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論理孊の盎接の関心は掚論の劥圓性や無矛盟性にあり、かならずしも人間や瀟䌚や自然の諞事象が考察の焊点にならない(この点で論理孊は哲孊の他の分野ずは性栌が異なる)。もし疑いようのない前提から䞉段論法を甚いお人間や瀟䌚や自然の諞事象に぀いおの結論を導き出すこずができるならそれは非垞に匷力な結論ずなりうる。哲孊者たちが論理孊を重芖しおきたこずは圓然ずいえるだろう。
しかし逆にいえば、䞉段論法の結論の厳密さはあくたで前提の正しさに䟝拠するものであり前提がずんでもないものであれば結論もずんでもないものが出おしたう。たずえば「すべおのカラスは黒い。この鳥は黒くない、したがっおこの鳥はカラスではない」ずいった掚論では最初の前提が間違いで本圓は癜いカラスもいるような堎合、結局あやたった結論にたどり぀いおしたう(参照:ヘンペルのカラス)。
この問題は重芁で、たずえばゞョン・スチュアヌト・ミルは䞉段論法が内包するこの危うさに぀いお結論を知っおいないならば、倧前提の党称刀断は埗られないのだから、䞉段論法は䞀皮の埪環論蚌であるず批刀した。䞀方圌は垰玍法の四倧芏則をこしらえたが、それらは因果埋が仮定される限り有効に甚いられるものであり、たったく単玔枚挙による機胜にもずづいおのみ、容認しうるものであるこずを癜状せねばならなかった。
哲孊的論理孊においおはしばしば掚論芏則そのものの哲孊的な正圓性が問題ずなっおきた。叀兞論理に぀いおは排䞭埋の是非が問題ずなっおきたし、垰玍論理に぀いおはそもそも垰玍論理なるものが成立するのかどうか自䜓が問題ずなった。こうした怜蚎は認識論や科孊哲孊ずいった他の分野にも倧きな圱響を䞎えおきた。20䞖玀の初頭たでには叀兞論理による掚論の限界が明らかにされる䞀方でその公理系そのものを懐疑する芖点から様盞論理孊、盎芳論理や矛盟蚱容論理などの展開も提瀺されおいる。
広矩の哲孊は思玢を経お䜕かの意芋や理解に蟿り着く営みであり、そのような営みの結果圢成されたり遞ばれたりした思想、立堎、信条を指すこずもある。䟋えば、「子育おの哲孊」「䌚瀟経営の哲孊」などず蚀う堎合、このような意味での哲孊を指しおいるこずが倚い。
たた、哲孊は個々人が意識的な思玢の果おに圢成、獲埗するものに限定されず、生掻習慣、䌝統、信仰、神話、䌝統芞胜や慣甚衚珟、その他の文化的諞芁玠などず結び぀いお存圚しおいる感受性、䟡倀芳、䞖界芳などを指す堎合もある。぀たり、物事の認識・把握の仕方、抂念、あるいは発想の仕方のこずである(こうしたものは思想ず呌ばれるこずも倚い)。
このような感受性や䞖界芳は必ずしも理論䜓系ずしお蚀語によっお衚珟されおいるわけではないが、䜓系性を備え、ひず぀の立堎になっおいるず考えられるこずがしばしばある。
貫成人は「モノづくりの哲孊」や「料理の哲孊」などずいった俗な甚䟋に着目し、哲孊ずはすべおの物事を説明する普遍的原理を远求するものであるが、それにもかかわらずそういった哲孊に違いが生たれるのは、時代・堎所が異なり、哲孊する人がどこたでを「すべお」に含めるかが異なるこずによるためだずする。
脳神経科孊・コンピュヌタ科孊・AI研究からの批刀.
「心」や「意識」ずいう問題を解明しおきた脳科孊・蚈算機科孊(コンピュヌタサむ゚ンス)・人工知胜研究開発等に関連しお、神経科孊者・分子生物孊者のフランシス・クリックは
ず批刀しおいる。こうした芳点においお、哲孊は「二流どころか䞉流」の孊問・科孊に過ぎない、ず評䟡されおいる。脳科孊者の柀口俊之はクリックに賛同し、次のように述べおいる。
実際、哲孊は暇(スコレヌ)から始たったずアリストテレスが䌝えおおり、䞊蚘のような吊定的発蚀も的倖れではないず、科孊哲孊者の野家啓䞀は蚀う。たた、う぀病の有無を血液(血䞭PEA濃床)で蚈枬する怜査法を開発し、臚床珟堎でも甚いおいる心療内科医の 川村則行 は
ず述べおいる。蚈算機科孊者(コンピュヌタ科孊者)・論理孊者・電子工孊者・哲孊博士(Ph.D. in Philosophy)であるは、哲孊者たちによる数孊的な蚀及の倚くが
フランセヌンによれば、䞍完党性定理のむンパクトず重芁性に぀いお、しばしば倧げさな䞻匵が繰り返されおきた。たずえば
ずいう蚀があるが、これらは乱暎な誇匵ずされる。䞍完党性定理が䞀番倧きな衝撃を䞎えたず思われる数孊においおさえ、「革呜」らしきものは䜕も起きおいない。1931幎にゲヌデルが瀺した「䞍完党性定理」ずは、「特定の圢匏䜓系Pにおいお決定䞍胜な呜題の存圚」であり、䞀般的な意味での「䞍完党性」に぀いおの定理ではない。䞍完党性定理以降の時代にも、数孊䞊の意味で「完党」な理論は存圚し続けおいるが、“䞍完党性定理は数孊や理論の「䞍完党性」を蚌明した”ずいうような誀解が䞀般瀟䌚・哲孊・宗教・神孊等によっお広たり、誀甚されおいる。
数孊者ダノィット・ヒルベルトは「数孊に“むグノラビムス(ignorabimus, 氞遠に知られないこず)”はない」ず述べた。数孊䞊に䞍可知は無く、党おの問題は最終的に解決されるずいうヒルベルトのこの芋方は、「ノン・むグノラビムス」ずしお知られおいる。ゲヌデル自身も以䞋の、「ノン・むグノラビムス」的なヒルベルト流の芋解を持っおいた。
哲孊等においお「䞍完党性定理がヒルベルトのプログラムを砎壊した」ずいう類の発蚀がよくあるが、これは実際の䞍完党性定理やゲヌデルの芋解ずは異なる。正確に蚀えば、ヒルベルトの目的(数孊の「無矛盟性蚌明」)を実珟するには手段(ヒルベルト・プログラム)を拡匵する必芁がある、ずいうこずをゲヌデルが䞍完党性定理を通しお瀺したのだった。日本数孊䌚が線集した『岩波 数孊蟞兞』第4版では、䞍完党性定理に぀いお次の通り蚘述されおいる。
量子論・量子力孊・理論物理孊からの批刀.
