label
stringclasses 22
values | text
stringlengths 1
5.19k
|
---|---|
japanese | 敗れたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世は退位を拒み、イギリスでエチオピア亡命政府を樹立して帝位の継続を主張した。 |
japanese | 第二次エチオピア戦争でエチオピア帝国に侵攻したイタリア王国は1937年に国際連盟を脱退した。 |
japanese | 金解禁によるデフレ政策を採っていた日本の状況も深刻だった。 |
japanese | さらに黄禍論が渦巻くアメリカへの移民は禁止されるなど、世界恐慌と人種差別による打撃を受けてしまう。 |
japanese | 満州国を主導する関東軍は陸軍中枢の言うことを聞かずなすがままにされた。 |
japanese | 翌年には国際連盟を脱退、さらに日中戦争が勃発するなど軍の暴走が止まらず、中華民国に利権を持つイギリスやアメリカ、イタリアからも大きな反発を食らった。 |
japanese | 政情は混乱し、ヴェルサイユ体制打破、つまり大恐慌下においても第一次世界大戦の莫大な賠償金の支払いを続けることに対する反発と、さらに反共産主義を掲げるナチズム運動が勢力を得る下地が作られた。 |
japanese | ナチ党はその後全権委任法を通過させ、独裁体制を確立した。 |
japanese | ドイツは1933年135年、ドイツは再軍備宣言を行い、強大な軍備を整え始めた。 |
japanese | イギリスはドイツとを結び、事実上その再軍備を容認する。 |
japanese | これによりロカルノ条約は崩壊した。 |
japanese | 日本とイタリア、ドイツは、イギリスやフランス、アメリカなどと違い、莫大な富と雇用を生み出す植民地をほとんど持たず、国外進出は国際連盟を脱退または国際連盟からの経済制裁を浴びることとなり、孤立し、共通点を持つ3国は急接近を始める。 |
japanese | これらに対し国際連盟は効果ある対策を採れず、ヴェルサイユ体制の破綻は明らかとなった。 |
japanese | 日本、ドイツ、イタリアの三国間では連携を求める動きが顕在化し、1936年に日独防共協定、1937年には日独伊防共協定が結ばれた。 |
japanese | ヒトラーは、周辺各国のドイツ系住民処遇問題に対し民族自決主義を主張し、周辺国でドイツ人居住者が多い地域のドイツへの併合を要求した。 |
japanese | 193月29日に開催されたミュンヘン会談で、ネヴィル・チェンバレン英首相とエドゥアール・ダラディエ仏首相は、ヒトラーの要求が最終的なものであると認識して妥協し、ドイツのズデーテン獲得、さらにポーランドのテシェン、ハンガリーのルテニアなどの領有要求が承認された。 |
japanese | しかしヒトラーにはミュンヘンでの合意を守る気がなく、1939年3月15日、ドイツ軍はチェコ全域を占領し、スロバキアを独立させ保護国とした。 |
japanese | こうしてチェコスロバキアは解体された。 |
japanese | しかしフランスは莫大な損害が予想されるドイツとの戦争には消極的であった。 |
japanese | ヒトラーの要求はさらにエスカレートし、1939年3月22日にリトアニアからメーメル地方を割譲させた。 |
japanese | さらにポーランドに対し、東プロイセンへの通行路ポーランド回廊および国際連盟管理下の自由都市ダンツィヒの回復を要求した。 |
japanese | 4月7日にはイタリアのアルバニア侵攻が発生し、ムッソリーニも孤立の道を進んでいった。 |
japanese | 4月234年締結のドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄し、ポーランド情勢は緊迫した。 |
japanese | 5月22日にはイタリアとの間で鋼鉄協約を結び、8月23日にはソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結した。 |
