又昂:(1991年)映画撮影監督 蔵原惟繕:(1991年)映画監督、勲四等旭日小綬章(1997年) 勅使河原宏:(1992年) 映画監督、草月流三代目家元 西岡善信:(1992年)映画美術監督 高羽哲夫:(1992年)映画撮影監督 舛田利雄:(1993年)映画監督 村木忍:(1993年)映画美術監督 斎藤耕一:(1994年)映画監督 村木与四郎:(1994年)舞台美術監督 村野鐵太郎:(1995年)映画監督 森田富士郎:(1995年)映画撮影監督 熊井啓:(1995年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(2003年) 山田洋次:(1996年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(2002年) 深作欣二:(1997年) 映画監督、勲四等旭日小綬章(2003年) 高畑勲:(1999年) アニメーション映画監督 大島渚:(2000年) 映画監督 降旗康男:(2002年)映画監督、旭日小綬章(2008年) 伊藤俊也:(2003年) 映画監督 木村大作:(2003年) 撮影技師、映画監督、旭日小綬章(2010年) 大林宣彦:(2004年) 映画監督、旭日小綬章(2009年) 長沼六男:(2004年) 撮影監督 小栗康平:(2006年) 映画監督、旭日小綬章(2019年) 佐藤純彌:(2008年) 映画監督 根岸吉太郎:(2010年) 映画監督 大友克洋:(2013年) アニメーション映画監督 滝田洋二郎:(2014年) 映画監督 浜田毅:(2014年)撮影監督 周防正行:(2016年)映画監督 部谷京子:(2016年)映画美術監督 藤澤順一:(2017年)撮影監督 芦沢明子:(2018年)撮影監督 原恵一:(2018年)アニメーション映画監督 山村浩二:(2019年)アニメーション作家 黒沢清:(2021年)映画監督 湯浅政明:(2021年)アニメーション映画監督 庵野秀明:(2022年)アニメーション映画監督 音楽家 吉田恒三:(1955年2月21日) 作曲家 サトウハチロー:(1966年)詩人、作詞家、勲三等瑞宝章(1973年) 東海林太郎:(1965年) 歌手、勲四等旭日小綬章(1969年)、勲三等瑞宝章(1972年) 大木惇夫:(1967年)作詞家、勲四等旭日小綬章(1972年) 藤本二三吉:(1968年)歌手、勲四等瑞宝章(1975年) 藤田まさと:(1969年)作詞家、勲三等瑞宝章(1978年) 古関裕而:(1969年) 作曲家、勲三等瑞宝章(1979年) 服部良一:(1969年) 作曲家・作詞家、勲三等瑞宝章(1978年) 朝比奈隆:(1969年) 指揮者、勲三等旭日中綬章(1987年) 田谷力三(1970年)歌手、勲四等旭日小綬章(1976年) 霧島昇:(1970年) 歌手、勲四等旭日小綬章(1984年) 小唄勝太郎:(1971年) 歌手、勲四等宝冠章(1974年) 市丸:(1972年) 歌手・江戸小歌中村派第17代家元 、勲四等宝冠章(1981年) 淡谷のり子:(1972年) 歌手、勲四等宝冠章(1979年) 松平頼則:(1972年)作曲家、勲四等旭日小綬章(1979年) 長津義司:(1972年) 作曲家、勲四等旭日小綬章(1986年) 藤山一郎:(1973年) 歌手・作曲家・指揮者、勲三等瑞宝章(1982年) 渡辺はま子:(1973年) 歌手、勲四等宝冠章(1981年) 赤坂小梅:(1974年)歌手、勲四等宝冠章(1980年) 関種子:(1974年)ソプラノ歌手、勲四等宝冠章(1981年) 林伊佐緒:(1975年) 作曲家・歌手、勲四等旭日小綬章(1983年) 松田トシ:(1975年)歌手、勲四等瑞宝章(1987年) 今藤長十郎:(1977年)長唄三味線奏者 伊藤久男:(1978年) 歌手、勲四等旭日小綬章(1983年) 服部正:(1978年)作曲家、勲四等旭日小綬章(1984年) 今藤綾子:(1979年)長唄三味線奏者 金子登:(1979年)指揮者 伊福部昭:(1980年) 作曲家、勲三等瑞宝章(1987年) 二葉あき子:(1982年) 歌手、勲四等瑞宝章(1990年) 吉田正:(1982年) 作曲家、勲三等旭日中綬章(1992年) 西沢爽:(1982年) 作詞家、勲四等旭日小綬章(1994年) 石井歓:(1984年) 作曲家 森正:(1984年)指揮者 石本美由起:(1984年)作詞家、勲三等瑞宝章(1998年) 三波春夫:(1986年) 歌手・浪曲師、勲四等旭日小綬章(1994年) 星野哲郎:(1986年) 作詞家、紺綬褒章(1988年)、勲三等瑞宝章(2000年) 中田喜直:(1986年)作曲家 砂原美智子:(1986年)オペラ歌手 石井好子:(1987年) 歌手、勲四等宝冠章(1994年) 藤本琇丈:(1987年) 三味線奏者 ジョージ川口:(1988年) ドラム奏者 小川寛興:(1988年)作曲家、勲四等旭日小綬章(1997年) 別宮貞雄:(1988年)作曲家 唯是震一:(1988年)作曲家 原信夫:(1988年)ジャズ演奏家 伊藤京子:(1988年)声楽家 春日八郎:(1989年) 歌手、勲四等旭日小綬章(1991年) 大中恩:(1989年)作曲家 高英男:(1989年) 歌手・俳優、勲四等旭日小綬章(1995年) 辻久子:(1989年)ヴァイオリニスト 長沢勝俊:(1990年) 作曲家 芦野宏:(1990年) 歌手、勲四等旭日小綬章(1996年) 遠藤実:(1990年) 作曲家、勲三等旭日中綬章(2002年)、旭日重光章(2008年) 高野喜長:(1990年)箏曲家 大賀寛:(1990年)声楽家 松村禎三:(1990年)作曲家 都一いき:(1991年)一中節演奏家 松本英彦:(1991年)ジャズ演奏家 藤井久仁:(1992年)筝曲演奏家 間宮芳生:(1992年)作曲家 北原正邦:(1992年)尺八演奏家・邦楽音楽監督 ダークダックス:(1993年) 歌手 瀬山詠子:(1993年)声楽家、勲四等宝冠章(2001年) 三木稔:(1994年) 作曲家 佐藤勝:(1994年)作曲家 米川文勝之:(1994年)筝曲演奏家 船村徹:(1995年) 作曲家、旭日中綬章(2003年) ペギー葉山:(1995年) 歌手、旭日小綬章(2004年) 渡辺貞夫:(1995年)  サックスプレーヤー・フルート奏者 諸井誠:(1995年)作曲家 市川昭介:(1996年) 作曲家、旭日小綬章(2004年) 林光:(1996年) 作曲家 穐吉敏子:(1997年) ジャズピアニスト、バンドリーダー 廣瀬量平:(1997年) 作曲家、旭日小綬章(2008年) 宇治紫文:(1997年)三味線奏者 雪村いづみ:(1998年) 歌手・女優、旭日小綬章(2007年) 島倉千代子:(1999年) 歌手 阿久悠:(1999年) 作詞家・作家、旭日小綬章(2007年) 栗林義信:(1999年) オペラ歌手 一柳慧:(1999年) 作曲家、ピアニスト、旭日小綬章(2005年) 石井眞木:(1999年) 作曲家 秋山和慶:(2001年) 指揮者、旭日小綬章(2011年) 山下洋輔:(2003年)ジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト、作家、旭日小綬章(2012年) 平尾昌晃:(2003年) 作曲家・歌手 筒美京平:(2003年) 作曲家 日野皓正:(2004年) ジャズトランペット奏者 飯守泰次郎:(2004年) 指揮者、旭日小綬章(2010年) 池辺晋一郎:(2004年) 作曲家 山本邦山:(2004年) 尺八奏者、旭日小綬章(2009年) 浜圭介:(2005年) 作曲家 荒木とよひさ:(2005年) 作詞家 三木たかし(2005年) 作曲家 林康子:(2006年) オペラ歌手 松本美和子:(2006年) オペラ歌手 鶴澤清治:(2006年) 文楽三味線奏者 五木ひろし:(2007年) 歌手、旭日小綬章(2018年) 三枝成彰:(2007年) 作曲家 本條秀太郎:(2007年) 作曲家・三味線演奏家 森山良子:(2008年) 歌手 大野和士:(2008年)指揮者 堤剛:(2009年) チェロ奏者 中島みゆき:(2009年)シンガーソングライター 久石譲:(2009年) 作曲家 木村俊光:(2010年)声楽家 都はるみ:(2010年)歌手 米川敏子:(2011年)箏曲演奏家 富山清琴:(2011年)地歌演奏家 前橋汀子:(2011年)バイオリニスト 高橋アキ:(2011年)ピアニスト 野平一郎:(2012年)作曲家、ピアニスト 由紀さおり:(2012年)歌手、旭日小綬章(2019年) 細川俊夫:(2012年)作曲家 松任谷由実:(2013年)シンガーソングライター 篠崎史子:(2013年)ハープ奏者 常磐津文字兵衛:(2014年)三味線奏者 亀山香能:(2014年)箏曲演奏家 桑田佳祐:(2014年)シンガーソングライター 藤村実穂子:(2014年)声楽家 谷村新司:(2015年)シンガーソングライター 沼尻竜典:(2017年)指揮者 松本隆:(2017年) 作詞家 小山実稚恵:(2017年)ピアニスト 小曽根真:(2018年)ジャズピアニスト 宮田まゆみ:(2018年)笙奏者 石川さゆり:(2019年)歌手 藤井泰和:(2019年)地唄演奏家 善養寺惠介:(2020年)尺八演奏家 藤本昭子:(2021年)地歌演奏家 秋元康:(2022年)作詞家 萩岡松韻:(2023年)箏曲演奏家 美術家 石黒宗麿:(1963年)陶芸家 加藤土師萌:(1967年)陶芸家 大江巳之助:(1971年)文楽人形作家 隅谷正峯:(1984年) 日本刀匠 井上武吉:(1986年)彫刻家 磯井正美:(1986年)漆芸家 深沢幸雄:(1987年)版画作家 朝倉摂:(1987年)舞台美術家 田島比呂子:(1987年)染織作家 塩多慶四郎:(1987年)漆芸家 安野光雅:(1988年)画家 松井康成:(1988年) 陶芸家 加藤卓男:(1988年)陶芸家 小宮康孝:(1988年)染織作家 音丸淳:(1988年)漆芸作家 多田美波:(1988年)立体造形作家 古賀フミ:(1988年)染織作家 吹田文明:(1989年)版画家 清水九兵衛:(1990年)彫刻家 根来茂昌:(1990年)彫金作家 秋山信子:(1990年)人形作家 吉田穂高:(1990年)版画家 元永定正:(1991年)画家 鳥巣水子:(1991年)染織作家 松原利男:(1991年)染織作家 前田常作:(1992年) 版画家・洋画家 山本仲子:(1992年)七宝作家 柳下昌峰:(1992年)竹工芸作家 芹川英子:(1992年)人形作家 高田一郎:(1993年)舞台美術家 三大徳田八十吉:(1993年)陶芸家 松沢一義:(1993年)竹工芸作家 太田儔:(1993年)漆芸家 豊福知徳:(1993年)彫刻家 鈴木治:(1994年)陶芸家・立体造形作家 堂本尚郎 : (1994年)画家 吉原英雄:(1994年)版画家 今西敏子:(1994年)人形作家 高橋秀:(1994年)洋画家・版画家 飯島孝雄:(1995年)版画家・洋画家 鈴木蔵:(1995年)陶芸家 吾妻兼治郎:(1995年)立体造形作家 土谷武:(1996年)彫刻家 井上萬二(1997年)陶芸家 澄川喜一:(1998年)彫刻家 大坂弘道:(1998年)木工芸家 木村光佑:(1999年)版画家 川北良造:(1999年)木工芸家 大隅俊平:(1999年)刀匠 伊藤東彦:(1999年)陶芸家 黒崎彰:(2000年)版画家 石井幹子:(2000年)照明デザイナー 新宮晋:(2002年)彫刻家 李禹煥(2002年)美術家 古川タク(2003年)イラストレーター、旭日小綬章(2012年) 野田哲也(2003年)版画家 井田照一(2004年)版画家 小清水漸(2004年)美術家 江里佐代子(2005年)截金師 内田繁(2007年)インテリアデザイナー 塩多淳次(2007年)漆芸家 十四代目今泉今右衛門:(2009年)陶芸家 河内成幸 :(2011年)版画家 舟越桂:(2011年)彫刻家 中田一於:(2011年)陶芸家 山岸一男:(2012年)漆芸家 深井隆:(2013年)彫刻家 河口洋一郎:(2013年)CGアーティスト 宮本貞治:木工芸作家(2013年) 藤田正堂:漆芸作家(2013年) 福島善三:(2014年)陶芸家 岐部笙芳:(2014年)竹工芸作家 遠藤彰子:(2014年)画家 家出隆浩:(2016年)金工作家 藤幡正樹:(2016年)メディアアーティスト 山下郁子:(2018年)染織作家 前田宏智:(2019年)金工作家 渡辺晃男:(2019年)木工芸作家 奥井美奈:(2020年)漆芸作家 川口清三:(2020年)木工芸作家 西勝広:(2020年)漆芸作家 松原伸生:(2021年)染織作家 鳥毛清:(2021年)漆芸作家 青木野枝:(2021年)彫刻家 鴻池朋子:(2023年)現代アーティスト 石田知史:(2023年)ガラス工芸作家 写真家 渡辺義雄(1972年)cf. 紺綬褒章(1969年)、勲三等瑞宝章(1978年) 土門拳(1974年)cf. 勲四等旭日小綬章(1980年) 藤本四八(1975年)cf. 勲四等瑞宝章(1983年) 林忠彦(1983年)cf. 勲四等旭日小綬章(1988年) 三木淳(1983年)、勲三等瑞宝章(1989年) 秋山庄太郎(1986年)cf. 勲四等旭日小綬章(1993年) 芳賀日出男:(1989年) 田中光常:(1989年) 田沼武能:(1990年) 渡部雄吉:(1992年) 長野重一:(1993年) 並河万里:(1994年) 東松照明(1995年) 奈良原一高(1996年) 白川義員(1999年) 江成常夫(2002年) 大石芳野:(2007年) 栗林慧 :(2008年) 野町和嘉:(2009年) 宮本隆司:(2012年) 石内都:(2013年) 畠山直哉:(2015年) グラフィックデザイナー・イラストレーター 杉浦非水(1958年) 武井武雄(1959年) 初山滋(1966年) 原弘(1971年) 亀倉雄策(1980年) 柳宗理(1981年) 早川良雄(1982年)cf. 勲四等旭日小綬章(1988年) 大橋正(1984年) 森英恵(1988年) 永井一正(1989年) 粟津潔(1990年) 芦田淳:(1991年)ファッションデザイナー 向秀男:(1991年)グラフィックデザイナー 灘本唯人(1993年) 中村誠(1993年) 田中一光(1994年) 勝井三雄(1996年) 福田繁雄(1997年) 宇野亜喜良(1999年) 石岡瑛子(2002年) 山藤章二(2004年) 青葉益輝(2006年) 佐藤雅彦(2013年) 葛西薫(2015年)アートディレクター 北川フラム(2016年)アートディレクター 佐藤卓(2021年) 漫画家 田河水泡:(1969年)、勲四等旭日小綬章(1987年) 横山隆一:(1974年)、勲四等旭日小綬章(1982年) 杉浦幸雄:(1980年)、勲四等旭日小綬章(1985年) 横山泰三:(1981年)、勲四等旭日小綬章(1988年) 長谷川町子:(1982年)勲四等宝冠章(1990年) 加藤芳郎:(1986年) 岡部冬彦:(1989年)、勲四等旭日小綬章(1995年) 小島功:(1990年)、勲四等旭日小綬章(2000年) 水木しげる:(1991年)、旭日小綬章(2003年) 富永一朗:(1992年)、勲四等旭日小綬章(1998年) 久里洋二:(1992年) 小林治雄:(1993年) 鈴木義司:(1996年)、旭日小綬章(2003年) サトウサンペイ(1997年)、旭日小綬章(2006年) 赤塚不二夫:(1998年) 東海林さだお:(2000年)、旭日小綬章(2011年) 松本零士:(2001年)、旭日小綬章(2010年) ちばてつや:(2002年)、旭日小綬章(2012年) さいとう・たかを:(2003年)、旭日小綬章(2010年) 黒鉄ヒロシ:(2004年) 水島新司:(2005年)、旭日小綬章(2014年) 弘兼憲史:(2007年) 西岸良平:(2010年) 萩尾望都:(2012年) 大友克洋:(2013年) しりあがり寿:(2014年) 竹宮惠子:(2014年) 秋本治:(2019年) 高橋留美子:(2020年) 落語家 8代目桂文楽:(1961年) 5代目古今亭志ん生:(1964年) 8代目林家正蔵(後の林家彦六):(1974年) 5代目柳家小さん : (1980年) - 人間国宝 6代目笑福亭松鶴:(1981年) 3代目桂米朝:(1987年) - 人間国宝、文化勲章(2009年) 2代目桂小南:(1990年) 4代目桂米丸:(1992年) 5代目桂文枝:(1997年) 3代目桂春團治:(1998年) 2代目露の五郎(後の2代目露の五郎兵衛):(2000年) 10代目柳家小三治:(2005年) - 人間国宝 桂三枝(現在の6代目桂文枝):(2006年) 桂文珍:(2010年) 4代目林家染丸:(2012年) 3代目柳家権太楼:(2013年) 立川志の輔:(2015年) 五街道雲助:(2016年) 柳家さん喬:(2017年) 入船亭扇遊:(2019年) 春風亭小朝:(2020年) 演芸 松鶴家千代若:(1975年)漫才師 - 勲四等瑞宝章(1983年) 木村若衛:(1981年)浪曲師 3代目江戸家猫八:(1988年)物真似師 - 勲四等旭日小綬章(1994年) 京山幸枝若:(1991年)浪曲師 内海桂子:(1989年) 漫才師 - 勲四等宝冠章(1995年) リーガル天才:(1991年)漫才師 春野百合子:(1994年)浪曲師 夢路いとし・喜味こいし:(1995年) 漫才師 - 勲四等旭日小綬章(1998年) 宮川大助・花子:(2017年) 漫才師 オール阪神・巨人:(2019年) 漫才師 実業家 大谷竹次郎:(1955年2月21日) 松竹創業者 永田雅一:(1955年2月21日) 大映社長 氏家榮一:(1977年)七十七銀行頭取 一力一夫:(1985年)河北新報社社主 建築家・設計家 吉田種次郎:(1955年2月21日) 宮大工 清家清:(1983年)建築家、勲二等瑞宝章(1989年) 大高正人:(1988年)建築家 槙文彦:(1989年)建築家 篠原一男:(1990年)建築家 妹島和世:(2016年)建築家 坂茂:(2017年)建築家 隈研吾:(2019年)建築家 その他 十六代千宗室:(2019年)茶道裏千家家元
