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391
熊本県
歴史
明治4年(1871年)、肥後国には熊本県と八代県が設置された、熊本県はその後白川県と改められ、1873年(明治6年)、白川県と八代県が合併して白川県となった。1876年(明治9年)、再び熊本県に改名され、現在の熊本県が誕生した。
[ "明治", "1871年", "肥後国", "熊本県", "1873年", "1876年" ]
[ 1126, 3073, 10716, 168, 3037, 2659 ]
[ 1803, 4812, 17735, 391, 4775, 4207 ]
391
熊本県
歴史
1916年(大正5年)、横浜港に入港した「ハワイ丸」の乗客から全国にコレラが拡大。熊本県内にもコレラ禍は飛び火し、死者は4100人を超える。
[ "1916年", "大正", "横浜港", "はわい丸", "コレラ" ]
[ 1619, 1128, 34162, 1081762, 26713 ]
[ 2521, 1805, 62142, 3700902, 47020 ]
391
熊本県
歴史
太平洋戦争末期までは熊本が九州の中心と見なされ、熊本鎮台・第五高等学校などが設置されたが、戦況が悪化すると連合国軍による本土上陸を恐れた政府が、九州統監府をより本州、帝都東京に近い福岡に設置したため戦後も九州の中心が福岡となった歴史を持つ。
[ "太平洋戦争", "統監府", "本州" ]
[ 672787, 18957, 3859 ]
[ 2084285, 32000, 6021 ]
391
熊本県
歴史
第五高等学校教師として夏目漱石・小泉八雲が熊本市に住んでいたことがあり、森鷗外も第12師団軍医部長を務めていた時に、熊本市を訪れたことがあり短編小説『阿部一族』を書いた。これは江戸時代初期に肥後藩で実際に起きた、阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材にしている。
[ "夏目漱石", "小泉八雲", "熊本市", "森鷗外", "江戸時代", "熊本藩" ]
[ 523017, 11038, 593227, 17256, 1763, 84425 ]
[ 1581400, 18347, 1810516, 28727, 2740, 171922 ]
391
熊本県
歴史
2012年(平成24年)4月1日、熊本市が20番目の政令指定都市に昇格した。 2016年(平成28年)4月14日以降相次いで熊本県で地震が発生し、震度7が2回観測された(熊本地震)。
[ "2012年", "平成", "4月1日", "熊本市", "政令指定都市", "2016年", "熊本県", "震度7", "熊本地震 (2016年)" ]
[ 4985, 1323885, 1281, 593227, 5218, 7883, 168, 180108, 1009426 ]
[ 7831, 4597053, 2004, 1810516, 8211, 13145, 391, 437368, 3400524 ]
391
熊本県
人口
熊本県の人口は戦後一貫して増加を続け、1995年(平成7年)には約186万人に達した。九州地方第三の都市である熊本市(約74万人)や熊本都市圏(人口約111万人で県人口の過半数を占める)に含まれる自治体は人口増加が堅調だが、他の市町村では人口の減少が顕著になってきている。そのため、県全体では2000年(平成12年)ごろから人口は減少に転じている。なお、2012年(平成24年)現在、政令指定都市が所在する都道府県では最も人口が少ない。また、県で最多の人口を抱える熊本市と、県で第2位の人口を抱える八代市との間には約61万人の差があり、熊本市とその周辺自治体への人口集中が顕著である。
[ "熊本県", "1995年", "平成", "熊本市", "熊本都市圏", "2000年", "2012年", "政令指定都市", "八代市" ]
[ 168, 655728, 1323885, 593227, 151265, 957, 4985, 5218, 38317 ]
[ 391, 2025673, 4597053, 1810516, 357282, 1547, 7831, 8211, 69737 ]
391
熊本県
人口
人の流出先としては、関西や中京圏などが多い。
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391
熊本県
政治
※柔道家の内柴正人が2004年9月24日に県民栄誉賞、2008年9月16日に県民栄誉賞特別賞を受賞していたが、2011年の逮捕を受け取り消された。
[ "内柴正人", "2004年", "2008年", "2011年" ]
[ 67186, 339530, 487419, 4983 ]
[ 131780, 935867, 1448844, 7829 ]
391
熊本県
政治
衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。
[ "衆議院" ]
[ 2824 ]
[ 4435 ]
391
熊本県
経済・産業
2015年(平成27年)度の県内総生産は5兆5794億円である。およそ世界の3分の2の国よりも大きな経済規模を有している。一人当たり県民所得は226.5万円である。
[ "2015年", "平成", "県民経済計算" ]
[ 7882, 1323885, 210849 ]
[ 13144, 4597053, 533133 ]
391
熊本県
経済・産業
農業産出額(2008年(平成20年))は全国7位(九州3位)。各品目の生産量を見ると、トマト・藺草(熊本県以外でい草の生産はほとんど行われていない)・葉煙草・宿根霞草・スイカが全国1位、栗・茄子・生姜・ユーストマ・オリーブが全国2位、苺・メロンが全国3位となっている。農水省統計で全国の主要農畜産物上位10品目(産出額ベース)について、熊本県は生乳・肉用牛・苺・蜜柑・トマトの5つでトップ5に入っている。他に、デコポン・夏蜜柑が名産。菊池および阿蘇地域では畜産が盛ん。
[ "2008年", "平成", "トマト", "イグサ", "熊本県", "スイカ", "ショウガ" ]
[ 487419, 1323885, 1946, 161458, 168, 576459, 14328 ]
[ 1448844, 4597053, 3051, 385768, 391, 1754389, 23795 ]
391
熊本県
経済・産業
有明海や天草沿岸で車海老・のり・真珠などの養殖が行われている。
[ "有明海", "養殖業" ]
[ 49932, 14624 ]
[ 93085, 24349 ]
391
熊本県
生活・交通
熊本空港(阿蘇くまもと空港)が、熊本県において主な空港である。また、熊本県天草市には、天草飛行場(天草空港)がある。
[ "熊本空港", "熊本県", "天草市", "天草飛行場" ]
[ 75449, 168, 163391, 85346 ]
[ 150434, 391, 390804, 174203 ]
391
熊本県
生活・交通
旅客輸送を行っている鉄道。
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391
熊本県
生活・交通
路線バスは、熊本都市圏では九州産交バス(産交)・熊本電気鉄道(電鉄)・熊本バス(赤バス)・熊本都市バス(都市)の4事業者が運行しているが、都市圏以外は産交バスが大部分の地域をカバーしている。高速バスも産交がほぼ独占し、一般道経由の長距離路線もいくつかある。路線網は熊本市中央区の熊本桜町バスターミナルをターミナルとして各方面へ伸びている。