japanese | 反共のドイツと共産主義のソビエト連邦は相容れないと考えていた各国は驚愕し、日本はドイツとの同盟交渉を停止した。 |
japanese | 独ソ不可侵条約には秘密議定書が有り、独ソ両国によるポーランド分割、またソ連はバルト三国、フィンランドのカレリア、ルーマニアのベッサラビアへの領土的野心を示し、ドイツはそれを承認した。 |
japanese | ヒトラーは宥和政策がなおも続くと判断し、武力による問題解決を決断した。 |
japanese | 1939年9月1日、ドイツ国軍およびスロバキア軍が、続いて9月17日にはソビエト連邦軍が相次いでポーランド領内に侵攻した。 |
japanese | 一方、イギリスではチェンバレン首相がベルリンの大使館経由で呼びかけたものの、ヒトラーからの返事がないことを理由に、またフランスも9月3日にドイツに宣戦布告した。 |
japanese | ポーランドは独ソ両国により分割・占領された。 |
japanese | 同年6月からイタリアが参戦し、6月14日ドイツ軍はパリを占領、フランスを降伏させた。 |
japanese | さらに同年月半ばにドイツ軍のイギリス本土上陸作戦は中止された。 |
japanese | その後1941年6月22日、不可侵条約を破棄してドイツ軍はソ連へ侵攻し、独ソ戦が始まった。 |
japanese | 一方、連合国はソ連側につき、ヨーロッパはソ連を加えた連合国と枢軸国に二分する大戦争となり、死者が増大し凄惨な様相となった。 |
japanese | ドイツ軍はウクライナを経て同年12月、モスクワに接近するが、ソ連軍の反撃で後退する。 |
japanese | これ以降は連合国側が優勢に転じ、アメリカ・イギリスの大型戦略爆撃機によるドイツ本土空襲も激しくなる。 |
japanese | 9月にイタリアが連合国に降伏し、ドイツの傀儡政権イタリア社会共和国が設立され、イタリア半島に上陸してきた連合国軍と対峙することになる。 |
japanese | 1944年6月にフランスのノルマンディーに連合軍が上陸し、東からはソ連軍が攻勢を開始、戦線は次第に後退し始めた。 |
japanese | 1945年になると連合軍が東西からドイツ本土へ侵攻し、ドイツ軍は総崩れとなる。 |
japanese | カーゾン線まで達した。 |
japanese | 一方、イギリスとフランスはポーランドとの間に相互援助協定があったが、ソ連に宣戦布告はせず、両国は2日後の9月3日にドイツに宣戦布告しここに第二次世界大戦が勃発した。 |
japanese | しかしポーランド救援のためにドイツ軍と交戦はしなかった。 |
japanese | 一方ヒトラーも、英国ネヴィル・チェンバレン首相と仏国エドゥアール・ダラディエ首相はそれまで宥和政策を行っていたため、宣戦布告してくるとは想定していなかった。 |
japanese | 11月月2月5日ラトビアと、1日リトアニアとそれぞれ条約を締結し、要求を押し通した。 |
japanese | そこでソ連はレニングラード防衛を理由に、11月34441年9月には全員出国した。 |
japanese | 脆弱なドイツ海軍はノルウェー侵攻で多数の水上艦艇を失った。 |
japanese | またベルギー政府もイギリスに亡命し、5月28日にドイツと休戦条約を結んだ。 |
japanese | なおアジアのオランダ植民地は亡命政府に準じて連合国側につくこととなり、オランダ植民地に住むドイツ人は抑留され、外交官と婦女子のみが解放されドイツの同盟国の日本に送られた。 |
japanese | 同じ日、イギリスではウィンストン・チャーチルが首相に就任し、戦時挙国一致内閣が成立した。 |
japanese | ここで、イギリス海軍は英仏連合軍を救出するためダイナモ作戦を展開する。 |
japanese | さらにドイツ軍は首都パリを目指す。 |
japanese | 西ヨーロッパから連合軍を追い出したドイツは、イギリス本土への上陸を目指した。 |
