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387
岐阜県
概要
他にも、『細川両家記』や『多聞院日記』での岐阜の初見は永禄11年である。
[ "細川両家記", "多聞院日記", "永禄" ]
[ 1306213, 175288, 25376 ]
[ 4522403, 424120, 44082 ]
387
岐阜県
概要
一方、井口の地名の方は、永禄三年七月廿一日六角承禎の書状に、濃州井口。『歴代古案』、織田信長の書状に、(永錄七年)仍先月濃州相働、井口近所取出。このことから、信長公記にある1568年(永禄11年)に、信長が井口を岐阜と改めた以前に、岐阜であった事実は確認できない。
[ "永禄", "信長公記", "1568年" ]
[ 25376, 58865, 4092 ]
[ 44082, 113015, 6412 ]
387
岐阜県
概要
岐阜は信長命名以前にすでに使用されていたという異論もある。『岐阜市案内』(岐阜市教育会編、1915年)では、「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正のころより旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載。
[ "岐阜市", "1915年", "応永" ]
[ 6932, 1618, 28046 ]
[ 11361, 2520, 49817 ]
387
岐阜県
概要
『美濃国諸旧記』(寛永正保の作か?作者が不明である)には、稲葉山城があった稲葉山を岐山、里を岐阜と呼び、信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田を合併して、岐府と称したとし、岐阜は古来の字で、信長は岐府と府の字を使ったと主張されている。
[ "美濃国諸旧記", "寛永", "正保", "岐阜城" ]
[ 969457, 26862, 27346, 20004 ]
[ 3235507, 47305, 48229, 34699 ]
387
岐阜県
概要
ただし、忠節・今泉は近世地名(江戸時代の地名)であり、岐阜を岐府と別称した文書はない。
[ "江戸時代" ]
[ 1763 ]
[ 2740 ]
387
岐阜県
概要
また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。
[ "東陽英朝", "明応", "土岐成頼", "万里集九", "木曽川" ]
[ 1035687, 27992, 303910, 125363, 18213 ]
[ 3516387, 49718, 827047, 282694, 30403 ]
387
岐阜県
概要
※木曽川(岐蘇川)由来説の最大の問題点は、承和2年の太政官符に、「尾張・美濃両国堺墨俣河」という記述があり、古来は墨俣川と呼ばれていることである。
[ "木曽川", "承和 (日本)", "太政官符" ]
[ 18213, 50895, 83952 ]
[ 30403, 95295, 170789 ]
387
岐阜県
概要
当然、川の名前由来で、岐阜岐陽は、成り立たない。1586年(天正14年)6月24日に、織田家領内の木曽川の大洪水が起こり、古来の河道が大変化をした。ほぼ現状の河川地形となったのである。
[ "1586年", "天正", "木曽川", "河川地形" ]
[ 8094, 19337, 18213, 590597 ]
[ 13503, 33233, 30403, 1801271 ]
387
岐阜県
概要
また、信長は、井口を岐阜と改めたとしているのに、万里集九の『梅花無尽蔵』には、「濃之井口有祥雲院」という記述があり、井口を岐陽としていない。
[ "万里集九" ]
[ 125363 ]
[ 282694 ]
387
岐阜県
概要
さらに、「濃之革県、濃革手」という記述もあり、革手府を岐阜(岐陽)と呼んでいない。井口から相当離れた鵜沼(各務原市東端)を井口と一帯として岐陽と呼ぶのも無理がある。同書物中には、河陽=駿河国とする記述もあり、となると、岐陽=美濃国=濃陽という広範囲すぎる呼称となり、やはり、信長が井口を岐阜と改めたという事実と矛盾する。
[ "川手城", "各務原市", "駿河国", "美濃国" ]
[ 228582, 28513, 8225, 8126 ]
[ 589121, 50876, 13723, 13547 ]
387
岐阜県
概要
なお、万里集九以前に、五山の学僧に岐陽方秀がおり、道号は初め岐山、のち岐陽と改めた、讃岐国出身であることから、岐山=岐陽=讃岐国を意味するか。岐阜県教育会編『濃飛両国通史』(1923年)、花見朔巳『安土桃山時代史』(1939年)にも、岐阜命名は信長以前説を唱えている。
[ "万里集九", "岐陽方秀", "讃岐国", "岐阜県", "1923年", "花見朔巳", "安土桃山時代", "1939年" ]
[ 125363, 1202335, 443613, 167, 1624, 877095, 9906, 1643 ]
[ 282694, 4125888, 1280324, 387, 2528, 2844245, 16342, 2547 ]
387
岐阜県
概要
阿部栄之助の『濃飛両国通史』を見ると、永禄4年に崇福寺の快川国師(紹喜)が斎藤義龍を「岐陽賢太守」と呼んだとするが、出典不明であり、永禄沙汰には「永祿3年12月24日美濃齋藤義龍、同国の禅家をして、伝燈寺に帰附せしむ、尋で、同国崇福寺紹喜(快川)等、之を憤り、国外に出奔す」という記述があり、永禄4年の段階で、美濃国外退去になりすでに崇福寺の住職ではなく、憤慨した相手の斎藤義龍を賢太守と褒めたとは疑問である。
[ "阿部栄之助", "永禄", "快川紹喜", "斎藤義龍", "住職" ]
[ 395559, 25376, 169703, 51363, 10505 ]
[ 1112017, 44082, 408948, 96288, 17376 ]
387
岐阜県
概要
『御湯殿上日記』には、天正9年9月6日正親町天皇が、前妙心寺住持快川(紹喜)に大通智勝国師の号を賜ふ、という記述があり、永禄4年の段階で国師であったはずがないなど、明らかにおかしな記述である。
[ "御湯殿上日記", "天正", "正親町天皇", "永禄" ]
[ 293706, 19337, 46944, 25376 ]
[ 794700, 33233, 85974, 44082 ]
387
岐阜県
地理・地域
県域のほとんどは旧美濃国と旧飛騨国とで構成される。近年には長野県から旧神坂村・旧山口村を越境編入して県域が変更された。国の境目だった一部村落の分離などの境界変更で一部に旧越前国、旧信濃国、旧尾張国、旧伊勢国だった地域も含まれている。
[ "美濃国", "飛騨国", "長野県", "越境合併", "越前国", "信濃国", "尾張国", "伊勢国" ]
[ 8126, 8124, 178, 31174, 7964, 8082, 6412, 8478 ]
[ 13547, 13545, 421, 56337, 13289, 13488, 10436, 14083 ]
387
岐阜県
地理・地域
国土地理院によると2021年(令和3年)1月18日現在の岐阜県の広袤(こうぼう)は以下の通り。
[ "国土地理院", "2021年", "令和", "岐阜県" ]
[ 3925, 7868, 1144773, 167 ]
[ 6119, 13130, 3925995, 387 ]
387
岐阜県
地理・地域
北部の飛騨地方の大部分は、標高3,000m級の飛騨山脈をはじめとする山岳地帯で、平地は高山盆地などわずかしかない。
[ "飛騨国", "飛騨山脈", "高山盆地" ]
[ 8124, 28095, 420429 ]
[ 13545, 49927, 1200467 ]
387
岐阜県
地理・地域
一方、南部の美濃地方は、愛知県の伊勢湾沿岸から続く濃尾平野が広がり、低地面積が広い。特に南西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)合流域とその支流域には、水郷地帯が広がり、海抜0m以下の場所もある。この地域には水害から身を守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた構造あるいはその集落があり、このような岐阜県の地形の特徴を表して、飛山濃水という言葉で表される。