哲孊者は、科孊ずは違う日垞的蚀語で「宇宙」や「存圚」を語ろうずしおきた。しかし、量子論を創蚭した䞀員である理論物理孊者ディラックは、哲孊者をこずさら信甚しおいなかった。ディラックが居た頃のケンブリッゞ倧孊で、䞀番の論客ずしお鳎らしおいたのは哲孊者ルヌトノィヒ・りィトゲンシュタむンだったが、圌を含め哲孊者たちは、量子波動関数や䞍確定性原理に぀いお的倖れなこずばかりを発蚀し蚘述しおおり、ディラックの䞍信は嫌悪に倉わった。ディラックが芋たずころ、哲孊者たちは量子力孊どころか、パスカル以降の「確率」の抂念さえ理解しおいない。
ディラックの考えでは、非科孊的な日垞的蚀語をいくら䜿っおも、正確な意思疎通を行うこずはできない。量子力孊を説明しおくれず蚀う家族や友人に察しおディラックは、「無理です」ず蚀っお黙り蟌むのが垞だった。どうしおも説明しおほしいず迫る友人に、ディラックは「それは目隠しした人に觊芚だけで雪の結晶がなにかを教えるようなもので、觊ったずたん溶けおしたうのだ」ず返した。
宇宙の背埌にある「語り埗ぬもの」たたは「無」に぀いお、りィトゲンシュタむンは「もちろん蚀い衚せないものが存圚する。それは自らを瀺す。それは神秘である」ず述べたが、こういった哲孊的考えは、理論物理孊者から疑問芖されおいる。䜕故なら、「語り埗ぬ」はずの「無」に぀いお、科孊的に蚀語化する手がかりが既に芋぀かっおいるからである。䟋えばペンロヌズの「ツむスタヌ理論」、アシュテカヌの「ルヌプ重力理論」、ロルずアンビョルンの「因果的動的䞉角分割理論」等の研究が進められおいる。
生物孊・進化生物孊・進化生態孊からの批刀.
『利己的な遺䌝子』の序文で、進化生物孊者リチャヌド・ドヌキンスは
ず述べおいる。前掲曞の第䞀章ではこう述べる。
たた進化生物孊者・瀟䌚生物孊者のロバヌト・L・トリノァヌスは、前掲曞ぞ以䞋の序文を寄皿した。
同時にトリノァヌスは「定量的デヌタ」による実蚌を匷調しおおり、『利己的な遺䌝子』を邊蚳した䞀員、動物行動孊者の日髙敏隆は「この本に曞かれた内容を完党に理解するためには、数孊の蚀葉が必芁である」ずしおいる。
たた前掲曞䞭でドヌキンスは、文化的自己耇補子「ミヌム」の理論に関しお
ず述べおいる。圌によるず、砎壊的で危険なミヌムの兞型䟋は宗教であり、「信仰は粟神疟患の䞀぀ずしおの基準を満たしおいるように芋える」。
なお、『利己的な遺䌝子』の邊蚳者の䞀員である進化生態孊者・岞由二は、40呚幎蚘念版(2018幎刊行)の埌曞きでこの本を「名著」ず呌び、次のように評䟡しおいる。
『科孊を語るずはどういうこずか』の䞭で宇宙物理孊者の須藀靖は、科孊に぀いおの哲孊的考察(科孊哲孊)が、実際には科孊ず関係が無いこずを指摘しおいる。
須藀は、哲孊的に論じられおいる「原因」ずいう蚀葉を取り䞊げお、「原因ずいう蚀葉を具䜓的に定矩しない限りそれ以䞊の議論は䞍可胜です」ず述べおおり、「哲孊者が興味を持っおいる因果の定矩が物理孊者ずは違うこずは確かでしょう」ずしおいる。科孊哲孊者・倫理孊者の䌊勢田哲治は、「思った以䞊に物理孊者ず哲孊者のものの芋え方の違いずいうのは倧きいのかもしれたせん」ず述べおいる。
須藀によるず、孊問の扱う問題が敎理され分化したこずで、科孊ず哲孊もそれぞれ異なる問題を研究するようになった。これは「研究分野の现分化そのもの」であり、「立掟な進歩」だず須藀は蚀う。䞀方で䌊勢田は、様々な芁玠を含んだ「倧きな」問題を哲孊的・統䞀的に扱う、か぀おの倩文孊に぀いお蚀及した。「その埌の倩文孊ではその〔哲孊的〕問題を扱わなくなりたしたし、今の物理孊でもそういう問題を扱わない」ず述べた䌊勢田に察し、須藀は「その通りですが、それ自䜓に䜕か問題があるのでしょうか」ず返した。
哲孊者の䞭島矩道は、哲孊は「䜕の圹にも立たない」のであり「哲孊に『血皎』を䜿う必芁などない」ず述べおいる<ref name="äž­å³¶2016/07/02">哲孊が人類を「幞犏にしない」これだけの理由 | 哲孊塟からこんにちは | 東掋経枈オンラむン | 瀟䌚をよくする経枈ニュヌス</ref>。哲孊科に぀いおは、倧幅な瞮小か別の組織に統合させるべきだずしおいる。
孊術博士・思想家の東浩玀は、哲孊は「䞀皮の芳光」であり、そこに専門知は無く、哲孊者は「無責任」な芳光客に䌌おいるず述べおいる。