{ "id": "123864", "title": "紫綬褒章の受章者一覧", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E7%B6%AC%E8%A4%92%E7%AB%A0%E3%81%AE%E5%8F%97%E7%AB%A0%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7" }
藤原氏の人物一覧(ふじわらしのじんぶついちらん) 藤原は姓であり、家名や苗字ではない。鎌倉時代以降の藤原氏は、近衛、三条、九条などの家名を称するようになった。つまり厳密な意味での藤原氏は明治維新まで続いたことになるが、ここでは姓として「藤原」を称していた平安時代までの人物を取り上げる。 飛鳥時代 - 奈良時代 藤原鎌足 藤原氏始祖、内大臣 藤原不比等 右大臣、贈太政大臣、藤原四兄弟の父、45代聖武天皇・46代孝謙・48代称徳天皇の祖父 藤原意美麻呂 鎌足の甥で婿養子 藤原房前  参議、贈太政大臣 、不比等の次男 藤原北家の祖 藤原宇合  参議、不比等の三男 藤原式家の祖 藤原武智麻呂 左大臣、贈太政大臣不比等の長男藤原南家の祖 藤原麻呂  参議不比等の四男藤原京家の祖 藤原仲麻呂 太師(太政大臣相当) 藤原広嗣 大宰少弐 藤原種継 中納言、贈太政大臣 藤原清河 参議、遣唐大使 藤原田麻呂 右大臣兼近衛大将皇太子傳 藤原豊成 右大臣 藤原良継 内大臣、贈太政大臣51代平城天皇・52代嵯峨天皇の祖父 藤原継縄 右大臣行皇太子傅 藤原百川 参議、贈太政大臣、53代淳和天皇の祖父 藤原蔵下麻呂 参議 藤原永手 左大臣、贈太政大臣 藤原真楯 大納言、贈太政大臣 藤原魚名 左大臣 藤原浜成 参議 平安時代前期 藤原内麻呂 藤原仲成 藤原真夏 藤原冬嗣 藤原葛野麻呂 藤原時平 藤原良房 藤原基経 藤原兼家 藤原道長 藤原頼通 藤原縄主 藤原佐世 藤原園人 藤原為隆 藤原俊憲 藤原利仁 藤原敏行 藤原長良 藤原成親 藤原保則 藤原吉野 藤原師尹 藤原山蔭 藤原良門 藤原忠平 藤原道兼 藤原道隆 藤原道綱 藤原資仲 藤原資房 藤原佐理 藤原隆家 藤原師輔 藤原実頼 藤原頼忠 藤原緒嗣 藤原明衡 藤原兼輔 藤原兼通 藤原公季 藤原公任 藤原実方 藤原実資 藤原伊周 藤原伊房 藤原伊尹 藤原行成 藤原元命 藤原義懐 藤原教通 藤原能信 藤原忠文 平安時代後期 - 鎌倉時代 藤原伊通  藤原宗忠  藤原師光  藤原登任 藤原清輔  藤原良経  藤原師実  藤原師通  藤原基俊  藤原朝隆   藤原通憲(信西)  藤原顕季  藤原顕輔  藤原経清  藤原清衡  藤原忠通  藤原邦綱  藤原定家  藤原実房  藤原隆信  藤原秀康  藤原基房  藤原光親  藤原家隆 (従二位)  藤原俊成  藤原忠実  藤原為房  藤原経宗  藤原教長  藤原秀郷  藤原宗円  藤原通俊  藤原済時  藤原頼嗣(九条)  藤原頼経(九条) 女性 藤原安子 藤原温子  藤原乙牟漏  藤原威子  藤原苡子 藤原胤子 藤原穏子  藤原懐子  藤原歓子  藤原寛子  藤原嬉子 藤原薬子 藤原妍子  藤原賢子(大弐三位) 藤原高子  藤原聖子(皇嘉門院) 藤原媓子  藤原順子 藤原遵子 藤原彰子(上東門院) 藤原璋子(待賢門院) 藤原娍子 藤原詮子(東三条院) 藤原超子  藤原定子  藤原得子(美福門院) 藤原明子 藤原宮子 藤原泰子(高陽院) 藤原香子(紫式部) 藤原倫寧女(藤原道綱母)
{ "id": "123865", "title": "藤原氏の人物一覧", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7" }
フリードリヒ・ヴィルヘルム(Friedrich Wilhelm) フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯) フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王) フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王) フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王) フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王) フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯) フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク公) フリードリヒ・ヴィルヘルム (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公) フリードリヒ・ヴィルヘルム (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公) フリードリヒ・ヴィルヘルム・ケトラー
{ "id": "123866", "title": "フリードリヒ・ヴィルヘルム", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0" }
エミール・ベルリナー(Emil Berliner、1851年5月20日 - 1929年8月3日)は、ドイツ出身のアメリカの発明家。レコード盤蓄音機の発明で知られている。 経歴 1851年にハノーファーで、ベルリナーはユダヤ系の商人で学者の父とアマチュアの音楽家である母との間に生まれた。学校教育は14歳までで、その後は家族経営の生地屋で働いたが、普仏戦争の兵役召集を逃れるために、1870年には両親とともにアメリカに移住する。 移住後は呉服・生地屋で働いたが、「エレクトロニクス」に興味を持ち、クーパー・ユニオンの物理学と電気工学の夜間講座に出席した。その後いくつかの会社を経て、電気技術者としての腕を磨き、当時、評判になっていたアレクサンダー・グラハム・ベルの電話機に魅せられ、その改良案で送話器に関する特許を取得する。 そのころベルは、電話機の発明を確定させるべく最終的な研究段階に入っていて、発明の一部がトーマス・エジソンの特許に触れる可能性があったので、それを避ける方策を探していた。やがて、ベルとその開発チームのメンバーはベルリナーの改良案の採用が必要と判断し、特許とともにベルリナー自身を技師として雇い入れることにしたのである。1876年にはベルリナーの改良案を加え、ベルはエジソンとの電話機における特許争いに勝利し、最終的な特許を確定した。これに対しエジソンは別の分野での反撃を試みて、1877年に最初の錫箔円筒式蓄音機「フォノグラフ」を完成させ、マスコミに発表している。この蓄音機は「話す機械」として喧伝され、大いに評判を呼んだものの、評判のわりに性能が低く、実用化にはほど遠かった。その後、ベルリナーをはじめとするベルの開発チームのメンバーは、蓄音機の実用化に向け、彼らは録音と再生の針を別にしたり、保存の効かない錫箔をワックス塗りに変えたり、再生にゴム管を使い音声が明瞭に聞こえるようにしたりするなどといった改良を加え、1885年には完全に実用に徹した「グラフォフォン」を誕生させた。 ベルリナーは1881年にアメリカ市民になった。「グラフォフォン」が完成する前年(1884年)には、ベルリナーはベルの研究所から去り、独自の蓄音機の開発に進むことにした。その後、1887年には後のレコードプレーヤーの原型である、円盤式蓄音機「グラモフォン」を作った。そして、1895年には「グラモフォン」の製造・販売のために「ベルリーナ・グラモフォン」という会社を設立する。ベルリーナ・グラモフォンは、ビクタートーキングマシンを経てRCAレコードとなり、また、英国支店はグラモフォン・カンパニーを経てEMIへ、さらに、ドイツにおいてはドイツ・グラモフォンと、音楽業界に大きな影響を与える企業の源流となっている。 1929年、ベルリナーは心臓発作で死去した。。 受賞歴 1897年 ジョン・スコット賞 1913年 エリオット・クレッソン・メダル 1929年 フランクリン・メダル
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ヤマツツジ(山躑躅、学名:Rhododendron kaempferi)はツツジ科ツツジ属の半落葉低木。別名、エゾヤマツツジ、テリハヤマツツジ、ムラサキヤマツツジ。 分布と生育環境 北海道南部、本州、四国、九州に分布し、低山地の疎林内、林縁、日当たりのよい尾根筋、草原などに生育する。日本の野生ツツジの代表種で、日本の野生ツツジでは分布域がもっとも広い。酸性土壌に向くツツジが多い中、本種はその代表的な種である。 特徴 半落葉広葉樹。低木で高さは1 - 4メートル (m) になり、若い枝には淡褐色の伏した剛毛が密生する。 葉は互生し、葉柄は長さ1 - 3ミリメートル (mm) になる。春葉と夏葉の別があり、春葉は春に出て秋に落葉し、夏葉は夏から秋に出て一部は越冬する。春葉は長さ2 - 5センチメートル (cm) 、幅0.7 - 3 cmになり、卵形、楕円形、長楕円形、卵状長楕円形など形状や大きさに変化が多く、先は短くとがり先端に腺状突起があり、基部は鋭形、葉の両面、特に裏面の脈上に長毛が生える。夏葉は春葉より小型で、長さ1 - 2 cm、幅0.4 - 1 cmになり、倒披針形、倒披針状長楕円形で、先は丸く先端に腺状突起があり、基部はくさび形、葉の両面に毛が生える。 花期は4 - 6月。枝先の1個の花芽に2 - 3個の花をつける。花柄は長さ3 - 4 mmになり、花冠の筒はやや太く、色は赤、朱赤色、紅紫色など濃いものや淡いもの、まれに白色があり、径3 - 4 cmの漏斗形で5中裂する。花冠の上側内面に濃色の斑点があり、内面に短毛が散生する。雄蘂は5本。花柱は長さ3 - 4 cmになり無毛。 果実は蒴果で長さ6 - 8 mmの長卵形で、8 - 10月に熟し裂開する。 シノニム Planch. f. var. (Planch.) Nakai Planch. var. (Planch.) f. , nom.nud. (Lindl.) Planch. var. (Planch.) E.H.Wilson Planch. var. (Nakai) 下位分類 ヤエザキヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. f. komatsui (Nakai) H.Hara シキザキヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. f. semperflorens H.Hara シロヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. var. kaempferi f. album Nakai -花冠が白色で斑点が緑色の品種。 オオシマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. var. macrogemma Nakai -夏葉は光沢があり革質で冬も残る。花はやや肉質。伊豆七島、伊豆半島南部に分布する。 ミカワツツジ Rhododendron kaempferi Planch. var. mikawanum (Makino) Makino -葉、花が小型で花の色に変化が多い。愛知県三河地方に分布する。 サイカイツツジ Rhododendron kaempferi Planch. var. saikaiense (T.Yamaz.) T.Yamaz. -葉、花が小さい。長崎県の五島列島、鹿児島県の甑島に分布する。 ヒメヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. var. tubiflorum Komatsu -葉、花が小さく、花筒が長い。広島県、山口県に分布する。 ケラマヤマツツジ Rhododendron kaempferi Planch. × R. scabrum G.Don –ヤマツツジとケラマツツジの交雑種。
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『栄光のライダー』 (On Any Sunday) は、ブルース・ブラウン製作のドキュメンタリー映画。製作は1971年、日本での公開は1972年。 概要 全米各地で日曜日に開催されている種々のオートバイレースや参加している選手たちの日常を描いており、モトクロスを趣味としていた俳優のスティーブ・マックイーンの映像も収録されている。アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。2000年には『栄光のライダー リビジテッド』として続編も製作されている。
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『ポゼッション』(Possession)は、1981年にフランスと西ドイツ合作の映画作品。 第34回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネートされ、イザベル・アジャーニが主演女優賞を受賞した。 『ポゼッション40周年HDリマスター版』2020年1月4日(土)より、新宿シネマカリテ他にてリバイバル上映が行われた。 ストーリー 単身赴任から帰還したマルク(サム・ニール)は、妻アンナ(イザベル・アジャーニ)の様子がおかしいことに気づく。どうやらアンナはマルクの不在時に浮気をしていたらしいが、アンナはまともに取り合おうとしないばかりか、家を飛び出してしまう。アンナの友人マージからハインリッヒなる男を突き止めたマルクだが、どうやらハインリッヒも全てを知っているわけではないらしい。マルクは探偵を雇い、アンナを尾行させる。そして探偵はアンナの住むアパートの浴室に、奇妙な生き物が蠢いている様を目撃する。 キャスト マルク - サム・ニール アンナ/ヘレン - イザベル・アジャーニ ハインリッヒ - ハインツ・ベネント マージ - マルギット・カルステンセン
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『夜の第三部分』(よるのだいさんぶぶん、Trzecia część nocy)は、1971年に制作されたポーランドの映画。1971年にウッチ映画大学(PWSFTviT)で初上映された。 第二次世界大戦中のポーランドを舞台に、ナチス・ドイツによって妻子を殺された男が体験する不思議な出来事を通して、ポーランドが置かれてきた不条理な歴史を描く。アンジェイ・ズラウスキーの監督処女作で、作家である父(ミロスラフ)と共同で脚本を執筆。物語はミロスワフの体験から着想を得ている。 1972年アンジェイ・ムンク賞(新人監督賞)受賞、1973年コシャーリン映画祭グランプリ受賞。 ストーリー キャスト ミハウ - レシェック・テレシンスキー マルタ - マウゴジャータ・ブラウネック ヤン - ヤン・ノヴィツキ
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マルコムX(Malcolm X, 1925年5月19日 - 1965年2月21日)、出生名マルコム・リトル(Malcolm Little)は、アフリカ系アメリカ人の急進的黒人解放運動指導者、イスラム教導師である。公民権運動の時代に、特に貧困層のアフリカ系アメリカ人に支持された。彼はネーション・オブ・イスラムのスポークスマンだったが、後に教団を離脱した。 マルコムは、父親の死と母親の入院後、一連の児童養護施設や里親の家で青春時代を過ごした。彼は20歳から27歳まで服役したが、刑務所の中でネーション・オブ・イスラムに参加し、マルコムXという名前を採用した(アフリカ系の先祖代々の名字が不明であることを象徴している)。マルコムXはその後12年間、組織の顔として活動し、黒人と白人の分離を提唱し、非暴力と人種統合を重視するメインストリームの公民権運動を批判した。マルコムXは1950年6月29日に当時のトルーマン大統領に宛てた手紙で「自分は以前から共産主義者であった」と記述して以降、連邦捜査局(FBI)の監視下にあった。 1960年代になると、マルコムXはネーション・オブ・イスラムとその指導者であるイライジャ・ムハンマドに幻滅し始めた。彼はその後、メッカへのハッジを完了した後、スンニ派イスラム教と公民権運動を受け入れ、エル・ハッジ・マリク・エル=シャバーズ(el-Hajj Malik el-Shabazz)として知られるようになった。 アフリカを横断した短い期間の後、彼は公然とネーション・オブ・イスラムを放棄し、ムスリム・モスク・インク(MMI)とパン・アフリカ主義アフリカ系アメリカ人統一機構(OAAU)を設立した。1964年を通じてネーション・オブ・イスラムとの対立は激化し、彼は何度も死の脅迫を受けた。1965年2月21日、ニューヨークで暗殺された。3人のネーション・オブ・イスラムのメンバーが殺人罪で起訴され、無期懲役の終身刑が言い渡された。しかし暗殺がネーションの指導者や他のメンバー、あるいは政府によって考案されたのか、本当の実行犯は逮捕された3人であったのかなど、銃撃後数十年に渡って多くの仮説・推測が流れたが、後に実行犯の一部の冤罪が確定した。 人種差別と暴力を説いたとして物議を醸したマルコムXは、人種間の平等と正義を追求したことでも、アフリカ系アメリカ人やその他の人種、世界の一部の人々に知られている。彼の死後に「マルコムXの日」が創設され、全米のさまざまな都市で記念式典が行われている。米国では何百もの通りや学校が、「彼にちなんで改名」され、彼が暗殺されたオーデュボン・ボールルームは2005年に一部再開発され、マルコムXとベティ・シャバズ博士の記念館と教育センターが設置された。 生涯 マルコムはネブラスカ州オマハに生まれる。