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和氣純子
和氣 純子(わけ じゅんこ) は、日本の社会福祉学者。東京都立大学大学院人文科学研究科教授、日本学術会議会員。日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長。 東京女子大学卒業後、アメリカ留学を経て、1996年東洋大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程修了、博士(社会福祉学)。指導教員は窪田暁子。2007年度厚生統計協会川井記念賞受賞。 東京都老人総合研究所助手、東京都立大学人文学部講師、同助教授、首都大学東京都市教養学部・人文社会系助教授、同准教授を経て、2012年同教授。 2014年日本学術会議連携会員。2017年東京都社会福祉審議会委員。2018年文部科学省教科用図書検定調査審議会臨時委員。2019年日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長、厚生労働省社会保障審議会臨時委員。 2020年東京都立大学大学院人文科学研究科教授、日本社会福祉学会副会長、日本学術会議会員、文部科学省大学設置・学校法人審議会大学設置分科会専門委員。2022年日本ソーシャルワーク学会副会長、東京都保健医療計画推進協議会委員。
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和氣 純子 は、日本の社会福祉学者。東京都立大学大学院人文科学研究科教授、日本学術会議会員。日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長。
'''和氣 純子'''(わけ じゅんこ) は、[[日本]]の[[社会福祉学者]]。[[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]]大学院人文科学研究科教授、[[日本学術会議会員]]。[[日本ソーシャルワーク教育学校連盟]]副会長。 == 人物・経歴 == [[東京女子大学]]卒業後<ref name="to"/>、[[アメリカ]][[留学]]を経て<ref name="to"/>、1996年[[東洋大学]]大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程修了<ref>[https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784623090969 新・MINERVA社会福祉士養成テキストブックソーシャルワークの理論と方法〈2〉]紀伊国屋書店</ref><ref name="to"/>、[[博士(社会福祉学)]]<ref>[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000132102 高齢者を介護する家族 : エンパワーメント・アプローチの展開にむけて 和氣, 純子 ワケ, ジュンコ]</ref>。[[窪田暁子]]ゼミ出身<ref name="to">[https://toyo-sws.chips.jp/kinenteidan2.pdf 東洋大学で学んだ研究者としての基礎]東洋大学</ref>。2007年度[[厚生統計協会]]川井記念賞受賞<ref name="tm">[https://www.tmu.ac.jp/stafflist/data/wa/897.html WAKE Junko教授和気 純子 ワケ ジュンコ]</ref>。 [[東京都老人総合研究所]]助手、[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]][[人文学部]]講師、同助教授、[[首都大学東京]]都市教養学部・人文社会系助教授、同准教授を経て、2012年同教授<ref name="ka"/>。 2014年[[日本学術会議連携会員]]<ref name="tm"/>。2017年[[東京都]]社会福祉審議会委員。2018年[[文部科学省]][[教科用図書検定調査審議会]]臨時委員。2019年[[日本ソーシャルワーク教育学校連盟]]副会長、[[厚生労働省]][[社会保障審議会]]臨時委員<ref name="tm"/>。 2020年[[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]]大学院人文科学研究科教授<ref name="ka">[https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000080239300/ 和気 純子 WAKE JunkoORCIDORCID連携する *注記]</ref>、[[日本社会福祉学会]]副会長、[[日本学術会議会員]]、文部科学省[[大学設置・学校法人審議会]]大学設置分科会専門委員<ref name="tm"/>。2022年[[日本ソーシャルワーク学会]]副会長、東京都保健医療計画推進協議会委員<ref name="tm"/>。 == 著書 == *『高齢者を介護する家族 : エンパワーメント・アプローチの展開にむけて』川島書店 1998年 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{Scientist-stub}} {{DEFAULTSORT:わけ しゆんこ}} [[Category:日本の社会福祉学者]] [[Category:日本の女性社会学者]] [[Category:日本学術会議会員]] [[Category:日本学術会議連携会員]] [[Category:東京都立大学の教員]] [[Category:旧東京都立大学の教員]] [[Category:博士(社会福祉学)取得者]] [[Category:東洋大学出身の人物]] [[Category:東京女子大学出身の人物]]
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アンドレア・キミ・アントネッリ
アンドレア・キミ・アントネッリ(Andrea Kimi Antonelli, 2006年8月25日 - )は、イタリア・ボローニャ出身のレーシングドライバー。 アントネッリは7歳からカートを始め、多くのカテゴリーで成功を収めている。「イージーカート・インターナショナル・グランド・ファイナル(イージー60)」「南ガルダ・ウィンター・カップ」「WSK・チャンピオンズ・カップ」「WSK・スーパー・マスター・シリーズ」「WSK・ユーロ・シリーズ」などで優勝し、2020年と2021年には2年連続で「CIK-FIA カーティング・ヨーロピアン・チャンピオンシップ」のタイトルを獲得している。 15歳を迎え3週間後の2021年、プレマのレースドライバーとしてレッドブル・リンクで開催された「イタリア・F4選手権(英語版)」の第5戦へエントリーする。シングルシーターデビューを果たした最初のレースで2度の9位入賞(レース1・3)を果たし4ポイントを持ち帰った。第6戦(ムジェロ)も入賞し、続く最終戦(モンツァ)・レース1ではランキング首位のオリバー・ベアマン(英語版)と首位争いを繰り広げ敗れるが初の2位表彰台を獲得した。総合成績はシーズン途中からの参戦にもかかわらずプレマのフルタイムドライバーであるコンラッド・ラウルセン(英語版)に6ポイント差のランキング10位でシーズンを終えた。ルーキーズ・チャンピオンシップの成績では4勝を挙げランキング4位というスコアになった。 2022年もプレマに残留し、「イタリア・F4」へフルタイム参戦する。チャーリー・ヴルツ(英語版)、コンラッド・ラウルセン、フェラーリ・アカデミーのジェームズ・ウォートン、ラファエル・カマラ(英語版)が主なチームメイトとなった。開幕戦(イモラ)・レース1では、ラスト残り5周でギアボックストラブルによりリタイアを余儀なくされた。レース2は縁石に接触しフロントウィングにダメージを負い入賞圏内から遠ざかり、レース3ではチームメイトのウォートンと接触しペナルティを受け4位から10位へ後退した。不運の開幕戦以降、第2戦(ミサノ)から第4戦(ヴァレルンガ)までで8勝を挙げる快進撃が続いた。最終戦(ムジェロ)・レース1で優勝したことでアントネッリのタイトル獲得が確定する。シーズン13勝、2位へ104ポイントもの大差をつける圧勝劇となった。 2022年の本戦出場前に、「フォーミュラ4・UAE選手権(英語版)」の一部に参加した。2021年のF1最終戦アブダビGPのサポートレースとして行われた「トロフィー・ラウンド」で3位フィニッシュを受ける。2022年の本戦は第3戦のみのエントリーであったが、開幕戦でラファエル・カマラが健康上の理由で欠場が決まりその代役としてエントリーすることとなった。開幕戦はレース1・2と連勝する。レース3は3位、レース4は2位と開幕レースをすべて表彰台に登壇した。第3戦もレース4で2位表彰台を獲得し、スポット参戦ながらも総合8位(117ポイント)でシーズンを終える。 2022年、「イタリア・F4」と並行して「ADAC・フォーミュラ4(英語版)」へ参戦する。開幕戦(スパ・フランコルシャン)でいきなり2勝すると、第2戦(ホッケンハイムリンク)は3レース全勝しポールポジションとファステストラップを総なめにする圧倒的な走りを見せた。第3戦(ザントフォールト)もPPとFLを2レース続けて記録し2勝する。レース3ではわずか0.058秒差でハットトリックを逃し、チームメイトのコンラッド・ラウルセンに敗れ2位となった。第5戦(ラウジッツ)は欠場、最終戦(ニュルブルクリンク)はレース1・2で優勝しタイトル獲得が決定した。 2022年10月、アントネッリが「FIA モータースポーツ・ゲームス(英語版)」のF4カップにイタリア代表として出場することが発表される。本戦では予選終了間際の接触で左手首を骨折していたにも関わらず予選・予選レース・決勝すべてで首位に立った。 2023年、ムンバイ・ファルコンズ・レーシング・リミテッド(英語版)から「フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ(英語版)」へ参戦する。表彰台圏内7回・シーズン3勝をマークして、初出場初タイトルを獲得する。 2023年、プレマから「フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ(英語版)」へエントリーする。第9戦(ザントフォールト)・レース2で優勝したことにより史上5人目のタイトル獲得が確定した。 アントネッリは飛び級で「FIA フォーミュラ3(英語版)」を回避し、2024年の「FIA フォーミュラ2選手権(英語版)」へ出場することが明らかとなる。チームはプレマ・レーシングからのエントリーとなった。 2019年、メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラ1チームはアントネッリがメルセデス・ジュニア・チームへ加入したことを発表した。 父のマルコ(英語版)もレーシングドライバーで、「イタリア・F4選手権」にエントリーしているAKM・モータースポーツのオーナーでもある。
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アンドレア・キミ・アントネッリは、イタリア・ボローニャ出身のレーシングドライバー。
{{Infobox racing driver | name = アンドレア・キミ・アントネッリ<br>Andrea Kimi Antonelli | image = F4 Germany 2022 Spa Podium Race 1 (1) (cropped).jpg | pixels = 220px | caption = アンドレア・キミ・アントネッリ<br>(2022年) | nationality = {{ITA}} | date of birth = {{生年月日と年齢|2006|8|25}} | place of birth = {{ITA}}<br>[[ボローニャ]] <!-- | date of death = {{死亡年月日と没年齢||||||}} --> <!-- | place of death = --> | related to = [[マルコ・アントネッリ]]<small>([[:en:Marco Antonelli|英語版]])</small>(父) | prev series = [[フォーミュラ4|フォーミュラ4・UAE選手権]]<small>([[:en:Formula 4 UAE Championship|英語版]])</small><br>[[フォーミュラ4|イタリア・F4選手権]]<small>([[:en:Italian F4 Championship|英語版]])</small><br>[[フォーミュラ4|ADAC・フォーミュラ4]]<small>([[:en:ADAC Formula 4|英語版]])</small><br>[[FIA モータースポーツ・ゲームス|FIA モータースポーツ・ゲームス・フォーミュラ4・カップ]]<small>([[:en:FIA Motorsport Games|英語版]])</small><br>[[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional Middle East Championship|英語版]])</small><br>[[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional 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https://www.driverdb.com/championships/easykart-international-grand-final---easy-60/2015 |title = Easykart International Grand Final - Easykart 60 2015 |publisher = Driver Database |accessdate = 2023-11-06}}</ref>」「南ガルダ・ウィンター・カップ<ref>{{Cite web |url = https://tkart.it/en/news/events/24th-winter-cup-the-champions |title = 24th Winter Cup: the Champions |publisher = TKART |date = 2019-02-17 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>」「WSK・チャンピオンズ・カップ<ref>{{Cite web |url = https://formularapida.net/antonelli-beats-stenshorne-in-the-fight-for-wsk-champions-cup/ |title = ANTONELLI BEATS STENSHORNE IN THE FIGHT FOR WSK CHAMPIONS CUP |publisher = FORMULA RAPIDA.NET |date = 2018-01-28 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>」「WSK・スーパー・マスター・シリーズ<ref>{{Cite web |url = https://tkart.it/en/news/events/andrea-antonelli-wins-2019-wsk-super-master-in-okj-severiukhin-wins-the-final-in-sarno |title = Andrea Antonelli wins 2019 WSK Super Master in OKJ, Severiukhin wins the final in Sarno |publisher = TKART |date = 2019-03-24 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>」「WSK・ユーロ・シリーズ<ref>{{Cite web |url = https://tkart.it/en/news/features/rosberg-racing-academy-antonelli-wins-the-wsk-euro-series |title = Rosberg Racing Academy - Antonelli Wins the WSK Euro Series! |publisher = TKART |date = 2019-07-03 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>」などで優勝し、[[2020年]]と[[2021年]]には2年連続で「CIK-FIA カーティング・ヨーロピアン・チャンピオンシップ」のタイトルを獲得している<ref>{{Cite web |url = https://www.fia.com/news/fia-karting-two-european-champions-crowned-after-magnificent-victories |title = FIA KARTING - TWO EUROPEAN CHAMPIONS CROWNED AFTER MAGNIFICENT VICTORIES |publisher = FIA |date = 2021-07-25 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。 === フォーミュラ4 === ==== イタリア・F4選手権 ==== ===== 2021年 ===== [[File:F4 Italy 2021 Spielberg Nr. 99 Antonelli.jpg|thumb|[[フォーミュラ4|イタリア・F4選手権]]<small>([[:en:Italian F4 Championship|英語版]])</small>へ参戦しているアントネッリ [[レッドブル・リンク]]にて(2021年)]] 15歳を迎え3週間後の2021年、[[プレマ・レーシング|プレマ]]のレースドライバーとして[[レッドブル・リンク]]で開催された「[[フォーミュラ4|イタリア・F4選手権]]<small>([[:en:Italian F4 Championship|英語版]])</small>」の第5戦へエントリーする<ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2021/08/30/who-is-new-prema-recruit-and-mercedes-junior-andrea-kimi-antonelli/ |title = Who Is New Prema Recruit and Mercedes Junior Andrea Kimi Antonelli? |publisher = FEEDER SERIES |date = 2021-08-30 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。[[フォーミュラカー|シングルシーター]]デビューを果たした最初のレースで2度の9位入賞(レース1・3)を果たし4ポイントを持ち帰った<ref>{{Cite web |url = https://formulascout.com/how-mercedes-antonelli-fared-on-a-highly-anticipated-f4-debut/83717 |title = How Mercedes’ Antonelli fared on a highly-anticipated F4 debut |publisher = FORMULA SCOUT |date = 2021-09-13 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。第6戦([[ムジェロ・サーキット|ムジェロ]])も入賞し、続く最終戦([[モンツァ・サーキット|モンツァ]])・レース1ではランキング首位の[[オリバー・ベアマン]]<small>([[:en:Oliver Bearman|英語版]])</small>と首位争いを繰り広げ敗れるが初の2位表彰台を獲得した<ref>{{Cite web |url = https://formulascout.com/bearman-takes-thrilling-win-from-antonelli-at-monza-in-italian-f4/85948 |title = Bearman takes thrilling win from Antonelli at Monza in Italian F4 |publisher = FORMULA SCOUT |date = 2021-10-30 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。総合成績はシーズン途中からの参戦にもかかわらずプレマのフルタイムドライバーである[[コンラッド・ラウルセン]]<small>([[:en:Conrad Laursen|英語版]])</small>に6ポイント差のランキング10位でシーズンを終えた<ref>{{Cite web |url = https://www.driverdb.com/championships/italian-formula-4-championship/2021 |title = Italian Formula 4 Championship 2021 |publisher = Driver Database |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。ルーキーズ・チャンピオンシップの成績では4勝を挙げランキング4位というスコアになった。 ===== 2022年 ===== [[File:F4 Italy 2022 Nr. 12.jpg|thumb|2年目の[[フォーミュラ4|イタリア・F4選手権]]<small>([[:en:Italian F4 Championship|英語版]])</small>へ参戦するアントネッリ [[レッドブル・リンク]]にて(2022年)]] [[2022年]]もプレマに残留し、「イタリア・F4」へフルタイム参戦する。[[チャーリー・ヴルツ]]<small>([[:en:Charlie Wurz|英語版]])</small>、コンラッド・ラウルセン、[[フェラーリ・ドライバー・アカデミー|フェラーリ・アカデミー]]のジェームズ・ウォートン、[[ラファエル・カマラ]]<small>([[:en:Rafael Câmara|英語版]])</small>が主なチームメイトとなった。開幕戦([[イモラ・サーキット|イモラ]])・レース1では、ラスト残り5周で[[トランスミッション|ギアボックス]]トラブルによりリタイアを余儀なくされた。レース2は[[縁石]]に接触し[[エアロパーツ|フロントウィング]]にダメージを負い入賞圏内から遠ざかり、レース3ではチームメイトのウォートンと接触しペナルティを受け4位から10位へ後退した<ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2022/05/10/the-alex-dunne-show-4-takeaways-from-italian-f4-at-imola/ |title = The Alex Dunne Show: 4 takeaways from Italian F4 at Imola |publisher = FEEDER SERIES |date = 2022-05-10 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。不運の開幕戦以降、第2戦([[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|ミサノ]])から第4戦([[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|ヴァレルンガ]])までで8勝を挙げる快進撃が続いた<ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2022/06/06/antonelli-bounces-back-in-dominant-display-4-takeaways-from-italian-f4-at-misano/ |title = Antonelli bounces back in dominant display: 4 takeaways from Italian F4 at Misano |publisher = FEEDER SERIES |date = 2022-06-06 |accessdate = 2023-11-06}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2022/06/21/antonellis-masterclass-and-camaras-comeback-4-takeaways-from-italian-f4-at-spa/ |title = Antonelli’s masterclass and Câmara’s comeback: 4 takeaways from Italian F4 at Spa |publisher = FEEDER SERIES |date = 2022-06-21 |accessdate = 2023-11-06}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://www.media.stellantis.com/em-en/abarth/press/antonelli-dominates-at-vallelunga-and-is-the-new-leader-of-the-italian-f4-championship |title = Antonelli dominates at Vallelunga and is the new leader of the Italian F4 Championship |publisher = STELLANTIS |date = 2022-07-04 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。最終戦(ムジェロ)・レース1で優勝したことでアントネッリのタイトル獲得が確定する。シーズン13勝、2位へ104ポイントもの大差をつける圧勝劇となった<ref>{{Cite web |url = https://www.driverdb.com/championships/italian-formula-4-championship/2022 |title = Italian Formula 4 Championship 2022 |publisher = Driver Database |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。 ==== フォーミュラ4・UAE選手権 ==== 2022年の本戦出場前に、「[[フォーミュラ4|フォーミュラ4・UAE選手権]]<small>([[:en:Formula 4 UAE Championship|英語版]])</small>」の一部に参加した。2021年の[[フォーミュラ1|F1]][[2021年アブダビグランプリ|最終戦アブダビGP]]のサポートレースとして行われた「トロフィー・ラウンド」で3位フィニッシュを受ける。2022年の本戦は第3戦のみのエントリーであったが、開幕戦でラファエル・カマラが健康上の理由で欠場が決まりその代役としてエントリーすることとなった。開幕戦はレース1・2と連勝する。レース3は3位、レース4は2位と開幕レースをすべて表彰台に登壇した<ref>{{Cite web |url = https://formulascout.com/mercedes-junior-antonelli-makes-it-three-f4-uae-wins-from-three/88895 |title = Mercedes junior Antonelli makes it three F4 UAE wins from three |publisher = FORMULA SCOUT |date = 2022-01-22 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。第3戦もレース4で2位表彰台を獲得し、スポット参戦ながらも総合8位(117ポイント)でシーズンを終える<ref>{{Cite web |url = https://www.driverdb.com/championships/formula-4-uae/2022 |title = F4 United Arab Emirates Championship powered by Abarth 2022 |publisher = Driver Database |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。 ==== ADAC・フォーミュラ4選手権 ==== [[File:F4 Germany 2022 Spa Nr. 12 Antonelli (2).jpg|alt=F4 Germany 2022 Spa Nr. 12 Antonelli (2)|thumb|[[フォーミュラ4|ADAC・フォーミュラ4選手権]]<small>([[:en:ADAC Formula 4|英語版]])</small>へ参戦するアントネッリ [[スパ・フランコルシャン]]にて(2022年)]] 2022年、「イタリア・F4」と並行して「[[フォーミュラ4|ADAC・フォーミュラ4]]<small>([[:en:ADAC Formula 4|英語版]])</small>」へ参戦する。開幕戦([[スパ・フランコルシャン]])でいきなり2勝すると<ref>{{Cite web |url = https://www.adac-motorsport.de/en/adac-formel-4/news/2022/two-wins-for-prema-driver-antonelli-at-season-opener-in-spa/ |title = Two wins for Prema driver Antonelli at season-opener in Spa |publisher = ADAC MOTORSPORT |date = 2022-04-23 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>、第2戦([[ホッケンハイムリンク]])は3レース全勝し[[ポールポジション]]と[[ファステストラップ]]を総なめにする圧倒的な走りを見せた<ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2022/05/16/antonelli-scores-a-historic-triple-4-takeaways-from-adac-f4-at-hockenheim/ |title = Antonelli scores a historic triple: 4 takeaways from ADAC F4 at Hockenheim |publisher = FEEDER SERIES |date = 2022-05-16 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。第3戦([[ザントフォールト・サーキット|ザントフォールト]])も[[ポールポジション|PP]]と[[ファステストラップ|FL]]を2レース続けて記録し2勝する。レース3ではわずか0.058秒差で[[ハットトリック]]を逃し、チームメイトのコンラッド・ラウルセンに敗れ2位となった。第5戦([[ユーロスピードウェイ・ラウジッツ|ラウジッツ]])は欠場、最終戦([[ニュルブルクリンク]])はレース1・2で優勝しタイトル獲得が決定した<ref>{{Cite web |url = https://www.adac-motorsport.de/en/adac-formel-4/news/2022/andrea-kimi-antonelli-is-the-new-adac-formula-4-champion/ |title = Andrea Kimi Antonelli is the new ADAC Formula 4 champion |publisher = ADAC MOTORSPORT |date = 2022-10-15 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。 ==== モータースポーツ・ゲームス・F4カップ ==== 2022年10月、アントネッリが「[[FIA モータースポーツ・ゲームス]]<small>([[:en:FIA Motorsport Games|英語版]])</small>」のF4カップに[[イタリア]]代表として出場することが発表される<ref>{{Cite web |url = https://formulascout.com/andrea-kimi-antonelli-to-represent-italy-in-motorsport-games-f4-cup/99885 |title = Andrea Kimi Antonelli to represent Italy in Motorsport Games F4 Cup |publisher = FORMULA SCOUT |date = 2022-10-17 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。本戦では予選終了間際の接触で左手首を骨折していたにもかかわらず予選・予選レース・決勝すべてで首位に立った<ref>{{Cite web |url = https://feederseries.net/2022/11/02/antonelli-on-f4-domination-every-weekend-you-need-to-work-hard/ |title = F4 dominator Antonelli on FRECA move: ‘F3 is a bit early for me’ |publisher = FEEDER SERIES |date = 2022-11-02 |accessdate = 2023-11-06}}</ref>。 === フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ === [[2023年]]、[[ムンバイ・ファルコンズ|ムンバイ・ファルコンズ・レーシング・リミテッド]]<small>([[:en:Mumbai Falcons|英語版]])</small>から「[[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional Middle East Championship|英語版]])</small>」へ参戦する<ref>{{Cite web |url = https://formulascout.com/podcast-kimi-antonelli-on-his-immense-f4-success-frec-and-mercedes/101373 |title = Podcast: Kimi Antonelli on his immense F4 success, FREC and Mercedes |publisher = FORMULA SCOUT |date = 2022-12-01 |accessdate = 2023-11-07}}</ref>。表彰台圏内7回・シーズン3勝をマークして、初出場初タイトルを獲得する<ref>{{Cite web |url = https://www.driverdb.com/championships/formula-regional-middle-east/2023 |title = Formula Regional Middle East Championship certified by FIA 2023 |publisher = Driver Database |accessdate = 2023-11-07}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://www.emirates247.com/sports/other/andrea-kimi-antonelli-crowned-2023-formula-regional-middle-east-champion-in-uae-2023-02-22-1.702185 |title = Andrea Kimi Antonelli Crowned ‘2023 Formula Regional Middle East Champion’ in UAE |publisher = EMIRATES 24/7 |date = 2023-02-22 |accessdate = 2023-11-07}}</ref>。 === フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ === [[File:FREC 2023 Spielberg Nr. 12 (2) Antonelli.jpg|thumb|[[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional European Championship|英語版]])</small>へ参戦するアントネッリ [[レッドブル・リンク]]にて(2023年)]] 2023年、プレマから「[[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional European Championship|英語版]])</small>」へエントリーする。第9戦(ザントフォールト)・レース2で優勝したことにより史上5人目のタイトル獲得が確定した<ref>{{Cite web |url = https://formularegionaleubyalpine.com/zandvoort-andrea-kimi-antonelli-crowned-champion-of-the-formula-regional-european-championship-by-alpine/ |title = ZANDVOORT: ANDREA KIMI ANTONELLI CROWNED CHAMPION OF THE FORMULA REGIONAL EUROPEAN CHAMPIONSHIP BY ALPINE |publisher = FR - FORMULA REGIONAL EUROPEAN CHAMPIONSHIP BY ALPINE |date = 2023-10-15 |accessdate = 2023-11-07}}</ref>。 === FIA フォーミュラ2選手権 === アントネッリは飛び級で「[[フォーミュラ3|FIA フォーミュラ3]]<small>([[:en:FIA Formula 3 Championship|英語版]])</small>」を回避し、[[2024年]]の「[[フォーミュラ2|FIA フォーミュラ2選手権]]<small>([[:en:FIA Formula 2 Championship|英語版]])</small>」へ出場することが明らかとなる<ref name="A">{{Cite web |url = https://www.as-web.jp/overseas/1005537?all |title = プレマ、2024年FIA F2にメルセデス育成の17歳アントネッリを起用。FRECAから飛び級 |publisher = auto sport Web |date = 2023-10-24|accessdate = 2023-11-07}}</ref>。チームはプレマ・レーシングからのエントリーとなった<ref name="A"/>。 === フォーミュラ1 === 2019年、[[メルセデスAMG F1|メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム]]はアントネッリが[[メルセデス・ジュニア・チーム]]へ加入したことを発表した<ref>{{Cite web |url = https://www.mercedesamgf1.com/drivers/junior-driver/andrea-kimi-antonelli |title = Andrea Kimi Antonelli - Junior Driver |publisher = MERCEDES AMG PETRONAS FORMULA ONE TEAM |accessdate = 2023-11-07}}</ref>。 == 私生活 == 父の[[マルコ・アントネッリ|マルコ]]<small>([[:en:Marco Antonelli|英語版]])</small>もレーシングドライバーで、「イタリア・F4選手権」にエントリーしているAKM・モータースポーツのオーナーでもある<ref>{{Cite web |url = https://www.kartxpress.com/ReadMore/team-akm-motorsport-by-antonelli-is-born-partnership-with-kart-republic-of-dino-chiesa#google_vignette |title = Team AKM Motorsport by Antonelli is born: partnership with Kart Republic of Dino Chiesa |publisher = KartXpress |date = 2020-02-04 |accessdate = 2023-11-07}}</ref>。 == レース戦績 == === 略歴 === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="font-size: 80%; text-align:center" ! 年 ! シリーズ ! チーム ! レース ! 勝利 ! [[ポールポジション|PP]] ! [[ファステストラップ|FL]] ! 表彰台 ! ポイント ! 順位 |- !rowspan="3" | 2021 |align="left" | [[フォーミュラ4|イタリア・F4選手権]]<small>([[:en:Italian F4 Championship|英語版]])</small> |rowspan="2" align="left" | [[プレマ・レーシング|プレマ・パワーチーム]] | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 54 | 10位 |- |align="left" | FIA セントラル・ヨーロピアン・ゾーン・フォーミュラ4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 18 | 9位 |- |align="left" | [[フォーミュラ4|フォーミュラ4・UAE選手権 - トロフィー・ラウンド]]<small>([[:en:Formula 4 UAE Championship|英語版]])</small> |align="left" | [[プレマ・レーシング|アブダビ・レーシング・バイ・プレマ]] | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | N/A |{{MsStatsC|3rd}}| '''3位''' |- !rowspan="5" | 2022 |align="left" | イタリア・F4選手権 |rowspan="3" align="left" | [[プレマ・レーシング]] | 20 | 13 | 14 | 14 | 15 | 362 |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- |align="left" | [[フォーミュラ4|ADAC・フォーミュラ4選手権]]<small>([[:en:ADAC Formula 4|英語版]])</small> | 15 | 9 | 7 | 8 | 12 | 313 |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- |rowspan="2" align="left" | [[フォーミュラ4|フォーミュラ4・UAE選手権]]<small>([[:en:Formula 4 UAE Championship|英語版]])</small> | 4 | 2 | 1 | 2 | 4 |rowspan="2" | 117 |rowspan="2" | 8位 |- |align="left" | アブダビ・レーシング・バイ・プレマ | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 |- |align="left" | [[FIA モータースポーツ・ゲームズ|FIA モータースポーツ・ゲームズ・フォーミュラ4・カップ]]<small>([[:en:FIA Motorsport Games|英語版]])</small> |align="left" | [[イタリア自動車クラブ|チーム・イタリア]]<small>([[:en:Automobile Club d'Italia|英語版]])</small> | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | N/A |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- !rowspan="3" | 2023 |align="left" | [[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional Middle East Championship|英語版]])</small> |align="left" | [[ムンバイ・ファルコンズ|ムンバイ・ファルコンズ・レーシング・リミテッド]]<small>([[:en:Mumbai Falcons|英語版]])</small> | 15 | 3 | 3 | 5 | 7 | 192 |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- |align="left" | [[フォーミュラ3|フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ]]<small>([[:en:Formula Regional European Championship|英語版]])</small> |align="left" | プレマ・レーシング | 20 | 5 | 4 | 5 | 11 | 300 |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- |align="left" | [[イタリア・GT選手権|イタリア・GT選手権・スプリント - GT3 Pro]]<small>([[:en:Italian GT Championship|英語版]])</small> |align="left" | AKM・モータースポーツ | 2 | 1 | 1 | 2 | 2 | 32 | 8位 |- ! 2024 |align="left" | [[フォーミュラ2|FIA フォーミュラ2選手権]]<small>([[:en:FIA Formula 2 Championship|英語版]])</small> |align="left" | プレマ・レーシング | - | - | - | - | - | - | - <!-- -位 --> |- |}</div> * <sup>*</sup> : 現状の今シーズン順位。 === イタリア・F4選手権 === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! チーム ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! 16 ! 17 ! 18 ! 19 ! 20 ! 21 ! 22 ! DC ! ポイント |- ! [[2021年のイタリア・F4選手権|2021年]]<br><small>([[:en:2021 Italian F4 Championship|英語版]])</small> ! [[プレマ・レーシング|プレマ・パワーチーム]] | [[ポール・リカール・サーキット|LEC<br>1]] | [[ポール・リカール・サーキット|LEC<br>2]] | [[ポール・リカール・サーキット|LEC<br>3]] | [[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>1]] | [[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>2]] | [[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>3]] | [[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>1]] | [[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>2]] | [[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>3]] | [[イモラ・サーキット|IMO<br>1]] | [[イモラ・サーキット|IMO<br>2]] | [[イモラ・サーキット|IMO<br>3]] |{{MsStatsC|Pt}}| [[レッドブル・リンク|RBR<br>1]]<br /><small>9</small> |{{MsStatsC|F}}| [[レッドブル・リンク|RBR<br>2]]<br /><small>12</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[レッドブル・リンク|RBR<br>3]]<br /><small>9</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ムジェロ・サーキット|MUG<br>1]]<br /><small>10</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ムジェロ・サーキット|MUG<br>2]]<br /><small>10</small> |{{MsStatsC|F}}| [[ムジェロ・サーキット|MUG<br>3]]<br /><small>13</small> |{{MsStatsC|2nd}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>1]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|3rd}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>2]]<br /><small>3</small> |{{MsStatsC|3rd}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>3]]<br /><small>3</small> | ! 10位 ! 54 |- ! [[2022年のイタリア・F4選手権|2022年]]<br><small>([[:en:2022 Italian F4 Championship|英語版]])</small> ! [[プレマ・レーシング]] |{{MsStatsC|F}}| '''''[[イモラ・サーキット|IMO<br>1]]'''''<br /><small>25<sup>†</sup></small> |{{MsStatsC|F}}| ''[[イモラ・サーキット|IMO<br>2]]''<br /><small>24</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[イモラ・サーキット|IMO<br>3]]<br /><small>10</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|2nd}}| '''''[[ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ|MIS<br>3]]'''''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[スパ・フランコルシャン|SPA<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''[[スパ・フランコルシャン|SPA<br>2]]'''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>3]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL<br>3]]'''''<br /><small>1</small> | [[レッドブル・リンク|RBR<br>1]] |{{MsStatsC|1st}}| '''[[レッドブル・リンク|RBR<br>2]]'''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|F}}| '''''[[レッドブル・リンク|RBR<br>3]]'''''<br /><small>23</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[レッドブル・リンク|RBR<br>4]]''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|F}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>1]]<br /><small>11</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''[[モンツァ・サーキット|MNZ<br>2]]'''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|C}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>3]]<br /><small>C</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ムジェロ・サーキット|MUG<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ムジェロ・サーキット|MUG<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| ''[[ムジェロ・サーキット|MUG<br>3]]''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |{{MsStatsC|1st}}| '''362''' |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) * <sup>†</sup> : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。 === フォーミュラ4・UAE選手権 === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! チーム ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! 16 ! 17 ! 18 ! 19 ! 20 ! 順位 ! ポイント |- !rowspan="2" | [[2022年のフォーミュラ4・UAE選手権|2022年]]<br><small>([[:en:2022 Formula 4 UAE Championship|英語版]])</small> ! [[プレマ・レーシング]] |{{MsStatsC|1st}}| [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>1]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| ''[[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>2]]''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|3rd}}| '''[[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>3]]'''<br /><small>3</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>4]]''<br /><small>2</small> | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>1]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>2]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>3]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>4]] | | | | | | | | | | | | !rowspan="2" | 8位 !rowspan="2" | 117 |- ! [[プレマ・レーシング|アブダビ・レーシング・バイ・プレマ]] | | | | | | | | |{{MsStatsC|Pt}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>1]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|Ret}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>2]]<br /><small>Ret</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>3]]<br /><small>10</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[ドバイ・オートドローム|DUB<br>4]]''<br /><small>2</small> | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>1]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>2]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>3]] | [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>4]] | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>1]] | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>2]] | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>3]] | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>4]] |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) === ADAC・フォーミュラ4選手権 === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! チーム ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! 16 ! 17 ! 18 ! 順位 ! ポイント |- ! [[2022年のADAC・フォーミュラ4選手権|2022年]]<br><small>([[:en:2022 ADAC Formula 4 Championship|英語版]])</small> ! [[プレマ・レーシング]] |{{MsStatsC|1st}}| '''[[スパ・フランコルシャン|SPA<br>1]]'''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[スパ・フランコルシャン|SPA<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>3]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ホッケンハイムリンク|HOC<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ホッケンハイムリンク|HOC<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| ''[[ホッケンハイムリンク|HOC<br>3]]''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ザントフォールト・サーキット|ZAN<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ザントフォールト・サーキット|ZAN<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|2nd}}| [[ザントフォールト・サーキット|ZAN<br>3]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|2nd}}| '''''[[ニュルブルクリンク|NÜR<br>1]]'''''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[ニュルブルクリンク|NÜR<br>2]]''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ニュルブルクリンク|NÜR<br>3]]<br /><small>4</small> | [[ユーロスピードウェイ・ラウジッツ|LAU<br>1]] | [[ユーロスピードウェイ・ラウジッツ|LAU<br>2]] | [[ユーロスピードウェイ・ラウジッツ|LAU<br>3]] |{{MsStatsC|1st}}| [[ニュルブルクリンク|NÜR<br>1]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| [[ニュルブルクリンク|NÜR<br>2]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ニュルブルクリンク|NÜR<br>3]]<br /><small>6</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |{{MsStatsC|1st}}| '''313''' |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) === FIA モータースポーツ・ゲームス === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! チーム ! カップ ! 予選 ! 予選<br>レース ! 決勝 |- ! [[2022年のFIA モータースポーツ・ゲームス・フォーミュラ4・カップ|2022年]]<br><small>([[:en:2022 FIA Motorsport Games Formula 4 Cup|英語版]])</small> | {{Flagicon|ITA}} [[イタリア自動車クラブ|チーム・イタリア]]<small>([[:en:Automobile Club d'Italia|英語版]])</small> | '''<span style="padding:1px 4px; color:black; background-color:yellow;">フォーミュラ4</span>''' | '''1位''' | '''1位''' |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |- |}</div> === フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! エントラント ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! DC ! ポイント |- ! [[2023年のフォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ|2023年]]<br><small>([[:en:2023 Formula Regional Middle East Championship|英語版]])</small> ! [[ムンバイ・ファルコンズ|ムンバイ・ファルコンズ・レーシング・リミテッド]]<br><small>([[:en:Mumbai Falcons|英語版]])</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>1]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|Pt}}| ''[[ドバイ・オートドローム|DUB<br>2]]''<br /><small>6</small> |{{MsStatsC|2nd}}| '''[[ドバイ・オートドローム|DUB<br>3]]'''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>1]]''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|Ret}}| [[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>2]]<br /><small>Ret</small> |{{MsStatsC|2nd}}| [[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>3]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|1st}}| [[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>1]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|1st}}| [[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>2]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[クウェート・モーター・タウン|KUW<br>3]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ドバイ・オートドローム|DUB<br>1]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>2]]<br /><small>10</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ドバイ・オートドローム|DUB<br>3]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|F}}| '''[[ヤス・マリーナ・サーキット|ABU<br>1]]'''<br /><small>15</small> |{{MsStatsC|F}}| ''[[ヤス・マリーナ・サーキット|ABU<br>2]]''<br /><small>13</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[ヤス・マリーナ・サーキット|ABU<br>3]]''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |{{MsStatsC|1st}}| '''192''' |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) === フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! チーム ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! 16 ! 17 ! 18 ! 19 ! 20 ! DC ! ポイント |- ! [[2023年のフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ|2023年]]<br><small>([[:en:2023 Formula Regional European Championship|英語版]])</small> ! [[プレマ・レーシング]] |{{MsStatsC|2nd}}| [[イモラ・サーキット|IMO<br>1]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|Ret}}| [[イモラ・サーキット|IMO<br>2]]<br /><small>Ret</small> |{{MsStatsC|2nd}}| '''''[[カタロニア・サーキット|CAT<br>1]]'''''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|2nd}}| ''[[カタロニア・サーキット|CAT<br>2]]''<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ハンガロリンク|HUN<br>1]]<br /><small>5</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ハンガロリンク|HUN<br>2]]<br /><small>6</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>1]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|1st}}| [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>2]]<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|2nd}}| [[ムジェロ・サーキット|MUG<br>1]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ムジェロ・サーキット|MUG<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ポール・リカール・サーキット|LEC<br>1]]<br /><small>5</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''''[[ポール・リカール・サーキット|LEC<br>2]]'''''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[レッドブル・リンク|RBR<br>1]]<br /><small>4</small> |{{MsStatsC|3rd}}| [[レッドブル・リンク|RBR<br>2]]<br /><small>3</small> |{{MsStatsC|F}}| [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>1]]<br /><small>11</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''[[モンツァ・サーキット|MNZ<br>2]]'''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|2nd}}| [[ザントフォールト・サーキット|ZAN<br>1]]<br /><small>2</small> |{{MsStatsC|1st}}| ''[[ザントフォールト・サーキット|ZAN<br>2]]''<br /><small>1</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ホッケンハイムリンク|HOC<br>1]]<br /><small>6</small> |{{MsStatsC|Pt}}| [[ホッケンハイムリンク|HOC<br>2]]<br /><small>6</small> |{{MsStatsC|1st}}| '''1位''' |{{MsStatsC|1st}}| '''300''' |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) === FIA フォーミュラ2選手権 === <div style="overflow-x:auto; white-space:nowrap;"> {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" ! 年 ! エントラント ! 1 ! 2 ! 3 ! 4 ! 5 ! 6 ! 7 ! 8 ! 9 ! 10 ! 11 ! 12 ! 13 ! 14 ! 15 ! 16 ! 17 ! 18 ! 19 ! 20 ! 21 ! 22 ! 23 ! 24 ! 25 ! 26 ! 27 ! 28 ! DC ! ポイント |- ! [[2024年のFIA F2選手権|2024年]] ! [[プレマ・レーシング]] | [[バーレーン・インターナショナル・サーキット|BHR<br>FEA]]<br /><small></small> | [[バーレーン・インターナショナル・サーキット|BHR<br>SPR]]<br /><small></small> | [[ジッダ市街地コース|JED<br>FEA]]<br /><small></small> | [[ジッダ市街地コース|JED<br>SPR]]<br /><small></small> | [[アルバート・パーク・サーキット|MEL<br>FEA]]<br /><small></small> | [[アルバート・パーク・サーキット|MEL<br>SPR]]<br /><small></small> | [[イモラ・サーキット|IMO<br>FEA]]<br /><small></small> | [[イモラ・サーキット|IMO<br>SPR]]<br /><small></small> | [[モンテカルロ市街地コース|MON<br>FEA]]<br /><small></small> | [[モンテカルロ市街地コース|MON<br>SPR]]<br /><small></small> | [[カタロニア・サーキット|CAT<br>FEA]]<br /><small></small> | [[カタロニア・サーキット|CAT<br>SPR]]<br /><small></small> | [[レッドブル・リンク|RBR<br>FEA]]<br /><small></small> | [[レッドブル・リンク|RBR<br>SPR]]<br /><small></small> | [[シルバーストン・サーキット|SIL<br>FEA]]<br /><small></small> | [[シルバーストン・サーキット|SIL<br>SPR]]<br /><small></small> | [[ハンガロリンク|HUN<br>FEA]]<br /><small></small> | [[ハンガロリンク|HUN<br>SPR]]<br /><small></small> | [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>FEA]]<br /><small></small> | [[スパ・フランコルシャン|SPA<br>SPR]]<br /><small></small> | [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>FEA]]<br /><small></small> | [[モンツァ・サーキット|MNZ<br>SPR]]<br /><small></small> | [[バクー市街地コース|BAK<br>FEA]]<br /><small></small> | [[バクー市街地コース|BAK<br>SPR]]<br /><small></small> | [[ルサイル・インターナショナル・サーキット|LUS<br>FEA]]<br /><small></small> | [[ルサイル・インターナショナル・サーキット|LUS<br>SPR]]<br /><small></small> | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>FEA]]<br /><small></small> | [[ヤス・マリーナ・サーキット|YMC<br>SPR]]<br /><small></small> ! - ! - |- |}</div> * '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]]) * <sup>*</sup> : 現状の今シーズン順位。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{デフォルトソート:あんとねつり あんとれあ きみ}} [[Category:イタリアのドライバー]] [[Category:イタリア出身の人物]] [[Category:ボローニャ出身の人物]] [[Category:2006年生]] [[Category:存命人物]]
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1938年世界体操競技選手権
1938年世界体操競技選手権(1938ねんせかいたいそうきょうぎせんしゅけん)は、1938年(昭和13年)にチェコスロバキアのプラハで開催された第11回世界体操競技選手権大会である。
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1938年世界体操競技選手権(1938ねんせかいたいそうきょうぎせんしゅけん)は、1938年(昭和13年)にチェコスロバキアのプラハで開催された第11回世界体操競技選手権大会である。
'''1938年世界体操競技選手権'''(1938ねんせかいたいそうきょうぎせんしゅけん)は、[[1938年]]([[昭和]]13年)に[[チェコスロバキア]]の[[プラハ]]で開催された第11回[[世界体操競技選手権]]大会である。 == 競技結果 == === 男子 === {| {{MedalistTable|type=種目}} |- | 団体総合 | {{TCH}}<br />{{small|[[:en:Jan Gajdoš|Jan Gajdoš]]<br />[[:en:Gustav Hrubý|Gustav Hrubý]]<br />{{仮リンク|アロイス・フデツ|en|Alois Hudec}}<br />[[:en:Emanuel Löffler|Emanuel Löffler]]<br />[[:en:Vratislav Petráček|Vratislav Petráček]]<br />[[:en:Jan Sládek|Jan Sládek]]<br />[[:en:Jindřich Tintěra|Jindřich Tintěra]]}} | {{SUI}}<br />{{small|[[:en:Albert Bachmann (gymnast)|Albert Bachmann]]<br />[[:en:Walter Beck (gymnast)|Walter Beck]]<br />{{仮リンク|オイゲン・マック|en|Eugen Mack}}<br />Hans Negelin<br />{{仮リンク|ミヒャエル・ロイシュ|en|Michael Reusch}}<br />Leo Schürmann<br />Guglielmo Schmid}} | {{flagteam|Yugoslavia}}<br />{{small|[[:en:Miroslav Forte|Miroslav Forte]]<br />[[:en:Boris Gregorka|Boris Gregorka]]<br />[[:en:Josip Kujundžić|Josip Kujundžić]]<br />[[:en:Janez Pristov|Janez Pristov]]<br />[[:en:Josip Primožič|Josip Primožič]]<br />Miloš Skrbinšek<br />[[:en:Jože Vadnov|Jože Vadnov]]}} |- | 個人総合 | [[:en:Jan Gajdoš|Jan Gajdoš]]<br /><small>{{TCH}}</small> | [[:en:Jan Sládek|Jan Sládek]]<br /><small>{{TCH}}</small> | {{仮リンク|オイゲン・マック|en|Eugen Mack}}<br /><small>{{SUI}}</small> |- | ゆか | [[:en:Jan Gajdoš|Jan Gajdoš]]<br /><small>{{TCH}}</small> | {{仮リンク|アロイス・フデツ|en|Alois Hudec}}<br /><small>{{TCH}}</small> | {{仮リンク|オイゲン・マック|en|Eugen Mack}}<br /><small>{{SUI}}</small> |- | あん馬 | {{仮リンク|ミヒャエル・ロイシュ|en|Michael Reusch}}<br /><small>{{SUI}}</small> | [[:en:Vratislav Petráček|Vratislav Petráček]]<br /><small>{{TCH}}</small> | Leo Schürmann<br /><small>{{SUI}}</small> |- | つり輪 | {{仮リンク|アロイス・フデツ|en|Alois Hudec}}<br /><small>{{TCH}}</small> | {{仮リンク|ミヒャエル・ロイシュ|en|Michael Reusch}}<br /><small>{{SUI}}</small> | [[:en:Vratislav Petráček|Vratislav Petráček]]<br /><small>{{TCH}}</small> |- | 跳馬 | {{仮リンク|オイゲン・マック|en|Eugen Mack}}<br /><small>{{SUI}}</small> | [[:en:Walter Beck (gymnast)|Walter Beck]]<br /><small>{{SUI}}</small> | Hans Negelin<br /><small>{{SUI}}</small> |- | 平行棒 | {{仮リンク|ミヒャエル・ロイシュ|en|Michael Reusch}}<br /><small>{{SUI}}</small> | {{仮リンク|アロイス・フデツ|en|Alois Hudec}}<br /><small>{{TCH}}</small> | [[:en:Josip Primožič|Josip Primožič]]<br /><small>{{flagteam|Yugoslavia}}</small> |- | 鉄棒 | {{仮リンク|ミヒャエル・ロイシュ|en|Michael Reusch}}<br /><small>{{SUI}}</small> | {{仮リンク|アロイス・フデツ|en|Alois Hudec}}<br /><small>{{TCH}}</small> | [[:en:Walter Beck (gymnast)|Walter Beck]]<br /><small>{{SUI}}</small> |} <ref name="sports">{{cite web|title=Sports 123: Gymnastics |url=http://sports123.com/gym/index.html |publisher=sports123.com |accessdate=08 Nov 2023 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111007001033/http://sports123.com/gym/index.html |archivedate=07 Oct 2011 }}</ref> === 女子 === {| {{MedalistTable|type=種目}} |- | 団体総合 | {{TCH}}<br />{{small|[[ヴラスタ・ジェカノヴァ]]<br />[[:en:Božena Dobešová|Božena Dobešová]]<br />Marie Hendrychová<br />Anna Nezerpová<br />[[マチルダ・パルフィオヴァ]]<br />Marie Skálová<br />[[:en:Zdeňka Veřmiřovská|Zdeňka Veřmiřovská]]}} | {{flagteam|Yugoslavia}}<br />{{small|Anica Haffner<br />Elca Kovačič<br />Marta Podpac<br />[[:en:Marta Pustišek|Marta Pustišek]]<br />[[:en:Dušica Radivojević|Dušica Radivojević]]<br />[[:en:Lidija Rupnik|Lidija Rupnik]]<br />Milena Sket<br />[[:en:Jelica Vazzaz|Jelica Vazzaz]]}} | {{POL}}<br />{{small|Janina Luczynska<br />[[:en:Marta Majowska|Marta Majowska]]<br />[[:en:Wiesława Noskiewicz|Wiesława Noskiewicz]]<br />[[:en:Matylda Ossadnik|Matylda Ossadnik]]<br />[[:en:Janina Skirlińska|Janina Skirlińska]]<br />Urszula Stępińska<br />Urszula Wazs<br />[[:en:Julia Wojciechowska|Julia Wojciechowska]]}} |- | 個人総合 | [[ヴラスタ・ジェカノヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> | [[:en:Zdeňka Veřmiřovská|Zdeňka Veřmiřovská]]<br /><small>{{TCH}}</small> | [[マチルダ・パルフィオヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> |- | 跳馬 | [[ヴラスタ・ジェカノヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> | 受賞者なし | 受賞者なし |- | 平行棒 | [[マチルダ・パルフィオヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small><hr>[[ヴラスタ・ジェカノヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> | 受賞者なし | 受賞者なし |- | 平均台 | [[ヴラスタ・ジェカノヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> | 受賞者なし | 受賞者なし |- | ゆか | [[マチルダ・パルフィオヴァ]]<br /><small>{{TCH}}</small> | 受賞者なし | 受賞者なし |} <ref name="sports"/> == 国別メダル受賞数 == {| {{RankedMedalTable}} |- | 1 ||align="left"| {{TCH}} || 11 || 6 || 2 || 19 |- | 2 ||align="left"| {{SUI}} || 4 || 4 ||4 || 12 |- | 3 ||align="left"| {{flagteam|Yugoslavia}} || 0 || 1 || 2 || 3 |- | 4 ||align="left"| {{POL}} || 0 || 0 || 1 || 1 |- !colspan=2|'''合計'''|| 15 || 11 || 9 || 35 |} == 脚注 == {{Reflist}} {{世界体操競技選手権}} {{DEFAULTSORT:せかいたいそうきようきせんしゆけん1938}} [[Category:世界体操競技選手権|1938]] [[Category:1938年のスポーツ]] [[Category:チェコスロバキア開催の国際スポーツ競技大会]] [[Category:1938年のチェコスロバキア]] [[Category:プラハのスポーツ競技大会]]
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ヤポンス・ロック
ヤポンス・ロックまたはヤポンセ・ロック(オランダ語: Japonse rok)は、ネーデルラント(オランダ・ベルギー)で愛用された室内着。「日本の着衣」の意味。 17世紀から着られるようになった。日本の着物を模した部屋着で、上流階級で流行した。オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールの『天文学者』(1668)、『地理学者』(1669)では男性が着物風の服を着ているが、当時のオランダではこうした着衣が大流行していた。
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ヤポンス・ロックまたはヤポンセ・ロックは、ネーデルラント(オランダ・ベルギー)で愛用された室内着。「日本の着衣」の意味。
[[ファイル:Johannes Vermeer - The Geographer - Google Art Project.jpg|250px|right|thumb|J.フェルメール「[[地理学者 (フェルメールの絵画)|地理学者]]」[[フランクフルト・アム・マイン]]、[[シュテーデル美術館]]蔵、[[1669年]]]] '''ヤポンス・ロック'''または'''ヤポンセ・ロック'''({{lang-nl|Japonse rok}})<ref name="takahashi56">[[#高橋2020|高橋(2020)pp.56-57]]</ref>は、[[ネーデルラント]]([[オランダ]]・[[ベルギー]])で愛用された室内着。「日本の着衣」の意味<ref name="vermeer">[http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-254.html フェルメール「地理学者」] - 足立区綾瀬美術館ANNEX</ref>。 == 概要 == [[17世紀]]から着られるようになった。日本の[[和服|着物]]を模した部屋着で、上流階級で流行した。オランダ黄金時代の画家[[ヨハネス・フェルメール]]の『[[天文学者 (フェルメールの絵画)|天文学者]]』(1668)、『地理学者』(1669)では男性が着物風の服を着ているが、当時のオランダではこうした着衣が大流行していた<ref name="takahashi56" />{{refnest|group="注釈"|モデルとなっているのはフェルメールと同時代のオランダ人科学者[[アントニ・ファン・レーウェンフック]]だといわれている}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈|45em}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=高橋明也|authorlink=高橋明也|year=2020|month=12|title=もっと知りたい世界の美術7 レンブラントとフェルメール|publisher=[[東京美術]]|isbn=978-4-8087-1200-6|ref=高橋}} == 関連項目 == * [[タタミゼ]] * [[オランダ東インド会社]] == 外部リンク == * [http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-254.html フェルメール「地理学者」] - 足立区綾瀬美術館ANNEX [[Category:和服]]
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コプロコッカス属
コプロコッカス属(Coprococcus)は、ヒトの腸内細菌の一部である嫌気性球菌の属である。結腸癌ではコプロコッカス属の枯渇が発見されたにもかかわらず、結腸癌に対するコプロコッカスの保護的役割の証拠は見出されていない 。 以下の3種がこの属に属している。
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コプロコッカス属(Coprococcus)は、ヒトの腸内細菌の一部である嫌気性球菌の属である。結腸癌ではコプロコッカス属の枯渇が発見されたにもかかわらず、結腸癌に対するコプロコッカスの保護的役割の証拠は見出されていない。 以下の3種がこの属に属している。 Coprococcus catus Holdeman and Moore 1974 Coprococcus comes Holdeman and Moore 1974 Coprococcus eutactus Holdeman and Moore 1974
{{italic title}} {{生物分類表 | 画像 = [[ファイル:Coprococcus eutactus00.jpg|220px]] | 色 = lightgrey | 名称 = ''コプロコッカス属'' | ドメイン = [[真正細菌]] [[:w:Bacteria|Bacteria]] | 門 = [[フィルミクテス門]]<br />[[:w:Firmicutes|Firmicutes]] | 綱 = [[クロストリジウム綱]]<br/>[[:w:Clostridia|Clostridia]] | 目 = [[ユーバクテリウム目]]<br/>[[:w:Eubacteriales|Eubacteriales]] | 科 = [[ラクノスピラ科]]<br/>[[:w:Lachnospiraceae|Lachnospiraceae]] | 属 = '''''コプロコッカス属'''''[[:w:Coprococcus|Coprococcus]] | 学名 ={{Snamei|Coprococcus}}<br> Holdeman and Moore 1974 | subdivision_ranks = Species | subdivision = See text }} '''''コプロコッカス属'''''(''Coprococcus'')は、ヒトの[[腸内細菌]]の一部である嫌気性球菌の属である<ref>{{Cite journal |doi = 10.1099/00207713-24-2-260|title = New Genus, Coprococcus, Twelve New Species, and Emended Descriptions of Four Previously Described Species of Bacteria from Human Feces|journal = International Journal of Systematic Bacteriology|volume = 24|issue = 2|pages = 260–277|year = 1974|last1 = Holdeman|first1 = L. V.|last2 = Moore|first2 = W. E. C.|doi-access = free}}</ref>。[[結腸癌]]ではコプロコッカス属の枯渇が発見されたにもかかわらず、結腸癌に対するコプロコッカスの保護的役割の証拠は見出されていない <ref>{{Cite journal|last1=Xia|first1=Li C.|last2=Liu|first2=Gang|last3=Gao|first3=Yingxin|last4=Li|first4=Xiaoxin|last5=Pan|first5=Hongfei|last6=Ai|first6=Dongmei|date=2019|title=Identifying Gut Microbiota Associated With Colorectal Cancer Using a Zero-Inflated Lognormal Model|journal=Frontiers in Microbiology|language=English|volume=10|page=826|doi=10.3389/fmicb.2019.00826|pmid=31068913|pmc=6491826|issn=1664-302X|doi-access=free}}</ref>。 以下の3種がこの属に属している<ref>{{Cite web | url=https://lpsn.dsmz.de/genus/coprococcus |title = Coprococcus|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 *''[[Coprococcus catus]]'' Holdeman and Moore 1974 *''[[Coprococcus comes]]'' Holdeman and Moore 1974 *''[[Coprococcus eutactus]]'' Holdeman and Moore 1974 == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:こふろこつかすそく}} [[Category:フィルミクテス門]]
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米沢北バイパス
米沢北バイパスは山形県米沢市の国道287号のバイパス道路。延長3.4km。暫定2車線(完成4車線)。供用済みの長井南バイパス、事業中の米沢川西バイパス・川西バイパスと共に、米沢市と長井市を結ぶ米沢長井道路(延長19.4km)を構成する。途中、豊穣橋で鬼面川を渡る。2013年12月一部区間供用開始。2023年12月2日全線開通。
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米沢北バイパスは山形県米沢市の国道287号のバイパス道路。延長3.4㎞。暫定2車線(完成4車線)。供用済みの長井南バイパス、事業中の米沢川西バイパス・川西バイパスと共に、米沢市と長井市を結ぶ米沢長井道路(延長19.4km)を構成する。途中、豊穣橋で鬼面川を渡る。2013年12月一部区間供用開始。2023年12月2日全線開通。
{{Ja Route Sign|287|align=left}}'''米沢北バイパス'''は山形県[[米沢市]]の[[国道287号]]のバイパス道路。延長3.4㎞。[[暫定2車線]](完成4車線)。供用済みの[[長井南バイパス]]、事業中の米沢川西バイパス・川西バイパスと共に、米沢市と[[長井市]]を結ぶ[[米沢長井道路]](延長19.4km)を構成する。途中、豊穣橋で[[鬼面川]]を渡る。2013年12月一部区間供用開始。2023年12月2日全線開通。 == 参考文献 == *[https://www.yamagata-np.jp/news/202311/02/kj_2023110200054.php 米沢北バイパス3.4キロ、来月2日全線開通 - 山形新聞] *[https://www.pref.yamagata.jp/documents/26796/07chuu.pdf 【道路事業(改築)】 一般国道287号米沢長井道路(米沢北バイパス) - 山形県] *[https://www.pref.yamagata.jp/325073/287bp/20231101.html 一般国道287号米沢長井道路「米沢北バイパス工区」の供用開始について - 山形県] {{DEFAULTSORT:よねさわきたはいはす}} [[Category:一般国道]] [[Category:山形県の道路]]
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あまろっく
『あまろっく』は、2024年4月19日に公開予定の日本映画。監督は中村和宏、主演は江口のりこと中条あやみ。なお、兵庫県では同年4月12日から先行上映が予定されている。 尼崎を舞台に、39歳の独身女性、65歳の能天気な父、20歳の父の再婚相手の「想定外の共同生活」を描くホームコメディ。 タイトルのもとになった「尼ロック」とは、尼崎市にある尼崎閘門(あまがさきこうもん)のこと。船舶が通航できる巨大な設備で、尼崎市の「0メートル地帯」に海水が流れ込むのを防いでいる。英語で閘門はlock gate(ロックゲート)であることから尼ロックの愛称で呼ばれている。 監督の中村は「数年前、関西を直撃した台風で『尼崎市は【尼ロック】のお陰で被害が少なかった』という記事」を目にしたことを述べ、小6まで尼崎で育った中村も尼ロックについては何も知らず、「尼崎市民でも知らない人がほとんど。なんのアピールもせずただそこにいるだけで家族を守っている不器用な父親のようだと思った」と語っている。さらに、「阪神淡路大震災からまもなく30年をむかえる節目で、苦境の中から立ち上がる家族の姿を伝えたい」とコメントしている。 近松優子は39歳で独身、理不尽なリストラで失業して以来、尼崎の実家でくすぶったような暮らしをしている。 そんな中、町工場を経営しているが、ご近所さんと遊んでばかりの脳天気な父・竜太郎が突然20歳の早希と再婚すると言い出す。優子は自分よりもはるかに若く、価値観もかけ離れている早希を受け入れられず困惑する中、3人の共同生活が始まる。
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『あまろっく』は、2024年4月19日に公開予定の日本映画。監督は中村和宏、主演は江口のりこと中条あやみ。なお、兵庫県では同年4月12日から先行上映が予定されている。 尼崎を舞台に、39歳の独身女性、65歳の能天気な父、20歳の父の再婚相手の「想定外の共同生活」を描くホームコメディ。 タイトルのもとになった「尼ロック」とは、尼崎市にある尼崎閘門(あまがさきこうもん)のこと。船舶が通航できる巨大な設備で、尼崎市の「0メートル地帯」に海水が流れ込むのを防いでいる。英語で閘門はlock gate(ロックゲート)であることから尼ロックの愛称で呼ばれている。
{{公開前の映画|date=2023年11月}} {{Infobox Film | 作品名 = あまろっく | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[中村和宏]] | 脚本 = 中村和宏<br />西井史子 | 原案 = | 原作 = | 製作 = | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[江口のりこ]]<br />[[中条あやみ]]<br />[[松尾諭]]<br />[[中村ゆり]]<br />[[中林大樹]]<br />[[駿河太郎]]<br />[[高畑淳子]]<br />[[久保田磨希]]<br />[[佐川満男]]<br />[[紅壱子]]<br />[[浜村淳]]<br />後野夏陽<br />[[朝田淳弥]]<br />[[笑福亭鶴瓶]] | 音楽 = [[林ゆうき]]<br />[[山城ショウゴ]] | 主題歌 = | 撮影 = | 編集 = | 制作会社 = | 製作会社 =「あまろっく」製作委員会 | 配給 = [[ハピネットファントム・スタジオ]] | 公開 = {{Flagicon|JPN}} [[2024年]][[4月19日]](予定) | 上映時間 = 119分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''あまろっく'''』は、[[2024年]][[4月19日]]に公開予定の[[日本映画]]<ref name="natalie548200">{{Cite news|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/eiga/news/548200|title=江口のりこ×中条あやみ×笑福亭鶴瓶、尼崎が舞台の映画「あまろっく」で共演|date=2023-11-08|accessdate=2023-11-08}}</ref><ref name="realsound1482645">{{Cite news|newspaper=リアルサウンド映画|publisher=blueprint|url=https://realsound.jp/movie/2023/11/post-1482645.html|title=江口のりこ×中条あやみ×笑福亭鶴瓶が家族に 尼崎舞台のコメディ映画『あまろっく』公開へ|date=2023-11-08|accessdate=2023-11-08}}</ref>。監督は[[中村和宏]]、主演は[[江口のりこ]]と[[中条あやみ]]<ref name="cinematoday139878">{{Cite news|newspaper=シネマトゥデイ|publisher=株式会社シネマトゥデイ|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0139878|title=江口のりこが娘で中条あやみが継母、笑福亭鶴瓶がその夫!関西出身トリオによる『あまろっく』4月公開|date=2023-11-08|accessdate=2023-11-08}}</ref>。なお、兵庫県では同年[[4月12日]]から先行上映が予定されている{{R|natalie548200}}。 [[尼崎市|尼崎]]を舞台に、39歳の独身女性、65歳の能天気な父、20歳の父の再婚相手の「想定外の共同生活」を描くホームコメディ。 タイトルのもとになった「[[尼崎閘門|尼ロック]]」とは、尼崎市にある尼崎閘門(あまがさきこうもん)のこと。船舶が通航できる巨大な設備で、尼崎市の「[[海抜ゼロメートル地帯|0メートル地帯]]」に海水が流れ込むのを防いでいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49409340U9A900C1AA1P00/|title=阪神工業地帯守る海の門番「尼ロック」時を刻む|website=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2019-09-05|accessdate=2023-11-08}}</ref>。英語で閘門はlock gate(ロックゲート)であることから尼ロックの愛称で呼ばれている{{R|natalie548200}}。 == 製作 == 監督の中村は「数年前、関西を直撃した台風で『尼崎市は【尼ロック】のお陰で被害が少なかった』という記事」を目にしたことを述べ、小6まで尼崎で育った中村も尼ロックについては何も知らず、「尼崎市民でも知らない人がほとんど。なんのアピールもせずただそこにいるだけで家族を守っている不器用な父親のようだと思った」と語っている{{R|oricon2301732}}。さらに、「阪神淡路大震災からまもなく30年をむかえる節目で、苦境の中から立ち上がる家族の姿を伝えたい」とコメントしている<ref name="oricon2301732">{{Cite news|newspaper=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|url=https://www.oricon.co.jp/news/2301732/full/ |title=江口のりこ×中条あやみ×笑福亭鶴瓶、尼崎が舞台の映画「あまろっく」で共演|date=2023-11-08|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == あらすじ == '''近松優子'''は39歳で独身、理不尽なリストラで失業して以来、尼崎の実家でくすぶったような暮らしをしている。 そんな中、町工場を経営しているが、ご近所さんと遊んでばかりの脳天気な父・'''竜太郎'''が突然20歳の'''早希'''と再婚すると言い出す。優子は自分よりもはるかに若く、価値観もかけ離れている早希を受け入れられず困惑する中、3人の共同生活が始まる。 == キャスト == === 主要人物 === ; 近松優子〈39〉 : 演 - [[江口のりこ]] : 独身女性。仕事最優先の生活だったが、理不尽なリストラで失業し、実家暮らしをしている。 ; 早希〈20〉 : 演 - [[中条あやみ]]{{R|oricon2301732}} : 優子の継母。価値観が優子とは違いすぎることなどから、なかなか優子に受け入れてもらえない。 ; 竜太郎〈65〉 : 演 - [[笑福亭鶴瓶]]{{R|natalie548200|cinematoday139878}}(青年期:[[松尾諭]]) : 優子の父。町工場を経営している。優子に早希との突然の再婚を告げる。 === 優子の関係者 === ; 優子の母 : 演 - [[中村ゆり]]<ref name="natalie554194">{{Cite news|newspaper=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/eiga/news/554194|title=私とあんたは赤の他人や!江口のりこが“義母”中条あやみに反発する「あまろっく」予告|date=2023-12-22|accessdate=2023-12-22}}</ref> : 故人。 ; お見合い相手 : 演 - [[中林大樹]]{{R|natalie554194}} ; 同級生 : 演 - [[駿河太郎]]{{R|natalie554194}} ; 高校教師 : 演 - [[高畑淳子]]{{R|natalie554194}} : 優子が通っていた高校の教師。 === 竜太郎の関係者 === ; 工場の従業員 : 演 - [[久保田磨希]]{{R|natalie554194}}、[[佐川満男]]{{R|natalie554194}} : 竜太郎が経営する工場の従業員。 === その他(役名不詳) === * [[紅壱子]]{{R|natalie554194}}、[[浜村淳]]{{R|natalie554194}}、後野夏陽{{R|natalie554194}}、[[朝田淳弥]]{{R|natalie554194}} == スタッフ == * 監督・原案 - [[中村和宏]] * 脚本 - 中村和宏、西井史子<ref name="sma">{{Cite web|和書|url=https://www.sma.co.jp/s/sma/news/detail/104380?ima=0000&link=ROBO004#/|title=UNICORN映画「あまろっく」(2024年4月公開)主題歌に「アルカセ」が決定!アルバム「クロスロード」初回盤特典のダイジェスト映像も公開!|website=Sony Music Artists Inc.|publisher=ソニー・ミュージックアーティスツ|date=2023-11-08|accessdate=2023-11-08}}</ref> * 主題歌 - [[UNICORN|ユニコーン]]「[[クロスロード (UNICORNのアルバム)|アルカセ]]」([[ソニー・ミュージックレーベルズ|Sony Music Labels Inc.]]/ [[キューンミュージック|Ki/oon Music]]){{R|sma}} * 配給 - [[ハピネットファントム・スタジオ]]{{R|sma}} * 製作 -「あまろっく」製作委員会{{R|sma}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist2|2}} --> === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://happinet-phantom.com/amalock/ 映画『あまろっく』公式サイト] ** {{Twitter|amalock_movie| 映画『あまろっく』公式}} ** {{Instagram|amalock_movie| 映画『あまろっく』公式}} {{movie-stub}} {{デフォルトソート:あまろつく}} [[Category:2024年の映画]] [[Category:日本のドラマ映画]] [[Category:日本のコメディ映画]] [[Category:家族を題材とした映画作品]] [[Category:兵庫県を舞台とした映画作品]] [[Category:尼崎市を舞台とした作品]] [[Category:兵庫県で製作された映画作品]] [[Category:大阪府で製作された映画作品]] [[Category:林ゆうきの作曲映画]] [[Category:ハピネットファントム・スタジオの映画作品]]
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日立市立助川小学校
日立市立助川小学校(ひたちしりつすけがわしょうがっこう)は、茨城県日立市助川町2-15-1にある日立市立小学校。 助川小学校は、1939年4月に会瀬小学校を、1940年7月に中小路小学校を分離した。 (出典:) 教育目標 助川を誇りに思い、夢や希望をもって未来を拓く児童の育成 組織目標 (出典:) (出典:)
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日立市立助川小学校(ひたちしりつすけがわしょうがっこう)は、茨城県日立市助川町2-15-1にある日立市立小学校。
{{Infobox 日本の学校|校名=日立市立助川小学校|過去校名=尺蠖舎<br> 助川小学校<br> 助川尋常小学校<br> 高鈴尋常小学校<br> 高鈴尋常高等小学校<br> 助川尋常高等小学校<br> 助川国民学校<ref name="enkaku">"[https://www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/002/p005582_d/fil/0316.pdf 沿革]". 日立市立助川小学校.2023年11月8日閲覧。</ref>|国公私立=[[公立学校]]|設置者=[[日立市]]|校訓=ただしく ゆたかに たくましく<ref>"[http://hitachi-pta.org/tanp/sukegawa_e.html 助川小学校]". 日立市立小・中学校PTA連合会.2023年11月8日閲覧。</ref>|設立年月日=[[1873年]][[7月27日]]<ref name="toukei">"[https://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p117434_d/fil/ikkatsu.pdf 『2023 日立の教育』]". p. 11. 日立市教育委員会.2023年11月8日閲覧。</ref>|創立記念日=[[10月27日]]<ref name="enkaku" />|共学・別学=[[男女共学]]|学期=3学期制|学校コード=B108220200018|校地面積=31,511 m<sup>2</sup><ref name="toukei" />|校舎面積=6,110 m<sup>2</sup><ref name="toukei" />|郵便番号=317-0065|所在地=[[茨城県]][[日立市]]助川町2丁目15番1号|外部リンク=[https://hitachi-sukegawa-e.edumap.jp/ 公式サイト]|マップ表示=yes|地図WikiData=yes|地図ズーム=13|地図国コード=JP}} '''日立市立助川小学校'''(ひたちしりつすけがわしょうがっこう)は、[[茨城県]][[日立市]]助川町2-15-1にある日立市立小学校。 == 概要 == 助川小学校は、[[1939年]]4月に[[日立市立会瀬小学校|会瀬小学校]]を、[[1940年]]7月に[[日立市立中小路小学校|中小路小学校]]を分離した<ref>{{Cite web |title=会瀬小学校 {{!}} 沿革 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/oose-e/002/p005257.html |website= |access-date=2023-11-10 |publisher=日立市立会瀬小学校}}</ref><ref>{{Cite web |title=中小路小学校 {{!}} 中小路小学校 創立記念日 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/nakakouji-e/010/p087081.html |website= |access-date=2023-11-10 |publisher=日立市立中小路小学校}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/000/p058304_d/fil/-keikaku-.pdf |title=『日立市立学校再編計画 子どものための環境づくりを ~市民とともに~ 【第1次】(2021~2030) |access-date=2023年11月10日 |publisher=日立市教育委員会 |pages=30-31}}</ref>。 == 沿革 == === 年表 === * [[1873年]] ** [[7月27日]] - 尺蠖舎(せきかくしゃ)として創立<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/002/p005582_d/fil/0316.pdf |title=沿革 |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市立助川小学校 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210921022739/https://www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/002/p005582_d/fil/0316.pdf |archive-date=2021-9-21}}</ref>。 ** 10月 - 助川小学校に改称<ref name=":0" />。 * [[1877年]]10月 - 助川村旧郷倉地に移転<ref name=":0" />。 * [[1886年]][[4月10日]] - 助川[[尋常小学校]]に改称<ref name=":0" />。 * [[1889年]][[4月1日]] - 助川村が宮田村と分離、会瀬村と合併。高鈴尋常小学校に改称<ref name=":0" />。 * [[1898年]] ** [[1月12日]] - [[助川海防城|助川城]]址(現在地)に移転<ref name=":0" />。 ** [[12月25日]] - [[高等科]]を併置し、高鈴尋常高等小学校に改称<ref name=":0" />。 * [[1925年]][[1月1日]] - [[町制]]移行により[[助川町]]となる。助川尋常高等小学校に改称<ref name=":0" />。 * [[1941年]]4月1日 - 助川[[国民学校]]に改称<ref name=":0" />。 * [[1943年]][[3月16日]] - 校歌作成<ref name=":0" />。 * [[1947年]]4月1日 - 日立市立助川小学校に改称。[[日立市立助川中学校|助川中学校]]を併置<ref name=":0" />。 * [[1949年]]4月1日 - 助川中学校を分離<ref name=":0" />。 * [[1951年]][[10月27日]] - この日を創立記念日とする<ref name=":0" />。 * [[1977年]][[11月28日]] - 日本学校体育研究連合会賞を受賞<ref name=":0" />。 * [[1983年]]10月27日・[[10月28日]] - 第35回学校視聴覚教育全国大会の会場校となる<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |title=全国大会の歩み|沿革・ビジョン|日本学校視聴覚教育連盟 |url=http://www.gakushiren.gr.jp/History_Vision/History_of_the_National_Convention |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=日本学校視聴覚教育連盟}}</ref>。 * [[1996年]][[11月26日]] - 日本標準教育賞優秀学校賞を受賞<ref name=":0" />。 * [[2001年]][[4月26日]] - [[文部科学省]]より「次世代ITを活用した未来型教育研究開発事業」の指定を受ける(3年間)<ref name=":0" />。 * [[2004年]][[11月19日]] - 優良[[PTA]][[文部科学大臣]]表彰を受賞<ref name=":0" />。 * [[2005年]][[3月17日]] - スクールミーティングを実施<ref>{{Cite web |title=スクールミーティング実施状況(3月):文部科学省 |url=https://www.mext.go.jp/a_menu/gimukyou/meeting/operation03.htm |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=[[文部科学省]]}}</ref>。 * [[2006年]][[8月10日]] - 日本道路協会より「道路功労者表彰」を受賞<ref name=":0" />。 * [[2014年]]度 - 授業力ブラッシュアップ研修重点校(算数)に指定<ref>{{Cite web |url=http://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p037780_d/fil/2014-hitachi-no-kyouiku.pdf |title=『2014 日立の教育』 |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市教育委員会 |page=17 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8771902/www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p037780_d/fil/2014-hitachi-no-kyouiku.pdf |archive-date=2014-10-14}}</ref>。 * [[2015年]][[1月30日]] - 第15回環境美化教育優良校等表彰で優良校に選定<ref>{{Cite web |title=第15回環境美化教育優良校等表彰 表彰校一覧 |url=https://kankyobika.or.jp/env-study-support/hyoushou/no15 |website= |access-date=2023-11-08 |language=ja |publisher=公益社団法人 [[食品容器環境美化協会]]}}</ref><ref>{{Cite web |title=表彰校紹介・優良校(茨城県・日立市立助川小学校) |url=https://kankyobika.or.jp/env-study-support/hyoushou/no15/ibaraki |website= |access-date=2023-11-08 |language=ja |publisher=公益社団法人 食品容器環境美化協会}}</ref>。 * [[2016年]]度 - 小学校教科担任制モデル校(理科)に指定<ref>{{Cite web |url=http://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p054375_d/fil/2016-hitachi-no-kyoiku.pdf |title=『2016 日立の教育』 |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市教育委員会 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11220462/www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p054375_d/fil/2016-hitachi-no-kyoiku.pdf |archive-date=2019-1-7 |page=17}}</ref>。 * 2016年[[8月1日]] - 「[[道路ふれあい月間]]」における道路愛護団体等の[[国土交通大臣]]表彰を受賞<ref>{{Cite web |title=報道発表資料:「道路ふれあい月間」における道路愛護団体等の国土交通大臣表彰について - 国土交通省 |url=https://www.mlit.go.jp/report/press/road01_hh_000727.html |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=国土交通省}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.mlit.go.jp/common/001140284.pdf |title=平成28年度受賞者一覧 |access-date=2023年11月8日 |publisher=[[国土交通省]] |page=4}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/003/h28toukoubitokokudokoutuu.html |title=H28登校日と国土交通大臣表彰 |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市立助川小学校 |date=2016-8-21 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11165182/www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/003/h28toukoubitokokudokoutuu.html |archive-date=2018-10-6}}</ref>。 * [[2020年]]4月1日 - 放課後子ども教室を開設<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p117434_d/fil/ikkatsu.pdf |title=『2023 日立の教育』 |access-date=2023年11月8日 |publisher=[[日立市教育委員会]] |page=70}}</ref>。 * [[2022年|2022]] - [[2023年]]度 - [[NIE]]実践協力校授業公開、研究指定校に指定<ref>{{Cite web |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/shiryo/p117434_d/fil/ikkatsu.pdf |title=『2023 日立の教育』 |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市教育委員会 |page=18}}</ref>。 * 2023年11月150周年を迎えた。 == 教育方針 == (出典:<ref>{{Cite web |url=https://hitachi-sukegawa-e.edumap.jp/wysiwyg/file/download/1/7 |title=令和5年度助川小学校グランドデザイン |access-date=2023年11月8日 |publisher=日立市立助川小学校}}</ref>) '''教育目標''' 助川を誇りに思い、夢や希望をもって未来を拓く児童の育成 '''組織目標''' # 成長が実感できる学級づくり・授業づくり # 一人一人の子どもが安心して生活できる心の居場所づくり # 子ども・教師の笑顔と元気があふれる働き方改革の推進 == 学校行事 == {{節スタブ|date=2023年11月}} == 児童会活動・クラブ活動など == (出典:<ref>{{Cite web |title=助川小学校 {{!}} 令和3年度 クラブ見学 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/003/p102589.html |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=日立市立助川小学校 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12995823/www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/003/p102589.html |archive-date=2023-9-14}}</ref>) === クラブ活動 === * 屋外球技 * 室内球技 * パンポン * 手芸 * 昔遊び・卓上ゲーム * イラスト・パソコン * 理科・工作 == 通学区域 == (出典:<ref>{{Cite web |title=日立市教育委員会|日立市立小学校及び中学校学区検索 |url=https://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/school/001/p002355.html#ka_gyo |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=日立市教育委員会}}</ref><ref>{{Cite web |title=日立市の小学校 {{!}} 日立市の賃貸・売買は鈴縫工業(株)日立駅前店 |url=https://www.suzunui.jp/e-school/ |website= |access-date=2023-11-08 |publisher=[[鈴縫工業]]株式会社}}</ref>) * 日立市会瀬町 ** 3丁目25番1号から15号、26番 ** 4丁目1番AからC、5・9・16番(1号除く) * 日立市鹿島町 ** 1丁目6から21番 ** 2丁目 ** 3丁目 * 日立市神峰町 ** 1丁目3・4・8・9番 ** 2丁目9番6から8号 * 日立市城南町 * 日立市助川町 * 日立市高鈴町 ** 1丁目 ** 2丁目 ** 5丁目2番 * 日立市弁天町 ** 1丁目12から14番、20から22番 ** 2丁目 ** 3丁目 == 進学先中学校 == * [[日立市立助川中学校]] * [[日立市立平沢中学校]] == 学区内の主な施設 == * [[日立市役所]]本庁舎 * [https://www.city.hitachi.lg.jp/shisetsu/009/001/p036567.html 助川交流センター] * [https://www.city.hitachi.lg.jp/shisetsu/012/005/p000238.html 日立市保健センター] * [https://www.city.hitachi.lg.jp/park/page/p002500.html 助川城跡公園] * [[茨城県立日立第二高等学校]] * [[茨城県立日立工業高等学校]] * [[日立総合病院]] * 日立[[児童相談所]] == 交通 == {{節スタブ|date=2023年11月}} == 関係者 == {{節スタブ|date=2023年11月}} == 脚注 == {{脚注の使い方}}{{Reflist}} == 関連項目 == * [[茨城県小学校一覧]] * [[日立市教育委員会]] * [[日立市]] * [[助川町]] * 茨城県 == 外部リンク == * [https://hitachi-sukegawa-e.edumap.jp/ 日立市立助川小学校] * [https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12995823/www.city.hitachi.lg.jp/sukegawa-e/index.html 日立市立助川小学校旧ホームページ](2023年9月12日時点のアーカイブ) * [https://web.archive.org/web/20140215055031/http://www.sukegawa-e.hitachi-kyoiku.ed.jp/ 日立市立助川小学校旧ホームページ](2014年2月15日時点のアーカイブ) {{School-stub|pref=茨城県}} {{デフォルトソート:ひたちしりつすけかわしようかつこう}}<!-- この記事は、プロジェクト:学校/小学校テンプレートを使用しています。 --> [[Category:日本の公立小学校]] [[Category:茨城県の公立小学校]] [[Category:日立市の小学校|すけがわ]]
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小林吉彦
小林 吉彦(こばやし よしひこ、1920年7月20日 - 2013年2月18日)は、日本の経営者。フジサンケイグループ代表、ニッポン放送会長を務めた。 栃木県出身。1943年に慶應義塾大学法学部を卒業。三井精機、栃木労働基準局での勤務を経て、1954年にニッポン放送に転じ、1960年に産業経済新聞社への出向を経て、1961年にニッポン放送に復帰。1967年5月に取締役に就任し、1968年5月に常務に就任し、1969年5月に専務を経て、1977年6月から1986年6月までにサンケイビル社長を務めた。1992年7月から1993年7月までにフジサンケイグループ本社社長を務め、1993年6月から1997年6月までフジサンケイグループ代表とニッポン放送会長を務めた。フジテレビジョン顧問も務めた。 1995年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2013年2月18日に老衰のために死去。92歳没。
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小林 吉彦は、日本の経営者。フジサンケイグループ代表、ニッポン放送会長を務めた。
'''小林 吉彦'''(こばやし よしひこ、[[1920年]][[7月20日]] - [[2013年]][[2月18日]])は、日本の[[経営者]]。[[フジサンケイグループ]]代表、[[ニッポン放送]]会長を務めた。 == 来歴・人物 == [[栃木県]]出身{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1943年]]に[[慶應義塾大学]]法学部を卒業{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。[[三井精機工業|三井精機]]、[[労働基準局|栃木労働基準局]]での勤務を経て、[[1954年]]に[[ニッポン放送]]に転じ、[[1960年]]に[[産業経済新聞社]]への出向を経て、[[1961年]]に[[ニッポン放送]]に復帰{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1967年]]5月に取締役に就任し、[[1968年]]5月に常務に就任し、[[1969年]]5月に専務を経て、[[1977年]]6月から[[1986年]]6月までに[[サンケイビル]]社長を務めた{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1992年]]7月から[[1993年]]7月までに[[フジサンケイグループ|フジサンケイグループ本社]]社長を務め、[[1993年]]6月から[[1997年]]6月までフジサンケイグループ代表とニッポン放送会長を務めた{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。[[フジテレビジョン]]顧問も務めた{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。 [[1995年]]11月に[[瑞宝章|勲二等瑞宝章]]を受章{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=こ72頁|ref=jinji-42-jo}}。 [[2013年]][[2月18日]]に[[老衰]]のために死去<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1803W_Y3A210C1000000/ 小林吉彦氏が死去 元ニッポン放送会長]2013年 2月18日 日本経済新聞</ref>。{{没年齢|1920|07|20|2013|02|18}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 興信データ株式會社| title = 人事興信録 第42版 上| publisher = 興信データ| series = | volume = | edition = | date = 2003年| pages = | url = |ref = jinji-42-jo}} {{people-stub}} {{デフォルトソート:こはやし よしひこ}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:日本の放送関係者]] [[Category:フジサンケイグループの人物]] [[Category:ニッポン放送の人物]] [[Category:産経新聞社の人物]] [[Category:サンケイビル|人]] [[Category:フジテレビの人物]] [[Category:勲二等瑞宝章受章者]] [[Category:慶應義塾大学出身の人物]] [[Category:栃木県出身の人物]] [[Category:1920年生]] [[Category:2013年没]]
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金澤TKCファクトリー
金澤TKCファクトリー(かなざわティーケーシーファクトリー、1985年3月14日 -)は、ホリプロコムに所属するお笑い芸人。本名:金澤 武(かなざわ たけし)。 2013年に柿山直久とのコンビ「青山スターバッカーズ」を結成。コンビ解散後の2016年よりピン芸人として活動している。芸名の由来は、本名のタケシに因んで「金澤TKC」として決まりかけていたときに、目の前をつばきファクトリーの宣伝カーが走ったことから。 主に漫談や1人コントを演じる。またM-1グランプリではTEAM近藤と、キングオブコントではこば小林(元がじゅまる)とのユニットで出場している。木村圭太(元さくらんぼブービー)総合演出の「喜劇衆 ギガンティックシアター」のメンバー。
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金澤TKCファクトリーは、ホリプロコムに所属するお笑い芸人。本名:金澤 武。
'''金澤TKCファクトリー'''(かなざわティーケーシーファクトリー、[[1985年]][[3月14日]] -)は、[[ホリプロコム]]に所属する[[お笑いタレント|お笑い芸人]]。本名:'''金澤 武'''(かなざわ たけし)。 == 概要 == [[2013年]]に柿山直久とのコンビ「'''青山スターバッカーズ'''」を結成<ref name="aoyama">{{Cite web |title=青山スターバッカーズ {{!}} コンビ情報 |url=https://www.m-1gp.com/combi/2908.html |website=M-1グランプリ 公式サイト |access-date=2023-11-11 |language=ja}}</ref>。コンビ解散後の[[2016年]]より[[ピン芸人]]として活動している<ref name="natalie">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/owarai/column/399139|title=あのコンビ名の由来を知りたい Vol.4 パンプキンポテトフライ、金澤TKCファクトリー、さんだる、危険物てぃらてぃら、んじゃら同盟|date=2020-10-13|website=お笑いナタリー|accessdate=2023-11-08}}</ref>。芸名の由来は、本名のタケシに因んで「'''金澤TKC'''」として決まりかけていたときに、目の前を[[つばきファクトリー]]の宣伝カーが走ったことから{{r|natalie}}。 主に[[漫談]]や1人[[コント]]を演じる。また[[M-1グランプリ]]では[[TEAM近藤]]と、[[キングオブコント]]ではこば小林(元[[がじゅまる]])とのユニットで出場している。木村圭太(元[[さくらんぼブービー]])総合演出の「喜劇衆 ギガンティックシアター」の元メンバー。 == 出演 == * [[ネタパレ]] ([[フジテレビ]]) ** 2023年11月10日 * [[マイナビ Laughter Night]] ([[TBSラジオ]]) ** 2023年7月21日 ** 2023年3月24日 ** 2023年10月20日(月間チャンピオン) == 賞レースなど == * [[M-1グランプリ]] ** [[M-1グランプリ2015|2015年]] - 2回戦進出(青山スターバッカーズとして){{R|aoyama}} ** [[M-1グランプリ2020|2020年]] - 2回戦進出([[TEAM近藤]]とのコンビTEAM TKCとして)<ref name="TEAM TKC">{{Cite web|和書|url=https://www.m-1gp.com/combi/13884.html|title=TEAM TKC|コンビ情報|website=M-1グランプリ 公式サイト|accessdate=2023-11-08}}</ref> ** [[M-1グランプリ2021|2021年]] - 2回戦進出(TEAM近藤とのコンビTEAM TKCとして){{r|TEAM TKC}} ** [[M-1グランプリ2022|2022年]] - 2回戦進出(TEAM近藤とのコンビTEAMTKCとして)<ref name="TEAMTKC">{{Cite web|和書|url=https://www.m-1gp.com/combi/13884.html|title=TEAMTKC|コンビ情報|website=M-1グランプリ 公式サイト|accessdate=2023-11-08}}</ref> ** [[M-1グランプリ2023|2023年]] - 2回戦進出(TEAM近藤とのコンビTEAMTKCとして){{r|TEAMTKC}} * [[キングオブコント]] ** 2022年 - 2回戦進出(こば小林とのユニットULTRASUPERBOYSとして) ** 2023年 - 準々決勝進出(こば小林とのユニットULTRASUPERBOYSとして) * [[R-1グランプリ]] ** 2021年 - 準々決勝進出 ** 2022年 - 準々決勝進出 ** 2023年 - 準々決勝進出 * [[マイナビ Laughter Night]] - 2023年10月月間チャンピオン(チャンピオンライブ出場)<ref>{{Cite web|和書|title=TBS RADIO 954 kHz │ マイナビ Laughter Night(マイナビ ラフターナイト) - 2023年10月|url=https://warai954.www.tbsradio.jp/2023/10/|website=warai954.www.tbsradio.jp |access-date=2023-11-8}}</ref> == 出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == <!-- [[WP:ELMIN]]に基づき、公式プロフィールのみを記載。 --> * [http://com.horipro.co.jp/talent/kanazawatkcfactory/ 公式プロフィール] - [[ホリプロコム]] * {{Twitter|K_TKCFACTORY}} {{ホリプロ}} {{DEFAULTSORT:かなさわていいけえしいふあくとりい}} [[Category:ホリプロ]] [[Category:お笑い芸人]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1985年生]] [[Category:存命人物]]
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ベニアミーノ・ヴィニョラ
ベニアミーノ・ヴィニョラ(Beniamino Vignola、1959年6月12日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 エラス・ヴェローナでプロのキャリアを始め、ジャンニ・リベラと比較される期待の若手選手であった。アヴェッリーノを経て、1983年にユヴェントスに加入。当初は控えであったが、次第に出場機会を増やし、1983-84シーズンのUEFAカップウィナーズカップ決勝のFCポルト戦では先発、1ゴールを挙げただけでなく、ボニエクの得点をアシストするなど優勝に貢献した。1984-85シーズンのチャンピオンズカップ決勝では僅かながら出場機会を得て、優勝の瞬間をピッチで迎えた。このシーズンもリーグ戦27試合で起用されたが、翌1985-86シーズンはレンタルでエラス・ヴェローナでプレー、1986-87シーズン、ユヴェントスに複帰、2シーズンしたが、出場機会は限られたものとなった。1991年に僅か32歳で現役を引退した。 イタリア五輪代表として1984年のロサンゼルスオリンピックに参加、5試合に出場(準々決勝のチリ戦、3位決定戦のユーゴスラヴィア戦で得点を挙げた)、4位に入った。
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ベニアミーノ・ヴィニョラは、イタリア出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
{{表記揺れ案内|表記1=ベニアミーノ・ヴィニョーラ|text=この人物の日本語表記には、主に以下のような表記揺れがあります。}} {{サッカー選手 |名前=ベニアミーノ・ヴィニョラ |画像= |本名= |愛称= |カタカナ表記= |アルファベット表記=Beniamino Vignola |原語名= |原語表記= |国={{ITA}} |誕生日={{生年月日と年齢|1959|6|12}} |出身地=[[ヴェローナ]] |身長= |体重= |血液型= |所属チーム名= |ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] |背番号= |利き足= |年1=1978-1980|クラブ1={{flagicon|ITA}} [[エラス・ヴェローナFC|エラス・ヴェローナ]]|出場1=43|得点1=2 |年2=1980-1983|クラブ2={{flagicon|ITA}} [[USアヴェッリーノ1912|アヴェッリーノ]]|出場2=88|得点2=16 |年3=1983-1985|クラブ3={{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]|出場3=52|得点3=8 |年4=1985-1986|クラブ4={{flagicon|ITA}} [[エラス・ヴェローナFC|エラス・ヴェローナ]]|出場4=19|得点4=2 |年5=1986-1988|クラブ5={{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]|出場5=28|得点5=1 |年6=1988-1990|クラブ6={{flagicon|ITA}} [[エンポリFC|エンポリ]]|出場6=68|得点6=12 |年7=1990-91クラブ7={{flagicon|ITA}} [[マントヴァ1911マントヴァ]]|出場7=28|得点7=5 |代表年1=1984|代表1={{ITAf}}U-21|代表出場1=5|代表得点1=2 |代表成績更新日= }} '''ベニアミーノ・ヴィニョラ'''(Beniamino Vignola、[[1959年]][[6月12日]] - )は、[[イタリア]]出身の元[[サッカー選手]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。 == 経歴 == [[エラス・ヴェローナFC|エラス・ヴェローナ]]でプロのキャリアを始め、[[ジャンニ・リベラ]]と比較される期待の若手選手であった<ref name=olym>{{cite web|url=https://olympics.com/en/athletes/beniamino-vignola|title=Beniamino Vignola|website=OLYMPIC|accessdate=2023-11-10}}</ref>。[[USアヴェッリーノ1912|アヴェッリーノ]]を経て、1983年に[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]に加入。当初は控えであったが、次第に出場機会を増やし、1983-84シーズンの[[UEFAカップウィナーズカップ]]決勝の[[FCポルト]]戦では先発<ref>{{cite web|url=https://www.uefa.com/news/0250-0c50f0a39b3b-afbc7a7d5f14-1000--1983-84-star-studded-juventus-make-their-mark/|title=1983/84: Star-studded Juventus make their mark|website=UEFA|accessdate=2023-11-10}}</ref>、1ゴールを挙げただけでなく、[[ズビグニェフ・ボニエク|ボニエク]]の得点をアシストするなど優勝に貢献した<ref name=olym/>。1984-85シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズカップ]]決勝では僅かながら出場機会を得て、優勝の瞬間をピッチで迎えた。このシーズンもリーグ戦27試合で起用されたが、翌1985-86シーズンはレンタルで[[エラス・ヴェローナFC|エラス・ヴェローナ]]でプレー、1986-87シーズン、ユヴェントスに複帰、2シーズンしたが、出場機会は限られたものとなった<ref name=cor>{{cite web|url=https://corrieredelveneto.corriere.it/verona/sport/22_marzo_04/beniamino-vignola-vice-platini-che-vende-vetri-auto-gli-piaceva-giocare-me-dybala-erede-no-b1748400-9bdf-11ec-9600-0e84f75d95f3.shtml|title=Beniamino Vignola, il vice di Platini, che vende vetri per auto: «Gli piaceva giocare con me. Dybala erede? No|website=Corriere del Veneto|accessdate=2023-11-10}}</ref>。1991年に僅か32歳で現役を引退した<ref name=cor/>。 [[サッカーイタリア代表|イタリア五輪代表]]として1984年のロサンゼルスオリンピックに参加、5試合に出場(準々決勝のチリ戦、3位決定戦のユーゴスラヴィア戦で得点を挙げた<ref>{{cite web|url=https://www.transfermarkt.com/beniamino-vignola/leistungsdaten/spieler/217802/plus/0?saison=1983|title=Beniamino Vignola 1983/84|website=transfermarkt|accessdate=2023-11-10}}</ref>)、4位に入った<ref name=olym/>。 == 脚注 == {{Reflist}} ==外部リンク== *{{sports links}} {{ロサンゼルスオリンピック (1984年) サッカーイタリア代表}} {{Footybio-stub}} {{DEFAULTSORT:ういによら へにあみいの}} [[Category:イタリアのサッカー選手]] [[Category:オリンピックサッカーイタリア代表選手]] [[Category:マントヴァ1911の選手]] [[Category:エラス・ヴェローナFCの選手]] [[Category:エンポリFCの選手]] [[Category:USアヴェッリーノ1912の選手]] [[Category:ユヴェントスFCの選手]] [[Category:1984年ロサンゼルスオリンピックサッカー出場選手]] [[Category:1959年生]] [[Category:存命人物]]
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上野谷加代子
上野谷 加代子(うえのや かよこ、1949年 - )は、日本の社会福祉学者。同志社大学名誉教授。元日本地域福祉学会会長。元日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長。元日本社会福祉士養成校協会副会長。 1972年大阪市立大学(のちの大阪公立大学)家政学部卒業。1974年同大学大学院家政学研究科修了、家政学修士。常磐会短期大学助手。同講師、同助教授、桃山学院大学社会学部助教授、同教授を経て、2001年社会学部長。2002年日本社会福祉学会理事。2008年日本学術振興会科学研究費委員会専門委員。2005年同志社大学社会学部社会福祉学科教授。2007年日本福祉教育・ボランティア学習学会会長、厚生労働省独立行政法人評価委員会委員。2008年日本学術会議連携会員。2011年日本社会福祉士養成校協会副会長。2014年日本地域福祉学会会長。2016年厚生労働省社会保障審議会臨時委員、赤い羽根基金運営委員長、枚方市社会福祉審議会会長。2017年大阪市ボランティア・市民活動センター長、滋賀県社会福祉審議会委員、中央共同募金会理事、日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長。2019年滋賀県社会福祉協議会理事。2020年同志社大学名誉教授。2021年滋賀県社会福祉協議会えにしアカデミー学長。
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上野谷 加代子は、日本の社会福祉学者。同志社大学名誉教授。元日本地域福祉学会会長。元日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長。元日本社会福祉士養成校協会副会長。
'''上野谷 加代子'''(うえのや かよこ、[[1949年]] - )は、[[日本]]の[[社会福祉学者]]。[[同志社大学]][[名誉教授]]。元日本地域福祉学会会長。元[[日本ソーシャルワーク教育学校連盟]]副会長。元[[日本社会福祉士養成校協会]]副会長。 == 人物・経歴 == 1972年[[大阪市立大学]](のちの[[大阪公立大学]])家政学部卒業。1974年同大学大学院家政学研究科修了、[[家政学修士]]。[[常磐会短期大学]]助手。同講師、同[[助教授]]、[[桃山学院大学]][[社会学部]]助教授、同教授を経て、2001年社会[[学部長]]。2002年[[日本社会福祉学会]][[理事]]。2008年[[日本学術振興会]][[科学研究費]]委員会専門委員。2005年[[同志社大学社会学部]]社会福祉学科教授。2007年[[日本福祉教育・ボランティア学習学会]]会長、[[厚生労働省]][[独立行政法人評価委員会]]委員。2008年[[日本学術会議連携会員]]。2011年[[日本社会福祉士養成校協会]]副会長。2014年[[日本地域福祉学会]]会長。2016年[[厚生労働省]][[社会保障審議会]]臨時委員、[[赤い羽根]]基金運営委員長、[[枚方市]]社会福祉審議会会長。2017年[[大阪市]]ボランティア・市民活動センター長、[[滋賀県]]社会福祉審議会委員、[[中央共同募金会]]理事、[[日本ソーシャルワーク教育学校連盟]]副会長。2019年滋賀県[[社会福祉協議会]]理事<ref>[https://researchmap.jp/read0102986 上野谷 加代子 ウエノヤ カヨコ (Kayoko Uenoya)]researchmap.</ref>。2020年同志社大学名誉教授<ref>[https://enishi-ac.jp/fellows/all-fellow.html フェロー一覧]えにしアカデミー</ref>。2021年滋賀県社会福祉協議会えにしアカデミー学長<ref>[https://lemonshimpo.com/?p=6107 「縁アカデミー」秋開学へ。上野谷加代子さん(同志社大学名誉教授)インタビュー]福祉と教育の未来をつくる季刊新聞2021.03.21</ref>。 == 著作 == *『ウェルビーイング・タウン社会福祉入門』([[岩田正美]], [[藤村正之]]と共著)視覚障害者支援総合センター 2009年 *『たすけられ上手たすけ上手に生きる』全国コミュニティライフサポートセンター 2015年 *『地域福祉コーディネーターのためのビネットで学ぶ地域福祉実践 : 地域福祉コーディネーターリーダー研修基本テキスト』([[勝部麗子]], [[野村裕美]]と共著)全国社会福祉協議会地域福祉部 2018年 === 編著 === *『福祉の地域化と自立支援』([[右田紀久恵]], [[牧里毎治]]と共編著)中央法規出版 2000年 *『おおさか発地域福祉実践論 : 今川ボランティア部』([[竹村安子]]と共編著)万葉舎 2004年 *『松江市の地域福祉計画 : 住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』([[杉崎千洋]], [[松端克文]]と共編著)ミネルヴァ書房 2006年 *『「対話と学び合い」の地域福祉のすすめ : 松江市のコミュニティソーシャルワーク実践』(松端克文, [[斉藤弥生]]と共編著)全国コミュニティライフサポートセンター 2014年 *『小地域福祉活動の新時代 : 大阪市・今川地域からの発信』([[竹村安子]], [[岩間伸之]]と共編著)全国コミュニティライフサポートセンター 2014年 *『福祉ガバナンスとソーシャルワーク : ビネット調査による国際比較』([[斉藤弥生]]と共編著)ミネルヴァ書房 2015年 *『地域福祉の現状と課題』([[斉藤弥生]]と共編著)放送大学教育振興会 2018年 *『共生社会創造におけるソーシャルワークの役割 : 地域福祉実践の挑戦』ミネルヴァ書房 2020年 === 編集 === *『「同和」保育の探究 : 総合ゼミナールのまとめ 1979-1981年度』([[八箇亮仁]]と共編)常磐会短期大学同和教育推進委員会 1983年 *『たすけあいからのネットワーキング : 市民による地域福祉活動からの発信』([[橋本義郎]]と共編)松籟社 1989年 *『日本の在宅ケア』([[沢田清方]]と共編)中央法規出版 1993年 *『高齢者と家族 : 高齢社会への対応と家族の役割』([[村川浩一]]と共編)中央法規出版 1996年 *『よくわかる地域福祉』(松端克文, [[山縣文治]]と共編)ミネルヴァ書房 2010年 *『社会福祉士相談援助実習』([[長谷川匡俊]], [[白澤政和]], [[中谷陽明]]と共編)中央法規出版 2014年 *『地域福祉の学びをデザインする』([[原田正樹]]と共編)有斐閣 2016年 === 監修 === *『地域をカエル、暮らしがカワル 三方よしの滋賀県を目指して』滋賀県 2010年 *『災害ソーシャルワーク入門 : 被災地の実践知から学ぶ』央法規出版 2013年 *『新福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会 2014年 ==脚注== {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:うえのや かよこ}} [[Category:日本の女性社会学者]] [[Category:日本の社会福祉学者]] [[Category:日本学術会議連携会員]] [[Category:同志社大学の教員]] [[Category:桃山学院大学の教員]] [[Category:常磐会短期大学の教員]] [[Category:家政学修士取得者]] [[Category:家政学士取得者]] [[Category:大阪市立大学出身の人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]]
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ラ・スキアヴォーナ
『ラ・スキアヴォーナ』(英: La Schiavona、英: La Schivona)、または『女性の肖像』(じょせいのしょうぞう、英: Portrait of a Lady)は、イタリア盛期ルネサンスのヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオがまだ20代初めであった1510-1512年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。「ラ・スキアヴォーナ」とはダルマチア (1420-1797年までヴェネツィア共和国の領土) 出身の女性を意味しているが、17世紀に与えられた名称である。作品は、ナショナル・ギャラリー (ロンドン) に所蔵されている。 絵画は17世紀初頭まで『ラ・スキアヴォーナ』と呼ばれていた。この名称は本作についての最初の文書である1640年の書簡に始まっているが、おそらく女性の服装と容貌を見て絵画に与えられたものである。実際には、彼女の服装はヴェネツィア共和国に支配されていた地域の富裕な女性の服装に合致しており、貴族階級の人物であったのであろう。女性がカテリーナ・コルナーロであると同定しようとしてきた研究者もいるが、確証のない仮説である。 以前、絵画はジョルジョーネに帰属されたが、今日ではティツィアーノの若い時期の傑作であると一致して認められている。ジョルジョーネの変調された甘美さはなく、それが拍動を感じさせる生気に取って代わられているのも、さらなる証拠となっている。1511年のパドヴァにあるティツィアーノのフレスコ画『新生児の奇蹟』 (Miracolo del neotato) に登場する中心人物の女性との非常な類似点もある。 当時、女性の肖像画の委嘱は稀なものであった。描かれている女性は、無地の灰色の背景の中で4分3の身体像で表されている。曲線的な身体は非常な写実性と正確さで描かれており、服の幅広の布地によって強調されている。彼女は非常に自然でゆったりとしたポーズをしており、身体はやや回転し、顔は鑑賞者を正面から見ている。 この肖像画を描いている間に、ティツィアーノはいくつかの重要な部分を修正して、構想を積極的に改変していった。当初、右情報部には開いた丸窓があり、女性の両腕はその両脇に下げられていた。同じ女性だと思われる肖像が欄干の高い部分にある大理石レリーフ (古代のカメオに触発されたもの) に見えるが、この欄干も変更されている。欄干の下の部分は本来のものだが、高い部分は後の変更になるもので、その下の布地が後の絵具の塗り重ねを通して、いまだに見える。 大理石レリーフの横顔肖像は、古典古代の貴族の淑徳を示すことによって明らかにモデルの女性を褒めたたえ、また史実にもとづく過去への広がりによって、彼女の名声の将来にわたる維持 (肖像画の社会的役割の1つ) を示唆している。さらに、このレリーフは当時の絵画と彫刻の優劣論争に関係している可能性もある。 絵画は欄干に「TV」と署名され、おそらく「Tiziano 」を表している。 この肖像画は、1942年にフランシス・クック卿(英語版)により父ハーバートを偲んで、芸術基金(英語版)を通して、ロンドンのナショナル・ギャラリーに寄贈された。目録番号NG5385で、今日もナショナル・ギャラリーのコレクションにある。 2009年10月から2020年1月まで、『ラ・スキアヴォーナ』はリーズのヘンリー・ムーア研究所 (Henry Moore Institute) に貸し出され、「絵画における彫刻 (Sculpture in Painting)」という展覧会に出品された。
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『ラ・スキアヴォーナ』、または『女性の肖像』は、イタリア盛期ルネサンスのヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオがまだ20代初めであった1510-1512年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。「ラ・スキアヴォーナ」とはダルマチア (1420-1797年までヴェネツィア共和国の領土) 出身の女性を意味しているが、17世紀に与えられた名称である。作品は、ナショナル・ギャラリー (ロンドン) に所蔵されている。
{{Infobox artwork |image_file=Titian - Portrait of a Lady ('La Schiavona') - Google Art Project.jpg |alt="Portrait of a Lady", a three-quarter portrait of a woman, standing in the lower left, wearing a purple-brown dress. She is rotund in form with a long round face, brown hair and brown eyes. She is looking directly at the viewer and smiling slightly. |image_size=350px |title=ラ・スキアヴォーナ |other_language_1=[[イタリア語]] |other_title_1=La Schiavona |other_language_2=[[英語]] |other_title_2=La Schiavona |artist=[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]] |year=1510–1512年<ref name="NG">{{cite web|title=Portrait of a Lady ('La Schiavona') |url=https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/titian-portrait-of-a-lady-la-schiavona |publisher=ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 公式サイト (英語)|accessdate=2023/11/08 }}</ref> |height_metric=119.4 |type=[[キャンバス]]上に[[油彩]] |width_metric=96.5 |city= |museum=[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)]] }} 『'''ラ・スキアヴォーナ'''』({{Lang-en-short|La Schiavona}}、{{Lang-en-short|La Schivona}})、または『'''女性の肖像'''』(じょせいのしょうぞう、{{Lang-en-short|Portrait of a Lady}})は、[[イタリア]]盛期[[ルネサンス]]の[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]がまだ20代初めであった1510-1512年ごろ<ref name="NG" />、[[キャンバス]]上に[[油彩]]で制作した絵画である。「ラ・スキアヴォーナ」とは[[ダルマチア]] (1420-1797年まで[[ヴェネツィア共和国]]の領土) 出身の女性を意味しているが、17世紀に与えられた名称である<ref name="NG" />。作品は、[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)]] に所蔵されている<ref name="NG" /><ref name="ReferenceDR">デーヴィッド・ローザンド 1978年、76項。</ref>。 == モデルの人物 == 絵画は17世紀初頭まで『ラ・スキアヴォーナ』と呼ばれていた。この名称は本作についての最初の文書である1640年の書簡に始まっている<ref name="ReferenceDR" />が、おそらく女性の服装と容貌を見て絵画に与えられたものである。実際には、彼女の服装はヴェネツィア共和国に支配されていた地域の富裕な女性の服装に合致しており、貴族階級の人物であったのであろう。女性が[[カテリーナ・コルナーロ]]であると同定しようとしてきた研究者もいるが、確証のない仮説である<ref name="NG" />。 以前、絵画は[[ジョルジョーネ]]に帰属されたが、今日ではティツィアーノの若い時期の傑作であると一致して認められている。ジョルジョーネの変調された甘美さはなく、それが拍動を感じさせる生気に取って代わられているのも、さらなる証拠となっている。1511年の[[パドヴァ]]にあるティツィアーノの[[フレスコ画]]『[[新生児の奇蹟]]』 ({{仮リンク|スクオーラ・デル・サント|en|Scuola del Santo}}、[[パドヴァ]]) に登場する中心人物 (画面右側) の女性との非常な類似点もある<ref name="NG" /><ref name="ReferenceDR" />。 == 作品 == [[ファイル:Tiziano,_The_Miracle_of_the_Newborn_Child.jpg |サムネイル|300x300ピクセル|ティツィアーノ『[[新生児の奇蹟]]』 ({{仮リンク|スクオーラ・デル・サント|en|Scuola del Santo}}、[[パドヴァ]]) ]] 当時、女性の肖像画の委嘱は稀なものであった<ref name="NG" />。描かれている女性は、無地の灰色の背景の中で4分3の身体像で表されている。曲線的な身体は非常な写実性と正確さで描かれており、服の幅広の布地によって強調されている。彼女は非常に自然でゆったりとしたポーズをしており、身体はやや回転し、顔は鑑賞者を正面から見ている。 この肖像画を描いている間に、ティツィアーノはいくつかの重要な部分を修正して、構想を積極的に改変していった<ref name="ReferenceDR" />。当初、右情報部には開いた丸窓があり、女性の両腕はその両脇に下げられていた<ref name="ReferenceDR" />。同じ女性だと思われる肖像が欄干の高い部分にある大理石[[レリーフ]] (古代の[[カメオ]]に触発されたもの<ref name="NG" />) に見えるが、この欄干も変更されている<ref name="ReferenceDR" />。欄干の下の部分は本来のものだが、高い部分は後の変更になるもので、その下の布地が後の絵具の塗り重ねを通して、いまだに見える。 大理石レリーフの横顔肖像は、古典古代の貴族の淑徳を示すことによって明らかにモデルの女性を褒めたたえ、また史実にもとづく過去への広がりによって、彼女の名声の将来にわたる維持 (肖像画の社会的役割の1つ) を示唆している<ref name="ReferenceDR" />。さらに、このレリーフは当時の絵画と彫刻の優劣論争に関係している可能性もある<ref name="NG" />。 絵画は欄干に「TV」と署名され、おそらく「Tiziano 」を表している<ref name="NG" />。 == 歴史 == この肖像画は、1942年に{{仮リンク|フランシス・クック卿|en|Sir Francis Cook, Bt}}により父{{仮リンク|ハーバート|en|Herbert Cook}}を偲んで、{{仮リンク|芸術基金|en|Art Fund}}を通して、ロンドンのナショナル・ギャラリーに寄贈された。目録番号NG5385で、今日もナショナル・ギャラリーのコレクションにある<ref name="NG" />。 2009年10月から2020年1月まで、『ラ・スキアヴォーナ』はリーズの[[ヘンリー・ムーア]]研究所 (Henry Moore Institute) に貸し出され、「絵画における彫刻 (Sculpture in Painting)」という展覧会に出品された<ref>{{Cite web |date=8 October 2009 |title=Sculpture in Painting |url=http://www.henry-moore.org/hmi/exhibitions/archive/2009/sculpture-in-painting |access-date=28 November 2012 |website=Institute exhibition |publisher=[[Henry Moore Foundation]] |archive-date=4 March 2016 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160304095307/http://www.henry-moore.org/hmi/exhibitions/archive/2009/sculpture-in-painting |url-status=dead}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * デーヴィッド・ローザンド 久保尋二訳『世界の巨匠シリーズ ティツィアーノ』、[[美術出版社]]、1978年刊行 ISBN 4-568-16046-4 * Francesco Valcanover, ''L'opera completa di Tiziano'', Rizzoli, Milano 1969. == 外部リンク == * [https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/titian-portrait-of-a-lady-la-schiavona ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 公式サイト、ティツィアーノ『ラ・スキアヴォーナ』 (英語)] * [[iarchive:gri_33125001303888/page/n463|Catalog nr. 536]] in Herbert Cook's collection catalog, 1913, on archive.org * [http://www.googleartproject.com/museums/nationalgallery/portrait-of-a-lady-la-schiavona-214 High definition image on Google art] {{ティツィアーノ・ヴェチェッリオ}} {{DEFAULTSORT:らすきあうおおな}} [[Category:女性の肖像画]] [[Category:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品]] [[Category:ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品]] [[Category:1510年代の絵画]]
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ルサンチマン (ロックバンド)
ルサンチマンは、日本のロックバンド。2018年7月5日、東京にて結成。 2018年、所属していた東京都立武蔵丘高校の軽音部がコピーバンド禁止であったため、曲を書かざるを得なかったことにより結成。クジラ夜の街は同じ高校の先輩バンドであり、Conton Candyは同じ高校の同級生バンドである。 2019年3月9日、Road to 下北ハイスクールロック音楽祭 2019 Round3 優秀賞受賞。 同年3月28日、Tokyo Music Rise 2019 SPRING スタジオマザーハウス大会 グランプリ受賞。 同年4月7日、JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 2019 春大会 第3位入賞。 同年7月7日、RO JACK SUMMER FINAL 2019 優勝。 同年7月21日、マイナビ未確認フェスティバル2019 3次審査ライブステージ 出場。 同年8月10日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019 出演。 同年8月15日、JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 夏大会 優秀賞受賞。 同年8月26日、Tokyo Music Rise 2019 Summer FINAL STAGE 出演。 2020年2月11日、NAKANO Fresh ROCK FES. 2020 予選グランプリ大会 グランプリ受賞。
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ルサンチマンは、日本のロックバンド。2018年7月5日、東京にて結成。
{{Infobox Musician | 名前 = ルサンチマン | 背景色 = band | 出生名 = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | ジャンル = [[オルタナティブ・ロック]] | 活動期間 = 2018年 - | レーベル = | 事務所 = | 公式サイト = https://rusantiman.com/ | Origin = {{JPN}} }} '''ルサンチマン'''は、日本のロックバンド。2018年7月5日、[[東京]]にて結成<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1279607479525994497?s=20 |url=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1279607479525994497?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 {{Infobox YouTube personality | name = ルサンチマン | channel_name = ルサンチマン | views = 約108万回 | channel_url = UCuJI9_C7yJvwKue3q-TIvaQ | years_active = [[2018年]] - | genre = [[音楽]] | subscribers = 約1.34万人 | stats_update = 2023年11月15日 }} == 来歴 == 2018年、所属していた[[東京都立武蔵丘高等学校|東京都立武蔵丘高校]]の軽音部がコピーバンド禁止であったため、曲を書かざるを得なかったことにより結成<ref>{{Cite web |title=【ルサンチマンインタビュー・前編】バンドの成り立ち、1月にリリースした3rdシングル「忘れそう」について |url=https://lp.p.pia.jp/article/news/262386/index.html |website=ぴあ |date=2023-02-17 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。[[クジラ夜の街]]は同じ高校の先輩バンドであり、[[Conton Candy]]は同じ高校の同級生バンドである<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1507524231310942209?s=20 |url=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1507524231310942209?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-10 |language=ja}}</ref>。 2019年3月9日、Road to 下北ハイスクールロック音楽祭 2019 Round3 優秀賞受賞<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1104260796312301568?s=20 |url=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1104260796312301568?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年3月28日、Tokyo Music Rise 2019 SPRING スタジオマザーハウス大会 グランプリ受賞<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1111247381499006978?s=20 |url=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1111247381499006978?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年4月7日、JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 2019 春大会 第3位入賞<ref>{{Cite web |title=2019年 春大会 |url=https://www.jyoji-rock.com/blank-3 |website=jyoji-rock |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年7月7日、RO JACK SUMMER FINAL 2019 優勝<ref>{{Cite web |title=RIJF2019のステージに立つRO JACK優勝アーティスト5組の発表の瞬間を観た-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/187566 |url=https://rockinon.com/news/detail/187566 |website=rockinon.com |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年7月21日、マイナビ[[未確認フェスティバル|未確認フェスティバル2019]] 3次審査ライブステージ 出場<ref>{{Cite web |title=マイナビ未確認フェスティバル2019 3次ライブ審査発表 |url=https://eggs.mu/music/project/mikakunin2019_3rd |website=Eggs|インディーズバンド音楽配信サイト |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年8月10日、[[ROCK IN JAPAN FESTIVAL|ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019]] 出演<ref>{{Cite web |title=ルサンチマン[RO JACK優勝アーティスト] - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019 ライブ写真&セットリスト|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム) |url=https://rockinon.com/quick/rijfes2019/detail/188344 |website=rockinon.com |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年8月15日、JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 夏大会 優秀賞受賞<ref>{{Cite web |title=2019年 夏大会 |url=https://www.jyoji-rock.com/u-16-2019 |website=jyoji-rock |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 同年8月26日、Tokyo Music Rise 2019 Summer FINAL STAGE 出演<ref>{{Cite web |title=Tokyo Music Rise 2019 Summer FINAL STAGE |url=https://u.livepocket.jp/zBCCR |website=LivePocket-Ticket- |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref>。 2020年2月11日、NAKANO Fresh ROCK FES. 2020 予選グランプリ大会 グランプリ受賞<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1227178120551124993?s=20 |url=https://twitter.com/rusantiman_band/status/1227178120551124993?s=20 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-15 |language=ja}}</ref>。 == メンバー == ; 北(ペイ) :[[ボーカル]]、[[ギター]]、作詞・作曲担当。[[2003年]][[1月10日]](20歳)。影響を受けたバンドは[[[Alexandros]|[Alexandros]]]、[[クリープハイプ]]、[[The dadadadys|teto]]<ref name=":0">{{Cite web |title=怒りをエネルギーにしながら幸福を願う ルサンチマンの目指す音楽 {{!}} CINRA |url=https://www.cinra.net/article/interview-202105-rusantiman |website=www.cinra.net |access-date=2023-11-14 |language=ja}}</ref>。 ; クーラーNAKANO :[[ギター]]担当。[[2003年]][[2月26日]](20歳)。中学3年生の時に[[ゲスの極み乙女]](旧ゲスの極み乙女。)のMVを見てギターを始め<ref name=":1">{{Cite web |title=ルサンチマン「memento」インタビュー|「孫が自慢できるロックスターに」高校を卒業したばかりの気鋭オルタナロックバンドが語る“メメント” - 音楽ナタリー 特集・インタビュー |url=https://natalie.mu/music/pp/rusantiman |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-14 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>、バンドを始めることを決意した<ref name=":0" />。 ;清水 :[[ベース (弦楽器)|ベース]]担当。[[2000年]][[7月2日]](23歳)。中学3年生の時に父親から勧められベースを始めた<ref name=":1" />。影響を受けたバンドは[[マキシマム ザ ホルモン]]、[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ|Red Hot Chili Peppers]]<ref name=":0" />。 ; もぎ :[[ドラムセット|ドラム]]担当。[[2002年]][[4月30日]](21歳)。「[[太鼓の達人]]」に熱中していた小学5年生の時に父親から勧められてドラムを始めた<ref name=":1" />。影響を受けたバンドは[[ONE OK ROCK]]、[[SEKAI NO OWARI]]、[[toe]]、[[mouse on the keys]]、[[LITE (バンド)|LITE]]<ref name=":0" />。 == ディスコグラフィー == === シングル === {| class="wikitable" |+ ! !発売日 !タイトル !収録曲 |- |1st |2021年9月24日 |'''『使えない頭、回して』''' | # 荻窪 # たとえ下手でも # not wrong(instrumental) |- |2nd |2022年3月28日 |'''『ギターを弾け 拙いコードで』''' | # 収束する未明 # いやいやいやいや # 不信心 |- |3rd |2023年1月15日 |'''『忘れそう』''' | # 忘れそう # 滅茶苦茶怒鳴られた # lares |} === Demo EP === {| class="wikitable" |+ ! !発売日 !タイトル !収録曲 |- |1st |2020年10月2日 |'''『風穴あける』''' | # 心配事 # かぜかぜふくな # 残り香、 # 大団円 |} === ミニアルバム === {| class="wikitable" |+ ! !発売日 !タイトル !収録曲 |- |1st |2021年3月31日 |'''『memento』''' | # ニヒリズム # 老いても # アンチドペル # だらしないうた # メメントモリ # ラル # 卒業(CDのみ収録) |} === フルアルバム === {| class="wikitable" |+ ! !発売日 !タイトル !収録曲 |- |1st |2023年10月25日 |'''『ひと声の化石 / rebury』''' |DISC 1「ひと声の化石」 # 十九 # なさけないうた # ぼくのつぶやき # 知りたい # 大団円 # だっせ # 六月某日 # どうしようもない # 俗生活の行方 # 荻窪 DISC 2「rebury」 # nihil # tsukiochi # lares # kazaana # I remind # sake # fossil # lazy # not wrong # ikki |} == イベント == === ワンマンライブ・主催イベント === {| class="wikitable" |+ !公演日 !公演名 !会場・共演者 |- |2021年4月25日 |'''ルサンチマン 1st mini album『memento』リリース記念ライブ''' |新代田FEVER w/ [[CAT ATE HOT DOGS]] |- |2021年6月19日 |'''ルサンチマン×鉄風東京 02 MAN LIVE''' |下北沢SHELTER w/ [[鉄風東京]] |- |2021年9月24日 |'''ルサンチマン×さよならポエジー 2MAN LIVE 『2021』''' |渋谷WWW w/ [[さよならポエジー]] |- |2022年2月18日 |'''ルサとクジラの視聴覚戦''' |渋谷WWW w/ [[クジラ夜の街]] |- |2022年3月17日 - 3月27日 |'''RUSANTI-MAN 1st DVD "ONE SHOT GAME" Release "ONE SHOT TOUR"''' |3/17(金) 名古屋CLUB ROCK'N'ROLL (ONEMAN) 3/23(木) 仙台 FLYNG SON w/ [[鉄風東京]] 3/27(月) 心斎橋 Live House Pangea w/ [[さよならポエジー]] |- |2022年3月28日 |'''2nd single「ギターを弾け 拙いコードで」Release ONE MAN LIVE''' |新代田FEVER |- |2022年4月1日 |'''ルサンチマン× anewhite ”2 Colors”''' |名古屋 新栄RAD SEVEN |- |2022年4月25日 |'''ルサとクジラの視聴覚戦2''' |渋谷CLUB QUATTRO w/ [[クジラ夜の街]] / [[Conton Candy]] |- |2022年5月12日 - 6月30日 |'''RUSANTI-MAN「ギターを弾け」ツアー''' |5/12(木) 宇都宮 HEAVEN’S ROCK VJ-4 w/ [[JIGDRESS]] / [[CAT ATE HOTDOGS]] 5/13(金) 水戸 LIGHT HOUSE w/ JIGDRESS / CAT ATE HOTDOGS 5/14(土) 千葉LOOK w/ [[プッシュプルポット]] 6/9(木) 渋谷WWWX w/ [[THE 2]] 6/24(金) 心斎橋 Pangea w/ [[Marie Louis]] / [[東京少年倶楽部]] / CAT ATE HOTDOGS 6/24(土) 静岡UMBER w/ CAT ATE HOTDOGS / [[3markets[]|3markets[]]] / [[21世記少年]] 6/30(木) 札幌PENNY LANE24 w/ [[KALMA]] |- |2022年7月8日 - 8月28日 |'''ルサとクジラの視聴覚戦''' |7/8(金) 仙台LIVE HOUSE enn 2nd w/ [[クジラ夜の街]] / [[鉄風東京]] 7/17(日) 川崎Serbian Night w/ クジラ夜の街 / [[ペルシカリア (バンド)|ペルシカリア]] 8/10(水) HEAVEN'S ROCK さいたま新都心 VJ-3 w/ クジラ夜の街 / [[3markets[]|3markets[]]] 8/28(日) 千葉LOOK w/ クジラ夜の街 / [[なきごと]] |- |2022年8月6日 |'''ATFIELD presents "SOUL CLIQUE"''' |F.A.D. Yokohama w/ [[ATATA]] / [[bacho]] |- |2022年8月30日 |'''RUSANTI-MAN Floor Oneman Live "ONE SHOT GAME"''' |新宿Marble → 吉祥寺ROCK JOINT GB(会場変更) |- |2022年10月24日 - 10月29日 |'''RUSANTI-MAN presents「TWO SHOT」''' |10/24(月) 新代田FEVER w/[[崎山蒼志]] 10/29(土) 名古屋CLUB ROCK'N'ROLL w/ [[mudy on the 昨晩]] |- |2023年1月15日 - 1月29日 |'''3rdシングル『忘れそう』リリース記念 ”Three Count" tour''' |※ワンマンツアー<br />1/15(日) 心斎橋 Live House Pangea<br />1/29(日) 渋谷 Spotify O-Crest |- |2023年6月15日 |'''RUSANTI-MAN presents TWO SHOT "TIGHT"''' |新代田FEVER w/ [[CRYAMY]] |- |2023年8月11日 |'''RUSANTI-MAN presents TWO SHOT "STRAIN"''' |渋谷O-Crest w/ [[時速36km]] |- |2023年9月6日 - 9月25日 |'''ATFIELD presents "ハリケーンツアー"''' |9/6(水) 町田CLASSIX w/ [[the dadadadys]]<br />9/24(日) 京都Live house nano w/ [[鉄風東京]]<br />9/25(月) 静岡UMBER w/ 鉄風東京 / [[Blue Mash]] |- |2023年10月10日 - 10月11日 |'''Pei Presents "STARIN TOUR"'''<br />(※北による弾き語り) |10/10(火) 心斎橋iiie w/ 仲川慎之介([[時速36km]]) / ひこ([[CAT ATE HOTDOGS]])<br />10/11(水) 名古屋 新栄sunset BLUE w/ 仲川慎之介(時速36km) / オサキアユ([[さよならポエジー]]) 北畑欽也([[bacho]]) |- |2023年11月10日 - 12月9日 |'''RUSANTI-MAN 1st Full Album『ひと声の化石 / rebury』Release 「ひと声ツアー」''' |※ワンマンツアー<br />11/10(金) 千葉LOOK<br />11/11(土) 吉祥寺WARP<br />11/12(日) 仙台FLYING SON<br />11/17(金) 福岡OP`s<br />11/18(土) 札幌カウンターアクション<br />11/22(水) 名古屋UPSET<br />12/3(日) 心斎橋BRONZE<br />12/9(土) 下北沢ADRIFT |} === 出演イベント === ==== 2019年 ==== * 2月17日 - Suginami Next Sounds with ナカフレ予選大会 * 2月20日 - 「ニッパーナイト」 * 3月9日 - Road to 下北ハイスクール音楽祭2019 Round3 * 3月26日 - ジョージロック2019春大会 * 3月27日 - 下北ハイスクール音楽祭2019 * 3月28日 - Tokyo Music Rise 2019 spring マザーハウス大会 * 4月7日 - JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 2019 春大会 * 5月2日 - 「FAM」 * 6月16日 - マッシュとアネモネ 1st mini album『羊の飼い方』リリースパーティ * 7月7日 - RO JACK SUMMER FINAL 2019 * 7月16日 - 下北沢DaisyBar presents「WONDER FANCLUB」 * 7月21日 - [[未確認フェスティバル|未確認フェスティバル2019]] * 8月7日 - 中野ハイスクールバンド交流会 with TMR * 8月10日 - [[ROCK IN JAPAN FESTIVAL|ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019]] * 8月13日 - 「十代の調べ vol.2」 * 8月15日 - JYOJI-ROCK U22 GRAND PRIX 夏大会 * 8月22日 - 下北ハイスクール音楽祭 2019 夏 supported by BIG UP! * 8月26日 - Tokyo Music Rise 2019 Summer FINAL STAGE * 9月9日 - lyric jack pre. “青とロックと来武祭 ~新宿遷都編~” * 9月14日 - [[TOKYO CALLING|TOKYO CALLING 2019]] * 9月17日 - TOKYO CALLING 2019 後夜祭 "BUONO! BUONO!" * 9月22日 - ITAMI GREENJAM'19 * 9月25日 - "TRANS LUCENT LADYとThe Shiawaseの相席ツアーファイナル" * 10月21日 - 「JEALOUS」 * 11月2日 - SHIMOKITAZAWA KNOCK OUT FES 2019 AUTUMN * 11月8日 - ShibuyaMilkyway presents「Way of Life Vol.11」 * 12月7日 - [[下北沢にて|下北沢にて '19]] * 12月20日 - [[南無阿部陀仏]]<nowiki/>presents 「Let's go to 極楽浄土Vol.3」 * 12月27日 - YOUTH! YOUTH! -2019 WINTER SPECIAL- * 12月30日 - MOSAiC presents COUNTDOWN MOSAiC 2019→2020 ==== 2020年 ==== * 1月5日 - 「New Age 20」 * 1月6日 - ナカフレ1次ライブ予選会 with Yummy Music Jamboree * 1月13日 - MOSAiC presents「City Lights vol.45」-ブッカー佐々木 生誕企画 特別編- * 2月10日 - 「喧嘩」 * 2月11日 - NAKANO Fresh ROCK FES. 2020 予選グランプリ大会 * 2月23日 - 「ゆつばバーン!」 * 7月25日 - 「イージューライダー」 * 8月3日 - 「New Age Streaming」 * 8月17日 - Lyric Jack 1st e.pレコ発 “妄想だけで幸福に” * 9月22日 - NIPPON CALLING 2020 * 10月21日 - Live Eggs ~新宿LOFT編vol.1~ かたこと×ルサンチマン×the paddles リリース記念アウトストアライブ * 11月2日 - 「New Age Meeting」 * 11月10日 - STAND UP MARBLE×YOUTH!YOUTH! pre.「STAND UP YOUTH!」 * 11月18日 - かたこと 1st mini album「UNITS」release tour『待ちぼうけていられないから君に会いに行くTOUR 2020』 ==== 2021年 ==== * 1月22日 - 「KEEP ON! VOL.4」 * 2月12日 - 「FLY-DAY NIGHT FEVER」 * 3月6日 - [[見放題|見放題東京 2021]] * 3月12日 - "whoever" 〜the paddles レコ発〜 * 3月29日 - 「Eggs×東放学園presents ライブの裏側全て配信で魅せます」 * 4月2日 - 「Hungry × Hungry」 * 4月21日 - 「沸点三十六度」 * 5月3日 - 新宿Marble 17th ANNIVERSARY「ROCKNOMUKOUGAWA2021」 * 5月10日 - 「菅沼 慶/川上 朔 pre. ~快速急行海岸行き~」 * 6月12日 - TSM学園祭2021 あらゆる壁を乗り越えよう!~TSMで革命を~ * 7月3日 - [[見放題|見放題大阪 2021]] * 7月12日 - CAT ATE HOTDOGS 1st Single『ハローグッバイ、サニーデイ』 Release Tour 「たいようサンサン!こんにちワンワン!ツアー!」 * 7月22日 - BAND WAGON 2021 * 8月6日 - 「KEEP ON! VOL.10」 * 9月2日 - “Hand down” - SHELTER 30th Anniversary Kick Off GIG - * 9月19日 - [[TOKYO CALLING|TOKYO CALLING 2021]] * 10月9日 - [[MINAMI WHEEL|FM802 MINAMI WHEEL 2021]] * 10月17日 - the paddles TOUR 2021 “余白を埋める” * 10月22日 - バイリンジボーイ pre.「はんげきのあいず」 * 10月23日 - [[Apes]] × Liz is Mine. pre.「LiveAL」 * 10月24日・11月13日・14日 - ニアフレンズpre 『GO TO HELL』ツアー * 11月2日 - 「ROCKNOMUKOUGAWA2021」-DANCE WITH GOOD LUCK- * 11月7日 - 「HOW TO GO 4」 * 11月11日 - [[Organic Call]]「Reunion Tour 2021 」 * 11月15日 - [[東放学園音響専門学校]]主催配信ライブ "Now or Never" * 11月25日 - Bye-Bye Handの方程式 pre. 「⽉刊 『純粋無敵』 〜都内で着飾る〜11⽉号」 * 12月4日 - [[下北沢にて|下北沢にて '21]] * 12月5日 - BAND WAGON 2021 * 12月11日 - 「まほろば vol.2」 * 12月18日 - CLUB CRAWL pre.「CCC」 * 12月26日 - レイラ presents「いとしの令和2021」 ==== 2022年 ==== * 1月7日 - 「来武祭番外編5.0」 * 1月18日 - CAT ATE HOTDOGS 2nd Single『timelimit.』Release Tour “Chitty Chitty Bang Bang Band” Tour * 2月6日 - でらROCK FESTIVAL 2022 * 2月13日 - 「邂逅」 * 2月24日 - 「cross country」 * 2月25日 - 「Lares」 * 2月26日 - Midnight 90's release party「宇宙船で逢えたら」 * 3月5日 - [[見放題|見放題東京 2022]] * 3月10日- [[Blue Mash]] × 寝屋川VINTAGE 『この街を出て-本拠地編-』 * 3月20日 - ofulover pre.『March of lover 2022-マチラバー-』 * 3月27日 - IMAIKE GO NOW * 3月29日 - ひとひらpresents「誰かの記憶に」-1st mini album「Seasons of Someday」release party- * 3月31日 - たいへーpresents 福音革命 * 4月2日 - 「POINT」 * 4月13日 - 「PAGE vol.3」 * 5月1日 - GOLD RUSH 2022 * 5月3日・6日 - 「生活と音楽×ジュウ 」〜2022 東名阪ツアー〜 * 5月5日 - [[ペルシカリア (バンド)|ペルシカリア]]「青すぎる青春をこの街で賭けて Tour 東京編」 * 5月19日 - chef's pre.『東京晩餐会 * 5月21日・22日 - [[MiMiNOKOROCK FES JAPAN|MiMiNOKOROCK FES JAPAN in KICHIJOJi 2022]] * 5月28日・29日 - [[鉄風東京]]「遥か鳥は大空を征く Tour 2022」 * 6月4日 - アメノイロ。new mini album「続く生活、準えて」Release Tour「君の居る街ツアー」 * 6月5日 - 「KAIHOU」 * 6月19日 - [[Organic Call]] × アメノイロ。Split tour "アメオガコのハイウェイ遊覧船ツアー 2022" * 7月2日 - [[見放題|見放題大阪 2022]] * 7月3日 - 「ムロフェス vs 後夜祭」 * 7月16日 - [[FREEDOM NAGOYA|FREEDOM NAGOYA 2022 -FOR OUR LIVE HOUSES-]] * 7月18日 - [[Apes]] × Liz is mine. presents「LiveAL vs ungulates」 * 7月23日 - [[MURO FESTIVAL|MURO FESTIVAL 2022]] * 7月24日 - Maki・[[moon drop]]・[[カネヨリマサル]] presents "Boys&Girls 2022" * 7月25日 - [[JIGDRESS]] 3rd EP Release Tour「outsider fanclub」 * 8月1日 - 「Summer of Youth 2022」 * 8月3日 - ミイpre.「ミイティング 番外編 ~始動1周年特別企画~」 * 8月12日 - 下北沢DaisyBar pre. 「凝固点」(北弾き語り) * 8月14日 - [[Conton Candy]]「angel tour」大阪編 * 8月20日 - molly夏の東名阪ツアー『夢見た生活は炭酸のよう』 * 8月22日 - [[ケプラ]] presents『デイズ オブ ユース』 * 8月23日 - ESAKA MUSE pre. 「蒼天井2022」 * 8月24日 - 「延長線上 vol.2」 * 8月31日 - 20th ANNIVERSARY RADIO BERRY ベリテンライブ 2022 * 9月4日 - "東京万博 2022" Day2 * 9月10日 - A Day in The Life  presents せだい 1st Album “Delirium” Release Tour 2022 "Wandering" * 9月16日 - Mr.Seaside Release Party「歩くような速さで」 * 9月18日 - [[TOKYO CALLING|TOKYO CALLING 2022]] * 9月25日 - 明くる夜の羊 1st album "juvenile" release tour「あの日の僕らへ」 * 10月1日 - Hearts+ presents 「秋のYOIMACHI」 * 10月7日 - [[鉄風東京]]×ルサンチマン ゲリラツーマンライブ「DIVIDE POWER」 * 10月8日 - SUPER ROCK CITY HIROSHIMA 2022 DX * 10月9日 - [[MINAMI WHEEL|FM802 MINAMI WHEEL 2022]] * 10月16日 - TRUST RECORDS & TONIGHT RECORDS & D.T.O.30. presents. -TRUST NIGHT DELUXE 2022- * 10月17日 - NULLFES vol.10 * 11月3日 - 日芸ROCKS2022 [[TENDOUJI]]×ルサンチマン * 11月4日 - [[多摩美術大学]]芸術祭in八王子「変_」(へんぼう) * 11月6日 - 新潟市古町地区4会場サーキットイベント "風のリズム2022" * 11月15日 - [[Blue Mash]] 2nd EP 『学生街より e.p.』「学生街より、生き急げツアー」大阪編 * 11月17日 - 大阪福島 LIVE SQUAERE 2nd LINE O-Crest presents ”祝 セカンドライン 20周年” * 11月18日 - SPRINGBOARD FESTIVAL 2022 * 11月19日 - ハイスクールジャムロック -Culture Festival- 2022 * 11月19日 - [[Organic Call]] pre『東京日輪音楽祭』 * 11月20日 - [[Blue Mash]] 2nd EP 『学生街より e.p.』「学生街より、生き急げツアー」東京編 * 11月27日 - [[MiMiNOKOROCK FES JAPAN|MiMiNOKOROCK]] special edition 2022 * 12月3日 - [[下北沢にて|下北沢にて '22]] * 12月8日 - [[鉄風東京]]<nowiki/>pre. 『BORN TOUR』 * 12月17日 - UMBER presents Liz is Mine. "Going to meet you Tour" × STORMIEST 1st LABEL TOUR[中部編] * 12月18日 - MOTHER 1st album release party「揺りかごから墓場まで」 * 12月27日 - ATFIELD presents「Fiesta」 * 12月29日 - ロッキン・ライフ vol.6 *12月30日 - O-Crest YEAR END PARTY 2022 Special 5DAYS! ==== 2023年 ==== * 2月4日 - BAYCAMP 202302 * 2月5日 - でらROCK FESTIVAL 2023 * 2月9日 - 「POINT」 * 2月16日 - togaru presents "GUITAR vol.2" * 2月17日 - 尚美ミュージックカレッジ学生企画"Bring it on !!!" * 2月18日 - 『ネットウオンセン ~ファンダンゴの湯~』 * 2月19日 - 「友達以上、恋人未満」(北弾き語り) * 2月22日 - 「ONE ON ONE-NEXT-」 * 2月23日 - [[尚美学園大学]] 卒業制作公演 "jisyuseisaku" * 2月24日 - FLAGS Limited Edition * 3月3日 - [[プッシュプルポット]] 2nd mini album『鼓動』release tour 2023 * 3月4日 - [[見放題|見放題東京2023]] * 3月12日 - 「記憶の花束」 * 3月13日 - たいへーpresents 福音革命 vol.2 * 3月18日 - ヤングタイガー2023 〜浜大津トラの穴編〜 * 3月21日 - RADIO BERRY haruberrylive “CIRCUIT” 2023 * 4月2日 - 新宿Marble「rocknomukougawa2023」 * 4月14日 - [[ケプラ]] presents 「チャップリンツアー」 * 4月15日 - Chase pre. Chazawa Street 2023 * 4月21日 - ザ・シスターズハイ "俺は病気じゃないtour2023" * 4月23日 - CONNECT歌舞伎町2023 Move to New Order * 4月24日 - [[KAKASHI]]配信Single「られる/やめろよ」Release tour 大阪編「シャイニングウィザード」 * 4月29日 - [[ペルシカリア]]「鳴らせtour 2023」 * 5月3日 - [[OTODAMA 音泉魂|OTODAMA'23 音泉魂]] * 5月7日 - [[35.7]] presents「ラブレター宅配日 vol.02」 * 5月11日 - Marble 19th ANNIVERSARY「rocknomukougawa2023」 * 5月13日 - [[anewhite]] "What's new? tour" * 5月16日 - トンボコープpre.『Now is the best!!!』 * 5月21日 - [[鉄風東京]] presents FLYING SON FES 2023 * 5月22日 - DaisyBar pre.『indie indie indie』 * 5月27日 - THISTIME RECORDS 20th Anniversary "New Buddy!" * 5月31日 - [[CAT ATE HOTDOGS]] pre.「犬以上、猫未満。」 * 6月3日 - ツタロックDIG LIVE Vol.11-OSAKA- * 6月4日 - [[SAKAE SP-RING|SAKAE SP-RING 2023]] * 6月5日 - AFTER SP-RING 2023 * 6月18日 - pavilion 1st Full Album 『Moonsault』release party "SAULT! SAULT! SAULT!" * 6月25日 - アダム&弁天ランド presents 「週末パラレルピュアパレードツアー!」 * 6月29日 - SUPER DEATH×SALT MONEY ジャパンツアー * 6月30日 - [[京都大作戦|京都大作戦2023]] 前夜祭 * 7月1日 - [[見放題|見放題2023]] * 7月3日 - THE SUN ALSO RISES vol.205 * 7月20日・21日 - [[JIGDRESS]] new single release tour "報復宣言" * 7月23日 - [[MURO FESTIVAL|MURO FESTIVAL 2023]] * 7月31日 - 「ONE SHOT」 * 8月13日 - [[TREASURE05X|TREASURE05X 2023]] * 8月18日 - 「破竹の勢」 * 8月19日 - Live House Pangea presents「新世界FESTIVAL2023」 * 8月20日 - [[板歯目]]2023 夏全国TOUR “NO MORE!!!脳TOUR” * 8月22日 - BONE WEEK WONDER’23 * 8月24日 - SOUND SHOCK TOKYO 2023 * 8月28日 - Link up!!! festival vol.1 2023 * 8月30日 - RADIO BERRY ベリテンライブ 2023 * 9月5日 - melts vol.3 supported by ローチケ×SPACE ODD * 9月9日 - くさのねフェスティバル2023 * 9月12日 - 「まほろばvol.12」(北弾き語り) * 9月17日 - [[TOKYO CALLING|TOKYO CALLING 2023]] * 9月23日 - 福山城下音楽祭 -JOKAFES'23- * 9月28日 - KT Zepp Yokohama Beat LAB Vol.1 * 10月1日 - [[MEGA☆ROCKS|MEGA☆ROCKS 2023]] * 10月3日 - oaiko pre.「すすむ」 * 10月7日 - SUPER ROCK CITY HIROSHIMA 2023DX * 10月8日 - [[MINAMI WHEEL|FM802 MINAMI WHEEL 2023]] * 10月18日 - DaisyBar pre. 「 CUE 」(北弾き語り) * 10月21日 - [[ペルシカリア (バンド)|ペルシカリア]] pre.「Break Point tour 2023」 * 10月27日 - [[猫背のネイビーセゾン]] presents.『えんぴつけずり、かしてぇ〜や!』 * 10月29日 - FLAGS 2023 * 11月5日 - 新潟市古町地区3会場サーキットイベント「風のリズム」 * 12月18日 - [[JIGDRESS]] pre. 「after feedback」 ==== 2024年 ==== * 1月4日 - [[Apes]] pre. "circus loom festival 2024" * 1月7日 - Sound Stream sakura「謹賀新年 sakura咲く 2024迎春」 * 1月12日 - bazoo presents FUN PLACE Vol.4 * 1月19日 - PLAYLIST presents「ヘッドフォンを外してvol.6」 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:るさんちまん}} [[Category:2018年に結成した音楽グループ]] [[Category:4人組の音楽グループ]]
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北広島市立大曲中学校
北広島市立大曲中学校(きたひろしましりつ おおまがりちゅうがっこう)は、北海道北広島市大曲にある公立中学校。 出典: 出典: 主な施設を掲載。 北広島市立大曲小学校と北広島市立大曲東小学校の学区。 出典:
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "北広島市立大曲中学校(きたひろしましりつ おおまがりちゅうがっこう)は、北海道北広島市大曲にある公立中学校。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "出典:", "title": "教育目標" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "出典:", "title": "部活動" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "主な施設を掲載。", "title": "施設概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "北広島市立大曲小学校と北広島市立大曲東小学校の学区。", "title": "学区" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "出典:", "title": "進学前小学校" } ]
北広島市立大曲中学校は、北海道北広島市大曲にある公立中学校。
{{Infobox 日本の学校 |校名 = 北広島市立大曲中学校 |画像 = Kitahiroshima City Omagari Junior High School.JPG |画像説明 = 校門前(2015年5月) |過去校名 = 広島村立西部中学校大曲分校<br >広島村立大曲中学校<br >広島町立大曲中学校 |国公私立 = [[公立学校]] |設置者 = 広島村(1947年 - 1968年)<br >広島町(1968年 - 1996年)<br >[[北広島市]](1996年 - ) |併合学校 = |校訓 = |設立年月日 = [[1947年]][[5月31日]] |記念日名称 = |創立記念日 = |閉校年月日 = |共学・別学 = [[男女共学]] |本校 = 広島村立西部中学校(1960年独立)<br >1947年 - 1960年 |分校 = |学期 = [[3学期制]] |中学校コード = 010349 |校地面積 = 34,037 m{{sup|2}}<ref name="edu2023" /> |校舎面積 = 5,364 m{{sup|2}}<ref name="edu2023" /> |郵便番号 = 061-1271 |所在地 = 北海道北広島市大曲中央2丁目4番地1 |緯度度 = 42 |緯度分 = 58 |緯度秒 = 17.8 |経度度 = 141 |経度分 = 28 |経度秒 = 44.8 |公式サイト = [https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/ 公式サイト] }} '''北広島市立大曲中学校'''(きたひろしましりつ おおまがりちゅうがっこう)は、[[北海道]][[北広島市]]大曲にある[[公立中学校]]。 == 沿革 == * [[1947年]]([[昭和]]22年)[[5月31日]] - [[北広島市立西部中学校|広島村立西部中学校]]大曲分校として、[[北広島市立大曲小学校|大曲小学校]]に併設する形で'''開校'''<ref name="沿革(~平成14年度)">{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/detail/00122346.html |title=沿革(~平成14年度) |publisher=北広島市 |accessdate=2023-11-8 |website=北広島市立大曲中学校}}</ref>{{Sfn|広島村|1960|p=473}}。 * [[1960年]](昭和35年)[[4月1日]] - 本校から独立し、「広島村立大曲中学校」に'''改称'''<ref name="沿革(~平成14年度)" />{{Sfn|広島村|1960|p=473}}。 * [[1961年]](昭和36年)[[8月20日]] - 新校舎を落成<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1966年]](昭和41年)4月1日 - 併設していた大曲小学校が分離<ref name="学校沿革史">{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagaris/detail/00122697.html |title=学校沿革史 |publisher=北広島市 |accessdate=2023-11-8 |website=北広島市立大曲小学校}}</ref>。 * [[1968年]](昭和43年) ** 4月1日 - 校歌(作詞:横山嘯風、作曲:[[谷本一之]]<ref>{{Cite web |url=http://www.school.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/SchoolSong.html |title=校歌 |access-date=2023-11-8 |publisher=北広島市 |website=北広島市立大曲小学校 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100509062748/http://www.school.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/SchoolSong.html |archive-date=2010-5-9}}</ref>)を制定<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 ** [[9月1日]] - 町制施行に伴い、「広島町立大曲中学校」に'''改称'''<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1969年]](昭和44年)[[10月12日]] - 体育館を落成<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1971年]](昭和46年)[[12月10日]] - 新校舎を落成<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1972年]](昭和47年)[[1月30日]] - 校旗を制定<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1979年]](昭和54年)[[5月10日]] - 校舎を増築<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1980年]](昭和55年)[[9月10日]] - 観察池を設置<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1985年]](昭和60年)[[3月31日]] - 校舎を増築<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1987年]](昭和62年) - 体育館を落成<ref name="edu2023" />。 * [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月12日]] - 校舎を増築<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1991年]](平成3年)[[8月31日]] - 校舎を大規模改修<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1996年]](平成8年) ** [[8月20日]] - テニスコートを設置<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 ** 9月1日 - 市制施行に伴い、「北広島市立大曲中学校」に'''改称'''。 * [[1997年]](平成9年) ** [[8月9日]] - 開校50周年記念として、泉(学校庭)を設置<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 ** 8月20日 - [[全国中学校水泳競技大会]]に出場<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[1999年]](平成11年)8月20日 - [[全国中学校ソフトテニス大会]]に出場<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 * [[2002年]](平成14年)[[6月5日]] - 給食を開始<ref name="沿革(~平成14年度)" />。 == 教育目標 == {{Quotation|ともに学び 伝えあい 高めあう生徒の育成}} * 自ら考え行動する生徒 * ともに学び高め合う生徒 * 豊かな感性を培う生徒 * 健やかな心身を育む生徒 '''出典''':<ref name="大曲中学校の概要">{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/detail/00122302.html |title=大曲中学校の概要 |publisher=北広島市 |accessdate=2023-11-8 |website=北広島市立大曲中学校}}</ref> == 部活動 == === 運動部 === * 野球部 * サッカー部 * 陸上部 * ソフトテニス部 * バスケットボール部 * バレーボール部(女子) * バドミントン部 * 卓球部 * 剣道部 === 文化部 === * 吹奏楽部 * 美術部 * 放送部 * 科学部 '''出典''':<ref>{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/detail/00141856.html |title=部活動の目標 |access-date=2023-11-8 |publisher=北広島市 |website=北広島市立大曲中学校}}</ref> == 施設概要 == 主な施設を掲載<ref name="edu2023">{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/hotnews/files/00011800/00011812/20230526184100.pdf |title=きたひろしまの教育 令和5年度 - 学校教育 |access-date=2023-11-8 |publisher=北広島市教育委員会 |page=50 |date=2023-6}}</ref>。 * 校舎(5,364 m{{Sup|2}}) - 鉄筋コンクリート造 * 体育館(1,249 m{{Sup|2}}) - 鉄骨造平屋建て * テニスコート * 校庭(15,195 m{{Sup|2}}) == 学区 == [[北広島市立大曲小学校]]と[[北広島市立大曲東小学校]]の学区<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00148912.html |title=小・中学校一覧(通学区域) |access-date=2023-11-8 |publisher=北広島市教育委員会}}</ref>。 == 進学前小学校 == * 北広島市立大曲小学校(北広島市大曲柏葉) * 北広島市立大曲東小学校(北広島市大曲光) '''出典''':<ref name=":0" /> == アクセス == === バス === * [[北海道中央バス]]([[北海道中央バス大曲営業所|大曲営業所]]・[[北海道中央バス千歳営業所|千歳営業所]])、[[ジェイ・アール北海道バス]]([[空知線 (ジェイ・アール北海道バス)|空知線]])「大曲」バス停から徒歩で約1分 == 周辺 == * 石狩大曲簡易郵便局 * 大曲会館 * [[三井アウトレットパーク 札幌北広島]] == 脚注 == === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |title=広島村史 |date=1960-9-30 |publisher=広島村役場 |author=広島村 |ref={{SfnRef|広島村|1960}} |doi=10.11501/2992369}} == 関連項目 == * [[北海道中学校一覧]] * [[北広島市立大曲小学校]] - 元併設校 == 外部リンク == * [https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/oomagarit/ 北広島市立大曲中学校] {{school-stub}} {{DEFAULTSORT:きたひろしましりつおおまかりちゆう}} [[Category:北海道の公立中学校]] [[Category:北広島市の中学校|おおまかり]] [[Category:学校記事]]
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クトノ - ピワ線
クトノ - ピワ線 (ポーランド語: Linia kolejowe Kutno–Piła) はポーランド共和国ウッチ県クトノとヴィエルコポルスカ県ピワを結ぶ複線の幹線鉄道である。中間経由地はトルン、ビドゴシュチで、ピワ - 旧ロシア・ドイツ国境区間はかつてプロイセン東部鉄道の管轄区間であった。 列車がクトノ駅を出発すると、まずアゾリ駅近くの分岐点でブロドニツァ方面の鉄道が分岐する。この複線で電化された路線はまもなくワルシャワ - フランクフルト線から離れて北西の方へ伸びる。オストロヴィ駅はかつて狭軌のオストロヴィ - オゾルクーフ線と連結された。起点から次の遠距離列車停車駅であるヴロツワヴェク駅は、現在廃止された狭軌のヴウォツワヴェク - プシストロニェ線と連結された。この路線はその駅から北西の方へ伸びてニェシャヴァ=ヴァガニェツ駅に至る。その駅はニェシャヴァ町の中心部から北西の方に位置して、かつてグミナ・ドブレ方面の狭軌鉄道と連結された。この路線は北西の方へ伸びてアレクサンドルーフ・クヤフスキー駅の寸前に、現在旅客列車が通行しないアレクサンドルーフ・クヤフスキー - ツィエホツィネック線と接続する。 列車はかつてのロシア・ドイツ国境を通過してトルン中央駅へ向かう。トルン中央駅でこの路線はポズナン - トルン線およびトルン - チェルニャホフスク線と互いに接続する。列車はトルン中央駅を出発し西の方へ向かいソレッツ・クヤフスキー駅を通過してビドゴシュチ市に進入する。ブロドニツァ - ビドゴシュチ線がビドゴシュチ東駅の寸前にこの路線と合流して、ノヴァー・ヴィシュ・ヴィエルカ - グディニャ線が東駅の西端でこの路線と合流する。この路線はレシュナ駅までグディニャ方面の路線と並行する。石炭幹線鉄道 (ポーランド語: Magistrala węgglowa) の一部で過去グダニスク方面の東部鉄道本線の一部であったホジューフ - トチェフ線がこの路線に合流すると、列車はビドゴシュチュ中央駅に到着する。 ブルダ川鉄道橋の向こうにブロンベルク郡鉄道(ドイツ語: Bromberger Kreisbahn)の出発駅が過去にあって、狭軌線路はコロノヴォ方面に伸びた。列車は西の方へ走行してナクウォ(ノテツ)駅に到着する。その駅でオレシュニツァ - ホイニツェ線が交差して、カスプロヴォ方面の狭軌線は駅前からブロンベルク郡鉄道の一部として北の方へ伸びた。この路線は西の方へ続いて、ウィジスク中心地から数キロメートル離れているウィジスク・オシエク駅に至る。ビアウォシリヴィエ駅には保存鉄道として運営される、狭軌のビアウォシリヴィエ - ヴィトスワーフ線が分岐する。列車がピワ中央駅に到着する寸前にピワ - ポズナン線、トチェフ - コストシン線、ピワ - ブゾヴォ・ゴライ線がこの路線に合流する。ピワ中央駅でピワ - ウストカ線とピワ - ウリコヴォ線が共に分岐して、ベルリン方面にトチェフ - コストシン線が東部鉄道本線として続いて伸びる。 1849年11月5日東部鉄道管理局(ドイツ語: Königliche Direction der Ostbahn)はブロンベルク(現在ビドゴシュチ)で設立された。1851年7月27日にプロイセン東部鉄道はシュナイデミュール(現在ピワ)- ブロンベルク区間をルーガツ(現在クシジュ) - シュナイデミュール区間と共に開通した。1852年8月に本線はダンチヒまで延長されて、ベルリン - ダンチヒ間の列車通行はとりあえず可能となった。当時ベルリン方面の直通運転がまだできなくて、シュテッティンの迂回経路を取ることが必要であった。1857年12月にルーガツ - キュストリン(現在コストシン)区間およびかつてのキュストリン - フランクフルト線が開通されて、ベルリン方面の路線が大いに短縮された。 1861年10月24日ブロンベルク - トルン間が開通されて、1862年12月4日にアレクサンドルーフ・クヤフスキーの国境線まで延長された。同じ日にワルシャワ=ウィーン鉄道 (ポーランド語: Kolej Warszawsko-Wiedenska) はクトノからプロイセン=ロシア国境線まで単線の分岐線を完成した。 1879年王立プロイセン鉄道の組織改編によりアレクサンドル間はブロンベルク管理局に属することとなった。1888年と1889年にかけて二番目の線路はブロンベルク - シュナイデミュール間に備えられた。1910年にはブロンベルク - トルン間が複線化された。1914年当時に北急行列車はこの路線を経由して、この路線がワルシャワとベルリンの区間で最も短い経路であった。一方、ワルシャワ=ウィーン鉄道の区間は1912年12月19日に制定された法律により国有鉄道に属することとなった。 第一次世界大戦の終戦後、ドイツ=ポーランドの国境線がベルサイユ条約により確定されて、この路線の場合、境界はカジョリ - シュナイデミュール間にあった。既存のロシア鉄道区間およびポーランドに帰属したプロイセン鉄道区間はポーランド国営鉄道 (ポーランド語: Polskie Koleje Państowowe, PKP) により引き受けられた。1937年にクトノ - トルン間は複線で改修された。ナチス・ドイツがポーランドを占領した間に、新線がビドゴシュチ東駅と中央駅の間に建設された。 第二次世界大戦の終戦後、この路線は完全にポーランドに帰属した。ビドゴシュチ市内の旧線区間は1964年に廃止された。1972年7月3日に鉄道事故がジエロンツィン駅とシュレシン駅の間に発生して、12人が死亡し26人が負傷を負った。 1980年8月19日に貨物列車と旅客列車の衝突事故がオトウォツィン村の付近で発生して、直接的な原因は貨物列車が安全側線から、停止信号にもかかわらず、反対方向の線路に進入したことである。この事故で67人が死亡し62人が負傷を負った。1984年7月20日トルン - ビドゴシュチ間の電車線設置が完了して、1985年5月31日にはアレクサンドルーフ・クヤフスキー - トルン間で、同年12月21日にはクトノ - アレクサンドルーフ・クヤフスキー間で電気運転がそれぞれ実現された。最終電化改修は1989年12月23日ビドゴシュチ - ピワ間で完了した。
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クトノ - ピワ線 はポーランド共和国ウッチ県クトノとヴィエルコポルスカ県ピワを結ぶ複線の幹線鉄道である。中間経由地はトルン、ビドゴシュチで、ピワ - 旧ロシア・ドイツ国境区間はかつてプロイセン東部鉄道の管轄区間であった。
{{Infobox 鉄道路線|路線名=クトノ - ピワ線|国={{POL}}|路線記号=18|路線番号=420, 425|開業=1851年7月27日|運営者=[[ポーランド国鉄]]|全通=1862年12月4日|路線距離=247 km|軌間=1435 mm([[標準軌]])|線路数=複線|複線区間=全区間|電化区間=全区間|電化方式=3000 V([[直流電化|直流]])|最高速度=140 km/h}} {| {{Railway line header}} {{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#be2d2c}} {{BS-table}} {{BS|ABZg+l|||[[3号線 (ポーランド)|W-F線]]、ウッチ - クトノ線}} {{BS|BHF|0.3|クトノ|108 m}} {{BS2|BS2+l|BS2+r}} {{BS2|STR|ABZgl|||Kutno Azory Lokomotywownia連結線}} {{BS2|HST|eHST|3.3|クトノ・アゾリ|(1925~)|111 m}} {{BS2|STRr|STR|||クトノ - ブロドニツァ線}} {{BS2|BS2c2|BS2lr|||[[3号線 (ポーランド)|ワルシャワ - フランクフルト線]]}} {{BS|BHF|13.7|オストロヴィ||123 m}} {{BS3||STR|exKBHFa|||Ostrowy Wąskotorowe}} {{BS3||STR|exSTRl|||旧オストロヴィ - オゾルクーフ線(狭軌線)}} {{BS|STR+GRZq|||↑[[ウッチ県]] / [[クヤヴィ=ポモージェ県]]↓}} {{BS|HST|21.1|ルトコヴィツェ|(1945~)|127 m}} {{BS|BHF|27.3|カリスカ・クヤフスキー|(1890~)|130 m}} {{BS|HST|33.3|ヴィクトロヴォ|(1948~)|111 m}} {{BS|BHF|38.6|チェルニゴフニェヴィツェ||106 m}} {{BS|HST|42.7|ゴワシェヴォ・クヤフスキー|(1939~)|91 m}} {{BS|HST|47.1|ヴァジャンヘヴカ|(1916~)|68 m}} {{BS3||eKRZo|exSTR+r|||旧ヴウォツワヴェク港方面}} {{BS3||STR|exABZg+l|||旧ヴウォツワヴェク - 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トルン線]]および[[トルン - チェルニャホフスク線]]と互いに接続する。列車はトルン中央駅を出発し西の方へ向かいソレッツ・クヤフスキー駅を通過して[[ブィドゴシュチュ|ビドゴシュチ市]]に進入する。ブロドニツァ - ビドゴシュチ線がビドゴシュチ東駅の寸前にこの路線と合流して、ノヴァー・ヴィシュ・ヴィエルカ - グディニャ線が東駅の西端でこの路線と合流する。この路線はレシュナ駅までグディニャ方面の路線と並行する。石炭幹線鉄道 ([[ポーランド語]]: Magistrala węgglowa) の一部で過去[[グダニスク]]方面の[[プロイセン東線|東部鉄道本線]]の一部であった[[ホジューフ - トチェフ線]]がこの路線に合流すると、列車はビドゴシュチュ中央駅に到着する。 ブルダ川鉄道橋の向こうにブロンベルク郡鉄道([[ドイツ語]]: Bromberger Kreisbahn)の出発駅が過去にあって、狭軌線路はコロノヴォ方面に伸びた。列車は西の方へ走行してナクウォ(ノテツ)駅に到着する。その駅でオレシュニツァ - ホイニツェ線が交差して、カスプロヴォ方面の狭軌線は駅前からブロンベルク郡鉄道の一部として北の方へ伸びた。この路線は西の方へ続いて、ウィジスク中心地から数キロメートル離れているヴィジスク・オスレック駅に至る。ビアウォシリヴィエ駅には保存鉄道として運営される、狭軌のビアウォシリヴィエ - ヴィトスワーフ線が分岐する。列車がピワ中央駅に到着する寸前にピワ - ポズナン線、トチェフ - コストシン線、ピワ - ブゾヴォ・ゴライ線がこの路線に合流する。ピワ中央駅でピワ - ウストカ線とピワ - ウリコヴォ線が共に分岐して、ベルリン方面に[[トチェフ - コストシン線]]が[[プロイセン東線|東部鉄道本線]]として続いて伸びる。 == 歴史 == === プロイセン東部鉄道およびワルシャワ=ウィーン鉄道 === 1849年11月5日東部鉄道管理局([[ドイツ語]]: Königliche Direction der Ostbahn)はブロンベルク(現在[[ブィドゴシュチュ|ビドゴシュチ]])で設立された。1851年7月27日にプロイセン東部鉄道はシュナイデミュール(現在[[ピワ]])- ブロンベルク区間をルーガツ(現在クシジュ) - シュナイデミュール区間と共に開通した。1852年8月に本線は[[グダニスク|ダンチヒ]]まで延長されて、[[ベルリン]] - ダンチヒ間の列車通行はとりあえず可能となった。当時ベルリン方面の直通運転がまだできなくて、シュテッティンの迂回経路を取ることが必要であった。1857年12月にルーガツ - キュストリン(現在コストシン)区間およびかつてのキュストリン - フランクフルト線が開通されて、ベルリン方面の路線が大いに短縮された。 1861年10月24日ブロンベルク - トルン間が開通されて<ref>{{Cite news|title=Anzeiger: Königliche Ostbahn |newspaper=Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen |date=1861-10-29 |url=https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934030?page=430,431 |page=423 |language=de |issue=No. 35}}</ref>、1862年12月4日にアレクサンドルーフ・クヤフスキーの国境線まで延長された<ref>{{Cite news|0 |title=Mittheiling über Eisenbahnen und sonstige Transport-Anstalten |newspaper=Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen |date=1862-12-03 |url=https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934031?page=964,965 |page=929 |language=de |issue=No. 97}}</ref>。同じ日にワルシャワ=ウィーン鉄道 ([[ポーランド語]]: Kolej Warszawsko-Wiedenska) はクトノからプロイセン=ロシア国境線まで単線の分岐線を完成した<ref>{{Cite news|title=Anzeiger: Königliche Ostbahn |newspaper=Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen |date=1862-12-10 |language=de |page=951 |issue=No. 99 |url=https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934031?page=986,987}}</ref><ref name="Roelled10278">Röll ed, (1923) Band 10, p. 278</ref>。 1879年[[プロイセン邦有鉄道|王立プロイセン鉄道]]の組織改編によりアレクサンドル間はブロンベルク管理局に属することとなった<ref>W. Klee (1982). p. 179</ref>。1888年と1889年にかけて二番目の線路はブロンベルク - シュナイデミュール間に備えられた。1910年にはブロンベルク - トルン間が複線化された。1914年当時に[[北急行|北急行列車]]はこの路線を経由して、この路線がワルシャワとベルリンの区間で最も短い経路であった<ref>{{Cite web |url=https://www.deutsches-kursbuch.de/1914/55_hoch.htm |title=Hendschels Telegraph, Mai 1914 (202. Berlin-Schneidemühl-Thorn-Alexandrowo-Warschau) |access-date=2023-10-06 |publisher=Ingolf Aschenbrenner |language=de}}</ref>。一方、ワルシャワ=ウィーン鉄道の区間は1912年12月19日に制定された法律により国有鉄道に属することとなった<ref name="Roelled10278"/>。 === ポーランド国営鉄道 === [[第一次世界大戦]]の終戦後、ドイツ=ポーランドの国境線が[[ベルサイユ条約]]により確定されて、この路線の場合、境界はカジョリ - シュナイデミュール間にあった。既存のロシア鉄道区間およびポーランドに帰属したプロイセン鉄道区間は[[ポーランド国鉄|ポーランド国営鉄道]] ([[ポーランド語]]: Polskie Koleje Państowowe, PKP) により引き受けられた。1937年にクトノ - トルン間は複線で改修された。[[ナチス・ドイツ]]がポーランドを占領した間に、新線がビドゴシュチ東駅と中央駅の間に建設された。 [[第二次世界大戦]]の終戦後、この路線は完全にポーランドに帰属した。ビドゴシュチ市内の旧線区間は1964年に廃止された。1972年7月3日に鉄道事故がジエロンツィン駅とシュレシン駅の間に発生して、12人が死亡し26人が負傷を負った。 1980年8月19日に貨物列車と旅客列車の衝突事故がオトウォツィン村の付近で発生して、直接的な原因は貨物列車が安全側線から、停止信号にもかかわらず、反対方向の線路に進入したことである。この事故で67人が死亡し62人が負傷を負った<ref>{{Cite web |url=https://polishrail.wordpress.com/category/otloczyn/ |title=Archive for the ‘Otloczyn’ Category |access-date=2023-10-07 |publisher=Behind the Water Tower (WordPress.com) |date=2010-08-22 |language=en}}</ref>。1984年7月20日トルン - ビドゴシュチ間の電車線設置が完了して、1985年5月31日にはアレクサンドルーフ・クヤフスキー - トルン間で、同年12月21日にはクトノ - アレクサンドルーフ・クヤフスキー間で電気運転がそれぞれ実現された。最終電化改修は1989年12月23日ビドゴシュチ - ピワ間で完了した。 == 参考文献 == * {{Cite book|title=130 Jahre Ostbahn Berlin – Königsberg – Baltikum |year=1997 |publisher=Ges. für Verkehrspolitik und Eisenbahnwesen |author=Andreas Geißler |author2=Konrad Koschinski |editor=Deutscher Bahnkunden-Verband e. V. |location=Berlin |isbn=3-89218-048-2 |language=de}} * {{Cite book|title=Preußische Eisenbahngeschichte |year=1982 |publisher=Kohlhammer |language=de |isbn=3-17-007466-0 |location=Stuttgart |author=Wolfgang Klee}} * {{Cite book|title=Enzyklopädie des Eisenbahnwesens (Eintrag zu Warschau-Wiener Bahn) |year=1923 |publisher=Urban & Schrzenberg |pages=277, 278 |editor=Victor von Röll |edition=2nd |volume=Band 10 |location=Berlin / Wien |url=http://www.zeno.org/Roell-1912/K/roell-1912--101-0277 |language=de}} == 外部リンク == {{Commonscat|position=left}} * {{Cite web |url=https://www.atlaskolejowy.net/infra/?id=linia&poz=466 |title=18 Kutno - Piła Główna |access-date=2023-10-06 |publisher=Atlas Kolejowy Polski, Czech i Słowacji |language=pl}} * 路線経路、主要施設、許容速度: [https://www.openrailwaymap.org/?style=standard&lat=52.681&lon=18.072&zoom=8 OpenRailwayMap] == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:くとのひわせん}} [[Category:ポーランドの鉄道路線]] [[Category:ウッチ県]] [[Category:クヤヴィ=ポモージェ県の交通]] [[Category:ブィドゴシュチュ]] [[Category:ヴィエルコポルスカ県]]
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津島五ケ所新田
津島五ケ所新田(つしまごかしょしんでん)とは、江戸時代に主に津島村の農民によって開墾された新田村の総称。 該当する新田村は以下の6つ。「石高」は『旧高旧領取調帳』、「戸数」「人数」は『郡村徇行記』に記された値。 津島村によって開墾された地域だが、江戸時代からすでにそれぞれ行政的に独立した別個の村として成立しており、明治時代以降の合併により現在はほぼ全域が愛西市域(旧佐織町域)となっている。「津島草平新田村」「津島大野山新田村」など頭に「津島」を付して呼ばれることもある。 この地域のほぼ全てが領内川と萩原川の間に位置したが、佐屋川と天王川の河床上昇が進み萩原川が日光川へと改修される過程で、領内川が大野山新田と草平新田の間を抜けて日光川へと合流するように変更されたため、現在は領内川左岸に西川端・渕高・大野山、右岸に草平・町方・鷹場が位置している。地形的に判断して、領内川両岸をそれぞれを1つの輪中とみなすこともある。
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津島五ケ所新田(つしまごかしょしんでん)とは、江戸時代に主に津島村の農民によって開墾された新田村の総称。
'''津島五ケ所新田'''(つしまごかしょしんでん)とは、[[江戸時代]]に主に[[津島市|津島村]]の農民によって開墾された[[新田|新田村]]の総称<ref name="津島市史4"/>。 == 概要 == 該当する新田村は以下の6つ。「石高」は『[[旧高旧領取調帳]]』、「戸数」「人数」は『[[郡村徇行記]]』に記された値。 {| class="sortable wikitable" style="text-align:left; font-size:smaller" !名称!!開墾時期・最古の検地記録など!!開墾者!!石高!!戸数!!人数!!現在!!出典 |- |草平新田村||[[慶長]]年間の開墾||[[葉苅町|葉苅村]]・津島村・釜之段村などからの移住者||664余||148||710||愛西市[[草平町 (愛西市)|草平町]]||<ref name="草平"/> |- |大野山新田村||1605年([[慶長]]10年)の開墾||石田市右衛門||484余||139||572||愛西市[[大野山町]]||<ref name="大野山"/> |- |西川端新田村||1622年([[元和 (日本)|元和]]8年)の開墾||三右衛門・平蔵・吉兵衛||890余||154||801||愛西市[[西川端町 (愛西市)|西川端町]]||<ref name="西川端"/> |- |渕高新田村||1650年([[慶安]]3年)の検地<ref group="注" name="検地">一部はそれ以前に検地がなされたとも考えられる。</ref>||-||590余||82||343||愛西市[[渕高町]]||<ref name="渕高"/> |- |町方新田村||1650年([[慶安]]3年)の検地<ref group="注" name="検地"/>||津島村の者||1242余||111||519||愛西市[[町方町 (愛西市)|町方町]]<br />(一部、津島市)||<ref name="町方"/> |- |鷹場新田村||1654年([[承応]]2年)の検地||津島村の者||190余||33||158||愛西市[[鷹場町]]||<ref name="鷹場"/> |} 津島村によって開墾された地域だが、江戸時代からすでにそれぞれ行政的に独立した別個の村として成立しており、[[明治時代]]以降の合併により現在はほぼ全域が[[愛西市]]域(旧[[佐織町]]域)となっている<ref name="津島市史4"/><ref group="注">[[佐屋川]]合流点付近の[[天王川 (津島市)|天王川]]左岸にあった、町方新田村の枝郷「上中地」「下中地」のみ現在の津島市域([[中地町]]・[[東中地町]]・[[南本町 (津島市)|南本町]]・[[永楽町 (津島市)|永楽町]]・[[大慶寺町]]が相当)。</ref>。「津島草平新田村」「津島大野山新田村」など頭に「津島」を付して呼ばれることもある<ref name="津島市史4"/><ref name="草平"/><ref name="大野山"/>。 この地域のほぼ全てが[[領内川]]と[[日光川#萩原川|萩原川]]の間に位置したが、佐屋川と天王川の河床上昇が進み萩原川が[[日光川]]へと改修される過程で、領内川が大野山新田と草平新田の間を抜けて日光川へと合流するように変更されたため、現在は領内川左岸に西川端・渕高・大野山、右岸に草平・町方・鷹場が位置している。地形的に判断して、領内川両岸をそれぞれを1つの[[輪中]]とみなすこともある<ref name="河合"/>。 == 脚注 == === 注釈 === {{reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist|refs= <ref name="津島市史4">{{Cite web|和書|url=https://www.tsushima-bunka.jp/lib/houkoku/%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E5%B8%82%E5%8F%B2%E3%80%80%E8%B3%87%E6%96%99%E7%B7%A8%EF%BC%88%E5%9B%9B%EF%BC%89.pdf |title=津島市史 資料篇(四) |author=[[津島市]]史編さん委員会 |date=1973-03-25 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="草平">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7356671 |title=草平新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="大野山">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7355383 |title=大野山新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="西川端">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7359811&SUID=free |title=西川端新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="渕高">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7360917 |title=渕高新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="町方">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7361317 |title=町方新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="鷹場">{{Cite web|和書|url=https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7358504 |title=鷹場新田村(近世) |website=[[角川日本地名大辞典]] オンライン版 |accessdate=2023-11-08}}</ref> <ref name="河合">{{Cite web|和書|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/21/2/21_2_117/_pdf |title=濃尾輪中の形態に関する地理学的研究 |author=[[河合成樹]] |accessdate=2023-10-30}}</ref> }} {{デフォルトソート:つしまこかしよしんてん}} [[Category:津島市の歴史]] [[Category:愛西市の歴史]]
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寿司検定
寿司検定(すしけんてい)は、寿司検定実行委員会及び全日本寿司連盟協会(JSFA)が実施している民間資格の検定試験である。株式会社寿司ウォーカーが後援している。寿司への理解を深め、寿司や日本文化を広めることを目的として実施されている。 米飯などと主に魚介類を組み合わせた和食である寿司(すし、鮨・鮓)の知識を問う寿司検定である。検定試験では、握り寿司とよばれる江戸前寿司だけでなく、郷土寿司なども含む寿司全般について出題される。 出題内容は寿司の歴史・文化からはじまり、寿司の種類や特徴、寿司の見分け方、寿司を食べる時のポイントやマナー、寿司のつくりかた、寿司に関する健康情報や衛生に関することなどについて出題される。 試験は誰でも受験することができ、全100問で等級ごとに合格に必要な点数は異なる。 合格者には「寿司スペシャリスト(3級)」「寿司エキスパート(2級)」「寿司ソムリエ(1級)」の称号と認定証が送られる。 試験日は、1級および2級は6月の年1回、3級はこれに加えて3月と6月の年2回実施される。 試験時間は60分であり、試験会場はインターネット上で行われるオンライン検定の他、東京で開催される。 受験級は、1級、2級、3級の3段階でレベル分けされている。 合格すると1級は寿司ソムリエ、2級は寿司エキスパート、3級は寿司スペシャリストという称号が与えられる。 寿司好きを極めることを目的としている3級や2級の対象は主に趣味レベルであるが、1級は専門的な内容になり寿司屋など寿司に関わる専門職の人を含む試験内容となる。 1級受験にあたっては既に2級への合格していることが条件となる。また、2級と3級は併願できるが、3級が不合格の場合は2級も不合格となる。
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寿司検定(すしけんてい)は、寿司検定実行委員会及び全日本寿司連盟協会(JSFA)が実施している民間資格の検定試験である。株式会社寿司ウォーカーが後援している。寿司への理解を深め、寿司や日本文化を広めることを目的として実施されている。
{{複数の問題 |出典の明記=2023年11月 |特筆性=2023年11月 }} {{資格 | 名称 = 寿司検定 | 英名 = Sushi Certification | 英項名 = Sushi Certification | 略称 = | 実施国 = {{JPN}} | 分野 = [[食品]]([[寿司]]) | 資格種類 = [[民間資格]] | 試験形式 = [[筆記]]・[[CBT]]・[[マークシート]] | 認定団体 = 寿司検定実行委員会 / 全日本寿司連盟協会(JSFA) | 後援 = [[寿司ウォーカー|株式会社寿司ウォーカー]] | 認定開始年月日 = | 認定終了年月日 = | 等級・称号 = 1級(寿司ソムリエ)<br>2級(寿司エキスパート)<br>3級(寿司スペシャリスト) | 根拠法令 = | 公式サイト = https://sushiwalker.com/sushi-kentei/ | 特記事項 = }} '''寿司検定'''(すしけんてい)は、寿司検定実行委員会及び全日本寿司連盟協会(JSFA)が実施している[[民間資格]]の[[検定試験]]である。株式会社寿司ウォーカー<ref>寿司を専門とするメディア『寿司ウォーカー』を運営している企業である。</ref>が後援している。寿司への理解を深め、寿司や日本文化を広めることを目的として実施されている。 == 概要 == [[米飯]]などと主に[[魚介類]]を組み合わせた[[和食]]である[[寿司]](すし、鮨・鮓)の知識を問う寿司検定である。検定試験では、[[握り寿司]]とよばれる[[江戸前寿司]]だけでなく、[[郷土寿司]]なども含む寿司全般について出題される。 出題内容は寿司の歴史・文化からはじまり、寿司の種類や特徴、寿司の見分け方、寿司を食べる時のポイントや[[マナー]]、寿司のつくりかた、寿司に関する[[健康]]情報や[[衛生]]に関することなどについて出題される。 試験は誰でも[[受験]]することができ、全100問で等級ごとに合格に必要な点数は異なる。 合格者には「寿司スペシャリスト(3級)」「寿司エキスパート(2級)」「寿司ソムリエ(1級)」の[[称号]]と認定証が送られる。 == 実施日と場所 == 試験日は、1級および2級は6月の年1回、3級はこれに加えて3月と6月の年2回実施される。 試験時間は60分であり、試験会場は[[インターネット]]上で行われる[[オンライン]]検定の他、[[東京]]で開催される。 == 受験級 == 受験級は、1級、2級、3級の3段階でレベル分けされている。 合格すると1級は寿司ソムリエ、2級は寿司エキスパート、3級は寿司スペシャリストという称号が与えられる。 寿司好きを極めることを目的としている3級や2級の対象は主に[[趣味]]レベルであるが、1級は専門的な内容になり[[寿司屋]]など寿司に関わる[[専門職]]の人を含む試験内容となる。 1級受験にあたっては既に2級への合格していることが条件となる。また、2級と3級は併願できるが、3級が不合格の場合は2級も不合格となる。 * '''3級(寿司スペシャリスト)'''寿司全般についてよく知り、寿司の魅力を理解してるだけでなく、寿司の世界をより楽しむことができる人のことである。寿司の種類、歴史、文化、見分け方、衛生や健康、マナー、おいしく食べるポイントなどについて確かな知識を持っており、周囲の人にかんたんな寿司をつくってふるまうことができる。 * '''2級(寿司エキスパート)'''寿司に関する豊かな知識を持つだけでなく、その知識を活かし、他の人に寿司に関する情報や簡単な寿司の作り方について伝えることができる人のことである。寿司の歴史、文化、作り方などについて深く理解しているだけでなく、寿司文化の普及を促進する一翼を担っている。 * '''1級(寿司ソムリエ)'''寿司に関する高度な知識や専門的なスキルを有するプロフェッショナルで、寿司の専門家のことである。寿司に関する幅広く深い知識を持つだけでなく、食材の品質や選別など、寿司づくりについてより専門的な知識を持ち、顧客へ最良の寿司体験を提供することができる。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[寿司]] * [[寿司屋]] * [[日本の食品に関する資格一覧]] * [[日本の検定試験一覧]] == 外部リンク == * {{Official website|https://sushiwalker.com/sushi-kentei|寿司検定公式サイト}} * {{Official website|https://sushiwalker.com/|寿司ウォーカー}} {{Sikaku-stub}} {{DEFAULTSORT:すしえきすはあとけんてい}} [[Category:日本の民間資格]]
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浜の町病院
浜の町病院(はまのまちびょういん)は、国家公務員共済組合連合会が福岡県福岡市中央区長浜に設置する病院。地域医療支援病院等に指定されている。 (下表の出典) (以下の出典)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "浜の町病院(はまのまちびょういん)は、国家公務員共済組合連合会が福岡県福岡市中央区長浜に設置する病院。地域医療支援病院等に指定されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(下表の出典)", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(以下の出典)", "title": "診療科" } ]
浜の町病院(はまのまちびょういん)は、国家公務員共済組合連合会が福岡県福岡市中央区長浜に設置する病院。地域医療支援病院等に指定されている。
'''浜の町病院'''(はまのまちびょういん)は、[[国家公務員共済組合連合会]]が[[福岡県]][[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]長浜に設置する[[病院]]。[[地域医療支援病院]]等に指定されている。 {{医療機関|名称=浜の町病院|画像={{画像募集中|cat=福岡市}}|指定管理者=|正式名称=国家公務員共済組合連合会 浜の町病院|英語名称=Hamanomachi Hospital|前身=聖福病院付属浜の町診療所 非現業共済組合連合会福岡浜の町病院|標榜診療科=内科、血液内科、循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、肝臓内科、腎臓内科、糖尿病・内分泌内科、脳神経内科、リウマチ・膠原病内科、腫瘍内科、緩和医療内科、総合診療科、感染症内科、救急科、小児科、精神科、外科、消化器外科、乳腺・内分泌外科、呼吸器外科、整形外科、産科、婦人科、脳神経外科、眼科、耳鼻咽喉科・頭頸部外科、泌尿器科、皮膚科、形成外科、麻酔科、放射線科、病理診断科、リハビリテーション科、アレルギー科、歯科|許可病床数=468|精神病床数=|結核病床数=|感染症病床数=|一般病床数=468|療養病床数=|職員数=|病院機能評価=|開設者=国家公務員共済組合連合会|管理者=谷口修一(病院長)|地方公営企業法=|病院事業管理者=|開設年月日=1951年4月|閉鎖年月日=|所在地郵便番号=810-8539|所在地=福岡県福岡市中央区長浜3丁目3番地1号|緯度度=33|緯度分=35|緯度秒=47|経度度=130|経度分=23|経度秒=37.1|二次医療圏=|特記事項=}} == 沿革 == (下表の出典<ref>{{Cite web |url=https://hamanomachi.kkr.or.jp/gaiyou/enkaku.html |title=沿革 |access-date=2023-11-08 |publisher=浜の町病院}}</ref>) {| class="wikitable" !昭和26年 4月 |聖福病院付属浜の町診療所として開設 |- !昭和27年 6月 |非現業共済組合連合会福岡浜の町病院として独立 |- !昭和33年10月 |旧病院 北病棟完成、ベッド数210床 |- !昭和35年 5月 |人間ドック開設 |- !昭和42年 8月 |旧病院 南病棟完成、ベッド数417床 |- !昭和43年 7月 |臨床研修指定病院認定(厚生省) |- !昭和47年 2月 |旧病院 中央病棟・管理棟完成 |- !昭和47年 2月 |人工腎臓透析開始 |- !昭和50年 6月 |ベッド数440床 |- !平成 2年 3月 |旧病院 別館完成、ベッド数520床 |- !平成 6年 4月 |2:1新看護(看護A加算)承認 |- !平成 7年 6月 |オーダリングシステム導入(内科外来、薬剤部、医事課) |- !平成11年 1月 |手術室全面改修竣工・無菌室(骨髄移植)3床に増設 |- !平成11年11月 |脳ドック開設 |- !平成12年 1月 |二次救急病院指定・検査システムの更新 |- !平成12年 2月 |ホームページ開設 |- !平成12年 4月 |医療情報室設置 |- !平成12年 6月 |季刊誌「はまかぜ」創刊 |- !平成12年 9月 |開放型病床届出受理(10床) |- !平成12年10月 |脳神経センター設置 |- !平成12年10月 |内視鏡手術センター設置 |- !平成13年 2月 |開放型病床数変更届出受理(20床) |- !平成13年 6月 |急性期病院加算の取得 |- !平成13年 7月 |院内PHS導入 |- !平成14年 4月 |ボランティア導入 |- !平成14年 4月 |医局LAN導入 |- !平成14年 6月 |50年誌発刊 |- !平成14年 7月 |血液腫瘍センター設置 |- !平成15年 1月 |無菌室13床に増床 |- !平成15年 8月 |外来診療録一元化実施 |- !平成16年 2月 |MRI更新(1.5テスラ) |- !平成16年 4月 |救急部設置 |- !平成16年 5月 |ICU設置 |- !平成16年10月 |日本医療機能評価機構より認定(バージョン4.0) |- !平成17年 4月 |オーダリングシステム導入 |- !平成18年 6月 |DPC制度導入 |- !平成18年 7月 |7対1入院基本料承認 |- !平成21年 4月 |地域医療支援病院承認 |- !平成22年3月 |日本医療機能評価機構より認定(バージョン6.0) |- !平成22年 4月 |福岡県指定がん診療拠点病院指定 |- !平成25年 6月 |新病院竣工 |- !平成25年10月 |新病院移転、ベット数468床 |- !平成25年10月 |電子カルテシステム導入 |- !平成25年10月 |MRI増設(3.0テスラ)導入、血管造影装置および心臓カテーテル装置を一新 |- !平成25年10月 |CT更新(320列、80列)導入、高精度放射線治療装置を一新 |- !平成25年10月 |無菌病棟設置 |- !平成27年2月 |日本医療機能評価機構より認定(3rd:Ver.1.0) |- !平成27年 4月 |福岡県指定がん診療拠点病院指定更新 |- !平成29年 4月 |セヴァリンによるRI(アイソトープ)標識抗体療法開始 |- !平成29年 8月 |強度変調放射線治療(IMRT)を開始 |- !令和元年10月 |MRI3.0テスラ2台体制 |- !令和2年1月 |日本医療機能評価機構より認定(3rdG:Ver.2.0) |- !令和2年 4月 |地域がん診療連携拠点病院指定 |- !令和5年 9月 |災害拠点病院指定 福岡県災害派遣医療チーム指定 |} == 診療科 == (以下の出典<ref>{{Cite web |url=https://hamanomachi.kkr.or.jp/shinryou/shinryouka/index.html |title=診療科 |access-date=2023-11-08 |publisher=浜の町病院}}</ref>) === 診療部 === * 内科 * 血液内科 * 循環器内科 * 呼吸器内科 * 消化器内科 * 肝臓内科 * 腎臓内科 * 糖尿病・内分泌内科 * 脳神経内科 * リウマチ・膠原病内科 * 腫瘍内科 *緩和医療内科 * 総合診療科 * 感染症内科 * 救急科 * 小児科 * 精神科 * 外科 * 消化器外科 * 乳腺・内分泌外科 * 呼吸器外科 * 整形外科 * 産科 * 婦人科脳神経外科 * 眼科 * 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 * 泌尿器科 *皮膚科 * 形成外科 * 麻酔科 * 放射線科 * 病理診断科 * リハビリテーション科 * アレルギー科 == アクセス == === 最寄り駅 === * [[福岡市交通局|福岡市営地下鉄]] [[天神駅]] * 福岡市地下鉄[[福岡市地下鉄七隈線|七隈線]] [[天神南駅]] * [[西日本鉄道|西鉄]][[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]] [[西鉄福岡(天神)駅]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://hamanomachi.kkr.or.jp/* 国家公務員共済組合連合会 浜の町病院] {{Hospital-stub}} {{DEFAULTSORT:はまのまちひよういん}} [[Category:日本の医療機関 (共済組合及びその連合会)]] [[Category:福岡市の医療機関]] [[Category:1950年開業の施設]] [[Category:福岡市中央区の建築物]]
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SMAソーラーテクノロジー
SMA Solar Technology AG 1981年に設立され、本社がドイツのヘッセン州北部にある、ドイツのソーラーエネルギー機器サプライヤー。SMAは、太陽光発電システム向けのソーラーインバーター の製造・生産業者であり、グリッド接続、オフグリッド 電源供給、およびバックアップ運用に対応しています。この会社は20か国にオフィスを持っています。 2023年には、この会社は3,597人の従業員を抱え、世界中で7億7,890万ユーロの売上を上げました。この会社は、太陽光発電、バッテリー蓄電システム、エネルギー管理のためのシステム技術の開発と製造に焦点を当てています。以前は、SMAは鉄道技術および産業用コンピュータの部門も含んでいました。SMAはドイツ、アメリカ、チリ、ブラジル、メキシコ、カナダ、スペイン、イタリア、フランス、中国、オーストラリア、ベルギー、インド、ポーランド、日本、イギリス、南アフリカ、アラブ首長国連邦に拠点を持っています。 2011年に、SMAは電子部品の長寿命サプライヤーの一つであるポーランドの企業dtw Sp ooを買収しました。その後、2012年には中国企業である太陽光インバーター製造会社のJiangsu Zeversolar New Energy Co., Ltd.の大部分の株式を取得し、2013年にはデンマークのDanfossの太陽光インバーター事業を買収しました。2016年4月には、資本増加の一環として、SMAはTigo Energy, Inc.の株式の27%を取得しました。SMAはまた、スマートモジュール技術TS4 Retrofitの世界販売のための独占権も取得しました。2018年1月には、デジタルエネルギーの新しい子会社であるミュンヘンを拠点とするconeva GmbHを設立しました。SMAは2019年に中国の企業を売却しました。 2011年に日本法人として太陽光発電用パワーコンディショナの専業メーカーであるSMAジャパンを設立。翌年には、「SUNY BOY3.5kW機/4.5kW機」で欧米メーカー初のJET認証(電気安全環境研究所による電気用品安全法に基づく認証)を取得。2013年に竣工した日本最大の太陽光発電所 鹿児島七ツ島メガソーラー発電所で、SMAのパワコンが採用された。 2013年には「SUNNY CENTRAL 700kW機発売開始」 2015年「MV POWER STATION」を発表 2018年「SUNNY CENTRAL STORAGE」系統用ストレージソリューションの販売開始 2019年「SUNNY HIGHPOWER PEAK3」発売開始 この会社は、Werner Kleinkaufと前取締役であるGünther Cramer(1952年-2015年)、Peter Drews、およびReiner Wettlauferによって設立され、カッセル大学から独立した会社として設立され、その後2004年にSMA Technologie AGに改名されました。2006年に、Pierre-Pascal Urbonが取締役会を拡大しました。2008年6月に、現在のSMA Solar Technologyという名称に変更され、太陽光エネルギービジネスへの集中と会社の国際化を強調しました。同時に、鉄道技術部門はSMA Railway Technology GmbHとして分社化され、2017年に中国のBeijing Dinghanに売却されました。 2009年6月の年次株主総会後に大規模な取締役会の変更実施されました。創業者の一人であるReiner Wettlauferは監査役会に加わりました。また、Roland Grebeが最高技術責任者として、Marko Wernerが最高マーケティング&セールス責任者として追加されました。両者とも会社で20年以上の経験を持っています。2010年4月には、取締役会にJürgen Dolleが人事担当として、Uwe Hertelが運用担当として加わりました。2011年の年次株主総会以降、Pierre-Pascal UrbonはCEOとなり、会社の戦略的方向と国際化の継続を担当しました。創業者の二人、DrewsとCramerは監査役会に加わりました。Uwe Hertelは2011年に取締役会を退任しました。2012年11月には、Lydia Sommerが取締役会に加わり、Urbonから財務および法務の責任を引き継ぎました。以前は最高経営責任者および最高財務責任者としてこの業務を兼務していました。2013年5月以降、Lydia Sommerは人事および労使関係担当も兼任し、Jürgen Dolleが取締役会を退任した後、その役割も担当しました。2015年1月には、Martin Kinneがセールスおよびサービスの取締役会責任者を引き継ぎました。 2015年の会社の変革の一環として、SMAの監査役会は取締役会のメンバー数を減らしました。Lydia Sommerは2015年2月に、Martin Kinneは2015年12月に取締役会を退任しました。2016年1月から、SMAの取締役会は以下のメンバーで構成されています:Roland Grebe(人事とITの担当取締役)、Juergen Reinert(運用と技術の担当取締役)、Pierre-Pascal Urbon(最高経営責任者、戦略、財務/法務、セールスの担当取締役) Roland Grebeは2016年12月31日をもって取締役会を退任しました。2017年1月1日から、SMA Solar Technology AGの取締役会は以下のメンバーで構成されています:Ulrich Hadding(財務、人事、法務の担当取締役)、Jürgen Reinert(副最高経営責任者、技術と運用の担当取締役)、Pierre-Pascal Urbon(最高経営責任者、戦略、セールス、およびサービスの担当取締役)). Pierre-Pascal Urbonは、自身の要望により、2018年12月31日に会社を退任し、2018年10月15日に監査役会と合意のもとで取締役会から辞任しました。Ulrich Haddingは、SMA Solar Technology AGの最高財務責任者、人事担当、法務担当であり、長年にわたる勤務の後、自身の要望により2022年5月31日に会社を退任しました。その後任として、thyssenkrupp Materials Trading GmbHおよびthyssenkrupp Materials Trading Group国際部門の取締役兼CFOのBarbara Gregorが取締役会に任命されました。Jürgen Reinertは現在、SMA Solar Technology AGの最高経営責任者であり、運用と技術に加えて戦略、セールス、およびサービスを担当しています。Barbara Gregorは、SMAの取締役会における財務、法務、および資本市場コミュニケーションの担当をしています。 SMAは、製品ラインアップとして太陽光発電用のインバータを販売しており、家庭用システムにはSunny Boyという名前を、中規模のプラントから数メガワットの範囲までの中規模プラントにはSunny TripowerとSunny Highpowerという名前を、地上設置システムと太陽光発電ファームにはSunny Centralという名前を使用しています。これらの製品は、太陽光発電の自己消費とユーティリティグリッドへの電力供給のために500 kWから数メガワットの範囲で利用されています。 SMAは、独立型のシステムやオフグリッドおよびオングリッドのバッテリーシステム向けにSunny Islandを生産しています。さらに、あらゆるサイズのグリッド連動型バッテリーシステム向けにSunny Boy StorageおよびSunny Central Storageも製造しています。コンテナ内にPCS/変圧器/RMU/制御電源がコンパクトに設置・配線されて据付と試運転の時間・コストを大幅短縮できるMedium Voltage Power Stationやリパワリングに対応したSunny Highpower PEAK3も製造しています。インバータ製品には、エネルギー管理、システムモニタリング、データ分析のコンポーネントも含まれており、大規模な太陽光発電発電所の運用および保守に関するサービスも提供されています。. この会社の株式は、2008年6月27日以来、フランクフルト証券取引所のPrime Standardに上場されています。この会社の株式は、テクノロジー指数TecDAXに適格とされています。2018年9月24日、Deutsche BörseによるDAXインデックスの再編成に伴い、SMAの株式はTecDAXからSDAXに移動しました。2008年9月以来、この株式はÖkoDAXの一部であり、2009年にはGlobal photovoltaicの30 Indexにも上場されました。現在、この会社の株式の25%がフリーフロートで取引されています。 SMAの製品はIntersolar Award、ees Award、およびSmarter E Awardにも受賞しています。.