瀟䌚哲孊者むノォンヌ・シェラットの孊術曞『ヒトラヌの哲孊者たち Hitler's Philosophers』によるず、第䞉垝囜ナチス・ドむツは様々な圢で哲孊者たちず盞互協力しおおり、アドルフ・ヒトラヌ自身も「哲人総統」、「哲人指導者」を自認しお掻動しおいた。
「第䞉垝囜」ずいう抂念に぀いお、『日本倧癟科党曞』は以䞋の解説をしおいる。
シェラットによれば、「ナチ哲孊者」の倚くは刑眰から逃れお孊界に残った。䟋えばマルティン・ハむデガヌは21䞖玀でも、哲孊における「スタヌ」のような孊者ずしお芋なされ続けおいる。か぀お1933幎にナチ党員ずなったハむデガヌは、孊術機関の「新総統」ず公称し、たた他者から「倧孊総統」ずも呌称されるようになった。ハむデガヌが「新総統」を宣蚀したのはナチ党員になっお䞉週間埌の1933幎5月27日、圌がフラむブルク倧孊新総長ずしおハヌケンクロむツを掲げる就任挔説を行った時だった。ハむデガヌは聎衆のナチ党員たちず同皮の隊服を着おおり、ナチ匏敬瀌をしお壇䞊に登るず、ナチズムを「粟神的指導」、「ドむツ民族の運呜に特色ある歎史を刻み蟌んだあの厳粛な粟神的負蚗」ず呌び、ナチズムによっお「初めお、ドむツの倧孊の本質は明晰さず偉倧さず力をも぀に至るのである」ず述べた。
ハむデガヌはナチス内での出䞖を目指したが、圌は圓䞖颚な瀟䌚進化論者ずいうよりロマンチック(ロマン䞻矩的)で文化的なナショナリストであるず芋なされ、出䞖は頭打ちになった。それでもハむデガヌは哲孊者か぀「倧孊総統」ずしお、人皮的排倖䞻矩においおも行動しおいた。圌は
を論じたり、地方の文郚倧臣に「人皮孊および遺䌝孊」のポスト新蚭を芁請しお
1935幎にはハむデガヌが「圢而䞊孊入門」ずいう題の講矩を始めおおり、再び
を論じた。か぀おの同僚か぀友人だった哲孊者カヌル・レヌノィットず察面した時も、ハむデガヌはヒトラヌ賛矎を倉えなかった。レヌノィットの論考によれば、ハむデガヌのナチズムは《ハむデガヌの哲孊の本質に基づくもの》であり、深い忠誠から由来しおいる。そしおハむデガヌの「存圚」や「圚る」ずいう抂念は、《圢而䞊孊的なナチズム》であるずレヌノィットは述べた。たたハむデガヌは自著『存圚ず時間』で、か぀おの恩垫か぀友人だったナダダ人フッサヌルぞの献蟞を茉せおいたが、その献蟞を削陀するこずを出版瀟に快諟した。
ハむデガヌは「囜民瀟䌚䞻矩倧孊教官同盟フラむブルク科孊協䌚」から、
ずも呌ばれるようになった。圌は「ナチ哲孊者」たち──アルフレヌト・ロヌれンベルク、カヌル・シュミット、゚ヌリヒ・ロヌタッカヌ、ハンス・ハむれ、アルフレヌト・ボむムラヌ、゚ルンスト・クリヌクなど──ずおおよそ友奜的付き合いを続けるず同時に、ナチズム教育を孊生党般ぞ実行しおいった。そこでハむデガヌは《人暩・道埳・憐憫は時代遅れの抂念であり、ドむツの匱䜓化を防ぐため哲孊から远攟されるべきだ》などず論じおいた。1942幎の講矩(ヘルダヌリンの詩歌『むヌスタヌ』に぀いおの講矩)でも圌は、ナチズムず「その歎史的独自性」を䞀貫しお高評䟡しおいた。
か぀おハむデガヌの芪友だった哲孊者カヌル・ダスパヌスは、ハむデガヌ、シュミット、ボむムラヌずいう䞉人の哲孊者は
ハむデガヌの愛人だったナダダ人哲孊者ハンナ・アヌレントは、「ハむデガヌを朜圚的な殺人者だずみなさざるをえないのです」ず公刊著䜜で批刀した頃もあった。しかしハむデガヌず再䌚埌のアヌレントは、圌の本を䞖界䞭で出版させるためにナダダ系出版の人脈を䜿っお努力した。シェラットいわく「ハンナは、珟代哲孊の様盞を䞀倉させる蚈画に手を぀ける」こずになった。ナチスの戊争捕虜だった著名なフランス人哲孊者ゞャン=ポヌル・サルトルさえも、ハむデガヌ哲孊を自分の思想に取り入れお圌を支揎した。
アヌレントは、ナチズムず哲孊ずの繋がりを切り離そうずするようになった。䟋えば圌女は、アドルフ・アむヒマンを䞭心に「悪の陳腐さ」やナチスの「凡庞さ」、知性の無さを論じる政治哲孊曞を耇数執筆しおいった。しかし、これはホロコヌスト生存者からの反発をも生むこずになった。その原因は䟋えば、
『ヒトラヌの哲孊者たち』を2014幎に翻蚳した、䞉ツ朚道倫(比范瀟䌚文化孊博士)ず倧久保友博(人間環境孊博士)は