バプテストの反体制的な牧師だった彼の父親アール・リトルは、アメリカに黒人の自由は存在しないと考えている人物だった。母ルイーズは美人で肌の色は薄く、西インド諸島のグレナダ出身だった。自宅敷地内に家庭菜園を作り家畜を育てほぼ自給自足に近い生活を送り、周辺に住む他の黒人のように白人に媚び諂い仕事を分けてもらうことを良しとしない人物だった。両親が黒人民族主義団体である万国黒人地位改善協会およびアフリカ人共同体連盟(UNIA)の活動家であったため一家は当時大きな勢力を誇っていたKKKの標的にされていた。 父アールは1931年にミシガン州ランシングの道路上で、路面電車による轢死体となって発見された。警察は事故死としたが、ルイーズは白人至上主義団体による殺人と信じていた。マルコムは父と、4人の叔父のうち、3人を白人による暴力によって殺害されている。ルイーズは初婚であったが、当時マルコムの父は二つの保険会社の生命保険に入っており、その内の一つは受け取りの金額が僅か数百ドルと小額だったため保険金が支払われたが、もう一つの保険会社は受け取りの金額が大きかったため、警察が自殺と判断したとの理由により「保険金は支払われなかった」。 母ルイーズは、黒人と白人の混血のムラートで、母親(マルコムの祖母)が白人に強姦されて生まれたと周囲では噂されていた。一見すると褐色の肌の白人と間違えられ、そのお陰で職を得られたこともあったが、白人の血が入った黒人であることが発覚すると即座に解雇された。ルイーズは夫の死後、9人の子供を一人で育てることになったが、精神を病み、精神病院に送られた。そして子供たちはそれぞれ別の家に里子に出された。 マルコムは近所に住み、以前よりよく食事に行っていたゴハナ家に里子に出されたが、自伝ではあくまでも高価あるいは珍しい動物としてしか扱われなかったと語っている。マルコムは幼い頃から優秀な成績を収め学級委員長に何度も当選したが、引越し先ではやむを得ず白人の学校に一人だけ黒人として通うこともあり、席は常に一番後ろだった。白人教師から将来何になりたいかを聞かれた時、弁護士か医者と答えたが、教師からは「黒人はどんなに頑張っても偉くなれない。黒人らしい夢を見た方がいい」と諭され、手先の器用さと人当たりの良さを生かして「大工になることを勧められた」。後年マルコムはこれについて、「先生がその日私に忠告したことは善意だからとわかっている。私を傷つけようとする気はなかったのだ」と振り返っている。 マルコムは13歳の時に逮捕され、ミシガン州メイソン郡の少年鑑別所に入れられた後、ウエスト・ジュニア・ハイスクールに通う。中学校のマルコムのクラスで黒人はマルコムのみで他は白人だったという。ただ、マルコムは前述したように優秀な成績でクラスの人気者だったためマルコムのことが好きな女子がいたり、マルコムは白人の彼女が存在した。ハイスクールを通った後、ミシガン州のハイスクールへ通ったが、卒業前に退学している。マルコムは、異母姉エラ(アールと前妻の娘)と一緒に住むためにボストンへ転居、リンディー・ナイトクラブで靴磨きの仕事を行った。自伝でデューク・エリントンや他の有名な音楽家の靴を磨いたと語っている。また歴史あるオムニ・パーカー・ハウス・ホテルでテーブル片付け係として働いていた。このホテルはジョン・F・ケネディがジャクリーン・ケネディ・オナシスにプロポーズした場所であり、ホー・チ・ミンがシェフを務めていた。 その後、ニューヨークのハーレムで、ナンバー賭博の仲介、窃盗などの違法行為に手を染めた。彼は黒人の仲間達からその髪の色から「レッド」の愛称で親しまれていた。 1946年1月12日、20歳の時に逮捕され、裁判の結果、火器の不法所持・窃盗・住居侵入の罪で懲役8〜10年が宣告された。通常の窃盗罪は初犯では懲役2年となることが多いが、マルコム自身は白人女性と継続的な性的関係を持っていたために通常よりも長い懲役刑を宣告されたと考えていた。収監されたチャールズタウン州刑務所では、特に神と聖書を罵倒していた。マルコムは獄中での教徒と彼の行っていたに出会い、その教えを勤勉に研究した。マルコムはイライジャと文通を行い、独学で知識を進歩させ、手紙を毎日書いた。異母姉のエラは、彼をより自由のきくノーフォークのマサチューセッツ州刑務所へ移送する支援をした。そこで彼は熱心な指導者となり、歴史上および哲学上にイライジャ・ムハンマドの教えとNOI(ネーション・オブ・イスラム)の正当性を発見した。彼は刑務所内の毎週の討論会に参加し、知識を広げ、筆跡を改善するために刑務所図書館の全辞書を筆写したりもした。その際、刑務所内で勉強するためとして割り当てられていた時間を越えて消灯後も独房内で月明かりや通路の照明だけを頼りに本を読み辞書を筆写していたため、収監前は2.0あった視力が0.2まで落ち、後にトレードマークとなるサーモント型の近眼鏡を常用するようになる。出所後、一躍名を知られるようになったマルコムはテレビやラジオ、雑誌等マスコミのインタビューで、刑務所内で磨かれた卓抜すぎる言葉遣いや知性の高さが窺える仕草から一流の大学を卒業しているのだろう、と勝手に推測され、出身大学はどこかと訊ねられた時には「刑務所内の図書館だ」、と答えている。 マルコムは1952年8月7日に仮釈放(正式な釈放は1953年5月)され、スーツケースと眼鏡、時計を購入した。後に彼はこれらのものが「新たに始まろうとしていた人生に備えていた」と語った。 マルコムは1950年12月の手紙において初めてマルコムXと名乗っている(1952年9月、彼はNOIから"X"という姓を授かり、これ以降「マルコムX」を名乗ったとする説もある)。アメリカ黒人の「姓」は本来の彼らの姓ではなく、奴隷所有者が勝手につけたものにすぎず、未知数を意味する「X」は、失われた本来の姓を象徴するものとNOIでは考え、同名の人物が同じモスクにいる場合には、入信順に「X」の前に番号をつけて○○2X、○○3X、とした。また、マルコムは"X"ではなく"シャバーズ"という姓を名乗る許可をNOIから得ており、1957年には広くマルコム・シャバーズと名乗っていた。 1957年、NOIの一人が警察官に暴行を受け逮捕された。教団はこれに抗議、マルコムとFOI(Fruit of Islam、信者のうち、警護等を担当する部隊)メンバーらを中心とした群衆が留置所前で仲間を病院へ送るよう要求した。これが受け入れられ、NOIとマルコムは一躍名を知られることとなった。またマルコムはサム・クックやモハメド・アリ、ビリー・ホリディらと親しく、ライオネル・ハンプトン他のジャズを見に行くなど、文化人的な面も強かった。 1962年、イライジャ・ムハマドが十代の少女に子を産ませていたことが判明し、NOIに失望したマルコムは彼の行為を告発。その結果、NOIにおける立場を危うくすることとなった。1963年2月にNOIは彼を暗殺しようとしたが失敗に終わったが、その後、NOIを脱退したマルコムは1964年3月にムスリム・モスク・インクを組織する。NOIの緊張はさらに強いものとなった。 NOIを脱退から数週間後、訪れた数名のイスラム教徒の勧めに従いマルコムはスンニ派に改宗。翌1964年4月にアフリカ・中東に赴きメッカ巡礼成就の意味を込めたエル・ハジ・マリク・エル=シャバーズへと正式に改名した。またそこで白人でありながら自分たち黒人を肌で判断しないアラブ人に感化され、アメリカでの「白人」とは肌の色よりも黒人を対象にしたときの態度・行動であるという新しい視点を得ることとなった。また世界中から集まったあらゆる肌のイスラム教徒が同じ儀式に参加する光景にも感銘を受けた。特にジェッダで出会った元アラブ連盟初代事務局長の博士の影響を受けて正統派のイスラム教に目覚めることとなり、サウジアラビアのファイサル王子からマルコムは国賓として扱われ、巡礼の儀式を終えた後にファイサル王子とともに現地のイスラム教徒の歓声に応えた。 さらにマルコムは、新たに立ち上げたのリーダーとしてアフリカ統一機構の会議に出席して汎アフリカ主義の指導者と親睦を深め、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセルやガーナのクワメ・エンクルマなどに招待されてアフリカ諸国を歴訪した。 アフリカ・中東訪問後、それまでNOIに影響されて黒人至上主義者だったマルコムは、アメリカの黒人問題は公民権問題にとどまらない国際的な問題であるとの視点から、黒人は第三世界と連帯するべきだと主張するようになった。 暗殺 NOIに侵入したFBIの潜入捜査官は、マルコムがNOIによって暗殺の対象になったと報告した。NOIの暗殺の対象となったマルコムは、護衛なしでは外を出歩かないようになった。ライフ誌は、M1カービン銃を持って窓から外を凝視するためにカーテンを開くマルコムの有名な写真を掲載した。写真は、彼と家族が毎日受けていた死の脅迫から自己防衛するというマルコムの宣言から公表された。 1965年2月14日に、ニューヨークの彼の自宅がNOIメンバーにより火炎瓶で襲撃されたが、マルコムと彼の家族は無事であった。 自宅襲撃事件から一週間後の2月21日、マンハッタン、ワシントンハイツ地区にあるオードゥボン舞踊場での集会にマルコムは登壇した。関係者からは危険があるため見合わせるようアドバイスもあったが、「爆破事件のことを皆が聞きたがっている」とマルコムは予定通りスピーチを始めた。そのとき約400人の群衆の中で男が「俺のポケットから手を離せ! ポケットにさわるな!」と叫び騒ぎが起こり、マルコムのボディーガードが騒動に対処しようとした時、最前列に座っていた別の男が前に突進し、短い散弾銃をマルコムの胸に向けて発射、さらに他の二人の男がステージに素早く近づき短銃をマルコムに向けて発砲した。マルコムは15発の銃弾を受け、コロンビア長老教会病院に運ばれたが死亡が確認された。 マルコムはニューヨーク州ハーツデールのファーンクリフ墓地に埋葬された。また、現場で取り押さえられたタルマージ・ヘイヤー(トーマス・ヘーガン)に加え、同じくNOIの信者のノーマン・3X・バトラー(ムハンマド・アブドゥル・アジズ)およびトマス・15X・ジョンソン(カリル・イスラム)の三人が殺人罪で逮捕された。ヘーガンは犯行動機について、マルコムXが意見の相違を理由にNOIと袂を分かった為だと語り、またアジスとイスラムの二人は犯行とは無関係だと証言した(ただし共犯者が誰かは取り調べおよび裁判で証言しなかった)。二人もヘーガンと同様に自分たちは事件と何の関係もないと主張した。しかし1966年3月、三人全員が第一級殺人で有罪と判決された。 判決から44年を経た2010年4月27日、暗殺犯の一人であるヘーガンが17回目の申請で仮釈放が認められた。ヘーガンは1966年暗殺の実行犯として20年の無期の禁固刑を言い渡されていたが、1992年以降は仕事を続けることを条件に週に5日間自宅に戻ることができ、残りの2日間を刑務所で過ごすプログラムが適用されていた。なおアジズは1985年に仮釈放された。またイスラムは1987年に仮釈放が認められ、2009年に死去した。 マルコムは生前、自分の命を狙っているのは教団だけでなく、FBIやCIAも協力しているのではないか、と漏らしていた。彼の死後もそのような噂は途絶えなかったが、2021年2月にはニューヨーク市警の元警察官だったレイモンド・ウッド(2020年11月死去)による手記が遺族によって公開された。それによれば、マルコムのグループに潜入し、身辺警護の責任者だった側近2人をマルコムから遠ざけることを任務としていたウッドは、2人をそそのかして犯罪に関与させ、ニューヨーク市警に逮捕させた(しかし当時はマルコムが標的だとは認識していなかった)という。ウッドはその結果として警備が手薄になったことがマルコムの暗殺に繋がったとしており、マルコムの暗殺にニューヨーク市警とFBIが関与していた可能性を示唆していた。この手記公開を受け、マルコムの遺族は真相究明を訴えた。 2021年11月17日、アジズの弁護士やニューヨーク市の検察当局がアジズとイスラムが無罪である証拠が見つかったと発表し、「有罪判決が取り消される」見込みと報じられた。翌18日、裁判所は2人の有罪判決を取り消した。 自伝 1964年と1965年の間に、マルコムの死の直前まで行われたインタビューに基づき、アレックス・ヘイリーによって執筆された『マルコムX自伝』は1965年に出版され、タイム誌によって20世紀の10冊の最も重要なノンフィクションの中の1つに選ばれた。日本語訳は1968年に河出書房(現河出書房新社)より約半分の内容の抄訳版が『マルカムX自伝』と題して刊行された。全訳版は1992年に映画『マルコムX』(監督:スパイク・リー、主演:デンゼル・ワシントン)公開に合わせて同出版社より現在の『マルコムX自伝』として刊行された。 文化的影響 ジョージ・クリントンはマルコムの演説を初めて聞いた時の感想として、「たいへんだ。マルコムのせいで俺たちは皆、殺されてしまう」と感じたという。これらのほかに、と題した演説が良く知られている。また信奉者として、アーチー・シェップ、ラスト・ポエッツ、ギル・スコット・ヘロン、スパイク・リー、KRSワンらがよく知られており、パブリック・エナミーやスクーリーDらの楽曲ではマルコムの音声がサンプリングされている。 キング牧師との関係 1964年3月26日、マルコムはキング牧師と最初で最後の対面をした。これは予定されていたものではなく、その日二人がたまたま公民権法に関する論議を聞くためにアメリカ合衆国議会議事堂を訪れていたために実現したものであり、会話も挨拶のみで短い時間で終わった。 マルコムXは一時期、融和的なキング牧師を批判し、双方が対立していたとされてきたが、側近や親族の証言によると、晩年の2人の主張や姿勢は接近していたという。マルコムXは晩年イスラム教社会主義へ変わり、キング牧師と目指すところは同じだと語った。キング牧師は、暗殺される前の数年間、急進的になったとも言われている。 モハメド・アリとの関係 マルコムは生前及び没後もなお、多くの人物に影響を与えた。なかでもよく知られているのがモハメド・アリのケースである。 アリはマルコムと出会いその思想に影響されてNOIに入信する。その時既に自身の旧名、カシアス・クレイでボクサーとして活躍し、世界チャンピオンになっていたが、NOIから授かったムスリム名であるモハメド・アリに改名し、周囲を驚かせた。また、マルコムの影響を受けて、アリはベトナム戦争の徴兵令を拒否する。これは世界タイトルの剥奪及び試合停止などの処分を伴う厳しい選択であったが、アリは自身の理念を貫いた。 NOIを脱退したマルコムは、アリにスンニ派イスラム教への改宗を勧めたが、アリはマルコムとの関係を絶ってしまった。これについてアリは「人生で最も後悔している出来事の1つ」と自伝で述べている。 語録 「白人は黒人の背中に30cmのナイフを突き刺した。白人はそれを揺すりながら引き抜いている。15cmくらいは出ただろう。それだけで黒人は有難いと思わなくてはならないのか?白人がナイフを抜いてくれたとしても、まだ背中に傷が残ったままじゃないか(公民権運動は前進している、という主張に対して)」 「ニーチェ、カント、ショーペンハウアー、全て読んだが尊敬できない。彼らは、さして重要でないことを議論するのに多くの時間を使いすぎている。彼らはこれまでの私が出会った、多くの黒人のいわゆるインテリたちを思い出させる。彼らはいつも役に立たないことについて議論していた。だが、スピノザには感銘を受けた」 「私が思うに自業自得であり(チキンズ・カミング・ホーム・トゥ・ルースト)、白人の憎悪の拡大が容認され、ついには大統領を殺してしまった。起こるべくして起こった事件だ。(ケネディ大統領暗殺事件について)」 関連作品 映画 『マルコムX (映画)』(スパイク・リー監督) 『あの夜、マイアミで』(レジーナ・キング監督) 『』(レイチェル・ドレッツィン、フィル・ベルテルセン監督) 『』(マーカス・A・クラーク監督)
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は日本のSF作家。性別は男性。日本SF作家クラブ会員。著作のプロフィールには「滋賀県大津市・琵琶湖畔に住む、山羊座のB型」「趣味は船の観察(シップウォッチング)。古き良きアメリカが大好き」とある。SF系の老舗同人誌グループ『星群』の出身者。 なお、サラリーマンと掛け持ちの兼業作家(本人は「内職作家」と称している)であった。 2012年3月現在は勤務先を退職し、文筆業に専念している 作風 デビュー以来一貫して「なつかしき未来」(ノスタルジック・フューチャー)をテーマにひとつの世界の様々な時代、場所を舞台とした物語を発表している。作品は非常にメルヘンチックでリリカルな側面と深い人間描写に支えられている。 作風は基本的にスペースオペラを基調としているが、主人公となるのは従来のスペースオペラではほとんど着目されていなかった立場・役割・職業の人々である。また、テーマとして「戦争の後始末」や「虐げられたる者の抵抗」あるいは「戦争という現象そのものに対する戦い」を描くなどの試みがなされており、この点は特に秋山完の作風として注目に値する箇所であろう(このことは『シリ-・ウォーズへの道 私製ガイドブック』でも強調して述べられている)。 例えば、『リバティ・ランドの鐘』は軍事集団の作戦行動に巻き込まれた宇宙遊園地の接客用アンドロイド達が人間を守るために軍事集団と戦う物語であるし、『ペリペティアの福音』の主人公の職業は星間戦争で戦死した人々を弔う葬祭業者である。 また植物に関する知識も深く、作品中で植物が物語の根幹に関わる設定を用いることもある。(『ラストリーフの伝説』、『ファイアストーム』等) なお、作中世界における「銀河標準語」は日本語である 。 作品リスト 『プリンセスの義勇海賊』以外の作品は朝日ソノラマのソノラマ文庫より発行されている。 以下のリストの数字は作品の発行順であるが、物語世界内での時間軸通りの並びではない。(例えば『プリンセスの義勇海賊』は時系列的には『ペリペティアの福音』の前に起きた事件を描いている) 『ラストリーフの伝説』1995年3月31日発行 イラスト:弘司 『リバティ・ランドの鐘』1996年1月31日発行 イラスト:鈴木雅久 『ペリペティアの福音 上—聖墓編』1998年1月31日発行 イラスト:結賀さとる 『ペリペティアの福音 中—聖誕編』1998年8月31日発行 イラスト:結賀さとる 『ペリペティアの福音 下—聖還編』1999年8月20日発行 イラスト:結賀さとる 『ファイアストームー火の星の花嫁ー』2000年10月31日発行 イラスト:槻城ゆう子 『天象儀の星』2001年3月31日発行 イラスト:草彅琢人 『吹け、南の風 星戦の熾天使(セラフィム)』2001年12月30日発行 イラスト:小菅久実 『吹け、南の風2 星海の襲撃者』2002年4月30日発行 イラスト:小菅久実 『吹け、南の風3 開戦への序曲』2003年04月30日発行 イラスト:小菅久実 『プリンセスの義勇海賊(シュバリエ)』2005年10月30日発行 イラスト:結賀さとる(この作品のみソノラマノベルスより発行。ソノラマノベルスは朝日ソノラマの出版している新書のレーベルである。) 補足事項 『ペリペティアの福音』は、第31回(2000年)星雲賞日本長編部門の参考候補作に挙げられた。 『天象儀の星』は短編集。表題作「天象儀(てんしょうぎ)の星」の他に「まじりけのない光」「ミューズの額縁」「王女様の砂糖菓子(アルフェロア)」「光響祭」を収録している。なお、天象儀とはプラネタリウムの和訳である。 関連資料 『シリー・ウォーズへの道 私製ガイドブック』(2000年・同人誌) 秋山完自身の筆による同人誌。作品の世界観や設定等が詳細に解説されている。200部限定発行の希少本であり、現在はまず入手不可能である。ただし、内容の大部分は外部リンク先の『秋山完ホームページ』の「Column」にて再録されており、そちらで読むことができる。 「AKI-KAN●TIMES」各号(秋山完自身の筆による情報紙。日本SF大会などで本人が配布していた。) 『秋山完元ネタ集2003』(ジルーネ様の猫小屋・2003年・同人誌) ファンによる作品中の用語等の元ネタ解説の同人誌。