[ "路線バス", "熊本都市圏", "九州産交バス", "熊本電気鉄道", "熊本バス", "赤バス", "熊本都市バス", "高速バス", "熊本市", "熊本桜町バスターミナル" ]
[ 2480, 151265, 65251, 14859, 86013, 20362, 562860, 10518, 593227, 64855 ]
[ 3920, 357282, 127509, 24744, 175790, 35398, 1703261, 17392, 1810516, 126628 ]
391
熊本県
生活・交通
県外からは西鉄バス大牟田(福岡県から)や南国交通(鹿児島県から)などの乗り入れがある。
[ "西鉄バス大牟田", "福岡県", "鹿児島県" ]
[ 105004, 115634, 458444 ]
[ 223267, 254551, 1331124 ]
391
熊本県
生活・交通
九州自動車道・南九州西回り自動車道・熊本天草幹線道路・九州中央自動車道
[ "九州自動車道", "南九州西回り自動車道", "熊本天草幹線道路", "九州中央自動車道" ]
[ 21764, 17963, 106831, 751816 ]
[ 37651, 29901, 227919, 2372473 ]
391
熊本県
生活・交通
国道3号・国道57号・国道208号・国道212号・国道218号・国道219号・国道265号・国道266号・国道267号・国道268号・国道324号・国道325号・国道387号・国道388号・国道389号・国道442号・国道443号・国道445号・国道501号・国道503号
[ "国道57号", "国道208号", "国道212号", "国道218号", "国道219号", "国道265号", "国道266号", "国道267号", "国道268号", "国道324号", "国道325号", "国道387号", "国道388号", "国道389号", "国道442号", "国道443号", "国道445号", "国道501号", "国道503号" ]
[ 54598, 62940, 53029, 67051, 57451, 67199, 65052, 68962, 67196, 65047, 67194, 66664, 67143, 65040, 64433, 67192, 66591, 64275, 64844 ]
[ 103003, 122155, 99580, 131470, 109586, 131812, 127052, 135929, 131803, 127045, 131799, 130629, 131677, 127029, 125779, 131794, 130481, 125389, 126608 ]
391
熊本県
生活・交通
国立
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熊本県
生活・交通
公立
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熊本県
生活・交通
私立
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熊本県
生活・交通
私立
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熊本県
生活・交通
国立
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熊本県
メディア
デジタルテレビの親局は、金峰山に置かれている。
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熊本県
メディア
FMラジオの親局とRKKラジオのFM補完放送のメイン中継局も、金峰山に置かれている。
[ "熊本放送", "FM補完中継局", "中継局" ]
[ 33991, 896790, 37904 ]
[ 61802, 2922148, 68981 ]
391
熊本県
メディア
過去にはエフエムたまな(コミュニティ放送局)も存在したが、2006年(平成18年)4月をもって閉局。また、福岡県大牟田市に所在する有明ねっとこむ(FMたんと)は、荒尾市も放送対象地域に含んでいる。
[ "エフエムたまな", "コミュニティ放送", "2006年", "平成", "福岡県", "大牟田市", "FMたんと", "荒尾市", "放送対象地域" ]
[ 207055, 18809, 293184, 1323885, 115634, 18106, 1015388, 58113, 27553 ]
[ 521252, 31728, 793034, 4597053, 254551, 30131, 3427795, 111114, 48664 ]
391
熊本県
文化
方言は熊本弁(八代弁、天草弁、球磨弁などを含む)が話される。
[ "熊本弁" ]
[ 135998 ]
[ 313294 ]
391
熊本県
観光
このほか、県内各地に数多くの温泉地がある。
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391
熊本県
対外関係
姉妹(友好)交流地域は、以下の通り。
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395
高知県
null
高知県(こうちけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高知市。
[ "高知県", "日本", "都道府県庁所在地", "高知市" ]
[ 169, 1384029, 19725, 30077 ]
[ 395, 4821051, 34134, 53988 ]
395
高知県
概要
令制国では土佐国に当たり、県庁所在地の高知市の大半は土佐国の土佐郡に属していた。日本最後の清流といわれる四万十川(しまんとがわ)のほか、水辺利用率全国一の仁淀川、物部川、安田川など四国山地に源を発する清流が多く流れる。室戸岬・足摺岬・龍河洞・四国カルストなど多くの天然の観光資源を有する。
[ "令制国", "土佐国", "都道府県庁所在地", "高知市", "土佐郡", "日本", "しまんと (列車)", "仁淀川", "物部川", "安田川", "四国山地", "室戸岬", "龍河洞", "四国カルスト" ]
[ 11898, 8835, 19725, 30077, 33739, 1384029, 42735, 800739, 111121, 333161, 35807, 113525, 91816, 100966 ]
[ 19848, 14623, 34134, 53988, 61342, 4821051, 77856, 2554325, 241005, 916670, 65268, 248126, 190953, 213400 ]
395
高知県
概要
近年は、徳島県、宮崎県などの他の産地や、輸入野菜などに押されがちであるが、ピーマンやなすやトマトをはじめとする野菜類の促成栽培でも有名で、県中央部の沿岸部(土佐市〜芸西村付近)は、ビニールハウスが多く並んでいる。
[ "徳島県", "野菜", "ピーマン", "トマト", "促成栽培", "土佐市", "芸西村", "ビニールハウス" ]
[ 174, 1870, 2009, 1946, 110588, 18632, 128131, 70556 ]
[ 411, 2915, 3137, 3051, 239529, 31243, 290725, 139550 ]
395
高知県
地理・地域
高知県は東西に長い四国の南部、太平洋から四国山地の尾根までの範囲で「海の国」としてのイメージが強いが、高知市から香南市・香美市土佐山田町南部に至る高知平野、香長平野と南西部の四万十市周辺がやや広い平野となっているほかは、そのほとんどが海の近くまで山が迫る典型的な山国である。