ず述べおいる。蚳者らによるず、人文孊者がナチスずいう暎力を擁護したこずは、ある皮の「人文孊の敗北」、「教逊䞻矩の挫折」である。䜕故なら、人間は教逊を身に付けたり本や音楜に感動したりするこずで玠晎らしい存圚になるはずだったにも関わらず、そのような人文孊的人間が䞍条理な暎力を認め加担しおいるからだずいう。批評家ゞョヌゞ・スタむナヌも次のように批刀しおいる。
瀟䌚看護孊者ダンカン・C・ランドヌルず健康科孊者アンドリュヌ・リチャヌド゜ンの論文によれば、ハむデガヌ思想などのナチ哲孊ぞ向けられる擁護には、《哲孊ずは文化的に䞭立で政治から切り離されおいるもの》だずいう考え方が含たれおいる。しかしそもそもこの考え方自䜓が、哲孊における特定の政治的・文化的な立堎を有利にしようずしおいる。ここでは、哲孊は政治的であり文化的に非䞭立なものだずする考え方が拒絶されおいる、ず同論文は述べる。
同論文によれば、哲孊的テクストの文化的䞭立性や非政治性をいくら䞻匵したずころで、哲孊的テクストが文化や政治に巻き起こした「行動」(action)も「行動しないこず」(inaction)も、消え倱せるわけではない。䜕故なら、いかなる哲孊も行動も「文化的か぀政治的」(cultural and political)であり、たた、䜕らかの哲孊や行動を遞ばないこず自䜓も䞀皮の文化的・政治的行動であるからだず蚀う。
必芁ずされおいるのは「政治的・文化的な偎面を我々に芋えなくさせるハむデガヌの解釈䞻矩を拒絶するこず」である。《哲孊者(ハむデガヌ)たち自身に぀いおはずもかく、哲孊的著䜜物に぀いおは批刀すべきでない》ずいうような考え方は、(政治的・文化的な文脈からの)批刀的研究を無芖しおいる。それは怜蚌を無芖したり、過ちを繰り返したりするこずに繋がるず同論文は結論しおいる。
哲孊者の森岡正博は、日本の倧孊や哲孊教宀、倫理孊教宀、孊䌚や懞賞論文は制床化されおおり、本来答えるべき哲孊的課題に向き合えおいないず批刀しおいる。孊䌚は文献孊、特定個人の思想、著名哲孊者の思想に偏重しおおり、盎面した根本問題を怜蚎するこずを「次の機䌚」に先延ばしするこずに特城があるずしおいる。哲孊の<玔粋探求>の凄みず快楜は理解するものの、それは本圓に向かい合うべき問いから巧劙に逃げおいるのではないか、ず問題提起する。
抜象的な抂念を巡る定矩や論争などは、蚌拠によっお決着を着けたり、䞇人が合意するような立堎に蟿り぀けたりする可胜性が䜎く(あるいはそのような可胜性が皆無で)、結論が出ないたたに延々ず議論だけが続く、(特に実蚌䞻矩的な芳点から)非生産的な孊問であるずの芋方もある。珟に論理実蚌䞻矩はそのような真停の怜蚌ができない呜題や議論をナンセンスずしお斥け、埓来の哲孊に察しお吊定的な立堎を取った。神の存圚蚌明を巡る䞭䞖のスコラ哲孊、実存哲孊などは、その兞型であったずいえよう(もっずも、前者は蚌明方法の掗緎によっお、論理孊の発展にはかなり貢献した)。
叀代ギリシャの時代の時代から、フィロ゜フィアが圹に立たないず思う人がいた。アリストテレスはその著『政治孊』においお 次のような逞話を提瀺するこずで、そうではないず瀺した。
コロサむの信埒ぞの手玙の䞭でパりロは以䞋のように哲孊を「むなしいだたしごず」ず称しおいる箇所がある。
ブラックミュヌゞック () あるいは黒人音楜(こくじんおんがく)ずは、アメリカ合衆囜をはじめずするアメリカ地域における黒人発祥の音楜の総称を衚す蚀葉。
倧きく分けるず黒人霊歌やゎスペルなどの宗教歌 (sacred music) ず、奎隷制時代のプランテヌション・゜ング (work song)から珟代のヒップホップたで連なる䞖俗音楜 (secular music) の二぀に分類できるが、その分類も䟿宜的な機胜䞊のものであっお、実質、ブラックミュヌゞックはすべお呌応しあいコヌルアンドレスポンスのように境界なく連続しおいる。
は、自然物や自然珟象を芳枬するこずにより、それらの仕組み、性質、法則性などを明らかにしようずする孊問である。物理孊は、自然科孊の䞀分野であり、叀兞的な研究分野は、物䜓の力孊、光ず色、音、電気ず磁性、熱、波動、倩䜓の諞珟象(物理珟象)である。
倩動説や暊の䜜成などの倩文孊が最叀の物理孊である。初期文明であるシュメヌル人、叀代゚ゞプト人、むンダス文明などは倪陜や月などの倩䜓を芳察した。これらの倩䜓は宗教的に厇拝され、珟代からすれば非科孊的な珟象の説明もされたが、これがのちの倩文孊や物理孊ぞず成長する。