{ "id": "123891", "title": "秋山完", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%AE%8C" }
『菊次郎とさき』(きくじろうとさき)は、ビートたけし(北野武)による日本の小説、およびその小説を元に作成された日本のテレビドラマと演劇である。「菊次郎」「さき」とは、ビートたけしとその兄弟(北野大など)の両親の名前。 小説版 1999年12月に新潮社より単行本として、さらに2001年12月に新潮文庫版が発売された。文庫版には北野大によるあとがき「北野家の人びと」も収録されている。 SAKI 『新潮45』1997年5月号初出。軽井沢で入院中のオフクロ・さきから、見舞いに来ないことを怒られた「おいら」(たけし)は、特急列車に乗って軽井沢駅へ向かう。ごちゃごちゃした町中を列車が進むうち、思い出すのは足立区で育った子どもの頃だった。 KIKUJIRO 単行本書き下ろしで、父の想い出を綴った作品。全てフィクションとの断り書きがある。 北野さきさん死去 『新潮45』1999年10月号初出。母の葬儀の前後を綴っている。前2作が一人称「おいら」が回想する自伝的小説仕立てなのに対し本作品はたけしによる同誌の連載と同様のエッセイ風語り口で記述されており、テレビドラマ版の原作とはなっていない。題名については母の死を客観視するためあえて「さん」付けにしたと記されている。 書誌・作品情報 『菊次郎とさき』1999年12月5日発行 ISBN 4103812095 新潮文庫版 2001年12月1日発行 ISBN 4101225249 テレビドラマ テレビ朝日系列で放送された日本のテレビドラマ。陣内孝則と室井滋のダブル主演。 2001年1月6日の土曜日21:00 - 23:21に新春スペシャルドラマとして放送された。 連続ドラマの第1シリーズは、2003年7月3日より9月11日まで毎週木曜日21:00 - 21:54に、「木曜ドラマ」枠で放送された。 第2シリーズは、2005年7月21日より9月15日まで放送された。本シリーズより、ハイビジョン画質で制作開始となっている。 第3シリーズは、2007年7月5日より9月13日まで放送された。第3シリーズはデータ放送連動番組として放送。 概要 舞台は足立区梅島(現・島根)で、腕のいいペンキ屋(塗装業)だが飲んだくれな菊次郎と、教育熱心なさきの夫婦を中心に、少年時代の北野大・ビートたけし兄弟の実家である北野家とその周囲の下町の人々をコミカルに描く。北野菊次郎役の陣内孝則と北野さき役の室井滋と谷川小五郎役の梨本謙次郎はスペシャルドラマから全シリーズキャスト変更をされず演じられている。 ストーリーは小説版をベースにしているが、スペシャルドラマ版では名を成した後の(壮年期の)たけし役であるダンカンが登場するのに対し、連続ドラマ版では少年期および青年期(第2・3シリーズ)のみが配役されているため、連続ドラマ版では壮年期のエピソードはほとんど描写されていない。 2010年現在スペシャルドラマ版のみがビデオ・DVD化されている。 時代設定 スペシャル:昭和30年代はじめ。 第1シリーズ:昭和30年代。 第2シリーズ:第1シリーズの最終回から1年後。 第3シリーズ:第1シリーズの2年前。 キャスト スペシャルドラマのキャスト 北野家 北野菊次郎 - 陣内孝則 北野家の当主。職業はペンキ屋(塗装業)で仕事の腕は良いが、無類の酒好きで酒癖が悪い事が原因で周囲の人達を困らせている。 北野さき - 室井滋 菊次郎の妻。働き者かつ、しっかり者な母親。勉学の必要性を痛感しており、子供達の教育に力を注ぐ。 北野重一(長男) - 中村俊介 社会人。酒癖が悪い菊次郎に代わり、一家の経済面を支えるなどしっかりした性格。のちに久美子と結婚。 北野安子(長女) - 邑野未亜 ⇒ 岸本加世子(成人) 高校生。成績優秀で、地元の進学校に通っている。当初は大学進学を考えていたが、さきの助言により進学を諦めて高校卒業後は社会人になる。 北野大(次男) - 寒河江幸弘 中学生。優しい性格で弟の面倒見がよく、成績優秀。 北野武(ビートたけし)(三男) - 松川尚瑠輝(少年時代) ⇒ ダンカン(成人) 小学生。北野家の子供達の中では唯一やんちゃな性格。野球や友達と遊ぶ事が好きで、勉強をあまりやりたがらないため、日頃からさきに怒られる。 北野久美子(重一の妻・旧姓:秋野) - 岩崎ひろみ クリーニング店の娘。のちに重一と結婚。 安子の夫 - 天宮良 北野うし(菊次郎の叔母・さきの養母) - 樹木希林 若い頃は「娘義太夫」として活躍していた。菊次郎の酒癖の悪さには困り果てており、さき達に迷惑をかけている事を申し訳なく思っている。元々はうしには実の息子がおり、その息子がさきと結婚していたが、息子が結婚後すぐに早世した事からさきの再婚相手として甥の菊次郎と養子縁組をして、菊次郎と親子になった後にさきと結婚させた。 若林家 若林勇 - 渡辺哲 若林艶子 - 沢田雅美 谷川家 谷川小五郎 - 梨本謙次郎 谷川かつゑ - 宮地雅子 天宮家 天宮邦子 - 岡まゆみ 天宮部長 - 寺田農 その他 「信濃屋」の主人 - でんでん 藤崎(先生・武の担任) - 原田龍二 原ひさ子 連続ドラマのキャスト 北野家 北野菊次郎 - 陣内孝則 ⇒ 大和田唯斗(子供のころの菊次郎:第3シリーズ) 北野さき - 室井滋 北野重一(長男) - 賀集利樹(第1・2シリーズ) ⇒ 阿部力(第3シリーズ) 北野安子(長女) - 早瀬英里奈(第1シリーズ) ⇒ 市川由衣(第2シリーズ) ⇒ 黒川智花(第3シリーズ) 北野大(次男) - 若葉竜也(子役:第1シリーズ) ⇒ 村上雄太(少年時代:第2シリーズ) ⇒ 谷本和優(少年時代:第3シリーズ) ⇒ 平山広行(青年時代:第2・3シリーズ) 北野武(ビートたけし)(三男) - 桑原成吾(少年時代:第1・2シリーズ) ⇒ 塚本高史(青年時代:第2・第3シリーズ)・大和田凱斗(少年時代:第3シリーズ) 北野久美子(重一の妻・旧姓:牧野) - 京野ことみ(第1・2シリーズ) 北野うし(菊次郎の叔母・さきの養母) - 草笛光子(第1・2シリーズ) ⇒ 吉行和子(第3シリーズ) 武の通う小学校 藤崎(先生・武の担任) - 西島秀俊(第1・2シリーズ) 谷川家 谷川小五郎(隣家の大工) - 梨本謙次郎 谷川かつゑ(小五郎の妻) - 濱田マリ 左家 左弦三(大工の棟梁) - 長門裕之(第1・2シリーズ) 左鈴女(弦三の妻) - 眞野裕子(第1・2シリーズ) 牧野家 牧野松太郎(久美子の父) - 渡辺哲(第1シリーズ) 牧野巴(久美子の母) - 山口美也子(第1シリーズ) 居酒屋とバー 信濃屋・主人(菊次郎らの行く居酒屋) - 日野陽仁(第1・2シリーズ) し乃(BAR ニューし乃の経営者) - 美保純(第1・2シリーズ) 浅草フランス座 金子二郎 ⇒ 兼子きよし(浅草フランス座での武の先輩・後のビートきよし) - 荒川良々(第2・3シリーズ) 深見千三郎(浅草フランス座の伝説の芸人) - ガダルカナル・タカ(第2・3シリーズ) ケテツの塚原さん(浅草フランス座の入場券売場係) - 草笛光子(第2シリーズ) 志の川亜矢(浅草フランス座の売れっ子ストリッパー・深見千三郎の何番目かの妻) - 小田茜(第2シリーズ) 越後屋 城ヶ島絹代(居酒屋・越後屋の女将) - 梅沢昌代(第3シリーズ) 卜部花子(居酒屋・越後屋の店員) - 清水由紀(第3シリーズ) 大工 万城目定吉(大工の棟梁・越後屋の常連) - 大杉漣(第3シリーズ) 伝助(大工・越後屋の常連) - 櫻庭博道(第3シリーズ) 弥七(大工・越後屋の常連) - 金橋良樹(第3シリーズ) 湯川家 湯川実篤(先生) - ダンカン(第3シリーズ) 湯川美智子(湯川先生の妹) - 佐藤江梨子(第3シリーズ) スタッフ スペシャル 脚本 - 松原敏春 音楽 - 坂田晃一 演出 - 石橋冠 美術デザイン - 門奈昌彦、高野雅裕 技術協力 - エヌ・ティ・ビー映像センター 美術協力 - アートフォー プロデューサー - 五十嵐文郎(テレビ朝日)、中山秀一・太田雅晴(5年D組) ラインプロデューサー - 藤本一彦 制作協力 - 5年D組 制作著作 - テレビ朝日 第1シリーズ 脚本 - 輿水泰弘、吉本昌弘、酒井直行 音楽 - 坂田晃一 演出 - 石橋冠、阿部雄一、谷川功 主題歌 - SING LIKE TALKING「Hello」(UNIVERSAL J) 挿入歌 - Ruppina「You Are」(avex trax) 協力 - エヌ・ティ・ビー映像センター、共立、アートフォー チーフプロデューサー - 五十嵐文郎(テレビ朝日) プロデューサー - 稲垣ケンジ(テレビ朝日)、中山秀一・太田雅晴(5年D組) 制作協力 - 5年D組 制作著作 - テレビ朝日 第2シリーズ 脚本 - 輿水泰弘、吉本昌弘 音楽 - 坂田晃一 演出 - 石橋冠、谷川功、阿部雄一 主題歌 - 久保田利伸「Club Happiness」(SME RECORDS) 技術協力 - エヌ・ティ・ビー映像センター、生田スタジオ、ザ・チューブ 美術協力 - アートフォー チーフプロデューサー - 五十嵐文郎(テレビ朝日) プロデューサー - 中込卓也(テレビ朝日)、中山秀一・里内英司(5年D組) 制作協力 - 5年D組 制作著作 - テレビ朝日 第3シリーズ 脚本 - 輿水泰弘、吉本昌弘 音楽 - 坂田晃一 演出 - 阿部雄一、中山秀一、池添博、谷川功 主題歌 - やなわらばー「いちごいちえ」(パパイヤれこーど) 監修 - 石橋冠 チーフプロデューサー - 五十嵐文郎(テレビ朝日) プロデューサー - 中込卓也(テレビ朝日)、中山秀一・里内英司・井上博己(5年D組) 協力 - NiTRo、日本テレビアート、アックス、緑山スタジオ・シティ、バウムレーベン 制作 - テレビ朝日、5年D組 放送日程 スペシャル(2001年) 第1シリーズ(2003年) 2003年7月3日 - 9月11日、全10話。 2003年7月17日は、世界水泳2003バルセロナが放送されたため休止となった。 第2シリーズ(2005年) 2005年7月21日 - 9月15日、全9話。 初回は15分拡大(21:00 - 22:09)。 第3シリーズ(2007年) 2007年7月5日 - 9月13日、全11話。 初回は15分拡大(21:00 - 22:09)。 舞台版 2012年版 2012年に東宝の製作で舞台化され、3月24日から5月27日にかけて東京・大阪・福岡・富山・名古屋の5都市で公演。演出と主演はテレビドラマと同一の石橋冠と陣内孝則、室井滋で、原作にない登場人物もテレビドラマに準じており、著作権表記も原作のビートたけしと並んで、テレビドラマ版のテレビ朝日と5年D組が記されている。 キャスト 北野家 北野菊次郎 - 陣内孝則 北野さき - 室井滋 北野うし(菊次郎の叔母・さきの養母) - 音無美紀子 北野安子 - 渋谷飛鳥 北野重一 - 川口真五 北野久美子 - 佐藤詩子 北野大 - 三澤康平 北野武 - 大嶋康太、中島米星 谷川家 谷川小五郎 - 梨本謙次郎 谷川かつゑ - 濱田マリ その他 英治(安子の恋人) - つまみ枝豆 藤崎(先生) - 風間トオル 北野家の大家 - 角替和枝 左弦三 - 安原義人 信濃屋・主人 - 日野陽仁 角間進 松岡依都美 西浦八恵子 高尾祥子 伊藤菜生 板倉武志 スタッフ 原作 - ビートたけし(『菊次郎とさき』) 脚本 - 輿水泰弘 演出 - 石橋冠 装置 - 中島正留 照明 - 塚本悟 音楽 - 八幡茂 音響 - 山本能久 衣裳 - 武内修 ヘアメイク - 福島久美子 演出助手 - 寺崎秀臣 舞台監督 - 佐藤博 プロデューサー - 吉田訓和 製作協力 - テレビ朝日 協力 - オフィス北野 製作 - 東宝 著作権表記 - 「菊次郎とさき」/ビートたけし・テレビ朝日・5年D組 公演日程 3月24日・25日 - 東京・シアター1010 3月28日〜4月1日 - 大阪・新歌舞伎座 4月6日〜28日 - 福岡・博多座 5月3日・5日 - 富山・クロスランドおやべ、富山県民会館 5月8日〜16日 - 名古屋・中日劇場 5月19日〜27日 - 東京・ル テアトル銀座 by PARCO 2015年版 2015年、再び東宝製作により舞台化され、1月3日から2月28日にかけて全国15会場で公演される予定。 キャスト 北野家 北野菊次郎 - 陣内孝則 北野さき - 室井滋 北野うし - 音無美紀子 北野安子 - 緑友利恵 北野重一 - 平野勇樹 北野大 - 吉田翔 北野武 - 下地幸多、楢原蓮流 谷川家 谷川小五郎 - 梨本謙次郎 谷川かつゑ - 濱田マリ その他 藤崎(先生) - 風間トオル 左弦三 - 鶴田忍 芦川誠 西ノ園達大 川口真五 立花裕大 下山田ひろの 田嶋佳子 斉藤尚史 西浦八恵子 西畑まどか 高橋孝輔 スタッフ 原作 - ビートたけし(『菊次郎とさき』) 脚本 - 輿水泰弘 演出 - 石橋冠、寺崎秀臣 装置 - 中島正留 照明 - 塚本悟 音楽 - 八幡茂 音響 - 山本能久 衣裳 - 武内修 ヘアメイク - 福島久美子 アクション - 渥美博 振付 - 田井中智子 歌唱指導 - 上野まり子 演出助手 - 渡邉さつき 舞台監督 - 佐藤博 企画 - 米久保宏 スーパーバイザー - 細川潤一 プロデューサー - 吉田訓和 制作 - 佐藤由美子 製作協力 - テレビ朝日 協力 - オフィス北野 製作 - 東宝 著作権表記 - 「菊次郎とさき」/ビートたけし・テレビ朝日・5年D組 公演日程 1月3日〜5日 - 東京・シアター1010 1月9日〜18日 - 東京・EXシアター六本木 1月21日・22日 - 兵庫・兵庫県立芸術文化センター 1月24日・25日 - 名古屋・名鉄ホール 1月28日 - 愛媛・松山市民会館 1月31日・2月1日 - 香川・三木町文化交流プラザ 2月3日 - 熊本・熊本市民会館 2月5日 - 長崎・長崎市公会堂 2月7日 - 福岡・キャナルシティ劇場 2月11日 - 山形・山形市民会館 2月13日 - 群馬・桐生市市民文化会館 2月15日 - 栃木・小山市立文化センター 2月17日 - 岩手・北上市文化交流センター さくらホール 2月20日 - 富山・クロスランドおやべ 2月22日 - 富山・新川文化ホール 2月28日 - 東京・府中の森芸術劇場
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北田 牧子(きただ まきこ、1969年10月14日 -)は、秋田朝日放送(AAB)のアナウンサー兼同局プロデューサー。 岩手県盛岡市生まれ。東北学院大学文学部英文学科を卒業後、NHK盛岡放送局のキャスターになる。その後NHK仙台放送局のキャスターを経て、1996年AABに入社した。 出演・担当 定時ニュース、ナレーション スーパーJチャンネルあきた(取材、リポート) サタナビっ!(プロデューサー) チャンネルeiei 朝だ!生です旅サラダ(秋田中継担当レポーター) スーパーJチャンネルあきた