[ "高知県", "太平洋", "四国山地", "高知市", "香南市", "香美市", "高知平野", "香長平野", "四万十市" ]
[ 169, 3442, 35807, 30077, 161454, 161455, 801893, 897084, 108978 ]
[ 395, 5330, 65268, 53988, 385755, 385757, 2558776, 2923265, 235078 ]
395
高知県
地理・地域
山地率は89 %と全国一位で、全国平均の66 %と比べてもその険しさがよく分かる。最高峰は三嶺で(山頂が高知県単独の場合は手箱山)、地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域でもあり、土砂災害がきわめて多い。その一方で県西部を流れる四万十川、石鎚山から土佐湾に南下する仁淀川、県北部から徳島県へと流れる吉野川など水量豊富な河川が多くあり、近年はカヌーでの川下りをする人が増えてきている。
[ "三嶺", "高知県", "手箱山", "四万十層群", "堆積岩", "石鎚山", "土佐湾", "仁淀川", "徳島県" ]
[ 371663, 169, 686378, 492650, 29715, 28205, 374878, 800739, 174 ]
[ 1035583, 395, 2132438, 1470054, 53280, 50129, 1045384, 2554325, 411 ]
395
高知県
地理・地域
水不足に悩まされることはほとんどないが、治水は古くからの課題となっており江戸時代初期の土佐藩奉行野中兼山による大規模な河川改修は県下主要河川のほとんどで実施されてきた。現在は全国有数の治水能力を有し、降雨量が多いにもかかわらず、全国的に見ると水害が少ない県でもある。
[ "治水", "江戸時代", "土佐藩", "野中兼山" ]
[ 241243, 1763, 18758, 68952 ]
[ 632228, 2740, 31506, 135911 ]
395
高知県
地理・地域
高知県沖の太平洋を黒潮が流れており、冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える。気候は黒潮の影響を受けて冬でも温暖であり、台風の襲来も多く、1951年(昭和26年)以降の台風上陸数は鹿児島県に次いで2番目に多い県である。特に「室戸台風」では、室戸岬上陸時の中心気圧が911.6hPaであり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。台風の正式な統計は1951年(昭和26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱いとされているが、これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録として、いまだに破られていない。太平洋に突き出た足摺岬、室戸岬は強風でも知られる。
[ "高知県", "太平洋", "台風", "1951年", "昭和", "鹿児島県", "室戸台風", "室戸岬", "日本", "緯度" ]
[ 169, 3442, 9103, 1656, 1115, 458444, 80974, 113525, 1384029, 21464 ]
[ 395, 5330, 15090, 2561, 1789, 1331124, 163380, 248126, 4821051, 37157 ]
395
高知県
地理・地域
県南西部の山間は大きく開発されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残されている。四万十川は最後の清流として有名である。1980年代後半には四万十川河川敷に小規模なコミューター空港、2000年初頭に宿毛市と愛媛県愛南町(旧一本松町)の県境にまたがる2000m級の空港(仮称:高知西南空港)を建設する計画が浮上したがいずれも頓挫している。
[ "1980年代", "河川敷", "2000年", "宿毛市", "愛媛県", "愛南町" ]
[ 474, 525217, 957, 20258, 162, 71223 ]
[ 902, 1589122, 1547, 35192, 371, 140994 ]
395
高知県
地理・地域
高知県の東西南北それぞれの端、及び重心は以下の位置である。北端はちち山、南端は沖の島 (高知県)、東端は甲浦港沖に浮かぶ葛島、西端は鵜来島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は土佐市新居付近にある。
[ "高知県", "ちち山", "甲浦港", "鵜来島", "平成", "人口重心", "土佐市" ]
[ 169, 709426, 1062904, 272903, 1323885, 14425, 18632 ]
[ 395, 2220104, 3610887, 731177, 4597053, 23994, 31243 ]
395
高知県
地理・地域
高知県の年間日照時間は2000時間を越え、全国2-3位が定位置となっている一方、年間降水量も平野部で2500mm前後、山間部では3000mmを超え、東部山間部の魚梁瀬は4100mm程度と日本有数である。夏は蒸し暑く、熱帯夜が連日のように続くが、昼は猛暑になりにくい。その反面、西部側の地域は北西風が四国山地を超えてフェーンを起こし、本州内陸部にも匹敵する暑さとなることがある。四万十市江川崎では、2013年8月12日に日本の歴代最高気温記録(当時)である41.0°Cを観測している。
[ "高知県", "日照時間", "日本", "四国山地", "本州", "四万十市", "2013年" ]
[ 169, 255138, 1384029, 35807, 3859, 108978, 7824 ]
[ 395, 675602, 4821051, 65268, 6021, 235078, 13068 ]
395
高知県
地理・地域
平野部での積雪はまれであるが、山間部や豊後水道側に開けた県西部の幡多地域平野部では大雪に見舞われることもあり、剣山系、石鎚山系の高い山では厳冬期に根雪が見られる地域も存在する。冬は晴れ間が多く、放射冷却によって朝などは高知市でも氷点下になることも多いが、日中は暖かい。その反面、室戸岬や足摺岬などの半島部や沿岸部では無霜地帯が存在する。その温暖な気候を求め、スポーツチームが多数キャンプを設置する。春は宇和島と並び、ソメイヨシノの開花前線が全国でも早く訪れることで知られるが、夏から秋は頻繁に台風の直撃を受けることがあるほか、台風本体が東シナ海から日本海側を通過する際も南からの温かい湿った風が、四国山地に遮られて大雨になることもある。室戸岬と足摺岬は「台風銀座」と呼ばれている。
[ "豊後水道", "放射冷却", "高知市", "室戸岬", "台風", "四国山地", "台風銀座" ]
[ 51184, 155659, 30077, 113525, 9103, 35807, 1388684 ]
[ 95898, 369302, 53988, 248126, 15090, 65268, 4837186 ]
395
高知県
地理・地域
以下の11市6郡17町6村がある。町はすべて「ちょう」、村は「むら」と読む。
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395
高知県
地理・地域
以下、7つの広域市町村圏ごとに記述する。
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395
高知県
人口
高知県は、全国では鳥取県、島根県に次いで3番目に人口が少なく(全政令指定都市よりも人口が少ない)、四国地方では最下位である。人口密度は中部地方以西の府県では最も低い。