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"paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "SMAは、製品ラインアップとして太陽光発電用のインバータを販売しており、家庭用システムにはSunny Boyという名前を、中規模のプラントから数メガワットの範囲までの中規模プラントにはSunny TripowerとSunny Highpowerという名前を、地上設置システムと太陽光発電ファームにはSunny Centralという名前を使用しています。これらの製品は、太陽光発電の自己消費とユーティリティグリッドへの電力供給のために500 kWから数メガワットの範囲で利用されています。 SMAは、独立型のシステムやオフグリッドおよびオングリッドのバッテリーシステム向けにSunny Islandを生産しています。さらに、あらゆるサイズのグリッド連動型バッテリーシステム向けにSunny Boy StorageおよびSunny Central Storageも製造しています。コンテナ内にPCS/変圧器/RMU/制御電源がコンパクトに設置・配線されて据付と試運転の時間・コストを大幅短縮できるMedium Voltage Power Stationやリパワリングに対応したSunny Highpower PEAK3も製造しています。インバータ製品には、エネルギー管理、システムモニタリング、データ分析のコンポーネントも含まれており、大規模な太陽光発電発電所の運用および保守に関するサービスも提供されています。.", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この会社の株式は、2008年6月27日以来、フランクフルト証券取引所のPrime Standardに上場されています。この会社の株式は、テクノロジー指数TecDAXに適格とされています。2018年9月24日、Deutsche BörseによるDAXインデックスの再編成に伴い、SMAの株式はTecDAXからSDAXに移動しました。2008年9月以来、この株式はÖkoDAXの一部であり、2009年にはGlobal photovoltaicの30 Indexにも上場されました。現在、この会社の株式の25%がフリーフロートで取引されています。", "title": "株式" }, { 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SMA Solar Technology AG 1981年に設立され、本社がドイツのヘッセン州北部にある、ドイツのソーラーエネルギー機器サプライヤー。SMAは、太陽光発電システム向けのソーラーインバーター の製造・生産業者であり、グリッド接続、オフグリッド 電源供給、およびバックアップ運用に対応しています。この会社は20か国にオフィスを持っています。
{{Infobox Company | name = SMAソーラーテクノロジー | logo = Logo SMA.svg | logo_size = 200px | type = 上場企業 | traded_as = FWB: [https://www.boerse-frankfurt.de/equity/sma-solar-technology-ag S92] | founded = 1981年 | founders = Werner Kleinkauf, Günther Cramer (1952-2015), Peter Drews and Reiner Wettlaufer | location = ニーステタール、ドイツ | locations = | area_served = | key_people = [[Jürgen Reinert]] ([[chief executive officer|CEO]]), Barbara Gregor <small>([[CFO]]) | industry = ソーラーテクノロジー | products = 太陽光発電におけるパワーコンディショナ― | revenue = 7億7,890万ユーロ(2023年上半期) | operating_income = | net_income = 1億3,500万ユーロ(2023年上半期) | num_employees = 4,531 (2023年6月) | website = https://www.sma-japan.com/ | assets = 14億3,070万ユーロ(2023年上半期 }} '''SMAソーラーテクノロジー'''({{lang|de|SMA Solar Technology AG}})は、[[1981年]]に設立され、本社が[[ドイツ]]の[[ヘッセン州]]北部にある、ソーラーエネルギー機器サプライヤー。SMAは、太陽光発電システム向けのソーラー[[インバーター]] の製造・生産業者であり、グリッド接続、[[オフグリッド]]電源供給、およびバックアップ運用に対応する。20か国にオフィスを持つ。 == 会社概要 == 2023年には、この会社は3,597人の従業員を抱え、世界中で7億7,890万ユーロの売上を上げました。この会社は、太陽光発電、バッテリー蓄電システム、エネルギー管理のためのシステム技術の開発と製造に焦点を当てています。以前は、SMAは鉄道技術および産業用コンピュータの部門も含んでいました。SMAはドイツ、アメリカ、チリ、ブラジル、メキシコ、カナダ、スペイン、イタリア、フランス、中国、オーストラリア、ベルギー、インド、ポーランド、日本、イギリス、南アフリカ、アラブ首長国連邦に拠点を持っています。 2011年に、SMAは電子部品の長寿命サプライヤーの一つであるポーランドの企業dtw Sp ooを買収しました。その後、2012年には中国企業である太陽光インバーター製造会社のJiangsu Zeversolar New Energy Co., Ltd.の大部分の株式を取得し、2013年にはデンマークのDanfossの太陽光インバーター事業を買収しました。2016年4月には、資本増加の一環として、SMAはTigo Energy, Inc.の株式の27%を取得しました。SMAはまた、スマートモジュール技術TS4 Retrofitの世界販売のための独占権も取得しました。2018年1月には、デジタルエネルギーの新しい子会社であるミュンヘンを拠点とするconeva GmbHを設立しました。SMAは2019年に中国の企業を売却しました。 == 日本におけるSMA ソーラーテクノロジー== 2011年に日本法人として太陽光発電用パワーコンディショナの専業メーカーであるSMAジャパンを設立。翌年には、「SUNY BOY3.5kW機/4.5kW機」で欧米メーカー初のJET認証([[電気安全環境研究所]]による電気用品安全法に基づく認証)を取得。2013年に竣工した日本最大の太陽光発電所 [[鹿児島七ツ島メガソーラー発電所]]で、SMAのパワコンが採用された。 2013年には「SUNNY CENTRAL 700kW機発売開始」 2015年「MV POWER STATION」を発表 2018年「SUNNY CENTRAL STORAGE」系統用ストレージソリューションの販売開始 2019年「SUNNY HIGHPOWER PEAK3」発売開始 == 歴史 == [[ファイル:Müllberg_Speyer_-_2.JPG|左|サムネイル|「ライン川を下って、Speyerの地上設置システムに取り付けられたSunny Mini Central」]] [[ファイル:Müllberg_Speyer_-_3.JPG|左|サムネイル|太陽光発電用のモジュールの隣に取り付けられたSunny Mini Central]]この会社は、Werner Kleinkaufと前取締役であるGünther Cramer(1952年-2015年)、Peter Drews、およびReiner Wettlauferによって設立され、カッセル大学から独立した会社として設立され、その後2004年にSMA Technologie AGに改名されました。2006年に、Pierre-Pascal Urbonが取締役会を拡大しました。2008年6月に、現在のSMA Solar Technologyという名称に変更され、太陽光エネルギービジネスへの集中と会社の国際化を強調しました。同時に、鉄道技術部門はSMA Railway Technology GmbHとして分社化され、2017年に中国のBeijing Dinghanに売却されました。 2009年6月の年次株主総会後に大規模な取締役会の変更実施されました。創業者の一人であるReiner Wettlauferは監査役会に加わりました。また、Roland Grebeが最高技術責任者として、Marko Wernerが最高マーケティング&セールス責任者として追加されました。両者とも会社で20年以上の経験を持っています。2010年4月には、取締役会にJürgen Dolleが人事担当として、Uwe Hertelが運用担当として加わりました。2011年の年次株主総会以降、Pierre-Pascal UrbonはCEOとなり、会社の戦略的方向と国際化の継続を担当しました。創業者の二人、DrewsとCramerは監査役会に加わりました。Uwe Hertelは2011年に取締役会を退任しました。2012年11月には、Lydia Sommerが取締役会に加わり、Urbonから財務および法務の責任を引き継ぎました。以前は最高経営責任者および最高財務責任者としてこの業務を兼務していました。2013年5月以降、Lydia Sommerは人事および労使関係担当も兼任し、Jürgen Dolleが取締役会を退任した後、その役割も担当しました。2015年1月には、Martin Kinneがセールスおよびサービスの取締役会責任者を引き継ぎました。 2015年の会社の変革の一環として、SMAの監査役会は取締役会のメンバー数を減らしました。Lydia Sommerは2015年2月に、Martin Kinneは2015年12月に取締役会を退任しました。2016年1月から、SMAの取締役会は以下のメンバーで構成されています:Roland Grebe(人事とITの担当取締役)、Juergen Reinert(運用と技術の担当取締役)、Pierre-Pascal Urbon(最高経営責任者、戦略、財務/法務、セールスの担当取締役) Roland Grebeは2016年12月31日をもって取締役会を退任しました。2017年1月1日から、SMA Solar Technology AGの取締役会は以下のメンバーで構成されています:Ulrich Hadding(財務、人事、法務の担当取締役)、Jürgen Reinert(副最高経営責任者、技術と運用の担当取締役)、Pierre-Pascal Urbon(最高経営責任者、戦略、セールス、およびサービスの担当取締役)<ref>{{Cite web |url=http://www.sma.de/en/newsroom/current-news/news-details/news/16011-sma-solar-technology-changes-board-positions.html |title=SMA Solar Technology Changes Board Positions|accessdate=2023-12-12}}</ref>). Pierre-Pascal Urbonは、自身の要望により、2018年12月31日に会社を退任し、2018年10月15日に監査役会と合意のもとで取締役会から辞任しました。Ulrich Haddingは、SMA Solar Technology AGの最高財務責任者、人事担当、法務担当であり、長年にわたる勤務の後、自身の要望により2022年5月31日に会社を退任しました。その後任として、thyssenkrupp Materials Trading GmbHおよびthyssenkrupp Materials Trading Group国際部門の取締役兼CFOのBarbara Gregorが取締役会に任命されました。Jürgen Reinertは現在、SMA Solar Technology AGの最高経営責任者であり、運用と技術に加えて戦略、セールス、およびサービスを担当しています。Barbara Gregorは、SMAの取締役会における財務、法務、および資本市場コミュニケーションの担当をしています。<ref>{{Cite web |url=https://www.sma.de/en/newsroom/current-news/news-details/news/3550-dr-ing-juergen-reinert-appointed-chief-executive-officer-of-sma-pierre-pascal-urbon-leaves-c.html |title=Dr.-Ing. Jürgen Reinert appointed Chief Executive Officer of SMA – Pierre-Pascal Urbon Leaves Company |author=AG |first=SMA Solar Technology |website=www.sma.de |date=15 October 2018 |language=en |accessdate=2019-07-08}}</ref> == 製品 == SMAは、製品ラインアップとして太陽光発電用のインバータを販売しており、家庭用システムにはSunny Boyという名前を、中規模のプラントから数メガワットの範囲までの中規模プラントにはSunny TripowerとSunny Highpowerという名前を、地上設置システムと太陽光発電ファームにはSunny Centralという名前を使用しています。これらの製品は、太陽光発電の自己消費とユーティリティグリッドへの電力供給のために500 kWから数メガワットの範囲で利用されています。 SMAは、独立型のシステムやオフグリッドおよびオングリッドのバッテリーシステム向けにSunny Islandを生産しています。さらに、あらゆるサイズのグリッド連動型バッテリーシステム向けにSunny Boy Storageおよび[https://www.sma-japan.com/products/storage-solutions/sunny-central-storage-up-xt Sunny Central Storage]も製造しています。コンテナ内にPCS/変圧器/RMU/制御電源がコンパクトに設置・配線されて据付と試運転の時間・コストを大幅短縮できる[https://www.sma-japan.com/products/system-solutions-packages/medium-voltage-power-station-4400#c35953 Medium Voltage Power Station]やリパワリングに対応した[https://www.sma-japan.com/products/solarinverters/sunny-highpower-peak3-100kw Sunny Highpower PEAK3]も製造しています。インバータ製品には、エネルギー管理、システムモニタリング、データ分析のコンポーネントも含まれており、大規模な太陽光発電発電所の運用および保守に関するサービスも提供されています。.{{要出典|date=February 2020}}<sup class="noprint Inline-Template Template-Fact" style="white-space:nowrap;">&#x5B;''[[wikipedia:「要出典」をクリックされた方へ|<span title="This claim needs references to reliable sources. (February 2020)">citation needed</span>]]''&#x5D;</sup> == 株式 == この会社の株式は、[[2008年]]6月27日以来、[[フランクフルト証券取引所]]のPrime Standardに上場されている。[[2018年]]9月24日、[[ドイツ取引所]]によるDAXインデックスの再編成に伴い、SMAの株式はTecDAXからSDAXに移動した。現在、この会社の株式の25%が浮動株で取引されている。 == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|SMA Solar}} * [https://www.sma-japan.com/ SMAジャパン] * {{Instagram|sma.solar|SMA Solar Technology}}{{en icon}} * {{YouTube|c=smasolartechnology|SMA Solar Technology}}{{en icon}} {{MDAX}} {{DEFAULTSORT:SMAそおらあてくのろじい}} [[Category:ドイツの工業製品メーカー]] [[Category:太陽エネルギー関連企業]] [[Category:ドイツの多国籍企業]] [[Category:ヘッセン州の企業]] [[Category:フランクフルト証券取引所上場企業]] [[Category:1981年設立の企業]]
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清水泰次郎
清水 泰次郎(しみず たいじろう、1859年〈安政6年3月12日〉 - 1926年9月2日)は、明治から大正時代に活躍した英学者、教育者。旧姓、中川。幼名、佳之助。同志社英学校(現・同志社大学)や、大阪・英和学舎(現・立教大学)を始め、多くの学校で教授を務め、第五高等学校(現:熊本大学)では夏目漱石の後任となった。英文学者として、日本英文学会を創設し、日本における英文学の発展に貢献した。 1859年(旧暦安政6年3月12日)に中川進之丞玄佳の二男として大阪市東区安土町にて生まれる。幼名を佳之助と称し、家は代々儒者にして医者を業としていた。 1870年(明治3年)、10才の頃に、当時の日本では開国の思想が大きく国内に勃興し、四民平等の精神が発展していく最中、その主旨に感動し、籍を平民に移すことを決心し、その年の12月に清水姓となり、名を泰次郎と改めた。 1869年(明治2年1月)より、1871年(明治4年3月)まで大阪で、山下住郎右ェ門に学び、五経・十八史略等を素読した。また、大阪医学校(現・大阪大学医学部)に入学し、英学を修める傍ら、文部省直轄理学校(現・京都大学)に通学し、リッター教授に従い物理化学を1871年(明治4年3月)まで研究した。 1871年(明治4年3月)から1876(明治9年)11月まで、大阪において文部省直轄大阪英語学校(開成所、現・京都大学)に入学し、英語、英文学等を学ぶ。但し、当時同校において卒業証書を授与する規定が定まっておらず、約3年間第一級に留まった。 1873年(明治6年)8月から、大阪で文部省直轄英語学校(現・京都大学)教頭の兼子両平が設立に関わった洋学義塾の塾長を務め、1876年(明治9年)5月まで内外生徒管理及び教授を担当した。その傍らで1875年(明治8年)1月に文部省直轄英語学校校長の大山政敬に要請され、嘱託を受けて1年間、同校の生徒に英語を教授する。また、1875年(明治8年)2月から1876年(明治9年)10月まで、大阪の英語学校教師イートンに従い、仏学修める。 1875年(明治8年)10月より1876年(明治9年)3月まで、大阪で英国人少年のジョン・ディアボに英語綴字法及び文法等を教える。 1876年(明治9年)6月より同年9月まで、大阪東区石町1丁目にあった順承舎(後の梅花女学校)の舎長代理兼教頭となる。この時18才であった。この際、大阪府の検定試験に合格し、掛官の英国人スエビーより、順承舎よりも高等教育を行う学校の教員資格を有することの保証を得た。 1876年(明治9年)11月下旬より1877年(明治10年)9月まで、神戸で三井銀行に招聘されて、横浜3番ワトソン商会副頭取ジョーヂュ ヲーコップの依嘱を受けて輸出米事業の事務も兼ねた。 この頃、キリスト教に接し、宣教師及び牧師の指導を受けて、また自ら聖書を研究して大いに改心を促されて、遂には志を決して信仰の道に入った。 1877年(明治10年)10月から1878年(明治11年)9月まで、大阪東区の北浜風雲館(立教大学の前身の一つ)において、独逸学、漢学を修める。1878年(明治11年)11月から1879年(明治12年)3月まで、北浜風雲館の館主中島彬夫の要請により、英学部教頭を務める。 1878年(明治11年)2月から約1年間、大阪の文部省直轄英語学校(現・京都大学)の教師イートンの依頼から、長男アルフレッドに英読本を講読する。 1880年(明治13年)に北浜風雲館が大阪・英和学舎(現・立教大学)と合併して閉校する。 1881年(明治14年)7月から1883年(明治16年)12月まで、大阪西区川口の英和学舎(現・立教大学)に招聘されて教頭を務め、論理心理学を講授する。 1881年(明治14年)9月から1884年(明治17年)7月まで、大阪でギューリック教授に従い、哲学を学ぶ傍ら、詩賦論法を研究する。 1884年(明治17年)から同年7月まで、大阪西区の川口プレスビテリアン女学校(ヘール氏塾・ウィルミナ女学校、現・大阪女学院)主任として、英学を教授する。 1884年(明治17年)12月、東京において神田区三崎町の明治学院において、英文学を講授する。 1885年(明治18年)6月、聖バルナバ病院院長のヘンリー・ラニングの招きに応じて、帰阪して、約1年間、大阪川口の照暗女学校(現・平安女学院)教頭兼英学教員を務める。1885年(明治18年)8月下旬には、大阪において日本英文学会を創立し、照暗女学校(現・平安女学院)教頭を兼務しながら同学会会長となった。当時、日本英文学会の会員数は実に数10万人以上に及んだ。 1885年(明治18年)11月、大阪南区の関西英学校、東区の開成学館、西区の専修学校の教頭を兼務するが、1886年(明治19年)9月に、同3学校の教頭を辞任。 1886年(明治19年)9月より1890年(明治23年)まで、新島襄の懇請により、京都の同志社(現・同志社大学)の教授として教鞭を執り、評議員も務める。1889年(明治22年)には、米国人スミスに従いギリシャ語を学ぶ。 1890年(明治23年)3月22日、兼子両平との従前の関係上、兼子の管理する奈良県郡山尋常中学校で教授する事となるが、同志社との関係も依然継続し、引き続き教授兼評議員として勤務した。1892年(明治25年)9月26日には、奈良県郡山尋常中学校を依願免職。 1892年(明治25年)10月、大阪東区の浪花女学校(現・大阪女学院)を再興して同校の校主代理兼主幹(校長)となり、同校を監督する。1893年(明治26年)、文部省中等教員検定試験を受けて合格する。その時、受験者は約三百名いたが、合格者は清水たった一人であった。 1897年(明治30年)、再び京都同志社で教鞭を執る。1900年(明治33年)3月31日、同志社教員を辞職。 1900年(明治33年)以後、第五高等学校(現:熊本大学)、山口高等学校(現・山口大学)、山口高等商業学校(現・山口大学)教授を歴任するが、第五高等学校では、英国留学で休職する夏目漱石の後任として教授を務めた。 1906年(明治39年)、上京して、高等師範学校(現・筑波大学)、商船学校(現・東京海洋大学)、中央学校等で教鞭を執る。 1923年(大正12年)、一切の教職を退き、文部省中等教科書検定係嘱託のみとなった。 1925年(大正14年)末より、食道癌の重病となり、1926年(大正15年)9月2日に死去。六十八年の生涯であった。 長男の清水玄が、その後を継いだが、玄は東京大学政治科出身で、内務省社会局監理課長を務めていた。1921年(大正10年)には玄の欧米行きについて、渋沢栄一に協調会より補助をもらえるよう要請している。
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清水 泰次郎は、明治から大正時代に活躍した英学者、教育者。旧姓、中川。幼名、佳之助。同志社英学校(現・同志社大学)や、大阪・英和学舎(現・立教大学)を始め、多くの学校で教授を務め、第五高等学校では夏目漱石の後任となった。英文学者として、日本英文学会を創設し、日本における英文学の発展に貢献した。
'''清水 泰次郎'''(しみず たいじろう、[[1859年]][[4月14日]]〈[[安政]]6年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]〉 - [[1926年]][[9月2日]])は、明治から大正時代に活躍した[[イギリス文学者|英学者]]、教育者。旧姓、中川。幼名、佳之助。[[同志社英学校]](現・[[同志社大学]])や、大阪・英和学舎(現・[[立教大学]])を始め、多くの学校で教授を務め、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]](現:[[熊本大学]])では[[夏目漱石]]の後任となった。英文学者として、[[日本英文学会]]を創設し、日本における英文学の発展に貢献した<ref name="doc1">{{Cite journal|和書 |author=本井康博 |title=清水泰次郎について : 同志社、浪華女学校時代を中心に |journal=英学史研究 |issn=0386-9490 |publisher=日本英学史学会 |year=1987 |volume=1988 |issue=20 |pages=123-135 |naid=130003624821 |doi=10.5024/jeigakushi.1988.123 |url=https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1988.123}}</ref>。 == 人物・経歴 == 1859年(旧暦安政6年3月12日)に中川進之丞玄佳の二男として[[大阪市]]東区安土町にて生まれる。幼名を佳之助と称し、家は代々儒者にして[[医者]]を業としていた<ref name="doc1"/>。 1870年(明治3年)、10才の頃に、当時の日本では開国の思想が大きく国内に勃興し、四民平等の精神が発展していく最中、その主旨に感動し、籍を平民に移すことを決心し、その年の12月に清水姓となり、名を泰次郎と改めた<ref name="doc1"/>。 1869年(明治2年1月)より、1871年(明治4年3月)まで大阪で、山下住郎右ェ門に学び、五経・十八史略等を素読した。また、大阪医学校(現・[[大阪大学医学部]])に入学し、英学を修める傍ら、[[文部省]]直轄理学校(現・[[京都大学]])に通学し、リッター教授に従い物理化学を1871年(明治4年3月)まで研究した<ref name="doc1"/>。 1871年(明治4年3月)から1876(明治9年)11月まで、大阪において文部省直轄[[大阪英語学校 (旧制)|大阪英語学校]](開成所、現・京都大学)に入学し、[[英語]]、[[英文学]]等を学ぶ。但し、当時同校において卒業証書を授与する規定が定まっておらず、約3年間第一級に留まった<ref name="doc1"/>。 1873年(明治6年)8月から、大阪で文部省直轄[[大阪英語学校 (旧制)|英語学校]](現・京都大学)教頭の兼子両平が設立に関わった洋学義塾の塾長を務め、1876年(明治9年)5月まで内外生徒管理及び教授を担当した。その傍らで1875年(明治8年)1月に文部省直轄英語学校校長の大山政敬に要請され、嘱託を受けて1年間、同校の生徒に英語を教授する。また、1875年(明治8年)2月から1876年(明治9年)10月まで、大阪の英語学校教師イートンに従い、仏学修める<ref name="doc1"/>。 1875年(明治8年)10月より1876年(明治9年)3月まで、大阪で英国人少年のジョン・ディアボに英語綴字法及び文法等を教える<ref name="doc1"/>。 1876年(明治9年)6月より同年9月まで、大阪東区石町1丁目にあった順承舎(後の[[梅花女学校]])の舎長代理兼教頭となる。この時18才であった。この際、大阪府の検定試験に合格し、掛官の英国人スエビーより、順承舎よりも高等教育を行う学校の教員資格を有することの保証を得た<ref name="doc1"/>。 1876年(明治9年)11月下旬より1877年(明治10年)9月まで、[[神戸]]で[[三井銀行]]に招聘されて、横浜3番ワトソン商会副頭取ジョーヂュ ヲーコップの依嘱を受けて輸出米事業の事務も兼ねた<ref name="doc1"/>。 この頃、[[キリスト教]]に接し、宣教師及び牧師の指導を受けて、また自ら[[聖書]]を研究して大いに改心を促されて、遂には志を決して信仰の道に入った<ref name="doc1"/>。 1877年(明治10年)10月から1878年(明治11年)9月まで、大阪東区の北浜風雲館([[立教大学]]の前身の一つ)において、[[独逸学]]、[[漢学]]を修める。1878年(明治11年)11月から1879年(明治12年)3月まで、北浜風雲館の館主中島彬夫の要請により、英学部教頭を務める<ref name="doc1"/><ref>大阪市立図書館 明治前期大阪編年史綱文データベース [https://www.oml.city.osaka.lg.jp/?page_id=1823 『4.1887(明治20)年から1889(明治22)年』]</ref>。 1878年(明治11年)2月から約1年間、大阪の文部省直轄英語学校(現・京都大学)の教師イートンの依頼から、長男アルフレッドに英読本を講読する<ref name="doc1"/>。 1880年(明治13年)に北浜風雲館が大阪・英和学舎(現・[[立教大学]])と合併して閉校する<ref>[https://www.andrew.ac.jp/nenshi/osaka_kawaguchi_concession_hyoshi.htm 学校法人桃山学院・桃山学院史料室『大阪川口居留地・雑居地跡』]</ref>。 1881年(明治14年)7月から1883年(明治16年)12月まで、大阪西区川口の英和学舎(現・立教大学)に招聘されて教頭を務め、論理心理学を講授する<ref name="doc1"/>。 1881年(明治14年)9月から1884年(明治17年)7月まで、大阪でギューリック教授に従い、哲学を学ぶ傍ら、詩賦論法を研究する<ref name="doc1"/><!-- ギューリック教授とは、オラメル・ギューリックか、その実弟のジョン・ギューリックか -->。 1884年(明治17年)から同年7月まで、大阪西区の川口プレスビテリアン女学校(ヘール氏塾・ウィルミナ女学校、現・[[大阪女学院]])主任として、英学を教授する<ref name="doc1"/>。 1884年(明治17年)12月、東京において神田区三崎町の明治学院において、英文学を講授する<ref name="doc1"/>。 1885年(明治18年)6月、[[聖バルナバ病院]]院長の[[ヘンリー・ラニング]]の招きに応じて、帰阪して、約1年間、大阪川口の照暗女学校(現・[[平安女学院]])教頭兼英学教員を務める。1885年(明治18年)8月下旬には、大阪において[[日本英文学会]]を創立し、照暗女学校(現・平安女学院)教頭を兼務しながら同学会会長となった。当時、日本英文学会の会員数は実に数10万人以上に及んだ<ref name="doc1"/>。 1885年(明治18年)11月、大阪南区の関西英学校、東区の開成学館、西区の専修学校の教頭を兼務するが、1886年(明治19年)9月に、同3学校の教頭を辞任<ref name="doc1"/>。 1886年(明治19年)9月より1890年(明治23年)まで、[[新島襄]]の懇請により、京都の同志社(現・[[同志社大学]])の教授として教鞭を執り、評議員も務める<ref name="doc1"/><ref name="Shuryu">{{Cite journal|和書 |author=重久 篤太郎 |title=「同志社文学」の背景 |journal=主流 |issn=03893138 |publisher=同志社英文学会 |year=1955-02 |issue=18 |pages=75-82 |url=https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016628 }}</ref>。1889年(明治22年)には、米国人スミスに従い[[ギリシャ語]]を学ぶ<ref name="doc1"/>。 1890年(明治23年)3月22日、兼子両平との従前の関係上、兼子の管理する奈良県郡山尋常中学校で教授する事となるが、同志社との関係も依然継続し、引き続き教授兼評議員として勤務した。1892年(明治25年)9月26日には、奈良県郡山尋常中学校を依願免職<ref name="doc1"/>。 1892年(明治25年)10月、大阪東区の浪花女学校(現・大阪女学院)を再興して同校の校主代理兼主幹(校長)となり、同校を監督する。1893年(明治26年)、文部省中等教員検定試験を受けて合格する。その時、受験者は約三百名いたが、合格者は清水たった一人であった<ref name="doc1"/>。 1897年(明治30年)、再び京都同志社で教鞭を執る。1900年(明治33年)3月31日、同志社教員を辞職<ref name="doc1"/><ref name="Shuryu"/>。 1900年(明治33年)以後、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]](現:[[熊本大学]])、山口高等学校(現・[[山口大学]])、山口高等商業学校(現・山口大学)教授を歴任するが、第五高等学校では、英国留学で休職する[[夏目漱石]]の後任として教授を務めた<ref name="doc1"/>。 1906年(明治39年)、上京して、高等師範学校(現・[[筑波大学]])、商船学校(現・[[東京海洋大学]])、中央学校等で教鞭を執る<ref name="doc1"/>。 1923年(大正12年)、一切の教職を退き、文部省中等教科書検定係嘱託のみとなった<ref name="doc1"/>。 1925年(大正14年)末より、[[食道癌]]の重病となり、1926年(大正15年)9月2日に死去。六十八年の生涯であった<ref name="doc1"/>。 長男の[[清水玄]]が、その後を継いだが、玄は[[東京大学]]政治科出身で、[[内務省 (日本)|内務省]][[社会局]]監理課長を務めていた<ref name="doc1"/>。1921年(大正10年)には玄の欧米行きについて、[[渋沢栄一]]に協調会より補助をもらえるよう要請している<ref>デジタル版『渋沢栄一伝記資料』 [https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK310084k_text 『〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一〇年』] 第31巻 p.528-529</ref>。 == 著作 == *『雀の物語』清水泰次郎著 京都 福井源次郎 明治22年 == 脚注 == {{Reflist}} {{People-stub}} {{DEFAULTSORT:しみす たいしろう}} [[Category:イギリス文学者]] [[Category:同志社の人物]] [[Category:同志社英学校の教員]] [[Category:立教大学の教員]] [[Category:平安女学院大学の教員]] [[Category:大阪女学院大学の教員]] 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第49諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)
第49諸兵科連合軍(だい49しょへいかれんごうぐん、ロシア語: 49-я общевойсковая армия)は、ロシア陸軍の軍。南部軍管区隷下。 1941年8月7日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍(現ソ連地上軍) の第35狙撃軍団を基幹に、第49軍としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された。 1941年10月から、独ソ戦に投入され、ナチス・ドイツの首都ベルリンまで進軍して戦後に解隊された。 1992年5月、第12軍団を基幹に、クラスノダール地方で再編された。 1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入された。 1994年10月、部隊縮小に伴い、第67軍団に改編され、2001年に軍縮で解隊された。 2010年7月19日、第49諸兵科連合軍としてスタヴロポリ地方で再編された。 2017年7月、第205独立自動車化狙撃旅団がシリア内戦に投入された。 2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、第58諸兵科連合軍、第22軍団、第8親衛諸兵科連合軍隷下の第20親衛自動車化狙撃師団と合同でクリミア共和国からウクライナ南部攻勢を開始し、3月上旬までに南部ヘルソン州ヘニチェスク、ノヴァ・カホウカ、ヘルソン、スカドフスクを占領した。 2022年3月上旬、南部ムィコラーイウ州ムィコラーイウで攻勢を開始したが、防御が強固で第8親衛諸兵科連合軍隷下の第20親衛自動車化狙撃師団が南から正面攻撃を継続し、第34独立山岳狙撃旅団、第205独立自動車化狙撃旅団が迂回して北からムィコラーイウ包囲を試みたがボズネセンスクで撃退された。 2022年3月中旬から、南部ヘルソン州ベリスラフ地区に配備され、ドニエプル川西岸の橋頭堡を防衛した。8月下旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、第205独立自動車化狙撃旅団のエドゥアルド・シャンドゥラ旅団長、第227砲兵旅団のガジクルバン・マゴメドフ副旅団長が戦死し、11月中旬にドニエプル川西岸を解放されて撤退した。
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第49諸兵科連合軍は、ロシア陸軍の軍。南部軍管区隷下。
{{軍隊資料 |名称 = 第49諸兵科連合軍 |画像 = [[ファイル:Great_emblem_of_the_49th_Combined_Arms_Army.svg|150px]] |画像説明 = |創設 = 1941年8月7日 |廃止 = |再編成 = 2010年7月19日 |再廃止 = |国籍 = {{SSR}}<br />→{{RUS}} |所属 = {{flagicon image|Flag_of_the_Russian_Federation_Ground_Forces.svg}} [[ロシア陸軍]] |規模 = [[軍]] |兵科 = [[諸兵科連合]] |兵種 = 諸兵科連合作戦 |人員 = 10,000人<ref name="FO">[https://www.forbes.com/sites/davidaxe/2022/07/29/in-southern-ukraine-kyivs-artillery-drops-bridges-and-isolates-a-whole-russian-army/ In Southern Ukraine, Kyiv’s Artillery Drops Bridges And Isolates A Whole Russian Army] フォーブス</ref> |所在地 = [[スタヴロポリ地方]][[スタヴロポリ]] |編成地 = |通称号 = |愛称 = |標語 = |上級部隊 = [[南部軍管区]] |最終上級部隊 = |担当地域 = [[スタヴロポリ地方]] |最終位置 = |主な戦歴 = [[第二次世界大戦]]<br />[[シリア内戦]]<br />[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]] |司令官 = [[ヤコフ・レザンツェフ]][[中将]]{{MIA}} }} '''第49諸兵科連合軍'''(だい49しょへいかれんごうぐん、{{Lang-ru|'''49-я общевойсковая армия'''}})は、[[ロシア陸軍]]の[[軍]]。[[南部軍管区]]隷下。 == 概要 == === 第二次世界大戦 === {{seealso|モスクワの戦い|スモレンスクの戦い (1943年)|バグラチオン作戦|東プロイセン攻勢|ベルリンの戦い}} 1941年8月7日、[[第二次世界大戦]]の影響に伴い、[[赤軍]](現[[ソ連地上軍]]) の第35狙撃軍団を基幹に、'''第49軍'''として[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]](現[[ロシア]])で創設された<ref name="VU">[http://samsv.narod.ru/Arm/a49/arm.html 第49軍] ヴォロネジ州立大学公式サイト</ref>。 1941年10月から、[[独ソ戦]]に投入され、[[ナチス・ドイツ]]の首都[[ベルリン]]まで進軍して戦後に解隊された<ref name="VU"/>。 === 冷戦 === 1992年5月、第12軍団を基幹に、[[クラスノダール地方]]で再編された<ref name="TL">[https://www.ww2.dk/new/army/corps/12ak.htm 第12軍団] The Luftwaffe, 1933-45</ref>。 1992年12月26日、[[ソビエト連邦の崩壊]]と[[ロシア]]の独立に伴い、創設された[[ロシア陸軍]]に編入された。 1994年10月、部隊縮小に伴い、'''第67軍団'''に改編され、2001年に軍縮で解隊された<ref name="TL"/>。 2010年7月19日、'''第49諸兵科連合軍'''として[[スタヴロポリ地方]]で再編された。 2017年7月、[[第205独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第205独立自動車化狙撃旅団]]が[[シリア内戦]]に投入された。 === ロシアのウクライナ侵攻 === ==== 南部・ヘルソン戦線 ==== {{seealso|ウクライナ南部攻勢|ヘルソンの戦い}} 2022年2月24日から、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]では、[[第58親衛諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)|第58諸兵科連合軍]]、[[第22軍団 (ロシア海軍)|第22軍団]]、[[第8親衛諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)|第8親衛諸兵科連合軍]]隷下の第20親衛自動車化狙撃師団と合同で[[クリミア共和国]]から[[ウクライナ南部攻勢]]を開始し、3月上旬までに南部[[ヘルソン州]][[ヘニチェスク]]、[[ノヴァ・カホウカ]]、[[ヘルソン]]、[[スカドフスク]]を占領した<ref>[https://www.understandingwar.org/backgrounder/russia-ukraine-warning-update-russian-offensive-campaign-assessment-february-25-2022 Russian Offensive Campaign Assessment, February 25, 2022] 戦争研究所</ref><ref>[https://www.radiosvoboda.org/a/news-skhemy-perekhoplennya-kakhovska-hes/32480948.html «В готовности, по команде!» – журналісти опублікували перехоплення розмов окупантів на Каховській ГЕС] ラジオ・フリー・ヨーロッパ</ref><ref name="SU">[https://suspilne.media/399143-uspih-ukrainskih-vijskovih-v-tomu-so-e-motivacia-oficer-ok-pivden-rozpoviv-pro-oboronu-mikolaivsini/ "Успіх українських військових в тому, що є мотивація": офіцер ОК "Південь" розповів про оборону Миколаївщини] ススピーリネ</ref>。 ==== 南部・ムィコラーイウ戦線 ==== {{seealso|ムィコラーイウの戦い|ボズネセンスクの戦い}} 2022年3月上旬、南部[[ムィコラーイウ州]][[ムィコラーイウ]]で攻勢を開始したが、防御が強固で[[第8親衛諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)|第8親衛諸兵科連合軍]]隷下の第20親衛自動車化狙撃師団が南から正面攻撃を継続し、[[第34独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第34独立山岳狙撃旅団]]、[[第205独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第205独立自動車化狙撃旅団]]が迂回して北からムィコラーイウ包囲を試みたがボズネセンスクで撃退された<ref name="SU"/>。 ==== 南部・ヘルソン戦線 ==== {{seealso|ダヴィディウ・ブリドの戦い|2022年ウクライナの南部反攻|カホフカダム破壊事件}} 2022年3月中旬から、南部[[ヘルソン州]]ベリスラフ地区に配備され、[[ドニエプル川]]西岸の橋頭堡を防衛した。8月下旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、[[第205独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第205独立自動車化狙撃旅団]]のエドゥアルド・シャンドゥラ旅団長、[[第227砲兵旅団 (ロシア陸軍)|第227砲兵旅団]]のガジクルバン・マゴメドフ副旅団長が戦死し、11月中旬にドニエプル川西岸を解放されて撤退した<ref name="FO"/><ref>[https://real-vin.com/v-ukraine-ubit-komandir-motostrelkovoj-brigady-vs-rf В Украине убит командир мотострелковой бригады ВС РФ] ヴィーンヌィツャ州公式サイト</ref><ref>[https://charter97.org/ru/news/2022/12/7/527245/ В Украине ликвидирован очередной оккупант с высоким званием] 憲章97</ref><ref>[https://www.ukrinform.ua/rubric-ato/3586788-hersonsina-povnocinnij-kontrnastup-zsu-za-idealno-stvorenih-umov.html Херсонщина: повноцінний контрнаступ ЗСУ, за ідеально створених умов] ウクルインフォルム</ref>。 == 編制 == *{{仮リンク|第66司令部旅団 (ロシア陸軍)|ru|66-я бригада управления|label=第66司令部旅団}}([[スタヴロポリ]]) * [[第34独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第34独立山岳狙撃旅団]]([[カラチャイ・チェルケス共和国]]) * [[第205独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)|第205独立自動車化狙撃旅団]](ブドノノフスク) * {{仮リンク|第7軍事基地 (ロシア陸軍)|ru|7-я российская военная база|en|7th Military Base|label=第7軍事基地}}([[アブハジア]]) * [[第227砲兵旅団 (ロシア陸軍)|第227砲兵旅団]]([[アディゲ共和国]]) * {{仮リンク|第1親衛弾道ミサイル旅団 (ロシア陸軍)|ru|1-я гвардейская ракетная бригада|en|1st Guards Rocket Brigade|label=第1親衛弾道ミサイル旅団}}(ゴリヤチ・クリュチ) * {{仮リンク|第90対空ミサイル旅団 (ロシア陸軍)|ru|90-я зенитная ракетная бригада|label=第90対空ミサイル旅団}}([[クラスノダール]]) * 第99独立補給旅団(アディゲ共和国) * 第95独立電子戦大隊([[北オセチア共和国]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:しよへいかれんこうくん49}} [[Category:ロシア陸軍の軍]] [[Category:ソビエト連邦の部隊と編成]] [[Category:スタヴロポリ地方]] [[Category:カラチャイ・チェルケス共和国]] [[Category:アブハジア]] [[Category:アディゲ共和国]] [[Category:クラスノダール地方]] [[Category:北オセチア共和国]]
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2023年エルズルムデフリンピック
2023年エルズルムデフリンピック(2023ねんエルズルムデフリンピック)は、2024年3月2日から3月12日までの11日間、トルコ東アナトリア地方エルズルムを会場として開催される予定の冬季デフリンピック競技大会。一般的には、エルズルムデフリンと略称される。 当初、カナダ・ケベック・シティーにおいて開催する予定であったが、開催返上によりトルコ・エルズルムでの開催が決定した。
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2023年エルズルムデフリンピック(2023ねんエルズルムデフリンピック)は、2024年3月2日から3月12日までの11日間、トルコ東アナトリア地方エルズルムを会場として開催される予定の冬季デフリンピック競技大会。一般的には、エルズルムデフリンと略称される。 当初、カナダ・ケベック・シティーにおいて開催する予定であったが、開催返上によりトルコ・エルズルムでの開催が決定した。
{{オリンピックインフォメーション |大会名称 = 2023年エルズルムデフリンピック |英称・別称 = 第20回冬季デフリンピック競技大会<br>20 Winter Deaflympic |画像 = |ロゴ = |開催都市 = {{TUR}} [[エルズルム]] |参加国・地域数 = |参加人数 = |競技種目数 = |開会式 = [[2024年]][[3月2日]] |閉会式 = 2019年[[3月12日]] |開会宣言 = |選手宣誓 = |審判宣誓 = |最終聖火ランナー = |主競技場 = |冬用前冬 = [[2019年ヴァルテッリーナデフリンピック|2019年ヴァルテッリーナ]] |冬用次冬 = [[2027年平昌デフリンピック|2027年平昌]] |冬用前夏 = [[2021年カシアス・ド・スルデフリンピック|2021年カシアス・ド・スル]] |冬用次夏 = [[2025年東京デフリンピック|2025年東京]] }} '''2023年エルズルムデフリンピック'''(2023ねんエルズルムデフリンピック)は、[[2024年]][[3月2日]]から[[3月12日]]までの11日間、[[トルコ共和国|トルコ]][[東アナトリア地方]][[エルズルム]]を会場として開催される予定の冬季[[デフリンピック]]競技大会。一般的には、'''エルズルムデフリン'''と略称される。 当初、[[カナダ]]・[[ケベック・シティー]]において開催する予定であったが、開催返上によりトルコ・エルズルムでの開催が決定した。 == 実施種目 == 2023年冬季デフリンピックでは、7競技が実施される予定。本大会においては[[フットサル]]が競技として追加される予定。 {{div col}} *{{GamesSport|アルペンスキー|Events=|Format=}} *{{GamesSport|チェス|Events=|Format=}} *{{GamesSport|クロスカントリースキー|Events=|Format=}} *{{GamesSport|カーリング|Events=|Format=}} *{{GamesSport|フットサル|Events=|Format=}} *{{GamesSport|アイスホッケー|Events=|Format=}} *{{GamesSport|スノーボード|Events=|Format=}} {{div col end}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[デフリンピック]] * [[冬季デフリンピック]] == 外部リンク == * [https://winterdeaflympics2023.com/ 公式サイト] * [https://www.deaflympics.com/games/ankara-2024 大会情報] - [[国際ろう者スポーツ委員会]] {{In lang|en}} {{デフリンピック}} {{デフォルトソート:えるするむふりんひつく2023}} [[Category:デフリンピック|2023]] [[Category:2024年のスポーツ]] [[Category:トルコ開催の国際スポーツ競技大会]] [[Category:2024年のトルコ]] [[Category:エルズルム県|てふりんひつく2023]] [[Category:2024年3月]]
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カラクルト型コルベット
カラクルト型コルベット(カラクルトがたコルベット、英語: Karakurt-class corvette)は、ロシア海軍のコルベットの艦級。「カラクルト」(«Каракурт»)はロシア海軍での計画名であり、型式番号は22800型(проекта 22800)、正式な艦種は小型ミサイル艦(Малые ракетные корабли, MRK)である。 3S14 UKSK VLS8基を装備する。3S-14は水上艦向けに開発された対艦、対地、対潜ミサイル垂直発射機で、カリブルやオーニクスを運用できる。将来的には極超音速ミサイル「ツィルコン」の運用も可能とされる。 同型艦複数が2022年ロシアのウクライナ侵攻において投入されている。 2023年11月4日、ウクライナ海軍はケルチのザリブ造船所及びそこにいたカラクルート級の艦に向けミサイル攻撃を実施、一部報道では、本級の「アスコルド」がミサイルを被弾し損傷したという。
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カラクルト型コルベットは、ロシア海軍のコルベットの艦級。「カラクルト」(«Каракурт»)はロシア海軍での計画名であり、型式番号は22800型、正式な艦種は小型ミサイル艦である。
{{Infobox 艦級 |名称=カラクルト型コルベット<br />(22800型小型ミサイル艦) |画像=File:Schiff «Burya» 03.jpg |画像幅= |画像説明= カルーガ(旧名ブーリャ) |艦種=[[ミサイル艦#小型ミサイル艦|小型ミサイル艦]]([[コルベット]]) |命名基準= |建造所= ペラ造船所<br />{{仮リンク|モーレ造船所|en|More (Feodosiya)}}<br />{{仮リンク|ザリーフ造船所|en| Shipbuilding yard}}<br/>{{仮リンク|ゼレノドリスク造船所|en|Zelenodolsk Shipyard}}<br />{{仮リンク|アムール造船所|en|Amur Shipbuilding Plant}}<br />{{仮リンク|ボストーチナヤ・ヴェルフィ|en|Vostochnaya Verf}} |運用者={{navy|RUS}} |建造期間=2016年 - 現在 |就役期間=2018年 - 現在 |同型艦=16隻 |計画数=18隻<ref name="arms-expo-2016">{{cite web |author1=Станислав Закарян |title=В Зеленодольске начнется строительство первого МРК проекта 22800 "Каракурт" |url=http://www.arms-expo.ru/news/novye_razrabotki/v_zelenodolske_nachnetsya_stroitelstvo_pervogo_mrk_proekta_22800_karakurt/|website=Оружие России|access-date=2017-08-01|date=2016-09-24|language=ru |archive-url=https://web.archive.org/web/20170802040703/http://www.arms-expo.ru/news/novye_razrabotki/v_zelenodolske_nachnetsya_stroitelstvo_pervogo_mrk_proekta_22800_karakurt/|archive-date=2017-08-02|url-status=live|df=dmy-all}}</ref><ref name="cancel">{{cite web |url=http://sudostroenie.info/novosti/31223.html|title=Восточная верфь готовится к неполной рабочей неделе из-за расторжения контракта с Минобороны|publisher=Sudostroenie.info |date=2020-09-17|access-date=2020-09-17|language=ru}}</ref> |建造数= |前級= [[ブーヤン型コルベット|ブーヤンM型(21631型)]] |次級=(最新) |要目注記= |排水量=<!--「[[トン数|トン]]」の使用を推奨--> |基準排水量=800 [[トン数|トン]] |満載排水量=870 [[トン数| トン]] |全長=77.0 [[メートル|m]] |水線長= |垂線間長= |幅= |全幅=9 m |水線幅= |高さ= |吃水=4.0 m |深さ= |機関= [[CODAD]]方式 |主缶= |主機= |推進器=[[スクリュープロペラ]]×3軸 |電源= |出力= |速力=<!--「{{Convert| | kn| km/h| lk = on}}」の使用を推奨--> |最大速力=30 [[ノット|kt]] |巡航速力= |航続距離=2,500 [[海里|nmi]]<!--「{{Convert| | nmi| km| lk = on}}」の使用を推奨--> |燃料=<!-- トン --> |航海日数= 15日 |乗員=39名 |搭載能力= |兵装= *[[AK-176 (両用砲)|AK-176MA]] 76.2mm砲×1基 *[[Kord重機関銃]]×1基 *[[AK-630]]多砲身機関砲×2基{{Efn2|4番艦は以降は[[パーンツィリ-S1]]×1基}} *[[3S14 UKSK]]×8セル |装甲= |搭載機=[[オルラン10]][[UAV]] <ref>{{cite web |url= https://iz.ru/1013506/aleksei-ramm-bogdan-stepovoi/sudba-karakurta-raspredelena-pervaia-partiia-malykh-raketnykh-korablei |title= Судьба "Каракурта": распределена первая партия малых ракетных кораблей |website=Izvestia |date=2020-05-21 |language=ru |access-date=2020-09-11 |archive-url= https://web.archive.org/web/20200529120808/https://iz.ru/1013506/aleksei-ramm-bogdan-stepovoi/sudba-karakurta-raspredelena-pervaia-partiia-malykh-raketnykh-korablei |archive-date=2020-05-29 |url-status=live}}</ref> |搭載艇= |C4I=<!--戦術情報処理装置やデータ・リンク装置など--> |C4ISR= |FCS= |レーダー= |ソナー= |機雷戦= |電子戦=<!--省略可能; ECM, ESM装置など--> |特殊装備=<!--掃海装備など--> |その他= |備考= }} '''カラクルト型コルベット'''(カラクルトがたコルベット、{{lang-en|Karakurt-class corvette}})は、[[ロシア海軍]]の[[コルベット]]の艦級<ref>{{Cite web |title=Karakurt Class Corvettes - Carro e motos |url=https://carroemotos.com.br/karakurt-class-corvettes/ |website=carroemotos.com.br |date=2023-11-07 |access-date=2023-11-08 |language=pt-BR}}</ref>。「カラクルト」({{lang|ru|«Каракурт»}})はロシア海軍での計画名であり、型式番号は'''22800型'''({{lang|ru|проекта 22800}})、正式な艦種は[[ミサイル艦#小型ミサイル艦|小型ミサイル艦]]({{lang|ru|Малые ракетные корабли}}, MRK)である。 == 設計 == === 武装 === [[3S14 UKSK]] [[VLS]]8基を装備する。3S-14は水上艦向けに開発された[[艦対艦ミサイル|対艦]]、[[艦対地ミサイル|対地]]、[[対潜ミサイル]]垂直発射機で、[[クラブ (ミサイル)|カリブル]]や[[P-800 (ミサイル)|オーニクス]]を運用できる。将来的には極超音速ミサイル「[[3M22 ツィルコン|ツィルコン]]」の運用も可能とされる<ref>{{Cite web |title=Национальная оборона / Флот / Через тернии… к здравому смыслу |url=https://2009-2020.oborona.ru/includes/periodics/navy/2015/0730/153716373/detail.shtml |website=2009-2020.oborona.ru |access-date=2023-11-08}}</ref>。 == 運用 == 同型艦複数が[[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]において投入されている。 [[2023年]][[11月4日]]、ウクライナ海軍は[[ケルチ]]の{{仮リンク|ザリフ造船所|ru|Залив (завод)|en|Zalyv Shipbuilding Yard}}及びそこにいたカラクルート級の艦に向けミサイル攻撃を実施、一部報道では、本級の「アスコルド」がミサイルを被弾し損傷したという<ref>{{Cite web |title=ウクライナ軍がクリミア半島ケルチ市のザリフ造船所を巡航ミサイルで攻撃、ロシア軍艦「アスコリド」が大破(JSF) - エキスパート |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2e4bddd3168166f92a5842f006f8cc7cb155400f |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-11-10 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=就役前の黒海艦隊の最新鋭艦、ウクライナのミサイル攻撃によって損傷か│ミリレポ|ミリタリー関係の総合メディア |url=https://milirepo.sabatech.jp/the-black-sea-fleets-most-advanced-ship-which-is-yet-to-be-commissioned-may-have-been-damaged-by-a-ukrainian-missile-attack/,%20https://milirepo.sabatech.jp/ |website=milirepo.sabatech.jp |access-date=2023-11-10 |language=ja}}</ref>。 == 同型艦 == == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} {{commonscat|Karakurt class corvette}} {{DEFAULTSORT:からくるときゆうこるへつと}} [[Category:ソ連・ロシアのコルベット]] {{ソ連・ロシアの水上戦闘艦(1945年以降)}}
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タンザニア天然資源観光省
タンザニア天然資源観光省(タンザニアてんねんしげんかんこうしょう、英: Ministry of Natural Resources and Tourism)は、天然資源や文化資源の管理、観光産業の発展を担うタンザニア政府の省庁。 さまざまな観光資源や観光産業プロジェクトに幅広く投資している。同省の事務所はドドマにある。2020年10月にダマス・ンドゥンバロ(英語版)博士がタンザニアの新観光大臣に就任した。 同省のモットーは「忘れられないタンザニア」である。 同省の業務は 4 つの基本的なワークグループで構成されている: さらに、省内にはさまざまなサポート部門や管理部門がある。
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福岡市立百道浜小学校
福岡市立百道浜小学校(ふくおかしりつ ももちはましょうがっこう)は、福岡県福岡市早良区百道浜4丁目にある公立小学校。 百道浜小学校の学校立地場所は、埋め立て地であるシーサイドももちの百道浜地区、1989年に開催されたアジア太平洋博覧会の跡地の一部が活用されて開校した。
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福岡市立百道浜小学校は、福岡県福岡市早良区百道浜4丁目にある公立小学校。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2023年11月8日 (水) 20:07 (UTC) | 特筆性 = 2023年11月8日 (水) 20:07 (UTC) }} {{Infobox 日本の学校 |校名=福岡市立百道浜小学校 |国公私立=[[公立学校]] |設置者=[[福岡市]] |校訓=世界を視野に 未来に挑む |設立年月日=[[1993年]]11月 |共学・別学=[[男女共学]] |学期=[[3学期制]] |学校コード=B140213001416 |郵便番号=814-0001 |所在地=福岡県福岡市早良区百道浜4丁目24番1号 |外部リンク=[https://sites.google.com/fuku-c.ed.jp/elmomoth/ 公式サイト] }} '''福岡市立百道浜小学校'''(ふくおかしりつ ももちはましょうがっこう)は、[[福岡県]][[福岡市]][[早良区]][[百道浜]]4丁目にある[[公立学校|公立]][[小学校]]<ref name="shibafu">{{PDFlink|[https://www.jstage.jst.go.jp/article/turfgrass/37/2/37_118/_pdf/-char/ja 校庭芝生化事例報告~福岡市立百道浜小学校~]}}</ref>。 == 概要 == 百道浜小学校の学校立地場所は、埋め立て地である[[シーサイドももち]]の百道浜地区、[[1989年]]に開催された[[アジア太平洋博覧会]]の跡地の一部が活用されて開校した<ref name=":1">{{PDFlink|[https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/52537/1/r1_s1_momochihama_book.pdf 福岡市 早良区百道浜校区 データ集]}}</ref><ref name="shibafu" />。 == 沿革 == * [[1993年]] - 福岡市立百道浜小学校開校<ref name="shibafu" /> * [[2008年]] - 学校グラウンドを天然芝生化<ref>{{Cite web |title=百道浜小学校校庭緑化工事 [2008年3月竣工] |url=https://www.kofu-field.com/archives/2488 |website=コウフ・フィールド |date=2008-03-31 |access-date=2023-11-09 |language=ja}}</ref><ref name="shibafu" /> == 通学区域 == * 百道浜1丁目〜4丁目<ref name="tsugaku">{{PDFlink|[https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/23416/1/R5gakkoubetu.pdf 福岡市教育委員会 通学区域一覧(学校別)]}}</ref> == 進学先中学校 == * [[福岡市立百道中学校|百道中学校]]<ref name="tsugaku" /> == 周辺 == * [[福岡タワー]] * [[マリゾン]] * [[シーサイドももち海浜公園]] * [[福岡市博物館]] * [[福岡市総合図書館]] * 百道浜公民館 * 百道中央公園 * 福岡ソフトリサーチパーク * [[西南学院小学校]] * [[西南学院中学校・高等学校]] * [[国際医療福祉大学]]福岡キャンパス * 福岡市医師会館・福岡市急患診療センター * 福岡山王病院 * [[国立病院機構九州医療センター]] * [[福岡PayPayドーム]] * [[MARK IS 福岡ももち]] * [[E・ZO FUKUOKA]] == エピソード == * 百道浜校区夏まつりが開催される。見どころは百道浜音頭の総踊り<ref name="skynetasia">{{cite web |url=https://fukucomi.city.fukuoka.lg.jp/news?xhname=%E7%99%BE%E9%81%93%E6%B5%9C%E6%A0%A1%E5%8C%BA%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A |title=4年ぶりの百道浜校区「夏まつり」2023 |date=2023-07-22 |publisher=ふくコミ 福岡市地域コミュニティサイト |accessdate=2023-11-14}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == * [[福岡県小学校一覧]] == 外部リンク == * [https://sites.google.com/fuku-c.ed.jp/elmomoth/ 福岡市立百道浜小学校] {{School-stub|pref=福岡県}} {{DEFAULTSORT:ふくおかしりつももちはましよう}} [[Category:福岡市の公立小学校|ももちはま]] [[Category:早良区の小学校|ももちはま]] [[Category:学校記事]]
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KLASS
KLASS株式会社(英:KLASS Corpration)は、兵庫県たつの市に本社を置き、自動壁紙糊付機やコンピュータ式畳製造システム、特殊機能畳、みそ汁などのディスペンサーの製造・販売をおこなう企業である。 畳屋の次男である頃安長三が1948年(昭和23年)に兵庫県龍野市(現たつの市)で、畳製造を手助けする機械を製造・販売する株式会社龍野ギヤー製作所を設立したのがはじまり。 1971年(昭和46年)には日本初の自動壁紙糊付機を開発し、日本の高度成長に伴う住宅着工数の増加、建築様式洋風化の一助となる。その後、1981年(昭和56年)日本初のコンピュータ式畳製造システムを開発。職人の経験や勘の世界をデジタルに置き換えることに成功した。 また、1991年(平成3年)には龍野市(現たつの市)の異業種交流会(そうめん、薄口しょうゆの企業団体が参加)から発展し食品機器事業に参入。現在では、その発展形であるマルチディスペンサーが大手飲食チェーン店でみそ汁やうどん・そばダシなどのディスペンサーとして使われている。また、産業機器分野やソーラーエネルギー分野にも参入している。
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KLASS株式会社は、兵庫県たつの市に本社を置き、自動壁紙糊付機やコンピュータ式畳製造システム、特殊機能畳、みそ汁などのディスペンサーの製造・販売をおこなう企業である。
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丸谷浩介
丸谷 浩介(まるたに こうすけ、1971年 - )は、日本の法学者(社会保障法)。九州大学大学院法学研究院教授、日本学術会議会員。福岡地方最低賃金審議会会長。 長崎県大村市生まれ。1994年千葉大学法経学部法学科卒業。1996年熊本大学大学院法学研究科修士課程修了、修士(法学)。1998年九州大学大学院法学研究科博士課程退学。 西九州大学健康福祉学部講師を経て、2002年佐賀大学経済学部講師。2003年佐賀大学経済学部准教授。2007年佐賀県介護保険審査会審査員。2008年全国健康保険協会佐賀県支部評議員。2010年佐賀県労働委員会公益委員、佐賀市国民健康保険運営協議会委員。 2012年佐賀大学経済学部教授、日本社会保障法学会理事。2013年社会福祉士・精神保健福祉士試験委員。2016年九州大学大学院法学研究院准教授、佐賀大学経済学部非常勤講師、博士(法学)。 2017年九州大学大学院法学研究院教授、日本学術会議連携会員、福岡地方最低賃金審議会公益委員。2020年放送大学客員教員。2021年福岡県労働委員会公益委員。2023年福岡地方最低賃金審議会会長、日本学術会議会員。専攻は社会保障法。
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丸谷 浩介は、日本の法学者(社会保障法)。九州大学大学院法学研究院教授、日本学術会議会員。福岡地方最低賃金審議会会長。
'''丸谷 浩介'''(まるたに こうすけ、[[1971年]] - )は、[[日本]]の[[日本の法学者一覧#社会保障法|法学者]]([[社会保障法]])。[[九州大学大学院法学研究院]][[教授]]、[[日本学術会議会員]]。福岡地方最低賃金審議会会長。 ==履歴== [[長崎県]][[大村市]]生まれ<ref name="ki"/><ref>[https://www.law.kyushu-u.ac.jp/general/staff/marutani_kosuke 教員紹介 ―丸谷 浩介―]九州大学</ref>。1994年[[千葉大学]]法経学部法学科卒業<ref name="ki"/>。1996年[[熊本大学]]大学院法学研究科修士課程修了、[[修士(法学)]]。1998年[[九州大学大学院法学研究科]]博士課程退学<ref name="ki">[https://pro.kinokuniya.co.jp/ja/search_detail/product?ServiceCode=1.0&UserID=PLATONguest&isbn=9784595322006&search_detail_called=1&table_kbn=A%2CE%2CF ライフステージと社会保障]紀伊國屋書店</ref><ref name="j">[https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901071993104461 丸谷 浩介 マルタニ コウスケ | Marutani Kosuke]J-GLOBAL</ref>。 [[西九州大学]]健康福祉学部講師を経て<ref>[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K006487/index.html 丸谷 浩介(まるたに こうすけ) データ更新日:2023.09.13 教授 /  法学研究院 公法・社会法学部門 社会法学]九州大学</ref><ref>[https://pro.kinokuniya.co.jp/fr08001Action.do?search_detail_called=1&UserID=PLATONguest&ServiceCode=1.0&isbn=9784589037060 求職者支援と社会保障―イギリスにおける労働権保障の法政策分析]紀伊國屋書店</ref>、2002年[[佐賀大学]]経済学部講師。2003年佐賀大学経済学部准教授<ref name="j"/>。2007年[[佐賀県]][[介護保険]]審査会審査員。2008年[[全国健康保険協会]]佐賀県支部[[評議員]]。2010年佐賀県[[労働委員会]]公益委員、[[佐賀市]][[国民健康保険]]運営協議会委員<ref name="sh">[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K006487/society.html 社会活動]九州大学</ref>。 2012年佐賀大学経済学部教授<ref name="j"/>、[[日本社会保障法学会]][[理事]]<ref>[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K006487/research.html 研究活動]九州大学</ref>。2013年[[社会福祉士]]・[[精神保健福祉士試験]]委員<ref name="sh"/>。2016年[[九州大学大学院法学研究院]]准教授<ref name="j"/>、佐賀大学経済学部非常勤講師<ref name="k"/>、[[博士(法学)]]<ref name="ki"/>。 2017年九州大学大学院法学研究院教授<ref name="j"/>、[[日本学術会議連携会員]]、福岡地方[[最低賃金]]審議会公益委員<ref name="sh"/>。2020年[[放送大学]]客員教員<ref name="k">[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K006487/education.html 教育活動]九州大学</ref>。2021年[[福岡県]]労働委員会公益委員<ref name="sh"/>。2023年福岡地方最低賃金審議会会長<ref name="sh"/>、[[日本学術会議会員]]<ref>[https://www.scj.go.jp/ja/scj/member/index.html 会員一覧(一部・二部・三部)]日本学術会議</ref>。専攻は[[社会保障法]]<ref name="ki"/>。 == 著書 == *『求職者支援と社会保障 : イギリスにおける労働権保障の法政策分析』[[法律文化社]] 2015年 *『ライフステージと社会保障』[[放送大学教育振興会]] 2020年 *『新たな時代の社会保障法』([[山田晋]], [[西田和弘]], [[石田道彦]], [[平部康子]]と共編)法律文化社 2022年 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:まるたに こうすけ}} [[Category:21世紀日本の法学者]] [[Category:社会保障法学者]] [[Category:ヨーロッパ研究者]] [[Category:日本学術会議会員]] [[Category:日本学術会議連携会員]] [[Category:博士(法学)取得者]] [[Category:修士(法学)取得者]] [[Category:九州大学の教員]] [[Category:佐賀大学の教員]] [[Category:西九州大学の教員]] [[Category:九州大学出身の人物]] [[Category:熊本大学出身の人物]] [[Category:千葉大学出身の人物]] [[Category:長崎県出身の人物]] [[Category:1971年生]] [[Category:存命人物]]
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全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会
全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会(ぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかいあいちけんよせんかい)は、2010年から毎年11月に愛知県で開催されている選手権大会の県予選である。 県予選で優勝したチームが年明けすぐの1月に開催される選手権大会に出場できる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会(ぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかいあいちけんよせんかい)は、2010年から毎年11月に愛知県で開催されている選手権大会の県予選である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "県予選で優勝したチームが年明けすぐの1月に開催される選手権大会に出場できる。", "title": null } ]
全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会(ぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかいあいちけんよせんかい)は、2010年から毎年11月に愛知県で開催されている選手権大会の県予選である。 県予選で優勝したチームが年明けすぐの1月に開催される選手権大会に出場できる。
{{スポーツ大会シリーズ |大会名 = 全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会 |競技 = [[バレーボール]] |大会形式 = トーナメント方式 |画像 = |開始年 = 2010(前身は1948・1970) |終了年 = |主催 = [[日本バレーボール協会]]<br/>[[愛知県バレーボール協会]]ほか |協賛 = ジャパネットホールディングス<br />ポカリスエット |前回優勝 = 男子:愛工大名電(3年ぶり5回目)<br>女子:豊川(初優勝) |最多優勝 = 男子:星城(7回)<br>女子:岡崎学園(8回) |サイト = {{URL|https://www.aichi-va.gr.jp/tournament_category/high/page/2}} }} '''全日本バレーボール選手権大会愛知県予選会'''(ぜんにほんバレーボールせんしゅけんたいかいあいちけんよせんかい)は、2010年から毎年11月に愛知県で開催されている選手権大会の県予選である<ref name=":0">[https://www.aichi-va.gr.jp/tournament_category/high/page/2 公式サイト]</ref>。 県予選で優勝したチームが年明けすぐの1月に開催される選手権大会に出場できる<ref name=":0" />。 == 結果 == === 男子 === {| class=wikitable !年!!優勝校!!試合結果!!準優勝校!!colspan="2"|ベスト4校 |- |2010年||'''星城'''||25-18 23-25 27-25 25-14||大同大大同||岡崎工業||愛工大名電 |- |2011年||'''星城'''||25-18 25-27 25-19 25-22||大同大大同||愛工大名電||名城大付 |- |2012年||'''星城'''||25-18 25-18 25-18||大同大大同||愛産大三河||愛工大名電 |- |2013年||'''星城'''||25-16 25-9 25-17||愛工大名電||大同大大同||愛産大三河 |- |2014年||'''愛工大名電||30-28 25-21 25-18||星城||大同大大同||岡崎工業 |- |2015年||'''星城'''||25-20 23-25 23-25 25-22 15-13||愛工大名電||大同大大同||豊橋中央 |- |2016年||'''星城'''||27-25 17-25 17-25 27-25 15-11||愛工大名電||豊橋中央||栄徳 |- |2017年||'''愛工大名電'''||25-20 25-21 25-18||星城||栄徳||豊橋中央 |- |2018年||'''愛工大名電'''||31-29 25-21 32-30||星城||豊橋中央||栄徳 |- |2019年||'''愛工大名電'''||29-31 22-25 25-21 25-23 16-14||大同大大同||星城||豊橋中央 |- |2020年||'''星城'''||24-26 25-18 23-25 29-27 15-10||大同大大同||栄徳||愛工大名電 |- |2021年||'''星城'''||25-22 25-27 14-25 25-15 15-12||愛工大名電||大同大大同||栄徳 |- |2022年||'''愛工大名電'''||25-18 25-18 22-25 25-20||大同大大同||星城||岡崎工科 |} === 女子 === {| class=wikitable !年!!優勝校!!試合結果!!準優勝校!!colspan="2"|ベスト4校 |- |2010年||'''人環大岡崎'''||25-22 22-25 25-19 25-17||豊橋中央||椙山女学園||名古屋商業 |- |2011年||'''椙山女学園'''||25-23 23-25 27-25 25-23||豊橋中央||人環大岡崎||藤ノ花女子 |- |2012年||'''人環大岡崎'''||25-20 25-17 25-14||豊丘||豊橋中央||椙山女学園 |- |2013年||'''人環大岡崎'''||25-16 25-21 25-16||椙山女学園||豊橋中央||名古屋商業 |- |2014年||'''岡崎学園'''||25-19 26-24 25-16||名古屋商業||豊橋中央||岡崎商業 |- |2015年||'''岡崎学園'''||18-25 25-23 25-15 25-14||豊橋中央||名古屋商||藤ノ花女子 |- |2016年||'''岡崎学園'''||17-25 25-21 25-23 25-20||豊橋中央||誠信||岡崎商業 |- |2017年||'''豊橋中央'''||25-19 25-22 16-25 25-23||誠信||岡崎学園||名古屋商業 |- |2018年||'''誠信'''||25-18 18-25 25-19 25-23||岡崎学園||豊橋中央||名古屋商業 |- |2019年||'''岡崎学園'''||17-25 12-25 25-22 25-15 15-8||誠信||豊川||豊橋中央 |- |2020年||'''誠信'''||25-17 24-26 25-10 15-25 15-9 ||豊川||岡崎学園||豊橋中央 |- |2021年||'''岡崎学園'''||23-25 25-19 25-21 25-22||誠信||豊川||豊橋中央 |- |2022年||'''豊川'''||25-16 16-25 14-25 25-23 16-14||人環大岡崎||誠信||安城学園 |} == 選手権大会での成績 == === 男子 === {| class=wikitable !年!!出場校!!試合結果 |- |2011年||星城||2回戦敗退 |- |2012年||星城||ベスト16 |- |2013年||星城||'''優勝''' |- |2014年||星城||'''優勝''' |- |2015年||愛工大名電||ベスト4 |- |2016年||星城||ベスト8 |- |2017年||星城||初戦敗退(1回戦) |- |2018年||愛工大名電||ベスト16 |- |2019年||愛工大名電||ベスト16 |- |2020年||愛工大名電||2回戦敗退 |- |2021年||星城||初戦敗退(1回戦) |- |2022年||星城||2回戦敗退 |- |2023年||愛工大名電||初戦敗退(2回戦) |} ===女子=== {| class=wikitable !年!!出場校!!試合結果 |- |2011年||人環大岡崎||2回戦敗退 |- |2012年||椙山女学園||初戦敗退(1回戦) |- |2013年||人環大岡崎||2回戦敗退 |- |2014年||人環大岡崎||初戦敗退(2回戦) |- |2015年||岡崎学園||初戦敗退(1回戦) |- |2016年||岡崎学園||2回戦敗退 |- |2017年||岡崎学園||2回戦敗退 |- |2018年||豊橋中央||2回戦敗退 |- |2019年||誠信||初戦敗退(1回戦) |- |2020年||岡崎学園||2回戦敗退 |- |2021年||誠信||ベスト8 |- |2022年||岡崎学園||ベスト8 |- |2023年||豊川||2回戦敗退 |} == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.aichi-va.gr.jp/tournament_category/high/page/2 公式サイト] * [https://www.haruko-volley.com/ 春高バレーボール] {{DEFAULTSORT:せんにほんはれえほおるせんしゆけんたいかいあいちけんよせんかい}} [[Category:日本のバレーボール大会]]
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大塚一佐
大塚 一佐(おおつか いっさ、2004年9月3日 - )は、栃木県日光市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。 ブラジルで出生後、栃木県日光市で育つ。地元の日光東中学校を卒業後は北海道釧路市の武修館高等学校に進学。高校時代から飛び級で日本代表としてU-20の大会に参加した。 2023年6月13日にアジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに入団した。 趣味は映画鑑賞で好きなアーティストは高橋優。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大塚 一佐(おおつか いっさ、2004年9月3日 - )は、栃木県日光市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ブラジルで出生後、栃木県日光市で育つ。地元の日光東中学校を卒業後は北海道釧路市の武修館高等学校に進学。高校時代から飛び級で日本代表としてU-20の大会に参加した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2023年6月13日にアジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに入団した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "趣味は映画鑑賞で好きなアーティストは高橋優。", "title": "人物" } ]
大塚 一佐は、栃木県日光市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。
{{Infobox ice hockey player | name = 大塚 一佐 | image = 大塚一佐 cropped from 202310221612 DSCN7121.jpg | image_size = 280px | image_alt = center | image_caption = 2023年10月22日 栃木県立日光霧降アイスアリーナにて | nickname = アレックス{{R|選手紹介}} | nationality = {{BRA}}<br>{{JPN}}<br />([[多重国籍|二重国籍]]){{R|選手紹介}}<!--ブラジルは出生地主義でブラジル国籍の離脱は原則不可。ブラジル国籍を離脱している場合は出典付きで記述をお願いします。 --> | birth_date = {{生年月日と年齢|2004|9|3}}<!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} --> | birth_place = {{BRA}} | from = {{JPN}}<br>[[栃木県]][[日光市]] | death_date = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} --> | death_place = | height_ft = 5 | height_in = 10 | weight_lb = 150 | position = [[ゴールテンダー]] | shoots = | shot = | catches = 左 | caught = | team = [[H.C.栃木日光アイスバックス]] | educational = [[武修館中学校・高等学校|武修館高等学校]] | teams = [[H.C.栃木日光アイスバックス]] (2023 - ) | played_for = | ntl_team = {{Flagicon|JPN}} [[アイスホッケー日本代表|日本]] | career_start = 2023 | career_end = }} '''大塚 一佐'''(おおつか いっさ、[[2004年]][[9月3日]] - )は、[[栃木県]][[日光市]]出身のプロ[[アイスホッケー]]選手。ポジションは[[ゴールテンダー]]。[[アジアリーグアイスホッケー]]の[[H.C.栃木日光アイスバックス]]に所属<ref name="選手紹介">{{cite web|url=https://www.icebucks.jp/players/21687/|title=大塚 一佐 選手紹介|publisher=H.C.栃木日光アイスバックス|accessdate=November 7, 2023}}</ref>。 == 経歴 == [[ブラジル]]で出生後、[[栃木県]][[日光市]]で育つ{{R|日光入団}}。地元の日光東中学校を卒業後は[[北海道]][[釧路市]]の[[武修館中学校・高等学校|武修館高等学校]]に進学{{R|日光入団}}。高校時代から飛び級で[[アイスホッケー日本代表|日本代表]]としてU-20の大会に参加した{{R|日光入団}}。 2023年6月13日に[[アジアリーグアイスホッケー]]の[[H.C.栃木日光アイスバックス]]に入団した<ref name="日光入団">{{cite web|url=https://www.icebucks.jp/news/2023/06/13/21729/|title=【新入団選手のお知らせ】~大塚一佐選手~|work=【H.C.栃木日光アイスバックス】公式サイト|date=June 13, 2023|accessdate=November 8, 2023}}</ref>。 == 人物 == 趣味は映画鑑賞で好きなアーティストは[[高橋優]]{{R|選手紹介}}。 == 詳細情報 == === 背番号 === * '''9'''(2023年 - ) === 代表歴 === * U-18 日本代表 2回 * U-20 日本代表 2回 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{commonscat|Issa Otsuka}} * {{Ice hockey stats|nhl=|elite=903264|euro=|hr=|hockeydb=|legends=}} * [https://www.jihf.or.jp/team_japan/detail.php?id=133 大塚 一佐] - JIHF 公益財団法人 日本アイスホッケー連盟 * {{Instagram|issa.o0903|大塚一佐 Issa Otsuka}} {{H.C.栃木日光アイスバックスの選手・スタッフ}} {{デフォルトソート:おおつか いつさ}} [[Category:日本のアイスホッケー選手]] [[Category:ブラジルの男子スポーツ選手]]<!--ブラジルは出生地主義でブラジル国籍の離脱は原則不可。ブラジル国籍を離脱している場合は出典付きで記述をお願いします。 --> [[Category:日系ブラジル人のスポーツ選手]]<!--ブラジルは出生地主義でブラジル国籍の離脱は原則不可。ブラジル国籍を離脱している場合は出典付きで記述をお願いします。 --> [[Category:H.C.栃木日光アイスバックスの選手]] [[Category:アイスホッケー男子日本代表選手]] [[Category:多重国籍の人物]]<!--ブラジルは出生地主義でブラジル国籍の離脱は原則不可。ブラジル国籍を離脱している場合は出典付きで記述をお願いします。 --> [[Category:ブラジル出身の人物]] [[Category:栃木県出身のスポーツ選手]] [[Category:2004年生]] [[Category:存命人物]]
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ホーフトドルプ・ピオニールス
ホーフトドルプ・ピオニールス(蘭: Hoofddorp Pioniers)は、オランダの北ホラント州ホーフトドルプを拠点とする野球チーム。ホーフトクラッセ所属。 野球部門とソフトボール部門から成るスポーツクラブ。 1997年にホーフトクラッセ優勝経験がある。1998年にヨーロピアンカップI準優勝。2003年・2006年にヨーロピアンカップII(イタリア語版)優勝。 1982年から2010年までコニカミノルタが、2011年から2016年までオランダ企業のファーセン(Vaessen BV)がスポンサーを務めており、それぞれチーム名に冠していた。
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ホーフトドルプ・ピオニールスは、オランダの北ホラント州ホーフトドルプを拠点とする野球チーム。ホーフトクラッセ所属。
{{for|女子[[ソフトボール]]チーム|ホーフトドルプ・ピオニールス (ソフトボール)}} {{IBL infobox |チーム名 = ホーフトドルプ・ピオニールス |愛称 = |原語表記 = Hoofddorp Pioniers |創設年度 = 1966年 |解散年度 = |加盟団体 = {{Flagicon|NED}} [[オランダ王立野球・ソフトボール協会]] |所属リーグ = [[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]] |現在のチーム名 = ホーフトドルプ・ピオニールス (2017年 - ) |過去のチーム名 = ファーセン・ピオニールス (2011年 - 2016年)<br />コニカミノルタ・ピオニールス (2005年 - 2010年)<br />ミノルタ・ピオニールス (1982年 - 2004年) |ホームタウン = {{Flagicon|Noord-Holland}} [[北ホラント州]][[ホーフトドルプ]] |本拠地 = Sportpark Pioniers |過去の本拠地 = |永久欠番 = |リーグ優勝回数 = 1 |リーグ優勝年 = 1997年 |欧州チャンピオンズカップ優勝回数 = |欧州チャンピオンズカップ優勝年 = |オーナー = |会長 = |GM = |監督 = Jasper de Jong }} '''ホーフトドルプ・ピオニールス'''({{Lang-nl-short|Hoofddorp Pioniers}})は、[[オランダ]]の[[北ホラント州]][[ホーフトドルプ]]を拠点とする[[野球]]チーム。[[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]所属。 == 概要 == 野球部門と[[ホーフトドルプ・ピオニールス (ソフトボール)|ソフトボール部門]]から成るスポーツクラブ。 1997年に[[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]優勝経験がある。1998年に[[欧州チャンピオンズカップ (野球)|ヨーロピアンカップI]]準優勝。2003年・2006年に{{仮リンク|ヨーロピアンカップII|it|Coppa delle Coppe (baseball)}}<ref group="注">[[欧州チャンピオンズカップ (野球)|ヨーロピアンカップI]]の下部大会。</ref>優勝。 1982年から2010年まで[[コニカミノルタ]]<ref group="注">2004年までは[[ミノルタ]]。</ref>が、2011年から2016年までオランダ企業のファーセン(''Vaessen BV'')がスポンサーを務めており、それぞれチーム名に冠していた。 == 歴史 == <ref>[https://www.hoofddorp-pioniers.nl/club-info/historie/ Historie] Hoofddorp Pioniers</ref> * 1966年9月1日 - サッカークラブ「'''ETO'''(''Eerlijk ter Overwinning'')」の野球部門として創設。 * 1979年 - '''ホーフトドルプ・ピオニールス'''としてETOから独立。同年に[[ホーフトドルプ・ピオニールス (ソフトボール)|ソフトボール部門]]を設置。 * 1982年 - [[ミノルタ]](のちの[[コニカミノルタ]])がスポンサーとなる。(2010年まで) * 1984年 - [[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]に初昇格。 * 1997年 - {{仮リンク|ホラント・シリーズ|nl|Holland Series}}で[[HCAW]]を下し、[[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]初優勝。 * 1998年 - [[欧州チャンピオンズカップ (野球)|ヨーロピアンカップI]]決勝進出。[[イタリア]]の[[パルマ・ベースボールクラブ|パルマ]]に敗れ準優勝。 == 所属選手 == {{updated|2023年シーズン}}<ref>[https://stats.knbsbstats.nl/en/events/2023-hoofdklasse-honkbal/teams/23065 Teams & Rosters - Hoofddorp Pioniers] [[オランダ王立野球・ソフトボール協会|KNBSB]]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[ホーフトクラッセ (野球)]] * [[オランダ王立野球・ソフトボール協会]] * [[ホーフトドルプ・ピオニールス (ソフトボール)]] == 外部リンク == * {{Official|www.hoofddorp-pioniers.nl/}} {{nl icon}} * {{Facebook|Pioniers|Hoofddorp Pioniers}} * {{Twitter|Hfd_Pioniers|Hoofddorp Pioniers}} * {{Instagram|hoofddorp_pioniers_official|Hoofddorp Pioniers}} {{ホーフトクラッセ (野球)}} {{Normdaten}} {{Baseball-stub}} {{DEFAULTSORT:ほおふととるふひおにいるす}} [[Category:オランダの野球チーム]] [[Category:北ホラント州のスポーツ]] [[Category:ハーレマーメール]] [[Category:コニカミノルタ|歴]] [[Category:1966年設立のスポーツチーム]]
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佐々木祐希
佐々木 祐希(ささき ゆうき、1992年5月21日 - )は、宮城県仙台市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。 駒澤大学附属苫小牧高等学校を卒業後、法政大学に進学し、海外リーグと東北フリーブレイズを経て、2023年6月14日にH.C.栃木日光アイスバックスへ入団。 趣味は愛犬と遊ぶことで好きな芸能人は倉科カナ。
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佐々木 祐希は、宮城県仙台市出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。アジアリーグアイスホッケーのH.C.栃木日光アイスバックスに所属。
{{別人|佐々木勇気|佐々木佑紀}} {{Infobox ice hockey player | name = 佐々木 祐希 | image = | image_size = | nickname = ゆうきさん{{R|選手紹介}} | nationality = {{JPN}} | birth_date = {{生年月日と年齢|1992|5|21}} | birth_place = {{JPN}}<br>[[宮城県]][[仙台市]] | death_date = | death_place = | height_ft = 5 | height_in = 10 | weight_lb = 176 | position = [[ディフェンス (アイスホッケー)|ディフェンス]] | shoots = 右 | shot = | catches = | caught = | team = [[H.C.栃木日光アイスバックス]] | educational = [[駒澤大学附属苫小牧高等学校]]<br>[[法政大学]] | teams = [[東北フリーブレイズ]](2019 - 2023)<br>[[H.C.栃木日光アイスバックス]] (2023 - ) | ntl_team = {{Flagicon|JPN}} [[アイスホッケー日本代表|日本]] | draft = | draft_year = | draft_team = | career_start = 2015 | career_end = | halloffame = }} '''佐々木 祐希'''(ささき ゆうき、1992年5月21日 - )は、[[宮城県]][[仙台市]]出身のプロ[[アイスホッケー]]選手。ポジションは[[ディフェンス (アイスホッケー)|ディフェンス]]。[[アジアリーグアイスホッケー]]の[[H.C.栃木日光アイスバックス]]に所属<ref name="選手紹介">{{cite web|url=https://www.icebucks.jp/players/21689/|title=佐々木 祐希 選手紹介|publisher=H.C.栃木日光アイスバックス|accessdate=November 7, 2023}}</ref>。 == 経歴 == [[駒澤大学附属苫小牧高等学校]]を卒業後、[[法政大学]]に進学し、海外リーグと[[東北フリーブレイズ]]を経て{{R|日光入団}}、2023年6月14日に[[H.C.栃木日光アイスバックス]]へ入団<ref name="日光入団">{{cite web|url=https://www.icebucks.jp/news/2023/06/14/21731/|title=【新入団選手のお知らせ】~佐々木祐希選手~|work=【H.C.栃木日光アイスバックス】公式サイト|date=June 14, 2023|accessdate=November 8, 2023}}</ref>。 == 人物 == 趣味は愛犬と遊ぶことで好きな芸能人は[[倉科カナ]]{{R|選手紹介}}。 == 詳細情報 == === 背番号 === * '''40'''(2023年 - ) === 代表歴 === * U-18 日本代表 2回 * U-20 日本代表 2回 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * {{Ice hockey stats|nhl=|elite=69635|euro=|hr=|hockeydb=|legends=}} * [https://www.icebucks.jp/players/21689/ 佐々木 祐希 選手紹介] - 【H.C.栃木日光アイスバックス】公式サイト {{H.C.栃木日光アイスバックスの選手・スタッフ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ささき ゆうき}} [[Category:日本のアイスホッケー選手]] [[Category:在カナダ外国人のアイスホッケー選手]] [[Category:在アメリカ合衆国日本人のアイスホッケー選手]] [[Category:フィンランドのアイスホッケーチームに所属する選手]] [[Category:カナダのアイスホッケーチームに所属する選手]] [[Category:アメリカ合衆国のアイスホッケーチームに所属する選手]] [[Category:東北フリーブレイズの選手]] [[Category:H.C.栃木日光アイスバックスの選手]] [[Category:アイスホッケー男子日本代表選手]] [[Category:駒澤大学附属苫小牧高等学校出身の人物]] [[Category:法政大学出身の人物]] [[Category:在フィンランド日本人]] [[Category:在カナダ日本人]] [[Category:宮城県出身のスポーツ選手]] [[Category:仙台市出身の人物]] [[Category:1992年生]] [[Category:存命人物]]
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祐希
祐希(ゆうき)
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祐希(ゆうき) 与田祐希 - 福岡県出身のアイドル。乃木坂46のメンバー。 佐々木祐希 - 宮城県出身のプロアイスホッケー選手。
'''祐希'''(ゆうき) * [[与田祐希]] - [[福岡県]]出身のアイドル。[[乃木坂46]]のメンバー。 * [[佐々木祐希]] - [[宮城県]]出身のプロアイスホッケー選手。 {{人名の曖昧さ回避}} {{デフォルトソート:ゆうき}} [[Category:日本語のユニセックスな名前]]
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ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"
『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"』(アリーナ・ツアー ニセンニジュウサン "ノアノハコブネ")は、日本のロックバンド・Mrs. GREEN APPLEが2023年7月から8月にかけて開催したアリーナツアー、および2024年1月12日にユニバーサルミュージック内のレーベル・EMI Recordsより発売される5作目の映像作品。 2022年12月27日、Zepp DiverCityにて開催されたZeppツアー「Mrs. GREEN APPLE Zepp Tour 2022 ゼンジン未到とリライアンス 〜復誦編〜」ファイナル公演にて、バンド結成10周年を記念した企画「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」の第1報として、2023年7月から8月にかけてアリーナツアーを開催することが発表された。また、2023年に4年ぶりのアルバムをリリースすること、7年ぶりに対バンライブを開催することも発表された。 本ツアーは、2019年12月から2020年2月にかけて開催されたバンド初のアリーナツアー「ARENA TOUR / エデンの園」以来約3年半ぶり、活動再開後初となるアリーナツアーであり、3都市全6公演で、計8万人を動員した。 また、ネタバレ禁止とされた本ツアーは、セットリスト、およびライブの具体的な内容を明言することが禁止された。8月4日、Aichi Sky Expoでのファイナル公演の終演をもって、ネタバレが解禁され、オフィシャルライブレポートも公開された。 3月31日、ツアータイトルが公開され、同日、特設サイトも公開された。5月30日には、ツアービジュアルが公開された。 8月18日、7月9日のさいたまスーパーアリーナ公演より、「ケセラセラ」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、8月24日には、「Blizzard」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。 8月31日には、「norn」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、9月21日には、「Loneliness」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。9月24日には、本公演の模様が、WOWOWプラスにてノーカットで放送された。 2023年11月6日、7月9日のさいたまスーパーアリーナ公演を完全収録した映像作品が、2024年1月12日にリリースされることが発表された。また同日、同年8月にベルーナドームにて開催されたドームライブ「DOME LIVE 2023 "Atlantis"」の模様を収録した映像作品、そしてその2作品を同梱したボックスセットの発売も発表され、本作のティーザー映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。 本作は、通常盤と「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」の全2形態でリリースされる。「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」は、LPサイズの大型ボックス仕様で、各公演のステージセットを再現したアクリルジオラマキットやレプリカスタッフパス、40ページにわたるライブフォトブックが同梱される。また、両形態共通で、公演映像に加え、ドキュメンタリー映像「Documentary -- Episode 4 "NOAH no HAKOBUNE"」が収録される。 また、本作は、チェーン別の購入特典も用意される。 本編 Encore 特典映像 サポートメンバー
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『ARENA TOUR 2023 \"NOAH no HAKOBUNE\"』(アリーナ・ツアー ニセンニジュウサン \"ノアノハコブネ\")は、日本のロックバンド・Mrs. GREEN APPLEが2023年7月から8月にかけて開催したアリーナツアー、および2024年1月12日にユニバーサルミュージック内のレーベル・EMI Recordsより発売される5作目の映像作品。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2022年12月27日、Zepp DiverCityにて開催されたZeppツアー「Mrs. GREEN APPLE Zepp Tour 2022 ゼンジン未到とリライアンス 〜復誦編〜」ファイナル公演にて、バンド結成10周年を記念した企画「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」の第1報として、2023年7月から8月にかけてアリーナツアーを開催することが発表された。また、2023年に4年ぶりのアルバムをリリースすること、7年ぶりに対バンライブを開催することも発表された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "本ツアーは、2019年12月から2020年2月にかけて開催されたバンド初のアリーナツアー「ARENA TOUR / エデンの園」以来約3年半ぶり、活動再開後初となるアリーナツアーであり、3都市全6公演で、計8万人を動員した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、ネタバレ禁止とされた本ツアーは、セットリスト、およびライブの具体的な内容を明言することが禁止された。8月4日、Aichi Sky Expoでのファイナル公演の終演をもって、ネタバレが解禁され、オフィシャルライブレポートも公開された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "3月31日、ツアータイトルが公開され、同日、特設サイトも公開された。5月30日には、ツアービジュアルが公開された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "8月18日、7月9日のさいたまスーパーアリーナ公演より、「ケセラセラ」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、8月24日には、「Blizzard」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "8月31日には、「norn」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、9月21日には、「Loneliness」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。9月24日には、本公演の模様が、WOWOWプラスにてノーカットで放送された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2023年11月6日、7月9日のさいたまスーパーアリーナ公演を完全収録した映像作品が、2024年1月12日にリリースされることが発表された。また同日、同年8月にベルーナドームにて開催されたドームライブ「DOME LIVE 2023 \"Atlantis\"」の模様を収録した映像作品、そしてその2作品を同梱したボックスセットの発売も発表され、本作のティーザー映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。", "title": "リリース" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本作は、通常盤と「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」の全2形態でリリースされる。「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」は、LPサイズの大型ボックス仕様で、各公演のステージセットを再現したアクリルジオラマキットやレプリカスタッフパス、40ページにわたるライブフォトブックが同梱される。また、両形態共通で、公演映像に加え、ドキュメンタリー映像「Documentary -- Episode 4 \"NOAH no HAKOBUNE\"」が収録される。", "title": "リリース" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、本作は、チェーン別の購入特典も用意される。", "title": "リリース" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "本編", "title": "収録内容" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Encore", "title": "収録内容" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "特典映像", "title": "収録内容" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "サポートメンバー", "title": "メンバー" } ]
『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"』は、日本のロックバンド・Mrs. GREEN APPLEが2023年7月から8月にかけて開催したアリーナツアー、および2024年1月12日にユニバーサルミュージック内のレーベル・EMI Recordsより発売される5作目の映像作品。
{{出典の明記|date=2023年11月8日 (水) 17:15 (UTC)|ソートキー=音ありいなつああ2023のあのはこふね}} {{Infobox Album | Name = ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE" | Type = ライブ・ビデオ | Artist = [[Mrs. GREEN APPLE]] | Released = [[2024年]][[1月12日]] | Recorded = [[2023年]][[7月9日]]・[[さいたまスーパーアリーナ]] | Genre = [[J-POP]]<br/>[[オルタナティヴ・ロック]]<br/>[[ギターポップ]]<br/>[[ポップ・ロック]]<br/>[[ハードロック]] | Label = [[ユニバーサルミュージック (日本)#EMI Records(イー・エム・アイ・レコード)|EMI Records]] | Last album = [[ARENA SHOW "Utopia"]]<br/>([[2022年]]) | This album = '''ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"'''<br/>([[2024年]]) | Next album = [[DOME LIVE 2023 "Atlantis"]]<br/>(2024年) }} {{external media | align = right | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=IiNg5_O7W8o&t=53s Blu-ray/DVD『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE" & DOME LIVE 2023 "Atlantis"』Teaser] | video2 = [https://www.youtube.com/watch?v=Gda6stGu5QE 『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE" & DOME LIVE 2023 "Atlantis"』Official Trailer] | video3 = [https://www.youtube.com/watch?v=YfbmNeAxaRk NOAH no HAKOBUNE Ending Movie ~ To ATLANTIS ~] | video4 = [https://www.youtube.com/watch?v=mnQhQfQkoXM 「ケセラセラ」LIVE "NOAH no HAKOBUNE" on WOWOWプラス] | video5 = [https://www.youtube.com/watch?v=GpoJqwFkRcc 「Blizzard」LIVE "NOAH no HAKOBUNE" on WOWOWプラス] | video6 = [https://www.youtube.com/watch?v=cL_IYboYdFc 「norn」LIVE "NOAH no HAKOBUNE" on WOWOWプラス] | video7 = [https://www.youtube.com/watch?v=E3UDqofqcc4 「Loneliness」LIVE "NOAH no HAKOBUNE" on WOWOWプラス] }} 『'''ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"'''』(アリーナ・ツアー ニセンニジュウサン "ノアノハコブネ")は、[[日本]]の[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]・[[Mrs. GREEN APPLE]]が[[2023年]][[7月]]から[[8月]]にかけて開催した[[アリーナ]]ツアー、および[[2024年]][[1月12日]]に[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]内の[[レコードレーベル|レーベル]]・[[ユニバーサルミュージック (日本)#EMI Records(イー・エム・アイ・レコード)|EMI Records]]より発売される5作目の映像作品。 == 概要 == [[2022年]][[12月27日]]、[[Zepp#施設一覧|Zepp DiverCity]]にて開催された[[Zepp]]ツアー「Mrs. GREEN APPLE Zepp Tour 2022 ゼンジン未到とリライアンス 〜復誦編〜」ファイナル公演にて、バンド結成10周年を記念した企画「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」の第1報として、[[2023年]][[7月]]から[[8月]]にかけて[[アリーナ]]ツアーを開催することが発表された<ref name=":0">{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE、結成10周年迎える2023年は"Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration"としてメモリアルな1年に。4年ぶりのオリジナル・アルバム発売、7年ぶりの対バン・ライヴ、3年半ぶりのアリーナ・ツアー開催 |url=https://skream.jp/news/2022/12/mrs_green_apple_10th_anniversary_celebration.php |website=Skream! 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト |access-date=2023-11-08 |first=Skream! Editorial |last=Department}}</ref>。また、2023年に4年ぶりの[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|アルバム]]をリリースすること、7年ぶりに[[対バン]]ライブを開催することも発表された<ref name=":0" />。 本ツアーは、[[2019年]][[12月]]から[[2020年]][[2月]]にかけて開催された[[バンド (音楽)|バンド]]初のアリーナツアー「[[EDEN no SONO Live at YOKOHAMA ARENA 2019.12.08|ARENA TOUR / エデンの園]]」以来約3年半ぶり、活動再開後初となるアリーナツアーであり、3都市全6公演で、計8万人を動員した<ref name=":1">{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE、“ネタバレ禁止”のアリーナツアーが終幕&オフィシャルレポで“ネタバレ解禁” - 画像一覧 |url=https://www.thefirsttimes.jp/news/0000311607/attachment/20230804-tr-091000028/ |website=THE FIRST TIMES |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 また、[[ネタバレ]]禁止とされた本ツアーは、[[セットリスト]]、およびライブの具体的な内容を明言することが禁止された<ref name=":1" /><ref>{{Cite web |title="ネタバレ禁止"のお願い |url=https://mrsgreenapple.com/contents/655241 |website=Mrs. GREEN APPLE official site |access-date=2023-11-08}}</ref>。[[8月4日]]、[[愛知県国際展示場|Aichi Sky Expo]]でのファイナル公演の終演をもって、ネタバレが解禁され、オフィシャルライブレポートも公開された<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE ARENA TOUR 2023“NOAH no HAKOBUNE” OFFICIAL LIVE REPORT 特設サイト |url=https://sp.universal-music.co.jp/mrsgreenapple/noahnohakobune/report/ |website=Mrs. GREEN APPLE ARENA TOUR 2023“NOAH no HAKOBUNE” OFFICIAL LIVE REPORT 特設サイト |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 [[3月31日]]、ツアータイトルが公開され<ref>{{Cite web |title=アリーナツアータイトル公開! |url=https://mrsgreenapple.com/contents/629003 |website=Mrs. GREEN APPLE official site |access-date=2023-11-08}}</ref>、同日、特設サイトも公開された<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE / ARENA TOUR 2023 |url=https://mrsgreenapple.com/pages/arenatour2023 |website=Mrs. GREEN APPLE official site |date=2023-09-05 |access-date=2023-11-08}}</ref>。[[5月30日]]には、ツアービジュアルが公開された。 [[8月18日]]、[[7月9日]]の[[さいたまスーパーアリーナ]]公演より、「[[ケセラセラ]]」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – ケセラセラ 【LIVE “NOAH no HAKOBUNE” on WOWOWプラス】|url=https://www.youtube.com/watch?v=mnQhQfQkoXM|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>、[[8月24日]]には、「Blizzard」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – Blizzard 【LIVE “NOAH no HAKOBUNE” on WOWOWプラス】|url=https://www.youtube.com/watch?v=GpoJqwFkRcc|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>。 [[8月31日]]には、「norn」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – norn 【LIVE “NOAH no HAKOBUNE” on WOWOWプラス】|url=https://www.youtube.com/watch?v=cL_IYboYdFc|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>、[[9月21日]]には、「Loneliness」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – Loneliness 【LIVE “NOAH no HAKOBUNE” on WOWOWプラス】|url=https://www.youtube.com/watch?v=E3UDqofqcc4|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>。[[9月24日]]には、本公演の模様が、[[WOWOWプラス]]にてノーカットで放送された<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLEのアリーナツアーから、埼玉公演2日目をWOWOWプラスで9/24(日)独占放送&配信!放送公演のライブレポートが到着!【メンバーが見どころを語るライブダイジェスト公開】 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000190.000084776.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |date=2023-09-20 |access-date=2023-11-08 |language=ja-JP}}</ref>。 == 日程 == {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" ! colspan="3" |公演日 ! rowspan="2" |都市 ! rowspan="2" |会場 |- !年 !月日 !曜日 |- | rowspan="6" |[[2023年]] |[[7月8日]] |土曜 | rowspan="2" |[[埼玉県]][[さいたま市]] | rowspan="2" |[[さいたまスーパーアリーナ]] |- |[[7月9日]] |日曜 |- |[[7月15日]] |土曜 | rowspan="2" |[[大阪府]][[大阪市]] | rowspan="2" |[[大阪城ホール]] |- |[[7月16日]] |日曜 |- |[[8月3日]] |木曜 | rowspan="2" |[[愛知県]][[常滑市]] | rowspan="2" |[[愛知県国際展示場|Aichi Sky Expo]] |- |[[8月4日]] |金曜 |} == リリース == [[2023年]][[11月6日]]、[[7月9日]]の[[さいたまスーパーアリーナ]]公演を完全収録した映像作品が、[[2024年]][[1月12日]]にリリースされることが発表された<ref name=":2" />。また同日、同年[[8月]]に[[西武ドーム|ベルーナドーム]]にて開催されたドームライブ「[[DOME LIVE 2023 "Atlantis"]]」の模様を収録した映像作品、そしてその2作品を同梱したボックスセットの発売も発表され、本作の[[ティーザー予告|ティーザー映像]]が公式[[YouTube]]チャンネルに公開された<ref name=":2" /><ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE - Blu-ray/DVD『ARENA TOUR 2023 “NOAH no HAKOBUNE” & DOME LIVE 2023 “Atlantis”』Teaser|url=https://www.youtube.com/watch?v=IiNg5_O7W8o|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>。 本作は、通常盤と「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」の全2形態でリリースされる。「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」は、[[レコード|LP]]サイズの大型ボックス仕様で、各公演のステージセットを再現した[[アクリル樹脂|アクリル]][[ジオラマ]]キットやレプリカスタッフパス、40ページにわたるライブフォトブックが同梱される<ref name=":2">{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE結成10周年の夏を凝縮、ライブ映像2作品同時リリース決定(動画あり) |url=https://natalie.mu/music/news/548092 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。また、両形態共通で、公演映像に加え、ドキュメンタリー映像「Documentary -- Episode 4 "NOAH no HAKOBUNE"」が収録される。 {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" |+ リリース ! 商品形態 ! 規格 ! 規格品番 ! 備考 |- | rowspan="2" |'''通常盤''' |[[Blu-ray Disc|Blu-ray]] |UPXH-20132 | rowspan="2" | - |- |2[[DVD]] |UPBH-20315/6 |- | rowspan="2" |'''完全生産限定'''<br/>'''SPECIAL COMPLETE BOX''' |2Blu-ray+GOODS |UPXH-29063 | rowspan="2" |{{Hidden|GOODS|* アクリルジオラマキット(NOAH ver. / Atlantis ver.) * レプリカスタッフパス(NOAH ver. / Atlantis ver.) * A3クリアポスター+ステッカーシート2種セット(FC会員限定、UNIVERSAL MUSIC STORE)}} |- |4DVD+GOODS |UPBH-29099 |} また、本作は、チェーン別の購入特典も用意される。 {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" |+ 店舗特典 ! 対象店舗 ! 特典内容 |- |'''タワーレコード''' |クリアファイル(NOAH ver.) |- |'''HMV''' |ミニエコバッグ(NOAH ver.) |- |'''TSUTAYA''' |B2ポスター(NOAH ver.) |- |'''Amazon''' |スマホリング(NOAH ver.) |- |'''楽天ブックス''' |スマホショルダー(NOAH ver.) |- |'''セブンネットショッピング''' |巾着(NOAH ver.) |- |'''UNIVERSAL MUSIC STORE''' |ステッカーシート(NOAH ver.) |- |'''一般店特典''' |スマホサイズステッカー(NOAH ver.) |} == 収録内容 == '''本編''' #'''Opening''' #'''[[Attitude (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|Viking]]''' #'''[[ENSEMBLE (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|アウフヘーベン]]''' #'''[[Attitude (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|CHEERS]]''' #'''[[Soranji|私は最強]]''' #'''[[Variety (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|VIP]]''' #'''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|Blizzard]]''' #'''[[TWELVE|Hug]]''' #'''[[TWELVE|私]]''' #'''[[Variety (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|StaRt]]''' #'''[[ニュー・マイ・ノーマル]]''' #'''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|Loneliness]]''' #'''[[インフェルノ (Mrs. GREEN APPLEの曲)|インフェルノ]]''' #'''[[Love me, Love you]]''' #'''[[TWELVE|HeLLo]]''' #'''[[ダンスホール (Mrs. GREEN APPLEの曲)|ダンスホール]]''' #'''[[僕のこと|Folktale]]''' #'''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|norn]]''' #'''[[Mrs. GREEN APPLE (アルバム)|鯨の唄]]''' #'''[[青と夏]]''' #'''[[Magic (Mrs. GREEN APPLEの曲)|Magic]]''' #'''[[Soranji]]''' #'''[[ケセラセラ (Mrs. GREEN APPLEの曲)|ケセラセラ]]''' '''Encore''' #'''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|Feeling]]''' '''特典映像''' #'''Documentary -- Episode 4 "NOAH no HAKOBUNE"''' == メンバー == * '''[[大森元貴]]''' - [[ボーカル]]・[[ギター]] * '''若井滉斗''' - [[ギター]]・[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]] * '''藤澤涼架''' - [[キーボード (楽器)|キーボード]]・コーラス '''サポートメンバー''' * '''[[THE 2|森夏彦]]''' - [[ベース (弦楽器)|ベース]]・キーボード * '''神田リョウ''' - [[ドラムセット|ドラム]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Mrs. GREEN APPLE}} {{DEFAULTSORT:ありいなつああ2023のあのはこふね}} [[Category:Mrs. GREEN APPLE]] [[Category:2023年のコンサート・ツアー]] [[Category:2024年のライブ・ビデオ]]
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コンサイニー
コンサイニー(英:Consignee)とは、受託人・荷受人の意。 運送人により貨物が送られ、到着する先の組織や個人として運送状に記載されている者。L/C決済の場合、銀行がコンサイニーになることもある。 運送契約において、コンサイニーとは、貨物の受領について経済的責任を負う主体(買主)のことである。一般的に、荷受人は受取人と同じであるが、必ずしもそうとは限らない。 送り主が宅配便で受取人に品物を発送する場合、送り主は荷送人、受取人は荷受人、配達人は運送人である。
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コンサイニーとは、受託人・荷受人の意。 運送人により貨物が送られ、到着する先の組織や個人として運送状に記載されている者。L/C決済の場合、銀行がコンサイニーになることもある。 運送契約において、コンサイニーとは、貨物の受領について経済的責任を負う主体(買主)のことである。一般的に、荷受人は受取人と同じであるが、必ずしもそうとは限らない。 送り主が宅配便で受取人に品物を発送する場合、送り主は荷送人、受取人は荷受人、配達人は運送人である。
{{海事法}} コンサイニー(英:Consignee)<ref>{{Cite web |url=https://www.ntl-naigai.co.jp/glossary/ka/post-45.html |title=^ コンサイニー - 貿易用語集 |access-date=2023年11月2日 |publisher=内外トランスライン株式会社}}</ref>とは、受託人・荷受人の意。 運送人により貨物が送られ、到着する先の組織や個人として運送状に記載されている者。L/C決済の場合、銀行がコンサイニーになることもある。 運送契約において、コンサイニーとは、貨物の受領について経済的責任を負う主体(買主)のことである。一般的に、荷受人は受取人と同じであるが、必ずしもそうとは限らない。 送り主が宅配便で受取人に品物を発送する場合、送り主は荷送人、受取人は荷受人、配達人は運送人である。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[貨物輸送]] * [[シッパー]] * [[貿易]] * [[インコタームズ]] * [[輸出]] [[Category:貨物輸送]]
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2023年10月のイスラエルによるガザ地区封鎖
2023年10月9日、イスラエルはガザ地区に対し「完全な封鎖」を実施し、食料品、水、医薬品、燃料、電力の輸入を遮断した。 この封鎖は、2023年パレスチナ・イスラエル戦争の開始と、ハマス武装勢力によるイスラエルへの攻撃に対する措置であった。イスラエルは、ガザ封鎖はハマースによって拉致された人質が無事に帰宅するまで解除されないと述べている。 2023年10月18日、アメリカ合衆国の大統領ジョー・バイデンは、イスラエルとエジプトが人道支援をガザに送ることに合意したことを発表した。2023年10月18日、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンは、イスラエルとエジプトが人道的援助物資をガザに入れることに同意したことを発表した。 ガザは2005年以来、イスラエルとエジプトの両方による部分的な封鎖下にある。ガザからイスラエルとエジプトの国境沿いにはいくつかの国境通過点が存在している。2023年10月9日に発表された完全な封鎖は、そのような封鎖が課せられる初めての事例となる。 2023年10月7日、ハマスというパレスチナの政治・軍事組織および他のパレスチナのグループの武装勢力が、ガザ–イスラエルの障壁を越えて南イスラエルに最大級の攻撃を行い、イスラエルにロケットを発射した。 その後、イスラエルはこれらの武装勢力に対し宣戦を布告し、イスラエル軍の作戦を実行するために30万の予備役を招集した。 2023年10月9日、イスラエルの国防相であるヨアブ・ガラントが、ガザ地区への完全な封鎖を発表した。ガラント国防相は「我々はガザに完全な包囲網を敷く... 電気もなければ、食べ物も水もガスもない。すべて閉じられている」と宣言した。ガラント国防相はさらに、「我々は人間の動物たちと戦っており、それに応じて行動している」と付け加えた。 イスラエルのエネルギー大臣であるイスラエル・カッツの広報担当者は、カッツが即座にガザへの水の供給停止を命じたと述べた。イスラエルの戦車やドローンは、ガザ・イスラエル間国境のフェンスの開口部を警備し、封鎖を強化する任務に就いている。 この封鎖の結果、ガザ地区唯一の発電所は2023年10月11日午後2時に燃料切れとなった。これにより、ガザの電力が遮断され、水を供給する脱塩施設も停止し、完全に給水が止まった。 ブロックの結果、ガザ地区唯一の発電所は2023年10月11日午後2時に燃料切れとなった。 これにより、ガザ地区の電力が停止しました。 この結果、水を供給する淡水化プラントも停止し、完全に水の供給が止まった。 10月12日、イスラエルのエネルギー・インフラ担当大臣であるイスラエル・カッツは、ハマスによって拉致された人質が無事に故郷に戻るまで、ガザ封鎖の解除は行われないと述べた。 トルコ・パレスチナ友好病院は、ガザ唯一のがん病院であるにもかかわらず、燃料切れのため閉鎖せざるを得なくなった。 ほとんどの援助車両はエジプトからこの検問所を通過します。これは戦争開始後に最初に再開された検問所であり、10月18日に再開された。それ以降、10月31日までに援助物資はわずか241台しか通過していない。 10月27日、世界食糧計画のディレクターであるシンディ・マケインは、エジプト側での検問が「過度に厳格であり」、援助物資の流れを制限していると批判した。以前は1日に500台近くだったとされる援助物資の流れが減少している。 これは戦争開始時に侵害された検問所の1つであり、その後も閉鎖されたままであった。10月30日、国連はイスラエルに対し、追加の援助物資を通過させるために再開するよう求めた。 11月3日に一時的に開かれ、ガザからイスラエルで働いていたパレスチナ人労働者がガザに送り返された。 2023年11月1日現在、他のイスラエルへの検問所は閉鎖されたままである。 国際連合人権高等弁務官のVolker Türk氏は、イスラエルによるガザ地区の封鎖は国際法に違反し、生存に必要な物資を民間人の命を危険にさらすためだと述べた。 国連特使のFrancesca Albanese氏は、「ラファフ国境検問所への爆撃を含む措置は、ガザ地区内の無実の人々を本当に飢え死にさせ、ナクバのようなものを恐れさせる」と懸念を表明した。 国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏は、イスラエルがガザに対する全面的な封鎖を課すことに深く心配していると述べた。 ノルウェー難民評議会の事務総長であるヤン・エーゲラン氏は、「集団的制裁は国際法に違反します。エネルギーや電力、物資の不足によって病院で負傷した子供たちが死ぬ可能性がある場合、それは戦争犯罪に相当するおそれがある」と述べた。 10月10日、2023年、欧州連合の外務・安全保障政策上級代表であるホセップ・ボレル氏は、「大量の市民に対する水や電気、食糧の供給停止は国際法に違反する」と述べた。 2023年10月11日、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、ハマスの攻撃に対するイスラエルのガザ封鎖と爆撃を、過剰な反応であり「虐殺」と表現した。 エジプト当局は、パレスチナ人がガザからシナイ半島に大量に避難することを防ごうとし、ガザからエジプトへの安全な通路の提案を拒否した。エジプトとガザの国境に位置するラファフ国境検問所は、紛争勃発後にエジプトによって閉鎖された。 国際赤十字委員会(ICRC)の中東担当ディレクター、ファブリツィオ・カルボーニ氏は、「電気がなければ、ガザの病院は霊安室に変わるリスクがある」と述べた。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、「イスラエルのエネルギー・インフラ省の大臣は最近のハマスの攻撃が '水、電気、燃料の供給を停止する理由' だと明言した。これらの手法は戦争犯罪であり、飢餓を戦争の武器として使用することも同様である」 イスラエルの人権団体であるギシャのスポークスパーソンは、「このような市民を標的にする行為を正当化はされない」と述べた。 2023年10月11日、英国の政治家で労働党党首であるキア・スターマー氏は、LBCのインタビューで、イスラエルがガザへの電力と水の供給を完全に停止する権利があるとの立場を支持すると発表した。 これに対し、労働党ムスリムネットワークは、彼の発言を「集団的な罰」と支持し、彼に謝罪を求めた。 ロンドン市長であるサディク・カーン氏は、イスラエルに対し抑制を行使するよう求め、ガザ封鎖がパレスチナ市民の苦しみを引き起こす可能性があると主張した。 10月13日、ノルウェー外務省は、ガザ地区の人口を追放するイスラエルの包囲を非難した。 アニェス・カラマール氏、アムネスティ・インターナショナルの事務局長は、イスラエル当局は即座に電力、水、食料の供給停止など、制限を停止すべきだと述べた。彼女は、停電が清潔な水へのアクセス、通信とインターネットアクセス、公衆衛生に重大な影響を与えるだろうと述べた。 10月18日、アメリカはブラジルの提案に賛成した国連安全保障理事会決議を拒否し、「人道的な一時停止」を通じてガザの市民に援助を提供するよう呼びかけていた。この決議には15カ国のうち12カ国が賛成した。 アメリカ合衆国の国連大使であるリンダ・トーマス・グリーンフィールド氏は、アメリカが人道的危機に対する外交的解決策に取り組んでおり、この決議はイスラエルの自衛権を認識していないために失敗したと説明した。 10月21日、イスラエル軍はガザにチラシを投下し、「緊急警告! ガザの住民へ:ワディ・ガザの北部に滞在することは、あなたの命を危険にさらす可能性があります。ガザ地区の北部から南部に避難しない選択をする人は、テロ組織の共犯者と見なされるかもしれません。」というメッセージを伝えた。 10月22日、シンディ・マケインは「これらの人々は、世界食糧計画が入るまで餓死する可能性がある」と警鐘を鳴らした。
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2023年10月9日、イスラエルはガザ地区に対し「完全な封鎖」を実施し、食料品、水、医薬品、燃料、電力の輸入を遮断した。 この封鎖は、2023年パレスチナ・イスラエル戦争の開始と、ハマス武装勢力によるイスラエルへの攻撃に対する措置であった。イスラエルは、ガザ封鎖はハマースによって拉致された人質が無事に帰宅するまで解除されないと述べている。 2023年10月18日、アメリカ合衆国の大統領ジョー・バイデンは、イスラエルとエジプトが人道支援をガザに送ることに合意したことを発表した。2023年10月18日、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンは、イスラエルとエジプトが人道的援助物資をガザに入れることに同意したことを発表した。
{{Infobox military conflict | conflict = 2023年10月のガザ封鎖 | place = [[ガザ地区]] | partof = [[2023年パレスチナ・イスラエル戦争]]および[[ガザ封鎖]] | date = 2023年10月9日 – 現在<br /> ({{Age in years, months, weeks and days|2023|10|9}}) }} 2023年10月9日、[[イスラエル]]は[[ガザ地区]]に対し「完全な封鎖」を実施し、食料品、水、医薬品、燃料、電力の輸入を遮断した<ref name=":02">{{Cite web |title=Israel announces 'total' blockade on Gaza |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/9/israel-announces-total-blockade-on-gaza |access-date=2023-10-09 |website=www.aljazeera.com |language=en |archive-date=9 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231009105304/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/9/israel-announces-total-blockade-on-gaza |url-status=live}}</ref>。 この封鎖は、[[2023年パレスチナ・イスラエル戦争]]の開始と、[[ハマス]]武装勢力による[[イスラエル]]への攻撃に対する措置であった<ref>{{Cite web |title=Live updates {{!}} Israel says it's at war after surprise Hamas attack |url=https://apnews.com/live/israel-hamas-war-live-updates |access-date=2023-10-09 |website=AP News |language=en |archive-date=8 October 2023 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|title=イスラエルとガザのパレスチナ人との間の紛争のタイムライン |language=en |work=Reuters |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/conflict-between-israel-palestinians-gaza-2023-10-07/ |access-date=2023-10-09 |archive-date=2023年10月7日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231007105909/https://www.reuters.com/world/middle-east/conflict-between-israel-palestinians-gaza-2023-10-07/ |url-status=生存中}}</ref>。 その後、イスラエルはこれらの武装勢力に対し宣戦を布告し、イスラエル軍の作戦を実行するために30万の予備役を招集した<ref>{{Cite news |date=2023-10-09 |title=イスラエル、攻勢に転じて30万の予備役を動員 |language=en |work=Reuters |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-drafts-300000-reservists-it-goes-offensive-2023-10-09/ |access-date=2023-10-09 |archive-date=2023年10月9日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231009092805/https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-drafts-300000-reservists-it-goes-offensive-2023-10-09/ |url-status=生存中}}</ref>。 == 封鎖 == 2023年10月9日、イスラエルの国防相であるヨアブ・ガラントが、ガザ地区への完全な封鎖を発表した。ガラント国防相は「我々はガザに完全な包囲網を敷く... 電気もなければ、食べ物も水もガスもない。すべて閉じられている」と宣言した。ガラント国防相はさらに、「我々は人間の動物たちと戦っており、それに応じて行動している」と付け加えた。 イスラエルのエネルギー大臣であるイスラエル・カッツの広報担当者は、カッツが即座にガザへの水の供給停止を命じたと述べた。イスラエルの戦車やドローンは、ガザ・イスラエル間国境のフェンスの開口部を警備し、封鎖を強化する任務に就いている。 この封鎖の結果、ガザ地区唯一の発電所は2023年10月11日午後2時に燃料切れとなった。これにより、ガザの電力が遮断され、水を供給する脱塩施設も停止し、完全に給水が止まった<ref>{{Cite web |title=Israel Gaza live news: Israel orders 'siege' of Gaza with 'no electricity, food, or fuel' |url=https://www.bbc.co.uk/news/live/world-middle-east-67050350 |access-date=2023-10-09 |website=BBC News |language=en-gb |archive-date=9 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231009000434/https://www.bbc.co.uk/news/live/world-middle-east-67050350 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |last=Fabian |first=Emanuel |title=Defense minister announces 'complete siege' of Gaza: No power, food or fuel |url=https://www.timesofisrael.com/liveblog_entry/defense-minister-announces-complete-siege-of-gaza-no-power-food-or-fuel/ |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-11 |website=The Times of Israel |language=en-US |archive-date=9 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231009105739/https://www.timesofisrael.com/liveblog_entry/defense-minister-announces-complete-siege-of-gaza-no-power-food-or-fuel/ |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=The Rising Threat of a Second Front in Israel's North |language=en |work=Haaretz |first=Amos |last=Harel |date=2023-10-10 |url=https://www.haaretz.com/israel-news/2023-10-10/ty-article/.premium/the-rising-threat-of-a-second-front-in-israels-north/0000018b-1686-d465-abbb-16b6f7a00000 |access-date=2023-10-11 |archive-date=10 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231010184639/https://www.haaretz.com/israel-news/2023-10-10/ty-article/.premium/the-rising-threat-of-a-second-front-in-israels-north/0000018b-1686-d465-abbb-16b6f7a00000 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |title=IDF Spokesperson: Israel regained full control of Gaza border villages |url=https://www.i24news.tv/en/news/israel-at-war/1696843879-idf-spokesperson-israel-regained-full-control-of-gaza-border-villages |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-11 |work=i24NEWS |archive-date=11 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231011132634/https://www.i24news.tv/en/news/israel-at-war/1696843879-idf-spokesperson-israel-regained-full-control-of-gaza-border-villages |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |first1=Ted |last1=Regencia |first2=Virginia |last2=Pietromarchi |first3=Umut |last3=Uras |first4=Edna |last4=Mohamed |first5=Dalia |last5=Hatuqa |title=Israel to impose 'total Gaza blockade', dozens killed in refugee camp hit |url=https://www.aljazeera.com/news/liveblog/2023/10/9/israel-hamas-war-live-news-gaza-under-non-stop-bombardment |access-date=2023-10-09 |website=Al Jazeera |date=2023-10-09 |language=en |archive-date=9 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231009081813/https://www.aljazeera.com/news/liveblog/2023/10/9/israel-hamas-war-live-news-gaza-under-non-stop-bombardment |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://english.alarabiya.net/News/middle-east/2023/10/11/Gaza-s-sole-power-plant-has-fuel-for-12-more-hours-at-most-Palestinian-official- |title=Electricity in Gaza goes out as sole power station stops working |work=Al Arabiya English |date=11 October 2023 |access-date=15 October 2023}}</ref><ref name="apnews">{{Cite web |date=2023-10-14 |title=Lack of water worsens misery in besieged Gaza as Israeli airstrikes continue |url=https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-water-4cc305b209437eec7235e975cf4c47d6 |access-date=2023-10-15 |website=AP News |first1=Isabel |last1=DeBre |first2=Wafaa |last2=Shurafa |language=en |archive-date=16 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231016133229/https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-water-4cc305b209437eec7235e975cf4c47d6 |url-status=live}}</ref>。 ブロックの結果、ガザ地区唯一の発電所は2023年10月11日午後2時に燃料切れとなった<ref>{{Cite web |date=2023-10-11 |title=Palestinians scramble for safety as Israel pounds sealed-off Gaza Strip to punish Hamas |url=https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-airstrikes-hostages-bf6c42f84526c4d9416978c8effd932a |access-date=2023-10-11 |website=Associated Press |first1=Josef |last1=Federman |first2=Issam |last2=Adwan |language=en |archive-date=10 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231010232430/https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-airstrikes-hostages-bf6c42f84526c4d9416978c8effd932a |url-status=live}}</ref><ref name="Arabiya12hour2">{{Cite web |url=https://english.alarabiya.net/News/middle-east/2023/10/11/Gaza-s-sole-power-plant-has-fuel-for-12-more-hours-at-most-Palestinian-official- |title=Electricity in Gaza goes out as sole power station stops working |work=Al Arabiya English |date=11 October 2023 |access-date=15 October 2023}}</ref>。 これにより、ガザ地区の電力が停止しました<ref name="Arabiya12hour2" />。 この結果、水を供給する淡水化プラントも停止し、完全に水の供給が止まった{{R|"apnews"}}。 10月12日、イスラエルのエネルギー・インフラ担当大臣であるイスラエル・カッツは、[[アクサの洪水作戦|ハマスによって拉致された人質]]が無事に故郷に戻るまで、ガザ封鎖の解除は行われないと述べた<ref name="cnbc202310123">{{Cite web |last=Iordache |first=Amanda Macias,Ruxandra |title=Israel calls for evacuation of 1.1 million Palestinians in Gaza; at least 27 Americans killed |url=https://www.cnbc.com/2023/10/12/israel-hamas-war-live-updates-latest-news-on-gaza.html |access-date=2023-10-14 |website=CNBC |language=en |archive-date=12 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012211959/https://www.cnbc.com/2023/10/12/israel-hamas-war-live-updates-latest-news-on-gaza.html |url-status=live}}</ref>。 [[トルコ・パレスチナ友好病院]]は、ガザ唯一のがん病院であるにもかかわらず、燃料切れのため閉鎖せざるを得なくなった<ref>{{cite news |url=https://news.sky.com/story/israel-hamas-war-gazas-only-cancer-hospital-forced-to-close-as-israel-bombs-area-where-it-told-palestinians-to-flee-12986264 |title=Israel-Hamas war: Gaza's only cancer hospital forced to close - as dozens killed in Israeli strikes |date=17 October 2023 |publisher=Sky news |access-date=22 October 2023 |archive-date=20 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231020185604/https://news.sky.com/story/israel-hamas-war-gazas-only-cancer-hospital-forced-to-close-as-israel-bombs-area-where-it-told-palestinians-to-flee-12986264 |url-status=live}}</ref>。 === 検問所 === ==== [[ラファ検問所]] ==== ほとんどの援助車両はエジプトからこの検問所を通過します。これは戦争開始後に最初に再開された検問所であり、10月18日に再開された。それ以降、10月31日までに援助物資はわずか241台しか通過していない<ref>{{Cite news |last=Yee |first=Vivian |date=2023-11-01 |title=The fate of many Gazans lies with the Rafah crossing, and Egypt. |language=en-US |work=The New York Times |url=https://www.nytimes.com/2023/10/31/world/middleeast/egypt-rafah-crossing-gaza-israel.html |access-date=2023-11-04 |issn=0362-4331}}</ref>。 10月27日、[[世界食糧計画]]のディレクターである[[シンディ・マケイン]]は、エジプト側での検問が「過度に厳格であり」、援助物資の流れを制限していると批判した。以前は1日に500台近くだったとされる援助物資の流れが減少している<ref>{{Cite news |last=Lewis |first=Simon |date=2023-10-27 |title=UN food chief criticizes strict Rafah crossing checks for limiting Gaza aid |language=en |work=Reuters |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/un-food-chief-criticizes-strict-rafah-crossing-checks-limiting-gaza-aid-2023-10-26/ |access-date=2023-11-04}}</ref>。 ==== [[ケレム・シャロム国境検問所]] ==== これは戦争開始時に侵害された検問所の1つであり、その後も閉鎖されたままであった。10月30日、国連はイスラエルに対し、追加の援助物資を通過させるために再開するよう求めた<ref>{{Cite news |last=Nichols |first=Michelle |date=2023-10-30 |title=UN pushes to open Kerem Shalom crossing to deliver aid to Gaza |language=en |work=Reuters |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/unrwa-chief-forced-displacement-collective-punishment-happening-gaza-2023-10-30/ |access-date=2023-11-04}}</ref>。 11月3日に一時的に開かれ、ガザからイスラエルで働いていたパレスチナ人労働者がガザに送り返された<ref>{{Cite news |last=Al-Mughrabi |first=Nidal |last2=Al-Mughrabi |first2=Nidal |date=2023-11-03 |title=Israel sends thousands of cross-border Palestinian workers back to Gaza |language=en |work=Reuters |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/thousands-gazan-workers-sent-back-israel-occupied-west-bank-witnesses-2023-11-03/ |access-date=2023-11-04}}</ref>。 ==== その他の検問所 ==== 2023年11月1日現在、他のイスラエルへの検問所は閉鎖されたままである。 == 反応 == [[国際連合人権高等弁務官]]の[[Volker Türk]]氏は、イスラエルによるガザ地区の封鎖は国際法に違反し、生存に必要な物資を民間人の命を危険にさらすためだと述べた<ref>{{Cite web |author=AFP and ToI Staff |title=UN human rights chief: Israel's total siege of Gaza 'prohibited' by international law |url=https://www.timesofisrael.com/un-human-rights-chief-israels-total-siege-of-gaza-prohibited-by-international-law/ |access-date=2023-10-11 |work=The Times of Israel |date=2023-10-10 |language=en-US |archive-date=11 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231011131501/https://www.timesofisrael.com/un-human-rights-chief-israels-total-siege-of-gaza-prohibited-by-international-law// |url-status=live}}</ref>。 国連特使の[[Francesca Albanese]]氏は、「ラファフ国境検問所への爆撃を含む措置は、ガザ地区内の無実の人々を本当に飢え死にさせ、[[ナクバ]]のようなものを恐れさせる」と懸念を表明した<ref>{{cite news |title=Alarm as Israel again hits Rafah border crossing between Gaza and Egypt |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/10/alarm-as-israel-again-hits-rafah-border-crossing-between-gaza-and-egypt |work=Al Jazeera |date=10 October 2023 |access-date=13 October 2023 |archive-date=12 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012172129/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/10/alarm-as-israel-again-hits-rafah-border-crossing-between-gaza-and-egypt |url-status=live}}</ref>。 [[国際連合事務総長|国連事務総長]]の[[アントニオ・グテーレス]]氏は、イスラエルがガザに対する全面的な封鎖を課すことに深く心配していると述べた<ref name="CBC-blockade">{{cite news |title=Food will run out in days under Israel's total blockade of Gaza, humanitarian experts warn |url=https://www.cbc.ca/news/world/israeli-palestinian-conflict-gaza-blockade-1.6990923 |work=CBC |first=Rhianna |last=Schmunk |date=11 October 2023 |access-date=12 October 2023 |archive-date=11 October 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231011232632/https://www.cbc.ca/news/world/israeli-palestinian-conflict-gaza-blockade-1.6990923 |url-status=live}}</ref>。 [[ノルウェー難民評議会]]の事務総長である[[ヤン・エーゲラン]]氏は、「[[集団的制裁]]は国際法に違反します。エネルギーや電力、物資の不足によって病院で負傷した子供たちが死ぬ可能性がある場合、それは[[戦争犯罪]]に相当するおそれがある」と述べた<ref name="CBC-blockade" />。 10月10日、2023年、欧州連合の外務・安全保障政策上級代表であるホセップ・ボレル氏は、「大量の市民に対する水や電気、食糧の供給停止は国際法に違反する」と述べた<ref>{{cite news |title=Israel is acting against international law, says Borrell |url=https://www.politico.eu/article/israel-acting-against-international-law-says-eu-diplomat-josep-borrell/ |work=Politico |first1=Suzanne |last1=Lynch |first2=Barbara |last2=Moens |date=2023-10-10 |access-date=2023-10-11 |archive-date=2023-10-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231011022141/https://www.politico.eu/article/israel-acting-against-international-law-says-eu-diplomat-josep-borrell/ |url-status=live}}</ref>。 2023年10月11日、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、ハマスの攻撃に対するイスラエルのガザ封鎖と爆撃を、過剰な反応であり「虐殺」と表現した<ref>{{cite news |title=Turkey's Erdogan calls Israeli siege and bombing of Gaza a 'massacre' |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/11/turkeys-erdogan-calls-israeli-siege-and-bombing-of-gaza-a-massacre |work=Al Jazeera |date=2023-10-11 |access-date=2023-10-13 |archive-date=2023-10-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012082433/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/11/turkeys-erdogan-calls-israeli-siege-and-bombing-of-gaza-a-massacre |url-status=live}}</ref>。 [[ファイル:Damage_in_Gaza_Strip_during_the_October_2023_-_26.jpg|サムネイル|2023年10月9日、[[ガザ市]]のエル・レマル地区]] エジプト当局は、[[パレスチナ人]]がガザから[[シナイ半島]]に大量に避難することを防ごうとし、ガザからエジプトへの安全な通路の提案を拒否した。エジプトとガザの国境に位置する[[ラファ検問所|ラファフ国境検問所]]は、紛争勃発後にエジプトによって閉鎖された<ref>{{cite news |title=Egypt says Israel seeks to empty Gaza, rejects corridors for civilians |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/12/egypt-says-israel-seeks-to-empty-gaza-rejects-corridors-for-civilians |work=Al Jazeera |date=2023-10-12 |access-date=2023-10-13 |archive-date=2023-10-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012182055/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/12/egypt-says-israel-seeks-to-empty-gaza-rejects-corridors-for-civilians |url-status=live}}</ref>。 [[国際赤十字委員会]](ICRC)の中東担当ディレクター、ファブリツィオ・カルボーニ氏は、「電気がなければ、ガザの病院は霊安室に変わるリスクがある」と述べた<ref name="aljazeera-blockade">{{cite news |title=Gaza 'hospitals risk turning into morgues': Rights groups call for action |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/12/gaza-hospitals-risk-turning-into-morgues-rights-groups-call-for-action |work=Al Jazeera |date=2023-10-12 |access-date=2023-10-13 |archive-date=2023-10-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012162427/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/12/gaza-hospitals-risk-turning-into-morgues-rights-groups-call-for-action |url-status=live}}</ref>。 国際人権団体[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]]によると、「イスラエルのエネルギー・インフラ省の大臣は最近のハマスの攻撃が '水、電気、燃料の供給を停止する理由' だと明言した。これらの手法は戦争犯罪であり、飢餓を戦争の武器として使用することも同様である<ref name="aljazeera-blockade" />」 イスラエルの人権団体であるギシャのスポークスパーソンは、「このような市民を標的にする行為を正当化はされない」と述べた<ref>{{Cite web |last1=Debre |first1=Isabel |last2=Shurafa |first2=Wafaa |date=2023-10-14 |title=Lack of water worsens misery in besieged Gaza as Israeli airstrikes continue |url=https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-water-4cc305b209437eec7235e975cf4c47d6 |access-date=2023-10-15 |website=AP News |language=en |archive-date=2023-10-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231014220717/https://apnews.com/article/israel-palestinians-gaza-hamas-water-4cc305b209437eec7235e975cf4c47d6 |url-status=live}}</ref>。 2023年10月11日、英国の政治家で労働党党首であるキア・スターマー氏は、[[LBC]]のインタビューで、イスラエルがガザへの電力と水の供給を完全に停止する権利があるとの立場を支持すると発表した<ref>{{cite news |title=Israel 'has the right' to withhold power and water from Gaza, says Sir Keir Starmer |url=https://www.lbc.co.uk/news/sir-keir-starmer-hamas-terrorism-israel-defend-itself/ |work=LBC |first=Asher |last=McShane |date=2023-10-11 |access-date=2023-10-12 |archive-date=2023-10-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231011163801/https://www.lbc.co.uk/news/sir-keir-starmer-hamas-terrorism-israel-defend-itself/ |url-status=live}}</ref>。 これに対し、労働党ムスリムネットワークは、彼の発言を「集団的な罰」と支持し、彼に謝罪を求めた<ref>{{cite web |title=Labour Muslims condemn Starmer for backing 'collective punishment' |url=https://www.middleeasteye.net/news/israel-palestine-war-labour-muslim-condemns-keir-starmer-gaza-collective-punishment |website=Middle East Eye |language=en |date=2023-10-11 |access-date=2023-10-13 |archive-date=2023-10-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231012072820/https://www.middleeasteye.net/news/israel-palestine-war-labour-muslim-condemns-keir-starmer-gaza-collective-punishment |url-status=live}}</ref>。 ロンドン市長であるサディク・カーン氏は、イスラエルに対し抑制を行使するよう求め、ガザ封鎖がパレスチナ市民の苦しみを引き起こす可能性があると主張した<ref>{{cite news |title=Sadiq Khan fears ‘disproportionate’ Israeli response to Hamas attacks |url=https://www.telegraph.co.uk/world-news/2023/10/13/sadiq-khan-fears-disproportionate-israeli-response-to-hamas/ |work=The Daily Telegraph |date=2023-10-13 |access-date=2023-10-21 |archive-date=2023-10-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231019094913/https://www.telegraph.co.uk/world-news/2023/10/13/sadiq-khan-fears-disproportionate-israeli-response-to-hamas/ |url-status=live}}</ref>。 10月13日、ノルウェー外務省は、ガザ地区の人口を追放するイスラエルの包囲を非難した<ref>{{Cite web|Al Arabiya English |url=https://english.alarabiya.net/News/middle-east/2023/10/13/Norway-condemns-unacceptable-Israeli-siege-of-Gaza |title=Norway condemns 'unacceptable' Israeli siege of Gaza |access-date=2023-10-13 |archive-date=2023-10-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231014092432/https://english.alarabiya.net/News/middle-east/2023/10/13/Norway-condemns-unacceptable-Israeli-siege-of-Gaza |url-status=live}}</ref>。 [[アニェス・カラマール]]氏、[[アムネスティ・インターナショナル]]の事務局長は、イスラエル当局は即座に電力、水、食料の供給停止など、制限を停止すべきだと述べた。彼女は、停電が清潔な水へのアクセス、通信とインターネットアクセス、公衆衛生に重大な影響を与えるだろうと述べた<ref>{{cite web |title=Israel/OPT: Israel must lift the illegal and inhumane blockade on Gaza as the power plant runs out of fuel |url=https://www.amnesty.org/en/latest/news/2023/10/israel-opt-civilians-on-both-sides-paying-the-price-of-unprecedented-escalation-in-hostilities-between-israel-and-gaza-as-death-toll-mounts/ |website=Amnesty International |date=2023-10-12 |access-date=2023-10-15 |archive-date=2023-10-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231013181824/http://www.amnesty.org/en/latest/news/2023/10/israel-opt-civilians-on-both-sides-paying-the-price-of-unprecedented-escalation-in-hostilities-between-israel-and-gaza-as-death-toll-mounts/ |url-status=live}}</ref>。 [[ファイル:OpenStreetMap_image_of_Northern_Gaza_Evacuation_Line.png|右|サムネイル|黒い線は、ガザ地区北部の避難のためのガザ地区におけるIDFの南北境界線を示す。]] 10月18日、アメリカはブラジルの提案に賛成した国連安全保障理事会決議を拒否し、「人道的な一時停止」を通じてガザの市民に援助を提供するよう呼びかけていた。この決議には15カ国のうち12カ国が賛成した<ref>{{cite web |last1=Lederer |first1=Edith |title=US vetoes UN resolution condemning Hamas' attacks on Israel and all violence against civilians |url=https://apnews.com/article/un-security-council-resolution-gaza-hamas-1c23913f8552f5379b2c158a83493835 |website=Associated Press |date=2023-10-18 |access-date=2023-10-21 |archive-date=2023-10-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231020144758/https://apnews.com/article/un-security-council-resolution-gaza-hamas-1c23913f8552f5379b2c158a83493835 |url-status=live}}</ref>。 アメリカ合衆国の国連大使であるリンダ・トーマス・グリーンフィールド氏は、アメリカが人道的危機に対する外交的解決策に取り組んでおり、この決議はイスラエルの自衛権を認識していないために失敗したと説明した<ref>{{cite news |title=US vetoes UN resolution calling for humanitarian pause in Israel-Hamas war |url=https://www.aljazeera.com/news/2023/10/18/us-vetoes-un-resolution-calling-for-humanitarian-pause-in-israel-hamas-war |work=Al Jazeera |date=2023-10-18 |access-date=2023-10-21 |archive-date=2023-10-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231021125436/https://www.aljazeera.com/news/2023/10/18/us-vetoes-un-resolution-calling-for-humanitarian-pause-in-israel-hamas-war |url-status=live}}</ref>。 10月21日、イスラエル軍はガザにチラシを投下し、「緊急警告! ガザの住民へ:[[ワディ・ガザ]]の北部に滞在することは、あなたの命を危険にさらす可能性があります。ガザ地区の北部から南部に避難しない選択をする人は、テロ組織の共犯者と見なされるかもしれません。」というメッセージを伝えた<ref>{{cite news |title=Israeli military steps up warnings to north Gaza residents, preparations for ground offensive |url=https://www.politico.com/news/2023/10/21/idf-prepares-for-ground-invasion-00122881 |work=Politico |date=2023-10-21 |access-date=2023-10-22 |archive-date=2023-10-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231022143815/https://www.politico.com/news/2023/10/21/idf-prepares-for-ground-invasion-00122881 |url-status=live}}</ref><ref>{{cite news |title=Israel tells Gazans to move south or risk being seen as 'terrorist' partner |url=https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-tells-gazans-move-south-or-risk-being-seen-terrorist-partner-2023-10-22/ |work=Reuters |date=2023-10-22 |access-date=2023-10-22 |archive-date=2023-10-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231022170347/https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-tells-gazans-move-south-or-risk-being-seen-terrorist-partner-2023-10-22/ |url-status=live}}</ref>。 10月22日、シンディ・マケインは「これらの人々は、[[世界食糧計画]]が入るまで餓死する可能性がある」と警鐘を鳴らした<ref>{{cite news |title=UN warns of Gaza catastrophe as Israel prepares invasion |url=https://www.politico.eu/article/gaza-humanitarian-catastrophe-united-nations-warn-israel-prepare-ground-invasion/ |work=Politico |date=2023-10-22 |access-date=2023-10-22 |archive-date=2023-10-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231022092315/https://www.politico.com/article/gaza-humanitarian-catastrophe-united-nations-warn-israel-prepare-ground-invasion/ |url-status=live}}</ref>。 == 参照 == * [[2023年パレスチナ・イスラエル戦争]] * [[2023年ガザ地区の人道危機]] * {{仮リンク|2023年パレスチナ・イスラエル戦争 国際社会の反応|en|International reactions to the 2023 Israel–Hamas war}} * [[パレスチナ自治政府]] * [[ジェノサイド]] *[[イスラエルの作戦一覧]] *[[中東戦争]] *[[第四次中東戦争]] *[[ガザ侵攻 (2006年)]] *[[ガザ侵攻 (2014年)]] == 脚注 == {{reflist|2}} {{2023年パレスチナ・イスラエル戦争}} {{DEFAULTSORT:いすらえるによるかさちくふうさ202310}} [[Category:2023年パレスチナ・イスラエル戦争]] [[Category:イスラエル・エジプト関係]]
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金従会
金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、1923年 - 1953年5月27日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 忠清南道大徳郡出身。中央大学卒。大韓青年団大徳郡団長のほか、東国大学(現・東国大学校)で講師を務めた。第2代総選挙に大徳選挙区から無所属で出馬して当選し、国会においては1951年3月9日から同年12月19日まで、また1952年1月24日から同年12月19日まで国防委員会委員長を務めた。1953年、遊説を終えて自宅に戻り、就寝中に「手足が少し痛い」と言い、次に目を覚ました時にはすでに死去していたと妻は述べている。医師の推測では心臓麻痺とされる。のちに司法解剖がなされたが胃液から毒性のある成分は発見されなかった。
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金 従会は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。
'''金 従会'''(キム・ジョンフェ、{{Lang-ko|김종회/金從會}}、[[1923年]] - [[1953年]][[5月27日]])は、[[大韓民国]]の[[政治家]]。第2代[[国会 (大韓民国)|韓国国会]]議員。 == 経歴 == [[忠清南道]][[大徳郡]]出身<ref>{{Cite web |title=金從會議員急逝(김종회의원급서) |url=https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1953052900329202036&editNo=1&printCount=1&publishDate=1953-05-29&officeId=00032&pageNo=2&printNo=2167&publishType=00020 |website=NAVER Newslibrary |access-date=2023-11-08|work=경향신문|date=1953.05.29}}</ref>。[[中央大学]]法科卒<ref name="한국사데이터베이스"/>。[[大韓青年団]]大徳郡団長のほか、東国大学(現・[[東国大学校]])で[[講師 (教育)|講師]]を務めた。1950年の[[第2代総選挙 (大韓民国)|第2代総選挙]]に大徳選挙区から[[無所属]]で出馬して当選し<ref>{{Cite web |title=대한민국헌정회 |url=https://rokps.or.kr/profile/profile_view.asp?idx=802&page=1 |website=rokps.or.kr |access-date=2023-11-08}}</ref>、国会においては1951年3月9日から同年12月19日まで、また1952年1月24日から同年12月19日まで国会国防委員会委員長を務めた<ref name="한국사데이터베이스">{{Cite web |url=https://db.history.go.kr/item/level.do?setId=2&totalCount=2&itemId=im&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&types=&searchSubjectClass=&position=0&levelId=im_101_31184&searchKeywordType=BI&searchKeywordMethod=EQ&searchKeyword=%EA%B9%80%EC%A2%85%ED%9A%8C&searchKeywordConjunction=AND |title=자료일람 {{!}} 한국사데이터베이스 |access-date=2023-11-8}}</ref>。 しかし、1953年5月27日に[[影島]]の自宅で急死した。5月26日に[[遊説]]を終えて自宅に戻り、就寝中に「手足が少し痛い」と言い、次に目を覚ました時にはすでに死去していたと妻は述べている。医師の推測では[[心臓麻痺]]とされる<ref>{{Cite web |title=金從會議員(김종회의원) 廿七日影島自宅(입칠일영도자택)서 |url=https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1953052800209102013&editNo=1&printCount=1&publishDate=1953-05-28&officeId=00020&pageNo=2&printNo=9227&publishType=00010 |website=NAVER Newslibrary |access-date=2023-11-08|work=동아일보|date= 1953.05.28}}</ref>。のちに異母兄は死因について、[[他殺]]疑惑があるとして[[司法解剖]]を依頼したが、[[胃液]]から[[毒性]]のある成分は発見されなかった<ref>{{Cite web |title=故金從會議具胃液(고김종회의구위액) 無毒(무독)임이判明(판명) |url=https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1953072700239102037&editNo=1&printCount=1&publishDate=1953-07-27&officeId=00023&pageNo=2&printNo=9397&publishType=00010 |website=NAVER Newslibrary |access-date=2023-11-08|date=1953.07.27|work=조선일보}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:きむ しよんふえ}} [[Category:韓国の国会議員]] [[Category:東国大学校の教員]] [[Category:大田広域市出身の人物]] [[Category:中央大学出身の人物]] [[Category:1923年生]] [[Category:1953年没]]
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シッパー
シッパー(英:Shipper)とは、荷送人、荷主の意。 シッパーは商品の発送に関わる当事者で、製品を製造し、直接取引を行う場合は売主、または商社を通す場合は商社となる。また、「荷送人」は運送契約の当事者であり、B/L面上に記載されている貨物の輸出者を指す。 シッパーとコンサイニーの違いは、シッパーは貨物を送り出す荷送人であり、コンサイニーは貨物を受け取る荷受人であるという点である。
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シッパーとは、荷送人、荷主の意。 シッパーは商品の発送に関わる当事者で、製品を製造し、直接取引を行う場合は売主、または商社を通す場合は商社となる。また、「荷送人」は運送契約の当事者であり、B/L面上に記載されている貨物の輸出者を指す。 シッパーとコンサイニーの違いは、シッパーは貨物を送り出す荷送人であり、コンサイニーは貨物を受け取る荷受人であるという点である。
{{海事法}} '''シッパー'''(英:Shipper)とは、荷送人、荷主の意<ref>{{Cite web |url=https://www.mol-service.com/ja/glossary/shipper |title=Shipperとは|用語集|商船三井サービスサイト |access-date=2023年11月08日 |publisher=株式会社 商船三井 Mitsui O.S.K. Lines, Ltd.}}</ref>。 シッパーは商品の発送に関わる当事者で、製品を製造し、直接取引を行う場合は売主、または商社を通す場合は商社となる。また、「荷送人」は運送契約の当事者であり、B/L面上に記載されている貨物の輸出者を指す。 シッパーとコンサイニーの違いは、シッパーは貨物を送り出す荷送人であり、[[コンサイニー]]は貨物を受け取る荷受人であるという点である。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[貨物]] * [[貨物輸送]] * [[貿易]] * [[コンサイニー]] [[Category:貨物輸送]]
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ルイス・ミゲル・ラミス
ルイス・ミゲル・ラミレス・モンフォルト(Luis Miguel Ramis Monfort、1970年7月25日 - )は、スペイン・カタルーニャ州タラゴナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。2023年11月よりRCDエスパニョールの監督を務める。 ジムナスティック・タラゴナのカンテラで育成され、1988-89シーズンにセグンダBに所属していたトップチームでプロデビュー。1991年にレアル・マドリードへ引き抜かれ最初の2シーズンはカスティージャでプレーした。1992-93シーズンから2シーズンはトップチームのメンバーとして公式戦37試合に出場し、1得点を記録した。その後はCDテネリフェでセビージャFCでレギュラーとして活躍したが、デポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍して以降はキャリアに陰りが見え始め、2002-03シーズンのラシン・フェロルでプロからは身を退いた。 現役引退後の2006年から10年もの間レアル・マドリードのカンテラで指導者として務め、2016年1月5日、ジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に就任したことで内部昇格という形でBチームの監督を務めることが発表された。 2017年3月14日、UDアルメリアの監督に途中就任し、2017-18シーズンの途中まで指揮した。 2018年6月24日、セグンダ・ディビシオンのアルバセテ・バロンピエの指揮を執ることが決定した。 2020年2月3日、降格圏に沈んでいたCDテネリフェの監督に就任した。就任後はチームを立て直し、2022-23シーズンいっぱいまで指揮を執った。 2023年11月6日、ルイス・ガルシアの後任としてRCDエスパニョールの監督就任が発表された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ルイス・ミゲル・ラミレス・モンフォルト(Luis Miguel Ramis Monfort、1970年7月25日 - )は、スペイン・カタルーニャ州タラゴナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。2023年11月よりRCDエスパニョールの監督を務める。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ジムナスティック・タラゴナのカンテラで育成され、1988-89シーズンにセグンダBに所属していたトップチームでプロデビュー。1991年にレアル・マドリードへ引き抜かれ最初の2シーズンはカスティージャでプレーした。1992-93シーズンから2シーズンはトップチームのメンバーとして公式戦37試合に出場し、1得点を記録した。その後はCDテネリフェでセビージャFCでレギュラーとして活躍したが、デポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍して以降はキャリアに陰りが見え始め、2002-03シーズンのラシン・フェロルでプロからは身を退いた。", "title": "選手経歴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "現役引退後の2006年から10年もの間レアル・マドリードのカンテラで指導者として務め、2016年1月5日、ジネディーヌ・ジダンがトップチームの監督に就任したことで内部昇格という形でBチームの監督を務めることが発表された。", "title": "指導者経歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2017年3月14日、UDアルメリアの監督に途中就任し、2017-18シーズンの途中まで指揮した。", "title": "指導者経歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2018年6月24日、セグンダ・ディビシオンのアルバセテ・バロンピエの指揮を執ることが決定した。", "title": "指導者経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2020年2月3日、降格圏に沈んでいたCDテネリフェの監督に就任した。就任後はチームを立て直し、2022-23シーズンいっぱいまで指揮を執った。", "title": "指導者経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年11月6日、ルイス・ガルシアの後任としてRCDエスパニョールの監督就任が発表された。", "title": "指導者経歴" } ]
ルイス・ミゲル・ラミレス・モンフォルトは、スペイン・カタルーニャ州タラゴナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。2023年11月よりRCDエスパニョールの監督を務める。
{{スペイン語圏の姓名|ラミス|モンフォルト}} {{サッカー選手 |名前=ルイス・ミゲル・ラミス |画像=Luis Miguel Ramis (cropped).jpg |画像の説明=2015年のラミス |画像サイズ=200px |本名=ルイス・ミゲル・ラミス・モンフォルト<br />Luis Miguel Ramis Monfort |愛称= |アルファベット表記=Luis Miguel Ramis |国={{ESP}} |生年月日={{生年月日と年齢|1970|7|25}} |出身地=[[タラゴナ]] |身長=190cm |体重=80kg |所属チーム名= |ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]] (CB) |背番号= |利き足=右足 |ユース年1=1983-1988|ユースクラブ1={{flagicon|ESP}} [[ジムナスティック・タラゴナ|ジムナスティック]] |年1=1988-1991|クラブ1={{flagicon|ESP}} [[ジムナスティック・タラゴナ|ジムナスティック]]|出場1=95|得点1=10 |年2=1991-1993|クラブ2={{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード・カスティージャ|レアル・マドリードB]]|出場2=53|得点2=4 |年3=1992-1994|クラブ3={{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]]|出場3=24|得点3=1 |年4=1994-1996|クラブ4={{flagicon|ESP}} [[CDテネリフェ|テネリフェ]]|出場4=60|得点4=4 |年5=1996-1997|クラブ5={{flagicon|ESP}} [[セビージャFC|セビージャ]]|出場5=39|得点5=1 |年6=1997-2001|クラブ6={{flagicon|ESP}} [[デポルティーボ・ラ・コルーニャ|デポルティーボ]]|出場6=32|得点6=1 |年7=2000-2001|クラブ7=→{{flagicon|ESP}} [[ラシン・サンタンデール]] (loan)|出場7=10|得点7=1 |年8=2001-2002|クラブ8={{flagicon|ESP}} [[ジムナスティック・タラゴナ|ジムナスティック]]|出場8=13|得点8=2 |年9=2002-2003|クラブ9={{flagicon|ESP}} [[ラシン・フェロル]]|出場9=22|得点9=1 |年10=2003-2004|クラブ10={{flagicon|ESP}} [[UDサン・セバスティアン・デ・ロス・レジェス|SSレジェス]]|出場10=0|得点10=0 |通算出場=348|通算得点=25 |監督年1=2006-2016|監督チーム1={{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]] (ユース) |監督年2=2016|監督チーム2={{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード・カスティージャ|レアル・マドリードB]] |監督年3=2017|監督チーム3={{flagicon|ESP}} [[UDアルメリア|アルメリア]] |監督年4=2018-2020|監督チーム4={{flagicon|ESP}} [[アルバセテ・バロンピエ|アルバセテ]] |監督年5=2020-2023|監督チーム5={{flagicon|ESP}} [[CDテネリフェ|テネリフェ]] |監督年6=2023-|監督チーム6={{flagicon|ESP}} [[RCDエスパニョール|エスパニョール]] }} '''ルイス・ミゲル・ラミレス・モンフォルト'''('''Luis Miguel Ramis Monfort'''、[[1970年]][[7月25日]] - )は、[[スペイン]]・[[カタルーニャ州]][[タラゴナ]]出身の元[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、現サッカー指導者。現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]。2023年11月より[[RCDエスパニョール]]の監督を務める。 == 選手経歴 == [[ジムナスティック・タラゴナ]]の[[カンテラ]]で育成され、1988-89シーズンに[[セグンダ・ディビシオンB|セグンダB]]に所属していたトップチームでプロデビュー。1991年に[[レアル・マドリード]]へ引き抜かれ最初の2シーズンは[[レアル・マドリード・カスティージャ|カスティージャ]]でプレーした。1992-93シーズンから2シーズンはトップチームのメンバーとして公式戦37試合に出場し、1得点を記録した。その後は[[CDテネリフェ]]で[[セビージャFC]]でレギュラーとして活躍したが、[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ]]へ移籍して以降はキャリアに陰りが見え始め、2002-03シーズンの[[ラシン・フェロル]]でプロからは身を退いた。 == 指導者経歴 == 現役引退後の2006年から10年もの間[[レアル・マドリード]]の[[カンテラ]]で指導者として務め、2016年1月5日、[[ジネディーヌ・ジダン]]がトップチームの監督に就任したことで内部昇格という形でBチームの監督を務めることが発表された<ref>{{Cite web|title=Ramis entrenará al Real Madrid Castilla, Solari al Juvenil A, Guti al Juvenil B y Álvaro Benito al Cadete A|url=https://www.antena3.com/noticias/deportes/futbol/ramis-entrenara-real-madrid-castilla-solari-juvenil-guti-juvenil-alvaro-benito-cadete_2016010657ae0dba0cf2738f2b809067.html|date=2016-1-6|accessdate=2023-11-8|language=es|publisher=Antena 3}}</ref>。 2017年3月14日、[[UDアルメリア]]の監督に途中就任し、2017-18シーズンの途中まで指揮した<ref>{{Cite web|title=Luis Miguel Ramis se convierte en el nuevo entrenador de la Unión Deportiva Almería|url=http://www.udalmeriasad.com/noticia/luis-miguel-ramis-se-convierte-en-el-nuevo-entrenador-de-la-union-deportiva-almeria|date=2017-3-14|accessdate=2023-11-8|language=es|publisher=UD Almería}}</ref>。 2018年6月24日、[[セグンダ・ディビシオン]]の[[アルバセテ・バロンピエ]]の指揮を執ることが決定した<ref>{{cite web|url=http://www.albacetebalompie.es/luis-miguel-ramis-nuevo-entrenador-del-albacete-balompie/|title=Luis Miguel Ramis, nuevo entrenador del Albacete Balompié|publisher=Albacete Balompié|language=es|date=2018-6-24|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 2020年2月3日、降格圏に沈んでいた[[CDテネリフェ]]の監督に就任した<ref>{{cite web|url=https://www.clubdeportivotenerife.es/noticia/luis-miguel-ramis-nuevo-entrenador-del-cd-tenerife|title=Luis Miguel Ramis, nuevo entrenador del CD Tenerife|publisher=CD Tenerife|language=es|date=2020-11-24|accessdate=2023-11-8}}</ref>。就任後はチームを立て直し、2022-23シーズンいっぱいまで指揮を執った。 2023年11月6日、[[ルイス・ガルシア・フェルナンデス|ルイス・ガルシア]]の後任として[[RCDエスパニョール]]の監督就任が発表された<ref>{{Cite web |date=6 November 2023 |title=Luis Miguel Ramis, new RCD Espanyol coach |url=https://www.rcdespanyol.com/en/new/luis-miguel-ramis,-new-rcd-espanyol-coach/16267 |access-date=2023-11-8 |website= |publisher=RCD Espanyol}}</ref>。 == タイトル == === クラブ === ; レアル・マドリード *[[スーペルコパ・デ・エスパーニャ]] : 1回 (1993) *[[コパ・イベロアメリカーナ]] : 1回 (1994) ; デポルティーボ *[[プリメーラ・ディビシオン]] : 1回 (1999-00) === 監督 === ; レアル・マドリードB *[[セグンダ・ディビシオンB]] : 1回 (2015-16) == 関連項目 == *[[レアル・マドリードの選手一覧]] *[[セビージャFCの選手一覧]] == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{commonscat|Luis Miguel Ramis}} *{{sports links}} {{RCDエスパニョールのメンバー}} {{Navboxes |title=クラブ監督歴 |list1= {{RCDエスパニョール歴代監督}} }} {{デフォルトソート:らみす るいす みける}} [[Category:スペインのサッカー選手]] [[Category:カタルーニャのサッカー選手]] [[Category:ジムナスティック・タラゴナの選手]] [[Category:レアル・マドリード・カスティージャの選手]] [[Category:レアル・マドリードの選手]] [[Category:CDテネリフェの選手]] [[Category:セビージャFCの選手]] [[Category:デポルティーボ・ラ・コルーニャの選手]] [[Category:ラシン・フェロルの選手]] [[Category:スペインのサッカー指導者]] [[Category:RCDエスパニョールの監督]] [[Category:レアル・マドリードの人物]] [[Category:タラゴナ出身の人物]] [[Category:1970年生]] [[Category:存命人物]]
