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純粋経済学要論
まずドイツ人ヘルマン・ハインリッヒ・ゴッセンは、一八五四年に公にした著書「人間交通の法則の展開並びにこれにより生ずる人間行為の準則」(Entwickelung der Gesetze des menschlichen Verkehrs und der daraus fliessenden Regeln für menschliches Handeln)において、次にイギリス人ジェヴォンスは、一八七一年に第一版を、一八七九年に第二版を公にした「経済学の理論」(Theory of Political Economy)において、この方法に拠っている。ゴッセンとジェヴォンスとは共に、かつ後者は前者の著作を知ることなくして、利用または欲望の逓減曲線を作った。またゴッセンは最大利用の条件を、ジェヴォンスは交換方程式を、数学的に導き出した。 ゴッセンは次の言葉で最大利用の条件を表明している。――二つの商品は、交換後において各交換者が受けた最後の分子が交換者の一方及び双方に対し同じ価値をもつように、二人の交換者に分配せられなければならぬ(前掲書八五頁)。
純粋経済学要論
今この表現を私共の方式に飜訳するため、二商品を(A)、(B)と呼び、二交換者を(1)、(2)と呼ぶ。r=φa,1(q), r=φb,1(q) をそれぞれ交換者(1)に対する(A)、(B)の利用曲線の方程式とし、r=φa,2(q), r=φb,2(q) をそれぞれ交換者(2)に対する(A)、(B)の利用曲線であるとする。qa を交換者(1)によって所有せられる(A)の量とし、qb を交換者(2)によって所有せられる(B)の量とし da, db をそれぞれ交換せられる(A)、(B)の量とする。この条件において、ゴッセンの表現は二つの方程式φa,1(qa-da)=φa,2(da)φa,2(db)=φb,2(qb-db)によって飜訳せられ、これらが交換者(1)、(2)に対する da, db を決定する。だがかくして得られる利用の最大は、自由競争を条件とする最大でないことは明らかである。すなわちそれは、すべての交換者が共通で同一の比例で自由に二商品を互に与えまたは受ける条件と相容れる所の最大ではないことはいうまでもない。
純粋経済学要論
それは、市場において価格は常に一つであるとの条件、及びこの価格において有効需要と有効供給との均衡があるとの条件を考量しない絶対的最大であり、従って所有権の存在を考えない絶対的最大である(二)。 一六三 ジェヴォンスは次のように交換方程式を立てている。――二商品の交換比率は、交換後において消費せられるこれら商品の量の最終利用の反比に等しい(前掲書第二版一〇三頁参照)。そして二商品を(A)、(B)とし、二人の交換者を(1)、(2)とし、φ1, ψ1 でそれぞれ交換者(1)に対する(A)及び(B)の利用函数を示し、φ2, ψ2 でそれぞれ交換者(2)に対する(A)及び(B)の利用函数を表わし、a を交換者(1)が所有する(A)の量とし、b を交換者(2)が所有する(B)の量とし、x, y それぞれ交換せられる(A)、(B)の量とすれば、ジェヴォンスは自ら右の命題を飜訳して次の二つの方程式としている。
純粋経済学要論
これを私の記号で表せば、となり、これにより da と db とを決定し得る。この式は私の式と二つの点において異る。第一に、価格は商品の交換せられた量の反比であるが、この概念の代りにジェヴォンスは、交換量の正比でありかつ常に da, db の二項によって与えられる交換比(raison d'échange)という概念を用いている。第二に、ジェヴォンスは二人の交換者の場合をもってすべて問題は解けると考えている。氏は、これらの交換者の各々(取引主体)を、個々人の集団、例えば大陸の全住民、与えられた国における同じ種類の産業に従事する者の集団と考える権利を保留している(九五頁参照)。しかし氏は、このような仮定は現実を離れて、仮設的な平均を考えたものであることを、自ら認めている(九七頁)。私は現実に即しようとするが故に、ジェヴォンスの方式は、ただ二人の人のみが現われる限られた場合に妥当であるとしか、考えない。
純粋経済学要論
この場合には、ジェヴォンスの方式は、交換量を価格という概念に代えれば、私の方式と等しくなる。だから、任意数の人がいて、まず互に二商品を、次に任意数の商品を交換しようとする一般的な場合を導き入れるべき仕事が未だ残されていた。これは、ジェヴォンスが価格を問題の未知数としないで、交換せられる量を未知数とするような不適切な思想をもっていたことによるのである。 一六四 ジェヴォンスが初めて「経済学の理論」を公にした頃(一八七一――一八七二年)、ウィン大学教授カール・メンガーは「国民経済学原理」(Grundsätze der Volkswirtshaftslehre)を公にした。これは、交換の新理論の基礎が、他と独立にかつ独創的な形で説かれた第三の著作であって、私の著作に先行している。メンガーも、私共のように、交換理論を引き出す目的をもって、消費量の増加と共に欲望は逓減するとの法則を立てて、利用理論を説いている。
純粋経済学要論
氏は演繹的方法を用いたが、数学的方法を用いることに反対している。しかし、氏は、利用や需要を表わすのに、函数や曲線を用いてはいないが、少くとも算術的表を用いている。この事情により、ゴッセンとジェヴォンスを数行のうちに批評したように、メンガーの理論をも簡単に批評し尽すことは出来ない。私はただ、氏とウィーザーやベェーム=バウェルクのように氏に追従した著作者達とが、ただ本質上数学的な問題に数学的方法と用語を率直に用いることを拒否したのは、貴重にしてかつ欠くべからざる手段を抛棄したものであるといいたい。しかしここで附言しておくが、これらの著者達は、不完全な方法と用語とを用いたとはいえ、交換問題の深い研究を遂げた。少くとも確かに、稀少性の理論すなわち彼らのいわゆる限界利用の理論に経済学者の注意を強く促すのに成功している。今やこの理論は経済学の中に現われて、最も光輝ある未来を予想せられている。私は、この理論から、価値尺度財で表わした商品の価格決定の抽象的理論を導き出した。
純粋経済学要論
私は、(一)生産物の価格と土地収入、人的収入、動産収入の同時的決定の理論、(二)純収入率の決定の理論、土地資本、人的資本、動産資本の価格決定の理論、(三)貨幣で表わした価格決定の理論を導き出そうと思う。これらの理論はいずれも抽象的ではあるが、互に関連しているから、組織的な綜合をすれば、現実の説明となり得るであろう(三)。註一 特に第三章四一頁、第十六章二三四頁、第十八章二七九頁参照。註二 Etudes d'économie sociale. Théorie de la propriété, §4 参照。註三 すべての誤解を避けるため、私は繰り返していっておかねばならぬが、この章の最後の三節は、この書物の第二版において附け加えられたのである。一八七四年の第一版で、この書物より先に著わされた右に挙げた三著作を引用しなかったのは、私がこれらの存在を全然知らなかったからである。  第四編 生産の理論
純粋経済学要論
第十七章 資本と収入について。三つの生産的用役について要目 一六五 生産物としての商品。既に供給と需要の法則を得たが、次に生産費または原価の法則を求める。一六六 土地。労働及び資本。不完全な表現。一六七 資本。一回より多く使用せられる社会的富の種類。収入。一回しか使用せられない社会的富の種類。性質によるまたは用途による資本及び収入。一六八 物質的または非物質的な資本及び収入。一六九 資本の継続的な用役は収入である。消費的用役。生産的用役。一七〇 土地と地用、すなわち土地資本と土地用役。一七一 人と労働、すなわち人的資本と人的用役。一七二 狭義の資本と利殖、すなわち動産資本と動産用役。一七三 収入。一七四 土地。ほとんど一定量に存在する資本。一七五 人、消費と産業的生産の外において消滅したり、再現したりする資本。一七六 狭義の資本、生産せられる資本。一七七 既に生産物の価格を得ておるので、生産用役の価格を求める。
純粋経済学要論
一六五 現象がいかに複雑であろうとも簡単から複雑に進むべしという準則を守るならば、それを科学的に研究する方法が常に存在する。私は先に、二商品相互の間に行われる交換、価値尺度財を用いないで多数の商品の間に行われる交換、価値尺度財を仲介として多数の商品の間に行われる交換を順次に研究し、交換の数学的理論を明らかにした。それをするに当り、私は、商品が土地、人、資本等の生産要素の結合から生ずる生産物であるという事情を看過しておいた。今はこの事情を加え、生産物の価格の数学的決定の問題の後を承けて、生産財の価格の数学的決定の問題を提出すべき時となった。交換の問題を解いて、私共は、需要供給の法則の科学的方式を得たのである。生産の問題を解いて、生産費の法則(loi des frais de production または loi du prix de revient)の科学的方式を得るであろう。かくして私共は、経済学の二大法則を発見したこととなる。
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ただこれらの二つの法則を価格決定の点から互に競合せしめ矛盾せしめることなく、生産物の価格決定を第一の法則を基礎として説明し、また生産財の価格の決定を第二の法則を基礎として説明することにより、私は、これら二つの法則にそれぞれの地位を与えようと思う。多くの経済学者が信じたように、また今でも人々が信ずることを躊躇しないであろうように、また私自身も完全にはこの考えから脱却していないように、正常的理想的状態においては、商品の価格は、その生産費に等しい。この状態すなわち交換と生産の均衡状態において、五フランに売られる一本の葡萄酒は、この生産のために、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を要する。問題は、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を支払ったから、葡萄酒一本が五フランに売られるものであるか、または葡萄酒一本が五フランに売られるから、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を支払うのであるかということにある。
純粋経済学要論
一言でいえば、問題は一般にいわれるように、生産物の価格を定めるものは、生産財の価格であるか、または生産費の法則によって生産財の価格を決定するものは、既に述べたような需要供給の法則によって決定せられる生産物の価格ではないかということにある。今、研究しようとする問題は、この問題である。 一六六 生産の要素の数は三つである。これらを列挙するとき、学者はこれらのそれぞれを、土地、労働、資本と呼ぶのが最も普通である。だがこれらの表現は充分に厳密なものではなく、合理的演繹の基礎とすることが出来ない。労働(travail)は人の能力の用役すなわち人的用役である。故に労働と並べて土地、資本を置くべきではなくして、地用(rente)すなわち土地の用役と、利殖(profit)すなわち資本の用役とを置かねばならぬ。私はこれらの語を厳密な意味に用いようと欲するから、これらを注意して定義せねばならぬ。この目的から、私はまず、資本及び収入について、普通に与えられるよりは遥かに狭い定義を与え、以下それを用いたいと思う。
純粋経済学要論
一六七 私の父が「富の理論」(Théorie de la richesse. 1849)においてなしたように、すべての耐久財、すべての種類の消費し尽されることの無い社会的富または長い間にしか消費し尽されない社会的富、人が第一回の使用をなしてもなお残存する所のすべての量において限られた利用、換言すれば一回以上役立つすべての量において限られた、例えば家屋、家具のようなものを、私は、固定資本(capital fixe)または資本一般(capital en général)と呼ぶ。そしてすべての消耗財すなわち直ちに消費せられるすべての社会的富、一度用役を尽せば消滅する稀少なすべての物、換言すれば一回しか役立たない財、例えばパン・肉のようなものを、流動資本(capital circulant)または収入(revenu)と呼ぶ。これらの収入の中に含まれるものは、私的消費財のほか、農業及び工業によって用いられる原料品、例えば種子、織物原料等である。
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ここでいう富の持続とは、物理的持続ではなくして、経済的持続すなわち利用の持続である。織物の原料にあたる繊維は、物理的には織物のうちに持続している。しかしそれらは原料としては消滅して、再び同じ用途に用いられない。反対に建物、機械のようなものは資本であって、収入ではない。なお附け加えておくが、ある種の社会的富は当然資本であり、他の社会的富は収入であるとしても、またその用途により、または人々がそれに要求する用役の種類により、あるいは資本となり、あるいは収入となる多数の富がある。例えば果樹などがそれであって、果実が採取せられるとき、それらは資本であり、薪を作るためまたは加工するために伐採せられれば、収入である。また家畜などが、それであって、使役せられるときまたは卵、牛乳を採取せられるとき、資本であり、食用に供するため屠殺せられるとき、収入となる。ところですべての種類の社会的富は、その性質により、その用途により、一回以上用いられるか、またはただ一回しか用いられないかであり、従って資本であるか、あるいは収入であるかである。