[ "高知県", "鳥取県", "島根県", "政令指定都市", "人口密度" ]
[ 169, 176, 173, 5218, 7471 ]
[ 395, 415, 405, 8211, 12475 ]
395
高知県
人口
人口の分布としては県庁所在地の高知市に県民のほぼ半数が居住し、いわゆるプライメートシティとなっている。単独市制施行に必要な人口である5万人を上回る市は高知市のみであり、全都道府県中最も少ない。
[ "都道府県庁所在地", "高知市", "プライメイトシティ", "単独市制" ]
[ 19725, 30077, 180958, 521609 ]
[ 34134, 53988, 439987, 1576149 ]
395
高知県
人口
県中部の高知平野の他に比較的まとまった人口が居住する地域は四万十市などごく僅かであり、県西部・東部は日本でも有数の人口密度が低い地域となっている。
[ "高知平野", "四万十市", "日本", "人口密度" ]
[ 801893, 108978, 1384029, 7471 ]
[ 2558776, 235078, 4821051, 12475 ]
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歴史
現在の高知県の行政機構の最も古い時代の記録は、国造本紀の記録があり、幡多(県西部、後の幡多郡か)・都佐(県中東部)の二つの国造がおかれた。それぞれの初代の任命者は、幡多国造が崇神朝(紀元前1世紀ごろ)の天韓襲命、都佐国造が成務朝(2世紀後半ごろ)の小立足尼であり、幡多のほうが先であったことから、古来は幡多地方がはやくから大和朝廷の勢力と交渉があったものと思われる。
[ "高知県", "先代旧事本紀", "幡多郡", "中東", "国造", "崇神天皇", "紀元前1世紀", "都佐国造", "成務天皇", "ヤマト王権" ]
[ 169, 86763, 33741, 2495, 46392, 48703, 2846, 985850, 49588, 3348 ]
[ 395, 177761, 61344, 3945, 84808, 89945, 4469, 3302451, 91955, 5157 ]
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歴史
この時期の高知県域の詳細な文献記録は乏しいが、天韓襲命、小立足尼はいずれも三島溝杭(賀茂氏)の後裔を称しており、摂津国三嶋県(大阪府北部)を根拠とした賀茂氏の一族が阿波国を経て都佐・幡多に降り、土着した可能性がある。また、土佐神社(のちの土佐国一宮)の主祭神であるアヂスキタカヒコネは、賀茂氏の氏神とされる。
[ "高知県", "賀茂建角身命", "摂津国", "大阪府", "阿波国", "土佐神社", "土佐国", "アヂスキタカヒコネ", "氏神" ]
[ 169, 385457, 11620, 160159, 8721, 321263, 8835, 85068, 97602 ]
[ 395, 1079633, 19355, 382164, 14485, 879989, 14623, 173558, 205107 ]
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歴史
高知県域に国司が置かれた初見は、天武天皇13年(684年)の白鳳地震に際して、日本書紀に土佐国内での被害状況が「土左国司」からの報告として引用されたものが挙げられる、遅くともこの時期には高知県域にも国司が置かれ土佐国が成立、完全に律令体制下に組み込まれたことがわかる。個人名の分かる国司の初例は、天平15年(743年)任命の引田虫麻呂である。
[ "高知県", "国司", "天武天皇", "684年", "白鳳地震", "日本書紀", "土佐国", "律令制", "743年", "引田虫麻呂" ]
[ 169, 6479, 33619, 37093, 746597, 5480, 8835, 14456, 30232, 515365 ]
[ 395, 10573, 61164, 67582, 2353063, 8607, 14623, 24057, 54302, 1554482 ]
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歴史
律令制下での土佐の国制については、以下の通り。
[ "律令制" ]
[ 14456 ]
[ 24057 ]
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歴史
土佐国司として任命されたのは、治承・寿永の乱(源平合戦)のころまでの五世紀弱の間に106名に及んでいるが、時代が下るにつれて、他の国の国司の例に漏れず、遥任の発生など、利権に与って蓄財に走る事例が定着した。延暦4年(785年)には、調の納入が遅れ、しかも届いた品が粗悪品であったため、守から目(さかん)に至るまで、国司税人が解任されている。
[ "国司", "治承・寿永の乱", "遥任", "延暦", "785年" ]
[ 6479, 89562, 143646, 50885, 11376 ]
[ 10573, 184574, 335104, 95276, 18894 ]
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歴史
歴代の国司の中では、紀貫之(延長8年(930年)任命)が特に善政を行った事例として全国的に著名であり、また任期を終えての復命中の道中記「土佐日記」には、当時の土佐の風俗なども記されている。
[ "国司", "紀貫之", "930年", "土佐日記" ]
[ 6479, 28084, 23828, 28163 ]
[ 10573, 49908, 41044, 50043 ]
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歴史
また、土佐国は畿内から特に遠く離れた遠国とされたため、重罪人の配流が多かった。土佐へ配流されたものは、天武天皇5年(676年)の屋垣王を初例として、鎌倉時代までに約60人に及んだ。
[ "土佐国", "畿内", "天武天皇", "676年", "鎌倉時代" ]
[ 8835, 633112, 33619, 29450, 131356 ]
[ 14623, 1948333, 61164, 52759, 299798 ]
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歴史
12世紀末に鎌倉幕府が成立した時、土佐は源平合戦時において源氏と関係が強かったため、いち早く幕府の勢力下に入った。文治元年(1185年)、源頼朝が守護・地頭の設置を許されたのと前後して(文治の勅許)、梶原朝景(梶原景時の弟)が事実上の初代守護として派遣され、国内の鎮撫にあたった。
[ "12世紀", "鎌倉幕府", "文治", "1185年", "源頼朝", "地頭", "文治の勅許", "梶原朝景", "梶原景時" ]
[ 1574, 5388, 49422, 3090, 114781, 23510, 346888, 1324723, 62234 ]
[ 2452, 8466, 91627, 4830, 252115, 40587, 960126, 4600229, 120549 ]
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その後、建久3年(1192年)には佐々木経高、建仁元年(1200年)には豊島朝経、建仁3年(1202年)には三浦義村が守護となり、宝治元年(1247年)の三浦氏滅亡(宝治合戦)まで三浦氏が守護を務めた。時代が下ると執権北条氏の一族が守護を務め、大須賀氏や安藤氏が守護代として現地での任に当たった。