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アミハイ・エリヤフ
アミハイ・ベン=エリヤフ(ヘブライ語: עמיחי בן אליהו、1979年4月24日 - )はイスラエルの政治家、活動家。2022年12月29日よりエルサレム問題・遺産大臣(英語版)を務める(2023年11月5日より職務停止中)。 政治姿勢は極右(シオニスト)で、2022年の総選挙では極右政党のユダヤの力から出馬した。エリヤフは2023年パレスチナ・イスラエル戦争で核兵器の使用を主張したことで国際的な注目を集めた。 1979年4月24日、エルサレムに生まれる。父親はシュムエル・エリヤフ(英語版)、祖父はモルデハイ・エリヤフ(英語版)。代々ユダヤ教のラビの家系で、かつシオニズムの強力な支持者であった。北部地区のシュロミ(英語版)で育ったエリヤフは、国内の様々なイェシーバーに参加した。兵役中は第35空挺旅団に所属し、2006年の第二次レバノン戦争に参戦した。 政治家になる以前は極右政党の国家統一党の支持者であった。2022年の第25回イスラエル議会総選挙ではユダヤの力の党名簿で4番目に選ばれ、初当選した 。 12月29日に組閣された第6次ネタニヤフ内閣にはエルサレム問題・遺産大臣(英語版)として初入閣を果たした。ノルウェー法(英語版)に則り、2023年1月1日付で議員を辞職した。 イスラエルとハマースの戦争中の11月5日にユダヤ教超正統派のラジオ番組に出演したエリヤフは、「ガザ地区にハマースと関わっていない人はいない」として人道支援に反対する持論を展開し、司会者から核兵器の使用を問われた際は「選択肢の一つだ」と発言した。またハマースに囚われている200人以上の人質については「帰還を願っているが、戦争には代償が伴う」とも発言した。 この一連の発言は国内外から批判の声が挙がった。ネタニヤフ首相はエリヤフの発言について「現実からかけ離れている」と述べ、「イスラエル軍は国際法を遵守したうえで行動している」と付け加えた。即座にエリヤフを職務停止処分としたが、野党指導者のヤイル・ラピド前首相は解任を要求した。エリヤフはX(旧Twitter)上の投稿で、自身の発言について「例え話」だと釈明している。 なおイスラエルは公式に核兵器保有を認めていないが、アラブ連盟のアハメド・アブルゲイト(英語版)事務局長は「(エリヤフの発言は)イスラエルが核兵器を保有している証」と指摘し、イスラエルのパレスチナ人に対する差別を裏付けるものとして非難した。 極右に分類されている。パレスチナ問題について、イスラエルとパレスチナ国が並立する二国家解決に反対している。エリヤフはイスラエルのヨルダン川西岸地区の併合を支持しており、休戦ラインのグリーンライン(英語版)を「架空の存在」だと発言している。また国防軍と警察がヨルダン川西岸地区のイスラエル人入植者を「悪者」扱いするパレスチナ人の主張を受け入れているとして、治安当局を非難している。 既婚で、6人の子供がいる。2022年総選挙時点で、ヨルダン川西岸地区(ユダヤ・サマリア地区)のユダヤ人入植地リモニム(英語版)に住んでいる。
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アミハイ・ベン=エリヤフはイスラエルの政治家、活動家。2022年12月29日よりエルサレム問題・遺産大臣を務める(2023年11月5日より職務停止中)。 政治姿勢は極右(シオニスト)で、2022年の総選挙では極右政党のユダヤの力から出馬した。エリヤフは2023年パレスチナ・イスラエル戦争で核兵器の使用を主張したことで国際的な注目を集めた。
{{政治家 |人名 = アミハイ・エリヤフ |各国語表記 = {{lang|he|עמיחי אליהו}} |画像 = Amichai Eliyahu (cropped).jpg<!-- 画像ファイル名 --> |画像説明 = 2022年撮影 |国略称 = {{ISR}} |生年月日 = {{生年月日と年齢|1979|04|24}} |出生地 = {{ISR}}、[[エルサレム]] |没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |死没地 = |出身校 = |前職 = |現職 = |所属政党 = [[強いイスラエル|ユダヤの力]](2022年-2023年) |称号・勲章 = |配偶者 = |子女 = 6人 |親族(政治家) = |サイン = |ウェブサイト = |サイトタイトル = |国旗 = ISR |職名 = {{仮リンク|エルサレム問題・遺産大臣|en|Jerusalem Affairs and Heritage Minister of Israel}} |内閣 = [[第6次ネタニヤフ内閣]] |当選回数 = |就任日 = [[2022年]][[12月29日]] |退任日 = |任命権者等職 = [[イスラエルの首相|首相]] |任命権者等 = [[ベンヤミン・ネタニヤフ]] |国旗2 = ISR |職名2 = [[クネセト]]議員 |選挙区2 = |当選回数2 = 初 |就任日2 = 2022年11月 |退任日2 = [[2023年]][[1月1日]] }} '''アミハイ・ベン=エリヤフ'''({{lang-he|עמיחי בן אליהו}}、[[1979年]][[4月24日]] - )は[[イスラエル]]の[[政治家]]、[[活動家]]。2022年12月29日より{{仮リンク|エルサレム問題・遺産大臣|en|Jerusalem Affairs and Heritage Minister of Israel}}を務める(2023年11月5日より職務停止中)。 政治姿勢は[[極右]]([[シオニズム|シオニスト]])で、[[第25回イスラエル議会総選挙|2022年の総選挙]]では極右政党の[[強いイスラエル|ユダヤの力]]から出馬した<ref name="INN358520">{{Cite news |url=https://www.israelnationalnews.com/news/358520 |title=Rabbi Amihai Eliyahu joins Otzma Yehudit |publisher=Israel National News |date=2022年-08-21 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。エリヤフは[[2023年パレスチナ・イスラエル戦争]]で[[核兵器]]の使用を主張したことで国際的な注目を集めた。 == 経歴 == [[1979年]][[4月24日]]、[[エルサレム]]に生まれる。父親は{{仮リンク|シュムエル・エリヤフ|en|Shmuel Eliyahu}}、祖父は{{仮リンク|モルデハイ・エリヤフ|en|Mordechai Eliyahu}}。代々[[ユダヤ教]]の[[ラビ]]の家系で、かつ[[シオニズム]]の強力な支持者であった。[[北部地区 (イスラエル)|北部地区]]の{{仮リンク|シュロミ|en|Shlomi, Israel}}で育ったエリヤフは、国内の様々な[[イェシーバー]]に参加した。[[イスラエル国防軍|兵役中]]は[[第35空挺旅団 (イスラエル国防軍)|第35空挺旅団]]に所属し、2006年の[[レバノン侵攻 (2006年)|第二次レバノン戦争]]に参戦した<ref name="INN358520" />。 === 政治家としてのキャリア === 政治家になる以前は極右政党の[[国家統一党]]の支持者であった<ref name="INN358520" />。2022年の[[第25回イスラエル議会総選挙]]では[[強いイスラエル|ユダヤの力]]の党名簿で4番目に選ばれ<ref name="INN358520" />、初当選した<ref>{{Cite web |author1 =Michael Bachner |author2=[[Staff writer]]|title=As 25th Knesset sworn in, president urges MKs to end "addiction" to toxic discourse|url=https://www.timesofisrael.com/as-25th-knesset-sworn-in-president-urges-mks-to-end-addiction-to-toxic-discourse/|date=15 November 2022|access-date=24 November 2022|website=[[The Times of Israel]] |language=en-US}}</ref> 。 12月29日に組閣された[[第6次ネタニヤフ内閣]]には{{仮リンク|エルサレム問題・遺産大臣|en|Jerusalem Affairs and Heritage Minister of Israel}}として初入閣を果たした<ref>{{Cite news |url=https://www.timesofisrael.com/whos-who-in-the-new-netanyahu-led-government/ |title=Who's who in the new Netanyahu-led government |publisher=The Times of Israel |date=2022-12-29 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。{{仮リンク|ノルウェー法|en|Norwegian Law (Israel)}}に則り、2023年1月1日付で議員を辞職した<ref>{{Cite news |url=https://www.srugim.co.il/747739-%d7%90%d7%97%d7%a8%d7%99-%d7%a9%d7%9e%d7%95%d7%a0%d7%94-%d7%9c%d7%a9%d7%a8-%d7%a2%d7%9e%d7%99%d7%97%d7%99-%d7%90%d7%9c%d7%99%d7%94%d7%95-%d7%94%d7%aa%d7%a4%d7%98%d7%a8-%d7%9e%d7%94%d7%9b%d7%a0%d7%a1 |title=אחרי שמונה לשר: עמיחי אליהו התפטר מהכנסת |publisher=Srugim |date=2022-12-29 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 ==== 核兵器使用を巡る発言 ==== [[2023年パレスチナ・イスラエル戦争|イスラエルとハマースの戦争]]中の11月5日に[[超正統派 (ユダヤ教)|ユダヤ教超正統派]]のラジオ番組に出演したエリヤフは、「[[ガザ地区]]にハマースと関わっていない人はいない」として人道支援に反対する持論を展開し、司会者から[[核兵器]]の使用を問われた際は「選択肢の一つだ」と発言した。またハマースに囚われている200人以上の人質については「帰還を願っているが、戦争には代償が伴う」<ref name="NHK">{{Cite news |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231105/k10014248111000.html |title=イスラエル閣僚 ガザ地区“核投下も選択肢”と発言 首相も批判 |publisher=[[日本放送協会]] |date=2023-11-05 |accessdate=2023-11-08}}</ref><ref name="Asahi">{{Cite news |url=https://www.asahi.com/articles/ASRC60BVNRC5UHBI02C.html |title=ガザに原爆投下「一つの選択肢」 発言のイスラエル閣僚に批判相次ぐ |publisher=[[朝日新聞]] |date=2023-11-06 |accessdate=2023-11-08}}</ref>、ガザ地区に住むパレスチナ人の運命については「彼らは[[アイルランド]]にも、砂漠にも行くことができる。ガザの怪物共は自分たちで解決策を決めるべきだ」と[[強制移住]]をほのめかす発言をした<ref>{{Cite news |url=https://www.timesofisrael.com/liveblog_entry/far-right-minister-nuking-gaza-is-an-option-population-should-go-to-ireland-or-deserts/ |title=Far-right minister: Nuking Gaza is an option, population should ‘go to Ireland or deserts’ |publisher=The Times of Israel |date=2023-11-05 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 この一連の発言に国内外から批判の声が挙がった。ネタニヤフ首相はエリヤフの発言について「現実からかけ離れている」と述べ、「イスラエル軍は国際法を遵守したうえで行動している」と付け加えた<ref name="NHK" /><ref name="Asahi" />。即座にエリヤフを職務停止処分としたが、ハマースの人質の家族から成る団体や野党指導者の[[ヤイル・ラピド]]前首相は解任を要求した<ref>{{Cite news |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2023110500370 |title=イスラエル閣僚が「ガザに原爆投下」発言=政府会合への出席禁止に |publisher=[[時事通信]] |date=2023-11-05 |accessdate=2023-11-08}}</ref><ref name="Haaretz">{{Cite news |url=https://www.haaretz.com/israel-news/2023-11-05/ty-article/netanyahu-criticizes-minister-who-suggested-option-of-dropping-nuclear-bomb-on-gaza/0000018b-9e7b-db71-a7df-ffffe4510000 |title=Netanyahu Criticizes Minister Who Suggested 'Option' of Dropping Nuclear Bomb on Gaza |publisher=Haaretz |date=2023-11-05 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。{{仮リンク|ヨアフ・ガラント|en|Yoav Gallant}}国防大臣、{{仮リンク|国民統一 (イスラエル)|label=国民統一|en|National Unity (Israel)}}党首[[ベニー・ガンツ]]前国防大臣もエリヤフを非難した<ref name="Haaretz" />。また移住先として言及された[[北アイルランド議会]]の{{仮リンク|ジェリー・キャロル|en|Gerry Carroll}}議員はパレスチナ人の強制移住の提案を非難した<ref>{{Cite news |url=https://belfastmedia.com/israeli-minister-s-comments-to-banish-palestinians-to-ireland-condemned |title=Israeli Minister's comments to banish Palestinians to Ireland condemned |publisher=Belfastmedia |date=2023-11-06 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 エリヤフは[[Twitter|X(旧Twitter)]]上の投稿で、自身の発言について「例え話」だと釈明している<ref>{{Cite news |url=https://www.cnn.co.jp/world/35211119.html |title= 極右閣僚がガザへの核使用は「選択肢」、職務停止に イスラエル |publisher=CNN |date=2023-11-06 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 なおイスラエルは公式に[[イスラエルの大量破壊兵器|核兵器保有を認めていない]]が、[[アラブ連盟]]の{{仮リンク|アハメド・アブルゲイト|en|Ahmed Aboul Gheit}}事務局長は「(エリヤフの発言は)イスラエルが核兵器を保有している証」と指摘し、イスラエルのパレスチナ人に対する差別を裏付けるものとして非難した<ref>{{Cite news |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3489757 |title=イスラエル閣僚、ガザへの原爆投下も「選択肢」 懲戒処分に |publisher=[[AFP通信社]] |date=2023-11-06 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == 政治的見解 == [[極右]]に分類されている。[[パレスチナ問題]]について、イスラエルと[[パレスチナ国]]が並立する[[二国家解決]]に反対している。エリヤフはイスラエルのヨルダン川西岸地区の併合を支持しており、休戦ラインの{{仮リンク|グリーンライン (イスラエル)|label=グリーンライン|en|Green Line (Israel)}}を「架空の存在」だと発言している<ref>{{Cite news |url=https://www.timesofisrael.com/far-right-minister-says-green-line-fictitious-urges-annexation-of-west-bank/ |title=Far-right minister says Green Line ‘fictitious,’ urges annexation of West Bank |publisher=The Times of Israel |date=2023-08-02 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。また国防軍と警察がヨルダン川西岸地区のイスラエル人入植者を「悪者」扱いするパレスチナ人の主張を受け入れているとして、治安当局を非難している<ref>{{Cite news |url=https://www.timesofisrael.com/liveblog_entry/far-right-minister-idf-police-have-adopted-palestinian-view-that-settlers-are-guilty/ |title=Far-right minister: IDF, police have adopted Palestinian view that settlers are guilty |publisher=The Times of Israel |date=2023-08-07 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == 私生活 == 既婚で、6人の子供がいる。2022年総選挙時点で、[[ヨルダン川西岸地区]]([[ユダヤ・サマリア地区]])の[[ユダヤ人入植地]]{{仮リンク|リモニム|en|Rimonim}}に住んでいる<ref name="INN358520" />。 == 脚注 == {{commonscat}} <references /> {{DEFAULTSORT:えりやふ あみはい}} [[Category:イスラエルの政治家]] [[Category:イスラエルの閣僚]] [[Category:クネセト議員]] [[Category:エルサレム出身の人物]] [[Category:1979年生]] [[Category:存命人物]]
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部分リーマン多様体の接続と曲率
本項、部分リーマン多様体の接続と曲率では、古典的なガウスの曲面論(英語版)を高次元のリーマン多様体の場合に拡張した成果を述べる。具体的にはリーマン多様体 M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の部分多様体Mに対し、 といったものを高次元化した成果を述べる。 以下、本項では ( M ̄ , g ) {\displaystyle ({\bar {M}},g)} をリーマン多様体とし、 をその部分多様体とする。また特に断りがない限り、単に「多様体」、「写像」等といった場合はC級のものを考える。 ∇ ̄ {\displaystyle {\bar {\nabla }}} をgが定める M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} 上のレヴィ-チヴィタ接続とする。またリーマン計量gをMに制限することで、 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} がリーマン多様体になるので、gが定めるM上のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\displaystyle \nabla } を考える事ができる。 一方、Mは M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の部分多様体なので、 M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ ̄ {\displaystyle {\bar {\nabla }}} のMへの制限 ∇ ̄ M {\displaystyle {\bar {\nabla }}^{M}} も考える事ができる。 実はこの2つは以下の関係を満たす: 定理 ― X、YをM上のベクトル場とするとき、Mの任意の点Pに対し、以下が成立する: ここで P r P {\displaystyle \mathrm {Pr} _{P}} は、 T P M ̄ {\displaystyle T_{P}{\bar {M}}} の元の接ベクトル空間TPMへの射影 である。 上では M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の接続のMの接ベクトルバンドルTMへの射影を考えたが、同様に M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の接続のMの法ベクトルバンドルへの射影を考える事ができる。 Mの点Pに対し、 を T P M ̄ {\displaystyle T_{P}{\bar {M}}} の元の法ベクトルバンドル N P M {\displaystyle N_{P}M} への射影とする。 定義 ― XをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\displaystyle NM} の切断とするとき、以下のように定義される N M {\displaystyle NM} の接続をMの法接続(英: normal connectionn)、もしくはVan der Waerden Bortolotti接続という: さらにYをM上のベクトル場とするとき、 をMの法曲率(英: normal curvature)という。 という。 上述したように、M上のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\displaystyle \nabla } は M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ ̄ M {\displaystyle {\bar {\nabla }}^{M}} のTMへの射影であるので、両者の差 ∇ ̄ X M Y − ∇ X Y {\displaystyle {\bar {\nabla }}_{X}^{M}Y-\nabla _{X}Y} は M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} の法ベクトルバンドル N M {\displaystyle NM} への ∇ ̄ X M Y {\displaystyle {\bar {\nabla }}_{X}^{M}Y} の射影となる。 Mの点Pに対し、 をそれぞれ T P M ̄ {\displaystyle T_{P}{\bar {M}}} の元の接ベクトル空間TPMへの射影、 T P M ̄ {\displaystyle T_{P}{\bar {M}}} の元の法ベクトルバンドル N P M {\displaystyle N_{P}M} への射影とする。 定義 (第二基本形式) ― をMの ( M ̄ , g ) {\displaystyle ({\bar {M}},g)} における第二基本形式(英: second fundamental form)、もしくは型テンソル(英: shape tensor)という。 また η ∈ N P {\displaystyle \eta \in NP} に対し、 と定義し、これも第二基本形式という。 なお、「第二基本形式」という名称はガウスの曲面論から来ており、ガウスの曲面論ではリーマン計量 I ( X , Y ) := g ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {I} (X,Y):=g(X,Y)} の事を第一基本形式というのに対応した名称である。 Pr ( ∇ ̄ X M Y ) = ∇ X Y {\displaystyle \Pr({\bar {\nabla }}_{X}^{M}Y)=\nabla _{X}Y} であったので、以下が成立する: 定理 ― 第二基本形式は以下を満たす: 定理 ― また、 P ( t ) {\displaystyle P(t)} をM上の曲線、 V P ( t ) {\displaystyle V_{P(t)}} を P ( t ) {\displaystyle P(t)} 上のMに接するベクトル場とするとき、以下が成立する: 定理 ― 上では M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の接続とMの接続の差を第二基本形式として定義したが、同様に M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の接続とMの法接続の差を考える事ができる。 定義 ― XをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\displaystyle NM} の切断とするとき、 を型写像(英: shape operator)もしくはワインガルテン写像(英: Weingarten map)という。 X、YをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\displaystyle NM} の切断とすると、Yとηは直交するので、 である。よって次が成立する: 定理 ― よって特に S η ( X ) {\displaystyle S_{\eta }(X)} はX、ηに関して C ∞ ( M ) {\displaystyle C^{\infty }(M)} -線形である。 前節と同様に記号を定義し、 ∇ {\displaystyle \nabla } により定まるMの曲率を R {\displaystyle R} 、 ∇ ̄ {\displaystyle {\bar {\nabla }}} により定まる M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の曲率を R ̄ {\displaystyle {\bar {R}}} とする。 さらにX、Y、Z、WをM上のベクトル場とし、η、ζをMの法ベクトルバンドルの切断とする。このとき、次が成立する: 定理 ― ここで ∇ ̄ X I I {\displaystyle {\bar {\nabla }}_{X}I\!\!I} は を T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ N ∗ M {\displaystyle T^{*}M\otimes T^{*}M\otimes N^{*}M} の切断とみたときの共変微分であり、 である。 ガウスの方程式はMの曲率が全空間 M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の曲率と第二基本形式から決まる事を意味している。同様にリッチの方程式はMの法曲率がワインガルテン写像から決まる事を意味している。 またガウスの方程式からMの断面曲率 系 ― TPMの正規直交している2本のベクトルv、wに関し、以下が成立する: 詳細はを参照。 これまで同様 M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} をリーマン多様体、 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} をその部分多様体とし、PをMの点とし、X、YをTPMの元とし、ηを法ベクトル空間NPMの元とする。 定義 (第三基本形式) ― を第三基本形式という。 ここでmはMの次元であり、 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} はTPMの正規直交基底である。 第三基本形式 I I I ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {I\!I\!I} (X,Y)} は二次形式 φ X , Y ( Z , W ) = g ( I I ( X , Z ) , I I ( Y , W ) ) {\displaystyle \varphi _{X,Y}(Z,W)=g(\mathrm {I\!I} (X,Z),\mathrm {I\!I} (Y,W))} のトレースであるので、 I I I ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {I\!I\!I} (X,Y)} は基底の取り方に依存せずwell-definedである。 第三基本形式は以下のようにも表現可能である: 定理 ― M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の次元をnとし、 η 1 , ... , η n − m {\displaystyle \eta _{1},\ldots ,\eta _{n-m}} をMの法ベクトル空間NPMの基底とするとき、第三基本形式は以下を満たす: M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が定曲率空間の場合、第三基本形式は以下を満たす: 定理 ― M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間であれば、以下が成立する: ここで R i c ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {Ric} (X,Y)} はMのリッチテンソルであり、HはMの平均曲率ベクトルである。 特にMの余次元が1であれば、前述したワインガルテン写像による第三基本形式の表記を適用することで、以下が成立する事がわかる: 定理 ― M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間で、 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が余次元1であれば、以下が成立する。 ここで R i c {\displaystyle \mathrm {Ric} } はリッチテンソル R i c ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {Ric} (X,Y)} に対して R i c ( X , Y ) = g ( R i c ( X ) , Y ) {\displaystyle \mathrm {Ric} (X,Y)=g(\mathrm {Ric} (X),Y)} を満たす線形写像であり、ηはMの単位法ベクトルである。 本節では、埋め込み M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が余次元1の場合、すなわち d i m M ̄ − d i m M = 1 {\displaystyle \mathrm {dim} {\bar {M}}-\mathrm {dim} M=1} の場合、Mに対し主曲率、ガウス曲率、平均曲率という3つの曲率概念を定義する。 これらの概念を定義するためにまずその動機を述べる。今 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} は余次元1なので、長さ1の法ベクトルηを(±1倍を除いて)一つだけ選ぶ事ができる。 点Pにおける接ベクトルvに関し、曲線 P v ( s ) {\displaystyle P_{v}(s)} をPを通りvに接する(弧長パラメータsでパラメトライズされた)Mの測地線とすると、 P v ( s ) {\displaystyle P_{v}(s)} がMの測地線であった事から、 ∇ ̄ d s d d s P v ( s ) {\displaystyle {\tfrac {\bar {\nabla }}{ds}}{\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)} は必ずMに直交するので、Mの余次元が1な事から、 ∇ ̄ d s d d s P v ( s ) {\displaystyle {\tfrac {\bar {\nabla }}{ds}}{\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)} はηと平行になる。 よって g ( ∇ ̄ d s d P v ( t ) d s , η ) {\displaystyle g({\tfrac {\bar {\nabla }}{ds}}{\tfrac {dP_{v}(t)}{ds}},\eta )} は測地線の曲率の大きさに符号をつけたものである。 主曲率とは(符号付きの)測地線の曲率の大きさ g ( ∇ d s d P ( t ) d s , η ) {\displaystyle g({\tfrac {\nabla }{ds}}{\tfrac {dP(t)}{ds}},\eta )} の極値になっている値の事である。 主曲率は具体的には下記のように求める事ができる。 ∇ d s d d s P v ( s ) = 0 {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{ds}}{\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)=0} なので、 曲線に沿ったガウスの公式と第二基本形式の定義より、 よって主曲率、すなわち g ( ∇ d s d P ( t ) d s , η ) {\displaystyle g({\tfrac {\nabla }{ds}}{\tfrac {dP(t)}{ds}},\eta )} の極値は二次形式 I I η {\displaystyle \mathrm {I\!I} _{\eta }} を回転行列により対角化した際の対角成分 κ 1 , ... , κ n {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{n}} の事である。 ガウス曲率は主曲率 κ 1 , ... , κ n {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{n}} の積、平均曲率は主曲率 κ 1 , ... , κ n {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{n}} の平均値である。 厳密な定義は以下の通りである: 定義 (主曲率) ― M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が余次元1で η ∈ N P M {\displaystyle \eta \in N_{P}M} を点 P ∈ M {\displaystyle P\in M} における(±1倍を除いて)唯一の長さ1の法ベクトルとし、対称二次形式 を回転行列で対角化した際の固有値を κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} とし、 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} を対応する長さ1の固有ベクトルとする。このとき、 各eiの事を点PにおけるMの主方向(英: principal direction)といい、 κ i {\displaystyle \kappa _{i}} を主方向eiに関する主曲率(英: principal curvature)という。 定義 (ガウス曲率、平均曲率(英語版)) ― 記号を上の定義と同様に取る。このとき、主曲率の第i基本対称式 σ i ( κ 1 , ... , κ m ) {\displaystyle \sigma _{i}(\kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m})} を二項係数 ( n k ) {\displaystyle \textstyle {\binom {n}{k}}} で割った を点Pにおける第i平均曲率(英: i-th mean curvature)という。特に、 を点PにおけるMのガウス曲率(英: Gausian curvature)もしくはガウス・クロネッカー曲率(英: Gauss Kronecker curvature)といい、 を点PにおけるMの平均曲率(英: mean curvature)という。 なお、ガウス曲率の事を全曲率(英: total curvature)という事もあるが、「全曲率」という言葉は測地線曲率の曲線全体に対する積分値を指す場合もあるので注意が必要である。 上記の定義についていくつか補足を述べる。第一に、単位法ベクトルηの向きを反転させると、主曲率の符号が反転してしまう。このためMや M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が向き付け可能なときは、TM×ηの向きが M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の向きと一致するという規約を授けてηの向きを固定する事が多い。 第二に、 I I η ( X , Y ) | P {\displaystyle \mathrm {I\!I} _{\eta }(X,Y)|_{P}} は対称二次形式であるので、次が成立する: 定理 ― (固有値 κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} が相異なれば)主方向 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} は互いに直交する。 第三にワインガルテンの公式から であるので、明らかに次が成立する: 定理 ― 主曲率および主方向はそれぞれワインガルテン写像の固有値・固有ベクトルに一致する。 よって固有多項式の一般論から、特に次が成立する: 定理 ― 以下の3つの値は等しい: のm-i次の項を ( − 1 ) m − i ( n k ) {\displaystyle (-1)^{m-i}\textstyle {\binom {n}{k}}} で割った値 ここで ∧ i S η {\displaystyle \wedge ^{i}S_{\eta }} は S η : T P M → T P M {\displaystyle S_{\eta }~:~T_{P}M\to T_{P}M} が ∧ i T P M {\displaystyle \wedge ^{i}T_{P}M} に誘導する写像を ∧ i S η : ∧ i T P M → ∧ i T P M {\displaystyle \wedge ^{i}S_{\eta }~:~\wedge ^{i}T_{P}M\to \wedge ^{i}T_{P}M} である。 第四に、平均曲率に関しては、 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が余次元1でなくとも、 I I ( X , Y ) | P {\displaystyle \mathrm {I\!I} (X,Y)|_{P}} を法ベクトル空間 N P M {\displaystyle N_{P}M} に値を取る二次形式とみなしたときのトレース(の1/n)として定義できる: 定義 ― M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} をリーマン多様体とし、 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} を(余次元1とは限らない)部分リーマン多様体とし、PをMの点とする。このとき、 をPにおけるMの平均曲率ベクトル(英: mean curvature vector)といい、HPにより定まる法ベクトルバンドルの切断Hを平均曲率ベクトル場(英: mean curvature vector field)という。ここで e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} は T P M {\displaystyle T_{P}M} の正規直交基底である。 平均曲率ベクトル場は極小曲面の特徴付けとして有用であり、閉多様体 M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が極小曲面になる必要十分条件はM上の平均曲率ベクトル場が恒等的に0である事である事が知られている。 本節では、向き付可能なリーマン多様体Mをユークリッド空間に余次元1で埋め込んでいる場合、すなわち M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} 、dimM=mの場合に対し、「ガウス写像」を定義する事で、ワインガルテン写像やガウス曲率に幾何学的な意味付けを与える。 これまで同様ηをMの単位法ベクトル場とすると、各点P∈Mに対し、ベクトルηPは長さ1のベクトルなので、ηPを原点中心の単位球Sの元とみなす事ができる。このようにみなす事で定義できる写像 をガウス写像(英: Gauss map、英: Gauss spherical mapping)という。 MのPにおける接ベクトル空間の元TPMを M ⊂ R m {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m}} のPにおける接平面と自然に同一視すると、任意のv∈TPMに対し、 である事から、 R m {\displaystyle \mathbb {R} ^{m}} においてTPMはTG(P)Sと平行な超平面であるので、自然にTPMとTG(P)Sを同一視する。このとき次が成立する: 定理 ― M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} を向き付け可能かつ余次元1のリーマン多様体とし、GをMが定めるガウス写像とする。 このとき、ガウス写像が接ベクトル空間に誘導する写像 は、 を満たす。ここで S η ( v ) {\displaystyle S_{\eta }(v)} はワインガルテン写像である。 さらにガウス写像はガウス曲率と以下の関係を満たす: 定理 (ガウス写像によるガウス曲率の意味付け) ― 記号を上述の定理と同様に取る。 さらにM、Sの体積要素をそれぞれ d V {\displaystyle dV} 、 d V ′ {\displaystyle dV'} とするとき、ガウス写像が誘導する写像 は、 を満たす。ここでKPは点PにおけるMのガウス曲率である。 断面曲率と第二基本形式の関係と主曲率の定義から、特に以下の系が成立する: 系 (断面曲率と主曲率の関係) ― 埋め込み M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} が余次元1の埋め込みで、 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} が点 P ∈ M {\displaystyle P\in M} における主方向で κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} を対応する主曲率とする。このときi≠jを満たす任意のi, j ∈{1,...,m}に対し、以下が成立する: ここで S e c P ( ⋅ , ⋅ ) {\displaystyle \mathrm {Sec} _{P}(\cdot ,\cdot )} 、 S e c ̄ P ( ⋅ , ⋅ ) {\displaystyle {\overline {\mathrm {Sec} }}_{P}(\cdot ,\cdot )} はそれぞれ'M'、Mの断面曲率である。 よってとくに M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間(英語版)、すなわち M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} 上の任意の点Pにおける任意の方向の断面曲率がcである空間の場合には、 が成立する。 実は上式の右辺はMに内在的な量である: 定理 (Theorema Egregiumの一般化) ― M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} を曲率cの定曲率空間とし、 M ⊂ M ̄ c {\displaystyle M\subset {\bar {M}}_{c}} をその余次元1の部分多様体とし、さらにPをMの点とする。さらに線形写像 ρ : ∧ 2 T M P → ∧ 2 T M P {\displaystyle \rho ~:~\wedge ^{2}TM_{P}\to \wedge ^{2}TM_{P}} を により定義する。 このとき、ρの固有値の集合は に一致する。ここでmはMの次元であり、 κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} は点Pにおける主曲率である。 また κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} に対応する主方向を e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} とすると、 κ i κ j + c {\displaystyle \kappa _{i}\kappa _{j}+c} に対応する固有ベクトルは e i ∧ e j {\displaystyle e_{i}\wedge e_{j}} である。 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} をそれぞれ κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} に対応する主方向とすると、 は ∧ 2 T P M {\displaystyle \wedge ^{2}T_{P}M} の基底である。 i>jを満たす任意のi,j=1,...,mおよびk>lを満たす任意のk,l=1,...,mに対し、ガウスの方程式から、 ηをMの単位法線とすると、主方向の定義から、 であるので、Mの余次元が1な事から、 である。 定曲率空間の場合は以下が成立する事が知られている: 定理 (定曲率空間における曲率の形) ― ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} をリーマン多様体とし、 c ∈ R {\displaystyle c\in \mathbb {R} } とする。このときMが曲率cの定曲率空間である必要十分条件は、Mの任意の点PとTPMの任意のベクトルX、Y、Z、Wに対し、 が成立する事である。 よってi>j、k>lを満たすi, j, k, lに対し、 が成立する。 以上から、i>j、k>lを満たすi, j, k, lに対し、 が成立する。 ( e i ∧ e j ) i , j = 1 , ... , m s.t. i < j {\displaystyle (e_{i}\wedge e_{j})_{i,j=1,\ldots ,m{\text{ s.t. }}i<j}} が ∧ 2 T P M {\displaystyle \wedge ^{2}T_{P}M} の基底であった事から、上記の事実は e i ∧ e j {\displaystyle e_{i}\wedge e_{j}} は c + κ i κ j {\displaystyle c+\kappa _{i}\kappa _{j}} を固有値とするρの固有ベクトルである事がわかる。 S e c ( e i , e j ) = c + κ i κ j {\displaystyle \mathrm {Sec} (e_{i},e_{j})=c+\kappa _{i}\kappa _{j}} であったので、上記の定理は、有名なTheorema Egregiumの一般化になっている: 定理 (Theorema Egregium) ― R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} の二次元部分多様体 M ⊂ R 3 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{3}} に対し、点Pにおけるガウス曲率は点Pにおける断面曲率と一致する。 Theorema Egregiumの一般化から以下の系が従う: 系 (偶数次平均曲率の内在性、偶数次元のガウス曲率の内在性) ― 記号を前述の定理と同様に取るとき、 M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} におけるMの第r平均曲率はrが偶数ならMに内在的な量である。 よってとくに M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率KはMの次元mが偶数ならMに内在的な量である。 一方、奇数次元のガウス曲率はMに内在的な量ではない。実際ガウス曲率の定義 K = d e t I I η = κ 1 ⋯ κ m {\displaystyle K=\mathrm {det} \mathrm {I\!I} _{\eta }=\kappa _{1}\cdots \kappa _{m}} はMの単位法線ηというMに外在的な量に依存しており、ηの向きを変えれば κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} の符号は全て反転してしまい、次元mが奇数である事から K = κ 1 ⋯ κ m {\displaystyle K=\kappa _{1}\cdots \kappa _{m}} の符号も反転してしまう。 しかし次元mが奇数の場合であっても、符号を除いてガウス曲率は内在的な量となる事を前述のTheorema Egregiumの一般化から示すことができる: 系 (符号を除いたガウス曲率の内在性) ― 記号を前述の定理と同様に取る。Mの次元mが奇数であっても、 M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率Kは符号を除いて内在的な量である 以上の事から、mが偶数の場合には M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率をリーマン曲率で具体的に書きあらわす事ができる。次節では M ̄ c {\displaystyle {\bar {M}}_{c}} がユークリッド空間である場合に対し、この具体的な表記を求める。 前節では M ⊂ M ̄ c {\displaystyle M\subset {\bar {M}}_{c}} が偶数次元でしかも余次元が1のとき、ガウス曲率がMの内在的な量である事を示した。 本節の目的は M ̄ c = R m + 1 {\displaystyle {\bar {M}}_{c}=\mathbb {R} ^{m+1}} の場合に、ガウス曲率をMに内在的な量で具体的に書きあらわす事にある。そのために導入するのがオイラー形式である。オイラー形式は偶数次元のリーマン多様体M上で曲率テンソルを用いて定義される。そしてMが余次元1で R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} に埋め込まれているときは、オイラー形式はガウス曲率の定数倍に一致する。 本節の内容は後でガウス・ボンネの定理を記述するときに重要となる。「オイラー形式」という名称も、ガウス・ボンネの定理からこの値がオイラー標数と関係づけられる事に由来する。 オイラー形式を定義するため、「パッフィアン」を定義する。これは後述するように行列式の平方根に相当する。 定理・定義 (パッフィアン) ― mを正の偶数とし、Vをm次元の向きづけられた実ベクトル空間とし、 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} をVの正規直行基底でVの向きと同じ向きのものとし、歪対称二次形式 に対し、 となる実数 P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} が一意に存在する。 しかも P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} はVと同じ向きの正規直交基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} の取り方によらない。 P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} をαのパッフィアン(英: Pfaffian)と呼ぶ。 上記の定理において、 P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} の存在一意性は ⋀ n V {\displaystyle \bigwedge ^{n}V} が1次元ベクトル空間な事から明らかに従う。Vと同じ向きの正規直交基底の取り方によらないことも、 P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} の定義がαの成分表示によらず、しかも e 1 ∧ ⋯ ∧ e m {\displaystyle e_{1}\wedge \cdots \wedge e_{m}} がそのような基底の取り方によらない事から明らかに従う。 歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、紛れがなければ α = ∑ i > j a i j e i ∧ e j {\displaystyle \alpha =\sum _{i>j}a^{ij}e_{i}\wedge e_{j}} のパッフィアン P f ( α ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\alpha )} の事を P f ( A ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (A)} とも表記する。 定義から明らかに次が成立する。 定理 ― 任意の正則行列Bに対し、 が成立する。よって特に任意の直交行列Bに対し、 が成立する。 パッフィアンは具体的には以下のように書ける。 定理 (パッフィアンの具体的表記) ― m=2k次の歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、以下が成立する: ここで S m {\displaystyle {\mathfrak {S}}_{m}} は対称群であり、 s g n ( σ ) {\displaystyle \mathrm {sgn} (\sigma )} は置換σの符号である。 パッフィアンは行列式の平方根である: 定理 ― m=2k次の歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、以下が成立する: なお本節で我々は偶数次の歪対称行列に対して行列式の平方根がパッフィアンと一致する事を見たが、奇数次の歪対称行列の場合は行列式は常に0になる事が知られている。よって奇数次の場合には「行列式の平方根」も0になる。 次に我々はパッフィアンを使ってオイラー形式を定義する。 定義 (オイラー形式) ― m=2kを偶数とし、Mをm次元の向きづけられたリーマン多様体とし、 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} を開集合 U ⊂ M {\displaystyle U\subset M} におけるTMの正規直交基底でMと同じ向きを持つものとし、 Ω = ( Ω i j ) i j {\displaystyle \Omega =(\Omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} に関するMの曲率形式とする。このとき、 をオイラー形式(英: Euler form)もしくはガウス・ボンネ被積分関数(英: Gauss-Bonnet integrand)という。 上記の定義に関して3つ補足する。第一に、オイラー形式を定義する際、パッフィアンを ( 2 π ) k {\displaystyle (2\pi )^{k}} で割るのは、このようにすると後述するガウス・ボンネの定理で不要な定数が消えて定理の記述が簡単になるからである。 第二に、「 P f ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\Omega )} 」という記号の意味についてである。「 P f ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\Omega )} 」はパッフィアンPf(A)の具体的表記において、行列AをΩに置き換え、さらに積をウェッジ積に置き換えることで定義される。すなわち、 なお、添字の上下がPf(A)の具体的表記とは異なっているが、正規直交基底を考えているのでこれは問題にならない。 第三に、Ωjは2-形式であるので、上述のウェッジ積はΩjの入れ替えに関して可換である。よって前節で通常の実数係数の行列に対して成立した定理の多くが P f ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\Omega )} に対しても成立する。 特に、 P f ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {Pf} (\Omega )} は正規直交基底の向きを保つ取り方に対して不変であり、したがってオイラー形式はMと同じ向きの正規直交基底の取り方によらずwell-definedである。 したがって、オイラー形式はMの全域で定義可能である。 (正規直交とは限らない)基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} とその双対基底を e 1 , ... , e m {\displaystyle e^{1},\ldots ,e^{m}} を使って曲率テンソルを と成分表示すると、オイラー形式を下記のように成分表示できる: 定理 (オイラー形式の成分表示) ― (正規直交とは限らない)基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} に対し、以下が成立する ここでdVはMの体積要素であり、上式はアインシュタインの縮約記法を用いている。 なお、上式は i 1 , ... , i k {\displaystyle i_{1},\ldots ,i_{k}} および j 1 , ... , j k {\displaystyle j_{1},\ldots ,j_{k}} が 1 , ... , k {\displaystyle 1,\ldots ,k} の置換になっている項以外は0になる。 本節では、偶数次元リーマン多様体Mが余次元1でユークリッド空間に埋め込まれているときは、ガウス曲率とオイラー形式は定数倍を除いて一致する事を見る: 定理 (ガウス曲率のオイラー形式による表記) ― mを偶数とし、 M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} をm次元リーマン多様体Mの余次元1の埋め込みとする。このとき以下が成立する: ここで e u ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {eu} (\Omega )} はMのオイラー形式であり、KはMのガウス曲率であり、 ( 2 k − 1 ) ! ! {\displaystyle (2k-1)!!} は二重階乗 ( 2 k − 1 ) ! ! = 1 ⋅ 3 ⋅ ⋯ ⋅ ( 2 k − 1 ) {\displaystyle (2k-1)!!=1\cdot 3\cdot \cdots \cdot (2k-1)} であり、 dVはMの体積要素である。 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} をそれぞれ主曲率κ1、...、κmに対応する主方向とし、 θ 1 , ... , θ m {\displaystyle \theta ^{1},\ldots ,\theta ^{m}} をその双対基底とすると、断面曲率と主曲率の関係から、 がi≠jを満たすi、jに対して成立する。よってk=m/2とすると、パッフィアンの具体的表記から、 となり定理が証明された。 なお、なぜパッフィアンという「行列式の平方根」がここで登場するか、という問いに対する答えるには、チャーン・ヴェイユ理論を必要とするため、本項では触れない。 本節ではガウス・ボンネの定理を紹介する。この定理は、偶数次元のリーマン多様体において、オイラー標数をオイラー形式の全空間における積分で記述できるという趣旨の定理である。 元々はMが2次元の場合に対して示されたものであり、一般の偶数次元に対する定理は区別のためチャーン・ガウス・ボンネの定理とも呼ばれる。 定理 (ガウス・ボンネの定理) ― Mを偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトなリーマン多様体とする。このとき、 が成立する。ここで e u ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {eu} (\Omega )} はMのオイラー形式であり、 χ ( M ) {\displaystyle \chi (M)} はMのオイラー標数である。 M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} を余次元1で向き付け可能なリーマン多様体とする。すでに述べたように、M、Sの体積要素をそれぞれ d V {\displaystyle dV} 、 d V ′ {\displaystyle dV'} とすると、両者の間には という関係がある。ここでKはMのガウス曲率である。 Mがコンパクトで縁がなければ、ド・ラームコホモロジーの一般論から、ガウス写像 G : M → S m {\displaystyle G~:~M\to S^{m}} の写像度 d e g ( G ) {\displaystyle \mathrm {deg} (G)} は に等しい。ここで V o l ( S m ) {\displaystyle \mathrm {Vol} (S^{m})} は球面Sのm次元体積である。 この事実を利用すると、偶数次元のMに対し以下の定理が結論付けられる: 定理 ― M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} を R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} のコンパクトで縁がない向き付け可能なC級m次元部分リーマン多様体とする。このとき、mが偶数であれば、 が成立する。ここでKはガウス曲率であり、 d e g ( G ) {\displaystyle \mathrm {deg} (G)} はガウス写像 G : M → S m {\displaystyle G~:~M\to S^{m}} の写像度であり、 V o l ( S m ) {\displaystyle \mathrm {Vol} (S^{m})} は単位球面Sのm次元体積であり、 χ ( M ) {\displaystyle \chi (M)} はMのオイラー標数である。 1 V o l ( S m ) ∫ M K d V = d e g ( G ) {\displaystyle {1 \over \mathrm {Vol} (S^{m})}\int _{M}KdV=\mathrm {deg} (G)} はすでに示したので、 d e g ( G ) = χ ( M ) 2 {\displaystyle \mathrm {deg} (G)={\chi (M) \over 2}} のみを示す。 Mが連結ではない場合は連結成分毎に定理を証明すれば良いので、一般性を失わずMは連結であると仮定する。このとき、m+1次元多様体 N ⊂ R m + 1 {\displaystyle N\subset \mathbb {R} ^{m+1}} で ∂ N = M {\displaystyle \partial N=M} となるものが存在する事が下記の定理により保証される: 定理 (ジョルダン・ブラウワーの定理) ― M ⊂ R m + 1 {\displaystyle M\subset \mathbb {R} ^{m+1}} を R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} の縁のないコンパクトで連結なC級のm次元部分多様体とする。このときコンパクトで連結なm+1次元多様体 N ⊂ R m + 1 {\displaystyle N\subset \mathbb {R} ^{m+1}} とコンパクトでない連結な領域 L ⊂ R m + 1 {\displaystyle L\subset \mathbb {R} ^{m+1}} が存在し、 が成立する。ここで I n t N {\displaystyle \mathrm {Int} N} はNの内部である。 そこでNに対してホップによる以下の定理を用いる: 定理 (ホップの指数定理(Hopf's Index Theorem)) ― R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} のコンパクトなm+1次元部分多様体 N ⊂ R m + 1 {\displaystyle N\subset \mathbb {R} ^{m+1}} 上のベクトル場Xで、非退化な孤立零点しか持たず、さらにXがNの境界∂N上Nの外側を向いているものとすると、Xの零点の指数の総和は∂Nのガウス写像の写像度に等しい。 x 1 , ... , x n ∈ N {\displaystyle x_{1},\ldots ,x_{n}\in N} をXの零点とし、これらの零点のε-近傍を B 1 , ... , B n {\displaystyle B_{1},\ldots ,B_{n}} とし、さらに S i := ∂ B i {\displaystyle S_{i}:=\partial B_{i}} ( i = 1 , ... , n {\displaystyle i=1,\ldots ,n} )とする。εを十分小さく取る事で、 B i ∩ B j = ∅ {\displaystyle B_{i}\cap B_{j}=\emptyset } for i ≠ j {\displaystyle i\neq j} としてよい。 N ^ := N ∖ ( B 1 ∪ ⋯ ∪ B n ) {\displaystyle {\hat {N}}:=N\setminus (B_{1}\cup \cdots \cup B_{n})} とすると、Biの定義から N ^ {\displaystyle {\hat {N}}} 上Xは0にならない。このため P ∈ N ^ {\displaystyle P\in {\hat {N}}} に対し、 が定義できる。 η ( P ) {\displaystyle \eta (P)} は長さ1である事から単位球Sの元とみなす事ができるので、写像 が定義できる。明らかにηのMへの制限はMのガウス写像に一致する。 また零点の指数の定義から η S i {\displaystyle \eta _{S_{i}}} の写像度は零点xiの指数に一致する ホモロジー群 H m ( S i ) {\displaystyle H_{m}(S_{i})} 、 H m ( M i ) {\displaystyle H_{m}(M_{i})} の基本類をそれぞれ [ S i ] {\displaystyle [S_{i}]} 、 [ M ] {\displaystyle [M]} とする。これらの基本類を包含写像 により H m ( N ) {\displaystyle H_{m}(N)} に写すと、 が成立する。なお、ここで [ S i ] {\displaystyle [S_{i}]} の符号が負なのは、Biの向き付けを S i = ∂ B i {\displaystyle S_{i}=\partial B_{i}} によりBiから入れているからである。 よって がホモロジー群に誘導する写像を考えると、 が成立する。 η ∗ ( [ M ] ) {\displaystyle \eta _{*}([M])} は定義からMのガウス写像の写像度に等しく、写像度 η ∗ ( [ S i ] ) {\displaystyle \eta _{*}([S_{i}])} は零点xiの指数に一致したので定理が証明された。 上述の定理の条件を満たすXを選ぶと、Xの零点の指数の総和はポアンカレ・ホップの定理よりNのオイラー標数に等しいので、以上の事実から が成立する。 N'をNのコピーとし、NとN'をその縁である ∂ N = ∂ N ′ = M {\displaystyle \partial N=\partial N'=M} で張り合わせてできる多様体を N ~ {\displaystyle {\tilde {N}}} とする(すなわち N ~ {\displaystyle {\tilde {N}}} はNのダブル(英語版))と、 が成立する。 Mが偶数次元だという仮定から、 N ~ {\displaystyle {\tilde {N}}} は奇数次元であり、縁のないコンパクト奇数次元多様体のオイラー標数はポアンカレの双対性定理から常に0なので、前述の式から が言え、定理が証明される。 上記の定理にガウス曲率がオイラー形式で表記できたという事実を適用する事で、ホップは以下を示した: 定理 ( R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} 内かつ余次元1の場合のガウス・ボンネの定理) ― 記号を上述の定理と同様に取る。このとき、 が成立する。ここで e u ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {eu} (\Omega )} はMのオイラー形式である。 ここで我々はm=2kとすると、 である事を用いた(超球の体積の項目も参照)。 上記の定理は「Mが R m + 1 {\displaystyle \mathbb {R} ^{m+1}} に余次元1で埋め込まれている」という強い条件の元でのみ成立しているので、ガウス・ボンネの定理を示すにはこの条件を無くす必要がある。そのために使うのが下記の定理である: 定理 (ナッシュの埋め込み定理) ― Mをコンパクトなm次元リーマン多様体とする。このとき、あるn≧mとあるC級の埋め込み が存在し、M上のリーマン計量gは R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の引き戻しと一致する よってMが R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の部分多様体だと仮定しても一般性を失わない。しかしMは R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} において余次元1とは限らないので、このままでは前述のホップによる定理を適用できない。 そこでMの R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} をεだけ「太らせたもの」(すなわち管状近傍(英語版))をNとすると、εが小さければNはM×Dと位相同型である。ここでmはMの次元である。よって が成立する。 χ ( ∂ N ) {\displaystyle \chi (\partial N)} は R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} で余次元1なので、前述のホップによる結果を適用でき、 が言える。ここで Ω ∂ N {\displaystyle \Omega ^{\partial N}} は∂Nの曲率形式である。 ヘルマン・ワイルは管状近傍の体積を具体的に(非常に複雑な計算で)求める事で、 ∫ ∂ N e u ( Ω ∂ N ) {\displaystyle \int _{\partial N}\mathrm {eu} (\Omega ^{\partial N})} がε→0のとき ∫ M e u ( Ω ) {\displaystyle \int _{M}\mathrm {eu} (\Omega )} の2倍に収束する事を示した。以上の議論からガウス・ボンネの定理が証明された。 本稿ではリーマン多様体に対するガウス・ボンネの定理を記述したが、擬リーマン多様体でも同様の定理が成立する: 定理 (擬リーマン多様体のガウス・ボンネの定理) ― Mを偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトな符号数 ( p , m − p ) {\displaystyle (p,m-p)} の擬リーマン多様体とする。このとき、pが奇数であればχ(M)=0である。 χ ( M ) {\displaystyle \chi (M)} はMのオイラー標数である。 一方pが偶数であれば、 が成立する。ここで e u ( Ω ) {\displaystyle \mathrm {eu} (\Omega )} はMのオイラー形式である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本項、部分リーマン多様体の接続と曲率では、古典的なガウスの曲面論(英語版)を高次元のリーマン多様体の場合に拡張した成果を述べる。具体的にはリーマン多様体 M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の部分多様体Mに対し、", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "といったものを高次元化した成果を述べる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "以下、本項では ( M ̄ , g ) {\\displaystyle ({\\bar {M}},g)} をリーマン多様体とし、", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "をその部分多様体とする。また特に断りがない限り、単に「多様体」、「写像」等といった場合はC級のものを考える。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "∇ ̄ {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}} をgが定める M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} 上のレヴィ-チヴィタ接続とする。またリーマン計量gをMに制限することで、 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} がリーマン多様体になるので、gが定めるM上のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } を考える事ができる。", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一方、Mは M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の部分多様体なので、 M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ ̄ {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}} のMへの制限 ∇ ̄ M {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}^{M}} も考える事ができる。", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "実はこの2つは以下の関係を満たす:", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "定理 ― X、YをM上のベクトル場とするとき、Mの任意の点Pに対し、以下が成立する:", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ここで P r P {\\displaystyle \\mathrm {Pr} _{P}} は、 T P M ̄ {\\displaystyle T_{P}{\\bar {M}}} の元の接ベクトル空間TPMへの射影", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "である。", "title": "Mの接続とMの接続の関係性" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "上では M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の接続のMの接ベクトルバンドルTMへの射影を考えたが、同様に M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の接続のMの法ベクトルバンドルへの射影を考える事ができる。 Mの点Pに対し、", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "を T P M ̄ {\\displaystyle T_{P}{\\bar {M}}} の元の法ベクトルバンドル N P M {\\displaystyle N_{P}M} への射影とする。", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "定義 ― XをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\\displaystyle NM} の切断とするとき、以下のように定義される N M {\\displaystyle NM} の接続をMの法接続(英: normal connectionn)、もしくはVan der Waerden Bortolotti接続という:", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "さらにYをM上のベクトル場とするとき、", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "をMの法曲率(英: normal curvature)という。", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "という。", "title": "法接続" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "上述したように、M上のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } は M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} のレヴィ-チヴィタ接続 ∇ ̄ M {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}^{M}} のTMへの射影であるので、両者の差 ∇ ̄ X M Y − ∇ X Y {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}_{X}^{M}Y-\\nabla _{X}Y} は M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} の法ベクトルバンドル N M {\\displaystyle NM} への ∇ ̄ X M Y {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}_{X}^{M}Y} の射影となる。 Mの点Pに対し、", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "をそれぞれ T P M ̄ {\\displaystyle T_{P}{\\bar {M}}} の元の接ベクトル空間TPMへの射影、 T P M ̄ {\\displaystyle T_{P}{\\bar {M}}} の元の法ベクトルバンドル N P M {\\displaystyle N_{P}M} への射影とする。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "定義 (第二基本形式) ―", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "をMの ( M ̄ , g ) {\\displaystyle ({\\bar {M}},g)} における第二基本形式(英: second fundamental form)、もしくは型テンソル(英: shape tensor)という。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また η ∈ N P {\\displaystyle \\eta \\in NP} に対し、", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "と定義し、これも第二基本形式という。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "なお、「第二基本形式」という名称はガウスの曲面論から来ており、ガウスの曲面論ではリーマン計量 I ( X , Y ) := g ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {I} (X,Y):=g(X,Y)} の事を第一基本形式というのに対応した名称である。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Pr ( ∇ ̄ X M Y ) = ∇ X Y {\\displaystyle \\Pr({\\bar {\\nabla }}_{X}^{M}Y)=\\nabla _{X}Y} であったので、以下が成立する:", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "第二基本形式は以下を満たす:", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} をM上の曲線、 V P ( t ) {\\displaystyle V_{P(t)}} を P ( t ) {\\displaystyle P(t)} 上のMに接するベクトル場とするとき、以下が成立する:", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "上では M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の接続とMの接続の差を第二基本形式として定義したが、同様に M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の接続とMの法接続の差を考える事ができる。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "定義 ― XをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\\displaystyle NM} の切断とするとき、", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "を型写像(英: shape operator)もしくはワインガルテン写像(英: Weingarten map)という。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "X、YをM上のベクトル場、ηを法ベクトルバンドル N M {\\displaystyle NM} の切断とすると、Yとηは直交するので、", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "である。よって次が成立する:", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "よって特に S η ( X ) {\\displaystyle S_{\\eta }(X)} はX、ηに関して C ∞ ( M ) {\\displaystyle C^{\\infty }(M)} -線形である。", "title": "第二基本形式とワインガルテン写像" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "前節と同様に記号を定義し、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } により定まるMの曲率を R {\\displaystyle R} 、 ∇ ̄ {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}} により定まる M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の曲率を R ̄ {\\displaystyle {\\bar {R}}} とする。", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "さらにX、Y、Z、WをM上のベクトル場とし、η、ζをMの法ベクトルバンドルの切断とする。このとき、次が成立する:", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ここで ∇ ̄ X I I {\\displaystyle {\\bar {\\nabla }}_{X}I\\!\\!I} は", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "を T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ N ∗ M {\\displaystyle T^{*}M\\otimes T^{*}M\\otimes N^{*}M} の切断とみたときの共変微分であり、", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "である。", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ガウスの方程式はMの曲率が全空間 M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の曲率と第二基本形式から決まる事を意味している。同様にリッチの方程式はMの法曲率がワインガルテン写像から決まる事を意味している。", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "またガウスの方程式からMの断面曲率", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "系 ― TPMの正規直交している2本のベクトルv、wに関し、以下が成立する:", "title": "曲率の関係式" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "詳細はを参照。", "title": "部分多様体の基本定理" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "これまで同様 M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} をリーマン多様体、 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} をその部分多様体とし、PをMの点とし、X、YをTPMの元とし、ηを法ベクトル空間NPMの元とする。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "定義 (第三基本形式) ―", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "を第三基本形式という。 ここでmはMの次元であり、 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} はTPMの正規直交基底である。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "第三基本形式 I I I ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {I\\!I\\!I} (X,Y)} は二次形式 φ X , Y ( Z , W ) = g ( I I ( X , Z ) , I I ( Y , W ) ) {\\displaystyle \\varphi _{X,Y}(Z,W)=g(\\mathrm {I\\!I} (X,Z),\\mathrm {I\\!I} (Y,W))} のトレースであるので、 I I I ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {I\\!I\\!I} (X,Y)} は基底の取り方に依存せずwell-definedである。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "第三基本形式は以下のようにも表現可能である:", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "定理 ― M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の次元をnとし、 η 1 , ... , η n − m {\\displaystyle \\eta _{1},\\ldots ,\\eta _{n-m}} をMの法ベクトル空間NPMの基底とするとき、第三基本形式は以下を満たす:", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が定曲率空間の場合、第三基本形式は以下を満たす:", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "定理 ― M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間であれば、以下が成立する:", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ここで R i c ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {Ric} (X,Y)} はMのリッチテンソルであり、HはMの平均曲率ベクトルである。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "特にMの余次元が1であれば、前述したワインガルテン写像による第三基本形式の表記を適用することで、以下が成立する事がわかる:", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "定理 ― M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間で、 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が余次元1であれば、以下が成立する。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ここで R i c {\\displaystyle \\mathrm {Ric} } はリッチテンソル R i c ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {Ric} (X,Y)} に対して R i c ( X , Y ) = g ( R i c ( X ) , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {Ric} (X,Y)=g(\\mathrm {Ric} (X),Y)} を満たす線形写像であり、ηはMの単位法ベクトルである。", "title": "第三基本形式" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "本節では、埋め込み M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が余次元1の場合、すなわち d i m M ̄ − d i m M = 1 {\\displaystyle \\mathrm {dim} {\\bar {M}}-\\mathrm {dim} M=1} の場合、Mに対し主曲率、ガウス曲率、平均曲率という3つの曲率概念を定義する。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "これらの概念を定義するためにまずその動機を述べる。今 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} は余次元1なので、長さ1の法ベクトルηを(±1倍を除いて)一つだけ選ぶ事ができる。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "点Pにおける接ベクトルvに関し、曲線 P v ( s ) {\\displaystyle P_{v}(s)} をPを通りvに接する(弧長パラメータsでパラメトライズされた)Mの測地線とすると、 P v ( s ) {\\displaystyle P_{v}(s)} がMの測地線であった事から、 ∇ ̄ d s d d s P v ( s ) {\\displaystyle {\\tfrac {\\bar {\\nabla }}{ds}}{\\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)} は必ずMに直交するので、Mの余次元が1な事から、 ∇ ̄ d s d d s P v ( s ) {\\displaystyle {\\tfrac {\\bar {\\nabla }}{ds}}{\\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)} はηと平行になる。 よって g ( ∇ ̄ d s d P v ( t ) d s , η ) {\\displaystyle g({\\tfrac {\\bar {\\nabla }}{ds}}{\\tfrac {dP_{v}(t)}{ds}},\\eta )} は測地線の曲率の大きさに符号をつけたものである。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "主曲率とは(符号付きの)測地線の曲率の大きさ g ( ∇ d s d P ( t ) d s , η ) {\\displaystyle g({\\tfrac {\\nabla }{ds}}{\\tfrac {dP(t)}{ds}},\\eta )} の極値になっている値の事である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "主曲率は具体的には下記のように求める事ができる。 ∇ d s d d s P v ( s ) = 0 {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{ds}}{\\tfrac {d}{ds}}P_{v}(s)=0} なので、 曲線に沿ったガウスの公式と第二基本形式の定義より、", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "よって主曲率、すなわち g ( ∇ d s d P ( t ) d s , η ) {\\displaystyle g({\\tfrac {\\nabla }{ds}}{\\tfrac {dP(t)}{ds}},\\eta )} の極値は二次形式 I I η {\\displaystyle \\mathrm {I\\!I} _{\\eta }} を回転行列により対角化した際の対角成分 κ 1 , ... , κ n {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{n}} の事である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "ガウス曲率は主曲率 κ 1 , ... , κ n {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{n}} の積、平均曲率は主曲率 κ 1 , ... , κ n {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{n}} の平均値である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "厳密な定義は以下の通りである:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "定義 (主曲率) ― M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が余次元1で η ∈ N P M {\\displaystyle \\eta \\in N_{P}M} を点 P ∈ M {\\displaystyle P\\in M} における(±1倍を除いて)唯一の長さ1の法ベクトルとし、対称二次形式", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "を回転行列で対角化した際の固有値を κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} とし、 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} を対応する長さ1の固有ベクトルとする。このとき、 各eiの事を点PにおけるMの主方向(英: principal direction)といい、 κ i {\\displaystyle \\kappa _{i}} を主方向eiに関する主曲率(英: principal curvature)という。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "定義 (ガウス曲率、平均曲率(英語版)) ― 記号を上の定義と同様に取る。このとき、主曲率の第i基本対称式 σ i ( κ 1 , ... , κ m ) {\\displaystyle \\sigma _{i}(\\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m})} を二項係数 ( n k ) {\\displaystyle \\textstyle {\\binom {n}{k}}} で割った", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "を点Pにおける第i平均曲率(英: i-th mean curvature)という。特に、", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "を点PにおけるMのガウス曲率(英: Gausian curvature)もしくはガウス・クロネッカー曲率(英: Gauss Kronecker curvature)といい、", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "を点PにおけるMの平均曲率(英: mean curvature)という。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "なお、ガウス曲率の事を全曲率(英: total curvature)という事もあるが、「全曲率」という言葉は測地線曲率の曲線全体に対する積分値を指す場合もあるので注意が必要である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "上記の定義についていくつか補足を述べる。第一に、単位法ベクトルηの向きを反転させると、主曲率の符号が反転してしまう。このためMや M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が向き付け可能なときは、TM×ηの向きが M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の向きと一致するという規約を授けてηの向きを固定する事が多い。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "第二に、 I I η ( X , Y ) | P {\\displaystyle \\mathrm {I\\!I} _{\\eta }(X,Y)|_{P}} は対称二次形式であるので、次が成立する:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "定理 ― (固有値 κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} が相異なれば)主方向 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} は互いに直交する。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "第三にワインガルテンの公式から", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "であるので、明らかに次が成立する:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "定理 ― 主曲率および主方向はそれぞれワインガルテン写像の固有値・固有ベクトルに一致する。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "よって固有多項式の一般論から、特に次が成立する:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "定理 ― 以下の3つの値は等しい:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "のm-i次の項を ( − 1 ) m − i ( n k ) {\\displaystyle (-1)^{m-i}\\textstyle {\\binom {n}{k}}} で割った値", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "ここで ∧ i S η {\\displaystyle \\wedge ^{i}S_{\\eta }} は S η : T P M → T P M {\\displaystyle S_{\\eta }~:~T_{P}M\\to T_{P}M} が ∧ i T P M {\\displaystyle \\wedge ^{i}T_{P}M} に誘導する写像を ∧ i S η : ∧ i T P M → ∧ i T P M {\\displaystyle \\wedge ^{i}S_{\\eta }~:~\\wedge ^{i}T_{P}M\\to \\wedge ^{i}T_{P}M} である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "第四に、平均曲率に関しては、 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が余次元1でなくとも、 I I ( X , Y ) | P {\\displaystyle \\mathrm {I\\!I} (X,Y)|_{P}} を法ベクトル空間 N P M {\\displaystyle N_{P}M} に値を取る二次形式とみなしたときのトレース(の1/n)として定義できる:", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "定義 ― M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} をリーマン多様体とし、 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} を(余次元1とは限らない)部分リーマン多様体とし、PをMの点とする。このとき、", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "をPにおけるMの平均曲率ベクトル(英: mean curvature vector)といい、HPにより定まる法ベクトルバンドルの切断Hを平均曲率ベクトル場(英: mean curvature vector field)という。ここで e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} は T P M {\\displaystyle T_{P}M} の正規直交基底である。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "平均曲率ベクトル場は極小曲面の特徴付けとして有用であり、閉多様体 M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が極小曲面になる必要十分条件はM上の平均曲率ベクトル場が恒等的に0である事である事が知られている。", "title": "主曲率、ガウス曲率、平均曲率" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "本節では、向き付可能なリーマン多様体Mをユークリッド空間に余次元1で埋め込んでいる場合、すなわち M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} 、dimM=mの場合に対し、「ガウス写像」を定義する事で、ワインガルテン写像やガウス曲率に幾何学的な意味付けを与える。", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "これまで同様ηをMの単位法ベクトル場とすると、各点P∈Mに対し、ベクトルηPは長さ1のベクトルなので、ηPを原点中心の単位球Sの元とみなす事ができる。このようにみなす事で定義できる写像", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "をガウス写像(英: Gauss map、英: Gauss spherical mapping)という。", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "MのPにおける接ベクトル空間の元TPMを M ⊂ R m {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m}} のPにおける接平面と自然に同一視すると、任意のv∈TPMに対し、", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "である事から、 R m {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m}} においてTPMはTG(P)Sと平行な超平面であるので、自然にTPMとTG(P)Sを同一視する。このとき次が成立する:", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "定理 ― M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} を向き付け可能かつ余次元1のリーマン多様体とし、GをMが定めるガウス写像とする。", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "このとき、ガウス写像が接ベクトル空間に誘導する写像", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "は、", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "を満たす。ここで S η ( v ) {\\displaystyle S_{\\eta }(v)} はワインガルテン写像である。", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "さらにガウス写像はガウス曲率と以下の関係を満たす:", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "定理 (ガウス写像によるガウス曲率の意味付け) ― 記号を上述の定理と同様に取る。 さらにM、Sの体積要素をそれぞれ d V {\\displaystyle dV} 、 d V ′ {\\displaystyle dV'} とするとき、ガウス写像が誘導する写像", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "は、", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "を満たす。ここでKPは点PにおけるMのガウス曲率である。", "title": "ガウス写像" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "断面曲率と第二基本形式の関係と主曲率の定義から、特に以下の系が成立する:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "系 (断面曲率と主曲率の関係) ― 埋め込み M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} が余次元1の埋め込みで、 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} が点 P ∈ M {\\displaystyle P\\in M} における主方向で κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} を対応する主曲率とする。このときi≠jを満たす任意のi, j ∈{1,...,m}に対し、以下が成立する:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ここで S e c P ( ⋅ , ⋅ ) {\\displaystyle \\mathrm {Sec} _{P}(\\cdot ,\\cdot )} 、 S e c ̄ P ( ⋅ , ⋅ ) {\\displaystyle {\\overline {\\mathrm {Sec} }}_{P}(\\cdot ,\\cdot )} はそれぞれ'M'、Mの断面曲率である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "よってとくに M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が曲率cの定曲率空間(英語版)、すなわち M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} 上の任意の点Pにおける任意の方向の断面曲率がcである空間の場合には、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "実は上式の右辺はMに内在的な量である:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "定理 (Theorema Egregiumの一般化) ― M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} を曲率cの定曲率空間とし、 M ⊂ M ̄ c {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}_{c}} をその余次元1の部分多様体とし、さらにPをMの点とする。さらに線形写像 ρ : ∧ 2 T M P → ∧ 2 T M P {\\displaystyle \\rho ~:~\\wedge ^{2}TM_{P}\\to \\wedge ^{2}TM_{P}} を", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "により定義する。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "このとき、ρの固有値の集合は", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "に一致する。ここでmはMの次元であり、 κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} は点Pにおける主曲率である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "また κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} に対応する主方向を e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} とすると、 κ i κ j + c {\\displaystyle \\kappa _{i}\\kappa _{j}+c} に対応する固有ベクトルは e i ∧ e j {\\displaystyle e_{i}\\wedge e_{j}} である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} をそれぞれ κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} に対応する主方向とすると、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "は ∧ 2 T P M {\\displaystyle \\wedge ^{2}T_{P}M} の基底である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "i>jを満たす任意のi,j=1,...,mおよびk>lを満たす任意のk,l=1,...,mに対し、ガウスの方程式から、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "ηをMの単位法線とすると、主方向の定義から、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "であるので、Mの余次元が1な事から、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "定曲率空間の場合は以下が成立する事が知られている:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "定理 (定曲率空間における曲率の形) ― ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} をリーマン多様体とし、 c ∈ R {\\displaystyle c\\in \\mathbb {R} } とする。このときMが曲率cの定曲率空間である必要十分条件は、Mの任意の点PとTPMの任意のベクトルX、Y、Z、Wに対し、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "が成立する事である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "よってi>j、k>lを満たすi, j, k, lに対し、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "以上から、i>j、k>lを満たすi, j, k, lに対し、", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "( e i ∧ e j ) i , j = 1 , ... , m s.t. i < j {\\displaystyle (e_{i}\\wedge e_{j})_{i,j=1,\\ldots ,m{\\text{ s.t. }}i<j}} が ∧ 2 T P M {\\displaystyle \\wedge ^{2}T_{P}M} の基底であった事から、上記の事実は e i ∧ e j {\\displaystyle e_{i}\\wedge e_{j}} は c + κ i κ j {\\displaystyle c+\\kappa _{i}\\kappa _{j}} を固有値とするρの固有ベクトルである事がわかる。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "S e c ( e i , e j ) = c + κ i κ j {\\displaystyle \\mathrm {Sec} (e_{i},e_{j})=c+\\kappa _{i}\\kappa _{j}} であったので、上記の定理は、有名なTheorema Egregiumの一般化になっている:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "定理 (Theorema Egregium) ― R 3 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{3}} の二次元部分多様体 M ⊂ R 3 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{3}} に対し、点Pにおけるガウス曲率は点Pにおける断面曲率と一致する。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "Theorema Egregiumの一般化から以下の系が従う:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "系 (偶数次平均曲率の内在性、偶数次元のガウス曲率の内在性) ― 記号を前述の定理と同様に取るとき、 M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} におけるMの第r平均曲率はrが偶数ならMに内在的な量である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "よってとくに M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率KはMの次元mが偶数ならMに内在的な量である。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "一方、奇数次元のガウス曲率はMに内在的な量ではない。実際ガウス曲率の定義 K = d e t I I η = κ 1 ⋯ κ m {\\displaystyle K=\\mathrm {det} \\mathrm {I\\!I} _{\\eta }=\\kappa _{1}\\cdots \\kappa _{m}} はMの単位法線ηというMに外在的な量に依存しており、ηの向きを変えれば κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} の符号は全て反転してしまい、次元mが奇数である事から K = κ 1 ⋯ κ m {\\displaystyle K=\\kappa _{1}\\cdots \\kappa _{m}} の符号も反転してしまう。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "しかし次元mが奇数の場合であっても、符号を除いてガウス曲率は内在的な量となる事を前述のTheorema Egregiumの一般化から示すことができる:", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "系 (符号を除いたガウス曲率の内在性) ― 記号を前述の定理と同様に取る。Mの次元mが奇数であっても、 M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率Kは符号を除いて内在的な量である", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "以上の事から、mが偶数の場合には M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} におけるMのガウス曲率をリーマン曲率で具体的に書きあらわす事ができる。次節では M ̄ c {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}} がユークリッド空間である場合に対し、この具体的な表記を求める。", "title": "Theorema Egregium" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "前節では M ⊂ M ̄ c {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}_{c}} が偶数次元でしかも余次元が1のとき、ガウス曲率がMの内在的な量である事を示した。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "本節の目的は M ̄ c = R m + 1 {\\displaystyle {\\bar {M}}_{c}=\\mathbb {R} ^{m+1}} の場合に、ガウス曲率をMに内在的な量で具体的に書きあらわす事にある。そのために導入するのがオイラー形式である。オイラー形式は偶数次元のリーマン多様体M上で曲率テンソルを用いて定義される。そしてMが余次元1で R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} に埋め込まれているときは、オイラー形式はガウス曲率の定数倍に一致する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "本節の内容は後でガウス・ボンネの定理を記述するときに重要となる。「オイラー形式」という名称も、ガウス・ボンネの定理からこの値がオイラー標数と関係づけられる事に由来する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "オイラー形式を定義するため、「パッフィアン」を定義する。これは後述するように行列式の平方根に相当する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "定理・定義 (パッフィアン) ― mを正の偶数とし、Vをm次元の向きづけられた実ベクトル空間とし、 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} をVの正規直行基底でVの向きと同じ向きのものとし、歪対称二次形式", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "に対し、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "となる実数 P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} が一意に存在する。 しかも P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} はVと同じ向きの正規直交基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} の取り方によらない。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} をαのパッフィアン(英: Pfaffian)と呼ぶ。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "上記の定理において、 P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} の存在一意性は ⋀ n V {\\displaystyle \\bigwedge ^{n}V} が1次元ベクトル空間な事から明らかに従う。Vと同じ向きの正規直交基底の取り方によらないことも、 P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} の定義がαの成分表示によらず、しかも e 1 ∧ ⋯ ∧ e m {\\displaystyle e_{1}\\wedge \\cdots \\wedge e_{m}} がそのような基底の取り方によらない事から明らかに従う。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、紛れがなければ α = ∑ i > j a i j e i ∧ e j {\\displaystyle \\alpha =\\sum _{i>j}a^{ij}e_{i}\\wedge e_{j}} のパッフィアン P f ( α ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\alpha )} の事を P f ( A ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (A)} とも表記する。 定義から明らかに次が成立する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "定理 ― 任意の正則行列Bに対し、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "が成立する。よって特に任意の直交行列Bに対し、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "パッフィアンは具体的には以下のように書ける。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "定理 (パッフィアンの具体的表記) ― m=2k次の歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、以下が成立する:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "ここで S m {\\displaystyle {\\mathfrak {S}}_{m}} は対称群であり、 s g n ( σ ) {\\displaystyle \\mathrm {sgn} (\\sigma )} は置換σの符号である。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "パッフィアンは行列式の平方根である:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "定理 ― m=2k次の歪対称行列 A = ( a i j ) i j {\\displaystyle A=(a^{ij})_{ij}} に対し、以下が成立する:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "なお本節で我々は偶数次の歪対称行列に対して行列式の平方根がパッフィアンと一致する事を見たが、奇数次の歪対称行列の場合は行列式は常に0になる事が知られている。よって奇数次の場合には「行列式の平方根」も0になる。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "次に我々はパッフィアンを使ってオイラー形式を定義する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "定義 (オイラー形式) ― m=2kを偶数とし、Mをm次元の向きづけられたリーマン多様体とし、 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} を開集合 U ⊂ M {\\displaystyle U\\subset M} におけるTMの正規直交基底でMと同じ向きを持つものとし、 Ω = ( Ω i j ) i j {\\displaystyle \\Omega =(\\Omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} に関するMの曲率形式とする。このとき、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "をオイラー形式(英: Euler form)もしくはガウス・ボンネ被積分関数(英: Gauss-Bonnet integrand)という。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "上記の定義に関して3つ補足する。第一に、オイラー形式を定義する際、パッフィアンを ( 2 π ) k {\\displaystyle (2\\pi )^{k}} で割るのは、このようにすると後述するガウス・ボンネの定理で不要な定数が消えて定理の記述が簡単になるからである。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "第二に、「 P f ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\Omega )} 」という記号の意味についてである。「 P f ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\Omega )} 」はパッフィアンPf(A)の具体的表記において、行列AをΩに置き換え、さらに積をウェッジ積に置き換えることで定義される。すなわち、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "なお、添字の上下がPf(A)の具体的表記とは異なっているが、正規直交基底を考えているのでこれは問題にならない。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "第三に、Ωjは2-形式であるので、上述のウェッジ積はΩjの入れ替えに関して可換である。よって前節で通常の実数係数の行列に対して成立した定理の多くが P f ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\Omega )} に対しても成立する。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "特に、 P f ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {Pf} (\\Omega )} は正規直交基底の向きを保つ取り方に対して不変であり、したがってオイラー形式はMと同じ向きの正規直交基底の取り方によらずwell-definedである。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "したがって、オイラー形式はMの全域で定義可能である。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "(正規直交とは限らない)基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} とその双対基底を e 1 , ... , e m {\\displaystyle e^{1},\\ldots ,e^{m}} を使って曲率テンソルを", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "と成分表示すると、オイラー形式を下記のように成分表示できる:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "定理 (オイラー形式の成分表示) ― (正規直交とは限らない)基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} に対し、以下が成立する", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "ここでdVはMの体積要素であり、上式はアインシュタインの縮約記法を用いている。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "なお、上式は i 1 , ... , i k {\\displaystyle i_{1},\\ldots ,i_{k}} および j 1 , ... , j k {\\displaystyle j_{1},\\ldots ,j_{k}} が 1 , ... , k {\\displaystyle 1,\\ldots ,k} の置換になっている項以外は0になる。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "本節では、偶数次元リーマン多様体Mが余次元1でユークリッド空間に埋め込まれているときは、ガウス曲率とオイラー形式は定数倍を除いて一致する事を見る:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "定理 (ガウス曲率のオイラー形式による表記) ― mを偶数とし、 M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} をm次元リーマン多様体Mの余次元1の埋め込みとする。このとき以下が成立する:", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "ここで e u ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {eu} (\\Omega )} はMのオイラー形式であり、KはMのガウス曲率であり、 ( 2 k − 1 ) ! ! {\\displaystyle (2k-1)!!} は二重階乗 ( 2 k − 1 ) ! ! = 1 ⋅ 3 ⋅ ⋯ ⋅ ( 2 k − 1 ) {\\displaystyle (2k-1)!!=1\\cdot 3\\cdot \\cdots \\cdot (2k-1)} であり、 dVはMの体積要素である。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} をそれぞれ主曲率κ1、...、κmに対応する主方向とし、 θ 1 , ... , θ m {\\displaystyle \\theta ^{1},\\ldots ,\\theta ^{m}} をその双対基底とすると、断面曲率と主曲率の関係から、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "がi≠jを満たすi、jに対して成立する。よってk=m/2とすると、パッフィアンの具体的表記から、", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "となり定理が証明された。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "なお、なぜパッフィアンという「行列式の平方根」がここで登場するか、という問いに対する答えるには、チャーン・ヴェイユ理論を必要とするため、本項では触れない。", "title": "オイラー形式" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "本節ではガウス・ボンネの定理を紹介する。この定理は、偶数次元のリーマン多様体において、オイラー標数をオイラー形式の全空間における積分で記述できるという趣旨の定理である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "元々はMが2次元の場合に対して示されたものであり、一般の偶数次元に対する定理は区別のためチャーン・ガウス・ボンネの定理とも呼ばれる。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "定理 (ガウス・ボンネの定理) ― Mを偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトなリーマン多様体とする。このとき、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "が成立する。ここで e u ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {eu} (\\Omega )} はMのオイラー形式であり、 χ ( M ) {\\displaystyle \\chi (M)} はMのオイラー標数である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} を余次元1で向き付け可能なリーマン多様体とする。すでに述べたように、M、Sの体積要素をそれぞれ d V {\\displaystyle dV} 、 d V ′ {\\displaystyle dV'} とすると、両者の間には", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "という関係がある。ここでKはMのガウス曲率である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "Mがコンパクトで縁がなければ、ド・ラームコホモロジーの一般論から、ガウス写像 G : M → S m {\\displaystyle G~:~M\\to S^{m}} の写像度 d e g ( G ) {\\displaystyle \\mathrm {deg} (G)} は", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "に等しい。ここで V o l ( S m ) {\\displaystyle \\mathrm {Vol} (S^{m})} は球面Sのm次元体積である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "この事実を利用すると、偶数次元のMに対し以下の定理が結論付けられる:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "定理 ― M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} を R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} のコンパクトで縁がない向き付け可能なC級m次元部分リーマン多様体とする。このとき、mが偶数であれば、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "が成立する。ここでKはガウス曲率であり、 d e g ( G ) {\\displaystyle \\mathrm {deg} (G)} はガウス写像 G : M → S m {\\displaystyle G~:~M\\to S^{m}} の写像度であり、 V o l ( S m ) {\\displaystyle \\mathrm {Vol} (S^{m})} は単位球面Sのm次元体積であり、 χ ( M ) {\\displaystyle \\chi (M)} はMのオイラー標数である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "1 V o l ( S m ) ∫ M K d V = d e g ( G ) {\\displaystyle {1 \\over \\mathrm {Vol} (S^{m})}\\int _{M}KdV=\\mathrm {deg} (G)} はすでに示したので、 d e g ( G ) = χ ( M ) 2 {\\displaystyle \\mathrm {deg} (G)={\\chi (M) \\over 2}} のみを示す。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "Mが連結ではない場合は連結成分毎に定理を証明すれば良いので、一般性を失わずMは連結であると仮定する。このとき、m+1次元多様体 N ⊂ R m + 1 {\\displaystyle N\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} で ∂ N = M {\\displaystyle \\partial N=M} となるものが存在する事が下記の定理により保証される:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "定理 (ジョルダン・ブラウワーの定理) ― M ⊂ R m + 1 {\\displaystyle M\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} を R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} の縁のないコンパクトで連結なC級のm次元部分多様体とする。このときコンパクトで連結なm+1次元多様体 N ⊂ R m + 1 {\\displaystyle N\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} とコンパクトでない連結な領域 L ⊂ R m + 1 {\\displaystyle L\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} が存在し、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "が成立する。ここで I n t N {\\displaystyle \\mathrm {Int} N} はNの内部である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "そこでNに対してホップによる以下の定理を用いる:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "定理 (ホップの指数定理(Hopf's Index Theorem)) ― R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} のコンパクトなm+1次元部分多様体 N ⊂ R m + 1 {\\displaystyle N\\subset \\mathbb {R} ^{m+1}} 上のベクトル場Xで、非退化な孤立零点しか持たず、さらにXがNの境界∂N上Nの外側を向いているものとすると、Xの零点の指数の総和は∂Nのガウス写像の写像度に等しい。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "x 1 , ... , x n ∈ N {\\displaystyle x_{1},\\ldots ,x_{n}\\in N} をXの零点とし、これらの零点のε-近傍を B 1 , ... , B n {\\displaystyle B_{1},\\ldots ,B_{n}} とし、さらに S i := ∂ B i {\\displaystyle S_{i}:=\\partial B_{i}} ( i = 1 , ... , n {\\displaystyle i=1,\\ldots ,n} )とする。εを十分小さく取る事で、 B i ∩ B j = ∅ {\\displaystyle B_{i}\\cap B_{j}=\\emptyset } for i ≠ j {\\displaystyle i\\neq j} としてよい。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "N ^ := N ∖ ( B 1 ∪ ⋯ ∪ B n ) {\\displaystyle {\\hat {N}}:=N\\setminus (B_{1}\\cup \\cdots \\cup B_{n})} とすると、Biの定義から N ^ {\\displaystyle {\\hat {N}}} 上Xは0にならない。このため P ∈ N ^ {\\displaystyle P\\in {\\hat {N}}} に対し、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "が定義できる。 η ( P ) {\\displaystyle \\eta (P)} は長さ1である事から単位球Sの元とみなす事ができるので、写像", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "が定義できる。明らかにηのMへの制限はMのガウス写像に一致する。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "また零点の指数の定義から η S i {\\displaystyle \\eta _{S_{i}}} の写像度は零点xiの指数に一致する", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "ホモロジー群 H m ( S i ) {\\displaystyle H_{m}(S_{i})} 、 H m ( M i ) {\\displaystyle H_{m}(M_{i})} の基本類をそれぞれ [ S i ] {\\displaystyle [S_{i}]} 、 [ M ] {\\displaystyle [M]} とする。これらの基本類を包含写像", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "により H m ( N ) {\\displaystyle H_{m}(N)} に写すと、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 204, "tag": "p", "text": "が成立する。なお、ここで [ S i ] {\\displaystyle [S_{i}]} の符号が負なのは、Biの向き付けを S i = ∂ B i {\\displaystyle S_{i}=\\partial B_{i}} によりBiから入れているからである。 よって", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 205, "tag": "p", "text": "がホモロジー群に誘導する写像を考えると、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 206, "tag": "p", "text": "が成立する。 η ∗ ( [ M ] ) {\\displaystyle \\eta _{*}([M])} は定義からMのガウス写像の写像度に等しく、写像度 η ∗ ( [ S i ] ) {\\displaystyle \\eta _{*}([S_{i}])} は零点xiの指数に一致したので定理が証明された。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 207, "tag": "p", "text": "上述の定理の条件を満たすXを選ぶと、Xの零点の指数の総和はポアンカレ・ホップの定理よりNのオイラー標数に等しいので、以上の事実から", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 208, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 209, "tag": "p", "text": "N'をNのコピーとし、NとN'をその縁である ∂ N = ∂ N ′ = M {\\displaystyle \\partial N=\\partial N'=M} で張り合わせてできる多様体を N ~ {\\displaystyle {\\tilde {N}}} とする(すなわち N ~ {\\displaystyle {\\tilde {N}}} はNのダブル(英語版))と、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 210, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 211, "tag": "p", "text": "Mが偶数次元だという仮定から、 N ~ {\\displaystyle {\\tilde {N}}} は奇数次元であり、縁のないコンパクト奇数次元多様体のオイラー標数はポアンカレの双対性定理から常に0なので、前述の式から", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 212, "tag": "p", "text": "が言え、定理が証明される。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 213, "tag": "p", "text": "上記の定理にガウス曲率がオイラー形式で表記できたという事実を適用する事で、ホップは以下を示した:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 214, "tag": "p", "text": "定理 ( R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} 内かつ余次元1の場合のガウス・ボンネの定理) ― 記号を上述の定理と同様に取る。このとき、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 215, "tag": "p", "text": "が成立する。ここで e u ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {eu} (\\Omega )} はMのオイラー形式である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 216, "tag": "p", "text": "ここで我々はm=2kとすると、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 217, "tag": "p", "text": "である事を用いた(超球の体積の項目も参照)。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 218, "tag": "p", "text": "上記の定理は「Mが R m + 1 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{m+1}} に余次元1で埋め込まれている」という強い条件の元でのみ成立しているので、ガウス・ボンネの定理を示すにはこの条件を無くす必要がある。そのために使うのが下記の定理である:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 219, "tag": "p", "text": "定理 (ナッシュの埋め込み定理) ― Mをコンパクトなm次元リーマン多様体とする。このとき、あるn≧mとあるC級の埋め込み", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 220, "tag": "p", "text": "が存在し、M上のリーマン計量gは R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の引き戻しと一致する", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 221, "tag": "p", "text": "よってMが R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の部分多様体だと仮定しても一般性を失わない。しかしMは R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} において余次元1とは限らないので、このままでは前述のホップによる定理を適用できない。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 222, "tag": "p", "text": "そこでMの R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} をεだけ「太らせたもの」(すなわち管状近傍(英語版))をNとすると、εが小さければNはM×Dと位相同型である。ここでmはMの次元である。よって", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 223, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 224, "tag": "p", "text": "χ ( ∂ N ) {\\displaystyle \\chi (\\partial N)} は R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} で余次元1なので、前述のホップによる結果を適用でき、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 225, "tag": "p", "text": "が言える。ここで Ω ∂ N {\\displaystyle \\Omega ^{\\partial N}} は∂Nの曲率形式である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 226, "tag": "p", "text": "ヘルマン・ワイルは管状近傍の体積を具体的に(非常に複雑な計算で)求める事で、 ∫ ∂ N e u ( Ω ∂ N ) {\\displaystyle \\int _{\\partial N}\\mathrm {eu} (\\Omega ^{\\partial N})} がε→0のとき ∫ M e u ( Ω ) {\\displaystyle \\int _{M}\\mathrm {eu} (\\Omega )} の2倍に収束する事を示した。以上の議論からガウス・ボンネの定理が証明された。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 227, "tag": "p", "text": "本稿ではリーマン多様体に対するガウス・ボンネの定理を記述したが、擬リーマン多様体でも同様の定理が成立する:", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 228, "tag": "p", "text": "定理 (擬リーマン多様体のガウス・ボンネの定理) ― Mを偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトな符号数 ( p , m − p ) {\\displaystyle (p,m-p)} の擬リーマン多様体とする。このとき、pが奇数であればχ(M)=0である。 χ ( M ) {\\displaystyle \\chi (M)} はMのオイラー標数である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 229, "tag": "p", "text": "一方pが偶数であれば、", "title": "ガウス・ボンネの定理" }, { "paragraph_id": 230, "tag": "p", "text": "が成立する。ここで e u ( Ω ) {\\displaystyle \\mathrm {eu} (\\Omega )} はMのオイラー形式である。", "title": "ガウス・ボンネの定理" } ]
本項、部分リーマン多様体の接続と曲率では、古典的なガウスの曲面論を高次元のリーマン多様体の場合に拡張した成果を述べる。具体的にはリーマン多様体 M ¯ の部分多様体Mに対し、 M ¯ 、Mのレヴィ・チヴィタ接続やリーマン曲率の関係性 第二基本形式、第三基本形式 主曲率、ガウス曲率、平均曲率 Theorema Egregium ガウス写像 ガウス・ボンネの定理 といったものを高次元化した成果を述べる。 以下、本項では をリーマン多様体とし、 をその部分多様体とする。また特に断りがない限り、単に「多様体」、「写像」等といった場合はC∞級のものを考える。
{{Pathnavbox| *{{Pathnav|[[数学]]|[[幾何学]]|[[多様体論]]|[[微分幾何学]]|[[リーマン多様体]]、[[接続 (微分幾何学)|接続]]、[[曲率]]}}}} 本項、'''部分リーマン多様体の接続と曲率'''では、古典的な{{仮リンク|曲面の微分幾何学|label=ガウスの曲面論|en|Differential geometry of surfaces}}を高次元のリーマン多様体の場合に拡張した成果を述べる。具体的にはリーマン多様体<math>\bar{M}</math>の部分多様体{{Mvar|M}}に対し、 * <math>\bar{M}</math>、{{Mvar|M}}の[[レヴィ・チヴィタ接続]]や[[リーマン曲率テンソル|リーマン曲率]]の関係性 * [[第二基本形式]]、{{仮リンク|第三基本形式|en|Third fundamental form}} * [[主曲率]]、[[ガウス曲率]]、{{仮リンク|平均曲率|en|Mean curvature}} * [[Theorema Egregium]] * [[ガウス写像]] * [[ガウス・ボンネの定理]] といったものを高次元化した成果を述べる。 以下、本項では<math>(\bar{M},g)</math>をリーマン多様体とし、 : <math>M \subset \bar{M}</math> をその部分多様体{{refn|group="注"|本項では話を簡単にするため{{mvar|M}}が<math>(\bar{M},g)</math>の部分多様体の場合を議論するが、本項の議論の多くは局所的なものなので、本項の成果の多くは{{mvar|M}}が<math>(\bar{M},g)</math>にはめ込まれている場合に自然に拡張できる。}}とする。また特に断りがない限り、単に「多様体」、「写像」等といった場合は{{mvar|C{{sup|∞}}}}級のものを考える。 == {{mvar|{{overline|M}}}}の接続と{{mvar|M}}の接続の関係性 == <math>\bar{\nabla}</math>を{{mvar|g}}が定める<math>\bar{M}</math>上のレヴィ-チヴィタ接続とする。またリーマン計量{{mvar|g}}を{{mvar|M}}に制限することで、<math>(M,g)</math>がリーマン多様体になるので、{{mvar|g}}が定める{{mvar|M}}上のレヴィ-チヴィタ接続<math>\nabla</math>を考える事ができる。 一方、{{mvar|M}}は<math>\bar{M}</math>の部分多様体なので、<math>\bar{M}</math>のレヴィ-チヴィタ接続<math>\bar{\nabla}</math>の{{mvar|M}}への制限<math>\bar{\nabla}^M</math>も考える事ができる。 実はこの2つは以下の関係を満たす: {{math theorem|定理| {{mvar|X}}、{{mvar|Y}}を{{mvar|M}}上のベクトル場とするとき、{{mvar|M}}の任意の点{{mvar|P}}に対し、以下が成立する<ref>[[#Lee]] p.135.</ref>: : <math>\mathrm{Pr}_P(\bar{\nabla}^M_XY|_P)=\nabla_XY|_P</math> |}} ここで<math>\mathrm{Pr}_P</math>は、<math>T_P\bar{M}</math>の元の接ベクトル空間{{mvar|T{{mvar|P}}M}}への射影 : <math>\mathrm{Pr}_P~:~T_P\bar{M} \to T_PM</math> である。 == 法接続 == 上では<math>\bar{M}</math>の接続の{{mvar|M}}の接ベクトルバンドル{{mvar|TM}}への射影を考えたが、同様に<math>\bar{M}</math>の接続の{{mvar|M}}の法ベクトルバンドルへの射影を考える事ができる。 {{mvar|M}}の点{{mvar|P}}に対し、 :<math>\mathrm{Pr}^N_P~:~T_P\bar{M} \to N_PM</math> を<math>T_P\bar{M}</math>の元の法ベクトルバンドル<math>N_PM</math>への射影とする。 {{math theorem|定義| {{mvar|X}}を{{mvar|M}}上のベクトル場、{{mvar|η}}を法ベクトルバンドル<math>NM</math>の切断とするとき、以下のように定義される<math>NM</math>の接続を{{mvar|M}}の'''法接続'''({{lang-en-short|normal connectionn}})<ref name="Carmo135">[[#Carmo]] p.135.</ref>、もしくは'''Van der Waerden Bortolotti接続'''<ref>[[#小林]] p.97.</ref>という: : <math>\nabla^{\bot}_X\eta:=\mathrm{Pr}^{N}\bar{\nabla}^M_X\eta</math> さらに{{mvar|Y}}を{{mvar|M}}上のベクトル場とするとき、 : <math>R^{\bot}(X,Y)\eta:=\nabla^{\bot}_X\nabla^{\bot}_Y\eta-\nabla^{\bot}_Y\nabla^{\bot}_X\eta+\nabla^{\bot}_{[X,Y]}\eta</math> を{{mvar|M}}の'''法曲率'''({{lang-en-short|normal curvature}}<ref name="Carmo135" />)という。 という。 |}} == 第二基本形式とワインガルテン写像 == 上述したように、{{mvar|M}}上のレヴィ-チヴィタ接続<math>\nabla</math>は<math>\bar{M}</math>のレヴィ-チヴィタ接続<math>\bar{\nabla}^M</math>の{{mvar|TM}}への射影であるので、両者の差 <math>\bar{\nabla}^M_XY-\nabla_XY</math>は<math>M \subset \bar{M}</math>の法ベクトルバンドル<math>NM</math>への<math>\bar{\nabla}^M_XY</math>の射影となる。 {{mvar|M}}の点{{mvar|P}}に対し、 : <math>\mathrm{Pr}_P~:~T_P\bar{M} \to T_PM</math> :<math>\mathrm{Pr}^N_P~:~T_P\bar{M} \to N_PM</math> をそれぞれ<math>T_P\bar{M}</math>の元の接ベクトル空間{{mvar|T{{mvar|P}}M}}への射影、<math>T_P\bar{M}</math>の元の法ベクトルバンドル<math>N_PM</math>への射影とする。 {{math theorem|定義|  : <math>\mathrm{I\!I}(X,Y):=\bar{\nabla}^M_XY-\Pr(\bar{\nabla}^M_XY)</math> を{{mvar|M}}の<math>(\bar{M},g)</math>における'''[[第二基本形式]]'''({{lang-en-short|second fundamental form}})<ref name="Lee134">[[#Lee]] p.134.</ref>、もしくは'''{{訳語疑問点範囲|型テンソル|date=2023/4/28}}'''({{lang-en-short|shape tensor}}{{refn|[[#Dajczer]] p.3.}})という。 また<math>\eta\in NP</math>に対し、 : <math>\mathrm{I\!I}_{\eta}(X,Y):=g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)</math> と定義し、これも'''第二基本形式'''という<ref name="Tu68">[[#Tu]] p.68.</ref>。 |note=第二基本形式{{Anchors|第二基本形式の定義}}}} なお、「第二基本形式」という名称はガウスの曲面論から来ており、ガウスの曲面論ではリーマン計量<math>\mathrm{I}(X,Y):=g(X,Y)</math>の事を'''第一基本形式'''というのに対応した名称である<ref name="Tu68" />。 <math>\Pr(\bar{\nabla}^M_XY)=\nabla_XY</math>であったので、以下が成立する: {{math theorem|定理|  * '''ガウスの公式'''<ref>[[#安藤]] pp.16-17.</ref>({{lang-en-short|Gauss formula}}<ref>[[#Lee]] p.135.</ref>):<math>\bar{\nabla}^M_XY=\nabla_XY+\mathrm{I\!I}(X,Y)</math> |}} 第二基本形式は以下を満たす<ref name="Lee134" />: {{math theorem|定理|  * <math>\mathrm{I\!I}(X,Y)=\mathrm{I\!I}(Y,X)</math> * <math>\mathrm{I\!I}(X,Y)</math>は{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}に対して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形。 |}} また、<math>P(t)</math>を{{mvar|M}}上の曲線、<math>V_{P(t)}</math>を<math>P(t)</math>上の{{mvar|M}}に接するベクトル場とするとき、以下が成立する: {{math theorem|定理|  * '''曲線に沿ったガウスの公式'''{{Anchors|曲線に沿ったガウスの公式}}({{lang-en-short|Gauss formula along a curve}})<math>{\bar{\nabla} \over dt}V_{P(t)}={\nabla \over dt}V_{P(t)}+\mathrm{I\!I}\left({d \over dt}P(t),V_{P(t)}\right)</math> |}} 上では<math>\bar{M}</math>の接続と{{mvar|M}}の接続の差を第二基本形式として定義したが、同様に<math>\bar{M}</math>の接続と{{mvar|M}}の法接続の差を考える事ができる。 {{math theorem|定義| {{mvar|X}}を{{mvar|M}}上のベクトル場、{{mvar|η}}を法ベクトルバンドル<math>NM</math>の切断とするとき、 : <math>S_{\eta}(X):=\nabla^{\bot}_X\eta-\bar{\nabla}^M_X\eta=-\Pr\bar{\nabla}^M_X\eta</math> を'''型写像'''<ref name="安藤17">[[#安藤]] p.17.</ref>({{lang-en-short|shape operator}}<ref>[[#Tu]] p.66.</ref>)もしくは'''ワインガルテン写像'''<ref name="安藤17" />({{lang-en-short|Weingarten map}}<ref name="安藤17" />)という<ref>[[#Carmo]] pp.128,135.</ref>。 |}} {{mvar|X}}、{{mvar|Y}}を{{mvar|M}}上のベクトル場、{{mvar|η}}を法ベクトルバンドル<math>NM</math>の切断とすると、{{mvar|Y}}と{{mvar|η}}は直交するので、 :<math>0=Xg(Y,\eta)=g(\bar{\nabla}^M_XY,\eta)+g(Y,\bar{\nabla}^M_X\eta)=g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)-g(Y,S_{\eta}(X))</math> である。よって次が成立する: {{math theorem|定理|  : '''ワインガルテンの公式'''{{Anchors|ワインガルテンの公式}}<ref>{{Cite web |url=https://www.math.titech.ac.jp/~kotaro/class/2017/geom-a/lecture.pdf |title=幾何学特論 A1 講義ノート I |access-date=2023/01/13 |publisher=[[東京工業大学]] |page=40}}</ref>({{lang-en-short|Weingarten Equation}})<ref>[[#Lee]] p.136.</ref><math>g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)=g(Y,S_{\eta}(X))</math> よって特に<math>S_{\eta}(X)</math>は{{mvar|X}}、{{mvar|η}}に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形である<ref>[[#Carmo]] p.128.</ref>。 |}} == 曲率の関係式 == 前節と同様に記号を定義し、<math>\nabla</math>により定まる{{mvar|M}}の曲率を<math>R</math>、<math>\bar{\nabla}</math>により定まる<math>\bar{M}</math>の曲率を<math>\bar{R}</math>とする。 さらに{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}、{{mvar|Z}}、{{mvar|W}}を{{mvar|M}}上のベクトル場とし、{{mvar|η}}、{{mvar|ζ}}を{{mvar|M}}の法ベクトルバンドルの切断とする。このとき、次が成立する: {{math theorem|定理|  * '''ガウスの方程式'''{{Anchors|ガウスの方程式}}<ref>[[#安藤]] p.18.</ref>({{lang-en-short|Gauss equation}}<ref>[[#Lee]] p.136</ref>)<math>g(R(X,Y)Z,W)=g(\bar{R}(X,Y)Z,W)+g(\mathrm{I}\!\mathrm{I}(X,Z),\mathrm{I}\!\mathrm{I}(Y,W))-g(\mathrm{I}\!\mathrm{I}(X,W),\mathrm{I}\!\mathrm{I}(Y,Z))</math> * '''コダッチの方程式'''({{lang-en-short|Codazzi's equation}}<ref>[[#Carmo]] p137.</ref>)<math>g(\bar{R}(X,Y)Z,\eta)=(\bar{\nabla}_YI\!\!I)(X,Z,\eta)-(\bar{\nabla}_XI\!\!I)(Y,Z,\eta)</math> * '''リッチの方程式'''({{lang-en-short|Ricci equation}}<ref name="Carmo135" />) <math>g(R^{\bot}(X,Y)\eta,\zeta)=g(\bar{R}(X,Y)\eta,\zeta)-g([S_{\eta},S_{\zeta}]X,Y)</math> |}} ここで<math>\bar{\nabla}_X I\!\!I</math>は :<math>I\!\!I(X,Y,\eta):=g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)</math> を<math>T^*M\otimes T^*M \otimes N^*M</math>の切断とみたときの共変微分であり、 :<math>[S_{\eta},S_{\zeta}]X:=S_{\eta}(S_{\zeta}(X))-S_{\zeta}(S_{\eta}(X))</math> である。 ガウスの方程式は'''{{mvar|M}}の曲率が全空間<math>\bar{M}</math>の曲率と第二基本形式から決まる'''事を意味している。同様にリッチの方程式は{{mvar|M}}の法曲率がワインガルテン写像から決まる事を意味している。 またガウスの方程式から{{mvar|M}}の断面曲率 :<math>\mathrm{Sec}_P(v,w):={g_P(R_P(v,w)w,v)\over g_P(v,v)g_P(w,w)-g_P(v,w)^2}</math>と<math>\bar{M}</math>の断面曲率<math>\overline{\mathrm{Sec}}_P(v,w)</math>に関して以下の系が従う: {{math theorem|系{{Anchors|断面曲率と第二基本形式の関係}}| {{mvar|T{{sub|P}}M}}の正規直交している2本のベクトル{{mvar|v}}、{{mvar|w}}に関し、以下が成立する<ref>[[#Carmo]] p.130.</ref>: : <math>\mathrm{Sec}_P(v,w)=\overline{\mathrm{Sec}}_P(v,w)+g(\mathrm{I\!I}(v,v),\mathrm{I\!I}(w,w))-g(\mathrm{I\!I}(v,w),\mathrm{I\!I}(v,w))</math> |}} == 部分多様体の基本定理 == 詳細は{{refn|[[#Dajczer]] p.15}}を参照。 {{節stub|date=2023/10/10}} == 第三基本形式 == これまで同様<math>\bar{M}</math>をリーマン多様体、<math>M \subset \bar{M}</math>をその部分多様体とし、{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とし、{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}を{{mvar|T{{sub|P}}M}}の元とし、{{mvar|η}}を法ベクトル空間{{mvar|N{{sub|P}}M}}の元とする。 {{math theorem|定義| :<math>\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)=\sum_{i=1}^m g(\mathrm{I\!I}(X,e_i),\mathrm{I\!I}(Y,e_i))</math> を'''第三基本形式'''という{{refn|name="Dajczer93"|[[#Dajczer]] pp.93-94.}}。 ここで{{mvar|m}}は{{mvar|M}}の次元であり、<math>e_1,\ldots,e_m</math>は{{mvar|T{{sub|P}}M}}の正規直交基底である。 |note=第三基本形式}} 第三基本形式<math>\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)</math>は二次形式 <math>\varphi_{X,Y}(Z,W)=g(\mathrm{I\!I}(X,Z),\mathrm{I\!I}(Y,W))</math>のトレースであるので、<math>\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)</math>は基底の取り方に依存せずwell-definedである。 第三基本形式は以下のようにも表現可能である: {{math theorem|定理| <math>\bar{M}</math>の次元を{{mvar|n}}とし、<math>\eta_1,\ldots,\eta_{n-m}</math>を{{mvar|M}}の法ベクトル空間{{mvar|N{{sub|P}}M}}の基底とするとき、第三基本形式は以下を満たす<ref name="Dajczer93" />: : <math>\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)</math><math> = \sum_{j=1}^{n-m}g(S_{\eta_j}(X),S_{\eta_j}(Y)) </math> }} {{math proof| : <math>\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)=\sum_{i=1}^m g(\mathrm{I\!I}(X,e_i),\mathrm{I\!I}(Y,e_i)) </math><math> =\sum_{i=1}^m\sum_{j=1}^{n-m} g(\mathrm{I\!I}(X,e_i),\eta_j)g(\mathrm{I\!I}(Y,e_i),\eta_j) </math><math> =\sum_{i=1}^m\sum_{j=1}^{n-m}g(S_{\eta_j}(X),e_i)g(S_{\eta_j}(Y),e_i) </math><math> = \sum_{j=1}^{n-m}g(S_{\eta_j}(X),S_{\eta_j}(Y)) </math> |drop=yes}} <math>\bar{M}</math>が定曲率空間の場合、第三基本形式は以下を満たす: {{math theorem|定理| <math>\bar{M}</math>が曲率{{mvar|c}}の定曲率空間であれば、以下が成立する<ref name="Dajczer93" />: : <math>\mathrm{Ric}(X,Y)=(m-1)c+mg\left(\mathrm{I\!I}(X,Y),H\right)-\mathrm{I\!I\!I}(X,Y)</math> ここで<math>\mathrm{Ric}(X,Y)</math>は{{mvar|M}}のリッチテンソルであり、{{mvar|H}}は{{mvar|M}}の平均曲率ベクトルである。 }} 特に{{mvar|M}}の余次元が{{mvar|1}}であれば、前述したワインガルテン写像による第三基本形式の表記を適用することで、以下が成立する事がわかる: {{math theorem|定理| <math>\bar{M}</math>が曲率{{mvar|c}}の定曲率空間で、<math>M \subset \bar{M}</math>が余次元{{mvar|1}}であれば、以下が成立する<ref name="Dajczer93" />。 : <math>\mathrm{Ric}=(m-1)c+mHS_{\eta}-S_{\eta}{}^2</math> ここで<math>\mathrm{Ric}</math>はリッチテンソル<math>\mathrm{Ric}(X,Y)</math>に対して<math>\mathrm{Ric}(X,Y)=g(\mathrm{Ric}(X),Y)</math>を満たす線形写像であり、{{mvar|η}}は{{mvar|M}}の単位法ベクトルである。 }} == 主曲率、ガウス曲率、平均曲率 == 本節では、埋め込み<math>M \subset \bar{M}</math>が'''余次元{{mvar|1}}の場合'''、すなわち<math>\mathrm{dim}\bar{M}-\mathrm{dim}M=1</math>の場合、{{mvar|M}}に対し主曲率、ガウス曲率、平均曲率という3つの曲率概念を定義する。 これらの概念を定義するためにまずその動機を述べる。今<math>M \subset \bar{M}</math>は余次元{{mvar|1}}なので、長さ{{mvar|1}}の法ベクトル{{mvar|η}}を(±1倍を除いて)'''一つだけ'''選ぶ事ができる。 点{{mvar|P}}における接ベクトル{{mvar|v}}に関し、曲線<math>P_v(s)</math>を{{mvar|P}}を通り{{mvar|v}}に接する(弧長パラメータ{{mvar|s}}でパラメトライズされた){{mvar|M}}の測地線とすると、 <math>P_v(s)</math>が{{mvar|M}}の測地線であった事から、<math>\tfrac{\bar{\nabla}}{ds}\tfrac{d}{ds}P_v(s)</math>は必ず{{mvar|M}}に直交するので、{{mvar|M}}の余次元が{{mvar|1}}な事から、<math>\tfrac{\bar{\nabla}}{ds}\tfrac{d}{ds}P_v(s)</math>は{{mvar|η}}と平行になる。 よって<math>g(\tfrac{\bar{\nabla}}{ds}\tfrac{d P_v(t)}{ds},\eta)</math>は測地線の曲率の大きさに符号をつけたものである。 '''主曲率'''とは(符号付きの)測地線の曲率の大きさ<math>g(\tfrac{\nabla}{ds}\tfrac{d P(t)}{ds},\eta)</math>の極値になっている値の事である。 主曲率は具体的には下記のように求める事ができる。<math>\tfrac{\nabla}{ds}\tfrac{d}{ds}P_v(s)=0</math>なので、 [[#曲線に沿ったガウスの公式|曲線に沿ったガウスの公式]]と[[#第二基本形式の定義|第二基本形式の定義]]より、 : <math>g\left(\tfrac{\bar{\nabla}}{ds}\tfrac{d}{ds}P_v(s),\eta\right) </math><math> =g(\mathrm{I\!I}\left(\tfrac{d P(t)}{ds},\tfrac{d P_v(t)}{ds}\right),\eta) </math><math> =\mathrm{I\!I}_{\eta}\left(\tfrac{d P(t)}{ds},\tfrac{d P_v(t)}{ds}\right) </math> よって主曲率、すなわち<math>g(\tfrac{\nabla}{ds}\tfrac{d P(t)}{ds},\eta)</math>の極値は二次形式<math>\mathrm{I\!I}_{\eta}</math>を回転行列により対角化した際の対角成分<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_n</math>の事である。 '''ガウス曲率'''は主曲率<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_n</math>の積、'''平均曲率'''は主曲率<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_n</math>の平均値である。 厳密な定義は以下の通りである: {{math theorem|定義|<math>M \subset \bar{M}</math>が余次元{{mvar|1}}で<math>\eta\in N_PM</math>を点<math>P\in M</math>における(±1倍を除いて)唯一の長さ1の法ベクトルとし、対称二次形式 : <math>\mathrm{I\!I}_{\eta}(X,Y)|_P=g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)|_P</math> を回転行列で対角化した際の固有値を<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>とし、<math>e_1,\ldots,e_m</math>を対応する長さ{{mvar|1}}の固有ベクトルとする。このとき、 各{{mvar|e{{sub|i}}}}の事を点{{mvar|P}}における{{mvar|M}}の'''主方向'''({{lang-en-short|principal direction}})といい<ref name="Carmo129" />、<math>\kappa_i</math>を主方向{{mvar|e{{sub|i}}}}に関する'''主曲率'''({{lang-en-short|principal curvature}})<ref name="Carmo129" />という。{{Anchors|主曲率の定義}} |note=主曲率}} {{math theorem|定義| 記号を上の定義と同様に取る。このとき、主曲率の第{{mvar|i}}[[基本対称式]]<math>\sigma_i(\kappa_1,\ldots,\kappa_m)</math>を[[二項係数]]<math>\textstyle\binom{n}{k}</math>で割った :<math>H_i:={1 \over \textstyle\binom{n}{k}}\sigma_i(\kappa_1,\ldots,\kappa_m)</math> を点{{mvar|P}}における'''第{{mvar|i}}平均曲率'''({{lang-en-short|{{mvar|i}}-th mean curvature}})という{{refn|[[#Dajczer]] p.18.}}。特に、 : <math>K:=H_m=\mathrm{det}\mathrm{I\!I}_{\eta}=\kappa_1\cdots\kappa_m</math> を点{{mvar|P}}における{{mvar|M}}の'''ガウス曲率'''({{lang-en-short|Gausian curvature}})<ref>[[#Lee]] p.142,</ref>もしくは'''ガウス・クロネッカー曲率'''({{lang-en-short|Gauss Kronecker curvature}})<ref name="Carmo129">[[#Carmo]] p.129</ref>といい{{Anchors|ガウス曲率の定義}}、 : <math>H:=H_1={1\over n}\mathrm{tr}\mathrm{I\!I}_{\eta}={\kappa_1+\cdots+\kappa_m \over n}</math> を点{{mvar|P}}における{{mvar|M}}の'''平均曲率'''({{lang-en-short|mean curvature}})という<ref name="Carmo129" />{{Anchors|平均曲率の定義}}。 |note=[[ガウス曲率]]、{{仮リンク|平均曲率|en|mean curvature}}|}} なお、ガウス曲率の事を'''全曲率'''({{lang-en-short|total curvature}})という事もあるが{{refn|{{cite web|url=https://mathworld.wolfram.com/TotalCurvature.html|title=Total Curvature|access-date=2023/4/25|website=Wolfram Mathworld}}|name=total_curvature}}、「全曲率」という言葉は測地線曲率の曲線全体に対する積分値を指す場合もあるので注意が必要である<ref name=total_curvature />。 上記の定義についていくつか補足を述べる。第一に、'''単位法ベクトル{{mvar|η}}の向きを反転させると、主曲率の符号が反転してしまう'''。このため{{mvar|M}}や<math>\bar{M}</math>が向き付け可能なときは、{{mvar|TM×η}}の向きが<math>\bar{M}</math>の向きと一致するという規約を授けて{{mvar|η}}の向きを固定する事が多い。 第二に、<math>\mathrm{I\!I}_{\eta}(X,Y)|_P</math>は対称二次形式であるので、次が成立する: {{math theorem|定理| (固有値<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>が相異なれば)主方向<math>e_1,\ldots,e_m</math>は互いに直交する。 |}} 第三にワインガルテンの公式から : <math>g(S_{\eta}(X),Y)=g(\mathrm{I\!I}(X,Y),\eta)</math> であるので、明らかに次が成立する: {{math theorem|定理| 主曲率および主方向はそれぞれワインガルテン写像の固有値・固有ベクトルに一致する。 }} よって固有多項式の一般論から、特に次が成立する: {{math theorem|定理|以下の3つの値は等しい: * 第{{mvar|i}}平均曲率は<math>H_i</math> * {{mvar|S{{sub|η}}}}の[[固有多項式]] :<math>\mathrm{det}(\lambda I-S_{\eta})=\sum_{i=0}^m (-1)^{m-i}\sigma_i(\kappa_1,\ldots,\kappa_m)\lambda^{m-i}</math> の{{math|1=''m''-''i''}}次の項を<math>(-1)^{m-i}\textstyle\binom{n}{k}</math>で割った値 * <math>{(-1)^{m-i} \over \textstyle\binom{n}{k}}\mathrm{tr}(\wedge^iS_{\eta})</math> }} ここで<math>\wedge^iS_{\eta}</math>は<math>S_{\eta}~:~T_PM \to T_PM</math>が<math>\wedge^iT_PM</math>に誘導する写像を <math>\wedge^iS_{\eta}~:~\wedge^iT_PM \to \wedge^iT_PM</math>である。 第四に、平均曲率に関しては、<math>M \subset \bar{M}</math>が余次元{{mvar|1}}でなくとも、<math>\mathrm{I\!I}(X,Y)|_P</math>を法ベクトル空間<math>N_PM</math>に値を取る二次形式とみなしたときのトレース(の{{mvar|1/n}})として定義できる: {{math theorem|定義|<math>\bar{M}</math>をリーマン多様体とし、<math>M \subset \bar{M}</math>を(余次元{{mvar|1}}とは限らない)部分リーマン多様体とし、{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とする。このとき、  : <math>H_P :={1\over n}\mathrm{tr}\mathrm{I\!I}|_P = {1\over n}\sum_i\mathrm{I\!I}|_P(e_i,e_i)\in N_PM</math> を{{mvar|P}}における{{mvar|M}}の'''平均曲率ベクトル'''({{lang-en-short|mean curvature vector}})といい<ref>{{Cite web |url=https://www.ime.usp.br/~gorodski/teaching/mat5771-2016/ch7.pdf |title=Chapter 7. Submanifold geomety |access-date=2023/02/21 |work=An introduction to Riemannian geometry |author=Claudio Gorodski |page=137}}</ref>、{{mvar|H{{sub|P}}}}により定まる法ベクトルバンドルの切断{{mvar|H}}を'''平均曲率ベクトル場'''({{lang-en-short|mean curvature vector field}})という<ref name="Lawson5" />。ここで<math>e_1,\ldots,e_m</math>は<math>T_PM</math>の正規直交基底である。 }} 平均曲率ベクトル場は[[極小曲面]]の特徴付けとして有用であり、閉多様体<math>M \subset \bar{M}</math>が極小曲面になる必要十分条件は{{mvar|M}}上の平均曲率ベクトル場が恒等的に{{mvar|0}}である事である事が知られている<ref name="Lawson5">{{Cite book|洋書 |title=Lectures on minimal submanifolds |date=1980/2/1 |publisher=Publish or Perish Inc |pages=5-12 |author=H. Blaine Lawson |isbn=978-0914098188}}</ref>。 == ガウス写像 == 本節では、向き付可能なリーマン多様体{{mvar|M}}をユークリッド空間に余次元{{mvar|1}}で埋め込んでいる場合、すなわち<math>M \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>、{{math|1=dim''M''=''m''}}の場合に対し、「ガウス写像」を定義する事で、ワインガルテン写像やガウス曲率に幾何学的な意味付けを与える。 これまで同様{{mvar|η}}を{{mvar|M}}の単位法ベクトル場とすると、各点{{math|1=''P''∈''M''}}に対し、ベクトル{{mvar|η{{sub|P}}}}は長さ{{mvar|1}}のベクトルなので、{{mvar|η{{sub|P}}}}を原点中心の単位球{{mvar|S{{sup|m}}}}の元とみなす事ができる。このようにみなす事で定義できる写像 : <math>G~:~P \in M \mapsto \eta_P \in S^m</math> を'''ガウス写像'''({{lang-en-short|Gauss map}}<ref name="Lee151">[[#Lee]] p.151.</ref>、{{lang-en-short|Gauss spherical mapping}}<ref name="Carmo129" />)という。 {{mvar|M}}の{{mvar|P}}における接ベクトル空間の元{{mvar|T{{sub|P}}M}}を<math>M\subset \mathbb{R}^m</math>の{{mvar|P}}における接平面と自然に同一視すると、任意の{{math|1=''v''∈''T{{sub|P}}M''}}に対し、 : <math>\langle \eta,v\rangle=0</math> である事から、<math>\mathbb{R}^m</math>において{{mvar|T{{sub|P}}M}}は{{mvar|T{{sub|G(P)}}S{{sup|m}}}}と平行な超平面であるので、自然に{{mvar|T{{sub|P}}M}}と{{mvar|T{{sub|G(P)}}S{{sup|m}}}}を同一視する。このとき次が成立する: {{math theorem|定理| <math>M \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>を向き付け可能かつ余次元{{mvar|1}}のリーマン多様体とし、{{mvar|G}}を{{mvar|M}}が定めるガウス写像とする。 このとき、ガウス写像が接ベクトル空間に誘導する写像 : <math>G_* ~:~T_PM \to T_{G(P)}S^m \approx T_PM</math> は、 : <math>G_*(v)=-S_{\eta}(v)</math> を満たす<ref name="Carmo129" />。ここで<math>S_{\eta}(v)</math>はワインガルテン写像である。 |{{Anchors|ガウス写像によるワインガルテン写像の意味付け}}}} さらにガウス写像はガウス曲率と以下の関係を満たす: {{math theorem|定理| 記号を[[#ガウス写像によるワインガルテン写像の意味付け|上述の定理]]と同様に取る。 さらに{{mvar|M}}、{{mvar|S{{sup|m}}}}の体積要素をそれぞれ<math>dV</math>、<math>dV'</math>とするとき、ガウス写像が誘導する写像 : <math>G^* ~:~\bigwedge^m T^*_{G(P)}S^m \to \bigwedge^mT^*_PM</math> は、 : <math>G^*(dV'_{G(P)})=K_PdV_P</math> を満たす。ここで{{mvar|K{{sub|P}}}}は点{{mvar|P}}における{{mvar|M}}のガウス曲率である<ref name="Lee151" />。 |note=ガウス写像によるガウス曲率の意味付け{{Anchors|ガウス写像によるガウス曲率の意味付け}}}} == Theorema Egregium == [[#断面曲率と第二基本形式の関係|断面曲率と第二基本形式の関係]]と[[#主曲率の定義|主曲率の定義]]から、特に以下の系が成立する:{{math theorem|系| 埋め込み<math>M \subset \bar{M}</math>が余次元{{mvar|1}}の埋め込みで、<math>e_1,\ldots,e_m</math>が点<math>P\in M</math>における主方向で<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>を対応する主曲率とする。このとき{{math|1=''i''≠''j''}}を満たす任意の{{math|1=''i'', ''j'' ∈{''1'',...,''m''}}}に対し、以下が成立する<ref name="Carmo131">[[#Carmo]] p.131.</ref>: : <math>\mathrm{Sec}(e_i,e_j)=\overline{\mathrm{Sec}}(e_i,e_j)+\kappa_i\kappa_j</math> |note=断面曲率と主曲率の関係{{Anchors|断面曲率と主曲率の関係}}}} ここで<math>\mathrm{Sec}_P(\cdot,\cdot)</math>、<math>\overline{\mathrm{Sec}}_P(\cdot,\cdot)</math>はそれぞれ''''{{mvar|M}}''''、''{{Mvar|{{overline|M}}}}''の断面曲率である。 よってとくに<math>\bar{M}</math>が曲率{{mvar|c}}の{{仮リンク|定曲率空間|en|Constant curvature}}、すなわち<math>\bar{M}_c</math>上の任意の点{{mvar|P}}における任意の方向の断面曲率が{{mvar|c}}である空間の場合には、 : <math>\mathrm{Sec}(e_i,e_j)=c+\kappa_i\kappa_j</math> が成立する。 実は上式の右辺は{{mvar|M}}に内在的な量である: {{math theorem|定理|<math>\bar{M}_c</math>を曲率{{mvar|c}}の定曲率空間とし、<math>M \subset \bar{M}_c</math>をその余次元{{mvar|1}}の部分多様体とし、さらに{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とする。さらに線形写像<math>\rho~:~\wedge^2TM_P \to \wedge^2TM_P</math>を : <math>g(\rho(X \wedge Y),Z\wedge W)=g(R(X,Y)W,Z)</math> により定義する。 このとき、{{mvar|ρ}}の固有値の集合は : <math>\{\kappa_i\kappa_j+c \mid i,j \in 1,\ldots,m , \text{ s.t. }i\neq j\}</math> に一致する{{refn|name="Dajczer47"|[[#Dajczer]] p.47.}}。ここで{{mvar|m}}は{{mvar|M}}の次元であり、<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>は点{{mvar|P}}における主曲率である。 また<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>に対応する主方向を<math>e_1,\ldots,e_m</math>とすると、<math>\kappa_i\kappa_j+c</math>に対応する固有ベクトルは<math>e_i\wedge e_j</math>である。 |note=Theorema Egregiumの一般化{{Anchors|Theorema Egregiumの一般化}}}} {{math proof| <math>e_1,\ldots,e_m</math>をそれぞれ<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>に対応する主方向とすると、 : <math>(e_i\wedge e_j)_{i,j=1,\ldots,m \text{ s.t. }i<j}</math> は<math>\wedge^2T_PM</math>の基底である。 {{math|1=''i''>''j''}}を満たす任意の{{math|1=''i'',''j''=1,...,''m''}}および{{math|1=''k''>''ℓ''}}を満たす任意の{{math|1=''k'',''ℓ''=1,...,''m''}}に対し、[[#ガウスの方程式|ガウスの方程式]]から、 : <math>g(\rho(e_i \wedge e_j),e_{\ell}\wedge e_k) </math><math> =g(R(e_i,e_j)e_{\ell},e_k) </math><math> =g(\bar{R}(e_i,e_j)e_{\ell},e_k)+g(\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_i,e_{\ell}),\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_j,e_k))-g(\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_i,e_k),\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_j,e_{\ell})) </math> ...(1) {{mvar|η}}を{{mvar|M}}の単位法線とすると、主方向の定義から、 :<math>\mathrm{I\!I}_{\eta}(e_i,e_j)= \begin{cases} \kappa_i & \text{if } i=j\\ 0 & \text{otherwise} \end{cases} </math> であるので、{{mvar|M}}の余次元が{{mvar|1}}な事から、 : <math> g(\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_i,e_{\ell}),\mathrm{I}\!\mathrm{I}(e_j,e_k)) = \begin{cases} \kappa_i\kappa_j & \text{if } (i,j)=(\ell,k)\\ 0 & \text{otherwise} \end{cases} </math> である。 定曲率空間の場合は以下が成立する事が知られている: {{math theorem|定理| <math>(M,g)</math>をリーマン多様体とし、<math>c\in \mathbb{R}</math>とする。このとき{{mvar|M}}が曲率{{mvar|c}}の定曲率空間である必要十分条件は、{{mvar|M}}の任意の点{{mvar|P}}と{{mvar|T{{sub|P}}M}}の任意のベクトル{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}、{{mvar|Z}}、{{mvar|W}}に対し、 : <math>g(R(X,Y)W,Z)=cg(X,W)g(Y,Z)-cg(Y,W)g(X,Z)</math> が成立する事である{{refn|[[#Carmo]] p.96.}}。 |note=定曲率空間における曲率の形{{Anchors|定曲率空間における曲率の形}}}} よって{{math|1=''i''>''j''}}、{{math|1=''k''>''ℓ''}}を満たす{{math|1=''i'', ''j'', ''k'', ''ℓ''}}に対し、 : <math> g(\bar{R}(e_i,e_j)e_{\ell},e_k) </math><math> =cg(e_i,e_{\ell})e(e_j,e_k)-cg(e_i,e_k)g(e_j,e_{\ell}) </math><math> = \begin{cases} c & \text{if } (i,j)=(k,\ell)\\ 0 & \text{otherwise} \end{cases} </math> が成立する。 以上から、{{math|1=''i''>''j''}}、{{math|1=''k''>''ℓ''}}を満たす{{math|1=''i'', ''j'', ''k'', ''ℓ''}}に対し、 : (1)の右辺<math> = \begin{cases}c + \kappa_i\kappa_j & \text{if } (k,\ell)=(i,j)\\ 0 & \text{otherwise}\\ \end{cases} </math> が成立する。 <math>(e_i\wedge e_j)_{i,j=1,\ldots,m \text{ s.t. }i<j}</math>が<math>\wedge^2T_PM</math>の基底であった事から、上記の事実は<math>e_i\wedge e_j</math>は<math>c + \kappa_i\kappa_j</math>を固有値とする{{mvar|ρ}}の固有ベクトルである事がわかる。 |drop=yes}} <math>\mathrm{Sec}(e_i,e_j)=c+\kappa_i\kappa_j</math>であったので、上記の定理は、有名な'''[[Theorema Egregium]]の一般化'''になっている: {{math theorem|定理|<math>\mathbb{R}^3</math>の二次元部分多様体<math>M\subset \mathbb{R}^3</math>に対し、点{{mvar|P}}におけるガウス曲率は点{{mvar|P}}における断面曲率と一致する<ref name="Carmo131" />。 |note=[[Theorema Egregium]]{{Anchors|Theorema Egregium}}}} [[#Theorema Egregiumの一般化|Theorema Egregiumの一般化]]から以下の系が従う: {{math theorem|系|記号を[[#Theorema Egregiumの一般化|前述の定理]]と同様に取るとき、<math>\bar{M}_c</math>における{{mvar|M}}の第{{mvar|r}}平均曲率は{{mvar|r}}が偶数なら{{mvar|M}}に内在的な量である{{refn|group="注"|name="TEの内在性に関する注釈"|本定理でいる「内在的」の意味に注意する必要がある。実際、{{mvar|M}}の内在的な量から直接計算される<math>c+\kappa_i\kappa_j</math>から<math>\kappa_i\kappa_j</math>を求めるには、{{mvar|c}}を知らねばならず、積<math>\kappa_i\kappa_j</math>は'''{{mvar|c}}に依存して決まる'''。よって<math>\kappa_i\kappa_j</math>から求まる偶数次平均曲率やガウス曲率の平方等も{{mvar|c}}に依存して決まる量である。 本定理で言う「内在的」は{{mvar|c}}をfixしたとき、任意に埋め込み写像<math>f~:~M \to \bar{M}_c</math>を取ると、{{mvar|f}}から定まる主曲率の積の集合<math>\{\kappa_i{}^f\kappa_j{}^f\}</math>(やそこから定まる偶数次平均曲率、、ガウス曲率の平方等)は、'''{{mvar|f}}が<math>\bar{M}_c</math>への埋め込み写像である限り'''、{{mvar|f}}に依存しない、という意味である。 }}。 よってとくに<math>\bar{M}_c</math>における{{mvar|M}}のガウス曲率{{mvar|K}}は{{mvar|M}}の次元{{mvar|m}}が偶数なら{{mvar|M}}に内在的な量である<ref name="Dajczer47" /><ref group="注" name="TEの内在性に関する注釈" />。|note=偶数次平均曲率の内在性、偶数次元のガウス曲率の内在性{{Anchors|偶数次元のガウス曲率の内在性}}}} 一方、奇数次元のガウス曲率は{{mvar|M}}に内在的な量では'''ない'''。実際[[#ガウス曲率の定義|ガウス曲率の定義]]<math>K=\mathrm{det}\mathrm{I\!I}_{\eta}=\kappa_1\cdots\kappa_m</math>は{{mvar|M}}の単位法線{{mvar|η}}という{{mvar|M}}に外在的な量に依存しており、{{mvar|η}}の向きを変えれば<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>の符号は全て反転してしまい、次元{{mvar|m}}が奇数である事から<math>K=\kappa_1\cdots\kappa_m</math>の符号も反転してしまう。 しかし次元{{mvar|m}}が奇数の場合であっても、符号を除いてガウス曲率は内在的な量となる事を前述の[[#Theorema Egregiumの一般化|Theorema Egregiumの一般化]]から示すことができる: {{math theorem|系|記号を[[#Theorema Egregiumの一般化|前述の定理]]と同様に取る。{{mvar|M}}の次元{{mvar|m}}が奇数であっても、<math>\bar{M}_c</math>における{{mvar|M}}のガウス曲率{{mvar|K}}は符号を除いて内在的な量である<ref name="Dajczer47" />{{refn|group="注"|すなわちガウス曲率の自乗{{mvar|K{{sup|2}}}}が{{mvar|M}}に内在的な量である。}}<ref group="注" name="TEの内在性に関する注釈" />|note=符号を除いたガウス曲率の内在性}} 以上の事から、{{mvar|m}}が偶数の場合には<math>\bar{M}_c</math>における{{mvar|M}}のガウス曲率をリーマン曲率で具体的に書きあらわす事ができる。次節では<math>\bar{M}_c</math>がユークリッド空間である場合に対し、この具体的な表記を求める。 == オイラー形式 == 前節では<math>M \subset \bar{M}_c</math>が偶数次元でしかも余次元が{{mvar|1}}のとき、[[#偶数次元のガウス曲率の内在性|ガウス曲率が{{mvar|M}}の内在的な量である事]]を示した。 本節の目的は<math>\bar{M}_c=\mathbb{R}^{m+1}</math>の場合に、ガウス曲率を{{mvar|M}}に内在的な量で具体的に書きあらわす事にある。そのために導入するのが'''オイラー形式'''である。オイラー形式は偶数次元のリーマン多様体{{mvar|M}}上で曲率テンソルを用いて定義される。そして{{mvar|M}}が余次元{{mvar|1}}で<math>\mathbb{R}^{m+1}</math>に埋め込まれているときは、オイラー形式はガウス曲率の定数倍に一致する。 本節の内容は後でガウス・ボンネの定理を記述するときに重要となる。「オイラー形式」という名称も、ガウス・ボンネの定理からこの値が[[オイラー標数]]と関係づけられる事に由来する。 ===パッフィアン=== オイラー形式を定義するため、「パッフィアン」を定義する。これは後述するように[[行列式]]の平方根に相当する。 {{math theorem|定理・定義| {{mvar|m}}を正の偶数とし、{{mvar|V}}を{{mvar|m}}次元の向きづけられた実ベクトル空間とし、<math>e_1,\ldots,e_m</math>を{{mvar|V}}の正規直行基底で{{mvar|V}}の向きと同じ向きのものとし、歪対称二次形式 : <math>\alpha=\sum_{i>j}a^{ij}e_i\wedge e_j</math> に対し、 : <math>\overbrace{\alpha \wedge \cdots \wedge \alpha}^{m/2} = {1 \over (m/2)!}\mathrm{Pf}(\alpha) e_1\wedge \cdots \wedge e_m</math> となる実数<math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>が一意に存在する{{refn|group="注"|{{mvar|α}}は偶数次(2次)なので、<math>\overbrace{\alpha \wedge \cdots \wedge \alpha}^{m/2}</math>は{{mvar|0}}になるとはかぎらない。例えば<math>\alpha=e_1\wedge e_2 + e_3 \wedge e_4</math>なら<math>\alpha\wedge \alpha = 2e_1\wedge e_2 \wedge e_3 \wedge e_4</math>。}}。 しかも<math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>は{{mvar|V}}と同じ向きの正規直交基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>の取り方によらない。 <math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>を{{mvar|α}}の'''パッフィアン'''({{lang-en-short|Pfaffian}})と呼ぶ。 |note=[[パフィアン|パッフィアン]]}} 上記の定理において、<math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>の存在一意性は<math>\bigwedge^n V</math>が{{mvar|1}}次元ベクトル空間な事から明らかに従う。{{mvar|V}}と同じ向きの正規直交基底の取り方によらないことも、<math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>の定義が{{mvar|α}}の成分表示によらず、しかも<math>e_1\wedge \cdots \wedge e_m</math>がそのような基底の取り方によらない事から明らかに従う。 [[歪対称行列]]<math>A=(a^{ij})_{ij}</math>に対し、紛れがなければ<math>\alpha=\sum_{i>j}a^{ij}e_i\wedge e_j</math>のパッフィアン<math>\mathrm{Pf}(\alpha)</math>の事を<math>\mathrm{Pf}(A)</math>とも表記する。 定義から明らかに次が成立する。 {{math theorem|定理| 任意の[[正則行列]]{{mvar|B}}に対し、 : <math>\mathrm{Pf}(B^{-1}AB)=\mathrm{det}(B)\mathrm{Pf}(A)</math> が成立する。よって特に任意の[[直交行列]]{{mvar|B}}に対し、 : <math>\mathrm{Pf}(B^{-1}AB)= \begin{cases} \mathrm{Pf}(A) & \text{if } \mathrm{det}(B) =1\\ -\mathrm{Pf}(A) & \text{if } \mathrm{det}(B) =-1 \end{cases} </math> が成立する{{refn|name="森田242"|[[#森田]] pp.242-243.}}。 |}} パッフィアンは具体的には以下のように書ける。 {{math theorem|定理|{{math|1=''m''=''2k''}}次の[[歪対称行列]]<math>A=(a^{ij})_{ij}</math>に対し、以下が成立する<ref name="森田242"/>: : <math> \mathrm{Pf}(A)={1 \over 2^k k!}\sum_{\sigma\in \mathfrak{S}_m}\mathrm{sgn}(\sigma) a^{\sigma(1)\sigma(2)}\cdots a^{\sigma(m-1)\sigma(m)}</math>. ここで<math>\mathfrak{S}_m</math>は[[対称群]]であり、<math>\mathrm{sgn}(\sigma)</math>は置換{{mvar|σ}}の[[置換の符号|符号]]である。 |note=パッフィアンの具体的表記{{Anchors|パッフィアンの具体的表記}}}} パッフィアンは行列式の平方根である: {{math theorem|定理|{{math|1=''m''=''2k''}}次の[[歪対称行列]]<math>A=(a^{ij})_{ij}</math>に対し、以下が成立する<ref name="森田242"/>: : <math>\mathrm{Pf}(A)^2=\mathrm{det}(A)</math>. |}} なお本節で我々は偶数次の歪対称行列に対して行列式の平方根がパッフィアンと一致する事を見たが、奇数次の歪対称行列の場合は行列式は常に{{mvar|0}}になる事が知られている。