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青山 忠成(あおやま ただなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府町奉行、老中。常陸国江戸崎藩の初代藩主。青山家宗家9代。通称藤右衛門。官位は従五位下・常陸介、播磨守。 経歴 青山氏は三河国額田郡百々村出身の国人で、忠成の父・忠門(青山忠世の子)が松平広忠・徳川家康に仕えたことから記録に残る。忠成は若年期から家康に近侍していたが、元亀2年(1572年)、父が武田信玄との戦いで討死したために家督を継いだ。 家康の信任は厚く、天正13年(1585年)には家康の三男・秀忠の傅役に命じられた。天正16年(1588年)には秀忠に従って上洛、豊臣秀吉によって従五位下・常陸介に叙任されている。さらに天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると江戸町奉行に任命され、5,000石(文禄元年(1593年)には2,000石加増)の領地を与えられた。また、原宿村を中心に赤坂の一部から上渋谷村にかけての広い屋敷地を賜っており、現在の東京都青山の地名は、屋敷地の一部であったことが由来といわれている。なお一時期、青山家が改易された際に屋敷地も没収され、広大な土地には毛利家の別邸など大名屋敷が林立することとなったが、後に大名として復帰した際にも以前ほどではないものの小大名とは思えないほど広大な敷地を有していた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいては秀忠の軍に従軍し遅参したものの、翌慶長6年(1601年)に常陸江戸崎1万5,000石の所領を得ている。さらに江戸奉行・関東総奉行を兼任し、江戸開府後も本多正信・内藤清成と共に老中として幕政において重きをなした。慶長11年(1606年)、内藤と共に一時蟄居を命ぜられているがすぐに赦免されている。同年8月11日、家康の十男・長福丸の常陸介の叙任により、播磨守に改まった。同年1万石を加増され、所領は2万5,000石となった。 慶長18年(1613年)、63歳で死去し、跡を次男の忠俊が継いだ。 系譜 父:青山忠門(1518/11年 - 1571/75年) 母:卯野氏 正室:天方通興娘 長男:青山忠次(1577年 - 1595年) 次男:青山忠俊(1578年 - 1643年) 女子:川口近次室 三男:朝比奈泰重 - 朝比奈泰勝の養子 四男:青山幸成(1586年 - 1643年) 五男:天方通直(1589年 - 1630年) - 天方通興の養子 室:新城雅忠娘 注釈
{ "id": "123897", "title": "青山忠成", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%BF%A0%E6%88%90" }
マノーパコーンニティターダー伯爵(1884年7月15日 - 1948年10月1日)は、タイ王国の政治家。初代首相。 首相就任まで 1884年7月15日、華人であるフワットを父とし、ケーオを母としてバンコクに生まれ、名前はコーンと名付けられた。後に家族は姓を取得。本名はコーン・フタシン (ก้อน หุตะสิงห์) となった。 幼年時代はワット・ラーチャブーラナ(寺院)で学んだ。成績優秀であったため名門、スワンクラープ校で学ぶ。のちにミッション系のアサンプション・カレッジで修学。法学方面に進学し、政府の司法学校を入学、1903年卒業する。その後、1905年イギリスへ渡りミドル・テンプル(法曹院)を1908年卒業した。この時、法廷弁護士資格(バリスター)を取得している。 高等裁判所で判事と教員を兼業し、後に最高裁判官、枢密院顧問と昇進し、最終的にプラヤー・マノーパコーンニティターダーの官位・欽錫名を得た。 首相就任 1932年6月24日に、パホンポンパユハセーナー伯爵を筆頭とする人民党により立憲革命が起こる。これによりタイは絶対王政が崩壊したが、この時開かれた人民代表院によって首相が選ばれ、マノーパコーンは人民党のメンバーではなかったが、王室との関係もあり人民党と王族勢力の橋渡しになるだろうと期待され、同年6月28日初代首相に指名された。これにより人民委員会が成立した。 人民委員会 1932年6月28日 - 1932年12月9日 この立憲革命の特徴として平民出身の官僚・軍人が王族占有に近かった政府を打倒した事件であると言われている。同様にマノーパコーンも王族を退けようと、ラーマ5世の第55子である反立憲革命勢力のナコーンサワン親王を国外追放した。その後、マノーパコーンは、就任前に布告されていた一時的な憲章、仏暦2475年サヤーム国統治憲章に修正を加え、12月9日に一旦人民委員会を解散。翌日に仏暦2475年サヤーム王国憲法を公布し、第1次マノーパコーン内閣を発足させた。 第1次マノーパコーン内閣 1932年12月10日 - 1933年4月1日 1933年1月、マノーパコーンニティターダー伯は人民党の解散を命じたが、一部の急進派が人民の会を創設した。これにより政府は早々混乱した。この事態に対し、マノーパコーンは同年3月9日、政府関係者の人民の会への入会を禁止した。このころより、国会はマノパコーン派、プラヤー・パホンポンパユハセーナー派、ルワン・プラディットマヌータム派の各派閥が結成された。 3月19日にはルワン・プラディットマヌータム(後のプリーディー・パノムヨン)が発表した国家経済計画がラーマ7世から共産主義的と言う批判を受け、政府は検討委員会を設置した。この経済計画に対して激しい議論が交わされたが穏健派や軍部が強固な反対を見せ、結局否決された。その後、ルワン・プラディットマヌータムの急進派による穏健派の襲撃未遂事件が起こったためマノーパコーンは29日にフワヒンを訪れラーマ7世に、国会の停止に関する書類への署名を要求した。翌年4月1日には、国会を閉鎖し憲法の改定を行った。これにより第2次マノーパコーン内閣が成立する。 第2次マノーパコーン内閣 1933年4月1日 - 1933年6月20日 新憲法に内閣の立法権を盛り込んでいたマノーパコーンは、内閣編成早々4月2日に共産主義者関連法という反共法を施行した。同年同月の12日、当時共産主義者として糾弾されていたルワン・プラディットマヌータム(後のプリーディー・パノムヨン)をフランスへ追放した。急進派を排除に成功すると、今度は6月10日、プラヤー・パホンポンパユハセーナーを閣僚から外した。しかしプラヤー・パホンポンパユハセーナーは革命団を結成し、同年同月の20日にはマノーパコーン政府に対しクーデターを決行した(実際にはマノパコーン政権に従順な反応を見せていたピブーンの仕組んだクーデターだと言われる。)。これによりマノーパコーンは辞職した。 晩年 マノーパコーンは革命が起きるとペナン島に逃れ、そこで10年を過ごし、帰国を果たせぬまま客死した。 内閣閣僚一覧 人民委員会閣僚 第1次マノーパコーン内閣閣僚 第2次マノーパコーン内閣閣僚
{ "id": "123899", "title": "プラヤー・マノーパコーンニティターダー", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC" }
竜王駅(りゅうおうえき)は、山梨県甲斐市竜王新町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)中央本線の駅である。駅番号はCO 44。 2004年(平成16年)9月1日に発足した甲斐市の南西部、旧竜王町竜王新町南部の平坦部に位置し、旧敷島町大下条との境界からやや竜王新町寄りに位置する甲斐市の代表駅である。 歴史 1903年(明治36年)12月15日:国有鉄道甲府・韮崎間開通時に開業。一般駅。旧仮名遣いは「龍王(りうわう)」。 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、中央東線(後の中央本線)所属駅となる。 1985年(昭和60年)3月14日:荷物の取扱を廃止。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本・JR貨物の駅となる。 1988年(昭和63年)6月1日:コンテナ貨物の取扱を開始。 2001年(平成13年)12月1日:「かいじ」1往復が当駅発着になる。 2004年(平成16年)10月16日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。東京近郊区間に編入される。 2005年(平成17年)12月10日:石油輸送高速貨物列車を新設。 2008年(平成20年)3月24日:新駅舎供用開始。同時にSuica対応自動改札機などを設置。なお、新駅舎は建築家の安藤忠雄が設計したものである。 2010年(平成22年)3月27日:南北駅前広場が完成し、全面供用開始。 2017年(平成29年)3月31日:KIOSK竜王1号店閉店。 2018年(平成30年)7月1日:E353系かいじ号初列車出発式をかいじ102号で実施。 2020年(令和2年)11月30日:みどりの窓口の営業を終了。 2021年(令和3年)2月1日:話せる指定席券売機を導入。 駅構造 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅で、橋上駅舎を有している。地上駅舎時代は南側のみに駅舎があり、北側にある旧敷島町地域から当駅へ向かうためには当駅から東側へ200mのところにある中央本線のガード下をくぐらなければならなかった。駅とその周辺は安藤忠雄の設計のもと周辺整備事業が行われた結果、2008年(平成20年)3月24日には新駅舎の供用が開始された。新駅舎は橋上駅舎化されたと同時に南北自由通路が設置されたことにより、北側からも直接駅へ入ることができるようになった。これにあわせて発車標(電光掲示板)・KIOSK・観光ブースが設置された。そのうちKIOSKは2017年(平成29年)3月31日をもって閉店している。また、駅舎と南北自由通路はガラス張りとなっており、天気がよければ東側から富士山、西側から南アルプスが一望できるようになっている。また、南口および北口のロータリーが整備され、南口は「富士山ゲート」、北口は「昇仙峡ゲート」と名付けられている。 2021年(令和3年)1月31日まで駅長配置の管理駅として塩崎駅を管理していたが、同年2月1日より駅長を廃止し、甲府駅の被管理駅となる。話せる指定席券売機、短距離自動券売機が設置されている。改札口はかつては有人通路のみであったが、2004年(平成16年)に当駅を含む区間が東京近郊区間に組み込まれた際に簡易Suica改札機が設置され、橋上化の際に自動改札機が設置された。また、駅前に広大な駐車場が立地しており、パークアンドライドを推進している。特急「かいじ」のうち2往復が当駅始発・終着となっている。 のりば (出典:JR東日本:駅構内図) 2番線は上下共用の待避線である。また、当駅 - 新宿駅・東京駅間の特急「かいじ」は2番線に停車する。上りの特急と普通列車との緩急接続は隣の甲府駅で多く行われる。 特急停車駅であるが、当駅 - 新宿駅・東京駅間の列車のみの停車のため下り方面への利用はできない。松本駅発着の特急「あずさ」が臨時停車する日や、当駅に停車する臨時の「かいじ」が運行される場合に限り、下り方面への特急列車に当駅から乗車することができる。 貨物取扱 当駅は山梨県唯一の定期貨物列車発着駅となっている。JR貨物の設備は旅客駅南口の西側にあり、1面2線のコンテナホーム(ヤード)が設置されている。ホームは小さく、荷役線も100メートルほどと短い。駅の着発線と荷役線は、塩崎駅方に伸びる引き上げ線を介して繋がっている。また、構内の入換作業は本線牽引機が行う。 コンテナホームと本線を挟んで向い側には、ENEOS甲府油槽所が置かれ、その荷役設備へ続く専用線が敷設されている。この専用線と駅の側線は、甲府駅方の引上線を介して接続している。 取扱貨物 コンテナ貨物 - 12ftコンテナのみを取り扱う。 専用線発着の車扱貨物 - ENEOS専用線発着の石油のみを取り扱う。 産業廃棄物の取扱許可を得ている。 貨物列車 当駅を発着する貨物列車はすべて高速貨物列車。1日2往復根岸駅との間に石油輸送列車が運行されている。うち1往復が途中梶ヶ谷貨物ターミナル駅に停車し当駅発着のコンテナ車を連結・解放する。 利用状況 旅客 JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は2,145人である。 2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。 貨物 「山梨県統計年鑑」によると、2017年度(平成29年度)の発送貨物はコンテナ貨物が23,634トン、車扱貨物が29,794トン、到着貨物はコンテナ貨物が28,965トン、車扱貨物が319,705トンである。 近年の推移は以下のとおりである。 駅周辺 駅前を県道25号(県道甲斐中央線)が通り、国道52号、国道20号(旧甲州街道)と交差し、甲斐市役所(旧竜王町役場)へ至る。国道20号は当駅付近から南甲府方面を迂回するため南東に外れる。駅のすぐ東側には貢川が流れている他、中央自動車道が南北に通り、中央本線と交差する。路線はほぼ真っ直ぐ東へ伸び、私立東海大学付属甲府高等学校付近を通り、荒川を鉄橋で渡って私立駿台甲府高等学校付近でやや右へ曲がり甲府駅に至る。当駅西部は赤坂台地が展開しているため、慈照寺付近で釜無川沿いに大きく右から左へ曲がり、南北に通る中部横断道と交差し、塩崎駅へ至る。 ENEOS甲府油槽所があり、付近のガソリンスタンドへの石油類発送の拠点となっている。 バス路線 現在の「竜王駅」停留所が整備される以前は、駅前ではなく東側へ300メートルほど道路沿いに進んだ、山梨交通の駐車場の敷地内を発着していた。 2010年3月27日より南北駅前広場が供用が開始されたことにより、『竜王駅』停留所の路線バスは南口広場内に移設した。なお、高速バスは以前と同じ駐車場内に発着するが、その後さらに駐車場内での移設も行われている。現在は、オギノ竜王駅前店の一角に高速バス停留所が存在する。 また、竜王駅南口より南に400メートル進むと「竜王新町」停留所があり、そこで乗降することもできる。 隣の駅 ※特急「かいじ」の隣の停車駅は列車記事を参照。 東日本旅客鉄道(JR東日本) 中央本線 甲府駅 (CO 43) - 竜王駅 (CO 44) - 塩崎駅 (CO 45)
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運営母体は学校法人筑紫女学園。龍谷総合学園加盟校。 概観 筑紫女学園大学は、「親鸞聖人が明らかにされた仏陀(釈尊)の教え、すなわち浄土真宗の教えにもとづく人間教育」を建学の精神としている。 「自律」自分を深く見つめ、さまざまな恵みによって生かされていることを自覚し、自らの人生を生きること。 「和平」他者を認め、尊重しあうことで生まれる穏やかな世界のこと。 「感恩」自分を支えている生命の働きに感謝を抱き、その恩に報いたいと願うこと。 沿革 1965年(昭和40年) - 筑紫女学園短期大学開学(国文科、英文科、家政科)。 1969年(昭和44年) - 幼児教育科開設。 1988年(昭和63年) - 筑紫女学園大学開学(文学部日本語・日本文学科、英語学科)。 1992年(平成4年) - 短期大学幼児教育科に保母養成課程設置。 1998年(平成10年) - 文学部にアジア文化学科、人間福祉学科を開設。 1999年(平成11年) - 短期大学家政科を生活学科に名称変更。 2002年(平成14年) - 文学部に発達臨床心理学科を開設。 2005年(平成17年) - 文学部に英語メディア学科を開設。筑紫女学園短期大学から筑紫女学園大学短期大学部へ名称変更。筑紫女学園大学短期大学部現代教養学科開設(国文科、英文科、生活学科は学生募集停止)。 筑紫女学園短期大学附属幼稚園を筑紫女学園大学短期大学部附属幼稚園に名称変更。 2007年(平成19年) - 大学院人間科学研究科 人間科学専攻開設。  2011年(平成23年) - 筑紫女学園大学人間科学部人間科学科開設。 2015年(平成27年) - 筑紫女学園大学現代社会学部現代社会学科開設。 2019年(平成31年) - 大学院人間科学研究科 人間科学専攻に人間科学コースと臨床心理学コースを開設。 学部・学科 文学部 日本語・日本文学科 英語学科 アジア文化学科 人間科学部 人間科学科 発達臨床心理コース 社会福祉コース 初等教育コース 幼児保育コース 現代社会学部 現代社会学科 大学院 人間科学研究科 人間科学専攻 人間科学コース 臨床心理学コース 学内奨学金・特待生制度 給付型 推薦入試特待生制度 CJアドミッション・ポリシー入試特待生 一般・センター入試特待生制度 在学生成績優秀者奨励生制度(2〜4年次対象) 筑紫女学園育英奨学会奨学金 筑紫女学園大学・短期大学部奨学金 紫友会(同窓会)給付奨学金 留学支援奨学金(学内制度・選考試験合格者対象) 減免型 筑紫女学園大学姉妹等校納金減免 対外関係 国際・学術交流等協定校 クイーンズ大学(カナダ・オンタリオ州・キングストン) メリルハースト大学(アメリカ・オレゴン州・ポートランド) ハワイ大学マノア校(アメリカ・ハワイ) ハワイ大学カピオラニ校(アメリカ・ハワイ) 西シドニー大学(オーストラリア・NSW・シドニー) AIS St. Helens(ニュージーランド・オークランド) リヴァプール大学(イギリス・ リヴァプール) 北京語言大学(中国・北京市) 南開大学(中国・天津市) マレーシア理科大学(マレーシア・ペナン) ヴィサヤ大学(フィリピン・セブ島) 広東省外語芸術職業学院(中国・広州) 中国文化大学(台湾・台北) 静宜大学(台湾・台中) 仁川大学(韓国・仁川広域市) 東亜大学(韓国・釜山) 徳成女子大学(韓国・ソウル) 太宰府市 教育委員会 連携協力 教職課程に関わる教育実習、研究活動や学校教育諸活動の活性化・充実・発展を目指す目的で太宰府市教育委員会と連携協力に関する協定を締結。 筑紫野市 包括連携協定 地域コミュニティの発展、文化及び産業の振興、人材育成、教育・福祉の充実に相互に取り組むために協定を締結。 教育連携 ANAエアラインスクール(ANAビジネスソリューション株式会社) 航空業界を目指す学生の業界理解と意欲向上を図るとともに、この取り組みを通じて、外国語学や観光学関連の科目など関連学部の正課教育における学修効果を高める。 日本航空株式会社 人的・知的資源の交流と活用を図り、連携のもと、教育研究等の分野において相互に協力し、社会の発展と地域に根差した教養豊かなグローバル人材育成に寄与することを目的に連携協定を締結。国内外問わずそれぞれが置かれた地域社会の中で多種多様な人々と協働し活躍・貢献できる人材の輩出へとつなげる。 産学連携 黒川温泉観光旅館協同組合 アイ・ケイ・ケイ株式会社 株式会社スターフライヤー 株式会社三井住友銀行 産学連携協定を締結して人的、知的資源の交流と活用を図り、学生にとっての「社会的・職業的自立」の促進と「社会人基礎力」の向上を図り、企業における社会的貢献に繋げることを目的とする。 附属機関 附属図書館 学習支援センター 情報メディアセンター 人間文化研究所 生涯学習センター 学生健康センター 国際交流センター 教育開発センター 天神キャリアセンター 臨床心理センター 著名な卒業生 原田愛子 - KBCラジオパーソナリティ 富永倫子 - RKB毎日放送アナウンサー 小林容子 - フリーアナウンサー 梶原麻莉子 - タレント、モデル fumika - 歌手 豊田まみ子 - パラバドミントン選手 木村まこ - タレント、モデル 著名な教員 鹿毛康司(客員教授) - マーケター、クリエイティブ・ディレクター 赤枝香奈子(元准教授) - 社会学者 附属校・関連校 筑紫女学園中学校・高等学校 筑紫女学園大学附属部幼稚園 交通アクセス 西鉄バス二日市 ■ 1-2系統 西鉄二日市駅~JR二日市駅~西鉄紫駅~鬼の面~高雄~柚の木~吉木入口~三笠台前~原営業所~宮の森~筑紫女学園大学前~九州国立博物館前~西鉄太宰府駅