[ "建久", "1192年", "佐々木経高", "建仁", "1200年", "豊島朝経", "1202年", "三浦義村", "宝治", "1247年", "宝治合戦", "執権", "守護代" ]
[ 70473, 2676, 107941, 73261, 8657, 337294, 3563, 95202, 73190, 22659, 663250, 15836, 9476 ]
[ 139362, 4229, 231706, 145530, 14392, 929280, 5567, 198953, 145387, 39067, 2051213, 26266, 15663 ]
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また、地頭には香宗我部氏・長曾我部氏・津野氏・安芸氏・大黒氏らが補任された。
[ "地頭", "香宗我部氏", "長宗我部氏", "津野氏", "安芸氏" ]
[ 23510, 545934, 49480, 872907, 772615 ]
[ 40587, 1653036, 91727, 2828805, 2450184 ]
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鎌倉幕府滅亡後の建武3年(1336年)足利尊氏は豊島河原合戦に敗れ、九州に退いて体勢を立て直す途中、四国に細川氏の一族を配置して武士たちを統制させた。土佐国は細川顕氏が配され、以降の南北朝時代において、土佐の勢力争いは興国2年/暦応4年(1341年)の時点で北朝優位が確立した。
[ "鎌倉幕府", "1336年", "足利尊氏", "豊島河原合戦", "細川氏", "武士", "土佐国", "興国", "暦応", "1341年" ]
[ 5388, 13688, 6188, 589935, 22966, 9621, 8835, 49546, 50381, 11217 ]
[ 8466, 22771, 10002, 1798941, 39703, 15894, 14623, 91880, 94173, 18618 ]
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室町時代の間、四国一帯は、南北朝時代に細川頼之の地域平定の功により細川氏の両国となり、土佐国は一門の細川頼益の子孫(遠州家)が守護代として下向、統治にあたった。
[ "室町時代", "細川頼之", "細川氏", "土佐国", "守護代" ]
[ 131355, 45650, 22966, 8835, 9476 ]
[ 299797, 83315, 39703, 14623, 15663 ]
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遠州家の土佐統治は5代にわたって続いたが、4代勝益の代になると、豪族の反乱の討伐に手間取るなど、領内の統制がままならなくなった。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると、勝益は乱の当事者となった細川勝元の命を受けて、豪族を引き連れて上洛、国元を長期間不在にすることにより、影響力を徐々に減退させる。
[ "細川勝益", "豪族", "応仁", "1467年", "応仁の乱", "細川勝元" ]
[ 888853, 80305, 28035, 5387, 10256, 21315 ]
[ 2890231, 161599, 49805, 8465, 16979, 36919 ]
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歴史
応仁の乱終結後も遠州家の土佐統治は、本家の細川政元の影響力のもと、曲がりなりにも継続していた。しかし、栄正4年(1507年)、政元の暗殺(永正の錯乱)が引き金となり、国人の抑えが効かなくなり、5代政益は土佐を脱出する。
[ "応仁の乱", "細川政元", "1507年", "永正の錯乱", "国人" ]
[ 10256, 21317, 3865, 437361, 63837 ]
[ 16979, 36922, 6027, 1257579, 124343 ]
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この後、土佐国内は守護の勢力が及ばない動乱状態に陥り、土佐七雄(本山氏・吉良氏・安芸氏・津野氏・香宗我部氏・大平氏・長曾我部氏)に国司であるところの土佐一条氏の八勢力を中心にしのぎを削り、国内の城は最盛時には300を超えた。
[ "土佐七雄", "本山氏", "吉良氏", "安芸氏", "津野氏", "香宗我部氏", "大平氏", "長宗我部氏", "国司", "土佐一条氏" ]
[ 395851, 66835, 91847, 772615, 872907, 545934, 872880, 49480, 6479, 48555 ]
[ 1112979, 131015, 191088, 2450184, 2828805, 1653036, 2828627, 91727, 10573, 89659 ]
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土佐国は天正3年(1575年)、長曾我部元親の手によって統一される。元親は次いで四国平定に乗り出したが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国進出に敗れ、土佐一国の領主に収まった。
[ "土佐国", "天正", "1575年", "長宗我部元親", "1585年", "豊臣秀吉" ]
[ 8835, 19337, 8030, 50208, 8092, 560473 ]
[ 14623, 33233, 13388, 93714, 13501, 1695821 ]
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その後、元親の後を継いだ盛親は、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに西軍として参陣、これに敗れて、領地を改易された。土佐一国は、東軍に属した遠州掛川城主山内一豊に与えられた。
[ "慶長", "1600年", "関ヶ原の戦い", "改易", "山内一豊" ]
[ 16183, 5643, 563135, 135180, 55318 ]
[ 26805, 8867, 1704409, 311061, 104807 ]
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土佐国は山内一豊の入府以降、一度も転封を経ることなく、山内氏が16代にわたって、廃藩置県に至るまでこれを統治した。
[ "土佐国", "山内一豊", "転封", "廃藩置県" ]
[ 8835, 55318, 135839, 6369 ]
[ 14623, 104807, 312888, 10347 ]
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山内氏の土佐入府にあたり、長曾我部遺臣の一領具足たちは頑強な抵抗を見せた(浦戸一揆)。最終的には、一揆中の裏切りによって、多くの旧臣が打ち取られる形でことは決着した。一豊が入府したのちも、滝山一揆など、数年間は散発的な反乱が続いた。
[ "一領具足", "浦戸一揆", "滝山一揆" ]
[ 132103, 745771, 235869 ]
[ 302008, 2349803, 614093 ]