[ "美濃国", "愛知県", "伊勢湾", "濃尾平野", "木曽三川", "木曽川", "揖斐川", "輪中", "岐阜県" ]
[ 8126, 338859, 46453, 20364, 20091, 18213, 19959, 39495, 167 ]
[ 13547, 934064, 84922, 35401, 34854, 30403, 34613, 71750, 387 ]
387
岐阜県
地理・地域
各県との県境はほとんどが山地山脈である。ただし、愛知県の尾張地方との県境の大部分および三重県との県境の一部は、木曽川、長良川、揖斐川などの河川となっている。
[ "愛知県", "尾張国", "三重県", "木曽川", "揖斐川" ]
[ 338859, 6412, 470338, 18213, 19959 ]
[ 934064, 10436, 1378874, 30403, 34613 ]
387
岐阜県
地理・地域
岐阜県の河川は以下の6つの水系から構成される。
[ "岐阜県", "水系" ]
[ 167, 67804 ]
[ 387, 133160 ]
387
岐阜県
地理・地域
飛騨地方の大部分と美濃地方の一部は日本海側気候、美濃地方の大部分は太平洋側気候、飛騨地方・美濃地方の各一部は中央高地式気候となっており、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差が大きい。県内全域で内陸性気候をあわせ持ち、一部地域は豪雪地帯・特別豪雪地帯でたびたび大雪に見舞われる。標高の高い地帯の西側に当たる為に雨雲が発達しやすく、年平均降水量は1700mm~2500mm程度と比較的多い。
[ "飛騨国", "美濃国", "日本海側気候", "太平洋側気候", "中央高地式気候", "内陸性気候", "豪雪地帯" ]
[ 8124, 8126, 111114, 210810, 550260, 210812, 28173 ]
[ 13545, 13547, 240979, 532997, 1664471, 533007, 50072 ]
387
岐阜県
地理・地域
冬は乾燥した晴天の日が多く、岐阜県西部では、伊吹おろしという乾燥した冷たい風が吹く。このため体感温度が北日本並みに一気に低下する日もある。強い冬型の気圧配置になると雪雲が流入し、岐阜県西部で局地的な大雪に見舞われることがある。
[ "岐阜県", "伊吹おろし", "体感温度", "日本", "西高東低" ]
[ 167, 107332, 266451, 1384029, 2151 ]
[ 387, 229902, 711711, 4821051, 3340 ]
387
岐阜県
地理・地域
美濃地方は低い山に囲まれているということもあって、夏は暑く冬は寒いうえ、気温の日較差も大きい。特に東濃の多治見市では、その年の国内最高気温を記録することもある(2007年(平成19年)8月16日、埼玉県熊谷市と並び国内の過去最高気温となる40.9°Cを記録した)。夏期には内陸性の気候に加え、ヒートアイランド現象、さらに西風が吹いた際には、近畿地方の熱風が伊吹山系にぶつかりフェーン現象を起こす。こうして高温を記録することが多い。
[ "美濃国", "東濃", "多治見市", "2007年", "平成", "埼玉県", "熊谷市", "ヒートアイランド", "近畿地方", "フェーン現象" ]
[ 8126, 203319, 50494, 382272, 1323885, 286174, 608382, 57598, 662350, 21525 ]
[ 13547, 509738, 94424, 1069779, 4597053, 771753, 1862793, 109986, 2047703, 37256 ]
387
岐阜県
地理・地域
飛騨地方は標高も高いこともあり、気温は美濃地方と比べると低いが、高山盆地では夏期に猛暑日を記録することもある。2018年(平成30年)8月6日午後2時2分には、下呂市でも南部に位置する金山地域(旧・益田郡金山町)のアメダス金山観測所において、高知県四万十市と並ぶ日本国内における最高気温歴代2位タイとなる気温41.0°Cを観測した。ただし、湿度が低いため比較的すごしやすい。冬期は内陸山間部では気温が低く、特に高山市荘川町六厩(むまや)は、亜寒帯湿潤気候で本州では寒い地域の1つとも言われており、1981年(昭和56年)2月28日には-25.4度を記録するなど-20°C以下まで下がる日も多い。
[ "飛騨国", "美濃国", "高山盆地", "猛暑", "2018年", "平成", "下呂市", "益田郡", "アメダス", "高知県", "四万十市", "日本", "高山市", "亜寒帯湿潤気候", "本州", "1981年", "昭和" ]
[ 8124, 8126, 420429, 380945, 7823, 1323885, 119691, 28700, 48145, 169, 108978, 1384029, 40541, 105032, 3859, 297479, 1115 ]
[ 13545, 13547, 1200467, 1065413, 13067, 4597053, 267502, 51334, 88739, 395, 235078, 4821051, 73533, 223327, 6021, 806858, 1789 ]
387
岐阜県
地理・地域
主な旧国名は、「飛騨国」「美濃国」。わずかに「越前国」「信濃国」「伊勢国」「尾張国」の区域も含む。
[ "飛騨国", "美濃国", "越前国", "信濃国", "伊勢国", "尾張国" ]
[ 8124, 8126, 7964, 8082, 8478, 6412 ]
[ 13545, 13547, 13289, 13488, 14083, 10436 ]
387
岐阜県
人口
愛知県境にほど近い、県中南〜西南部の濃尾平野地域が岐阜県の可住地の大部分であり、県人口全体の半分を占める上位6市(岐阜市、大垣市、各務原市、多治見市、可児市、関市)は全て同エリアに集中する。一方で飛騨地方と県南東部(旧恵那郡・旧土岐郡)は小規模盆地が点在する地形となっており、人口10万人以上の都市が存在しない。
[ "濃尾平野", "岐阜県", "岐阜市", "大垣市", "各務原市", "多治見市", "可児市", "関市", "飛騨国", "恵那郡", "土岐郡" ]
[ 20364, 167, 6932, 28429, 28513, 50494, 20911, 50066, 8124, 28697, 28698 ]
[ 35401, 387, 11361, 50644, 50876, 94424, 36310, 93360, 13545, 51330, 51332 ]
387
岐阜県
人口
県南部を中心に、日系ブラジル人やフィリピン人などの外国人が数多く暮らしている。近年では在日中国人も増えている。特に美濃加茂市では人口の1割は外国人で、工場などで労働者として働いているケースが多い。1990年(平成2年)の入国管理法改正以降、急速に増えていった。彼らの最大の問題は子どもの教育で、日本語が理解できないなどのために不就学になる場合もある。ブラジル学校は県内に数校あるが、大半が無認可である。2008年(平成20年)の世界的経済危機を受けブラジル人が母国へ帰国するケースが少なからずあり、岐阜県は彼らの帰国旅行費用について支援している。
[ "日系ブラジル人", "在日中国人", "美濃加茂市", "1990年", "平成", "出入国管理及び難民認定法", "不就学", "ブラジル学校", "2008年", "ブラジル人", "岐阜県" ]
[ 48818, 869354, 275947, 487716, 1323885, 160904, 561428, 587298, 487419, 824374, 167 ]
[ 90248, 2816593, 740192, 1450076, 4597053, 384286, 1698787, 1789727, 1448844, 2645554, 387 ]
387
岐阜県
人口
近年は中国人に対する日本入国の条件の緩和などにより、主に高山市や白川村など飛騨地方を中心とする県内の観光地では外国人観光客が大幅に増えている傾向がある。
[ "中国人", "日本", "高山市", "飛騨国" ]