japanese | イギリスは降伏勧告に近い和平案に対する回答を延ばすことで時間を稼いだ。 |
japanese | その間、イギリス特有の悪天候によりドイツ空軍の港湾や船団への攻撃は低調に終わった。 |
japanese | しかし、7月16日にヒトラーはイギリス本土上陸作戦の準備を命じ、22日に行われたイギリスの国会演説で和平案が拒否されると、ドイツ空軍は海上封鎖に本腰を入れた。 |
japanese | 同月25日のイギリス海軍駆逐艦が護衛する輸送船団への攻撃では10隻近い艦船が被害を受け、イギリスは夜間を除いて船団の海峡通行を禁止した。 |
japanese | ヒトラーはイギリス上陸作戦を無期延期とし、ソ連攻略を考え始めた。 |
japanese | 参戦したイタリアは9月、北アフリカの植民地リビアからエジプトへ、1月27日にはドイツとイタリア、そしてまだ第二次世界大戦に参戦していないものの2国の友好国である日本は、日独伊防共協定を強化した相互援助である日独伊三国同盟を結んでいる。 |
japanese | また第二次ウィーン裁定によりハンガリー・ルーマニア間の領土紛争を調停し、東欧に対する影響力を強めた。 |
japanese | イギリスはイベリア半島先端の植民地ジブラルタルと、北アフリカのエジプト・アレクサンドリアを地中海の東西両拠点とし、クレタ島やキプロスなど東地中海を確保し反撃を企図していた。 |
japanese | 2月までに北アフリカ・リビアの東半分キレナイカ地方を占領し、ギリシャにも進駐した。 |
japanese | 2月14日にリビアのトリポリに上陸後、迅速に攻撃を開始し、イタリア軍も指揮下に置きつつイギリス軍を撃退した。 |
japanese | 4月11日にはリビア東部のトブルクを包囲したが、占領はできなかった。 |
japanese | さらに5月から11月にかけて、エジプト国境のハルファヤ峠で激戦になり前進は止まった。 |
japanese | 日、イギリス・アメリカは領土拡大意図を否定する大西洋憲章を発表した。 |
japanese | イラン国王は中立国アメリカに英ソ両軍の攻撃を止めさせるよう訴えたが、ルーズベルト大統領は拒否した。 |
japanese | イランを占領しペルシア回廊を確保した上で、アメリカの武器貸与法に基づき、ソ連へ大規模軍事援助を行うことになった。 |
japanese | 一方、ドイツは日本に対し、東から対ソ攻撃を行うよう働きかけるが、日本は独ソ戦開始前の4月13日に日ソ中立条約を締結していた。 |
japanese | また南方の資源確保を目指した日本は、東南アジア・太平洋方面進出を決め、対ソ参戦を断念する。 |
japanese | ソ連は日本に送り込んだリヒャルト・ゾルゲら、スパイの情報から日本の動向を察知し、極東ソ連軍の一部をヨーロッパに振り分けることができた。 |
japanese | ドイツの占領地では、秘密国家警察ゲシュタポとナチス親衛隊が住民を監視し、ユダヤ人やレジスタンス関係者へ過酷な恐怖政治を行った。 |
japanese | 特に独ソ開始後、アインザッツグルッペンと呼ばれる特別行動部隊による大量殺人で犠牲者数が激増した。 |
japanese | それを見聞きした国防軍関係者の中には、反ナチスの軍人が増えていく。 |
japanese | ヒトラーも軍の作戦に細かく干渉し、司令官を解任した。 |
japanese | そのため軍部の中でヒトラー暗殺計画を企てるなど、ドイツの戦時体制は決して一枚岩でなかった。 |
japanese | またマレー半島を攻撃した数時間後に、日本軍はアメリカのハワイにある真珠湾のアメリカ海軍の基地を攻撃した。 |
japanese | 収容所に併設された軍需工場などで強制労働に従事させ、ガス室を使って大量殺戮を実行した。 |
japanese | また、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの圧力を受けて、ブラジルは1942年1月に連合国として参戦することを決定し、ドイツやイタリア、日本との間に参戦したが、戦場から遠いことを理由に太平洋戦線には参戦せず、ヨーロッパ戦線に参戦した。 |