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一豊は入府後、元親の居城を引き継いだ浦戸城にかわり、広域な城下町形成を企図して高知平野の大高坂山に新城を築城、慶長8年(1603年)にここへ移った。新城は慶長15年(1610年)に高知城と名付けられ、以降山内家代々の土佐経営の中心地となった。同時に城下町も碁盤目状に整備され、家臣や商人・職人などが定住した。
[ "浦戸城", "城下町", "高知平野", "慶長", "1603年", "1610年", "高知城" ]
[ 71241, 15483, 801893, 16183, 2695, 10084, 57868 ]
[ 141045, 25695, 2558776, 26805, 4249, 16669, 110590 ]
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土佐藩の統治機構は以下の通りである。まず、家柄などをもととする身分の区別として、上士(家老・中老・馬廻・小姓組・留守居組)と下士(郷士・徒士・組外・足軽・奉公人)があり、大まかに分けて遠州時代からの山内家臣が上士、長曾我部旧臣が下士とされた。のちに、上士と下士の間で、白札(しろふだ)という特別の身分が出来た。
[ "土佐藩", "上士", "家老", "馬廻", "小姓組", "留守居", "郷士", "徒士", "足軽" ]
[ 18758, 232387, 99982, 26343, 432055, 212333, 145421, 217740, 20034 ]
[ 31506, 602368, 211151, 46264, 1239692, 537913, 340289, 554603, 34746 ]
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家臣のうち、領国統治に直接関わる部署は外官と称された。外官職のトップは奉行職(執政とも)と呼ばれ、家老のうちから任命された。実際に実務を指揮するのは仕置役(参政とも)であり、中老や馬廻から任命された。仕置役の下に各部署が設置されて職務を分担し、奉行がこれを統率した。裁判や警察に関する職務は大目付が担当し、奉行職に直属した。
[ "家老", "馬廻", "大目付" ]
[ 99982, 26343, 31330 ]
[ 211151, 46264, 56715 ]
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藩主の家政に関わる部署は内官と称された。内官職のトップは近習家老と呼ばれ、山内家の私的な家政の管理のほか、江戸・京都・大坂の藩邸を通じて幕府や他大名との渉外なども統括した。
[ "家老" ]
[ 99982 ]
[ 211151 ]
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慶長10年(1605年)、一豊の甥、山内忠義が2代藩主に就任する。このころ、山内家は幕府から土木建築の助役(江戸城、名古屋城など)や大坂の陣への参陣などの要求により出費がかさみ、さらに忠義本人の浪費癖もあいまって、借金は最も多い時期では歳入米2、3年分にまで膨れ上がり、幕府から借財整理を勧告されるほどであった。
[ "慶長", "1605年", "山内忠義", "江戸城", "名古屋城", "大坂の陣" ]
[ 16183, 3734, 82459, 131825, 13595, 16052 ]
[ 26805, 5823, 167041, 301265, 22636, 26618 ]
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勧告を受けて元和7年(1621年)、仕置役・福岡丹波が中心となり、藩政改革が行われた。具体的には、領内の山林の伐採に農民を動員し(料木役)、伐採した檜などを大坂へ送って売却し、借財の返却に充てた。ほかに、緊縮政策による経費節約、家臣からの上米・借上(俸禄カット)、米の販売統制などをあわせて実施し、寛永2年(1625年)に借財の返済は完了した。
[ "1621年", "藩政改革", "寛永", "1625年" ]
[ 9839, 131135, 26862, 9840 ]
[ 16254, 299219, 47305, 16255 ]
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同時に、安定した年貢収入を得るべく、改めて検地を行うとともに、農民による土地の所有関係を明確化した。国内の田畑については、山間部を中心に、一領具足が同時に本百姓(名主)として土地を支配し、下層農民が被官としてこれに隷属していたのであるが、長曾我部氏の失脚によって一領具足、さらにその被官の地位が不安定化すると、被官たちが土地を捨てて逃げ出す事例(走り者)が多発した。藩当局は走り者の罪を赦して農地への復帰を進めるとともに、土地を公平に分けて耕作させる田地割替制度を始めたり、さらに年貢徴収の制度を定免法に改めることにより、年貢収入の安定化を図った。
[ "年貢", "一領具足", "本百姓", "被官", "長宗我部氏", "定免法" ]
[ 64791, 132103, 580352, 358235, 49480, 187541 ]
[ 126515, 302008, 1766953, 993218, 91727, 460909 ]
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寛永8年(1631年)、山内家の近親である野中兼山が奉行職に就任し、以降30年間にわたり、藩政改革をリードした。
[ "寛永", "1631年", "野中兼山", "藩政改革" ]
[ 26862, 8622, 68952, 131135 ]
[ 47305, 14298, 135911, 299219 ]
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兼山は藩収入の根幹である年貢米の収入を増加させるべく、新田開発、それに伴う灌漑開発や用水路の建設、そして港湾整備などの土木事業を主導した。
[ "年貢", "新田", "灌漑", "用水路" ]
[ 64791, 195544, 135577, 230191 ]
[ 126515, 486629, 312089, 594944 ]
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同時に、いまだに不平分子として燻っていた一領具足を救済すべく、新田開発や原野の開墾に功績のあったものを郷士として取り立てて知行を与え、才覚のあるものは奉行に取り立てるなど、国内の融和に努めた。
[ "一領具足", "新田", "郷士" ]
[ 132103, 195544, 145421 ]
[ 302008, 486629, 340289 ]
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しかし、これらの兼山の施策は、農民の労働力の徴発を伴うものであったため農民の不満を招き、さらに百姓に対する生活指導や国産品の専売による経済統制、さらには飲酒に対する罰金制度まで出されたため、国内の反感を招いた。さらに、郷士を取り立てる方針が譜代の上士たちの不平を招いた。
[ "郷士", "上士" ]
[ 145421, 232387 ]
[ 340289, 602368 ]
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寛文3年(1663年)、家臣より3代藩主忠豊に対して、兼山の弾劾状が出され、兼山は失脚する。兼山は程なく死去、一族は永く幽閉され、野中家は絶えた。