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人々が資本を消費するという場合には、これらの人々がまずその資本を収入と交換し、しかる後この収入を消費することを意味する。同様に収入を資本化するには、これらを資本と交換せねばならない。 資本は貯蔵(approvisionnement)と混同してはならない。貯蔵は消費の目的にあらかじめ用意せられた収入の合計に過ぎない。穴倉に貯えられた葡萄酒、倉庫に貯えられた薪炭、織物の原料の如きは貯蔵である。鉱山・石山の鉱物・石材もまた収入の合計であって、資本ではない。 一六八 私は、稀少である、すなわち利用があってかつ量において限られた有形または無形の物の総体を社会的富と名づけたのであるから(第二十一節)、この社会的富を二つに分類した資本と収入も、あるいは有形であり、あるいは無形のものである。物の有形無形は、資本と収入の場合にも、重要性をもたない。後に資本が何故に収入を生ずるかを述べるであろうが、そのときまた、有形の資本も無形の収入を生むことが出来、また無形の資本が有形の収入を生むことが出来るのを見るであろう。
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今からこの事実を述べておくのは、資本と収入との区別を明らかにしようと思うからである。 一六九 資本の本質は収入を生ぜしめることにある。収入の本質は、資本から直接または間接に発生することにある。なぜなら資本は、定義により、人々が第一回の使用をなしてもなお残存するものであって、従って引続いて使用せられ得るものであるが、これらの使用の継続は明らかに収入の連続であるからである。土地は年々収穫を発生せしめる。家屋は春夏秋冬不順な気候を防いでくれる。土地のこの豊度、家屋のこの掩護は、これら土地及び家屋の年々の収入を形成する。労働者は日々工場に労働し、弁護士・医師は日々その診療に従事する。この労働、この診療は、これら労働者の日々の収入である。同様に、機械・道具・家具・衣服の収入もある。多くの学者は、資本と収入とをかく区別して考え得なかったために、不明瞭と混同に陥っている。 資本と収入との区別を明らかにするため、資本の使用によって成立する収入に、用役(services)の名を与えよう。
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この用役のうちには、公私の消費によって消費せられるものがある。家屋がなしてくれる掩護、弁護士の相談、医師の診察、家具衣服の使用などがそれである。これらを消費的用役(services consommable)と呼ぶ。このほかに農業・工業・商業によって、収入または資本すなわち生産物に変化せられる用役がある。例えば土地の沃度、労働者の労働、機械道具等の使用などがこれである。それらは生産的用役(services producteurs)と呼ばれる。後に私は流通の理論において、収入の貯蔵は独特の使用的用役(service d'usage)を与えるのであるが、同時にまた、消費的または生産的な貯蔵の用役(service d'approvisionnement)を与え得ることを証明するであろう。消費的用役と生産的用役とのこの区別は、多くの学者が不生産的消費と生産的消費との間になす区別に等しい。ここで研究しようとするのは、特に、生産的用役の生産物への変形である。
純粋経済学要論
一七〇 資本と収入との右の定義に拠りながら、私共は、社会的富の全体を四つの主な範疇――その中の三つは資本であり、他の一つは収入である――に分つことが出来る。第一の範疇には土地を属せしめる。公私の庭園・公園とせられた土地、人畜の食料となる果実・蔬菜・穀物・牧草等を成長せしめ、木材を成長せしめるすべての土地、住宅・公共の建築物・鉱山の建設物・工場・店舗等が建設せられる土地、道路・街路・運河・鉄路として用いられる土地などは、この範疇に属する。冬季中休止状態にある庭園も、公園も、夏にはまた緑色となって、再び花が開く。今年生産物を出す土地は、また翌年生産物を出す。今年家屋や工場を支えている土地は、翌年もまたこれを支えているであろう。昨年歩んだ道路、街路を、私共は明年も歩むであろう。第一回の使用をしても存続し、その使用の連続は収入を構成する。散策眺望から受ける愉快は、公園、庭園から得られる収入である。
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生産力は生産用の土地の収入である。建築物に与えられた位置は建築用地の収入である。交通の便益は街路道路の収入である。故に第一範疇に属する資本として土地資本(capitaux fonciers)または土地(terres)がある。その収入は土地収入(revenus fonciers)または土地用役(services fonciers)と呼ばれ、また地用(rentes)とも呼ばれる。 一七一 第二の範疇には人を属せしめる。旅行や享楽のほか何ものもしない人、他の人々のために用役をなす人、馭者、料理人、下男下女、国家の用役をなす官吏、例えば行政官・裁判官・軍人など、農業・工業・商業に従事する労働者、弁護士、医師、芸術家、自由職業に従事する者などは、皆この範疇に属し、資本である。今日遊楽に耽る閑人は、明日も遊楽に耽るであろう。一日の業をおえた鍛冶屋は、なお幾日もその仕事を続けるであろう。弁護をおえた弁護士は幾度か弁護を繰り返すであろう。
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かようにして人々は、最初の用役をなした後もなお持続するものであり、彼らがなす一連の用役は彼らの収入を構成する。閑人がなした享楽、職人がなした仕事、弁護士がなした弁護は、これらの人々の収入である。故に第二種類の資本として、人的資本(capitaux personnels)または人(personnes)がある。この人的資本が生ずる収入は、人的収入(revenus personnels)または人的用役(services personnels)と呼ばれ、また労働(travaux)とも呼ばれる。 一七二 第三の範疇には、土地または人でなくして資本である他のすべての富を属せしめる。都鄙到る所の住宅、公共の建築物、生産設備、工場、倉庫、あらゆる種類の建設物(いうまでもなく、それを支える土地を含ませない)、あらゆる種類の樹木草本、家畜、家具、衣服、書画、彫刻、諸車、宝石、機械、道具等がこれである。これらの物は収入ではなくして、収入を生ずる資本である。
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私共を居住せしむる家屋はなお永く私共を居住せしめるであろう。私の書画、宝石は常に私の手中にある。今日近隣の都市から旅客貨物を運送した機関車、客車、貨車は、明日もまた同じ線路上に旅客と貨物とを運送するであろう。ところで家屋が提供する居住、書画宝石から得られる装飾、列車によってなされる運送は、これら資本の収入である。故に第三種の資本として動産資本(capitaux mobiliers)または狭義の資本があり、それらの資本が与える収入は動産収入(revenus mobiliers)または動産用役(services mobiliers)と称せられ、また利殖(profits)とも呼ばれる。 一七三 一切の資本はこれら三つの範疇によって尽されているから、社会的富の第四の範疇に属するものとしては、収入しかない。小麦、麦粉、パン、肉類、葡萄酒、ビール、野菜、果実、消費者の用に供する加熱用・灯用の燃料等の消費目的物、再び肥料、種子、原料となる金属、木材、加工せられる繊維、布、生産の用に供せられる加熱用・灯用の燃料、その他生産物となって現われるために原料としては消失すべきすべての物すなわち原料品がこれである。
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一七四 かくて明らかなように、土地、人、狭義の資本は資本である。土地の用役すなわち地用、人の用役すなわち労働、狭義の資本の用役すなわち利殖は収入である。故に正確で精密であるためには、生産要素として、三種の資本と三種の用役、すなわち土地資本、人的資本、動産資本と、土地用役、人的用役、動産用役、更に換言すれば土地と地用、人と労働、資本と利殖を認めなければならぬ。かように修正すれば、通常の用語は、事物の性質に基礎を有するものとして、許容することが出来る。 土地は自然的資本であって、人為的資本でもなく、また生産せられた資本でもない。また土地は消費し尽されない資本であって、使用により事変により消滅しないものである。だが岩石の上に土を運び、または排水灌漑等により人為的に生産せられた土地資本がある。また地震により河水の氾濫により滅失する土地資本もある。しかしこれらは少数であって、従って少数の例外を除けば、土地資本は消費し尽すことも出来ねば、生産することも出来ない資本であると考えてよい。
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これら二つの事情は各々その重要性をもつものではあるが、しかしこれらの二つの事情の同時的な存在が、土地資本にその特有な性質を与えるのである。すなわちこれによって、土地の量は厳密に一定不変ではないにしても、少くとも変化の少いものとなり、従って土地のこの量は原始的社会においては、すこぶる豊富であり、進歩した社会においては、人及び狭義の資本の量に比較してはなはだ限られたものとなる。その結果、事実において見るように、土地は、原始社会においては、稀少性も価値もゼロであり、進歩した社会においては、高い稀少性と価値とをもつものである。 一七五 人もまた自然的資本である。しかし消費され得る資本すなわち使用により破壊せられ、事故により消滅せられ得る資本である。そして人は消滅するが、また生殖によって再び現われてくる。その量もまた一定不変ではなくして、ある条件の下に際限なく増加し得るものである。これについて、一つの解説を加えておかねばならぬ。
純粋経済学要論
すなわち、人が自然的資本であり、生殖によって再び現われるといっても、一般に認められつつある社会道徳上の原理すなわち人は物として売買せられるべきものではなく、また家畜のように、農場において増殖し得られるものでもないという原理を斟酌せねばならぬ。この理由によって人々は、これを価格の決定理論の中に入れることは無益であると考えるであろう。けれども、まず、人的資本が交換せられるものでないにしても、人的用役すなわち労働は、日々市場において需要し供給せられるし、次に人的資本それ自身も評価せられることがしばしばある。その上、純粋経済学は、正義の観点も利害の観点も全く捨象し、人的資本をも土地資本・動産資本と同様に、もっぱら交換価値の観点から考察するのである。故に、私は、奴隷制度の是非の問題とは無関係に、労働の価格といい、人の価格とさえいうであろう。 一七六 狭義の資本は人為的資本すなわち生産せられた資本であって、かつ消滅する資本である。
純粋経済学要論
おそらく、土地及び人のほかにも、自然的富で同時に資本であるものも、多少はあるであろう。ある種の樹木、ある種の家畜などがそれである。だが土地のほかには、消滅しない資本はほとんど無い。だから狭義の資本は、人のように、破壊せられ、消滅する。しかもそれらは、人のように自然的再生産によってではないが、経済的生産の結果として現われてくる。その量は人の量と同じく、一定の条件において無限に増加せられる。この資本についても、私は一つの解説を加えておかねばならぬ。すなわち資本は常に産業特に農業において、土地と結合しているということが、それである。しかし私共が土地という場合には、住居、または生産用の建造物、囲障、灌漑排水の設備、一言にいえば、狭義の資本から切り離していうのであることを忘れてはならない。また肥料、種子、収穫前の作物等、土地に伴うすべての収入から切り離しているのはいうまでもない。そして、私共が地用と呼ぶのは、かく考えられた土地の用役をいうのであり、利殖という名を与えられるのは、土地が結合した狭義の資本の用役のみである。
純粋経済学要論
以上述べてきたような諸性質は、土地、人、狭義の資本の区別を説明し、かつこの区別の正当なことを証明する所の重要なものである。しかしこの重要性は、社会経済学において、特に著しく現われるのであって、純粋経済学においては、次編に説明する資本化及び経済的発展に関し、現れるのみである。生産編において予想するのは、土地資本、人的資本、動産資本が資本であり、収入ではないということだけである。 一七七 これだけを前提として、交換におけると同時に、生産においても、自由競争の制度の経済社会において、何故にかついかにして土地の用役すなわち地用に対し、人的能力の用役すなわち労働に対し、また狭義の資本の用役すなわち利殖に対し、数学的量である所の市場価格が成立するかを研究する。他の適当な言葉でいえば、地代、賃銀、利子を根とする連立方程式を求めねばならぬのである。    第十八章 生産の要素と生産の機構要目 一七八 (1)(2)(3) 消費的用役に対する土地資本、人的資本及び動産資本。