{ "id": "123908", "title": "筑紫女学園大学", "url": "https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%A4%A7%E5%AD%A6" }
w-inds.(ウィンズ)は、日本の男性ダンス&ボーカルユニット。ライジングプロダクション所属。レーベルはPONY CANYON。 概要 ユニット名は、北海道出身の千葉と緒方が北、福岡県出身の橘が南、両者の風 (wind) が一つになって世界中に届いて勝つ (win) 、「-」や「.」は結成当時に利用が広まった「ネット」でも知られる、との思いを込めている。 R&Bやヒップホップ、ダンスミュージックなど、一つのジャンルに留まらず多様な音楽で活動する。 DA PUMPの後輩グループにあたり、デビュー曲は当時DA PUMPのメンバーであったKENが振り付けを担当し、ライブで相互に前座を務めた。 2000年11月から代々木公園や渋谷でストリートパフォーマンスを開始し、2001年3月に渋谷歩行者天国広場で8,000人を集めた。2001年は、3月14日にシングル「Forever Memories」でメジャーデビューして第43回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、1stアルバム『w-inds.〜1st message〜』が初登場で1位となる。2002年に紅白歌合戦に初出場する。 2004年に初の海外単独公演を台湾で開催し、3rdアルバム『w-inds.〜PRIME OF LIFE〜』が、日本人歌手として宇多田ヒカルと浜崎あゆみに次いで3組目、日本人男性歌手として初めて台湾の総合チャートで1位となる。2006年に外国人アーティストとして初めて、台湾のアルバムチャートで4作連続首位となった。 以降中国、香港、台湾、韓国で原盤発売してライブを開催し、各国で様々なアワードを受賞した。タイ、マレーシア、シンガポール、ベトナムでも国際イベントに参加するなど活動している。2009年11月7日付日刊スポーツのインタビューで、橘慶太が「マレーシアやシンガポールでライブをやりたい」と語るなどアジア圏進出に熱意を表明し、日本国内だけでなく東アジア圏など海外を勢力範囲として音楽活動を続けている。 2004年に発売されたアルバム『w-inds.PRIME OF LIFE』をはじめ、2012年までに合計10作品でIFPI香港 Top Sales Music Awardベストセールスリリース日韓部門を受賞し、功労賞が授与された。 グループカラーは青色。2005年にリリースされたアルバム『ageha』のジャケットアートから涼平は青色、慶太は黄色(2006年から赤色)、龍一は緑色、とメンバーそれぞれのイメージカラーを公式サインライトなどに用いたが、2009年夏からグループ統一のイメージカラーを青色に定めてライブの公式サインライトも青色に統一している。青色はサッカー日本代表のユニフォームカラーに由来し、音楽界の日本代表を目指す意を込めて当時のマネージャーが発案した。メンバーカラーは現在でも衣裳や公式ライブグッズ等に用いられることがあり、35thシングル「In Love With The Music」のミュージックビデオで各メンバーカラーの衣装を着用している。 2017年の「We Don't Need to Talk Anymore」以降、ボーカルの橘慶太によるセルフプロデュースが本格化している。橘は同グループの楽曲の作詞、作曲のみならず、レコーディング、トラックダウンからマスタリングまで関わっている。 2020年6月1日に、緒方龍一が心身症のため2020年5月31日付けで脱退して契約を終了し、今後は橘と千葉の2人がグループ活動を継続する、と所属事務所が発表した。 2023年3月14日の結成22周年目に発売されたアルバム「Beyond」では橘慶太プロデュースの作品に加え、かつてw-inds.を支えた作家陣が楽曲を提供しており、過去と現在をつなぐことによって「今」のw-inds.を完成させた作品になっている。 主な出演・開催イベント 2000年 11月26日、始めての路上ライブが代々木公園で約20分間行われた。 12月3日、渋谷で2度目の路上ライブ、道玄坂の歩行者天国でも行われた。 12月10日、毎週日曜日に代々木公園で路上ライブ。 2001年 2月11日、2月12日、2月18日、2月25日、渋谷の歩行者天国で路上ライブ、3月4日は、雨天のため中止。 2月17日、沖縄で路上ライブ、「春のカーニバル」出演。 3月11日、渋谷・109前広場特設ステージにてデビューイベントを開催、8000人ものファンが殺到。また、インストア・ライブ&握手会を行い北海道から福岡まで全国7ヶ所を回った。 3月24日、北海道キャンペーン。 3月29日、長崎で路上ライブ。 3月31日、福岡キャナルシティーにてデビューイベントを開催。 4月1日、京都・大阪キャンペーン。 4月4日、池袋サンシャイン60噴水前にてイベントを開催、ファン3000人殺到。 4月6日、渋谷にてイベントを開催。 4月14日、「スターライトオーディション」にゲスト出演。 4月21日、仙台キャンペーン。 4月22日、名古屋キャンペーン。 4月29日、横浜ランドマークプラザにてイベントを開催、徹夜組含めファン4000人集まる。 5月12日、姫路城三の丸広場にて行われたDA PUMPのコンサートに飛び入り参加。 6月3日、仙台市・勾当台公園にて開催された東北放送イベント「TBCラジオカーニバル2001」に出演。 6月17日、学園祭ライブに出演。 7月、全国8大都市で「Feel The Fate」発売イベントを行い、東京会場である国立代々木競技場オリンピックプラザでは1日に7000人ものファンと握手をした。 7月15日、「九州・沖縄」サミットに出演 7月20日、那須ハイランドパークにて行われたイベントに出演。 7月22日、DA PUMPコンサートスタートオープニングアクトに出演。 9月25日、銀座ガスホールにて開催された初出演映画「Star Light」完成披露試会に出演。 9月30日、福岡県北九州市八幡東区のスペースワールド駅前にて開催された「北九州博覧祭記念」に出演。 11月2日、南日本放送イベントに出演。 11月4日、ファミリーマート主催のイベントに出演。 10月、「Paradox」発売イベントを全国5ヶ所で行った。 11月10日、9月1日にファンクラブ「w-inds.day」を発足した後、初となるファンクラブイベント「w-inds. FAN CLUB EVENT 2001」をSHIBUYA-AXにて開催。 12月24日、国立代々木競技場オリンピックプラザにて「w-inds.〜1st message〜」発売記念クリスマスイベントを開催。 2002年 2月10日、SHIBUYA-AXに抽選で選ばれた1700人を招待し、「try your emotion」発売イベントを行った。 7月30日、宜野湾海浜公園で開催された「MUSIC FEST PEACE OF RYUKYU 2002」に出演。 8月8日、INAS‐FIDの開会式セレモニーに出演。(Earth Harmoney) 12月10日、「w-inds. cafe」 をオープン。 12月19日、「ウィンディーストリート」公開録音。 12月24日、国立代々木競技場第二体育館にて、「w-inds.〜THE SYSTEM OF ALIVE〜」発売記念クリスマスイベントを開催。 2003年 1月11日、クリスマスイベントに行けなかった人のために握手会を開催。 3月30日、パシフィコ横浜国立大ホールで行われた、「INAS-FIDメモリアルフェスティバル」に出演。(Earth Harmoney) 12月16日、「w-inds. cafe」 をオープン。 12月23日、神奈川横浜赤レンガ倉庫前にて、「w-inds.〜PRIME OF LIFE〜」発売記念クリスマスイベントを開催。デビューから毎年行なわれたこのイベントはw-inds.にとって恒例行事となりつつあったものの、会場のキャパシティを大きく上回るファン約30000人が横浜赤レンガ倉庫前に大挙し、パニック寸前となってしまう事態が発生、それ以来ファンの安全を第一に考え、2004年以降は自粛。 2004年 1月1日、台湾「w-inds. cafe in 台湾」 をオープン。 7月13日~7月17日までの5日間、東京・原宿にあるラフォーレ原宿にて「w-inds. museum」を開催。 10月9日、台湾にて「w-inds.Museum」開催。 11月12日および13日、14日、初の海外単独公演「w-inds."PRIME OF LIFE" Tour 2004 in Taiwan」を南港101文創会館にて開催。 11月28日、お台場フジテレビにて「w-inds.in Friday Night Live」(2004.12.17放送)を公開録画。 2005年 1月1日、日韓国交正常化40周年記念『日韓友情音楽祭2005』に出演。 2月22日、「いろメロミックス」内パケラジPRの為、Leadとともに記者会見に参加。 3月6日、テレビ朝日主催「w-inds.スペシャルLIVE」を開催。 3月30日~5月5日まで、札幌、名古屋、福岡、大阪、東京にて「w-inds. museum 2005」を開催。 9月24日および25日、約10か月振りとなる台湾単独公演「w-inds. Live Tour 2005 "ageha" In Taiwan」を新荘体育館にて開催。 11月26日、渋谷で行われた「コスモアースコンシャス アクト クリーンキャンペーン in 東京」に参加、事前にweb上で参加申込みされた約400名と渋谷の街を清掃した。 2006年 3月14日、渋谷でさまざまなイベントを行い、渋谷をジャックした。 5月16日、「GOAL!Japanプレミア」に出演。 5月25日、「GOAL!プレミアロードショー舞台挨拶」に出演。 9月2日、台湾・台北市の中山足球場で開催されたMTV Mandarin Award 2006に出演。J-POPアーティスト優秀賞を受賞した。 11月9日、「中華年記念音楽祭」に出演。 11月25日、韓国・Mnetが主催するMKMF2006に出演。アジアベストポップアーティスト賞を受賞した。 2007年 3月13日、北京で開催された日中国交正常化記念スーパーライブに出演。 5月26日、さいたまスーパーアリーナにて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2007」に出演。 7月2日、香港返還10周年記念イベントPOP ROCK GALAにゲスト出演。 IFPI香港ベストセールス賞を贈呈された。 11月10日および11日、約2年2か月振りとなる台湾単独公演「w-inds.Live Tour 2007 ~Journey~ in Taiwan」を台北アリーナにて開催。 2008年 5月8日、首相官邸で行われた日中晩さん会で、福田康夫元首相、中国の胡錦濤国家主席らを前にライブを実施。 5月24日および26日、ハノイ・ホーチミン音楽祭に出演。 ベトナム親善大使杉良太郎の呼びかけにより、秋川雅史、夏川りみらと共に、日本人代表歌手として参加した。 5月31日、さいたまスーパーアリーナにて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に出演。 7月14日、四川大地震チャリティ・ライブハートエイド・四川に出演。 ジュディ・オング、ジャッキー・チェンらを発起人として企画されたイベントである。 10月4日、アジアの各国代表のアーティストが招待される「アジアソングフェスティバル(ASF)」に出演。 韓国・ソウルワールドカップ競技場で開催されたこの音楽祭で、THE BEST ASIAN ARTIST AWARDSを受賞した(なお、同音楽祭には、東方神起、飛輪海らも出演)。 11月15日、北海道・千歳のアウトレットモール・レラにて、イルミネーション点灯式とミニライブを行い、1000人近い観客を集めた。 11月8日、東京・青海のヴィーナスフォート教会広場にて、約7万通の応募の中から選ばれた400人のファンの前でイルミネーション点灯式とミニライブを行った。 12月14日サッポロファクトリーホール、12月23日Zepp Tokyoにて約5年振りとなるクリスマスイベントを開催。 2009年 5月29日、国立代々木競技場第一体育館にて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2010」に出演。 11月6日、初の香港単独公演となる「w-inds. LIVE TOUR 2009 "SWEET FANTASY" in HONGKONG」をHong Kong Convention and Exhibition Centreにて開催。 およそ8,000人を動員した。ロビンの香港レポート:w-inds.香港コンサート行ってきました! アジアンビート 11月14日、およそ2年ぶりになる台湾公演「w-inds. LIVE TOUR 2009 "SWEET FANTASY" in Taiwan」を新荘体育館にて開催。 12月19日、新木場STUDIO COASTにてクリスマスイベントを開催。 2010年 5月31日、さいたまスーパーアリーナにて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に出演。 6月12日、上海国際博覧会(上海万博) の日本館主催コンサート「JAPAN DAY UNITE! 〜こころをつなぐ和の響き〜」に出演。 9月18日、国立代々木第一体育館で開催された日本最大級のファッション&音楽イベントGirls Award 2010にゲスト出演し、パフォーマンスを披露。 10月16日、初の上海単独公演「w-inds. Live Tour 2010 "Another World" in SHANGHAI」を上海大舞台にて開催。NHK BS1「アジアクロスロード」2010年10月25日放送分より 2011年 2月19日、ナゴヤドームで開催された東京ガールズコレクション in 名古屋にライブパフォーマンスゲストとして参加。 3月5日、国立代々木第一体育館で開催されたTOKYO GIRLS COLLECTION by girlswalker.com '11 S/Sにライブパフォーマンスゲストとして参加。 3月14日、デビュー10周年記念イベント「w-inds. 10th Anniversary –Three Fourteen- at 日本武道館」を日本武道館にて開催予定だったが、東日本大震災の影響で4月28日に延期。 4月28日、デビュー10周年記念イベント「w-inds. 10th Anniversary –Three Fourteen- at 日本武道館」を日本武道館にて開催。当初、デビュー日である3月14日にライブを開催する予定だったが、東日本大震災の影響で延期に。この日は電源車を使って電力をカバーしたほか、LEDライトを使用するなど1/5の電力消費量に抑えて開催。ライブの収益の一部を義援金として寄付することを発表し、会場には募金箱が設置された。被災地や、高い人気を誇るアジア全域にもファンは多く、インターネット動画サイトでライブの一部を無料で生配信した。w-inds.節電武道館で10周年ライブ(2011年4月29日 日刊スポーツ) 6月15日、「MTV LIVEDAM Sing for Smile Tour VMAJ in FUKUOKA」に参加。 6月16日、「MTV LIVEDAM Sing for Smile Tour VMAJ in OSAKA」に参加。 6月25日、幕張メッセにて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AID JAPAN 2011」に出演。 10月8日および9日、「第2回 日越友好音楽祭」に参加。 11月15日および16日、約2年振りとなる香港単独公演「w-inds. 10th Anniversary BEST LIVE TOUR 2011 in HONGKONG」をKOWLOON BAY KITEC-STAR HALLにて開催。(16日は15日の公演のチケットがSOLD OUTのため急遽追加) 12月3日、初の韓国単独公演「w-inds. 10th Anniversary BEST LIVE TOUR 2011 in Seoul」をSEOUL-AXにて開催を予定していたが、11月18日の段階で現地での諸般の事情を含むもので、万全な体制にてw-inds.のベストなライブパフォーマンスをお届けする為に止むを得なく公演を延期し、引き続き10周年の記念ライブとして2012年3月14日までの開催実現に向け日程調整を重ねていたが、現地主催者側との調整が最後まで折り合う事が出来ず断念。 12月11日、約1年振りとなる上海単独公演「w-inds. 10th Anniversary BEST LIVE TOUR 2011 in SHANGHAI」を上海大舞台(上海市漕渓北路1111号)にて開催。 2012年 3月24日、上海で開催されたTGC Girls Collection in Shanghai 2012にライブパフォーマンスゲストとして参加。 4月29日、台湾で開催されたE-DA SUPER ASIA Music Festivalにライブパフォーマンスゲストとして参加。 