[ "寛文", "1663年" ]
[ 27705, 3097 ]
[ 49019, 4837 ]
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兼山失脚の後、藩政の方針は兼山時代から逆方向へ舵を切った。専売制をはじめとする経済統制を廃し、民衆の生活への介入なども留めたため、藩内は旧来の活気が戻った。これらの施策を「寛文の改替」という。
[ "専売制", "寛文" ]
[ 152461, 27705 ]
[ 360533, 49019 ]
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一方で、藩の基礎収入が年貢だよりであることには変わりなかったため、藩としては、民力の回復を待って、年貢収入を増加させることを想定していた。そのため、新田開発を引き続き奨励し、新田の年貢の負担を軽くするなどの措置をとった。
[ "年貢", "新田" ]
[ 64791, 195544 ]
[ 126515, 486629 ]
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しかし、経済統制が解除されたことによって、商業経済がさらに発展し、相対的に武士の暮らし向きは悪くなった。さらに、新田開発によって本田の荒廃や移動を招き、山林開発も衰退するなど、藩財政は悪化した。藩はこの状態を改めるべく、「留物条例」を出して、牛馬・毛皮・漆など一部商品の移出を禁止するなど、新興の商業資本の発展に制限を加えた。同時に有力商人に運上銀を上納させるなどして、藩財政の安定を図った。
[ "武士", "新田", "運上" ]
[ 9621, 195544, 509055 ]
[ 15894, 486629, 1531561 ]
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更に、年貢収入の不安定性を取り除くべく、貢租額を、年々の額を平均した値を定める"平等免"(ならしめん)に定め、さらに藩士の年貢収入を地方知行から蔵米知行に改めるなど、租税体系の整備が進んだ。しかし一方で、農民に対する生活統制が新たに定められるなど、兼山時代の生活統制の一部が復活したのもこの時期である。
[ "年貢", "地方知行", "蔵米知行" ]
[ 64791, 341482, 441338 ]
[ 126515, 942117, 1271791 ]
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4代藩主豊昌時代の元禄3年(1690年)、これらの土佐藩歴代の法令が集大成され、「元禄大定目」と名付けられた。
[ "元禄", "1690年", "土佐藩" ]
[ 27700, 7193, 18758 ]
[ 49010, 11928, 31506 ]
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これ以降も、収入安定のため商業・生活への介入を行う藩庁と、それに対して抵抗する百姓との間の緊張的な対立関係は続いた。8代藩主豊敷時代の宝暦2年(1752年)、藩庁は国産方役所を設置した。これは藩内の生産商品を藩庁が指定した問屋が買い上げる制度で、藩庁は指定問屋から運上金を得ることで利益を得ていた。この時、一部の指定問屋の購入価格が安価であり、不当な利益を収奪しているとして、津野山の義民・中平善之丞を指導者に、一揆が起こった(津野山騒動)。結局、問屋制度は廃止された。
[ "宝暦", "1752年" ]
[ 27578, 5413 ]
[ 48702, 8503 ]
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その後、明和3年(1766年)に再び問屋制度が定められたが、天明7年(1787年)、凶作に困窮した製糸業者らが伊予まで逃亡するという事件が起こった(池川紙一揆)。さらに同年、高知城下で米騒動が起こったのをはじめ、藩内各所で騒動が起こった。これらの騒動を受けて、問屋制度は再び廃止された。
[ "明和", "1766年", "天明", "1787年" ]
[ 27214, 3460, 27483, 3057 ]
[ 47998, 5364, 48534, 4796 ]
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天保14年(1843年)、13代藩主豊熈は進んで人材登用を行い、登用されたものはおこぜ組と呼ばれた。しかしこの流れは旧門閥らの反発を招き、1年足らずで頓挫することとなった。
[ "1843年" ]
[ 6144 ]
[ 9937 ]
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幕末、土佐藩は15代藩主豊信(容堂)のもとで、土佐一国の大藩として深く関与する。
[ "幕末", "土佐藩" ]
[ 7981, 18758 ]
[ 13313, 31506 ]
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幕末維新の政局における土佐藩の態度については、変遷や対立はありつつも、容堂ら藩上層部は一貫して公武合体論の立場を堅持する。容堂は幕府大老井伊直弼と対立、安政の大獄で隠居に追い込まれるが、井伊大老が桜田門外の変で暗殺されると程なく復権し、参預会議・四侯会議・王政復古の大号令などで雄藩の一員としていずれもメンバーに含まれた。容堂の藩政を支えたのが馬廻格の吉田東洋で、藩論の策定や幕府への意見書の起草、軍備増強を行うにあたっての資金の用立てなどを推し進める。
[ "幕末", "土佐藩", "公武合体", "井伊直弼", "安政の大獄", "桜田門外の変", "参預会議", "四侯会議", "王政復古 (日本)", "雄藩", "馬廻", "吉田東洋" ]
[ 7981, 18758, 31513, 25115, 46600, 853212, 522928, 523743, 12560, 354037, 26343, 41565 ]
[ 13313, 31506, 57100, 43547, 85205, 2755077, 1581001, 1583953, 21007, 980840, 46264, 75391 ]
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一方で、藩内にあって、幕府と距離を置くことを主張する尊王攘夷派は、安政の大獄を機に顕在化し、文久元年(1861年)、武市瑞山を盟主に土佐勤皇党を結成。次第に藩上層部との間の階級対立の様相を呈し、翌文久2年(1862年)、東洋は勤皇党員によって暗殺された。
[ "尊王攘夷", "安政の大獄", "文久", "1861年", "武市瑞山", "土佐勤王党", "1862年" ]
[ 7288, 46600, 27411, 3878, 32017, 32213, 3279 ]
[ 12103, 85205, 48384, 6044, 57999, 58376, 5062 ]
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勤皇党は他藩の同志らと連携して広範に活動を行い、脱藩して京都や長州に赴く者も後を絶たなかった。「人斬り以蔵」と恐れられた岡田以蔵、天誅組の変を起こした吉村虎太郎などがいる。
[ "脱藩", "岡田以蔵", "天誅組の変", "吉村虎太郎" ]
[ 31117, 32212, 130801, 130809 ]
[ 56230, 58374, 298157, 298177 ]