[ 102242, 1384029, 40541, 8124 ]
[ 216518, 4821051, 73533, 13545 ]
387
岐阜県
人口
5年ごとに実施される国勢調査の結果、日本の人口重心が決められるが、岐阜県内を東(東京方面)に移動中。
[ "日本", "人口重心" ]
[ 1384029, 14425 ]
[ 4821051, 23994 ]
387
岐阜県
歴史
本県でも約3万年前に始まる後期旧石器時代には、濃尾平野北辺部の段丘上や台地(日野遺跡・寺田遺跡・椿洞遺跡)に人々が活動していた遺跡が確認されている。他にも山中の狭い細尾根にある遺跡(揖斐川町藤橋村徳山寺屋敷遺跡)や低湿地の遺跡(飛騨市宮川村宮ノ前遺跡)が確認されている。 それらの遺跡から石を割ってで切る剥片でつくった石器、例えばナイフ形石器・削器・細石刃・尖頭器など、また調理に使ったと考えられる礫郡、加工痕のある木片などの生活用具が確認されている。
[ "濃尾平野", "揖斐川町", "藤橋村", "飛騨市", "ナイフ形石器", "細石器", "尖頭器" ]
[ 20364, 89481, 91853, 18944, 356281, 314914, 355049 ]
[ 35401, 184415, 191110, 31969, 987101, 860731, 983681 ]
387
岐阜県
歴史
4世紀の前期には、美濃西部が大和政権の勢力下に入り、4世紀後期には飛騨地方にまで支配が及んだ。開化朝に三野前国造が不破郡に設置され、次いで成務朝には三野後国造が各務郡に、額田国造が大野郡に、牟義都国造が武儀郡に、斐陀国造が大野郡に設置された。
[ "4世紀", "ヤマト王権", "飛騨国", "開化天皇", "三野前国造", "不破郡", "成務天皇", "三野後国造", "各務郡", "額田国造", "牟義都国造", "武儀郡", "斐陀国造" ]
[ 3080, 3348, 8124, 48699, 487771, 22364, 49588, 487120, 139776, 487119, 487772, 22363, 487883 ]
[ 4819, 5157, 13545, 89935, 1450303, 38577, 91955, 1447649, 323926, 1447648, 1450304, 38576, 1450743 ]
387
岐阜県
歴史
その他本巣国造の記載も見られる(『先代旧事本紀』、『古事記』)。
[ "本巣国造", "先代旧事本紀", "古事記" ]
[ 487118, 86763, 5488 ]
[ 1447647, 177761, 8621 ]
387
岐阜県
歴史
律令制以降は上記の国造国が合併され、令制国の美濃国(18郡・131郷)と飛騨国(3郡・13郷)の二国になった(和名類聚抄)。美濃は「御野」(大宝2年:702の正倉院文書)、飛騨は「裴陀」(養老令)と書かれた。ヒダの国名の表記法が「飛騨」に定着したのは8世紀の前半である。
[ "律令制", "国造", "令制国", "美濃国", "飛騨国", "和名類聚抄", "正倉院文書", "養老律令", "8世紀" ]
[ 14456, 46392, 11898, 8126, 8124, 179370, 427250, 132517, 2678 ]
[ 24057, 84808, 19848, 13547, 13545, 435278, 1223690, 303334, 4231 ]
387
岐阜県
歴史
美濃と飛騨国は、東山道に属し、畿内からの本線は近江・美濃を通り、信濃上野へと向かうから美濃から飛騨へは東山道の支線であった。
[ "飛騨国", "東山道", "畿内" ]
[ 8124, 41769, 633112 ]
[ 13545, 75855, 1948333 ]
387
岐阜県
歴史
この東山道は古くから利用された。ヤマトタケルの征服伝説にも登場する(『古事記』)。
[ "東山道", "古事記" ]
[ 41769, 5488 ]
[ 75855, 8621 ]
387
岐阜県
歴史
美濃国は、日本のほぼ中心として、東国と畿内を結ぶ重要な軍事拠点であったので、日本の歴史上で重要な合戦が多く起こっている地域である。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱(672年)があり、関ケ原町の藤古川付近で激戦が行われた。
[ "美濃国", "日本", "畿内", "天武天皇", "壬申の乱", "672年", "関ケ原町", "藤古川" ]
[ 8126, 1384029, 633112, 33619, 46497, 16545, 18215, 468099 ]
[ 13547, 4821051, 1948333, 61164, 85018, 27458, 30407, 1369350 ]
387
岐阜県
歴史
8世紀には、国府が垂井町府中に置かれた。国分寺は大垣市青野町に国分尼寺は垂井町平尾に其々建てられた。一宮は南宮大社(現:垂井町宮代)となった。
[ "8世紀", "垂井町", "大垣市", "南宮大社" ]
[ 2678, 87310, 28429, 153649 ]
[ 4231, 179106, 50644, 363739 ]
387
岐阜県
歴史
中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏が守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となる。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。
[ "中世", "美濃国", "土岐氏", "飛騨国", "京極氏", "斎藤道三", "豊臣秀吉", "金森氏" ]
[ 16586, 8126, 48637, 8124, 82685, 19994, 560473, 378006 ]
[ 27550, 13547, 89778, 13545, 167644, 34685, 1695821, 1055909 ]
387
岐阜県
歴史
徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)が関ケ原町、垂井町、大垣市の西濃地域で天下分け目の合戦が行われた。
[ "石田三成", "関ヶ原の戦い", "1600年", "関ケ原町", "垂井町", "大垣市", "西濃" ]
[ 34376, 563135, 5643, 18215, 87310, 28429, 223915 ]
[ 62655, 1704409, 8867, 30407, 179106, 50644, 573959 ]
387
岐阜県
歴史
江戸時代に入ると、先の関ヶ原の戦いによる論功行賞などにより藩の改易・転封などを含めながらも、美濃国は依然として戦略的に重要な地であり石高も多いことから幕府によりいくつかの小藩に分割された。幕府領としては笠松陣屋の美濃郡代が支配した。
[ "江戸時代", "関ヶ原の戦い", "改易", "転封", "美濃国", "石高", "天領", "笠松陣屋", "美濃郡代" ]
[ 1763, 563135, 135180, 135839, 8126, 131184, 12638, 478824, 314084 ]
[ 2740, 1704409, 311061, 312888, 13547, 299381, 21133, 1414922, 858067 ]
387
岐阜県
歴史
美濃国内藩としては、最大でも大垣藩の10万石の他、苗木藩、岩村藩、郡上藩、高富藩、加納藩、大垣新田藩や尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩が成立する。美濃国外藩としては尾張藩の12万石のほか、磐城平藩、備中岡田藩が領地を有した。
[ "大垣藩", "苗木藩", "岩村藩", "郡上藩", "高富藩", "加納藩", "大垣新田藩", "尾張藩", "御附家老", "竹腰氏", "今尾藩", "高須藩", "磐城平藩", "岡田藩" ]
[ 103749, 121233, 104628, 121423, 121429, 120996, 121431, 6917, 145908, 1355701, 121434, 17875, 50724, 54499 ]
