label
stringclasses 22
values | text
stringlengths 1
5.19k
|
---|---|
japanese | そこで16日に連合軍は中立国のスイスを通じ、日本に対して占領軍の日本本土受け入れや、総勢1万数千機以上の残存機、空母や戦艦、潜水艦など数千隻の残存艇に上る各地の日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼した。 |
japanese | さらには、アメリカ領フィリピンのルバング島で1974年まで日本軍の残留兵として戦い続けた小野田寛郎少尉のように、日本軍の将兵として戦闘行為を継続していた者や、アナタハン島のように島単位で引き揚げから取り残される者も発生した。 |
japanese | 日本の後ろ盾を失った満洲国はソ連軍の侵攻を受けて崩壊し、18日に退位した皇帝の愛新覚羅溥儀や愛新覚羅溥傑ら満洲国帝室と、関東軍の吉岡安直中将や橋本虎之助中将などはその後日本への亡命を図るが、奉天に侵攻してきたソ連軍に身柄を拘束された。 |
japanese | 続いてイギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍、カナダ軍の占領軍と、中華民国軍、フランス軍、オランダ軍、ソ連軍などの他の連合国軍の代表団も到着した。 |
japanese | 午前8時56分にミズーリ艦上に日本側全権代表団が到着した。 |
japanese | しかし、そのとき甲板ではカナダ代表が署名する欄を間違えたことによる4ヶ国代表の署名欄にずれが見つかり、正式文書として通用しないとして降伏文書の訂正がなされていた。 |
japanese | 具体的には、連合国用と日本用の2通の文書のうち、日本用文書にカナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく1段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した。 |
japanese | 最後の署名となるニュージーランドのレナード・イシット少将もアメリカ側の指示に従い欄外に署名することとなり、結果としてカナダ代表の欄が空欄となった。 |
japanese | その後各国代表は祝賀会のために船室に移動したが、オランダ代表のヘルフリッヒ大将はその場に残り、日本側代表団の岡崎勝男に署名の間違いを指摘した。 |
japanese | 結局、マッカーサー元帥の代理としてサザランド中将が間違った4カ国の署名欄を訂正することとなった。 |
japanese | また、当日には連合国軍最高司令官総司令部よりすべての航空機の飛行が禁止されたほか、漁船を含む船舶の一切の移動が禁じられた。 |
japanese | なお、マッカーサー最高司令官は9月人の逮捕令状を出し、のちに極東国際軍事裁判などで裁かれた。 |
japanese | さらにソ連の捕虜になった日本軍将兵は、まともな裁判もないままにシベリア抑留などで強制就労にさせられ5万5千人が現地で死亡した。 |
japanese | 民間人や軍属などは1945年8月より帰国を開始する。 |
japanese | 自国領土の台湾や朝鮮、またマレーやインドシナ、タイなどからは比較的順調に帰国したものの、中華民国や満州国では内戦やソ連の占領下にあるなど混乱が多く、中国残留孤児など戦後の混乱でやむなく置いていかれる者も多かった。 |
japanese | 軍人と民間人の犠牲者数の総計は世界で5〜8千万人に上るといわれている。 |
japanese | 日本では、戦争開始の罪、連合国のイギリス、フランス、オランダ、中華民国、アメリカとオーストラリアと、なぜかソビエト連邦への侵略行為を犯したとして、東條英機ら軍人や官僚、政治家など2年の禁固、7年の禁固刑などの判決が下された。 |
japanese | なお、民間人は訴追されなかった。 |
japanese | また、東欧諸国のドイツ系少数民族の追放やドイツ兵や日本兵のシベリア抑留、ビルマでの降伏日本軍人の抑留等の事例について、国際法違反の人道犯罪として戦勝国側の加害責任を訴える声も大きかったが、この裁判では、戦勝国の行為については審理対象外とされたため、以上の事例全てが不問とされている。 |
japanese | サンフランシスコ講和条約締結後は、終身禁固刑を受けた戦犯も釈放される一方、上官命令でやむを得ず捕虜虐待を行った兵士が処刑されたりするなど、概して裁判が杜撰であったとする報告がある。 |
japanese | さらに、敗戦国側では、それら連合軍の残虐な行為が全く裁かれなかったことを、戦勝国側のエゴ、勝者の敗者に対する復讐裁判として否定する意見が存在する。 |
japanese | また、敗戦国側に対する戦争裁判を罪刑法定主義や法の不遡及に反することを理由として否定する意見もある。 |