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(4)(5)(6) 生産的用役に対する土地資本、人的資本及び動産資本。(7) 新動産資本。(8) 消費目的物。(9) 原料。(10) 新収入。(11)(12)(13) 流通貨幣及び貯蔵貨幣。一七九 消費目的物。原料及び貨幣について新動産資本、新収入、貯蔵の捨象。一八〇、一八一、一八二 生産資本による収入及び動産資本の生産。一八三 資本のみが実物による貸与が可能である。資本の貸与は用役の販売である。一八四 地主、労働者、資本家、企業者。一八五 用役市場、地代、賃銀、利子。一八六 生産物市場。一八七 この相異なる二つの市場は互いに連絡している。一八八 生産の均衡はこの二市場における交換の均衡と、生産物の売価と原価の均等を想定し、企業者は利益も損失も生じない。 一七八 生産物の価格の数学的決定の問題を研究したとき、交換における自由競争の機構を正確に定義しなければならなかったが、それと同じく、生産用役の価格の数学的決定の問題を研究するに当っても、生産における自由競争の機構の正確な概念を得るために、事実と経験とに問わねばならない。
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ところでもし、この分析のために、与えられた国において、経済的生産の機能が一時停止したと想像すれば、既に列挙した消費的用役と生産的用役との区別(第一六九節)と、資本と収入(第一七〇――一七三節)とを結合して、この機能の要素を次の十三項目に分類することが出来る。 資本としては、 1、2、3 消費的用役すなわち資本の所有者自らにより直接に消費せられる収入、またはこれら収入の所得者により、または個々の人々により、あるいはまた公共団体・国家によって直接に消費せられる収入を生産する土地資本、人的資本、動産資本。例えば土地資本は、公園、庭園、住居・公共の建築物を支える土地、街路、道路、広場等。人的資本は、例えば閑人、僕婢、官吏など。動産資本としては、住居、公共の建築物、娯楽用の樹木草本、動物、家具衣服、芸術品等。 4、5、6 生産的用役すなわち農業工業商業によって生産物に変化せられるべき収入を生産する土地資本、人的資本、動産資本。
純粋経済学要論
土地資本として、例えば耕作地、及び生産用の建設物や工場や細工場や倉庫等を支える地面など。人的資本として、賃銀労働者、自由職業に従事する者等。動産資本として、生産用の建設物、工場、倉庫、収入を生ずる樹木、作業用の動物、機械、道具等。 7 一時の間収入を生ぜず、生産物として生産者によって売られる新動産資本。例えば、新に建設せられて売られるべき家屋その他の建築物、店舗に陳列せられる動物植物、家具衣服、芸術品、機械、道具等。 収入としては、 8 消費者の手中にある消費目的物から成る収入の貯蔵。例えば、パン、肉、葡萄酒、野菜、油、薪炭等。 9 生産者の手中にある原料品から成る収入の貯蔵。例えば、肥料、種子、金属、加工用の材木、加工用の繊維、布、工業用の燃料等。 10 生産物となって、生産者の手によって売られる消費目的物及び原料から成る新収入。例えば、パン屋・肉屋にあるパン・肉、店舗に陳列せられる金属、加工用木材、繊維、布等。
純粋経済学要論
最後に貨幣として、 11、12、13 消費者の手中にある流通貨幣、生産者の手中にある流通貨幣、及び貯蔵せられる貨幣。 容易に知られるように、最初の六項目は、三種の資本に、消費的用役を生産する資本と、生産的用役を生産する資本との区別を導き入れることによって得られ、第七項目は、収入を生産しない狭義の資本を独立せしめることによって得られる。ここに資本と収入のほかに貨幣を独立せしめるのは、貨幣が、生産において、混合した職能を尽すからである。社会的観点から見ると、貨幣は一回以上支払いに役立つ故に、資本である。個人の観点からは、貨幣は収入である。なぜなら、それは、人が支払のために用いれば失われて、ただ一回しか役立たないから。 一七九 右に、私は、経済的生産の機能が一時停止していると仮定した。今この機能が働き始めたと考えてみる。 最初の六項目に分類せられたものの中で、土地は破壊し消滅せられることがない。
純粋経済学要論
人は、農業・工業・商業の生産とは独立に――ただしこの経済的生産と何らの関係が無いわけではないが(この理由は後に述べるであろう)――人口の運動によって、死滅し発生するであろう。また使用により破壊せられ、事故により消滅する狭義の資本は、消耗し消失するが、第七項目の下に分類せられた新資本によって補充せられる。かくて狭義の資本の量は、この事実によって減少するが、生産によって回復せられる。問題を簡単にするため、今はしばらく、新動産資本は生産せられると同時に第三及び第六項目に入るものと仮定して、第七項目を捨象することが出来よう。 第八、九項目の下に分類せられた消費の目的物及び原料は、直ちに消費せられるべき収入であって消費せられるけれども、第十項目の下に分類せられる収入によって代えられるものである。かくてこれらの量は、この事実によって減少するけれども、生産によって回復せられる。ここでもまた、新収入は、生産せられると同時に、第八、九項目の下に入るものと仮定して、第十項目を捨象することが出来よう。
純粋経済学要論
更に消費目的物及び原料は、生産せられると同時に直ちに消費せられる(貯蔵をしないとすれば)ものと仮定して、第八及び第九項目を捨象することが出来よう。 貨幣は交換に参加するものである。流通貨幣の一部が、貯蓄となって吸収せられるとき、この貯蔵貨幣の一部は、信用によって、流通界に出てくる。もし貯蓄という事実を捨象すれば、貯蓄の貨幣を捨象することが出来る。なおまた流通貨幣をも捨象し得るであろうことは、後に述べる。 一八〇 要するに消費的用役は、第一、二、三項目の下に分類せられる土地資本、人的資本、動産資本によって再生産せられると直ちに消費せられ、消費的収入は、第四、五、六項目の下に分類せられる土地資本、人的資本、動産資本によって再生産せられると、直ちに消費せられる。収入は、定義により、その最初の用役を尽せばもはや存在しない。人々が収入に対してこの用役を要求すれば、収入は消滅する。専門語でいえば、それらは消費(consommer)せられる。
純粋経済学要論
パン、肉は食われ、葡萄酒は飲まれ、油、薪炭は燃焼せられ、肥料、種子は土地に投下せられ、金属、木材、繊維、布は加工せられ、燃料は使用せられる。しかしこれらの収入は、資本の作用の結果として再生産せられるのであって、全く消滅するのではない。資本は、定義により、人々が第一回の使用をしてもなお存在を続けるものである。人々がこれらの継続的使用をすれば、それに役立つことを続ける。専門語でいえば、資本は生産(produire)する。耕作地は耕作せられ、ある土地は生産設備を支え、労働者はこの設備の中に労働し、機械道具等を使用する。要するに、土地資本、人的資本、動産資本は、それぞれ地用、労働、利殖を提供し、農業・工業・商業はこれらの地用、労働、利殖を結合せしめて、消費せられた収入に代替すべき、新しい収入を得るのである。 一八一 だがこれだけでは足りない。直ちに消費せられる消費目的物及び原料のほかに、長い間に消費せられる狭義の資本がある。
純粋経済学要論
家屋その他の建築物は毀損し、衣服、芸術品は消耗する。これらの資本は、使用により、あるいは速かにあるいは徐々に破壊せられる。また事故により偶然に消滅こともあり得る。故に土地資本、人的資本、動産資本は新しい収入を生産するだけでは足りない。消耗せられる動産資本及び事故により消失する動産資本の代りに、新動産資本を生産せねばならない。出来得れば、現在の動産資本より多い新動産資本を生産せねばならぬ。そしてこの観点から、私共は、経済的進歩の特色を今既に指摘しておくことが出来る。実際、ある時間の終りに、先になしたと同じく、再び経済的生産の働きを停止したと考え、かつこのとき、動産資本が以前より大であるならば、それは経済的発展の象徴である。かくて経済的発展の特色の一つは、動産資本の量の増加にある。次編ではもっぱら新資本の生産の研究をなすであろうから、私はこれを後の研究に譲り、今は新収入すなわち消費の目的物及び原料の生産の問題の研究をなすであろう。
純粋経済学要論
一八二 生産資本によっての消費的収入及び動産資本の生産は、互に結合して生産の働きをなす資本の作用によって行われる。土地資本が主に働く農業においても、生産物は単に地用を反映するのみならず、労働及び利殖をも反映している。また反対に、資本の働きが支配的な工業においても、労働及び利殖と共に、地用が生産物の構成の中に入ってくるのである。おそらくはいかなる例外もなく、生産のためには、労働者を支えるべき土地と、人的能力と、資本である道具がなければならぬ。故に土地と人と資本との結合協力は経済的生産の本質である。先に生産要素の分類に役立った資本と収入との区別が(第一七八節)、また生産の機構を示すに役立つであろう。 一八三 収入は、第一回の用役を尽した後には存在しないという性質があることによって、売買せられるかまたは贈与せられることしか出来ない。それらは賃貸せられ得るものではない。少くとも自然の形においては、いかにしてパンや肉を賃貸することが出来よう。
純粋経済学要論
しかるに資本は一回の使用をなしてもなお残存するという性質があることによって、有償または無償で、賃貸することが出来る。人々は例えば家屋什器を賃貸することが出来る。そしてこの行為の存在の意義は何であろうか。それは、賃借人に用役の享受を得せしめることである。資本の賃貸とは資本の用役を譲渡することである。この定義は全く資本と収入との区別に基く基本的な定義であって、これなくしては生産理論と信用理論とは成立しない。資本の有償的賃貸は用役の売買であり、その無償的賃貸は用役の贈与である。この有償的賃貸によって第四、五、六項目の下に分類せられた土地資本・人的資本・動産資本は生産のために結合せられる。 一八四 土地の所有者を地主(propriétaire foncier)と呼び、人的能力の所有者を労働者(travailleur)と呼び、狭義の資本の所有者を資本家(capitaliste)と呼ぶ。そして今、右の所有者とは全く異り、地主から土地を、労働者から人的能力を、資本家から資本を借入れ、これら三つの生産的用役を農業・工業または商業によって結合することを職分とする第四の人を企業者(entrepreneur)と呼ぶ。
純粋経済学要論
もちろん実際においては、同じ人が右に定義した二つまたは三つの職能を兼ねることが出来る。否四つ全部さえも兼ねることが出来る。そしてこの結合が異るに従って、種々の企業の形態が生ずるのである。だがそれらの場合にも、彼は異る二つ、三つまたは四つの職能を果すのであることは明らかである。科学的観点からは、我々は、これらの職能を区別し、それによって企業者と資本家とを同一視したイギリスの経済学者の誤や、企業者を企業の指揮の労働をなす者と考えたフランスの学者らの誤を避けねばならない。 一八五 企業者の職分がこのように考えられた結果として、二つの異る市場を考えねばならない。その一は用役の市場である。そこでは、地主、労働者、及び資本家が売手として、企業者が生産的用役すなわち地用・労働・利殖の買手として相会する。しかしまた、用役の市場には、生産的用役として地用・労働・利殖を買入れる企業者のほかに、消費的用役として地用・労働及び利殖を買入れる地主、労働者、資本家がある。
純粋経済学要論
これらの人々を、私は、時と処に応じて導き入れてくるであろうが、今しばらく企業者のみが生産的用役を購う場合を研究せねばならない。これらの生産的用役は、価値尺度財を仲介とする自由競争の機構によって交換せられる(第四二節)。人々は各用役に対し、価値尺度財で表わした価格を叫ぶ。もしこの叫ばれた価格において、有効需要が有効供給より大であれば、企業者はせり上げ、価格は騰貴する。もし有効供給が有効需要より大であれば、地主、労働者、資本家はせり下げ、価格は下落する。各用役の市場価格は、有効需要と有効供給とを相等しからしめる価格である。 このように掛引によって定まる地用の価値尺度財で表わした市場価格は地代(fermage)と呼ばれる。 価値尺度財で表わした労働の市場価格は賃銀(salaire)と呼ばれる。 価値尺度財で表わした利殖の市場価格は利子(intérêt)と呼ばれる。 生産的用役とそれらの市場と、この市場における有効需要と有効供給と、そしてこの需要と供給との結果としていかにして市場価格が現われるかの機構とは、資本と収入と企業者の定義とによって明らかになった。
純粋経済学要論
後に、イギリス・フランスの経済学者が地代、賃銀、利子すなわち生産的用役の価格を決定しようと努力しながら、これらの用役の市場を考えなかったために、不成功に終ったことを述べるであろう。 一八六 市場の他の一つは生産物の市場である。ここでは、企業者が生産物の売手として、地主・労働者・資本家は生産物の買手として現われる。これらの生産物もまた価値尺度財を仲介として、自由競争の機構に従って交換せられる。人々はこれらの生産物の各々に対し、価値尺度財で表わされた価格を叫ぶ。この叫ばれた価格において、有効需要が有効供給より大であるならば、地主・労働者・資本家はせり上げ、価格は騰貴する。もし有効供給が有効需要より大であるならば、企業者はせり下げて、価格は下落する。各生産物の市場価格は、有効需要と有効供給とが相等しくなるような価格である。 かくて、他の一方に、生産物の市場と、需要と、供給と市場価格とがいかにして成立するかが明らかになった。