[ 220155, 271608, 222213, 272130, 272142, 270885, 272148, 11342, 341645, 4720802, 272153, 29777, 94871, 102809 ]
387
岐阜県
歴史
また、旗本知行地としては明知遠山氏や交代寄合の竹中氏陣屋など複数あった。飛騨国は当初飛騨高山藩があったが、元禄期に山林資源や鉱山資源に目をつけた幕府が藩主の金森氏を上山藩に転封し、その後は幕府領として高山陣屋の飛騨郡代が支配した。
[ "旗本", "明知遠山氏", "交代寄合", "竹中氏陣屋", "飛騨国", "飛騨高山藩", "元禄", "金森氏", "上山藩", "転封", "天領", "高山陣屋", "飛騨郡代" ]
[ 117017, 297671, 25099, 419355, 8124, 108587, 27700, 378006, 119868, 135839, 12638, 247629, 314096 ]
[ 259610, 807493, 43513, 1196570, 13545, 233792, 49010, 1055909, 268090, 312888, 21133, 652840, 858093 ]
387
岐阜県
歴史
また、律令時代から整備された東山道を元として、戦国時代に各地の戦国大名によって整備された道を繋ぎ、中山道が整備された。
[ "律令制", "東山道", "戦国大名", "中山道" ]
[ 14456, 41769, 9137, 9388 ]
[ 24057, 75855, 15143, 15529 ]
387
岐阜県
歴史
当初の県庁は笠松陣屋。(この時点では美濃国のみ) 県令は長谷部佳恕連(元福井藩)、権参事は小崎利準(元亀山藩)。その後県庁舎が手狭になり、今泉村(岐阜市)八寺地内に新庁舎を建設。1874年(明治7年)6月21日に移転。
[ "笠松陣屋", "美濃国", "県令", "長谷部恕連", "福井藩", "小崎利準", "岐阜市", "1874年" ]
[ 478824, 8126, 167259, 901541, 9703, 976501, 6932, 2710 ]
[ 1414922, 13547, 401844, 2939682, 16027, 3263583, 11361, 4265 ]
387
岐阜県
政治
県全域で岐阜県選挙区を構成する。定員2、改選数1。
[ "岐阜県選挙区" ]
[ 454412 ]
[ 1316968 ]
387
岐阜県
経済
県の多くが山岳地のために林業が盛ん。ヒノキの産出量では国内有数の量で、県内には木材を扱う業者が多い。また、切り出した木を使用した木工品などの工芸品の生産に力を注いでいる。
[ "林業", "ヒノキ" ]
[ 2134, 30795 ]
[ 3322, 55657 ]
387
岐阜県
経済
長良川などの清流が県内を流れているため、県を挙げて日本酒・焼酎の生産の振興に乗り出している。
[ "日本酒", "焼酎" ]
[ 8651, 14827 ]
[ 14383, 24699 ]
387
岐阜県
経済
岐阜市では戦後、軍服や古着を売る繊維問屋街ができ、さらに布を仕入れて服を作って売るアパレル産業が盛んになり、全国的な産地となった。2000年代中ごろ以降は東京や名古屋に押されて問屋街は苦戦しており、ファッションの産地としての生き残りを図るには岐阜の個性ある特徴を打ち出すのが課題となっている。岐阜市には一般社団法人岐阜ファッション産業連合会などのファッション産地団体組織があり、定期的にファッションイベントを開催している。
[ "岐阜市", "問屋街", "アパレル産業", "2000年代" ]
[ 6932, 127673, 49512, 901 ]
[ 11361, 289624, 91781, 1479 ]
387
岐阜県
経済
ハイテクパークである大垣市ソフトピアジャパン、各務原市VRテクノジャパン(テクノプラザ)を設立し、ベンチャー企業の育成を図るなど、IT産業の育成に力を注いでいる。
[ "ハイテクパーク", "大垣市", "ソフトピアジャパン", "各務原市", "テクノプラザ (岐阜県)", "ベンチャー" ]
[ 464399, 28429, 86027, 28513, 402787, 22206 ]
[ 1352868, 50644, 175811, 50876, 1137040, 38320 ]
387
岐阜県
経済
恵那市で創業し、多治見市に本部があるバローホールディングスの子会社であるスーパーマーケットバローが県内に71店舗ある(全国では310店舗)。また、バローホールディングスの子会社である中部薬品が運営するV・drugが県内に156店舗存在する(全国では469店舗)。他にスポーツクラブ188店舗(全国)、ホームセンター156店舗(全国)、ペットショップ111店舗(全国)などを運営する(2021年時点)。バローグループは連結売上7,000億円を超える岐阜県を代表する流通企業である。
[ "恵那市", "多治見市", "バローホールディングス", "スーパーマーケット", "中部薬品", "ホームセンター", "2021年", "岐阜県" ]
[ 71395, 50494, 986028, 14961, 238044, 24457, 7868, 167 ]
[ 141348, 94424, 3303160, 24934, 621871, 42313, 13130, 387 ]
387
岐阜県
経済
2010年代後半にはドラッグストアが多く出店し、激戦区となった。V・drugに加え、ゲンキー、クスリのアオキなど県外資本のドラッグストアも出店し、2018年末には店舗数が408店となった。人口10万人あたりの店舗数は約20店(2018年末)で全国最多である。
[ "ドラッグストア", "中部薬品", "ゲンキー", "クスリのアオキ", "2018年" ]
[ 20445, 238044, 246078, 273832, 7823 ]
[ 35525, 621871, 647688, 733815, 13067 ]
387
岐阜県
生活・交通
定期便が飛ぶ空港は県内に存在しない。近隣の空港は名古屋飛行場と中部国際空港(いずれも愛知県)、富山空港(富山県)がある。
[ "名古屋飛行場", "愛知県", "富山空港", "富山県" ]
[ 9929, 338859, 30969, 519663 ]
[ 16388, 934064, 55957, 1569468 ]
387
岐阜県
教育
国立
[]
[]
[]
387
岐阜県
教育
公立
[]
[]
[]
387
岐阜県
教育
私立
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387
岐阜県
教育
公立
[]
[]
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387
岐阜県
教育
私立
[]
[]
[]
387
岐阜県
マスメディア
岐阜県には地元紙の岐阜新聞が存在するが、シェアは愛知県名古屋市に本社を置く中日新聞が圧倒的に強い。
[ "岐阜県", "岐阜新聞", "愛知県", "名古屋市" ]
[ 167, 28945, 338859, 5467 ]
[ 387, 51838, 934064, 8587 ]
387
岐阜県
マスメディア
岐阜新聞と中日新聞の仲の悪さは有名な話である。
[ "岐阜新聞" ]
[ 28945 ]
[ 51838 ]
387
岐阜県
マスメディア
名古屋市に本社を置く民放各局(県域局のテレビ愛知を除く)およびNHK名古屋Eテレ(教育テレビ)が本県に中継局を設けている。 美濃地方西部の大半や東濃地方の一部(可児市や土岐市以南)では愛知県の県域放送(NHK名古屋総合テレビ、FM放送とテレビ愛知、FM AICHI、ZIP-FM)や三重県の県域放送(三重テレビ、FM三重)が受信可能エリアになる。
[ "名古屋市", "テレビ愛知", "NHK名古屋放送局", "中継局", "美濃国", "東濃", "可児市", "土岐市", "愛知県", "県域放送", "NHK総合テレビジョン", "エフエム愛知", "ZIP-FM", "三重県", "三重テレビ放送", "三重エフエム放送" ]
[ 5467, 16560, 40199, 37904, 8126, 203319, 20911, 59969, 338859, 27560, 72018, 33634, 25855, 470338, 489566, 38658 ]