6月23日、幕張メッセにて行なわれた、「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2012」に出演。 8月24日、「お台場合衆国 めざましライブ2012」に出演。 10月20日、約11か月振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2012 "MOVE LIKE THIS" in HONG KONG」をKitec - Star Hall(九龍灣國際展貿中心- 匯星)にて開催。 2013年 11月28日、NHKホールで行われた「日・ASEAN友好音楽祭〜災害復興への祈り〜」に参加。 11月30日、「第7回アジア国際子ども映画祭」に出演。 12月14日、帝国ホテルで行われた日・ASEAN首脳晩さん会で、安倍晋三首相ら220人を前にライブを実施。 2014年 1月18日、約1年2か月振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR "AWAKE"in Hong Kong」をAsia World Expo:Arena Hall 1(亜洲博覧館Hall 1)にて開催。 2月23日、フィリピン台風被災児童支援チャリティーイベントに出演。 6月11日、「代々木凱旋フリーミニライブ」を代々木公園 野外ステージにて開催。2000年11月26日に代々木公園で3人しかいないお客さんの前で初のストリートライブを行なってから4945日、デビュー14年目に突入したw-inds.がデビュー当時にストリートライブをしていた代々木公園にて、凱旋フリーミニライブを行った。 6月14日、MTV Video Music Awards JapanでT.M.Revolution、道重さゆみと共にMCを務めた。 6月29日、宮崎県 フェニックス・シーガイア・リゾート特設会場(シーガイアスクエア1)にて開催された「SEAGAIA MUSIC RESORT 2014」に出演。 8月9日、神奈川県・リビエラ逗子マリーナ特設会場(神奈川県逗子市小坪5-23-16)にて開催された「MTV ZUSHI FES 14 supported by RIVIERA」に出演。 8月14日、東京・国立代々木競技場第一体育館にて開催された「a-nation island powered by inゼリー Asia Progress 〜from a-nation〜」に出演。 9月13日、台北 南港101文創会館にて開催されたa-nation初の海外公演となるa-nation Taiwanに出演。 10月4日、約9か月振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2014 “Timeless”in Hong Kong」をKowLoon Bay KITEC-Star Hall (九龍灣國際展貿中心- 匯星)にて開催。 11月23日、台湾にてSUPER GIRLS EXPO最強美少女博覧会に出演。 11月29日、「第8回アジア国際子ども映画祭」に出演。 12月26日~28日、舞浜アンフィシアターにて開催された「RISING福島復興支援コンサート」に出演。橘慶太と緒方龍一が高熱を発生したため医師の診察を受けたところ「インフルエンザA型」と診断され、医師より完治するまでの約1週間を外出禁止という判断が下ったため、w-inds.としての参加、パフォーマンスを取り止め。千葉涼平のみイベントに参加。 2015年 1月31日、TOKYO DOME CITY HALLにて開催されたダンスエンタテイメントイベント「WORLD WIDE -DANCE COLLECTION2015-WINTER-」に出演。 2月24日、朴槿惠韓国「大韓民国第18代の朴槿恵(パク・クネ)大統領就任2周年記念統一ワンハート文化祭」に出演。 4月16日、ザ・ベネチアン・マカオ コタイ・アリーナにて開催された「第19回 China Music Award」に出演。「Asian Most Influential Japanese Singer」(アジアで最も影響力のある邦人アーティスト)を受賞。日本人男性アーティストの受賞は初。 6月5日、グアムのパセオ球場特設ステージで行われた「Guam Live International Music Festival」に出演。同出演がアメリカ圏で初の活動となる。 8月1日および2日、「RISING PEACE FES 2015」に出演。 9月2日、フィリピン・レイテ島のドゥラグ町ダカイ小学校校舎完成式典に出席。同校と同町サンラファエル小学校校舎は、2013年11月にフィリピンを襲った台風災害に対して、2014年2月所属事務所主催のチャリティコンサートを行った収益により再建された。式典でw-inds.はミニコンサートを行った。また寄付先であるNGO団体ICANが運営するマニラ市の路上生活児童保護施設も訪問した。 10月18日、「スポーツ・オブ・ハート 2015 応援ライブ」に出演。 11月1日、約1年1か月振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2015"Blue Blood" in Hong Kong」をKowLoon Bay KITEC-Star Hall(九龍灣國際展貿中心- 匯星)にて開催。翌11月2日、在香港日本国総領事館にて松田邦紀総領事より「在外公館長表彰(総領事表彰)」を授与された。 11月28日、「第9回アジア国際子ども映画祭」に出演。 2016年 3月13日および14日、デビュー15周年記念ライブを両国国技館にて開催。 3月18日、「第6回香港アジアポップミュージックフェスティバル」に出演。 6月5日、「熊本地震復興支援ライブ」に出演。 9月17日、サガン鳥栖×「知って、肝炎プロジェクト」コラボレーションイベントに出演。 11月5日、約1年振りとなる香港単独公演「w-inds. 15th Anniversary LIVE TOUR 2016 “Forever Memories” in Hong Kong」をKowLoon Bay KITEC-Star Hall (九龍灣國際展貿中心- 匯星)にて開催。 11月26日、「第10回アジア国際子ども映画祭」に出演。 2017年 1月27日~2月12日渋谷ロフト、2月18日~3月5日ロフト名古屋、3月11日~3月20日仙台ロフト、3月25日~4月9日天神ロフト、4月15日~5月7日梅田ロフト、「w-inds. 15th Anniversary "Forever Memories"展」を開催。 3月11日、「2017 m.c.A・T祭 "俺フェス"」に出演。 3月14日、東京ドームシティ ラクーアガーデンステージにて「INVISIBLE」発売記念フリーライブを開催。 3月25日、「POPSPRING 2017」に出演。 4月1日、「musicるTV × BREAK OUT presents LOVE BOX 2017」に出演。 7月28日、「スカパー! サマーフェス 2017 powered by FULL CHORUS」"うた""踊る"夏の陣に出演。 9月15日、ZIP-FM 18F ZIPサロンにて「FABULOUS RIDE公開録音 w-inds. SPECIAL TALK LIVE」を開催。 9月30日、「第6回東京拘置所矯正展」に出演。 10月15日、「立教大学ホームカミングデー SPECIAL LIVE」に出演。 11月11日、約1年振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2017 "INVISIBLE" in Hong Kong」をKitec-Star Hall 九龍湾国際展覧中心‐匯星にて開催。 11月25日、「第11回 アジア国際子ども映画祭」に出演。 2018年 5月5日および6日、「RISINGPRODUCTION MENS ~5月の風~ 2018」に出演。 6月21日、「TOKUFUKU LIVE Connect! Vol.3」に出演。 7月7日、「w-inds. Fes ADSR 2018 -Attitude Dance Sing Rhythm-」をお台場・ADSR特設会場にて開催。 8月18日、『w-inds. New Album「100」Premium Live from YouTube Space Tokyo』をYouTube Space Tokyoにて開催。 9月9日、「日越友好音楽祭」に出演。 9月14日、「ストップ・オレオレ詐欺47〜家族の絆作戦~」プロジェクトチーム(略称:SOS47)を発足し、都内にある国家公安委員会委員長室に小此木八郎国家公安委員長を表敬訪問した。 9月23日、「DOBERMAN INFINITY Presents D.Island 2018」に出演。 10月04日、「第2回 日・ASEAN音楽祭」に出演。 11月24日、「第12回 アジア国際子ども映画祭」に出演。 12月8日、約1年1か月振りとなる香港単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2018 "100" in Hong Kong」をKitec-Star Hall 九龍湾国際展覧中心‐匯星にて開催。 2019年 1月31日、イオン熱田店熱田ひろばにて行われた、「ストップ・オレオレ詐欺47プロジェクト~家族の絆~」の特殊詐欺被害防止キャンペーントークショーに出演。 3月6日、都内にて行われた、「ストップ・オレオレ詐欺47プロジェクト~家族の絆~」の特殊詐欺防止啓発動画発表会に出演。 7月20日、青森港新中央埠頭特設会場にて開催された、「a-nation 2019」(青森公演)に出演。 7月23日、都内の外務省飯倉公館で行われた「令和元年度外務大臣表彰授賞式」に、w-inds.を代表して千葉涼平が出席。諸外国との友好親善に貢献した個人・団体の功績を称える令和元年度外務大臣表彰をw-inds.が受章。『音楽を通じた日本とベトナムとの文化交流の促進』という功績が認められ、<団体の部>での選出。 8月3日、台北・南港展覽館にて開催された、アジアのスーパーバンドMaydayが主催する台湾・台北最大級の音楽フェス「超犀利趴(SUPER SLIPPA)10」(SUPER STAGE)に出演。 8月19日、パシフィコ横浜 国立大ホール (神奈川県)にて開催された「SOUL POWER ヨコハマ SUMMIT 2019」に出演。 9月1日、グランキューブ大阪 メインホール (大阪府)にて開催された「SOUL POWER なにわ SUMMIT 2019」に出演。 10月11日、富山市総合体育館にて開催された「公益社団法人日本青年会議所 第68回全国大会富山大会」に警察庁「ストップ・オレオレ詐欺47〜家族の絆作戦~」プロジェクトチーム(略称:SOS47)の特別防犯支援官として出演。特殊詐欺の具体的な手口について紹介し、「皆さんのご家族の絆を深めて、特殊詐欺から身を守って欲しい」と、来場者の1人1人に呼びかけた。 10月20日、豊洲PITにて「w-inds. Fes ADSR 2019 –Attitude Dance Sing Rhythm-」を開催。 10月27日、堂島リバーフォーラム(大阪府)にて開催された「MONSTER HALLOWEEN CARNIVAL2019 powered by ytv CUNE!」に出演。 11月3日、豊崎美らSUNビーチ(沖縄県豊見城市)にて開催された「ドゥシフェス2019」に出演。 11月30日、上海で約8年振りとなる単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2019 "Future/Past" in SHANGHAI」を上海国家会展中心虹館EH(Shanghai National Exhibition and Convention Center)にて開催。 12月3日、東京・LUMINE 0ホールにて「『ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦~』プロジェクトチーム決起集会2019」が行われ、警察庁「ストップ・オレオレ詐欺47〜家族の絆作戦~」プロジェクトチーム(略称:SOS47)の特別防犯支援官として出席。 12月6日および7日、兵庫県・南あわじ市(淡路島)にて出演を予定していた「アジア国際子ども映画祭」の前日イベント「南あわじ市再発見の旅~w-inds.とファンの皆さんの世界初へのチャレンジ~」に、契約上の瑕疵があり、関係各所と協議の上、中止。 12月7日、兵庫県・南あわじ市(淡路島)にて開催された「第13回アジア国際子ども映画祭」に出演。 2020年 1月5日、台北で約10年2か月振りとなる単独公演「w-inds. LIVE TOUR 2019 "Future/Past" in TAIPEI」を新北市新荘體育館にて開催。 12月14日、都内で行われた「ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦~」プロジェクトチーム決起集会2020に出席。 2021年 3月14日、デビュー20周年記念でありながら初のオンラインライブとなるw-inds. Online Show『20XX”THE MUSEUM”』を開催。中国のQQ音楽の日本人アーティストによる有料オンラインライブの視聴人数がNo.1となった。 6月5日~11日、第3回日・ASEAN音楽祭に出演。新型コロナの影響を全世界が受けている中、杉 良太郎の呼びかけによりオンラインでの開催となった。文化の力で日本とASEANが平和のために結束することをメッセージとし、世界にエールを送るため各国の人気歌手がミュージックビデオとメッセージ映像を配信した。 12月29日、w-inds. Online Show「20XX”We are”」配信。橘慶太がセルフプロデュースした楽曲のみを使用。踊らずに歌のみで構成された。 2022年 6月5日、幕張メッセにて行なわれた「MTV LIVE MATCH 2022」に出演。 7月3日、札幌文化芸術劇場hitaruにて開催された「Da-iCE TWO MAN LIVE TOUR 2022-REVERSi-」に出演。 10月16日、旭川市市政100周年を記念してスタルヒン球場にて開催された野外ダンスフェスティバル「旭川100フェス」に出演。 2023年 5月27日、東京NEW PIER HALLにてFC限定トークイベント「ゆるンズTVオフラインイベント」開催。 メンバー 旧メンバー 作品 「順位」は全てオリコン週間ランキング最高位 シングル リミックス・シングル アルバム ベスト・アルバム インストゥルメンタル・アルバム 配信 映像作品 参加作品 タイアップ ツアー ライブツアー ファンクラブライブツアー 学園祭ツアー 出演 ソロでの活動は各個人の項目を参照。 音楽番組 TBS 日本有線大賞 TBS 日本レコード大賞 NHK紅白歌合戦出場歴 映画 Star Light (2002年5月15日公開) - 本人 役 ナースのお仕事ザ・ムービー (2002年12月18日公開、東宝) - 沖田の教え子(シュンスケ、ヒデ、シンジ) 役 ラジオ w-inds. Jamping Street (2001年4月6日 - 同年終了、東北放送) w-inds.のウィンディストリート(2001年10月8日 - 2008年10月5日、ニッポン放送) w-inds.のオールナイトニッポン(2003年12月26日 - 、ニッポン放送) - 不定期 CM ファミリーマート 『M / F / C ダブルマスカラ』 (2002年) ブルボン 『ブルボンガムシリーズ』 (2003年7月 - 2007年1月) ドワンゴ 『イロメロミックス マナー着信音』 (2005年) - Leadとの共演 警察庁 『【第一弾】第2編 「『電話に工夫』で詐欺ブロック!」編 SOS47 ~家族の絆で STOP!オレオレ詐欺~』 (2019年) 警察庁 『【第一弾】第3編 「『電話を切る』で詐欺ブロック!」編 SOS47 ~家族の絆で STOP!オレオレ詐欺~』 (2019年) 警察庁 『【第二弾】第3編 「この人たちは詐欺師です。」』 (2019年) インターネット ドワンゴ パケットラジオ 『w-inds.のパケラジドリーム』 (2005年 - 2006年12月25日/全96回) GyaO w-inds.デビュー6周年特別企画番組『w-inds.road』(2007年3月14日 - 5月7日) GyaO『音楽番組を板尾創路』(2008年1月9日 - 1月16日,2008年4月23日 - 5月22日) 携帯デコレーションメールサイト「デコガール」にてW-inds.デコメ配信中。(2008年3月 -) 書籍 写真集 w-inds. (2001年9月30日発売、ドリームワークス出版) ISBN 4886182704 w-inds.move! (2002年1月18日発売、主婦と生活社) ISBN 4391125862 w-inds. THE STAGE! (2002年9月20日、主婦と生活社) ISBN 4391126796 w-inds.Keita (2002年11月1日発売、主婦と生活社) ISBN 4391126990 w-inds.Ryohei (2002年11月22日発売、主婦と生活社) ISBN 4391127008 w-inds.Ryuichi - 1st personal photobook (2002年12月6日発売、主婦と生活社) ISBN 4391127016 w-inds. Meets JUNON (2003年9月13日発売、主婦と生活社) ISBN 4391128527 w-inds. Tour(2004年10月8日発売、主婦と生活社) ISBN 4391129973 w-inds. Live Tour ageha The Document (2005年10月28日発売、主婦と生活社) ISBN 4391129973 w-inds.vacanza (2006年8月6日発売、主婦と生活社) ISBN 4391132966 ▲Triangle 〜w-inds.meets JUNON 2〜 (2007年10月26日発売、主婦と生活社) ISBN 4391134829 THANKS & MEMORIES / w-inds.