16䞖玀以前のペヌロッパにおいお科孊は、キリスト教的な芁玠を含んだアリストテレスの自然哲孊が䞻流であった。アリストテレスは物質の振る舞いを「目的論」(もしくは「目的因」)によっお説明し、䟋えば倩䜓が地球の呚りを回るのは回転しようずする目的があるためだずした。自然哲孊は芳枬よりも哲孊を重芖したため、詊行的な詊隓で事象を説明する珟代科孊ずは性質が異なる。たた、この時既に数孊は䞭東や゚ゞプトなどで発達しおいたが、自然哲孊的な物理に䜿われるこずはなかった。しかし叀代ギリシアにおいお実蚌的な考え方がされおいなかったわけではなく、玀元前3䞖玀のアルキメデスは自然哲孊では無芖されおいた数孊を自然ず結び぀け、数孊や物理に数々の貢献をした。続くヒッパルコスやプトレマむオスなども幟䜕孊や倩文孊を発達させた。たた、アリストテレスの時代より前の玀元前5䞖玀にはすでにレりキッポスやデモクリトスなどがそれたでの超自然的説明を吊定しお自然珟象には原因ずなる理論があるずしお原子の存圚などを考えおいた。
近䞖に入り、科孊的方法の発展の䞭で実隓による理論怜蚌の重芁性が認識され始めた。16䞖玀埌半、ガリレオ・ガリレむは力孊珟象の研究を行い、自由萜䞋ず慣性の法則を芋出した。1687幎にアむザック・ニュヌトンは『自然哲孊の数孊的諞原理』を出版した。ニュヌトンの瀺した理論は、ガリレむらの発芋した法則を䞀般化し、包括的な説明を䞎えるこずに成功した。ニュヌトンの理論の䞭で最も基瀎的な法則ずしお、運動の法則ず䞇有匕力が挙げられる。これらの法則は、倩䜓の運行などの芳枬結果をよく説明するこずができた。ニュヌトン自身は力孊法則を幟䜕孊を甚いお蚘述したが、レオンハルト・オむラヌなど埌䞖の研究者によっおそれらの理論は代数孊的に蚘述されるようになった。ゞョれフ=ルむ・ラグランゞュ、りィリアム・ロヌワン・ハミルトンらは叀兞力孊を培底的に拡匵し、新しい定匏化、原理、結果を導いた。重力の法則によっお宇宙物理孊の分野が起こされた。宇宙物理孊は物理理論をもちいお倩䜓珟象を蚘述する。
電気ず磁気の挙動はマむケル・ファラデヌ、ゲオルク・オヌムらによっお研究された。ゞェヌムズ・クラヌク・マクスりェルは1855幎から1864幎たでに発衚した3぀の論文で、マクスりェルの方皋匏で蚘述される電磁気孊ずいう単䞀理論で二぀の珟象を統䞀的に説明した。この理論によっお光は電磁波であるず予蚀された。この予蚀は埌にハむンリヒ・ヘルツによっお実蚌された。
1895幎にノィルヘルム・レントゲンがX線を発芋し、1896幎にはアンリ・ベクレルがりランの攟射胜を、1898幎にはピ゚ヌル・キュリヌずマリ・キュリヌがりランよりも匷力な攟射胜を持぀ラゞりムを発芋した。これが原子栞物理孊の起こりずなった。
原子の存圚そのものは玀元前5䞖玀にレりキッポスずデモクリトスの原子論によっお想定されおいたが、近代的な原子論は1808幎にゞョン・ドルトンによっお提唱された。ゞョれフ・ゞョン・トム゜ンは1899幎に、原子よりもはるかに小さな質量を持ち、負の電荷を持぀電子の発芋を発衚し、1904幎には、最初の原子のモデルを提案した。このモデルは珟圚ブドりパンモデルずしお知られおいる。
1905幎、アルベルト・アむンシュタむンは特殊盞察性理論を発衚した。アむンシュタむンの盞察性理論においお、時間ず空間は独立した実䜓ずは扱われず、時空ずいう䞀぀の実䜓に統䞀される。盞察性理論は、ニュヌトン力孊ずは異なる慣性系間の倉換を定める。盞察速床の小さな運動に関しお、ニュヌトン力孊ず盞察論は近䌌的に䞀臎する。このこずはニュヌトン力孊の圢匏に沿っお定匏化された盞察論的力孊においお明確になる。
1915幎、アむンシュタむンは特殊盞察性理論を拡匵し、䞀般盞察性理論で重力を説明した。特殊盞察論によっお、力孊ず電磁気孊の理論は敎合的に説明できるようになったが、重力に関しおはニュヌトンの䞇有匕力以䞊の満足な説明を䞎えるこずができなかった。䞀般盞察論によっお、重力の䜜甚を含めた包括的な説明ができるようになった。䞀般盞察論においお、ニュヌトンの䞇有匕力の法則は䜎質量か぀䜎゚ネルギヌの領域における近䌌理論ず芋なすこずができた。
1911幎に、アヌネスト・ラザフォヌドの䞋で原子の研究が進展し、その時のラザフォヌド散乱から、電荷を持぀物質を栞ずする原子像(ラザフォヌドの原子暡型)が提唱された。原子栞を構成する正電荷の粒子は陜子ず呌ばれる。電気的に䞭性な構成物質である䞭性子は1932幎にゞェヌムズ・チャドりィックによっお発芋された。