[ 8587, 27506, 72961, 68981, 13547, 509738, 36310, 115436, 934064, 48676, 142809, 61196, 45240, 1378874, 1457616, 70347 ]
387
岐阜県
文化・名物
お婆々どこへ行きゃるナーナーナー お婆々どこへ行きゃるナ 三升樽さげてソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン
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387
岐阜県
文化・名物
嫁の在所へナーナーナー 嫁の在所へナ ささ孫抱きにソーラバエ ヒュルヒュルヒュードンドン
[]
[]
[]
387
岐阜県
文化・名物
郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる 天のお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ 郡上の殿様 自慢なものは 金の弩標(どひょう)に 七家老 金が出る出る 畑佐の山で 銀と鉛と 赤がねと 向(むかい)小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い 唄も続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 泣いて分かれて 松原行けば 松の露やら 涙やら 忘れまいぞえ 愛宕の桜 縁を結んだ 花じゃもの 雪の降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡
[ "家老", "鉛", "下駄" ]
[ 99982, 5091, 84050 ]
[ 211151, 7993, 171028 ]
387
岐阜県
出身関連著名人
岐阜県名誉県民の称号は、1958年(昭和33年)11月29日に制定された岐阜県名誉県民条例(昭和33年11月29日岐阜県条例第32号)に基づき、「社会文化の興隆に功績があつた者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の発展に寄与し、もつて県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶で県民の尊敬を受ける者」、「岐阜県に十年以上居住し、若しくは居住していた者で、広く社会文化の興隆に貢献し、その功績が卓絶で県民が郷土の誇りとしてひとしく尊敬する者」であることが定められているが(条例第2条)、後者の居住期間については特に必要があると認められるときには短縮することが可能である。名誉県民号の贈呈については、岐阜県知事が岐阜県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、表彰状と名誉県民き章が贈呈される(条例第4条)。
[ "岐阜県", "1958年", "昭和", "公共の福祉", "岐阜県議会" ]
[ 167, 1228, 1115, 48456, 338469 ]
[ 387, 1936, 1789, 89442, 932757 ]
391
熊本県
null
熊本県(くまもとけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は熊本市。
[ "熊本県", "日本", "都道府県庁所在地", "熊本市" ]
[ 168, 1384029, 19725, 593227 ]
[ 391, 4821051, 34134, 1810516 ]
391
熊本県
null
令制国の肥後国に当たる。有明海、不知火海、東シナ海に面している。
[ "令制国", "肥後国", "有明海", "八代海" ]
[ 11898, 10716, 49932, 50196 ]
[ 19848, 17735, 93085, 93691 ]
391
熊本県
名称
熊本という地名は、古くは隈本と書いた。隈本の由来には諸説あるが、菊池則隆に因むとする伝承がある。「隈本」の名が文献に見られるのは南北朝時代以降で、これを加藤清正が「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含むため武将の居城の名に相応しくないとして「熊」の字を充てたと言われている。なお「来熊(らいゆう)」「訪熊(ほうゆう)」「帰熊(きゆう)」と1文字で略するときは「熊(雄と同じ「ゆう」と音読み)」を使用する。
[ "菊池則隆", "加藤清正", "武将", "音読み" ]
[ 698969, 35679, 33968, 40355 ]
[ 2181168, 65014, 61751, 73220 ]
391
熊本県
地理・地域
九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で有明海を隔て長崎県とも接する。東部の阿蘇地方に日本第2位(阿蘇カルデラを、最大級と表現するのはこの為)の阿蘇カルデラを持つ阿蘇山や九州山地の山々が聳え、西部は熊本平野が有明海に、八代平野および芦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島が突き出し天草諸島に続いている。中心都市である熊本市は、市域の70万人超の人口を支える水道水が全て地下水でまかなわれている世界でも稀有な都市である。
[ "有明海", "日本", "九州山地", "熊本平野", "八代平野", "葦北郡", "リアス式海岸", "八代海", "宇土半島", "天草諸島", "熊本市", "上水道", "地下水" ]
[ 49932, 1384029, 90511, 406711, 331880, 33708, 223970, 50196, 158606, 50197, 593227, 9686, 65714 ]
[ 93085, 4821051, 187062, 1150511, 912652, 61306, 574141, 93691, 377538, 93692, 1810516, 15999, 128654 ]
391
熊本県
地理・地域
気候は県内全域が太平洋側気候に属し温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬の気温は緯度の割には寒冷である。(数値は気象庁1991 - 2020年の統計による)
[ "太平洋側気候", "緯度", "気象庁", "2020年" ]
[ 210810, 21464, 2236, 7867 ]
[ 532997, 37157, 3484, 13129 ]
391
熊本県
地理・地域
隣接している県は、九州地方最多である。
[]
[]
[]
391
熊本県
地理・地域
熊本県は、県北・県央・県南の3つに大きく分けられ、さらに11の地域に区分される。 また、県内には14市9郡23町8村(計45市町村)がある。熊本県では、2003年(平成15年)以降に町村合併で誕生したあさぎり町・山都町・氷川町の3町が「ちょう」としている以外は、町はすべてが「まち」、村はすべて「むら」と読む。
[ "熊本県", "2003年", "平成", "あさぎり町" ]
[ 168, 911, 1323885, 39253 ]
[ 391, 1491, 4597053, 71337 ]
391
熊本県
地理・地域
(旧鹿本郡であった熊本市植木町域が含まれることもある)
[ "鹿本郡", "熊本市" ]
[ 33703, 593227 ]
[ 61300, 1810516 ]
391
熊本県
地理・地域
(旧下益城郡であった熊本市富合町・城南町域が含まれることもある)
[ "下益城郡", "熊本市", "富合町" ]
[ 33701, 593227, 124031 ]
[ 61298, 1810516, 279155 ]
391
熊本県
歴史
県内で人々が狩猟・採集活動を開始し、生活し始めたのは今から3万年以上前である。現在、県内で確認された最古の石器は、熊本市平山町の石の本遺跡出土の石器群である。アカホヤ火山灰や姶良・胆沢火山灰(AT)堆積の土層の確認や放射性炭素年代測定から分かった。当該遺跡は旧石器時代に属し、石器製作地点としての性格を有するが、基本的にこのころは定住性の低い流動的な生活形態であった。