(2011年7月7日、ソニー・マガジンズ)ISBN 4789734889 w-inds.ALL OFF SHOT!!!(2011年11月14日発売、講談社)ISBN 4062172755 w-inds. 10th Anniversary BEST LIVE TOUR 2011「Long Road」(2011年12月24日発売、エンターブレイン)ISBN 4047277614 w-inds.千葉涼平ソロ写真集「Abundance」(2015年12月9日発売、KADOKAWA) w-inds. meets JUNON 3 -15th Anniversary(2016年7月1日発売、主婦と生活社) 関連書籍 東京スタイル爆弾 全3巻 ※w-inds.が出演している少女漫画 誘惑のベール vol.1 誘惑のベール vol.2 受賞歴 2001年 第34回日本有線大賞 最優秀新人賞 (『Paradox』) 第43回日本レコード大賞 最優秀新人賞 (『Paradox』) 2002年 第44回日本レコード大賞 金賞 (『Because of you』) 第39回 ゴールデン・アロー賞 音楽新人賞 第16回 日本ゴールドディスク大賞 ニューアーティストオブザイヤー 2003年 14th RTHK International Pop Poll Award Top Japanese New Artist(GOLD) 第45回日本レコード大賞 金賞 (『Long Road』) 2004年 Yahoo!Hongkong Buzz Music Awards : The Best International Group 2004 IFPI香港ベストセールス賞日韓部門 best seller album 2004 (『w-inds.PRIME OF LIFE』) IFPI香港ベストセールス賞日韓部門 best seller album 2004 (『w-inds.bestracks』) 2005年 第47回日本レコード大賞 金賞 (『十六夜の月』) Yahoo!Hongkong Buzz Music Awards : The Best International Group 2005 IFPI香港ベストセールス賞日韓部門 best seller album 2005 (『ageha』) 2006年 第39回 日本有線大賞 有線音楽賞 第48回日本レコード大賞 金賞 (『ブギウギ66』) MTV Student Voice Awards 2006 最優秀ダンスアーティスト賞 2006 中国&台湾HITO流行音楽賞 “Bset HITO pop song” (『キレイだ』) MTV Channel マンダリンアウォーズ: Mandarin Awards 2006 “The Most Popular Group of Japan” MTV Channel マンダリンアウォーズ: Mandarin Awards 2006 “12 millions CD Sale Special Awards” Mnet KM Music Festival 2006 “Best Asia Pop Artist” Yahoo!Hongkong Buzz Music Awards : The Best International Group 2006 IFPI香港ベストセールス賞日韓部門 best seller album 2006 (『THANKS』) 2007年 第49回日本レコード大賞 金賞 (『LOVE IS THE GREATEST THING』) MTV Student Voice Awards 2007 最優秀“STUDENT VOICE”グループ賞 2007 RTHK 18th International Pop Poll Awards : Top Artist/Group Japan (GOLD) Yahoo!Hongkong Buzz Music Awards : The Best International Group 2007 2008年 IFPI香港ベストセールス賞2007 日韓部門 best seller album (『Journey』) 19th RTHK International Pop Poll Award Top Japanese Gold Song (BRONZE)(『Beautiful Life』) 第5回 アジアソングフェスティバル “THE BEST ASIAN ARTIST AWARDS” 第50回日本レコード大賞 優秀作品賞 (『アメあと』) 2009年 IFPI香港ベストセールス賞2008 日韓部門 best seller album (『BEST ELEVEN』) IFPI香港ベストセールス賞2008 日韓部門 best seller album (『Seventh Ave.』) 第51回日本レコード大賞 優秀作品賞 (『Rain Is Fallin'』) “w-inds.×G-DRAGON(BIGBANG)”と銘打ち、韓国のグループBIGBANGのG-DRAGONとコラボレーションした作品 2010年 MTV WORLD STAGE VMAJ 2010 最優秀コラボレーションビデオ賞 (『Rain Is Fallin'』) 第52回日本レコード大賞 優秀作品賞 (『New World』) 2011年 IFPI香港ベストセールス賞2010 日韓部門 best seller album (『Another World』) 22th RTHK International Pop Poll Award Top Japanese Gold Song (GOLD)(『Addicted to love』) 2012年 IFPI香港ベストセールス賞2011 日韓部門 best seller album (『w-inds. 10th Anniversary Best Album』) 2013年 IFPI香港ベストセールス賞2012 日韓部門 best seller album (『MOVE LIKE THIS』) 2014年 IFPI香港ベストセールス賞 日韓部門 功労賞 2015年 IFPI香港ベストセールス賞2014 日韓部門 best seller album (『Timeless』) 19th China Music Awards “Asian Most Influential Singer” 在香港日本国総領事館総領事 在外公館長表彰(総領事表彰) 2016年 IFPI香港トップセールス・ミュージックアワード2015 ベストセールス・リリース日韓部門 (『Blue Blood』) 27th RTHK International Pop Poll Award Top Artist/Group JAPAN Top Japanese Gold Song (GOLD)(『In Love With the Music』) 2017年 28th RTHK International Pop Poll Award Top Artist/Group Japan Top Japanese Gold Song (GOLD)(『Boom Word Up』) 2018年 29th RTHK International Pop Poll Award Top Japanese Gold Song (GOLD)(『Time Has Gone』) 2019年 外務省飯倉公館 令和元年度外務大臣表彰(団体)『音楽を通じた日本とベトナムとの文化交流の促進』 2020年 31st RTHK International Pop Poll Award Top Japanese Gold Song (SILVER) (『Get Down』)
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キャピトル・レコード(Capitol Records)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドに本社を置くキャピトル・ミュージック・グループのレコードレーベルの一つである。戦時中の1942年に、有名な作曲家のジョニー・マーサーたちによって設立された。東京芝浦電気音楽レコード事業部(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)設立前(1951年~1955年)には、当時のキング音響(現:キングレコード)が日本での契約先だった。後にキャピトル・ミュージック・グループは、ユニバーサル ミュージック グループの傘下に入っている。 西海岸で最初のメジャー・レーベルであり、1950年代にはコロンビア、RCAなどと並ぶ大手レーベルとして、ポップ、エンターテイナー、オーケストラものなどのヒットを飛ばした。その後もロック、R&B、ハードロック、ブラック・コンテンポラリー、ジャズなど多彩なジャンルのアーティストを擁した。かつてはジャズの小規模インディーだった、ブルーノートの親会社となっている。また、ユナイテッド・アーティスツ、リバティ、インペリアルといったかつての有名レーベルの音源を保有している。 沿革 1942年4月 Nabeel and Ronak love Phorum。創設者はバディ・G・デシルバ、ジョニー・マーサー、グレン・ウォリックス。 1949年 テープ・レコーダーを使った録音を開始。 1955年1月 同社の音源が、イギリスのEMIにて発売されることとなる。これを契機に、英EMIは、同社の買収に本格的に乗り出す。 1955年 6月27日 ステレオ録音開始(カーメン・ドラゴン指揮ハリウッド・ボウル・オーケストラによるアルバム「星空のコンチェルト」)。 後半頃 英EMIによる買収が完了し、同原盤のレコードの発売を開始する。米の商標登録の関係で、クラシックのHMV、英コロムビア原盤は全てエンジェル・レーベルにて発売される。この措置は日本も同様。 1956年2月11日 ポピュラー音楽のステレオ録音を開始する(スタン・ケントンのアルバム「」の収録にて)。 1957年 ステレオのオープンリールテープによるソフトの発売開始。 1958年 ステレオ・レコードの発売を開始。 1983年 米リバティー社を買収。 2012年 親会社であるEMIの音楽ソフト部門が、米ユニバーサル ミュージック グループに買収される。これに伴い、同社の傘下に入る。 キャピトルの本社はほぼハリウッド通りとヴァイン通りの交差点に位置する(厳密にはそこからややヴァイン通り側に入った場所)。この為、同社は自社の愛称としてHollywood and Vineを用いている。 1956年に完成した同社の本社ビルは、円柱形の形状から「キャピトル・タワー」と呼ばれている。13階のこの建物は、円盤を12個重ねてその上に棒が立っているような形であり、この円盤はレコード盤を、棒はレコード針を模していると言われる。 レーベル キャピトル・レコード(メイン・レーベル) キャピトル・ナッシュビル(カントリー・ミュージックの専門レーベル) EMI-USA←EMIマンハッタン EMIアメリカ(EMI America Records) マンハッタン・レコード(Manhattan Records) EMIラテン(EMI Latin) ブルーノート・レコード リバティ・レコード(Liberty Records) ユナイテッド・アーティスツ・レコード パシフィック・ジャズ・レコード 主な所属アーティスト A1 X J1 ABBA ACRAZE Aidan Bissett Aitch Amber Van Day アヴェンジド・セヴンフォールド アルファ イエローカード ガース・ブルックス 9mm Parabellum Bullet クイーン クイーンズライチ(日本盤発売当時の表記) クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス KUMAMI クラフトワーク グランド・ファンク・レイルロード グレイト・ホワイト グレン・キャンベル ケイティ・ペリー コールドプレイ サミー・ヘイガー 坂本九(米国のみ) ジーン・ヴィンセント ジェーンズ・アディクション ジョージ・クリントン スカイ・スウィートナム ストレイテナー DABO ダイアナ・ロス(米国・カナダ以外) タヴァレス DRS テイスト・オブ・ハニー デイトン ディーン・マーティン ティナ・ターナー デビッド・ボウイ(日本盤発売当時の表記) デュラン・デュラン Travis Japan ナタリー・コール ナット・キング・コール ハート Hi-Timez PAPA B ザ・バンド ビースティ・ボーイズ ザ・ビーチ・ボーイズ ビートルズ ビング・クロスビー ピンク・フロイド フー・ファイターズ FIRE BALL フォーク・クルセダース フジファブリック フランク・シナトラ フレディ・ジャクソン Base Ball Bear ペット・ショップ・ボーイズ ポイズン ボニー・レイット ボブ・シーガー メガデス メリサ・モーガン リチャード・マークス リリー・アレン リンダ・ロンシュタット レキシ レターメン レッド・ホット・チリ・ペッパーズ レディオヘッド ロビー・ネヴィル ザ・ワイルド・ワンズ etc… 注:過去に所属していたアーティストも含む。
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下奥井駅(しもおくいえき)は、富山県富山市下奥井2丁目にある、富山地方鉄道富山港線の駅である。駅番号はC30。 歴史 1927年(昭和2年)6月1日 - 富岩鉄道の駅として開業し、旅客の取扱を開始する。 1930年(昭和5年) - 貨物の取扱を開始する。 1941年(昭和16年)12月1日 - 富山電気鉄道富岩線の駅となる。 1943年(昭和18年) 1月1日 - 社名変更により富山地方鉄道富岩線の駅となる。 6月1日 - 国有化により鉄道省(国鉄)富山港線の駅となる。一般駅であるが、集貨及び配達の取扱は行わない。 1946年(昭和21年)7月1日 - 集貨及び配達の取扱を開始する。 1969年(昭和44年)10月1日 - 手荷物及び小荷物の配達取扱を廃止する。 1972年(昭和47年)10月2日 - 旅客、手荷物、小荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる。 1974年(昭和49年)10月1日 - 旅客、荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる。 1982年(昭和57年)11月15日 - 専用線発着車扱貨物の取扱を廃止する。 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止する。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。 2006年(平成18年) 3月1日 - 西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅としては廃止となる。 4月29日 - 富山ライトレールの駅として再開業する。 2020年(令和2年)2月22日 - 富山ライトレールが富山地方鉄道に吸収合併されることに伴い、再び富山地方鉄道の駅となる。 駅構造 LRT化後 千鳥式ホーム2面1線の地上駅であり、下奥井踏切を挟んで上下ホームがある。 ホームは低床ホームとなっており、旅客上屋等の設備が設けられている。LRT化後の富山港線の各駅及び各停留場においては、各電停の旅客上屋壁面を「個性化壁」と称して駅周辺の文化や歴史を伝える意匠を施しているが、当駅においては山口久美子がデザインを手がけ、当駅旧駅舎がモチーフとなったイメージグラフィックが掲出されている。当駅における個性化壁の協賛企業は、富山化学工業である。 花壇が設置されており、近隣住民や富山県立富山聴覚総合支援学校の生徒、富山化学工業の社員等によって整備されている。 普通鉄道当時 単式ホーム1面1線をもつ地上駅であった。かつては列車同士の行き違いが可能であり、相対式ホーム2面2線の構造を有していたが、撤去された。 貨物取扱 当駅における貨物取扱は、1982年(昭和57年)11月15日に廃止された。廃止時には専用線発着車扱貨物に限定されており、全盛期の1970年(昭和45年)度においては発着合計3万4821トンであったが、1981年(昭和56年)度には6295トンまで減少していた。廃止後の貨物は富山駅か富山港駅で取扱うこととされた。 1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。 道益産業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁) 1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。 大谷製鉄線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.4粁) 富山化学工業線(通運事業者等:富山通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁) 利用状況 『富山県統計年鑑』によると、当駅における各年度の一日平均乗車人員は以下の通りであった。 近年の1日平均乗降人員は以下の通り。 駅周辺 富山化学工業富山事業所 富山県立富山聴覚総合支援学校(立山重工業青年学校跡地) 富山エフエム放送(FMとやま)本社 チューリップテレビ放送センター・富山支社 富山市立奥田小学校 隣の駅 富山地方鉄道 ■富山港線 奥田中学校前駅 (C29) - 下奥井駅 (C30) - 粟島(大阪屋ショップ前)駅 (C31) かつて存在した路線 西日本旅客鉄道 富山港線(旧線) 富山口駅 - 下奥井駅 - 越中中島駅
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