純粋経済学要論
一八七 これらの概念は、容易に認め得られるであろうように、事実と観察と経験とに、正確に一致する。実に貨幣の仲介によって行われる用役の売買市場と生産物の売買市場とは、経済学上においてと同じく、事実においてもまた、全く異るものである。それらの市場の各々において、売買はせり上げとせり下げの機構によって行われる。靴を買おうとして靴屋に入れば、生産物を与えて貨幣を受領する者は、企業者である。この活動は生産物の市場において行われる。生産物の需要が供給より多ければ、他の消費者は価格をせり上げる。供給が需要より多ければ、他の生産者がせり下げる。また一人の労働者は、一足の靴の手間賃の価格を定める。企業者は生産的用役を受け、貨幣を与える。この活動は用役の市場においてなされる。もし労働の需要が供給より大であれば、他の企業者は靴屋の賃銀をせり上げる。この供給が需要より大であれば、他の労働者はせり下げる。しかしこのように二つの市場は、全く異っているとしても、互に相連絡していないわけではない。
純粋経済学要論
なぜなら消費者である地主・労働者・資本家が、生産物の市場において生産物を買い入れるのは、用役の市場において彼らの生産的用役を売って得た貨幣をもってであるからであり、企業者が用役の市場において生産的用役を買い入れるのは、生産物を売って得た貨幣をもってであるからである。 一八八 交換の均衡状態を陰伏的に含む所の生産の均衡状態は、今は、容易に定義し得られる。それはまず生産用役の有効需要と供給とが等しい状態であり、これらの用役の市場において静止的な市場価格が存在する状態である。またそれは生産物の有効需要と供給とが相等しい状態であり、生産物の市場において静止的市場価格が存在する状態である。更にまたそれは生産物の売価が生産的用役より成る生産費に等しい状態である。そしてこれらの状態のうち、最初の二つは交換の均衡に関するものであり、第三は生産の均衡に関するものである。 生産の均衡のこの状態は、交換の均衡の状態のように、理念的状態であって、現実の状態ではない。
純粋経済学要論
生産物の売価が生産用役から成る生産費に絶対的に等しいことはないであろう。それは生産用役または生産物の有効需要供給が絶対的に等しい事がないのと同様である。しかしその均衡は、交換に対してと同じように、生産に対して適用せられた自由競争の制度の下において、自ら落付くであろう所の状態であるという意味において、正常の状態である。自由競争の制度の下において、もしある企業のうちに生産物の売価が生産用役から成る生産費より大であれば、利益が生じ、企業者の出現を促し、または企業者はその生産を拡張し、その結果生産物の量は増加し、価格は下り、差益は減少する。そしてもしある企業において、生産用役から成る生産物の生産費が生産物の価格より小であれば、損失が生じ、企業者は減じ、または企業者はその生産を減少し、その結果生産物の量は減少し、価格は騰り、差損は減少する。しかし企業者が多数であることが生産の均衡を齎らすとしても、理論的にはこれのみがこの目的を達する唯一の方法ではなくして、生産用役をせり上げつつ需要し、生産物をせり下げつつ供給し、損失があれば常に生産を制限し、利益があれば常に生産を拡張する所のただ一人の企業者も同じ結果を与えることを、注意すべきである。
純粋経済学要論
また企業者によってなされる生産用役の需要と生産物の供給とを決定する理由が、損失を避け、利益をあげようとする欲望にあることを注意すべきである。それは先に述べたように、地主・労働者・資本家によってなされる生産用役の供給と生産物の需要とを決定する理由が欲望の最大満足を得ようとする欲望にあるのと同様である。また更に交換と生産との均衡状態においては、既に述べたように(第一七九節)、貨幣(価値尺度財を捨象出来ぬとしても、少くとも貨幣)を抽象することが出来、地主・労働者・資本家及び企業者は、地用・労働・利殖の名をもつ生産用役のある量と交換に、地代・賃銀・利子という名称の下に、生産物のある量受けまたは与える者であると、考え得ることを注意すべきである。この状態においては、企業者の介在をも捨象し、単に生産用役が生産物と交換せられ、生産物が生産用役と交換せられると考え得るのみでなく、また結局においては、生産用役と生産用役とが交換せられると考えることが出来る。
純粋経済学要論
かつてバスチアもまた分析をおしつめれば、人は用役と用役とを交換するものであるといったが、しかし彼はこれを人的用役についていっただけである。私は、土地の用役・人的用役・動産用役についても、かくいうのである。 だから生産の均衡状態においては、企業者は利益も得なければ損失も受けない。この場合には、企業者は企業者として存在するのではなくして、自己のまたは他人の企業のうちに、地主・労働者または資本家として存在するのである。故に私は思うに、合理的な会計をなそうとすれば、自ら耕作する土地の地主である企業者、自らの企業の経営に任ずる企業者、事業に投下した動産資本を所有する企業者は、一般的経費として、地代・賃銀・利子を借方に記入し、またこれらを企業者勘定の貸方に記入せねばならぬ。この方法をとれば、正確には、企業者として利益も損失も得られない。実際、もし企業者が、自分の企業において、自分の生産用役から、他の企業において得られるより高い価格を得られるとすれば、この企業者はその差だけの利益または損失を受けることとなるのは、明らかではないか。
純粋経済学要論
第十九章 企業者について。企業の会計と損益計算要目 一八九、一九〇 消費者と生産者の間における社会的富の分配。狭義の資本は実物でなく、貨幣で貸付けられる。信用。固定資本、流動資本。一九一、一九二 現金勘定、借方、貸方、残高。一九三、一九四 金庫内の現金の源泉と行方。資本主またはマルタン勘定。固定資本または固定設備費勘定。流動資本勘定(商品及び営業費)。複式簿記の原理。借方、貸方、元帳、日記帳。一九五 出資者勘定貸方。固定設備費勘定借方。商品勘定借方。営業費勘定借方。商品勘定貸方。一九六 営業費勘定の残高を商品勘定借方へ。商品勘定残高を損益勘定の貸方または借方へ。一九七 貸借対照表。一九八、一九九 複雑化。(1) 記帳の詳細。(2) 得意先勘定借方。(3) 受取手形。(4) 銀行勘定。(5) 仕入先勘定貸方。(6) 支払手形。(7) 棚卸商品。 一八九 以上の如くであるから、企業者は、原料を他の企業者から購い、地代を支払って土地所有主から土地を賃借し、労銀を支払って労働者の人的能力を賃借し、利子を支払って資本家の資本を賃借し、最後に生産用役を原料に適用し、得られる生産物を自分の計算で販売する所の人(個人または会社)である。
純粋経済学要論
農業の企業者は種子・肥料・痩せた家畜を購い、土地・経営上の設備・耕作の機具を借り入れ、耕作労働者・刈入人夫・召使を雇い、農産品・肥った家畜を売る。工業企業家は繊維・地金を買入れ、工場・仕事場・機械・道具を借り入れ、製紙工・鉄工・機械工を募集し、製品である綿布・鉄製品を売る。商業企業者は商品を大口に買入れ、倉庫・店舗を賃借し、店員・外交員を雇傭し、商品を小口に売る。そしてこれらの企業者がその生産物または商品を、原料・地代・賃銀・利子等に要した費用より高く売るときには、彼らは利益を受け、反対の場合には、損失を蒙る。これらが企業者の職分を特色付けるそれぞれの現象である。 一九〇 先に述べた生産要素の表(第一七八節)と併せて考えてみると、この定義は、先の表を説明し、その表が正しかったことを証明するものであることが解ると思う。 第一・二・三項目の下に分類せられた資本すなわち消費用役を生産する資本は消費者である土地所有者・労働者・資本家の手中にあるものである。
純粋経済学要論
第四・五・六項目の下に分類せられた資本すなわち生産用役を生産する資本は、企業者の手中にあるものである。だから、ある用役が消費用役であるかまたは生産用役であるかは、常に容易に認定し得られる。例えば公園の地用・官吏の労働・公共建築物の利殖は、生産的用役ではなく、消費用役である。けだし、国家はその生産物を少くとも生産費に等しい売価で売ろうとする企業者ではなくして、租税によって、土地所有者・労働者・資本家としての地位を得ている消費者であり、用役と生産物とを、これらの人々と同じ地位に立って買入れる消費者であるからである。 同様に、収入のうち第八項目の下に分類せられたものは消費者の手中にあり、第九項目の下に分類せられたものは企業者の手中にある。だがここに重要な解説をしておかねばならぬ。 土地資本と人的資本とは、現物のまま賃借せられる。地主はその土地を、労働者はその労働を、あるいは一箇年、あるいは一箇月、あるいは一日の間、企業者に賃借し、期限の満了と共に、これらを取戻す。
純粋経済学要論
動産資本は、建物とある少数の家具・道具を除き、現物のまま賃貸せられないで、貨幣の形で賃貸せられる。資本家は継続的な貯蓄によってその資本を形成し、その貨幣をある期間に亙り、企業者に貸付ける。企業者はこの貨幣を狭義の資本に変形し、期間の満了と共に、貨幣を資本家に返還する。この操作は信用(crédit)を構成する。そこで第九項目の下に分類せられた原料から成る収入及び第六項目の下に分類せられた動産資本は、企業者が借入れる資本の一部をなすことが出来る。人々は動産資本に固定資本(capital fixe または fonds de premier établissement)の名を与える。これは、生産において一回以上役立つすべての物の総体である。また人は、第七項目の下に分類せられた新動産資本及び第十項目の下に分類せられた新収入をも併せて、原料に流動資本(capital circulant または fonds de roulement)の名を与える。
純粋経済学要論
これは、生産において一回しか役立たないすべての物の総体である。 第十一項目の下に分類せられる流通貨幣は消費者の手中にある。第十二項目の下に分類せられる流通貨幣は企業者の流動資本の一部を成す。第十三項目の下に分類せられる貯蓄貨幣は、消費者の手中にあって、収入の消費に対する過剰を正確に表わす。 一九一 企業者が利益を得ている状態にあるかまたは損失を受けた状態にあるかは、常に、この人の帳簿及び倉庫中にある原料及び生産物の状態によって定められる。故に今は企業の会計と損益計算の方法を説明すべきときである。この損益計算の方法は通常の実践から導き出され、上に述べた概念と全く一致し、私の生産理論が事物の性質をよく基礎に置いていることを証明している。私はまず簡単に複式簿記の原理を説明する。 一九二 企業者として、私はまず金庫を所持し、貨幣を受け入れたときはこの中に収容し、支払のために必要なときは、これから引出す。
純粋経済学要論
かようにして、この金庫のそとから中に、中から外にと、貨幣の二重の流れがある。換言すれば到着する貨幣の流れと、出ていく貨幣の流れとがある。ところで与えられたときにおいて私の金庫にある貨幣の量は、入ってきた貨幣量と、出ていった貨幣量との差に常に等しくあるべきことは、明らかである。この場合に、もし私が帳簿の白紙の一頁をとり、見出しに現金と書き、頁の両側の一方例えば左側に金庫中に順次に入ってきた金額を上方から下方へ記入し、頁の他の一側すなわち右方に順次に支払った金額を記入すれば、左側の合計と右側の合計との差は、金庫中にある現金の合計を常に示している。これら二つの合計が互に相等しく、両者の差がゼロとなることもあり得る。このときには、金庫は空である。けれども右側の合計は決して左側の合計より大であることが出来ない。この二つの欄全体は現金勘定と呼ばれる。左欄の全体は現金勘定の借方(doit または débit)と呼ばれ、右欄のそれは貸方(avoir または crédit)と呼ばれる。
純粋経済学要論
借方と貸方の差は現金勘定の残高(solde)と呼ばれ、正またはゼロであり得るが、しかし負ではあり得ない。 一九三 ここまでは、複式簿記に似た所は一つもない。次に複式簿記がいかにして現われるかを説明しよう。 私の金庫の中に入る貨幣は、これを私に貸した資本家または私から生産物を購った消費者から来り、出ていく貨幣は固定資本または流動資本に変形していく。ところで、私は、金庫内に入ってくる金額を現金勘定の借方に記入し、この金額がどこから来るかを示そうと欲し、また同様に金庫から出る金額を現金勘定の貸方に記入して、この金額がどこに行くかを示そうと欲していると想像する。この欲する目的を遂げるために、私は何をなすか。例えば私が最初に金庫中に入れる貨幣は私の友人マルタンが私に貸与した金額であるとする。私はマルタンに対し、二年または三年の内に一部分の返済を約したとする。この場合に、この金額がマルタンから来たことをいかにして示すか。
純粋経済学要論