[ "熊本市", "鬼界アカホヤ火山灰", "火山灰", "土層 (考古学)", "放射性炭素年代測定" ]
[ 593227, 276399, 14572, 1099500, 57914 ]
[ 1810516, 741304, 24260, 3767507, 110672 ]
391
熊本県
歴史
定住して集落をいとなみ、土器を製作するようになった縄文時代になると、遺跡の数が急増する。約1万年間にわたる当該時代、熊本県下にあっては約9000年前、縄文早期から生活の痕跡が認められる。同時期、鹿児島県を中心とする九州南部においては上野原遺跡にみられる先進的・独創的な土器型式を展開しているが、県下のそれは押型文土器・撚糸文土器など、西日本で広範的にみられる型式であり、南九州の影響は受けていないようである。
[ "縄文時代", "熊本県", "鹿児島県", "上野原遺跡" ]
[ 302640, 168, 458444, 185997 ]
[ 823031, 391, 1331124, 456065 ]
391
熊本県
歴史
縄文前期に入ると、宇土市宮庄町の轟(とどろき)貝塚・同岩古曽(いわこそ)町の曽畑(そばた)貝塚などで特徴的な土器が出土し、それぞれ轟式土器・曽畑式土器の標式遺跡となっており、いずれも九州地方に広く分布するが、曽畑式土器は九州を超えて南西諸島にまで及ぶ。
[ "宇土市", "轟B式土器", "曽畑式土器", "標式遺跡", "南西諸島" ]
[ 62820, 972316, 972304, 60299, 382634 ]
[ 121881, 3247033, 3246987, 116210, 1070992 ]
391
熊本県
歴史
縄文中期には、熊本市南区城南町の阿高(あだか)貝塚・黒橋(くろはし)貝塚などにおいて汽水域に生息する貝類が優位となるなど、海岸線の内陸進出が一気に進む。阿高貝塚は、当該時期における九州地方の土器型式を代表する阿高式土器の標式遺跡となった。
[ "熊本市", "汽水域", "貝", "標式遺跡" ]
[ 593227, 121472, 16555, 60299 ]
[ 1810516, 272249, 27495, 116210 ]
391
熊本県
歴史
縄文後期には、菊池郡大津町のワクド石遺跡においてモミの圧痕のついた土器が出土するなど、農耕の痕跡が認められるようになる。熊本市南区城南町の御領貝塚・菊池市泗水町の三万田東原(みまんだひがしばる)遺跡などで出土した土器が、九州地方の土器型式を代表するとしてそれぞれ御領式土器・三万田式土器の標式遺跡となり、いずれも熊本県外にまで広く分布している。石器については、合志市の二子山遺跡から当時の石器製作拠点が確認されたほか、前述の三万田東原遺跡からはクロム白雲母製の装身具未製品が大量に出土し、同遺跡が装身具の製作拠点であったことが判明した。
[ "菊池郡", "熊本市", "菊池市", "泗水町", "標式遺跡", "熊本県", "合志市", "クロム", "白雲母", "装身具" ]
[ 21592, 593227, 55174, 118400, 60299, 168, 162325, 5524, 30278, 10373 ]
[ 37399, 1810516, 104445, 263705, 116210, 391, 388191, 8665, 54371, 17160 ]
391
熊本県
歴史
縄文晩期になると、上益城郡益城町の古閑(こが)遺跡から出土した土器には器形の大型化への志向が認められ、当該時期における九州地方の土器型式を代表する古閑式土器の標式遺跡となる。
[ "上益城郡", "益城町", "標式遺跡" ]
[ 33705, 113245, 60299 ]
[ 61302, 247342, 116210 ]
391
熊本県
歴史
大陸からもたらされた稲作と金属加工技術によって生産性が急増した弥生時代に入ると、稲作に適した低地への進出がみられる。
[ "稲作", "弥生時代" ]
[ 4969, 470126 ]
[ 7806, 1377971 ]
391
熊本県
歴史
もっとも早い弥生時代早期、熊本市東区の江津湖(えづこ)遺跡群(江津湖中ノ島遺跡)においては、縄文時代晩期の遺物と共伴している。
[ "弥生時代", "熊本市", "江津湖", "縄文時代", "共伴" ]
[ 470126, 593227, 389144, 302640, 59087 ]
[ 1377971, 1810516, 1092012, 823031, 113459 ]
391
熊本県
歴史
弥生前期になると、玉名市天水町の斎藤山(さいとやま)貝塚から、これまでのところ県内で最も古い鉄製の斧が出土する。集落の周りにはほりを巡らせるようになるが、そうした環濠集落は宇土市の宇土城城山(うとじょうしろやま)遺跡・熊本市中央区の新屋敷遺跡で確認されている。弥生時代を代表する墓制である甕棺墓は弥生早期には出現するが、熊本県下ではこの時期から、前述の江津湖遺跡群・熊本市南区城南町の沈目立山(しずめたてやま)遺跡・同西区の白藤町(しらふじまち)遺跡群などで確認されているほか、当該時期の支石墓が菊池郡大津町の岩坂樋ノ口(いわさかひのくち)遺跡から見つかっている。
[ "玉名市", "環濠集落", "宇土市", "宇土城", "熊本市", "弥生時代", "甕棺墓", "熊本県", "江津湖", "菊池郡" ]
[ 38320, 23523, 62820, 548248, 593227, 470126, 95757, 168, 389144, 21592 ]
[ 69740, 40602, 121881, 1659030, 1810516, 1377971, 200398, 391, 1092012, 37399 ]
391
熊本県
歴史
続く弥生中期になると遺跡の数が急増する。環濠集落は玉名市岱明町(まいめいまち)の塚原(つかはら)遺跡・山鹿市の方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡・菊池市七城町のうてな遺跡・宇土市境目町の境目・善道寺遺跡・阿蘇郡南阿蘇村・高森町の幅・津留遺跡などで確認され、環濠は判っていないが中央区神水(くわみず)の神水遺跡群・東区新南部(しんなべ)の新南部遺跡群・東区上南部(かんなべ)の上南部遺跡群、菊池郡菊陽町の梅ノ木遺跡などで大規模な集落が確認されている。この時期の甕棺墓は、前述の塚原遺跡・方保田東原遺跡・神水遺跡群・新南部遺跡群・上南部遺跡群・梅ノ木遺跡のほか、白藤町遺跡群・中央区黒髪町の黒髪町遺跡群などから見つかっているが、とりわけ白藤町遺跡からは200基以上が出土しており、規模においてきわだっている。上益城郡嘉島町においても、圃場整備事業に伴う発掘調査の結果多数の甕棺墓が確認されているが、幅・津留遺跡においては甕棺墓はひとつもない代わり、木棺墓が100基以上見つかるなど、異彩を放っている。
[ "環濠集落", "玉名市", "岱明町", "山鹿市", "菊池市", "七城町", "宇土市", "阿蘇郡", "南阿蘇村", "菊池郡", "菊陽町", "甕棺墓", "上益城郡", "嘉島町", "圃場整備", "発掘調査", "弥生時代の墓制" ]
[ 23523, 38320, 67213, 42159, 55174, 118399, 62820, 5529, 96582, 21592, 56223, 95757, 33705, 52636, 492890, 107229, 95756 ]
[ 40602, 69740, 131843, 76747, 104445, 263704, 121881, 8677, 202342, 37399, 106689, 200398, 61302, 98772, 1471028, 229628, 200392 ]
391
熊本県
歴史
弥生後期に入ると環濠集落は増えるが、熊本市北区貢町の五丁中原(ごちょうなかばる)遺跡・菊池郡大津町の西弥護免(にしやごめん)遺跡・菊池市七城町の小野崎(おのざき)遺跡・玉名郡和水町の蒲生・上の原遺跡・上益城郡嘉島町の二子塚遺跡・球磨郡あさぎり町の本目(もとめ)遺跡など、海岸線を離れた内陸部にも出現する。
[ "環濠集落", "熊本市", "菊池郡", "菊池市", "七城町", "玉名郡", "和水町", "上益城郡", "嘉島町", "球磨郡", "あさぎり町" ]