よって奇数次の場合には「行列式の平方根」も{{mvar|0}}になる。 ====オイラー形式==== 次に我々はパッフィアンを使ってオイラー形式を定義する。 {{math theorem|定義| {{math|1=''m''=''2k''}}を偶数とし、{{mvar|M}}を{{mvar|m}}次元の向きづけられたリーマン多様体とし、<math>e_1,\ldots,e_m</math>を開集合<math>U \subset M</math>における{{mvar|TM}}の正規直交基底で{{mvar|M}}と同じ向きを持つものとし、<math>\Omega=(\Omega^{i}{}_{j})_{ij}</math>を<math>e_1,\ldots,e_m</math>に関する{{mvar|M}}の曲率形式とする。このとき、 : <math>\mathrm{eu}(\Omega)=\mathrm{Pf}\left({\Omega \over 2\pi}\right)={1 \over (2\pi)^k}\mathrm{Pf}(\Omega)</math> を'''オイラー形式'''({{lang-en-short|Euler form}})もしくは'''{{訳語疑問点範囲|ガウス・ボンネ被積分関数|date=2023年4月}}'''({{lang-en-short|Gauss-Bonnet integrand}})という{{refn|[[#Grey]] p.76.}}{{refn|[[#森田]] p.243.}}{{refn|[[#Tu]] p.233.}}{{refn|[[#Wu]] p.4.}}。 |note=オイラー形式}} 上記の定義に関して3つ補足する。第一に、オイラー形式を定義する際、パッフィアンを<math>(2\pi)^k</math>で割るのは、このようにすると後述するガウス・ボンネの定理で不要な定数が消えて定理の記述が簡単になるからである。 第二に、「<math>\mathrm{Pf}(\Omega)</math>」という記号の意味についてである。「<math>\mathrm{Pf}(\Omega)</math>」は[[#パッフィアンの具体的表記|パッフィアン{{math|1=Pf(''A'')}}の具体的表記]]において、行列{{mvar|A}}を{{mvar|Ω}}に置き換え、さらに積をウェッジ積に置き換えることで定義される。すなわち、 :<math> \mathrm{Pf}(\Omega)={1 \over 2^k k!}\sum_{\sigma\in \mathfrak{S}_m}\mathrm{sgn}(\sigma) \Omega^{\sigma(1)}{}_{\sigma(2)}\wedge \cdots \wedge \Omega^{\sigma(m-1)}{}_{\sigma(m)}</math> なお、添字の上下が{{math|1=Pf(''A'')}}の具体的表記とは異なっているが、正規直交基底を考えているのでこれは問題にならない。 第三に、{{mvar|Ω{{sup|i}}{{sub|j}}}}は2-形式であるので、上述のウェッジ積は{{mvar|Ω{{sup|i}}{{sub|j}}}}の入れ替えに関して可換である。よって前節で通常の実数係数の行列に対して成立した定理の多くが<math>\mathrm{Pf}(\Omega)</math>に対しても成立する。 特に、<math>\mathrm{Pf}(\Omega)</math>は正規直交基底の向きを保つ取り方に対して不変であり、したがってオイラー形式は{{mvar|M}}と同じ向きの正規直交基底の取り方によらずwell-definedである。 したがって、オイラー形式は{{mvar|M}}の全域で定義可能である。 (正規直交とは限らない)基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>とその双対基底を<math>e^1,\ldots,e^m</math>を使って曲率テンソルを :<math>R_{ijk\ell}=g(R(e_i,e_j)e_{\ell},e_k)</math> と成分表示すると、オイラー形式を下記のように成分表示できる: {{math theorem|(正規直交とは限らない)基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>に対し、以下が成立する{{refn|[[#Gilkey]] pp.126-127.}} :<math> \mathrm{eu}(\Omega)={1 \over (8\pi)^k k!} R_{i_1i_2j_2j_1} \cdot \cdots \cdot R_{i_{m-1}i_mj_mj_{m-1}}g(e^{i_1}\wedge\cdots\wedge e^{i_k},e^{j_1}\wedge\cdots\wedge e^{j_k})dV</math> ここで{{mvar|dV}}は{{mvar|M}}の体積要素であり、上式はアインシュタインの縮約記法を用いている。 |note=オイラー形式の成分表示}} なお、上式は<math>i_1,\ldots,i_k</math>および<math>j_1,\ldots,j_k</math>が<math>1,\ldots,k</math>の置換になっている項以外は{{mvar|0}}になる。 ====オイラー形式とガウス曲率の関係==== 本節では、偶数次元リーマン多様体{{mvar|M}}が余次元{{mvar|1}}でユークリッド空間に埋め込まれているときは、ガウス曲率とオイラー形式は定数倍を除いて一致する事を見る: {{math theorem|定理|{{mvar|m}}を偶数とし、<math>M \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>を{{mvar|m}}次元リーマン多様体{{mvar|M}}の余次元{{mvar|1}}の埋め込みとする。このとき以下が成立する{{refn|[[#Grey]] p.79.}}: :<math>\mathrm{eu}(\Omega)=(2k-1)!!K dV</math> ここで<math>\mathrm{eu}(\Omega)</math>は{{mvar|M}}のオイラー形式であり、{{mvar|K}}は{{mvar|M}}のガウス曲率であり、<math>(2k-1)!!</math>は[[二重階乗]]<math>(2k-1)!!=1\cdot 3\cdot \cdots \cdot (2k-1)</math>であり、 {{mvar|dV}}は{{mvar|M}}の体積要素である。 |note=ガウス曲率のオイラー形式による表記{{Anchors|ガウス曲率のオイラー形式による表記}}}} {{math proof| <math>e_1,\ldots,e_m</math>をそれぞれ主曲率{{mvar|κ{{sub|1}}}}、...、{{mvar|κ{{sub|m}}}}に対応する主方向とし、<math>\theta^1,\ldots,\theta^m</math>をその双対基底とすると、[[#断面曲率と主曲率の関係|断面曲率と主曲率の関係]]から、 : <math>\Omega^{i}{}_{j}=\kappa_i\kappa_j\theta^i\wedge\theta^j</math> が{{math|''i''≠''j''}}を満たす{{mvar|i}}、{{mvar|j}}に対して成立する。よって{{math|1=''k''=''m/2''}}とすると、[[#パッフィアンの具体的表記|パッフィアンの具体的表記]]から、 : <math> \begin{align} \mathrm{Pf}(\Omega)&={1 \over 2^k k!}\sum_{\sigma\in \mathfrak{S}_m}\mathrm{sgn}(\sigma) \Omega^{\sigma(1)}{}_{\sigma(2)}\wedge \cdots \wedge \Omega^{\sigma(m-1)}{}_{\sigma(m)}\\ &={1 \over 2^k k!}\sum_{\sigma\in \mathfrak{S}_m}\mathrm{sgn}(\sigma)\kappa_{\sigma(1)}\cdots\kappa_{\sigma(m)}\theta^{\sigma(1)}\wedge \theta^{\sigma(2)}\wedge \cdots \wedge \theta^{\sigma(m-1)}\wedge \theta^{\sigma(m)}\\ &={\kappa_1\cdots\kappa_m \over 2^k k!}\cdot (2k)! \theta_1\wedge \cdots \wedge \theta_m\\ &=1\cdot 3\cdot \cdots \cdot (2k-1) KdV \end{align} </math> となり定理が証明された。 |drop=yes}} なお、なぜパッフィアンという「行列式の平方根」がここで登場するか、という問いに対する答えるには、[[チャーン・ヴェイユ理論]]を必要とするため、本項では触れない。 == ガウス・ボンネの定理 == 本節ではガウス・ボンネの定理を紹介する。この定理は、偶数次元のリーマン多様体において、オイラー標数をオイラー形式の全空間における積分で記述できるという趣旨の定理である。 元々は{{mvar|M}}が2次元の場合に対して示されたものであり、一般の偶数次元に対する定理は区別のため'''[[#陳省身|チャーン]]・ガウス・ボンネの定理'''とも呼ばれる。 {{math theorem|定理| {{mvar|M}}を偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトなリーマン多様体とする。このとき、 :<math>\int_M \mathrm{eu}(\Omega)=\chi(M)</math> が成立する。ここで<math>\mathrm{eu}(\Omega)</math>は{{mvar|M}}のオイラー形式であり、<math>\chi(M)</math>は{{mvar|M}}のオイラー標数である。 |note=ガウス・ボンネの定理}} === 証明のアイデア === <math>M \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>を余次元{{mvar|1}}で向き付け可能なリーマン多様体とする。[[#ガウス写像によるガウス曲率の意味付け|すでに述べたように]]、{{mvar|M}}、{{mvar|S{{sup|m}}}}の体積要素をそれぞれ<math>dV</math>、<math>dV'</math>とすると、両者の間には : <math>G^*(dV')=KdV</math> という関係がある。ここで{{mvar|K}}は{{mvar|M}}のガウス曲率である。 {{mvar|M}}が[[コンパクト空間|コンパクト]]で縁がなければ、[[ド・ラームコホモロジー]]の一般論から、ガウス写像<math>G~:~M \to S^m</math>の[[写像度]]<math>\mathrm{deg}(G)</math>は :<math>\mathrm{deg}(G)={\int_{M}G^*(dV') \over \int_{S^m}dV'}={\int_{M}K dV \over \mathrm{Vol}(S^m)}</math> に等しい{{refn|name="Zhu1-2"|[[#Zhu]] pp.1-2.}}。ここで<math>\mathrm{Vol}(S^m)</math>は球面{{mvar|S{{sup|m}}}}の{{mvar|m}}次元体積である。 この事実を利用すると、偶数次元の{{mvar|M}}に対し以下の定理が結論付けられる: {{math theorem|定理{{Anchors|ガウス曲率によるガウス・ボンネの定理}}|<math>M\subset \mathbb{R}^{m+1}</math>を<math>\mathbb{R}^{m+1}</math>の[[コンパクト空間|コンパクト]]で縁がない向き付け可能な{{mvar|C{{sup|∞}}}}級{{mvar|m}}次元部分リーマン多様体とする。このとき、{{mvar|m}}が偶数であれば、 : <math>{1\over \mathrm{Vol}(S^m)}\int_M K dV =\mathrm{deg}(G)={\chi(M) \over 2}</math> が成立する<ref name="Zhu1-2" />。ここで{{mvar|K}}はガウス曲率であり、<math>\mathrm{deg}(G)</math>はガウス写像<math>G~:~M \to S^m</math>の写像度であり、<math>\mathrm{Vol}(S^m)</math>は単位球面{{mvar|S{{sup|m}}}}の{{mvar|m}}次元体積であり、<math>\chi(M)</math>は{{mvar|M}}のオイラー標数である。 }} {{math proof| <math>{1\over \mathrm{Vol}(S^m)}\int_M K dV =\mathrm{deg}(G)</math>はすでに示したので、<math>\mathrm{deg}(G)={\chi(M) \over 2}</math>のみを示す。 {{mvar|M}}が[[連結空間|連結]]ではない場合は連結成分毎に定理を証明すれば良いので、一般性を失わず{{mvar|M}}は連結であると仮定する。このとき、{{math|1=''m''+''1''}}次元多様体<math>N \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>で<math>\partial N =M</math>となるものが存在する事が下記の定理により保証される: {{math theorem|定理| <math>M \subset\mathbb{R}^{m+1}</math>を<math>\mathbb{R}^{m+1}</math>の縁のないコンパクトで連結な{{mvar|C{{sup|∞}}}}級の{{mvar|m}}次元部分多様体とする。このときコンパクトで連結な{{math|1=''m''+''1''}}次元多様体<math>N \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>とコンパクトでない連結な領域<math>L \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>が存在し、 : <math>\partial N = M</math>、<math>\mathbb{R}^{m+1}\setminus M = L \sqcup \mathrm{Int}N</math>、 が成立する。ここで<math>\mathrm{Int}N</math>は{{mvar|N}}の内部である。 |note=ジョルダン・ブラウワーの定理<ref>{{Cite web|url=http://www.math.uchicago.edu/~may/VIGRE/VIGRE2009/REUPapers/Schmaltz.pdf|title=THE JORDAN-BROUWER SEPARATION THEOREM|access-date=2023/03/16 |author=WOLFGANG SCHMALTZ|publisher=[[シカゴ大学]] |page=13}}</ref>}} そこで{{mvar|N}}に対して[[:en:Heinz Hopf|ホップ]]による以下の定理を用いる: {{math theorem|定理<ref name="LA">{{Cite web |url=https://math.uchicago.edu/~may/REU2019/REUPapers/La,Mandy.pdf|title=THE POINCARÉ-HOPF THEOREM|access-date=2023/03/16 |author=MANDY LA |publisher=[[シカゴ大学]] |page=6}}</ref>| <math>\mathbb{R}^{m+1}</math>のコンパクトな{{math|1=''m''+''1''}}次元部分多様体<math>N \subset \mathbb{R}^{m+1}</math>上のベクトル場{{mvar|X}}で、非退化な孤立零点しか持たず、さらに{{mvar|X}}が{{mvar|N}}の境界{{mvar|∂N}}上{{mvar|N}}の外側を向いているものとすると、{{mvar|X}}の[[ポアンカレ・ホップの定理|零点の指数]]の総和は{{mvar|∂N}}のガウス写像の写像度に等しい。 |note=ホップの指数定理(Hopf's Index Theorem<ref name="Wu4">[[#Wu]] p.4.</ref>)}} {{math proof| <math>x_1,\ldots,x_n\in N</math>を{{mvar|X}}の零点とし、これらの零点の{{mvar|ε}}-近傍を<math>B_1,\ldots,B_n</math>とし、さらに<math>S_i :=\partial B_i</math>(<math>i=1,\ldots,n</math>)とする。{{mvar|ε}}を十分小さく取る事で、<math>B_i \cap B_j=\emptyset</math> for <math>i \neq j</math>としてよい。 <math>\hat{N}:=N \setminus (B_1\cup \cdots \cup B_n)</math>とすると、{{mvar|B{{sub|i}}}}の定義から<math>\hat{N}</math>上{{mvar|X}}は{{mvar|0}}にならない。このため<math>P\in \hat{N}</math>に対し、 : <math>\eta(P):={X_P \over \|X_P\|}</math> が定義できる。<math>\eta(P)</math>は長さ{{mvar|1}}である事から単位球{{mvar|S{{sup|m}}}}の元とみなす事ができるので、写像 : <math>\eta~:~P \in \hat{N} \mapsto \eta(P) \in S^m</math> が定義できる。明らかに{{mvar|η}}の{{mvar|M}}への制限は{{mvar|M}}のガウス写像に一致する。 また零点の指数の定義から<math>\eta_{S_i}</math>の写像度は零点{{mvar|x{{sub|i}}}}の指数に一致する{{refn|group="注"|文献によってこの写像度を指数の定義とするものと、ヘッシアンの符号数を指数の定義としてこれが写像度と一致するのを定理とするものがあるが、ここでは前者に従った。}} [[ホモロジー群]]<math>H_m(S_i)</math>、<math>H_m(M_i)</math>の[[基本類]]をそれぞれ<math>[S_i]</math>、<math>[M]</math>とする。これらの基本類を[[包含写像]] : <math>S_1 \cup \cdots S_n \cup M \hookrightarrow N</math> により<math>H_m(N)</math>に写すと、 : <math>[M] - [S_1]-\cdots -[S_n] + = [\partial N] =0 ~~\text{in}~~H_m(N)</math> が成立する。なお、ここで<math>[S_i]</math>の符号が負なのは、{{mvar|B{{sub|i}}}}の向き付けを<math>S_i=\partial B_i</math>により{{mvar|B{{sub|i}}}}から入れているからである。 よって : <math>S_1 \cup \cdots S_n \cup M \hookrightarrow N \overset{\eta}{\to}S^m</math> がホモロジー群に誘導する写像を考えると、 : <math>\eta_*([M])=\eta_*([S_1])+\cdots+\eta_*([S_n])~~\text{in}~~H_m(S^m)</math> が成立する。<math>\eta_*([M])</math>は定義から{{mvar|M}}のガウス写像の写像度に等しく、写像度<math>\eta_*([S_i])</math>は零点{{mvar|x{{sub|i}}}}の指数に一致したので定理が証明された。 |title=証明の概略<ref name="LA" />|drop=yes}} 上述の定理の条件を満たす{{mvar|X}}を選ぶと{{refn|group="注"|そのような{{mvar|X}}を作るには、ガウス写像<math>G~:~ M \to S^m</math>を[[隆起函数]]を用いて拡張して<math>\tilde{G}~:~ N \to \mathbb{R}^{m+1}</math>を作り、さらに一般の位置定理を用いて<math>\tilde{G}</math>を摂動する事で非退化な零点のみを持つ写像を作れば良い。}}、{{mvar|X}}の零点の指数の総和は[[ポアンカレ・ホップの定理]]より{{mvar|N}}のオイラー標数に等しいので、以上の事実から : <math>\mathrm{deg}(G)=\chi(N)</math> が成立する。 {{mvar|N'}}を{{mvar|N}}のコピーとし、{{mvar|N}}と{{mvar|N'}}をその縁である<math>\partial N = \partial N' =M</math>で張り合わせてできる多様体を<math>\tilde{N}</math>とする(すなわち<math>\tilde{N}</math>は{{mvar|N}}の{{仮リンク|ダブル (多様体)|en|Double (manifold)|label=ダブル}})と、 : <math>\chi(\tilde{N})+\chi(M)=\chi(N)+\chi(N')=2\chi(N)</math> が成立する{{refn|group="注"| [[マイヤー・ヴィートリス完全系列]] : <math>\cdots \to H_{i+1}(\tilde{N};\mathbb{R}) \to H_i(M;\mathbb{R}) \to H_i(N;\mathbb{R}) \oplus H_i(N';\mathbb{R}) \to H_i(\tilde{N};\mathbb{R})\to \cdots</math> から証明できるが、{{mvar|N}}、{{mvar|N'}}が三角形分割可能な事を認めれば、三角形分割とオイラー標数の関係から容易に証明できる。}}。 {{mvar|M}}が偶数次元だという仮定から、<math>\tilde{N}</math>は奇数次元であり、縁のないコンパクト奇数次元多様体のオイラー標数は[[ポアンカレ双対|ポアンカレの双対性定理]]から常に{{mvar|0}}なので、前述の式から : <math>\chi(M)={1\over 2}\chi(N)</math> が言え、定理が証明される。 |title=証明の概略{{refn|この証明は[[#Wu]] pp.3-4.を参考にした。}}|drop=yes}} 上記の定理に[[#ガウス曲率のオイラー形式による表記|ガウス曲率がオイラー形式で表記できた]]という事実を適用する事で、[[:en:Heinz Hopf|ホップ]]は以下を示した: {{math theorem|定理| 記号を[[#ガウス曲率によるガウス・ボンネの定理|上述の定理]]と同様に取る。このとき、 :<math>\int_M \mathrm{eu}(\Omega)=\chi(M)</math> が成立する。ここで<math>\mathrm{eu}(\Omega)</math>は{{mvar|M}}のオイラー形式である{{refn|[[#Spivak5]] p.264.}}。 |note=<math>\mathbb{R}^{m+1}</math>内かつ余次元{{mvar|1}}の場合のガウス・ボンネの定理{{Anchors|余次元1のガウス・ボンネ}}}} ここで我々は{{math|1=''m''=''2k''}}とすると、 :<math>\mathrm{Vol}(S^m) = \frac{2(2\pi)^k}{1\cdot 3 \cdot \cdots \cdot (2k-1)}</math> である{{refn|[[#Grey]] p.78.}}事を用いた([[超球の体積]]の項目も参照)。 上記の定理は「{{mvar|M}}が<math>\mathbb{R}^{m+1}</math>に余次元{{mvar|1}}で埋め込まれている」という強い条件の元でのみ成立しているので、ガウス・ボンネの定理を示すにはこの条件を無くす必要がある。そのために使うのが下記の定理である: {{math theorem|定理| {{mvar|M}}をコンパクトな{{mvar|m}}次元リーマン多様体とする。このとき、ある{{math|1=''n''≧''m''}}とある{{mvar|C{{sup|∞}}}}級の埋め込み :<math>\phi~:~M \hookrightarrow \mathbb{R}^n</math> が存在し、{{mvar|M}}上のリーマン計量{{mvar|g}}は<math>\mathbb{R}^n</math>の引き戻しと一致する<ref>{{Cite book|title=Differential and Complex Geometry: Origins, Abstractions and Embeddings |date=2017/8/1 |author=Raymond O. Wells, Jr. |publisher=Springer |isbn=978-3-319-58184-2|pages=189,209.}}</ref> |note=[[ナッシュの埋め込み定理]]}} よって{{mvar|M}}が<math>\mathbb{R}^n</math>の部分多様体だと仮定しても一般性を失わない。しかし{{mvar|M}}は<math>\mathbb{R}^n</math>において余次元{{mvar|1}}とは限らないので、このままでは前述のホップによる定理を適用できない。 そこで{{mvar|M}}の<math>\mathbb{R}^n</math>を{{mvar|ε}}だけ「太らせたもの」(すなわち{{仮リンク|管状近傍|en|tubular neighborhood}})を{{mvar|N}}とすると、{{mvar|ε}}が小さければ{{mvar|N}}は{{math|1=''M''×''D''{{sup|''n''-''m''}}}}と位相同型である。ここで{{mvar|m}}は{{mvar|M}}の次元である。よって : <math>\chi(\partial N)=\chi(M \times S^{n-m-1})=\chi(M)\chi(S^{n-m-1})=2\chi(M)</math> が成立する。 <math>\chi(\partial N)</math>は<math>\mathbb{R}^n</math>で余次元{{mvar|1}}なので、前述のホップによる結果を適用でき、 : <math>\int_{\partial N}\mathrm{eu}(\Omega^{\partial N})=\chi(\partial N)=2\chi(M)</math> が言える{{refn|group="注"|最後の等号は{{仮リンク|キネットの定理|en|Künneth theorem}}から示せるが、{{mvar|M}}が三角形分割可能な事を仮定すれば直接示す事もできる。}}。ここで<math>\Omega^{\partial N}</math>は{{mvar|∂N}}の曲率形式である。 [[ヘルマン・ワイル]]は管状近傍の体積を具体的に(非常に複雑な計算で)求める事で、<math>\int_{\partial N}\mathrm{eu}(\Omega^{\partial N})</math>が{{math|''ε''→0}}のとき<math>\int_{M}\mathrm{eu}(\Omega)</math>の{{mvar|2}}倍に収束する事を示した{{refn|group=注|[[#Gray]]はワイルによる管状近傍の理論を説明したもので、本書の5章でホップの結果からガウス・ボンネの定理を示している。}}。以上の議論からガウス・ボンネの定理が証明された。 ===擬リーマン多様体の場合=== 本稿ではリーマン多様体に対するガウス・ボンネの定理を記述したが、[[擬リーマン多様体]]でも同様の定理が成立する<ref>[[#Gilkey]] p.127.</ref>: {{math theorem|定理| {{mvar|M}}を偶数次元の向き付け可能かつ縁無しのコンパクトな符号数<math>(p,m-p)</math>の擬リーマン多様体とする。このとき、{{mvar|p}}が奇数であれば{{math|1=''χ''(''M'')=0}}である。<math>\chi(M)</math>は{{mvar|M}}のオイラー標数である。 一方{{mvar|p}}が偶数であれば、 :<math>(-1)^{p/2}\int_M \mathrm{eu}(\Omega)=\chi(M) </math> が成立する。ここで<math>\mathrm{eu}(\Omega)</math>は{{mvar|M}}のオイラー形式である。 |note=擬リーマン多様体のガウス・ボンネの定理}} == 脚注 == === 出典 === {{reflist|20em}} === 注釈 === {{reflist|30em|group="注"}} == 文献 == === 参考文献 === * {{Cite book|洋書|title=Differential Geometry: Connections, Curvature, and Characteristic Classes|date=2017/6/15|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=[[:en:Loring W. Tu|Loring W. Tu]]|series=[[Graduate Texts in Mathematics]]|volume=275|isbn=978-3319550824|ref=Tu}} * {{Cite web |url=https://maths-people.anu.edu.au/~andrews/DG/ |title=Lectures on Differential Geometry |access-date=2022/12/28 |publisher=Australian National University |author=Ben Andrews |ref=Andrews}} * {{Cite web |url=http://staff.ustc.edu.cn/~wangzuoq/Courses/18F-Manifolds/Notes/Lec29.pdf |title=LECTURE 29: CONNECTIONS AND CURVATURES |access-date=2022/12/29 |author=Zuoqin Wang |publisher=[[中国科学技術大学]] |ref=Wang}} * {{cite book|和書|title=微分形式の幾何学2|date=2001/05/23|publisher=[[岩波書店]]|ref=森田|author=森田茂之|series=岩波講座 現代数学の基礎|volume=14|isbn=978-4000110143|url=https://www.iwanami.co.jp/book/b480194.html}} * {{cite book|title=A Comprehensive Introduction to Differential Geometry|publisher=Publish or Perish, Incorporated|ref=Spivak|author=Michael Spivak|volume=VOLUME TWO|isbn=978-0914098805|洋書|edition=Second Edition}} * {{cite book|title=A Comprehensive Introduction to Differential Geometry|publisher=Publish or Perish, Incorporated|ref=Spivak5|author=Michael Spivak|volume=VOLUME FIVE|isbn=978-0914098744|洋書|edition=Third Edition}} * {{cite book|title=Riemannian Geometry|date=1994/2/24|publisher=Birkhauser Boston|ref=Carmo|author=Manfredo P. do Carmo|series=Mathematics: Theory & Applications|isbn=978-0817634902|洋書|translator=Francis Flaherty}} * {{Cite book|和書 |title=微分幾何学Ⅰ |year=1977 |publisher=岩波出版 |month=8 |series=[[岩波講座 基礎数学]] |author=佐々木重夫 |volume=13 |ref=佐々木}} * {{Cite book|和書 |title=接続の微分幾何とゲージ理論 |date=1989/5/15 |publisher=[[裳華房]] |author=[[小林昭七]] |isbn=978-4785310585 |ref=小林}} * {{Cite book|和書 |title=曲線と曲面の微分幾何 |date=1977/8/20 |author=小林昭七 |publisher=裳華房 |series=基礎数学選書 17 |ASIN=B000J8X6V8 |isbn=4-7853-1119-3|ref=小林77}} * {{Cite book|洋書|title=Riemannean Manifolds An introduction to curvature.|date=1997/9/23|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=John M. Lee|series=[[Graduate Texts in Mathematics]]|volume=176|isbn=978-0387983226|ref=Lee}} * {{Cite book|洋書|title=Differential Geometry|date=2022/2/11|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Victor V. Prasolov|series=Moscow Lectures|volume=8|isbn=978-3030922481|ref=Prasolov|translator=Olga Sipacheva}} * {{Cite book|洋書|title=A Panoramic View of Riemannian Geometry|date=2003/6/15|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Marcel Berger|isbn=978-3540653172|ref=Berger|}} * {{Cite web |url=https://web.math.ku.dk/~moller/students/rani.pdf |title=On Parallel Transport and Curvature |access-date=2023/01/13 |author=Raffaele Rani |ref=Rani}} * {{Cite web |url=https://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~ando/okayamaunivlect.pdf |title=曲面の幾何学 —Hopf の定理およびその証明— |access-date=2023/01/14 |publisher=[[熊本大学]] |author=安藤直也 |ref=安藤}} * {{cite book|和書|title=相対性理論の数理|date=2021/6/22|publisher=[[日本評論社]]|ref=新井|author= 新井朝雄||isbn=978-4535789289}} * {{Cite web |url=https://math.berkeley.edu/~alanw/240papers00/zhu.pdf|title=THE GAUSS-BONNET THEOREM AND ITS APPLICATIONS|access-date=2023/03/16 |publisher=[[カリフォルニア大学バークレー校]] |author=Chenchang Zhu |ref=Zhu}} * {{Cite book|洋書|title=Historical development of the Gauss-Bonnet theorem|date=1997/9/23|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Hung-Hsi Wu|series=Science in China Series A: Mathematics vol. 51, No.4|ref=Wu}} * {{Cite book|洋書|title=Curves and Surfaces|date=2011/10/6|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Marco Abate, Francesca Tovena|series=UNITEXT|isbn=978-8847019409|ref=Abate}} * {{Cite book|洋書|title=Tubes|edition=2|date=2003/11/27|publisher=Birkhaeuser|author=Alfred Gray |series=Progress in Mathematics|volume=221|isbn=978-3764369071|ref=Grey}} * {{Cite book|洋書|title=Aspects of Differential Geometry I|date=2022/5/31|publisher=Springer|author= Peter Gilkey, JeongHyeong Park, Ramón Vázquez-Lorenzo |series=Synthesis Lectures on Mathematics & Statistics |volume=15|isbn=978-3-031-02407-8|ref=Gilkey}} * {{Cite book|洋書|title= Submanifold Theory Beyond an Introduction|date=2019/8/2|publisher=Springer|author= Marcos Dajczer, Ruy Tojeiro|series=Universitext|isbn=978-1-4939-9644-5|ref=Dajczer}} * {{Cite web |url=https://arxiv.org/abs/1111.4972 |title=The Gauss-Bonnet-Chern Theorem on Riemannian Manifolds |access-date=2023/05/18 |author=Yin Li |format=PDF|ref=Li}} * {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1|title=Differentialgeometrie I|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter3.pdf|title=Chapter 3: Connections|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl3}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter4.pdf|title=Chapter 4: Natural constructions on vector bundles|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl4}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter5.pdf|title=Chapter 5: Curvature on bundles|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl5}} * {{Cite book|洋書|title=Natural Operators in Differential Geometry|date=2009/12/28|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|authors=Ivan Kolář, Jan Slovák, Peter W. Michor|isbn=978-3642081491|ref=Kolar}} * {{Cite web|url=https://www.ime.usp.br/~piccione/Downloads/GStructure.pdf|title=The theory of connections and G-structures. Applications to affine and isometric immersions|publisher=[[サンパウロ大学]]|ref=Piccione|author=Paolo Piccione, Daniel V. Tausk|access-date=2023/10/10}} * {{Cite book|洋書|title=Lectures On Fibre Bundles and Differential Geometry|date=1987/1/1|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|authors=J.L. Koszul, S.Ramanan|isbn=978-3540128762|ref=Koszul}} * {{cite book |series=Wiley Classics Library |title=[[:en:Foundations of Differential Geometry|Foundations of Differential Geometry]] Volume I |publisher=Wiley |date=2009 |orig-year=1963 |isbn=978-0-471-15733-5 |zbl=0119.37502 |author2=[[野水克己|Katsumi Nomizu]] |author=[[小林昭七|Shishichi Kobayashi]] |ref=Kobayashi-Nomizu-1}} * {{cite book |author2=Katsumi Nomizu |author=Shishichi Kobayashi |series=Wiley Classics Library |title=Foundations of Differential Geometry Volume II |publisher=Wiley |location= |date=2009 |orig-year=1969 |isbn=978-0-471-15732-8 |zbl=0175.48504 |ref=Kobayashi-Nomizu-2}} === その他 === * {{Cite book | 和書 | author=野水克己|authorlink=野水克己| title=現代微分幾何入門 | publisher=[[裳華房]] | series=基礎数学選書 | year=1981 | ref=野水(1981) }} * {{Cite book | 和書 | author1=茂木勇|author2=伊藤光弘|authorlink1=茂木勇| title=微分幾何学とゲージ理論 | publisher=[[共立出版]] | year=1986 | ref=茂木(1986) }} * {{Cite book | 和書 | |last = リーマン|last2 = リッチ|last3 = レビ=チビタ|last4 = アインシュタイン |authorlink = ベルンハルト・リーマン|authorlink3 = トゥーリオ・レヴィ=チヴィタ|authorlink2 = グレゴリオ・リッチ=クルバストロ|authorlink4 = アルバート・アインシュタイン|coauthors = マイヤー | title=リーマン幾何とその応用 | editor=矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎(訳)|editor-link=矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎 | year=1971 | publisher=共立出版 | ref=矢野(1971) }} * {{Cite book | 和書 | author=矢野健太郎 | title=微分幾何学 | publisher=[[朝倉書店]] | year=1949 | ref=矢野(1949) }} * {{Cite book | 和書 | author=佐武一郎|authorlink=佐武一郎|year=1974|title=線型代数学|publisher=[[裳華房]]}} {{DEFAULTSORT:ふふんりーまん}} [[Category:微分幾何学]] [[Category:リーマン幾何学]] [[Category:曲率]] [[Category:数学に関する記事]]
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詐欺師と泥棒の党
詐欺師と泥棒の党(さぎしとどろぼうのとう、ロシア語: Партия жуликов и воров、頭文字を取って「ПЖиВ」と略される) とは、ロシアの政党である統一ロシアに対して使われるインターネット・ミームである。 ロシア自由民主党党首(当時)のウラジーミル・ジリノフスキーが語るところによると、「詐欺師と泥棒の党」という表現は自らが2009年の段階で使用していたという。 2010年9月28日、ラジオ・フリー・ヨーロッパの番組に出演した野党指導者のボリス・ネムツォフは、統一ロシアについて、「泥棒と汚職人の政党であることはすべての国民が知っている」と述べた。その後、LiveJournal (ロシアのSNS)で人気を博していた反体制派ブロガーのアレクセイ・ナワリヌイがネムツォフの発言を取り上げ、「詐欺師と泥棒の党」という表現は統一ロシアを批判する言い回しとして定着した。 2011年2月末、アクセスすると自動的に統一ロシアの公式サイトにリダイレクトされるпартия-жуликов-и-воров.рфなるサイトが登場した。このサイトがSNS上で話題になりアクセス数が急増した結果、スラッシュドット効果によって統一ロシアの公式サイトで数日間にわたるアクセス障害が発生した。 その後すぐに、「詐欺師と泥棒の党」という表現は西側メディアの間でも使われるようになった。西側メディアで最初にこの表現を用いたのはアメリカの雑誌であるザ・ニューヨーカーで2011年4月、「統一ロシアは腐敗した党であり、詐欺師と泥棒の党だ(United Russia is the party of corruption, the party of crooks and thieves)」とする記事を掲載した。続いてイギリスの経済誌であるエコノミストが2011年10月1日、社説で統一ロシアを「詐欺師と泥棒の党(Party of thieves and crooks)」と非難した。 2011年ロシア下院選挙の選挙運動期間中、野党政治家や反体制派市民の間で「詐欺師と泥棒の党」という表現は広く使われた。2011年ロシア反政府運動では、「詐欺師と泥棒の党を打倒せよ(Долой партию жуликов и воров)」というスローガンが広く使用された。 統一ロシアは「詐欺師と泥棒の党」という表現に対していら立っており、ある党員の代理人であると称する弁護士がナワリヌイに対し、名誉棄損の疑いで告訴すると脅迫する事件が起きた。これに対してナワリヌイは、自身のブログ上でアンケートを行うとし、その結果4万人の回答者のうち96.6%が「統一ロシアが"詐欺師と泥棒の党"であるとする見解に同意する」と回答した。この騒動を機にネット上では統一ロシアに対する反感が広まり、ナワリヌイは次の選挙で統一ロシアに投票しないよう呼びかけるため、「詐欺師と泥棒の党に反対」宣材コンテストを開催した。 ロシアの独立系調査機関であるレヴァダ・センターが2011年7月19日に行った世論調査では、ロシア国民の33%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に賛成し、47%が反対した。また、統一ロシア支持者のうち9%が、「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に賛成することに対し、「恥ずかしさを覚えない」と回答した。また、同年行われたレヴァダ・センターによる別の調査では、統一ロシアの支持率は54%であった。 その後2012年6月21日から26日にかけてレヴァダ・センターが行った世論調査では、ロシア国民の42%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に「同意する」と回答し、40%が「同意しない」、18%が「どちらとも言えない」と回答した。その内訳は、見解に「同意する」と回答した人のうち18%が「間違いなく同意する」、24%が「どちらかと言えば同意する」と答えた。一方、見解に「同意しない」と回答した人のうち、12%が「間違いなく同意しない」、28%が「どちらかと言えば同意しない」と答えている。 4月に行われた同様の調査では、「同意する」が38 %、「同意しない」が54 %、「どちらとも言えない」が15%であった。 また、2013年のレヴァダ・センターによる調査では、ロシア国民の間に統一ロシアに対する不満が広がっており、ロシア国民の51%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に「同意する」と回答したほか、「プーチン政権の閣僚や官僚は私腹を肥やすことにしか興味がない」と考えている国民が62%に達した。 この調査によると、国民の4分の1が「統一ロシアは国を強くしようとしている」と答えた一方、「統一ロシアの党員は国民のことを気にかけている」と回答したのは国民の10 %でしかなかった。また、国民の18%は「教育を受けた専門家が権力を握っている」と回答した。さらに、「下院議員の絶対的な正直さと収入申告を信じる」と回答したのは国民の3%でしかなく、下院議員に対する深刻な不信が広まっている現状が明らかとなった。 モスクワにあるリュブリンスキー裁判所広報部が2011年8月17日に発表したところによると、オレグ・モロゾフ下院第一副議長はナワリヌイが行った自身の不正に対する批判及び、モロゾフを「"詐欺師と泥棒の党"の著名な代表」とする主張に対し訴訟を起こした。これについてモロゾフは同日、「私は訴訟を起こしたのではなく、ナワリヌイによる挑発行為の被害者である」とする声明を発表した。 また、統一ロシアに近い活動家のウラジーミル・スヴィリドが、「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とするナワリヌイの発言に対して訴訟を起こしていたが、モスクワのリュブリンスキー裁判所は2011年10月11日、裁判官全員一致でスヴィリドの訴えを棄却するとの判決を下した。 2013年2月20日、統一ロシア広報部は、コメルサントFMの討論番組でナワリヌイと討論することを拒否すると発表した。声明で統一ロシア広報部は、ナワリヌイに対し「ラジオ討論ではなく捜査機関の取り調べに応じるべきだ」と主張した。 この背景には、統一ロシア所属の下院議員で下院倫理委員会の委員長を務めていたウラジーミル・ペフチンが、ナワリヌイの暴露で議員辞職に追い込まれたことに対する報復があったとされる。ナワリヌイは先に、ペフチンがマイアミに未申告の不動産を所有しているとする暴露を行っており、これによりペフチンは議員辞職に至った。
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詐欺師と泥棒の党(さぎしとどろぼうのとう、ロシア語: Партия жуликов и воров、頭文字を取って「ПЖиВ」と略される) とは、ロシアの政党である統一ロシアに対して使われるインターネット・ミームである。
[[ファイル:Edinaya_Rossiya_poster_v2.png|サムネイル|[[アレクセイ・ナワリヌイ]]が主催した「詐欺師と泥棒の党に反対」宣材コンテストで入賞したポスター]] '''詐欺師と泥棒の党'''(さぎしとどろぼうのとう、''{{Lang-ru|Партия жуликов и воров}}''、頭文字を取って「'''ПЖиВ'''」と略される<ref name="sokr">{{Cite web |url=https://novayagazeta.ru/articles/2011/12/06/47195-bolshinstvo-teh-kto-golosoval-protiv-pzhiv-ne-chitali-navalnogo-ne-uzhasalis-proisshestviyu-na-leninskom-prospekte-u-kazhdogo-iz-nih-sluchilsya-kakoy-to-svoy-personalnyy-leninskiy-prospekt |title=Большинство тех, кто голосовал против ПЖиВ, не читали Навального, не ужасались происшествию на Ленинском проспекте. У каждого из них случился какой-то свой персональный Ленинский проспект |date=6 дек. 2011 г. |website=Новая газета |access-date=2022-03-23 |archive-date=2022-03-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220323101412/https://novayagazeta.ru/articles/2011/12/06/47195-bolshinstvo-teh-kto-golosoval-protiv-pzhiv-ne-chitali-navalnogo-ne-uzhasalis-proisshestviyu-na-leninskom-prospekte-u-kazhdogo-iz-nih-sluchilsya-kakoy-to-svoy-personalnyy-leninskiy-prospekt |deadlinkdate=no}}</ref>) とは、[[ロシア]]の政党である[[統一ロシア]]に対して使われる[[インターネット・ミーム]]である。 == 歴史 == === 起源 === [[ロシア自由民主党]]党首(当時)の[[ウラジーミル・ジリノフスキー]]が語るところによると、「詐欺師と泥棒の党」という表現は自らが2009年の段階で使用していたという<ref>{{Cite web |url=https://echo.msk.ru/programs/sorokina/1143798-echo/ |title=В круге света: Миграция — «Эхо Москвы», 27.08.2013 |access-date=2020-05-03 |archive-date=2019-11-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20191122220235/https://echo.msk.ru/programs/sorokina/1143798-echo/ |deadlinkdate=no}}</ref>。 2010年9月28日、[[ラジオ・フリー・ヨーロッパ]]の番組に出演した野党指導者の[[ボリス・ネムツォフ]]は、統一ロシアについて、「泥棒と汚職人の政党であることはすべての国民が知っている」と述べた<ref>{{Cite web |url=https://www.svoboda.org/a/2170127.html |title=Политик Борис Немцов - об отставке мэра Москвы |website=www.svoboda.org |access-date=2022-03-23 |archive-date=2022-03-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220323101455/https://www.svoboda.org/a/2170127.html |deadlinkdate=no}}</ref>。その後、[[LiveJournal]] (ロシアのSNS)で人気を博していた反体制派ブロガーの[[アレクセイ・ナワリヌイ]]がネムツォフの発言を取り上げ、「詐欺師と泥棒の党」という表現は統一ロシアを批判する言い回しとして定着した<ref>{{Cite news |title=Партия талантливых ораторов |url=https://lenta.ru/articles/2011/02/22/navalny/ |publisher=Лента.ру |date=2011-02-22 |access-date=2011-03-03 |archive-date=2011-03-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110305153227/http://lenta.ru/articles/2011/02/22/navalny/}}</ref>。 === 普及 === 2011年2月末、アクセスすると自動的に統一ロシアの公式サイトにリダイレクトされる''партия-жуликов-и-воров.рф''なるサイトが登場した<ref>{{Cite web |url=https://lenta.ru/news/2011/02/22/party/ |title=Запущен сайт партияжуликовиворов.рф |website=lenta.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2020-10-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201020110345/https://lenta.ru/news/2011/02/22/party/ |deadlinkdate=no}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://lenta.ru/news/2011/02/24/instantparty/ |title=Сайт "Партия жуликов и воров" переехал на новый домен |website=lenta.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2021-01-24 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210124153905/https://lenta.ru/news/2011/02/24/instantparty/ |deadlinkdate=no}}</ref>。このサイトがSNS上で話題になりアクセス数が急増した結果、[[スラッシュドット効果]]によって統一ロシアの公式サイトで数日間にわたるアクセス障害が発生した<ref>{{Cite news |author=Михаил Шевчук |title=Сайт «Единой России» рухнул после скрещивания с адресом «партии жуликов» |url=http://www.dp.ru/a/2011/02/25/Sajt_Edinoj_Rossii_ruhn |publisher=Деловой Петербург |date=2011-02-25 |access-date=2011-03-03 |archive-date=2011-03-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110302063613/http://www.dp.ru/a/2011/02/25/Sajt_Edinoj_Rossii_ruhn}}</ref>。 その後すぐに、「詐欺師と泥棒の党」という表現は西側メディアの間でも使われるようになった。西側メディアで最初にこの表現を用いたのはアメリカの雑誌である''[[ザ・ニューヨーカー]]で''2011年4月、「統一ロシアは腐敗した党であり、詐欺師と泥棒の党だ(United Russia is the party of corruption, the party of crooks and thieves)」とする記事を掲載した<ref>{{Cite web |url=http://www.newyorker.com/magazine/2011/04/04/net-impact |title=One Man’s Cyber-Crusade Against Russian Corruption |first=Condé |last=Nast |date=28 мар. 2011 г. |website=The New Yorker |access-date=2022-03-23 |archive-date=2022-03-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220304002155/https://www.newyorker.com/magazine/2011/04/04/net-impact |deadlinkdate=no}}</ref>。続いてイギリスの経済誌である''[[エコノミスト]]''が2011年10月1日、社説で統一ロシアを「詐欺師と泥棒の党(Party of thieves and crooks)」と非難した<ref>[http://www.economist.com/node/21530997 Russia’s presidency: Guess who! // The Economist Oct 1st 2011] {{Wayback|url=http://www.economist.com/node/21530997|date=20150924201746}} Точная цитата: «Under Mr Medvedev United Russia, already widely thought of as a party of „thieves and crooks“, will lose more support.»</ref><ref>Это же выражение было использовано и в более поздней статье — [http://www.economist.com/blogs/easternapproaches/2011/12/protest-russia-0 от 11 декабря 2011] {{Wayback|url=http://www.economist.com/blogs/easternapproaches/2011/12/protest-russia-0|date=20160629190931}}. Точная цитата: «There was anger at the Kremlin, calls for „Russia without Putin“ and against the ruling United Russia party („the party of thieves and crooks“), but no aggression»</ref>。 [[2011年ロシア下院選挙]]の選挙運動期間中、野党政治家や反体制派市民の間で「詐欺師と泥棒の党」という表現は広く使われた<ref>{{Cite web |url=https://kprf.ru/crisis/agitator/99178.html |title=Москвичи используют оригинальную форму агитации против "Единой России" |website=kprf.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2021-02-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210225074752/https://kprf.ru/crisis/agitator/99178.html |deadlinkdate=no}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://kprf.ru/crisis/agitator/88691.html |title=Лучшие 80 плакатов конкурса "Единая Россия" - партия жуликов и воров" |website=kprf.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2020-08-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200815042707/https://kprf.ru/crisis/agitator/88691.html |deadlinkdate=no}}</ref>。[[2011年ロシア反政府運動]]では、「詐欺師と泥棒の党を打倒せよ(Долой партию жуликов и воров)」というスローガンが広く使用された。 == 世論の反応 == 統一ロシアは「詐欺師と泥棒の党」という表現に対していら立っており、ある党員の代理人であると称する弁護士がナワリヌイに対し、名誉棄損の疑いで告訴すると脅迫する事件が起きた<ref>{{Cite web |url=https://my.mail.ru/ |archive-url=https://archive.today/20120708002408/http://blogs.mail.ru/mail/grant-pravo/8893D6E867A1D85.html |archive-date=2012-07-08 |deadlinkdate=y |title=My [email protected]: stay in touch with your classmates and friends |website=my.mail.ru}}</ref><ref>{{Cite news |title=Единая Россия" готовится подать в суд на Алексея Навального |url=http://www.kommersant.ru/doc.aspx?DocsID=1586410 |publisher=Газета «Коммерсантъ» № 27 (4568) |date=2011-02-16 |access-date=2011-03-03}}</ref>。これに対してナワリヌイは、自身のブログ上でアンケートを行うとし、その結果4万人の回答者のうち96.6%が「統一ロシアが"詐欺師と泥棒の党"であるとする見解に同意する」と回答した<ref>{{Cite web |url=https://navalny.livejournal.com/553708.html |title=Единая Россия подает на меня в суд |first=Навальный navalny |last=Навальныйwrote |website=navalny.livejournal.com |access-date=2020-05-03 |archive-date=2012-08-29 |archive-url=https://www.webcitation.org/6AHrTZ9rs?url=https://navalny.livejournal.com/553708.html |deadlinkdate=no}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.livejournal.com/poll/?id=1681980 |title=Poll |website=www.livejournal.com |access-date=2022-03-23 |archive-date=2021-08-09 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210809045856/https://www.livejournal.com/poll/?id=1681980 |deadlinkdate=no}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.svoboda.org/a/2310982.html |title=Про партийных жуликов и воров |website=www.svoboda.org |access-date=2022-03-23 |archive-date=2022-03-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220323101401/https://www.svoboda.org/a/2310982.html |deadlinkdate=no}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://lenta.ru/conf/shlegel/ |title=Роберт Шлегель, депутат Госдумы от партии "Единая Россия" Почему Рунет ополчился на единоросов? |website=lenta.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2020-05-27 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200527010746/https://lenta.ru/conf/shlegel/ |deadlinkdate=no}}</ref>。この騒動を機にネット上では統一ロシアに対する反感が広まり、ナワリヌイは次の選挙で統一ロシアに投票しないよう呼びかけるため、「詐欺師と泥棒の党に反対」宣材コンテストを開催した<ref>{{Cite news |author=Ольга Ветрова |title=В блогосфере стартовал конкурс плаката против «Партии жуликов и воров» |url=http://www.nr2.ru/moskow/322164.html |publisher=Новый Регион |archive-date=2011-02-28 |access-date=2011-03-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110228215148/http://www.nr2.ru/moskow/322164.html}}</ref>。 ロシアの独立系調査機関であるレヴァダ・センターが2011年7月19日に行った[[世論調査]]では、ロシア国民の33%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に賛成し、47%が反対した。また、統一ロシア支持者のうち9%が、「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に賛成することに対し、「恥ずかしさを覚えない」と回答した。また、同年行われたレヴァダ・センターによる別の調査では、統一ロシアの支持率は54%であった<ref>{{Cite web |url=http://old.levada.ru/press/2011082505.html |title=Левада-Центр > АРХИВ > ПРЕСС-ВЫПУСКИ |date=25 апр. 2012 г. |website=web.archive.org |access-date=2017-10-02 |archive-date=2012-04-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120425083444/http://old.levada.ru/press/2011082505.html |deadlinkdate=yes}}</ref>。 その後2012年6月21日から26日にかけてレヴァダ・センターが行った世論調査では、ロシア国民の42%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に「同意する」と回答し、40%が「同意しない」、18%が「どちらとも言えない」と回答した。その内訳は、見解に「同意する」と回答した人のうち18%が「間違いなく同意する」、24%が「どちらかと言えば同意する」と答えた。一方、見解に「同意しない」と回答した人のうち、12%が「間違いなく同意しない」、28%が「どちらかと言えば同意しない」と答えている<ref name="levadaer1">''Левада-Центр''. [http://www.levada.ru/04-07-2012/edinaya-rossiya-ne-mozhet-izbavitsya-ot-yarlyka-partiei-zhulikov-i-vorov-ee-schitayut-vse «Единая Россия» не может избавиться от ярлыка «Партией жуликов и воров» её считают всё больше россиян] {{Wayback|url=http://www.levada.ru/04-07-2012/edinaya-rossiya-ne-mozhet-izbavitsya-ot-yarlyka-partiei-zhulikov-i-vorov-ee-schitayut-vse|date=20141108205715}}, 04.07.2012</ref>。 4月に行われた同様の調査では、「同意する」が38 %、「同意しない」が54 %、「どちらとも言えない」が15%であった<ref>{{Cite web |url=https://www.kommersant.ru/doc/1973567 |title=«Единая Россия» не может избавиться от ярлыка |date=4 июл. 2012 г. |website=www.kommersant.ru |access-date=2022-03-23 |archive-date=2022-01-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220121041110/https://www.kommersant.ru/doc/1973567 |deadlinkdate=no}}</ref>。 また、2013年のレヴァダ・センターによる調査では、ロシア国民の間に統一ロシアに対する不満が広がっており、ロシア国民の51%が「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とする見解に「同意する」と回答したほか、「プーチン政権の閣僚や官僚は私腹を肥やすことにしか興味がない」と考えている国民が62%に達した。 この調査によると、国民の4分の1が「統一ロシアは国を強くしようとしている」と答えた一方、「統一ロシアの党員は国民のことを気にかけている」と回答したのは国民の10 %でしかなかった。また、国民の18%は「教育を受けた専門家が権力を握っている」と回答した。さらに、「下院議員の絶対的な正直さと収入申告を信じる」と回答したのは国民の3%でしかなく、下院議員に対する深刻な不信が広まっている現状が明らかとなった<ref>{{Cite web |url=http://www.mk.ru/politics/russia/article/2013/04/29/848604-rossiyane-priznali-quoterquot-partiey-quotzhulikov-i-vorovquot.html |title=Россияне признали «ЕР» партией «жуликов и воров» //mk.ru, 29 апреля 2013 |access-date=2015-08-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130730055521/http://www.mk.ru/politics/russia/article/2013/04/29/848604-rossiyane-priznali-quoterquot-partiey-quotzhulikov-i-vorovquot.html |archive-date=2013-07-30 |deadlinkdate=yes}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.rosbalt.ru/main/2013/04/29/1123735.html |title=&quot;Левада-центр&quot;: Свыше половины россиян считают &quot;Единую Россию&quot; &quot;партией жуликов и воров&quot; |website=Росбалт}}</ref><ref name="levadaer04-2013">''Левада-Центр''. [http://www.levada.ru/29-04-2013/svyshe-poloviny-strany-schitaet-er-partiei-zhulikov-i-vorov Свыше половины страны считает ЕР «партией жуликов и воров»] {{Wayback|url=http://www.levada.ru/29-04-2013/svyshe-poloviny-strany-schitaet-er-partiei-zhulikov-i-vorov|date=20130601164047}}, 29.04.2013</ref>。 == 統一ロシアの反応 == モスクワにあるリュブリンスキー裁判所広報部が2011年8月17日に発表したところによると、オレグ・モロゾフ下院第一副議長はナワリヌイが行った自身の不正に対する批判及び、モロゾフを「"詐欺師と泥棒の党"の著名な代表」とする主張に対し訴訟を起こした。これについてモロゾフは同日、「私は訴訟を起こしたのではなく、ナワリヌイによる挑発行為の被害者である」とする声明を発表した<ref name="kommersant170811">{{Cite web |url=http://www.kommersant.ru/doc/1753464?stamp=634592735735611686 |title=Блогер ответит за мигалку вице-спикера |author=Буранов, Иван |date=2011-08-17 |website=[[Kommersant.ru]] |publisher=[[Издательский дом «Коммерсантъ»]] |access-date=2011-12-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160304071837/http://www.kommersant.ru/doc/1753464?stamp=634592735735611686 |archive-date=2016-03-04 |deadlinkdate=no}}</ref>。 また、統一ロシアに近い活動家のウラジーミル・スヴィリドが、「統一ロシアは"詐欺師と泥棒の党"である」とするナワリヌイの発言に対して訴訟を起こしていたが、モスクワのリュブリンスキー裁判所は2011年10月11日、裁判官全員一致でスヴィリドの訴えを棄却するとの判決を下した<ref name="leg">{{Cite web |url=http://www.gazeta.ru/politics/2011/10/11_kz_3797870.shtml |title=«Партия жуликов и воров» легализована |date=2011-10-11 |publisher=[[Газета.Ru]] |access-date=2011-10-13 |deadlinkdate=no |language=ru |archive-date=2012-01-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120103002254/http://www.gazeta.ru/politics/2011/10/11_kz_3797870.shtml}}, [http://infosud.ru/judicial_news/20111011/256238159.html Суд отказался взыскать с Навального в пользу единоросса 1 млн рублей] {{Wayback|url=http://infosud.ru/judicial_news/20111011/256238159.html|date=20160304171141}} // Российское агентство правовой и судебной информации — РАПСИ 11/10/2011</ref>。 2013年2月20日、統一ロシア広報部は、[[コメルサント]]FMの討論番組でナワリヌイと討論することを拒否すると発表した。声明で統一ロシア広報部は、ナワリヌイに対し「ラジオ討論ではなく捜査機関の取り調べに応じるべきだ」と主張した<ref name="Дебаты">{{Cite web |url=https://lenta.ru/news/2013/02/21/discuss/ |title=«Единая Россия» отказалась от дискуссии с Навальным |website=lenta.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2019-05-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190526064834/https://lenta.ru/news/2013/02/21/discuss/ |deadlinkdate=no}}</ref>。 この背景には、統一ロシア所属の下院議員で下院倫理委員会の委員長を務めていたウラジーミル・ペフチンが、ナワリヌイの暴露で議員辞職に追い込まれたことに対する報復があったとされる。ナワリヌイは先に、ペフチンが[[マイアミ]]に未申告の不動産を所有しているとする暴露を行っており、これによりペフチンは議員辞職に至った<ref name="Дебаты">{{Cite web |url=https://lenta.ru/news/2013/02/21/discuss/ |title=«Единая Россия» отказалась от дискуссии с Навальным |website=lenta.ru |access-date=2020-05-03 |archive-date=2019-05-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190526064834/https://lenta.ru/news/2013/02/21/discuss/ |deadlinkdate=no}}</ref>。 == 関連項目 == * [[プーチン・フイロ!]] == 脚注 == {{Reflist|2|refs= <!-- <ref name=popular>[http://en.ria.ru/politics/20130111/178715394.html United Russia No Longer 'Crooks and Thieves’ - Party Official] {{Wayback|url=http://en.ria.ru/politics/20130111/178715394.html |date=20140724184230 }} // [[РИА Новости]]. 11 January 2013 (Quote: United Russia has managed to overturn the popular conception that it is the “party of crooks and thieves,” a senior ruling party official said on Friday.)</ref> <ref name=popular2>Lena Jonson, Stephen White. [https://books.google.com/books?id=Iygfm9hBha0C Waiting For Reform Under Putin and Medvedev]. Palgrave Macmillan, 2012, p. 240 ISBN 9781137011206 (Quote: ...a phrase that rapidly gained a wide circulation.)</ref> <ref name=meme1>[http://www.bbc.com/russian/russia/2011/12/111202_united_russia_election_video_shlegel.shtml Единоросс агитирует за „Партию жуликов и воров”] {{Wayback|url=http://www.bbc.com/russian/russia/2011/12/111202_united_russia_election_video_shlegel.shtml |date=20150924184512 }} // [[Русская служба Би-би-си]] 2011-12-02</ref> <ref name=meme2>[http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/russia/9312508/Russian-opposition-activist-Alexei-Navalny-fined-for-suggesting-United-Russia-member-was-thief.html Russian opposition activist Alexei Navalny fined for suggesting United Russia member was thief] {{Wayback|url=http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/russia/9312508/Russian-opposition-activist-Alexei-Navalny-fined-for-suggesting-United-Russia-member-was-thief.html |date=20150925211750 }} // [[The Daily Telegraph]] 2012-06-05. (Цитата: "The term „party of crooks and thieves” became a meme after Mr Navalny, an anti-corruption campaigner, first used it in February last year as an off the cuff remark about United Russia during a radio debate.")</ref> <ref name=meme3>[[Белковский, Станислав Александрович|Stanislaw Belkowski]] [http://de.scribd.com/doc/219212370/Wladimir-Die-Ganze-Wahrheit-Uber-Putin-Mvg-Verlag#scribd Wladimir: Die ganze Wahrheit über Putin] {{Wayback|url=http://de.scribd.com/doc/219212370/Wladimir-Die-Ganze-Wahrheit-Uber-Putin-Mvg-Verlag#scribd |date=20160307090547 }}. (Цитата из главы 21: "Der späte Putin – Die zweite Perestroika und der Aufstand des Bildungsbürgertums": "»Partei der Gauner und Diebe«. So nannte der megapopuläre Blogger, der rasch zum führenden Oppositionspolitiker aufgestiegen war, die »Machtpartei«. Das Markenzeichen/Mem wurde sehr schnell angenommen") Redline Wirtschaft, 2013 ISBN 978-3-86881-484-2</ref> --> }} == 外部リンク == * ''Илья Яшин'' [https://www.putin-itogi.ru/f/IlyaYashin-PartyCriminalRussia.pdf Партия «Криминальная Россия» : независимый экспертный доклад.] — М., 2016. — 64 с. : цв. ил., портр. * [http://www.newyorker.com/reporting/2011/04/04/110404fa_fact_ioffe Net Impact. One man’s cyber-crusade against Russian corruption.] The New Yorker {{Webarchive|url=https://www.webcitation.org/6AHqIH3UW?url=http://www.newyorker.com/reporting/2011/04/04/110404fa_fact_ioffe|date=2012-08-29}} {{Russia-stub}} {{DEFAULTSORT:さきしととろほうのとう}} [[Category:政治インターネット・ミーム]] [[Category:ロシアの政治]] [[Category:ロシア語の語句]]
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クリストファー・ストリート
クリストファー・ストリート(Christopher Street)は、ニューヨーク市マンハッタンのウエスト・ヴィレッジ地区にある東西約1kmの通りである。西端はウエスト・ストリート、東端は6番街に接する。7番街と交差する近くにあるストーンウォール・インが有名で、その建物と周辺地域は「アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント(国定文化遺産保護地域)」に指定されている。その理由は、1969年にその建物から勃発した「ストーンウォールの反乱」であり、アメリカ合衆国だけでなく世界のLGBT権利運動の中心地となったためである。この建物と通りはゲイ・プライドの国際的なシンボルとなっている。 クリストファー・ストリートの名称は、1799年からこの地域を所有していたチャールズ・クリストファー・エイモス(Charles Christopher Amos)にちなんでいる。エイモスは、この通りと平行に走るチャールズ・ストリートと、現在は西10番街となっているエイモス・ストリートの名前の由来にもなっている。 クリストファー・ストリートは、ウエスト・ヴィレッジ地区で最も古い通りである。イギリス海軍士官ピーター・ウォーレン(Peter Warren、1703–1752)の広大な邸宅の南の境界に沿って東西に走っていた。邸宅の東側は、旧グリニッジ・ロード(現在のグリニッジ・アベニュー)に隣接して北方向に続いていた。邸宅の北側には、ノース川(現在のガンセボート・ストリート、Gansevoort Street)が東西に走る。 クリストファー・ストリートは、ウォーレンの義理の息子でイギリス陸軍将校のウィリアム・スキナー(William Skinner、1700-1780)にちなんで、一時的に「スキナー・ロード」(Skinner Road)と呼ばれていた。 1799年に、チャールズ・クリストファー・エイモス(Charles Christopher Amos)がこの地域を購入し、平行に東西に走る3つの通りはそれぞれチャールズ・ストリート(現存)、エイモス・ストリート(現在の西10番街)、クリストファー・ストリート(旧スキナー・ロード)と名付けられた。 ニューヨーク市の拡大にともない、1821年から1822年にかけて、クリストファー・ストリート沿いにセント・ルーク教会(Church of St. Luke in the Fields)が建設された。 クリストファー・ストリートの西端付近となるハドソン川近くには、1796年からニューヨーク州で初めてとなるニューゲート刑務所(Newgate State Prison)が置かれた。1829年に刑務所が移転した際に、その壁が一部残され、それを元に、わずか1ブロックだけの南北に走るウィーホーケン・ストリート(Weehawken Street)が作られた。 1825年11月4日、エリー湖とハドソン川とを貫くエリー運河が開通し、ニューヨーク市議会の代表団が出迎えるなか、初めてエリー運河を通行した多数の船がクリストファー・ストリート西端のフェリー発着所に到着した。その記念式典では、五大湖から運ばれた水がロウワー湾(Lower Bay)に注がれた。 1950年代、ロバート・ワグナー市長(Robert F. Wagner Jr.)による再開発計画が浮上。クリストファー・ストリートから北側、ウェスト・ストリート沿いの12ブロックを取り壊すという内容だった。これに対し、ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)は1961年に著書『アメリカ大都市の死と生』で批判し、多くの反響を得て、市長の再開発計画は阻止された。 1969年6月28日、クリストファー・ストリート53番地と51番地で隣合った建物をつなげて1つの店舗として営業していた人気のゲイバー「ストーンウォール・イン」へ、警察による強制捜査と逮捕・連行が行われ(身分証明書とは異なる性別の姿で公の場にいることが違法とされていた)、これに対してバーにいた大勢の客や店外の群衆が激しく抵抗。「ストーンウォールの反乱」と呼ばれる事件が起きた。これをきっかけに同性愛者解放運動が広まり、さまざまなLGBT組織が各地に誕生した。また、アメリカ合衆国におけるLGBTへの政策が大きく転換していった。 事件後1周年には、クリストファー・ストリート解放デー委員会(The Christopher Street Liberation Day Committee)が、同性愛者のプライド「ゲイ・プライド」を祝うためのパレードを、店の前からセントラル・パークまで実施した。このパレード形式は、アメリカ合衆国各地や世界各国でのプライド・パレードの原型になった。 1967年創業のLGBT専門書店オスカー・ワイルド・ブックショップ(Oscar Wilde Bookshop)は、1972年にクリストファー・ストリートの東端に近い場所に接続する短い路地「ゲイ・ストリート」(Gay Street)との角に移転。2009年まで営業した。 このようにして、1970年代からクリストファー・ストリートはニューヨークのゲイの「メインストリート」になり、多くのゲイが通りを訪れ、散策するようになった。通りには、ゲイバーや、革フェチの衣類、芸術的な装飾品を販売する店で栄えた。しかし1980年代のエイズの流行で多くの同性愛者が亡くなったことで、この状況は劇的に変化した。 1976年7月にゲイ雑誌「クリストファー・ストリート・マガジン」が創刊、1995年12月に休刊した。 1992年、クリストファー・パークに、この地域のゲイの権利の伝統を記念して、ジョージ・シーガルによる彫刻「ゲイ解放記念碑」の複製が設置された。 1999年、ストーンウォール・インがあった建物は、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録され、2000年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。 これらはLGBTQ関連の施設として、州および国家歴史登録財に登録された最初の資産であり、最初の国定歴史建造物である。 2007年、投資家やLGBT活動家の3人によりクリストファーストリート53番地の建物(初代ストーンウォール・インの西半分側)が購入され、以後、新生「ストーンウォール・イン」として営業を再開し、LGBTQカルチャーを発信している 2015年6月23日、ストーンウォール・インがLGBTの歴史における地位に基づいてニューヨーク市歴史建造物として認められた。 2016年6月24日には、「LGBTに対する社会の捉え方や国の政策が変わる転換点を後世に伝えていくため」として、ストーンウォール・インと周辺道路や向かい側のクリストファー・パークなどを含む3.1haのエリアが「Stonewall National Monument」という名称が付けられ、LGBT関連の施設として初めて、国の史跡「アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント(国定文化遺産保護地域)」に指定された。 2019年には、ストーンウォールの反乱50周年を記念したイベント「ストーンウォール50 – ワールドプライドNYC2019(Stonewall 50 – WorldPride NYC 2019)」を開催。参加者15万人、観衆500万人が集まった。 55周年の2024年6月28日には、51番地(初代ストーンウォール・イン店舗の東半分)側にストーンウォール・ナショナル・モニュメント・ビジター・センター(Stonewall National Monument Visitor Center; SNMVC)がオープン。別店舗となっていた53番地と51番地の建物は、外装デザインが事件当時のように統一された。
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クリストファー・ストリートは、ニューヨーク市マンハッタンのウエスト・ヴィレッジ地区にある東西約1kmの通りである。西端はウエスト・ストリート、東端は6番街に接する。7番街と交差する近くにあるストーンウォール・インが有名で、その建物と周辺地域は「アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント(国定文化遺産保護地域)」に指定されている。その理由は、1969年にその建物から勃発した「ストーンウォールの反乱」であり、アメリカ合衆国だけでなく世界のLGBT権利運動の中心地となったためである。この建物と通りはゲイ・プライドの国際的なシンボルとなっている。 クリストファー・ストリートの名称は、1799年からこの地域を所有していたチャールズ・クリストファー・エイモスにちなんでいる。エイモスは、この通りと平行に走るチャールズ・ストリートと、現在は西10番街となっているエイモス・ストリートの名前の由来にもなっている。
{{Infobox street | name = クリストファー・ストリート | native_name = Christopher Street | marker_image = | image = Christopher Street shops between Bleecker and Hudson Streets.jpg | image_size = 300px | caption = [[ブリーカー・ストリート]]と[[ハドソン・ストリート (マンハッタン)|ハドソン・ストリート]]の間にあるクリストファー・ストリートの景色 | alternate_name = | other_name = | former_names = | namesake = Charles Christopher Amos | postal_code = 10014 | addresses = | length_m = | length_ft = | length_mi = | length_km = | length_ref = | width = | location = [[ニューヨーク市]] [[ロウアー・マンハッタン]] [[ウエスト・ヴィレッジ]] | client = | maint = | coordinates = {{Coord|40|44|00|N|74|00|18|W|type:landmark_dim:4km|display=inline,title}} | direction_a = 西 | terminus_a = [[ウェストサイド・ハイウェイ|ウエストストリート]] | direction_b = 東 | terminus_b = [[6番街 (マンハッタン)|6番街]] | junction = | commissioning_date = | construction_start_date = | completion_date = | inauguration_date = <!-- {{Start date|YYYY|MM|DD}} --> | demolition_date = | north = | south = | map_type = }} '''クリストファー・ストリート'''(Christopher Street)は、[[ニューヨーク市]][[マンハッタン]]の[[ウエスト・ヴィレッジ]]地区にある東西約1kmの通りである。西端は[[ウエスト・ストリート]]、東端は[[6番街 (マンハッタン)|6番街]]に接する。[[7番街 (マンハッタン)|7番街]]と交差する近くにある[[ストーンウォール・イン]]が有名で、その建物と周辺地域は「[[アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント]](国定文化遺産保護地域)」に指定されている。その理由は、1969年にその建物から勃発した「[[ストーンウォールの反乱]]」であり、[[アメリカ合衆国]]だけでなく世界の[[ゲイ解放運動|LGBT権利運動]]の中心地となったためである<ref name=":0">{{Cite web |title=ゲイ解放運動のメッカ「ストーンウォール」が国定史跡に! {{!}} ゲイのための総合情報サイト g-lad xx(グラァド) |url=https://gladxx.jp/news/2016/06/4640.html |website=gladxx.jp |access-date=2023-11-08}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=ストーンウォール国立記念碑とは ストーンウォールインとストーンウォールの反乱 LGBTQ+プライド月間 |url=https://mikissh.com/diary/stone-wall-national-monument-nyc/ |website=Petite New York |date=2022-06-01 |access-date=2023-11-08 |language=ja |last=mikissh}}</ref>。この建物と通りは[[ゲイ・プライド]]の国際的なシンボルとなっている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 クリストファー・ストリートの名称は、1799年からこの地域を所有していたチャールズ・クリストファー・エイモス(Charles Christopher Amos)にちなんでいる<ref name=":2">{{Cite web |title=Who is Christopher? The story of a street |url=https://www.boweryboyshistory.com/2008/06/who-is-christopher-story-of-street.html |website=The Bowery Boys: New York City History |date=2008-06-02 |access-date=2023-11-08 |language=en-US}}</ref>。エイモスは、この通りと平行に走る[[チャールズ・ストリート]]と、現在は西[[10番街 (マンハッタン)|10番街]]となっているエイモス・ストリートの名前の由来にもなっている<ref name=":2" /><ref>{{Citation|title=Cambridge Street-Names|date=2000-10-26|url=http://dx.doi.org/10.1017/cbo9780511496219.003|publisher=Cambridge University Press|pages=1–144|access-date=2023-11-08}}</ref><ref>{{Cite book |title=Naming New York: Manhattan Places & how They Got Their Names |url=https://books.google.co.jp/books?id=Is4VCgAAQBAJ&pg=PA85&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false |publisher=NYU Press |date=2001-04 |isbn=978-0-8147-2712-6 |language=en |first=Sanna |last=Feirstein}}</ref>。 == 歴史 == クリストファー・ストリートは、[[ウエスト・ヴィレッジ]]地区で最も古い通りである。[[イギリス海軍]][[士官]]ピーター・ウォーレン([[:en:Peter_Warren_(Royal_Navy_officer)|Peter Warren]]、1703–1752)の広大な邸宅の南の境界に沿って東西に走っていた。邸宅の東側は、旧グリニッジ・ロード(現在の[[グリニッジ・アベニュー]])に隣接して北方向に続いていた。邸宅の北側には、ノース川(現在のガンセボート・ストリート、Gansevoort Street)が東西に走る<ref name=":3">{{Cite book |title=The Street Book: An Encyclopedia of Manhattan's Street Names and Their Origins |url=https://books.google.co.jp/books?id=xOhzui9AObUC&redir_esc=y |publisher=Fordham University Press |date=1990 |isbn=978-0-8232-1275-0 |language=en |first=Henry |last=Moscow}}</ref>。 クリストファー・ストリートは、ウォーレンの義理の息子で[[イギリス陸軍]][[将校]]のウィリアム・スキナー([[:en:William_Skinner_(British_Army_officer)|William Skinner]]、1700-1780)にちなんで、一時的に「スキナー・ロード」(Skinner Road)と呼ばれていた<ref name=":3" />。 1799年に、チャールズ・クリストファー・エイモス(Charles Christopher Amos)がこの地域を購入し、平行に東西に走る3つの通りはそれぞれ[[チャールズ・ストリート]](現存)、エイモス・ストリート(現在の西[[10番街 (マンハッタン)|10番街]])、クリストファー・ストリート(旧スキナー・ロード)と名付けられた<ref>{{Cite web |url=https://www.nytimes.com/1988/11/20/magazine/greenwich-village-glorying-its-differentness-for-300-years-world-apart-lawrence.html |title="Greenwich Village: Glorying in its differentness; For 300 Years, A World Apart" |access-date=2023-11-08 |publisher=The New York Times}}</ref><ref>{{Cite book |title=The Street Book: An Encyclopedia of Manhattan's Street Names and Their Origins |url=https://books.google.co.jp/books?id=xOhzui9AObUC&redir_esc=y |publisher=Fordham University Press |date=1990 |isbn=978-0-8232-1275-0 |language=en |first=Henry |last=Moscow}}</ref>。 ニューヨーク市の拡大にともない、1821年から1822年にかけて、クリストファー・ストリート沿いにセント・ルーク教会([[:en:Church_of_St._Luke_in_the_Fields|Church of St. Luke in the Fields]])が建設された<ref name=":4">{{Cite journal|last=Kelley|first=Frank B.|date=1915|title=Historical Guide to the City of New York. (With Tercentenary Supplement)|url=http://dx.doi.org/10.2307/201469|journal=Bulletin of the American Geographical Society|volume=47|issue=4|pages=290|doi=10.2307/201469|issn=0190-5929}}</ref>。 クリストファー・ストリートの西端付近となる[[ハドソン川]]近くには、1796年からニューヨーク州で初めてとなるニューゲート刑務所(Newgate State Prison)が置かれた。1829年に刑務所が移転した際に、その壁が一部残され、それを元に、わずか1ブロックだけの南北に走るウィーホーケン・ストリート([[:en:Weehawken_Street|Weehawken Street]])が作られた<ref name=":5">{{Cite web |title=Weehawken Street Historic District, Part I - Village Preservation |url=https://www.villagepreservation.org/2016/01/11/weehawken-street-historic-district-part-i/,%20https://www.villagepreservation.org/2016/01/11/weehawken-street-historic-district-part-i/ |website=www.villagepreservation.org |date=2016-01-11 |access-date=2023-11-08 |language=en-US}}</ref>。 1825年11月4日、[[エリー湖]]と[[ハドソン川]]とを貫く[[エリー運河]]が開通し、[[ニューヨーク市議会]]の代表団が出迎えるなか、初めてエリー運河を通行した多数の船がクリストファー・ストリート西端のフェリー発着所に到着した。その記念式典では、[[五大湖]]から運ばれた水がロウワー湾(Lower Bay)に注がれた<ref name=":4" />。 1950年代、ロバート・ワグナー市長([[:en:Robert_F._Wagner_Jr.|Robert F. Wagner Jr.]])による再開発計画が浮上。クリストファー・ストリートから北側、[[ウェストサイド・ハイウェイ|ウェスト・ストリート]]沿いの12ブロックを取り壊すという内容だった。これに対し、[[ジェイン・ジェイコブズ]](Jane Jacobs)は1961年に著書『アメリカ大都市の死と生』<ref>{{Cite web |title=Jacobs "Death and Life of Great American Cities" Japanese Errata |url=https://cruel.org/books/deathlife/ |website=cruel.org |access-date=2023-11-08}}</ref>で批判し、多くの反響を得て、市長の再開発計画は阻止された<ref name=":5" />。 == LGBTの象徴へ == 1969年[[6月28日]]、クリストファー・ストリート53番地と51番地で隣合った建物をつなげて1つの店舗として営業していた人気のゲイバー「[[ストーンウォール・イン]]」へ、警察による強制捜査と逮捕・連行が行われ(身分証明書とは異なる性別の姿で公の場にいることが違法とされていた)、これに対してバーにいた大勢の客や店外の群衆が激しく抵抗。「[[ストーンウォールの反乱]]」と呼ばれる事件が起きた。これをきっかけに[[ゲイ解放運動|同性愛者解放運動]]が広まり、さまざまなLGBT組織が各地に誕生した。また、アメリカ合衆国における[[LGBT]]への政策が大きく転換していった<ref name=":1" />。 事件後1周年には、クリストファー・ストリート解放デー委員会(The Christopher Street Liberation Day Committee)が、同性愛者のプライド「[[ゲイ・プライド]]」を祝うためのパレードを、店の前から[[セントラル・パーク]]まで実施した。このパレード形式は、アメリカ合衆国各地や世界各国での[[プライド・パレード]]の原型になった<ref name=":1" />。 1967年創業のLGBT専門書店オスカー・ワイルド・ブックショップ([[:en:Oscar_Wilde_Bookshop|Oscar Wilde Bookshop]])は、1972年にクリストファー・ストリートの東端に近い場所に接続する短い路地「ゲイ・ストリート」([[:en:Gay_Street_(Manhattan)|Gay Street]])との角に移転。2009年まで営業した<ref>{{Cite web |title=Oscar Wilde Bookshop |url=https://nymag.com/listings/stores/oscar-wilde-bookshop/ |website=NYMag.com |access-date=2023-11-08 |first=-Ben |last=Perkins}}</ref>。 このようにして、1970年代からクリストファー・ストリートはニューヨークのゲイの「メインストリート」になり、多くのゲイが通りを訪れ、散策するようになった。通りには、ゲイバーや、革[[フェティシズム|フェチ]]の衣類、芸術的な装飾品を販売する店で栄えた。しかし1980年代の[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]の流行で多くの同性愛者が亡くなったことで、この状況は劇的に変化した。 1976年7月にゲイ雑誌「[[:en:Christopher Street (magazine)|クリストファー・ストリート・マガジン]]」が創刊、1995年12月に休刊した<ref>{{Cite book |title=On Christopher Street |url=http://dx.doi.org/10.7208/chicago/9780226824628.001.0001 |publisher=University of Chicago Press |date=2023 |isbn=978-0-226-82463-5 |first=Michael |last=Denneny}}</ref>。 1992年、クリストファー・パークに、この地域のゲイの権利の伝統を記念して、ジョージ・シーガルによる彫刻''「ゲイ解放記念碑」''の複製が設置された<ref>{{Cite web |url=https://www.nycgovparks.org/parks/christopher-park/monuments/575 |title=Christopher Park |access-date=2023-11-08 |publisher=Official Website of the New York City Department of Parks & Recreation}}</ref>。 1999年、[[ストーンウォール・イン]]があった建物は、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]に登録され、2000年には[[アメリカ合衆国国定歴史建造物]]に指定された。 これらはLGBTQ関連の施設として、州および国家歴史登録財に登録された最初の資産であり、最初の国定歴史建造物である<ref name=":52">{{Cite web |url=https://stonewall50consortium.org/stonewallfactsheet.pdf |title=STONEWALL: The Basics |access-date=2023-11-06 |publisher=NYC LGBT Historic Sites Project}}</ref>。 2007年、投資家やLGBT活動家の3人によりクリストファーストリート53番地の建物(初代[[ストーンウォール・イン]]の西半分側)が購入され、以後、新生「ストーンウォール・イン」として営業を再開し、[[LGBT|LGBTQ]]カルチャーを発信している<ref name=":12">{{Cite web |title=The Stonewall Inn |url=https://thestonewallinnnyc.com/ |website=The Stonewall Inn |access-date=2023-11-07 |language=en-US}}</ref><ref name=":53">{{Cite web |url=https://stonewall50consortium.org/stonewallfactsheet.pdf |title=STONEWALL: The Basics |access-date=2023-11-06 |publisher=NYC LGBT Historic Sites Project}}</ref><ref name=":6">{{Cite web |title=GO Magazine - 100 Women We Love: Stacy Lentz |url=https://web.archive.org/web/20150220234609/http://www.gomag.com/article/100_women_we_love_stacy_l/ |website=web.archive.org |date=2015-02-20 |access-date=2023-11-06}}</ref> 2015年6月23日、ストーンウォール・インがLGBTの歴史における地位に基づいて[[ニューヨーク市歴史建造物保存委員会|ニューヨーク市歴史建造物]]として認められた<ref>{{Cite news |title=NY市のバーが歴史建造物に、同性愛者の権利擁護運動の発祥地 |url=https://jp.reuters.com/article/stonewall-inn-idJPKBN0P408D20150624 |work=Reuters |date=2015-06-24 |access-date=2023-11-06 |language=ja}}</ref>。 2016年6月24日には、「LGBTに対する社会の捉え方や国の政策が変わる転換点を後世に伝えていくため」として、[[ストーンウォール・イン]]と周辺道路や向かい側のクリストファー・パークなどを含む3.1[[ヘクタール|ha]]のエリアが「[[:en:Stonewall_National_Monument|Stonewall National Monument]]」という名称が付けられ、LGBT関連の施設として初めて、国の史跡「[[アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント]](国定文化遺産保護地域)」に指定された<ref name=":02">{{Cite web |title=ゲイ解放運動のメッカ「ストーンウォール」が国定史跡に! {{!}} ゲイのための総合情報サイト g-lad xx(グラァド) |url=https://gladxx.jp/news/2016/06/4640.html |website=gladxx.jp |access-date=2023-11-06}}</ref><ref>{{Cite web |title=Stonewall National Monument (U.S. National Park Service) |url=https://www.nps.gov/places/stonewall-national-monument.htm |website=www.nps.gov |access-date=2023-11-07 |language=en}}</ref>。 2019年には、[[ストーンウォールの反乱]]50周年を記念したイベント「ストーンウォール50 – ワールドプライドNYC2019([[:en:Stonewall_50_–_WorldPride_NYC_2019|Stonewall 50 – WorldPride NYC 2019]])」を開催。参加者15万人、観衆500万人が集まった<ref>{{Cite web |title=Massive crowds flooded New York City to cap off a month of Pride celebrations around the world |url=https://www.insider.com/photos-pride-2019-in-new-york-city-around-the-world-2019-6 |website=Insider |access-date=2023-11-06 |language=en-US |first=Ellen Cranley, Rosie |last=Perper}}</ref><ref>{{Cite news |title=New York Pride: Bumper crowds attend LGBT march |url=https://www.bbc.com/news/world-us-canada-48819685 |work=BBC News |date=2019-06-30 |access-date=2023-11-06 |language=en-GB}}</ref>。 55周年の2024年6月28日には、51番地(初代[[ストーンウォール・イン]]店舗の東半分)側にストーンウォール・ナショナル・モニュメント・ビジター・センター(Stonewall National Monument Visitor Center; SNMVC)がオープン<ref name=":9">{{Cite web |title=ニューヨークLGBTQ+コミュニティー聖地にビジターセンター設立 |url=https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/stonewall-national-monument-visitor-center-opens-in-2024-062722 |website=Time Out Tokyo |date=2022-06-27 |access-date=2023-11-06 |language=ja-JP |first=Anna |last=Rahmanan}}</ref><ref name=":10">{{Cite web |title=Landing Page |url=https://stonewallvisitorcenter.org/ |website=Stonewall National Monument Visitor Center |access-date=2023-11-06 |language=en-US}}</ref>。別店舗となっていた53番地と51番地の建物は、外装デザインが事件当時のように統一された<ref name=":11">{{Citation|title=Welcome to the Stonewall National Monument Visitor Center|url=https://www.youtube.com/watch?v=FnmkIPHlJr8|language=ja-JP|access-date=2023-11-07}}</ref>。 == 出典 == {{reflist|45em}} == 関連項目 == * [[ストーンウォール・イン]] * [[ストーンウォールの反乱]] * [[LGBT史年表]] == 外部リンク == * [https://www.nycgovparks.org/parks/christopher-park/monuments/575 Christopher Park] - ニューヨーク市公園レクリエーション局 * [https://www.nps.gov/ston/index.htm Stonewall National Monument] - アメリカ合衆国国立公園局 * [https://stonewallvisitorcenter.org/ Stonewall National Monument Visitor Center] {{デフォルトソート:くりすとふあーすとりーと}} [[Category:マンハッタンの通り]]
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カスティーリャ・イ・レオンの乳飲み子羊
g カスティーリャ・イ・レオンの乳飲み子羊(カスティーリャ・イ・レオンのちのみこひつじ 西: Lechazo de Castilla y León)は、1997年にカスティーリャ・イ・レオン州産の子羊肉の宣伝とマーケティングのために定められた地理的表示保護(PGI)である。 カスティーリャ・イ・レオン料理では、母乳だけで育った子羊を乳飲み子羊とよび、最も伝統的な調理法としてはカスティーリャ風ロースト(スペイン語版)、子羊のローストおよび伝統的な土鍋と薪のオーブンで調理される乳飲み子羊のローストなどが挙げられる。生産地域はカスティーリャ・イ・レオン州の全ての地方行政区におよび、チュラ種(スペイン語版)、カスティーリャ種(スペイン語版)、オハラダ種(スペイン語版)の肉が含まれる。483の農場から年間167,000頭の乳飲み子羊が生産されている。 規制評議会の本部はサモラに置かれている。 乳飲み子羊の生体重は9kgから12kgので、生後35日以内に屠殺されなければならない。 地理的表示に含まれるためには、子羊の枝肉は次の特性を満たさなければならない。 1997年5月以降、地理的表示に関する規則が制定され、生産地域の地方自治体と地域、認定品種、屠殺と解体の地域、およびGIの技術監督者が枝肉を認定し、ロゴとラベルで識別できるようにするたに枝肉が満たさなければならない要件が詳細に記載されている。 規制委員会は、羊が出産する瞬間から始まり、子羊の授乳中も継続し、食肉処理場で検査官が枝肉を分類し、ラベルと識別タグを四肢の遠位端に貼付する管理プロセスを通じて、保護する枝肉の品質を保証している。 これらの家畜の肉は白っぽいピンク色をしており、匂いは薄く、マイルドで心地よい風味がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "g", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "カスティーリャ・イ・レオンの乳飲み子羊(カスティーリャ・イ・レオンのちのみこひつじ 西: Lechazo de Castilla y León)は、1997年にカスティーリャ・イ・レオン州産の子羊肉の宣伝とマーケティングのために定められた地理的表示保護(PGI)である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "カスティーリャ・イ・レオン料理では、母乳だけで育った子羊を乳飲み子羊とよび、最も伝統的な調理法としてはカスティーリャ風ロースト(スペイン語版)、子羊のローストおよび伝統的な土鍋と薪のオーブンで調理される乳飲み子羊のローストなどが挙げられる。生産地域はカスティーリャ・イ・レオン州の全ての地方行政区におよび、チュラ種(スペイン語版)、カスティーリャ種(スペイン語版)、オハラダ種(スペイン語版)の肉が含まれる。483の農場から年間167,000頭の乳飲み子羊が生産されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "規制評議会の本部はサモラに置かれている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "乳飲み子羊の生体重は9kgから12kgので、生後35日以内に屠殺されなければならない。 地理的表示に含まれるためには、子羊の枝肉は次の特性を満たさなければならない。", "title": "地理的表示保護" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1997年5月以降、地理的表示に関する規則が制定され、生産地域の地方自治体と地域、認定品種、屠殺と解体の地域、およびGIの技術監督者が枝肉を認定し、ロゴとラベルで識別できるようにするたに枝肉が満たさなければならない要件が詳細に記載されている。", "title": "地理的表示保護" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "規制委員会は、羊が出産する瞬間から始まり、子羊の授乳中も継続し、食肉処理場で検査官が枝肉を分類し、ラベルと識別タグを四肢の遠位端に貼付する管理プロセスを通じて、保護する枝肉の品質を保証している。", "title": "地理的表示保護" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "これらの家畜の肉は白っぽいピンク色をしており、匂いは薄く、マイルドで心地よい風味がある。", "title": "地理的表示保護" } ]
g カスティーリャ・イ・レオンの乳飲み子羊は、1997年にカスティーリャ・イ・レオン州産の子羊肉の宣伝とマーケティングのために定められた地理的表示保護(PGI)である。 カスティーリャ・イ・レオン料理では、母乳だけで育った子羊を乳飲み子羊とよび、最も伝統的な調理法としてはカスティーリャ風ロースト、子羊のローストおよび伝統的な土鍋と薪のオーブンで調理される乳飲み子羊のローストなどが挙げられる。生産地域はカスティーリャ・イ・レオン州の全ての地方行政区におよび、チュラ種、カスティーリャ種、オハラダ種の肉が含まれる。483の農場から年間167,000頭の乳飲み子羊が生産されている。 規制評議会の本部はサモラに置かれている。
[[File:lechazo churro.jpg|thumb|{{仮リンク|チュラ (羊)|label=チュラ種|es|Oveja churra}}の[[乳飲み子羊]]]] [[File:Lechazos raza churra.jpg|thumb|チュラ種の乳飲み子羊]] [[File:Plato_de_lechazo,_Valladolid.jpg|thumb|最も伝統的なレシピである[[乳飲み子羊のロースト]]のキャセロール]] '''カスティーリャ・イ・レオンの乳飲み子羊'''(カスティーリャ・イ・レオンのちのみこひつじ '''{{lang-es-short|Lechazo de Castilla y León}}''')は、1997年に[[カスティーリャ・イ・レオン州]]産の[[ラム (子羊)|子羊肉]]の宣伝とマーケティングのために定められた[[原産地名称保護制度#原産地呼称保護 (PDO) と地理的表示保護 (PGI)|地理的表示保護(PGI)]]である。 [[カスティーリャ・イ・レオン料理]]では、母乳だけで育った子羊を[[乳飲み子羊]]とよび、最も伝統的な調理法としては{{仮リンク|カスティーリャ風ロースト|es|asado castellano}}、[[子羊のロースト]]および伝統的な土鍋と薪のオーブンで調理される[[乳飲み子羊のロースト]]などが挙げられる。生産地域は[[カスティーリャ・イ・レオン州]]の全ての[[行政区画|地方行政区]]におよび、{{仮リンク|チュラ (羊)|label=チュラ種|es|Oveja churra}}、{{仮リンク|カスティーリャ (羊)|label=カスティーリャ種|es|Oveja castellana}}、{{仮リンク|オハラダ (羊)|label=オハラダ種|es|ojalada}}の肉が含まれる。483の農場から年間167,000頭の乳飲み子羊が生産されている。 規制評議会の本部は[[サモラ (スペイン)|サモラ]]に置かれている。 == 地理的表示保護 == 乳飲み子羊の生体重は9kgから12kgので、生後35日以内に屠殺されなければならない。 地理的表示に含まれるためには、[[ラム (子羊)|子羊]]の枝肉は次の特性を満たさなければならない。 * 頭と内臓を除いた重量が4.5kgから7kg * 頭と内蔵込みの重量は5.5kg~8kg * 外側の脂肪は蝋状に白くなること * 肉の色はパールホワイトまたは淡いピンク * 肉がとても柔らかいこと [[1997年]]5月以降、地理的表示に関する規則が制定され、生産地域の地方自治体と地域、認定品種、屠殺と解体の地域、およびGIの技術監督者が枝肉を認定し、ロゴとラベルで識別できるようにするたに枝肉が満たさなければならない要件が詳細に記載されている<ref name=":2">{{Cite web|url=https://www.lechazodecastillayleon.es/images/reglamento/pliego.pdf |title=Indicaciones Geográficas Protegia "Lechazo de Castilla y León" |apellidos=imo|nombre=|date=|publisher=IGP Lechazo de Castilla y León|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 規制委員会は、羊が出産する瞬間から始まり、子羊の授乳中も継続し、食肉処理場で検査官が枝肉を分類し、ラベルと識別タグを四肢の遠位端に貼付する管理プロセスを通じて、保護する枝肉の品質を保証している<ref name=":2" />。 これらの家畜の肉は白っぽいピンク色をしており、匂いは薄く、マイルドで心地よい風味がある<ref name=":1">{{Cita web|url=http://www.magrama.gob.es/ministerio/pags/biblioteca/revistas/pdf_Agri/Agri_1999_805_648_650.pdf|title=Productos de Calidad: La IGP, lechazo de Castilla y León|apellidos=Alvarez, A. J. G., & Díez, A. J. G.|nombre=|date=1999|publisher=Agricultura: Revista agropecuaria, (805), 648-650.|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://www.magrama.gob.es/es/alimentacion/temas/calidad-agroalimentaria/calidad-diferenciada/dop/carnes/DOP_LechazoCastilla.aspx M.A.P.A. - Lechazo de Castilla y León] * [http://www.lechazodecastillayleon.es/ IGP Lechazo de Castilla y León] {{DEFAULTSORT:かすていりやいれおんのちのみこひつし}} [[Category:羊肉]] [[Category:スペインの食文化]] [[Category:カスティーリャ・イ・レオン州|ちのみこひつし]]
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犬墓大師堂
犬墓大師堂(いぬのはかだいしどう)は、徳島県阿波市市場町犬墓にある高野山真言宗の仏堂。本尊は大師像。四国八十八箇所・切幡寺の番外霊場。 伝承によると、空海が犬を連れてこの地の山を訪れた際に猪と遭遇し襲われ、犬が大師を猪から守ったが誤って滝壺に落ちて命を落としてしまう。その犬の死を憐れんだ空海が犬の墓を建てて、山を犬嶽、土を犬墓と名づけたと伝わっている。 その後、享保年間(1716年-1736年)に犬墓村の庄屋である松永傳太夫が造ったとされており、大師堂に祀られている大師像には戌墓と刻まれた34 cm×40 cmの台座に36 – 40 cmの楕円形の自然石が置かれている。また2002年(平成14年)には空海と義犬の像が建立された。
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犬墓大師堂(いぬのはかだいしどう)は、徳島県阿波市市場町犬墓にある高野山真言宗の仏堂。本尊は大師像。四国八十八箇所・切幡寺の番外霊場。
{{日本の寺院 |名称= 犬墓大師堂 |画像= [[File:Inubaka 01.jpg|300px]] |画像説明= |所在地= [[徳島県]][[阿波市]][[市場町犬墓]]字大北 |宗派= [[高野山真言宗]] |本尊= [[空海|大師像]] |創建年= [[享保]]年間([[1716年]]-[[1736年]]) |開基= 松永傳太夫 |札所等= [[四国八十八箇所]]番外霊場 |地図= |別称= }} '''犬墓大師堂'''(いぬのはかだいしどう)は、[[徳島県]][[阿波市]][[市場町犬墓]]にある[[高野山真言宗]]の[[仏堂]]。本尊は[[空海|大師像]]。[[四国八十八箇所]]・[[切幡寺]]の番外霊場。 == 歴史 == 伝承によると、[[空海]]が犬を連れてこの地の山を訪れた際に猪と遭遇し襲われ、その際に犬が大師を猪から守ったが誤って滝壺に落ちて命を落としてしまう。その犬の死を憐れんだ空海が犬の墓を建てて、山を犬嶽、土地を犬墓と名づけたと伝わっている<ref>{{cite web|url=https://tokushimagoshuin.com/tokushima-goshuin-anancity|title=犬墓大師堂(いぬのはかだいしどう)|publisher=NPO法人 補助犬とくしま|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 その後、[[享保]]年間([[1716年]]-[[1736年]])に犬墓村の庄屋である松永傳太夫が犬墓大師堂を創建した。犬墓大師堂に祀られている大師像には戌墓と刻まれた34&nbsp;[[センチメートル|cm]]×40&nbsp;cmの台座に36{{Ndash}}40&nbsp;cmの楕円形の自然石が置かれている。また[[2002年]]([[平成]]14年)には空海と義犬の像が建立された<ref>{{cite web|url=https://www.awa-kankou.jp/awarepo/4082/|title=犬墓大師堂|publisher=阿波市観光協会|accessdate=2023-11-8}}</ref><ref>{{cite web|url=https://iko-yo.net/facilities/37341|title=犬墓大師堂|publisher=いこーよ|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 == 交通 == * [[徳島インターチェンジ]]「[[土成インターチェンジ]]」より車で約15分。 * [[四国旅客鉄道|JR]]「[[学駅]]」より車で約20分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://www.awa-kankou.jp/awarepo/4082/ 犬墓大師堂] - 阿波市観光協会 * [https://iko-yo.net/facilities/37341 犬墓大師堂] - いこーよ * [https://www.jalan.net/kankou/spt_36206aj2202044088/ 犬墓大師堂] - じゃらん {{Buddhism-stub}} {{デフォルトソート:いぬのはかたいしとう}} [[Category:徳島県の寺]] [[Category:高野山真言宗の寺院]] [[Category:阿波市の建築物]] [[Category:阿波市の歴史]] [[Category:四国八十八箇所番外霊場]] [[Category:犬に関する文化]]
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ピンと針
「ピンと針」(ピンとはり、Needles and Pins)は、ジャック・ニッチェとソニー・ボノが作詞作曲し、ジャッキー・デシャノンが1963年に発表した楽曲。サーチャーズのカバー・バージョンによって広く知られるようになった。 ソニー・ボノが1991年に書いた自伝によれば、ジャック・ニッチェのギターに合わせて歌いながら、二人で歌詞とメロディを書いたという。これに対しジャッキー・デシャノンは近年、異論を唱えている。使われた楽器はギターではなくピアノであり、かつ、デシャノン自身も二人の曲書きの作業にずっと参加したと主張する。 1963年4月11日、デシャノンはシングルA面として発表。ビルボード・Hot 100では84位だったが、カナダのCHUM(1957年から1968年まで存在したヒットチャート)で1位を記録した。 サーチャーズはハンブルグのスター・クラブでクリフ・ベネットが歌っているのを聴いたとき、ベネットがレコーディングしてしまう前に自分らのシングルとしてすぐに発表すべきだと考えた。1964年1月7日、シングルA面として発表した。B面は「涙の週末」。 イギリス、アイルランド、南アフリカの3か国で1位を記録。Billboard Hot 100では13位、西ドイツは8位、スウェーデンは5位を記録するなど世界的なヒットとなった。 サーチャーズはこの年、ドイツ語バージョン「Tausend Nadelstiche」も発表している。
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「ピンと針」は、ジャック・ニッチェとソニー・ボノが作詞作曲し、ジャッキー・デシャノンが1963年に発表した楽曲。サーチャーズのカバー・バージョンによって広く知られるようになった。
{{Infobox Single | Name = ピンと針 | Artist = [[ジャッキー・デシャノン]] | Album = | A-side = | B-side = Did He Call Today, Mama? | Released = [[1963年]][[4月11日]]<ref name="45cat-DeShannon">[https://www.45cat.com/record/55563 45cat - Jackie DeShannon - Needles And Pins / Did He Call Today, Mama? - Liberty - USA - 55563]</ref> | Format = 7インチ・シングル | Recorded = | Genre = [[ポップミュージック|ポップ]]、ロック | Length = 2分38秒 | Label = リバティ・レコード | Writer = [[ジャック・ニッチェ]]、ソニー・ボノ | Producer = ディック・グラッサー<ref name="45cat-DeShannon"/> | Chart position = *84位([[Billboard Hot 100]]) * 1位(カナダ [[:en:CHUM Chart|CHUM]]) | Certification = | Last single = Faded Love<br />(1962年12月) | This single = '''ピンと針'''<br />(1963年4月) | Next single = Little Yellow Roses<br />(1963年7月) | Misc = {{External music video|{{YouTube|826fmITjIfQ|「Needles and Pins」}}}} }} 「'''ピンと針'''」(ピンとはり、''Needles and Pins'')は、[[ジャック・ニッチェ]]とソニー・ボノが作詞作曲し、[[ジャッキー・デシャノン]]が1963年に発表した楽曲。[[サーチャーズ]]のカバー・バージョンによって広く知られるようになった。 == ジャッキー・デシャノンのバージョン == ソニー・ボノが1991年に書いた自伝によれば、[[ジャック・ニッチェ]]のギターに合わせて歌いながら、二人で歌詞とメロディを書いたという<ref>{{cite book |first=Sonny |last=Bono |title=And the Beat Goes On |location=New York |publisher=Pocket Books |year=1991}}</ref>。これに対し[[ジャッキー・デシャノン]]は近年、異論を唱えている。使われた楽器はギターではなくピアノであり、かつ、デシャノン自身も二人の曲書きの作業にずっと参加したと主張する<ref>{{cite web |url=https://www.npr.org/templates/transcript/transcript.php?storyId=127541549 |title=What The World Needs Now Is Jackie DeShannon [interview transcript] |first1=Terry |last1=Gross |first2=Jackie |last2=DeShannon |date=14 June 2010 |work=Fresh Air |publisher=National Public Radio |access-date=21 February 2017 |quote=And I had some I did contribute to that song, but I did not get writing credit at the time, I did not pursue it.}}</ref><ref>{{cite book |last=Kubernik |first=Harvey |title=Canyon of Dreams: The Magic and the Music of Laurel Canyon |url=https://books.google.com/books?id=bANZjtz2qUkC&pg=PA34 |access-date=21 February 2017 |year=2009 |publisher=Sterling |isbn=978-1402797613 |page=34 |quote=We were at the piano going over musical riffs and finally settled on the one starts off 'Needles and Pins'.}}</ref>。 1963年4月11日、デシャノンはシングルA面として発表<ref name="45cat-DeShannon"/>。[[Billboard Hot 100|ビルボード・Hot 100]]では84位だったが<ref>''Joel Whitburn's Top Pop Singles 1955-1990'', Record Research, Inc., Menomonee Falls WI, 1991</ref>、カナダの[[:en:CHUM Chart|CHUM]](1957年から1968年まで存在したヒットチャート)で1位を記録した<ref name=chum>{{cite web |url=https://chumtribute.com/63-07-08-chart.jpg|title=CHUM Hit Parade, week of July 8, 1963|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 == サーチャーズのバージョン == {{Infobox Single | Name = ピンと針 | Artist = [[サーチャーズ]] | Album = | A-side = | B-side = 涙の週末 | Released = [[1964年]][[1月7日]]<ref name="45cat-Searchers">[https://www.45cat.com/record/7n15594 45cat - The Searchers - Needles And Pins / Saturday Night Out - Pye - UK - 7N 15594]</ref> | Format = 7インチ・シングル | Recorded = 1963年 | Genre = ロック、マージ―ビート | Length = 2分14秒 | Label = パイ・レコード | Writer = ジャック・ニッチェ、ソニー・ボノ | Producer = トニー・ハッチ<ref name="500 Number One Hits">{{cite book | first= Jo | last= Rice | year= 1982 | title= The Guinness Book of 500 Number One Hits | edition= 1st | publisher= Guinness Superlatives Ltd | location= Enfield, Middlesex | page= 76 | isbn= 0-85112-250-7}}</ref> | Chart position = *13位([[Billboard Hot 100]]) * 1位([[全英シングルチャート]]) * 1位(アイルランド) * 8位(西ドイツ) * 1位(南アフリカ) * 5位(スウェーデン) | Certification = | Last single = シュガー・アンド・スパイス<br />(1963年10月) | This single = '''ピンと針'''<br />(1964年1月) | Next single = 心がわりはやめとくれ<br />(1964年4月) | Misc = {{External music video|{{YouTube|ugDXpdjmpgw|「Needles and Pins (The Ed Sullivan Show)」}}}} }} サーチャーズはハンブルグのスター・クラブでクリフ・ベネットが歌っているのを聴いたとき、ベネットがレコーディングしてしまう前に自分らのシングルとしてすぐに発表すべきだと考えた。1964年1月7日、シングルA面として発表した。B面は「涙の週末」<ref name="45cat-Searchers"/>。 イギリス、アイルランド、南アフリカの3か国で1位を記録。[[Billboard Hot 100]]では13位、西ドイツは8位、スウェーデンは5位を記録するなど世界的なヒットとなった。 サーチャーズはこの年、ドイツ語バージョン「Tausend Nadelstiche」も発表している<ref>{{cite web |author=The Searchers |url=https://www.youtube.com/watch?v=cjHGykqQNA4 |date=2021-7-23 |title=Tausend Nadelstiche (''Needles & Pins'' in German) |website=YouTube | accessdate=2023-9-27 }}</ref>。 == その他のバージョン == * [[ペトゥラ・クラーク]] - 1963年のEP「Entre nous il est fou」に収録。フランス語詞。タイトルは「La nuit n'en finit plus」。 * [[デル・シャノン]] - 1965年のアルバム『One Thousand Six Hundred Sixty One Seconds with Del Shannon』に収録。 * [[シェール]] - 1965年のアルバム『All I Really Want to Do』に収録。 * [[ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ]] - 1965年のアルバム『This Diamond Ring』に収録。 * スモーキー - 1977年のシングル。イギリスで10位、オーストリアで1位、西ドイツで2位、オーストラリアで7位を記録。 * [[トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ]] - 1985年のライブ・アルバム『[[:en:Pack Up the Plantation: Live!|Pack Up the Plantation: Live!]]』に収録。[[スティーヴィー・ニックス]]がペティとともに歌っている。シングルカットされ、全米37位を記録した。 * [[ツイッギー]] - 1989年のシングル「Winter Wonderland」に収録。 == 脚注 == {{Reflist}} {{start box}} {{succession box | before = [[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]<br />「グラッド・オール・オーバー」 | title = [[全英シングルチャート]] 1位<br>(サーチャーズのバージョン) | years = [[1964年]][[1月30日]] - [[2月13日]](3週) | after = ザ・バチェラーズ<br />「ダイアン」 }} {{end box}} {{デフォルトソート:ひんとはり}} [[Category:1963年のシングル]] [[Category:1964年のシングル]] [[Category:1977年のシングル]] [[Category:ジャッキー・デシャノンの楽曲]] [[Category:サーチャーズの楽曲]] [[Category:ラモーンズの楽曲]] [[Category:トム・ペティの楽曲]] [[Category:デル・シャノンの楽曲]] [[Category:シェールの楽曲]] [[Category:ペトゥラ・クラークの楽曲]] [[Category:ジャック・ニッチェが作詞作曲した楽曲]] [[Category:ソニー・ボノが作詞作曲した楽曲]] [[Category:トニー・ハッチがプロデュースした楽曲]] [[Category:リバティ・レコードのシングル]] [[Category:パイ・レコードのシングル]] [[Category:全英シングルチャート1位獲得作品]] [[Category:楽曲 ひ|んとはり]]
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ALOS (三浦大知の曲)
「ALOS」(エイロス)は、日本の歌手、三浦大知の楽曲。2023年2月1日に配信限定シングルとしてリリースされた。 ALOSとは、2006年1月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げた地球観測衛星「陸域観測技術衛星(Advanced Land Observing Satellite)」のことであり、日本語名は「だいち」。
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「ALOS」(エイロス)は、日本の歌手、三浦大知の楽曲。2023年2月1日に配信限定シングルとしてリリースされた。 ALOSとは、2006年1月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げた地球観測衛星「陸域観測技術衛星」のことであり、日本語名は「だいち」。
{{Infobox Song | Name = ALOS | Artist = [[三浦大知]] | Type = [[音楽配信|配信限定]][[シングル]] | from Album = SINGLE COLLECTION 2018-2023 “COLOR___S | Released = [[2023年]][[2月1日]] | Format = [[音楽配信|デジタル・ダウンロード]]<br />[[音楽配信#定額制音楽配信|ストリーミング]] | Recorded = | Genre = {{Hlist-comma|[[J-POP]]}} | Length = 3分30秒 | Label = [[SONIC GROOVE]] | Writer = | Composer = <!-- 歌詞がない楽曲のみに使用 --> | Producer = | Certification = | Chart position = | Misc = {{Extra chronology 2 | Artist = [[三浦大知]] 配信限定シングル | Type = song | Last single = [[いつしか]]<br/>([[2022年]]) | This single = '''ALOS'''<br/>([[2023年]]) | Next single = [[能動]]<br/>(2023年) }} {{External music video|1=[https://www.youtube.com/watch?v=xLjbNoiV5Ys 「ALOS -Music Video-」] - [[YouTube]]|Type=song}} }} 「'''ALOS'''」(エイロス)は、[[日本]]の[[歌手]]、[[三浦大知]]の楽曲。[[2023年]][[2月1日]]に配信限定シングルとしてリリースされた。 ALOSとは、[[2006年]][[1月]]に[[宇宙航空研究開発機構|宇宙航空研究開発機構(JAXA)]]が打ち上げた[[地球観測衛星]]「[[だいち|陸域観測技術衛星(Advanced Land Observing Satellite)]]」のことであり、日本語名は「だいち」。 == 概要 == *[[1月26日]]、三浦が「だいち」シリーズ衛星 応援[[アンバサダー]]に就任し、「だいち」シリーズ衛星の[[イメージソング]]として書き下ろした本楽曲をリリースすることが発表され<ref>[https://www.satnavi.jaxa.jp/ja/news/2023/01/26/6825/index.html 「だいち」シリーズ衛星の応援アンバサダーにアーティスト・三浦大知さんの就任が決定!~JAXA初!地球観測衛星のアンバサダーとしてアーティストを起用~] JAXA WEBサイト、2023年1月26日</ref>、ティーザーを公開。2月1日0時より先行配信が開始された。なお、JAXAが地球観測衛星のアンバサダーを起用するのは今回初<ref>[https://uchubiz.com/article/new13073/ 地球観測衛星「だいち」の応援大使に三浦大知–イメージソングに新曲「ALOS」 UchuBiz WEBサイト、2023年1月27日</ref>。 *[[作詞]]は三浦自身が担当。三浦自身が[[筑波]]・[[種子島]]の[[宇宙センター]]を訪れ、現地で「だいち」シリーズに込められた想いや願いなどを聞き、感じたドラマや触れた風景を詰め込んで制作した楽曲となっている<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000229576 三浦大知、JAXA「だいち」シリーズ衛星イメージソング「ALOS」配信リリース] BARKS、2023年2月2日</ref>。 *[[作曲]]はこれまでも数々の三浦の楽曲を手掛け、最近では朝ドラ『[[ちむどんどん]]』の主題歌「[[燦燦]]」の作曲も務めた、プロデューサーの[[UTA (音楽プロデューサー)|UTA]]が担当した。 *ジャケット写真は[[人工衛星]]「だいち」1号機が[[2006年]][[2月14日]]に宇宙から初めて撮影した1枚。歌詞の中にある「最初の一枚」はその写真のことを指し、[[ミュージックビデオ]]公開日と奇跡的に同日となった。 *[[2月11日]]より3日連続でカウントダウンビデオが公式[[Twitter|X(旧Twitter)]]に公開されたのち、本楽曲のミュージックビデオが[[2月14日]]21時より公式[[YouTube]]チャンネルにプレミア公開された。 *また、当時開催中であったライブツアー「DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2022 COLORLESS」にて初披露された。[[テレビ]]では[[5月5日]]放送の[[テレビ朝日]]「[[ミュージックステーション]]」にて初披露された。同日、[[筑波宇宙センター]]の[[パラボラアンテナ]]前で撮影した"ALOS -1 Cut Video at Tsukuba Space Center-"を公開。 == 収録曲と規格 == {{tracklist | headline = デジタルダウンロード | total_length = auto | lyrics_credits = yes | music_credits = yes | arrangements_credits = no | title1 = ALOS | lyrics1 = 三浦大知 | music1 = [[UTA (音楽プロデューサー)|UTA]]<br />三浦大知 | arranger1 = | extra1 = | length1 = 3:30 }} == 映像作品 == {{ external media | width = 250px | align = right | video1 = {{YouTube|xLjbNoiV5Ys|ALOS -Music Video-}} | video2 = {{YouTube|ItSQeRuUkms|ALOS -1 Cut Video at Tsukuba Space Center-}} }} === ALOS -Music Video- === ; 概要 : どこかの星にいるであろう三浦の姿を映したシーンや、ダンスシーンが盛り込まれている<ref>[https://avexnet.jp/news/detail.php?id=1012822 「【三浦大知】JAXAの地球観測衛星「だいち」シリーズ衛星イメージソング、新曲「ALOS」のミュージックビデオ公開!] JAXA WEBサイト、2023年2月14日</ref>。また、JAXA筑波宇宙センター内にある、先進光学衛星「だいち3号」(ALOS-3)の通信でも使用される「[[光データ中継衛星|光衛星間通信システム(LUCAS)]]」の[[パラボラアンテナ]]に、グラフィックや衛星が撮影した写真が投影されるシーンもある<ref>[https://www.satnavi.jaxa.jp/ja/news/2023/02/15/6887/index.html 三浦大知さん書き下ろし「だいち」シリーズ衛星イメージソング「ALOS」のミュージックビデオが公開!] JAXA WEBサイト、2023年2月15日</ref>。 ; 監督 : シミズヒロタカ == パフォーマンス == === テレビ披露 === {|class="wikitable" style="font-size:small" !日時 !番組名 !放送局 |- |2023年5月5日 |[[ミュージックステーション]]2時間スペシャル |[[テレビ朝日]] |- |2023年7月22日 |[[ミュージックフェア]] |[[フジテレビ]] |- |2023年7月29日 |[[サウンド・イン"S"|Sound Inn S]] |[[BS-TBS]] |- |} == タイアップ == ;JAXA「だいち」シリーズ衛星 応援アンバサダー :応援アンバサダーとして、[[筑波宇宙センター]]を見学し地球観測衛星について学ぶとともに同世代のJAXA職員と対談を行い、[[種子島宇宙センター]]に赴きだいち3号実機と対面した。それらの模様について、JAXA公式YouTubeに公開されている。 :筑波宇宙センター訪問動画 :*{{YouTube|u_zs6wKC9BY|【JAXA×三浦大知】筑波宇宙センターで三浦大知が学ぶ!地球観測衛星について(前編)}} :* {{YouTube|X-hiLPHGmq0|【JAXA×三浦大知】筑波宇宙センターで三浦大知が学ぶ!地球観測衛星について(後編)}} :* {{YouTube|OR-kl0JDEPw|【JAXA×三浦大知】三浦大知さんへの5つの質問}} :* {{YouTube|WAQhOcSOhvs|三浦大知×JAXA職員特別企画!未来を担う同世代対談}} :種子島宇宙センター訪問動画 :* {{YouTube|gWYvy5frXBE|【JAXA×三浦大知】種子島宇宙センターに到着!「だいち3号」対面直前インタビュー}} :* {{YouTube|amYIOncxIN4|【JAXA×三浦大知】宇宙に飛び立つ先進光学衛星「だいち3号」実機に対面!三浦大知が種子島を訪問}} :* {{YouTube|g87JGZZ7JTI|【JAXA×三浦大知】種子島宇宙センター訪問を終えて ~三浦大知からのメッセージ~}} == 収録アルバム == {| class="wikitable" ! 収録アルバム !! 発売日 !! 備考 |- |'''DAICHI MIURA DOCUMENTARY 2019-2023 + SINGLE COLLECTION 2018-2023 “COLOR___S”'''|| [[2023年]][[4月26日]]||シングルコレクション |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://avex.jp/daichi/discography/detail.php?id=1019596 MIURA DAICHI(三浦 大知) OFFICIAL WEBSITE] DISCOGRAPHYページ。 * {{YouTube|5FN6Rp9t4i0|ALOS -Teaser-}} (avex) {{三浦大知}} {{Single-stub}} {{DEFAULTSORT:えいろす}} [[Category:三浦大知の楽曲]] [[Category:2023年のシングル]] [[Category:楽曲 え|いろす]]
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アドベンチャー (旅行会社)
株式会社アドベンチャー(Adventure Inc.)は、東京都渋谷区に本社を置くオンライン旅行会社。東京証券取引所グロース市場上場。 航空券のオンライン予約サービスである「skyticket」を主力事業とする。 2004年10月に株式会社アドベンチャー(初代)が設立され、2006年12月にアドベンチャー(初代)の子会社として株式会社サイバートラベルが設立された。2013年6月にサイバートラベルを存続会社とした上で、アドベンチャー(初代)を逆さ合併の形で吸収合併し、サイバートラベルの商号を株式会社アドベンチャー(2代)へ変更した。 2023年10月には、東京証券取引所グロース市場に上場している旅工房を第三者割当増資により連結子会社化した。
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株式会社アドベンチャーは、東京都渋谷区に本社を置くオンライン旅行会社。東京証券取引所グロース市場上場。
{{基礎情報 会社 |社名= 株式会社アドベンチャー |英文社名= Adventure Inc. |ロゴ= | 画像 = | 画像説明 = |種類= [[株式会社 (日本)|株式会社]] |市場情報= {{上場情報|グロース|6030|2014年12月18日}} |略称= |国籍= {{JPN}} |本社郵便番号= 150-6024 |本社所在地= [[東京都]][[渋谷区]][[恵比寿]]4-20-3<br />[[恵比寿ガーデンプレイスタワー]]24F |設立= [[2006年]][[12月21日]]<br />(株式会社サイバートラベル) |業種= 9050 |法人番号=5011001050532 |事業内容= コンシューマ事業(総合旅行予約サイト「skyticket」の運営等)、投資事業 |代表者= 中村俊一([[代表取締役]][[社長]]) |資本金= 33億767万5000円(2023年6月30日現在) |発行済株式総数= 7,524,100株<ref name="yuka">[https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS80678/fe2c9546/533e/405a/ab61/456800f7319b/S100RWMH.pdf 2023年6月期有価証券報告書]アドベンチャー</ref> |売上高= 連結:200億2773万6000円<br />(2023年6月期)<ref name="yuka" /> |営業利益=連結:29億28万7000円<br />(2023年6月期)<ref name="yuka" /> |経常利益=連結:28億5326万4000円<br />(2023年6月期)<ref name="yuka" /> |純利益=連結:18億2688万6000円<br />(2023年6月期)<ref name="yuka" /> |純資産=連結:113億6345万5000円<br />(2023年6月30日現在)<ref name="yuka" /> |総資産=連結:235億4199万3000円<br />(2023年6月30日現在)<ref name="yuka" /> |従業員数= |決算期= [[6月30日]] |会計監査人= [[太陽有限責任監査法人]]<ref name="yuka" /> |主要株主=中村俊一 59.81%<br />(株)[[日本カストディ銀行]](信託口) 9.10%<br />(株)[[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 2.17%<br />(2023年6月30日現在)<ref name="yuka" /> |主要子会社= |外部リンク= https://jp.adventurekk.com/ |特記事項= 連結経営指標は[[国際会計基準]]のため、売上高は収益、経常利益は税引前当期利益、純利益は当期利益、純資産は資本合計、総資産は資産合計。 }} '''株式会社アドベンチャー'''(Adventure Inc.)は、[[東京都]][[渋谷区]]に本社を置くオンライン[[旅行会社]]。[[東京証券取引所]]グロース市場上場。 == 概要 == [[航空券]]のオンライン予約サービスである「skyticket」を主力事業とする<ref name="m&a">[https://www.nihon-ma.co.jp/news/20230810_6030-15/ アドベンチャー、旅工房の第三者割当増資を引受け子会社化へ]日本M&Aセンター 2023年8月10日</ref>。 2004年10月に株式会社アドベンチャー(初代)が設立され、2006年12月にアドベンチャー(初代)の子会社として株式会社サイバートラベルが設立された。2013年6月にサイバートラベルを存続会社とした上で、アドベンチャー(初代)を[[逆さ合併]]の形で吸収合併し、サイバートラベルの商号を株式会社アドベンチャー(2代)へ変更した。 2023年10月には、東京証券取引所グロース市場に上場している[[旅工房]]を[[第三者割当増資]]により連結子会社化した<ref name="m&a" /><ref>[https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS80678/d150da90/5eaa/4b7c/af2a/87268281a3a8/140120230810540533.pdf 株式会社旅工房の第三者割当増資の引受による株式の取得及び連結子会社の異動に関するお知らせ]アドベンチャー 2023年8月10日</ref><ref>[https://ssl4.eir-parts.net/doc/6548/tdnet/2351291/00.pdf 第三者割当による新株式発行に係る払込完了並びに親会社及び主要株主である筆頭株主の異動に関するお知らせ]旅工房 2023年10月31日</ref>。 == 沿革 == *2004年10月 - 株式会社アドベンチャー(初代)を設立。 *2006年12月 - アドベンチャー(初代)の子会社として、株式会社サイバートラベルを設立。 *2007年7月 - 第2種旅行業登録。 *2008年6月 - オンライン旅行予約サイトである「skyticket」を開設。 *2013年6月 - サイバートラベルがアドベンチャー(初代)を吸収合併し、サイバートラベルの商号を株式会社アドベンチャー(2代)へ変更。 *2014年12月 - [[東京証券取引所]][[マザーズ]]上場。 *2016年3月 - [[日本旅行業協会]]に加盟。 *2017年 **6月 - [[国際航空運送協会]]公認代理店資格を取得。 **7月 - 第1種旅行業登録。 *2019年1月 - ラド観光を完全子会社化<ref>[https://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS80678/1d57b82b/0509/4fa6/88e9/b73be668292a/140120190123462465.pdf ラド観光株式会社の株式の取得(完全子会社化)に関するお知らせ]アドベンチャー 2019年1月23日</ref>。 *2023年10月 - [[旅工房]]を[[第三者割当増資]]により連結子会社化。 == 関連会社 == *株式会社TET *ラド観光株式会社 *株式会社Vacations *株式会社[[旅工房]] *Adventure India Journey Private Limited *Adventure Dhaka Limited *Adventure Korea, Inc. *Adventure Global OTA Philippines, Inc. == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://jp.adventurekk.com/ 株式会社アドベンチャー(企業情報)] *[https://skyticket.jp/ skyticket] {{DEFAULTSORT:あとへんちやあ}} [[Category:日本の旅行会社]] [[Category:渋谷区の企業]] [[Category:東証グロース上場企業]] [[Category:2006年設立の企業]] [[Category:2014年上場の企業]]
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マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」
マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」(まおめえあにめ「くじらせんせいとなかまたち」)とは、日本のYouTuber、およびYouTubeのアニメチャンネル。 2013年7月7日にアカウント登録、2020年4月6日に初投稿。アニメはオリジナルストーリーから幅広い世代に人気の某人気作品など既存のアニメ・漫画作品や白雪姫やかぐや姫など童話をパロったアニメや某タレントなど著名人をモデルにしたキャラクターが登場するパロディ作品まで数多くの動画があげられている。また、動画の内容も普通ではありえないような内容となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」(まおめえあにめ「くじらせんせいとなかまたち」)とは、日本のYouTuber、およびYouTubeのアニメチャンネル。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2013年7月7日にアカウント登録、2020年4月6日に初投稿。アニメはオリジナルストーリーから幅広い世代に人気の某人気作品など既存のアニメ・漫画作品や白雪姫やかぐや姫など童話をパロったアニメや某タレントなど著名人をモデルにしたキャラクターが登場するパロディ作品まで数多くの動画があげられている。また、動画の内容も普通ではありえないような内容となっている。", "title": "概要" } ]
マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」(まおめえあにめ「くじらせんせいとなかまたち」)とは、日本のYouTuber、およびYouTubeのアニメチャンネル。
{{出典の明記|date=2023年11月}} '''マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」'''(まおめえあにめ くじらせんせいとなかまたち)とは、日本のYouTuber、およびYouTubeのアニメチャンネル。 ==概要== 2013年7月7日にアカウント登録、2020年4月6日に初投稿。アニメはオリジナルストーリーや既存のアニメ・漫画作品のパロディなどの数多くの動画が上げられている。 ==来歴== *2013年7月7日、メインチャンネルのアカウント登録。 *2020年4月6日、メインチャンネルで動画投稿開始。 *2021年 - 2022年、[[アート引越センター]]とのコラボ動画を投稿。 ==外部リンク== *[https://www.youtube.com/@maomee マオメエアニメ「くじら先生と仲間たち」 - YouTube] *[https://www.youtube.com/@maomee2 くじら先生の仲間はずれたち] {{Youtuber-stub}} {{DEFAULTSORT:まおめえあにめくしらせんせいとなかまたち}} [[Category:日本のYouTuber]]
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祝福するキリスト (ティツィアーノ)
『祝福するキリスト』は、イタリア盛期ルネサンスのヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1570年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。図像はビザンチン美術におけるキリスト教の図像学にさかのぼるもので、「全能のキリスト」を表している。作品はヴェネツィアのバルバリーゴ (Barbarigo)・コレクションに由来し、1850年に同コレクションの『悔悛するマグダラのマリア』、『聖セバスティアヌス』などとともにサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に購入された。本作の複製がイギリスの個人コレクションとウィーンの美術史美術館に所蔵されている。 作品 この絵画がバルバリーゴ家の貴族によって購入された正確な年代はわかっていないが、ヴェネツィアの年代記の作者たちはみな、絵画が17世紀にはすでにそのギャラリーにあったと記している。コシャン師は、1769年に本作の印章を以下のように述べている。「きわめて強い個性のキリスト半身像。色彩はさまざまなやわらかい色調を含む赤、明暗の調子は、明らかに、時代を経て黒ずんでしまっている」。 ビザンチン美術の図像学に則り、イエス・キリストの右手は祝福の印として挙げられ、左手には水晶球を載せている。原型となったビザンチン美術の威厳や力強さを残しつつも、ティツィアーノのキリストはきわめて人間的である。 用いられている主な色彩は赤色と青色などに抑えられ、光り輝く顔には濃淡の変化の繊細なニュアンスが見られる。水晶玉の曇りのない透明性は、ごくわずかな精緻な筆致で表されている。美術史家のジョヴァンニ・カヴァルカセッレ (Giovanni Cavalcaselle) は、「とくに宝珠を見れば、正真正銘の熟練の技が明らかだ―それは透明な素材で作られ、手が透けて見える (...)」と述べている。
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『祝福するキリスト』は、イタリア盛期ルネサンスのヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1570年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。図像はビザンチン美術におけるキリスト教の図像学にさかのぼるもので、「全能のキリスト」を表している。作品はヴェネツィアのバルバリーゴ (Barbarigo)・コレクションに由来し、1850年に同コレクションの『悔悛するマグダラのマリア』、『聖セバスティアヌス』などとともにサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に購入された。本作の複製がイギリスの個人コレクションとウィーンの美術史美術館に所蔵されている。 作品 この絵画がバルバリーゴ家の貴族によって購入された正確な年代はわかっていないが、ヴェネツィアの年代記の作者たちはみな、絵画が17世紀にはすでにそのギャラリーにあったと記している。コシャン師は、1769年に本作の印章を以下のように述べている。「きわめて強い個性のキリスト半身像。色彩はさまざまなやわらかい色調を含む赤、明暗の調子は、明らかに、時代を経て黒ずんでしまっている」。 ビザンチン美術の図像学に則り、イエス・キリストの右手は祝福の印として挙げられ、左手には水晶球を載せている。原型となったビザンチン美術の威厳や力強さを残しつつも、ティツィアーノのキリストはきわめて人間的である。 用いられている主な色彩は赤色と青色などに抑えられ、光り輝く顔には濃淡の変化の繊細なニュアンスが見られる。水晶玉の曇りのない透明性は、ごくわずかな精緻な筆致で表されている。美術史家のジョヴァンニ・カヴァルカセッレ は、「とくに宝珠を見れば、正真正銘の熟練の技が明らかだ―それは透明な素材で作られ、手が透けて見える (…)」と述べている。
{{Infobox artwork |image_file=Titian,_Salvator_Mundi_(Christ_Blessing),_c._1570,_oil_on_canvas,_96_x_80_cm,_Hermitage_Museum.jpg |image_size=350px |title=祝福するキリスト |other_title_1=Христос-Вседержитель |other_language_1=[[ロシア語]] |other_title_2=Christ Blessing |other_language_2=[[英語]] |artist=[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]] |year=1570年ごろ |type=[[キャンバス]]上に[[油彩]] |height_metric=96 |width_metric=80 |museum=[[エルミタージュ美術館]] |city=[[サンクトペテルブルク]] }} 『'''祝福するキリスト'''』(しゅくふくするキリスト、{{lang-it-short|Salvator mundi}}、{{lang-en-short|Christ Blessing}})は、[[イタリア]]盛期[[ルネサンス]]の[[ヴェネツィア派]]の巨匠[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]が1570年ごろ、[[キャンバス]]上に[[油彩]]で制作した絵画である<ref name="ReferenceHM">{{Cite web |title=Christ Blessing|url=https://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/digital-collection/01.%20Paintings/32188?lng=en|website=エルミタージュ美術館公式サイト (英語) |access-date=2023/11/08}}</ref><ref name="DE">大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年、2012年、190貢。</ref>。図像は[[ビザンチン美術]]における[[キリスト教]]の[[図像学]]にさかのぼるもので、「[[全能者キリスト|全能のキリスト]]」を表している。作品は[[ヴェネツィア]]のバルバリーゴ (Barbarigo)・コレクションに由来し、1850年に同コレクションの『[[悔悛するマグダラのマリア (ティツィアーノ、サンクトペテルブルク)|悔悛するマグダラのマリア]]』、『[[聖セバスティアヌス (ティツィアーノ、エルミタージュ美術館)|聖セバスティアヌス]]』などとともに<ref name="ReferenceNHK">NHK エルミタージュ美術館 2 ルネサンス・バロック・ロココ 1989年、92項。</ref>[[サンクトペテルブルク]]の[[エルミタージュ美術館]]に購入された<ref name="ReferenceHM" /><ref name="DE" /><ref name="ReferenceNHK" />。本作の複製が[[イギリス]]の個人コレクションと[[ウィーン]]の[[美術史美術館]]に所蔵されている。 == 作品 == この絵画がバルバリーゴ家の貴族によって購入された正確な年代はわかっていないが、ヴェネツィアの[[年代記]]の作者たちはみな、絵画が17世紀にはすでにそのギャラリーにあったと記している<ref name="DE" />。コシャン師は、1769年に本作の印象を以下のように述べている。「きわめて強い個性のキリスト半身像。色彩はさまざまなやわらかい色調を含む赤、明暗の調子は、明らかに、時代を経て黒ずんでしまっている」<ref name="DE" />。 ビザンチン美術の図像学に則り、[[イエス・キリスト]]の右手は祝福の印として挙げられ、左手には水晶球を載せている。原型となったビザンチン美術の威厳や力強さを残しつつも、ティツィアーノのキリストはきわめて人間的である<ref name="DE" />。 用いられている主な色彩は赤色と青色などに抑えられ、光り輝く顔には濃淡の変化の繊細なニュアンスが見られる。水晶玉の曇りのない透明性は、ごくわずかな精緻な筆致で表されている。[[美術史家]]の{{仮リンク|ジョヴァンニ・カヴァルカセッレ|en|Giovanni Battista Cavalcaselle}}は、「とくに宝珠を見れば、正真正銘の熟練の技が明らかだ―それは透明な素材で作られ、手が透けて見える (…)」と述べている<ref name="DE" />。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * 『大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年』、[[国立新美術館]]、[[日本テレビ放送網]]、[[読売新聞社]]、[[エルミタージュ美術館]]、2012年刊行 * [[五木寛之]]編著『NHK エルミタージュ美術館 2 ルネサンス・バロック・ロココ』、[[日本放送出版協会]]、1989年刊行 ISBN 4-14-008624-6 == 外部リンク == * [https://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/digital-collection/01.+Paintings/32188/ エルミタージュ美術館公式サイト、ティツィアーノ『祝福するキリスト』 (英語)] {{DEFAULTSORT:しゆくふくするきりすと}} {{ティツィアーノ・ヴェチェッリオ}} [[Category:エルミタージュ美術館所蔵の絵画]] [[Category:ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品]] [[Category:イエス・キリストを描いた絵画]] [[Category:1570年代の絵画]]
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四国霊場十三仏
四国霊場十三仏(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある十三仏に関する霊場。 四国霊場十三佛は四国八十八箇所の中の13か所の寺院を巡拝する霊場として設立された。
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四国霊場十三仏(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある十三仏に関する霊場。
'''四国霊場十三仏'''(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、[[徳島県]]・[[香川県]]・[[愛媛県]]・[[高知県]]にある[[十三仏]]に関する[[霊場]]。 == 概要 == 四国霊場十三佛は[[四国八十八箇所]]の中の13か所の寺院を巡拝する霊場として設立された<ref>{{cite web|url=https://www.eitikai.co.jp/13butureizyou.htm|title=四国霊場十三佛|publisher=詠智会|accessdate=2023-11-8}}</ref><ref>『[[角川日本地名大辞典]] 36 徳島県』([[1986年]] ISBN 4040013603)</ref>。 == 霊場一覧 == [[ファイル:Ryouzenji20210330 1.jpg|thumb|240px|right|[[霊山寺 (鳴門市)|霊山寺]]]] [[ファイル:Ookubozi 0ɨ.jpg|thumb|240px|right|[[大窪寺]]]] {| class="wikitable" !札所 !! 寺院 !! 山号 !! 宗派 !! 尊名 !! 所在地 |- !第一番 |[[霊山寺 (鳴門市)|霊山寺]]||竺和山||[[高野山真言宗]]||[[釈迦如来]]||[[徳島県]][[鳴門市]][[大麻町板東]]塚鼻 |- !第二番 |[[常楽寺 (徳島市)|常楽寺]]||盛寿山||高野山真言宗||[[弥勒菩薩]]||徳島県[[徳島市]][[国府町延命]]606番地 |- !第三番 |[[立江寺 (小松島市)|立江寺]]||橋池山||高野山真言宗||[[地蔵菩薩|延命地蔵菩薩]]||徳島県[[小松島市]][[立江町 (小松島市)|立江町]]若松13番地 |- !第四番 |[[最御崎寺]]||室戸山||[[真言宗豊山派]]||[[虚空蔵菩薩]]||[[高知県]][[室戸市]]室戸岬町4058-1 |- !第五番 |[[善楽寺]]||百々山||真言宗豊山派||[[阿弥陀如来]]||高知県[[高知市]]一宮しなね二丁目23番11号 |- !第六番  |[[竹林寺 (今治市)|竹林寺]]||五臺山||高野山真言宗||[[文殊菩薩]]||[[愛媛県]][[今治市]]古谷甲1249 |- !第七番 |[[岩屋寺 (愛媛県久万高原町)|岩屋寺]]||海岸山||真言宗豊山派||[[不動明王]]||[[愛媛県]][[上浮穴郡]][[久万高原町]]七鳥1468 |- !第八番 |[[浄土寺 (松山市)|浄土寺]]||西林山||真言宗豊山派||釈迦如来||[[愛媛県]][[松山市]]鷹子町1198 |- !第九番 |[[圓明寺]]||須賀山||[[真言宗智山派]]||[[阿弥陀如来]]||[[愛媛県]][[松山市]]和気町一丁目182番地 |- !第十番 |[[香園寺]]||栴檀山||[[真言宗]]単立||[[大日如来]]||[[愛媛県]][[西条市]]小松町南川甲19 |- !第十一番 |[[本山寺 (三豊市)|本山寺]]||七宝山||高野山真言宗||[[馬頭観音|馬頭観音菩薩]]||香川県[[三豊市]]豊中町本山甲1445番地 |- !第十二番 |[[讃岐国分寺]]||白牛山||[[真言宗御室派]]||[[千手観音]]||香川県[[高松市]]国分寺町国分字上所2065番地 |- !第十三番 |[[大窪寺]]|| 醫王山||真言宗単立||[[虚空蔵菩薩]]||香川県[[さぬき市]]多和兼割96番地 |} == 関連項目 == * [[十三仏]] * [[四国八十八箇所]] == 脚注 == <references /> {{デフォルトソート:しこくれいしようしゆうさんほとけ}} [[Category:四国八十八箇所|*]] [[Category:十三仏]] [[Category:徳島県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんほとけ]] [[Category:高知県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんほとけ]] [[Category:愛媛県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんほとけ]] [[Category:香川県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんほとけ]] [[Category:仏教の名数13]]
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倉田将志
倉田 将志(くらた まさし、1991年4月14日)は、日本の実業家、投資家。株式会社ウタイテの代表取締役社長。 1991年、広島県福山市生まれ。 広島大学附属福山高等学校を卒業。神戸大学経済学部を卒業後、2016年株式会社Alpaca(メディコマ)を共同創業。2017年、株式会社ベクトル(東証一部)へM&A。その後複数のM&Aを実施し、株式会社クラタHDを設立。2022年12月、株式会社ウタイテを設立し代表取締役就任。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "倉田 将志(くらた まさし、1991年4月14日)は、日本の実業家、投資家。株式会社ウタイテの代表取締役社長。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1991年、広島県福山市生まれ。 広島大学附属福山高等学校を卒業。神戸大学経済学部を卒業後、2016年株式会社Alpaca(メディコマ)を共同創業。2017年、株式会社ベクトル(東証一部)へM&A。その後複数のM&Aを実施し、株式会社クラタHDを設立。2022年12月、株式会社ウタイテを設立し代表取締役就任。", "title": "来歴・人物" } ]
倉田 将志は、日本の実業家、投資家。株式会社ウタイテの代表取締役社長。
{{存命人物の出典明記|date=2023-11}} '''倉田 将志'''(くらた まさし、[[1991年]][[4月14日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]、投資家。株式会社ウタイテの代表取締役社長。広島県福山市出身。 == 来歴・人物 == [[広島大学附属福山高等学校]]を経て、[[神戸大学大学院経済学研究科・経済学部|神戸大学経済学部]]を卒業後、2016年株式会社Alpaca(メディコマ)を共同創業した{{要出典|date=2023-11}}。 2017年、株式会社ベクトル(東証一部)へM&A<ref>[https://www.nikkei.com/nkd/company/article/?DisplayType=1&n_cid=DSMMAA13&ng=DGXMZO41288600U9A210C1000000&scode=4689&ba=1 変わる起業家の出口、上場よりM&Aがいい感じ] - 日本経済新聞</ref>。その後複数のM&Aを実施し、株式会社クラタHDを設立。 2022年12月、株式会社ウタイテを設立し代表取締役就任。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://utaite.co.jp/ 株式会社ウタイテ] {{Businessperson-stub}} {{DEFAULTSORT:くらた まさし}} [[Category:1991年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:神戸大学出身の人物]] [[Category:21世紀日本の実業家]]
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四国霊場十三佛
四国霊場十三佛(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある十三仏に関する霊場。 四国霊場十三佛は四国八十八箇所の中の13か所の寺院を巡拝する霊場として設立された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "四国霊場十三佛(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある十三仏に関する霊場。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "四国霊場十三佛は四国八十八箇所の中の13か所の寺院を巡拝する霊場として設立された。", "title": "概要" } ]
四国霊場十三佛(しこくれいじょうじゅうさんぼとけ)は、徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある十三仏に関する霊場。
'''四国霊場十三佛'''(しこくれいじょうじゅうさんぶつ)は、[[徳島県]]・[[香川県]]・[[愛媛県]]・[[高知県]]にある[[十三仏]]に関する[[霊場]]。 == 概要 == 四国霊場十三佛は[[四国八十八箇所]]の中の13か所の寺院を巡拝する霊場として設立された<ref>{{cite web|url=https://www.eitikai.co.jp/13butureizyou.htm|title=四国霊場十三佛|publisher=詠智会|accessdate=2023-11-8}}</ref><ref>『[[角川日本地名大辞典]] 36 徳島県』([[1986年]] ISBN 4040013603)</ref>。 == 霊場一覧 == [[ファイル:Ryouzenji20210330 1.jpg|thumb|240px|right|[[霊山寺 (鳴門市)|霊山寺]]]] [[ファイル:Ookubozi 0ɨ.jpg|thumb|240px|right|[[大窪寺]]]] {| class="wikitable" !札所 !! 寺院 !! 山号 !! 宗派 !! 尊名 !! 所在地 |- !第一番 |[[霊山寺 (鳴門市)|霊山寺]]||竺和山||[[高野山真言宗]]||[[釈迦如来]]||[[徳島県]][[鳴門市]][[大麻町板東]]塚鼻 |- !第二番 |[[常楽寺 (徳島市)|常楽寺]]||盛寿山||高野山真言宗||[[弥勒菩薩]]||徳島県[[徳島市]][[国府町延命]]606番地 |- !第三番 |[[立江寺 (小松島市)|立江寺]]||橋池山||高野山真言宗||[[地蔵菩薩|延命地蔵菩薩]]||徳島県[[小松島市]][[立江町 (小松島市)|立江町]]若松13番地 |- !第四番 |[[最御崎寺]]||室戸山||[[真言宗豊山派]]||[[虚空蔵菩薩]]||[[高知県]][[室戸市]]室戸岬町4058-1 |- !第五番 |[[善楽寺]]||百々山||真言宗豊山派||[[阿弥陀如来]]||高知県[[高知市]]一宮しなね二丁目23番11号 |- !第六番 |[[竹林寺 (今治市)|竹林寺]]||五臺山||高野山真言宗||[[文殊菩薩]]||[[愛媛県]][[今治市]]古谷甲1249 |- !第七番 |[[岩屋寺 (愛媛県久万高原町)|岩屋寺]]||海岸山||真言宗豊山派||[[不動明王]]||[[愛媛県]][[上浮穴郡]][[久万高原町]]七鳥1468 |- !第八番 |[[浄土寺 (松山市)|浄土寺]]||西林山||真言宗豊山派||釈迦如来||[[愛媛県]][[松山市]]鷹子町1198 |- !第九番 |[[圓明寺]]||須賀山||[[真言宗智山派]]||[[阿弥陀如来]]||[[愛媛県]][[松山市]]和気町一丁目182番地 |- !第十番 |[[香園寺]]||栴檀山||[[真言宗]]単立||[[大日如来]]||[[愛媛県]][[西条市]]小松町南川甲19 |- !第十一番 |[[本山寺 (三豊市)|本山寺]]||七宝山||高野山真言宗||[[馬頭観音|馬頭観音菩薩]]||香川県[[三豊市]]豊中町本山甲1445番地 |- !第十二番 |[[讃岐国分寺]]||白牛山||[[真言宗御室派]]||[[千手観音]]||香川県[[高松市]]国分寺町国分字上所2065番地 |- !第十三番 |[[大窪寺]]|| 醫王山||真言宗単立||[[虚空蔵菩薩]]||香川県[[さぬき市]]多和兼割96番地 |} == 関連項目 == * [[十三仏]] * [[四国八十八箇所]] == 脚注 == <references /> {{デフォルトソート:しこくれいしようしゆうさんふつ}} [[Category:四国八十八箇所|*]] [[Category:十三仏]] [[Category:徳島県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんふつ]] [[Category:高知県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんふつ]] [[Category:愛媛県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんふつ]] [[Category:香川県の寺|*しんしこくれいしようしゆうさんふつ]] [[Category:仏教の名数13]]
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大谷山16号墳
大谷山16号墳(おおたにやまじゅうろくごうふん)は、和歌山県和歌山市岩橋にある古墳。形状は円墳。岩橋千塚古墳群(国の特別史跡、うち大谷山地区)を構成する古墳の1つ。 和歌山県北西部、紀の川河口部の和歌山平野の岩橋山塊に営造された岩橋千塚古墳群のうち、北西の大谷山の北東に延びる支尾根の最高所(標高約76メートル)に築造された古墳である。1994年度(平成6年度)に確認調査が実施されている。 墳形は円形で、直径20メートル・高さ3.6メートルを測る。埋葬施設は後円部における両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。岩橋千塚古墳群に特徴的な岩橋型横穴式石室で、玄室には石棚・石梁を伴う。副葬品としては鉄製品・馬具・須恵器などが検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される。 埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築され、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り。 石室の石材は結晶片岩。玄室には石棚(1箇所2枚)・石梁3本を伴い、岩橋千塚古墳群で特徴的な岩橋型横穴式石室になる。玄室床面には玉石が敷き詰められ、玄室中央には排水溝1条が認められる。 確認調査では、辻金具・鉄製鋲金具・鞘口金具・鉄地金銅装金具・鉄製刀子・鉄鏃・鉄釘・円筒埴輪・須恵器器台・装飾付須恵器が検出されている。 (記事執筆に使用していない関連文献)
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大谷山16号墳(おおたにやまじゅうろくごうふん)は、和歌山県和歌山市岩橋にある古墳。形状は円墳。岩橋千塚古墳群(国の特別史跡、うち大谷山地区)を構成する古墳の1つ。
{{日本の古墳 |名称 = 大谷山16号墳 |画像 = [[File:Otaniyama Kofun Group-16, funkyu.jpg|280px]]<br/>墳丘・石室開口部 |別名 = |所属 = [[岩橋千塚古墳群]](大谷山地区) |所在地 = [[和歌山県]][[和歌山市]]岩橋 |緯度度 = 34|緯度分 = 13|緯度秒 = 43.78 |経度度 =135|経度分 = 13|経度秒 = 18.45 |ISO = JP-30 |形状 = [[円墳]] |規模 = 直径20m<br/>高さ3.6m |埋葬施設 = 両袖式[[横穴式石室]]<br/>(岩橋型、石棚・石梁付) |出土品 = 鉄製品・馬具・[[須恵器]] |陪塚 = |築造時期 = [[6世紀]]中葉 |被葬者 = |陵墓 = |史跡 = 国の[[特別史跡]]「岩橋千塚古墳群」に包含 |有形文化財 = |特記事項 = |地図 = Japan Wakayama |アイコン = 円墳 |ラベル = 大谷山<br/>16号墳 |ラベル位置 = bottom }} '''大谷山16号墳'''(おおたにやまじゅうろくごうふん)は、[[和歌山県]][[和歌山市]]岩橋にある[[古墳]]。形状は[[円墳]]。[[岩橋千塚古墳群]](国の[[特別史跡]]、うち大谷山地区)を構成する古墳の1つ。 == 概要 == 和歌山県北西部、[[紀の川]]河口部の[[和歌山平野]]の岩橋山塊に営造された[[岩橋千塚古墳群]]のうち、北西の大谷山の北東に延びる支尾根の最高所(標高約76メートル)に築造された古墳である{{Sfn|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}。[[1994年]]度([[平成]]6年度)に確認調査が実施されている{{Sfn|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}。 墳形は円形で、直径20メートル・高さ3.6メートルを測る。埋葬施設は後円部における両袖式の[[横穴式石室]]で、南東方向に開口する。岩橋千塚古墳群に特徴的な岩橋型横穴式石室で、玄室には石棚・石梁を伴う。副葬品としては鉄製品・馬具・[[須恵器]]などが検出されている。築造時期は[[古墳時代]]後期の[[6世紀]]中葉頃と推定される<ref>[https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/iwase_tomb/kofun/021%20otaniyama_16/otaniyama_16.htm 大谷山16号墳](和歌山県立紀伊風土記の丘)。</ref>。 == 埋葬施設 == [[File:Otaniyama Kofun Group-16, 3D-P.jpg|thumb|300px|right|{{center|石室パース図}}]] [[File:Otaniyama Kofun Group-16, 3D-N.jpg|thumb|250px|right|{{center|石室展開図}}]] 埋葬施設としては両袖式[[横穴式石室]]が構築され、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り{{Sfn|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}。 * 石室全長:7.61メートル * 玄室:長さ3.56メートル、幅2.60メートル、高さ3.62メートル * 玄室前道(通廊):長さ1.30メートル、幅1.31メートル、高さ1.48メートル * 羨道:長さ2.75メートル、幅1.40メートル 石室の石材は[[結晶片岩]]。玄室には石棚(1箇所2枚)・石梁3本を伴い、岩橋千塚古墳群で特徴的な岩橋型横穴式石室になる。玄室床面には玉石が敷き詰められ、玄室中央には排水溝1条が認められる{{Sfn|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}。 確認調査では、辻金具・鉄製鋲金具・鞘口金具・鉄地金銅装金具・鉄製刀子・鉄鏃・鉄釘・円筒埴輪・須恵器器台・装飾付須恵器が検出されている{{Sfn|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}。 <gallery> Otaniyama Kofun Group-16, 3D-B.jpg|石室俯瞰図 Otaniyama Kofun Group-16, genshitsu-1.jpg|玄室(奥壁方向) Otaniyama Kofun Group-16, genshitsu-2.jpg|玄室(奥壁方向) Otaniyama Kofun Group-16, genshitsu-3.jpg|玄室(開口部方向) Otaniyama Kofun Group-16, genshitsu-4.jpg|玄室(開口部方向) Otaniyama Kofun Group-16, sendou-2.jpg|羨道(開口部方向) Otaniyama Kofun Group-16, sendou-1.jpg|羨道(玄室方向) Otaniyama Kofun Group-16, entrance.jpg|開口部 </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == {{small|(記事執筆に使用した文献)}} * {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2004|chapter=岩橋千塚古墳群の調査|title=和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|publisher=和歌山県教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|和歌山県埋蔵文化財調査年報 平成14年度|2004}}}} == 関連文献 == {{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}} * {{Cite book|和書|editor=|author=丹野拓・米田文孝|year=2018|chapter=|title=紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群(シリーズ「遺跡を学ぶ」126)|publisher=新泉社|isbn=9784787718365|ref=}} == 外部リンク== * {{国指定文化財等データベース|401|2070|岩橋千塚古墳群}} * [https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/iwase_tomb/kofun/021%20otaniyama_16/otaniyama_16.htm 大谷山16号墳] - 和歌山県立紀伊風土記の丘 {{デフォルトソート:おおたにやましゆうろくこうふん}} [[Category:岩橋千塚古墳群]] [[Category:和歌山県の古墳]] [[Category:和歌山市の歴史]] [[Category:円墳]] [[Category:和歌山県にある国指定の史跡]]
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アニータ・ガリバルディ
アニータ・ガリバルディ(Anita Garibaldi、1821年8月30日-1849年8月4日)は、イタリア統一運動の英雄となった革命家。夫は、イタリア統一運動を推進した革命家のジュゼッペ・ガリバルディ。ブラジル出身。 ブラジル南部の町、ラグナの近くの貧しい農民 ベント・リベロの娘に生まれた。リベロ家は大西洋の島、アゾレス諸島から移住してきた家系で、父親は牧畜業を営んでいた。アニータの家庭環境は貧しく厳しかったがアニータは意志が強く、馬を操るのが得意だった。アニータの意志の強さには母が手を焼いていた。。 父親と3人の姉妹が相次いで亡くなり、母親たっての願いにより15歳の時に14歳年上の靴屋に嫁いだ。夫は酒飲みで、結婚して3年後も子供はおらず、夫は家を空けがちであったためアニータは実家に帰っていた。 1839年、後に夫となるガリバルディと出会った。この時、ガリバルディはファラポース戦争の反乱軍に加わっていた。ガリバルディに惹かれたアニータはガリバルディの船に乗ったことをきっかけに運命を共にする。この後からアニータはガリバルディと共に戦った。 1840年にクリチバノスの戦いでは捕虜となったアニータは馬で逃走したが、馬が射殺されてしまった。そのためアニータはカノアス川に飛び込み、4日間森でさまよった。最終的にはガリバルディと再会した。 アニータは妊娠中も戦場へ出ていた。妊娠8か月の時には騎兵隊を率いていた。 1840年9月16日、長男を出産した。 1841年、ガリバルディがウルグアイのモンテビデオに移り住んだ。その地で2人は翌1842年に結婚した。 アニータは、その地で3人の子どもを出産した。 1842年から5年間、ガリバルディはウルグアイとアルゼンチンの戦争に参戦した。アニータは、戦争のあおりで皮革の輸出が止まり、ブエノスアイレスの屠畜場で働く労働者用の赤い布が余っていたのを安く購入し、それを使ってガリバルディたちイタリア人義勇軍に赤シャツを作った。以来、赤シャツはガリバルディの代名詞となった。しかし、5年のうちに娘が病死するなどの不幸もあった。 1847年、ガリバルディが率いてくるはずの部隊の受け入れを準備するために、アニータは3人の子供を連れてイタリアに渡った。翌1848年、ガリバルディと再会した。その後ガリバルディは、イタリア各地で義勇兵を率いて戦い、一時はローマを占拠した。 1849年、シチリアにいた教皇ピウス9世がローマの奪回の呼びかけると、ローマのガリバルディは、呼びかけに応じてやってきたフランス軍の猛攻を受けた。フランス軍によるローマ包囲は一か月間続き、これ以上持ちこたえられない状況の中、アニータはひとり敗色濃いローマにやってきた。当時、5人目の子供を妊娠し腸チフスに罹患しており、病気と疲労で憔悴しきっていた。7月2日にローマは陥落し、ガリバルディは、オーストリア軍などに追われながらも、アニータを抱えてヴェネチアへ退却しようとした。 退却中の1849年8月4日、ラヴェンナまで来たところでアニータは力尽き、ガリバルディの腕の中で息を引き取った。27歳だった。アニータの遺体は埋葬する時間がなく、かろうじて砂をかけただけだったため、遊んでいた子供が砂から突き出ていた手を見つけたという話が残っている。彼女の遺体は、現在、ローマを見下ろすジャニクルミの丘に埋葬されている。
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アニータ・ガリバルディは、イタリア統一運動の英雄となった革命家。夫は、イタリア統一運動を推進した革命家のジュゼッペ・ガリバルディ。ブラジル出身。
{{Infobox 軍人 | name = アニータ・ガリバルディ | image = Anita Garibaldi - 1839.jpg | caption = Anita in 1845 | birth_name = アナ・マリア・デ・ジェスース・リベイロ | birth_date = {{Birth date|1821|8|30|mf=yes}} | birth_place = ラグナ,[[ サンタカタリーナ州]] [[ブラジル]] | death_date = {{Death date and age|1849|8|4|1821|8|30|df=yes}} | death_place = [[ラヴェンナ]], [[教皇領]] | placeofburial = [[ジャニコロ]], [[ローマ]], [[イタリア]] | spouse = [[ジュゼッペ・ガリバルディ]] | battles =ラガマフィン戦争<br>[[ウルグアイ内戦]]<br>[[イタリア統一運動]] | allegiance = {{flagi|Flag of República Juliana (1839).svg|size=20px}} ジュリアナ共和国<br>{{flagi|Flag of the Roman Republic (19th century).svg|size=20px}} [[ローマ共和国(19世紀)]] }} '''アニータ・ガリバルディ'''(Anita Garibaldi、[[1821年]][[8月30日]]-[[1849年]][[8月4日]])は、[[イタリア統一運動]]の英雄となった[[革命家]]<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=女たちのラテンアメリカ下巻 |date=2022年5月1日 |publisher=五月書房新書 |pages=30-32 |author=伊藤慈子|isbn=978-4909542397}}</ref>。夫は、イタリア統一運動を推進した革命家の[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]<ref name=":0" />。[[ブラジル]]出身<ref name=":0" />。 == 生涯 == === 生い立ち === ブラジル南部の町、ラグナの近くの貧しい農民 ベント・リベロの娘に生まれた。リベロ家は大西洋の島、[[アゾレス諸島]]から移住してきた家系で、父親は牧畜業を営んでいた。アニータの家庭環境は貧しく厳しかったがアニータは意志が強く、馬を操るのが得意だった。アニータの意志の強さには母が手を焼いていた。<ref name=":0" />。 [[File:Anita Garibaldi 1849.jpg|thumb|left|アニータガリバルディの肖像画]] === 最初の結婚 === 父親と3人の姉妹が相次いで亡くなり、母親たっての願いにより15歳の時に14歳年上の靴屋に嫁いだ。夫は酒飲みで、結婚して3年後も子供はおらず、夫は家を空けがちであったためアニータは実家に帰っていた<ref name=":0" />。 === ガリバルディと出会いと結婚 === 1839年、後に夫となるガリバルディと出会った。この時、ガリバルディはファラポース戦争の反乱軍に加わっていた。ガリバルディに惹かれたアニータはガリバルディの船に乗ったことをきっかけに運命を共にする。この後からアニータはガリバルディと共に戦った<ref name=":1">{{Cite book|和書 |title=世界は女性が変えてきた |date=2020年9月16日 |publisher=東京書籍 |pages=12-13 |author=ケイト・ホッジス|isbn=978-4487813544}}</ref>。 1840年にクリチバノスの戦いでは捕虜となったアニータは馬で逃走したが、馬が射殺されてしまった。そのためアニータは[[カノアス|カノアス川]]に飛び込み、4日間森でさまよった。最終的にはガリバルディと再会した<ref name=":1" />。 アニータは妊娠中も戦場へ出ていた。妊娠8か月の時には騎兵隊を率いていた<ref name=":1" />。 1840年9月16日、長男を出産した<ref name=":0" />。 1841年、ガリバルディが[[ウルグアイ]]の[[モンテビデオ]]に移り住んだ。その地で2人は翌1842年に結婚した<ref name=":1" />。 アニータは、その地で3人の子どもを出産した<ref name=":2">{{Cite book|和書 |title=世界各国女傑列伝 全独立国から代表的な女性を一人ずつ紹介 |date=2011年10月1日 |year= |publisher=社会評論社 |pages=142-144 |author=山田昌弘|isbn=978-4784509676}}</ref>。 === 結婚後 === 1842年から5年間、ガリバルディはウルグアイと[[アルゼンチン]]の戦争に参戦した<ref name=":0" />。アニータは、戦争のあおりで皮革の輸出が止まり、ブエノスアイレスの屠畜場で働く労働者用の赤い布が余っていたのを安く購入し、それを使ってガリバルディたちイタリア人義勇軍に赤シャツを作った<ref name=":0" />。以来、[[赤シャツ隊|赤シャツ]]はガリバルディの代名詞となった<ref name=":0" /><ref name=":1" />。しかし、5年のうちに娘が病死するなどの不幸もあった<ref name=":2" />。 1847年、ガリバルディが率いてくるはずの部隊の受け入れを準備するために、アニータは3人の子供を連れて[[イタリア]]に渡った。翌1848年、ガリバルディと再会した。その後ガリバルディは、イタリア各地で[[義勇兵]]を率いて戦い、一時は[[ローマ]]を占拠した<ref name=":0" />。 1849年、シチリアにいた教皇[[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]がローマの奪回の呼びかけると、ローマのガリバルディは、呼びかけに応じてやってきたフランス軍の猛攻を受けた。フランス軍によるローマ包囲は一か月間続き、これ以上持ちこたえられない状況の中、アニータはひとり敗色濃いローマにやってきた。当時、5人目の子供を妊娠し[[腸チフス]]に罹患しており、病気と疲労で憔悴しきっていた。7月2日にローマは陥落し、ガリバルディは、オーストリア軍などに追われながらも、アニータを抱えて[[ヴェネツィア|ヴェネチア]]へ退却しようとした<ref name=":0" />。 退却中の1849年8月4日、[[ラヴェンナ]]まで来たところでアニータは力尽き、ガリバルディの腕の中で息を引き取った。27歳だった。アニータの遺体は埋葬する時間がなく、かろうじて砂をかけただけだったため、遊んでいた子供が砂から突き出ていた手を見つけたという話が残っている<ref name=":0" />。彼女の遺体は、現在、ローマを見下ろすジャニクルミの丘に埋葬されている<ref name=":2" />。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:かりはるてい あにいた}} [[Category:1821年生]] [[Category:1849年没]] [[Category:イタリア統一運動の人物]] [[Category:ブラジル出身の人物]] [[Category:サンタカタリーナ州出身の人物]] [[Category:19世紀ブラジルの人物]] [[Category:19世紀イタリアの女性]] [[Category:移民]] [[Category:イタリア戦争の人物]] [[Category:ウルグアイ内戦]] [[Category:女性革命家]]
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三田庸子