その方法は極めて簡単である。現金勘定の借方に金額を記入した後、私は“資本主”または“マルタン”と記す。だが事を充分に尽すには、それで止ってはならぬ。私は、帳簿の他の頁を採り、見出に資本主またはマルタンと記し、現金勘定の借方にすなわちこの勘定の頁の左方に金額を記入すると同時に、直ちに同一の金額を資本主またはマルタン勘定の貸方にすなわちこの勘定の頁の右側に記入する。そしてこの金額を資本主またはマルタン勘定の貸方に記入するに当り“現金”と記す。これで記入が終ったのである。なお他の一つの事があるのが予想せられるが、それは右と反対に、私が、資本家であるマルタンに借入金の一部を返還するため、金庫から貨幣を取出した場合である。このときには、この金額を、“資本主”または“マルタン”と記して、現金勘定の貸方に記入し、資本主またはマルタン勘定の借方に“現金”と記入する。その結果、現金勘定の借方残高は、私が金庫に有する貨幣の有高を常に示すように、資本主またはマルタン勘定の貸方残高は、忘れてはならない他の重要な点、すなわち我が資本家マルタンに負う所の貨幣額を常に教えるのである。
純粋経済学要論
私が金庫に入れまたは金庫から取り出す他の金額も同様にして記入せられる。例えば私の工場に機械を据え付けるために貨幣を取り出すときは、この機械は固定資本――その重要さについては私は既に簡単に述べておいた――と呼んだものの一部を成すのであるが、この時私は、固定資本勘定を設け、現金勘定の貸方に金額を記入し、かつ“固定資本”と附記し、固定資本勘定の借方に“現金”と附記して金額を記入する。流動資本についても同様である。もし私が原料を購いまたは商品を仕入れ、家賃を支払い、賃銀を支払う等、一般に地代・賃銀・利子を支払って、貨幣を金庫から引出すときは、現金勘定の貸方と、流動資本勘定の借方にこれを記入する。また私の生産物の販売から生ずる貨幣を私の金庫に入れれば、私は現金勘定の借方と流動資本勘定の貸方に、その金額を記入する。現在の会計の慣習では、流動資本勘定の代りに、他の二つの勘定科目を用いる。その一は原料及び仕入商品を借方に記入する商品勘定、他は地代・賃銀及び利子を借方に記入する営業費勘定である。
純粋経済学要論
もし必要があれば、この細別を更に詳細な分類とすることが出来る。だが右に見てきたように、一般的流動資本勘定を置き換えたこれらすべての特種勘定は損益計算に当って、結合せられねばならぬ。 複式簿記はこのようなものである。その原理は、ある勘定の借方または貸方に金額を記入したときは、必ず他の勘定の貸方または借方にこれを記入することである。この原理から、借方残高の合計すなわち資産は貸方残高の合計すなわち負債に常に等しいという結果が出てくる。第一次的には勘定科目の順序に従い、第二次的には日附に従って記入せられる帳簿は元帳(grand-livre)と称せられる。それに附属し、同じ記帳を日附の順序に従い、第二次的に勘定の順序に従って記入せられる帳簿は、日記帳(journal)と呼ばれる。 一九四 現金勘定は、あるときは借方に、あるときは貸方に記入せられる。資本主勘定は、貨幣の貸主である資本家の数に細分せられ得る。
純粋経済学要論
固定資本勘定は一般に借方に記入せられる。流動資本勘定はあるときは借方にあるときは貸方に記入せられる。以上がすべての企業の主要な四つの勘定である。固定資本勘定の借方は固定資本の額を示す。流動資本勘定の借方は、未だ生産物に具体化しない流動資本の額を示す。右に説明した複式簿記が、商工業、銀行業においてと同じく、農業においても用い得られるか否か。人々は現に盛にこれを論じている。これは要するに、農業は地用・労働・利殖を原料に適用して生産物を作り出す産業であるか否かを問うことに等しい。もし農業がかかる産業であるとすれば、複式簿記法が、商、工、金融企業においてと同じく、農業においても用い得られないはずはなく、今日この使用をなすに成功していないとしても、これは合理的に諸勘定を設けることを知らないためである。私共はここに理論と実際とが互に相援け合う有様の著しい例を見るわけである。けだし、たしかに、簿記によって表わされる産業の実際は生産理論の確立に大いに役立ち得るからである。
純粋経済学要論
そしてまた確かに、この理論が確立せられれば、農業の実際を簿記会計によって表わすのに大いに役立ち得るからである。 一九五 次に、企業の損益計算の方法を説明し、企業者の利益または損失の状態がいかにして成立するかを説明せねばならぬ。この説明のために、実際の簿記の慣習と称呼とに従って、例を作るのが適当であろう。 私が指物建具屋であるとする。私は、貯蓄した三、〇〇〇フランと、私に関心を有し私を信用する親族友人から借り入れた七、〇〇〇フランで仕事を始めたとする。これらの人々と私とは契約を結び、これにより彼らは十年間七、〇〇〇フランを貸与する義務を負い、私は彼らに年利五分を支払う義務を負う。そこで彼らは出資社員となる。私は、私自身に対する出資社員であって、三、〇〇〇フランに対する五分の利子を私自身に支払わねばならぬ。私は一〇、〇〇〇フランを私の金庫に収納し、これを現金勘定の借方に記入し、また出資社員勘定の貸方に記入する。
純粋経済学要論
もし出資社員が直ちに払込をなさず、または一時に全部の人が払込をしないときは、これら出資者A、B、C等の別々の勘定を設けなければならぬ。 これをなしおえた上で、私は、年五〇〇フランで土地を賃借し、その上に工場を建設し、機械、仕事台、旋盤等を据え付ける。それらのすべてで五、〇〇〇フランを要し、それを貨幣で支払ったとする。私の金庫からこれらの五、〇〇〇フランを引出したとき、現金勘定の貸方に五、〇〇〇フランを記入し、固定資本勘定の借方に五、〇〇〇フランを記入する。 次に、材木その他の材料を二、〇〇〇フラン購入すれば、現金勘定の貸方に二、〇〇〇フランを記入し、商品勘定の借方に二、〇〇〇フランを記入する。 また次に、出資者に対し利子として五〇〇フランを支払い、賃借した土地の地代として五〇〇フランを、賃銀として二、〇〇〇フランを支払ったとすれば、現金勘定の貸方に三、〇〇〇フランを記入し、同時にこれを営業費勘定の借方に記入する。
純粋経済学要論
ところでこれらの出資をなしおえれば、私は注文を受けた家具・什器を製作し、これを売渡す。六、〇〇〇フラン現金で売渡したとすれば、六〇〇〇フランを現金勘定の借方に記入し、またそれを商品勘定の貸方に記入する。 一九六 このときに、損益計算を行ってみる。出来るだけ簡単にするため、商品・原料・生産物等の残余が存在しないと仮定する。従って私は商品をもっていないわけであるが、商品勘定に残高がある。商品勘定は、現金勘定に対して二、〇〇〇フランを負い、またこれに対し六、〇〇〇フランを貸している。差額は四〇〇〇フランである。これは、どこから来ているのか。事ははなはだ簡単である。買った金額より高く売ったからである。実際、私がなさねばならなかったのは、このように高く売ることであった。私は、材木、その他の材料を購い、製品である家具什器を売った。ところで製品の価格のうちに、単に原料品の価格のみでなく、労働の賃銀を初めとし、他の一般的費用及びある額の利益が含まれていなければならぬ。
純粋経済学要論
四、〇〇〇フランの残高は三、〇〇〇フランの営業費を償い、一、〇〇〇フランの利益を残す。それが、私がまず第一に営業費を商品勘定の借方に移し、第二に商品勘定の残高を損益勘定の借方に移そうとする理由である。倉庫には商品が残存していないから、この商品勘定は締切らねばならぬ。この場合損益勘定では一、〇〇〇フランの貸方となって現われる。もし損失が現われれば、損益勘定の借方に数字が現われる。 一九七 以上の一切が終ったとき、私の勘定は次のようにして決算せられる。 現金勘定は一六、〇〇〇フランを受け、一〇、〇〇〇フランを支出している。よって六、〇〇〇フランの借方残高がある。 資本主勘定は、一〇、〇〇〇フランの払込みがあったのであるから、一〇、〇〇〇フランの貸方残高がある。 固定資本勘定は五、〇〇〇フランを受け入れている。よって五、〇〇〇フランの借方残高がある。 商品勘定は六、〇〇〇フランを受け、六、〇〇〇フランを支出している。
純粋経済学要論
故に差引残高がない。 営業費勘定は三、〇〇〇フランを受け、三、〇〇〇フランを支出している。故にここにも差引残高がない。 損益勘定は一、〇〇〇フランを支出している。よって一、〇〇〇フランの貸方残高がある。 要するに私の貸借対照表は次の如くである。 資産(借方勘定の一切から成る)現金勘定         6,000固定資本勘定       5,000          計 11,000 負債(貸方勘定の一切から成る)資本主勘定       10,000損益勘定         1,000          計 11,000 私は一、〇〇〇フランの利益を得た。そして私は、第二期の営業を開始するのに、一〇、〇〇〇フランの代りに、一一、〇〇〇フランをもってする。その内の五、〇〇〇フランは固定資本であって、六、〇〇〇フランは流動資本である。 一九八 私は出来るだけ簡単な例を示した。だが実際においては、ここに指摘しておかねばならぬ所の正常的で例外でない幾らかの複雑さがある。
純粋経済学要論
一、記帳は総括的になされるのではなくして、常に詳細に行われる。またそれは一回に行われるのではなくして、幾回にも亙ってなされる。すなわち固定資本として五、〇〇〇フランを支払い、原料の買入れに二、〇〇〇フランを支払い、営業費として三、〇〇〇フランを支払ったそのたびに、また商品を六、〇〇〇フランに売ったたびごとに、記帳をする。 二、私は一般に現金で販売しないで、掛で販売する。掛で得意先L、M、Nに販売したときは、商品勘定の貸方と現金の借方に記入しないで、商品勘定の貸方とL、M、N勘定の借方に記入し、彼らが支払いをなすときは、L、M、N勘定の貸方と現金勘定の借方に記入をする。故に正常の状態においては、ある数の得意先勘定借方が現われる。 三、そればかりではない。得意先L、M、Nは一定期間の信用を受けた後、現金でこれを決済しないで、私に宛てた約束手形、または彼らに宛て彼らが引受けた為替手形によって決済せられる。
純粋経済学要論
そして私がこれらの手形を受取ったときは、これをL、M、Nの貸方に記入しかつ現金勘定の借方に記入する代りに、L、M、Nの貸方に記入し、受取手形勘定の借方に記入をする。故に正常の状態においては、受取手形勘定の借方があるものである。この勘定は現金勘定に類し、借方と貸方との差は、私の金庫にある約束手形及び為替手形の合計に常に正確に一致する。 四、なおそれだけではない。一般に私は、私の商業手形を収受するのみでなく、これを銀行に譲渡して、期限前の割引を求める。かようにしてこれらの手形を流通するときは、受取手形勘定の貸方に記入しかつ現金勘定の借方に記入する代りに、私は受取手形勘定の貸方に記入しかつ銀行勘定の借方に記入する。銀行が現金で支払をなしたときは、銀行勘定の借方に記入する代りに、現金勘定の借方に記入する。利子に相当する割引料は、もちろん、営業費勘定の借方に記入される。 五、私は、また一般に、現金で買入れをしないで、掛で買入れをする。
純粋経済学要論
そして、X、Y、Z等から掛で買入れるときは、商品勘定の借方に記入し、現金勘定の貸方に記入する代りに、商品勘定の借方に記入し、かつX、Y、Z勘定の貸方に記入をする。故に正常状態においては、私はある数の仕入先勘定貸方をもつ。 六、ここでもまた、私は一般に、X、Y、Zに対し現金で支払をしないで一定期間の信用を受けた後、私が振出す約束手形または彼らが振出し私が引受ける為替手形で支払をする。そしてこれらの手形を与えれば、私はX、Y、Z勘定の借方と現金勘定の貸方に記入をしないで、X、Y、Z勘定の借方と支払手形勘定の貸方に記入をする。これらの手形を支払ったときは、支払手形勘定の借方と現金勘定の貸方に記入をする。故に正常状態においては、私は支払手形勘定の貸方をももつ。 七、最後に、貸借対照表を作成するとき、倉庫に商品・原料・生産物が残存していないことはほとんどあり得ない。もしそれがあり得るとしたら、それは、各営業期間の終りにおいてすべての活動が中絶したことを意味する。
純粋経済学要論
この中絶は憂うべきことであり、不必要なことである。ところでこれと反対に実際には、私は家具を販売すれば、それに引続いて材木その他の原料を購うのである。棚卸をするのは、これらの商品についてである。私は常に営業費を商品勘定の借方に移す。しかし商品勘定の差引残高を求める代りに、棚卸された商品の正確な額だけが借方に残るように損益勘定によってバランスするのである。その理由は次の如くである。Md, Mc はそれぞれ商品勘定の借方と貸方であり、Fは営業費の借方残高であり、Iは棚卸の額であるとすれば、利益がある場合には、商品勘定の借方 Md+F にPを加えて、(Md+F+P)-Mc=Iとならねばならぬ。商品勘定は借方にIを残し、損益勘定はPを貸方に残す。損失の場合には、商品勘定の貸方 Mc に金額Pを加えて、(Md+F)-(Mc+P)=Iとならねばならぬ。商品勘定は、この場合にも、借方にIを残し、損益勘定はPを借方に残す。
純粋経済学要論