japanese | 罪刑法定主義や法の不遡及を守りながら戦争犯罪を裁けるのか、あるいは裁くべきなのか、またその判決が世界に受け入れられるのか、人道に対する罪を否定した場合、大量虐殺などの戦時人道犯罪を止めることができるのか、など難問は多い。 |
japanese | 敗戦国となった枢軸諸国には、アメリカ軍やソ連軍、イギリス軍やフランス軍を中心とする戦勝国の軍隊が進駐した。 |
japanese | 敗戦国の処遇は第一次世界大戦の戦後処理に対する反省に基づいた判断となった。 |
japanese | 第一次世界大戦の戦後処理では、敗戦国ドイツの軍備解体が不徹底であったため、ドイツは再度第二次世界大戦という世界大戦を引き起こすことができた。 |
japanese | しかし第二次世界大戦の戦後処理では敗戦国の軍備は徹底して解体され、敗戦国が他国に対して再度侵略行為を行うことは不可能となった。 |
japanese | 一方で、敗戦国への戦争賠償の要求よりも経済の再建が重視された。 |
japanese | ドイツ東部を含む東ヨーロッパおよび外蒙古・朝鮮半島北部などにはソ連軍が進駐した。 |
japanese | ソ連はバルト三国を併合するとともに、東ヨーロッパの戦前の政治指導者を粛清・追放し、代わって親ソ連の共産主義政権を樹立させた。 |
japanese | 中華民国でも内戦が起き、毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し、1959745年10月24日、国際連合が創設された。 |
japanese | 国際連合は、勧告以上の具体的な執行力を持たず指導力の乏しかった国際連盟に代わって、経済、人権、医療、環境などから軍事、戦争に至るまで、複数の国にまたがる問題を解決・仲介する機関として、国際政治に関わっていくことになる。 |
japanese | だが戦勝国も国力の疲弊に見舞われた。 |
japanese | ドイツにおいては中央政府の不在がベルリン宣言で宣言され、東西二つのドイツ政府が誕生したため、講和条約を結ぶ国家が決まらなかった。 |
japanese | 1991年3月15日にこの条約が発効したことによりドイツの領域が確定して事実上の講和が実現し、1994年になってドイツ駐留ソ連軍が撤退した。 |
japanese | ポーランドは旧ソ連の影響下にあった1953年、ソ連と東ドイツの賠償免除協定で、東ドイツに対する賠償請求権を放棄させられている。 |
japanese | ポーランドは、先の大戦においてユダヤ人3万人を含む6万人が亡くなるなど、ドイツによる最大の被害国である。 |
japanese | しかし東西、また統一ドイツ政府による賠償は行われていない。 |
japanese | なお、2年代においてもギリシャやポーランドに戦後賠償を求める動きがあるが、ドイツ側はドイツ最終規定条約や東ドイツが各国と結んでいた賠償放棄の合意などを根拠に応じていない。 |
japanese | 2年、ギリシャ議会は第二次世界大戦中にドイツから受けた損害賠償をドイツ政府に要求することを可決している。 |
japanese | ドイツの謝罪は当時の政府がドイツの名で行った行為に対するもので、補償対象も国内の被害者に限っている。 |
japanese | 旧枢軸国のうちイタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーと連合国の講和は1947年2月147年の7月から9月にかけて発効している。 |
japanese | パリ条約の締結後、占領は解除される予定であったが、ハンガリーとルーマニアにおいてはオーストリアとの連絡路を確保するという名目でソ連軍による駐留が継続され、共産主義政権成立につながっていくことになる。 |
japanese | 第二次世界大戦に参戦した大多数の連合国と日本との講和は、1952年4月257年5月141年12月以降の日本軍の進出後はそれぞれの地の日本軍の保護下に置かれ、その一部は交換船によって返され、軍人はそれぞれの地域の捕虜収容所か日本の捕虜収容所に、民間人は日本の収容所に運ばれて終戦まで置かれた。 |
japanese | 1943年9月29日以降は、全ての同盟国人や敵性人を含む外国人の住んではいけない場所が決められ、神奈川県横浜市中心部や神奈川県横須賀市、千葉県木更津市など軍機が多い都市がこれに指定された。 |
japanese | その後多くの西洋人が自主的に東京市内や横浜市内の指定地域外、または西洋人が多い別荘地の箱根や軽井沢に移ったが、これは結果として1945年以降の連合国の空襲から逃れられるという利点があった。 |
japanese | 1945年初頭には神奈川県の全ての外国人の住人は箱根へ移るように通告され、同年7月には全ての同盟国人や敵性国人を含む外国人が地方への移動を通告されたが、これも同様であった。 |