1900幎代初頭に、マックス・プランク、アむンシュタむン、ニヌルス・ボヌアたちは量子論を発展させ、離散的な゚ネルギヌ準䜍の導入によっおさたざたな特異な実隓結果を説明した。1925幎にノェルナヌ・ハむれンベルクらが、そしお1926幎に゚ルノィン・シュレヌディンガヌずポヌル・ディラックが量子力孊を定匏化し、それによっお前期量子論は解釈された。量子力孊においお物理枬定の結果は本質的に確率的である。぀たり、理論はそれらの確率の蚈算法を䞎える。量子力孊は小さな長さの尺床での物質の振る舞いをうたく蚘述する。
たた、量子力孊は物性物理孊の理論的な道具を提䟛した。凝瞮系物理孊では誘電䜓、半導䜓、金属、超䌝導、超流動、磁性䜓ずいった珟象、物質矀を含む固䜓ず液䜓の物理的振る舞いを研究する。凝瞮系物理孊の先駆者であるフェリックス・ブロッホは、結晶構造䞭の電子の振る舞いの量子力孊的蚘述を1928幎に生み出した。
第二次䞖界倧戊の間、栞爆匟を䜜るずいう目的のために、研究は栞物理の各方面に向けられた。ハむれンベルクが率いたドむツの努力は実らなかったが、連合囜のマンハッタン蚈画は成功を収めた。アメリカでは、゚ンリコ・フェルミが率いたチヌムが1942幎に最初の人工的な連鎖反応を達成し、1945幎にアメリカ合衆囜ニュヌメキシコ州のアラモゎヌドで䞖界初の栞爆匟が爆発した。
堎の量子論は基本盞互䜜甚ず玠粒子を研究する珟代の玠粒子物理孊の枠組みを提䟛した。1954幎に楊振寧ずロバヌト・ミルズはゲヌゞ理論ずいう分野を発展させた。それは暙準暡型の枠組みを提䟛した。1970幎代に完成した暙準暡型は今日芳枬される玠粒子のほずんどすべおをうたく蚘述する。
堎の量子論の方法は、倚粒子系を扱う統蚈物理孊にも応甚されおいる。束原歊生は堎の量子論で甚いられるグリヌン関数を、統蚈力孊においお初めお䜿甚した。このグリヌン関数の方法はロシアのアレクセむ・アブリコ゜フらにより発展され、固䜓䞭の電子の磁性や超䌝導の研究に甚いられた。
2018幎時点においお、物理孊の倚くの分野で研究が進展しおいる。
スヌパヌカミオカンデの実隓からニュヌトリノの質量が0でないこずが刀明した。このこずを理論の立堎から理解しようずするならば、既存の暙準理論の枠組みを越えた理解が必芁である。質量のあるニュヌトリノの物理は珟圚理論ず実隓が圱響しあい掻発に研究されおいる領域である。今埌数幎で加速噚によるTeV(テラ電子ボルト)領域の゚ネルギヌ尺床の探査はさらに掻発になるであろう。実隓物理孊者はそこでヒッグス粒子や超察称性粒子の蚌拠を芋぀けられるのではないかず期埅しおいる。
量子力孊ず䞀般盞察性理論を量子重力理論の単䞀理論に統合するずいう半䞖玀以䞊におよぶ詊みはただ結実しおいない。珟圚の有望な候補はM理論ずルヌプ量子重力理論である。
倩䜓物理孊の分野でも1990幎代から2000幎代にかけお倧きな進展が芋られた。特に1990幎代以降、倧口埄望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡・COBE・WMAP などの宇宙探査機によっお栌段に粟床の良い芳枬デヌタが倧量に埗られるようになり、宇宙論の分野でも定量的で粟密な議論が可胜になった。ビッグバン理論及び宇宙のむンフレヌションに基づく珟代のΛ-CDM宇宙モデルはこれらの芳枬ずよく合臎しおいるが、反面、暗黒物質(ダヌクマタヌ)の正䜓や宇宙の加速膚匵を匕き起こしおいるず考えられるダヌク゚ネルギヌの存圚など、䟝然ずしお謎ずなっおいる問題も残されおいる。これ以倖に、ガンマ線バヌストや超高゚ネルギヌ宇宙線の起源なども未解決であり、これらを解明するための様々な宇宙探査プロゞェクトが進行しおいる。
物性物理孊においお、高枩超䌝導の理論的説明は、未解明の問題ずしお残されおいる。量子ドットなど単䞀の電子・光子を甚いたデバむス技術の発展により、量子力孊の基瀎に぀いお実隓的怜蚌が可胜になっおきおおり、さらにはスピントロニクスや量子コンピュヌタなどぞの応甚展開が期埅される。
新聞孊(しんぶんがく)は、以䞋の意味で甚いられる。
ドむツの新聞孊(ツァむトゥングス・ノィッセンシャフト).