japanese | なおドイツやイタリア、スペインと友好関係を保っていたアルゼンチンは中立を保った。 |
japanese | しかし、補給の問題と燃料不足で進撃を停止する。 |
japanese | 1日にはベンガジを奪回する。 |
japanese | 同盟国イタリア軍は終始頼りなく、欧州戦域を事実上一国のみで戦うドイツ軍は、自らの攻勢の限界を見ることとなる。 |
japanese | さらに西方のアルジェリア、モロッコに11月8日、トーチ作戦によりアメリカ軍が上陸し、東西から挟み撃ちに遭う形になった。 |
japanese | さらに北アフリカのヴィシー軍を率いていたフランソワ・ダルラン大将が連合国と講和し、北アフリカのヴィシー軍は連合国側と休戦した。 |
japanese | イギリス軍は、ヴィシー政権の植民地であるアフリカ沖のマダガスカル島を、南アフリカ軍の支援を受けて占領した。 |
japanese | これに対しドイツからの依頼もありインド洋からイギリス海軍を駆逐した日本軍は、5月にマダガスカル島へ進出、日本軍の特殊潜航艇がディエゴ・スアレス港を攻撃、イギリスのタンカー1隻を撃沈、イギリス海軍の戦艦を1隻大破し、さらに上陸した日本軍兵士が陸戦を行いイギリス軍兵士を死傷するなどの戦果を上げている。 |
japanese | しかしアフリカはドイツ軍の作戦範疇であったため、日本軍はこれ以上の攻撃は避けている。 |
japanese | ここで日本海軍とドイツ海軍は、利害が一致し、互いの最新の軍事技術情報を入手し、両国の武官や技術者の交換をしたいという思惑があり、日本とドイツの間を潜水艦で連絡するという計画が実行に移されることとなった。 |
japanese | 互いの潜水艦をドイツはドイツ占領下にあるフランスのキール、日本は日本の占領下にある昭南やペナンに送り、日本からドイツへ酸素魚雷や無気泡発射管などの技術が、ドイツから日本へはウルツブルク・レーダー技術や暗号機等の最新の軍事技術情報がもたらされた。 |
japanese | 遣独潜水艦作戦の1回目として、伊号第三十潜水艦が8月6日にフランスのロリアンに入港した。 |
japanese | またドイツ海軍は、大西洋とインド洋の一部地域における連合国の海上封鎖を突破して、同盟国である日本から酸素魚雷や小型船舶エンジン、水上飛行機などの設計図を、日本はそのほぼ全域を支配していたアジアおよびインド洋水域からゴム、スズ、モリブデン等の戦略物資をドイツへ持ち帰るべく高速貨物船を派遣した。 |
japanese | 往路には日本の必要とする工作機械等の軍需品を日本にもたらした。 |
japanese | 東部戦線では、モスクワ方面のソ連軍の反撃はこの年の春までには衰え、戦線は膠着状態となる。 |
japanese | ドイツ軍は、5月から南部のハリコフ東方で攻撃を再開する。 |
japanese | ドイツ軍の他、ルーマニア、ハンガリー、イタリアなどの枢軸軍は6月28日に攻撃を開始し、ドン川の湾曲部からヴォルガ川西岸のスターリングラード、コーカサス地方の油田地帯を目指す。 |
japanese | 一方ドイツ軍に追い立てられたソ連軍は後退を続け、スターリングラードへ集結しつつあった。 |
japanese | 日、マイコープ油田を占領した。 |
japanese | 連日壮絶な市街戦が展開された。 |
japanese | しかし、1日、ソ連軍は反撃を開始し、同23日には逆に冬の装備に弱い枢軸国軍を包囲する。 |
japanese | 歴史的大敗を喫した。 |
Subsets and Splits
No saved queries yet
Save your SQL queries to embed, download, and access them later. Queries will appear here once saved.