[ 23523, 593227, 21592, 55174, 118399, 33702, 156539, 33705, 52636, 22356, 39253 ]
[ 40602, 1810516, 37399, 104445, 263704, 61299, 371590, 61302, 98772, 38567, 71337 ]
391
熊本県
歴史
当該時期においては、中期の黒髪町遺跡が標式遺跡となったほか、本目遺跡から出土した土器が一時期免田式土器と特筆されるなど、独自性の高い個性的な土器型式を呈しているほか、阿蘇郡阿蘇市の小野原(このばる)遺跡群・下扇原(しもおおぎばる)遺跡などにみられる大規模な鍛冶・赤色顔料生産拠点の存在が確認されているものの、鏡・剣・勾玉を一緒に副葬する王墓はこれまでのところ見つかっておらず、王権が成立していたかどうかは判らない。
[ "標式遺跡", "阿蘇郡", "阿蘇市", "顔料", "勾玉" ]
[ 60299, 5529, 72650, 28374, 130774 ]
[ 116210, 8677, 144200, 50541, 298108 ]
391
熊本県
歴史
古墳時代に入ると、天神山(てんじんやま)古墳(宇土市、107m)が他に先駆けて4世紀前半に築かれる。宇土市にはその後、4世紀後半に摺鉢山(すりばちやま)古墳(96m)、迫ノ上(さこのうえ)古墳(56m)、4世紀末に向野田(むこうのだ)古墳(86m)などの前方後円墳がつぎつぎと築かれた。中でも、向野田古墳はその主体部から、おびただしい副葬品とともに女性の人骨が見つかっている。このころになると、長目塚(ながめづか)古墳(阿蘇市、111m)・竜王山(たつおうさん)古墳(山鹿市、不明)・松坂古墳(和水町、120m)など宇土市以外でも古墳が築かれるようになっていく。
[ "古墳時代", "古墳", "宇土市", "4世紀", "前方後円墳", "副葬品", "長目塚古墳", "阿蘇市", "山鹿市", "和水町" ]
[ 220444, 1654, 62820, 3080, 18311, 587179, 1040753, 72650, 42159, 156539 ]
[ 562803, 2559, 121881, 4819, 30581, 1789258, 3533976, 144200, 76747, 371590 ]
391
熊本県
歴史
5世紀に入ると、伝左山(でんざやま)古墳(玉名市)・江田船山古墳(和水町)・二子塚古墳(山鹿市)・楢崎古墳(宇土市)などが築かれていくが、中でも江田船山古墳は75文字の銀象嵌銘太刀をはじめとする副葬品で知られる。また、小田良(おだら)古墳(宇城市)にみられるような装飾古墳も出現する。装飾古墳は、6世紀に入るとチブサン古墳(山鹿市)・井寺(いでら)古墳(嘉島町)・釜尾(かまお)古墳(熊本市)・千金甲(せごんこう)古墳(熊本市)・横山古墳(熊本市、山鹿市へ移設)などさかんに築かれるようになる。
[ "5世紀", "古墳", "玉名市", "江田船山古墳", "和水町", "山鹿市", "宇土市", "象嵌", "副葬品", "宇城市", "装飾古墳", "6世紀", "チブサン古墳", "嘉島町", "熊本市" ]
[ 2818, 1654, 38320, 291424, 156539, 42159, 62820, 42050, 587179, 92262, 462301, 3110, 654968, 52636, 593227 ]
[ 4428, 2559, 69740, 787702, 371590, 76747, 121881, 76492, 1789258, 192133, 1344676, 4851, 2023030, 98772, 1810516 ]
391
熊本県
歴史
熊本県の古墳は、4世紀代は単独で築かれることもあるが、えてして一箇所に集まり古墳群を形成する。二子塚古墳のある岩原(いわばる)古墳群、長目塚古墳のある中通(なかどおり)古墳群、高速道路が下を通る塚原(つかわら)古墳群、氷川町の野津(のづ)古墳群などがある。同時期の墓制に横穴墓があるが、古墳と同様に4世紀から築かれはじめ、6世紀に入ると装飾を有するものもさかんに築かれた。古墳と異なる点ははじめから群をなして形成されていることで、鍋田(なべた)横穴群(山鹿市)・城(じょう)横穴群(山鹿市)・つつじが丘横穴群(熊本市)・大村(おおむら)横穴群(人吉市)などがある。
[ "熊本県", "古墳", "4世紀", "長目塚古墳", "6世紀", "山鹿市", "熊本市", "人吉市" ]
[ 168, 1654, 3080, 1040753, 3110, 42159, 593227, 41744 ]
[ 391, 2559, 4819, 3533976, 4851, 76747, 1810516, 75804 ]
391
熊本県
歴史
これらに加えて、墳丘上にもうけられた装飾品に土を焼いた埴輪だけでなく、石人・石馬と称される凝灰岩製の彫像を有しているものがある。発祥は筑紫君磐井の墓と伝えられる岩戸山古墳であり、福岡県南部・熊本県北部のほかには島根県に1例だけというきわめて特異的なものである。
[ "埴輪", "石人石馬", "凝灰岩", "磐井 (古代豪族)", "岩戸山古墳", "福岡県", "熊本県", "島根県" ]
[ 38282, 923854, 29777, 266031, 57309, 115634, 168, 173 ]
[ 69684, 3029179, 53375, 710702, 109149, 254551, 391, 405 ]
391
熊本県
歴史
熊本県の領域はかつての肥後国のそれとほぼ重なるが、肥後国を含む広範囲は古代においては火国(肥国)と呼ばれていた。この火国(肥国)の中心は八代郡肥伊郷(氷川流域)で、多氏と同系の有力豪族である火君(ひのきみ)がいた。肥国はやがて、現在の佐賀県・長崎県の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに肥前国と肥後国に分けられた。
[ "熊本県", "肥後国", "火国", "多氏", "豪族", "7世紀", "肥前国" ]
[ 168, 10716, 759952, 83873, 80305, 2843, 408282 ]
[ 391, 17735, 2403447, 170563, 161599, 4464, 1156028 ]
391
熊本県
歴史
肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国の一つとされた。行政管区では西海道に属し、道内における大国は肥後国だけであった。
[ "肥後国", "律令制", "西海道" ]
[ 10716, 14456, 11998 ]
[ 17735, 24057, 20019 ]
391
熊本県
歴史
地方行政は国郡制をとり、国の行政拠点となった国府ははじめ益城に置かれ、次いで託麻へ、最後は飽田(二本木)に移った。国を細分した郡の行政単位は郡衙で、熊本県にあっては玉名郡衙だけが発掘調査により全貌が判明している。仏教の導入後は鎮護国家の理念の下、各地に官寺が建立される。熊本市南区城南町の陳内廃寺は所在が判明しているが、宇城市豊野町の浄水寺跡は、当時隆盛を誇っていた火(肥)君により建立された私寺であることが石碑により判明している。
[ "国郡里制", "郡衙", "熊本県", "玉名郡", "発掘調査", "仏教", "鎮護国家", "官寺", "熊本市", "宇城市", "私寺" ]
[ 644704, 112709, 168, 33702, 107229, 2643, 220313, 401762, 593227, 92262, 400200 ]
[ 1987126, 245753, 391, 61299, 229628, 4182, 562418, 1132203, 1810516, 192133, 1127250 ]
391
熊本県
歴史
律令体制化にあっては中央との人流・物流を円滑ならしめるために官道を整備し、人員・物資・情報往来の便宜を図るための拠点として駅を置いた。県内に比定される駅のうち、蚕養(こかい)・左色(さしき)については発掘調査により所在地が確認されている。これらの物流に資するべく、馬を飼育する牧が阿蘇郡(二重牧)と宇土郡(宇土牧)に設けられ、また国土防衛のために軍団が組織され、肥後国内には4個軍団からなる益城軍団が置かれていたとされているが、いずれも所在地は判明していない。白村江の戦い以降には古代山城が各地に築かれる。山鹿市菊鹿町にある鞠智(くくち)城跡は、他の山城と異なり行政拠点的な性格が強い点、大陸とは反対方向である南側の防御にすぐれている点が特徴的である。