三田庸子(みた つねこ、明治37年〈1904年〉2月1日‐ 平成元年〈1989年〉4月21日)は、日本ではじめて女性刑務所長を務め、女性服役者の待遇改善と更生に取り組んだ。 1904年(明治37年)に神奈川県横浜市で生まれた。父はいくつかの地方裁判所長を歴任していた。母はアメリカ育ちであり、姉や兄に英語を教えていたが病弱で、物心ついたころには床についていたため、庸子はあまり教えてはもらえなかった。兄弟は兄と二人の姉、弟の五人兄弟であった。父の転勤によりたびたび居を変えていた。 1920年に熊谷高等女学校を卒業すると、父の強い意志で、日本女子大学校(現、日本女子大学)家政学科へ入学した。入学後は暁星寮に入寮し、日本女子大学校の教授であり寮監のミス・フィリップ(1872-1965)からキリスト教の信仰を学び、聖公会で洗礼を受けた。在学中、国文学科に入りたいと思っていた庸子は、武島羽衣の講義を聴き、社会への関心が深まると、綿貫哲雄の社会学を聴講していた。 1924年に日本女子大学校を卒業すると、東京市児童保護課に就職し、半年後には東京市児童給食事業に従事した。しかし、2年後(1926年)に22歳で官史の夫と結婚するため、退職し家庭に入った。結婚後は各地を転勤して回っていたが、25歳で夫と死別した。その後、聖ヒルダ揺光ホーム孤児院の副舎監に就任し、孤児に聖書、修身、国語などを教えた。一年後、聖ヒルダ揺光ホーム孤児院の副舎監を辞職し、香蘭女学校の舎監に就任した。朝日新聞の記者と再婚し、一男一女をもうける。長男は脳性まひであった。その後1945年の戦時中、肺炎の夫と子を連れて千葉に疎開していたが十分な栄養が取れなかったこともあり、夫は病死する。 1946年、女子刑務所の所長は女性がすべきだという、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の強い意向から庸子は42歳で和歌山女子刑務所所長に就任した。日本初の女刑務所長である。庸子は女囚と接し、生活する女囚らに人間らしく暮らしてもらうため様々な改善を試みた。 1.食事 自ら囚人の食事を口にし、カロリー計算を行い献立に気をつかった。 2.服装 囚人の赤く汚い囚衣を縞の着物にした。 3.出産 所内で出産するのは子の将来によくない影響を与えるとし、所の外で出産させた。 4.矯正作業 美容工をはじめとした職業に結び付く作業を行わせた。 また、刑務所の門に掲げてあった「和歌山刑務所」という看板をはずし、「○○寮」というものに変え、「女子刑務所前」というバス停の名前も「四ヶ郷」と変更し、誰もが出入りしやすい環境を整えた。 多くの囚人に感謝された反面、誤解されたこともある。 庸子に虐待されたと錯覚した女性が復讐をたくらみ、庸子の自宅に押し入り出刃包丁で刺すという事件がおきたのである。 1959年、庸子は13年在籍した和歌山刑務所から東京婦人補導院に55歳で転任し、同時に府中刑務所勤務も併任した。 晩年は入退院を繰り返し、1989年(平成1年)4月21日に八王子市の病院で85歳で死去した(出典:朝日新聞の記事)。 *『女囚とともに (朝日文化手帖) 』朝日新聞社、1955 *『婦人と犯罪: 女子受刑者の實態を中心として』日本評論社, 1950.12 *『性の闘い: 囚衣を剥いだ女たち』青春出版社、1970 *『女囚とともに: 伝記・三田庸子』大空社、1990.4
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三田庸子は、日本ではじめて女性刑務所長を務め、女性服役者の待遇改善と更生に取り組んだ。
{{Infobox 人物 |氏名=三田 庸子 |ふりがな=みた つねこ |生年月日={{生年月日|1904|2|1}} |生誕地=[[神奈川県]][[横浜市]] |没年月日={{死亡年月日と没年齢|1904|2|1|1989|4|21}} |死没地= [[東京都]][[八王子市]] |国籍={{JPN}} |著名な実績= 日本で初めての女性刑務所長 |代表作= 『女囚とともに』 }} '''三田 庸子'''(みた つねこ、[[明治|明治37年]]〈[[1904年]]〉[[2月1日]]‐ [[平成|平成元年]]〈[[1989年]]〉[[4月21日]]<ref name=":5" />)は、日本ではじめて女性刑務所長を務め、女性服役者の待遇改善と更生に取り組んだ<ref name=":5">{{Cite book|和書 |title=日本人名大辞典 |publisher=講談社}}</ref>。 == 経歴 == === 生い立ち === 1904年(明治37年)に[[神奈川 (横浜市)|神奈川県横浜市]]で生まれた<ref name=":1">{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985年6月11日 |publisher=ドメス出版 |editor=五味百合子 |pages= |page=151}}</ref>。父はいくつかの地方裁判所長を歴任していた<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=伝記叢書 80 女囚とともに |date=1990年4月22日 |publisher=大空社 |author=三田庸子 |pages=解説1-5}}</ref>。母はアメリカ育ちであり、姉や兄に英語を教えていたが病弱で、物心ついたころには床についていたため、庸子はあまり教えてはもらえなかった<ref name=":1" />。兄弟は兄と2人の姉、弟の5人兄弟であった<ref name=":1" />。父の転勤によりたびたび居を変えていた<ref name=":0" />。 ==== 学生時代 ==== 1920年に熊谷高等女学校を卒業すると、父の強い意志で、日本女子大学校(現、[[日本女子大学]])家政学科へ入学した<ref name=":1" />。入学後は暁星寮に入寮し、日本女子大学校の教授であり寮監のミス・フィリップ(1872-1965)から[[キリスト教]]の信仰を学び、聖公会で洗礼を受けた<ref name=":2">{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985-06-11 |publisher=ドメス出版 |page=152 |author=五味百合子}}</ref>。在学中、国文学科に入りたいと思っていた庸子は、[[武島羽衣]]の講義を聴き、社会への関心が深まると、綿貫哲雄の社会学を聴講していた<ref name=":2" />。 ==== 卒業後の仕事と結婚 ==== 1924年に日本女子大学校を卒業すると、東京市児童保護課に就職し、半年後には東京市児童給食事業に従事した<ref name=":3">{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985-06-11 |publisher=ドメス出版 |page=153 |author=五味百合子}}</ref>。しかし、2年後(1926年)に22歳で官史の夫と結婚するため、退職し家庭に入った<ref name=":0" />。結婚後は各地を転勤して回っていたが、25歳で夫と死別した<ref name=":0" />。その後、聖ヒルダ揺光ホーム孤児院の副舎監に就任し、孤児に聖書、修身、国語などを教えた<ref name=":0" />。一年後、聖ヒルダ揺光ホーム孤児院の副舎監を辞職し、香蘭女学校の舎監に就任した<ref name=":0" />。朝日新聞の記者と再婚し、1男1女をもうける<ref name=":0" />。長男は脳性まひであった<ref name=":3" />。その後1945年の戦時中、[[結核|肺炎]]の夫と子を連れて[[千葉県|千葉]]に疎開していたが十分な栄養が取れなかったこともあり、夫は病死する。<ref name=":0" /> ==== 女性刑務所長としての活動 ==== 1946年、女子刑務所の所長は女性がすべきだという、[[連合国軍最高司令官総司令部]]([[GHQ]])の強い意向から庸子は42歳で和歌山女子刑務所所長に就任した<ref>{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985-06-11 |publisher=ドメス出版 |page=154 |author=五味百合子}}</ref>。日本初の女刑務所長である<ref>{{Cite news|和書 |title=初の女刑務所長 |newspaper=朝日新聞 |date=1946-03-27 |edition=朝刊}}</ref>。庸子は女性服役者と接し、生活する女性服役者らに人間らしく暮らしてもらうため様々な改善を試みた<ref name=":0" />。 # 食事 - 自ら女性服役者の食事を口にし、カロリー計算を行い献立に気をつかった。 # 服装 - 女性服役者の赤く汚い囚衣を縞の着物にした。 # 出産 - 所内で出産するのは子の将来によくない影響を与えるとし、所の外で出産させた。 # 矯正作業 - 美容工をはじめとした職業に結び付く作業を行わせた。 また、刑務所の門に掲げてあった「和歌山刑務所」という看板をはずし、「○○寮」というものに変え、「女子刑務所前」というバス停の名前も「四ヶ郷」と変更し、誰もが出入りしやすい環境を整えた<ref>{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985-06-11 |publisher=ドメス出版 |page=156 |author=五味百合子}}</ref>。 多くの女性服役者に感謝された反面、誤解されたこともある<ref name=":4">{{Cite book|和書 |title=続々 社会事業に生きた女性たちーその生涯としごと |date=1985-06-11 |publisher=ドメス出版 |page=157 |author=五味百合子}}</ref>。 庸子に虐待されたと錯覚した元女性服役者が復讐をたくらみ、庸子の自宅に押し入り出刃包丁で刺すという事件がおきたのである<ref name=":4" />。 ==== 東京婦人補導院の院長としての活動 ==== 1959年、庸子は13年在籍した[[和歌山刑務所]]から東京婦人補導院に55歳で転任し、同時に府中刑務所勤務も併任した<ref name=":0" />。 ==== 晩年 ==== 晩年は入退院を繰り返し、1989年(平成元年)4月21日に[[八王子市]]の病院で85歳で死去した<ref>{{Cite news|和書 |title=三田庸子さん死去 |newspaper=朝日新聞 |date=1989-04-22 |edition=朝刊}}</ref>。 == 主な著作 == * 『女囚とともに (朝日文化手帖) 』朝日新聞社、1955   * 『婦人と犯罪: 女子受刑者の實態を中心として』日本評論社, 1950.12 * 『性の闘い: 囚衣を剥いだ女たち』青春出版社、1970 * 『女囚とともに: 伝記・三田庸子』大空社、1990.4 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:みた つねこ}} [[Category:日本女子大学出身の人物]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:1904年生]] [[Category:1989年没]]
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DOME LIVE 2023 "Atlantis"
『DOME LIVE 2023 "Atlantis"』(ドーム・ライブ ニセンニジュウサン "アトランティス")は、日本のロックバンド・Mrs. GREEN APPLEが2023年8月12日・13日にベルーナドームにて開催したドームライブ、および2024年1月12日にユニバーサルミュージック内のレーベル・EMI Recordsより発売される6作目の映像作品。 2023年4月5日、Zepp DiverCityにて開催された対バンライブ「Mrs. TAIBAN LIVE」ファイナル公演にて、本公演の開催が発表され、ティーザー映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、特設サイトも公開された。7月5日には、キービジュアルが公開され、それに伴い、特設サイトのデザインもリニューアルされた。 バンド初となるドームライブとなった本公演は、バンド結成10周年を記念した企画「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」の一環として開催され、チケットは両日完売し、計7万人を動員した。 本公演中、ファンクラブツアー「Mrs. GREEN APPLE 2023-2024 FC TOUR "The White Lounge"」が開催されることが発表された。また、本公演の続編となる「BABEL no TOH」の制作決定を発表した。 公演のタイトルに冠された「アトランティス」は、9000年前に海中に没したと言われている伝説上の帝国であり、本公演は、「神殿が海底に沈む前の一番栄えていた時の祝典」というコンセプトが掲げられ、100トンもの水を使った演出も取り入れられた。メインステージには、神殿が建てられ、会場中央には十字の花道と円形のセンターステージが用意された。また、会場では、楽曲にちなんだフードメニュー「CHEERS ソーダ」「サママ・かき氷」が販売された。 9月7日、「ANTENNA」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され、9月14日には、「Magic」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。10月29日には、本公演の模様が、WOWOWにてノーカットで放送された。 2023年11月6日、本公演を完全収録した映像作品が2024年1月12日にリリースされることが発表された。また同日、同年7月から8月にかけて開催されたアリーナツアー「ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"」の模様を収録した映像作品、そしてその2作品を同梱したボックスセットの発売も発表され、本作のティーザー映像が公式YouTubeチャンネルに公開された。 本作は、通常盤と「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」の全2形態でリリースされる。「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」は、LPサイズの大型ボックス仕様で、各公演のステージセットを再現したアクリルジオラマキットやレプリカスタッフパス、40ページにわたるライブフォトブックが同梱される。また、両形態共通で、公演映像に加え、ドキュメンタリー映像「Documentary -- Episode 5 "Atlantis"」が収録される。 また、本作は、チェーン別の購入特典も用意される。 本編 Encore 特典映像 サポートメンバー
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『DOME LIVE 2023 "Atlantis"』は、日本のロックバンド・Mrs. GREEN APPLEが2023年8月12日・13日にベルーナドームにて開催したドームライブ、および2024年1月12日にユニバーサルミュージック内のレーベル・EMI Recordsより発売される6作目の映像作品。
{{出典の明記|date=2023年11月8日 (水) 17:18 (UTC)|ソートキー=音とおむらいふ2023あとらんていす}} {{Infobox Album | Name = DOME LIVE 2023 "Atlantis" | Type = ライブ・ビデオ | Artist = [[Mrs. GREEN APPLE]] | Released = [[2024年]][[1月12日]] | Recorded = [[2023年]][[8月13日]]・[[ベルーナドーム]] | Genre = [[J-POP]]<br/>[[オルタナティヴ・ロック]]<br/>[[ギターポップ]]<br/>[[ポップ・ロック]]<br/>[[ハードロック]] | Label = [[ユニバーサルミュージック (日本)#EMI Records(イー・エム・アイ・レコード)|EMI Records]] | Last album = [[ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"]]<br/>([[2024年]]) | This album = '''DOME LIVE 2023 "Atlantis"'''<br/>(2024年) | Next album = - }} {{external media | align = right | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=IiNg5_O7W8o&t=53s Blu-ray/DVD『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE" & DOME LIVE 2023 "Atlantis"』Teaser] | video2 = [https://www.youtube.com/watch?v=Gda6stGu5QE 『ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE" & DOME LIVE 2023 "Atlantis"』Official Trailer] | video3 = [https://www.youtube.com/watch?v=ErgtRhkFgzs ATLANTIS Ending Movie ~ To BABEL no TOH ~] | video4 = [https://www.youtube.com/watch?v=aOMD7u0eWS8 「ANTENNA」LIVE "Atlantis" on WOWOW]|video5=[https://www.youtube.com/watch?v=cBGzxjmRhTU 「Magic」LIVE "Atlantis" on WOWOW] }} 『'''DOME LIVE 2023 "Atlantis"'''』(ドーム・ライブ ニセンニジュウサン "アトランティス")は、[[日本]]の[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]・[[Mrs. GREEN APPLE]]が[[2023年]][[8月12日]]・[[8月13日|13日]]に[[西武ドーム|ベルーナドーム]]にて開催した[[ドーム球場|ドーム]]ライブ、および[[2024年]][[1月12日]]に[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]内の[[レコードレーベル|レーベル]]・[[ユニバーサルミュージック (日本)#EMI Records(イー・エム・アイ・レコード)|EMI Records]]より発売される6作目の映像作品。 == 概要 == [[2023年]][[4月5日]]、[[Zepp#施設一覧|Zepp DiverCity]]にて開催された[[対バン]]ライブ「Mrs. TAIBAN LIVE」ファイナル公演にて、本公演の開催が発表され<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE、バンド史上初のドームライブ『Atlantis』が開催決定!ティザーも公開 |url=https://www.thefirsttimes.jp/news/0000265160/ |website=THE FIRST TIMES |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>、[[ティーザー予告|ティーザー映像]]が公式[[YouTube]]チャンネルに公開され、特設サイトも公開された<ref name=":1">{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE DOME LIVE 2023 “Atlantis" |url=https://mrsgreenapple.com/pages/dome2023 |website=Mrs. GREEN APPLE official site |date=2023-09-05 |access-date=2023-11-08}}</ref>。[[7月5日]]には、キービジュアルが公開され、それに伴い、特設サイトのデザインもリニューアルされた<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE DOME LIVE 2023 "Atlantis" キービジュアル公開 & 特設サイトリニューアル! |url=https://mrsgreenapple.com/contents/654100 |website=Mrs. GREEN APPLE official site |access-date=2023-11-08}}</ref>。 バンド初となる[[ドーム球場|ドーム]]ライブとなった本公演は、バンド結成10周年を記念した企画「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」の一環として開催され<ref>{{Cite web |title=「Mrs. GREEN APPLE 10th Anniversary Celebration」特設サイト |url=https://sp.universal-music.co.jp/mrsgreenapple/10thanniversarycelebration/ |website=sp.universal-music.co.jp |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>、チケットは両日完売し、計7万人を動員した<ref>{{Cite web |title=ミセス、初ドームライブ“Atlantis”計7万人を動員 ライブ「BABEL no TOH」制作決定を発表 | MusicVoice |url=https://nordot.app/1063458255848259973 |website=MusicVoice |date=2023-08-13 |access-date=2023-11-08 |language=ja-JP |last=MusicVoice}}</ref>。 本公演中、ファンクラブツアー「Mrs. GREEN APPLE 2023-2024 FC TOUR "The White Lounge"」が開催されることが発表された<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLEが12会場めぐるファンクラブツアー開催、「Atlantis」の続編ライブも発表(動画あり / ライブフォト含む写真9枚) |url=https://natalie.mu/music/news/536761 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。また、本公演の続編となる「BABEL no TOH」の制作決定を発表した<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE、初ドーム・ライヴ"Atlantis"の続編となるライヴ"BABEL no TOH"制作決定 |url=https://skream.jp/news/2023/08/mrs_green_apple_babel_no_toh.php |website=Skream! 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト |access-date=2023-11-08 |first=Skream! Editorial |last=Department}}</ref>。 公演のタイトルに冠された「[[アトランティス]]」は、9000年前に海中に没したと言われている伝説上の帝国であり<ref>{{Cite web |title=【ライブレポート】Mrs. GREEN APPLEが初のドームライブで計7万人動員 伝説の帝国アトランティスへ(写真17枚) |url=https://natalie.mu/music/news/537255 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>、本公演は、「[[神殿]]が海底に沈む前の一番栄えていた時の祝典」というコンセプトが掲げられ、100[[トン]]もの水を使った演出も取り入れられた<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLEは愛の歌で世界を照らし続ける 歩んできた道のりと未来を祝福した初のドーム公演『Atlantis』 |url=https://realsound.jp/2023/08/post-1409887.html |website=Real Sound|リアルサウンド |date=2023-08-22 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。メインステージには、神殿が建てられ、会場中央には[[十字]]の[[花道]]と円形のセンターステージが用意された。また、会場では、楽曲にちなんだフードメニュー「[[Attitude (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|CHEERS]] ソーダ」「[[サママ・フェスティバル!|サママ]]・かき氷」が販売された<ref name=":1" />。 [[9月7日]]、「ANTENNA」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開され<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – ANTENNA 【LIVE “Atlantis” on WOWOW】|url=https://www.youtube.com/watch?v=aOMD7u0eWS8|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>、[[9月14日]]には、「[[Magic (Mrs. GREEN APPLEの曲)|Magic]]」の公演映像が公式YouTubeチャンネルに公開された<ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE – Magic 【LIVE “Atlantis” on WOWOW】|url=https://www.youtube.com/watch?v=cBGzxjmRhTU|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>。[[10月29日]]には、本公演の模様が、[[WOWOW]]にてノーカットで放送された<ref>{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE、8/12-13開催のバンド史上初ドーム・ライヴ"Atlantis"をWOWOWにて独占放送&配信決定 |url=https://skream.jp/news/2023/08/mrs_green_apple_atlantis_wowow.php |website=Skream! 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト |access-date=2023-11-08 |first=Skream! Editorial |last=Department}}</ref>。 == リリース == [[2023年]][[11月6日]]、本公演を完全収録した映像作品が[[2024年]][[1月12日]]にリリースされることが発表された。また同日、同年[[7月]]から[[8月]]にかけて開催されたアリーナツアー「[[ARENA TOUR 2023 "NOAH no HAKOBUNE"]]」の模様を収録した映像作品、そしてその2作品を同梱したボックスセットの発売も発表され、本作の[[ティーザー予告|ティーザー映像]]が公式[[YouTube]]チャンネルに公開された<ref name=":0">{{Cite web |title=Mrs. GREEN APPLE結成10周年の夏を凝縮、ライブ映像2作品同時リリース決定(動画あり) |url=https://natalie.mu/music/news/548092 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-11-08 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref><ref>{{Citation|title=Mrs. GREEN APPLE - Blu-ray/DVD『ARENA TOUR 2023 “NOAH no HAKOBUNE” & DOME LIVE 2023 “Atlantis”』Teaser|url=https://www.youtube.com/watch?v=IiNg5_O7W8o|language=ja-JP|access-date=2023-11-08}}</ref>。 本作は、通常盤と「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」の全2形態でリリースされる。「完全生産限定 SPECIAL COMPLETE BOX」は、[[レコード|LP]]サイズの大型ボックス仕様で、各公演のステージセットを再現した[[アクリル樹脂|アクリル]][[ジオラマ]]キットやレプリカスタッフパス、40ページにわたるライブフォトブックが同梱される<ref name=":0" />。また、両形態共通で、公演映像に加え、ドキュメンタリー映像「Documentary -- Episode 5 "Atlantis"」が収録される。 {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" |+リリース !商品形態 !規格 !規格品番 !備考 |- | rowspan="2" |'''通常盤''' |[[Blu-ray Disc|Blu-ray]] |UPXH-20133 | rowspan="2" | - |- |2[[DVD]] |UPBH-20317/8 |- | rowspan="2" |'''完全生産限定'''<br/>'''SPECIAL COMPLETE BOX''' |2Blu-ray+GOODS |UPXH-29063 | rowspan="2" |{{Hidden|GOODS|* アクリルジオラマキット(NOAH ver. / Atlantis ver.) * レプリカスタッフパス(NOAH ver. / Atlantis ver.) * A3クリアポスター+ステッカーシート2種セット(FC会員限定、UNIVERSAL MUSIC STORE)}} |- |4DVD+GOODS |UPBH-29099 |} また、本作は、チェーン別の購入特典も用意される。 {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" |+ 店舗特典 ! 対象店舗 ! 特典内容 |- |'''タワーレコード''' |クリアファイル(Atlantis ver.) |- |'''HMV''' |ミニエコバッグ(Atlantis ver.) |- |'''TSUTAYA''' |B2ポスター(Atlantis ver.) |- |'''Amazon''' |スマホリング(Atlantis ver.) |- |'''楽天ブックス''' |スマホショルダー(Atlantis ver.) |- |'''セブンネットショッピング''' |巾着(Atlantis ver.) |- |'''UNIVERSAL MUSIC STORE''' |ステッカーシート(Atlantis ver.) |- |'''一般店特典''' |スマホサイズステッカー(Atlantis ver.) |} == 収録内容 == '''本編''' # '''Opening''' # '''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|ANTENNA]]''' # '''[[Speaking]]''' # '''[[サママ・フェスティバル!]]''' # '''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|アンラブレス]]''' # '''[[5 (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|アボイドノート]]''' # '''[[Love me, Love you]]''' # '''[[サママ・フェスティバル!|umbrella]]''' # '''[[Soranji]]''' # '''[[青と夏]]''' # '''[[ロマンチシズム]]''' # '''[[Soranji|フロリジナル]]''' # '''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|BFF]]''' # '''[[僕のこと]] (Atlantis ver.)''' # '''[[Soranji|私は最強]]''' # '''[[ANTENNA (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|Loneliness]]''' # '''[[Mrs. GREEN APPLE (アルバム)|絶世生物]]''' # '''[[ダンスホール (Mrs. GREEN APPLEの曲)|ダンスホール]]''' # '''[[Magic (Mrs. GREEN APPLEの曲)|Magic]]''' '''Encore''' # '''[[Progressive (Mrs. GREEN APPLEのアルバム)|我逢人]]''' # '''[[TWELVE|庶幾の唄]]''' # '''[[ケセラセラ (Mrs. GREEN APPLEの曲)|ケセラセラ]]''' '''特典映像''' # '''Documentary -- Episode 5 "Atlantis"''' == メンバー == * '''[[大森元貴]]''' - [[ボーカル]]・[[ギター]] * '''若井滉斗''' - [[ギター]]・[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]] * '''藤澤涼架''' - [[キーボード (楽器)|キーボード]]・コーラス '''サポートメンバー''' * '''[[THE 2|森夏彦]]''' - [[ベース (弦楽器)|ベース]]・キーボード * '''神田リョウ''' - [[ドラムセット|ドラム]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Mrs. GREEN APPLE}} {{Music-stub}} {{Video-soft-stub}} {{DEFAULTSORT:とおむらいふ2023あとらんていす}} [[Category:Mrs. GREEN APPLE]] [[Category:2023年のコンサート]] [[Category:2024年のライブ・ビデオ]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/DOME_LIVE_2023_%22Atlantis%22
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石人子溝文化
The 石人子溝文化 (Ch: 石人子沟文化, ca. 410–190 BCE), 別名は 東黒溝 (Ch:东黑沟)は、タリム盆地の東部のバルクル・カザフ自治県にある石人子溝遺跡で発見された考古学的文化である。 新疆ウイグル自治区東部の石人子溝と西溝の遺跡から出土した遺骨証拠は、紀元前 4 世紀までに中国北西部の国境沿いで乗馬と騎馬弓術の両方が行われていたことを示しています。 紀元前200年頃の石人子溝遺跡の鉄器時代の個体に関する遺伝的研究では、西ユーラシア人と東ユーラシア人の遺伝子プールがかなりバランスよく混合していることが示された。 西ユーラシアの構成要素は ヤムナヤ 関連であり、東ユーラシアの構成要素は北東アジアに関連していた。ヤムナヤの要素は、石人子溝の人々が北の アファナシエヴォ文化 に由来し、インド・ヨーロッパ語 を話した可能性が高いことを示唆している。 これは、BMAC と アンドロノヴォ文化 の起源を支持する仮説である「バクトリアのオアシス仮説」ではなく、トカラ人 に関するアファナシエボ仮説 (しばしば「草原仮説」と呼ばれる) を補強するものである。 文化的には、石人子溝遺跡は、東に近い近隣のヤンブラケ文化および北西のアルタイ地方のパジリク文化(鹿の形をしたグリフィンのモチーフ)と強い親和性を示した。 シレン子溝文化は、しばしばパジリク文化の最東端の拡大であると考えられることもある Beads were also imported from China.。 考古学的および遺伝的証拠を見ると、この地域は 月氏 の起源地域であることが示唆されています。岳公台-西黒溝の遺跡は、新疆ウイグル自治区のバルコル県のバルコル文化に対応する。これにより月氏族は西のスベシ文化、東のヤンブラク文化、北のチェムルチェク文化の残骸と、南は中国の中原から約千キロ離れた広大な砂漠地帯の間に位置したであろう。
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The 石人子溝文化, 別名は 東黒溝 (Ch:东黑沟)は、タリム盆地の東部のバルクル・カザフ自治県にある石人子溝遺跡で発見された考古学的文化である。 新疆ウイグル自治区東部の石人子溝と西溝の遺跡から出土した遺骨証拠は、紀元前 4 世紀までに中国北西部の国境沿いで乗馬と騎馬弓術の両方が行われていたことを示しています。 紀元前200年頃の石人子溝遺跡の鉄器時代の個体に関する遺伝的研究では、西ユーラシア人と東ユーラシア人の遺伝子プールがかなりバランスよく混合していることが示された。 西ユーラシアの構成要素は ヤムナヤ 関連であり、東ユーラシアの構成要素は北東アジアに関連していた。ヤムナヤの要素は、石人子溝の人々が北の アファナシエヴォ文化 に由来し、インド・ヨーロッパ語 を話した可能性が高いことを示唆している。 これは、BMAC と アンドロノヴォ文化 の起源を支持する仮説である「バクトリアのオアシス仮説」ではなく、トカラ人 に関するアファナシエボ仮説 (しばしば「草原仮説」と呼ばれる) を補強するものである。 文化的には、石人子溝遺跡は、東に近い近隣のヤンブラケ文化および北西のアルタイ地方のパジリク文化(鹿の形をしたグリフィンのモチーフ)と強い親和性を示した。 シレン子溝文化は、しばしばパジリク文化の最東端の拡大であると考えられることもある Beads were also imported from China.。 考古学的および遺伝的証拠を見ると、この地域は 月氏 の起源地域であることが示唆されています。岳公台-西黒溝の遺跡は、新疆ウイグル自治区のバルコル県のバルコル文化に対応する。これにより月氏族は西のスベシ文化、東のヤンブラク文化、北のチェムルチェク文化の残骸と、南は中国の中原から約千キロ離れた広大な砂漠地帯の間に位置したであろう。
{{Infobox archaeological culture |name = 石人子溝文化 | map = {{Continental Asia in 325 BCE|center|{{center|石人子溝文化の位置 ([[File:Basic red dot.png|5px]]), とBCE325前後の当時の文化}}|{{location map~ |Continental Asia |lat=43.528234|N |long=93.241880|E |label=|position=top|label_size=80|mark=Basic red dot.png|marksize=5}}||none}} |mapalt = |altnames = |horizon = |region = [[新疆ウイグル自治区]] |period = |dates = 400–190 BCE |typesite = 石子人溝 {{Coord|43.528234|N|93.241880|E|display=inline, title}} |majorsites = |extra = | precededby = | followedby = [[匈奴]] }} The '''石人子溝文化''' (Ch: 石人子沟文化, ca. 410–190 BCE), 別名は '''東黒溝''' (Ch:东黑沟)<ref>{{cite journal |last1=Wang |first1=Yuxuan |last2=Monteith |first2=Francesca |last3=Xi |first3=Tongyuan |last4=Ren |first4=Meng |last5=Li |first5=Daren |last6=Hu |first6=Songmei |last7=Wang |first7=Jianxin |last8=Festa |first8=Marcella |last9=Ma |first9=Jian |title=New evidence for regional pastoral practice and social complexity in the Eastern Tianshan Mountains in the first millennium BCE |journal=Scientific Reports |date=16 March 2023 |volume=13 |issue=1 |pages=4338 |doi=10.1038/s41598-023-31489-9 |url=https://www.nature.com/articles/s41598-023-31489-9 |language=en |issn=2045-2322}}</ref>は、[[タリム盆地]]の東部の[[バルクル・カザフ自治県]]にある石人子溝遺跡で発見された考古学的文化である。 [[新疆ウイグル自治区]]東部の石人子溝と西溝の遺跡から出土した遺骨証拠は、紀元前 4 世紀までに中国北西部の国境沿いで乗馬と騎馬弓術の両方が行われていたことを示している。 <ref name="Li">{{cite journal |last1=Li |first1=Yue |last2=Zhang |first2=Chengrui |last3=Taylor |first3=William Timothy Treal |last4=Chen |first4=Liang |last5=Flad |first5=Rowan K. |last6=Boivin |first6=Nicole |last7=Liu |first7=Huan |last8=You |first8=Yue |last9=Wang |first9=Jianxin |last10=Ren |first10=Meng |last11=Xi |first11=Tongyuan |last12=Han |first12=Yifu |last13=Wen |first13=Rui |last14=Ma |first14=Jian |display-authors=5 |title=Early evidence for mounted horseback riding in northwest China |journal=Proceedings of the National Academy of Sciences |date=24 November 2020 |volume=117 |issue=47 |pages=29569–29576 |doi=10.1073/pnas.2004360117 |pmid=33139545 |pmc=7703595 |bibcode=2020PNAS..11729569L |language=en |issn=0027-8424|doi-access=free }}</ref> 紀元前200年頃の石人子溝遺跡の鉄器時代の個体に関する遺伝的研究では、西ユーラシア人と東ユーラシア人の遺伝子プールがかなりバランスよく混合していることが示された<ref name="CN"/>。 西ユーラシアの構成要素は [[ヤムナ文化|ヤムナヤ]] 関連であり、東ユーラシアの構成要素は北東アジアに関連していた。[[ヤムナ文化|ヤムナヤ]]の要素は、石人子溝の人々が北の [[アファナシエヴォ文化]] に由来し、[[インド・ヨーロッパ語]] を話した可能性が高いことを示唆している<ref name="CN"/>。 これは、[[バクトリア・マルギアナ複合 |BMAC]] と [[アンドロノヴォ文化]] の起源を支持する仮説である「バクトリアのオアシス仮説」ではなく、[[トカラ人]] に関するアファナシエボ仮説 (しばしば「草原仮説」と呼ばれる) を補強するものである<ref name="CN">{{cite journal |last1=Ning |first1=Chao |last2=Wang |first2=Chuan-Chao |last3=Gao |first3=Shizhu |last4=Yang |first4=Yang |last5=Zhang |first5=Xue |last6=Wu |first6=Xiyan |last7=Zhang |first7=Fan |last8=Nie |first8=Zhongzhi |last9=Tang |first9=Yunpeng |last10=Robbeets |first10=Martine |last11=Ma |first11=Jian |last12=Krause |first12=Johannes |last13=Cui |first13=Yinqiu |title=Ancient Genomes Reveal Yamnaya-Related Ancestry and a Potential Source of Indo-European Speakers in Iron Age Tianshan |journal=Current Biology |date=5 August 2019 |volume=29 |issue=15 |pages=2526–2532.e4 |doi=10.1016/j.cub.2019.06.044 |url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982219307717 |issn=0960-9822 |quote= 我々の研究結果は、[[ヤムナ文化|ヤムナヤ]]および/または[[アファナシェヴォ文化]]に関連した祖先が、少なくとも紀元前 2 千年紀以来、さらに南にジュンガリー盆地を通って新疆の天山山脈の北斜面に拡大したことを示唆しており、したがって、新疆ウイグル自治区の初期の人々に対する「草原仮説」を裏付けるものである。}}</ref>。 文化的には、石人子溝遺跡は、東に近い近隣の[[ヤンブラケ文化]]および北西のアルタイ地方の[[パジリク文化]](鹿の形をしたグリフィンのモチーフ)と強い親和性を示した<ref name="CN"/>。 シレン子溝文化は、しばしばパジリク文化の最東端の拡大であると考えられることもある<ref>{{cite journal |last1=Rubinson |first1=Karen S. |last2=Linduff |first2=Katheryn M. |title=Deer or Horses with Antlers? Wooden Figures Adorning Herders in the Altai |journal=Arts |date=February 2023 |volume=12 |issue=1 |page=Figure 1. Map of Pazyryk Culture Sites|doi=10.3390/arts12010029 |url=https://www.mdpi.com/2076-0752/12/1/29 |language=en |issn=2076-0752}}</ref> Beads were also imported from China.<ref name="CN"/>。 考古学的および遺伝的証拠を見ると、この地域は [[月氏]] の起源地域であることが示唆されている。岳公台-西黒溝の遺跡は、[[新疆ウイグル自治区]]の[[バルクル・カザフ自治県 |バルコル県]]のバルコル文化に対応する。これにより月氏族は西の[[スベシ文化]]、東の[[ヤンブラク文化]]、北の[[チェムルチェク文化]]の残骸と、南は中国の[[中原]]から約千キロ離れた広大な砂漠地帯の間に位置したであろう<ref>{{cite journal |last1=Lan-Hai Wei |first1=Ryan |last2=Li |first2=Hui |title=The separate origins of the Tocharians and the Yuezhi: Results from recent advances in archaeology and genetics |journal=International Conference on Tocharian Manuscripts and Silk Road CultureAt: University of Vienna, Vienna. 26–28 June 2013. |date=2013 |url=https://www.researchgate.net/publication/318897882_The_separate_origins_of_the_Tocharians_and_the_Yuezhi_Results_from_recent_advances_in_archaeology_and_genetics}}</ref>。<br> <gallery widths="200px" heights="200px" perrow="4"> File:Shirenzigou map.png|石人子溝遺跡の地図 File:Shirenzigou site with dwellings (yellow circles) and tombs (purple triangles).jpg|石人子溝遺跡の住居跡 (yellow circles) and 墓 (purple triangles) File:Shirenzigou panorama.png| [[バルクル・カザフ自治県]]の石人子溝遺跡の周囲の風景 File:Shirenzigou bone arrowhead.png|石人子溝遺跡の骨の鏃 File:Shirenzigou dwelling (from the North).jpg|石人子溝遺跡住居跡 F2 (北から) File:Shirenzigou dwelling F2, with artifacts.png|石人子溝遺跡住居跡 F2, 人工物 File:Principal component analysis (PCA) based on mitochondrial DNA (mtDNA) haplogroup frequencies of ancient and present-day Eurasian populations.png| 石人子溝遺跡のサンプルを使用した、古代および現在のユーラシア人集団のミトコンドリア DNA (mtDNA) ハプログループ頻度に基づく主成分分析 (PCA) </gallery> == 参考文献 == * {{cite journal |last1=Liu |first1=Yan |last2=Xi |first2=Tongyuan |last3=Ma |first3=Jian |last4=Liu |first4=Ruiliang |last5=Kuerban |first5=Reheman |last6=Yan |first6=Feng |last7=Ma |first7=Yingxia |last8=Yang |first8=Junchang |title=Demystifying ancient filigree art: Microanalytical study of gold earrings from Dongheigou cemetery (4th-2nd century BCE) in north-west China |journal=Journal of Archaeological Science: Reports |date=1 February 2022 |volume=41 |pages=103344 |doi=10.1016/j.jasrep.2022.103344 |url=https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X22000074 |issn=2352-409X}} * {{cite web |title=The Dongheigou Site in Balikun of Xinjiang |url=http://en.chinaculture.org/library/2008-04/18/content_130228.htm |website=en.chinaculture.org}} == 参照 == {{reflist}} {{DEFAULTSORT:せきしんしこうふんか}} [[Category:先史時代 (中央ユーラシア)]]
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円受寺
円受寺(えんじゅじ)は、兵庫県尼崎市富松町に位置する真宗大谷派の寺院である。本尊は阿弥陀如来。 1580年(天正8年)に創建。橋本新太郎右近(祐圓法師)が開基した。 江戸時代に伊丹市にある昆陽寺への参拝を案内する「札場の辻道標」を円受寺が保管していたが、2014年(平成26年)に円受寺の北東にある西国街道の交差点へ移転した。
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円受寺(えんじゅじ)は、兵庫県尼崎市富松町に位置する真宗大谷派の寺院である。本尊は阿弥陀如来。
'''円受寺'''、'''圓受寺'''(えんじゅじ) * [[円受寺 (岐阜市)]] - [[岐阜県]][[岐阜市]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 * [[円受寺 (尼崎市)]] - [[兵庫県]][[尼崎市]]にある[[真宗大谷派]]の寺院。 * [[円受寺 (高知市)]] - [[高知県]][[高知市]]にある[[浄土真宗本願寺派]]の寺院。 {{DEFAULTSORT:えんしゆし}} {{aimai}} [[Category:同名の寺]] [[Category:浄土真宗の寺院]]
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円受寺 (尼崎市)
円受寺(えんじゅじ)は、兵庫県尼崎市富松町に位置する真宗大谷派の寺院である。本尊は阿弥陀如来。 1580年(天正8年)に創建。橋本新太郎右近(祐圓法師)が開基した。 江戸時代に伊丹市にある昆陽寺への参拝を案内する「札場の辻道標」を円受寺が保管していたが、2014年(平成26年)に円受寺の北東にある西国街道の交差点へ移転した。
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円受寺(えんじゅじ)は、兵庫県尼崎市富松町に位置する真宗大谷派の寺院である。本尊は阿弥陀如来。
{{日本の寺院 |名称 = 円受寺 |画像 = {{画像募集中|cat=尼崎市}} |所在地 = [[兵庫県]][[尼崎市]]富松町1丁目25-14 |位置 = |山号 = |院号 = |宗派 = [[真宗大谷派]] |本尊 = [[阿弥陀如来]] |創建年 = [[1580年]]([[天正]]8年) |開基 = 祐圓法師 |正式名 = 円受寺 |札所等 = |文化財 = }} '''円受寺'''(えんじゅじ)は、[[兵庫県]][[尼崎市]]富松町に位置する[[真宗大谷派]]の[[寺院]]である。本尊は[[阿弥陀如来]]<ref>{{cite web|url=https://yaokami.jp/1286021/|title=円受寺|publisher=八百万の神|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 == 歴史 == [[1580年]]([[天正]]8年)に創建。橋本新太郎右近(祐圓法師)が開基した<ref>{{cite web|url=https://hccweb6.bai.ne.jp/tomatsujyou/tomatsujou/|title=円受寺|publisher=富松城跡を活かすまちづくり委員会|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 [[江戸時代]]に[[伊丹市]]にある[[昆陽寺]]への参拝を案内する「'''札場の辻道標'''」を円受寺が保管していたが、[[2014年]]([[平成]]26年)に円受寺の北東にある[[西国街道]]の交差点へ移転した<ref>{{cite web|url=https://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/TOSHIKATSURYOKU/BUNKA/bunnkazai/SINAI_BUNKAZAI/SONOTA_BUNKAZAI/1386925989045.html|title=稲野小学校前の道標|publisher=伊丹市|accessdate=2023-11-8}}</ref>。 == 交通 == * [[阪急神戸本線]]「[[武庫之荘駅]]」より徒歩で約10分。 * [[名神高速道路]]「[[尼崎インターチェンジ]]」より車で約10分。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [https://yaokami.jp/1286021/ 円受寺] - 八百万の神 {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:えんしゆし}} [[Category:兵庫県の寺]] [[Category:真宗大谷派の寺院]] [[Category:尼崎市の歴史]] [[Category:尼崎市の建築物]]
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ますりん
ますりんは、頭に葉っぱが生えておりかわいらしい見た目をしている。 このキャラクター「ますりん」は小学生の中では有名であり、 ますりんが出てくるtiktokなども数多く存在する。 一部では、ますりんは東京大学卒業という説もある。 ますりんというネーミングは、英語の「math」に「りん」という考察ができる。
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玉田薫
玉田 薫(たまだ かおる、1920年 - )は、日本の化学者。九州大学副学長、九州大学先導物質化学研究所主幹教授、年科学技術振興機構戦略的国際共同研究プログラム研究主幹、日本学術会議会員。 1984年奈良女子大学理学部化学科卒業、日本合成ゴム入社、東京および筑波研究所研究員。1991年ウィスコンシン大学化学科研究員。1994年博士(理学)、理化学研究所国際フロンテイア研究システムエキゾチックナノ材料研究チーム博士研究員。1995年通商産業省入省、工業技術院物質工学工業技術研究所主任研究官。1996年オーストラリア国立大学応用数学科客員研究員。 1998年マックス・プランク高分子研究所客員研究員。1999年工業技術院総務部技術評価課。2000年理化学研究所フロンテイア研究システム 局所時空間材料チーム研究推進委員。2001年シンガポール国立大学物質科学科主任研究員。2003年産業技術総合研究所光技術研究部門バイオフォトニクスグループ長。 2003年東京工業大学大学院総合理工学研究科物質電子化学専攻連携助教授。2005年東京工業大学大学院総合理工学研究科物質電子化学専攻 助教授、産業技術総合研究所光技術研究部門客員研究員。2006年シンガポール国立大学理学部物理学科連携教授。2007年東北大学電気通信研究所教授。2011年九州大学先導物質化学研究所教授。 2014年日本学術会議連携会員。2017年九州大学副理事(男女共同参画、学生支援担当)。2019年九州大学主幹教授。2020年東北大学材料科学高等研究所教授。2020年九州大学副学長(男女共同参画、同窓会・九大基金担当)、日本学術会議会員。2021年科学技術振興機構戦略的国際共同研究プログラム研究主幹。2022年九州大学副学長(ダイバーシティ、ハラスメント防止担当)。
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玉田 薫は、日本の化学者。九州大学副学長、九州大学先導物質化学研究所主幹教授、年科学技術振興機構戦略的国際共同研究プログラム研究主幹、日本学術会議会員。
'''玉田 薫'''(たまだ かおる)は、[[日本]]の[[化学者]]。[[九州大学]]副学長、[[九州大学先導物質化学研究所]]主幹教授、[[科学技術振興機構]]戦略的国際共同研究プログラム研究[[主幹]]、[[日本学術会議会員]]。 == 人物・経歴 == 1984年[[奈良女子大学]][[理学部]][[化学科]]卒業、[[日本合成ゴム]]入社<ref name="js"/>、東京および筑波研究所研究員<ref name="js"/><ref name="t"/>。1991年[[ウィスコンシン大学]]化学科[[研究員]]<ref name="js"/>。1993年[[通商産業省]][[工業技術院]]物質工学工業技術研究所高分子物理部非常勤職員<ref name="hy"/>。1994年[[博士(理学)]]、[[理化学研究所]]国際フロンテイア研究システムエキゾチックナノ材料研究チーム[[博士研究員]]<ref name="js">[https://www.jst.go.jp/kisoken/presto/complete/photon/jp/04adve/07adve.html 玉田 薫・KAORU TAMADA 九州大学 先導物質化学研究所 教授]科学技術振興機構</ref>。1995年通商産業省入省<ref name="js"/>、工業技術院物質工学工業技術研究所分子工学部[[主任研究官]]<ref name="hy"/>。1996年[[オーストラリア国立大学]][[応用数学科]][[客員研究員]]<ref name="js"/>。 1998年[[:w:Max Planck Institute for Polymer Research|マックス・プランク高分子研究所]]客員研究員。1999年工業技術院[[総務部]]技術評価課併任。2000年理化学研究所フロンテイア研究システム 局所時空間材料チーム研究推進委員<ref name="js"/>。2001年[[産業技術総合研究所]]光技術研究部門有機超薄膜グループ主任研究員<ref name="hy"/>、[[シンガポール国立大学]]物質科学科[[主任研究員]]。2003年[[産業技術総合研究所]]光技術研究部門バイオフォトニクスグループ長<ref name="js"/>。 2003年[[東京工業大学]]大学院総合理工学研究科物質電子化学専攻連携助教授。2005年東京工業大学大学院総合理工学研究科物質電子化学専攻助教授、産業技術総合研究所光技術研究部門客員研究員<ref name="js"/>。2006年シンガポール国立大学理学部物理学科連携教授<ref name="js"/><ref name="t">[https://www.jst.go.jp/inter/program/pdpo/easia-intro.html 研究主幹(PO)玉田 薫 玉田 薫 九州大学 副学長、先導物質化学研究所 主幹教授]科学技術振興機構</ref>、[[科学技術振興機構]][[戦略的創造研究推進事業]]さきがけ「物質と光作用」[[アドバイザー]]<ref name="sh"/>。2007年[[東北大学電気通信研究所]]教授、東京工業大学大学院総合理工学研究科物質電子化学専攻連携教授<ref name="hy">[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K003903/index.html 玉田 薫(たまだかおる) データ更新日:2023.07.25]九州大学</ref>。 2008年[[文部科学省]][[科学技術・学術審議会]]専門委員<ref name="sh">[https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K003903/society.html 社会活動]九州大学</ref>、[[日本学術振興会]][[科学研究費]]委員会専門委員<ref name="sh"/>。2009年[[国際無線障害特別委員会]]専門委員<ref name="sh"/>。2011年[[九州大学先導物質化学研究所]]教授<ref name="js"/>。2014年[[日本学術会議連携会員]]<ref name="t"/>。2017年九州大学副理事(男女共同参画、学生支援担当)<ref name="t"/>。2019年九州大学主幹教授<ref name="t"/>。 2020年九州大学副学長(男女共同参画、同窓会・九大基金担当)<ref name="t"/>、[[東北大学材料科学高等研究所]]教授([[クロスアポイントメント]])<ref name="js"/>、[[日本学術会議会員]]、日本学術会議九州沖縄地区会議[[代表幹事]]。2021年[[科学技術振興機構]]戦略的国際共同研究プログラム研究[[主幹]]<ref>[https://www.cm.kyushu-u.ac.jp/ktamada/tamada/ 玉田 薫 九州大学先導物質化学研究所 ナノ界面物性分野 教授 ・ Background 経歴]九州大学</ref>。2022年九州大学副学長(ダイバーシティ、ハラスメント防止担当)<ref>[https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/university/information/organization/officer/ 役員等紹介]九州大学</ref>、[[応用物理学会]]副会長<ref name="hy"/>。専門は表面[[物理化学]]<ref name="hy"/>。 == 受賞 == *2013年 [[日本表面科学会]][[フェロー]]<ref name="t"/> *2016年 [[応用物理学会]]フェロー<ref name="t"/> *2018年 日本表面科学会学会賞<ref name="t"/> *2019年 輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)<ref name="t"/> *2020年 [[日本表面真空学会]]功績賞<ref name="t"/> *2022年 応用物理学会有機分子バイオエレクトロニクス分科会業績賞<ref name="hy"/> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{People-stub}} {{デフォルトソート:たまた かおる}} [[Category:日本の女性化学者]] [[Category:日本の物理化学者]] [[Category:日本のナノテクノロジー研究者]] [[Category:日本学術会議会員]] [[Category:日本学術会議連携会員]] [[Category:日本学術振興会の人物]] [[Category:科学技術振興機構の人物]] [[Category:九州大学先導物質化学研究所の人物]] [[Category:九州大学の教員]] [[Category:シンガポール国立大学の教員]] [[Category:東北大学の教員]] [[Category:東北大学電気通信研究所の人物]] [[Category:東京工業大学の教員]] [[Category:マックス・プランク研究所の人物]] [[Category:理化学研究所の人物]] [[Category:産業技術総合研究所の人物]] [[Category:日本の経済産業技官]] [[Category:博士(理学)取得者]] [[Category:理学士取得者]] [[Category:奈良女子大学出身の人物]] [[Category:存命人物]]
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CLAN QUEEN
CLAN QUEEN(クランクイーン)は、日本のロックバンド、アーティスト、クリエイティブネオロックを提唱する新世代ユニット。 メンバー各々が作詞・作曲・編曲のみならず、映像監督、編集、グラフィックなど全てを担い、活動の幅を広げている。 突如音楽シーンに現れた3人組クリエイティブユニット/バンド「WARS iN CLOSET」から、ヴォーカルのユウタが脱退し、新ヴォーカリストyowaを迎える形でバンド名も新たにCLAN QUEENとして再始動。 AOiがマイ、イトウユウタと共にCLAN QUEENの前身となる「WARS iN CLOSET」を結成。 12月4日、YouTubeに「New Error!!」のミュージックビデオを公開。 2月15日、YouTubeに「アリスの嘘」のミュージックビデオを公開。 3月28日、初となる1stDigital Single『New Error!!』を配信。 同月30日、2ndDigital Single『アリスの嘘』を配信開始。 同月31日、3rdDigital Single『aPPLe』を配信、ミュージックビデオを公開。 4月24日、4thDigital Single『Bad End』を配信、ミュージックビデオを公開。 9月10日、5thDigital Single『花一匁』を配信、ミュージックビデオを公開。 12月10日、6thDigital Single『プレイヤー・ワン』を配信、ミュージックビデオを公開。 11月1日、『WARS iN CLOSET緊急放送』としてボーカルのイトウユウタが脱退を宣言。同日にCLAN QUEENの始動が告知された。 11月7日、CLAN QUEENとして初のDigital Single「ヘルファイアクラブ」が配信開始、ミュージックビデオを公開。 2月23日、2nd Digital Single「Tokyo Mood」(トーキョーモード)が配信開始、同日ミュージックビデオを公開。 6月4日、YouTube限定で「Tokyo Mood(Saturday Night Remix)」を公開。 6月30日、3rd Digital Single「踊楽園」(オドラクエン)が配信開始、同日ミュージックビデオを公開。 7月3日、渋谷TOKIO TOKYOにて初ライブを開催。 7月31日、SpotifyバイラルチャートTop10入りを果たす。 11月10日、4th Digital Single「プルートー」を配信。 CLAN QUEEN マイが映像監督を務め、AOiが提供した楽曲
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CLAN QUEEN(クランクイーン)は、日本のロックバンド、アーティスト、クリエイティブネオロックを提唱する新世代ユニット。
{{特筆性|音楽|date=2023年11月}} {{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> | 名前 = CLAN QUEEN | 画像 = | 画像説明 = 自身が使用しているロゴ。 | 画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | 背景色 = Band | 出生名 = <!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | 別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません --> | 結成 = {{生年月日と年齢|2022|11|7}} | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 死没 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 学歴 = | ジャンル = [[J-POP]] | 職業 = {{Hlist-comma|[[バンド]]|[[音楽家]]|[[アーティスト]]}} | メンバー = {{Hlist-comma|yowa([[ボーカル]])<br>[[AOi]]([[ギター]]・[[ボーカル]])<br>マイ([[ベース (弦楽器)|ベース]]・[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]])}} | 活動期間 = [[2022年]] - | レーベル = {{plainlist| * 不明 }} | 事務所 = | 公式サイト = }} {{Infobox YouTube personality | name = CLAN QUEEN | channel_display_name = CLAN QUEEN | channel_url = https://www.youtube.com/@CLAN_QUEEN | years_active = [[2022年]] - | genre = [[音楽]] | subscribers = | views = | stats_update = | silver_button = | silver_year = | gold_button = | gold_year = }} '''CLAN QUEEN'''(クランクイーン)は、[[日本]]の[[ロックバンド]]、[[音楽家|アーティスト]]、クリエイティブネオロックを提唱する新世代ユニット。<ref>{{Cite web |url=https://www.jungle.ne.jp/web_post/clan/ |title=音楽メディア・フリーマガジン JUNGLE LIFE |access-date=2023-11-09}}</ref> == 概要 == メンバー各々が作詞・作曲・編曲のみならず、映像監督、編集、グラフィックなど全てを担い、活動の幅を広げている<ref>{{Cite web |url=https://getnews.jp/archives/3385801/gate |title=ガジェット通信 |access-date=2023-11-09}}</ref>。 突如音楽シーンに現れた3人組クリエイティブユニット/バンド「WARS iN CLOSET」から、ヴォーカルのユウタが脱退し、新ヴォーカリストyowaを迎える形でバンド名も新たにCLAN QUEENとして再始動<ref>{{Cite web |url=https://ototoy.jp/news/110664 |title=ototoy-Tokyo Mood News |access-date=2023-11-09}}</ref>。 == メンバー == {| class="wikitable" style="text-align: center; white-space:nowrap; font-size:small" ! 名前 ! 担当 ! 生年月日 ! 出身地 |- | '''[[AOi]](アオイ)''' | [[ギター]]<br/>[[ボーカル]]<br/>[[作詞]]<br/>[[作曲]]<br/>[[編曲]]<br/>[[グラフィック]]<br/> | {{生年月日と年齢|2000|10|9}} | [[東京都]] |- | '''[[yowa]](ヨワ)''' | [[ボーカル]]<br/>[[イラスト]]<br/>[[作詞]][[作曲]]<br/>[[ギター]] | {{生年月日と年齢|2001|3|2}} | [[長野県]] |- | '''マイ''' | [[ベース (弦楽器)|ベース]]<br/>[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]<br/>[[映像監督]]<br/>[[映像編集]] | {{生年月日と年齢|2000|6|7}} | [[東京都]] |- |} == 来歴 == === 2020年 === AOiがマイ、イトウユウタと共にCLAN QUEENの前身となる「'''WARS iN CLOSET'''」を結成。<ref>{{Cite web |url=https://open.spotify.com/intl-ja/artist/4ZDHNyrWvloNoMN7Ew0ZjG |title=WARS iN CLOSET Spotify |access-date=2023-11-09}}</ref> 12月4日、YouTubeに「New Error!!」のミュージックビデオを公開。 === 2021年 === 2月15日、YouTubeに「アリスの嘘」のミュージックビデオを公開。 3月28日、初となる1stDigital Single『New Error!!』を配信。 同月30日、2ndDigital Single『アリスの嘘』を配信開始。 同月31日、3rdDigital Single『aPPLe』を配信、ミュージックビデオを公開。 4月24日、4thDigital Single『Bad End』を配信、ミュージックビデオを公開。 9月10日、5thDigital Single『花一匁』を配信、ミュージックビデオを公開。 12月10日、6thDigital Single『プレイヤー・ワン』を配信、ミュージックビデオを公開。 === 2022年 === 11月1日、『WARS iN CLOSET緊急放送』としてボーカルのイトウユウタが脱退を宣言。同日にCLAN QUEENの始動が告知された。 11月7日、CLAN QUEENとして初のDigital Single「ヘルファイアクラブ」が配信開始、ミュージックビデオを公開。 === 2023年 === 2月23日、2nd Digital Single「Tokyo Mood」(トーキョーモード)が配信開始、同日ミュージックビデオを公開。 6月4日、YouTube限定で「Tokyo Mood(Saturday Night Remix)」を公開。 6月30日、3rd Digital Single「踊楽園」(オドラクエン)が配信開始、同日ミュージックビデオを公開。 7月3日、渋谷TOKIO TOKYOにて初ライブを開催。 7月31日、SpotifyバイラルチャートTop10入りを果たす<ref>{{Cite web |url=https://www.chart-pop-696.com/entry/2023/07/29/200000 |title=チャート式ポップカルチャー |access-date=2023-11-09}}{{出典無効|date=2023年11月}}</ref>。 11月10日、4th Digital Single「プルートー」を配信。 == ディスコグラフィ == === 配信限定シングル === {| class="wikitable" style="font-size:small" !配信開始日 !タイトル !読み |- |2022年11月7日 |'''ヘルファイアクラブ''' | |- |2023年2月23日 |'''Tokyo Mood''' |トーキョーモード |- |2023年6月30日 |'''踊楽園''' |オドラクエン |- |2023年11月10日 |'''プルートー''' | |- |} === その他 === CLAN QUEEN マイが映像監督を務め<ref>{{Cite web |url=https://www.pics.tokyo/member/mai/ |title=P.I.C.S profile Mai |access-date=2023-11-09}}</ref>、AOiが提供した楽曲 {| class="wikitable" style="font-size:small" !配信開始日 !収録シングル !アーティスト !タイトル |- |2023年8月23日 |[[おひとりさま天国]]<br/>・初回仕様限定盤 Type-B[[川﨑桜]]個人PV |[[乃木坂46]] |'''さくらのさくっとクッキング''' |- |2023年10月18日 |[[承認欲求_(曲)]]<br/>・初回仕様限定盤 Type-D[[的野美青]]個人PV |[[櫻坂46]] |'''青焔''' |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == <!-- メンバー個人に関する外部リンクは、各項目に記載すること --> * {{Twitter|clan_queen_}} * {{YouTube|handle=CLAN_QUEEN}} * {{Instagram|clanqueen}} * {{Tiktok|clan_queen_}} {{Musician-stub}} {{DEFAULTSORT:くらんくいいん}} [[Category:日本のロック・バンド]] [[Category:2022年に結成した音楽グループ]]
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犬山城白帝文庫
公益財団法人犬山城白帝文庫(いぬやまじょうはくていぶんこ)は、愛知県犬山市に所在する公益財団法人。 2004年(平成16年)4月1日に犬山城と成瀬家伝来の美術工芸品・歴史資料を調査研究・保存・公開するために財団法人犬山城白帝文庫として設立。これに伴い、それまで成瀬家の個人所有となっていた犬山城天守や、約6500点にのぼる古文書や工芸品、刀剣など成瀬家伝来の資料が財団に寄付されている。 また、犬山市文化史料館(城とまちミュージアム)内の第1展示室に歴史文化館展示室を設置しており、「犬山城と城下町」をテーマに成瀬家伝来の美術工芸品や歴史資料を常設展示している。 名称の由来は、犬山城が白帝城とも称されていたため。
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公益財団法人犬山城白帝文庫(いぬやまじょうはくていぶんこ)は、愛知県犬山市に所在する公益財団法人。
{{基礎情報 非営利団体 |名称 = 公益財団法人犬山城白帝文庫 |ロゴ = |画像 = |画像サイズ = |画像説明 = |創立者 = |団体種類 = [[公益財団法人]] |設立 = [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]]<ref name="hakutei">{{Cite web |url=https://www.inuyamajohb.org/about |title=理事長あいさつ |publisher=公益財団法人犬山城白帝文庫 |accessdate=2023-11-08}}</ref> |所在地 = [[愛知県]][[犬山市]]大字犬山字北古券65番地5<ref name="公法">公益法人information 公益財団法人犬山城白帝文庫 法人コードA018196より</ref> |緯度度 = 35|緯度分 = 23|緯度秒 = 14.7 |経度度 = 136|経度分 = 56|経度秒 = 21.4 |地図国コード = |法人番号 = 9180005009416 |起源 = |主要人物 = 成瀬淳子(理事長)<ref name="公法" /> |活動地域 = |製品 = |主眼 = |活動内容 = |活動手段 = |収入 = |支出 = |基本財産 = |ボランティア人数 = |従業員数 = |会員数 = |親団体 = |子団体 = |標語 = |ウェブサイト = https://www.inuyamajohb.org/ |解散 = |特記事項 = [[2013年]](平成21年)4月1日、公益財団法人に移行<ref name="hakutei" /> }} '''公益財団法人犬山城白帝文庫'''(いぬやまじょうはくていぶんこ)は、[[愛知県]][[犬山市]]に所在する[[公益財団法人]]。 == 概要 == [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]]に[[犬山城]]と[[成瀬家]]伝来の美術工芸品・歴史資料を調査研究・保存・公開するために財団法人犬山城白帝文庫として設立<ref name="hakutei" />。これに伴い、それまで成瀬家の個人所有となっていた犬山城天守や、約6500点にのぼる古文書や工芸品、刀剣など成瀬家伝来の資料が財団に寄付されている<ref>{{Cite web |2004-01-08 |url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20040108000308 |title=国宝犬山城、財団に移管へ/唯一の個人所有に終止符 |publisher=四国新聞社 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 また、[[犬山市文化史料館]](城とまちミュージアム)内の第1展示室に歴史文化館展示室を設置しており、「犬山城と城下町」をテーマに成瀬家伝来の美術工芸品や歴史資料を常設展示している<ref>{{Cite web |url=https://inuyama.gr.jp/museum.html |title=城とまちミュージアム |publisher=犬山市観光協会 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 名称の由来は、犬山城が白帝城とも称されていたため<ref name="hakutei" />。 == 主な所蔵品 == {| class="wikitable" style="background-color:white" |- !種別 !名称 !指定日 |- ||[[国宝]] ||[[犬山城|犬山城天守]]<ref name="重文">{{Cite web |url=https://www.city.inuyama.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/068/1.pdf |title=国指定文化財一覧 |format=PDF |publisher=犬山市 |accessdate=2023-11-08}}</ref> ||[[1935年]]([[昭和]]10年)5月13日<ref name="重文"/> |- ||[[重要文化財]] ||短刀〈銘左安吉作/正平十二年二月日〉<ref name="重文"/> ||[[1950年]]([[昭和]]25年)8月29日<ref name="重文"/> |- ||[[愛知県指定文化財一覧|県指定有形文化財]] ||黒漆菊桐紋蒔絵鎧櫃<ref name="県指定">{{Cite web |url=https://www.city.inuyama.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/068/pref.pdf |title=県指定文化財一覧 |format=PDF |publisher=犬山市 |accessdate=2023-11-08}}</ref> ||[[2015年]](平成27年)1月27日<ref name="県指定" /> |- ||県指定有形文化財 ||黒漆菊桐紋蒔絵風呂道具<ref name="県指定" /> ||2015年(平成27年)1月27日<ref name="県指定" /> |- ||{{nowrap|市指定文化財}} ||長久手合戦図<ref name="市指定">{{Cite web |url=https://www.city.inuyama.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/068/city.pdf |title=市指定文化財一覧 |format=PDF |publisher=犬山市 |accessdate=2023-11-08}}</ref> ||[[2009年]](平成21年)5月20日<ref name="市指定" /> |- ||市指定文化財 ||長篠合戦図<ref name="市指定" /> ||2009年(平成21年)5月20日<ref name="市指定" /> |- |} == 所在地 == * 犬山城白帝文庫事務所 - 愛知県犬山市犬山北古券65-5 * 犬山城白帝文庫歴史文化館 - 愛知県犬山市犬山北古券8([[犬山市文化史料館]]内) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Official|https://www.inuyamajohb.org/}} {{DEFAULTSORT:いぬやましようはくていふんこ}} [[Category:公益財団法人 (愛知県知事認定)]] [[Category:2004年設立の組織]] [[Category:犬山市]]
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AOi
AOi(アオイ、2000年〈平成12年〉10月9日 - )は、日本のミュージシャン。3人組ロックバンド・CLAN QUEENのメンバー。東京都出身。
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AOiは、日本のミュージシャン。3人組ロックバンド・CLAN QUEENのメンバー。東京都出身。
{{特筆性|音楽|date=2023年11月8日 (水) 17:21 (UTC)}} {{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> | 名前 = AOi | 画像 = | 画像説明 = CLAN QUEEN AOi | 画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | 背景色 = instrumentalist | 出生名 = | 別名 = | 出生 = {{生年月日と年齢|2000|10|9}} | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]] | 死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> | 学歴 = | ジャンル = {{Hlist-comma|[[J-POP]]|[[ミクスチャー・ロック]]|[[ポップミュージック|ポップ]]|[[ロック (音楽)|ロック]]|[[ジャズ#戦後日本のジャズ|ジャズ]]}} | 職業 = {{Hlist-comma|[[ギタリスト]]|[[歌手|ボーカリスト]]|[[マルチプレイヤー (音楽)|マルチプレイヤー]]|[[デザイナー]]|[[ソングライター]]|[[編曲家]]}} | 担当楽器 = [[ギター]]・[[ボーカル]] | 活動期間 = [[2020年]] - | レーベル = 不明 | 事務所 = 不明 | 身長 = 181cm | 共同作業者 = [[CLAN QUEEN]] | 公式サイト = | メンバー = <!-- グループのみ --> | 旧メンバー = <!-- グループのみ --> | 著名使用楽器 = <!-- 個人のみ --> }} '''AOi'''(アオイ、[[2000年]]〈[[平成]]12年〉[[10月9日]] - )は、[[日本]]の[[音楽家]]。3人組[[ロック (音楽)|ロック]]バンド・[[CLAN QUEEN]]のメンバー。[[東京都]]出身<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/AOi_wixz |url=https://twitter.com/AOi_wixz |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 == 人物 == * 幼少期から[[オペラ座の怪人 (1986年のミュージカル)|オペラ座の怪人]]や[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]などの音楽に触れ育つ。[[SEKAI NO OWARI]]に出会い[[J-POP]]を聴き始める<ref>{{Cite web |title=Instagram |url=https://www.instagram.com/accounts/login/?next=https%3A%2F%2Fwww.instagram.com%2Faoi_wixz%2F%3Futm_medium%3Dcopy_link |website=www.instagram.com |access-date=2023-11-08}}</ref>。 * [[THE ORAL CIGARETTES]]の山中拓也とゲームクリエイター・脚本家の山中拓也によるプロジェクト「ボイステラス6」オーディション最終審査まで残る。<ref>{{Cite web |url=https://boisterous6.jp/ |title=ボイステラス6 |access-date=2023-11-09}}</ref> * WARS iN CLOSETを始めた本人でありメンバーとは大学で出会った。<ref>{{Cite web |url=https://audee.jp/news/show/80375 |title=クリエイターズ・スタジオ with ボカコレ【木曜日】 記事コンテンツ |access-date=2023-11-09}}</ref> == 活動 == 各ユニット・グループとしての活動については各項目を参照のこと。 {{Main|CLAN QUEEN|WARS iN CLOSET}} === 参加楽曲・楽曲提供 === === 配信限定シングル<ref>{{Cite web |url=https://open.spotify.com/intl-ja/artist/4ZDHNyrWvloNoMN7Ew0ZjG |title=Spotify Link |access-date=2023-11-09}}</ref> === {| class="wikitable" style="font-size:small" !配信開始日 !アーティスト !タイトル !読み !参加方法 |- |2021年3月28日 |WARS iN CLOSET |'''New Error!!''' |ニューエラー |作詞作曲編曲 |- |2021年3月30日 |WARS iN CLOSET |'''アリスの嘘''' | |作詞作曲編曲 |- |2021年3月31日 |WARS iN CLOSET |'''aPPLe''' |アップル |作詞作曲編曲 |- |2021年4月24日 |WARS iN CLOSET |'''Bad End''' |バッドエンド |作詞作曲編曲 |- |2021年9月10日 |WARS iN CLOSET |'''花一匁''' |ハナイチモンメ |作詞作曲 |- |2021年12月10日 |WARS iN CLOSET |'''プレイヤー・ワン''' | |作詞作曲編曲 |- |2022年11月7日 |CLAN QUEEN |'''ヘルファイアクラブ''' | |作詞作曲 |- |2023年2月23日 |CLAN QUEEN |'''Tokyo Mood''' |トーキョーモード |作詞作曲 |- |2023年6月30日 |CLAN QUEEN |'''踊楽園''' |オドラクエン |作詞作曲編曲 |- |2023年11月10日 |CLAN QUEEN |'''プルートー''' | |作詞作曲編曲 |- |} === その他 === CLAN QUEEN マイが映像監督を務め<ref>{{Cite web |url=https://www.pics.tokyo/member/mai/ |title=P.I.C.S MAI |access-date=2023-11-09}}</ref>、AOiが提供した楽曲 {| class="wikitable" style="font-size:small" !配信開始日 !収録シングル !アーティスト !タイトル |- |2023年8月23日 |[[おひとりさま天国]]<br/>・初回仕様限定盤 Type-B[[川﨑桜]]個人PV |乃木坂46 |'''さくらのさくっとクッキング''' |- |2023年10月18日 |[[承認欲求_(曲)]]<br/>・初回仕様限定盤 Type-D[[的野美青]]個人PV |櫻坂46 |'''青焔'''<ref>{{Cite web |url=https://x.com/AOi_wixz/status/1712790944536486076?s=20 |title=AOi-青焔ポスト |access-date=2023-11-09}}</ref> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == <!-- メンバー個人に関する外部リンクは、各項目に記載すること --> * {{Twitter|AOi_wixz|AOi(CLAN QUEEN)}} * {{Instagram|aoi_wixz|AOi}} * {{Tiktok|aoi_cq|AOi(CLAN QUEEN)}} *{{YouTube|https://www.youtube.com/channel/UCjkxbQGdq4OUerQFfGw1gqw/channels?view=49&shelf_id=4|AOi YouTube channel}} {{Musician-substub}} {{DEFAULTSORT:あおい}} [[Category:日本のロック・ギタリスト]] [[Category:日本の男性ロック歌手]] [[Category:日本のデザイナー]] [[Category:日本のソングライター]] [[Category:日本の編曲家]] [[Category:2000年生]] [[Category:存命人物]]
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近衛政深
近衛 政深(このえ まさふか、1444年(文安元年) - 1505年(永正2年)6月19日)は、室町時代の真言宗醍醐派の僧侶。醍醐寺の座主。父は近衛房嗣。足利義教の猶子。 関白・近衛房嗣の子供として生まれる。母は不明。後に足利義教の猶子となる。兄弟に教基・政家・道興・増運・政弁がいる。 兄弟の道興・増運・政弁と同様に仏門に入り、真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺の僧となり、醍醐寺の座主(三宝院門跡)となった。 1505年(永正2年)6月19日、死去。享年61。
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近衛 政深は、室町時代の真言宗醍醐派の僧侶。醍醐寺の座主。父は近衛房嗣。足利義教の猶子。
{{Infobox Buddhist |名前 = 政深 |生没年 = |諡号 = 宝池院 |尊称 = 権僧正法印 |生地 = |没地 = |画像 = |説明文 = |宗派 = [[真言宗醍醐派]] |寺院 = [[醍醐寺]] |師 = |弟子 = |著作 = }} '''近衛 政深'''(このえ せいしん、生没年不詳)は、[[室町時代]]の[[真言宗醍醐派]]の[[僧侶]]。[[醍醐寺]]の座主。父は[[近衛房嗣]]。[[足利義教]]の猶子。 == 生涯 == [[関白]]・[[近衛房嗣]]の子供として生まれる(『醍醐寺新要録』によれば、実際は[[一条教房]]の子とされる<ref name="taikei259">『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.259</ref>)。母は不明。後に[[足利義教]]の猶子となる。兄弟に[[近衛教基|教基]]・[[近衛政家|政家]]・[[道興]]・[[近衛増運|増運]]・[[近衛政弁|政弁]]がいる<ref name=":0">『近衛家一族の群像』([[歴史研究会]]){{要ページ番号|date=2023年12月}}</ref>。 兄弟の道興・増運・政弁と同様に仏門に入る。[[永享]]3年([[1431年]])には宝池院に入室することとなっていたが、父・房嗣が参賀しないことから将軍・[[足利義教]]の不興を買って中止され、代わりに[[一条兼良]]の子・教賢が入ることとなった<ref name="taikei260">『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.260</ref>。実際に宝池院に入室できたのは[[宝徳]]元年([[1449年]])12月となった<ref name="taikei260"/>。 [[真言宗醍醐派]]の総本山である[[醍醐寺]]の僧となり、[[応仁]]2年([[1468年]])9月に醍醐寺の座主(三宝院門跡)となった<ref name=":0" /><ref>『公卿辞典〔3訂増補〕』([[国書刊行会]]、[[1994年]]){{要ページ番号|date=2023年12月}}</ref>が、[[文明 (日本)|文明]]元年([[1469年]])6月18日には座主を辞任して寺を離れた<ref name="taikei259"/>。 == 脚注 == <references /> {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:このえ せいしん}} [[Category:近衛家|せいしん]] [[Category:室町・安土桃山時代の僧]] [[Category:真言宗の僧]] [[Category:真言宗醍醐派]]
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M.R.I ミライ
『M.R.I_ミライ』(ミライ)は、かつしかトリオのデビュー・アルバム。2023年10月25日にヤマハミュージックコミュニケーションズよりリリース。 キャッチコピーは、「大人げないオトナの音楽」。レコーディング期間は後述のように、2022年6月、2023年5月、2023年8月の三期に分かれてはいるものの、参加メンバーは、向谷実(キーボード)、櫻井哲夫(ベース)、神保彰(ドラムス)によるかつしかトリオのみでゲスト・ミュージシャンは無し、プロデュース及び作・編曲も全十曲ともにかつしかトリオによるもので統一されている。 2021年のライブセッションをきっかけに結成されたかつしかトリオは、翌2022年前半にその年の活動をするためのミーティングを重ねるうちにライブ活動のみならず、新曲を作ってリリースする構想が沸く。そして、三曲を作って6月にスタジオ・レコーディングし、その三曲をパッケージしたセルフタイトルのミニアルバム『かつしかトリオ』と三曲各々シングルとして、7月8日に向谷が経営している音楽館から配信で一斉リリースした。7月末から8月にかけて行われたライブツアーでも演奏されて好評を博した上、iTunesジャズチャートとe-onkyo music(ハイレゾ配信)ジャズアルバムチャートでは第1位を記録した。すでに恒久的な活動を宣言していたかつしかトリオにとってそれは確かな手応えとなり、多忙な三人ゆえにスケジュールの都合でこの年はライブツアーが終わった8月で活動を閉じてしまったが、この三曲を加えてフルアルバムにして制作することを公表して翌年以降の活動にさらなる期待を持たせた。 2023年3月、半年ぶりにメンバー三人全員が集まり、まずはミーティングを始めていき、5月と8月に分けてスタジオ・レコーディングを行った。5月にレコーディングされた三曲は、アルバム発売に先駆けて一曲ずつ7月、8月、9月に配信で三カ月間連続リリースした。8月にアルバムがヤマハミュージックコミュニケーションズからリリースすることが公表されたことにともなって、それまで音楽館からのリリースであったものを9月のシングル「Bright Life」からヤマハコミュニケーションズにすべて移管されることになった。全十曲中六曲が既発表ではあるが、その配信されていた全ての既発表曲については再度アルバム用ミックスが施されている。 曲想は交通信号機の三色、赤・青・黄色をイメージとして、赤はテクニカルな曲、青はメロウな曲、黄色はダンサブルな曲と事前に個性を分けて作られた。作曲者の名義は三曲ともに“かつしかトリオ”とした。それについて向谷はe-onkyo musicサイトの連載『厳選 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』100回記念 かつしかトリオインタビューで以下のように答えている。 同インタビューで神保はこの方式について、ビートルズのレノン=マッカートニーの感じだと表現している。実際の作曲工程は、誰かが作ってきたモチーフとなる曲をMIDIデータのやりとりで手を加えていくものとした。そして、2期目、3期目の作曲工程もそれが貫かれた。 なお、かつて三人がともにメンバーであったカシオペア在籍時代(1980年~1989年)に共作したのは、その際に野呂一生も含めて四人全員で作ったアルバム『HALLE』(1985年9月10日リリース)のタイトル曲「HALLE」のみであるが、かつしかトリオのライブでもセルフカバーしている。 レコーディング最終日はそのスタジオから最終段階のミックスダウンしたばかりの新曲三曲を神保が運営している公式YouTubeチャンネルでライブ配信している「OUCHI DE JIMBO」にて三人が解説を付けながら披露した。 この時点では三曲ともに正式な曲名が決まっておらず、コメント欄にて視聴者に曲名の募集を呼び掛けた。しかしながら、「○○ Express」と縛りを加えていた「Red Express」は配信中に向谷自身がなにげに発したもので、「Shining Blue」は神保が当初から提案していた仮タイトルがそのままとなり、「柴又トワイライト」はその候補がなくて、後日、かつしかトリオに因んで東京都葛飾区内の地名・柴又と黄色は黄昏=トワイライトから付けられた。 1期目と同じくメンバー三人の共作でMIDIデータをやり取りしながら曲作りを行っていった。最初に作った曲はアルバムタイトル曲にもなった「M.R.I_ミライ」。向谷は櫻井から送られてきたMIDIデータの凄まじいフレーズを聴いて驚愕。そのフレーズを作ってきた櫻井は、曰く「ちゃんと自分で弾けたので演奏用のデータとして送った」とのことだが、向谷は「なんだこれは!?」と音楽でないものを感じ、そして直近の定期健康診断で受けたMRI検査の大掛かりな機器から発する轟音を想起したことから、まずは仮タイトルで「MRI」と付けられ、後でそのMとRとI、三文字の各母音を拾って正式な曲名「M.R.I_ミライ」と付けられた。バンド結成のきっかけである、過去を懐かしむ同窓会的なノリからの脱却を図っていたかつしかトリオにとって「ミライ」=「未来」は今後常に掲げられる目標であることからアルバムタイトルにも採用された。 1期目にレコーディングして既にリリースされていた三曲のなかで超絶技巧を駆使した「Red Express」が好評だった上、それに勝るとも劣らない「M.R.I_ミライ」を作ったことにより、この二期目の他二曲もそれらに引っ張られて超絶技巧を駆使していくことになり、メンバー全員齢60代なのに“大人げない”作りとなっていったことから「大人げないオトナの音楽」(考案者:神保)というキャッチコピーが生まれ、それがそのままアルバムの方向性となっていった。 ラテン語で“おしゃれに”という意味を持たせた「a la moda」はラテン調の曲で、アコースティックピアノをフィーチャーした。「Bright Life」は仮タイトルで「日曜日の散歩」と付けられていて当初はその仮タイトル通りのユルい曲調であったのが、“大人げない”を注入したことにより、アグレッシブな展開も併せ持つようになっていった。なお、正式な曲名「Bright Life」は、レコーディング完了後、後述のライブ配信による新曲お披露目会開始30分前に決まった。 神保の公式YouTubeチャンネルで定期的にライブ配信している「OUCHI DE JIMBO」では、音楽館にある向谷のプライベートスタジオからレコーディングへ入る前に三人が集まって打ち合わせ終了後の配信で完成されたデモ曲を披露し、さらにレコーディングに入る直前二日前には、今度は神保のプライベートスタジオから演奏リハーサル終了後の配信でそのリハーサルした曲をライブ演奏で披露した。そして、レコーディング完了直後、向谷の公式YouTubeチャンネルでライブ配信による新曲お披露目会が行われた。かつて向谷が提唱していたレコーディングの可視化に近いことが行われ、アルバムリリースに先行してのシングル配信でも数カ月、ライブで披露するのには半年近く間があるものの、ファンの心を惹きつけることになった。
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『M.R.I_ミライ』(ミライ)は、かつしかトリオのデビュー・アルバム。2023年10月25日にヤマハミュージックコミュニケーションズよりリリース。
{{Infobox Album | Name = M.R.I_ミライ | Cover = | Type = スタジオ・アルバム | Artist = [[かつしかトリオ]] | Released = [[2023年]][[10月25日]] | Recorded = [[2022年]]6月、2023年5月&8月<br />[[横浜ランドマークタワー|ランドマークスタジオ]]([[神奈川県]][[横浜市]]) | Genre = [[フュージョン (音楽)|フュージョン]] | Length = <!-- 分秒 --> | Label = [[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]] | Producer = | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = | This album = '''M.R.I_ミライ'''<br />([[2023年]]) | Next album = | Misc = | EAN = | Tracklist = }} 『'''M.R.I_ミライ'''』(ミライ)は、[[かつしかトリオ]]のデビュー・アルバム<ref name=":0">[https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/news/detail/1469?ima=0000 伝説のフュージョンバンド「カシオペア」元メンバーで結成された "かつしかトリオ"! 待望のニューアルバム『M.R.I_ミライ』いよいよリリース!] - ヤマハミュージックコミュニケーションズ</ref>。[[2023年の日本|2023年]][[10月25日]]に[[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]]よりリリース<ref name=":0" />。 == 解説 == === 概要 === キャッチコピーは、'''「大人げないオトナの音楽」'''。レコーディング期間は後述のように、2022年6月、2023年5月、2023年8月の三期に分かれてはいるものの、参加メンバーは、[[向谷実]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])、[[櫻井哲夫]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])、[[神保彰]]([[ドラムセット|ドラムス]])によるかつしかトリオのみでゲスト・ミュージシャンは無し、[[プロデュース]]及び作・編曲も全十曲ともにかつしかトリオによるもので統一されている。 === リリースまでの道のり === [[2021年]]のライブセッションをきっかけに結成されたかつしかトリオは、翌[[2022年]]前半にその年の活動をするための[[ミーティング]]を重ねるうちにライブ活動のみならず、新曲を作ってリリースする構想が沸く。そして、三曲を作って6月にスタジオ・レコーディングし、その三曲をパッケージしたセルフタイトルのミニアルバム『かつしかトリオ』と三曲各々シングルとして、7月8日に向谷が経営している[[音楽館]]から配信で一斉リリースした。7月末から8月にかけて行われたライブツアーでも演奏されて好評を博した上、[[ITunes Store|iTunes]]ジャズチャートと[[e-onkyo music]]([[ハイレゾリューションオーディオ|ハイレゾ]]配信)ジャズアルバムチャートでは第1位を記録した。すでに恒久的な活動を宣言していたかつしかトリオにとってそれは確かな手応えとなり、多忙な三人ゆえにスケジュールの都合でこの年はライブツアーが終わった8月で活動を閉じてしまったが、この三曲を加えてフルアルバムにして制作することを公表して翌年以降の活動にさらなる期待を持たせた。 2023年3月、半年ぶりにメンバー三人全員が集まり、まずはミーティングを始めていき、5月と8月に分けてスタジオ・レコーディングを行った。5月にレコーディングされた三曲は、アルバム発売に先駆けて一曲ずつ7月、8月、9月に配信で三カ月間連続リリースした。8月にアルバムが[[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]]からリリースすることが公表されたことにともなって、それまで音楽館からのリリースであったものを9月のシングル「Bright Life」からヤマハミュージックコミュニケーションズにすべて移管されることになった。全十曲中六曲が既発表ではあるが、その配信されていた全ての既発表曲については再度アルバム用ミックスが施されている。 === 三期に渡ったレコーディング === * '''1期目(2022年6月)レコーディング曲''' ** '''Red Expess''' ** '''Shining Blue''' ** '''柴又トワイライト''' 曲想は[[交通信号機]]の三色、赤・青・黄色をイメージとして、赤はテクニカルな曲、青はメロウな曲、黄色はダンサブルな曲と事前に個性を分けて作られた。作曲者の名義は三曲ともに“かつしかトリオ”とした。それについて向谷はe-onkyo musicサイトの連載『厳選 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』100回記念 かつしかトリオインタビューで以下のように答えている。 {{Quotation|我々3人、いろいろなバンド経験や音楽活動をやってきて 「一番いいカタチって何?」 と考えたときの答えが、全員がフラットでありイーブンであり、創り上げたものが我々のものだという共作というスタイルでした。}} 同インタビューで神保はこの方式について、[[ビートルズ]]の[[レノン=マッカートニー]]の感じだと表現している。実際の作曲工程は、誰かが作ってきたモチーフとなる曲を[[MIDI]]データのやりとりで手を加えていくものとした。そして、2期目、3期目の作曲工程もそれが貫かれた。 なお、かつて三人がともにメンバーであった[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]在籍時代([[1980年の日本|1980年]]~[[1989年の日本|1989年]])に共作したのは、その際に[[野呂一生]]も含めて四人全員で作ったアルバム『[[HALLE]]』([[1985年の日本|1985年]][[9月10日]]リリース)のタイトル曲「HALLE」のみであるが、かつしかトリオのライブでもセルフカバーしている。 レコーディング最終日はそのスタジオから最終段階の[[ミキシング|ミックスダウン]]したばかりの新曲三曲を神保が運営している公式[[YouTube]]チャンネルでライブ配信している「OUCHI DE JIMBO」にて三人が解説を付けながら披露した。 この時点では三曲ともに正式な曲名が決まっておらず、コメント欄にて視聴者に曲名の募集を呼び掛けた。しかしながら、「○○ Express」と縛りを加えていた「Red Express」は配信中に向谷自身がなにげに発したもので、「Shining Blue」は神保が当初から提案していた仮タイトルがそのままとなり、「柴又トワイライト」はその候補がなくて、後日、かつしかトリオに因んで[[東京都]][[葛飾区]]内の地名・[[柴又]]と黄色は[[黄昏]]=トワイライトから付けられた。 * '''2期目(2023年5月)レコーディング曲''' ** '''M.R.I_ミライ''' ** '''a la moda''' ** '''Bright Life''' 1期目と同じくメンバー三人の共作でMIDIデータをやり取りしながら曲作りを行っていった。最初に作った曲はアルバムタイトル曲にもなった「M.R.I_ミライ」。向谷は櫻井から送られてきたMIDIデータの凄まじいフレーズを聴いて驚愕。そのフレーズを作ってきた櫻井は、曰く「ちゃんと自分で弾けたので演奏用のデータとして送った」とのことだが、向谷は「なんだこれは!?」と音楽でないものを感じ、そして直近の定期健康診断で受けた[[核磁気共鳴画像法|MRI]]検査の大掛かりな機器から発する轟音を想起したことから、まずは仮タイトルで「MRI」と付けられ、後でそのMとRとI、三文字の各[[母音]]を拾って正式な曲名「M.R.I_ミライ」と付けられた。バンド結成のきっかけである、過去を懐かしむ[[同窓会]]的なノリからの脱却を図っていたかつしかトリオにとって「ミライ」=「未来」は今後常に掲げられる目標であることからアルバムタイトルにも採用された。 1期目にレコーディングして既にリリースされていた三曲のなかで超絶技巧を駆使した「Red Express」がとりわけ好評だった上、それに勝るとも劣らない「M.R.I_ミライ」を作ったことにより、この二期目の他二曲もそれらに引っ張られて超絶技巧を駆使していくことになり、メンバー全員齢60代なのに“大人げない”作りとなっていったことから「大人げないオトナの音楽」(考案者:神保)というキャッチコピーが生まれ、それがそのまま三期目のレコーディングにも受け継がれてアルバムの方向性となっていった。 [[ラテン語]]で“おしゃれに”という意味を持たせた「a la moda」はラテン調の曲で、アコースティックピアノをフィーチャーした。「Bright Life」は仮タイトルで「日曜日の散歩」と付けられていて当初はその仮タイトル通りのユルい曲調であったのが、“大人げない”を注入したことにより、アグレッシブな展開も併せ持つようになっていった。なお、正式な曲名「Bright Life」は、レコーディング完了後、後述のライブ配信による新曲お披露目会開始30分前に決まった。 神保の公式YouTubeチャンネルで定期的にライブ配信している「OUCHI DE JIMBO」では、音楽館にある向谷のプライベートスタジオからレコーディングへ入る前に三人が集まって打ち合わせ終了後の配信で完成されたデモ曲を披露し、さらにレコーディングに入る直前二日前には、今度は神保のプライベートスタジオから演奏リハーサル終了後の配信でそのリハーサルした曲をライブ演奏で披露した。そして、レコーディング完了直後、向谷の公式YouTubeチャンネルでライブ配信による新曲お披露目会が行われた。かつて向谷が提唱していたレコーディングの可視化に近いことが行われ、アルバムリリースに先行してのシングル配信でも数カ月、ライブで披露するのには半年近く間があるものの、ファンの心を惹きつけることになった。 * 3期目(2023年8月)レコーディング曲 ** Katsushika De Ska ** Moon Town ** Route K3 ** MAJESTIC == 収録曲 == # '''M.R.I_ミライ''' # '''Red Express''' # '''Bright Life''' # '''a la moda''' # '''Sining Blue''' # '''柴又トワイライト''' # '''Katsushika De Ska''' # '''Moon Town''' # '''Route K3''' # '''MAJESTIC''' == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:みらい}} [[Category:2023年のアルバム]] [[Category:ヤマハミュージックコミュニケーションズのアルバム]]
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恋の罠 恋の罠 (映画) - 2006年に公開された映画。 恋の罠 - 水蓮寺ルカ starring 山崎はるかの楽曲。シングル「恋の罠/Precious Nativity」に収録。
'''恋の罠''' * [[恋の罠 (映画)]] - 2006年に公開された映画。 * 恋の罠 - 水蓮寺ルカ starring [[山崎はるか]]の楽曲。シングル「[[恋の罠/Precious Nativity]]」に収録。 {{Aimai}} {{DEFAULTSORT:こいのわな}} [[Category:同名の作品]]
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影との戦い
『影との戦い』(かげとのたたかい、原題:A Wizard of Earthsea)は、アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィン(1929年 - 2018年)が1968年に発表したファンタジー小説。『ゲド戦記』シリーズの第1作であり、ファンタジー文学及び児童文学の古典として広く影響を及ぼしている。 なお、シリーズ名『ゲド戦記』の表記は日本語版独自の呼び名であり、英語版では "Books of Earthsea"、"Earthsea Cycles" などと呼ばれる。 物語の舞台は「アースシー」と呼ばれる架空の多島海世界であり、ゴント島の村に生まれた若い魔法使いのゲドを主人公とする。ゲドは子供のころから強大な力の兆候を示し、魔法学校に進むが、その傲慢な性格から院生と対立する。魔法による決闘中、ゲドは呪文を失敗して死の影を呼び出してしまい、その影に追われる身となる。この物語では、「影」からの解放をめざすゲドの旅が描かれる。 『影との戦い』は、ゲドが力と死に対処することを学ぶ過程を探求しており、しばしば教養小説あるいは成長物語として説明される。 また、魔法使いたちによって維持されているアースシー宇宙の均衡の概念については、道教的なテーマを含んでおり、言葉と名前が物質世界に影響を及ぼし、バランスを変える力を持つという考えと密接につながっている。 物語の構成は伝統的な叙事詩に近いが、主人公を典型的な白人のヒーローではなく浅黒い肌の有色人種として設定しているなど、このジャンルの定形を破るいくつかの手法が取られている。 『影との戦い』は当初は児童書として、後には一般の読者からも圧倒的な高い評価を得た。本書は1969年にボストン・グローブ・ホーンブック賞(英語版)を受賞し、1979年にはルイス・キャロル・シェルフ賞(英語版)の最終受賞作のひとつとなった。 著者ル=グウィンは、本作『影との戦い』に続いて5冊の作品すなわち『こわれた腕環』(1971年)、『さいはての島へ』(1972年)、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年、旧タイトル『ゲド戦記外伝』)、そして『アースシーの風』(2001年)を執筆しており、これらは合わせて『ゲド戦記』シリーズと呼ばれる。 1964年にファンタスティック(英語版)誌に掲載されたル=グウィンの2つの短編小説「解放の呪文」と「名前の掟」には、物語の舞台となるアースシー世界の初期設定が見られる。これらの物語は、後に彼女の短編集『風の十二方位』(1975年)に収録された。 ル=グウィンは1965年または1966年にもアースシーを舞台とする物語を書いたものの、これは出版されなかった。 1967年、パルナッサス・プレスのハーマン・シャインは、ル=グウィンに「年長の子供向け」の本を書いてみないかと依頼し、主題とアプローチについてはまったく自由に任せた 。 1960年代後半、ヤングアダルト文学は脚光を浴びていたが、ル=グウィンにはこのジャンルでの経験がなかった。彼女は自分の過去の短編小説を発展させて、『影との戦い』の執筆に取りかかった。ル=グウィンはこの物語について、典型的には長老や賢者として描かれる魔法使いが、若く未経験だったころどんな人物だったのかという疑問への応答だと述べた 。 後に彼女は、青少年の読者のためにファンタジーという媒体を選び、成人つまり大人への移行をテーマとしたとも語っている。 1964年に出版された上記の短編小説では、アースシー世界とその中の重要な概念、例えばル=グウィンの魔法の扱い方などがすでに示されている。「名前の掟」には、『影との戦い』の中盤に登場する竜イエボーも紹介されている。 アースシーの描写はまた、ル=グウィンが精通する北欧神話やアメリカ先住民の伝説からも影響を受けている。北欧の伝承の影響は、とくに二人の兄弟を神として崇拝する金髪碧眼のカルガド人のキャラクターに見られる。また、宇宙の「均衡」という概念には、彼女の著作に対する道教思想の影響が見て取れる。 ル=グウィンの神話や伝説に関する知識、また人類学への家族ぐるみでの関心の高さが、アースシーの島々の「全文化」の創造を可能にしたと、学者のドナ・ホワイトは述べている 。 アースシー世界は多島海(アーキペラゴ)と呼ばれる、島々の集まりである。物語中の歴史では、島々はセゴイと呼ばれる存在によって海の底から持ち上げられたとされる。この世界には人間と竜が住んでおり、生まれつき何らかの魔法の才能を持った人間のうち、より才能に恵まれた者はまじない師や魔法使いになる。 アースシーは産業革命以前の社会で、広大な多島海には多様な文化が存在する。登場人物の多くはハード語を話す浅黒い肌をした人々で、大半の島々に住んでいる。東部にある4つの大きな島には、白い肌をしたカルガド人が住んでおり、彼らは魔法を忌み嫌い、ハード語圏の人々を邪悪な魔術師とみなしている。一方で、ハード語圏の人々はカルガド人を野蛮な民族とみなしている。多島海の最西端の領域には竜が住んでいる。 世界はきわめて微妙な均衡によって保たれており、民の多くはそのことを知っているが、オリジナル三部作である本作『影との戦い』、『こわれた腕環』、『さいはての島へ』では、それぞれ何者かによってこの均衡が破られる。 (以下の固有名詞の表記は、清水真砂子翻訳による岩波書店版に従う。) 物語の主人公はゴント島で生まれ、「ハイタカ」というあだ名を持つ少年ダニーである。まじない師の伯母は、ダニーが生まれながらにして並外れた力を持っていることに気づき、自分が知る小さな魔法を彼に教えた。 ゴントがカルガド人たちの襲撃を受けたとき、ダニーは霧を呼び出して自分の村と住民たちを隠し、彼らの手でカルガド人たちを追い払うことに成功する。これを知った大魔法使いオジオンはダニーを弟子として迎え、彼にゲドという「真の名」を授ける。 オジオンはゲドに「均衡」の概念、つまり魔法を適切に使わなければ世界の自然秩序を揺るがす危険があることを学ばせようとする。しかし、少女の気を引こうとしたゲドは師の呪文書を開き、自分でも気づかないうちに奇妙な影を召喚してしまう。それを追い払えたのは、オジオンだけだった。 ゲドの魔法習得への野心と、彼への指導が遅いことへの焦りを察したオジオンは、ローク島にある魔法学院への入学を打診する。ゲドはオジオンを愛していたものの、進学の道を選んだ。 学院では、ゲドの技量に教師も院生たちもともに感嘆の声を上げた。ゲドは年長の院生たちと出会い、カラスノエンドウと親しくなるものの、他の院生とは距離を置いた。とくにヒスイとは、ゲドの尊大な性格を刺激されて険悪な仲となる。祭りのさなか、ゲドに対して慇懃無礼に振る舞うヒスイに、ゲドは魔法の決闘を挑む。ゲドは伝説的な死者の女性の霊を呼び出す強力な呪文を唱えるが失敗し、代わりに放たれた影の生き物がゲドを襲って彼の顔を傷つける。大賢人ネマールは影を追い払うが、その犠牲となって命を落とす。 ゲドは何ヶ月もかかって回復し、修行を再開できるようになる。新しい大賢人ジェンシャーは、影には名前がなく、死の世界の精霊のひとつであり、ゲドに憑依して操ろうとしていると警告する。やがてゲドは学院を卒業し、魔法使いの杖を受け取る。ゲドは九十群島に居を構え、近くのペンダー島に住みついた竜から貧しい村人を守ろうとするが、自分が依然として影に追われていることに気づく。二つの脅威を同時に防ぐことはできないと覚った彼は、小舟でペンダーに向かい、命がけで親竜の真の名を究明する。彼が竜の名を言い当てると、竜はゲドを追う影の名前を教えようと持ちかける。しかしゲドはこの取引に乗らず、竜とその子供たちが多島海を決して脅かさないことを誓約させる。 影がすぐ近くに迫っていることを感じたゲドは、影と戦える剣があるというオスキルのテレノン宮殿をめざす。その途上で影に襲われ、ゲドはかろうじてテレノン宮殿に逃げ込む。城主の夫人セレットは、特別な力が具わるという石をゲドに見せ、この石と話せば無限の知識と力が得られると彼を誘う。ゲドは動揺しつつも、石には太古の精霊が閉じ込められており、邪悪な力を持っていることを察知して石との接触を拒否する。城から脱出すると、セレットがかつてゲドをからかい、オジオンの呪文書を盗み読みさせた少女だったことに気づく。石に仕える者たちに追われたゲドは、ハヤブサに変身して飛び去る。 ゲドは遠く飛んで、ゴントのオジオンの元に戻る。オジオンはゲンシャーとは意見が異なり、名前を持たないものはないとして、影と立ち向かうようゲドに助言する。覚悟を決めたゲドが影に向かって突き進むと、影は逃げ出し、オジオンが正しいことが明らかとなる。ゲドは海上で影を追うが、霧の中に誘い込まれ、操っていた小舟が暗礁に乗り上げて大破してしまう。絶海の孤島で取り残されていた年老いた男女の助けを借りてゲドは回復する。老婆はゲドに、腕環のような装身具の片割れを差し出した。 小舟を修理したゲドは、東に向けて追跡を再開する。イフィッシュ島ではカラスノエンドウと再会し、彼は自ら進んでゲドと同行する。二人は過去に知られている土地を遥かに超えて東に旅し、ついに影と遭遇する。ゲドと影は、ともに同じ名を唱えてひとつに融合し、ゲドは自分が癒やされ、全き人になったとカラスノエンドウに告げる。 1968年の『影との戦い』初版は、ルース・ロビンスによって挿絵が描かれた。表紙イラストはカラーで、表紙を開くとアースシー世界(多島海)の地図が掲載されていた。さらに、各章にはロビンスによる木版画風のイラストが白黒で掲載されていた。 画像は各章の代表的なトピックを表していた。例えば、最初の画像にはゴント島が描かれており、第5章「ペンダーの竜」では空飛ぶドラゴンが描かれた。第10章「世界の果てへ」では、ゲドが「はてみ丸」で航海している様子を描いた絵が使用されており、ゲドとカラスノエンドウがイフィッシュ島から東に向かい、知られたすべての土地を超えて影と対峙する場面となる。 『影との戦い』は1968年、バークレーのパルナッサス・プレス社から最初に出版された。ル=グウィンにとって転機となるSF小説『闇の左手』が出版される1年前のことだった。 児童向け作品はル=グウィンの初の試みであり、彼女個人にとっても画期的な出来事だった。この小説が出版される以前、彼女はいくつかの小説と短編を書いただけだった。さらに本作は、SFではなくファンタジー分野への進出という点でも彼女の最初の試みだった。 『影との戦い』は、ル=グウィンの著書の中で初めて批評家の注目を広く集め、『ゲド戦記』シリーズの第一作として、彼女の代表的な作品とされている。 本作は、2015年に発売された挿絵入りのフォリオ・ソサエティ(英語版)版を含めて、数多くの版を重ねている。 また、他の多くの言語にも翻訳されている。 2018年には『影との戦い』出版50周年に合わせて、ル=グウィンの『ゲド戦記』全作品を集めたオムニバス版が発売された 。 ル=グウィンは当初、『影との戦い』を単独の小説とするつもりだったが、作品の中で未解決のまま残っている部分を考慮して続編の『こわれた腕環』(1971年)、さらに三作目の『さいはての島へ』(1972年)を発表する。 『こわれた腕環』は『影との戦い』から数年後の物語である。島々の間で戦いが絶えないことを憂えたゲドは、平和をもたらすというエレス・アクベの腕環を求めてカルガド人の地にあるアチュアンの地下墓所に潜入する。ゲドはそこで巫女の少女アルハと出会う。 『さいはての島へ』では、大賢人となったゲドが若い王子アレンを伴い、アースシー全域で起こりつつある魔法の力の衰えに立ち向かおうとする。 これらシリーズ最初の三冊は、「オリジナル三部作」と呼ばれ、三作のそれぞれにおいて、世界の不均衡を修復するためにゲドが力を尽くす姿が描かれる。 これらに続いて、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年)、『アースシーの風』(2001年) が書かれ、合わせて「第二の三部作」とも呼ばれる。 本作ははじめ児童書の評論家たちから認められ、高い評価を得た。 『影との戦い』が1971年にイギリスで発売されると、さらに好意的に受け止められた。ホワイトによれば、このことはイギリスでは児童向けファンタジー作品に対する批評家たちの称賛がより大きいことが反映している。 イギリスの批評家ナオミ・ルイス(英語版)(1911年 - 2009年)は、1975年の注釈付きブックリスト『子供のためのファンタジー』の中で『影との戦い』について次のように紹介した。 「気軽に立ち読みできるような簡単な本ではないが、一歩を踏み出した読者は、現代のもっとも重要なファンタジー作品のひとつに出会うことになるだろう。」。 同様に、文学者のマーガレット・エスモンドは1981年に「ル=グウィンは......ハイ・ファンタジーの最高傑作とも言えるもので児童文学を豊かにした」と述べ、作家・ジャーナリストのアマンダ・クレイグ(英語版)(1959年 - )はガーディアン紙の書評において、「船の帆のように明瞭で張りのある文体で書かれた、これまででもっともスリリングで賢明かつ美しい児童小説だ。」と述べた。 児童文学作家のエリノア・キャメロン(1912年 - 1996年)は児童図書館員の集会で本作について、「あたかもル=グウィン自身がこの多島海に住んでいるかのようだ」と、物語の世界構築を称賛した。 作家のデヴィッド・ミッチェル(1969年 -)は、主人公のゲドを「見事な創造物」と呼び、当時の著名なファンタジー作品に登場する魔法使いよりも親しみやすいと主張した。彼によれば、ガンダルフのようなキャラクターは「魔術師の中でも白人の学究貴族であるマーリンの変形」であり、成長の余地がほとんどないのに対し、ゲドは物語を通じてキャラクターとして成長したという。ミッチェルはまた、物語の他の登場人物たちについても、彼らが束の間の存在であるにもかかわらず「十分に考え抜かれた内面」を持っているように見えると述べた。 1995年の「SF百科事典(英語版)」によれば、『ゲド戦記』シリーズは第二次世界大戦後の最高の児童向けSF作品とみなされていた。 『ゲド戦記』シリーズは児童書とみなされていたため、一般書としては注目されていなかった。ル=グウィン自身はこのような児童文学の扱いを批判して、「大人の排他主義者の恥ずべき行い」と表現した。 1976年、文学者のジョージ・スラッサー(英語版)(1939年 - 2014年)は、「馬鹿げた出版区分が原作シリーズを『児童文学』に指定している」と批判した。 バーバラ・バックナルは、「ル=グウィンによるこれらのファンタジーは、幼児向けでも大人向けでもなく、年長の子供たちのために書かれた。だが実のところは、トールキン作品のように10歳の子供にも大人にも読むことができる。これらの物語は、私たちが何歳であろうと直面する問題を扱っていて、年齢を問わない。」と述べている。。 『影との戦い』がより一般的な読者から注目されるようになったのは、後年になってからである。 文学研究者のトム・シッピー(英語版)は、『影との戦い』を本格的な文学として扱った最初の一人であり、本書がC・S・ルイスやドストエフスキーの作品と肩を並べるものだと分析した。 マーガレット・アトウッド(1939年 - )は本書を「大人のためのファンタジー」だと見なし、ファンタジー文学の「源泉」のひとつと呼んだ。彼女はさらに、この本はヤングアダルト小説またはファンタジーのいずれかに分類できるが、「生と死、そして私たち人間は何者なのか」というテーマを扱っており、12歳以上であれば誰でも楽しんで読むことができる、と述べた。 「SF百科事典」もこの見解に同調し、このシリーズの魅力は、対象として書かれたヤングアダルト層を「はるかに超えたもの」だとし、さらに本書を「厳しいが鮮やか」であり、このシリーズはC・S・ルイスの『ナルニア国物語』よりも思慮深いと称賛した。 このほか、ブライアン・アテベリー(英語版)(1951年 -)は、彼の1980年のファンタジー史の中で『ゲド戦記』オリジナル三部作を「これまでで最も挑戦的で最も豊かなアメリカン・ファンタジー」と呼んだ。 スラッサーはこのシリーズを「先端的な様式と構想による作品」であり 、オリジナル三部作は「本物の叙事詩的な想像力」の産物だと述べた。 1974年、批評家のロバート・スコールズ(英語版)(1929年 - 2016年)はル=グウィンの作品をC・S・ルイスの作品と比較して次のように述べた。「ルイスがとりわけキリスト教的な価値観を打ち出したのに対し、ル=グウィンは神学ではなく生態学(エコロジー)、宇宙論、自己管理構造としての世界への畏敬の念をもって取り組んだ。」とし、これに付け加えて、ル=グウィンの3冊のアースシー物語それ自体が誰にとっても残すべき十分な遺産だと述べた。 2014年、SF編集者・批評家のデヴィッド・プリングル(英語版)(1950年 -)は本作を「詩的で、スリリングで、そして深遠な美しい物語」と呼んだ。 日本の英文学者本橋哲也(1955年 -)は、『アースシー物語』を真の文学にふさわしいものにしているのは、人間性と自然世界への深い洞察と、それに伴う倫理的省察だとする。人は生きていくとき、何を選択しているのか、さまざまな選択肢の中で人は本当に何をなさなくてはならないのか。この選択と義務をめぐる答えのない問いは、ゲドの生涯につきまとっていく。読者もまた物語を読みながら、こうした問いを登場人物たちと分有し、自分もその応答の主体とならざるを得ないと述べている。 『影との戦い』によって、ル=グウィンはさまざまな著名な賞を受賞した。 1969年にボストン・グローブ・ホーンブック賞(英語版)を受賞、1979年にはルイス・キャロル・シェルフ賞(英語版)の最後の受賞作の一つとなった。 1984年、ポーランドの金のセプルカ賞(ポーランド語版)を受賞した。 2004年には、ル=グウィンはアメリカ図書館協会からヤングアダルト文学に対して与えられるマーガレット・A・エドワーズ賞を受賞した。なお、この賞では彼女の『ゲド戦記』シリーズの最初の4巻、『闇の左手』、『始まりの場所(英語版)』の6つの作品が対象となっている。。 1987年のローカス誌の人気投票において、『影との戦い』は「オールタイム・ベストファンタジー小説」の3位となり、2014年にはデヴィッド・プリングルが現代ファンタジー小説のベスト100冊のリストの中で本作を39位に選んでいる。 『影との戦い』はファンタジーのジャンルに広く影響を与えたと見なされている。本作は、 トールキンの『指輪物語』やライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』など主要なハイ・ファンタジー作品と比較されている。 例えば、宮崎駿の2001年のアニメ映画『千と千尋の神隠し』には名前が力を発揮するという考え方が現れており、批評家たちは、このアイデアはル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズに由来するものだと指摘している。 SF小説『クラウド・アトラス』などの著者デイヴィッド・ミッチェルは、『影との戦い』に強い影響を受け、「ル=グウィンと同じ力を持つ言葉を操りたい」という欲求を感じたと述べた。 現代の作家たちは、『影との戦い』が後に『ハリー・ポッター』シリーズで有名になる「魔法学校」のアイデアを導入し、同シリーズにも登場する魔法使いの少年という類型を広めたと評価している。 評論家はまた、『影との戦い』の基本的な前提、つまり天才的な少年が魔法使いの学校に通い、彼自身と深い関りを持つ敵を作るという前提が、『ハリー・ポッター』のそれと共通すると述べている。 ゲドが影から傷を受け、影が彼に接近するときには常に痛みを感じるように、ハリーがヴォルデモートから受けた傷も同じである。こうした類似点について、ル=グウィンはJ・K・ローリングから「盗まれた」とは感じなかったものの、ローリングの本の独創性については称賛されすぎているとし、「ローリングは先人に対してもっと礼儀正しくあっても良かった。信じられないのは、最初の本を素晴らしく独創的だと評価した批評家だ。彼女には多くの美点があるが、独創性はその中に含まれていない。これには傷ついた。」と述べた。 『影との戦い』は、主人公ゲドの青年期から成人に至るまでに焦点を当てており、『ゲド戦記』オリジナル三部作の他の2作品とともに、ル=グウィンがダイナミックに描写した成長過程の一部を形成している。 この三部作では、ゲドの青年時代から老年期までを追うとともに、各作品ではそれぞれ異なる登場人物の成長も描かれる。このために、しばしば「教養小説」と見なされる。 著者のル=グウィンはこの本の中心的主題を成人としており、1973年のエッセイの中で彼女は、思春期の読者に向けて書くためにこのテーマを選んだと述べている。 彼女はまた、成人を描く媒体としてファンタジーはもっとも適しており、なぜなら潜在意識を探求するのに「合理的な日常生活」の言葉を使うことは難しいからだとも述べた。 ゲドは高慢で、しかしさまざまな状況で自分に自信が持てない人物として描かれている。オジオンに弟子入りして間もないころ、彼は師匠が自分を嘲っていると考え、その後ロークではヒスイから侮辱されているように感じる。どちらの場合も他人が自分の偉大さを理解していないと信じていることについて、ル=グウィンの叙述は同情的で、ゲドの心情をすぐには否定しない。 文学者のマイク・キャデンは、この本は「ゲドと同じくらい若く、おそらくは強情で、したがって彼に同情的な読者にとって」説得力のある物語だと述べた。 キャデンによれば、ル=グウィンは若い読者をゲドに共感させ、そして彼が魔法の力を律することを学ぶにつれて、自分の行動には代償を払わなければならないことに徐々に気づくようにしている。 これと同様に、オジオンについて修行を始めたときに、ゲドは魔法の神秘的な側面を教わって他の生物に変身する様子を思い描くが、オジオンの重要な教えはむしろ自分自身についてのものだということが次第にわかるようになる。 また、ル=グウィンが焦点を当てたものには精神面での発達だけではなく、モラルの変化も含まれている。 ゲドは、自分の力とそれを適切に使う責任とのバランスを考えるようになる。それは、彼がテレノンの石を訪れ、石の力が示した誘惑を目の当たりにしたときに得られた認識である。 ゲドの成長は、肉体面ではこの物語を通じて彼がたどる旅とも絡み合っている。 物語の最終章において、ゲドがついに影を自分の一部として受け入れ、恐怖から解放されるという結末は、評論家から通過儀礼だと指摘されている。例えば、ジーン・ウォーカー(英語版)は、最後の通過儀礼は『影との戦い』のプロット全体の相似形であり、プロットそのものが思春期の読者にとって通過儀礼の役割を果たしているとしている。 ウォーカーはさらに次のように述べている。「『影との戦い』の全体の筋は......主人公が、社会における個人とは何か、より高次の力との関係において自己とは何を意味するのかについて、ゆっくりと悟る様子を描いている。」。 エリノア・キャメロンはユングの分析心理学を引き、ゲドを苦しめた「影」はふだんは意識されずにある私たちの負の部分、言い換えれば、私たちの内に潜む獣性とでも呼ぶべきものではないかと指摘した。 若いゲドは影の生き物と恐ろしい出会いを果たすが、後にそれが自分自身の影(英語版)すなわち暗い側面であることに気づく。影を認め、融合した後にのみ、彼は人として完全になる。 これについて、ル=グウィンはアースシー物語を書くまでユングを読んだことはなかったと述べた。 アースシーの世界は微妙な均衡の上に成り立っているものとして描かれており、このことは住民の大部分に知られている。これには、陸と海の(「アースシー」という名前に暗示されている) 、また人と自然環境との均衡が含まれている。物理的な均衡だけではなく、より大きな宇宙の平衡があることを誰もが認識しており、魔術師はそれを維持する使命を負っている。 しかし、小説のオリジナル三部作のそれぞれに登場する何者かによってその均衡が崩される。。 アースシーのこの側面を説明して、エリザベス・カミンズは「力の均衡の原理、つまりあらゆる行為が自己、社会、世界、そして宇宙に影響を及ぼすという認識は、ル=グウィンのファンタジー世界における物理的・道徳的な原理である」と述べた。 均衡の概念は、この小説のもう一つの主要テーマである成人と関連している。というのも、自分が善も悪も行えるということを知った後に初めて均衡を保つ方法を理解できるからである。 ロークの学院にいる間、手わざの長はゲドに次のように語る。 ル=グウィンの著述における道教の影響は、本書の多くの部分、とくに「均衡」の描き方において明らかである。物語の終わりで、ゲドはどうしても必要なとき以外は行動しないことを学んでおり、道教の生き方を体現しているように見える。また彼は、光と闇、あるいは善と悪のように、一見正反対に見えるものが実は相互に依存していることも学んでいる。 光と闇は、それら自身が物語の中で繰り返されるイメージとなっている。批評家たちはこの信念が、多くのファンタジーと共通する物語内の保守的イデオロギーの証拠だと指摘している。学者たちによれば、ル=グウィンはバランスと均衡についての懸念を強調することで、魔法使いたちの現状維持の努力を正当化している。このような傾向は、一方でル=グウィンのSF作品では変化に価値があることが示されるのとは対照的である。 均衡のテーマと関連して、人間の悪の性質は、『影との戦い』や他のアースシーの物語を通じて重要なテーマとなっている。 ル=グウィンの他の作品と同様、悪は生命のバランスへの誤解として示されている。ゲドは生まれながらにして強大な力を持っていたものの、その力への増長心が彼の破滅につながる。彼は自分の強さを証明するために死者の霊を呼び戻そうとし、この自然の摂理に反する行為によって、彼を攻撃する「影」が解き放たれる。 ゲドは初めにゴントの少女から、その次にヒスイから挑発されたことによって危険な呪文を唱えることになるのだが、この挑発はゲドの心の中にあるものだとスラッサーは示唆している。彼を衝き動かしているのは彼自身の自尊心だが、彼は自分の内面に目を向けることを望まないように見える。 しかし、彼が自分の中に「影」を受け容れたとき、ようやくにして彼は自らの行動に対する責任も受け入れる。そして、自分の死すべき運命を受け入れることで自分自身を解放することができる。 このとき、ゲドに同行したカラスノエンドウは、ことの真相を次のように理解した。 したがって、アースシー世界には竜やテレノンの石など闇の力が存在するが、真の悪はこれらの力のいずれでも、あるいは死ですらなく、自然の均衡(英語版)に反するゲドの行動だった。 これは、光と闇を相反するものとして、常に対立する善と悪の象徴と見なす、従来の西洋やキリスト教の物語とは対照的である。 ゲドは二度にわたって、死と悪に挑むという誘惑に駆られるが、そのどちらもなくすことはできないことをやがて悟り、代わりに悪に仕えず、死を否定しないことを選択する。 本橋は、『アースシー物語』を読者がひとりの男性主人公による「戦記」や「伝記」と考えることは根本的な錯誤をはらんでおり、自己を絶対的善として設定する「戦い」ではなく、自らの中にも善や悪の混淆を認め、自分自身で悩み葛藤し、そこから他者との共生の可能性を探る「闘い」だとする。この物語は単純な二項対立の図式では理解できず、善悪の価値観を基本原理とする一般的な小説とは大きく一線を画している。そのことを読者が理解するための最初の重要な課題が「影」だと述べている。 ル=グウィンの架空の世界では、物体や人物の真の名を知ることは、それを支配する力を持つことを意味する。子供たちは思春期に達すると真の名を与えられ、その名は親しい友人とのみ共有される。 オーム・エンバーやカレシンのように、『ゲド戦記』シリーズの後期の小説に登場するいくつかの竜は、自分の名前を公然にしつつも、誰にも支配されずに生きているように描かれている。しかし、『影との戦い』では、イエボーに対してゲドが力を持っていることが示される。これについてキャデンは、イエボーは富や物質的な所有に執着し続けており、そのために自分の名前の力に縛られていると述べている。 魔法使いは名前を使うことで均衡に影響を及ぼす。こうして、このテーマは宇宙の均衡と関連付けられる。カミンズによれば、これは言語が現実を形作る力を示すル=グウィンの方法だという。言語は、私たちが環境について理解し合うためのツールなのだから、人間が環境に影響を与えることも可能であり、魔法使いが名前を使用する力はその象徴だと彼女は主張している 。カミンズはさらに、魔法使いが物事を変えるために名前を使うことと、フィクションの執筆において言葉を創造的に使うことの類似を示唆した。 シッピーは、名前に力があるというアースシーの魔法は、彼が「ルンペルシュティルツヒェン理論」と名付けたものによって機能するようだと述べた。シッピーによると、この描写は物に対する言葉の力を強調しようとするル=グウィンの努力の一環であり、『金枝篇』のジェームズ・フレイザーなど他の作家のイデオロギーとは対照をなしている。 エズモンドは、『ゲド戦記』の最初の3冊はいずれも名前が信頼を意味すると論じた。『影との戦い』では、カラスノエンドウはゲドに対し、自分から真の名前を明かすことで信頼を表し、ゲドを感激させる。後に『こわれた腕環』において、ゲドはテナーに同じものを贈り、そうすることで彼女が信頼を学び取ることができるようにした。 『影との戦い』や他の『ゲド戦記』シリーズの作品は、ル=グウィン初期のSFハイニッシュ・ユニバースの連作とほぼ同じ時期に書かれているが、その性格は大きく異なっている。 スラッサーは、『ゲド戦記』のシリーズは「ハイニッシュ」シリーズの「過度のペシミズム」との釣り合いを取るものだと述べた。彼は前者について、「帝国よりも大きくゆるやかに(英語版)」といった作品とは対照的に、個人の行動を好意的に描いているとみなした。 「SF百科事典」は、本作を「重厚な喜び」に満ちていると評した。 ル=グウィン自身は、ファンタジー作品の文体について語る中で、ファンタジーにおいては、読者の心の拠り所となる既知の枠組みが存在しないため、明確で直接的な表現が必要だったと述べている。 この物語はしばしば、読者がアースシーの地理や歴史に詳しいことを前提にしているように書かれているが、この手法によってル=グウィンは解説的文章を避けることができた。 ある評者は、この手法は「ル=グウィンの世界にトールキンのような神秘的な深みを与えているが、トールキンのうんざりするようなバックストーリーや詩作はない。」と述べる。 叙事詩の概念に沿って、叙述はゲドの未来を展望したり、アースシーの過去を振り返ったりと切り替わる。 同時に、スラッサーは小説の雰囲気が「不思議で夢のよう」であり、客観的な現実とゲドの心の中の思考の間で揺れ動いていると述べた。ゲドの敵は実在するものもいるが、その他は幻影である。 このような叙述手法をキャデンは「自由間接話法(英語版)」と呼んでいる。この語り手は主人公に寄り添っているように見え、読者から主人公の考えを遠ざけようとはしない。 『影との戦い』は叙事詩の要素を強く持っている。例えば、アースシーの歴史におけるゲドの位置付けは、本書の始まりの部分で次のような言葉で説明されている。 また、物語の冒頭にはアースシーの歌『エアの創造』の言葉が置かれ、本書の開始を儀式的に飾る形となっている。その後、物語の語り手は、これから語るのはゲドの若い頃の物語だと述べ、以降の文脈が確立される。 ル=グウィンの他の多くの作品の主人公たちと比べると、探求に旅立つ魔法使いとしてのゲドは、表向きには典型的なヒーローである。 批評家は『影との戦い』を『ベーオウルフ』のような叙事詩と比較している。 学者のヴァージニア・ホワイトは、この物語は主人公が冒険を始め、途中で試練に直面し、最終的には勝利を収めて帰還するという叙事詩に共通する構造に従っていると論じた。ホワイトはさらに、この構造は各巻だけでなくシリーズ全体にも見られるものだと指摘した。 ル=グウィンは、そのような「単一の神話」にありがちな定形の多くを覆した。彼女の物語の主人公は伝統的に現れる白い肌の英雄ではなく、みな浅黒い肌をしていた。逆に、敵対者のカルガド人の肌は白く、人種間の役割が入れ替わっていることが複数の批評家によって指摘されている。 批評家はまた、彼女が伝統的な西洋のファンタジーを破壊する手段として、多様な出自を持つキャラクターを使っていることを挙げている。 一方で、批評家たちは『影との戦い』を含むオリジナル三部作におけるル=グウィンの性別の扱いに疑問を呈した。後にフェミニストとして知られるようになったル=グウィンだが、シリーズの第1巻の本書で、魔法を使うのは男性と少年に限定している。 発表当時はこの点についてジェンダー的な観点からの批評は行われていなかった。続く『こわれた腕環』ではル=グウィンは意図的に女性の成長物語を描いたものの、作中の描写はシリーズの男性優位モデルを引き継いでいるという評がある。 『ゲド戦記』の第3巻『さいはての島へ』(1972年)から18年後に出版された第4巻『帰還』(1990年)は、ル=グウィン及び評論家たちによって本シリーズをフェミニスト的に再創造したものだとされている。ここでは主要登場人物の権力や地位が逆転しており、家父長制的な社会構造に疑問が投げかけられる。 1993年のコメントで、ル=グウィンは「フェミニストとしての良心との格闘」が済むまで「1972年以降のアースシー」を続けることはできなかったと述べている。 幾人かの批評家は、ル=グウィンは叙事詩、教養小説、ヤングアダルト小説の要素を組み合わせることで、従来のジャンルの境界を曖昧にすることに成功したと論じている。 フランシス・モルソンは1975年の解説で、この物語が必ずしもヒロイック・ファンタジーの型やそれが引き起こす道徳的問題に従っていないことから「倫理的ファンタジー」と呼ばれるべきだと主張した。だが、この用語は普及しなかった。 同様の議論は1985年に児童文学評論家のデリア・シャーマン(英語版)(1951年 -)によってなされた。シャーマンは、『影との戦い』を始めとするシリーズが求めたのは「良い大人になるとはどういうことなのかを、劇的な例を通して子供たちに教える」ことだと述べた。 1989年、ワールド・ブック(英語版)によってチャイルドクラフト(英語版)第3巻に本書第1章のイラスト付き要約版が掲載された。 本書のオーディオ版は複数リリースされている。BBCラジオは1996年にラジオドラマ版を制作し、ジュディ・デンチがナレーションを務めた。 2015年には『ゲド戦記』の翻案による6部構成のシリーズを制作、BBCラジオ4エクストラ(英語版)で放送した。 2011年、この作品はロバート・イングリス(英語版)による無修正録音として制作された。 この物語を映像化した作品も2本制作されている。 2004年に『ゲド〜戦いのはじまり〜』というタイトルのミニシリーズがSci Fi Channelで放送された。このテレビ作品はごく大まかに『影との戦い』と『こわれた腕環』に基づいている。 「サロン」に掲載された記事の中で、ル=グウィンはこの結果に対して強い不快感を表明した。作中では赤茶色の肌をしているゲドを「怒りっぽい白人の子供」に置き換えたことで、このシリーズはアースシーを「白塗り」しており、作品の核心として白人ではない人物の物語を書くという彼女の選択が無視されたと述べた。 この感想は、「究極のファンタジー百科事典("The Ultimate Encyclopedia of Fantasy")」のレビューでも共有された。同紙は、『ゲド〜戦いのはじまり〜』はル=グウィンの原作に対して「まったく的外れ」であり、「原作の繊細さ、ニュアンス、美しさをすべて取り除き、その代わりに陳腐な常套句、痛々しいステレオタイプ、そして理不尽な「壮大な」戦争を挿入した。」と述べた。 2006年、スタジオジブリは本シリーズの翻案によるアニメ映画『ゲド戦記』を発表した。 この映画は、シリーズ第一作『影との戦い』、第三作『さいはての島へ』、第四作『帰還』の要素をごく大まかに組み合わせて新しい物語を作り上げている。 ル=グウィンは映画の制作過程について、宮崎駿自身が映画をプロデュースすると信じて映画化を承諾したが、結局そうならなかったと述べ、不快感を示した。ル=グウィンは映画の描写を称賛したものの、暴力の行使を嫌った。また彼女は道徳描写、とくに対立を解消する手段として殺されかねない悪役の起用について不満を表明し、それは本書のメッセージに反するものだと語った。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『影との戦い』(かげとのたたかい、原題:A Wizard of Earthsea)は、アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィン(1929年 - 2018年)が1968年に発表したファンタジー小説。『ゲド戦記』シリーズの第1作であり、ファンタジー文学及び児童文学の古典として広く影響を及ぼしている。 なお、シリーズ名『ゲド戦記』の表記は日本語版独自の呼び名であり、英語版では \"Books of Earthsea\"、\"Earthsea Cycles\" などと呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "物語の舞台は「アースシー」と呼ばれる架空の多島海世界であり、ゴント島の村に生まれた若い魔法使いのゲドを主人公とする。ゲドは子供のころから強大な力の兆候を示し、魔法学校に進むが、その傲慢な性格から院生と対立する。魔法による決闘中、ゲドは呪文を失敗して死の影を呼び出してしまい、その影に追われる身となる。この物語では、「影」からの解放をめざすゲドの旅が描かれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は、ゲドが力と死に対処することを学ぶ過程を探求しており、しばしば教養小説あるいは成長物語として説明される。 また、魔法使いたちによって維持されているアースシー宇宙の均衡の概念については、道教的なテーマを含んでおり、言葉と名前が物質世界に影響を及ぼし、バランスを変える力を持つという考えと密接につながっている。 物語の構成は伝統的な叙事詩に近いが、主人公を典型的な白人のヒーローではなく浅黒い肌の有色人種として設定しているなど、このジャンルの定形を破るいくつかの手法が取られている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は当初は児童書として、後には一般の読者からも圧倒的な高い評価を得た。本書は1969年にボストン・グローブ・ホーンブック賞(英語版)を受賞し、1979年にはルイス・キャロル・シェルフ賞(英語版)の最終受賞作のひとつとなった。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "著者ル=グウィンは、本作『影との戦い』に続いて5冊の作品すなわち『こわれた腕環』(1971年)、『さいはての島へ』(1972年)、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年、旧タイトル『ゲド戦記外伝』)、そして『アースシーの風』(2001年)を執筆しており、これらは合わせて『ゲド戦記』シリーズと呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1964年にファンタスティック(英語版)誌に掲載されたル=グウィンの2つの短編小説「解放の呪文」と「名前の掟」には、物語の舞台となるアースシー世界の初期設定が見られる。これらの物語は、後に彼女の短編集『風の十二方位』(1975年)に収録された。 ル=グウィンは1965年または1966年にもアースシーを舞台とする物語を書いたものの、これは出版されなかった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1967年、パルナッサス・プレスのハーマン・シャインは、ル=グウィンに「年長の子供向け」の本を書いてみないかと依頼し、主題とアプローチについてはまったく自由に任せた 。 1960年代後半、ヤングアダルト文学は脚光を浴びていたが、ル=グウィンにはこのジャンルでの経験がなかった。彼女は自分の過去の短編小説を発展させて、『影との戦い』の執筆に取りかかった。ル=グウィンはこの物語について、典型的には長老や賢者として描かれる魔法使いが、若く未経験だったころどんな人物だったのかという疑問への応答だと述べた 。 後に彼女は、青少年の読者のためにファンタジーという媒体を選び、成人つまり大人への移行をテーマとしたとも語っている。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1964年に出版された上記の短編小説では、アースシー世界とその中の重要な概念、例えばル=グウィンの魔法の扱い方などがすでに示されている。「名前の掟」には、『影との戦い』の中盤に登場する竜イエボーも紹介されている。 アースシーの描写はまた、ル=グウィンが精通する北欧神話やアメリカ先住民の伝説からも影響を受けている。北欧の伝承の影響は、とくに二人の兄弟を神として崇拝する金髪碧眼のカルガド人のキャラクターに見られる。また、宇宙の「均衡」という概念には、彼女の著作に対する道教思想の影響が見て取れる。 ル=グウィンの神話や伝説に関する知識、また人類学への家族ぐるみでの関心の高さが、アースシーの島々の「全文化」の創造を可能にしたと、学者のドナ・ホワイトは述べている 。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "アースシー世界は多島海(アーキペラゴ)と呼ばれる、島々の集まりである。物語中の歴史では、島々はセゴイと呼ばれる存在によって海の底から持ち上げられたとされる。この世界には人間と竜が住んでおり、生まれつき何らかの魔法の才能を持った人間のうち、より才能に恵まれた者はまじない師や魔法使いになる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "アースシーは産業革命以前の社会で、広大な多島海には多様な文化が存在する。登場人物の多くはハード語を話す浅黒い肌をした人々で、大半の島々に住んでいる。東部にある4つの大きな島には、白い肌をしたカルガド人が住んでおり、彼らは魔法を忌み嫌い、ハード語圏の人々を邪悪な魔術師とみなしている。一方で、ハード語圏の人々はカルガド人を野蛮な民族とみなしている。多島海の最西端の領域には竜が住んでいる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "世界はきわめて微妙な均衡によって保たれており、民の多くはそのことを知っているが、オリジナル三部作である本作『影との戦い』、『こわれた腕環』、『さいはての島へ』では、それぞれ何者かによってこの均衡が破られる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "(以下の固有名詞の表記は、清水真砂子翻訳による岩波書店版に従う。)", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "物語の主人公はゴント島で生まれ、「ハイタカ」というあだ名を持つ少年ダニーである。まじない師の伯母は、ダニーが生まれながらにして並外れた力を持っていることに気づき、自分が知る小さな魔法を彼に教えた。 ゴントがカルガド人たちの襲撃を受けたとき、ダニーは霧を呼び出して自分の村と住民たちを隠し、彼らの手でカルガド人たちを追い払うことに成功する。これを知った大魔法使いオジオンはダニーを弟子として迎え、彼にゲドという「真の名」を授ける。 オジオンはゲドに「均衡」の概念、つまり魔法を適切に使わなければ世界の自然秩序を揺るがす危険があることを学ばせようとする。しかし、少女の気を引こうとしたゲドは師の呪文書を開き、自分でも気づかないうちに奇妙な影を召喚してしまう。それを追い払えたのは、オジオンだけだった。 ゲドの魔法習得への野心と、彼への指導が遅いことへの焦りを察したオジオンは、ローク島にある魔法学院への入学を打診する。ゲドはオジオンを愛していたものの、進学の道を選んだ。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "学院では、ゲドの技量に教師も院生たちもともに感嘆の声を上げた。ゲドは年長の院生たちと出会い、カラスノエンドウと親しくなるものの、他の院生とは距離を置いた。とくにヒスイとは、ゲドの尊大な性格を刺激されて険悪な仲となる。祭りのさなか、ゲドに対して慇懃無礼に振る舞うヒスイに、ゲドは魔法の決闘を挑む。ゲドは伝説的な死者の女性の霊を呼び出す強力な呪文を唱えるが失敗し、代わりに放たれた影の生き物がゲドを襲って彼の顔を傷つける。大賢人ネマールは影を追い払うが、その犠牲となって命を落とす。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ゲドは何ヶ月もかかって回復し、修行を再開できるようになる。新しい大賢人ジェンシャーは、影には名前がなく、死の世界の精霊のひとつであり、ゲドに憑依して操ろうとしていると警告する。やがてゲドは学院を卒業し、魔法使いの杖を受け取る。ゲドは九十群島に居を構え、近くのペンダー島に住みついた竜から貧しい村人を守ろうとするが、自分が依然として影に追われていることに気づく。二つの脅威を同時に防ぐことはできないと覚った彼は、小舟でペンダーに向かい、命がけで親竜の真の名を究明する。彼が竜の名を言い当てると、竜はゲドを追う影の名前を教えようと持ちかける。しかしゲドはこの取引に乗らず、竜とその子供たちが多島海を決して脅かさないことを誓約させる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "影がすぐ近くに迫っていることを感じたゲドは、影と戦える剣があるというオスキルのテレノン宮殿をめざす。その途上で影に襲われ、ゲドはかろうじてテレノン宮殿に逃げ込む。城主の夫人セレットは、特別な力が具わるという石をゲドに見せ、この石と話せば無限の知識と力が得られると彼を誘う。ゲドは動揺しつつも、石には太古の精霊が閉じ込められており、邪悪な力を持っていることを察知して石との接触を拒否する。城から脱出すると、セレットがかつてゲドをからかい、オジオンの呪文書を盗み読みさせた少女だったことに気づく。石に仕える者たちに追われたゲドは、ハヤブサに変身して飛び去る。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ゲドは遠く飛んで、ゴントのオジオンの元に戻る。オジオンはゲンシャーとは意見が異なり、名前を持たないものはないとして、影と立ち向かうようゲドに助言する。覚悟を決めたゲドが影に向かって突き進むと、影は逃げ出し、オジオンが正しいことが明らかとなる。ゲドは海上で影を追うが、霧の中に誘い込まれ、操っていた小舟が暗礁に乗り上げて大破してしまう。絶海の孤島で取り残されていた年老いた男女の助けを借りてゲドは回復する。老婆はゲドに、腕環のような装身具の片割れを差し出した。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "小舟を修理したゲドは、東に向けて追跡を再開する。イフィッシュ島ではカラスノエンドウと再会し、彼は自ら進んでゲドと同行する。二人は過去に知られている土地を遥かに超えて東に旅し、ついに影と遭遇する。ゲドと影は、ともに同じ名を唱えてひとつに融合し、ゲドは自分が癒やされ、全き人になったとカラスノエンドウに告げる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1968年の『影との戦い』初版は、ルース・ロビンスによって挿絵が描かれた。表紙イラストはカラーで、表紙を開くとアースシー世界(多島海)の地図が掲載されていた。さらに、各章にはロビンスによる木版画風のイラストが白黒で掲載されていた。 画像は各章の代表的なトピックを表していた。例えば、最初の画像にはゴント島が描かれており、第5章「ペンダーの竜」では空飛ぶドラゴンが描かれた。第10章「世界の果てへ」では、ゲドが「はてみ丸」で航海している様子を描いた絵が使用されており、ゲドとカラスノエンドウがイフィッシュ島から東に向かい、知られたすべての土地を超えて影と対峙する場面となる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は1968年、バークレーのパルナッサス・プレス社から最初に出版された。ル=グウィンにとって転機となるSF小説『闇の左手』が出版される1年前のことだった。 児童向け作品はル=グウィンの初の試みであり、彼女個人にとっても画期的な出来事だった。この小説が出版される以前、彼女はいくつかの小説と短編を書いただけだった。さらに本作は、SFではなくファンタジー分野への進出という点でも彼女の最初の試みだった。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は、ル=グウィンの著書の中で初めて批評家の注目を広く集め、『ゲド戦記』シリーズの第一作として、彼女の代表的な作品とされている。 本作は、2015年に発売された挿絵入りのフォリオ・ソサエティ(英語版)版を含めて、数多くの版を重ねている。 また、他の多くの言語にも翻訳されている。 2018年には『影との戦い』出版50周年に合わせて、ル=グウィンの『ゲド戦記』全作品を集めたオムニバス版が発売された 。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ル=グウィンは当初、『影との戦い』を単独の小説とするつもりだったが、作品の中で未解決のまま残っている部分を考慮して続編の『こわれた腕環』(1971年)、さらに三作目の『さいはての島へ』(1972年)を発表する。 『こわれた腕環』は『影との戦い』から数年後の物語である。島々の間で戦いが絶えないことを憂えたゲドは、平和をもたらすというエレス・アクベの腕環を求めてカルガド人の地にあるアチュアンの地下墓所に潜入する。ゲドはそこで巫女の少女アルハと出会う。 『さいはての島へ』では、大賢人となったゲドが若い王子アレンを伴い、アースシー全域で起こりつつある魔法の力の衰えに立ち向かおうとする。 これらシリーズ最初の三冊は、「オリジナル三部作」と呼ばれ、三作のそれぞれにおいて、世界の不均衡を修復するためにゲドが力を尽くす姿が描かれる。 これらに続いて、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年)、『アースシーの風』(2001年) が書かれ、合わせて「第二の三部作」とも呼ばれる。", "title": "作品について" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "本作ははじめ児童書の評論家たちから認められ、高い評価を得た。 『影との戦い』が1971年にイギリスで発売されると、さらに好意的に受け止められた。ホワイトによれば、このことはイギリスでは児童向けファンタジー作品に対する批評家たちの称賛がより大きいことが反映している。 イギリスの批評家ナオミ・ルイス(英語版)(1911年 - 2009年)は、1975年の注釈付きブックリスト『子供のためのファンタジー』の中で『影との戦い』について次のように紹介した。 「気軽に立ち読みできるような簡単な本ではないが、一歩を踏み出した読者は、現代のもっとも重要なファンタジー作品のひとつに出会うことになるだろう。」。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "同様に、文学者のマーガレット・エスモンドは1981年に「ル=グウィンは......ハイ・ファンタジーの最高傑作とも言えるもので児童文学を豊かにした」と述べ、作家・ジャーナリストのアマンダ・クレイグ(英語版)(1959年 - )はガーディアン紙の書評において、「船の帆のように明瞭で張りのある文体で書かれた、これまででもっともスリリングで賢明かつ美しい児童小説だ。」と述べた。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "児童文学作家のエリノア・キャメロン(1912年 - 1996年)は児童図書館員の集会で本作について、「あたかもル=グウィン自身がこの多島海に住んでいるかのようだ」と、物語の世界構築を称賛した。 作家のデヴィッド・ミッチェル(1969年 -)は、主人公のゲドを「見事な創造物」と呼び、当時の著名なファンタジー作品に登場する魔法使いよりも親しみやすいと主張した。彼によれば、ガンダルフのようなキャラクターは「魔術師の中でも白人の学究貴族であるマーリンの変形」であり、成長の余地がほとんどないのに対し、ゲドは物語を通じてキャラクターとして成長したという。ミッチェルはまた、物語の他の登場人物たちについても、彼らが束の間の存在であるにもかかわらず「十分に考え抜かれた内面」を持っているように見えると述べた。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1995年の「SF百科事典(英語版)」によれば、『ゲド戦記』シリーズは第二次世界大戦後の最高の児童向けSF作品とみなされていた。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "『ゲド戦記』シリーズは児童書とみなされていたため、一般書としては注目されていなかった。ル=グウィン自身はこのような児童文学の扱いを批判して、「大人の排他主義者の恥ずべき行い」と表現した。 1976年、文学者のジョージ・スラッサー(英語版)(1939年 - 2014年)は、「馬鹿げた出版区分が原作シリーズを『児童文学』に指定している」と批判した。 バーバラ・バックナルは、「ル=グウィンによるこれらのファンタジーは、幼児向けでも大人向けでもなく、年長の子供たちのために書かれた。だが実のところは、トールキン作品のように10歳の子供にも大人にも読むことができる。これらの物語は、私たちが何歳であろうと直面する問題を扱っていて、年齢を問わない。」と述べている。。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『影との戦い』がより一般的な読者から注目されるようになったのは、後年になってからである。 文学研究者のトム・シッピー(英語版)は、『影との戦い』を本格的な文学として扱った最初の一人であり、本書がC・S・ルイスやドストエフスキーの作品と肩を並べるものだと分析した。 マーガレット・アトウッド(1939年 - )は本書を「大人のためのファンタジー」だと見なし、ファンタジー文学の「源泉」のひとつと呼んだ。彼女はさらに、この本はヤングアダルト小説またはファンタジーのいずれかに分類できるが、「生と死、そして私たち人間は何者なのか」というテーマを扱っており、12歳以上であれば誰でも楽しんで読むことができる、と述べた。 「SF百科事典」もこの見解に同調し、このシリーズの魅力は、対象として書かれたヤングアダルト層を「はるかに超えたもの」だとし、さらに本書を「厳しいが鮮やか」であり、このシリーズはC・S・ルイスの『ナルニア国物語』よりも思慮深いと称賛した。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "このほか、ブライアン・アテベリー(英語版)(1951年 -)は、彼の1980年のファンタジー史の中で『ゲド戦記』オリジナル三部作を「これまでで最も挑戦的で最も豊かなアメリカン・ファンタジー」と呼んだ。 スラッサーはこのシリーズを「先端的な様式と構想による作品」であり 、オリジナル三部作は「本物の叙事詩的な想像力」の産物だと述べた。 1974年、批評家のロバート・スコールズ(英語版)(1929年 - 2016年)はル=グウィンの作品をC・S・ルイスの作品と比較して次のように述べた。「ルイスがとりわけキリスト教的な価値観を打ち出したのに対し、ル=グウィンは神学ではなく生態学(エコロジー)、宇宙論、自己管理構造としての世界への畏敬の念をもって取り組んだ。」とし、これに付け加えて、ル=グウィンの3冊のアースシー物語それ自体が誰にとっても残すべき十分な遺産だと述べた。 2014年、SF編集者・批評家のデヴィッド・プリングル(英語版)(1950年 -)は本作を「詩的で、スリリングで、そして深遠な美しい物語」と呼んだ。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本の英文学者本橋哲也(1955年 -)は、『アースシー物語』を真の文学にふさわしいものにしているのは、人間性と自然世界への深い洞察と、それに伴う倫理的省察だとする。人は生きていくとき、何を選択しているのか、さまざまな選択肢の中で人は本当に何をなさなくてはならないのか。この選択と義務をめぐる答えのない問いは、ゲドの生涯につきまとっていく。読者もまた物語を読みながら、こうした問いを登場人物たちと分有し、自分もその応答の主体とならざるを得ないと述べている。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『影との戦い』によって、ル=グウィンはさまざまな著名な賞を受賞した。 1969年にボストン・グローブ・ホーンブック賞(英語版)を受賞、1979年にはルイス・キャロル・シェルフ賞(英語版)の最後の受賞作の一つとなった。 1984年、ポーランドの金のセプルカ賞(ポーランド語版)を受賞した。 2004年には、ル=グウィンはアメリカ図書館協会からヤングアダルト文学に対して与えられるマーガレット・A・エドワーズ賞を受賞した。なお、この賞では彼女の『ゲド戦記』シリーズの最初の4巻、『闇の左手』、『始まりの場所(英語版)』の6つの作品が対象となっている。。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1987年のローカス誌の人気投票において、『影との戦い』は「オールタイム・ベストファンタジー小説」の3位となり、2014年にはデヴィッド・プリングルが現代ファンタジー小説のベスト100冊のリストの中で本作を39位に選んでいる。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "『影との戦い』はファンタジーのジャンルに広く影響を与えたと見なされている。本作は、 トールキンの『指輪物語』やライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』など主要なハイ・ファンタジー作品と比較されている。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "例えば、宮崎駿の2001年のアニメ映画『千と千尋の神隠し』には名前が力を発揮するという考え方が現れており、批評家たちは、このアイデアはル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズに由来するものだと指摘している。 SF小説『クラウド・アトラス』などの著者デイヴィッド・ミッチェルは、『影との戦い』に強い影響を受け、「ル=グウィンと同じ力を持つ言葉を操りたい」という欲求を感じたと述べた。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "現代の作家たちは、『影との戦い』が後に『ハリー・ポッター』シリーズで有名になる「魔法学校」のアイデアを導入し、同シリーズにも登場する魔法使いの少年という類型を広めたと評価している。 評論家はまた、『影との戦い』の基本的な前提、つまり天才的な少年が魔法使いの学校に通い、彼自身と深い関りを持つ敵を作るという前提が、『ハリー・ポッター』のそれと共通すると述べている。 ゲドが影から傷を受け、影が彼に接近するときには常に痛みを感じるように、ハリーがヴォルデモートから受けた傷も同じである。こうした類似点について、ル=グウィンはJ・K・ローリングから「盗まれた」とは感じなかったものの、ローリングの本の独創性については称賛されすぎているとし、「ローリングは先人に対してもっと礼儀正しくあっても良かった。信じられないのは、最初の本を素晴らしく独創的だと評価した批評家だ。彼女には多くの美点があるが、独創性はその中に含まれていない。これには傷ついた。」と述べた。", "title": "受容" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は、主人公ゲドの青年期から成人に至るまでに焦点を当てており、『ゲド戦記』オリジナル三部作の他の2作品とともに、ル=グウィンがダイナミックに描写した成長過程の一部を形成している。 この三部作では、ゲドの青年時代から老年期までを追うとともに、各作品ではそれぞれ異なる登場人物の成長も描かれる。このために、しばしば「教養小説」と見なされる。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "著者のル=グウィンはこの本の中心的主題を成人としており、1973年のエッセイの中で彼女は、思春期の読者に向けて書くためにこのテーマを選んだと述べている。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "彼女はまた、成人を描く媒体としてファンタジーはもっとも適しており、なぜなら潜在意識を探求するのに「合理的な日常生活」の言葉を使うことは難しいからだとも述べた。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ゲドは高慢で、しかしさまざまな状況で自分に自信が持てない人物として描かれている。オジオンに弟子入りして間もないころ、彼は師匠が自分を嘲っていると考え、その後ロークではヒスイから侮辱されているように感じる。どちらの場合も他人が自分の偉大さを理解していないと信じていることについて、ル=グウィンの叙述は同情的で、ゲドの心情をすぐには否定しない。 文学者のマイク・キャデンは、この本は「ゲドと同じくらい若く、おそらくは強情で、したがって彼に同情的な読者にとって」説得力のある物語だと述べた。 キャデンによれば、ル=グウィンは若い読者をゲドに共感させ、そして彼が魔法の力を律することを学ぶにつれて、自分の行動には代償を払わなければならないことに徐々に気づくようにしている。 これと同様に、オジオンについて修行を始めたときに、ゲドは魔法の神秘的な側面を教わって他の生物に変身する様子を思い描くが、オジオンの重要な教えはむしろ自分自身についてのものだということが次第にわかるようになる。 また、ル=グウィンが焦点を当てたものには精神面での発達だけではなく、モラルの変化も含まれている。 ゲドは、自分の力とそれを適切に使う責任とのバランスを考えるようになる。それは、彼がテレノンの石を訪れ、石の力が示した誘惑を目の当たりにしたときに得られた認識である。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ゲドの成長は、肉体面ではこの物語を通じて彼がたどる旅とも絡み合っている。 物語の最終章において、ゲドがついに影を自分の一部として受け入れ、恐怖から解放されるという結末は、評論家から通過儀礼だと指摘されている。例えば、ジーン・ウォーカー(英語版)は、最後の通過儀礼は『影との戦い』のプロット全体の相似形であり、プロットそのものが思春期の読者にとって通過儀礼の役割を果たしているとしている。 ウォーカーはさらに次のように述べている。「『影との戦い』の全体の筋は......主人公が、社会における個人とは何か、より高次の力との関係において自己とは何を意味するのかについて、ゆっくりと悟る様子を描いている。」。 エリノア・キャメロンはユングの分析心理学を引き、ゲドを苦しめた「影」はふだんは意識されずにある私たちの負の部分、言い換えれば、私たちの内に潜む獣性とでも呼ぶべきものではないかと指摘した。 若いゲドは影の生き物と恐ろしい出会いを果たすが、後にそれが自分自身の影(英語版)すなわち暗い側面であることに気づく。影を認め、融合した後にのみ、彼は人として完全になる。 これについて、ル=グウィンはアースシー物語を書くまでユングを読んだことはなかったと述べた。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "アースシーの世界は微妙な均衡の上に成り立っているものとして描かれており、このことは住民の大部分に知られている。これには、陸と海の(「アースシー」という名前に暗示されている) 、また人と自然環境との均衡が含まれている。物理的な均衡だけではなく、より大きな宇宙の平衡があることを誰もが認識しており、魔術師はそれを維持する使命を負っている。 しかし、小説のオリジナル三部作のそれぞれに登場する何者かによってその均衡が崩される。。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "アースシーのこの側面を説明して、エリザベス・カミンズは「力の均衡の原理、つまりあらゆる行為が自己、社会、世界、そして宇宙に影響を及ぼすという認識は、ル=グウィンのファンタジー世界における物理的・道徳的な原理である」と述べた。 均衡の概念は、この小説のもう一つの主要テーマである成人と関連している。というのも、自分が善も悪も行えるということを知った後に初めて均衡を保つ方法を理解できるからである。 ロークの学院にいる間、手わざの長はゲドに次のように語る。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ル=グウィンの著述における道教の影響は、本書の多くの部分、とくに「均衡」の描き方において明らかである。物語の終わりで、ゲドはどうしても必要なとき以外は行動しないことを学んでおり、道教の生き方を体現しているように見える。また彼は、光と闇、あるいは善と悪のように、一見正反対に見えるものが実は相互に依存していることも学んでいる。 光と闇は、それら自身が物語の中で繰り返されるイメージとなっている。批評家たちはこの信念が、多くのファンタジーと共通する物語内の保守的イデオロギーの証拠だと指摘している。学者たちによれば、ル=グウィンはバランスと均衡についての懸念を強調することで、魔法使いたちの現状維持の努力を正当化している。このような傾向は、一方でル=グウィンのSF作品では変化に価値があることが示されるのとは対照的である。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "均衡のテーマと関連して、人間の悪の性質は、『影との戦い』や他のアースシーの物語を通じて重要なテーマとなっている。 ル=グウィンの他の作品と同様、悪は生命のバランスへの誤解として示されている。ゲドは生まれながらにして強大な力を持っていたものの、その力への増長心が彼の破滅につながる。彼は自分の強さを証明するために死者の霊を呼び戻そうとし、この自然の摂理に反する行為によって、彼を攻撃する「影」が解き放たれる。 ゲドは初めにゴントの少女から、その次にヒスイから挑発されたことによって危険な呪文を唱えることになるのだが、この挑発はゲドの心の中にあるものだとスラッサーは示唆している。彼を衝き動かしているのは彼自身の自尊心だが、彼は自分の内面に目を向けることを望まないように見える。 しかし、彼が自分の中に「影」を受け容れたとき、ようやくにして彼は自らの行動に対する責任も受け入れる。そして、自分の死すべき運命を受け入れることで自分自身を解放することができる。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "このとき、ゲドに同行したカラスノエンドウは、ことの真相を次のように理解した。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "したがって、アースシー世界には竜やテレノンの石など闇の力が存在するが、真の悪はこれらの力のいずれでも、あるいは死ですらなく、自然の均衡(英語版)に反するゲドの行動だった。 これは、光と闇を相反するものとして、常に対立する善と悪の象徴と見なす、従来の西洋やキリスト教の物語とは対照的である。 ゲドは二度にわたって、死と悪に挑むという誘惑に駆られるが、そのどちらもなくすことはできないことをやがて悟り、代わりに悪に仕えず、死を否定しないことを選択する。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "本橋は、『アースシー物語』を読者がひとりの男性主人公による「戦記」や「伝記」と考えることは根本的な錯誤をはらんでおり、自己を絶対的善として設定する「戦い」ではなく、自らの中にも善や悪の混淆を認め、自分自身で悩み葛藤し、そこから他者との共生の可能性を探る「闘い」だとする。この物語は単純な二項対立の図式では理解できず、善悪の価値観を基本原理とする一般的な小説とは大きく一線を画している。そのことを読者が理解するための最初の重要な課題が「影」だと述べている。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ル=グウィンの架空の世界では、物体や人物の真の名を知ることは、それを支配する力を持つことを意味する。子供たちは思春期に達すると真の名を与えられ、その名は親しい友人とのみ共有される。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "オーム・エンバーやカレシンのように、『ゲド戦記』シリーズの後期の小説に登場するいくつかの竜は、自分の名前を公然にしつつも、誰にも支配されずに生きているように描かれている。しかし、『影との戦い』では、イエボーに対してゲドが力を持っていることが示される。これについてキャデンは、イエボーは富や物質的な所有に執着し続けており、そのために自分の名前の力に縛られていると述べている。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "魔法使いは名前を使うことで均衡に影響を及ぼす。こうして、このテーマは宇宙の均衡と関連付けられる。カミンズによれば、これは言語が現実を形作る力を示すル=グウィンの方法だという。言語は、私たちが環境について理解し合うためのツールなのだから、人間が環境に影響を与えることも可能であり、魔法使いが名前を使用する力はその象徴だと彼女は主張している 。カミンズはさらに、魔法使いが物事を変えるために名前を使うことと、フィクションの執筆において言葉を創造的に使うことの類似を示唆した。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "シッピーは、名前に力があるというアースシーの魔法は、彼が「ルンペルシュティルツヒェン理論」と名付けたものによって機能するようだと述べた。シッピーによると、この描写は物に対する言葉の力を強調しようとするル=グウィンの努力の一環であり、『金枝篇』のジェームズ・フレイザーなど他の作家のイデオロギーとは対照をなしている。 エズモンドは、『ゲド戦記』の最初の3冊はいずれも名前が信頼を意味すると論じた。『影との戦い』では、カラスノエンドウはゲドに対し、自分から真の名前を明かすことで信頼を表し、ゲドを感激させる。後に『こわれた腕環』において、ゲドはテナーに同じものを贈り、そうすることで彼女が信頼を学び取ることができるようにした。", "title": "主題" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "『影との戦い』や他の『ゲド戦記』シリーズの作品は、ル=グウィン初期のSFハイニッシュ・ユニバースの連作とほぼ同じ時期に書かれているが、その性格は大きく異なっている。 スラッサーは、『ゲド戦記』のシリーズは「ハイニッシュ」シリーズの「過度のペシミズム」との釣り合いを取るものだと述べた。彼は前者について、「帝国よりも大きくゆるやかに(英語版)」といった作品とは対照的に、個人の行動を好意的に描いているとみなした。 「SF百科事典」は、本作を「重厚な喜び」に満ちていると評した。 ル=グウィン自身は、ファンタジー作品の文体について語る中で、ファンタジーにおいては、読者の心の拠り所となる既知の枠組みが存在しないため、明確で直接的な表現が必要だったと述べている。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "この物語はしばしば、読者がアースシーの地理や歴史に詳しいことを前提にしているように書かれているが、この手法によってル=グウィンは解説的文章を避けることができた。 ある評者は、この手法は「ル=グウィンの世界にトールキンのような神秘的な深みを与えているが、トールキンのうんざりするようなバックストーリーや詩作はない。」と述べる。 叙事詩の概念に沿って、叙述はゲドの未来を展望したり、アースシーの過去を振り返ったりと切り替わる。 同時に、スラッサーは小説の雰囲気が「不思議で夢のよう」であり、客観的な現実とゲドの心の中の思考の間で揺れ動いていると述べた。ゲドの敵は実在するものもいるが、その他は幻影である。 このような叙述手法をキャデンは「自由間接話法(英語版)」と呼んでいる。この語り手は主人公に寄り添っているように見え、読者から主人公の考えを遠ざけようとはしない。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "『影との戦い』は叙事詩の要素を強く持っている。例えば、アースシーの歴史におけるゲドの位置付けは、本書の始まりの部分で次のような言葉で説明されている。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "また、物語の冒頭にはアースシーの歌『エアの創造』の言葉が置かれ、本書の開始を儀式的に飾る形となっている。その後、物語の語り手は、これから語るのはゲドの若い頃の物語だと述べ、以降の文脈が確立される。 ル=グウィンの他の多くの作品の主人公たちと比べると、探求に旅立つ魔法使いとしてのゲドは、表向きには典型的なヒーローである。 批評家は『影との戦い』を『ベーオウルフ』のような叙事詩と比較している。 学者のヴァージニア・ホワイトは、この物語は主人公が冒険を始め、途中で試練に直面し、最終的には勝利を収めて帰還するという叙事詩に共通する構造に従っていると論じた。ホワイトはさらに、この構造は各巻だけでなくシリーズ全体にも見られるものだと指摘した。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ル=グウィンは、そのような「単一の神話」にありがちな定形の多くを覆した。彼女の物語の主人公は伝統的に現れる白い肌の英雄ではなく、みな浅黒い肌をしていた。逆に、敵対者のカルガド人の肌は白く、人種間の役割が入れ替わっていることが複数の批評家によって指摘されている。 批評家はまた、彼女が伝統的な西洋のファンタジーを破壊する手段として、多様な出自を持つキャラクターを使っていることを挙げている。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "一方で、批評家たちは『影との戦い』を含むオリジナル三部作におけるル=グウィンの性別の扱いに疑問を呈した。後にフェミニストとして知られるようになったル=グウィンだが、シリーズの第1巻の本書で、魔法を使うのは男性と少年に限定している。 発表当時はこの点についてジェンダー的な観点からの批評は行われていなかった。続く『こわれた腕環』ではル=グウィンは意図的に女性の成長物語を描いたものの、作中の描写はシリーズの男性優位モデルを引き継いでいるという評がある。 『ゲド戦記』の第3巻『さいはての島へ』(1972年)から18年後に出版された第4巻『帰還』(1990年)は、ル=グウィン及び評論家たちによって本シリーズをフェミニスト的に再創造したものだとされている。ここでは主要登場人物の権力や地位が逆転しており、家父長制的な社会構造に疑問が投げかけられる。 1993年のコメントで、ル=グウィンは「フェミニストとしての良心との格闘」が済むまで「1972年以降のアースシー」を続けることはできなかったと述べている。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "幾人かの批評家は、ル=グウィンは叙事詩、教養小説、ヤングアダルト小説の要素を組み合わせることで、従来のジャンルの境界を曖昧にすることに成功したと論じている。 フランシス・モルソンは1975年の解説で、この物語が必ずしもヒロイック・ファンタジーの型やそれが引き起こす道徳的問題に従っていないことから「倫理的ファンタジー」と呼ばれるべきだと主張した。だが、この用語は普及しなかった。 同様の議論は1985年に児童文学評論家のデリア・シャーマン(英語版)(1951年 -)によってなされた。シャーマンは、『影との戦い』を始めとするシリーズが求めたのは「良い大人になるとはどういうことなのかを、劇的な例を通して子供たちに教える」ことだと述べた。", "title": "文体と構造" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1989年、ワールド・ブック(英語版)によってチャイルドクラフト(英語版)第3巻に本書第1章のイラスト付き要約版が掲載された。 本書のオーディオ版は複数リリースされている。BBCラジオは1996年にラジオドラマ版を制作し、ジュディ・デンチがナレーションを務めた。 2015年には『ゲド戦記』の翻案による6部構成のシリーズを制作、BBCラジオ4エクストラ(英語版)で放送した。 2011年、この作品はロバート・イングリス(英語版)による無修正録音として制作された。", "title": "翻案" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "この物語を映像化した作品も2本制作されている。", "title": "翻案" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2004年に『ゲド〜戦いのはじまり〜』というタイトルのミニシリーズがSci Fi Channelで放送された。このテレビ作品はごく大まかに『影との戦い』と『こわれた腕環』に基づいている。 「サロン」に掲載された記事の中で、ル=グウィンはこの結果に対して強い不快感を表明した。作中では赤茶色の肌をしているゲドを「怒りっぽい白人の子供」に置き換えたことで、このシリーズはアースシーを「白塗り」しており、作品の核心として白人ではない人物の物語を書くという彼女の選択が無視されたと述べた。 この感想は、「究極のファンタジー百科事典(\"The Ultimate Encyclopedia of Fantasy\")」のレビューでも共有された。同紙は、『ゲド〜戦いのはじまり〜』はル=グウィンの原作に対して「まったく的外れ」であり、「原作の繊細さ、ニュアンス、美しさをすべて取り除き、その代わりに陳腐な常套句、痛々しいステレオタイプ、そして理不尽な「壮大な」戦争を挿入した。」と述べた。", "title": "翻案" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2006年、スタジオジブリは本シリーズの翻案によるアニメ映画『ゲド戦記』を発表した。 この映画は、シリーズ第一作『影との戦い』、第三作『さいはての島へ』、第四作『帰還』の要素をごく大まかに組み合わせて新しい物語を作り上げている。 ル=グウィンは映画の制作過程について、宮崎駿自身が映画をプロデュースすると信じて映画化を承諾したが、結局そうならなかったと述べ、不快感を示した。ル=グウィンは映画の描写を称賛したものの、暴力の行使を嫌った。また彼女は道徳描写、とくに対立を解消する手段として殺されかねない悪役の起用について不満を表明し、それは本書のメッセージに反するものだと語った。", "title": "翻案" } ]
『影との戦い』は、アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィンが1968年に発表したファンタジー小説。『ゲド戦記』シリーズの第1作であり、ファンタジー文学及び児童文学の古典として広く影響を及ぼしている。 なお、シリーズ名『ゲド戦記』の表記は日本語版独自の呼び名であり、英語版では "Books of Earthsea"、"Earthsea Cycles" などと呼ばれる。 物語の舞台は「アースシー」と呼ばれる架空の多島海世界であり、ゴント島の村に生まれた若い魔法使いのゲドを主人公とする。ゲドは子供のころから強大な力の兆候を示し、魔法学校に進むが、その傲慢な性格から院生と対立する。魔法による決闘中、ゲドは呪文を失敗して死の影を呼び出してしまい、その影に追われる身となる。この物語では、「影」からの解放をめざすゲドの旅が描かれる。 『影との戦い』は、ゲドが力と死に対処することを学ぶ過程を探求しており、しばしば教養小説あるいは成長物語として説明される。 また、魔法使いたちによって維持されているアースシー宇宙の均衡の概念については、道教的なテーマを含んでおり、言葉と名前が物質世界に影響を及ぼし、バランスを変える力を持つという考えと密接につながっている。 物語の構成は伝統的な叙事詩に近いが、主人公を典型的な白人のヒーローではなく浅黒い肌の有色人種として設定しているなど、このジャンルの定形を破るいくつかの手法が取られている。 『影との戦い』は当初は児童書として、後には一般の読者からも圧倒的な高い評価を得た。本書は1969年にボストン・グローブ・ホーンブック賞を受賞し、1979年にはルイス・キャロル・シェルフ賞の最終受賞作のひとつとなった。 著者ル=グウィンは、本作『影との戦い』に続いて5冊の作品すなわち『こわれた腕環』(1971年)、『さいはての島へ』(1972年)、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年、旧タイトル『ゲド戦記外伝』)、そして『アースシーの風』(2001年)を執筆しており、これらは合わせて『ゲド戦記』シリーズと呼ばれる。