ところで右の二つのPの額は、ただ一つの方程式、Md+F-I±P=Mcによって与えられる。この方程式は、次のような考察から直接に導き出すことも出来る。すなわち、買入れた原料の金額に、支払われた営業費を加え、これから使用せられなかった原料と在庫商品とを控除し、利益があればその額を加え、損失があればその額を控除すれば、差引残高は販売金額に等しい。 以上のようにして、資産を構成するものとして、現金及び固定資本または建設費の項目に、得意先勘定、受取手形、銀行勘定、棚卸商品が加わり、負債を構成するものとしては、資本主、損益の項目に仕入先勘定、支払手形等が加わる。これらを附け加えて、工業企業の普通の貸借対照表が得られる。農業・商業・金融業の貸借対照表もこれに類似したものである。 一九九 企業者が、いかにして貸借対照表によって、いつでも損益の状態を、原理上知り得るかは、右の説明によって明らかになった。以上で、私の定義は理論的にも実際的にも確立せられたのであるが、今は企業者が利益も得ず、損失も蒙らないものと想像し、また既にいったように(第一七九節)、原料・新資本・新収入・金庫にある流通貨幣の形態をとった企業者の流動資金及び収入の貯蔵・流通貨幣並びに貯蓄貨幣の形態をとった消費者の流動資金を捨象し、生産物と生産用役の市場価格が、均衡状態において、いかにして数学的に決定せられるかを示そうと思う。
純粋経済学要論
第二十章 生産方程式要目 二〇〇 商品と用役の利用、所有量。二〇一 用役の供給量と生産物の需要量との等価の方程式。極大満足の方程式。用役の部分的供給と生産物の部分的需要の方程式。二〇二 (1) 用役の総供給の方程式。(2) 生産物の総需要の方程式。二〇三 製造係数。(3) 用役の供給と需要の均等の方程式。(4) 生産物の売価と原価の均等の方程式。二〇四 製造係数の固定性。二〇五 原料。二〇六 2m+2n-1 個の未知数に対する同数の方程式。二〇七 実際上の解法。 二〇〇 捨象し得るものを捨象した後、問題の本質的な与件として残った最初の六項の用役(第一七八節)に立ち帰り、(T)、(T')、(T'') ……及び (P)、(P')、(P'') ……並びに (K)、(K')、(K'') ……をそれぞれ一定の期間中に得られる土地用役・労働及び利殖とする。そしてこれらの用役の量は、(一)自然的または人為的単位例えば土地のヘクタール・人の一人・資本の一単位など、(二)時間的単位例えば一日など、の二つの単位によって秤量せられるものと仮定する。
純粋経済学要論
故にそれぞれの土地の一ヘクタールの地用のある日数の量、それぞれの人の労働のある日数の量、それぞれの資本の利殖のある日数の量があるわけである。これらの用役の種類の数をnとする。 右に定義せられた用役によって、我々は、同じ期間中に消費せられる(A)、(B)、(C)、(D)……の生産物を製造することが出来る。この製造はあるいは直接になされ、あるいは原料と称せられて既に存在する生産物を仲介として行われる。換言すれば、この製造は、あるいは地用・労働・利殖の結合により、あるいは地用・労働・利殖を原料に適用することによって行われる。だがこの第二の場合が第一の場合に還元せしめられることは後に述べる如くである。かくして製造せられた生産物の種類の数をmとする。 二〇一 生産物は、各個人に対し私が既に r=φ(q) の形をとる利用方程式または欲望方程式で表わした利用をもつ(第七五節)。けれども用役それ自身もまた、各個人に対し、直接的利用をもつ。
純粋経済学要論
そして我々は随意に土地・人的能力・資本の用役の全部または一部を賃貸することも出来れば、自分のために保留しておくことも出来るのみでなく、また、地用・労働・利殖を、生産物に変形する企業者の資格においてではなく、直接に消費する消費者の資格において獲得することも出来る。換言すれば、地用・労働・利殖を、生産用役としてではなく、消費用役として得ることが出来る。私は先に第四・五・六項目の下に分類せられた用役を並べて、第一・二・三項目の下に分類せられた用役を一つの範疇に入れて、これを認めた(第一七八節)。故に用役もまた商品であって、各個人に対するその利用は r=φ(q) の形態をとる利用曲線または欲望曲線によって表わされ得る。 これだけを前提として、ある人が(T)の qt を、(P)の qp を、(K)の qk を処分するとする。r=φt(q), r=φp(q), r=φk(q) ……をそれぞれ用役(T)、(P)、(K)……がこの個人に対して一定時間中にもつ利用または欲望曲線であるとし、r=φa(q), r=φb(q), r=φc(q), r=φd(q) ……をそれぞれ生産物(A)、(B)、(C)、(D)……がこの同じ人に対して一定時間中にもつ利用または欲望曲線であるとする。
純粋経済学要論
また pt, pp, pk ……を(A)で表わした用役の市場価格であるとし、pb, pc, pd ……を生産物の市場価格とする。ot, op, ok ……をこれらの価格において有効に供給せられた用役の量とする。これらの量は正であり得、この場合にはこれらの量は供給せられた量を示す。またそれらは負であり得、その場合には需要せられる量を示す。最後に da, db, dc, dd ……を均衡価格において有効に需要せられる生産物の量とする。現に存在する狭義の資本の償却及び保険と新しい狭義の資本の創造を目的とする貯蓄とは、これを次の編に述べることとして捨象すれば、これらの諸量とそれらの価格との間に、方程式otpt+oppp+okpk+ …… =da+dbpb+dcpc+ddpd ……が得られる。いうまでも無く、最大満足の条件が、用役の正または負の供給と生産物の需要とを決定するのであるが(第八〇節)、この条件によって、これらの同じ量と同じ価格との間には、方程式
純粋経済学要論
φt(qt-ot)=ptφa(da)φp(qp-op)=ppφa(da)φk(qk-ok)=pka(da)………………………φb(db)=pbφa(da)φc(qc)=pcφa(da)φd(qd)=pdφa(da)…………………が得られる。すなわち n+m-1 個の方程式が得られ、前の方程式と合せて n+m 個の方程式の体系を成す。それらのうちで、未知数 ot, op, ok …… da, db, dc, dd ……中の n+m-1 個を順次に消去して、価格 pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……の函数としての n+m 番目の未知数を与える方程式しか残らないように仮定することが出来る。かようにして、(T)、(P)、(K)……の次の需要または供給方程式が得られる。ot=ft(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)op=fp(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)
純粋経済学要論
ok=fk(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)また(B)、(C)、(D)……の次の需要方程式が得られる。db=fb(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)dc=fc(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)dd=fd(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)………………………………………(A)の需要方程式はda=otpt+oppp+okpk+ …… -(dbpb+dcpc+ddpd+ ……)によって与えられる。 二〇二 同様にして、用役の他のすべての所有者による用役の部分的需要または供給の方程式及び生産物の部分的需要の方程式が得られる。今 Ot, Op, Ok ……を用役の総供給すなわち負の ot, op, ok ……に正の ot, op, ok ……が超過する量を示すこととし、Da, Db, Dc, Dd ……で生産物の総需要を表わし、Ft, Fp, Fk …… Fb, Fc, Fd ……で函数 ft, fp, fk …… fb, fc, fd ……の合計を表わせば、求める量の決定を目的とする次のような用役の総供給n個の方程式を含む体系が得られる。
純粋経済学要論
ただし供給が所有量に等しい場合に関する制限を満足するために函数に与えられるべき性質についての留保をなさねばならぬことは、交換の理論においてと同様である(第一一九――二一節)。Ot=Ft(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)[1] Op=Fp(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)  Ok=Fk(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)また次のような生産物の総需要のm個の方程式の体系が得られる。Db=Fb(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)[2] Dc=Fc(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)  Dd=Fd(pt, pp, pk …… pb, pc, pd ……)…………………………………………Da=Otpt+Oppp+Okpk+ …… -(Dbpb+Dcpc+Ddpd+ ……)すなわち全体で、n+m 個の方程式が得られる。
純粋経済学要論
二〇三 かつまた、at, ap, ak …… bt, bp, bk …… ct, cp, ck …… dt, dp, dk ……を製造係数(coefficients de fabrication)すなわち生産物(A)、(B)、(C)、(D)……の各単位の製造に入り込む生産的用役(T)、(P)、(K)……の各々の量とすれば、求める量を決定するために、次の二組の方程式が得られる。atDa+btDb+ctDc+dtDd+ …… =Ot[3] apDa+bpDb+cpDc+dpDd+ …… =Op  akDa+bkDb+ckDc+dkDd+ …… =Ok  ……………………………………………これらは、用いられた生産用役の量が有効に供給せられた量に等しいことを示す方程式であって、n個ある。atpt+appp+akpk+ …… =1btpt+bppp+bkpk+ …… =pb[4] ctpt+cppp+ckpk+ …… =pc
純粋経済学要論
dtpt+dppp+dkpk+ …… =pd  …………………………………これらは、生産物の販売価格が生産用役から成る生産費に等しいことを示す方程式であって、m個ある。 二〇四 一見して明らかなように、私は、製造係数 at, ap, ak …… bt, bp, bk …… ct, cp, ck …… dt, dp, dk …… が先験的に決定せられると仮定した。だが実際においてはそうではない。ある生産物の製造に当っては、ある生産用役例えば地用をより多くあるいはより少く用い、他の生産用役例えば利殖または労働をあるいはより少くあるいはより多く用いることが出来る。このようにして、生産物の各一単位の製造に入り込む生産用役の各々の量は、生産物の生産費は最小でなければならぬとの条件によって、生産用役の価格と同時に決定される。後に私は、決定せられるべき製造係数の数だけの方程式の体系によって、この条件を表わすであろう。
純粋経済学要論
今は、簡単を期するため、それを捨象し、右の係数は与件に属して、問題の未知数に属しないと仮定する。 この仮定をおくと共に、更に私は、他の一つの事情すなわち企業における不変費用と可変費用との区別を無視する。企業者は利益も損失も受けないと仮定せられているから、彼らはまた等しい量の生産物を製造していると仮定せられ得る。そしてこの場合には、あらゆる性質のあらゆる費用は商品の量に比例すると考えることが出来る。 二〇五 既に述べておいたように、生産用役を原料に適用する場合を、私は、生産用役の相互の結合の場合に分解し還元する。私共はそうしなければならない。なぜなら、原料はそれ自身あるいは生産用役相互の結合によりあるいは生産用役を他の原料に適用することによって得られ、しかもこの原料にも同じことがいい得られるからである。 例えば(B)の一単位が、(T)の βt 量、(P)の βp 量、(K)の βk 量……を原料(M)の βm に適用することによって得られるとすると、(B)の生産費 pb は方程式
純粋経済学要論
pb=βtpt+βppp+βkpk+ …… +βmpmによって与えられる。ここで pm は(M)の生産費であるとする。しかし原料(M)はそれ自身生産物であって、その一単位は(T)の mt、(P)の mp、(K)の mk ……の結合によって得られるから、(M)の生産費 pm は方程式pm=mtpt+mppp+mkpk+ ……によって与えられる。pm の値を先の方程式に代入すれば、pb=(βt+βmmt)pt+(βp+βmmp)pp+(βk+βmmk)pk+ ……が得られる。この方程式は、βt+βmmt=bt, βp+βmmp=bp, βk+βmmk=bk ……と置いてみると、[4]組の第二方程式に他ならない。 原料(M)が生産用役相互の結合によってではなく、生産用役をある他の原料に適用して得られるときに、いかにすべきかも、またこれによって直ちに理解出来るであろう。 二〇六 かくして総計 2m+2n 個の方程式が得られる。
純粋経済学要論