japanese | なおこれらの居住地の移動に掛かる予算は、個人的なもの以外全て国費から払われ、これは同盟国人、中立国人、無国籍人、敵性国人いずれも全て同様であった。 |
japanese | さらに1941年の独ソ戦、同12月の日英米の開戦で、本国との連絡も潜水艦やそれによる手紙、無線に限定されることになった。 |
japanese | 東京だけで5人いたナチ党を中心とした住人組織が置かれ、相互監視が行われた。 |
japanese | リスナーは憲兵に引き渡され日本の刑務所でドイツ敗戦までの2年間を過ごした。 |
japanese | またこれに先立つ1936年に、東京の大森にある独逸学園はナチ党配下に入っていた。 |
japanese | 多くのドイツ海軍の乗組員が被害を受けたが、爆発の原因は、大規模な被害により物証となるものが破壊されてしまった上に、戦時中のことであり現在でも明らかになっていない。 |
japanese | 連合国のスパイの犯行とも噂されたが、目撃者の証言などからウッカーマルクの油槽の清掃作業中の作業員の喫煙との説が有力である。 |
japanese | この事故により、ドイツ海軍の将兵ら61人、中国人労働者36人、日本人労働者や住人など5人の合計144年秋に3人の生徒を持つ独逸学園が軽井沢に疎開し、ハウプトシューレは解散された。 |
japanese | なおこの際に日本政府はハインリヒ・ゲオルク・スターマー旧駐日ドイツ大使宛に、5月25日の東京大空襲で焼失した旧ドイツ大使館の跡地を外務省の管理下に移すことを通知している。 |
japanese | 東京や関東にいたドイツ人は、6月以降戦争終結まで富士五湖近辺や軽井沢などの地方の別荘地などに送られた。 |
japanese | ドイツの敗戦後に河口湖や箱根、軽井沢に軟禁されたドイツ人は、人が逮捕され、マイジンガーはヨーロッパに返されその地で死刑になった。 |
japanese | またこれまでの日本政府でのような自由な行動は厳しく制限され、居住県外に出る際は理由と許可が必要になった。 |
japanese | この事件は日本政府ならびにイタリア社会共和国の心証を悪化させ、その後イタリア王国側についた在日イタリア人に対する冷徹な処遇の一因になったとされる。 |
japanese | しかし第三次日米交換船は人弱と民間人145年の暮れから1946年初頭にかけて帰国している。 |
japanese | 日中戦争中より日満の交流は友好国らしく皇室から軍官民共に活発に行われ、海運と航空による自由な交流は終戦まで続いた。 |
japanese | なお満州国の大使館は東京の麻布区桜田町の広大な敷地内にあり、日中戦争中よりその場所で大使館として機能していたが、他の国の大使館同様に連合国の空襲を避けるため1944年秋より軽井沢に疎開し、そのまま終戦を迎えた。 |
japanese | 原則としてフランス人以外との接触は禁止されたが、軽井沢にいた数千人の中立国人との接触は自由に行われ、また地元の住人との接触も寛容であった。 |
japanese | 8月15日以降は自由となり、39年以降はヨーロッパ各地も戦火に見舞われたためヨーロッパ経由での帰国が困難になり、さらに1941年12月以降はアメリカやカナダなどが参戦したために、これらの国経由での帰国も全くままならなくなってしまった。 |
japanese | ただしソ連だけは、日本海およびシベリア鉄道経由で1945年日の開戦まで自由に行き来できた。 |
japanese | またこのルートは、ビザが発行される限りアフガニスタンやトルコ、スウェーデン、スイスなどの中立国への帰国にも使われた。 |
japanese | また巨人軍のヴィクトル・スタルヒンなど白系ロシア人は無国籍扱いであったが、幸いなことに日本ではソ連人と同様中立国人の扱いであった。 |
japanese | またポルトガル公使館とマカオ、ティモールとの交流は、両地が日本の占領下に囲まれていたことから、比較的自由に行うことができた。 |
japanese | これらの中立国の国民はこれまで通りの生活、仕事を続けられ、配給以外の食料も潤沢に与えられた。 |
japanese | 駐日スイス公使であった以下スイスの外交官は、対英米開戦後に日本政府が委託した中立国の外交官として、赤十字国際委員会の中央捕虜情報局の傘下に置かれ、日英米交換船の運航がきちんと行われているかどうかの同乗確認や、日本全国に及んだ連合国の国民の抑留所の監視などを行うなど、その信頼は高かった。 |
japanese | 1943年9月以降外国人に居住不可地域が設けられたり、1944年夏に連合国軍による本土への空襲が増加すると予想した後は、中立国人の多くは軽井沢や箱根などの別荘地にあるホテルや別荘へ疎開して活動した。 |
japanese | もちろんこれに伴う引っ越し費用は全て日本政府が負担した。 |