{{基礎情報 文学作品 |題名 = 影との戦い |原題 = A Wizard of Earthsea |画像 = Page de garde de A Wizard of Earthsea.jpg |画像サイズ = 200 |キャプション = |作者 = [[アーシュラ・K・ル=グウィン]] |挿絵     = ルース・ロビンス |国 = {{USA}} |言語 = [[英語]] |ジャンル = [[ファンタジー]]、[[教養小説]] |シリーズ = [[ゲド戦記]] |発表形態 = |初出 = |刊行 = 1968年 |刊行の出版元 = パルナッサス・プレス |刊行の出版年月日 = |収録 = |受賞 = {{仮リンク|ボストン・グローブ・ホーンブック賞|en|Boston Globe–Horn Book Award}}(1969年)、{{仮リンク|ルイス・キャロル・シェルフ賞|en|Lewis Carroll Shelf Award}}(1979年) |訳者 = [[清水真砂子]] |前作 = {{仮リンク|名前の掟|en|The Rule of Names}}(1964年) |次作 = [[こわれた腕環]](1971年) }} 『'''影との戦い'''』(かげとのたたかい、原題:''A Wizard of Earthsea'')は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の作家[[アーシュラ・K・ル=グウィン]](1929年 - 2018年)が1968年に発表した[[ファンタジー]]小説。『[[ゲド戦記]]』シリーズの第1作であり{{sfn|Clute|Grant|1997|p=573}}、ファンタジー文学及び[[児童文学]]の[[古典]]として広く影響を及ぼしている。 なお、シリーズ名『ゲド戦記』の表記は日本語版独自の呼び名であり、英語版では "Books of Earthsea"、"Earthsea Cycles" などと呼ばれる{{sfn|清水|2006|loc=表紙裏}}。 物語の舞台は「アースシー」と呼ばれる架空の[[多島海]]世界であり、ゴント島の村に生まれた若い[[魔法使い]]の[[ゲド]]を主人公とする。ゲドは子供のころから強大な力の兆候を示し、魔法学校に進むが、その傲慢な性格から院生と対立する。魔法による決闘中、ゲドは呪文を失敗して死の影を呼び出してしまい、その影に追われる身となる。この物語では、「影」からの解放をめざすゲドの旅が描かれる。 『影との戦い』は、ゲドが力と死に対処することを学ぶ過程を探求しており、しばしば[[教養小説]]あるいは[[成長物語]]として説明される。 また、魔法使いたちによって維持されているアースシー宇宙の均衡の概念については、[[道教]]的なテーマを含んでおり、[[言葉]]と[[名前]]が物質世界に影響を及ぼし、バランスを変える力を持つという考えと密接につながっている。 物語の構成は伝統的な[[叙事詩]]に近いが、主人公を典型的な[[白人]]のヒーローではなく浅黒い肌の[[有色人種]]として設定しているなど、このジャンルの定形を破るいくつかの手法が取られている。 『影との戦い』は当初は児童書として、後には一般の読者からも圧倒的な高い評価を得た。本書は1969年に{{仮リンク|ボストン・グローブ・ホーンブック賞|en|Boston Globe–Horn Book Award}}を受賞し、1979年には{{仮リンク|ルイス・キャロル・シェルフ賞|en|Lewis Carroll Shelf Award}}の最終受賞作のひとつとなった。 著者ル=グウィンは、本作『影との戦い』に続いて5冊の作品すなわち『[[こわれた腕環]]』(1971年)、『[[さいはての島へ]]』(1972年)、『[[帰還 (ル=グウィン)|帰還]]』(1990年)、『[[ドラゴンフライ (ル=グウィン)|ドラゴンフライ]]』(2001年、旧タイトル『ゲド戦記外伝』{{efn|日本語翻訳出版時当初は『アースシーの風』がシリーズ第5巻、『ゲド戦記外伝』は「別巻」とされていた。}})、そして『[[アースシーの風]]』(2001年)を執筆しており{{efn|各巻の原題により忠実なタイトルとして、『アースシーの魔術師』、『アチュアンの墓所』、『さいはての岸辺』、『テハヌー』、『アースシー短編集』、『もうひとつの風』の表記がある{{sfn|本橋|2007|loc=viii}}}}、これらは合わせて『ゲド戦記』シリーズと呼ばれる。 == 背景 == [[File:Ursula Le Guin (3551195631) (cropped).jpg|thumb|upright|[[アーシュラ・K・ル=グウィン]](1995年)。]] 1964年に{{仮リンク|ファンタスティック (雑誌)|en|Fantastic (magazine)|label=ファンタスティック}}誌に掲載されたル=グウィンの2つの短編小説「解放の呪文」と「名前の掟」には、物語の舞台となるアースシー世界の初期設定が見られる{{sfn|Cadden|2005|pp=80–81}}。これらの物語は、後に彼女の短編集『風の十二方位』(1975年)に収録された{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=96}}。 ル=グウィンは1965年または1966年にもアースシーを舞台とする物語を書いたものの、これは出版されなかった{{sfn|Cummins|1990|p=25}}。 1967年、パルナッサス・プレスのハーマン・シャイン{{efn|本作のイラストを担当したルース・ロビンスはシャインの妻である<ref>{{cite journal|title=Herman Schein|journal=The Horn Book Magazine|volume=38–39|url=https://books.google.com/books?id=Vn82AAAAIAAJ|page=562|date=1962}}</ref>。}}は、ル=グウィンに「年長の子供向け」の本を書いてみないかと依頼し、主題とアプローチについてはまったく自由に任せた{{sfn|Esmonde|1981}}{{sfn|Cadden|2005|loc=xi}} 。 1960年代後半、[[ヤングアダルト]]文学は脚光を浴びていたが、ル=グウィンにはこのジャンルでの経験がなかった{{sfn|White|1999|pp=9–11}}。彼女は自分の過去の短編小説を発展させて、『影との戦い』の執筆に取りかかった。ル=グウィンはこの物語について、典型的には長老や賢者として描かれる[[魔法使い]]が、若く未熟だったころどんな人物だったのかという疑問への応答だと述べた{{sfn|Le Guin|Wood|1980|p=51}} 。 後に彼女は、青少年の読者のためにファンタジーという媒体を選び、成人つまり大人への移行をテーマとしたとも語っている{{sfn|Cummins|1990|p=22}}。 1964年に出版された上記の短編小説では、アースシー世界とその中の重要な概念、例えばル=グウィンの[[魔法]]の扱い方などがすでに示されている。「名前の掟」には、『影との戦い』の中盤に登場する[[竜]]イエボーも紹介されている{{sfn|Cadden|2005|p=80}}。 アースシーの描写はまた、ル=グウィンが精通する[[北欧神話]]や[[アメリカ先住民]]の伝説からも影響を受けている{{sfn|Griffin|1996}}{{sfn|Spivack|1984a|p=2}}。北欧の伝承の影響は、とくに二人の兄弟を神として崇拝する金髪碧眼のカルガド人のキャラクターに見られる。また、宇宙の「均衡」という概念には、彼女の著作に対する[[道教]]思想の影響が見て取れる{{sfn|Griffin|1996}}。 ル=グウィンの神話や伝説に関する知識、また[[人類学]]への家族ぐるみでの関心の高さが{{efn|ル=グウィンの父[[アルフレッド・L・クローバー]](1876年 - 1960年)は[[文化人類学|文化人類学者]]であり、ル=グウィンも文化人類学に造詣が深い{{sfn|清水|2006|p=14}}。}}、アースシーの島々の「全文化」の創造を可能にしたと、学者のドナ・ホワイトは述べている{{sfn|White|1999|pp=9–11}} 。 == 作品について == === 設定 === アースシー世界は[[多島海]](アーキペラゴ)と呼ばれる、島々の集まりである。物語中の歴史では、島々はセゴイと呼ばれる存在によって海の底から持ち上げられたとされる。この世界には人間と竜が住んでおり、生まれつき何らかの魔法の才能を持った人間のうち、より才能に恵まれた者はまじない師や魔法使いになる{{sfn|Cummins|1990|p=8}}。 アースシーは[[産業革命]]以前の社会で、広大な多島海には多様な文化が存在する。登場人物の多くはハード語を話す浅黒い肌をした人々で、大半の島々に住んでいる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}。東部にある4つの大きな島には、白い肌をしたカルガド人が住んでおり、彼らは魔法を忌み嫌い、ハード語圏の人々を邪悪な魔術師とみなしている。一方で、ハード語圏の人々はカルガド人を野蛮な民族とみなしている。多島海の最西端の領域には竜が住んでいる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}。 世界はきわめて微妙な均衡によって保たれており、民の多くはそのことを知っているが、オリジナル三部作である本作『影との戦い』、『こわれた腕環』、『さいはての島へ』では、それぞれ何者かによってこの均衡が破られる{{sfn|Cummins|1990|pp=9–10}}。 === 主要登場人物 === (以下の固有名詞の表記は、[[清水真砂子]]翻訳による[[岩波書店]]版に従う。) *'''ゲド''':幼名ダニー、通称ハイタカ。ゴント生まれの魔法使い。自らの呼び出した影を追い求める。 *'''オジオン''':魔法使いの師。ゲドに真の名前を与える。 *'''ネマール''':大賢人。ロークの魔法学院長。 *'''ヒスイ''':魔法学院のゲドの先輩でライバル。 *'''カラスノエンドウ''':ゲドの親友。 *'''イエボー''':ペンダー島に住む竜{{sfn|本橋|2007|p=3}}。 === プロットの概要 === 物語の主人公はゴント島で生まれ、「ハイタカ」というあだ名を持つ少年ダニーである。まじない師の伯母は、ダニーが生まれながらにして並外れた力を持っていることに気づき、自分が知る小さな魔法を彼に教えた{{sfn|Cadden|2005|p=80}}。 ゴントがカルガド人たちの襲撃を受けたとき、ダニーは霧を呼び出して自分の村と住民たちを隠し、彼らの手でカルガド人たちを追い払うことに成功する{{sfn|Griffin|1996}}。これを知った大魔法使いオジオン{{efn|オジオンとは、モミの実を意味する{{sfn|清水|1976|p=111}}。}}はダニーを弟子として迎え、彼にゲドという「真の名」を授ける{{sfn|Cadden|2005|p=80}}。 オジオンはゲドに「均衡」の概念、つまり魔法を適切に使わなければ世界の自然秩序を揺るがす危険があることを学ばせようとする。しかし、少女の気を引こうとしたゲドは師の呪文書を開き、自分でも気づかないうちに奇妙な影を召喚してしまう。それを追い払えたのは、オジオンだけだった。 ゲドの魔法習得への野心と、彼への指導が遅いことへの焦りを察したオジオンは、ローク島にある魔法学院への入学を打診する。ゲドはオジオンを愛していたものの、進学の道を選んだ。 学院では、ゲドの技量に教師も院生たちもともに感嘆の声を上げた。ゲドは年長の院生たちと出会い、カラスノエンドウと親しくなるものの、他の院生とは距離を置いた。とくにヒスイとは、ゲドの尊大な性格を刺激されて険悪な仲となる。祭りのさなか、ゲドに対して慇懃無礼に振る舞うヒスイに、ゲドは魔法の決闘を挑む{{sfn|Griffin|1996}}。ゲドは伝説的な死者の女性の霊を呼び出す強力な呪文を唱えるが失敗し、代わりに放たれた影の生き物がゲドを襲って彼の顔を傷つける。大賢人ネマールは影を追い払うが、その犠牲となって命を落とす{{sfn|Cadden|2005|p=80}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}。 ゲドは何ヶ月もかかって回復し、修行を再開できるようになる。新しい大賢人ジェンシャーは、影には名前がなく、死の世界の精霊のひとつであり、ゲドに[[憑依]]して操ろうとしていると警告する{{sfn|清水|1976|p=103-106}}。やがてゲドは学院を卒業し、魔法使いの杖を受け取る{{sfn|Griffin|1996}}。ゲドは九十群島に居を構え、近くのペンダー島に住みついた竜から貧しい村人を守ろうとするが、自分が依然として影に追われていることに気づく。二つの脅威を同時に防ぐことはできないと覚った彼は、小舟でペンダーに向かい、命がけで親竜の真の名を究明する。彼が竜の名を言い当てると、竜はゲドを追う影の名前を教えようと持ちかける。しかしゲドはこの取引に乗らず、竜とその子供たちが多島海を決して脅かさないことを誓約させる。 影がすぐ近くに迫っていることを感じたゲドは、影と戦える剣があるというオスキルのテレノン宮殿をめざす{{sfn|清水|1976|p=155}}。その途上で影に襲われ、ゲドはかろうじてテレノン宮殿に逃げ込む。城主の夫人セレットは、特別な力が具わるという石をゲドに見せ、この石と話せば無限の知識と力が得られると彼を誘う。ゲドは動揺しつつも、石には太古の精霊が閉じ込められており、邪悪な力を持っていることを察知して石との接触を拒否する。城から脱出すると、セレットがかつてゲドをからかい、オジオンの呪文書を盗み読みさせた少女だったことに気づく。石に仕える者たちに追われたゲドは、[[ハヤブサ]]に変身して飛び去る。 ゲドは遠く飛んで、ゴントのオジオンの元に戻る。オジオンはゲンシャーとは意見が異なり、名前を持たないものはないとして、影と立ち向かうようゲドに助言する{{sfn|Griffin|1996}}。覚悟を決めたゲドが影に向かって突き進むと、影は逃げ出し、オジオンが正しいことが明らかとなる。ゲドは海上で影を追うが、霧の中に誘い込まれ、操っていた小舟が暗礁に乗り上げて大破してしまう。絶海の孤島で取り残されていた年老いた男女の助けを借りてゲドは回復する。老婆はゲドに、腕環のような装身具の片割れを差し出した。 小舟を修理したゲドは、東に向けて追跡を再開する。イフィッシュ島ではカラスノエンドウと再会し、彼は自ら進んでゲドと同行する{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}。二人は過去に知られている土地を遥かに超えて東に旅し、ついに影と遭遇する。ゲドと影は、ともに同じ名を唱えてひとつに融合し、ゲドは自分が癒やされ、全き人になったとカラスノエンドウに告げる{{sfn|Cadden|2005|p=80}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|pp=98–99}}。 === 挿絵 === 1968年の『影との戦い』初版は、ルース・ロビンスによって挿絵が描かれた。表紙イラストはカラーで、表紙を開くとアースシー世界(多島海)の地図が掲載されていた。さらに、各章にはロビンスによる[[木版画]]風のイラストが白黒で掲載されていた{{sfn|清水|1976|loc=表紙及び表紙裏}}。 画像は各章の代表的なトピックを表していた。例えば、最初の画像にはゴント島が描かれており{{sfn|清水|1976|p=9}}、第5章「ペンダーの竜」では空飛ぶドラゴンが描かれた{{sfn|清水|1976|p=119}}。第10章「世界の果てへ」では、ゲドが「はてみ丸」で航海している様子を描いた絵が使用されており{{sfn|清水|1976|p=248}}、ゲドとカラスノエンドウがイフィッシュ島から東に向かい、知られたすべての土地を超えて影と対峙する場面となる。 === 出版 === 『影との戦い』は1968年、[[バークレー (カリフォルニア州)|バークレー]]のパルナッサス・プレス社から最初に出版された{{sfn|Slusser|1976|p=59}}。ル=グウィンにとって転機となる[[サイエンス・フィクション|SF小説]]『[[闇の左手]]』が出版される1年前のことだった{{sfn|Slusser|1976|pp=32–33}}。 児童向け作品はル=グウィンの初の試みであり、彼女個人にとっても画期的な出来事だった。この小説が出版される以前、彼女はいくつかの小説と短編を書いただけだった{{sfn|Esmonde|1981}}。さらに本作は、SFではなくファンタジー分野への進出という点でも彼女の最初の試みだった{{sfn|Cadden|2005|loc=xi}}{{sfn|Griffin|1996}}。 『影との戦い』は、ル=グウィンの著書の中で初めて批評家の注目を広く集め{{sfn|White|1999|p=5}}、『ゲド戦記』シリーズの第一作として、彼女の代表的な作品とされている{{sfn|Clute|Grant|1997|p=573}}。 本作は、2015年に発売された挿絵入りの{{仮リンク|フォリオ・ソサエティ|en|Folio Society}}版を含めて、数多くの版を重ねている{{sfn|Mitchell|2015}}。 また、他の多くの言語にも翻訳されている<ref>{{cite web|title=A Wizard of Earthsea|website=Buffalo and Erie County Public Library |url=https://www.buffalolib.org/vufind/Record/906657/Reviews|access-date=September 12, 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20160920164152/https://www.buffalolib.org/vufind/Record/906657/Reviews |archive-date=September 20, 2016|url-status=dead}}</ref>。 2018年には『影との戦い』出版50周年に合わせて、ル=グウィンの『ゲド戦記』全作品を集めたオムニバス版が発売された{{sfn|Flood|2016}} 。 ル=グウィンは当初、『影との戦い』を単独の小説とするつもりだったが、作品の中で未解決のまま残っている部分を考慮して続編の『こわれた腕環』(1971年)、さらに三作目の『さいはての島へ』(1972年)を発表する{{sfn|Cadden|2005|pp=80–81}}{{sfn|Cummins|1990|p=9, 24}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=95}}。 『こわれた腕環』は『影との戦い』から数年後の物語である。島々の間で戦いが絶えないことを憂えたゲドは、平和をもたらすというエレス・アクベの腕環を求めてカルガド人の地にあるアチュアンの地下墓所に潜入する。ゲドはそこで巫女の少女アルハと出会う{{sfn|Cadden|2005|pp=80–81}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=95}}{{sfn|清水|2006|loc=表紙裏}}。 『さいはての島へ』では、大賢人となったゲドが若い王子アレンを伴い、アースシー全域で起こりつつある魔法の力の衰えに立ち向かおうとする{{sfn|Cadden|2005|pp=80–81}}{{sfn|清水|2006|loc=表紙裏}}。 これらシリーズ最初の三冊は、「オリジナル三部作」と呼ばれ{{sfn|Cadden|2005|pp=80–81}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=95}}{{sfn|Cummins|1990|p=9}}、三作のそれぞれにおいて、世界の不均衡を修復するためにゲドが力を尽くす姿が描かれる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=95}}。 これらに続いて、『帰還』(1990年)、『ドラゴンフライ』(2001年)、『アースシーの風』(2001年) が書かれ、合わせて「第二の三部作」とも呼ばれる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=95}}{{sfn|Cadden|2005|pp=6, 7, 89, 96}}。 == 受容 == === 児童文学として === 本作ははじめ児童書の評論家たちから認められ、高い評価を得た{{sfn|Esmonde|1981}}{{sfn|Cadden|2005|p=81}}。 『影との戦い』が1971年にイギリスで発売されると、さらに好意的に受け止められた。ホワイトによれば、このことはイギリスでは児童向けファンタジー作品に対する批評家たちの称賛がより大きいことが反映している{{sfn|White|1999|p=11}}。 イギリスの批評家{{仮リンク|ナオミ・ルイス|en|Naomi Lewis}}(1911年 - 2009年)は、1975年の注釈付きブックリスト『子供のためのファンタジー』の中で『影との戦い』について次のように紹介した。 「気軽に立ち読みできるような簡単な本ではないが、一歩を踏み出した読者は、現代のもっとも重要なファンタジー作品のひとつに出会うことになるだろう。」{{sfn|Esmonde|1981}}。 同様に、文学者のマーガレット・エスモンドは1981年に「ル=グウィンは……[[ハイ・ファンタジー]]の最高傑作とも言えるもので児童文学を豊かにした」と述べ{{sfn|Esmonde|1981}}、作家・ジャーナリストの{{仮リンク|アマンダ・クレイグ|en|Amanda Craig}}(1959年 - )は[[ガーディアン]]紙の書評において、「船の帆のように明瞭で張りのある文体で書かれた、これまででもっともスリリングで賢明かつ美しい児童小説だ。」と述べた{{sfn|Craig|2003}}。 児童文学作家の[[エレノア・カメロン|エリノア・キャメロン]](1912年 - 1996年)は児童図書館員の集会で本作について、「あたかもル=グウィン自身がこの多島海に住んでいるかのようだ」と、物語の世界構築を称賛した{{sfn|White|1999|p=12}}。 作家の[[デヴィッド・ミッチェル]](1969年 -)は、主人公のゲドを「見事な創造物」と呼び、当時の著名なファンタジー作品に登場する魔法使いよりも親しみやすいと主張した。彼によれば、[[ガンダルフ]]のようなキャラクターは「魔術師の中でも白人の学究貴族である[[マーリン]]の変形」であり、成長の余地がほとんどないのに対し、ゲドは物語を通じてキャラクターとして成長したという{{sfn|Mitchell|2015}}。ミッチェルはまた、物語の他の登場人物たちについても、彼らが束の間の存在であるにもかかわらず「十分に考え抜かれた内面」を持っているように見えると述べた{{sfn|Mitchell|2015}}。 1995年の「{{仮リンク|SF百科事典|en|The Encyclopedia of Science Fiction}}」によれば、『ゲド戦記』シリーズは[[第二次世界大戦]]後の最高の児童向けSF作品とみなされていた{{sfn|Nicholls|1995a}}。 === ファンタジーとして === [[File:Tom Shippey by Gage Skidmore.jpg|thumb|upright|トム・シッピー(2015年)]] [[File:Atwood123.jpg|thumb|マーガレット・アトウッド(2011年)]] 『ゲド戦記』シリーズは児童書とみなされていたため、一般書としては注目されていなかった{{sfn|Esmonde|1981}}。ル=グウィン自身はこのような[[児童文学]]の扱いを批判して、「大人の排他主義者の恥ずべき行い」と表現した{{sfn|Esmonde|1981}}。 1976年、文学者の{{仮リンク|ジョージ・スラッサー|en|George Edgar Slusser}}(1939年 - 2014年)は、「馬鹿げた出版区分が原作シリーズを『児童文学』に指定している」と批判した{{sfn|Cadden|2005|p=96}}。 バーバラ・バックナルは、「ル=グウィンによるこれらのファンタジーは、幼児向けでも大人向けでもなく、年長の子供たちのために書かれた。だが実のところは、[[J・R・R・トールキン|トールキン]]作品のように10歳の子供にも大人にも読むことができる。これらの物語は、私たちが何歳であろうと直面する問題を扱っていて、年齢を問わない。」と述べている。{{sfn|Cadden|2005|p=96}}。 『影との戦い』がより一般的な読者から注目されるようになったのは、後年になってからである{{sfn|Esmonde|1981}}。 文学研究者の{{仮リンク|トム・シッピー|en|Tom Shippey}}は、『影との戦い』を本格的な文学として扱った最初の一人であり、本書が[[C・S・ルイス]]や[[フョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー]]の作品と肩を並べるものだと分析した{{sfn|White|1999|p=23}}。 [[マーガレット・アトウッド]](1939年 - )は本書を「大人のためのファンタジー」だと見なし、ファンタジー文学の「源泉」のひとつと呼んだ{{sfn|Russell|2014}}。彼女はさらに、この本はヤングアダルト小説またはファンタジーのいずれかに分類できるが、「生と死、そして私たち人間は何者なのか」というテーマを扱っており、12歳以上であれば誰でも楽しんで読むことができる、と述べた{{sfn|Russell|2014}}。 「SF百科事典」もこの見解に同調し、このシリーズの魅力は、対象として書かれたヤングアダルト層を「はるかに超えたもの」だとし{{sfn|Nicholls|1995a}}、さらに本書を「厳しいが鮮やか」であり、このシリーズはC・S・ルイスの『[[ナルニア国物語]]』よりも思慮深いと称賛した{{sfn|Nicholls|1995b}}。 このほか、{{仮リンク|ブライアン・アテベリー|en|Brian Attebery}}(1951年 -)は、彼の1980年のファンタジー史の中で『ゲド戦記』オリジナル三部作を「これまでで最も挑戦的で最も豊かなアメリカン・ファンタジー」と呼んだ{{sfn|White|1999|p=37}}。 スラッサーはこのシリーズを「先端的な様式と構想による作品」であり{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}} 、オリジナル三部作は「本物の叙事詩的な想像力」の産物だと述べた{{sfn|Cadden|2005|p=86}}。 1974年、批評家の{{仮リンク|ロバート・スコールズ|en|Robert Scholes}}(1929年 - 2016年)はル=グウィンの作品をC・S・ルイスの作品と比較して次のように述べた。「ルイスがとりわけキリスト教的な価値観を打ち出したのに対し、ル=グウィンは[[神学]]ではなく生態学(エコロジー)、宇宙論、自己管理構造としての世界への畏敬の念をもって取り組んだ。」とし{{sfn|Esmonde|1981}}、これに付け加えて、ル=グウィンの3冊のアースシー物語それ自体が誰にとっても残すべき十分な遺産だと述べた{{sfn|Esmonde|1981}}。 2014年、SF編集者・批評家の{{仮リンク|デヴィッド・プリングル|en|David Pringle}}(1950年 -)は本作を「詩的で、スリリングで、そして深遠な美しい物語」と呼んだ{{sfn|Pringle|2014|loc=chpt. 39}}。 日本の英文学者[[本橋哲也]](1955年 -)は、『アースシー物語』を真の文学にふさわしいものにしているのは、人間性と自然世界への深い洞察と、それに伴う倫理的省察だとする。人は生きていくとき、何を選択しているのか、さまざまな選択肢の中で人は本当に何をなさなくてはならないのか。この選択と義務をめぐる答えのない問いは、ゲドの生涯につきまとっていく。読者もまた物語を読みながら、こうした問いを登場人物たちと分有し、自分もその応答の主体とならざるを得ないと述べている{{sfn|本橋|2007|p=13-14}}。 === 受賞 === 『影との戦い』によって、ル=グウィンはさまざまな著名な賞を受賞した。 1969年に{{仮リンク|ボストン・グローブ・ホーンブック賞|en|Boston Globe–Horn Book Award}}を受賞{{sfn|Esmonde|1981}}<ref>{{cite web|website=The Horn Book|title=Boston Globe–Horn Book Awards – Winners and Honor Books 1967 to 2011 |url=http://archive.hbook.com/bghb/past/past.asp |access-date=November 10, 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111019092012/http://archive.hbook.com/bghb/past/past.asp |archive-date=October 19, 2011 |url-status = dead}}</ref>、1979年には{{仮リンク|ルイス・キャロル・シェルフ賞|en|Lewis Carroll Shelf Award}}の最後の受賞作の一つとなった{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=5}}。 1984年、[[ポーランド]]の{{仮リンク|金のセプルカ賞|pl|Złota Sepulka}}を受賞した<ref>{{cite web |title=Zlota Sepulka Winners |website=goodreads.com |url=http://www.goodreads.com/award/show/6733-z-ota-sepulka |access-date=September 12, 2016}}</ref>。 2004年には、ル=グウィンは[[アメリカ図書館協会]]からヤングアダルト文学に対して与えられる[[マーガレット・A・エドワーズ賞]]を受賞した。なお、この賞では彼女の『ゲド戦記』シリーズの最初の4巻、『[[闇の左手]]』、『{{仮リンク|始まりの場所 (小説)|en|The Beginning Place|label=始まりの場所}}』の6つの作品が対象となっている。<ref>{{cite web |title=Ursula K. Le Guin Named a Grand Master in 2002|url=http://nebulas.sfwa.org/grand-masters/ursula-k-le-guin/|website=Nebula Awards |publisher=Science Fiction and Fantasy Writers of America|access-date=July 25, 2017}}</ref>。 1987年の[[ローカス (雑誌)|ローカス]]誌の人気投票において、『影との戦い』は「オールタイム・ベストファンタジー小説」の3位となり、2014年にはデヴィッド・プリングルが現代ファンタジー小説のベスト100冊のリストの中で本作を39位に選んでいる{{sfn|Pringle|2014|loc=39}}。 === 影響 === 『影との戦い』はファンタジーのジャンルに広く影響を与えたと見なされている。本作は、 トールキンの『[[指輪物語]]』{{sfn|Craig|2003}}{{sfn|Kuznets|1985}}や[[ライマン・フランク・ボーム]]の『[[オズの魔法使い]]』など主要な[[ハイ・ファンタジー]]作品と比較されている{{sfn|Russell|2014}}。 例えば、[[宮崎駿]]の2001年のアニメ映画『[[千と千尋の神隠し]]』には名前が力を発揮するという考え方が現れており、批評家たちは、このアイデアはル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズに由来するものだと指摘している{{sfn|Reider|2005}}。 SF小説『[[クラウド・アトラス]]』などの著者[[デイヴィッド・ミッチェル]]は、『影との戦い』に強い影響を受け、「ル=グウィンと同じ力を持つ言葉を操りたい」という欲求を感じたと述べた{{sfn|Kerridge|2015}}。 現代の作家たちは、『影との戦い』が後に『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』シリーズで有名になる「魔法学校」のアイデアを導入し{{sfn|Craig|2003}}、同シリーズにも登場する魔法使いの少年という類型を広めたと評価している{{sfn|Power|2016}}。 評論家はまた、『影との戦い』の基本的な前提、つまり天才的な少年が魔法使いの学校に通い、彼自身と深い関りを持つ敵を作るという前提が、『ハリー・ポッター』のそれと共通すると述べている{{sfn|Power|2016}}。 ゲドが影から傷を受け、影が彼に接近するときには常に痛みを感じるように、[[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー]]が[[ヴォルデモート]]から受けた傷も同じである。こうした類似点について、ル=グウィンは[[J・K・ローリング]]から「盗まれた」とは感じなかったものの、ローリングの本の独創性については称賛されすぎているとし、「ローリングは先人に対してもっと礼儀正しくあっても良かった。信じられないのは、最初の本を素晴らしく独創的だと評価した批評家だ。彼女には多くの美点があるが、独創性はその中に含まれていない。これには傷ついた。」と述べた{{sfn|Jaggi|2005}}。 == 主題 == === 成人 === 『影との戦い』は、主人公ゲドの[[青年]]期から[[成人]]に至るまでに焦点を当てており{{sfn|Cadden|2005|p=80}}、『ゲド戦記』オリジナル三部作の他の2作品とともに、ル=グウィンがダイナミックに描写した成長過程の一部を形成している{{sfn|Spivack|1984b}}。 この三部作では、ゲドの青年時代から老年期までを追うとともに、各作品ではそれぞれ異なる登場人物の成長も描かれる{{sfn|Cummins|1990|p=9}}。このために、しばしば「[[教養小説]]」と見なされる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}{{sfn|Cadden|2005|p=91}}。 著者のル=グウィンはこの本の中心的主題を成人としており、1973年のエッセイの中で彼女は、思春期の読者に向けて書くためにこのテーマを選んだと述べている{{sfn|Cummins|1990|p=22}}。 {{Blockquote|自分にとって成人("coming of age")は若者にとって大問題であり、自分がそれを果たしたと思えるようになったのは31歳の頃である。そこにいたる過程がまさに自分自身への旅なのだ{{sfn|松崎|2007|p=75}}。}} 彼女はまた、成人を描く媒体としてファンタジーはもっとも適しており、なぜなら潜在意識を探求するのに「合理的な日常生活」の言葉を使うことは難しいからだとも述べた{{sfn|Cummins|1990|p=22}}。 ゲドは高慢で、しかしさまざまな状況で自分に自信が持てない人物として描かれている。オジオンに弟子入りして間もないころ、彼は師匠が自分を嘲っていると考え、その後ロークではヒスイから侮辱されているように感じる。どちらの場合も他人が自分の偉大さを理解していないと信じていることについて、ル=グウィンの叙述は同情的で、ゲドの心情をすぐには否定しない{{sfn|Cadden|2005|pp=92–93}}。 文学者のマイク・キャデンは、この本は「ゲドと同じくらい若く、おそらくは強情で、したがって彼に同情的な読者にとって」説得力のある物語だと述べた{{sfn|Cadden|2005|p=91}}。 キャデンによれば、ル=グウィンは若い読者をゲドに共感させ、そして彼が魔法の力を律することを学ぶにつれて{{sfn|Cummins|1990|p=30}}、自分の行動には代償を払わなければならないことに徐々に気づくようにしている{{sfn|Cadden|2005|pp=92–93}}。 これと同様に、オジオンについて修行を始めたときに、ゲドは魔法の神秘的な側面を教わって他の生物に変身する様子を思い描くが、オジオンの重要な教えはむしろ自分自身についてのものだということが次第にわかるようになる{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=97}}{{sfn|Cummins|1990|pp=31–32}}。 また、ル=グウィンが焦点を当てたものには精神面での発達だけではなく、[[モラル]]の変化も含まれている{{sfn|Cummins|1990|p=24}}。 ゲドは、自分の力とそれを適切に使う責任とのバランスを考えるようになる。それは、彼がテレノンの石を訪れ、石の力が示した誘惑を目の当たりにしたときに得られた認識である{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=99}}。 ゲドの成長は、肉体面ではこの物語を通じて彼がたどる旅とも絡み合っている{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=99}}。 物語の最終章において、ゲドがついに影を自分の一部として受け入れ、恐怖から解放されるという結末は、評論家から[[通過儀礼]]だと指摘されている。例えば、{{仮リンク|ジーン・ウォーカー|en|Jeanne Murray Walker}}は、最後の通過儀礼は『影との戦い』の[[プロット]]全体の相似形であり、プロットそのものが思春期の読者にとって通過儀礼の役割を果たしているとしている{{sfn|Cadden|2005|pp=99–100}}{{sfn|White|1999|pp=34–35}}。 ウォーカーはさらに次のように述べている。「『影との戦い』の全体の筋は……主人公が、社会における個人とは何か、より高次の力との関係において自己とは何を意味するのかについて、ゆっくりと悟る様子を描いている。」{{sfn|Cadden|2005|pp=99–100}}。 エリノア・キャメロンは[[カール・グスタフ・ユング|ユング]]の[[分析心理学]]を引き、ゲドを苦しめた「影」はふだんは意識されずにある私たちの負の部分、言い換えれば、私たちの内に潜む獣性とでも呼ぶべきものではないかと指摘した{{sfn|清水|1976|p=274-275}}。 若いゲドは影の生き物と恐ろしい出会いを果たすが、後にそれが自分自身の{{仮リンク|影 (心理学)|en|Shadow (psychology)|label=影}}すなわち暗い側面であることに気づく。影を認め、融合した後にのみ、彼は人として完全になる{{sfn|Cummins|1990|pp=28–29}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=100}}。 これについて、ル=グウィンはアースシー物語を書くまでユングを読んだことはなかったと述べた{{sfn|Cummins|1990|pp=28–29}}{{sfn|White|1999|p=17}}。 === 均衡と道教思想 === アースシーの世界は微妙な均衡の上に成り立っているものとして描かれており、このことは住民の大部分に知られている。これには、陸と海の(「アースシー」という名前に暗示されている) 、また人と自然環境との均衡が含まれている{{sfn|Cummins|1990|pp=9–10}}。物理的な均衡だけではなく、より大きな宇宙の平衡があることを誰もが認識しており、魔術師はそれを維持する使命を負っている{{sfn|Cummins|1990|pp=25–26}}。 しかし、小説のオリジナル三部作のそれぞれに登場する何者かによってその均衡が崩される。{{sfn|Cummins|1990|pp=9–10}}。 アースシーのこの側面を説明して、エリザベス・カミンズは「力の均衡の原理、つまりあらゆる行為が自己、社会、世界、そして宇宙に影響を及ぼすという認識は、ル=グウィンのファンタジー世界における物理的・道徳的な原理である」と述べた{{sfn|Cummins|1990|p=26}}。 均衡の概念は、この小説のもう一つの主要テーマである成人と関連している。というのも、自分が善にも悪にもなりえることを自覚しなければ均衡を保つ方法は理解できないからである{{sfn|Cummins|1990|pp=28}}。 ロークの学院にいる間、手わざの長はゲドに次のように語る。 {{Quotation|だが、その行為の結果がどう出るか、よかれあしかれ、そこのところがはっきりと見きわめられるようになるまでは、そなたは石ころひとつ、砂粒ひとつ変えてはならん。宇宙には均衡、つまり、つりあいというものがあってな、ものの姿を変えたり。何かを呼び出したりといった魔法使いのしわざは、その宇宙の均衡を揺るがすことにもなるんじゃ。危険なことじゃ。恐ろしいことじゃ、わしらはまず何事もよく知らねばならん。そして、まこと、それが必要となる時まで待たねばならん。あかりをともすことは、闇を生みだすことにもなるんでな{{sfn|清水|1976|p=72}}。|『影との戦い』第3章「学院」より抜粋}} ル=グウィンの著述における[[道教]]の影響は、本書の多くの部分、とくに「均衡」の描き方において明らかである。物語の終わりで、ゲドはどうしても必要なとき以外は行動しないことを学んでおり、道教の生き方を体現しているように見える{{sfn|Griffin|1996}}。また彼は、光と闇、あるいは善と悪のように、一見正反対に見えるものが実は相互に依存していることも学んでいる{{sfn|Griffin|1996}}。 光と闇は、それら自身が物語の中で繰り返されるイメージとなっている{{sfn|White|1999|p=37}}。批評家たちはこの信念が、多くのファンタジーと共通する物語内の保守的イデオロギーの証拠だと指摘している。学者たちによれば、ル=グウィンはバランスと均衡についての懸念を強調することで、魔法使いたちの現状維持の努力を正当化している{{sfn|White|1999|p=36}}。このような傾向は、一方でル=グウィンのSF作品では変化に価値があることが示されるのとは対照的である{{sfn|White|1999|p=36}}。 === 悪と影 === 均衡のテーマと関連して、人間の悪の性質は、『影との戦い』や他のアースシーの物語を通じて重要なテーマとなっている{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}}。 ル=グウィンの他の作品と同様、悪は生命のバランスへの誤解として示されている。ゲドは生まれながらにして強大な力を持っていたものの、その力への増長心が彼の破滅につながる。彼は自分の強さを証明するために死者の霊を呼び戻そうとし、この自然の摂理に反する行為によって、彼を攻撃する「影」が解き放たれる{{sfn|Slusser|1976|pp=32–36}}。 ゲドは初めにゴントの少女から、その次にヒスイから挑発されたことによって危険な呪文を唱えることになるのだが、この挑発はゲドの心の中にあるものだとスラッサーは示唆している。彼を衝き動かしているのは彼自身の自尊心だが、彼は自分の内面に目を向けることを望まないように見える{{sfn|Slusser|1976|pp=32–36}}。 しかし、彼が自分の中に「影」を受け容れたとき、ようやくにして彼は自らの行動に対する責任も受け入れる{{sfn|Slusser|1976|pp=32–36}}。そして、自分の死すべき運命を受け入れることで自分自身を解放することができる{{sfn|Slusser|1976|p=37}}。 このとき、ゲドに同行したカラスノエンドウは、ことの真相を次のように理解した。 {{Quotation|ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。今後ゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものにもはやその生を差し出すことはないだろう{{sfn|清水|1976|p=269}}。|『影との戦い』第10章「世界のはてへ」より抜粋}} したがって、アースシー世界には竜やテレノンの石など闇の力が存在するが、真の悪はこれらの力のいずれでも、あるいは死ですらなく、{{仮リンク|自然の均衡|en|Balance of nature}}に反するゲドの行動だった{{sfn|Slusser|1976|pp=37–38}}。 これは、光と闇を相反するものとして、常に対立する善と悪の象徴と見なす、従来の西洋やキリスト教の物語とは対照的である{{sfn|Cummins|1990|p=34}}{{sfn|White|1999|p=18}}。 ゲドは二度にわたって、死と悪に挑むという誘惑に駆られるが、そのどちらもなくすことはできないことをやがて悟り、代わりに悪に仕えず、死を否定しないことを選択する{{sfn|Cummins|1990|p=36}}。 本橋は、『アースシー物語』を読者がひとりの男性主人公による「戦記」や「伝記」と考えることは根本的な錯誤をはらんでおり、自己を絶対的善として設定する「戦い」ではなく、自らの中にも善や悪の混淆を認め、自分自身で悩み葛藤し、そこから他者との共生の可能性を探る「闘い」だとする。この物語は単純な二項対立の図式では理解できず、善悪の価値観を基本原理とする一般的な小説とは大きく一線を画している。そのことを読者が理解するための最初の重要な課題が「影」だと述べている{{sfn|本橋|2007|p=8-9}}。 === 真の名 === [[File:Rumpelstiltskin-Crane1886.jpg|thumb|ウォルター・クレーンによる「[[ルンペルシュティルツヒェン]]」の挿絵(1886年のマクミラン社『[[グリム童話]]集』より)]] ル=グウィンの架空の世界では、物体や人物の[[真の名]]を知ることは、それを支配する力を持つことを意味する{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=96}}{{sfn|Slusser|1976|p=37}}。子供たちは思春期に達すると真の名を与えられ、その名は親しい友人とのみ共有される{{sfn|Cummins|1990|p=27}}。 オーム・エンバーやカレシンのように、『ゲド戦記』シリーズの後期の小説に登場するいくつかの竜は、自分の名前を公然にしつつも、誰にも支配されずに生きているように描かれている{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=96}}{{sfn|Cadden|2005|pp=108–109}}。しかし、『影との戦い』では、イエボーに対してゲドが力を持っていることが示される。これについてキャデンは、イエボーは富や物質的な所有に執着し続けており、そのために自分の名前の力に縛られていると述べている{{sfn|Cadden|2005|pp=108–109}}。 魔法使いは名前を使うことで均衡に影響を及ぼす。こうして、このテーマは宇宙の均衡と関連付けられる。カミンズによれば、これは言語が現実を形作る力を示すル=グウィンの方法だという。言語は、私たちが環境について理解し合うためのツールなのだから、人間が環境に影響を与えることも可能であり、魔法使いが名前を使用する力はその象徴だと彼女は主張している{{sfn|Cummins|1990|p=11}} 。カミンズはさらに、魔法使いが物事を変えるために名前を使うことと、フィクションの執筆において言葉を創造的に使うことの類似を示唆した{{sfn|Cummins|1990|p=27}}。 シッピーは、名前に力があるというアースシーの魔法は、彼が「[[ルンペルシュティルツヒェン]]理論」と名付けたものによって機能するようだと述べた。シッピーによると、この描写は物に対する言葉の力を強調しようとするル=グウィンの努力の一環であり、『[[金枝篇]]』の[[ジェームズ・フレイザー]]など他の作家のイデオロギーとは対照をなしている{{sfn|White|1999|pp=21–22}}。 エズモンドは、『ゲド戦記』の最初の3冊はいずれも名前が信頼を意味すると論じた。『影との戦い』では、カラスノエンドウはゲドに対し、自分から真の名前{{efn|カラスノエンドウの真の名は「エスタリオル」{{sfn|清水|1976|p=110}}。}}を明かすことで信頼を表し、ゲドを感激させる{{sfn|松崎|2007|p=62}}。後に『こわれた腕環』において、ゲドはテナーに同じものを贈り、そうすることで彼女が信頼を学び取ることができるようにした{{sfn|White|1999|pp=28–29}}。 == 文体と構造 == === 表現と叙述 === 『影との戦い』や他の『ゲド戦記』シリーズの作品は、ル=グウィン初期のSF[[ハイニッシュ・ユニバース]]の連作とほぼ同じ時期に書かれているが、その性格は大きく異なっている{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}}。 スラッサーは、『ゲド戦記』のシリーズは「ハイニッシュ」シリーズの「過度の[[ペシミズム]]」との釣り合いを取るものだと述べた{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}}。彼は前者について、「{{仮リンク|帝国よりも大きくゆるやかに|en|Vaster than Empires and More Slow}}」といった作品とは対照的に、個人の行動を好意的に描いているとみなした{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}}。 「SF百科事典」は、本作を「重厚な喜び」に満ちていると評した{{sfn|Nicholls|1995b}}。 ル=グウィン自身は、ファンタジー作品の文体について語る中で、ファンタジーにおいては、読者の心の拠り所となる既知の枠組みが存在しないため、明確で直接的な表現が必要だったと述べている{{sfn|Slusser|1976|pp=32–35}}。 この物語はしばしば、読者がアースシーの地理や歴史に詳しいことを前提にしているように書かれているが、この手法によってル=グウィンは{{仮リンク|解説|en|Exposition (narrative)}}的文章を避けることができた{{sfn|Cadden|2005|pp=86–88}}。 ある評者は、この手法は「ル=グウィンの世界にトールキンのような神秘的な深みを与えているが、トールキンのうんざりするようなバックストーリーや詩作はない。」と述べる{{sfn|Craig|2003}}。 [[叙事詩]]の概念に沿って、叙述はゲドの未来を展望したり、アースシーの過去を振り返ったりと切り替わる{{sfn|Cadden|2005|pp=86–88}}。 同時に、スラッサーは小説の雰囲気が「不思議で夢のよう」であり、客観的な現実とゲドの心の中の思考の間で揺れ動いていると述べた。ゲドの敵は実在するものもいるが、その他は幻影である{{sfn|Slusser|1976|pp=35–38}}。 このような叙述手法をキャデンは「{{仮リンク|自由間接話法|en|Free indirect speech}}」と呼んでいる。この語り手は主人公に寄り添っているように見え、読者から主人公の考えを遠ざけようとはしない{{sfn|Cadden|2005|pp=91–93}}。 === 神話と叙事詩 === 『影との戦い』は叙事詩の要素を強く持っている。例えば、アースシーの歴史におけるゲドの位置付けは、本書の始まりの部分で次のような言葉で説明されている{{sfn|Cadden|2005|pp=86–88}}。 {{Quotation|最高の誉れ高く、事実、他の追随を許さなかった者がハイタカと呼ばれた男である。ハイタカは老いを待たずに竜王と大賢人の、ふたつながらの名誉をかちえ、その一生は『ゲドの武勲』をはじめ、数々の歌になって、今日もうたいつがれている{{sfn|清水|1976|p=9}}。|『影との戦い』第1章「霧の中の戦士」より抜粋}} {{Quote box | quote= ことばは沈黙に <br> 光は闇に <br> 生は死の中にこそあるものなれ <br> 飛翔せるタカの <br> 虚空にこそ輝ける如くに | source= 『エアの創造』{{sfn|清水|1976|p=8}} | align=right | width=14em }} また、物語の冒頭にはアースシーの歌『エアの創造』の言葉が置かれ、本書の開始を儀式的に飾る形となっている{{sfn|清水|1976|p=8}}{{sfn|Cadden|2005|pp=86–88}}。その後、物語の語り手は、これから語るのはゲドの若い頃の物語だと述べ、以降の文脈が確立される{{sfn|Cadden|2005|pp=86–88}}。 ル=グウィンの他の多くの作品の主人公たちと比べると、探求に旅立つ魔法使いとしてのゲドは、表向きには典型的なヒーローである{{sfn|Rochelle|2001|p=48}}。 批評家は『影との戦い』を『[[ベーオウルフ]]』のような叙事詩と比較している{{sfn|White|1999|p=24}}。 学者のヴァージニア・ホワイトは、この物語は主人公が冒険を始め、途中で試練に直面し、最終的には勝利を収めて帰還するという叙事詩に共通する構造に従っていると論じた。ホワイトはさらに、この構造は各巻だけでなくシリーズ全体にも見られるものだと指摘した{{sfn|White|1999|pp=32–33}}。 ル=グウィンは、そのような「[[ヒーローズ・ジャーニー|単一の神話]]」にありがちな定形の多くを覆した。彼女の物語の主人公は伝統的に現れる白い肌の英雄ではなく、みな浅黒い肌をしていた。逆に、敵対者のカルガド人の肌は白く、人種間の役割が入れ替わっていることが複数の批評家によって指摘されている{{sfn|Kuznets|1985}}{{sfn|Rochelle|2001|pp=48, 53}}{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=92}}。 批評家はまた、彼女が伝統的な西洋のファンタジーを破壊する手段として、多様な出自を持つキャラクターを使っていることを挙げている{{sfn|Bernardo|Murphy|2006|p=92}}。 一方で、批評家たちは『影との戦い』を含むオリジナル三部作におけるル=グウィンの性別の扱いに疑問を呈した。後に[[フェミニズム|フェミニスト]]として知られるようになったル=グウィンだが、シリーズの第1巻の本書で、魔法を使うのは男性と少年に限定している{{sfn|Craig|2003}}。 発表当時はこの点についてジェンダー的な観点からの批評は行われていなかった{{sfn|Nodelman|1995|p=182|ps=, footnote 2.}}。続く『こわれた腕環』ではル=グウィンは意図的に女性の成長物語を描いたものの、作中の描写はシリーズの男性優位モデルを引き継いでいるという評がある{{sfn|Butler|2012|p=230}}。 『ゲド戦記』の第3巻『さいはての島へ』(1972年)から18年後に出版された第4巻『帰還』(1990年)は、ル=グウィン及び評論家たちによって本シリーズをフェミニスト的に再創造したものだとされている。ここでは主要登場人物の権力や地位が逆転しており、[[家父長制]]的な社会構造に疑問が投げかけられる{{sfn|Hollindale|2003}}{{sfn|Hatfield|1993|p=43}}{{sfn|Cadden|2005|p=98}}。 1993年のコメントで、ル=グウィンは「フェミニストとしての良心との格闘」が済むまで「1972年以降のアースシー」を続けることはできなかったと述べている<!-- https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ZmiwfYXiJ9sJ:https://helda.helsinki.fi/bitstreams/aaab6dbf-38ae-42d2-8462-8110f950cd29/download&hl=ja&gl=jp&client=firefox-b-d で長い引用文が読める。 “I couldn’t continue my hero-tale until I had, as woman and artist, wrestled with the angels of the feminist consciousness. It took me a long time to get their blessing” それに沿って意訳する -->{{sfn|Hollindale|2003}}。 幾人かの批評家は、ル=グウィンは叙事詩、教養小説、ヤングアダルト小説の要素を組み合わせることで、従来のジャンルの境界を曖昧にすることに成功したと論じている{{sfn|Cadden|2005|p=99}}。 フランシス・モルソンは1975年の解説で、この物語が必ずしも{{仮リンク|ヒロイック・ファンタジー|en|Heroic Fantasy}}の型やそれが引き起こす道徳的問題に従っていないことから「倫理的ファンタジー」と呼ばれるべきだと主張した。だが、この用語は普及しなかった{{sfn|White|1999|pp=25–27}}。 同様の議論は1985年に児童文学評論家の{{仮リンク|デリア・シャーマン|en|Delia Sherman}}(1951年 -)によってなされた。シャーマンは、『影との戦い』を始めとするシリーズが求めたのは「良い大人になるとはどういうことなのかを、劇的な例を通して子供たちに教える」ことだと述べた{{sfn|White|1999|p=38}}。 == 翻案 == 1989年、{{仮リンク|ワールド・ブック|en|World Book Encyclopedia}}によって{{仮リンク|チャイルドクラフト|en|Childcraft}}第3巻に本書第1章のイラスト付き要約版が掲載された<ref>{{cite book|title=Childcraft: Stories and poems|year=1989|publisher=World Book, Inc.|pages=176–187|url=https://books.google.com/books?id=yzkKAAAAIAAJ&q=Earthsea|chapter=The Boy Who Became A Wizard|isbn=9780716601890}}</ref>。 本書のオーディオ版は複数リリースされている。[[英国放送協会のラジオ放送|BBCラジオ]]は1996年にラジオドラマ版を制作し、[[ジュディ・デンチ]]が[[ナレーション]]を務めた<ref>{{cite web |url=http://www.bbc.co.uk/programmes/b00pfpcm |title=A Wizard of Earthsea |website=[[BBC]]|date=January 5, 2011|publisher=BBC Player Radio|access-date=July 10, 2011}}</ref>。 2015年には『ゲド戦記』の翻案による6部構成のシリーズを制作、{{仮リンク|BBCラジオ4エクストラ|en|BBC Radio 4 Extra}}で放送した<ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/programmes/b05pktp7|title=Earthsea|website=[[BBC]]|publisher=BBC Player Radio|access-date=July 29, 2015|date=May 6, 2015}}</ref>。 2011年、この作品は{{仮リンク|ロバート・イングリス|en|Rob Inglis}}による無修正録音として制作された{{sfn|Le Guin|2011}}{{sfn|Le Guin|1992}}。 この物語を映像化した作品も2本制作されている。 [[File:Gedo senki title (Blu-ray).jpg|thumb|スタジオジブリによるアニメ映画『ゲド戦記』のタイトル。]] 2004年に『[[ゲド〜戦いのはじまり〜]]』というタイトルのミニシリーズが[[Syfy|Sci Fi Channel]]で放送された。このテレビ作品はごく大まかに『影との戦い』と『こわれた腕環』に基づいている。 「サロン」に掲載された記事の中で、ル=グウィンはこの結果に対して強い不快感を表明した。作中では赤茶色の肌をしているゲドを「怒りっぽい白人の子供」に置き換えたことで、このシリーズはアースシーを「[[ホワイトウォッシング (配役)|白塗り]]」しており、作品の核心として白人ではない人物の物語を書くという彼女の選択が無視されたと述べた{{sfn|Le Guin|2004}}。 この感想は、「究極のファンタジー百科事典("The Ultimate Encyclopedia of Fantasy")」のレビューでも共有された。同紙は、『ゲド〜戦いのはじまり〜』はル=グウィンの原作に対して「まったく的外れ」であり、「原作の繊細さ、ニュアンス、美しさをすべて取り除き、その代わりに陳腐な常套句、痛々しいステレオタイプ、そして理不尽な「壮大な」戦争を挿入した。」と述べた{{sfn|Pringle|2006|p=145}}。 2006年、[[スタジオジブリ]]は本シリーズの翻案によるアニメ映画『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』を発表した{{sfn|Hairston|2010|p=183}}。 この映画は、シリーズ第一作『影との戦い』、第三作『さいはての島へ』、第四作『帰還』の要素をごく大まかに組み合わせて新しい物語を作り上げている。 ル=グウィンは映画の制作過程について、[[宮崎駿]]自身が映画をプロデュースすると信じて映画化を承諾したが、結局そうならなかったと述べ、不快感を示した{{efn|『ゲド戦記』シリーズの日本語翻訳者[[清水真砂子]]は、2006年6月の講演においてゲド戦記の映画化について触れ、スタジオジブリからの参加要請を断ったこと、映画化に当たっては、「映像化するとしたら、ハヤオをおいてない」というル=グウィンの言葉をスタジオジブリに伝えただけだったと述べている{{sfn|清水|2006|p=54}}。}}。ル=グウィンは映画の描写を称賛したものの、暴力の行使を嫌った。また彼女は道徳描写、とくに対立を解消する手段として殺されかねない悪役の起用について不満を表明し、それは本書のメッセージに反するものだと語った{{sfn|Le Guin|2006}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == === 日本語文献 === * {{Cite book|和書|author=[[アーシュラ・K・ル=グウィン]]|translator=[[清水真砂子]]|year=1976|title=影との戦い|publisher=[[岩波書店]]|series=ゲド戦記 I|isbn=4-00-110684-1|ref={{sfnref|清水|1976}}}} * {{Cite book|和書|editor=|author=[[清水真砂子]]|translator=|year=2006|title=「ゲド戦記」の世界|publisher=[[岩波書店]]|series=岩波ブックレットNO.683|isbn=4-00-009383-5|ref={{sfnref|清水|2006}}}} * {{Cite book|和書|author=[[本橋哲也]]|translator=|year=2007|title=ほんとうの『ゲド戦記』―英文で読む『アースシー物語』|publisher=[[大修館書店]]|series|isbn=978-4-469-21313-3|ref={{sfnref|本橋|2007}}}} * {{Cite web|url=https://keiwa.repo.nii.ac.jp/records/656|title=『影との戦い』(アーシュラ・ル・グイン著) : 自分自身への旅(<特集1>ファンタジー : 大人が読む児童文学)|accessdate=2023-11-5|author=[[松崎洋子]]|year=2007|format=PDF|publisher=[[敬和学園大学]]|language=日本語|ref={{sfnref|松崎|2007}}}} === 英語文献 === * {{cite book | title=Ursula K. Le Guin: A Critical Companion| last1=Bernardo | first1=Susan M. | last2=Murphy | first2 = Graham J. | publisher=Greenwood Press| location=Westport, Connecticut, US | year=2006 | isbn = 0-313-33225-8|ref={{SfnRef|Bernardo|Murphy|2006}}}} * {{cite encyclopedia |last1=Butler |first1=Catherine |title=Modern Children's Fantasy |year=2012 |publisher=Cambridge University Press |pages=224–235 |encyclopedia=The Cambridge Companion to Fantasy Literature |editor1-last=James |editor1-first=Edward |editor2-first=Farah |editor2-last=Mendlesohn |doi=10.1017/CCOL9780521429597.021 |isbn=978-0521429597 |location=Cambridge, UK |url=https://books.google.com/books?id=vR71BRGgLzIC |ref={{SfnRef|Butler|2012}}}} * {{cite book |title=Ursula K. Le Guin Beyond Genre: Fiction for Children and Adults|last=Cadden|first=Mike| publisher=Routledge|location=New York City, New York, US|year=2005 |isbn = 0-415-99527-2|ref={{SfnRef|Cadden|2005}}}} * {{cite book|last1=Clute|first1=John|last2=Grant|first2=John|title=The Encyclopedia of Fantasy|location=London, UK|publisher=Orbit Books|year=1997|isbn=978-1-85723-368-1|url=http://sf-encyclopedia.uk/fe.php?id=0&nm=introduction_to_the_online_text|access-date=July 28, 2017|archive-date=August 25, 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170825202359/http://sf-encyclopedia.uk/fe.php?id=0&nm=introduction_to_the_online_text|url-status=dead|ref={{SfnRef|Clute|Grant|1997}}}} * {{cite news|last=Craig|first=Amanda|url=https://www.theguardian.com/books/2003/sep/24/buildingachildrenslibrary.booksforchildrenandteenagers|title=Classic of the month: A Wizard of Earthsea|work=The Guardian|date=September 24, 2003|access-date=November 10, 2014|ref={{SfnRef|Craig|2003}}}} * {{cite book|last=Cummins|first=Elizabeth|title=Understanding Ursula K. Le Guin|publisher=University of South Carolina Press|year=1990|isbn=978-0-87249-687-3|location=Columbia, South Carolina, US|url=https://archive.org/details/understandingurs0000cumm|ref={{SfnRef|Cummins|1990}}}} * {{cite journal|last=Esmonde|first=Margaret P.|title=The Good Witch of the West|journal=Children's Literature|year=1981|volume=9|pages=185–190|publisher=The Johns Hopkins University Press|doi=10.1353/chl.0.0112|s2cid=144926089 |ref={{SfnRef|Esmonde|1981}}}} * {{cite news|title=Ursula K Le Guin to publish Earthsea story in print for first time|work=[[The Guardian]]|last=Flood|first=Alison|url=https://www.theguardian.com/books/2016/jul/15/ursula-k-le-guin-to-publish-earthsea-story-in-print-for-first-time|date=July 15, 2016|access-date=September 13, 2016|ref={{SfnRef|Flood|2016}}}} * {{cite journal|last=Griffin|first=Jan M.|title=Ursula LeGuin's Magical World of Earthsea|journal=The ALAN Review|doi=10.21061/alan.v23i3.a.5|volume=23|issue=3|date=Spring 1996|ref={{SfnRef|Griffin|1996}}}} * {{cite encyclopedia|title=The Reluctant Messiah: Miyazaki Hayao's Nausicaä of the Valley of the Wind Manga|pages=173–185|encyclopedia=Manga: An Anthology of Global and Cultural Perspectives|last=Hairston|first=Marc|editor-last=Johnson-Woods|editor-first=Toni|url=https://books.google.com/books?id=isqoAwAAQBAJ|publisher=Bloomsbury Publishing|year=2010|isbn=978-1441107879|location=London, UK|ref={{SfnRef|Hairston|2010}}}} * {{cite journal |last1=Hatfield |first1=Len |title=From Master to Brother: Shifting the Balance of Authority in Ursula K. Le Guin's Farthest Shore and Tehanu |journal=Children's Literature |date=1993 |volume=21 |issue=1 |pages=43–65 |doi=10.1353/chl.0.0516 |via=[[Project MUSE]] |hdl=10919/25443 |s2cid=144166026 |url=http://hdl.handle.net/10919/25443 |hdl-access=free |ref={{SfnRef|Hatfield|1993}}}} * {{cite journal|last1=Hollindale|first1=Peter|title=The Last Dragon of Earthsea|journal=Children's Literature in Education|date=September 2003|volume=34|issue=3|pages=183–193|doi=10.1023/A:1025390102089|s2cid=160303057|ref={{SfnRef|Hollindale|2003}}}} * {{cite news|last=Jaggi|first=Maya|title=The magician|work=Guardian Unlimited|url=http://books.guardian.co.uk/departments/childrenandteens/story/0,6000,1669112,00.html|access-date=October 10, 2006|location=London, UK|date=December 17, 2005|ref={{SfnRef|Jaggi|2005}}}} * {{cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/books/classic-childrens-books/david-mitchells-favourite-book/|access-date=September 13, 2016|title=The fantasy that inspired David Mitchell|last=Kerridge|first=Jake|work=[[The Daily Telegraph|The Telegraph]]|date=November 17, 2015|ref={{SfnRef|Kerridge|2015}}}} * {{cite journal|last=Kuznets|first=Lois R.|title='High Fantasy' in America: A Study of Lloyd Alexander, Ursula Le Guin, and Susan Cooper|journal=The Lion and the Unicorn|volume=9|pages=19–35|year=1985|doi=10.1353/uni.0.0075|s2cid=143248850|ref={{SfnRef|Kuznets|1985}}}} * {{cite book|last=Le Guin|first=Ursula K.|title=A Wizard of Earthsea|publisher=Parnassus Press|year=1968|location=Berkeley, California, US|isbn=9780395276532|url=https://books.google.com/books?id=2RfhAAAAMAAJ|oclc=1210|ref={{SfnRef|Le Guin|1968}}}} * {{cite book|last=Le Guin |first=Ursula K. |others=Narrator: Inglis, Rob |title=A wizard of Earthsea |place=Prince Frederick, MD|publisher=Recorded Books|date=1992 |type=audiobook on cassette|isbn=978-0553262506 |oclc=26816513|ref={{SfnRef|Le Guin|1992}}}} * {{cite web |url=http://www.slate.com/id/2111107/ |title=A Whitewashed Earthsea – How the Sci Fi Channel wrecked my books |last=Le Guin |first=Ursula |work=Slate.com |date=December 16, 2004 |access-date=November 5, 2023 |ref={{SfnRef|Le Guin|2004}}}} * {{cite web |url=http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html |title=A First Response to Gedo Senki |last=Le Guin |first=Ursula |year=2006 |access-date=July 10, 2011 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110717214649/http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html |archive-date=July 17, 2011 |website=ursulakleguin.com |url-status=dead |ref={{SfnRef|Le Guin|2006}}}} * {{cite book|last=Le Guin |first=Ursula K. |others=Narrator: Inglis, Rob |title=A wizard of Earthsea |place=Prince Frederick, MD|publisher=Recorded Books|date=2011<!-- per the website this is the date TPL 'viewed' the source --> |type=audiobook |isbn=978-1449881948|oclc=827683597 |url=http://www.torontopubliclibrary.ca/detail.jsp?Entt=RDM3059585&R=3059585 |access-date=February 19, 2020 |via=Toronto Public Library |ref={{SfnRef|Le Guin|2011}}}}<!--Suggest using {{OCLC|799120142}}--> * {{cite book|last=Le Guin|first=Ursula K.|title=A Wizard of Earthsea|publisher=Houghton Mifflin Harcourt|location=New York City, New York, US|year=2012|isbn=978-0-544-08437-7|url=https://books.google.com/books?id=hDtjOj5FL8MC|ref={{SfnRef|Le Guin|2012}}}} * {{cite book|last1=Le Guin|first1=Ursula K.|last2=Wood|first2=Susan|title=The Language of the Night: Essays on Fantasy and Science Fiction|publisher=Ultramarine publishing|year=1980|url=https://books.google.com/books?id=ksOjjuy3issC|location=London, UK|isbn=9780399504822|ref={{SfnRef|Le Guin|Wood|1980}}}} * {{cite news|last=Mitchell|first=David|title=David Mitchell on Earthsea – a rival to Tolkien and George RR Martin|work=The Guardian|url=https://www.theguardian.com/books/2015/oct/23/david-mitchell-wizard-of-earthsea-tolkien-george-rr-martin|access-date=July 25, 2017|date=October 23, 2015|ref={{SfnRef|Mitchell|2015}}}} * {{cite encyclopedia|last=Nicholls|first=Peter|editor1-last=Clute|editor1-first=John|editor2-last=Nicholls|editor2-first=Peter|encyclopedia=The Encyclopedia of Science Fiction|title=Children's SF|pages=195–198|isbn=9780312134860|year=1995|location=New York City, New York, US|publisher=St. Martin's Griffin|url=https://books.google.com/books?id=NcwnQAAACAAJ|ref={{harvid|Nicholls|1995a}}}} * {{cite encyclopedia|last=Nicholls|first=Peter|editor1-last=Clute|editor1-first=John|editor2-last=Nicholls|editor2-first=Peter|encyclopedia=The Encyclopedia of Science Fiction|title=Le Guin, Ursula (Kroeber)|pages=630–634|isbn=9780312134860|year=1995|location=New York City, New York, US|publisher=St. Martin's Griffin|url=https://books.google.com/books?id=NcwnQAAACAAJ|ref={{harvid|Nicholls|1995b}}}} * {{cite journal|first=Perry|last=Nodelman|title=Reinventing the Past: Gender in Ursula K. Le Guin's Tehanu and the Earthsea 'Trilogy'|journal=Children's Literature|doi=10.1353/chl.0.0246|volume=23|pages=179–201|year=1995|s2cid=145657862 |via=[[Project MUSE]]|url=https://zenodo.org/record/556760|ref={{SfnRef|Nodelman|1995}}}} * {{cite book|editor-first=David|editor-last=Pringle|title=The Ultimate Encyclopedia of Fantasy|location=London, UK|publisher=Carlton|year=2006|isbn=1-84442-110-4|url=https://books.google.com/books?id=ZdfKGgAACAAJ|ref={{SfnRef|Pringle|2006}}}} * {{cite book|last=Pringle|first=David|title=Modern Fantasy: The 100 Best Novels|date=September 30, 2014|publisher=Hatchette|location=London, UK|isbn=978-1473208063|url=https://books.google.com/books?id=EvhlBAAAQBAJ|ref={{SfnRef|Pringle|2014}}}} * {{cite news|last=Power|first=Ed|title=Harry Potter and the boy wizard tradition|date=July 31, 2016|url=http://www.irishtimes.com/culture/books/harry-potter-and-the-boy-wizard-tradition-1.2738955|access-date=September 13, 2016|work=Irish Times|ref={{SfnRef|Power|2016}}}} * {{cite journal|last=Reider|first=Noriko T|title=Spirited Away: Film of the fantastic and evolving Japanese folk symbols|journal=Film Criticism|volume=29|issue=3|year=2005|page=4|ref={{SfnRef|Reider|2005}}}} * {{cite book|last=Rochelle|first=Warren G.|title=Communities of the Heart|publisher=Liverpool University Press|location=[[Liverpool]], UK|year=2001|url=https://archive.org/details/communitiesofhea0000roch|url-access=registration|isbn=978-0853238867|ref={{SfnRef|Rochelle|2001}}}} * {{cite news|last=Russell|first=Anna|url=https://www.wsj.com/articles/wsj-book-club-margaret-atwood-chooses-a-wizard-of-earthsea-1413493430|title=Margaret Atwood Chooses 'A Wizard of Earthsea'|work=The Wall Street Journal|date=October 16, 2014|access-date=November 10, 2014|ref={{SfnRef|Russell|2014}}}} * {{cite book|last=Slusser|first=George Edgar|title=The Farthest Shores of Ursula K. Le Guin|year=1976|publisher=Wildside Press|isbn=978-0-89370-205-2|url=https://books.google.com/books?id=hsKSNtNpLbcC|ref={{SfnRef|Slusser|1976}}}} * {{cite book |title=Ursula K. Le Guin |last=Spivack |first=Charlotte |publisher=Twayne Publishers |location=Boston, Massachusetts, US |edition=1st |year=1984 |isbn=0-8057-7393-2 |ref={{harvid|Spivack|1984a}} |url=https://archive.org/details/ursulakleguin00char }} * {{cite journal|title='Only in Dying, Life': The Dynamics of Old Age in the Fiction of Ursula Le Guin|last=Spivack|first=Charlotte|journal=Modern Language Studies|year=1984|volume=14|issue=3|pages=43–53 |jstor=3194540 |doi=10.2307/3194540|ref={{harvid|Spivack|1984b}}}} * {{cite book|last=White|first=Donna|title=Dancing with Dragons: Ursula K. Le Guin and the Critics|publisher=Camden House|location=Columbia, South Carolina, US|year=1999|isbn=1-57113-034-9|ref={{SfnRef|White|1999}}}} {{refend}} === 英語関連文献 === {{refbegin|30em}} * {{cite book | title=Ursula K. Le Guin's A Wizard of Earthsea: A Critical Companion | last=Miller | first=Timothy S. | series=Palgrave Science Fiction and Fantasy: A New Canon | publisher=Palgrave Macmillan | location=Cham, Switzerland | edition=1st | year=2023 | doi=10.1007/978-3-031-24640-1 | isbn=978-3-031-24639-5 | s2cid=257293086 | url-access=registration | url=https://link.springer.com/book/10.1007/978-3-031-24640-1 }} * {{cite book |title=Ursula K. Le Guin (Modern Critical Views) |editor-first=Harold |editor-last=Bloom |publisher=Chelsea House |location=New York City, New York, US |year=1986 |isbn=0-87754-659-2 |url=https://archive.org/details/ursulakleguin00bloo }} * {{cite book | title=Of Sorcerers and Men: Tolkien and the Roots of Modern Fantasy Literature | last=Drout | first=Michael | publisher=Barnes & Noble| location=China | edition=1st | year=2006 | isbn=978-0-7607-8523-2}} * {{cite book | title=A Guide to Fantasy Literature: Thoughts on Stories of Wonder & Enchantment | last=Martin | first=Philip | publisher=Crickhollow Books | location=Milwaukee, Wisconsin, US | edition=1st | year=2009 | isbn=978-1-933987-04-0 | url-access=registration | url=https://archive.org/details/guidetofantasyli0000mart }} * {{cite book | title=Fantasy: The Liberation of Imagination | last=Mathews | first=Richard | publisher=Routledge | location=New York City, New York, US| year=2002 | isbn=0-415-93890-2}} {{refend}} == 外部リンク == * {{isfdb title|7653}} {{Good article}} {{DEFAULTSORT:かけとのたたかい}} [[Category:ゲド戦記]] [[Category:アメリカ合衆国のファンタジー小説]] [[Category:ハイファンタジー小説]] [[Category:1968年の小説]]
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4,851,878
NHKから国民を守る党 (曖昧さ回避)
NHKから国民を守る党(エヌエイチケイからこくみんをまもるとう)は、日本の政党、政治団体、院内会派の名称。
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NHKから国民を守る党(エヌエイチケイからこくみんをまもるとう)は、日本の政党、政治団体、院内会派の名称。
'''[[NHK]]から[[国民]]を守る党'''(エヌエイチケイからこくみんをまもるとう)は、[[日本]]の[[日本の政党|政党]]、[[政治団体]]、[[院内会派]]の名称。 == 一覧 == * [[2013年]][[7月29日]]<ref>{{Cite press release|language=ja|title=令和2(ワ)23152 損害賠償請求事件 令和3年6月15日 東京地方裁判所 下級裁裁判例(第2 事案の概要等 - 2 前提事実 - ⑴ 当事者等 イ)|publisher=[[最高裁判所事務総局]]広報課|page=2|date=2021-06-15|url=https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/510/090510_hanrei.pdf|format=PDF|accessdate=2023-11-08}}</ref>から[[2020年]][[12月21日]]<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20201221-OYT1T50220/|title=立花氏、「NHKから自国民を守る党」に党名変更…略称は「自民党」と届け出|date=2020-12-21|accessdate=2023-11-08|newspaper=[[読売新聞オンライン]]|publisher=[[読売新聞東京本社]]}}</ref>まで使用された政治団体並びに政党の名称(2023年11月6日に「<!--現・-->[[みんなでつくる党]]」に改名)。 ** [[立花孝志]]が[[2021年]][[5月17日]]に設立した政治団体<ref name="政治団体210517">{{Cite press release|language=ja|title=その他の政治団体一覧(2918団体)|publisher=[[総務省]]|page=5|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000718003.pdf|format=PDF|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 * [[2023年]][[8月10日]]から使用されている[[参議院]]の会派名<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA105BD0Q3A810C2000000/|title=参院会派「NHKから国民を守る党」に 政女から変更|date=2023-08-10|accessdate=2023-11-08|newspaper=[[日本経済新聞]]電子版|publisher=[[日本経済新聞社]]}}</ref>。 * この他、立花以外の人物を代表者とする同名の政治団体が複数存在する<ref name="政治団体210517"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} {{Aimai}} {{デフォルトソート:えぬえいちけいからこくみんをまもるとう}} [[Category:同名の政党]]
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近衛政弁
近衛 政弁(このえ まささと、生没年不詳)は、室町時代の浄土宗の僧侶。浄土寺の住職。父は近衛房嗣。 関白・近衛房嗣の子供として生まれる。母は不明。兄弟に教基・政家・道興・増運・政深がいる。 兄弟の道興・増運・政深と同様に仏門に入り、浄土宗の僧となり、かつて京都に存在した浄土寺の住職となった。
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近衛 政弁は、室町時代の浄土宗の僧侶。浄土寺の住職。父は近衛房嗣。
{{Infobox Buddhist |名前 = 政弁 |生没年 = [[1455年]] - [[1477年]] |諡号 = 政深 |尊称 = 大僧正 |生地 = |没地 = |画像 = |説明文 = |宗派 = [[浄土宗]] |寺院 = [[浄土院 (京都市左京区)|浄土寺]] |師 = |弟子 = |著作 = }} '''近衛 政弁'''(このえ せいべん、[[康正]]元年([[1455年]])? - [[文明 (日本)|文明]]9年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]([[1477年]][[7月11日]]))は、[[室町時代]]の[[浄土宗]]の[[僧侶]]。[[浄土院 (京都市左京区)|浄土寺]]の住職。父は[[近衛房嗣]]。 == 生涯 == [[関白]]・[[近衛房嗣]]の子供として生まれる。母は不明。兄弟に[[近衛教基|教基]]・[[近衛政家|政家]]・[[道興]]・[[近衛増運|増運]]・[[近衛政深|政深]]がいる<ref name=":0">『近衛家一族の群像』([[歴史研究会]]){{要ページ番号|date=2023年12月}}</ref>。 兄弟の道興・増運・政深と同様に仏門に入り、[[浄土宗]]の僧となり、かつて[[京都]]に存在した[[浄土院 (京都市左京区)|浄土寺]]の住職となった<ref name=":0" /><ref>『公卿辞典〔3訂増補〕』([[国書刊行会]]、[[1994年]]){{要ページ番号|date=2023年12月}}</ref><ref>『廻国雑記の研究』([[武蔵野書院]]、[[1987年]]){{要ページ番号|date=2023年12月}}</ref>。 文明9年(1477年)6月1日、23歳(または22歳)で死去<ref>『大日本史料』第8編之9(東京大学、1923年)p.572</ref>。 == 脚注 == <references /> {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:このえ まささと}} [[Category:近衛家|まささと]] [[Category:室町・安土桃山時代の僧]] [[Category:浄土宗の僧]] [[Category:1455年生]] [[Category:1477年没]]
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接続 (ベクトル束)
ベクトルバンドルの接続(せつぞく、英: connection)とは、微分幾何学の概念で、接ベクトルバンドルやより一般のベクトルバンドルに微分概念を定義する演算子である。接続に定義される微分概念を共変微分という。 接続および共変微分の概念は元々リーマン多様体上のベクトル場の微分を定義するために導入されたもので、この接続をレヴィ-チヴィタ接続という。一般の接続概念はレヴィ=チヴィタ接続の満たす性質を自然に一般のベクトルバンドル拡張する事で得られる。 接続によって定まる重要な概念の一つとして平行がある。これは与えられたベクトル場の与えられた曲線に沿った共変微分が0になる、という趣旨の概念で、曲線に沿って平行なベクトル場X(あるいはより一般にベクトルバンドルの切断)により、曲線の起点PにおけるベクトルXPが曲線の終点曲線の起点QにおけるベクトルXQに平行移動されたとみなす。 これにより、(何ら構造が定義されていない)多様体では無関係なはずの点PにおけるベクトルXPと点QにおけるベクトルXQにおけるベクトルを「接続」して関係づけて考える事ができる。 接続によって定まるもう一つの重要概念として曲率があり、これはベクトルバンドルの「曲がり具合」を表している。特に接ベクトルバンドルの曲率は多様体それ自身の「曲がり具合」とみなせる。曲率概念は歴史的には3次元ユークリッド空間 R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} 内の曲面に対して定義されたものだが、実は「外の空間」である R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} がなくても定義できる曲面に内在的な量である事が示されたので、これを一般のリーマン多様体(の接ベクトルバンドル)、さらには一般のベクトルバンドルに対して拡張したものである。多様体に内在的な量としてみなしたとき、曲率の幾何学的意味は、閉曲線に沿ってベクトルを一周平行移動したとき、もとのベクトルとどの程度ずれるかを測った量であるとみなせる。 接続概念はゲージ理論やチャーン・ヴェイユ理論で用いられる。特にチャーン・ヴェイユ理論の特殊ケースとして、曲面に関する古典的なガウス・ボンネの定理を一般の偶数次元多様体に拡張するのに役立つ。 接続の概念を定義するため、ベクトルバンドル関連の概念をいくつか定義する。 定義 (接続) ― π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} を可微分多様体M上の可微分なベクトルバンドルとする。可微分な写像 s : M → E {\displaystyle s~:~M\to E} で を満たすものをEの切断(英: section)という。Eの切断全体の集合を Γ ( M , E ) {\displaystyle \Gamma (M,E)} あるいは単に Γ ( E ) {\displaystyle \Gamma (E)} と表記する。 定義から分かるように、接バンドルTMの切断の概念は、Mのベクトル場の概念に一致する。よってM上のベクトル場全体の集合 X ( M ) {\displaystyle {\mathfrak {X}}(M)} は Γ ( T M ) {\displaystyle \Gamma (TM)} に一致する。 可微分多様体M上の可微分な2つのベクトルバンドル π 1 : E 1 → M {\displaystyle \pi _{1}~:~E_{1}\to M} 、 π 2 : E 2 → M {\displaystyle \pi _{2}~:~E_{2}\to M} に対し、写像 を考える。 定義 ― を満たすとき、αは R {\displaystyle \mathbb {R} } -線形であるという。また を満たすとき、αは C ∞ ( M ) {\displaystyle C^{\infty }(M)} -線形であるという。 定義 ― 任意の開集合 U ⊂ M {\displaystyle U\subset M} および任意の s ∈ Γ ( E 1 ) {\displaystyle s\in \Gamma (E_{1})} に対し、 が成立するとき、αは局所演算子(英: local operator)であるという。 また任意の P ∈ M {\displaystyle P\in M} および任意の s ∈ Γ ( E 1 ) {\displaystyle s\in \Gamma (E_{1})} に対し、 となるとき、αは点演算子(英: point operator)であるという。 実は次が成立する: 定理 ― 以下の4つは同値である。: また次が成立する: 定義・定理 ― αが局所演算子であるとする。このときMの任意の開集合Uに対し、 α U : Γ ( U , E ) → Γ ( U , E ) {\displaystyle \alpha ^{U}~:~\Gamma (U,E)\to \Gamma (U,E)} で を満たすものが一意に存在する。 α U {\displaystyle \alpha ^{U}} と書き、αのUへの制限(英: restriction)という。 一般のベクトルバンドルに対する接続を定義するため、レヴィ-チヴィタ接続について簡単に振り返る。 Mを R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の部分多様体とし、X、YをM上のベクトル場とするとき、 により定義する。ここで exp ( t X ) ( u ) {\displaystyle \exp(tX)(u)} は時刻0に点 u ∈ M {\displaystyle u\in M} を通るXの積分曲線である。実はこれらの量はMの内在的な量である事、すなわち R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} からMに誘導されるリーマン計量(とその偏微分)のみから計算できる事が知られている。 そこで ∇ X Y {\displaystyle \nabla _{X}Y} をリーマン多様体 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} に内在的な値とみなしたものを考える事ができる。この ∇ X Y {\displaystyle \nabla _{X}Y} は以下の公理で特徴づけられる事が知られている: 定理 (リーマン幾何学の基本定理) ― M上のベクトル場の組にM上のベクトル場を対応させる汎関数∇で以下の5つの性質をすべて満たすものが唯一存在する。このを ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続といい、 ∇ X Y {\displaystyle \nabla _{X}Y} をレヴィ-チヴィタ接続から定まるYのXによる共変微分という: ここでX、Y、ZはM上の任意の可微分なベクトル場であり、f、gはM上定義された任意の実数値C級関数であり、a、bは任意の実数であり、 f Y {\displaystyle fY} は点 u ∈ M {\displaystyle u\in M} において f ( u ) Y u {\displaystyle f(u)Y_{u}} となるベクトル場であり、 X ( f ) {\displaystyle X(f)} はfのX方向微分であり、 [ X , Y ] {\displaystyle [X,Y]} はリー括弧(英語版)である。 具体的には局所座標 ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle (x^{1},\ldots ,x^{m})} を使って、 X = X j ∂ ∂ x j {\displaystyle X=X^{j}{\tfrac {\partial }{\partial x^{j}}}} 、 と書ける。 Γ i j k {\displaystyle \Gamma ^{i}{}_{jk}} を局所座標 ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle (x^{1},\ldots ,x^{m})} に関するクリストッフェル記号という。 レヴィ-チヴィタ接続の概念を一般化したものとして、ベクトルバンドルに対する接続の概念がある。接続の概念はゲージ理論やチャーン・ヴェイユ理論で重要な役割を果たす。本項では、議論の一般性を確保するために接続の概念を導入するが、あくまでレヴィ-チヴィタ接続やそこから誘導される接続を主軸として話を進める。 π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} を可微分多様体M上の可微分な実ベクトルバンドルとし(E、Mのいずれにもリーマン計量が入っているとは限らない)、 Γ ( E ) {\displaystyle \Gamma (E)} をEの切断全体の集合とし、 X ( M ) := Γ ( T M ) {\displaystyle {\mathcal {X}}(M):=\Gamma (TM)} をM上のベクトル場全体の集合とする。 接続は前述したレヴィ-チヴィタ接続の公理的特徴づけの5つの性質のうち3つを使って定義される: 定義 (接続) ― 汎関数 で以下の性質を満たすものをE上のKoszul接続(英: Koszul connection)あるいは単に接続(英: connection)といい、 ∇ X s {\displaystyle \nabla _{X}s} を接続 ∇ {\displaystyle \nabla } が定めるsのX方向の共変微分という: Mの接ベクトルバンドルTMの接続の事を特にアフィン接続(英: affine connection)という。 ここでXはM上の任意のベクトル場であり、sはEの任意の切断であり、fはM上定義された任意の実数値可微分関数であり、 f X {\displaystyle fX} は点Pにおいて f ( P ) X P {\displaystyle f(P)X_{P}} となるベクトル場であり、 X ( f ) {\displaystyle X(f)} はfのX方向微分である。明らかにレヴィ-チヴィタ接続はアフィン接続である なお、Koszul接続の事を線形接続(英: linear connection)と呼ぶ文献もあるが、この言葉をアフィン接続の意味で用いている文献や、接バンドルのフレームバンドル(英語版)上の接続の意味で用いている文献もあるので注意が必要である。 またアフィン接続という名称ではあるが、この接続に関する事項、例えば平行移動は線形変換になり、(線形変換以外の)アフィン変換にはならない。この名称は、この接続をカルタン接続とみなしたときにアフィン空間をモデルとするカルタンの幾何学とみなせる事による。詳細はカルタンの幾何学の項目を参照されたい。 Eに計量gが定義されているときには、以下の概念を定義できる: 定義 (リーマン計量と両立する接続) ― Eの任意の切断s1]、s2]に対し が成立する場合、 ∇ {\displaystyle \nabla } はリーマン計量gと両立する(英: compatible with g)といい、 ∇ {\displaystyle \nabla } は計量接続(英語版)(英: metric connection)であるという。 また、 E = T M {\displaystyle E=TM} の場合、すなわち∇が多様体M上のアフィン接続である場合は以下のテンソルを定義できる: 定義 (捩率テンソル) ― を捩率テンソルという。 捩率テンソルの詳細は後の節で述べる。 リーマン幾何学の基本定理から、レヴィ-チヴィタ接続とは、(唯一の)捩れなしの計量アフィン接続として特徴づけられる。 ライプニッツ則を用いると、以下を示す事ができる: 定理 ― 接続 ∇ X s {\displaystyle \nabla _{X}s} はsに関して局所演算子である。 sがMの開集合U上で0であるとする。任意に P ∈ U {\displaystyle P\in U} をfixし、Pの近傍 V P ⊂ U {\displaystyle V_{P}\subset U} と C ∞ {\displaystyle C^{\infty }} 級関数 φ {\displaystyle \varphi } で、 となるものを選ぶ。(このような関数の存在性に関しては隆起関数の項目を参照)。 すると φ {\displaystyle \varphi } の定義から、 s Q = φ ( Q ) s Q {\displaystyle s_{Q}=\varphi (Q)s_{Q}} for ∀ Q ∈ M {\displaystyle \forall Q\in M} であるので、 である。 φ {\displaystyle \varphi } の定義より、 X φ | P = φ ( P ) ∇ X s | P = 0 {\displaystyle X\varphi |_{P}=\varphi (P)\nabla _{X}s|P=0} なので、 ∇ X s | P = 0 {\displaystyle \nabla _{X}s|_{P}=0} が任意の P ∈ U {\displaystyle P\in U} に対して成立し、これは ∇ X s {\displaystyle \nabla _{X}s} がsに関して局所演算子である事を意味する。 ∇ X s {\displaystyle \nabla _{X}s} はXに関して C ∞ ( M ) {\displaystyle C^{\infty }(M)} -線形であり、したがって点Pにおける値 ∇ X s | P {\displaystyle \nabla _{X}s|_{P}} がXのPにおける値XPのみから決まる。この事に着目すると、接続を若干違った角度から定式化できる。これを見るため、Eに値を取る線形写像 ∇ s | P {\displaystyle \nabla s|_{P}} を と定義すると、余接ベクトル空間TMの定義から、 とみなせる。そこでMの各点Pに ∇ s | P ∈ ( T ∗ M ⊗ E ) P {\displaystyle \nabla s|_{P}\in (T^{*}M\otimes E)_{P}} を対応させる切断 を考える事ができる。よって接続 ∇ {\displaystyle \nabla } は、Eの切断sに T ∗ M ⊗ E {\displaystyle T^{*}M\otimes E} の切断を対応させる写像 とみなせる。この事実を用いると、接続 ∇ {\displaystyle \nabla } を以下のようにも定義できる: 定義 (接続の別定義) ― R {\displaystyle \mathbb {R} } -線形写像 で以下の性質を満たすものをE上の接続(英: connection)という: 上記の2つの定義は同値であるが、後者はXを明示しない分数学的取り扱いが若干楽になる場合が多い。 ( e 1 , ... , e m ) {\displaystyle (e_{1},\ldots ,e_{m})} を開集合 U ⊂ M {\displaystyle U\subset M} 上で定義されたEの局所的な基底とする。接続 ∇ X s {\displaystyle \nabla _{X}s} はsに関して局所演算子であったので、 ∇ {\displaystyle \nabla } のUへの制限 ∇ U {\displaystyle \nabla ^{U}} を考える事ができる。以下、紛れがなければ ∇ U {\displaystyle \nabla ^{U}} の事を単に ∇ {\displaystyle \nabla } と書く。 XをM上のベクトル場とし、 s = s j e j {\displaystyle s=s^{j}e_{j}} をEの切断とすると、接続の定義から である。この式は、共変微分 ∇ X s = ∇ X ( s j e j ) {\displaystyle \nabla _{X}s=\nabla _{X}(s^{j}e_{j})} にライプニッツ則を適用して係数部分の微分 X ( s j ) e j {\displaystyle X(s^{j})e_{j}} と基底部分の微分 s j ∇ X e j {\displaystyle s^{j}\nabla _{X}e_{j}} の和として表現したものと解釈できる。 そこで以下のような定義をする: 定義 (接続形式) ― 行列 ω ( X ) {\displaystyle \omega (X)} を により定義し、Xに ω ( X ) {\displaystyle \omega (X)} を対応させる行列値の1-形式 ω = ( ω i j ) i j {\displaystyle \omega =(\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を局所的な基底 ( e 1 , ... , e m ) {\displaystyle (e_{1},\ldots ,e_{m})} に関する接続∇の接続形式(英: connection form)という 定義から明らかに、 である。 さらに ω i j {\displaystyle \omega ^{i}{}_{j}} を成分で、 と表記すると、 とレヴィ-チヴィタ接続のときと同様の成分表示が得られる。 Γ k j i {\displaystyle \Gamma _{kj}^{i}} を(局所座標 x = ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle x=(x^{1},\ldots ,x^{m})} と局所的な基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} に関する)接続係数(英: connection coefficient)、あるいはレヴィ-チヴィタ接続の場合の名前を流用し、クリストッフェル記号という。 本節ではアフィン接続 に対し、先に定義した捩率テンソル の性質を述べる。 「捩率」という名称に関してはLoring W. Tuによれば「 T ∇ ( X , Y ) {\displaystyle T_{\nabla }(X,Y)} を「捩率」と呼ぶうまい理由は無いように見える」が、このテンソルには以下のような意味付けが可能である。 なめらかな任意の写像 α : U ⊂ R 2 → M {\displaystyle \alpha ~:~U\subset \mathbb {R} ^{2}\to M} に対し、リー括弧の性質より [ ∂ ∂ x α , ∂ ∂ y α ] = 0 {\displaystyle [{\tfrac {\partial }{\partial x}}\alpha ,{\tfrac {\partial }{\partial y}}\alpha ]=0} であることから、 ∇ ∂ x := ∇ ∂ ∂ x {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{\partial x}}:=\nabla _{\tfrac {\partial }{\partial x}}} とすると、 が成立する事を示せる。すなわち捩率テンソルは2つの微分の非可換度合いを表す量である。 また(アフィン空間をモデルとする)カルタン幾何学においては上記のものとは異なった意味付けが可能で、(カルタン幾何学の意味での)曲率の「並進部分」が捩率に対応している。詳細はカルタン幾何学#曲率の分解の節および捩率テンソル#カルタン幾何学の章を参照されたい。 捩率テンソルの性質を見る。 定理 ― 捩率テンソルは以下を満たす: ここでX、YはM上の任意の可微分なベクトル場である。 上述の定理と前に述べた定理から、以下の系が従う: 系 ― 捩率テンソルはバンドル写像 T M × T M → T M {\displaystyle TM\times TM\to TM} であるとみなせる。 接続 ∇ {\displaystyle \nabla } と捩率テンソルも局所座標で と書くとき、次が成立する: 定理 ― 任意のi、j、kに対し、 よって捩率テンソルが恒等的に0になる接続、すなわち捩れなし(英: torsion-free)の場合、Γijkはj、kに対して対象なテンソルになる。このため捩れなしの接続の事を対称(英: symmetric)な接続ともいう。 外微分dに対し、次が成立する: 定理 ― ∇ {\displaystyle \nabla } を多様体Mの接バンドルTM上の接続とするとき、 であることから従う。 すなわち ∇ {\displaystyle \nabla } が捩れなしである事は、 ∇ {\displaystyle \nabla } が外微分と「両立」する事と同値である。 本節では、あるベクトルバンドル上定義された接続から別のベクトルバンドル上の接続を定義する方法を述べる。その過程でレヴィ-チヴィタ接続のときにも議論した曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った共変微分に関しても述べる。 これまで同様 ∇ {\displaystyle \nabla } をM上の可微分なベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の接続とし、さらに f : N → M {\displaystyle f~:N\to M} を可微分多様体NからMへの可微分な写像とすると、fによるEの引き戻し(pullback bundle) を考える事ができる。 N、Mの局所座標 y : V ⊂ N → R u {\displaystyle y~:~V\subset N\to \mathbb {R} ^{u}} 、 x : U ⊂ M → R m {\displaystyle x~:~U\subset M\to \mathbb {R} ^{m}} で、 V ⊂ f − 1 ( U ) {\displaystyle V\subset f^{-1}(U)} となるものを選び、さらにU上のEの基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} を選んで接続 ∇ {\displaystyle \nabla } を接続形式を使って と成分表示する。 定義 ― f ∗ ( E ) {\displaystyle f^{*}(E)} の接続 f ∗ ( ∇ ) {\displaystyle f^{*}(\nabla )} をそのVへの制限 f ∗ ( ∇ ) V {\displaystyle f^{*}(\nabla )^{V}} が となるように定義し、 ∇ {\displaystyle \nabla } のfによる引き戻し(英: pull back)、fによって f ∗ ( E ) {\displaystyle f^{*}(E)} に誘導された接続(英: induced connection)という。 f ∗ ( ∇ ) {\displaystyle f^{*}(\nabla )} がwell-definedな事の証明は省略する。接続係数を使えば、 である。 引き戻しの特殊な場合として、Nが線分の場合がある。この場合写像 P : ( 0 , 1 ) → M {\displaystyle P~:~(0,1)\to M} はM上の曲線とみなせる。曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った切断sに対し、 を考える事ができる。 ∇ d t s {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{dt}}s} を接続 ∇ {\displaystyle \nabla } によって定まる曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った切断sの共変微分という。成分で書けば となるので、レヴィ-チヴィタ接続の場合の曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った切断sの共変微分の概念の一般化になっている事がわかる。 多様体M上の2つのベクトルバンドルE1、E2があり、E1、E2にはそれぞれ接続 ∇ 1 {\displaystyle \nabla ^{1}} 、 ∇ 2 {\displaystyle \nabla ^{2}} が定義されているとする。このとき、 E 1 ⊕ E 2 {\displaystyle E_{1}\oplus E_{2}} 上に により、接続が定義できる。また E 1 ⊗ E 2 {\displaystyle E_{1}\otimes E_{2}} 上に により、接続が定義できる。 MのベクトルバンドルEに接続 ∇ {\displaystyle \nabla } が定義されているとき、Eの双対バンドルEに以下の性質を満たす接続 ∇ ∗ {\displaystyle \nabla ^{*}} を定義できる: ここでXはM上の任意のベクトル場であり、sはEの任意の切断であり、ωはEの任意の切断であり、 ⟨ ⋅ , ⋅ ⟩ {\displaystyle \langle \cdot ,\cdot \rangle } はEの双対ベクトル空間Eの元とEの元との内積である。紛れがなければ∇を単に∇と書く事も多い。 Eにリーマン計量がg定義されている場合、EとEは自然に同一視でき、 が成立する事になるが、一般には ∇ ∗ {\displaystyle \nabla ^{*}} と ∇ {\displaystyle \nabla } は異なる。情報幾何学の分野では ∇ ∗ {\displaystyle \nabla ^{*}} の事を ∇ {\displaystyle \nabla } の双対接続(英: dual connection)という。 次が成立する: 定理 ― 以下の3つは同値である: ここで ∇ ∗ g = 0 {\displaystyle \nabla ^{*}g=0} は E × E {\displaystyle E\times E} 上の双線形写像gを自然に ( E ⊗ E ) ∗ {\displaystyle (E\otimes E)^{*}} の元とみなしたときの共変微分である。 また簡単な計算から以下が従う: 定理 ― U ⊂ M {\displaystyle U\subset M} 上のEの局所的な基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} で正規直交なものを取るとき、gが ∇ {\displaystyle \nabla } と両立する必要十分条件は、 ∇ {\displaystyle \nabla } の接続形式ωが以下を満たす事である: ここで「 t ω {\displaystyle {}^{t}\omega } 」はωの転置行列である。 接続の定義から明らかに以下の性質を示すことができる: 定理 ― ∇ 1 , ... , ∇ u {\displaystyle \nabla ^{1},\ldots ,\nabla ^{u}} を多様体M上ののベクトルバンドルEの接続とする。このとき、 もEの接続である。 また、2つの接続 に対し、 とすると、 A ( X , s ) {\displaystyle A(X,s)} がX、s双方に関して C ∞ ( M ) {\displaystyle C^{\infty }(M)} -線形である事が示せ、したがって前に述べた定理から A {\displaystyle A} は T M ⊕ E → E {\displaystyle TM\oplus E\to E} というバンドル写像だとみなせる。逆に接続 ∇ : X × Γ ( E ) → Γ ( E ) {\displaystyle \nabla ~:~{\mathfrak {X}}\times \Gamma (E)\to \Gamma (E)} とバンドル写像 A : T M ⊕ E → E {\displaystyle A~:~TM\oplus E\to E} が与えられると、 もE上の接続である事を確かめられる。まとめると、以下の定理が成り立つ: 定理 ― ∇ , ∇ ′ {\displaystyle \nabla ,\nabla '} を多様体M上のベクトルバンドルEの2つ接続とする。このとき、 はバンドル写像 T M ⊗ E → E {\displaystyle TM\otimes E\to E} とみなせる。逆にバンドル写像 A : T M ⊗ E → E {\displaystyle A~:~TM\otimes E\to E} とE上の任意の接続 ∇ {\displaystyle \nabla } に対し、 もE上の接続である。 U ∈ M {\displaystyle U\in M} を取り、EのU上の局所的な基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} を固定し、切断sを s = s k e k {\displaystyle s=s^{k}e_{k}} と成分表示すると、 により局所的に接続を定義できるが、 の成分表示は とクリストッフェル記号を用いて書ける。 この事からクリストッフェル記号は ∇ X ′ s := ( X s j ) e j {\displaystyle \nabla '_{X}s:=(Xs^{j})e_{j}} とのズレを表す量であると解釈できる。 ∇ {\displaystyle \nabla } をM上の可微分なベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の接続とし、 P ( t ) {\displaystyle P(t)} をM上の区分的に滑らかな曲線とし、sを P ( t ) {\displaystyle P(t)} 上のEの切断とする。すなわち各 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に対し、 s P ( t ) ∈ E {\displaystyle s_{P(t)}\in E} が定義でき、 t ↦ s P ( t ) {\displaystyle t\mapsto s_{P(t)}} が可微分であり、しかも π ( s P ( t ) ) = P ( t ) {\displaystyle \pi (s_{P(t)})=P(t)} が任意のtに耐いて成立するものとする。 定義 ― が恒等的に成立するとき、切断sは P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行(英: parallel along P ( t ) {\displaystyle P(t)} )であるという。 Mがユークリッド空間でEがその接バンドルである場合、 ∇ s d t = d s d t = 0 {\displaystyle {\nabla s \over dt}={ds \over dt}=0} であれば、ベクトル s P ( t ) {\displaystyle s_{P(t)}} は s P ( t ) {\displaystyle s_{P(t)}} の基点がtによって動くだけでその大きさも向きも一定である。すなわち P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って s P ( 0 ) {\displaystyle s_{P(0)}} を「平行移動」して動かしている事になるので、一般のベクトルバンドルの場合にも ∇ s d t = 0 {\displaystyle {\nabla s \over dt}=0} である事を平行と呼ぶのである。 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った切断 s {\displaystyle s} 、 s ′ {\displaystyle s'} がいずれも P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行であり、しかも時刻 t = a {\displaystyle t=a} のとき s P ( a ) = s P ( a ) ′ {\displaystyle s_{P(a)}=s'_{P(a)}} であれば、別の時刻 t = b {\displaystyle t=b} でも s P ( b ) = s P ( b ) ′ {\displaystyle s_{P(b)}=s'_{P(b)}} である事を容易に示すことができる。よって写像 は切断 s {\displaystyle s} の取り方によらずwell-definedである。 定義 ― φ a , b ( v ) ∈ E P ( b ) {\displaystyle \varphi _{a,b}(v)\in E_{P(b)}} を v ∈ E P ( a ) {\displaystyle v\in E_{P(a)}} の曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った平行移動(英: parallel transportation along P ( t ) {\displaystyle P(t)} )という。 ユークリッド空間の場合と違い、どの曲線に沿って平行移動したかによって平行移動の結果が異なる事に注意されたい。すなわち曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った平行移動を φ a , b ( v ) {\displaystyle \varphi _{a,b}(v)} 、曲線 Q ( t ) {\displaystyle Q(t)} に沿った平行移動を ψ a ′ , b ′ ( v ) {\displaystyle \psi _{a',b'}(v)} とするとき、たとえ P ( a ) = Q ( a ′ ) {\displaystyle P(a)=Q(a')} 、 P ( b ) = Q ( b ′ ) {\displaystyle P(b)=Q(b')} であっても φ a , b ( v ) = ψ a ′ , b ′ ( v ) {\displaystyle \varphi _{a,b}(v)=\psi _{a',b'}(v)} であるとは限らない。この現象をホロノミー(英語版)(英: holonomy)という。 φ a , b {\displaystyle \varphi _{a,b}} の定義より、 φ a , b {\displaystyle \varphi _{a,b}} は E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} から E P ( b ) {\displaystyle E_{P(b)}} への写像であるとみなせるが、この写像は以下を満たす: 定理 ― φ a , b : E P ( a ) → E P ( b ) {\displaystyle \varphi _{a,b}~:~E_{P(a)}\to E_{P(b)}} は線形同型である。 よって平行移動により、(接続や計量が定義されていない)多様体Mでは本来無関係のはずの E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} と E P ( b ) {\displaystyle E_{P(b)}} がつながって(connect)、 E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} の元と E P ( b ) {\displaystyle E_{P(b)}} の元を比較する事ができるようになる。接続(connection)という名称は、ここから来ている。 Eにリーマン計量gが定義されているときは以下が成立する事を容易に示せる: 定理 (平行移動による計量の保存) ― ∇ {\displaystyle \nabla } がEのリーマン計量gと両立するとき、任意の v , v ′ ∈ E P ( a ) {\displaystyle v,v'\in E_{P(a)}} に対し、以下が成立する: 曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} 上定義されたEの切断 e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\displaystyle e_{1}(t),\ldots ,e_{n}(t)} で、各時刻tに対して e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\displaystyle e_{1}(t),\ldots ,e_{n}(t)} がEPの基底の基底になっており、しかも e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\displaystyle e_{1}(t),\ldots ,e_{n}(t)} が P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行なものを P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った水平フレーム(英: horizontal frame)という。 これまで共変微分の概念を用いる事で平行移動の概念を定義してきたが、逆に平行移動の概念を用いて共変微分を特徴づけることができる: 定理 (共変微分の平行移動による特徴づけ) ― 多様体M上の曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} とMのベクトルバンドルEの P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った切断 s ( t ) ∈ E P ( t ) {\displaystyle s(t)\in E_{P(t)}} を考えるとき、 P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿った平行移動を φ a , t {\displaystyle \varphi _{a,t}} とすると、以下が成立する: ここで d d t φ a , t − 1 ( s ( t ) ) {\displaystyle {d \over dt}\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))} はベクトル空間 E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} における微分 d d t φ a , t − 1 ( s ( t ) ) = lim t → a φ a , t − 1 ( s ( t ) ) − s ( a ) t {\displaystyle {d \over dt}\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))=\lim _{t\to a}{\tfrac {\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))-s(a)}{t}}} である。なお、 φ a , t − 1 ( s ( t ) ) {\displaystyle \varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))} はtによらず E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} に属するので、 E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} 上の差や極限を考えることができる。 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} を E P ( a ) {\displaystyle E_{P(a)}} の基底とし、 e i ( t ) := φ a , t ( e i ) {\displaystyle e_{i}(t):=\varphi _{a,t}(e_{i})} (for i = 1 , ... , n {\displaystyle i=1,\ldots ,n} )とし、 s ( t ) = s i ( t ) e i ( t ) {\displaystyle s(t)=s^{i}(t)e_{i}(t)} と成分表示すると、 が成立する。 e i ( t ) {\displaystyle e_{i}(t)} の定義から e i ( t ) {\displaystyle e_{i}(t)} は P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行なので、上式右辺第二項は0である。よって、 となり定理が証明された。 上記の定理を用いると、共変微分の成分表示に意味を持たせる事ができる。これをみるため x : U ⊂ M → R m {\displaystyle x~:~U\subset M\to \mathbb {R} ^{m}} をMを局所座標とし、xを成分で x = ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle x=(x^{1},\ldots ,x^{m})} とあらわし、さらに e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} をU上定義されたEの局所的な基底とすると、 であるので、これを共変微分の成分表示 と比較する事で、以下が結論付けられる: 定理 (接続形式の平行移動による特徴づけ) ― 曲線 x ( t ) {\displaystyle x(t)} 上の平行移動を φ a , t {\displaystyle \varphi _{a,t}} とし、曲線状定義されたEの基底を e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} とするとき、 d d t φ a , t − 1 ( e i ( x ( t ) ) ) | t = a {\displaystyle \left.{d \over dt}\varphi _{a,t}{}^{-1}(e_{i}(x(t)))\right|_{t=a}} の行列表示は接続形式を使って ω ( d x d t ( a ) ) {\displaystyle \omega \left({\tfrac {dx}{dt}}(a)\right)} と書ける。 すなわち の第一項、第二項はそれぞれ、 s = s i e i {\displaystyle s=s^{i}e_{i}} をライプニッツ則に従って微分したときのsの方の微分、eiの方の微分に対応していると解釈できる。 点P∈Mを固定するとき、Pから出てP自身へと戻る各閉曲線Cに沿った平行移動はEPからEP自身への線形同型写像 φ C : E P → E P {\displaystyle \varphi _{C}~:~E_{P}\to E_{P}} を定めると、曲線の連結CC'に対し φ C C ′ = φ C ′ ∘ φ C {\displaystyle \varphi _{CC'}=\varphi _{C'}\circ \varphi _{C}} となるし、Cの逆向きの曲線を C ̄ {\displaystyle {\bar {C}}} とすると、 φ C ̄ = φ C − 1 {\displaystyle \varphi _{\bar {C}}=\varphi _{C}{}^{-1}} となる事が容易に示せる。 よって とすると、 H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} はEPの自己線形同型のなす群の部分群をなす。 H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} をPにおけるEの ∇ {\displaystyle \nabla } に関するホロノミー群(英: holonomy group)という。なお、Mが弧状連結であればPによらず H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} が同型である事を容易に示せるので、Pを略して単に H o l ( E , ∇ ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla )} とも書く。 また、 とすると、 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla ,P)} は H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} の部分群をなす。 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla ,P)} をPにおけるEの ∇ {\displaystyle \nabla } に関する制約ホロノミー群(英: restricted holonomy group)という。Mが弧状連結であればPによらず H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla ,P)} が同型である事も同様に示せるので、Pを略して単に H o l 0 ( E , ∇ ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla )} とも書く。 定義から明らかなように、 H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} 、 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla ,P)} はEP上の線形同型全体のなすリー群 G L ( E P ) {\displaystyle \mathrm {GL} (E_{P})} の部分群である。実は次が成立する事が知られている: 定理 ― H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} は G L ( E P ) {\displaystyle \mathrm {GL} (E_{P})} の(閉とは限らない)部分リー群である。 また H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} _{0}(E,\nabla ,P)} は H o l ( E , ∇ , P ) {\displaystyle \mathrm {Hol} (E,\nabla ,P)} の(閉とは限らない)弧状連結なリー部分群である。 接バンドルTMにアフィン接続 ∇ {\displaystyle \nabla } が定義されているとき、測地線の概念を以下のように定義する: 定義 (測地線) ― Mを多様体とし、 ∇ : X ( M ) × X ( M ) → X ( M ) {\displaystyle \nabla ~:~{\mathfrak {X}}(M)\times {\mathfrak {X}}(M)\to {\mathfrak {X}}(M)} をアフィン接続とする。このときM上の曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が が恒等的に成立する、という微分方程式を ( M , ∇ ) {\displaystyle (M,\nabla )} 上における測地線方程式といい、測地線方程式を満たす曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} を ( M , ∇ ) {\displaystyle (M,\nabla )} 上の測地線(英: geodesic)という。 すなわち「二階微分」が常に0になる曲線を測地線と呼ぶのである。平行移動の定義から、測地線とは d d t P ( t ) {\displaystyle {\tfrac {d}{dt}}P(t)} が P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行であると言い換える事もできる。 恒等的に同じ点を取る「曲線」は自明に測地線方程式を満たすが、これは通常の意味での曲線ではないので、以下このような「曲線」を測地線とは呼ばない事にする。 測地線の定義は曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} のパラメーターtに依存して定義されている事に注意されたい。 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が測地線であっても、パラメーターを別の変数uに変数変換して得られる P ( u ) {\displaystyle P(u)} は測地線になるとは限らない。実際、 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が測地線となるパラメーターは線形変換を除いて一意である: 定理 ― 曲線 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が測地線で、 P ( t ) {\displaystyle P(t)} を( d u d t {\displaystyle {\tfrac {du}{dt}}} が決して0にならないような)変数変換を行って得られる P ( u ) {\displaystyle P(u)} も測地線である時、ある定数 a , b ∈ R {\displaystyle a,b\in \mathbb {R} } が存在し、 が成立する。 測地線とは d d t P ( t ) {\displaystyle {\tfrac {d}{dt}}P(t)} が P ( t ) {\displaystyle P(t)} に沿って平行である曲線なので、 d d t P ( 0 ) {\displaystyle {\tfrac {d}{dt}}P(0)} が0でなければ任意のtに対して d d t P ( t ) {\displaystyle {\tfrac {d}{dt}}P(t)} は0でない。恒等的に同じ点を取る「曲線」は測地線とはみなさなかった事から、測地線は任意の時刻に対して d d t P ( t ) ≠ 0 {\displaystyle {\tfrac {d}{dt}}P(t)\neq 0} である。 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が測地線で P ( t ) {\displaystyle P(t)} を変数変換した P ( u ) {\displaystyle P(u)} も測地線であるとすると、 前述の議論から d P d u {\displaystyle {dP \over du}} は決して0にならず、仮定から d u d t {\displaystyle {du \over dt}} も決して0にならないので、上式から、 これは u = a t + b {\displaystyle u=at+b} となるa、bが存在することを意味する。 P ( t ) {\displaystyle P(t)} が測地線となるパラメーターtをアフィン・パラメーターという。上記の定理はアフィン・パラメーターがアフィン変換を除いて一意な事を意味する。 測地線方程式を成分で書くと、 P ( t ) = ( x 1 ( t ) , ... , x m ( t ) ) {\displaystyle P(t)=(x^{1}(t),\ldots ,x^{m}(t))} として となる。ここで Γ j k i {\displaystyle \Gamma _{jk}^{i}} は接続係数である。この式は常微分方程式であり、常微分方程式は局所的な解の存在一意性が言えるので、次が成立する事になる: 定理 (測地線の局所的な存在一意性) ― 任意の P ∈ M {\displaystyle P\in M} と任意の v ∈ T M P {\displaystyle v\in TM_{P}} に対し、ある ε > 0 {\displaystyle \varepsilon >0} が存在し、測地線 で となるものが存在する。しかも P v : ( − ε , ε ) → M {\displaystyle P_{v}~:~(-\varepsilon ,\varepsilon )\to M} 、 P v ′ : ( − ε ′ , ε ′ ) → M {\displaystyle P'_{v}~:~(-\varepsilon ',\varepsilon ')\to M} がいずれも上記の条件を満たす測地線であれば、 ( − ε , ε ) ∩ ( − ε ′ , ε ′ ) {\displaystyle (-\varepsilon ,\varepsilon )\cap (-\varepsilon ',\varepsilon ')} 上でPvとP'vは一致する。 曲線は大域的に存在するとは限らない。 たとえば R 2 ∖ { 0 } {\displaystyle \mathbb {R} ^{2}\setminus \{0\}} (に通常のユークリッド空間としての計量を入れた空間)において、曲線 c ( t ) = ( 1 − t , 0 ) {\displaystyle c(t)=(1-t,0)} は t < 1 {\displaystyle t<1} までしか延長できない。 測地線の局所的な存在一意性が示されたので、以下の定義をする: 定義 (指数写像) ― 上記の定理で局所的な存在一意性が保証された測地線 P v ( t ) {\displaystyle P_{v}(t)} を と書く。 exp P {\displaystyle \exp _{P}} を ( M , ∇ ) {\displaystyle (M,\nabla )} 上の指数写像(英: exponential map)という。 P v ( k t ) = P k v ( t ) {\displaystyle P_{v}(kt)=P_{kv}(t)} である事を容易に確かめられるので、指数写像はwell-definedである。 上の定理で測地線の定義域 ( − ε , ε ) {\displaystyle (-\varepsilon ,\varepsilon )} を R {\displaystyle \mathbb {R} } 全域に拡張できるとは限らない。M上の ∇ {\displaystyle \nabla } に関する任意の測地線の定義域が R {\displaystyle \mathbb {R} } 全域に拡張できるとき、 ( M , ∇ ) {\displaystyle (M,\nabla )} は測地線完備(英: geodesically complete)、あるいは単に完備(英: complete)であるという。 ∇ {\displaystyle \nabla } がリーマン多様体のレヴィ-チヴィタ接続の場合は、測地線が R {\displaystyle \mathbb {R} } 全域に拡張できるか否かに関して以下の定理が知られている。 定理 (Hopf-Rinowの定理(英語版)) ― ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} を連結なリーマン多様体とし、 ∇ {\displaystyle \nabla } をM上のレヴィ-チヴィタ接続とする。このとき、以下の条件は互いに同値である: Mがコンパクトであれば、M上の任意のリーマン計量gは必ず完備な距離を定めるので、Hopf-Rinowの定理からgが定めるレヴィ-チビタ接続 ∇ {\displaystyle \nabla } に関してMが測地線完備な事が従う。 しかし一般の接続 ∇ {\displaystyle \nabla } に対してはこのような事は成立するとは限らない。実際Mがコンパクトであっても、M上の擬リーマン計量が定めるレヴィ-チビタ接続は測地線完備になるとは限らず、反例としてクリフトン-ポールトーラスが知られている。 実は次の事実が知られている: 定理 ― ∇ {\displaystyle \nabla } を可微分多様体M上のアフィン接続とし、PをMの点とする。このとき、TPMにおけるOの近傍Uが存在し、Uを多様体としてみたとき、 ∇ {\displaystyle \nabla } が定める指数写像 は中への微分位相同型である。 よって V := exp ( U ) {\displaystyle V:=\exp(U)} とすると、VはPの近傍で、 はPの周りの座標近傍とみなせる。この座標近傍をPの周りの正規座標(英語版)(英: normal coordinate)という。 2つのアフィン接続 : ∇ , ∇ ′ : X ( M ) × X ( M ) → X ( M ) {\displaystyle \nabla ,\nabla '~:~{\mathfrak {X}}(M)\times {\mathfrak {X}}(M)\to {\mathfrak {X}}(M)} がM上の任意の曲線P(t)に対し、 を満たすとき、 ∇ {\displaystyle \nabla } と ∇ ′ {\displaystyle \nabla '} は同一の測地線を定めるという。 とし、 とする。 このとき次が成立する事が知られている: 定理 (同一の測地線を定める条件) ― 以下の2つは同値である: 簡単な計算により である事がわかるので、次の系が従う: 系 ― ∇ = ∇ ′ {\displaystyle \nabla =\nabla '} である必要十分条件は、 ∇ {\displaystyle \nabla } と ∇ ′ {\displaystyle \nabla '} は同一の測地線を定め、しかも ∇ {\displaystyle \nabla } と ∇ ′ {\displaystyle \nabla '} の捩率テンソルが同一な事である 。 なお、接続∇の局所座標表示 に対し、クリストッフェル記号の添字jとkの役割を反対にした は局所座標の取り方によらずwell-definedでしかも接続の公理を満たす事が知られている。よって特に次が成立する: 定理 ― 記号を上述のように取るとき、 は∇と同一の測地線を定め、しかも捩率テンソルが0になる接続である。 レヴィ・チヴィタ接続の場合は測地線を全く別の角度から特徴づける事ができる。 測地線方程式は曲線uの長さ ∫ a b ‖ d u d t ‖ d t {\displaystyle \int _{a}^{b}\left\|{du \over dt}\right\|dt} を端点を固定して変分したときのオイラー・ラグランジュ方程式に等しい。ここで ‖ v ‖ := g ( v , v ) {\displaystyle \|v\|:={\sqrt {g(v,v)}}} である。すなわち、測地線は長さに関する停留曲線(≒端点を固定した曲線のなす空間において「微分」がゼロのなる曲線)である。 また測地線方程式は曲線uの「エネルギー」 ∫ a b ‖ d u d t ‖ 2 d t {\displaystyle \int _{a}^{b}\left\|{du \over dt}\right\|^{2}dt} を端点を固定して変分したときのオイラー・ラグランジュ方程式にもなっている。 リーマン多様体M上の曲線に対し、以下の定義をする。 定義 (曲線の曲率) ― リーマン多様体M上の曲線の、弧長パラメータによる「二階微分」の長さ をMにおける P ( s ) {\displaystyle P(s)} の測地線曲率(英: geodesic curvature)、あるいは単に曲率(英: curvature)という。 ここで ‖ v ‖ := g ( v , v ) {\displaystyle \|v\|:={\sqrt {g(v,v)}}} である。 前述の定理から、明らかに次が従う: 定理 ― 曲線が測地線である必要十分条件は、その曲線の曲率が常に0の曲線である事である。 なお、弧長パラメータの定義より ‖ d P d s ‖ = 0 {\displaystyle \left\|{\tfrac {dP}{ds}}\right\|=0} が常に成り立つので、 である。よって次が従う: 定理 ― ∇ d s d P d s {\displaystyle {\tfrac {\nabla }{ds}}{\tfrac {dP}{ds}}} は曲線の接線 d P d s {\displaystyle {\tfrac {dP}{ds}}} と直交する。 なおここで定義した「曲線の曲率」は次章で定義する「(接続が定義された)多様体の曲率」とは別概念であるので注意されたい。実際、 本節では接続 ∇ {\displaystyle \nabla } が定義されたベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の曲率をまず天下り的に定義し、その性質を見る。次に曲率の概念をホロノミーを使う事で特徴づける事により、曲率概念に対する空間に内在的な幾何学的解釈を与える。最後に共変外微分の概念を導入して共変外微分を使って曲率概念を特徴づける。 曲率の概念を定義するため、モチベーションを述べる。 ベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の接続 ∇ {\displaystyle \nabla } の局所座標 U ⊂ M → R m {\displaystyle U\subset M\to \mathbb {R} ^{m}} と局所的なEの基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} における成分表示 を考える。 E = T M {\displaystyle E=TM} で ∇ {\displaystyle \nabla } がレヴィ-チヴィタ接続の場合、 M = R m {\displaystyle M=\mathbb {R} ^{m}} であれば、すなわちMが「平たい」空間であれば、クリストッフェル記号 Γ j k i {\displaystyle \Gamma _{jk}^{i}} は全て0になる。 よって一般のベクトルバンドルの場合も、クリストッフェル記号 Γ j k i {\displaystyle \Gamma _{jk}^{i}} が全て0になる局所座標と局所基底がとれればバンドルは「平たい」とみなす事にする。 この「平たい」バンドルとのズレを測るのが曲率である。ただしクリストッフェル記号は局所座標の取り方に依存しているため、クリストッフェル記号自身を用いるのではなく、別の方法で「平たい」バンドルとのズレを測る。 ズレを測るため、クリストッフェル記号 Γ j k i {\displaystyle \Gamma _{jk}^{i}} が全て0であれば、 となる事に着目する。この事実から「平たい」バンドルに対しては、 が常に成立する事を示せる。そこで一般の接続 ∇ {\displaystyle \nabla } に対し、 と定義すると、 R ( X , Y ) s {\displaystyle R(X,Y)s} は「平たい」バンドルのときには恒等的にゼロになり、この意味において R ( X , Y ) s {\displaystyle R(X,Y)s} はバンドルの「曲がり具合」を表している考えられる。 以上のモチベーションの元、曲率を以下のように定義する: 定義・定理 (曲率) ― ベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の接続 ∇ {\displaystyle \nabla } に対し、 とすると、RはX、Y、sに関して C ∞ ( M ) {\displaystyle C^{\infty }(M)} -線形である。 よって前述の定理からRは各点 P ∈ M {\displaystyle P\in M} に対し、 を対応させるテンソル場とみなせる。 Rを ∇ {\displaystyle \nabla } に関する曲率(英: curvature)もしくは曲率テンソル(英: curvature tensor)といい、RPを ∇ {\displaystyle \nabla } に関する点Pにおける曲率(英: curvature)もしくは曲率テンソル(英: curvature tensor)という。 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} がリーマン多様体の場合は、gのレヴィ・チヴィタ接続の曲率の事を「Mの曲率」、「gの曲率」等と呼ぶことにする。 リーマン多様体 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} においては、Mの曲率はリーマン計量をテイラー展開したときの2次の項として特徴づける事ができる: 定理 (リーマン多様体における曲率の特徴づけ) ― ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} をリーマン多様体とし、PをMの点とし、 ( x 1 , . . . , x m ) {\displaystyle (x^{1},...,x^{m})} をPを原点とする正規座標とする。このとき以下が成立する: ここで R i k j l := g ( R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) ∂ ∂ x j , ∂ ∂ x i ) {\displaystyle R_{ikj\ell }:=g(R({\tfrac {\partial }{\partial x^{k}}},{\tfrac {\partial }{\partial x^{\ell }}}){\tfrac {\partial }{\partial x^{j}}},{\tfrac {\partial }{\partial x^{i}}})} である。 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} をMの開集合U上で定義された局所的な基底とするとき、 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} に関する曲率形式を以下のように定義する: 定義 (曲率形式) ― X、Yに行列 Ω ( X , Y ) {\displaystyle \Omega (X,Y)} を対応させる行列値の2-形式 Ω = ( Ω i j ) i j {\displaystyle \Omega =(\Omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を により定義し、 Ω i j {\displaystyle \Omega ^{i}{}_{j}} を局所的な基底 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} に関する ∇ {\displaystyle \nabla } の曲率形式(英: curvature form)という。 Ω i j {\displaystyle \Omega ^{i}{}_{j}} を並べてできる行列 Ω = ( Ω i j ) i , j {\displaystyle \Omega =(\Omega ^{i}{}_{j})_{i,j}} を曲率行列(英: curvature matrix)という事もあるが、紛れがなければこの行列も曲率形式という。 さらに ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle (x^{1},\ldots ,x^{m})} をMの局所座標とし、 と成分分解すると、 が成立する。 ω = ( ω i j ) i j {\displaystyle \omega =(\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を同じ局所座標 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} に関する接続形式すると以下が成立する: 定理 ― ここで接続行列のウェッジ積 ω ∧ ω {\displaystyle \omega \wedge \omega } は行列積 ( ω i k ∧ ω k j ) {\displaystyle (\omega ^{i}{}_{k}\wedge \omega ^{k}{}_{j})} の事である。 Ω ∧ ω {\displaystyle \Omega \wedge \omega } や Ω ∧ Ω {\displaystyle \Omega \wedge \Omega } も同様に定義する。 第二構造方程式は曲率の定義を成分で書く事で得られる。一般化されたビアンキの第二恒等式は第二構造方程式から従う。 なお、一般化されたビアンキの第二恒等式においてk=1の場合がビアンキの第二恒等式(英: second Bianchi identity)である。 ( x 1 , ... , x m ) {\displaystyle (x^{1},\ldots ,x^{m})} をMの局所座標とし、 e 1 , ... , e n {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}} をEの局所的な基底とすると、接続係数 Γ i k j {\displaystyle \Gamma ^{i}{}_{kj}} を用いて以下のように表すことができる: 定理 ― R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) e j = R i j k l e i {\displaystyle R({\tfrac {\partial }{\partial x^{k}}},{\tfrac {\partial }{\partial x^{\ell }}})e_{j}=R^{i}{}_{jk\ell }e_{i}} とすると、以下が成立する: 捩率テンソルを と成分表示して得られる2-形式 τ i {\displaystyle \tau ^{i}} を並べてできる縦ベクトル τ = t ( τ 1 , ... , τ m ) {\displaystyle \tau ={}^{t}(\tau ^{1},\ldots ,\tau ^{m})} を考える事ができる。τの事を基底 ( e 1 , ... , e m ) {\displaystyle (e_{1},\ldots ,e_{m})} に関する捩率形式(英: torsion form)という。 さらに局所的な基底 e 1 , ... , e n ∈ T M {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{n}\in TM} の双対基底を θ 1 , ... , θ n ∈ T ∗ M {\displaystyle \theta ^{1},\ldots ,\theta ^{n}\in T^{*}M} とすると、これらは1形式である。これらを並べた縦ベクトルを θ = t ( θ 1 , ... , θ n ) {\displaystyle \theta ={}^{t}(\theta ^{1},\ldots ,\theta ^{n})} とする。 このとき、次が成立する: 定理 ― アフィン接続は次を満たす: ビアンキの第一および第二恒等式は以下のようにも書くことができる: 定理 ― M上のベクトル場X1、X2、X3に対し、以下が成立する: ここで添字は「mod 3」で考える。すなわち「 ∑ i ∈ Z 3 {\displaystyle \sum _{i\in \mathbb {Z} _{3}}} 」は巡回和である。 さらに次が成立する: 定理 ― リーマン多様体 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} 上のアフィン接続∇がgと両立すれば、以下を満たす: レヴィ-チヴィタ接続の場合は以下のようにも成分表示できる: 定理 ― R i j k l := g ( R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) ∂ ∂ x j , ∂ ∂ x i ) {\displaystyle R_{ijk\ell }:=g(R({\tfrac {\partial }{\partial x^{k}}},{\tfrac {\partial }{\partial x^{\ell }}}){\tfrac {\partial }{\partial x^{j}}},{\tfrac {\partial }{\partial x^{i}}})} とすると、以下が成立する: ここで ∧ ◯ {\displaystyle {~\wedge \!\!\!\!\!\!\!\!\;\bigcirc ~}} は下記のKulkarni–Nomizu積である: 次の事実が知られている: 定理 ― リーマン多様体 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続の曲率は以下を満たす: レヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\displaystyle \nabla } は捩れなしなので、ビアンキの第一および第二恒等式を以下のように書く事ができる: 定理 ― レヴィ-チヴィタ接続は次を満たす: ここで ( ∇ X R ) {\displaystyle (\nabla _{X}R)} はRを T M × T M × T ∗ M {\displaystyle TM\times TM\times T^{*}M} の元とみなしたときの共変微分である。 ビアンキの第二恒等式は以下のようにも書ける ここで であり、 ( ∇ X R m ) {\displaystyle (\nabla _{X}\mathrm {Rm} )} は R m {\displaystyle \mathrm {Rm} } を T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ T ∗ M {\displaystyle T^{*}M\otimes T^{*}M\otimes T^{*}M\otimes T^{*}M} に値を取るテンソル場とみなしたときの共変微分である。 R m {\displaystyle \mathrm {Rm} } を(リーマンの)曲率テンソル(英: (Riemann) curvature tensor)という。 ∇ {\displaystyle \nabla } をリーマン多様体 ( M , g ) {\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続とし、PをMの点とし、 v , w ∈ T P M {\displaystyle v,w\in T_{P}M} とし、さらに e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} を T P M {\displaystyle T_{P}M} の基底とする。 定義 ― なお、書籍によっては本項のリッチ曲率、スカラー曲率をそれぞれ 1 n − 1 {\displaystyle {\tfrac {1}{n-1}}} 倍、 1 n ( n − 1 ) {\displaystyle {\tfrac {1}{n(n-1)}}} 倍したものをリッチ曲率、スカラー曲率と呼んでいるものもあるので注意されたい。 また断面曲率は K P ( v , w ) {\displaystyle K_{P}(v,w)} という記号で表記する文献も多いが、後述するガウス曲率と区別するため、本稿では S e c P ( v , w ) {\displaystyle \mathrm {Sec} _{P}(v,w)} という表記を採用した。 定義から明らかなように、以下が成立する: 定理 ― 断面曲率は v , w {\displaystyle v,w} が貼る平面のみに依存する。すなわち v , w {\displaystyle v,w} と v ′ , w ′ {\displaystyle v',w'} がTPM内の同一平面を貼れば以下が整理する: 定理 ― リッチ曲率は線形写像 のトレースに一致し、スカラー曲率は、 を満たす線形写像ρのトレースに一致する。 よって特にリッチ曲率、スカラー曲率の定義は基底 e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} の取り方によらない。 実は断面曲率は曲率テンソルを特徴づける: 定理 ― ( V , g ) {\displaystyle (V,g)} を計量ベクトル空間とし、 を各成分に対して線形な2つの写像とする。このとき、線形独立な任意のベクトル v , w {\displaystyle v,w} に対し、 であれば、RとR'は同一の写像である。 m次元リーマン多様体Mが別のリーマン多様体 M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} の余次元1の部分リーマン多様体、すなわち M ⊂ M ̄ {\displaystyle M\subset {\bar {M}}} 、 dim M ̄ = dim M + 1 {\displaystyle \dim {\bar {M}}=\dim M+1} の場合は、以下が成立する: 定理 ― i≠jを満たす任意のi, j ∈{1,...,m}に対し、 ここで e 1 , ... , e m {\displaystyle e_{1},\ldots ,e_{m}} は点 u ∈ M {\displaystyle u\in M} における主方向で κ 1 , ... , κ m {\displaystyle \kappa _{1},\ldots ,\kappa _{m}} を対応する主曲率であり、 S e c u ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {Sec} _{u}(X,Y)} はMのuにおける断面曲率であり、 S e c ̄ u ( X , Y ) {\displaystyle {\overline {\mathrm {Sec} }}_{u}(X,Y)} は M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} のuにおける断面曲率である。 よって特にMが2次元リーマン多様体で M ̄ {\displaystyle {\bar {M}}} が R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} の場合はMの断面曲率 S e c u ( X , Y ) {\displaystyle \mathrm {Sec} _{u}(X,Y)} はガウス曲率κ1κ2に一致する(Theorema Egregium)。 本節ではホロノミーを使うことで曲率概念を特徴づけ、これにより曲率概念を多様体に内在的な幾何学的な意味付けを与える。 まず記号を定義する。これまで通り ∇ {\displaystyle \nabla } をベクトルバンドル π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} の接続とし、 U ∈ R 2 {\displaystyle U\in \mathbb {R} ^{2}} を R 2 {\displaystyle \mathbb {R} ^{2}} の原点Oの開近とし、Uの元を成分で ( x , y ) {\displaystyle (x,y)} と表し、 ξ : U → M {\displaystyle \xi ~:~U\to M} を埋め込みとし、M上のベクトル場X、Yを とする。 c ( t ) {\displaystyle c(t)} を R 2 {\displaystyle \mathbb {R} ^{2}} 上の以下のような閉曲線とする: O ∈ R 2 {\displaystyle O\in \mathbb {R} ^{2}} から t {\displaystyle t} だけ右に動き、 t {\displaystyle t} だけ上に動き、 t {\displaystyle t} だけ左に動き、 t {\displaystyle t} だけ下に動く。 このとき ξ ∘ c ( t ) {\displaystyle \xi \circ c(t)} に沿って、 ξ ( O ) {\displaystyle \xi (O)} のファイバー E φ ( O ) {\displaystyle E_{\varphi (O)}} の元eを平行移動したものは、 に等しい。ここで e ′ ∈ E {\displaystyle e'\in E} に対し、 Φ X t ( e ′ ) {\displaystyle \Phi _{X}^{t}(e')} 、 Φ Y t ( e ′ ) {\displaystyle \Phi _{Y}^{t}(e')} はそれぞれ π ( e ′ ) {\displaystyle \pi (e')} からX、Yの積分曲線に沿ってtだけ進むのに合わせて e ′ ∈ E {\displaystyle e'\in E} を平行移動したものである。 定理 (ホロノミーによる曲率の特徴づけ) ― 次が成立する: すなわち、曲率 R ( X , Y ) {\displaystyle R(X,Y)} は、 により特徴づけられる。よって直観的には曲率 R ( X , Y ) {\displaystyle R(X,Y)} は(X、Yが可換になるように拡張した場合に)X、Yが定める平行移動の非可換度合いを表している。 本節では共変外微分の概念を導入し、この概念を用いて曲率概念を特徴づける。 まず共変外微分の概念を導入する。 π : E → M {\displaystyle \pi ~:~E\to M} をベクトルバンドルとし、 をEの接続とし、 とする。 定義 (共変外微分) ― を を満たすように定義し、 d ∇ p {\displaystyle d_{\nabla }^{p}} を共変外微分(英: covariant exterior differentiation)という。 共変外微分がwell-definedである事の証明は省略する。紛れがなければ添字のpを省略し、 d ∇ {\displaystyle d_{\nabla }} と書く。 共変外微分は以下を満たす: 定理 ― 共変外微分は通常の外微分と違い、 となるとは限らない。しかし となるので、 s ∈ Γ ( E ) = A 0 ( E ) {\displaystyle s\in \Gamma (E)={\mathcal {A}}^{0}(E)} に対して d ∇ d ∇ s {\displaystyle d_{\nabla }d_{\nabla }s} が分かれば一般の s ⊗ ω {\displaystyle s\otimes \omega } に対して d ∇ d ∇ ( s ⊗ ω ) {\displaystyle d_{\nabla }d_{\nabla }(s\otimes \omega )} が計算できる事になる。 実は d ∇ d ∇ s {\displaystyle d_{\nabla }d_{\nabla }s} は曲率に一致する事が知られている: 定理 (共変外微分による曲率の特徴づけ) ― 任意の s ∈ Γ ( E ) {\displaystyle s\in \Gamma (E)} と任意の X , Y ∈ X ( M ) {\displaystyle X,Y\in {\mathfrak {X}}(M)} に対し、以下が成立する(リッチの恒等式(英: Ricci's identity))。 なお、すでに述べたように d ∇ d ∇ {\displaystyle d_{\nabla }d_{\nabla }} は0になるとは限らないが、 d ∇ d ∇ d ∇ {\displaystyle d_{\nabla }d_{\nabla }d_{\nabla }} は必ず0になる事が知られており、この事実はビアンキの第二恒等式と同値である: 定理 ― 任意の s ∈ Γ ( E ) {\displaystyle s\in \Gamma (E)} に対し、以下が成立する(ビアンキの第二恒等式(英: Bianchi's identity)): これまで本項では共変微分∇を用いて接続概念を考察してきたが、 実はむしろωから接続概念を定義したほうが、数学的に有利である事が示唆される。その理由は2つある。 第一に、リーマン多様体であれば∇から定義される曲率テンソルを使って記述できた恒等式、例えば(第二)構造方程式や(第二)ビアンキ恒等式は、一般のベクトルバンドルではωを使わないと記述できない(曲率の章を参照)。 第二に、接続概念において重要な役割を果たす平行移動の概念は接続形式ωと強く関係しており、ベクトルバンドル E → M {\displaystyle E\to M} の底空間Mの曲線 c ( t ) {\displaystyle c(t)} に沿って定義された局所的な基底 ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\displaystyle (e_{1}(t),\ldots ,e_{m}(t))} をtで微分したものが接続形式 ω ( d c d t ( 0 ) ) {\displaystyle \omega ({\tfrac {dc}{dt}}(0))} に一致する。 よって特に∇がEの計量と両立する接続の場合、∇による平行移動は回転変換、すなわち S O ( n ) {\displaystyle SO(n)} の元なので、その微分である接続形式ωは S O ( n ) {\displaystyle SO(n)} のリー代数 s o ( n ) {\displaystyle {\mathfrak {so}}(n)} の元、すなわち歪対称行列である。 このように接続形式を用いるとベクトルバンドルの構造群(上の例では S O ( n ) {\displaystyle SO(n)} )が接続形式の構造をリー群・リー代数対応により支配している事が見えやすくなる。 上では回転群 S O ( m ) {\displaystyle \mathrm {SO} (m)} の場合を説明したが、 G L n ( C ) {\displaystyle \mathrm {GL} _{n}(\mathbb {C} )} (を自然に G L 2 n ( R ) {\displaystyle \mathrm {GL} _{2n}(\mathbb {R} )} の部分群とみなしたもの)や U n ( C ) {\displaystyle \mathrm {U} _{n}(\mathbb {C} )} 、物理学で重要なシンプレクティック群やスピン群に対しても同種の性質が証明でき、接続形式がリー群・リー代数対応により支配されている事がわかる。 こうした事実は接続概念を直接リー群と接続形式とで記述する方が数学的に自然である事を示唆する。リー群の主バンドルの接続はこのアイデアを定式化したもので、主バンドルの接続は接続形式に相当するものを使って定義される。詳細は接続 (ファイバー束)の項目を参照されたい。
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) {\\displaystyle s\\in \\Gamma (E_{1})} に対し、", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "となるとき、αは点演算子(英: point operator)であるという。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "実は次が成立する:", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "定理 ― 以下の4つは同値である。:", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "また次が成立する:", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "定義・定理 ― αが局所演算子であるとする。このときMの任意の開集合Uに対し、 α U : Γ ( U , E ) → Γ ( U , E ) {\\displaystyle \\alpha ^{U}~:~\\Gamma (U,E)\\to \\Gamma (U,E)} で", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "を満たすものが一意に存在する。 α U {\\displaystyle \\alpha ^{U}} と書き、αのUへの制限(英: restriction)という。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一般のベクトルバンドルに対する接続を定義するため、レヴィ-チヴィタ接続について簡単に振り返る。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "Mを R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の部分多様体とし、X、YをM上のベクトル場とするとき、", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "により定義する。ここで exp ( t X ) ( u ) {\\displaystyle \\exp(tX)(u)} は時刻0に点 u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} を通るXの積分曲線である。実はこれらの量はMの内在的な量である事、すなわち R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} からMに誘導されるリーマン計量(とその偏微分)のみから計算できる事が知られている。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "そこで ∇ X Y {\\displaystyle \\nabla _{X}Y} をリーマン多様体 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} に内在的な値とみなしたものを考える事ができる。この ∇ X Y {\\displaystyle \\nabla _{X}Y} は以下の公理で特徴づけられる事が知られている:", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "定理 (リーマン幾何学の基本定理) ― M上のベクトル場の組にM上のベクトル場を対応させる汎関数∇で以下の5つの性質をすべて満たすものが唯一存在する。このを ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続といい、 ∇ X Y {\\displaystyle \\nabla _{X}Y} をレヴィ-チヴィタ接続から定まるYのXによる共変微分という:", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ここでX、Y、ZはM上の任意の可微分なベクトル場であり、f、gはM上定義された任意の実数値C級関数であり、a、bは任意の実数であり、 f Y {\\displaystyle fY} は点 u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} において f ( u ) Y u {\\displaystyle f(u)Y_{u}} となるベクトル場であり、 X ( f ) {\\displaystyle X(f)} はfのX方向微分であり、 [ X , Y ] {\\displaystyle [X,Y]} はリー括弧(英語版)である。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "具体的には局所座標 ( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle (x^{1},\\ldots ,x^{m})} を使って、 X = X j ∂ ∂ x j {\\displaystyle X=X^{j}{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{j}}}} 、", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "と書ける。 Γ i j k {\\displaystyle \\Gamma ^{i}{}_{jk}} を局所座標 ( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle (x^{1},\\ldots ,x^{m})} に関するクリストッフェル記号という。", "title": "準備" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "レヴィ-チヴィタ接続の概念を一般化したものとして、ベクトルバンドルに対する接続の概念がある。接続の概念はゲージ理論やチャーン・ヴェイユ理論で重要な役割を果たす。本項では、議論の一般性を確保するために接続の概念を導入するが、あくまでレヴィ-チヴィタ接続やそこから誘導される接続を主軸として話を進める。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} を可微分多様体M上の可微分な実ベクトルバンドルとし(E、Mのいずれにもリーマン計量が入っているとは限らない)、 Γ ( E ) {\\displaystyle \\Gamma (E)} をEの切断全体の集合とし、 X ( M ) := Γ ( T M ) {\\displaystyle {\\mathcal {X}}(M):=\\Gamma (TM)} をM上のベクトル場全体の集合とする。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "接続は前述したレヴィ-チヴィタ接続の公理的特徴づけの5つの性質のうち3つを使って定義される:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "定義 (接続) ― 汎関数", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "で以下の性質を満たすものをE上のKoszul接続(英: Koszul connection)あるいは単に接続(英: connection)といい、 ∇ X s {\\displaystyle \\nabla _{X}s} を接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が定めるsのX方向の共変微分という:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "Mの接ベクトルバンドルTMの接続の事を特にアフィン接続(英: affine connection)という。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ここでXはM上の任意のベクトル場であり、sはEの任意の切断であり、fはM上定義された任意の実数値可微分関数であり、 f X {\\displaystyle fX} は点Pにおいて f ( P ) X P {\\displaystyle f(P)X_{P}} となるベクトル場であり、 X ( f ) {\\displaystyle X(f)} はfのX方向微分である。明らかにレヴィ-チヴィタ接続はアフィン接続である", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "なお、Koszul接続の事を線形接続(英: linear connection)と呼ぶ文献もあるが、この言葉をアフィン接続の意味で用いている文献や、接バンドルのフレームバンドル(英語版)上の接続の意味で用いている文献もあるので注意が必要である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "またアフィン接続という名称ではあるが、この接続に関する事項、例えば平行移動は線形変換になり、(線形変換以外の)アフィン変換にはならない。この名称は、この接続をカルタン接続とみなしたときにアフィン空間をモデルとするカルタンの幾何学とみなせる事による。詳細はカルタンの幾何学の項目を参照されたい。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "Eに計量gが定義されているときには、以下の概念を定義できる:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "定義 (リーマン計量と両立する接続) ― Eの任意の切断s1]、s2]に対し", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "が成立する場合、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } はリーマン計量gと両立する(英: compatible with g)といい、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } は計量接続(英語版)(英: metric connection)であるという。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "また、 E = T M {\\displaystyle E=TM} の場合、すなわち∇が多様体M上のアフィン接続である場合は以下のテンソルを定義できる:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "定義 (捩率テンソル) ―", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "を捩率テンソルという。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "捩率テンソルの詳細は後の節で述べる。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "リーマン幾何学の基本定理から、レヴィ-チヴィタ接続とは、(唯一の)捩れなしの計量アフィン接続として特徴づけられる。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ライプニッツ則を用いると、以下を示す事ができる:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "定理 ― 接続 ∇ X s {\\displaystyle \\nabla _{X}s} はsに関して局所演算子である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "sがMの開集合U上で0であるとする。任意に P ∈ U {\\displaystyle P\\in U} をfixし、Pの近傍 V P ⊂ U {\\displaystyle V_{P}\\subset U} と C ∞ {\\displaystyle C^{\\infty }} 級関数 φ {\\displaystyle \\varphi } で、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "となるものを選ぶ。(このような関数の存在性に関しては隆起関数の項目を参照)。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "すると φ {\\displaystyle \\varphi } の定義から、 s Q = φ ( Q ) s Q {\\displaystyle s_{Q}=\\varphi (Q)s_{Q}} for ∀ Q ∈ M {\\displaystyle \\forall Q\\in M} であるので、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "である。 φ {\\displaystyle \\varphi } の定義より、 X φ | P = φ ( P ) ∇ X s | P = 0 {\\displaystyle X\\varphi |_{P}=\\varphi (P)\\nabla _{X}s|P=0} なので、 ∇ X s | P = 0 {\\displaystyle \\nabla _{X}s|_{P}=0} が任意の P ∈ U {\\displaystyle P\\in U} に対して成立し、これは ∇ X s {\\displaystyle \\nabla _{X}s} がsに関して局所演算子である事を意味する。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "∇ X s {\\displaystyle \\nabla _{X}s} はXに関して C ∞ ( M ) {\\displaystyle C^{\\infty }(M)} -線形であり、したがって点Pにおける値 ∇ X s | P {\\displaystyle \\nabla _{X}s|_{P}} がXのPにおける値XPのみから決まる。この事に着目すると、接続を若干違った角度から定式化できる。これを見るため、Eに値を取る線形写像 ∇ s | P {\\displaystyle \\nabla s|_{P}} を", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "と定義すると、余接ベクトル空間TMの定義から、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "とみなせる。そこでMの各点Pに ∇ s | P ∈ ( T ∗ M ⊗ E ) P {\\displaystyle \\nabla s|_{P}\\in (T^{*}M\\otimes E)_{P}} を対応させる切断", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "を考える事ができる。よって接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } は、Eの切断sに T ∗ M ⊗ E {\\displaystyle T^{*}M\\otimes E} の切断を対応させる写像", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "とみなせる。この事実を用いると、接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } を以下のようにも定義できる:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "定義 (接続の別定義) ― R {\\displaystyle \\mathbb {R} } -線形写像", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "で以下の性質を満たすものをE上の接続(英: connection)という:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "上記の2つの定義は同値であるが、後者はXを明示しない分数学的取り扱いが若干楽になる場合が多い。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "( e 1 , ... , e m ) {\\displaystyle (e_{1},\\ldots ,e_{m})} を開集合 U ⊂ M {\\displaystyle U\\subset M} 上で定義されたEの局所的な基底とする。接続 ∇ X s {\\displaystyle \\nabla _{X}s} はsに関して局所演算子であったので、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } のUへの制限 ∇ U {\\displaystyle \\nabla ^{U}} を考える事ができる。以下、紛れがなければ ∇ U {\\displaystyle \\nabla ^{U}} の事を単に ∇ {\\displaystyle \\nabla } と書く。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "XをM上のベクトル場とし、 s = s j e j {\\displaystyle s=s^{j}e_{j}} をEの切断とすると、接続の定義から", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "である。この式は、共変微分 ∇ X s = ∇ X ( s j e j ) {\\displaystyle \\nabla _{X}s=\\nabla _{X}(s^{j}e_{j})} にライプニッツ則を適用して係数部分の微分 X ( s j ) e j {\\displaystyle X(s^{j})e_{j}} と基底部分の微分 s j ∇ X e j {\\displaystyle s^{j}\\nabla _{X}e_{j}} の和として表現したものと解釈できる。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "そこで以下のような定義をする:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "定義 (接続形式) ― 行列 ω ( X ) {\\displaystyle \\omega (X)} を", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "により定義し、Xに ω ( X ) {\\displaystyle \\omega (X)} を対応させる行列値の1-形式 ω = ( ω i j ) i j {\\displaystyle \\omega =(\\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を局所的な基底 ( e 1 , ... , e m ) {\\displaystyle (e_{1},\\ldots ,e_{m})} に関する接続∇の接続形式(英: connection form)という", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "定義から明らかに、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "さらに ω i j {\\displaystyle \\omega ^{i}{}_{j}} を成分で、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "と表記すると、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "とレヴィ-チヴィタ接続のときと同様の成分表示が得られる。 Γ k j i {\\displaystyle \\Gamma _{kj}^{i}} を(局所座標 x = ( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle x=(x^{1},\\ldots ,x^{m})} と局所的な基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} に関する)接続係数(英: connection coefficient)、あるいはレヴィ-チヴィタ接続の場合の名前を流用し、クリストッフェル記号という。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "本節ではアフィン接続", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "に対し、先に定義した捩率テンソル", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "の性質を述べる。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "「捩率」という名称に関してはLoring W. Tuによれば「 T ∇ ( X , Y ) {\\displaystyle T_{\\nabla }(X,Y)} を「捩率」と呼ぶうまい理由は無いように見える」が、このテンソルには以下のような意味付けが可能である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "なめらかな任意の写像 α : U ⊂ R 2 → M {\\displaystyle \\alpha ~:~U\\subset \\mathbb {R} ^{2}\\to M} に対し、リー括弧の性質より [ ∂ ∂ x α , ∂ ∂ y α ] = 0 {\\displaystyle [{\\tfrac {\\partial }{\\partial x}}\\alpha ,{\\tfrac {\\partial }{\\partial y}}\\alpha ]=0} であることから、 ∇ ∂ x := ∇ ∂ ∂ x {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{\\partial x}}:=\\nabla _{\\tfrac {\\partial }{\\partial x}}} とすると、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "が成立する事を示せる。すなわち捩率テンソルは2つの微分の非可換度合いを表す量である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "また(アフィン空間をモデルとする)カルタン幾何学においては上記のものとは異なった意味付けが可能で、(カルタン幾何学の意味での)曲率の「並進部分」が捩率に対応している。詳細はカルタン幾何学#曲率の分解の節および捩率テンソル#カルタン幾何学の章を参照されたい。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "捩率テンソルの性質を見る。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "定理 ― 捩率テンソルは以下を満たす:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "ここでX、YはM上の任意の可微分なベクトル場である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "上述の定理と前に述べた定理から、以下の系が従う:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "系 ― 捩率テンソルはバンドル写像 T M × T M → T M {\\displaystyle TM\\times TM\\to TM} であるとみなせる。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } と捩率テンソルも局所座標で", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "と書くとき、次が成立する:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "定理 ― 任意のi、j、kに対し、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "よって捩率テンソルが恒等的に0になる接続、すなわち捩れなし(英: torsion-free)の場合、Γijkはj、kに対して対象なテンソルになる。このため捩れなしの接続の事を対称(英: symmetric)な接続ともいう。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "外微分dに対し、次が成立する:", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "定理 ― ∇ {\\displaystyle \\nabla } を多様体Mの接バンドルTM上の接続とするとき、", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "であることから従う。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "すなわち ∇ {\\displaystyle \\nabla } が捩れなしである事は、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が外微分と「両立」する事と同値である。", "title": "ベクトルバンドルの接続" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "本節では、あるベクトルバンドル上定義された接続から別のベクトルバンドル上の接続を定義する方法を述べる。その過程でレヴィ-チヴィタ接続のときにも議論した曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った共変微分に関しても述べる。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "これまで同様 ∇ {\\displaystyle \\nabla } をM上の可微分なベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の接続とし、さらに f : N → M {\\displaystyle f~:N\\to M} を可微分多様体NからMへの可微分な写像とすると、fによるEの引き戻し(pullback bundle)", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "を考える事ができる。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "N、Mの局所座標 y : V ⊂ N → R u {\\displaystyle y~:~V\\subset N\\to \\mathbb {R} ^{u}} 、 x : U ⊂ M → R m {\\displaystyle x~:~U\\subset M\\to \\mathbb {R} ^{m}} で、 V ⊂ f − 1 ( U ) {\\displaystyle V\\subset f^{-1}(U)} となるものを選び、さらにU上のEの基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} を選んで接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } を接続形式を使って", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "と成分表示する。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "定義 ― f ∗ ( E ) {\\displaystyle f^{*}(E)} の接続 f ∗ ( ∇ ) {\\displaystyle f^{*}(\\nabla )} をそのVへの制限 f ∗ ( ∇ ) V {\\displaystyle f^{*}(\\nabla )^{V}} が", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "となるように定義し、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } のfによる引き戻し(英: pull back)、fによって f ∗ ( E ) {\\displaystyle f^{*}(E)} に誘導された接続(英: induced connection)という。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "f ∗ ( ∇ ) {\\displaystyle f^{*}(\\nabla )} がwell-definedな事の証明は省略する。接続係数を使えば、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "である。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "引き戻しの特殊な場合として、Nが線分の場合がある。この場合写像 P : ( 0 , 1 ) → M {\\displaystyle P~:~(0,1)\\to M} はM上の曲線とみなせる。曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った切断sに対し、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "を考える事ができる。 ∇ d t s {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{dt}}s} を接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } によって定まる曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った切断sの共変微分という。成分で書けば", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "となるので、レヴィ-チヴィタ接続の場合の曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った切断sの共変微分の概念の一般化になっている事がわかる。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "多様体M上の2つのベクトルバンドルE1、E2があり、E1、E2にはそれぞれ接続 ∇ 1 {\\displaystyle \\nabla ^{1}} 、 ∇ 2 {\\displaystyle \\nabla ^{2}} が定義されているとする。このとき、 E 1 ⊕ E 2 {\\displaystyle E_{1}\\oplus E_{2}} 上に", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "により、接続が定義できる。また E 1 ⊗ E 2 {\\displaystyle E_{1}\\otimes E_{2}} 上に", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "により、接続が定義できる。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "MのベクトルバンドルEに接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が定義されているとき、Eの双対バンドルEに以下の性質を満たす接続 ∇ ∗ {\\displaystyle \\nabla ^{*}} を定義できる:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "ここでXはM上の任意のベクトル場であり、sはEの任意の切断であり、ωはEの任意の切断であり、 ⟨ ⋅ , ⋅ ⟩ {\\displaystyle \\langle \\cdot ,\\cdot \\rangle } はEの双対ベクトル空間Eの元とEの元との内積である。紛れがなければ∇を単に∇と書く事も多い。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "Eにリーマン計量がg定義されている場合、EとEは自然に同一視でき、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "が成立する事になるが、一般には ∇ ∗ {\\displaystyle \\nabla ^{*}} と ∇ {\\displaystyle \\nabla } は異なる。情報幾何学の分野では ∇ ∗ {\\displaystyle \\nabla ^{*}} の事を ∇ {\\displaystyle \\nabla } の双対接続(英: dual connection)という。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "次が成立する:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "定理 ― 以下の3つは同値である:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "ここで ∇ ∗ g = 0 {\\displaystyle \\nabla ^{*}g=0} は E × E {\\displaystyle E\\times E} 上の双線形写像gを自然に ( E ⊗ E ) ∗ {\\displaystyle (E\\otimes E)^{*}} の元とみなしたときの共変微分である。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "また簡単な計算から以下が従う:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "定理 ― U ⊂ M {\\displaystyle U\\subset M} 上のEの局所的な基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} で正規直交なものを取るとき、gが ∇ {\\displaystyle \\nabla } と両立する必要十分条件は、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } の接続形式ωが以下を満たす事である:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "ここで「 t ω {\\displaystyle {}^{t}\\omega } 」はωの転置行列である。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "接続の定義から明らかに以下の性質を示すことができる:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "定理 ― ∇ 1 , ... , ∇ u {\\displaystyle \\nabla ^{1},\\ldots ,\\nabla ^{u}} を多様体M上ののベクトルバンドルEの接続とする。このとき、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "もEの接続である。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "また、2つの接続", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "に対し、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "とすると、 A ( X , s ) {\\displaystyle A(X,s)} がX、s双方に関して C ∞ ( M ) {\\displaystyle C^{\\infty }(M)} -線形である事が示せ、したがって前に述べた定理から A {\\displaystyle A} は T M ⊕ E → E {\\displaystyle TM\\oplus E\\to E} というバンドル写像だとみなせる。逆に接続 ∇ : X × Γ ( E ) → Γ ( E ) {\\displaystyle \\nabla ~:~{\\mathfrak {X}}\\times \\Gamma (E)\\to \\Gamma (E)} とバンドル写像 A : T M ⊕ E → E {\\displaystyle A~:~TM\\oplus E\\to E} が与えられると、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "もE上の接続である事を確かめられる。まとめると、以下の定理が成り立つ:", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "定理 ― ∇ , ∇ ′ {\\displaystyle \\nabla ,\\nabla '} を多様体M上のベクトルバンドルEの2つ接続とする。このとき、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "はバンドル写像 T M ⊗ E → E {\\displaystyle TM\\otimes E\\to E} とみなせる。逆にバンドル写像 A : T M ⊗ E → E {\\displaystyle A~:~TM\\otimes E\\to E} とE上の任意の接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } に対し、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "もE上の接続である。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "U ∈ M {\\displaystyle U\\in M} を取り、EのU上の局所的な基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} を固定し、切断sを s = s k e k {\\displaystyle s=s^{k}e_{k}} と成分表示すると、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "により局所的に接続を定義できるが、", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "の成分表示は", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "とクリストッフェル記号を用いて書ける。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "この事からクリストッフェル記号は ∇ X ′ s := ( X s j ) e j {\\displaystyle \\nabla '_{X}s:=(Xs^{j})e_{j}} とのズレを表す量であると解釈できる。", "title": "接続の誘導" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "∇ {\\displaystyle \\nabla } をM上の可微分なベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の接続とし、 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} をM上の区分的に滑らかな曲線とし、sを P ( t ) {\\displaystyle P(t)} 上のEの切断とする。すなわち各 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に対し、 s P ( t ) ∈ E {\\displaystyle s_{P(t)}\\in E} が定義でき、 t ↦ s P ( t ) {\\displaystyle t\\mapsto s_{P(t)}} が可微分であり、しかも π ( s P ( t ) ) = P ( t ) {\\displaystyle \\pi (s_{P(t)})=P(t)} が任意のtに耐いて成立するものとする。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "定義 ―", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "が恒等的に成立するとき、切断sは P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行(英: parallel along P ( t ) {\\displaystyle P(t)} )であるという。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "Mがユークリッド空間でEがその接バンドルである場合、 ∇ s d t = d s d t = 0 {\\displaystyle {\\nabla s \\over dt}={ds \\over dt}=0} であれば、ベクトル s P ( t ) {\\displaystyle s_{P(t)}} は s P ( t ) {\\displaystyle s_{P(t)}} の基点がtによって動くだけでその大きさも向きも一定である。すなわち P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って s P ( 0 ) {\\displaystyle s_{P(0)}} を「平行移動」して動かしている事になるので、一般のベクトルバンドルの場合にも ∇ s d t = 0 {\\displaystyle {\\nabla s \\over dt}=0} である事を平行と呼ぶのである。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った切断 s {\\displaystyle s} 、 s ′ {\\displaystyle s'} がいずれも P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行であり、しかも時刻 t = a {\\displaystyle t=a} のとき s P ( a ) = s P ( a ) ′ {\\displaystyle s_{P(a)}=s'_{P(a)}} であれば、別の時刻 t = b {\\displaystyle t=b} でも s P ( b ) = s P ( b ) ′ {\\displaystyle s_{P(b)}=s'_{P(b)}} である事を容易に示すことができる。よって写像", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "は切断 s {\\displaystyle s} の取り方によらずwell-definedである。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "定義 ― φ a , b ( v ) ∈ E P ( b ) {\\displaystyle \\varphi _{a,b}(v)\\in E_{P(b)}} を v ∈ E P ( a ) {\\displaystyle v\\in E_{P(a)}} の曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った平行移動(英: parallel transportation along P ( t ) {\\displaystyle P(t)} )という。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "ユークリッド空間の場合と違い、どの曲線に沿って平行移動したかによって平行移動の結果が異なる事に注意されたい。すなわち曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った平行移動を φ a , b ( v ) {\\displaystyle \\varphi _{a,b}(v)} 、曲線 Q ( t ) {\\displaystyle Q(t)} に沿った平行移動を ψ a ′ , b ′ ( v ) {\\displaystyle \\psi _{a',b'}(v)} とするとき、たとえ P ( a ) = Q ( a ′ ) {\\displaystyle P(a)=Q(a')} 、 P ( b ) = Q ( b ′ ) {\\displaystyle P(b)=Q(b')} であっても φ a , b ( v ) = ψ a ′ , b ′ ( v ) {\\displaystyle \\varphi _{a,b}(v)=\\psi _{a',b'}(v)} であるとは限らない。この現象をホロノミー(英語版)(英: holonomy)という。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "φ a , b {\\displaystyle \\varphi _{a,b}} の定義より、 φ a , b {\\displaystyle \\varphi _{a,b}} は E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} から E P ( b ) {\\displaystyle E_{P(b)}} への写像であるとみなせるが、この写像は以下を満たす:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "定理 ― φ a , b : E P ( a ) → E P ( b ) {\\displaystyle \\varphi _{a,b}~:~E_{P(a)}\\to E_{P(b)}} は線形同型である。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "よって平行移動により、(接続や計量が定義されていない)多様体Mでは本来無関係のはずの E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} と E P ( b ) {\\displaystyle E_{P(b)}} がつながって(connect)、 E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} の元と E P ( b ) {\\displaystyle E_{P(b)}} の元を比較する事ができるようになる。接続(connection)という名称は、ここから来ている。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "Eにリーマン計量gが定義されているときは以下が成立する事を容易に示せる:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "定理 (平行移動による計量の保存) ― ∇ {\\displaystyle \\nabla } がEのリーマン計量gと両立するとき、任意の v , v ′ ∈ E P ( a ) {\\displaystyle v,v'\\in E_{P(a)}} に対し、以下が成立する:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} 上定義されたEの切断 e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\\displaystyle e_{1}(t),\\ldots ,e_{n}(t)} で、各時刻tに対して e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\\displaystyle e_{1}(t),\\ldots ,e_{n}(t)} がEPの基底の基底になっており、しかも e 1 ( t ) , ... , e n ( t ) {\\displaystyle e_{1}(t),\\ldots ,e_{n}(t)} が P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行なものを P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った水平フレーム(英: horizontal frame)という。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "これまで共変微分の概念を用いる事で平行移動の概念を定義してきたが、逆に平行移動の概念を用いて共変微分を特徴づけることができる:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "定理 (共変微分の平行移動による特徴づけ) ― 多様体M上の曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} とMのベクトルバンドルEの P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った切断 s ( t ) ∈ E P ( t ) {\\displaystyle s(t)\\in E_{P(t)}} を考えるとき、 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿った平行移動を φ a , t {\\displaystyle \\varphi _{a,t}} とすると、以下が成立する:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "ここで d d t φ a , t − 1 ( s ( t ) ) {\\displaystyle {d \\over dt}\\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))} はベクトル空間 E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} における微分 d d t φ a , t − 1 ( s ( t ) ) = lim t → a φ a , t − 1 ( s ( t ) ) − s ( a ) t {\\displaystyle {d \\over dt}\\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))=\\lim _{t\\to a}{\\tfrac {\\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))-s(a)}{t}}} である。なお、 φ a , t − 1 ( s ( t ) ) {\\displaystyle \\varphi _{a,t}{}^{-1}(s(t))} はtによらず E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} に属するので、 E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} 上の差や極限を考えることができる。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} を E P ( a ) {\\displaystyle E_{P(a)}} の基底とし、 e i ( t ) := φ a , t ( e i ) {\\displaystyle e_{i}(t):=\\varphi _{a,t}(e_{i})} (for i = 1 , ... , n {\\displaystyle i=1,\\ldots ,n} )とし、 s ( t ) = s i ( t ) e i ( t ) {\\displaystyle s(t)=s^{i}(t)e_{i}(t)} と成分表示すると、", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "が成立する。 e i ( t ) {\\displaystyle e_{i}(t)} の定義から e i ( t ) {\\displaystyle e_{i}(t)} は P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行なので、上式右辺第二項は0である。よって、", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "となり定理が証明された。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "上記の定理を用いると、共変微分の成分表示に意味を持たせる事ができる。これをみるため x : U ⊂ M → R m {\\displaystyle x~:~U\\subset M\\to \\mathbb {R} ^{m}} をMを局所座標とし、xを成分で x = ( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle x=(x^{1},\\ldots ,x^{m})} とあらわし、さらに e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} をU上定義されたEの局所的な基底とすると、", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "であるので、これを共変微分の成分表示", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "と比較する事で、以下が結論付けられる:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "定理 (接続形式の平行移動による特徴づけ) ― 曲線 x ( t ) {\\displaystyle x(t)} 上の平行移動を φ a , t {\\displaystyle \\varphi _{a,t}} とし、曲線状定義されたEの基底を e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} とするとき、 d d t φ a , t − 1 ( e i ( x ( t ) ) ) | t = a {\\displaystyle \\left.{d \\over dt}\\varphi _{a,t}{}^{-1}(e_{i}(x(t)))\\right|_{t=a}} の行列表示は接続形式を使って ω ( d x d t ( a ) ) {\\displaystyle \\omega \\left({\\tfrac {dx}{dt}}(a)\\right)} と書ける。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "すなわち", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "の第一項、第二項はそれぞれ、 s = s i e i {\\displaystyle s=s^{i}e_{i}} をライプニッツ則に従って微分したときのsの方の微分、eiの方の微分に対応していると解釈できる。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "点P∈Mを固定するとき、Pから出てP自身へと戻る各閉曲線Cに沿った平行移動はEPからEP自身への線形同型写像 φ C : E P → E P {\\displaystyle \\varphi _{C}~:~E_{P}\\to E_{P}} を定めると、曲線の連結CC'に対し φ C C ′ = φ C ′ ∘ φ C {\\displaystyle \\varphi _{CC'}=\\varphi _{C'}\\circ \\varphi _{C}} となるし、Cの逆向きの曲線を C ̄ {\\displaystyle {\\bar {C}}} とすると、 φ C ̄ = φ C − 1 {\\displaystyle \\varphi _{\\bar {C}}=\\varphi _{C}{}^{-1}} となる事が容易に示せる。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "よって", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "とすると、 H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} はEPの自己線形同型のなす群の部分群をなす。 H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} をPにおけるEの ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関するホロノミー群(英: holonomy group)という。なお、Mが弧状連結であればPによらず H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} が同型である事を容易に示せるので、Pを略して単に H o l ( E , ∇ ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla )} とも書く。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "また、", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "とすると、 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla ,P)} は H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} の部分群をなす。 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla ,P)} をPにおけるEの ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関する制約ホロノミー群(英: restricted holonomy group)という。Mが弧状連結であればPによらず H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla ,P)} が同型である事も同様に示せるので、Pを略して単に H o l 0 ( E , ∇ ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla )} とも書く。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "定義から明らかなように、 H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} 、 H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla ,P)} はEP上の線形同型全体のなすリー群 G L ( E P ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} (E_{P})} の部分群である。実は次が成立する事が知られている:", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "定理 ― H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} は G L ( E P ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} (E_{P})} の(閉とは限らない)部分リー群である。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "また H o l 0 ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} _{0}(E,\\nabla ,P)} は H o l ( E , ∇ , P ) {\\displaystyle \\mathrm {Hol} (E,\\nabla ,P)} の(閉とは限らない)弧状連結なリー部分群である。", "title": "平行移動とホロノミー群" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "接バンドルTMにアフィン接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が定義されているとき、測地線の概念を以下のように定義する:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "定義 (測地線) ― Mを多様体とし、 ∇ : X ( M ) × X ( M ) → X ( M ) {\\displaystyle \\nabla ~:~{\\mathfrak {X}}(M)\\times {\\mathfrak {X}}(M)\\to {\\mathfrak {X}}(M)} をアフィン接続とする。このときM上の曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "が恒等的に成立する、という微分方程式を ( M , ∇ ) {\\displaystyle (M,\\nabla )} 上における測地線方程式といい、測地線方程式を満たす曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} を ( M , ∇ ) {\\displaystyle (M,\\nabla )} 上の測地線(英: geodesic)という。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "すなわち「二階微分」が常に0になる曲線を測地線と呼ぶのである。平行移動の定義から、測地線とは d d t P ( t ) {\\displaystyle {\\tfrac {d}{dt}}P(t)} が P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行であると言い換える事もできる。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "恒等的に同じ点を取る「曲線」は自明に測地線方程式を満たすが、これは通常の意味での曲線ではないので、以下このような「曲線」を測地線とは呼ばない事にする。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "測地線の定義は曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} のパラメーターtに依存して定義されている事に注意されたい。 