だが、これら 2m+2n 個の方程式は 2m+2n-1 個に還元せられる。実際[3]組のn個の方程式の両辺にそれぞれ Pt, Pp, Pk ……を乗じ、かつ[4]組のm個の方程式の両辺にそれぞれ Da, Db, Dc, Dd ……を乗じ、各組の方程式を別々に加えれば、結局二個の方程式が得られる。ところでこれらの二方程式においては、左辺は同一であって、従って右辺の間に方程式Otpt+Oppp+Okpk+ …… =Da+Dbpb+Dcpc+Ddpd+ ……が成立する。これは、[2]組のうち第m番目の方程式に他ならない。故に[4]組の第一方程式を省いて、[2]組の第m番目の方程式を残すことも出来、またはその反対をすることも出来る。いずれにしても、2m+2n-1 個の未知数すなわち一般均衡状態における(一)用役の供給合計量n個、(二)用役の価格n個、(三)生産物の需要合計量m個、(四)生産物中の第m番目の物で表わした m-1 個の生産物の価格 m-1 個、を決定するのに、2m+2n-1 個の方程式が残る。
純粋経済学要論
ただ証明を要することで残っているのは、交換の均衡に関してと同じく、生産の均衡に関してもまた、私が既に理論的解決を与えた問題が、市場において自由競争の機構によって実際的にも解かれる問題であるということだけである。 二〇七 これは、既に私共が交換の均衡を成立せしめたと同じようにして、生産の均衡を最初から出発して成立せしめることを問題とする。すなわち問題のある与件をある期間変化しないと仮定し、次にこれらの与件の変化の影響を研究するため、これらの与件を変化するものと考えるのである。しかし生産の摸索は、交換の摸索に存在しない複雑さを呈する。 交換においては商品の変化はない。ある価格が叫ばれ、この価格に相応ずる需要と供給とが相等しくないとすると、人々は、他の需要と供給とが相応ずる所の他の価格を叫ぶ。しかるに生産においては、生産用役の生産物への変化がある。用役のある価格が叫ばれ、生産物のある量が製造せられても、これらの価格とこれらの量とが均衡価格と均衡の量ではないとすると、単に他の価格を叫ばねばならぬのみでなく、諸生産物の他の量を製造せねばならない。
純粋経済学要論
交換の問題においてと同じく、生産の問題においても、厳密な摸索を実現するには、この事情を考量の中に加え、初め生産物の売価が偶然に定まり、次にそれがその生産費に等しくなるまで、この売価が生産費に超過すれば増加せられ、売価が生産費より小ならば減少せられる生産物の種々なる量を、企業家が取引証書で表わしていると仮定すればよい。また地主・労働者・資本家は、同様に、まず叫ばれた価格においての用役の量、次にこの用役の需要と供給とが均等となるまで、この需要が供給に超過しまたは不足することにより昂騰しまたは下落する価格においての用役の量を、取引証書で表わしていると仮定すればよい。 しかるになお第二の複雑が生ずる。交換の場合には、ひとたび均衡が原理上成立すれば、交換は直ちに行われる。しかるに生産はある期間を必要とする。私はこの期間を純粋に単純に捨象して、この第二の困難を解決しよう。私は、第六編において、流動資本と貨幣とを導き入れよう。
純粋経済学要論
この流動資本と貨幣とによって、生産用役は直ちに生産物に変形することが出来る。ただし消費者はこの変形に必要な資本に対する利子を支払わねばならない。 このようにして、生産の均衡はまず原理上成立する。次にこの均衡は、考察中の期間に問題の与件に変化がなければ、この期間中に製造せられるべき生産物と収穫せられるべき用役の相互の引渡によって、有効に成立する。    第二十一章 生産方程式の解法。生産物の価格及び用役の価格の成立の法則要目 二〇八 企業者が生産用役を等価値の分量だけ使用しようとするという仮定。偶然に叫ばれた生産用役の価格。二〇九 生産物の原価。偶然に製造せられた生産物の数量。二一〇 生産物の売価。企業者の損益。二一一、二一二 生産物の売価と原価の均等のための摸索。二一三 価値尺度財の需要。生産の均衡のために価値尺度財の原価が1に等しいことの必要。二一四 企業者が生産用役を等量ならしめようとするという仮定。
純粋経済学要論
二一五 用役の有効需要及び供給。企業者による需要量、消費者による需要量。価格がゼロと無限大の間を変化するに従う需要と供給の変化。二一六、二一七 用役の供給と需要の均等のための摸索。二一八 価値尺度財の需要。二一九 価値尺度財の原価が1に等しいための摸索。二二〇 生産物と用役の均衡価格の成立の法則。 二〇八 そこで我々は市場に行って、そこで人々が偶然に用役の価格 p't, p'p, p'k ……のn個、製造すべき生産物の量 Ωa, Ωb, Ωc, Ωd ……(取引証書によって表わされていると仮定する)のm個を決定したと仮定する。これに続いていかなる活動が起るかをよく捕捉するために、私はまず、企業者が生産物(A)、(B)、(C)、(D)……のある量を売り、消費者はこれを購い、また前者は生産用役(T)、(P)、(K)……を購い、後者はこれらを売り、この買われる生産用役の量と売られるそれとは等価値ではあるが等量ではないと仮定し、この仮定の下に、企業者が利益も得なければ損失も受けないような Ωa, Ωb, Ωc, Ωd ……を決定しよう。
純粋経済学要論
次に、企業者が購う用役と消費者が売る用役とは等価値であると同時に等量であると仮定し、この仮定の下に用役の有効需要と供給とが均等となるような p't, p'p, p'k ……を決定しよう。この場合に一見して明らかであるように、この研究方法は価値尺度財までも捨象していないにしても、少くとも貨幣を捨象している。 ここで、私共の与件と条件となっているもののうちでは、狭義の資本が現物のまま貸し付けられると仮定せられていることを注意するのは、無意義ではあるまい。しかし既に説明したように(第一九〇節)、資本家はその資本を貯蓄によって形成するから、実際においては、資本は貨幣で賃貸せられる。しかし資本の創造と貨幣の形態をとる資本の賃貸とを同時に考えることは、後にしようと思う。 二〇九 (T)、(P)、(K)……の価格 p't, p'p, p'k ……は、右に述べたように、偶然に決定せられているのであるから、その結果として、企業者に対しては、一定の生産費 p'a, p'b, p'c, p'd ……が、次の方程式から決定せられる。
純粋経済学要論
p'a=atp't+app'p+akp'k+ ……p'b=btp't+bpp'p+bkp'k+ ……p'c=ctp't+cpp'p+ckp'k+ ……p'd=dtp't+dpp'p+dkp'k+ ………………………………………… 読者も認められるであろうように、p'a=1 となるように、p't, p'p, p'k ……を決定することも自由である。私は、時と処に応じて、この自由を利用しよう。ただし後に至って、価値尺度財である商品の生産費は、自由競争の制度の下においては、自ら1に等しくなろうとするものであることを示す機会があろう。今は(A)の生産費がその販売価格より大であることも、小であることも、またはそれらが等しいことも出来るかのように推論をしよう。 また、(A)、(B)、(C)、(D)……の同様に偶然に決定せられた量 Ωa, Ωb, Ωc, Ωd ……は、次の方程式によって、(T)、(P)、(K)……の量 Δt, Δp, Δk ……を必要とする。
純粋経済学要論
Δt=atΩa+btΩb+ctΩc+dtΩd+ ……Δp=apΩa+bpΩb+cpΩc+dpΩd+ ……Δk=akΩa+bkΩb+ckΩc+dkΩd+ ………………………………………………… これらの量 Ωa, Ωb, Ωc, Ωd ……は自由競争の機構に従って、企業者によって販売せられる。私はまず生産物(B)、(C)、(D)……の販売の条件を研究する。次に価値尺度財として用いられる生産物(A)の販売の条件を研究する。 二一〇 (B)、(C)、(D)……の量 Ωb, Ωc, Ωd ……は、次の方程式に従って、販売価格 πb, πc, πd ……で売られる。Ωb=Fb(p't, p'p, p'k …… πb, πc, πd ……)Ωc=Fc(p't, p'p, p'k …… πb, πc, πd ……)Ωd=Fd(p't, p'p, p'k …… πb, πc, πd ……)……………………………………………
純粋経済学要論
実際に、市場は自由競争によって支配せられる故に、生産物は、(一)欲望の最大満足、(二)用役の価格も生産物の価格も常に単一であること、(三)一般均衡の三つの条件に従って販売せられる(第一二四節)。ところで右の体系は、m-1 個の未知数と m-1 個の方程式を含み、かつこれら三つの条件をちょうど充すものである。 さて、販売価格 πb, πc, πd ……は一般に生産費 p'b, p'c, p'd ……と異るから、(B)、(C)、(D)……を生産する企業者は、これらの差Ωb(πb-p'b), Ωc(πc-p'c), Ωd(πd-p'd)によって表わされる利益または損失を受ける。 しかし直ちに解るように、Ωb, Ωc, Ωd ……が πb, πc, πd ……の函数であるとしたら、この事自体によって、これらの後の量は前者の量の函数であり、従って、(B)、(C)、(D)……の製造量を適当に変化すれば、これらの生産物の販売価格をその生産費に一致せしめることが出来る。
純粋経済学要論
二一一 函数 Fb, Fc, Fd ……がいかなる函数であるかを、私共は知らない。しかし交換という事実の性質から、これらの函数の内第一は pb の値が減少するかまたは増加するかにより、第二は pc の値が減少するかまたは増加するかにより、第三は pd の値が減少するか増加するかによって(以下も同様)、増加するかまたは減少するという結果が出てくる。だから例えば πb>p'b であると仮定すれば、Ωb を増加して、πb を減少することが出来る。反対に πb<p'b であると仮定すれば、Ωb を減少して、πb を増大することが出来る。同様に、であるとすれば、Ωc, Ωd ……を増加しまたは減少して、πc, πd ……を減少しまたは増加することが出来る。 (B)、(C)、(D)の製造量を Ω'b, Ω'c, Ω'd ……とすれば、それを決定する方程式は次の如くである。Ω'b=Fb(p't, p'p, p'k …… p'b, πc, πd ……)
純粋経済学要論
Ω'c=Fc(p't, p'p, p'k …… πb, p'c, πd ……)Ω'd=Fd(p't, p'p, p'k …… πb, πc, p'd ……)…………………………………………… これらの量は摸索によって、Ωb, Ωc, Ωd ……に代わるのであるが、それらは自由競争の機構に従い、次の方程式によって、価格 π'b, π'c, π'd ……で売られる。Ω'b=Fb(p't, p'p, p'k …… π'b, π'c, π'd ……)Ω'c=Fc(p't, p'p, p'k …… π'b, π'c, π'd ……)Ω'd=Fd(p't, p'p, p'k …… π'b, π'c, π'd ……)……………………………………………… そして説明を要するのは、π'b, π'c, π'd ……が、πb, πc, πd ……よりも、p'b, p'c, p'd ……に近似しているということである。
純粋経済学要論
二一二 この時に行われる摸索の条件においては、用役の価格は一定であって、変化しない。故に各交換者は、価値尺度財で表わされた常に同一の収入r=qtp't+qpp'p+qkp'k+ ……を得、かつ、方程式(qt-ot)p't+(qp-op)p'p+(qk-ok)p'k+ …… +da+dbpb+dcpc+ddpd+ …… =rに従って、この収入を用役の消費と生産物の消費との間に配分せねばならない。 (B)、(C)、(D)……のある価格が、これらの商品のある量が製造せられた結果として決定せられているとき、製造せられた量の一つ例えば(B)が増加しまたは減少すれば、新しい均衡を成立せしめるためになすべき第一の事は、すべての交換者の(B)に対する需要を増大せしめまたは減少せしめて、それにより共通で同一の割合に稀少性を減少せしめまたは増大せしめ、同時に同じ割合で(B)の価格を低下せしめまたは高騰せしめることである。
純粋経済学要論
これは、(B)の価格に関する第一次の最も重要な結果と称し得べきものである。これだけのことがなされ、各交換者において(B)の消費に費されるべき金額 dbpb が変化しなければ、均衡は回復しよう。しかしこの金額は、疑も無くすべての場合にすなわち(B)の製造量の増加の場合にもまた減少の場合にも、ある交換者においては増加し、ある交換者においては減少するから、前者はすべての商品を売らねばならず、従ってこれらすべての商品の価格は下落するに至るであろうし、後者はすべての商品を買わねばならず、従ってこれらすべての商品の価格を騰貴せしめるに至るであろう。これは、(B)、(C)、(D)……の価格に関する、第二次の、中位的な重要さをもつ結果である。それには三つの理由がある。(一)(B)の消費に投ぜられるべき金額 dbpb の変化は、二つの要因 db と pb とが反対の方向に変化するという事実によって、限定せられていること、(二)すべての商品の売と買とを生ぜしめるこの変化は、この事実自身の性質によって、これらの商品の微少な量の売または買しか生ぜしめないこと、(三)売の影響と買の影響とが互に相殺し合うこと。
純粋経済学要論