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しかし、文久3年(1863年)、八月十八日の政変をきっかけに尊王攘夷派の動きは頭打ちになり、土佐勤皇党も瑞山が投獄、切腹するなど、壊滅的な打撃を受けた。
[ "文久", "1863年", "八月十八日の政変", "尊王攘夷", "土佐勤王党" ]
[ 27411, 3375, 23556, 7288, 32213 ]
[ 48384, 5205, 40650, 12103, 58376 ]
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その後、坂本龍馬らの活躍により薩長同盟が成立、第二次長州征伐で幕府軍が敗北するにつれ、藩内でも板垣退助らが積極的な討幕を訴え、幕府の大政奉還による安定的な政権交代を模索する後藤象二郎らと対立した。
[ "薩長同盟", "長州征討", "板垣退助", "大政奉還", "政権交代", "後藤象二郎" ]
[ 29532, 85006, 430367, 9646, 368529, 46994 ]
[ 52925, 173394, 1234149, 15934, 1025840, 86123 ]
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王政復古の大号令後、小御所会議においても容堂は幕府を擁護していたが、慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発。板垣が容堂の制止を無視して幕府軍に砲撃を加えたことで、土佐藩はなし崩し的に討幕の立場をとることになった。
[ "王政復古 (日本)", "小御所会議", "慶応", "1868年", "戊辰戦争", "土佐藩" ]
[ 12560, 524233, 16656, 2850, 12557, 18758 ]
[ 21007, 1585554, 27669, 4474, 21004, 31506 ]
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戊辰戦争では、土佐藩は四国内の親藩である高松藩(水戸徳川家一門)・松山藩(久松松平家)の征討を命じられるが、両藩ともに戦わずして開城したため、高松へ出征した板垣が軍を率いてそのまま京都で編成中の東征軍に合流する。土佐藩兵2700余は征討軍参謀となった板垣とともに東国へ転戦し、最終的に会津若松城の攻城戦にまで従った。一連の戦闘で、土佐藩兵の戦死者は106、負傷者は168であった。
[ "戊辰戦争", "土佐藩", "親藩", "高松藩", "水戸徳川家", "久松氏", "若松城", "攻城戦" ]
[ 12557, 18758, 3952, 89542, 8261, 101074, 68400, 81755 ]
[ 21004, 31506, 6159, 184522, 13776, 213690, 134626, 165308 ]
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明治新政府成立後、土佐藩は板垣、後藤らを筆頭に多くの人材を送り込み、「薩長土肥」と通称されるように、新政府の一角を占めるにいたった。しかし、このころの土佐藩の負債は金100万両、銀345貫目におよび、封建制を維持することは不可能になっていた。
[ "土佐藩", "薩長土肥", "封建制" ]
[ 18758, 42052, 26965 ]
[ 31506, 76495, 47487 ]
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明治2年(1869年)、版籍奉還。16代藩主豊範が新たに藩知事に就任、大参事の板垣の下で藩政改革が試みられたものの、根本的な改革は困難であった。明治4年(1871年)、廃藩置県により藩は正式に配され、行政機構としての高知県が誕生した。
[ "明治", "1869年", "版籍奉還", "知藩事", "大参事", "藩政改革", "1871年", "廃藩置県", "高知県" ]
[ 1126, 3283, 16169, 163637, 482497, 131135, 3073, 6369, 169 ]
[ 1803, 5066, 26787, 391467, 1429903, 299219, 4812, 10347, 395 ]
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なお、明治9年(1876年)に名東県(旧阿波国)が高知県に編入されたが、明治13年(1880年)、徳島県として再度分離している。
[ "明治", "1876年", "名東県", "阿波国", "高知県", "1880年", "徳島県" ]
[ 1126, 2659, 329698, 8721, 169, 2961, 174 ]
[ 1803, 4207, 906313, 14485, 395, 4653, 411 ]
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明治維新におもなって急速な国内改革が推し進められることにより、県内各所では混乱が起こった。特に、生活の糧を失った士族は、官吏や軍人として登用されたもののほかは、自力で生計を立てねばならなかった。少なくない者はいわゆる士族の商法に手を出したが、多くは程なく行き詰まることとなった。旧藩主山内家も物流業界に手を出して"山一商会"を創業したが、うまくゆかなかった。
[ "明治維新", "士族", "軍人", "商法" ]
[ 2873, 82932, 5260, 4891 ]
[ 4516, 168274, 8281, 7685 ]
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また、農民層にも動揺を巻き起こした。年貢米の減免や手放した田地の回復を求めて一揆が起こったほか、外国由来の風習(徴兵制など)に対する誤解に基づく反対運動も行われた。
[ "年貢", "徴兵制度" ]
[ 64791, 782291 ]
[ 126515, 2486527 ]
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明治6年(1873年)、明治六年政変にともない、板垣、後藤らは政府を離れた。板垣らは高知へ帰り、片岡健吉、林有造らとともに立志社を設立する。士族授産による没落士族の救済、学校設立などによる民生の安定を標榜、さらに、民選議院の設立を求めていた。
[ "明治", "1873年", "明治六年政変", "片岡健吉", "林有造", "立志社 (政治団体)", "秩禄処分", "士族" ]
[ 1126, 3037, 44123, 297038, 74247, 260371, 105750, 82932 ]
[ 1803, 4775, 80389, 805550, 147830, 692311, 225108, 168274 ]
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一方で、これらに対抗する団体として、静倹社(原茂胤社長)、嶺南社、猶興社などが設立された。
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立志社の方針は政府と対立し、明治11年(1878年)、林、片岡らが拘束される。板垣や植木枝盛らはこれに対抗して独自の議会「土佐国州会」を設立、選挙を行い、政府の地方自治の方針を質すなどした。
[ "立志社 (政治団体)", "明治", "1878年", "植木枝盛", "土佐国" ]
[ 260371, 1126, 2652, 204159, 8835 ]
[ 692311, 1803, 4200, 512487, 14623 ]