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が測地線であっても、パラメーターを別の変数uに変数変換して得られる P ( u ) {\\displaystyle P(u)} は測地線になるとは限らない。実際、 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が測地線となるパラメーターは線形変換を除いて一意である:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "定理 ― 曲線 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が測地線で、 P ( t ) {\\displaystyle P(t)} を( d u d t {\\displaystyle {\\tfrac {du}{dt}}} が決して0にならないような)変数変換を行って得られる P ( u ) {\\displaystyle P(u)} も測地線である時、ある定数 a , b ∈ R {\\displaystyle a,b\\in \\mathbb {R} } が存在し、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "測地線とは d d t P ( t ) {\\displaystyle {\\tfrac {d}{dt}}P(t)} が P ( t ) {\\displaystyle P(t)} に沿って平行である曲線なので、 d d t P ( 0 ) {\\displaystyle {\\tfrac {d}{dt}}P(0)} が0でなければ任意のtに対して d d t P ( t ) {\\displaystyle {\\tfrac {d}{dt}}P(t)} は0でない。恒等的に同じ点を取る「曲線」は測地線とはみなさなかった事から、測地線は任意の時刻に対して d d t P ( t ) ≠ 0 {\\displaystyle {\\tfrac {d}{dt}}P(t)\\neq 0} である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が測地線で P ( t ) {\\displaystyle P(t)} を変数変換した P ( u ) {\\displaystyle P(u)} も測地線であるとすると、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "前述の議論から d P d u {\\displaystyle {dP \\over du}} は決して0にならず、仮定から d u d t {\\displaystyle {du \\over dt}} も決して0にならないので、上式から、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "これは u = a t + b {\\displaystyle u=at+b} となるa、bが存在することを意味する。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "P ( t ) {\\displaystyle P(t)} が測地線となるパラメーターtをアフィン・パラメーターという。上記の定理はアフィン・パラメーターがアフィン変換を除いて一意な事を意味する。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "測地線方程式を成分で書くと、 P ( t ) = ( x 1 ( t ) , ... , x m ( t ) ) {\\displaystyle P(t)=(x^{1}(t),\\ldots ,x^{m}(t))} として", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "となる。ここで Γ j k i {\\displaystyle \\Gamma _{jk}^{i}} は接続係数である。この式は常微分方程式であり、常微分方程式は局所的な解の存在一意性が言えるので、次が成立する事になる:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "定理 (測地線の局所的な存在一意性) ― 任意の P ∈ M {\\displaystyle P\\in M} と任意の v ∈ T M P {\\displaystyle v\\in TM_{P}} に対し、ある ε > 0 {\\displaystyle \\varepsilon >0} が存在し、測地線", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "で", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "となるものが存在する。しかも P v : ( − ε , ε ) → M {\\displaystyle P_{v}~:~(-\\varepsilon ,\\varepsilon )\\to M} 、 P v ′ : ( − ε ′ , ε ′ ) → M {\\displaystyle P'_{v}~:~(-\\varepsilon ',\\varepsilon ')\\to M} がいずれも上記の条件を満たす測地線であれば、 ( − ε , ε ) ∩ ( − ε ′ , ε ′ ) {\\displaystyle (-\\varepsilon ,\\varepsilon )\\cap (-\\varepsilon ',\\varepsilon ')} 上でPvとP'vは一致する。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "曲線は大域的に存在するとは限らない。 たとえば R 2 ∖ { 0 } {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{2}\\setminus \\{0\\}} (に通常のユークリッド空間としての計量を入れた空間)において、曲線 c ( t ) = ( 1 − t , 0 ) {\\displaystyle c(t)=(1-t,0)} は t < 1 {\\displaystyle t<1} までしか延長できない。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "測地線の局所的な存在一意性が示されたので、以下の定義をする:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "定義 (指数写像) ― 上記の定理で局所的な存在一意性が保証された測地線 P v ( t ) {\\displaystyle P_{v}(t)} を", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "と書く。 exp P {\\displaystyle \\exp _{P}} を ( M , ∇ ) {\\displaystyle (M,\\nabla )} 上の指数写像(英: exponential map)という。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "P v ( k t ) = P k v ( t ) {\\displaystyle P_{v}(kt)=P_{kv}(t)} である事を容易に確かめられるので、指数写像はwell-definedである。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "上の定理で測地線の定義域 ( − ε , ε ) {\\displaystyle (-\\varepsilon ,\\varepsilon )} を R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 全域に拡張できるとは限らない。M上の ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関する任意の測地線の定義域が R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 全域に拡張できるとき、 ( M , ∇ ) {\\displaystyle (M,\\nabla )} は測地線完備(英: geodesically complete)、あるいは単に完備(英: complete)であるという。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "∇ {\\displaystyle \\nabla } がリーマン多様体のレヴィ-チヴィタ接続の場合は、測地線が R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 全域に拡張できるか否かに関して以下の定理が知られている。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "定理 (Hopf-Rinowの定理(英語版)) ― ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} を連結なリーマン多様体とし、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } をM上のレヴィ-チヴィタ接続とする。このとき、以下の条件は互いに同値である:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "Mがコンパクトであれば、M上の任意のリーマン計量gは必ず完備な距離を定めるので、Hopf-Rinowの定理からgが定めるレヴィ-チビタ接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関してMが測地線完備な事が従う。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "しかし一般の接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } に対してはこのような事は成立するとは限らない。実際Mがコンパクトであっても、M上の擬リーマン計量が定めるレヴィ-チビタ接続は測地線完備になるとは限らず、反例としてクリフトン-ポールトーラスが知られている。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "実は次の事実が知られている:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "定理 ― ∇ {\\displaystyle \\nabla } を可微分多様体M上のアフィン接続とし、PをMの点とする。このとき、TPMにおけるOの近傍Uが存在し、Uを多様体としてみたとき、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が定める指数写像", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "は中への微分位相同型である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "よって V := exp ( U ) {\\displaystyle V:=\\exp(U)} とすると、VはPの近傍で、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 204, "tag": "p", "text": "はPの周りの座標近傍とみなせる。この座標近傍をPの周りの正規座標(英語版)(英: normal coordinate)という。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 205, "tag": "p", "text": "2つのアフィン接続 : ∇ , ∇ ′ : X ( M ) × X ( M ) → X ( M ) {\\displaystyle \\nabla ,\\nabla '~:~{\\mathfrak {X}}(M)\\times {\\mathfrak {X}}(M)\\to {\\mathfrak {X}}(M)} がM上の任意の曲線P(t)に対し、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 206, "tag": "p", "text": "を満たすとき、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } と ∇ ′ {\\displaystyle \\nabla '} は同一の測地線を定めるという。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 207, "tag": "p", "text": "とし、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 208, "tag": "p", "text": "とする。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 209, "tag": "p", "text": "このとき次が成立する事が知られている:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 210, "tag": "p", "text": "定理 (同一の測地線を定める条件) ― 以下の2つは同値である:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 211, "tag": "p", "text": "簡単な計算により", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 212, "tag": "p", "text": "である事がわかるので、次の系が従う:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 213, "tag": "p", "text": "系 ― ∇ = ∇ ′ {\\displaystyle \\nabla =\\nabla '} である必要十分条件は、 ∇ {\\displaystyle \\nabla } と ∇ ′ {\\displaystyle \\nabla '} は同一の測地線を定め、しかも ∇ {\\displaystyle \\nabla } と ∇ ′ {\\displaystyle \\nabla '} の捩率テンソルが同一な事である 。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 214, "tag": "p", "text": "なお、接続∇の局所座標表示", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 215, "tag": "p", "text": "に対し、クリストッフェル記号の添字jとkの役割を反対にした", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 216, "tag": "p", "text": "は局所座標の取り方によらずwell-definedでしかも接続の公理を満たす事が知られている。よって特に次が成立する:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 217, "tag": "p", "text": "定理 ― 記号を上述のように取るとき、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 218, "tag": "p", "text": "は∇と同一の測地線を定め、しかも捩率テンソルが0になる接続である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 219, "tag": "p", "text": "", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 220, "tag": "p", "text": "レヴィ・チヴィタ接続の場合は測地線を全く別の角度から特徴づける事ができる。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 221, "tag": "p", "text": "測地線方程式は曲線uの長さ ∫ a b ‖ d u d t ‖ d t {\\displaystyle \\int _{a}^{b}\\left\\|{du \\over dt}\\right\\|dt} を端点を固定して変分したときのオイラー・ラグランジュ方程式に等しい。ここで ‖ v ‖ := g ( v , v ) {\\displaystyle \\|v\\|:={\\sqrt {g(v,v)}}} である。すなわち、測地線は長さに関する停留曲線(≒端点を固定した曲線のなす空間において「微分」がゼロのなる曲線)である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 222, "tag": "p", "text": "また測地線方程式は曲線uの「エネルギー」 ∫ a b ‖ d u d t ‖ 2 d t {\\displaystyle \\int _{a}^{b}\\left\\|{du \\over dt}\\right\\|^{2}dt} を端点を固定して変分したときのオイラー・ラグランジュ方程式にもなっている。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 223, "tag": "p", "text": "リーマン多様体M上の曲線に対し、以下の定義をする。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 224, "tag": "p", "text": "定義 (曲線の曲率) ― リーマン多様体M上の曲線の、弧長パラメータによる「二階微分」の長さ", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 225, "tag": "p", "text": "をMにおける P ( s ) {\\displaystyle P(s)} の測地線曲率(英: geodesic curvature)、あるいは単に曲率(英: curvature)という。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 226, "tag": "p", "text": "ここで ‖ v ‖ := g ( v , v ) {\\displaystyle \\|v\\|:={\\sqrt {g(v,v)}}} である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 227, "tag": "p", "text": "前述の定理から、明らかに次が従う:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 228, "tag": "p", "text": "定理 ― 曲線が測地線である必要十分条件は、その曲線の曲率が常に0の曲線である事である。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 229, "tag": "p", "text": "なお、弧長パラメータの定義より ‖ d P d s ‖ = 0 {\\displaystyle \\left\\|{\\tfrac {dP}{ds}}\\right\\|=0} が常に成り立つので、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 230, "tag": "p", "text": "である。よって次が従う:", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 231, "tag": "p", "text": "定理 ― ∇ d s d P d s {\\displaystyle {\\tfrac {\\nabla }{ds}}{\\tfrac {dP}{ds}}} は曲線の接線 d P d s {\\displaystyle {\\tfrac {dP}{ds}}} と直交する。", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 232, "tag": "p", "text": "", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 233, "tag": "p", "text": "なおここで定義した「曲線の曲率」は次章で定義する「(接続が定義された)多様体の曲率」とは別概念であるので注意されたい。実際、", "title": "測地線" }, { "paragraph_id": 234, "tag": "p", "text": "本節では接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } が定義されたベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の曲率をまず天下り的に定義し、その性質を見る。次に曲率の概念をホロノミーを使う事で特徴づける事により、曲率概念に対する空間に内在的な幾何学的解釈を与える。最後に共変外微分の概念を導入して共変外微分を使って曲率概念を特徴づける。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 235, "tag": "p", "text": "曲率の概念を定義するため、モチベーションを述べる。 ベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } の局所座標 U ⊂ M → R m {\\displaystyle U\\subset M\\to \\mathbb {R} ^{m}} と局所的なEの基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} における成分表示", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 236, "tag": "p", "text": "を考える。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 237, "tag": "p", "text": "E = T M {\\displaystyle E=TM} で ∇ {\\displaystyle \\nabla } がレヴィ-チヴィタ接続の場合、 M = R m {\\displaystyle M=\\mathbb {R} ^{m}} であれば、すなわちMが「平たい」空間であれば、クリストッフェル記号 Γ j k i {\\displaystyle \\Gamma _{jk}^{i}} は全て0になる。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 238, "tag": "p", "text": "よって一般のベクトルバンドルの場合も、クリストッフェル記号 Γ j k i {\\displaystyle \\Gamma _{jk}^{i}} が全て0になる局所座標と局所基底がとれればバンドルは「平たい」とみなす事にする。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 239, "tag": "p", "text": "この「平たい」バンドルとのズレを測るのが曲率である。ただしクリストッフェル記号は局所座標の取り方に依存しているため、クリストッフェル記号自身を用いるのではなく、別の方法で「平たい」バンドルとのズレを測る。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 240, "tag": "p", "text": "ズレを測るため、クリストッフェル記号 Γ j k i {\\displaystyle \\Gamma _{jk}^{i}} が全て0であれば、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 241, "tag": "p", "text": "となる事に着目する。この事実から「平たい」バンドルに対しては、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 242, "tag": "p", "text": "が常に成立する事を示せる。そこで一般の接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } に対し、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 243, "tag": "p", "text": "と定義すると、 R ( X , Y ) s {\\displaystyle R(X,Y)s} は「平たい」バンドルのときには恒等的にゼロになり、この意味において R ( X , Y ) s {\\displaystyle R(X,Y)s} はバンドルの「曲がり具合」を表している考えられる。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 244, "tag": "p", "text": "以上のモチベーションの元、曲率を以下のように定義する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 245, "tag": "p", "text": "定義・定理 (曲率) ― ベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } に対し、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 246, "tag": "p", "text": "とすると、RはX、Y、sに関して C ∞ ( M ) {\\displaystyle C^{\\infty }(M)} -線形である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 247, "tag": "p", "text": "よって前述の定理からRは各点 P ∈ M {\\displaystyle P\\in M} に対し、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 248, "tag": "p", "text": "を対応させるテンソル場とみなせる。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 249, "tag": "p", "text": "Rを ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関する曲率(英: curvature)もしくは曲率テンソル(英: curvature tensor)といい、RPを ∇ {\\displaystyle \\nabla } に関する点Pにおける曲率(英: curvature)もしくは曲率テンソル(英: curvature tensor)という。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 250, "tag": "p", "text": "( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} がリーマン多様体の場合は、gのレヴィ・チヴィタ接続の曲率の事を「Mの曲率」、「gの曲率」等と呼ぶことにする。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 251, "tag": "p", "text": "リーマン多様体 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} においては、Mの曲率はリーマン計量をテイラー展開したときの2次の項として特徴づける事ができる:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 252, "tag": "p", "text": "定理 (リーマン多様体における曲率の特徴づけ) ― ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} をリーマン多様体とし、PをMの点とし、 ( x 1 , . . . , x m ) {\\displaystyle (x^{1},...,x^{m})} をPを原点とする正規座標とする。このとき以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 253, "tag": "p", "text": "ここで R i k j l := g ( R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) ∂ ∂ x j , ∂ ∂ x i ) {\\displaystyle R_{ikj\\ell }:=g(R({\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{k}}},{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{\\ell }}}){\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{j}}},{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{i}}})} である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 254, "tag": "p", "text": "e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} をMの開集合U上で定義された局所的な基底とするとき、 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} に関する曲率形式を以下のように定義する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 255, "tag": "p", "text": "定義 (曲率形式) ― X、Yに行列 Ω ( X , Y ) {\\displaystyle \\Omega (X,Y)} を対応させる行列値の2-形式 Ω = ( Ω i j ) i j {\\displaystyle \\Omega =(\\Omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 256, "tag": "p", "text": "により定義し、 Ω i j {\\displaystyle \\Omega ^{i}{}_{j}} を局所的な基底 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} に関する ∇ {\\displaystyle \\nabla } の曲率形式(英: curvature form)という。 Ω i j {\\displaystyle \\Omega ^{i}{}_{j}} を並べてできる行列 Ω = ( Ω i j ) i , j {\\displaystyle \\Omega =(\\Omega ^{i}{}_{j})_{i,j}} を曲率行列(英: curvature matrix)という事もあるが、紛れがなければこの行列も曲率形式という。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 257, "tag": "p", "text": "さらに ( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle (x^{1},\\ldots ,x^{m})} をMの局所座標とし、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 258, "tag": "p", "text": "と成分分解すると、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 259, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 260, "tag": "p", "text": "ω = ( ω i j ) i j {\\displaystyle \\omega =(\\omega ^{i}{}_{j})_{ij}} を同じ局所座標 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} に関する接続形式すると以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 261, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 262, "tag": "p", "text": "ここで接続行列のウェッジ積 ω ∧ ω {\\displaystyle \\omega \\wedge \\omega } は行列積 ( ω i k ∧ ω k j ) {\\displaystyle (\\omega ^{i}{}_{k}\\wedge \\omega ^{k}{}_{j})} の事である。 Ω ∧ ω {\\displaystyle \\Omega \\wedge \\omega } や Ω ∧ Ω {\\displaystyle \\Omega \\wedge \\Omega } も同様に定義する。 第二構造方程式は曲率の定義を成分で書く事で得られる。一般化されたビアンキの第二恒等式は第二構造方程式から従う。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 263, "tag": "p", "text": "なお、一般化されたビアンキの第二恒等式においてk=1の場合がビアンキの第二恒等式(英: second Bianchi identity)である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 264, "tag": "p", "text": "( x 1 , ... , x m ) {\\displaystyle (x^{1},\\ldots ,x^{m})} をMの局所座標とし、 e 1 , ... , e n {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}} をEの局所的な基底とすると、接続係数 Γ i k j {\\displaystyle \\Gamma ^{i}{}_{kj}} を用いて以下のように表すことができる:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 265, "tag": "p", "text": "定理 ― R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) e j = R i j k l e i {\\displaystyle R({\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{k}}},{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{\\ell }}})e_{j}=R^{i}{}_{jk\\ell }e_{i}} とすると、以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 266, "tag": "p", "text": "捩率テンソルを", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 267, "tag": "p", "text": "と成分表示して得られる2-形式 τ i {\\displaystyle \\tau ^{i}} を並べてできる縦ベクトル τ = t ( τ 1 , ... , τ m ) {\\displaystyle \\tau ={}^{t}(\\tau ^{1},\\ldots ,\\tau ^{m})} を考える事ができる。τの事を基底 ( e 1 , ... , e m ) {\\displaystyle (e_{1},\\ldots ,e_{m})} に関する捩率形式(英: torsion form)という。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 268, "tag": "p", "text": "さらに局所的な基底 e 1 , ... , e n ∈ T M {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{n}\\in TM} の双対基底を θ 1 , ... , θ n ∈ T ∗ M {\\displaystyle \\theta ^{1},\\ldots ,\\theta ^{n}\\in T^{*}M} とすると、これらは1形式である。これらを並べた縦ベクトルを θ = t ( θ 1 , ... , θ n ) {\\displaystyle \\theta ={}^{t}(\\theta ^{1},\\ldots ,\\theta ^{n})} とする。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 269, "tag": "p", "text": "このとき、次が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 270, "tag": "p", "text": "定理 ― アフィン接続は次を満たす:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 271, "tag": "p", "text": "ビアンキの第一および第二恒等式は以下のようにも書くことができる:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 272, "tag": "p", "text": "定理 ― M上のベクトル場X1、X2、X3に対し、以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 273, "tag": "p", "text": "ここで添字は「mod 3」で考える。すなわち「 ∑ i ∈ Z 3 {\\displaystyle \\sum _{i\\in \\mathbb {Z} _{3}}} 」は巡回和である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 274, "tag": "p", "text": "さらに次が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 275, "tag": "p", "text": "定理 ― リーマン多様体 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} 上のアフィン接続∇がgと両立すれば、以下を満たす:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 276, "tag": "p", "text": "レヴィ-チヴィタ接続の場合は以下のようにも成分表示できる:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 277, "tag": "p", "text": "定理 ― R i j k l := g ( R ( ∂ ∂ x k , ∂ ∂ x l ) ∂ ∂ x j , ∂ ∂ x i ) {\\displaystyle R_{ijk\\ell }:=g(R({\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{k}}},{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{\\ell }}}){\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{j}}},{\\tfrac {\\partial }{\\partial x^{i}}})} とすると、以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 278, "tag": "p", "text": "ここで ∧ ◯ {\\displaystyle {~\\wedge \\!\\!\\!\\!\\!\\!\\!\\!\\;\\bigcirc ~}} は下記のKulkarni–Nomizu積である:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 279, "tag": "p", "text": "次の事実が知られている:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 280, "tag": "p", "text": "定理 ― リーマン多様体 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続の曲率は以下を満たす:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 281, "tag": "p", "text": "レヴィ-チヴィタ接続 ∇ {\\displaystyle \\nabla } は捩れなしなので、ビアンキの第一および第二恒等式を以下のように書く事ができる:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 282, "tag": "p", "text": "定理 ― レヴィ-チヴィタ接続は次を満たす:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 283, "tag": "p", "text": "ここで ( ∇ X R ) {\\displaystyle (\\nabla _{X}R)} はRを T M × T M × T ∗ M {\\displaystyle TM\\times TM\\times T^{*}M} の元とみなしたときの共変微分である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 284, "tag": "p", "text": "", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 285, "tag": "p", "text": "ビアンキの第二恒等式は以下のようにも書ける", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 286, "tag": "p", "text": "ここで", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 287, "tag": "p", "text": "であり、 ( ∇ X R m ) {\\displaystyle (\\nabla _{X}\\mathrm {Rm} )} は R m {\\displaystyle \\mathrm {Rm} } を T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ T ∗ M ⊗ T ∗ M {\\displaystyle T^{*}M\\otimes T^{*}M\\otimes T^{*}M\\otimes T^{*}M} に値を取るテンソル場とみなしたときの共変微分である。 R m {\\displaystyle \\mathrm {Rm} } を(リーマンの)曲率テンソル(英: (Riemann) curvature tensor)という。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 288, "tag": "p", "text": "∇ {\\displaystyle \\nabla } をリーマン多様体 ( M , g ) {\\displaystyle (M,g)} のレヴィ-チヴィタ接続とし、PをMの点とし、 v , w ∈ T P M {\\displaystyle v,w\\in T_{P}M} とし、さらに e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} を T P M {\\displaystyle T_{P}M} の基底とする。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 289, "tag": "p", "text": "定義 ―", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 290, "tag": "p", "text": "なお、書籍によっては本項のリッチ曲率、スカラー曲率をそれぞれ 1 n − 1 {\\displaystyle {\\tfrac {1}{n-1}}} 倍、 1 n ( n − 1 ) {\\displaystyle {\\tfrac {1}{n(n-1)}}} 倍したものをリッチ曲率、スカラー曲率と呼んでいるものもあるので注意されたい。 また断面曲率は K P ( v , w ) {\\displaystyle K_{P}(v,w)} という記号で表記する文献も多いが、後述するガウス曲率と区別するため、本稿では S e c P ( v , w ) {\\displaystyle \\mathrm {Sec} _{P}(v,w)} という表記を採用した。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 291, "tag": "p", "text": "定義から明らかなように、以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 292, "tag": "p", "text": "定理 ― 断面曲率は v , w {\\displaystyle v,w} が貼る平面のみに依存する。すなわち v , w {\\displaystyle v,w} と v ′ , w ′ {\\displaystyle v',w'} がTPM内の同一平面を貼れば以下が整理する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 293, "tag": "p", "text": "定理 ― リッチ曲率は線形写像", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 294, "tag": "p", "text": "のトレースに一致し、スカラー曲率は、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 295, "tag": "p", "text": "を満たす線形写像ρのトレースに一致する。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 296, "tag": "p", "text": "よって特にリッチ曲率、スカラー曲率の定義は基底 e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} の取り方によらない。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 297, "tag": "p", "text": "実は断面曲率は曲率テンソルを特徴づける:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 298, "tag": "p", "text": "定理 ― ( V , g ) {\\displaystyle (V,g)} を計量ベクトル空間とし、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 299, "tag": "p", "text": "を各成分に対して線形な2つの写像とする。このとき、線形独立な任意のベクトル v , w {\\displaystyle v,w} に対し、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 300, "tag": "p", "text": "であれば、RとR'は同一の写像である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 301, "tag": "p", "text": "m次元リーマン多様体Mが別のリーマン多様体 M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} の余次元1の部分リーマン多様体、すなわち M ⊂ M ̄ {\\displaystyle M\\subset {\\bar {M}}} 、 dim M ̄ = dim M + 1 {\\displaystyle \\dim {\\bar {M}}=\\dim M+1} の場合は、以下が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 302, "tag": "p", "text": "定理 ― i≠jを満たす任意のi, j ∈{1,...,m}に対し、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 303, "tag": "p", "text": "ここで e 1 , ... , e m {\\displaystyle e_{1},\\ldots ,e_{m}} は点 u ∈ M {\\displaystyle u\\in M} における主方向で κ 1 , ... , κ m {\\displaystyle \\kappa _{1},\\ldots ,\\kappa _{m}} を対応する主曲率であり、 S e c u ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {Sec} _{u}(X,Y)} はMのuにおける断面曲率であり、 S e c ̄ u ( X , Y ) {\\displaystyle {\\overline {\\mathrm {Sec} }}_{u}(X,Y)} は M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} のuにおける断面曲率である。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 304, "tag": "p", "text": "よって特にMが2次元リーマン多様体で M ̄ {\\displaystyle {\\bar {M}}} が R 3 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{3}} の場合はMの断面曲率 S e c u ( X , Y ) {\\displaystyle \\mathrm {Sec} _{u}(X,Y)} はガウス曲率κ1κ2に一致する(Theorema Egregium)。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 305, "tag": "p", "text": "本節ではホロノミーを使うことで曲率概念を特徴づけ、これにより曲率概念を多様体に内在的な幾何学的な意味付けを与える。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 306, "tag": "p", "text": "まず記号を定義する。これまで通り ∇ {\\displaystyle \\nabla } をベクトルバンドル π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} の接続とし、 U ∈ R 2 {\\displaystyle U\\in \\mathbb {R} ^{2}} を R 2 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{2}} の原点Oの開近とし、Uの元を成分で ( x , y ) {\\displaystyle (x,y)} と表し、 ξ : U → M {\\displaystyle \\xi ~:~U\\to M} を埋め込みとし、M上のベクトル場X、Yを", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 307, "tag": "p", "text": "とする。 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} を R 2 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{2}} 上の以下のような閉曲線とする: O ∈ R 2 {\\displaystyle O\\in \\mathbb {R} ^{2}} から t {\\displaystyle t} だけ右に動き、 t {\\displaystyle t} だけ上に動き、 t {\\displaystyle t} だけ左に動き、 t {\\displaystyle t} だけ下に動く。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 308, "tag": "p", "text": "このとき ξ ∘ c ( t ) {\\displaystyle \\xi \\circ c(t)} に沿って、 ξ ( O ) {\\displaystyle \\xi (O)} のファイバー E φ ( O ) {\\displaystyle E_{\\varphi (O)}} の元eを平行移動したものは、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 309, "tag": "p", "text": "に等しい。ここで e ′ ∈ E {\\displaystyle e'\\in E} に対し、 Φ X t ( e ′ ) {\\displaystyle \\Phi _{X}^{t}(e')} 、 Φ Y t ( e ′ ) {\\displaystyle \\Phi _{Y}^{t}(e')} はそれぞれ π ( e ′ ) {\\displaystyle \\pi (e')} からX、Yの積分曲線に沿ってtだけ進むのに合わせて e ′ ∈ E {\\displaystyle e'\\in E} を平行移動したものである。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 310, "tag": "p", "text": "定理 (ホロノミーによる曲率の特徴づけ) ― 次が成立する:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 311, "tag": "p", "text": "すなわち、曲率 R ( X , Y ) {\\displaystyle R(X,Y)} は、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 312, "tag": "p", "text": "により特徴づけられる。よって直観的には曲率 R ( X , Y ) {\\displaystyle R(X,Y)} は(X、Yが可換になるように拡張した場合に)X、Yが定める平行移動の非可換度合いを表している。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 313, "tag": "p", "text": "本節では共変外微分の概念を導入し、この概念を用いて曲率概念を特徴づける。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 314, "tag": "p", "text": "まず共変外微分の概念を導入する。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 315, "tag": "p", "text": "π : E → M {\\displaystyle \\pi ~:~E\\to M} をベクトルバンドルとし、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 316, "tag": "p", "text": "をEの接続とし、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 317, "tag": "p", "text": "とする。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 318, "tag": "p", "text": "定義 (共変外微分) ―", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 319, "tag": "p", "text": "を", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 320, "tag": "p", "text": "を満たすように定義し、 d ∇ p {\\displaystyle d_{\\nabla }^{p}} を共変外微分(英: covariant exterior differentiation)という。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 321, "tag": "p", "text": "共変外微分がwell-definedである事の証明は省略する。紛れがなければ添字のpを省略し、 d ∇ {\\displaystyle d_{\\nabla }} と書く。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 322, "tag": "p", "text": "共変外微分は以下を満たす:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 323, "tag": "p", "text": "定理 ―", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 324, "tag": "p", "text": "共変外微分は通常の外微分と違い、", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 325, "tag": "p", "text": "となるとは限らない。しかし", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 326, "tag": "p", "text": "となるので、 s ∈ Γ ( E ) = A 0 ( E ) {\\displaystyle s\\in \\Gamma (E)={\\mathcal {A}}^{0}(E)} に対して d ∇ d ∇ s {\\displaystyle d_{\\nabla }d_{\\nabla }s} が分かれば一般の s ⊗ ω {\\displaystyle s\\otimes \\omega } に対して d ∇ d ∇ ( s ⊗ ω ) {\\displaystyle d_{\\nabla }d_{\\nabla }(s\\otimes \\omega )} が計算できる事になる。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 327, "tag": "p", "text": "実は d ∇ d ∇ s {\\displaystyle d_{\\nabla }d_{\\nabla }s} は曲率に一致する事が知られている:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 328, "tag": "p", "text": "定理 (共変外微分による曲率の特徴づけ) ― 任意の s ∈ Γ ( E ) {\\displaystyle s\\in \\Gamma (E)} と任意の X , Y ∈ X ( M ) {\\displaystyle X,Y\\in {\\mathfrak {X}}(M)} に対し、以下が成立する(リッチの恒等式(英: Ricci's identity))。", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 329, "tag": "p", "text": "なお、すでに述べたように d ∇ d ∇ {\\displaystyle d_{\\nabla }d_{\\nabla }} は0になるとは限らないが、 d ∇ d ∇ d ∇ {\\displaystyle d_{\\nabla }d_{\\nabla }d_{\\nabla }} は必ず0になる事が知られており、この事実はビアンキの第二恒等式と同値である:", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 330, "tag": "p", "text": "定理 ― 任意の s ∈ Γ ( E ) {\\displaystyle s\\in \\Gamma (E)} に対し、以下が成立する(ビアンキの第二恒等式(英: Bianchi's identity)):", "title": "曲率" }, { "paragraph_id": 331, "tag": "p", "text": "これまで本項では共変微分∇を用いて接続概念を考察してきたが、 実はむしろωから接続概念を定義したほうが、数学的に有利である事が示唆される。その理由は2つある。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 332, "tag": "p", "text": "第一に、リーマン多様体であれば∇から定義される曲率テンソルを使って記述できた恒等式、例えば(第二)構造方程式や(第二)ビアンキ恒等式は、一般のベクトルバンドルではωを使わないと記述できない(曲率の章を参照)。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 333, "tag": "p", "text": "", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 334, "tag": "p", "text": "", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 335, "tag": "p", "text": "第二に、接続概念において重要な役割を果たす平行移動の概念は接続形式ωと強く関係しており、ベクトルバンドル E → M {\\displaystyle E\\to M} の底空間Mの曲線 c ( t ) {\\displaystyle c(t)} に沿って定義された局所的な基底 ( e 1 ( t ) , ... , e m ( t ) ) {\\displaystyle (e_{1}(t),\\ldots ,e_{m}(t))} をtで微分したものが接続形式 ω ( d c d t ( 0 ) ) {\\displaystyle \\omega ({\\tfrac {dc}{dt}}(0))} に一致する。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 336, "tag": "p", "text": "よって特に∇がEの計量と両立する接続の場合、∇による平行移動は回転変換、すなわち S O ( n ) {\\displaystyle SO(n)} の元なので、その微分である接続形式ωは S O ( n ) {\\displaystyle SO(n)} のリー代数 s o ( n ) {\\displaystyle {\\mathfrak {so}}(n)} の元、すなわち歪対称行列である。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 337, "tag": "p", "text": "", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 338, "tag": "p", "text": "このように接続形式を用いるとベクトルバンドルの構造群(上の例では S O ( n ) {\\displaystyle SO(n)} )が接続形式の構造をリー群・リー代数対応により支配している事が見えやすくなる。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 339, "tag": "p", "text": "上では回転群 S O ( m ) {\\displaystyle \\mathrm {SO} (m)} の場合を説明したが、 G L n ( C ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} _{n}(\\mathbb {C} )} (を自然に G L 2 n ( R ) {\\displaystyle \\mathrm {GL} _{2n}(\\mathbb {R} )} の部分群とみなしたもの)や U n ( C ) {\\displaystyle \\mathrm {U} _{n}(\\mathbb {C} )} 、物理学で重要なシンプレクティック群やスピン群に対しても同種の性質が証明でき、接続形式がリー群・リー代数対応により支配されている事がわかる。", "title": "一般の接続へ" }, { "paragraph_id": 340, "tag": "p", "text": "こうした事実は接続概念を直接リー群と接続形式とで記述する方が数学的に自然である事を示唆する。リー群の主バンドルの接続はこのアイデアを定式化したもので、主バンドルの接続は接続形式に相当するものを使って定義される。詳細は接続 (ファイバー束)の項目を参照されたい。", "title": "一般の接続へ" } ]
ベクトルバンドルの接続とは、微分幾何学の概念で、接ベクトルバンドルやより一般のベクトルバンドルに微分概念を定義する演算子である。接続に定義される微分概念を共変微分という。 接続および共変微分の概念は元々リーマン多様体上のベクトル場の微分を定義するために導入されたもので、この接続をレヴィ-チヴィタ接続という。一般の接続概念はレヴィ=チヴィタ接続の満たす性質を自然に一般のベクトルバンドル拡張する事で得られる。 接続によって定まる重要な概念の一つとして平行がある。これは与えられたベクトル場の与えられた曲線に沿った共変微分が0になる、という趣旨の概念で、曲線に沿って平行なベクトル場X(あるいはより一般にベクトルバンドルの切断)により、曲線の起点PにおけるベクトルXPが曲線の終点曲線の起点QにおけるベクトルXQに平行移動されたとみなす。 これにより、(何ら構造が定義されていない)多様体では無関係なはずの点PにおけるベクトルXPと点QにおけるベクトルXQにおけるベクトルを「接続」して関係づけて考える事ができる。 接続によって定まるもう一つの重要概念として曲率があり、これはベクトルバンドルの「曲がり具合」を表している。特に接ベクトルバンドルの曲率は多様体それ自身の「曲がり具合」とみなせる。曲率概念は歴史的には3次元ユークリッド空間 R 3 内の曲面に対して定義されたものだが、実は「外の空間」である R 3 がなくても定義できる曲面に内在的な量である事が示されたので、これを一般のリーマン多様体(の接ベクトルバンドル)、さらには一般のベクトルバンドルに対して拡張したものである。多様体に内在的な量としてみなしたとき、曲率の幾何学的意味は、閉曲線に沿ってベクトルを一周平行移動したとき、もとのベクトルとどの程度ずれるかを測った量であるとみなせる。 接続概念はゲージ理論やチャーン・ヴェイユ理論で用いられる。特にチャーン・ヴェイユ理論の特殊ケースとして、曲面に関する古典的なガウス・ボンネの定理を一般の偶数次元多様体に拡張するのに役立つ。
{{Pathnavbox| * {{Pathnav|[[数学]]|[[幾何学]]|[[多様体論]]|[[微分幾何学]]|[[接続 (微分幾何学)|接続]]}} }} {{otheruses|ベクトルバンドルの接続概念|微分幾何学における接続全般に関する説明|[[接続 (微分幾何学)]]|カルタン接続|カルタン幾何学|その他の用法|接続}} ベクトルバンドルの'''接続'''(せつぞく、{{lang-en-short|connection}})とは、[[微分幾何学]]の概念で、[[接束|接ベクトルバンドル]]やより一般の[[ベクトル束|ベクトルバンドル]]に[[微分]]概念を定義する演算子である。接続に定義される微分概念を'''[[共変微分]]'''という。 接続および共変微分の概念は元々リーマン多様体上のベクトル場の微分を定義するために導入されたもので、この接続を'''[[レヴィ・チヴィタ接続|レヴィ-チヴィタ接続]]'''という。一般の接続概念はレヴィ-チヴィタ接続の満たす性質を自然に一般のベクトルバンドル拡張する事で得られる。 接続によって定まる重要な概念の一つとして'''平行'''がある。これは与えられたベクトル場の与えられた曲線に沿った共変微分が{{mvar|0}}になる、という趣旨の概念で、曲線に沿って平行なベクトル場{{mvar|X}}(あるいはより一般にベクトルバンドルの切断)により、曲線の起点{{mvar|P}}におけるベクトル{{mvar|X{{sub|P}}}}が曲線の終点曲線の起点{{mvar|Q}}におけるベクトル{{mvar|X{{sub|Q}}}}に'''平行移動'''されたとみなす。 これにより、(何ら構造が定義されていない)多様体では無関係なはずの点{{mvar|P}}におけるベクトル{{mvar|X{{sub|P}}}}と点{{mvar|Q}}におけるベクトル{{mvar|X{{sub|Q}}}}におけるベクトルを「接続」して関係づけて考える事ができる。 接続によって定まるもう一つの重要概念として'''[[曲率]]'''があり、これはベクトルバンドルの「曲がり具合」を表している。特に接ベクトルバンドルの曲率は多様体それ自身の「曲がり具合」とみなせる。曲率概念は歴史的には3次元ユークリッド空間<math>\mathbb{R}^3</math>内の曲面に対して定義されたものだが、実は「外の空間」である<math>\mathbb{R}^3</math>がなくても定義できる[[Theorema Egregium|曲面に内在的な量である事が示された]]ので、これを一般のリーマン多様体(の接ベクトルバンドル)、さらには一般のベクトルバンドルに対して拡張したものである。多様体に内在的な量としてみなしたとき、曲率の幾何学的意味は、閉曲線に沿ってベクトルを一周平行移動したとき、もとのベクトルとどの程度ずれるかを測った量であるとみなせる。 接続概念は[[ゲージ理論]]や[[チャーン・ヴェイユ理論]]で用いられる。特にチャーン・ヴェイユ理論の特殊ケースとして、曲面に関する古典的な[[ガウス・ボネの定理|ガウス・ボンネの定理]]を[[一般ガウス・ボネの定理|一般の偶数次元多様体に拡張]]するのに役立つ。 == 準備 == === 切断とその性質 === 接続の概念を定義するため、ベクトルバンドル関連の概念をいくつか定義する。{{math theorem|定義|<math>\pi~:~E \to M</math>を可微分多様体{{mvar|M}}上の可微分なベクトルバンドルとする。可微分な写像<math>s~:~M \to E</math>で : <math>\pi(s(x))=x</math> for <math>\forall x\in M</math> を満たすものを{{mvar|E}}の[[断面 (位相幾何学)|'''切断''']]({{Lang-en-short|section}})という。{{mvar|E}}の切断全体の集合を<math>\Gamma(M,E)</math>あるいは単に<math>\Gamma(E)</math>と表記する。|note=接続}} 定義から分かるように、'''接バンドル{{Mvar|TM}}の切断の概念は、{{Mvar|M}}のベクトル場の概念に一致する'''。よって{{Mvar|M}}上のベクトル場全体の集合<math>\mathfrak{X}(M)</math>は<math>\Gamma(TM)</math>に一致する<ref>[[#Tu]] p.52.</ref>。 可微分多様体{{Mvar|M}}上の可微分な2つのベクトルバンドル<math>\pi_1~:~ E_1 \to M</math>、<math>\pi_2~:~ E_2 \to M</math>に対し、写像 : <math>\alpha ~:~ \Gamma(E_1) \to \Gamma(E_2) </math> を考える。{{math theorem|定義|  : <math>\alpha(a s + b s')=a\alpha(s)+b\alpha(s')</math> for <math>\forall a,b \in \mathbb{R}</math>、<math>\forall s,s' \in \Gamma(E_1)</math> を満たすとき、{{mvar|α}}は<math>\mathbb{R}</math>-'''線形'''であるという<ref name="Tu49">[[#Tu]] p.49.</ref>。また : <math>\alpha(f s + g s')=f\alpha(s)+g\alpha(s')</math> for <math>\forall f,g \in C^{\infty}(M)</math>、<math>\forall s,s' \in \Gamma(E_1)</math> を満たすとき、{{mvar|α}}は<math>C^{\infty}(M)</math>-'''線形'''であるという<ref name="Tu49" />。}}{{math theorem|定義|任意の開集合<math>U \subset M</math>および任意の<math>s \in \Gamma(E_1)</math>に対し、 : <math>s|_U =0 \Rightarrow \alpha(s)|_U=0</math> が成立するとき、{{mvar|α}}は'''局所演算子'''({{lang-en-short|local operator}})であるという<ref name="Tu53">[[#Tu]] p.53.</ref>。 また任意の<math>P\in M</math>および任意の<math>s \in \Gamma(E_1)</math>に対し、 : <math>s|_P=0 \Rightarrow \alpha(s)|_P=0</math> となるとき、{{mvar|α}}は'''点演算子'''({{lang-en-short|point operator}})であるという<ref name="Tu53" />。}}実は次が成立する:{{math theorem|定理{{Anchors|点演算子の特徴づけ}}|以下の4つは同値である<ref>1⇒2は[[#Tu]] p.56、2⇒1は自明。1⇔3は[[#Tu]] p.58。3⇔4は自明。</ref>。: # {{mvar|α}}は<math>C^{\infty}(M)</math>-線形である # {{mvar|α}}は点演算子である # あるバンドル写像<math>\varphi~:~E_1\to E_2</math>が存在し、任意の<math>P \in M</math>に対し、<math>\alpha(s)|_P =\varphi_P(s)</math> # {{mvar|M}}の各点{{mvar|P}}に<math>E_1{}^* \otimes E_2</math>の元を対応させるテンソル場{{mvar|η}}が存在し、<math>\alpha(s)|_P =\eta_P(s)</math> }}また次が成立する:{{math theorem|定義・定理|{{mvar|α}}が局所演算子であるとする。このとき{{mvar|M}}の任意の開集合{{mvar|U}}に対し、<math>\alpha^U~:~\Gamma(U,E) \to \Gamma(U,E)</math>で : <math>\alpha^U(s|_U)=\alpha(s)|_U</math> for <math>\forall s \in \Gamma(E)</math> を満たすものが一意に存在する<ref name="Tu55">[[#Tu]] p.55</ref>。<math>\alpha^U</math>と書き、{{mvar|α}}の{{mvar|U}}への'''制限'''({{lang-en-short|restriction}})という<ref name="Tu55" />。}} === レヴィ-チヴィタ接続 === {{Main|レヴィ・チヴィタ接続}} 一般のベクトルバンドルに対する接続を定義するため、レヴィ-チヴィタ接続について簡単に振り返る。 {{Mvar|M}}を<math>\mathbb{R}^n</math>の部分多様体とし、{{Mvar|X}}、{{Mvar|Y}}を{{Mvar|M}}上のベクトル場とするとき、 :<math> \nabla_X Y := \Pr\left( {d \over dt}Y_{\exp(tX)}\Bigg|_{t=0}\right) </math> により定義する。ここで<math>\exp(tX)(u)</math>は時刻{{Mvar|0}}に点<math>u \in M</math>を通る{{Mvar|X}}の積分曲線である。実はこれらの量は{{Mvar|M}}の内在的な量である事、すなわち<math>\mathbb{R}^n</math>から{{Mvar|M}}に誘導される[[計量テンソル|リーマン計量]](とその偏微分)のみから計算できる事が知られている。 そこで<math>\nabla_XY</math>をリーマン多様体<math>(M,g)</math>に内在的な値とみなしたものを考える事ができる。この<math>\nabla_XY</math>は以下の公理で特徴づけられる事が知られている: {{math theorem|定理|{{mvar|M}}上のベクトル場の組に{{mvar|M}}上のベクトル場を対応させる汎関数{{mvar|∇}}で以下の5つの性質をすべて満たすものが唯一存在する<ref>[[#Andrews]] Lecture 10, p.2.</ref><ref>[[#Tu]] p.45.</ref>。このを<math>(M,g)</math>の[[レヴィ・チヴィタ接続|'''レヴィ-チヴィタ接続''']]といい、<math>\nabla_XY</math>をレヴィ-チヴィタ接続から定まる{{Mvar|Y}}の{{Mvar|X}}による'''共変微分'''という<ref>[[#Andrews]] Lecture 8 p.74, Lecture 10 p.98.</ref><ref>[[#新井]] p.304.</ref><ref>[[#Tu]] p.45.</ref>: # <math>\nabla_{X}s</math>は{{mvar|X}}に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形 # <math>\nabla_{X}s</math>は{{mvar|s}}に関して<math>\mathbb{R}</math>-線形 # <math>\nabla_X(fY) = X(f)Y + f\nabla_X Y</math> # <math>\nabla_XY-\nabla_YX=[X,Y]</math> # <math>Z(g(X,Y))=g(\nabla_ZX,Y)+g(X,\nabla_Z Y)</math>|note='''[[リーマン幾何学の基本定理]]'''{{Anchors|リーマン幾何学の基本定理}}}} ここで''{{mvar|X}}''、''{{mvar|Y}}''、''{{mvar|Z}}''は''{{mvar|M}}''上の任意の可微分なベクトル場であり、''{{mvar|f}}''、''{{mvar|g}}''は''{{mvar|M}}''上定義された任意の実数値{{Mvar|C{{sup|∞}}}}級関数であり、''{{mvar|a}}''、''{{mvar|b}}''は任意の実数であり、<math>fY</math>は点<math>u \in M</math>において<math>f(u)Y_u</math>となるベクトル場であり、<math>X(f)</math>は''{{mvar|f}}''の''{{mvar|X}}''方向微分であり、<math>[X,Y]</math>は{{仮リンク|リー括弧|en|Lie bracket of vector fields}}である。 具体的には局所座標<math>(x^1,\ldots,x^m)</math>を使って、<math>X = X^j\tfrac{\partial}{\partial x^j} </math>、 : <math>\nabla_X Y=\left(X^j{\partial Y^i \over \partial x^j} + X^jY^k \Gamma^i_{jk}\right){\partial \over \partial x^i}</math> :    where <math> \Gamma^i_{jk} = \frac{1}{2} g^{i\ell} \left( {\partial g_{k\ell}\over \partial x^j} + {\partial g_{\ell j}\over \partial x^k} - {\partial g_{jk}\over \partial x^{\ell}} \right) </math> と書ける。<math>\Gamma^i{}_{jk}</math>を局所座標<math>(x^1,\ldots,x^m)</math>に関する'''[[クリストッフェル記号]]'''という。 == ベクトルバンドルの接続 == レヴィ-チヴィタ接続の概念を一般化したものとして、[[ベクトル束|ベクトルバンドル]]に対する'''接続'''の概念がある。接続の概念は[[ゲージ理論]]や[[チャーン・ヴェイユ理論]]で重要な役割を果たす。本項では、議論の一般性を確保するために接続の概念を導入するが、あくまでレヴィ-チヴィタ接続やそこから誘導される接続を主軸として話を進める。 ===定義=== <math>\pi~:~E\to M</math>を可微分多様体{{mvar|M}}上の可微分な実ベクトルバンドルとし({{mvar|E}}、{{mvar|M}}のいずれにもリーマン計量が入っているとは限らない)、<math>\Gamma(E)</math>を{{Mvar|E}}の切断全体の集合とし、<math>\mathcal{X}(M):=\Gamma(TM)</math>を{{mvar|M}}上のベクトル場全体の集合とする。 接続は前述した[[#リーマン幾何学の基本定理|レヴィ-チヴィタ接続の公理的特徴づけ]]の5つの性質のうち3つを使って定義される: {{math theorem|定義|汎関数 : <math>\nabla~:~(X,s)\in \mathfrak{X}(M) \times \Gamma(E) \mapsto \nabla_Xs \in \Gamma(E)</math> で以下の性質を満たすものを{{mvar|E}}上の'''Koszul接続'''{{refn|group="注"|人名「Koszul」を「コシュール」と訳している文献<ref>{{Cite journal|和書|author=板場綾子 |date=2018-04 |url=https://hdl.handle.net/2433/241849 |title=自己移入的Koszul多元環に対する有限条件(Fg) (有限群のコホモロジー論とその周辺) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=2061 |page=33 |hdl=2433/241849 |naid=120006645349 |CRID=1050001202603941760}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://marine.shinshu-u.ac.jp/~kuri/ALG_TOP2015/Algebraic_and_Geometric_Models_for_Spaces_and_Related_Topics_2015_files/15_Model_Matsuoka.pdf |title=Koszul duality for factorization algebras and extended topological field theories |access-date=2023/10/19}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.f.waseda.jp/homma_yasushi/homma2/download/Einstein-kougi20200803.pdf |title=2020年度 幾何学 B アインシュタイン計量の幾何学 -リーマン幾何学入門とアインシュタイン計量の幾何学への応用- |access-date=2023/10/19 |page=75}}</ref>があるため、「コシュール接続」と読むと思われるが、「コシュール接続」と訳した文献を発見できなかったので本項では「Koszul接続」と表記した。なお、Wikipediaの英語版には「{{IPA-fr|kɔsyl|lang}}」とある。}}({{lang-en-short|Koszul connection}})<ref>[[#Spivak]] p.241.</ref><ref>{{Cite web |url=https://empg.maths.ed.ac.uk/Activities/Spin/Lecture5.pdf |title=Lecture 5: Connections on principal and vector bundles |access-date=2023/01/12 |page=40 |author=José Figueroa-O'Farrill |work=PG course on Spin Geometry}}</ref>あるいは単に'''接続'''({{lang-en-short|connection}})といい<ref>[[#森田]] p.213.</ref><ref>[[#Tu]] p.72.</ref>、<math>\nabla_Xs </math>を接続<math>\nabla</math>が定める{{mvar|s}}の{{mvar|X}}方向の'''共変微分'''という: # <math>\nabla_{X}s</math>は{{mvar|X}}に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形 # <math>\nabla_{X}s</math>は{{mvar|s}}に関して<math>\mathbb{R}</math>-線形 # <math>\nabla_X(fs) = X(f)s + f\nabla_X s</math> (ライプニッツ則) {{mvar|M}}の接ベクトルバンドル{{mvar|TM}}の接続の事を特に'''アフィン接続'''({{lang-en-short|affine connection}})という<ref>[[#小林]] p.76.</ref>。 |note=接続}} ここで{{mvar|X}}は{{Mvar|M}}上の任意のベクトル場であり、{{mvar|s}}は{{mvar|E}}の任意の切断であり、{{mvar|f}}は{{mvar|M}}上定義された任意の実数値可微分関数であり、<math>fX</math>は点{{mvar|P}}において<math>f(P)X_P</math>となるベクトル場であり、<math>X(f)</math>は{{mvar|f}}の{{mvar|X}}方向微分である。明らかにレヴィ-チヴィタ接続はアフィン接続である なお、Koszul接続の事を'''線形接続'''({{lang-en-short|linear connection}})と呼ぶ文献<ref>[[#Wendl3]] p.76.</ref><ref>[[#Kolar]] p.109.</ref>もあるが、この言葉をアフィン接続の意味で用いている文献<ref>[[#Koszul]] p.78.</ref>や、接バンドルの{{仮リンク|枠束|en|frame bundle|label=フレームバンドル}}上の[[接続 (微分幾何学)#主接続の節|接続]]の意味で用いている文献<ref>[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.119</ref><ref>{{cite web|url=https://encyclopediaofmath.org/wiki/Linear_connection|title=Linear connection|website=Encyclopedia of Mathematics|access-date=2023/10/17}}</ref>{{refn|group="注"|[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.119では上述のように「線形接続」という言葉を接バンドルのフレームバンドル上の接続の意味で用いているが、p.129では「線形接続」がアフィン接続と1対1対応するのでアフィン接続と実質的に等価であるものの、必要に応じてこれらの言葉を使い分ける旨を述べている。一方、{{cite web|url=https://encyclopediaofmath.org/wiki/Linear_connection|title=Linear connection|website=Encyclopedia of Mathematics|access-date=2023/10/17}}ではアフィン接続が接バンドルのフレームバンドルに定める接続の意味で用いているが、上述のようにこれはアフィン接続と1対1対応する。}}もあるので注意が必要である。 また'''アフィン接続'''という名称ではあるが、この接続に関する事項、例えば平行移動は線形変換になり、(線形変換以外の)アフィン変換にはならない。この名称は、この接続をカルタン接続とみなしたときにアフィン空間をモデルとするカルタンの幾何学とみなせる事による。詳細は[[カルタンの幾何学]]の項目を参照されたい。 {{Mvar|E}}に計量{{Mvar|g}}が定義されているときには、以下の概念を定義できる:{{math theorem|定義|{{mvar|E}}の任意の切断{{mvar|s{{sub|1]}}}}、{{mvar|s{{sub|2]}}}}に対し :<math>Xg(s_1, s_2)=g(\nabla_Xs_1, s_2)+g(s_1, \nabla_X s_2) </math> が成立する場合、<math>\nabla</math>はリーマン計量{{Mvar|g}}と'''両立'''する({{Lang-en-short|compatible with}} {{Mvar|g}})といい、<math>\nabla</math>は'''{{仮リンク|計量接続|en|metric connection}}'''({{Lang-en-short|metric connection}})であるという<ref>[[#Tu]] p.75.</ref>。 |note=リーマン計量と両立する接続|}}また、<math>E=TM</math>の場合、すなわち{{Mvar|∇}}が多様体{{Mvar|M}}上のアフィン接続である場合は以下のテンソルを定義できる:{{math theorem|定義|  : <math>T_{\nabla}(X,Y):=\nabla_XY-\nabla_YX-[X,Y]</math> を'''[[捩率テンソル]]'''という。 |note=捩率テンソル{{Anchors|捩率テンソルの定義}}}}捩率テンソルの詳細は[[#捩率テンソルの節|後の節で]]述べる。 [[#リーマン幾何学の基本定理|リーマン幾何学の基本定理]]から、レヴィ-チヴィタ接続とは、(唯一の)捩れなしの計量アフィン接続として特徴づけられる。 ライプニッツ則を用いると、以下を示す事ができる:{{math theorem|定理|接続<math>\nabla_Xs</math>は{{mvar|s}}に関して局所演算子である。}}{{math proof|{{mvar|s}}が{{mvar|M}}の開集合{{mvar|U}}上で{{mvar|0}}であるとする。任意に<math>P \in U</math>をfixし、{{mvar|P}}の近傍<math>V_P \subset U</math>と<math>C^{\infty}</math>級関数<math>\varphi</math>で、 :<math>\varphi(Q)= \begin{cases} 0 & \text{ if } Q \in V_P\\ 1 & \text{ if } Q \notin U \end{cases} </math> となるものを選ぶ。(このような関数の存在性に関しては[[隆起関数]]の項目を参照)。 すると<math>\varphi</math>の定義から、<math>s_Q=\varphi(Q)s_Q</math> for <math>\forall Q \in M</math>であるので、 : <math>\nabla_X s = \nabla_X \varphi s = X \varphi + \varphi \nabla_X s</math> である。<math>\varphi</math>の定義より、<math> X \varphi|_P = \varphi(P) \nabla_X s|P =0</math>なので、<math>\nabla_X s|_P=0 </math>が任意の<math>P \in U</math>に対して成立し、これは<math>\nabla_Xs</math>が{{mvar|s}}に関して局所演算子である事を意味する。|drop=yes}} ====別定義==== <math>\nabla_{X}s</math>は{{mvar|X}}に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形であり、したがって点{{mvar|P}}における値<math>\nabla_{X}s|_P</math>が{{mvar|X}}の{{mvar|P}}における値{{mvar|X{{sub|P}}}}のみから決まる。この事に着目すると、接続を若干違った角度から定式化できる。これを見るため、{{Mvar|E}}に値を取る線形写像<math>\nabla s |_P</math>を : <math>\nabla s|_P ~:~ X_P \in TM \mapsto \nabla_{X_P} s|_P \in E </math> と定義すると、余接ベクトル空間{{Mvar|T{{sup|*}}M}}の定義から、 : <math>\nabla s|_P \in (T^*M \otimes E)_P </math> とみなせる。そこで{{Mvar|M}}の各点{{Mvar|P}}に<math>\nabla s|_P \in (T^*M \otimes E)_P </math>を対応させる切断 : <math>\nabla s~:~P\in M \mapsto \nabla s|_P \in (T^*M \otimes E)_P </math> を考える事ができる。よって接続<math>\nabla</math>は、{{Mvar|E}}の切断{{Mvar|s}}に<math>T^*M \otimes E </math>の切断を対応させる写像 : <math>\nabla :~\Gamma(E) \to \Gamma(T^*M \otimes E) </math> とみなせる。この事実を用いると、接続<math>\nabla</math>を以下のようにも定義できる:{{math theorem|定義|<math>\mathbb{R}</math>-線形写像 : <math>\nabla~:~\Gamma(E) \to \Gamma(T^*M \otimes E)</math> で以下の性質を満たすものを{{mvar|E}}上の'''接続'''({{lang-en-short|connection}})という<ref>[[#小林]] p.37.</ref>: # <math>\nabla fs = df \otimes s + f \nabla s</math> |note=接続の別定義{{Anchors|接続の余接空間を使った定義}}}}上記の2つの定義は同値であるが、後者は{{mvar|X}}を明示しない分数学的取り扱いが若干楽になる場合が多い。 === 接続形式 === <math>(e_1,\ldots,e_m)</math>を開集合<math>U \subset M</math>上で定義された{{mvar|E}}の局所的な基底とする。接続<math>\nabla_Xs</math>は{{mvar|s}}に関して局所演算子であったので、<math>\nabla</math>の{{Mvar|U}}への制限<math>\nabla^U</math>を考える事ができる。以下、紛れがなければ<math>\nabla^U</math>の事を単に<math>\nabla</math>と書く。 {{Mvar|X}}を{{Mvar|M}}上のベクトル場とし、<math>s = s^je_j</math>を{{mvar|E}}の切断とすると、接続の定義から : <math>\nabla_X s =X(s^j)e_j + s^j \nabla_X e_j</math> である。この式は、共変微分<math>\nabla_Xs = \nabla_X(s^je_j) </math>に[[積の微分法則|ライプニッツ則]]を適用して係数部分の微分<math>X(s^j)e_j</math>と基底部分の微分<math>s^j \nabla_X e_j</math>の和として表現したものと解釈できる。 そこで以下のような定義をする: {{math theorem|定義|行列<math>\omega(X)</math>を : <math>(\nabla_X e_1,\ldots, \nabla_X e_m)=(e_1,\ldots,e_m)\omega(X)</math> により定義し、{{Mvar|X}}に<math>\omega(X)</math>を対応させる行列値の[[微分形式|1-形式<math>\omega=(\omega^i{}_j)_{ij}</math>]]を局所的な基底<math>(e_1,\ldots,e_m)</math>に関する接続{{mvar|∇}}の'''接続形式'''({{Lang-en-short|connection form}})という<ref>[[#小林]] p.38.</ref>{{refn|group="注"|成分<math>\omega^i{}_j</math>接続形式といい、{{Mvar|ω}}を'''接続行列'''({{lang-en-short|connection matrix}})と呼ぶ場合もある<ref>[[#Tu]] p.80.</ref>。}} |note=接続形式}} 定義から明らかに、 : <math>\nabla_X s =X(s^j)e_j + s^j \omega^i{}_j(X) e_i</math> である。 さらに<math>\omega^i{}_j</math>を成分で、 {{Equation box 1 |indent=: |equation=<math>\omega^i{}_j=\Gamma_{kj}^i dx^k</math> |cellpadding = 6 |border = 1 |border colour = black|background colour=white}} と表記すると、 :<math> \nabla_Xs= \left(X^k{\partial s^i\over \partial x^k} + X^ks^j\Gamma_{kj}^i\right)e_i </math> とレヴィ-チヴィタ接続のときと同様の成分表示が得られる。<math>\Gamma_{kj}^i</math>を(局所座標<math>x=(x^1,\ldots,x^m)</math>と局所的な基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>に関する)'''接続係数'''({{Lang-en-short|connection coefficient}})<ref>[[#Andrews]] Lecture 8 p.74.</ref>、あるいはレヴィ-チヴィタ接続の場合の名前を流用し、'''クリストッフェル記号'''という<ref>[[#Tu]] p.100.</ref>。 === 捩率テンソル{{Anchors|捩率テンソルの節}} === {{main|捩率テンソル}} 本節ではアフィン接続 : <math>\nabla~:~\mathfrak{X}(M) \times \mathfrak{X}(M) \to \mathfrak{X}(M)</math> に対し、[[#捩率テンソルの定義|先に定義した]]捩率テンソル : <math>T_{\nabla}(X,Y):=\nabla_XY-\nabla_YX-[X,Y]</math> の性質を述べる。 ==== 意味づけ ==== 「捩率」という名称に関しては[[:en:Loring W. Tu|Loring W. Tu]]によれば「<math>T_{\nabla}(X,Y)</math>を「捩率」と呼ぶうまい理由は無いように見える」<ref>原文"There does not seem to be a good reason for calling <math>T(X,Y)</math> the torsion."。[[#Tu]] p.44.</ref>が、このテンソルには以下のような意味付けが可能である。 なめらかな任意の写像<math>\alpha~:~U \subset \mathbb{R}^2 \to M</math>に対し、リー括弧の性質より<math>[\tfrac{\partial}{\partial x}\alpha,\tfrac{\partial}{\partial y}\alpha]=0</math>であることから、<math>\tfrac{\nabla}{\partial x}:=\nabla_{\tfrac{\partial}{\partial x}}</math>とすると、 : <math>T_{\nabla}(\tfrac{\partial}{\partial x}\alpha,\tfrac{\partial}{\partial y}\alpha) = \tfrac{\nabla}{\partial x}\tfrac{\partial}{\partial y}\alpha - \tfrac{\nabla}{\partial y}\tfrac{\partial}{\partial x}\alpha</math> が成立する事を示せる。すなわち'''捩率テンソルは2つの微分の非可換度合いを表す量である'''<ref>[[#Wendl4]] p.101.</ref>。 また(アフィン空間をモデルとする)[[カルタン幾何学]]においては上記のものとは異なった意味付けが可能で、(カルタン幾何学の意味での)'''曲率の「並進部分」が捩率に対応'''している。詳細は[[カルタン幾何学#曲率の分解の節]]および[[捩率テンソル#カルタン幾何学の章]]を参照されたい。 ==== 性質 ==== 捩率テンソルの性質を見る。 {{math theorem|定理|捩率テンソルは以下を満たす<ref>[[#Tu]] p.44.</ref>: * <math>T_{\nabla}(X,Y)=-T_{\nabla}(Y,X)</math> * <math>T_{\nabla}(X,Y)</math>は{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}双方に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形である。}}ここで{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}は{{mvar|M}}上の任意の可微分なベクトル場である。 上述の定理と[[#点演算子の特徴づけ|前に述べた定理]]から、以下の系が従う: {{math theorem|系|捩率テンソルはバンドル写像<math>TM \times TM \to TM</math>であるとみなせる。}} 接続<math>\nabla</math>と捩率テンソルも局所座標で : <math>\nabla_Xs = \left(X^{\ell}{\partial s^i\over \partial x^{\ell}} + X^js^k\Gamma_{jk}^i\right){\partial \over \partial x^i} </math> : <math>T_{\nabla}(X,Y)=T^i_{jk}X^jY^k{\partial \over \partial x^i}</math> と書くとき、次が成立する<ref name="Tu100">[[#Tu]] p.100.</ref><ref>[[#Wendl4]] p.102.</ref>: {{math theorem|定理|任意の{{mvar|i}}、{{mvar|j}}、{{mvar|k}}に対し、 : <math>T^i_{jk}=\Gamma^i_{jk}-\Gamma^i_{kj}</math> }} よって捩率テンソルが恒等的に{{Mvar|0}}になる接続、すなわち'''捩れなし'''({{Lang-en-short|torsion-free}})の場合、{{mvar|Γ{{sup sub|i|jk}}}}は{{mvar|j}}、{{mvar|k}}に対して対象なテンソルになる。このため捩れなしの接続の事を'''対称'''({{Lang-en-short|symmetric}})な接続ともいう<ref name="Tu100" />。 [[外微分]]{{mvar|d}}に対し、次が成立する:{{math theorem|定理|<math>\nabla</math>を多様体{{mvar|M}}の接バンドル{{mvar|TM}}上の接続とするとき、 :<math>\nabla</math>が捩れなし<math>\iff </math>{{mvar|M}}上の任意の[[微分形式|1-形式]]{{mvar|η}}と{{mvar|M}}上の任意のベクトル場{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}に対し、<math>d\eta(X,Y)=\langle \eta,\nabla_XY\rangle - \langle \eta,\nabla_YX\rangle</math> }} {{math proof| : <math>\langle \eta, T_{\nabla}(X,Y)\rangle = \langle \eta, \nabla_XY\rangle -\langle \eta, \nabla_YX\rangle -d\eta(X,Y) </math> であることから従う。 |drop=yes}} すなわち<math>\nabla</math>が捩れなしである事は、<math>\nabla</math>が外微分と「両立」する事と同値である。 == 接続の誘導 == 本節では、あるベクトルバンドル上定義された接続から別のベクトルバンドル上の接続を定義する方法を述べる。その過程でレヴィ-チヴィタ接続のときにも議論した曲線<math>P(t)</math>に沿った共変微分に関しても述べる。 === 引き戻し === これまで同様<math>\nabla</math>を{{mvar|M}}上の可微分なベクトルバンドル<math>\pi~:~E \to M</math>の接続とし、さらに<math>f~:N \to M</math>を可微分多様体{{Mvar|N}}から{{mvar|M}}への可微分な写像とすると、{{Mvar|f}}による{{Mvar|E}}の引き戻し([[:en:Pullback bundle|pullback bundle]]) : <math>\pi'~:f^*(E) \to N</math> を考える事ができる。 {{Mvar|N}}、{{mvar|M}}の局所座標<math>y~:~V \subset N \to \mathbb{R}^u</math>、<math>x~:~U \subset M \to \mathbb{R}^m</math>で、<math>V \subset f^{-1}(U)</math>となるものを選び、さらに{{Mvar|U}}上の{{Mvar|E}}の基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>を選んで接続<math>\nabla</math>を接続形式を使って : <math>\nabla^U s = (ds^i + s^j \omega^i{}_j) \otimes e_i</math> と成分表示する。 {{math theorem|定義|<math>f^*(E)</math>の接続<math>f^*(\nabla)</math>をその{{mvar|V}}への制限<math>f^*(\nabla)^V</math>が : <math>f^*(\nabla)^Vs = (ds^i + s^j f^*(\omega^i{}_j))e_i</math> となるように定義し、<math>\nabla</math>の{{mvar|f}}による'''引き戻し'''({{lang-en-short|pull back}})、{{mvar|f}}によって<math>f^*(E)</math>に'''誘導された接続'''({{lang-en-short|induced connection}})という<ref>[[#小林]] p.41.</ref>。}}<math>f^*(\nabla)</math>がwell-definedな事の証明は省略する。接続係数を使えば、 : <math>f^*(\nabla)^V_Y s = (Y^k{\partial s^i \over \partial y^k} + Y^ks^j {\partial x^{\ell} \over \partial y^k} \Gamma^{i}_{\ell j}) e_i</math> である。 引き戻しの特殊な場合として、{{Mvar|N}}が線分の場合がある。この場合写像<math>P~:~ (0,1) \to M</math>は{{mvar|M}}上の曲線とみなせる。曲線<math>P(t)</math>に沿った切断{{Mvar|s}}に対し、 : <math>{\nabla s\over dt} := f_*\left(f^*(\nabla)_{\tfrac{d}{dt}}f^*(s)\right)</math> を考える事ができる。<math>\tfrac{\nabla}{dt}s </math>を接続<math>\nabla</math>によって定まる'''曲線<math>P(t)</math>に沿った切断{{Mvar|s}}の共変微分'''という。成分で書けば : <math>{\nabla s\over dt} = \left({d s^i\over dt} + {dx^k\over dt}s^j\Gamma_{kj}^i\right)e_i </math> となるので、レヴィ-チヴィタ接続の場合の曲線<math>P(t)</math>に沿った切断{{Mvar|s}}の共変微分の概念の一般化になっている事がわかる。 === 直和・テンソル積への誘導 === 多様体{{Mvar|M}}上の2つのベクトルバンドル{{Mvar|E{{sub|1}}}}、{{Mvar|E{{sub|2}}}}があり、{{Mvar|E{{sub|1}}}}、{{Mvar|E{{sub|2}}}}にはそれぞれ接続<math>\nabla^1</math>、<math>\nabla^2</math>が定義されているとする。このとき、<math>E_1 \oplus E_2</math>上に {{Equation box 1 |indent=: |equation=<math>(\nabla^1\oplus \nabla^2)_X (s_1,s_2):=(\nabla^1_Xs_1,\nabla^2_Xs_2)</math> for <math>X \in TM</math>、 <math>(s_1,s_2) \in \Gamma(E_1 \oplus E_2)</math> |cellpadding = 6 |border = 1 |border colour = black|background colour=white}} により、接続が定義できる<ref name=":0" />。また<math>E_1 \otimes E_2</math>上に {{Equation box 1 |indent=: |equation=<math>(\nabla^1 \otimes \nabla^2)_X s_1\otimes s_2:=\nabla^1_Xs_1 \otimes s_2 + s_1 \otimes \nabla^2_X s_2</math> for <math>X \in TM</math>、 <math>s_1 \otimes s_2 \in \Gamma(E_1 \otimes E_2)</math> |cellpadding = 6 |border = 1 |border colour = black|background colour=white}} により、接続が定義できる<ref name=":0" />。 === 双対バンドルの接続とリーマン計量 === {{Mvar|M}}のベクトルバンドル{{Mvar|E}}に接続<math>\nabla</math>が定義されているとき、{{Mvar|E}}の双対バンドル{{Mvar|E{{sup|*}}}}に以下の性質を満たす接続<math>\nabla^*</math>を定義できる<ref>[[#Wang]] p.4.</ref><ref name=":0">[[#小林]] pp.40-41.</ref>:{{Equation box 1 |indent=: |equation=<math>X\langle \omega, s\rangle=\langle \nabla^*_X\omega, s\rangle+\langle \omega, \nabla_X s\rangle </math> |cellpadding = 6 |border = 1 |border colour = black|background colour=white}} ここで{{mvar|X}}は{{Mvar|M}}上の任意のベクトル場であり、{{mvar|s}}は{{mvar|E}}の任意の切断であり、{{mvar|ω}}は{{Mvar|E{{sup|*}}}}の任意の切断であり、<math>\langle \cdot,\cdot\rangle</math>は{{Mvar|E}}の双対ベクトル空間{{Mvar|E{{sup|*}}}}の元と{{Mvar|E}}の元との内積である。紛れがなければ{{mvar|∇{{sup|*}}}}を単に{{mvar|∇}}と書く事も多い。 {{Mvar|E}}にリーマン計量が{{Mvar|g}}定義されている場合、{{Mvar|E}}と{{Mvar|E{{sup|*}}}}は自然に同一視でき、 : <math>Xg(s_1, s_2)=g(\nabla^*_Xs_1, s_2)+g(s_1, \nabla_X s_2) </math> が成立する事になるが、一般には<math>\nabla^*</math>と<math>\nabla</math>は異なる。[[情報幾何学]]の分野では<math>\nabla^*</math>の事を<math>\nabla</math>の'''双対接続'''({{lang-en-short|dual connection}})<ref>{{Cite book|和書 |title=情報幾何学の基礎: 情報の内的構造を捉える新たな地平 |date=2021/5/31 |publisher=共立出版 |page=89 |author=藤原 彰夫 |isbn=978-4320114517}}</ref>という。 次が成立する: {{math theorem|定理|以下の3つは同値である: * {{mvar|g}}は<math>\nabla</math>と両立する。 * {{mvar|E{{sup|*}}}}を{{mvar|g}}により{{mvar|E}}と自然に同一視する事で{{mvar|∇{{sup|*}}}}を{{mvar|E}}の接続と見なすと、<math>\nabla^*=\nabla</math>が成立する。 * <math>\nabla^* g=0</math>|}} ここで<math>\nabla^* g=0</math>は<math>E \times E</math>上の双線形写像{{mvar|g}}を自然に<math>(E\otimes E)^*</math>の元とみなしたときの共変微分である。 また簡単な計算から以下が従う: {{math theorem|定理| <math>U\subset M</math>上の{{mvar|E}}の局所的な基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>で正規直交なものを取るとき、{{mvar|g}}が<math>\nabla</math>と両立する必要十分条件は、<math>\nabla</math>の接続形式{{mvar|ω}}が以下を満たす事である: : <math>\omega={}^t\omega</math> }} ここで「<math>{}^t\omega</math>」は{{mvar|ω}}の[[転置行列]]である。 ==== 複数の接続の関係 ==== 接続の定義から明らかに以下の性質を示すことができる:{{math theorem|定理|<math>\nabla^1,\ldots,\nabla^{u}</math>を多様体{{mvar|M}}上ののベクトルバンドル{{mvar|E}}の接続とする。このとき、 : <math>\nabla_Xs:={\nabla^1_Xs +\cdots +\nabla^{u}_Xs\over u}</math> も{{mvar|E}}の接続である。}}また、2つの接続 : <math>\nabla,~\nabla' ~:~\mathfrak{X}(M) \times \Gamma(E)\to \Gamma(E)</math> に対し、 : <math>A(X,s):=\nabla_Xs-\nabla'_Xs</math> とすると、<math>A(X,s)</math>が{{Mvar|X}}、{{Mvar|s}}双方に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形である事が示せ、したがって[[#点演算子の特徴づけ|前に述べた定理]]から<math>A</math>は<math>TM \oplus E \to E</math>というバンドル写像だとみなせる。逆に接続<math>\nabla~:~\mathfrak{X}\times \Gamma(E) \to \Gamma(E)</math>とバンドル写像<math>A~:~TM \oplus E \to E</math>が与えられると、 : <math>\nabla_Xs=\nabla'_Xs + A(X,s)</math> も{{mvar|E}}上の接続である事を確かめられる。まとめると、以下の定理が成り立つ:{{math theorem|定理|<math>\nabla,\nabla'</math>を多様体{{mvar|M}}上のベクトルバンドル{{mvar|E}}の2つ接続とする。このとき、 : <math>A(X,s):=\nabla_Xs-\nabla'_Xs</math> はバンドル写像<math>TM\otimes E \to E</math>とみなせる。逆にバンドル写像<math>A~:~TM\otimes E \to E</math>と{{mvar|E}}上の任意の接続<math>\nabla</math>に対し、 : <math>\nabla_Xs=\nabla'_Xs + A(X,s)</math> も{{mvar|E}}上の接続である。}} <math>U \in M</math>を取り、{{mvar|E}}の{{mvar|U}}上の局所的な基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>を固定し、切断{{mvar|s}}を<math>s=s^ke_k</math>と成分表示すると、 : <math>\nabla'_Xs:=(Xs^j)e_j</math> により局所的に接続を定義できるが、 : <math>A(X,s):=\nabla_Xs-\nabla'_Xs</math> の成分表示は : <math>A(\tfrac{\partial}{\partial x^j},e_k):=X^js^k\Gamma^i{}_{jk}e_i</math> とクリストッフェル記号を用いて書ける<ref>[[#Wendl3]] p.80/</ref>。 この事からクリストッフェル記号は<math>\nabla'_Xs:=(Xs^j)e_j</math>とのズレを表す量であると解釈できる。 == 平行移動とホロノミー群 == === 平行移動 === <math>\nabla</math>を{{mvar|M}}上の可微分なベクトルバンドル<math>\pi~:~E \to M</math>の接続とし、<math>P(t)</math>を{{mvar|M}}上の[[区分的]]に滑らかな曲線とし、{{Mvar|s}}を<math>P(t)</math>上の{{mvar|E}}の切断とする。すなわち各<math>P(t)</math>に対し、<math>s_{P(t)}\in E</math>が定義でき、<math>t \mapsto s_{P(t)}</math>が可微分であり、しかも<math>\pi(s_{P(t)})=P(t)</math>が任意の{{mvar|t}}に耐いて成立するものとする。 {{math theorem|定義|  :<math>{\nabla s\over dt} = 0</math> が恒等的に成立するとき、切断{{mvar|s}}は<math>P(t)</math>'''に沿って平行'''({{lang-en-short|parallel along}} <math>P(t)</math>)であるという<ref name="Tu263">[[#Tu]] p.263.</ref>。 }} {{mvar|M}}がユークリッド空間で{{mvar|E}}がその接バンドルである場合、<math>{\nabla s\over dt}={d s\over dt}= 0</math>であれば、ベクトル<math>s_{P(t)}</math>は<math>s_{P(t)}</math>の基点が{{mvar|t}}によって動くだけでその大きさも向きも一定である。すなわち<math>P(t)</math>に沿って<math>s_{P(0)}</math>を「平行移動」して動かしている事になるので、一般のベクトルバンドルの場合にも<math>{\nabla s\over dt}= 0</math>である事を平行と呼ぶのである。 <math>P(t)</math>に沿った切断<math>s</math>、<math>s'</math>がいずれも<math>P(t)</math>に沿って平行であり、しかも時刻<math>t=a</math>のとき<math>s_{P(a)}=s'_{P(a)}</math>であれば、別の時刻<math>t=b</math>でも<math>s_{P(b)}=s'_{P(b)}</math>である事を容易に示すことができる。よって写像 : <math>\varphi_{a,b}~:~v=s_{P(a)}\in E_{P(a)} \mapsto s_{P(b)}\in E_{P(b)}</math> は切断<math>s</math>の取り方によらずwell-definedである。 {{math theorem|定義|  <math>\varphi_{a,b}(v) \in E_{P(b)}</math>を<math>v \in E_{P(a)}</math>の曲線<math>P(t)</math>'''に沿った平行移動'''({{lang-en-short|parallel transportation along}} <math>P(t)</math>)という<ref name="Tu263" />。 }} [[ファイル:Connection-on-sphere.png|サムネイル|球面上の平行移動。測地線(=大円)で囲まれた三角形上でベクトルを一周平行移動すると、もとに戻ってきたときに元のベクトルには戻らない。]] ユークリッド空間の場合と違い、'''どの曲線に沿って平行移動したかによって平行移動の結果が異なる'''事に注意されたい。すなわち曲線<math>P(t)</math>に沿った平行移動を<math>\varphi_{a,b}(v)</math>、曲線<math>Q(t)</math>に沿った平行移動を<math>\psi_{a',b'}(v)</math>とするとき、たとえ<math>P(a)=Q(a')</math>、<math>P(b)=Q(b')</math>であっても<math>\varphi_{a,b}(v)=\psi_{a',b'}(v)</math>であるとは限らない。この現象を'''{{仮リンク|ホロノミー|en|holonomy}}'''({{Lang-en-short|holonomy}})という<ref>[[#Tu]] p.113.</ref>。 <math>\varphi_{a,b}</math>の定義より、<math>\varphi_{a,b}</math>は<math>E_{P(a)}</math>から<math>E_{P(b)}</math>への写像であるとみなせるが、この写像は以下を満たす: {{math theorem|定理|  <math>\varphi_{a,b}~:~E_{P(a)}\to E_{P(b)}</math>は線形同型である<ref>[[#Tu]] p.263.</ref>。 }}よって平行移動により、(接続や計量が定義されていない)多様体{{Mvar|M}}では本来無関係のはずの<math>E_{P(a)}</math>と<math>E_{P(b)}</math>がつながって(connect)、<math>E_{P(a)}</math>の元と<math>E_{P(b)}</math>の元を比較する事ができるようになる。'''接続'''(connection)という名称は、ここから来ている。 {{Mvar|E}}にリーマン計量{{Mvar|g}}が定義されているときは以下が成立する事を容易に示せる:{{math theorem|定理|<math>\nabla</math>が{{mvar|E}}のリーマン計量{{mvar|g}}と両立するとき、任意の<math>v,v'\in E_{P(a)}</math>に対し、以下が成立する: : <math>g(v,v')=g(\varphi_{a,b}(v),\varphi_{a,b}(v'))</math>|note=平行移動による計量の保存}} 曲線<math>P(t)</math>上定義された{{Mvar|E}}の切断<math>e_1(t),\ldots,e_n(t)</math>で、各時刻{{Mvar|t}}に対して<math>e_1(t),\ldots,e_n(t)</math>が{{Mvar|E{{sub|P}}}}の基底の基底になっており、しかも<math>e_1(t),\ldots,e_n(t)</math>が<math>P(t)</math>に沿って平行なものを<math>P(t)</math>に沿った'''水平フレーム'''{{訳語疑問点|date=2022年12月|水平フレーム}}({{Lang-en-short|horizontal frame}})という。 === 共変微分の特徴づけ === これまで共変微分の概念を用いる事で平行移動の概念を定義してきたが、逆に平行移動の概念を用いて共変微分を特徴づけることができる: {{math theorem|定理| 多様体{{Mvar|M}}上の曲線<math>P(t)</math>と{{Mvar|M}}のベクトルバンドル{{Mvar|E}}の<math>P(t)</math>に沿った切断<math>s(t)\in E_{P(t)}</math>を考えるとき、<math>P(t)</math>に沿った平行移動を<math>\varphi_{a,t}</math>とすると、以下が成立する<ref>[[#Spivak]] p.251.</ref>: : <math>{\nabla s\over dt}(a) </math><math>= \left.{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))\right|_{t=a}</math> |note=共変微分の平行移動による特徴づけ{{Anchors|共変微分の平行移動による特徴づけ}}}} ここで<math>{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))</math>はベクトル空間<math>E_{P(a)}</math>における微分<math>{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))=\lim_{t\to a}\tfrac{\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))-s(a)}{t}</math>である。なお、<math>\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))</math>は{{mvar|t}}によらず<math>E_{P(a)}</math>に属するので、<math>E_{P(a)}</math>上の差や極限を考えることができる。 {{math proof| <math>e_1,\ldots,e_n</math>を<math>E_{P(a)}</math>の基底とし、<math>e_i(t):=\varphi_{a,t}(e_i)</math>(for <math>i=1,\ldots,n</math>)とし、 <math>s(t)=s^i(t)e_i(t)</math>と成分表示すると、 : <math>{\nabla \over dt}s(t)={\nabla \over dt}(s^i(t)e_i(t))={d s^i \over dt}(t) e_i(t) + s^i(t){\nabla e_i\over dt}(t)</math> が成立する。<math>e_i(t)</math>の定義から<math>e_i(t)</math>は<math>P(t)</math>に沿って平行なので、上式右辺第二項は{{mvar|0}}である。よって、 : <math>{\nabla s\over dt}(a)={d s^i\over dt}(a) e_i(a)=\left.{d \over dt}(s^i(t)e_i(a))\right|_{t=a}=\left.{d \over dt}(s^i(t) \varphi_{a,t}{}^{-1}(e_i(t)))\right|_{t=a}=\left.{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))\right|_{t=a}</math> となり定理が証明された。 |drop=yes}} 上記の定理を用いると、共変微分の成分表示に意味を持たせる事ができる。これをみるため<math>x~:~U \subset M \to \mathbb{R}^m</math>を{{Mvar|M}}を局所座標とし、{{Mvar|x}}を成分で<math>x=(x^1,\ldots,x^m)</math>とあらわし、さらに<math>e_1,\ldots,e_n</math>を{{Mvar|U}}上定義された{{Mvar|E}}の局所的な基底とすると、 : <math>{\nabla s\over dt}(a) </math><math>= \left.{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(s(t))\right|_{t=a} </math><math>= \left.{d \over dt}s^i(t)\varphi_{a,t}{}^{-1}(e_i(x(t)))\right|_{t=a} </math><math>= {d s^i\over dt}(a)(e_i(x(a))) + s^i(a)\left.{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(e_i(x(t)))\right|_{t=a} </math> であるので、これを共変微分の成分表示 :<math>\left.{\nabla s\over dt}\right|_{t=a} ={d s^i\over dt}(a)e_i(x(a)) + s^i(a)\omega_i{}^j\left(\tfrac{dx}{dt}(a)\right)e_j(x(a)) </math> と比較する事で、以下が結論付けられる: {{math theorem|定理|曲線<math>x(t)</math>上の平行移動を<math>\varphi_{a,t}</math>とし、曲線状定義された{{mvar|E}}の基底を<math>e_1,\ldots,e_n</math>とするとき、<math>\left.{d \over dt}\varphi_{a,t}{}^{-1}(e_i(x(t)))\right|_{t=a}</math>の行列表示は接続形式を使って<math>\omega\left(\tfrac{dx}{dt}(a)\right)</math>と書ける。 |note=接続形式の平行移動による特徴づけ{{Anchors|接続形式の平行移動による特徴づけ}}|}} すなわち :<math>\left.{\nabla s\over dt}\right|_{t=a} ={d s^i\over dt}(a)e_i(x(a)) + s^i(a)\omega_i{}^j\left(\tfrac{dx}{dt}(a)\right)e_j(x(a)) </math> の第一項、第二項はそれぞれ、<math>s=s^ie_i</math>を[[積の微分法則|ライプニッツ則]]に従って微分したときの{{mvar|s{{sup|i}}}}の方の微分、{{mvar|e{{sub|i}}}}の方の微分に対応していると解釈できる。 === ホロノミー群 === 点{{Math|''P''∈''M''}}を固定するとき、{{Mvar|P}}から出て{{Mvar|P}}自身へと戻る各[[曲線|閉曲線]]{{Mvar|C}}に沿った平行移動は{{Mvar|E{{sub|P}}}}から{{Mvar|E{{sub|P}}}}自身への線形同型写像<math>\varphi_C~:~E_P \to E_P</math>を定めると、曲線の連結{{Mvar|CC'}}に対し<math>\varphi_{CC'}=\varphi_{C'}\circ\varphi_{C}</math>となるし、{{Mvar|C}}の逆向きの曲線を<math>\bar{C}</math>とすると、<math>\varphi_{\bar{C}}=\varphi_{C}{}^{-1}</math>となる事が容易に示せる。 よって : <math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P):=\{\varphi_C\mid C</math>は{{Mvar|P}}から出て{{Mvar|P}}自身へと戻る閉曲線<math>\}</math> とすると、<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>は{{Mvar|E{{sub|P}}}}の自己線形同型のなす[[群 (数学)|群]]の部分群をなす。<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>を{{Mvar|P}}における{{Mvar|E}}の<math>\nabla</math>に関する'''ホロノミー群'''({{Lang-en-short|holonomy group}})という。なお、{{Mvar|M}}が[[連結空間|弧状連結]]であれば{{Mvar|P}}によらず<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>が同型である事を容易に示せるので、{{Mvar|P}}を略して単に<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla)</math>とも書く。 また、 : <math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P):=\{\varphi_C\mid C</math>は{{Mvar|P}}から出て{{Mvar|P}}自身へと戻る閉曲線で{{Mvar|M}}上0-ホモトープなもの<math>\}</math> とすると、<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P)</math>は<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>の部分群をなす。<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P)</math>を{{Mvar|P}}における{{Mvar|E}}の<math>\nabla</math>に関する'''制約ホロノミー群'''({{Lang-en-short|restricted holonomy group}})という。{{Mvar|M}}が[[連結空間|弧状連結]]であれば{{Mvar|P}}によらず<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P)</math>が同型である事も同様に示せるので、{{Mvar|P}}を略して単に<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla)</math>とも書く。 定義から明らかなように、<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>、<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P)</math>は{{Mvar|E{{sub|P}}}}上の線形同型全体のなす[[リー群]]<math>\mathrm{GL}(E_P)</math>の部分群である。実は次が成立する事が知られている:{{math theorem|name=定理|math_statement=<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>は<math>\mathrm{GL}(E_P)</math>の([[閉集合|閉]]とは限らない)部分リー群である<ref>[[#小林]] p.72.</ref>。 また<math>\mathrm{Hol}_0(E,\nabla,P)</math>は<math>\mathrm{Hol}(E,\nabla,P)</math>の([[閉集合|閉]]とは限らない)弧状連結なリー部分群である<ref>[[#小林]] p.74.</ref>。}} == 測地線 == ===定義と性質=== 接バンドル{{mvar|TM}}にアフィン接続<math>\nabla</math>が定義されているとき、測地線の概念を以下のように定義する: {{math theorem|note=測地線|name=定義|math_statement={{mvar|M}}を多様体とし、<math>\nabla~:~\mathfrak{X}(M)\times \mathfrak{X}(M) \to \mathfrak{X}(M)</math>をアフィン接続とする。このとき{{mvar|M}}上の曲線<math>P(t)</math>が : <math>{\nabla \over dt}{d\over dt}P(t)=0</math> が恒等的に成立する、という微分方程式を<math>(M,\nabla)</math>上における'''測地線方程式'''といい、測地線方程式を満たす曲線<math>P(t)</math>を<math>(M,\nabla)</math>上の'''[[測地線]]'''({{lang-en-short|geodesic}})という<ref>[[#Tu]] p.103.</ref>。}} すなわち「二階微分」が常に{{mvar|0}}になる曲線を測地線と呼ぶのである。平行移動の定義から、測地線とは<math>\tfrac{d}{dt}P(t)</math>が<math>P(t)</math>に沿って平行であると言い換える事もできる。 恒等的に同じ点を取る「曲線」は自明に測地線方程式を満たすが、これは通常の意味での曲線ではないので、以下このような「曲線」を測地線とは呼ばない事にする。 測地線の定義は曲線<math>P(t)</math>のパラメーター{{mvar|t}}に依存して定義されている事に注意されたい。<math>P(t)</math>が測地線であっても、パラメーターを別の変数{{mvar|u}}に変数変換して得られる<math>P(u)</math>は測地線になるとは限らない。実際、<math>P(t)</math>が測地線となるパラメーターは線形変換を除いて一意である:{{math theorem|定理|曲線<math>P(t)</math>が測地線で、<math>P(t)</math>を(<math>\tfrac{du}{dt}</math>が決して{{mvar|0}}にならないような)変数変換を行って得られる<math>P(u)</math>も測地線である時、ある定数<math>a,b\in \mathbb{R}</math>が存在し、 : <math>u=at+b</math> が成立する。}} {{math proof| 測地線とは<math>\tfrac{d}{dt}P(t)</math>が<math>P(t)</math>に沿って平行である曲線なので、<math>\tfrac{d}{dt}P(0)</math>が{{mvar|0}}でなければ任意の{{mvar|t}}に対して<math>\tfrac{d}{dt}P(t)</math>は{{mvar|0}}でない。恒等的に同じ点を取る「曲線」は測地線とはみなさなかった事から、測地線は任意の時刻に対して<math>\tfrac{d}{dt}P(t)\neq 0</math>である。 <math>P(t)</math>が測地線で<math>P(t)</math>を変数変換した<math>P(u)</math>も測地線であるとすると、 :<math>0={\nabla \over dt}{dP\over dt}={du\over dt}{\nabla \over du}\left({du\over dt}{dP\over du}\right)={du\over dt}{d^2u\over dt^2}{dP\over du}+\left({du\over dt}\right)^2{\nabla \over du}{dP\over du}={du\over dt}{d^2u\over dt^2}{dP\over du}</math> 前述の議論から<math>{dP\over du}</math>は決して{{mvar|0}}にならず、仮定から<math>{du\over dt}</math>も決して{{mvar|0}}にならないので、上式から、 :<math>{d^2u\over dt^2}=0</math>. これは<math>u=at+b</math>となる{{mvar|a}}、{{mvar|b}}が存在することを意味する。 |drop=yes}} <math>P(t)</math>が測地線となるパラメーター{{mvar|t}}を'''アフィン・パラメーター'''という<ref>[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.138.</ref>。上記の定理はアフィン・パラメーターがアフィン変換を除いて一意な事を意味する。 === 測地線の局所的な存在性と一意性 === 測地線方程式を成分で書くと、<math>P(t)=(x^1(t),\ldots,x^m(t))</math>として : <math>{d^2 x^i\over dt^2} + {dx^j\over dt}{dx^k\over dt}\Gamma_{jk}^i=0 </math> for <math>i=1,\ldots,m</math> となる。ここで<math>\Gamma^i_{jk}</math>は接続係数である。この式は[[常微分方程式]]であり、常微分方程式は局所的な解の存在一意性が言えるので、次が成立する事になる: {{Math theorem|定理|math_statement=任意の<math>P\in M</math>と任意の<math>v\in TM_{P}</math>に対し、ある<math>\varepsilon>0</math>が存在し、測地線 : <math>P_v~:~(-\varepsilon,\varepsilon) \to M</math> で : <math>P_v(0)=P</math>、<math>{dP_v\over dt}(0)=v</math> となるものが存在する<ref name="Tu107">[[#Tu]] p.107.</ref>。しかも<math>P_v~:~(-\varepsilon,\varepsilon) \to M</math>、<math>P'_v~:~(-\varepsilon',\varepsilon') \to M</math>がいずれも上記の条件を満たす測地線であれば、<math>(-\varepsilon,\varepsilon)\cap (-\varepsilon',\varepsilon')</math>上で{{mvar|P{{sub|v}}}}と{{mvar|P'{{sub|v}}}}は一致する<ref name="Tu107" />。|note=測地線の局所的な存在一意性}} 曲線は大域的に存在するとは限らない。 たとえば<math>\mathbb{R}^2\setminus\{0\}</math>(に通常のユークリッド空間としての計量を入れた空間)において、曲線<math>c(t)=(1-t,0)</math>は<math>t < 1</math>までしか延長できない。 測地線の局所的な存在一意性が示されたので、以下の定義をする:{{Math theorem|定義|上記の定理で局所的な存在一意性が保証された測地線<math>P_v(t)</math>を : <math>\exp_P(tv):=P_v(t)</math> と書く。<math>\exp_P</math>を<math>(M,\nabla)</math>上の'''指数写像'''({{Lang-en-short|exponential map}})という<ref>[[#Tu]] p.115.</ref>。|note=指数写像}} <math>P_v(kt)=P_{kv}(t)</math>である事を容易に確かめられるので、指数写像はwell-definedである。 === Hopf-Rinowの定理 === 上の定理で測地線の定義域<math>(-\varepsilon,\varepsilon)</math>を<math>\mathbb{R}</math>全域に拡張できるとは限らない。{{Mvar|M}}上の<math>\nabla</math>に関する任意の測地線の定義域が<math>\mathbb{R}</math>全域に拡張できるとき、<math>(M,\nabla)</math>は'''測地線完備'''({{Lang-en-short|geodesically complete}})<ref>[[#Tu]] p.130.</ref>、あるいは単に'''完備'''({{Lang-en-short|complete}})<ref>[[#小林]] p.89.</ref>であるという。 <math>\nabla</math>がリーマン多様体のレヴィ-チヴィタ接続の場合は、測地線が<math>\mathbb{R}</math>全域に拡張できるか否かに関して以下の定理が知られている。 {{math theorem|定理| <math>(M,g)</math>を[[連結空間|連結]]なリーマン多様体とし、<math>\nabla</math>を{{Mvar|M}}上のレヴィ-チヴィタ接続とする。このとき、以下の条件は互いに同値である<ref>[[#Tu]] p.131.</ref><ref>[[#Berger]] p.227.</ref>: * <math>(M,g)</math>は{{Mvar|g}}が定める距離に関し、[[距離空間]]として[[完備距離空間|完備]]である。 * <math>(M,\nabla)</math>は測地線完備である。 * 全ての点<math>P \in M</math>に対し、{{mvar|T{{sub|P}}M}}の全ての元{{mvar|v}}に対し<math>\mathrm{exp}_P(v)</math>を定義できる。 * ある点<math>P \in M</math>に対し、{{mvar|T{{sub|P}}M}}の全ての元{{mvar|v}}に対し<math>\mathrm{exp}_P(v)</math>を定義できる。 * {{Mvar|M}}上の任意の{{Mvar|2}}点{{Mvar|P}}、{{Mvar|Q}}に対し、{{Mvar|P}}と{{Mvar|Q}}の両方を通る(<math>\nabla</math>に関する)測地線が存在する。 * {{Mvar|g}}が定める距離に関し、{{mvar|M}}の有界閉集合は[[コンパクト空間|コンパクト]]である。 |note='''{{仮リンク|Hopf-Rinowの定理|en|Hopf–Rinow theorem}}'''}} {{mvar|M}}がコンパクトであれば、{{mvar|M}}上の任意のリーマン計量{{mvar|g}}は必ず完備な距離を定めるので、Hopf-Rinowの定理から{{mvar|g}}が定めるレヴィ-チビタ接続<math>\nabla</math>に関して{{mvar|M}}が測地線完備な事が従う。 しかし一般の接続<math>\nabla</math>に対してはこのような事は成立するとは限らない。実際'''{{mvar|M}}がコンパクトであっても、{{mvar|M}}上の擬リーマン計量が定めるレヴィ-チビタ接続は測地線完備になるとは限らず'''、反例として{{訳語疑問点範囲|[[:en:Clifton–Pohl torus|クリフトン-ポールトーラス]]|date=2023/04/25}}が知られている。 === 正規座標 === 実は次の事実が知られている:{{math theorem|name=定理|math_statement=<math>\nabla</math>を可微分多様体{{mvar|M}}上のアフィン接続とし、{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とする。このとき、{{mvar|T{{sub|P}}M}}における{{mvar|O}}の近傍{{mvar|U}}が存在し、{{mvar|U}}を多様体としてみたとき、<math>\nabla</math>が定める指数写像 : <math>\exp_P~:~U\subset T_PM \to M</math> は中への微分位相同型である<ref>[[#Tu]] pp.117-118.</ref><ref>[[#小林]] p.89.</ref>。}}よって<math>V:=\exp(U)</math>とすると、{{Mvar|V}}は{{Mvar|P}}の近傍で、 : <math>\exp_P{}^{-1}~:~V \subset M \to U\subset T_PM \approx \mathbb{R}^m</math> は{{Mvar|P}}の周りの座標近傍とみなせる。この座標近傍を{{Mvar|P}}の周りの'''{{仮リンク|正規座標|en|Normal coordinates}}'''({{Lang-en-short|normal coordinate}})という<ref>[[#Tu]] p.118.</ref>。 ===同一の測地線を定めるアフィン接続=== 2つのアフィン接続 :<math>\nabla, \nabla'~:~\mathfrak{X}(M)\times \mathfrak{X}(M) \to \mathfrak{X}(M)</math> が{{mvar|M}}上の任意の曲線{{math|''P''(''t'')}}に対し、 :<math>{\nabla \over dt}P(t)=0 \iff {\nabla' \over dt}P(t)=0</math> を満たすとき、<math>\nabla</math>と<math>\nabla'</math>は'''同一の測地線を定める'''という。 : <math>D(X,Y):=\nabla_XY-\nabla'_XY</math> とし、 : <math>S(X,Y)={1\over 2}(D(X,Y)+D(Y,X))</math> : <math>A(X,Y)={1\over 2}(D(X,Y)-D(Y,X))</math> とする。 このとき次が成立する事が知られている: {{math theorem|定理|以下の2つは同値である<ref name="Spivak271">[[#Spivak]] p.271.</ref>: # <math>\nabla</math>と<math>\nabla'</math>は同一の測地線を定める # <math>D(X,X)=0</math>が任意のベクトル場{{mvar|X}}に対して成り立つ。 # <math>S(X,X)=0</math>が任意のベクトル場{{mvar|X}}に対して成り立つ。 |note=同一の測地線を定める条件|}} 簡単な計算により : <math>A(X,Y)=T_{\nabla}(X,Y)-T_{\nabla'}(X,Y)</math> である事がわかるので、次の系が従う: {{math theorem|系|<math>\nabla=\nabla'</math>である必要十分条件は、<math>\nabla</math>と<math>\nabla'</math>は同一の測地線を定め、しかも<math>\nabla</math>と<math>\nabla'</math>の捩率テンソルが同一な事である <ref name="Spivak271" />。 |}}なお、接続{{Mvar|∇}}の局所座標表示 : <math>\nabla_XY=X(Y^k){\partial \over \partial x^k} + X^jY^k\Gamma^i{}_{jk}{\partial \over \partial x^i}</math> に対し、クリストッフェル記号の添字{{Mvar|j}}と{{Mvar|k}}の役割を反対にした : <math>\nabla'_XY = X(Y^k){\partial \over \partial x^k} + X^jY^k\Gamma^i{}_{kj}{\partial \over\partial x^i}</math> は局所座標の取り方によらずwell-definedでしかも接続の公理を満たす事が知られている<ref name="KN-146">[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.146</ref>。よって特に次が成立する: {{math theorem|定理|記号を上述のように取るとき、 : <math> {\nabla + \nabla' \over 2}</math> は{{mvar|∇}}と同一の測地線を定め、しかも捩率テンソルが{{mvar|0}}になる接続である<ref name="KN-146" />。 }} ===レヴィ-チヴィタ接続における測地線の特徴づけ=== {{Main|レヴィ・チヴィタ接続#測地線}} レヴィ・チヴィタ接続の場合は測地線を全く別の角度から特徴づける事ができる。 測地線方程式は曲線''{{Mvar|u}}''の長さ<math>\int_a^b\left\|{d u\over dt} \right\| dt</math>を端点を固定して[[変分]]したときの[[オイラー・ラグランジュ方程式]]に等しい<ref>[[レヴィ・チヴィタ接続#新井|#新井]] pp.324-326.</ref><ref name="Lee101">[[レヴィ・チヴィタ接続#Lee|#Lee]] p.101.</ref><ref name="sasaki88-91">[[レヴィ・チヴィタ接続#佐々木|#佐々木]] pp.89-91.</ref>。ここで<math>\|v\|:=\sqrt{g(v,v)}</math>である。すなわち、測地線は長さに関する停留曲線(≒端点を固定した曲線のなす空間において「微分」がゼロのなる曲線)である。 また測地線方程式は曲線''{{Mvar|u}}''の「エネルギー」<math>\int_a^b\left\|{d u\over dt} \right\|^2 dt</math>を端点を固定して変分したときのオイラー・ラグランジュ方程式にもなっている<ref name="新井329-3312">[[レヴィ・チヴィタ接続#新井|#新井]] pp.329-331.</ref>。 ===曲線の曲率=== リーマン多様体{{mvar|M}}上の曲線に対し、以下の定義をする。 {{math theorem|定義| リーマン多様体{{mvar|M}}上の曲線の、弧長パラメータによる「二階微分」の長さ : <math>\left\|{\nabla \over ds}{d P\over ds}\right\|</math> を{{mvar|M}}における<math>P(s)</math>の'''測地線曲率'''{{訳語疑問点|date=2022年12月}}({{lang-en-short|geodesic curvature}}<ref>[[#Tu]] p.138.</ref>)、あるいは単に'''曲率'''({{lang-en-short|curvature}})という。 |note=曲線の曲率|}} ここで<math>\|v\|:=\sqrt{g(v,v)}</math>である。 前述の定理から、明らかに次が従う: {{math theorem|定理| 曲線が測地線である必要十分条件は、その曲線の曲率が常に{{mvar|0}}の曲線である事である。 |}} なお、弧長パラメータの定義より<math>\left\|\tfrac{dP}{ds}\right\|=0</math>が常に成り立つので、 :<math>0={d \over dt}g(\tfrac{dP}{ds},\tfrac{dP}{ds})=2g(\tfrac{\nabla}{ds}\tfrac{dP}{ds},\tfrac{dP}{ds})</math> である。よって次が従う: {{math theorem|定理| <math>\tfrac{\nabla}{ds}\tfrac{dP}{ds}</math>は曲線の接線<math>\tfrac{dP}{ds}</math>と直交する。 |}} なおここで定義した「曲線の曲率」は次章で定義する「(接続が定義された)多様体の曲率」とは'''別概念'''であるので注意されたい。実際、 * 「曲線の曲率」は曲線<math>P(s)</math>のみならず「外側の空間」{{mvar|M}}があって初めて定義されるものであるのに対し、次章で述べる「多様体の曲率」の定義にはこのような「外側の空間」は必要ない。 *「曲線の曲率」はあくまで曲線の接線方向の微分を考えているのに対し、「多様体の曲率」は2つの接ベクトルがあって初めて定義されるものであり、これら2つの接ベクトルが同一の場合は{{mvar|0}}になってしまう。 == 曲率 == 本節では接続<math>\nabla</math>が定義されたベクトルバンドル<math>\pi~:~E \to M</math>の'''曲率'''をまず天下り的に定義し、その性質を見る。次に曲率の概念をホロノミーを使う事で特徴づける事により、曲率概念に対する空間に内在的な幾何学的解釈を与える。最後に共変外微分の概念を導入して共変外微分を使って曲率概念を特徴づける。 === 動機 === 曲率の概念を定義するため、モチベーションを述べる。 ベクトルバンドル<math>\pi ~:~E \to M</math>の接続<math>\nabla</math>の局所座標<math>U \subset M \to \mathbb{R}^m</math>と局所的な{{mvar|E}}の基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>における成分表示 :<math>\nabla^U_Xs= \left(X^{\ell}{\partial s^i\over \partial x^{\ell}} + X^js^k\Gamma_{jk}^i\right)e_i </math> を考える。 <math>E=TM</math>で<math>\nabla</math>がレヴィ-チヴィタ接続の場合、<math>M=\mathbb{R}^m</math>であれば、すなわち{{mvar|M}}が「平たい」空間であれば、クリストッフェル記号<math>\Gamma_{jk}^i</math>は全て{{mvar|0}}になる。 よって一般のベクトルバンドルの場合も、クリストッフェル記号<math>\Gamma_{jk}^i</math>が全て{{mvar|0}}になる局所座標と局所基底がとれればバンドルは「平たい」とみなす事にする。 この「平たい」バンドルとのズレを測るのが曲率である。ただしクリストッフェル記号は局所座標の取り方に依存しているため、クリストッフェル記号自身を用いるのではなく、別の方法で「平たい」バンドルとのズレを測る。 ズレを測るため、クリストッフェル記号<math>\Gamma_{jk}^i</math>が全て{{mvar|0}}であれば、 : <math>\nabla_X s= (Xs^i) e_i</math> となる事に着目する。この事実から「平たい」バンドルに対しては、 : <math>\nabla_X\nabla_Ys-\nabla_Y\nabla_Xs= (XYs^i) e_i-(YXs^i) e_i = ([X,Y]s^i)e_i =\nabla_{[X,Y]}s</math> が常に成立する事を示せる。そこで一般の接続<math>\nabla</math>に対し、 : <math>R(X,Y)s:=\nabla_X\nabla_Ys-\nabla_Y\nabla_Xs-\nabla_{[X,Y]}s</math> と定義すると、<math>R(X,Y)s</math>は「平たい」バンドルのときには恒等的にゼロになり、この意味において<math>R(X,Y)s</math>はバンドルの「曲がり具合」を表している考えられる。 === 定義 === 以上のモチベーションの元、曲率を以下のように定義する: {{math theorem|定義・定理| ベクトルバンドル<math>\pi ~:~E \to M</math>の接続<math>\nabla</math>に対し、 : <math>R(X,Y)s:=\nabla_X\nabla_Ys-\nabla_Y\nabla_Xs-\nabla_{[X,Y]}s</math> for <math>X,Y \in \mathfrak{X}(M), s\in \Gamma(E)</math> とすると、{{mvar|R}}は{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}、{{mvar|s}}に関して<math>C^{\infty}(M)</math>-線形である<ref name="小林43">[[#小林]] p.43.</ref>。 よって[[#点演算子の特徴づけ|前述の定理]]から{{mvar|R}}は各点<math>P\in M</math>に対し、 : <math>R_P \in T^*M \otimes T^*M \otimes E^* \otimes E</math> を対応させるテンソル場とみなせる。 {{mvar|R}}を<math>\nabla</math>に関する'''曲率'''({{lang-en-short|curvature}})もしくは'''曲率テンソル'''({{lang-en-short|curvature tensor}})といい<ref name="小林43" />{{refn|group="注"|{{mvar|R}}はテンソル{{mvar|R{{sub|P}}}}の場なので、{{mvar|R}}を「曲率テンソル場」(curvature tensor field)と言った方が自然に見えるが、本項執筆者が調べた範囲では、「曲率テンソル場」と呼んでいる文献は少なかったので、本項では慣用に従い「曲率テンソル」と呼ぶことにした。}}、{{mvar|R{{sub|P}}}}を<math>\nabla</math>に関する点{{mvar|P}}における'''曲率'''({{lang-en-short|curvature}})もしくは'''曲率テンソル'''({{lang-en-short|curvature tensor}})という。 |note=曲率|}} <math>(M,g)</math>がリーマン多様体の場合は、{{mvar|g}}のレヴィ・チヴィタ接続の曲率の事を「{{mvar|M}}の曲率」、「{{mvar|g}}の曲率」等と呼ぶことにする。 === リーマン多様体における特徴づけ === リーマン多様体<math>(M,g)</math>においては、{{mvar|M}}の曲率はリーマン計量をテイラー展開したときの2次の項として特徴づける事ができる: {{math theorem|定理| <math>(M,g)</math>をリーマン多様体とし、{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とし、<math>(x^1,...,x^m)</math>を{{mvar|P}}を原点とする正規座標とする。このとき以下が成立する{{refn|{{cite web|url=https://www.math.uci.edu/~jviaclov/courses/240AB_2018-2019.pdf|page=81|accessdate=2023/06/23|title=240AB Differential Geometry|author=Jeff A. Viaclovsky|website=University of California, Irvine}}なお添字の順番が引用元と異なっているが、これは<math>R_{ikj\ell}</math>の添字の順番が引用元と異なっているからである。}}: : <math>g_{k \ell}=\delta_{k \ell}+{1 \over 3}R_{jk\ell i}x^ix^j+O(|x|^3)</math> |note=リーマン多様体における曲率の特徴づけ}} ここで<math>R_{ikj\ell}:=g(R(\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}})\tfrac{\partial}{\partial x^j},\tfrac{\partial}{\partial x^i})</math>である。 ===曲率形式=== <math>e_1,\ldots,e_n</math>を{{mvar|M}}の開集合{{Mvar|U}}上で定義された局所的な基底とするとき、<math>e_1,\ldots,e_n</math>に関する曲率形式を以下のように定義する: {{math theorem|定義| {{Mvar|X}}、{{Mvar|Y}}に行列<math>\Omega(X,Y)</math>を対応させる行列値の[[微分形式|2-形式<math>\Omega=(\Omega^i{}_j)_{ij}</math>]]を : <math>(R(X,Y)e_1,\ldots,R(X,Y)e_n) =(e_1,\ldots,e_n)\Omega(X,Y) </math> により定義し、<math>\Omega^i{}_j</math>を局所的な基底<math>e_1,\ldots,e_n</math>に関する<math>\nabla</math>の'''曲率形式'''({{lang-en-short|curvature form}}<ref name="Tu80" />)という。<math>\Omega^i{}_j</math>を並べてできる行列<math>\Omega=(\Omega^i{}_j)_{i,j}</math>を'''曲率行列'''({{lang-en-short|curvature matrix}}<ref name="Tu80">[[#Tu]] p.80.</ref>)という事もあるが、紛れがなければこの行列も'''曲率形式'''という<ref name="kobayashi44">[[#小林]] p.44.</ref>。 |note=曲率形式}} さらに<math>(x^1,\ldots,x^m)</math>を{{mvar|M}}の局所座標とし、 : <math>R(\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}})e_j=R^i{}_{jk\ell}e_i</math> と成分分解すると、 : <math>\Omega^i{}_j(X,Y)=R^i{}_{jk\ell}X^kY^{\ell}</math> が成立する。 ===性質=== <math>\omega=(\omega^i{}_j)_{ij}</math>を同じ局所座標<math>e_1,\ldots,e_n</math>に関する接続形式すると以下が成立する: {{math theorem|定理|  * '''(カルタンの)第二構造方程式'''<ref>[[#新井]] p.272.</ref>({{lang-en-short|(Cartan's) second structural equation}})<ref>[[#Tu]] p.80</ref>:<math>\Omega =d\omega + \omega \wedge \omega</math> * '''一般化されたビアンキの第二恒等式'''({{lang-en-short|generalized second Bianchi identity}})<ref name="Tu204">[[#Tu]] p.204.</ref>:<math>d(\Omega^k) =\Omega^k \wedge \omega - \omega \wedge \Omega^k</math>、ここで<math>\Omega^k=\overbrace{\Omega\wedge \cdots \wedge \Omega}^{k}</math> |}} ここで接続行列のウェッジ積<math>\omega\wedge \omega</math>は行列積<math>(\omega^i{}_k \wedge \omega^k{}_j)</math>の事である。<math>\Omega \wedge \omega</math>や<math>\Omega \wedge \Omega</math>も同様に定義する。 第二構造方程式は曲率の定義を成分で書く事で得られる。一般化されたビアンキの第二恒等式は第二構造方程式から従う。 なお、一般化されたビアンキの第二恒等式において{{math|1=''k''=''1''}}の場合が'''ビアンキの第二恒等式'''({{lang-en-short|second Bianchi identity}})である<ref name="Tu204" />。 ==== 成分表示 ==== <math>(x^1,\ldots,x^m)</math>を{{mvar|M}}の局所座標とし、<math>e_1,\ldots,e_n</math>を{{Mvar|E}}の局所的な基底とすると、接続係数<math>\Gamma^i{}_{kj}</math>を用いて以下のように表すことができる:{{math theorem|定理|<math>R(\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}})e_j=R^i{}_{jk\ell}e_i</math>とすると、以下が成立する<ref>[[#Wendl5]] p.122.</ref><ref>[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.145.</ref><ref group="注" name="曲率の添字"/>: : <math> R^i{}_{jk\ell} = {\partial \Gamma^i{}_{\ell j} \over \partial x^k} - {\partial \Gamma^i{}_{k j} \over \partial x^{\ell}} + \Gamma^i{}_{ks}\Gamma^s{}_{\ell j} - \Gamma^i{}_{\ell s}\Gamma^s{}_{k j} </math> }} ====アフィン接続の場合の性質==== 捩率テンソルを : <math>T(X,Y)=\tau^i(X,Y)e_i</math> と成分表示して得られる2-形式<math>\tau^i</math>を並べてできる縦ベクトル<math>\tau={}^t(\tau^1,\ldots,\tau^m)</math>を考える事ができる。{{mvar|τ}}の事を基底<math>(e_1,\ldots,e_m)</math>に関する'''捩率形式'''({{lang-en-short|torsion form}})という<ref>[[#小林]] p.107.</ref>{{refn|group="注"|[[#Tu]] p.84.では{{mvar|τ}}自身ではなくその成分<math>\tau^1,\ldots,\tau^m</math>の事を捩率形式と呼んでいる。}}。 さらに局所的な基底<math>e_1,\ldots,e_n \in TM</math>の双対基底を<math>\theta^1,\ldots,\theta^n\in T^*M</math>とすると{{refn|group="注"|<math>e_i=\tfrac{\partial}{\partial x^i}</math>であれば<math>\theta^i=dx^i</math>であるが、必ずしも<math>e_i=\tfrac{\partial}{\partial x^i}</math>でなくともよい<ref>[[#Tu]] p.84.</ref>。}}、これらは1形式である。これらを並べた縦ベクトルを<math>\theta={}^t(\theta^1,\ldots,\theta^n)</math>とする。 このとき、次が成立する: {{math theorem|定理|アフィン接続は次を満たす: * '''(カルタンの)第一構造方程式'''<ref>[[#新井]] p.270</ref>({{lang-en-short|(Cartan's) first structural equation}})<ref name="Tu203">[[#Tu]] p.203.</ref>:<math>\tau=d\theta + \omega\wedge\theta</math> * '''ビアンキの第一恒等式'''({{lang-en-short|first Bianchi identity}})<ref name="Tu203"/>:<math>d\tau = \Omega \wedge \theta -\omega \wedge \tau</math> |}} ビアンキの第一および第二恒等式は以下のようにも書くことができる: {{math theorem|定理|{{mvar|M}}上のベクトル場{{mvar|X{{sub|1}}}}、{{mvar|X{{sub|2}}}}、{{mvar|X{{sub|3}}}}に対し、以下が成立する: * '''ビアンキの第一恒等式'''<ref name=Kobayashi-Nomizu-1-135>[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.135.</ref>:<math>\sum_{i \in \mathbb{Z}_3} R(X_i,X_{i+1})X_{i+2}=\sum_{i \in \mathbb{Z}_3}T(T(X_i,X_{i+1}),X_{i+2}) + (\nabla_{X_i} T)(X_{i+1},X_{i+2})</math> * '''ビアンキの第二恒等式'''<ref name=Kobayashi-Nomizu-1-135 />:<math>\sum_{i \in \mathbb{Z}_3} (\nabla_{X_i}R)(X_{i+1},X_{i+2}) + R(T(X_i,X_{i+1}),X_{i+2}) = 0 </math> }} ここで添字は「{{math|1=mod 3}}」で考える。すなわち「<math>\sum_{i \in \mathbb{Z}_3}</math>」は巡回和である。 さらに次が成立する:{{math theorem|定理|リーマン多様体<math>(M,g)</math>上のアフィン接続{{mvar|∇}}が{{mvar|g}}と両立すれば、以下を満たす<ref>[[#Tu]] p.91.</ref>: * <math>g(R(X,Y)Z,W)=-g(R(X,Y)W,Z)</math>|}} ====レヴィ-チヴィタ接続の場合の性質==== レヴィ-チヴィタ接続の場合は以下のようにも成分表示できる: {{math theorem|定理| <math>R_{ijk\ell} := g(R(\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}})\tfrac{\partial}{\partial x^j},\tfrac{\partial}{\partial x^i})</math>とすると{{refn|group="注"|name="曲率の添字"|成分表示の添字の取り方は文献によって異なるので注意されたい。我々は[[#Kobayashi-Nomizu-1]] p.144に従い、 : <math>R(\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}})\tfrac{\partial}{\partial x^j}=R^i{}_{jk\ell}\tfrac{\partial}{\partial x^i}</math> としたが、[[#Viaclovsky]] p.11では : <math>R(\tfrac{\partial}{\partial x^i},\tfrac{\partial}{\partial x^j})\tfrac{\partial}{\partial x^k}=R_{ijk}{}^{\ell}\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}}</math> としている。}}、以下が成立する<ref>[[#Viaclovsky]] p.12.</ref>: : <math> R_{ijk\ell} = {1 \over 2}\Big( {\partial \over \partial x^i}{\partial \over \partial x^k}g_{j\ell} + {\partial \over \partial x^j}{\partial \over \partial x^{\ell}}g_{ik} -{\partial \over \partial x^j}{\partial \over \partial x^k}g_{i\ell} - {\partial \over \partial x^i}{\partial \over \partial x^{\ell}}g_{jk}\Big) </math><math> = {1 \over 2}\partial^2 {~\wedge\!\!\!\!\!\!\!\!\;\bigcirc~} g (\tfrac{\partial}{\partial x^i},\tfrac{\partial}{\partial x^j},\tfrac{\partial}{\partial x^k},\tfrac{\partial}{\partial x^{\ell}}) </math> }} ここで<math>{~\wedge\!\!\!\!\!\!\!\!\;\bigcirc~}</math>は下記の[[:en:Kulkarni–Nomizu product|Kulkarni–Nomizu積]]である: : <math>\begin{align} (h {~\wedge\!\!\!\!\!\!\!\!\;\bigcirc~} k)(X,Y,Z,W) :={} &h(X,Z)k(Y,W) + h(Y, W)k(X, Z) \\ &{}- h(X, W)k(Y, Z) - h(Y, Z)k(X,W) \end{align} </math> 次の事実が知られている: {{math theorem|定理|リーマン多様体<math>(M,g)</math>のレヴィ-チヴィタ接続の曲率は以下を満たす<ref name="Tu204-207" />: * <math>g(R(X,Y)Z,W)=-g(R(X,Y)W,Z)</math> * <math>g(R(X,Y)Z,W)=g(R(Z,W)X,Y)</math> |}} レヴィ-チヴィタ接続<math>\nabla</math>は捩れなしなので、ビアンキの第一および第二恒等式を以下のように書く事ができる: {{math theorem|定理|レヴィ-チヴィタ接続は次を満たす: * '''ビアンキの第一恒等式'''<ref name="Tu204-207">[[#Tu]] pp.204-207.</ref>:<math>R(X,Y)Z+R(Y,Z)X+R(Z,X)Y=0</math> * '''ビアンキの第二恒等式'''<ref name=Kobayashi-Nomizu-1-135 />:<math>(\nabla_XR)(Y,Z)+(\nabla_YR)(Z,X)+(\nabla_ZR)(X,Y)=0</math> |}} ここで<math>(\nabla_XR)</math>は{{mvar|R}}を<math>TM \times TM \times T^*M</math>の元とみなしたときの共変微分である。 ビアンキの第二恒等式は以下のようにも書ける<ref name="Tu204-207" />{{refn|group="注"|{{mvar|X}}、{{mvar|Y}}、{{mvar|Z}}をサイクリックに回している。}} :<math>(\nabla_X \mathrm{Rm})(Y,Z,V,W)+(\nabla_Y \mathrm{Rm})(Z,X,V,W)+(\nabla_Z \mathrm{Rm})(X,Y,V,W)=0</math> ここで : <math>\mathrm{Rm}(X,Y,Z,W):=g(R(X,Y)Z,W)</math> であり、<math>(\nabla_X \mathrm{Rm})</math>は<math>\mathrm{Rm}</math>を<math>T^*M \otimes T^*M \otimes T^*M \otimes T^*M</math>に値を取るテンソル場とみなしたときの共変微分である。<math>\mathrm{Rm}</math>を'''([[ベルンハルト・リーマン|リーマン]]の)曲率テンソル'''({{Lang-en-short|(Riemann) curvature tensor}})<ref>[[#Tu]] p.207.</ref><ref>[[#Lee]] p.118.</ref>という。 === 断面曲率、リッチ曲率、スカラー曲率 === <math>\nabla</math>をリーマン多様体<math>(M,g)</math>のレヴィ-チヴィタ接続とし、{{mvar|P}}を{{mvar|M}}の点とし、<math>v,w \in T_PM</math>とし、さらに<math>e_1,\ldots,e_m</math>を<math>T_PM</math>の基底とする。 {{math theorem|定義|  * <math>\mathrm{Sec}_P(v,w):={g_P(R_P(v,w)w,v)\over g_P(v,v)g_P(w,w)-g_P(v,w)^2}</math>を点{{mvar|P}}における<math>v,w</math>に関する'''[[断面曲率]]'''({{lang-en-short|sectional curvature}})という<ref>[[#Tu]] p.92.</ref>。 * <math>\mathrm{Ric}_P(v,w):=\sum_i g_P(R_P(e_i,v)w,e_i)</math>を点{{mvar|P}}における<math>v,w</math>に関する'''[[リッチテンソル|リッチ曲率]]'''({{lang-en-short|Ricci curvature}})という<ref name="Tu208-209">[[#Tu]] p.208-209.</ref>。 * <math>S_P:=\sum_{i,j} g_P(R_P(e_i,e_j)e_j,e_i)</math><math>=\sum_j \mathrm{Ric}_P(e_j,e_j)</math>を点{{mvar|P}}における'''[[スカラー曲率]]'''({{lang-en-short|scalar curvature}})という<ref name="Tu208-209" />。|}} なお、書籍によっては本項のリッチ曲率、スカラー曲率をそれぞれ<math>\tfrac{1}{n-1}</math>倍、<math>\tfrac{1}{n(n-1)}</math>倍したものをリッチ曲率、スカラー曲率と呼んでいるものもある<ref>[[#Carmo]] p.97.</ref>ので注意されたい。 また断面曲率は<math>K_P(v,w)</math>という記号で表記する文献も多いが、後述するガウス曲率と区別するため、本稿では<math>\mathrm{Sec}_P(v,w)</math>という表記を採用した。 定義から明らかなように、以下が成立する: {{math theorem|定理| 断面曲率は<math>v,w</math>が貼る平面のみに依存する。すなわち<math>v,w</math>と<math>v',w'</math>が{{mvar|T{{sub|P}}M}}内の同一平面を貼れば以下が整理する: :<math>\mathrm{Sec}_P(v,w)=\mathrm{Sec}_P(v'.w')</math> |}} {{math theorem|定理| リッチ曲率は線形写像 : <math>w \to R(w,u)v</math> の[[跡 (線型代数学)|トレース]]に一致し<ref name="Tu208-209" />、スカラー曲率は、 :<math>\mathrm{Ric}_P(u,v)=g_P(\rho(u),v)</math> を満たす線形写像{{mvar|ρ}}のトレースに一致する<ref name="Tu208-209" />。 よって特にリッチ曲率、スカラー曲率の定義は基底<math>e_1,\ldots,e_m</math>の取り方によらない<ref name="Tu208-209" />。 |}} 実は断面曲率は曲率テンソルを特徴づける: {{math theorem| <math>(V,g)</math>を計量ベクトル空間とし、 : <math>R, R'~:~V^3 \to V</math> を各成分に対して線形な2つの写像とする。このとき、線形独立な任意のベクトル<math>v,w</math>に対し、 : <math>{g(R(v,w,w),v)\over g(v,v)g(w,w)-g(v,w)^2}={g(R'(v,w,w),v)\over g(v,v)g(w,w)-g(v,w)^2}</math> であれば{{refn|group="注"|断面曲率との関係性を示すために両辺の分母を表記したが、両辺の分母は同一であるので、実際には分母は必要ない。}}、{{mvar|R}}と{{mvar|R'}}は同一の写像である{{refn|[[#Carmo]] p.94.}}。 }} ==== 部分リーマン多様体における断面曲率 ==== {{Main|部分リーマン多様体の接続と曲率}}{{See also|Theorema Egregium}}{{Mvar|m}}次元リーマン多様体{{Mvar|M}}が別のリーマン多様体<math>\bar{M}</math>の余次元{{Mvar|1}}の部分リーマン多様体、すなわち<math>M \subset \bar{M}</math>、<math>\dim \bar{M} = \dim M +1</math>の場合は、以下が成立する<ref name="Carmo131">[[#Carmo]] p.131.</ref>:{{math theorem|定理|{{math|1=''i≠j''}}を満たす任意の{{math|1=''i'', ''j'' ∈{''1'',...,''m''}}}に対し、 : <math>\mathrm{Sec}_u(e_i,e_j)=\overline{\mathrm{Sec}}_u(e_i,e_j)+\kappa_i\kappa_j </math>}}ここで<math>e_1,\ldots,e_m</math>は点<math>u\in M</math>における主方向で<math>\kappa_1,\ldots,\kappa_m</math>を対応する[[主曲率]]であり、<math>\mathrm{Sec}_u(X,Y)</math>は{{Mvar|M}}の{{Mvar|u}}における断面曲率であり、<math>\overline{\mathrm{Sec}}_u(X,Y)</math>は<math>\bar{M}</math>の{{Mvar|u}}における断面曲率である。 よって特に{{Mvar|M}}が2次元リーマン多様体で<math>\bar{M}</math>が<math>\mathbb{R}^3</math>の場合は{{Mvar|M}}の断面曲率<math>\mathrm{Sec}_u(X,Y)</math>はガウス曲率{{Mvar|κ{{sub|1}}κ{{sub|2}}}}に一致する([[Theorema Egregium]])。 ===ホロノミーによる曲率の特徴づけ=== 本節ではホロノミーを使うことで曲率概念を特徴づけ、これにより曲率概念を多様体に[[Theorema Egregium|内在的な]]幾何学的な意味付けを与える。 まず記号を定義する。これまで通り<math>\nabla</math>をベクトルバンドル<math>\pi~:~E \to M</math>の接続とし、<math>U \in \mathbb{R}^2</math>を<math>\mathbb{R}^2</math>の原点''{{Mvar|O}}''の開近とし、''{{Mvar|U}}''の元を成分で<math>(x,y)</math>と表し、<math>\xi~:~U \to M</math>を埋め込みとし、{{Mvar|M}}上のベクトル場{{Mvar|X}}、{{Mvar|Y}}を : <math>X=\xi_*\left(\tfrac{\partial}{\partial x}\right)</math>、<math>Y=\xi_*\left(\tfrac{\partial}{\partial x}\right)</math> とする。<math>c(t) </math>を<math>\mathbb{R}^2 </math>上の以下のような閉曲線とする:<math>O \in \mathbb{R}^2</math>から<math>t </math>だけ右に動き、<math>t </math>だけ上に動き、<math>t </math>だけ左に動き、<math>t </math>だけ下に動く。 このとき<math>\xi\circ c(t) </math>に沿って、<math>\xi(O) </math>のファイバー<math>E_{\varphi(O)} </math>の元''{{Mvar|e}}''を平行移動したものは、 : <math>e_{t} = \Phi_Y^{-t}\circ\Phi_X^{-t}\circ\Phi_Y^t\circ\Phi_X^t(e) </math> に等しい。ここで<math>e' \in E</math>に対し、<math>\Phi^t_X(e') </math>、<math>\Phi^t_Y(e') </math>はそれぞれ<math>\pi(e') </math>から{{Mvar|X}}、{{Mvar|Y}}の[[積分曲線]]に沿って{{Mvar|t}}だけ進むのに合わせて<math>e' \in E</math>を平行移動したものである。{{math theorem|定理|次が成立する<ref>[[#Prasolov]] p.203.</ref><ref>[[#Rani]] p.22.</ref>: : <math>\Phi_Y^{-t}\circ\Phi_X^{-t}\circ\Phi_Y^t\circ\Phi_X^t(e) =e-t^2 R(X,Y)|_{\pi(e)}e + o(t^2) </math>|note=ホロノミーによる曲率の特徴づけ|}} すなわち、曲率<math>R(X,Y)</math>は、 : <math>R(X,Y)|_{\pi(e)}e = -\lim_{t\to 0}{\Phi_Y^{-t}\circ\Phi_X^{-t}\circ\Phi_Y^t\circ\Phi_X^t(e) -e \over t^2}</math> により特徴づけられる。よって直観的には曲率<math>R(X,Y)</math>は({{mvar|X}}、{{mvar|Y}}が可換になるように拡張した場合に){{mvar|X}}、{{mvar|Y}}が定める平行移動の非可換度合いを表している。 === 共変外微分による曲率の特徴づけ === 本節では共変外微分の概念を導入し、この概念を用いて曲率概念を特徴づける。 ==== 共変外微分 ==== まず共変外微分の概念を導入する。 <math>\pi~:~E \to M</math>をベクトルバンドルとし、 : <math>\nabla~:~\Gamma(E)\to \Gamma(T^*M \otimes E)</math> を{{Mvar|E}}の接続とし、 : <math>\mathcal{A}^p(M):=\Gamma(\wedge^pT^*M)</math>、<math>\mathcal{A}^p(E):=\Gamma(E\otimes\wedge^pT^*M)</math> とする。 {{math theorem|定義|  : <math>d^p_{\nabla}:\mathcal{A}^p(E) \to \mathcal{A}^{p+1}(E)</math> を : <math>d^p_{\nabla}(s\otimes\omega) = (\nabla s) \wedge \omega + s \otimes d\omega </math> for <math>\omega \in \mathcal{A}^p(M), s \in \Gamma(E)</math> を満たすように定義し、<math>d^p_{\nabla}</math>を'''共変外微分'''({{lang-en-short|covariant exterior differentiation}})という<ref name="小林43" />。 |note=共変外微分}} 共変外微分がwell-definedである事の証明は省略する。紛れがなければ添字の{{mvar|p}}を省略し、<math>d_{\nabla}</math>と書く。 共変外微分は以下を満たす: {{math theorem|定理|  : <math>d^0_{\nabla}=\nabla</math> : <math>d_{\nabla}(\eta \wedge \omega)=d_{\nabla}\eta \wedge \omega + (-1)^p\eta \wedge d_{\nabla}\omega</math> for <math>\eta \in \mathcal{A}^p(E), \omega \in \mathcal{A}^q(E)</math> |}} 共変外微分は通常の[[外微分]]と違い、 : <math>d_{\nabla}d_{\nabla}= 0</math> と'''なるとは限らない'''。しかし : <math>d_{\nabla}d_{\nabla}(s \otimes \omega)=d_{\nabla}((d_{\nabla} s) \wedge \omega + s \otimes d\omega)</math><math> = (d_{\nabla}d_{\nabla} s) \wedge \omega - d_{\nabla} s) \wedge d_{\nabla}\omega + d_{\nabla}s \wedge d\omega = (d_{\nabla}d_{\nabla} s) \wedge \omega </math> となるので、<math>s \in \Gamma(E) = \mathcal{A}^0(E)</math>に対して<math>d_{\nabla}d_{\nabla} s</math>が分かれば一般の<math>s \otimes \omega</math>に対して<math>d_{\nabla}d_{\nabla}(s \otimes \omega)</math>が計算できる事になる。 ====曲率の特徴づけ==== 実は<math>d_{\nabla}d_{\nabla} s</math>は曲率に一致する事が知られている: {{math theorem|定理|任意の<math>s\in \Gamma(E)</math>と任意の<math>X,Y\in \mathfrak{X}(M)</math>に対し、以下が成立する('''[[グレゴリオ・リッチ=クルバストロ|リッチ]]の恒等式'''({{lang-en-short|Ricci's identity}}))<ref name="小林43" />。 : <math>(d_{\nabla}d_{\nabla}s)(X,Y)=R(X,Y)s</math> |note=共変外微分による曲率の特徴づけ|}} なお、すでに述べたように<math>d_{\nabla}d_{\nabla} </math>は{{Mvar|0}}になるとは限らないが、<math>d_{\nabla}d_{\nabla}d_{\nabla} </math>は必ず{{Mvar|0}}になる事が知られており、この事実はビアンキの第二恒等式と同値である: {{math theorem|定理|任意の<math>s\in \Gamma(E)</math>に対し、以下が成立する('''ビアンキの第二恒等式'''({{lang-en-short|Bianchi's identity}}))<ref>[[#小林]] p.45.</ref>: : <math>d_{\nabla}d_{\nabla}d_{\nabla}=d_{\nabla}R=0</math>|}} == 一般の接続へ == {{Main|接続 (ファイバー束)}} これまで本項では共変微分{{Mvar|∇}}を用いて接続概念を考察してきたが、 実はむしろ{{Mvar|ω}}から接続概念を定義したほうが、数学的に有利である事が示唆される。その理由は2つある。 第一に、リーマン多様体であれば{{Mvar|∇}}から定義される曲率テンソルを使って記述できた恒等式、例えば(第二)構造方程式や(第二)ビアンキ恒等式は、一般のベクトルバンドルでは{{Mvar|ω}}を使わないと記述できない([[接続 (ベクトル束)#曲率|曲率の章]]を参照)。 第二に、接続概念において重要な役割を果たす平行移動の概念は接続形式''{{Mvar|ω}}''と強く関係しており、ベクトルバンドル<math>E \to M</math>の底空間''{{Mvar|M}}''の曲線<math>c(t)</math>に沿って定義された局所的な基底<math>(e_1(t),\ldots,e_m(t))</math>を''{{Mvar|t}}''で微分したものが接続形式<math>\omega(\tfrac{dc}{dt}(0)) </math>に一致する。 よって特に''{{Mvar|∇}}''が''{{Mvar|E}}''の計量と両立する接続の場合、''{{Mvar|∇}}''による平行移動は回転変換、すなわち<math>SO(n)</math>の元なので、その微分である接続形式''{{Mvar|ω}}''は<math>SO(n)</math>のリー代数<math>\mathfrak{so}(n)</math>の元、すなわち[[交代行列|歪対称行列]]である<ref group="注">厳密には以下の通りである。''{{Mvar|M}}''の曲線<math>c(t)</math>に沿って定義された局所的な基底<math>e(t)=(e_1(t),\ldots,e_n(t))</math>を考え、<math>e(0)</math>を<math>c(t)</math>に沿って平行移動したものを<math>\bar{e}(t)=(\bar{e}_1(t),\ldots,\bar{e}_n(t))</math>として行列<math>A(t)</math>を <math>e(t) = \bar{e}(t) A(t)</math> により定義すると、接続形式の定義より、 <math>e(0) \omega\left({d c\over dt}(0)\right) </math> が成立する。ここで<math>{\nabla \over dt} e(t)</math>は成分ごとの微分<math>\left({\nabla \over dt}e_1(t),\ldots, {\nabla \over dt}e_n(t)\right)</math>の事である。 {{Mvar|∇}}が計量と両立すれば、<math>\bar{e}(t)</math>は正規直交基底である。よって <math>e(t)</math>が正規直交基底であれば、<math>e(t) = \bar{e}(t) A(t)</math>より<math>A(t)</math>は回転変換であり、<math>A(t)</math>の微分は歪対称行列である。</ref>。 このように接続形式を用いるとベクトルバンドルの構造群(上の例では<math>SO(n)</math>)が接続形式の構造をリー群・リー代数対応により支配している事が見えやすくなる。 上では回転群<math> \mathrm{SO}(m)</math>の場合を説明したが、<math>\mathrm{GL}_n(\mathbb{C})</math>(を自然に<math>\mathrm{GL}_{2n}(\mathbb{R})</math>の部分群とみなしたもの)や<math>\mathrm{U}_n(\mathbb{C})</math>、[[物理学]]で重要な[[斜交群|シンプレクティック群]]や[[スピン群]]に対しても同種の性質が証明でき、接続形式がリー群・リー代数対応により支配されている事がわかる。 こうした事実は接続概念を直接リー群と接続形式とで記述する方が数学的に自然である事を示唆する。リー群の主バンドルの接続はこのアイデアを定式化したもので、主バンドルの接続は接続形式に相当するものを使って定義される。詳細は[[接続 (ファイバー束)]]の項目を参照されたい。 == 脚注 == === 出典 === {{reflist|20em}} === 注釈 === {{reflist|30em|group="注"}} == 関連項目 == * [[部分リーマン多様体の接続と曲率]] * [[ゲージ理論]] * [[チャーン・ヴェイユ理論]] * [[ガウス・ボネの定理|ガウス・ボンネの定理]] == 文献 == === 参考文献 === * {{Cite book|洋書|title=Differential Geometry: Connections, Curvature, and Characteristic Classes|date=2017/6/15|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=[[:en:Loring W. Tu|Loring W. Tu]]|series=[[Graduate Texts in Mathematics]]|volume=275|isbn=978-3319550824|ref=Tu}} * {{Cite web |url=https://maths-people.anu.edu.au/~andrews/DG/ |title=Lectures on Differential Geometry |access-date=2022/12/28 |publisher=Australian National University |author=Ben Andrews |ref=Andrews}} * {{Cite web |url=http://staff.ustc.edu.cn/~wangzuoq/Courses/18F-Manifolds/Notes/Lec29.pdf |title=LECTURE 29: CONNECTIONS AND CURVATURES |access-date=2022/12/29 |author=Zuoqin Wang |publisher=[[中国科学技術大学]] |ref=Wang}} * {{cite book|和書|title=微分形式の幾何学2|date=2001/05/23|publisher=[[岩波書店]]|ref=森田|author=森田茂之|series=岩波講座 現代数学の基礎|volume=14|isbn=978-4000110143|url=https://www.iwanami.co.jp/book/b480194.html}} * {{cite book|title=A Comprehensive Introduction to Differential Geometry|publisher=Publish or Perish, Incorporated|ref=Spivak|author=Michael Spivak|volume=VOLUME TWO|isbn=978-0914098805|洋書|edition=Second Edition}} * {{cite book|title=A Comprehensive Introduction to Differential Geometry|publisher=Publish or Perish, Incorporated|ref=Spivak5|author=Michael Spivak|volume=VOLUME FIVE|isbn=978-0914098744|洋書|edition=Third Edition}} * {{cite book|title=Riemannian Geometry|date=1994/2/24|publisher=Birkhauser Boston|ref=Carmo|author=Manfredo P. do Carmo|series=Mathematics: Theory & Applications|isbn=978-0817634902|洋書|translator=Francis Flaherty}} * {{Cite book|和書 |title=微分幾何学Ⅰ |year=1977 |publisher=岩波出版 |month=8 |series=[[岩波講座 基礎数学]] |author=佐々木重夫 |volume=13 |ref=佐々木}} * {{Cite book|和書 |title=接続の微分幾何とゲージ理論 |date=1989/5/15 |publisher=[[裳華房]] |author=[[小林昭七]] |isbn=978-4785310585 |ref=小林}} * {{Cite book|和書 |title=曲線と曲面の微分幾何 |date=1977/8/20 |author=小林昭七 |publisher=裳華房 |series=基礎数学選書 17 |ASIN=B000J8X6V8 |isbn=4-7853-1119-3|ref=小林77}} * {{Cite book|洋書|title=Riemannean Manifolds An introduction to curvature.|date=1997/9/23|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=John M. Lee|series=[[Graduate Texts in Mathematics]]|volume=176|isbn=978-0387983226|ref=Lee}} * {{Cite book|洋書|title=Differential Geometry|date=2022/2/11|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Victor V. Prasolov|series=Moscow Lectures|volume=8|isbn=978-3030922481|ref=Prasolov|translator=Olga Sipacheva}} * {{Cite book|洋書|title=A Panoramic View of Riemannian Geometry|date=2003/6/15|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Marcel Berger|isbn=978-3540653172|ref=Berger|}} * {{Cite web |url=https://web.math.ku.dk/~moller/students/rani.pdf |title=On Parallel Transport and Curvature |access-date=2023/01/13 |author=Raffaele Rani |ref=Rani}} * {{Cite web |url=https://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~ando/okayamaunivlect.pdf |title=曲面の幾何学 —Hopf の定理およびその証明— |access-date=2023/01/14 |publisher=[[熊本大学]] |author=安藤直也 |ref=安藤}} * {{cite book|和書|title=相対性理論の数理|date=2021/6/22|publisher=[[日本評論社]]|ref=新井|author= 新井朝雄||isbn=978-4535789289}} * {{Cite web |url=https://math.berkeley.edu/~alanw/240papers00/zhu.pdf|title=THE GAUSS-BONNET THEOREM AND ITS APPLICATIONS|access-date=2023/03/16 |publisher=[[カリフォルニア大学バークレー校]] |author=Chenchang Zhu |ref=Zhu}} * {{Cite book|洋書|title=Historical development of the Gauss-Bonnet theorem|date=1997/9/23|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Hung-Hsi Wu|series=Science in China Series A: Mathematics vol. 51, No.4|ref=Wu}} * {{Cite book|洋書|title=Curves and Surfaces|date=2011/10/6|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|author=Marco Abate, Francesca Tovena|series=UNITEXT|isbn=978-8847019409|ref=Abate}} * {{Cite book|洋書|title=Tubes|edition=2|date=2003/11/27|publisher=Birkhaeuser|author=Alfred Gray |series=Progress in Mathematics|volume=221|isbn=978-3764369071|ref=Grey}} * {{Cite book|洋書|title=Aspects of Differential Geometry I|date=2022/5/31|publisher=Springer|author= Peter Gilkey, JeongHyeong Park, Ramón Vázquez-Lorenzo |series=Synthesis Lectures on Mathematics & Statistics |volume=15|isbn=978-3-031-02407-8|ref=Gilkey}} * {{Cite book|洋書|title= Submanifold Theory Beyond an Introduction|date=2019/8/2|publisher=Springer|author= Marcos Dajczer, Ruy Tojeiro|series=Universitext|isbn=978-1-4939-9644-5|ref=Dajczer}} * {{Cite web |url=https://arxiv.org/abs/1111.4972 |title=The Gauss-Bonnet-Chern Theorem on Riemannian Manifolds |access-date=2023/05/18 |author=Yin Li |format=PDF|ref=Li}} * {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1|title=Differentialgeometrie I|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter3.pdf|title=Chapter 3: Connections|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl3}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter4.pdf|title=Chapter 4: Natural constructions on vector bundles|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl4}} ** {{Cite web|url=https://www2.mathematik.hu-berlin.de/~wendl/Winter2016/DiffGeo1/connections_chapter5.pdf|title=Chapter 5: Curvature on bundles|access-date=2023/08/24|author=Chris Wendl|ref=Wendl5}} * {{Cite book|洋書|title=Natural Operators in Differential Geometry|date=2009/12/28|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|authors=Ivan Kolář, Jan Slovák, Peter W. Michor|isbn=978-3642081491|ref=Kolar}} * {{Cite web|url=https://www.ime.usp.br/~piccione/Downloads/GStructure.pdf|title=The theory of connections and G-structures. Applications to affine and isometric immersions|publisher=[[サンパウロ大学]]|ref=Piccione|author=Paolo Piccione, Daniel V. Tausk|access-date=2023/10/10}} * {{Cite book|洋書|title=Lectures On Fibre Bundles and Differential Geometry|date=1987/1/1|publisher=[[シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア|Springer]]|authors=J.L. Koszul, S.Ramanan|isbn=978-3540128762|ref=Koszul}} * {{cite book |series=Wiley Classics Library |title=[[:en:Foundations of Differential Geometry|Foundations of Differential Geometry]] Volume I |publisher=Wiley |date=2009 |orig-year=1963 |isbn=978-0-471-15733-5 |zbl=0119.37502 |author2=[[野水克己|Katsumi Nomizu]] |author=[[小林昭七|Shishichi Kobayashi]] |ref=Kobayashi-Nomizu-1}} * {{cite book |author2=Katsumi Nomizu |author=Shishichi Kobayashi |series=Wiley Classics Library |title=Foundations of Differential Geometry Volume II |publisher=Wiley |location= |date=2009 |orig-year=1969 |isbn=978-0-471-15732-8 |zbl=0175.48504 |ref=Kobayashi-Nomizu-2}} === その他 === * {{Cite book | 和書 | author=野水克己|authorlink=野水克己| title=現代微分幾何入門 | publisher=[[裳華房]] | series=基礎数学選書 | year=1981 | ref=野水(1981) }} * {{Cite book | 和書 | author1=茂木勇|author2=伊藤光弘|authorlink1=茂木勇| title=微分幾何学とゲージ理論 | publisher=[[共立出版]] | year=1986 | ref=茂木(1986) }} * {{Cite book | 和書 | |last = リーマン|last2 = リッチ|last3 = レビ=チビタ|last4 = アインシュタイン |authorlink = ベルンハルト・リーマン|authorlink3 = トゥーリオ・レヴィ=チヴィタ|authorlink2 = グレゴリオ・リッチ=クルバストロ|authorlink4 = アルバート・アインシュタイン|coauthors = マイヤー | title=リーマン幾何とその応用 | editor=矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎(訳)|editor-link=矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎 | year=1971 | publisher=共立出版 | ref=矢野(1971) }} * {{Cite book | 和書 | author=矢野健太郎 | title=微分幾何学 | publisher=[[朝倉書店]] | year=1949 | ref=矢野(1949) }} * {{Cite book | 和書 | author=佐武一郎|authorlink=佐武一郎|year=1974|title=線型代数学|publisher=[[裳華房]]}} {{DEFAULTSORT:せつそく}} [[Category:接続 (数学)]] [[Category:微分幾何学]] [[Category:リーマン幾何学]] [[Category:数理物理学]] [[Category:数学に関する記事]]
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アジアビジョン
アジアビジョンとは、フジテレビジョンの初代社長水野成夫が提出した国際放送ネットワーク構想、およびこの構想を実現させるために設立した会社である。 この構想は水野が打ち出し、フジテレビ二代目社長の鹿内信隆が継承した。日本(フジテレビ)がリードし、アメリカ統治下の沖縄、台湾(中華民国)など、東南アジアをカバーするテレビネットワーク構想である。当時、フジテレビ系列の地方での加盟局がまだ少なかったなか、アジアビジョン構想はグローバル化時代を先取りした計画とも言える。 この構想を実現させるために、フジテレビがアジアビジョンという子会社を設立し、東南アジアでのテレビ局設立計画と調査作業を行った。しかし、開局まで漕ぎ着けたのは沖縄テレビのフジ系列入り、および台湾電視公司の開局だけだった。そのほかの成果として、1961年、フジテレビはフィリピンのIntercontinental Broadcasting Corporation(英語版)(IBC)と連携協定を締結したことがあげられる。 沖縄テレビは開局前からフジテレビに援助を訴えた。結果、フジテレビは沖縄テレビと合弁で「東京沖縄テレビ放送株式会社」を設立し、出資はフジテレビと沖縄テレビが半々だった。しかし、1962年4月1日、フジテレビがアジアビジョン社を設立し、東京沖縄テレビはアジアビジョンに吸収合併された。アジアビジョン自体も1966年に休眠状態に入り、沖縄テレビの部門は沖縄テレビ東京支社・関西支社に改編され、その他の業務はフジテレビ本社にひきとられたが、アジアビジョン社自体は1976年度まで存続していた。 台湾では1961年に「台湾電視事業準備委員会」が設立され、フジテレビ、NEC、東芝、日立四社がそれぞれ3.000万円、合計1.2億円を出資し、台湾電視公司の開局に参画した。1962年2月28日、フジテレビは台湾電視事業準備委員会と提携協定を調印した。4月28日、台湾電視事業準備委員会は台湾電視公司に改編され、10月10日から放送を開始した。その後、2007年の完全民営化まで、フジテレビは台湾電視公司の主要株主であり続け、役員を派遣したこともあった。
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アジアビジョンとは、フジテレビジョンの初代社長水野成夫が提出した国際放送ネットワーク構想、およびこの構想を実現させるために設立した会社である。 この構想は水野が打ち出し、フジテレビ二代目社長の鹿内信隆が継承した。日本(フジテレビ)がリードし、アメリカ統治下の沖縄、台湾(中華民国)など、東南アジアをカバーするテレビネットワーク構想である。当時、フジテレビ系列の地方での加盟局がまだ少なかったなか、アジアビジョン構想はグローバル化時代を先取りした計画とも言える。 この構想を実現させるために、フジテレビがアジアビジョンという子会社を設立し、東南アジアでのテレビ局設立計画と調査作業を行った。しかし、開局まで漕ぎ着けたのは沖縄テレビのフジ系列入り、および台湾電視公司の開局だけだった。そのほかの成果として、1961年、フジテレビはフィリピンのIntercontinental Broadcasting Corporation(IBC)と連携協定を締結したことがあげられる。