右に(B)の製造量の変化の影響についていったことは、また、(C)、(D)……の製造量の変化の影響についてもいわれ得る。故にたしかに、各生産物の製造量における変化はこの生産物の販売価格に直接のかつすべて同一方向をとる影響を及ぼし、反対に他の生産物の製造量における変化は、すべて同一の方向に行われたと想像しても、右の生産物の販売価格には間接的な互に相反する方向のそしてある程度まで互に相殺し合う影響しかもたない。だから、新しい製造量と新しい販売価格の体系はもとの体系よりは均衡に近いものであって、そしてこれにますます近からしめるには、摸索を続ければよい。 このようにして、方程式D't=atΩa+btD'b+ctD'c+dtD'd+ ……D'p=apΩa+bpD'b+cpD'c+dpD'd+ ……D'k=akΩa+bkD'b+ckD'c+dkD'd+ ……………………………………………………によって、(T)、(P)、(K)……のそれぞれの量 D't, D'p, D'k……を必要とする所の、かつ方程式
純粋経済学要論
D'b=Fb(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)D'c=Fc(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)D'd=Fd(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)………………………………………………によって、販売価格 p'b, p'c, p'd ……で売られる所の、また(B)、(C)、(D)……の企業者が利益も得なければ損失も受けないような販売価格で売られる所の(B)、(C)、(D)……の量 D'b, D'c, D'd ……を決定し得る。 ところで、生産物の市場において、企業者が利益を受けるかまたは損失を受けるかによって、その生産を拡張しまたは制限するとき、この摸索は自由競争の制度の下にまさしく現実に行われるものである(第一八八節)。 二一三 一国の市場において、生産費に等しい販売価格 p'b, p'c, p'd ……で、(B)、(C)、(D)……の有効に需要せられる量 D'b, D'c, D'd ……に対し、用役の総供給量の方程式
純粋経済学要論
O't=Ft(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)O'p=Fp(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)O'k=Fk(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)………………………………………………に従って取引証書の形の下に有効に供給せられる(T)、(P)、(K)……の量 O't, O'p, O'k ……が相対応している。そしてこの用役の総供給量の方程式は、生産物の総需要の方程式と合して、最大満足、価格の単一及び一般均衡の三条件を充す交換方程式の体系を形成する。 またこのとき、人々は方程式D'a=O'tp't+O'pp'p+O'kp'k+ …… -(D'bp'b+D'cp'c+D'dp'd+ ……)によって決定せられた(A)の D'a 量を有効に需要する。 のみならず、生産物の生産費を生産用役の価格の函数として与える方程式の体系の中に含まれているm個の方程式(第二〇九節)にそれぞれ Ωa, D'b, D'c, D'd ……を乗じ、また生産用役の需要量を製造量の函数として与える方程式の体系(第二一二節)に含まれるn個の方程式にそれぞれ p't, p'p, p'k ……を乗じ、かくて得たものを各体系ごとに加えれば、各々の合計の右辺は互に相等しいから、右の方程式の二つの体系から、次の式が得られる。
純粋経済学要論
Ωap'a=D'tp't+D'pp'p+D'kp'k+ ……  -(D'bp'b+D'cp'c+D'dp'd+ ……) よってまた次の式が得られる。D'a-Ωap'a=(O't-D't)p't+(O'p-D'p)p'p+(O'k-D'k)p'k+ …… 価値尺度財である商品(A)の生産量はなお未だ偶然にしか決定せられない。しかし企業者が何らの利益を得ず損失も受けないように、この量をも決定するのが便利である。ところで、かく決定するためには、価値尺度財の生産費がその販売価格に等しいことを要するのは明らかである。これらは、もし私共が最初にp'a=atp't+app'p+akp'k+ …… =1と置くだけの注意をすれば、成立することである。 この方程式以外には、均衡はあり得ない。この方程式が満足されたと仮定すれば、D'b, D'c, D'd ……が既にいったように決定せられたとき、均衡が現われる。
純粋経済学要論
実際企業者が借入れた生産用役の量と、この企業者がその生産物と交換に受ける量とは等価値である。なぜなら p'a は1に等しく、(A)の企業者は、(B)、(C)、(D)……の企業者と同じく、利益も得なければ損失も受けないからである。故に、(O't-D't)p't+(O'p-D'p)p'p+(O'k-D'k)p'k+ …… =0であり、従ってD'a=Ωap'a=Ωaである。 かくて実際には、価値尺度財である生産物の生産費が1に等しいように用役の価格が決定せられたとき、私共が求める部分均衡を得るには、既にいったように、(B)、(C)、(D)……の企業者が利益も得なければ、損失も受けないように、D'b, D'c, D'd ……を決定すれば足るであろう。(A)の需要量 D'a はもちろん偶然に製造せられた量 Ωa である。ところで生産者は生産物の D'a+D'bp'b+D'cp'c+D'dp'd ……だけを取引証書で売り、用役の D'tp't+D'pp'p+D'kp'k+ ……だけを購い、消費者は用役の O'tp't+O'pp'p+O'kp'k+ ……だけを取引証書で売り、生産物の D'a+D'bp'b+D'cp'c+D'dp'd+ ……だけを購い、生産用役の用いられた量とその供給量との均等を示す生産方程式の[3]組を除き、生産方程式のすべてが満足される。
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二一四 だがこれらの他の方程式を満足せしめたと同じく、除かれたこの方程式の体系をも満足せしめねばならない。購われた生産用役の量と販売せられた生産用役の量とは単に等価値であることを要するのみでなく、等量でなければならぬ。なぜならこの量がまた生産物の製造に入り込む所の量であるから。かようにして、今や、用役の供給と需要の均等を生ぜしめて、生産の問題を完了すべきときとなった。 この均等は、もし D't=O't, D'p=O'p, D'k=O'k ……ならば、成立し得るであろう。そのときには、市場の仲買人は、生産者に対して用役の取引証書を引渡し、生産物の取引証書を受け、消費者に対しては生産物の取引証書を引渡し、用役の取引証書を受け、かくて用役と生産物との交換、用役と用役との交換が有効に行われる。けれども一般に、である。だから、合理的に修正せられた用役の価格を基礎として、摸索を繰り返さねばならぬ。この場合に p't, p'p, p'k ……は本質上正であるから、p'a=1, Ωa=D'a が成立つときには、もし、量 O't-D't, O'p-D'p, O'k-D'k ……のうち、あるものが正であるとすれば、他は負であり、またその逆も成り立つことを注意すべきである。
純粋経済学要論
二一五 函数Uで正の ot の合計すなわち用役(T)の有効に供給せられた量を表わし、函数uで負の ot の合計すなわち(A)、(B)、(C)、(D)……の生産のために企業者が有効に需要する用役の量ではなく、消費者が商品として有効に需要する用役の量、他の言葉でいえば、生産用役としてではなく消費用役として有効に需要せられるこの用役の合計を表わせば、函数 O't は U-u の形とすることが出来よう。よって、不等式は、の形とすることが出来る。 D'a は変化しないと仮定する。すなわち pt, pp, pk ……のいかなる変化にもかかわらず、従って生産費 pa の変化がいかなるものであるにもかかわらず、(A)の企業者が常に同一量を生産すると仮定する。しからば左辺には、可変項 btD'b, ctD'c, dtD'd ……が残り、これらは価格 pb, pc, pd ……の減少函数である。従って、それらは価格 pt の減少函数でもある。
純粋経済学要論
けだしこの pt の生産費はまたそれ自身価格 pb, pc, pd ……の増加函数でもあるからである。また可変項uが残る。uもまた価格 pt の減少函数である。よって、pt がゼロから無限へと増大し、p'p, p'k ……が一定であるとすると、D't+u はある一定の値からゼロにまで減少する。 不等式の右辺の唯一の項Uは、pt の値がゼロであるときにゼロであるのはもちろん、この pt が正のある値をとってもなおゼロである。これは、用役(T)の値に比し諸々の生産物の価格が著しく大であって、それがため、これらの生産物に対するこの用役の所有者の需要がゼロである場合である。価格 pt が増大すれば、函数Uはまず増加する。そのときには、生産物は、用役(T)に比し、比較的により安くなり、これらの生産物の需要が、これに伴う用役の供給と同時に現われる。だがこの用役の供給は無限には増加しない。それは少くとも最大を通る。
純粋経済学要論
この最大は所有せられる合計量 Qt より大ではあり得ない。次にそれは減少し、(T)の価格が無限となればすなわち(A)、(B)、(C)、(D)……が無料となれば、ゼロとなる。よって、pt はゼロから無限まで増大するとき、Uはゼロから出発し、増大し、後減少し、ゼロに帰る。 二一六 これらの条件の下で、Uがゼロであることを止める前に、D't+u がゼロとなる場合――この場合には問題は解けない――を除けば、(T)の有効需要と有効供給を等しからしめる pt のある値がある。この pt は、であるに従って、である。p''t を(T)の有効需要と有効供給を等しからしめる pt の値とし、π''b, π''c, π''d……を先に述べたようにして得られた(B)、(C)、(D)……の生産費に等しい販売価格とし、Ω''t を需要に等しい(T)の供給とすれば、Ω''t=Ft(p''t, p'p, p'k …… π''b, π''c, π''d ……)
純粋経済学要論
が得られる。 この操作が行われたときは、函数O'p=Fp(p't, p'p, p'k …… p'b, p'c, p'd ……)はΩ''p=Fp(p''t, p'p, p'k …… π''b, π''c, π''d ……)となる。そして用役(P)のこの供給はその需要より大となるかまたは小となる。しかし(P)の有効供給と有効需要とを等しからしめる pp のある値があり、これを、私共は p''t を見出すに用いたと同一の方法によって、見出すことが出来る。p''p をこの値とし、π'''b, π'''c, π'''d ……を既に述べたようにして(第二一一、二一二節)得られた(B)、(C)、(D)……の生産費に等しい販売価格とし、Ω'''p を需要に等しい(P)の供給とすれば、Ω'''p=Fp(p''t, p''p, p'k …… π'''b, π'''c, π'''d ……)が得られる。 同様にして、
純粋経済学要論
ΩIVk=Fk(p''t, p''p, p''k …… πIVb, πIVc, πIVd ……)が得られ、以下同様である。 二一七 これらすべての行動を終えれば、O''t=Ft(p''t, p''p, p''k …… p''b, p''c, p''d ……)が得られる。そして証明せねばならぬことは、供給 O't が需要 D't に近似しているよりも、より多くこの供給 O''t が需要 D''t に近似していることである。ところで、これはほぼたしからしく見える。けだし、供給を需要に等しからしめる所の p't から p''t への変化は直接にその影響を生じ、少くとも(T)の需要に対しては影響の全部を同一方向に生ぜしめるのに反し、この供給と需要とを均等から遠ざける所の p'p, p'k ……から p''p, p''k への変化は間接にしか影響を生ぜず、少くとも(T)の需要に対しては、反対の方向のかつある程度までは互に相殺し合う影響を生ずるからである。
純粋経済学要論
故に新しい価格 p''t, p''p, p''k ……の体系は、旧価格 p't, p'p, p'k ……の体系より均衡に近いのであって、この均衡にますます接近するには、同じ方法に従って変化を継続すればよい。 ところでこの摸索は、用役の市場において自由競争の制度の下に自然的に行われるものである。けだし、この制度の下に需要が供給より大ならば、人々は用役の価格を騰貴せしめ、供給が需要より大ならば、この価格を下落せしめるからである。 二一八 均衡が実現されたと仮定すれば、生産物の価格は、p''a=atp''t+app''p+akp''k+ ……p''b=btp''t+bpp''p+bkp''k+ ……p''c=ctp''t+cpp''p+ckp''k+ ……p''d=dtp''t+dpp''p+dkp''k+ ……………………………………………であり、他方、生産的用役の需要量は、D''t=atD'a+btD''b+ctD''c+dtD''d+ ……