[ "律令制", "発掘調査", "阿蘇郡", "宇土郡", "白村江の戦い", "古代山城", "山鹿市", "菊鹿町" ]
[ 14456, 107229, 5529, 33700, 13627, 218995, 42159, 41488 ]
[ 24057, 229628, 8677, 61296, 22682, 558388, 76747, 75219 ]
391
熊本県
歴史
中世には、阿蘇神社の神威を利用して勢力を拡大した多氏後裔の阿蘇氏、遠江国から地頭として下り球磨郡に土着した相良氏、大宰府の府官であった菊池氏といった豪族が勢力を伸ばした。
[ "中世", "阿蘇神社", "多氏", "阿蘇氏", "遠江国", "地頭", "球磨郡", "相良氏", "大宰府", "菊池氏", "豪族" ]
[ 16586, 72843, 83873, 48447, 182199, 23510, 22356, 56468, 63501, 84733, 80305 ]
[ 27550, 144595, 170563, 89427, 443977, 40587, 38567, 107345, 123413, 172635, 161599 ]
391
熊本県
歴史
鎌倉時代、後鳥羽天皇の皇子である寒巖義尹が大慈寺を建立し、白川に初めて橋を架けた。
[ "鎌倉時代", "後鳥羽天皇" ]
[ 131356, 37642 ]
[ 299798, 68544 ]
391
熊本県
歴史
南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州における南朝勢力の中核として活躍したほか、宇土では、懐良親王を最初に受け入れた宇土氏が終始南朝方として活動し、南朝方の有力武将であった伯耆国の名和長年は、その子孫が領地のある八代へ移った。阿蘇神社の大宮司職を世襲していた阿蘇氏は、北朝を支持した一の宮神社派と、南朝を支持した甲佐神社派とに分かれ、球磨郡へ下向した相良氏も、南朝を支持した上相良氏・北朝を支持した下相良氏に分かれてそれぞれ対立した。
[ "後醍醐天皇", "懐良親王", "菊池氏", "宇土氏", "武将", "伯耆国", "名和長年", "阿蘇神社", "宮司", "阿蘇氏", "甲佐神社", "球磨郡", "相良氏" ]
[ 7028, 61691, 84733, 470465, 33968, 9297, 76346, 72843, 47908, 48447, 768078, 22356, 56468 ]
[ 11514, 119404, 172635, 1379405, 61751, 15395, 152453, 144595, 88234, 89427, 2433314, 38567, 107345 ]
391
熊本県
歴史
続く室町時代、肥後国守護となった菊池氏は筑後国守護を兼任し、全盛期を迎える。上下に分かれて争っていた相良氏は、台頭してきた山北相良氏によって統一され、葦北郡・八代郡を支配下に置いた。
[ "室町時代", "菊池氏", "筑後国", "相良氏", "葦北郡" ]
[ 131355, 84733, 10974, 56468, 33708 ]
[ 299797, 172635, 18241, 107345, 61306 ]
391
熊本県
歴史
戦国時代に至って、相良氏は名和氏を八代から追い払い、肥後国南部に加えて薩摩国大口にまで勢力を拡大するが、やがて薩摩国の島津氏に屈服した。北部では、守護大名だった菊池氏が家中の統制を取ることが出来ず、内紛の末ついに滅亡、国人が割拠する状態が続いた。八代を追われた名和氏は、菊池氏滅亡の後領主が不在となった宇土へ移り、阿蘇氏は、豊後国の守護大友氏と同盟を締結して命脈を保ったが、名将として知られる家老の甲斐宗運が亡くなると島津氏に滅ぼされ、肥後国全体が島津氏の支配するところとなった。
[ "相良氏", "名和氏", "肥後国", "薩摩国", "島津氏", "守護大名", "菊池氏", "国人", "阿蘇氏", "豊後国", "大友氏", "家老", "甲斐親直" ]
[ 56468, 689992, 10716, 10390, 34102, 21367, 84733, 63837, 48447, 10172, 40936, 99982, 49644 ]
[ 107345, 2146014, 17735, 17186, 61962, 36981, 172635, 124343, 89427, 16813, 74250, 211151, 92109 ]
391
熊本県
歴史
豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政が肥後の国主を命じられるが、太閤検地に反対する国人たちによる一揆が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて切腹を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。
[ "豊臣秀吉", "九州平定", "佐々成政", "太閤検地", "国人", "加藤清正", "小西行長", "球磨郡", "相良氏" ]
[ 560473, 51874, 30664, 19735, 63837, 35679, 25374, 22356, 56468 ]
[ 1695821, 97311, 55340, 34153, 124343, 65014, 44079, 38567, 107345 ]
391
熊本県
歴史
小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ滅亡すると、加藤清正がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城熊本城を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって細川氏が54万石の領主となった。(熊本藩)支藩として宇土藩、肥後新田藩がある。また、家老の松井家は八代城の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める人吉藩があった。
[ "小西行長", "関ヶ原の戦い", "加藤清正", "熊本城", "治水", "改易", "細川氏", "熊本藩", "支藩", "家老", "相良氏", "人吉藩" ]
[ 25374, 563135, 35679, 18375, 241243, 135180, 22966, 84425, 207531, 99982, 56468, 108188 ]
[ 44079, 1704409, 65014, 30741, 632228, 311061, 39703, 171922, 522584, 211151, 107345, 232700 ]
391
熊本県
歴史
天草は長崎に近く、また、キリシタン大名であった小西行長の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関ヶ原の戦い後、唐津藩12万石の領主である寺沢広高の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税を行ったことから、寛永14年10月25日(1637年12月11日)に島原の乱が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は天領となり、初代代官の鈴木重成の尽力によって天草は次第に復興していった。
[ "キリシタン大名", "小西行長", "キリシタン", "関ヶ原の戦い", "唐津藩", "寺沢広高", "寛永", "1637年", "島原の乱", "天領", "鈴木重成" ]
[ 16732, 25374, 25378, 563135, 105502, 55311, 26862, 10088, 17016, 12638, 204660 ]
[ 27827, 44079, 44086, 1704409, 224476, 104792, 47305, 16673, 28359, 21133, 514062 ]