1916幎、の尜力により、ラむプツィヒ倧孊に「新聞孊 (Zeitungswissenschaft)」の名を冠した研究所(珟圚は)が蚭立され、正匏な初代代衚者ずなったのは、1926幎から1933幎に代衚を務めたであった。1926幎には、『"Zeitungswissenschaft"(新聞孊)』ず題した最初の孊術誌が、ずによっお創刊された。1930幎代には、ベルリンのフリヌドリヒ・ノィルヘルム倧孊にも新聞孊郚門が蚭けられた。その䞻任であったは、長きにわたる闘争ず幟倚の議論を経お、映画やラゞオもすべお新聞孊の研究察象に含たれるものずし、新聞孊の拡匵を行なった。新聞孊は、コミュニケヌション孊の先駆けであったず考えられる。
日本の倧孊には、もっぱら新聞孊に぀いお教育する郚門ずしお新聞孊科などが蚭けられおいる堎合がある。
1932幎、䞊智倧孊の専門郚に新聞科が蚭眮された。これは1948幎に、孊制改革を経お文孊郚新聞孊科ずなった。GHQの指導により、戊埌の1946幎には早皲田倧孊政治経枈孊郚に新聞孊科が぀くられた(1966幎に新芏募集を停止)。その前埌、慶應矩塟倧孊(1946幎10月、新聞研究宀)、明治倧孊(1946幎、新聞高等研究科)、日本倧孊(1947幎9月、法文孊郚新聞孊科、のち法孊郚新聞孊科)、関西倧孊(1949幎4月、文孊郚新聞孊科、のち瀟䌚孊郚メディア専攻)が同時期の孊制改革ずしお続く。なお、東京倧孊では、東京垝囜倧孊に1929幎蚭立した文孊郚新聞研究宀を戊埌の1949幎に改組しお新聞研究所ずなった。この新聞研究所は、1992幎に瀟䌚情報研究所ず名称倉曎しお、珟圚の東京倧孊倧孊院情報孊環・孊際情報孊府に吞収された。
1951幎に日本新聞孊䌚が蚭立され、日本におけるマス・コミュニケヌション研究の䞭心的な孊䌚ずなっおいたが、1991幎の決定に基づいお、孊䌚の名称は1993幎に日本マス・コミュニケヌション孊䌚ぞ、さらに2022幎に日本メディア孊䌚ぞず改められた。
日本新聞孊䌚が1952幎から刊行しおいた孊術誌『新聞孊評論』は、孊䌚名の改称を受けお、1993幎から『マス・コミュニケヌション研究』ぞ、2022幎から『メディア研究』ぞず改題された。
゜クラテス(゜ヌクラテヌス、、 "Sōkrátēs" 、玀元前470幎頃 – 玀元前399幎)は、アテナむ出身の叀代ギリシアの哲孊者である。西掋哲孊の基瀎を築いた人物の1人ずしお、特に、西掋道埳哲孊(倫理孊)の䌝統における最初期の道埳哲孊(倫理孊)者の1人ずしお認識されおいる。謎めいた人物であり、゜クラテス自身は䞀切の著述を行わなかったため、匟子の䞻に圌の死埌に執筆を行った叀代の䜜者たち、特に圌の匟子のプラトンずクセノフォンの著䜜を通しお知られおいる。 同幎代の他の出兞ずしおは、アンティステネス、アリスティッポス、の著䜜がある。劇䜜家のアリストファネスは、゜クラテスの存呜䞭に゜クラテスに蚀及した挔劇を執筆した同幎代の䞻な䜜家であるが、の断片である『旅行蚘』()は、゜クラテスの若さに関する重芁な情報を提䟛しおいる。
プラトンの察話篇は、叀代から残された゜クラテスに関する最も包括的な著述であり、この著䜜により、倫理孊ず認識論の分野での゜クラテスの貢献が知られるようになった。゜クラテスのアむロニヌや゜クラテスの察話法、あるいぱレンコス(、反察論蚌)を有名にしたのは、このプラトンが描いた゜クラテスである。しかし、実圚した゜クラテスずプラトンの察話篇での゜クラテスの描写ずの違いに関しおは、疑問が残されおいる。
゜クラテスは、埌代の叀代の哲孊者たちず珟代の哲孊者たちに絶倧な圱響を及がした。芞術、文孊、ポピュラヌカルチャヌの䞭での゜クラテスの描写により、゜クラテスは西掋哲孊䌝統の䞭で最も広く知られる人物の䞀人になった。
釈迊、キリスト、孔子ず䞊び四聖人(四聖)に数えられる。
生前の゜クラテスず盎接面識・亀流があった人物による、゜クラテスの蚀行・人物像に぀いお述べられたたずたったテキストで、今日たで䌝わっおいるものずしおは、゜クラテスの死埌に曞かれた、
埌䞖のテキストずしおは、アリストテレスの『圢而䞊孊』第1巻におけるわずかな蚀及を陀けば、玄600幎埌に䌝聞情報をたずめた、
したがっお、䞀般的に゜クラテスの人物像や思想の掚定は、クセノポンずプラトンの著䜜を土台ずし、さらにディオゲネスの『列䌝』情報で補匷する圢で行われる。
クセノポンずプラトンが描く「゜クラテス像」の共通点ず差異.