japanese | 特に、これらの中立国と枢軸国の約3人の駐日外交官と、およそ244年44年末以降は同じく疎開を主な目的に、箱根の強羅ホテルに置かれた。 |
japanese | 1945年当時、ソ連を通じた終戦交渉を模索していた東郷茂徳外相の意を受け、広田弘毅元首相がヤコフ・マリク大使と数度にわたって接触したことが知られている。 |
japanese | 1937年の日中戦争開戦後も、イギリスやフランス、オーストラリアやアメリカ、オランダやカナダ、英領インドなどその後の連合国とその植民地の駐在員や外交官、宣教師や留学生などの民間人の多くは、日本や外地などで戦前と変わらない生活を行った。 |
japanese | しかし1941年12月の対英米開戦後は、これらの国の国民は敵性国民となった。 |
japanese | また、日本や香港などにいた民間の船舶やパンアメリカン航空などの航空会社の乗組員も抑留所に収容された。 |
japanese | ただし、抑留されるのは男性のみで、女性は抑留されなかった。 |
japanese | また日本の大学などで教員に就いていたイギリス人やアメリカ人、オランダ人などの敵性国人は、開戦後も抑留されず、しばらくの間は警察の管理の下で仕事に就き、通常の給与が与えられた。 |
japanese | 抑留された男性は戦時国際法に則り軍に管理された捕虜とは異なり、主に警察によって管理された。 |
japanese | 警備は厳重であるが、しかし民間人抑留者に対する取り調べや取り扱いでの暴力を伴う違法行為、国際法違反などは皆無であった。 |
japanese | また妻や娘など家族がいるもののみ外出も認められた。 |
japanese | 日本という海に囲まれた国にあるため脱走は皆無であった。 |
japanese | 全ての民間人抑留者の情報は、戦時国際法に則りスイスのジュネーブの赤十字国際委員会に置かれた中央捕虜情報局に置かれることとなった。 |
japanese | 委員会駐日代表フリッツ・パヴァラッツイーニ博士が各地で数回にわたり中立国の局員の収容所の見学や聞き取りを行ったが、生活や食事、医療や待遇などについての言動は日本側からは制限を課されず自由に行われた。 |
japanese | その結果、苦情は皆無ではなかったものの、おおむね良好であった。 |
japanese | 抑留、逮捕されるのは45歳以上の男子に限り、女性や子供は対象外であったが、男子でも45歳以上というのは地方では無視されがちであった。 |
japanese | しかし1942年9月以降方針が変わり、修道女や教師などの女性独身者と、宣教師や教師などの男性高齢者も抑留された。 |
japanese | これはアメリカやイギリスなどが、僧侶や教師も関係なく、日本人の抑留者を男女年齢問わず強制収容所に入れていたためであり、これらの国との相互主義に基づくものであった。 |
japanese | なお、結婚女性や娘などは例外のままであった。 |
japanese | これは男女年齢差別なく収容所に入れる例がほとんどであったイギリスやアメリカ、オーストラリアやカナダなどと違い、日本が連合国に比べ圧倒的に紳士的であったといえる。 |
japanese | また、戦時中に日本海軍やドイツ海軍、イタリア海軍の軍艦によって拿捕されて、横浜港や神戸港などに連行された連合国の軍艦の民間の乗務員や、民間船の船員や搭乗者なども、民間抑留者として抑留先に入れられた。 |
japanese | これらの敵性国抑留者の多くは、1942年から1943年にかけてアメリカとイギリスとの間に3回運航された交換船で、同じくイギリスやアメリカなどの連合国に取り残され同じく軟禁、逮捕されていた日本人やタイ人、ドイツ人の駐在員や外交官などの民間人と交換される形で帰国した。 |
japanese | 宣教師や修道女の多くも、信者を残して帰国できないなどの理由で日本に残った。 |
japanese | 売却されることなく、戦後にきちんと返還された。 |
japanese | また抑留所外に住む妻などの家族などの差し入れに対する警察官による横領も多くなっていった。 |
japanese | 娯楽が無く、男性しかいない中で、民間人抑留所内では、野球やサッカー、ジョギング、卓球、チェスやカードゲームなどが盛んに行われた。 |
japanese | また横浜など抑留先が複数ある場合は、抑留先同士の交流を図るため野球などの交流戦が三渓園などで開催された。 |
japanese | なお、横浜球場では連合国軍人の捕虜収容所が置かれていたが、民間人と軍人捕虜の間は明確かつ厳密に区別され、それらとの交流は一切なかった。 |
Subsets and Splits
No saved queries yet
Save your SQL queries to embed, download, and access them later. Queries will appear here once saved.