'''アジアビジョン'''とは、[[フジテレビジョン]]の初代社長[[水野成夫]]が提出した国際[[放送]][[ネットワーク (放送)|ネットワーク]]構想、およびこの構想を実現させるために設立した会社である。 この構想は水野が打ち出し、フジテレビ二代目社長の[[鹿内信隆]]が継承した。日本(フジテレビ)がリードし、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカ統治下の沖縄]]、[[台湾]]([[中華民国]])など、[[東南アジア]]をカバーするテレビネットワーク構想である。当時、フジテレビ系列の地方での加盟局がまだ少なかったなか、アジアビジョン構想はグローバル化時代を先取りした計画とも言える<ref group="OTV30" name="23p">{{Cite book|和書|editor=沖縄テレビ放送総合企画室|title=沖縄テレビ30年史|publisher=沖縄テレビ放送 |date=1989-11|page=23|id={{NDLJP|000002072354}}}}</ref>。 この構想を実現させるために、フジテレビがアジアビジョンという子会社を設立し、東南アジアでのテレビ局設立計画と調査作業を行った。しかし、開局まで漕ぎ着けたのは[[沖縄テレビ]]のフジ系列入り、および[[台湾電視公司]]の開局だけだった。そのほかの成果として、1961年、フジテレビは[[フィリピン]]の{{仮リンク|Intercontinental Broadcasting Corporation|en|Intercontinental Broadcasting Corporation}}(IBC)と連携協定を締結したことがあげられる<ref group="CX50" name="47p">{{Cite book|和書|editor=フジテレビジョン|title=フジテレビジョン開局50年史 : 1959-2009|publisher=フジ・メディア・ホールディングス|date=2009-08|page=47|id={{NDLJP|000010508886}}}}</ref>。 == 沖縄テレビ == 沖縄テレビは開局前からフジテレビに援助を訴えた。結果、フジテレビは沖縄テレビと合弁で「東京沖縄テレビ放送株式会社」を設立し、出資はフジテレビと沖縄テレビが半々だった<ref group="OTV30" name="24p">{{Cite book|和書|editor=沖縄テレビ放送総合企画室|title=沖縄テレビ30年史|publisher=沖縄テレビ放送 |date=1989-11|page=24|id={{NDLJP|000002072354}}}}</ref>。しかし、1962年4月1日、フジテレビがアジアビジョン社を設立し、東京沖縄テレビはアジアビジョンに吸収合併された。アジアビジョン自体も1966年に休眠状態に入り、沖縄テレビの部門は沖縄テレビ東京支社・関西支社に改編され、その他の業務はフジテレビ本社にひきとられたが<ref group="OTV30" name="25p">{{Cite book|和書|editor=沖縄テレビ放送総合企画室|title=沖縄テレビ30年史|publisher=沖縄テレビ放送 |date=1989-11|page=25|id={{NDLJP|000002072354}}}}</ref>、アジアビジョン社自体は1976年度まで存続していた<ref group="nenkan" name="nenkan1977">{{Cite book|和書|editor=日本民間放送連盟|title=日本放送年鑑 1977|publisher=洋文社|date=1977-12|page=173|id={{NDLJP|000001365404}}}}</ref>。 == 台湾電視公司 == 台湾では1961年に「台湾電視事業準備委員会」が設立され、フジテレビ、[[NEC]]、[[東芝]]、[[日立製作所|日立]]四社がそれぞれ3.000万円、合計1.2億円を出資し、台湾電視公司の開局に参画した<ref group="TTV30" name="p342">{{Cite book|editor=臺視三十年編輯委員會|title=台視三十年:中華民國五十一年至八十一年|publisher=臺灣電視公司|date=1992-04|page=342}}</ref>。1962年2月28日、フジテレビは台湾電視事業準備委員会と提携協定を調印した。4月28日、台湾電視事業準備委員会は台湾電視公司に改編され、10月10日から放送を開始した<ref>{{Cite web|url=https://info-material.pts.org.tw/action/act0002.pdf|title=開鏡02|accessdate=2023-11-08}}</ref>。その後、2007年の完全民営化まで、フジテレビは台湾電視公司の主要株主であり続け、役員を派遣したこともあった<ref>{{Cite web|url=https://ntujournal.typepad.com/files/%E6%9E%97%E9%BA%97%E9%9B%B2.-2006.-%E5%A8%81%E6%AC%8A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%B8%8B%E5%8F%B0%E7%81%A3%E9%9B%BB%E8%A6%96%E8%B3%87%E6%9C%AC%E7%9A%84%E5%BD%A2%E6%88%90.-%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E5%82%B3%E6%92%AD%E5%AD%B8%E5%88%8A10-71-112..pdf|title=威權主義下台灣電視資本的形成|accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Reflist|group="OTV30"}} {{Reflist|group="CX50"}} {{Reflist|group="nenkan"}} {{Reflist|group="TTV30"}} {{フジサンケイグループ}} {{フジテレビジョン}} {{DEFAULTSORT:あしあひしよん}} [[Category:フジサンケイグループ|*]] [[Category:フジテレビの歴史|*]] [[Category:沖縄テレビ放送|*]]
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山本敏行
山本 敏行(やまもと としゆき、1979年3月21日 - )は、大阪府寝屋川市出身の起業家、投資家。弟はChatworkCEOの山本正喜。 Chatwork創業者、Power Angels(旧:SEVEN)CEO、一般社団法人日本エンジェル投資家協会代表理事。 音楽スタジオを営む山本家の長男として出生。高祖父は校長、曽祖父は大企業役員、祖父も大企業役員という典型的な真面目で厳格な家系で育つ。父親だけは異端児で、音楽スタジオを起業。「英語とコンピューターだけはやっとけ」「東京とアメリカにコンプレックスを持つな!」と言われてきた。母親はとても楽観的な性格で「あなたはできる子や」と言われ続けた結果、勘違いして根拠ない自信となり、小学生時代は、自分の持ち物の名前はすべて「山本敏行天才」の6文字で書いていた。 小学校高学年の時に、ラジコンを買うために貯めたお金を中学生からカツアゲされる。ラジコンを買うお金欲しさから内職を始めて1か月3万円を稼ぎ、自力でラジコンを手に入れた成功体験からビジネスに目覚める。 「強いものに負けたくない」という思いから、格闘技系の部活がある大阪桐蔭高等学校へ入学。日本拳法部に所属し、全国大会でベスト16の成績を残す。弟も同じ高校に入学し、勉強とコンピューターでゲーム作りに没頭するいわゆるオタクだった。弟の影響から自身もパソコンとインターネットにのめり込む。「売ります買います掲示板」や「お仕事掲示板」「趣味の掲示板」に目をつけ、自分の持ち物を販売。売るものが無くなってからは、在宅で仕事をしたい主婦向けに求人情報を売って、月20万円を売り上げる高校生になった。進学校の同級生の理解の範囲を超えていたためか、あだ名が「犯罪者」となる。いつも時代の5年先のことを手がけていた。 勉強嫌いでビジネスと部活ばかりやっていたため、戦略的に中央大学商学部の夜間部に入学し上京。昼は部活で夜中は仕事をするという大学生活を送っていたが、家は体育会系部活の同期の溜り場になっていたため、朝方に友人達が帰ってから隠れてビジネスをしていた。大学2年に上がる時に昼に転部。酔っ払った同期の仲間と真冬の川に入り、自作のモリで捕まえた鯉をアパートの風呂で飼っていたことがある。 大学3年の時にMicrosoft NetMeetingを通して台湾人女性に出会う。語学が堪能、株で儲けている彼女にアタックするも、ロサンゼルスに留学が決まっていると告げられる。英語もアメリカも興味がなかったのに、彼女を追いかけて大学を休学し1年間ロサンゼルスに留学。時は2000年のドットコムバブル全盛だった。ロサンゼルスから日本企業向けにホームページの売上アップ支援サービスを開始し、EC studioを設立。 ロサンゼルスから帰国後は、大阪で父親の会社を手伝いながら、自身の事業を掛け持ちしていた。音楽スタジオを継がせたい父親との軋轢で、人生はこんなに辛いのかという2年半を過ごしていた。自分のビジネスでやっていくと決意し、2004年に法人化するに至った 。4か月くらいが経った頃、社員が次々と辞めてしまうピンチが訪れ、経営を学び直すために1年に1,000人の社長に会いに行く 。「日本人をもっと輝かせたい、ITでもっと日本をよくしたい」という思いに気付き、大きな転機となった。人事コンサルティングのリンクアンドモチベーションの企業診断で、2年連続「社員満足度1位」となった実績を持つ。 株式会社EC studioは2011年にビジネスチャットツール「Chatwork」をリリースし、英語圏展開の市場調査を兼ねてサンフランシスコにある米国法人btraxで2か月インターンシップをする。2012年4月にサービス名と合わせてChatwork株式会社に社名変更。2018年Chatwork株式会社のCEOを弟の山本正喜に譲り、翌2019年東証マザーズへ550億円超の時価総額で上場。 2012年2月に米国法人ChatWork Inc.をシリコンバレーに設立し、自身も移住した。IT業界において、これまで日本製のビジネスツールが世界のプラットフォームになった事例がなく、「Chatwork」は国産初のグローバルで通用するビジネスプラットフォームを目指していた。グローバルに広げることで、世界中の働き方を変えて全社員を対象として合宿研修「シリコンバレーマインドのインストール」を行っていた。徹底的な「社員第一主義」を貫き、まず身近な人を幸せにするために自ら積極的に行動する、がモット-。ナスダック上場を目指すも、Microsoft Teamsの登場の話を受け、シリコンバレーで5年間経営をした後に帰国。 2015年5月、安倍首相がシリコンバレー訪問の際に、シリコンバレーで活躍する日本人起業家を集めた朝食会にも参加。 Chatworkを譲渡した後、2020年7月エンジェル投資家と起業家を結ぶコミュニティ株式会社Power Angels(旧・SEVEN)を発足。 2023年10月18日に、一般社団法人日本エンジェル投資家協会を設立、代表理事に就任。
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山本 敏行は、大阪府寝屋川市出身の起業家、投資家。弟はChatworkCEOの山本正喜。 Chatwork創業者、Power Angels(旧:SEVEN)CEO、一般社団法人日本エンジェル投資家協会代表理事。
{{Infobox 人物 |氏名= 山本 敏行 |ふりがな= やまもと としゆき |画像= Toshiyuki Yamamoto Profile Picture.jpg |画像サイズ= |画像説明= |生年月日= {{生年月日と年齢|1979|03|21}} |生誕地= 大阪府寝屋川市 |国籍= {{JPN}} |職業= [[起業家]]、[[投資家]] |活動期間= 2000年 - |代表作= {{Plainlist}} * 『放課後は高校生起業家』(2022年) * 『自分がいなくてもうまくいく仕組み』(2013年) * 『日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方』(2010年) {{Endplainlist}} |肩書き= {{Plainlist}} * [[Chatwork (企業)|Chatwork株式会社]]創業者 * 株式会社Power Angels CEO * 一般社団法人[[日本エンジェル投資家協会]]代表理事 {{Endplainlist}} }} '''山本 敏行'''(やまもと としゆき、[[1979年]][[3月21日]] - )は、[[大阪府]][[寝屋川市]]出身の起業家、投資家。弟は[[Chatwork (企業)|Chatwork]]CEOの[[山本正喜]]。 Chatwork創業者、Power Angels(旧:SEVEN)CEO、[[一般社団法人]]日本エンジェル投資家協会代表理事。 == 経歴 == === 出生・幼少期 === 音楽スタジオを営む山本家の長男として出生。高祖父は校長、曽祖父は大企業役員、祖父も大企業役員という典型的な真面目で厳格な家系で育つ。父親だけは異端児で、音楽スタジオを起業。「英語とコンピューターだけはやっとけ」「東京とアメリカにコンプレックスを持つな!」と言われてきた。母親はとても楽観的な性格で「あなたはできる子や」と言われ続けた結果、勘違いして根拠ない自信となり、小学生時代は、自分の持ち物の名前はすべて「山本敏行天才」の6文字で書いていた<ref name=":0">{{Cite web |title=放課後は高校生起業家/山本敏行 著 - ユニコーン出版 |url=https://www.unicorn-pub.jp/book/toshiyuki_yamamoto/ 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|access-date=2023-11-08}}</ref>。いつも時代の5年先のことを手がけていた<ref>{{Cite web |title=「EC studio」を作った男が、すべてを捨てて世界を目指す理由 |url=https://newspicks.com/news/1293242/ |website=NewsPicks |date=2015-12-10 |access-date=2023-11-08 |first=呉 |last=琢磨}}</ref>。 勉強嫌いでビジネスと部活ばかりやっていたため、戦略的に[[中央大学]]商学部の夜間部に入学し上京。昼は部活で夜中は仕事をするという大学生活を送っていたが、家は体育会系部活の同期の溜り場になっていたため、朝方に友人達が帰ってから隠れてビジネスをしていた<ref name=":0" />。大学2年に上がる時に昼に転部。酔っ払った同期の仲間と真冬の川に入り、自作のモリで捕まえた鯉をアパートの風呂で飼っていたことがある<ref name=":0" />。 大学3年の時に[[Microsoft NetMeeting]]を通して台湾人女性に出会う。語学が堪能、株で儲けている彼女にアタックするも、[[ロサンゼルス]]に留学が決まっていると告げられる。英語もアメリカも興味がなかったのに、彼女を追いかけて大学を休学し1年間ロサンゼルスに留学<ref name=":1" />。時は2000年の[[ドットコムバブル]]全盛だった。ロサンゼルスから日本企業向けにホームページの売上アップ支援サービスを開始し、EC studioを設立<ref name=":2">{{Cite web |title=ChatWork株式会社・山本敏行社長|経営者タイムズ関西 |url=https://interview.interpresident.jp/kansai/chatwork/ |website=経営者タイムズ |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 === Chatwork起業 === ロサンゼルスから帰国後は、大阪で父親の会社を手伝いながら、自身の事業を掛け持ちしていた。音楽スタジオを継がせたい父親との軋轢で、人生はこんなに辛いのかという2年半を過ごしていた。自分のビジネスでやっていくと決意し、2004年に法人化するに至った<ref name=":1" /> <ref name=":2" />。4か月くらいが経った頃、社員が次々と辞めてしまうピンチが訪れ、経営を学び直すために1年に1,000人の社長に会いに行く<ref>{{Cite web |title=1 Year, 1,000 CEOs: How to Dramatically Improve Your Culture in 365 Days |url=https://www.entrepreneur.com/growing-a-business/1-year-1000-ceos-how-to-dramatically-improve-your/282781 |website=Entrepreneur |date=2016-11-02 |access-date=2023-11-08 |language=en |first=Toshi |last=Yamamoto}}</ref> <ref>{{Cite web |title=「社員が辞めるのは根性がないから」から、いかにして脱却したか──ChatWork社長 山本敏行 |url=https://www.gqjapan.jp/life/business/20160118/my-player-coach-age-vol23 |website=GQ JAPAN |date=2016-01-21 |access-date=2023-11-08 |language=ja-JP |first=Condé |last=Nast}}</ref>。「日本人をもっと輝かせたい、ITでもっと日本をよくしたい」という思いに気付き、大きな転機となった。人事コンサルティングのリンクアンドモチベーションの企業診断で、2年連続「社員満足度1位」となった実績を持つ<ref>{{Cite web |title=「社員満足度1位」を実現したモーレツ社長の後悔 |url=https://reskill.nikkei.com/article/DGXMZO13000820W7A210C1000000/ |website=NIKKEIリスキリング |date=2017-02-25 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 株式会社EC studioは2011年にビジネスチャットツール「Chatwork」をリリースし、英語圏展開の市場調査を兼ねて[[サンフランシスコ]]にある米国法人btraxで2か月[[インターンシップ]]をする<ref>{{Cite web |title=アメリカ企業にインターンして気づいた世界進出へのポイント (前編) デザイン会社 ビートラックス: ブログ |url=https://blog.btrax.com/jp/intern-presiden/ |website=アメリカ企業にインターンして気づいた世界進出へのポイント (前編) デザイン会社 ビートラックス: ブログ |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。2012年4月にサービス名と合わせてChatwork株式会社に社名変更<ref>{{Cite web |title=ChatWork株式会社 代表取締役 山本 敏行 {{!}} 経営者通信Online |url=https://k-tsushin.jp/interview/nvc2017-session-chatwork/ |date=2020-12-25 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。2018年Chatwork株式会社のCEOを弟の山本正喜に譲り、翌2019年[[東証マザーズ]]へ550億円超の時価総額で上場<ref name=":3">{{Cite web |title=スタートアップを支えてこの国を豊かにする。Chatwork創業者が見たシリコンバレーと起業家たち。/豊かさの本質を見つめる/コンストラクション・マネジメントのプラスPM |url=https://www.plusweb.co.jp/vision/vol05.html |website=www.plusweb.co.jp |access-date=2023-11-08 |language=ja |last=プラスPM}}</ref>。 === シリコンバレー起業 === 2012年2月に米国法人ChatWork Inc.を[[シリコンバレー]]に設立し、自身も移住した。IT業界において、これまで日本製のビジネスツールが世界のプラットフォームになった事例がなく、「Chatwork」は国産初のグローバルで通用するビジネスプラットフォームを目指していた<ref name=":2" />。グローバルに広げることで、世界中の働き方を変えて全社員を対象として合宿研修「シリコンバレーマインドのインストール」を行っていた。徹底的な「社員第一主義」を貫き、まず身近な人を幸せにするために自ら積極的に行動する、がモット-<ref>{{Cite web |title=働きやすさ日本一の会社が追求する「社員第一主義」の本質 |url=https://newspicks.com/news/1295233/ |website=NewsPicks |date=2015-12-11 |access-date=2023-11-08 |first=呉 |last=琢磨}}</ref>。ナスダック上場を目指すも、[[Microsoft Teams]]の登場の話を受け、シリコンバレーで5年間経営をした後に帰国<ref name=":3" />。 2015年5月、安倍首相がシリコンバレー訪問の際に、シリコンバレーで活躍する日本人起業家を集めた朝食会にも参加<ref name=":1" />。 === 高校生起業家・エンジェル投資家の育成 === Chatworkを譲渡した後、2020年7月[[エンジェル投資家]]と[[起業家]]を結ぶコミュニティ株式会社Power Angels(旧・SEVEN)を発足<ref>{{Cite web |title=【資金調達特集】Chatwork創業者がその経験を注ぎ込み、オンライン/オフライン両面から仕掛ける「エンジェル投資家×起業家」コミュニティSEVENの中身を聞いてみた {{!}} 品川スタートアップナビ |url=https://shinagawa-ism.com/interview/interview-2199/ |website=shinagawa-ism.com |date=2023-04-24 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 2023年10月18日に、一般社団法人[[日本エンジェル投資家協会]]を設立、代表理事に就任<ref>{{Cite web |title=Chatwork創業者ら、エンジェル投資家協会を設立 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF10C910Q3A011C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-10-17 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 === 略歴 === * 1997年(平成9年) 3月 - 大阪桐蔭高等学校卒業 * 2000年(平成12年) 7月 - EC studio設立 * 2002年(平成14年) 3月 - 中央大学商学部卒業 * 2004年(平成16年) 11月 - 有限会社EC studio CEO * 2005年(平成17年) 12月 - 株式会社 EC studioへ組織変更 * 2012年(平成24年) 2月 - 米国法人ChatWork Inc.をシリコンバレーに設立 * 2012年(平成24年) 4月 - Chatwork株式会社へ社名変更 * 2018年(平成30年) 6月 - Chatwork株式会社CEOを弟に譲渡 * 2019年(令和元年) 9月 - Chatwork株式会社が東証マザーズ(現:東証グロース)上場 * 2020年(令和2年)7月 - 株式会社Power Angels(旧・SEVEN)CEO * 2023年(令和5年)10月 - 一般社団法人日本エンジェル投資家協会代表理事 == 著書 == * 2010年(平成22年)2月 - 『iPhoneとツイッターで会社は儲かる』 {{ASIN|4839934444}} * 2010年(平成22年) 11月 -『日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方』 {{ASIN|4797361123}} * 2013年(平成25年)5月 - 『自分がいなくてもうまくいく仕組み』 {{ASIN|B00E3786V6}} * 2021年(令和3年)9月 - 『投資家と起業家』 * 2022年(令和4年)6月 - 『放課後は高校生起業家』 {{ASIN|4910829016}} == 出典 == <references /> == 外部リンク == * {{Facebook|t4t4.me}} * {{Twitter|Power_Angels7}} * [https://power-angels.com/ Power Angels] * [https://j-angel.jp/ 一般社団法人日本エンジェル投資家協会] {{DEFAULTSORT:やまもと としゆき}} [[Category:21世紀日本の実業家]] [[Category:日本の企業創立者]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:大阪桐蔭高等学校出身の人物]] [[Category:中央大学出身の人物]] [[Category:1979年生]] [[Category:存命人物]]
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近衛増運
近衛 増運(このえ ぞううん、1434年(永享6年) - 1493年(明応2年))は、室町時代の天台宗の僧侶。実相院の門跡。園城寺の長吏。父は近衛房嗣。称号は准后。 関白・近衛房嗣の子供として生まれる。母は不明。兄弟に教基・政家・道興・政深・近衛政弁がいる。 兄弟の道興・政深・政弁と同様に仏門に入り、天台宗の僧となり、実相院の門跡となった後、園城寺の長吏となる。 1493年(明応2年)、死去。
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近衛 増運は、室町時代の天台宗の僧侶。実相院の門跡。園城寺の長吏。父は近衛房嗣。称号は准后。
{{Infobox Buddhist |名前 = 増運 |生没年 = [[1434年]]([[永享]]6年) - [[1493年]]([[明応]]2年) |諡号 = 増運 |尊称 = |生地 = |没地 = |画像 = |説明文 = |宗派 = [[天台宗]] |寺院 = [[園城寺]]<br />[[実相院]] |師 = |弟子 = |著作 = }} '''近衛 増運'''(このえ ぞううん、[[1434年]]([[永享]]6年) - [[1494年]][[1月3日]]([[明応]]2年[[11月26日 (旧暦)|11月26日]])<ref>東京大学史料編纂所 編『史料綜覧 巻8』(印刷局朝陽会、1933年)p.707</ref>)は、[[室町時代]]の[[天台宗]]の[[僧侶]]。[[実相院]]の[[門跡]]。[[園城寺]]の[[長吏]]。父は[[近衛房嗣]]。称号は[[准后]]。 == 生涯 == [[関白]]・[[近衛房嗣]]の子供として生まれる。母は不明。兄弟に[[近衛教基|教基]]・[[近衛政家|政家]]・[[道興]]・[[近衛政深|政深]]・[[近衛政弁]]がいる<ref name=":0">『近衛家一族の群像』([[歴史研究会]]){{要ページ番号|date=2023年11月}}</ref>。 兄弟の道興・政深・政弁と同様に仏門に入り、[[天台宗]]の僧となり、[[実相院]]の門跡となった後、[[園城寺]]の長吏となる<ref name=":0" /><ref>『公卿辞典〔3訂増補〕』([[国書刊行会]]、[[1994年]]){{要ページ番号|date=2023年11月}}</ref>。 [[1493年]]([[明応]]2年)、死去<ref>『廻国雑記の研究』([[武蔵野書院]]、[[1987年]]){{要ページ番号|date=2023年11月}}</ref>。 == 脚注 == <references /> {{Buddhism-stub}} {{DEFAULTSORT:このえ そううん}} [[Category:近衛家|そううん]] [[Category:室町・安土桃山時代の僧]] [[Category:天台宗の僧]] [[Category:天台寺門宗]] [[Category:1434年生]] [[Category:1494年没]]
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ウェット・ホット・アメリカン・サマー: キャンプ1日目
『ウェット・ホット・アメリカン・サマー: あれから10年』(Wet Hot American Summer: First Day of Camp)は、デヴィッド・ウェインとマイケル・ショーウォルターが脚本を書き、ウェインが監督したアメリカの風刺コメディテレビミニシリーズ。 ※括弧内は日本語吹替。
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『ウェット・ホット・アメリカン・サマー: あれから10年』は、デヴィッド・ウェインとマイケル・ショーウォルターが脚本を書き、ウェインが監督したアメリカの風刺コメディテレビミニシリーズ。
『'''ウェット・ホット・アメリカン・サマー: あれから10年'''』(Wet Hot American Summer: First Day of Camp)は、デヴィッド・ウェインとマイケル・ショーウォルターが脚本を書き、ウェインが監督したアメリカの風刺コメディテレビミニシリーズ。 {{Infobox television | genre = {{Plainlist| * コメディ * 風刺 }} | creator = {{Plainlist| * [[Michael Showalter]] * [[David Wain]] }} | based_on = {{based on|''[[Wet Hot American Summer]]''|David Wain and Michael Showalter}} | starring = {{Plainlist| * H・ジョン・ベンジャミン * マイケル・イアン・ブラック * [[ブラッドリー・クーパー]] * ジャニーン・ガロファロ * ニーナ・ヘルマン * ジョー・ロ・トゥルリオ * ケン・マリノ * A・D・マイル * マルグリット・モロー * ザック・オース * [[エイミー・ポーラー]] * [[ポール・ラッド]] * マイケル・ショーウォルター * [[エリザベス・バンクス]] * [[クリストファー・メローニ]] * マリサ・ライアン * モリー・シャノン * ジュダ・フリードランダー * ケビン・サスマン * [[デヴィッド・ハイド・ピアース]] }} | theme_music_composer = | opentheme = "[[Jane (Jefferson Starship song)|Jane]]" by [[Jefferson Starship]] | endtheme = | composer = | country = United States | language = English | num_episodes = 8 | list_episodes = | director = David Wain | writer = {{Plainlist| * Michael Showalter * David Wain * [[Christina Lee (producer)|Christina Lee]] }} | executive_producer = {{Plainlist| * Michael Showalter * David Wain * Jonathan Stern * Peter Principato * Howard Bernstein }} | producer = | editor = | location = | cinematography = Kevin Atkinson | camera = [[Single-camera setup|Single-camera]] | runtime = 27–30 minutes | company = {{Plainlist| * Showalter Wain * [[Abominable Pictures]] * Principato-Young Entertainment }} | channel = [[Netflix]] | first_aired = {{Start date|2015|7|31}} | related = ''[[Wet Hot American Summer: Ten Years Later]]'' (2017) }} ==概要== ==キャスト== ※括弧内は日本語吹替。 * リンゼイ - [[エリザベス・バンクス]] * ミッチ - H・ジョン・ベンジャミン([[山本格]]) * マッキンリー - マイケル・イアン・ブラック([[高橋大輔]]) * ベン - [[ブラッドリー・クーパー]]([[矢野正明]]) * Ron Von Kleinenstein - [[ジュダ・フリードランダー]] * ベス - ジャニーン・ガロファロー([[山口眞弓]]) * ナンシー - ニナ・ヘルマン([[今泉葉子]]) * ニール - Joe Lo Truglio([[宮本誉之]]) * ビクター - [[ケン・マリーノ]]([[稲垣拓哉]]) * ジーン - [[クリストファー・メローニ]]([[藤沼建人]]) * ゲイリー - A・D・マイルズ([[井木順二]]) * ケイティ - マーガリート・モロー([[Lynn]]) * J.J. - ザック・オース(山本格) * Assoc. Prof. Henry Neumann - デヴィッド・ハイド・ピアース([[魚建]]) * スージー - [[エイミー・ポーラー]]([[織部ゆかり]]) * アンディ - [[ポール・ラッド]]([[手塚ヒロミチ]]) * Abby - Marisa Ryan * ゲイル - モリー・シャノン([[岡田恵]]) * クープ - マイケル・ショウォルター([[時永洋]]) * スティーブ - Kevin Sussman * グレッグ - [[ジェイソン・シュワルツマン]]([[村田太志]]) * ファルコン - [[ジョン・ハム]]([[玉木雅士]]) * エリック - [[クリス・パイン]](矢野正明) * アラン - [[ジョーダン・ピール]] * ジム - [[マイケル・セラ]]([[虎島貴明]]) * [[ジョン・スラッテリー]]([[小室正幸]]) ==外部リンク== * {{Netflix title}} * {{IMDb title}} {{Wet Hot American Summer}} {{Netflix original ended series (2012–2018)}} [[Category:Wet Hot American Summer: First Day of Camp| ]] [[Category:2010s American comedy television miniseries]] [[Category:2010s American satirical television series]] [[Category:2015 American television series debuts]] [[Category:2015 American television series endings]] [[Category:American prequel television series]] [[Category:Cultural depictions of Ronald Reagan]] [[Category:English-language Netflix original programming]] [[Category:Live action television shows based on films]] [[Category:Television series about summer camps]] [[Category:Television series about teenagers]] [[Category:Television series set in the 1980s]] [[Category:Television shows set in Maine]] [[Category:Television shows set in summer camps]]
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成田晴風
成田 春風(なりた はるせ、2006年2月27日 - )は、青森県南津軽郡大鰐町出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。 大鰐町立大鰐小学校3年生のときに『あじゃらベースボールクラブ』で野球を始め、大鰐町立大鰐中学校では軟式野球部に所属した。 弘前工業高校へ進学すると、1年春からベンチ入り。入学時は最速135km/hほどであったが、徹底的に下半身を鍛え、1年時から最速140km/hを超え、1年秋からは背番号1を付けた。3年夏の県大会では2回戦で八戸学院光星と対戦し、中澤恒貴にホームランを打たれるなど敗れたものの、強力打線から9つの三振を奪う力投を見せた。高校時代の最速は150km/h。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた。11月7日に契約金4000万円・年俸650万円(金額はいずれも推定)で仮契約。背番号は41に決まった。 身長185cmから投げ下ろすストレートは回転数が多く、伸びがある。高校時代の最速は150km/h。 変化球はツーシーム・スライダー・カットボール・カーブ・フォークを操る。 両親はミニトマトとアスパラガスを栽培する農家であり、父はやり投げの元国体選手、母はハードル競技で活躍した“陸上一家”でもある。 小学生の頃は野球だけでなく、陸上競技や大鰐町で盛んなスキーの距離競技で身体を鍛えた。
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成田 春風は、青森県南津軽郡大鰐町出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。
{{Infobox baseball player |選手名 = 成田 晴風 |本名 = |所属球団 = 埼玉西武ライオンズ |背番号 = 41 |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[青森県]][[南津軽郡]][[大鰐町]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|2006|2|27}} |身長 = 185 |体重 = 86 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2023}} |ドラフト順位 = ドラフト4位 |初出場 = |最終出場 = |年俸 = 650万円(2024年) |経歴 = * [[青森県立弘前工業高等学校|弘前工業高等学校]] * [[埼玉西武ライオンズ]] (2024 - ) }} '''成田 晴風'''(なりた はるせ、[[2006年]][[2月27日]]<ref name="nishispo20231026">{{Cite web |url=https://nishispo.nishinippon.co.jp/article/797937 |title=成田 晴風(投手、弘前工業高校) |publisher=西スポWEB otto! |date=2023-10-26 |accessdate=2023-11-08}}</ref> - )は、[[青森県]][[南津軽郡]][[大鰐町]]出身<ref name="toonippo20231027">{{Cite web |url=https://nordot.app/1090465573547573486 |title=成田(青森・弘前工業高)、西武4位指名「日本背負う投手に」 目標は藤川球児さん |publisher=東奥日報 |date=2023-10-27 |accessdate=2023-11-08}}</ref>の[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[埼玉西武ライオンズ]]所属。 == 経歴 == === プロ入り前 === [[大鰐町立大鰐小学校]]3年生<ref name="atv20231026">{{Cite web |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/801307 |title=【プロ野球ドラフト会議】「素直にうれしいのが一番」西武・4位指名の成田晴風(弘前工業) |publisher=TBS NEWS DIG |date=2023-10-26 |accessdate=2023-11-08}}</ref>のときに『あじゃらベースボールクラブ』で野球を始め{{R|toonippo20231027}}、[[大鰐町立大鰐中学校]]では軟式野球部に所属した{{R|atv20231026}}。 なお、男5人女5人の少人数であった。 [[青森県立弘前工業高等学校|弘前工業高校]]へ進学すると、1年春からベンチ入り<ref name="mutsu20231103">{{Cite web |url=https://mutsushimpo.com/news/hvwxq8uz/ |title=プロでの活躍誓う 2選手に球団指名あいさつ |publisher=陸奥新報 |date=2023-11-03 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。入学時は最速135km/hほどであったが、徹底的に下半身を鍛え<ref name="hochi20231103">{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20231103-OHT1T51047.html |title=【西武】4位指名の弘前工・成田晴風…目指すは藤川球児ばりの火の玉ストレート |publisher=スポーツ報知 |date=2023-11-03 |accessdate=2023-11-08}}</ref>、1年時から最速140km/hを超え{{R|toonippo20231027}}、1年秋からは背番号1を付けた{{R|mutsu20231103}}。3年夏の[[全国高等学校野球選手権青森大会|県大会]]では2回戦で[[八戸学院光星高等学校|八戸学院光星]]と対戦し、[[中澤恒貴]]にホームランを打たれるなど{{R|hochi20231103}}敗れたものの、強力打線から9つの三振を奪う力投を見せた{{R|atv20231026}}{{Efn2|[[八戸学院光星高等学校|八戸学院光星]]はその後[[第105回全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]に出場し<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/koshien/summer/20230727-OYT1T50270/ |title=八戸学院光星、10回タイブレイクで八戸工大一破り2年連続12度目の甲子園 |publisher=読売新聞オンライン |date=2023-07-27 |accessdate=2023-11-08}}</ref>、[[中澤恒貴]]は[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]から育成ドラフト4位指名を受けた<ref>{{Cite web |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/800560 |title=【ドラフト速報】八戸学院光星・中澤恒貴選手はソフトバンク・育成4位指名 |publisher=TBS NEWS DIG |date=2023-10-26 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。}}。高校時代の最速は150km/h{{R|hochi20231103}}。 '''{{by|2023年}}'''10月26日に開催された[[2023年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]にて、[[埼玉西武ライオンズ]]から4位指名を受けた{{R|toonippo20231027}}{{R|atv20231026}}。11月7日に契約金4000万円・年俸650万円(金額はいずれも推定)で仮契約<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202311070000967.html |title=【西武】ドラフト4位の弘前工・成田晴風が仮契約「チームの優勝に貢献出来るように」 |publisher=日刊スポーツ |date=2023-11-07 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。背番号は'''41'''に決まった<ref>{{Cite web |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/822829 |title=【西武】ドラ4成田晴風投手(弘前工業)が仮契約「優勝に導く」背番号は西武黄金期のエース渡辺久信氏が付けた「41」に |publisher=TBS NEWS DIG |date=2023-11-07 |accessdate=2023-11-08}}</ref>。 == 選手としての特徴 == 身長185cmから投げ下ろす[[速球|ストレート]]{{R|atv20231026}}は回転数が多く、伸びがある{{R|nishispo20231026}}。高校時代の最速は150km/h{{R|hochi20231103}}。 変化球は[[速球#ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]・[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]・[[カーブ (球種)|カーブ]]・[[フォークボール|フォーク]]を操る{{R|mutsu20231103}}。 == 人物 == 両親はミニトマトとアスパラガスを栽培する農家であり、父はやり投げの元国体選手、母はハードル競技で活躍した“陸上一家”でもある{{R|atv20231026}}。 小学生の頃は野球だけでなく、陸上競技や[[大鰐町]]で盛んなスキーの距離競技で身体を鍛えた{{R|toonippo20231027}}。 == 詳細情報 == === 背番号 === * '''41'''(2024年 - ) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[青森県出身の人物一覧]] * [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]] == 外部リンク == * {{埼玉西武ライオンズの選手・スタッフ}} {{埼玉西武ライオンズ2023年ドラフト指名選手}} {{デフォルトソート:なりた はるせ}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:青森県立弘前工業高等学校出身の人物]] [[Category:青森県出身の人物]] [[Category:2006年生]] [[Category:存命人物]]
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RCHピングインス
RCHピングインス(蘭: RCH-Pinguïns、発音: エルセーハー・ピングインス)は、オランダの北ホラント州ヘームステーデを拠点とする野球チーム。ホーフトクラッセ所属。 野球部門とソフトボール部門から成るスポーツクラブ。 1934年6月21日創設。オランダで最も歴史がある野球・ソフトボールクラブ。 1996年にヨーロピアンカップII(イタリア語版)を制した。
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RCHピングインスは、オランダの北ホラント州ヘームステーデを拠点とする野球チーム。ホーフトクラッセ所属。
{{IBL infobox |チーム名 = RCHピングインス |愛称 = |原語表記 = RCH-Pinguïns |創設年度 = 1934年 |解散年度 = |加盟団体 = {{Flagicon|NED}} [[オランダ王立野球・ソフトボール協会]] |所属リーグ = [[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]] |現在のチーム名 = RCHピングインス (2001年 - ) |過去のチーム名 = RCH (1934年 - 2000年) |ホームタウン = {{Flagicon|Noord-Holland}} [[北ホラント州]][[ヘームステーデ]] |本拠地 = Heemsteedse Sportparken |過去の本拠地 = |永久欠番 = |リーグ優勝回数 = |リーグ優勝年 = |欧州チャンピオンズカップ優勝回数 = |欧州チャンピオンズカップ優勝年 = |オーナー = |会長 = |GM = |監督 = Joshua Zara }} '''RCHピングインス'''({{Lang-nl-short|RCH-Pinguïns}}、発音: エル・セー・ハー・ピングインス)は、[[オランダ]]の[[北ホラント州]][[ヘームステーデ]]を拠点とする[[野球]]チーム。[[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]所属。 == 概要 == 野球部門とソフトボール部門から成るスポーツクラブ。 1934年6月21日創設。オランダで最も歴史がある野球・ソフトボールクラブ。 1996年に{{仮リンク|ヨーロピアンカップII|it|Coppa delle Coppe (baseball)}}<ref group="注">[[欧州チャンピオンズカップ (野球)|ヨーロピアンカップI]]の下部大会。</ref>を制した。 == 歴史 == <ref>[https://www.rch-pinguins.nl/?page_id=462 HISTORY OF THE CLUB] RCH-Pinguïns</ref> * 1934年 - サッカークラブ「'''{{仮リンク|RCH (サッカー)|en|Racing Club Heemstede|label=RCH}}'''(''Racing Club Heemstede'')」に野球部門が設置される。 * 1938年 - [[ホーフトクラッセ (野球)|ホーフトクラッセ]]<ref group="注">当時(1922-1957)の最上位リーグの名称はエールステ・クラッセ。</ref>に初昇格。 * 1954年 - ソフトボールクラブ「'''デ・ピングインス'''(''De Pinguïns'')」が創設。 * 1996年 - RCHが{{仮リンク|ヨーロピアンカップII|it|Coppa delle Coppe (baseball)}}優勝。 * 2001年 - RCHの野球部門がRCHから離脱し、デ・ピングインスと合併して'''RCHピングインス'''となる。 == 所属選手 == {{updated|2023年シーズン}}<ref>[https://stats.knbsbstats.nl/en/events/2023-hoofdklasse-honkbal/teams/23068 Teams & Rosters - RCH-Pinguïns] [[オランダ王立野球・ソフトボール協会|KNBSB]]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[ホーフトクラッセ (野球)]] * [[オランダ王立野球・ソフトボール協会]] == 外部リンク == * {{Official|www.rch-pinguins.nl/}} {{nl icon}} {{ホーフトクラッセ (野球)}} {{Normdaten}} {{Baseball-stub}} {{DEFAULTSORT:RCHひんくいんす}} [[Category:オランダの野球チーム]] [[Category:北ホラント州のスポーツ]] [[Category:1934年設立のスポーツチーム]]
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RCH
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RCHピングインス - オランダ・ヘームステーデを本拠地とする野球チーム。 RCHヘームステーデ - オランダ・ヘームステーデを本拠地とするサッカーチーム。
* [[RCHピングインス]] - [[オランダ]]・[[ヘームステーデ]]を本拠地とする[[野球]]チーム。 * {{仮リンク|RCH (サッカー)|en|Racing Club Heemstede}} - [[オランダ]]・[[ヘームステーデ]]を本拠地とする[[サッカー]]チーム。 {{aimai}} {{DEFAULTSORT:RCH}}
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将軍 (小説)
『将軍』(しょうぐん、原題:Shōgun)は、1975年に小説家ジェームズ・クラベルが書いた歴史小説(歴史フィクション(英語版))。史実のウィリアム・アダムスと徳川家康をモデルに、架空のイングランド人航海士を主人公とし、封建時代の架空の日本を舞台とする。大ベストセラーとなり、1990年までに世界中で1,500万部が売れた。日本語版は1980年に宮川一郎の訳でTBSブリタニカより出版された。 なお、本作の「将軍」とは、普通名詞としての軍事指揮官の意味ではなく、征夷大将軍を意味する。 封建時代の日本を舞台とし、物語は1600年の関ヶ原の戦いの数ヶ月前から始まる。主人公で、日本に漂着したイングランド人航海士ジョン・ブラックソーン(モデルは三浦按針ことウィリアム・アダムス)の視点を通し、やがて将軍(征夷大将軍)となる大名・吉井虎長(モデルは徳川家康)の台頭が描かれている。 プロローグ及び全6章からなり、場所としては三島、大坂、江戸、横浜が登場する。 日本行きのオランダの軍艦に乗船していたイングランド人航海士ジョン・ブラックソーンは、日本とポルトガル(カトリック国)の外交を手切れにさせ、代わりにイングランド(プロテスタント国)と貿易・軍事関係を結ばせる立役者となることで、立身する野望を抱いていた。しかし、船は伊豆沖にて難破し、ブラックソーンは数名の同僚と共に浜に漂着する。ブラックソーンたちは地元の若き侍・柏木近江に捕まり、彼の伯父で領主である柏木矢部(モデルは本多正信)の取り調べを受けることになるが、通訳を担当したのはイエズス会の神父であり、彼によって海賊の濡れ衣を着せられる。開明的な近江の助言で死刑は免れ、一騒動の後、ブラックソーンは日本の統治組織や規則に従うことを誓う。 国政を担う評議会(モデルは五大老五奉行の合議制)の有力者で、天下を狙う関東の大名・吉井虎長は難破船の話を知り、信頼する大名・戸田広松(モデルは細川藤孝)を派遣して船の積荷とブラックソーンを含めた船員を手中に収める。船にはマスケット銃や大砲、さらに銀貨などがあり、虎長は天下取りの最大のライバルである石堂和成(モデルは石田三成)に優位に立つ。 以降、ブラックソーンは「按針」の日本名で呼ばれることになり、虎長が覇権を握っていく過程を目撃することになる。 ジェームズ・クラベルは、娘の教科書に載っていた、1600年に日本で武士になったイングランド人ウィリアム・アダムス(三浦按針)のことを知り、これが執筆の動機になったと述べている。 史実のアダムスは、後に征夷大将軍となる徳川家康に仕え、徳川幕府の対南蛮貿易の助言者として高い地位を得たが、本作に登場する様々な人物とのやり取りはほぼ創作である。 最初の草稿は2,300ページであったが、編集者ジャーマン・ゴロブの助言で1,700ページに削減されている。 ニューヨーク・タイムズ紙のウェブスター・ショットは「これほど私の心を捉えた小説があっただろうか」「一度『将軍』を開けば、読むのをやめるなんてほとんど不可能だ」と述べている。 本作は1980年までにハードカバー版で14刷、ペーパーバック版で38刷に達し、600万部を超えるベストセラーとなった。さらに、西洋人の日本の歴史や文化に対する知識や関心にも大きな影響を与えた。『Learning from Shōgun: Japanese History and Western Fantasy(『将軍』に学ぶ:日本の歴史と西洋ファンタジー)』(1980年)の編集者は、アメリカの大学で日本についての講座を受講した学生の20-50%が本作を読んでいたと推定している。彼はこの本を「日本の歴史と文化の百科事典のようなものであり、その50万語のどこかに、日本について知りたいと思ったことのほとんどについて簡単な説明が見つかる」と評し、「単純に量だけで言えば、太平洋戦争以降に学者・ジャーナリスト・小説家が書いたものすべてよりも、『将軍』は日本について多くの情報を伝えたであろう」と述べている 。 『James Clavell: A Critical Companion』の著者は、本作を「異文化間の出会いを扱ったこれまでの作品の中で、それを最もうまく描いた作品のひとつ」であり、「クラベルの最高傑作」と評している。 また、クラベル自身は本作について「(『将軍』は)すべてを変えた。今の私を作ってくれた作品だ。私はハインツのベイクド・ビーンズ(英語版)のようなブランド名になったのだ」と述べている。 彼は中東のある産油国の統治者から、『将軍』が日本に果たしたことをわが国にも果たす小説を書いてくれれば、満載状態の石油タンカー1隻を差し上げると言われたと明かしている。 作中において、江戸の郊外にある被差別部落をブラックソーンが訪ねて屠殺に従事する穢多や死刑執行人と遭遇する場面がある。日本語版の下巻では第8版までこの場面を含んでいたが、広島県の公民館職員がこの描写を部落差別の助長に当たるものとして発行元のTBSブリタニカに抗議を行った。そのため、発行元では新聞に謝罪広告を掲載し、読者に対して初版から8版までを回収し該当箇所を削除した第9版と交換するよう呼びかけた。 本作は1980年にアメリカのNBCによって合計9時間のミニテレビシリーズとしてドラマ化された。リチャード・チェンバレン、三船敏郎、島田陽子、ジョン・リス=デイヴィスが出演した。また、後に2時間に編集された劇場版も公開された。 2018年8月にアメリカのFXがリメイク版を製作すると予告し、2024年放送開始予定である。 1980年のテレビシリーズの後、ブロードウェイで舞台化された。 1988年にヘクトがファミリーコンピュータで発売したシミュレーションロールプレイングゲーム。主要登場人物に小説と同じ名前を使用しているが、ストーリー上の共通点はほとんど無い。
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『将軍』は、1975年に小説家ジェームズ・クラベルが書いた歴史小説(歴史フィクション)。史実のウィリアム・アダムスと徳川家康をモデルに、架空のイングランド人航海士を主人公とし、封建時代の架空の日本を舞台とする。大ベストセラーとなり、1990年までに世界中で1,500万部が売れた。日本語版は1980年に宮川一郎の訳でTBSブリタニカより出版された。 なお、本作の「将軍」とは、普通名詞としての軍事指揮官の意味ではなく、征夷大将軍を意味する。
{{otheruses|ジェームズ・クラベルの小説|芥川龍之介の小説|芥川龍之介}} {{Infobox book | name = Shōgun | title_orig = | translator = | image = | caption = | author = [[ジェームズ・クラベル]] | cover_artist = | country = イギリス、アメリカ | series = {{仮リンク|アジアン・サーガ|en|Asian Saga}} | genre = {{仮リンク|歴史フィクション|en|Historical fiction}} | publisher = [[:en:Delacorte Press|Delacorte Press]] (US)<br>[[:en:Hodder & Stoughton|Hodder & Stoughton]] (UK) | release_date = 1975年 | media_type = Print (hardback and paperback) | pages = 1152ページ(ペーパーバック初版) | isbn = 0-440-08721-X |isbn_note= (US) – {{ISBN|0-340-20316-1}} (UK) | dewey = | congress = | oclc = 9326267 | preceded_by = | followed_by = {{仮リンク|タイパン (小説)|en|Tai-Pan (novel)|label=タイパン}} }} {{Portal 文学}} 『'''将軍'''』(しょうぐん、原題:Shōgun)は、1975年に小説家[[ジェームズ・クラベル]]が書いた[[歴史小説]]({{仮リンク|歴史フィクション|en|Historical fiction}})。史実の[[ウィリアム・アダムス]]と[[徳川家康]]をモデルに、架空のイングランド人航海士を主人公とし、封建時代の架空の日本を舞台とする。大ベストセラーとなり、1990年までに世界中で1,500万部が売れた。日本語版は1980年に[[宮川一郎]]の訳で[[TBSブリタニカ]]より出版された。 なお、本作の「[[将軍]]」とは、普通名詞としての軍事指揮官の意味ではなく、[[征夷大将軍]]を意味する。 == プロット == === 舞台・構成 === 封建時代の日本を舞台とし、物語は1600年の[[関ヶ原の戦い]]の数ヶ月前から始まる。主人公で、日本に漂着したイングランド人航海士ジョン・ブラックソーン(モデルは三浦按針こと[[ウィリアム・アダムス]])の視点を通し、やがて将軍(征夷大将軍)となる大名・吉井虎長(モデルは[[徳川家康]])の台頭が描かれている。 プロローグ及び全6章からなり、場所としては[[三島市|三島]]、[[大坂]]、[[江戸]]、[[横浜市|横浜]]が登場する。 === あらすじ === 日本行きの[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]の軍艦に乗船していたイングランド人航海士ジョン・ブラックソーンは、日本と[[ポルトガル海上帝国|ポルトガル]]([[カトリック]]国)の外交を手切れにさせ、代わりに[[イングランド王国|イングランド]]([[プロテスタント]]国)と貿易・軍事関係を結ばせる立役者となることで、立身する野望を抱いていた。しかし、船は[[伊豆国|伊豆]]沖にて難破し、ブラックソーンは数名の同僚と共に浜に漂着する。ブラックソーンたちは地元の若き侍・柏木近江に捕まり、彼の伯父で領主である柏木矢部(モデルは[[本多正信]])の取り調べを受けることになるが、通訳を担当したのは[[イエズス会]]の神父であり、彼によって海賊の濡れ衣を着せられる。開明的な近江の助言で死刑は免れ、一騒動の後、ブラックソーンは日本の統治組織や規則に従うことを誓う。 国政を担う評議会(モデルは[[五大老]][[五奉行]]の[[合議制]])の有力者で、天下を狙う関東の大名・吉井虎長は難破船の話を知り、信頼する大名・戸田広松(モデルは[[細川藤孝]])を派遣して船の積荷とブラックソーンを含めた船員を手中に収める。船にはマスケット銃や大砲、さらに銀貨などがあり、虎長は天下取りの最大のライバルである石堂和成(モデルは[[石田三成]])に優位に立つ。 以降、ブラックソーンは「按針」の日本名で呼ばれることになり、虎長が覇権を握っていく過程を目撃することになる。 == 執筆背景 == [[ジェームズ・クラベル]]は、娘の教科書に載っていた、1600年に日本で武士になったイングランド人[[ウィリアム・アダムス]](三浦按針)のことを知り、これが執筆の動機になったと述べている<ref name="beamon19800915">{{cite news |url=https://news.google.com/newspapers?id=_llQAAAAIBAJ&sjid=lFgDAAAAIBAJ&pg=6517%2C3773980 |title=Shogun: $20-Million Samurai Saga Sprang from a Single Textbook Line |newspaper=[[Evening Independent]] |date=15 September 1980 |access-date=21 September 2012 |last=Beamon |first=William |page=1B |archive-date=17 January 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230117062408/https://news.google.com/newspapers?id=_llQAAAAIBAJ&sjid=lFgDAAAAIBAJ&pg=6517%2C3773980 |url-status=live }}</ref>。 史実のアダムスは、後に[[征夷大将軍]]となる[[徳川家康]]に仕え、[[徳川幕府]]の対南蛮貿易の助言者として高い地位を得たが、本作に登場する様々な人物とのやり取りはほぼ創作である。 最初の草稿は2,300ページであったが、編集者ジャーマン・ゴロブの助言で1,700ページに削減されている<ref>{{cite news|title=Book Business: Paperback Magruder Sawed-Off Shogun Engulfed|author=JOYCE ILLIG|date=February 9, 1975|newspaper=The Washington Post|page=200}}</ref>。 == 評価 == [[ニューヨーク・タイムズ]]紙のウェブスター・ショットは「これほど私の心を捉えた小説があっただろうか」「一度『将軍』を開けば、読むのをやめるなんてほとんど不可能だ」と述べている<ref name="schott19750622">{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1975/06/22/archives/shogun-from-james-clavell-with-tea-and-blood.html |title=Shogun |last=Schott |first=Webster |date=1975-06-22 |work=The New York Times |access-date=2018-03-15 |page=236 |language=en-US |issn=0362-4331 |archive-date=16 March 2018 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180316084834/https://www.nytimes.com/1975/06/22/archives/shogun-from-james-clavell-with-tea-and-blood.html |url-status=live }}</ref>。 本作は1980年までにハードカバー版で14刷、ペーパーバック版で38刷に達し、600万部を超えるベストセラーとなった。さらに、西洋人の日本の歴史や文化に対する知識や関心にも大きな影響を与えた。『Learning from Shōgun: Japanese History and Western Fantasy(『将軍』に学ぶ:日本の歴史と西洋ファンタジー)』(1980年)の編集者は、アメリカの大学で日本についての講座を受講した学生の20-50%が本作を読んでいたと推定している。彼はこの本を「日本の歴史と文化の百科事典のようなものであり、その50万語のどこかに、日本について知りたいと思ったことのほとんどについて簡単な説明が見つかる」と評し、「単純に量だけで言えば、太平洋戦争以降に学者・ジャーナリスト・小説家が書いたものすべてよりも、『将軍』は日本について多くの情報を伝えたであろう」と述べている<ref name="smith1980">{{cite book |title=Learning from Shōgun: Japanese History and Western Fantasy |url=http://www.columbia.edu/~hds2/learning/ |publisher=University of California, Santa Barbara / The Japan Society |editor-last=Smith II |editor-first=Henry D. |year=1980 |pages=xi–xii, 18, 151 |access-date=2 February 2007 |archive-date=23 January 2009 |archive-url=https://web.archive.org/web/20090123104634/http://www.columbia.edu/~hds2/learning/ |url-status=live }}</ref> 。 『James Clavell: A Critical Companion』の著者は、本作を「異文化間の出会いを扱ったこれまでの作品の中で、それを最もうまく描いた作品のひとつ」であり、「クラベルの最高傑作」と評している<ref name="macdonald1996">{{cite book |title=James Clavell: A Critical Companion |publisher=Greenwood Publishing Group |last=Macdonald |first=Gina |year=1996 |pages=[https://archive.org/details/jamesclavellcrit00macd/page/82 82–83] |isbn=0313294941}}</ref>。 また、クラベル自身は本作について「(『将軍』は)すべてを変えた。今の私を作ってくれた作品だ。私は{{仮リンク|ハインツ ベイクドビーンズ|label=ハインツのベイクド・ビーンズ|en|Heinz Baked Beans}}のようなブランド名になったのだ」と述べている<ref>{{cite news|title=Clavell bullies the bullies now that he's No. 1|author=Allemang, John|work=The Globe and Mail|location=Toronto|date=29 November 1986|page=E.3}}</ref>。 彼は中東のある産油国の統治者から、『将軍』が日本に果たしたことをわが国にも果たす小説を書いてくれれば、満載状態の石油タンカー1隻を差し上げると言われたと明かしている<ref name="bernstein19810913">{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1981/09/13/magazine/making-of-a-literary-shogun.html |title=Making of a Literary Shogun |last=Bernstein |first=Paul |date=1981-09-13 |work=The New York Times |access-date=2018-03-15 |language=en |archive-date=12 February 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200212235031/https://www.nytimes.com/1981/09/13/magazine/making-of-a-literary-shogun.html |url-status=live }}</ref>。 == 日本語版の回収・交換 == 作中において、江戸の郊外にある被差別部落をブラックソーンが訪ねて[[屠殺]]に従事する[[穢多]]や[[死刑執行人]]と遭遇する場面がある。日本語版の下巻では第8版までこの場面を含んでいたが、[[広島県]]の[[公民館]]職員がこの描写を[[部落問題|部落差別]]の助長に当たるものとして発行元のTBSブリタニカに抗議を行った。そのため、発行元では新聞に謝罪広告を掲載し、読者に対して初版から8版までを回収し該当箇所を削除した第9版と交換するよう呼びかけた<ref>髙木(1992), pp302-304</ref>。 == 翻案 == === テレビドラマ === 本作は1980年にアメリカの[[NBC]]によって合計9時間のミニテレビシリーズとしてドラマ化された。[[リチャード・チェンバレン]]、[[三船敏郎]]、[[島田陽子]]、[[ジョン・リス=デイヴィス]]が出演した。また、後に2時間に編集された劇場版も公開された。 {{main|将軍 SHŌGUN}} 2018年8月にアメリカの[[FX (テレビ局)|FX]]が[[SHOGUN 将軍|リメイク版]]を製作すると予告し、2024年放送開始予定である。 {{main|SHOGUN 将軍}} === 舞台 === 1980年のテレビシリーズの後、[[ブロードウェイ]]で舞台化された。 === コンピュータゲーム === {{main|将軍 (ゲーム)}} 1988年に[[ヘクト (ゲーム会社)|ヘクト]]が[[ファミリーコンピュータ]]で発売した[[シミュレーションロールプレイングゲーム]]。主要登場人物に小説と同じ名前を使用しているが、ストーリー上の共通点はほとんど無い。 == 参考文献 == * [[高木正幸]]『差別用語の基礎知識'92 何が差別語・差別表現か?』([[土曜美術社出版販売]]、1992年) ISBN 4-88625-382-2 == 脚注 == {{reflist|colwidth=30em}} == 外部リンク == {{wikiquote|:en:Shōgun (novel)}} * [https://factbehindfiction.com/shogun ''Shogun'' at FactBehindFiction.com] {{DEFAULTSORT:しようくん}} [[Category:イギリスの歴史小説]] [[Category:江戸時代を舞台とした小説]] [[Category:1975年の小説]] [[Category:被差別部落]]
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リヒトマイヤー記念賞
リヒトマイヤー記念賞(Richtmyer Memorial Award)は、アメリカ物理学教師協会によって、物理学教育に貢献したアメリカ国内の物理学者やサイエンスコミュニケーターに授与される賞で、フロイド・K・リヒトマイヤーにちなんで1941年に設立された。受賞者は記念講演(Richtmyer Memorial Lecture)を行う。
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リヒトマイヤー記念賞は、アメリカ物理学教師協会によって、物理学教育に貢献したアメリカ国内の物理学者やサイエンスコミュニケーターに授与される賞で、フロイド・K・リヒトマイヤーにちなんで1941年に設立された。受賞者は記念講演を行う。
'''リヒトマイヤー記念賞'''(Richtmyer Memorial Award)は、アメリカ物理学教師協会によって、[[物理学]]教育に貢献した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]国内の物理学者や[[サイエンスコミュニケーション|サイエンスコミュニケーター]]に授与される[[賞]]で、[[フロイド・K・リヒトマイヤー]]にちなんで[[1941年]]に設立された。受賞者は記念講演(Richtmyer Memorial Lecture)を行う。 == 受賞者 == {{colbegin|2}} *1941年 - [[アーサー・コンプトン]] *1942年 - Gordon Ferrie Hull *1944年 - Karl K. Darrow *1945年 - [[イジドール・イザーク・ラービ]] *1946年 - Paul E. Klopsteg *1947年 - [[ロバート・オッペンハイマー]] *1948年 - Homer L. Dodge *1949年 - Lee A. DuBridge *1950年 - [[ジョン・ヴァン・ヴレック]] *1951年 - [[ジョン・クラーク・スレイター]] *1952年 - [[エンリコ・フェルミ]] *1953年 - [[エドワード・ミルズ・パーセル]] *1954年 - [[ジョン・ホイーラー]] *1955年 - [[ユージン・ウィグナー]] *1956年 - [[ウォルター・ブラッテン]] *1957年 - [[エミリオ・セグレ]] *1958年 - [[フィリップ・モリソン]] *1959年 - [[チャールズ・タウンズ]] *1960年 - [[ジェームズ・ヴァン・アレン]] *1961年 - [[ウィリアム・ファウラー]] *1962年 - [[トーマス・ゴールド]] *1963年 - [[ヴォルフガング・パノフスキー]] *1964年 - [[フレッド・ホイル]] *1965年 - William M. Fairbank *1966年 - [[マレー・ゲルマン]] *1967年 - [[ロバート・H・ディッケ]] *1968年 - [[ロバート・ラスバン・ウィルソン]] *1969年 - [[スブラマニアン・チャンドラセカール]] *1970年 - [[アーサー・ショーロー]] *1971年 - [[エドウィン・ハーバート・ランド]] *1972年 - [[ロバート・B・レイトン]] *1973年 - [[マイケル・フィッシャー]] *1974年 - [[スティーヴン・ワインバーグ]] *1975年 - [[リカルド・ジャコーニ]] *1976年 - [[ブリトン・チャンス]] *1977年 - [[マイケル・ティンカム]] *1978年 - [[シドニー・ドレル]] *1979年 - William A. Nierenberg *1980年 - Edward C. Stone *1981年 - Hans Frauenfelder *1982年 - Karen McNally *1983年 - Edward A. Frieman *1984年 - [[デイヴィッド・シュラム (天体物理学者)|デイヴィッド・シュラム]] *1985年 - [[ゲリー・ノイゲバウアー]] *1986年 - [[レオン・レーダーマン]] *1987年 - Clifford M. Will *1988年 - Peter A. Franken *1989年 - Robert J. Birgeneau *1990年 - [[スティーブン・チュー]] *1991年 - Larry W. Esposito *1992年 - [[キップ・ソーン]] *1993年 - [[リチャード・スモーリー]] *1994年 - [[シェルドン・グラショー]] *1995年 - Joseph Henry Taylor *1996年 - [[カール・ワイマン]] *1997年 - [[ユージン・スタンレー]] *1998年 - [[ダグラス・D・オシェロフ]] *1999年 - Wayne H. Knox *2000年 - [[ウィリアム・ダニエル・フィリップス]] *2001年 - Shirley Ann Jackson *2002年 - Jordan A. Goodman *2003年 - Margaret Murnane *2004年 - [[レネ・ハウ]] *2005年 - Carlos Bustamante *2006年 - Neil Ashby *2007年 - Alex Filippenko *2008/9年 - [[ヴェラ・ルービン]] *2010年 - ''受賞者なし'' *2011年 - Kathryn Moler *2012年 - [[ブライアン・グリーン]] *2014年 - [[マイケル・ベリー]] *2016年 - Derek Muller *2017年 - Jay M. Pasachoff *2018年 - Mark Beck *2019年 - ''受賞者なし'' *2020年 - ''受賞者なし'' *2021年 - ''受賞者なし'' *2022年 - ''受賞者なし'' *2023年 - [[ジョスリン・ベル・バーネル]] *2024年 - Katherine Mack {{colend}} == 関連項目 == *[[エルステッド・メダル]] == 外部リンク == * [https://www.aapt.org/programs/awards/richtmyer.cfm Richtmyer Memorial Lecture Award] アメリカ物理学教師協会 {{DEFAULTSORT:りひとまいやあきねんしよう}} [[Category:物理学の賞]] [[Category:アメリカ合衆国の科学技術賞]] [[Category:人名を冠した賞]]
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ガンメルスハウゼン
ガンメルスハウゼン (ドイツ語: Gammelshausen) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のゲッピンゲン郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はレギオン・シュトゥットガルト(シュトゥットガルト地方(ドイツ語版、英語版)、1992年まではネッカー川中流地域)およびシュトゥットガルト欧州大都市圏(ドイツ語版、英語版)辺縁部に含まれる。自治体ガンメルスハウゼンには、ガンメルスハウゼン地区の他に属す集落はない。 ガンメルスハウゼンは、高度 385 m からシュヴェービシェ・アルプの尾根の 722 m までに位置している。郡庁所在地ゲッピンゲンから南に約 9 km にあたる。町の最高地点はジーレンヴァング(山)である。 隣接する町村は、ハイニンゲン、エッシェンバッハ、バート・ディッツェンバッハ、グリュービンゲン、デュルナウである(いずれもゲッピンゲン郡)。 2022年現在の州統計局のデータに基づく。 町名は、かつてのアレマン人のジッペの長 Gamold に由来する。現在のガンメルスハウゼン (Gammelshausen) は、かつての Gamoltzhusen から発展した。 ガンメルスハウゼンは、元々はテック公の勢力下にあり、1321年にボルとともにヴュルテンベルク家の所有となった。この村は1479年にデュルナウとともにツィレンハルト家が獲得し、神聖ローマ帝国の消滅までデュルナウとその帰属をともにした。1806年に陪臣化によってガンメルスハウゼンはヴュルテンベルク王国領となり、オーバーアムト・ゲッピンゲンに編入された。 ナチ時代のヴュルテンベルクの郡再編によりこの町は、1938年にゲッピンゲン郡の所属となった。この町は、1945年から1952年までアメリカ占領地区(ドイツ語版、英語版)に創設されたヴュルテンベルク=バーデン州(ドイツ語版、英語版)に属した。この州は1952年にバーデン=ヴュルテンベルク州に再編された。 ガンメルスハウゼンは、コンテスト「我らの村は美しくなる」で1975年に州および連邦レベルで金メダルを獲得した。 町の中心に建つ福音主義教会は、ゲッピンゲン教会管区の支部教会で、デュルナウ教区の管轄下にある。ガンメルスハウゼンは、隣町のデュルナウと政治的運命をともにし、教会組織上も1798年からデュルナウに属した(それ以前はボルに属した)が、2012年までは独立した教会組織であった。ガンメルスハウゼンの聖マリア礼拝堂は1436年に記録されている。現在の教会は1700年に建設されたが、それよりも古い部分も遺っている。ガンメルスハウゼン教会組織は、合併前からデュルナウ教区が管轄していた。 出典: 1970年以降のデータは、バーデン=ヴュルテンベルク州統計局のデータに基づく。 ガンメルスハウゼンの町議会は10議席からなる。町議会はこれらの選出された名誉職の議員と議長を務める町長で構成される。町長は町議会において投票権を有している。 図柄: 金地、赤いサクランボのペアの下に赤い家。 紋章に描かれたサクランボのペアは、ガンメルスハウゼンで営まれているサクランボ栽培を表している。家 (ドイツ語: Haus) は、地名 Gammelshausen の後半部分に由来する。この紋章と赤-黄の町の旗は、1959年10月9日に内務省の認可を得た。 ガンメルスハウゼンは州道によってハイニンゲン、デュルナウ、グリュービンゲン、およびバート・ディッツェンバッハに属すアウエンドルフと結ばれている。アウトバーン A8号線のアイヒェルベルク・インターチェンジおよびミュールハウゼン・インターチェンジへは約 9 km の距離にある。ガンメルスハウゼンでは多くのバス路線が運行しており、郡庁所在地ゲッピンゲンなどへの交通手段となっている。 町役場の近くに、1976年に完成した公民館がある。その中にはケーゲル(ドイツ語版、英語版)のレーンや、2000年からはユーゲントラウム(若者の部屋)もある。この他、ガンメルスハウゼンには公共のパン焼き小屋がある。 ガンメルスハウゼンには学校も幼稚園もない。ガンメルスハウゼンの子供達は、隣町デュルナウの共同の施設で学ぶ。これらの施設は町境から 1 km ほどの位置にある。 近隣の他の町と異なり、ガンメルスハウゼンにはいくつかの水源が存在している。しかしこれらは年中湧出しているわけではないため、町は追加的にコルンベルクグループに加盟し、これを介して州の水供給団体に接続している。コルンベルクグループの水は、近くに位置する水源から引いているが、州の水供給団体は約 40 km 離れたドナウリート(ウルムとドナウヴェルトとの間の河川地域)から水を引いている。 ガンメルスハウゼンには、1974年に整備され、デュルナウにまで延びる果樹園学習路が通っている。近年シュヴァーベン格言の道がこれに加わった。 ガンメルスハウゼンの北外れにサッカー場が設けられた。ガンメルスハウゼンは、隣町デュルナウと共同で、ガンメルスハウゼンに接するデュルナウ町内にスポーツ・レジャーセンターを運営している。ガルゲンブッケルの高台に、ゾンヴェントフォイアーをはじめ様々な行事が定期的に開催されるイベント会場がある。この町は、周辺のフックスエック、ジーレンヴァング、ケプフレ、コルンベルクといった山へ向かうマウンテンバイクツアーの出発点として好適である。 ガンメルスハウゼン住民には「シュペルテルラ」というニックネームが与えられている。このニックネームは、かつてガンメルスハウゼンの女性に言い寄ろうとしたよそ者のライバルをガンメルスハウゼンの若者がシュヴァーベン語で「シュペルテルラ」と呼ばれる木材を投げつけて追い払ったことに由来するとされる。
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ガンメルスハウゼン は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のゲッピンゲン郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はレギオン・シュトゥットガルト(シュトゥットガルト地方、1992年まではネッカー川中流地域)およびシュトゥットガルト欧州大都市圏辺縁部に含まれる。自治体ガンメルスハウゼンには、ガンメルスハウゼン地区の他に属す集落はない。
{{Infobox GER Gemeinde | 紋章 = Wappen Gammelshausen.svg | 郡の位置 = Locator map GP in Germany.svg | 郡内の位置 = Gammelshausen in GP.svg | 行政管区 = シュトゥットガルト行政管区 | 郡 = ゲッピンゲン郡 | ザムトゲマインデ = | 市町村連合 = ラウム・バート・ボル自治体行政連合 | 緯度_度 = 48 | 緯度_分 = 38 | 緯度_秒 = 30 | 経度_度 = 09 | 経度_分 = 39 | 経度_秒 = 01 | 標高 = 442 | 郵便番号 = 73108 | 市外局番 = 07164 | ナンバープレート = GP | 自治体コード = 08117023 | 行政庁舎の住所 = Hauptstraße 19 <br /> 73108 Gammelshausen | ウェブサイト = [http://www.gammelshausen.de/ www.gammelshausen.de] | 首長_転写 = ダニエル・コール | 首長 = Daniel Kohl | 地図のズーム = 10 }} '''ガンメルスハウゼン''' ({{lang-de|Gammelshausen}}) は、[[ドイツ連邦共和国]][[バーデン=ヴュルテンベルク州]][[シュトゥットガルト行政管区]]の[[ゲッピンゲン郡]]に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町はレギオン・シュトゥットガルト({{仮リンク|シュトゥットガルト地方|de|Region Stuttgart|en|Stuttgart Region}}、1992年まではネッカー川中流地域)および{{仮リンク|シュトゥットガルト大都市圏|de|Metropolregion Stuttgart|en|Stuttgart Metropolitan Region|label=シュトゥットガルト欧州大都市圏}}辺縁部に含まれる。自治体ガンメルスハウゼンには、ガンメルスハウゼン地区の他に属す集落はない。 == 地理 == === 位置 === ガンメルスハウゼンは、高度 385&nbsp;m から[[シュヴァーベンジュラ山脈|シュヴェービシェ・アルプ]]の尾根の 722&nbsp;m までに位置している。郡庁所在地[[ゲッピンゲン]]から南に約 9&nbsp;km にあたる。町の最高地点はジーレンヴァング(山)である。 === 隣接する町村 === 隣接する町村は、[[ハイニンゲン (ゲッピンゲン郡)|ハイニンゲン]]、[[エッシェンバッハ (ヴュルテンベルク)|エッシェンバッハ]]、[[バート・ディッツェンバッハ]]、[[グリュービンゲン]]、[[デュルナウ (ゲッピンゲン郡)|デュルナウ]]である(いずれも[[ゲッピンゲン郡]])。<!-- 地図で確認するとローテンベルクとは境を接していない --> === 土地利用 === {| class="wikitable" style="text-align:right" |- ! 用途 !! 面積 (ha) !! 占有率 (%) |- | align="left" | 住宅地 || 24 || 7.4 |- | align="left" | 商工業地 || 2 || 0.5 |- | align="left" | レクリエーション用地 || 2 || 0.5 |- | align="left" | その他市街地 || 7 || 2.1 |- | align="left" | 交通用地 || 27 || 8.2 |- | align="left" | 農業用地 || 179 || 54.2 |- | align="left" | 森林 || 87 || 26.3 |- | align="left" | 水域 || 1 || 0.4 |- | align="left" | その他 || 1 || 0.4 |- | align="left" | '''合計''' || '''330''' || '''100''' |} 2022年現在の州統計局のデータに基づく<ref>{{cite web|url=https://www.statistik-bw.de/BevoelkGebiet/GebietFlaeche/01515277.tab?R=GS117023|title=Fläche seit 1996 nach tatsächlicher Nutzung / Gammelshausen (Kreis Göppingen)|accessdate=2023-11-05|publisher=Statistisches Landesamt Baden-Württemberg}}</ref>。 == 歴史 == === 地名 === 町名は、かつての[[アレマン人]]の[[ジッペ]]の長 ''Gamold'' に由来する。現在のガンメルスハウゼン (Gammelshausen) は、かつての ''Gamoltzhusen'' から発展した<ref>{{cite web|url=https://gammelshausen.net/gemeinde/ortsinformation/|title=Ortsinformation|publisher=Gemeinde Gammelshausen|accessdate=2023-11-05}}</ref>。 [[File:Gammelshausen, Andreas Kieser.png|right|240px|thumb|1683年にアンドレアス・キーザーの森林簿に描かれたガンメルスハウゼン]] === 帰属 === ガンメルスハウゼンは、元々はテック公の勢力下にあり、[[1321年]]に[[バート・ボル|ボル]]とともに[[ヴュルテンベルク家]]の所有となった。この村は[[1479年]]に[[デュルナウ (ゲッピンゲン郡)|デュルナウ]]とともにツィレンハルト家が獲得し、[[神聖ローマ帝国]]の消滅までデュルナウとその帰属をともにした。[[1806年]]に[[帝国代表者会議主要決議|陪臣化]]によってガンメルスハウゼンは[[ヴュルテンベルク王国]]領となり、オーバーアムト・ゲッピンゲンに編入された。 === 20世紀 === [[ナチス・ドイツ|ナチ時代]]のヴュルテンベルクの郡再編によりこの町は、[[1938年]]にゲッピンゲン郡の所属となった。この町は、[[1945年]]から[[1952年]]まで{{仮リンク|アメリカ占領地区|de|Amerikanische Besatzungszone|en|American occupation zone in Germany}}に創設された{{仮リンク|ヴュルテンベルク=バーデン州|de|Württemberg-Baden|en|Württemberg-Baden}}に属した。この州は[[1952年]]に[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]に再編された。 ガンメルスハウゼンは、コンテスト「我らの村は美しくなる」で[[1975年]]に州および連邦レベルで金メダルを獲得した。 == 住民 == [[File:Gammelshausen Kirche.jpg|right|160px|thumb|ガンメルスハウゼンの福音主義教会]] === 宗教 === 町の中心に建つ[[福音主義#ドイツ語圏における「evangelisch」|福音主義教会]]は、ゲッピンゲン教会管区の支部教会で、デュルナウ教区の管轄下にある。ガンメルスハウゼンは、隣町のデュルナウと政治的運命をともにし、教会組織上も1798年からデュルナウに属した(それ以前はボルに属した)が、2012年までは独立した教会組織であった。ガンメルスハウゼンの聖マリア礼拝堂は1436年に記録されている。現在の教会は1700年に建設されたが、それよりも古い部分も遺っている。ガンメルスハウゼン教会組織は、合併前からデュルナウ教区が管轄していた。 === 人口推移 === 出典: 1970年以降のデータは、バーデン=ヴュルテンベルク州統計局のデータに基づく。 {| class="wikitable" ! 時期 ! 人口(人) |- | 1837年 || align="center" | {{0}}286 |- | 1907年 || align="center" | {{0}}344 |- | 1939年05月17日 || align="center" | {{0}}307 |- | 1950年09月13日 || align="center" | {{0}}412 |- | 1970年05月27日 || align="center" | {{0}}688 |- | 1983年12月31日 || align="center" | 1480 |- | 1987年05月25日 || align="center" | 1485 |- | 1991年12月31日 || align="center" | 1529 |- | 1995年12月31日 || align="center" | 1562 |- | 2005年12月31日 || align="center" | 1415 |- | 2010年12月31日 || align="center" | 1464 |- | 2015年12月31日 || align="center" | 1429 |- | 2020年12月31日 || align="center" | 1417 |- |} == 行政 == === 議会 === ガンメルスハウゼンの町議会は10議席からなる。町議会はこれらの選出された名誉職の議員と議長を務める町長で構成される<ref>{{cite web|url=https://gammelshausen.net/verwaltung/gemeinderat/|title=Gemeinderat|publisher=Gemeinde Gammelshausen|accessdate=2023-11-05}}</ref>。町長は町議会において投票権を有している。 === 紋章 === 図柄: [[オーア (紋章学)|金地]]、[[ギュールズ|赤い]][[サクランボ]]のペアの下に赤い家。 紋章に描かれたサクランボのペアは、ガンメルスハウゼンで営まれているサクランボ栽培を表している。家 ({{lang-de|Haus|link=no}}) は、地名 Gammelshausen の後半部分に由来する。この紋章と赤-黄の町の旗は、1959年10月9日に内務省の認可を得た<ref>{{cite web|url=https://www.leo-bw.de/fr/detail-gis/-/Detail/details/ORT/labw_ortslexikon/693/Gammelshausen|title=Gammelshausen / leo-BW|accessdate=2023-11-05}}</ref>。 === 姉妹自治体 === * {{flagicon|CHE}} {{仮リンク|ブライル/ブリーゲルス|de|Breil/Brigels|en|Breil/Brigels}}([[スイス]]、[[グラウビュンデン州]])1983年 == 経済と社会資本 == === 交通 === ガンメルスハウゼンは州道によって[[ハイニンゲン (ゲッピンゲン郡)|ハイニンゲン]]、[[デュルナウ (ゲッピンゲン郡)|デュルナウ]]、[[グリュービンゲン]]、および[[バート・ディッツェンバッハ]]に属すアウエンドルフと結ばれている。[[アウトバーン 8|アウトバーン A8号線]]のアイヒェルベルク・インターチェンジおよびミュールハウゼン・インターチェンジへは約 9&nbsp;km の距離にある。ガンメルスハウゼンでは多くのバス路線が運行しており、郡庁所在地[[ゲッピンゲン]]などへの交通手段となっている。 === 公共施設 === 町役場の近くに、1976年に完成した公民館がある。その中には{{仮リンク|ケーゲル|de|Kegeln|en|Nine-pin bowling}}のレーン<ref>{{cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120212091346/http://www.gammelshausen.de/pages/unser-gemeindehaus/kegelbahn.php|url=http://www.gammelshausen.de/pages/unser-gemeindehaus/kegelbahn.php|archivedate=2012-02-12|title=Kegelbahn|publisher=Gemeinde Gammelshausen|accessdate=2023-11-05}}</ref>や、2000年からはユーゲントラウム(若者の部屋)もある。この他、ガンメルスハウゼンには公共のパン焼き小屋がある。 === 教育 === ガンメルスハウゼンには学校も幼稚園もない。ガンメルスハウゼンの子供達は、隣町デュルナウの共同の施設で学ぶ。これらの施設は町境から 1&nbsp;km ほどの位置にある。 === 水供給 === 近隣の他の町と異なり、ガンメルスハウゼンにはいくつかの水源が存在している。しかしこれらは年中湧出しているわけではないため、町は追加的にコルンベルクグループに加盟し、これを介して州の水供給団体に接続している。コルンベルクグループの水は、近くに位置する水源から引いているが、州の水供給団体は約 40&nbsp;km 離れたドナウリート([[ウルム]]と[[ドナウヴェルト]]との間の河川地域)から水を引いている。 == 文化と見所 == === 見所 === ガンメルスハウゼンには、1974年に整備され、デュルナウにまで延びる果樹園学習路が通っている。近年シュヴァーベン格言の道がこれに加わった。 === スポーツとレジャー === ガンメルスハウゼンの北外れにサッカー場が設けられた。ガンメルスハウゼンは、隣町[[デュルナウ (ゲッピンゲン郡)|デュルナウ]]と共同で、ガンメルスハウゼンに接するデュルナウ町内にスポーツ・レジャーセンターを運営している。ガルゲンブッケルの高台に、ゾンヴェントフォイアーをはじめ様々な行事が定期的に開催されるイベント会場がある。この町は、周辺のフックスエック、ジーレンヴァング、ケプフレ、コルンベルクといった山へ向かう[[マウンテンバイク]]ツアーの出発点として好適である。 === クラブ === * ケーゲルクラブ・ガンメルスハウゼン: 女子第1チームはブンデスリーガ2部で、男子第1チームはフェアバンツリーガに参加している。 == トリビア == ガンメルスハウゼン住民には「シュペルテルラ」というニックネームが与えられている。このニックネームは、かつてガンメルスハウゼンの女性に言い寄ろうとしたよそ者のライバルをガンメルスハウゼンの若者が[[シュヴァーベン語]]で「シュペルテルラ」と呼ばれる木材を投げつけて追い払ったことに由来するとされる。 == 関連図書 == * {{cite book|chapter=Gemeinde Gammelshausen|editor=Rudolf Moser|title=Beschreibung des Oberamts Göppingen|series=Die Württembergischen Oberamtsbeschreibungen 1824–1886. Band 20|publisher=Cotta’sche Verlagsbuchhandlung|location=Stuttgart / Tübingen|year=1844|@ages=196–197}} * {{cite book|author=Claus Anshof|title=„I glaub net amol des, was i sieh!“ Glaubliche und unglaubliche Geschichten aus einem schwäbischen Dorf|publisher=Gemeinde Gammelshausen|year=1986}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references responsive /> == 外部リンク == {{Commonscat|Gammelshausen}} * {{cite web|url=http://www.gammelshausen.de|title=ガンメルスハウゼンの町のウェブサイト|accessdate=2023-11-08|language=de}} {{ゲッピンゲン郡の市町村}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かんめるすはうせん}} [[Category:ゲッピンゲン郡]]
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塩澤眞人
塩澤 眞人(しおざわ まさと、1968年(昭和43年)-)は、日本の物理学者。専門はニュートリノ物理学。学位は、理学博士(東京大学、2000年)。東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設施設長、東京大学教授、ハイパーカミオカンデ実験グループ共同代表。専門は素粒子・宇宙線物理学実験。 静岡県藤枝市出身の物理学者。専門はニュートリノ研究。2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章と共に、素粒子の統一理論について研究している。スーパーカミオカンデを用いて研究し、かつハイパーカミオカンデ実験の2027年開始を目指し、実験グループ共同代表として建設に取り組む。研究テーマは、陽子崩壊探索による物質素粒子の統一の検証と、大気・加速器ニュートリノ振動研究。
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塩澤 眞人は、日本の物理学者。専門はニュートリノ物理学。学位は、理学博士(東京大学、2000年)。東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設施設長、東京大学教授、ハイパーカミオカンデ実験グループ共同代表。専門は素粒子・宇宙線物理学実験。
{{Infobox Scientist | birth_date = {{生年月日と年齢|1968||}} | birth_place = [[静岡県]][[藤枝市]] | nationality = {{JPN}} | field = [[物理学]] | workplaces = [[東京大学]] | alma_mater = [[静岡県立藤枝東高等学校]]卒業<br />[[京都大学]][[理学部]]卒業 | known_for = [[ニュートリノ振動]]の観測 | awards = [[朝日賞]](2001年)<br />[[戸塚洋二]]賞(2015年)<br />[[基礎物理学ブレイクスルー賞]](2015年) | name = 塩澤 眞人 }} '''塩澤 眞人'''<ref name=":0">{{Cite web |title=塩澤 真人のページ |url=https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/~masato_s/index.html |website=www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp |access-date=2023-11-08}}</ref>(しおざわ まさと<ref name=":0" />、[[1968年]]([[昭和]]43年)<ref name=":1">{{Cite web |title=Vol.07 塩澤 眞人 |url=https://photonterrace.net/ja/professional/Vol_07/ |website=Photonてらす |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>-)は、[[日本]]の[[物理学者]]。専門は[[ニュートリノ物理学]]。[[学位]]は、[[理学博士]]([[東京大学]]、[[2000年]])<ref name=":0" />。[[東京大学]][[東京大学宇宙線研究所|宇宙線研究所]][[スーパーカミオカンデ|神岡宇宙素粒子研究施設]]施設長、[[東京大学]][[教授]]、[[ハイパーカミオカンデ]]実験グループ共同代表。専門は[[素粒子]]・[[宇宙線]][[物理学]]実験。 == 概要 == [[静岡県]][[藤枝市]]出身<ref name=":1" />の[[物理学者]]。専門はニュートリノ研究。[[2015年]]に[[ノーベル物理学賞]]を受賞した[[梶田隆章]]と共に、[[素粒子]]の統一理論について研究している。[[スーパーカミオカンデ]]を用いて研究し、かつ[[ハイパーカミオカンデ]]実験の[[2027年]]開始を目指し、実験グループ共同代表として建設に取り組む<ref name=":0" />。研究テーマは、[[陽子]]崩壊探索による物質[[素粒子]]の統一の検証と、大気・加速器[[ニュートリノ振動]]研究。 == 略歴 == * [[1987年]] - [[静岡県立藤枝東高等学校]]卒業 * [[1992年]] - [[京都大学]][[京都大学理学部|理学部]]卒業、[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|東京大学大学院理学系研究科]]入学。[[スーパーカミオカンデ]]実験に参加。 * [[1996年]] - [[スーパーカミオカンデ]]実験開始。大気[[ニュートリノ]]研究と[[陽子]]崩壊探索に従事。 * [[1998年]]〜[[2006年]] - [[高エネルギー加速器研究機構|KEK]][[陽子]][[加速器]]によるニュートリノビームを用いたK2Kニュートリノ振動実験に参加。 * [[2001年]] - [[朝日賞]]「ニュートリノに質量があることの発見」グループ受賞。 * [[2008年]] - スーパーカミオカンデ装置の電子回路のアップグレードを行う。 * [[2009年]] - 大強度[[加速器]][[J-PARC]]によるニュートリノビームを用いたT2Kニュートリノ振動実験開始。 大気ニュートリノ、太陽ニュートリノ振動に続く、第三の振動モードを発見。 * [[2015年]] - [[戸塚洋二]]賞「加速器ミューニュートリノビームによる電子ニュートリノ出現現象の発見」共同受賞。[[基礎物理学ブレイクスルー賞]](Super-K/K2K/T2K)グループ受賞。 * [[2015年]]〜 - 次世代実験[[ハイパーカミオカンデ]]計画のプロトコラボレーション立ち上げ、プロジェクトリーダーを務める。 * [[2020年]]〜 - ハイパーカミオカンデコラボレーション立ち上げ、共同代表(Japanese Co-Spokesperson)となる。 * [[2022年]]〜 - [[東京大学]][[東京大学宇宙線研究所|宇宙線研究所]] [[神岡宇宙素粒子研究施設]] 施設長に就任。 == 出典 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:しおさわ まさと}} [[Category:20世紀日本の物理学者]] [[Category:21世紀日本の物理学者]] [[Category:東京大学の教員]] [[Category:東京大学宇宙線研究所の人物]] [[Category:朝日賞受賞者]] [[Category:基礎物理学ブレイクスルー賞の受賞者]] [[Category:理学博士取得者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:静岡県出身の人物]] [[Category:京都大学出身の人物]] [[Category:1968年生]] [[Category:存命人物]]
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浜松市立高等学校マンドリン部
静岡県浜松市立高等学校のマンドリン部である。 同校のマンドリンオーケストラはマンドリン1st、マンドリン2nd、マンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、コントラバスで構成される。 全国高等学校ギター・マンドリン音楽コンクールには第17回より出場しており、出場常連校となっている。 毎年4月末には定期演奏会が行われる。
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静岡県[[浜松市立高等学校]]の[[マンドリン]]部である。 同校の[[マンドリンオーケストラ]]はマンドリン1st、マンドリン2nd、マンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、コントラバスで構成される。 全国高等学校ギター・マンドリン音楽コンクールには第17回より出場しており、出場常連校となっている。 毎年4月末には定期演奏会が行われる。
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エーケベリ・ホール
エーケベリ・ホール(Ekeberghallen)あるいはエーケベリ・スポーツホール(Ekeberg idrettshall)は、ノルウェーのオスロ市ヌーシュトラン区(英語版)エーケベリ地区のエーケベリ平地(英語版)にある屋内スポーツ競技場。エーケベリ平地はオスロの公園地区として指定されており、主にスポーツイベントに使われている。 エーケベリ・ホールは1973年に開業し、1981年に付帯施設として Osloidrettens Hus が加わった。コートサイズは46メートル×75メートルで、観客収容人数は4,800人である。施設内はバドミントンコート、ハンドボールコート、テニスコート、バレーボールコートに分かれており、陸上競技の設備も完備されている。衣装部屋、音響システム、ステージも備わっており、他の用途でも使用できる。ノルウェー・カップ関連でもこのホールが使われている。 このホールの所有者は Oslo Idrettskrets である。主に総合スポーツクラブ Bækkelagets SK(英語版) が本拠地として使用する他、オスロ市内の他のスポーツクラブもバスケットボール、ハンドボール、バレーボール、バドミントン、屋内陸上競技、フットサルなどの屋内スポーツで使用している。スポーツ需要のない週末には展示会、コンサート、会議など他の用途にも使われている。またプロボクシングの会場としても使われたことがある.。
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エーケベリ・ホール(Ekeberghallen)あるいはエーケベリ・スポーツホールは、ノルウェーのオスロ市ヌーシュトラン区エーケベリ地区のエーケベリ平地にある屋内スポーツ競技場。エーケベリ平地はオスロの公園地区として指定されており、主にスポーツイベントに使われている。
[[ファイル:Ekeberghallen mai 2017 bilde02.jpg|thumb|エーケベリ・ホール]] '''エーケベリ・ホール'''({{lang|no|Ekeberghallen}})あるいは'''エーケベリ・スポーツホール'''({{lang|no|Ekeberg idrettshall}})は、[[ノルウェー]]の[[オスロ|オスロ市]]{{仮リンク|ヌーシュトラン区|en|Nordstrand, Norway}}{{仮リンク|エーケベリ|en|Ekeberg}}地区の{{仮リンク|エーケベリ平地|en|Ekebergsletta}}にある屋内スポーツ競技場。エーケベリ平地はオスロの公園地区として指定されており、主にスポーツイベントに使われている<ref>{{cite web|url=https://www.idrettsforbundet.no/idrettskrets/oslo/ekeberg-idrettshall-og-osloidrettens-hus/|title=Ekeberg idrettshall|website= Oslo Idrettskrets|accessdate=2020-01-01}}</ref><ref name="snl"/>。 == 歴史 == エーケベリ・ホールは1973年に開業し、1981年に付帯施設として ''Osloidrettens Hus'' が加わった。コートサイズは46メートル×75メートルで、観客収容人数は4,800人である。施設内はバドミントンコート、ハンドボールコート、テニスコート、バレーボールコートに分かれており、陸上競技の設備も完備されている。衣装部屋、音響システム、ステージも備わっており、他の用途でも使用できる。{{仮リンク|ノルウェー・カップ|en|Norway Cup}}関連でもこのホールが使われている<ref name="snl"/>。 このホールの所有者は Oslo Idrettskrets である。主に総合スポーツクラブ {{仮リンク|Bækkelagets SK|en|Bækkelagets SK}} が本拠地として使用する他、オスロ市内の他のスポーツクラブもバスケットボール、ハンドボール、バレーボール、バドミントン、屋内陸上競技、フットサルなどの屋内スポーツで使用している。スポーツ需要のない週末には展示会、コンサート、会議など他の用途にも使われている<ref>{{cite web|url=https://www.idrettsforbundet.no/idrettskrets/oslo/om-idrettskretsen/strategisk-plan/|title=Om Oslo Idrettskrets|website= Oslo Idrettskrets|access-date=2020-10-01}}</ref><ref name="snl">{{cite encyclopedia|year=|title=Ekeberg Idrettshall|encyclopedia=[[Store norske leksikon]]|editor=|publisher=Kunnskapsforlaget|location=Oslo|url=http://www.snl.no/Ekeberg_Idrettshall|language=Norwegian|accessdate=2010-01-01}}</ref>。またプロボクシングの会場としても使われたことがある.<ref>[http://boxrec.com/location.php?country_code=NO&region_name=null&towncity_name=&towncity_id=12242&venue_name=&venue_id=19761&yyyy=&submit=Go Boxrec: Ekeberg Hall]</ref>。 == 参考文献 == {{Commonscat}} {{Reflist}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ええけへりほおる}} [[Category:オスロの建築物]] [[Category:ノルウェーの屋内競技施設]] [[Category:1973年開設のスポーツ施設]] [[Category:ノルウェーのバスケットボール競技施設]]
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STAG2
An Error has occurred retrieving Wikidata item for infobox STAG2(stromal antigen 2)もしくはSA2は、ヒトではSTAG2遺伝子にコードされるタンパク質である。SA2はコヒーシン複合体のサブユニットであり、姉妹染色分体間の接着(cohesion)、相同組換え、DNAのループ構造の形成を媒介する。体細胞ではコヒーシンはSMC3(英語版)、SMC1(英語版)、RAD21、そしてSA1またはSA2のいずれかから形成されるが、減数分裂時にはSMC3、SMC1B(英語版)、REC8(英語版)、SA3(英語版)から形成される。 STAG2は、さまざまながんにおいて高頻度で変異が生じている。 SA2は、DNA複製後に姉妹染色分体をまとめるコヒーシン複合体の一部を構成している。ゲノムはコヒーシンによる接着部からDNAループが突出することで折りたたまれていき、この接着部のコヒーシンはSMC1、SMC3、RAD21、そしてSA1とSA2いずれかから構成されている。SA2はSMC1、SMC3、RAD21によって構成されるリング状構造と相互作用し、コヒーシン複合体のコアを形成する。リング状構造は、細胞分裂時にコヒーシン複合体の分解が完了するまで染色体をまとめており、複製された染色体の2つの娘細胞への分配はコヒーシンの分解によって可能になる。SA2の他の役割としては、クロマチンの組織化、転写、DNA修復や下流の遺伝子発現の制御などがある。また、SA2はSA1と相互作用することも示されている。 STAG2遺伝子は、コヒーシンのサブユニットをコードする遺伝子の中で、がんで最も多くの変異が報告されている遺伝子である。この遺伝子がX染色体に位置し、不活性化に必要な変異が1つだけであることがその多さの理由であると考えられている。筋層非浸潤性膀胱がんの約1/3では、STAG2の変異によりSA2タンパク質の完全な喪失が引き起こされている。このタンパク質の喪失は疾患の予後や生存の指標となることが示されている。 また、SA2の喪失によってオリゴデンドロサイトの成熟の遅れや髄鞘形成関連遺伝子の転写の低下が生じることが示されている。特定の細胞で適切な遺伝子発現が行われるためにはコヒーシンよる接着が必要であり、髄鞘形成の場合にはその喪失によって負の影響が生じると考えられている。 Xq25 duplication syndromeはSTAG2遺伝子が含まれる領域の重複を伴うX連鎖型神経発達障害であり、発達の遅れや知的障害によって特徴づけられ、異常行動や特異な顔貌を伴う(OMIM: 300979)。STAG2遺伝子のみの重複によってもSTAG2 encephalopathy(STAG2脳症)を発症する場合がある。この疾患は、以前はジーボンス症候群(Jeavons syndrome:JS)と呼ばれていたEyelid myoclonia with absences(EMA、欠神発作を伴う眼瞼ミオクロニー)の全ての症状を伴う。
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An Error has occurred retrieving Wikidata item for infobox STAG2もしくはSA2は、ヒトではSTAG2遺伝子にコードされるタンパク質である。SA2はコヒーシン複合体のサブユニットであり、姉妹染色分体間の接着(cohesion)、相同組換え、DNAのループ構造の形成を媒介する。体細胞ではコヒーシンはSMC3、SMC1、RAD21、そしてSA1またはSA2のいずれかから形成されるが、減数分裂時にはSMC3、SMC1B、REC8、SA3から形成される。 STAG2は、さまざまながんにおいて高頻度で変異が生じている。
{{Infobox_gene}} '''STAG2'''(stromal antigen 2)もしくは'''SA2'''は、ヒトでは''STAG2''[[遺伝子]]にコードされる[[タンパク質]]である<ref name="pmid9305759">{{cite journal|date=August 1997|title=SA-1, a nuclear protein encoded by one member of a novel gene family: molecular cloning and detection in hemopoietic organs|journal=Gene|volume=195|issue=2|pages=151–159|doi=10.1016/S0378-1119(97)00121-2|pmid=9305759|vauthors=Carramolino L, Lee BC, Zaballos A, Peled A, Barthelemy I, Shav-Tal Y, Prieto I, Carmi P, Gothelf Y, González de Buitrago G, Aracil M, Márquez G, Barbero JL, Zipori D|display-authors=6}}</ref><ref name="entrez">{{cite web |title=Entrez Gene: STAG2 stromal antigen 2 |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?Db=gene&Cmd=ShowDetailView&TermToSearch=10735 |access-date=2023-11-05}}</ref>。SA2は[[コヒーシン]]複合体のサブユニットであり、[[姉妹染色分体]]間の接着(cohesion)、[[相同組換え]]、DNAのループ構造の形成を媒介する。[[体細胞]]ではコヒーシンは{{仮リンク|SMC3|en|SMC3}}、{{仮リンク|SMC1A|en|SMC1A|label=SMC1}}、[[RAD21]]、そして[[STAG1|SA1]]またはSA2のいずれかから形成されるが、[[減数分裂]]時にはSMC3、{{仮リンク|SMC1B|en|SMC1B}}、{{仮リンク|REC8|en|REC8}}、{{仮リンク|STAG3|en|STAG3 (gene)|label=SA3}}から形成される。 ''STAG2''は、さまざまな[[悪性腫瘍|がん]]において高頻度で変異が生じている<ref name=":2">{{cite journal|date=December 2016|title=Cohesin Mutations in Cancer|journal=Cold Spring Harbor Perspectives in Medicine|volume=6|issue=12|pages=a026476|doi=10.1101/cshperspect.a026476|pmc=5131750|pmid=27742736|vauthors=De Koninck M, Losada A|doi-access=free}}</ref>。 == 機能 == SA2は、[[DNA複製]]後に姉妹染色分体をまとめるコヒーシン複合体の一部を構成している<ref name=":3">{{cite journal|date=August 2013|title=Cohesin: functions beyond sister chromatid cohesion|journal=FEBS Letters|volume=587|issue=15|pages=2299–2312|doi=10.1016/j.febslet.2013.06.035|pmid=23831059|vauthors=Mehta GD, Kumar R, Srivastava S, Ghosh SK|doi-access=}}</ref>。ゲノムはコヒーシンによる接着部からDNAループが突出することで折りたたまれていき、この接着部のコヒーシンはSMC1、SMC3、RAD21、そしてSA1とSA2いずれかから構成されている<ref name=":0">{{cite journal|date=August 2022|title=STAG2 promotes the myelination transcriptional program in oligodendrocytes|journal=eLife|volume=11|pages=e77848|doi=10.7554/eLife.77848|pmc=9439679|pmid=35959892|vauthors=Cheng N, Li G, Kanchwala M, Evers BM, Xing C, Yu H}}</ref>。SA2はSMC1、SMC3、RAD21によって構成されるリング状構造と相互作用し、コヒーシン複合体のコアを形成する<ref name=":4">{{cite journal|date=June 2014|title=Cohesin in cancer: chromosome segregation and beyond|journal=Nature Reviews. Cancer|volume=14|issue=6|pages=389–393|doi=10.1038/nrc3743|pmid=24854081|vauthors=Losada A|s2cid=22909640}}</ref>。リング状構造は、細胞分裂時にコヒーシン複合体の分解が完了するまで染色体をまとめており<ref name=":1">{{cite journal|date=August 2020|title=Distinct and overlapping roles of STAG1 and STAG2 in cohesin localization and gene expression in embryonic stem cells|journal=Epigenetics & Chromatin|volume=13|issue=1|pages=32|doi=10.1186/s13072-020-00353-9|pmc=7418333|pmid=32778134|vauthors=Arruda NL, Carico ZM, Justice M, Liu YF, Zhou J, Stefan HC, Dowen JM}}</ref>、複製された染色体の2つの娘細胞への分配はコヒーシンの分解によって可能になる。SA2の他の役割としては、[[クロマチン]]の組織化、[[転写 (生物学)|転写]]、[[DNA修復]]や下流の遺伝子発現の制御などがある<ref name=":5">{{cite journal|date=October 2022|title=STAG2 expression is associated with adverse survival outcomes and regulates cell phenotype in muscle-invasive bladder cancer|journal=Cancer Research Communications|volume=2|issue=10|pages=1129–1143|doi=10.1158/2767-9764.CRC-22-0155|pmc=9583756|pmid=36275363|vauthors=Athans S, Krishnan N, Ramakrishnan S, Cortes Gomez E, Lage-Vickers S, Rak M, Kazmierczak Z, Ohm J, Attwood K, Wang J, Woloszynska A|display-authors=6|s2cid=252025964}}</ref>。また、SA2はSA1と相互作用することも示されている<ref name="pmid11076961">{{cite journal|date=November 2000|title=Characterization of vertebrate cohesin complexes and their regulation in prophase|journal=The Journal of Cell Biology|volume=151|issue=4|pages=749–762|doi=10.1083/jcb.151.4.749|pmc=2169443|pmid=11076961|vauthors=Sumara I, Vorlaufer E, Gieffers C, Peters BH, Peters JM}}</ref>。 == 変異 == ''STAG2''遺伝子は、コヒーシンのサブユニットをコードする遺伝子の中で、がんで最も多くの変異が報告されている遺伝子である<ref name=":6">{{Cite web |url=http://cancer.sanger.ac.uk/cosmic/gene/analysis?ln=STAG2 |title=STAG2 Gene - COSMIC |last=Cosmic |website=cancer.sanger.ac.uk |access-date=2018-02-13}}</ref>。この遺伝子が[[X染色体]]に位置し、不活性化に必要な変異が1つだけであることがその多さの理由であると考えられている<ref name=":7">{{cite journal|date=February 2016|title=Intact Cohesion, Anaphase, and Chromosome Segregation in Human Cells Harboring Tumor-Derived Mutations in STAG2|journal=PLOS Genetics|volume=12|issue=2|pages=e1005865|doi=10.1371/journal.pgen.1005865|pmc=4752446|pmid=26871722|vauthors=Kim JS, He X, Orr B, Wutz G, Hill V, Peters JM, Compton DA, Waldman T|display-authors=6}}</ref>。筋層非浸潤性[[膀胱癌|膀胱がん]]の約1/3では、''STAG2''の変異によりSA2タンパク質の完全な喪失が引き起こされている<ref>{{cite journal|date=April 2022|title=STAG2 Protein Expression in Non-muscle-invasive Bladder Cancer: Associations with Sex, Genomic and Transcriptomic Changes, and Clinical Outcomes|journal=European Urology Open Science|volume=38|pages=88–95|doi=10.1016/j.euros.2022.02.004|pmc=9051973|pmid=35495284|vauthors=Gordon NS, Humayun-Zakaria N, Goel A, Abbotts B, Zeegers MP, Cheng KK, James ND, Arnold R, Bryan RT, Ward DG|display-authors=6}}</ref>。このタンパク質の喪失は疾患の予後や生存の指標となることが示されている。 また、SA2の喪失によって[[オリゴデンドロサイト]]の成熟の遅れや[[髄鞘]]形成関連遺伝子の転写の低下が生じることが示されている。特定の細胞で適切な遺伝子発現が行われるためにはコヒーシンよる接着が必要であり、髄鞘形成の場合にはその喪失によって負の影響が生じると考えられている<ref name=":0" />。 Xq25 duplication syndromeは''STAG2''遺伝子が含まれる領域の[[遺伝子重複|重複]]を伴う[[X連鎖遺伝|X連鎖]]型[[神経発達症|神経発達障害]]であり、発達の遅れや知的障害によって特徴づけられ、異常行動や特異な顔貌を伴う({{OMIM5|300979}})。''STAG2''遺伝子のみの重複によってもSTAG2 encephalopathy(STAG2[[脳症]])を発症する場合がある。この疾患は、以前はジーボンス症候群(Jeavons syndrome:JS)と呼ばれていたEyelid myoclonia with absences(EMA、[[欠神発作]]を伴う眼瞼[[ミオクローヌス|ミオクロニー]])の全ての症状を伴う<ref name=":8">{{cite journal|date=December 2022|title=STAG2 microduplication in a patient with eyelid myoclonia and absences and a review of EMA-related reported genes|journal=European Journal of Medical Genetics|volume=65|issue=12|pages=104636|doi=10.1016/j.ejmg.2022.104636|pmid=36216271|vauthors=Gokce-Samar Z, de Bellescize J, Arzimanoglou A, Putoux A, Chatron N, Lesca G, Portes VD|s2cid=252792610}}</ref>。 == 出典 == {{reflist}} {{DEFAULTSORT:STAG2}} [[Category:タンパク質]]
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小川佳樹
小川佳樹(おがわ よしき)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。早稲田大学法学学術院 大学院法務研究科 教授。 早稲田大学法学部助手、筑波大学大学院講師、同准教授、早稲田大学法学学術院准教授を経て現職。 日本刑法学会 日米法学会 日本被害者学会
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小川佳樹は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。早稲田大学法学学術院 大学院法務研究科 教授。
'''小川佳樹'''(おがわ よしき)は、日本の法学者。専門は[[刑事訴訟法]]。[[早稲田大学法学学術院]] 大学院法務研究科 教授<ref>{{Cite web |title=小川 佳樹 |url=https://www.waseda.jp/folaw/law/about/faculty/yoshiki-ogawa |website=早稲田大学 法学部 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 == 人物 == 早稲田大学法学部助手、[[筑波大学]]大学院講師、同准教授、早稲田大学法学学術院准教授を経て現職。 == 経歴・学位 == * [[早稲田大学法学部]] 卒業 [[学士(法学)]] * 早稲田大学大学院法学研究科 公法学専攻修士課程修了 [[修士(法学)]] * 早稲田大学大学院法学研究科 公法学専攻博士後期課程 単位取得退学 == 委員等 == *2016年6月-現在 [[法務省]] [[司法試験考査委員]]<ref name=":0">{{Cite web |title=研究者詳細 - 小川 佳樹 |url=https://w-rdb.waseda.jp/html/100000611_ja.html |website=w-rdb.waseda.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> *2020年10月-現在 法務省 司法試験予備試験考査委員<ref name=":0" /> == 所属学会 == [[日本刑法学会]] [[日米法学会]] [[日本被害者学会]] == 主要著書 == * 『刑事訴訟法講義』([[有斐閣|八千代出版]])2007年3月 * 『確認刑事訴訟法用語250』(成文堂)2009年12月 == 脚註 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:おかわ よしき}} [[Category:21世紀日本の法学者]] [[Category:刑事訴訟法学者]] [[Category:日本の刑法学者]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:早稲田大学の教員]] [[Category:筑波大学の教員]] [[Category:存命人物]]
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コーマック分類
コーマック分類(コーマックぶんるい、Cormack-Lehane system)は直接喉頭展開によって得られた視野を、観察された構造に基づいて分類するものである。このシステムは1984年にR.S.CormackとJ.Lehaneによって、訓練中の麻酔科医が直面する可能性のあるシナリオをシミュレートする方法として発表された。グレード2を細分化した修正版が1998年に発表された。
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コーマック分類は直接喉頭展開によって得られた視野を、観察された構造に基づいて分類するものである。このシステムは1984年にR.S.CormackとJ.Lehaneによって、訓練中の麻酔科医が直面する可能性のあるシナリオをシミュレートする方法として発表された。グレード2を細分化した修正版が1998年に発表された。
<gallery> ファイル:Larinqoskopiya-Cormack-Lehane.jpg|コーマック分類模式図 ファイル:Cormack-Lehane-larinqoskopiya.jpg|喉頭鏡で展開した場合の模式図 </gallery> '''コーマック分類'''(コーマックぶんるい、''Cormack-Lehane system'')は直接[[喉頭展開]]によって得られた視野を、観察された構造に基づいて分類するものである。このシステムは1984年にR.S.CormackとJ.Lehaneによって、訓練中の[[麻酔科医]]が直面する可能性のあるシナリオをシミュレートする方法として発表された<ref name="cormack">{{Cite journal|last=Cormack|first=R.S.|last2=Lehane|first2=J.|year=1984|title=Difficult tracheal intubation in obstetrics|journal=Anaesthesia|volume=39|issue=11|pages=1105–11|doi=10.1111/j.1365-2044.1984.tb08932.x|pmid=6507827}}</ref>。グレード2を細分化した修正版が1998年に発表された<ref name="yentis">{{Cite journal|last=Yentis|first=S.M.|last2=Lee|first2=D.J.|year=1998|title=Evaluation of an improved scoring system for the grading of direct laryngoscopy|journal=Anaesthesia|volume=53|issue=11|pages=1041–4|doi=10.1046/j.1365-2044.1998.00605.x|pmid=10023271}}</ref>。 {| class="wikitable" |+修正コーマック分類<ref name="yentis" /><ref>{{Cite journal|last=Koh|first=L. K. D.|last2=Kong|first2=C. E.|last3=Ip-Yam|first3=P. C.|date=2002-02-01|title=The modified Cormack-Lehane score for the grading of direct laryngoscopy: evaluation in the Asian population|journal=Anaesthesia and Intensive Care|volume=30|issue=1|pages=48–51|doi=10.1177/0310057X0203000109|issn=0310-057X|pmid=11939440}}</ref> !グレード !状況 !およその頻度 ![[挿管困難]]の確率 |- |1 |[[声門]]が全て見える |68–74% |<1% |- |2a |声門が一部だけ見える |21–24% |4.3–13.4% |- |2b |声門の後端のみ、あるいは{{仮リンク|披裂軟骨|en|arytenoid cartilages|redirect=1}}のみが見える。 |3.3–6.5% |65–67.4% |- |3 |声門は全く見えず、[[喉頭蓋]]のみが見える。 |1.2–1.6% |80–87.5% |- |4 |声門も喉頭蓋も見えない。 |極めて稀 |可能性が非常に高い |} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == * {{仮リンク|Simplified Airway Risk Index|en|Simplified Airway Risk Index|redirect=1}} {{麻酔}} [[Category:麻酔科学]] [[Category:医学的スコア]] {{DEFAULTSORT:こおまつくふんるい}}
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鄭永浩
鄭 永浩(チョン・ヨンホ、朝鮮語: 정영호、1948年3月30日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の教員、作詞家、詩人。 『10月です』の作詞で知られている(作曲は李鍾旿)。 平安北道義州郡出身。スナン高級中学校卒。機械工場で労働者として従事しつつ、叙事詩を多く発表した。沙里院師範大学語文学部卒業後、ピョンソン高等機械専門学校で教員を務め、1973年に金日成総合大学作家養成班に入学した。1974年以降詩人として活動している。1995年に制作された『10月です』において作詞をしたことより朝鮮労働党の創建50周年に際して行われた文学祝典において記念文学祝典賞を受けた。
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鄭 永浩は、朝鮮民主主義人民共和国の教員、作詞家、詩人。 『10月です』の作詞で知られている(作曲は李鍾旿)。
'''鄭 永浩'''(チョン・ヨンホ、{{Lang-ko|정영호}}、[[1948年]][[3月30日]] - )は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[教員]]、[[作詞家]]、[[詩人]]。 『10月です』の作詞で知られている(作曲は[[李鍾旿]])。 == 経歴 == 平安北道義州郡出身。スナン高級中学校卒。機械工場で労働者として従事しつつ、[[叙事詩]]を多く発表した。沙里院師範大学語文学部卒業後、ピョンソン高等機械専門学校で教員を務め、1973年に[[金日成総合大学]]作家養成班に入学した。1974年以降詩人として活動している。1995年に制作された『10月です』において作詞をしたことより[[朝鮮労働党]]の創建50周年に際して行われた文学祝典において記念文学祝典賞を受けた<ref>{{Cite web |title=북한지역정보넷 |url=http://www.cybernk.net/infoText/InfoHumanDetail.aspx?mc=EJ0701&hid=EH010200012138&rightType=3&direct=1&direct=1 |website=www.cybernk.net |access-date=2023-11-08}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Writer-stub}} {{DEFAULTSORT:ちよん よんほ}} [[Category:1948年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:平安北道出身の人物]] [[Category:北朝鮮の詩人]]
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南院内村
南院内村(みなみいんないむら)は、大分県宇佐郡にあった村。現在の宇佐市の一部にあたる。 駅館川上流・恵良川と、同川支流余川の流域に位置していた。
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南院内村(みなみいんないむら)は、大分県宇佐郡にあった村。現在の宇佐市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年1月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 院内村、[[東院内村]]、'''南院内村'''、[[両川村 (大分県)|両川村]]、[[高並村]] → [[院内町 (大分県)|院内村]] | 現在の自治体 = [[宇佐市]] | よみがな = みなみいんないむら | 自治体名 = 南院内村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[宇佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 3519 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = 院内村、[[深見村]]、[[玖珠郡]][[森町 (大分県)|森町]]、[[下毛郡]][[耶馬溪町|耶馬溪村]] | 所在地 = 宇佐郡南院内村大字上恵良 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''南院内村'''(みなみいんないむら{{R|変遷}}{{R|角川}})は、[[大分県]][[宇佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[宇佐市]]の一部にあたる。 == 地理 == 駅館川上流・恵良川と、同川支流余川の流域に位置していた{{R|角川}}。 == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、宇佐郡下恵良村、田所村、野地村、温見村、上恵良村、西椎屋村、来鉢村、和田村、羽馬礼村、田平村、台村、土岩屋村、荻迫村、平原村、大坪村、下余村、上納持村、上余村、栗山村、岡村、小平村、滝貞村が合併して村制施行し、'''南院内村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』759頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』787頁。</ref>。旧村名を継承した下恵良、田所、野地、温見、上恵良、西椎屋、来鉢、和田、羽馬礼、田平、台、土岩屋、荻迫、平原、大坪、下余、上納持、上余、栗山、岡、小平、滝貞の22大字を編成{{R|角川}}。 *[[1955年]](昭和30年)1月1日、宇佐郡院内村、東院内村、両川村、高並村と合併し、'''[[院内町 (大分県)|院内村]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業、畜産、林産物{{R|角川}} == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:みなみいんないむら}} [[Category:宇佐郡]] [[Category:宇佐市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]]
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繁盛川
繁盛川(はんもりがわ)は、愛知県名古屋市天白区・日進市を流れる天白川水系の二級河川。 かつては半森川と呼ばれた。下流は竹田川とも呼ばれる。名古屋市天白区にある荒池に源を発し、天白区と日進市の境界線付近を北に流れ、天白川に合流する。河川延長は全長約2.0km、流域面積は約2km2。河道は掘込河道で、護岸が整備されている。愛知県の管理である。 下流約1.1kmの区間は、1974年度から1979年度にかけて名古屋市による護岸整備、河道掘削などが行われた。また、天白川合流点から二級河川上流端までの区間は河川整備計画の対象区間となっている。 天白区に存在する『高瀬木』という地名は、繁盛川の洪水を防ぐため、高いせぎがあったことに由来する。また、同区に存在する『欠下』という地名は、繁盛川の洪水によって削られた土地であるということを意味する。 下流から順に記載。 下流から順に記載。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "繁盛川(はんもりがわ)は、愛知県名古屋市天白区・日進市を流れる天白川水系の二級河川。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "かつては半森川と呼ばれた。下流は竹田川とも呼ばれる。名古屋市天白区にある荒池に源を発し、天白区と日進市の境界線付近を北に流れ、天白川に合流する。河川延長は全長約2.0km、流域面積は約2km2。河道は掘込河道で、護岸が整備されている。愛知県の管理である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "下流約1.1kmの区間は、1974年度から1979年度にかけて名古屋市による護岸整備、河道掘削などが行われた。また、天白川合流点から二級河川上流端までの区間は河川整備計画の対象区間となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "天白区に存在する『高瀬木』という地名は、繁盛川の洪水を防ぐため、高いせぎがあったことに由来する。また、同区に存在する『欠下』という地名は、繁盛川の洪水によって削られた土地であるということを意味する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "下流から順に記載。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "下流から順に記載。", "title": "橋梁" } ]
繁盛川(はんもりがわ)は、愛知県名古屋市天白区・日進市を流れる天白川水系の二級河川。
{{Infobox 河川 | 名称 = 繁盛川 | 画像 = [[File:View of Hammori-gawa River from the Top of Terayama-bashi Bridge, Aichi 2021.jpg|280px]] | 画像説明 = 寺山橋上より望む繁盛川。([[2021年]]([[令和]]3年)7月) | 水系等級 = 二級水系 | 水系 = [[天白川 (愛知県)|天白川]] | 種別 = 二級河川 | 延長 = 2.0 | 流量 = | 観測所 = | 流域面積 = 2.3 | 水源 = {{Flagicon|JPN}} [[愛知県]][[名古屋市]][[天白区]]荒池 | 標高 = | 河口 = 天白川 | 流路 = {{Flagicon|JPN}} 愛知県名古屋市天白区・[[日進市]] | 流域 = | 地図 = |脚注 = | 出典 = }} '''繁盛川'''(はんもりがわ)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[天白区]]・[[日進市]]を流れる[[天白川 (愛知県)|天白川]]水系の二級河川<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/page/0000022259.html |title=名古屋市 天白川水系の河川 |access-date=2022.12.26 |publisher=名古屋市}}</ref><ref>{{Cite web |title=繁盛川/荒池 [2300520015] 天白川水系 地図 |url=https://geoshape.ex.nii.ac.jp/river/resource/230052/2300520015/ |website=国土数値情報河川データセット |access-date=2023-11-08}}</ref>。 == 概要 == かつては'''半森川'''と呼ばれた<ref>{{Cite web |url=https://websv.aichi-pref-library.jp/ezu/ezudata/jpeg/060.html |website=websv.aichi-pref-library.jp |access-date=2023-11-08 |title=愛知郡村邑全図 赤池村}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf |title=過去から学ぶ防災マップ |access-date=2023-11-08 |publisher=天白区}}</ref>。下流は'''竹田川'''とも呼ばれる<ref>{{Cite web |url=https://www.asadaku.org/wp/wp-content/uploads/2019/08/84c1b8503901ecb24ed9d903e0a9f755.pdf |title=天白川で遊ぼうマップ |access-date=2023-11-08 |publisher=日進市}}</ref>。名古屋市天白区にある[[荒池 (名古屋市のため池)|荒池]]に源を発し、天白区と日進市の境界線付近を北に流れ、天白川に合流する。河川延長は全長約2.0km<ref group="注釈">1.9kmとする資料も存在する。</ref>、流域面積は約2km²<ref name=":0" />。河道は掘込河道で、[[護岸]]が整備されている<ref>{{Cite web |title=河川の概要 |url=http://www.aichi-river.jp/acrobat/090324tenpaku-keikaku/chapter1-P04-05.pdf |website=aichi-river.jp |access-date=2023-11-08}}</ref>。愛知県の管理である<ref>{{Cite web |title=繁盛川(愛知県名古屋市) |url=https://ankyo.net/chinmei/hanjo/hanjo.html |website=ankyo.net |access-date=2023-11-08}}</ref><ref name=":2">{{Cite web |url=https://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/cmsfiles/contents/0000022/22264/tenpaku13-28.pdf |title=1.3.2 水利用及び河川環境の現状と課題 |access-date=2023-11-08 |publisher=名古屋市}}</ref>。 下流約1.1kmの区間は、[[1974年]]度から[[1979年]]度にかけて名古屋市による護岸整備、河道掘削などが行われた<ref name=":0" />。また、天白川合流点から二級河川上流端までの区間は河川整備計画の対象区間となっている<ref name=":2" />。 == 地理 == === 地名の由来 === 天白区に存在する『高瀬木』という地名は、繁盛川の洪水を防ぐため、高いせぎがあったことに由来する<ref name=":1" />。また、同区に存在する『欠下』<ref group="注釈">同区には、大字[[植田 (名古屋市)|植田]]にも同じ地名が存在した。</ref>という地名は、繁盛川の洪水によって削られた土地であるということを意味する<ref name=":1" />。 === 流域の周辺施設 === 下流から順に記載。<ref name=":3">{{Cite web |url=https://www.sonicweb-asp.jp/nisshin/map?theme=th_14&scale=1875&pos=137.00708719568905%2C35.12513283266389&layers=th_14%2CROADMAP#layers=&pos=137.014358940459%2C35.116121086446064&theme=th_12&scale=7500|access-date=2023-12-16 |title=にっしんまっぷ|publisher=日進市}}}</ref>{{columns-list|colwidth=20em| * 高瀬木公園 * 平針寺山公園 * 龍淵寺 * 丸根公園 * [[赤池小学校]] * 赤池南1号公園 * 高根山住宅 }} == 橋梁 == 下流から順に記載。<ref name=":3" /> {{columns-list|colwidth=20em| * 繁盛橋 * 寺山橋 * 平池橋 * 赤池橋 * 高根山橋 * 荒池北橋 * モチロ橋 }} * その他、名称不明の橋も存在する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == {{commonscat}} [https://k.river.go.jp/?zm=15&clat=35.11336167299887&clon=137.03058242797854&t=0&dobs=1&drvr=1&dtv=1&dtmobs=1&dtmtv=1 国土地理院『川の水位情報』] {{River-stub|pref=愛知県}} {{DEFAULTSORT:はんもりかわ}} {{天白川水系 (愛知県)}} [[Category:愛知県の河川]] [[Category:名古屋市の地理]] [[Category:日進市の地理]] [[Category:愛知県の二級河川]] __インデックス__
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ワールド・オン・ファイアー
ワールド・オン・ファイアー、ワールド・オン・ファイア
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ワールド・オン・ファイアー、ワールド・オン・ファイア ワールド・オン・ファイアー (アルバム) - スラッシュ・フィーチャリング・マイルス・ケネディ・アンド・ザ・コンスピレーターズのアルバム。 ワールド・オン・ファイア (イングヴェイ・マルムスティーンのアルバム) - イングヴェイ・マルムスティーンのアルバム。
'''ワールド・オン・ファイアー'''、'''ワールド・オン・ファイア''' * [[ワールド・オン・ファイアー (アルバム)]] - [[スラッシュ (ミュージシャン)|スラッシュ]]・フィーチャリング・マイルス・ケネディ・アンド・ザ・コンスピレーターズのアルバム。 * [[ワールド・オン・ファイア (イングヴェイ・マルムスティーンのアルバム)]] - [[イングヴェイ・マルムスティーン]]のアルバム。 {{Aimai}} {{DEFAULTSORT:わあるとおんふあいあ}}
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高並村
高並村(たかなみむら)は、大分県宇佐郡にあった村。現在の宇佐市の一部にあたる。
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高並村(たかなみむら)は、大分県宇佐郡にあった村。現在の宇佐市の一部にあたる。
{{日本の町村 (廃止) | 廃止日 = 1955年1月1日 | 廃止理由 = 新設合併 | 廃止詳細 = 院内村、[[東院内村]]、[[南院内村]]、[[両川村 (大分県)|両川村]]、'''高並村''' → [[院内町 (大分県)|院内村]] | 現在の自治体 = [[宇佐市]] | よみがな = たかなみむら | 自治体名 = 高並村 | 区分 = 村 | 都道府県 = 大分県 | 郡 = [[宇佐郡]] | 面積 = | 境界未定 = | 人口 = 1444 | 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]] | 人口の時点 = 1950年 | 隣接自治体 = [[四日市町]]、両川村、東院内村、[[下毛郡]][[本耶馬渓町|本耶馬渓村]] | 所在地 = 宇佐郡高並村大字小稲 | 座標 = | 位置画像 = | 特記事項 = }} '''高並村'''(たかなみむら{{R|変遷}})は、[[大分県]][[宇佐郡]]にあった[[村]]。現在の[[宇佐市]]の一部にあたる。 == 地理 == *河川:恵良川、高並川{{R|角川}} == 歴史 == *[[1889年]](明治22年)4月1日、[[町村制]]の施行により、宇佐郡小稲村、高並村、下舟木村、上舟木村、大重見村、小野川内村が合併して村制施行し、'''高並村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』446頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 44 大分県』787頁。</ref>。旧村名を継承した小稲、高並、下舟木、上舟木、大重見、小野川内の6大字を編成{{R|角川}}。 *[[1955年]](昭和30年)1月1日、宇佐郡院内村、東院内村、南院内村、両川村と合併し、'''[[院内町 (大分県)|院内村]]'''が存続して廃止された{{R|変遷}}{{R|角川}}。 == 産業 == *農業 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[角川日本地名大辞典]] 44 大分県 * 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 == 関連項目 == * [[大分県の廃止市町村一覧]] {{デフォルトソート:たかなみむら}} [[Category:宇佐郡]] [[Category:宇佐市域の廃止市町村]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年廃止の日本の市町村]]
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為せば成る
為せば成る(なせばなる)は、古代中国からのことわざ。 どんなことでも強い意志を持って取り組んだならば、成し遂げることができるということを意味する。 書経太甲下に、慮らなければ何を獲ることができるのだろうか、為さなければ何を成すことができるのだろうかというようなことが書かれており、物事とは思慮を十分にめぐらし、進んで実行するということが大切であるということが説かれている。これは殷の宰相である伊尹が太甲に進言した言葉であった。 武田信玄によって詠まれたものの中に、為せば成る事柄であり為さなければ成らない事柄を成らないであろうと捨てる者はむなしいというようなことを意味する歌がある。この歌では努力をしないで諦めてしまう人の気持ちを戒めている。 上杉治憲によって読まれたものの中には、何事も為せば成るし為さなければ成らないのであり、人間の駄目なところは為さないことであるというようなことを意味する歌がある。現代の日本においてのことわざである為せば成るは、上杉治憲のこの歌が出典であると広く知られている。上杉治憲は18世紀の米沢藩の藩主であり、破綻した藩の財政を立て直した人物であるとして知られる。この詠まれた歌は家臣に対して教訓として与えられた言葉であり、何事も努力すれば実現するのであり、実現していないのは努力していないからであるということを伝えている。上杉治憲は長男の上杉顕孝への藩主としての教育に情熱を注ぐ。1785年に上杉顕孝は跡継ぎとなる。この時に上杉治憲は上杉顕孝の周りに仕える家臣に対して14か条の壁書を示して、この歌を添えていた。上杉治憲の住んでいた餐霞館は明治より公園となり、1970年に上杉治憲が初入部して200年を記念して庭園が整備され、歌が刻まれた顕彰碑が建てられる。
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為せば成る(なせばなる)は、古代中国からのことわざ。
'''為せば成る'''(なせばなる)は、古代中国からの[[ことわざ]]。 == 概要 == どんなことでも強い[[意志]]を持って取り組んだならば、成し遂げることができるということを意味する<ref name=":0">{{Cite web |title=為せば成る(なせばなる)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%82%BA%E3%81%9B%E3%81%B0%E6%88%90%E3%82%8B-346849 |website=コトバンク |access-date=2023-11-08 |language=ja |last=ことわざを知る辞典,故事成語を知る辞典}}</ref>。 === 歴史 === ==== 中国 ==== [[書経]][[太甲]]下に、慮らなければ何を獲ることができるのだろうか、為さなければ何を成すことができるのだろうかというようなことが書かれており、物事とは思慮を十分にめぐらし、進んで実行するということが大切であるということが説かれている<ref name=":0" />。これは[[殷]]の[[宰相]]である[[伊尹]]が[[太甲]]に進言した言葉であった<ref>{{Cite web |title=今日の言葉 「慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん」|[論語素読会]苟日新、日日新、又日新 |url=https://arukanatikait.com/post-56-56.html |website=[論語素読会]苟日新、日日新、又日新 |date=2012-11-16 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 ==== 日本 ==== ===== 武田信玄 ===== [[武田信玄]]によって詠まれたものの中に、為せば成る事柄であり為さなければ成らない事柄を成らないであろうと捨てる者はむなしいというようなことを意味する歌がある<ref name=":0" />。この歌では[[努力]]をしないで諦めてしまう人の気持ちを戒めている<ref name=":1">{{Cite web |title=あの人の忘れ得ぬ言葉:時事ドットコム |url=https://www.jiji.com/jc/v6?id=word68&a=1 |website=時事ドットコム |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>。 ===== 上杉治憲 ===== [[上杉治憲]]によって読まれたものの中には、何事も為せば成るし為さなければ成らないのであり、人間の駄目なところは為さないことであるというようなことを意味する歌がある。現代の[[日本]]においてのことわざである為せば成るは、上杉治憲のこの歌が出典であると広く知られている<ref name=":0" />。上杉治憲は[[18世紀]]の[[米沢藩]]の藩主であり、破綻した藩の[[財政]]を立て直した人物として知られる。この詠まれた歌は家臣に対して[[教訓]]として与えられた言葉であり、何事も努力すれば実現するのであり、実現していないのは努力していないからであるということを伝えている<ref name=":1" />。上杉治憲は長男の[[上杉顕孝]]への藩主としての教育に情熱を注ぐ。[[1785年]]に上杉顕孝は跡継ぎとなる。この時に上杉治憲は上杉顕孝の周りに仕える家臣に対して14か条の壁書を示して、この歌を添えていた。上杉治憲の住んでいた餐霞館は[[明治]]より公園となり、[[1970年]]に上杉治憲が初入部して200年を記念して庭園が整備され、歌が刻まれた[[顕彰碑]]が建てられる<ref>{{Cite web |title=米沢市役所 |url=http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1759.html |website=米沢市役所 |access-date=2023-11-08 |language=ja |last=米沢市役所}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} [[Category:ことわざ]] [[Category:武田信玄]] {{DEFAULTSORT:なせはなる}} [[Category:上杉鷹山]]
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相原隆
相原 隆(あいはら たかし、1937年1月1日 - 2019年6月8日)は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。 東京都出身。1960年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。2001年6月には会長に就任。 2019年6月8日に膵臓癌のために死去。82歳没。
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相原 隆は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。
'''相原 隆'''(あいはら たかし、[[1937年]][[1月1日]] - [[2019年]][[6月8日]])は、日本の[[経営者]]。日動火災海上保険(現在の[[東京海上日動火災保険]])社長を務めた。 == 来歴・人物 == [[東京都]]出身{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=あ40頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1960年]]に[[早稲田大学]]第一政治経済学部を卒業し、同年に[[日動火災海上保険]]に入社{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=あ40頁|ref=jinji-42-jo}}。[[1987年]]6月に取締役に就任し、[[1990年]]6月に常務、[[1993年]]6月に専務を経て、[[1995年]]6月には社長に就任{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=あ40頁|ref=jinji-42-jo}}。[[2001年]]6月には会長に就任{{sfn|興信データ株式會社|2003|loc=あ40頁|ref=jinji-42-jo}}。 [[2019年]][[6月8日]]に[[膵臓癌]]のために死去<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46096890U9A610C1CZ8000/ 相原隆氏が死去 元日動火災海上保険(現東京海上日動火災保険)社長]2019年 6月14日 日本経済新聞</ref>。{{没年齢|1937|01|01|2019|06|08}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author = 興信データ株式會社| title = 人事興信録 第42版 上| publisher = 興信データ| series = | volume = | edition = | date = 2003年| pages = | url = |ref = jinji-42-jo}} {{Normdaten}} {{businessperson-stub}} {{デフォルトソート:あいはら たかし}} [[Category:20世紀日本の実業家]] [[Category:21世紀日本の実業家]] [[Category:東京海上グループの人物]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1937年生]] [[Category:2019年没]]
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レンバタ語
レンバタ語(レンバタご)
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レンバタ語(レンバタご) 西レンバタ語 - インドネシアのロンブレン島で話されている言語。別名はミンガー語、ラバレカン語。 南レンバタ語 - インドネシアのロンブレン島で話されている言語。別名は西アタデイ語。
'''レンバタ語'''(レンバタご) * [[西レンバタ語]] - [[インドネシア]]の[[ロンブレン島]]で話されている言語。別名は'''ミンガー語'''、'''ラバレカン語'''。 * [[南レンバタ語]] - インドネシアのロンブレン島で話されている言語。別名は'''西アタデイ語'''。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:れんはたこ}}
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JSON-LD
JSON-LD (JavaScript Object Notation for Linked Data) は JSON を利用して Linked Data を表現する手法である。JSON-LD の目標のひとつは、開発者が既存の JSON を JSON-LD に変換する際の労力をできる限り減らすことであった。 JSON-LD は従来の JSON と同様の方法でデータをシリアライズすることができる。 当初は JSON for Linked Data Community Group によって開発されていたが、その後、評価・改善・標準化のために RDF Working Group に移され、現在は JSON-LD Working Group によってメンテナンスされている。 JSON-LD はW3C勧告である。 JSON-LD は JSON から RDF モデルへの追加のマッピングを提供する、「コンテキスト」(context) の概念に基づいて設計されている。コンテキストはJSON ドキュメント内のオブジェクトプロパティをオントロジー内の概念に結びつける。JSON-LD 記法を RDF に変換するために、JSON-LD は値を指定した型やタグ付けされた言語に強制することができる。コンテキストは直接 JSON-LD ドキュメントに埋め込むことも、別のファイルに入れて、他のドキュメント(HTTP リンクヘッダを介した従来の JSON ドキュメント)から参照することもできる。 上の例では、FOAF (Friend of a Friend) オントロジーに基づいて表された人間である。まず、name と homepage という二つの JSON プロパティと Person という型は FOAF 語彙の概念にマッピングされ、homepage プロパティの値は @id 型であると指定されている。言い換えれば、homepage の id はコンテキストの定義によって IRI であることを指定されている。RDF モデルに基づいて、ドキュメントの中で表される人物を IRI によって明確に識別することができる。解決可能な IRI を使うことで、さらに多くの情報を含むRDF ドキュメントを参照読み込みできるため、クライアントはそれらのリンクに従うだけで新しいデータを発見できる。この原則は Follow Your Nose として知られている。 この例のようにすべてのデータに意味論的な注釈を付けることによって、RDF プロセッサはドキュメントが人物 (@type) についての情報を含むことを識別することができ、プロセッサが FOAF 語彙を理解する場合にどのプロパティがその人物の name や homepage を指定しているのか判断することができる。 この記法は Schema.org、 Google Knowledge Graph、 で主に検索エンジン最適化活動で利用されている。 また、健康情報学や出所情報を表すアプリケーションなどにも使われている。 他にも Activity Streams という、潜在的・完了済みの行動に関する情報のやりとりのためのフォーマットの基礎でもあり、 分散型 SNS プロトコルである ActivityPub で利用されている。 さらに、モノのインターネット (IoT) の文脈でも利用され、JSON-LD ドキュメントである Thing Description では、ネットワークに面した IoT デバイスのインターフェースを表現するのに利用される。
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JSON-LD は JSON を利用して Linked Data を表現する手法である。JSON-LD の目標のひとつは、開発者が既存の JSON を JSON-LD に変換する際の労力をできる限り減らすことであった。 JSON-LD は従来の JSON と同様の方法でデータをシリアライズすることができる。 当初は JSON for Linked Data Community Group によって開発されていたが、その後、評価・改善・標準化のために RDF Working Group に移され、現在は JSON-LD Working Group によってメンテナンスされている。 JSON-LD はW3C勧告である。
{{Stack|{{Infobox file format | name = JSON-LD | icon = | logo = | extension = .jsonld | mime = application/ld+json | type code = | uniform type = | magic = | owner = | genre = [[Semantic Web]] | container for = [[Linked Data]] | extended from = [[JSON]] | extended to = | standard = [http://www.w3.org/TR/json-ld/ JSON-LD 1.1] / [http://www.w3.org/TR/json-ld-api/ JSON-LD 1.1 API] | open = Yes }}|{{Infobox technology standard | title = JSON-LD 1.1 | status = W3C Recommendation | year_started = 2010 | editors = {{collapsible list|title=編集者| * Gregg Kellogg * Pierre-Antoine Champin * Dave Longley }} {{collapsible list|title=以前の編集者| * Manu Sporny * Markus Lanthaler }} | authors = Manu Sporny, Dave Longley, Gregg Kellogg, Markus Lanthaler, Niklas Lindström | base_standards = {{plainlist| * [[IETF language tag|BCP 47]] * [[JSON|{{abbr|JSON|JavaScript Object Notation}}]] * [[Resource Description Framework|{{abbr|RDF|Resource Description Framework}}]] * [[Uniform Resource Identifier|URI scheme]] * [[Internationalized Resource Identifier]] * [[Bidirectional text#Unicode bidi support|Unicode Bidirectional Algorithm]] }} | abbreviation = JSON-LD | domain = [[Semantic Web]], [[Serialization|Data Serialization]] | website = {{plainlist| * {{url|https://www.w3.org/TR/json-ld/|JSON-LD 1.1}} * {{url|https://www.w3.org/TR/json-ld-api/|JSON-LD 1.1 Processing Algorithms and API}} * {{url|https://www.w3.org/TR/json-ld11-framing/|JSON-LD 1.1 Framing}} }} }}}} '''JSON-LD''' (JavaScript Object Notation for Linked Data) は [[JavaScript Object Notation|JSON]] を利用して [[Linked Data]] を表現する手法である。JSON-LD の目標のひとつは、開発者が既存の JSON を JSON-LD に変換する際の労力をできる限り減らすことであった。<ref>{{Cite web |url=http://json-ld.org/spec/latest/json-ld-syntax/ |title=JSON-LD Syntax 1.1 |date=2010-07-16 |access-date=2020-12-10}}</ref> JSON-LD は従来の JSON と同様の方法でデータをシリアライズすることができる。<ref>{{Cite web |url=http://m.lanthi.com/jsonld4rest-paper |title=On Using JSON-LD to Create Evolvable RESTful Services |access-date=2023-11-09}}, M. Lanthaler and C. Gütl in Proceedings of the 3rd International Workshop on RESTful Design (WS-REST 2012) at WWW2012.</ref> 当初は JSON for Linked Data Community Group によって開発されていた<ref>{{Cite web |url=https://json-ld.org/ |title=JSON for Linking Data Community Group |publisher=json-ld.org |access-date=2023-11-09}}</ref>が、その後、評価・改善・標準化のため<ref>{{citation|title=JSON-LD 1.0, A JSON-based Serialization for Linked Data, W3C Recommendation 16 January 2014|date=2014-01-16|url=https://www.w3.org/TR/2014/REC-json-ld-20140116/|access-date=2020-12-10}}</ref>に RDF Working Group に移され<ref>{{Cite web |url=http://www.w3.org/2011/rdf-wg/wiki/Main_Page |title=RDF Working Group |publisher=w3.org |access-date=2023-11-09}}</ref>、現在は JSON-LD Working Group によってメンテナンスされている。<ref>{{Cite web |url=https://www.w3.org/2018/json-ld-wg/ |title=JSON-LD Working Group |publisher=w3.org |access-date=2023-11-09}}</ref> JSON-LD は[[W3C勧告]]である。 == 設計 == JSON-LD は JSON から [[Resource Description Framework|RDF]] モデルへの追加のマッピングを提供する、「コンテキスト」(context) の概念に基づいて設計されている。コンテキストはJSON ドキュメント内のオブジェクトプロパティを[[オントロジー (情報科学)|オントロジー]]内の概念に結びつける。JSON-LD 記法を RDF に変換するために、JSON-LD は値を指定した型やタグ付けされた言語に強制することができる。コンテキストは直接 JSON-LD ドキュメントに埋め込むことも、別のファイルに入れて、他のドキュメント([[HTTP]] リンク[[HTTPヘッダ|ヘッダ]]を介した従来の JSON ドキュメント)から参照することもできる。 == 例 == <syntaxhighlight lang="json-ld"> { "@context": { "name": "http://xmlns.com/foaf/0.1/name", "homepage": { "@id": "http://xmlns.com/foaf/0.1/workplaceHomepage", "@type": "@id" }, "Person": "http://xmlns.com/foaf/0.1/Person" }, "@id": "https://me.example.com", "@type": "Person", "name": "John Smith", "homepage": "https://www.example.com/" } </syntaxhighlight>上の例では、[[FOAF]] (Friend of a Friend) オントロジーに基づいて表された人間である。まず、name と homepage という二つの JSON プロパティと Person という型は FOAF 語彙の概念にマッピングされ、homepage プロパティの値は @id 型であると指定されている。言い換えれば、homepage の id はコンテキストの定義によって [[Internationalized Resource Identifier|IRI]] であることを指定されている。RDF モデルに基づいて、ドキュメントの中で表される人物を IRI によって明確に識別することができる。解決可能な IRI を使うことで、さらに多くの情報を含むRDF ドキュメントを[[トランスクルージョン|参照読み込み]]できるため、クライアントはそれらのリンクに従うだけで新しいデータを発見できる。この原則は Follow Your Nose として知られている。<ref>{{Cite web |url=http://patterns.dataincubator.org/book/follow-your-nose.html |title=Linked Data Patterns, Chapter 5: Follow Your Nose |date=2023-06-07 |access-date=2023-06-07}}</ref> この例のようにすべてのデータに意味論的な注釈を付けることによって、RDF プロセッサはドキュメントが人物 (<code>@type</code>) についての情報を含むことを識別することができ、プロセッサが FOAF 語彙を理解する場合にどのプロパティがその人物の name や homepage を指定しているのか判断することができる。 == 事例 == この記法は Schema.org<ref>{{Cite web |title=Data Model |url=https://schema.org/docs/datamodel.html |website=Schema.org |access-date=2018-06-20 |language=en}}</ref>、 [[Google ナレッジグラフ|Google Knowledge Graph]]<ref>{{Cite web |title=Understanding structured data |url=https://blog.bendevoficial.com/posts/understanding-structured-data |publisher=[[Bendev Junior]] |access-date=2023-11-09}}</ref>、<ref>{{Cite web |title=Method Entities in Search |url=https://developers.google.com/knowledge-graph/reference/rest/v1/ |website=Google Developers |access-date=2017-10-17 |language=en}}</ref> で主に[[検索エンジン最適化]]活動で利用されている。 また、[[健康情報学]]<ref>{{Cite journal|last=Xin|first=Jiwen|last2=Afrasiabi|first2=Cyrus|last3=Lelong|first3=Sebastien|last4=Adesara|first4=Julee|last5=Tsueng|first5=Ginger|last6=Su|first6=Andrew I.|last7=Wu|first7=Chunlei|date=2018-02-01|title=Cross-linking BioThings APIs through JSON-LD to facilitate knowledge exploration|journal=BMC Bioinformatics|volume=19|issue=1|pages=30|doi=10.1186/s12859-018-2041-5|pmc=5796402|pmid=29390967}}</ref>や出所情報を表すアプリケーションなどにも使われている。<ref>{{Citation|title=PROV-JSONLD: A JSON and Linked Data Representation for Provenance|last=Huynh|first=Trung Dong|last2=Michaelides|first2=Danius T.|last3=Moreau|first3=Luc|date=2016|url=https://eprints.soton.ac.uk/395985/1/prov-jsonld-poster-abs.pdf|publisher=Springer International Publishing|series=Lecture Notes in Computer Science|volume=9672|pages=173–177|isbn=9783319405926|language=en|doi=10.1007/978-3-319-40593-3_15}}</ref> 他にも Activity Streams という、潜在的・完了済みの行動に関する情報のやりとりのためのフォーマットの基礎でもあり、<ref>{{Cite journal|last=Prodromou|first=Evan|date=May 2017|title=Activity Streams 2.0|url=https://www.w3.org/TR/2017/REC-activitystreams-core-20170523/|journal=W3C Recommendation}}</ref> 分散型 SNS プロトコルである [[ActivityPub]] で利用されている。<ref>{{Cite journal|last=Tallon|first=Jessica|date=Jan 2018|title=ActivityPub|url=https://www.w3.org/TR/2018/REC-activitypub-20180123/|journal=W3C Recommendation}}</ref> さらに、[[モノのインターネット|モノのインターネット (IoT)]] の文脈でも利用され、JSON-LD ドキュメントである Thing Description<ref>{{Cite web |url=https://www.w3.org/TR/wot-thing-description |title=Web of Things (WoT) Thing Description, W3C Proposed Recommendation |website=www.w3.org |access-date=2020-03-26}}</ref> では、ネットワークに面した IoT デバイスのインターフェースを表現するのに利用される。 == 参照 == * Hypertext Application Language == 参考文献 == <references /> == 外部リンク == * [http://json-ld.org/ JSON-LD.org] {{Semantic Web}}{{マークアップ言語一覧}}{{W3C標準}} [[Category:セマンティック・ウェブ]] [[Category:JSON]] [[Category:マークアップ言語]] [[Category:データシリアライゼーションフォーマット]]
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マーダーズ・イン・ビルディング
『マーダーズ・イン・ビルディング』は、スティーブ・マーティンとジョン・ホフマンによって制作されたアメリカのコメディミステリーテレビシリーズ。 ※括弧内は日本語吹替。 スティーブ・マーティン(羽佐間道夫) マーティン・ショート(山寺宏一) セレーナ・ゴメス(林原めぐみ)
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『マーダーズ・イン・ビルディング』は、スティーブ・マーティンとジョン・ホフマンによって制作されたアメリカのコメディミステリーテレビシリーズ。
『マーダーズ・イン・ビルディング』は、[[スティーブ・マーティン]]とジョン・ホフマンによって制作されたアメリカのコメディミステリーテレビシリーズ。 {{Use mdy dates|date=January 2023}} {{Infobox television | genre = {{Plainlist| * [[コメディドラマ]] * [[ミステリー]][[スリラー]] }} | creator = {{Plainlist| * スティーブ・マーティン * ジョン・ホフマン }} | starring = {{Plainlist| * スティーブ・マーティン * [[マーティン・ショート]] * [[セレーナ・ゴメス]] * アーロン・ドミンゲス * [[エイミー・ライアン]] * [[カーラ・デルヴィーニュ]] * アディナ・ヴェルソン * マイケル・シリル・クレイトン <!--Main cast order is according to original credits (the pilot episode). Do NOT rearrange cast order, per MOS: TV CAST. In addition, new main cast members will be at the bottom of the list.--> }} | music = Siddhartha Khosla | country = [[アメリカ合衆国]] | language = [[英語]] | num_seasons = 3<!--Only increment as a new season has been released, per the documentation of the template!--> | num_episodes = 30<!--Only increment as a new episode has been released, per the documentation of the template!--> | executive_producer = {{Plainlist| * [[ダン・フォーゲルマン]] * Jess Rosenthal * [[Jamie Babbit]] * Steve Martin * Martin Short * Selena Gomez * John Hoffman }} | producer = {{Plainlist| * [[Thembi Banks]] * Jane Raab * Nick Pavonetti * Kristin Bernstein * [[Madeleine George]] * Sas Goldberg * [[Tess Morris]] }} | editor = {{Plainlist| * [[Julie Monroe]] * JoAnne Yarrow * Matthew Barbato * David L. Bertman * Shelly Westerman * Peggy Tachdjian * Payton Koch }} | cinematography = {{Plainlist| * Chris Teague * Dagmar Weaver-Madsen * Kyle Wullschleger }} | runtime = 26–38 分 | company = {{Plainlist| * [[Rhode Island Ave. Productions]] * [[Another Hoffman Story Productions]] * [[40 Share Productions]] * [[20th Television]] }} | network = [[Hulu]](日本では[[Disney+]]で配信) | released = {{Start date|2021|8|31}} |現在 }} ==概要== ==キャスト== ===メイン=== ※括弧内は日本語吹替。 * チャールズ=ヘイデン・サベージ - [[スティーブ・マーティン]]([[羽佐間道夫]]) * オリバー・パトナム - [[マーティン・ショート]]([[山寺宏一]]) * メイベル・モラ - [[セレーナ・ゴメス]]([[林原めぐみ]]) * ジャン・ベローズ - [[エイミー・ライアン]]([[戸田恵子]]) * アリス・バンクス - [[カーラ・デルヴィーニュ]]([[斎賀みつき]])、シーズン2〜 * ポピー・ホワイト - アディーナ・ヴァーソン([[外石咲]]) * ハワード・モリス - マイケル・シリル・クレイトン([[丸山壮史]]) ===スペシャルゲスト=== * ベン・グレンロイ - [[ポール・ラッド]]([[加瀬康之]]) * ロレッタ - [[メリル・ストリープ]] ===リカーリング=== ==外部リンク== * {{IMDb title}} * [https://deadline.com/wp-content/uploads/2022/06/Only-Murders-In-The-Building-It-Starts-On-The-Page.pdf Official pilot screenplay] [[Category:Only Murders in the Building]] [[Category:2020s American comedy-drama television series]] [[Category:2020s American LGBT-related comedy television series]] [[Category:2020s American LGBT-related drama television series]] [[Category:2020s American mystery television series]] [[Category:2021 American television series debuts]] [[Category:Bisexuality-related television series]] [[Category:English-language television shows]] [[Category:Hulu original programming]] [[Category:Murder in television]] [[Category:Primetime Emmy Award-winning television series]] [[Category:Television series about podcasting]] [[Category:Television series by 20th Century Fox Television]] [[Category:Television series created by Steve Martin]] [[Category:Television shows filmed in New York City]] [[Category:Television shows set in Manhattan]]
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エディソン・ヨルダノフ
エディソン・ヨルダノフ(1993年6月8日 - )はブルガリアのサッカー選手。ポジションはMF。KVCウェステルロー所属。 ブルガリア人の父とドイツ人の母を持つ。 2013年5月31日、ボルシア・ドルトムントのセカンドチームと2年契約を結んだ。2013-14シーズンの冬の合宿では、監督のユルゲン・クロップによって評価された。 2021年7月7日、KVCウェステルローと2年契約を結んだ。 年代別代表ではドイツ代表を選択していたが、2021年10月、ブルガリア代表に招集された。
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エディソン・ヨルダノフはブルガリアのサッカー選手。ポジションはMF。KVCウェステルロー所属。
{{サッカー選手 |名前=エディソン・ヨルダノフ |画像= |本名=Edisson Lachezarov Jordanov |アルファベット表記=Edisson Jordanov |原語名=[[ブルガリア語]] |原語表記=Едисон Лъчезаров Йорданов |国={{BUL}} |出身地={{flagicon|GER}} [[ロストック]] |生年月日={{生年月日と年齢|1993|6|8}} |身長=172cm |ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] |背番号=32 |所属チーム名={{Flagicon|BEL}} [[KVCウェステルロー]] |クラブ1={{Flagicon|GER}} [[ハンザ・ロストック]]II|年1=2012-2013|出場1=2|得点1=0 |クラブ2={{Flagicon|GER}} [[ハンザ・ロストック]]|年2=2012-2013|出場2=26|得点2=1 |クラブ3={{Flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント|ドルトムント]]II|年3=2013-2015|出場3=67|得点3=8 |クラブ4={{Flagicon|GER}} [[シュトゥットガルト・キッカーズ]]|年4=2015-2016|出場4=26|得点4=1 |クラブ5={{Flagicon|GER}} [[SCプロイセン・ミュンスター]]|年5=2015-2016|出場5=12|得点5=0 |クラブ6={{Flagicon|LUX}} [[F91デュドランジュ]]|年6=2017-2019|出場6=43|得点6=4 |クラブ7={{flagicon|BEL}} [[REヴィルトン]]|年7=2019-2020|出場7=24|得点7=2 |クラブ8={{Flagicon|BEL}} [[ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ|ユニオンSG]]|年8=2020-2021|出場8=22|得点8=0 |クラブ9={{Flagicon|BEL}} [[KVCウェステルロー|ウェステルロー]]|年9=2021-|出場9=47|得点9=2 |代表1={{BULf}}|代表年1=2021-|代表出場1=5|代表得点1=0 |クラブ成績更新日=2023年7月1日 |代表成績更新日=2022年6月9日 }} '''エディソン・ヨルダノフ'''(Edisson Jordanov, [[1993年]][[6月8日]] - )は、[[ドイツ]]・[[ロストック]]出身の[[プロサッカー選手|サッカー選手]]。[[KVCウェステルロー]]所属。[[サッカーブルガリア代表|ブルガリア代表]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。 ==経歴== ブルガリア人の父とドイツ人の母を持つ<ref>{{cite web|url=http://www.1x2help.com/balgarinat-yordanov-debyutira-za-germaniya-2/ |archive-url=https://archive.today/20120729134952/http://www.1x2help.com/balgarinat-yordanov-debyutira-za-germaniya-2/ |url-status=dead |archive-date=29 July 2012 |title=Българин дебютира за Германия |language=Bulgarian |publisher=1x2help.com |accessdate=13 March 2009 }}</ref>。 2013年5月31日、[[ボルシア・ドルトムント]]のセカンドチームと2年契約を結んだ<ref>{{cite web | url = http://www.az-online.de/sport/lokalsport/landkreis-uelzen/jordanov-wechselt-bvb-2933663.html | title = Jordanov wechselt zum BVB! | trans-title = Jordanov transfers to BVB! | language = German | publisher = az-online.de | date = 31 May 2013 | accessdate = 30 August 2014}}</ref>。2013-14シーズンの冬の合宿では、監督の[[ユルゲン・クロップ]]によって評価された<ref>[https://www.soccer-king.jp/sk_column/article/164397.html 【ブンデスリーガ第18節みどころ】バイエルン入団のレヴァンドフスキ。ドルトムントファンの反応はいかに!?]サッカーキング 2014年1月25日</ref>。 2021年7月7日、[[KVCウェステルロー]]と2年契約を結んだ<ref>{{cite web|publisher=K.V.C. Westerlo|url=https://kvcwesterlo.be/welcome-edisson-jordanov/|title=Welcome Edisson Jordanov|date=7 July 2021|accessdate=14 October 2021}}</ref>。 ===代表歴=== 年代別代表では[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]を選択していたが、2021年10月、[[サッカーブルガリア代表|ブルガリア代表]]に招集された<ref>[https://sportal.bg/news-2021102215131020789 Ясен Петров обяви списъка с легионерите - няколко са изненадите]</ref>。 ==脚注== {{Reflist}} ==外部リンク== *{{sports links}} {{KVCウェステルローのメンバー}} {{デフォルトソート:よるたのふ えていそん}} [[category:ブルガリアのサッカー選手]] [[Category:ドイツのサッカー選手]] [[Category:サッカーブルガリア代表選手]] [[category:ブルガリア系ドイツ人]] [[Category:ドイツ系ブルガリア人]] [[category:ハンザ・ロストックの選手]] [[Category:ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズの選手]] [[Category:KVCウェステルローの選手]] [[Category:ロストック出身の人物]] [[Category:1993年生]] [[category:存命人物]]
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鳴上なごね
鳴上 なごね(なるがみ なごね [英: Nagone Narukami]、1997年1月2日 - )は、日本のコスプレイヤー、グラビアアイドルである。神奈川県出身。株式会社BRAND所属。愛称は、なごね。 2023年11月現在、新宿区歌舞伎町にある深海浪漫というコンカフェで働きつつ定期的に個人撮影会を開催している。
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鳴上 なごねは、日本のコスプレイヤー、グラビアアイドルである。神奈川県出身。株式会社BRAND所属。愛称は、なごね。 2023年11月現在、新宿区歌舞伎町にある深海浪漫というコンカフェで働きつつ定期的に個人撮影会を開催している。
{{存命人物の出典明記|date=2023年11月9日 (木) 06:25 (UTC)}} {{ActorActress | 芸名 = 鳴上 なごね | ふりがな = なるかみ なごね | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 不明 | 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> | 出生地 = | 出身地 = 神奈川県 | 死没地 = | 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> | 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> | 身長 = 158cm | 血液型 = A型 | 生年 = 1997 | 生月 = 1 | 生日 = 2 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[コスプレイヤー]]、[[グラビアアイドル]] | ジャンル = | 活動期間 = [[2015年]] - | 活動内容 = | 配偶者 = | 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意 --> | 所属劇団 = | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 = | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''鳴上 なごね'''(なるがみ なごね [英: '''Nagone Narukami''']、[[1997年]][[1月2日]] - )は、日本の[[コスプレイヤー]]、[[グラビアアイドル]]である。[[神奈川県]]出身。株式会社BRAND所属。愛称は、なごね。 2023年11月現在、[[新宿区]][[歌舞伎町]]にある深海浪漫というコンカフェで働きつつ定期的に個人撮影会を開催している。 == 人物 == *「鳴上なごね」は活動名であり、由来は不明。高校一年生頃より活動を開始している。活動頻度はマイペースで、画像アップは当初はworldcosplay中心だったが現在はInstagramやTwitter、Fantiaなど幅広い場所にて行われている。 * 身長158cm、血液型はA型、カップ数はA(スリーサイズ: B75 - W58 - H85)<ref name=mdpr210812>{{Cite web |title=コスプレイヤー鳴上なごね、ハイレグ競泳水着姿&ボンテージ風水着姿に…1stDVDで大胆衣装を披露 - モデルプレス |url=https://mdpr.jp/news/detail/3615842 |website=モデルプレス - ライフスタイル・ファッションエンタメニュース |date=2021-08-12 |access-date=2023-11-08 |language=ja}}</ref>、靴のサイズは23.5cm。 * 趣味は[[酒]]、[[コスプレ]]、[[アニメ]]や[[映画]]、[[ドラマ]]の鑑賞で好きな映画[[ガメラ2 レギオン襲来|ガメラ2]]、[[シン・ゴジラ]]である。[[エヴァンゲリオン (架空の兵器)|エヴァ]]と[[ゴジラ]]が大好きである。特技は[[料理]]、衣装制作、[[裁縫]]<ref>{{Cite web |title=RQラボ/鳴上なごねさんのプロフィール |url=https://rq-labo.jp/narukami_nagone_prof.html |website=rq-labo.jp |access-date=2023-11-08}}</ref><ref name=mdpr210812 />。 * 裁縫が趣味であり、本業であるコスプレイヤーやグラビアアイドルを熟しつつ衣装制作も行っている。但し造形とは分かり合えていない。 * アニメが好きで、特にアイマスと型月が好みである。また、菊池真、モバマスCo速水奏、765箱推しでもある<ref>{{Cite web |title=鳴上なごね 【コスプレイヤーズアーカイブ】--鳴上なごねメインページ-- |url=https://www.cosp.jp/prof.aspx?id=266481 |website=www.cosp.jp |access-date=2023-11-08}}</ref>。負けヒロインが好みでもある。 * 好きな食べ物は辛い物、焼き鳥、寿司、刺身、メロンパン、クリームソーダ、じゃがりこ。<ref>{{Cite web |title=なごね - 深海浪漫 - 歌舞伎町 |url=https://www.pokepara.jp/tokyo/m4/a10000/shop17779/gal/481940/ |website=キャバクラ情報[ポケパラ] |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> * 男性の骨ばった肘がフェチである。<ref>{{Cite web |title=なごね - 深海浪漫 - 歌舞伎町 |url=https://www.pokepara.jp/tokyo/m4/a10000/shop17779/gal/481940/ |website=キャバクラ情報[ポケパラ] |access-date=2023-12-25 |language=ja}}</ref> * 好きな色は緑と紫。 == 作品 == === DVD === * COOL BEAUTY (2023年1月27日、DMM)<ref>{{Cite web |title=ログイン - DMM.com |url=https://accounts.dmm.com/service/login/password/=/path=SgxfVwkZTB1XF1VdQRk_/ |website=accounts.dmm.com |access-date=2023-11-08}}</ref>{{出典無効|date=2023年11月9日 (木) 06:25 (UTC)}} * もっと大胆に…。(2023年7月26日、DMM)<ref>{{Cite web |title=ログイン - DMM.com |url=https://accounts.dmm.com/service/login/password/=/path=SgxfVwkZTB1XF1VdQRk_/ |website=accounts.dmm.com |access-date=2023-11-08}}</ref>{{出典無効|date=2023年11月9日 (木) 06:25 (UTC)}} === デジタル写真集 === * ラブポップグラビア 鳴上なごね Vol.01 (2021年9月3日、PAD)<ref>{{Cite web |title=ラブポップグラビア 鳴上なごね Vol.01(最新刊) | 鳴上なごね/ラブポップ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101319954/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * ラブポップグラビア 鳴上なごね Vol.02 (2021年10月29日、PAD)<ref>{{Cite web |title=ラブポップグラビア 鳴上なごね Vol.02(最新刊) | 鳴上なごね/ラブポップ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101325547/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * 日頃のなごね 鳴上なごね写真集 (2022年1月28日、ビビットキャスト)<ref>{{Cite web |title=日頃のなごね 鳴上なごね写真集(最新刊) | 鳴上なごね/杉吉ゆうじ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101336997/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * 日頃のなごね 鳴上なごね写真集 Chapter1 (2022年2月4日、ビビットキャスト)<ref>{{Cite web |title=日頃のなごね 鳴上なごね写真集 Chapter1(最新刊) | 鳴上なごね/杉吉ゆうじ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101336998/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * 日頃のなごね 鳴上なごね写真集 Chapter2 (2022年2月11日、ビビットキャスト)<ref>{{Cite web |title=日頃のなごね 鳴上なごね写真集 Chapter2(最新刊) | 鳴上なごね/杉吉ゆうじ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101336999/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * なごねの日常 鳴上なごね写真集 (2022年5月2日、ビビットキャスト)<ref>{{Cite web |title=なごねの日常 鳴上なごね写真集(最新刊) | 鳴上なごね/杉吉ゆうじ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101345314/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> * 普段のなごね 鳴上なごね写真? omnibus (2022年5月2日、ビビットキャスト)<ref>{{Cite web |title=普段のなごね 鳴上なごね写真? omnibus(最新刊) | 鳴上なごね/杉吉ゆうじ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア |url=https://www.cmoa.jp/title/1101345318/ |website=www.cmoa.jp |access-date=2023-11-08}}</ref> == 外部リンク == * [https://rq-labo.jp/narukami_nagone_prof.html 鳴上なごね(公式プロフィール)] - RQラボ * [https://www.twitch.tv/narug0d_/home なごね] - [[Twitch]] * [https://twitter.com/narug0d 鳴上なごね] - [[Twitter]] * [https://twitter.com/netetaberuch なごねサブ] - [[Twitter]] (サブ) * [https://www.instagram.com/narug0d/ 鳴上なごね] - [[Instagram]] * [https://www.tiktok.com/@narug0d?lang=ja-JP 鳴上なごね] - [[TikTok|Tiktok]] * [https://www.tiktok.com/@MS4wLjABAAAA-JV0W5To7VCibOnXJaqBm4KjrmPb5z75NtxxRFtUOk5oK4xZ1BhoK4D-S2JxmOsU 鳴上なごね] - [[TikTok|Tiktok]] (サブ) * [https://www.youtube.com/channel/UCzOpfvpleUSfhhTkPWW-jng ごねちゃんねる。] - [[YouTube|Youtube]] == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:なるかみ なこね}} [[Category:グラビアアイドル]] [[Category:コスプレイヤー]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1997年生]] [[Category:存命人物]]
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