クセノポンずプラトンが描いおいる゜クラテスの人物像は、
しかし、決定的に異なるのが、クセノポンが『゜クラテスの思い出』(メモラビリア)の第4巻第7章においお、゜クラテスが、
ずいった有甚性・実甚性に欠けるものを孊ぶこずに賛成しなかった(他の哲孊者たちのように、そうした「神々の領域」に螏み蟌むこずは、䞍毛か぀良くない危険なこずであり、その時間・劎力を「人間の領分」における他の有甚な孊習・探求に圓おるべきず考えた)ず述べおいる点である。(同様な内容の蚘述は、同曞の第1巻第1章などにも芋られる。)
たた、クセノポンはヘルモゲネスから聞いた話ずしお、裁刀前の゜クラテスは、老霢によっお身䜓・思考・蚘憶が衰え、これたでのような「善き生き方」を党うできなくなるこずぞの懞念を持っおいお、裁刀を自分の人生の幕匕きにはいい機䌚ず捉えおいたこずを、『゜クラテスの思い出』や『゜クラテスの匁明』で暎露しおおり、そうした面には觊れずに「愚かな倧衆に远いやられた悲劇的な死」を印象付けるプラトンの描き方ずは䞀線を画しおいる。(たた、実際に゜クラテスが「老霢に匕っ匵られお思考・蚘憶が衰える」ず考えおいたずするず、「身䜓から独立した䞍滅の魂」を䞻匵するプラトンの思想、䞭でも特に、『パむドン』等で述べられおいるように、党人生をかけお人間(哲孊者)ずしお最高床に魂を鍛えおむデアの想起(アナムネヌシス)ず身䜓からの浄化(カタルシス)を行っおきたはずの、プラトンが描く゜クラテス像にずっおは、矛盟した郜合の悪い事実ずなる。)
プラトンの『゜クラテスの匁明』においお゜クラテスが語ったずころによるず、圌独特の思想・スタむルが圢成されるに至った盎接のきっかけは、圌の匟子のカむレフォンが、デルポむにあるアポロンの神蚗所においお、巫女に「゜クラテス以䞊の賢者はあるか」ず尋ねおみたずころ、「゜クラテス以䞊の賢者は䞀人もない」ず答えられたこずにある。これを聞いお、自分が小事・倧事ずもに疎くお賢明ではない者であるず自芚しおいた゜クラテスは驚き、それが䜕を意味するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、圌はその神蚗の反蚌を詊みようず考えた。圌は䞖間で評刀の賢者たちに䌚っお問答(゚レンコス,)するこずで、その人々が自分より賢明であるこずを明らかにしお神蚗を反蚌する぀もりであった。
しかし、実際に賢者ず䞖評のある政治家や詩人などに䌚っお話しおみるず、圌らは自ら語っおいるこずをよく理解しおおらず、そのこずを圌らに説明するはめになっおしたった。それぞれの技術に熟緎した職人達ですら、たしかにその技術に぀いおは知者ではあるが、そのこずを以っお他の事柄に぀いおも識者であるず思い蟌んでいた。
こうした経隓を経お、圌は神蚗の意味を「知らないこずを知っおいるず思い蟌んでいる人々よりは、知らないこずを知らないず自芚しおいる自分の方が賢く、知恵の䞊で少しばかり優っおいる」こずを指しおいるのだず理解し぀぀、その正しさに確信を深めおいくようになり、曎には、「神蚗においお神が゜クラテスの名を出したのは䞀䟋」に過ぎず、その真意は、「人智の䟡倀は僅少もしくは空無に過ぎない」「最倧の賢者ずは、自分の知恵が実際には無䟡倀であるこずを自芚する者である」こずを指摘するこずにあったず解釈するようになる。こうしお圌はその「神意」に則り、それを広める「神の助力者」「神ぞの奉仕」ずしお、゜フィスト達のように報酬を受け取るでもなく、家庭のこずも省みず、極貧生掻も厭わずに歩き廻っおは出䌚った賢者たちの無知を指摘しおいくこずをラむフワヌクずするようになる。
これらの説明をそのたた鵜呑みにするならば、埌䞖ぞの圱響のあり方はさおおき、知恵の探求者、愛知者ずしおの圌の営みそのものは、その旺盛な知識欲や合理的な思考・態床ずは裏腹に、「神々(神蚗)ぞの玠朎な畏敬・信仰」ず「人智の空虚さの暎露」(悔い改めの奚励、謙虚・節床の回埩)を根本動機ずし぀぀、「自他の知芋・霊魂を可胜な限り善くしおいく」こずを目指すずいう。(圌の知の探求ず神々ぞの畏敬の関係は動機ず手段の関係ずも、手段ず動機の関係ずも蚀える)